水精リウラと睡魔のリリィ (ぽぽす)
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第一章 家族 前編

はじめまして。ぽぽすと申します。
どうぞ、よろしくお願いいたします。

※週1更新予定です。
※カッコの内容は以下の通りになります。
 「」:発言
 『』:過去の発言等
 ():思考、考え等
 ≪≫:詠唱
 "":その他


 ――溶ける、融ける。身体が、全身が解けてゆく

 

 痛い、苦しい、そして何より恐ろしい。

 

 ただの学生でしかない私がそんな恐怖に耐えられる訳もなく、私は必死に泣き叫ぼうとする。

 

 助けて、と。たった一人の家族へ向かって。

 

 叫んだつもりの私の(のど)から、ごぽり、と温かいものが溢れる。きっと、私の救いを求める声はまともに届いてはいないだろう。声の(てい)を成しているかも怪しい。

 

 だけど、涙で歪む視界に映る姉は、機能を失いつつある耳には届かない“何か”を必死に叫びながら私に向かって駆けだそうとしてくれていて、それを周りの人たちが必死になって止めている。

 

 ――ああ、どうしてこんなことになってしまったのだろう

 

 私はとても大きな未練を抱えながら、

 

 ――私はただ、家族と、友達と何気ない日常を過ごしていたかっただけなのに

 

 その日、液状の化け物に喰われて命を落とした。

 

 

***

 

 

 青く澄み渡った空を悠々と飛ぶ、巨大な竜。緑豊かな大地には色とりどりの花々が咲き乱れ、その周りを、人形のように小さく可愛らしい風の妖精が、笑顔で楽しそうに飛び回る。

 エルフは竪琴(たてごと)を奏で、ドワーフは(つち)を振るい、猫や犬の耳を持つ人々が、弓や槍を手に狩りをする。

 

 そんな幻想的(ファンタジック)な生き物や魔物、種族が生きる世界――それが、ここ……ディル=リフィーナ。

 

 そのラウルバーシュ大陸北西部、ユークリッド王国近郊にある巨大な地下迷宮の一角に、大きな湖がある。

 

 その周囲は岩壁で覆われており、(あり)()い出る隙間も無いが、決して暗くはない。光の精霊を宿らせた特殊な鉱石が、周囲の岩壁に設置されているためだ。

 鉱石が放つ柔らかな光が地底湖を優しく照らし、幻想的な光景を作り出している。

 

 その地底湖にいくつかある岩礁(がんしょう)の一つに、頬を膨らませて座り込む1人の少女の姿があった。

 

「……う~っ! みんなのケチ~っ! 心配性~!!」

 

 年の頃は15~16といったところだろうか。

 サイドポニーをリボンで結び、可愛らしいフリルのついたワンピースを(まと)っている、とても快活そうな少女だ。

 袖の部分が分かれており、少女の細く柔らかそうな二の腕が(さら)されているところが特徴的である。

 

 だが、何より特徴的なのは、彼女の“色”。

 髪・瞳・肌……そして服に至るまで、その全てが半透明の水色なのだ。よくよく目を凝らせば、それらが本当に()()()()()()()ことが分かるだろう。

 

「あ~っ! 早く外に行きた~いっ!! ……可愛い服とか魚じゃない生き物とか美味しいものとか着たい見たい飲みた~い!!!」

 

 眉を吊り上げ、早口言葉のように大声で欲求不満を吐き出す少女。

 一通り叫んで気が済んだのか、少女はピタリと口を閉じると、わずかに間をあけて大きく溜息をついた。

 

「……はぁ……みんなが言っていることはわかるし、心配してくれてるのは嬉しいけど……それでも心配しすぎだよ……私、もう充分自分の身を護れる力を身につけたと思うんだけどなぁ……」

 

 少女がそう(つぶや)いた直後、少女の周囲――地底湖の水面が一斉(いっせい)に持ち上がり、まるで生き物のようにバラバラに動き出す。

 

 ――あるものは、刃を形作って空気を斬り裂き

 ――あるものは、無数の触手へと変わり、鞭のようにしならせ

 ――またあるものは、(えら)(うろこ)に至るまで精緻に魚を描き、宙を泳がせる

 

 それらは、水を(つかさど)る彼女の意思によって生まれ、操られていた。

 

 少女は人ではなかった。水精(みずせい)と呼ばれる、水の精霊の1種だったのである。

 

 

***

 

 

 少女――水精リウラは、この地底湖で生まれた。

 この地底湖で最年少であるリウラは、同じ水精である姉達に囲まれ、日々、何不自由なく幸せに暮らしていた。

 

 ある時、そんな彼女に転機が訪れた。

 

 地底湖の外が出身の水精達が、外の世界のことをリウラに話してくれたのだ。

 

 木々や草花……街や村……城や店といった建物……様々な種族、精霊、動物、魔物……そして、彼らが作り出した美しい衣服や装飾品、美味しい飲み物……彼女達が語る話は、瞬く間にリウラを魅了した。

 

 話を聞いたリウラはすぐにでも外の世界に行きたがったが、姉達全員が必死にリウラを止めることになった――なぜか?

 

 地底湖の外は、人間族と魔族が戦争を繰り広げていたからだ。

 

 近年急速に力をつけた1人の魔族が数多(あまた)の魔族・魔物を従えて、小国を1つ滅ぼし、そのまま隣の人間族の国家へと侵攻。

 現在は、(くだん)の魔族――世間では“魔王”と呼ばれている――側が劣勢で、迷宮の下層に押し込められているようだが、決してリウラ達の住処がある上層が安全という訳ではない。

 

 リウラはそれを聞いて思った。

 

(じゃあ、自分の身を守れるだけの力を身につければいいじゃない)

 

 以来2年半、外出許可を得んが為、隠れ里一の実力者たる水精を師に仰ぎ、彼女の開いた口が塞がらない程の凄まじいスピードでリウラは自身の戦闘力を高め続けているが、成果は芳しくない。

 比較的安全な地底湖の外周……それも水辺限定で外に出る許可を、つい最近、ようやくもぎ取ってこれたところである。

 

 しかし、それも無理からぬこと。そもそもこの地底湖は、この戦争を回避するために造られた“水精の隠れ里”なのだ。

 

 迷宮を流れる川底から、水を操って岩盤をくりぬき、分厚い岩盤で覆われた地底湖を築くのは、想像以上に大変なことだ。

 多くの水精達が“戦争に巻き込まれたくない”、“戦争から仲間を護りたい”という強い意志を持ち、力を合わせたからこそ成し遂げたのだろう。

 

 そんな姉達からすれば、戦争真っただ中に大切な妹を放り込むなど、できる訳がない。

 リウラもそういった背景は理解しているし、姉達が自分を大切にしてくれていることはとても嬉しいと思う。

 

 しかし、それでも……それでも、リウラは外に行きたかった。

 胸の内から湧き出る衝動を抑えることが、どうしてもできなかったのだ。

 

 “色々なところを見て回りたい”、“可愛らしい服や装飾品を身につけたい”、“美味しいものを口にしてみたい”――外の世界を求める情熱は治まるどころか、時が経つにつれてより強く激しくリウラの中で燃え上がる。

 その思いは、もはや“決意”と呼んでも差しつかえないほどに強くなっていた。

 

 

 ――ドボォン!!

 

 

 リウラがひとしきり訓練がてら水を操作して遊んでいると、突如(とつじょ)水に岩でも放り込んだかのような大きな水音が聞こえた。

 

 リウラは驚きに目を大きく開くと、音のしたほうに振り向く。

 その眼には何も変わったものは映ってはいないが、リウラの感覚に引っかかるものがあった。

 

 地底湖を覆う岩壁の外側……位置からして水面下に、リウラよりも遥かに小さな魔力を感じる。

 その激しく乱れている様子から、魔力の持ち主が溺れていることに思い至ったリウラは、考える間もなく地を蹴って地底湖へ飛び込み、水面下にある出口から外へと飛び出していた。

 

 ものの数秒で魔力の近くまで泳ぐと、そこには激しくもがく人型の生物がいた。

 背丈はリウラよりも10cmは低いだろう。どうやら幼い子供のようだ。

 

 リウラは子供の真正面から近づき抱きかかえようとするが、子供は溺れるあまり、必死に両手両足を使って、がっしりとリウラの両腕ごと胴を抱え込んだ。

 火事場の馬鹿力でも出ているのか、リウラがどんなに力を入れても子供の手足は外れる様子がない。

 

 だが、水の精霊であるリウラに呼吸は不要なので溺れることなどあり得ないし、例え手足が動かなくても、水を操れば泳ぐことは造作もないことである。

 リウラはしがみつかれたまま、周囲の水を操って急上昇し、水面まで一気に泳ぎきる。

 

「ぶはっっ!! はあっ、はあっ、はあっ……!」

 

 子供は水面に出ると同時に必死に呼吸を始めた。

 リウラはそれを見て目の前の子どもが助かったことを理解すると、ほっと息をついた。

 

 突如訪れたトラブルが落ち着いたことで、目の前の子どもを観察する余裕がリウラに生まれる。

 

「女の子……?」

 

 リウラが助けた人物は、美しい金髪を頭の両脇で結び、短めのツインテールにした10歳くらいの女の子だった。

 先程まで溺れていたことで苦しそうに表情が歪んではいるものの、それでも顔立ちが整っていることがはっきり分かるほどの美少女だ。

 

(獣人族かな……?)

 

 少女の頭頂部からは三角形の耳が飛び出し、背にはコウモリのような翼がある。

 また、リウラの胴には少女のものであろう尾が巻きついている感触があった。

 

 姉達の話だと、“獣のような耳や羽・尻尾が生えている人型の生物”が獣人族のはずだった。

 リウラが見たことのある“獣”など、魚かコウモリぐらいだが、特徴には当てはまっているように見える。

 

 少女は息が整い落ち着いてきた様子を見せると、ギュッと(つむ)っていた目をゆっくりと開く。

 美しい紅の瞳がリウラに焦点を結んだ。

 

「大丈夫?」

 

 リウラが心配そうに問いかけるが、少女はリウラをじっと見つめたまま反応を示さない。

 

(うっ……こういうときはどうすれば……)

 

 想定していたものとは異なる反応を返され、リウラは戸惑う。

 外の世界では奇妙に思われることを自分はしてしまったのでは……そんな心配がリウラの心の中で鎌首をもたげる。

 

 長い時間が経ったかのようにリウラには思われたが、実際には数秒程度だっただろう。

 しばらくリウラの瞳を見つめていた少女は、急に瞳に涙を浮かべ、顔を歪ませると、リウラの胸に顔を埋めて大声で泣き出した。

 

「ちょっ……!? ちょっと、どうしたの!?」

 

 問いかけるも、少女は答えずに、ただわんわんと涙を流すだけだ。

 

 “溺れかけたことが、よほど怖かったのだろう”と、あたりをつけたリウラは少女が落ち着いて座れる場所を探すため、近くの岸を目指してゆっくりと泳ぎ始めた。

 

 途中、リウラは水を使って自分のものとそっくりな腕を1本作り上げると、おそるおそると、だが優しくゆっくりと慰めるように少女の頭を撫でた。

 

 

 ――少女は、より強くリウラにしがみついた……まるで、親を亡くした子供のように

 

 

 リウラが助けた少女は、いったいどこから来たのか。

 そして、何故こんな人里から遠く離れた辺鄙(へんぴ)な場所で溺れていたのか。

 

 話は、数日前にさかのぼる……。

 

 

***

 

 

 ――まおーさまの魔力が消えた

 

 少女の整った顔が瞬時に青ざめる。

 

 輝くような金髪から飛び出た、濃い焦げ茶色の猫耳は、少女の心の乱れを表すかのように忙しなく震え、背から生える小柄な蝙蝠の翼は、その緊張を表すかのようにピンと広げたまま動かない。

 

 その紅い瞳は主人を失う恐怖に慄いており、スカートの下から伸びた猫のような尾は、本来ならば柔らかくなだらかであったであろう、耳と同色の毛を逆立てていた。

 

 魔王がその強大な魔力を用いて、手ずから魂と肉体を創り上げた使い魔……それが彼女だった。

 生まれて間もないが故に未だ脆弱(ぜいじゃく)ではあるものの、魔王の娘とも呼べる彼女の潜在能力は測り知れない。

 本来ならば、彼女はすくすくとその身を成長させ、魔王の(かたわ)らでその絶大な能力を振るい、人間達を絶望の底に叩き落としていたはずだった。

 

 しかし、状況は彼女が育つまで待ってはくれなかった。

 人間族の国家が連合を組んだことで戦争は急速に激化し、魔王は彼女に(かま)う余裕もなく追い込まれることとなったのである。

 

 その辺をうろつく魔物にすら戦闘力で劣る今の彼女は、前線から遠く離れた浅い階層で、ただ主の無事を祈ることしか許されなかった。

 

 そして今、主人と魂で繋がっている彼女は、その独自の感覚から明確に魔王の異常を察知した。

 いつも感じることができた絶大な魔力が、まるで何かに遮断されたかのように急に感じることができなくなってしまったのだ。

 

 魔王が死ねば彼女も生きてはいられないため、魔王が存命であることだけは確かだが、このまま何もしなければ、本当に魔王が命を落としてしまうかもしれない。

 

 かつてない危機感を覚えた少女は慌てて立ち上がると、藍色でシンプルなデザインのキャミソールドレスを(ひるがえ)し、今にも消えてしまいそうなほど弱々しくなってしまった主との繋がりを辿(たど)りながら、魔王がいるであろう場所を目指して必死に走り出した。

 

 自分が魔王を助ける、という使命感を胸に宿して。

 

 

***

 

 

 ――地下530階

 

「……覚えて、おくがいい。私は、滅びるわけでは、ない。いつか必ず(よみがえ)り、復讐を……果たすであろう」

 

 凄まじい恨み、憎しみが込められたどす黒い怨念。

 それを、地の底から響くような声で目の前に群がる人間達に叩きつけた後、人間族から“魔王”と呼ばれ、恐れられた1人の魔族は(まぶた)を閉じた。

 

 深い沈黙が下りる

 

 各国から集められた人間族の精鋭達は動かない……いや、()()()()

 凄絶な呪いの予言を放った魔王の、人間族よりも何倍も大きな巨体を見つめ、構えたまま、彼らはまるで石の彫像にされたかのように動けなかった。

 

 それ程までに、魔王が言い残した不吉な予言が恐ろしかったのだ。

 

 やがて、1人の端正な面持ちの金髪の青年――ゼイドラム王国の勇者 リュファス・ヴァルヘルミアが剣をブンと振るって血糊(ちのり)を落とし、高々と剣を掲げて大音声(だいおんじょう)を上げた。

 

「勝利の(とき)を上げよ!! 我ら、人間族の勝利である!!」

 

 一拍(いっぱく)の間をおいたのち、その場に音の暴力とでも言うべき歓声が上がった。

 

「勝った~!! 勝ったぞ~!!!」

 

「生きて、生きて……帰れる~~ううぅぅぅぅ…………!!」

 

「勇者様、ばんざーい!!!!」

 

 兵士達は涙を流し、抱き合って自分達の勝利を噛みしめている。

 その様子を確認した後、リュファスは共に最前線で魔王と戦った各国の勇者、そして彼らに準ずる実力を持つ者達を集め、厳しい面持(おもも)ちで会話を切り出した。

 

「まさか、最悪の予想が当たるとはな」

 

「『いくら倒しても転生し、回遊する魔神がこの迷宮に出現する』という噂を聞いていたから、ひょっとしたら、とは思っていましたが……まさか、本当にこの魔王がそうだったとは……」

 

「この場所に追い込んだのは大正解だったということか……なら、予定通り魔王を此処(ここ)に封印することにしよう。シルフィーヌ、頼めるか?」

 

「構いません。この迷宮に最も近いのは我が国ですし、なにより、魔王を封印できるだけの魔力を持つのは私だけですから」

 

 そのやり取りを見た仲間の1人が、何とも言いがたい微妙な表情になる。

 

(……まぁ、ほとんど属国に近い立場からすれば、頼まれれば断れないよねぇ……)

 

 魔王を倒すために一致団結したとはいえ、各国家の協力の()り方は複雑だ。

 魔王を封印した後は、より一層、そうした関係構築に気を()むことになるのだろう。

 

 大いなる魔力を秘めた姫……ユークリッド王国第三王女シルフィーヌは、魔王封印の儀式を準備するため、周囲の兵に指示を出し始めた。

 

 

 

 

 こうして、人間族は魔王を封じ込めることに成功し、それぞれの国へ意気揚々(いきようよう)凱旋(がいせん)した。

 

 ――しかし、人間達は最後まで気づかなかった……封印される直前、魔王が自身の魂を肉体の外に逃がしていたということを

 

 

***

 

 

 あれから数日、迷宮を徘徊(はいかい)する危険な魔物を何とかやり過ごしながら、少女は魔王の位置を目指して走り続けた。

 

 そして、とうとう彼女は見つけた。

 

 極めて浅い階層でゆらゆらと彷徨(さまよ)う薄青い光の玉――その、今にも消えそうな(はかな)篝火(かがりび)が、自分の主であることを、少女は使い魔としての感覚で理解した。

 

(早く! ……早く魔力をあげないと……!)

 

 むき出しの魂となって迷宮を彷徨い続けていた魔王は、魔力が尽き、既に意識がなく消滅寸前であった。

 少女は慌てて走り寄ると、自らの魔力を与えるため、魔王の魂に向かって必死に両手を伸ばす。

 

 ――しまった……そう思った時には遅かった

 

 洞窟のように荒れた地面に足を取られ、少女の体が傾く。

 魔王の魂は、倒れこむ少女の胸に触れた途端、すぅっと砂に染み込む水のように吸い込まれていった。

 

 まるで金槌(かなづち)で思い切り殴られたかのような衝撃が胸に走る。

 

 そのショックに耐えられず、少女はあっさりと意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん……」

 

 (まぶた)を開くと、そこにはゴツゴツとした岩の天井。

 寝起きの為か、頭がボーっとした状態でむくりと上体を起こすと、まるで人形のようにスラリとした真っ白な手足と、身に(まと)う紺のキャミソールドレスが目に入った。

 

(あれ? ……小さい?)

 

 人間族で言えば10歳相当の自分の身体。生まれてからずっと一緒だったはずの自分の手足に、何故か違和感を覚えた。

 まるで、急に自分の身体が縮んだかのような……

 

 じっと自分の両手を見つめていた少女は、ふと我に返る。

 

 

 自分は、何かとても大切なことをしていなかったか?

 

 

 ――カチリ

 

 少女の頭に“魔王”の2文字が浮かんだ瞬間、少女の中にある情報が連鎖的に紐づけられ、少女は全てを()()()()……見る見るうちにその表情を青ざめさせた。

 

 

 

「私……ゲームの世界に来ちゃった……」

 

 

 

 

 

 ――姫狩りダンジョンマイスター

 

 プレイヤーが魔王となって配下の魔族を率い、迷宮を制覇していく陣取り型シミュレーションゲームである。

 

 人間族の勇者に倒され、魂だけの存在となった魔王が新たな肉体を手に入れるも、その体が脆弱な人間族のものであったため、唯一残った配下である魔族の少女“リリィ”を鍛え上げながら、配下を増やし、元の肉体を取り戻すまでを描いた、R-18の男性向けゲームだ。

 

 もう、お分かりであろう。

 その“リリィ”こそが、今途方(とほう)に暮れている、この猫耳少女である。

 

 本来ならば、虚弱な人間族の少年に放り込まれるはずだった魔王の魂……それを自らが受け入れてしまった際のショックの為か、少女――リリィは、かつてこのゲームを遊んでいた前世の記憶を取り戻してしまっていた。

 

 では、何故リリィはこんなにも顔色を悪くしているのだろうか?

 

 実は、このゲームの舞台となる世界……前世で暮らしていた世界とは比べ物にならないほど危険なのである。

 

 奴隷にされたり凌辱されたり殺されたりするのはザラで、洗脳されることもあれば、魔物の苗床(なえどこ)となることもあり、果ては魔物と合成させられ、化け物となってしまうことさえある。

 

 殺され方も実にバリエーション豊富で、生贄、呪い、悪霊に()り殺される、魔物に生きたまま食われる、通りすがりの魔神に町や村ごと滅ぼされる、etc……と()()()()りだ。実に嬉しくない。

 

 そして、さらに嬉しくないことに、現在リリィが置かれている状況の危険性は、この世界に住む一般的な人間よりも(はる)かに高かったりする。

 

 まず、見たまんま10歳児相当しかない戦闘力と、庇護者(ひごしゃ)を失ったこの状況。

 

 そこらを当たり前のように魔物が闊歩(かっぽ)するこの世界では、リリィは美味しく頂かれてしまうご飯でしかない。

 早急に護ってくれる人物を見つけなければ、いつか魔物に頭からバリバリ食べられてしまうだろう。

 

 次に、彼女の種族が睡魔族(すいまぞく)であること。

 

 睡魔族とは、前世の世界で言う夢魔(むま)淫魔(いんま)のことであり、性的行為や淫夢(いんむ)を見せることで他人の精気を奪い、(かて)とする悪魔の一種である。

 

 その特性上、異性を誘う必要があるため、他の種族とは段違いに高い容姿、そしてこの世のものとは思えぬ性的快楽を与えられる肉体を、彼女達は持っている。

 そしてそれは“性的に襲われる可能性がめちゃくちゃ高い”という意味と同義である。

 

 そして何より決定的なのが、リリィが魔王に創造された使い魔だということだ。

 

 魔族というだけで、まず、この大陸で最も繁栄している種族である人間族から敵視される。

 何しろ、本来“悪魔族全般”を指すはずの“魔族”という単語が、人間族の間では“()()()()()()()()()()()”を意味するのだから、その敵対意識は半端(はんぱ)ではない。

 

 それが、人間族の国家を丸々1つ潰した魔王が生み出した使い魔ともなれば、もはや彼女に対して抱く感情は殺意以外に無いだろう。

 

 さらに悪いことに、魔王の魂と密接に繋がるリリィは、魔王の肉体や魂に一定以上の負荷がかかった時、その影響をもろに受けてしまう特性を持っている。

 それによって生じる問題は様々だが、中でも一番切迫している問題が“魔王の肉体へかけた封印”である。

 

 実は、シルフィーヌ王女が施した魔王への封印は不完全なものであり、それを完成させるため、シルフィーヌ王女は定期的に封印を強化しに、この迷宮を訪れるようになる。

 

 そして、封印が完成してしまうと、リリィは光に包まれて消え去ることになってしまう。

 原作ではそれ以上の描写が無いため、具体的にどうなったのかは分からないが、おそらく(ろく)なことになってはいまい。

 

(どうすれば良い……!? どうすれば、私は五体満足で生き残ることができる……!!?)

 

 前世の記憶が甦ったからといって、今世の記憶がなくなる訳ではない。

 

 創造されてから1年にも満たない人生で見た、魔王が支配する魔物達や、それらが人を襲っている光景はリリィの中に生々しく残っている。

 それらの記憶が、まるで“次はお前だ”と自分に告げているように感じられた彼女は、文字通り死に物狂いで“いかに生き残るか”に全思考力・精神力を集中させていた。

 

 ――何かに集中して周りが見えなくなってしまうこと……それは、魔物が徘徊(はいかい)する迷宮で最もしてはならない事の1つである

 

 

 突然、リリィの背後から大量の液体がのしかかってきた。

 

(っ!? 何!?)

 

 液体は粘性の高いゲル状で、やや濃い目の空色をしている。

 液体は瞬く間にリリィの身体を押し倒し、全身を包み込むと、リリィの身体が逃げ出さないよう、内部への圧力を高め始めた。

 

 それは“プテテット”というアメーバ状の魔物だった。

 

 彼らは自らに接近した物質にとりつき、それが食べられるものならば溶かして養分を吸い取るという、細菌とほぼ同様の生態を持っている。

 その生態から推測できるように、知性というべきものを持たず、また、種類や個体差にもよるが、液状の身体を持っていることから、耐久力もさほど無い。

 “魔物”というくくりの中では、間違いなく最弱の部類と言って良いだろう。

 

 だが、決して(あなど)ってはならない。

 個体によってかなりの差があるが、大きなものは人間族の成人男性を丸々2~3人包み込める質量をもつ。

 のしかかられたら骨折する可能性があるし、取り込まれて全身の動きを止められたら窒息死は(まぬが)れない。

 

 そして、今まさにリリィは窒息死の危機にさらされていた。

 

(息が……! 息ができない!! 身体も動かない!!?)

 

 リリィは必死にもがこうとするが、全身にまんべんなく圧力をかけられた身体はピクリとも動かない。

 

(誰か……! 誰かたす……け……)

 

 息が続かなくなり、意識を失いかける寸前、リリィの――睡魔族の肉体は、突如訪れた生命の危機から逃れるため、リリィの意思とは無関係に本能で活動を開始した。

 

 リリィの体内の魔力が活性化し、淡い紫色の魔力光(まりょくこう)がリリィの身体を覆う。

 すると、プテテットの体から白いもやのような光が湧き出し、急速にリリィの身体に吸い込まれ始めた。

 

 ――反応は劇的だった

 

 ビクン!! とゲル状の身体が揺れると、すぐさまプテテットはリリィを吐き出しながら飛び離れた。

 リリィはせき込みながら必死に空気を取り込みつつ起き上がると、恐怖にひきつった表情で自分を襲った相手に顔を向けた。

 

 リリィが無意識に行った行動……それは、精気の吸収だ。

 

 通常、睡魔族は淫夢を見せるか、性行為を行うことで精気を吸収する。

 しかし、必ずしもそうした行為を必要とするわけではない。

 

 そうした行為は、精気を吸収しやすくする、あるいはより質の高い精気を生み出すための魔術的な儀式の意味合いが強く、魔術的抵抗力が低い相手……すなわち、精神力の低い相手から単に精気を奪うだけならば、無理に行う必要はない。

 

 プテテットのように精神力以前に知性すらない相手であれば、今リリィがして見せたように指一本動かすことなく吸収することも可能なのだ。

 

 しかし、まだ幼いリリィが行った反撃はせいぜい相手を(ひる)ませる程度の効果しかなかったようで、プテテットは反撃を行ったリリィを警戒するように距離を取りながらも、再度リリィに襲いかかる為にじわじわと距離を詰めている。

 

 10歳児の戦闘力云々(うんぬん)以前に、今まさに魔物に食べられそうになったリリィにとって“戦う”という選択肢は初めから存在しない。

 

 リリィは恥も外聞(がいぶん)もなくみっともない悲鳴を上げながら、必死になって最弱の魔物から逃げ出した。

 

 

***

 

 

 息が苦しい……足が痛い……お腹も痛い……頭が朦朧(もうろう)とする……

 

 それでもリリィは走り続けた。

 “食べられたくない”という原始的な恐怖に背中を押され、とにかく感じる気配の少ない方へ少ない方へと走り続けた。

 

 命の危機に限界以上の力を発揮してくれたリリィの身体は、10歳児とは思えないほど遠くへとリリィの身体を移動させてくれたが、とうとうエネルギーを使い果たしたようで、今のリリィはふらふらと足元がおぼつかず、“歩くよりはマシ”程度のスピードでひたすら足を前に運んでいる。

 

 ――ガクンッ

 

 ついに限界を迎えたリリィの膝から力が抜ける。

 意識を朦朧とさせつつも、反射的に手を突こうとするリリィ。……しかし、そこに床は無かった。

 

「……ぇ?」

 

 かすれた声で疑問の声を上げた時、リリィは宙に投げ出されていた。

 

 ――ドボォンッ!

 

(!!?? ……!!、!!)

 

 全身を包む水の感触――それは、先程襲われたプテテットを想起させるには充分で、リリィは一瞬でパニック状態に陥った。

 

 わずかに残された力を使って必死にもがくが、混乱した頭はどうしても“泳ぐ”という行為を身体に命令できず、彼女は徐々に徐々に水底(みなそこ)へと沈んでいった。

 

 その時、リリィの胴体に何かが触った。

 

 リリィは反射的に両手両足で“それ”に思い切りしがみつく。

 すると、リリィがしがみついた“何か”はグンと勢いよく上昇し、水面を突き破った。

 

「ぶはっっ!! はあっ、はあっ、はあっ……!」

 

 リリィは周囲に空気があることに気付くと、必死に呼吸を始める。

 そして、ある程度呼吸が落ち着くと、思い切り(つむ)っていた眼をゆっくりと開く。そこには、溺れる彼女が必死になって(つか)んだものの正体があった。

 

(水……精……?)

 

 リリィの顔を心配そうにのぞき込む、髪も肌も瞳も半透明に透き通った少女……ティエネーと呼ばれる水の精霊の一種だ。

 

「大丈夫?」

 

 (かすみ)がかかったようにうまく働かないリリィの頭の中に、じわじわと少しずつ水精の言葉がしみ込んでくる。

 そして、ある程度の時間が経ってようやく理解した。

 

 ――自分は、助かったのだと

 

 目が熱くなり、体が震え、表情が歪んでいくのが止められない。

 リリィは、自分の視界がぼやけたことに気づくと同時に少女の胸に顔を押し付け、大声で泣き出した。

 

 ――嬉しかったのだ。ただ“この命がある”ということが、何よりも嬉しかったのだ

 

 “みっともない”だとか、“迷惑をかけてしまっている”だとか、そんなことは思いつきもしなかった。

 只々(ただただ)、恐怖から解放された嬉しさに涙を流し続けた。

 

「怖がっだ……怖がっだぁぁあああ~~~!! いぎっ、だり、プデデッ、ド、でぃっ、おぞわれっ、でっ、あ゛あ゛あ゛ああああぁああああ~~~~!!!」

 

 水精の少女は慌てている様子を見せていたが、すぐにリリィをしがみつかせたまま泳ぎ始めた。

 

 途中、水精が魔力を操作するのを感じる。水を操って手でも作ったのか、ひんやりと柔らかい何かが自分の頭を優しくなで始めた。

 

 もうリリィには何も考えられなかった。

 優しく自分を抱き締め、撫でてくれる水精に感謝し、ひたすら大声をあげて涙を流すことしかできなかった。

 

 目の前の水精を求めて、より強くギュッと抱きしめる。

 リリィが水精に顔を押し付けて流す涙は、水でできた衣服の表面を輝きながら流れていった。

 

 

***

 

 

 ――あれから、1週間後

 

 水精の隠れ里――岩盤に囲まれた地底湖の岸辺にリリィの姿があった。

 彼女は(まぶた)を閉じ、猫耳をピクピク震わせている。周囲の気配や魔力を探っているようだ。

 

 ピクリ

 

 リリィの猫耳が一度大きく震えた。

 リウラの魔力が地底湖の外から戻ってきたのを感じる。

 

 気配は1つではなく、彼女が追い立てているのであろう、今回の“獲物”の気配も感じた。だが……、

 

(……?)

 

 その気配は、いつもよりもちょっと……だいぶ……いや、()()()大きい。

 

「リウラさん、いったい何を追い込んで……?」

 

 そう言って眼を開いた瞬間、湖の中央の水面が爆発した。

 

「……ふぁい?」

 

 リリィの眼が点になる。

 

 水面から凄まじい勢いで現れたのは奇妙な“魚”だった。

 

 (うろこ)は灰色、ヒレは緑色でどちらもかなり暗い色をしている。

 エラの部分からはまるで人間族の男性の腕のような太く長い器官が飛び出し、その先は大きな水かきのついたヒレになっている。

 眼がある部分にも、やや小さく短めだが、同様の器官が眼を覆い隠すように存在していた。

 

 だが、特筆すべきはそこではない。

 

 

 ――でかい

 

 

 人間族の成人男性よりもでかい。体長は軽く3メートルくらいは有りそうだ。

 おまけにリリィを一飲みにできそうなほど大きな口の中には、やたら鋭くて大きな牙がズラリと並んでいる。あれに噛みつかれたら、間違いなく骨ごと食いちぎられるだろう。

 

(……え……? ……“アレ”を狩れと……? ……私の何倍も体が大きくて、いかにも『お肉大好きです』って言わんばかりの“アレ”を狩れと……?)

 

 “魚”はすぐに水に潜ったが、リリィは視線を“魚”が潜った水面に釘付けにしたままピクリとも動かない。

 リリィがダラダラと冷や汗を垂らしながら硬直していると、チャプンと遠くの水面からリウラが顔を出した。

 

 リウラは、まばゆく輝かんばかりの満面の笑顔で口を開く。

 

「リリィ~~! 今日の獲物は大物だよ~~!!」

 

「……大物すぎるわああああああぁぁぁぁぁ!!!!!!」

 

 リリィは敬語を忘れた。

 

「何ですかアレ!? バギルじゃないですか! あんなん勝てるわけないじゃないですか!!」

 

 バギルとは、大陸西方から南方の穏やかな淡水に生息する大型の肉食魚だ。

 それも、ただの凶暴な肉食魚ではなく、下位で末席(まっせき)ではあるものの幻獣の一種に分類されている。

 

 つまり、強い。とっても強い。

 

 この魚の亜種が、溶岩や岩を()()()()デタラメなパワーと頑強な肉体を持つといえば、その強さが少しでも伝わるだろうか。

 

「でもぉ~~!! こんぐらい大物じゃないと~~!! いつまでたっても隠れ里(ここ)から外に出られないんじゃない~~!?」

 

「………………」

 

 事実だった。

 あまりに正論すぎて、リリィは言い返せない。

 

 リウラに助けられて以来、リリィは地底湖でリウラのお世話になりながら暮らしていた。

 

 水精であるリウラは食事をしなくても生きていけるが、リリィはそうはいかない。

 睡魔族は食事の代わりに他者の精気を摂取することも可能(というか、本来はそちらが主食だ)だが、恩人である水精達から精気をもらうのも気が引ける。

 

 そこで、リリィはリウラに魚を取ってもらって、生臭さに半泣きになりながら食べていたのだが、その時、リリィはふと気付いた。

 

 ――大きな魚なら、たくさん精気を持っているかもしれない

 

 精気は、日々の糧としてだけでなく、基礎的な魔力を向上させることに使うこともできる。

 簡単にいえば、レベルアップできるのだ。

 より多くの精気を吸収すればするほど、リリィは今の何倍も速く、力強く、頑丈になることができる。

 

 何もしなければ自分が死んでしまうかもしれない現状、いつまでもこの地底湖で暮らすわけにもいかない。

 だが、外には危険な魔物や人間がわんさかおり、弱いままふらふら出ていくわけにもいかない。

 リリィにとって強くなることは急務であった。

 

 そこで、リウラに頼んでリリィの身の(たけ)ほどもある大きな魚を取ってきてもらい、精気を吸収してみたところ、これがうまくいった。

 リリィの魔力が確実に強くなった手ごたえがあったのだ。

 

 精気を1日の活動エネルギーとして消費するのはもったいなかったので、その分は黙々(もくもく)と生魚を食べて補いながら、次々と魚を狩り続けた結果、今ではリウラが水で(つく)った大ぶりの剣だろうと片手で軽々振り回せるようになり、簡単な魔術まで発動できるようになった。

 今では潜水魔術を使って水中で剣を振り回し、リウラと一緒に魚を狩って生活しているほどだ。

 

 しかし、強くなればなるほど、より強くなるためには多くの精気が必要になる。

 今まで狩ってきたような魚では、リリィの魔力がほとんど上がらなくなってしまったのだ。

 

 ならば、より多くの精気を持つ……つまり、より強い獲物を狩る必要があるのは当然であった。

 リウラの判断は間違ってはいない。間違ってはいないのだが……

 

「無理いいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!!!!」

 

 だからといって『サメなんか比較にならない程、危険な猛獣がいる湖に飛び込めるか?』といえば、それは別問題だ。

 

(魔王様!! こんなとき魔王様ならどうしたんですか!!??)

 

 リリィは(わら)にもすがる思いで、己の内にある魔王の魂へと問いかける。

 

 リリィの中に入った魔王の魂、彼は少々特殊な状態にあった。

 

 通常、他人の肉体に入った魂は“元の魂と融合する”、“元の魂をかき消す”、“元の魂を肉体から追い出す”のいずれかの反応を示すのだが、リリィの場合にはそれが無い。

 その原因は魔王とリリィの関係性にある。

 

 リリィは魔王の魔力によって魂・肉体を創造された使い魔である。

 彼女はその特性として致命傷を受けると主の体内に戻り、主の魔力を使って肉体を再構成することで傷を癒すことができるのだが、その際に“主の魂と混ざり合う”なんてことは起こらない。

 主と使い魔を結ぶ魔術的なラインがお互いの魂を分ける壁の機能を果たしているためだ。

 

 そしてリリィの中にいる魔王の魂は昏睡(こんすい)状態にある。

 どうやら魔力が欠乏した状態のままリリィの中に取り込まれてから、未だに魔力が回復していないらしい。

 どうやらリリィが意図的に魔力を流さない限り、魔王の魂へ魔力は流れないようだ。

 

 これは不幸中の幸いだった。

 たとえそれが魂だけの存在であっても、リリィは魔王には逆らえない。そういう契約をリリィが創造された時から結ばれているからだ。

 もし魔王の魂が目覚めていたら、リリィは魔王の命令に従って復活のために周りの人々に迷惑をかけていたことだろう。人間としての意識が芽生えたリリィにとって、それは地獄だ。

 

 そしてもう一つの幸いが、先のリリィの“問いかけ”である。

 昏睡状態の魔王の魂にリリィが問いかけると、必要な知識や経験をリリィに返してくれるのだ。

 

 どうやら意識不明……つまり無抵抗であれば、体内にある魂はリリィが自由に操れるらしい。

 今、リリィが曲がりなりにも剣を振るえるのも、魔術を扱えるのも、魔王の知識や経験をもらっているおかげである。

 

 この特性は非常に便利で、今回のような非常事態でも“魔王だったらどう対応していたのか”という過去の経験が返ってくる。“苦しいときの神頼み”ならぬ“魔王頼み”である。

 

 リリィは、今の状況に近いような経験がないか、魔王の魂から引き出そうと眼を閉じて必死に集中するが、経験を引き出し終わって再び眼を開いた時には愕然(がくぜん)とした表情に変わっていた。

 

(……も……元々の地力(じりき)と才能が違う……!)

 

 魔王の答えは非常にシンプルだった。

 

 ――レベルを上げて物理で殴れ

 

 まず元々の能力が非常に高いせいで、ほとんど苦戦というものを経験していない。

 その上、少し訓練しただけで大幅に能力が上がるため、難敵(なんてき)に当たってもあっという間に敵の能力を追い越してしまう。

 こんな経験、今のリリィの置かれている状況の役に立つはずがない。

 

 リウラは泳いでリリィに近づきながら、気楽な調子で言う。

 

「私がサポートしたげるから、大丈夫大丈夫!」

 

「じゃあ、リウラさんが狩って下さいよ! 私には無理です!」

 

「それじゃあ、リリィの経験になんないじゃん」

 

「私は精気だけもらって強くなったら、もう少しレベルの低い相手からチャレンジします!」

 

「……言いたいことは分かるけど、外はもっと危険らしいよ~。こんなのじゃ相手にならないのがわんさかいるってみんな言ってるし」

 

 これも事実である。

 リリィの前世の常識からすれば有り得ないほど恐ろしい力を持つバギルだが、この世界では雑魚も同然だったりする。

 この程度、簡単に倒せるようにならなければ、隠れ里から外には出られないのだ。

 

 また、強力な相手とぶつかる(たび)にもたもたしていたら、封印が完成してしまうかもしれないし、格下とばかり戦っていたら、いざ格上と出会った時にあっさり死にかねない。

 リウラの意見はどこまでも正しかった。

 

 ちなみに、リウラがバギルを見ても怖がらないのは、別に彼女の度胸が優れているから、という訳ではない。

 単純に()()()()()()()()のだ。

 

 バギルに限らず水棲(すいせい)生物は基本的に水精を襲わない。

 周囲の水を自在に操るだけでなく、一時的に自身を液状化できる彼女達を襲うことは、水中を生活圏とする彼らにとって困難極まりなく、他の獲物を探して襲うほうが何倍も簡単だからだ。

 

 加えてリウラ達水精はこうした巨大な肉食魚を絶えずよく目にしているため、それが恐ろしいものだという意識が彼女には無い。

 猫が共に育った大型犬を見ても恐れないようなものである。

 

 リリィはリウラの言葉に(うな)りながら頭を抱えている。

 恐怖をこらえて戦うことが正しいと理解しつつも、どうしても怖くて足が踏み出せないようだ。

 

 そんなリリィを見ながら、リウラはリリィと出会った時のことを思い出す。

 

 

 

『……私は、強くならなくちゃいけないんです……!』

 

 

 

 リリィの親は魔王軍に属していたが、戦争に行ったきり帰ってこなくなり、現在彼女を保護してくれる人はいないらしい。

 詳しくは教えてくれなかったが、すぐに強くならなければ、彼女自身の命が危ないという事情も話してくれた。

 

 それはおそらく事実だろう。

 でなければ、こうして半泣きになりながらリリィが恐怖心と戦っているはずがない。

 

 そして、その事実は何故か深くリウラの心を絞めつけた。

 

 “親がいない”という彼女の不幸に、深く同情した。

 “強くなりたい”という彼女の想いに、深く共感した。

 

 リリィの想いが、まるで自分の想いであるかのように感じられた。

 

 これは初めての経験ではない。

 姉達から“外”の情報を得る際に、こうした他人の不幸話を聞くこともある。

 その中でも、“親がいない”、“強くなりたい”といった内容に、異常なほどリウラは涙もろかった。

 

 いったい彼女に何があったのか……リウラはそれを知りたいと思う。

 そして、この愛らしい隣人(りんじん)の心を支えてあげたいと思う。

 それは、同情心以外の何物でもなかったが、リウラの心の底からの願いであった。

 

(……いつか、全部話してほしいな……)

 

 リウラは岸に上がると、リリィを背後からそっと抱きしめる。

 

「リウラさん……」

 

 リウラに抱きしめられたリリィは少しずつ落ち着いてゆき、こわばっていた全身から力が抜けてゆく。

 

 明るくて、元気で、優しくて……親を亡くして辛い思いをしているはずなのに、そんな様子を微塵(みじん)も見せず、前を向いて一生懸命頑張っている、そんな彼女がリウラは大好きだった。

 

 容姿も反則なまでに可愛いし、抱きしめたら甘えてくれるところなんて、身悶(みもだ)えするほど愛らしい。

 

 わずか1週間程度の付き合いだが、リウラはリリィの事を家族のように感じていた。もはや、リリィの居ない生活など考えられない。

 

 だからリウラは、リリィのために全力を尽くす。

 具体的には……、

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ギュッ!!

 

「へっ?」

 

 背後からリリィの両腕ごと抱きしめる体勢になっていたリウラ。

 突如、彼女の抱きしめる力が強くなる――それも、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……リリィ……一緒に頑張ろう!」

 

「……えっ? ……いったい何をで……!?」

 

 ドボオオオオォン!!

 

 リウラは、リリィが逃げられないようにしっかり魔力をこめた腕で思い切り抱きしめたまま、リリィもろとも猛魚の待つ湖へと飛び込んだ。

 

 ――それは、リリィにとって()()()()()()()()が如き暴挙(ぼうきょ)であった

 

 

***

 

 

「いいですか? しっかり押さえておいてくださいよ? 絶対ですよ? もし放したら許しませんからね?」

 

「……うん、大丈夫。しっかり押さえてる」

 

「……」

 

「……その……ごめん。本当にごめんなさい……」

 

「……」

 

 今、リリィ達がしているのは、バギルの治療だ。

 

 リリィが毎日魚を食べているとは言っても、精気を奪った魚を(かた)(ぱし)から全て食べているわけではない。

 必要な分以外の魚は、精気を奪った後、狩る際についた傷を癒してから元の場所にリリースしていた。

 

 リリィはバギルの体表に淡い紫色の魔力光がともった両手をかざしている。

 リリィの治癒魔術を受けたバギルは、傷が薄くなるにつれて次第にビチビチと力強く暴れ出すが、リウラが作った水の鎖でぐるぐる巻きにされているため、その力強い尾びれでリリィを跳ね飛ばすようなことにはならなかった。

 

(…………嫌われちゃったかな……)

 

 リウラの眉は先程からハの字に下がったままだ。

 

 あの後、リウラのフォローを受けながらなんとかバギルを仕留(しと)めたリリィ。

 リウラの予想通りバギルの精気はリリィをレベルアップさせるには充分で、リリィの魔力は先程までとは比べ物にならないほど強くなった。

 方法は間違ってはいなかったのだろう。だが、そこにリリィを送り出す過程がまずかった。

 

 リウラはリリィを怒らせるつもりも不必要に怖がらせるつもりもなかった。

 ただ、リリィを戦わせてあげることがリリィの為になると思い、その考えに至った瞬間、思いつくまま行動に移っていただけなのだ。

 

 しかし、その行動はリリィにしてみれば“自分の命を脅かすものがいる場所へ、身動きを封じられたまま突き落とされた”こと以外の何物でもない。怒らないほうがおかしい。

 陸に上がったリリィから怒鳴(どな)られるまで、そのことに思い至らなかった自分が嫌いになりそうだった。

 

「……はい、終わりましたよ」

 

「……あ、うん……」

 

 リウラが悩んでいるうちに、バギルの治療は終わっていた。

 

(……とりあえず、これを放してこよう……)

 

 リウラは、その華奢(きゃしゃ)な肩を落としながら、湖へと歩いていく……激しく暴れる体長3メートルの怪魚を引きずりながら。

 

 とぼとぼ……ずりずり(ビッチンビッチン)……とぼとぼ……ずりずり(ビッチンビッチン)……

 

 ――シュールだった。そして意外と力持ちであった

 

 リリィはそんなリウラの様子を見て、自分の怒りが霧散し、頭が冷えていくのを感じていた。

 

 リウラがリリィの事を思って先の行動に出たことは理解している。

 その後の狩りでも、しっかりとリリィのフォローをしてくれていたし、そこは疑いない。

 

 リウラの思い込みの激しい行動は、たしかにリリィにショックを与える思いやりに欠ける行動ではあったものの、その動機はリリィの将来を心配してのものだ。

 

 そもそも、リウラが魚を追い込んでくれるのも、湖に住まわせてくれるのも、リウラの好意であって義務ではない。何から何までリウラの世話になっておきながら、さっきの態度はなかったのではないか……リリィの心に少しずつ罪悪感が湧いてくる。

 

 すぐにその罪悪感に耐えられなくなり、リリィは衝動的にリウラに声をかける。

 

「……リウラさん!!」

 

 ピクリとリウラの肩が動き、振り返る。

 リリィは、気まずさにリウラから視線をそらしつつ、続ける。

 

「……その……さっきは言いすぎました……ごめんなさい」

 

「それと……ありがとうございます。怖がっている私の背中を押してくれて……一緒に戦ってくれて……いきなり湖の中に飛び込んだのは怖かったし、ショックだったけど……でも、私の事を考えてくれたのは、うれしかったです」

 

 リリィの(そば)にリウラがいてくれるだけで、リリィは心から安心することができた。

 それは先のバギルとの戦闘でも変わらない。

 

 震えあがるほどに恐ろしかったが、最後まで向き合って戦えたのはリウラが傍にいてくれたおかげだ。

 もしリウラが一緒に戦ってくれなければ、リリィは脇目も振らずに一目散(いちもくさん)に陸上へと逃げていただろう。

 

「それと……その……」

 

 リウラが“リリィに嫌われたかもしれない”と思っているのは、そのわかりやすく落ち込んだ表情を見れば一目瞭然(いちもくりょうぜん)だ。

 ならば、その不安を取り除くため、リリィの正直な思い……リウラへの好意を伝えなければならない。

 

 リリィは、ついこの間の出来事を思い出す。

 

 

 

『……大丈夫! 私がリリィを護ってあげるから!!』

 

 

 

 リリィがリウラと暮らして2~3日経った頃、自身の置かれた状況をリウラに話すと、彼女は真剣な瞳でそうリリィに言ってくれた。

 

 その自信に満ちた笑顔と、なんの疑いも躊躇(ためら)いも無く『リリィを護る』と言いきってくれたリウラを見て、リリィがどれほど安心したか。どれほど心強かったか。どれほど……うれしかったか。

 

 あの瞬間、リリィにとって、リウラはかけがえのない大切な人になったのだ。

 

 それを率直に口に出そうとして……気恥ずかしさに言葉が止まった。

 リリィの頬が徐々に赤みを()びていき、真っ赤になってゆく。

 ややあって、恥ずかしさを振り切り、リリィは再度口を開く。

 

「いつも傍にいてくれて……ありがとうございます。私……リウラさんのこと、大好きです」

 

 リリィが沈黙すると、静寂が訪れた。

 二人の耳に届くのは、ビッチンビッチンという、怪魚の跳ねる音だけだ。

 

 少し不安になったリリィが視線をリウラに戻すと、リウラは肩を震わせていた。

 顔を(うつむ)かせているため、その表情は読めない。

 

「……か……」

 

「か?」

 

「……可愛いいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃイイイイイイイイイ!!!!!」

 

「うわきゃぁぁああああああ!?」

 

 リウラは勢いよくリリィに抱きついた。

 ものすごく良い笑顔で、リリィの胸にこれでもかというほどグリグリ頭を擦りつけている。

 

「こっちこそごめんね! リリィの気持ちを考えずに、あんなことしちゃって! 私も、リリィの事大好きだよ!」

 

「わ、わかりましたから! 充分伝わりましたから! だから離れてください!!」

 

「リリィ~~! 好き~~!!」

 

「リウラさ~~ん!?」

 

 リリィは困っているものの、その表情はまんざらでもなさそうだ。

 猫耳もぴくぴくと嬉しそうに動いている。

 

 リリィは途中から説得することを諦め、身体から力を抜くと、リウラが満足するまで彼女の好きにさせることにした。

 

 

***

 

 

「じゃあ、これ、元の所に戻してくるね!!」

 

 リウラはほっぺをつやつやとさせながら、笑顔でバギルを引きずりつつ、湖へと飛び込んでいく。

 

 バギルは長時間陸上で放置された結果、酸欠を起こしたらしく、口をパクパクさせながら時折力無くエラを動かすばかりだ。もう、跳ねる元気も無いらしい。

 それでも何とか生きていられるのは、幻獣の面目躍如(めんもくやくじょ)といったところか。

 

「はは……行ってらっしゃい……」

 

(元気だなぁ……それが良いところなんだけど)

 

 リウラのハイテンションな行動と言動に、リリィは少し疲労を感じていた。

 だが、ここでだらけるわけにはいかない。すぐに、リウラが次の獲物を追い込んでくれるからだ。

 

 リリィは左手で水の大剣を拾い上げると、気を引き締める。

 

「え?」

 

(……これは……魔術の気配?)

 

 リリィが魔力の異常を感知した瞬間、泳いでいるリウラの前方に巨大な魔法陣が現れた。

 輝きを増しつつあるその魔法陣を読み解き、その内容を理解したリリィの背筋がぞわりと震える。

 

「えっ!! えっ!? 何これ!?」

 

 リウラは驚いてはいるものの、その危険性にまるで気付いていない。あれは……

 

 

 ――あれは、大型の魔物を召喚するための魔法陣だ

 

 

「リウラさん逃げて!!」

 

 リリィが叫ぶ。

 すると、リウラの眼前で魔法陣の輝きが爆発するように溢れ出し、光と共に巨大な龍のような魔物が現れた。

 

(サーペント!!)

 

 それは、“サーペント”と一般に呼称されている、東洋の竜とヤツメウナギの合いの子のような姿をした、大型の水棲生物。

 

 水蛇(すいだ)とも呼ばれるこの生物は、水竜の一種としても扱われることがある程の強力な魔物だ。

 バギルはリウラのサポートがあれば余裕を持って狩ることができたが、この魔物の強さはケタが違う。

 リリィとリウラが力を合わせたところで、絶対に勝てない。選択肢は“逃走”以外にあり得ない。

 

 リリィが叫ぶも、リウラは何が起こったのか分かっていない様子で、ぽかんと静止したままだ。

 あまりにも突飛(とっぴ)な出来事が突然起こったことで、頭が真っ白になっている。

 

 そんな彼女に、水蛇は容赦なく襲いかかった。

 

(……あれ?……)

 

 リウラの目の前に大きく口を開いた大蛇が迫る。

 バギルであろうと軽々と一飲みにできるであろう巨大な口に、ズラリと生えている牙が、やけにスローモーションに見える視界で徐々に彼女へと近づいてくる。

 

(……私……もしかして……死、)

 

 リウラが自分の“死”を意識しかけたその時、

 

「ぅ………………わぁぁあああああああああああアアアアアアアッッッ!!!!!」

 

 水蛇の頭が大きく後ろに吹き飛んだ。

 

 気がつくと、リウラの目の前に翼を大きく広げたリリィが居た。

 全身の魔力をこめた右の拳を振りぬいた彼女の姿勢を見て、“水蛇の鼻先を殴りつけたのだ”と、後から状況を理解する。

 

 水蛇は片方にそれぞれ2つずつある大きな丸い目玉でギロリとリリィを(にら)むと、すぐに標的をリリィへと変えて牙をむく。

 

 リリィはすぐに魔術を使って自身の前面に防御用の障壁を展開する。

 リリィが前方に手をかざすと、その先にリリィよりも二回りは大きい、紫に輝く魔法陣の壁が現れるが、

 

(!? 重っ!!)

 

 展開した障壁ごと湖の中へ押し込まれた。

 

「リリ……がっ!!??」

 

 リリィを湖に押し込んだ際に、うねらせた水蛇の胴体が、リウラを大きくはね上げ、岩壁へと叩きつけた。

 

 そのまま地面へと叩きつけられた彼女は肘をついて、なんとか立ち上がろうとする。

 

「っ!! ……くぅっ!! ……リ……リィ……」

 

 だが、立ち上がれない。

 

「早く……!! 早く助けないと!!」

 

 立ち上がれない。

 

「なんで!? なんで、立てないの!!??」

 

 立ち上がれない理由は叩きつけられたダメージだけではなかった。

 リウラの全身が、ぶるぶると音がするのではないかと思えるほど大きく震えていたのだ。

 

「う……ごいてぇ……!!」

 

 リウラが必死に願うも、彼女の身体は言うことをきかない。

 ならば、と周囲の水を操作して湖の中に自身を放りこもうとするが、乱れ切ったリウラの精神は、自身の魔力を思い通りに操作させてくれない。

 

「なんでぇ……、なんでできないの……?」

 

 リウラの瞳から涙がこぼれる……本当は理解していた。

 

 ――恐怖心

 

 それがリウラの行動を縛る強力な(かせ)となっていた。

 

 リウラは、リリィを助けよう、助けに行かなければ、と必死にもがき続ける。

 リウラは、猛魚(もうぎょ)のいる湖に落とされたリリィの気持ちを、今、ようやく理解した。

 

 

 

 



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第一章 家族 中編

前話を読んでくださった皆さん、お気に入りに登録してくださった皆さん、そして感想をくださった皆さん、ありがとうございます! とても嬉しいです!


 リリィは湖に押し込まれると同時に、潜水魔術を発動させる。

 

 身体全体に薄い膜がぴったりと張りついたような感覚を感じた直後、リリィにかかる水圧と感じられる水の冷たさが急激に減少し、水中であるにもかかわらず呼吸ができるようになる。

 

 視界がゴーグルをかけているかのようにクリアになると同時に、リリィは周囲の水を操作して右に素早く移動し、水蛇(すいだ)の突進をいなすことに成功した。

 

(……はは……リウラさんの特訓、大正解だったね……)

 

 “怪獣”と呼べるほど巨大な生物を前に、震えながらも(かろ)うじて行動できているのは、まぎれもなくバギルとの戦いの経験のおかげだった。

 あの戦いを()けていれば、恐怖心にとらわれたリリィはリウラを救うことができず、永遠に失うことになっていただろう。

 

 リリィはすぐに水面に向かって上昇を始める。

 サーペントは水中もしくは水上でしか活動ができない。だから、空中もしくは陸上に上がってさえしまえば、逃げることはそう難しくない。

 

(!!)

 

 しかし、すぐに回り込まれてしまった。

 龍のような巨体からは考えられないほどのスピードだ。流石は水棲(すいせい)生物といったところか。

 

 だが、気になるのはスピードよりも……

 

(……こいつ……頭を使ってる……?)

 

 通常であれば、追いつけるスピードがあるのなら直接背後からリリィを襲うはずである。

 それをせずに回り込むということは、“リリィを水中から逃がさない事”が一番重要であると理解していることを示している。

 

 本能のなせる(わざ)か?

 リリィは“違う”と気づいた。

 

(最初……こいつは、()()()()()()()()()()()()()()

 

 “直接危害を加えるなどの特殊な例外を除き、水棲生物は水精(みずせい)を襲わない”。それは、魔王の魂の知識にもある常識だった。

 もし、襲ってくるとするならば……

 

(誰かに操られている……もしくは、命令されている……!!)

 

 召喚用の魔法陣から現れたことも、その推測を裏づけている。

 この水蛇は、誰かの使い魔だ。

 

 リリィは水の大剣を正眼(せいがん)に構えると、この事態を解決するために必死で頭を回転させる。

 

(まずは、水中から抜け出さないと……)

 

 リリィの潜水魔術は、水中における呼吸・発声や、水流操作による移動及び視界確保など、多数の機能を常時発動させている。そのため、水中にいるだけで多くの魔力を消耗してしまうのだ。

 このままリリィを湖の中に(とど)めておくだけで潜水魔術の効果が切れ、リリィは溺死してしまう。

 

(まずは……相手を(ひる)ませて、その横を通り抜けてみる!!)

 

 リリィは剣を肩から(かつ)ぐように構え直すと、水蛇の眼に向かって突っ込んだ。

 

 すると、水蛇もリリィに向かって突進を始める。

 狙いがずらされ、水蛇の口がリリィを噛み殺そうとするが、そうはさせじとリリィは身体を横にずらしながら、目の前に来た水蛇の上顎(うわあご)に斬りつける。

 

 ゴッ!

 

 リリィは危うく取り落としそうになった大剣を慌てて握り直す。

 その巨体から繰り出される恐ろしいほど重い突進に、思い切り魔力を込めたはずの両腕はじんと痺れが走っていた。

 

(硬い……!!)

 

 まるで(なまり)を全力で殴ったかのような手ごたえだ。リウラが(つく)った水剣程度では、まともに傷がつかない。いや、折れなかっただけ、まだマシというものか。

 

 リリィの眼前でうねった水蛇の胴体がリリィを打ち()えようと(せま)り、すんでのところで回避するも、その隙にまたリリィの上方を水蛇に陣取られてしまう。

 

 リリィの表情には明確に焦りの色が浮かんでいた。

 

 

***

 

 

「……早く……!! ……早く……!!」

 

 リウラは湖へずりずりと()いながら進む。

 リウラの頭の中はリリィを助けることでいっぱいだ。少しでも早く、と必死になって腕と足を地面に(こす)りつけながら前へ進んでいく。

 

「……あと……!! ちょっと……!!」

 

 もうすぐ岸に手が届くというところで、その手がリウラと同じ半透明の腕に(つか)まれた。

 

「!? ティア!!」

 

 リウラの手を掴んだのは、どこかの貴族のように立派な意匠(いしょう)の水のドレスを着たロングヘアーの水精だった。

 

 彼女はリウラが生まれる直前に隠れ里の外からやってきた水精の1人で、見た目は20代中頃と大きく(とし)が離れているものの、実はリウラと(おな)(どし)である。

 そのため、最も(とし)近く、親しい姉として共に育ってきた存在だった。

 

「お願い、私を湖に入れて! リリィが危なくて! 助けなくちゃいけなくて! だから!!」

 

 焦ったリウラの要領を()ない説明を聞いていないのか、ティアと呼ばれた水精は何の反応も見せることなくグイとリウラを引っ張り上げて肩を貸すと、()()()()()()()()()()()歩き始めた。

 

「ティア!? 聞いてるの!? 私はリリィを助けなくちゃ――」

 

「諦めなさい」

 

 (かぶ)せるように言われたティアの一言に、リウラの思考は固まった。

 

 やがてじわじわと言葉の意味が染み込んでくると、リウラはズンと腹の底が重たくなったような感覚に襲われる。

 

「何を……言って……?」

 

「『私たちでは助けられない』と言っているの」

 

 有無を言わさない力が込められた一言だった。

 

「あれがどれだけ恐ろしい魔物なのか、あなたは理解したはずよ。ここにいる水精全員が(たば)になってもあれには(かな)わないわ」

 

「倒せなくてもいい! リリィを助けることができれば……!!」

 

「どうやって? 言っておくけど、あなた程度の攻撃じゃ、あの魔物を怯ませることすらできないわよ? おまけにあの大きな身体でリリィの泳ぐスピードを軽々と追い抜いてるから、逃げることもできないわ」

 

 リリィの扱う潜水魔術は非常に優れている。水を(つかさど)る精霊であるリウラが泳ぐ速度と比較しても何ら劣ることはない。

 その速度を軽く上回るのであれば、リウラが向かったところで、逃げることなど不可能だ。

 

「何とかする! 私が何とかするから! だから私を湖に戻して!!」

 

「そういうセリフは、まともに身体を動かせるようになってから言うことね」

 

 “これ以上の問答は無用”と、ティアは歩くスピードを上げて、リウラを引きずってゆく。

 

 淡々(たんたん)と事実だけを述べてリリィを切り捨てたティアだが、彼女は決して冷血漢という訳ではない。

 

 リウラは考える前に行動することが多いため、そのつもりが無くてもリリィへの対応が雑になることがしばしばあった。

 そんなときに()ぐにフォローしてくれたのがティアだ。

 この一週間、ティアはリリィを仲間の水精達と同じように扱ってきた。だから、リリィがとても良い子であることをティアも良く知っているし、ティア自身リリィのことを好ましく思っている。好きで見捨てるわけがない。

 

 そして、そのことはリウラもよく理解している。

 だからこそ、信じられない……いや、信じたくないのだ。“()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ティアが歩く方向に何があるか、リウラは思い出す。

 緊急時に避難するための隠し通路だ。そこから地底湖を出てしまえば、もうあの水蛇は追いかけて来られないだろう。

 

 リウラの命は保証される……だが、それは同時にリリィを見殺しにすることも意味していた。

 

 ――ティアの歩みが止まった

 

「……リウラ……何のつもり?」

 

 リウラが両足を()()ってティアの歩みに抵抗していた。

 いつの間にか、リウラの身体の震えは止まっていた。

 

「リウラ。こっちへ来なさい」

 

「嫌」

 

 迷いのない即答。

 ティアは眉をひそめながら語気(ごき)を強める。

 

「こっちへ来なさい!」

 

「嫌!!」

 

 リウラはティアの眼を(にら)みつける。

 ティアはリウラの腕を強く引きながら叫ぶ。

 

「リウラ!!」

 

「い・や・だあああああああああああああああああああっ!!!!!!!!!!!!」

 

 リウラはティアの腕を思い切り振り払い、必死の形相(ぎょうそう)で強烈な拒絶の意志を叩きつけた。

 

 その叫びはリウラが己の命を懸けて水蛇と戦う決意を示す覚悟の雄叫(おたけ)び。

 リリィを心から愛し、“助けたい”と思わなければ到底なしえない魂の咆哮(ほうこう)だった。

 

 リウラは思い出す。

 リリィと初めて出会った時の、彼女のすがるような弱々しい瞳を。

 『リリィを護る』と伝えた時の、彼女の心の底から安心した表情、そして嬉しさに止まることのなかった涙を。

 

 他人を平然と奴隷にしたり殺したりする者達がいる世界で庇護者(ひごしゃ)をなくす恐怖、そして己の唯一の家族を失う心細さと寂しさは、当事者にならねば決してわからない想像を絶するもののはずだ。

 

 しかし、リウラはリリィが弱音を吐いたところを見たことがなかった。

 それどころか、リリィは未来を見据(みす)えて、積極的に(ひと)()ちするために自ら動き始めた。

 魔族には放任主義の者が多いため、独立心が高い子供が多いが、それでも驚嘆すべき精神力である。

 

 そんなリリィが唯一甘える存在がリウラであった。

 

 リリィは、可能な限りリウラの(そば)を離れようとしなかった。

 そして、ことあるごとにリウラに対してスキンシップを求めてきた。

 『手をつないでほしい』『抱きしめて欲しい』『一緒に寝て欲しい』と、申し訳なさそうにしながらも、何度もリウラにお願いをしてきたのだ。

 

 リウラだけが、今のリリィの心の()(どころ)であることは明白だった。

 そんなリリィを見ていて、リウラの胸に自然と湧き上がってくる想いがあった。

 

 

 ――この子を心の底から安心させてあげたい

 ――この子がずっと笑顔でいられるようにしてあげたい

 

 

 

 ――そして、この子の新しい“家族”になりたい、と

 

 

 

 この想いを自覚したとき、自然と『リリィを護る』という言葉が口を()いて出た。

 

 だが、それは決して軽々しい思いから出したものではない。

 リリィに襲いかかる様々な苦難を思い浮かべた上で、『それでもリリィを護りたい』という願いから生み出された言葉であり、リウラが自分自身に対して結んだ“約束”であった。

 

 いくらティアの言うことであっても、この“約束”を破ることだけはできない。

 

「私はリリィの家族だ!! 『私が護ってあげる』って、リリィに約束したんだ!! だからリリィは私が絶対に助ける!!」

 

 その叫びはティアの要求に対する拒否だけでなく、自分自身に対して“誓いを守る”ことを言い聞かせる意味もあった。

 リウラは“必要なことは言い終えた”とでも言うようにティアに背を向け、まっすぐ湖へと走り出す。

 

「リウラ! 待ちなさい!!」

 

 リウラはそのまま迷いなく湖へと飛び込んだ。

 

 ティアはリウラの飛び込んだ水面を見つめ、わずかな間逡巡(しゅんじゅん)すると、すぐに湖に背を向けて走り出した。

 

 

***

 

 

(はあっ!!)

 

 何度目になるかわからない水蛇の突進を水蛇から見て上方向に(かわ)し、リリィは魔力を込めた右の拳打を叩きこむ。

 拳打は眼を狙ったが、あっさりとずらされる。だが、狙いをずらされても問題はない。

 

 リリィの拳が水蛇の肌に触れた瞬間、拳に集中した魔力が水蛇とリリィを逆方向に弾き飛ばす。

 

 ――体術 ねこぱんち

 

 性魔術による魔力吸収を(かて)とする睡魔族(すいまぞく)や、強盗ではなく盗みを主目的とする猫獣人(レイーネ)の盗賊など、戦闘をあまり得意としない者達が好んで習得する特技だ。

 

 拳に集中した魔力や闘気をインパクトの瞬間に思い切り弾くことで敵や自分を弾き飛ばし、敵と距離を取ることを主眼(しゅがん)とする護身技である。

 

 生まれて間もなく幼いリリィも、護身のために魔王の部下から習って、この技を習得している。リウラを救う際に使った拳打もこの技である。

 

 しかし、リウラを救った時とは違い、常に水蛇に狙われているこの状況では、突進して威力を高めることもできないうえ、水中では水の抵抗が邪魔をして相手や自分を遠くまで弾き飛ばせない。

 

 リリィはすぐに水蛇に回り込まれ、水面への逃げ道を(ふさ)がれる。

 

(……やっぱり眼を狙うしかない)

 

 リリィは水蛇の牙を躱しながら、心の中でつぶやく。

 

 リリィは、あれからいくつもの意表をつく手・驚かせる手・注意を()らす手を試してみたが、いずれも失敗に終わっていた。

 ちょっとやそっとの時間を稼いだくらいでは、水蛇にすぐに追いつかれてしまうのだ。

 

 長時間相手を行動不能にするにはどうすればよいか――相手が怯み、ショックを受けるほどのダメージを与えてやればいい。

 そして、この頑強な水蛇にリリィがダメージを与えられる箇所は眼球しかなかった。

 

 それは初めから理解しているし、だからこそ何度も眼球を狙って攻撃はしている。

 しかし、水蛇の反応速度がリリィのそれを上回っているため、どうしても当てられない。

 

 水の抵抗や相手のスピード……そういった諸々(もろもろ)のマイナスの条件を無視して、狙った箇所に命中させられる……そんな都合のいい技なんて……

 

(……あった……!!)

 

 リリィがほとんど期待せずに魔王の魂の記憶を検索すると、それはあった。

 リリィの魔力ではたいした威力にならないが、眼球を狙うのであれば問題はない。

 

 最初からこの魔術を探していれば……と悔やむが、彼女に戦闘経験がほとんど無いことを考えれば、思いついただけ上出来だろう。

 

 リリィは剣を右手に持ち直し、空いた左手の人差指に魔力を集中させ、指先に漆黒の魔弾を形成する。

 

 リリィは回避行動を続けながら指を水蛇に向け、慎重に狙いを定める。

 水蛇は高速で動く上に胴体にも見た目だけ眼球と同じような器官が並んでいるので、非常に狙いづらかった。

 

(……そこ!!)

