水精リウラと睡魔のリリィ (ぽぽす)
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第一章 家族 前編

はじめまして。ぽぽすと申します。
どうぞ、よろしくお願いいたします。

※週1更新予定です。
※カッコの内容は以下の通りになります。
 「」:発言
 『』:過去の発言等
 ():思考、考え等
 ≪≫:詠唱
 "":その他


 ――溶ける、融ける。身体が、全身が解けてゆく

 

 痛い、苦しい、そして何より恐ろしい。

 

 ただの学生でしかない私がそんな恐怖に耐えられる訳もなく、私は必死に泣き叫ぼうとする。

 

 助けて、と。たった一人の家族へ向かって。

 

 叫んだつもりの私の(のど)から、ごぽり、と温かいものが溢れる。きっと、私の救いを求める声はまともに届いてはいないだろう。声の(てい)を成しているかも怪しい。

 

 だけど、涙で歪む視界に映る姉は、機能を失いつつある耳には届かない“何か”を必死に叫びながら私に向かって駆けだそうとしてくれていて、それを周りの人たちが必死になって止めている。

 

 ――ああ、どうしてこんなことになってしまったのだろう

 

 私はとても大きな未練を抱えながら、

 

 ――私はただ、家族と、友達と何気ない日常を過ごしていたかっただけなのに

 

 その日、液状の化け物に喰われて命を落とした。

 

 

***

 

 

 青く澄み渡った空を悠々と飛ぶ、巨大な竜。緑豊かな大地には色とりどりの花々が咲き乱れ、その周りを、人形のように小さく可愛らしい風の妖精が、笑顔で楽しそうに飛び回る。

 エルフは竪琴(たてごと)を奏で、ドワーフは(つち)を振るい、猫や犬の耳を持つ人々が、弓や槍を手に狩りをする。

 

 そんな幻想的(ファンタジック)な生き物や魔物、種族が生きる世界――それが、ここ……ディル=リフィーナ。

 

 そのラウルバーシュ大陸北西部、ユークリッド王国近郊にある巨大な地下迷宮の一角に、大きな湖がある。

 

 その周囲は岩壁で覆われており、(あり)()い出る隙間も無いが、決して暗くはない。光の精霊を宿らせた特殊な鉱石が、周囲の岩壁に設置されているためだ。

 鉱石が放つ柔らかな光が地底湖を優しく照らし、幻想的な光景を作り出している。

 

 その地底湖にいくつかある岩礁(がんしょう)の一つに、頬を膨らませて座り込む1人の少女の姿があった。

 

「……う~っ! みんなのケチ~っ! 心配性~!!」

 

 年の頃は15~16といったところだろうか。

 サイドポニーをリボンで結び、可愛らしいフリルのついたワンピースを(まと)っている、とても快活そうな少女だ。

 袖の部分が分かれており、少女の細く柔らかそうな二の腕が(さら)されているところが特徴的である。

 

 だが、何より特徴的なのは、彼女の“色”。

 髪・瞳・肌……そして服に至るまで、その全てが半透明の水色なのだ。よくよく目を凝らせば、それらが本当に()()()()()()()ことが分かるだろう。

 

「あ~っ! 早く外に行きた~いっ!! ……可愛い服とか魚じゃない生き物とか美味しいものとか着たい見たい飲みた~い!!!」

 

 眉を吊り上げ、早口言葉のように大声で欲求不満を吐き出す少女。

 一通り叫んで気が済んだのか、少女はピタリと口を閉じると、わずかに間をあけて大きく溜息をついた。

 

「……はぁ……みんなが言っていることはわかるし、心配してくれてるのは嬉しいけど……それでも心配しすぎだよ……私、もう充分自分の身を護れる力を身につけたと思うんだけどなぁ……」

 

 少女がそう(つぶや)いた直後、少女の周囲――地底湖の水面が一斉(いっせい)に持ち上がり、まるで生き物のようにバラバラに動き出す。

 

 ――あるものは、刃を形作って空気を斬り裂き

 ――あるものは、無数の触手へと変わり、鞭のようにしならせ

 ――またあるものは、(えら)(うろこ)に至るまで精緻に魚を描き、宙を泳がせる

 

 それらは、水を(つかさど)る彼女の意思によって生まれ、操られていた。

 

 少女は人ではなかった。水精(みずせい)と呼ばれる、水の精霊の1種だったのである。

 

 

***

 

 

 少女――水精リウラは、この地底湖で生まれた。

 この地底湖で最年少であるリウラは、同じ水精である姉達に囲まれ、日々、何不自由なく幸せに暮らしていた。

 

 ある時、そんな彼女に転機が訪れた。

 

 地底湖の外が出身の水精達が、外の世界のことをリウラに話してくれたのだ。

 

 木々や草花……街や村……城や店といった建物……様々な種族、精霊、動物、魔物……そして、彼らが作り出した美しい衣服や装飾品、美味しい飲み物……彼女達が語る話は、瞬く間にリウラを魅了した。

 

 話を聞いたリウラはすぐにでも外の世界に行きたがったが、姉達全員が必死にリウラを止めることになった――なぜか?

 

 地底湖の外は、人間族と魔族が戦争を繰り広げていたからだ。

 

 近年急速に力をつけた1人の魔族が数多(あまた)の魔族・魔物を従えて、小国を1つ滅ぼし、そのまま隣の人間族の国家へと侵攻。

 現在は、(くだん)の魔族――世間では“魔王”と呼ばれている――側が劣勢で、迷宮の下層に押し込められているようだが、決してリウラ達の住処がある上層が安全という訳ではない。

 

 リウラはそれを聞いて思った。

 

(じゃあ、自分の身を守れるだけの力を身につければいいじゃない)

 

 以来2年半、外出許可を得んが為、隠れ里一の実力者たる水精を師に仰ぎ、彼女の開いた口が塞がらない程の凄まじいスピードでリウラは自身の戦闘力を高め続けているが、成果は芳しくない。

 比較的安全な地底湖の外周……それも水辺限定で外に出る許可を、つい最近、ようやくもぎ取ってこれたところである。

 

 しかし、それも無理からぬこと。そもそもこの地底湖は、この戦争を回避するために造られた“水精の隠れ里”なのだ。

 

 迷宮を流れる川底から、水を操って岩盤をくりぬき、分厚い岩盤で覆われた地底湖を築くのは、想像以上に大変なことだ。

 多くの水精達が“戦争に巻き込まれたくない”、“戦争から仲間を護りたい”という強い意志を持ち、力を合わせたからこそ成し遂げたのだろう。

 

 そんな姉達からすれば、戦争真っただ中に大切な妹を放り込むなど、できる訳がない。

 リウラもそういった背景は理解しているし、姉達が自分を大切にしてくれていることはとても嬉しいと思う。

 

 しかし、それでも……それでも、リウラは外に行きたかった。

 胸の内から湧き出る衝動を抑えることが、どうしてもできなかったのだ。

 

 “色々なところを見て回りたい”、“可愛らしい服や装飾品を身につけたい”、“美味しいものを口にしてみたい”――外の世界を求める情熱は治まるどころか、時が経つにつれてより強く激しくリウラの中で燃え上がる。

 その思いは、もはや“決意”と呼んでも差しつかえないほどに強くなっていた。

 

 

 ――ドボォン!!

 

 

 リウラがひとしきり訓練がてら水を操作して遊んでいると、突如(とつじょ)水に岩でも放り込んだかのような大きな水音が聞こえた。

 

 リウラは驚きに目を大きく開くと、音のしたほうに振り向く。

 その眼には何も変わったものは映ってはいないが、リウラの感覚に引っかかるものがあった。

 

 地底湖を覆う岩壁の外側……位置からして水面下に、リウラよりも遥かに小さな魔力を感じる。

 その激しく乱れている様子から、魔力の持ち主が溺れていることに思い至ったリウラは、考える間もなく地を蹴って地底湖へ飛び込み、水面下にある出口から外へと飛び出していた。

 

 ものの数秒で魔力の近くまで泳ぐと、そこには激しくもがく人型の生物がいた。

 背丈はリウラよりも10cmは低いだろう。どうやら幼い子供のようだ。

 

 リウラは子供の真正面から近づき抱きかかえようとするが、子供は溺れるあまり、必死に両手両足を使って、がっしりとリウラの両腕ごと胴を抱え込んだ。

 火事場の馬鹿力でも出ているのか、リウラがどんなに力を入れても子供の手足は外れる様子がない。

 

 だが、水の精霊であるリウラに呼吸は不要なので溺れることなどあり得ないし、例え手足が動かなくても、水を操れば泳ぐことは造作もないことである。

 リウラはしがみつかれたまま、周囲の水を操って急上昇し、水面まで一気に泳ぎきる。

 

「ぶはっっ!! はあっ、はあっ、はあっ……!」

 

 子供は水面に出ると同時に必死に呼吸を始めた。

 リウラはそれを見て目の前の子どもが助かったことを理解すると、ほっと息をついた。

 

 突如訪れたトラブルが落ち着いたことで、目の前の子どもを観察する余裕がリウラに生まれる。

 

「女の子……?」

 

 リウラが助けた人物は、美しい金髪を頭の両脇で結び、短めのツインテールにした10歳くらいの女の子だった。

 先程まで溺れていたことで苦しそうに表情が歪んではいるものの、それでも顔立ちが整っていることがはっきり分かるほどの美少女だ。

 

(獣人族かな……?)

 

 少女の頭頂部からは三角形の耳が飛び出し、背にはコウモリのような翼がある。

 また、リウラの胴には少女のものであろう尾が巻きついている感触があった。

 

 姉達の話だと、“獣のような耳や羽・尻尾が生えている人型の生物”が獣人族のはずだった。

 リウラが見たことのある“獣”など、魚かコウモリぐらいだが、特徴には当てはまっているように見える。

 

 少女は息が整い落ち着いてきた様子を見せると、ギュッと(つむ)っていた目をゆっくりと開く。

 美しい紅の瞳がリウラに焦点を結んだ。

 

「大丈夫?」

 

 リウラが心配そうに問いかけるが、少女はリウラをじっと見つめたまま反応を示さない。

 

(うっ……こういうときはどうすれば……)

 

 想定していたものとは異なる反応を返され、リウラは戸惑う。

 外の世界では奇妙に思われることを自分はしてしまったのでは……そんな心配がリウラの心の中で鎌首をもたげる。

 

 長い時間が経ったかのようにリウラには思われたが、実際には数秒程度だっただろう。

 しばらくリウラの瞳を見つめていた少女は、急に瞳に涙を浮かべ、顔を歪ませると、リウラの胸に顔を埋めて大声で泣き出した。

 

「ちょっ……!? ちょっと、どうしたの!?」

 

 問いかけるも、少女は答えずに、ただわんわんと涙を流すだけだ。

 

 “溺れかけたことが、よほど怖かったのだろう”と、あたりをつけたリウラは少女が落ち着いて座れる場所を探すため、近くの岸を目指してゆっくりと泳ぎ始めた。

 

 途中、リウラは水を使って自分のものとそっくりな腕を1本作り上げると、おそるおそると、だが優しくゆっくりと慰めるように少女の頭を撫でた。

 

 

 ――少女は、より強くリウラにしがみついた……まるで、親を亡くした子供のように

 

 

 リウラが助けた少女は、いったいどこから来たのか。

 そして、何故こんな人里から遠く離れた辺鄙(へんぴ)な場所で溺れていたのか。

 

 話は、数日前にさかのぼる……。

 

 

***

 

 

 ――まおーさまの魔力が消えた

 

 少女の整った顔が瞬時に青ざめる。

 

 輝くような金髪から飛び出た、濃い焦げ茶色の猫耳は、少女の心の乱れを表すかのように忙しなく震え、背から生える小柄な蝙蝠の翼は、その緊張を表すかのようにピンと広げたまま動かない。

 

 その紅い瞳は主人を失う恐怖に慄いており、スカートの下から伸びた猫のような尾は、本来ならば柔らかくなだらかであったであろう、耳と同色の毛を逆立てていた。

 

 魔王がその強大な魔力を用いて、手ずから魂と肉体を創り上げた使い魔……それが彼女だった。

 生まれて間もないが故に未だ脆弱(ぜいじゃく)ではあるものの、魔王の娘とも呼べる彼女の潜在能力は測り知れない。

 本来ならば、彼女はすくすくとその身を成長させ、魔王の(かたわ)らでその絶大な能力を振るい、人間達を絶望の底に叩き落としていたはずだった。

 

 しかし、状況は彼女が育つまで待ってはくれなかった。

 人間族の国家が連合を組んだことで戦争は急速に激化し、魔王は彼女に(かま)う余裕もなく追い込まれることとなったのである。

 

 その辺をうろつく魔物にすら戦闘力で劣る今の彼女は、前線から遠く離れた浅い階層で、ただ主の無事を祈ることしか許されなかった。

 

 そして今、主人と魂で繋がっている彼女は、その独自の感覚から明確に魔王の異常を察知した。

 いつも感じることができた絶大な魔力が、まるで何かに遮断されたかのように急に感じることができなくなってしまったのだ。

 

 魔王が死ねば彼女も生きてはいられないため、魔王が存命であることだけは確かだが、このまま何もしなければ、本当に魔王が命を落としてしまうかもしれない。

 

 かつてない危機感を覚えた少女は慌てて立ち上がると、藍色でシンプルなデザインのキャミソールドレスを(ひるがえ)し、今にも消えてしまいそうなほど弱々しくなってしまった主との繋がりを辿(たど)りながら、魔王がいるであろう場所を目指して必死に走り出した。

 

 自分が魔王を助ける、という使命感を胸に宿して。

 

 

***

 

 

 ――地下530階

 

「……覚えて、おくがいい。私は、滅びるわけでは、ない。いつか必ず(よみがえ)り、復讐を……果たすであろう」

 

 凄まじい恨み、憎しみが込められたどす黒い怨念。

 それを、地の底から響くような声で目の前に群がる人間達に叩きつけた後、人間族から“魔王”と呼ばれ、恐れられた1人の魔族は(まぶた)を閉じた。

 

 深い沈黙が下りる

 

 各国から集められた人間族の精鋭達は動かない……いや、()()()()

 凄絶な呪いの予言を放った魔王の、人間族よりも何倍も大きな巨体を見つめ、構えたまま、彼らはまるで石の彫像にされたかのように動けなかった。

 

 それ程までに、魔王が言い残した不吉な予言が恐ろしかったのだ。

 

 やがて、1人の端正な面持ちの金髪の青年――ゼイドラム王国の勇者 リュファス・ヴァルヘルミアが剣をブンと振るって血糊(ちのり)を落とし、高々と剣を掲げて大音声(だいおんじょう)を上げた。

 

「勝利の(とき)を上げよ!! 我ら、人間族の勝利である!!」

 

 一拍(いっぱく)の間をおいたのち、その場に音の暴力とでも言うべき歓声が上がった。

 

「勝った~!! 勝ったぞ~!!!」

 

「生きて、生きて……帰れる~~ううぅぅぅぅ…………!!」

 

「勇者様、ばんざーい!!!!」

 

 兵士達は涙を流し、抱き合って自分達の勝利を噛みしめている。

 その様子を確認した後、リュファスは共に最前線で魔王と戦った各国の勇者、そして彼らに準ずる実力を持つ者達を集め、厳しい面持(おもも)ちで会話を切り出した。

 

「まさか、最悪の予想が当たるとはな」

 

「『いくら倒しても転生し、回遊する魔神がこの迷宮に出現する』という噂を聞いていたから、ひょっとしたら、とは思っていましたが……まさか、本当にこの魔王がそうだったとは……」

 

「この場所に追い込んだのは大正解だったということか……なら、予定通り魔王を此処(ここ)に封印することにしよう。シルフィーヌ、頼めるか?」

 

「構いません。この迷宮に最も近いのは我が国ですし、なにより、魔王を封印できるだけの魔力を持つのは私だけですから」

 

 そのやり取りを見た仲間の1人が、何とも言いがたい微妙な表情になる。

 

(……まぁ、ほとんど属国に近い立場からすれば、頼まれれば断れないよねぇ……)

 

 魔王を倒すために一致団結したとはいえ、各国家の協力の()り方は複雑だ。

 魔王を封印した後は、より一層、そうした関係構築に気を()むことになるのだろう。

 

 大いなる魔力を秘めた姫……ユークリッド王国第三王女シルフィーヌは、魔王封印の儀式を準備するため、周囲の兵に指示を出し始めた。

 

 

 

 

 こうして、人間族は魔王を封じ込めることに成功し、それぞれの国へ意気揚々(いきようよう)凱旋(がいせん)した。

 

 ――しかし、人間達は最後まで気づかなかった……封印される直前、魔王が自身の魂を肉体の外に逃がしていたということを

 

 

***

 

 

 あれから数日、迷宮を徘徊(はいかい)する危険な魔物を何とかやり過ごしながら、少女は魔王の位置を目指して走り続けた。

 

 そして、とうとう彼女は見つけた。

 

 極めて浅い階層でゆらゆらと彷徨(さまよ)う薄青い光の玉――その、今にも消えそうな(はかな)篝火(かがりび)が、自分の主であることを、少女は使い魔としての感覚で理解した。

 

(早く! ……早く魔力をあげないと……!)

 

 むき出しの魂となって迷宮を彷徨い続けていた魔王は、魔力が尽き、既に意識がなく消滅寸前であった。

 少女は慌てて走り寄ると、自らの魔力を与えるため、魔王の魂に向かって必死に両手を伸ばす。

 

 ――しまった……そう思った時には遅かった

 

 洞窟のように荒れた地面に足を取られ、少女の体が傾く。

 魔王の魂は、倒れこむ少女の胸に触れた途端、すぅっと砂に染み込む水のように吸い込まれていった。

 

 まるで金槌(かなづち)で思い切り殴られたかのような衝撃が胸に走る。

 

 そのショックに耐えられず、少女はあっさりと意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん……」

 

 (まぶた)を開くと、そこにはゴツゴツとした岩の天井。

 寝起きの為か、頭がボーっとした状態でむくりと上体を起こすと、まるで人形のようにスラリとした真っ白な手足と、身に(まと)う紺のキャミソールドレスが目に入った。

 

(あれ? ……小さい?)

 

 人間族で言えば10歳相当の自分の身体。生まれてからずっと一緒だったはずの自分の手足に、何故か違和感を覚えた。

 まるで、急に自分の身体が縮んだかのような……

 

 じっと自分の両手を見つめていた少女は、ふと我に返る。

 

 

 自分は、何かとても大切なことをしていなかったか?

 

 

 ――カチリ

 

 少女の頭に“魔王”の2文字が浮かんだ瞬間、少女の中にある情報が連鎖的に紐づけられ、少女は全てを()()()()……見る見るうちにその表情を青ざめさせた。

 

 

 

「私……ゲームの世界に来ちゃった……」

 

 

 

 

 

 ――姫狩りダンジョンマイスター

 

 プレイヤーが魔王となって配下の魔族を率い、迷宮を制覇していく陣取り型シミュレーションゲームである。

 

 人間族の勇者に倒され、魂だけの存在となった魔王が新たな肉体を手に入れるも、その体が脆弱な人間族のものであったため、唯一残った配下である魔族の少女“リリィ”を鍛え上げながら、配下を増やし、元の肉体を取り戻すまでを描いた、R-18の男性向けゲームだ。

 

 もう、お分かりであろう。

 その“リリィ”こそが、今途方(とほう)に暮れている、この猫耳少女である。

 

 本来ならば、虚弱な人間族の少年に放り込まれるはずだった魔王の魂……それを自らが受け入れてしまった際のショックの為か、少女――リリィは、かつてこのゲームを遊んでいた前世の記憶を取り戻してしまっていた。

 

 では、何故リリィはこんなにも顔色を悪くしているのだろうか?

 

 実は、このゲームの舞台となる世界……前世で暮らしていた世界とは比べ物にならないほど危険なのである。

 

 奴隷にされたり凌辱されたり殺されたりするのはザラで、洗脳されることもあれば、魔物の苗床(なえどこ)となることもあり、果ては魔物と合成させられ、化け物となってしまうことさえある。

 

 殺され方も実にバリエーション豊富で、生贄、呪い、悪霊に()り殺される、魔物に生きたまま食われる、通りすがりの魔神に町や村ごと滅ぼされる、etc……と()()()()りだ。実に嬉しくない。

 

 そして、さらに嬉しくないことに、現在リリィが置かれている状況の危険性は、この世界に住む一般的な人間よりも(はる)かに高かったりする。

 

 まず、見たまんま10歳児相当しかない戦闘力と、庇護者(ひごしゃ)を失ったこの状況。

 

 そこらを当たり前のように魔物が闊歩(かっぽ)するこの世界では、リリィは美味しく頂かれてしまうご飯でしかない。

 早急に護ってくれる人物を見つけなければ、いつか魔物に頭からバリバリ食べられてしまうだろう。

 

 次に、彼女の種族が睡魔族(すいまぞく)であること。

 

 睡魔族とは、前世の世界で言う夢魔(むま)淫魔(いんま)のことであり、性的行為や淫夢(いんむ)を見せることで他人の精気を奪い、(かて)とする悪魔の一種である。

 

 その特性上、異性を誘う必要があるため、他の種族とは段違いに高い容姿、そしてこの世のものとは思えぬ性的快楽を与えられる肉体を、彼女達は持っている。

 そしてそれは“性的に襲われる可能性がめちゃくちゃ高い”という意味と同義である。

 

 そして何より決定的なのが、リリィが魔王に創造された使い魔だということだ。

 

 魔族というだけで、まず、この大陸で最も繁栄している種族である人間族から敵視される。

 何しろ、本来“悪魔族全般”を指すはずの“魔族”という単語が、人間族の間では“()()()()()()()()()()()”を意味するのだから、その敵対意識は半端(はんぱ)ではない。

 

 それが、人間族の国家を丸々1つ潰した魔王が生み出した使い魔ともなれば、もはや彼女に対して抱く感情は殺意以外に無いだろう。

 

 さらに悪いことに、魔王の魂と密接に繋がるリリィは、魔王の肉体や魂に一定以上の負荷がかかった時、その影響をもろに受けてしまう特性を持っている。

 それによって生じる問題は様々だが、中でも一番切迫している問題が“魔王の肉体へかけた封印”である。

 

 実は、シルフィーヌ王女が施した魔王への封印は不完全なものであり、それを完成させるため、シルフィーヌ王女は定期的に封印を強化しに、この迷宮を訪れるようになる。

 

 そして、封印が完成してしまうと、リリィは光に包まれて消え去ることになってしまう。

 原作ではそれ以上の描写が無いため、具体的にどうなったのかは分からないが、おそらく(ろく)なことになってはいまい。

 

(どうすれば良い……!? どうすれば、私は五体満足で生き残ることができる……!!?)

 

 前世の記憶が甦ったからといって、今世の記憶がなくなる訳ではない。

 

 創造されてから1年にも満たない人生で見た、魔王が支配する魔物達や、それらが人を襲っている光景はリリィの中に生々しく残っている。

 それらの記憶が、まるで“次はお前だ”と自分に告げているように感じられた彼女は、文字通り死に物狂いで“いかに生き残るか”に全思考力・精神力を集中させていた。

 

 ――何かに集中して周りが見えなくなってしまうこと……それは、魔物が徘徊(はいかい)する迷宮で最もしてはならない事の1つである

 

 

 突然、リリィの背後から大量の液体がのしかかってきた。

 

(っ!? 何!?)

 

 液体は粘性の高いゲル状で、やや濃い目の空色をしている。

 液体は瞬く間にリリィの身体を押し倒し、全身を包み込むと、リリィの身体が逃げ出さないよう、内部への圧力を高め始めた。

 

 それは“プテテット”というアメーバ状の魔物だった。

 

 彼らは自らに接近した物質にとりつき、それが食べられるものならば溶かして養分を吸い取るという、細菌とほぼ同様の生態を持っている。

 その生態から推測できるように、知性というべきものを持たず、また、種類や個体差にもよるが、液状の身体を持っていることから、耐久力もさほど無い。

 “魔物”というくくりの中では、間違いなく最弱の部類と言って良いだろう。

 

 だが、決して(あなど)ってはならない。

 個体によってかなりの差があるが、大きなものは人間族の成人男性を丸々2~3人包み込める質量をもつ。

 のしかかられたら骨折する可能性があるし、取り込まれて全身の動きを止められたら窒息死は(まぬが)れない。

 

 そして、今まさにリリィは窒息死の危機にさらされていた。

 

(息が……! 息ができない!! 身体も動かない!!?)

 

 リリィは必死にもがこうとするが、全身にまんべんなく圧力をかけられた身体はピクリとも動かない。

 

(誰か……! 誰かたす……け……)

 

 息が続かなくなり、意識を失いかける寸前、リリィの――睡魔族の肉体は、突如訪れた生命の危機から逃れるため、リリィの意思とは無関係に本能で活動を開始した。

 

 リリィの体内の魔力が活性化し、淡い紫色の魔力光(まりょくこう)がリリィの身体を覆う。

 すると、プテテットの体から白いもやのような光が湧き出し、急速にリリィの身体に吸い込まれ始めた。

 

 ――反応は劇的だった

 

 ビクン!! とゲル状の身体が揺れると、すぐさまプテテットはリリィを吐き出しながら飛び離れた。

 リリィはせき込みながら必死に空気を取り込みつつ起き上がると、恐怖にひきつった表情で自分を襲った相手に顔を向けた。

 

 リリィが無意識に行った行動……それは、精気の吸収だ。

 

 通常、睡魔族は淫夢を見せるか、性行為を行うことで精気を吸収する。

 しかし、必ずしもそうした行為を必要とするわけではない。

 

 そうした行為は、精気を吸収しやすくする、あるいはより質の高い精気を生み出すための魔術的な儀式の意味合いが強く、魔術的抵抗力が低い相手……すなわち、精神力の低い相手から単に精気を奪うだけならば、無理に行う必要はない。

 

 プテテットのように精神力以前に知性すらない相手であれば、今リリィがして見せたように指一本動かすことなく吸収することも可能なのだ。

 

 しかし、まだ幼いリリィが行った反撃はせいぜい相手を(ひる)ませる程度の効果しかなかったようで、プテテットは反撃を行ったリリィを警戒するように距離を取りながらも、再度リリィに襲いかかる為にじわじわと距離を詰めている。

 

 10歳児の戦闘力云々(うんぬん)以前に、今まさに魔物に食べられそうになったリリィにとって“戦う”という選択肢は初めから存在しない。

 

 リリィは恥も外聞(がいぶん)もなくみっともない悲鳴を上げながら、必死になって最弱の魔物から逃げ出した。

 

 

***

 

 

 息が苦しい……足が痛い……お腹も痛い……頭が朦朧(もうろう)とする……

 

 それでもリリィは走り続けた。

 “食べられたくない”という原始的な恐怖に背中を押され、とにかく感じる気配の少ない方へ少ない方へと走り続けた。

 

 命の危機に限界以上の力を発揮してくれたリリィの身体は、10歳児とは思えないほど遠くへとリリィの身体を移動させてくれたが、とうとうエネルギーを使い果たしたようで、今のリリィはふらふらと足元がおぼつかず、“歩くよりはマシ”程度のスピードでひたすら足を前に運んでいる。

 

 ――ガクンッ

 

 ついに限界を迎えたリリィの膝から力が抜ける。

 意識を朦朧とさせつつも、反射的に手を突こうとするリリィ。……しかし、そこに床は無かった。

 

「……ぇ?」

 

 かすれた声で疑問の声を上げた時、リリィは宙に投げ出されていた。

 

 ――ドボォンッ!

 

(!!?? ……!!、!!)

 

 全身を包む水の感触――それは、先程襲われたプテテットを想起させるには充分で、リリィは一瞬でパニック状態に陥った。

 

 わずかに残された力を使って必死にもがくが、混乱した頭はどうしても“泳ぐ”という行為を身体に命令できず、彼女は徐々に徐々に水底(みなそこ)へと沈んでいった。

 

 その時、リリィの胴体に何かが触った。

 

 リリィは反射的に両手両足で“それ”に思い切りしがみつく。

 すると、リリィがしがみついた“何か”はグンと勢いよく上昇し、水面を突き破った。

 

「ぶはっっ!! はあっ、はあっ、はあっ……!」

 

 リリィは周囲に空気があることに気付くと、必死に呼吸を始める。

 そして、ある程度呼吸が落ち着くと、思い切り(つむ)っていた眼をゆっくりと開く。そこには、溺れる彼女が必死になって(つか)んだものの正体があった。

 

(水……精……?)

 

 リリィの顔を心配そうにのぞき込む、髪も肌も瞳も半透明に透き通った少女……ティエネーと呼ばれる水の精霊の一種だ。

 

「大丈夫?」

 

 (かすみ)がかかったようにうまく働かないリリィの頭の中に、じわじわと少しずつ水精の言葉がしみ込んでくる。

 そして、ある程度の時間が経ってようやく理解した。

 

 ――自分は、助かったのだと

 

 目が熱くなり、体が震え、表情が歪んでいくのが止められない。

 リリィは、自分の視界がぼやけたことに気づくと同時に少女の胸に顔を押し付け、大声で泣き出した。

 

 ――嬉しかったのだ。ただ“この命がある”ということが、何よりも嬉しかったのだ

 

 “みっともない”だとか、“迷惑をかけてしまっている”だとか、そんなことは思いつきもしなかった。

 只々(ただただ)、恐怖から解放された嬉しさに涙を流し続けた。

 

「怖がっだ……怖がっだぁぁあああ~~~!! いぎっ、だり、プデデッ、ド、でぃっ、おぞわれっ、でっ、あ゛あ゛あ゛ああああぁああああ~~~~!!!」

 

 水精の少女は慌てている様子を見せていたが、すぐにリリィをしがみつかせたまま泳ぎ始めた。

 

 途中、水精が魔力を操作するのを感じる。水を操って手でも作ったのか、ひんやりと柔らかい何かが自分の頭を優しくなで始めた。

 

 もうリリィには何も考えられなかった。

 優しく自分を抱き締め、撫でてくれる水精に感謝し、ひたすら大声をあげて涙を流すことしかできなかった。

 

 目の前の水精を求めて、より強くギュッと抱きしめる。

 リリィが水精に顔を押し付けて流す涙は、水でできた衣服の表面を輝きながら流れていった。

 

 

***

 

 

 ――あれから、1週間後

 

 水精の隠れ里――岩盤に囲まれた地底湖の岸辺にリリィの姿があった。

 彼女は(まぶた)を閉じ、猫耳をピクピク震わせている。周囲の気配や魔力を探っているようだ。

 

 ピクリ

 

 リリィの猫耳が一度大きく震えた。

 リウラの魔力が地底湖の外から戻ってきたのを感じる。

 

 気配は1つではなく、彼女が追い立てているのであろう、今回の“獲物”の気配も感じた。だが……、

 

(……?)

 

 その気配は、いつもよりもちょっと……だいぶ……いや、()()()大きい。

 

「リウラさん、いったい何を追い込んで……?」

 

 そう言って眼を開いた瞬間、湖の中央の水面が爆発した。

 

「……ふぁい?」

 

 リリィの眼が点になる。

 

 水面から凄まじい勢いで現れたのは奇妙な“魚”だった。

 

 (うろこ)は灰色、ヒレは緑色でどちらもかなり暗い色をしている。

 エラの部分からはまるで人間族の男性の腕のような太く長い器官が飛び出し、その先は大きな水かきのついたヒレになっている。

 眼がある部分にも、やや小さく短めだが、同様の器官が眼を覆い隠すように存在していた。

 

 だが、特筆すべきはそこではない。

 

 

 ――でかい

 

 

 人間族の成人男性よりもでかい。体長は軽く3メートルくらいは有りそうだ。

 おまけにリリィを一飲みにできそうなほど大きな口の中には、やたら鋭くて大きな牙がズラリと並んでいる。あれに噛みつかれたら、間違いなく骨ごと食いちぎられるだろう。

 

(……え……? ……“アレ”を狩れと……? ……私の何倍も体が大きくて、いかにも『お肉大好きです』って言わんばかりの“アレ”を狩れと……?)

 

 “魚”はすぐに水に潜ったが、リリィは視線を“魚”が潜った水面に釘付けにしたままピクリとも動かない。

 リリィがダラダラと冷や汗を垂らしながら硬直していると、チャプンと遠くの水面からリウラが顔を出した。

 

 リウラは、まばゆく輝かんばかりの満面の笑顔で口を開く。

 

「リリィ~~! 今日の獲物は大物だよ~~!!」

 

「……大物すぎるわああああああぁぁぁぁぁ!!!!!!」

 

 リリィは敬語を忘れた。

 

「何ですかアレ!? バギルじゃないですか! あんなん勝てるわけないじゃないですか!!」

 

 バギルとは、大陸西方から南方の穏やかな淡水に生息する大型の肉食魚だ。

 それも、ただの凶暴な肉食魚ではなく、下位で末席(まっせき)ではあるものの幻獣の一種に分類されている。

 

 つまり、強い。とっても強い。

 

 この魚の亜種が、溶岩や岩を()()()()デタラメなパワーと頑強な肉体を持つといえば、その強さが少しでも伝わるだろうか。

 

「でもぉ~~!! こんぐらい大物じゃないと~~!! いつまでたっても隠れ里(ここ)から外に出られないんじゃない~~!?」

 

「………………」

 

 事実だった。

 あまりに正論すぎて、リリィは言い返せない。

 

 リウラに助けられて以来、リリィは地底湖でリウラのお世話になりながら暮らしていた。

 

 水精であるリウラは食事をしなくても生きていけるが、リリィはそうはいかない。

 睡魔族は食事の代わりに他者の精気を摂取することも可能(というか、本来はそちらが主食だ)だが、恩人である水精達から精気をもらうのも気が引ける。

 

 そこで、リリィはリウラに魚を取ってもらって、生臭さに半泣きになりながら食べていたのだが、その時、リリィはふと気付いた。

 

 ――大きな魚なら、たくさん精気を持っているかもしれない

 

 精気は、日々の糧としてだけでなく、基礎的な魔力を向上させることに使うこともできる。

 簡単にいえば、レベルアップできるのだ。

 より多くの精気を吸収すればするほど、リリィは今の何倍も速く、力強く、頑丈になることができる。

 

 何もしなければ自分が死んでしまうかもしれない現状、いつまでもこの地底湖で暮らすわけにもいかない。

 だが、外には危険な魔物や人間がわんさかおり、弱いままふらふら出ていくわけにもいかない。

 リリィにとって強くなることは急務であった。

 

 そこで、リウラに頼んでリリィの身の(たけ)ほどもある大きな魚を取ってきてもらい、精気を吸収してみたところ、これがうまくいった。

 リリィの魔力が確実に強くなった手ごたえがあったのだ。

 

 精気を1日の活動エネルギーとして消費するのはもったいなかったので、その分は黙々(もくもく)と生魚を食べて補いながら、次々と魚を狩り続けた結果、今ではリウラが水で(つく)った大ぶりの剣だろうと片手で軽々振り回せるようになり、簡単な魔術まで発動できるようになった。

 今では潜水魔術を使って水中で剣を振り回し、リウラと一緒に魚を狩って生活しているほどだ。

 

 しかし、強くなればなるほど、より強くなるためには多くの精気が必要になる。

 今まで狩ってきたような魚では、リリィの魔力がほとんど上がらなくなってしまったのだ。

 

 ならば、より多くの精気を持つ……つまり、より強い獲物を狩る必要があるのは当然であった。

 リウラの判断は間違ってはいない。間違ってはいないのだが……

 

「無理いいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!!!!」

 

 だからといって『サメなんか比較にならない程、危険な猛獣がいる湖に飛び込めるか?』といえば、それは別問題だ。

 

(魔王様!! こんなとき魔王様ならどうしたんですか!!??)

 

 リリィは(わら)にもすがる思いで、己の内にある魔王の魂へと問いかける。

 

 リリィの中に入った魔王の魂、彼は少々特殊な状態にあった。

 

 通常、他人の肉体に入った魂は“元の魂と融合する”、“元の魂をかき消す”、“元の魂を肉体から追い出す”のいずれかの反応を示すのだが、リリィの場合にはそれが無い。

 その原因は魔王とリリィの関係性にある。

 

 リリィは魔王の魔力によって魂・肉体を創造された使い魔である。

 彼女はその特性として致命傷を受けると主の体内に戻り、主の魔力を使って肉体を再構成することで傷を癒すことができるのだが、その際に“主の魂と混ざり合う”なんてことは起こらない。

 主と使い魔を結ぶ魔術的なラインがお互いの魂を分ける壁の機能を果たしているためだ。

 

 そしてリリィの中にいる魔王の魂は昏睡(こんすい)状態にある。

 どうやら魔力が欠乏した状態のままリリィの中に取り込まれてから、未だに魔力が回復していないらしい。

 どうやらリリィが意図的に魔力を流さない限り、魔王の魂へ魔力は流れないようだ。

 

 これは不幸中の幸いだった。

 たとえそれが魂だけの存在であっても、リリィは魔王には逆らえない。そういう契約をリリィが創造された時から結ばれているからだ。

 もし魔王の魂が目覚めていたら、リリィは魔王の命令に従って復活のために周りの人々に迷惑をかけていたことだろう。人間としての意識が芽生えたリリィにとって、それは地獄だ。

 

 そしてもう一つの幸いが、先のリリィの“問いかけ”である。

 昏睡状態の魔王の魂にリリィが問いかけると、必要な知識や経験をリリィに返してくれるのだ。

 

 どうやら意識不明……つまり無抵抗であれば、体内にある魂はリリィが自由に操れるらしい。

 今、リリィが曲がりなりにも剣を振るえるのも、魔術を扱えるのも、魔王の知識や経験をもらっているおかげである。

 

 この特性は非常に便利で、今回のような非常事態でも“魔王だったらどう対応していたのか”という過去の経験が返ってくる。“苦しいときの神頼み”ならぬ“魔王頼み”である。

 

 リリィは、今の状況に近いような経験がないか、魔王の魂から引き出そうと眼を閉じて必死に集中するが、経験を引き出し終わって再び眼を開いた時には愕然(がくぜん)とした表情に変わっていた。

 

(……も……元々の地力(じりき)と才能が違う……!)

 

 魔王の答えは非常にシンプルだった。

 

 ――レベルを上げて物理で殴れ

 

 まず元々の能力が非常に高いせいで、ほとんど苦戦というものを経験していない。

 その上、少し訓練しただけで大幅に能力が上がるため、難敵(なんてき)に当たってもあっという間に敵の能力を追い越してしまう。

 こんな経験、今のリリィの置かれている状況の役に立つはずがない。

 

 リウラは泳いでリリィに近づきながら、気楽な調子で言う。

 

「私がサポートしたげるから、大丈夫大丈夫!」

 

「じゃあ、リウラさんが狩って下さいよ! 私には無理です!」

 

「それじゃあ、リリィの経験になんないじゃん」

 

「私は精気だけもらって強くなったら、もう少しレベルの低い相手からチャレンジします!」

 

「……言いたいことは分かるけど、外はもっと危険らしいよ~。こんなのじゃ相手にならないのがわんさかいるってみんな言ってるし」

 

 これも事実である。

 リリィの前世の常識からすれば有り得ないほど恐ろしい力を持つバギルだが、この世界では雑魚も同然だったりする。

 この程度、簡単に倒せるようにならなければ、隠れ里から外には出られないのだ。

 

 また、強力な相手とぶつかる(たび)にもたもたしていたら、封印が完成してしまうかもしれないし、格下とばかり戦っていたら、いざ格上と出会った時にあっさり死にかねない。

 リウラの意見はどこまでも正しかった。

 

 ちなみに、リウラがバギルを見ても怖がらないのは、別に彼女の度胸が優れているから、という訳ではない。

 単純に()()()()()()()()のだ。

 

 バギルに限らず水棲(すいせい)生物は基本的に水精を襲わない。

 周囲の水を自在に操るだけでなく、一時的に自身を液状化できる彼女達を襲うことは、水中を生活圏とする彼らにとって困難極まりなく、他の獲物を探して襲うほうが何倍も簡単だからだ。

 

 加えてリウラ達水精はこうした巨大な肉食魚を絶えずよく目にしているため、それが恐ろしいものだという意識が彼女には無い。

 猫が共に育った大型犬を見ても恐れないようなものである。

 

 リリィはリウラの言葉に(うな)りながら頭を抱えている。

 恐怖をこらえて戦うことが正しいと理解しつつも、どうしても怖くて足が踏み出せないようだ。

 

 そんなリリィを見ながら、リウラはリリィと出会った時のことを思い出す。

 

 

 

『……私は、強くならなくちゃいけないんです……!』

 

 

 

 リリィの親は魔王軍に属していたが、戦争に行ったきり帰ってこなくなり、現在彼女を保護してくれる人はいないらしい。

 詳しくは教えてくれなかったが、すぐに強くならなければ、彼女自身の命が危ないという事情も話してくれた。

 

 それはおそらく事実だろう。

 でなければ、こうして半泣きになりながらリリィが恐怖心と戦っているはずがない。

 

 そして、その事実は何故か深くリウラの心を絞めつけた。

 

 “親がいない”という彼女の不幸に、深く同情した。

 “強くなりたい”という彼女の想いに、深く共感した。

 

 リリィの想いが、まるで自分の想いであるかのように感じられた。

 

 これは初めての経験ではない。

 姉達から“外”の情報を得る際に、こうした他人の不幸話を聞くこともある。

 その中でも、“親がいない”、“強くなりたい”といった内容に、異常なほどリウラは涙もろかった。

 

 いったい彼女に何があったのか……リウラはそれを知りたいと思う。

 そして、この愛らしい隣人(りんじん)の心を支えてあげたいと思う。

 それは、同情心以外の何物でもなかったが、リウラの心の底からの願いであった。

 

(……いつか、全部話してほしいな……)

 

 リウラは岸に上がると、リリィを背後からそっと抱きしめる。

 

「リウラさん……」

 

 リウラに抱きしめられたリリィは少しずつ落ち着いてゆき、こわばっていた全身から力が抜けてゆく。

 

 明るくて、元気で、優しくて……親を亡くして辛い思いをしているはずなのに、そんな様子を微塵(みじん)も見せず、前を向いて一生懸命頑張っている、そんな彼女がリウラは大好きだった。

 

 容姿も反則なまでに可愛いし、抱きしめたら甘えてくれるところなんて、身悶(みもだ)えするほど愛らしい。

 

 わずか1週間程度の付き合いだが、リウラはリリィの事を家族のように感じていた。もはや、リリィの居ない生活など考えられない。

 

 だからリウラは、リリィのために全力を尽くす。

 具体的には……、

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ギュッ!!

 

「へっ?」

 

 背後からリリィの両腕ごと抱きしめる体勢になっていたリウラ。

 突如、彼女の抱きしめる力が強くなる――それも、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……リリィ……一緒に頑張ろう!」

 

「……えっ? ……いったい何をで……!?」

 

 ドボオオオオォン!!

 

 リウラは、リリィが逃げられないようにしっかり魔力をこめた腕で思い切り抱きしめたまま、リリィもろとも猛魚の待つ湖へと飛び込んだ。

 

 ――それは、リリィにとって()()()()()()()()が如き暴挙(ぼうきょ)であった

 

 

***

 

 

「いいですか? しっかり押さえておいてくださいよ? 絶対ですよ? もし放したら許しませんからね?」

 

「……うん、大丈夫。しっかり押さえてる」

 

「……」

 

「……その……ごめん。本当にごめんなさい……」

 

「……」

 

 今、リリィ達がしているのは、バギルの治療だ。

 

 リリィが毎日魚を食べているとは言っても、精気を奪った魚を(かた)(ぱし)から全て食べているわけではない。

 必要な分以外の魚は、精気を奪った後、狩る際についた傷を癒してから元の場所にリリースしていた。

 

 リリィはバギルの体表に淡い紫色の魔力光がともった両手をかざしている。

 リリィの治癒魔術を受けたバギルは、傷が薄くなるにつれて次第にビチビチと力強く暴れ出すが、リウラが作った水の鎖でぐるぐる巻きにされているため、その力強い尾びれでリリィを跳ね飛ばすようなことにはならなかった。

 

(…………嫌われちゃったかな……)

 

 リウラの眉は先程からハの字に下がったままだ。

 

 あの後、リウラのフォローを受けながらなんとかバギルを仕留(しと)めたリリィ。

 リウラの予想通りバギルの精気はリリィをレベルアップさせるには充分で、リリィの魔力は先程までとは比べ物にならないほど強くなった。

 方法は間違ってはいなかったのだろう。だが、そこにリリィを送り出す過程がまずかった。

 

 リウラはリリィを怒らせるつもりも不必要に怖がらせるつもりもなかった。

 ただ、リリィを戦わせてあげることがリリィの為になると思い、その考えに至った瞬間、思いつくまま行動に移っていただけなのだ。

 

 しかし、その行動はリリィにしてみれば“自分の命を脅かすものがいる場所へ、身動きを封じられたまま突き落とされた”こと以外の何物でもない。怒らないほうがおかしい。

 陸に上がったリリィから怒鳴(どな)られるまで、そのことに思い至らなかった自分が嫌いになりそうだった。

 

「……はい、終わりましたよ」

 

「……あ、うん……」

 

 リウラが悩んでいるうちに、バギルの治療は終わっていた。

 

(……とりあえず、これを放してこよう……)

 

 リウラは、その華奢(きゃしゃ)な肩を落としながら、湖へと歩いていく……激しく暴れる体長3メートルの怪魚を引きずりながら。

 

 とぼとぼ……ずりずり(ビッチンビッチン)……とぼとぼ……ずりずり(ビッチンビッチン)……

 

 ――シュールだった。そして意外と力持ちであった

 

 リリィはそんなリウラの様子を見て、自分の怒りが霧散し、頭が冷えていくのを感じていた。

 

 リウラがリリィの事を思って先の行動に出たことは理解している。

 その後の狩りでも、しっかりとリリィのフォローをしてくれていたし、そこは疑いない。

 

 リウラの思い込みの激しい行動は、たしかにリリィにショックを与える思いやりに欠ける行動ではあったものの、その動機はリリィの将来を心配してのものだ。

 

 そもそも、リウラが魚を追い込んでくれるのも、湖に住まわせてくれるのも、リウラの好意であって義務ではない。何から何までリウラの世話になっておきながら、さっきの態度はなかったのではないか……リリィの心に少しずつ罪悪感が湧いてくる。

 

 すぐにその罪悪感に耐えられなくなり、リリィは衝動的にリウラに声をかける。

 

「……リウラさん!!」

 

 ピクリとリウラの肩が動き、振り返る。

 リリィは、気まずさにリウラから視線をそらしつつ、続ける。

 

「……その……さっきは言いすぎました……ごめんなさい」

 

「それと……ありがとうございます。怖がっている私の背中を押してくれて……一緒に戦ってくれて……いきなり湖の中に飛び込んだのは怖かったし、ショックだったけど……でも、私の事を考えてくれたのは、うれしかったです」

 

 リリィの(そば)にリウラがいてくれるだけで、リリィは心から安心することができた。

 それは先のバギルとの戦闘でも変わらない。

 

 震えあがるほどに恐ろしかったが、最後まで向き合って戦えたのはリウラが傍にいてくれたおかげだ。

 もしリウラが一緒に戦ってくれなければ、リリィは脇目も振らずに一目散(いちもくさん)に陸上へと逃げていただろう。

 

「それと……その……」

 

 リウラが“リリィに嫌われたかもしれない”と思っているのは、そのわかりやすく落ち込んだ表情を見れば一目瞭然(いちもくりょうぜん)だ。

 ならば、その不安を取り除くため、リリィの正直な思い……リウラへの好意を伝えなければならない。

 

 リリィは、ついこの間の出来事を思い出す。

 

 

 

『……大丈夫! 私がリリィを護ってあげるから!!』

 

 

 

 リリィがリウラと暮らして2~3日経った頃、自身の置かれた状況をリウラに話すと、彼女は真剣な瞳でそうリリィに言ってくれた。

 

 その自信に満ちた笑顔と、なんの疑いも躊躇(ためら)いも無く『リリィを護る』と言いきってくれたリウラを見て、リリィがどれほど安心したか。どれほど心強かったか。どれほど……うれしかったか。

 

 あの瞬間、リリィにとって、リウラはかけがえのない大切な人になったのだ。

 

 それを率直に口に出そうとして……気恥ずかしさに言葉が止まった。

 リリィの頬が徐々に赤みを()びていき、真っ赤になってゆく。

 ややあって、恥ずかしさを振り切り、リリィは再度口を開く。

 

「いつも傍にいてくれて……ありがとうございます。私……リウラさんのこと、大好きです」

 

 リリィが沈黙すると、静寂が訪れた。

 二人の耳に届くのは、ビッチンビッチンという、怪魚の跳ねる音だけだ。

 

 少し不安になったリリィが視線をリウラに戻すと、リウラは肩を震わせていた。

 顔を(うつむ)かせているため、その表情は読めない。

 

「……か……」

 

「か?」

 

「……可愛いいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃイイイイイイイイイ!!!!!」

 

「うわきゃぁぁああああああ!?」

 

 リウラは勢いよくリリィに抱きついた。

 ものすごく良い笑顔で、リリィの胸にこれでもかというほどグリグリ頭を擦りつけている。

 

「こっちこそごめんね! リリィの気持ちを考えずに、あんなことしちゃって! 私も、リリィの事大好きだよ!」

 

「わ、わかりましたから! 充分伝わりましたから! だから離れてください!!」

 

「リリィ~~! 好き~~!!」

 

「リウラさ~~ん!?」

 

 リリィは困っているものの、その表情はまんざらでもなさそうだ。

 猫耳もぴくぴくと嬉しそうに動いている。

 

 リリィは途中から説得することを諦め、身体から力を抜くと、リウラが満足するまで彼女の好きにさせることにした。

 

 

***

 

 

「じゃあ、これ、元の所に戻してくるね!!」

 

 リウラはほっぺをつやつやとさせながら、笑顔でバギルを引きずりつつ、湖へと飛び込んでいく。

 

 バギルは長時間陸上で放置された結果、酸欠を起こしたらしく、口をパクパクさせながら時折力無くエラを動かすばかりだ。もう、跳ねる元気も無いらしい。

 それでも何とか生きていられるのは、幻獣の面目躍如(めんもくやくじょ)といったところか。

 

「はは……行ってらっしゃい……」

 

(元気だなぁ……それが良いところなんだけど)

 

 リウラのハイテンションな行動と言動に、リリィは少し疲労を感じていた。

 だが、ここでだらけるわけにはいかない。すぐに、リウラが次の獲物を追い込んでくれるからだ。

 

 リリィは左手で水の大剣を拾い上げると、気を引き締める。

 

「え?」

 

(……これは……魔術の気配?)

 

 リリィが魔力の異常を感知した瞬間、泳いでいるリウラの前方に巨大な魔法陣が現れた。

 輝きを増しつつあるその魔法陣を読み解き、その内容を理解したリリィの背筋がぞわりと震える。

 

「えっ!! えっ!? 何これ!?」

 

 リウラは驚いてはいるものの、その危険性にまるで気付いていない。あれは……

 

 

 ――あれは、大型の魔物を召喚するための魔法陣だ

 

 

「リウラさん逃げて!!」

 

 リリィが叫ぶ。

 すると、リウラの眼前で魔法陣の輝きが爆発するように溢れ出し、光と共に巨大な龍のような魔物が現れた。

 

(サーペント!!)

 

 それは、“サーペント”と一般に呼称されている、東洋の竜とヤツメウナギの合いの子のような姿をした、大型の水棲生物。

 

 水蛇(すいだ)とも呼ばれるこの生物は、水竜の一種としても扱われることがある程の強力な魔物だ。

 バギルはリウラのサポートがあれば余裕を持って狩ることができたが、この魔物の強さはケタが違う。

 リリィとリウラが力を合わせたところで、絶対に勝てない。選択肢は“逃走”以外にあり得ない。

 

 リリィが叫ぶも、リウラは何が起こったのか分かっていない様子で、ぽかんと静止したままだ。

 あまりにも突飛(とっぴ)な出来事が突然起こったことで、頭が真っ白になっている。

 

 そんな彼女に、水蛇は容赦なく襲いかかった。

 

(……あれ?……)

 

 リウラの目の前に大きく口を開いた大蛇が迫る。

 バギルであろうと軽々と一飲みにできるであろう巨大な口に、ズラリと生えている牙が、やけにスローモーションに見える視界で徐々に彼女へと近づいてくる。

 

(……私……もしかして……死、)

 

 リウラが自分の“死”を意識しかけたその時、

 

「ぅ………………わぁぁあああああああああああアアアアアアアッッッ!!!!!」

 

 水蛇の頭が大きく後ろに吹き飛んだ。

 

 気がつくと、リウラの目の前に翼を大きく広げたリリィが居た。

 全身の魔力をこめた右の拳を振りぬいた彼女の姿勢を見て、“水蛇の鼻先を殴りつけたのだ”と、後から状況を理解する。

 

 水蛇は片方にそれぞれ2つずつある大きな丸い目玉でギロリとリリィを(にら)むと、すぐに標的をリリィへと変えて牙をむく。

 

 リリィはすぐに魔術を使って自身の前面に防御用の障壁を展開する。

 リリィが前方に手をかざすと、その先にリリィよりも二回りは大きい、紫に輝く魔法陣の壁が現れるが、

 

(!? 重っ!!)

 

 展開した障壁ごと湖の中へ押し込まれた。

 

「リリ……がっ!!??」

 

 リリィを湖に押し込んだ際に、うねらせた水蛇の胴体が、リウラを大きくはね上げ、岩壁へと叩きつけた。

 

 そのまま地面へと叩きつけられた彼女は肘をついて、なんとか立ち上がろうとする。

 

「っ!! ……くぅっ!! ……リ……リィ……」

 

 だが、立ち上がれない。

 

「早く……!! 早く助けないと!!」

 

 立ち上がれない。

 

「なんで!? なんで、立てないの!!??」

 

 立ち上がれない理由は叩きつけられたダメージだけではなかった。

 リウラの全身が、ぶるぶると音がするのではないかと思えるほど大きく震えていたのだ。

 

「う……ごいてぇ……!!」

 

 リウラが必死に願うも、彼女の身体は言うことをきかない。

 ならば、と周囲の水を操作して湖の中に自身を放りこもうとするが、乱れ切ったリウラの精神は、自身の魔力を思い通りに操作させてくれない。

 

「なんでぇ……、なんでできないの……?」

 

 リウラの瞳から涙がこぼれる……本当は理解していた。

 

 ――恐怖心

 

 それがリウラの行動を縛る強力な(かせ)となっていた。

 

 リウラは、リリィを助けよう、助けに行かなければ、と必死にもがき続ける。

 リウラは、猛魚(もうぎょ)のいる湖に落とされたリリィの気持ちを、今、ようやく理解した。

 

 

 

 



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第一章 家族 中編

前話を読んでくださった皆さん、お気に入りに登録してくださった皆さん、そして感想をくださった皆さん、ありがとうございます! とても嬉しいです!


 リリィは湖に押し込まれると同時に、潜水魔術を発動させる。

 

 身体全体に薄い膜がぴったりと張りついたような感覚を感じた直後、リリィにかかる水圧と感じられる水の冷たさが急激に減少し、水中であるにもかかわらず呼吸ができるようになる。

 

 視界がゴーグルをかけているかのようにクリアになると同時に、リリィは周囲の水を操作して右に素早く移動し、水蛇(すいだ)の突進をいなすことに成功した。

 

(……はは……リウラさんの特訓、大正解だったね……)

 

 “怪獣”と呼べるほど巨大な生物を前に、震えながらも(かろ)うじて行動できているのは、まぎれもなくバギルとの戦いの経験のおかげだった。

 あの戦いを()けていれば、恐怖心にとらわれたリリィはリウラを救うことができず、永遠に失うことになっていただろう。

 

 リリィはすぐに水面に向かって上昇を始める。

 サーペントは水中もしくは水上でしか活動ができない。だから、空中もしくは陸上に上がってさえしまえば、逃げることはそう難しくない。

 

(!!)

 

 しかし、すぐに回り込まれてしまった。

 龍のような巨体からは考えられないほどのスピードだ。流石は水棲(すいせい)生物といったところか。

 

 だが、気になるのはスピードよりも……

 

(……こいつ……頭を使ってる……?)

 

 通常であれば、追いつけるスピードがあるのなら直接背後からリリィを襲うはずである。

 それをせずに回り込むということは、“リリィを水中から逃がさない事”が一番重要であると理解していることを示している。

 

 本能のなせる(わざ)か?

 リリィは“違う”と気づいた。

 

(最初……こいつは、()()()()()()()()()()()()()()

 

 “直接危害を加えるなどの特殊な例外を除き、水棲生物は水精(みずせい)を襲わない”。それは、魔王の魂の知識にもある常識だった。

 もし、襲ってくるとするならば……

 

(誰かに操られている……もしくは、命令されている……!!)

 

 召喚用の魔法陣から現れたことも、その推測を裏づけている。

 この水蛇は、誰かの使い魔だ。

 

 リリィは水の大剣を正眼(せいがん)に構えると、この事態を解決するために必死で頭を回転させる。

 

(まずは、水中から抜け出さないと……)

 

 リリィの潜水魔術は、水中における呼吸・発声や、水流操作による移動及び視界確保など、多数の機能を常時発動させている。そのため、水中にいるだけで多くの魔力を消耗してしまうのだ。

 このままリリィを湖の中に(とど)めておくだけで潜水魔術の効果が切れ、リリィは溺死してしまう。

 

(まずは……相手を(ひる)ませて、その横を通り抜けてみる!!)

 

 リリィは剣を肩から(かつ)ぐように構え直すと、水蛇の眼に向かって突っ込んだ。

 

 すると、水蛇もリリィに向かって突進を始める。

 狙いがずらされ、水蛇の口がリリィを噛み殺そうとするが、そうはさせじとリリィは身体を横にずらしながら、目の前に来た水蛇の上顎(うわあご)に斬りつける。

 

 ゴッ!

 

 リリィは危うく取り落としそうになった大剣を慌てて握り直す。

 その巨体から繰り出される恐ろしいほど重い突進に、思い切り魔力を込めたはずの両腕はじんと痺れが走っていた。

 

(硬い……!!)

 

 まるで(なまり)を全力で殴ったかのような手ごたえだ。リウラが(つく)った水剣程度では、まともに傷がつかない。いや、折れなかっただけ、まだマシというものか。

 

 リリィの眼前でうねった水蛇の胴体がリリィを打ち()えようと(せま)り、すんでのところで回避するも、その隙にまたリリィの上方を水蛇に陣取られてしまう。

 

 リリィの表情には明確に焦りの色が浮かんでいた。

 

 

***

 

 

「……早く……!! ……早く……!!」

 

 リウラは湖へずりずりと()いながら進む。

 リウラの頭の中はリリィを助けることでいっぱいだ。少しでも早く、と必死になって腕と足を地面に(こす)りつけながら前へ進んでいく。

 

「……あと……!! ちょっと……!!」

 

 もうすぐ岸に手が届くというところで、その手がリウラと同じ半透明の腕に(つか)まれた。

 

「!? ティア!!」

 

 リウラの手を掴んだのは、どこかの貴族のように立派な意匠(いしょう)の水のドレスを着たロングヘアーの水精だった。

 

 彼女はリウラが生まれる直前に隠れ里の外からやってきた水精の1人で、見た目は20代中頃と大きく(とし)が離れているものの、実はリウラと(おな)(どし)である。

 そのため、最も(とし)近く、親しい姉として共に育ってきた存在だった。

 

「お願い、私を湖に入れて! リリィが危なくて! 助けなくちゃいけなくて! だから!!」

 

 焦ったリウラの要領を()ない説明を聞いていないのか、ティアと呼ばれた水精は何の反応も見せることなくグイとリウラを引っ張り上げて肩を貸すと、()()()()()()()()()()()歩き始めた。

 

「ティア!? 聞いてるの!? 私はリリィを助けなくちゃ――」

 

「諦めなさい」

 

 (かぶ)せるように言われたティアの一言に、リウラの思考は固まった。

 

 やがてじわじわと言葉の意味が染み込んでくると、リウラはズンと腹の底が重たくなったような感覚に襲われる。

 

「何を……言って……?」

 

「『私たちでは助けられない』と言っているの」

 

 有無を言わさない力が込められた一言だった。

 

「あれがどれだけ恐ろしい魔物なのか、あなたは理解したはずよ。ここにいる水精全員が(たば)になってもあれには(かな)わないわ」

 

「倒せなくてもいい! リリィを助けることができれば……!!」

 

「どうやって? 言っておくけど、あなた程度の攻撃じゃ、あの魔物を怯ませることすらできないわよ? おまけにあの大きな身体でリリィの泳ぐスピードを軽々と追い抜いてるから、逃げることもできないわ」

 

 リリィの扱う潜水魔術は非常に優れている。水を(つかさど)る精霊であるリウラが泳ぐ速度と比較しても何ら劣ることはない。

 その速度を軽く上回るのであれば、リウラが向かったところで、逃げることなど不可能だ。

 

「何とかする! 私が何とかするから! だから私を湖に戻して!!」

 

「そういうセリフは、まともに身体を動かせるようになってから言うことね」

 

 “これ以上の問答は無用”と、ティアは歩くスピードを上げて、リウラを引きずってゆく。

 

 淡々(たんたん)と事実だけを述べてリリィを切り捨てたティアだが、彼女は決して冷血漢という訳ではない。

 

 リウラは考える前に行動することが多いため、そのつもりが無くてもリリィへの対応が雑になることがしばしばあった。

 そんなときに()ぐにフォローしてくれたのがティアだ。

 この一週間、ティアはリリィを仲間の水精達と同じように扱ってきた。だから、リリィがとても良い子であることをティアも良く知っているし、ティア自身リリィのことを好ましく思っている。好きで見捨てるわけがない。

 

 そして、そのことはリウラもよく理解している。

 だからこそ、信じられない……いや、信じたくないのだ。“()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ティアが歩く方向に何があるか、リウラは思い出す。

 緊急時に避難するための隠し通路だ。そこから地底湖を出てしまえば、もうあの水蛇は追いかけて来られないだろう。

 

 リウラの命は保証される……だが、それは同時にリリィを見殺しにすることも意味していた。

 

 ――ティアの歩みが止まった

 

「……リウラ……何のつもり?」

 

 リウラが両足を()()ってティアの歩みに抵抗していた。

 いつの間にか、リウラの身体の震えは止まっていた。

 

「リウラ。こっちへ来なさい」

 

「嫌」

 

 迷いのない即答。

 ティアは眉をひそめながら語気(ごき)を強める。

 

「こっちへ来なさい!」

 

「嫌!!」

 

 リウラはティアの眼を(にら)みつける。

 ティアはリウラの腕を強く引きながら叫ぶ。

 

「リウラ!!」

 

「い・や・だあああああああああああああああああああっ!!!!!!!!!!!!」

 

 リウラはティアの腕を思い切り振り払い、必死の形相(ぎょうそう)で強烈な拒絶の意志を叩きつけた。

 

 その叫びはリウラが己の命を懸けて水蛇と戦う決意を示す覚悟の雄叫(おたけ)び。

 リリィを心から愛し、“助けたい”と思わなければ到底なしえない魂の咆哮(ほうこう)だった。

 

 リウラは思い出す。

 リリィと初めて出会った時の、彼女のすがるような弱々しい瞳を。

 『リリィを護る』と伝えた時の、彼女の心の底から安心した表情、そして嬉しさに止まることのなかった涙を。

 

 他人を平然と奴隷にしたり殺したりする者達がいる世界で庇護者(ひごしゃ)をなくす恐怖、そして己の唯一の家族を失う心細さと寂しさは、当事者にならねば決してわからない想像を絶するもののはずだ。

 

 しかし、リウラはリリィが弱音を吐いたところを見たことがなかった。

 それどころか、リリィは未来を見据(みす)えて、積極的に(ひと)()ちするために自ら動き始めた。

 魔族には放任主義の者が多いため、独立心が高い子供が多いが、それでも驚嘆すべき精神力である。

 

 そんなリリィが唯一甘える存在がリウラであった。

 

 リリィは、可能な限りリウラの(そば)を離れようとしなかった。

 そして、ことあるごとにリウラに対してスキンシップを求めてきた。

 『手をつないでほしい』『抱きしめて欲しい』『一緒に寝て欲しい』と、申し訳なさそうにしながらも、何度もリウラにお願いをしてきたのだ。

 

 リウラだけが、今のリリィの心の()(どころ)であることは明白だった。

 そんなリリィを見ていて、リウラの胸に自然と湧き上がってくる想いがあった。

 

 

 ――この子を心の底から安心させてあげたい

 ――この子がずっと笑顔でいられるようにしてあげたい

 

 

 

 ――そして、この子の新しい“家族”になりたい、と

 

 

 

 この想いを自覚したとき、自然と『リリィを護る』という言葉が口を()いて出た。

 

 だが、それは決して軽々しい思いから出したものではない。

 リリィに襲いかかる様々な苦難を思い浮かべた上で、『それでもリリィを護りたい』という願いから生み出された言葉であり、リウラが自分自身に対して結んだ“約束”であった。

 

 いくらティアの言うことであっても、この“約束”を破ることだけはできない。

 

「私はリリィの家族だ!! 『私が護ってあげる』って、リリィに約束したんだ!! だからリリィは私が絶対に助ける!!」

 

 その叫びはティアの要求に対する拒否だけでなく、自分自身に対して“誓いを守る”ことを言い聞かせる意味もあった。

 リウラは“必要なことは言い終えた”とでも言うようにティアに背を向け、まっすぐ湖へと走り出す。

 

「リウラ! 待ちなさい!!」

 

 リウラはそのまま迷いなく湖へと飛び込んだ。

 

 ティアはリウラの飛び込んだ水面を見つめ、わずかな間逡巡(しゅんじゅん)すると、すぐに湖に背を向けて走り出した。

 

 

***

 

 

(はあっ!!)

 

 何度目になるかわからない水蛇の突進を水蛇から見て上方向に(かわ)し、リリィは魔力を込めた右の拳打を叩きこむ。

 拳打は眼を狙ったが、あっさりとずらされる。だが、狙いをずらされても問題はない。

 

 リリィの拳が水蛇の肌に触れた瞬間、拳に集中した魔力が水蛇とリリィを逆方向に弾き飛ばす。

 

 ――体術 ねこぱんち

 

 性魔術による魔力吸収を(かて)とする睡魔族(すいまぞく)や、強盗ではなく盗みを主目的とする猫獣人(レイーネ)の盗賊など、戦闘をあまり得意としない者達が好んで習得する特技だ。

 

 拳に集中した魔力や闘気をインパクトの瞬間に思い切り弾くことで敵や自分を弾き飛ばし、敵と距離を取ることを主眼(しゅがん)とする護身技である。

 

 生まれて間もなく幼いリリィも、護身のために魔王の部下から習って、この技を習得している。リウラを救う際に使った拳打もこの技である。

 

 しかし、リウラを救った時とは違い、常に水蛇に狙われているこの状況では、突進して威力を高めることもできないうえ、水中では水の抵抗が邪魔をして相手や自分を遠くまで弾き飛ばせない。

 

 リリィはすぐに水蛇に回り込まれ、水面への逃げ道を(ふさ)がれる。

 

(……やっぱり眼を狙うしかない)

 

 リリィは水蛇の牙を躱しながら、心の中でつぶやく。

 

 リリィは、あれからいくつもの意表をつく手・驚かせる手・注意を()らす手を試してみたが、いずれも失敗に終わっていた。

 ちょっとやそっとの時間を稼いだくらいでは、水蛇にすぐに追いつかれてしまうのだ。

 

 長時間相手を行動不能にするにはどうすればよいか――相手が怯み、ショックを受けるほどのダメージを与えてやればいい。

 そして、この頑強な水蛇にリリィがダメージを与えられる箇所は眼球しかなかった。

 

 それは初めから理解しているし、だからこそ何度も眼球を狙って攻撃はしている。

 しかし、水蛇の反応速度がリリィのそれを上回っているため、どうしても当てられない。

 

 水の抵抗や相手のスピード……そういった諸々(もろもろ)のマイナスの条件を無視して、狙った箇所に命中させられる……そんな都合のいい技なんて……

 

(……あった……!!)

 

 リリィがほとんど期待せずに魔王の魂の記憶を検索すると、それはあった。

 リリィの魔力ではたいした威力にならないが、眼球を狙うのであれば問題はない。

 

 最初からこの魔術を探していれば……と悔やむが、彼女に戦闘経験がほとんど無いことを考えれば、思いついただけ上出来だろう。

 

 リリィは剣を右手に持ち直し、空いた左手の人差指に魔力を集中させ、指先に漆黒の魔弾を形成する。

 

 リリィは回避行動を続けながら指を水蛇に向け、慎重に狙いを定める。

 水蛇は高速で動く上に胴体にも見た目だけ眼球と同じような器官が並んでいるので、非常に狙いづらかった。

 

(……そこ!!)

 

 水蛇がリリィを噛み殺そうと真正面から突進した瞬間に、リリィは動いた。

 

 リリィの指先から魔力の矢が数本同時に発射され、水蛇の眼球へと迫る。

 

 水蛇はそれを察知すると素早く首を傾け、魔矢を回避する。

 魔矢自体もかなりのスピードがあるにもかかわらず、信じられない反射神経である……が、()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 ――リリィが放った全ての魔矢は突如(とつじょ)その軌道を変化させ、まるで生き物のように水蛇の顔面を追尾し、正確にリリィが狙った眼球へと突き刺さった

 

 

 

 ――純粋魔術 追尾弾

 魔力そのものを加工し、()()()()()()()()複数の魔矢として放つ魔術である。

 

 

 

 ――――――――!!!!!!!!!

 

 

 

 リリィの猫耳がじんと痺れる。

 

 水蛇の叫びは水中を駆け抜け、リリィの身体の芯へと響き渡り、リリィの行動を一拍(いっぱく)遅らせた。

 

 直後、水蛇が激痛に激しく身体を暴れさせ、湖中の水がまるで洗濯機の中のように激しく荒れ狂う。リリィは混沌とした濁流にのまれ、どちらが上かもわからなくなってしまった。

 

(ッくぅっ!! 早く……! 早く上に上がらないと……!!)

 

 リリィの魔力はもう限界だった。今、湖から逃げ出さなければ、十中八九、潜水魔術を続けられなくなり溺れ死んでしまう。

 

 リリィが何とか体勢を整え、水面を目指そうと顔を上げたその時――

 

(え……)

 

 リリィの身体は、今まさに閉じようとしている水蛇の(あご)の軌道上にあった。

 

(ッ……!!)

 

 リリィは思わず頭を両腕で(かば)いながら、目をギュッと(つぶ)る。

 

 次の瞬間、リリィが感じたのは、巨大な牙が身体をえぐる激痛ではなく、自分の(かたわ)らで急速に高まる、彼女が最も慣れ親しんだ人物の魔力であった。

 

「ッぐっぎぎぎぎぎぎぎ……!!」

 

「リウラさん!?」

 

 リウラは水に自身の魔力を通して強固な太い柱を瞬時に5本も水蛇の口内に作り、水蛇の顎が閉じるのを防いでいた。低位の水精であるティエネー種とは思えないほどの展開速度と強度である。

 

 しかし、顎を閉じにくいよう口内の奥のほうに水柱を創っているにもかかわらず、その水蛇の顎の力に押し負けて、徐々に水柱が歪んでいく。

 

「リ……リぃ……!! 早く逃げ「リウラさん!! そのまま!!」……って、ええぇ!!??」

 

 リリィは潜水魔術の効果でリウラに叫ぶと、驚くリウラを背に、水蛇の口内へ飛び込んだ。

 

 ここでいったん退()いたところで、水面まで逃げるアイディアなど無い。すぐに追い込まれて、魔力切れを起こしてゲームオーバーだ。

 

 リウラが水蛇の動きを止め、口を開かせたことはリリィにとって、これ以上ないファインプレーだった。

 この手の頑丈な敵は、目や関節……そして()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ぃやああああああああああ!!!!!」

 

 大型の魔物は相手を丸呑みすることも多いため、相手が胃の中で暴れられないよう、胃袋も胃液も強力な場合が多い。

 一寸法師よろしく胃の中に飛び込んでも、胃液で溶かされてしまう可能性のほうが高いのだ。

 こういった場合、通常であれば丈夫な胃壁をも貫ける高威力の魔術を胃に向かって放つところである。

 

 しかし、魔力切れ寸前のリリィに、より大きな魔力を消費する“高威力の魔術の使用”は精神的に強い抵抗があり、また、思いがけず降って湧いた大きなチャンスが“このチャンスで水蛇を仕留(しと)めたい”という焦りを生み出し、リリィに別の選択肢をとらせてしまう。

 

 リリィの残り少ない魔力では、魔術で胃壁に穴をあけられるかさえ微妙なところだ。

 だが、リリィの肉体を魔力で強化し、突進して水剣で突き刺せば、単に魔術を放つ以上の貫通力がある。

 

 しかし、先の理由から水剣を持って胃の中に飛び込むことはできない。ならば、どうするか?

 

 リリィは水柱を避けながら奥へ奥へと進みつつ、残った魔力を振り絞って全身を強化する。そして、

 

 ――体当たりするように、思い切り水蛇の口蓋(こうがい)……人間で言う軟口蓋(なんこうがい)の位置へ水剣を突き立てた

 

 頑丈な皮膚にも鱗にも覆われていない部分であり、かつ脳や神経などの重要な器官が集中している箇所に近いであろう部分……そこを傷つけることができたなら、この化け物を倒せるはずだとリリィは考えたのだ。

 

 リリィの渾身の一撃は、水蛇の口蓋へ深々と突き刺さる。

 

 ガクン!!

 

 だが、リリィの持つ水剣の長さでは急所に届かなかったのか、はたまたそこには急所が無かったのか……水蛇は動きを止めるどころか、口内に走る鋭い痛みに先程以上の悲鳴をリリィに()びせかけ、口内のリリィを振り払おうと大きく首を上下左右へと振り乱した。

 

「う、うわわっ!!「わあああっ!?」……っ! リウラさん!!」

 

 リリィはとっさに上顎に突き刺さった水剣にしがみつく。

 しかし、予想外の声撃を受けて怯んでいたリウラは体勢を整えることもできず、歪んだ水柱とともにリリィの視界の外へと弾き出された。

 

(……まずい!! 詰んだ!?)

 

 リリィは無茶苦茶に暴れる水蛇から振り落とされないように、必死に水剣に両手でしがみつくことで精一杯だ。

 魔力もそろそろ底が尽きる。万事休すだった。

 

(……どうする!? どうすればいい!?)

 

 リリィは何とか打開策を見つけようとするが、焦りに空回りする思考は何の回答も示してくれない。

 

 “このまま死ぬしかないのか……?” リリィの心が絶望に染まり始めたその時――

 

 ドンッ!! ドドドド……!!!

 

 突如、水蛇の頭が左方向へ向かって振動する。

 

(……これは……)

 

 リリィの瞳に希望の(あか)りがともった。

 

 

***

 

 

「レイン、レイク、あんまり前へ出すぎないで! シーさん、もう少し派手に動いてください! シズク、そろそろリリィを助け出すから、準備お願い!!」

 

「わかった! レイクちゃん、こっち!!」

「オッケー! レインちゃん!!」

 

「承知いたしました!」

 

「……わかった」

 

 水蛇の周囲を10人足らずの水精が動き回り、次々と攻撃を加えていく。

 

 やや幼い双子のセミロングの水精達は、息の合った動きで水蛇の周囲を泳ぎ回って次々と水弾や水刃を放ち、美しい巻貝の耳飾りを付けた水精が、自分の前方に水壁を張りながら巨大な水弾をチャージしては放っている。

 

 たすき()けにされた水の巫女服を(まと)った長髪の水精は、精神を集中させながら出番を待ち、ティアは自身も攻撃に参加しながら、全ての水精に次々と指示を出している。

 

 リウラはその様子を呆然と見ていた。

 

「みんな……なんで……?」

 

 ティアは水蛇を睨みつけたまま、表情を苦いものへと変えて叫ぶ。

 

「『私が責任もってあんた()を連れてくる。だから先に行け』ってロジェン様に伝えたら、まわりにいた娘たちが『自分も一緒に助けに行く』って聞かなかったのよ! ロジェン様も『戦える力があって、死ぬ覚悟がある奴は行って良し!』なんて、バカなことを言うし! ああっ! もうホント、みんなバカばっかりよ!!」

 

 ロジェンとは、この水精の隠れ里を(おさ)める(おさ)の名前だ。

 ティアにも負けないほど立派な水のドレスを纏うカリスマに満ちた水精で、隠れ里を考案・創設した人物でもある。

 

 彼女は困っている水精がいたら助けずにはいられない優しさに溢れた人物なのだが、流石に水精達の長の立場を、そして他の戦えない水精達を(ほう)ってまでリウラ達を助けに来ることはできなかったようだ。

 

 だが、水精達に大切な仲間を……リウラ達を助けに行く許可をくれた。

 そして、みんなは死を覚悟してまでリウラ達を助けに来てくれた。

 

 特に巻貝の耳飾りの水精――シーはロジェンの右腕とも言える水精だ。

 彼女がここに居ることが、ロジェンがリウラ達を大切に思い、心から助けたいと思っている何よりの証拠である。

 

 リウラの目頭(めがしら)が熱くなる。

 涙は流れず、浮かぶ(はし)から湖に溶けて消えていく。

 

 リウラは、あの水蛇と対峙することがどれほど恐ろしいか、身を(もっ)て知っている。

 にもかかわらず、こうして助けに来てくれた仲間たちに感動し、身が震えた。

 

(みんな……ありがとう……!!)