 

 水蛇がリリィを噛み殺そうと真正面から突進した瞬間に、リリィは動いた。

 

 リリィの指先から魔力の矢が数本同時に発射され、水蛇の眼球へと迫る。

 

 水蛇はそれを察知すると素早く首を傾け、魔矢を回避する。

 魔矢自体もかなりのスピードがあるにもかかわらず、信じられない反射神経である……が、()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 ――リリィが放った全ての魔矢は突如(とつじょ)その軌道を変化させ、まるで生き物のように水蛇の顔面を追尾し、正確にリリィが狙った眼球へと突き刺さった

 

 

 

 ――純粋魔術 追尾弾

 魔力そのものを加工し、()()()()()()()()複数の魔矢として放つ魔術である。

 

 

 

 ――――――――!!!!!!!!!

 

 

 

 リリィの猫耳がじんと痺れる。

 

 水蛇の叫びは水中を駆け抜け、リリィの身体の芯へと響き渡り、リリィの行動を一拍(いっぱく)遅らせた。

 

 直後、水蛇が激痛に激しく身体を暴れさせ、湖中の水がまるで洗濯機の中のように激しく荒れ狂う。リリィは混沌とした濁流にのまれ、どちらが上かもわからなくなってしまった。

 

(ッくぅっ!! 早く……! 早く上に上がらないと……!!)

 

 リリィの魔力はもう限界だった。今、湖から逃げ出さなければ、十中八九、潜水魔術を続けられなくなり溺れ死んでしまう。

 

 リリィが何とか体勢を整え、水面を目指そうと顔を上げたその時――

 

(え……)

 

 リリィの身体は、今まさに閉じようとしている水蛇の(あご)の軌道上にあった。

 

(ッ……!!)

 

 リリィは思わず頭を両腕で(かば)いながら、目をギュッと(つぶ)る。

 

 次の瞬間、リリィが感じたのは、巨大な牙が身体をえぐる激痛ではなく、自分の(かたわ)らで急速に高まる、彼女が最も慣れ親しんだ人物の魔力であった。

 

「ッぐっぎぎぎぎぎぎぎ……!!」

 

「リウラさん!?」

 

 リウラは水に自身の魔力を通して強固な太い柱を瞬時に5本も水蛇の口内に作り、水蛇の顎が閉じるのを防いでいた。低位の水精であるティエネー種とは思えないほどの展開速度と強度である。

 

 しかし、顎を閉じにくいよう口内の奥のほうに水柱を創っているにもかかわらず、その水蛇の顎の力に押し負けて、徐々に水柱が歪んでいく。

 

「リ……リぃ……!! 早く逃げ「リウラさん!! そのまま!!」……って、ええぇ!!??」

 

 リリィは潜水魔術の効果でリウラに叫ぶと、驚くリウラを背に、水蛇の口内へ飛び込んだ。

 

 ここでいったん退()いたところで、水面まで逃げるアイディアなど無い。すぐに追い込まれて、魔力切れを起こしてゲームオーバーだ。

 

 リウラが水蛇の動きを止め、口を開かせたことはリリィにとって、これ以上ないファインプレーだった。

 この手の頑丈な敵は、目や関節……そして()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ぃやああああああああああ!!!!!」

 

 大型の魔物は相手を丸呑みすることも多いため、相手が胃の中で暴れられないよう、胃袋も胃液も強力な場合が多い。

 一寸法師よろしく胃の中に飛び込んでも、胃液で溶かされてしまう可能性のほうが高いのだ。

 こういった場合、通常であれば丈夫な胃壁をも貫ける高威力の魔術を胃に向かって放つところである。

 

 しかし、魔力切れ寸前のリリィに、より大きな魔力を消費する“高威力の魔術の使用”は精神的に強い抵抗があり、また、思いがけず降って湧いた大きなチャンスが“このチャンスで水蛇を仕留(しと)めたい”という焦りを生み出し、リリィに別の選択肢をとらせてしまう。

 

 リリィの残り少ない魔力では、魔術で胃壁に穴をあけられるかさえ微妙なところだ。

 だが、リリィの肉体を魔力で強化し、突進して水剣で突き刺せば、単に魔術を放つ以上の貫通力がある。

 

 しかし、先の理由から水剣を持って胃の中に飛び込むことはできない。ならば、どうするか?

 

 リリィは水柱を避けながら奥へ奥へと進みつつ、残った魔力を振り絞って全身を強化する。そして、

 

 ――体当たりするように、思い切り水蛇の口蓋(こうがい)……人間で言う軟口蓋(なんこうがい)の位置へ水剣を突き立てた

 

 頑丈な皮膚にも鱗にも覆われていない部分であり、かつ脳や神経などの重要な器官が集中している箇所に近いであろう部分……そこを傷つけることができたなら、この化け物を倒せるはずだとリリィは考えたのだ。

 

 リリィの渾身の一撃は、水蛇の口蓋へ深々と突き刺さる。

 

 ガクン!!

 

 だが、リリィの持つ水剣の長さでは急所に届かなかったのか、はたまたそこには急所が無かったのか……水蛇は動きを止めるどころか、口内に走る鋭い痛みに先程以上の悲鳴をリリィに()びせかけ、口内のリリィを振り払おうと大きく首を上下左右へと振り乱した。

 

「う、うわわっ!!「わあああっ!?」……っ! リウラさん!!」

 

 リリィはとっさに上顎に突き刺さった水剣にしがみつく。

 しかし、予想外の声撃を受けて怯んでいたリウラは体勢を整えることもできず、歪んだ水柱とともにリリィの視界の外へと弾き出された。

 

(……まずい!! 詰んだ!?)

 

 リリィは無茶苦茶に暴れる水蛇から振り落とされないように、必死に水剣に両手でしがみつくことで精一杯だ。

 魔力もそろそろ底が尽きる。万事休すだった。

 

(……どうする!? どうすればいい!?)

 

 リリィは何とか打開策を見つけようとするが、焦りに空回りする思考は何の回答も示してくれない。

 

 “このまま死ぬしかないのか……?” リリィの心が絶望に染まり始めたその時――

 

 ドンッ!! ドドドド……!!!

 

 突如、水蛇の頭が左方向へ向かって振動する。

 

(……これは……)

 

 リリィの瞳に希望の(あか)りがともった。

 

 

***

 

 

「レイン、レイク、あんまり前へ出すぎないで! シーさん、もう少し派手に動いてください! シズク、そろそろリリィを助け出すから、準備お願い!!」

 

「わかった! レイクちゃん、こっち!!」

「オッケー! レインちゃん!!」

 

「承知いたしました!」

 

「……わかった」

 

 水蛇の周囲を10人足らずの水精が動き回り、次々と攻撃を加えていく。

 

 やや幼い双子のセミロングの水精達は、息の合った動きで水蛇の周囲を泳ぎ回って次々と水弾や水刃を放ち、美しい巻貝の耳飾りを付けた水精が、自分の前方に水壁を張りながら巨大な水弾をチャージしては放っている。

 

 たすき()けにされた水の巫女服を(まと)った長髪の水精は、精神を集中させながら出番を待ち、ティアは自身も攻撃に参加しながら、全ての水精に次々と指示を出している。

 

 リウラはその様子を呆然と見ていた。

 

「みんな……なんで……?」

 

 ティアは水蛇を睨みつけたまま、表情を苦いものへと変えて叫ぶ。

 

「『私が責任もってあんた()を連れてくる。だから先に行け』ってロジェン様に伝えたら、まわりにいた娘たちが『自分も一緒に助けに行く』って聞かなかったのよ! ロジェン様も『戦える力があって、死ぬ覚悟がある奴は行って良し!』なんて、バカなことを言うし! ああっ! もうホント、みんなバカばっかりよ!!」

 

 ロジェンとは、この水精の隠れ里を(おさ)める(おさ)の名前だ。

 ティアにも負けないほど立派な水のドレスを纏うカリスマに満ちた水精で、隠れ里を考案・創設した人物でもある。

 

 彼女は困っている水精がいたら助けずにはいられない優しさに溢れた人物なのだが、流石に水精達の長の立場を、そして他の戦えない水精達を(ほう)ってまでリウラ達を助けに来ることはできなかったようだ。

 

 だが、水精達に大切な仲間を……リウラ達を助けに行く許可をくれた。

 そして、みんなは死を覚悟してまでリウラ達を助けに来てくれた。

 

 特に巻貝の耳飾りの水精――シーはロジェンの右腕とも言える水精だ。

 彼女がここに居ることが、ロジェンがリウラ達を大切に思い、心から助けたいと思っている何よりの証拠である。

 

 リウラの目頭(めがしら)が熱くなる。

 涙は流れず、浮かぶ(はし)から湖に溶けて消えていく。

 

 リウラは、あの水蛇と対峙することがどれほど恐ろしいか、身を(もっ)て知っている。

 にもかかわらず、こうして助けに来てくれた仲間たちに感動し、身が震えた。

 

(みんな……ありがとう……!!)

 

「リウラ!」

 

 ビクン!! リウラは肩を震わせてティアへ振り返る。

 

「何をぼさっとしているの!! 私たちがアイツの気を引いているうちに、さっさとリリィを引っ張って連れてきなさい!! 無理なら私かシズクが行くわ!! どっち!?」

 

「い……行く!! 私が行く!!」

 

 それを聞いたティアは、自分の周囲に無数の水鎖を生み出す。

 

「良い!? 今からアイツの顎を数秒だけ固めるから、その隙にリリィを連れてきなさい!! そしたら全員でアイツを牽制しながら撤退するわ!! 逃げる時は私についてきなさい!! 良いわね!?」

 

「わかった!!」

 

 リウラが返事をしながら水蛇へと向かうと、ティアが水精達全員に向かって合図を出す。

 リウラが接近し、水蛇が大きく口を開いた瞬間、ティアを含めた数人の水精達が水の鎖やロープを放ち、水蛇の顎を縛り上げる。

 

(!!?)

 

 全身の魔力を振り絞ったにもかかわらず、その顎の力に鎖が切られそうになる。

 本来は別の役割を(にな)う水精達も、慌てて水のロープやリボンを放ち、同じように水蛇の顎を縛り上げ、なんとか水蛇の顎を固定することに成功する。

 

(……あの子……!! よくこれを1人で防げたわねっ……!!)

 

 水蛇のパワーは予想以上だった。

 

 リウラが水柱で牙を防いでいるのを見て、“リウラ以上の魔力を持つ自分達なら数秒程度は持たせられる”と考えていたが、見積もりが甘すぎた。

 

 リウラの魔力量を考えれば、彼女の創った水柱がそれ程までに強固に構成されていたとは思えない。おそらくは水柱の位置や組み方が(たく)みだったのだろう。

 リウラの成長に、ティアは驚きを隠せない。

 

(早くしなさい!! 長くはもたないわよ!!)

 

 ティアは歯を食いしばりながら、水蛇を睨みつける。

 そこで、ティアは眉をひそめた。

 

 ――水蛇の様子がおかしい

 

 顎を閉じようとすることを止め、水鎖の(いまし)めに逆らいながら、徐々にその開かれた口をティア達の方向に向けている。あれではまるで……

 

(……ッ!! しまった!!)

 

「全員、散りなさい!!!!」

 

 ティアは、その指示を叫ぶのが精いっぱいだった。

 

 張ったばかりの水鎖は、(もろ)くも砕け散った。

 

 

***

 

 

(ティアさん達だ!!)

 

 水蛇の口内で突如連続する振動に襲われたリリィは、それが水蛇への魔術攻撃(おそらく水弾)であると気づき、周囲の魔力を探った。

 

 すると、ティアを含めた水精の魔力をだいたい10人ほど感じることができた。

 リリィとリウラを助けに来てくれたのだろう。自分たちの身が危ないにもかかわらず、こうして助けに来てくれたのだ。

 ならば、リリィがこんなところで諦める訳にはいかない。

 

 リリィは覚悟を決めた。

 

 潜水魔術を解く。

 視界がぼやけ、息が止まり、荒れ狂う水流がリリィを襲う。

 

 今まで潜水魔術に使用していた魔力をも使って全魔力で上半身を強化すると、片腕で水剣の(つか)を抱え込むようにして身体を支える。

 そして、自由になった右腕を水蛇の上顎へと伸ばし触れさせると、リリィは精神を集中させた。

 

(睡魔族を……舐めないでよ!!)

 

 リリィが手を当てた箇所から、リリィの魔力が水蛇の肉体を浸食した。

 

 

 ―――――――――!!!!!!!!

 

 

 水蛇がリリィを振り落とそうとする動きが激しくなる。

 

 リリィの魔力に浸食された部分はリリィに支配され、その精気をリリィに奪い取られていく。

 リリィの中で精気が魔力へと変換され、リリィの魔力が回復・強化されていく。

 強化された魔力はより強力に水蛇を浸食し、さらに大量の精気をリリィへと供給した。

 

 通常、これだけ巨大な精気を持つ相手となると、比例して精気吸収に対する抵抗力も大きくなる。

 それでもリリィが精気を吸収できる理由は3つある。

 1つは、相手の知性が低く魔力操作の技術が低いため。2つ目はリリィが相手の口内から術を行使しているためだ。

 

 精気吸収に性魔術が利用される理由の1つに、“粘膜(ねんまく)が非常に魔力を通しやすい性質を持つ”というものがある。

 

 魔力を相手の肉体に通して支配し、精気を奪い取るためには、粘膜への接触――可能ならば、粘膜同士を接触させて魔力を通す方法が最も効率が良いのだ(その分、相手からの反撃を受けて、逆に支配される可能性も高いが)。

 性魔術を定義する際、“相手との粘膜接触によって、対象者の精神に直接働きかけるもの”と記載された文献も存在する程である。

 

 そして最後の3つ目……未だ推測の域を出ないが、“この水蛇が意思を奪われ、操られているであろう事”が何よりも大きい。

 

 リリィが精気を奪った感覚からすると、この水蛇はリリィに魔力を奪われないよう抵抗するよりも、リリィを直接攻撃する方に意識の大半を()いている……通常であれば、ありえない反応だ。

 たとえ狂っていたとしても、他者の魔力が己の体内に侵入し、あまつさえ自らの精気が奪われれば、まず間違いなく侵入してきた他者の魔力を排除する方向に意識を向ける。

 あくまでもリリィの推測ではあるものの、リリィはこの水蛇が誰かに操られていることをほぼ確信していた。

 

 リリィはある程度魔力が回復すると同時に潜水魔術を再開させ、さらに精気吸収を加速させる。

 

(このまま精気を奪い尽くせば……!!)

 

 ――ピクリ

 

 リリィの猫耳が動く。

 

(……何? ……魔力の流れが……)

 

 リリィは水蛇の体内の魔力の流れが変化したことを感じ取り、いぶかしげに眉をひそめる。

 

 凄まじい魔力が急速に1ヶ所……リリィの現在地よりもさらに喉奥(のどおく)に集中し始める。

 リリィがそちらに目をやろうとした途端、水蛇が大量に水を飲みこみ始める。そこまで来て、リリィはようやく事態を把握した。

 

 リリィの顔から血の()がサーッと引いていく。

 

(……ウォ……ウォーターブレス!!??)

 

 サーペントは鉄砲魚(てっぽううお)のように水を体内に貯めて勢いよく吐き出すことができる。それがウォーターブレスだ。

 

 しかし、鉄砲魚と決定的に違うのは、その水量と威力。

 専用の器官で魔力によって高い圧力をかけられた水の奔流(ほんりゅう)はドラゴンのブレスのように強力で、岩をも砕く威力を持つ。

 そんなものをこの至近距離で受けてしまえば……

 

(……最悪、魔術障壁を破られた後、全身を粉々(こなごな)にされる!!!)

 

 リリィの表情に明確な焦りが生まれる。

 だが、どうすればいい? 相手の精気にはまだまだ余裕がある。

 ここで逃げたら、また追いつめられてしまう。かといってこのまま黙って見ていれば、待っているのは死だ。

 

(魔術!! なにかいい魔術は……!!)

 

 リリィは回復し、より強力になった魔力で魔術を使おうと考える。しかし……

 

(――“電撃”……ダメ! 私やリウラさん達も巻き込んじゃう!! ――“戦意消沈(せんいしょうちん)”……ムリ! 操られている相手に効くとは思えない!!)

 

 今、ただの魔弾を喉に放ったところで、水蛇が今まさに喉に集中している強力な魔力に弾かれてしまう。

 

 そのため、リリィは有効な魔術を求めて必死に魔王の知識を検索するが、見つけられない。いや、あるにはあるのだが、どれも今のリリィの魔力量では扱えないものばかりだ。

 

 そうこうしているうちに、水蛇の喉元への集中が止まり、口が大きく開いていく。ウォーターブレスの発射準備が完了したのだ。

 

 リリィは決断を(くだ)す。

 

(……いったん逃げる!! 案はそのあと考えよう!!)

 

 ウォーターブレスで湖が撹拌(かくはん)されるため、逃げた後、先の状況のように水蛇に噛みつかれる可能性は大きい。

 しかし、強化されたリリィの魔力による障壁が牙を防げる可能性がある分、このままブレスを受けるよりはマシだとリリィは考える。

 

 とはいえ、今からでは泳いで逃げることは不可能だ。

 障壁を展開しつつ水剣を手放し、ブレスに逆らわずに流されて威力を殺すのが精いっぱいだろう。

 

 リリィは自分を覆うように障壁を展開しようとしたその瞬間、水の鎖が、ロープが、リボンがたちまちのうちに水蛇の顎を縛り、固定する。

 

 そこへ、リウラが飛び込んできた。

 

「リリィ!!」

 

 リウラの声を聞いて振り向いたリリィは、その様子を見て悲鳴のように叫んだ。

 

「来ちゃダメー!!!!」

 

 しかし、リウラはリリィの叫びを無視するかのようにリリィへと近づくと、リリィを抱きかかえて逃がそうとする。

 

 リリィは迷った。

 もし計画通り障壁でブレスを受けて流された後で、水蛇がリリィではなくリウラを狙ったら、リウラが死なない保証はない。

 

 かといって障壁を展開したまま水蛇の口内に留まったら、ブレスを受けて障壁を破られない自信がない。

 

 そして、リリィが迷っている間に貴重な時間は消費された。

 

(……もう、間に合わない!!)

 

 リリィは迷いを抱えた結果、()()()()()()()()()()()()()()()()()対魔術用の結界を展開し、自分とリウラを覆う。

 結界は、少しでも水流の威力を()ぐため、水蛇の喉側を頂点とする円錐状に展開された。

 

 リリィが結界を展開した直後、ウォーターブレスが発射される。リリィの結界がビリビリと震え、今にも破られそうになる

 

(こんのぉおおおおお!!!)

 

「うわっ!? わわっ!!?」

 

 リリィは水蛇から奪った魔力を結界へ惜しみなく(そそ)ぎ込み、必死にブレスを耐える。

 水蛇のブレスは数秒程度だったが、それだけでリリィは回復した魔力の8割を消費してしまった。

 

 それでも、リウラも自分も何とか無傷で乗り切ったことにリリィは安堵(あんど)する。ほっとしたのもつかの間。リリィの視界は闇に閉ざされた。

 

(!? 顎を閉じた……!?)

 

「……ッ!! 鎖が!!」

 

 リウラの叫びが聞こえる。

 どうやら先程ちらりと見えた、顎を拘束していた鎖やロープがウォーターブレスで壊れてしまったらしい。

 

 リリィは魔術で(あか)りをともす。

 

「リウラさん! 落ち着いて!!」

 

「リリィ!! でも!!」

 

「大丈夫です! 顎を閉じてたら、噛みつくこともブレスを吐くこともできません! 顎が開いたらまた鎖で縛ってくれるはずですから、その隙に逃げ……」

 

 リリィの言葉が止まる。

 再び水蛇の持つ、ウォーターブレスを発射するための器官へと魔力が集中していた。

 しかし、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ……嫌な予感がする。

 

 同じように水蛇の魔力の集中を感知したリウラが(いぶか)しげに口を開く。

 

「何あれ……? まわりに水があるのに、わざわざ喉に水を()びだしてる……?」

 

 

 ――その(つぶや)きを聞いて、リリィは自分の悪い予感が当たったことを知った

 

 

「まさか……()()()()()()()()()()()()()()()()!?」

 

「え……えええええええええぇぇぇぇぇぇっ!?」

 

 そのまさかだった。

 この手の魔力を持った水棲生物は、自身の魔力を使って水を召喚できるものが多い。それを利用し、口を閉じて逃げ場をなくしたリリィたちに直接水の奔流をぶつけようというのだ。

 そうなれば当然、水蛇の口も無事では済まない。操られているが故に()ることのできる狂気の選択肢である。

 

 リリィは焦る。

 水を召喚するため、先程よりも発射の準備に時間がかかってはいるものの、今から水蛇の精気を奪っても、とうてい先ほど回復した魔力量には及ばない。

 充分な量を回復する前に確実に攻撃が来る。そうなれば結界が持たない。

 

 そこで、リウラは何を思ったのか、リリィの握る水剣を自分も握りしめた。

 

「う……おりゃああああああ!!!!」

 

 非常に女の子らしくない掛け声をあげて、リウラは水剣に魔力を込める。

 すると、水蛇がビクンと震えた。しかし、水蛇の魔力の集中は止まらない。

 

「リ……リウラさん……いったい何を……」

 

「剣をいっぱい針が出るみたいな形にして、伸ばしてるの!! 痛がって口を開くように!!」

 

 リリィは眼を見開く。

 

「リウラさん! 剣をそのまま真っすぐに伸ばすことはできますか!?」

 

「それは無理! 肉が硬くってそっちの方向には伸びない!!」

 

 それを聞いて、リリィは考える。

 

()()()()()()()()()……なら……)

 

 リリィは再び右手を水蛇の上顎へと伸ばし、精気を吸収する。

 そして、吸収した精気を魔力に変換し、全て水剣へと込め始めた。

 

「リリィ!?」

 

 リリィは魔力を込める手を止めずに、自分が考えた案をリウラに伝える。

 

「リウラさん! 私が魔力を込めます! リウラさんはそれを使って、剣をもっと硬く鋭くして真っすぐ伸ばしてください!」

 

「……わかった!」

 

 リウラは頷くと、水剣に込められた魔力を使って、水剣をより硬く、鋭く、そして真っすぐ伸びるように長く形状を変化させていく。

 リリィが送り込む魔力によって硬さも鋭さも強化された水剣は、徐々にその(やいば)を水蛇の急所へと伸ばしてゆく。

 

 だが、途中から皮膚以上に硬くなっている水蛇の肉に邪魔されて、その進行はかなり緩やかだ。このままでは間に合わない。

 

(もっと鋭く……!! もっと硬く……!!)

 

(もっと早く……!! もっとたくさんの魔力を……!!)

 

 リリィの魔力の供給速度が上がり、リウラの必死の念が水剣を名剣へと変えていく。

 高まった水属性の魔力は水剣に冷却属性を付与し、氷の(つるぎ)へと昇華させた。

 

 水蛇の魔力の集中が止まり、その魔力がどんどん増幅され、高まっていく。

 発射の前兆だ。もう時間がない。

 

「「いっけぇぇぇぇぇぇええええええええええ!!!!!」」

 

 リリィとリウラは魂を込めるかのごとく、渾身の魔力を、念を込めて氷の刃を伸ばす。

 

 ウォーターブレスは………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――発射、されなかった

 

 

 

 



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第一章 家族 後編

 ――湖面が爆発する

 

 地底湖から勢いよく飛び出してきたのは、リウラをお姫様だっこで抱えたリリィだ。彼女は空中でコウモリの翼を広げると、一気に急降下し、ダァンッ! と大きな音を立てて地面に着地する。

 

「リ、リリィ!? いったい、どうしたの!? もう、やっつけちゃったんだから、そんなに急いで陸に上がらなくても……!?」

 

 リリィとリウラによって急所を傷つけられた水蛇(すいだ)は、ウォーターブレスを撃つことなく、ぐったりと全身の力を抜き、口をだらしなく大きく開くことになった。

 その直後、無抵抗になった水蛇からごっそりと精気を奪ったリリィは、大急ぎでリウラを抱え、陸へと逃げ出したのだった。

 

 その精気の奪い方も実に慌ただしく、大量に奪ってはいたものの、水蛇にはまだまだ精気が有り余っている。事実、腹を上に向けてプカプカと湖に浮いている水蛇のヒレは、呼吸をしているかのように動いていて、その生命力が尽きていないことを表していた。

 

 とはいえ、それ以外に全く身体を動かせていないところを見るに、身体の動きを(つかさど)る神経か何かを傷つけられて、動けなくなってしまっているのだろう。

 つまり、完全に無力化はできているはずなのだ。

 それなのに、なぜこれほどまでにリリィが急いで陸に上がろうとしているのか、とっさにリウラは察することができなかった。

 

「リウラさん、アイツが出てきた魔法陣は召喚用です! 水蛇(アレ)を誰かが此処(ここ)に呼び出して私達を襲わせたんです!」

 

「……え?」

 

 彼女達から一拍(いっぱく)遅れて水面にティア達、水精(みずせい)が現れる。

 魔法陣を見た水精や、魔術に詳しい水精から、水蛇が『何者かの使い魔である』と知らされていたティアは、当然いまだ脅威は去っていないことを理解しており、水精全員が水面に現れるや否や、素早く撤退の指揮を()った。

 

「シズク! お願い!」

 

 こくり、と巫女服姿の水精が頷くと、隠れ里を濃密な魔力を()びた濃霧が覆い尽くす。

 シズクと呼ばれた水精の魔力によってリリィ達の魔力や気配が隠され、一瞬にして上手く感知できなくなると同時、リリィの手首をシーが、リウラの手をティアが取り、素早く走り出した。

 

 この視界ゼロの状況で迷いなく、つまづくことなく走ることができるのは、あらかじめ水びたしにしておいた地面のおかげだ。

 

 彼女達水精は、自身が支配する水の位置を手に取るように把握することができる。こうしておけば、水蛇を召喚した者はこちらの居場所も行動も認識できず、水精達は的確に逃走することができる。

 おまけに、水を司る彼女達ならば、地面の水を制御することで水しぶきを上げることもないので、足音すら消せるのだ。

 

 しかし――

 

 ゴッ――!

 

 猛烈な突風が濃霧を吹き飛ばし、彼女達の策を一蹴する。

 

 魔力を帯びた突風により、動きを止められた彼女達は見た。

 

 いつの間にか、彼女達が進もうとしていた先に、既に何者かが立ちはだかっているのを――

 

 

***

 

 

「こんにちは」

 

 そこにいたのは、30に届くかどうかといった年齢の人間族の女性だった。

 まるで水着のような露出度の高い衣装に身を包み、毛皮のマントを羽織(はお)っている。

 腰まで届く長い黒髪をなびかせた彼女は、うさんくさい笑みを浮かべながら、水精達に馴れ馴れしく話しかけた。

 

 おそらく、この場のリーダーだと見抜いたのだろう。女性はティアに視線を合わせる。すると、なぜか彼女は驚いたように目を見開き、軽く口を開いて唖然とした様子を見せた。

 

 ティアは片腕を真横に伸ばして、水精達に下がるように(うなが)すと、女性に対して問いかける。

 

「……あなたは?」

 

「!! ……おっと、これは失礼」

 

 女性は我に返るとわざとらしくおどけ、ティアの質問に答える。

 

「私の名はディアドラ……人間族の魔術師。そこの睡魔(すいま)のお嬢さんにちょっとしたお誘いをしにやってまいりました」

 

「……お誘い?」

 

「はい」

 

 ディアドラと名乗った女性は愛想よく返事するが、やはり胡散臭(うさんくさ)い。

 そして、警戒を緩めない水精達の目の前でリリィに向かって歩き出し、彼女の前まで来ると、しゃがんで自分の目線をリリィと同じ高さに合わせて言った。

 

「お嬢ちゃん。このままだとアンタ……死んじゃうよ?」

 

「……」

 

「ど、どういうこと?」

 

 リウラは見知らぬ人物から突如(とつじょ)として告げられた、リリィの死の宣告に驚き戸惑(とまど)う。

 

 そして、リリィは予想外の人物の登場に思考が止まり、呆然とディアドラを見続けることしかできなかった。

 

(……どうして……なんで彼女がここに……)

 

 その理由は、リリィの原作知識にある。

 魔術師ディアドラ――彼女は原作にて魔王の魔力を奪い、自らが新たな魔王となることを(たくら)む人物だ。

 

 原作でも詳細は明かされなかったが、彼女が新たな魔王となるためには、ただ単純に魔王の魔力を得るだけではダメで、それとは別に莫大な精気を必要とするらしい。

 その精気を得るために、急成長しつつある魔王の使い魔リリィに目をつけ、彼女の成長をうながし、充分に成長したところでその精気を奪うためにリリィを(さら)いに来る……という話になっている。

 

 だがリリィは魔王が封印された後、すぐにこの隠れ里に住んでいる。リリィが魔王の使い魔であることも、凄まじい勢いで成長することも知ることはできないはずだ。なのに、どうして彼女はここに現れたのか?

 

 ディアドラはすっとリリィの猫耳に口を寄せ、耳打ちする。

 

「お嬢ちゃん。アンタ………………魔王の使い魔だろう?」

 

「!?」

 

 リリィの猫耳と尻尾がピンとこわばる。

 

(なんで……!? どうしてそれを……!?)

 

 リリィの疑問に答えるように、ディアドラは耳元でささやき続ける。

 

「私はこう見えても凄腕の魔術師なんだよ……だから、お嬢ちゃんがときどき魔王とそっくりの魔力を放っていることに気づくことができたのさ。ちょっと探し物をしているときに、偶然その魔力を感知してね」

 

「少し魔術でお嬢ちゃんの()を調べさせてもらったら、魔王の魂があるときたもんだ……それとお嬢ちゃんが使い魔の契約で結ばれているんだから、お嬢ちゃんがどういう存在かも分かったんだよ」

 

 リリィは、“なぜ自分がディアドラに見つかったか”を理解した。

 

 おそらく、彼女は封印されている魔王を探していたのだろう……自らが魔王となるために。

 その時点では、魔王の魂が既にその肉体に無いことを知らなかったはずだから、封印を解いて魔王に取り入り、隙をついてその魔力を奪うつもりだったのかもしれない。

 

 “ときどき魔王とそっくりの魔力を放つ”というのは、たぶん魔王の魂から記憶を引き出しているときだろう。

 

 魔王の魂から記憶や経験をもらうと、少しの間、自然にリリィの魔力光(まりょくこう)が淡い紫から漆黒に染まっていたことをリリィは思い出す。水蛇に向かって撃った追尾弾が真っ黒に染まっていたのは、その(さい)たるものだ。

 

 原理はさっぱり分からないが、ひょっとしたら、リリィの魂が魔王の魂に波長を合わせていたのかもしれない。その魔王そっくりの魔力が、魔王を探す彼女の探査魔術に引っかかってしまったのだ。

 

「アンタのご主人様が、人間達に封印されたことは知っているね? お嬢ちゃんが今も生きていられるのは、その封印が不完全だからさ。だけど、その封印もいずれ完成する。そうなったら、お嬢ちゃんも生きてはいられない……お嬢ちゃんのご主人様も二度と復活できない。そうなる前に強くならなきゃならないねぇ、人間なんて簡単に蹴散らして封印を解けるぐらい」

 

 ディアドラは立ち上がって一歩リリィから離れると、にっこり微笑んでリリィに手を差し出す。

 そして、今度はハッキリと皆に聞こえる声量で言った。

 

「お嬢ちゃんは、早く強くなってここから出たいんだろう? 私についてくれば、あっという間に何倍も強くしてあげるよ? アンタには、それだけの才能がある」

 

 そして、“どうして自分が狙われたのか”をリリィは知る。

 

 おそらく、バギルの精気を吸ってパワーアップしたところを見られたのだ。

 ディアドラの狙いは明白だ。原作通りリリィの成長速度に目をつけて、充分に育ったリリィの精気を奪うつもりだろう。

 

 魔王が()ずから創造した使い魔であるリリィの潜在能力は、文字通り桁はずれだ。一般的な睡魔など、まるで比べものにならない速度で成長する。ディアドラは、これを見逃すような人物ではない。

 

「……」

 

 うつむいて黙り込むリリィに代わり、ディアドラの言葉に反応したのはティアだ。

 

 耳打ちしていたせいで良く聞こえなかったが、前後の発言から考えて、おおかた『私が鍛えないと、リリィは死ぬ』とでも脅したのだろう。

 ティアは怒りの感情を隠すことなく、言葉に乗せる。

 

「ふざけた言い分ね。水蛇(アレ)をけしかけたのは、あなたでしょう? そんな人を信用できるものですか」

 

「これは申し訳ない。ですが、あれはこのお嬢ちゃんの素質を見るために、しかたなく(おこな)ったこと……決して大きな怪我はさせないように注意していましたよ?」

 

「よくもまあ、ぬけぬけと……!」

 

「信用していただけないとは、悲しいですねぇ……では、お嬢ちゃんはどうだい? 私についてきたいと思わないかい?」

 

 ティアがディアドラの言葉を切って捨てれば、ディアドラはいけしゃあしゃあと『あれはリリィのためだった』と言い張った。そしてそれを信じさせるつもりもない。

 リリィが頷けばそれでよし、という態度である。

 

 おそらく、『素質を見るため』という発言は真実だろう。

 “リリィがどこまで戦えるのか”を(はか)ることができれば、彼女がどの程度のスピードで、どの程度の強敵を(くだ)し、その精気を奪ってどの程度成長するかを、おおまかにではあるが推測することができる。

 

 だが、後半は真っ赤な嘘だ。

 彼女は間違いなく、“別に死んでも構わない”と思って水蛇をけしかけている。でなければ、口を閉じたままウォーターブレスを放つなんて真似(まね)を水蛇にさせる訳がない。

 もしかしたら、彼女にとって“死んだら、その程度の才能だった”くらいの認識なのかもしれない。

 

 立ち上がって上から問いかけるディアドラからは、うつむくリリィの表情はうかがえない。

 しかし、もしリリィの表情が見えたなら、“警戒”なんてレベルでは到底収まらないほどの、凄まじい恐怖に彩られた表情に違和感を覚えただろう。

 

(どうしよう……どうしよう……どうしよう……!!)

 

 普通に考えれば、断るべきだ。

 だが、ディアドラはとても非情な人物である上に、リリィの有用性を知ってしまっている。たとえここでリリィが断ったとしても、無理やり(さら)って、魔術で洗脳するぐらいはしても全くおかしくはない。

 

 しかし、だからといって素直について行っても、洗脳されないとは限らないから、結果は同じだろう。断ろうと断るまいと精気を絞り尽くされて死ぬ未来しか見えない。

 

 そして、ディアドラを倒す実力も、ディアドラから逃げ切る実力も、今の自分には無い。水精達にも無い。つまるところ、完全な手詰まり(ゲームオーバー)である。

 

 

 ――そんな時だった

 

 

 

「ダメだよ、リリィ。ついて行っちゃダメ」

 

 

 

「リウラさん……!?」

 

 リウラはリリィの手をギュッと握りしめ、ディアドラを(にら)みつけながら言う。

 まるで、その手を離したらリリィが居なくなってしまう、と恐れているかのように。

 

「うまく説明できないけど、なんとなくわかる。このおばさん、リリィのことなんて全然考えてない……ううん、“リリィのこと利用してやろう”って思ってる。ついて行ったら、絶対にリリィは不幸になっちゃう」

 

 そうリウラが言った瞬間、ディアドラの眼つきがガラリと変わる。

 

 ゾクリ――!

 

 リウラの背筋が震える。

 まるでモノを見るかのような冷たい眼。“やはり自分の勘は間違っていなかった”とリウラは、自分とリリィを護るために、水弾を周囲に()びだそうとする。

 

 

 

 ――その瞬間、繋いでいたリウラの手が、リリィによって思い切り振り払われた

 

 

 

「え……?」

 

 何が起こったのか分からずリリィへと振り返ると、リリィと視線が合った。

 

 ――その眼つきはディアドラと瓜二(うりふた)つ……リウラを“人”ではなく“モノ”として見ている眼だった

 

「リ……リリィ?」

 

 あまりに予想外の出来事に、リウラが戸惑う。

 それをまるで()(かい)さず、リリィはこう言い(はな)った。

 

「今までありがとうございました。もう貴女(あなた)は用済みです」

 

「何を、言って……?」

 

「あなたに気に入られるように振る舞っていたのは、まともに戦える力が身につくまでの間、私を庇護(ひご)してくれる人が必要だったからです。あなたよりもよほど強い彼女が鍛えてくれる以上、もうその必要もない」

 

「だから……! その人は信用できないって……!」

 

「ああ、ひとつ言い忘れていました」

 

 リウラの叫びをそよ風のように聞き流し、リリィは言う。

 

 

 

 

 

()()()()()使()()()()()()()()

 

 

 

 

 

「……は? ……え?」

 

 リウラは唖然とする。

 いや、リウラだけではない。この場のほぼ全員が目を()いて驚いていた。

 

 異なる態度をとっているのは、最初からその事実を知っていたディアドラ……そして、鋭い目つきでリリィを見る巫女服姿の水精(シズク)と、巻貝の耳飾りの水精(シー)だけだった。

 

(はな)から信用なんてしてません……この人間も、あなた達も。私にとって信用できるのは、私を創造してくれた魔王様ただ1人」

 

「何を企んでるのかは知りませんが、この人間が私を鍛え、魔王様を復活させようとしているのは間違いない……なら、私はそれを利用させてもらうまで」

 

 ヒュッと翼を広げて飛び立ったリリィは、力なく水面に腹を上にして横たわる水蛇の上空へと移動し、わずかに(まぶた)を落として精神を集中させる……すると、水蛇全体を収める巨大な魔法陣が現れた。

 

愚昧(ぐまい)なる水の蛇竜よ……我が軍門に(くだ)れ!≫

 

 魔法陣が強烈な光を放ち、リウラ達はとっさに腕で自分の眼を(かば)う。

 

 光が収まりリウラ達が腕を退()けると、そこには無傷の水蛇が鎌首(かまくび)をもたげていた。

 そして、リリィはその水蛇の頭の上で片膝をついて(すわ)り、こちらを嘲笑(あざわら)うような眼で見下ろしている。

 

(へぇ……仮契約を結んだか……瀕死の状態だったとはいえ、私の使い魔に対して契約を結ぶとは、なかなかやるじゃないか)

 

 ディアドラは(わず)かな感嘆とともに、リリィへ更なる期待を(つの)らせる。

 

 使い魔の契約は基本的に早い者勝ちであり、多重で契約を結ぶことはできない。しかし、抜け道はいくつかあり、その一つが今リリィが結んで見せた“仮契約”というものだ。

 

 文字通り仮の契約であり、本契約とくらべればその質はやや落ちるものの、“主の命令に従う”などの効果は変わらない。

 本契約者であるディアドラの命令が優先されるため、ディアドラに対してけしかけることはできないが、こうして水精達を脅し、攻撃するには充分すぎるほど有用だ。

 

「感謝していますよ、リウラさん? 私をここまで強くしてくださったのですから。そのお礼に、邪魔をしないのであれば、あなた達の命は見逃すことを約束しましょう」

 

 どうやら水蛇を支配して見せたのは、“リリィがこれだけ強くなった”ということを示すパフォーマンスでもあったようだ。

 

 リリィを頭に乗せた水蛇はリウラ達に背を向けると、岩壁(がんぺき)に向かって大きく口を開き、地底湖の水がまるで滝を逆再生するかのように、開いた水蛇の口に飲み込まれてゆく。

 

「待って、リリィ!!」

 

 

 ――直後、轟音とともに岩壁が砕け散った

 

 

 リウラの呼びかけを無視し、開いた大穴を(くぐ)って水精の隠れ里をリリィが後にしようとする……しかし、

 

「……何のマネですか?」

 

 リウラが、リリィの前に立ちふさがる。その目線の高さは、鎌首をもたげた水蛇に座るリリィと同じ……すなわち、空中に立っているように見える。

 が、よく注意して見ればリウラの足元に透明な板状の何かがあり、それが魔力を放っていることが分かる。おそらく、水で足場を(つく)ってその上に立っているのだろう。器用な奴だ。

 

「もちろん、リリィを連れ戻しに」

 

「……ああ、ティアさん達のことですか? 安心してください。魔王様が復活した後も、彼女達の生活に支障が無いように取りはからってあげますから」

 

 リリィは少し考えて思い当たる。

 魔王の脅威から逃れるために造られた水精の隠れ里……そこに住まう者達からすれば、封印された魔王を復活させるなど言語道断だろう。

 『殺す』ではなく『連れ戻す』なのは、リウラの情けか。

 

 しかし、リウラは首を横に振る。

 

「違うよ。リリィを不幸にしないため……ううん、リリィを幸せにするために、私はリリィを連れ戻す」

 

「……私の話、ちゃんと聞いてましたか?」

 

 リリィが呆れ声で言うと、リウラはあっさりと頷く。

 

 

 

 

「うん。……()()()()()()()()?」

 

 

 

 

「……え?」

 

 ポカンとリリィが口を開ける。

 

「あ、『魔王の使い魔』っていうのは本当かな? だけど『誰も信用してない』ってのは嘘だよね? 少なくともリリィは私のこと信用してくれてるもん」

 

「ッ……何を根拠に……!」

 

「なんとなく! 私、すごく勘が良いんだよ? 特にこういうのはバッチリ! ……それにね?」

 

 リウラは、ふわりと微笑む。

 

「たった1週間だけど、私はずっとリリィのこと見てきたから。だから、“リリィが私を信じてくれてる”ってことも、“今リリィが心にもないことを言ってる”ってこともわかるんだ」

 

 表情が抜け落ち、まるで人形のような無表情となったリリィは、黙ってリウラに向かって人差し指を向ける。

 

 

 ――淡い紫の魔力弾が、リウラの頬を(かす)めた

 

 

「「リウラちゃん!?」」

 

 双子の水精が動揺してリウラを助けんと飛び出そうとするが、ティアがそれを両腕で(さえぎ)って止める。

 

「「ティアちゃん!? なんで!?」」

 

「……ここはリウラに任せなさい」

 

「「でも!!」」

 

「いいから! ……あの子達を信じなさい……!!」

 

 ティア達のやり取りをよそに、リリィ達の会話は続く。

 

「消えなさい。次は当てますよ」

 

「うぉう……問答無用で押し通るか。それは困るね~」

 

 リウラは冷や汗を流しながらおどけたようにそう言うと、真剣な表情になって水の床の上で半身(はんみ)に構える。

 

 リウラは巫女服姿の水精――シズクの元で護身術を習っている。

 

 なぜかシズクから異様に警戒されていたリリィは、その鍛錬の様子を見せてもらうことはできず、リウラの強さを知ることはできなかったが、リウラ自身の申告では『結構(けっこう)強い』らしい。

 

 だが、そのシズクを含めた水精全員でも(かな)わない水蛇と、全てではないがその水蛇の精気を大量に吸収したリリィの敵ではあるまい。

 リリィは、リウラの(あご)を狙って再び魔弾を放つ。

 

 

 ――スッとほんの一歩分リウラの身体が横にずれ、魔弾はリウラの隣をすり抜けていった

 

 

「!?」

 

 リリィの驚愕に合わせるように、リウラが水の床を蹴る。

 慌てたリリィは、今度は外さないよう、水蛇にも使った誘導弾を同時に複数放つ……が、

 

「ふっ」

 

 鋭く息を吐いたリウラは、一度立ち止まり、自分に向かって飛んでくる魔術の矢の側面に手のひらを添え、次々と軌道を()らす。

 てんでデタラメな方向に飛ばされた魔矢は、リウラを撃ち抜かんと、リウラに照準を合わせて舞い戻る。

 

 そして魔矢が当たる瞬間、リウラは再びリリィに向かって水の床を蹴る。

 ……当たる直前で目標を見失った魔矢は、その全てが同士討ちし、打ち消し合った。

 

「な……な……!」

 

 リリィは、開いた口が(ふさ)がらない。

 リウラは軽々とやって見せたが、素人目(しろうとめ)に見ても、今のは明らかに達人の技だ。

 しかも、リリィが使ったのが誘導弾であり、それを一目(ひとめ)で見抜けなければできない芸当……一介(いっかい)の水精が成せる技ではない。

 

 ふと気づけば、もう目の前にまで(せま)っているリウラを見て、リリィはさらに焦る。

 ならば、そうした対人技術が通用しない巨大生物――水蛇に攻撃させるまで。

 

 リリィは水蛇の頭を蹴って空へ逃げながら、心話(しんわ)――魔術的なテレパシーで水蛇に命令を(くだ)し、リウラの走る動きに合わせて水蛇に首を振らせ、その鼻先を当てようとする。

 

「えっ……!?」

 

 しかし、それすらもリウラは(かわ)す。

 ()()()()()()()()をフェイントに()()()()()()()水蛇の鼻先を回避し、一気にリリィとの距離を詰める。

 

 水床が動くことで走る必要がなくなったリウラは、右拳を腰だめに構え――

 

「ッ……!」

 

 思わず目を(つむ)るリリィ。

 

 しかしその拳は当たらず、リリィの頬を(かす)めて、

 

 

 

 

 

 ――ギュッとリリィの頭を抱きしめた

 

 

 

 

 

「……」

 

 何が起こったのか分からず思考が停止するリリィに、リウラが優しく話しかける。

 

「……わかった。どうしてもあの人について行きたいんだったら、もう止めない。その代わり、私も一緒についてく」

 

「な、なんで」

 

「心配だからだよ。当たり前じゃない」

 

「だって、私は魔王の使い魔で、みんなを騙してて」

 

「私はね、リリィのこと“家族”だと思ってる」

 

「!!」

 

 リウラの胸の中で、リリィは大きく目を見開く。

 

「“お父さんを復活させたい”って思うのは当たり前だよね? みんなからいじめられないように黙っているのも当たり前。……リリィは全然悪くない」

 

「そんなことより、私はリリィが……私の大切な家族が、危険な目に合うことの方が耐えられない。……だから、あの人がリリィに酷いことしないか見張ってる。もし酷いことしそうなら、身体を張ってでもリリィを逃がす。そのために、私はリリィについて行く。……ね、リリィ……」

 

 リリィを抱きしめる力を強めて、リウラは言った。

 

 

 

()()()()()()()?」

 

 

 

 それは、バギルと戦う前にリウラが掛けてくれた言葉。

 

 あの時は表面上の意味しか(とら)えられなかったが、今ならリウラが本当に言いたかったことが分かる。

 

 

 ――ずっと(そば)に居るよ。だって、あなたは私の家族だから

 

 

 リリィの眼から涙が溢れる。

 肩が震える。

 もう耐えられなかった……これ以上リリィの大切な()()を騙し、傷つけることに。

 

「ダメです……ついてきちゃダメです!」

 

「……リリィ?」

 

 リリィはリウラの水の(ころも)(つか)み、涙で顔を濡らしながら必死に叫ぶ。

 

「あの人が危ない人だなんて、最初から分かってたんです! でも、断ったら無理やり(さら)われちゃうかもしれない! 私を(かば)ってくれるリウラさん達も、殺されちゃうかもしれない! そんなの嫌だったんです!」

 

「私がついて行ったら、少なくともリウラさん達は見逃してくれるかもしれない……だけど、リウラさんがついてきちゃったら、リウラさんがどんな目に合うか分からない! だからお願いです! ついてこないでください! 私の事は忘れてください!」

 

 あの時……ディアドラの雰囲気が変わった瞬間、リリィは思った。

 

 

 ――このままでは、リウラが殺されてしまう

 

 

 だから、リリィはディアドラの誘いにのったふりをしたのだ。

 だから、リリィは“自分が魔王の使い魔であること”を明かして、リウラ達に嫌われようとしたのだ。

 

 そうしなければ、リウラの命は救えないと思ったから。

 

 あの瞬間、リリィの中の天秤(てんびん)は自分の命ではなくリウラの命へと確かに傾いたのだ。

 

 どうすれば、リウラを諦めさせることができるのか……焦りを(つの)らせるリリィに、声が掛けられる。

 

 

 

「あ~、盛り上がってるところ悪いけど、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 

「………………え?」

 

 思わず絶句してギギギ……と壊れたブリキのおもちゃのようにリリィが首を動かすと、そこには気まずそうにしているディアドラが宙に浮かんでいた。

 

「最初に言ったはずなんだけどねぇ……『誘いに来ただけだ』って」

 

「で、でも、リウラさんが『ついて行っちゃダメだ』って言ったら急に怒って……」

 

「そりゃあ、こんなうら若い乙女をつかまえて『おばさん』呼ばわりされたら怒るに決まってるさ」

 

 額に青筋を立てて言うディアドラに、リリィは「あ……」と思い至る。

 

 

 

 ――『この()()()()、リリィの事なんて全然考えてない……』

 

 

 

(言った! そういえばリウラさん『おばさん』って言ってた!!)

 

 リリィは頭を抱える。

 あらためて思い返してみれば、原作でもディアドラはリリィに『おばさん』呼ばわりされてブチ切れていたシーンがあったように思える。

 

 だが、そんな些細(ささい)なことをあの緊迫した状況で思い出せるわけもなく、てっきりリリィを連れていくことに抵抗するリウラが気にくわずに怒っていたのだと思い込んでいたのだった。

 

 しかし、よく考えてみれば、無理やりにでもリリィを攫うつもりなら、最初から攫っているだろう。こんな茶番を演じる必要など、どこにもない。

 彼女の“誘い”は、ただ単に“ディアドラ自身が鍛えた方が効率が良いだろう”と考えていただけなのだ。

 

「“さっさと強くなって、魔王の封印を解かないと死んじまう”ってことは理解できてるんだろう? 私はそれを手伝ってやろうと思っただけさ。『要らない』ってんなら、自分の力でどうにかするんだね」

 

 そう言うと、ディアドラはゆっくりと自身の姿を薄れさせ、やがてこの場から消え去った。

 

 

***

 

 

「……終わったわね」

 

 ティアは、ほっと安堵(あんど)の溜息をついた。

 

 本当に、たいしたものだと思う。

 たしかに、状況的にリリィが演技をしていた可能性は低くはなかったが、その演技は(しん)(せま)っていた。

 

 つい先程まで脅威を見せつけられていた水蛇の迫力もあって、ほとんどの水精達は完全に“リリィが自分達を利用していた”と信じ込まされ、ショックが引いた後は、湧き上がる自身の怒りの感情に飲み込まれそうになっていた。

 

 だが、リウラは違った。水精達の中でただ1人リリィに“家族”として接していた彼女は、他の水精達とは比較にならないほどリリィの事を理解し、リリィの事を想っていた。

 そんなリウラだからこそ、たやすくリリィの演技を見破り、リリィの本音を引き出すことができたのだろう。

 

「……ティアちゃんは、わかってたの?」

 

「ええ」

 

 ティアの足元で頭を押さえてうずくまり、プルプルと震えるレイクが()くと、ティアは事もなげに答えた。

 

 ティアは水精として誕生した時から、他者に対する洞察力には並はずれたものを持っていた。

 たしかにリリィの演技力は大したものであったが、ティアから見ればまだまだ甘い。

 

 リウラに放った魔弾・魔矢は全て怪我しない程度に手加減されていたし、水蛇に襲わせる時も傷つけないよう、噛みつかせるのではなく鼻先で叩かせようとしていた。

 そうしたひとつひとつの行動を丁寧に見れば、リリィがリウラを大切に思っていることはバレバレだったのだ。

 

 ティアがそのことを話すと、なぜか痛そうに頭を押さえる双子の水精達は恨めし()に言った。

 

「そ~いうことは」

 

「もうちょっと早く言ってほしいよね~……」

 

 リリィがリウラに向かって2発目の魔弾を放った瞬間、彼女達はティアの制止を振り切ってリウラを助けるために飛び出そうとしたのだが、直後、ティアが彼女達の頭に特大の水のゲンコツを落とし、力づくで止められていたのだった。

 

 双子は「殴られた理由はわかったけど……」「もうちょっと止め方ってもんがあるよね~」と痛みに頭をさすりながらブツブツ言っているが、ティアは『何も聞こえない』と言わんばかりに完全にスルーしている。

 

「……で、どうするの? あの人『魔王の封印を解かないと、リリィが死ぬ』って言ってたよ? リウラちゃん、このままだと魔王の封印を解くために、リリィと一緒に里を出て行っちゃうんじゃない? ティアちゃん、あれだけリウラちゃんの事を大切にしてたのに、このままだと危ない目に()っちゃうよ?」

 

「魔王が復活しちゃったら、大変なことになっちゃうんじゃない? 放っといていいの? あ、でもひょっとして、本当はリリィみたいに良い子なのかな? もしそうだったら、いいんだけど……」

 

 双子の言葉にティアは………………答えられなかった。

 

 

 ――『い・や・だあああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!』

 

 

 リリィと出会うまでは、なんだかんだ言ってティアの言うことを聞いていたリウラが、あんなに目を吊り上げて拒絶の意志を叩きつけるとは思わなかった。

 

 今ここでリウラを無理やり捕らえ、ここではない新たな水精の拠点に縛りつけたところで、彼女はリリィを助けるために、必ずいつかそこを抜け出すだろう。

 

 どうせそうなるのなら、むしろ気持ちよく送り出してやった方が良い。

 餞別(せんべつ)を渡して、旅をする上でのアドバイスをして、可能な限りの準備をして送り出す。……それが少しでも、彼女達が安全でいられる時間を増やすと信じて。

 

 魔王の復活については、ディアドラが背後にいる以上、ティアにはどうしようもない。

 自分には、あんな化け物を軽々と使役(しえき)する彼女に対抗できるような魔力も無ければ、彼女の企みを阻止できるような組織も無いのだ。

 

 彼女のリリィに対するぞんざいな扱いから、リリィが魔王の復活に必要だとも思えない。

 仮に今ここでリリィを殺したところで、ディアドラに対する何の妨害にもならないだろう。

 

 ――ティアは拳をきつく握りしめる

 

 いまだ空中で抱きしめ合うリリィとリウラを見つめながら、ティアは自らの無力さに歯噛みし、そんな様子の彼女をシズクは心配そうに見ていた。

 

 

***

 

 

 彼女達から遠く離れた隠れ里の一角――

 びしょ濡れになった岩場に、1人の女がいつの間にか立っていた。

 

 その姿は頭のてっぺんからつま先まで真っ黒で、帽子、手袋、ズボン、靴に外套、果ては鼻から下を覆うマスクまで、黒で統一された黒ずくめ。

 

 その身体の線の細さと、曲線を描くラインから(かろ)うじて女性であることが分かるが、それ以外は何もわからない怪しい人物であった。

 

 黒ずくめは目元だけでニヤニヤと笑いながら、口を開く。

 

「こんなところで何してるんスか? ロジェンさん」

 

 誰もいないはずの岩場に黒ずくめが声をかける。

 しばし間をおくと、突如、岩場を濡らしていた水という水がゴッ! という音を立てて巻き上がり、1人の女性の姿を形作った。

 

 ティアにも負けぬ立派な水のドレスを身に(まと)い、豊かな髪をゆったりとした三つ編みにした、20代後半の美女である。

 手には水でできた扇を持ち、それを広げて口元を隠している。

 

 水精の隠れ里の里長(さとおさ)である彼女――ロジェンは、黒ずくめを鋭い視線で睨みつけながら言った。

 

「……どうして、わたくしの居場所が分かりましたの? 気配は隠していたつもりでしたけど」

 

「あいにく、気配を隠蔽(いんぺい)する(たぐい)の魔術については、昔ちょっとばかし高名な方に教えを()う機会があったんで、結構くわしい方なんスよ。むしろ、魔術じゃなくて素直に自前(じまえ)の技術で気配を消したほうが、わかりにくかったかもしれないッスね?」

 

「……それで? わたくしに何の用ですか? あなたの望み通り、わたくしも、わたくしの騎士たちも手出しはしませんでしたわ。いまさら、わたくしに用があるとは思えませんが」

 

「ええ、まあ、その件についてはありがとうございます。感謝するッスよ。……まあ、え~っと、“シーさん”でしたっけ? あと、“シズクさん”? なんか、いざという時の保険っぽい方がいらっしゃったみたいですし、こうしてロジェンさんも私に見つからないように隠れてたっぽいッスけど……、今回はうまくいったんで、見逃してあげるッス」

 

「……」

 

 ロジェンの視線に濃密な殺気が乗り始める。

 しかし、それを柳に風と受け流し、黒ずくめは用件を切り出した。

 

「私の用件は、さっきと一緒ッスよ。あの女……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。今回だけでなく、これからもずっと……ね? もし、邪魔したら――」

 

 

 ボンッ!

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「さっきも言った通り、あなたの大切な水精達が、こうなっちゃうッスからね! ……どこに隠れても無駄ッスよ? どこにいようと私には分かるッスからね。……それじゃあ、今後ともよろしくッス~!」

 

 黒ずくめは、最後まで陽気な態度を崩さず、一瞬にしてフッと音もなく姿を消した。

 

 しばらく黒ずくめが居た空間をにらみつけていたロジェンは、やがて視線を落とすと、悔しそうに吐き捨てた。

 

「……本当に、情けない……このわたくしともあろうものが、一度ならず二度までも暴力でねじ伏せられようとは……!」

 

 まるで黒ずくめ以外にも力でねじ伏せられたことがあるかのような言葉を吐き出すと、ロジェンは心の内で決意を固める。

 

(いいでしょう。あなたの望み通り、わたくし達は手出ししません……()()()()()

 

 あの神出鬼没の黒ずくめであろうとも、決してわからないよう、できる限りの手を尽くして、リウラを……そして、リウラが認めた大切な家族を護る。そう、ロジェンは心に誓う。

 

(それに、あの娘達なら……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()あの2人なら、ディアドラや黒ずくめの企みを打ち砕き、必ずや幸せな未来をつかみ取れる。……わたくしは、そう信じています)

 

 そして、その決意と……家族愛に溢れた、力強くも優しい眼を背後の空へと向ける。

 その視線の先には、これから先の彼女達の未来を示すかのように……、

 

 

 ――とても、とても幸せそうにじゃれ合う水精(みずせい)睡魔(すいま)の姿があった

 

 

 

 

 

 

 

 ――ねぇ、リウラさん

 

 ――なあに? リリィ

 

 ――私たち、家族なんですよね?

 

 ――うん! もうとっくに!

 

 ――だったら……『お姉ちゃん』って呼んでいいですか?

 

 ――……………………

 

 ――リウラさん?

 

 ――もちろんだとも! 妹よぉぉおおおおおお~~~~~!!!!

 

 ――きゃぁぁぁあああああ!!? リウラさん!! 落ち着いてください!!

 

 ――『リウラさん』じゃなくて、『お姉ちゃん』!! それと、家族で敬語禁止!!

 

 ――わかりま……わかった! わかったから! ()()()()()、頭で私の胸をぐりぐりするのやめてぇええ!!

 

 ――良い!! 『お姉ちゃん』良い!! もう1回! もう1回、『お姉ちゃん』って言ってええ!!

 

 ――言うから! 後で言ってあげるから!! お願いだから、いったん離れて!!

 

 ――恥ずかしがるリリィも可愛いぃぃいいいい!!!!!

 

 ――お姉ちゃぁぁあああああん!!??

 

 

 

 



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第二章 怪盗リウラ 前編

 「うわぁ~~~~~!!!!!」

 

 迷宮の上層にある大きな都市の入り口で、興奮に目を輝かせる少女がいた。

 

 (とし)は15~16歳程度。

 髪をシュシュでツインテールにまとめ、ところどころフリルがついたシンプルな作りのキャミソールドレスに身を包んでいる。左手と両足首にはリボンを巻きつけて蝶結(ちょうむす)びにしていた。

 

 特徴はその色合い。その衣服や装飾品はおろか、身に(まと)う人物の頭のてっぺんからつま先に至るまで全てが半透明の水色で統一されていた。

 

 全身水色の少女はつないだ手を引きながら、興奮を抑えきれないといった様子で(かたわ)らの人物に話しかける。

 

「リリィ!! ねぇ、早く行こう!!」

 

「お姉ちゃん、まずは宿をとってからだよ? それが終わったらいっぱい見て回ろうね?」

 

 微笑ましいものを見る笑顔で答えたのは、10歳前後の少女だ。

 

 (すそ)にフリルのついた紺と白のシンプルなキャミソールドレス、右手と両足首に巻かれた紫色のリボン、黄金(こがね)色の髪を両脇でくくったその(よそお)いは、細部に違いはあるものの、水色の少女とそっくりだ。

 

 リリィと呼ばれた少女は、自分が姉として慕う人物と共に居られることが嬉しいらしく、頭頂から突き出た猫耳やスカートから覗く尻尾、背から生えているコウモリの翼がそれぞれピクピク、ユラユラ、パタパタと動き、わかりやすく喜びを表していた。

 

 ふと、水色の少女が何かに気づいたかのように、猫耳少女の顔を覗き込む。

 

「……リリィ、どうしたの?」

 

「? 何が?」

 

 水色の少女――水の精霊リウラが問いかけると、猫耳少女――魔王の使い魔にして精を奪う淫魔(いんま)、リリィは『何を問うているのか』と疑問の声を上げた。

 

「いや、なんかさっきから緊張しているみたいだったから……」

 

 リリィは、それを聞いて黙り込む。

 リウラは、リリィが話しやすいように腰をかがめて視線の高さを合わせ、リリィが話し出すのをじっと待っている。その様子は心なしか心配そうだ。

 

(う~ん……1日だけでいいから、お姉ちゃんにはリラックスして外の世界を楽しんでもらいたかったんだけど……)

 

 リリィは悩む。

 

 リウラはリリィの命を救うため、彼女の生まれ故郷である水精(みずせい)の隠れ里を離れ、こうしてリリィについて来てくれている。

 

 リリィを救うためには、魔王の封印を解き、さらにはリリィを狙うディアドラを撃退する必要がある。そのため、隠れ里を出た後、リリィは簡単にではあるが計画を立て、それをリウラに話していた。

 その計画をまとめると――

 

 1.リリィを(できればリウラも)強くする

 2.魔王の封印を強化しにやってきた人間達を()けるか、もしくは捕獲して記憶を覗き、魔王が封印されている場所を見つけ出す

 3.魔王の封印を解いて、魔王の肉体の魔力を奪う

 4.魔王の膨大な魔力を使って、魔王の魂との繋がりを断ち切り、魔王の魂や肉体に何かあってもリリィに影響が出ないようにする

 5.魔王の魔力で超パワーアップしたリリィが、ディアドラを撃退

 

 ――といった内容になる。

 

 この計画を実行するためには、まず何をおいても、魔王の封印を解除できるレベルにまで、早々にリリィの魔力を強化する必要がある。

 

 そのため、可能な限り早く動いたほうが良いのは確かなのだが……リウラは生まれてからずっと隠れ里で過ごし、ようやく長い間あこがれていた外の世界へやってくることができたのだ。1日くらい、姉が気兼(きが)ねなく外の世界を満喫(まんきつ)できる時間を作っても、バチは当たるまい。

 実際、リウラにも『今日1日は、お姉ちゃんの好きなように過ごしていいからね!』と事前に話しておいてある。

 

 これは、今のリリィができる精いっぱいのお()びとお礼……“こんな大変なことに巻き込んでしまって申し訳ない”というお詫びと、“私を救うためについて来てくれてありがとう”というお礼でもあった。

 もちろん、全てを無事に終わらせることができたのなら、その時は改めてもっとちゃんとした恩返しをするつもりである。

 

 リリィが緊張している理由を話せば、おそらくリウラはリラックスして町を回ることができなくなる。

 だからこそ黙っていたのだが……『リリィ大好き』と公言する姉の眼を(あざむ)くことはできなかったようだ。

 

 『何でもない』と答えても、他人(ひと)の表情や雰囲気に敏感なリウラを納得させることは難しい。“もはや誤魔化(ごまか)すことは不可能”と観念(かんねん)してリリィは話し出す。

 

「……お姉ちゃん……私たち、たくさんの人から見られてるの……わかる……?」

 

「え? そりゃあ、結構じろじろ見られてるとは思ってたけど……嫌だった?」

 

 リウラも気づいていなかったわけではない。

 町の入り口に姿を現した時から、結構な人数がリリィとリウラにチラチラと視線を向けている。

 

 “水精と睡魔(すいま)”という組み合わせが珍しいのか、おそろいの服装が気になるのか、それとも2人の可愛らしさに目を奪われているのか……リウラには理由はわからないが、なにか目を引くものがあるのだろう。

 リウラはあまり気にしていないが、リリィには不快だったのだろうか?

 

「“嫌”とか、そういう話じゃないの。……“この中の何人かは悪いことをしようと思っている”って考えなきゃいけないってこと」

 

 リウラが表情を引きつらせる。

 リウラは考える前に、あるいは考えがまとまる前に行動することが多いため誤解されやすいが、決してバカではない。リリィが言っていることはすぐに理解できた。

 

 ロジェンを初めとする水精達から、隠れ里を出る前にいくつかの注意点――すなわち、危機管理の方法については聞かされている。

 

 水精の隠れ里が引きこもり集団であるとはいえ、完全に外界(がいかい)との関わりを遮断してしまっては、なにか予想外の事が起こった時に全滅してしまう恐れがある。

 

 そのため、処世術と戦闘力を兼ね(そな)えている水精……主に里長(さとおさ)であるロジェンに極めて近しい水精達が外界の情報を仕入れたり、緊急時の貯蓄のために水産物を売りさばいたりしているのだ。

 

 そうした外の世界に詳しい水精達が、スリ、強盗、誘拐、強姦……果ては殺人まで、幅広い犯罪とその対策をリウラとリリィに教えてくれたのだ。そればかりか、里の緊急時の(たくわ)えからそれなりの金額をリウラとリリィに渡してくれた。

 水精達が如何(いか)にリウラの事を大切に想っているかが良く分かる。

 

 その時の『いかに外の世界は恐ろしいか』を懇々(こんこん)と説明されたことを、リリィの発言から思いだし、“この町はそんなに恐ろしい所なのか?”と、リウラは戦々恐々とすることになった。

 

 リウラの引きつった顔を見て、“あ、言い過ぎた”と感じたリリィは慌てて自分の発言をフォローする。

 

「でも、ある程度注意してたら大丈夫だと思う! ほら、私たち強いし!」

 

 リウラとリリィはかなり強い。それは客観的に見ても事実だ。

 

 回収を忘れたのか、それとも“後で()び出せば良い”と思っているのか、ディアドラは水蛇(サーペント)という巨大な使い魔を置いたまま去って行った。

 そのため、リリィは置き去りにされた水蛇の精気を改めて吸収することができ、あの巨体に秘められた莫大なエネルギーをほぼ丸ごと手に入れることができた。今や、彼女の魔力はそんじょそこらの睡魔とは比較にならないほどに強化されている。

 

 対してリウラはその水蛇(すいだ)の牙を単独で防いで見せるほどの、素早く正確な水流操作技術を持っており、さらにはリリィの追尾弾を軽々と(かわ)し、()らすほどの体術・護身術を操ることができる。

 

 そこらのごろつき程度なら、この2人に誘拐や強盗を(こころ)みたところで大抵が返り討ちだろう。

 もちろん、この迷宮には2人以上に強い者も存在するだろうから油断はできないが。

 

「さ、ほら! さっさと宿をとって町を楽しもう!」

 

 いまだに緊張がとれないリウラの様子を見て焦ったリリィは、リウラの手を引きながら、急いでロジェンが教えてくれた宿を目指す。

 

 とりあえず、露店や屋台を見て回り、リウラをリラックスさせよう――そうリリィは心に決めて、周りの人々の視線を振り切りながら歩き続けた。

 

 

***

 

 

「お、美味しい~~~!!」

 

 そう言って涙を流して喜んでいるのはリウラ……ではなく、リリィであった。

 

 宿を予約した後、リウラと町を見て回っていたリリィが、ふらふらと屋台で売っている串焼きの匂いに引き寄せられ、ひとくち食べた感想がこれである。

 

「な、涙を流すほどに美味しいの?」

 

 リリィのそのあまりにも感激した様子に、少なくない驚きと興味を感じ、リウラが聞き返す。

 

「ううん、普段ならここまで感激するほどじゃないんだけど……なにしろ、この1週間ずっと調味料も香辛料もない生魚ばっかりだったから……!」

 

 水精は飲食しなくとも生きていけるうえ、好んで口にするのは固形物ではなく飲み物なので、基本的に彼女達は料理をしない。なので当然、水精の隠れ里には調味料も香辛料も存在しなかった。

 

 おまけにリリィの魔力が低いうちは発火魔術さえ使えなかったため、生魚のまるかじりオンリーという、なんとも生臭くて味気(あじけ)のない食生活だった。

 それに比べれば、この串焼きは極上と言える。

 

 リリィのそのあまりにも美味しそうに食べる様子に、リウラの(のど)がゴクリと鳴った。

 

「ね……、ねぇ……私もひとくち食べていい?」

 

「え……、別に良いけど……」

 

 リリィはためらう。

 

 リリィが食べているのは、とある魔物の肉を串焼きにしたものだ。

 だが、基本的に精霊は肉食を好まない。口に含んだ瞬間に吐き出したくなるほど不味く感じるのだ。

 正直に言って、そんな思いをわざわざリウラにさせたくはない。

 

 しかし、リウラはとても好奇心旺盛(おうせい)な水精だ。

 リリィが『美味しい』と言って食べているものを『不味いよ』と言ったところで納得するはずもなく、『いっぺん食べてみたい』と言われるのは明白だった。

 

 別に身体に害があるわけでもなく、リウラと同系統の精霊で実際に肉を食べたことのある者も原作の世界には存在するので、リリィは少々ためらいつつもリウラに串焼きを渡す。

 

(……まあ、これも経験だよね)

 

 そんなリリィの思いもつゆ知らず、リウラはワクワクとした表情で串焼きにかぶりついた。

 これからリウラに訪れる悲劇を思い、リリィは心の中で十字を切る。

 

「……お」

 

(……『おえぇ~』、かな?)

 

 屋台に来る途中で買ったハンカチをいそいそとリリィは開き、リウラが吐き出したものを受けるために備える。

 

「美味しい~~~~~!!!!??」

 

「へ?」

 

 リリィの眼が点になる。

 

「うわ! ホントに美味しい!! お肉の汁がじゅわっと口の中に広がって……! えーっと……これが“ジューシー”って言うのかな!?」

 

 リウラの眼がキラキラしている。

 リリィや屋台の店主への気づかいでも何でもなく、本当に美味しいと感じているのがはっきりとわかる。

 

(あ、あれ……?)

 

 リリィは戸惑(とまど)う。

 

 先も述べたように、精霊は肉の(たぐい)を好まない。

 精霊達が美味しいと感じるのは、基本的にその精霊の本質に沿ったもの……水精であれば、美味しい水で作られたお酒、木精(ユイチリ)であれば、栄養豊かな肥料といったものでなければならないはずである。

 

 もちろん、例外はある。

 “その精霊が発生する土地が大量の死体や血で(けが)されており、精霊を構成する肉体の中にそれらが混ざってしまう”、あるいは、“飢えて死んだ動物などの霊が乗り移る”といった条件を満たせば精霊は血に飢え、肉食を(この)むようになる。

 

 だが、リウラが生まれた場所は非常に清らかな地底湖。

 魚を狩ったことがあるとはいえ、別に魚の死体で埋まっているわけでもない。

 リウラが血に飢えて、“他の生物を襲いたい”と思っているような様子もまるで見えない。……リウラが肉を“美味しい”と感じるはずがないのだ。

 

(私と魔王様の知識が間違っている……? ゲームの設定なんて後づけでいくらでも変わるし、魔王様だって精霊にそこまで深い興味があったわけでもないし……)

 

 リリィが考え込んでいる間に、リウラは咀嚼(そしゃく)を終えてゴクンと飲み込む。

 リウラは眼を輝かせながら、残った串焼きをリリィに返す。

 

「私も自分の分、買ってくる!」

 

 リウラはそう言うや否や、すぐに先の屋台へ向かう。

 その様子はリリィから見て、非常に楽しそうだった。

 

(……まあ、理由なんてどうでもいいか。お姉ちゃん楽しそうだし)

 

 元々の身体に対して直接肉を混ぜ込むのならばともかく、食事として吸収する分には肉を摂取しても血に飢える危険性はない。

 食べられる食事のバリエーションが大幅に増えるということは、リウラと食事をする楽しみが増えるということだ。それはリリィにとってもリウラにとっても幸せなことだった。

 

 はやる様子で水の(ころも)から財布代わりの小袋をいそいそと取り出すリウラを見て、リリィは微笑みつつ残りの串焼きを食べ始める。

 

 

 ――その時、リウラの後ろを1人の狼獣人(ヴェアヴォルフ)の男性が通り過ぎた

 

 

 ドンッ

 

「わっ!?」

 

「お姉ちゃん!?」

 

 狼そのものの頭部を持つ、体格の良い獣人にぶつかられ、リウラは尻もちをつく。

 リリィは慌ててリウラに駆け寄った。

 

「お姉ちゃん、大丈夫!? 怪我はない!?」

 

「う……うん……。ちょっとぶつかっただけ」

 

 リウラに怪我がないことに、ほっとするリリィ。

 だがその直後、リリィの顔からサーッと血の()が引いていく。

 

「リリィ?」

 

 リウラがリリィの異常に気づく。

 リリィの視線が自分ではなく別のところ……リウラから少し離れた地面を見ているのを見て自分もそちらを向く。

 直後、リウラの顔もリリィと同じように青ざめていく。

 

 地面に落ちていたのはリウラの財布代わりの小袋……その一部。

 スリに取られないよう、水の鎖によって小袋の口とリウラの水の衣のポケットを繋いだリウラの財布は、その対策を嘲笑(あざわら)うかのように、鋭利な断面を残した袋の口だけを残して地面に転がっていた。

 

 

***

 

 

「ぐぁっはっは! そうか、やっぱりスられたか! わっはっはっは!!」

 

「笑いごとじゃないよ! 『やっぱり』って、何!? わかってたんなら、どうして教えてくれなかったの!」

 

 リウラ達は、あの後すぐに宿に戻った。

 自分達の予想を上回る治安の悪さに『いったん宿に帰ったほうが良い』という意見が一致したためだ。

 

 リウラ達がとった宿の名は“水の貴婦人亭(きふじんてい)”。

 ロジェンが『この町で一番安全な宿』と紹介してくれたところだ。

 

 少々値段は高めだが、部屋は広めだし雰囲気も良い。

 1階には食堂と酒場を兼ねたスペースもある。一度心を落ち着けるには最適だった。

 

 リウラとリリィがいるのは、その食堂兼酒場のカウンター席。

 昼時(ひるどき)を過ぎているため、リウラたち以外に人はほとんどいない。

 

 目を吊り上げるリウラの前で豪快に笑っているのは、この宿の主人だ。

 

 きれいに整えられた口髭と髪は、高齢によるものか真っ白に染まっているにもかかわらず、背はピシリと伸びており、鍛えられた筋肉がシャツを押し上げている。

 顔もしわが刻まれているにもかかわらず、瞳はいたずら小僧のように輝き、その笑顔も笑い声も若々しさに満ち溢れていた。

 ロジェンによると、老いてなお若い戦士を簡単にボコれる腕っぷしを持っているらしい。

 

 主人は、人間族と同じ位置にある犬耳を震わせながら、リウラ達の失敗談に大笑いしていた。

 

「あん? ロジェンの嬢ちゃんは教えてくれなかったのか? 『そんな(ひも)で繋いだくらいじゃスリは防げねぇ』ってよ」

 

「うっ……ほ、他にもスリから身を守る方法は教えてくれたけど……、それでも『それじゃ、スリは防げないから気をつけてね』の一言(ひとこと)があっても良いでしょ!?」

 

 正確には、人込(ひとご)みでスリを含めた他人から身を守るための方法を、リウラはロジェン達から教わっていた。

 

 水精は接近戦を不得手(ふえて)とし、高い魔力を()かした水の魔術による遠距離攻撃を得意とする種族である。

 つまり、他の種族に比べて体格やパワー、素早さがやや劣る種族なのだ。

 リウラや、その友人の双子の水精――レインとレイクなどはシズクに鍛えられているため、例外的に近接戦を得意とするが、それでも彼女達以上に動ける者はごまんといる。

 

 そんな彼女達は、常に自分の周囲に水球を待機させ、いつでも自分の身を守れるようにしている。

 ロジェン達が教えたのは、その応用で、“財布を取り出すときには、自分の周囲に水壁を張る”というものだ。

 

 水精の魔力は他の種族と比べても高めだ。

 そんな水精が作り上げた水壁を押し破ってまで財布を奪おうとする者など、そうそういない。

 わざわざ騒ぎを起こしたり、そこまでの労力を使ってまで水精の財布を奪うよりは、もっと狙いやすい獲物を探したほうがよほどリスクもかからないし、体力も浪費せずに済むからだ。

 そして、リウラはこれを(おこた)った。だから、盗まれてしまったのだ。

 

 宿の主人――ブランはリウラの答えを聞いて、呆れたように深くため息をつく。

 

「ほれ見ろ、やっぱり教わってんじゃねえか……。つか、そんな中途半端な状態で嬢ちゃんを外へ出したのか……」

 

 「あの面倒見のいい嬢ちゃんらしくねえな」とブランは首をひねる。

 

 ブランの知る彼女――水精ロジェンならば、何日も……へたすれば何ヶ月もかけて、みっちりと対策を仕込んでから送り出しそうなものだ。

 イメージのズレにブランがわずかに困惑していると、その疑問にホットミルクのカップを傾けていたリリィが答えた。

 

「……事情があって、すぐに別れなければならなかったんですよ。外に出る準備をする時間は、ほとんどありませんでした」

 

 元々ロジェン達はリウラを地底湖の外に出すつもりなどなかった。外での防犯対策など教えるつもりもなく、リウラの防犯知識はほぼ完全にゼロだった。

 

 ところがディアドラとの一件でリウラは隠れ里を離れることになり、水精達はすぐに別の拠点へ移らざるを()なくなった。

 必要最低限の防犯対策を口頭でリウラに伝える以外に、ロジェン達はどうしようもなかったのだ。リウラの防犯意識が薄いのは仕方がないことであった。

 

 ブランは「そうか」と言うと、それ以上は()いてこなかった。

 代わりに、先程のリウラの質問に答える。

 

「仮に“嬢ちゃんたちがそれを理解できてねぇ”って知っててもよ、俺はわざわざ『気をつけろよ』なんて言わないぜ?」

 

「なんで!?」

 

()りねえからだ」

 

「へ?」

 

 リウラは予想外の答えに、きょとんとする。

 リリィは意味が理解できたらしく、表情が若干苦々(にがにが)しいものになっている。

 

「嬢ちゃんたちはロジェンの嬢ちゃんに『気をつけろ』と言われてんのに、それでもスられただろ? 他人がいくら言ったって、本人がちゃんと“どんだけ危ないのか”ってのを理解できてなきゃ意味がねえ」

 

「俺が一言(ひとこと)言やあ、今回は防げたかもしんねえが、しばらく()ったら忘れておんなじようにスられちまう……こういうのは、いっぺん痛い目を見させるのが一番本人のためになるんだよ……深刻な被害が出ない程度にな」

 

 ロジェンから言われていたにもかかわらず、実際にスられてしまったリウラはぐぅの()も出ない。

 町に入った時にリリィからも注意を受けていたことを思い出し、よけいにブランの(げん)に説得力を感じてしまう。

 

 その時、ブランの表情を見たリウラは気づいた。

 

(あれ……? なんか、遠い目してる……)

 

 ブランは何かを思い出すように遠い目をしていた。

 リウラから見て、その目はなんとなく後悔しているように見えた。

 

(う~ん……ひょっとして、ブランさんもおんなじ間違いをしたのかも)

 

 リウラ達を、若い頃の自分に重ねて見ている……そう考えれば、つじつまは合う。

 

 そこまで考えが至ると、リウラの気持ちがストンと落ち着いた。

 『自分たちの(ため)にしてくれたのだ』と感謝の気持ちが生まれ、同じミスをしたと思われるブランへの親近感すら()いてくる。

 

 ブランが遠い目から戻ってくると、ニヤリと笑いながら、今度はリリィに視線を向ける。

 

「そこの睡魔の嬢ちゃんみたいに(はな)(ぱしら)の高い奴は特にな」

 

 リリィはその言葉を聞くと、(ふくれ)れっ(つら)になりながら飲み終えたカップの飲み口を口にくわえ、行儀悪くブラブラと()らす。

 

 リウラもリリィも、外の世界の危険性を理解している()()()になっていたが為に失敗したが、その根っこにある大本の原因は、それぞれ全く異なる。

 

 リウラの場合は経験不足によってアドバイスを失念していたことが原因だが、リリィの場合は自身の能力への過信が原因だ。

 

 リリィの前世の記憶の中には、町で生活した記憶もある。それに対して、リウラはそうした経験は全くない。

 そんなリウラを(そば)で見ていて、リリィは無意識のうちにリウラを下に見ていたのだ――町での生活については自分のほうが経験者だ、と。

 

 この時点でリリィは自分の経験を過信し、その経験がこの世界でも通用すると考えてしまったのだ。

 銃社会ですらない、人権が保障された平和な国での生活経験など、日常的に殺人や人身売買が行われているこの世界では通用しないというのに――

 

 さらに、水蛇を撃破した経験がこの過信を後押しした。

 

 “自分達はあんなに強大な魔物を撃破したのだ”、“水蛇の精気を吸収した自分に(かな)う魔力の持ち主など、そうはいない”……こうした自分に対する過剰な自信が、“何かあっても自分達なら腕力で解決できる”とリリィに勘違いさせた。

 

 だが結果はご覧の通り。

 スリに、あっさりと目の前で大切な姉の財布が盗まれ、取り押さえることもできないうちに群衆に(まぎ)れこまれた。

 わかりやすく走って逃げてくれてでもいれば、リリィの気配探知に引っかかるのだが、相手はそんな間抜けではなかった。

 

 “ブランの言うことは正しい”……リリィはそう感じていた。

 今、痛い目を見ておかなければ、リリィはどんどん(おご)り高ぶり、いつか取り返しのつかない失敗をしてしまっただろう。

 精気の吸収で加速度的に強くなるリリィは、たいていの物事を腕力で解決できるようになってしまうので、他人(ひと)と比べて失敗するチャンスが少ないからだ。

 

 だが、だからと言って自分の失敗を他人に笑われて良い気持ちがするはずがない。リリィの機嫌は急降下したままだ。

 リリィは、こういう時にパッと気持ちを切り替えられるリウラを尊敬する。

 水の精霊は(うつ)ろいやすい性格を持つ傾向があるので、それが関係しているのかもしれない。

 

 また、“全財産を奪われたわけではない”という事実も、リウラの気持ちを切り替える一助(いちじょ)となっているのだろう。

 

 ロジェンは奪われた場合のことも想定してリウラ達に対策を授けていた。

 具体的には、財布をリウラとリリィで2分割し、さらに、通常使うものと緊急時のために取っておくもので2分割――計4分割することで、もしどれか1つが盗られたとしても被害を最小限に抑えるようにしていたのだ。

 

 こうやって落ち着いて話していられるのもロジェンのおかげだった。

 とはいえ、このまま“のほほん”としていられるほど、お金に余裕があるわけでもない。

 

 なので、さっそくリウラは自分の失敗を取り返す算段を始める。

 

「ねえ、ブランさん。私が魚を()ってきたら買ってくれる?」

 

「そういうのは業者で間に合ってんだ。てっとり(ばや)く金が欲しいんなら、そこの依頼でもこなしたらどうだ?」

 

「依頼?」

 

 洗った皿を()きながらブランが(あご)で示した方向には、大量の張り紙がされた告知板(こくちばん)があった。

 

 宿屋や酒場といった場所は、近隣(きんりん)からの情報が集まりやすく、また様々な技能を持った人物がやってくる。

 それらの情報や人材を有効活用するため、このように依頼書を貼りつけるスペースが(もう)けられていることが多いのだ。

 形式や内容は、その土地特有の依頼であったり、特定の組合からの依頼であったりと様々である。

 

 ピョンと椅子から降りたリウラは、その壁の前まで来ると、その紙を1枚1枚読み上げていく。

 

「“日向(ひなた)の薬草求む”……“樹霊(じゅれい)の迷宮までの護衛”……“虹色の福寿魚(ふくじゅうお)求む”――あ、これすごい! 81,000だって! ね、リリィ! これやってみない!?」

 

 リウラが目を輝かせる。

 ラウルバーシュ大陸で使用される通貨には、ルドラ・ディル・サントエリル・シリン・エリンなど様々なものがあるが、このあたりで使われている通貨は、ひどく大雑把(おおざっぱ)にまとめて1通貨単位あたり、おおよそ2,000円程度の価値がある。

 つまり、81,000は日本円に換算して約1億6,200万円に相当する。リウラが大声を上げるのも無理はない。

 

「いや、無理だよ、お姉ちゃん……この魚、すんごい見つけにくいんだから……」

 

「そうなの? 私とリリィなら、()りなんてしなくても水中から一目(ひとめ)で探せるし……」

 

「その程度で見つかるなら、こんな報酬額になってないって……」

 

 「う~ん」と(うな)りながら、自分たちに合った依頼を探し直すリウラとリリィ。

 

「あ、これどう? “蜥蜴人族(リザードモール)一族の討伐”だって! これもすっごい報酬高「お願いだからそれはやめて。いやホント真剣にお願いします」……ど、どうしたの、リリィ?」

 

 しゃべっている途中で割り込み、リウラの両肩をつかみつつ必死に頭を下げて『その依頼だけは受けないでくれ』と頼みこむリリィに、リウラは目を白黒させる。

 

「あ~、嬢ちゃん。そいつは小さな国の軍隊を丸々ひとつ相手にするようなもんだ。やめといたほうが良い」

 

 見かねたのか、ブランが口を(はさ)んでくる。

 

「あれ? アドバイスしてくれるの?」

 

「自分から死にに行くようなことをしてたら、さすがにな。なんも言わずにそのまま行かせて死んじまったら寝覚(ねざ)めが悪りぃ」

 

「でも、私達、まがりなりにもサッちゃんに勝ったし……」

 

「お姉ちゃん。この人達、たぶん軽々とサッちゃんを狩れると思うよ」

 

 その言葉に、リウラは冷や汗を垂らしながら「ホント?」と問いかけると、リリィはこっくりと頷く。

 

 サッちゃんとは、リリィ達が倒した水蛇(サーペント)の名前だ。

 “仮”とはいえリリィの使い魔になったことで、『仲間になったんだから“サーペント”と呼ぶのは味気ない』と、リウラが嬉々(きき)として命名した。

 

 彼は、今や住む者のいない水精の隠れ里(あと)で、リウラ達の思い出の場所が荒らされないよう、リリィによって(ばん)を命じられている。

 本契約者であるディアドラが()び出すまでは、あの場所を守ってくれるだろう。

 “……仲間というよりはペットにつける名前だよね”とリリィが思ったのは内緒である。

 

 依頼に書かれている討伐対象の蜥蜴人族(リザードモール)は、この迷宮の一大勢力として有名だ。

 彼らはその大半が武力至上主義の戦闘狂(バトルマニア)であり、個人個人が高い力量を持っている。

 

 魔王の意識が人間族との戦争に向いていたとはいえ、かつての魔王軍の侵攻を大した損害もなく退(しりぞ)けていることからも、その実力の高さが(うかが)える。

 水蛇(すいだ)の1匹程度、彼らは苦もなく倒してしまえるだろう。

 

「あぁそういや、その依頼を出した奴ァ死んだって、昨日の晩に連絡があったぜ。()がし忘れて悪かったな」

 

 そう言うとブランが壁に歩み寄り、依頼が書かれた張り紙を告知板から剥がす。

 その様子を見ながら、リリィは疑問を覚えていた。

 

(……でも、こんな危険な依頼、いったい誰が……?)

 

 リリィが不審(ふしん)に思って、ブランの手にある張り紙の依頼主の欄を見るが、その名前に見覚えはない。

 リリィは思い切って聞いてみた。

 

「ブランさん、この依頼って誰が出したんですか?」

 

「魔王軍だ」

 

 ブフォッ!

 

 リリィは思わず噴き出した。

 リウラも驚きに目を丸くしている。

 

「どうも、この蜥蜴人族(リザードモール)の侵略を任されてた奴らしいんだが、(かた)(ぱし)から返り討ちにあっていたようでよ……形振(なりふ)り構っていられなくなったらしい。『徴集した兵士が片っ端から死んじまう』って泣きながら、ここでよく酒をあおってた」

 

「そ、そうですか……」

 

(そりゃ、自分の首がかかってるもんね……魔王軍も色々大変だったんだなぁ……)

 

 魔王軍の中間管理職は、失敗すれば文字通りに()()飛ぶ。

 その事実を知るリリィから(かわ)いた笑いが漏れた。

 

 気を取り直して再び自分たちに合った依頼をリウラ達は探し始める。

 「あ……」という声とともに、リウラの視線が止まった。

 

「リリィ、これにしない?」

 

 リウラが指差したのは、“オークの盗賊団の討伐”。

 

 オークとは、鬼族(きぞく)という種族の一種だ。

 豚に似た鼻と、ぷっくり太ったお腹、緑色の肌が特徴で、頭はさほどよろしくないが、体力と器用さに優れた種族である。

 

 依頼の内容は、この近辺(きんぺん)で悪さを働くオークの盗賊団を討伐し、依頼者に引き渡すことと、以前、彼らに奪われた高価な指輪を取り戻すこと。

 報酬は討伐遂行(すいこう)で1000、指輪の奪還(だっかん)で500、合わせて1500だ。

 

 戦闘能力以外にあまり特筆すべきもののないリウラとリリィには向いている依頼だといえる。依頼難度と報酬のバランスも妥当なところだ。

 だが、リウラとリリィの戦闘力ならもっと難度の高い依頼もこなせるだろう。

 

「いいけど……他にももっと(わり)の良いのがあるよ?」

 

「うん。でも、これにしたい。……“盗られたものを取り返したい”って気持ち、他人事(ひとごと)とは思えないから……」

 

 どうやら財布を盗られた(つら)さを知っているが故に、見過(みす)ごせないらしい。

 「ダメかな?」と申し訳なさそうに()いてくるリウラに、リリィは苦笑した。

 

(……損な性格してるなぁ……そこが良いところなんだけど)

 

 その“損な性格”に救われたリリィが『(いな)』と言えるわけがない。

 リウラ達の初仕事が決まった。

 

 

***

 

 

 ゴォン!!

 

 ガッガン!!

 

 前方から振り下ろされた棍棒を余裕を持って(かわ)し、左から切りつけられた無骨(ぶこつ)な剣を水壁で受ける。

 リウラが作り出した球面状の水壁に接触した剣は、壁面の水が素早く下に流れたことで力を受け流され、地面へと叩きつけられる。

 

 その時には棍棒を振り下ろしたオークの胸元(むなもと)に、(つち)の形をした人の頭ほどの大きさの水球が生み出され、次の瞬間、オークの(あご)を下から上へと打ち上げる。

 

 ゴッ!!

 

 脳震盪(のうしんとう)を起こしたオークが倒れるのを待たず、リウラは左のオークへ視線を向けながら前方へ飛び出し、頭の中で周囲の水球たちへ指示を飛ばす。

 

 剣を再度振りかざしたオークがリウラを追いかけようとする直前、後ろからヒョイと水の手がオークの(かぶと)を奪い去り……その直後、オークの頭上で待機していた水球のひとつが急降下してオークの脳天を打ち抜いた。

 

 ズンッ!!

 

 脳天に衝突した水球は、オークの頭の形に歪みながらその衝撃を(あま)すことなく伝え、オークの意識を奪う。

 

 オークたちが倒れる音を聞きながら、リウラは周囲に敵がいないか気を配り、最後に倒したオークたちが起き上がってこないかしばらく観察すると、「ふーっ」と大きく息を吐いて警戒を解いた。

 

「やっぱりお姉ちゃん、すごいね……本当にオークと戦うのって初めてなの?」

 

 リウラの後方からリリィがやってくる。

 彼女の左手には小型の水盾が、右手には水の長剣が装備されていた。

 

 リリィが左の人差指を上に向けると、倒れていたオーク達の全身から淡く輝く精気が強引に引き出され、リリィの立てた指へと吸い込まれていく。

 

「初めてだよ~。私が実際に戦ったことあるのって、シズクとレイン、レイクの3人だけだもん」

 

「その割には、なんか(さま)になってたような……体捌(たいさば)きとか周囲の状況確認とか。それもシズクさんから教わったの?」

 

 水精シズクは、肩甲骨まである真っすぐな髪と、水の巫女服がとてもよく似合う、もの静かな雰囲気の水精だ。

 ティアの親友であると同時にリウラの護身術の師でもあり、リウラ(いわ)く『いまだに自分との実力差が見当もつかないほど強い』らしい。

 

 リウラの動き、そして水術の扱いは素人目(しろうとめ)に見てもかなり綺麗で的確だった。

 まるでオーク達がどのように動くのかを(あらかじ)め知っていたかのように丁寧に素早くさばき、あっという間に片づけている。

 ただ身体の動かし方を知っているだけでは、こうはいかないだろう。おそらく迷宮での立ち回り方や、オークの一般的な戦い方も教えられているはずだ。

 

「そうだよ。どんな地形があって、どんな種族がいて、どんな戦い方をしてきて、それに対してどう対応するか……嫌になるほど勉強させられたよ」

 

 リウラがやや遠い目になる。

 

 頭を使うことも武術を学ぶことも決して嫌いではないのだが、様々な種族・生物の“殺し方”を延々(えんえん)と頭に叩き込むのだけは、リウラにとって少々苦痛だった。

 “隠れ里の外に出るため”、“自分の身を守るため”という目的がなければ、“殺し方”だけは教わっていなかったかもしれない。

 

 リウラの回答を聞いて、リリィはふと疑問が()く。

 

「シズクさんって、いったい何してた人なんだろ……?」

 

 水精ティエネー種は基本的に温厚な種族であり、あまり戦闘を好まない。

 どう考えても戦闘の専門家としての知識を持っている水精シズクは、かなり風変(ふうがわ)りな人物だ。

 

 リウラは「えーと……」と視線を左上にやって、シズクから聞いた話を思い出す。

 

「たしかシズクは大陸の東の生まれで、生まれてすぐに武術を習い始めたんだって。理由は詳しくは教えてくれなかったけど、その武術を教えてくれた人を探して、シズクは色々と大陸のあちこちを旅しつつ腕を(みが)いてきたらしいよ?」

 

 そう言われてみれば、彼女の(よそお)い――リリィの前世の世界で言う“東洋風の意匠(いしょう)”は大陸東方、もしくは南東のディスナフロディ周辺独特のものだ。

 

 水精の(まと)う水の衣の意匠(デザイン)は、生まれた地域の文化に大きく依存する。

 周囲の人間や亜人の装いを見て、『それが人型生物の着るものなのだ』と認識して自分の身体とともに無意識に作成する――いわばアイデンティティのひとつであり、もうひとつの自分の身体そのものなのだ。

 

 彼女達は無意識下で“自分の身体はこういうもの”と認識しているため、それを容易に変化させることはできない。

 だから、水精は全身が水でできているにもかかわらず、現在の人型の姿と、自らの根源である“水そのもの”以外の姿に、自分の身体を変化させることができないのだ。

 

 それはもうひとつの身体とも言える水の衣も同様。

 “身体”ではなく“衣服”という認識であるため、変化させようと思えばできないことはないが、それを維持するには相応の集中力と精神力が必要となる。

 

 つまり、シズクが普段から東洋風の衣装を纏っていたということは、彼女が東方諸国やディスナフロディといった東洋系文化がある地域の出身であるという、これ以上ない証拠だった。

 

 そこまで考えて、リリィはふと自分の思考に違和感を覚える。

 ――そんな変化させるのが難しいはずの水の衣を、ヒョイヒョイとお着替え感覚で気軽に変化させる水精を、つい最近見たことがあるような……?

 

「リリィ! 見て見て!!」

 

 リウラの声に意識が現実へと戻される。

 

 リウラが指差している方向を見ると、オークたちの居住区らしき場所が見える。

 その中に、宝箱がいくつか置いてあるのが見えた。

 

「依頼にあった“指輪”ってあの中じゃない!? 開けてみようよ!!」

 

 リリィはピクピクと耳を動かし、もうオークらしき気配がないことを確認すると、頷いた。

 

「……うん。盗賊も全員倒したみたいだし、指輪を探そっか」

 

 いつ敵が来るかわからない場所での考え事は危険だ。そのことはリリィが身を(もっ)て知っている。

 

 リリィは先程までの思考を後回しにし、宝箱へと向かうリウラの後を追った。

 

 

***

 

 

 宝箱――というと、ゲームや物語では金銀財宝ザックザクのボーナスアイテムのイメージだが、この世界ではそんなことはない。ただの金庫である。

 

 その手の店に行けば、ズラリと同じように量産されているものがたくさん見つかるだろう。

 それが、どういうことを意味するか………………答えは目の前の姉の行動にある。

 

「お姉ちゃん……何してんの……?」

 

「ふっふっふ……まあ、見ていたまえ……♪」

 

 宝箱の目の前についたとたん、いきなり姉は鍵穴をいじりだした。

 よく見れば、リウラの手元で少量の水が鍵穴に向かって伸びているのが見える。

 

 数秒後、カチンと音が鳴る。

 リウラはそれを聞くと(ふた)を持ち上げる――鍵は完全に解錠されていた。

 

(お……お姉ちゃん……犯罪とかしてないよね?)

 

 姉の持つ意外な特技に、リリィは冷や汗を流しながら若干引いている。

 そんなリリィをよそに、リウラはのんきな声を出してほっとする。

 

「良かった~。ウチにあったのとおんなじ金庫で」

 

「? どういうこと?」

 

「前に、里にある唯一の金庫の鍵がなくなって大騒ぎしたことがあってね? ……ほら、隠れ里(ウチ)って基本的に外部との接触を()って身を守ってるじゃない? だから、鍵職人を呼ぶこともできないし、金庫を壊して新しい金庫を買って帰るのも『目立って隠れ里の位置がバレると嫌だから、できれば避けたい』ってなって……それで、里で2番目に器用な私に声がかかったってわけ」

 

 ちなみに1番器用なのはリウラの師であるシズクだが、ちょうどその時彼女は外界(がいかい)の情報収集のために外出していたらしい。

 

「ちょっと時間はかかったけど、無事に金庫は開いて、必要な鍵の形を金庫番の人に教えて、めでたしめでたし。その時のと同じタイプの金庫だったから、おんなじ方法で開けられたよ」

 

 余談だが、この件で金庫番とリウラ以外に鍵が開けられなくなったため、金庫番の水精は『セキュリティが向上した』とプラス思考で喜んでいたそうだ。

 

 宝箱を思い通りに解錠できて嬉しかったのか、「怪盗リウラ参上!」とノリノリで自分の衣装を変化させるリウラ。

 タキシードにシルクハット、マントに単眼鏡(モノクル)というその姿は、怪盗というよりも手品師(マジシャン)のようだ。

 

 隠れ里の(おさ)であるロジェンが寝物語(ねものがたり)にリウラに良く話してくれたという、彼女自作の物語に登場する義賊 “怪盗ミスト”の()()ちである。

 

 リリィも一度だけ聞かせてもらったことがあるが、魔術とトリックを併用してピンチを切り抜ける(さま)が良く練りこまれており、前世で色々なメディアに触れていたリリィをして、かなり面白いと思わせる話だった。

 

 リリィは、そんなリウラを見て口を半開(はんびら)きにした状態で唖然(あぜん)とする。

 

(そうだ、お姉ちゃんだ……簡単に水の衣を変えられる水精……!)

 

 先の思考で感じた違和感の原因は、自分の姉だった。

 今リリィの目の前でやって見せたように、リウラは自分の服をたやすく変化させることができるのだ。

 

 肉の串焼きを平気で食べたことといい、リリィは本気で自分の知識に疑問を覚え、もう一度魔王の魂にアクセスしてその記憶を総ざらいする。

 

 一方、ビシッとポーズをとってカッコつけていたリウラは、突然「あれ?」と首をひねる。

 

「どうしたの?」

 

「いや、私が鍵開けできるの知らないんだったら、リリィは金庫をどうするつもりだったのかな? ……って」

 

 リウラがいつもの服――サイドポニーと(そで)が分かれたワンピース――に服装を戻しながら問いかけると、リリィは「ああ」と納得したような声を上げる。

 

 “高価な指輪を取り戻してこい”という依頼なら、“指輪は金庫に入っている可能性が高い”と考えて当然だ。リリィもそこのところはちゃんと理解している。

 

 リリィは隣の宝箱に向かうと、宝箱の蓋と箱本体の間の(わず)かな隙間にガシッと両手をかける。

 

 バキャンッ!!

 

「こうやって」

 

「……お姉ちゃんドン引きだよ」

 

「なんで!?」

 

 バカ魔力(ぢから)にものを言わせて頑丈な金庫の鍵を破壊した妹に、複雑な視線を向けるリウラだった。

 

 

 ――ピクッ!

 

 

 リリィの猫耳が跳ねる。

 

 遠くから近づいてくる足音と気配……それも駆け足だ。

 数は2つ。特に追われているような様子はないが……

 

(まっすぐこっちに近づいてきてる)

 

 彼ら、あるいは彼女らもオークの盗賊団を狩りに来た? ……可能性はゼロではないが、まず無いだろう。

 

 リリィ達がこの依頼を引き受けた時に、告知板に貼ってあった張り紙は外してあるし、ブランは『ウチの告知板に貼られた依頼が(かぶ)ることはまず()ぇから、安心して行ってこい』と言っていた。

 となると、この足音の(ぬし)はリリィ達に用があるのか、それともオークの盗賊団の跡地に用があるのか……はたまた……

 

(ダメだ、情報が少ない。考えても無駄か)

 

 リリィは思考を放棄する。

 自分達が世間知らずであることを身に染みて味わった直後なのだ。近づいてくる者達がどんな人物であるにせよ、かかわらない方が無難(ぶなん)だろう。

 触らぬ神に(たた)りなし、だ。

 

「お姉ちゃん、隠れるよ」

 

「ほぇ?」

 

「理由は後で話すから」

 

「わ、わかった」

 

 リリィは依頼の指輪を回収することを諦め、リウラの手を引いて急いで盗賊団のアジトを離れるが……

 

 ――ピクリ

 

 驚きに目を見開いたリリィの猫耳が再び跳ねる。

 

(追いかけてきた!?)

 

 どうやら足音の(ぬし)たちはリリィ達に用があるらしい。

 しかも、既にこちらの気配をしっかり補足されてしまっている。

 

 リリィは舌打ちを鳴らすと、気配を隠す魔術を発動させる。

 

「あ、あれ? リリィの気配を感じなくなった?」

 

「お姉ちゃん、そこに隠れて!」

 

 突然(となり)にいるにもかかわらず妹の気配を感じられなくなって戸惑(とまど)うリウラを、無理やり迷宮の(くだ)り階段の陰に押し込み、息を(ひそ)める。

 

 唇の前に人差指を立ててリウラに“しゃべるな”と示すと、リウラは口を両手で(ふさ)いでコクコクと頷く。

 

 足音がどんどん大きくなる。

 

(このまま通り過ぎて……!)

 

 しかし、無情にも足音はリリィ達が(ひそ)む階段の近くで止まった。

 ここにきてようやくリウラは“何者かが自分達を探している”ことを知り、緊張した雰囲気を(ただよ)わせる。

 

 ――“すん”と鼻を鳴らす音をリリィの猫耳が(とら)えた

 

(獣人族だった!?)

 

 獣人族の鼻の良さは、文字通り獣並(けものな)みだ。

 特に犬系の獣人であれば、匂いから相手の居場所を探ることなど朝飯前である。

 

 弾かれたようにリリィがリウラの手を(つか)んで階段を下ろうとするが――

 

「待って、お願い!」

 

 ――その懇願(こんがん)するような響きに、涙声(なみだごえ)に、思わず足を止めた。

 

 

 

「お願い、私達を助けてください!!」

 

 

 

 



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第二章 怪盗リウラ 中編

「「弟(さん)を助けたい?」」

 

 リリィとリウラの声がハモる。

 リリィ達の目の前にいるのは獣人族――猫獣人の上位種であるニール種の少女と、エルフの少女だ。

 

 猫獣人(ニール)の少女は、だいたい16~17歳くらい。

 ポケットがたくさんついたノースリーブのジャケットも、その下に着ているタンクトップも腹が見えるほど(たけ)が短く、ホットパンツからは健康的に引きしまった両脚がすらりと伸びている。

 後ろ腰に交差するように2本の短剣(ダガー)。その上から被せるようにポーチを身につけている。

 

 髪は鴉の濡れ羽色に光を反射するショートボブ。

 そこから飛び出す猫耳と、腰から伸びる2本の尻尾も同色だ。

 

 やや吊り上がり気味の金色の瞳は、本来であれば勝気な印象を与えるのであろうが、意気消沈している今は痛ましさを感じる。

 

 エルフの少女はリウラよりも幼く……だいたい13~14歳くらいに見えるが、いかんせんエルフは総じて千年は生きる若作り種族であるため、これだけでは判断できない。

 

 青を基調とした上着と膝下まであるロングスカートを身に着けており、スカートからは黒いストッキングに包まれた足がすらりと伸びている。

 

 背には、魔力を感じる立派な(こしら)えの弓と矢筒(やづつ)

 腰まである(つや)やかな銀の長髪からは、エルフ特有の(とが)った長耳が飛び出しており、その頭部には大きな青いリボンが結ばれている。

 

 美貌(びぼう)で知られるエルフの名に恥じない整った顔立ちは、『命を吹き込まれた人形である』と言われても納得できるほどであり、特に青玉(サファイア)のような両の瞳は、見ているだけでまるで吸い込まれそうな印象を受ける。

 

 リリィとリウラの疑問の声に、エルフの少女がコクンと頷き、猫獣人の少女が口を開く。

 

「私の名前はヴィア。こっちのエルフの()がリューナ。……知ってるとは思うけど――」

 

 リリィもリウラも世間知らずだ。もしヴィアが今から言おうとしていることが常識的なことであり、たとえそれを知らなかったとしても、“恥を(しの)んで、きちんと質問しよう”とリリィは意識する。

 

 

 

 

「――迷宮のここら一帯を牛耳(ぎゅうじ)るマフィアのボス……ブラン・アルカーの娘とその養子よ」

 

「ストップ。待って。お願い、ちょっと待って」

 

 

 

 

 リリィが早々にヴィアの言葉を(さえぎ)る。

 のっけから、とんでもない発言が飛び出してきた。

 

「“()()()()()()()”……? それって、ひょっとして“水の貴婦人亭(きふじんてい)”の……?」

 

 冷や汗をたらしながらリリィが問うと、2人は“何を当たり前のことを”と言わんばかりの表情で頷く。

 

「……知らずに宿をとっていたんですの?」

 

「あそこ、私の実家よ? ……ていうか、“父さんや私達のことを知らない”って、いったいアンタ達どっから来たのよ?」

 

 リリィは頭を抱えた。

 

(『()()()()()()()()()宿()』って、そういう……!)

 

 リリィはロジェンの発言を思い返して、納得した。

 

 それはそうだろう。マフィアのボスが経営する宿屋だ。彼の客に手など上げようものなら、“舐められた”と判断されて即座に潰されかねない。

 そう考えると、リウラの財布がスられたのは、かなりギリギリのラインだ。ブランは笑い飛ばしていたものの、リリィ達の知らないところで、そのスリが締め上げられていても、まったくおかしくはない。

 

 しかし、ロジェンは何故このことをリリィ達に話してくれなかったのか?

 単純に話し忘れていた? ……それはない、とリリィは判断する。

 

 

 ――『あの面倒見のいい嬢ちゃんらしくねえな』

 

 

 ブランの発言を信じるならば、面倒見がいいはずのロジェンが、こんな重要なことを……それも『マフィアだから気をつけてね』とひとこと言えば済むことを忘れるなど、考えにくい。

 

 そこまで考えたところで、隣にいるリウラのきょとんとした表情が目に入った

 

(……あれ? なんで、お姉ちゃんはこんなに平然(へいぜん)として……)

 

 ハッ、とリリィは気づく。

 

 

 ――“魔王の使い魔”なんて、とんでもない肩書を持っている自分が、リウラに恐れられないのは何故か?

 

 

(私を……“魔王の使い魔”ではなく、ただの“リリィ”として見てくれているから……)

 

 『ブランがマフィアのボスである』とロジェンがリリィ達に伝えなかったのは……わざとだ。おそらく、先入観を与えたくなかったのだろう。“マフィアのボス”というレッテルを貼ることなく、彼のことを見て欲しかったのだ。

 

 リウラは、彼がマフィアであると知っても、彼女自身が見たままのブランの人柄を信じている。彼女にとって“マフィア”という肩書は、決して彼の人格を決定するものではないのだ。だからこそ、“どうしてリリィは、こんなにうろたえているのだろう?”と、リリィを見てきょとんとしている。

 そして、そんなリウラだからこそ、リリィは“魔王の使い魔”という肩書を持ちながらも、彼女に大切な家族として愛してもらえたのだ。

 

 ……だというのに、自分は『彼はマフィアである』と聞いただけで、勝手にブランのことを“恐ろしい人である”と思い込もうとしていたのである。

 

 リリィは、そんな自分を深く恥じた。

 

「話を止めてしまって、ごめんなさい。続きをお願いします」

 

 そして、あらためてヴィア達に向き直り、話の続きを(うなが)す。

 ……決して彼女達を“マフィアの関係者である”という色眼鏡で見ず、きちんと話を聞こう、と心に誓って。

 

 リリィの言葉に、リューナが頷いて口を開く。

 

「今から数年前、私の家族が魔族に襲われたんですの……」

 

 

 

 

 

 リューナの話はこうだった。

 

 リューナとその家族は、この迷宮からそう遠くない、地上の森の片隅でひっそりと暮らしていた。

 少々不便な生活ではあったものの、優しい両親に恵まれたリューナとその弟――リシアンサスは幸せに暮らしていた。

 

 ところがある日、突然リューナの家族が魔族の集団に襲われた。

 

 襲われた理由は今でもわからない。

 リューナ自身はとある人物に助けられ、ヴィアの父――ブランに預けてくれたことで無事だったが、両親は殺されてしまい、弟は行方不明。

 

 そして、ヴィアやブラン達の力を借りて、リューナがリシアンサスの居場所を突き止めた時……彼は既にその身分を奴隷に落としていた。

 

 しかし、彼は転んでもタダでは起きなかった。

 奴隷は奴隷でも、闇の密輸商ラギール・バリアットが大陸中に展開する支店……その店主に彼は収まっていたのである。

 

 ラギールは極めて優秀な者にしか店を任せない。

 彼の店は“売れる物ならば何でも”、“売れる相手ならば誰にでも”物を売る。

 必然、普通の店では考えられないような幅広い商品知識や、荒くれ者・道理を(わきま)えない者への対応能力、店を切り盛りするための経営・会計知識など、様々な能力を高いレベルでバランスよく身につけなければ店を経営することができないからだ。

 

 リシアンサスは、ラギールの課す常識を超えた訓練や課題を見事にクリアし、通常の奴隷では有り得ない破格の待遇(たいぐう)を得ることに成功していたのだった。

 

 お得意様に時々性的サービスを提供しなければならないものの、それ以外は基本的に一般人と同様の生活を送れる。

 給金もきちんと支払われており、貯めれば自分を買い戻すこともできるし、高い功績をたてれば無償で解放してくれることもある。

 さらには、優秀な成績をあげたリシアンサスの希望が聞き届けられたことで、この迷宮の支店に異動することができたため、リューナと頻繁(ひんぱん)に会うこともできている。

 

 ブランの多大な援助もあり、リシアンサスの頑張り次第では、数年もあればその身柄を買い戻すこともできる……全ては順調なはずだった。

 

()()()?」

 

 過去形で終わった言葉にリウラが疑問の声を上げると、リューナは頷いて続ける。

 

「……ラギールの店では、()()()()()()()()()()

 

 リウラの表情が固まる。

 

 ラギールの店では店主も奴隷として売られている。

 だからこそリューナ達はリシアンサスを買い戻すことが可能なのだが、彼女達とは全く関係のない他人……得意客の1人が彼を気に入り、購入したいと申し出たのだ。

 店主の値段は中規模の(とりで)が1つ建つほど高額であるため、すぐに満額を用意することはできないらしいが、それでも1年かからずに工面(くめん)できるらしい。

 

 この情報にリューナは焦った。

 

 もし(くだん)の得意客に買われてしまったら、弟は帰ってこない。

 だが、まともなやり方では……仮に知り合いという知り合いから借金をしてかき集めたとしても、得意客よりも先にそんな大金を用意することなどできない。

 かといって、リシアンサスを無理やり(さら)うこともできない。魔術で奴隷契約を結ばされている上、契約を結ばせた術者もどこにいるかわからないため、(おど)して解放させることすらできないのだ。

 

 追いつめられた彼女は、その弓と魔術の腕を()かし、次々と盗賊から金品を巻き上げ、賞金首を狩る賞金稼ぎと化した。

 

 共に育った家族であり、親友でもあるヴィアの協力もあり、資金は凄まじい勢いで貯まっていった。

 しかし、それでも砦1つ分の金額を1年で貯めきることは厳しく、リシアンサスを“客”よりも先に購入するためには、2人は自分達の身の丈を超えた賞金首や大盗賊団を狙う必要があった。

 

「……2人には、その超高額の賞金首や、大量の金品を抱える大盗賊団を狩る手伝いをして欲しいんですの」

 

「どうして私達に? 自分で言うのもなんですが、私達はまだ子供ですよ? おまけに実績もゼロ。とてもお手伝いできるとは思えませんが?」

 

 リリィは冷ややかな目で言う。

 

 見た目で言うなら、リリィは10歳前後、リウラは15~16歳程度。

 この世界では子供でも凄まじい実力を持つ者もいるし、子供の姿で何千歳という若作りもいないわけではないが、常識的に考えてこんな物騒な頼みごとをする相手ではない。あやしさ満点である。

 

「……だれも手伝ってくれないのよ」

 

「どういうことですか?」

 

 ヴィアが苦々(にがにが)()に言うと、リリィが眉をひそめる。

 

「私達は少しでも多くのお金を、一刻も早く手に入れなければならない。つまり、金銭的な報酬が約束できないのよ。……にも関わらず危険度は高い。あまりにも割に合わなすぎて、みんながみんな断ってしまう」

 

「……当たり前じゃないですか」

 

 リリィは呆れる。

 

 たしかに事情を(かんが)みれば、1日でも早く、1エリンでも多くのお金を確保する必要がある彼女達にとって、容易に多額の金銭的報酬を約束はできないだろう。

 妥協(だきょう)して高い報酬を与える契約をしてしまえば、危険度の高い仕事をより多くこなす必要があるし、そもそも期間が限られている以上、そんな大仕事をいくつもこなす余裕もないからだ。

 だが、だからといって危険な仕事に対して報酬を確約できなければ、仲間が集まらないのは当前である。

 

 こういう時に頼れるはずのブランは『なんとか金は用意してやるから、へたに動くな』と、危険なことをしないよう、逆に釘をさしてくる始末。当然、マフィアの人員も借りられない。

 しかし、今すぐにでも例の客がやってきて、リシアンサスを買ってしまうかもわからないのに、彼女達はじっとなどしていられなかった。

 

「彼を取り戻したら、必ず相応のお金は渡すから! 何年かかってもちゃんと渡すから! だからお願い、私達を助けて!」

 

(毎回この要領で頼んでたんだ……そりゃあ、誰も引き受けないわ……)

 

 こうした盗賊・賞金首狩りは、即座に大金が手に入ることが最大のメリットである。

 逆に言えば、そのメリットが無ければ誰も()(この)んで、こんな命のやり取りを(ともな)う危険な仕事など引き受けはしない。

 その最大のメリットを『ローンで払うから』と言われて引き受ける者など、まずいないだろう。よほどのお人好しなら話は別だが……

 

 

(……()()()()?)

 

 

 嫌な予感がしたリリィがくるりと首を動かして隣を見れば、ダバダバと涙を流す()()()()水精(みずせい)がそこにいた。

 

(――しまったあああっ! この人達が私達を選んだのは、()()()()()()()()()()かぁっ!?)

 

 きっと告知板(こくちばん)の前でのやり取りを見られていたのだろう。

 リウラが『指輪を盗られた人が、かわいそうだから』と依頼を決め、リリィがそれに頷いたところを見て、“こいつらなら(じょう)で動くに違いない”と思われたのだ。

 

 その後、気配を消してリリィ達を尾行し、オークの盗賊団を倒したところを見られたことで、“実力もある”と判断された。

 

 しかし、オーク達を倒した直後に現れたら、リリィ達を尾行していたことがバレバレだ。そんなことをしたら、リリィ達から警戒されて交渉の難易度が跳ね上がってしまう。

 ただでさえ、彼女達は“マフィアのボスの娘”という、人聞きの悪い肩書を背負っているのだ。ひょっとしたら、話すら聞いてもらえないかもしれない。

 

 だから……おそらく彼女達は、いったん気配を消したまま来た道を戻り、距離を開けてからわざと気配を(さら)し、足音を立てながらリリィ達の元に来たのだろう。そうすれば、『自分達を手伝ってくれるかもしれない人が現れたことを聞いて、“水の貴婦人亭”からすぐに飛んできた』と言い訳ができる。

 

(……けっこう、いやらしい手を使うなぁ。あまり信用しない方が良いかも)

 

 メリットが無い上に危険すぎる依頼。

 おまけに世間知らずの自分達では、彼女達に(だま)される可能性も高い。

 

 姉には悪いが、ここは断ったほうが無難(ぶなん)だろう。

 リリィは断りの文言を口にしようと口を開きかける。

 

 

 

 ――その時、嫌な気配がリリィの全身を包み込んだ

 

 

 

「ぐぅっ!?」

 

「リリィ!?」

 

 突如(とつじょ)として胸を締めつけられるような痛みに襲われ、リリィは胸を押さえてうずくまる。

 

「ちょっと、アンタ!?」

 

「……! ど、どうしたんですの!?」

 

「な、んでもないです……触らないでください!」

 

 様子のおかしくなったリリィに駆け寄るヴィア達を、“今の自分を調べられたら(まず)い”とリリィは慌てて振り払う。

 

 痛みは一時的なもので、すぐに消えた。

 しかし、この症状に心当たりがあるリリィにとって、決して楽観できる事象ではなかった。

 

 すぐさま魔王の魂に検索をかければ、該当するものが1つだけ存在した。

 それは……

 

(魔王様が封印されたときと同質の力……やっぱり人間族が封印の強化を始めたんだ!)

 

 魔王の肉体への封印を強化した影響が、リリィの中にある魔王の魂にまで届いたのだろう。

 

 そしてこれは1回こっきりではない。

 これから毎月1回定期的に儀式が行われ、完成すればリリィは無事ではいられない。それは原作でハッキリと描かれている。

 

(まずい……。この痛み……思った以上に時間が無いかも……!)

 

 リリィは焦る。

 隠れ里を出た直後に立てた“リリィが生き残るための計画”は、原作の内容から“だいたいこれくらいの時間的猶予(ゆうよ)がある”と見積もって立てられていたが、リリィが今まさに体感している現実でも同じように進む保証はない。

 

 この依頼の危険度も依頼人の信頼性もリリィ達にとっては未知数で、通常ならば断わるべきなのだろうが……

 

(相手は表面的には弱い立場を演じている。なら、こっちはある程度強気に交渉できるはず……うまくいけば計画を前倒しにすることも……)

 

 リリィは(しば)し悩み、実質的に“了承”を意味する文言を口にした。

 

「……条件が有ります」

 

 

***

 

 

「待ちやがれ!! このクソガキがああぁぁ!!」

 

「舐めやがって!! 両手両足へし折った後、股座(またぐら)から○○○して、○○○てやらあ!!」

 

(……(こわ)っ! めっちゃ怖っ!!)

 

 冷や汗をたらしながら、リリィは翼を広げ、全力で盗賊達から逃走する。

 

 大量の強面(こわおもて)のおじさんやお兄さんたちが、額に青筋を立てて武器を振り上げて追いかけてくる(さま)は、それはもう『怖えぇ!』の一言(ひとこと)

 

 水蛇(サーペント)ほどの迫力は無いものの、背後から殺気だった声で叩きつけられる“捕まった場合の己の未来予想図”が妙に具体的かつ現実的(リアル)なため、ある意味、水蛇以上に恐ろしい。

 特に対女性ならではの“あれやこれや”は聞くに堪えず、リリィは自分の頭頂部の猫耳を両手で(ふさ)ぎたい衝動と必死に戦っていた。

 

 ときおり飛んでくる投げナイフや魔弾を(かわ)しつつ、盗賊達を引き離さないよう迷宮を飛び続け、リリィは大きな屋敷がすっぽり入りそうなほど広い空間に飛び出した。

 そのまま広間の反対側の端にリリィが到達しようとしたその時――

 

「リウラさん……今ですの!」

 

「よっっっこい、せええぇぇぇっ!!」

 

 広間で待機していたリューナが合図を出すと、隣にいるリウラが力強い掛け声とともに、思い切り何かを引っ張るような動作を行う。

 

 すると、地面を覆う水膜がズルリと真横に(すべ)り、それを踏みしめて走っていた盗賊達は、足を取られて一斉(いっせい)に転倒した。

 

 その隙を見逃さず、リューナが物陰から驟雨(しゅうう)のごとく大量の矢を()びせかける。

 リューナが構える鮮やかな若草色に彩られた弓は、つがえる矢に稲妻を(まと)わせ、射抜いた者を次々と麻痺・昏倒させてゆく。

 

 睡魔(すいま)鳥人(ハルピュア)といった翼を持つ盗賊が、数人(から)くもこの罠を回避する。しかし、罠に気を取られるあまり、飛翔して接近するリリィへの対応がおろそかになって、麻痺毒を塗られた水剣で次々と落とされてゆく。

 

 幸運にも転倒から回復し、なんとか矢を避けて広間を逃げ出そうとする盗賊は、リウラの水壁に(はば)まれて逃げ道を失っていた。そして、いつの間にかヴィアに背後から接近され、短剣(ダガー)柄頭(つかがしら)を首筋に打ち込まれて意識を奪われる。

 

 リリィが広間に突入してからわずか3分足らず。瞬く間に盗賊団は壊滅した。

 

「……こんなに簡単で良いのかな?」

 

 あまりにあっさり片づいたため、肩透かしをくらった様子のリウラが疑問の声をあげる。

 

 ヴィア達の話から想像していたよりも、盗賊達が(はる)かに弱い。

 はたして本当にこれで“大盗賊団”と呼べるのだろうか? 

 

 たしかにリリィとリウラの協力があってこそ、あっさり片づいた側面もあるだろうが、それでもヴィアとリューナの戦いぶりを見れば、そこまで苦労しそうには見えない相手である。

 正直、自分達の協力が()るのか疑わしいくらいだ。

 

「リリィさん。あと何人くらい残ってそうですの?」

 

 リューナが残りの盗賊の数を()くと、リリィは「う~ん……」と(うな)る。

 

「……たぶん、全員()れたと思います。この人達、アジトの中でどんちゃん騒ぎしてたんですけど、そのとき見かけた人達、ほとんど此処(ここ)にいますし……なぜか見張りも警邏(けいら)する人も全然見かけなかったし……」

 

 と、そこまで言って「あ」とリリィが声を上げ、倒れている盗賊達を見やる。

 

「すみません。あと1人は確実に残ってます。……気絶してるかもしれませんが」

 

「どういうことですの?」

 

「首領っぽい人を、思いっきりぶん殴ってきたんです。手加減はしましたけど、そこそこ力を込めたんで意識が飛んでるかも……。殴った後、一目散に逃げてきたんで確認はできなかったんですが……」

 

 盗賊団を狩るためにヴィアが提示した方法の1つが“釣り”である。

 文字通り敵を釣り出して罠を仕掛けた場所までおびき寄せ、一網打尽(いちもうだじん)にするやり方だ。

 問題はより多くの相手を釣る方法であったが、それはリリィが思いついた。

 

 リリィが盗賊達を釣り出すために()った方法は単純だ。

 

 アジトに忍び込んだ後、まず、盗賊団の中で一番えらそうにしている人を見つける。

 大きな稼ぎでもあったのか、陽気に騒いでいる盗賊達の中で1人だけ多くの女性を(はべ)らせている人物がいたので、特定はあっという間だった。

 

 その後、リリィが()びた笑顔と猫なで声で近づくと、ターゲットは何の警戒もせずにリリィを招き寄せた。

 ターゲットが侍らせている女性達も、ライバル……というか、“邪魔者が現れた”という(たぐい)の警戒はするものの、“自分達に危害を加えようとしているのではないか?”という警戒心は微塵(みじん)も感じられなかった。

 

 それも当然と言えば当然。

 

 この世界において“睡魔”という単語は、“淫乱”と同義。“男と見れば飛びついて(くわ)え込む不埒(ふらち)な魔族”というのが共通認識だ。

 彼女達の主食は性行為による精気摂取であるため、あながち間違っているわけでもない。

 

 彼女達との行為は、他の種族では決して味わえない凄まじい快楽を得られるため、お金を払ってでも彼女達と関係を持ちたいという者は少なくない。

 また、睡魔側もお金を継続して払ってくれればありがたいので、こういった相手に対しては精気を吸いつくして殺してしまうことも、まず無い。

 こうしてお金を持っている人のところへリリィが足を運んでも、まったく不自然ではないのだ。

 

 特に魔力を抑えたリリィは、どこから見ても“幼さ故にうまく生活できず、お(こぼ)れに(あずか)ろうとしている睡魔の少女”にしか見えなかった。

 

 あとは簡単。

 笑顔のまま()り寄りつつ、ターゲットのどてっぱらへ“ねこぱんち”。

 

 何が起こったのか分からず盗賊達が固まっている間に、翼を広げて逃げ出せば任務完了。

 荒くれ者の集団である盗賊達は、自分達を舐めきった恐れ知らずの行動に(いた)くプライドを傷つけられ、凄まじい怒号(どごう)とともにその場にいた全員が押し寄せてきた、というわけだ。

 

 その話を聞いたヴィアは、「ふむ」と納得した様子を見せると全員に次の指示を出す。

 

「こいつらのアジトへ向かうわよ! 全員、周囲の警戒を(おこた)らないように! リリィは罠の見つけ方を教えてあげるから、私の(そば)に来なさい!」

 

 リリィが依頼を受ける条件として出したのが、“知識の提供”であった。

 

 魔王の魂からも知識は得られるものの、それらは全て“暴君として”、“凄まじい才を持つ実力者として”の視点で構築されたものであり、一般人が迷宮を生きる上で必要なものは少ない。

 たとえば、“宿の見つけ方”や“値切りの仕方(しかた)”という知識は無く、逆に“物の奪い方”や“尋問の仕方”の知識は存在する、といった具合だ。

 

 契約が完全に終了するまで……具体的には、ヴィア達が約束した報酬をリリィ達に払いきるまでの間、ヴィア達はリリィ達に可能な限り迷宮で生活するうえで必須の知識を提供し、さらにリリィ達から質問を受けたら可能な限り答える、という契約をリリィは持ちかけ、既に追いつめられていたヴィア達は『その程度なら』と即座に了承したのだった。

 リリィの水剣に麻痺毒を塗ってくれたのもヴィアである。

 

 これは、即、リリィの魔力強化に(つな)がるような報酬ではない。しかし世間知らずのリリィ達にとって、それらの基礎的な知識は、リリィの魔力を強化するための行動を支える強固な(いしずえ)となってくれるだろう。

 

 リリィ達を仲間にしたことで余裕ができたのか、ヴィアは弱り切った様子から立ち直り、堂々(どうどう)とリーダーシップを発揮するようになった。

 おそらくは、これが本来の彼女なのだろう。リリィから見て“ちょっと偉そうだな”とは感じるものの、活き活きと動いているこちらの方が好ましいのは確かだ。

 

「ラジャ!」

 

「了解です」

 

 リューナが頷き、リウラ、リリィがしっかり返事したのを確認すると、ヴィアは盗賊団のアジトへと向かう。

 

 その道程で、リリィが殴り飛ばした相手とも、その他の盗賊達とも出会うことはなかった。

 

 

***

 

 

「おっきい……」

 

 リウラがぽかんと口を開ける。

 

 盗賊団のアジトは、朽ちて廃棄された砦跡(とりであと)だった。

 けっこう大きな砦であったため、奪った金品を保管しているであろう蔵も、その扉も大きかった。

 

 なにしろ、扉の上端(じょうたん)が首をほぼ真上に向けなければ見えないくらいだ。

 金品を積んだ台車が何台も一斉に入れるように大きく造ってあるようで、リリィ達のいる空間――蔵の前はちょっとしたグラウンドくらいの広さがある。

 砦など見たことがなかったリウラにとっては、今まで見た中で最大級の建造物だ。

 

「いったい何に使われていた砦なんでしょうね……?」

 

 リリィがそう言って疑問符を浮かべる。

 

 よほどの金持ちでなければ、ここまでの砦は築けまい。

 だがそうなると、誰が何のために造り、こうして廃棄されたのか……その理由が気になる。

 

「ほら、無駄話は後々(あとあと)! (ほう)けてないで周囲を警戒しなさい!」

 

「えっと……入り口はリューナさんが警戒してるし、大丈夫じゃないの?」

 

「見晴らしも良すぎるくらいですしね……」

 

 倉庫の鍵を開けようと鍵穴に向かっているヴィアが、リリィの疑問を遮るように声を出せば、リウラとリリィが『その必要があるのか?』と不思議そうな顔をする。

 

「甘いわよ。この世の中、私達が知らない罠も魔術も魔物も数えきれないくらいあるんだから、“警戒して、しすぎる”ってことはないわ」

 

 そんなものだろうか……? 言われていることは理解できるものの、リウラとリリィはいまいちピンときていない。

 特にリリィはあまりにも盗賊団の手応(てごた)えが感じられなかったため、早くもこの盗賊団を見下し始めている。そこまでの罠や魔術を仕掛けられる相手だとは思えなくなっているのだ。……まあ、“未知の魔物がやってくる可能性”についてはわからなくもないが。

 

 

 

 ――だが、(うわさ)をすれば影が差す

 

 

 

 ゾクリとリリィの背筋が粟立(あわだ)つ。

 

 次の瞬間、全員が顔を真上に向けた。

 突如、その方向から強大な魔力を感じたためだ。この迷宮の上層……ひとつ上の階に強力な魔物か何かが現れたことになる。

 その魔力の大きさは水蛇(サーペント)にも劣っていない。とてもではないが、積極的に戦いたい相手ではなかった。

 

 リリィは敵が聞こえないであろう距離にもかかわらず、思わず声を(ひそ)めてヴィアへ指示を()う。

 

「ヴィアさん……どうしたら……」

 

 良いですか、とは言えなかった。

 

 リリィが言いきる前に、天井が轟音とともに崩落した。

 降り(そそ)瓦礫(がれき)とともに巨大な何かが落ちてくる。

 

「チッ!」

 

「っく!」

 

「うわぁっ!!」

 

「……!!」

 

 ヴィアとリリィが素早く跳び退(すさ)り、リウラが声を上げながら慌てて水壁で瓦礫の雨を遮りつつ、後ろへ跳んで大きく距離を取る。

 リューナは瓦礫が落ちてこない位置へ素早く退避すると、落ちてきた“何か”へ向けて弓を構えた。

 

 

 リリィ達の視線の先――落ちてきた“何か”はゆっくりとその巨体を持ち上げる。

 

 

 身長10メートルはあるだろう“ソレ”は、言うなれば、真っ黒で巨大な西洋の甲冑(かっちゅう)……フルプレートアーマーだ。

 その身の丈ほどもあろうかという長さの両刃(もろは)の大剣を右手に持ち、(かぶと)の瞳と(おぼ)しき部分は不気味な赤い魔力光(まりょくこう)で輝いている。

 

「ゴ……ゴーレム……?」

 

 リリィが落ちてきたモノの正体を口にする。

 

「……ただのアイアンゴーレムじゃないですの……皆さん、気をつけるですの……!!」

 

 リューナがゴーレムを(にら)みつけながら続ける。

 その青玉の瞳はゴーレムを覆う黒色の装甲――それらに彫り込まれた魔術紋様を映していた。

 

 

***

 

 

 意思を持つ岩の巨人兵、それがゴーレムだ。

 

 “意思がある”といっても、創造主に魔術的に縛られているため、自由は無い。

 “主から(くだ)された命令を、自律的にこなすことができる”という意味であり、“岩でできたロボット”と思えば間違いはない。

 

 その重量から動作はやや(にぶ)いものの、抜群のパワーと防御力を誇り、弱点さえ突かれなければ、練度や武装にもよるが小規模の軍隊程度なら単体で殲滅できる力がある。

 おまけに少々のダメージならば、周囲の地面から土を吸い上げて傷を埋めてしまうため、一定以上の火力が無ければまともに戦うこともできない。

 

 そして、それをさらに強化したものが“アイアンゴーレム”である。

 

 この名前だけ聞いたら、“岩の代わりに鉄で(つく)られたゴーレム”と考えてしまうだろうが、実際のところは違う。

 そもそも、仮に全身が鉄でできたゴーレムを創った場合、重量がさらに増加して動作が通常のゴーレム以上に鈍くなってしまう。そうなれば、それは唯の巨大な木偶(でく)でしかない。

 では、どうすればゴーレムに(はがね)の強度を持たせることができるだろうか?

 

 

 答えは単純(シンプル)――()()()()()(よろい)()()()()()()()()()

 

 

 鎧の分だけ重量が増加するが、全身を鋼鉄で創るよりは遥かに軽い。この程度なら、戦闘可能な程度の俊敏さは維持できる。

 “ギアゴーレム”、“鉄兵”、“闇の儀仗兵(ぎじょうへい)”など、製法によって呼び方は変化するが、大本(おおもと)のコンセプトは皆同(みなおな)じだ。

 

 そして、“ゴーレムに鎧を着せる”というのは、それ以外にも、とても大きなメリットがあった。

 

「リューナさんッ!」

 

「分かってますの……!」

 

 リリィが突き出した両手の前に、紫に輝く魔法陣が現れる。

 同時に、リューナが精神を集中して詠唱を開始した。

 

 わずかに間をおいて、ほぼ同時にリリィとリューナの魔術が発動する。

 

 

 ――純粋魔術 烈輝陣(レイ=ルーン)

 

 ――火炎魔術 熱風

 

 

 リリィの魔法陣から(まばゆ)い純粋魔力のレーザー砲が放たれ、リューナが右手をゴーレムに向けると、ゴーレムが炎を伴った高熱の竜巻に飲み込まれる。……しかし、

 

「えっ!?」

 

「うそっ!!」

 

 リリィとリューナが大きく目を見開く。

 鉄の巨人は、リリィの放つ魔力の光線を軽々と弾き、リューナの操る炎と風の鎌鼬(かまいたち)()にも(かい)さず、その右手の巨大な剣を振り上げた。

 

「全員回避―――ッ!!」

 

 ヴィアの言葉に正気を取り戻した2人が、バッと横へ飛び跳ねると、そこに柱のような長さの剣が叩き込まれ、地面を大きく砕き散らした。

 

「なんなんですかアレ!? どうなってんですか!!」

 

「……たぶん、あの鎧が特殊なんだと思いますの。魔術を弾く特注品……といったところですの?」

 

「うげっ!?」

 

 リューナの答えに、リリィは(うめ)いた。

 

 冗談ではない。軍隊すら相手どれるはずのゴーレムが、この世界でさしたる脅威とみなされないのは、彼らが共通して“非常に魔術的に(もろ)い”という弱点を持っているためだ。

 

 岩や鉄でできている分、物理的には強固なのだが、いかんせんそれを覆い、魔術的に防御するための魔力が無い、もしくは足りない場合がほとんどなのだ。

 そこまでしてしまうと、単純に作成するコストがかかり過ぎてしまうからである。

 

 だが、このゴーレムのように特殊な武器防具を装備している場合、話は別だ。

 そして、これこそが鎧を着せるというメリットの1つである。

 

 この世界には呪付鍛錬(じゅふたんれん)――(ぞく)呪鍛(じゅたん)と呼ばれる魔術付与(エンチャント)技術が有り、武器や防具に魔術的な効果を与えることは、決して珍しいことではない。

 充分な資金さえあれば、ゴーレム用の特大サイズの呪鍛装備を作成してもらうことは可能だ。

 

 そして、それらをゴーレムに着せ、持たせれば、特殊能力を持つゴーレムの一丁上(いっちょうあ)がり。

 魔術攻撃という弱点がなくなった上、どんな特殊能力を使ってくるかわからない、でかくて堅くて重い敵……悪夢である。

 

「みんな、少しだけそのゴーレムの相手してて! その間に解錠して必要な分だけお宝かっさらうわ!」

 

 ヴィアが全員に指示を出す。

 

 いくら倒すのが難しい相手であろうと、ゴーレムである以上、動作が鈍いことには変わらない。

 わざわざ必死こいて倒さずとも、宝を(かつ)いでさっさと逃げてしまえば、振り切ることは充分に可能だ。

 

 リリィ達が納得し、一斉にヴィアに返事を返した直後、

 

 

 

 ――リリィの頭上に影が差した

 

 

 

「――ッ!?」

 

 反射的に翼を広げ、真横に飛ぶ。

 ズシン……! と大きな音を立てて、先程までリリィがいた場所を(はがね)の足が踏みしめていた。

 

(速い――!?)