 

「リウラ!」

 

 ビクン!! リウラは肩を震わせてティアへ振り返る。

 

「何をぼさっとしているの!! 私たちがアイツの気を引いているうちに、さっさとリリィを引っ張って連れてきなさい!! 無理なら私かシズクが行くわ!! どっち!?」

 

「い……行く!! 私が行く!!」

 

 それを聞いたティアは、自分の周囲に無数の水鎖を生み出す。

 

「良い!? 今からアイツの顎を数秒だけ固めるから、その隙にリリィを連れてきなさい!! そしたら全員でアイツを牽制しながら撤退するわ!! 逃げる時は私についてきなさい!! 良いわね!?」

 

「わかった!!」

 

 リウラが返事をしながら水蛇へと向かうと、ティアが水精達全員に向かって合図を出す。

 リウラが接近し、水蛇が大きく口を開いた瞬間、ティアを含めた数人の水精達が水の鎖やロープを放ち、水蛇の顎を縛り上げる。

 

(!!?)

 

 全身の魔力を振り絞ったにもかかわらず、その顎の力に鎖が切られそうになる。

 本来は別の役割を(にな)う水精達も、慌てて水のロープやリボンを放ち、同じように水蛇の顎を縛り上げ、なんとか水蛇の顎を固定することに成功する。

 

(……あの子……!! よくこれを1人で防げたわねっ……!!)

 

 水蛇のパワーは予想以上だった。

 

 リウラが水柱で牙を防いでいるのを見て、“リウラ以上の魔力を持つ自分達なら数秒程度は持たせられる”と考えていたが、見積もりが甘すぎた。

 

 リウラの魔力量を考えれば、彼女の創った水柱がそれ程までに強固に構成されていたとは思えない。おそらくは水柱の位置や組み方が(たく)みだったのだろう。

 リウラの成長に、ティアは驚きを隠せない。

 

(早くしなさい!! 長くはもたないわよ!!)

 

 ティアは歯を食いしばりながら、水蛇を睨みつける。

 そこで、ティアは眉をひそめた。

 

 ――水蛇の様子がおかしい

 

 顎を閉じようとすることを止め、水鎖の(いまし)めに逆らいながら、徐々にその開かれた口をティア達の方向に向けている。あれではまるで……

 

(……ッ!! しまった!!)

 

「全員、散りなさい!!!!」

 

 ティアは、その指示を叫ぶのが精いっぱいだった。

 

 張ったばかりの水鎖は、(もろ)くも砕け散った。

 

 

***

 

 

(ティアさん達だ!!)

 

 水蛇の口内で突如連続する振動に襲われたリリィは、それが水蛇への魔術攻撃(おそらく水弾)であると気づき、周囲の魔力を探った。

 

 すると、ティアを含めた水精の魔力をだいたい10人ほど感じることができた。

 リリィとリウラを助けに来てくれたのだろう。自分たちの身が危ないにもかかわらず、こうして助けに来てくれたのだ。

 ならば、リリィがこんなところで諦める訳にはいかない。

 

 リリィは覚悟を決めた。

 

 潜水魔術を解く。

 視界がぼやけ、息が止まり、荒れ狂う水流がリリィを襲う。

 

 今まで潜水魔術に使用していた魔力をも使って全魔力で上半身を強化すると、片腕で水剣の(つか)を抱え込むようにして身体を支える。

 そして、自由になった右腕を水蛇の上顎へと伸ばし触れさせると、リリィは精神を集中させた。

 

(睡魔族を……舐めないでよ!!)

 

 リリィが手を当てた箇所から、リリィの魔力が水蛇の肉体を浸食した。

 

 

 ―――――――――!!!!!!!!

 

 

 水蛇がリリィを振り落とそうとする動きが激しくなる。

 

 リリィの魔力に浸食された部分はリリィに支配され、その精気をリリィに奪い取られていく。

 リリィの中で精気が魔力へと変換され、リリィの魔力が回復・強化されていく。

 強化された魔力はより強力に水蛇を浸食し、さらに大量の精気をリリィへと供給した。

 

 通常、これだけ巨大な精気を持つ相手となると、比例して精気吸収に対する抵抗力も大きくなる。

 それでもリリィが精気を吸収できる理由は3つある。

 1つは、相手の知性が低く魔力操作の技術が低いため。2つ目はリリィが相手の口内から術を行使しているためだ。

 

 精気吸収に性魔術が利用される理由の1つに、“粘膜(ねんまく)が非常に魔力を通しやすい性質を持つ”というものがある。

 

 魔力を相手の肉体に通して支配し、精気を奪い取るためには、粘膜への接触――可能ならば、粘膜同士を接触させて魔力を通す方法が最も効率が良いのだ(その分、相手からの反撃を受けて、逆に支配される可能性も高いが)。

 性魔術を定義する際、“相手との粘膜接触によって、対象者の精神に直接働きかけるもの”と記載された文献も存在する程である。

 

 そして最後の3つ目……未だ推測の域を出ないが、“この水蛇が意思を奪われ、操られているであろう事”が何よりも大きい。

 

 リリィが精気を奪った感覚からすると、この水蛇はリリィに魔力を奪われないよう抵抗するよりも、リリィを直接攻撃する方に意識の大半を()いている……通常であれば、ありえない反応だ。

 たとえ狂っていたとしても、他者の魔力が己の体内に侵入し、あまつさえ自らの精気が奪われれば、まず間違いなく侵入してきた他者の魔力を排除する方向に意識を向ける。

 あくまでもリリィの推測ではあるものの、リリィはこの水蛇が誰かに操られていることをほぼ確信していた。

 

 リリィはある程度魔力が回復すると同時に潜水魔術を再開させ、さらに精気吸収を加速させる。

 

(このまま精気を奪い尽くせば……!!)

 

 ――ピクリ

 

 リリィの猫耳が動く。

 

(……何? ……魔力の流れが……)

 

 リリィは水蛇の体内の魔力の流れが変化したことを感じ取り、いぶかしげに眉をひそめる。

 

 凄まじい魔力が急速に1ヶ所……リリィの現在地よりもさらに喉奥(のどおく)に集中し始める。

 リリィがそちらに目をやろうとした途端、水蛇が大量に水を飲みこみ始める。そこまで来て、リリィはようやく事態を把握した。

 

 リリィの顔から血の()がサーッと引いていく。

 

(……ウォ……ウォーターブレス!!??)

 

 サーペントは鉄砲魚(てっぽううお)のように水を体内に貯めて勢いよく吐き出すことができる。それがウォーターブレスだ。

 

 しかし、鉄砲魚と決定的に違うのは、その水量と威力。

 専用の器官で魔力によって高い圧力をかけられた水の奔流(ほんりゅう)はドラゴンのブレスのように強力で、岩をも砕く威力を持つ。

 そんなものをこの至近距離で受けてしまえば……

 

(……最悪、魔術障壁を破られた後、全身を粉々(こなごな)にされる!!!)

 

 リリィの表情に明確な焦りが生まれる。

 だが、どうすればいい? 相手の精気にはまだまだ余裕がある。

 ここで逃げたら、また追いつめられてしまう。かといってこのまま黙って見ていれば、待っているのは死だ。

 

(魔術!! なにかいい魔術は……!!)

 

 リリィは回復し、より強力になった魔力で魔術を使おうと考える。しかし……

 

(――“電撃”……ダメ! 私やリウラさん達も巻き込んじゃう!! ――“戦意消沈(せんいしょうちん)”……ムリ! 操られている相手に効くとは思えない!!)

 

 今、ただの魔弾を喉に放ったところで、水蛇が今まさに喉に集中している強力な魔力に弾かれてしまう。

 

 そのため、リリィは有効な魔術を求めて必死に魔王の知識を検索するが、見つけられない。いや、あるにはあるのだが、どれも今のリリィの魔力量では扱えないものばかりだ。

 

 そうこうしているうちに、水蛇の喉元への集中が止まり、口が大きく開いていく。ウォーターブレスの発射準備が完了したのだ。

 

 リリィは決断を(くだ)す。

 

(……いったん逃げる!! 案はそのあと考えよう!!)

 

 ウォーターブレスで湖が撹拌(かくはん)されるため、逃げた後、先の状況のように水蛇に噛みつかれる可能性は大きい。

 しかし、強化されたリリィの魔力による障壁が牙を防げる可能性がある分、このままブレスを受けるよりはマシだとリリィは考える。

 

 とはいえ、今からでは泳いで逃げることは不可能だ。

 障壁を展開しつつ水剣を手放し、ブレスに逆らわずに流されて威力を殺すのが精いっぱいだろう。

 

 リリィは自分を覆うように障壁を展開しようとしたその瞬間、水の鎖が、ロープが、リボンがたちまちのうちに水蛇の顎を縛り、固定する。

 

 そこへ、リウラが飛び込んできた。

 

「リリィ!!」

 

 リウラの声を聞いて振り向いたリリィは、その様子を見て悲鳴のように叫んだ。

 

「来ちゃダメー!!!!」

 

 しかし、リウラはリリィの叫びを無視するかのようにリリィへと近づくと、リリィを抱きかかえて逃がそうとする。

 

 リリィは迷った。

 もし計画通り障壁でブレスを受けて流された後で、水蛇がリリィではなくリウラを狙ったら、リウラが死なない保証はない。

 

 かといって障壁を展開したまま水蛇の口内に留まったら、ブレスを受けて障壁を破られない自信がない。

 

 そして、リリィが迷っている間に貴重な時間は消費された。

 

(……もう、間に合わない!!)

 

 リリィは迷いを抱えた結果、()()()()()()()()()()()()()()()()()対魔術用の結界を展開し、自分とリウラを覆う。

 結界は、少しでも水流の威力を()ぐため、水蛇の喉側を頂点とする円錐状に展開された。

 

 リリィが結界を展開した直後、ウォーターブレスが発射される。リリィの結界がビリビリと震え、今にも破られそうになる

 

(こんのぉおおおおお!!!)

 

「うわっ!? わわっ!!?」

 

 リリィは水蛇から奪った魔力を結界へ惜しみなく(そそ)ぎ込み、必死にブレスを耐える。

 水蛇のブレスは数秒程度だったが、それだけでリリィは回復した魔力の8割を消費してしまった。

 

 それでも、リウラも自分も何とか無傷で乗り切ったことにリリィは安堵(あんど)する。ほっとしたのもつかの間。リリィの視界は闇に閉ざされた。

 

(!? 顎を閉じた……!?)

 

「……ッ!! 鎖が!!」

 

 リウラの叫びが聞こえる。

 どうやら先程ちらりと見えた、顎を拘束していた鎖やロープがウォーターブレスで壊れてしまったらしい。

 

 リリィは魔術で(あか)りをともす。

 

「リウラさん! 落ち着いて!!」

 

「リリィ!! でも!!」

 

「大丈夫です! 顎を閉じてたら、噛みつくこともブレスを吐くこともできません! 顎が開いたらまた鎖で縛ってくれるはずですから、その隙に逃げ……」

 

 リリィの言葉が止まる。

 再び水蛇の持つ、ウォーターブレスを発射するための器官へと魔力が集中していた。

 しかし、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ……嫌な予感がする。

 

 同じように水蛇の魔力の集中を感知したリウラが(いぶか)しげに口を開く。

 

「何あれ……? まわりに水があるのに、わざわざ喉に水を()びだしてる……?」

 

 

 ――その(つぶや)きを聞いて、リリィは自分の悪い予感が当たったことを知った

 

 

「まさか……()()()()()()()()()()()()()()()()!?」

 

「え……えええええええええぇぇぇぇぇぇっ!?」

 

 そのまさかだった。

 この手の魔力を持った水棲生物は、自身の魔力を使って水を召喚できるものが多い。それを利用し、口を閉じて逃げ場をなくしたリリィたちに直接水の奔流をぶつけようというのだ。

 そうなれば当然、水蛇の口も無事では済まない。操られているが故に()ることのできる狂気の選択肢である。

 

 リリィは焦る。

 水を召喚するため、先程よりも発射の準備に時間がかかってはいるものの、今から水蛇の精気を奪っても、とうてい先ほど回復した魔力量には及ばない。

 充分な量を回復する前に確実に攻撃が来る。そうなれば結界が持たない。

 

 そこで、リウラは何を思ったのか、リリィの握る水剣を自分も握りしめた。

 

「う……おりゃああああああ!!!!」

 

 非常に女の子らしくない掛け声をあげて、リウラは水剣に魔力を込める。

 すると、水蛇がビクンと震えた。しかし、水蛇の魔力の集中は止まらない。

 

「リ……リウラさん……いったい何を……」

 

「剣をいっぱい針が出るみたいな形にして、伸ばしてるの!! 痛がって口を開くように!!」

 

 リリィは眼を見開く。

 

「リウラさん! 剣をそのまま真っすぐに伸ばすことはできますか!?」

 

「それは無理! 肉が硬くってそっちの方向には伸びない!!」

 

 それを聞いて、リリィは考える。

 

()()()()()()()()()……なら……)

 

 リリィは再び右手を水蛇の上顎へと伸ばし、精気を吸収する。

 そして、吸収した精気を魔力に変換し、全て水剣へと込め始めた。

 

「リリィ!?」

 

 リリィは魔力を込める手を止めずに、自分が考えた案をリウラに伝える。

 

「リウラさん! 私が魔力を込めます! リウラさんはそれを使って、剣をもっと硬く鋭くして真っすぐ伸ばしてください!」

 

「……わかった!」

 

 リウラは頷くと、水剣に込められた魔力を使って、水剣をより硬く、鋭く、そして真っすぐ伸びるように長く形状を変化させていく。

 リリィが送り込む魔力によって硬さも鋭さも強化された水剣は、徐々にその(やいば)を水蛇の急所へと伸ばしてゆく。

 

 だが、途中から皮膚以上に硬くなっている水蛇の肉に邪魔されて、その進行はかなり緩やかだ。このままでは間に合わない。

 

(もっと鋭く……!! もっと硬く……!!)

 

(もっと早く……!! もっとたくさんの魔力を……!!)

 

 リリィの魔力の供給速度が上がり、リウラの必死の念が水剣を名剣へと変えていく。

 高まった水属性の魔力は水剣に冷却属性を付与し、氷の(つるぎ)へと昇華させた。

 

 水蛇の魔力の集中が止まり、その魔力がどんどん増幅され、高まっていく。

 発射の前兆だ。もう時間がない。

 

「「いっけぇぇぇぇぇぇええええええええええ!!!!!」」

 

 リリィとリウラは魂を込めるかのごとく、渾身の魔力を、念を込めて氷の刃を伸ばす。

 

 ウォーターブレスは………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――発射、されなかった

 

 

 

 



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第一章 家族 後編

 ――湖面が爆発する

 

 地底湖から勢いよく飛び出してきたのは、リウラをお姫様だっこで抱えたリリィだ。彼女は空中でコウモリの翼を広げると、一気に急降下し、ダァンッ! と大きな音を立てて地面に着地する。

 

「リ、リリィ!? いったい、どうしたの!? もう、やっつけちゃったんだから、そんなに急いで陸に上がらなくても……!?」

 

 リリィとリウラによって急所を傷つけられた水蛇(すいだ)は、ウォーターブレスを撃つことなく、ぐったりと全身の力を抜き、口をだらしなく大きく開くことになった。

 その直後、無抵抗になった水蛇からごっそりと精気を奪ったリリィは、大急ぎでリウラを抱え、陸へと逃げ出したのだった。

 

 その精気の奪い方も実に慌ただしく、大量に奪ってはいたものの、水蛇にはまだまだ精気が有り余っている。事実、腹を上に向けてプカプカと湖に浮いている水蛇のヒレは、呼吸をしているかのように動いていて、その生命力が尽きていないことを表していた。

 

 とはいえ、それ以外に全く身体を動かせていないところを見るに、身体の動きを(つかさど)る神経か何かを傷つけられて、動けなくなってしまっているのだろう。

 つまり、完全に無力化はできているはずなのだ。

 それなのに、なぜこれほどまでにリリィが急いで陸に上がろうとしているのか、とっさにリウラは察することができなかった。

 

「リウラさん、アイツが出てきた魔法陣は召喚用です! 水蛇(アレ)を誰かが此処(ここ)に呼び出して私達を襲わせたんです!」

 

「……え?」

 

 彼女達から一拍(いっぱく)遅れて水面にティア達、水精(みずせい)が現れる。

 魔法陣を見た水精や、魔術に詳しい水精から、水蛇が『何者かの使い魔である』と知らされていたティアは、当然いまだ脅威は去っていないことを理解しており、水精全員が水面に現れるや否や、素早く撤退の指揮を()った。

 

「シズク! お願い!」

 

 こくり、と巫女服姿の水精が頷くと、隠れ里を濃密な魔力を()びた濃霧が覆い尽くす。

 シズクと呼ばれた水精の魔力によってリリィ達の魔力や気配が隠され、一瞬にして上手く感知できなくなると同時、リリィの手首をシーが、リウラの手をティアが取り、素早く走り出した。

 

 この視界ゼロの状況で迷いなく、つまづくことなく走ることができるのは、あらかじめ水びたしにしておいた地面のおかげだ。

 

 彼女達水精は、自身が支配する水の位置を手に取るように把握することができる。こうしておけば、水蛇を召喚した者はこちらの居場所も行動も認識できず、水精達は的確に逃走することができる。

 おまけに、水を司る彼女達ならば、地面の水を制御することで水しぶきを上げることもないので、足音すら消せるのだ。

 

 しかし――

 

 ゴッ――!

 

 猛烈な突風が濃霧を吹き飛ばし、彼女達の策を一蹴する。

 

 魔力を帯びた突風により、動きを止められた彼女達は見た。

 

 いつの間にか、彼女達が進もうとしていた先に、既に何者かが立ちはだかっているのを――

 

 

***

 

 

「こんにちは」

 

 そこにいたのは、30に届くかどうかといった年齢の人間族の女性だった。

 まるで水着のような露出度の高い衣装に身を包み、毛皮のマントを羽織(はお)っている。

 腰まで届く長い黒髪をなびかせた彼女は、うさんくさい笑みを浮かべながら、水精達に馴れ馴れしく話しかけた。

 

 おそらく、この場のリーダーだと見抜いたのだろう。女性はティアに視線を合わせる。すると、なぜか彼女は驚いたように目を見開き、軽く口を開いて唖然とした様子を見せた。

 

 ティアは片腕を真横に伸ばして、水精達に下がるように(うなが)すと、女性に対して問いかける。

 

「……あなたは?」

 

「!! ……おっと、これは失礼」

 

 女性は我に返るとわざとらしくおどけ、ティアの質問に答える。

 

「私の名はディアドラ……人間族の魔術師。そこの睡魔(すいま)のお嬢さんにちょっとしたお誘いをしにやってまいりました」

 

「……お誘い?」

 

「はい」

 

 ディアドラと名乗った女性は愛想よく返事するが、やはり胡散臭(うさんくさ)い。

 そして、警戒を緩めない水精達の目の前でリリィに向かって歩き出し、彼女の前まで来ると、しゃがんで自分の目線をリリィと同じ高さに合わせて言った。

 

「お嬢ちゃん。このままだとアンタ……死んじゃうよ?」

 

「……」

 

「ど、どういうこと?」

 

 リウラは見知らぬ人物から突如(とつじょ)として告げられた、リリィの死の宣告に驚き戸惑(とまど)う。

 

 そして、リリィは予想外の人物の登場に思考が止まり、呆然とディアドラを見続けることしかできなかった。

 

(……どうして……なんで彼女がここに……)

 

 その理由は、リリィの原作知識にある。

 魔術師ディアドラ――彼女は原作にて魔王の魔力を奪い、自らが新たな魔王となることを(たくら)む人物だ。

 

 原作でも詳細は明かされなかったが、彼女が新たな魔王となるためには、ただ単純に魔王の魔力を得るだけではダメで、それとは別に莫大な精気を必要とするらしい。

 その精気を得るために、急成長しつつある魔王の使い魔リリィに目をつけ、彼女の成長をうながし、充分に成長したところでその精気を奪うためにリリィを(さら)いに来る……という話になっている。

 

 だがリリィは魔王が封印された後、すぐにこの隠れ里に住んでいる。リリィが魔王の使い魔であることも、凄まじい勢いで成長することも知ることはできないはずだ。なのに、どうして彼女はここに現れたのか?

 

 ディアドラはすっとリリィの猫耳に口を寄せ、耳打ちする。

 

「お嬢ちゃん。アンタ………………魔王の使い魔だろう?」

 

「!?」

 

 リリィの猫耳と尻尾がピンとこわばる。

 

(なんで……!? どうしてそれを……!?)

 

 リリィの疑問に答えるように、ディアドラは耳元でささやき続ける。

 

「私はこう見えても凄腕の魔術師なんだよ……だから、お嬢ちゃんがときどき魔王とそっくりの魔力を放っていることに気づくことができたのさ。ちょっと探し物をしているときに、偶然その魔力を感知してね」

 

「少し魔術でお嬢ちゃんの()を調べさせてもらったら、魔王の魂があるときたもんだ……それとお嬢ちゃんが使い魔の契約で結ばれているんだから、お嬢ちゃんがどういう存在かも分かったんだよ」

 

 リリィは、“なぜ自分がディアドラに見つかったか”を理解した。

 

 おそらく、彼女は封印されている魔王を探していたのだろう……自らが魔王となるために。

 その時点では、魔王の魂が既にその肉体に無いことを知らなかったはずだから、封印を解いて魔王に取り入り、隙をついてその魔力を奪うつもりだったのかもしれない。

 

 “ときどき魔王とそっくりの魔力を放つ”というのは、たぶん魔王の魂から記憶を引き出しているときだろう。

 

 魔王の魂から記憶や経験をもらうと、少しの間、自然にリリィの魔力光(まりょくこう)が淡い紫から漆黒に染まっていたことをリリィは思い出す。水蛇に向かって撃った追尾弾が真っ黒に染まっていたのは、その(さい)たるものだ。

 

 原理はさっぱり分からないが、ひょっとしたら、リリィの魂が魔王の魂に波長を合わせていたのかもしれない。その魔王そっくりの魔力が、魔王を探す彼女の探査魔術に引っかかってしまったのだ。

 

「アンタのご主人様が、人間達に封印されたことは知っているね? お嬢ちゃんが今も生きていられるのは、その封印が不完全だからさ。だけど、その封印もいずれ完成する。そうなったら、お嬢ちゃんも生きてはいられない……お嬢ちゃんのご主人様も二度と復活できない。そうなる前に強くならなきゃならないねぇ、人間なんて簡単に蹴散らして封印を解けるぐらい」

 

 ディアドラは立ち上がって一歩リリィから離れると、にっこり微笑んでリリィに手を差し出す。

 そして、今度はハッキリと皆に聞こえる声量で言った。

 

「お嬢ちゃんは、早く強くなってここから出たいんだろう? 私についてくれば、あっという間に何倍も強くしてあげるよ? アンタには、それだけの才能がある」

 

 そして、“どうして自分が狙われたのか”をリリィは知る。

 

 おそらく、バギルの精気を吸ってパワーアップしたところを見られたのだ。

 ディアドラの狙いは明白だ。原作通りリリィの成長速度に目をつけて、充分に育ったリリィの精気を奪うつもりだろう。

 

 魔王が()ずから創造した使い魔であるリリィの潜在能力は、文字通り桁はずれだ。一般的な睡魔など、まるで比べものにならない速度で成長する。ディアドラは、これを見逃すような人物ではない。

 

「……」

 

 うつむいて黙り込むリリィに代わり、ディアドラの言葉に反応したのはティアだ。

 

 耳打ちしていたせいで良く聞こえなかったが、前後の発言から考えて、おおかた『私が鍛えないと、リリィは死ぬ』とでも脅したのだろう。

 ティアは怒りの感情を隠すことなく、言葉に乗せる。

 

「ふざけた言い分ね。水蛇(アレ)をけしかけたのは、あなたでしょう? そんな人を信用できるものですか」

 

「これは申し訳ない。ですが、あれはこのお嬢ちゃんの素質を見るために、しかたなく(おこな)ったこと……決して大きな怪我はさせないように注意していましたよ?」

 

「よくもまあ、ぬけぬけと……!」

 

「信用していただけないとは、悲しいですねぇ……では、お嬢ちゃんはどうだい? 私についてきたいと思わないかい?」

 

 ティアがディアドラの言葉を切って捨てれば、ディアドラはいけしゃあしゃあと『あれはリリィのためだった』と言い張った。そしてそれを信じさせるつもりもない。

 リリィが頷けばそれでよし、という態度である。

 

 おそらく、『素質を見るため』という発言は真実だろう。

 “リリィがどこまで戦えるのか”を(はか)ることができれば、彼女がどの程度のスピードで、どの程度の強敵を(くだ)し、その精気を奪ってどの程度成長するかを、おおまかにではあるが推測することができる。

 

 だが、後半は真っ赤な嘘だ。

 彼女は間違いなく、“別に死んでも構わない”と思って水蛇をけしかけている。でなければ、口を閉じたままウォーターブレスを放つなんて真似(まね)を水蛇にさせる訳がない。

 もしかしたら、彼女にとって“死んだら、その程度の才能だった”くらいの認識なのかもしれない。

 

 立ち上がって上から問いかけるディアドラからは、うつむくリリィの表情はうかがえない。

 しかし、もしリリィの表情が見えたなら、“警戒”なんてレベルでは到底収まらないほどの、凄まじい恐怖に彩られた表情に違和感を覚えただろう。

 

(どうしよう……どうしよう……どうしよう……!!)

 

 普通に考えれば、断るべきだ。

 だが、ディアドラはとても非情な人物である上に、リリィの有用性を知ってしまっている。たとえここでリリィが断ったとしても、無理やり(さら)って、魔術で洗脳するぐらいはしても全くおかしくはない。

 

 しかし、だからといって素直について行っても、洗脳されないとは限らないから、結果は同じだろう。断ろうと断るまいと精気を絞り尽くされて死ぬ未来しか見えない。

 

 そして、ディアドラを倒す実力も、ディアドラから逃げ切る実力も、今の自分には無い。水精達にも無い。つまるところ、完全な手詰まり(ゲームオーバー)である。

 

 

 ――そんな時だった

 

 

 

「ダメだよ、リリィ。ついて行っちゃダメ」

 

 

 

「リウラさん……!?」

 

 リウラはリリィの手をギュッと握りしめ、ディアドラを(にら)みつけながら言う。

 まるで、その手を離したらリリィが居なくなってしまう、と恐れているかのように。

 

「うまく説明できないけど、なんとなくわかる。このおばさん、リリィのことなんて全然考えてない……ううん、“リリィのこと利用してやろう”って思ってる。ついて行ったら、絶対にリリィは不幸になっちゃう」

 

 そうリウラが言った瞬間、ディアドラの眼つきがガラリと変わる。

 

 ゾクリ――!

 

 リウラの背筋が震える。

 まるでモノを見るかのような冷たい眼。“やはり自分の勘は間違っていなかった”とリウラは、自分とリリィを護るために、水弾を周囲に()びだそうとする。

 

 

 

 ――その瞬間、繋いでいたリウラの手が、リリィによって思い切り振り払われた

 

 

 

「え……?」

 

 何が起こったのか分からずリリィへと振り返ると、リリィと視線が合った。

 

 ――その眼つきはディアドラと瓜二(うりふた)つ……リウラを“人”ではなく“モノ”として見ている眼だった

 

「リ……リリィ?」

 

 あまりに予想外の出来事に、リウラが戸惑う。

 それをまるで()(かい)さず、リリィはこう言い(はな)った。

 

「今までありがとうございました。もう貴女(あなた)は用済みです」

 

「何を、言って……?」

 

「あなたに気に入られるように振る舞っていたのは、まともに戦える力が身につくまでの間、私を庇護(ひご)してくれる人が必要だったからです。あなたよりもよほど強い彼女が鍛えてくれる以上、もうその必要もない」

 

「だから……! その人は信用できないって……!」

 

「ああ、ひとつ言い忘れていました」

 

 リウラの叫びをそよ風のように聞き流し、リリィは言う。

 

 

 

 

 

()()()()()使()()()()()()()()

 

 

 

 

 

「……は? ……え?」

 

 リウラは唖然とする。

 いや、リウラだけではない。この場のほぼ全員が目を()いて驚いていた。

 

 異なる態度をとっているのは、最初からその事実を知っていたディアドラ……そして、鋭い目つきでリリィを見る巫女服姿の水精(シズク)と、巻貝の耳飾りの水精(シー)だけだった。

 

(はな)から信用なんてしてません……この人間も、あなた達も。私にとって信用できるのは、私を創造してくれた魔王様ただ1人」

 

「何を企んでるのかは知りませんが、この人間が私を鍛え、魔王様を復活させようとしているのは間違いない……なら、私はそれを利用させてもらうまで」

 

 ヒュッと翼を広げて飛び立ったリリィは、力なく水面に腹を上にして横たわる水蛇の上空へと移動し、わずかに(まぶた)を落として精神を集中させる……すると、水蛇全体を収める巨大な魔法陣が現れた。

 

愚昧(ぐまい)なる水の蛇竜よ……我が軍門に(くだ)れ!≫

 

 魔法陣が強烈な光を放ち、リウラ達はとっさに腕で自分の眼を(かば)う。

 

 光が収まりリウラ達が腕を退()けると、そこには無傷の水蛇が鎌首(かまくび)をもたげていた。

 そして、リリィはその水蛇の頭の上で片膝をついて(すわ)り、こちらを嘲笑(あざわら)うような眼で見下ろしている。

 

(へぇ……仮契約を結んだか……瀕死の状態だったとはいえ、私の使い魔に対して契約を結ぶとは、なかなかやるじゃないか)

 

 ディアドラは(わず)かな感嘆とともに、リリィへ更なる期待を(つの)らせる。

 

 使い魔の契約は基本的に早い者勝ちであり、多重で契約を結ぶことはできない。しかし、抜け道はいくつかあり、その一つが今リリィが結んで見せた“仮契約”というものだ。

 

 文字通り仮の契約であり、本契約とくらべればその質はやや落ちるものの、“主の命令に従う”などの効果は変わらない。

 本契約者であるディアドラの命令が優先されるため、ディアドラに対してけしかけることはできないが、こうして水精達を脅し、攻撃するには充分すぎるほど有用だ。

 

「感謝していますよ、リウラさん? 私をここまで強くしてくださったのですから。そのお礼に、邪魔をしないのであれば、あなた達の命は見逃すことを約束しましょう」

 

 どうやら水蛇を支配して見せたのは、“リリィがこれだけ強くなった”ということを示すパフォーマンスでもあったようだ。

 

 リリィを頭に乗せた水蛇はリウラ達に背を向けると、岩壁(がんぺき)に向かって大きく口を開き、地底湖の水がまるで滝を逆再生するかのように、開いた水蛇の口に飲み込まれてゆく。

 

「待って、リリィ!!」

 

 

 ――直後、轟音とともに岩壁が砕け散った

 

 

 リウラの呼びかけを無視し、開いた大穴を(くぐ)って水精の隠れ里をリリィが後にしようとする……しかし、

 

「……何のマネですか?」

 

 リウラが、リリィの前に立ちふさがる。その目線の高さは、鎌首をもたげた水蛇に座るリリィと同じ……すなわち、空中に立っているように見える。

 が、よく注意して見ればリウラの足元に透明な板状の何かがあり、それが魔力を放っていることが分かる。おそらく、水で足場を(つく)ってその上に立っているのだろう。器用な奴だ。

 

「もちろん、リリィを連れ戻しに」

 

「……ああ、ティアさん達のことですか? 安心してください。魔王様が復活した後も、彼女達の生活に支障が無いように取りはからってあげますから」

 

 リリィは少し考えて思い当たる。

 魔王の脅威から逃れるために造られた水精の隠れ里……そこに住まう者達からすれば、封印された魔王を復活させるなど言語道断だろう。

 『殺す』ではなく『連れ戻す』なのは、リウラの情けか。

 

 しかし、リウラは首を横に振る。

 

「違うよ。リリィを不幸にしないため……ううん、リリィを幸せにするために、私はリリィを連れ戻す」

 

「……私の話、ちゃんと聞いてましたか?」

 

 リリィが呆れ声で言うと、リウラはあっさりと頷く。

 

 

 

 

「うん。……()()()()()()()()?」

 

 

 

 

「……え?」

 

 ポカンとリリィが口を開ける。

 

「あ、『魔王の使い魔』っていうのは本当かな? だけど『誰も信用してない』ってのは嘘だよね? 少なくともリリィは私のこと信用してくれてるもん」

 

「ッ……何を根拠に……!」

 

「なんとなく! 私、すごく勘が良いんだよ? 特にこういうのはバッチリ! ……それにね?」

 

 リウラは、ふわりと微笑む。

 

「たった1週間だけど、私はずっとリリィのこと見てきたから。だから、“リリィが私を信じてくれてる”ってことも、“今リリィが心にもないことを言ってる”ってこともわかるんだ」

 

 表情が抜け落ち、まるで人形のような無表情となったリリィは、黙ってリウラに向かって人差し指を向ける。

 

 

 ――淡い紫の魔力弾が、リウラの頬を(かす)めた

 

 

「「リウラちゃん!?」」

 

 双子の水精が動揺してリウラを助けんと飛び出そうとするが、ティアがそれを両腕で(さえぎ)って止める。

 

「「ティアちゃん!? なんで!?」」

 

「……ここはリウラに任せなさい」

 

「「でも!!」」

 

「いいから! ……あの子達を信じなさい……!!」

 

 ティア達のやり取りをよそに、リリィ達の会話は続く。

 

「消えなさい。次は当てますよ」

 

「うぉう……問答無用で押し通るか。それは困るね~」

 

 リウラは冷や汗を流しながらおどけたようにそう言うと、真剣な表情になって水の床の上で半身(はんみ)に構える。

 

 リウラは巫女服姿の水精――シズクの元で護身術を習っている。

 

 なぜかシズクから異様に警戒されていたリリィは、その鍛錬の様子を見せてもらうことはできず、リウラの強さを知ることはできなかったが、リウラ自身の申告では『結構(けっこう)強い』らしい。

 

 だが、そのシズクを含めた水精全員でも(かな)わない水蛇と、全てではないがその水蛇の精気を大量に吸収したリリィの敵ではあるまい。

 リリィは、リウラの(あご)を狙って再び魔弾を放つ。

 

 

 ――スッとほんの一歩分リウラの身体が横にずれ、魔弾はリウラの隣をすり抜けていった

 

 

「!?」

 

 リリィの驚愕に合わせるように、リウラが水の床を蹴る。

 慌てたリリィは、今度は外さないよう、水蛇にも使った誘導弾を同時に複数放つ……が、

 

「ふっ」

 

 鋭く息を吐いたリウラは、一度立ち止まり、自分に向かって飛んでくる魔術の矢の側面に手のひらを添え、次々と軌道を()らす。

 てんでデタラメな方向に飛ばされた魔矢は、リウラを撃ち抜かんと、リウラに照準を合わせて舞い戻る。

 

 そして魔矢が当たる瞬間、リウラは再びリリィに向かって水の床を蹴る。

 ……当たる直前で目標を見失った魔矢は、その全てが同士討ちし、打ち消し合った。

 

「な……な……!」

 

 リリィは、開いた口が(ふさ)がらない。

 リウラは軽々とやって見せたが、素人目(しろうとめ)に見ても、今のは明らかに達人の技だ。

 しかも、リリィが使ったのが誘導弾であり、それを一目(ひとめ)で見抜けなければできない芸当……一介(いっかい)の水精が成せる技ではない。

 

 ふと気づけば、もう目の前にまで(せま)っているリウラを見て、リリィはさらに焦る。

 ならば、そうした対人技術が通用しない巨大生物――水蛇に攻撃させるまで。

 

 リリィは水蛇の頭を蹴って空へ逃げながら、心話(しんわ)――魔術的なテレパシーで水蛇に命令を(くだ)し、リウラの走る動きに合わせて水蛇に首を振らせ、その鼻先を当てようとする。

 

「えっ……!?」

 

 しかし、それすらもリウラは(かわ)す。

 ()()()()()()()()をフェイントに()()()()()()()水蛇の鼻先を回避し、一気にリリィとの距離を詰める。

 

 水床が動くことで走る必要がなくなったリウラは、右拳を腰だめに構え――

 

「ッ……!」

 

 思わず目を(つむ)るリリィ。

 

 しかしその拳は当たらず、リリィの頬を(かす)めて、

 

 

 

 

 

 ――ギュッとリリィの頭を抱きしめた

 

 

 

 

 

「……」

 

 何が起こったのか分からず思考が停止するリリィに、リウラが優しく話しかける。

 

「……わかった。どうしてもあの人について行きたいんだったら、もう止めない。その代わり、私も一緒についてく」

 

「な、なんで」

 

「心配だからだよ。当たり前じゃない」

 

「だって、私は魔王の使い魔で、みんなを騙してて」

 

「私はね、リリィのこと“家族”だと思ってる」

 

「!!」

 

 リウラの胸の中で、リリィは大きく目を見開く。

 

「“お父さんを復活させたい”って思うのは当たり前だよね? みんなからいじめられないように黙っているのも当たり前。……リリィは全然悪くない」

 

「そんなことより、私はリリィが……私の大切な家族が、危険な目に合うことの方が耐えられない。……だから、あの人がリリィに酷いことしないか見張ってる。もし酷いことしそうなら、身体を張ってでもリリィを逃がす。そのために、私はリリィについて行く。……ね、リリィ……」

 

 リリィを抱きしめる力を強めて、リウラは言った。

 

 

 

()()()()()()()?」

 

 

 

 それは、バギルと戦う前にリウラが掛けてくれた言葉。

 

 あの時は表面上の意味しか(とら)えられなかったが、今ならリウラが本当に言いたかったことが分かる。

 

 

 ――ずっと(そば)に居るよ。だって、あなたは私の家族だから

 

 

 リリィの眼から涙が溢れる。

 肩が震える。

 もう耐えられなかった……これ以上リリィの大切な()()を騙し、傷つけることに。

 

「ダメです……ついてきちゃダメです!」

 

「……リリィ?」

 

 リリィはリウラの水の(ころも)(つか)み、涙で顔を濡らしながら必死に叫ぶ。

 

「あの人が危ない人だなんて、最初から分かってたんです! でも、断ったら無理やり(さら)われちゃうかもしれない! 私を(かば)ってくれるリウラさん達も、殺されちゃうかもしれない! そんなの嫌だったんです!」

 

「私がついて行ったら、少なくともリウラさん達は見逃してくれるかもしれない……だけど、リウラさんがついてきちゃったら、リウラさんがどんな目に合うか分からない! だからお願いです! ついてこないでください! 私の事は忘れてください!」

 

 あの時……ディアドラの雰囲気が変わった瞬間、リリィは思った。

 

 

 ――このままでは、リウラが殺されてしまう

 

 

 だから、リリィはディアドラの誘いにのったふりをしたのだ。

 だから、リリィは“自分が魔王の使い魔であること”を明かして、リウラ達に嫌われようとしたのだ。

 

 そうしなければ、リウラの命は救えないと思ったから。

 

 あの瞬間、リリィの中の天秤(てんびん)は自分の命ではなくリウラの命へと確かに傾いたのだ。

 

 どうすれば、リウラを諦めさせることができるのか……焦りを(つの)らせるリリィに、声が掛けられる。

 

 

 

「あ~、盛り上がってるところ悪いけど、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 

「………………え?」

 

 思わず絶句してギギギ……と壊れたブリキのおもちゃのようにリリィが首を動かすと、そこには気まずそうにしているディアドラが宙に浮かんでいた。

 

「最初に言ったはずなんだけどねぇ……『誘いに来ただけだ』って」

 

「で、でも、リウラさんが『ついて行っちゃダメだ』って言ったら急に怒って……」

 

「そりゃあ、こんなうら若い乙女をつかまえて『おばさん』呼ばわりされたら怒るに決まってるさ」

 

 額に青筋を立てて言うディアドラに、リリィは「あ……」と思い至る。

 

 

 

 ――『この()()()()、リリィの事なんて全然考えてない……』

 

 

 

(言った! そういえばリウラさん『おばさん』って言ってた!!)

 

 リリィは頭を抱える。

 あらためて思い返してみれば、原作でもディアドラはリリィに『おばさん』呼ばわりされてブチ切れていたシーンがあったように思える。

 

 だが、そんな些細(ささい)なことをあの緊迫した状況で思い出せるわけもなく、てっきりリリィを連れていくことに抵抗するリウラが気にくわずに怒っていたのだと思い込んでいたのだった。

 

 しかし、よく考えてみれば、無理やりにでもリリィを攫うつもりなら、最初から攫っているだろう。こんな茶番を演じる必要など、どこにもない。

 彼女の“誘い”は、ただ単に“ディアドラ自身が鍛えた方が効率が良いだろう”と考えていただけなのだ。

 

「“さっさと強くなって、魔王の封印を解かないと死んじまう”ってことは理解できてるんだろう? 私はそれを手伝ってやろうと思っただけさ。『要らない』ってんなら、自分の力でどうにかするんだね」

 

 そう言うと、ディアドラはゆっくりと自身の姿を薄れさせ、やがてこの場から消え去った。

 

 

***

 

 

「……終わったわね」

 

 ティアは、ほっと安堵(あんど)の溜息をついた。

 

 本当に、たいしたものだと思う。

 たしかに、状況的にリリィが演技をしていた可能性は低くはなかったが、その演技は(しん)(せま)っていた。

 

 つい先程まで脅威を見せつけられていた水蛇の迫力もあって、ほとんどの水精達は完全に“リリィが自分達を利用していた”と信じ込まされ、ショックが引いた後は、湧き上がる自身の怒りの感情に飲み込まれそうになっていた。

 

 だが、リウラは違った。水精達の中でただ1人リリィに“家族”として接していた彼女は、他の水精達とは比較にならないほどリリィの事を理解し、リリィの事を想っていた。

 そんなリウラだからこそ、たやすくリリィの演技を見破り、リリィの本音を引き出すことができたのだろう。

 

「……ティアちゃんは、わかってたの?」

 

「ええ」

 

 ティアの足元で頭を押さえてうずくまり、プルプルと震えるレイクが()くと、ティアは事もなげに答えた。

 

 ティアは水精として誕生した時から、他者に対する洞察力には並はずれたものを持っていた。

 たしかにリリィの演技力は大したものであったが、ティアから見ればまだまだ甘い。

 

 リウラに放った魔弾・魔矢は全て怪我しない程度に手加減されていたし、水蛇に襲わせる時も傷つけないよう、噛みつかせるのではなく鼻先で叩かせようとしていた。

 そうしたひとつひとつの行動を丁寧に見れば、リリィがリウラを大切に思っていることはバレバレだったのだ。

 

 ティアがそのことを話すと、なぜか痛そうに頭を押さえる双子の水精達は恨めし()に言った。

 

「そ~いうことは」

 

「もうちょっと早く言ってほしいよね~……」

 

 リリィがリウラに向かって2発目の魔弾を放った瞬間、彼女達はティアの制止を振り切ってリウラを助けるために飛び出そうとしたのだが、直後、ティアが彼女達の頭に特大の水のゲンコツを落とし、力づくで止められていたのだった。

 

 双子は「殴られた理由はわかったけど……」「もうちょっと止め方ってもんがあるよね~」と痛みに頭をさすりながらブツブツ言っているが、ティアは『何も聞こえない』と言わんばかりに完全にスルーしている。

 

「……で、どうするの? あの人『魔王の封印を解かないと、リリィが死ぬ』って言ってたよ? リウラちゃん、このままだと魔王の封印を解くために、リリィと一緒に里を出て行っちゃうんじゃない? ティアちゃん、あれだけリウラちゃんの事を大切にしてたのに、このままだと危ない目に()っちゃうよ?」

 

「魔王が復活しちゃったら、大変なことになっちゃうんじゃない? 放っといていいの? あ、でもひょっとして、本当はリリィみたいに良い子なのかな? もしそうだったら、いいんだけど……」

 

 双子の言葉にティアは………………答えられなかった。

 

 

 ――『い・や・だあああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!』

 

 

 リリィと出会うまでは、なんだかんだ言ってティアの言うことを聞いていたリウラが、あんなに目を吊り上げて拒絶の意志を叩きつけるとは思わなかった。

 

 今ここでリウラを無理やり捕らえ、ここではない新たな水精の拠点に縛りつけたところで、彼女はリリィを助けるために、必ずいつかそこを抜け出すだろう。

 

 どうせそうなるのなら、むしろ気持ちよく送り出してやった方が良い。

 餞別(せんべつ)を渡して、旅をする上でのアドバイスをして、可能な限りの準備をして送り出す。……それが少しでも、彼女達が安全でいられる時間を増やすと信じて。

 

 魔王の復活については、ディアドラが背後にいる以上、ティアにはどうしようもない。

 自分には、あんな化け物を軽々と使役(しえき)する彼女に対抗できるような魔力も無ければ、彼女の企みを阻止できるような組織も無いのだ。

 

 彼女のリリィに対するぞんざいな扱いから、リリィが魔王の復活に必要だとも思えない。

 仮に今ここでリリィを殺したところで、ディアドラに対する何の妨害にもならないだろう。

 

 ――ティアは拳をきつく握りしめる

 

 いまだ空中で抱きしめ合うリリィとリウラを見つめながら、ティアは自らの無力さに歯噛みし、そんな様子の彼女をシズクは心配そうに見ていた。

 

 

***

 

 

 彼女達から遠く離れた隠れ里の一角――

 びしょ濡れになった岩場に、1人の女がいつの間にか立っていた。

 

 その姿は頭のてっぺんからつま先まで真っ黒で、帽子、手袋、ズボン、靴に外套、果ては鼻から下を覆うマスクまで、黒で統一された黒ずくめ。

 

 その身体の線の細さと、曲線を描くラインから(かろ)うじて女性であることが分かるが、それ以外は何もわからない怪しい人物であった。

 

 黒ずくめは目元だけでニヤニヤと笑いながら、口を開く。

 

「こんなところで何してるんスか? ロジェンさん」

 

 誰もいないはずの岩場に黒ずくめが声をかける。

 しばし間をおくと、突如、岩場を濡らしていた水という水がゴッ! という音を立てて巻き上がり、1人の女性の姿を形作った。

 

 ティアにも負けぬ立派な水のドレスを身に(まと)い、豊かな髪をゆったりとした三つ編みにした、20代後半の美女である。

 手には水でできた扇を持ち、それを広げて口元を隠している。

 

 水精の隠れ里の里長(さとおさ)である彼女――ロジェンは、黒ずくめを鋭い視線で睨みつけながら言った。

 

「……どうして、わたくしの居場所が分かりましたの? 気配は隠していたつもりでしたけど」

 

「あいにく、気配を隠蔽(いんぺい)する(たぐい)の魔術については、昔ちょっとばかし高名な方に教えを()う機会があったんで、結構くわしい方なんスよ。むしろ、魔術じゃなくて素直に自前(じまえ)の技術で気配を消したほうが、わかりにくかったかもしれないッスね?」

 

「……それで? わたくしに何の用ですか? あなたの望み通り、わたくしも、わたくしの騎士たちも手出しはしませんでしたわ。いまさら、わたくしに用があるとは思えませんが」

 

「ええ、まあ、その件についてはありがとうございます。感謝するッスよ。……まあ、え~っと、“シーさん”でしたっけ? あと、“シズクさん”? なんか、いざという時の保険っぽい方がいらっしゃったみたいですし、こうしてロジェンさんも私に見つからないように隠れてたっぽいッスけど……、今回はうまくいったんで、見逃してあげるッス」

 

「……」

 

 ロジェンの視線に濃密な殺気が乗り始める。

 しかし、それを柳に風と受け流し、黒ずくめは用件を切り出した。

 

「私の用件は、さっきと一緒ッスよ。あの女……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。今回だけでなく、これからもずっと……ね? もし、邪魔したら――」

 

 

 ボンッ!

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「さっきも言った通り、あなたの大切な水精達が、こうなっちゃうッスからね! ……どこに隠れても無駄ッスよ? どこにいようと私には分かるッスからね。……それじゃあ、今後ともよろしくッス~!」

 

 黒ずくめは、最後まで陽気な態度を崩さず、一瞬にしてフッと音もなく姿を消した。

 

 しばらく黒ずくめが居た空間をにらみつけていたロジェンは、やがて視線を落とすと、悔しそうに吐き捨てた。

 

「……本当に、情けない……このわたくしともあろうものが、一度ならず二度までも暴力でねじ伏せられようとは……!」

 

 まるで黒ずくめ以外にも力でねじ伏せられたことがあるかのような言葉を吐き出すと、ロジェンは心の内で決意を固める。

 

(いいでしょう。あなたの望み通り、わたくし達は手出ししません……()()()()()

 

 あの神出鬼没の黒ずくめであろうとも、決してわからないよう、できる限りの手を尽くして、リウラを……そして、リウラが認めた大切な家族を護る。そう、ロジェンは心に誓う。

 

(それに、あの娘達なら……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()あの2人なら、ディアドラや黒ずくめの企みを打ち砕き、必ずや幸せな未来をつかみ取れる。……わたくしは、そう信じています)

 

 そして、その決意と……家族愛に溢れた、力強くも優しい眼を背後の空へと向ける。

 その視線の先には、これから先の彼女達の未来を示すかのように……、

 

 

 ――とても、とても幸せそうにじゃれ合う水精(みずせい)睡魔(すいま)の姿があった

 

 

 

 

 

 

 

 ――ねぇ、リウラさん

 

 ――なあに? リリィ

 

 ――私たち、家族なんですよね?

 

 ――うん! もうとっくに!

 

 ――だったら……『お姉ちゃん』って呼んでいいですか?

 

 ――……………………

 

 ――リウラさん?

 

 ――もちろんだとも! 妹よぉぉおおおおおお~~~~~!!!!

 

 ――きゃぁぁぁあああああ!!? リウラさん!! 落ち着いてください!!

 

 ――『リウラさん』じゃなくて、『お姉ちゃん』!! それと、家族で敬語禁止!!

 

 ――わかりま……わかった! わかったから! ()()()()()、頭で私の胸をぐりぐりするのやめてぇええ!!

 

 ――良い!! 『お姉ちゃん』良い!! もう1回! もう1回、『お姉ちゃん』って言ってええ!!

 

 ――言うから! 後で言ってあげるから!! お願いだから、いったん離れて!!

 

 ――恥ずかしがるリリィも可愛いぃぃいいいい!!!!!

 

 ――お姉ちゃぁぁあああああん!!??

 

 

 

 



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第二章 怪盗リウラ 前編

 「うわぁ~~~~~!!!!!」

 

 迷宮の上層にある大きな都市の入り口で、興奮に目を輝かせる少女がいた。

 

 (とし)は15~16歳程度。

 髪をシュシュでツインテールにまとめ、ところどころフリルがついたシンプルな作りのキャミソールドレスに身を包んでいる。左手と両足首にはリボンを巻きつけて蝶結(ちょうむす)びにしていた。

 

 特徴はその色合い。その衣服や装飾品はおろか、身に(まと)う人物の頭のてっぺんからつま先に至るまで全てが半透明の水色で統一されていた。

 

 全身水色の少女はつないだ手を引きながら、興奮を抑えきれないといった様子で(かたわ)らの人物に話しかける。

 

「リリィ!! ねぇ、早く行こう!!」

 

「お姉ちゃん、まずは宿をとってからだよ? それが終わったらいっぱい見て回ろうね?」

 

 微笑ましいものを見る笑顔で答えたのは、10歳前後の少女だ。

 

 (すそ)にフリルのついた紺と白のシンプルなキャミソールドレス、右手と両足首に巻かれた紫色のリボン、黄金(こがね)色の髪を両脇でくくったその(よそお)いは、細部に違いはあるものの、水色の少女とそっくりだ。

 

 リリィと呼ばれた少女は、自分が姉として慕う人物と共に居られることが嬉しいらしく、頭頂から突き出た猫耳やスカートから覗く尻尾、背から生えているコウモリの翼がそれぞれピクピク、ユラユラ、パタパタと動き、わかりやすく喜びを表していた。

 

 ふと、水色の少女が何かに気づいたかのように、猫耳少女の顔を覗き込む。

 

「……リリィ、どうしたの?」

 

「? 何が?」

 

 水色の少女――水の精霊リウラが問いかけると、猫耳少女――魔王の使い魔にして精を奪う淫魔(いんま)、リリィは『何を問うているのか』と疑問の声を上げた。

 

「いや、なんかさっきから緊張しているみたいだったから……」

 

 リリィは、それを聞いて黙り込む。

 リウラは、リリィが話しやすいように腰をかがめて視線の高さを合わせ、リリィが話し出すのをじっと待っている。その様子は心なしか心配そうだ。

 

(う~ん……1日だけでいいから、お姉ちゃんにはリラックスして外の世界を楽しんでもらいたかったんだけど……)

 

 リリィは悩む。

 

 リウラはリリィの命を救うため、彼女の生まれ故郷である水精(みずせい)の隠れ里を離れ、こうしてリリィについて来てくれている。

 

 リリィを救うためには、魔王の封印を解き、さらにはリリィを狙うディアドラを撃退する必要がある。そのため、隠れ里を出た後、リリィは簡単にではあるが計画を立て、それをリウラに話していた。

 その計画をまとめると――

 

 1.リリィを(できればリウラも)強くする

 2.魔王の封印を強化しにやってきた人間達を()けるか、もしくは捕獲して記憶を覗き、魔王が封印されている場所を見つけ出す

 3.魔王の封印を解いて、魔王の肉体の魔力を奪う

 4.魔王の膨大な魔力を使って、魔王の魂との繋がりを断ち切り、魔王の魂や肉体に何かあってもリリィに影響が出ないようにする

 5.魔王の魔力で超パワーアップしたリリィが、ディアドラを撃退

 

 ――といった内容になる。

 

 この計画を実行するためには、まず何をおいても、魔王の封印を解除できるレベルにまで、早々にリリィの魔力を強化する必要がある。

 

 そのため、可能な限り早く動いたほうが良いのは確かなのだが……リウラは生まれてからずっと隠れ里で過ごし、ようやく長い間あこがれていた外の世界へやってくることができたのだ。1日くらい、姉が気兼(きが)ねなく外の世界を満喫(まんきつ)できる時間を作っても、バチは当たるまい。

 実際、リウラにも『今日1日は、お姉ちゃんの好きなように過ごしていいからね!』と事前に話しておいてある。

 

 これは、今のリリィができる精いっぱいのお()びとお礼……“こんな大変なことに巻き込んでしまって申し訳ない”というお詫びと、“私を救うためについて来てくれてありがとう”というお礼でもあった。

 もちろん、全てを無事に終わらせることができたのなら、その時は改めてもっとちゃんとした恩返しをするつもりである。

 

 リリィが緊張している理由を話せば、おそらくリウラはリラックスして町を回ることができなくなる。

 だからこそ黙っていたのだが……『リリィ大好き』と公言する姉の眼を(あざむ)くことはできなかったようだ。

 

 『何でもない』と答えても、他人(ひと)の表情や雰囲気に敏感なリウラを納得させることは難しい。“もはや誤魔化(ごまか)すことは不可能”と観念(かんねん)してリリィは話し出す。

 

「……お姉ちゃん……私たち、たくさんの人から見られてるの……わかる……?」

 

「え? そりゃあ、結構じろじろ見られてるとは思ってたけど……嫌だった?」

 

 リウラも気づいていなかったわけではない。

 町の入り口に姿を現した時から、結構な人数がリリィとリウラにチラチラと視線を向けている。

 

 “水精と睡魔(すいま)”という組み合わせが珍しいのか、おそろいの服装が気になるのか、それとも2人の可愛らしさに目を奪われているのか……リウラには理由はわからないが、なにか目を引くものがあるのだろう。

 リウラはあまり気にしていないが、リリィには不快だったのだろうか?

 

「“嫌”とか、そういう話じゃないの。……“この中の何人かは悪いことをしようと思っている”って考えなきゃいけないってこと」

 

 リウラが表情を引きつらせる。

 リウラは考える前に、あるいは考えがまとまる前に行動することが多いため誤解されやすいが、決してバカではない。リリィが言っていることはすぐに理解できた。

 

 ロジェンを初めとする水精達から、隠れ里を出る前にいくつかの注意点――すなわち、危機管理の方法については聞かされている。

 

 水精の隠れ里が引きこもり集団であるとはいえ、完全に外界(がいかい)との関わりを遮断してしまっては、なにか予想外の事が起こった時に全滅してしまう恐れがある。

 

 そのため、処世術と戦闘力を兼ね(そな)えている水精……主に里長(さとおさ)であるロジェンに極めて近しい水精達が外界の情報を仕入れたり、緊急時の貯蓄のために水産物を売りさばいたりしているのだ。

 

 そうした外の世界に詳しい水精達が、スリ、強盗、誘拐、強姦……果ては殺人まで、幅広い犯罪とその対策をリウラとリリィに教えてくれたのだ。そればかりか、里の緊急時の(たくわ)えからそれなりの金額をリウラとリリィに渡してくれた。

 水精達が如何(いか)にリウラの事を大切に想っているかが良く分かる。

 

 その時の『いかに外の世界は恐ろしいか』を懇々(こんこん)と説明されたことを、リリィの発言から思いだし、“この町はそんなに恐ろしい所なのか?”と、リウラは戦々恐々とすることになった。

 

 リウラの引きつった顔を見て、“あ、言い過ぎた”と感じたリリィは慌てて自分の発言をフォローする。

 

「でも、ある程度注意してたら大丈夫だと思う! ほら、私たち強いし!」

 

 リウラとリリィはかなり強い。それは客観的に見ても事実だ。

 

 回収を忘れたのか、それとも“後で()び出せば良い”と思っているのか、ディアドラは水蛇(サーペント)という巨大な使い魔を置いたまま去って行った。

 そのため、リリィは置き去りにされた水蛇の精気を改めて吸収することができ、あの巨体に秘められた莫大なエネルギーをほぼ丸ごと手に入れることができた。今や、彼女の魔力はそんじょそこらの睡魔とは比較にならないほどに強化されている。

 

 対してリウラはその水蛇(すいだ)の牙を単独で防いで見せるほどの、素早く正確な水流操作技術を持っており、さらにはリリィの追尾弾を軽々と(かわ)し、()らすほどの体術・護身術を操ることができる。

 

 そこらのごろつき程度なら、この2人に誘拐や強盗を(こころ)みたところで大抵が返り討ちだろう。

 もちろん、この迷宮には2人以上に強い者も存在するだろうから油断はできないが。

 

「さ、ほら! さっさと宿をとって町を楽しもう!」

 

 いまだに緊張がとれないリウラの様子を見て焦ったリリィは、リウラの手を引きながら、急いでロジェンが教えてくれた宿を目指す。

 

 とりあえず、露店や屋台を見て回り、リウラをリラックスさせよう――そうリリィは心に決めて、周りの人々の視線を振り切りながら歩き続けた。

 

 

***

 

 

「お、美味しい~~~!!」

 

 そう言って涙を流して喜んでいるのはリウラ……ではなく、リリィであった。

 

 宿を予約した後、リウラと町を見て回っていたリリィが、ふらふらと屋台で売っている串焼きの匂いに引き寄せられ、ひとくち食べた感想がこれである。

 

「な、涙を流すほどに美味しいの?」

 

 リリィのそのあまりにも感激した様子に、少なくない驚きと興味を感じ、リウラが聞き返す。

 

「ううん、普段ならここまで感激するほどじゃないんだけど……なにしろ、この1週間ずっと調味料も香辛料もない生魚ばっかりだったから……!」

 

 水精は飲食しなくとも生きていけるうえ、好んで口にするのは固形物ではなく飲み物なので、基本的に彼女達は料理をしない。なので当然、水精の隠れ里には調味料も香辛料も存在しなかった。

 

 おまけにリリィの魔力が低いうちは発火魔術さえ使えなかったため、生魚のまるかじりオンリーという、なんとも生臭くて味気(あじけ)のない食生活だった。

 それに比べれば、この串焼きは極上と言える。

 

 リリィのそのあまりにも美味しそうに食べる様子に、リウラの(のど)がゴクリと鳴った。

 

「ね……、ねぇ……私もひとくち食べていい?」

 

「え……、別に良いけど……」

 

 リリィはためらう。

 

 リリィが食べているのは、とある魔物の肉を串焼きにしたものだ。

 だが、基本的に精霊は肉食を好まない。口に含んだ瞬間に吐き出したくなるほど不味く感じるのだ。

 正直に言って、そんな思いをわざわざリウラにさせたくはない。

 

 しかし、リウラはとても好奇心旺盛(おうせい)な水精だ。

 リリィが『美味しい』と言って食べているものを『不味いよ』と言ったところで納得するはずもなく、『いっぺん食べてみたい』と言われるのは明白だった。

 

 別に身体に害があるわけでもなく、リウラと同系統の精霊で実際に肉を食べたことのある者も原作の世界には存在するので、リリィは少々ためらいつつもリウラに串焼きを渡す。

 

(……まあ、これも経験だよね)

 

 そんなリリィの思いもつゆ知らず、リウラはワクワクとした表情で串焼きにかぶりついた。

 これからリウラに訪れる悲劇を思い、リリィは心の中で十字を切る。

 

「……お」

 

(……『おえぇ~』、かな?)

 

 屋台に来る途中で買ったハンカチをいそいそとリリィは開き、リウラが吐き出したものを受けるために備える。

 

「美味しい~~~~~!!!!??」

 

「へ?」

 

 リリィの眼が点になる。

 

「うわ! ホントに美味しい!! お肉の汁がじゅわっと口の中に広がって……! えーっと……これが“ジューシー”って言うのかな!?」

 

 リウラの眼がキラキラしている。

 リリィや屋台の店主への気づかいでも何でもなく、本当に美味しいと感じているのがはっきりとわかる。

 

(あ、あれ……?)

 

 リリィは戸惑(とまど)う。

 

 先も述べたように、精霊は肉の(たぐい)を好まない。

 精霊達が美味しいと感じるのは、基本的にその精霊の本質に沿ったもの……水精であれば、美味しい水で作られたお酒、木精(ユイチリ)であれば、栄養豊かな肥料といったものでなければならないはずである。

 

 もちろん、例外はある。

 “その精霊が発生する土地が大量の死体や血で(けが)されており、精霊を構成する肉体の中にそれらが混ざってしまう”、あるいは、“飢えて死んだ動物などの霊が乗り移る”といった条件を満たせば精霊は血に飢え、肉食を(この)むようになる。

 

 だが、リウラが生まれた場所は非常に清らかな地底湖。

 魚を狩ったことがあるとはいえ、別に魚の死体で埋まっているわけでもない。

 リウラが血に飢えて、“他の生物を襲いたい”と思っているような様子もまるで見えない。……リウラが肉を“美味しい”と感じるはずがないのだ。

 

(私と魔王様の知識が間違っている……? ゲームの設定なんて後づけでいくらでも変わるし、魔王様だって精霊にそこまで深い興味があったわけでもないし……)

 

 リリィが考え込んでいる間に、リウラは咀嚼(そしゃく)を終えてゴクンと飲み込む。

 リウラは眼を輝かせながら、残った串焼きをリリィに返す。

 

「私も自分の分、買ってくる!」

 

 リウラはそう言うや否や、すぐに先の屋台へ向かう。

 その様子はリリィから見て、非常に楽しそうだった。

 

(……まあ、理由なんてどうでもいいか。お姉ちゃん楽しそうだし)

 

 元々の身体に対して直接肉を混ぜ込むのならばともかく、食事として吸収する分には肉を摂取しても血に飢える危険性はない。

 食べられる食事のバリエーションが大幅に増えるということは、リウラと食事をする楽しみが増えるということだ。それはリリィにとってもリウラにとっても幸せなことだった。

 

 はやる様子で水の(ころも)から財布代わりの小袋をいそいそと取り出すリウラを見て、リリィは微笑みつつ残りの串焼きを食べ始める。

 

 

 ――その時、リウラの後ろを1人の狼獣人(ヴェアヴォルフ)の男性が通り過ぎた

 

 

 ドンッ

 

「わっ!?」

 

「お姉ちゃん!?」

 

 狼そのものの頭部を持つ、体格の良い獣人にぶつかられ、リウラは尻もちをつく。

 リリィは慌ててリウラに駆け寄った。

 

「お姉ちゃん、大丈夫!? 怪我はない!?」

 

「う……うん……。ちょっとぶつかっただけ」

 

 リウラに怪我がないことに、ほっとするリリィ。

 だがその直後、リリィの顔からサーッと血の()が引いていく。

 

「リリィ?」

 

 リウラがリリィの異常に気づく。

 リリィの視線が自分ではなく別のところ……リウラから少し離れた地面を見ているのを見て自分もそちらを向く。

 直後、リウラの顔もリリィと同じように青ざめていく。

 

 地面に落ちていたのはリウラの財布代わりの小袋……その一部。

 スリに取られないよう、水の鎖によって小袋の口とリウラの水の衣のポケットを繋いだリウラの財布は、その対策を嘲笑(あざわら)うかのように、鋭利な断面を残した袋の口だけを残して地面に転がっていた。

 

 

***

 

 

「ぐぁっはっは! そうか、やっぱりスられたか! わっはっはっは!!」

 

「笑いごとじゃないよ! 『やっぱり』って、何!? わかってたんなら、どうして教えてくれなかったの!」

 

 リウラ達は、あの後すぐに宿に戻った。

 自分達の予想を上回る治安の悪さに『いったん宿に帰ったほうが良い』という意見が一致したためだ。

 

 リウラ達がとった宿の名は“水の貴婦人亭(きふじんてい)”。

 ロジェンが『この町で一番安全な宿』と紹介してくれたところだ。

 

 少々値段は高めだが、部屋は広めだし雰囲気も良い。

 1階には食堂と酒場を兼ねたスペースもある。一度心を落ち着けるには最適だった。

 

 リウラとリリィがいるのは、その食堂兼酒場のカウンター席。

 昼時(ひるどき)を過ぎているため、リウラたち以外に人はほとんどいない。

 

 目を吊り上げるリウラの前で豪快に笑っているのは、この宿の主人だ。

 

 きれいに整えられた口髭と髪は、高齢によるものか真っ白に染まっているにもかかわらず、背はピシリと伸びており、鍛えられた筋肉がシャツを押し上げている。

 顔もしわが刻まれているにもかかわらず、瞳はいたずら小僧のように輝き、その笑顔も笑い声も若々しさに満ち溢れていた。

 ロジェンによると、老いてなお若い戦士を簡単にボコれる腕っぷしを持っているらしい。

 

 主人は、人間族と同じ位置にある犬耳を震わせながら、リウラ達の失敗談に大笑いしていた。

 

「あん? ロジェンの嬢ちゃんは教えてくれなかったのか? 『そんな(ひも)で繋いだくらいじゃスリは防げねぇ』ってよ」

 

「うっ……ほ、他にもスリから身を守る方法は教えてくれたけど……、それでも『それじゃ、スリは防げないから気をつけてね』の一言(ひとこと)があっても良いでしょ!?」

 

 正確には、人込(ひとご)みでスリを含めた他人から身を守るための方法を、リウラはロジェン達から教わっていた。

 

 水精は接近戦を不得手(ふえて)とし、高い魔力を()かした水の魔術による遠距離攻撃を得意とする種族である。

 つまり、他の種族に比べて体格やパワー、素早さがやや劣る種族なのだ。

 リウラや、その友人の双子の水精――レインとレイクなどはシズクに鍛えられているため、例外的に近接戦を得意とするが、それでも彼女達以上に動ける者はごまんといる。

 

 そんな彼女達は、常に自分の周囲に水球を待機させ、いつでも自分の身を守れるようにしている。

 ロジェン達が教えたのは、その応用で、“財布を取り出すときには、自分の周囲に水壁を張る”というものだ。

 

 水精の魔力は他の種族と比べても高めだ。

 そんな水精が作り上げた水壁を押し破ってまで財布を奪おうとする者など、そうそういない。

 わざわざ騒ぎを起こしたり、そこまでの労力を使ってまで水精の財布を奪うよりは、もっと狙いやすい獲物を探したほうがよほどリスクもかからないし、体力も浪費せずに済むからだ。

 そして、リウラはこれを(おこた)った。だから、盗まれてしまったのだ。

 

 宿の主人――ブランはリウラの答えを聞いて、呆れたように深くため息をつく。

 

「ほれ見ろ、やっぱり教わってんじゃねえか……。つか、そんな中途半端な状態で嬢ちゃんを外へ出したのか……」

 

 「あの面倒見のいい嬢ちゃんらしくねえな」とブランは首をひねる。

 

 ブランの知る彼女――水精ロジェンならば、何日も……へたすれば何ヶ月もかけて、みっちりと対策を仕込んでから送り出しそうなものだ。

 イメージのズレにブランがわずかに困惑していると、その疑問にホットミルクのカップを傾けていたリリィが答えた。

 

「……事情があって、すぐに別れなければならなかったんですよ。外に出る準備をする時間は、ほとんどありませんでした」

 

 元々ロジェン達はリウラを地底湖の外に出すつもりなどなかった。外での防犯対策など教えるつもりもなく、リウラの防犯知識はほぼ完全にゼロだった。

 

 ところがディアドラとの一件でリウラは隠れ里を離れることになり、水精達はすぐに別の拠点へ移らざるを()なくなった。

 必要最低限の防犯対策を口頭でリウラに伝える以外に、ロジェン達はどうしようもなかったのだ。リウラの防犯意識が薄いのは仕方がないことであった。

 

 ブランは「そうか」と言うと、それ以上は()いてこなかった。

 代わりに、先程のリウラの質問に答える。

 

「仮に“嬢ちゃんたちがそれを理解できてねぇ”って知っててもよ、俺はわざわざ『気をつけろよ』なんて言わないぜ?」

 

「なんで!?」

 

()りねえからだ」

 

「へ?」

 

 リウラは予想外の答えに、きょとんとする。

 リリィは意味が理解できたらしく、表情が若干苦々(にがにが)しいものになっている。

 

「嬢ちゃんたちはロジェンの嬢ちゃんに『気をつけろ』と言われてんのに、それでもスられただろ? 他人がいくら言ったって、本人がちゃんと“どんだけ危ないのか”ってのを理解できてなきゃ意味がねえ」

 

「俺が一言(ひとこと)言やあ、今回は防げたかもしんねえが、しばらく()ったら忘れておんなじようにスられちまう……こういうのは、いっぺん痛い目を見させるのが一番本人のためになるんだよ……深刻な被害が出ない程度にな」

 

 ロジェンから言われていたにもかかわらず、実際にスられてしまったリウラはぐぅの()も出ない。

 町に入った時にリリィからも注意を受けていたことを思い出し、よけいにブランの(げん)に説得力を感じてしまう。

 

 その時、ブランの表情を見たリウラは気づいた。

 

(あれ……? なんか、遠い目してる……)

 

 ブランは何かを思い出すように遠い目をしていた。

 リウラから見て、その目はなんとなく後悔しているように見えた。

 

(う~ん……ひょっとして、ブランさんもおんなじ間違いをしたのかも)

 

 リウラ達を、若い頃の自分に重ねて見ている……そう考えれば、つじつまは合う。

 

 そこまで考えが至ると、リウラの気持ちがストンと落ち着いた。

 『自分たちの(ため)にしてくれたのだ』と感謝の気持ちが生まれ、同じミスをしたと思われるブランへの親近感すら()いてくる。

 

 ブランが遠い目から戻ってくると、ニヤリと笑いながら、今度はリリィに視線を向ける。

 

「そこの睡魔の嬢ちゃんみたいに(はな)(ぱしら)の高い奴は特にな」

 

 リリィはその言葉を聞くと、(ふくれ)れっ(つら)になりながら飲み終えたカップの飲み口を口にくわえ、行儀悪くブラブラと()らす。

 

 リウラもリリィも、外の世界の危険性を理解している()()()になっていたが為に失敗したが、その根っこにある大本の原因は、それぞれ全く異なる。

 

 リウラの場合は経験不足によってアドバイスを失念していたことが原因だが、リリィの場合は自身の能力への過信が原因だ。

 

 リリィの前世の記憶の中には、町で生活した記憶もある。それに対して、リウラはそうした経験は全くない。

 そんなリウラを(そば)で見ていて、リリィは無意識のうちにリウラを下に見ていたのだ――町での生活については自分のほうが経験者だ、と。

 

 この時点でリリィは自分の経験を過信し、その経験がこの世界でも通用すると考えてしまったのだ。

 銃社会ですらない、人権が保障された平和な国での生活経験など、日常的に殺人や人身売買が行われているこの世界では通用しないというのに――

 

 さらに、水蛇を撃破した経験がこの過信を後押しした。

 

 “自分達はあんなに強大な魔物を撃破したのだ”、“水蛇の精気を吸収した自分に(かな)う魔力の持ち主など、そうはいない”……こうした自分に対する過剰な自信が、“何かあっても自分達なら腕力で解決できる”とリリィに勘違いさせた。

 

 だが結果はご覧の通り。

 スリに、あっさりと目の前で大切な姉の財布が盗まれ、取り押さえることもできないうちに群衆に(まぎ)れこまれた。

 わかりやすく走って逃げてくれてでもいれば、リリィの気配探知に引っかかるのだが、相手はそんな間抜けではなかった。

 

 “ブランの言うことは正しい”……リリィはそう感じていた。

 今、痛い目を見ておかなければ、リリィはどんどん(おご)り高ぶり、いつか取り返しのつかない失敗をしてしまっただろう。

 精気の吸収で加速度的に強くなるリリィは、たいていの物事を腕力で解決できるようになってしまうので、他人(ひと)と比べて失敗するチャンスが少ないからだ。

 

 だが、だからと言って自分の失敗を他人に笑われて良い気持ちがするはずがない。リリィの機嫌は急降下したままだ。

 リリィは、こういう時にパッと気持ちを切り替えられるリウラを尊敬する。

 水の精霊は(うつ)ろいやすい性格を持つ傾向があるので、それが関係しているのかもしれない。

 

 また、“全財産を奪われたわけではない”という事実も、リウラの気持ちを切り替える一助(いちじょ)となっているのだろう。

 

 ロジェンは奪われた場合のことも想定してリウラ達に対策を授けていた。

 具体的には、財布をリウラとリリィで2分割し、さらに、通常使うものと緊急時のために取っておくもので2分割――計4分割することで、もしどれか1つが盗られたとしても被害を最小限に抑えるようにしていたのだ。

 

 こうやって落ち着いて話していられるのもロジェンのおかげだった。

 とはいえ、このまま“のほほん”としていられるほど、お金に余裕があるわけでもない。

 

 なので、さっそくリウラは自分の失敗を取り返す算段を始める。

 

「ねえ、ブランさん。私が魚を()ってきたら買ってくれる?」

 

「そういうのは業者で間に合ってんだ。てっとり(ばや)く金が欲しいんなら、そこの依頼でもこなしたらどうだ?」

 

「依頼?」

 

 洗った皿を()きながらブランが(あご)で示した方向には、大量の張り紙がされた告知板(こくちばん)があった。

 

 宿屋や酒場といった場所は、近隣(きんりん)からの情報が集まりやすく、また様々な技能を持った人物がやってくる。

 それらの情報や人材を有効活用するため、このように依頼書を貼りつけるスペースが(もう)けられていることが多いのだ。

 形式や内容は、その土地特有の依頼であったり、特定の組合からの依頼であったりと様々である。

 

 ピョンと椅子から降りたリウラは、その壁の前まで来ると、その紙を1枚1枚読み上げていく。

 

「“日向(ひなた)の薬草求む”……“樹霊(じゅれい)の迷宮までの護衛”……“虹色の福寿魚(ふくじゅうお)求む”――あ、これすごい! 81,000だって! ね、リリィ! これやってみない!?」

 

 リウラが目を輝かせる。

 ラウルバーシュ大陸で使用される通貨には、ルドラ・ディル・サントエリル・シリン・エリンなど様々なものがあるが、このあたりで使われている通貨は、ひどく大雑把(おおざっぱ)にまとめて1通貨単位あたり、おおよそ2,000円程度の価値がある。

 つまり、81,000は日本円に換算して約1億6,200万円に相当する。リウラが大声を上げるのも無理はない。

 

「いや、無理だよ、お姉ちゃん……この魚、すんごい見つけにくいんだから……」

 

「そうなの? 私とリリィなら、()りなんてしなくても水中から一目(ひとめ)で探せるし……」

 

「その程度で見つかるなら、こんな報酬額になってないって……」

 

 「う~ん」と(うな)りながら、自分たちに合った依頼を探し直すリウラとリリィ。

 

「あ、これどう? “蜥蜴人族(リザードモール)一族の討伐”だって! これもすっごい報酬高「お願いだからそれはやめて。いやホント真剣にお願いします」……ど、どうしたの、リリィ?」

 

 しゃべっている途中で割り込み、リウラの両肩をつかみつつ必死に頭を下げて『その依頼だけは受けないでくれ』と頼みこむリリィに、リウラは目を白黒させる。

 

「あ~、嬢ちゃん。そいつは小さな国の軍隊を丸々ひとつ相手にするようなもんだ。やめといたほうが良い」

 

 見かねたのか、ブランが口を(はさ)んでくる。

 

「あれ? アドバイスしてくれるの?」

 

「自分から死にに行くようなことをしてたら、さすがにな。なんも言わずにそのまま行かせて死んじまったら寝覚(ねざ)めが悪りぃ」

 

「でも、私達、まがりなりにもサッちゃんに勝ったし……」

 

「お姉ちゃん。この人達、たぶん軽々とサッちゃんを狩れると思うよ」

 

 その言葉に、リウラは冷や汗を垂らしながら「ホント?」と問いかけると、リリィはこっくりと頷く。

 

 サッちゃんとは、リリィ達が倒した水蛇(サーペント)の名前だ。

 “仮”とはいえリリィの使い魔になったことで、『仲間になったんだから“サーペント”と呼ぶのは味気ない』と、リウラが嬉々(きき)として命名した。

 

 彼は、今や住む者のいない水精の隠れ里(あと)で、リウラ達の思い出の場所が荒らされないよう、リリィによって(ばん)を命じられている。

 本契約者であるディアドラが()び出すまでは、あの場所を守ってくれるだろう。

 “……仲間というよりはペットにつける名前だよね”とリリィが思ったのは内緒である。

 

 依頼に書かれている討伐対象の蜥蜴人族(リザードモール)は、この迷宮の一大勢力として有名だ。

 彼らはその大半が武力至上主義の戦闘狂(バトルマニア)であり、個人個人が高い力量を持っている。

 

 魔王の意識が人間族との戦争に向いていたとはいえ、かつての魔王軍の侵攻を大した損害もなく退(しりぞ)けていることからも、その実力の高さが(うかが)える。

 水蛇(すいだ)の1匹程度、彼らは苦もなく倒してしまえるだろう。

 

「あぁそういや、その依頼を出した奴ァ死んだって、昨日の晩に連絡があったぜ。()がし忘れて悪かったな」

 

 そう言うとブランが壁に歩み寄り、依頼が書かれた張り紙を告知板から剥がす。

 その様子を見ながら、リリィは疑問を覚えていた。

 

(……でも、こんな危険な依頼、いったい誰が……?)