 

 横へ飛んだ勢いのまま90度方向転換し、真上へと飛ぶと、今度は巨大な剣が空振(からぶ)った。

 

 通常、身体のサイズが大きくなればなるほど、稼働する腕や足の移動距離が長くなるため、動きはスローモーションに感じられるはずだが、まるで人間サイズの敵を相手にしているかのような、信じられない速度である。

 

 上空へ退避したリリィは、ある事実に気がついた。

 

「何……あの、魔力……?」

 

 愕然(がくぜん)とした表情でリリィは言葉を失う。

 ゴーレムが鈍いのは、重い身体をギリギリ動かせるだけの魔力しか保有していない場合が多いからだ。

 だが、何にでも例外はある。高い魔力を(そな)えたゴーレム、というものも、めずらしくはあるが、決して存在しないわけではない。

 

 目の前のゴーレムは、現れた時以上の……すなわち、あの水蛇(サーペント)すらも超える魔力を、全身からなみなみと溢れさせていた。

 これならば、サイズ差を無視したかのような、あのスピードも頷ける。

 

 そして、その事実は、ゴーレム自身の防御力も半端(はんぱ)ではないほど魔力強化されているということも同時に示しており……ヴィアの解錠を待たぬ即時撤退を、リリィは本気で検討し始める。

 

 ――そこへ、リウラの気合の入った掛け声が響いた

 

 

 

「そいやっ!」

 

 バクンッ!

 

 

 

 ゴーレムの左脚から奇妙な音が聞こえる。

 唖然(あぜん)とするリューナの視線の先で、ガランガランと間抜けな音を立てて黒色の板金(ばんきん)が床を叩いた。

 

 

「ええええええぇええええええぇえええっ!?」

 

 リリィが目を真ん丸にして大声を上げる。

 

 リウラは、ゴーレムの鎧をすり抜けるように水を侵入させ、内側から()()(はず)して見せたのだ。

 おそらく、魔術を弾くのが鎧の外側だけだからこそできた芸当だろうが、すばやく動き回る鎧の隙間を、よくもまあすり抜けたものである。

 まさか、姉の解錠技術がこんなところで役に立つとは……人生、どんなところで何が役に立つか分からないものだ。

 

 ゴーレムは、この場で最も魔力が高いリリィよりも、己の防具を()がすリウラの方を脅威と感じたのか、グルリと頭を動かし、亡霊のように不気味に光る眼でリウラを見つめる。

 

 

 すると、兜の横についていた4本の筒のようなものがガチャンと音を立てて動き、その先端をリウラへと向けた。

 

 

「へ?」

 

「お姉ちゃん、逃げて!」

 

 ドガガガガガガガガガガガガッ!!

 

「うひょわああああぁああああっ!?」

 

 降り注ぐ弾、弾、弾……頭部に取りつけられた筒――いや、銃口から雨霰(あめあられ)(おそ)()る魔弾の嵐に、リウラは短距離走者(スプリンター)も真っ青の素晴らしいフォームで必死に逃げ回る。

 

 先程から水壁を張っているのだが、まるで紙のごとくあっさり破かれており、リウラの表情が恐怖でヤバいことになっている。

 

 ガガオォンッ!

 

 轟音とともに機関銃が停止する。

 リウラが振り返ると、4つの銃口すべてから煙を吐き出している兜をリューナへ向けるゴーレムと、それに向けて弓を構えるリューナの姿があった。

 どうやら、銃口すべてに魔力を込めた矢を放ち、魔弾を誘爆させたようだ。

 

 すると、今度はリューナめがけてゴーレムが歩き始める。

 ゴーレムからかなり距離を取っていたはずなのだが、見る見るうちにその距離が削られてゆく。

 リューナが全力疾走でゴーレムから距離を取ろうとしているが、“誤差の範囲”と言わんばかりのスピードである。

 

 それを黙って見ているリリィではない。

 数瞬だけ考える様子を見せた後、すぐに魔王の魂から必要な知識と経験を自分の魂へ落とし込む。

 

 そして、右手を高く(かか)げ、全員に大声で呼びかけた。

 

 

雷撃(らいげき)、いきます! 全員、気をつけてください!」

 

 

 ゴーレムに最も有効な魔術は何か? ……答えは電撃である。

 

 ゴーレムの身体は基本的に土や岩石・金属などの電気を通す物質でできている。つまり物理的な衝撃は通りにくいが、電気は素通りしてしまうのだ。

 

 すると、ゴーレムの身体を動かしている核――そこに宿(やど)る、魔術で意思を縛られた精霊に直接ダメージを与えることになり、結果、わざわざ固い身体を破壊しなくても簡単に無力化できる。

 ロボットに過電流(かでんりゅう)を流して、内部のコンピュータを故障させる様子をイメージしてもらえば分かりやすいかもしれない。

 

 ゴーレムの纏う鎧は魔術を弾いてしまうだろうが、リウラによって装甲が剥がされた左足だけは別だ。そこから雷撃を流し込めば、機能停止に追い込める可能性は高い。

 

 

 

 ――ゴーレムに背を向けて走っていたリューナは、リリィの声を聞いた瞬間、走ったまま弓を手放し、長く尖ったエルフ耳を両手で覆う

 

 ――ヴィアは解錠作業をいったん中止し、ゴーレムに背を向けてしゃがむと、頭頂部の猫耳を両手でグッと押さえ込み、両目を閉じて口を半開(はんびら)きにする

 

 ――リウラは迷宮ではまず見ることの(かな)わない(かみなり)を見れると知り、「おおっ!」と目を輝かせる

 

 

 

 次の瞬間、ゴーレムの頭上から轟音とともに巨大な(いかずち)が降り注いだ。

 

 

 

 事前にシズクから“魔術によって強化された雷の脅威”を習っていたにもかかわらず、好奇心に負けてその事をうっかり失念したリウラは、リリィの強力な魔力で放たれた(いかずち)を直視。

 

 結果、その雷光と轟音に両目両耳を潰された彼女は、「目が~!! 耳が~!!」と涙を(にじ)ませた目をギュッと(つむ)り、両耳を押さえて床をごろごろと転がりながら(もだ)えることになった。

 

 遠くから「床に寝るな!! 感電するわよ!!」というヴィアの叱責(しっせき)が飛ぶも、耳がやられたリウラには聞こえちゃいない。

 

 一方、この4人の中で飛びぬけて大きな魔力を秘めた肉体を持つリリィは、この程度の(まぶ)しさや音で視覚や聴覚が麻痺したりはしない。

 まぶしさに目を細めながらも、しっかりとゴーレムの様子を観察する。……しかし、

 

 ――グルリ

 

 ゴーレムは何の痛痒(つうよう)も感じさせない様子で、リリィへと振り返った。

 それもそのはず。

 

(――魔術結界か!!)

 

 対攻撃魔術用の結界が、露出した左足を含めてゴーレムを覆うように発動していたのだ。

 鎧かあるいはゴーレムそのものかは分からないが、どこかに魔術結界を発動させる装置があるようだ。

 

 だが、手が無いわけではない。

 魔王の知識を持つリリィが見たところ、張られている結界は明らかに対()()魔術に特化したもの。だからこそ、攻撃意思のないリウラの水には反応しなかったのだろう。

 攻撃以外の魔術が通用するのなら、なにか手はあるはず……そうリリィが考えていると、いまだ()まない電撃の中で、鉄の巨人はリリィに向かってその大きな左手を真っすぐに突き出した。

 

 バクンッ!

 

 左腕の装甲が、花弁(かべん)のように四方(しほう)に開く。

 

 リウラではない。リリィの強力な電撃魔術の中で水弾を維持できるほど、彼女の魔力は高くない。

 だとすれば、これはゴーレム自身の意思で行ったことだ。いったいなぜ?

 

 

 

 ――その疑問は、花弁1枚1枚の装甲の内側にある()()が輝きを()びることで氷解(ひょうかい)した

 

 

 

「嘘ぉぉぉぉおおおおっ!?」

 

 原作知識を持つリリィにとって、見覚えのありすぎる特徴的な砲撃体勢。それを見て、ようやくこのゴーレムが纏う鎧の正体を理解した彼女は、雷撃を中止し、大慌てで宙を飛翔して回避行動に移る。

 

 

 ――魔導鎧(まどうよろい)

 

 アヴァタール地方の五大国家が一つ、メルキア帝国が国を()げて研究している、魔焔(まえん)という燃料を動力として稼働する兵器――魔導兵器(まどうへいき)の一種である。

 

 その特徴は、鎧に仕込まれた砲門。

 “魔導砲撃”と呼ばれる特殊弾頭を(もち)いた砲撃は、通常の大砲とは比べ物にならない威力を誇り、鎧の出来(でき)や使い手の技量によっては、魔神……(よう)は、魔王と同格の相手との戦闘も充分に可能、というデタラメな性能を持つ。

 

 ジュオウッ!!

 

 だが、どうやらその大砲すら特殊らしく、出てきたのは実弾ではなく極太(ごくぶと)の熱線砲であった。

 

 どこぞのSF映画を彷彿(ほうふつ)とさせるビーム兵器はリリィの翼をかすり、砦跡を破壊……いや、()()させた。

 リリィの烈輝陣(レイ=ルーン)を軽々と上回るその威力を見るに、たとえリリィの強力な魔力で張られた結界の上からであろうと、当たれば即座にあの世行き確定だ。

 

 だが、ゴーレムに着用させる魔導鎧など、聞いたこともない。

 ひょっとしたら個人で研究開発している誰かの作品かもしれないが、ハッキリ言って、ただ剣と拳を振り回すだけの岩人形に着せるよりも、一流の戦士に着せた方がよほど戦力になるだろう。

 完全に趣味の領域だ。採算度外視(さいさんどがいし)にも程がある。

 

 ドゴォンッ!

 

 轟音が響くと同時、グラリと巨人がバランスを崩す。

 鎧が外されて()き出しになった左足を、リューナが魔力を込めた矢で破壊したのだ。

 

 どうやら魔術は遮っても、魔力を込めた物理攻撃なら通してしまうらしい。

 ゴーレムが体勢を崩したことで魔導砲撃がやみ、リリィが自由を取り戻す。

 

「はぁぁああああっ!」

 

 リリィの魔力を込めた拳打が、ゴオン! と重い音を立ててゴーレムの顔面に衝突する。兜にくっきりとリリィの拳をかたどりながら、ズウン……と重々しい音を立てて、ゴーレムは倒れる。

 

「ヴィアさん! 解錠はまだですか!?」

 

「ごめん! 魔術的なロックがかかってるから、もう少しかかる!」

 

「『もう少し』って具体的には!?」

 

「5分……いや、3分!」

 

 3分……()()を相手に3分?

 

 

 

 

 ……………………………………。

 

 

 

 

「1分で終わらせてください!!」

 

「ムチャ言わないでよ!!」

 

「どっちがムチャ言ってんですか!!」

 

 

 ジャララララララ!!!

 

 ゴオン!!

 

 リリィとヴィアが言い争っている間に起き上がろうとしたゴーレムが、巨大な水の鎖に(から)みつかれ、そのまま地面に引き戻される。

 

 涙目のリウラが左手で耳を押さえ、右手をゴーレムに向けていた。

 どうやら何とか戦闘ができる程度には視力・聴力が回復したらしい。

 

 だが、地面に縛りつけたゴーレムはグググ……と身体を起こしつつある。

 全身にまんべんなく水鎖をかけているため、そうとう力が入りにくいはずなのに身体を起こせるということは、それだけリウラの魔力とゴーレムのパワーに開きがある、ということだ。

 このままでは、またゴーレムに暴れられてしまう。

 

(――魔力をとんでもなく消費しちゃうけど、仕方ない)

 

 リリィは素早く胸の前で次々に印を結ぶと、高らかに詠唱した。

 

 

 

(くら)き愛を()べる淫魔(いんま)イルザよ。その(あで)やかなる(かいな)で、無垢(むく)なる幼子(おさなご)らを抱き()めよ!≫

 

 

 

 バヂィッ!!!

 

 突如、ゴーレムが紫の稲妻に包まれる。

 

「うわっ!!」

 

 驚いたリウラが一瞬水鎖の力を緩めてしまうが、ゴーレムが起き上がる様子はなかった。

 よく見ると、ゴーレムを包む稲妻はまるでゴーレムに絡みつき、その動きを縛っているように見える。

 

「あ……」

 

 リウラがその稲妻から感じる魔力の波長から、これがリリィの魔術であると悟ると視線を上へと向ける。

 そこには瞳を閉じ、印を結んだ状態で魔術に集中するリリィの姿があった。

 

 

(くぅ~~っ……! 予想はしてたけど、魔力がガンガン減ってる……!)

 

 ――魅了魔術 イルザの束縛術

 

 淫魔イルザの力を借りて、敵を縛る魔術だ。

 その真価は敵を魅了することによって、精神的にも相手を縛れることなのだが、既に意思を魔術によって縛られているゴーレムを魅了することはできない。

 

 しかし、原作において、どんな敵であろうとザコであればこの魔術で縛ることができたように、単純に相手の動きを封じる技としても非常に優秀な魔術だ。

 “この魔術であれば、ゴーレムの動きを封じることができるはずだ”という、リリィの判断は的中し、見事に動きを封じてみせた。

 

 しかし、いかに力が入りにくい体勢で縛った上で、かつリウラの水鎖による援護があろうとも、元々の出力はリリィよりもゴーレムが上。

 その凄まじいパワーに対抗するため、リリィの魔力が、まるで湯船(ゆぶね)(せん)を抜いた湯のように勢いよく減ってゆく。

 

 

「……開いた!」

 

 所要時間2分強。

 なんとかリリィとリウラがゴーレムを抑えきると、扉が重々しい音を立てて開いていく音が聞こえる。ヴィアが蔵の解錠に成功したようだ。

 

 リウラが視線を向けると、その姿は既に蔵の中へと消えていた。

 

 ヴィアの気配が蔵の中で素早く動いているところを見ると、本当に価値のある物だけを(かた)(ぱし)から袋に放り込んでいるようだ。

 おそらく、あと1分もしないうちに撤退の指示が出るだろう。ゴーレムが落ちてきたときはどうなるかと思ったが、なんとかなりそうな状況にリリィとリウラは胸をなでおろした。

 

 気持ちに余裕ができたリウラは、『さあ、もうひと頑張り』と改めて水鎖に魔力を込めようとする。

 

 

 

<……テ>

 

 

 

(え?)

 

 リウラの意識の(はし)に何かが引っかかったような気がした。

 リウラが戸惑(とまど)っている間に、今度はより強くその“何か”を感じる

 

 

 

<……ィ……ケ……>

 

 

 

(……声?)

 

 あたりにはゴーレムが身体を起こそうと暴れる音と、それに対抗するリウラの水鎖が(きし)む音、さらにはリリィの束縛魔術が起こす放電音のような音で溢れかえり、大声で話しても聞こえづらい状況だ。

 

 にもかかわらず、リウラには弱々しく小さな声が聞こえる。

 リウラはその特異な状況に、ついその“声”に集中してしまう。

 

 

 

<……クル……タス……ィタイ>

 

 

 

 集中すればするほど、声はより大きく明確に聞こえる。

 リウラの脳裏(のうり)に響くその声は、すぐにハッキリと聞こえるようになった。

 

 

 

 

<……イタイ、イタイ! ……タスケテ……クルシイ……!>

 

 

 

 

 “声”は延々(えんえん)それだけを繰り返していた。

 苦しさと悲しさに満ち溢れたその声を聴いたリウラは、胸が締めつけられるような感覚を覚える。

 

「誰!? どこにいるの!?」

 

「お姉ちゃん!?」

 

 リウラが条件反射のように大声を上げて“声”に問いかける。

 しかし、“声”が繰り返す内容に変化はなく、ただ『助けて』『苦しい』と繰り返すだけだった。

 

 リウラは相手からの返事を諦め、さらに“声”に集中し、その出所(でどころ)を探ろうとする。

 これが魔力をもとにした発声やそれに(るい)するものであれば、魔力を探知して場所を探ることができるはずだからだ。

 

 そして、気づいた。

 

 魔力は感じられなかった。それでも、リウラは察知した。

 理由は分からない。だが、リウラの感覚は明確に“声”が発せられている場所を指し示した。

 

 

 

 ――その場所は……()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 目の前のゴーレムが苦しんでいる……この状況をリウラは()()()()()()()()()()()()()()

 

 なぜならリウラの感覚は、“声”がゴーレムに縛りつけられている感触を(とら)えていたからだ。無理やりゴーレムに(くく)りつけられ、ゴーレムが動こうとする度に悲鳴を上げているように感じられたからだ。

 リウラのイメージではむしろゴーレム()苦しめられているように見える。まるでゴーレムが“声”を利用……いや、“()()(にえ)()()()()()()()()()()()、そんなおぞましいものに思えた。

 

 

 ――助けたい

 

 

 リウラは思う。

 こんなにも苦しそうな声は聴きたくない。すぐにでも助けてあげて、『もう大丈夫だよ』と抱きしめてあげたい。

 

 だが、どうしていいのか分からない。

 何が原因なのかすら分からない。

 

 (さいわ)い、ここにはリウラよりも遥かに外の世界に詳しい人物が3人もいる。リウラは迷わず彼女達を頼った。

 

「みんな! 聴いて!!」

 

「お姉ちゃん?」

 

「リウラ?」

 

 リリィとリューナは、突然声を上げたリウラに“どうしたのだろう”と顔を向ける。

 

「声が聞こえるの! ゴーレムの中から『助けて! 苦しい!』って!!」

 

「私、この“声”の人を助けたい! お願い、力を貸して!!」

 

 リリィは悟る。リウラが聞いているのはゴーレムを動かしている精霊の声だ。

 

 地の精霊は、エルフなどによって召喚された場合、土塊(つちくれ)の身体を持つ精霊――土精(つちせい)アースマンとして顕現(けんげん)する。こちらは、善意の協力者やお手伝いさんというイメージに近く、土精の意思にそぐわない内容であれば、創造主の“お願い”を拒否することも可能だ。

 

 ところが、人間族や魔族が彼らを利用する場合、創造体(そうぞうたい)……いわばロボットとして、土人形であるアースマンや岩人形であるゴーレムを創り上げ、そこに動作プログラムとして精霊を封じ込め、その意思を魔術的に縛ることで、作成者の命令を遵守(じゅんしゅ)させるのが一般的だ。

 

 目の前のアイアンゴーレムは間違いなく後者である。そうでなければ、『助けて』なんて言いながらこちらを攻撃してくるはずがない。

 そして、精霊が苦しんでいるのは、おそらく本来の許容量を超えて、過剰に魔力を注がれて暴走しているから。だから通常のアイアンゴーレムでは有り得ないほどの魔力を溢れさせているし、その膨大な魔力に耐えられない精霊の苦しむ声がゴーレムの中から聞こえる。

 

 

(……え? ()()()()()()()()()()()?)

 

 

 リリィは気づいた。()()()()()()()()

 

 リウラやティア、ロジェンのように人の姿をとってしゃべるならば話は別だが、そうでない精霊の声は、その属性に近しい者でなければ聞き取れない。水精ならば水の、土精ならば地の精霊の声しか聞き取れないのだ。

 

 睡魔族(すいまぞく)であるリリィは闇の精霊と親和性が高いため、闇の精霊の声ならば聞き取れるが、地の精霊の声は聞き取れない。全属性の精霊の声が聞き取れる種族など、エルフくらいである。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 考えられるのは……なんらかの罠か、それとも()()()()()()()、だ。

 普通なら後者の可能性など考えもしないが、目の前で肉を美味しそうに食べ、()のままに水の(ころも)を変化させる、水精としては異常な姉の姿をリリィは見ている。可能性は決して低くない。

 

 たしかめる方法は――ある。

 

「リューナさん! お姉ちゃんの言ってること、本当ですか!」

 

 そう、エルフならば地の精霊の声は聞き取れるのである。リューナが耳を澄ませるような様子を見せると、眉をハの字にして言った。

 

「……たしかに、苦しんでますの……でも……」

 

「撤退よ! リリィ! リウラ! 逃げながらぎりぎりまで縛ってなさい!」

 

 リューナの声を遮るように、ヴィアの声が響き渡る。

 ちょうど作業が終わったらしく、蔵の扉から姿を現していた。金品が入っているのか、大きな巾着(きんちゃく)タイプの袋を背負っている。

 

「待ってください! お願いです! このゴーレムの中の子を助けてください!」

 

「……そいつを助けるのに、私達の命を懸ける理由がどこにあるってのよ! 見捨てなさい!」

 

「嫌です! ヴィアさんは、この苦しそうな声が聞こえないから、そんなことが言えるんです!」

 

 ヴィアとリウラの言い争いを聞きながら、リリィは焦っていた。

 

(まずい……このままじゃ魔力が持たない……!)

 

 束縛魔術でずっとゴーレムを抑えていたせいで、だいぶ魔力を失ってしまった。まだ余力はあるものの、このままではすぐに魔力が()きる。逃げるにしろ、助けるにしろ、早急に決定しなければ、全員の命が危ない。

 

 リウラとヴィア、どちらが説得しやすいか……リリィは頭の中で天秤(てんびん)にかける。答えはすぐに出た。

 

「リューナさん! 仮に助けるなら、どうすればいいですか!」

 

「リリィ!」

 

 ヴィアがリリィを睨みつけるが、リリィはそれを無視する。

 こうなった姉がいかに頑固であるか、リリィは身をもって知っている。言葉だけでリウラを納得させることは不可能と考えていい。そんなヴィアを尻目に、酷く戸惑う様子を見せながら、リューナは解決策を口にした。

 

「……ゴーレムの身体を、いったん破壊する必要がありますの。中に魔制珠(ませいだま)……精霊が入った核があるはずだから、それさえ取り出せれば……」

 

「!? リュー、アンタも何言って……!?」

 

 ドガアアァッ!!

 

 まさか、親友までリウラの側につくとは思ってもみなかったヴィアは、その表情を愕然とさせる間もなく、回避行動を()いられた。視線の先には、あのゴーレムが使っていた巨大な剣。リリィを狙うように放たれた斬撃の延長線上にいたヴィアが巻き込まれたようである。

 

 彼女の隣では、ヴィアと同様に斬撃を回避したリリィが驚愕の表情で、ゴーレムを見ていた。リリィの集中が途切れ、魔術が中断されたため、リウラの水鎖をギギギとゆっくり持ち上げて身を起こしていくゴーレムの右の手元……そこには、大剣の()()()が握られていた。

 

「まさか……」

 

「そのまさか、みたいですよ……」

 

 冷や汗を流すヴィアとリリィの隣に鉄壁の如く打ち込まれた刀身が、フッと輪郭(りんかく)をぼやけさせた。すると、刀身は鉄色の霧となって渦を巻き、ゴーレムの持つ()へと集まり、再度刀身を形成する。

 どうやら、あの剣は持ち主の意思で霧となり、独自に攻撃できるらしい。たかがゴーレムにいったいいくらかけているのか……創造主の正気と資金量を疑うリリィであった。

 

 バキィィンッ!!

 

「ッ~~~!!」

 

 リウラの水鎖が砕け散り、水しぶきとなって(あた)りに散る。

 自由を得たゴーレムは、立ち上がるとゆっくりリリィ達へと振り返り、彼女達を睥睨(へいげい)する。リューナに砕かれたはずの左脚も、いつのまにか周囲の土を吸い上げて再生させていた。

 

「リリィ、もう一度あのゴーレムを縛れる?」

 

「……もう一度アレをさっきの体勢に戻せれば……リューナさん、もう一度あの足、砕けます?」

 

「……できるけど、あまりしたくありませんの。かなり魔力を込めなきゃいけないですから」

 

「……なら――」

 

「リュー」

 

 リューナ達の作戦会議を、ヴィアが彼女の愛称(あいしょう)を呼んで遮る。その疑念に満ちた鋭い視線は、不安定に()れるリューナの眼を真正面から(つらぬ)く。

 

()()()()()()()?」

 

「……後で、話しますの……」

 

 主語・目的語の一切(いっさい)(はぶ)いたその言葉のやり取りに、リリィは眉をひそめる。ヴィアは、しばしリューナの()らされた瞳を見続けた後、大きく溜息をついて言った。

 

「……わかったわよ。とりあえず、今回はリューに従うわ」

 

「……ごめんなさい、ですの」

 

 リューナは(わず)かに(まぶた)を伏せ、謝罪する。

 直後、4人が散開。先程4人が集まっていたところに、ゴーレムの熱線が突き刺さる。凄まじい熱量とともに地面が蒸発し、空中で再凝固して土埃(つちぼこり)の雨が降り注ぐ。

 

「お姉ちゃん、リューナさん、ヴィアさん! アイツの動きを少しだけでいいから止めてください! そうすれば、私がアイツの身体を砕きます!」

 

「わかった!」

 

「……魔制珠(ませいだま)の位置は、おそらく鳩尾(みぞおち)(あた)りですの。それだけは砕かないように注意してほしいですの」

 

「……」

 

 リリィの頼みに、リウラとリューナが返事する。ヴィアは溜息をつきつつ、後ろ腰から2本の短剣(ダガー)をそれぞれの手で引き抜くことで、了承の()を示した。

 

「ヴィアさん。手袋、貸してくれませんか?」

 

「?」

 

 ヴィアは疑問に思いながらも、短剣(ダガー)逆手(さかて)で持ったままポーチから厚手(あつで)の手袋を引き抜き、リリィに放る。リリィの水剣に麻痺毒を塗布(とふ)した際に、自分の手に毒がつかないよう()めていた手袋だ。

 

「ありがとうございます!」

 

 手袋を受け取ったリリィは、迷いなく蔵の中へと飛び込んでゆく。

 それを横目でチラリと見ながら、ヴィアは言った。

 

「……どうやって、アレを砕く気かしらね?」

 

「わかりませんの……けど、私はあの子を信じますの」

 

 リューナの台詞(せりふ)に、信じられないとばかりにヴィアの眼が大きく見開かれる。

 

 親友がショックを受けていることを感じながらも無視し、リューナは口の中で何事かを(つぶや)く。すると、残り少なくなっていた矢筒に、どこからともなく矢が現れて補充される。そこからリューナは矢を数本引き抜いて構えた。

 

「……とりあえず、今のところは黙って従ってあげるわ。――リウラ。アンタ、あの鎧全部ひっぺがしなさい」

 

「うえええぇぇえっ!?」

 

 さらりと振られたムチャぶりに(おのの)くリウラを尻目に、ヴィアはゴーレムに向かって走り出す。

 

 ――その瞳には、隠しきれない苛立ちの色があった

 

 

***

 

 

 蔵の中に駆け込んだリリィは、ざっと辺りを見渡す。

 

 探すのは(はがね)でできたもの。それもミスリル(こう)のように樹液を硬質化させたようなものではなく、純粋な金属で、できる限り丈夫(じょうぶ)なものだ。

 魔力が(かよ)っていれば、なお良い。通っていないものよりも何倍も頑丈である場合が多いからだ。

 

 簡単な探査魔術を使って大雑把(おおざっぱ)に当たりをつけると、最も強い魔力を放つ短剣を(つか)んで蔵の外へ走り出す。

 

 大きな扉を潜り抜けたリリィは、ゴーレムとリウラ達が戦っている様子を見ると、彼女達からなるべく離れるように距離を取り、準備を始めた。

 

 

 空中に指を走らせ、淡い紫に輝く光の線を描き出す。

 走り書きをしているかのように素早く、しかし複雑かつ精緻(せいち)に描かれるそれらは、リリィを囲むように設置された立体型の魔法陣。

 球状に書き(しる)したそれを描き終わると、さらにその内側に……球が積層状(せきそうじょう)になるように次の魔法陣を描いてゆく。

 

 バチィ!!

 

 魔法陣を描き終わると、リリィの前方の空間に一瞬だけ放電が起きる。見えない筒を覆うように走ったそれは、その位置に目に見えない強力な力場が発生したことを示すもの。

 

 ――すなわち、()()の完成である

 

 リリィは、ヴィアから借りた手袋を右手にはめると、その手に短剣を持ち、まるで銃で狙いをつけるように短剣をゴーレムに向けて半身(はんみ)に構える。

 

 リリィは深呼吸をすると、瞳を閉じて精神を()ぎ澄ませた。

 

 

 

 

 

 グルンッ!

 

(((!?)))

 

 ヴィア達と戦闘していたゴーレムが、これまでにない勢いで振り向いた。

 その視線は、ヴィア達を素通(すどお)りして、はるか後方――リリィの魔力が感じられる位置。急速に増大したリリィの魔力に反応していることは明らかであった。

 

 これまでの戦闘でも薄々感じられていたことだが、このゴーレムには明確に優先して狙うべき対象が設定されている。

 防具を剥ぎ取った瞬間にリウラを狙い、雷撃(らいげき)を放とうと魔力を高めたリリィを狙い、足を破壊したリューナを狙う……といったように、その時点で最も脅威と感じる相手を攻撃対象に定めているようなのだ。

 蔵に入った相手を優先させずに、脅威度を優先している理由は不明だが、このままではゴーレムの破壊準備を進めているリリィが狙われてしまう。

 

 リリィを除いた3人は、同時に己がすべきことを自覚し、即座にそれを行動に移した。

 

 ――リューナは、弓を背に収めながらリリィの元に走りつつ、リリィの魔力を隠す魔術の詠唱を開始する

 

 ――ヴィアは、全身に闘気(とうき)(みなぎ)らせて、むき出しになったゴーレムの左足へ両の短剣(ダガー)を叩きつけ、リリィへと向かう移動を封じる

 

 

 ――そして、リウラは……

 

 

 ヴィアがゴーレムに(ひざ)をつかせることに成功し、リューナが魔力遮断の結界を張ってリリィの魔力を覆い隠した直後、濃密な霧が発生した。

 

 魔力を伴ったその霧は、リリィ達の姿も気配も覆い隠し、あたり一面を白に染める。

 左足を再び再生させながら身を起こしつつ、とまどったように動きを止めたゴーレムの、胸の位置から前方約5メートル先の地点……そこがパッと油に石鹸水(せっけんすい)()らしたかのように霧が晴れ、中から半透明のマントをたなびかせた1人の水精が現れた。

 

 シルクハットにタキシード、単眼鏡(モノクル)にマントという水の(ころも)。その奇術師を彷彿(ほうふつ)とさせる姿は、リウラの故郷の(おさ)である女性が生み出した創作上の人物にそっくりだ。

 

 奇術師は空中で大きく手を広げ、胸を張ってこう言った。

 

 

 

 

「レディース、ア~ンド、ジェントルメ~ン!!」

 

 

 

 

 自信に満ち溢れているとハッキリわかる声が、(あた)りに響く……いや、辺り()()響く。

 不敵な笑みを(たた)えた水精――リウラは右手を胸に添え、左手を(てのひら)を上にするように水平に持ち上げて腰を折り、ゴーレムに向かって大仰(おおぎょう)挨拶(あいさつ)をした。

 

 

「怪盗リウラのマジックショーへようこそ! 今宵(こよい)、私の水のイリュージョンで貴方(あなた)(ハート)を盗んで御覧(ごらん)に入れましょう!」

 

 

 ――彼女のすべき役割……それは、思い切り派手(はで)に動いてゴーレムの注意を一身(いっしん)に引きつけ、リリィが魔術を当てる隙を作ることであった

 

 



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第二章 怪盗リウラ 後編

 ゴーレムの視界は、そのほとんどが霧で閉ざされている。また、霧自体にリウラの魔力が込められているため、ヴィアやリューナの気配も感じ取ることができない――すなわち、今この瞬間、ゴーレムにとって敵と認識できるのはリウラしかいない。

 

 芝居(しばい)がかった大仰(おおぎょう)な振る舞いをするリウラは、ただただ目の前の敵を攻撃するだけの岩人形にとって、これ以上ないほど分かりやすい敵であることもあり、ゴーレムは先程からリウラばかりを狙っていた。

 

 肩を引いて思いきり左拳を振りかぶったゴーレムは、躊躇(ちゅうちょ)なく空中の水精(みずせい)へ向かって拳を振り抜く。しかし……

 

 バッ!

 

 大砲の弾のように迫る鋼鉄の巨拳が貫いたのは、半透明のマントだけだった。

 拳を引いたところには何もいない。

 

 手応(てごた)えがないことに違和感を覚えたのか、ゴーレムがキョロキョロと頭部を動かしてリウラを探す。

 

「こちらですよ。ゴーレムのお兄さん?」

 

 ――声が聞こえたのは背後

 

 ゴーレムはグルリと振り返る。

 そこにいたのは傷ひとつないタキシード姿の水精。傷つけたはずの水マントすら、きちんと身に着けている。

 

 知性ある生物であるならば、この時点でリウラを警戒することができただろう。だが、鉄の巨人にはそれを判断できる頭が無かった。

 多少のことは精霊が判断できる。あいまい(ファジー)な命令であろうとも理解してくれる。

 だが、命令に無いことは判断も実行もできない。なぜなら、精霊の思考を縛るということは、作成者が想定していない状況を思考・判断させることができないということだからだ。

 

 ゴーレムはまるで幻を相手にするかのように、リウラに拳を、剣を愚直(ぐちょく)に振り続ける。

 

 

 

「……器用なことするわね」

 

 あきれたように、ヴィアは(こぼ)す。

 濃密な霧で(おお)われた視界の中、彼女はその獣さながらの視力でもって、リウラが次から次へと行う一連のパフォーマンスを、かろうじて目で追うことができていた。

 

 リウラが自分の背中に回した右手に水が生み出され、瞬時にもう一枚の水のマントを(つく)り上げる。

 創り上げたマントで自らを隠しながら霧の中に隠れると、リウラが立っていた水の足場が分解されて霧に変わり、ストンとリウラの身体が落ちる。おそらく、ゴーレムから見たら、突如(とつじょ)としてリウラが消えたように見えただろう。

 そして、重力に従って落下する彼女を、再び生み出した水床が支え、ゴーレムの背後へと移動させる。そこで、改めてリウラはポーズをとってゴーレムに話しかける。

 

 これが、先程の不可思議な状況――まるでリウラが幻のように、ゴーレムの前で消えたり現れたりしている()()である。

 

 霧の中に隠れたリウラが、ゴーレムに向かって声をかける。

 すると、前後左右、さらには上からもリウラの声が発せられ、ゴーレムは視覚だけでなく、聴覚でもリウラの位置を把握できずに混乱させられる。

 

 ヴィアは、自分のすぐ(そば)から特に大きくリウラの声がすることに気がつく。

 そこに近寄って手探りしてみると、とりわけ霧の深い部分に、鏡のように平らで大きな水の膜があることに気づいた。

 

 その膜はリウラの声に合わせて振動しているようで、ヴィアが目を細めると、霧に(まぎ)れて、細い細い水の糸が膜から伸びていることが分かる。

 ためしにその糸をつまんでみると、目の前の膜からの声がピタリとやんだ。その糸の、水膜とは逆方向の先は、壁を()うようにカクカクと直線的に曲がりながら上へ上へと伸びており、その先は霧に隠れて見えない。

 

 おそらく、これは水でできた糸電話だ。リウラの声を水の糸が伝達し、他の水膜を振動させているのだろう……そう考えたヴィアの予想は当たっていた。

 リウラが声でゴーレムを攪乱(かくらん)する際、彼女の口元の霧……その小さな水滴のひと粒ひと粒が漏斗状(ろうとじょう)に広がり、それらが先程ヴィアが見つけたものを初めとする、随所(ずいしょ)に設置された大きな水膜へと接続され、声を伝達。その結果、“あちこちからリウラの声が聞こえる”という現象を起こしていたのである。

 

 リウラがゴーレムの目の前で(かろ)やかにゴーレムの拳を(かわ)すたび、ゴーレムの動きが鈍くなっている。

 ゴーレムは気づいていない。ゴーレムが身体を動かすたび、非常に細い――しかしとても丈夫な水の鎖が少しずつ身体に(から)まっていることに。

 

 リウラが霧を出した最も大きな理由がこれだ。

 糸電話を隠すという意味も、自分だけに注意を集中させるという意味も、本命を準備しているだろうリリィを隠す意味もある。――だが、本当の目的は辺りに張り巡らせた、クモの糸のように細い水鎖に気づかせないようにするためだ。

 

 ゴーレムの動きはどんどん鈍くなっていく。

 だが、ゴーレムは気づけない。霧で自分に絡まる水鎖が見えないからだ。

 

 もともと水でできているだけあって、非常に見えにくい上に、鎖に(かよ)う魔力も霧の魔力によって隠されてしまって感じ取ることができない。与えられた命令の範囲外の事を考えられないゴーレムでは、どうしても気づくことができない。

 

 そして何よりも、リウラが気づかせない。目立つ格好をして、大声を上げ、派手なパフォーマンスをすることで、ゴーレムの注意を()らさせない。

 

 リウラに注意が集中するかぎり、ゴーレムは命令に従ってリウラを攻撃し続けてしまう。多少、身体の動きが鈍くなろうとも、ゴーレムはそれを気にしない……いや、気にすることができない。

 戦闘中に身体が半壊しても戦い続けるよう命令されているゴーレムは、明確に動きを封じられている証拠でも突きつけない限り、不調の原因を取り除こうとする行動に移ることができないのだ。

 

 もしリウラが濃霧を出さず、注意を己に引きつけていなければ、すぐにでも水鎖に気づかれ、ゴーレムはそれらを(つか)んで、力まかせに引きちぎっていたことだろう。

 

 

 ギシギシと(きし)むようにぎこちない動きで、ゴーレムは左拳をリウラに突きつけ、魔導砲(まどうほう)の砲門を展開しようとする……が、

 

 ――ギシリ

 

 ゴーレムの拳が、中途半端な位置で止まる。砲門も開かない。

 

 それを見たリウラは、バンザイをするように両手を大きく広げながら、楽しそうに大声を上げた。

 

「イッツ! ショウタ~イム!!」

 

 ゴオッ! と音を立てて周囲の霧が編み込まれ、細い水の鎖へと変化し、次々とゴーレムへ絡みついてゆく。

 その様子は、まるでクモが獲物へ糸を投げかけるかのよう。

 

 霧が晴れた時、そこには、半透明な(まゆ)の中にいるように、何千何万もの水鎖で雁字搦(がんじがら)めになったゴーレムがいた。

 先程の巨大な水鎖で縛った時以上に全身くまなく縛り上げているためか、ゴーレムがギシギシと身体を()するも、即座にその(いまし)めを解くことができない。

 

 だが、元々リウラとゴーレムではパワーに差がありすぎる。頭からつま先まで幾重(いくえ)にも水鎖を巻きつけたこの状態であろうと、そう長くはもたないだろう。

 

 次の瞬間――

 

「はぁっ!」

 

 ギギガガガガギギギィンッ!!

 

 18連撃。

 わざとリウラが水鎖で縛らなかった、ゴーレムの右手首から先……それを見た瞬間、その意図を()みとったヴィアは、瞬時に右手首へ向かって大きく跳躍。ゴーレムの右の五指(ごし)に闘気を込めた短剣(ダガー)を連続で叩き込み、今にも刀身が霧になろうとしていた大剣を叩き落すことに成功する。

 

 

 

 ――準備は整った

 

 

 

「リリィ! あとは、お願い!」

 

 振り返ったリウラの視線の先……リューナが張った結界のさらに内側、そこには球状に描かれた積層(せきそう)立体型魔法陣の中で短剣を(かま)え、不敵に笑うリリィの姿があった。

 

「まかせて」

 

 その言葉とともにリリィの魔術が起動し、魔法陣の輝きが力強さを増す。

 

 リリィが使おうとしている魔術は、古代の超科学文明……この世界(ディル=リフィーナ)では“先史文明期(せんしぶんめいき)”と呼ばれる時代に活躍した兵器――超電磁砲(レールガン)を参考に創り出された大魔術だ。

 しかし、ただの超電磁砲と(あなど)るなかれ。それは、人工的に神をも創造した超科学が生み出した兵器。その威力は、山々を土塊(つちくれ)のように砕き、竜の鱗を紙きれのように貫く。

 

 本来は、ここに高密度に圧縮した雷属性の大魔力弾を装填(そうてん)するのだが、残念ながらリリィにそこまでの魔力は無い。しかし、それでも目の前のゴーレムを倒すには充分すぎるほどの威力が約束されている。

 

 リューナの結界が解除され、リリィが魔術的に創り上げた超電磁砲の魔力が高まってゆく。

 その魔力が最高潮に達したとき……リリィの握る短剣(たま)は発射された。

 

 

 

 ――秘印術(ひいんじゅつ) 偽・超電磁弾

 

 

 

 轟音とともに、鉄人形の胸から上が砕け散る。いかなる魔術も無力化するはずの鎧は、音速すら軽く凌駕(りょうが)する速度で放たれた魔剣に(やぶ)れた。

 

 半壊したゴーレムの胴体上部――破砕された断面に、地の精霊力を放つ、子供の頭ほどの大きさの石が現れた。宝石のように美しい、その魔石(ませき)の周囲の岩をリウラは水で砕き、宝石を(えぐ)り取ると、そっと抱きしめる。

 

「……もう、大丈夫だよ」

 

 予告通り、怪盗は鉄と岩の牢獄に囚われていた地精(ちせい)の心を救い出したのだった。

 

 

***

 

 

「……くぅ~~っっっ……!!」

 

 

 リリィは脂汗(あぶらあせ)を流し、苦痛に表情を歪めながら、右手を押さえてうずくまっていた。

 表情は半泣きである。

 

「限界まで手袋と右手を魔力強化したのに……甘く見すぎちゃってたな……」

 

 リリィの右手に()めていた手袋は、内側の部分が燃え尽きてなくなり、その周辺は完全に炭化している。そしてリリィの右手は、(てのひら)の皮がベロリと(めく)れ、ズルズルに火傷していた。握っていた短剣が発射された際の、摩擦熱の影響である。

 

 早く回復したいのだが、“偽・超電磁弾”を放つ際の莫大な電力を生み出したせいで、リリィの魔力はすっからかん。掌を再生させるどころか、火の()ひとつ生み出せそうにない。

 おまけにお金が足りなかったので、傷薬すら買えてない。冗談ではなく涙が出そうだ。

 

 スッとリリィに影がかかる。

 リリィがうずくまったまま上を見上げると、そこにはブスッっとした表情の黒猫少女がいた。

 

「ヴィアさん……」

 

「……傷、見せなさい」

 

「え?」

 

「いいから!」

 

「は、はい……?」

 

 リリィが戸惑(とまど)いながらも、右手をヴィアに見せる。

 

 ヴィアはその惨状(さんじょう)に顔をしかめると、ポーチから1本の赤い羽根を取り出し、それをリリィの目の前で握り潰した。

 握りしめたヴィアの拳から赤く輝く風が流れ出し、リリィの右手を覆う。その数秒後、リリィの傷は跡形もなく消えていた。

 

「今のは……」

 

「“治癒(ちゆ)(はね)”よ。値は張るけど、迷宮で行動するうえでは必須になるから、あとで買っておきなさい」

 

「えっと……、“治癒(ちゆ)(みず)”ではダメなんですか……?」

 

 “治癒の羽”は、回復したい相手をイメージしながら握り潰すと、魔術的な風となって、イメージした対象を癒す魔術的な効果を持ったアイテム……魔法具(まほうぐ)の1種だ。1回の使用で複数人を癒すこともできる。だが便利である分、とてもお高い。

 

 栄養ドリンクサイズの回復薬である治癒の水ならば、だいたい3分の1の値段で買える。1人しか服用できないものの、1人当たりの回復力は同等以上だ。

 

「重い。かさばる。割れる。戦闘中に悠長(ゆうちょう)に飲める?」

 

 シンプルかつ分かりやすい理由を、ヴィアは機嫌悪く並べる。

 

 “治癒の水”は“治癒の羽”と比べ、はるかに低コストではあるものの、“飲む”あるいは“傷口にかける”という行為が必要であるため、戦闘中に使用することはまずできない。

 戦闘終了後に利用する分には問題ないが、戦闘中に使用できないのはあまりにも危険。また、頑丈な入れ物に入ってはいるものの、器に入っている以上、戦闘の衝撃で破壊され、中身が漏れてしまうこともある。

 

 “羽”であれば、少々の衝撃で破壊されることはない。その上、念じて握り潰すだけで発動し、仲間も同時に癒すことができるため、戦闘中にも使える場面が多々(たた)ある。

 多少値段は張るが、資金に余裕があるならば“羽”を(そろ)えておいた方がパーティーの生存率はグッと上がるのだ。

 

 その有無を言わさない口調に、リリィは冷や汗を垂らしながら反射的に首を縦に振ってしまう。

 

「わ、わかりました……“羽”にします。……あ、治してくれてありがとうございます。お金は後で払いますから」

 

「……別にいらないわよ」

 

 ヴィアはそういうと、蔵に向かって歩き出す。

 

「……お宝が丸々手に入ったのは、アンタ達のおかげでしょ? その礼よ」

 

 嘘ではないだろう。たしかにゴーレムを倒したことで、蔵の宝物を全部ゆっくりと運び出すことができるようになった。

 だけど、本心を全てさらけ出したわけでもない……そんな気がする。

 今の彼女の仏頂面(ぶっちょうづら)は、怒りや苛立ちではない、もっと別の感情が原因のようにリリィには感じられた。

 

 ヴィアが入っていった蔵の扉に視線を向けながら悶々(もんもん)と考えていると、ふと思いついた。

 

「……罪悪感……?」

 

 あまりに突拍子(とっぴょうし)もない単語だ。ヴィアが罪の意識を感じる理由など、どこにもない。

 だが、なぜかその言葉が彼女の様子にしっくりと当てはまるように、リリィには感じられたのだった。

 

「……それにしても……」

 

 “(らち)()かない”と考えを打ち切ったリリィは、自分が破壊したゴーレムへ顔を向ける。

 そこには、()()()()()()()()()上半身が粉々に砕けた岩人形の残骸があった。

 

「……火属性の魔剣を使ったのは、まずかったかな……まさか、爆発するとは……」

 

 どうやら、ちょうどリリィが射抜いた位置に動力炉か何かがあったらしい。今回は偶々(たまたま)うまくいったが……運が悪ければ、核ごとドカンといっていたかもしれない。

 

 リリィは冷や汗を垂らしながら、この都合の悪い事実を墓まで持っていくことを決めたのだった。

 

 

***

 

 

(クソッ! なんて奴らだ!)

 

 盗賊団の(かしら)は、(とりで)の出口に向かって全力で走っていた。

 

 自分の腹をぶん殴ってくれた睡魔(すいま)の小娘と、その仲間たち……盗賊団のメンバーが1人も帰ってこないことから、全滅させられたと悟った彼は、彼女達を倒し、復讐するために、(あるじ)()()()()()()()()虎の子のゴーレムをけしかけた。

 

 しかし、まさか逃げるどころか、破壊されるとは思いもよらなかった。

 

 こうなった以上、彼にできることは1つしかない。与えられた役割をこなす――つまりは、“()()()()()()()()()()()()()()()()”だ。

 

 できるなら、自らの手であの生意気な睡魔の顔を屈辱でゆがめてやりたかったが……主に(なぶ)られるシーンを見ることで我慢するとしよう。無論、自分も参加を許されれば遠慮はしないが。

 

 復讐に心を煮えたぎらせる彼の脚が、今まさに砦の門を越えようとした瞬間――背の中央に鋭い痛みが走った。

 

「ガッ!?」

 

 直後、ガクンと膝の力が抜け、彼はその場に倒れ込む。

 

 力が抜けたのは、膝だけではなかった。

 頭のてっぺんからつま先に至るまで、まるで力が入らない。それどころか、声も、視線を動かすことすらできなかった。胸が締めつけられるように痛み、呼吸がどんどんできなくなっていく。

 

(毒!? いったい、どこから……!?)

 

 おそらく、背に刺さっているのはナイフだろう。だが、彼の背後にそれらしき気配も殺気も感じられず、ナイフが飛んでくる風切(かざき)(おん)すら聞こえなかった。

 

 必死に息をしようともがく彼の耳に、(かす)かに若い女の声が聞こえる。あまりの苦しみに、その声の主が誰かも考えられず、彼は助けを求めた。

 

「た……たっす……け……」

 

「あ~、申し訳ないッスけど、あなたが生きていると都合が悪いんスよ。というわけで、死んでください」

 

 ――それが、彼の意識がこの世から消える直前に聞いた、最後の言葉となった

 

 

 

 

「全員、殺した?」

 

「うぃッス。見張りや警邏(けいら)も、ヴィアさん達が向こうで倒した奴らも含めて、1人残らず皆殺しッスよ~♪ 痕跡(こんせき)もキレーに消してあるッス!」

 

 声の(ぬし)……ヴィアが(かたわ)らの人物に問うと、その人物は右手でナイフを(もてあそ)びながら陽気な声で肯定する。

 

 黒いズボンに黒い外套に黒手袋に黒帽子……鼻から下を黒いマスクで覆った全身黒ずくめの暑苦しい(よそお)いで、顔どころか種族すら判別できない()()ちだ。

 その声と身体のラインから若い女性であることくらいは何とかわかるが、それだって魔術で変えられていない保証はない。

 

 ヴィアは黒ずくめをギロリと(にら)む。

 

「コイツがあんなゴーレムを持ってたなんて、アンタひとことも言わなかったわね。それとコイツがゴーレムを起動させる前に、さっさと殺しておかなかったのは何故かしら?」

 

「いや、いくら私でも何でもかんでも知ってるわけじゃないッスよ……。おまけにコイツ、気絶してたのか全然気配を感じなかったし、気づいたときにはヴィアさんの前にズドーン! ッス。……それに、私がリリィさん達に顔を見せたら、ヴィアさんが(あや)しまれるッスよ?」

 

 肩をすくめる黒ずくめに、チッとヴィアは苦々しく舌打ちをする。その様子を見てクツクツと笑う黒ずくめは、直後、ニヤリと目を歪ませる。

 

「それよりも……どうッス、リリィさん達は? ()()()()()()()()()()()()()()?」

 

「…………………………そうね」

 

 長い間をおいて、ヴィアは同意する。そんな彼女に構うことなく、黒ずくめは話を続ける。

 

「ヴィアさんにとって、じゅ~よ~な情報を提供したと証明されたんスから、追加で報酬を……と言いたいところですが、まけさせていただくっスよ。これで、コイツを殺し(そこ)ねたことはチャラにして欲しいッス」

 

「わかったわ。わかったから、さっさと消えて」

 

 どうやらさらに機嫌を損ねたらしい。これ以上は話しても火に油を注ぐだけだと判断したのか、黒ずくめは、いったいどうやってか、一瞬にしてその姿を消した。

 

「……」

 

 ヴィアは、わずかな間その場に無言で立ち続けたあと、(きびす)を返して親友の元へと歩き始めた。

 

 

***

 

 

 瓦礫(がれき)(ほこり)を払った床に、リューナがチョークのようなものでサラサラと魔法陣を描いてゆく。

 元の姿――サイドテールと(そで)分離ワンピースに戻ったリウラはゴーレムの核を抱きしめて、それを見ていた。

 

 核に囚われた地の精霊を解放するための準備――ではなく、地の精霊に活動できる身体を与えるための準備である。

 どういうことかというと、“さあ、魔制玉(ませいだま)から解放するぞ!”とリウラとリューナが準備を始めたところで、地の精霊が話しかけてきたのだ。

 

 ――リウラに恩返しがしたい

 

 ……と言われても、物理的に干渉するための身体を構築できない精霊にできることはそう多くはなく、またリウラ自身も見返りを求めてやったことではないので、彼女達はその申し出を丁寧に辞退した。

 

 しかし、それでも地の精霊は(あきら)めなかった。

 

 『何か……何か、自分にできることはないか?』と必死に()いてくる精霊の声に、だんだん無力感と悔しさの色が混ざりはじめたとき、リューナは提案した。

 

『身体、(つく)ってあげましょうか?』

 

 エルフにとって、地の精霊が宿った土人形――土精(つちせい)アースマンを作成することは、決して珍しいことではなく、リューナもその技術を持っている。核から解放する作業と同時に(おこな)っても、ほとんど手間暇は変わらないので、(しぶ)る理由も無い。

 身体があれば、なにか役に立てるかもしれない――地の精霊はこの提案に喜んで同意し、リューナに感謝を伝えた。

 

「……よし、できましたの!」

 

 リューナは出来上がった魔法陣に、ゆっくりと魔力を流し込んでゆく。魔法陣が優しい色合いの青色に発光し、リューナとゴーレムの核を抱いたリウラ、そしてリウラの(そば)にやってきたリリィを青白く照らす。

 

「……リウラさん、核と泥をお願いしますの」

 

 その言葉にリウラは、土精の身体の材料となる、土に自分の水球を混ぜて作った泥を魔法陣の傍に寄せ、核を持った両手をリューナに差し出す。ところが、核を渡そうとするリウラの手が途中で止まり、「ちょっと待って」と(ことわ)りを入れる。

 

 リウラは核をギュッと抱きしめて言った。

 

「……今度は悪い人に捕まらないように……強くて立派な身体を持てますように……」

 

 リウラは核に祝福の念を込めると、リューナに核を渡す。

 リューナが魔法陣の中心に核を()えると、魔法陣から放たれる青い光がどんどん強くなっていく。そして、唐突(とうとつ)に目も(くら)むほどの閃光が辺りに満ちた。

 

 リウラは思わず目を閉じ、腕で目をかばう。

 そして光が収まり、おそるおそる目を開きながら腕を()ろすと……リウラは目を大きく見開いて驚き、次に嬉しそうに笑った。

 

「わぁ……!!」

 

 

 ――魔法陣の上に、褐色(かっしょく)……というよりも土色(つちいろ)の肌の女性が立っていた

 

 

 髪はスポーティーなショートヘアになっており、足首から先は崩れて泥のようになっている――身体が泥と土でできている(あかし)だ。惜しげもなく(さら)されているその裸身は、非常に豊満で大人っぽいが、顔は童顔で可愛らしく、とてもリウラ好みの容姿をしている。

 

 リウラに向かって笑顔を浮かべていた女性は、ゆっくりとリウラに近づくと、そっとリウラを抱きしめる。

 

「……助けてくれて、ありがとうございます……!」

 

 リウラは女性――土精の腕の中で笑顔を浮かべて、ギュッと彼女を抱きしめ返した。

 

「どういたしまして!」

 

 

***

 

 

「……」

 

「……」

 

 リューナとリリィは(ほう)けていた。

 理由は、目の前のアースマンである。

 

「なんですの……? あの、アースマン……」

 

 リューナが呆然(ぼうぜん)(つぶや)く。

 

 “アースマン”といえば、その形態は“土人形”もしくは“泥人形”……それも幼児が土遊びで作ったかのような、不恰好(ぶかっこう)な姿をしているのが普通だ。いちおう、目と口はあるものの、“頭の該当する位置に穴が開いているだけ”と言えば、だいたいどんなものかは想像がつくだろう。

 少なくとも目の前の女性のように、美しい人の形をしたアースマンなど、リューナは見たことも聞いたこともない。

 

 一方、リリィは違う意味で驚いていた。

 

(……え? あれって、ひょっとして……?)

 

 リリィもアースマンの姿形(すがたかたち)は良く知っている。……と、同時に目の前の女性型アースマンについても一応の知識があった。

 リリィの原作知識……“姫狩り~”を初めとする、同世界の作品群の中で、1作品だけこの形態のアースマンが出るものがあったのだ。

 

 該当の作品内でも、この形態になった理由は不明確ではあったが、作品内である程度の推測はされていた。たしか、その内容は……。

 

「リューナさんか、お姉ちゃんが考えてた“土精(つちせい)のイメージ”が女性だったんじゃないですか?」

 

 “土精と契約を結んだ者が、土精に対して(いだ)くイメージが反映されたのでは?”というものだったはずだ……が、

 

「それはありませんの」

 

 即、否定された。

 “あれ?”と思うリリィに、リューナは説明する。

 

「わたくしには、一般的なアースマンのイメージがハッキリとありますの。女性の姿になるなんて、思いつきもしませんの」

 

「それと、“リウラさんが女性をイメージしていた”という線も、たぶんありませんの。……リウラさんがゴーレムと戦ってたとき、ゴーレムに向かって何て話しかけてたか、覚えてますの?」

 

「え~っと、たしか……」

 

 リリィはハッと気づく。

 

 

 ――『こちらですよ。ゴーレムのお兄さん?』

 

 

「ゴーレムの……()()()()

 

「そう。仮にリリィの言うことが正しいなら、あの土精は()()()()()()()()()姿()()()()()()()()()()()()()()()

 

 リューナの言う通りであった。たしかにリリィの理屈は成り立たない。

 

「じゃあ、なんで……?」

 

「わかりませんの。……ゴーレムとしての魔術支配を受けて、精霊が変質した影響かも……可能な限り元に戻したつもりでしたけど……」

 

 リリィはその言葉に不安になって、リューナに(たず)ねる。

 

「それって、大丈夫なんですか?」

 

「……たぶん。いちおう、あとで調べてはみますけど……」

 

 リューナも心配そうだ。リリィはその様子を見ながら、ふと先程の姉の様子を思い出した。

 

 

 ――『強くて立派な身体を持てますように』

 

 

 リウラが土精を抱きしめて込めた、“幸せになってほしい”という願い。

 “もしかして、あれが……?”と思いかけて、リリィはかぶりを振る。

 

(いくらお姉ちゃんが色々特殊だからって、そんな訳ないよね。それだったらムキムキの男の人の姿になるだろうし)

 

 リウラが認識していたのは男性のはずなので、屈強(くっきょう)な肉体をイメージしたのなら、筋骨隆々(きんこつりゅうりゅう)とした大男になるはずだ。

 リューナが土精の身体を調べてみないことには、いくら想像をめぐらせても答えは出ないだろう。そう考えた後、リリィは思考を打ち切った。

 

 

***

 

 

「それでは、今回の仕事の成功を祝って……かんぱ~い!!」

 

「「「かんぱ~い!!(ですの!)」」」「か、かんぱい……」

 

 ヴィアが乾杯の音頭(おんど)をとると、チン! とグラスを交わす音が次々と鳴り響く。

 

 あれからリリィ達は“水の貴婦人亭(きふじんてい)”に戻り、1階の酒場で打ち上げを始めた。

 

 ちなみに土精の彼女の身体には何の異常も見つからず、しばらく様子見することになった。

 少々心配ではあるが、精霊に詳しいエルフのリューナに見つけられないのなら、リリィにだって見つけられない。なにかしらの不具合が出たら、その都度(つど)対応する、という方法しかとれないだろう。

 

 余談だが、オークの討伐依頼もきっちり完遂(かんすい)し、オーク達はこの町の(ブランの息がかかった)衛兵団に、指輪は依頼主に渡してある。依頼主はとても感謝してくれていて、リウラは『やって良かった』と嬉しそうにニコニコしていた。

 

 あの砦をアジトにしていた盗賊団は、いつの間にかヴィアが手配した者が衛兵団に引き渡していたらしい。そのことをヴィアから聞かされたリリィは、“戦闘さえしないのなら、手伝ってくれる人はいたのか”と、あの大人数を運ばなくて済んだことにホッとしていた。

 

「あ、それと、アイちゃんの無事もお祝いして、もう1回かんぱ~い!!」

 

「かんぱ~い!!」

 

「乾杯、ですの」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

「……」

 

 ふと気づいたように、リウラも乾杯の音頭を取る。リリィは元気にそれに応え、リューナは静かに答える。

 土精は照れながら礼を言いつつグラスを持ち上げ、ヴィアはぶすっと……それでいて気まずそうにグラスを持ち上げる。1人だけ土精を見捨てようとしたことを気にしているのだろう。

 

 アイというのは、先程助けた土精の名前だ。初めて身体を持ったので、個体としての名前が無いため、リウラが名づけた。

 

 

『アイアンゴーレムだから……“アイちゃん”!!』

 

 

 水蛇(サーペント)の“サッちゃん”と同レベルのネーミングである。

 

 だが、“アイ”という名前は、リリィの前世の母国ではそこそこ普及(ふきゅう)していた名前だったので、“まあいいか”とストップをかけることはしなかった。

 土精――アイも恩人が名前を付けてくれたことに喜んでいたことだし、水を差すのは野暮(やぼ)というものだろう。

 

「ちょっと遅かったみたいですね」

 

 ビクン!!