 

 リリィが不審(ふしん)に思って、ブランの手にある張り紙の依頼主の欄を見るが、その名前に見覚えはない。

 リリィは思い切って聞いてみた。

 

「ブランさん、この依頼って誰が出したんですか?」

 

「魔王軍だ」

 

 ブフォッ!

 

 リリィは思わず噴き出した。

 リウラも驚きに目を丸くしている。

 

「どうも、この蜥蜴人族(リザードモール)の侵略を任されてた奴らしいんだが、(かた)(ぱし)から返り討ちにあっていたようでよ……形振(なりふ)り構っていられなくなったらしい。『徴集した兵士が片っ端から死んじまう』って泣きながら、ここでよく酒をあおってた」

 

「そ、そうですか……」

 

(そりゃ、自分の首がかかってるもんね……魔王軍も色々大変だったんだなぁ……)

 

 魔王軍の中間管理職は、失敗すれば文字通りに()()飛ぶ。

 その事実を知るリリィから(かわ)いた笑いが漏れた。

 

 気を取り直して再び自分たちに合った依頼をリウラ達は探し始める。

 「あ……」という声とともに、リウラの視線が止まった。

 

「リリィ、これにしない?」

 

 リウラが指差したのは、“オークの盗賊団の討伐”。

 

 オークとは、鬼族(きぞく)という種族の一種だ。

 豚に似た鼻と、ぷっくり太ったお腹、緑色の肌が特徴で、頭はさほどよろしくないが、体力と器用さに優れた種族である。

 

 依頼の内容は、この近辺(きんぺん)で悪さを働くオークの盗賊団を討伐し、依頼者に引き渡すことと、以前、彼らに奪われた高価な指輪を取り戻すこと。

 報酬は討伐遂行(すいこう)で1000、指輪の奪還(だっかん)で500、合わせて1500だ。

 

 戦闘能力以外にあまり特筆すべきもののないリウラとリリィには向いている依頼だといえる。依頼難度と報酬のバランスも妥当なところだ。

 だが、リウラとリリィの戦闘力ならもっと難度の高い依頼もこなせるだろう。

 

「いいけど……他にももっと(わり)の良いのがあるよ?」

 

「うん。でも、これにしたい。……“盗られたものを取り返したい”って気持ち、他人事(ひとごと)とは思えないから……」

 

 どうやら財布を盗られた(つら)さを知っているが故に、見過(みす)ごせないらしい。

 「ダメかな?」と申し訳なさそうに()いてくるリウラに、リリィは苦笑した。

 

(……損な性格してるなぁ……そこが良いところなんだけど)

 

 その“損な性格”に救われたリリィが『(いな)』と言えるわけがない。

 リウラ達の初仕事が決まった。

 

 

***

 

 

 ゴォン!!

 

 ガッガン!!

 

 前方から振り下ろされた棍棒を余裕を持って(かわ)し、左から切りつけられた無骨(ぶこつ)な剣を水壁で受ける。

 リウラが作り出した球面状の水壁に接触した剣は、壁面の水が素早く下に流れたことで力を受け流され、地面へと叩きつけられる。

 

 その時には棍棒を振り下ろしたオークの胸元(むなもと)に、(つち)の形をした人の頭ほどの大きさの水球が生み出され、次の瞬間、オークの(あご)を下から上へと打ち上げる。

 

 ゴッ!!

 

 脳震盪(のうしんとう)を起こしたオークが倒れるのを待たず、リウラは左のオークへ視線を向けながら前方へ飛び出し、頭の中で周囲の水球たちへ指示を飛ばす。

 

 剣を再度振りかざしたオークがリウラを追いかけようとする直前、後ろからヒョイと水の手がオークの(かぶと)を奪い去り……その直後、オークの頭上で待機していた水球のひとつが急降下してオークの脳天を打ち抜いた。

 

 ズンッ!!

 

 脳天に衝突した水球は、オークの頭の形に歪みながらその衝撃を(あま)すことなく伝え、オークの意識を奪う。

 

 オークたちが倒れる音を聞きながら、リウラは周囲に敵がいないか気を配り、最後に倒したオークたちが起き上がってこないかしばらく観察すると、「ふーっ」と大きく息を吐いて警戒を解いた。

 

「やっぱりお姉ちゃん、すごいね……本当にオークと戦うのって初めてなの?」

 

 リウラの後方からリリィがやってくる。

 彼女の左手には小型の水盾が、右手には水の長剣が装備されていた。

 

 リリィが左の人差指を上に向けると、倒れていたオーク達の全身から淡く輝く精気が強引に引き出され、リリィの立てた指へと吸い込まれていく。

 

「初めてだよ~。私が実際に戦ったことあるのって、シズクとレイン、レイクの3人だけだもん」

 

「その割には、なんか(さま)になってたような……体捌(たいさば)きとか周囲の状況確認とか。それもシズクさんから教わったの?」

 

 水精シズクは、肩甲骨まである真っすぐな髪と、水の巫女服がとてもよく似合う、もの静かな雰囲気の水精だ。

 ティアの親友であると同時にリウラの護身術の師でもあり、リウラ(いわ)く『いまだに自分との実力差が見当もつかないほど強い』らしい。

 

 リウラの動き、そして水術の扱いは素人目(しろうとめ)に見てもかなり綺麗で的確だった。

 まるでオーク達がどのように動くのかを(あらかじ)め知っていたかのように丁寧に素早くさばき、あっという間に片づけている。

 ただ身体の動かし方を知っているだけでは、こうはいかないだろう。おそらく迷宮での立ち回り方や、オークの一般的な戦い方も教えられているはずだ。

 

「そうだよ。どんな地形があって、どんな種族がいて、どんな戦い方をしてきて、それに対してどう対応するか……嫌になるほど勉強させられたよ」

 

 リウラがやや遠い目になる。

 

 頭を使うことも武術を学ぶことも決して嫌いではないのだが、様々な種族・生物の“殺し方”を延々(えんえん)と頭に叩き込むのだけは、リウラにとって少々苦痛だった。

 “隠れ里の外に出るため”、“自分の身を守るため”という目的がなければ、“殺し方”だけは教わっていなかったかもしれない。

 

 リウラの回答を聞いて、リリィはふと疑問が()く。

 

「シズクさんって、いったい何してた人なんだろ……?」

 

 水精ティエネー種は基本的に温厚な種族であり、あまり戦闘を好まない。

 どう考えても戦闘の専門家としての知識を持っている水精シズクは、かなり風変(ふうがわ)りな人物だ。

 

 リウラは「えーと……」と視線を左上にやって、シズクから聞いた話を思い出す。

 

「たしかシズクは大陸の東の生まれで、生まれてすぐに武術を習い始めたんだって。理由は詳しくは教えてくれなかったけど、その武術を教えてくれた人を探して、シズクは色々と大陸のあちこちを旅しつつ腕を(みが)いてきたらしいよ?」

 

 そう言われてみれば、彼女の(よそお)い――リリィの前世の世界で言う“東洋風の意匠(いしょう)”は大陸東方、もしくは南東のディスナフロディ周辺独特のものだ。

 

 水精の(まと)う水の衣の意匠(デザイン)は、生まれた地域の文化に大きく依存する。

 周囲の人間や亜人の装いを見て、『それが人型生物の着るものなのだ』と認識して自分の身体とともに無意識に作成する――いわばアイデンティティのひとつであり、もうひとつの自分の身体そのものなのだ。

 

 彼女達は無意識下で“自分の身体はこういうもの”と認識しているため、それを容易に変化させることはできない。

 だから、水精は全身が水でできているにもかかわらず、現在の人型の姿と、自らの根源である“水そのもの”以外の姿に、自分の身体を変化させることができないのだ。

 

 それはもうひとつの身体とも言える水の衣も同様。

 “身体”ではなく“衣服”という認識であるため、変化させようと思えばできないことはないが、それを維持するには相応の集中力と精神力が必要となる。

 

 つまり、シズクが普段から東洋風の衣装を纏っていたということは、彼女が東方諸国やディスナフロディといった東洋系文化がある地域の出身であるという、これ以上ない証拠だった。

 

 そこまで考えて、リリィはふと自分の思考に違和感を覚える。

 ――そんな変化させるのが難しいはずの水の衣を、ヒョイヒョイとお着替え感覚で気軽に変化させる水精を、つい最近見たことがあるような……?

 

「リリィ! 見て見て!!」

 

 リウラの声に意識が現実へと戻される。

 

 リウラが指差している方向を見ると、オークたちの居住区らしき場所が見える。

 その中に、宝箱がいくつか置いてあるのが見えた。

 

「依頼にあった“指輪”ってあの中じゃない!? 開けてみようよ!!」

 

 リリィはピクピクと耳を動かし、もうオークらしき気配がないことを確認すると、頷いた。

 

「……うん。盗賊も全員倒したみたいだし、指輪を探そっか」

 

 いつ敵が来るかわからない場所での考え事は危険だ。そのことはリリィが身を(もっ)て知っている。

 

 リリィは先程までの思考を後回しにし、宝箱へと向かうリウラの後を追った。

 

 

***

 

 

 宝箱――というと、ゲームや物語では金銀財宝ザックザクのボーナスアイテムのイメージだが、この世界ではそんなことはない。ただの金庫である。

 

 その手の店に行けば、ズラリと同じように量産されているものがたくさん見つかるだろう。

 それが、どういうことを意味するか………………答えは目の前の姉の行動にある。

 

「お姉ちゃん……何してんの……?」

 

「ふっふっふ……まあ、見ていたまえ……♪」

 

 宝箱の目の前についたとたん、いきなり姉は鍵穴をいじりだした。

 よく見れば、リウラの手元で少量の水が鍵穴に向かって伸びているのが見える。

 

 数秒後、カチンと音が鳴る。

 リウラはそれを聞くと(ふた)を持ち上げる――鍵は完全に解錠されていた。

 

(お……お姉ちゃん……犯罪とかしてないよね?)

 

 姉の持つ意外な特技に、リリィは冷や汗を流しながら若干引いている。

 そんなリリィをよそに、リウラはのんきな声を出してほっとする。

 

「良かった~。ウチにあったのとおんなじ金庫で」

 

「? どういうこと?」

 

「前に、里にある唯一の金庫の鍵がなくなって大騒ぎしたことがあってね? ……ほら、隠れ里(ウチ)って基本的に外部との接触を()って身を守ってるじゃない? だから、鍵職人を呼ぶこともできないし、金庫を壊して新しい金庫を買って帰るのも『目立って隠れ里の位置がバレると嫌だから、できれば避けたい』ってなって……それで、里で2番目に器用な私に声がかかったってわけ」

 

 ちなみに1番器用なのはリウラの師であるシズクだが、ちょうどその時彼女は外界(がいかい)の情報収集のために外出していたらしい。

 

「ちょっと時間はかかったけど、無事に金庫は開いて、必要な鍵の形を金庫番の人に教えて、めでたしめでたし。その時のと同じタイプの金庫だったから、おんなじ方法で開けられたよ」

 

 余談だが、この件で金庫番とリウラ以外に鍵が開けられなくなったため、金庫番の水精は『セキュリティが向上した』とプラス思考で喜んでいたそうだ。

 

 宝箱を思い通りに解錠できて嬉しかったのか、「怪盗リウラ参上!」とノリノリで自分の衣装を変化させるリウラ。

 タキシードにシルクハット、マントに単眼鏡(モノクル)というその姿は、怪盗というよりも手品師(マジシャン)のようだ。

 

 隠れ里の(おさ)であるロジェンが寝物語(ねものがたり)にリウラに良く話してくれたという、彼女自作の物語に登場する義賊 “怪盗ミスト”の()()ちである。

 

 リリィも一度だけ聞かせてもらったことがあるが、魔術とトリックを併用してピンチを切り抜ける(さま)が良く練りこまれており、前世で色々なメディアに触れていたリリィをして、かなり面白いと思わせる話だった。

 

 リリィは、そんなリウラを見て口を半開(はんびら)きにした状態で唖然(あぜん)とする。

 

(そうだ、お姉ちゃんだ……簡単に水の衣を変えられる水精……!)

 

 先の思考で感じた違和感の原因は、自分の姉だった。

 今リリィの目の前でやって見せたように、リウラは自分の服をたやすく変化させることができるのだ。

 

 肉の串焼きを平気で食べたことといい、リリィは本気で自分の知識に疑問を覚え、もう一度魔王の魂にアクセスしてその記憶を総ざらいする。

 

 一方、ビシッとポーズをとってカッコつけていたリウラは、突然「あれ?」と首をひねる。

 

「どうしたの?」

 

「いや、私が鍵開けできるの知らないんだったら、リリィは金庫をどうするつもりだったのかな? ……って」

 

 リウラがいつもの服――サイドポニーと(そで)が分かれたワンピース――に服装を戻しながら問いかけると、リリィは「ああ」と納得したような声を上げる。

 

 “高価な指輪を取り戻してこい”という依頼なら、“指輪は金庫に入っている可能性が高い”と考えて当然だ。リリィもそこのところはちゃんと理解している。

 

 リリィは隣の宝箱に向かうと、宝箱の蓋と箱本体の間の(わず)かな隙間にガシッと両手をかける。

 

 バキャンッ!!

 

「こうやって」

 

「……お姉ちゃんドン引きだよ」

 

「なんで!?」

 

 バカ魔力(ぢから)にものを言わせて頑丈な金庫の鍵を破壊した妹に、複雑な視線を向けるリウラだった。

 

 

 ――ピクッ!

 

 

 リリィの猫耳が跳ねる。

 

 遠くから近づいてくる足音と気配……それも駆け足だ。

 数は2つ。特に追われているような様子はないが……

 

(まっすぐこっちに近づいてきてる)

 

 彼ら、あるいは彼女らもオークの盗賊団を狩りに来た? ……可能性はゼロではないが、まず無いだろう。

 

 リリィ達がこの依頼を引き受けた時に、告知板に貼ってあった張り紙は外してあるし、ブランは『ウチの告知板に貼られた依頼が(かぶ)ることはまず()ぇから、安心して行ってこい』と言っていた。

 となると、この足音の(ぬし)はリリィ達に用があるのか、それともオークの盗賊団の跡地に用があるのか……はたまた……

 

(ダメだ、情報が少ない。考えても無駄か)

 

 リリィは思考を放棄する。

 自分達が世間知らずであることを身に染みて味わった直後なのだ。近づいてくる者達がどんな人物であるにせよ、かかわらない方が無難(ぶなん)だろう。

 触らぬ神に(たた)りなし、だ。

 

「お姉ちゃん、隠れるよ」

 

「ほぇ?」

 

「理由は後で話すから」

 

「わ、わかった」

 

 リリィは依頼の指輪を回収することを諦め、リウラの手を引いて急いで盗賊団のアジトを離れるが……

 

 ――ピクリ

 

 驚きに目を見開いたリリィの猫耳が再び跳ねる。

 

(追いかけてきた!?)

 

 どうやら足音の(ぬし)たちはリリィ達に用があるらしい。

 しかも、既にこちらの気配をしっかり補足されてしまっている。

 

 リリィは舌打ちを鳴らすと、気配を隠す魔術を発動させる。

 

「あ、あれ? リリィの気配を感じなくなった?」

 

「お姉ちゃん、そこに隠れて!」

 

 突然(となり)にいるにもかかわらず妹の気配を感じられなくなって戸惑(とまど)うリウラを、無理やり迷宮の(くだ)り階段の陰に押し込み、息を(ひそ)める。

 

 唇の前に人差指を立ててリウラに“しゃべるな”と示すと、リウラは口を両手で(ふさ)いでコクコクと頷く。

 

 足音がどんどん大きくなる。

 

(このまま通り過ぎて……!)

 

 しかし、無情にも足音はリリィ達が(ひそ)む階段の近くで止まった。

 ここにきてようやくリウラは“何者かが自分達を探している”ことを知り、緊張した雰囲気を(ただよ)わせる。

 

 ――“すん”と鼻を鳴らす音をリリィの猫耳が(とら)えた

 

(獣人族だった!?)

 

 獣人族の鼻の良さは、文字通り獣並(けものな)みだ。

 特に犬系の獣人であれば、匂いから相手の居場所を探ることなど朝飯前である。

 

 弾かれたようにリリィがリウラの手を(つか)んで階段を下ろうとするが――

 

「待って、お願い!」

 

 ――その懇願(こんがん)するような響きに、涙声(なみだごえ)に、思わず足を止めた。

 

 

 

「お願い、私達を助けてください!!」

 

 

 

 



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第二章 怪盗リウラ 中編

「「弟(さん)を助けたい?」」

 

 リリィとリウラの声がハモる。

 リリィ達の目の前にいるのは獣人族――猫獣人の上位種であるニール種の少女と、エルフの少女だ。

 

 猫獣人(ニール)の少女は、だいたい16~17歳くらい。

 ポケットがたくさんついたノースリーブのジャケットも、その下に着ているタンクトップも腹が見えるほど(たけ)が短く、ホットパンツからは健康的に引きしまった両脚がすらりと伸びている。

 後ろ腰に交差するように2本の短剣(ダガー)。その上から被せるようにポーチを身につけている。

 

 髪は鴉の濡れ羽色に光を反射するショートボブ。

 そこから飛び出す猫耳と、腰から伸びる2本の尻尾も同色だ。

 

 やや吊り上がり気味の金色の瞳は、本来であれば勝気な印象を与えるのであろうが、意気消沈している今は痛ましさを感じる。

 

 エルフの少女はリウラよりも幼く……だいたい13~14歳くらいに見えるが、いかんせんエルフは総じて千年は生きる若作り種族であるため、これだけでは判断できない。

 

 青を基調とした上着と膝下まであるロングスカートを身に着けており、スカートからは黒いストッキングに包まれた足がすらりと伸びている。

 

 背には、魔力を感じる立派な(こしら)えの弓と矢筒(やづつ)

 腰まである(つや)やかな銀の長髪からは、エルフ特有の(とが)った長耳が飛び出しており、その頭部には大きな青いリボンが結ばれている。

 

 美貌(びぼう)で知られるエルフの名に恥じない整った顔立ちは、『命を吹き込まれた人形である』と言われても納得できるほどであり、特に青玉(サファイア)のような両の瞳は、見ているだけでまるで吸い込まれそうな印象を受ける。

 

 リリィとリウラの疑問の声に、エルフの少女がコクンと頷き、猫獣人の少女が口を開く。

 

「私の名前はヴィア。こっちのエルフの()がリューナ。……知ってるとは思うけど――」

 

 リリィもリウラも世間知らずだ。もしヴィアが今から言おうとしていることが常識的なことであり、たとえそれを知らなかったとしても、“恥を(しの)んで、きちんと質問しよう”とリリィは意識する。

 

 

 

 

「――迷宮のここら一帯を牛耳(ぎゅうじ)るマフィアのボス……ブラン・アルカーの娘とその養子よ」

 

「ストップ。待って。お願い、ちょっと待って」

 

 

 

 

 リリィが早々にヴィアの言葉を(さえぎ)る。

 のっけから、とんでもない発言が飛び出してきた。

 

「“()()()()()()()”……? それって、ひょっとして“水の貴婦人亭(きふじんてい)”の……?」

 

 冷や汗をたらしながらリリィが問うと、2人は“何を当たり前のことを”と言わんばかりの表情で頷く。

 

「……知らずに宿をとっていたんですの?」

 

「あそこ、私の実家よ? ……ていうか、“父さんや私達のことを知らない”って、いったいアンタ達どっから来たのよ?」

 

 リリィは頭を抱えた。

 

(『()()()()()()()()()宿()』って、そういう……!)

 

 リリィはロジェンの発言を思い返して、納得した。

 

 それはそうだろう。マフィアのボスが経営する宿屋だ。彼の客に手など上げようものなら、“舐められた”と判断されて即座に潰されかねない。

 そう考えると、リウラの財布がスられたのは、かなりギリギリのラインだ。ブランは笑い飛ばしていたものの、リリィ達の知らないところで、そのスリが締め上げられていても、まったくおかしくはない。

 

 しかし、ロジェンは何故このことをリリィ達に話してくれなかったのか?

 単純に話し忘れていた? ……それはない、とリリィは判断する。

 

 

 ――『あの面倒見のいい嬢ちゃんらしくねえな』

 

 

 ブランの発言を信じるならば、面倒見がいいはずのロジェンが、こんな重要なことを……それも『マフィアだから気をつけてね』とひとこと言えば済むことを忘れるなど、考えにくい。

 

 そこまで考えたところで、隣にいるリウラのきょとんとした表情が目に入った

 

(……あれ? なんで、お姉ちゃんはこんなに平然(へいぜん)として……)

 

 ハッ、とリリィは気づく。

 

 

 ――“魔王の使い魔”なんて、とんでもない肩書を持っている自分が、リウラに恐れられないのは何故か?

 

 

(私を……“魔王の使い魔”ではなく、ただの“リリィ”として見てくれているから……)

 

 『ブランがマフィアのボスである』とロジェンがリリィ達に伝えなかったのは……わざとだ。おそらく、先入観を与えたくなかったのだろう。“マフィアのボス”というレッテルを貼ることなく、彼のことを見て欲しかったのだ。

 

 リウラは、彼がマフィアであると知っても、彼女自身が見たままのブランの人柄を信じている。彼女にとって“マフィア”という肩書は、決して彼の人格を決定するものではないのだ。だからこそ、“どうしてリリィは、こんなにうろたえているのだろう?”と、リリィを見てきょとんとしている。

 そして、そんなリウラだからこそ、リリィは“魔王の使い魔”という肩書を持ちながらも、彼女に大切な家族として愛してもらえたのだ。

 

 ……だというのに、自分は『彼はマフィアである』と聞いただけで、勝手にブランのことを“恐ろしい人である”と思い込もうとしていたのである。

 

 リリィは、そんな自分を深く恥じた。

 

「話を止めてしまって、ごめんなさい。続きをお願いします」

 

 そして、あらためてヴィア達に向き直り、話の続きを(うなが)す。

 ……決して彼女達を“マフィアの関係者である”という色眼鏡で見ず、きちんと話を聞こう、と心に誓って。

 

 リリィの言葉に、リューナが頷いて口を開く。

 

「今から数年前、私の家族が魔族に襲われたんですの……」

 

 

 

 

 

 リューナの話はこうだった。

 

 リューナとその家族は、この迷宮からそう遠くない、地上の森の片隅でひっそりと暮らしていた。

 少々不便な生活ではあったものの、優しい両親に恵まれたリューナとその弟――リシアンサスは幸せに暮らしていた。

 

 ところがある日、突然リューナの家族が魔族の集団に襲われた。

 

 襲われた理由は今でもわからない。

 リューナ自身はとある人物に助けられ、ヴィアの父――ブランに預けてくれたことで無事だったが、両親は殺されてしまい、弟は行方不明。

 

 そして、ヴィアやブラン達の力を借りて、リューナがリシアンサスの居場所を突き止めた時……彼は既にその身分を奴隷に落としていた。

 

 しかし、彼は転んでもタダでは起きなかった。

 奴隷は奴隷でも、闇の密輸商ラギール・バリアットが大陸中に展開する支店……その店主に彼は収まっていたのである。

 

 ラギールは極めて優秀な者にしか店を任せない。

 彼の店は“売れる物ならば何でも”、“売れる相手ならば誰にでも”物を売る。

 必然、普通の店では考えられないような幅広い商品知識や、荒くれ者・道理を(わきま)えない者への対応能力、店を切り盛りするための経営・会計知識など、様々な能力を高いレベルでバランスよく身につけなければ店を経営することができないからだ。

 

 リシアンサスは、ラギールの課す常識を超えた訓練や課題を見事にクリアし、通常の奴隷では有り得ない破格の待遇(たいぐう)を得ることに成功していたのだった。

 

 お得意様に時々性的サービスを提供しなければならないものの、それ以外は基本的に一般人と同様の生活を送れる。

 給金もきちんと支払われており、貯めれば自分を買い戻すこともできるし、高い功績をたてれば無償で解放してくれることもある。

 さらには、優秀な成績をあげたリシアンサスの希望が聞き届けられたことで、この迷宮の支店に異動することができたため、リューナと頻繁(ひんぱん)に会うこともできている。

 

 ブランの多大な援助もあり、リシアンサスの頑張り次第では、数年もあればその身柄を買い戻すこともできる……全ては順調なはずだった。

 

()()()?」

 

 過去形で終わった言葉にリウラが疑問の声を上げると、リューナは頷いて続ける。

 

「……ラギールの店では、()()()()()()()()()()

 

 リウラの表情が固まる。

 

 ラギールの店では店主も奴隷として売られている。

 だからこそリューナ達はリシアンサスを買い戻すことが可能なのだが、彼女達とは全く関係のない他人……得意客の1人が彼を気に入り、購入したいと申し出たのだ。

 店主の値段は中規模の(とりで)が1つ建つほど高額であるため、すぐに満額を用意することはできないらしいが、それでも1年かからずに工面(くめん)できるらしい。

 

 この情報にリューナは焦った。

 

 もし(くだん)の得意客に買われてしまったら、弟は帰ってこない。

 だが、まともなやり方では……仮に知り合いという知り合いから借金をしてかき集めたとしても、得意客よりも先にそんな大金を用意することなどできない。

 かといって、リシアンサスを無理やり(さら)うこともできない。魔術で奴隷契約を結ばされている上、契約を結ばせた術者もどこにいるかわからないため、(おど)して解放させることすらできないのだ。

 

 追いつめられた彼女は、その弓と魔術の腕を()かし、次々と盗賊から金品を巻き上げ、賞金首を狩る賞金稼ぎと化した。

 

 共に育った家族であり、親友でもあるヴィアの協力もあり、資金は凄まじい勢いで貯まっていった。

 しかし、それでも砦1つ分の金額を1年で貯めきることは厳しく、リシアンサスを“客”よりも先に購入するためには、2人は自分達の身の丈を超えた賞金首や大盗賊団を狙う必要があった。

 

「……2人には、その超高額の賞金首や、大量の金品を抱える大盗賊団を狩る手伝いをして欲しいんですの」

 

「どうして私達に? 自分で言うのもなんですが、私達はまだ子供ですよ? おまけに実績もゼロ。とてもお手伝いできるとは思えませんが?」

 

 リリィは冷ややかな目で言う。

 

 見た目で言うなら、リリィは10歳前後、リウラは15~16歳程度。

 この世界では子供でも凄まじい実力を持つ者もいるし、子供の姿で何千歳という若作りもいないわけではないが、常識的に考えてこんな物騒な頼みごとをする相手ではない。あやしさ満点である。

 

「……だれも手伝ってくれないのよ」

 

「どういうことですか?」

 

 ヴィアが苦々(にがにが)()に言うと、リリィが眉をひそめる。

 

「私達は少しでも多くのお金を、一刻も早く手に入れなければならない。つまり、金銭的な報酬が約束できないのよ。……にも関わらず危険度は高い。あまりにも割に合わなすぎて、みんながみんな断ってしまう」

 

「……当たり前じゃないですか」

 

 リリィは呆れる。

 

 たしかに事情を(かんが)みれば、1日でも早く、1エリンでも多くのお金を確保する必要がある彼女達にとって、容易に多額の金銭的報酬を約束はできないだろう。

 妥協(だきょう)して高い報酬を与える契約をしてしまえば、危険度の高い仕事をより多くこなす必要があるし、そもそも期間が限られている以上、そんな大仕事をいくつもこなす余裕もないからだ。

 だが、だからといって危険な仕事に対して報酬を確約できなければ、仲間が集まらないのは当たり前である。

 

 こういう時に頼れるはずのブランは『なんとか金は用意してやるから、へたに動くな』と、危険なことをしないよう、逆に釘をさしてくる始末。当然、マフィアの人員も借りられない。

 しかし、今すぐにでも例の客がやってきて、リシアンサスを買ってしまうかもわからないのに、彼女達はじっとなどしていられなかった。

 

「彼を取り戻したら、必ず相応のお金は渡すから! 何年かかってもちゃんと渡すから! だからお願い、私達を助けて!」

 

(毎回この要領で頼んでたんだ……そりゃあ、誰も引き受けないわ……)

 

 こうした盗賊・賞金首狩りは、即座に大金が手に入ることが最大のメリットである。

 逆に言えば、そのメリットが無ければ誰も()(この)んで、こんな命のやり取りを(ともな)う危険な仕事など引き受けはしない。

 その最大のメリットを『ローンで払うから』と言われて引き受ける者など、まずいないだろう。よほどのお人好しなら話は別だが……

 

 

(……()()()()?)

 

 

 嫌な予感がしたリリィがくるりと首を動かして隣を見れば、ダバダバと涙を流す()()()()水精(みずせい)がそこにいた。

 

(――しまったあああっ! この人達が私達を選んだのは、()()()()()()()()()()かぁっ!?)

 

 きっと告知板(こくちばん)の前でのやり取りを見られていたのだろう。

 リウラが『指輪を盗られた人が、かわいそうだから』と依頼を決め、リリィがそれに頷いたところを見て、“こいつらなら(じょう)で動くに違いない”と思われたのだ。

 

 その後、気配を消してリリィ達を尾行し、オークの盗賊団を倒したところを見られたことで、“実力もある”と判断された。

 

 しかし、オーク達を倒した直後に現れたら、リリィ達を尾行していたことがバレバレだ。そんなことをしたら、リリィ達から警戒されて交渉の難易度が跳ね上がってしまう。

 ただでさえ、彼女達は“マフィアのボスの娘”という、人聞きの悪い肩書を背負っているのだ。ひょっとしたら、話すら聞いてもらえないかもしれない。

 

 だから……おそらく彼女達は、いったん気配を消したまま来た道を戻り、距離を開けてからわざと気配を(さら)し、足音を立てながらリリィ達の元に来たのだろう。そうすれば、『自分達を手伝ってくれるかもしれない人が現れたことを聞いて、“水の貴婦人亭”からすぐに飛んできた』と言い訳ができる。

 

(……けっこう、いやらしい手を使うなぁ。あまり信用しない方が良いかも)

 

 メリットが無い上に危険すぎる依頼。

 おまけに世間知らずの自分達では、彼女達に(だま)される可能性も高い。

 

 姉には悪いが、ここは断ったほうが無難(ぶなん)だろう。

 リリィは断りの文言を口にしようと口を開きかける。

 

 

 

 ――その時、嫌な気配がリリィの全身を包み込んだ

 

 

 

「ぐぅっ!?」

 

「リリィ!?」

 

 突如(とつじょ)として胸を締めつけられるような痛みに襲われ、リリィは胸を押さえてうずくまる。

 

「ちょっと、アンタ!?」

 

「……! ど、どうしたんですの!?」

 

「な、んでもないです……触らないでください!」

 

 様子のおかしくなったリリィに駆け寄るヴィア達を、“今の自分を調べられたら(まず)い”とリリィは慌てて振り払う。

 

 痛みは一時的なもので、すぐに消えた。

 しかし、この症状に心当たりがあるリリィにとって、決して楽観できる事象ではなかった。

 

 すぐさま魔王の魂に検索をかければ、該当するものが1つだけ存在した。

 それは……

 

(魔王様が封印されたときと同質の力……やっぱり人間族が封印の強化を始めたんだ!)

 

 魔王の肉体への封印を強化した影響が、リリィの中にある魔王の魂にまで届いたのだろう。

 

 そしてこれは1回こっきりではない。

 これから毎月1回定期的に儀式が行われ、完成すればリリィは無事ではいられない。それは原作でハッキリと描かれている。

 

(まずい……。この痛み……思った以上に時間が無いかも……!)

 

 リリィは焦る。

 隠れ里を出た直後に立てた“リリィが生き残るための計画”は、原作の内容から“だいたいこれくらいの時間的猶予(ゆうよ)がある”と見積もって立てられていたが、リリィが今まさに体感している現実でも同じように進む保証はない。

 

 この依頼の危険度も依頼人の信頼性もリリィ達にとっては未知数で、通常ならば断わるべきなのだろうが……

 

(相手は表面的には弱い立場を演じている。なら、こっちはある程度強気に交渉できるはず……うまくいけば計画を前倒しにすることも……)

 

 リリィは(しば)し悩み、実質的に“了承”を意味する文言を口にした。

 

「……条件が有ります」

 

 

***

 

 

「待ちやがれ!! このクソガキがああぁぁ!!」

 

「舐めやがって!! 両手両足へし折った後、股座(またぐら)から○○○して、○○○てやらあ!!」

 

(……(こわ)っ! めっちゃ怖っ!!)

 

 冷や汗をたらしながら、リリィは翼を広げ、全力で盗賊達から逃走する。

 

 大量の強面(こわおもて)のおじさんやお兄さんたちが、額に青筋を立てて武器を振り上げて追いかけてくる(さま)は、それはもう『怖えぇ!』の一言(ひとこと)

 

 水蛇(サーペント)ほどの迫力は無いものの、背後から殺気だった声で叩きつけられる“捕まった場合の己の未来予想図”が妙に具体的かつ現実的(リアル)なため、ある意味、水蛇以上に恐ろしい。

 特に対女性ならではの“あれやこれや”は聞くに堪えず、リリィは自分の頭頂部の猫耳を両手で(ふさ)ぎたい衝動と必死に戦っていた。

 

 ときおり飛んでくる投げナイフや魔弾を(かわ)しつつ、盗賊達を引き離さないよう迷宮を飛び続け、リリィは大きな屋敷がすっぽり入りそうなほど広い空間に飛び出した。

 そのまま広間の反対側の端にリリィが到達しようとしたその時――

 

「リウラさん……今ですの!」

 

「よっっっこい、せええぇぇぇっ!!」

 

 広間で待機していたリューナが合図を出すと、隣にいるリウラが力強い掛け声とともに、思い切り何かを引っ張るような動作を行う。

 

 すると、地面を覆う水膜がズルリと真横に(すべ)り、それを踏みしめて走っていた盗賊達は、足を取られて一斉(いっせい)に転倒した。

 

 その隙を見逃さず、リューナが物陰から驟雨(しゅうう)のごとく大量の矢を()びせかける。

 リューナが構える鮮やかな若草色に彩られた弓は、つがえる矢に稲妻を(まと)わせ、射抜いた者を次々と麻痺・昏倒させてゆく。

 

 睡魔(すいま)鳥人(ハルピュア)といった翼を持つ盗賊が、数人(から)くもこの罠を回避する。しかし、罠に気を取られるあまり、飛翔して接近するリリィへの対応がおろそかになって、麻痺毒を塗られた水剣で次々と落とされてゆく。

 

 幸運にも転倒から回復し、なんとか矢を避けて広間を逃げ出そうとする盗賊は、リウラの水壁に(はば)まれて逃げ道を失っていた。そして、いつの間にかヴィアに背後から接近され、短剣(ダガー)柄頭(つかがしら)を首筋に打ち込まれて意識を奪われる。

 

 リリィが広間に突入してからわずか3分足らず。瞬く間に盗賊団は壊滅した。

 

「……こんなに簡単で良いのかな?」

 

 あまりにあっさり片づいたため、肩透かしをくらった様子のリウラが疑問の声をあげる。

 

 ヴィア達の話から想像していたよりも、盗賊達が(はる)かに弱い。

 はたして本当にこれで“大盗賊団”と呼べるのだろうか? 

 

 たしかにリリィとリウラの協力があってこそ、あっさり片づいた側面もあるだろうが、それでもヴィアとリューナの戦いぶりを見れば、そこまで苦労しそうには見えない相手である。

 正直、自分達の協力が()るのか疑わしいくらいだ。

 

「リリィさん。あと何人くらい残ってそうですの?」

 

 リューナが残りの盗賊の数を()くと、リリィは「う~ん……」と(うな)る。

 

「……たぶん、全員()れたと思います。この人達、アジトの中でどんちゃん騒ぎしてたんですけど、そのとき見かけた人達、ほとんど此処(ここ)にいますし……なぜか見張りも警邏(けいら)する人も全然見かけなかったし……」

 

 と、そこまで言って「あ」とリリィが声を上げ、倒れている盗賊達を見やる。

 

「すみません。あと1人は確実に残ってます。……気絶してるかもしれませんが」

 

「どういうことですの?」

 

「首領っぽい人を、思いっきりぶん殴ってきたんです。手加減はしましたけど、そこそこ力を込めたんで意識が飛んでるかも……。殴った後、一目散に逃げてきたんで確認はできなかったんですが……」

 

 盗賊団を狩るためにヴィアが提示した方法の1つが“釣り”である。

 文字通り敵を釣り出して罠を仕掛けた場所までおびき寄せ、一網打尽(いちもうだじん)にするやり方だ。

 問題はより多くの相手を釣る方法であったが、それはリリィが思いついた。

 

 リリィが盗賊達を釣り出すために()った方法は単純だ。

 

 アジトに忍び込んだ後、まず、盗賊団の中で一番えらそうにしている人を見つける。

 大きな稼ぎでもあったのか、陽気に騒いでいる盗賊達の中で1人だけ多くの女性を(はべ)らせている人物がいたので、特定はあっという間だった。

 

 その後、リリィが()びた笑顔と猫なで声で近づくと、ターゲットは何の警戒もせずにリリィを招き寄せた。

 ターゲットが侍らせている女性達も、ライバル……というか、“邪魔者が現れた”という(たぐい)の警戒はするものの、“自分達に危害を加えようとしているのではないか?”という警戒心は微塵(みじん)も感じられなかった。

 

 それも当然と言えば当然。

 

 この世界において“睡魔”という単語は、“淫乱”と同義。“男と見れば飛びついて(くわ)え込む不埒(ふらち)な魔族”というのが共通認識だ。

 彼女達の主食は性行為による精気摂取であるため、あながち間違っているわけでもない。

 

 彼女達との行為は、他の種族では決して味わえない凄まじい快楽を得られるため、お金を払ってでも彼女達と関係を持ちたいという者は少なくない。

 また、睡魔側もお金を継続して払ってくれればありがたいので、こういった相手に対しては精気を吸いつくして殺してしまうことも、まず無い。

 こうしてお金を持っている人のところへリリィが足を運んでも、まったく不自然ではないのだ。

 

 特に魔力を抑えたリリィは、どこから見ても“幼さ故にうまく生活できず、お(こぼ)れに(あずか)ろうとしている睡魔の少女”にしか見えなかった。

 

 あとは簡単。

 笑顔のまま()り寄りつつ、ターゲットのどてっぱらへ“ねこぱんち”。

 

 何が起こったのか分からず盗賊達が固まっている間に、翼を広げて逃げ出せば任務完了。

 荒くれ者の集団である盗賊達は、自分達を舐めきった恐れ知らずの行動に(いた)くプライドを傷つけられ、凄まじい怒号(どごう)とともにその場にいた全員が押し寄せてきた、というわけだ。

 

 その話を聞いたヴィアは、「ふむ」と納得した様子を見せると全員に次の指示を出す。

 

「こいつらのアジトへ向かうわよ! 全員、周囲の警戒を(おこた)らないように! リリィは罠の見つけ方を教えてあげるから、私の(そば)に来なさい!」

 

 リリィが依頼を受ける条件として出したのが、“知識の提供”であった。

 

 魔王の魂からも知識は得られるものの、それらは全て“暴君として”、“凄まじい才を持つ実力者として”の視点で構築されたものであり、一般人が迷宮を生きる上で必要なものは少ない。

 たとえば、“宿の見つけ方”や“値切りの仕方(しかた)”という知識は無く、逆に“物の奪い方”や“尋問の仕方”の知識は存在する、といった具合だ。

 

 契約が完全に終了するまで……具体的には、ヴィア達が約束した報酬をリリィ達に払いきるまでの間、ヴィア達はリリィ達に可能な限り迷宮で生活するうえで必須の知識を提供し、さらにリリィ達から質問を受けたら可能な限り答える、という契約をリリィは持ちかけ、既に追いつめられていたヴィア達は『その程度なら』と即座に了承したのだった。

 リリィの水剣に麻痺毒を塗ってくれたのもヴィアである。

 

 これは、即、リリィの魔力強化に(つな)がるような報酬ではない。しかし世間知らずのリリィ達にとって、それらの基礎的な知識は、リリィの魔力を強化するための行動を支える強固な(いしずえ)となってくれるだろう。

 

 リリィ達を仲間にしたことで余裕ができたのか、ヴィアは弱り切った様子から立ち直り、堂々(どうどう)とリーダーシップを発揮するようになった。

 おそらくは、これが本来の彼女なのだろう。リリィから見て“ちょっと偉そうだな”とは感じるものの、活き活きと動いているこちらの方が好ましいのは確かだ。

 

「ラジャ!」

 

「了解です」

 

 リューナが頷き、リウラ、リリィがしっかり返事したのを確認すると、ヴィアは盗賊団のアジトへと向かう。

 

 その道程で、リリィが殴り飛ばした相手とも、その他の盗賊達とも出会うことはなかった。

 

 

***

 

 

「おっきい……」

 

 リウラがぽかんと口を開ける。

 

 盗賊団のアジトは、朽ちて廃棄された砦跡(とりであと)だった。

 けっこう大きな砦であったため、奪った金品を保管しているであろう蔵も、その扉も大きかった。

 

 なにしろ、扉の上端(じょうたん)が首をほぼ真上に向けなければ見えないくらいだ。

 金品を積んだ台車が何台も一斉に入れるように大きく造ってあるようで、リリィ達のいる空間――蔵の前はちょっとしたグラウンドくらいの広さがある。

 砦など見たことがなかったリウラにとっては、今まで見た中で最大級の建造物だ。

 

「いったい何に使われていた砦なんでしょうね……?」

 

 リリィがそう言って疑問符を浮かべる。

 

 よほどの金持ちでなければ、ここまでの砦は築けまい。

 だがそうなると、誰が何のために造り、こうして廃棄されたのか……その理由が気になる。

 

「ほら、無駄話は後々(あとあと)! (ほう)けてないで周囲を警戒しなさい!」

 

「えっと……入り口はリューナさんが警戒してるし、大丈夫じゃないの?」

 

「見晴らしも良すぎるくらいですしね……」

 

 倉庫の鍵を開けようと鍵穴に向かっているヴィアが、リリィの疑問を遮るように声を出せば、リウラとリリィが『その必要があるのか?』と不思議そうな顔をする。

 

「甘いわよ。この世の中、私達が知らない罠も魔術も魔物も数えきれないくらいあるんだから、“警戒して、しすぎる”ってことはないわ」

 

 そんなものだろうか……? 言われていることは理解できるものの、リウラとリリィはいまいちピンときていない。

 特にリリィはあまりにも盗賊団の手応(てごた)えが感じられなかったため、早くもこの盗賊団を見下し始めている。そこまでの罠や魔術を仕掛けられる相手だとは思えなくなっているのだ。……まあ、“未知の魔物がやってくる可能性”についてはわからなくもないが。

 

 

 

 ――だが、(うわさ)をすれば影が差す

 

 

 

 ゾクリとリリィの背筋が粟立(あわだ)つ。

 

 次の瞬間、全員が顔を真上に向けた。

 突如、その方向から強大な魔力を感じたためだ。この迷宮の上層……ひとつ上の階に強力な魔物か何かが現れたことになる。

 その魔力の大きさは水蛇(サーペント)にも劣っていない。とてもではないが、積極的に戦いたい相手ではなかった。

 

 リリィは敵が聞こえないであろう距離にもかかわらず、思わず声を(ひそ)めてヴィアへ指示を()う。

 

「ヴィアさん……どうしたら……」

 

 良いですか、とは言えなかった。

 

 リリィが言いきる前に、天井が轟音とともに崩落した。

 降り(そそ)瓦礫(がれき)とともに巨大な何かが落ちてくる。

 

「チッ!」

 

「っく!」

 

「うわぁっ!!」

 

「……!!」

 

 ヴィアとリリィが素早く跳び退(すさ)り、リウラが声を上げながら慌てて水壁で瓦礫の雨を遮りつつ、後ろへ跳んで大きく距離を取る。

 リューナは瓦礫が落ちてこない位置へ素早く退避すると、落ちてきた“何か”へ向けて弓を構えた。

 

 

 リリィ達の視線の先――落ちてきた“何か”はゆっくりとその巨体を持ち上げる。

 

 

 身長10メートルはあるだろう“ソレ”は、言うなれば、真っ黒で巨大な西洋の甲冑(かっちゅう)……フルプレートアーマーだ。

 その身の丈ほどもあろうかという長さの両刃(もろは)の大剣を右手に持ち、(かぶと)の瞳と(おぼ)しき部分は不気味な赤い魔力光(まりょくこう)で輝いている。

 

「ゴ……ゴーレム……?」

 

 リリィが落ちてきたモノの正体を口にする。

 

「……ただのアイアンゴーレムじゃないですの……皆さん、気をつけるですの……!!」

 

 リューナがゴーレムを(にら)みつけながら続ける。

 その青玉の瞳はゴーレムを覆う黒色の装甲――それらに彫り込まれた魔術紋様を映していた。

 

 

***

 

 

 意思を持つ岩の巨人兵、それがゴーレムだ。

 

 “意思がある”といっても、創造主に魔術的に縛られているため、自由は無い。

 “主から(くだ)された命令を、自律的にこなすことができる”という意味であり、“岩でできたロボット”と思えば間違いはない。

 

 その重量から動作はやや(にぶ)いものの、抜群のパワーと防御力を誇り、弱点さえ突かれなければ、練度や武装にもよるが小規模の軍隊程度なら単体で殲滅できる力がある。

 おまけに少々のダメージならば、周囲の地面から土を吸い上げて傷を埋めてしまうため、一定以上の火力が無ければまともに戦うこともできない。

 

 そして、それをさらに強化したものが“アイアンゴーレム”である。

 

 この名前だけ聞いたら、“岩の代わりに鉄で(つく)られたゴーレム”と考えてしまうだろうが、実際のところは違う。

 そもそも、仮に全身が鉄でできたゴーレムを創った場合、重量がさらに増加して動作が通常のゴーレム以上に鈍くなってしまう。そうなれば、それは唯の巨大な木偶(でく)でしかない。

 では、どうすればゴーレムに(はがね)の強度を持たせることができるだろうか?

 

 

 答えは単純(シンプル)――()()()()()(よろい)()()()()()()()()()

 

 

 鎧の分だけ重量が増加するが、全身を鋼鉄で創るよりは遥かに軽い。この程度なら、戦闘可能な程度の俊敏さは維持できる。

 “ギアゴーレム”、“鉄兵”、“闇の儀仗兵(ぎじょうへい)”など、製法によって呼び方は変化するが、大本(おおもと)のコンセプトは皆同(みなおな)じだ。

 

 そして、“ゴーレムに鎧を着せる”というのは、それ以外にも、とても大きなメリットがあった。

 

「リューナさんッ!」

 

「分かってますの……!」

 

 リリィが突き出した両手の前に、紫に輝く魔法陣が現れる。

 同時に、リューナが精神を集中して詠唱を開始した。

 

 わずかに間をおいて、ほぼ同時にリリィとリューナの魔術が発動する。

 

 

 ――純粋魔術 烈輝陣(レイ=ルーン)

 

 ――火炎魔術 熱風

 

 

 リリィの魔法陣から(まばゆ)い純粋魔力のレーザー砲が放たれ、リューナが右手をゴーレムに向けると、ゴーレムが炎を伴った高熱の竜巻に飲み込まれる。……しかし、

 

「えっ!?」

 

「うそっ!!」

 

 リリィとリューナが大きく目を見開く。

 鉄の巨人は、リリィの放つ魔力の光線を軽々と弾き、リューナの操る炎と風の鎌鼬(かまいたち)()にも(かい)さず、その右手の巨大な剣を振り上げた。

 

「全員回避―――ッ!!」

 

 ヴィアの言葉に正気を取り戻した2人が、バッと横へ飛び跳ねると、そこに柱のような長さの剣が叩き込まれ、地面を大きく砕き散らした。

 

「なんなんですかアレ!? どうなってんですか!!」

 

「……たぶん、あの鎧が特殊なんだと思いますの。魔術を弾く特注品……といったところですの?」

 

「うげっ!?」

 

 リューナの答えに、リリィは(うめ)いた。

 

 冗談ではない。軍隊すら相手どれるはずのゴーレムが、この世界でさしたる脅威とみなされないのは、彼らが共通して“非常に魔術的に(もろ)い”という弱点を持っているためだ。

 

 岩や鉄でできている分、物理的には強固なのだが、いかんせんそれを覆い、魔術的に防御するための魔力が無い、もしくは足りない場合がほとんどなのだ。

 そこまでしてしまうと、単純に作成するコストがかかり過ぎてしまうからである。

 

 だが、このゴーレムのように特殊な武器防具を装備している場合、話は別だ。

 そして、これこそが鎧を着せるというメリットの1つである。

 

 この世界には呪付鍛錬(じゅふたんれん)――(ぞく)呪鍛(じゅたん)と呼ばれる魔術付与(エンチャント)技術が有り、武器や防具に魔術的な効果を与えることは、決して珍しいことではない。

 充分な資金さえあれば、ゴーレム用の特大サイズの呪鍛装備を作成してもらうことは可能だ。

 

 そして、それらをゴーレムに着せ、持たせれば、特殊能力を持つゴーレムの一丁上(いっちょうあ)がり。

 魔術攻撃という弱点がなくなった上、どんな特殊能力を使ってくるかわからない、でかくて堅くて重い敵……悪夢である。

 

「みんな、少しだけそのゴーレムの相手してて! その間に解錠して必要な分だけお宝かっさらうわ!」

 

 ヴィアが全員に指示を出す。

 

 いくら倒すのが難しい相手であろうと、ゴーレムである以上、動作が鈍いことには変わらない。

 わざわざ必死こいて倒さずとも、宝を(かつ)いでさっさと逃げてしまえば、振り切ることは充分に可能だ。

 

 リリィ達が納得し、一斉にヴィアに返事を返した直後、

 

 

 

 ――リリィの頭上に影が差した

 

 

 

「――ッ!?」

 

 反射的に翼を広げ、真横に飛ぶ。

 ズシン……! と大きな音を立てて、先程までリリィがいた場所を(はがね)の足が踏みしめていた。

 

(速い――!?)

 

 横へ飛んだ勢いのまま90度方向転換し、真上へと飛ぶと、今度は巨大な剣が空振(からぶ)った。

 

 通常、身体のサイズが大きくなればなるほど、稼働する腕や足の移動距離が長くなるため、動きはスローモーションに感じられるはずだが、まるで人間サイズの敵を相手にしているかのような、信じられない速度である。

 

 上空へ退避したリリィは、ある事実に気がついた。

 

「何……あの、魔力……?」

 

 愕然(がくぜん)とした表情でリリィは言葉を失う。

 ゴーレムが鈍いのは、重い身体をギリギリ動かせるだけの魔力しか保有していない場合が多いからだ。

 だが、何にでも例外はある。高い魔力を(そな)えたゴーレム、というものも、めずらしくはあるが、決して存在しないわけではない。

 

 目の前のゴーレムは、現れた時以上の……すなわち、あの水蛇(サーペント)すらも超える魔力を、全身からなみなみと溢れさせていた。

 これならば、サイズ差を無視したかのような、あのスピードも頷ける。

 

 そして、その事実は、ゴーレム自身の防御力も半端(はんぱ)ではないほど魔力強化されているということも同時に示しており……ヴィアの解錠を待たぬ即時撤退を、リリィは本気で検討し始める。

 

 ――そこへ、リウラの気合の入った掛け声が響いた

 

 

 

「そいやっ!」

 

 バクンッ!

 

 

 

 ゴーレムの左脚から奇妙な音が聞こえる。

 唖然(あぜん)とするリューナの視線の先で、ガランガランと間抜けな音を立てて黒色の板金(ばんきん)が床を叩いた。

 

 

「ええええええぇええええええぇえええっ!?」

 

 リリィが目を真ん丸にして大声を上げる。

 

 リウラは、ゴーレムの鎧をすり抜けるように水を侵入させ、内側から()()(はず)して見せたのだ。

 おそらく、魔術を弾くのが鎧の外側だけだからこそできた芸当だろうが、すばやく動き回る鎧の隙間を、よくもまあすり抜けたものである。

 まさか、姉の解錠技術がこんなところで役に立つとは……人生、どんなところで何が役に立つか分からないものだ。

 

 ゴーレムは、この場で最も魔力が高いリリィよりも、己の防具を()がすリウラの方を脅威と感じたのか、グルリと頭を動かし、亡霊のように不気味に光る眼でリウラを見つめる。

 

 

 すると、兜の横についていた4本の筒のようなものがガチャンと音を立てて動き、その先端をリウラへと向けた。

 

 

「へ?」

 

「お姉ちゃん、逃げて!」

 

 ドガガガガガガガガガガガガッ!!

 

「うひょわああああぁああああっ!?」

 

 降り注ぐ弾、弾、弾……頭部に取りつけられた筒――いや、銃口から雨霰(あめあられ)(おそ)()る魔弾の嵐に、リウラは短距離走者(スプリンター)も真っ青の素晴らしいフォームで必死に逃げ回る。

 

 先程から水壁を張っているのだが、まるで紙のごとくあっさり破かれており、リウラの表情が恐怖でヤバいことになっている。

 

 ガガオォンッ!

 

 轟音とともに機関銃が停止する。

 リウラが振り返ると、4つの銃口すべてから煙を吐き出している兜をリューナへ向けるゴーレムと、それに向けて弓を構えるリューナの姿があった。

 どうやら、銃口すべてに魔力を込めた矢を放ち、魔弾を誘爆させたようだ。

 

 すると、今度はリューナめがけてゴーレムが歩き始める。

 ゴーレムからかなり距離を取っていたはずなのだが、見る見るうちにその距離が削られてゆく。

 リューナが全力疾走でゴーレムから距離を取ろうとしているが、“誤差の範囲”と言わんばかりのスピードである。

 

 それを黙って見ているリリィではない。

 数瞬だけ考える様子を見せた後、すぐに魔王の魂から必要な知識と経験を自分の魂へ落とし込む。

 

 そして、右手を高く(かか)げ、全員に大声で呼びかけた。

 

 

雷撃(らいげき)、いきます! 全員、気をつけてください!」

 

 

 ゴーレムに最も有効な魔術は何か? ……答えは電撃である。

 

 ゴーレムの身体は基本的に土や岩石・金属などの電気を通す物質でできている。つまり物理的な衝撃は通りにくいが、電気は素通りしてしまうのだ。

 

 すると、ゴーレムの身体を動かしている核――そこに宿(やど)る、魔術で意思を縛られた精霊に直接ダメージを与えることになり、結果、わざわざ固い身体を破壊しなくても簡単に無力化できる。

 ロボットに過電流(かでんりゅう)を流して、内部のコンピュータを故障させる様子をイメージしてもらえば分かりやすいかもしれない。

 

 ゴーレムの纏う鎧は魔術を弾いてしまうだろうが、リウラによって装甲が剥がされた左足だけは別だ。そこから雷撃を流し込めば、機能停止に追い込める可能性は高い。

 

 

 

 ――ゴーレムに背を向けて走っていたリューナは、リリィの声を聞いた瞬間、走ったまま弓を手放し、長く尖ったエルフ耳を両手で覆う

 

 ――ヴィアは解錠作業をいったん中止し、ゴーレムに背を向けてしゃがむと、頭頂部の猫耳を両手でグッと押さえ込み、両目を閉じて口を半開(はんびら)きにする

 

 ――リウラは迷宮ではまず見ることの(かな)わない(かみなり)を見れると知り、「おおっ!」と目を輝かせる

 

 

 

 次の瞬間、ゴーレムの頭上から轟音とともに巨大な(いかずち)が降り注いだ。

 

 

 

 事前にシズクから“魔術によって強化された雷の脅威”を習っていたにもかかわらず、好奇心に負けてその事をうっかり失念したリウラは、リリィの強力な魔力で放たれた(いかずち)を直視。

 

 結果、その雷光と轟音に両目両耳を潰された彼女は、「目が~!! 耳が~!!」と涙を(にじ)ませた目をギュッと(つむ)り、両耳を押さえて床をごろごろと転がりながら(もだ)えることになった。

 

 遠くから「床に寝るな!! 感電するわよ!!」というヴィアの叱責(しっせき)が飛ぶも、耳がやられたリウラには聞こえちゃいない。

 

 一方、この4人の中で飛びぬけて大きな魔力を秘めた肉体を持つリリィは、この程度の(まぶ)しさや音で視覚や聴覚が麻痺したりはしない。

 まぶしさに目を細めながらも、しっかりとゴーレムの様子を観察する。……しかし、

 

 ――グルリ

 

 ゴーレムは何の痛痒(つうよう)も感じさせない様子で、リリィへと振り返った。

 それもそのはず。

 

(――魔術結界か!!)

 

 対攻撃魔術用の結界が、露出した左足を含めてゴーレムを覆うように発動していたのだ。

 鎧かあるいはゴーレムそのものかは分からないが、どこかに魔術結界を発動させる装置があるようだ。

 

 だが、手が無いわけではない。

 魔王の知識を持つリリィが見たところ、張られている結界は明らかに対()()魔術に特化したもの。だからこそ、攻撃意思のないリウラの水には反応しなかったのだろう。

 攻撃以外の魔術が通用するのなら、なにか手はあるはず……そうリリィが考えていると、いまだ()まない電撃の中で、鉄の巨人はリリィに向かってその大きな左手を真っすぐに突き出した。

 

 バクンッ!

 

 左腕の装甲が、花弁(かべん)のように四方(しほう)に開く。

 

 リウラではない。リリィの強力な電撃魔術の中で水弾を維持できるほど、彼女の魔力は高くない。

 だとすれば、これはゴーレム自身の意思で行ったことだ。いったいなぜ?

 

 

 

 ――その疑問は、花弁1枚1枚の装甲の内側にある()()が輝きを()びることで氷解(ひょうかい)した

 

 

 

「嘘ぉぉぉぉおおおおっ!?」

 

 原作知識を持つリリィにとって、見覚えのありすぎる特徴的な砲撃体勢。それを見て、ようやくこのゴーレムが纏う鎧の正体を理解した彼女は、雷撃を中止し、大慌てで宙を飛翔して回避行動に移る。

 

 

 ――魔導鎧(まどうよろい)

 

 アヴァタール地方の五大国家が一つ、メルキア帝国が国を()げて研究している、魔焔(まえん)という燃料を動力として稼働する兵器――魔導兵器(まどうへいき)の一種である。

 

 その特徴は、鎧に仕込まれた砲門。

 “魔導砲撃”と呼ばれる特殊弾頭を(もち)いた砲撃は、通常の大砲とは比べ物にならない威力を誇り、鎧の出来(でき)や使い手の技量によっては、魔神……(よう)は、魔王と同格の相手との戦闘も充分に可能、というデタラメな性能を持つ。

 

 ジュオウッ!!

 

 だが、どうやらその大砲すら特殊らしく、出てきたのは実弾ではなく極太(ごくぶと)の熱線砲であった。

 

 どこぞのSF映画を彷彿(ほうふつ)とさせるビーム兵器はリリィの翼をかすり、砦跡を破壊……いや、()()させた。

 リリィの烈輝陣(レイ=ルーン)を軽々と上回るその威力を見るに、たとえリリィの強力な魔力で張られた結界の上からであろうと、当たれば即座にあの世行き確定だ。

 

 だが、ゴーレムに着用させる魔導鎧など、聞いたこともない。

 ひょっとしたら個人で研究開発している誰かの作品かもしれないが、ハッキリ言って、ただ剣と拳を振り回すだけの岩人形に着せるよりも、一流の戦士に着せた方がよほど戦力になるだろう。

 完全に趣味の領域だ。採算度外視(さいさんどがいし)にも程がある。

 

 ドゴォンッ!

 

 轟音が響くと同時、グラリと巨人がバランスを崩す。

 鎧が外されて()き出しになった左足を、リューナが魔力を込めた矢で破壊したのだ。

 

 どうやら魔術は遮っても、魔力を込めた物理攻撃なら通してしまうらしい。

 ゴーレムが体勢を崩したことで魔導砲撃がやみ、リリィが自由を取り戻す。

 

「はぁぁああああっ!」

 

 リリィの魔力を込めた拳打が、ゴオン! と重い音を立ててゴーレムの顔面に衝突する。兜にくっきりとリリィの拳をかたどりながら、ズウン……と重々しい音を立てて、ゴーレムは倒れる。

 

「ヴィアさん! 解錠はまだですか!?」

 

「ごめん! 魔術的なロックがかかってるから、もう少しかかる!」

 

「『もう少し』って具体的には!?」

 

「5分……いや、3分!」

 

 3分……()()を相手に3分?

 

 

 

 

 ……………………………………。

 

 

 

 

「1分で終わらせてください!!」

 

「ムチャ言わないでよ!!」

 

「どっちがムチャ言ってんですか!!」

 

 

 ジャララララララ!!!

 

 ゴオン!!

 

 リリィとヴィアが言い争っている間に起き上がろうとしたゴーレムが、巨大な水の鎖に(から)みつかれ、そのまま地面に引き戻される。

 

 涙目のリウラが左手で耳を押さえ、右手をゴーレムに向けていた。

 どうやら何とか戦闘ができる程度には視力・聴力が回復したらしい。

 

 だが、地面に縛りつけたゴーレムはグググ……と身体を起こしつつある。

 全身にまんべんなく水鎖をかけているため、そうとう力が入りにくいはずなのに身体を起こせるということは、それだけリウラの魔力とゴーレムのパワーに開きがある、ということだ。

 このままでは、またゴーレムに暴れられてしまう。

 

(――魔力をとんでもなく消費しちゃうけど、仕方ない)

 

 リリィは素早く胸の前で次々に印を結ぶと、高らかに詠唱した。

 

 

 

(くら)き愛を()べる淫魔(いんま)イルザよ。その(あで)やかなる(かいな)で、無垢(むく)なる幼子(おさなご)らを抱き()めよ!≫

 

 

 

 バヂィッ!!!

 

 突如、ゴーレムが紫の稲妻に包まれる。

 

「うわっ!!」

 

 驚いたリウラが一瞬水鎖の力を緩めてしまうが、ゴーレムが起き上がる様子はなかった。

 よく見ると、ゴーレムを包む稲妻はまるでゴーレムに絡みつき、その動きを縛っているように見える。

 

「あ……」

 

 リウラがその稲妻から感じる魔力の波長から、これがリリィの魔術であると悟ると視線を上へと向ける。

 そこには瞳を閉じ、印を結んだ状態で魔術に集中するリリィの姿があった。

 

 

(くぅ~~っ……! 予想はしてたけど、魔力がガンガン減ってる……!)

 

 ――魅了魔術 イルザの束縛術

 

 淫魔イルザの力を借りて、敵を縛る魔術だ。

 その真価は敵を魅了することによって、精神的にも相手を縛れることなのだが、既に意思を魔術によって縛られているゴーレムを魅了することはできない。

 

 しかし、原作において、どんな敵であろうとザコであればこの魔術で縛ることができたように、単純に相手の動きを封じる技としても非常に優秀な魔術だ。

 “この魔術であれば、ゴーレムの動きを封じることができるはずだ”という、リリィの判断は的中し、見事に動きを封じてみせた。

 

 しかし、いかに力が入りにくい体勢で縛った上で、かつリウラの水鎖による援護があろうとも、元々の出力はリリィよりもゴーレムが上。

 その凄まじいパワーに対抗するため、リリィの魔力が、まるで湯船(ゆぶね)(せん)を抜いた湯のように勢いよく減ってゆく。

 

 

「……開いた!」

 

 所要時間2分強。

 なんとかリリィとリウラがゴーレムを抑えきると、扉が重々しい音を立てて開いていく音が聞こえる。ヴィアが蔵の解錠に成功したようだ。

 

 リウラが視線を向けると、その姿は既に蔵の中へと消えていた。

 

 ヴィアの気配が蔵の中で素早く動いているところを見ると、本当に価値のある物だけを(かた)(ぱし)から袋に放り込んでいるようだ。

 おそらく、あと1分もしないうちに撤退の指示が出るだろう。ゴーレムが落ちてきたときはどうなるかと思ったが、なんとかなりそうな状況にリリィとリウラは胸をなでおろした。

 

 気持ちに余裕ができたリウラは、『さあ、もうひと頑張り』と改めて水鎖に魔力を込めようとする。

 

 

 

<……テ>

 

 

 

(え?)

 

 リウラの意識の(はし)に何かが引っかかったような気がした。

 リウラが戸惑(とまど)っている間に、今度はより強くその“何か”を感じる

 

 

 

<……ィ……ケ……>

 

 

 

(……声?)

 

 あたりにはゴーレムが身体を起こそうと暴れる音と、それに対抗するリウラの水鎖が(きし)む音、さらにはリリィの束縛魔術が起こす放電音のような音で溢れかえり、大声で話しても聞こえづらい状況だ。

 

 にもかかわらず、リウラには弱々しく小さな声が聞こえる。

 リウラはその特異な状況に、ついその“声”に集中してしまう。

 

 

 

<……クル……タス……ィタイ>

 

 

 

 集中すればするほど、声はより大きく明確に聞こえる。

 リウラの脳裏(のうり)に響くその声は、すぐにハッキリと聞こえるようになった。

 

 

 

 

<……イタイ、イタイ! ……タスケテ……クルシイ……!>

 

 

 

 

 “声”は延々(えんえん)それだけを繰り返していた。

 苦しさと悲しさに満ち溢れたその声を聴いたリウラは、胸が締めつけられるような感覚を覚える。

 

「誰!? どこにいるの!?」

 

「お姉ちゃん!?」

 

 リウラが条件反射のように大声を上げて“声”に問いかける。

 しかし、“声”が繰り返す内容に変化はなく、ただ『助けて』『苦しい』と繰り返すだけだった。

 

 リウラは相手からの返事を諦め、さらに“声”に集中し、その出所(でどころ)を探ろうとする。

 これが魔力をもとにした発声やそれに(るい)するものであれば、魔力を探知して場所を探ることができるはずだからだ。

 

 そして、気づいた。

 

 魔力は感じられなかった。それでも、リウラは察知した。

 理由は分からない。だが、リウラの感覚は明確に“声”が発せられている場所を指し示した。

 

 

 

 ――その場所は……()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 目の前のゴーレムが苦しんでいる……この状況をリウラは()()()()()()()()()()()()()()

 

 なぜならリウラの感覚は、“声”がゴーレムに縛りつけられている感触を(とら)えていたからだ。無理やりゴーレムに(くく)りつけられ、ゴーレムが動こうとする度に悲鳴を上げているように感じられたからだ。

 リウラのイメージではむしろゴーレム()苦しめられているように見える。まるでゴーレムが“声”を利用……いや、“()()(にえ)()()()()()()()()()()()、そんなおぞましいものに思えた。

 

 

 ――助けたい

 

 

 リウラは思う。

 こんなにも苦しそうな声は聴きたくない。すぐにでも助けてあげて、『もう大丈夫だよ』と抱きしめてあげたい。

 

 だが、どうしていいのか分からない。

 何が原因なのかすら分からない。

 

 (さいわ)い、ここにはリウラよりも遥かに外の世界に詳しい人物が3人もいる。リウラは迷わず彼女達を頼った。

 

「みんな! 聴いて!!」

 

「お姉ちゃん?」

 

「リウラ?」

 

 リリィとリューナは、突然声を上げたリウラに“どうしたのだろう”と顔を向ける。

 

「声が聞こえるの! ゴーレムの中から『助けて! 苦しい!』って!!」

 

「私、この“声”の人を助けたい! お願い、力を貸して!!」

 

 リリィは悟る。リウラが聞いているのはゴーレムを動かしている精霊の声だ。

 

 地の精霊は、エルフなどによって召喚された場合、土塊(つちくれ)の身体を持つ精霊――土精(つちせい)アースマンとして顕現(けんげん)する。こちらは、善意の協力者やお手伝いさんというイメージに近く、土精の意思にそぐわない内容であれば、創造主の“お願い”を拒否することも可能だ。

 

 ところが、人間族や魔族が彼らを利用する場合、創造体(そうぞうたい)……いわばロボットとして、土人形であるアースマンや岩人形であるゴーレムを創り上げ、そこに動作プログラムとして精霊を封じ込め、その意思を魔術的に縛ることで、作成者の命令を遵守(じゅんしゅ)させるのが一般的だ。

 

 目の前のアイアンゴーレムは間違いなく後者である。そうでなければ、『助けて』なんて言いながらこちらを攻撃してくるはずがない。

 そして、精霊が苦しんでいるのは、おそらく本来の許容量を超えて、過剰に魔力を注がれて暴走しているから。だから通常のアイアンゴーレムでは有り得ないほどの魔力を溢れさせているし、その膨大な魔力に耐えられない精霊の苦しむ声がゴーレムの中から聞こえる。

 

 

(……え? ()()()()()()()()()()()?)

 

 

 リリィは気づいた。()()()()()()()()

 

 リウラやティア、ロジェンのように人の姿をとってしゃべるならば話は別だが、そうでない精霊の声は、その属性に近しい者でなければ聞き取れない。水精ならば水の、土精ならば地の精霊の声しか聞き取れないのだ。

 

 睡魔族(すいまぞく)であるリリィは闇の精霊と親和性が高いため、闇の精霊の声ならば聞き取れるが、地の精霊の声は聞き取れない。全属性の精霊の声が聞き取れる種族など、エルフくらいである。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 考えられるのは……なんらかの罠か、それとも()()()()()()()、だ。

 普通なら後者の可能性など考えもしないが、目の前で肉を美味しそうに食べ、()のままに水の(ころも)を変化させる、水精としては異常な姉の姿をリリィは見ている。可能性は決して低くない。

 

 たしかめる方法は――ある。

 

「リューナさん! お姉ちゃんの言ってること、本当ですか!」

 

 そう、エルフならば地の精霊の声は聞き取れるのである。リューナが耳を澄ませるような様子を見せると、眉をハの字にして言った。

 

「……たしかに、苦しんでますの……でも……」

 

「撤退よ! リリィ! リウラ! 逃げながらぎりぎりまで縛ってなさい!」

 

 リューナの声を遮るように、ヴィアの声が響き渡る。

 ちょうど作業が終わったらしく、蔵の扉から姿を現していた。金品が入っているのか、大きな巾着(きんちゃく)タイプの袋を背負っている。

 

「待ってください! お願いです! このゴーレムの中の子を助けてください!」

 

「……そいつを助けるのに、私達の命を懸ける理由がどこにあるってのよ! 見捨てなさい!」

 

「嫌です! ヴィアさんは、この苦しそうな声が聞こえないから、そんなことが言えるんです!」

 

 ヴィアとリウラの言い争いを聞きながら、リリィは焦っていた。

 

(まずい……このままじゃ魔力が持たない……!)

 

 束縛魔術でずっとゴーレムを抑えていたせいで、だいぶ魔力を失ってしまった。まだ余力はあるものの、このままではすぐに魔力が()きる。逃げるにしろ、助けるにしろ、早急に決定しなければ、全員の命が危ない。

 

 リウラとヴィア、どちらが説得しやすいか……リリィは頭の中で天秤(てんびん)にかける。答えはすぐに出た。

 

「リューナさん! 仮に助けるなら、どうすればいいですか!」

 

「リリィ!」

 

 ヴィアがリリィを睨みつけるが、リリィはそれを無視する。

 こうなった姉がいかに頑固であるか、リリィは身をもって知っている。言葉だけでリウラを納得させることは不可能と考えていい。そんなヴィアを尻目に、酷く戸惑う様子を見せながら、リューナは解決策を口にした。

 

「……ゴーレムの身体を、いったん破壊する必要がありますの。中に魔制珠(ませいだま)……精霊が入った核があるはずだから、それさえ取り出せれば……」

 

「!? リュー、アンタも何言って……!?」

 

 ドガアアァッ!!

 

 まさか、親友までリウラの側につくとは思ってもみなかったヴィアは、その表情を愕然とさせる間もなく、回避行動を()いられた。視線の先には、あのゴーレムが使っていた巨大な剣。リリィを狙うように放たれた斬撃の延長線上にいたヴィアが巻き込まれたようである。

 

 彼女の隣では、ヴィアと同様に斬撃を回避したリリィが驚愕の表情で、ゴーレムを見ていた。リリィの集中が途切れ、魔術が中断されたため、リウラの水鎖をギギギとゆっくり持ち上げて身を起こしていくゴーレムの右の手元……そこには、大剣の()()()が握られていた。

 

「まさか……」

 

「そのまさか、みたいですよ……」

 

 冷や汗を流すヴィアとリリィの隣に鉄壁の如く打ち込まれた刀身が、フッと輪郭(りんかく)をぼやけさせた。すると、刀身は鉄色の霧となって渦を巻き、ゴーレムの持つ()へと集まり、再度刀身を形成する。

 どうやら、あの剣は持ち主の意思で霧となり、独自に攻撃できるらしい。たかがゴーレムにいったいいくらかけているのか……創造主の正気と資金量を疑うリリィであった。

 

 バキィィンッ!!

 

「ッ~~~!!」

 

 リウラの水鎖が砕け散り、水しぶきとなって(あた)りに散る。

 自由を得たゴーレムは、立ち上がるとゆっくりリリィ達へと振り返り、彼女達を睥睨(へいげい)する。リューナに砕かれたはずの左脚も、いつのまにか周囲の土を吸い上げて再生させていた。

 

「リリィ、もう一度あのゴーレムを縛れる?」

 

「……もう一度アレをさっきの体勢に戻せれば……リューナさん、もう一度あの足、砕けます?」

 

「……できるけど、あまりしたくありませんの。かなり魔力を込めなきゃいけないですから」

 

「……なら――」

 

「リュー」

 

 リューナ達の作戦会議を、ヴィアが彼女の愛称(あいしょう)を呼んで遮る。その疑念に満ちた鋭い視線は、不安定に()れるリューナの眼を真正面から(つらぬ)く。

 

()()()()()()()?」

 

「……後で、話しますの……」

 

 主語・目的語の一切(いっさい)(はぶ)いたその言葉のやり取りに、リリィは眉をひそめる。ヴィアは、しばしリューナの()らされた瞳を見続けた後、大きく溜息をついて言った。

 

「……わかったわよ。とりあえず、今回はリューに従うわ」

 

「……ごめんなさい、ですの」

 

 リューナは(わず)かに(まぶた)を伏せ、謝罪する。

 直後、4人が散開。先程4人が集まっていたところに、ゴーレムの熱線が突き刺さる。凄まじい熱量とともに地面が蒸発し、空中で再凝固して土埃(つちぼこり)の雨が降り注ぐ。

 

「お姉ちゃん、リューナさん、ヴィアさん! アイツの動きを少しだけでいいから止めてください! そうすれば、私がアイツの身体を砕きます!」

 

「わかった!」

 

「……魔制珠(ませいだま)の位置は、おそらく鳩尾(みぞおち)(あた)りですの。それだけは砕かないように注意してほしいですの」

 

「……」

 

 リリィの頼みに、リウラとリューナが返事する。ヴィアは溜息をつきつつ、後ろ腰から2本の短剣(ダガー)をそれぞれの手で引き抜くことで、了承の()を示した。

 

「ヴィアさん。手袋、貸してくれませんか?」

 

「?」

 

 ヴィアは疑問に思いながらも、短剣(ダガー)逆手(さかて)で持ったままポーチから厚手(あつで)の手袋を引き抜き、リリィに放る。リリィの水剣に麻痺毒を塗布(とふ)した際に、自分の手に毒がつかないよう()めていた手袋だ。

 

「ありがとうございます!」

 

 手袋を受け取ったリリィは、迷いなく蔵の中へと飛び込んでゆく。

 それを横目でチラリと見ながら、ヴィアは言った。

 

「……どうやって、アレを砕く気かしらね?」

 

「わかりませんの……けど、私はあの子を信じますの」

 

 リューナの台詞(せりふ)に、信じられないとばかりにヴィアの眼が大きく見開かれる。

 

 親友がショックを受けていることを感じながらも無視し、リューナは口の中で何事かを(つぶや)く。すると、残り少なくなっていた矢筒に、どこからともなく矢が現れて補充される。そこからリューナは矢を数本引き抜いて構えた。

 

「……とりあえず、今のところは黙って従ってあげるわ。――リウラ。アンタ、あの鎧全部ひっぺがしなさい」

 

「うえええぇぇえっ!?」

 

 さらりと振られたムチャぶりに(おのの)くリウラを尻目に、ヴィアはゴーレムに向かって走り出す。

 

 ――その瞳には、隠しきれない苛立ちの色があった

 

 

***

 

 

 蔵の中に駆け込んだリリィは、ざっと辺りを見渡す。

 

 探すのは(はがね)でできたもの。それもミスリル(こう)のように樹液を硬質化させたようなものではなく、純粋な金属で、できる限り丈夫(じょうぶ)なものだ。

 魔力が(かよ)っていれば、なお良い。通っていないものよりも何倍も頑丈である場合が多いからだ。

 

 簡単な探査魔術を使って大雑把(おおざっぱ)に当たりをつけると、最も強い魔力を放つ短剣を(つか)んで蔵の外へ走り出す。

 

 大きな扉を潜り抜けたリリィは、ゴーレムとリウラ達が戦っている様子を見ると、彼女達からなるべく離れるように距離を取り、準備を始めた。

 

 

 空中に指を走らせ、淡い紫に輝く光の線を描き出す。

 走り書きをしているかのように素早く、しかし複雑かつ精緻(せいち)に描かれるそれらは、リリィを囲むように設置された立体型の魔法陣。

 球状に書き(しる)したそれを描き終わると、さらにその内側に……球が積層状(せきそうじょう)になるように次の魔法陣を描いてゆく。

 

 バチィ!!

 

 魔法陣を描き終わると、リリィの前方の空間に一瞬だけ放電が起きる。見えない筒を覆うように走ったそれは、その位置に目に見えない強力な力場が発生したことを示すもの。

 

 ――すなわち、()()の完成である

 

 リリィは、ヴィアから借りた手袋を右手にはめると、その手に短剣を持ち、まるで銃で狙いをつけるように短剣をゴーレムに向けて半身(はんみ)に構える。

 

 リリィは深呼吸をすると、瞳を閉じて精神を()ぎ澄ませた。

 

 

 

 

 

 グルンッ!

 

(((!?)))

 

 ヴィア達と戦闘していたゴーレムが、これまでにない勢いで振り向いた。

 その視線は、ヴィア達を素通(すどお)りして、はるか後方――リリィの魔力が感じられる位置。急速に増大したリリィの魔力に反応していることは明らかであった。

 

 これまでの戦闘でも薄々感じられていたことだが、このゴーレムには明確に優先して狙うべき対象が設定されている。

 防具を剥ぎ取った瞬間にリウラを狙い、雷撃(らいげき)を放とうと魔力を高めたリリィを狙い、足を破壊したリューナを狙う……といったように、その時点で最も脅威と感じる相手を攻撃対象に定めているようなのだ。

 蔵に入った相手を優先させずに、脅威度を優先している理由は不明だが、このままではゴーレムの破壊準備を進めているリリィが狙われてしまう。

 

 リリィを除いた3人は、同時に己がすべきことを自覚し、即座にそれを行動に移した。

 

 ――リューナは、弓を背に収めながらリリィの元に走りつつ、リリィの魔力を隠す魔術の詠唱を開始する

 

 ――ヴィアは、全身に闘気(とうき)(みなぎ)らせて、むき出しになったゴーレムの左足へ両の短剣(ダガー)を叩きつけ、リリィへと向かう移動を封じる

 

 

 ――そして、リウラは……

 

 

 ヴィアがゴーレムに(ひざ)をつかせることに成功し、リューナが魔力遮断の結界を張ってリリィの魔力を覆い隠した直後、濃密な霧が発生した。

 

 魔力を伴ったその霧は、リリィ達の姿も気配も覆い隠し、あたり一面を白に染める。

 左足を再び再生させながら身を起こしつつ、とまどったように動きを止めたゴーレムの、胸の位置から前方約5メートル先の地点……そこがパッと油に石鹸水(せっけんすい)()らしたかのように霧が晴れ、中から半透明のマントをたなびかせた1人の水精が現れた。

 

 シルクハットにタキシード、単眼鏡(モノクル)にマントという水の(ころも)。その奇術師を彷彿(ほうふつ)とさせる姿は、リウラの故郷の(おさ)である女性が生み出した創作上の人物にそっくりだ。

 

 奇術師は空中で大きく手を広げ、胸を張ってこう言った。

 

 

 

 

「レディース、ア~ンド、ジェントルメ~ン!!」

 

 

 

 

 自信に満ち溢れているとハッキリわかる声が、(あた)りに響く……いや、辺り()()響く。

 不敵な笑みを(たた)えた水精――リウラは右手を胸に添え、左手を(てのひら)を上にするように水平に持ち上げて腰を折り、ゴーレムに向かって大仰(おおぎょう)挨拶(あいさつ)をした。

 

 

「怪盗リウラのマジックショーへようこそ! 今宵(こよい)、私の水のイリュージョンで貴方(あなた)(ハート)を盗んで御覧(ごらん)に入れましょう!」

 

 

 ――彼女のすべき役割……それは、思い切り派手(はで)に動いてゴーレムの注意を一身(いっしん)に引きつけ、リリィが魔術を当てる隙を作ることであった

 

 



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第二章 怪盗リウラ 後編

 ゴーレムの視界は、そのほとんどが霧で閉ざされている。また、霧自体にリウラの魔力が込められているため、ヴィアやリューナの気配も感じ取ることができない――すなわち、今この瞬間、ゴーレムにとって敵と認識できるのはリウラしかいない。

 

 芝居(しばい)がかった大仰(おおぎょう)な振る舞いをするリウラは、ただただ目の前の敵を攻撃するだけの岩人形にとって、これ以上ないほど分かりやすい敵であることもあり、ゴーレムは先程からリウラばかりを狙っていた。

 

 肩を引いて思いきり左拳を振りかぶったゴーレムは、躊躇(ちゅうちょ)なく空中の水精(みずせい)へ向かって拳を振り抜く。しかし……

 

 バッ!

 

 大砲の弾のように迫る鋼鉄の巨拳が貫いたのは、半透明のマントだけだった。

 拳を引いたところには何もいない。

 

 手応(てごた)えがないことに違和感を覚えたのか、ゴーレムがキョロキョロと頭部を動かしてリウラを探す。

 

「こちらですよ。ゴーレムのお兄さん?」

 

 ――声が聞こえたのは背後

 

 ゴーレムはグルリと振り返る。

 そこにいたのは傷ひとつないタキシード姿の水精。傷つけたはずの水マントすら、きちんと身に着けている。

 

 知性ある生物であるならば、この時点でリウラを警戒することができただろう。だが、鉄の巨人にはそれを判断できる頭が無かった。

 多少のことは精霊が判断できる。あいまい(ファジー)な命令であろうとも理解してくれる。

 だが、命令に無いことは判断も実行もできない。なぜなら、精霊の思考を縛るということは、作成者が想定していない状況を思考・判断させることができないということだからだ。

 

 ゴーレムはまるで幻を相手にするかのように、リウラに拳を、剣を愚直(ぐちょく)に振り続ける。

 

 

 

「……器用なことするわね」

 

 あきれたように、ヴィアは(こぼ)す。

 濃密な霧で(おお)われた視界の中、彼女はその獣さながらの視力でもって、リウラが次から次へと行う一連のパフォーマンスを、かろうじて目で追うことができていた。

 

 リウラが自分の背中に回した右手に水が生み出され、瞬時にもう一枚の水のマントを(つく)り上げる。

 創り上げたマントで自らを隠しながら霧の中に隠れると、リウラが立っていた水の足場が分解されて霧に変わり、ストンとリウラの身体が落ちる。おそらく、ゴーレムから見たら、突如(とつじょ)としてリウラが消えたように見えただろう。

 そして、重力に従って落下する彼女を、再び生み出した水床が支え、ゴーレムの背後へと移動させる。そこで、改めてリウラはポーズをとってゴーレムに話しかける。

 

 これが、先程の不可思議な状況――まるでリウラが幻のように、ゴーレムの前で消えたり現れたりしている()()である。

 

 霧の中に隠れたリウラが、ゴーレムに向かって声をかける。

 すると、前後左右、さらには上からもリウラの声が発せられ、ゴーレムは視覚だけでなく、聴覚でもリウラの位置を把握できずに混乱させられる。

 

 ヴィアは、自分のすぐ(そば)から特に大きくリウラの声がすることに気がつく。

 そこに近寄って手探りしてみると、とりわけ霧の深い部分に、鏡のように平らで大きな水の膜があることに気づいた。

 

 その膜はリウラの声に合わせて振動しているようで、ヴィアが目を細めると、霧に(まぎ)れて、細い細い水の糸が膜から伸びていることが分かる。

 ためしにその糸をつまんでみると、目の前の膜からの声がピタリとやんだ。その糸の、水膜とは逆方向の先は、壁を()うようにカクカクと直線的に曲がりながら上へ上へと伸びており、その先は霧に隠れて見えない。

 

 おそらく、これは水でできた糸電話だ。リウラの声を水の糸が伝達し、他の水膜を振動させているのだろう……そう考えたヴィアの予想は当たっていた。

 リウラが声でゴーレムを攪乱(かくらん)する際、彼女の口元の霧……その小さな水滴のひと粒ひと粒が漏斗状(ろうとじょう)に広がり、それらが先程ヴィアが見つけたものを初めとする、随所(ずいしょ)に設置された大きな水膜へと接続され、声を伝達。その結果、“あちこちからリウラの声が聞こえる”という現象を起こしていたのである。

 

 リウラがゴーレムの目の前で(かろ)やかにゴーレムの拳を(かわ)すたび、ゴーレムの動きが鈍くなっている。

 ゴーレムは気づいていない。ゴーレムが身体を動かすたび、非常に細い――しかしとても丈夫な水の鎖が少しずつ身体に(から)まっていることに。

 

 リウラが霧を出した最も大きな理由がこれだ。

 糸電話を隠すという意味も、自分だけに注意を集中させるという意味も、本命を準備しているだろうリリィを隠す意味もある。――だが、本当の目的は辺りに張り巡らせた、クモの糸のように細い水鎖に気づかせないようにするためだ。

 

 ゴーレムの動きはどんどん鈍くなっていく。

 だが、ゴーレムは気づけない。霧で自分に絡まる水鎖が見えないからだ。

 

 もともと水でできているだけあって、非常に見えにくい上に、鎖に(かよ)う魔力も霧の魔力によって隠されてしまって感じ取ることができない。与えられた命令の範囲外の事を考えられないゴーレムでは、どうしても気づくことができない。

 

 そして何よりも、リウラが気づかせない。目立つ格好をして、大声を上げ、派手なパフォーマンスをすることで、ゴーレムの注意を()らさせない。

 

 リウラに注意が集中するかぎり、ゴーレムは命令に従ってリウラを攻撃し続けてしまう。多少、身体の動きが鈍くなろうとも、ゴーレムはそれを気にしない……いや、気にすることができない。

 戦闘中に身体が半壊しても戦い続けるよう命令されているゴーレムは、明確に動きを封じられている証拠でも突きつけない限り、不調の原因を取り除こうとする行動に移ることができないのだ。

 

 もしリウラが濃霧を出さず、注意を己に引きつけていなければ、すぐにでも水鎖に気づかれ、ゴーレムはそれらを(つか)んで、力まかせに引きちぎっていたことだろう。

 

 

 ギシギシと(きし)むようにぎこちない動きで、ゴーレムは左拳をリウラに突きつけ、魔導砲(まどうほう)の砲門を展開しようとする……が、

 

 ――ギシリ

 

 ゴーレムの拳が、中途半端な位置で止まる。砲門も開かない。

 

 それを見たリウラは、バンザイをするように両手を大きく広げながら、楽しそうに大声を上げた。

 

「イッツ! ショウタ~イム!!」

 

 ゴオッ! と音を立てて周囲の霧が編み込まれ、細い水の鎖へと変化し、次々とゴーレムへ絡みついてゆく。

 その様子は、まるでクモが獲物へ糸を投げかけるかのよう。

 

 霧が晴れた時、そこには、半透明な(まゆ)の中にいるように、何千何万もの水鎖で雁字搦(がんじがら)めになったゴーレムがいた。

 先程の巨大な水鎖で縛った時以上に全身くまなく縛り上げているためか、ゴーレムがギシギシと身体を()するも、即座にその(いまし)めを解くことができない。

 

 だが、元々リウラとゴーレムではパワーに差がありすぎる。頭からつま先まで幾重(いくえ)にも水鎖を巻きつけたこの状態であろうと、そう長くはもたないだろう。

 

 次の瞬間――

 

「はぁっ!」

 

 ギギガガガガギギギィンッ!!

 

 18連撃。

 わざとリウラが水鎖で縛らなかった、ゴーレムの右手首から先……それを見た瞬間、その意図を()みとったヴィアは、瞬時に右手首へ向かって大きく跳躍。ゴーレムの右の五指(ごし)に闘気を込めた短剣(ダガー)を連続で叩き込み、今にも刀身が霧になろうとしていた大剣を叩き落すことに成功する。

 

 

 

 ――準備は整った

 

 

 

「リリィ! あとは、お願い!」

 

 振り返ったリウラの視線の先……リューナが張った結界のさらに内側、そこには球状に描かれた積層(せきそう)立体型魔法陣の中で短剣を(かま)え、不敵に笑うリリィの姿があった。

 

「まかせて」

 

 その言葉とともにリリィの魔術が起動し、魔法陣の輝きが力強さを増す。

 

 リリィが使おうとしている魔術は、古代の超科学文明……この世界(ディル=リフィーナ)では“先史文明期(せんしぶんめいき)”と呼ばれる時代に活躍した兵器――超電磁砲(レールガン)を参考に創り出された大魔術だ。

 しかし、ただの超電磁砲と(あなど)るなかれ。それは、人工的に神をも創造した超科学が生み出した兵器。その威力は、山々を土塊(つちくれ)のように砕き、竜の鱗を紙きれのように貫く。

 

 本来は、ここに高密度に圧縮した雷属性の大魔力弾を装填(そうてん)するのだが、残念ながらリリィにそこまでの魔力は無い。しかし、それでも目の前のゴーレムを倒すには充分すぎるほどの威力が約束されている。

 

 リューナの結界が解除され、リリィが魔術的に創り上げた超電磁砲の魔力が高まってゆく。

 その魔力が最高潮に達したとき……リリィの握る短剣(たま)は発射された。

 

 

 

 ――秘印術(ひいんじゅつ) 偽・超電磁弾

 

 

 

 轟音とともに、鉄人形の胸から上が砕け散る。いかなる魔術も無力化するはずの鎧は、音速すら軽く凌駕(りょうが)する速度で放たれた魔剣に(やぶ)れた。

 

 半壊したゴーレムの胴体上部――破砕された断面に、地の精霊力を放つ、子供の頭ほどの大きさの石が現れた。宝石のように美しい、その魔石(ませき)の周囲の岩をリウラは水で砕き、宝石を(えぐ)り取ると、そっと抱きしめる。

 

「……もう、大丈夫だよ」

 

 予告通り、怪盗は鉄と岩の牢獄に囚われていた地精(ちせい)の心を救い出したのだった。

 

 

***

 

 

「……くぅ~~っっっ……!!」

 

 

 リリィは脂汗(あぶらあせ)を流し、苦痛に表情を歪めながら、右手を押さえてうずくまっていた。

 表情は半泣きである。

 

「限界まで手袋と右手を魔力強化したのに……甘く見すぎちゃってたな……」

 

 リリィの右手に()めていた手袋は、内側の部分が燃え尽きてなくなり、その周辺は完全に炭化している。そしてリリィの右手は、(てのひら)の皮がベロリと(めく)れ、ズルズルに火傷していた。握っていた短剣が発射された際の、摩擦熱の影響である。

 

 早く回復したいのだが、“偽・超電磁弾”を放つ際の莫大な電力を生み出したせいで、リリィの魔力はすっからかん。掌を再生させるどころか、火の()ひとつ生み出せそうにない。

 おまけにお金が足りなかったので、傷薬すら買えてない。冗談ではなく涙が出そうだ。

 

 スッとリリィに影がかかる。

 リリィがうずくまったまま上を見上げると、そこにはブスッっとした表情の黒猫少女がいた。

 

「ヴィアさん……」

 

「……傷、見せなさい」

 

「え?」

 

「いいから!」

 

「は、はい……?」

 

 リリィが戸惑(とまど)いながらも、右手をヴィアに見せる。

 

 ヴィアはその惨状(さんじょう)に顔をしかめると、ポーチから1本の赤い羽根を取り出し、それをリリィの目の前で握り潰した。

 握りしめたヴィアの拳から赤く輝く風が流れ出し、リリィの右手を覆う。その数秒後、リリィの傷は跡形もなく消えていた。

 

「今のは……」

 

「“治癒(ちゆ)(はね)”よ。値は張るけど、迷宮で行動するうえでは必須になるから、あとで買っておきなさい」

 

「えっと……、“治癒(ちゆ)(みず)”ではダメなんですか……?」

 

 “治癒の羽”は、回復したい相手をイメージしながら握り潰すと、魔術的な風となって、イメージした対象を癒す魔術的な効果を持ったアイテム……魔法具(まほうぐ)の1種だ。1回の使用で複数人を癒すこともできる。だが便利である分、とてもお高い。

 

 栄養ドリンクサイズの回復薬である治癒の水ならば、だいたい3分の1の値段で買える。1人しか服用できないものの、1人当たりの回復力は同等以上だ。

 

「重い。かさばる。割れる。戦闘中に悠長(ゆうちょう)に飲める?」

 

 シンプルかつ分かりやすい理由を、ヴィアは機嫌悪く並べる。

 

 “治癒の水”は“治癒の羽”と比べ、はるかに低コストではあるものの、“飲む”あるいは“傷口にかける”という行為が必要であるため、戦闘中に使用することはまずできない。

 戦闘終了後に利用する分には問題ないが、戦闘中に使用できないのはあまりにも危険。また、頑丈な入れ物に入ってはいるものの、器に入っている以上、戦闘の衝撃で破壊され、中身が漏れてしまうこともある。

 

 “羽”であれば、少々の衝撃で破壊されることはない。その上、念じて握り潰すだけで発動し、仲間も同時に癒すことができるため、戦闘中にも使える場面が多々(たた)ある。

 多少値段は張るが、資金に余裕があるならば“羽”を(そろ)えておいた方がパーティーの生存率はグッと上がるのだ。

 

 その有無を言わさない口調に、リリィは冷や汗を垂らしながら反射的に首を縦に振ってしまう。

 

「わ、わかりました……“羽”にします。……あ、治してくれてありがとうございます。お金は後で払いますから」

 

「……別にいらないわよ」

 

 ヴィアはそういうと、蔵に向かって歩き出す。

 

「……お宝が丸々手に入ったのは、アンタ達のおかげでしょ? その礼よ」

 

 嘘ではないだろう。たしかにゴーレムを倒したことで、蔵の宝物を全部ゆっくりと運び出すことができるようになった。

 だけど、本心を全てさらけ出したわけでもない……そんな気がする。

 今の彼女の仏頂面(ぶっちょうづら)は、怒りや苛立ちではない、もっと別の感情が原因のようにリリィには感じられた。

 

 ヴィアが入っていった蔵の扉に視線を向けながら悶々(もんもん)と考えていると、ふと思いついた。

 

「……罪悪感……?」

 

 あまりに突拍子(とっぴょうし)もない単語だ。ヴィアが罪の意識を感じる理由など、どこにもない。

 だが、なぜかその言葉が彼女の様子にしっくりと当てはまるように、リリィには感じられたのだった。

 

「……それにしても……」

 

 “(らち)()かない”と考えを打ち切ったリリィは、自分が破壊したゴーレムへ顔を向ける。

 そこには、()()()()()()()()()上半身が粉々に砕けた岩人形の残骸があった。

 

「……火属性の魔剣を使ったのは、まずかったかな……まさか、爆発するとは……」

 

 どうやら、ちょうどリリィが射抜いた位置に動力炉か何かがあったらしい。今回は偶々(たまたま)うまくいったが……運が悪ければ、核ごとドカンといっていたかもしれない。

 

 リリィは冷や汗を垂らしながら、この都合の悪い事実を墓まで持っていくことを決めたのだった。

 

 

***

 

 

(クソッ! なんて奴らだ!)

 

 盗賊団の(かしら)は、(とりで)の出口に向かって全力で走っていた。

 

 自分の腹をぶん殴ってくれた睡魔(すいま)の小娘と、その仲間たち……盗賊団のメンバーが1人も帰ってこないことから、全滅させられたと悟った彼は、彼女達を倒し、復讐するために、(あるじ)()()()()()()()()虎の子のゴーレムをけしかけた。

 

 しかし、まさか逃げるどころか、破壊されるとは思いもよらなかった。

 

 こうなった以上、彼にできることは1つしかない。与えられた役割をこなす――つまりは、“()()()()()()()()()()()()()()()()”だ。

 

 できるなら、自らの手であの生意気な睡魔の顔を屈辱でゆがめてやりたかったが……主に(なぶ)られるシーンを見ることで我慢するとしよう。無論、自分も参加を許されれば遠慮はしないが。

 

 復讐に心を煮えたぎらせる彼の脚が、今まさに砦の門を越えようとした瞬間――背の中央に鋭い痛みが走った。

 

「ガッ!?」

 

 直後、ガクンと膝の力が抜け、彼はその場に倒れ込む。

 

 力が抜けたのは、膝だけではなかった。

 頭のてっぺんからつま先に至るまで、まるで力が入らない。それどころか、声も、視線を動かすことすらできなかった。胸が締めつけられるように痛み、呼吸がどんどんできなくなっていく。

 

(毒!? いったい、どこから……!?)

 

 おそらく、背に刺さっているのはナイフだろう。だが、彼の背後にそれらしき気配も殺気も感じられず、ナイフが飛んでくる風切(かざき)(おん)すら聞こえなかった。

 

 必死に息をしようともがく彼の耳に、(かす)かに若い女の声が聞こえる。あまりの苦しみに、その声の主が誰かも考えられず、彼は助けを求めた。

 

「た……たっす……け……」

 

「あ~、申し訳ないッスけど、あなたが生きていると都合が悪いんスよ。というわけで、死んでください」

 

 ――それが、彼の意識がこの世から消える直前に聞いた、最後の言葉となった

 

 

 

 

「全員、殺した?」

 

「うぃッス。見張りや警邏(けいら)も、ヴィアさん達が向こうで倒した奴らも含めて、1人残らず皆殺しッスよ~♪ 痕跡(こんせき)もキレーに消してあるッス!」

 

 声の(ぬし)……ヴィアが(かたわ)らの人物に問うと、その人物は右手でナイフを(もてあそ)びながら陽気な声で肯定する。

 

 黒いズボンに黒い外套に黒手袋に黒帽子……鼻から下を黒いマスクで覆った全身黒ずくめの暑苦しい(よそお)いで、顔どころか種族すら判別できない()()ちだ。

 その声と身体のラインから若い女性であることくらいは何とかわかるが、それだって魔術で変えられていない保証はない。

 

 ヴィアは黒ずくめをギロリと(にら)む。

 

「コイツがあんなゴーレムを持ってたなんて、アンタひとことも言わなかったわね。それとコイツがゴーレムを起動させる前に、さっさと殺しておかなかったのは何故かしら?」

 

「いや、いくら私でも何でもかんでも知ってるわけじゃないッスよ……。おまけにコイツ、気絶してたのか全然気配を感じなかったし、気づいたときにはヴィアさんの前にズドーン! ッス。……それに、私がリリィさん達に顔を見せたら、ヴィアさんが(あや)しまれるッスよ?」

 

 肩をすくめる黒ずくめに、チッとヴィアは苦々しく舌打ちをする。その様子を見てクツクツと笑う黒ずくめは、直後、ニヤリと目を歪ませる。

 

「それよりも……どうッス、リリィさん達は? ()()()()()()()()()()()()()()?」

 

「…………………………そうね」

 

 長い間をおいて、ヴィアは同意する。そんな彼女に構うことなく、黒ずくめは話を続ける。

 

「ヴィアさんにとって、じゅ~よ~な情報を提供したと証明されたんスから、追加で報酬を……と言いたいところですが、まけさせていただくっスよ。これで、コイツを殺し(そこ)ねたことはチャラにして欲しいッス」

 

「わかったわ。わかったから、さっさと消えて」

 

 どうやらさらに機嫌を損ねたらしい。これ以上は話しても火に油を注ぐだけだと判断したのか、黒ずくめは、いったいどうやってか、一瞬にしてその姿を消した。

 

「……」

 

 ヴィアは、わずかな間その場に無言で立ち続けたあと、(きびす)を返して親友の元へと歩き始めた。

 

 

***

 

 

 瓦礫(がれき)(ほこり)を払った床に、リューナがチョークのようなものでサラサラと魔法陣を描いてゆく。

 元の姿――サイドテールと(そで)分離ワンピースに戻ったリウラはゴーレムの核を抱きしめて、それを見ていた。

 

 核に囚われた地の精霊を解放するための準備――ではなく、地の精霊に活動できる身体を与えるための準備である。

 どういうことかというと、“さあ、魔制玉(ませいだま)から解放するぞ!”とリウラとリューナが準備を始めたところで、地の精霊が話しかけてきたのだ。

 

 ――リウラに恩返しがしたい

 

 ……と言われても、物理的に干渉するための身体を構築できない精霊にできることはそう多くはなく、またリウラ自身も見返りを求めてやったことではないので、彼女達はその申し出を丁寧に辞退した。

 

 しかし、それでも地の精霊は(あきら)めなかった。

 

 『何か……何か、自分にできることはないか?』と必死に()いてくる精霊の声に、だんだん無力感と悔しさの色が混ざりはじめたとき、リューナは提案した。

 

『身体、(つく)ってあげましょうか?』

 

 エルフにとって、地の精霊が宿った土人形――土精(つちせい)アースマンを作成することは、決して珍しいことではなく、リューナもその技術を持っている。核から解放する作業と同時に(おこな)っても、ほとんど手間暇は変わらないので、(しぶ)る理由も無い。

 身体があれば、なにか役に立てるかもしれない――地の精霊はこの提案に喜んで同意し、リューナに感謝を伝えた。

 

「……よし、できましたの!」

 

 リューナは出来上がった魔法陣に、ゆっくりと魔力を流し込んでゆく。魔法陣が優しい色合いの青色に発光し、リューナとゴーレムの核を抱いたリウラ、そしてリウラの(そば)にやってきたリリィを青白く照らす。

 

「……リウラさん、核と泥をお願いしますの」

 

 その言葉にリウラは、土精の身体の材料となる、土に自分の水球を混ぜて作った泥を魔法陣の傍に寄せ、核を持った両手をリューナに差し出す。ところが、核を渡そうとするリウラの手が途中で止まり、「ちょっと待って」と(ことわ)りを入れる。

 

 リウラは核をギュッと抱きしめて言った。

 

「……今度は悪い人に捕まらないように……強くて立派な身体を持てますように……」

 

 リウラは核に祝福の念を込めると、リューナに核を渡す。

 リューナが魔法陣の中心に核を()えると、魔法陣から放たれる青い光がどんどん強くなっていく。そして、唐突(とうとつ)に目も(くら)むほどの閃光が辺りに満ちた。

 

 リウラは思わず目を閉じ、腕で目をかばう。

 そして光が収まり、おそるおそる目を開きながら腕を()ろすと……リウラは目を大きく見開いて驚き、次に嬉しそうに笑った。

 

「わぁ……!!」

 

 

 ――魔法陣の上に、褐色(かっしょく)……というよりも土色(つちいろ)の肌の女性が立っていた

 

 

 髪はスポーティーなショートヘアになっており、足首から先は崩れて泥のようになっている――身体が泥と土でできている(あかし)だ。惜しげもなく(さら)されているその裸身は、非常に豊満で大人っぽいが、顔は童顔で可愛らしく、とてもリウラ好みの容姿をしている。

 

 リウラに向かって笑顔を浮かべていた女性は、ゆっくりとリウラに近づくと、そっとリウラを抱きしめる。

 

「……助けてくれて、ありがとうございます……!」

 

 リウラは女性――土精の腕の中で笑顔を浮かべて、ギュッと彼女を抱きしめ返した。

 

「どういたしまして!」

 

 

***

 

 

「……」

 

「……」

 

 リューナとリリィは(ほう)けていた。

 理由は、目の前のアースマンである。

 

「なんですの……? あの、アースマン……」

 

 リューナが呆然(ぼうぜん)(つぶや)く。

 

 “アースマン”といえば、その形態は“土人形”もしくは“泥人形”……それも幼児が土遊びで作ったかのような、不恰好(ぶかっこう)な姿をしているのが普通だ。いちおう、目と口はあるものの、“頭の該当する位置に穴が開いているだけ”と言えば、だいたいどんなものかは想像がつくだろう。

 少なくとも目の前の女性のように、美しい人の形をしたアースマンなど、リューナは見たことも聞いたこともない。

 

 一方、リリィは違う意味で驚いていた。

 

(……え? あれって、ひょっとして……?)

 

 リリィもアースマンの姿形(すがたかたち)は良く知っている。……と、同時に目の前の女性型アースマンについても一応の知識があった。

 リリィの原作知識……“姫狩り~”を初めとする、同世界の作品群の中で、1作品だけこの形態のアースマンが出るものがあったのだ。

 

 該当の作品内でも、この形態になった理由は不明確ではあったが、作品内である程度の推測はされていた。たしか、その内容は……。

 

「リューナさんか、お姉ちゃんが考えてた“土精(つちせい)のイメージ”が女性だったんじゃないですか?」

 

 “土精と契約を結んだ者が、土精に対して(いだ)くイメージが反映されたのでは?”というものだったはずだ……が、

 

「それはありませんの」

 

 即、否定された。

 “あれ?”と思うリリィに、リューナは説明する。

 

「わたくしには、一般的なアースマンのイメージがハッキリとありますの。女性の姿になるなんて、思いつきもしませんの」

 

「それと、“リウラさんが女性をイメージしていた”という線も、たぶんありませんの。……リウラさんがゴーレムと戦ってたとき、ゴーレムに向かって何て話しかけてたか、覚えてますの?」

 

「え~っと、たしか……」

 

 リリィはハッと気づく。

 

 

 ――『こちらですよ。ゴーレムのお兄さん?』

 

 

「ゴーレムの……()()()()

 

「そう。仮にリリィの言うことが正しいなら、あの土精は()()()()()()()()()姿()()()()()()()()()()()()()()()

 

 リューナの言う通りであった。たしかにリリィの理屈は成り立たない。

 

「じゃあ、なんで……?」

 

「わかりませんの。……ゴーレムとしての魔術支配を受けて、精霊が変質した影響かも……可能な限り元に戻したつもりでしたけど……」

 

 リリィはその言葉に不安になって、リューナに(たず)ねる。

 

「それって、大丈夫なんですか?」

 

「……たぶん。いちおう、あとで調べてはみますけど……」

 

 リューナも心配そうだ。リリィはその様子を見ながら、ふと先程の姉の様子を思い出した。

 

 

 ――『強くて立派な身体を持てますように』

 

 

 リウラが土精を抱きしめて込めた、“幸せになってほしい”という願い。

 “もしかして、あれが……?”と思いかけて、リリィはかぶりを振る。

 

(いくらお姉ちゃんが色々特殊だからって、そんな訳ないよね。それだったらムキムキの男の人の姿になるだろうし)

 

 リウラが認識していたのは男性のはずなので、屈強(くっきょう)な肉体をイメージしたのなら、筋骨隆々(きんこつりゅうりゅう)とした大男になるはずだ。

 リューナが土精の身体を調べてみないことには、いくら想像をめぐらせても答えは出ないだろう。そう考えた後、リリィは思考を打ち切った。

 

 

***

 

 

「それでは、今回の仕事の成功を祝って……かんぱ~い!!」

 

「「「かんぱ~い!!(ですの!)」」」「か、かんぱい……」

 

 ヴィアが乾杯の音頭(おんど)をとると、チン! とグラスを交わす音が次々と鳴り響く。

 

 あれからリリィ達は“水の貴婦人亭(きふじんてい)”に戻り、1階の酒場で打ち上げを始めた。

 

 ちなみに土精の彼女の身体には何の異常も見つからず、しばらく様子見することになった。

 少々心配ではあるが、精霊に詳しいエルフのリューナに見つけられないのなら、リリィにだって見つけられない。なにかしらの不具合が出たら、その都度(つど)対応する、という方法しかとれないだろう。

 

 余談だが、オークの討伐依頼もきっちり完遂(かんすい)し、オーク達はこの町の(ブランの息がかかった)衛兵団に、指輪は依頼主に渡してある。依頼主はとても感謝してくれていて、リウラは『やって良かった』と嬉しそうにニコニコしていた。

 

 あの砦をアジトにしていた盗賊団は、いつの間にかヴィアが手配した者が衛兵団に引き渡していたらしい。そのことをヴィアから聞かされたリリィは、“戦闘さえしないのなら、手伝ってくれる人はいたのか”と、あの大人数を運ばなくて済んだことにホッとしていた。

 

「あ、それと、アイちゃんの無事もお祝いして、もう1回かんぱ~い!!」

 

「かんぱ~い!!」

 

「乾杯、ですの」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

「……」

 

 ふと気づいたように、リウラも乾杯の音頭を取る。リリィは元気にそれに応え、リューナは静かに答える。

 土精は照れながら礼を言いつつグラスを持ち上げ、ヴィアはぶすっと……それでいて気まずそうにグラスを持ち上げる。1人だけ土精を見捨てようとしたことを気にしているのだろう。

 

 アイというのは、先程助けた土精の名前だ。初めて身体を持ったので、個体としての名前が無いため、リウラが名づけた。

 

 

『アイアンゴーレムだから……“アイちゃん”!!』

 

 

 水蛇(サーペント)の“サッちゃん”と同レベルのネーミングである。

 

 だが、“アイ”という名前は、リリィの前世の母国ではそこそこ普及(ふきゅう)していた名前だったので、“まあいいか”とストップをかけることはしなかった。

 土精――アイも恩人が名前を付けてくれたことに喜んでいたことだし、水を差すのは野暮(やぼ)というものだろう。

 

「ちょっと遅かったみたいですね」

 

 ビクン!!

 

 背後から掛けられた声に、耳と尻尾の毛を逆立ててヴィアが反応する。

 見るからにガチガチになった彼女は、顔を真っ赤にしながらギギギと(きし)むように、ぎこちなく後ろを振り返る。

 

 その様子を見てニヤニヤと笑いながらリューナも後ろを振り返って、新たな(うたげ)の参加者に声をかける。

 

「いらっしゃいですの、リシアン。お店はどうしましたの?」

 

「後輩が気を使ってくれたんだよ。『せっかくのお祝いなんだから、主役の1人が行かなくてどうするの!』ってね」

 

 荷物を()ろしながら答えたのは、10~11歳程のエルフの美少年であった。

 リューナの実の弟、リシアンサスである。愛称(あいしょう)はリシアン。

 

 ショートカットの銀髪と、リューナに良く似た容貌(ようぼう)を持っている。ただ、瞳の色だけは違い、リューナが美しい青なのに対し、リシアンは深い紫色をしていた。

 仕事の成功と同時に非常に快活な様子となったリューナと異なり、リシアンは非常に落ち着いた様子を見せており、とても10歳そこそことは思えない、大人な雰囲気を(ただよ)わせている。

 

「いらっしゃい、リシアン君! まだ乾杯したとこだから、全然セーフだよ!」

 

「もう1度、乾杯しなおしましょうか」

 

 リウラが元気よくリシアンに話しかけると、アイが空いているグラスに酒を()いでリシアンの席に置く。

 

「ほら、ヴィー。もう1回、乾杯の音頭を取って! リシアンのお祝いですの!」

 

「うぇっ!? い、いや……それは、むしろアンタの役割でしょう!?」

 

 慌てるあまり声が裏返るヴィアにリューナはクスクスと笑い、リウラは目を輝かせている。アイは困ったように苦笑いし、リシアンは穏やかに微笑み……そしてリリィはニヤニヤと笑いながら、納得していた。

 “なるほど、どうりでブランが『下手(へた)に動くな』と止めているにもかかわらず、それを無視して必死に助けようとするはずだ”……と。

 

「……うん。ヴィーを(いじ)るのは、これくらいにしときますの!」

 

「……リュー、アンタ後で覚えときなさいよ」

 

 恨みがましげにリューナを(にら)みつけるも、真っ赤っかな顔と涙目で睨みつけられても可愛いだけだったりする。

 彼女のあまりに分かりやすい様子に、事情を察したリリィ達も笑顔が止められないようだ。

 

 リューナは笑いをこらえながら、グラスを(かか)げて言った。

 

「弟の……リシアンサス解放のお祝いと、助けていただいた皆さんへの感謝を込めて……乾杯ですの!!」

 

「「「「「かんぱ~い!!」」」」」

 

 宴が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 結論から言うと、蔵にあった宝物はリューナの弟を購入する金額を(おぎな)うに余りある質と量があった。結果、無事にリューナの弟……リシアンサスは即金(そっきん)で姉に買い戻され、姉弟は感動の抱擁(ほうよう)を交わすことになった。

 

 感動のあまり、リウラは泣いた。

 

 カウンターで見ていた、リシアンサスの後輩――新たに、この店の店主になるためにやってきた木精(ユイチリ)の少女の(うらや)ましそうな目が、少し印象的だった。

 

 その後、お互いに自己紹介し、必要なもの――アイの服や迷宮での必需品を購入すると、早めに買い物を切り上げてお祝いをすることになった。

 その際、リシアンサスから『リシアンと呼んでほしい』と言われ、リウラ達も愛称で呼ぶことになった。

 

 そして、リシアンを買い戻した後の残額……つまり、盗賊団の蔵に有った宝物の残りは報酬としてリウラとリリィがもらうことになった。

 

 リウラが『持ち主がわかるなら、返したほうが良いかな?』と言う一場面(いちばめん)もあったが、『アンタが受けたような依頼が出てなければ、誰にも持ち主なんてわからないわよ。ありがたく、もらっときなさい』というヴィアの一言(ひとこと)で、ありがたくリリィを救うための軍資金としていただくことになったのである。

 

 今はリウラの故郷である水精(みずせい)の隠れ里(あと)の蔵に、リリィが魔術で丸ごと転移させている。あそこならば、まず泥棒に見つからないだろうし、仮に見つかっても、番をしているサッちゃんを倒して進むのは難しいだろう。

 ディアドラだけは例外だが、あの神出鬼没(しんしゅつきぼつ)な彼女ならば、どこの金庫からだろうと簡単に盗めるだろう。わざわざ廃棄された里に出向いてまで、金品を(あさ)りに来るとは考えにくい。

 

 

 そんなこんなでお金に余裕のある一行(いっこう)は、値段を気にせず気前よく酒や料理を注文していく。

 

 

「おねーさん! これとこれとこれとこれ! 2皿ずつお願い! あと、林檎酒(シードル)と赤ワイン、オレンジとリンゴジュースを1本ずつ!」

 

「あ、こっちはリンゴパイとプディングお願いしまーす!」

 

「リ、リウラさん……ちょっと食べすぎじゃないですか……?」

 

「ん? アイちゃんも遠慮しなくていいんだよ? お金はあるんだから、もっとどんどん食べなって」

 

「い、いえ……もう充分いただきましたから……」

 

 今、リウラの目の前には、長年あこがれていた外界(がいかい)の美味しい食べ物や飲み物がずらりと並んでいる。彼女にとっては夢のようなその光景に、リウラの瞳には先程からハートマークが浮かんでいた。

 

 そして、そんな彼女の食欲は凄まじかった。その様は、まるでこの数年間()めてきた欲求を解放するかのよう。

 

 フードファイターもかくやという勢いで、空になった皿や(びん)が次々とリウラの目の前に積まれ、並べられては、ウェイトレスやウェイターがそれらを下げていく。

 木の実をパンパンに頬袋(ほおぶくろ)に詰め込んだリスのように、頬を(ふく)らませながら食事をするリウラは満面の笑みを浮かべており、見るからに幸せそうなオーラを放っていた。

 

 リリィは、そんな姉の様子を見ながらニコニコとマイペースに食事を続けており、アイはリウラのそのあまりの健啖(けんたん)ぶりに若干(じゃっかん)引いている。

 

「……リシアン……水精って、肉とか野菜を食べる習慣ってありましたの……?」

 

「……氷結王女(レニア・ヌイ)が人や魔物を襲い続けて、上位の精霊に進化したって話を聞いたことがあるから、ひょっとしたら肉が好きな水精もいるのかもしれないね……」

 

 一方、エルフの姉弟はあんぐりと口を開けて、リウラが飲食している様子に驚いている。

 

 リリィも当初驚いていたように、血に飢えているわけでもない精霊が好んで肉などを食べている様子に衝撃を受けているようだ。精霊と近しい種族であるためであろうか、リリィ以上に驚いているように見える。

 

 ちなみに、氷結王女(レニア・ヌイ)とは氷精(こおりせい)と呼ばれる氷の精霊の1種で、リウラ達――水精と同系統かつ上位の精霊にあたる。

 

 余談だが、土精であるアイもしっかりと肉料理を1人前完食しており、彼女の身体の材料となった泥に血肉が混じっていなかったか、不安になったリューナが再度彼女の身体を検査する場面もあった。

 

「精霊のリウラはともかく……リリィ、アンタそんなに食べたら豚になるわよ」

 

 リウラには劣るものの、リリィもかなりの量のデザートを注文している。ヴィアが呆れた様子でリリィに告げた言葉に、リリィはフォークを(くわ)えたままキョトンとしている。

 

「あ、ヴィアさん知らないんですね」

 

「……何が?」

 

睡魔族(すいまぞく)って太らないんですよ?」

 

「……は?」

 

 思わずヴィアは目を見開く。

 

 リリィを創造した魔王ですら原作で勘違いしていたことだが、実は睡魔族は太らない。

 彼女達は性行為だけでなく、食事からも精気を得ることができるのだが、そもそも人間族や獣人族とは身体の構造が違うため、食べたものを吸収するプロセスも全く異なる。

 

 自身の肉体を精気で構成する睡魔族は、口から食物を摂取すると、それらを体内で完全に分解して純粋な精気に変換し、吸収する。そして、いくら精気を多量に取ったところで、彼女達の身体の精気の密度が上がるだけ……よって、“余分な脂肪がつく”ということは有り得ないのだ。

 

 それどころか、なんの手入れもしなくても髪はサラサラ、お肌はツヤツヤ。生まれた時から死ぬまで若々しく美しく、おまけに成長すれば、ほぼ間違いなくボンキュッボンのナイスバディを手に入れられるという、“美”に関してはエルフも真っ青のチート種族――それが睡魔族なのである。

 

 そうならなければ異性を誘惑できない(=精気が手に入らない)という、生死にかかわる問題があるとはいえ、世の女性の大半を敵に回すが(ごと)き、うらやましすぎる体質である。

 生まれながらにして誘惑の女神(ティフティータ)の加護を得ているという、彼女達の“魅”力はダテではない。睡魔族は今も昔も女性の嫉妬(しっと)の対象だ。

 

 もちろん、今しがたリリィからこの話を詳しく聞いたヴィアも例外ではなかった。

 

「ねぇリリィ? 私にケンカ売ってんの?」

 

 笑顔を浮かべているヴィアは、その整った顔立ちからとても魅力的なのだが、額に青筋を立てて嫉妬に燃えている今は、ただただ恐ろしい。

 

「アンタ、私が食事や美容にどれだけ気をつけてると思っ……アイダッ!」

 

「コラ、そんな小さな子に(から)まないの! 情けない」

 

 気がつくと、ヴィアの後ろに20代後半くらいの猫獣人の女性が、アップルパイとジョッキを乗せたトレイを持って立っていた。

 つややかな黒のロングヘアーを腰の後ろでまとめており、明るい笑顔と、キラキラ輝く金の瞳がとても快活な印象を与える美人だ。

 

 ヴィアに気づかせることなく頭をはたくことのできるこの人物に、“いったい何者だろう?”とリリィが(わず)かに警戒するが、その答えはすぐに知れた。

 

「母さん……でも「「(()()()()()()()()()()!?」」」

 

 ヴィアの言葉を(さえぎ)り、リリィとリウラが驚愕(きょうがく)の声を上げる。

 

 ヴィアの母は、その様子を見てクスリと笑って自己紹介する。

 

「はじめまして。ミュラ・アルカーよ」

 

 リリィたち同性から見ても、とても可愛らしい笑顔が魅力的な女性だった。

 

 ヴィアはリリィの様子を見て、さらに不機嫌になる。リリィの驚き方とリウラの驚き方が違うのだ。リウラは純粋に知り合いの母親が現れたことにびっくりしているだけだが、リリィのそれはもっと別の事に驚いているように見える。

 

 そしてそれは、ヴィアにとって珍しい表情ではなかった。

 

「……なによ、リリィ。私の母さんがどうかしたっての?」

 

 リリィは驚いた表情のまま、ミュラへ(たず)ねる。

 

「その……失礼ですが、年齢を()いても?」

 

 ミュラは苦笑いして答えた。

 

「28よ」

 

「……ちなみに、ヴィアさんの年齢は……?」

 

 おそるおそる訊いたリリィに、ヴィアは眉間(みけん)縦皺(たてじわ)を寄せながら答える。

 

「……16」

 

 ……12歳頃にヴィアを産んだ計算になる。

 

「「ああ~~~~……」」

 

 リリィとリウラは、リシアンを見て納得の声を上げる。

 

「なによ、その“なるほど!”って顔は!!」

 

 言わずもがな。ヴィアのショタ趣味は確実に父親ゆずりだ。

 

 だが、この世界では別に珍しいことではない。リシアンを見ていればわかる通り、この世界では能力さえあれば10歳そこそこでも立派な労働力――つまり、1人前の大人とみなされることは決して少なくない。

 

 魔物の襲撃や戦争などで、あっという間に人が死んでしまうことも多く、精神的にも労働力的にも早く1人前になることが求められる。そのため、幼いうちに結婚して家庭を築いても全くおかしくはないのだ。

 

 ロリコン・ショタコンは、この世界では唯の好みの(ひと)つであり、犯罪でも何でもない。

 

 そこで、ふと何かに気づいたようにリウラは言う。

 

「あ、そういえば、ヴィアさんとリシアン君が結婚したら、どんな子供が生まれるの? 猫耳? それとも、とんがった耳?」

 

 素朴(そぼく)な疑問。だが、当然と言えば当然の質問だ。

 猫獣人とエルフ、あまりにも耳の特徴が違い過ぎる種族が結ばれた場合、どのような耳の子が生まれるのか、不思議にならないわけがない。

 

 小さな子供が(いだ)くような可愛らしい質問に対し、ヴィアの母は笑いながら答える。

 

「さぁ? それは分からないわね。どっちも生まれる可能性があるし」

 

「どっちも?」

 

 ヴィアが赤い頬のまま、憮然(ぶぜん)としながら答える。

 

「異種族が結ばれた場合、基本的にどちらかの種族になるわ。私とリシアンの子なら、だいたいそれぞれ3割くらいの確率で、猫獣人(ニール)かエルフどちらかになるわね。だけど2割の確率でそれらの特徴を混ぜた姿になるし、さらに2割の確率で全く違う姿で生まれるわ」

 

 ヴィアの頭を笑顔で()でながら、ミュラがさらりと補足する。

 

「この“2つの特徴を混ぜた姿”ってのは、たとえばエルフの耳に毛が生えてたり、あるいは猫耳がエルフの耳のような形をしていたり、ってかんじね。まったく違う姿になる場合は想像もつかないわ」

 

 ちなみに、まったく違う姿になる場合の例として、(つの)のあるタイプの魔族と睡魔族の間から、なぜか人間族そっくりの赤子が生まれた、というパターンがある。角も羽根も尻尾も、両親の特徴であるものを何ひとつ受け継ぐことがなく、まったくの異種族の姿として生まれるなど、想像のできようはずもない。

 

 ミュラの幼子(おさなご)に対するような扱いを嫌がるでもなく受け入れつつ、ヴィアは説明を続ける。

 

「……んで、この確率は種族の組み合わせによって大きく変わるわ。たとえば、人間族とエルフなら“2種族の特徴を混ぜた子”が生まれやすいし……そこの睡魔族(リリィ)がエルフと結ばれたら、十中八九睡魔族が生まれる。だけど、リリィがオークと結ばれれば、さっきの猫獣人とエルフの例と大体同じ確率になるわね」

 

「なんか、最後の例に悪意を感じるんだけど」

 

「気のせいよ」

 

 睡魔族は一部の例外を(のぞ)き、そのほとんどが女性の種族である。このように単一(たんいつ)の性しか存在しない種族は、基本的に己と同じ種族を産む力が極めて高い。

 

 オーク――豚の鼻を持ち、でっぷりと太った姿が一般的な、やや知能指数の低い鬼族(きぞく)もまた男性として誕生する確率が非常に高い種族であり、こちらも自分と同種族を産ませる力が極めて高い。

 

 このように、種族ごとに“自分と同種族を産ませる力”というのは異なるうえ、先の“人間族とエルフ”のように種族ごとの親和性というものもあるため、異種族婚で生まれた子供というのは、その姿形(すがたかたち)を予測することが難しいのである。

 

「と、そうだ水精のお嬢さん。アンタに会わせたい奴がいるのよ」

 

「ふえ? 私?」

 

 リウラは自分を指さして首をかしげる。

 ミュラが親指で自身の背後を指すと、後ろから背の高い狼獣人(ヴェアヴォルフ)の男性が現れた。

 

「よう、嬢ちゃん。あの時は済まなかったな」

 

「あの時?」

 

 “まさに狼そのもの”といった頭部を持つ、特徴のありすぎる人物である。知り合っていれば忘れるはずなどないのだが、リウラに心当たりなどまるでなく、ますます首を(ひね)る。

 

 そんな彼女の様子を見て苦笑した狼顔(おおかみがお)の男性は、ズボンのポケットから何かを取り出すとリウラの前に置いた。

 ジャラリという音が鳴り、手を退()けると、そこには袋に入った硬貨があった。袋の口は何故か、鋭いナイフで切られたかのように不自然に歪んでいる。

 

「あ……あああああああぁぁぁぁっ!? 私の財布!!」

 

 リウラが上げた大声に周囲の客が何事(なにごと)かと注目するが、盗まれたと思っていた財布が返ってきた驚きに我を忘れているリウラは、それに気づく様子もない。

 

 ヴィアは、それを見て呆れた様子で訊いた。

 

「ヴォルク……アンタ、何やってんの?」

 

 狼獣人の男性――ヴォルクは苦笑すると、奥のカウンターでグラスを(みが)いているブランを指さしながら言う。

 

「おやっさんに頼まれたんだよ。『世間知らずの嬢ちゃん達がいるから、ちょっと()んでやってくれ』ってな」

 

 それを聞いたリリィが後ろを振り返ってブランをジト目で(にら)むと、それに気づいたブランはニヤリと笑い返す。

 

(……)

 

 リリィは溜息を1つついて首を前に戻した。

 

 どうも最初から仕組まれていたらしい。あまりに頼りない自分達を見て、お節介をしてくれたのだろうが……もうちょっと心臓に悪くないやり方はなかったものか。

 

 だが、感謝はしなくてはなるまい。ほぼ初対面の相手にもかかわらず、わざわざ部下を使ってまで自分達のために警告してくれたのだ。

 目の前では、ヴォルクが可愛らしい女性物の財布をリウラに渡していた。財布を盗んだ()びだという。アフターフォローまでしっかりしているようだ。

 

 リウラは一応遠慮したのだが、『返されても男の俺には使えない』と強引に渡され、結局受け取ることになった。あらためてそれを受け取ったリウラは、まんざらでもなさそうだ。どうやら気に入ったようである。

 

 うばわれた金は戻り、新しい財布と宝物、そして仲間を手に入れた。

 リウラは美味しい食べ物や飲み物を堪能(たんのう)することができ、夢を1つ(かな)えることができた。

 

 今日は色々大変な1日だったが、結果的には大成功だったのだろう――リリィはそう考えていた。

 

 

***

 

 

 ――深夜

 

 (うたげ)が終わり、店員すらも(とこ)()丑三(うしみ)(どき)……辺りが静かな闇で包まれる中、リューナはテーブルに置いた左腕に頬を乗せるようにしてうつ伏せ、右手に酒の入ったグラスを握りながら、ランプの(あか)りを反射するグラスを、ぼうっと生気の無い瞳で見続けていた。

 

「……」

 

 ガタン

 

 椅子に誰かが座る音。

 

 リューナが音に反応して、グラスから視線をそちらに向ける。そこには不機嫌そうな彼女の親友が腕を組み、足を組みながら瞑目(めいもく)していた。

 

 ヴィアは何も言わない。

 おしゃべりで、誰よりもヴィアを信用しているリューナは、悩みごとがあれば、どんな小さなことでも必ずヴィアを頼り、相談する。そのことを良く知っているヴィアは、こうした時、ただ彼女の(そば)に寄り添い、静かにリューナが話し出すのを待つのであった。

 

 リューナは静かに視線をヴィアから、自身が伏せるテーブルへと移し、また無言で(たたず)み続ける。

 

 それから20分は()っただろうか……リューナはぽつりと一言(ひとこと)(こぼ)した。

 

「……ヴィー……わたくしは、とんでもない間違いを犯してしまいましたの……」

 

「……」

 

 ヴィアはゆっくり目を開く。

 ……そして、無言で続きをうながす。

 

 幼い頃は、彼女の悩みを無理に訊き出そうとして痛い目を見たこともある。どちらかといえばアクティブな性格である彼女にとって、沈黙の時間は苦手なものであったが、今はそうではない。彼女が自分を頼り、自分を信頼してくれていると感じられるこの時間は、決して嫌いではなかった。

 

 だが、だからといって、親友が苦しんでいる様子を見て気分がいいわけでもない。

 特に、今回の悩みはヴィアが抱えているものと全く同じであるが故に、非常に胸が重く、苦しい。ヴィアの沈黙は、それを噛み殺す意味合いもあった。

 

「……わたくしは、オークの宝箱の前でリリィが魔王の魔力を放つところを見て、“あの娘が魔王の使い魔だ”と確信しましたの。……ううん、今もそうだと思っていますの……だから、わたくしはあのうさんくさい真っ黒くろすけの言葉を信じてしまいましたの」

 

 リシアンを救う金策は、約3年前から行われていた。手の届く範囲の盗賊団は駆逐して金品を奪い、ブランを初めとする知り合いからも可能な限り金を借り、商売のまねごとをし、募金を(つの)り、果ては比較的裕福な家であるとはいえ、無辜(むこ)(たみ)の金品を少しずつ盗んだりまでした。

 

 しかし、それでも足りなかった。あと1年、リシアンに買い手がつくのが遅ければ、どうにかなったかもしれないが、非情な現実はタイムリミットを2人に突きつけ、途方に()れていたところに奴は現れて、こう言った。

 

 

 ――『リスクを限りなく少なくして魔族の蔵を襲う方法があるんスけど、話を聞いてみないッスか?』

 

 

 上下、靴まで真っ黒で手袋も黒。黒い帽子をかぶった上に、口布(くちぬの)まで黒と、全身黒ずくめの女は自らを 『なんでも屋のクロ』と名乗り、話を切りだした。

 

 魔王軍の配下が1人戦争中に亡くなり、彼が保有する(いく)つかの拠点や砦が(なか)ば放置状態になっているというのだ。

 それらの拠点は娘が引き継いでいるものの、彼女自身の高い戦闘力と悪名高(あくみょうだか)さに胡坐(あぐら)をかいているのか、その守りはぞんざい。

 

 クロはその中に、盗賊まがいのレベルの低い部下達が守っている蔵を見つけたという。集めた情報からして、中にはリシアンを買って、借金を返してもなお余りあるほどの金品が有るはずだと。

 

 しかし、ヴィア達は首を横に振った。

 (くだん)の魔族の少女は、酷くプライドが高いことで有名だ。そのようなことをすれば、草の根わけてでも自分達を探し出して(さら)し首にするだろう。だからこそ、申し訳程度の守りでも、その蔵は襲われないのだ。

 へたすれば関係者であるリシアンやブラン達まで殺されかねない。それでは本末転倒である、と。

 

 しかし、そこでクロは目元だけでもあからさまに分かるほどニヤリと笑い、軽薄そうな声でこう言った。

 

『そんなの簡単に解決できるッスよ………………()()()()()(なす)()()()()()()()()()

 

 

 

 

「わたくしは……『魔王の使い魔が生き残っている』って聞かされて……彼女になら罪を擦りつけても誰も困らないし、心も痛まないって聞いて……それで納得してしまいましたの。……ううん、きっと本当は納得()()()()()んですの……わたくしのお父様とお母様を奪い、わたくしを(さら)い、弟を奴隷に落とした魔王軍の関係者に酷い目にあって欲しいと思っていたから……」

 

 ギリッ……!

 

 ヴィアが歯を噛みしめる。

 

 そう、クロは的確にリューナの……そしてヴィアの急所を突いてきた。

 

 魔王軍はあちこちで暴虐の限りを尽くした。

 その被害が地上の人間族の国家だけに(とど)まるわけもなく、迷宮内で一定の地域を支配していたマフィアであるアルカーファミリー(ヴィアの実家)も壊滅的な被害を受けた。

 

 ――そして、その時……ヴィアは実の母を失った

 

 ミュラが、ヴィアの母として若すぎるのは当然だ――実の母が殺された後に嫁入りした()()()()()()()()()

 

 ブランは今でもその時のことを()いている。

 あの時、自分がもう少し身の程を知って、魔王軍との衝突を回避することを最優先にしていれば、妻を失うこともなかったかもしれない……と。

 魔王軍の依頼を告知板に貼ったり、魔王軍の関係者が酒場に出入りするようになったのも、その時のことをブランが悔いているからだ。

 

 しかし、ヴィアはそうは思わない。たしかにマフィアの頭を張るブランが、当時、天狗(てんぐ)になっていたかもしれないとは思うものの、あれがあの時の父にできる最善だったのだと理解しているからだ。

 

 自然、その(うら)みは魔王軍へと向き……自然と、その関係者であるリリィにも、そして蔵の持ち主である魔族の少女にも向いた。

 

 

 ――魔族が憎い。魔王軍の関係者が憎い

 

 

 自分達が蔵を襲うことで両者が争うことになれば……それは、なんと胸がすくことだろうか。

 

 

 リリィ達に罪を擦りつける方法は、簡単だ。

 実際にリリィ達に蔵を襲わせたあと、『リシアンが自由になったお祝いだ』といった適当な理由で、宴会を開き、飲み物に薬を盛って眠らせればいい。

 

 ちょっとやそっとで起きなくなった無抵抗のリリィ達から、ヴィア達の記憶をクロが魔術で消してしまえば、それでおしまい。あとは、適当に(うわさ)を流せば、(くだん)の魔族の少女がリリィ達を見つけてくれるだろう。

 

 なにしろ、リリィ達の記憶そのものを改ざんしているのだ。たとえ、リリィ達が負けて、記憶を(のぞ)かれようと、洗脳されようと、ヴィア達のことが発覚する可能性はゼロ。

 しかも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。完全にリリィ達に罪を擦りつけることができる。

 

 ヴィア達を目撃していた盗賊達を皆殺しにしていたのも、彼らの口からヴィアとリューナの存在が明るみに出るのを避けるためであった。

 

「わたくしは無意識のうちに“魔王の使い魔のあの娘は、きっと今まで悪いことを考えて、悪いことをいっぱいしてきたに違いない”と思い込んでおりましたの。オーク討伐の依頼を受けた時の態度も、まわりを刺激しないための演技(カモフラージュ)だと……だからこそ、リシアンを助ける犠牲にしようと考えた……でも、そうじゃなかった……」

 

 リリィは“(じょう)で動く奴らだと思われたから、ヴィア達に目をつけられた”と考えていたが、これは間違いだ。

 彼女達の勝利条件は、“実際にリリィ達に蔵を襲わせること”……それだけだ。それさえ満たせるならば、説得するための方法は何でもよかった。

 

 それが泣き落としのような形になったのは、オーク討伐の件で“リリィ達がお人好しを(よそお)っているなら、泣き落としでいける可能性が高い”とヴィア達が考えたことと、事情を9割がた真実で話すことができるので、嘘が発覚しにくかったためである。

 

「お人好しのお姉さんをとても(した)っていて……その人のために命を()けて戦って……そのお姉さんもリリィのことをとても愛していて……それを見て思いましたの……“ああ、彼女達は、わたくしとリシアンの関係と何も変わらないんだな”って」

 

 リューナの声が(わず)かに震え、ひと粒だけこぼれた涙が(すじ)を作る。

 

 奴隷を初めとする不幸な人が(あふ)れたこの世界で、いちいちそうした人たちを救いあげる余裕などリューナにはない。自分の弟を救うだけで精一杯(せいいっぱい)であり、だからこそゴーレムの中で苦しむ土精(アイ)の声が聞こえようと無視していた。

 

 しかし、リウラは『助けたい』とリューナ達に願った。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。“お人好し”のふりをしているだけならば、黙って聞こえないふりをしていれば良いはずなのに。

 

 そこでようやく、リウラが本当に“お人好し”であることに彼女は気づき、そのリウラのために命を懸けてゴーレムと戦うリリィもまた、リューナが思うような悪党ではないことに気づいたのだ。

 

「わたくしは、リリィに“魔王の使い魔”というレッテルを張って、思い込みであの娘を(おとし)めようとしましたの……そう、」

 

 

 ――わたくし達を(メイル)から追い出した、あの方達と同じように

 

 

 リリィと出会ったとき、リューナは自分達が魔族に襲われた理由を『今でもわからない』と答えた。

 

 それは嘘だ。大嘘だ。彼らがリューナ達を襲った理由は、()()()()()()()()()()

 

 リューナはエルフだ。生まれながらにしてエルフの神――ルリエンの加護を得ている。だが、彼女はもうひとつ、生まれながらにして別の神から信じられないほど大きな加護を得ていた。

 

 青の月女神(つきめがみ) リューシオン

 

 光に属する神――いわゆる善神であるため、決して凶兆(きょうちょう)というわけではない。だが、彼女が生まれた家が問題であった。

 

 彼女はその森に()むエルフの(おさ)血族(けつぞく)傍系(ぼうけい)――人間族で言えば、公爵(こうしゃく)に当たる血筋(ちすじ)に生まれたのである。

 

 基本的にエルフは穏やかな種族であるため争いは好まないが、何事(なにごと)にも例外は存在する。これだけ多大な神の加護を得ている赤子(あかご)が長に連なる血筋に生まれれば、“この赤子こそ次の長にふさわしいのでは?”と考える者がいても全くおかしくない。

 この世界は魔物や魔族が跋扈(ばっこ)する世界なので、長に森を護れる力があることは非常に重要視されるのだ。

 

 今まで通りの流れで長の血筋から次の長を出したほうが、争いは少なくなると主張する者。

 飛び抜けた力を持つ者こそ、森を護るために必要だと主張する者。

 

 どちらも“平和で穏やかな生活”を望むが故に、争いが発生してしまったのだった。

 

 その争いの結論がどうなったのか、リューナは知らない。知っているのは、自分が8歳を(むか)えた直後、リューナとその家族が森を護る結界の外で暮らさざるを得なくなった事実のみ。

 いくら親に訊いても教えてくれなかったが、リューナは幼心(おさなごころ)にただ“自分が他と違うから追い出されたのだ”とうっすら理解していた。

 

 その事から、自らに与えられた月女神の加護を(うと)み、憎むことでだんだんとその加護も失われていってしまったが、後悔はない。その加護はリューナにとって(うと)ましいものでしかなかったのだから。

 

 

 ――そして、悲劇は起こる

 

 

『……オマエが蒼月(そうげつ)巫女(みこ)か……それにしては、大した月女神の加護は感じんが……?』

 

 両親の血を()び、幼い弟を抱きすくめて(おび)えるリューナにかけられたそのひとことで、この頭から2本の角を生やした魔族の男の狙いが自分であることを知り、リューナは絶望した。

 

 そして、思った。

 

 ――森で……あの巨大な結界の中で過ごすことができたなら、父も母も死なずに済んだのに

 

 それは幼いリューナの自己防衛。“自分のせいで両親が死んだ”と認識したら心が壊れてしまうが故に、自分達を森から追い出したエルフたちへと責任を押しつけた。

 

 ――自分を“月女神の加護”なんてもので異端視(いたんし)しなければ、こんなことにはならなかったのだ

 

 そして、その時の想いはそのまま現在のリューナの心へ毒針のように突き刺さる。

 

 ――リリィを“魔王の使い魔”なんて肩書(もの)で異端視しなければ、こんなことにはならなかったのだ、と

 

 打ち上げで何の(うれ)いもなく姉と笑い合うリリィの姿……それが弟と笑いあう幼き日のリューナの姿と同じであることに、その幸せな光景をリューナは自らの手で粉々に打ち砕こうとしているということに、全てが終わった後で彼女はようやく気がついたのだ。

 

 リューナの血を吐くような告白が終わり、ヴィアはようやく口を開く。

 

「……なら、どうにかしましょう。ここでただ悔いていても何にもなりゃしないわ。あの女がわざわざ『薬を盛れ』って指示したくらいだから、記憶操作ってのはよっぽどデリケートな魔術なんでしょ。リリィ達に薬は盛ってないし、父さんに頭を()げてお願いすれば、うやむやにするくらいの情報操作はヴォルクがやってくれるはずよ。……それでうまくいくかは分からないし、リリィ達にどう()びれば良いかもわからないけど、それは明日、父さんやリリィ達と一緒に相談しましょう」

 

「……うん、そうですわね……ありがとうですの、ヴィー」

 

「礼を言われるほどの事じゃないわよ」

 

 そっぽを向くヴィアの頭頂部でピクピクと動く猫耳を見れば、リューナの礼に喜んでいることは明白なのだが、リューナは赤くはれた眼を嬉しそうに歪めてその様子を観察しながらも、その事を指摘はしない。

 

 ――だって、教えない方が面白くて……可愛いから

 

 そんなことを考えられるほどに自分に余裕が出てきたことを知ると、悩みを吐き出して安心したせいか、急に眠気(ねむけ)が襲ってくる。もう部屋に戻るのも、めんどくさい。たまにはこのまま寝るのも良いか、と酔いのまわった頭で考えて意識を手放そうとして……

 

 

 

 

「いや、そいつは契約違反ッスよね?」

 

 

 

 

 ――その声に、一気に意識が覚醒した。

 

 ダンッ!

 

 反射的に床を蹴り、座っていた椅子を音を立てて倒しながら、声が聞こえてきた方向にリューナは向き直る。いつの間にかヴィアも彼女の隣で僅かに腰を落とし、肉食獣の如き鋭い瞳で声の主を(にら)みつけていた。

 

「アンタ……いつの間に……!」

 

 ランプの光が届かない薄暗い闇の中、奥のテーブルに腰掛けている姿は、上から下まで黒ずくめの女。

 クロはヴィアの詰問(きつもん)を意に介さず、へらへらと笑っていることがありありと分かる声でしゃべる。

 

「困るんスよねぇー、契約と違うことされると。こっちの計画が大幅に狂っちまうんで」

 

「……なによ、アンタにはちゃんと約束通りの金額を渡したじゃない。別にアンタに罪を擦りつけるわけでもなし、何が不満だってのよ」

 

「それは貴女(あなた)が知る必要のないことッスよ。とりあえず、こっちの要求は1つッス。“当初の契約通り、罪をリリィ達に擦りつけること”。それさえ護ってくれれば、私が言うことは無いッス」

 

「仮に「絶ッッ対にっ! 嫌ですの!!」……リュー?」

 

 『言うことを聞かなければどうなる?』と訊こうとしたヴィアの言葉を(さえぎ)り、リューナが断固とした決意を込めた声で、クロの要求を拒絶する。

 

「わたくしは、もう後悔するようなことはしたくないですの! 仲間を売るなんてもってのほか! おとといきやがれですの!」

 

 ――まずい。ヴィアは(あせ)った

 

 警戒すべき相手が出てきたことである程度酔いが飛んだようだが、それでも長時間かなりの深酒(ふかざけ)をしていたためか、ピンポイントで逆鱗(げきりん)に触れられたリューナは、かなりの興奮状態にある。

 

 この色々な意味で得体(えたい)のしれない相手に真正面からケンカを売るなど、いつものリューナなら絶対にやらないことだ。なんとかしてリューナを落ち着かせて、早急に穏便(おんびん)に事を済ませなければ……

 

「……そうッスか……それは残念ッスねぇ……」

 

 

 ――遅かった

 

 

 ニヤリと笑っているのが、その粘着質な声音(こわね)からありありと分かる。なにか致命的なミスを犯したことだけはわかるのだが、それが何か、そしてどう対応したらいいのかがまるでわからない。

 とにかく、暴力的な手段に出られてもすぐに対応できるよう、全神経を()()ましてさらに腰を落とそうとしたその時――

 

「先に契約を破ったのは、そっちッスからね?」

 

 ドスッ!

 

「がっ……!?」

 

 重々しい肉を打つ音とともに、リューナが大きく目を見開いて前のめりに崩れ落ち、その膝が床につく前に、まるで鋼線(ワイヤー)にでも引っ張られたかのようにクロに引き寄せられた。

 一撃で気絶させられたリューナは、ひょいと俵抱(たわらだ)きに、肩に(かつ)ぎあげられる

 

「リュー!?」

 

(いったい何が……!?)

 

 ヴィアは何かあっても対応できるよう、クロの一挙一動を、その獣以上に敏感な五感を総動員して注意していた。

 しかし、リューナがやられた瞬間、彼女は()()()()()()()()()()()()のだ。単純に考えれば(なん)らかの魔術でやられたと思うのが普通だが、ヴィアは一切(いっさい)魔力を感じていない。むしろ戦闘態勢に入りかけていたリューナの方が、よほど力強い魔力を放っていたほどである。

 

(……いや、相手の攻撃のタネについて考えるのは後回し。まずはコイツの機嫌をとって、なんとかリューナの安全を確保しないと……!)

 

「待って、わかったわ。アンタの言うとおりにするから――」

 

「ああ、もういいッスよ」

 

 そう言ってヴィアがクロを(なだ)めようとしたところで、クロは事もなげに肩をすくめる。まるで、『そんなことはどうでもいい』と言わんばかりに。

 

「あなた達が契約を破るくらい、こっちも想定済みッス。なにせ、あの睡魔も水精もホントに良い子ッスからねぇ……“同情して流されることもあるだろうな”くらいは思ってたッス」

 

「……なんですって?」

 

 今、コイツは何と言った?

 『契約を破ることを想定していた』? 『本当に良い子』? コイツは、リリィ達には何の罪も後ろ(ぐら)いことも無いと分かっていながら、自分達にリリィを売り、リューナが罪悪感に(さいな)まれるのを眺めていたというのか?

 

 カッと頭に血が上り、ぐつぐつと煮えたぎるような怒りがヴィアの腹の底から()き上がる。

 

「んで、本音を言うと……別に貴女達が契約を破ろうと破るまいと、実はどうでも良かったりするんスよ。ぶっちゃけ、あの面倒な手順は、全部あなた達を巻き込まないためなんで、それを無視して良いなら、もっと簡単にことを進められるんス。……ってなわけで、ヴィアさん。リウラさんに伝言をお願いするッス」

 

 怒りで身体がブルブルと震えるのを必死に抑え込みながら、なんとかヴィアは理性的な返答をすることに成功する。

 

「……アンタがリューを返してくれたなら、考えてあげるわ」

 

 しかし、ヴィアの言葉をさらりと聞き流してクロはこう言った。

 

「『あなた達が襲った蔵の、本当の持ち主にリューナさんを突き出してるから、助けるならお早めに』、と」

 

「なっ!?」

 

 ヴィアが目を見開いて絶句しているうちに、クロはさらに言葉を続ける。

 

「ああ、他の人……特にブランさんには内緒にしといた方が良いッスよ? 母親に続いて父親まで亡くしたくはないでしょ? ……んじゃ、そういうことで、おやすみなさいッス。ベッドには運んどいてあげるッスから、安心してください」

 

「待っ……!?」

 

 またも何の予兆も無く鳩尾(みぞおち)に重い衝撃が走り、意識が暗転する。

 

(……リュー……)

 

 薄れゆく意識の中、ヴィアは己の軽挙な行動がこの事態を呼び起こしたことに、深く後悔するのだった。

 

 

 ――リリィとリウラの危機は、いまだ去っていない

 

 

 




 最後のリューナが(さら)われるタイミングで、実はリリィの性魔術によるリウラのパワーアップイベントが発生しています。

 しかし、表現が完全にR-18に踏み込んでしまったので、そちらはR-18に投稿いたしました。読まなくても、本編を読むうえで支障はありませんが、18歳以上の方は、もしよければ見ていただけると嬉しいです。



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第三章 リューナを救え! 前編

 ……もぞり

 

 ベッドの上で、リリィがわずかに身じろぎする。……数秒後、彼女はのそりと身を起こした。

 

 10歳くらいの年頃の睡魔族(すいまぞく)であるリリィは、金色に輝く髪に紅玉(ルビー)の瞳、白磁の肌を持つ、だれもが認める美少女である。可愛らしさと美しさ、そして睡魔族ならではの妖艶さを兼ねそなえた彼女の魅力は、まさに“魔性”と評するに相応(ふさわ)しい。

 

 ……だが、そんな彼女の魅力も、寝起き直後は半減中。

 寝癖が飛び跳ねる髪、眠気に胡乱(うろん)な瞳、半開きの口には唾液の跡がクッキリ。

 そして何より、キャミソールドレスの肩紐が外れて腹の(あた)りまでずり落ち、女性として見えてはならない部分が全開になっている有様(ありさま)は、いろんな意味でとても人様には見せられない。

 

 そして、彼女の肩紐を外してくださりやがった御方は、リリィの目の前でスヤスヤと安眠中。

 衣服を含めた全身すべてが薄い半透明の水色という、なかなかに特徴的な15~16歳程度の少女。

 

 リリィの姉にして常識ブレイカーこと、水の精霊リウラである。

 

 リリィは寝ぼけ(まなこ)でぼうっとリウラを見つめていると、まぶたを半分閉じたままハッと何かを思いついた表情になる。

 

 

(……ウォーターベッド……!)