 

 背後から掛けられた声に、耳と尻尾の毛を逆立ててヴィアが反応する。

 見るからにガチガチになった彼女は、顔を真っ赤にしながらギギギと(きし)むように、ぎこちなく後ろを振り返る。

 

 その様子を見てニヤニヤと笑いながらリューナも後ろを振り返って、新たな(うたげ)の参加者に声をかける。

 

「いらっしゃいですの、リシアン。お店はどうしましたの?」

 

「後輩が気を使ってくれたんだよ。『せっかくのお祝いなんだから、主役の1人が行かなくてどうするの!』ってね」

 

 荷物を()ろしながら答えたのは、10~11歳程のエルフの美少年であった。

 リューナの実の弟、リシアンサスである。愛称(あいしょう)はリシアン。

 

 ショートカットの銀髪と、リューナに良く似た容貌(ようぼう)を持っている。ただ、瞳の色だけは違い、リューナが美しい青なのに対し、リシアンは深い紫色をしていた。

 仕事の成功と同時に非常に快活な様子となったリューナと異なり、リシアンは非常に落ち着いた様子を見せており、とても10歳そこそことは思えない、大人な雰囲気を(ただよ)わせている。

 

「いらっしゃい、リシアン君! まだ乾杯したとこだから、全然セーフだよ!」

 

「もう1度、乾杯しなおしましょうか」

 

 リウラが元気よくリシアンに話しかけると、アイが空いているグラスに酒を()いでリシアンの席に置く。

 

「ほら、ヴィー。もう1回、乾杯の音頭を取って! リシアンのお祝いですの!」

 

「うぇっ!? い、いや……それは、むしろアンタの役割でしょう!?」

 

 慌てるあまり声が裏返るヴィアにリューナはクスクスと笑い、リウラは目を輝かせている。アイは困ったように苦笑いし、リシアンは穏やかに微笑み……そしてリリィはニヤニヤと笑いながら、納得していた。

 “なるほど、どうりでブランが『下手(へた)に動くな』と止めているにもかかわらず、それを無視して必死に助けようとするはずだ”……と。

 

「……うん。ヴィーを(いじ)るのは、これくらいにしときますの!」

 

「……リュー、アンタ後で覚えときなさいよ」

 

 恨みがましげにリューナを(にら)みつけるも、真っ赤っかな顔と涙目で睨みつけられても可愛いだけだったりする。

 彼女のあまりに分かりやすい様子に、事情を察したリリィ達も笑顔が止められないようだ。

 

 リューナは笑いをこらえながら、グラスを(かか)げて言った。

 

「弟の……リシアンサス解放のお祝いと、助けていただいた皆さんへの感謝を込めて……乾杯ですの!!」

 

「「「「「かんぱ~い!!」」」」」

 

 宴が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 結論から言うと、蔵にあった宝物はリューナの弟を購入する金額を(おぎな)うに余りある質と量があった。結果、無事にリューナの弟……リシアンサスは即金(そっきん)で姉に買い戻され、姉弟は感動の抱擁(ほうよう)を交わすことになった。

 

 感動のあまり、リウラは泣いた。

 

 カウンターで見ていた、リシアンサスの後輩――新たに、この店の店主になるためにやってきた木精(ユイチリ)の少女の(うらや)ましそうな目が、少し印象的だった。

 

 その後、お互いに自己紹介し、必要なもの――アイの服や迷宮での必需品を購入すると、早めに買い物を切り上げてお祝いをすることになった。

 その際、リシアンサスから『リシアンと呼んでほしい』と言われ、リウラ達も愛称で呼ぶことになった。

 

 そして、リシアンを買い戻した後の残額……つまり、盗賊団の蔵に有った宝物の残りは報酬としてリウラとリリィがもらうことになった。

 

 リウラが『持ち主がわかるなら、返したほうが良いかな?』と言う一場面(いちばめん)もあったが、『アンタが受けたような依頼が出てなければ、誰にも持ち主なんてわからないわよ。ありがたく、もらっときなさい』というヴィアの一言(ひとこと)で、ありがたくリリィを救うための軍資金としていただくことになったのである。

 

 今はリウラの故郷である水精(みずせい)の隠れ里(あと)の蔵に、リリィが魔術で丸ごと転移させている。あそこならば、まず泥棒に見つからないだろうし、仮に見つかっても、番をしているサッちゃんを倒して進むのは難しいだろう。

 ディアドラだけは例外だが、あの神出鬼没(しんしゅつきぼつ)な彼女ならば、どこの金庫からだろうと簡単に盗めるだろう。わざわざ廃棄された里に出向いてまで、金品を(あさ)りに来るとは考えにくい。

 

 

 そんなこんなでお金に余裕のある一行(いっこう)は、値段を気にせず気前よく酒や料理を注文していく。

 

 

「おねーさん! これとこれとこれとこれ! 2皿ずつお願い! あと、林檎酒(シードル)と赤ワイン、オレンジとリンゴジュースを1本ずつ!」

 

「あ、こっちはリンゴパイとプディングお願いしまーす!」

 

「リ、リウラさん……ちょっと食べすぎじゃないですか……?」

 

「ん? アイちゃんも遠慮しなくていいんだよ? お金はあるんだから、もっとどんどん食べなって」

 

「い、いえ……もう充分いただきましたから……」

 

 今、リウラの目の前には、長年あこがれていた外界(がいかい)の美味しい食べ物や飲み物がずらりと並んでいる。彼女にとっては夢のようなその光景に、リウラの瞳には先程からハートマークが浮かんでいた。

 

 そして、そんな彼女の食欲は凄まじかった。その様は、まるでこの数年間()めてきた欲求を解放するかのよう。

 

 フードファイターもかくやという勢いで、空になった皿や(びん)が次々とリウラの目の前に積まれ、並べられては、ウェイトレスやウェイターがそれらを下げていく。

 木の実をパンパンに頬袋(ほおぶくろ)に詰め込んだリスのように、頬を(ふく)らませながら食事をするリウラは満面の笑みを浮かべており、見るからに幸せそうなオーラを放っていた。

 

 リリィは、そんな姉の様子を見ながらニコニコとマイペースに食事を続けており、アイはリウラのそのあまりの健啖(けんたん)ぶりに若干(じゃっかん)引いている。

 

「……リシアン……水精って、肉とか野菜を食べる習慣ってありましたの……?」

 

「……氷結王女(レニア・ヌイ)が人や魔物を襲い続けて、上位の精霊に進化したって話を聞いたことがあるから、ひょっとしたら肉が好きな水精もいるのかもしれないね……」

 

 一方、エルフの姉弟はあんぐりと口を開けて、リウラが飲食している様子に驚いている。

 

 リリィも当初驚いていたように、血に飢えているわけでもない精霊が好んで肉などを食べている様子に衝撃を受けているようだ。精霊と近しい種族であるためであろうか、リリィ以上に驚いているように見える。

 

 ちなみに、氷結王女(レニア・ヌイ)とは氷精(こおりせい)と呼ばれる氷の精霊の1種で、リウラ達――水精と同系統かつ上位の精霊にあたる。

 

 余談だが、土精であるアイもしっかりと肉料理を1人前完食しており、彼女の身体の材料となった泥に血肉が混じっていなかったか、不安になったリューナが再度彼女の身体を検査する場面もあった。

 

「精霊のリウラはともかく……リリィ、アンタそんなに食べたら豚になるわよ」

 

 リウラには劣るものの、リリィもかなりの量のデザートを注文している。ヴィアが呆れた様子でリリィに告げた言葉に、リリィはフォークを(くわ)えたままキョトンとしている。

 

「あ、ヴィアさん知らないんですね」

 

「……何が?」

 

睡魔族(すいまぞく)って太らないんですよ?」

 

「……は?」

 

 思わずヴィアは目を見開く。

 

 リリィを創造した魔王ですら原作で勘違いしていたことだが、実は睡魔族は太らない。

 彼女達は性行為だけでなく、食事からも精気を得ることができるのだが、そもそも人間族や獣人族とは身体の構造が違うため、食べたものを吸収するプロセスも全く異なる。

 

 自身の肉体を精気で構成する睡魔族は、口から食物を摂取すると、それらを体内で完全に分解して純粋な精気に変換し、吸収する。そして、いくら精気を多量に取ったところで、彼女達の身体の精気の密度が上がるだけ……よって、“余分な脂肪がつく”ということは有り得ないのだ。

 

 それどころか、なんの手入れもしなくても髪はサラサラ、お肌はツヤツヤ。生まれた時から死ぬまで若々しく美しく、おまけに成長すれば、ほぼ間違いなくボンキュッボンのナイスバディを手に入れられるという、“美”に関してはエルフも真っ青のチート種族――それが睡魔族なのである。

 

 そうならなければ異性を誘惑できない(=精気が手に入らない)という、生死にかかわる問題があるとはいえ、世の女性の大半を敵に回すが(ごと)き、うらやましすぎる体質である。

 生まれながらにして誘惑の女神(ティフティータ)の加護を得ているという、彼女達の“魅”力はダテではない。睡魔族は今も昔も女性の嫉妬(しっと)の対象だ。

 

 もちろん、今しがたリリィからこの話を詳しく聞いたヴィアも例外ではなかった。

 

「ねぇリリィ? 私にケンカ売ってんの?」

 

 笑顔を浮かべているヴィアは、その整った顔立ちからとても魅力的なのだが、額に青筋を立てて嫉妬に燃えている今は、ただただ恐ろしい。

 

「アンタ、私が食事や美容にどれだけ気をつけてると思っ……アイダッ!」

 

「コラ、そんな小さな子に(から)まないの! 情けない」

 

 気がつくと、ヴィアの後ろに20代後半くらいの猫獣人の女性が、アップルパイとジョッキを乗せたトレイを持って立っていた。

 つややかな黒のロングヘアーを腰の後ろでまとめており、明るい笑顔と、キラキラ輝く金の瞳がとても快活な印象を与える美人だ。

 

 ヴィアに気づかせることなく頭をはたくことのできるこの人物に、“いったい何者だろう?”とリリィが(わず)かに警戒するが、その答えはすぐに知れた。

 

「母さん……でも「「(()()()()()()()()()()!?」」」

 

 ヴィアの言葉を(さえぎ)り、リリィとリウラが驚愕(きょうがく)の声を上げる。

 

 ヴィアの母は、その様子を見てクスリと笑って自己紹介する。

 

「はじめまして。ミュラ・アルカーよ」

 

 リリィたち同性から見ても、とても可愛らしい笑顔が魅力的な女性だった。

 

 ヴィアはリリィの様子を見て、さらに不機嫌になる。リリィの驚き方とリウラの驚き方が違うのだ。リウラは純粋に知り合いの母親が現れたことにびっくりしているだけだが、リリィのそれはもっと別の事に驚いているように見える。

 

 そしてそれは、ヴィアにとって珍しい表情ではなかった。

 

「……なによ、リリィ。私の母さんがどうかしたっての?」

 

 リリィは驚いた表情のまま、ミュラへ(たず)ねる。

 

「その……失礼ですが、年齢を()いても?」

 

 ミュラは苦笑いして答えた。

 

「28よ」

 

「……ちなみに、ヴィアさんの年齢は……?」

 

 おそるおそる訊いたリリィに、ヴィアは眉間(みけん)縦皺(たてじわ)を寄せながら答える。

 

「……16」

 

 ……12歳頃にヴィアを産んだ計算になる。

 

「「ああ~~~~……」」

 

 リリィとリウラは、リシアンを見て納得の声を上げる。

 

「なによ、その“なるほど!”って顔は!!」

 

 言わずもがな。ヴィアのショタ趣味は確実に父親ゆずりだ。

 

 だが、この世界では別に珍しいことではない。リシアンを見ていればわかる通り、この世界では能力さえあれば10歳そこそこでも立派な労働力――つまり、1人前の大人とみなされることは決して少なくない。

 

 魔物の襲撃や戦争などで、あっという間に人が死んでしまうことも多く、精神的にも労働力的にも早く1人前になることが求められる。そのため、幼いうちに結婚して家庭を築いても全くおかしくはないのだ。

 

 ロリコン・ショタコンは、この世界では唯の好みの(ひと)つであり、犯罪でも何でもない。

 

 そこで、ふと何かに気づいたようにリウラは言う。

 

「あ、そういえば、ヴィアさんとリシアン君が結婚したら、どんな子供が生まれるの? 猫耳? それとも、とんがった耳?」

 

 素朴(そぼく)な疑問。だが、当然と言えば当然の質問だ。

 猫獣人とエルフ、あまりにも耳の特徴が違い過ぎる種族が結ばれた場合、どのような耳の子が生まれるのか、不思議にならないわけがない。

 

 小さな子供が(いだ)くような可愛らしい質問に対し、ヴィアの母は笑いながら答える。

 

「さぁ? それは分からないわね。どっちも生まれる可能性があるし」

 

「どっちも?」

 

 ヴィアが赤い頬のまま、憮然(ぶぜん)としながら答える。

 

「異種族が結ばれた場合、基本的にどちらかの種族になるわ。私とリシアンの子なら、だいたいそれぞれ3割くらいの確率で、猫獣人(ニール)かエルフどちらかになるわね。だけど2割の確率でそれらの特徴を混ぜた姿になるし、さらに2割の確率で全く違う姿で生まれるわ」

 

 ヴィアの頭を笑顔で()でながら、ミュラがさらりと補足する。

 

「この“2つの特徴を混ぜた姿”ってのは、たとえばエルフの耳に毛が生えてたり、あるいは猫耳がエルフの耳のような形をしていたり、ってかんじね。まったく違う姿になる場合は想像もつかないわ」

 

 ちなみに、まったく違う姿になる場合の例として、(つの)のあるタイプの魔族と睡魔族の間から、なぜか人間族そっくりの赤子が生まれた、というパターンがある。角も羽根も尻尾も、両親の特徴であるものを何ひとつ受け継ぐことがなく、まったくの異種族の姿として生まれるなど、想像のできようはずもない。

 

 ミュラの幼子(おさなご)に対するような扱いを嫌がるでもなく受け入れつつ、ヴィアは説明を続ける。

 

「……んで、この確率は種族の組み合わせによって大きく変わるわ。たとえば、人間族とエルフなら“2種族の特徴を混ぜた子”が生まれやすいし……そこの睡魔族(リリィ)がエルフと結ばれたら、十中八九睡魔族が生まれる。だけど、リリィがオークと結ばれれば、さっきの猫獣人とエルフの例と大体同じ確率になるわね」

 

「なんか、最後の例に悪意を感じるんだけど」

 

「気のせいよ」

 

 睡魔族は一部の例外を(のぞ)き、そのほとんどが女性の種族である。このように単一(たんいつ)の性しか存在しない種族は、基本的に己と同じ種族を産む力が極めて高い。

 

 オーク――豚の鼻を持ち、でっぷりと太った姿が一般的な、やや知能指数の低い鬼族(きぞく)もまた男性として誕生する確率が非常に高い種族であり、こちらも自分と同種族を産ませる力が極めて高い。

 

 このように、種族ごとに“自分と同種族を産ませる力”というのは異なるうえ、先の“人間族とエルフ”のように種族ごとの親和性というものもあるため、異種族婚で生まれた子供というのは、その姿形(すがたかたち)を予測することが難しいのである。

 

「と、そうだ水精のお嬢さん。アンタに会わせたい奴がいるのよ」

 

「ふえ? 私?」

 

 リウラは自分を指さして首をかしげる。

 ミュラが親指で自身の背後を指すと、後ろから背の高い狼獣人(ヴェアヴォルフ)の男性が現れた。

 

「よう、嬢ちゃん。あの時は済まなかったな」

 

「あの時?」

 

 “まさに狼そのもの”といった頭部を持つ、特徴のありすぎる人物である。知り合っていれば忘れるはずなどないのだが、リウラに心当たりなどまるでなく、ますます首を(ひね)る。

 

 そんな彼女の様子を見て苦笑した狼顔(おおかみがお)の男性は、ズボンのポケットから何かを取り出すとリウラの前に置いた。

 ジャラリという音が鳴り、手を退()けると、そこには袋に入った硬貨があった。袋の口は何故か、鋭いナイフで切られたかのように不自然に歪んでいる。

 

「あ……あああああああぁぁぁぁっ!? 私の財布!!」

 

 リウラが上げた大声に周囲の客が何事(なにごと)かと注目するが、盗まれたと思っていた財布が返ってきた驚きに我を忘れているリウラは、それに気づく様子もない。

 

 ヴィアは、それを見て呆れた様子で訊いた。

 

「ヴォルク……アンタ、何やってんの?」

 

 狼獣人の男性――ヴォルクは苦笑すると、奥のカウンターでグラスを(みが)いているブランを指さしながら言う。

 

「おやっさんに頼まれたんだよ。『世間知らずの嬢ちゃん達がいるから、ちょっと()んでやってくれ』ってな」

 

 それを聞いたリリィが後ろを振り返ってブランをジト目で(にら)むと、それに気づいたブランはニヤリと笑い返す。

 

(……)

 

 リリィは溜息を1つついて首を前に戻した。

 

 どうも最初から仕組まれていたらしい。あまりに頼りない自分達を見て、お節介をしてくれたのだろうが……もうちょっと心臓に悪くないやり方はなかったものか。

 

 だが、感謝はしなくてはなるまい。ほぼ初対面の相手にもかかわらず、わざわざ部下を使ってまで自分達のために警告してくれたのだ。

 目の前では、ヴォルクが可愛らしい女性物の財布をリウラに渡していた。財布を盗んだ()びだという。アフターフォローまでしっかりしているようだ。

 

 リウラは一応遠慮したのだが、『返されても男の俺には使えない』と強引に渡され、結局受け取ることになった。あらためてそれを受け取ったリウラは、まんざらでもなさそうだ。どうやら気に入ったようである。

 

 うばわれた金は戻り、新しい財布と宝物、そして仲間を手に入れた。

 リウラは美味しい食べ物や飲み物を堪能(たんのう)することができ、夢を1つ(かな)えることができた。

 

 今日は色々大変な1日だったが、結果的には大成功だったのだろう――リリィはそう考えていた。

 

 

***

 

 

 ――深夜

 

 (うたげ)が終わり、店員すらも(とこ)()丑三(うしみ)(どき)……辺りが静かな闇で包まれる中、リューナはテーブルに置いた左腕に頬を乗せるようにしてうつ伏せ、右手に酒の入ったグラスを握りながら、ランプの(あか)りを反射するグラスを、ぼうっと生気の無い瞳で見続けていた。

 

「……」

 

 ガタン

 

 椅子に誰かが座る音。

 

 リューナが音に反応して、グラスから視線をそちらに向ける。そこには不機嫌そうな彼女の親友が腕を組み、足を組みながら瞑目(めいもく)していた。

 

 ヴィアは何も言わない。

 おしゃべりで、誰よりもヴィアを信用しているリューナは、悩みごとがあれば、どんな小さなことでも必ずヴィアを頼り、相談する。そのことを良く知っているヴィアは、こうした時、ただ彼女の(そば)に寄り添い、静かにリューナが話し出すのを待つのであった。

 

 リューナは静かに視線をヴィアから、自身が伏せるテーブルへと移し、また無言で(たたず)み続ける。

 

 それから20分は()っただろうか……リューナはぽつりと一言(ひとこと)(こぼ)した。

 

「……ヴィー……わたくしは、とんでもない間違いを犯してしまいましたの……」

 

「……」

 

 ヴィアはゆっくり目を開く。

 ……そして、無言で続きをうながす。

 

 幼い頃は、彼女の悩みを無理に訊き出そうとして痛い目を見たこともある。どちらかといえばアクティブな性格である彼女にとって、沈黙の時間は苦手なものであったが、今はそうではない。彼女が自分を頼り、自分を信頼してくれていると感じられるこの時間は、決して嫌いではなかった。

 

 だが、だからといって、親友が苦しんでいる様子を見て気分がいいわけでもない。

 特に、今回の悩みはヴィアが抱えているものと全く同じであるが故に、非常に胸が重く、苦しい。ヴィアの沈黙は、それを噛み殺す意味合いもあった。

 

「……わたくしは、オークの宝箱の前でリリィが魔王の魔力を放つところを見て、“あの娘が魔王の使い魔だ”と確信しましたの。……ううん、今もそうだと思っていますの……だから、わたくしはあのうさんくさい真っ黒くろすけの言葉を信じてしまいましたの」

 

 リシアンを救う金策は、約3年前から行われていた。手の届く範囲の盗賊団は駆逐して金品を奪い、ブランを初めとする知り合いからも可能な限り金を借り、商売のまねごとをし、募金を(つの)り、果ては比較的裕福な家であるとはいえ、無辜(むこ)(たみ)の金品を少しずつ盗んだりまでした。

 

 しかし、それでも足りなかった。あと1年、リシアンに買い手がつくのが遅ければ、どうにかなったかもしれないが、非情な現実はタイムリミットを2人に突きつけ、途方に()れていたところに奴は現れて、こう言った。

 

 

 ――『リスクを限りなく少なくして魔族の蔵を襲う方法があるんスけど、話を聞いてみないッスか?』

 

 

 上下、靴まで真っ黒で手袋も黒。黒い帽子をかぶった上に、口布(くちぬの)まで黒と、全身黒ずくめの女は自らを 『なんでも屋のクロ』と名乗り、話を切りだした。

 

 魔王軍の配下が1人戦争中に亡くなり、彼が保有する(いく)つかの拠点や砦が(なか)ば放置状態になっているというのだ。

 それらの拠点は娘が引き継いでいるものの、彼女自身の高い戦闘力と悪名高(あくみょうだか)さに胡坐(あぐら)をかいているのか、その守りはぞんざい。

 

 クロはその中に、盗賊まがいのレベルの低い部下達が守っている蔵を見つけたという。集めた情報からして、中にはリシアンを買って、借金を返してもなお余りあるほどの金品が有るはずだと。

 

 しかし、ヴィア達は首を横に振った。

 (くだん)の魔族の少女は、酷くプライドが高いことで有名だ。そのようなことをすれば、草の根わけてでも自分達を探し出して(さら)し首にするだろう。だからこそ、申し訳程度の守りでも、その蔵は襲われないのだ。

 へたすれば関係者であるリシアンやブラン達まで殺されかねない。それでは本末転倒である、と。

 

 しかし、そこでクロは目元だけでもあからさまに分かるほどニヤリと笑い、軽薄そうな声でこう言った。

 

『そんなの簡単に解決できるッスよ………………()()()()()(なす)()()()()()()()()()

 

 

 

 

「わたくしは……『魔王の使い魔が生き残っている』って聞かされて……彼女になら罪を擦りつけても誰も困らないし、心も痛まないって聞いて……それで納得してしまいましたの。……ううん、きっと本当は納得()()()()()んですの……わたくしのお父様とお母様を奪い、わたくしを(さら)い、弟を奴隷に落とした魔王軍の関係者に酷い目にあって欲しいと思っていたから……」

 

 ギリッ……!

 

 ヴィアが歯を噛みしめる。

 

 そう、クロは的確にリューナの……そしてヴィアの急所を突いてきた。

 

 魔王軍はあちこちで暴虐の限りを尽くした。

 その被害が地上の人間族の国家だけに(とど)まるわけもなく、迷宮内で一定の地域を支配していたマフィアであるアルカーファミリー(ヴィアの実家)も壊滅的な被害を受けた。

 

 ――そして、その時……ヴィアは実の母を失った

 

 ミュラが、ヴィアの母として若すぎるのは当然だ――実の母が殺された後に嫁入りした()()()()()()()()()

 

 ブランは今でもその時のことを()いている。

 あの時、自分がもう少し身の程を知って、魔王軍との衝突を回避することを最優先にしていれば、妻を失うこともなかったかもしれない……と。

 魔王軍の依頼を告知板に貼ったり、魔王軍の関係者が酒場に出入りするようになったのも、その時のことをブランが悔いているからだ。

 

 しかし、ヴィアはそうは思わない。たしかにマフィアの頭を張るブランが、当時、天狗(てんぐ)になっていたかもしれないとは思うものの、あれがあの時の父にできる最善だったのだと理解しているからだ。

 

 自然、その(うら)みは魔王軍へと向き……自然と、その関係者であるリリィにも、そして蔵の持ち主である魔族の少女にも向いた。

 

 

 ――魔族が憎い。魔王軍の関係者が憎い

 

 

 自分達が蔵を襲うことで両者が争うことになれば……それは、なんと胸がすくことだろうか。

 

 

 リリィ達に罪を擦りつける方法は、簡単だ。

 実際にリリィ達に蔵を襲わせたあと、『リシアンが自由になったお祝いだ』といった適当な理由で、宴会を開き、飲み物に薬を盛って眠らせればいい。

 

 ちょっとやそっとで起きなくなった無抵抗のリリィ達から、ヴィア達の記憶をクロが魔術で消してしまえば、それでおしまい。あとは、適当に(うわさ)を流せば、(くだん)の魔族の少女がリリィ達を見つけてくれるだろう。

 

 なにしろ、リリィ達の記憶そのものを改ざんしているのだ。たとえ、リリィ達が負けて、記憶を(のぞ)かれようと、洗脳されようと、ヴィア達のことが発覚する可能性はゼロ。

 しかも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。完全にリリィ達に罪を擦りつけることができる。

 

 ヴィア達を目撃していた盗賊達を皆殺しにしていたのも、彼らの口からヴィアとリューナの存在が明るみに出るのを避けるためであった。

 

「わたくしは無意識のうちに“魔王の使い魔のあの娘は、きっと今まで悪いことを考えて、悪いことをいっぱいしてきたに違いない”と思い込んでおりましたの。オーク討伐の依頼を受けた時の態度も、まわりを刺激しないための演技(カモフラージュ)だと……だからこそ、リシアンを助ける犠牲にしようと考えた……でも、そうじゃなかった……」

 

 リリィは“(じょう)で動く奴らだと思われたから、ヴィア達に目をつけられた”と考えていたが、これは間違いだ。

 彼女達の勝利条件は、“実際にリリィ達に蔵を襲わせること”……それだけだ。それさえ満たせるならば、説得するための方法は何でもよかった。

 

 それが泣き落としのような形になったのは、オーク討伐の件で“リリィ達がお人好しを(よそお)っているなら、泣き落としでいける可能性が高い”とヴィア達が考えたことと、事情を9割がた真実で話すことができるので、嘘が発覚しにくかったためである。

 

「お人好しのお姉さんをとても(した)っていて……その人のために命を()けて戦って……そのお姉さんもリリィのことをとても愛していて……それを見て思いましたの……“ああ、彼女達は、わたくしとリシアンの関係と何も変わらないんだな”って」

 

 リューナの声が(わず)かに震え、ひと粒だけこぼれた涙が(すじ)を作る。

 

 奴隷を初めとする不幸な人が(あふ)れたこの世界で、いちいちそうした人たちを救いあげる余裕などリューナにはない。自分の弟を救うだけで精一杯(せいいっぱい)であり、だからこそゴーレムの中で苦しむ土精(アイ)の声が聞こえようと無視していた。

 

 しかし、リウラは『助けたい』とリューナ達に願った。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。“お人好し”のふりをしているだけならば、黙って聞こえないふりをしていれば良いはずなのに。

 

 そこでようやく、リウラが本当に“お人好し”であることに彼女は気づき、そのリウラのために命を懸けてゴーレムと戦うリリィもまた、リューナが思うような悪党ではないことに気づいたのだ。

 

「わたくしは、リリィに“魔王の使い魔”というレッテルを張って、思い込みであの娘を(おとし)めようとしましたの……そう、」

 

 

 ――わたくし達を(メイル)から追い出した、あの方達と同じように

 

 

 リリィと出会ったとき、リューナは自分達が魔族に襲われた理由を『今でもわからない』と答えた。

 

 それは嘘だ。大嘘だ。彼らがリューナ達を襲った理由は、()()()()()()()()()()

 

 リューナはエルフだ。生まれながらにしてエルフの神――ルリエンの加護を得ている。だが、彼女はもうひとつ、生まれながらにして別の神から信じられないほど大きな加護を得ていた。

 

 青の月女神(つきめがみ) リューシオン

 

 光に属する神――いわゆる善神であるため、決して凶兆(きょうちょう)というわけではない。だが、彼女が生まれた家が問題であった。

 

 彼女はその森に()むエルフの(おさ)血族(けつぞく)傍系(ぼうけい)――人間族で言えば、公爵(こうしゃく)に当たる血筋(ちすじ)に生まれたのである。

 

 基本的にエルフは穏やかな種族であるため争いは好まないが、何事(なにごと)にも例外は存在する。これだけ多大な神の加護を得ている赤子(あかご)が長に連なる血筋に生まれれば、“この赤子こそ次の長にふさわしいのでは?”と考える者がいても全くおかしくない。

 この世界は魔物や魔族が跋扈(ばっこ)する世界なので、長に森を護れる力があることは非常に重要視されるのだ。

 

 今まで通りの流れで長の血筋から次の長を出したほうが、争いは少なくなると主張する者。

 飛び抜けた力を持つ者こそ、森を護るために必要だと主張する者。

 

 どちらも“平和で穏やかな生活”を望むが故に、争いが発生してしまったのだった。

 

 その争いの結論がどうなったのか、リューナは知らない。知っているのは、自分が8歳を(むか)えた直後、リューナとその家族が森を護る結界の外で暮らさざるを得なくなった事実のみ。

 いくら親に訊いても教えてくれなかったが、リューナは幼心(おさなごころ)にただ“自分が他と違うから追い出されたのだ”とうっすら理解していた。

 

 その事から、自らに与えられた月女神の加護を(うと)み、憎むことでだんだんとその加護も失われていってしまったが、後悔はない。その加護はリューナにとって(うと)ましいものでしかなかったのだから。

 

 

 ――そして、悲劇は起こる

 

 

『……オマエが蒼月(そうげつ)巫女(みこ)か……それにしては、大した月女神の加護は感じんが……?』

 

 両親の血を()び、幼い弟を抱きすくめて(おび)えるリューナにかけられたそのひとことで、この頭から2本の角を生やした魔族の男の狙いが自分であることを知り、リューナは絶望した。

 

 そして、思った。

 

 ――森で……あの巨大な結界の中で過ごすことができたなら、父も母も死なずに済んだのに

 

 それは幼いリューナの自己防衛。“自分のせいで両親が死んだ”と認識したら心が壊れてしまうが故に、自分達を森から追い出したエルフたちへと責任を押しつけた。

 

 ――自分を“月女神の加護”なんてもので異端視(いたんし)しなければ、こんなことにはならなかったのだ

 

 そして、その時の想いはそのまま現在のリューナの心へ毒針のように突き刺さる。

 

 ――リリィを“魔王の使い魔”なんて肩書(もの)で異端視しなければ、こんなことにはならなかったのだ、と

 

 打ち上げで何の(うれ)いもなく姉と笑い合うリリィの姿……それが弟と笑いあう幼き日のリューナの姿と同じであることに、その幸せな光景をリューナは自らの手で粉々に打ち砕こうとしているということに、全てが終わった後で彼女はようやく気がついたのだ。

 

 リューナの血を吐くような告白が終わり、ヴィアはようやく口を開く。

 

「……なら、どうにかしましょう。ここでただ悔いていても何にもなりゃしないわ。あの女がわざわざ『薬を盛れ』って指示したくらいだから、記憶操作ってのはよっぽどデリケートな魔術なんでしょ。リリィ達に薬は盛ってないし、父さんに頭を()げてお願いすれば、うやむやにするくらいの情報操作はヴォルクがやってくれるはずよ。……それでうまくいくかは分からないし、リリィ達にどう()びれば良いかもわからないけど、それは明日、父さんやリリィ達と一緒に相談しましょう」

 

「……うん、そうですわね……ありがとうですの、ヴィー」

 

「礼を言われるほどの事じゃないわよ」

 

 そっぽを向くヴィアの頭頂部でピクピクと動く猫耳を見れば、リューナの礼に喜んでいることは明白なのだが、リューナは赤くはれた眼を嬉しそうに歪めてその様子を観察しながらも、その事を指摘はしない。

 

 ――だって、教えない方が面白くて……可愛いから

 

 そんなことを考えられるほどに自分に余裕が出てきたことを知ると、悩みを吐き出して安心したせいか、急に眠気(ねむけ)が襲ってくる。もう部屋に戻るのも、めんどくさい。たまにはこのまま寝るのも良いか、と酔いのまわった頭で考えて意識を手放そうとして……

 

 

 

 

「いや、そいつは契約違反ッスよね?」

 

 

 

 

 ――その声に、一気に意識が覚醒した。

 

 ダンッ!

 

 反射的に床を蹴り、座っていた椅子を音を立てて倒しながら、声が聞こえてきた方向にリューナは向き直る。いつの間にかヴィアも彼女の隣で僅かに腰を落とし、肉食獣の如き鋭い瞳で声の主を(にら)みつけていた。

 

「アンタ……いつの間に……!」

 

 ランプの光が届かない薄暗い闇の中、奥のテーブルに腰掛けている姿は、上から下まで黒ずくめの女。

 クロはヴィアの詰問(きつもん)を意に介さず、へらへらと笑っていることがありありと分かる声でしゃべる。

 

「困るんスよねぇー、契約と違うことされると。こっちの計画が大幅に狂っちまうんで」

 

「……なによ、アンタにはちゃんと約束通りの金額を渡したじゃない。別にアンタに罪を擦りつけるわけでもなし、何が不満だってのよ」

 

「それは貴女(あなた)が知る必要のないことッスよ。とりあえず、こっちの要求は1つッス。“当初の契約通り、罪をリリィ達に擦りつけること”。それさえ護ってくれれば、私が言うことは無いッス」

 

「仮に「絶ッッ対にっ! 嫌ですの!!」……リュー?」

 

 『言うことを聞かなければどうなる?』と訊こうとしたヴィアの言葉を(さえぎ)り、リューナが断固とした決意を込めた声で、クロの要求を拒絶する。

 

「わたくしは、もう後悔するようなことはしたくないですの! 仲間を売るなんてもってのほか! おとといきやがれですの!」

 

 ――まずい。ヴィアは(あせ)った

 

 警戒すべき相手が出てきたことである程度酔いが飛んだようだが、それでも長時間かなりの深酒(ふかざけ)をしていたためか、ピンポイントで逆鱗(げきりん)に触れられたリューナは、かなりの興奮状態にある。

 

 この色々な意味で得体(えたい)のしれない相手に真正面からケンカを売るなど、いつものリューナなら絶対にやらないことだ。なんとかしてリューナを落ち着かせて、早急に穏便(おんびん)に事を済ませなければ……

 

「……そうッスか……それは残念ッスねぇ……」

 

 

 ――遅かった

 

 

 ニヤリと笑っているのが、その粘着質な声音(こわね)からありありと分かる。なにか致命的なミスを犯したことだけはわかるのだが、それが何か、そしてどう対応したらいいのかがまるでわからない。

 とにかく、暴力的な手段に出られてもすぐに対応できるよう、全神経を()()ましてさらに腰を落とそうとしたその時――

 

「先に契約を破ったのは、そっちッスからね?」

 

 ドスッ!

 

「がっ……!?」

 

 重々しい肉を打つ音とともに、リューナが大きく目を見開いて前のめりに崩れ落ち、その膝が床につく前に、まるで鋼線(ワイヤー)にでも引っ張られたかのようにクロに引き寄せられた。

 一撃で気絶させられたリューナは、ひょいと俵抱(たわらだ)きに、肩に(かつ)ぎあげられる

 

「リュー!?」

 

(いったい何が……!?)

 

 ヴィアは何かあっても対応できるよう、クロの一挙一動を、その獣以上に敏感な五感を総動員して注意していた。

 しかし、リューナがやられた瞬間、彼女は()()()()()()()()()()()()のだ。単純に考えれば(なん)らかの魔術でやられたと思うのが普通だが、ヴィアは一切(いっさい)魔力を感じていない。むしろ戦闘態勢に入りかけていたリューナの方が、よほど力強い魔力を放っていたほどである。

 

(……いや、相手の攻撃のタネについて考えるのは後回し。まずはコイツの機嫌をとって、なんとかリューナの安全を確保しないと……!)

 

「待って、わかったわ。アンタの言うとおりにするから――」

 

「ああ、もういいッスよ」

 

 そう言ってヴィアがクロを(なだ)めようとしたところで、クロは事もなげに肩をすくめる。まるで、『そんなことはどうでもいい』と言わんばかりに。

 

「あなた達が契約を破るくらい、こっちも想定済みッス。なにせ、あの睡魔も水精もホントに良い子ッスからねぇ……“同情して流されることもあるだろうな”くらいは思ってたッス」

 

「……なんですって?」

 

 今、コイツは何と言った?

 『契約を破ることを想定していた』? 『本当に良い子』? コイツは、リリィ達には何の罪も後ろ(ぐら)いことも無いと分かっていながら、自分達にリリィを売り、リューナが罪悪感に(さいな)まれるのを眺めていたというのか?

 

 カッと頭に血が上り、ぐつぐつと煮えたぎるような怒りがヴィアの腹の底から()き上がる。

 

「んで、本音を言うと……別に貴女達が契約を破ろうと破るまいと、実はどうでも良かったりするんスよ。ぶっちゃけ、あの面倒な手順は、全部あなた達を巻き込まないためなんで、それを無視して良いなら、もっと簡単にことを進められるんス。……ってなわけで、ヴィアさん。リウラさんに伝言をお願いするッス」

 

 怒りで身体がブルブルと震えるのを必死に抑え込みながら、なんとかヴィアは理性的な返答をすることに成功する。

 

「……アンタがリューを返してくれたなら、考えてあげるわ」

 

 しかし、ヴィアの言葉をさらりと聞き流してクロはこう言った。

 

「『あなた達が襲った蔵の、本当の持ち主にリューナさんを突き出してるから、助けるならお早めに』、と」

 

「なっ!?」

 

 ヴィアが目を見開いて絶句しているうちに、クロはさらに言葉を続ける。

 

「ああ、他の人……特にブランさんには内緒にしといた方が良いッスよ? 母親に続いて父親まで亡くしたくはないでしょ? ……んじゃ、そういうことで、おやすみなさいッス。ベッドには運んどいてあげるッスから、安心してください」

 

「待っ……!?」

 

 またも何の予兆も無く鳩尾(みぞおち)に重い衝撃が走り、意識が暗転する。

 

(……リュー……)

 

 薄れゆく意識の中、ヴィアは己の軽挙な行動がこの事態を呼び起こしたことに、深く後悔するのだった。

 

 

 ――リリィとリウラの危機は、いまだ去っていない

 

 

 




 最後のリューナが(さら)われるタイミングで、実はリリィの性魔術によるリウラのパワーアップイベントが発生しています。

 しかし、表現が完全にR-18に踏み込んでしまったので、そちらはR-18に投稿いたしました。読まなくても、本編を読むうえで支障はありませんが、18歳以上の方は、もしよければ見ていただけると嬉しいです。



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第三章 リューナを救え! 前編

 ……もぞり

 

 ベッドの上で、リリィがわずかに身じろぎする。……数秒後、彼女はのそりと身を起こした。

 

 10歳くらいの年頃の睡魔族(すいまぞく)であるリリィは、金色に輝く髪に紅玉(ルビー)の瞳、白磁の肌を持つ、だれもが認める美少女である。可愛らしさと美しさ、そして睡魔族ならではの妖艶さを兼ねそなえた彼女の魅力は、まさに“魔性”と評するに相応(ふさわ)しい。

 

 ……だが、そんな彼女の魅力も、寝起き直後は半減中。

 寝癖が飛び跳ねる髪、眠気に胡乱(うろん)な瞳、半開きの口には唾液の跡がクッキリ。

 そして何より、キャミソールドレスの肩紐が外れて腹の(あた)りまでずり落ち、女性として見えてはならない部分が全開になっている有様(ありさま)は、いろんな意味でとても人様には見せられない。

 

 そして、彼女の肩紐を外してくださりやがった御方は、リリィの目の前でスヤスヤと安眠中。

 衣服を含めた全身すべてが薄い半透明の水色という、なかなかに特徴的な15~16歳程度の少女。

 

 リリィの姉にして常識ブレイカーこと、水の精霊リウラである。

 

 リリィは寝ぼけ(まなこ)でぼうっとリウラを見つめていると、まぶたを半分閉じたままハッと何かを思いついた表情になる。

 

 

(……ウォーターベッド……!)

 

 

 ……リリィの脳は未だ(本来の意味での)睡魔に占拠されている模様。

 手足を折りたたみ、身体を丸めるようにして眠るリウラを、ごろりと転がして仰向(あおむ)けにすると、リリィはリウラの上にもぞもぞとのしかかる。

 

(うわぁ〜……すっごい気持ちいい〜〜……)

 

 100%水分で出来ている、メイド・オブ・リウラ布団の感触は極上の一言(ひとこと)。わずかにひんやりとして、それでいてぷるんぷるんの触感が何とも言えずたまらない。

 快感のあまり、リリィの意識は数秒もたずストンと落ちた。

 

 部屋には再び姉妹の寝息が、二重奏でスヤスヤと響く。

 

 

 

 

 ……うち、片方の寝息が(うめ)き声へと変わるのに、そう時間はかからなかった。

 

 

***

 

 

「これなんて、どう!? ……お〜っ! やっぱり、似合う似合う!」

 

 ラギールの店の鎧コーナー……その一画で、リリィに白いワンピース(これも鎧の1種だ)をあてがうリウラの姿があった。

 

 リウラの睡眠中に寝ぼけてのしかかり、苦しい思いをさせたリリィ。

 昨晩、酔っぱらった勢いで、リリィのキャミソールドレスを盛大にはだけて、思いきりリリィの胸に吸いついたリウラ。

 

 2人は起きた直後、自分がやらかしたことに気づき、同時に『『ごめんなさい!』』とベッドの上で土下座敢行(かんこう)。その絵面(えづら)の珍妙さに彼女達は大爆笑し、お互い良い雰囲気で許しあった流れで、彼女達は朝食を済ませ、そのまま自分達の武器防具を(そろ)えるためのショッピングに来ていたのだった。

 

 ちなみに、リウラがリリィの胸に吸いついたのには、いちおう理由がある。

 

 実は昨晩、リリィはリウラに対して性魔術を行使している。

 これは事前にリウラと話し合って決まっていたことで、1日の終わりに余った魔力を使ってリウラを強化する事になっていたのだ。

 

 ゴーレム戦直後、リリィの魔力はほぼ空になっていたが、その後の宴会で食事をとってゆっくり休んだことで、ある程度魔力が回復していた。その魔力を使って性魔術を行い、リウラの魔力をパワーアップさせていたのである。

 

 (した)っているとはいえ、同性に性儀式(せいぎしき)を行うのは、リリィにとって少々複雑だったが、覚悟自体はできていたので、それはいい。

 問題はそのときにリリィが服用した薬にあった。

 

 ゴーレムを倒した後、蔵から宝物を運び出そうとしていたリリィは、蔵の中から優秀な魔力増強薬を見つけていた。

 リリィは性魔術を使う前に、この薬を服用して、性魔術の効果を高めていたのだが……その副作用として、一時的に母乳が出るようになってしまったのだった。さすがはエロゲ世界の薬。意味不明な副作用である。

 

 酔っぱらって寝てしまっていたリウラは、性魔術が終わった直後に目を覚ましたのだが……胸の部分を母乳で濡らすリリィのキャミソールドレスを見た彼女は、宴会で多量に摂取したアルコールが抜けきっていない頭で、こう考えた。

 

 

 

 ――飲んでみたい、と

 

 

 

 リリィの性魔術でパワーアップした直後のリウラと、性魔術を使った直後で、魔力がすっからかんになっていたリリィ……その勝敗など、語るまでもない。

 

 あわれ、リリィは延々(えんえん)と自分の胸を、リウラが寝落ちするまで彼女に(もてあそ)ばれることになったのである。

 

 

 

 

(それにしても……あれは、いったいなんだったんだろう……?)

 

 リウラの要求のままに着替えを繰りかえしながら、リリィは昨晩のことを思い起こす。

 

 リリィが性魔術を使ってリウラの魔力を強化しようと、彼女に己の魔力を浸透させたところ、予想外の事態にリリィは戸惑(とまど)った。

 

 ――封印

 

 魔力ではない別種の力で(ほどこ)されていたため、厳密には違うのかもしれないが、そうとしか呼びようのない異質な力が、リウラの身体への干渉を防いでいたのである。

 しかも性魔術を使って封印を無理やり解除した時の手ごたえがおかしく、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それも、リウラは眠っていて、意識がなかったにもかかわらず、である。

 無事に強化は完了したものの、リウラの身体に何があったのか、非常に気になる。

 

 しかし、訊いてみても、リウラにはまるで心当たりがないという。

 

 強化する際に判明した、水精(みずせい)とは思えないほど強大なリウラの潜在能力についても、リウラは『わからない』と首を横に振るばかり。

 嘘をついている様子も、隠しごとをしている様子もなく、真相は闇の中だ。

 ……まあ、不都合は無いので、そこまで頭を悩ませる必要はないのかもしれない。

 

 だんだん着替えが面倒(めんどう)になってきたリリィは、さりげなくリウラとの会話を誘導して着せ替え役をアイに押しつけると、「ちょっ!? リリィさん!?」と慌てふためく土精(つちせい)の声を無視して武器コーナーへと向かうのだった。

 

 

***

 

 

「お嬢~、そろそろ起きないと昼飯ですぜ~。いくら昨日飲み過ぎたっていっても、さすがにそろそろ起きないとまずいですよ~」

 

 コンコンコンと軽い音を立てる3回ノック。それと共に響く狼顔(おおかみがお)の家族の声を聞いた瞬間、ヴィアはバンッ! と跳び起きた。

 素早く腰をかがめつつ腰のダガーに手をかけて周囲を観察したヴィアは、既にリューナもクロもいなくなっていること、そして気を失う直前と光景がガラリと変わっていることに気づいた。

 

(……私の部屋?)

 

 軽く口の中を噛み切って、魔術で()かされていないか確認する。あまりに高度な魔術であれば意味のない行動ではあるが、簡単なものならばこれで解ける。

 しかし、ヴィアの視界に映る光景にも、感じる気配にも変化はない。ならば、おそらく今の光景はありのままの現実であり……そして、それはリューナが(さら)われてから数時間、へたすれば10時間以上()ってしまったことを意味していた。

 

(わざわざ私を部屋まで送り届けた……? いや、私が食堂で倒れていたら父さんに“何か”があったと気づかれる。そうしてまでも、父さんに事態を気づかせたくなかった……?)

 

 ヴィアは急いでドアに駆けよって開くと、急いでいる様子のヴィアに怪訝(けげん)そうな顔をするヴォルクに訊く。

 

「ヴォルク! リューを見なかった!?」

 

「リューナ嬢ちゃん? いえ、朝から見ちゃいませんが……何か、あったんですかい?」

 

 ヴォルクの眼が細められる。ヴィアをも(しの)ぐ狼さながらの嗅覚が、敏感にヴィアの発汗状態を嗅ぎ分け、普段の彼女からは考えられない程の焦燥状態にヴィアが(おちい)っていることを知ったからだ。

 ヴォルクの変化を見て自分が焦っていることを悟られたと理解したヴィアは、自分がこれからどうすれば良いのか考え込む。

 

(どうする……!? 私はどう動けばいい!?)

 

 “このままヴォルクに状況を全て話し、そのままブランに伝える”、というのも手の(ひと)つだ。

 “『ブランに伝えるな』とクロが言った”ということは、“それをされるとクロが困る”、ということ。誘拐犯が『衛兵団には伝えるな』と言うのと同じである。良く(おさ)められた法治国家であれば、それで解決する、というケースも少なくない。

 

 だが、逆に最悪の事態を引き起こすパターンも、ままある。

 『これはダメだ』と判断した犯人が、人質を奴隷商に売っぱらって、少ないながらも金銭を手に入れてから高飛びしたり、酷い時には“少しでも自分の情報を減らしておこう”と人質を殺してサッサと雲隠れするなんて事例も珍しくないのだ。

 

 クロがどちらのパターンであるかなど、考えるまでもない。彼女との約束を破ったリューナがどうなったかは、嫌というほど理解させられたし、そのうえ神出鬼没の移動能力を持つのだ。まちがいなく後者だろう。

 

 ――『ヴィアさん。リウラさんに伝言をお願いするッス』

 

 ……業腹(ごうはら)だが、今はあの黒ずくめの言うとおりに従うしかない。

 

「ごめん……何かあったのは事実だけど、話せないわ。なるべく知られたくもない」

 

「……」

 

 真剣な眼でヴィアとヴォルクが見つめ合う。ややあって、ヴォルクが頷いた。

 

「わかりやした。俺は何も見なかった、聞かなかった、嗅がなかった……そういうことで良いんですね?」

 

「うん、ありがとう」

 

 ヴィアはそういうや否や、すぐさま駆け出した。

 

 こうしている間にも、リューナが酷い目にあわされているかもしれない、殺されている可能性だって高い。いくら急いでも、急ぎ過ぎるということはないのだ。

 

 水そのものに近い身体を持つリウラは、匂いが非常に残りにくい。ヴィアは軽く鼻を鳴らすと、リリィの匂いを追って宿を飛び出した。

 

 

***

 

 

 最愛の姉(リューナ)に買い戻されたその日に基本的な引きつぎは済ませたとはいえ、前店主(リシアンサス)から現店主(ヨーラ)へと引きつぐべき業務は、まだまだ多い。ひと口に“ラギールの店”といっても、店にやってくる顧客の特徴やその土地特有の文化・気候が店舗ごとに異なるため、仕入れる商品から顧客の対応方法なども全く違い、それに合わせて業務が変わってくるからだ。

 

 いつリシアンサス自身が誰かに買われても問題なく引きつげるよう、そうした資料は残してはあるものの、紙面から情報を読み取るのと、前任者が口頭で、あるいは実演で情報を伝えるのとでは、引きつぐ者の理解度がまるで違う。全ての業務をスムーズに行えるようになるためには、最低でも1ヶ月はこの店に通う必要があるだろう。

 

 とはいえ、今や奴隷でもなければ、“ラギールの店”の店員でもないリシアンサスに、それをする義務はない。これはリシアンサスの責任感あってのことであり、ヨーラとリシアンサスの間で結ばれた短期非正規雇用(アルバイト)契約があってのことだった。

 

 お祝いで夜遅くまで飲んでいるであろうことを(おもんぱか)って、『昼からの出勤でいい』とヨーラに伝えられたリシアンが、その言葉に甘えて午後に店の裏口を(くぐ)ると、

 

 

 

 

 ――そこは濃密な魔力と、強烈な怒気に満ちていた

 

 

 

 

 浴びていたら息が詰まるどころか、息絶えてしまいそうなほど強烈なそれらを放つのは、カウンターの前で(にら)み合う2人……リリィとリウラである。

 

 べったべたに仲の良いあの2人が、まるで今から殴りあいでも始めそうなほど険悪になっている異常事態に、リシアンはあんぐりと口を開けて呆然としている。

 

 おまけに2人のすぐ(そば)には、2人に向かって土下座をしているヴィアの姿。

 もう訳が分からなかった。

 

 グッと服の(すそ)を握られる感覚にふと我に返ると、いつの間にか隣に涙目になった金髪おさげの少女がいた。エルフそっくりの容姿だが、ふくらはぎのあたりから木の根が巻きついたような足になっている11~12歳くらいの少女……リシアンの後輩であり、現在のラギールの店の店主でもある木精(ユイチリ)――ヨーラである。

 

「先輩! これ、なんとかしてください!!」

 

「待って待って!? まず状況を説明して!!」

 

 ヨーラは聞き取りづらいほど早口で、リシアンに今の状況を語りだした。

 

 

 

 

 

 ――ヴィア達が立てていた計画。その背景

 ――そして、クロという共謀者の存在と、リューナの誘拐

 

 クロが『他の人に言うな』と言ったがために、ヴィアはこれらのことを誰にも相談できない。しかし、たった1人、例外的にこのことを話せる人物がいる。

 

 そう、クロが伝言を頼んだ人物であるリウラだ。

 

 ヴィアは彼女にクロの伝言を伝えると同時に、その場で深々と土下座してリューナ救出の助力を願い出た。もはや、彼女には他に頼れる者がいなかったためである。

 

 ヴィアからもたらされた情報を聞いたリウラは、一も二もなくリューナの救出を了承した。

 自分達が罠に()められようとしていたにもかかわらず、『計画を止めようとしてくれていたのだから気にしない』『それよりも急いで助けないとリューナの命が危ない』と、なんのわだかまりもなく言ってのける(さま)は、まちがいなく大物か底抜けの大馬鹿である。

 

 ところが、ただごとではない様子で急いで店を出ようとするリウラの姿を、リリィに見られてしまった。

 その場で問いただされるも、隠しごとが下手なリウラの説明は要領を得ず、さらに怪しまれた結果、『黙っているならば、無理やり魔術で記憶を覗く』と脅され、結果としてリリィどころか、もめている様子を見に来たヨーラにまで事情を知られてしまったのだ。

 

 

 

 ――そして、リリィは激憤(げきふん)した

 

 

 

 愛する姉(リウラ)は、彼女にとって己の命に続く第2の逆鱗(げきりん)。“リウラを(くだん)の危険な魔族の元に向かわせる”ということは、“彼女を命の危機に(さら)す”ということ。

 リリィ自身の命を救うために危険に晒している現状ですら受け入れがたく、本当ならば他の水精(みずせい)達とともに避難してもらいたいくらいなのに、自分達を罠に嵌めた者達の尻拭(しりぬぐ)いのために、リウラに更なる危険を(おか)させるというのだ。

 これにリリィが怒らないわけがなく、彼女はリューナの救出を断固拒否したのだった。

 

 それは“リリィ1人だけ助けに行かない”という意味ではない……“()()()()()()()()()()()()()()()”という意味である。

 

「リリィ、そこをどいて! 今は時間が無いの! リューナさんを助けたら、後でいくらでも話し合うから!」

 

「絶対、嫌! お姉ちゃんは自分がどれだけ危ないことをしようとしてるのか、全然理解してない! なんで私達を身代わりにしようとしてた奴らなんかのために、そんなことするの!?」

 

 

 ――リウラには妹が理解できなかった

 

 たしかに、自分達を罠に嵌めようとしたことは、いけないことだろう。だが、リューナは反省して件の計画は未遂で済み、ヴィアも恥を(しの)んでこうして頭を下げてきているではないか。

 なら、まずは失われようとしているリューナの命を確保するべきだ。罪の清算やら何やらはその後ゆっくり考えればいい。こうしている間にもリューナの命が失われようとしているのだから、急がねばならないのに……。目の前に立ち(ふさ)がり続ける妹に、リウラは焦燥を(つの)らせる。

 

 

 ――リリィも姉が理解できなかった

 

 ヴィアの話からすれば、件の魔族は、リリィの眼から見て高い戦闘力を持つヴィアやリューナだけでなく、この巨大な町を丸々1つ支配しているブランですら手を出そうとしない相手らしい。

 

 であるならば、それはリリィやリウラにとって、まちがいなく手に余る相手だ。相対(あいたい)すれば、高確率で死ぬか、死ぬ以上に酷い目にあわされるだろう。基本的に何かされても泣き寝入りした方がまだマシな相手なのだ。

 そんな危険な相手の縄張りに入り込むなど正気の沙汰(さた)ではなく、ましてや自分達を(おとしい)れようとしていた者を助けるためになど、言語道断であった。

 

 さらに言えば、ヴィアの話から時間的に考えて、リューナはとうにその魔族の前に突き出されているはずだ。気が短い相手なら、彼女はとっくに死んでいるだろうから“もう手遅れ”と考えていいし、仮に(とら)われていたとしたならば、拷問(ごうもん)などでリリィ達の情報を引き出され、既にリリィ達に追手がかかっていてもおかしくない。

 むしろ、こんなところで問答(もんどう)している場合ではなく、今すぐにでも逃げださなければならないのに、頑迷(がんめい)に自ら死地に向かおうとする姉に、リリィは焦りと苛立(いらだ)ちを募らせる。

 

 “このまま口論していても(らち)が明かない”と判断したリウラが、リリィを(かわ)して助けに向かおうと画策(かくさく)し、それをリウラの魔力の活性化から察したリリィが、“そうはさせじ”と同じく魔力を練り、妨害しようとリウラの動きに神経をとがらせる。

 

 2人の激突に、あわや店の崩壊か、とヨーラが青ざめたその時――

 

 

 

 

「お願いします……今だけで、今だけでいいから……! 力を貸してください……!」

 

 

 

 

 姉妹喧嘩(げんか)(さえぎ)ったのはヴィアだった。

 

 本当は横から口を出す資格なんて自分にはないと、彼女は重々承知している。しかし、今はとにかく時間がない。このまま延々とこの姉妹喧嘩を横から見ていては、本当に手遅れになってしまう。

 

「私にできることならなんでもしますから……だから、お願い……!」

 

 血を吐くような声、とはこのことだ。並大抵の者であれば、その悲壮な響きに同情し、首を縦に振っていただろう。

 

 

 

 ――だが、リリィは“並”ではなかった

 

 

 

「へぇ……()()()()ねぇ……?」

 

 

 

 ゾクリとリウラの背筋が震える。

 

 まるでモノを見るかのような無機質な瞳、ヴィアを見下しきった傲慢(ごうまん)な笑み……そして粘着質に絡みつき、人を(あざけ)るその声の響き……それは、まるで……

 

(……悪魔、みたい……)

 

 ディアドラと相対(あいたい)した時、リウラの身を案じたが為に見せたような演技ではない。まぎれもない本心からの表情であることがリウラには分かった。

 

 ……コレは誰だ? 本当にコレは自分に(なつ)いて甘えてくるあの子なのか? リウラの命を守るために悪役まで演じたあの優しい妹が、本当にこんな表情をするのだろうか?

 

 リウラが動揺で固まっている間に、リリィはヴィアの目の前に片膝をついてしゃがみ込み、人差指でヴィアの(あご)を持ち上げて顔を上げさせる。

 

「じゃあ、あなた……私が『死ね』と言ったら死ぬんだ?」

 

 そのあまりに無体(むたい)な言葉に、リウラはカッと頭に血が(のぼ)るのを感じ、反射的にリリィの頬を叩こうと平手を振り上げた瞬間、

 

 

 「――良いわ」

 

 

 ヴィアの口から肯定の言葉が放たれた。

 なんの迷いも躊躇(ためら)いも無い即答――リリィとリウラの眼が驚愕に見開かれる。

 

「リューが助かった後でなら、どんな死に方でもしてあげる。アンタに(なぶ)り殺しにされても、浮浪者に犯されながら殺されても文句は言わない……信用できないなら、私を魔術で縛ってくれていい」

 

 彼女の目を見て、まちがいなく本気で言っていることを理解したリリィが呆然と尋ねる。

 

「どうして……そこまで……」

 

 真剣で、それでいて誠実なまなざしがリリィの紅い瞳を射抜く。

 

 

「それは、リューが私にとって――」

 

 

 ――『うわぁ! 猫耳少女、超かわいいですの! ……え、マフィア? それ、わたくし達を襲った魔族より怖いんですの?』

 

 

「マフィアのボスの娘である私を、初めてありのままで見てくれた友達で――」

 

 

 ――『ヴィアの気持ちは正しいですの。親を失えば憎いのは当然。その気持ちを押し込めて、否定して生きたら、ヴィアはきっと歪んでしまいますの』

 

 

「母さんを失った私の気持ちを、初めて理解してくれた人で――」

 

 

 ――『あなたを救けに来たに決まってるですの! ……って、なんで泣くですの~!? うわっ、追ってきた!? ほら、ヴィア、あなたの短剣(ダガー)ですの! 早く立って走れ~~~~っ!!』

 

 

「共に苦難を乗りこえた戦友で――」

 

 

 ――『ありがとうですの、()()()……今日から私は、リューナ・S・()()()()ですの!』

 

 

「血のつながらない……大切な妹だからよ」

 

 

 ギリ……!

 

 食いしばったリリィの歯が鈍い音を立てる。

 

 リリィには、ヴィアの気持ちが痛いほどに分かる。分かってしまう。

 

 ……だってそれは、リリィがリウラに対して抱いている気持ちと同じだから。

 魔王の使い魔であると知っても、それでも自分を受け入れてくれた時のやすらぎと嬉しさを知っているから。

 ありのままの自分を受け入れてくれる存在が、どれほど()(がた)く、尊いのかを知っているから。

 

 

 ――“()()”というものの温かさを、知っているから

 

 

「僕からもお願いします」

 

 この場に居ないはずの人物の声が自分の後ろから聞こえ、ヴィアはバッと振り返り絶句する。

 

「リシアン!? いつの間に……!?」

 

 リリィ達の説得に夢中で、リシアンの接近に気づかなかったヴィアは、呆然とリシアンがヴィアと同様に地面に両膝をつき、額を地面に(こす)りつける(さま)を眺めてしまう。

 

「姉さんは僕にとっても命よりも大事な人です……なんでも言うことを聞きます。僕が持っているものも全て差し上げます。だから、どうか姉さんを助けてください……!」

 

 

 

 ………………………………。

 

 

 

 沈黙が横たわる。

 ややあって、リリィはゆっくりと口を開いた。

 

「……その魔族の名前は……?」

 

「……“暴君ブリジット”」

 

 ヴィアの回答に、リリィは(わず)かに目を細める。

 数秒の思考を終えると、リリィは言った。

 

「……わかった」

 

 バッと、ヴィアとリシアンがリリィに目を向ける。

 2人の眼に入ったリリィの表情は、とても厳しい。しかし、それは覚悟を決めたが故の表情であり、今の回答が嘘や冗談ではない証拠であった。

 

「ただし、条件がある」

 

 リリィが続けた言葉に、2人は気を引き締める。

 リリィはヴィアと視線を合わせながら言った。

 

「ヴィア……()()使()()()()()()()()()

 

 !!?

 

 ヴィアとリリィを除く、その場にいた全員が驚愕に固まる。

 なぜなら、その言葉は『私の奴隷になれ』と言ったのとほぼ同義だからだ。

 

「あなたは信用できない。向かった先で私達を(おとり)にしても、犠牲にしても全然おかしくない。だから、あなたの行動を使い魔の契約で縛らせてもらう。それさえ呑めば……」

 

 ひと呼吸おいて、リリィは続ける。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……全力でリューナさんを助けてあげる」

 

「……ありがとう」

 

 自分がリリィ達にしたことを考えれば、充分すぎる返事である。

 ヴィアは神妙に頷いた。

 

 ヴィアの返事を聞いたリリィは1つ頷くと言った。

 

「ヴィア、すぐに装備を整えて。足りないものは全部この場で買い(そろ)えて良いから。お金は全部、私が出す」

 

「……え?」

 

 ヴィアは硬直する。

 

 たしかに、一刻(いっこく)も早くリューナを助けに行かなければならず、また他の者に極力気づかれてはならないのだから、“水の貴婦人亭”に帰って装備を取ってくるのではなく、この場で装備を整えるのは適切な対応である。

 

 また、リシアンを買い戻すのに資金のほぼ全てを使い、蔵の宝物の残りは報酬としてリリィに渡してしまったヴィアに、全装備を購入する資金力など無い。リリィがお金を出すのもまた適切な対応なのだが……先程までの嫌がっていた態度からすれば考えられない、気前の良すぎる言葉に、ヴィアの頭は状況を理解できず、思考が停止してしまっていた。

 

「それと、リューナさんが使っていた装備も一式そろえて。向こうで装備を取り上げられてたら、彼女が戦力にならない。……リシアンさん、ヴィアとリューナさんの装備、わかりますか?」

 

「……あ、はい。だいたいは」

 

「では、すぐに用意してください。ヴィア、来て。1分で使い魔の契約を済ませるよ」

 

「ちょっ、ちょっと待ってよリリィ! なんで急にそんなやる気になってるの!?」

 

 リウラが慌ててリリィを止める。180度方向を変えた態度を取り始めたリリィのあまりの豹変(ひょうへん)ぶりに、思わず止めずにはいられなかった。

 

「……私はただ、リシアンさんの顔を立てただけだよ。別にヴィアのことを許したわけじゃない。……それに、私は、危なくなったらお姉ちゃんを気絶させてでも、リューナさんを見捨てて逃げる気満々だからね」

 

 リウラを強い視線で射抜くリリィ。

 その様子をじっと見たリウラは、ややあって、心のうちで“ああ”と納得する。

 

 なるほど、リリィの言葉は嘘ではないだろう。本当にリシアンのために動いたのだろうし、いざとなったら本当にリウラは気絶させられて、リューナを見捨てて逃げるに違いない。ヴィアのことも、決して許していないのだろう。

 

 しかし、それだけの理由で彼女が動くはずがない。それだけの理由で、これだけ決意に満ちあふれた眼になれるはずがない。

 

 

 ――『ねぇ、リウラさん……私たち、家族なんですよね?』

 

 

 彼女が自分を“姉”と呼ぶようになったきっかけを、リウラは思い出す。

 

 リリィ本人に自覚はないだろうが、生まれて間もなく親を失い、周囲に居たであろう魔王の配下をも失った彼女は、家族に飢えている。だからこそ、あんなにもあっさりとリウラに懐き、家族として見てもらえることを心の底から喜んでいたのだ。

 

 そんな彼女が、あんなに必死に『家族を失いたくない』と訴えられて、心が揺さぶられないわけがない。“助けてあげたい”と思わないわけがない。

 

 姉を失いたくないリシアンのため……そして、妹を失いたくないヴィアのために。

 

 

 

 ――原作知識のないリウラには知る(よし)もないが、最終的にリリィが“リューナを助ける”と決断を下した理由はもうひとつある

 

 それは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 “魔族姫ブリジット”は原作の登場人物であり、魔王の幼馴染という極めて重要な立ち位置を占める魔族である。

 

 彼女はどうやら魔王ほどの才能はなかったらしく、原作でほとんど力を取り戻していない状態の魔王と、いまだ成長し始めたばかりのリリィが勝利を収められる程度の実力しかない。したがって、リリィは“もし戦闘になっても、勝利できる可能性は充分にある”とふんだのである。

 勇者の血族である女性と戦っても逃げ切った描写があるため、決して油断できる相手ではないだろうが、勝てない相手ではない……そうリリィは考えたのだ。

 

「ほらヴィア、早く来なさい! 間にあわなくなる! ヨーラさん、すみませんがベッド貸してください」

 

「は、はい! こちらです!」

 

 リリィが(わず)かに頬を赤くしながら、ヴィアの手首を力強く引っ張って連れていく。

 リューナの命が危険にさらされている今、たしかに急ぐべきなのだろうが、どこかリリィらしくない様子にヴィアは首を(ひね)る。これではまるで何かを照れ隠し……いや、むしろ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……

 

「……って、()()()?」

 

 ヴィアがリリィの発言に疑問を感じた直後、ガチャリと鍵が閉まる音がする。

 

 

 ――自分が入った部屋を見て、ヴィアは硬直した

 

 

 妙に雰囲気の良いつくりの部屋である。例えるなら、()()()()()()()()()()()()()()……

 

 ラギールの店では、買い物をするとポイントがたまるシステムになっている。そしてある一定以上のポイントがたまると、店主に性的なサービスを提供してもらえるのだ。

 ……さて、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ――そう、ここは()()()()()()をするための部屋なのだ

 

 

 膨大な魔力にものを言わせて強化した脚力を使って、ヴィアが反応できない速度をもってスパンと彼女の足を払い、ベッドに押し倒すリリィ。彼女は素早くヴィアの胴にまたがり、肩をベッドに押さえつける。

 

「時間がないの。できるだけ抵抗しないで、私に身を任せて。30秒でイきなさい」

 

「待って、リリィ! お願いだから待っ……!?」

 

 

***

 

 

「うわぁ……」

 

「……(赤面)」

 

「……(苦笑)」

 

 ラギールの店の“サービス部屋”は、プライバシー保護のため結構防音効果が高いのだが、それでも防ぎきれないほど大きくて色っぽい絶叫が漏れ聞こえ、リウラ、ヨーラ、リシアンは頬を赤く染める。

 

 余談だが、全身が水であるはずの水精(みずせい)も、理由は不明だが、不思議なことに恥ずかしがったり、お酒を飲んだりすると、頬が赤く染まる性質がある。

 

「あの……使い魔にするのって、ああいう方法しかないんですか……?」

 

 ヨーラがヴィア達の装備を用意しながら、恥ずかしそうにリウラに問う。

 

「なんか、いくつかやり方があるらしいよ? 水蛇(サッちゃん)の時は全然違う方法だったし」

 

 リウラも詳しくは()いていないが、使い魔の契約を結ぶ際に複数の手段があることだけはリリィから教わっている。何も知らない自分では分からないが、今回はあの方法が適切なのだろう。

 そんなことを話していると、ガチャッと扉が開き、ぐてっと全身の力が抜けたヴィアを肩に(かつ)いだリリィが部屋から出てくる。

 

「ヨーラさん、治癒の水を1本ください。……ほらヴィア、しっかりして。装備を整えたら、すぐに出発するよ」

 

 睡魔がもたらす想像を超えた快楽に打ちのめされたヴィアは、顔を真っ赤にして目を(うる)ませながら夢心地になっており、その様子はものすごく色っぽい。

 使い魔契約をするための性魔術によって、わずかに吸い取られたヴィアの体力を回復させるため、リリィは壁にもたせ掛けるように彼女を床に(すわ)らせてから、その手に回復薬を握らせる。……が、自分で薬を飲む気力も無いようで、しかたなくリリィは自分で(びん)の口を(ひね)り、手ずからヴィアに薬を飲ませている。

 

「あの様子なら、道中で仲違(なかたが)いする心配はなさそうですね。……リウラさん、姉さんたちのこと……どうか、よろしくお願いします」

 

 神妙に頭を下げるリシアンに、リウラは自らの胸をドンと叩いて(こた)えた。

 

「まっかせといて!!」

 

 

 

 

 

 

『私も微力ながら力になります。安心して待っていてください』

 

(……アイさん……いたんだ……)

 

 リウラの首に下げられた琥珀色(こはくいろ)の魔石――リリィが錬金して作成していた、使い魔を収納できる魔法具、“喚石(かんせき)”から土精(つちせい)の声が聞こえる。

 

 リウラの着せ替え攻撃から逃げるため、この魔石に逃げ込み……そのまま喧嘩(けんか)が始まって出るに出られなくなっていたヘタレなアースマン――アイであった。

 

 

***

 

 

「……おっきい……」

 

 リウラの目の前に有るのは、ブリジットの居城。

 リウラは、まるでゴーレムがいた(とりで)を見た時のことを再現したかように、目を真ん丸にして呆然と(つぶや)く。

 

 なぜなら、その規模・装飾・堅牢さ・感じられる手下達の気配の数や質……全てが先の砦とは比べものにならないほど立派だったからだ。

 これが要所防衛のための軍事基地である“砦”と、領主や将軍らの居住施設を兼ねた戦時防衛拠点である“城”の違いである。

 知識としてシズクから習ってはいたのだが……実際に見て体験すると、想像以上に大きく感じる。

 

(……良かった。リューナさん、まだ無事だ……)

 

 そして、この城の中からリューナの気配を感じる。少なくとも殺されていないことは確実であり、気配もそう小さくなっていないことから、体力が減るような事態にもなっていないのだろう。リウラは、ほっと胸をなでおろす。

 

「ヴィア、作戦は?」

 

「……私が忍び込んだら、全員正面から突っ込んで、なるべく城門付近で暴れて。危なくなったり、ブリジットの気配がそちらに向かい出したら、すぐに撤退。その間に、私はリューを探して確保・脱出。事前に決めておいた場所で落ち合って終了よ」

 

 普段まったく行動を共にしていない相手と1回共に戦った程度で、うまく息を合わせられるはずがない。

 おまけに、リシアンを救うため、数年にわたって盗みを働いていたヴィアは潜入経験も豊富だが、彼女以外は全員、潜入などしたこともないド素人だ。陽動や囮以外の役目がこなせるとは思えない。

 この広さの城で探索者がヴィア1人というのは心許(こころもと)ないが、城にいる者の目がリリィ達に向けば、ずいぶんと探索が楽になる。

 

 “城門付近で”と限定したのは、潜入の素人の彼女達が下手に内部に侵入して暴れたら、かこまれて(すみ)やかな撤退が難しくなるためである。

 

 リリィは“自分達が囮にされる”という点に、眉をひそめつつ少し悩むも、他に良い案も浮かばないため、しぶしぶ頷く。

 

「……しかたないか。その作戦で良いけど、本当に少しでも危険を感じたら、すぐに私達は逃げるよ。さっきも言ったけど、あくまでも私とお姉ちゃんの命が最優先だからね」

 

「……わかってるわ」

 

 クロから既に情報が伝わっている可能性が高いとは思うものの、念のため、鼻から下を黒布で(おお)って正体を隠したヴィアは頷く。しかし、リリィ達が逃げ出すまでにリューナを救いだせるか不安なのか、彼女の表情はハッキリと強張(こわば)ってしまっている。

 

 その様子を見て、リリィは少し考える。

 

「……私の使い魔になった今のヴィアなら、心話(しんわ)が使える。念じれば、私と心で会話できるから、もしリューナさんを確保できたら、それで私に連絡して。逃げ道だけは作ってあげる」

 

 ヴィアは驚きに目を見開く。今のリリィの提案は、リリィ達自身がブリジットと接敵しかねない、極めて危険なものだったからだ。

 

 そしてリリィの覚悟を決めた厳しい表情を見て、その言葉が嘘でないことを確信する。自分と姉の命が最優先の彼女にとって、それが限界ギリギリの譲歩なのだろう。罠に()めようとした自分に対し、ここまで譲ってくれたことにヴィアは(ひと)つ頷いて感謝する。

 

「……ありがとう」

 

 リリィも頷き返して、リウラに顔を向ける。

 

「お姉ちゃん。霧、出して」

 

「オッケー」

 

 グッと親指を立ててリウラが首を縦に振ると、スゥッと辺りから霧が湧き出し、城の門とその番人達を覆い隠す。

 門番が戸惑(とまど)った声をあげる時には、すでにヴィアの身体は門の内側に(すべ)り込んでいた。

 

「……1人で大丈夫かな?」

 

「わからない……ヴィアの腕を信じるしかないと思う」

 

「あの……“逃げ道を作る”って、具体的にどうするんですか?」

 

 リリィ達の話を邪魔しないように黙っていたアイが、疑問に感じていたことを尋ねる。

 

「“心話”って言ってたから、ヴィアさんに道を()いて突入するんじゃないの?」

 

 使い魔との契約方法によっては、使い魔と心で会話を交わすことができるようになる。これでヴィアの大まかな現在地を訊いて、突入して道を確保するのだろうとリウラは考える。

 

「ううん。それじゃ間に合わないどころか、迷ったあげく、大量の敵に足止めされてヴィアの所にまでたどり着けなくなると思う」

 

 へたに探索の素人である自分達が動きまわっても、ヴィアにたどり着くことはまず出来ない。こういった城では、侵入者が自由に攻められないよう、道が迷路のように入り組んでいることが多く、いくらヴィアから正しい道順を聞こうとも、迷ってしまう可能性は非常に高い。

 そうしてリリィ達が迷っている間に、構造を熟知した敵に奇襲を受けて足止めをくらってしまうだろうことが目に見えていた。

 

「え……じ、じゃあどうするの?」

 

 とまどう水精(みずせい)に、リリィは事もなげに答えた。

 

「ヴィアが現在地を連絡してきたら、城の外からヴィアのすぐ(そば)に偽・超電磁弾を撃ちこんで道を作る」

 

 精霊ズが固まった。

 この悪魔(あくま)()は、『()()()()()()()()()()()()()()』と言い放ったのである。

 

「そ、それ……ヴィアさん達を巻き込んじゃうんじゃ……」

 

「使い魔と主は、お互いの居場所を感じ取れるから大丈夫。リューナをヴィアがしっかり確保していれば、2人を避けて撃つ事はそう難しくないよ。1発くらいで城が崩れることもないと思うし……………………たぶん」

 

 最後だけ自信なさげに言うリリィに、2人は不安の色を隠せない。

 

「ただ、偽・超電磁弾を撃ったら私の魔力がほとんどなくなるから、逃げるサポートがあまり出来なくなるの……だから、お姉ちゃん、アイ。フォローはお願い」

 

「……わかった!」

 

 “不安に思ったところで何も変わらない”と不安を断ち切り、リリィの頼みに真剣な表情でリウラは頷く。対してアイの方は、なんとも言えない微妙な表情で考え込み……その後、おずおずと手を()げる。

 

「あの……それなら1つ提案が……」

 

 思いついた内容をアイが語ると、リリィの眼が驚愕に大きく見開かれた。

 

 

***

 

 

(……間違いない……ここからリューの気配がする……)

 

 昏倒(こんとう)させた見張りが倒れる(そば)で、大きな観音開きの扉に猫耳を当ててヴィアは中の様子を(うかが)う。

 

 城に潜入したヴィアは入り組んだ迷路のような道程を踏破し、ほどなくしてリューナの気配の詳細な位置まで特定する事が出来ていた。

 

 その場所は、なんと()()()()()()()()()

 

 通常ならば、“玉座の間”が位置しているはずの場所である。中からはブリジットと、その側近と思われる強い力を感じる。

 

 この状況から考えられる可能性は、大きく分けて4つ。

 

 1つ目はリューナとブリジットが対峙(たいじ)、もしくは戦闘中。

 2つ目はリューナが捕まって、ブリジットの前に引きずり出されている。

 3つ目は罠。ヴィアが既に潜入していることに気づき、リューナを(えさ)として使っている場合。

 そして4つ目は……

 

 ――次の瞬間、ヴィアの思考をその一言(ひとこと)が断ち切った

 

 

 

「ブリジット様~? 扉の外にネズミ……いえ、猫が1匹隠れているよう()()()♪」

 

 

 

(!?)