 

 

 ……リリィの脳は未だ(本来の意味での)睡魔に占拠されている模様。

 手足を折りたたみ、身体を丸めるようにして眠るリウラを、ごろりと転がして仰向(あおむ)けにすると、リリィはリウラの上にもぞもぞとのしかかる。

 

(うわぁ〜……すっごい気持ちいい〜〜……)

 

 100%水分で出来ている、メイド・オブ・リウラ布団の感触は極上の一言(ひとこと)。わずかにひんやりとして、それでいてぷるんぷるんの触感が何とも言えずたまらない。

 快感のあまり、リリィの意識は数秒もたずストンと落ちた。

 

 部屋には再び姉妹の寝息が、二重奏でスヤスヤと響く。

 

 

 

 

 ……うち、片方の寝息が(うめ)き声へと変わるのに、そう時間はかからなかった。

 

 

***

 

 

「これなんて、どう!? ……お〜っ! やっぱり、似合う似合う!」

 

 ラギールの店の鎧コーナー……その一画で、リリィに白いワンピース(これも鎧の1種だ)をあてがうリウラの姿があった。

 

 リウラの睡眠中に寝ぼけてのしかかり、苦しい思いをさせたリリィ。

 昨晩、酔っぱらった勢いで、リリィのキャミソールドレスを盛大にはだけて、思いきりリリィの胸に吸いついたリウラ。

 

 2人は起きた直後、自分がやらかしたことに気づき、同時に『『ごめんなさい!』』とベッドの上で土下座敢行(かんこう)。その絵面(えづら)の珍妙さに彼女達は大爆笑し、お互い良い雰囲気で許しあった流れで、彼女達は朝食を済ませ、そのまま自分達の武器防具を(そろ)えるためのショッピングに来ていたのだった。

 

 ちなみに、リウラがリリィの胸に吸いついたのには、いちおう理由がある。

 

 実は昨晩、リリィはリウラに対して性魔術を行使している。

 これは事前にリウラと話し合って決まっていたことで、1日の終わりに余った魔力を使ってリウラを強化する事になっていたのだ。

 

 ゴーレム戦直後、リリィの魔力はほぼ空になっていたが、その後の宴会で食事をとってゆっくり休んだことで、ある程度魔力が回復していた。その魔力を使って性魔術を行い、リウラの魔力をパワーアップさせていたのである。

 

 (した)っているとはいえ、同性に性儀式(せいぎしき)を行うのは、リリィにとって少々複雑だったが、覚悟自体はできていたので、それはいい。

 問題はそのときにリリィが服用した薬にあった。

 

 ゴーレムを倒した後、蔵から宝物を運び出そうとしていたリリィは、蔵の中から優秀な魔力増強薬を見つけていた。

 リリィは性魔術を使う前に、この薬を服用して、性魔術の効果を高めていたのだが……その副作用として、一時的に母乳が出るようになってしまったのだった。さすがはエロゲ世界の薬。意味不明な副作用である。

 

 酔っぱらって寝てしまっていたリウラは、性魔術が終わった直後に目を覚ましたのだが……胸の部分を母乳で濡らすリリィのキャミソールドレスを見た彼女は、宴会で多量に摂取したアルコールが抜けきっていない頭で、こう考えた。

 

 

 

 ――飲んでみたい、と

 

 

 

 リリィの性魔術でパワーアップした直後のリウラと、性魔術を使った直後で、魔力がすっからかんになっていたリリィ……その勝敗など、語るまでもない。

 

 あわれ、リリィは延々(えんえん)と自分の胸を、リウラが寝落ちするまで彼女に(もてあそ)ばれることになったのである。

 

 

 

 

(それにしても……あれは、いったいなんだったんだろう……?)

 

 リウラの要求のままに着替えを繰りかえしながら、リリィは昨晩のことを思い起こす。

 

 リリィが性魔術を使ってリウラの魔力を強化しようと、彼女に己の魔力を浸透させたところ、予想外の事態にリリィは戸惑(とまど)った。

 

 ――封印

 

 魔力ではない別種の力で(ほどこ)されていたため、厳密には違うのかもしれないが、そうとしか呼びようのない異質な力が、リウラの身体への干渉を防いでいたのである。

 しかも性魔術を使って封印を無理やり解除した時の手ごたえがおかしく、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それも、リウラは眠っていて、意識がなかったにもかかわらず、である。

 無事に強化は完了したものの、リウラの身体に何があったのか、非常に気になる。

 

 しかし、訊いてみても、リウラにはまるで心当たりがないという。

 

 強化する際に判明した、水精(みずせい)とは思えないほど強大なリウラの潜在能力についても、リウラは『わからない』と首を横に振るばかり。

 嘘をついている様子も、隠しごとをしている様子もなく、真相は闇の中だ。

 ……まあ、不都合は無いので、そこまで頭を悩ませる必要はないのかもしれない。

 

 だんだん着替えが面倒(めんどう)になってきたリリィは、さりげなくリウラとの会話を誘導して着せ替え役をアイに押しつけると、「ちょっ!? リリィさん!?」と慌てふためく土精(つちせい)の声を無視して武器コーナーへと向かうのだった。

 

 

***

 

 

「お嬢~、そろそろ起きないと昼飯ですぜ~。いくら昨日飲み過ぎたっていっても、さすがにそろそろ起きないとまずいですよ~」

 

 コンコンコンと軽い音を立てる3回ノック。それと共に響く狼顔(おおかみがお)の家族の声を聞いた瞬間、ヴィアはバンッ! と跳び起きた。

 素早く腰をかがめつつ腰のダガーに手をかけて周囲を観察したヴィアは、既にリューナもクロもいなくなっていること、そして気を失う直前と光景がガラリと変わっていることに気づいた。

 

(……私の部屋?)

 

 軽く口の中を噛み切って、魔術で()かされていないか確認する。あまりに高度な魔術であれば意味のない行動ではあるが、簡単なものならばこれで解ける。

 しかし、ヴィアの視界に映る光景にも、感じる気配にも変化はない。ならば、おそらく今の光景はありのままの現実であり……そして、それはリューナが(さら)われてから数時間、へたすれば10時間以上()ってしまったことを意味していた。

 

(わざわざ私を部屋まで送り届けた……? いや、私が食堂で倒れていたら父さんに“何か”があったと気づかれる。そうしてまでも、父さんに事態を気づかせたくなかった……?)

 

 ヴィアは急いでドアに駆けよって開くと、急いでいる様子のヴィアに怪訝(けげん)そうな顔をするヴォルクに訊く。

 

「ヴォルク! リューを見なかった!?」

 

「リューナ嬢ちゃん? いえ、朝から見ちゃいませんが……何か、あったんですかい?」

 

 ヴォルクの眼が細められる。ヴィアをも(しの)ぐ狼さながらの嗅覚が、敏感にヴィアの発汗状態を嗅ぎ分け、普段の彼女からは考えられない程の焦燥状態にヴィアが(おちい)っていることを知ったからだ。

 ヴォルクの変化を見て自分が焦っていることを悟られたと理解したヴィアは、自分がこれからどうすれば良いのか考え込む。

 

(どうする……!? 私はどう動けばいい!?)

 

 “このままヴォルクに状況を全て話し、そのままブランに伝える”、というのも手の(ひと)つだ。

 “『ブランに伝えるな』とクロが言った”ということは、“それをされるとクロが困る”、ということ。誘拐犯が『衛兵団には伝えるな』と言うのと同じである。良く(おさ)められた法治国家であれば、それで解決する、というケースも少なくない。

 

 だが、逆に最悪の事態を引き起こすパターンも、ままある。

 『これはダメだ』と判断した犯人が、人質を奴隷商に売っぱらって、少ないながらも金銭を手に入れてから高飛びしたり、酷い時には“少しでも自分の情報を減らしておこう”と人質を殺してサッサと雲隠れするなんて事例も珍しくないのだ。

 

 クロがどちらのパターンであるかなど、考えるまでもない。彼女との約束を破ったリューナがどうなったかは、嫌というほど理解させられたし、そのうえ神出鬼没の移動能力を持つのだ。まちがいなく後者だろう。

 

 ――『ヴィアさん。リウラさんに伝言をお願いするッス』

 

 ……業腹(ごうはら)だが、今はあの黒ずくめの言うとおりに従うしかない。

 

「ごめん……何かあったのは事実だけど、話せないわ。なるべく知られたくもない」

 

「……」

 

 真剣な眼でヴィアとヴォルクが見つめ合う。ややあって、ヴォルクが頷いた。

 

「わかりやした。俺は何も見なかった、聞かなかった、嗅がなかった……そういうことで良いんですね?」

 

「うん、ありがとう」

 

 ヴィアはそういうや否や、すぐさま駆け出した。

 

 こうしている間にも、リューナが酷い目にあわされているかもしれない、殺されている可能性だって高い。いくら急いでも、急ぎ過ぎるということはないのだ。

 

 水そのものに近い身体を持つリウラは、匂いが非常に残りにくい。ヴィアは軽く鼻を鳴らすと、リリィの匂いを追って宿を飛び出した。

 

 

***

 

 

 最愛の姉(リューナ)に買い戻されたその日に基本的な引きつぎは済ませたとはいえ、前店主(リシアンサス)から現店主(ヨーラ)へと引きつぐべき業務は、まだまだ多い。ひと口に“ラギールの店”といっても、店にやってくる顧客の特徴やその土地特有の文化・気候が店舗ごとに異なるため、仕入れる商品から顧客の対応方法なども全く違い、それに合わせて業務が変わってくるからだ。

 

 いつリシアンサス自身が誰かに買われても問題なく引きつげるよう、そうした資料は残してはあるものの、紙面から情報を読み取るのと、前任者が口頭で、あるいは実演で情報を伝えるのとでは、引きつぐ者の理解度がまるで違う。全ての業務をスムーズに行えるようになるためには、最低でも1ヶ月はこの店に通う必要があるだろう。

 

 とはいえ、今や奴隷でもなければ、“ラギールの店”の店員でもないリシアンサスに、それをする義務はない。これはリシアンサスの責任感あってのことであり、ヨーラとリシアンサスの間で結ばれた短期非正規雇用(アルバイト)契約があってのことだった。

 

 お祝いで夜遅くまで飲んでいるであろうことを(おもんぱか)って、『昼からの出勤でいい』とヨーラに伝えられたリシアンが、その言葉に甘えて午後に店の裏口を(くぐ)ると、

 

 

 

 

 ――そこは濃密な魔力と、強烈な怒気に満ちていた

 

 

 

 

 浴びていたら息が詰まるどころか、息絶えてしまいそうなほど強烈なそれらを放つのは、カウンターの前で(にら)み合う2人……リリィとリウラである。

 

 べったべたに仲の良いあの2人が、まるで今から殴りあいでも始めそうなほど険悪になっている異常事態に、リシアンはあんぐりと口を開けて呆然としている。

 

 おまけに2人のすぐ(そば)には、2人に向かって土下座をしているヴィアの姿。

 もう訳が分からなかった。

 

 グッと服の(すそ)を握られる感覚にふと我に返ると、いつの間にか隣に涙目になった金髪おさげの少女がいた。エルフそっくりの容姿だが、ふくらはぎのあたりから木の根が巻きついたような足になっている11~12歳くらいの少女……リシアンの後輩であり、現在のラギールの店の店主でもある木精(ユイチリ)――ヨーラである。

 

「先輩! これ、なんとかしてください!!」

 

「待って待って!? まず状況を説明して!!」

 

 ヨーラは聞き取りづらいほど早口で、リシアンに今の状況を語りだした。

 

 

 

 

 

 ――ヴィア達が立てていた計画。その背景

 ――そして、クロという共謀者の存在と、リューナの誘拐

 

 クロが『他の人に言うな』と言ったがために、ヴィアはこれらのことを誰にも相談できない。しかし、たった1人、例外的にこのことを話せる人物がいる。

 

 そう、クロが伝言を頼んだ人物であるリウラだ。

 

 ヴィアは彼女にクロの伝言を伝えると同時に、その場で深々と土下座してリューナ救出の助力を願い出た。もはや、彼女には他に頼れる者がいなかったためである。

 

 ヴィアからもたらされた情報を聞いたリウラは、一も二もなくリューナの救出を了承した。

 自分達が罠に()められようとしていたにもかかわらず、『計画を止めようとしてくれていたのだから気にしない』『それよりも急いで助けないとリューナの命が危ない』と、なんのわだかまりもなく言ってのける(さま)は、まちがいなく大物か底抜けの大馬鹿である。

 

 ところが、ただごとではない様子で急いで店を出ようとするリウラの姿を、リリィに見られてしまった。

 その場で問いただされるも、隠しごとが下手なリウラの説明は要領を得ず、さらに怪しまれた結果、『黙っているならば、無理やり魔術で記憶を覗く』と脅され、結果としてリリィどころか、もめている様子を見に来たヨーラにまで事情を知られてしまったのだ。

 

 

 

 ――そして、リリィは激憤(げきふん)した

 

 

 

 愛する姉(リウラ)は、彼女にとって己の命に続く第2の逆鱗(げきりん)。“リウラを(くだん)の危険な魔族の元に向かわせる”ということは、“彼女を命の危機に(さら)す”ということ。

 リリィ自身の命を救うために危険に晒している現状ですら受け入れがたく、本当ならば他の水精(みずせい)達とともに避難してもらいたいくらいなのに、自分達を罠に嵌めた者達の尻拭(しりぬぐ)いのために、リウラに更なる危険を(おか)させるというのだ。

 これにリリィが怒らないわけがなく、彼女はリューナの救出を断固拒否したのだった。

 

 それは“リリィ1人だけ助けに行かない”という意味ではない……“()()()()()()()()()()()()()()()”という意味である。

 

「リリィ、そこをどいて! 今は時間が無いの! リューナさんを助けたら、後でいくらでも話し合うから!」

 

「絶対、嫌! お姉ちゃんは自分がどれだけ危ないことをしようとしてるのか、全然理解してない! なんで私達を身代わりにしようとしてた奴らなんかのために、そんなことするの!?」

 

 

 ――リウラには妹が理解できなかった

 

 たしかに、自分達を罠に嵌めようとしたことは、いけないことだろう。だが、リューナは反省して件の計画は未遂で済み、ヴィアも恥を(しの)んでこうして頭を下げてきているではないか。

 なら、まずは失われようとしているリューナの命を確保するべきだ。罪の清算やら何やらはその後ゆっくり考えればいい。こうしている間にもリューナの命が失われようとしているのだから、急がねばならないのに……。目の前に立ち(ふさ)がり続ける妹に、リウラは焦燥を(つの)らせる。

 

 

 ――リリィも姉が理解できなかった

 

 ヴィアの話からすれば、件の魔族は、リリィの眼から見て高い戦闘力を持つヴィアやリューナだけでなく、この巨大な町を丸々1つ支配しているブランですら手を出そうとしない相手らしい。

 

 であるならば、それはリリィやリウラにとって、まちがいなく手に余る相手だ。相対(あいたい)すれば、高確率で死ぬか、死ぬ以上に酷い目にあわされるだろう。基本的に何かされても泣き寝入りした方がまだマシな相手なのだ。

 そんな危険な相手の縄張りに入り込むなど正気の沙汰(さた)ではなく、ましてや自分達を(おとしい)れようとしていた者を助けるためになど、言語道断であった。

 

 さらに言えば、ヴィアの話から時間的に考えて、リューナはとうにその魔族の前に突き出されているはずだ。気が短い相手なら、彼女はとっくに死んでいるだろうから“もう手遅れ”と考えていいし、仮に(とら)われていたとしたならば、拷問(ごうもん)などでリリィ達の情報を引き出され、既にリリィ達に追手がかかっていてもおかしくない。

 むしろ、こんなところで問答(もんどう)している場合ではなく、今すぐにでも逃げださなければならないのに、頑迷(がんめい)に自ら死地に向かおうとする姉に、リリィは焦りと苛立(いらだ)ちを募らせる。

 

 “このまま口論していても(らち)が明かない”と判断したリウラが、リリィを(かわ)して助けに向かおうと画策(かくさく)し、それをリウラの魔力の活性化から察したリリィが、“そうはさせじ”と同じく魔力を練り、妨害しようとリウラの動きに神経をとがらせる。

 

 2人の激突に、あわや店の崩壊か、とヨーラが青ざめたその時――

 

 

 

 

「お願いします……今だけで、今だけでいいから……! 力を貸してください……!」

 

 

 

 

 姉妹喧嘩(げんか)(さえぎ)ったのはヴィアだった。

 

 本当は横から口を出す資格なんて自分にはないと、彼女は重々承知している。しかし、今はとにかく時間がない。このまま延々とこの姉妹喧嘩を横から見ていては、本当に手遅れになってしまう。

 

「私にできることならなんでもしますから……だから、お願い……!」

 

 血を吐くような声、とはこのことだ。並大抵の者であれば、その悲壮な響きに同情し、首を縦に振っていただろう。

 

 

 

 ――だが、リリィは“並”ではなかった

 

 

 

「へぇ……()()()()ねぇ……?」

 

 

 

 ゾクリとリウラの背筋が震える。

 

 まるでモノを見るかのような無機質な瞳、ヴィアを見下しきった傲慢(ごうまん)な笑み……そして粘着質に絡みつき、人を(あざけ)るその声の響き……それは、まるで……

 

(……悪魔、みたい……)

 

 ディアドラと相対(あいたい)した時、リウラの身を案じたが為に見せたような演技ではない。まぎれもない本心からの表情であることがリウラには分かった。

 

 ……コレは誰だ? 本当にコレは自分に(なつ)いて甘えてくるあの子なのか? リウラの命を守るために悪役まで演じたあの優しい妹が、本当にこんな表情をするのだろうか?

 

 リウラが動揺で固まっている間に、リリィはヴィアの目の前に片膝をついてしゃがみ込み、人差指でヴィアの(あご)を持ち上げて顔を上げさせる。

 

「じゃあ、あなた……私が『死ね』と言ったら死ぬんだ?」

 

 そのあまりに無体(むたい)な言葉に、リウラはカッと頭に血が(のぼ)るのを感じ、反射的にリリィの頬を叩こうと平手を振り上げた瞬間、

 

 

 「――良いわ」

 

 

 ヴィアの口から肯定の言葉が放たれた。

 なんの迷いも躊躇(ためら)いも無い即答――リリィとリウラの眼が驚愕に見開かれる。

 

「リューが助かった後でなら、どんな死に方でもしてあげる。アンタに(なぶ)り殺しにされても、浮浪者に犯されながら殺されても文句は言わない……信用できないなら、私を魔術で縛ってくれていい」

 

 彼女の目を見て、まちがいなく本気で言っていることを理解したリリィが呆然と尋ねる。

 

「どうして……そこまで……」

 

 真剣で、それでいて誠実なまなざしがリリィの紅い瞳を射抜く。

 

 

「それは、リューが私にとって――」

 

 

 ――『うわぁ! 猫耳少女、超かわいいですの! ……え、マフィア? それ、わたくし達を襲った魔族より怖いんですの?』

 

 

「マフィアのボスの娘である私を、初めてありのままで見てくれた友達で――」

 

 

 ――『ヴィアの気持ちは正しいですの。親を失えば憎いのは当然。その気持ちを押し込めて、否定して生きたら、ヴィアはきっと歪んでしまいますの』

 

 

「母さんを失った私の気持ちを、初めて理解してくれた人で――」

 

 

 ――『あなたを救けに来たに決まってるですの! ……って、なんで泣くですの~!? うわっ、追ってきた!? ほら、ヴィア、あなたの短剣(ダガー)ですの! 早く立って走れ~~~~っ!!』

 

 

「共に苦難を乗りこえた戦友で――」

 

 

 ――『ありがとうですの、()()()……今日から私は、リューナ・S・()()()()ですの!』

 

 

「血のつながらない……大切な妹だからよ」

 

 

 ギリ……!

 

 食いしばったリリィの歯が鈍い音を立てる。

 

 リリィには、ヴィアの気持ちが痛いほどに分かる。分かってしまう。

 

 ……だってそれは、リリィがリウラに対して抱いている気持ちと同じだから。

 魔王の使い魔であると知っても、それでも自分を受け入れてくれた時のやすらぎと嬉しさを知っているから。

 ありのままの自分を受け入れてくれる存在が、どれほど()(がた)く、尊いのかを知っているから。

 

 

 ――“()()”というものの温かさを、知っているから

 

 

「僕からもお願いします」

 

 この場に居ないはずの人物の声が自分の後ろから聞こえ、ヴィアはバッと振り返り絶句する。

 

「リシアン!? いつの間に……!?」

 

 リリィ達の説得に夢中で、リシアンの接近に気づかなかったヴィアは、呆然とリシアンがヴィアと同様に地面に両膝をつき、額を地面に(こす)りつける(さま)を眺めてしまう。

 

「姉さんは僕にとっても命よりも大事な人です……なんでも言うことを聞きます。僕が持っているものも全て差し上げます。だから、どうか姉さんを助けてください……!」

 

 

 

 ………………………………。

 

 

 

 沈黙が横たわる。

 ややあって、リリィはゆっくりと口を開いた。

 

「……その魔族の名前は……?」

 

「……“暴君ブリジット”」

 

 ヴィアの回答に、リリィは(わず)かに目を細める。

 数秒の思考を終えると、リリィは言った。

 

「……わかった」

 

 バッと、ヴィアとリシアンがリリィに目を向ける。

 2人の眼に入ったリリィの表情は、とても厳しい。しかし、それは覚悟を決めたが故の表情であり、今の回答が嘘や冗談ではない証拠であった。

 

「ただし、条件がある」

 

 リリィが続けた言葉に、2人は気を引き締める。

 リリィはヴィアと視線を合わせながら言った。

 

「ヴィア……()()使()()()()()()()()()

 

 !!?

 

 ヴィアとリリィを除く、その場にいた全員が驚愕に固まる。

 なぜなら、その言葉は『私の奴隷になれ』と言ったのとほぼ同義だからだ。

 

「あなたは信用できない。向かった先で私達を(おとり)にしても、犠牲にしても全然おかしくない。だから、あなたの行動を使い魔の契約で縛らせてもらう。それさえ呑めば……」

 

 ひと呼吸おいて、リリィは続ける。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……全力でリューナさんを助けてあげる」

 

「……ありがとう」

 

 自分がリリィ達にしたことを考えれば、充分すぎる返事である。

 ヴィアは神妙に頷いた。

 

 ヴィアの返事を聞いたリリィは1つ頷くと言った。

 

「ヴィア、すぐに装備を整えて。足りないものは全部この場で買い(そろ)えて良いから。お金は全部、私が出す」

 

「……え?」

 

 ヴィアは硬直する。

 

 たしかに、一刻(いっこく)も早くリューナを助けに行かなければならず、また他の者に極力気づかれてはならないのだから、“水の貴婦人亭”に帰って装備を取ってくるのではなく、この場で装備を整えるのは適切な対応である。

 

 また、リシアンを買い戻すのに資金のほぼ全てを使い、蔵の宝物の残りは報酬としてリリィに渡してしまったヴィアに、全装備を購入する資金力など無い。リリィがお金を出すのもまた適切な対応なのだが……先程までの嫌がっていた態度からすれば考えられない、気前の良すぎる言葉に、ヴィアの頭は状況を理解できず、思考が停止してしまっていた。

 

「それと、リューナさんが使っていた装備も一式そろえて。向こうで装備を取り上げられてたら、彼女が戦力にならない。……リシアンさん、ヴィアとリューナさんの装備、わかりますか?」

 

「……あ、はい。だいたいは」

 

「では、すぐに用意してください。ヴィア、来て。1分で使い魔の契約を済ませるよ」

 

「ちょっ、ちょっと待ってよリリィ! なんで急にそんなやる気になってるの!?」

 

 リウラが慌ててリリィを止める。180度方向を変えた態度を取り始めたリリィのあまりの豹変(ひょうへん)ぶりに、思わず止めずにはいられなかった。

 

「……私はただ、リシアンさんの顔を立てただけだよ。別にヴィアのことを許したわけじゃない。……それに、私は、危なくなったらお姉ちゃんを気絶させてでも、リューナさんを見捨てて逃げる気満々だからね」

 

 リウラを強い視線で射抜くリリィ。

 その様子をじっと見たリウラは、ややあって、心のうちで“ああ”と納得する。

 

 なるほど、リリィの言葉は嘘ではないだろう。本当にリシアンのために動いたのだろうし、いざとなったら本当にリウラは気絶させられて、リューナを見捨てて逃げるに違いない。ヴィアのことも、決して許していないのだろう。

 

 しかし、それだけの理由で彼女が動くはずがない。それだけの理由で、これだけ決意に満ちあふれた眼になれるはずがない。

 

 

 ――『ねぇ、リウラさん……私たち、家族なんですよね?』

 

 

 彼女が自分を“姉”と呼ぶようになったきっかけを、リウラは思い出す。

 

 リリィ本人に自覚はないだろうが、生まれて間もなく親を失い、周囲に居たであろう魔王の配下をも失った彼女は、家族に飢えている。だからこそ、あんなにもあっさりとリウラに懐き、家族として見てもらえることを心の底から喜んでいたのだ。

 

 そんな彼女が、あんなに必死に『家族を失いたくない』と訴えられて、心が揺さぶられないわけがない。“助けてあげたい”と思わないわけがない。

 

 姉を失いたくないリシアンのため……そして、妹を失いたくないヴィアのために。

 

 

 

 ――原作知識のないリウラには知る(よし)もないが、最終的にリリィが“リューナを助ける”と決断を下した理由はもうひとつある

 

 それは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 “魔族姫ブリジット”は原作の登場人物であり、魔王の幼馴染という極めて重要な立ち位置を占める魔族である。

 

 彼女はどうやら魔王ほどの才能はなかったらしく、原作でほとんど力を取り戻していない状態の魔王と、いまだ成長し始めたばかりのリリィが勝利を収められる程度の実力しかない。したがって、リリィは“もし戦闘になっても、勝利できる可能性は充分にある”とふんだのである。

 勇者の血族である女性と戦っても逃げ切った描写があるため、決して油断できる相手ではないだろうが、勝てない相手ではない……そうリリィは考えたのだ。

 

「ほらヴィア、早く来なさい! 間にあわなくなる! ヨーラさん、すみませんがベッド貸してください」

 

「は、はい! こちらです!」

 

 リリィが(わず)かに頬を赤くしながら、ヴィアの手首を力強く引っ張って連れていく。

 リューナの命が危険にさらされている今、たしかに急ぐべきなのだろうが、どこかリリィらしくない様子にヴィアは首を(ひね)る。これではまるで何かを照れ隠し……いや、むしろ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……

 

「……って、()()()?」

 

 ヴィアがリリィの発言に疑問を感じた直後、ガチャリと鍵が閉まる音がする。

 

 

 ――自分が入った部屋を見て、ヴィアは硬直した

 

 

 妙に雰囲気の良いつくりの部屋である。例えるなら、()()()()()()()()()()()()()()……

 

 ラギールの店では、買い物をするとポイントがたまるシステムになっている。そしてある一定以上のポイントがたまると、店主に性的なサービスを提供してもらえるのだ。

 ……さて、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ――そう、ここは()()()()()()をするための部屋なのだ

 

 

 膨大な魔力にものを言わせて強化した脚力を使って、ヴィアが反応できない速度をもってスパンと彼女の足を払い、ベッドに押し倒すリリィ。彼女は素早くヴィアの胴にまたがり、肩をベッドに押さえつける。

 

「時間がないの。できるだけ抵抗しないで、私に身を任せて。30秒でイきなさい」

 

「待って、リリィ! お願いだから待っ……!?」

 

 

***

 

 

「うわぁ……」

 

「……(赤面)」

 

「……(苦笑)」

 

 ラギールの店の“サービス部屋”は、プライバシー保護のため結構防音効果が高いのだが、それでも防ぎきれないほど大きくて色っぽい絶叫が漏れ聞こえ、リウラ、ヨーラ、リシアンは頬を赤く染める。

 

 余談だが、全身が水であるはずの水精(みずせい)も、理由は不明だが、不思議なことに恥ずかしがったり、お酒を飲んだりすると、頬が赤く染まる性質がある。

 

「あの……使い魔にするのって、ああいう方法しかないんですか……?」

 

 ヨーラがヴィア達の装備を用意しながら、恥ずかしそうにリウラに問う。

 

「なんか、いくつかやり方があるらしいよ? 水蛇(サッちゃん)の時は全然違う方法だったし」

 

 リウラも詳しくは()いていないが、使い魔の契約を結ぶ際に複数の手段があることだけはリリィから教わっている。何も知らない自分では分からないが、今回はあの方法が適切なのだろう。

 そんなことを話していると、ガチャッと扉が開き、ぐてっと全身の力が抜けたヴィアを肩に(かつ)いだリリィが部屋から出てくる。

 

「ヨーラさん、治癒の水を1本ください。……ほらヴィア、しっかりして。装備を整えたら、すぐに出発するよ」

 

 睡魔がもたらす想像を超えた快楽に打ちのめされたヴィアは、顔を真っ赤にして目を(うる)ませながら夢心地になっており、その様子はものすごく色っぽい。

 使い魔契約をするための性魔術によって、わずかに吸い取られたヴィアの体力を回復させるため、リリィは壁にもたせ掛けるように彼女を床に(すわ)らせてから、その手に回復薬を握らせる。……が、自分で薬を飲む気力も無いようで、しかたなくリリィは自分で(びん)の口を(ひね)り、手ずからヴィアに薬を飲ませている。

 

「あの様子なら、道中で仲違(なかたが)いする心配はなさそうですね。……リウラさん、姉さんたちのこと……どうか、よろしくお願いします」

 

 神妙に頭を下げるリシアンに、リウラは自らの胸をドンと叩いて(こた)えた。

 

「まっかせといて!!」

 

 

 

 

 

 

『私も微力ながら力になります。安心して待っていてください』

 

(……アイさん……いたんだ……)

 

 リウラの首に下げられた琥珀色(こはくいろ)の魔石――リリィが錬金して作成していた、使い魔を収納できる魔法具、“喚石(かんせき)”から土精(つちせい)の声が聞こえる。

 

 リウラの着せ替え攻撃から逃げるため、この魔石に逃げ込み……そのまま喧嘩(けんか)が始まって出るに出られなくなっていたヘタレなアースマン――アイであった。

 

 

***

 

 

「……おっきい……」

 

 リウラの目の前に有るのは、ブリジットの居城。

 リウラは、まるでゴーレムがいた(とりで)を見た時のことを再現したかように、目を真ん丸にして呆然と(つぶや)く。

 

 なぜなら、その規模・装飾・堅牢さ・感じられる手下達の気配の数や質……全てが先の砦とは比べものにならないほど立派だったからだ。

 これが要所防衛のための軍事基地である“砦”と、領主や将軍らの居住施設を兼ねた戦時防衛拠点である“城”の違いである。

 知識としてシズクから習ってはいたのだが……実際に見て体験すると、想像以上に大きく感じる。

 

(……良かった。リューナさん、まだ無事だ……)

 

 そして、この城の中からリューナの気配を感じる。少なくとも殺されていないことは確実であり、気配もそう小さくなっていないことから、体力が減るような事態にもなっていないのだろう。リウラは、ほっと胸をなでおろす。

 

「ヴィア、作戦は?」

 

「……私が忍び込んだら、全員正面から突っ込んで、なるべく城門付近で暴れて。危なくなったり、ブリジットの気配がそちらに向かい出したら、すぐに撤退。その間に、私はリューを探して確保・脱出。事前に決めておいた場所で落ち合って終了よ」

 

 普段まったく行動を共にしていない相手と1回共に戦った程度で、うまく息を合わせられるはずがない。

 おまけに、リシアンを救うため、数年にわたって盗みを働いていたヴィアは潜入経験も豊富だが、彼女以外は全員、潜入などしたこともないド素人だ。陽動や囮以外の役目がこなせるとは思えない。

 この広さの城で探索者がヴィア1人というのは心許(こころもと)ないが、城にいる者の目がリリィ達に向けば、ずいぶんと探索が楽になる。

 

 “城門付近で”と限定したのは、潜入の素人の彼女達が下手に内部に侵入して暴れたら、かこまれて(すみ)やかな撤退が難しくなるためである。

 

 リリィは“自分達が囮にされる”という点に、眉をひそめつつ少し悩むも、他に良い案も浮かばないため、しぶしぶ頷く。

 

「……しかたないか。その作戦で良いけど、本当に少しでも危険を感じたら、すぐに私達は逃げるよ。さっきも言ったけど、あくまでも私とお姉ちゃんの命が最優先だからね」

 

「……わかってるわ」

 

 クロから既に情報が伝わっている可能性が高いとは思うものの、念のため、鼻から下を黒布で(おお)って正体を隠したヴィアは頷く。しかし、リリィ達が逃げ出すまでにリューナを救いだせるか不安なのか、彼女の表情はハッキリと強張(こわば)ってしまっている。

 

 その様子を見て、リリィは少し考える。

 

「……私の使い魔になった今のヴィアなら、心話(しんわ)が使える。念じれば、私と心で会話できるから、もしリューナさんを確保できたら、それで私に連絡して。逃げ道だけは作ってあげる」

 

 ヴィアは驚きに目を見開く。今のリリィの提案は、リリィ達自身がブリジットと接敵しかねない、極めて危険なものだったからだ。

 

 そしてリリィの覚悟を決めた厳しい表情を見て、その言葉が嘘でないことを確信する。自分と姉の命が最優先の彼女にとって、それが限界ギリギリの譲歩なのだろう。罠に()めようとした自分に対し、ここまで譲ってくれたことにヴィアは(ひと)つ頷いて感謝する。

 

「……ありがとう」

 

 リリィも頷き返して、リウラに顔を向ける。

 

「お姉ちゃん。霧、出して」

 

「オッケー」

 

 グッと親指を立ててリウラが首を縦に振ると、スゥッと辺りから霧が湧き出し、城の門とその番人達を覆い隠す。

 門番が戸惑(とまど)った声をあげる時には、すでにヴィアの身体は門の内側に(すべ)り込んでいた。

 

「……1人で大丈夫かな?」

 

「わからない……ヴィアの腕を信じるしかないと思う」

 

「あの……“逃げ道を作る”って、具体的にどうするんですか?」

 

 リリィ達の話を邪魔しないように黙っていたアイが、疑問に感じていたことを尋ねる。

 

「“心話”って言ってたから、ヴィアさんに道を()いて突入するんじゃないの?」

 

 使い魔との契約方法によっては、使い魔と心で会話を交わすことができるようになる。これでヴィアの大まかな現在地を訊いて、突入して道を確保するのだろうとリウラは考える。

 

「ううん。それじゃ間に合わないどころか、迷ったあげく、大量の敵に足止めされてヴィアの所にまでたどり着けなくなると思う」

 

 へたに探索の素人である自分達が動きまわっても、ヴィアにたどり着くことはまず出来ない。こういった城では、侵入者が自由に攻められないよう、道が迷路のように入り組んでいることが多く、いくらヴィアから正しい道順を聞こうとも、迷ってしまう可能性は非常に高い。

 そうしてリリィ達が迷っている間に、構造を熟知した敵に奇襲を受けて足止めをくらってしまうだろうことが目に見えていた。

 

「え……じ、じゃあどうするの?」

 

 とまどう水精(みずせい)に、リリィは事もなげに答えた。

 

「ヴィアが現在地を連絡してきたら、城の外からヴィアのすぐ(そば)に偽・超電磁弾を撃ちこんで道を作る」

 

 精霊ズが固まった。

 この悪魔(あくま)()は、『()()()()()()()()()()()()()()』と言い放ったのである。

 

「そ、それ……ヴィアさん達を巻き込んじゃうんじゃ……」

 

「使い魔と主は、お互いの居場所を感じ取れるから大丈夫。リューナをヴィアがしっかり確保していれば、2人を避けて撃つ事はそう難しくないよ。1発くらいで城が崩れることもないと思うし……………………たぶん」

 

 最後だけ自信なさげに言うリリィに、2人は不安の色を隠せない。

 

「ただ、偽・超電磁弾を撃ったら私の魔力がほとんどなくなるから、逃げるサポートがあまり出来なくなるの……だから、お姉ちゃん、アイ。フォローはお願い」

 

「……わかった!」

 

 “不安に思ったところで何も変わらない”と不安を断ち切り、リリィの頼みに真剣な表情でリウラは頷く。対してアイの方は、なんとも言えない微妙な表情で考え込み……その後、おずおずと手を()げる。

 

「あの……それなら1つ提案が……」

 

 思いついた内容をアイが語ると、リリィの眼が驚愕に大きく見開かれた。

 

 

***

 

 

(……間違いない……ここからリューの気配がする……)

 

 昏倒(こんとう)させた見張りが倒れる(そば)で、大きな観音開きの扉に猫耳を当ててヴィアは中の様子を(うかが)う。

 

 城に潜入したヴィアは入り組んだ迷路のような道程を踏破し、ほどなくしてリューナの気配の詳細な位置まで特定する事が出来ていた。

 

 その場所は、なんと()()()()()()()()()

 

 通常ならば、“玉座の間”が位置しているはずの場所である。中からはブリジットと、その側近と思われる強い力を感じる。

 

 この状況から考えられる可能性は、大きく分けて4つ。

 

 1つ目はリューナとブリジットが対峙(たいじ)、もしくは戦闘中。

 2つ目はリューナが捕まって、ブリジットの前に引きずり出されている。

 3つ目は罠。ヴィアが既に潜入していることに気づき、リューナを(えさ)として使っている場合。

 そして4つ目は……

 

 ――次の瞬間、ヴィアの思考をその一言(ひとこと)が断ち切った

 

 

 

「ブリジット様~? 扉の外にネズミ……いえ、猫が1匹隠れているよう()()()♪」

 

 

 

(!?)

 

 突如(とつじょ)聞こえてきた声とその内容にヴィアが激しく動揺し、一瞬身体が硬直する。

 そのとき、彼女の頭の中に、どこかで聞いたことのある女性の声が響いた。

 

 

 

 ――『右に跳びなさい!』

 

 

 

 ヴィアが反射的に“声”に従って跳び退()いた瞬間、扉が吹き飛び、目の前を高密度の魔力弾が通過してゆく。冷や汗を垂らしながら、扉が吹き飛んだことで空いた大きな穴へとヴィアは向き直った。

 

 先程ヴィアが動揺した理由は、自分が(ひそ)んでいることを見抜かれたからではない。扉の中から聞こえてきた声がヴィアのよく知る人物のものであり、さらにその人物がするはずのない発言をしていたからだった。

 

 

 

「いらっしゃいですの、()()()。あまりに遅くて、待ちくたびれてしまいましたの」

 

 

 

 ヴィアの潜む位置を伝えたのは、ヴィアが助けにきたはずの人物であった。

 

 

 

 

 ――4つ目。それは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 



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第三章 リューナを救え! 中編1

 想定される最悪のパターン……それは、“リューナから情報を引き出された上で、リューナが殺されていること”。

 では、その次に最悪のパターンとは、なんだろうか?

 

 それは、“リューナから情報を引き出された上で、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()”パターンである。

 

 別にヴィアは、“リューナが自分の意思で裏切る”などとは欠片も考えていない。彼女とヴィアの間に築かれた絆は、それを確信できるほどに固く、太い。

 だが、この世界には魔術的に敵を取り込む方法なんて、洗脳から魅了、はては重要な記憶の抹消まで、掃いて捨てるほどに存在するのだ。

 

 そして、今……リューナに(ほどこ)されているものは“魅了”。とろけるような笑顔とともに、かたわらの睡魔(すいま)に寄り添っているのだから、まちがえようがない。

 

 今やリューナはその睡魔の恋奴隷と化したが故に、睡魔の主であるブリジットにも当然(かしず)く。魅了の魔術にかけられて理性をとろかされたリューナにとって、親友を売ることなど疑問に思うことすら許されないだろう。

 

「……どうしてバレたのかしら? ちゃんと気配は消してたつもりなんだけど」

 

 身バレしているために、不要となった口布を()ぎ取りながらヴィアが問うと、リューナはケラケラと笑いながらあっさりタネをばらす。

 

「あはは、ヴィーは覚えていないですの~? 小さい頃、ヴィーがさらわれてから助けられたあと、いつ同じことがあってもすぐに助けられるように、位置察知の魔術をかけておいたじゃないですの」

 

 言われて、ヴィアは思い出す。

 

 たしかに幼い頃、ちょうどブランが留守にした隙を見計(みはか)らって、盗賊でも敵対マフィアでもない、正体不明の何者かにヴィアはさらわれたことがあった。

 そばにいたファミリーのみんなが1人残らず倒されていたことがとても恐ろしかったため、その時のことはしっかり覚えている。

 

 同時に、先ほど頭の中に響いた声についても思い出した。

 アレは、かつて自分がさらわれたとき、自分を探してくれていたリューナの元まで導いてくれた声と全く同じものだった。不思議なことに、自分を閉じ込めていた牢の鍵はいつの間にか破壊され、見張り達も姿を消していたために、スムーズにリューナと合流できた記憶がある。

 

 こちらからの呼びかけには(こた)えてくれない一方通行の声で、助かった後は全く聞こえなくなっていたため、今の今まで完全に忘れていた。

 

 留守から戻ってきたブラン達に保護された後、“すぐにヴィアがさらわれても分かるように”とリューナに魔術をかけてもらったことを思い出し、チッとヴィアは舌を鳴らす。

 どうやら自分は『ここに敵がいますよ』と叫びながら潜入していたらしい。とんだ間抜けだ。

 

 そんなやり取りを見て、玉座に(すわ)る少女が口を開いた。

 

「コイツがヴィアって奴か……ってことは、あと3人だな」

 

 青緑色の髪をやや斜め後ろのサイドテールに結った、勝気そうな少女だ。

 こめかみの上あたりから、後方に向けて伸びる小さな角。背にはコウモリの翼。腰から伸びる先のとがった尾と、典型的な魔族の特徴を備えた、リリィと同年代くらいの少女である。

 

 桃色と黒を基調としたチューブトップに、水着のようなボトムス、腰回りのみを(おお)うマントに、肘・膝上につける分離式の袖(デタッチドスリーブ)という、なかなか独創的かつ露出の多い格好をしているが、少女の活発的な雰囲気のためか、とても似合っている。

 

 しかし、そんな幼い少女であるにもかかわらず、感じられる魔力は非常に強力だ。少なくとも、高い魔力を持つ種族であるエルフのリューナですら、比較にならないほどに。

 

 そして、少女の(かたわ)らに(ひか)える、もう1人の魔族。

 

 こちらは少女とは正反対に成熟した肉体を持つ女性だ。

 赤く波打つ(つや)やかな髪の間から生える大きな角は、山羊(やぎ)のようにぐるりと曲がり、背から生えるコウモリの翼も、彼女自身を包み込んでも余りあるほどに大きく立派だ。

 

 モデルのように高い身長、スラリと長い手足、肉感的なボディラインを包むのは、お腹を出すハイネックとミニスカート。そして、黒一色のそれらと対象になるように赤く、白いファーで飾られた豪奢(ごうしゃ)なコート。

 落ち着いた大人の雰囲気とも(あい)まって、妖艶かつ迫力のある女性だ。感じられる魔力は……この凄まじい魔力をもつ少女よりも、さらに上。

 

 その堂々(どうどう)とした(たたず)まいから、一瞬こちらの女性が魔族姫ブリジットかと勘違いしそうになったが、事前に聞いていた噂から、玉座の少女の方こそがブリジットであるとヴィアはきちんと認識し直す。おそらく、この女性はブリジットの右腕にして使い魔であるオクタヴィアだろう。

 

 王という王が皆立派(みなりっぱ)というわけではなく、臣下の方がよほど立派なパターンなど腐るほどあるので、特に違和感はない。

 

 ブリジットの発言から、こちらの情報が軒並(のきな)み漏れていることを把握したヴィアは、いったん退()いて作戦を立て直そうと(わず)かに腰を落とす。

 

「動かないで」

 

 しかし、その動作は途中でピタリと止まった。誰よりもヴィアを理解する()()は、的確にヴィアの動きを先読みする。

 

 

 ――リューナの右手には順手に握られたナイフ。その切っ先はリューナ自身の(のど)に突きつけられていた

 

 

 正気を失って曇りきった瞳で、リューナは言う。

 

「もし、少しでも妙な動きをしたり、闘気を放ったら……刺しますの」

 

(……まずい……!)

 

 行動を完全に封じられた。これでは逃げる事はおろか、リリィ達に助けを求める事すらできない。

 

 綿密な作戦を練る時間も、充分に情報交換をする時間もなかったヴィアは、“使い魔と主の間の心話(しんわ)が、どのような仕組みでなされているのか”を知らない。仮にリリィに思念を送ることで微弱な魔力や闘気が放たれてしまうのであれば、それを感じた途端(とたん)、リューナは自害してしまう。

 

「え~と、ヴィアちゃんだっけ? おねーさんが今から、い~っぱい気持ちいいことしてあげるね♪」

 

 無邪気に、そして色気たっぷりに迫ってくる名も知らぬ睡魔。

 2連続で立て続けに同性に襲われるなんて、どんな厄日だ――ヴィアは心の中でマジ泣きである。

 

 身動きの取れないヴィアの唇に、睡魔は何のためらいもなく吸いついた。

 

(!? ……わ、私のファーストキスが……!)

 

 実は、この猫獣人(ニール)……ファーストキスどころか、意中の男性(リシアンサス)と手を繋いだことも、デートしたことすらなかったりする。そんなことをする暇があったら、1つでも彼を買い戻す金策を考え、実行していたがために、当然と言えば当然なのだが。

 

 性魔術を使ってヴィアを使い魔とせざるを得なかった緊急事態でさえ、リリィは、リシアンサスという想い人がいることを考慮して、キスだけは遠慮している。

 そういう訳で守られてきた純情な乙女の唇を、この女は何の遠慮もなく奪い取ってくれやがったのである。ヴィアの中で“憤怒(ふんぬ)”と呼ぶに相応(ふさわ)しい激情が膨れ上がり、マグマのようにぐつぐつと煮えたぎる。

 

 直後、唇を通して魅了効果を持たせた睡魔の魔力がヴィアを浸食した。念入りに、ヴィアの肉体の隅々にまで魅了の魔力が染み渡るように、睡魔は唇を通して魔力を送り込んでゆく。

 

 やがて満足がいったのか、睡魔は唾液の架け橋を作りながら、ゆっくりと唇を離す。

 きちんと魅了がかかっているか確認するため、ヴィアの瞳を覗き込もうとした瞬間、

 

 

 ――睡魔の背から刃が生えた

 

 

「なッ!?」

 

「!?」

 

 ブリジットとオクタヴィアが驚き戸惑(とまど)う。完全に魅了の魔力が浸食していたというのに、まるで影響を受けていないことが信じられなかったのだ。

 それほどまでにヴィアの精神力が高かったのか、それとも生まれつき魅了に対する抵抗力が高かったのか……

 

「……あ、れ?」

 

 そしてリューナを魅了していた術者が倒されたことで、リューナが正気に返る。

 そのことに気づいたオクタヴィアが、彼女を人質に取ろうと動こうとするが、

 

 ――その時には、すでに彼女を背後に(かば)うように立つヴィアの姿があった

 

(……速い!)

 

 リューナから聞いていた情報よりも、明らかにヴィアのスピードが速くなっている。完全に魅了にかかっていたリューナが嘘をつく理由は無く、なんらかのタネがあるに違いなかった。

 

 目を細めてヴィアの様子を探ると、ヴィアの全身を光り輝く闘気が(おお)い、そしてさらにその上から、強力な()()()()()()()が覆っているのが見えた。

 

(……魔力……それもこれは彼女のものではない、別の誰かのもの…………!! ……そういうことですか……!)

 

 オクタヴィアはカラクリを理解した。

 

 

 

 

 ――数十分前

 

『ヴィア、“使徒(しと)”って知ってる?』

 

 使い魔の契約を結んでから、やや時間が()ったことでヴィアが正気を取り戻すや否や、すぐさまリリィはヴィアに問いを投げた。

 

『たしか“神格者(しんかくしゃ)”のことよね? 神や魔神の手足となって動く代わりに、それらの力の一部を授かった人達のことでしょ? それがどうかした?』

 

 時間が無いことに焦りながら、ヴィアがややつっけんどんに返すと、リリィは1つ頷いて言った。

 

『私がヴィアと結んだ使い魔契約は、限りなくこれに近いものなの』

 

 ヴィアは、大きく眼を見開いた。

 

『私は魔神じゃないから、神核(しんかく)を持っていない。だから、自分の神核を分け与えて誰かを使徒にすることはできない。……けど、それに近いことはできる』

 

『さっきの性儀式(せいぎしき)で、私は、あなたが絶頂した瞬間に漏れ出た精気を喰らい、私の中で睡魔の力に循環させて、再び貴女の中へ送り返し、定着させた。こうすることで、あなたに私の力の一部を分け与えた』

 

『具体的には、あなたの身体能力を含めた全能力が格段に強化されるはず……たぶんだけど、魅了に対する耐性もつくと思う』

 

 初めて結ぶタイプの契約のため、やや自信なさげにリリィは話す。

 

『だから、気をつけて。あなたの身体は今まで以上に良く動く。ブリジットの城へ向かう道すがら、“今までとどれぐらい違うのか”を走りながら確認して』

 

 

 

 

 

 

(危なかった! リリィとの契約がなかったら、完全に終わってた!!)

 

 リリィから力を分け与えられていなければ、ヴィアはこの睡魔に魅了されていただろう。そうなれば、睡魔の身体でリューナの視線を(さえぎ)って、彼女を自害させる間もなく睡魔を殺すことなど、とうてい不可能だった。

 

 ヴィアは緊張感を保ちつつも、最大のピンチを何とかのりきったことに心の底から安堵(あんど)する。彼女の心臓は先程からバックンバックンと激しく踊り狂っていた。

 

 だが、いまだ危険な状況である事に変わりはない。

 リリィの力で強化されているといえど、目の前の魔族達と戦える程の力をヴィアは持っていない。

 

 ブリジットは予想外の事態に驚いて固まったままだが、彼女の使い魔は既に立ち直って戦闘態勢。早急に彼女達の目を(くら)ませるなり何なりして、ここから脱出しなければならない。そして、それをするにはヴィア1人の力では不可能だった。

 

 だから、ヴィアは心の中で必死に叫ぶ。

 

(リリィ! リューを助けたわ! すぐに助けに来て!!)

 

 返事は即座にヴィアの頭に響いた。

 

(わかった! ヴィア、()()()()()()()()()()()()()()()()!)

 

 

 ――ヴィアの思考が一瞬止まった

 

 

(……ハァッ!? 『動くな』って、アンタ何言って……!?)

 

 まさかの『動くな止まれ』発言に混乱したヴィアが、疑問を思念で伝え切る前に、その()()が床から炸裂した。

 

 ゴッ!!

 

 すさまじい勢いで純粋魔力の奔流(ほんりゅう)が、ヴィアから約1歩分前方の床からオクタヴィアへ向かって(ほとばし)る。まばゆい魔力光(まりょくこう)が収まった直後、床に空いた大穴から黒い影が飛び出した。

 

「リリィ!」

 

 ヴィアの視界に飛び込む、可愛らしいコウモリの翼が飛び出た小さく(なめ)らかな背中――現れたのは、城門付近で暴れているはずのヴィアの主であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『敵に見つからずに、リューナさんを探せれば良いんですよね? ……だったら、私が地面を操作して地下道を造って、城の真下からリューナさんの気配を探れば良いんじゃ……?』

 

 リリィは驚いた。何に驚いたかというと、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()である。

 

 水の精霊であるリウラたち水精(みずせい)が水を召喚し、操作する事ができるのだから、地の精霊であるアイが大地を操作する事は、一見まったくおかしくないように見える。

 ところが、実際にはそうではない。“土精(つちせい)アースマン”は他の精霊達とは決定的に異なる点がある。それは、()()()()()()土塊(つちくれ)()()()()()()という点だ。

 

 通常の精霊は、もっとも親和性の高い物質――水精ならば“水”、木精(ユイチリ)ならば“木”を(もと)に自らの肉体を(つく)り上げ、現世(うつしよ)での存在を明確化する。

 そのように創られた肉体には生命力――いわゆる精気が宿り、それを素に精霊は魔術を行使する。外見上、水そのものでできているような水精達でさえ、その体液は“青の液”と呼ばれる生命力に満ちた特殊な体液へと変化するのだ。

 

 それは土精(つちせい)も同じであり、例えばトリャーユという小さなエルフ姿の土精は、きちんと自身の肉体を創造し、その肉体の精気をもって“岩の弾を放つ”といった地属性の魔術を操ることができる。

 

 ところがアースマンは肉体を創り上げる訳ではなく、()()()()()()()()()()()()()()()()。言ってみれば、操り人形と何ら変わりないのだ。泥や土自体に生命力は無いので、彼らが魔術を行使するためには、宿った精霊自身が蓄えた生命力を利用する必要がある。

 

 それは肉体を持つ土精と比べれば微々たる量でしかないため、彼らができる事は、せいぜい“拳に地属性の魔力を込めて殴る”くらいである。土や岩を操って攻撃したり、土や魔力そのもので衣服を()んだりすることなど、彼らにはできない。アイが“地面を操作できる”というのは、それくらい有り得ない能力なのだ。……なのだが……

 

(……なんか、精霊の常識について、あれこれ考えるのが馬鹿らしくなってきたなぁ……)

 

 “これでもか!”と言わんばかりに、リウラに精霊の常識を破壊され続けてきたリリィは、だんだん驚く事が面倒くさくなってきていた。

 

 アイの提案は即採用。アイが地面を操作して地下道を造り、地下から城の敷地内に入り込む。

 ヴィアと同様、すぐにリューナの気配の居場所を正確に把握したため、その真下まで移動。リウラとアイが地下深くから水球や土を遠隔で操ってニセ水精やニセアースマンを創り、城内で暴れさせながらヴィアからの連絡を待って、心話が入った瞬間にリリィが地下から魔術攻撃をぶっ放した。

 

 アイは城に使われている石や鉱物の硬さが大体わかるらしく、城壁とは違って床はそこまで強固に造られていなかった。そこで、偽・超電磁弾ではなく、直射型の魔力砲(レイ=ルーン)で魔力を節約しつつ脱出路を創り上げた、というわけである。

 

 アイの能力を聞いた時点で既にヴィアは城に潜入していたため、リリィから心話をつなげるとヴィアの邪魔になってしまうかもしれないこと、そして急に作戦を変更するとヴィアとの連携に支障が出るかもしれないことから、彼女達の動きは当初立てた作戦とそう大きな差はない。

 

 しかし、アイの能力のおかげで、リリィ達は自分達の姿を(さら)すことなく安全に……しかも城の外ではなく中で効果的に暴れることができた。

 超遠距離から大量の魔力を喰う大魔術(偽・超電磁弾)を撃つこともなく、正確にヴィア達を避け、敵に向かって魔力砲を撃つこともできた。この差は非常に大きい。

 

 アイがやったことは“穴を掘るだけ”という非常に地味なものだが、まちがいなく大手柄であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「その穴に飛び込んで!」

 

 ヴィアがリリィの言葉に慌てて穴を覗き込むと、この階から地下まで一直線に大穴が空いており、穴を筒状に覆う水壁が見えた。脱出中に攻撃されたり、脱出路を塞がれたりしないようにリウラが造ったものである。

 そのリウラ本人は、その水の筒の中間で水の螺旋階段に足をかけた状態で「早く! こっち!」とヴィア達に手招(てまね)きしている。

 アイは気配からして、穴の最下層に居るようだ。

 

「させるかよ!」

 

 リリィの魔術攻撃を防御するも、一瞬(ひる)んでしまったオクタヴィアを背後から抜き去り、ブリジットはヴィアに突撃する。

 それに気づいたリリィは、どこからともなく右手に長剣を、左腕に小型の盾を()びだして装備し、ブリジットの進路に割り込んで彼女を迎撃。まっすぐ頭から突っ込んでくるブリジットに、リリィは右の長剣を振り下ろす。

 

 

 ――その瞬間、リリィはブリジットを見失った

 

 

 一瞬の思考の空白。それを後頭部への強烈な一撃が粉砕した。

 

「ガッ!?」

 

 

 ――ヴィアは、その一部始終を見ていた

 

 ブリジットはリリィが攻撃した瞬間、リリィの死角――左腕に()めた盾の背後に身を隠したのである。そして、そのままリリィの背後に回りつつ、回し蹴りをリリィの無防備な頭部へ叩き込んだ。

 

 いくらブリジットが小柄な体躯の持ち主だといっても、子供用の小型盾(バックラー)で視線を(さえぎ)るのは簡単なことではない。そして実際にそれをやってのけた事実は、“ブリジットの技量が如何に高いものであるか”を示すものであった。

 

 ヴィアも似たような事はできるが、リリィのスピードと頑丈さには対抗できない。仮にリリィ相手に実行したとしても、途中で背後に回ったヴィアの気配に反応されるか、ヴィアの攻撃をくらいながらもカウンターを返してくるだろう。

 

 対して、ブリジットはあっさりとリリィに痛恨(つうこん)の一撃を与え、その威力は彼女の意識を奪い、床に沈めたまま起き上がらせない。

 パワー・スピードにおいてはヴィアを、技術においてはリリィを、ブリジットは完全に上回っていた。

 

「リリィ!?」

 

 リウラの声が響くと同時、ゴッ!! と間欠泉(かんけつせん)の如く、床の穴から大量の水が噴出する。

 

「うおっとぉ!?」

 

 ブリジットは予想外の攻撃に、慌てて一旦(いったん)後方へ下がる。水はヴィアとリューナ、そして倒れ伏したままのリリィを包み込み、穴の中へと彼女達を(さら)っていく。

 

 ブリジットが穴の下を覗き込んだ時には、ヴィア達の姿はどこにもなかった。

 

「追うぞ! オクタヴィア!」

 

 オクタヴィアはコクンと頷くと、使い魔へと脳内で指示を飛ばす。わずかに間が空いて、次々に使い魔達から報告が上がってくる。

 

『こちら1階中央の間! 侵入経路は既に土で封鎖されており、追跡は困難! 現在、1部隊を出して地上から気配を追跡中!』

 

『こちら正門前! 侵入者の姿、および侵入に使用されたと思われる痕跡(こんせき)は未だ発見できず!』

 

『こちら外周警備第3班! 侵入者発見! 現在、北東へ逃走中!』

 

(北東……転移門(てんいもん)で追っ手を()くつもりですか……)

 

 “転移門”とは、魔術的に空間を繋ぐことによって、瞬時にして長距離の移動を可能にする空間移動装置である。

 

 転移門と一口(ひとくち)に言っても、“床に刻まれた魔法陣と、それを囲むいくつかの柱”といったものもあれば、“門そのもの”といったものなど様々な形があり、その使い方も千差万別。

 この迷宮に多く存在するものは、後者――つまり“門そのもの”の形をしたタイプで、くぐるだけで使用でき、しかも利用者の魔力も不要という、非常に利便性の高い移動手段であった。

 

 この城から北東の転移門は、転移先(てんいさき)の近辺にさらに複数の転移門が存在している。これを利用して転移を繰り返されてしまえば、追いつく事は不可能になってしまう。

 

(……そうはさせない)

 

 オクタヴィアは冷静に、自身の使い魔達へ次の指示を出した。

 

 

***

 

 

 まばゆく輝く転移門からヴィアが、続いて水の絨毯(じゅうたん)に乗ったリウラ、リリィ、リューナが飛び出す。

 リウラは既に口布を()ぎ捨てている。魅了されたリューナから情報が漏れていたことを知り、“もう意味がない”と判断したのだ。

 

 彼女達の移動速度はかなりのものだ。リリィの加護を得たヴィアの足は半端ではない。もし仮に彼女の走る姿を傍観する者がいたならば、1つまばたきをした次の瞬間には、彼女の姿は遥か向こうにあるだろう。

 

 その速度に何とか喰らいつく事ができているリウラもまた見事。

 

 彼女は自分の足ではなく、自らが操作する水の絨毯にリリィ達と共に乗って移動しているのだが、あまりの移動速度に、絨毯の操作以外に毛ほどの気も()けない状態になっている。

 そのため、リリィもリューナも絨毯から振り落とされないよう、水の帯で絨毯に(くく)り付けられて放置されている。彼女達に気を(つか)う余裕が全く無いのだ。

 

 ちなみに、アイはあっという間に置いて行かれそうになったので、今はリウラの首を飾る喚石(かんせき)の中に入っていた。

 

「……ごめんなさいですの、ヴィー……わたくしの、せいで……」

 

「まったくよ! 事が済んだら覚えときなさいよ!!」

 

 魅了魔術の効果が抜けきらず、意識を朦朧(もうろう)とさせながら申し訳なさそうに謝るリューナに、ヴィアは後ろを振り向かず腹立たしげな声を出す。だが、もしリューナがヴィアの顔を見ることができたのなら、ヴィアがどこかしらホッとしたような、それでいて涙が出るのを必死に(こら)えているような表情をしていたことが分かっただろう。

 

 ヴィアはリウラを先導しながら、次の転移門へと向かう。

 

 ピクリ

 

 ヴィアの猫耳が反応する。

 いまだ距離はあるが、自分達に向かって進む多数の気配、そして自分達を先回りするように動く気配を(とら)えたためだ。

 

(対応が早い……!)

 

 ヴィアは走りながら歯噛(はが)みする。

 

 このままでは、今から向かおうとしている転移門の前で敵と鉢合(はちあ)わせする。気配はそう強くないため、蹴散らす事は難しくなさそうだが、いまだ気絶したままのリリィと、魅了から()めたばかりでグッタリとしているリューナを(かば)いながらでは、さすがに時間がかかる。その間にブリジット達に追いつかれたら元も子もない。

 

 ヴィアは向かう転移門を変更し、移動する方向を変える。

 次の転移門は結構な距離があるが、逃走ルートを考慮すると、これが最善。へたに適当な転移門をくぐれば、強力な魔物の巣に突っ込んでしまってもおかしくない。

 

 ヴィアが進行方向を変えた事に気づかれたのか、周囲の気配の動きが変化する。だが、今のヴィアの速度には追いつけない。このまま順調にいくかと思われたが……

 

(あ……)

 

 ヴィアの顔が青ざめる。

 

(まずい……私達の動きが誘導されてる……)

 

 ヴィア達の周囲にいる気配、それらがまるで1つの生き物のように統一された動きをして、ヴィアの進路を制限していた。その結果、まるで盤上遊戯(ばんじょうゆうぎ)で1手1手追い詰められているかのように、どんどんとヴィアの()れる選択肢が消えていく。

 

(どうする!? 多少の無茶を承知で、敵の包囲を突っ切るか!?)

 

 ヴィアが打開策を練ろうと頭を回転させたそのとき、ヴィアの猫耳が異音を(とら)えた。

 

 キィキィという甲高い声に、バサバサと空気を叩く音。そして頭にキーンと響く()()()

 

「ッ……! 牙コウモリ!!」

 

 魔物の巣へと誘いこまれた事に、ヴィアはようやく気がついた。

 

 牙コウモリ――学名ニュクテリス。

 名前からお察しの通り、吸血コウモリの一種である。といっても、リリィの前世の世界にいるような“噛みついて血を舐める”程度の脆弱な存在ではない。

 

 身体は小さくとも、彼等は飛吸種と呼ばれる吸血鬼の一種。人間族の子供程度はある力でガッツリ牙を立て、デシリットル単位で容赦なく血液を飲み下す危険な魔物である。

 普段は暗闇や岩陰に潜み、獲物が来たら集団で襲いかかる習性があるため、襲われた獲物が混乱から立ち直る前に干からびることも珍しくはない。

 

 ヴィアは問題ない。元々この程度の魔物に遅れをとるような(やわ)な鍛え方はしていないし、リリィの加護を得た今では、そもそも牙が突き立つかどうかも怪しい。

 

 ――問題は後ろの3人

 

 今までリリィほど高い魔力を持った存在と出会ったことがないヴィアには、リリィが気絶した状態でも、その高い頑健さを発揮できるかどうかがわからない。

 

 魅了が解けたばかりのリューナは、牙コウモリなんて素早くて数がいる相手に対処できるような状態ではないし、リウラに至っては、水の絨毯を操作する以外の行動をする余裕がない。

 

 余談だが、人間や獣人のように赤い血潮を持たない水精(みずせい)のリウラであっても、牙コウモリには襲われる。

 牙コウモリは、厳密には血液ではなく“精気や魔力のこもった体液”を摂取することで生きている。水精の身体を構成する“青の液”は、とある回復薬の原料の1つになるほど精気や魔力をたっぷりと含んでいるので、リウラの青みがかった半透明の体液でも牙コウモリは美味しくいただけるというわけだ。

 

 故に、ヴィアは大量のコウモリから後ろの3人を護りながら、全力疾走を続けなければならない。

 いったん足を止めて対処するか? ……それこそ相手の思う(つぼ)だ。相手の目的はブリジット達が追いつくまでの時間かせぎ。ブリジット達に追いつかれればゲームオーバーである以上、少しでも足を止めるわけにはいかない。ならば……

 

(私の闘気弾で蹴散らした後、そのまま足を止めずに突っ切る!!)

 

 おそらく1人当たり5~6匹は噛まれるだろうが、ある程度離れてからヴィアが切り払えば、死にはすまい。今はとにかくブリジット達から逃げ切ることが先決だ。

 ヴィアがそう決断しようとしたそのとき、彼女の背後から指示が飛んだ。

 

「そのまま突っ切って! コウモリは私が何とかする!」

 

 声が出しにくいため口布をむしり取ったリリィが、後頭部をさすりながら上半身を水の絨毯から起こして叫ぶ。

 リリィは前方から飛来するコウモリの群れを、ギンと(にら)みつけると、スゥと大きく息を吸い込む。

 

 

「わぁぁぁぁああああああああ!!!」

 

 

 腹に魔力を込めた大音声(だいおんじょう)。耳が痛い。だが、その効果は抜群だった。

 

 ドサァッ!!

 

 コウモリは1匹残らず地に落ちた。

 ヴィア達はコウモリの死骸を踏みつけ、あるいはその上を通過して通り抜ける。

 

「いったい、どうやったのよ!? コウモリが気絶するほど大きな声とは思えなかったけど!?」

 

「視線を媒介にして、目から直接精気を奪った! 声を上げたのは、私に視線を向けさせたかったから!」

 

 粘膜は魔力を通しやすい性質がある。それは性魔術で使うような唇や舌・局部だけでなく、眼球であっても変わらない。

 

 リリィが行ったのは視線を媒介にして自らの魔力を相手の眼に叩き込み、相手の肉体を浸食し、相手の全精気を支配(コントロール)したうえで視線を通して自身に送り返すという離れ技である。

 

 瞬時に大群相手に使える上、知らなければ対処不可能な初見殺(しょけんごろ)しではあるが、これは直接接触しなくともほぼ一瞬で肉体を魔術的に浸食できるような、よほど格下の相手でなければ使えない手段でもある。

 一般的な人間族の兵士相手に使えるようになるには、高位の魔神クラスの力が必要になるだろう。

 

 そうこうしている内にも敵は増加し、包囲網は(せば)まりつつある。

 

 このまま進めば、敵に遭遇(そうぐう)せずにヴィアがたどり着ける転移門は2つ。うち、1つはヴィア達が力を合わせても勝ち目がないほど強力な魔物の巣へと直結している。

 ならば、必然的にもう1つの転移門を選ぶしかないのだが、そちらには罠が張られている可能性が高い。つい先程までなら、罠が張られている可能性があろうとも、そちらの転移門へと突っ込んでいたであろう。

 

 しかし、状況は変わった――今はリリィが目覚めている。

 

「リリィ! 敵の包囲網の薄い部分を突破するわ! 力を貸して!」

 

「わかった!」

 

 リリィが返事とともに翼を広げ、ヴィアに並ぶように飛翔する。

 

 今のヴィアとリリィのタッグに(かな)う戦士は、そうはいない。多少、数が多くとも、時間をかけずに突破することは可能だった。ヴィア達はブリジットの配下たちを蹴散らしながら、その先にある転移門へと飛び込み――

 

 

 ――そして、罠にかかった

 

 

***

 

 

 千を超すであろう大群が、自分達を取り囲んでいる。

 皆、武器を持ってこちらに敵意を持った視線を叩きつけており、その中央にはブリジットが腕組みをして立っていた。

 

 リリィ達の背後で転移門(てんいもん)が再び輝き始めると、ヴィアは慌ててリウラ達に前へ移動するよう(うなが)し、移動し始めた直後に転移門からブリジットの配下が次々と現れ、最後にオクタヴィアが姿を現した。

 

 

 ――オクタヴィアの考えた策は、いたってシンプル。ヴィア達の転移先に居を構えている使い魔達に心話で指令を出し、ヴィアを遠距離からじわじわと包囲。次の移動先の転移門をこちらが先回りしやすいものに誘導する……これだけである。

 

 ブリジット達が待ち構えていたこの場所は、ブリジットの居城からわずか数分のところにある転移門から()ぶことができる。

 オクタヴィアは自分の主にこの場所で待ち構えてもらうようお願いし、自分はヴィア達を追跡。

 

 使い魔達を操った足止めが成功した場合、オクタヴィアがヴィア達を襲い、その間に主は後から来ればいい。逆にヴィア達が足止めを突破した場合、待ち構えていたブリジットとオクタヴィアで挟み撃ちにするという策だ。

 ブリジットが、大量の使い魔や兵を保有しているからこそできる人海戦術である。

 

 なお、オクタヴィアが()()()()()()()()()()包囲の1ヶ所を突破することをヴィアが選ばなかった場合、その先の転移門ではここの3倍の大群が待ち受けていた。最後の選択肢の、魔物の住処(すみか)に繋がる転移門から跳べば、魔物とオクタヴィアの挟み撃ちにあう。

 

 あの時、ヴィアが選ぶべき選択肢は“包囲がなるべく()()箇所をリリィの偽・超電磁弾で強引に突破する”だったのである。包囲が厚い場所はオクタヴィアにとって絶対に抜かれたくない場所なので、そこを通過できれば逃げ切れる余地は充分に有ったはずなのだ。

 

「……リウラ、()ろしてほしいですの」

 

「……でもっ!」

 

「大丈夫ですの。もう、ふらつきもしませんの」

 

 リューナがリウラにそう言うと、リウラは心配そうにしながらも、ゆっくりと水の絨毯を変形させる。リューナを寝そべった状態から立った状態へと変えて地面に立たせ、水の拘束を解除。同時に水の絨毯を水球へと戻して滞空させ、自らも地面へと降り立った。

 

 すると、リウラの首にかかっている喚石(かんせき)が輝き、中からアイが険しい表情で現れる。全員が素顔を(さら)している以上、自分だけが身につけていても無駄だと思ったため、口布は()ぎ取っていた。

 

 リューナが転送魔術で、手のひらサイズの袋を手元に()び出す。リリィがブリジットの居城で剣と盾を取り出したのと同じ魔術だ。

 

 リューナは袋の口を緩め、袋の横をポンと軽く叩く。すると、中に入っていた桃色の粉が粉塵となって袋の口から舞い上がり、リューナはそれを軽く鼻から吸い込んだ。

 たちまち、彼女の頬に残っていた赤みがスゥと引き、わずかにぼうっとしていた瞳がいつもの明晰(めいせき)さを取り戻す。

 

 ――解魅(かいみ)(こな)

 魔術的に魅了された者の精神を立て直す、即効性の粉薬である。

 

 その様子を見ながら、リリィが転送魔術で弓と矢筒を喚び出してリューナへ渡す。

 その後、リリィは自分達の前に立っているヴィアの隣に並んだ。

 

「リリィ、頭は大丈夫?」

 

「変な()き方しないで。もう完治してるよ。……それより、どうする?」

 

「どうもこうもないわよ……! 前後左右360度、空中まで敵だらけとあっちゃ逃げようがないわ……!」

 

「……いちかばちかでも、どこかを1点突破したらどう?」

 

「この数よ? まちがいなく数秒は足止めされる。その間にブリジットが来たら、アンタ勝てるの?」

 

「……」

 

 勝てない。

 原作であっさり魔王とリリィが勝利をおさめていたことから、簡単に勝てると思い込んでいたが、実際に戦ってみてよくわかった。あれは、原作のリリィが未熟ながらも積んだ幾多(いくた)の戦闘経験と、弱い人員でも勝てるよう知恵を絞った魔王の頭脳があってこその勝利だったのだ。

 

 原作においてブリジットは魔王の幼馴染であり、そして魔王はブリジットの片思いのお相手である。彼女は、ほぼ同年代であるにもかかわらず、あっという間に魔王へとのし上がった幼馴染の隣に立てるよう、常に訓練も勉強も欠かさなかった。

 

 対して、リリィにあるのは、水蛇(サッちゃん)から奪った大量の精気と、魔王の魂からもらった魔術と戦闘技術、そして水蛇・オークの盗賊団・ゴーレム(アイ)と戦った、たった3回の戦闘経験のみ。

 そして、魔王の戦闘技術については……残念ながら、とうていブリジットに勝てるようなものではなかった。

 

 魔王は生まれながらの強者だ。その肉体的・魔力的なスペックは他を圧倒するものであり、たいていのことは力まかせでどうにかできた。そんな人物が、自分より弱い者達を師に(あお)いで武術を磨こうとするはずもなく、彼は自分の感覚にまかせて武器を振るっていたのだった。……そして、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 きちんと刃筋(はすじ)を通すこともできる。間合いを(はか)ることも、フェイントを仕掛けることもできる。だが、それらの技術は総じて二流どまりだった。

 誰からも師事を受けずに、自身の感覚だけでそれらの技術を()み出し、身につけた魔王の戦闘センスは素晴らしいものだが、真剣に己が技術を磨いてきた一流の戦士達には遠く及ばない。

 

 その“一流には届かない”という(つたな)さが、ブリジットとの戦闘では致命的だった。

 魔力総量はそう劣ってはいないはずだが、戦闘技術と実戦経験に圧倒的な差がある以上、なんらかの対抗策を考えなければ、サンドバッグになることは必然である。

 

「……じゃあ、投降する?」

 

「……」

 

 リリィの言葉に、今度はヴィアが押し黙る。

 投降したところで、相手が許してくれるとは思えない。死んだ方がマシだと思える扱いを受けるのは、ほぼ確定だった。

 

 リリィはヴィアの表情から、それを察して言った。

 

「……だったら、最後まで抵抗する方に賭けよう。ヴィア、この包囲を崩すとしたら、どこを狙えば良い?」

 

「……右ね。2時の方向に見える道……あそこを突っ切れば、すぐ(そば)に転移門が設置されてる」

 

 リリィがその方向に視線を向けると、たしかに道があった。やや強い風が道の奥から吹いているのか、その道の傍にいる敵の髪や服がバサバサと動いている。

 

「オーケー、わかった。……みんな、聞いて。今から私が敵全体を魔術で攻撃する。そうしたら全員2時の方向の道の先にある転移門に向かって走って。近寄ってくるやつは、かたっぱしから全力で排除。私とヴィアが道を切り(ひら)くから、お姉ちゃんとリューナさんはその援護。アイは最後尾で2人を護って」

 

「もしブリジット……あそこのちっこい魔族が来たら私が、あっちの赤髪の魔族が来たらヴィアが相手をする。そうなったら私達はその対処にかかりきりになるから、今度はアイが前衛、リューナさんが中衛、お姉ちゃんが後衛で転移門までの道を切り拓いて。何か質問は?」

 

「無いわ」

「無いよ」

「無いですの」

「ありません」

 

「……行くよ!」

 

 リリィがスッと目を半分閉じて精神を集中させる。すると、リリィ達を囲む敵達の胴を輪切りにするかのように、純粋魔力の結晶である魔法陣が数十、数百と出現する。

 直後、その魔法陣めがけて、上空に()び出された純粋魔力の魔弾が降り(そそ)ぎ、魔法陣に触れると同時に大爆発を起こした。

 

 ――純粋魔術 鋼輝陣(イオ=ルーン)

 

 術者が指定した空間に、魔弾を炸裂させる効果を持つ魔法陣を設置し、その魔法陣に魔弾を落とす、空間指定型の爆破魔術である。

 

 リリィの強力な魔力で放たれたその魔術の威力は凄まじく、魔弾が炸裂した箇所で戦闘能力を維持している者は全体の半数以下。包囲網は完全に瓦解(がかい)して歯抜けとなった。

 だが、それも未だにブリジットとオクタヴィアの背後にある転移門から次々と現れる敵がその(しかばね)を乗り越え、あっという間に隙間を埋めていく。

 

「走って!!」

 

 その隙間が完全に埋まる前に、可能な限り走り抜けるため、ヴィアは後ろ腰から2本の短剣(ダガー)を抜きながら駆け出し、全員に向かって叫ぶ。

 

 魔術の発動を終えたリリィもヴィアに続いて走り出し、左腕の盾を転送魔術で蔵へと戻すと、リリィの身の(たけ)を超える大きさの斧槍(おのやり)()び出して両手に握る。

 

 リューナは弓を構え、アイも拳を握りながら2人に続いて駆け出そうとして……

 

 

 ――できなかった

 

 

「「リウラ(さん)!?」」

 

 顔面蒼白(がんめんそうはく)となったリウラが、口元を押さえてうずくまっていたからだ。

 

 

***

 

 

 『敵全体に攻撃魔術を放つ』……その言葉の意味は理解していた。

 

 ――だが、“実際にどういうことが起こるか”……その結果を想像できてはいなかった

 

 弾け飛ぶ血肉、飛び散る脳漿(のうしょう)、目玉や内臓が辺りにばら撒かれ、白い骨を(さら)した胴や手足が赤い血の雨と共に地面にボトボトと降り(そそ)ぐ。

 

 それは悪夢だった。

 

 突如(とつじょ)としてリウラの視界に飛び込んできた地獄の光景を処理しきれず、リウラは思考を停止した。してしまった。

 

「走って!!」

 

 近くで叫んでいるはずのヴィアの声が、非常に遠くに聞こえる。だが、たしかに聞こえた仲間の声にリウラは我に返り……そして猛烈な吐き気を(もよお)した。

 

 あまりに強い吐き気に立っていられず、口を両手で押さえてうずくまる。その眼は限界まで見開かれ、表情は嫌悪感、罪悪感、驚愕に恐怖と、様々な強い負の感情が混ざりあっていた。

 耐えきれずに吐いた。食べたものは消化してしまったのか、口から吐き出されるのは唾液だけだったが、それでも吐かずにはいられなかった。

 

「うあ、ああああぁぁぁ……」

 

 大粒の涙を流しながら、ひたすら吐く。アイとリューナが彼女を護りながら必死に呼びかけるが、心の許容量を一気に突き抜けてしまったリウラには反応する余裕がなかった。

 

 ドンッ!!