 

 突如(とつじょ)聞こえてきた声とその内容にヴィアが激しく動揺し、一瞬身体が硬直する。

 そのとき、彼女の頭の中に、どこかで聞いたことのある女性の声が響いた。

 

 

 

 ――『右に跳びなさい!』

 

 

 

 ヴィアが反射的に“声”に従って跳び退()いた瞬間、扉が吹き飛び、目の前を高密度の魔力弾が通過してゆく。冷や汗を垂らしながら、扉が吹き飛んだことで空いた大きな穴へとヴィアは向き直った。

 

 先程ヴィアが動揺した理由は、自分が(ひそ)んでいることを見抜かれたからではない。扉の中から聞こえてきた声がヴィアのよく知る人物のものであり、さらにその人物がするはずのない発言をしていたからだった。

 

 

 

「いらっしゃいですの、()()()。あまりに遅くて、待ちくたびれてしまいましたの」

 

 

 

 ヴィアの潜む位置を伝えたのは、ヴィアが助けにきたはずの人物であった。

 

 

 

 

 ――4つ目。それは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 



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第三章 リューナを救え! 中編1

 想定される最悪のパターン……それは、“リューナから情報を引き出された上で、リューナが殺されていること”。

 では、その次に最悪のパターンとは、なんだろうか?

 

 それは、“リューナから情報を引き出された上で、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()”パターンである。

 

 別にヴィアは、“リューナが自分の意思で裏切る”などとは欠片も考えていない。彼女とヴィアの間に築かれた絆は、それを確信できるほどに固く、太い。

 だが、この世界には魔術的に敵を取り込む方法なんて、洗脳から魅了、はては重要な記憶の抹消まで、掃いて捨てるほどに存在するのだ。

 

 そして、今……リューナに(ほどこ)されているものは“魅了”。とろけるような笑顔とともに、かたわらの睡魔(すいま)に寄り添っているのだから、まちがえようがない。

 

 今やリューナはその睡魔の恋奴隷と化したが故に、睡魔の主であるブリジットにも当然(かしず)く。魅了の魔術にかけられて理性をとろかされたリューナにとって、親友を売ることなど疑問に思うことすら許されないだろう。

 

「……どうしてバレたのかしら? ちゃんと気配は消してたつもりなんだけど」

 

 身バレしているために、不要となった口布を()ぎ取りながらヴィアが問うと、リューナはケラケラと笑いながらあっさりタネをばらす。

 

「あはは、ヴィーは覚えていないですの~? 小さい頃、ヴィーがさらわれてから助けられたあと、いつ同じことがあってもすぐに助けられるように、位置察知の魔術をかけておいたじゃないですの」

 

 言われて、ヴィアは思い出す。

 

 たしかに幼い頃、ちょうどブランが留守にした隙を見計(みはか)らって、盗賊でも敵対マフィアでもない、正体不明の何者かにヴィアはさらわれたことがあった。

 そばにいたファミリーのみんなが1人残らず倒されていたことがとても恐ろしかったため、その時のことはしっかり覚えている。

 

 同時に、先ほど頭の中に響いた声についても思い出した。

 アレは、かつて自分がさらわれたとき、自分を探してくれていたリューナの元まで導いてくれた声と全く同じものだった。不思議なことに、自分を閉じ込めていた牢の鍵はいつの間にか破壊され、見張り達も姿を消していたために、スムーズにリューナと合流できた記憶がある。

 

 こちらからの呼びかけには(こた)えてくれない一方通行の声で、助かった後は全く聞こえなくなっていたため、今の今まで完全に忘れていた。

 

 留守から戻ってきたブラン達に保護された後、“すぐにヴィアがさらわれても分かるように”とリューナに魔術をかけてもらったことを思い出し、チッとヴィアは舌を鳴らす。

 どうやら自分は『ここに敵がいますよ』と叫びながら潜入していたらしい。とんだ間抜けだ。

 

 そんなやり取りを見て、玉座に(すわ)る少女が口を開いた。

 

「コイツがヴィアって奴か……ってことは、あと3人だな」

 

 青緑色の髪をやや斜め後ろのサイドテールに結った、勝気そうな少女だ。

 こめかみの上あたりから、後方に向けて伸びる小さな角。背にはコウモリの翼。腰から伸びる先のとがった尾と、典型的な魔族の特徴を備えた、リリィと同年代くらいの少女である。

 

 桃色と黒を基調としたチューブトップに、水着のようなボトムス、腰回りのみを(おお)うマントに、肘・膝上につける分離式の袖(デタッチドスリーブ)という、なかなか独創的かつ露出の多い格好をしているが、少女の活発的な雰囲気のためか、とても似合っている。

 

 しかし、そんな幼い少女であるにもかかわらず、感じられる魔力は非常に強力だ。少なくとも、高い魔力を持つ種族であるエルフのリューナですら、比較にならないほどに。

 

 そして、少女の(かたわ)らに(ひか)える、もう1人の魔族。

 

 こちらは少女とは正反対に成熟した肉体を持つ女性だ。

 赤く波打つ(つや)やかな髪の間から生える大きな角は、山羊(やぎ)のようにぐるりと曲がり、背から生えるコウモリの翼も、彼女自身を包み込んでも余りあるほどに大きく立派だ。

 

 モデルのように高い身長、スラリと長い手足、肉感的なボディラインを包むのは、お腹を出すハイネックとミニスカート。そして、黒一色のそれらと対象になるように赤く、白いファーで飾られた豪奢(ごうしゃ)なコート。

 落ち着いた大人の雰囲気とも(あい)まって、妖艶かつ迫力のある女性だ。感じられる魔力は……この凄まじい魔力をもつ少女よりも、さらに上。

 

 その堂々(どうどう)とした(たたず)まいから、一瞬こちらの女性が魔族姫ブリジットかと勘違いしそうになったが、事前に聞いていた噂から、玉座の少女の方こそがブリジットであるとヴィアはきちんと認識し直す。おそらく、この女性はブリジットの右腕にして使い魔であるオクタヴィアだろう。

 

 王という王が皆立派(みなりっぱ)というわけではなく、臣下の方がよほど立派なパターンなど腐るほどあるので、特に違和感はない。

 

 ブリジットの発言から、こちらの情報が軒並(のきな)み漏れていることを把握したヴィアは、いったん退()いて作戦を立て直そうと(わず)かに腰を落とす。

 

「動かないで」

 

 しかし、その動作は途中でピタリと止まった。誰よりもヴィアを理解する()()は、的確にヴィアの動きを先読みする。

 

 

 ――リューナの右手には順手に握られたナイフ。その切っ先はリューナ自身の(のど)に突きつけられていた

 

 

 正気を失って曇りきった瞳で、リューナは言う。

 

「もし、少しでも妙な動きをしたり、闘気を放ったら……刺しますの」

 

(……まずい……!)

 

 行動を完全に封じられた。これでは逃げる事はおろか、リリィ達に助けを求める事すらできない。

 

 綿密な作戦を練る時間も、充分に情報交換をする時間もなかったヴィアは、“使い魔と主の間の心話(しんわ)が、どのような仕組みでなされているのか”を知らない。仮にリリィに思念を送ることで微弱な魔力や闘気が放たれてしまうのであれば、それを感じた途端(とたん)、リューナは自害してしまう。

 

「え~と、ヴィアちゃんだっけ? おねーさんが今から、い~っぱい気持ちいいことしてあげるね♪」

 

 無邪気に、そして色気たっぷりに迫ってくる名も知らぬ睡魔。

 2連続で立て続けに同性に襲われるなんて、どんな厄日だ――ヴィアは心の中でマジ泣きである。

 

 身動きの取れないヴィアの唇に、睡魔は何のためらいもなく吸いついた。

 

(!? ……わ、私のファーストキスが……!)

 

 実は、この猫獣人(ニール)……ファーストキスどころか、意中の男性(リシアンサス)と手を繋いだことも、デートしたことすらなかったりする。そんなことをする暇があったら、1つでも彼を買い戻す金策を考え、実行していたがために、当然と言えば当然なのだが。

 

 性魔術を使ってヴィアを使い魔とせざるを得なかった緊急事態でさえ、リリィは、リシアンサスという想い人がいることを考慮して、キスだけは遠慮している。

 そういう訳で守られてきた純情な乙女の唇を、この女は何の遠慮もなく奪い取ってくれやがったのである。ヴィアの中で“憤怒(ふんぬ)”と呼ぶに相応(ふさわ)しい激情が膨れ上がり、マグマのようにぐつぐつと煮えたぎる。

 

 直後、唇を通して魅了効果を持たせた睡魔の魔力がヴィアを浸食した。念入りに、ヴィアの肉体の隅々にまで魅了の魔力が染み渡るように、睡魔は唇を通して魔力を送り込んでゆく。

 

 やがて満足がいったのか、睡魔は唾液の架け橋を作りながら、ゆっくりと唇を離す。

 きちんと魅了がかかっているか確認するため、ヴィアの瞳を覗き込もうとした瞬間、

 

 

 ――睡魔の背から刃が生えた

 

 

「なッ!?」

 

「!?」

 

 ブリジットとオクタヴィアが驚き戸惑(とまど)う。完全に魅了の魔力が浸食していたというのに、まるで影響を受けていないことが信じられなかったのだ。

 それほどまでにヴィアの精神力が高かったのか、それとも生まれつき魅了に対する抵抗力が高かったのか……

 

「……あ、れ?」

 

 そしてリューナを魅了していた術者が倒されたことで、リューナが正気に返る。

 そのことに気づいたオクタヴィアが、彼女を人質に取ろうと動こうとするが、

 

 ――その時には、すでに彼女を背後に(かば)うように立つヴィアの姿があった

 

(……速い!)

 

 リューナから聞いていた情報よりも、明らかにヴィアのスピードが速くなっている。完全に魅了にかかっていたリューナが嘘をつく理由は無く、なんらかのタネがあるに違いなかった。

 

 目を細めてヴィアの様子を探ると、ヴィアの全身を光り輝く闘気が(おお)い、そしてさらにその上から、強力な()()()()()()()が覆っているのが見えた。

 

(……魔力……それもこれは彼女のものではない、別の誰かのもの…………!! ……そういうことですか……!)

 

 オクタヴィアはカラクリを理解した。

 

 

 

 

 ――数十分前

 

『ヴィア、“使徒(しと)”って知ってる?』

 

 使い魔の契約を結んでから、やや時間が()ったことでヴィアが正気を取り戻すや否や、すぐさまリリィはヴィアに問いを投げた。

 

『たしか“神格者(しんかくしゃ)”のことよね? 神や魔神の手足となって動く代わりに、それらの力の一部を授かった人達のことでしょ? それがどうかした?』

 

 時間が無いことに焦りながら、ヴィアがややつっけんどんに返すと、リリィは1つ頷いて言った。

 

『私がヴィアと結んだ使い魔契約は、限りなくこれに近いものなの』

 

 ヴィアは、大きく眼を見開いた。

 

『私は魔神じゃないから、神核(しんかく)を持っていない。だから、自分の神核を分け与えて誰かを使徒にすることはできない。……けど、それに近いことはできる』

 

『さっきの性儀式(せいぎしき)で、私は、あなたが絶頂した瞬間に漏れ出た精気を喰らい、私の中で睡魔の力に循環させて、再び貴女の中へ送り返し、定着させた。こうすることで、あなたに私の力の一部を分け与えた』

 

『具体的には、あなたの身体能力を含めた全能力が格段に強化されるはず……たぶんだけど、魅了に対する耐性もつくと思う』

 

 初めて結ぶタイプの契約のため、やや自信なさげにリリィは話す。

 

『だから、気をつけて。あなたの身体は今まで以上に良く動く。ブリジットの城へ向かう道すがら、“今までとどれぐらい違うのか”を走りながら確認して』

 

 

 

 

 

 

(危なかった! リリィとの契約がなかったら、完全に終わってた!!)

 

 リリィから力を分け与えられていなければ、ヴィアはこの睡魔に魅了されていただろう。そうなれば、睡魔の身体でリューナの視線を(さえぎ)って、彼女を自害させる間もなく睡魔を殺すことなど、とうてい不可能だった。

 

 ヴィアは緊張感を保ちつつも、最大のピンチを何とかのりきったことに心の底から安堵(あんど)する。彼女の心臓は先程からバックンバックンと激しく踊り狂っていた。

 

 だが、いまだ危険な状況である事に変わりはない。

 リリィの力で強化されているといえど、目の前の魔族達と戦える程の力をヴィアは持っていない。

 

 ブリジットは予想外の事態に驚いて固まったままだが、彼女の使い魔は既に立ち直って戦闘態勢。早急に彼女達の目を(くら)ませるなり何なりして、ここから脱出しなければならない。そして、それをするにはヴィア1人の力では不可能だった。

 

 だから、ヴィアは心の中で必死に叫ぶ。

 

(リリィ! リューを助けたわ! すぐに助けに来て!!)

 

 返事は即座にヴィアの頭に響いた。

 

(わかった! ヴィア、()()()()()()()()()()()()()()()()!)

 

 

 ――ヴィアの思考が一瞬止まった

 

 

(……ハァッ!? 『動くな』って、アンタ何言って……!?)

 

 まさかの『動くな止まれ』発言に混乱したヴィアが、疑問を思念で伝え切る前に、その()()が床から炸裂した。

 

 ゴッ!!

 

 すさまじい勢いで純粋魔力の奔流(ほんりゅう)が、ヴィアから約1歩分前方の床からオクタヴィアへ向かって(ほとばし)る。まばゆい魔力光(まりょくこう)が収まった直後、床に空いた大穴から黒い影が飛び出した。

 

「リリィ!」

 

 ヴィアの視界に飛び込む、可愛らしいコウモリの翼が飛び出た小さく(なめ)らかな背中――現れたのは、城門付近で暴れているはずのヴィアの主であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『敵に見つからずに、リューナさんを探せれば良いんですよね? ……だったら、私が地面を操作して地下道を造って、城の真下からリューナさんの気配を探れば良いんじゃ……?』

 

 リリィは驚いた。何に驚いたかというと、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()である。

 

 水の精霊であるリウラたち水精(みずせい)が水を召喚し、操作する事ができるのだから、地の精霊であるアイが大地を操作する事は、一見まったくおかしくないように見える。

 ところが、実際にはそうではない。“土精(つちせい)アースマン”は他の精霊達とは決定的に異なる点がある。それは、()()()()()()土塊(つちくれ)()()()()()()という点だ。

 

 通常の精霊は、もっとも親和性の高い物質――水精ならば“水”、木精(ユイチリ)ならば“木”を(もと)に自らの肉体を(つく)り上げ、現世(うつしよ)での存在を明確化する。

 そのように創られた肉体には生命力――いわゆる精気が宿り、それを素に精霊は魔術を行使する。外見上、水そのものでできているような水精達でさえ、その体液は“青の液”と呼ばれる生命力に満ちた特殊な体液へと変化するのだ。

 

 それは土精(つちせい)も同じであり、例えばトリャーユという小さなエルフ姿の土精は、きちんと自身の肉体を創造し、その肉体の精気をもって“岩の弾を放つ”といった地属性の魔術を操ることができる。

 

 ところがアースマンは肉体を創り上げる訳ではなく、()()()()()()()()()()()()()()()()。言ってみれば、操り人形と何ら変わりないのだ。泥や土自体に生命力は無いので、彼らが魔術を行使するためには、宿った精霊自身が蓄えた生命力を利用する必要がある。

 

 それは肉体を持つ土精と比べれば微々たる量でしかないため、彼らができる事は、せいぜい“拳に地属性の魔力を込めて殴る”くらいである。土や岩を操って攻撃したり、土や魔力そのもので衣服を()んだりすることなど、彼らにはできない。アイが“地面を操作できる”というのは、それくらい有り得ない能力なのだ。……なのだが……

 

(……なんか、精霊の常識について、あれこれ考えるのが馬鹿らしくなってきたなぁ……)

 

 “これでもか!”と言わんばかりに、リウラに精霊の常識を破壊され続けてきたリリィは、だんだん驚く事が面倒くさくなってきていた。

 

 アイの提案は即採用。アイが地面を操作して地下道を造り、地下から城の敷地内に入り込む。

 ヴィアと同様、すぐにリューナの気配の居場所を正確に把握したため、その真下まで移動。リウラとアイが地下深くから水球や土を遠隔で操ってニセ水精やニセアースマンを創り、城内で暴れさせながらヴィアからの連絡を待って、心話が入った瞬間にリリィが地下から魔術攻撃をぶっ放した。

 

 アイは城に使われている石や鉱物の硬さが大体わかるらしく、城壁とは違って床はそこまで強固に造られていなかった。そこで、偽・超電磁弾ではなく、直射型の魔力砲(レイ=ルーン)で魔力を節約しつつ脱出路を創り上げた、というわけである。

 

 アイの能力を聞いた時点で既にヴィアは城に潜入していたため、リリィから心話をつなげるとヴィアの邪魔になってしまうかもしれないこと、そして急に作戦を変更するとヴィアとの連携に支障が出るかもしれないことから、彼女達の動きは当初立てた作戦とそう大きな差はない。

 

 しかし、アイの能力のおかげで、リリィ達は自分達の姿を(さら)すことなく安全に……しかも城の外ではなく中で効果的に暴れることができた。

 超遠距離から大量の魔力を喰う大魔術(偽・超電磁弾)を撃つこともなく、正確にヴィア達を避け、敵に向かって魔力砲を撃つこともできた。この差は非常に大きい。

 

 アイがやったことは“穴を掘るだけ”という非常に地味なものだが、まちがいなく大手柄であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「その穴に飛び込んで!」

 

 ヴィアがリリィの言葉に慌てて穴を覗き込むと、この階から地下まで一直線に大穴が空いており、穴を筒状に覆う水壁が見えた。脱出中に攻撃されたり、脱出路を塞がれたりしないようにリウラが造ったものである。

 そのリウラ本人は、その水の筒の中間で水の螺旋階段に足をかけた状態で「早く! こっち!」とヴィア達に手招(てまね)きしている。

 アイは気配からして、穴の最下層に居るようだ。

 

「させるかよ!」

 

 リリィの魔術攻撃を防御するも、一瞬(ひる)んでしまったオクタヴィアを背後から抜き去り、ブリジットはヴィアに突撃する。

 それに気づいたリリィは、どこからともなく右手に長剣を、左腕に小型の盾を()びだして装備し、ブリジットの進路に割り込んで彼女を迎撃。まっすぐ頭から突っ込んでくるブリジットに、リリィは右の長剣を振り下ろす。

 

 

 ――その瞬間、リリィはブリジットを見失った

 

 

 一瞬の思考の空白。それを後頭部への強烈な一撃が粉砕した。

 

「ガッ!?」

 

 

 ――ヴィアは、その一部始終を見ていた

 

 ブリジットはリリィが攻撃した瞬間、リリィの死角――左腕に()めた盾の背後に身を隠したのである。そして、そのままリリィの背後に回りつつ、回し蹴りをリリィの無防備な頭部へ叩き込んだ。

 

 いくらブリジットが小柄な体躯の持ち主だといっても、子供用の小型盾(バックラー)で視線を(さえぎ)るのは簡単なことではない。そして実際にそれをやってのけた事実は、“ブリジットの技量が如何に高いものであるか”を示すものであった。

 

 ヴィアも似たような事はできるが、リリィのスピードと頑丈さには対抗できない。仮にリリィ相手に実行したとしても、途中で背後に回ったヴィアの気配に反応されるか、ヴィアの攻撃をくらいながらもカウンターを返してくるだろう。

 

 対して、ブリジットはあっさりとリリィに痛恨(つうこん)の一撃を与え、その威力は彼女の意識を奪い、床に沈めたまま起き上がらせない。

 パワー・スピードにおいてはヴィアを、技術においてはリリィを、ブリジットは完全に上回っていた。

 

「リリィ!?」

 

 リウラの声が響くと同時、ゴッ!! と間欠泉(かんけつせん)の如く、床の穴から大量の水が噴出する。

 

「うおっとぉ!?」

 

 ブリジットは予想外の攻撃に、慌てて一旦(いったん)後方へ下がる。水はヴィアとリューナ、そして倒れ伏したままのリリィを包み込み、穴の中へと彼女達を(さら)っていく。

 

 ブリジットが穴の下を覗き込んだ時には、ヴィア達の姿はどこにもなかった。

 

「追うぞ! オクタヴィア!」

 

 オクタヴィアはコクンと頷くと、使い魔へと脳内で指示を飛ばす。わずかに間が空いて、次々に使い魔達から報告が上がってくる。

 

『こちら1階中央の間! 侵入経路は既に土で封鎖されており、追跡は困難! 現在、1部隊を出して地上から気配を追跡中!』

 

『こちら正門前! 侵入者の姿、および侵入に使用されたと思われる痕跡(こんせき)は未だ発見できず!』

 

『こちら外周警備第3班! 侵入者発見! 現在、北東へ逃走中!』

 

(北東……転移門(てんいもん)で追っ手を()くつもりですか……)

 

 “転移門”とは、魔術的に空間を繋ぐことによって、瞬時にして長距離の移動を可能にする空間移動装置である。

 

 転移門と一口(ひとくち)に言っても、“床に刻まれた魔法陣と、それを囲むいくつかの柱”といったものもあれば、“門そのもの”といったものなど様々な形があり、その使い方も千差万別。

 この迷宮に多く存在するものは、後者――つまり“門そのもの”の形をしたタイプで、くぐるだけで使用でき、しかも利用者の魔力も不要という、非常に利便性の高い移動手段であった。

 

 この城から北東の転移門は、転移先(てんいさき)の近辺にさらに複数の転移門が存在している。これを利用して転移を繰り返されてしまえば、追いつく事は不可能になってしまう。

 

(……そうはさせない)

 

 オクタヴィアは冷静に、自身の使い魔達へ次の指示を出した。

 

 

***

 

 

 まばゆく輝く転移門からヴィアが、続いて水の絨毯(じゅうたん)に乗ったリウラ、リリィ、リューナが飛び出す。

 リウラは既に口布を()ぎ捨てている。魅了されたリューナから情報が漏れていたことを知り、“もう意味がない”と判断したのだ。

 

 彼女達の移動速度はかなりのものだ。リリィの加護を得たヴィアの足は半端ではない。もし仮に彼女の走る姿を傍観する者がいたならば、1つまばたきをした次の瞬間には、彼女の姿は遥か向こうにあるだろう。

 

 その速度に何とか喰らいつく事ができているリウラもまた見事。

 

 彼女は自分の足ではなく、自らが操作する水の絨毯にリリィ達と共に乗って移動しているのだが、あまりの移動速度に、絨毯の操作以外に毛ほどの気も()けない状態になっている。

 そのため、リリィもリューナも絨毯から振り落とされないよう、水の帯で絨毯に(くく)り付けられて放置されている。彼女達に気を(つか)う余裕が全く無いのだ。

 

 ちなみに、アイはあっという間に置いて行かれそうになったので、今はリウラの首を飾る喚石(かんせき)の中に入っていた。

 

「……ごめんなさいですの、ヴィー……わたくしの、せいで……」

 

「まったくよ! 事が済んだら覚えときなさいよ!!」

 

 魅了魔術の効果が抜けきらず、意識を朦朧(もうろう)とさせながら申し訳なさそうに謝るリューナに、ヴィアは後ろを振り向かず腹立たしげな声を出す。だが、もしリューナがヴィアの顔を見ることができたのなら、ヴィアがどこかしらホッとしたような、それでいて涙が出るのを必死に(こら)えているような表情をしていたことが分かっただろう。

 

 ヴィアはリウラを先導しながら、次の転移門へと向かう。

 

 ピクリ

 

 ヴィアの猫耳が反応する。

 いまだ距離はあるが、自分達に向かって進む多数の気配、そして自分達を先回りするように動く気配を(とら)えたためだ。

 

(対応が早い……!)

 

 ヴィアは走りながら歯噛(はが)みする。

 

 このままでは、今から向かおうとしている転移門の前で敵と鉢合(はちあ)わせする。気配はそう強くないため、蹴散らす事は難しくなさそうだが、いまだ気絶したままのリリィと、魅了から()めたばかりでグッタリとしているリューナを(かば)いながらでは、さすがに時間がかかる。その間にブリジット達に追いつかれたら元も子もない。

 

 ヴィアは向かう転移門を変更し、移動する方向を変える。

 次の転移門は結構な距離があるが、逃走ルートを考慮すると、これが最善。へたに適当な転移門をくぐれば、強力な魔物の巣に突っ込んでしまってもおかしくない。

 

 ヴィアが進行方向を変えた事に気づかれたのか、周囲の気配の動きが変化する。だが、今のヴィアの速度には追いつけない。このまま順調にいくかと思われたが……

 

(あ……)

 

 ヴィアの顔が青ざめる。

 

(まずい……私達の動きが誘導されてる……)

 

 ヴィア達の周囲にいる気配、それらがまるで1つの生き物のように統一された動きをして、ヴィアの進路を制限していた。その結果、まるで盤上遊戯(ばんじょうゆうぎ)で1手1手追い詰められているかのように、どんどんとヴィアの()れる選択肢が消えていく。

 

(どうする!? 多少の無茶を承知で、敵の包囲を突っ切るか!?)

 

 ヴィアが打開策を練ろうと頭を回転させたそのとき、ヴィアの猫耳が異音を(とら)えた。

 

 キィキィという甲高い声に、バサバサと空気を叩く音。そして頭にキーンと響く()()()

 

「ッ……! 牙コウモリ!!」

 

 魔物の巣へと誘いこまれた事に、ヴィアはようやく気がついた。

 

 牙コウモリ――学名ニュクテリス。

 名前からお察しの通り、吸血コウモリの一種である。といっても、リリィの前世の世界にいるような“噛みついて血を舐める”程度の脆弱な存在ではない。

 

 身体は小さくとも、彼等は飛吸種と呼ばれる吸血鬼の一種。人間族の子供程度はある力でガッツリ牙を立て、デシリットル単位で容赦なく血液を飲み下す危険な魔物である。

 普段は暗闇や岩陰に潜み、獲物が来たら集団で襲いかかる習性があるため、襲われた獲物が混乱から立ち直る前に干からびることも珍しくはない。

 

 ヴィアは問題ない。元々この程度の魔物に遅れをとるような(やわ)な鍛え方はしていないし、リリィの加護を得た今では、そもそも牙が突き立つかどうかも怪しい。

 

 ――問題は後ろの3人

 

 今までリリィほど高い魔力を持った存在と出会ったことがないヴィアには、リリィが気絶した状態でも、その高い頑健さを発揮できるかどうかがわからない。

 

 魅了が解けたばかりのリューナは、牙コウモリなんて素早くて数がいる相手に対処できるような状態ではないし、リウラに至っては、水の絨毯を操作する以外の行動をする余裕がない。

 

 余談だが、人間や獣人のように赤い血潮を持たない水精(みずせい)のリウラであっても、牙コウモリには襲われる。

 牙コウモリは、厳密には血液ではなく“精気や魔力のこもった体液”を摂取することで生きている。水精の身体を構成する“青の液”は、とある回復薬の原料の1つになるほど精気や魔力をたっぷりと含んでいるので、リウラの青みがかった半透明の体液でも牙コウモリは美味しくいただけるというわけだ。

 

 故に、ヴィアは大量のコウモリから後ろの3人を護りながら、全力疾走を続けなければならない。

 いったん足を止めて対処するか? ……それこそ相手の思う(つぼ)だ。相手の目的はブリジット達が追いつくまでの時間かせぎ。ブリジット達に追いつかれればゲームオーバーである以上、少しでも足を止めるわけにはいかない。ならば……

 

(私の闘気弾で蹴散らした後、そのまま足を止めずに突っ切る!!)

 

 おそらく1人当たり5~6匹は噛まれるだろうが、ある程度離れてからヴィアが切り払えば、死にはすまい。今はとにかくブリジット達から逃げ切ることが先決だ。

 ヴィアがそう決断しようとしたそのとき、彼女の背後から指示が飛んだ。

 

「そのまま突っ切って! コウモリは私が何とかする!」

 

 声が出しにくいため口布をむしり取ったリリィが、後頭部をさすりながら上半身を水の絨毯から起こして叫ぶ。

 リリィは前方から飛来するコウモリの群れを、ギンと(にら)みつけると、スゥと大きく息を吸い込む。

 

 

「わぁぁぁぁああああああああ!!!」

 

 

 腹に魔力を込めた大音声(だいおんじょう)。耳が痛い。だが、その効果は抜群だった。

 

 ドサァッ!!

 

 コウモリは1匹残らず地に落ちた。

 ヴィア達はコウモリの死骸を踏みつけ、あるいはその上を通過して通り抜ける。

 

「いったい、どうやったのよ!? コウモリが気絶するほど大きな声とは思えなかったけど!?」

 

「視線を媒介にして、目から直接精気を奪った! 声を上げたのは、私に視線を向けさせたかったから!」

 

 粘膜は魔力を通しやすい性質がある。それは性魔術で使うような唇や舌・局部だけでなく、眼球であっても変わらない。

 

 リリィが行ったのは視線を媒介にして自らの魔力を相手の眼に叩き込み、相手の肉体を浸食し、相手の全精気を支配(コントロール)したうえで視線を通して自身に送り返すという離れ技である。

 

 瞬時に大群相手に使える上、知らなければ対処不可能な初見殺(しょけんごろ)しではあるが、これは直接接触しなくともほぼ一瞬で肉体を魔術的に浸食できるような、よほど格下の相手でなければ使えない手段でもある。

 一般的な人間族の兵士相手に使えるようになるには、高位の魔神クラスの力が必要になるだろう。

 

 そうこうしている内にも敵は増加し、包囲網は(せば)まりつつある。

 

 このまま進めば、敵に遭遇(そうぐう)せずにヴィアがたどり着ける転移門は2つ。うち、1つはヴィア達が力を合わせても勝ち目がないほど強力な魔物の巣へと直結している。

 ならば、必然的にもう1つの転移門を選ぶしかないのだが、そちらには罠が張られている可能性が高い。つい先程までなら、罠が張られている可能性があろうとも、そちらの転移門へと突っ込んでいたであろう。

 

 しかし、状況は変わった――今はリリィが目覚めている。

 

「リリィ! 敵の包囲網の薄い部分を突破するわ! 力を貸して!」

 

「わかった!」

 

 リリィが返事とともに翼を広げ、ヴィアに並ぶように飛翔する。

 

 今のヴィアとリリィのタッグに(かな)う戦士は、そうはいない。多少、数が多くとも、時間をかけずに突破することは可能だった。ヴィア達はブリジットの配下たちを蹴散らしながら、その先にある転移門へと飛び込み――

 

 

 ――そして、罠にかかった

 

 

***

 

 

 千を超すであろう大群が、自分達を取り囲んでいる。

 皆、武器を持ってこちらに敵意を持った視線を叩きつけており、その中央にはブリジットが腕組みをして立っていた。

 

 リリィ達の背後で転移門(てんいもん)が再び輝き始めると、ヴィアは慌ててリウラ達に前へ移動するよう(うなが)し、移動し始めた直後に転移門からブリジットの配下が次々と現れ、最後にオクタヴィアが姿を現した。

 

 

 ――オクタヴィアの考えた策は、いたってシンプル。ヴィア達の転移先に居を構えている使い魔達に心話で指令を出し、ヴィアを遠距離からじわじわと包囲。次の移動先の転移門をこちらが先回りしやすいものに誘導する……これだけである。

 

 ブリジット達が待ち構えていたこの場所は、ブリジットの居城からわずか数分のところにある転移門から()ぶことができる。

 オクタヴィアは自分の主にこの場所で待ち構えてもらうようお願いし、自分はヴィア達を追跡。

 

 使い魔達を操った足止めが成功した場合、オクタヴィアがヴィア達を襲い、その間に主は後から来ればいい。逆にヴィア達が足止めを突破した場合、待ち構えていたブリジットとオクタヴィアで挟み撃ちにするという策だ。

 ブリジットが、大量の使い魔や兵を保有しているからこそできる人海戦術である。

 

 なお、オクタヴィアが()()()()()()()()()()包囲の1ヶ所を突破することをヴィアが選ばなかった場合、その先の転移門ではここの3倍の大群が待ち受けていた。最後の選択肢の、魔物の住処(すみか)に繋がる転移門から跳べば、魔物とオクタヴィアの挟み撃ちにあう。

 

 あの時、ヴィアが選ぶべき選択肢は“包囲がなるべく()()箇所をリリィの偽・超電磁弾で強引に突破する”だったのである。包囲が厚い場所はオクタヴィアにとって絶対に抜かれたくない場所なので、そこを通過できれば逃げ切れる余地は充分に有ったはずなのだ。

 

「……リウラ、()ろしてほしいですの」

 

「……でもっ!」

 

「大丈夫ですの。もう、ふらつきもしませんの」

 

 リューナがリウラにそう言うと、リウラは心配そうにしながらも、ゆっくりと水の絨毯を変形させる。リューナを寝そべった状態から立った状態へと変えて地面に立たせ、水の拘束を解除。同時に水の絨毯を水球へと戻して滞空させ、自らも地面へと降り立った。

 

 すると、リウラの首にかかっている喚石(かんせき)が輝き、中からアイが険しい表情で現れる。全員が素顔を(さら)している以上、自分だけが身につけていても無駄だと思ったため、口布は()ぎ取っていた。

 

 リューナが転送魔術で、手のひらサイズの袋を手元に()び出す。リリィがブリジットの居城で剣と盾を取り出したのと同じ魔術だ。

 

 リューナは袋の口を緩め、袋の横をポンと軽く叩く。すると、中に入っていた桃色の粉が粉塵となって袋の口から舞い上がり、リューナはそれを軽く鼻から吸い込んだ。

 たちまち、彼女の頬に残っていた赤みがスゥと引き、わずかにぼうっとしていた瞳がいつもの明晰(めいせき)さを取り戻す。

 

 ――解魅(かいみ)(こな)

 魔術的に魅了された者の精神を立て直す、即効性の粉薬である。

 

 その様子を見ながら、リリィが転送魔術で弓と矢筒を喚び出してリューナへ渡す。

 その後、リリィは自分達の前に立っているヴィアの隣に並んだ。

 

「リリィ、頭は大丈夫?」

 

「変な()き方しないで。もう完治してるよ。……それより、どうする?」

 

「どうもこうもないわよ……! 前後左右360度、空中まで敵だらけとあっちゃ逃げようがないわ……!」

 

「……いちかばちかでも、どこかを1点突破したらどう?」

 

「この数よ? まちがいなく数秒は足止めされる。その間にブリジットが来たら、アンタ勝てるの?」

 

「……」

 

 勝てない。

 原作であっさり魔王とリリィが勝利をおさめていたことから、簡単に勝てると思い込んでいたが、実際に戦ってみてよくわかった。あれは、原作のリリィが未熟ながらも積んだ幾多(いくた)の戦闘経験と、弱い人員でも勝てるよう知恵を絞った魔王の頭脳があってこその勝利だったのだ。

 

 原作においてブリジットは魔王の幼馴染であり、そして魔王はブリジットの片思いのお相手である。彼女は、ほぼ同年代であるにもかかわらず、あっという間に魔王へとのし上がった幼馴染の隣に立てるよう、常に訓練も勉強も欠かさなかった。

 

 対して、リリィにあるのは、水蛇(サッちゃん)から奪った大量の精気と、魔王の魂からもらった魔術と戦闘技術、そして水蛇・オークの盗賊団・ゴーレム(アイ)と戦った、たった3回の戦闘経験のみ。

 そして、魔王の戦闘技術については……残念ながら、とうていブリジットに勝てるようなものではなかった。

 

 魔王は生まれながらの強者だ。その肉体的・魔力的なスペックは他を圧倒するものであり、たいていのことは力まかせでどうにかできた。そんな人物が、自分より弱い者達を師に(あお)いで武術を磨こうとするはずもなく、彼は自分の感覚にまかせて武器を振るっていたのだった。……そして、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 きちんと刃筋(はすじ)を通すこともできる。間合いを(はか)ることも、フェイントを仕掛けることもできる。だが、それらの技術は総じて二流どまりだった。

 誰からも師事を受けずに、自身の感覚だけでそれらの技術を()み出し、身につけた魔王の戦闘センスは素晴らしいものだが、真剣に己が技術を磨いてきた一流の戦士達には遠く及ばない。

 

 その“一流には届かない”という(つたな)さが、ブリジットとの戦闘では致命的だった。

 魔力総量はそう劣ってはいないはずだが、戦闘技術と実戦経験に圧倒的な差がある以上、なんらかの対抗策を考えなければ、サンドバッグになることは必然である。

 

「……じゃあ、投降する?」

 

「……」

 

 リリィの言葉に、今度はヴィアが押し黙る。

 投降したところで、相手が許してくれるとは思えない。死んだ方がマシだと思える扱いを受けるのは、ほぼ確定だった。

 

 リリィはヴィアの表情から、それを察して言った。

 

「……だったら、最後まで抵抗する方に賭けよう。ヴィア、この包囲を崩すとしたら、どこを狙えば良い?」

 

「……右ね。2時の方向に見える道……あそこを突っ切れば、すぐ(そば)に転移門が設置されてる」

 

 リリィがその方向に視線を向けると、たしかに道があった。やや強い風が道の奥から吹いているのか、その道の傍にいる敵の髪や服がバサバサと動いている。

 

「オーケー、わかった。……みんな、聞いて。今から私が敵全体を魔術で攻撃する。そうしたら全員2時の方向の道の先にある転移門に向かって走って。近寄ってくるやつは、かたっぱしから全力で排除。私とヴィアが道を切り(ひら)くから、お姉ちゃんとリューナさんはその援護。アイは最後尾で2人を護って」

 

「もしブリジット……あそこのちっこい魔族が来たら私が、あっちの赤髪の魔族が来たらヴィアが相手をする。そうなったら私達はその対処にかかりきりになるから、今度はアイが前衛、リューナさんが中衛、お姉ちゃんが後衛で転移門までの道を切り拓いて。何か質問は?」

 

「無いわ」

「無いよ」

「無いですの」

「ありません」

 

「……行くよ!」

 

 リリィがスッと目を半分閉じて精神を集中させる。すると、リリィ達を囲む敵達の胴を輪切りにするかのように、純粋魔力の結晶である魔法陣が数十、数百と出現する。

 直後、その魔法陣めがけて、上空に()び出された純粋魔力の魔弾が降り(そそ)ぎ、魔法陣に触れると同時に大爆発を起こした。

 

 ――純粋魔術 鋼輝陣(イオ=ルーン)

 

 術者が指定した空間に、魔弾を炸裂させる効果を持つ魔法陣を設置し、その魔法陣に魔弾を落とす、空間指定型の爆破魔術である。

 

 リリィの強力な魔力で放たれたその魔術の威力は凄まじく、魔弾が炸裂した箇所で戦闘能力を維持している者は全体の半数以下。包囲網は完全に瓦解(がかい)して歯抜けとなった。

 だが、それも未だにブリジットとオクタヴィアの背後にある転移門から次々と現れる敵がその(しかばね)を乗り越え、あっという間に隙間を埋めていく。

 

「走って!!」

 

 その隙間が完全に埋まる前に、可能な限り走り抜けるため、ヴィアは後ろ腰から2本の短剣(ダガー)を抜きながら駆け出し、全員に向かって叫ぶ。

 

 魔術の発動を終えたリリィもヴィアに続いて走り出し、左腕の盾を転送魔術で蔵へと戻すと、リリィの身の(たけ)を超える大きさの斧槍(おのやり)()び出して両手に握る。

 

 リューナは弓を構え、アイも拳を握りながら2人に続いて駆け出そうとして……

 

 

 ――できなかった

 

 

「「リウラ(さん)!?」」

 

 顔面蒼白(がんめんそうはく)となったリウラが、口元を押さえてうずくまっていたからだ。

 

 

***

 

 

 『敵全体に攻撃魔術を放つ』……その言葉の意味は理解していた。

 

 ――だが、“実際にどういうことが起こるか”……その結果を想像できてはいなかった

 

 弾け飛ぶ血肉、飛び散る脳漿(のうしょう)、目玉や内臓が辺りにばら撒かれ、白い骨を(さら)した胴や手足が赤い血の雨と共に地面にボトボトと降り(そそ)ぐ。

 

 それは悪夢だった。

 

 突如(とつじょ)としてリウラの視界に飛び込んできた地獄の光景を処理しきれず、リウラは思考を停止した。してしまった。

 

「走って!!」

 

 近くで叫んでいるはずのヴィアの声が、非常に遠くに聞こえる。だが、たしかに聞こえた仲間の声にリウラは我に返り……そして猛烈な吐き気を(もよお)した。

 

 あまりに強い吐き気に立っていられず、口を両手で押さえてうずくまる。その眼は限界まで見開かれ、表情は嫌悪感、罪悪感、驚愕に恐怖と、様々な強い負の感情が混ざりあっていた。

 耐えきれずに吐いた。食べたものは消化してしまったのか、口から吐き出されるのは唾液だけだったが、それでも吐かずにはいられなかった。

 

「うあ、ああああぁぁぁ……」

 

 大粒の涙を流しながら、ひたすら吐く。アイとリューナが彼女を護りながら必死に呼びかけるが、心の許容量を一気に突き抜けてしまったリウラには反応する余裕がなかった。

 

 ドンッ!!

 

 リウラの目の前に敵の魔弾が炸裂する。自身の命を(おびや)かす現象には流石に反応し、のろのろとだがリウラが顔を上げると……そこにはさらなる地獄が展開されていた。

 

 ――2本の短剣(ダガー)を振るうヴィアが(たく)みに敵の急所を切り裂き、血の大河を駆け抜ける

 

 ――斧槍(おのやり)を凄まじい速度で縦横無尽に振り回すリリィが、輪切りになった(しかばね)の山を築く

 

 ――弓を構えるリューナが首に、眼に、心臓に次々と矢を立てる

 

 ――拳を構えるアイが敵の頭部を陥没(かんぼつ)させ、足を踏み砕き、岩の弾を召喚して敵を押し潰す

 

 まるで何かの作業のように次々と命が刈り取られ、死体が量産されていく。

 

 

 リウラには分からなかった。

 

 自分だって、水蛇(サッちゃん)に致命傷を負わせたことはある。魚を殺して、リリィに食事として与えたこともある。その時は、命を奪ったことに対して何も思わなかったし感じなかった。今回だってそれと同じはずだ。リウラ達の命を護るために必要なことだから命を奪う――その内容に変わりはないはず。

 

 

 ――なのに、なぜだろう?

 

 

 ……こんなにも胸が苦しいのは。

 ……罪の意識に(さいな)まれるのは。

 ……ただ自分と同じ“人の形をしている”というだけで、“命を奪う”ということが、言葉では到底表現できないほど、重く(つら)く感じられるのは。

 

 

 リウラには分からなかった。

 

 なぜ、みんなはこんなにも簡単に命を奪えるのだろうか?

 彼女達には、リウラとは違い、“人の形をしたものを殺すこと”を“魚や魔物を殺すこと”と同じように感じているのだろうか?

 

 ヴィアとリューナは、すでにこうした修羅場を経験しているのかもしれない。リウラと同じように感じながらも人を殺し、それを乗り越えたのかもしれない。

 

 アイは、ゴーレムの姿でいた時にそれを経験しているのかもしれない。無理やりゴーレムとして操られているうちに、人を殺すことに慣れてしまったのかもしれない。

 

 

 ――では、リリィは?

 

 

 リリィとリウラは、こと実戦経験においてはほぼ同じ位置に立っている。

 リリィ自身の申告によれば、魔王に創造されてから1ヶ月も()っていないとのことなので、人殺しの経験もまず無いはず。

 

 なのにどうして、血や臓物が飛び散る光景を見て、なんの反応もしないでいられるのか? なぜ、人の形をしたものを殺して、眉ひとつ動かさないでいられるのか?

 

 

 ――自分達を、仲間を護るために必死になって妹が戦っているというのに、どうして自分は立つことすらままならずに(すわ)りこんでしまっているのか?

 

 

(動……けっ! お願い、動い、て……! 私の、から、だ……!!)

 

 リウラは必死に吐き気を抑えて身体を起こそうとするも、へたりこんだ足はピクリとも動かず、身体はガクガクと震え、まるで言うことを聞かない。

 水蛇(サッちゃん)と戦った時のことを思い出して、自分を(ふる)い立たせようとするも、まったく効果がない。

 

 ――ザッ

 

 血や死体が視界に入ることを無意識に避けて(うつむ)いていたリウラの目に、アイの泥状に崩れた足が(うつ)る。

 それに反応してリウラが顔を上げると、そこにはリウラを背にして構えるアイの背中と――

 

 

 

 ――こちらに向かって歩みながら、剣を鞘から抜き放つ赤髪の魔族の姿があった

 

 

***

 

 

 リリィの目の前を走るヴィアの動きは美しかった。

 

 猫獣人特有のしなやかな身体と身軽さを()かしたトリッキーな動きで、次々と急所を切り裂いていく。

 

 ――剣を振り下ろして前屈(まえかが)みになった敵の背中に、自分の背を合わせるようにして、その上を転がりながら頸椎(けいつい)を断つ

 

 ――(すべ)り込むように敵の股下を潜り抜けて内股を裂く

 

 ――するりと脇の下を潜って肘の後ろを切り、前転して剣を避けながらアキレス腱を切る

 

 ――急所が鎧で覆われていたら、鎧の隙間から短剣(ダガー)を差し込み、体内で闘気を炸裂させる

 

 ――背後から前のめりに襲いかかる敵に尾で目打(めう)ちを放ちつつ、前方の敵の鼻柱を短剣(ダガー)柄頭(つかがしら)で叩き折る

 

 才能と努力、そして経験。3つが見事に組み合わさった芸術的な動作だと、リリィは感じた。

 

 

 対して、リリィの戦い方はあまりに無骨(ぶこつ)

 “斧槍(おのやり)” という長柄(ながえ)の先に戦斧(せんぷ)が付いた武器を、魔力強化された己の身体能力と、自身の感覚に任せて、力いっぱい振りまわすだけだったのである。

 

 しかし、これこそが技術も経験もつたない、今のリリィにできる最善の戦い方でもあった。

 

 初心者が最も扱いやすい近接武器の一つは“槍”である。なぜならリーチがあり、“突く”あるいは“振り回す”といった単純な動作で攻撃できるからだ。

 さらに扱う者がリリィのように強大なパワーを持つのならば、同じ長柄武器でも、より重量のある武器で“なぎ払う”方が範囲・威力ともに遥かに脅威だ。遠心力も加わり、多少の技術の差など無視して防御ごと敵を粉砕してしまう。

 

 クルクルと自分を中心にリリィは斧槍を回し、横から、上から、斜めから敵の群れに斬撃を()びせかける。倒れた敵から(こぼ)れ落ちて輝く精気や魔力が、リリィを中心に渦を巻いて次々と彼女の身体へと吸い込まれてゆく(さま)は、まるで台風のよう。

 

 その光り輝く美しい台風は、リリィのいる“目”の位置以外すべて、リリィの剛腕によって振るわれる斬撃が通過する超危険地帯だ。

 

 ――単純にリリィを攻撃しようとした者は、武器を力まかせに弾かれながら切り裂かれる

 

 ――軌道を見極めて(つか)の部分を押さえようと動いた者は、突然急激にスピードを上げてタイミングをずらされた斧槍に腹を割られ、

 

 ――斧が通り過ぎたあとに突撃した者は、狙いも定めず適当に放たれた闇属性の衝撃波に吹き飛ばされる

 

 魔王から途方もない才能を与えられて創造されたリリィの器用さは超一流だ。

 師の不在や、実戦経験の少なさから、武器そのものの扱いが二流であろうとも、戦闘のリズムを適切なタイミングで変えたり、武器を振るいながら魔術を扱う程度ならば、(なん)なくこなすことができる。

 

「オオォォォォオオオオッ!!」

 

 それならば……と、3メートルを超えようかというほどの大きな熊獣人が、巨大な斧を振りかぶり突進してきた。

 如何(いか)にその矮躯(わいく)に見合わぬパワーであろうと、大きく離れた体格と重量に加え、突進力までプラスされれば、敵の武器を弾くことはできまい……そう考えたのだ。

 

 しかし、当然のことながら、それだけ巨大な相手が雄叫(おたけ)びを上げながら勢い良く突っ込んでくれば、リリィが気づかないはずがない。

 右側から攻撃してくる熊獣人に対し、リリィは右足を軽く後ろに引くことで相対(あいたい)する。直後、リリィは左の手のひらの中で斧槍の柄をくるりと回転させた。

 

 ガギィンッ!!

 

 リリィの前方で風車のように、熊獣人から見て時計回りに回転した斧槍が、彼が振り下ろした斧を軽々と上へ弾き飛ばす。驚きに硬直した瞬間、弾き飛ばした反動で戻ってきた斧槍の柄を右手で(つか)みつつ、流れるように脇構(わきがま)えに構えたリリィの姿が目に入り――

 

 ――直後、リリィに振るわれた斧槍に、一瞬で彼の首が()ねられた

 

 彼はリリィの膂力(りょりょく)(はか)り違えた。その小さな身体に、へたな砦よりも巨大な魔物(サーペント)と同等以上の魔力が秘められているとは想像もつかなかったのだ。

 

 ピクリ

 

 リリィの猫耳が震える。

 

 頭上を(あお)ぐと、下級魔族が魔力を(たくわ)えた両(てのひら)をこちらに向けている。近接戦では(かな)わないと見て、味方ごと魔術で攻撃する気だ。

 

 魔術で迎撃や防御をしようにも、今から魔力を集中していては間に合わない――瞬時にそう判断したリリィは、間髪(かんぱつ)入れず斧槍を頭上の悪魔へ投擲(とうてき)した。

 

 スカッ!!

 

 ブーメランのように回転しながら宙を(すべ)った斧槍は、狙い(あやま)たず悪魔の胴を音も無く両断する。

 

 その瞬間、リリィに手持ちの武器がなくなった事をチャンスとみた周囲の敵が、一気にリリィに襲いかかる。

 

 バチイィィィンッ!!

 

 リリィを中心に、襲いかかった全ての敵が吹き飛ぶ。彼女の右手には、蛇腹状(じゃばらじょう)の刀身を鋼線で繋いだ剣――連接剣(れんせつけん)が握られていた。

 襲いかかられる直前、リリィは転送魔術でこの剣を()び出し、刀身の連結を解除。(むち)のように剣を振るい、敵を弾き飛ばしたのである。

 

 

 

 ……魔王の魂から経験を引き出し、水精の隠れ里で水の大剣を振るっていたとき、リリィは頭の片隅でこう確信していた。

 

 ――“この程度ならば、自分でもできる”、と

 

 魔王が腹心の部下として育てようと()ずから創造した彼女は、彼から絶大な才を与えられて誕生した。

 その戦闘センスは、魔王の経験を余すところなくリリィに理解させるどころか、“武器を操って戦う”とはどういうことか、という根幹(こんかん)を理解させるにまで至ったのである。

 

 “自分ならば、どんな武器であろうとそれなりに使うことができる”……そう確信した彼女は、オーク討伐の際、リウラに頼んで“大”剣ではなく“長”剣を水で作成してもらい、それを振るった。

 

 ――そして、その“確信”が正しいものであったことを証明した

 

 リリィよりも、ずっと長く獲物を振るってきたはずの、オーク達の曲刀術……もちろん、盗賊である彼らが真面目(まじめ)に修練を積んできたかは怪しいものだが、それよりも遥かに(うま)く、リリィは水の長剣を振るい、その剛腕ではなく技術(センス)でもって彼らを軽々と倒してみせたのである。

 

 それどころか、魔王と違ってリリィ自身に腕を磨く意思があったためか、ひと振りごとにその動きは洗練されてゆき、一流には遠く及ばないものの、剣を握って1日も()っていないとは到底信じられないほどにまで、すさまじい成長を見せたのである。

 

 リリィ自身が“戦い方を学ぼう”という意識を持って戦闘するだけで、これほど成長するのならば、魔王が最も得意とする武器……すなわち、大剣にこだわる必要などない。それよりも、リリィ自身に合った武器を探したほうが、よほど良い。リリィと魔王は、体格も性別も何もかもが違うのだから。

 彼女の超人的な成長性と器用さをもってすれば、状況に合わせて武器を使い捨てながら戦うことだって可能だろう。

 

 そこで、リリィはラギールの店から、ひと通りの武器・防具・魔法具を買い(そろ)え……そして、今まさに次々と変化する状況に合わせて、様々な武器を取り()えながら、その溢れる才に任せて戦闘を行っているのである。

 

 しかし、この連接剣という、剣と鞭の合いの子のような武器は熟練者でも非常に扱いが難しく、さしものリリィも刃筋を立てることは(かな)わなかった。

 

 もっとも、自分の身体が吹き飛ばされる勢いで、腹や胸に(はがね)(かたまり)を叩きつけられた面々(めんめん)は、皆一様(みないちよう)に肉が裂けて(もだ)え苦しんでいるので、効果は充分かもしれない。

 

 そこで、ふとリリィは気づく。

 

 ヴィアとリリィが道を確保しているにもかかわらず、リウラ達が一向にこちらへ来ない。

 リリィが不安に()られて後ろを振り返る。

 

 

 

 目に(うつ)った光景に、リリィの思考が凍りついた。

 

 

 

 ――下半身を砕かれ、倒れ伏すアイ

 

 ――肩口を切られて弓を取り落とし、左手をだらりと垂らしながらも、もう片方の手で何とか電撃属性の魔弾を撃たんとしているリューナ

 

 

 

 

 

 ――そして、足を握って妨害しようとするアイの手首を踏み砕き、リューナの魔術を結界で弾きながら、無防備に(すわ)り込むリウラに向かって、今まさに連接剣を振り下ろさんとするオクタヴィアの姿

 

 

 

 

 

 “助けなきゃ”――そう思った瞬間には、すでにリリィの身体は動いていた。

 

 リリィの身体を、まばゆい紫の魔力光(まりょくこう)が包み込む。

 傍目(はため)にもハッキリわかるほど高出力のそれは、彼女の背面により集中しており――次の瞬間、リリィの後ろ全面を覆う魔力が、リリィの身体を勢いよく前に弾き飛ばした。

 

 

 ――体術 超ねこぱんち

 

 

 最大出力の魔力や闘気を全力で弾くことによって、()()()()()()()()()を敵へと弾き飛ばす突進攻撃――いわゆる“体当たり技”である。

 

 進路上にいる敵を一瞬にして跳ね飛ばしながら、リリィはオクタヴィアに向かって突撃する。なんとかオクタヴィアが剣を振り下ろす前に、リリィは彼女に拳を振るうことに成功した。

 

 ――スッ

 

 しかし、オクタヴィアはリリィが来ることがわかっていたかのように半歩後ろに下がり、リリィの突撃を(かわ)す。

 

 “超ねこぱんち”は、その技の特性上、技の出始めが非常にわかりやすい。

 最大出力で発現した魔力は『これから何かしますよ』と言っているようなものであり、それを使ってこちらに突進してくれば、それは(あん)に『()けてください』『迎撃してください』と言っているも同然。

 

 睡魔族(すいまぞく)や猫獣人の打撃系切り札として有名でもあるため、その特徴的な動作から繰り出そうとしている技が“超ねこぱんち”であることもバレやすい。

 その代わり、当たればその威力は通常の“ねこぱんち”の比ではなく、少々格上の相手であろうと沈めることができる――言わば、テレフォンパンチの究極形である。

 

 オクタヴィアは、かつてブリジットの父に(つか)え、ブリジット誕生後に彼女の使い魔となったという経緯(けいい)がある。その身に宿す魔力も実戦経験も、実は(ブリジット)よりも上であり、そんな相手に対していくら不意を打とうと、こんなわかりやすい攻撃が当たるはずもなかった。

 

 ガガガガガガ……ッ!!

 

 リリィは岩のように硬いはずの地面を砕き散らしながら、着地して振り返る。

 

 オクタヴィアの攻撃に間に合うよう全力で技を放ってしまったため、勢いがつきすぎ、オクタヴィアからやや離れた所に着地することになってしまった。

 そのせいか、オクタヴィアはこの場で1番の脅威であり、さらには大技を放った直後で隙を晒しているリリィを狙わず、もっとも討ち取りやすい位置にいるリウラに向かって、ふたたび剣を振り下ろそうとする。

 

 すでに、“超ねこぱんち”は見せてしまった。不意を打つことも、もうできない。次は“超ねこぱんち”を避けながら、リウラを攻撃されてしまう。

 リリィはとっさに再度背に集中した魔力を弾き、()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 ――オクタヴィアの剣が、リウラを(かば)うリリィの背を深々と斬り裂いた

 

 

 

 



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第三章 リューナを救え! 中編2

 ――リウラの視界が真っ赤に染まる

 

 それはまるで夢を見ているかのように現実感がなく、酷くスローモーションに感じられた。

 

 オクタヴィアの振るう(やいば)が、妹の背を通過してゆく。

 染み(ひと)つ無い綺麗な肌。すべすべしていて、ずっと()でていたいと感じた愛しい妹の肌が無残(むざん)に裂かれ、紅い紅い血が噴水のように噴き出す。

 

「リリィ!!」

 

 遅れて追いついたヴィアが血相を変えて飛び込み、オクタヴィアと切り結ぶ。技術、魔力共にオクタヴィアの方が格上だが、今のヴィアならば防御に徹すれば持ちこたえることくらいはできた。

 

「……あ……あああ……」

 

「大……丈夫? ……お姉ちゃん……」

 

 リウラの腕にグッタリと身体を預ける妹は、血だまりを作りながら、それでもリウラのことを案じていた。

 

「だ、大丈夫! 大丈夫だよ!! リリィが(かば)ってくれたから!!」

 

 あまりの状況にパニックに(おちい)りながらリウラがそう答えると、リリィは力無く、だが心から安心したように笑顔を浮かべ、「良かった」と(つぶや)いた。

 

 ギリッ……!

 

 リウラは歯を食いしばり、拳を強く握り締める。

 

 ――自分は、いったい何をしているのか。自分はリリィを護るためにここに居るのではなかったのか

 

 ――それが護るどころか逆に護られて、護るべき彼女の身を危険に(さら)すなど、姉失格ではないか……!!

 

「あ、ああああぁあぁぁっ!!」

 

 リウラは()える。そしてあまりにも情けない自分に対して、心の底から強く強く念じ、そして命じる。

 

(邪魔……邪魔邪魔邪魔邪魔ぁっ!! お願い私の心……その罪悪感をねじ伏せて! 大切な家族失わないために、今すぐ私を戦わせてぇっ!!)

 

 

 

 

 

 ――身体が……動いた

 

 

 

 

 

 今までの様子が嘘のようにピタリと震えが止まる。

 

 右手でリリィを支えながら、左手で素早く水の衣のポケットから真っ白な“治癒の羽”を取り出して握り潰す。

 純白に輝く魔力の風が、羽を握り潰した拳の中から(あふ)れて流れ出し、リリィの背を撫でると、一瞬でその傷を消し飛ばした。

 

 リウラの拳から溢れた白い風はリリィだけでなく、リューナの刀傷にも、自力で土を吸い上げて再生する途中にあったアイの手首と下半身にも流れ、完全に元通りにしてしまう。

 

 “治癒の羽”は癒す対象を明確にイメージしなければ発動しない。

 目の前で死にかけていたリリィだけでなく、周囲の仲間も意識していなければ、彼女達全員を同時に癒すことはできない。

 

 さらに言えば、“治癒の羽”はその色が白に近づくほど強力になり、逆に赤に近づくほど効力が下がるのだが、最高級の純白の羽を取り出して使用しなければ、全員を完全回復させることはできない。

 

 全員が回復して態勢を整えなければ死ぬかもしれなかったこの状況で、“とにかくすぐに回復させよう”と適当に羽を取り出さず、適切な羽を選んで握り潰した事実は、リウラが完全に冷静な状態を取り戻したことの証左(しょうさ)と言えた。

 

 肩の傷が癒えたリューナが、素早く弓を拾って周囲に牽制(けんせい)の矢を放つ。

 

 その隙に下半身が修復されたアイが跳ね起き、素早く地面を操って隆起(りゅうき)させ、群がろうとしていた敵の目の前に土壁を造って足止めし、その副次効果で地面を敵から見て前に(すべ)らせることで、敵の足をすくって転倒させ、態勢を立て直す。

 

「ぐぅッ!!」

 

 オクタヴィアからドシンと腹に重い突き蹴りをもらったヴィアが、リウラ達の元へ吹き飛んでくる。その瞬間、周囲から先程アイが操作した以上の勢いで、地面がリウラ達を(かこ)むように盛り上がり、そして完全にリウラ達を閉じ込めてしまった。

 

 警戒を(くず)さず、すぐにリューナが魔術で(あか)りを(とも)し、視界を確保する。

 

「……って、アイはどこよ!?」

 

 大きめの部屋ぐらいはある広い空間に居るのは4人。

 ――リウラ、リリィ、ヴィア、リューナ……アイが居ない。

 

「これは……」

 

 リューナは周囲に満ちる魔力を感じ取り、何が起こったのか事態を把握した。

 

 

***

 

 

「……な、なんだアレ?」

 

「……おそらくは、アースマンの一種と思われます」

 

「……アースマン!? アレが!?」

 

 ブリジット達の見つめる先……そこでは、女性の上半身――腰から上だけという姿の、見上げるほどに巨大な土人形――アイが猛威を振るっていた。

 

 アースマンの中には、土を吸い上げて身体を再構築する再生能力を利用して、より巨大な身体を(つく)り上げる(しゅ)がある。

 土や大地を操作できるアイにその程度のことができないはずもなく、巨大化した体内にリウラ達を取り込むことで、混乱状態のリウラを保護しつつ自分の攻撃力を上げるという手に出たのだ。まさに攻防一体の大技である。

 

 アイは巨大な拳を次々と敵の頭上に落として、地面に真っ赤な血の花を咲かせ、ちょっとした家ほどの大きさがある腰をズルズルと泥を(したた)らせながら動かし、まっすぐに当初の目標である道へと進んでゆく。

 途中、アイの進路上にいた敵が、アイの腰に身体を巻き込まれてすりつぶされ、聞くに()えない断末魔の悲鳴を上げる。

 

 敵から振るわれる武器は全て体表(たいひょう)の土に埋まり、その上からアイが回復のために吸い上げた土が武器をアイの体内へと埋め込んでゆく。ダメージを与えるどころか、武器の回収すらできない。

 

 ボンボンと敵から放たれる魔弾がアイの体表で爆発するが、それもその巨大な質量からすれば大したダメージではなく、すぐにアイが土を吸い上げて修復してしまう。

 

 ……アレは無理だ。雑兵(ぞうひょう)ではどうにもならない。オクタヴィアかブリジット自身が動く必要がある。

 

 驚愕から立ち直ったブリジットが、バサリとコウモリの翼を広げる。

 

「……ご主人様、ここは私が……」

 

「いいや、ボクがやる。オクタヴィアは手を出すな。……今はアイツを思い切り蹴り飛ばしてやりたい気分なんでね……!」

 

 額に青筋を立てて、気炎(きえん)を上げるブリジット。彼女の視線は……

 

 

 

 

 ――なぜか、超巨大化したアイの豊かなバストへと(そそ)がれていた

 

 

 

 

「……」

 

 そのことに気づいたオクタヴィアは、何も言わずに目を伏せて下がる。

 

 ――直後、ブリジットの姿が()き消えた

 

 ドオンッ!!

 

 腹に響く重々しい衝突音。その発生源は、上空――アイの……左胸。

 

「はああっ!!」

 

 1回、2回、3回、4回……ブリジットはコマのように回転しながら、次々と連続で回し蹴りをアイへ叩き込んでゆく。

 いくら巨大化したアイの頑丈さがデタラメでも、リリィ以上の速度と威力で放たれる旋風脚に耐えられるほど頑強ではない。

 

 一瞬の間に何度も何度も……執拗(しつよう)に執拗に打ち込まれた()()()()()容易(たやす)くアイのちょっとした丘程度はある大質量の左胸を破壊し、バランスを大きく(くず)されたアイは背後へと倒れ込んだ。

 下敷(したじ)きになった部下の断末魔が響くが、ブリジットもオクタヴィアもそんなことは毛の先ほども気にしていない。

 

 アイがグッと背を起こしながら、竜族のように大きな目でブリジットを(にら)みつける。

 その時にはアイの左胸は既に再生を始めており、徐々にその美しい形が(よみがえ)り始めていた。

 

 その様子を見て、ブリジットの眼が吊り上がり、どんどん険しくなってゆく。

 

(うらやましくない……うらやましくないったら、ないんだ! あんな、土でできた作り物の胸なんて……!)

 

 同じ精霊でも、無意識に水で自らの衣を形作る水精とは異なり、土精アースマンは土で己の衣服を(つく)るようなことはない。

 土の操作に()けたアイは創ろうと思えば創れるが、恩人の命にかかわる戦いの最中(さなか)であるが故に、そこまで気が回らなかった。

 

 そして巨大な身体を新たに構築したが故に、その豊満な胸は、リウラの前で彼女が誕生した時と同じように、何物(なにもの)にも(おお)われず、さらけ出されたままであった……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ブリジットは魔王の幼馴染……つまり、()()()()()()()()()()()リリィと同じような年齢(10歳くらい)の容姿でありながら、彼女は立派(りっぱ)に成人してしまっているのだ。

 

 誕生したばかりで、さらには睡魔族ならではのナイスバディ(輝かしい未来)が約束されているリリィとは違い、彼女にそんなものなど無い。現実は非情である。

 

 再生するアイの胸を(にら)みつけながら、ブリジットが心中(しんちゅう)で血の涙を流していると、ふと感じた殺気に反射的に体が動く。

 

 ブリジットの頬をかすめるように、濃密な電撃の魔力を(まと)った矢が通り()ぎた。見れば、アイの右肩に穴が開いており、そこから身を乗り出したリューナが弓を構えている。

 

「……ああ、もう! イライラする!!」

 

 苛立っていたところに、さらにちょっかいを出されてブリジットが癇癪(かんしゃく)をおこす。

 

 ブリジットは自らに向かって降り(そそ)(いかずち)の矢の雨も、巨人の(こぶし)()(かい)さず、その怒りのままに襲いかかった。

 

 

***

 

 

 ――アイの体内

 

 グイッ!

 

 リューナがアイの援護に向かったのを見送った後、突如(とつじょ)としてリリィが血にまみれたキャミソールドレスを脱ぎはじめる。

 

 唖然(あぜん)として見ているリウラとヴィアの視線を無視して、下着まで脱いですっぽんぽんになると、リリィは水球を召喚して自らを包み込む。

 

 潜水魔術の応用で水球の中に“流れ”を生み出し、洗濯機のようにリリィにかかっていた血が洗い流され、水球が赤黒く(にご)ってゆく。スッとリリィが右腕を横に動かすと、水球がリリィを残して横に移動し、その後フッとどこかへと転移する。

 水滴ひとつ残っていないリリィの身体は、シミひとつない美しい姿に戻っていた。

 

 リリィはヴィアに視線を合わせると、言った。

 

「ヴィア、()()()()()()()

 

 ヴィアが緊張する。

 

 リリィが『主として命じる』と宣言したということは、使い魔である自分には決して逆らえない(めい)(くだ)るということ。わざわざ強制しなければならないということは、ヴィアが拒否するであろう命令であるということだ。

 

 だが、それが分かっていてもリリィの使い魔の自分には命令を(さえぎ)ることも拒否することもできず、ただ命令が下るのを待つしかない。

 

 ゴクリと(のど)を鳴らして、次の言葉を待つヴィア。心なしか、リリィの口がゆっくりと動いているように感じられる。はたしてその内容は――

 

 

 

「――脱ぎなさい」

 

 

 

 ……………………………………………………。

 

 

 

(また、このオチかあああぁぁぁぁぁ!!!!)