 

 リウラの目の前に敵の魔弾が炸裂する。自身の命を(おびや)かす現象には流石に反応し、のろのろとだがリウラが顔を上げると……そこにはさらなる地獄が展開されていた。

 

 ――2本の短剣(ダガー)を振るうヴィアが(たく)みに敵の急所を切り裂き、血の大河を駆け抜ける

 

 ――斧槍(おのやり)を凄まじい速度で縦横無尽に振り回すリリィが、輪切りになった(しかばね)の山を築く

 

 ――弓を構えるリューナが首に、眼に、心臓に次々と矢を立てる

 

 ――拳を構えるアイが敵の頭部を陥没(かんぼつ)させ、足を踏み砕き、岩の弾を召喚して敵を押し潰す

 

 まるで何かの作業のように次々と命が刈り取られ、死体が量産されていく。

 

 

 リウラには分からなかった。

 

 自分だって、水蛇(サッちゃん)に致命傷を負わせたことはある。魚を殺して、リリィに食事として与えたこともある。その時は、命を奪ったことに対して何も思わなかったし感じなかった。今回だってそれと同じはずだ。リウラ達の命を護るために必要なことだから命を奪う――その内容に変わりはないはず。

 

 

 ――なのに、なぜだろう?

 

 

 ……こんなにも胸が苦しいのは。

 ……罪の意識に(さいな)まれるのは。

 ……ただ自分と同じ“人の形をしている”というだけで、“命を奪う”ということが、言葉では到底表現できないほど、重く(つら)く感じられるのは。

 

 

 リウラには分からなかった。

 

 なぜ、みんなはこんなにも簡単に命を奪えるのだろうか?

 彼女達には、リウラとは違い、“人の形をしたものを殺すこと”を“魚や魔物を殺すこと”と同じように感じているのだろうか?

 

 ヴィアとリューナは、すでにこうした修羅場を経験しているのかもしれない。リウラと同じように感じながらも人を殺し、それを乗り越えたのかもしれない。

 

 アイは、ゴーレムの姿でいた時にそれを経験しているのかもしれない。無理やりゴーレムとして操られているうちに、人を殺すことに慣れてしまったのかもしれない。

 

 

 ――では、リリィは?

 

 

 リリィとリウラは、こと実戦経験においてはほぼ同じ位置に立っている。

 リリィ自身の申告によれば、魔王に創造されてから1ヶ月も()っていないとのことなので、人殺しの経験もまず無いはず。

 

 なのにどうして、血や臓物が飛び散る光景を見て、なんの反応もしないでいられるのか? なぜ、人の形をしたものを殺して、眉ひとつ動かさないでいられるのか?

 

 

 ――自分達を、仲間を護るために必死になって妹が戦っているというのに、どうして自分は立つことすらままならずに(すわ)りこんでしまっているのか?

 

 

(動……けっ! お願い、動い、て……! 私の、から、だ……!!)

 

 リウラは必死に吐き気を抑えて身体を起こそうとするも、へたりこんだ足はピクリとも動かず、身体はガクガクと震え、まるで言うことを聞かない。

 水蛇(サッちゃん)と戦った時のことを思い出して、自分を(ふる)い立たせようとするも、まったく効果がない。

 

 ――ザッ

 

 血や死体が視界に入ることを無意識に避けて(うつむ)いていたリウラの目に、アイの泥状に崩れた足が(うつ)る。

 それに反応してリウラが顔を上げると、そこにはリウラを背にして構えるアイの背中と――

 

 

 

 ――こちらに向かって歩みながら、剣を鞘から抜き放つ赤髪の魔族の姿があった

 

 

***

 

 

 リリィの目の前を走るヴィアの動きは美しかった。

 

 猫獣人特有のしなやかな身体と身軽さを()かしたトリッキーな動きで、次々と急所を切り裂いていく。

 

 ――剣を振り下ろして前屈(まえかが)みになった敵の背中に、自分の背を合わせるようにして、その上を転がりながら頸椎(けいつい)を断つ

 

 ――(すべ)り込むように敵の股下を潜り抜けて内股を裂く

 

 ――するりと脇の下を潜って肘の後ろを切り、前転して剣を避けながらアキレス腱を切る

 

 ――急所が鎧で覆われていたら、鎧の隙間から短剣(ダガー)を差し込み、体内で闘気を炸裂させる

 

 ――背後から前のめりに襲いかかる敵に尾で目打(めう)ちを放ちつつ、前方の敵の鼻柱を短剣(ダガー)柄頭(つかがしら)で叩き折る

 

 才能と努力、そして経験。3つが見事に組み合わさった芸術的な動作だと、リリィは感じた。

 

 

 対して、リリィの戦い方はあまりに無骨(ぶこつ)

 “斧槍(おのやり)” という長柄(ながえ)の先に戦斧(せんぷ)が付いた武器を、魔力強化された己の身体能力と、自身の感覚に任せて、力いっぱい振りまわすだけだったのである。

 

 しかし、これこそが技術も経験もつたない、今のリリィにできる最善の戦い方でもあった。

 

 初心者が最も扱いやすい近接武器の一つは“槍”である。なぜならリーチがあり、“突く”あるいは“振り回す”といった単純な動作で攻撃できるからだ。

 さらに扱う者がリリィのように強大なパワーを持つのならば、同じ長柄武器でも、より重量のある武器で“なぎ払う”方が範囲・威力ともに遥かに脅威だ。遠心力も加わり、多少の技術の差など無視して防御ごと敵を粉砕してしまう。

 

 クルクルと自分を中心にリリィは斧槍を回し、横から、上から、斜めから敵の群れに斬撃を()びせかける。倒れた敵から(こぼ)れ落ちて輝く精気や魔力が、リリィを中心に渦を巻いて次々と彼女の身体へと吸い込まれてゆく(さま)は、まるで台風のよう。

 

 その光り輝く美しい台風は、リリィのいる“目”の位置以外すべて、リリィの剛腕によって振るわれる斬撃が通過する超危険地帯だ。

 

 ――単純にリリィを攻撃しようとした者は、武器を力まかせに弾かれながら切り裂かれる

 

 ――軌道を見極めて(つか)の部分を押さえようと動いた者は、突然急激にスピードを上げてタイミングをずらされた斧槍に腹を割られ、

 

 ――斧が通り過ぎたあとに突撃した者は、狙いも定めず適当に放たれた闇属性の衝撃波に吹き飛ばされる

 

 魔王から途方もない才能を与えられて創造されたリリィの器用さは超一流だ。

 師の不在や、実戦経験の少なさから、武器そのものの扱いが二流であろうとも、戦闘のリズムを適切なタイミングで変えたり、武器を振るいながら魔術を扱う程度ならば、(なん)なくこなすことができる。

 

「オオォォォォオオオオッ!!」

 

 それならば……と、3メートルを超えようかというほどの大きな熊獣人が、巨大な斧を振りかぶり突進してきた。

 如何(いか)にその矮躯(わいく)に見合わぬパワーであろうと、大きく離れた体格と重量に加え、突進力までプラスされれば、敵の武器を弾くことはできまい……そう考えたのだ。

 

 しかし、当然のことながら、それだけ巨大な相手が雄叫(おたけ)びを上げながら勢い良く突っ込んでくれば、リリィが気づかないはずがない。

 右側から攻撃してくる熊獣人に対し、リリィは右足を軽く後ろに引くことで相対(あいたい)する。直後、リリィは左の手のひらの中で斧槍の柄をくるりと回転させた。

 

 ガギィンッ!!

 

 リリィの前方で風車のように、熊獣人から見て時計回りに回転した斧槍が、彼が振り下ろした斧を軽々と上へ弾き飛ばす。驚きに硬直した瞬間、弾き飛ばした反動で戻ってきた斧槍の柄を右手で(つか)みつつ、流れるように脇構(わきがま)えに構えたリリィの姿が目に入り――

 

 ――直後、リリィに振るわれた斧槍に、一瞬で彼の首が()ねられた

 

 彼はリリィの膂力(りょりょく)(はか)り違えた。その小さな身体に、へたな砦よりも巨大な魔物(サーペント)と同等以上の魔力が秘められているとは想像もつかなかったのだ。

 

 ピクリ

 

 リリィの猫耳が震える。

 

 頭上を(あお)ぐと、下級魔族が魔力を(たくわ)えた両(てのひら)をこちらに向けている。近接戦では(かな)わないと見て、味方ごと魔術で攻撃する気だ。

 

 魔術で迎撃や防御をしようにも、今から魔力を集中していては間に合わない――瞬時にそう判断したリリィは、間髪(かんぱつ)入れず斧槍を頭上の悪魔へ投擲(とうてき)した。

 

 スカッ!!

 

 ブーメランのように回転しながら宙を(すべ)った斧槍は、狙い(あやま)たず悪魔の胴を音も無く両断する。

 

 その瞬間、リリィに手持ちの武器がなくなった事をチャンスとみた周囲の敵が、一気にリリィに襲いかかる。

 

 バチイィィィンッ!!

 

 リリィを中心に、襲いかかった全ての敵が吹き飛ぶ。彼女の右手には、蛇腹状(じゃばらじょう)の刀身を鋼線で繋いだ剣――連接剣(れんせつけん)が握られていた。

 襲いかかられる直前、リリィは転送魔術でこの剣を()び出し、刀身の連結を解除。(むち)のように剣を振るい、敵を弾き飛ばしたのである。

 

 

 

 ……魔王の魂から経験を引き出し、水精の隠れ里で水の大剣を振るっていたとき、リリィは頭の片隅でこう確信していた。

 

 ――“この程度ならば、自分でもできる”、と

 

 魔王が腹心の部下として育てようと()ずから創造した彼女は、彼から絶大な才を与えられて誕生した。

 その戦闘センスは、魔王の経験を余すところなくリリィに理解させるどころか、“武器を操って戦う”とはどういうことか、という根幹(こんかん)を理解させるにまで至ったのである。

 

 “自分ならば、どんな武器であろうとそれなりに使うことができる”……そう確信した彼女は、オーク討伐の際、リウラに頼んで“大”剣ではなく“長”剣を水で作成してもらい、それを振るった。

 

 ――そして、その“確信”が正しいものであったことを証明した

 

 リリィよりも、ずっと長く獲物を振るってきたはずの、オーク達の曲刀術……もちろん、盗賊である彼らが真面目(まじめ)に修練を積んできたかは怪しいものだが、それよりも遥かに(うま)く、リリィは水の長剣を振るい、その剛腕ではなく技術(センス)でもって彼らを軽々と倒してみせたのである。

 

 それどころか、魔王と違ってリリィ自身に腕を磨く意思があったためか、ひと振りごとにその動きは洗練されてゆき、一流には遠く及ばないものの、剣を握って1日も()っていないとは到底信じられないほどにまで、すさまじい成長を見せたのである。

 

 リリィ自身が“戦い方を学ぼう”という意識を持って戦闘するだけで、これほど成長するのならば、魔王が最も得意とする武器……すなわち、大剣にこだわる必要などない。それよりも、リリィ自身に合った武器を探したほうが、よほど良い。リリィと魔王は、体格も性別も何もかもが違うのだから。

 彼女の超人的な成長性と器用さをもってすれば、状況に合わせて武器を使い捨てながら戦うことだって可能だろう。

 

 そこで、リリィはラギールの店から、ひと通りの武器・防具・魔法具を買い(そろ)え……そして、今まさに次々と変化する状況に合わせて、様々な武器を取り()えながら、その溢れる才に任せて戦闘を行っているのである。

 

 しかし、この連接剣という、剣と鞭の合いの子のような武器は熟練者でも非常に扱いが難しく、さしものリリィも刃筋を立てることは(かな)わなかった。

 

 もっとも、自分の身体が吹き飛ばされる勢いで、腹や胸に(はがね)(かたまり)を叩きつけられた面々(めんめん)は、皆一様(みないちよう)に肉が裂けて(もだ)え苦しんでいるので、効果は充分かもしれない。

 

 そこで、ふとリリィは気づく。

 

 ヴィアとリリィが道を確保しているにもかかわらず、リウラ達が一向にこちらへ来ない。

 リリィが不安に()られて後ろを振り返る。

 

 

 

 目に(うつ)った光景に、リリィの思考が凍りついた。

 

 

 

 ――下半身を砕かれ、倒れ伏すアイ

 

 ――肩口を切られて弓を取り落とし、左手をだらりと垂らしながらも、もう片方の手で何とか電撃属性の魔弾を撃たんとしているリューナ

 

 

 

 

 

 ――そして、足を握って妨害しようとするアイの手首を踏み砕き、リューナの魔術を結界で弾きながら、無防備に(すわ)り込むリウラに向かって、今まさに連接剣を振り下ろさんとするオクタヴィアの姿

 

 

 

 

 

 “助けなきゃ”――そう思った瞬間には、すでにリリィの身体は動いていた。

 

 リリィの身体を、まばゆい紫の魔力光(まりょくこう)が包み込む。

 傍目(はため)にもハッキリわかるほど高出力のそれは、彼女の背面により集中しており――次の瞬間、リリィの後ろ全面を覆う魔力が、リリィの身体を勢いよく前に弾き飛ばした。

 

 

 ――体術 超ねこぱんち

 

 

 最大出力の魔力や闘気を全力で弾くことによって、()()()()()()()()()を敵へと弾き飛ばす突進攻撃――いわゆる“体当たり技”である。

 

 進路上にいる敵を一瞬にして跳ね飛ばしながら、リリィはオクタヴィアに向かって突撃する。なんとかオクタヴィアが剣を振り下ろす前に、リリィは彼女に拳を振るうことに成功した。

 

 ――スッ

 

 しかし、オクタヴィアはリリィが来ることがわかっていたかのように半歩後ろに下がり、リリィの突撃を(かわ)す。

 

 “超ねこぱんち”は、その技の特性上、技の出始めが非常にわかりやすい。

 最大出力で発現した魔力は『これから何かしますよ』と言っているようなものであり、それを使ってこちらに突進してくれば、それは(あん)に『()けてください』『迎撃してください』と言っているも同然。

 

 睡魔族(すいまぞく)や猫獣人の打撃系切り札として有名でもあるため、その特徴的な動作から繰り出そうとしている技が“超ねこぱんち”であることもバレやすい。

 その代わり、当たればその威力は通常の“ねこぱんち”の比ではなく、少々格上の相手であろうと沈めることができる――言わば、テレフォンパンチの究極形である。

 

 オクタヴィアは、かつてブリジットの父に(つか)え、ブリジット誕生後に彼女の使い魔となったという経緯(けいい)がある。その身に宿す魔力も実戦経験も、実は(ブリジット)よりも上であり、そんな相手に対していくら不意を打とうと、こんなわかりやすい攻撃が当たるはずもなかった。

 

 ガガガガガガ……ッ!!

 

 リリィは岩のように硬いはずの地面を砕き散らしながら、着地して振り返る。

 

 オクタヴィアの攻撃に間に合うよう全力で技を放ってしまったため、勢いがつきすぎ、オクタヴィアからやや離れた所に着地することになってしまった。

 そのせいか、オクタヴィアはこの場で1番の脅威であり、さらには大技を放った直後で隙を晒しているリリィを狙わず、もっとも討ち取りやすい位置にいるリウラに向かって、ふたたび剣を振り下ろそうとする。

 

 すでに、“超ねこぱんち”は見せてしまった。不意を打つことも、もうできない。次は“超ねこぱんち”を避けながら、リウラを攻撃されてしまう。

 リリィはとっさに再度背に集中した魔力を弾き、()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 ――オクタヴィアの剣が、リウラを(かば)うリリィの背を深々と斬り裂いた

 

 

 

 



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第三章 リューナを救え! 中編2

 ――リウラの視界が真っ赤に染まる

 

 それはまるで夢を見ているかのように現実感がなく、酷くスローモーションに感じられた。

 

 オクタヴィアの振るう(やいば)が、妹の背を通過してゆく。

 染み(ひと)つ無い綺麗な肌。すべすべしていて、ずっと()でていたいと感じた愛しい妹の肌が無残(むざん)に裂かれ、紅い紅い血が噴水のように噴き出す。

 

「リリィ!!」

 

 遅れて追いついたヴィアが血相を変えて飛び込み、オクタヴィアと切り結ぶ。技術、魔力共にオクタヴィアの方が格上だが、今のヴィアならば防御に徹すれば持ちこたえることくらいはできた。

 

「……あ……あああ……」

 

「大……丈夫? ……お姉ちゃん……」

 

 リウラの腕にグッタリと身体を預ける妹は、血だまりを作りながら、それでもリウラのことを案じていた。

 

「だ、大丈夫! 大丈夫だよ!! リリィが(かば)ってくれたから!!」

 

 あまりの状況にパニックに(おちい)りながらリウラがそう答えると、リリィは力無く、だが心から安心したように笑顔を浮かべ、「良かった」と(つぶや)いた。

 

 ギリッ……!

 

 リウラは歯を食いしばり、拳を強く握り締める。

 

 ――自分は、いったい何をしているのか。自分はリリィを護るためにここに居るのではなかったのか

 

 ――それが護るどころか逆に護られて、護るべき彼女の身を危険に(さら)すなど、姉失格ではないか……!!

 

「あ、ああああぁあぁぁっ!!」

 

 リウラは()える。そしてあまりにも情けない自分に対して、心の底から強く強く念じ、そして命じる。

 

(邪魔……邪魔邪魔邪魔邪魔ぁっ!! お願い私の心……その罪悪感をねじ伏せて! 大切な家族失わないために、今すぐ私を戦わせてぇっ!!)

 

 

 

 

 

 ――身体が……動いた

 

 

 

 

 

 今までの様子が嘘のようにピタリと震えが止まる。

 

 右手でリリィを支えながら、左手で素早く水の衣のポケットから真っ白な“治癒の羽”を取り出して握り潰す。

 純白に輝く魔力の風が、羽を握り潰した拳の中から(あふ)れて流れ出し、リリィの背を撫でると、一瞬でその傷を消し飛ばした。

 

 リウラの拳から溢れた白い風はリリィだけでなく、リューナの刀傷にも、自力で土を吸い上げて再生する途中にあったアイの手首と下半身にも流れ、完全に元通りにしてしまう。

 

 “治癒の羽”は癒す対象を明確にイメージしなければ発動しない。

 目の前で死にかけていたリリィだけでなく、周囲の仲間も意識していなければ、彼女達全員を同時に癒すことはできない。

 

 さらに言えば、“治癒の羽”はその色が白に近づくほど強力になり、逆に赤に近づくほど効力が下がるのだが、最高級の純白の羽を取り出して使用しなければ、全員を完全回復させることはできない。

 

 全員が回復して態勢を整えなければ死ぬかもしれなかったこの状況で、“とにかくすぐに回復させよう”と適当に羽を取り出さず、適切な羽を選んで握り潰した事実は、リウラが完全に冷静な状態を取り戻したことの証左(しょうさ)と言えた。

 

 肩の傷が癒えたリューナが、素早く弓を拾って周囲に牽制(けんせい)の矢を放つ。

 

 その隙に下半身が修復されたアイが跳ね起き、素早く地面を操って隆起(りゅうき)させ、群がろうとしていた敵の目の前に土壁を造って足止めし、その副次効果で地面を敵から見て前に(すべ)らせることで、敵の足をすくって転倒させ、態勢を立て直す。

 

「ぐぅッ!!」

 

 オクタヴィアからドシンと腹に重い突き蹴りをもらったヴィアが、リウラ達の元へ吹き飛んでくる。その瞬間、周囲から先程アイが操作した以上の勢いで、地面がリウラ達を(かこ)むように盛り上がり、そして完全にリウラ達を閉じ込めてしまった。

 

 警戒を(くず)さず、すぐにリューナが魔術で(あか)りを(とも)し、視界を確保する。

 

「……って、アイはどこよ!?」

 

 大きめの部屋ぐらいはある広い空間に居るのは4人。

 ――リウラ、リリィ、ヴィア、リューナ……アイが居ない。

 

「これは……」

 

 リューナは周囲に満ちる魔力を感じ取り、何が起こったのか事態を把握した。

 

 

***

 

 

「……な、なんだアレ?」

 

「……おそらくは、アースマンの一種と思われます」

 

「……アースマン!? アレが!?」

 

 ブリジット達の見つめる先……そこでは、女性の上半身――腰から上だけという姿の、見上げるほどに巨大な土人形――アイが猛威を振るっていた。

 

 アースマンの中には、土を吸い上げて身体を再構築する再生能力を利用して、より巨大な身体を(つく)り上げる(しゅ)がある。

 土や大地を操作できるアイにその程度のことができないはずもなく、巨大化した体内にリウラ達を取り込むことで、混乱状態のリウラを保護しつつ自分の攻撃力を上げるという手に出たのだ。まさに攻防一体の大技である。

 

 アイは巨大な拳を次々と敵の頭上に落として、地面に真っ赤な血の花を咲かせ、ちょっとした家ほどの大きさがある腰をズルズルと泥を(したた)らせながら動かし、まっすぐに当初の目標である道へと進んでゆく。

 途中、アイの進路上にいた敵が、アイの腰に身体を巻き込まれてすりつぶされ、聞くに()えない断末魔の悲鳴を上げる。

 

 敵から振るわれる武器は全て体表(たいひょう)の土に埋まり、その上からアイが回復のために吸い上げた土が武器をアイの体内へと埋め込んでゆく。ダメージを与えるどころか、武器の回収すらできない。

 

 ボンボンと敵から放たれる魔弾がアイの体表で爆発するが、それもその巨大な質量からすれば大したダメージではなく、すぐにアイが土を吸い上げて修復してしまう。

 

 ……アレは無理だ。雑兵(ぞうひょう)ではどうにもならない。オクタヴィアかブリジット自身が動く必要がある。

 

 驚愕から立ち直ったブリジットが、バサリとコウモリの翼を広げる。

 

「……ご主人様、ここは私が……」

 

「いいや、ボクがやる。オクタヴィアは手を出すな。……今はアイツを思い切り蹴り飛ばしてやりたい気分なんでね……!」

 

 額に青筋を立てて、気炎(きえん)を上げるブリジット。彼女の視線は……

 

 

 

 

 ――なぜか、超巨大化したアイの豊かなバストへと(そそ)がれていた

 

 

 

 

「……」

 

 そのことに気づいたオクタヴィアは、何も言わずに目を伏せて下がる。

 

 ――直後、ブリジットの姿が()き消えた

 

 ドオンッ!!

 

 腹に響く重々しい衝突音。その発生源は、上空――アイの……左胸。

 

「はああっ!!」

 

 1回、2回、3回、4回……ブリジットはコマのように回転しながら、次々と連続で回し蹴りをアイへ叩き込んでゆく。

 いくら巨大化したアイの頑丈さがデタラメでも、リリィ以上の速度と威力で放たれる旋風脚に耐えられるほど頑強ではない。

 

 一瞬の間に何度も何度も……執拗(しつよう)に執拗に打ち込まれた()()()()()容易(たやす)くアイのちょっとした丘程度はある大質量の左胸を破壊し、バランスを大きく(くず)されたアイは背後へと倒れ込んだ。

 下敷(したじ)きになった部下の断末魔が響くが、ブリジットもオクタヴィアもそんなことは毛の先ほども気にしていない。

 

 アイがグッと背を起こしながら、竜族のように大きな目でブリジットを(にら)みつける。

 その時にはアイの左胸は既に再生を始めており、徐々にその美しい形が(よみがえ)り始めていた。

 

 その様子を見て、ブリジットの眼が吊り上がり、どんどん険しくなってゆく。

 

(うらやましくない……うらやましくないったら、ないんだ! あんな、土でできた作り物の胸なんて……!)

 

 同じ精霊でも、無意識に水で自らの衣を形作る水精とは異なり、土精アースマンは土で己の衣服を(つく)るようなことはない。

 土の操作に()けたアイは創ろうと思えば創れるが、恩人の命にかかわる戦いの最中(さなか)であるが故に、そこまで気が回らなかった。

 

 そして巨大な身体を新たに構築したが故に、その豊満な胸は、リウラの前で彼女が誕生した時と同じように、何物(なにもの)にも(おお)われず、さらけ出されたままであった……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ブリジットは魔王の幼馴染……つまり、()()()()()()()()()()()リリィと同じような年齢(10歳くらい)の容姿でありながら、彼女は立派(りっぱ)に成人してしまっているのだ。

 

 誕生したばかりで、さらには睡魔族ならではのナイスバディ(輝かしい未来)が約束されているリリィとは違い、彼女にそんなものなど無い。現実は非情である。

 

 再生するアイの胸を(にら)みつけながら、ブリジットが心中(しんちゅう)で血の涙を流していると、ふと感じた殺気に反射的に体が動く。

 

 ブリジットの頬をかすめるように、濃密な電撃の魔力を(まと)った矢が通り()ぎた。見れば、アイの右肩に穴が開いており、そこから身を乗り出したリューナが弓を構えている。

 

「……ああ、もう! イライラする!!」

 

 苛立っていたところに、さらにちょっかいを出されてブリジットが癇癪(かんしゃく)をおこす。

 

 ブリジットは自らに向かって降り(そそ)(いかずち)の矢の雨も、巨人の(こぶし)()(かい)さず、その怒りのままに襲いかかった。

 

 

***

 

 

 ――アイの体内

 

 グイッ!

 

 リューナがアイの援護に向かったのを見送った後、突如(とつじょ)としてリリィが血にまみれたキャミソールドレスを脱ぎはじめる。

 

 唖然(あぜん)として見ているリウラとヴィアの視線を無視して、下着まで脱いですっぽんぽんになると、リリィは水球を召喚して自らを包み込む。

 

 潜水魔術の応用で水球の中に“流れ”を生み出し、洗濯機のようにリリィにかかっていた血が洗い流され、水球が赤黒く(にご)ってゆく。スッとリリィが右腕を横に動かすと、水球がリリィを残して横に移動し、その後フッとどこかへと転移する。

 水滴ひとつ残っていないリリィの身体は、シミひとつない美しい姿に戻っていた。

 

 リリィはヴィアに視線を合わせると、言った。

 

「ヴィア、()()()()()()()

 

 ヴィアが緊張する。

 

 リリィが『主として命じる』と宣言したということは、使い魔である自分には決して逆らえない(めい)(くだ)るということ。わざわざ強制しなければならないということは、ヴィアが拒否するであろう命令であるということだ。

 

 だが、それが分かっていてもリリィの使い魔の自分には命令を(さえぎ)ることも拒否することもできず、ただ命令が下るのを待つしかない。

 

 ゴクリと(のど)を鳴らして、次の言葉を待つヴィア。心なしか、リリィの口がゆっくりと動いているように感じられる。はたしてその内容は――

 

 

 

「――脱ぎなさい」

 

 

 

 ……………………………………………………。

 

 

 

(また、このオチかあああぁぁぁぁぁ!!!!)

 

 ヴィアは頭を抱えてしゃがみ込む。

 

 まさかの3度目である。1日に3度立て続けに同性に襲われる者が、この世の中にいったいどれだけいるというのだろうか。

 無情にも、ヴィアの身体は本人の意思を無視して勝手に服を脱ぎはじめ、羞恥で顔を真っ赤にするヴィアは、リリィに向かって必死に涙目で訴える。

 

「いやいやいや待ちなさいよ! アンタが消耗してるのは分かるけど、今ここで精気を取られて私が倒れたら、手が足りなくなって結局、は……、アン、タ、も……」

 

 ヴィアの声が力を失ってゆく。

 足がふらつき、意識がぼやけてゆく。

 

(この……匂いは……)

 

 いつの間にか甘ったるい匂いが、この閉鎖された空間――アイの体内に満ちていた。

 匂いはどんどん濃密になってゆき、まるで視界すべてが桃色になっているかのように感じられる。

 

 ――フェロモン

 

 それがこの匂いの正体だ。

 

 睡魔族(すいまぞく)は他者を性行為に(いざな)うため、強力なフェロモンを放出することができる。

 その効果は強烈――老若男女・種族を問わず効果があり、よほど精神力か魔力が強くなければ抵抗など許さない、(たけ)り狂うような性欲を()いだ相手に植えつける。

 

 睡魔リリィの使い魔たるヴィアには高い魅了耐性があるが、その魅了耐性を与えた張本人から仕掛けられた魅了に(あらが)うことなどできようはずもない。

 ヴィアは同性の……それもまだ成熟していない(おさな)い裸体に、身を焦がすような激しい興奮を覚えた。

 

「ごめんヴィア。言ってることはもっともだけど、説明してる時間がないの。“アイとリューナさんが(ねば)ってくれている間に貴女がイッてくれないと、私達が全滅しちゃう”ってとこだけ理解して」

 

「なんか私すごいこと要求されてる気がする!?」

 

 意識がぼやけながらも、渾身(こんしん)のツッコミを入れるヴィア。

 

 “制限時間以内に同性(子供)にイかされろ”なんて、いったいどんな罰ゲームだろうか? 悪夢にも程がある。なんだか無性(むしょう)想い人(リシアン)が恋しい。

 でも、むりやり興奮させられた自身の視線は、リリィの胸と股間(こかん)から離れてくれず、だんだん死にたい気分になってくるヴィアだった。

 

「大丈夫。強制的に興奮させるし、快楽も私がコントロールするから。ヴィアは天井のシミの数でも数えといて」

 

「それがイヤだっつってんのよぉぉおおおおお!!」

 

 その言葉を最後に、ヴィアは再び(性的に)食われた。

 

 

 

 

 

 

「おおぉ~~……!」

 

 唐突におっぱじめられた妹の痴態(ちたい)……それも同性相手。だが、リウラはそれに驚くことはあっても、引くことはなかった。

 

 それどころか彼女は初めて目にした、他人の色事(いろごと)に興味津々。

 頬を赤く染めつつも、彼女の視線は(から)みあう肌色の(かたまり)から()れることはない。むしろガン見である。

 

 居住(いず)まいを(ただ)し、正座してこの興味深い行為を熱心に……それはもう熱心に見学している。

 先程まで自身の罪悪感について真剣に悩んでいたことなど、あっという間に吹き飛んでしまう衝撃的かつ興味深い光景に、リウラはすっかりいつもの調子を取り戻していた。

 

 リューナからもらった、精神安定の効果があるらしい薬草をムグムグと噛みつつ、18歳未満お断りなシーンを観賞していると……ややあって、リウラはもじもじと(ひざ)(こす)り合わせるような動きを見せる。

 

(うう……見てたらなんか、アソコがムズムズしてきちゃった……)

 

 今度は扉越(とびらご)しではない(なま)のヴィアの嬌声(きょうせい)をBGMに、リウラのことを気にする様子もなく全力全開で肌を擦り合わせる2人(ヴィアは気にする余裕がないだけ)の姿を見ているのだから、リウラが興奮するのも当然……と、リウラ自身は考えている。

 

 

 

 ――リウラは、()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 正確には、()()()()()()()()()()()()が異常だということを知らない。

 

 この密閉空間には、リリィという強力な睡魔が放つフェロモンが満ちている。

 ということは、当然リウラもそのフェロモンを嗅いでおり、猛烈な性衝動に襲われるはずである。

 

 それは今リウラが感じている程度のものでは断じてない。

 傍観(ぼうかん)することはおろか、相手のことを気遣(きづか)うこともできず、(けもの)(ごと)く本能のままにリリィに襲いかかってしかるべきもの。

 

 

 ――つまり、彼女にはリリィのフェロモンがほとんど効いていないのだ

 

 

 一般的な睡魔を遥かに超える魔力を持つリリィのフェロモンは、リウラ程度の魔力の持ち主では、よほど精神力が強くない限り抵抗できるものではなく、今リウラが噛み続けている薬草程度で防げるものでもない。

 特に意識しない状態でそれに抵抗できるなど、さらに有り得ない。

 

 そんな自分の異常性もつゆ知らず、リウラは興奮に息を荒らげながらもリリィの邪魔をしないように彼女達の(そば)(ひか)え、ただひたすら妹の濡れ場を(うる)んだ切なげな瞳で見つめ続けた。

 

(わ、私も混ざりたい~~~~~!! って、うわっ!?)

 

 アイが攻撃を受けたのか、部屋が大きく震え、斜めに傾く。

 

 ――リリィとヴィアが全裸で絡まり合ったまま、リウラの目の前をゴロンゴロンと転がって行った

 

 

***

 

 

(ッ……強い……!!)

 

 泥で衝撃を吸収し、打撃はおろか斬撃すら防ぐアイの自慢の身体は、目の前の小柄な魔族少女によってボロボロにされていた。

 

 右腕がもげ、腹と頭部に穴が開き、片目を潰された。

 胸など、とうに両方とも完膚(かんぷ)なきまでに破壊されている。

 

 常に土を吸い上げて身体を再生しているにもかかわらず、ブリジットが与えるダメージに再生がまるで追いつかない。肩に乗っているリューナは何とか死守しているものの、このまま身体を削られ続ければ、リューナだけでなくアイの体内にいるリウラ達が攻撃されてしまう。

 

 リウラは明らかに様子がおかしくなっており、とても戦闘できる状態ではないとアイは認識している。

 ここでアイが倒れれば、リウラが殺されてしまう。それだけは絶対に許容できない。彼女はアイの恩人だ。ここで彼女を殺されるわけにはいかない。

 

 ――だが、どうすれば良い?

 

 ブリジットの戦いは恐ろしく速く、そして(うま)かった。

 

 リューナが矢や魔術で援護してくれているにもかかわらず、アイの拳も石弾もかすりもしない。その上、身を隠す(すべ)()けていて、気がつけば姿を見失っていることなど当たり前のように起こった。

 リューナの援護がなければ、とっくに身体を破壊されつくしていただろう。

 

 アイがブリジットと戦うためには、まず攻撃を命中させられるようにならなければならない。だが、どうすれば当たるようになるのか? 

 

(……ううん、待って……()()()()()()()()()()()()()?)

 

 ブリジット達相手には勝てない――それはブリジットの居城(きょじょう)に潜入する前から分かっていたことであり、だからこそヴィア達は最初から逃げの一手を選び続けていた。

 今だって、次の転移門(てんいもん)へ移動する途中に敵がいるから、しかたなく倒していただけにすぎない。

 

 

 ――しかし、本当にブリジットを退(しりぞ)けなければ、次の転移門へたどり着けないだろうか? ……()()()()()

 

 

 ハッと気づいたアイは、今までで最大の速度で目的の転移門がある“道”へと突進する。

 

 その間に立ち(ふさ)がるブリジットは、すぐさま再生途中のアイの胸へと蹴りを放つ。

 ドオンッ! と凄まじい音を立てて、アイの上体(じょうたい)が後ろに()れるが……

 

 ――踏ん張る

 

 アイの腰の位置は()()っていない。リウラ達を(かくま)っている箇所――胸の中心が大きく(えぐ)れ、ヒヤリとしたものの、それ以外に影響はない。

 

 アイは何とか再生が間に合った右腕と、無事だった左腕をクロスさせて胸を(かば)いながら、再び突進する。

 

 同じような行動を2回続けて取ったことで、ブリジットが(わず)かに(いぶか)()な表情になるが、再びブリジットはアイに認識できないスピードで蹴撃を放つ。

 

 今度は腹。腰の位置がわずかに後ろにずれるが、それもグッと地面を腰の泥でつかみ、可能な限り後ろへ下がることを(まぬが)れる。

 

 ジリジリ……ジリジリと少しずつではあるが、転移門が近づいてくる。

 

 3回目の突進で、ようやくブリジットがアイの狙いに気づいた。

 

 そう、巨人族と見紛(みまご)う今のアイの姿ならば、その巨大な質量と重量、そして再生能力を利用して、無理やり前に進むことができるのだ。

 

 ブリジットの攻撃力は確かに高い。しかし、今のアイの身体(大質量の土の塊)を丸ごと吹き飛ばせるほどではないし、再生能力を無視してすぐさま滅ぼせるほどでもない。

 ならば、ブリジットを攻撃する余力を全て防御に回して転移門へと突進すれば、ブリジットにはそれを妨害する手段が存在しないのだ。

 

 もちろん、アイの再生能力を上回る攻撃力は持っているので、アイが耐えきれずに潰される可能性はあるが、転移門まで持ちさえすれば、あとはリリィ達が何とかしてくれるとアイは信じていた。

 

 そうはさせじ、とアイの腹に連続で蹴りを放ち、ブリジットはアイを後ろへ下がらせようとする。

 アイの位置が耐えきれずに、ほんの少しだけ後退する……が、雨のように上から降り(そそ)ぐリューナの矢がブリジットの攻撃を中断させた。

 

 “アイを転移門から引き離す”という目的がある以上、ブリジットはアイの前面からしか攻撃をしてこない。あまりのスピードに、前後左右上下どこから攻撃してくるのか分からなかった先の戦闘では、ブリジットに狙いをつけることすら難しかったが、“前からしか攻撃がこない”と分かっているのならば、いくらかやりようはある。

 リューナの援護を受けることで、再びアイの前進が始まる。

 

 そして、前進とわずかな後退を繰り返し、アイがいくらか転移門までの距離を縮めたところで――気づいた。

 

(……まずい。身体がもたない……!!)

 

 とうとうアイの身体に限界が訪れた。

 

 腹にも頭にも大きな穴が開き、腕は両方とも肩からもげ、首も取れかけている。胸ももう少しでリウラ達のいる空間まで届いてしまうところまで削られてしまった。

 次か、その次の突進でアイの身体は行動不能になる。

 

 そして、リューナも限界が来ていた。

 

 魔力が限界に来ているのか、矢に魔力がほとんど乗っておらず、今や避けるそぶりすら見せないブリジットの体表(たいひょう)に弾かれている。魔術による援護もなくなった。

 そのことから“脅威ではない”と認識されているのか、リューナへの攻撃もないが、もし攻撃されればリューナは一巻の終わりである。

 

(どうすれば……! どうすれば……!! …………え!?)

 

 アイが目を大きく見開いた。

 

 

***

 

 

「ん?」

 

 ブリジットが(まゆ)をひそめる。

 

 馬鹿の(ひと)つ覚えのように、ガードを固めて突進を繰り返していたアイの動きがピタリと止まった。

 今度は何を(たくら)んでいるのか、とブリジットが考えていると、リューナが立っている場所とは逆の肩……アイの左肩に穴が開き、中から幼い少女が現れた。

 

 ――リリィである

 

 アイの体内で衣服を()び出して着替えたのか、彼女の(よそお)いが変わっている。

 そしてそのせいなのか、彼女の雰囲気までもがガラリと変わっていた。

 

 いつもの紺のキャミソールドレスではなく、白いワンピースにパンプスを()いたシンプルな装いは、リリィにわずかに(ただよ)妖艶(ようえん)な雰囲気を打ち消し、見る者に純真無垢(じゅんしんむく)なイメージを与えている。

 ツインテールに結っていた髪は下ろされ、リリィの快活なイメージを大人しいイメージに塗り変えていた。

 

 トドメは、その態度と表情。

 両手を胸の前で祈るように組み、心もち上目づかいに瞳を(うる)ませるその様子は、どこかの物語に登場するお姫様のようで、庇護欲(ひごよく)をそそられずにはいられない。

 

 そして、彼女は右目からポロリと一筋(ひとすじ)の涙を流して懇願(こんがん)した。

 

「お願い、みんな! ……私を……私を助けて!!」

 

 リリィの意味不明な行動に、「はぁ?」とブリジットが思わず口にしたその瞬間、

 

 

 

 ――リリィの瞳が、ぼぅと紅く輝いた

 

 

 

 ブリジットの身体にリリィの魔力が当たり、そして弾かれた感触があった。

 何をしようとしたのかはわからないが、失敗したようだと判断したブリジットが、リリィに狙いを定めて攻撃態勢をとったその直後、

 

 

「「「「「「ウオオオオオオオォォオオオオオオ!!!!!」」」」」」

 

「「「「「「キャァァアアアアアアアアアアアア!!!!!」」」」」」

 

 

 怒号(どごう)のような凄まじい()()が響く。

 

 そして、ブリジットの配下達――そのほぼ全員が同時にグルリと首をブリジットとオクタヴィアへ向け、すさまじい雄叫(おたけ)びとともに()()()()()()()()()()

 

「………………はぁぁああああっ!!?」

 

「……!!」

 

 ブリジットが(あご)を落とし、オクタヴィアが目を()いて驚愕する。

 

 

 ――魅了魔術 誘惑の微笑(ほほえ)

 

 

 睡魔族(すいまぞく)が得意とする魔術の(ひと)つで、本来は男性に対して妖艶な微笑みとともに使用することで対象を誘惑し、(ねや)へと導く(=精気をいただく)目的で使用される魔術である。

 

 妖艶な微笑みを(ともな)うのは、相手の心に隙を作って魅了に抵抗されにくくするためであり、今回リリィが行ったように、意外性があり、かつ護ってあげたくなる装いで“庇護欲”という心の隙を作っても充分に機能する。

 

 だが“心の隙がなければ、絶対に効かないか?”と言われれば、別にそんなことはない。

 

 ブリジットの配下達で、リリィの装いに心の隙を作ったのはほんの一部だ。自分達の仲間を何十人と殺した相手なのだから、油断できないのは当然である。

 

 にもかかわらず、こうしてほぼ全員がリリィの魅了にかかったのは、(ひとえ)に魔術を使用するリリィの魔力が一般的な睡魔から隔絶(かくぜつ)した強大なものであり、敵の魔術的な抵抗力を魔力(ちから)ずくで突破できたことが理由だ。

 リリィの新たな装いは、少しでも敵を魅了する確率を引き上げるためのダメ押しにすぎない。

 

 これが力ある睡魔の恐ろしさである。彼女達に対していくら数を(そろ)えようとも、質が低ければ、これこの通り。戦力が丸々相手のものとなってしまう。

 今やブリジットの配下で、リリィの魔力に(おか)されていないのは少数の闘気・魔力が高いメンバーだけで、眼をハートマークにした仲間に(かこ)まれて完全に孤立してしまっている。

 

「……ッ!!」

 

 主の手を(わずら)わせないよう、オクタヴィアが対処に動く。

 

 彼女が暴走する部下達の上空へと飛び立ったことを確認すると、リリィはアイの肩から飛び降りた。

 ストンと着地したリリィのワンピースとパンプスが転送魔術で隠れ里跡地(あとち)の蔵へと戻され、その身体をいつもの紺のキャミソールドレスと、同じく紺のフラットシューズ、そして紫のリボンが(おお)う。

 

 この衣服はリリィの魔力で(つく)られているため、いつでもこのように出現させることができる。

 そして、“リリィの魔力で創られている”ということは、“リリィの魔力が成長すればするほどこのドレスに込められている魔力の質も上がる”ということであり……現在のリリィの魔力であれば、へたな防具――つまり先程のリウラが選んだワンピースよりもよほど防御力が高い。

 

 リリィは手のひらに創りだした髪紐(かみひも)で、自分の髪を再びツインテールに結い上げると、上空にいるブリジットを見上げながら武器を()びだす。

 

 リリィの手に出現したのは、初心者に(やさ)しい長柄武器(ながえぶき)ではない。

 

 

 

 ――彼女の両の手に握られていたのは……二振(ふたふ)りの短剣(ダガー)であった

 

 

***

 

 

 オクタヴィアは、魅了された部下達に対して即座に電撃を放った。

 

 魅了というのは一種の混乱状態であり、痛みやショックを与えることで正気に戻ることが多々あるからだ。

 とはいえ、魅了をかけたのが強大な魔力を持つリリィであるため、ちょっとやそっとの刺激では正気に戻すことは難しく、かなりの威力――それこそ“死んでも構わない”というレベルで電撃を放つ必要があった。

 

 その結果、電撃の範囲内で死んだ数と正気に戻った数は、だいたい五分五分(ごぶごぶ)といったところ。また、正気に戻っても、電撃のダメージが大きくて戦闘不能である者も多い……が、それはそれで構わない。

 

 オクタヴィアにとっても彼女の主にとっても、部下に対する認識は“道具”・“駒”・“消耗品”であり、仲間意識は全くない。オクタヴィアにとって大事なのは主だけであり、ブリジットにとっても大事な部下はオクタヴィアだけなのだ。

 

 だから、無駄に魔力を喰う魅了解除の魔術を使うこともないし、電撃で倒れた部下がまともに戦えなくとも、彼らが魅了された別の部下に殺されようとも、特に気にはしない。

 オクタヴィアの電撃で魅了された部下を全滅させるまで、彼らが少しでも時間を稼いでくれればもうけもの……と考えているのである。

 

 次の電撃を放とうとオクタヴィアが精神を集中する……が、横から高速で飛来する複数の魔力を感じ、魔術を中断して回避する。

 

 オクタヴィアの(そば)を通過していったのは、オクタヴィアでもダメージを受ける密度の魔力が込められた()()

 

 オクタヴィアが向けた視線の先……そこにはまるで宙に浮いているかのように、水で(つく)られた透明な床の上に立って、半身(はんみ)に構えを取るリウラの姿があった。

 

 

 

 

 

 

 ――落ち着いている

 

 自分でも驚くほど心が静かだった。

 心が透明に感じられるほど、一切の雑念が湧かず、ただ目の前の強敵を倒すことだけに意識を向けることができている。

 

(……これも、リリィのおかげかな?)

 

 リリィが身体を張って示してくれた、自分よりも小さな体に秘められた覚悟と勇気……そして、愛。それらが、リウラの迷いを全部まとめて押し流してくれたのかもしれない。

 

 そう、リウラは覚悟を決めていた。

 自分もまた、リリィと同じようにその手を血に染める覚悟を。

 

 ふっ、とリウラの頭に、リリィと一緒に食べた魔物の肉の串焼きの記憶が()ぎる。

 

 リウラのような水精は例外として、基本的に生き物は皆、他者の命を喰らうことで自分の命を長らえさせている。

 

 今回のこともそれと同じだ。

 

 リウラとリリィが生きるためにブリジットやオクタヴィア、そして彼女達の部下といった他者の命を奪う。

 ただ、今回は命を奪う対象が、自分と同じ人の姿を持ち、自分と同じように考える知恵を持つ生物だった。自分と同じように、相手にも(ゆず)れない理由があった。

 

 出会い方が違えば、わかりあえたかもしれない。もしかしたら友達になれたかもしれない。それは、とても残念に思う。

 

 だが、もう迷いはしない。リウラはブリジット達の命を喰らって、自らの、友人の、……そして、大切な(家族)の命を(つな)ぐ。

 

(私とリリィと……ヴィアさんとリューナさん……そして、私達に関わるみんなの未来のために……)

 

 リウラは、これから命を奪うことに対しての謝罪と、自分達の未来の(かて)になってもらうことへの感謝を込めて言った。

 

「あなた達の命……いただきます!」

 

 

 ――“串焼き”になるのは、あなた達だ

 

 

***

 

 

 連接剣(れんせつけん)は、刀身が(いく)つもの(やいば)に分解し、(むち)のようにしならせて攻撃する武器ではあるが、きちんと刀身を連結していれば通常の長剣と同じように使用できる。

 その連接剣の()(さき)が、すさまじい勢いでリウラの目の前に迫る。

 

 オクタヴィアが飛翔しながら放つ、その突きのスピードはリリィやブリジット以上。

 昨夜の……リリィの性魔術で強化される前のリウラであれば、反応することはできなかったかもしれない。

 

 オクタヴィアの右手で繰り出される刺突に対し、リウラから見て剣の左側面――外側に、すぅっと右肩から身を(すべ)り込ませる。

 そして、左足を前に出しながら(なめ)らかに両手を持ち上げ、右手をオクタヴィアの手首の横に()え、ひねり、左手を相手の脇の下に添える。

 

 そのまま、それぞれの爪先(つまさき)の向きを後方に向けることで、身体全体の向きを反転。

 相手の飛び込んでくる勢いを利用しながら、右の(かかと)を左の踵に(こす)りつけるように大きく後ろへ引いて、自分を中心に円を描くように、巻き込むように、勢いをつけて相手の身体を振り回し、空中に待機させていた水弾に向かってオクタヴィアの顔面を思いきりぶつけた。

 

 

 ――雫流魔闘術(しずくりゅうまとうじゅつ) 戦槌(せんつい)

 

 

 突進してくる相手の身体を(つち)に、突き出す腕をその(つか)に見立て、相手の身体を振り回して壁や水壁・水弾に衝突させる、水精(みずせい)シズクから伝授された戦技の1つである。

 

 パアンッ!!

 

 リウラの水弾が弾ける――失敗だ。

 

 本来、この技は衝突した水球が相手の顔面に張り付き、そのまま相手の眼や鼻、口から内部へ侵入して内臓を破壊するという、かなりえげつない技だ。

 リウラはそこまでするつもりはなかったものの、窒息(ちっそく)させる気はあったため、“水弾が弾ける”という現象が起こるはずがない。

 

 水弾が弾けた理由――それは、結界。

 

 “魔術結界”と呼ばれる、対魔術用の結界を衝突の寸前に展開されたため、水弾がオクタヴィアの顔面に当たる直前に結界に当たって弾かれてしまったのだ。

 

 “戦闘において魔術戦を(しゅ)とする、後衛向け種族であるはずの水精が体術を使う”という常識外れのカウンター攻撃を、あの一瞬に防ぐ判断力と魔術の展開速度……それだけでオクタヴィアが、どれほどの戦闘経験を積んできたかが分かろうというものだ。

 

 飛行しながら前転を行い、ひねられた右手を無理やり外して、そのまま前へと距離を取るオクタヴィア。

 とっさの判断で水弾を防ぐことはできたが、今まで戦ったことのないタイプであるリウラを警戒している様子だ。

 

 ――だが、それは悪手

 

 近接武器は届かないが、魔術ならば届く“中距離”……それは()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 オクタヴィアがリウラに振り向いたとき、すでに彼女はリウラが()び出した無数の水弾に(かこ)まれていた。

 

 

 

 水精の隠れ里でも屈指(くっし)の水操作技術を持つリウラの水弾は、多種多様。

 

 ――状況に合わせて瞬時に変化する、通常の球型

 ――剣や槍・斧・槌といった殺傷力を高めた武器型

 ――コウモリや魚・バギルといった不規則な動きで敵を翻弄(ほんろう)する動物型

 ――宙を走る鎖型が、オクタヴィアを隙あらば捕らえようと囲うように動き、

 ――さらには10を超えるミニ水蛇(サッちゃん)型が、ひっきりなしに位置を変えながら口からレーザーのようにミニウォーターブレスを放つ。水弾を召喚する要領(ようりょう)でミニ水蛇(サッちゃん)の中の水分は補充されており、そのウォーターブレスは弾切れになる様子がない

 

 

 

 全距離(オールレンジ)攻撃

 

 

 

 前後左右上下から不規則に間断(かんだん)なく放たれる攻撃に対し、“すべての攻撃に対処することは不可能”と判断したオクタヴィアは、魔術結界を展開しなおしながら回避行動に移る。

 

 オクタヴィアの魔術結界ならば、先程のようにリウラの水弾を無傷で弾くことは可能だ。ならば、なぜリウラの攻撃を無視してリウラ本体の攻撃に向かわないのか?

 

 ゴオッ!!

 

 アイがそれを許さないからである。

 いくらオクタヴィアの魔力が高くとも、巨人族並に巨大化したアースマンの拳は無視できるものではない。対物理攻撃用の結界を展開することもできるが、あの大質量の拳を防ぎきれるものではない。

 

 ――リウラの腰のあたりに、輝く魔法陣が現れる

 

「ひょわあっ!?」

 

 すっとんきょうな叫びをあげて慌ててリウラが跳び退(すさ)ると、上空から落ちてきた魔弾が爆発し、リウラの足場を砕く。

 

 オクタヴィアの鋼輝陣(イオ=ルーン)である。

 

 リウラは再び水で足場を張りなおそうとするが、水を()び出した瞬間に、オクタヴィアが同じ要領でそれを破壊する。

 

 空間指定型の爆破魔術である鋼輝陣(イオ=ルーン)は、相手の行動を先読みして魔法陣を設置するという詰将棋(つめしょうぎ)のような戦い方ができる、応用力の高い魔術である。

 こうしてリウラが作ろうとする足場を先読みして破壊することも、リウラが落ちる位置を計算して魔法陣を設置することもできるという訳だ。

 

 足場を張ることができずに自由落下するしかないリウラへと、連結を解除したオクタヴィアの連接剣(れんせつけん)(へび)のようにしなり、迫る。

 

(くっ……それなら!!)

 

 オクタヴィアの剣を回避するように、リウラが横へと()()()

 

「!?」

 

 オクタヴィアがリウラの移動した方向へ目をやると、リウラが足からだらりと力を抜き、()()()()()()()

 

 ――雫流魔闘術(しずくりゅうまとうじゅつ) 水の羽衣(はごろも)

 

 ()び出した水を使って身体を支える足場を作るのではなく、水の(ころも)、あるいは水精の身体そのものを水弾の要領で直接操り、空を飛ぶ技である。

 

 水床のように足で体重を支えている訳ではないため、体術を扱う難易度が上がるデメリットはあるが、これならば足場がなくとも戦闘できる。

 

 意表を突かれたオクタヴィアの動きが一瞬止まり、そこに大岩の(ごと)きアイの拳がオクタヴィアに迫る。

 それを危ういところで回避したオクタヴィアは、ピクリと何かを感じ取りその顔を上へ向ける。

 

 オクタヴィアの直上(ちょくじょう)、その上空――そこではリウラが操っていた全ての水弾が結集し、巨大な水塊となって、まるで隕石のようにオクタヴィアへ向かって勢いよく落下しようとしていた。

 

 オクタヴィアの卓越した飛行技術は、リウラの攻撃のほぼ全てを回避しており、(まれ)に当たったものは全て彼女の魔術結界に弾かれている。このままでは彼女に対してダメージを与えることができない。

 

 ――ならば、どうするか?

 

 リウラが出した答えがこれだった。

 

 巨大な水塊を作って、“点”ではなく“面”での攻撃で逃げ場をなくす。

 繰り出した水塊はリウラの魔力が結集しているため、オクタヴィアの結界を貫通できる可能性も上がる。

 

 仮に貫通できなくとも、この大質量ならば、すぐには弾かれない。少しでも動きを封じることができれば、アイの拳がオクタヴィアにダメージを与えてくれるという寸法(すんぽう)だ。

 

 そして、このリウラの思いつきは、見事にオクタヴィアが“リウラにされたくない行動”そのものだった。

 

 リウラが全力で振り下ろす水塊のスピードは相当なもの。その巨大さから、避けるにはオクタヴィアの速度であっても()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 しかし、それではいくらオクタヴィアの飛翔速度が高かろうと、簡単に狙いを定めることが可能だ。

 

 つまり、そこを狙ってアイの拳が飛んでくる。

 

 逆にその場にとどまって全力で魔術結界を強化して水塊を耐えたとしても、やっぱりその間に物理攻撃(アイの拳)が飛んでくる。

 これを何とかするには、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 よって、オクタヴィアは後方――アイから見て前方へと全力で離脱(りだつ)せざるを()なかった。

 

 アイの巨大な拳がオクタヴィアへと放たれる。しかし、アイの拳よりもオクタヴィアの飛翔の方が早いため、絶対に届くことはない。

 

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 ドンッ!!

 

「!!?」

 

 アイの拳が文字通り()()()

 

 そう、アイは土精(つちせい)アースマン。その身体は、ただの土塊(つちくれ)。ならば、切り離すことも、操作することも可能である。

 

 (ひじ)あたりから切り離されたアイの腕は、単に拳を放つ以上のスピードでオクタヴィアに迫る。

 

 岩弾操作の要領で正確にオクタヴィアを追尾したアイの右手は、途中で形状を(グー)から平手(パー)へと変え、空中でオクタヴィアを捕らえると、そのままの勢いで壁面へと押さえつけた。

 

 ズウンッ!!

 

「ぐぅっ!?」

 

 自分の右手を追いかけたアイが、切り離された腕を再接続しつつ、全体重をかけてオクタヴィアを壁へ押し付け、彼女を押さえ込む。

 通常ならば圧殺(あっさつ)されてしかるべきだが、高い魔力を持つオクタヴィアの身体はそれにも耐える。しかし、腕から抜け出すことは(かな)わない。

 

 アイの腕に魔法陣が現れる。鋼輝陣(イオ=ルーン)で腕を破壊して逃げるつもりだ。

 

「はあああああぁぁぁああああっ!!」

 

 そうはさせじ、とサイドテールをなびかせたリウラが、再び巨大な水塊を(ともな)って現れる。

 

 今度の水塊は綺麗に形が整っているどころか、水塊の下が平面になっており、その面にはびっしりとバギルの牙のように大きく鋭い(とげ)がびっしり均等に並んでいる。

 

 全力で魔術結界を展開すれば防げるが、それでは逃げられず、ただリウラの魔術を防ぎ続けるしかなくなる。それではジリ(ひん)だ。

 かといって、このまま鋼輝陣(イオ=ルーン)を放てば、結界を破られ、脱出する前に大ダメージを受けてしまう。

 

 ゴオオオオオォォオオオオッ!!

 

 そこへさらに、すさまじい魔力をたった1本の矢に込めて弓を構えるリューナが追い打ちをかける。

 

 リウラ達が戦っている間に魔力回復薬を飲み終えた彼女の矢は、大きな鳥型の稲妻を(まと)って、大きく翼をはためかせる。放たれれば、(いかずち)の魔鳥はオクタヴィアの(のど)(くちばし)を突き立て、その身を雷光で焼き尽くすだろう。

 

 例えアイの腕を破壊したとしても、その瞬間に刺さる。

 例え魔術結界でリウラの水塊を防いだとしても、その上から結界を貫通して刺さる。

 ――オクタヴィアに逃げ場はない。

 

 

 チェックメイト。

 

 

 水精、土精、そしてエルフ――たった3人の無名の戦士が、今まさに高名な魔族を討ち取らんとしていた。

 

 

***

 

 

 スゥー、とブリジットが地上へ降りる。

 

 忌々(いまいま)しげにリリィを見るブリジット。

 それに対し、一切の油断なくブリジットの眼を見続けるリリィ。対峙(たいじ)する2人を邪魔する者はなく、2人はジッと相手を見つめ続ける。

 

 ――気に入らない

 

 ――何もかも、本当に気に入らない

 

 (おさな)き魔族姫は苛立(いらだ)ちを(つの)らせる。

 

 ――魔王(アイツ)が人間族なんかにやられたことも、魔王(アイツ)封印(あんなとこ)から出してやれないことも……こんな貧相な小娘に良いように引っかきまわされることも、みんなみんな気に入らない!!

 

 思い通りにならない現実が……そしてその元凶の1人であるリリィが。

 

 ブリジットは苛立ちのままに、衝動的に口を開く。

 

「どうし――」

 

 ――気づいたときには、リリィの右の短剣(ダガー)が己の首を斬り飛ばさんと迫っていた

 

(!!?)

 

 必死に首を()らし、短剣(ダガー)の軌道から退避する。直後、リリィの左足が跳ね上がり、ブリジットの鳩尾(みぞおち)を打ち抜いた。

 

「ガッ!」

 

 後ろへと勢いよく吹き飛ばされたブリジットは、翼を広げてブレーキをかける。前方のリリィに意識を戻すが、

 

 ――そこには誰もいない

 

 ゾクリと背筋を走る悪寒(おかん)が、ブリジットをさらに後ろへと跳ばせる。

 

 魔力を感じるよりも先に身体を動かすことができたのは、ブリジットの経験の賜物(たまもの)

 ブリジットが跳ねた直後、先程までブリジットがいた空間を、上空から急降下してきたリリィが両の短剣(ダガー)唐竹割(からたけわり)に切り裂いた。

 

 “戦闘の主導権を取り返さなければならない”――そう理解したブリジットは舌打ちしながら反撃を開始する。

 

 お返しとばかりに半身(はんみ)になったリリィの腹を狙うよう、回し蹴りを放つ。

 リリィはそれを無視して強引に前へと突っ込んだ。リリィの胴にブリジットの足が接触するが、蹴りの支点となる足の付け根である為ほとんどダメージが入らず、逆に体勢を(くず)したブリジットの左眼を狙って右の短剣(ダガー)が突きこまれようとする。

 

「くっ!」

 

 翼を動かし、強引に回転するように飛行することで、(から)くもリリィの短剣(ダガー)を回避する。

 

 ――その瞬間、軸足(じくあし)をグイと何かに引っ張られた

 

(!?)

 

 視野の(はし)で、リリィの尾がブリジットの軸足の(ひざ)へ伸びているのが見えた。

 

 バランスを完全に崩して仰向(あおむ)けに倒れこもうとするブリジットへ、くるりと(てのひら)逆手(さかて)に握り直した左の短剣(ダガー)を振り下ろすリリィ。

 

 ギィンッ!

 

 リリィの刺突が、とっさに張ったブリジットの対物理攻撃用の結界――防護結界に弾かれる。

 その隙に、ブリジットは何とか間合(まあ)いを離すことに成功した。

 

「なんでだよ……」

 

 ブリジットは動揺に声を震わせて言う。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()オマエ……!!」

 

 ()()()()()()赤子(あかご)()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 ――“天と地ほどに離れていたはずの戦闘技術や経験が、ほんの1時間も()たないうちに埋められてしまった”という信じられない事実に、ブリジットは混乱するのであった。

 

 

 

 



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第三章 リューナを救え! 後編

 原作におけるブリジットとオクタヴィアの使い魔契約は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 その特性の(ひと)つ、それは――

 

 ――(ブリジット)が死ねば、使い魔(オクタヴィア)も生きてはいられない

 

 (よう)は、ブリジットさえ倒すことができれば、そこで勝利が確定するのである。リリィはそこに目をつけた。

 彼女の立てた作戦はこうだ。

 

 まず、ブリジットとオクタヴィア以外の雑兵(ぞうひょう)を、リリィの魅了で無力化する。

 全員とはいかないだろうが、リリィの魔力ならば彼らの大半を寝返らせることができる。こうすれば同士討ちをさせて、彼らを無力化することができる。

 

 次に、オクタヴィアをリリィ以外の全員で抑え込む。

 オクタヴィアの戦闘力は非常に高い。リリィの見立てでは、リウラ・ヴィア・リューナ・アイの4人がかりでも倒すことは難しい。

 

 なので、人数差を()かして、とにかく手数を増やしてオクタヴィアにまともな攻撃・反撃をさせないよう、リリィはリウラとヴィアにお願いし、リウラはそれをアイとリューナに伝えた。

 特に、オクタヴィアに大魔術を撃たせないことが重要で、彼女に充分に魔力を()る時間を与えてしまえば、それだけでアイが脱落する。

 

 彼女は土精(つちせい)アースマン――その弱点は、実はゴーレムと全く同じ。魔術に……特に電撃に弱い。

 巨大化した今の彼女なら、雑魚(ざこ)が放つ魔弾程度なら(たい)したダメージにならない。しかし、オクタヴィアクラスの実力者であれば、一定の時間をかけて魔力を練ることで、容易に彼女の巨大な身体を破壊する程度の魔術は放ててしまうのだ。

 

 最後に、リリィがブリジットを倒す。

 単純な身体能力や魔力といったスペックならば、リリィはブリジットに劣っていない。唯一ブリジットを倒せる可能性があるのは、彼女だけだ。

 しかし、彼女には決定的に“戦闘技術”と“実戦経験”が足りていない。

 

 

 ――では、どうするか?

 

 

 アイの左肩の穴から顔を出し、回復薬を握りしめながらリリィの戦いを見ていたヴィアは、驚きと……理不尽さ大爆発なリリィの魔術への怒りを込めて言った。

 

「あの子……()()()()()()()()()()()()!?」

 

 二刀(にとう)を振るうリリィの流れるような美しい動き、それはヴィアの動きと瓜二(うりふた)つ。

 それもそのはず、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 性魔術の本質は精神戦。快楽で相手の心に隙を生み出し、弱ったところ、ひるんだところで相手の精神を支配する。

 

 支配された精神は、支配した側の思うがまま……相手が持つ記憶や知識・経験を引き出し、己のものとすることだってできる。

 リリィが自分の中の魔王の魂から知識・経験を引き出すことと同様の事象であり、“精神を支配する過程で性魔術を必要とすること”だけが違いだ。

 

 ――その効果は劇的

 

 魔王の魂から飛翔経験をもらった“このリリィ”と違い、生まれて一度も自身の翼で飛んだことのない“原作のリリィ”は空を飛ぶことなどできなかった。

 しかし、性魔術で鳥人(ハルピュア)から飛翔経験を奪った途端、原作の彼女は自由自在に飛べるようになったのだ。……訓練・勉強・努力といった単語を馬鹿にするかのような、デタラメな魔術である。

 

 ヴィアが懸命に(みが)いてきた戦闘技術や、積んできた実戦経験は、けっしてブリジットに劣るものではない。

 その技術・経験と、リリィの魔力が組み合わされば、ブリジットに勝てる可能性は充分にある。

 

 とはいえ、自分とは身長も体格も、種族的な特徴も異なる相手の経験をそのまま己のものとするには、本来それ相応の練習期間が必要になる。

 にもかかわらず、リリィはこうして盗んだ経験を即座に己のものとして戦っている。

 

 それを可能にしているのは、魔王より与えられたリリィの天賦(てんぷ)の……いや、魔賦(まふ)の才。

 ヴィアなど足元にも及ばぬその才は、今、ブリジットを圧倒し、この絶望的な状況を切り抜ける切り札として機能する――!

 

 ブリジットの間合いに滑り込んだリリィに対し、彼女は足刀(そくとう)を放つ。

 

 前転して蹴り足の下を()(くぐ)ったリリィが、蹴り足の付け根を裂こうと、クロスした両腕を振るう。

 まるでハサミのように左右の下段から迫る(やいば)を、跳ね上がったブリジットの軸足(じくあし)が防いだ。

 

 ギャギィッ!!

 

 ブリジットの膝上(ひざうえ)10cm程から、つま先までをすっぽりと足を(おお)うその長靴(ブーツ)は、ブリジットの防具であり武器だ。

 

 “暗黒の水晶”と合成した特殊な金属で編まれたその靴は、単に刃を通さないだけの代物(しろもの)ではなく、ブリジットの強靭(きょうじん)な脚力で叩きつけた瞬間、闇の魔力が相手の皮膚から浸透し、敵の身体を(むしば)むようになっている。

 

 闇属性に耐性を持つ魔族であるリリィには効果が薄いが、並の相手ならば、かすっただけでもダメージを受けるだろう。

 

 片足を宙に、もう片足をリリィの双剣(そうけん)(はさ)まれる形になったブリジットは、翼で身体を宙に浮かせることで体勢を整えつつ、すぐさまリリィの顔の前に手をかざし、至近距離から魔弾を放つ。

 

 それを読んでいたのか、リリィは双剣で挟み込んだブリジットの脚を放すと頭を下げ、地面を()うように体勢を低くして前方へと跳ぶことで魔弾を避ける。

 

 片手をバン! と地面に叩きつけて跳び上がり、くるくると体操選手のように回転し、ひねりを入れることでブリジットへと向き直るように着地した瞬間、いつの間にか接近していたブリジットがリリィの左のこめかみを爪先(つまさき)で狙うように回し蹴りを放つ。

 

 それを1歩下がって回避。目の前を通過した足首を追いかけるように左の短剣(ダガー)で斜め下に払うことで蹴りの軌道を乱し、次の回し蹴りへ繋げられないよう妨害する。

 

 ――途端、リリィに弾かれた勢いを利用し、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 自分の薄い胸に叩きつけるように膝を勢い良く引きつけることで、ブリジットの丹田(たんでん)を中心に放たれていた蹴りが、胸を中心とした軌道に変化する。

 一瞬にして逆上(さかあ)がりするようにぐるっと一周して、再び伸ばされたブリジットの脚が袈裟懸(けさが)けに振り下ろされた――変則的(へんそくてき)宙返り蹴り(オーバーヘッドキック)だ。

 

 リリィの弾いた力、脚を引き上げた力に加えて、飛翔する力をも加えることで蹴撃を加速したためか、その蹴りは信じられないほどに早い。

 

 予想外の軌道から襲いかかる蹴りに、リリィの対応がわずかに遅れる。

 ブリジットの蹴りは一撃一撃がとんでもなく重いため、リリィの腕力ではまともに受け止めたら確実にバランスを(くず)すか、武器を叩き落されてしまう。今回のように全身を使った大技であれば尚更(なおさら)だ。

 

 正確にリリィの頭部を狙った一撃を前に、リリィはヴィアから複写(コピー)した戦闘経験から、現在の状況に対応できる手段を模索(もさく)する。

 

 ――前後左右いずれかに避ける……今からでは、ブリジットの蹴りのスピードが速すぎて間に合わない

 

 ――あえて蹴りを受け止め、後ろへ跳んで威力を殺す……袈裟懸けに叩きつける軌道だから、衝撃の方向(ベクトル)も当然、斜め下。後ろに跳んでも、威力を殺せない

 

 ――闘気弾……いや、魔弾で相殺(そうさい)……無理。今から集中を始めた程度の魔弾では、ブリジットの蹴りの威力を()ぐことはできない

 

 ……しかし、その中にブリジットに戦闘の主導権を奪われずに済む方法は見つからなかった。

 

(それなら……!)

 

 ヒュンッ!

 

 リリィの身体が真下へと沈み、上から斜め下に振り下ろされるブリジットの蹴りを回避する。

 

 リリィは攻撃を受ける直前に膝の力を完全に抜き、“超ねこぱんち”の要領(ようりょう)で己の両肩を魔力で下に弾くことで、瞬時にノーモーションで上半身を下へ移動させたのである。

 ヴィアの経験とリリィ自身の経験が融合することで成した、見事な回避であった。

 

 しかし、敵もさるもの。

 避けられることを見越(みこ)していたのか、いつの間にか振り下ろされる足先に魔力が集中しており、そこから地面に向かって“足で魔術を放つ”という離れ技を見せた。

 

 ――暗黒魔術 闇界衝撃(あんかいしょうげき)

 

 闇属性の衝撃波を(つく)り出す魔術。

 衝撃波でリリィと自分を弾き飛ばし、大技を回避された隙を埋めようとする意図で放たれたものだ。

 

 衝撃波に逆らわずに後方へ飛翔し、威力を殺しながら、体勢を立て直しつつリリィとの距離を離すブリジットへ、突如(とつじょ)、上空から雨あられと魔弾が降り注ぐ。

 

 次々と蹴りを放って魔弾を弾きつつ、魔弾が飛んできた方向を見やると、そこには背面跳びのような姿勢で、短剣(ダガー)を握った右手の人差指を立て、まるで銃を構えるようにブリジットへと向けるリリィの姿があった。

 

 リリィは衝撃波が炸裂する瞬間に上空へと飛翔して衝撃波の威力を殺しつつ、かつ翼を広げた背にわざと衝撃波を受けることによって、瞬時にブリジットの視界の外に移動し、そこから攻撃を放ったのだ。

 

 リリィがブリジットへ向かって急降下する。

 それを迎え撃たんとブリジットが地面を蹴って飛び立つ。

 

 リリィの(あご)を狙うブリジットの右の蹴り、それを(かろ)うじて左の短剣(ダガー)で外に払って受け流すも、あまりの威力に受け流しきれず、短剣(ダガー)がリリィの手から弾かれる。

 

 その隙にリリィは右の短剣(ダガー)を振り下ろすが、二の腕から手の先までをすっぽりと(おお)う、長靴と同じ素材でできた防具を(まと)うブリジットの左腕に(はば)まれる――その瞬間、

 

 

 

 ――リリィは右の短剣を自ら手放した(無手になった)

 

 

 

 驚愕(きょうがく)に眼を見開くブリジットの前で、短剣(ダガー)を手放したリリィの右手が握られ、拳を形作ってゆく。

 それと同時に拳に魔力が集中し、腰がひねられ、右足が前へ進もうとしている――間違いなく拳撃(追い突き)の前動作。

 

 意表を突かれたブリジットは、この拳打が避けられないことを悟ると同時に、ギリギリ防護結界の展開が間に合うことも理解した。

 ブリジットは落ち着いて結界を展開しようとした、その時――

 

 

 ――リリィの(まと)う魔力が変化した

 

 

 悪魔のように黒く、地獄のように熱く、天使のように純粋で、愛のように甘い……その独特な魔力は、ブリジットの想い人と全くの同質。

 人間族によって地下深くに(とら)われた幼馴染を連想させずにはいられないその魔力に、ブリジットの思考が、動きが、一瞬完全に停止した。

 

 魔王の魂に接続し、自身の魔力を魔王のものと同質化させたことによって作りだした一瞬の隙に、リリィは充分に体幹(たいかん)のひねりを乗せた右拳を、無防備なブリジットの鳩尾(みぞおち)へと()じりこむ。

 拳がブリジットに埋め込まれた瞬間、リリィの背中に集中していた魔力が弾かれ、リリィの()沿()って、突き出した拳と全く同じ方向へとリリィの身体を弾き飛ばした。

 

 

 ズドンッ!!