 

 ヴィアは頭を抱えてしゃがみ込む。

 

 まさかの3度目である。1日に3度立て続けに同性に襲われる者が、この世の中にいったいどれだけいるというのだろうか。

 無情にも、ヴィアの身体は本人の意思を無視して勝手に服を脱ぎはじめ、羞恥で顔を真っ赤にするヴィアは、リリィに向かって必死に涙目で訴える。

 

「いやいやいや待ちなさいよ! アンタが消耗してるのは分かるけど、今ここで精気を取られて私が倒れたら、手が足りなくなって結局、は……、アン、タ、も……」

 

 ヴィアの声が力を失ってゆく。

 足がふらつき、意識がぼやけてゆく。

 

(この……匂いは……)

 

 いつの間にか甘ったるい匂いが、この閉鎖された空間――アイの体内に満ちていた。

 匂いはどんどん濃密になってゆき、まるで視界すべてが桃色になっているかのように感じられる。

 

 ――フェロモン

 

 それがこの匂いの正体だ。

 

 睡魔族(すいまぞく)は他者を性行為に(いざな)うため、強力なフェロモンを放出することができる。

 その効果は強烈――老若男女・種族を問わず効果があり、よほど精神力か魔力が強くなければ抵抗など許さない、(たけ)り狂うような性欲を()いだ相手に植えつける。

 

 睡魔リリィの使い魔たるヴィアには高い魅了耐性があるが、その魅了耐性を与えた張本人から仕掛けられた魅了に(あらが)うことなどできようはずもない。

 ヴィアは同性の……それもまだ成熟していない(おさな)い裸体に、身を焦がすような激しい興奮を覚えた。

 

「ごめんヴィア。言ってることはもっともだけど、説明してる時間がないの。“アイとリューナさんが(ねば)ってくれている間に貴女がイッてくれないと、私達が全滅しちゃう”ってとこだけ理解して」

 

「なんか私すごいこと要求されてる気がする!?」

 

 意識がぼやけながらも、渾身(こんしん)のツッコミを入れるヴィア。

 

 “制限時間以内に同性(子供)にイかされろ”なんて、いったいどんな罰ゲームだろうか? 悪夢にも程がある。なんだか無性(むしょう)想い人(リシアン)が恋しい。

 でも、むりやり興奮させられた自身の視線は、リリィの胸と股間(こかん)から離れてくれず、だんだん死にたい気分になってくるヴィアだった。

 

「大丈夫。強制的に興奮させるし、快楽も私がコントロールするから。ヴィアは天井のシミの数でも数えといて」

 

「それがイヤだっつってんのよぉぉおおおおお!!」

 

 その言葉を最後に、ヴィアは再び(性的に)食われた。

 

 

 

 

 

 

「おおぉ~~……!」

 

 唐突におっぱじめられた妹の痴態(ちたい)……それも同性相手。だが、リウラはそれに驚くことはあっても、引くことはなかった。

 

 それどころか彼女は初めて目にした、他人の色事(いろごと)に興味津々。

 頬を赤く染めつつも、彼女の視線は(から)みあう肌色の(かたまり)から()れることはない。むしろガン見である。

 

 居住(いず)まいを(ただ)し、正座してこの興味深い行為を熱心に……それはもう熱心に見学している。

 先程まで自身の罪悪感について真剣に悩んでいたことなど、あっという間に吹き飛んでしまう衝撃的かつ興味深い光景に、リウラはすっかりいつもの調子を取り戻していた。

 

 リューナからもらった、精神安定の効果があるらしい薬草をムグムグと噛みつつ、18歳未満お断りなシーンを観賞していると……ややあって、リウラはもじもじと(ひざ)(こす)り合わせるような動きを見せる。

 

(うう……見てたらなんか、アソコがムズムズしてきちゃった……)

 

 今度は扉越(とびらご)しではない(なま)のヴィアの嬌声(きょうせい)をBGMに、リウラのことを気にする様子もなく全力全開で肌を擦り合わせる2人(ヴィアは気にする余裕がないだけ)の姿を見ているのだから、リウラが興奮するのも当然……と、リウラ自身は考えている。

 

 

 

 ――リウラは、()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 正確には、()()()()()()()()()()()()が異常だということを知らない。

 

 この密閉空間には、リリィという強力な睡魔が放つフェロモンが満ちている。

 ということは、当然リウラもそのフェロモンを嗅いでおり、猛烈な性衝動に襲われるはずである。

 

 それは今リウラが感じている程度のものでは断じてない。

 傍観(ぼうかん)することはおろか、相手のことを気遣(きづか)うこともできず、(けもの)(ごと)く本能のままにリリィに襲いかかってしかるべきもの。

 

 

 ――つまり、彼女にはリリィのフェロモンがほとんど効いていないのだ

 

 

 一般的な睡魔を遥かに超える魔力を持つリリィのフェロモンは、リウラ程度の魔力の持ち主では、よほど精神力が強くない限り抵抗できるものではなく、今リウラが噛み続けている薬草程度で防げるものでもない。

 特に意識しない状態でそれに抵抗できるなど、さらに有り得ない。

 

 そんな自分の異常性もつゆ知らず、リウラは興奮に息を荒らげながらもリリィの邪魔をしないように彼女達の(そば)(ひか)え、ただひたすら妹の濡れ場を(うる)んだ切なげな瞳で見つめ続けた。

 

(わ、私も混ざりたい~~~~~!! って、うわっ!?)

 

 アイが攻撃を受けたのか、部屋が大きく震え、斜めに傾く。

 

 ――リリィとヴィアが全裸で絡まり合ったまま、リウラの目の前をゴロンゴロンと転がって行った

 

 

***

 

 

(ッ……強い……!!)

 

 泥で衝撃を吸収し、打撃はおろか斬撃すら防ぐアイの自慢の身体は、目の前の小柄な魔族少女によってボロボロにされていた。

 

 右腕がもげ、腹と頭部に穴が開き、片目を潰された。

 胸など、とうに両方とも完膚(かんぷ)なきまでに破壊されている。

 

 常に土を吸い上げて身体を再生しているにもかかわらず、ブリジットが与えるダメージに再生がまるで追いつかない。肩に乗っているリューナは何とか死守しているものの、このまま身体を削られ続ければ、リューナだけでなくアイの体内にいるリウラ達が攻撃されてしまう。

 

 リウラは明らかに様子がおかしくなっており、とても戦闘できる状態ではないとアイは認識している。

 ここでアイが倒れれば、リウラが殺されてしまう。それだけは絶対に許容できない。彼女はアイの恩人だ。ここで彼女を殺されるわけにはいかない。

 

 ――だが、どうすれば良い?

 

 ブリジットの戦いは恐ろしく速く、そして(うま)かった。

 

 リューナが矢や魔術で援護してくれているにもかかわらず、アイの拳も石弾もかすりもしない。その上、身を隠す(すべ)()けていて、気がつけば姿を見失っていることなど当たり前のように起こった。

 リューナの援護がなければ、とっくに身体を破壊されつくしていただろう。

 

 アイがブリジットと戦うためには、まず攻撃を命中させられるようにならなければならない。だが、どうすれば当たるようになるのか? 

 

(……ううん、待って……()()()()()()()()()()()()()?)

 

 ブリジット達相手には勝てない――それはブリジットの居城(きょじょう)に潜入する前から分かっていたことであり、だからこそヴィア達は最初から逃げの一手を選び続けていた。

 今だって、次の転移門(てんいもん)へ移動する途中に敵がいるから、しかたなく倒していただけにすぎない。

 

 

 ――しかし、本当にブリジットを退(しりぞ)けなければ、次の転移門へたどり着けないだろうか? ……()()()()()

 

 

 ハッと気づいたアイは、今までで最大の速度で目的の転移門がある“道”へと突進する。

 

 その間に立ち(ふさ)がるブリジットは、すぐさま再生途中のアイの胸へと蹴りを放つ。

 ドオンッ! と凄まじい音を立てて、アイの上体(じょうたい)が後ろに()れるが……

 

 ――踏ん張る

 

 アイの腰の位置は()()っていない。リウラ達を(かくま)っている箇所――胸の中心が大きく(えぐ)れ、ヒヤリとしたものの、それ以外に影響はない。

 

 アイは何とか再生が間に合った右腕と、無事だった左腕をクロスさせて胸を(かば)いながら、再び突進する。

 

 同じような行動を2回続けて取ったことで、ブリジットが(わず)かに(いぶか)()な表情になるが、再びブリジットはアイに認識できないスピードで蹴撃を放つ。

 

 今度は腹。腰の位置がわずかに後ろにずれるが、それもグッと地面を腰の泥でつかみ、可能な限り後ろへ下がることを(まぬが)れる。

 

 ジリジリ……ジリジリと少しずつではあるが、転移門が近づいてくる。

 

 3回目の突進で、ようやくブリジットがアイの狙いに気づいた。

 

 そう、巨人族と見紛(みまご)う今のアイの姿ならば、その巨大な質量と重量、そして再生能力を利用して、無理やり前に進むことができるのだ。

 

 ブリジットの攻撃力は確かに高い。しかし、今のアイの身体(大質量の土の塊)を丸ごと吹き飛ばせるほどではないし、再生能力を無視してすぐさま滅ぼせるほどでもない。

 ならば、ブリジットを攻撃する余力を全て防御に回して転移門へと突進すれば、ブリジットにはそれを妨害する手段が存在しないのだ。

 

 もちろん、アイの再生能力を上回る攻撃力は持っているので、アイが耐えきれずに潰される可能性はあるが、転移門まで持ちさえすれば、あとはリリィ達が何とかしてくれるとアイは信じていた。

 

 そうはさせじ、とアイの腹に連続で蹴りを放ち、ブリジットはアイを後ろへ下がらせようとする。

 アイの位置が耐えきれずに、ほんの少しだけ後退する……が、雨のように上から降り(そそ)ぐリューナの矢がブリジットの攻撃を中断させた。

 

 “アイを転移門から引き離す”という目的がある以上、ブリジットはアイの前面からしか攻撃をしてこない。あまりのスピードに、前後左右上下どこから攻撃してくるのか分からなかった先の戦闘では、ブリジットに狙いをつけることすら難しかったが、“前からしか攻撃がこない”と分かっているのならば、いくらかやりようはある。

 リューナの援護を受けることで、再びアイの前進が始まる。

 

 そして、前進とわずかな後退を繰り返し、アイがいくらか転移門までの距離を縮めたところで――気づいた。

 

(……まずい。身体がもたない……!!)

 

 とうとうアイの身体に限界が訪れた。

 

 腹にも頭にも大きな穴が開き、腕は両方とも肩からもげ、首も取れかけている。胸ももう少しでリウラ達のいる空間まで届いてしまうところまで削られてしまった。

 次か、その次の突進でアイの身体は行動不能になる。

 

 そして、リューナも限界が来ていた。

 

 魔力が限界に来ているのか、矢に魔力がほとんど乗っておらず、今や避けるそぶりすら見せないブリジットの体表(たいひょう)に弾かれている。魔術による援護もなくなった。

 そのことから“脅威ではない”と認識されているのか、リューナへの攻撃もないが、もし攻撃されればリューナは一巻の終わりである。

 

(どうすれば……! どうすれば……!! …………え!?)

 

 アイが目を大きく見開いた。

 

 

***

 

 

「ん?」

 

 ブリジットが(まゆ)をひそめる。

 

 馬鹿の(ひと)つ覚えのように、ガードを固めて突進を繰り返していたアイの動きがピタリと止まった。

 今度は何を(たくら)んでいるのか、とブリジットが考えていると、リューナが立っている場所とは逆の肩……アイの左肩に穴が開き、中から幼い少女が現れた。

 

 ――リリィである

 

 アイの体内で衣服を()び出して着替えたのか、彼女の(よそお)いが変わっている。

 そしてそのせいなのか、彼女の雰囲気までもがガラリと変わっていた。

 

 いつもの紺のキャミソールドレスではなく、白いワンピースにパンプスを()いたシンプルな装いは、リリィにわずかに(ただよ)妖艶(ようえん)な雰囲気を打ち消し、見る者に純真無垢(じゅんしんむく)なイメージを与えている。

 ツインテールに結っていた髪は下ろされ、リリィの快活なイメージを大人しいイメージに塗り変えていた。

 

 トドメは、その態度と表情。

 両手を胸の前で祈るように組み、心もち上目づかいに瞳を(うる)ませるその様子は、どこかの物語に登場するお姫様のようで、庇護欲(ひごよく)をそそられずにはいられない。

 

 そして、彼女は右目からポロリと一筋(ひとすじ)の涙を流して懇願(こんがん)した。

 

「お願い、みんな! ……私を……私を助けて!!」

 

 リリィの意味不明な行動に、「はぁ?」とブリジットが思わず口にしたその瞬間、

 

 

 

 ――リリィの瞳が、ぼぅと紅く輝いた

 

 

 

 ブリジットの身体にリリィの魔力が当たり、そして弾かれた感触があった。

 何をしようとしたのかはわからないが、失敗したようだと判断したブリジットが、リリィに狙いを定めて攻撃態勢をとったその直後、

 

 

「「「「「「ウオオオオオオオォォオオオオオオ!!!!!」」」」」」

 

「「「「「「キャァァアアアアアアアアアアアア!!!!!」」」」」」

 

 

 怒号(どごう)のような凄まじい()()が響く。

 

 そして、ブリジットの配下達――そのほぼ全員が同時にグルリと首をブリジットとオクタヴィアへ向け、すさまじい雄叫(おたけ)びとともに()()()()()()()()()()

 

「………………はぁぁああああっ!!?」

 

「……!!」

 

 ブリジットが(あご)を落とし、オクタヴィアが目を()いて驚愕する。

 

 

 ――魅了魔術 誘惑の微笑(ほほえ)

 

 

 睡魔族(すいまぞく)が得意とする魔術の(ひと)つで、本来は男性に対して妖艶な微笑みとともに使用することで対象を誘惑し、(ねや)へと導く(=精気をいただく)目的で使用される魔術である。

 

 妖艶な微笑みを(ともな)うのは、相手の心に隙を作って魅了に抵抗されにくくするためであり、今回リリィが行ったように、意外性があり、かつ護ってあげたくなる装いで“庇護欲”という心の隙を作っても充分に機能する。

 

 だが“心の隙がなければ、絶対に効かないか?”と言われれば、別にそんなことはない。

 

 ブリジットの配下達で、リリィの装いに心の隙を作ったのはほんの一部だ。自分達の仲間を何十人と殺した相手なのだから、油断できないのは当然である。

 

 にもかかわらず、こうしてほぼ全員がリリィの魅了にかかったのは、(ひとえ)に魔術を使用するリリィの魔力が一般的な睡魔から隔絶(かくぜつ)した強大なものであり、敵の魔術的な抵抗力を魔力(ちから)ずくで突破できたことが理由だ。

 リリィの新たな装いは、少しでも敵を魅了する確率を引き上げるためのダメ押しにすぎない。

 

 これが力ある睡魔の恐ろしさである。彼女達に対していくら数を(そろ)えようとも、質が低ければ、これこの通り。戦力が丸々相手のものとなってしまう。

 今やブリジットの配下で、リリィの魔力に(おか)されていないのは少数の闘気・魔力が高いメンバーだけで、眼をハートマークにした仲間に(かこ)まれて完全に孤立してしまっている。

 

「……ッ!!」

 

 主の手を(わずら)わせないよう、オクタヴィアが対処に動く。

 

 彼女が暴走する部下達の上空へと飛び立ったことを確認すると、リリィはアイの肩から飛び降りた。

 ストンと着地したリリィのワンピースとパンプスが転送魔術で隠れ里跡地(あとち)の蔵へと戻され、その身体をいつもの紺のキャミソールドレスと、同じく紺のフラットシューズ、そして紫のリボンが(おお)う。

 

 この衣服はリリィの魔力で(つく)られているため、いつでもこのように出現させることができる。

 そして、“リリィの魔力で創られている”ということは、“リリィの魔力が成長すればするほどこのドレスに込められている魔力の質も上がる”ということであり……現在のリリィの魔力であれば、へたな防具――つまり先程のリウラが選んだワンピースよりもよほど防御力が高い。

 

 リリィは手のひらに創りだした髪紐(かみひも)で、自分の髪を再びツインテールに結い上げると、上空にいるブリジットを見上げながら武器を()びだす。

 

 リリィの手に出現したのは、初心者に(やさ)しい長柄武器(ながえぶき)ではない。

 

 

 

 ――彼女の両の手に握られていたのは……二振(ふたふ)りの短剣(ダガー)であった

 

 

***

 

 

 オクタヴィアは、魅了された部下達に対して即座に電撃を放った。

 

 魅了というのは一種の混乱状態であり、痛みやショックを与えることで正気に戻ることが多々あるからだ。

 とはいえ、魅了をかけたのが強大な魔力を持つリリィであるため、ちょっとやそっとの刺激では正気に戻すことは難しく、かなりの威力――それこそ“死んでも構わない”というレベルで電撃を放つ必要があった。

 

 その結果、電撃の範囲内で死んだ数と正気に戻った数は、だいたい五分五分(ごぶごぶ)といったところ。また、正気に戻っても、電撃のダメージが大きくて戦闘不能である者も多い……が、それはそれで構わない。

 

 オクタヴィアにとっても彼女の主にとっても、部下に対する認識は“道具”・“駒”・“消耗品”であり、仲間意識は全くない。オクタヴィアにとって大事なのは主だけであり、ブリジットにとっても大事な部下はオクタヴィアだけなのだ。

 

 だから、無駄に魔力を喰う魅了解除の魔術を使うこともないし、電撃で倒れた部下がまともに戦えなくとも、彼らが魅了された別の部下に殺されようとも、特に気にはしない。

 オクタヴィアの電撃で魅了された部下を全滅させるまで、彼らが少しでも時間を稼いでくれればもうけもの……と考えているのである。

 

 次の電撃を放とうとオクタヴィアが精神を集中する……が、横から高速で飛来する複数の魔力を感じ、魔術を中断して回避する。

 

 オクタヴィアの(そば)を通過していったのは、オクタヴィアでもダメージを受ける密度の魔力が込められた()()

 

 オクタヴィアが向けた視線の先……そこにはまるで宙に浮いているかのように、水で(つく)られた透明な床の上に立って、半身(はんみ)に構えを取るリウラの姿があった。

 

 

 

 

 

 

 ――落ち着いている

 

 自分でも驚くほど心が静かだった。

 心が透明に感じられるほど、一切の雑念が湧かず、ただ目の前の強敵を倒すことだけに意識を向けることができている。

 

(……これも、リリィのおかげかな?)

 

 リリィが身体を張って示してくれた、自分よりも小さな体に秘められた覚悟と勇気……そして、愛。それらが、リウラの迷いを全部まとめて押し流してくれたのかもしれない。

 

 そう、リウラは覚悟を決めていた。

 自分もまた、リリィと同じようにその手を血に染める覚悟を。

 

 ふっ、とリウラの頭に、リリィと一緒に食べた魔物の肉の串焼きの記憶が()ぎる。

 

 リウラのような水精は例外として、基本的に生き物は皆、他者の命を喰らうことで自分の命を長らえさせている。

 

 今回のこともそれと同じだ。

 

 リウラとリリィが生きるためにブリジットやオクタヴィア、そして彼女達の部下といった他者の命を奪う。

 ただ、今回は命を奪う対象が、自分と同じ人の姿を持ち、自分と同じように考える知恵を持つ生物だった。自分と同じように、相手にも(ゆず)れない理由があった。

 

 出会い方が違えば、わかりあえたかもしれない。もしかしたら友達になれたかもしれない。それは、とても残念に思う。

 

 だが、もう迷いはしない。リウラはブリジット達の命を喰らって、自らの、友人の、……そして、大切な(家族)の命を(つな)ぐ。

 

(私とリリィと……ヴィアさんとリューナさん……そして、私達に関わるみんなの未来のために……)

 

 リウラは、これから命を奪うことに対しての謝罪と、自分達の未来の(かて)になってもらうことへの感謝を込めて言った。

 

「あなた達の命……いただきます!」

 

 

 ――“串焼き”になるのは、あなた達だ

 

 

***

 

 

 連接剣(れんせつけん)は、刀身が(いく)つもの(やいば)に分解し、(むち)のようにしならせて攻撃する武器ではあるが、きちんと刀身を連結していれば通常の長剣と同じように使用できる。

 その連接剣の()(さき)が、すさまじい勢いでリウラの目の前に迫る。

 

 オクタヴィアが飛翔しながら放つ、その突きのスピードはリリィやブリジット以上。

 昨夜の……リリィの性魔術で強化される前のリウラであれば、反応することはできなかったかもしれない。

 

 オクタヴィアの右手で繰り出される刺突に対し、リウラから見て剣の左側面――外側に、すぅっと右肩から身を(すべ)り込ませる。

 そして、左足を前に出しながら(なめ)らかに両手を持ち上げ、右手をオクタヴィアの手首の横に()え、ひねり、左手を相手の脇の下に添える。

 

 そのまま、それぞれの爪先(つまさき)の向きを後方に向けることで、身体全体の向きを反転。

 相手の飛び込んでくる勢いを利用しながら、右の(かかと)を左の踵に(こす)りつけるように大きく後ろへ引いて、自分を中心に円を描くように、巻き込むように、勢いをつけて相手の身体を振り回し、空中に待機させていた水弾に向かってオクタヴィアの顔面を思いきりぶつけた。

 

 

 ――雫流魔闘術(しずくりゅうまとうじゅつ) 戦槌(せんつい)

 

 

 突進してくる相手の身体を(つち)に、突き出す腕をその(つか)に見立て、相手の身体を振り回して壁や水壁・水弾に衝突させる、水精(みずせい)シズクから伝授された戦技の1つである。

 

 パアンッ!!

 

 リウラの水弾が弾ける――失敗だ。

 

 本来、この技は衝突した水球が相手の顔面に張り付き、そのまま相手の眼や鼻、口から内部へ侵入して内臓を破壊するという、かなりえげつない技だ。

 リウラはそこまでするつもりはなかったものの、窒息(ちっそく)させる気はあったため、“水弾が弾ける”という現象が起こるはずがない。

 

 水弾が弾けた理由――それは、結界。

 

 “魔術結界”と呼ばれる、対魔術用の結界を衝突の寸前に展開されたため、水弾がオクタヴィアの顔面に当たる直前に結界に当たって弾かれてしまったのだ。

 

 “戦闘において魔術戦を(しゅ)とする、後衛向け種族であるはずの水精が体術を使う”という常識外れのカウンター攻撃を、あの一瞬に防ぐ判断力と魔術の展開速度……それだけでオクタヴィアが、どれほどの戦闘経験を積んできたかが分かろうというものだ。

 

 飛行しながら前転を行い、ひねられた右手を無理やり外して、そのまま前へと距離を取るオクタヴィア。

 とっさの判断で水弾を防ぐことはできたが、今まで戦ったことのないタイプであるリウラを警戒している様子だ。

 

 ――だが、それは悪手

 

 近接武器は届かないが、魔術ならば届く“中距離”……それは()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 オクタヴィアがリウラに振り向いたとき、すでに彼女はリウラが()び出した無数の水弾に(かこ)まれていた。

 

 

 

 水精の隠れ里でも屈指(くっし)の水操作技術を持つリウラの水弾は、多種多様。

 

 ――状況に合わせて瞬時に変化する、通常の球型

 ――剣や槍・斧・槌といった殺傷力を高めた武器型

 ――コウモリや魚・バギルといった不規則な動きで敵を翻弄(ほんろう)する動物型

 ――宙を走る鎖型が、オクタヴィアを隙あらば捕らえようと囲うように動き、

 ――さらには10を超えるミニ水蛇(サッちゃん)型が、ひっきりなしに位置を変えながら口からレーザーのようにミニウォーターブレスを放つ。水弾を召喚する要領(ようりょう)でミニ水蛇(サッちゃん)の中の水分は補充されており、そのウォーターブレスは弾切れになる様子がない

 

 

 

 全距離(オールレンジ)攻撃

 

 

 

 前後左右上下から不規則に間断(かんだん)なく放たれる攻撃に対し、“すべての攻撃に対処することは不可能”と判断したオクタヴィアは、魔術結界を展開しなおしながら回避行動に移る。

 

 オクタヴィアの魔術結界ならば、先程のようにリウラの水弾を無傷で弾くことは可能だ。ならば、なぜリウラの攻撃を無視してリウラ本体の攻撃に向かわないのか?

 

 ゴオッ!!

 

 アイがそれを許さないからである。

 いくらオクタヴィアの魔力が高くとも、巨人族並に巨大化したアースマンの拳は無視できるものではない。対物理攻撃用の結界を展開することもできるが、あの大質量の拳を防ぎきれるものではない。

 

 ――リウラの腰のあたりに、輝く魔法陣が現れる

 

「ひょわあっ!?」

 

 すっとんきょうな叫びをあげて慌ててリウラが跳び退(すさ)ると、上空から落ちてきた魔弾が爆発し、リウラの足場を砕く。

 

 オクタヴィアの鋼輝陣(イオ=ルーン)である。

 

 リウラは再び水で足場を張りなおそうとするが、水を()び出した瞬間に、オクタヴィアが同じ要領でそれを破壊する。

 

 空間指定型の爆破魔術である鋼輝陣(イオ=ルーン)は、相手の行動を先読みして魔法陣を設置するという詰将棋(つめしょうぎ)のような戦い方ができる、応用力の高い魔術である。

 こうしてリウラが作ろうとする足場を先読みして破壊することも、リウラが落ちる位置を計算して魔法陣を設置することもできるという訳だ。

 

 足場を張ることができずに自由落下するしかないリウラへと、連結を解除したオクタヴィアの連接剣(れんせつけん)(へび)のようにしなり、迫る。

 

(くっ……それなら!!)

 

 オクタヴィアの剣を回避するように、リウラが横へと()()()

 

「!?」

 

 オクタヴィアがリウラの移動した方向へ目をやると、リウラが足からだらりと力を抜き、()()()()()()()

 

 ――雫流魔闘術(しずくりゅうまとうじゅつ) 水の羽衣(はごろも)

 

 ()び出した水を使って身体を支える足場を作るのではなく、水の(ころも)、あるいは水精の身体そのものを水弾の要領で直接操り、空を飛ぶ技である。

 

 水床のように足で体重を支えている訳ではないため、体術を扱う難易度が上がるデメリットはあるが、これならば足場がなくとも戦闘できる。

 

 意表を突かれたオクタヴィアの動きが一瞬止まり、そこに大岩の(ごと)きアイの拳がオクタヴィアに迫る。

 それを危ういところで回避したオクタヴィアは、ピクリと何かを感じ取りその顔を上へ向ける。

 

 オクタヴィアの直上(ちょくじょう)、その上空――そこではリウラが操っていた全ての水弾が結集し、巨大な水塊となって、まるで隕石のようにオクタヴィアへ向かって勢いよく落下しようとしていた。

 

 オクタヴィアの卓越した飛行技術は、リウラの攻撃のほぼ全てを回避しており、(まれ)に当たったものは全て彼女の魔術結界に弾かれている。このままでは彼女に対してダメージを与えることができない。

 

 ――ならば、どうするか?

 

 リウラが出した答えがこれだった。

 

 巨大な水塊を作って、“点”ではなく“面”での攻撃で逃げ場をなくす。

 繰り出した水塊はリウラの魔力が結集しているため、オクタヴィアの結界を貫通できる可能性も上がる。

 

 仮に貫通できなくとも、この大質量ならば、すぐには弾かれない。少しでも動きを封じることができれば、アイの拳がオクタヴィアにダメージを与えてくれるという寸法(すんぽう)だ。

 

 そして、このリウラの思いつきは、見事にオクタヴィアが“リウラにされたくない行動”そのものだった。

 

 リウラが全力で振り下ろす水塊のスピードは相当なもの。その巨大さから、避けるにはオクタヴィアの速度であっても()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 しかし、それではいくらオクタヴィアの飛翔速度が高かろうと、簡単に狙いを定めることが可能だ。

 

 つまり、そこを狙ってアイの拳が飛んでくる。

 

 逆にその場にとどまって全力で魔術結界を強化して水塊を耐えたとしても、やっぱりその間に物理攻撃(アイの拳)が飛んでくる。

 これを何とかするには、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 よって、オクタヴィアは後方――アイから見て前方へと全力で離脱(りだつ)せざるを()なかった。

 

 アイの巨大な拳がオクタヴィアへと放たれる。しかし、アイの拳よりもオクタヴィアの飛翔の方が早いため、絶対に届くことはない。

 

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 ドンッ!!

 

「!!?」

 

 アイの拳が文字通り()()()

 

 そう、アイは土精(つちせい)アースマン。その身体は、ただの土塊(つちくれ)。ならば、切り離すことも、操作することも可能である。

 

 (ひじ)あたりから切り離されたアイの腕は、単に拳を放つ以上のスピードでオクタヴィアに迫る。

 

 岩弾操作の要領で正確にオクタヴィアを追尾したアイの右手は、途中で形状を(グー)から平手(パー)へと変え、空中でオクタヴィアを捕らえると、そのままの勢いで壁面へと押さえつけた。

 

 ズウンッ!!

 

「ぐぅっ!?」

 

 自分の右手を追いかけたアイが、切り離された腕を再接続しつつ、全体重をかけてオクタヴィアを壁へ押し付け、彼女を押さえ込む。

 通常ならば圧殺(あっさつ)されてしかるべきだが、高い魔力を持つオクタヴィアの身体はそれにも耐える。しかし、腕から抜け出すことは(かな)わない。

 

 アイの腕に魔法陣が現れる。鋼輝陣(イオ=ルーン)で腕を破壊して逃げるつもりだ。

 

「はあああああぁぁぁああああっ!!」

 

 そうはさせじ、とサイドテールをなびかせたリウラが、再び巨大な水塊を(ともな)って現れる。

 

 今度の水塊は綺麗に形が整っているどころか、水塊の下が平面になっており、その面にはびっしりとバギルの牙のように大きく鋭い(とげ)がびっしり均等に並んでいる。

 

 全力で魔術結界を展開すれば防げるが、それでは逃げられず、ただリウラの魔術を防ぎ続けるしかなくなる。それではジリ(ひん)だ。

 かといって、このまま鋼輝陣(イオ=ルーン)を放てば、結界を破られ、脱出する前に大ダメージを受けてしまう。

 

 ゴオオオオオォォオオオオッ!!

 

 そこへさらに、すさまじい魔力をたった1本の矢に込めて弓を構えるリューナが追い打ちをかける。

 

 リウラ達が戦っている間に魔力回復薬を飲み終えた彼女の矢は、大きな鳥型の稲妻を(まと)って、大きく翼をはためかせる。放たれれば、(いかずち)の魔鳥はオクタヴィアの(のど)(くちばし)を突き立て、その身を雷光で焼き尽くすだろう。

 

 例えアイの腕を破壊したとしても、その瞬間に刺さる。

 例え魔術結界でリウラの水塊を防いだとしても、その上から結界を貫通して刺さる。

 ――オクタヴィアに逃げ場はない。

 

 

 チェックメイト。

 

 

 水精、土精、そしてエルフ――たった3人の無名の戦士が、今まさに高名な魔族を討ち取らんとしていた。

 

 

***

 

 

 スゥー、とブリジットが地上へ降りる。

 

 忌々(いまいま)しげにリリィを見るブリジット。

 それに対し、一切の油断なくブリジットの眼を見続けるリリィ。対峙(たいじ)する2人を邪魔する者はなく、2人はジッと相手を見つめ続ける。

 

 ――気に入らない

 

 ――何もかも、本当に気に入らない

 

 (おさな)き魔族姫は苛立(いらだ)ちを(つの)らせる。

 

 ――魔王(アイツ)が人間族なんかにやられたことも、魔王(アイツ)封印(あんなとこ)から出してやれないことも……こんな貧相な小娘に良いように引っかきまわされることも、みんなみんな気に入らない!!

 

 思い通りにならない現実が……そしてその元凶の1人であるリリィが。

 

 ブリジットは苛立ちのままに、衝動的に口を開く。

 

「どうし――」

 

 ――気づいたときには、リリィの右の短剣(ダガー)が己の首を斬り飛ばさんと迫っていた

 

(!!?)

 

 必死に首を()らし、短剣(ダガー)の軌道から退避する。直後、リリィの左足が跳ね上がり、ブリジットの鳩尾(みぞおち)を打ち抜いた。

 

「ガッ!」

 

 後ろへと勢いよく吹き飛ばされたブリジットは、翼を広げてブレーキをかける。前方のリリィに意識を戻すが、

 

 ――そこには誰もいない

 

 ゾクリと背筋を走る悪寒(おかん)が、ブリジットをさらに後ろへと跳ばせる。

 

 魔力を感じるよりも先に身体を動かすことができたのは、ブリジットの経験の賜物(たまもの)

 ブリジットが跳ねた直後、先程までブリジットがいた空間を、上空から急降下してきたリリィが両の短剣(ダガー)唐竹割(からたけわり)に切り裂いた。

 

 “戦闘の主導権を取り返さなければならない”――そう理解したブリジットは舌打ちしながら反撃を開始する。

 

 お返しとばかりに半身(はんみ)になったリリィの腹を狙うよう、回し蹴りを放つ。

 リリィはそれを無視して強引に前へと突っ込んだ。リリィの胴にブリジットの足が接触するが、蹴りの支点となる足の付け根である為ほとんどダメージが入らず、逆に体勢を(くず)したブリジットの左眼を狙って右の短剣(ダガー)が突きこまれようとする。

 

「くっ!」

 

 翼を動かし、強引に回転するように飛行することで、(から)くもリリィの短剣(ダガー)を回避する。

 

 ――その瞬間、軸足(じくあし)をグイと何かに引っ張られた

 

(!?)

 

 視野の(はし)で、リリィの尾がブリジットの軸足の(ひざ)へ伸びているのが見えた。

 

 バランスを完全に崩して仰向(あおむ)けに倒れこもうとするブリジットへ、くるりと(てのひら)逆手(さかて)に握り直した左の短剣(ダガー)を振り下ろすリリィ。

 

 ギィンッ!

 

 リリィの刺突が、とっさに張ったブリジットの対物理攻撃用の結界――防護結界に弾かれる。

 その隙に、ブリジットは何とか間合(まあ)いを離すことに成功した。

 

「なんでだよ……」

 

 ブリジットは動揺に声を震わせて言う。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()オマエ……!!」

 

 ()()()()()()赤子(あかご)()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 ――“天と地ほどに離れていたはずの戦闘技術や経験が、ほんの1時間も()たないうちに埋められてしまった”という信じられない事実に、ブリジットは混乱するのであった。

 

 

 

 



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第三章 リューナを救え! 後編

 原作におけるブリジットとオクタヴィアの使い魔契約は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 その特性の(ひと)つ、それは――

 

 ――(ブリジット)が死ねば、使い魔(オクタヴィア)も生きてはいられない

 

 (よう)は、ブリジットさえ倒すことができれば、そこで勝利が確定するのである。リリィはそこに目をつけた。

 彼女の立てた作戦はこうだ。

 

 まず、ブリジットとオクタヴィア以外の雑兵(ぞうひょう)を、リリィの魅了で無力化する。

 全員とはいかないだろうが、リリィの魔力ならば彼らの大半を寝返らせることができる。こうすれば同士討ちをさせて、彼らを無力化することができる。

 

 次に、オクタヴィアをリリィ以外の全員で抑え込む。

 オクタヴィアの戦闘力は非常に高い。リリィの見立てでは、リウラ・ヴィア・リューナ・アイの4人がかりでも倒すことは難しい。

 

 なので、人数差を()かして、とにかく手数を増やしてオクタヴィアにまともな攻撃・反撃をさせないよう、リリィはリウラとヴィアにお願いし、リウラはそれをアイとリューナに伝えた。

 特に、オクタヴィアに大魔術を撃たせないことが重要で、彼女に充分に魔力を()る時間を与えてしまえば、それだけでアイが脱落する。

 

 彼女は土精(つちせい)アースマン――その弱点は、実はゴーレムと全く同じ。魔術に……特に電撃に弱い。

 巨大化した今の彼女なら、雑魚(ざこ)が放つ魔弾程度なら(たい)したダメージにならない。しかし、オクタヴィアクラスの実力者であれば、一定の時間をかけて魔力を練ることで、容易に彼女の巨大な身体を破壊する程度の魔術は放ててしまうのだ。

 

 最後に、リリィがブリジットを倒す。

 単純な身体能力や魔力といったスペックならば、リリィはブリジットに劣っていない。唯一ブリジットを倒せる可能性があるのは、彼女だけだ。

 しかし、彼女には決定的に“戦闘技術”と“実戦経験”が足りていない。

 

 

 ――では、どうするか?

 

 

 アイの左肩の穴から顔を出し、回復薬を握りしめながらリリィの戦いを見ていたヴィアは、驚きと……理不尽さ大爆発なリリィの魔術への怒りを込めて言った。

 

「あの子……()()()()()()()()()()()()!?」

 

 二刀(にとう)を振るうリリィの流れるような美しい動き、それはヴィアの動きと瓜二(うりふた)つ。

 それもそのはず、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 性魔術の本質は精神戦。快楽で相手の心に隙を生み出し、弱ったところ、ひるんだところで相手の精神を支配する。

 

 支配された精神は、支配した側の思うがまま……相手が持つ記憶や知識・経験を引き出し、己のものとすることだってできる。

 リリィが自分の中の魔王の魂から知識・経験を引き出すことと同様の事象であり、“精神を支配する過程で性魔術を必要とすること”だけが違いだ。

 

 ――その効果は劇的

 

 魔王の魂から飛翔経験をもらった“このリリィ”と違い、生まれて一度も自身の翼で飛んだことのない“原作のリリィ”は空を飛ぶことなどできなかった。

 しかし、性魔術で鳥人(ハルピュア)から飛翔経験を奪った途端、原作の彼女は自由自在に飛べるようになったのだ。……訓練・勉強・努力といった単語を馬鹿にするかのような、デタラメな魔術である。

 

 ヴィアが懸命に(みが)いてきた戦闘技術や、積んできた実戦経験は、けっしてブリジットに劣るものではない。

 その技術・経験と、リリィの魔力が組み合わされば、ブリジットに勝てる可能性は充分にある。

 

 とはいえ、自分とは身長も体格も、種族的な特徴も異なる相手の経験をそのまま己のものとするには、本来それ相応の練習期間が必要になる。

 にもかかわらず、リリィはこうして盗んだ経験を即座に己のものとして戦っている。

 

 それを可能にしているのは、魔王より与えられたリリィの天賦(てんぷ)の……いや、魔賦(まふ)の才。

 ヴィアなど足元にも及ばぬその才は、今、ブリジットを圧倒し、この絶望的な状況を切り抜ける切り札として機能する――!

 

 ブリジットの間合いに滑り込んだリリィに対し、彼女は足刀(そくとう)を放つ。

 

 前転して蹴り足の下を()(くぐ)ったリリィが、蹴り足の付け根を裂こうと、クロスした両腕を振るう。

 まるでハサミのように左右の下段から迫る(やいば)を、跳ね上がったブリジットの軸足(じくあし)が防いだ。

 

 ギャギィッ!!

 

 ブリジットの膝上(ひざうえ)10cm程から、つま先までをすっぽりと足を(おお)うその長靴(ブーツ)は、ブリジットの防具であり武器だ。

 

 “暗黒の水晶”と合成した特殊な金属で編まれたその靴は、単に刃を通さないだけの代物(しろもの)ではなく、ブリジットの強靭(きょうじん)な脚力で叩きつけた瞬間、闇の魔力が相手の皮膚から浸透し、敵の身体を(むしば)むようになっている。

 

 闇属性に耐性を持つ魔族であるリリィには効果が薄いが、並の相手ならば、かすっただけでもダメージを受けるだろう。

 

 片足を宙に、もう片足をリリィの双剣(そうけん)(はさ)まれる形になったブリジットは、翼で身体を宙に浮かせることで体勢を整えつつ、すぐさまリリィの顔の前に手をかざし、至近距離から魔弾を放つ。

 

 それを読んでいたのか、リリィは双剣で挟み込んだブリジットの脚を放すと頭を下げ、地面を()うように体勢を低くして前方へと跳ぶことで魔弾を避ける。

 

 片手をバン! と地面に叩きつけて跳び上がり、くるくると体操選手のように回転し、ひねりを入れることでブリジットへと向き直るように着地した瞬間、いつの間にか接近していたブリジットがリリィの左のこめかみを爪先(つまさき)で狙うように回し蹴りを放つ。

 

 それを1歩下がって回避。目の前を通過した足首を追いかけるように左の短剣(ダガー)で斜め下に払うことで蹴りの軌道を乱し、次の回し蹴りへ繋げられないよう妨害する。

 

 ――途端、リリィに弾かれた勢いを利用し、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 自分の薄い胸に叩きつけるように膝を勢い良く引きつけることで、ブリジットの丹田(たんでん)を中心に放たれていた蹴りが、胸を中心とした軌道に変化する。

 一瞬にして逆上(さかあ)がりするようにぐるっと一周して、再び伸ばされたブリジットの脚が袈裟懸(けさが)けに振り下ろされた――変則的(へんそくてき)宙返り蹴り(オーバーヘッドキック)だ。

 

 リリィの弾いた力、脚を引き上げた力に加えて、飛翔する力をも加えることで蹴撃を加速したためか、その蹴りは信じられないほどに早い。

 

 予想外の軌道から襲いかかる蹴りに、リリィの対応がわずかに遅れる。

 ブリジットの蹴りは一撃一撃がとんでもなく重いため、リリィの腕力ではまともに受け止めたら確実にバランスを(くず)すか、武器を叩き落されてしまう。今回のように全身を使った大技であれば尚更(なおさら)だ。

 

 正確にリリィの頭部を狙った一撃を前に、リリィはヴィアから複写(コピー)した戦闘経験から、現在の状況に対応できる手段を模索(もさく)する。

 

 ――前後左右いずれかに避ける……今からでは、ブリジットの蹴りのスピードが速すぎて間に合わない

 

 ――あえて蹴りを受け止め、後ろへ跳んで威力を殺す……袈裟懸けに叩きつける軌道だから、衝撃の方向(ベクトル)も当然、斜め下。後ろに跳んでも、威力を殺せない

 

 ――闘気弾……いや、魔弾で相殺(そうさい)……無理。今から集中を始めた程度の魔弾では、ブリジットの蹴りの威力を()ぐことはできない

 

 ……しかし、その中にブリジットに戦闘の主導権を奪われずに済む方法は見つからなかった。

 

(それなら……!)

 

 ヒュンッ!

 

 リリィの身体が真下へと沈み、上から斜め下に振り下ろされるブリジットの蹴りを回避する。

 

 リリィは攻撃を受ける直前に膝の力を完全に抜き、“超ねこぱんち”の要領(ようりょう)で己の両肩を魔力で下に弾くことで、瞬時にノーモーションで上半身を下へ移動させたのである。

 ヴィアの経験とリリィ自身の経験が融合することで成した、見事な回避であった。

 

 しかし、敵もさるもの。

 避けられることを見越(みこ)していたのか、いつの間にか振り下ろされる足先に魔力が集中しており、そこから地面に向かって“足で魔術を放つ”という離れ技を見せた。

 

 ――暗黒魔術 闇界衝撃(あんかいしょうげき)

 

 闇属性の衝撃波を(つく)り出す魔術。

 衝撃波でリリィと自分を弾き飛ばし、大技を回避された隙を埋めようとする意図で放たれたものだ。

 

 衝撃波に逆らわずに後方へ飛翔し、威力を殺しながら、体勢を立て直しつつリリィとの距離を離すブリジットへ、突如(とつじょ)、上空から雨あられと魔弾が降り注ぐ。

 

 次々と蹴りを放って魔弾を弾きつつ、魔弾が飛んできた方向を見やると、そこには背面跳びのような姿勢で、短剣(ダガー)を握った右手の人差指を立て、まるで銃を構えるようにブリジットへと向けるリリィの姿があった。

 

 リリィは衝撃波が炸裂する瞬間に上空へと飛翔して衝撃波の威力を殺しつつ、かつ翼を広げた背にわざと衝撃波を受けることによって、瞬時にブリジットの視界の外に移動し、そこから攻撃を放ったのだ。

 

 リリィがブリジットへ向かって急降下する。

 それを迎え撃たんとブリジットが地面を蹴って飛び立つ。

 

 リリィの(あご)を狙うブリジットの右の蹴り、それを(かろ)うじて左の短剣(ダガー)で外に払って受け流すも、あまりの威力に受け流しきれず、短剣(ダガー)がリリィの手から弾かれる。

 

 その隙にリリィは右の短剣(ダガー)を振り下ろすが、二の腕から手の先までをすっぽりと(おお)う、長靴と同じ素材でできた防具を(まと)うブリジットの左腕に(はば)まれる――その瞬間、

 

 

 

 ――リリィは右の短剣を自ら手放した(無手になった)

 

 

 

 驚愕(きょうがく)に眼を見開くブリジットの前で、短剣(ダガー)を手放したリリィの右手が握られ、拳を形作ってゆく。

 それと同時に拳に魔力が集中し、腰がひねられ、右足が前へ進もうとしている――間違いなく拳撃(追い突き)の前動作。

 

 意表を突かれたブリジットは、この拳打が避けられないことを悟ると同時に、ギリギリ防護結界の展開が間に合うことも理解した。

 ブリジットは落ち着いて結界を展開しようとした、その時――

 

 

 ――リリィの(まと)う魔力が変化した

 

 

 悪魔のように黒く、地獄のように熱く、天使のように純粋で、愛のように甘い……その独特な魔力は、ブリジットの想い人と全くの同質。

 人間族によって地下深くに(とら)われた幼馴染を連想させずにはいられないその魔力に、ブリジットの思考が、動きが、一瞬完全に停止した。

 

 魔王の魂に接続し、自身の魔力を魔王のものと同質化させたことによって作りだした一瞬の隙に、リリィは充分に体幹(たいかん)のひねりを乗せた右拳を、無防備なブリジットの鳩尾(みぞおち)へと()じりこむ。

 拳がブリジットに埋め込まれた瞬間、リリィの背中に集中していた魔力が弾かれ、リリィの()沿()って、突き出した拳と全く同じ方向へとリリィの身体を弾き飛ばした。

 

 

 ズドンッ!!

 

 

「グハッ!!」

 

 血反吐(ちへど)を吐きながら吹き飛ばされたブリジットが地面へと叩きつけられ、小さなクレーターを作った。

 

 ――体術 ねこぱんち・改

 

 本来、護身技(ごしんわざ)である“ねこぱんち”を、戦闘用に改良したものだ。

 

 拳が命中する(のインパクトの)瞬間に、自分の身体を拳と同じ方向に弾くことで攻撃力を上乗せするという技で、原理は“超ねこぱんち”と全く同じ。

 

 しかし、ただ単に全力で自分を弾き飛ばせばいい“超ねこぱんち”と比べ、的確なタイミングで発動させる必要があるこの技は、近接戦闘の技術を要する分、難易度は遥かに高い。

 自身も“ねこぱんち・改”を放てるヴィアの戦闘経験を複写(コピー)していなければ、いかなリリィとて繰り出すことは(かな)わなかっただろう。

 

 短剣(ダガー)在庫(ストック)が切れたリリィは、長剣を()び出して右手に握りしめ、ブリジットにトドメを刺さんと急降下する。

 クレーターに大の字に横たわるブリジットは、受けたダメージの深さから()ぐには身動きがとれない。

 

 

 ――リリィにとって、最初で最後の絶好の勝機(チャンス)

 

 ――ブリジットにとって、絶体絶命・最大の危機

 

 

 ()(さき)をブリジットの首に向けて、剣を水平に構えつつ迫るリリィを(にら)みつけながら、ブリジットは叫んだ。

 

 

 

 

()()()()!! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!!!」

 

 

 

 

「なっ!?」

 

 リリィが驚きに眼を見開く。

 

 それは、ブリジットが最も信頼する相棒の名前。

 その名が呼ばれた瞬間、()()()()()()(とら)()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

(くっ! ……間に合ええええぇぇぇえええええっ!!!)

 

 ブリジットが何をしようとしているのか理解したリリィが、一刻(いっこく)も早くブリジットの首へ剣を突き立てんと翼を羽ばたかせる。

 

 

 

 

 ――首の手前で、ピタリと(やいば)が止まった

 

 

 

 

***

 

 

 (やいば)の数ミリ先に首がある。

 

 

 ――ブリジットの……そして()()()()()()

 

 

 リリィの剣がブリジットへとたどり着く直前に、オクタヴィアがリリィの首へ剣を突きつけたのである。

 

 

 原作におけるブリジットとオクタヴィアの使い魔契約は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ――つまり、その特性として、使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 “致命傷”という条件は、あくまでも“使い魔を死なせないための緊急措置”……()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 使い魔に対する絶対命令権を持つ主が命じれば、意図的に主の体内に戻すことも可能なのだ。

 

 ブリジットはこの使い魔契約を利用してオクタヴィアを自分の体内に()び戻し、即座に再召喚することで、オクタヴィアに自分を護らせたのである。

 

 しかし、タイミング的にギリギリであったため、いかに優秀なオクタヴィアといえど、リリィの首に剣を突きつけるのが精一杯であった。

 

 オクタヴィアがリリィの首を()ねようと動けば、リリィは躊躇(ちゅうちょ)なく彼女の主の首を貫くだろう。そして、逆もまた同様。

 戦闘は完全な膠着(こうちゃく)状態に(おちい)ってしまった。

 

「……」

 

「……」

 

 にらみ合うリリィとブリジット。

 先にしびれを切らしたのはブリジットだった。

 

「どうして……助けなかったんだよ」

 

「……え?」

 

 ブリジットが何の話をしているのか分からず、リリィは困惑する。

 

 リューナが(さら)われた経緯(けいい)を考えれば、リリィ達は“彼女の父の蔵を襲った盗賊”という認識のはず。それがどうして『助ける、助けない』の話になるのか、リリィには訳が分からなかった。

 

「あの黒ずくめの女から聞いてるんだぞ! オマエ、魔王(アイツ)の使い魔のくせに、魔王(アイツ)が封印されても、オマエは何にもしなかったって! 魔王(アイツ)のことを忘れて今はそこの水精(みずせい)と楽しく家族ごっこやってるって!」

 

 その発言で、リリィはようやく思い至った。

 

 父の蔵をリリィが襲撃したことなど、ブリジットは全く気にしていない。

 そもそも彼女には、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、ということに。

 

 原作を思い返す限り、ブリジットの家族は登場しない。

 登場しない理由は(さだ)かではないが、家族に対して特に思い入れも興味もない様子だった。

 

 ところが、彼女は自分が淡い恋心を抱いた魔王に対してだけは、すさまじい執着を見せた。

 彼を助けるため、殺されることを覚悟で、自分より遥か格上である勇者の血族(けつぞく)に襲撃をかけるほどに。

 

 そんな彼女が、魔王が封印された直後である今、どれほど彼のことを心配しているか、想像もつかない。

 ()()()()()()()()()()()()()の、たいして興味も持たない家族()の蔵が襲われたことなど、彼女にとっては極めてどうでもいいことだったのだろう。

 

 しかし、ブリジットは、クロから彼の使い魔であるリリィの存在を……そして今の彼女の状況を聞いてしまった。

 

 ――自分が慕う男が、()ずから創造した使い魔であるリリィ

 

 そんな彼女が、主の危機を放置して幸せに暮らしている、という状況は……そして、その状況を“良し”とするリリィの性根だけは、どうしても許せなかった。

 だから、彼女はこうしてリリィを目の(かたき)にして、襲いかかっているのだろう。

 

 先程リリィが魔王の魔力を放ったことで、“魔王の手によって(つく)られた”という説得力もさらに増してしまっているはずだ。

 実際は“リリィの中に魔王の魂があるから”なのだが、それを言ってしまえば、彼女は更にヒートアップするに違いない。

 

 ブリジットの事情は良く分かった。分かったが……

 

 ――ブチィッ!

 

 ブリジットの発言の内容を理解した直後、リリィの中で()()がブチ切れた。

 

 

 

「お前が……お前がそれを言うなあああああぁッ!!」

 

 

 

(……あれ、なんでだろう……?)

 

 沸騰(ふっとう)した頭、怒りに煮えたぎる心……その中でかすかに残った理性が疑問の声を上げる。

 

(なんで私……こんなに怒って……?)

 

 ブリジットの言うことは、何ひとつ間違ってなどいない。

 

 魔王が封印されたとき、リリィは何もしなかった。

 そもそも何かができるだけの実力がなかった。

 

 前世の記憶に目覚めた後は、自分の命がかかわらなければ見捨てるつもりですらいた。

 姉とともに楽しく暮らせれば、それで満足なのも間違いなかった。

 

 

 ――だが、その()()()()()()()という感覚が、なぜかとてつもなく腹立たしい

 

 

「これだけの戦力を持って! これだけ優秀な部下がいて! これだけ実力があるくせに! 魔王様を見殺しにした貴女に、それを言う資格はない!!」

 

「んだとぉっ!?」

 

 魔王は一国を滅ぼし、己が残虐性を思うがままに満たした大悪党。見捨てても全く問題ないはずだ。

 だが、そんな理屈を、リリィの中に隠れ潜んでいた罪悪感と後悔が否定する。

 

 

 ――助けたかった、助けられなかった……と

 

 

 ……リリィは自分でも気づいていなかったのだ。

 リリィは確かに前世の記憶を取り戻し、人間としての価値観を手に入れた。だが、それは決して()()()()()()()()()()()()()()()()()

 魔王によって生み出され、彼を“父”として、“強大な力を持つ魔王”として慕っていた彼女もまた、真実の彼女なのである。

 

 人間としての価値観・常識に縛られてしまった彼女は、そこから無意識に目を()らし、見て見ぬふりをしていたのだ。

 それは、彼女の“魔王を助けたい”という願いを自分自身で否定し、“魔王を裏切っている”という後ろめたさを(つの)らせていた。

 

 ――そこを、ブリジットに指摘された

 

 だから、リリィは怒り狂った。

 『自分の成すべきこと、成したいことから目を逸らしているだろう』と図星を指され、それが真実であったが故に、()()()してしまったのである。

 

 悔しくて悔しくて、涙すらこぼれる。

 これまでリウラが見たこともない怒りの形相(ぎょうそう)で、リリィは怒涛(どとう)の勢いでまくしたてる。

 

「私は生まれたばかりで力がなかった! だから今こうして力をつけてる! でも貴女は何!? これだけの強さと、こんなに優秀な使い魔と、これだけの大きな軍を持ってて、腕の1本どころか軍の消耗すら(たい)して見られないじゃない! 魔王様が必死に戦っているときに、あなたはいったい何をしていたというの!?」

 

「ぐっ……!?」

 

 “痛いところを突かれた”と言わんばかりに、今度はブリジットの表情が歪む。

 

 実のところ、ブリジットも状況はリリィとさほど変わらなかった。

 魔王が猛威を振るっていた当時、ブリジットの父は存命であり、彼女よりも遥かに大きな武力と権力を持っていた。

 

 彼は魔王が封じられる直前の最後の戦いで、ブリジットを自身の城に呼び出し、特殊な魔術処置を(ほどこ)した部屋に彼女を閉じ込めた。

 それは素直になれない彼の歪んだ愛情表現であり、だからこそ、ブリジットは先の戦争で勇者達に殺されずに済んだのだが……そのせいでブリジットは想い人の危機に駆けつけることができなかったのだ。

 

 ブリジットが父に関することに対して無関心であるのは、もともと親子仲が良くなかったこともあるが、このことによって彼を恨んでいたことが非常に大きい。

 彼個人が保有していた城や(とりで)が、戦争後に修理もされず放置されて、なかば()ち果てているのも、そのためである。

 

 ――その時は、魔王を救いだすだけの力がなかった。だから今、力をつけている

 

 その状況を、想いを、ブリジットが理解できないはずがなかった。

 当時の彼女には、親に閉じ込められてしまう程度の力しかなかったのだから。

 

 ……だが、それを素直に認められるほど、彼女は大人でもなかった。

 

「う、うるさいっ! ボクは魔王(アイツ)を助けるために色々やってる! この間だって、迷宮にやってきた姫さんたちに襲撃だってかけたんだぞ!」

 

「私にやられる程度の実力で、お姫様に襲撃かけるなんて馬鹿じゃないの!? 相手は曲がりなりにも魔王様を封じる奴なのよ!? まずは私みたいに力をつけてからでないと、無駄死にじゃない!」

 

「それでアイツを助けるのに、間に合わなくなったらどうすんだよ!」

 

「それで私達が死んだら、助ける人がいなくなるって分からないの!?」

 

 議論は完全な平行線。だが、その想いは同じだった。

 

 ――“魔王(大切な人)を助けたい”

 

 ただ、その想いだけが今の彼女達を突き動かしていた。

 首筋に添えられた(やいば)がなければ、彼女達は暴走する己の感情に従い、今すぐにでも取っ組み合いになっていただろう。

 その事が、(はた)から見ている者にはよくわかった。

 

 ……特に、長年ブリジットの(そば)に居た従者にとっては。

 

「……リリィ、と言いましたね」

 

 オクタヴィアの、とても静かな……それでいて何故か柔らかな響きの一言(ひとこと)

 

 それは、まるで湯に氷を放り込むかのようにヒートアップしていた2人の頭を冷やし、今が殺し合いの最中であることを思い出させる。

 

 その瞬間、2人に生まれた思考の空白に、オクタヴィアは言葉を差し込んだ。

 

 

「……()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 

 

 ……………………………………。

 

 

 

 

「「はあっ!? なんでこんな奴と!?」」

 

 リリィとブリジットの言葉が、見事に同調(シンクロ)した。

 

「いいんじゃない? 私は賛成よ」

 

「あ、私も~」

 

「ヴィア!? お姉ちゃんまで!?」

 

 ヴィアはオクタヴィアを刺激しないよう、ゆっくりリリィに近づくと、頭頂部の彼女の猫耳に口を添えて(ささや)く。

 

「……よく考えなさい、リリィ。ここでコイツと仲間になっておけば、とりあえずは丸く収まるのよ? 蔵を襲ったこともうやむやにできるし、コイツが見せしめに私達の関係者を襲う恐れもなくなる。仮に提案を蹴るにしても、蹴った後の計画を立てる時間を稼ぐために、ここは提案を受けておくべきよ……まあ、“魔王を助ける”云々(うんぬん)については、あとでゆっくり話を聞かせてもらうけど」

 

「あ……」

 

 リリィの顔が、サアッと青ざめる。

 

 心の内から(あふ)れる想いそのままに言ってしまったが、それが非常にまずいことにリリィは気づく。

 

 ――実は、この場に居るリリィ側の人間は皆、“リリィが魔王を復活させない”ことを前提に動いている

 

 リウラに対しては、『魔王の封印は解くが、復活はさせない』とリリィから伝えている。

 封印の内側にいる魔王は、魂の存在しない肉人形だ。リリィの中にある魂をディアドラにさえ奪われなければ、封印を解いたところで復活はしない。

 無論、その肉体だって誰にも奪わせるつもりはない。そういう前提で動いてもらっている。

 

 リューナは“こちらの思い込みで『魔王の使い魔であるリリィは、悪人に違いない』というレッテルを張ってしまった”という罪悪感で動いており、その前提には“リリィは悪いことをしない”という想いがある。

 当然、“悪逆非道を働いた魔王を復活させる”など、もってのほかだ。

 

 ヴィアはリューナを助けるために動いているものの、事情をリリィに話す際に『悪人だと疑ってしまって申し訳ない』というヴィアの謝罪をリリィは受け入れてしまっている。それは“リリィは悪いことをしない”=“魔王を復活させない”と遠回しに肯定しているも同然だ。

 それを(はた)から聞いていたアイも、同様の認識を持っている。

 

 もともと、リリィも魔王を復活させないつもりだったのだ。このような対応をしても問題ないはずだった。

 ところが、この土壇場(どたんば)でリリィは意見を(ひるがえ)してしまった。

 

 ――それは(すなわ)ち、今まで味方だった面々(めんめん)が丸ごと敵に回る可能性がある、ということ

 

 『“お父さんを復活させたい”って思うのは当たり前』と言ってくれたリウラは、リリィを見捨てることはないだろう。

 もちろん、ただ魔王を復活させたら、みんなが危険に(さら)されるので、なんらかの対策を考えないと、首を縦には振ってくれないだろうが。

 

 だが、彼女以外はそうはいかない。

 

 もしヴィアやリューナ(マフィアの娘たち)がリリィと敵対すれば、その組織力から“リリィが魔王を復活させようとしている”との情報が拡散し、この大迷宮内で孤立してしまう。仮にオクタヴィアの提案を受けたとしても、味方はブリジット達だけだ。

 魔王の味方をする者……つまり、魔王軍の関係者はそのほとんどが先の戦争で亡くなっているからだ。ブリジットはあくまでも例外である。

 

 それはリリィの計画の大きな(さまた)げとなるだろう。

 最悪の場合、時間切れで魔王の封印が完成し、リリィは死ぬ。

 

 つまり、最低でもこの2人は味方のままでいてもらわなければならないのだ。うかつな返事はできない。

 

(……どうやら、何も言わずともあちらは受け入れてくれそうですね)

 

 リリィが必死になって頭を回しているのを見て、“提案を受け入れてくれそうだ”と見たオクタヴィアは主に対して再び口を開く。

 

「……ご主人様、今のままでは魔王様の封印を解くことはできません」

 

 いつも黙々と自分の言うことに従い続けてきた、もっとも信頼する右腕から飛び出た厳しい一言(ひとこと)に、ブリジットは動揺しつつも、己の感情に従って言い返そうとする。

 

「で、でも、ボクは……」

 

「……人間族が何をするために再び迷宮に潜って来ているのか分かりませんが、その中にあの姫がいる以上、“魔王様の封印にかかわることだ”と考えるべきです。……そして、それが終わってしまえば手遅れになるかもしれません」

 

「うぐっ……そ、それは……」

 

(……そうか、この時点でブリジット達から見れば、何が起こっているのか訳が分からないんだ)

 

 ブリジット達の会話を聞いたリリィは、さらに彼女達の現状を深く理解する。

 

 原作知識を持つリリィは、シルフィーヌ姫達が“1ヶ月単位で定期的に封印強化の儀式を行うために迷宮を訪れている”ことを知っている。

 だから彼女達が何をしているのか不審に思うこともないし、魔王の封印が完全なものとなるまでに、まだある程度の猶予(ゆうよ)があることも理解している。

 

 だが、なんの情報もないブリジット達からしてみれば、彼女達人間族は疑惑の(かたまり)だ。

 

 ――すでに終わったはずの封印に対して、コソコソといったい何をしているのか?

 ――それは魔王の害になることではないのか?

 ――そして、その企みはどこまで進んでいるのか?

 

 ……疑い始めれば()りがない。リリィが思っている以上に、彼女達は追い詰められていたのだった。

 

(……しかたない。嫌だけど……本ッッッッ当に嫌だけど! オクタヴィアの提案にのってあげる!)

 

 たしかにヴィアの言う通り、このままブリジット達と潰しあいを続けたら、自分達が死ぬ可能性は高い。それに比べれば、オクタヴィアの提案を聞いた方がまだマシ……そう己に言い聞かせて、リリィはオクタヴィアの説得に協力することを決めた。

 原作からブリジットの性格を把握しているリリィにとって、彼女を説得する方法など分かりきっている。

 

 ――彼女のプライドをつついてやればいいのだ

 

「ま、まあ、ブリジットが嫌がるのも無理ないよね。私とブリジットが同じ側に居たら、私がブリジットを実力で追い抜いていく様子を、まざまざと目の前で見せつけられるわけだし」

 

 ビキィッ!

 

 ブリジットのこめかみに、大きく血管が浮き出る。

 

「ふ、ふざけんな! 誰がボクを追い抜くって!?」

 

「私は魔王様が()ずから(つく)られた、ただ1人の使い魔だよ? あなたの何倍も才能があるの。……っていうか、ついさっきまで勝てなかったのに、今、互角になっている時点で分かりきったことでしょ? 現実逃避は見苦しいよ?」

 

 プッチーン

 

 ブリジットはキレた。それはもう、盛大にキレた。

 

 ブリジットは己の感情のおもむくままに行動する我儘(わがまま)娘であることに加え、極度の負けず嫌いだ。

 

 それは、ほぼ同時期に生まれながら、すさまじい才能でブリジットを追い抜き、魔王となった幼馴染にも例外なく向けられるほどの筋金入りである。

 次元の違う実力を持つ相手であろうと決して折れず、曲がらず、ただひたすらに鍛錬と勉強を重ね、『いつか必ず追いつき、追い越す』と邁進(まいしん)してきた。

 

 ――その幼馴染が生み出した使い魔が、いつかの再現のように自分を追い越そうとしている?

 

 認められない。認められる訳がない。

 頭の冷静な部分が『この睡魔(すいま)のガキが言うことは事実だ』といやらしく(ささや)くも、生来(せいらい)の負けん気がそれを断固として否定する。

 

 ――これは意地だ。ブリジットがブリジットであるための

 

「できるもんなら、やってみろぉっ!! オマエなんかに、絶対に負けないからな!」

 

 烈火の(ごと)く燃える瞳。そこに映る色に、恨みや憎しみといった負の感情はなかった。

 

 “負けたくない”“負けられない”

 

 あるのは、ただこれだけ。

 怒りを燃料に燃え上がる敵愾心(てきがいしん)と競争心のみがそこにあった。

 

 そう、ブリジットが言い放った次の瞬間、

 

 

 ――リリィ達の視界が闇に閉ざされた

 

 

「なっ!?」

 

「っ!?」

 

「……!」

 

 視界だけではない。周囲の気配すらもまるで感じ取れなくなった。

 リリィが動揺に一瞬固まった瞬間、本来リリィが剣を突きつける先から聞こえてくるはずのブリジットの声が、まるで見当違いの方向から響きわたる。

 

「どわぁっ!? ()(くら)だぁっ!? オクタヴィア!? オクタヴィアーっ、どこだぁーっ!?」

 

「……ここにおります」

 

「お、おう……わかってるさ。別に怖くなんかなかったんだからな!」

 

「……存じております」

 

 先程の怒りはどこへやら、まるでコントのようなやり取りが響くが、リリィにそれを笑う余裕はない。

 

(……しまった……完全に忘れてた……!!)