 

 

「グハッ!!」

 

 血反吐(ちへど)を吐きながら吹き飛ばされたブリジットが地面へと叩きつけられ、小さなクレーターを作った。

 

 ――体術 ねこぱんち・改

 

 本来、護身技(ごしんわざ)である“ねこぱんち”を、戦闘用に改良したものだ。

 

 拳が命中する(のインパクトの)瞬間に、自分の身体を拳と同じ方向に弾くことで攻撃力を上乗せするという技で、原理は“超ねこぱんち”と全く同じ。

 

 しかし、ただ単に全力で自分を弾き飛ばせばいい“超ねこぱんち”と比べ、的確なタイミングで発動させる必要があるこの技は、近接戦闘の技術を要する分、難易度は遥かに高い。

 自身も“ねこぱんち・改”を放てるヴィアの戦闘経験を複写(コピー)していなければ、いかなリリィとて繰り出すことは(かな)わなかっただろう。

 

 短剣(ダガー)在庫(ストック)が切れたリリィは、長剣を()び出して右手に握りしめ、ブリジットにトドメを刺さんと急降下する。

 クレーターに大の字に横たわるブリジットは、受けたダメージの深さから()ぐには身動きがとれない。

 

 

 ――リリィにとって、最初で最後の絶好の勝機(チャンス)

 

 ――ブリジットにとって、絶体絶命・最大の危機

 

 

 ()(さき)をブリジットの首に向けて、剣を水平に構えつつ迫るリリィを(にら)みつけながら、ブリジットは叫んだ。

 

 

 

 

()()()()!! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!!!」

 

 

 

 

「なっ!?」

 

 リリィが驚きに眼を見開く。

 

 それは、ブリジットが最も信頼する相棒の名前。

 その名が呼ばれた瞬間、()()()()()()(とら)()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

(くっ! ……間に合ええええぇぇぇえええええっ!!!)

 

 ブリジットが何をしようとしているのか理解したリリィが、一刻(いっこく)も早くブリジットの首へ剣を突き立てんと翼を羽ばたかせる。

 

 

 

 

 ――首の手前で、ピタリと(やいば)が止まった

 

 

 

 

***

 

 

 (やいば)の数ミリ先に首がある。

 

 

 ――ブリジットの……そして()()()()()()

 

 

 リリィの剣がブリジットへとたどり着く直前に、オクタヴィアがリリィの首へ剣を突きつけたのである。

 

 

 原作におけるブリジットとオクタヴィアの使い魔契約は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ――つまり、その特性として、使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 “致命傷”という条件は、あくまでも“使い魔を死なせないための緊急措置”……()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 使い魔に対する絶対命令権を持つ主が命じれば、意図的に主の体内に戻すことも可能なのだ。

 

 ブリジットはこの使い魔契約を利用してオクタヴィアを自分の体内に()び戻し、即座に再召喚することで、オクタヴィアに自分を護らせたのである。

 

 しかし、タイミング的にギリギリであったため、いかに優秀なオクタヴィアといえど、リリィの首に剣を突きつけるのが精一杯であった。

 

 オクタヴィアがリリィの首を()ねようと動けば、リリィは躊躇(ちゅうちょ)なく彼女の主の首を貫くだろう。そして、逆もまた同様。

 戦闘は完全な膠着(こうちゃく)状態に(おちい)ってしまった。

 

「……」

 

「……」

 

 にらみ合うリリィとブリジット。

 先にしびれを切らしたのはブリジットだった。

 

「どうして……助けなかったんだよ」

 

「……え?」

 

 ブリジットが何の話をしているのか分からず、リリィは困惑する。

 

 リューナが(さら)われた経緯(けいい)を考えれば、リリィ達は“彼女の父の蔵を襲った盗賊”という認識のはず。それがどうして『助ける、助けない』の話になるのか、リリィには訳が分からなかった。

 

「あの黒ずくめの女から聞いてるんだぞ! オマエ、魔王(アイツ)の使い魔のくせに、魔王(アイツ)が封印されても、オマエは何にもしなかったって! 魔王(アイツ)のことを忘れて今はそこの水精(みずせい)と楽しく家族ごっこやってるって!」

 

 その発言で、リリィはようやく思い至った。

 

 父の蔵をリリィが襲撃したことなど、ブリジットは全く気にしていない。

 そもそも彼女には、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、ということに。

 

 原作を思い返す限り、ブリジットの家族は登場しない。

 登場しない理由は(さだ)かではないが、家族に対して特に思い入れも興味もない様子だった。

 

 ところが、彼女は自分が淡い恋心を抱いた魔王に対してだけは、すさまじい執着を見せた。

 彼を助けるため、殺されることを覚悟で、自分より遥か格上である勇者の血族(けつぞく)に襲撃をかけるほどに。

 

 そんな彼女が、魔王が封印された直後である今、どれほど彼のことを心配しているか、想像もつかない。

 ()()()()()()()()()()()()()の、たいして興味も持たない家族()の蔵が襲われたことなど、彼女にとっては極めてどうでもいいことだったのだろう。

 

 しかし、ブリジットは、クロから彼の使い魔であるリリィの存在を……そして今の彼女の状況を聞いてしまった。

 

 ――自分が慕う男が、()ずから創造した使い魔であるリリィ

 

 そんな彼女が、主の危機を放置して幸せに暮らしている、という状況は……そして、その状況を“良し”とするリリィの性根だけは、どうしても許せなかった。

 だから、彼女はこうしてリリィを目の(かたき)にして、襲いかかっているのだろう。

 

 先程リリィが魔王の魔力を放ったことで、“魔王の手によって(つく)られた”という説得力もさらに増してしまっているはずだ。

 実際は“リリィの中に魔王の魂があるから”なのだが、それを言ってしまえば、彼女は更にヒートアップするに違いない。

 

 ブリジットの事情は良く分かった。分かったが……

 

 ――ブチィッ!

 

 ブリジットの発言の内容を理解した直後、リリィの中で()()がブチ切れた。

 

 

 

「お前が……お前がそれを言うなあああああぁッ!!」

 

 

 

(……あれ、なんでだろう……?)

 

 沸騰(ふっとう)した頭、怒りに煮えたぎる心……その中でかすかに残った理性が疑問の声を上げる。

 

(なんで私……こんなに怒って……?)

 

 ブリジットの言うことは、何ひとつ間違ってなどいない。

 

 魔王が封印されたとき、リリィは何もしなかった。

 そもそも何かができるだけの実力がなかった。

 

 前世の記憶に目覚めた後は、自分の命がかかわらなければ見捨てるつもりですらいた。

 姉とともに楽しく暮らせれば、それで満足なのも間違いなかった。

 

 

 ――だが、その()()()()()()()という感覚が、なぜかとてつもなく腹立たしい

 

 

「これだけの戦力を持って! これだけ優秀な部下がいて! これだけ実力があるくせに! 魔王様を見殺しにした貴女に、それを言う資格はない!!」

 

「んだとぉっ!?」

 

 魔王は一国を滅ぼし、己が残虐性を思うがままに満たした大悪党。見捨てても全く問題ないはずだ。

 だが、そんな理屈を、リリィの中に隠れ潜んでいた罪悪感と後悔が否定する。

 

 

 ――助けたかった、助けられなかった……と

 

 

 ……リリィは自分でも気づいていなかったのだ。

 リリィは確かに前世の記憶を取り戻し、人間としての価値観を手に入れた。だが、それは決して()()()()()()()()()()()()()()()()()

 魔王によって生み出され、彼を“父”として、“強大な力を持つ魔王”として慕っていた彼女もまた、真実の彼女なのである。

 

 人間としての価値観・常識に縛られてしまった彼女は、そこから無意識に目を()らし、見て見ぬふりをしていたのだ。

 それは、彼女の“魔王を助けたい”という願いを自分自身で否定し、“魔王を裏切っている”という後ろめたさを(つの)らせていた。

 

 ――そこを、ブリジットに指摘された

 

 だから、リリィは怒り狂った。

 『自分の成すべきこと、成したいことから目を逸らしているだろう』と図星を指され、それが真実であったが故に、()()()してしまったのである。

 

 悔しくて悔しくて、涙すらこぼれる。

 これまでリウラが見たこともない怒りの形相(ぎょうそう)で、リリィは怒涛(どとう)の勢いでまくしたてる。

 

「私は生まれたばかりで力がなかった! だから今こうして力をつけてる! でも貴女は何!? これだけの強さと、こんなに優秀な使い魔と、これだけの大きな軍を持ってて、腕の1本どころか軍の消耗すら(たい)して見られないじゃない! 魔王様が必死に戦っているときに、あなたはいったい何をしていたというの!?」

 

「ぐっ……!?」

 

 “痛いところを突かれた”と言わんばかりに、今度はブリジットの表情が歪む。

 

 実のところ、ブリジットも状況はリリィとさほど変わらなかった。

 魔王が猛威を振るっていた当時、ブリジットの父は存命であり、彼女よりも遥かに大きな武力と権力を持っていた。

 

 彼は魔王が封じられる直前の最後の戦いで、ブリジットを自身の城に呼び出し、特殊な魔術処置を(ほどこ)した部屋に彼女を閉じ込めた。

 それは素直になれない彼の歪んだ愛情表現であり、だからこそ、ブリジットは先の戦争で勇者達に殺されずに済んだのだが……そのせいでブリジットは想い人の危機に駆けつけることができなかったのだ。

 

 ブリジットが父に関することに対して無関心であるのは、もともと親子仲が良くなかったこともあるが、このことによって彼を恨んでいたことが非常に大きい。

 彼個人が保有していた城や(とりで)が、戦争後に修理もされず放置されて、なかば()ち果てているのも、そのためである。

 

 ――その時は、魔王を救いだすだけの力がなかった。だから今、力をつけている

 

 その状況を、想いを、ブリジットが理解できないはずがなかった。

 当時の彼女には、親に閉じ込められてしまう程度の力しかなかったのだから。

 

 ……だが、それを素直に認められるほど、彼女は大人でもなかった。

 

「う、うるさいっ! ボクは魔王(アイツ)を助けるために色々やってる! この間だって、迷宮にやってきた姫さんたちに襲撃だってかけたんだぞ!」

 

「私にやられる程度の実力で、お姫様に襲撃かけるなんて馬鹿じゃないの!? 相手は曲がりなりにも魔王様を封じる奴なのよ!? まずは私みたいに力をつけてからでないと、無駄死にじゃない!」

 

「それでアイツを助けるのに、間に合わなくなったらどうすんだよ!」

 

「それで私達が死んだら、助ける人がいなくなるって分からないの!?」

 

 議論は完全な平行線。だが、その想いは同じだった。

 

 ――“魔王(大切な人)を助けたい”

 

 ただ、その想いだけが今の彼女達を突き動かしていた。

 首筋に添えられた(やいば)がなければ、彼女達は暴走する己の感情に従い、今すぐにでも取っ組み合いになっていただろう。

 その事が、(はた)から見ている者にはよくわかった。

 

 ……特に、長年ブリジットの(そば)に居た従者にとっては。

 

「……リリィ、と言いましたね」

 

 オクタヴィアの、とても静かな……それでいて何故か柔らかな響きの一言(ひとこと)

 

 それは、まるで湯に氷を放り込むかのようにヒートアップしていた2人の頭を冷やし、今が殺し合いの最中であることを思い出させる。

 

 その瞬間、2人に生まれた思考の空白に、オクタヴィアは言葉を差し込んだ。

 

 

「……()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 

 

 ……………………………………。

 

 

 

 

「「はあっ!? なんでこんな奴と!?」」

 

 リリィとブリジットの言葉が、見事に同調(シンクロ)した。

 

「いいんじゃない? 私は賛成よ」

 

「あ、私も~」

 

「ヴィア!? お姉ちゃんまで!?」

 

 ヴィアはオクタヴィアを刺激しないよう、ゆっくりリリィに近づくと、頭頂部の彼女の猫耳に口を添えて(ささや)く。

 

「……よく考えなさい、リリィ。ここでコイツと仲間になっておけば、とりあえずは丸く収まるのよ? 蔵を襲ったこともうやむやにできるし、コイツが見せしめに私達の関係者を襲う恐れもなくなる。仮に提案を蹴るにしても、蹴った後の計画を立てる時間を稼ぐために、ここは提案を受けておくべきよ……まあ、“魔王を助ける”云々(うんぬん)については、あとでゆっくり話を聞かせてもらうけど」

 

「あ……」

 

 リリィの顔が、サアッと青ざめる。

 

 心の内から(あふ)れる想いそのままに言ってしまったが、それが非常にまずいことにリリィは気づく。

 

 ――実は、この場に居るリリィ側の人間は皆、“リリィが魔王を復活させない”ことを前提に動いている

 

 リウラに対しては、『魔王の封印は解くが、復活はさせない』とリリィから伝えている。

 封印の内側にいる魔王は、魂の存在しない肉人形だ。リリィの中にある魂をディアドラにさえ奪われなければ、封印を解いたところで復活はしない。

 無論、その肉体だって誰にも奪わせるつもりはない。そういう前提で動いてもらっている。

 

 リューナは“こちらの思い込みで『魔王の使い魔であるリリィは、悪人に違いない』というレッテルを張ってしまった”という罪悪感で動いており、その前提には“リリィは悪いことをしない”という想いがある。

 当然、“悪逆非道を働いた魔王を復活させる”など、もってのほかだ。

 

 ヴィアはリューナを助けるために動いているものの、事情をリリィに話す際に『悪人だと疑ってしまって申し訳ない』というヴィアの謝罪をリリィは受け入れてしまっている。それは“リリィは悪いことをしない”=“魔王を復活させない”と遠回しに肯定しているも同然だ。

 それを(はた)から聞いていたアイも、同様の認識を持っている。

 

 もともと、リリィも魔王を復活させないつもりだったのだ。このような対応をしても問題ないはずだった。

 ところが、この土壇場(どたんば)でリリィは意見を(ひるがえ)してしまった。

 

 ――それは(すなわ)ち、今まで味方だった面々(めんめん)が丸ごと敵に回る可能性がある、ということ

 

 『“お父さんを復活させたい”って思うのは当たり前』と言ってくれたリウラは、リリィを見捨てることはないだろう。

 もちろん、ただ魔王を復活させたら、みんなが危険に(さら)されるので、なんらかの対策を考えないと、首を縦には振ってくれないだろうが。

 

 だが、彼女以外はそうはいかない。

 

 もしヴィアやリューナ(マフィアの娘たち)がリリィと敵対すれば、その組織力から“リリィが魔王を復活させようとしている”との情報が拡散し、この大迷宮内で孤立してしまう。仮にオクタヴィアの提案を受けたとしても、味方はブリジット達だけだ。

 魔王の味方をする者……つまり、魔王軍の関係者はそのほとんどが先の戦争で亡くなっているからだ。ブリジットはあくまでも例外である。

 

 それはリリィの計画の大きな(さまた)げとなるだろう。

 最悪の場合、時間切れで魔王の封印が完成し、リリィは死ぬ。

 

 つまり、最低でもこの2人は味方のままでいてもらわなければならないのだ。うかつな返事はできない。

 

(……どうやら、何も言わずともあちらは受け入れてくれそうですね)

 

 リリィが必死になって頭を回しているのを見て、“提案を受け入れてくれそうだ”と見たオクタヴィアは主に対して再び口を開く。

 

「……ご主人様、今のままでは魔王様の封印を解くことはできません」

 

 いつも黙々と自分の言うことに従い続けてきた、もっとも信頼する右腕から飛び出た厳しい一言(ひとこと)に、ブリジットは動揺しつつも、己の感情に従って言い返そうとする。

 

「で、でも、ボクは……」

 

「……人間族が何をするために再び迷宮に潜って来ているのか分かりませんが、その中にあの姫がいる以上、“魔王様の封印にかかわることだ”と考えるべきです。……そして、それが終わってしまえば手遅れになるかもしれません」

 

「うぐっ……そ、それは……」

 

(……そうか、この時点でブリジット達から見れば、何が起こっているのか訳が分からないんだ)

 

 ブリジット達の会話を聞いたリリィは、さらに彼女達の現状を深く理解する。

 

 原作知識を持つリリィは、シルフィーヌ姫達が“1ヶ月単位で定期的に封印強化の儀式を行うために迷宮を訪れている”ことを知っている。

 だから彼女達が何をしているのか不審に思うこともないし、魔王の封印が完全なものとなるまでに、まだある程度の猶予(ゆうよ)があることも理解している。

 

 だが、なんの情報もないブリジット達からしてみれば、彼女達人間族は疑惑の(かたまり)だ。

 

 ――すでに終わったはずの封印に対して、コソコソといったい何をしているのか?

 ――それは魔王の害になることではないのか?

 ――そして、その企みはどこまで進んでいるのか?

 

 ……疑い始めれば()りがない。リリィが思っている以上に、彼女達は追い詰められていたのだった。

 

(……しかたない。嫌だけど……本ッッッッ当に嫌だけど! オクタヴィアの提案にのってあげる!)

 

 たしかにヴィアの言う通り、このままブリジット達と潰しあいを続けたら、自分達が死ぬ可能性は高い。それに比べれば、オクタヴィアの提案を聞いた方がまだマシ……そう己に言い聞かせて、リリィはオクタヴィアの説得に協力することを決めた。

 原作からブリジットの性格を把握しているリリィにとって、彼女を説得する方法など分かりきっている。

 

 ――彼女のプライドをつついてやればいいのだ

 

「ま、まあ、ブリジットが嫌がるのも無理ないよね。私とブリジットが同じ側に居たら、私がブリジットを実力で追い抜いていく様子を、まざまざと目の前で見せつけられるわけだし」

 

 ビキィッ!

 

 ブリジットのこめかみに、大きく血管が浮き出る。

 

「ふ、ふざけんな! 誰がボクを追い抜くって!?」

 

「私は魔王様が()ずから(つく)られた、ただ1人の使い魔だよ? あなたの何倍も才能があるの。……っていうか、ついさっきまで勝てなかったのに、今、互角になっている時点で分かりきったことでしょ? 現実逃避は見苦しいよ?」

 

 プッチーン

 

 ブリジットはキレた。それはもう、盛大にキレた。

 

 ブリジットは己の感情のおもむくままに行動する我儘(わがまま)娘であることに加え、極度の負けず嫌いだ。

 

 それは、ほぼ同時期に生まれながら、すさまじい才能でブリジットを追い抜き、魔王となった幼馴染にも例外なく向けられるほどの筋金入りである。

 次元の違う実力を持つ相手であろうと決して折れず、曲がらず、ただひたすらに鍛錬と勉強を重ね、『いつか必ず追いつき、追い越す』と邁進(まいしん)してきた。

 

 ――その幼馴染が生み出した使い魔が、いつかの再現のように自分を追い越そうとしている?

 

 認められない。認められる訳がない。

 頭の冷静な部分が『この睡魔(すいま)のガキが言うことは事実だ』といやらしく(ささや)くも、生来(せいらい)の負けん気がそれを断固として否定する。

 

 ――これは意地だ。ブリジットがブリジットであるための

 

「できるもんなら、やってみろぉっ!! オマエなんかに、絶対に負けないからな!」

 

 烈火の(ごと)く燃える瞳。そこに映る色に、恨みや憎しみといった負の感情はなかった。

 

 “負けたくない”“負けられない”

 

 あるのは、ただこれだけ。

 怒りを燃料に燃え上がる敵愾心(てきがいしん)と競争心のみがそこにあった。

 

 そう、ブリジットが言い放った次の瞬間、

 

 

 ――リリィ達の視界が闇に閉ざされた

 

 

「なっ!?」

 

「っ!?」

 

「……!」

 

 視界だけではない。周囲の気配すらもまるで感じ取れなくなった。

 リリィが動揺に一瞬固まった瞬間、本来リリィが剣を突きつける先から聞こえてくるはずのブリジットの声が、まるで見当違いの方向から響きわたる。

 

「どわぁっ!? ()(くら)だぁっ!? オクタヴィア!? オクタヴィアーっ、どこだぁーっ!?」

 

「……ここにおります」

 

「お、おう……わかってるさ。別に怖くなんかなかったんだからな!」

 

「……存じております」

 

 先程の怒りはどこへやら、まるでコントのようなやり取りが響くが、リリィにそれを笑う余裕はない。

 

(……しまった……完全に忘れてた……!!)

 

 原作でたった1回だけオクタヴィアが使っていた魔術。

 イベント扱いのため、オクタヴィアが仲間になった後でも使用魔術に登録されなかったそれを、リリィは今の今まで完全に忘れていた。

 

 リリィがブリジットに、そしてオクタヴィアがリリィに剣を突きつけているこの状況――リリィの立場から見てオクタヴィアが剣を下げられないのと同様、オクタヴィア達から見てもリリィが剣を下げられないことを理解していた。

 

 なにしろ、剣を下げれば、その瞬間にオクタヴィアはリリィを殺すことができるのだから。

 

 だからこそ、オクタヴィアはこうして目くらましの魔術を放ったのだろう。リリィが動揺して硬直した瞬間に剣を下げ、主を安全な場所に退避させるために。

 

 ――だが、それは同時に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 もしリリィが“魔王を救う側の立場”であることを、そしてブリジットに協力する意思を示していなければ……リリィはここで死んでいた。

 

「おい、オマエ! この借りは後で万倍にして返してやるからな!」

 

「……会合(かいごう)日取(ひど)りは、のちほど使い魔を寄越(よこ)します。では、ごきげんよう」

 

 その台詞(せりふ)とともに、闇が()き消える。

 ――そこにはもうブリジット達の姿はなかった。

 

 緊張から解放されたリリィの腰が砕け、へなへなと女の子(ずわ)りでへたりこむ。

 

 彼女の背を滝のように冷や汗が流れ、その心臓は今にもはち切れそうなほどに大きな鼓動を奏で続けていた。

 

 

***

 

 

「……さて、それじゃあ聞かせてもらいましょうか? 『魔王を復活させる』ってどういうことかしら?」

 

「あ、そうそう! それ私も()きたい! たしか『封印を解くだけで復活はさせない』って前に言ってたよね?」

 

「……って、何よその詐欺師のような台詞(せりふ)!? どういうことよアンタ! 説明次第によってはタダじゃ置かないわよ!!」

 

 まるで『嘘はついていない。本当のことを言っていないだけだ』といった詭弁(きべん)彷彿(ほうふつ)とさせる、かつてのリリィが放った言葉に唖然(あぜん)とし……直後、額に青筋を立てたヴィアの怒りの咆哮(ほうこう)が水の貴婦人亭(きふじんてい)の2階――リリィのとった部屋にて(とどろ)く。

 

 しかし、彼女の左手に胸倉(むなぐら)をつかまれたリリィは、動揺することなく落ち着いて淡々と回答する。

 ……彼女が落ち着いているのは、ヴィア達を味方につける方法を思いついたからではない。逆に何も思いつかず、“正直に、誠実に全てを話す以外に方法はない”と観念(かんねん)したためである。

 

「どうもこうも、お姉ちゃんが言った通りだよ。それ以外に何を言えと?」

 

「じゃあ、リューが罪悪感を感じる必要も、あの黒ずくめに(さら)われる理由もなかったんじゃない!?」

 

「それを私に言われても……私達を罠に()めようとしたところから、お姉ちゃんに助けを求めるところまで、全部ヴィア達が勝手にしたことじゃない」

 

 ぐっ、とヴィアが言葉に詰まる。

 

 たしかに一連の行動は全てヴィアとリューナの意思によって行われ、そこにリリィやリウラの意思を介在(かいざい)させる余地(よち)はなかった。

 つまり全てヴィアとリューナの責任である。

 

 だが、目の前の少女が真実“魔王を(よみがえ)らせようとする悪人”であり、そして彼女が善人のように()()ったが故に、リューナが罪の意識を感じ、そして命を落としかける事態に発展した、という事情が“全てはリリィのせいである”とヴィアが認識する……いや、認識()()()大きな理由となっていた。

 

「ヴィー。あの黒ずくめに反発して(さら)われたのは、わたくしが自分で考えて、決めて、行動した結果だから、あとでわたくし自身が責任はとりますの。……それよりも先に訊かなきゃいけないことがありますの」

 

 リューナがそう言うと、ヴィアは苦々しげな表情になって追及を止め、質問の仕方を変える。

 

「……“アンタが魔王を復活させようとしてる”ってのは本当? 今のリウラの言い方だと、違うはずよね?」

 

「……本当だよ。……ううん、『さっき本当になった』って言うべきかな」

 

 ()()ぐにヴィアの眼を見てリリィは言う。

 その眼はあまりにも真っ直ぐで、それでいてとても申し訳なさそうで……とてもこれから悪事を行おうとしている者の眼とは思えない。

 

「最初は復活させるつもりはなかった。魔王様の魔力を使って、魔王様とのつながりを断って、私を狙っている人を排除できれば、それでよかった……でも、ブリジットに言われて気づいたの」

 

 

 ――私は……本当は魔王様の事が大好きで、“助けてあげたい”って思ってるって

 

 

 リリィは正直に話し始める。

 

 ――魔王が手ずから創造した使い魔が自分であること

 ――リリィの中に魔王の魂があるから、ただ封印を解いただけでは魔王は復活しないこと

 ――魔王に対する封印が完成すると、リリィの命が危ないこと

 ――リリィの命を救うためには、魔王との魂のつながりを断ち切る必要があるということ

 ――成長したリリィの精気を狙う魔術師がいること

 ――魔王とのつながりを断つために、そして(くだん)の魔術師を撃退するために、魔王の肉体に秘められた莫大な魔力を必要としていること

 

 ここまでリリィの話を聞いたヴィアは、呆れたように溜息をつく。

 

「……アンタ、ホンット自分の事しか考えてないのね……私が言えたことじゃないけど」

 

 自分の命のためだけに、周囲に多大な迷惑をかけんとするリリィにヴィアは呆れる……が、リューナの命のために(まわ)りに迷惑をかけた自分も似たようなものだと気づき、ぼそりと一言(ひとこと)加えた。

 

 それに対し、恥じる様子もなく堂々(どうどう)とリリィは言う。

 

「自分の(せい)を精一杯生ききることに、何を恥じることがあると言うの? ……それに」

 

 そこでチラリとベッドに(すわ)る姉に、リリィは視線を向ける。

 

「……私の生を、幸せを心の底から望んでくれる人がいる……だから、私は生きる。“お姉ちゃんと一緒に幸せになりたい”って思う」

 

 リリィのその台詞を聞き、ニコニコと笑うリウラを見て、毒気(どくけ)を抜かれたヴィアは、肩をすくめて溜息をつく。

 “自分の生を望んでくれる人がいる”という意味において、リリィと同じ立場であったリューナは、“うんうん”と深くふか~く頷いてリリィに共感していた。

 

「……ん? 待って、その話の通りだと、魔王は復活しないんじゃない?」

 

 魔王の魂をリリィから切り離しただけなら、その魂は力を失うまで彷徨(さまよ)って消滅するか、もしくは冥府(めいふ)へと旅立つはずだ。今の話の通りならば、魔王は決して復活しない。

 

 リリィはコクリと(ひと)つ頷いて言った。

 

「今のは、お姉ちゃんに話したとき……つまり、私が“魔王様の事なんてどうでもいい”と()()()()()()()()()()時に()った計画だから。今、私が“魔王様を助けたい”って思っている以上、その計画は修正するよ。……もちろん、みんなに迷惑はかけないようにするけど」

 

「具体的には?」

 

「……魔王様の魔力を使って極めて脆弱(ぜいじゃく)な……健康だけど、なんの才能もない肉体を創造して、その中に魔王様の魂を入れる。あとは私を主人とした使い魔契約を強制的に結べば、悪事を働くことは極めて困難になると思う」

 

「……」

 

 そこで急に黙り込んだヴィアを不審(ふしん)に思い、リリィが問う。

 

「どうしたの? 何か問題でもあった?」

 

「あ、いや……そうじゃなくて……」

 

 ヴィアはどこか気まずそうにポリポリと後頭部を()きながら、視線を()らしつつリリィに()く。

 

「その……やっぱり、アンタは魔王……父親のことが大切?」

 

 ヴィアの父はマフィアのボスであり、決して()められたものではないが、それでも守るべき仁義は守り、町の治安を維持しているため、多くの人達に慕われている。

 だから、ヴィアは“父に何かあったら助けたい”と思うことに抵抗はない。

 

 しかし、魔王(リリィの父)は自分の思うがままに振るまい、他人を傷つけ、迷惑をかけ続けた生粋(きっすい)の悪人だ。

 ひょっとしたら、リリィにしか見えない良いところがあったのかもしれないが、少なくともヴィアから見ればそんなものは存在しない――なのに、それでも救いたいと思うのか? ヴィアの問いたいのはそこだった。

 

 リリィは瞑目(めいもく)し、思い起こす。

 

 ――ブリジットの前で流した涙……あの時の自分の感情はどのようなものだっただろうか?

 

 自分の心を少しずつ手探りで確かめるように、ゆっくりと感情を咀嚼(そしゃく)して言葉にしていく。

 

「……うん、そうだね。私は魔王様のことを大切に思ってるんだと思う」

 

「私は生まれた時から魔王様のことを慕っていた……絶対の信頼、あこがれ、そして“愛されたい”“構って欲しい”という想い……うまく表現できないけど、たぶん、ヴィアが言う通り“父親に対する気持ち”が一番近いんだろうね」

 

 その感情は前世のものではない。この世界にリリィとして生を受けてから、前世の記憶を思い出すまでに(はぐく)まれたものだった。

 浮かんだ想いをひとつひとつ言葉にしたそれはとても(つたな)いものではあったが、一切の嘘が混じっていない心の底からの想いをそのまま口にしているが故に、深い説得力を持っていた。

 

「だから、私は魔王様に生きて欲しい。魔王様の(そば)に居たい。だけど、“お姉ちゃんを含めた(まわ)りの人たちに、なるべく迷惑をかけたくない”という思いも本当。だから、少し心苦しいけど……魔王様の行動を、私は縛る」

 

 前世の想いと今世の想い、それらが合わさってできたのが今の結論だったのだろう。

 

 結局、リリィの考え方の根本(こんぽん)は変わらない。

 

 ――いっしょに生きて欲しい人がいる。だから、生かす

 

 “リウラと一緒に生きるためにはどうすればいいか”、“魔王と一緒に生きるためにはどうすればいいか”……それがリリィの行動理念。

 

 理屈ではない。“ただそうしたいから、そうする”。

 己の欲望に正直な、魔族らしい考え方であった。

 

 そのリリィの言葉を聞いて、なにやら思い悩んだ様子を見せるヴィア。

 そんな彼女を見てクスクスと笑いながら、リューナは言う。

 

「ヴィー、あなたもリリィを見習って素直になってみた方が良いのですよ?」

 

「……考えとくわ」

 

 ばつが悪そうな表情で答えるヴィアを見て、不思議そうな表情をしたリリィは、その時ふと気づく。

 

「……私を止めないの?」

 

 リウラは分かる。

 もともと魔王の封印を解くこと自体は納得していたどころか、計画を聞いた当初は『お父さん、助けてあげないの?』と悲しそうに()いてくるほど“親”に対する想いが強い少女だ。

 むしろリリィが『魔王を助ける』と言ったことで、逆にニコニコと嬉しそうに微笑んでいるくらいである。

 

 だが、魔王に対してあれほどのマイナスのイメージを持っていたヴィアとリューナから、リリィへのピリピリとした警戒心が消えているのは不可解だ。

 それはリューナの隣に控えているリシアンも、リウラの首飾りの喚石(かんせき)の中にいるアイも同じであった。

 

 その問いを聞いたリューナは、笑顔のままリリィに答える。

 

「……正直に言って、わたくしもヴィーも魔王に良い印象は持っていませんし、本当はここでリリィ達を殺してでも止めることが正しいんだとも思いますの。そうすれば貴女達2人の犠牲で“魔王が復活する可能性”を少しでも減らせるのだから」

 

 でも、とリューナは続ける。

 

「大切な弟と私を助けてくれた恩人を犠牲にするなんて、絶対に嫌ですの。リリィ達の命を救うためなら、()()()()()()()()()

 

 敵対しないどころか、協力すら申し出たリューナに、リリィは大きく目を見開いて驚愕(きょうがく)する。

 そんな彼女を見て微笑みながら、隣のリシアンも姉に続いて発言する。

 

「僕も姉さんと同じ気持ちです。……リリィさん、僕は貴女が『姉さんを助けるために戦う』と言ってくれたとき、本当に嬉しかったんです。あの時、もう僕たちには本当に頼れる人がいなかったから」

 

 リシアンの微笑みは、姉弟だけあって、隣で微笑むリューナの笑顔とそっくりだ。

 ヴィアを(とりこ)にした、そのとても優しい笑顔で、彼はリリィに己の想いを伝える。

 

「だから、今度は僕たちがリリィさん達を助ける番です。リリィさん、“リウラさんやお父さんと一緒に幸せになる”という貴女の思い描く未来の中に、僕たちも入れてください」

 

「ッ……!」

 

 一瞬目が(うる)みそうになったリリィは、あわててそれを抑え込む。

 

 リリィは、この手のリリィ自身に向けられる真っ直ぐな思いやりに、めっぽう弱い。

 別にここで涙を流したところでデメリットなど無いはずだが、なぜか“ヴィアの前で弱みを見せたくない”と思ってしまうリリィであった。

 

(……うん、この2人には、なるべく危なくないことを手伝ってもらおう)

 

 そして彼女は、一度大切に思ってしまった者を危険から遠ざけようとする傾向がある。

 リリィの中で、もうこのエルフの姉弟は、リウラに()ぐ保護対象として確定してしまった。

 

 ちなみに、リウラは性格からしてどんなに危険から遠ざけようと首を突っ込んでくること間違いなしなので、リリィは半分あきらめている。

 

「私も! 私もリリィさんとリウラさんのために頑張ります!」

 

 アイも、喚石(かんせき)の中から元気よく発言する。その声に「ありがとう、アイ」と返しつつ、リリィは思う。

 

(……この娘には、後方からの援護を頼もうかな? 巨大化ができない場所だと、戦闘力は(まわ)りと比べてワンランク下だし、いくら身体が土でできてて再生できるっていっても限度があるし……)

 

 リリィに対して感動を与える判定に失敗したアイは戦闘員行き。だがその戦闘力の低さから比較的安全な後方へと回される。

 

「……私の場合、拒否権すらないわよね……アンタの使い魔なんだし」

 

 ヴィアが諦めたように溜息をつく。

 しかし、彼女の様子を見てクスクスと笑うリューナは知っていた……ヴィアもまた、“リリィを助けたい”と思っているということに。

 

 リリィに魔王を復活させる意図があったにしろ、彼女が自分や大切な姉の命を懸けてでも、親友であり家族であるリューナを助けてくれたことは、れっきとした事実。

 その恩を忘れるほど、彼女は薄情な人物ではないし……なにより、母を失ったヴィアにとって“親と共に生きたい”という気持ちは痛いほどに良く分かった。

 

 だからこそ、彼女は“リリィの使い魔だから”と言い訳しながらも、リリィに協力しようとしているのだ。

 先程ヴィアが“リリィを見習って素直になれ”とリューナに言われたのは、リリィへの協力をどう申し出ようか悩んでいたのを見抜かれたためである。

 

 ヴィアもリューナも、自分の親を奪った魔王に対して、割り切れない気持ちがあるのは事実だ。

 だが、同様に割り切れない気持ちがありながらも、リリィは命を懸けてリューナを救ってくれた。そんな彼女に対して恩返しをしたい、という彼女達の気持ちは決して嘘ではなかった。

 

 ……しかし、“魔王が彼女達の親を奪った”という事実を知らされていないリリィは思った。

 

(うん、ヴィアには最前線で私達と一緒に戦ってもらおう。ついでに潜入技能を活かして、諜報(ちょうほう)とか暗殺とか、それっぽいことを色々やってもらおう)

 

 最初からリリィ達を罠に()めようとしていた上に、図々(ずうずう)しくも嵌めようとした本人達に尻拭(しりぬぐ)いをさせたヴィアに対する彼女の印象は非常に悪い。

 

 それを言えばリューナも同罪だが、彼女は自分の(あやま)ちに気づくや否や、まっさきに計画を中止しようと動いてくれていたため、それが影響して、リューナへの彼女の印象は悪くなかった。

 リリィ達を罠に嵌める計画が発覚してから、リリィがヴィアを呼び捨てにしているのに対し、リューナの方は未だに“さん”づけで呼んでいることも、そのことが影響している。

 

 ――結果、最も危険で最も忙しいであろう役割が、リリィの心中(しんちゅう)で、容赦(ようしゃ)なくヴィアに割り当てられてしまうのだった

 

 

 

 

 

 そうして話がひと段落したあと、リウラは、ふとあることを思い出して居住(いず)まいを正し、リリィに声をかける。

 リリィは、その様子から姉が真剣な話をしようとしていることを察し、姿勢を正してリウラと向き合った。

 

「ごめんね、リリィ……私、ブリジット達と戦ってるとき……最初、全然動けなかった」

 

「……そういえば……」

 

 リリィは当時の状況を思い出す。

 

 あの時は大勢を相手どって戦闘することに必死でよく見ていなかったが、言われてみれば確かに、戦闘開始時にリウラが戦っているところも、彼女が操作する水が暴れているところも思い出せなかった。

 リリィが気づいた時には、すでに彼女はへたりこみ、オクタヴィアに殺されそうになっていたのである。

 

「あの時、私は“相手が人の形をしている”だけで、相手を攻撃することを躊躇(ためら)っちゃった……胸の中に罪悪感がどんどん湧いてきて、身体が震えて、吐いて、涙が出て……みんなが必死で戦ってるのに、何もできなかった……指1本動かすことさえできなかった」

 

 リウラは、あの時の自分に対する情けなさを今でもはっきりと覚えている……いや、きっと一生忘れることはないのだろう。

 

「だけど、もうあんな私は見せない。これからはちゃんとリリィを護って見せる。だからリリィ、私のことを見ていてほし、い……?」

 

 リウラの言葉が止まった。

 

 

 

 

 ――リリィの様子がおかしい

 

 

 

 

「ちょっと、アンタ、どうしたのよ!?」

 

「リリィ!?」

 

『リリィさん!?』

 

 ヴィア、リューナ、アイもリリィの異常に気づいた。

 リリィは顔を()(さお)に青ざめさせて(うつむ)き、何の反応も返さない。

 

 いや、返せないほど……彼女達の言葉も届かないほど、深く己の思考にはまり込んでいたのだ。

 

 リリィは気づいた……リウラが話した内容は、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 リリィの人格の根幹(こんかん)は前世の……戦争を経験していない20世紀日本人のものだ。よく言えば温厚(おんこう)、悪く言えば平和ボケしているその人格で、はたして何の躊躇(ちゅうちょ)もなく人を殺すことが出来るだろうか?

 

 

 ――そう、今まで全く争いのない世界で生きてきたのなら、いざ人を傷つけなければならなくなったときの反応は()()()()()()()()()()()

 

 

 たしかにリウラが話した通り、リリィは他人を殺す覚悟を決めていた。

 だからこそブリジット達との戦闘で躊躇(ためら)いなく武器を振るい、魔術を放つことができた。

 

 ――だが、覚悟を決めたからといって、そう簡単に人が殺せるものだろうか?

 

 しかも、リウラと違ってリリィは人を殺したことに対する罪悪感を欠片も持っていなかった。

 それは、リウラの話を聞いた今でも変わらない。明らかに人として異常な精神性である。

 

(……いったい何で!? どうして!? 前世の“私”は、人殺しなんて1回もしたことない……のに……?)

 

 

 ――待て

 

 ――本当にそうだったか?

 

 

 自分が人殺しを()とする人格であることを否定したい一心(いっしん)で、リリィは必死に己の記憶を掘り起こす……しかし、どうしても否定することは叶わなかった。

 

(……あれ? ……あれ? アレ? アレ!? アレエェッ!!??)

 

 

 ――思い出せない

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ――友人も、家族も、住んでいた場所も……()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 (はし)の持ち方も、パソコンの使い方もわかるくせに、それらを使った記憶が一切出てこない。

 

 自分の家が一軒家かマンションかも分からず、となりに誰が住んでいたかも分からないのに、少し離れたスーパーやデパートのどこの棚にどんな商品が置いてあったかは分かる。

 

 テレビで見る芸能人や、あまり付き合いのない学生時代のクラスメイトの顔も名前も(おぼ)えているのに、少しでも親しい友人、そして両親を含めた親族ほぼ全ての顔も名前も思い出せない。

 

 

 “自分が自分であること”を証明するものが、何ひとつない。

 

 

 そして、事態はそれだけにとどまらなかった。

 

 

 ――なぜ、自分は“前世、自分が居た世界へ帰りたい”と欠片も思わなかったのか?

 

 ――自分の持っている知識からすれば、前世の享年(きょうねん)は最低でも大学生以上、へたすれば社会人のはず。なのに、なぜ今の自分はこんなにも泣き虫で、子供のようにリウラに甘えているのか?

 

 ――ブリジット達と戦う際、大切な家族であるはずのリウラに、なぜ当たり前のように“人殺し”の指示が出せたのか?

 

 

 自分を証明するどころか、否定する要素ばかりが次から次へと思い当たる。

 リリィのアイデンティティが、ガラガラと音を立てて壊れてゆく。

 

 突如(とつじょ)様子がおかしくなったリリィを心配してリウラ達が、必死にリリィの名を呼んで肩を揺さぶるが、リリィは何の反応もしない……できない。

 

「……私……私は……」

 

 リリィは(うつ)ろな眼で力無くつぶやく。

 

 

 

「私はいったい……“誰”、なの……?」

 

 

 

 ――その問いに答えてくれる者は、いなかった

 

 

 

 

 



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第四章 美少女とオーク 前編

「◆ー%ー&ー#¥~、スティルヴァ~レ~▲□÷、◎~$*~、×ー#~%~、@+■$~●~∞~∀~♪」

 

 夜も()けて酒場と化した水の貴婦人亭の1階に、少女の陽気な歌声が響く。

 金髪猫耳の美少女が、頬をほんのりと赤く染めて、ニコニコと笑いながら歌うその様子は、とても微笑(ほほえ)ましい。

 

 ……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ね、ねえ……リリィ?」

 

「ん? な~に、お姉ちゃん?」

 

「その……良ければ、リリィが悩んでること……お姉ちゃんに相談してみない?」

 

「悩んでること~? そんなの無いよ~」

 

 リリィの右隣から心配そうに問いかける姉に、『悩みなど無い』と酔っぱらい特有のヘラヘラとした笑顔で断言するリリィ。

 酒を飲む直前まで、真っ青を通り越して真っ白な顔色をしていたのだから、悩みが無いはずがないのだが……

 

(ヴィ~ア~さ~~~ん?)

 

 話が違う、と恨めし気な眼で、自分の右隣に(すわ)るヴィアを、リウラは見つめる。

 リリィの歌を聞いて何故か呆けていたヴィアは、その視線とささやき声を受けてハッと気づき、ばつが悪そうな顔をする。

 

 リウラがリリィに謝っている最中に、突然リリィは顔色を失った。

 

 いくら呼びかけても反応せず、虚ろな目で時折なにごとかをブツブツと(つぶや)くばかり。

 ひっ叩こうが、鼻をつまもうが、くすぐろうが、リウラがほっぺにチューしようが全く反応しないリリィに、事態を重く見たヴィアはある物を持ってきた。

 

 ――ヴィア秘蔵のマタタビ酒である

 

 気つけ薬、という意味もあるが、ヴィアの狙いはもうひとつある。

 

 リリィのように猫耳を生やしたタイプの睡魔族(すいまぞく)は、猫獣人と同様にマタタビで酔っぱらう性質を持っている。

 そのマタタビを原料に作られた酒を飲ませれば、リリィが酔っぱらうことは必至。

 

 酔わせることでリリィの口を軽くし、強制的に悩みの内容を聞き出そうと、ヴィアは酒瓶の口をリリィの口に突っ込んで、リリィの頭ごと瓶を逆さまにしたのである。

 

 その結果がこれ。

 

 酔ったリリィは、まるで悩みがなくなったかのように陽気になり、歌を歌いながらカッパカッパと酒瓶を空けてゆく。

 悩みを“一時的に忘れている”のか、それとも“気にしなくなっている”のかは分からないが、このままでは酒が切れたら、また元の状態に逆戻りである。

 

(……リリィの意識がまだしっかりしているから、()()()()()()()()()可能性もあるわ。もっと酔わせてから、もう1回()いてみましょう)

 

(ラジャ―)

 

 ぼそぼそとお互いの耳元で、ヴィアとリウラはやり取りする。

 しっかり丸々1本、ヴィアの秘蔵酒を空けてくれた上に、度数の高い酒を次から次へと空けているにもかかわらず、リリィの呂律(ろれつ)も手元もしっかりしている。信じがたいことだが、いまだ酔いが浅い可能性が高い。

 

「……ずいぶん変わった言語ですのね……いったい、どこの言葉ですの……?」

 

「東方の言葉に響きが似ているけど、僕も聞いたことがないよ……“真実の剣(スティルヴァーレ)”って単語が聞こえたから、たぶん“神殺(かみごろ)し”にまつわる歌だとは思うんだけど……」

 

 リリィが歌う歌は、エルフ姉弟が聞いたことのない独特の言語で歌われていた。

 特にリシアンは商売の都合上、ラウルバーシュ大陸で使われている主要な言語のほとんどをある程度話すことができるにもかかわらず、リリィの歌の内容が全く聞き取れなかった。

 

 ――それもそのはず。彼女は、前世の母国語である()()()()()()()()()()()()()

 

 この世界でもかつては日本語が存在したが、それは1万年以上前……この世界、二つの回廊の終わり(ディル=リフィーナ)が未だ2つの世界に分かれており、それぞれイアス=ステリナ、ネイ=ステリナと呼ばれていた時代の話だ。

 そんな超古代言語を、言語学者でもない2人が理解できようはずもない。

 

「そうなの? リリィ」

 

「そうだよ〜。“神殺し”セリカ・シルフィルの歌〜」

 

 リリィが歌っている歌は、イアス=ステリナの女神であるアストライアを殺し、その肉体を奪ったとされる人間族の男性――セリカ・シルフィルを主人公とする物語(ゲーム)の歌だ。

 

 真実の剣(スティルヴァーレ)とは、セリカが(くだん)の女神を殺す際に振るったとされる、ネイ=ステリナの嵐神バリハルトから授かった神剣の名である。

 彼の物語は、リリィのそれと世界観を同じくするものの、リリィが生まれる何百年も前から続いているため、その名前はかなり広く知られている。

 

 “神殺し”という初めて聞く単語に興味を持ったリウラは、その人物について教えてもらおうと続けて質問する。

 

「ねえ、その“神殺し”って……」

 

 「――どんな人なの?」と()こうとしたところで、ピタリとリウラの口が止まる。

 

 自身の身体にかかる見えない圧力。ドス黒くて、絶えずリウラの身を(おびや)かそうとするそれは、ここ数日で強制的に慣らされてしまったものであった。

 

 ――殺気

 

 見れば、リシアンを除き、テーブルについている全員の眼が鋭くなっている。

 酒をかっ喰らっていたリリィも、完全に戦闘モードだ。

 

 殺気の出処(でどころ)にリウラ達が視線をやる前に、発生源そのものがリウラ達に向かってやって来た。

 

「おい、そこの睡魔のガキ。ちょっとツラ貸しな」

 

 声をかけて来た相手は、下級魔族。数は全部で5人。

 全員人型だが、眼が1つしかなかったり、全身が真っ黒だったり、羊のような角が生えてたりしていて、なかなかに個性的だ。中には、手が5本ある奴までいる。

 

「何よ、アンタ達。ここがどこだか、わかって言ってんでしょうね?」

 

 ヴィアがドスの()いた声で言うと、水の貴婦人亭の従業員達が一斉に殺気を魔族達に叩きつける。

 魔族達が放つ殺気よりも強烈なそれを受けて、魔族達はわずかに怯む。

 

(あ、この人達、ぜんぜん大したことないや)

 

 リウラの警戒が少し緩む。

 

 アルカーファミリーの殺気は確かに強烈だが、その度合いはブリジットやオクタヴィアが放つものよりも遥かに下。この程度で怯むようであれば、その実力はしれている。店員さんにまかせてつまみ出してもらえば良いだろう。

 今、リウラ達はリリィの心のケアに忙しいのだ。……リウラがそう思った矢先、リリィが口を開いた。

 

「良いよ。どこでやる?」

 

「……ちょっと、リリィ」

 

「今はやめた方が良いですの。お酒で感覚が麻痺しちゃって分からないかもしれないけど、リリィは今とても消耗していますの。……お店の人にまかせた方が良いですの。いや、ホントに」

 

 ヴィアとリューナが難色を示す。

 特につい最近、酒で失敗してしまったリューナの台詞には重い実感が込められており、真剣にリリィを止めようとしていることが(うかが)われる……が、リリィはどこ吹く風。

 

「大丈夫だよ。この程度の相手だったら、利き手使わなくたって勝てる。すぐ戻るから待ってて」

 

 そんなリリィの言葉を聞いて、額に青筋を立てて怒りを(つの)らせる魔族達。

 だが、ここで()めごとを起こすつもりはないのか、何も言わずにリリィを連れてさっさと店を出て行った。

 

「……あのバカ、ま~だ()りてねえのか……」

 

 ブランが呆れた声を出す。

 以前、その傲慢さから姉の財布をスられて痛い目を見たにもかかわらず、もう喉元を過ぎて熱さを忘れてしまったらしい。

 この調子だと、もうしばらく天狗になったリリィの鼻をポキポキ折ってやる必要がありそうだ。

 

 リウラが心配して「私も行く!」と席を立とうとするが、ヴィアが「私が行くから、アンタ達は(すわ)っときなさい」と着席を促し、自分は席を立ってポーチや短剣(ダガー)といった装備を身につける。

 

 リリィとヴィアが結んだ使い魔契約は、魔王とリリィの間で結ばれたものを疑似的に再現したもの……つまり、リリィが死ぬ、もしくは死にかけると、使い魔であるヴィアにフィードバックが行くという、シャレにならない副作用がある。

 

 あくまで疑似的なものであるため、フィードバックの割合は本来の契約に比べると遥かに小さく、リリィがオクタヴィアに斬られてもヴィアに影響が出なかった程度のものであるが、リリィがそれ以上のダメージを受けてしまえば、その(かぎ)りではない。

 自分の目でリリィの安全を確かめておかないと、ヴィアが安心できる訳がなかった。

 

 ちなみに、リリィがオクタヴィアに斬られた際、慌てて飛び込んで必死にオクタヴィアの追撃を防いだのも、半分はこれが理由である。

 

「お嬢! 危険ですから、追いかけるのはやめてください! お嬢の疲労も半端じゃないはずです!」

 

 そう言って声をかけてきたのは、濃い青髪の狼犬人(クーヴォルフ)の店員。

 狼獣人(ヴェアヴォルフ)であるヴォルクのような狼そのものの頭部とは異なり、こちらは人間族に狼の耳をつけたような容貌(ようぼう)をしている。

 スラリとした高い身長に引き締まった肉体、整った顔を持つ、ヴィアと同年代の美青年だ。

 

 だが、そんなイケメンの幼馴染に心配されても欠片も嬉しそうな様子を見せず、ヴィアは気だるげな様子で青年に目を向けながら、投げやりに言う。

 

「んじゃ、アンタもついてきなさい。護衛料は後で払うわ」

 

「そんな! 金なんて要りません! 全身全霊をもってお嬢を護らせていただきます!」

 

「そ。あんがと」

 

「ウィン、減給3ヶ月だ」

 

 ヴィアについていくため給仕の仕事をほっぽり出した青年――ウィンにブランが減給を通告するが、ウィンに気落ちした様子はない。それどころか、ヴィアの役に立てることを心の底から喜んでいるようである。

 

 ヴィアの元に向かう途中、ウィンはテーブルについているリシアンに笑顔を向ける。

 その妙に優越感たっぷりの笑顔は明確にこう言っていた。

 

 

 ――“お前のような貧弱なガキには、こんな風にヴィアを護れないだろう?”、と

 

 

 その笑顔を見て、リシアンはムッとする。

 

 自分がアルカーファミリーの一部から良く思われていないことは理解している。

 “ボスの一人娘をたらしこんだだけでなく、貢がせて奴隷の立場から解放してもらった情けない奴”と思われていることも、“そのためにヴィアが危険を(おか)すハメになった”と思われていることも。

 

 それについては非常に申し訳なく思うが、それとは無関係なところでまで馬鹿にされる(いわ)れなどない。

 ましてや、いまだ幼くともリシアンも男であり、ヴィアを愛する想いは誰にも負けない自負がある。ここで退()いては男が(すた)るというものだ。

 

 リシアンは(つと)めて穏やかに、そして余裕に溢れる笑顔で口を開いた。

 

()()()、ちょっと来てください」

 

 玄関へ向かっていたヴィアの足がピタリと止まり、バッと勢いよく振り返る。

 リシアンを見つめるその瞳は“信じられない”と言わんばかりに大きく開いていた。

 

「リシアン……今、私の愛称……」

 

()()()、こっちに来て?」

 

「は、はい!」

 

 ふらふらと蜜に誘われる蝶のようにリシアンへと向かうヴィア。

 その瞳には動揺と、隠しきれない期待の色が浮かんでいる。

 

「ど、どうしたの……? リシア……ッ!?」

 

 そばに寄ってきたヴィアの手首を(つか)み、グイと引いて無理やり上体を引き寄せる。

 敵意が一切感じられず、ましてや自分が好意を抱いている相手に対し、とっさに抵抗できるわけもない。自分よりも何倍も非力な少年に、ヴィアは軽々と引き寄せられる。

 

 

 ――そして、そのまま……ヴィアの唇はリシアンの唇によって(ふさ)がれた

 

 

 数秒か、あるいは数十秒か……時が止まったように全ての者が動きを止めた酒場で、ゆっくりとリシアンが唇を離す。

 無音となった酒場に、リシアンの落ち着いたボーイソプラノが響いた。

 

「幸運のおまじないです。……気をつけて行ってきてください、ヴィー」

 

「……ふぁ……ふぁい……、いってきまひゅう~~……♥」

 

 王子様のように甘いスマイルで微笑(ほほえ)みかけられたヴィアは、もうメロメロだった。

 

 トロンととろけた眼には目の前の愛しい少年の美しい笑顔しか映らず、初めてのキス(ヴィアの中で同性相手はノーカン)、それも“想い人の方からしてくれた”という多幸感(たこうかん)に、呂律(ろれつ)が回らないほどの陶酔(とうすい)状態に(おちい)っている。

 

 ヴィアは瞳にハートマークを浮かべて、桃色のオーラを振りまきながら、ふらふらと出口へ向かう。

 その後を、死んだ魚のような眼をしたウィンがふらふらと追っていった。どうやら自分の想像以上にヴィアが心とらわれていたことに、はかり知れないショックを受けたらしい。

 ……リリィの様子を見に行かせるには、あまりに頼りない2人組だ。

 

「わ、私もリリィさんの様子を見に行ってきます!」

 

 アイもそう感じたらしく、慌てて2人の後を追う。

 

 後にはクスクス笑うリューナと、ほっぺに両手をあてて(もだ)えつつ「良いな~! 彼氏って良いな~!」と(うらや)ましがるリウラ、そして余裕があるように見せつつも耳まで顔を真っ赤にしているために、ドキドキしていることが全く隠せていない可愛らしいエルフの少年が残されていた。

 

「オメー、よくもまあ父親(この俺)の前で(アイツ)口説(くど)けたもんだなぁ」

 

 呆れた口調でブランがリシアンに話しかける。

 口元は笑っているが、眼は全く笑っておらず、しかも闘気を放って威圧しているため、迫力が尋常ではない。

 

 その証拠に、水の貴婦人亭の従業員たちは、皆そろって顔を青ざめさせている。

 オクタヴィアに迫るかもしれない凄まじい威圧感だが、リシアンはそれを柳に風と受け流す。顔の赤みは引いているが青ざめてはいない。

 リシアンはブランに笑顔を向けて、堂々(どうどう)と言い放った。

 

「その程度の度胸がなければ、ヴィアを(めと)ることなどできないでしょう?」

 

 一瞬、キョトンとしたブランは、一拍(いっぱく)おいて大爆笑した。

 

「だっはっはっ! (ちげ)ぇねえっ! だっはっはっはっはっ!!!」

 

 リシアンの度胸は本物だ。

 本人に大した戦闘力がないにもかかわらず、闘気を放つブランに対して一切震えず啖呵(たんか)を切れるなど常軌を(いっ)している。

 利益のためならばどんな相手とも……自分よりも何倍も強く、粗暴な相手であろうと取引する“ラギールの店”の支店長を任されるだけのことはある。

 

 そして支店長を任されるには、度胸だけでなく商才も必要だ。

 卓越した経済力があれば、例え本人に戦闘力がなくとも、ヴィアを護る力を金で手に入れることができるだろう。

 現時点では少し物足りないが、将来的にはヴィアを幸せにするだけの力を、この少年は手に入れるはずだ。

 

「……リシアン、と言ったか……」

 

「リシアンサス・シャハブレットと申します」

 

 笑みを消して真剣な眼をしたブランに(こた)えるように、リシアンも真剣な眼でブランに向き合う。

 

 

 ――そして、ブランは腹の底から絞り出すようにしてその言葉を(ひね)りだした

 

 

「……アイツを泣かせたら、タダじゃおかねえぞ」

 

「ッ!!」

 

 それは事実上、リシアンとヴィアの婚姻を認める言葉だった。

 

 いまだ下の毛も生えそろっていないような幼い少年に、大切な一人娘の人生を預けるその決断に、いったいどれほどの想いが込められているのだろうか。……親となったことのない今のリシアンには決して分からないだろう。

 

「はい。必ず彼女を幸せにします」

 

 彼にできるのは、自らの全てを懸けてその想いに(こた)えることだけだった。

 

 

***

 

 

「どうしたの? 私に一泡(ひとあわ)吹かせるんじゃなかったの?」

 

 ドスッ!

 

「グッ!」

 

 横たわる下級魔族の腹にリリィが蹴りを入れる。

 

 街から少し離れた迷宮の一角。

 ゴツゴツとした岩がそこかしこに転がる荒れ地のような広場に、5人の下級魔族が横たわっていた。

 

 リリィと彼らの間には隔絶した実力差があるにもかかわらず、魔族達は全員生きているだけでなく、余力が充分にある。

 その証拠に、リリィに蹴られている1人を除いた全員が身を起こし、リリィを(にら)みつけながら戦闘態勢を取り直していた。

 

 ――当然だ。リリィが()()()()()()()()()()()

 

 リリィは苛立っていた。

 前世の自分が思い出せないストレスと、姉に人殺しをさせようとした事を初めとする、数々の罪悪感がリリィを絶えず(さいな)んでいたためだ。

 

 ヴィアに飲まされた酒で一時的に正気に戻ったリリィは、この苛立ちを誤魔化すために酒に溺れた。

 

 ……いや、正確には()()()()()()()

 

 魔王に(つく)られたこの身体が酒に強い体質だったのか、はたまたリリィにかかるストレスが多少の酔いなど()ます程に強かったのか、リリィはほとんど酔うことができないでいた。

 

 いくら飲んでも酔えない。酔って、酔って、酔って、酔いつぶれて眠ってしまいたいのに、一向に酩酊(めいてい)する(きざ)しがない。

 酔ったふりをすることで、のらりくらりとリウラ達の質問を(かわ)し、リリィはただ酔うためだけに、好きでもないアルコールをひたすら喉に流し込み続けていた。

 

 そんなところへ、都合よく“ぶちのめしても罪悪感が湧きにくそうな奴ら”が現れた。

 それを見て、リリィは思った。

 

 ――ちょうどいい。こいつらを使って、私の()さを晴らさせてもらおう

 

 その思考が多分に悪魔的であることは理解していたが、それでも止まれないほどにリリィの精神はまいっていた。

 

 下級魔族達にひと気のない所まで連れて来られたリリィは、自分でも気配を探って、近くに人が居ないことを確認すると、結界を張って彼らの逃げ場をなくし、死なない程度に加減して、魔族達へ殴る蹴るの暴行を加えたのである。

 

 しかし、リリィの気は全く晴れなかった。

 

 当たり前だ。リリィがしているのは、ただの八つ当たり。いくら他人に苛立ちをぶつけたところで、リリィの悩みが解決する訳がない。

 むしろ、苛立ちを解消するために殴れば殴るほど、蹴りを入れれば入れるほど、リリィはよりいっそう自己嫌悪に(おちい)り、さらに苛立ちが増すという悪循環にはまっていた。

 

 しかも不可解なことに、いくらリリィが隔絶した実力差を見せつけ、全身あざだらけになるまで暴力を振るおうと、魔族達は一向に諦めずに立ち向かってくる。

 ケンカをふっかけて来たのは向こうのはずなのに、これではまるで自分が悪役のようだ。それがまた、余計に腹立たしい。

 

(……もう、いいや)

 

 ストレスを解消するつもりが、完全に逆効果になっていることに、いい加減うんざりしたリリィは、この無意味で非生産的な行動を切り上げることに決めた。

 

 殺すつもりはない。精気を吸いつくして気絶させた後、魔術で記憶を操作してリリィ達のことを忘れてもらう。

 リリィは深い疲労感を感じさせる眼で魔族達を睥睨(へいげい)しながら、ゆっくりと右の人差し指を上にあげる。

 

 

 

 ……ぐらり

 

 

 

(……あれ?)

 

 足がもつれて、地面に手をつく。立ち上がろうとするが、足にうまく力が入らない。

 

(今頃になって、酔いが……?)

 

 舌打ちをしたい衝動に()られるリリィ。

 足の代わりに翼を動かして体勢を整えようとするも、こちらもうまく動かせず、浮かぶことができない。

 

「ようやく……ようやく効いてきやがったか……!」

 

 目の前に横たわる魔族が吐き捨てるように(つぶや)く。

 

 “まさか、酔いがまわるのを待っていたのだろうか?”……リリィがそう考えていると、魔族は(ふところ)から小瓶を取り出して(せん)を抜き、ブン! と勢い良く瓶を振って、中身をリリィに浴びせかけた。

 うまく魔力が()れず、障壁を展開できなかったリリィは、腕で顔を(かば)うも、振りかけられた透明な液体をモロに浴びる。

 

 

 

 ――グニャリ

 

 

 

(!?)

 

 強烈な眩暈(めまい)が襲い、全身から力が抜け、リリィは成す(すべ)もなく地面に倒れ込む。

 同時に身体がカッと熱くなって発汗し、(かすみ)がかかったように思考がぼやけ、奇妙な昂揚感(こうようかん)が湧き上がる。

 

 前世の思い出を持たないリリィには分からないことだが、それは泥酔した状態と非常に酷似(こくじ)している症状であった。

 

(うにぃ〜……、これぇー……(ろく)ぅ〜……?)

 

 浄化魔術で解毒しようとするも、簡単な障壁すら張れないほど魔力がうまく練れない状態で、魔術を使うことなどできるわけがない。

 

 ……いや、それ以前に魔術を行使できる精神状態ではない。

 

 その証拠に、窮地に(おちい)っているにもかかわらず、リリィの心には全くと言って良いほど焦りの感情が湧いてこない。

 すぐに心話(しんわ)でヴィアにSOSを出さなければならないのに、それを考えつくことすらできないレベルである。

 

「クソがっ! 『地面に()いておくだけで、すぐに効果が出る』って言ってたくせに、どんだけ時間かかってんだよ! 死ぬかと思ったじゃねぇか!」

 

「『魔力が大き過ぎる相手だと、効きにくいかもしれない』とも言ってただろうが……ご主人様とまともにやりあえんだ。効きにくくて当然だろう」

 

 先程までリリィに蹴りをくらっていた魔族が悪態(あくたい)をつくと、別の魔族に(さと)され、それが面白くないのかチッと舌打ちする。

 

 リリィに殴られると同時に少しずつ(なぶ)るように精気を奪われていたため、まるで全力で泳ぎ続けた後のように全身が重い。

 その気怠(けだる)い身体を、リリィへの憎しみで無理やり動かし、魔族はリリィの前にやってくる。

 

 そして、人外の膂力(りょりょく)で、思いきりリリィの鳩尾(みぞおち)爪先(つまさき)をめり込ませた。

 

 バアンッ!

 

 リリィが酩酊(めいてい)した瞬間に、彼女が周囲に張った結界が解けていたため、リリィは()き出しの岩壁に勢いよく叩きつけられた。

 岩壁に大きくヒビが入り、砕けた小さな岩々と共にリリィが地面にドサリと落ちる。

 

「えへへぇ〜……(いら)〜い♪」

 

 しかし、リリィは何の痛痒(つうよう)も感じることなくケラケラと笑っている。

 その様子を見て、魔族達が表情を苦々しく歪めた。あまりに彼我の実力が離れすぎていてダメージが与えられないのだ。

 

 「目に直接爪をぶっ刺すか?」「いや、口を開けさせて全力で魔術をぶち込んだ方が……」と物騒な相談をする仲間たちを尻目に、リーダーらしき単眼の魔族が言う。

 

「おい、お前ら。アイツの手足押さえろ」

 

 単眼の魔族の発言にピンときたその他のメンバーは、素早くその指示に従う。

 

「ふぇ?」

 

 突然両手足を押さえられたリリィは、魔族達が何をしようとしているのか分からず、ぼーっとした目に疑問の色を浮かべる。

 

 単眼の魔族はリリィのキャミソールドレスの胸元に手をかけて引き裂こうするが、リリィの強大な魔力で編まれたドレスのあまりの強度に裂くことができず、数秒悪戦苦闘した後で、しかたなく下からずり上げて脱がしにかかる。

 

 そこまで来て、ようやくリリィは“自分が何をされようとしているのか”を理解した。

 

「やめ()よ~~!」

 

 力はこもっていないものの、明確に嫌悪感が感じられる声。

 それに気を良くした魔族達は、リリィを裸にしようと張り切るが、

 

「うおっ!?」

 

「こいつ! なんつー馬鹿力してやがる!?」

 

 リリィに抵抗され、うまく脱がすことができない。

 

 薬でほとんど力を封じられているはずなのに、手足1本ずつにそれぞれ1人が全身でガッシリ組みついて、ようやく動きを抑えることができるという信じられない膂力(りょりょく)

 胴を(ひね)って寝返りを打とうとするような動作で、危うく身体ごと持ち上げられそうになり、腹や腕の肉を細い指で握り締められれば、その握力で肉が引きちぎられそうになる。

 

 女性としての本能が警鐘(けいしょう)を鳴らしたのか、酔って冷静な判断力を失っているにもかかわらず、リリィも必死だ。

 

 “犯されたくない”という単純な思いだけではない。

 “魔力をうまく練れない”ということは“性魔術が使えない”ということと同義。

 そしてそれは、“犯そうとする相手の精気を奪って抵抗することができない”というだけでなく、“避妊ができない”ということも意味するからだ。

 

 魔族達は必死の思いでなんとかリリィの動きを封じ込め、ドレスをずり上げた状態で固定することに成功する。

 未成熟な胸がさらけ出され、下着が丸見えになった状態に、リリィは酔って赤くなっていた顔をさらに真っ赤にさせる。

 単眼の魔族がリリィの下着に手をかけると、リリィは恥ずかしさのあまりギュッと目をつぶった。

 

 その時――

 

 

 バアンッ!!

 

 

 先のリリィが吹き飛ばされた光景を繰り返し見ているかのように、単眼の魔族が岩壁に叩きつけられた。

 

「ガッ!?」

「グッ!?」

「はっ!?」

「へぶっ!?」

 

 そしてリリィの動きを封じていた4人の魔族達が次々と殴られ、叩きつけられ、吹き飛ばされてゆく。

 

 彼らはリリィの動きを封じることに必死になるあまり、気づかなかった。……すぐ傍にまで、何者かが近寄っていることに。

 

 自由になったリリィは急いで服を直し、上体を起こしながら自分を助けてくれた恩人を見上げた。

 

 そこにいたのは、リウラでもヴィアでもない。

 リリィの知る誰でもなかった。

 

 ……しかし、つい最近見たことのある姿。

 

 2メートル近い長身に隆々と盛り上がった筋肉、それを相撲取りのように脂肪で(おお)ったずんぐりむっくりとした体格。

 緑色の体表を惜しげもなく晒し、身に(まと)うものは無骨な兜と腰布1枚……それと、腰に()いた1本の三日月刀(シミター)

 

 

 ――そして何よりも特徴的な、()()()()()()()()()()

 

 

 鬼族(きぞく)の一種――オークである。

 

 

***

 

 

 村一番のオーク族の戦士、ベリークは旅をしている。

 

 旅の目的は、“嫁探し”。

 

 オーク族は種族を問わず女性に人気がない。

 その見目の悪さだけでなく、獣のように三大欲求に忠実であるところや、後先考えない頭の悪さが原因だ。

 

 その性質から無理やり女性を(さら)ってきて嫁にしてしまうパターンも珍しくなく、『オーク』と聞くだけで顔を(しか)める女性すらいる。

 それはベリークの村も例外ではなく、彼の村に居る女性で心からオーク族の男性を慕っている女性は、ほぼ皆無である。

 

 しかし、ベリークは思った。

 

 ――村で最強の戦士である自分がモテないはずがない

 

 ――村の外に出て、この力を見せつけ続けていれば、いずれ美人で心から自分に惚れる女性が現れるに違いない……と

 

 ……しかし、現実は厳しい。

 

 1年近く旅を続け、その腕っぷしで賞金稼ぎを繰り返し、そこそこ名が知られるようになったものの、自分に惚れる女性はついぞ現れなかった。

 

 笑顔で()り寄ってくる女性は、すべてベリークではなく彼の持つ金が目当て。

 金遣(かねづか)いの荒いベリークが金を使い果たせば、潮が引くようにサーッと離れてゆく。

 

 そんなことを繰り返しているうちに、ようやく頭の悪いベリークでも“腕力だけで女性を魅了することはできない”と気づいたが、“そこからどうすれば良いか”が分からなかった。

 

 ベリークが求めているのは“心から自分に惚れてくれる”女性だ。だから腕力で女性を無理やり(さら)って嫁にしても、まるで意味がない。

 だが、腕力以外にとりえがなく、頭を使うことが苦手なベリークには“どうすれば女性が自分に惚れてくれるか”が分からない。

 ベリークはここ数日悩んでは酒を飲み、悩んでは外に頭を冷やしに行き、といった行動を繰り返していた。

 

 そんなある日の夜、いつものように悩み、いつものように頭を冷やしに外を散歩していたところで、ベリークの(とが)った耳がピクリと動いた。

 

(急に気配が……?)