 

 原作でたった1回だけオクタヴィアが使っていた魔術。

 イベント扱いのため、オクタヴィアが仲間になった後でも使用魔術に登録されなかったそれを、リリィは今の今まで完全に忘れていた。

 

 リリィがブリジットに、そしてオクタヴィアがリリィに剣を突きつけているこの状況――リリィの立場から見てオクタヴィアが剣を下げられないのと同様、オクタヴィア達から見てもリリィが剣を下げられないことを理解していた。

 

 なにしろ、剣を下げれば、その瞬間にオクタヴィアはリリィを殺すことができるのだから。

 

 だからこそ、オクタヴィアはこうして目くらましの魔術を放ったのだろう。リリィが動揺して硬直した瞬間に剣を下げ、主を安全な場所に退避させるために。

 

 ――だが、それは同時に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 もしリリィが“魔王を救う側の立場”であることを、そしてブリジットに協力する意思を示していなければ……リリィはここで死んでいた。

 

「おい、オマエ! この借りは後で万倍にして返してやるからな!」

 

「……会合(かいごう)日取(ひど)りは、のちほど使い魔を寄越(よこ)します。では、ごきげんよう」

 

 その台詞(せりふ)とともに、闇が()き消える。

 ――そこにはもうブリジット達の姿はなかった。

 

 緊張から解放されたリリィの腰が砕け、へなへなと女の子(ずわ)りでへたりこむ。

 

 彼女の背を滝のように冷や汗が流れ、その心臓は今にもはち切れそうなほどに大きな鼓動を奏で続けていた。

 

 

***

 

 

「……さて、それじゃあ聞かせてもらいましょうか? 『魔王を復活させる』ってどういうことかしら?」

 

「あ、そうそう! それ私も()きたい! たしか『封印を解くだけで復活はさせない』って前に言ってたよね?」

 

「……って、何よその詐欺師のような台詞(せりふ)!? どういうことよアンタ! 説明次第によってはタダじゃ置かないわよ!!」

 

 まるで『嘘はついていない。本当のことを言っていないだけだ』といった詭弁(きべん)彷彿(ほうふつ)とさせる、かつてのリリィが放った言葉に唖然(あぜん)とし……直後、額に青筋を立てたヴィアの怒りの咆哮(ほうこう)が水の貴婦人亭(きふじんてい)の2階――リリィのとった部屋にて(とどろ)く。

 

 しかし、彼女の左手に胸倉(むなぐら)をつかまれたリリィは、動揺することなく落ち着いて淡々と回答する。

 ……彼女が落ち着いているのは、ヴィア達を味方につける方法を思いついたからではない。逆に何も思いつかず、“正直に、誠実に全てを話す以外に方法はない”と観念(かんねん)したためである。

 

「どうもこうも、お姉ちゃんが言った通りだよ。それ以外に何を言えと?」

 

「じゃあ、リューが罪悪感を感じる必要も、あの黒ずくめに(さら)われる理由もなかったんじゃない!?」

 

「それを私に言われても……私達を罠に()めようとしたところから、お姉ちゃんに助けを求めるところまで、全部ヴィア達が勝手にしたことじゃない」

 

 ぐっ、とヴィアが言葉に詰まる。

 

 たしかに一連の行動は全てヴィアとリューナの意思によって行われ、そこにリリィやリウラの意思を介在(かいざい)させる余地(よち)はなかった。

 つまり全てヴィアとリューナの責任である。

 

 だが、目の前の少女が真実“魔王を(よみがえ)らせようとする悪人”であり、そして彼女が善人のように()()ったが故に、リューナが罪の意識を感じ、そして命を落としかける事態に発展した、という事情が“全てはリリィのせいである”とヴィアが認識する……いや、認識()()()大きな理由となっていた。

 

「ヴィー。あの黒ずくめに反発して(さら)われたのは、わたくしが自分で考えて、決めて、行動した結果だから、あとでわたくし自身が責任はとりますの。……それよりも先に訊かなきゃいけないことがありますの」

 

 リューナがそう言うと、ヴィアは苦々しげな表情になって追及を止め、質問の仕方を変える。

 

「……“アンタが魔王を復活させようとしてる”ってのは本当? 今のリウラの言い方だと、違うはずよね?」

 

「……本当だよ。……ううん、『さっき本当になった』って言うべきかな」

 

 ()()ぐにヴィアの眼を見てリリィは言う。

 その眼はあまりにも真っ直ぐで、それでいてとても申し訳なさそうで……とてもこれから悪事を行おうとしている者の眼とは思えない。

 

「最初は復活させるつもりはなかった。魔王様の魔力を使って、魔王様とのつながりを断って、私を狙っている人を排除できれば、それでよかった……でも、ブリジットに言われて気づいたの」

 

 

 ――私は……本当は魔王様の事が大好きで、“助けてあげたい”って思ってるって

 

 

 リリィは正直に話し始める。

 

 ――魔王が手ずから創造した使い魔が自分であること

 ――リリィの中に魔王の魂があるから、ただ封印を解いただけでは魔王は復活しないこと

 ――魔王に対する封印が完成すると、リリィの命が危ないこと

 ――リリィの命を救うためには、魔王との魂のつながりを断ち切る必要があるということ

 ――成長したリリィの精気を狙う魔術師がいること

 ――魔王とのつながりを断つために、そして(くだん)の魔術師を撃退するために、魔王の肉体に秘められた莫大な魔力を必要としていること

 

 ここまでリリィの話を聞いたヴィアは、呆れたように溜息をつく。

 

「……アンタ、ホンット自分の事しか考えてないのね……私が言えたことじゃないけど」

 

 自分の命のためだけに、周囲に多大な迷惑をかけんとするリリィにヴィアは呆れる……が、リューナの命のために(まわ)りに迷惑をかけた自分も似たようなものだと気づき、ぼそりと一言(ひとこと)加えた。

 

 それに対し、恥じる様子もなく堂々(どうどう)とリリィは言う。

 

「自分の(せい)を精一杯生ききることに、何を恥じることがあると言うの? ……それに」

 

 そこでチラリとベッドに(すわ)る姉に、リリィは視線を向ける。

 

「……私の生を、幸せを心の底から望んでくれる人がいる……だから、私は生きる。“お姉ちゃんと一緒に幸せになりたい”って思う」

 

 リリィのその台詞を聞き、ニコニコと笑うリウラを見て、毒気(どくけ)を抜かれたヴィアは、肩をすくめて溜息をつく。

 “自分の生を望んでくれる人がいる”という意味において、リリィと同じ立場であったリューナは、“うんうん”と深くふか~く頷いてリリィに共感していた。

 

「……ん? 待って、その話の通りだと、魔王は復活しないんじゃない?」

 

 魔王の魂をリリィから切り離しただけなら、その魂は力を失うまで彷徨(さまよ)って消滅するか、もしくは冥府(めいふ)へと旅立つはずだ。今の話の通りならば、魔王は決して復活しない。

 

 リリィはコクリと(ひと)つ頷いて言った。

 

「今のは、お姉ちゃんに話したとき……つまり、私が“魔王様の事なんてどうでもいい”と()()()()()()()()()()時に()った計画だから。今、私が“魔王様を助けたい”って思っている以上、その計画は修正するよ。……もちろん、みんなに迷惑はかけないようにするけど」

 

「具体的には?」

 

「……魔王様の魔力を使って極めて脆弱(ぜいじゃく)な……健康だけど、なんの才能もない肉体を創造して、その中に魔王様の魂を入れる。あとは私を主人とした使い魔契約を強制的に結べば、悪事を働くことは極めて困難になると思う」

 

「……」

 

 そこで急に黙り込んだヴィアを不審(ふしん)に思い、リリィが問う。

 

「どうしたの? 何か問題でもあった?」

 

「あ、いや……そうじゃなくて……」

 

 ヴィアはどこか気まずそうにポリポリと後頭部を()きながら、視線を()らしつつリリィに()く。

 

「その……やっぱり、アンタは魔王……父親のことが大切?」

 

 ヴィアの父はマフィアのボスであり、決して()められたものではないが、それでも守るべき仁義は守り、町の治安を維持しているため、多くの人達に慕われている。

 だから、ヴィアは“父に何かあったら助けたい”と思うことに抵抗はない。

 

 しかし、魔王(リリィの父)は自分の思うがままに振るまい、他人を傷つけ、迷惑をかけ続けた生粋(きっすい)の悪人だ。

 ひょっとしたら、リリィにしか見えない良いところがあったのかもしれないが、少なくともヴィアから見ればそんなものは存在しない――なのに、それでも救いたいと思うのか? ヴィアの問いたいのはそこだった。

 

 リリィは瞑目(めいもく)し、思い起こす。

 

 ――ブリジットの前で流した涙……あの時の自分の感情はどのようなものだっただろうか?

 

 自分の心を少しずつ手探りで確かめるように、ゆっくりと感情を咀嚼(そしゃく)して言葉にしていく。

 

「……うん、そうだね。私は魔王様のことを大切に思ってるんだと思う」

 

「私は生まれた時から魔王様のことを慕っていた……絶対の信頼、あこがれ、そして“愛されたい”“構って欲しい”という想い……うまく表現できないけど、たぶん、ヴィアが言う通り“父親に対する気持ち”が一番近いんだろうね」

 

 その感情は前世のものではない。この世界にリリィとして生を受けてから、前世の記憶を思い出すまでに(はぐく)まれたものだった。

 浮かんだ想いをひとつひとつ言葉にしたそれはとても(つたな)いものではあったが、一切の嘘が混じっていない心の底からの想いをそのまま口にしているが故に、深い説得力を持っていた。

 

「だから、私は魔王様に生きて欲しい。魔王様の(そば)に居たい。だけど、“お姉ちゃんを含めた(まわ)りの人たちに、なるべく迷惑をかけたくない”という思いも本当。だから、少し心苦しいけど……魔王様の行動を、私は縛る」

 

 前世の想いと今世の想い、それらが合わさってできたのが今の結論だったのだろう。

 

 結局、リリィの考え方の根本(こんぽん)は変わらない。

 

 ――いっしょに生きて欲しい人がいる。だから、生かす

 

 “リウラと一緒に生きるためにはどうすればいいか”、“魔王と一緒に生きるためにはどうすればいいか”……それがリリィの行動理念。

 

 理屈ではない。“ただそうしたいから、そうする”。

 己の欲望に正直な、魔族らしい考え方であった。

 

 そのリリィの言葉を聞いて、なにやら思い悩んだ様子を見せるヴィア。

 そんな彼女を見てクスクスと笑いながら、リューナは言う。

 

「ヴィー、あなたもリリィを見習って素直になってみた方が良いのですよ?」

 

「……考えとくわ」

 

 ばつが悪そうな表情で答えるヴィアを見て、不思議そうな表情をしたリリィは、その時ふと気づく。

 

「……私を止めないの?」

 

 リウラは分かる。

 もともと魔王の封印を解くこと自体は納得していたどころか、計画を聞いた当初は『お父さん、助けてあげないの?』と悲しそうに()いてくるほど“親”に対する想いが強い少女だ。

 むしろリリィが『魔王を助ける』と言ったことで、逆にニコニコと嬉しそうに微笑んでいるくらいである。

 

 だが、魔王に対してあれほどのマイナスのイメージを持っていたヴィアとリューナから、リリィへのピリピリとした警戒心が消えているのは不可解だ。

 それはリューナの隣に控えているリシアンも、リウラの首飾りの喚石(かんせき)の中にいるアイも同じであった。

 

 その問いを聞いたリューナは、笑顔のままリリィに答える。

 

「……正直に言って、わたくしもヴィーも魔王に良い印象は持っていませんし、本当はここでリリィ達を殺してでも止めることが正しいんだとも思いますの。そうすれば貴女達2人の犠牲で“魔王が復活する可能性”を少しでも減らせるのだから」

 

 でも、とリューナは続ける。

 

「大切な弟と私を助けてくれた恩人を犠牲にするなんて、絶対に嫌ですの。リリィ達の命を救うためなら、()()()()()()()()()

 

 敵対しないどころか、協力すら申し出たリューナに、リリィは大きく目を見開いて驚愕(きょうがく)する。

 そんな彼女を見て微笑みながら、隣のリシアンも姉に続いて発言する。

 

「僕も姉さんと同じ気持ちです。……リリィさん、僕は貴女が『姉さんを助けるために戦う』と言ってくれたとき、本当に嬉しかったんです。あの時、もう僕たちには本当に頼れる人がいなかったから」

 

 リシアンの微笑みは、姉弟だけあって、隣で微笑むリューナの笑顔とそっくりだ。

 ヴィアを(とりこ)にした、そのとても優しい笑顔で、彼はリリィに己の想いを伝える。

 

「だから、今度は僕たちがリリィさん達を助ける番です。リリィさん、“リウラさんやお父さんと一緒に幸せになる”という貴女の思い描く未来の中に、僕たちも入れてください」

 

「ッ……!」

 

 一瞬目が(うる)みそうになったリリィは、あわててそれを抑え込む。

 

 リリィは、この手のリリィ自身に向けられる真っ直ぐな思いやりに、めっぽう弱い。

 別にここで涙を流したところでデメリットなど無いはずだが、なぜか“ヴィアの前で弱みを見せたくない”と思ってしまうリリィであった。

 

(……うん、この2人には、なるべく危なくないことを手伝ってもらおう)

 

 そして彼女は、一度大切に思ってしまった者を危険から遠ざけようとする傾向がある。

 リリィの中で、もうこのエルフの姉弟は、リウラに()ぐ保護対象として確定してしまった。

 

 ちなみに、リウラは性格からしてどんなに危険から遠ざけようと首を突っ込んでくること間違いなしなので、リリィは半分あきらめている。

 

「私も! 私もリリィさんとリウラさんのために頑張ります!」

 

 アイも、喚石(かんせき)の中から元気よく発言する。その声に「ありがとう、アイ」と返しつつ、リリィは思う。

 

(……この娘には、後方からの援護を頼もうかな? 巨大化ができない場所だと、戦闘力は(まわ)りと比べてワンランク下だし、いくら身体が土でできてて再生できるっていっても限度があるし……)

 

 リリィに対して感動を与える判定に失敗したアイは戦闘員行き。だがその戦闘力の低さから比較的安全な後方へと回される。

 

「……私の場合、拒否権すらないわよね……アンタの使い魔なんだし」

 

 ヴィアが諦めたように溜息をつく。

 しかし、彼女の様子を見てクスクスと笑うリューナは知っていた……ヴィアもまた、“リリィを助けたい”と思っているということに。

 

 リリィに魔王を復活させる意図があったにしろ、彼女が自分や大切な姉の命を懸けてでも、親友であり家族であるリューナを助けてくれたことは、れっきとした事実。

 その恩を忘れるほど、彼女は薄情な人物ではないし……なにより、母を失ったヴィアにとって“親と共に生きたい”という気持ちは痛いほどに良く分かった。

 

 だからこそ、彼女は“リリィの使い魔だから”と言い訳しながらも、リリィに協力しようとしているのだ。

 先程ヴィアが“リリィを見習って素直になれ”とリューナに言われたのは、リリィへの協力をどう申し出ようか悩んでいたのを見抜かれたためである。

 

 ヴィアもリューナも、自分の親を奪った魔王に対して、割り切れない気持ちがあるのは事実だ。

 だが、同様に割り切れない気持ちがありながらも、リリィは命を懸けてリューナを救ってくれた。そんな彼女に対して恩返しをしたい、という彼女達の気持ちは決して嘘ではなかった。

 

 ……しかし、“魔王が彼女達の親を奪った”という事実を知らされていないリリィは思った。

 

(うん、ヴィアには最前線で私達と一緒に戦ってもらおう。ついでに潜入技能を活かして、諜報(ちょうほう)とか暗殺とか、それっぽいことを色々やってもらおう)

 

 最初からリリィ達を罠に()めようとしていた上に、図々(ずうずう)しくも嵌めようとした本人達に尻拭(しりぬぐ)いをさせたヴィアに対する彼女の印象は非常に悪い。

 

 それを言えばリューナも同罪だが、彼女は自分の(あやま)ちに気づくや否や、まっさきに計画を中止しようと動いてくれていたため、それが影響して、リューナへの彼女の印象は悪くなかった。

 リリィ達を罠に嵌める計画が発覚してから、リリィがヴィアを呼び捨てにしているのに対し、リューナの方は未だに“さん”づけで呼んでいることも、そのことが影響している。

 

 ――結果、最も危険で最も忙しいであろう役割が、リリィの心中(しんちゅう)で、容赦(ようしゃ)なくヴィアに割り当てられてしまうのだった

 

 

 

 

 

 そうして話がひと段落したあと、リウラは、ふとあることを思い出して居住(いず)まいを正し、リリィに声をかける。

 リリィは、その様子から姉が真剣な話をしようとしていることを察し、姿勢を正してリウラと向き合った。

 

「ごめんね、リリィ……私、ブリジット達と戦ってるとき……最初、全然動けなかった」

 

「……そういえば……」

 

 リリィは当時の状況を思い出す。

 

 あの時は大勢を相手どって戦闘することに必死でよく見ていなかったが、言われてみれば確かに、戦闘開始時にリウラが戦っているところも、彼女が操作する水が暴れているところも思い出せなかった。

 リリィが気づいた時には、すでに彼女はへたりこみ、オクタヴィアに殺されそうになっていたのである。

 

「あの時、私は“相手が人の形をしている”だけで、相手を攻撃することを躊躇(ためら)っちゃった……胸の中に罪悪感がどんどん湧いてきて、身体が震えて、吐いて、涙が出て……みんなが必死で戦ってるのに、何もできなかった……指1本動かすことさえできなかった」

 

 リウラは、あの時の自分に対する情けなさを今でもはっきりと覚えている……いや、きっと一生忘れることはないのだろう。

 

「だけど、もうあんな私は見せない。これからはちゃんとリリィを護って見せる。だからリリィ、私のことを見ていてほし、い……?」

 

 リウラの言葉が止まった。

 

 

 

 

 ――リリィの様子がおかしい

 

 

 

 

「ちょっと、アンタ、どうしたのよ!?」

 

「リリィ!?」

 

『リリィさん!?』

 

 ヴィア、リューナ、アイもリリィの異常に気づいた。

 リリィは顔を()(さお)に青ざめさせて(うつむ)き、何の反応も返さない。

 

 いや、返せないほど……彼女達の言葉も届かないほど、深く己の思考にはまり込んでいたのだ。

 

 リリィは気づいた……リウラが話した内容は、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 リリィの人格の根幹(こんかん)は前世の……戦争を経験していない20世紀日本人のものだ。よく言えば温厚(おんこう)、悪く言えば平和ボケしているその人格で、はたして何の躊躇(ちゅうちょ)もなく人を殺すことが出来るだろうか?

 

 

 ――そう、今まで全く争いのない世界で生きてきたのなら、いざ人を傷つけなければならなくなったときの反応は()()()()()()()()()()()

 

 

 たしかにリウラが話した通り、リリィは他人を殺す覚悟を決めていた。

 だからこそブリジット達との戦闘で躊躇(ためら)いなく武器を振るい、魔術を放つことができた。

 

 ――だが、覚悟を決めたからといって、そう簡単に人が殺せるものだろうか?

 

 しかも、リウラと違ってリリィは人を殺したことに対する罪悪感を欠片も持っていなかった。

 それは、リウラの話を聞いた今でも変わらない。明らかに人として異常な精神性である。

 

(……いったい何で!? どうして!? 前世の“私”は、人殺しなんて1回もしたことない……のに……?)

 

 

 ――待て

 

 ――本当にそうだったか?

 

 

 自分が人殺しを()とする人格であることを否定したい一心(いっしん)で、リリィは必死に己の記憶を掘り起こす……しかし、どうしても否定することは叶わなかった。

 

(……あれ? ……あれ? アレ? アレ!? アレエェッ!!??)

 

 

 ――思い出せない

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ――友人も、家族も、住んでいた場所も……()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 (はし)の持ち方も、パソコンの使い方もわかるくせに、それらを使った記憶が一切出てこない。

 

 自分の家が一軒家かマンションかも分からず、となりに誰が住んでいたかも分からないのに、少し離れたスーパーやデパートのどこの棚にどんな商品が置いてあったかは分かる。

 

 テレビで見る芸能人や、あまり付き合いのない学生時代のクラスメイトの顔も名前も(おぼ)えているのに、少しでも親しい友人、そして両親を含めた親族ほぼ全ての顔も名前も思い出せない。

 

 

 “自分が自分であること”を証明するものが、何ひとつない。

 

 

 そして、事態はそれだけにとどまらなかった。

 

 

 ――なぜ、自分は“前世、自分が居た世界へ帰りたい”と欠片も思わなかったのか?

 

 ――自分の持っている知識からすれば、前世の享年(きょうねん)は最低でも大学生以上、へたすれば社会人のはず。なのに、なぜ今の自分はこんなにも泣き虫で、子供のようにリウラに甘えているのか?

 

 ――ブリジット達と戦う際、大切な家族であるはずのリウラに、なぜ当たり前のように“人殺し”の指示が出せたのか?

 

 

 自分を証明するどころか、否定する要素ばかりが次から次へと思い当たる。

 リリィのアイデンティティが、ガラガラと音を立てて壊れてゆく。

 

 突如(とつじょ)様子がおかしくなったリリィを心配してリウラ達が、必死にリリィの名を呼んで肩を揺さぶるが、リリィは何の反応もしない……できない。

 

「……私……私は……」

 

 リリィは(うつ)ろな眼で力無くつぶやく。

 

 

 

「私はいったい……“誰”、なの……?」

 

 

 

 ――その問いに答えてくれる者は、いなかった

 

 

 

 

 



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第四章 美少女とオーク 前編

「◆ー%ー&ー#¥~、スティルヴァ~レ~▲□÷、◎~$*~、×ー#~%~、@+■$~●~∞~∀~♪」

 

 夜も()けて酒場と化した水の貴婦人亭の1階に、少女の陽気な歌声が響く。

 金髪猫耳の美少女が、頬をほんのりと赤く染めて、ニコニコと笑いながら歌うその様子は、とても微笑(ほほえ)ましい。

 

 ……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ね、ねえ……リリィ?」

 

「ん? な~に、お姉ちゃん?」

 

「その……良ければ、リリィが悩んでること……お姉ちゃんに相談してみない?」

 

「悩んでること~? そんなの無いよ~」

 

 リリィの右隣から心配そうに問いかける姉に、『悩みなど無い』と酔っぱらい特有のヘラヘラとした笑顔で断言するリリィ。

 酒を飲む直前まで、真っ青を通り越して真っ白な顔色をしていたのだから、悩みが無いはずがないのだが……

 

(ヴィ~ア~さ~~~ん?)

 

 話が違う、と恨めし気な眼で、自分の右隣に(すわ)るヴィアを、リウラは見つめる。

 リリィの歌を聞いて何故か呆けていたヴィアは、その視線とささやき声を受けてハッと気づき、ばつが悪そうな顔をする。

 

 リウラがリリィに謝っている最中に、突然リリィは顔色を失った。

 

 いくら呼びかけても反応せず、虚ろな目で時折なにごとかをブツブツと(つぶや)くばかり。

 ひっ叩こうが、鼻をつまもうが、くすぐろうが、リウラがほっぺにチューしようが全く反応しないリリィに、事態を重く見たヴィアはある物を持ってきた。

 

 ――ヴィア秘蔵のマタタビ酒である

 

 気つけ薬、という意味もあるが、ヴィアの狙いはもうひとつある。

 

 リリィのように猫耳を生やしたタイプの睡魔族(すいまぞく)は、猫獣人と同様にマタタビで酔っぱらう性質を持っている。

 そのマタタビを原料に作られた酒を飲ませれば、リリィが酔っぱらうことは必至。

 

 酔わせることでリリィの口を軽くし、強制的に悩みの内容を聞き出そうと、ヴィアは酒瓶の口をリリィの口に突っ込んで、リリィの頭ごと瓶を逆さまにしたのである。

 

 その結果がこれ。

 

 酔ったリリィは、まるで悩みがなくなったかのように陽気になり、歌を歌いながらカッパカッパと酒瓶を空けてゆく。

 悩みを“一時的に忘れている”のか、それとも“気にしなくなっている”のかは分からないが、このままでは酒が切れたら、また元の状態に逆戻りである。

 

(……リリィの意識がまだしっかりしているから、()()()()()()()()()可能性もあるわ。もっと酔わせてから、もう1回()いてみましょう)

 

(ラジャ―)

 

 ぼそぼそとお互いの耳元で、ヴィアとリウラはやり取りする。

 しっかり丸々1本、ヴィアの秘蔵酒を空けてくれた上に、度数の高い酒を次から次へと空けているにもかかわらず、リリィの呂律(ろれつ)も手元もしっかりしている。信じがたいことだが、いまだ酔いが浅い可能性が高い。

 

「……ずいぶん変わった言語ですのね……いったい、どこの言葉ですの……?」

 

「東方の言葉に響きが似ているけど、僕も聞いたことがないよ……“真実の剣(スティルヴァーレ)”って単語が聞こえたから、たぶん“神殺(かみごろ)し”にまつわる歌だとは思うんだけど……」

 

 リリィが歌う歌は、エルフ姉弟が聞いたことのない独特の言語で歌われていた。

 特にリシアンは商売の都合上、ラウルバーシュ大陸で使われている主要な言語のほとんどをある程度話すことができるにもかかわらず、リリィの歌の内容が全く聞き取れなかった。

 

 ――それもそのはず。彼女は、前世の母国語である()()()()()()()()()()()()()

 

 この世界でもかつては日本語が存在したが、それは1万年以上前……この世界、二つの回廊の終わり(ディル=リフィーナ)が未だ2つの世界に分かれており、それぞれイアス=ステリナ、ネイ=ステリナと呼ばれていた時代の話だ。

 そんな超古代言語を、言語学者でもない2人が理解できようはずもない。

 

「そうなの? リリィ」

 

「そうだよ〜。“神殺し”セリカ・シルフィルの歌〜」

 

 リリィが歌っている歌は、イアス=ステリナの女神であるアストライアを殺し、その肉体を奪ったとされる人間族の男性――セリカ・シルフィルを主人公とする物語(ゲーム)の歌だ。

 

 真実の剣(スティルヴァーレ)とは、セリカが(くだん)の女神を殺す際に振るったとされる、ネイ=ステリナの嵐神バリハルトから授かった神剣の名である。

 彼の物語は、リリィのそれと世界観を同じくするものの、リリィが生まれる何百年も前から続いているため、その名前はかなり広く知られている。

 

 “神殺し”という初めて聞く単語に興味を持ったリウラは、その人物について教えてもらおうと続けて質問する。

 

「ねえ、その“神殺し”って……」

 

 「――どんな人なの?」と()こうとしたところで、ピタリとリウラの口が止まる。

 

 自身の身体にかかる見えない圧力。ドス黒くて、絶えずリウラの身を(おびや)かそうとするそれは、ここ数日で強制的に慣らされてしまったものであった。

 

 ――殺気

 

 見れば、リシアンを除き、テーブルについている全員の眼が鋭くなっている。

 酒をかっ喰らっていたリリィも、完全に戦闘モードだ。

 

 殺気の出処(でどころ)にリウラ達が視線をやる前に、発生源そのものがリウラ達に向かってやって来た。

 

「おい、そこの睡魔のガキ。ちょっとツラ貸しな」

 

 声をかけて来た相手は、下級魔族。数は全部で5人。

 全員人型だが、眼が1つしかなかったり、全身が真っ黒だったり、羊のような角が生えてたりしていて、なかなかに個性的だ。中には、手が5本ある奴までいる。

 

「何よ、アンタ達。ここがどこだか、わかって言ってんでしょうね?」

 

 ヴィアがドスの()いた声で言うと、水の貴婦人亭の従業員達が一斉に殺気を魔族達に叩きつける。

 魔族達が放つ殺気よりも強烈なそれを受けて、魔族達はわずかに怯む。

 

(あ、この人達、ぜんぜん大したことないや)

 

 リウラの警戒が少し緩む。

 

 アルカーファミリーの殺気は確かに強烈だが、その度合いはブリジットやオクタヴィアが放つものよりも遥かに下。この程度で怯むようであれば、その実力はしれている。店員さんにまかせてつまみ出してもらえば良いだろう。

 今、リウラ達はリリィの心のケアに忙しいのだ。……リウラがそう思った矢先、リリィが口を開いた。

 

「良いよ。どこでやる?」

 

「……ちょっと、リリィ」

 

「今はやめた方が良いですの。お酒で感覚が麻痺しちゃって分からないかもしれないけど、リリィは今とても消耗していますの。……お店の人にまかせた方が良いですの。いや、ホントに」

 

 ヴィアとリューナが難色を示す。

 特につい最近、酒で失敗してしまったリューナの台詞には重い実感が込められており、真剣にリリィを止めようとしていることが(うかが)われる……が、リリィはどこ吹く風。

 

「大丈夫だよ。この程度の相手だったら、利き手使わなくたって勝てる。すぐ戻るから待ってて」

 

 そんなリリィの言葉を聞いて、額に青筋を立てて怒りを(つの)らせる魔族達。

 だが、ここで()めごとを起こすつもりはないのか、何も言わずにリリィを連れてさっさと店を出て行った。

 

「……あのバカ、ま~だ()りてねえのか……」

 

 ブランが呆れた声を出す。

 以前、その傲慢さから姉の財布をスられて痛い目を見たにもかかわらず、もう喉元を過ぎて熱さを忘れてしまったらしい。

 この調子だと、もうしばらく天狗になったリリィの鼻をポキポキ折ってやる必要がありそうだ。

 

 リウラが心配して「私も行く!」と席を立とうとするが、ヴィアが「私が行くから、アンタ達は(すわ)っときなさい」と着席を促し、自分は席を立ってポーチや短剣(ダガー)といった装備を身につける。

 

 リリィとヴィアが結んだ使い魔契約は、魔王とリリィの間で結ばれたものを疑似的に再現したもの……つまり、リリィが死ぬ、もしくは死にかけると、使い魔であるヴィアにフィードバックが行くという、シャレにならない副作用がある。

 

 あくまで疑似的なものであるため、フィードバックの割合は本来の契約に比べると遥かに小さく、リリィがオクタヴィアに斬られてもヴィアに影響が出なかった程度のものであるが、リリィがそれ以上のダメージを受けてしまえば、その(かぎ)りではない。

 自分の目でリリィの安全を確かめておかないと、ヴィアが安心できる訳がなかった。

 

 ちなみに、リリィがオクタヴィアに斬られた際、慌てて飛び込んで必死にオクタヴィアの追撃を防いだのも、半分はこれが理由である。

 

「お嬢! 危険ですから、追いかけるのはやめてください! お嬢の疲労も半端じゃないはずです!」

 

 そう言って声をかけてきたのは、濃い青髪の狼犬人(クーヴォルフ)の店員。

 狼獣人(ヴェアヴォルフ)であるヴォルクのような狼そのものの頭部とは異なり、こちらは人間族に狼の耳をつけたような容貌(ようぼう)をしている。

 スラリとした高い身長に引き締まった肉体、整った顔を持つ、ヴィアと同年代の美青年だ。

 

 だが、そんなイケメンの幼馴染に心配されても欠片も嬉しそうな様子を見せず、ヴィアは気だるげな様子で青年に目を向けながら、投げやりに言う。

 

「んじゃ、アンタもついてきなさい。護衛料は後で払うわ」

 

「そんな! 金なんて要りません! 全身全霊をもってお嬢を護らせていただきます!」

 

「そ。あんがと」

 

「ウィン、減給3ヶ月だ」

 

 ヴィアについていくため給仕の仕事をほっぽり出した青年――ウィンにブランが減給を通告するが、ウィンに気落ちした様子はない。それどころか、ヴィアの役に立てることを心の底から喜んでいるようである。

 

 ヴィアの元に向かう途中、ウィンはテーブルについているリシアンに笑顔を向ける。

 その妙に優越感たっぷりの笑顔は明確にこう言っていた。

 

 

 ――“お前のような貧弱なガキには、こんな風にヴィアを護れないだろう?”、と

 

 

 その笑顔を見て、リシアンはムッとする。

 

 自分がアルカーファミリーの一部から良く思われていないことは理解している。

 “ボスの一人娘をたらしこんだだけでなく、貢がせて奴隷の立場から解放してもらった情けない奴”と思われていることも、“そのためにヴィアが危険を(おか)すハメになった”と思われていることも。

 

 それについては非常に申し訳なく思うが、それとは無関係なところでまで馬鹿にされる(いわ)れなどない。

 ましてや、いまだ幼くともリシアンも男であり、ヴィアを愛する想いは誰にも負けない自負がある。ここで退()いては男が(すた)るというものだ。

 

 リシアンは(つと)めて穏やかに、そして余裕に溢れる笑顔で口を開いた。

 

()()()、ちょっと来てください」

 

 玄関へ向かっていたヴィアの足がピタリと止まり、バッと勢いよく振り返る。

 リシアンを見つめるその瞳は“信じられない”と言わんばかりに大きく開いていた。

 

「リシアン……今、私の愛称……」

 

()()()、こっちに来て?」

 

「は、はい!」

 

 ふらふらと蜜に誘われる蝶のようにリシアンへと向かうヴィア。

 その瞳には動揺と、隠しきれない期待の色が浮かんでいる。

 

「ど、どうしたの……? リシア……ッ!?」

 

 そばに寄ってきたヴィアの手首を(つか)み、グイと引いて無理やり上体を引き寄せる。

 敵意が一切感じられず、ましてや自分が好意を抱いている相手に対し、とっさに抵抗できるわけもない。自分よりも何倍も非力な少年に、ヴィアは軽々と引き寄せられる。

 

 

 ――そして、そのまま……ヴィアの唇はリシアンの唇によって(ふさ)がれた

 

 

 数秒か、あるいは数十秒か……時が止まったように全ての者が動きを止めた酒場で、ゆっくりとリシアンが唇を離す。

 無音となった酒場に、リシアンの落ち着いたボーイソプラノが響いた。

 

「幸運のおまじないです。……気をつけて行ってきてください、ヴィー」

 

「……ふぁ……ふぁい……、いってきまひゅう~~……♥」

 

 王子様のように甘いスマイルで微笑(ほほえ)みかけられたヴィアは、もうメロメロだった。

 

 トロンととろけた眼には目の前の愛しい少年の美しい笑顔しか映らず、初めてのキス(ヴィアの中で同性相手はノーカン)、それも“想い人の方からしてくれた”という多幸感(たこうかん)に、呂律(ろれつ)が回らないほどの陶酔(とうすい)状態に(おちい)っている。

 

 ヴィアは瞳にハートマークを浮かべて、桃色のオーラを振りまきながら、ふらふらと出口へ向かう。

 その後を、死んだ魚のような眼をしたウィンがふらふらと追っていった。どうやら自分の想像以上にヴィアが心とらわれていたことに、はかり知れないショックを受けたらしい。

 ……リリィの様子を見に行かせるには、あまりに頼りない2人組だ。

 

「わ、私もリリィさんの様子を見に行ってきます!」

 

 アイもそう感じたらしく、慌てて2人の後を追う。

 

 後にはクスクス笑うリューナと、ほっぺに両手をあてて(もだ)えつつ「良いな~! 彼氏って良いな~!」と(うらや)ましがるリウラ、そして余裕があるように見せつつも耳まで顔を真っ赤にしているために、ドキドキしていることが全く隠せていない可愛らしいエルフの少年が残されていた。

 

「オメー、よくもまあ父親(この俺)の前で(アイツ)口説(くど)けたもんだなぁ」

 

 呆れた口調でブランがリシアンに話しかける。

 口元は笑っているが、眼は全く笑っておらず、しかも闘気を放って威圧しているため、迫力が尋常ではない。

 

 その証拠に、水の貴婦人亭の従業員たちは、皆そろって顔を青ざめさせている。

 オクタヴィアに迫るかもしれない凄まじい威圧感だが、リシアンはそれを柳に風と受け流す。顔の赤みは引いているが青ざめてはいない。

 リシアンはブランに笑顔を向けて、堂々(どうどう)と言い放った。

 

「その程度の度胸がなければ、ヴィアを(めと)ることなどできないでしょう?」

 

 一瞬、キョトンとしたブランは、一拍(いっぱく)おいて大爆笑した。

 

「だっはっはっ! (ちげ)ぇねえっ! だっはっはっはっはっ!!!」

 

 リシアンの度胸は本物だ。

 本人に大した戦闘力がないにもかかわらず、闘気を放つブランに対して一切震えず啖呵(たんか)を切れるなど常軌を(いっ)している。

 利益のためならばどんな相手とも……自分よりも何倍も強く、粗暴な相手であろうと取引する“ラギールの店”の支店長を任されるだけのことはある。

 

 そして支店長を任されるには、度胸だけでなく商才も必要だ。

 卓越した経済力があれば、例え本人に戦闘力がなくとも、ヴィアを護る力を金で手に入れることができるだろう。

 現時点では少し物足りないが、将来的にはヴィアを幸せにするだけの力を、この少年は手に入れるはずだ。

 

「……リシアン、と言ったか……」

 

「リシアンサス・シャハブレットと申します」

 

 笑みを消して真剣な眼をしたブランに(こた)えるように、リシアンも真剣な眼でブランに向き合う。

 

 

 ――そして、ブランは腹の底から絞り出すようにしてその言葉を(ひね)りだした

 

 

「……アイツを泣かせたら、タダじゃおかねえぞ」

 

「ッ!!」

 

 それは事実上、リシアンとヴィアの婚姻を認める言葉だった。

 

 いまだ下の毛も生えそろっていないような幼い少年に、大切な一人娘の人生を預けるその決断に、いったいどれほどの想いが込められているのだろうか。……親となったことのない今のリシアンには決して分からないだろう。

 

「はい。必ず彼女を幸せにします」

 

 彼にできるのは、自らの全てを懸けてその想いに(こた)えることだけだった。

 

 

***

 

 

「どうしたの? 私に一泡(ひとあわ)吹かせるんじゃなかったの?」

 

 ドスッ!

 

「グッ!」

 

 横たわる下級魔族の腹にリリィが蹴りを入れる。

 

 街から少し離れた迷宮の一角。

 ゴツゴツとした岩がそこかしこに転がる荒れ地のような広場に、5人の下級魔族が横たわっていた。

 

 リリィと彼らの間には隔絶した実力差があるにもかかわらず、魔族達は全員生きているだけでなく、余力が充分にある。

 その証拠に、リリィに蹴られている1人を除いた全員が身を起こし、リリィを(にら)みつけながら戦闘態勢を取り直していた。

 

 ――当然だ。リリィが()()()()()()()()()()()

 

 リリィは苛立っていた。

 前世の自分が思い出せないストレスと、姉に人殺しをさせようとした事を初めとする、数々の罪悪感がリリィを絶えず(さいな)んでいたためだ。

 

 ヴィアに飲まされた酒で一時的に正気に戻ったリリィは、この苛立ちを誤魔化すために酒に溺れた。

 

 ……いや、正確には()()()()()()()

 

 魔王に(つく)られたこの身体が酒に強い体質だったのか、はたまたリリィにかかるストレスが多少の酔いなど()ます程に強かったのか、リリィはほとんど酔うことができないでいた。

 

 いくら飲んでも酔えない。酔って、酔って、酔って、酔いつぶれて眠ってしまいたいのに、一向に酩酊(めいてい)する(きざ)しがない。

 酔ったふりをすることで、のらりくらりとリウラ達の質問を(かわ)し、リリィはただ酔うためだけに、好きでもないアルコールをひたすら喉に流し込み続けていた。

 

 そんなところへ、都合よく“ぶちのめしても罪悪感が湧きにくそうな奴ら”が現れた。

 それを見て、リリィは思った。

 

 ――ちょうどいい。こいつらを使って、私の()さを晴らさせてもらおう

 

 その思考が多分に悪魔的であることは理解していたが、それでも止まれないほどにリリィの精神はまいっていた。

 

 下級魔族達にひと気のない所まで連れて来られたリリィは、自分でも気配を探って、近くに人が居ないことを確認すると、結界を張って彼らの逃げ場をなくし、死なない程度に加減して、魔族達へ殴る蹴るの暴行を加えたのである。

 

 しかし、リリィの気は全く晴れなかった。

 

 当たり前だ。リリィがしているのは、ただの八つ当たり。いくら他人に苛立ちをぶつけたところで、リリィの悩みが解決する訳がない。

 むしろ、苛立ちを解消するために殴れば殴るほど、蹴りを入れれば入れるほど、リリィはよりいっそう自己嫌悪に(おちい)り、さらに苛立ちが増すという悪循環にはまっていた。

 

 しかも不可解なことに、いくらリリィが隔絶した実力差を見せつけ、全身あざだらけになるまで暴力を振るおうと、魔族達は一向に諦めずに立ち向かってくる。

 ケンカをふっかけて来たのは向こうのはずなのに、これではまるで自分が悪役のようだ。それがまた、余計に腹立たしい。

 

(……もう、いいや)

 

 ストレスを解消するつもりが、完全に逆効果になっていることに、いい加減うんざりしたリリィは、この無意味で非生産的な行動を切り上げることに決めた。

 

 殺すつもりはない。精気を吸いつくして気絶させた後、魔術で記憶を操作してリリィ達のことを忘れてもらう。

 リリィは深い疲労感を感じさせる眼で魔族達を睥睨(へいげい)しながら、ゆっくりと右の人差し指を上にあげる。

 

 

 

 ……ぐらり

 

 

 

(……あれ?)

 

 足がもつれて、地面に手をつく。立ち上がろうとするが、足にうまく力が入らない。

 

(今頃になって、酔いが……?)

 

 舌打ちをしたい衝動に()られるリリィ。

 足の代わりに翼を動かして体勢を整えようとするも、こちらもうまく動かせず、浮かぶことができない。

 

「ようやく……ようやく効いてきやがったか……!」

 

 目の前に横たわる魔族が吐き捨てるように(つぶや)く。

 

 “まさか、酔いがまわるのを待っていたのだろうか?”……リリィがそう考えていると、魔族は(ふところ)から小瓶を取り出して(せん)を抜き、ブン! と勢い良く瓶を振って、中身をリリィに浴びせかけた。

 うまく魔力が()れず、障壁を展開できなかったリリィは、腕で顔を(かば)うも、振りかけられた透明な液体をモロに浴びる。

 

 

 

 ――グニャリ

 

 

 

(!?)

 

 強烈な眩暈(めまい)が襲い、全身から力が抜け、リリィは成す(すべ)もなく地面に倒れ込む。

 同時に身体がカッと熱くなって発汗し、(かすみ)がかかったように思考がぼやけ、奇妙な昂揚感(こうようかん)が湧き上がる。

 

 前世の思い出を持たないリリィには分からないことだが、それは泥酔した状態と非常に酷似(こくじ)している症状であった。

 

(うにぃ〜……、これぇー……(ろく)ぅ〜……?)

 

 浄化魔術で解毒しようとするも、簡単な障壁すら張れないほど魔力がうまく練れない状態で、魔術を使うことなどできるわけがない。

 

 ……いや、それ以前に魔術を行使できる精神状態ではない。

 

 その証拠に、窮地に(おちい)っているにもかかわらず、リリィの心には全くと言って良いほど焦りの感情が湧いてこない。

 すぐに心話(しんわ)でヴィアにSOSを出さなければならないのに、それを考えつくことすらできないレベルである。

 

「クソがっ! 『地面に()いておくだけで、すぐに効果が出る』って言ってたくせに、どんだけ時間かかってんだよ! 死ぬかと思ったじゃねぇか!」

 

「『魔力が大き過ぎる相手だと、効きにくいかもしれない』とも言ってただろうが……ご主人様とまともにやりあえんだ。効きにくくて当然だろう」

 

 先程までリリィに蹴りをくらっていた魔族が悪態(あくたい)をつくと、別の魔族に(さと)され、それが面白くないのかチッと舌打ちする。

 

 リリィに殴られると同時に少しずつ(なぶ)るように精気を奪われていたため、まるで全力で泳ぎ続けた後のように全身が重い。

 その気怠(けだる)い身体を、リリィへの憎しみで無理やり動かし、魔族はリリィの前にやってくる。

 

 そして、人外の膂力(りょりょく)で、思いきりリリィの鳩尾(みぞおち)爪先(つまさき)をめり込ませた。

 

 バアンッ!

 

 リリィが酩酊(めいてい)した瞬間に、彼女が周囲に張った結界が解けていたため、リリィは()き出しの岩壁に勢いよく叩きつけられた。

 岩壁に大きくヒビが入り、砕けた小さな岩々と共にリリィが地面にドサリと落ちる。

 

「えへへぇ〜……(いら)〜い♪」

 

 しかし、リリィは何の痛痒(つうよう)も感じることなくケラケラと笑っている。

 その様子を見て、魔族達が表情を苦々しく歪めた。あまりに彼我の実力が離れすぎていてダメージが与えられないのだ。

 

 「目に直接爪をぶっ刺すか?」「いや、口を開けさせて全力で魔術をぶち込んだ方が……」と物騒な相談をする仲間たちを尻目に、リーダーらしき単眼の魔族が言う。

 

「おい、お前ら。アイツの手足押さえろ」

 

 単眼の魔族の発言にピンときたその他のメンバーは、素早くその指示に従う。

 

「ふぇ?」

 

 突然両手足を押さえられたリリィは、魔族達が何をしようとしているのか分からず、ぼーっとした目に疑問の色を浮かべる。

 

 単眼の魔族はリリィのキャミソールドレスの胸元に手をかけて引き裂こうするが、リリィの強大な魔力で編まれたドレスのあまりの強度に裂くことができず、数秒悪戦苦闘した後で、しかたなく下からずり上げて脱がしにかかる。

 

 そこまで来て、ようやくリリィは“自分が何をされようとしているのか”を理解した。

 

「やめ()よ~~!」

 

 力はこもっていないものの、明確に嫌悪感が感じられる声。

 それに気を良くした魔族達は、リリィを裸にしようと張り切るが、

 

「うおっ!?」

 

「こいつ! なんつー馬鹿力してやがる!?」

 

 リリィに抵抗され、うまく脱がすことができない。

 

 薬でほとんど力を封じられているはずなのに、手足1本ずつにそれぞれ1人が全身でガッシリ組みついて、ようやく動きを抑えることができるという信じられない膂力(りょりょく)

 胴を(ひね)って寝返りを打とうとするような動作で、危うく身体ごと持ち上げられそうになり、腹や腕の肉を細い指で握り締められれば、その握力で肉が引きちぎられそうになる。

 

 女性としての本能が警鐘(けいしょう)を鳴らしたのか、酔って冷静な判断力を失っているにもかかわらず、リリィも必死だ。

 

 “犯されたくない”という単純な思いだけではない。

 “魔力をうまく練れない”ということは“性魔術が使えない”ということと同義。

 そしてそれは、“犯そうとする相手の精気を奪って抵抗することができない”というだけでなく、“避妊ができない”ということも意味するからだ。

 

 魔族達は必死の思いでなんとかリリィの動きを封じ込め、ドレスをずり上げた状態で固定することに成功する。

 未成熟な胸がさらけ出され、下着が丸見えになった状態に、リリィは酔って赤くなっていた顔をさらに真っ赤にさせる。

 単眼の魔族がリリィの下着に手をかけると、リリィは恥ずかしさのあまりギュッと目をつぶった。

 

 その時――

 

 

 バアンッ!!

 

 

 先のリリィが吹き飛ばされた光景を繰り返し見ているかのように、単眼の魔族が岩壁に叩きつけられた。

 

「ガッ!?」

「グッ!?」

「はっ!?」

「へぶっ!?」

 

 そしてリリィの動きを封じていた4人の魔族達が次々と殴られ、叩きつけられ、吹き飛ばされてゆく。

 

 彼らはリリィの動きを封じることに必死になるあまり、気づかなかった。……すぐ傍にまで、何者かが近寄っていることに。

 

 自由になったリリィは急いで服を直し、上体を起こしながら自分を助けてくれた恩人を見上げた。

 

 そこにいたのは、リウラでもヴィアでもない。

 リリィの知る誰でもなかった。

 

 ……しかし、つい最近見たことのある姿。

 

 2メートル近い長身に隆々と盛り上がった筋肉、それを相撲取りのように脂肪で(おお)ったずんぐりむっくりとした体格。

 緑色の体表を惜しげもなく晒し、身に(まと)うものは無骨な兜と腰布1枚……それと、腰に()いた1本の三日月刀(シミター)

 

 

 ――そして何よりも特徴的な、()()()()()()()()()()

 

 

 鬼族(きぞく)の一種――オークである。

 

 

***

 

 

 村一番のオーク族の戦士、ベリークは旅をしている。

 

 旅の目的は、“嫁探し”。

 

 オーク族は種族を問わず女性に人気がない。

 その見目の悪さだけでなく、獣のように三大欲求に忠実であるところや、後先考えない頭の悪さが原因だ。

 

 その性質から無理やり女性を(さら)ってきて嫁にしてしまうパターンも珍しくなく、『オーク』と聞くだけで顔を(しか)める女性すらいる。

 それはベリークの村も例外ではなく、彼の村に居る女性で心からオーク族の男性を慕っている女性は、ほぼ皆無である。

 

 しかし、ベリークは思った。

 

 ――村で最強の戦士である自分がモテないはずがない

 

 ――村の外に出て、この力を見せつけ続けていれば、いずれ美人で心から自分に惚れる女性が現れるに違いない……と

 

 ……しかし、現実は厳しい。

 

 1年近く旅を続け、その腕っぷしで賞金稼ぎを繰り返し、そこそこ名が知られるようになったものの、自分に惚れる女性はついぞ現れなかった。

 

 笑顔で()り寄ってくる女性は、すべてベリークではなく彼の持つ金が目当て。

 金遣(かねづか)いの荒いベリークが金を使い果たせば、潮が引くようにサーッと離れてゆく。

 

 そんなことを繰り返しているうちに、ようやく頭の悪いベリークでも“腕力だけで女性を魅了することはできない”と気づいたが、“そこからどうすれば良いか”が分からなかった。

 

 ベリークが求めているのは“心から自分に惚れてくれる”女性だ。だから腕力で女性を無理やり(さら)って嫁にしても、まるで意味がない。

 だが、腕力以外にとりえがなく、頭を使うことが苦手なベリークには“どうすれば女性が自分に惚れてくれるか”が分からない。

 ベリークはここ数日悩んでは酒を飲み、悩んでは外に頭を冷やしに行き、といった行動を繰り返していた。

 

 そんなある日の夜、いつものように悩み、いつものように頭を冷やしに外を散歩していたところで、ベリークの(とが)った耳がピクリと動いた。

 

(急に気配が……?)

 

 まるで気配を(さえぎ)るものを全て取っ(ぱら)ったかのように、突如(とつじょ)として現れた6つの気配。

 その特殊な状況から、明らかに厄介ごとの匂いがプンプンする。

 

 しかし、いいかげん嫁のことで頭を使うことに疲れてきていたベリークは“まあトラブルになっても、自分なら大丈夫だろう。むしろ、久々に身体が動かせていい”と考え、興味本位で気配へと足を向けた。

 

 そして(あん)(じょう)、そこで起こっていたのはトラブルだった。

 

 魔族が5人がかりで、1人の幼い少女を犯そうとしていた。

 興奮しているのか、皆、血走った眼で汗をかきながら必死で少女を抑え込み、彼女の服を脱がそうとしている。

 

 それを見てベリークは思った。

 

 

 ――なんて、みっともない

 

 

 嫌がる女性――それも10かそこらの少女に対し、5人もの成人男性が襲いかかる光景は、あまりにも醜悪。

 

 ベリークの村にも女性を(さら)ってくる者はいるが、ここまで酷くはない。

 飢えた狼のように女体(にょたい)に群がる様子は、まるで“腕力で女性を攫えば、自分もアレの仲間入りだ”とベリークに示しているようにも感じられた。

 

 

 だから、ベリークはあまりにも不愉快なその光景をぶち壊した。

 

 

 少女に群がる魔族達を(かた)(ぱし)から殴り飛ばし、蹴り飛ばす。

 三日月刀(シミター)は使わない。使えば、まだ幼い少女に血を見せることになる。

 

 魔族全員を少女から引き離したベリークは、吹き飛んだ魔族達から視線を外さないまま、かたわらにいるであろう少女に尋ねる。

 

「大丈夫か?」

 

 ……返事はない。(おび)えて返事ができないのか、はたまた気絶しているのか。

 “まあ、自分が気にすることではない”、と魔族達を追い払うことに集中しようとしたところで、右足に違和感を感じた。

 

 ベリークが右足に視線をやると、助けた少女が女の子(ずわ)りのままベリークの右足に抱きついてこちらを見上げている。

 

 あらためて見れば、かなりの美少女だ。

 雪のように白く瑞々(みずみず)しい肌、黄金を溶かしたかのように(つや)やかな髪、見る者に保護欲を抱かせつつも、女性として意識させずにはいられない整った顔立ち……年齢的にベリークの守備範囲からは外れているものの、非常に将来が楽しみな逸材(いつざい)である。

 

 このまま少女が張りついていては戦えないため、少女に足から離れるように言おうとすると、少女はベリークの右足をギュッと抱きしめて言った。

 

「助け()くれ()、ありが()う!」

 

 少女がベリークに向けた笑顔、それを見た途端、ベリークの頭の中は真っ白になった。

 

 その笑顔には何の含みもなかった。

 純粋に感謝の想いだけが込められていた。

 

 

 ――美しい

 

 ――笑顔とは、こんなに美しいものだったのか

 

 

 ベリークは知らない。

 

 少女――リリィは本来、非常に警戒心が強く、腹の中で色々考えるタイプであり、純粋な笑顔を向けるのは、本当に心を許した者だけであることを。

 今、リリィがベリークにそれを向けているのは、薬の影響で(ろく)に頭が回っていないがためだということを。

 

 リリィは、もともと恩義に厚い。自分が受けた恩に対してはきっちり感謝し、恩を返す傾向があるのだ。薬によって警戒心が奪われれば、それが前面に出てくる。

 だから、今のリリィは、初対面であるにもかかわらず、なんの裏表もなく、感謝を、好意を、ベリークに向けることができるのだ。

 

 ――幼いとはいえ、美少女が全身で好意を示してくれている

 

 それはベリークにとって、初めての経験であった。

 

 年齢を問わず、彼が今まで出会った女性達でベリークに純粋な好意を示してくれる者はいなかった。

 金に釣られて笑顔を見せてくれる女性はまだ良い方で、大半は嫌悪感を示したり、嘲笑ったり、あるいは無視した。

 それはベリークが悪い訳ではなく、種族に対する偏見が大きかったが、それでもベリークが傷つくことに変わりはなかった。

 

 ベリークは“この少女が幻ではないか”と、恐る恐る彼女の頭に手を伸ばす。

 そして、ゆっくりと頭を()でると、少女は一切嫌がる様子を見せず、「えへへ~」と笑った。

 

 その笑顔を見て、先程までは何の反応も見せなかったベリークの胸が、大きく高鳴った。

 

「……おい、何すんだテメェ……!」

 

 感動に水を差され、少々不機嫌になりながら、声の方向へベリークは視線を向ける。

 気絶する勢いで殴ったはずだが、存外頑丈だったようだ。

 

「……少し、離れていろ」

 

 自分で自分の声に驚いた。

 “自分はこんなにも優しい声が出せたのか”、と。

 

 ベリークに言われてコクンと頷いた少女は、うまく歩けないのか、ズルズルと膝を(こす)るように四つん()いでベリークから離れてゆく。

 

 気配がある程度離れたところで、ベリークは()()()()()()

 

 ベリークの身体から、光り輝く闘気が噴出する。

 

 ベリークが村で最強の戦士になれた、最大の理由がこれだ。彼には闘気を操る才能があり、粗削りながらも、それを自由自在に扱うことができた。

 その力強さは歴然で、彼の闘気を見たリリィは目を丸くし、魔族達は怯み狼狽(うろた)えている。

 

 

 

 その後の展開は一方的だった。

 ベリークの拳にボコボコにされた魔族達は、ひとたまりもなく退散したのである。

 

 

***

 

 

「どう? 何か分かった?」

 

「……数年前に出た睡魔対策用の香水ですね。おそらく、この迷宮で過去にコレを取り扱っていたのは“ラギールの店(ウチ)”だけだと思います」

 

 リリィが襲われた場所に落ちていた瓶――ヴィアが見つけ、拾ってきたそれを見て、リシアンは事もなげにその薬の正体を見破る。

 

 あの後、ヴィア達と合流し、水の貴婦人亭へと戻ってきたリリィ達。

 ベリークから事情を聞き、『お礼がしたい』というリリィの意思を尊重したヴィアは、ベリークを水の貴婦人亭に誘い、好きなだけ呑み食いさせることにした。お代は、もちろんリリィ持ちである。

 

 どうやらベリークはリリィに気があるらしく、先程からほとんどリリィとばかり話している。

 恩人であるためか、リリィも満更(まんざら)ではなさそうで、こちらも明らかにベリークとの会話の比重が大きい。

 

 まあ、それはそれでヴィアにとっては好都合だ。余所者(よそもの)を気にすることなく、リシアンと相談できる。

 

「市場に出回り始めてから数ヶ月で販売禁止になりましたから、ウチがこれを売った顧客を絞ることは可能でしょう。……その人物を探し出せるかはわかりませんが」

 

「販売禁止?」

 

「この香水を作った職人の助手が睡魔族(すいまぞく)の方なんですが……コレを悪用されて襲われたらしいんですよ。……幸い、未遂で済んだようですが」

 

 大体どういうことが起こったかを察し、ヴィアの(まゆ)がグッと中央に寄る。

 

 睡魔族は、みな総じて美人でグラマラスであり、彼女達との性行為は、他の種族では得られない極上の快楽を得られる。

 それらの種族的特徴は、彼女達が“性行為による精気吸収”を主食とするために得たものだ。

 

 

 だが、だからといって“誰でも簡単に彼女達と行為に及べるか?”といえば、それがそうでもない。

 

 

 彼女達、睡魔族にとって、“性行為”とは“食事”であると同時に“愛を確かめる行為”でもある。

 そして、そのどちらに比重が傾いているかは、個人の価値観によって大きく変わるのだ。

 

 リリィのように後者に大きく傾いている者は、自分が愛する者以外との行為に及ぶことは、まず無い。仮に精気を奪う必要があっても、性行為ではなく、淫夢(いんむ)を見せる形で奪う。

 これは原作のリリィも全く同じで、魔王からの命令でなければ、魔王以外との性行為に及ぶことはなかった。

 リウラやヴィア相手の性魔術は、あくまでパワーアップする必要に()られて、仕方なく行ったものなのである。

 

 逆に前者に大きく傾いている者は、性行為の相手を“食料”としか見ていない。つまり、性行為に及べば、その相手は精気を吸い尽くされて死ぬ確率が非常に高いのだ。

 

 本来は、そういった睡魔から襲われないようにするための魔法具なのだろうが……合意なく睡魔(極上の美女)を安全に襲う用途としても、非常に有用だろう。

 その発想に至った男どもの醜い欲望を思うと、そのおぞましさに、ヴィアは軽い吐き気を覚えた。

 

「そう……解毒薬は?」

 

「存在しますが、原産地……大陸南方にある工匠(こうしょう)の国、ユイドラから取り寄せる必要があります。時間経過でも回復しますから、今回は不要でしょうが……“もしも”の時のために取り寄せますか?」

 

「お願い」

 

 出回っている総数が少ないとはいえ、もし万が一同じ薬を持つ敵と出会ってしまえば、リリィという最大の戦力が唯の足手まといに成り下がる。それはヴィア達にとって、あまりに痛い。解毒薬は念のために確保しておくべきだろう。

 

「ベリークさ〜ん、呑むペースが落ちてますよ〜……ほら、こっちのお酒なんてどうです? さくらんぼのお酒ですよ〜」

 

「おお、それもうまそうだな……おっと」

 

 うわばみリリィのペースにつき合わされ、ベリークの手元が怪しくなり始めた。

 ベリークが酒に弱い訳ではない。リリィが強すぎるのだ。

 

 流石にこのままではまずい、と感じたヴィアがストップをかける。

 

「え~と、ベリークさんでしたっけ? 宿はとってるんですか? そろそろ戻らないと、この()に酔い潰されちゃいますよ?」

 

「む……」

 

 最近悩みに悩みまくったせいで、少しだけ回転が良くなった頭でベリークは考える。

 

 酔い潰されること自体は問題ない。ここに泊まってしまえば良いだけだし、これ以上酔いたくなければ呑まなければ良いだけの話だ。

 

 そんなことよりも、ベリークにとってはリリィとの会話を続けたい欲求の方がずっとずっと強かった。

 無邪気で、一心(いっしん)に好意を向けてくれて、それでいて先程からさりげなく気遣いをしてくれる美少女に、ベリークは首ったけになっていた。

 

 だが、リリィは見ての通りの幼子(おさなご)

 いくら睡魔族が夜の種族だとはいえ、今の時間は本来ならば夢の中にいなければならないはずだ。

 

 ならば、ここはいったん自分の宿に帰って、また翌日出直したほうが良いだろう。

 それに、別に酒を()()わすだけでなく、デートしたり何なりとリリィとの時間を作る方法はいくらでもある。

 

「……そうだな、俺もそろそろ自分の宿に戻るとするか」

 

「あ、じゃあ、私、送ります~! ヴィア、いっしょに来て!」

 

 無邪気な笑顔のリリィが元気に手を上げて宣言すると、ベリークはポンとリリィの頭に右手を乗せて首を横に振った。

 

「気持ちは嬉しいが、この時間は危ない。俺は大丈夫だから、今日は早く寝ろ」

 

「でも……いっぱいお酒飲んじゃって危ないですよ?」

 

 リリィが心配そうな顔をすると、ベリークは嬉しそうに笑った。

 当然だ。もともとが嫌悪されやすい種族である上に、高い武力を持つベリークを心配する者は老若男女を問わず、ほぼ皆無だ。

 

 だから、ただ心配して、気にかけてくれるだけでも嬉しいのに、それをしてくれるのが自分が惚れた相手……しかも美少女とくれば嬉しくならないはずがない。

 もっと身長と胸があれば言うことはないのだが、今まで出会った女が女であったので、不満などひとかけらもなかった。

 

「大丈夫だ。俺の強さはリリィも知っているだろう?」

 

 そう言うと、リリィは心配そうな顔を崩しはしないものの、コクリと頷く。

 ベリークは、そんな彼女の頭を優しく()でると、荷物と三日月刀(シミター)を持ち、終始ご機嫌なまま宿を去って行った。

 

 

***

 

 

 バタン……と宿の扉が閉じる。

 扉の方に視線を向けたままのリリィに向かって、壁に背をもたせかけて腕を組んだヴィアは声をかけた。

 

「……で? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 リリィは扉から視線を外さないまま言った。

 

「……いつから気づいてたの?」

 

 先程の間延(まの)びした口調が嘘のように、しっかりとした声――それは、先程までの彼女の酔った様子が演技であることをハッキリと示していた。

 

「ここに帰って来てからよ。……アンタ、最初は呂律(ろれつ)が回らないどころか、姿勢もグニャグニャで、頭も完全にバカになってたじゃない。それが、ある時からちゃんと会話を成り立たせて(しゃく)まで始めれば、そりゃ“治ったな”って分かるわよ」

 

「……」

 

 リリィは無言のままヴィアに背を向け続ける。

 そんなリリィの様子を見て、ヴィアは(ひと)つ溜息をつく。

 

「私はリウラやリューと違って、別に“アンタの悩みがどう”とかわざわざ詮索(せんさく)する気はないわ。1人で悩みたいなら、好きなだけ悩めば良い。……でも、それってアンタのことを何にも知らない赤の他人にチヤホヤさせて、ストレスを解消させてまで黙っているべきことなのかしら?」

 

 リリィは拳を握り締めて、唇を噛む。耳が痛い。

 

 ヴィアには完全に見透かされていた。

 

 幾人もの命を手にかけ、姉を人殺しにしようとして……その他いくつもの罪状を抱えていることを知らず、見た目通りの“庇護(ひご)すべき子供”としてリリィを扱うベリークは彼女にとって非常に都合の良い存在だった。

 

 まるで、自分が本当に何の(けが)れもない存在のように感じられる……これは、リリィの内面も、リリィがこれまで行ってきたことも知っているリウラ達では成せないことである。

 

 しかし、それはあくまでも現実逃避に()ぎない。ヴィアが言うとおり、ただのストレス解消の手段でしかないのだ。

 それは、つまるところ“リリィのストレス発散のためだけに、ベリークの気持ちを利用した”ともいえる。

 

 こうして自分のためだけに他人を利用したことで、またリリィの心に自己嫌悪という名の(おも)しがかかる。

 ……ヴィアはこう言っているのだ、『その負の連鎖を断ち切りたいなら、さっさと話してしまえ』、と。

 

 肩を震わせながら黙り続けるリリィに、ヴィアは思う。

 

(……いったい何してんのよ、リウラ。こういうのは、アンタの役割でしょうが……)

 

 ヴィア達が宿に帰ってきたとき、リウラは既にリューナを(ともな)って2階に消えていた。彼女達を呼びに行ったはずのアイも、なぜか戻ってこない。

 いったい何の話をしているのかは分からないが、どうやらもうしばらく、この面倒くさいご主人様のカウンセリングを続けなければならないらしい。……ヴィアは顔には出さずにうんざりした。

 

 ――ピクリ

 

 リリィの猫耳が動き、まとう雰囲気が戦闘時のそれに塗り替わる。

 

「……ヴィア、ついて来て」

 

「? いったいどうしたってのよ? 別に殺気もヤバそうな気配も感じないけど?」

 

 少なくとも宿の周辺、半径50メートル以内には、それらしきものを感じない。

 

「もっと先、私から見て前方300メートルくらい。ベリークさんの気配を追って」

 

 (いぶか)しげな様子でリリィの指示に従い、自分も猫耳を震わせながら気配を探る。

 

 そこで、ようやく何が起こっているかを悟った。

 

 ベリークの気配の周りに多数の気配。その気配の質からしておそらくは魔族の集団。うち1つは明らかにベリークよりも気配が大きい。

 どうやら、ベリークに殴り飛ばされた奴らが仲間を引き連れてお礼参りに来たらしい。つい数時間前のことだというのに、ずいぶんと仕事が早いことだ。

 

「早く行くよ。ベリークさんが危ない」

 

「……」

 

 ヴィアはガシガシと頭を()いて言った。

 

「アンタ、ついさっきどんな目にあったか、もう忘れたの? 私が行っとくから、アンタはサッサと寝てなさ……」

 

 ――バタン

 

「……」

 

 ヴィアの小言を聞き流し、サッサと出て行くリリィ。

 

 悩みによってリリィの心情が荒れに荒れていることが原因だろうし、それをヴィアも理解してはいるのだが……おざなりとはいえ、自分が心配して言った言葉を聞き流すどころか、扉を閉める音で(さえぎ)った彼女の行動は、地味に腹立たしいものがあった。

 

「……ああっ、もうっ!」

 

 腹立たしくも後を追わないわけにはいかず、怒りのあまりドスドス大きな足音を立ててヴィアも宿を出て行こうとする――

 

 ギュッ!

 

「リ、リシアン?」

 

 ――直前、リシアンが背後からヴィアの腰に抱きついた

 

「ヴィー、落ち着いて」

 

 そう言いながらヴィアを見上げるリシアンの瞳に心配の色を見て、ヴィアは(ひと)つ深呼吸をする。

 途端、自分の心のざわつきを感じ取った。どうやら自分の心が乱れていることにも気づかないくらい苛立っていたらしい。

 

「……うん、もう大丈夫よ。ありがとうリシアン」

 

「……どういたしまして。気をつけてね」

 

「うん」

 

 リシアンがスッとヴィアの首に手をかけ、背伸びして彼女の頬に唇を落とすと、ヴィアは顔を真っ赤にしつつ嬉しそうに微笑(ほほえ)み、2本の尻尾をゆらゆらと揺らしながら元気いっぱいに出発する。

 

 彼女が去った後も扉を見つめていたリシアンが、背後から自分に近づく足音を聞き取る。

 体重の軽そうな足音から女性だと推測し、複数の足音からそれがリューナ達だと悟ると、リシアンは振り返りつつ、ヴィアへの助っ人を依頼しようとする。

 

「姉さん、お願い……が……」

 

 リシアンの声が止まる。

 

 その理由は、リシアンの瞳に映る、姉と土精(アイ)のとても心配そうな表情と、

 

 

 

 

 ――いつもの明るさはどこに行ったのか……終始(けわ)しい表情を崩さない、リウラのただならぬ様子にあった

 

 

 

 

 

 




 冒頭(ぼうとう)でリリィが歌っている歌は、「戦女神2」の主題歌「魂の記憶」です。2番を通り過ぎた、本当に最後の方のフレーズになります。





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第四章 美少女とオーク 中編

 2メートル近いベリークですら、見上げなければ顔をうかがうことができない巨体。

 山羊のような大きな2本の角を頭部に備え、毛深い表皮を力強い筋肉が押し上げる。

 

 その迫力ある肉体に見劣りしない強力な魔力が全身から溢れ、持ち主の意思に従って炎へと変化し、辺りを煌々(こうこう)と照らしている。

 彼がこの迷宮で上位から数えた方が早いであろう実力者であることは、ベリークにもすぐに分かった。

 

 片膝をつき、息を荒らげて山羊魔族を見上げるベリークは、無事である箇所を探す方が難しい程に満身創痍(まんしんそうい)

 三日月刀(シミター)も、それを握っていた右腕も折れ、頭部からは際限なく血が溢れ出し、腹の肉が一部えぐれ、左足の甲は炭化している。

 

 まさに“絶体絶命”と呼ぶに相応(ふさわ)しい有様であった。

 

 にもかかわらず、ベリークの眼だけは死んでいなかった。

 彼の眼には強い意思の輝きが宿り、声高に叫んでいた――“ここで死んでなるものか。自分は村で最強の戦士。必ず生きてリリィと添い遂げるのだ”と。

 

「……そろそろ、この豚で遊ぶのも飽きてきたな……」

 

「……何?」

 

 巨体の魔族がボソリと(つぶや)いた次の瞬間、脂肪で膨らんだベリークの腹に、その毛深い巨腕がめり込んでいた。

 血反吐を吐きながら吹き飛んだベリークは、石造りの家に頭から突っ込み、倒壊させる。

 

 ベリークは仰向けに倒れたまま、起き上がることができず、うめき声を上げた。

 

「ほらよ。動けなくしてやったから、あとはオメエらの好きにしな」

 

 そう重く迫力のある声で山羊魔族が言うと、ばさりとコウモリの翼を広げて飛び立つ魔族がいた。

 リリィを襲った単眼の魔族である。

 

「ありがとうございます! テメエら、コイツは俺が()る! 手出しすんなよ!」

 

 そう叫ぶと、単眼の魔族は両手をベリークへと向け、彼の身の丈ほどもあろう大きさの魔力弾を作り出してトドメを刺そうとする。

 

 本当ならばもっと甚振(いたぶ)ってから殺してやりたかったが、本命は、あの憎たらしい睡魔の小娘だ。あまりダラダラとこの豚を(なぶ)り殺しにしていたら、飽きた山羊魔族が帰ってしまう可能性がある。

 一度薬の被害にあった以上、あの小娘は同じ誘いにのらないだろうし、仲間も彼女を1人にすることはないだろう。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……再びリリィに薬をかけるための()()()として。

 

 

 

 単眼魔族はブリジットの部下だ。彼は友とともにリリィへと襲いかかったのだが、彼自身は生き残り、友はリリィの斧槍(おのやり)に身体を真っ二つにされて殺された。

 

 

 ――しかし、あろうことか、主はリリィ達と同盟を結び、主やその部下達がリリィを殺すために動くことはなくなってしまった

 

 

 復讐心に囚われた彼は、自身の破滅も(かえり)みず、ただ友の仇を討つためだけに、ブリジットの元を離れて動き出したのである。

 他の4人も、彼と同じ思いを持って動く同志であった。

 

 主であるブリジットとリリィの戦いを見ていた単眼魔族は、まともにやれば山羊魔族であろうとリリィには敵わないことを知っている。

 だが、所用でブリジットの元から一時(いっとき)離れていた