 

 まるで気配を(さえぎ)るものを全て取っ(ぱら)ったかのように、突如(とつじょ)として現れた6つの気配。

 その特殊な状況から、明らかに厄介ごとの匂いがプンプンする。

 

 しかし、いいかげん嫁のことで頭を使うことに疲れてきていたベリークは“まあトラブルになっても、自分なら大丈夫だろう。むしろ、久々に身体が動かせていい”と考え、興味本位で気配へと足を向けた。

 

 そして(あん)(じょう)、そこで起こっていたのはトラブルだった。

 

 魔族が5人がかりで、1人の幼い少女を犯そうとしていた。

 興奮しているのか、皆、血走った眼で汗をかきながら必死で少女を抑え込み、彼女の服を脱がそうとしている。

 

 それを見てベリークは思った。

 

 

 ――なんて、みっともない

 

 

 嫌がる女性――それも10かそこらの少女に対し、5人もの成人男性が襲いかかる光景は、あまりにも醜悪。

 

 ベリークの村にも女性を(さら)ってくる者はいるが、ここまで酷くはない。

 飢えた狼のように女体(にょたい)に群がる様子は、まるで“腕力で女性を攫えば、自分もアレの仲間入りだ”とベリークに示しているようにも感じられた。

 

 

 だから、ベリークはあまりにも不愉快なその光景をぶち壊した。

 

 

 少女に群がる魔族達を(かた)(ぱし)から殴り飛ばし、蹴り飛ばす。

 三日月刀(シミター)は使わない。使えば、まだ幼い少女に血を見せることになる。

 

 魔族全員を少女から引き離したベリークは、吹き飛んだ魔族達から視線を外さないまま、かたわらにいるであろう少女に尋ねる。

 

「大丈夫か?」

 

 ……返事はない。(おび)えて返事ができないのか、はたまた気絶しているのか。

 “まあ、自分が気にすることではない”、と魔族達を追い払うことに集中しようとしたところで、右足に違和感を感じた。

 

 ベリークが右足に視線をやると、助けた少女が女の子(ずわ)りのままベリークの右足に抱きついてこちらを見上げている。

 

 あらためて見れば、かなりの美少女だ。

 雪のように白く瑞々(みずみず)しい肌、黄金を溶かしたかのように(つや)やかな髪、見る者に保護欲を抱かせつつも、女性として意識させずにはいられない整った顔立ち……年齢的にベリークの守備範囲からは外れているものの、非常に将来が楽しみな逸材(いつざい)である。

 

 このまま少女が張りついていては戦えないため、少女に足から離れるように言おうとすると、少女はベリークの右足をギュッと抱きしめて言った。

 

「助け()くれ()、ありが()う!」

 

 少女がベリークに向けた笑顔、それを見た途端、ベリークの頭の中は真っ白になった。

 

 その笑顔には何の含みもなかった。

 純粋に感謝の想いだけが込められていた。

 

 

 ――美しい

 

 ――笑顔とは、こんなに美しいものだったのか

 

 

 ベリークは知らない。

 

 少女――リリィは本来、非常に警戒心が強く、腹の中で色々考えるタイプであり、純粋な笑顔を向けるのは、本当に心を許した者だけであることを。

 今、リリィがベリークにそれを向けているのは、薬の影響で(ろく)に頭が回っていないがためだということを。

 

 リリィは、もともと恩義に厚い。自分が受けた恩に対してはきっちり感謝し、恩を返す傾向があるのだ。薬によって警戒心が奪われれば、それが前面に出てくる。

 だから、今のリリィは、初対面であるにもかかわらず、なんの裏表もなく、感謝を、好意を、ベリークに向けることができるのだ。

 

 ――幼いとはいえ、美少女が全身で好意を示してくれている

 

 それはベリークにとって、初めての経験であった。

 

 年齢を問わず、彼が今まで出会った女性達でベリークに純粋な好意を示してくれる者はいなかった。

 金に釣られて笑顔を見せてくれる女性はまだ良い方で、大半は嫌悪感を示したり、嘲笑ったり、あるいは無視した。

 それはベリークが悪い訳ではなく、種族に対する偏見が大きかったが、それでもベリークが傷つくことに変わりはなかった。

 

 ベリークは“この少女が幻ではないか”と、恐る恐る彼女の頭に手を伸ばす。

 そして、ゆっくりと頭を()でると、少女は一切嫌がる様子を見せず、「えへへ~」と笑った。

 

 その笑顔を見て、先程までは何の反応も見せなかったベリークの胸が、大きく高鳴った。

 

「……おい、何すんだテメェ……!」

 

 感動に水を差され、少々不機嫌になりながら、声の方向へベリークは視線を向ける。

 気絶する勢いで殴ったはずだが、存外頑丈だったようだ。

 

「……少し、離れていろ」

 

 自分で自分の声に驚いた。

 “自分はこんなにも優しい声が出せたのか”、と。

 

 ベリークに言われてコクンと頷いた少女は、うまく歩けないのか、ズルズルと膝を(こす)るように四つん()いでベリークから離れてゆく。

 

 気配がある程度離れたところで、ベリークは()()()()()()

 

 ベリークの身体から、光り輝く闘気が噴出する。

 

 ベリークが村で最強の戦士になれた、最大の理由がこれだ。彼には闘気を操る才能があり、粗削りながらも、それを自由自在に扱うことができた。

 その力強さは歴然で、彼の闘気を見たリリィは目を丸くし、魔族達は怯み狼狽(うろた)えている。

 

 

 

 その後の展開は一方的だった。

 ベリークの拳にボコボコにされた魔族達は、ひとたまりもなく退散したのである。

 

 

***

 

 

「どう? 何か分かった?」

 

「……数年前に出た睡魔対策用の香水ですね。おそらく、この迷宮で過去にコレを取り扱っていたのは“ラギールの店(ウチ)”だけだと思います」

 

 リリィが襲われた場所に落ちていた瓶――ヴィアが見つけ、拾ってきたそれを見て、リシアンは事もなげにその薬の正体を見破る。

 

 あの後、ヴィア達と合流し、水の貴婦人亭へと戻ってきたリリィ達。

 ベリークから事情を聞き、『お礼がしたい』というリリィの意思を尊重したヴィアは、ベリークを水の貴婦人亭に誘い、好きなだけ呑み食いさせることにした。お代は、もちろんリリィ持ちである。

 

 どうやらベリークはリリィに気があるらしく、先程からほとんどリリィとばかり話している。

 恩人であるためか、リリィも満更(まんざら)ではなさそうで、こちらも明らかにベリークとの会話の比重が大きい。

 

 まあ、それはそれでヴィアにとっては好都合だ。余所者(よそもの)を気にすることなく、リシアンと相談できる。

 

「市場に出回り始めてから数ヶ月で販売禁止になりましたから、ウチがこれを売った顧客を絞ることは可能でしょう。……その人物を探し出せるかはわかりませんが」

 

「販売禁止?」

 

「この香水を作った職人の助手が睡魔族(すいまぞく)の方なんですが……コレを悪用されて襲われたらしいんですよ。……幸い、未遂で済んだようですが」

 

 大体どういうことが起こったかを察し、ヴィアの(まゆ)がグッと中央に寄る。

 

 睡魔族は、みな総じて美人でグラマラスであり、彼女達との性行為は、他の種族では得られない極上の快楽を得られる。

 それらの種族的特徴は、彼女達が“性行為による精気吸収”を主食とするために得たものだ。

 

 

 だが、だからといって“誰でも簡単に彼女達と行為に及べるか?”といえば、それがそうでもない。

 

 

 彼女達、睡魔族にとって、“性行為”とは“食事”であると同時に“愛を確かめる行為”でもある。

 そして、そのどちらに比重が傾いているかは、個人の価値観によって大きく変わるのだ。

 

 リリィのように後者に大きく傾いている者は、自分が愛する者以外との行為に及ぶことは、まず無い。仮に精気を奪う必要があっても、性行為ではなく、淫夢(いんむ)を見せる形で奪う。

 これは原作のリリィも全く同じで、魔王からの命令でなければ、魔王以外との性行為に及ぶことはなかった。

 リウラやヴィア相手の性魔術は、あくまでパワーアップする必要に()られて、仕方なく行ったものなのである。

 

 逆に前者に大きく傾いている者は、性行為の相手を“食料”としか見ていない。つまり、性行為に及べば、その相手は精気を吸い尽くされて死ぬ確率が非常に高いのだ。

 

 本来は、そういった睡魔から襲われないようにするための魔法具なのだろうが……合意なく睡魔(極上の美女)を安全に襲う用途としても、非常に有用だろう。

 その発想に至った男どもの醜い欲望を思うと、そのおぞましさに、ヴィアは軽い吐き気を覚えた。

 

「そう……解毒薬は?」

 

「存在しますが、原産地……大陸南方にある工匠(こうしょう)の国、ユイドラから取り寄せる必要があります。時間経過でも回復しますから、今回は不要でしょうが……“もしも”の時のために取り寄せますか?」

 

「お願い」

 

 出回っている総数が少ないとはいえ、もし万が一同じ薬を持つ敵と出会ってしまえば、リリィという最大の戦力が唯の足手まといに成り下がる。それはヴィア達にとって、あまりに痛い。解毒薬は念のために確保しておくべきだろう。

 

「ベリークさ〜ん、呑むペースが落ちてますよ〜……ほら、こっちのお酒なんてどうです? さくらんぼのお酒ですよ〜」

 

「おお、それもうまそうだな……おっと」

 

 うわばみリリィのペースにつき合わされ、ベリークの手元が怪しくなり始めた。

 ベリークが酒に弱い訳ではない。リリィが強すぎるのだ。

 

 流石にこのままではまずい、と感じたヴィアがストップをかける。

 

「え~と、ベリークさんでしたっけ? 宿はとってるんですか? そろそろ戻らないと、この()に酔い潰されちゃいますよ?」

 

「む……」

 

 最近悩みに悩みまくったせいで、少しだけ回転が良くなった頭でベリークは考える。

 

 酔い潰されること自体は問題ない。ここに泊まってしまえば良いだけだし、これ以上酔いたくなければ呑まなければ良いだけの話だ。

 

 そんなことよりも、ベリークにとってはリリィとの会話を続けたい欲求の方がずっとずっと強かった。

 無邪気で、一心(いっしん)に好意を向けてくれて、それでいて先程からさりげなく気遣いをしてくれる美少女に、ベリークは首ったけになっていた。

 

 だが、リリィは見ての通りの幼子(おさなご)

 いくら睡魔族が夜の種族だとはいえ、今の時間は本来ならば夢の中にいなければならないはずだ。

 

 ならば、ここはいったん自分の宿に帰って、また翌日出直したほうが良いだろう。

 それに、別に酒を()()わすだけでなく、デートしたり何なりとリリィとの時間を作る方法はいくらでもある。

 

「……そうだな、俺もそろそろ自分の宿に戻るとするか」

 

「あ、じゃあ、私、送ります~! ヴィア、いっしょに来て!」

 

 無邪気な笑顔のリリィが元気に手を上げて宣言すると、ベリークはポンとリリィの頭に右手を乗せて首を横に振った。

 

「気持ちは嬉しいが、この時間は危ない。俺は大丈夫だから、今日は早く寝ろ」

 

「でも……いっぱいお酒飲んじゃって危ないですよ?」

 

 リリィが心配そうな顔をすると、ベリークは嬉しそうに笑った。

 当然だ。もともとが嫌悪されやすい種族である上に、高い武力を持つベリークを心配する者は老若男女を問わず、ほぼ皆無だ。

 

 だから、ただ心配して、気にかけてくれるだけでも嬉しいのに、それをしてくれるのが自分が惚れた相手……しかも美少女とくれば嬉しくならないはずがない。

 もっと身長と胸があれば言うことはないのだが、今まで出会った女が女であったので、不満などひとかけらもなかった。

 

「大丈夫だ。俺の強さはリリィも知っているだろう?」

 

 そう言うと、リリィは心配そうな顔を崩しはしないものの、コクリと頷く。

 ベリークは、そんな彼女の頭を優しく()でると、荷物と三日月刀(シミター)を持ち、終始ご機嫌なまま宿を去って行った。

 

 

***

 

 

 バタン……と宿の扉が閉じる。

 扉の方に視線を向けたままのリリィに向かって、壁に背をもたせかけて腕を組んだヴィアは声をかけた。

 

「……で? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 リリィは扉から視線を外さないまま言った。

 

「……いつから気づいてたの?」

 

 先程の間延(まの)びした口調が嘘のように、しっかりとした声――それは、先程までの彼女の酔った様子が演技であることをハッキリと示していた。

 

「ここに帰って来てからよ。……アンタ、最初は呂律(ろれつ)が回らないどころか、姿勢もグニャグニャで、頭も完全にバカになってたじゃない。それが、ある時からちゃんと会話を成り立たせて(しゃく)まで始めれば、そりゃ“治ったな”って分かるわよ」

 

「……」

 

 リリィは無言のままヴィアに背を向け続ける。

 そんなリリィの様子を見て、ヴィアは(ひと)つ溜息をつく。

 

「私はリウラやリューと違って、別に“アンタの悩みがどう”とかわざわざ詮索(せんさく)する気はないわ。1人で悩みたいなら、好きなだけ悩めば良い。……でも、それってアンタのことを何にも知らない赤の他人にチヤホヤさせて、ストレスを解消させてまで黙っているべきことなのかしら?」

 

 リリィは拳を握り締めて、唇を噛む。耳が痛い。

 

 ヴィアには完全に見透かされていた。

 

 幾人もの命を手にかけ、姉を人殺しにしようとして……その他いくつもの罪状を抱えていることを知らず、見た目通りの“庇護(ひご)すべき子供”としてリリィを扱うベリークは彼女にとって非常に都合の良い存在だった。

 

 まるで、自分が本当に何の(けが)れもない存在のように感じられる……これは、リリィの内面も、リリィがこれまで行ってきたことも知っているリウラ達では成せないことである。

 

 しかし、それはあくまでも現実逃避に()ぎない。ヴィアが言うとおり、ただのストレス解消の手段でしかないのだ。

 それは、つまるところ“リリィのストレス発散のためだけに、ベリークの気持ちを利用した”ともいえる。

 

 こうして自分のためだけに他人を利用したことで、またリリィの心に自己嫌悪という名の(おも)しがかかる。

 ……ヴィアはこう言っているのだ、『その負の連鎖を断ち切りたいなら、さっさと話してしまえ』、と。

 

 肩を震わせながら黙り続けるリリィに、ヴィアは思う。

 

(……いったい何してんのよ、リウラ。こういうのは、アンタの役割でしょうが……)

 

 ヴィア達が宿に帰ってきたとき、リウラは既にリューナを(ともな)って2階に消えていた。彼女達を呼びに行ったはずのアイも、なぜか戻ってこない。

 いったい何の話をしているのかは分からないが、どうやらもうしばらく、この面倒くさいご主人様のカウンセリングを続けなければならないらしい。……ヴィアは顔には出さずにうんざりした。

 

 ――ピクリ

 

 リリィの猫耳が動き、まとう雰囲気が戦闘時のそれに塗り替わる。

 

「……ヴィア、ついて来て」

 

「? いったいどうしたってのよ? 別に殺気もヤバそうな気配も感じないけど?」

 

 少なくとも宿の周辺、半径50メートル以内には、それらしきものを感じない。

 

「もっと先、私から見て前方300メートルくらい。ベリークさんの気配を追って」

 

 (いぶか)しげな様子でリリィの指示に従い、自分も猫耳を震わせながら気配を探る。

 

 そこで、ようやく何が起こっているかを悟った。

 

 ベリークの気配の周りに多数の気配。その気配の質からしておそらくは魔族の集団。うち1つは明らかにベリークよりも気配が大きい。

 どうやら、ベリークに殴り飛ばされた奴らが仲間を引き連れてお礼参りに来たらしい。つい数時間前のことだというのに、ずいぶんと仕事が早いことだ。

 

「早く行くよ。ベリークさんが危ない」

 

「……」

 

 ヴィアはガシガシと頭を()いて言った。

 

「アンタ、ついさっきどんな目にあったか、もう忘れたの? 私が行っとくから、アンタはサッサと寝てなさ……」

 

 ――バタン

 

「……」

 

 ヴィアの小言を聞き流し、サッサと出て行くリリィ。

 

 悩みによってリリィの心情が荒れに荒れていることが原因だろうし、それをヴィアも理解してはいるのだが……おざなりとはいえ、自分が心配して言った言葉を聞き流すどころか、扉を閉める音で(さえぎ)った彼女の行動は、地味に腹立たしいものがあった。

 

「……ああっ、もうっ!」

 

 腹立たしくも後を追わないわけにはいかず、怒りのあまりドスドス大きな足音を立ててヴィアも宿を出て行こうとする――

 

 ギュッ!

 

「リ、リシアン?」

 

 ――直前、リシアンが背後からヴィアの腰に抱きついた

 

「ヴィー、落ち着いて」

 

 そう言いながらヴィアを見上げるリシアンの瞳に心配の色を見て、ヴィアは(ひと)つ深呼吸をする。

 途端、自分の心のざわつきを感じ取った。どうやら自分の心が乱れていることにも気づかないくらい苛立っていたらしい。

 

「……うん、もう大丈夫よ。ありがとうリシアン」

 

「……どういたしまして。気をつけてね」

 

「うん」

 

 リシアンがスッとヴィアの首に手をかけ、背伸びして彼女の頬に唇を落とすと、ヴィアは顔を真っ赤にしつつ嬉しそうに微笑(ほほえ)み、2本の尻尾をゆらゆらと揺らしながら元気いっぱいに出発する。

 

 彼女が去った後も扉を見つめていたリシアンが、背後から自分に近づく足音を聞き取る。

 体重の軽そうな足音から女性だと推測し、複数の足音からそれがリューナ達だと悟ると、リシアンは振り返りつつ、ヴィアへの助っ人を依頼しようとする。

 

「姉さん、お願い……が……」

 

 リシアンの声が止まる。

 

 その理由は、リシアンの瞳に映る、姉と土精(アイ)のとても心配そうな表情と、

 

 

 

 

 ――いつもの明るさはどこに行ったのか……終始(けわ)しい表情を崩さない、リウラのただならぬ様子にあった

 

 

 

 

 

 




 冒頭(ぼうとう)でリリィが歌っている歌は、「戦女神2」の主題歌「魂の記憶」です。2番を通り過ぎた、本当に最後の方のフレーズになります。





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第四章 美少女とオーク 中編

 2メートル近いベリークですら、見上げなければ顔をうかがうことができない巨体。

 山羊のような大きな2本の角を頭部に備え、毛深い表皮を力強い筋肉が押し上げる。

 

 その迫力ある肉体に見劣りしない強力な魔力が全身から溢れ、持ち主の意思に従って炎へと変化し、辺りを煌々(こうこう)と照らしている。

 彼がこの迷宮で上位から数えた方が早いであろう実力者であることは、ベリークにもすぐに分かった。

 

 片膝をつき、息を荒らげて山羊魔族を見上げるベリークは、無事である箇所を探す方が難しい程に満身創痍(まんしんそうい)

 三日月刀(シミター)も、それを握っていた右腕も折れ、頭部からは際限なく血が溢れ出し、腹の肉が一部えぐれ、左足の甲は炭化している。

 

 まさに“絶体絶命”と呼ぶに相応(ふさわ)しい有様であった。

 

 にもかかわらず、ベリークの眼だけは死んでいなかった。

 彼の眼には強い意思の輝きが宿り、声高に叫んでいた――“ここで死んでなるものか。自分は村で最強の戦士。必ず生きてリリィと添い遂げるのだ”と。

 

「……そろそろ、この豚で遊ぶのも飽きてきたな……」

 

「……何?」

 

 巨体の魔族がボソリと(つぶや)いた次の瞬間、脂肪で膨らんだベリークの腹に、その毛深い巨腕がめり込んでいた。

 血反吐を吐きながら吹き飛んだベリークは、石造りの家に頭から突っ込み、倒壊させる。

 

 ベリークは仰向けに倒れたまま、起き上がることができず、うめき声を上げた。

 

「ほらよ。動けなくしてやったから、あとはオメエらの好きにしな」

 

 そう重く迫力のある声で山羊魔族が言うと、ばさりとコウモリの翼を広げて飛び立つ魔族がいた。

 リリィを襲った単眼の魔族である。

 

「ありがとうございます! テメエら、コイツは俺が()る! 手出しすんなよ!」

 

 そう叫ぶと、単眼の魔族は両手をベリークへと向け、彼の身の丈ほどもあろう大きさの魔力弾を作り出してトドメを刺そうとする。

 

 本当ならばもっと甚振(いたぶ)ってから殺してやりたかったが、本命は、あの憎たらしい睡魔の小娘だ。あまりダラダラとこの豚を(なぶ)り殺しにしていたら、飽きた山羊魔族が帰ってしまう可能性がある。

 一度薬の被害にあった以上、あの小娘は同じ誘いにのらないだろうし、仲間も彼女を1人にすることはないだろう。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……再びリリィに薬をかけるための()()()として。

 

 

 

 単眼魔族はブリジットの部下だ。彼は友とともにリリィへと襲いかかったのだが、彼自身は生き残り、友はリリィの斧槍(おのやり)に身体を真っ二つにされて殺された。

 

 

 ――しかし、あろうことか、主はリリィ達と同盟を結び、主やその部下達がリリィを殺すために動くことはなくなってしまった

 

 

 復讐心に囚われた彼は、自身の破滅も(かえり)みず、ただ友の仇を討つためだけに、ブリジットの元を離れて動き出したのである。

 他の4人も、彼と同じ思いを持って動く同志であった。

 

 主であるブリジットとリリィの戦いを見ていた単眼魔族は、まともにやれば山羊魔族であろうとリリィには敵わないことを知っている。

 だが、所用でブリジットの元から一時(いっとき)離れていた山羊魔族は、そのことを知らない。それを利用して舌先三寸で丸め込み“リリィ達は、卑怯な手を使って、ようやくブリジットから逃げ切った”と思いこませたのだ。

 

 リリィが山羊魔族と戦闘を開始し、彼を倒すまでの間に、上空から手持ちの薬を全てばら撒けば、一滴はリリィに触れるだろう。そうなれば、こちらの勝ちだ。

 

 性魔術は、別に睡魔族(すいまぞく)の専売特許というわけではない。精神的に無抵抗な相手であれば、単眼魔族のつたない性魔術であろうと、リリィの精神を支配できる。そうすれば、リリィを奴隷にすることも、リリィに自害を命じることも、思いのままだ。

 

 単眼魔族が、魔力弾を眼下のベリークへ向けて撃ち込もうとしたその時――

 

 

 

 ――遠方から回転しながら飛来した斧槍が、彼の身体を2つに断ち切った

 

 

 

「……は?」

 

 それが彼の最後の言葉。

 亡くした友と同じように、上半身と下半身が泣き別れになった彼は、“何が起こったのか理解できない”という表情のまま、力を失って落下する。

 

 バシィッ!

 

 単眼魔族の身体を通過した斧槍が、いつの間にか現れて空中で静止するリリィの右手に収まった。

 冷ややかにこちらを見下ろすリリィを見て、山羊魔族は面白そうに笑う。

 

「……へえ? お前が“リリィ”ってガキか?」

 

「……誰?」

 

「俺はカズィローク。ブリジット様の臣下だ。ご主人様の宝を奪って逃げたっていうテメェを()らしめに来たんだが……どうやら唯のコソ泥ってわけでもなさそうだな?」

 

 今の一撃――あれはリリィ自身が放ったものだ。

 

 宙を飛びながら斧槍を()び出して投擲(とうてき)し、敵を切り裂いた斧槍を追い越してキャッチしたのである。

 それを成し得る速度と器用さを見て、彼女が、先ほど遊んでやった豚(ベリーク)とは比べものにならないほどの実力者であることを理解し、“面白い戦いになりそうだ”と考えたのだ。

 

 対して、リリィは事情をようやく理解した。

 まがりなりにも協力関係を結んだブリジットが、このような手合いをリリィに差し向けるはずがない。おそらくブリジットの部下達に情報が誤って伝わり、独断専行を起こした結果がこれなのだろう。

 

 ブリジットにとって、オクタヴィア以外の部下など、単なる“駒”でしかない。“プライドを刺激されたから”とはいえ、あれだけ大量に部下を殺したリリィとあっさり同盟を結べるのが良い証拠だ。

 主の判断を(あお)がずに勝手に動く者など、傲慢(ごうまん)なブリジットにとって邪魔でしかないだろう。自分が殺してしまっても、なにも問題はない――リリィはそう判断した。

 

「リ、リィ……、俺に、かまうな……逃げ……」

 

 身体を起こしながら、苦しそうにリリィに撤退を促すベリークの声。

 彼の声を聞いたリリィは、空中から申し訳なさそうな視線をベリークに向ける。

 

「ごめんなさい、ベリークさん。この人達を片づけた後、すぐに治療しますから……もう少しだけ待っててください」

 

 そう言った後、リリィはまだ何かを言おうとしているベリークから視線を切り、山羊魔族やその配下達を厳しいまなざしで視界に収める。

 そして、スッと斧槍を後ろに引き、わずかに腰を落として脇構(わきがま)えに構えた次の瞬間、

 

 

 ――ベリークは彼女の姿を見失った

 

 

 山羊魔族を除いた全ての魔族が、血飛沫(ちしぶき)をあげて地へと沈む。

 

 ベリークが気づいた時には、リリィはいつの間にか地に降り立ち、山羊魔族の真正面に斧槍を向けた状態で立っていた。

 その小さな体躯(たいく)からは、己が闘気の何倍もの力強さで、すさまじい魔力が(ほとばし)っている。

 

 唖然(あぜん)とした表情で大きく口を開け、ベリークは呆ける。

 己が“護りたい”、“庇護(ひご)しなければならない”と思った存在が、まさか自分が足元にも及ばないほどの武力を持っていたことを知り、理解が追いつかなかったのだ。

 

「……やるなチビ。『ブリジット様から逃げ切った』ってのはダテじゃねぇってことか……おもしれぇ! だが、俺はあんな雑魚どもとは違うぜ! さあ、始めようか!」

 

 

 

 

 

「ううん、終わりだよ」

 

 

 

 

 

 その声が山羊魔族の背後から響き、彼の気が背後へと向いた瞬間、彼の口の中に一滴の(しずく)が飛び込んだ。

 

 やや大きめのその雫は、彼の喉を通り、気管を通過し、肺へと至ると、術者の魔力によって粉々に……目に見えないほど小さな粒にまで砕け散った。

 水蒸気へと強制的に分解・気化された水滴は、急激にその体積を約1700倍にまで膨張させ……魔力強化された水分子たちは、いともたやすく彼の肺を破裂させた。

 

 

 

 ――雫流魔闘術(しずくりゅうまとうじゅつ) 奥義 焙烙(ほうろく)

 

 

 

 バンッ!

 

 未熟なリウラの腕では、たった一滴分しか再現できなかったシズクの奥義は、山羊魔族を黄泉(よみ)に送るまでには至らなかったが、彼を硬直させ、その爆圧でもって、大きく口を開かせるには充分なものだった。

 

 直後、宙に召喚された水球が山羊魔族の口から侵入し、内臓をズタズタに引き裂いてゆく。

 眼を大きく見開いてその様子を見ていたリリィは、あっけなく命を散らし、どう、と倒れる山羊魔族の背後から現れた姿を見て、声を失った。

 

「お……ねえ、ちゃん……」

 

 現れたのは、いつも傍にいる姉の姿。

 しかし、今までの姉とは決定的に違う箇所があった。

 

 それは……眼。

 

 その眼は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()………………()()()()()()()()()

 

 

 

 ――人を殺した経験のある、()()()()()

 

 

 

 今までは存在しなかった(くら)い輝きが、その眼に確かに宿っていた。

 

 リリィは知った。

 

 

 山羊魔族を殺したことで、たった今、()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 動揺するリリィに向かってリウラが歩き出す。その後ろから、リューナとアイが姿を現した。

 呆然とした様子のリリィを、リウラはギュッと抱きしめると、彼女の耳元で懺悔(ざんげ)した。

 

「……今まで辛いことを押しつけて、ごめんね」

 

「……え?」

 

 何を言っているのか分からず、リリィは戸惑(とまど)う。

 

「私、ブリジット達と戦ったとき、リリィにばっかり人殺しをさせてた……」

 

 リリィが単眼の魔族達とケンカをするために宿を出て行った後、リウラはふと思い至った。

 

 

 ――リリィが悩んでいるのは、“自分が殺人を犯した罪悪感を自覚したからではないか?”……と

 

 

 リウラ自身、あれほどの罪悪感を覚えていたのだ。“リリィが人を殺しても平気だった”と考えるよりも、“自分達が生き残ることに精一杯で、罪悪感を感じる余裕がなかった”と考える方が自然である。

 

 あの会話の流れでリリィが青ざめたのも、“リウラが指摘することで、無意識に目を逸らしていた罪悪感と、強制的に向き合うことになったから”であれば、筋が通る。

 

 もし、このリウラの推測が当たっていたのならば――

 

「本当は、私も……! それを背負わなきゃいけなかったはずなのに……!」

 

 ――その苦痛、負担、そして罪は、リリィにばかり負わせて良いものでは決してなかった

 

 なぜなら、リウラが水精(みずせい)の隠れ里を出た目的は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だったのだから。

 

 だから、リウラは殺した。

 

 だから、リウラはリューナとアイに()()()した――『()()()()()()()()()()()()()()()()』、と。

 

 (さき)のブリジットとの戦いで、自分が人を殺すことに多大な抵抗感があることをリウラは知った。その後、なんとかオクタヴィアと戦闘することはできたが、結局、彼女は1度も人の形をしたものの命を奪うことはできていない。いざ自分が完全に命を奪う瞬間が訪れれば、隙だらけになってしまうであろうことが簡単に予想できた。

 

 だからリウラは頼んだのだ――『殺人に全神経を集中することで無防備になった自分を、あらゆる攻撃から護って欲しい』と。

 

 彼女達は了承した。

 それはリリィを護り続ける上でどうしても避けては通れない道であり、大切なものを護りたい想いを持つ2人にとって、その気持ちは痛いほどに理解できたからだ。

 

 そしてリューナは気配と魔力を隠蔽(いんぺい)する魔術を、リウラを含めた自分達に施し、そしてアイは万が一敵に気づかれた場合に備えて、彼女達を護る役割を引き受けた。

 

 だからこそ、リウラは全力で技に集中し、たった一滴(ひとしずく)であるにせよ“眼に見えないほど細かな水の粒子を分解・操作する”というシズクの奥義を放つことができたのだ。

 

 

 

 ――リウラの推測は、“罪悪感に関すること”という意味で、ほんの少しだけ当たっていた

 

 

 リリィは“自分が何者であるか”を悩んでいたのではない。

 “自分が殺人を犯しても何も感じないような人格破綻者であること”を否定したくて、その理由を過去(前世)に求めていただけなのだ。

 

 彼女は“罪悪感を自覚した”のではない。“罪悪感を自覚()()()()()”のである。

 

 その原因は、彼女が(けが)れのないリウラを見て無意識に抱いていた“姉にふさわしい自分でありたい”という望み。“平気で人を殺せる自分は、リウラの妹にふさわしくないのではないか”という恐れ。

 

 それが……リリィの悩みが、リウラを、愛する姉を追い込み……結果、彼女に“殺人”という大罪を犯させてしまった。……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ……しかし、リリィは謝らなかった。いや、()()()()()()

 

 ――謝れば、姉の決意や想い、覚悟を侮辱(ぶじょく)してしまうから

 

 だから、代わりにリウラを抱きしめ返し、右眼から一筋だけ涙を流しながら、こう言った。

 

「ありがとう……お姉ちゃん……」

 

「……どう、いたしまして」

 

 

***

 

 

 リリィの両手に淡い紫色の灯りが(とも)る。すると、ベリークの身体に刻まれていた傷や火傷が、見る見るうちに癒えはじめる。

 回復魔術を初めて受けたベリークは横たわったまま首を起こし、ものめずらしげに治りつつある自分の傷口を、しげしげと見続けていた。

 

「……ごめんなさい」

 

「む?」

 

 頭に疑問符を浮かべて、ベリークはリリィに顔を向ける。

 リリィはベリークの傷に視線を向けたまま、彼と目を合わせずに言葉を()いだ。

 

「……ベリークさんを……巻き込んでしまって」

 

「気にするな。こんなのはよくあることだ」

 

 実際、そう珍しいことではない。盗賊を初めとして、他人が身勝手な理由で襲いかかってくるなんて、この世界では日常茶飯事である。

 

「それだけじゃありません……私、ベリークさんを(だま)してました」

 

「……」

 

「本当の私は、あなたのイメージしているような“私”ではないんです。か弱くもなければ、無垢(むく)でもない……腹の底で打算を働かせて、私の都合のために動く。必要だったら人殺しだってする。それが“私”なんです」

 

「“私”は……あなたが想像しているような女性ではないんです。酒場での“私”は、演技だったんです」

 

 うつむくリリィの表情はベリークからは見えない。だが、ベリークにはなんとなく彼女が泣いているように思えた。

 ベリークは言った。

 

「今のリリィも演技なのか?」

 

「え?」

 

 思わず顔を上げるリリィ。

 

「今こうして俺を心配してくれていることも、申し訳なく思ってくれていることも、全て演技なのか?」

 

「違います! それは……!」

 

「なら、問題ない」

 

「へ?」

 

 ようやく視線があったリリィに向かって、ベリークは言う。

 

「俺は、お前を愛している」

 

 

 

 

 …………………………。

 

 

 

 

「……え、えええぇぇぇっ!? ちょっ!? いきなり何を言って!?」

 

 首筋まで顔を真っ赤に染めて、リリィは仰天(ぎょうてん)する。

 

「頼む。最後まで話を聞いてほしい」

 

「は、はい……」

 

 ベリークは語る。

 

 ――ずっと自分を心から愛してくれる女性を探していたこと

 

 ――“オークである”というだけで、ほとんどの女性が自分に見向きもせず、誰も自分を見てくれる人はいなかったこと

 

 ――……そして、ようやく自分と正面から向き合い、心から自分のことを考えてくれる女性――リリィに出会えたこと

 

「たしかに、俺はリリィのことを勘違いしていた。リリィは決してか弱くはない。無垢でないのも、たぶん本当だろう」

 

「だが、俺に感謝してくれたこと、俺に恩を返そうとしてくれたこと、俺を心配して助けに来てくれたこと……こうして俺を癒してくれることは、全部嘘じゃない。リリィが俺を“ただの醜いオーク”ではなく、“ベリーク”として見てくれていることは嘘じゃない」

 

「俺は、お前のそういうところに惚れた。“お前が俺のことを真剣に考えてくれている”ということが一番重要だった。それ以外のところなんて、どうでもよかった」

 

「だから、何も問題はない。俺は、リリィと出会えた幸運に、心から感謝している」

 

 リリィは理解した。

 

 あの時、泥酔状態から()めたリリィは、可能な限りベリークの好みに合うであろう自分を演じていた。思わず護ってあげたくなるような、可愛らしくて庇護欲(ひごよく)をくすぐる女の子を。

 

 しかし、ベリークが本当に見ていたのは、そこではなかった。

 

 リリィがより良く見せようとしていた“態度”や“しぐさ”といった(うわ)(つら)の部分ではなく、リリィの“心”……“想い”を見ていたのだ。

 そして、下心があったにせよ、リリィの“ベリークに恩を返そう” とする想いそのものには嘘がなかった。だから、ベリークは『問題ない』と言ったのだ。

 

「でも……私はベリークさんに恩を返そうとするだけじゃなくて……私は、ベリークさんに優しくしてもらいたくて。だから、可愛い女の子を演じて……」

 

 『純粋な恩返しだけでなく、自分の欲も混じった不純な想いだったのだ』とリリィは懺悔(ざんげ)する。

 それを聞いて、ベリークは不思議そうな表情を浮かべた。

 

「……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

「……え?」

 

 ベリークが何を言っているのか分からず、リリィは戸惑(とまど)う。

 

「俺は言ったはずだ。『俺と真正面から向き合ってくれたのは、リリィだけだった』と。俺に恩を感じ、返そうとしてくれたリリィは、まちがいなく今まで出会ったどの女達よりも良い女だ。それを、なぜ否定する?」

 

「お前の知っている“誰か”は、純粋に相手のことだけを考えられるのかもしれない。だが、そいつとリリィを比べる必要がどこにある?」

 

 ――リリィの脳裏に、リウラの姿が()ぎる

 

 リリィは今までずっとリウラと自分を無意識に比較し続けていた。

 優しく、純粋で、(けが)れを知らない姉。対して、平気で他人を傷つけ、自分の利を追及し、あまつさえその姉に対して無自覚に殺人の指示を出す自分……リリィは知らず知らずの内に、リウラに対して劣等感を抱いていた。それを(くつがえ)すための理由を、前世の記憶を(あさ)ってまで必死に探していた。

 

 だが、ベリークは言ってくれた。『誰かと自分を比べる必要はないのだ』と。

 『たとえ、その行動に下心があろうと、平気で人を殺すことができようと、()()()()()()()()()()』、『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()』と。

 

「誇れ。胸を張れ……俺の惚れた女は、思いやりのある良い女だ」

 

 リリィの中で確固とした自信が、“自分”が形作られてゆく。

 呆けていたリリィの顔が、ゆっくりと(ほころ)びていった。

 

「……はい」

 

「……いい顔だ」

 

 ベリークと見つめ合うリリィの笑顔――今までどこか危うく揺れていたリリィの瞳に、たしかな自信が宿っていることが、ベリークには分かった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()禍々(まがまが)()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

(……まいったな、簡単には返せない恩ができちゃった)

 

 リリィは心の内で苦笑する。

 

 ――“前世の記憶”という根拠を失い、あやふやになった“自分”という存在

 ――原因は分からないが、非道なことを罪悪感なしに平気で行える自分に対する嫌悪感

 

 こうした自分を否定する感情を、ベリークはあっさりと取り払ってくれた。この恩は、ちょっとやそっとじゃ返せそうにない。長い時間をかけて少しずつ返していくしかないだろう。

 

「……リリィ」

 

「……はい」

 

 ベリークはリリィから視線を外し、迷宮の天井へと視線を向けながらリリィに()いた。

 

「お前は、狙われているのか?」

 

「……はい」

 

 正確には、今しがた襲ってきたブリジットの部下たちではなく、ディアドラや怪しげな黒ずくめの女に狙われているのだが、リリィが狙われていることに違いはない。

 

「今の俺では、太刀打ちできない相手か?」

 

「……はい」

 

 ベリークの実力は確かに高いが、リリィと契約する前のヴィアにすら劣る程度でしかない。闘気の出力はなかなかのものだが、それを操る技術は荒く、つたない。

 水蛇(サーペント)を使い魔として使役(しえき)するようなディアドラや、ヴィアに何もさせずに気絶させることができるクロ相手に戦えるとは、とても思えない。

 

「……そうか」

 

 すでにリリィの両手から光が消え、完全回復していたベリークは立ち上がると、リリィに背を向ける。

 

「待っていてくれ」

 

「え?」

 

「俺は、必ずお前を護れるだけの実力を身につけて帰ってくる。そして、お前をつけ狙う奴らからお前を護って見せる。……だから、それまで待っていてほしい」

 

 リリィは『危ないからやめてほしい』と言おうとして……結局、言えなかった。

 

 首だけ振り返ってリリィを見つめるその瞳には、強い意志を感じた。それは、“惚れた女を護りたい”という男のプライドの表れなのであろうか? ……リリィにはその想いを否定することがどうしてもできなかった。

 

 だから、リリィはただ一言(ひとこと)だけ、こう返した。

 

「……はい」

 

 リリィの返事を聞いたベリークは無言で去って行った。

 

 去りゆくベリークの背を見ながら、リリィは思う。

 恩人である彼を、半端ではなく危険な自分達の事情に巻き込みたくはない。しかし、おそらくは大丈夫であろう。今のリリィに追いつくためには数か月やそこらの鍛錬ではまず無理だ。

 

 それでも追いつかせるには、他者から精気を奪うなどの外法(げほう)の技が必要となるが、オークである彼にそのような知識も、扱う頭も、魔力もあるまい。彼の実力が今のリリィに追いつくころには全てが終わっているはずだ。……そのとき、リリィが生きているか、死んでいるかは別として。リリィは、そう自分に言い聞かせた。

 

「……へぇ~、いい男じゃない。リシアンには負けるけど」

 

「……ヴィア、今まで何してたの」

 

 リリィがジト目で振り返れば、そこにはニヤニヤと笑う猫獣人(ニール)の姿。

 

「何してたも何も、手伝う間もなくアンタがあっさり片づけちゃったじゃない。その後は、なんか入りづらい雰囲気作っちゃうし。だから、リュー達の掃除を手伝うために道具を取りに行ってたのよ」

 

 そう言って右手に持ったバケツを持ち上げて見せる。中には雑巾や“究極の洗剤”と書かれた箱が入っていた。

 

 リリィのように精気で肉体を構成するタイプの魔族の死体や血痕(けっこん)は消滅したが、そうでない者の亡骸(なきがら)無残(むざん)に転がっている。

 翌朝、衛兵団が片づけるのを待ってもいいが、この近辺の住人のことを考えれば、自分達で片づけておくべきだろう。

 

 リウラ達3人は、ベリークとリリィが2人きりで話している間、せっせとそれらの死体を片づけていたのである。死体を埋めるためのスコップや、血を洗い流すための水などがヴィアの持ち物に無い理由は、地面を操るアイと水を操るリウラがいるためだろう。

 

 (わる)びれなく話すヴィアに、リリィは溜息をつこうとして……ふと気づいた。

 

(……あれ? 私、罪悪感が戻ってる?)

 

 ベリークに対する懺悔、あれはリリィに罪悪感がなければ有り得ない行動だ。

 今まで人を殺す時にさえ感じていなかった罪悪感を、ある時からずっと感じていた。

 

 “いつからだろう?”と考えて……思い至る。

 

 ――ヴィアに飲まされた時からだ

 

 無理やり飲まされたアルコールが、リリィのストレスを緩和し、リリィの心の奥底に眠っていた罪悪感を表面に引っ張り出してくれたのかもしれない。

 “酔っていない、酔っていない”とずっと思い込んでいたが、どうやら、最初からリリィは酔っていたらしい。

 

 今まで罪悪感が出てこなかった理由は未だ不明なままだが、リリィの心の芯となる部分は変わっていなかったようだ。

 自分の中に良心がきちんと存在していたことに、リリィは少し安堵(あんど)した。

 

 リリィはフッとヴィアに笑顔を浮かべる。

 その笑顔の意味が分からず、怪訝(けげん)な表情になるヴィアに、リリィは言った。

 

「ヴィアには、お礼を言わないとね」

 

「お礼?」

 

「お酒、ごちそうさま」

 

 そのどこか含みを持たせた言い方と、重荷を下ろしたようなすっきりとした表情の笑顔に、どうやらリリィの悩みが完全に晴れたらしいことをヴィアは知る。

 ようやく面倒事が片づいたことに安心したヴィアは、“やれやれ”といった表情でリリィに言う。

 

「……あれ、高かったんだから。今度なんか(おご)りなさいよ」

 

「うん、考えとく」

 

 リリィとヴィアは掃除の手伝いをするため、肩を並べてリウラ達のところへ向かって歩き出す。

 ……と、そこでリリィの足が止まった。

 

「……あ」

 

「今度は何よ?」

 

 リリィは重大なことに気づいた。

 

 

 

 

「……私、ベリークさんに告白の返事してなかった」

 

 

 

 

***

 

 

 ――カランコロン

 

「いらっしゃい、リリィさん」

 

「いらっしゃいませ~、リリィ様」

 

「こんにちは、リシアンさん、ヨーラさん」

 

 一夜明けた翌日の昼、リリィは“ラギールの店”へと(おもむ)いた。

 カウンターには、店主であるヨーラと前店主であるリシアンがおり、営業スマイルとは少し違った、知り合いならではの親し気な笑顔で迎えてくれる。

 

 リリィは店に入るや否や、並べられている商品には目もくれず、まっすぐにリシアンに向かって歩き、カウンターに身をのり出して言った。

 

「リシアンさん。“ラギールの店”って、ちょっと特殊な物でも取り寄せられますか?」

 

「……物によりますけど、大抵(たいてい)の物はできますよ?」

 

 リリィの言う“ちょっと特殊な物”がどういったものかは分からないが、利益のためならば客も商品も選ばないのが、商会の主であるラギールだ。

 お金さえあれば、よほどのものでない限り、まず間違いなく手に入る。それこそ育児用品から人身売買まで、なんでもござれだ。

 

 リリィはその答えに一つ頷くと、まっすぐにリシアンの眼を見て、望む品を口にした。

 

「魔王の魔術すら無効化するという“女神の指輪”が欲しいんですが……」

 

 

 ――絶句

 

 

「……具体的に何を指しているのかは分かりますが、さすがにそれは無理ですよ」

 

「いくら払っても?」

 

「無理です」

 

 「国宝ですよ?」とリシアンは肩をすくめる。

 

 リリィが言っているのは、レルン地方西部にある国の国宝の一つ。

 ユークリッド王国から真っ直ぐ南下し、セアール地方を越えたところにあるその国では、今から16年ほど前に国を揺るがす騒乱が起こっており、その際に使用されたことで広く知られるようになったのが、リリィの言う“女神の指輪”である。

 いくらなんでも、国の宝を売ってもらうのは流石に無理がある。

 

「じゃあ、触れた物の魔力を吸収するという伝説の箒を……」

 

「だからそれも国宝ですって」

 

 こちらも同じ国の勇者が振るったとされる伝説の武器(?)である。当然こちらも国宝だ。手に入れられる訳がない。

 

「そう、それは残念……“ラギールの店”だったら、盗んででも仕入れてくれると思ったのに」

 

「……リリィさん、ウチを犯罪組織か何かと勘違いしてません? ……いや、密輸商ではあるんですけれど」

 

 冷や汗を流すリシアンを見て、クスクスと笑うリリィ。その様子に、どうやら冗談を言っていたらしい、とリシアンは気づく。

 

 ……そして安心する。昨夜リリィの悩みが解決したことを想い人(ヴィア)から聞かされてはいたが、こうして笑顔で冗談を言えるリリィを見て、それを実感したのだ。

 

 だが、冗談半分ではあったものの、『残念である』と言ったリリィの気持ちは本音だった。

 

 ――極端な話、リリィの危機はディアドラさえいなければ簡単に回避できる

 

 魔王の封印は一定以上の魔力と、魔王の知識さえあれば無理やり解除できる。

 リリィの精気を狙う彼女さえいなければ、リリィは魔物を倒しながら最低限封印を解除できるだけの精気を蓄えて、こっそり人間達にばれないように封印を解くだけで良いのだ。

 

 そうすれば、魔王の肉体に残った莫大な魔力を使って、魔王の魂をリリィから切り離し、魔王の新しい肉体を(つく)って、さっさとおさらばできる。

 “人間族による封印強化が完成するまで”という時間制限はあるものの、難易度は桁違いに低下するはずだ。

 

 ディアドラは魔術師。ならば、彼女の持つ手札の多くは魔術によるものだろう。

 となれば、魔術を封じる指輪があればその脅威の大半が消える。今のリリィ達でもディアドラに勝てる確率がグッと上がるのだ。魔力を奪う箒を求めた理由も同様である。

 

 リリィの笑いが治まると、今度は真剣なまなざしでリシアンと眼を合わせる。

 今度はきちんとした商談のようだ。リシアンも居住まいを正す。

 

 リリィはそれを見た後、あらためて本題となる依頼を述べた。

 

 

「“ザウルーラ”という剣を手に入れてください」

 

 

***

 

 

 ――暗黒剣 ザウルーラ

 

 原作に“最高ランクの武器”として登場する闇属性の長剣だ。

 

 魔王の封印を解く過程で、封印を強化しに訪れる姫や、その護衛と戦闘になる可能性は決して低くはない。

 魔王を封印できるほどの魔力を持つ姫や、それに準ずる力量を持つ護衛達とリリィが戦った場合、並の武器では彼女達に歯が立たないことも充分に考えられる。……場合によっては、さらなる成長をとげるであろうリリィ自身の力に武器が堪えられないことも。

 

 武器使いであるリリィにとって、それは致命的だ。“ラギールの店”には英雄が使ってもおかしくない逸品(いっぴん)(そろ)ってはいるが、相手が勇者クラスと考えると少々心許(こころもと)ない。

 そのため、リリィはどうしても……それこそ莫大な借金を背負ってでもこのクラスの武器を最低1つは手に入れておきたかった。

 

 同クラスの武器の中でこの剣を選んだのは、“斬ったものの魔力を奪う”という先ほど話題に上がった伝説の箒と同様の特殊能力を持つためである。

 

 メリットは“ディアドラに対抗できる武器”というだけではない。

 睡魔族(すいまぞく)であるリリィは精気吸収を得意とするため、剣が奪った魔力をスムーズに吸収・運用できる。そのうえ、闇属性であるこの剣は、魔族であるリリィとの親和性が高い。

 

 つまり、“リリィに最も相性がいい武器”と言えるのだ。

 

 原作では魔王が自身で錬金・合成して創造するこの武器は、その作成方法を得る過程が全く描かれておらず……魔王がどこかからレシピを手に入れるのか、はたまた魔王自身が研究してレシピを(つく)り上げるのか、リリィが魔王の魂を検索しても、彼の知識の中にこの剣の作成方法は存在しなかった。

 

 しかし、この剣は“姫狩りダンジョンマイスター”と同じ世界の別作品でも登場する。それも、リリィの物語とほぼ同時期に起こった作品の中で。

 それに気づいたリリィは、朝のうちにヴィアを通じてアルカーファミリーお抱えの情報屋に、こう()いた。

 

 

 ――『()()()()()()()()()()()()()()()工匠(こうしょう)()()()()()()()?』と

 

 

 答えは――『YES』。

 

 “神採(かみと)りアルケミーマイスター”の主人公 ウィルフレド・ディオンは、魔神アスモデウスから授けられた先史文明期(せんしぶんめいき)の科学技術を基に、3つの発明をする。

 

 1つ目は手術台。2つ目が培養槽(ばいようそう)

 

 

 ――そして最後の1つが、“ザウルーラ”なのである

 

 

 国宝である指輪や箒は、まず手に入らない。

 

 ――だが、職人が自身の手で(つく)り上げたものなら?

 

 交渉次第だが、入手できる可能性は充分にあった。

 

「ユイドラの工匠……それも次期領主候補の方の作品ですか……」

 

 リシアンの紫の瞳が宙を泳ぎ、眉間(みけん)にグッと(しわ)が寄る。

 

 国宝よりはまだ入手できる可能性があるとはいえ、それでも入手は困難。

 剣として最上級の代物(しろもの)……つまり“扱いに注意を要する危険物である”というだけでも滅多な相手には渡ないうえ、仮に渡すとしても、眼の色を変えて手に入れようとするライバル達が星の数ほど現れるだろう。

 

 なにしろ、工匠の都市国家 ユイドラの次期領主候補 最有力と評される人物の作だ。その切れ味、威力、頑丈さが並であるはずがない。

 

 そもそもリリィの話を聞く限り、売りものでない可能性の方が高い。

 

 リリィ(いわ)く、『ザウルーラの情報は未だ出回っていない』。

 情報屋によると、ウィルフレドの作品の中に該当する剣は存在せず、当時の発明はあくまで“手術台のみ”とされているらしい。なのに、どうやってリリィがザウルーラの情報を入手したのか……。

 “原作知識がソースである”など知りようはずもないリシアンには分からないが、製作者が|公表していない以上、そこには“公表したくない理由”があるはずである。

 

 そこまで考えたリシアンは、ひとつ頷いて言った。

 

「わかりました。私が直接ウィルフレド氏と交渉いたしましょう」

 

「え?」

 

 リリィは驚く。

 てっきり、“現地付近の店の者が交渉してくれる”と考えていたからだ。そのことについて()いてみると、リシアンは苦笑する。

 

「大陸南方には、“ラギール(ウチ)の店”は無いんですよ」

 

「え……? でも、昔、“誘惑の香水”を取り扱ってたことがあるって……」

 

「仕入先は有りますよ? けれど、彼らに交渉力は期待できません」

 

 リリィが“ユイドラ近辺にもラギールの店がある”と誤認していた理由は、リリィを無力化した魔法具 “誘惑の香水”を、この店で一時期取り扱っていた、という点にある。

 

 というのも、この薬を発明したのも、なにを隠そうウィルフレドその人なのである。

 

 例の事件によって、その危険性から製法が秘匿(ひとく)されているため、他の国でも製造されているとは考えづらく、てっきり密輸商である“ラギールの店”の商人が、ユイドラで直接仕入れているものと勘違いしていたのだ。

 

 ところがリシアンによると、実際にはそうではなく、ユイドラ近辺に居を構える複数の仕入先から仕入れているのだという。

 “ラギールの店”の直接の関係者ではないため能力にバラつきがあり、重要な交渉を任せることはできないらしい。それならば、直接リシアンが交渉に(おもむ)いたほうが、よほど入手の可能性がある。というのも……

 

「実は、一度経験があるんです。……お客様のプライバシーに関わるので、あまり(くわ)しくは話せないのですが、“()()()()()()()()魔導鎧(まどうよろい)()()()()()()()()()()()奇特(きとく)()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ――リリィの頬が引きつった

 

 

「当然、そんな変わったものを造ってくれるような方は、なかなか見つからなかったんですが……大陸南方の方まで調査して、ようやく引き受けてくださったのがウィルフレド氏のところで働いている助手の方だったんです」

 

「ところが、その方が出された条件がかなり難しいものでして……しかたなく、当時、私を指導してくださっていた先輩と、私が直接交渉にうかがったんですが……リリィさん、どうされました?」

 

 リリィは、頭を抱えてカウンターに()()していた。

 

(……まさか、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……)

 

 ほぼ間違いなく、ゴーレムだった頃のアイが身に(まと)っていたトンデモ鎧の話である。あんなものが2つも3つもあるとは思えない。リシアンの『なかなか見つからなかった』という言葉も、それを証明している。なんだか、ドッと疲れた気がしたリリィであった。

 

 それはさておき、先程のリシアンの話にはリリィにとって気になる点があった。

 

「その“助手”というのは、どんな方なんですか……?」

 

「メルティさんという睡魔族(すいまぞく)の女性です。人間族ではないので、人間族の都市であるユイドラでは正式な工匠として認められていませんが、鎧に関してはかなりの腕前を持った職人のようです」

 

 

 ――誰?

 

 

 聞いたことのない……いや、()()()()()名前。

 

 リリィの知るかぎり、()()()()()()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 登場する睡魔族もたった1人……“シャルティ”という名の女性で、職人どころか、働かず自由気ままにふらふらするような人物だったはずだ。

 

(……いったい、どういうこと?)

 

 リリィの知る原作知識との差異……それは、いったい何を意味するのか?

 リシアンに続けて質問するも、結局答えは得られなかった。

 

 

 ――翌日、彼はわずか1日で店を辞めて、護衛代わりの姉と共に、“ザウルーラ”を求めてユイドラへと旅立つのであった

 

 

***

 

 

 ――それから、約1ヶ月の月日が()った

 

 リリィ、リウラ、ヴィア、アイの4人は、その間に考え得るかぎりの準備を進めた。

 

 なんの準備か?

 それは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 リリィ達が姫を襲う理由は3つ。

 

 ――1つめは、封印の儀式そのものを止めること

 

 ヴィアと出会った際にリリィが胸の痛みを感じたことから、封印は既にリリィの体調にわずかでも影響を与えるレベルにまで達していることが分かる。

 

 仮に次の儀式が行われた場合、リリィにどの程度の影響を与えるかは完全に未知数。ひょっとしたら前回のように“少し胸の痛みを感じる”程度で済むかもしれないが、へたをすればリリィの命に関わるかもしれない。

 リリィ達は一刻も早く、これ以上の儀式を阻止する必要に迫られていた。

 

 ――2つめは、魔力の確保

 

 水蛇(サーペント)の魔力を吸収し、ブリジットの軍勢の魔力を奪ったリリィの魔力は、ちょっとやそっとの魔力ではパワーアップできないほどに強化されてしまった。

 

 リリィがさらに成長するためには、最低でもブリジット級の魔力を吸収する必要がある。

 しかし、彼女とは同盟を結んでしまった以上、その魔力を奪うことはできないし、魔力の提供を呼びかけても彼女の性格から断られることは必至。

 

 迷宮をより深く(もぐ)り、探索すれば、それなりの強者がいるかもしれないが、封印強化の儀式は1ヶ月周期。1ヶ月の間に、封印を解けるレベルにまでリリィが成長できなければ、その時間が丸々ムダになる。

 それならば、その1ヶ月の間に姫たちを襲う準備を済ませておき、魔王を封印できるほどの強大な魔力を持つ姫や、彼女を護る護衛達の精気を奪う方が、確実性が高いと判断したのだ。

 

 ――3つめは、魔王が封印されている場所の把握

 

 原作で、いちおう魔王の封印場所は判明しているものの、あくまでも原作はゲーム。現実の複雑な迷宮が完全再現されている訳ではなく、ゲームを楽しめるよう極めて簡略化されている。

 つまり、原作知識を持つリリィであろうと、魔王が封印された場所を正確には把握していないのだ。

 では、どのようにして場所を把握すればよいだろうか?

 

 ――簡単だ。()()()()()()()()()()()()()

 

 そう、魔王を封印した張本人――ユークリッド第三王女 シルフィーヌならば、確実に魔王を封印した場所を知っている。

 

 ならば、シルフィーヌを襲い、魔術でその記憶を確認すれば、確実に正確な魔王の肉体の在処(ありか)が分かる。

 これは、ディアドラに(さき)んじて魔王の肉体を確保するために、絶対に成さねばならないことであった。

 

 

 ――リリィは頑張った

 

 恋人(リシアン)親友(リューナ)からの手紙を片手に『さみしい』と愚痴(ぐち)使い魔(ヴィア)(なだ)めながら、これからの作戦を立て――

 

 寝物語に“神殺し”の話をせがむ(リウラ)に、彼女が満足するまで語った後、性魔術で昇天させて姉の魔力を強化し――

 

 周囲に比べて明らかに戦闘力が低いことに悩む土精(アイ)に、とりあえず性魔術でリリィの経験を転写してみる。

 

 

 ――休む暇もない密度の濃い毎日

 

 

 そうした作業の合間を縫い、倒して精気を奪った魔物は数知れず。少しずつではあるが、リリィの魔力は天井知らずに上がってゆく。

 リリィから魔力が供給されるヴィアも、その恩恵にあずかって、少しずつパワーアップ。

 

 “これなら、まあ大丈夫だろう”と思えるだけの魔力を手に入れたリリィは、以前、水の貴婦人亭の告知板に貼られていた、例の蜥蜴人族(リザードモール)一族を配下に加えようとその住処(すみか)を訪れるも、中はわずかな留守番を残してもぬけの殻となっており、肩すかしをくらった。

 

 どうやら、“迷宮に出現した巨人族の女性がブリジットの軍を壊滅させた”という噂を聞いて、戦闘狂(バトルマニア)の血が騒ぎ、捜索&討伐に向かったらしい。

 “具体的にどこに向かったか”、“いつ帰ってくるか”は分からないようだ。

 

 心当たりのありすぎる(誤って伝わった)噂に、思わずアイを見つめるリリィ達の視線から、アイは冷や汗を垂らして眼を逸らした。

 

 ()の一族は“自分より強い者に付き従う”という、単純(シンプル)で野性的な性格の持ち主ばかりだったので、倒す実力さえあれば簡単に手に入る即戦力だったのだが……なんともはや、残念なことである。

 

 迷宮の地理についても、姫たちが通るであろうルートを絞り込み、可能な限り頭の中に叩き込んだ。

 周辺の地理に詳しく、さらには優秀な情報屋を抱えるヴィアと、大地と感応することで迷宮の構造を把握できるアイ……そして迷宮内を走る水流を感知できるリウラがいるからこそ、ほんの一部とはいえ広大な迷宮の調査を、この短期間で完了することができた。

 

 この他にも、できる限りの準備を進めてきた。

 

 

 

 

 ――リリィが、今こうしてユークリッド王宮の庭園に居るのも、その一環(いっかん)である

 

 

 

 

 



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第四章 美少女とオーク 後編

「ふーん……魔王が復活しちゃったらみんなが困るんだから、エステル様も自分の国の兵士をいっぱい連れて来てあげたらいいのにね?」

 

「それだけエステル様が強いってことじゃない?」

 

「僕たち庶民には分からないけど、政治的なものも関係してるんじゃないかな?」

 

 色とりどりの花が咲き誇る庭園。様々な種の花々がある種の統一感を持って庭を(いろど)(さま)は、さながら絵画のように芸術的だ。

 

 そんな庭園の一部に腰を下ろして弁当を囲む若者たちが、サンドイッチを食べながら会話に花を咲かせていた。

 

 1人は、この庭園を一手(いって)に管理する庭師(にわし)、エミリオ。

 

 黒い髪に紅い瞳をした、優しげな面持(おもも)ちの青年だ。

 その体格は非常に華奢(きゃしゃ)で、10代後半の年齢であるにもかかわらず、背丈も腕の細さも10歳のそれとほとんど変わらない。

 庭師の服とは到底思えない、どこか毒々しいデザインの作業服を(まと)っているが、おだやかで柔らかな雰囲気を持つ彼には、まるで似合っていなかった。

 

 2人目はエミリオの幼馴染であるコレット。

 

 短めに整えられた桃色の髪に白い羽の髪飾りをつけた、16~17歳程の少女である。とても快活な性格で、その金の瞳は今も元気いっぱいに輝いている。

 料理上手な彼女は、時折こうして弁当を作ってエミリオに持ってきてくれる。“用事のついで”とはいえ、わざわざエミリオのために時間を()き、足を運んでくれる彼女に、エミリオは素直に感謝していた。

 

 そして、最後の3人目……紺のフードつきローブを羽織(はお)った、10歳くらいの少女。

 

 フードから(のぞ)くその容貌(ようぼう)はとても整っており、金の髪も紅い瞳も、まるで高名な職人が作った人形のように美しい。

 

 『リリィ』と名乗るこの少女は、今から半月ほど前に突如(とつじょ)としてこのユークリッド王宮の庭園に現れた。彼女はエミリオが育てた花々に興味があるらしく、どこからともなく現れては、エミリオと花について語り合ったり、一緒に花の手入れの手伝いをして、エミリオが気づいた時にはいつの間にかいなくなっている……そんな子だった。

 その美しさと、あか抜けた雰囲気から、“おそらく、この少女はどこかの貴族の子で、こっそりとお忍びで来ているのだろう”と、エミリオは考えていた。

 

 

 ――が、実際の事情は180度真逆(まぎゃく)

 

 

(……なるほど、原作で魔王様が『救国(きゅうこく)姫君(ひめぎみ)を護るには、過小な戦力』って言ってたけど、裏ではこういう事情があったんだ……)

 

 城壁の外に造られた庭とはいえ、まさか()()()()()()()()()()堂々(どうどう)()()()()()()()()()()()()()などとは、エミリオには思いもよらなかった。

 

 

 実はこの庭園……原作において、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 衰弱した魔王の魂を抱えた原作のリリィが、『地上に行って、強い肉体を探せ』という命令に従って必死に走り、出た先が、よりにもよって敵地のど真ん中だったのだ。

 

 それだけの情報があるのなら、あとはヴィアや情報屋から地理情報を仕入れ、リリィが魔王の魂を見つけた場所を中心に、アイの大地感応で探れば、この庭園への道はすぐに見つけることができる。

 こうして、リリィはあっさりとユークリッド王国への侵入に成功したのだった。

 

 ちなみに、“魔物だらけの迷宮の上に、なぜ城を造るのか?”、“なぜ、迷宮と繋がる穴を見逃すほどに、地上の人間の警戒心が薄いのか?”と、疑問に思うかもしれないが、これには、この地下迷宮の巨大さと、そこに棲む魔物の性質が関係している。

 

 まず、地下迷宮の上に城が建てられている理由だが、これは単純に“誰も全容が把握できない程に、迷宮が広すぎるため”である。

 “大陸すべてに張り巡らされているのかもしれない”と疑うほどに広いため、迷宮を避けて城を建てることができないのだ。というよりも、“国ができた後に調べてみたら、地下に迷宮があった”と言ったほうが適切である。

 

 次に、迷宮に対する地上の人間達の警戒心が薄い理由についてだが、結論から言うと、“迷宮の魔物が、地上に出ようとしない性質を持っているから”だ。

 

 この迷宮の魔物は、魔力の濃い場所に()かれる性質を持っている。強力な魔物であればあるほど、より強い魔力の方へ向かおうとするのだ。

 そして、この迷宮では、なぜか深く潜れば潜るほどに空気中や地中の魔力が濃くなっている。そのため、魔物は自然に地下へ地下へと潜るようになり、逆に魔力の薄い地上には余程のことがない限り出ようとしないのだ。

 深い階層に行くほど魔物が強力になるのはそのためであり、自分より強い者の縄張りを侵さないように棲み分けが行われた結果、迷宮内の魔物の強さは見事に階層に応じて区分けされているのである。

 

 

 

 リリィは、エミリオから聞いた話を頭の中で整理する。

 

 宗主国(そうしゅこく)に近い立場にあるゼイドラム王国によって、対魔王軍の最前線に送り込まれたユークリッド軍は壊滅的な被害を受けた。

 つまり、姫の護衛兵が少ないのは“誰かが姫を罠に()めようとしている云々(うんぬん)”といった話ではなく、“そもそも兵を出したくても出せない状況にユークリッドが(おちい)っているため”……完全な兵力不足なのだ。

 

 困ったユークリッドは滞在中のゼイドラムの姫――エステルに兵を拠出(きょしゅつ)するよう願い出たようだが、すげなく断られたらしい。いわく、『自分1人で充分である。姫騎士(ひめきし)の二つ名に懸けて、どんな脅威もシルフィーヌに近づけさせたりはしない』と。

 

 そこまで言い切られては、立場的に弱いユークリッドは引き下がらずを得ない。ユークリッドが懸念しているのは“今以上の戦力が現れたらどうしよう”という不確定要素の話であり、それを裏づける証拠は何ひとつないのだから。

 

 結論として、戦力は前回の遠征とほぼ同じ。前回の時はブリジットが襲撃をかけ、あっさりエステルに撃退されているので、その戦力は彼女達が知っており、リリィも事前にオクタヴィアに()いて把握している。多少の増減はあるだろうが、組み立てた作戦の実行に支障はないだろう。

 

(うん、ちょくちょく足を運んでおいて良かった)

 

 リリィがわざわざ人間族が蔓延(はびこ)る地上にやってきた本来の目的は、()()()()()()()()()()()()

 何を隠そう、彼こそが原作における魔王の魂の器であり、リリィが知る限りにおいて、健康でありながら最弱の肉体を持つ男性――つまりは、新しい魔王の身体のモデルなのである。

 

 魔力で身体を(つく)る際のイメージを固めるため、足しげくエミリオの元に(かよ)い、仲良くなるうちに、ポロポロとこういった有益な情報が手に入るようになった。この間も、お姫様が封印強化の儀式に向かう予定日の情報を入手している。

 

 猫耳と翼・尻尾をフードとローブで隠したリリィは、一見すると人間族の少女にしか見えない。

 “花”という共通の趣味を持ち、なおかつ自分よりも幼い少女であるが故に警戒心が緩むのであろう。そのせいか、そろそろ半月()つというのに、いまだに正体も庭園への侵入経路も詮索(せんさく)してこない。

 

 ……まあ、“魔王という脅威がなくなったことによって、この国の人々が平和ボケし始めている”という、どうしようもない理由もあるのだが。

 

 

 ――コツ……コツ……

 

 石造りの道を歩く音。誰かがこちらに向かってやってくる。

 

 エミリオ達は慌てて立ち上がって姿勢を正し、音が聞こえる方向を向いた。

 この庭園は、国のトップであり、重責を(にな)うシルフィーヌ姫の癒しの場であるため、自然、彼女が現れる頻度も高くなる。自国の姫が現れる前にきちんと身を正して(こうべ)を垂れ、敬意を払えていなければ、それは魔王の侵攻から国を護ってもらった国民の1人として、大きな恥となってしまう。

 

「エミリオ。いつもご苦労様です」

 

「ご機嫌麗しゅうございます。姫様」

 

 おだやかな微笑みとともに声をかけてくれる(はかな)げな姫の姿に、エミリオの胸が高鳴り体温が上昇する。ワクワクとした高揚感が膨れ上がり、思わず頬が緩む。きっと自分はだらしのない顔をしているのだろう……コレットにも声をかける姫の姿を見ながら、エミリオはそう思った。

 

 だが、それも仕方がない。

 今日は姫の護衛と世話係を兼ねる王宮メイドたちの姿がない。彼女達を(ともな)わずに姫が来園されたときは、姫は本当に親しげに……それこそ身分の差など無いかのようにエミリオに接してくれる。ひそかに憧れている女性――それも姫という(くらい)にある方に、そのように扱われて嬉しくないはずがない。

 

 “姫と会話する時間がいただける”という期待感に背中を押され、エミリオは「姫様」と声をかけながら無意識に姫へ1歩近づく。

 

 

 

 ――瞬間、姫の表情が変わった。……まるで、“まずい”とでも言うかのような慌てた表情に

 

 

 

「エミリオ。みだりに姫様に近づかないでください」

 

 エミリオの背後から、静かだが有無を言わさぬ、ズシリとした圧力を伴う声が聞こえる。

 エミリオは一瞬固まると、慌てて踏み出した足を戻して居住まいを正す。そして、ゆっくりと後ろを振り返ると、そこには(くだん)の王宮メイドたち――サスーヌとヴィダルの姿があった。

 

 エミリオは冷や汗を垂らす――まずいところを見られた、と。

 

「エミリオ。姫様は本来、あなたから声をかけて良い存在ではありません。ましてや、自らおそばに寄るなど言語道断です」

 

「お前は庭の花を枯らさぬことだけ考えていればいいのだ。分を(わきま)えろ」

 

 サスーヌからは(たしな)められるように、ヴィダルからは高圧的に、今の行為についてお(とが)めを受けてしまったエミリオは、「申し訳ございません」とひたすら頭を下げるしかない。

 しかし、姫に急な用事でもあったのか、2人はそれ以上追及することなくすぐにエミリオから視線を外すと真剣な表情で姫と声を交わす。その後、シルフィーヌは申し訳なさそうな視線を、ヴィダルは威圧的な視線をエミリオに向けながら、3人は庭園を去って行った。

 

「……行きましたか」

 

 その言葉とともに、エミリオ達の後方の草花の後ろからリリィが現れた。どうやらシルフィーヌが現れる直前に場を離れ、やや背の高い草花の陰に伏せていたらしい。まあ、無断で庭園に入っているようなので、当然と言えば当然の行動である。

 エミリオには見慣れた場面(シーン)だが、コレットは初めて見たようで、そんなお転婆(てんば)な彼女の様子を見て唖然(あぜん)としている。

 

 リリィが紺のローブについた土や砂を叩き落としながらエミリオ達に歩み寄ると、ローブにくっついていた青虫も叩き落され、コロコロ転げ落ちてコレットの鞄の中にポトンと入り込む。

 そして、うつむいたまま立ち尽くしているエミリオに気づくと、リリィは心配そうに声をかけた。

 

「あの……さっきのメイドさんの言葉は、気にしない方が良いと思いますよ? お姫様が許可してらっしゃるんですから、あのメイドさん達はエミリオさんを叱っちゃいけないはずです」

 

 シルフィーヌとエミリオが話しているところをリリィが見るのは、これが初めてではない。

 そのたびに草花の陰に隠れ、フードの下の猫耳をピクピク動かして拾った会話や、草花の隙間から見えた姫の親しげな表情からして、シルフィーヌ自身がエミリオと垣根なく接することを望んでいるのは明らかだった。

 

 しかし、リリィの言葉にエミリオは首を横に振る。

 

「ううん、あの人達は間違ってないよ。僕は花を育てるしか能がない……いや、それだって僕以上に上手に育てたり、もっと芸術的な庭園を造ったりできる人はいっぱいいる。こんな何も持ってない僕が姫様と対等に話すなんて、本当はあっちゃいけないんだ」

 

「……そんなこと、ありません」

 

「……え?」

 

 静かながらも有無を言わせぬ強い断定に、思わずエミリオがうつむいていた顔を上げると、何かを訴えかけるかのような強い輝きを持つリリィの紅い瞳と目が合った。

 

「私はエミリオさんの良いところをいっぱい知ってます。なんにも知らない私に根気よく花のことを教えてくれたこと、毎日毎日心を込めて1本1本それぞれの花と誠実に向き合って育てていること、どんな庭園ならお姫様に喜んでもらえるか、感動を与えられるか考えて、庭のどこに何のお花を植えるか1日中考え続けてること……」

 

 自分よりもずっと幼いはずの少女。本来ならば、人生経験が足りないが故に軽くなるはずの意見なのに、エミリオは彼女の言葉に重みと深い説得力を感じていた。

 

「エミリオさん、気づいていますか? お姫様がこの庭を見るとき、とっても穏やかで愛しげな眼差(まなざ)しで見ているんです。たしかに、エミリオさんよりも上手に花を育てられる人も、庭を造れる人もいるかもしれません……でも、心からお姫様のことを考えて花を育てること、そして実際にお姫様を喜ばせられる庭園を造ること、これは誰にでもできることではありません」

 

 リリィの瞳に、そして言葉に、嘘の色も世辞(せじ)の色もない。

 なぜなら彼女の言葉は、まぎれもない本心であるからだ。

 

 ベリークとの一件以来、リリィはわずかに変わった。リウラを除く他者に対し、常にどこか打算混じりに行動していた彼女だが、彼女の利害に直接関係しない場合に限り、心からの気遣(きづか)いを見せるようになったのだ。

 

 “ベリークの期待に恥じることのない自分でありたい”……そんな思いが心の底で芽生えたのかもしれない。

 

 自信を喪失(そうしつ)したエミリオの姿……それはリリィにとって一月前(ひとつきまえ)の、ベリークと出会う前の自分自身の姿でもあった。だから、リリィは自分と同じようにエミリオに自信を取り戻してほしかった。エミリオに自分自身を認めて欲しかった。

 

 ――だから、リリィはエミリオの素晴らしさを訴える。()()()虚飾(きょしょく)()()()()()()()()()()()()()

 

「他の人と比べたりなんてしないでください……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。……だから、お姫様も嬉しそうにエミリオさんに近寄って話しかけてくださるのではないですか?」

 

「リリィ……」

 

 エミリオは言葉を失っていた。こんなにも近くに、こんなにも自分のことを見ていてくれている人がいたことに、驚き、戸惑(とまど)い、感動し……そして安らぎを覚えていた。

 

 ――“ここに居てもいいのだ”と認められた気がした

 

 そう感じた時、腹の底から何かがこみ上げてくるのを感じ、“あ、まずい”と思った時には涙が込み上げていた。

 エミリオの瞳の揺れからそれを敏感に感じ取ったリリィは、エミリオの表情が崩れる前にエミリオの頭をスッと自分の胸元に抱き寄せる。

 

 エミリオは泣いた。声を殺して泣いた。

 姫を喜ばせようと工夫し、努力した数年間が決して無駄ではなかったのだとようやく心から信じることができた彼の涙は、あとからあとから(あふ)れて止まらなかった。

 

 そんな彼の頭を、母親が我が子を(いつく)しむかのようにリリィは()で続ける。

 

(……う~ん……やっぱり、お姉ちゃんみたいにはいかないなぁ……)

 

 リリィは心の内で苦笑する。

 

 リウラならば100%の慈愛で相手を包み込むことができるのだろうが、自分だとどうしても、“もしこれでエミリオの信用を勝ち取れたら、何かお願いできるかも”といった打算がちらちら頭を()ぎってしまう。おまけに言っていることは、ベリークからの受け売りでしかない。

 

 だがエミリオの様子を見る限り、彼の心を癒す一助(いちじょ)になれたことは間違いないだろう。それができれば充分だ。

 

 

 ――だって、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ……こう思えるようになったのもベリークのおかげである。本当に、彼には頭が上がらない

 

 そうしてエミリオにばかり注意を向けていたのが災いしたのだろうか――

 

「っと! って!? うわぁっ!?」

 

 背後から響くコレットの()頓狂(とんきょう)な声に、リリィが何事かと首を後ろに向ける。

 

 

 

 

 ――次の瞬間、彼女が羽織(はお)っていたローブが()ぎ取られた

 

 

 

 

***

 

 

(…………気まずい……)

 

 姫が現れてからの怒涛(どとう)の展開に、完全に置いてけぼりをくらったコレットは、幼い少女の胸に抱かれて男泣きする幼馴染を前に“どうやって声をかけたものか”と悩んでいた。

 

 しばらくそっとしておくべきなのかもしれないが、延々この光景を見続けるのは少々つらい。さりとて空気を読んでこの場を離れるというのも、自分より幼い少女に何もかも任せて放り投げるようで気が引ける。

 

 ……それに幼い頃からエミリオの面倒を見てきた自分よりも、数週間前に現れたリリィの方がずっとエミリオのことをよく見ていた、という事実が少々くやしいので、“なんでもいいから自分にできることを何かしたい”とコレットは思う。

 

(……よしっ! ちょっと強引だけど、明るい感じに空気を変えよう!)

 

 盛り上がっている今はいいが、冷静になったら目の前の2人は恥ずかしさのあまり、まともにお互いの顔が見れなくなるのではないだろうか? コレットはそれを防ぎ、スムーズにいつも通りの日常に戻すことを自らのすべきことと定めた。

 

 具体的には、リリィの背中に抱きつく感じで『私もリリィの良いところをいっぱい知ってるよ~! 可愛いとことか、可愛いとことか、可愛いとことか!』と思いっきり頬擦(ほおず)りするのだ。

 そうすれば、少女同士のじゃれあいから和気あいあいとした空気になって、自然にいつも通りの雰囲気に戻ることだろう。コレットも輪に混ざることができるし、可愛らしいリリィとスキンシップもできて、一石三鳥である。……決してスキンシップの方が主目的ではない。ないったらない。

 

 そうと決めたコレットは、リリィの背中を見て“どうやって抱きつこうか”と考えつつ1歩を踏み出す。

 

 

 ――ガッ!

 

 

 しかし、考えごとをしながら歩いたのが悪かったのか、コレットの足は昼食をとる際に地面に置いたままであったカップの中に突っ込んでいた。

 

「っと! って!? うわぁっ!?」

 

 カップに足を取られたコレットはバランスを崩し、前へと倒れ込む。

 とっさに前へと伸ばした右手が何かを(つか)むが、コレットの体重を支えられるものではなかったようで、つかんだものをずるりと引きずりおろしながら、彼女は地面へ思いきり鼻をぶつけることになった。

 ジンジンと痛む鼻をさすりながら、コレットは身を起こす。

 

 

 

 ――そして、コレットは見た

 

 

 

「あいたた…………へ?」

 

 

 

 ――大きく目を見開いて固まるリリィ

 

 ――腰までずり下ろされたローブ

 

 ――彼女の金髪から飛び出した、()()()()()()()()()()()

 

 ――紺のキャミソールドレス……その大きく開いた背中から飛び出す()()()()()()

 

 

 

 獣人族ではない。彼らの中に猫耳と翼の両方を兼ね備えた者などいない。

 

 ならば、大きく目を見開いてコレットを見つめる彼女の正体は――

 

 

「……魔族」

 

 

 その単語が無意識に口から(こぼ)れ落ちた瞬間、リリィは弾かれたように駆け出した。

 

「待って! リリィ!」

 

 エミリオが叫ぶも、なんの反応も見せず脱兎(だっと)のごとく走り続けるリリィ。

 慌ててエミリオが後を追うが、彼我(ひが)の距離はグングンと開くばかり。

 

 その彼を、右脇にリリィが脱ぎ捨てたローブを抱えたコレットが、あっという間に後ろから抜き去る。

 貧弱なエミリオとは比べものにならない健脚を持つコレットだが、それでもリリィに追いつくことができない。(コンパス)の長さは明らかにコレットが有利なはずなのに、そんな不利をものともせず、リリィはコレットとの距離を引き離してゆく。

 

 そしてコレットとエミリオは、庭園の外周に存在する森の中にリリィが飛び込んだところで、彼女の姿を見失った。

 

 コレットは目を()らして地面を見つめる。

 

 彼女は、鹿や猪といった畜産(ちくさん)されていない動物の肉を王宮に納めることを生業(なりわい)とする狩人の娘である。獣を追跡する必要がある職に()くが故に、足跡を見つけることも、その足跡がいつごろできたものなのかを判断することもできる。

 コレットは周囲に危険な猛獣や魔物の気配がないか注意しつつ、リリィのものと思われる真新しい足跡を辿(たど)ってゆく。

 

 ――そして、見つけた

 

 大木の陰に隠れるように、ちょうど人1人分入れるくらいの穴があった。リリィの足跡はここで途切れている。リリィはここから出て行ったのだろう。……おそらくこの穴は地下迷宮に続いているはずだ。

 

「ゼイッ……ゼイッ……コ、コレット……はぁ……はぁ……リ、リィは……?」

 

 喘息(ぜんそく)にでもかかったかのような、ゼイゼイという苦しげな呼吸をしながら、ふらふらとエミリオがようやく追いつく。

 

「……たぶん、ここから出て行ったんだと思う」

 

 エミリオが「ここ?」と疑問の声を上げて、コレットが見つめる先に視線を合わせる。そこで、エミリオも“リリィがどこへ去って行ったのか”を理解した。

 

「ねえ、コレット……もう、リリィとは会えないのかな……」

 

「……」

 

 押し黙るコレット。その沈黙はエミリオの質問を肯定しているも同然だった。

 

「僕……リリィに何のお返しもできてない……」

 

「……」

 

 それはコレットも同じだ。大切な幼馴染の心を救ってくれたというのに、コレットは何も返せていない。

 なにより、コレット自身もリリィと……大切な友達と、こんな形で、自分のせいでお別れになるなんて、納得できることではなかった。

 

「よしっ!」

 

 ビクンッ!

 

 コレットが突如として気合を入れた声に、驚いたエミリオの身体が跳ねる。

 うつむいていた顔が持ち上がると、幼馴染の力強い瞳と目があった。暗い表情をしているエミリオとは正反対に、彼女の金の瞳からは希望と不屈の闘志が感じられる。

 

「私、リリィを探してくるよ」

 

「!! 危ないよ! 迷宮には魔物がいっぱいいるのは分かってるでしょ!」

 

「当たり前でしょ? でも、このままじゃきっとリリィは戻ってこない。……エミリオはそれでいいの?」

 

「それは……」

 

 ギュッと拳を握り締め、歯を噛みしめる。地面を見つめるその表情を見れば、彼が納得していないことは誰の眼にも明らかであった。

 

 コレットは、自分を心配してくれるエミリオに、心のどこかで嬉しさを感じながら、安心させるように明るく笑いかける。

 

「これでも狩人の(はし)くれよ? 危険な魔物から身を隠す(すべ)も、逃げる方法もひと通りキチンと身につけてるから! お姉さんに任せなさい!」

 

 その太陽のように(ほが)らかな笑顔に、少しずつエミリオの心配が薄れてゆく。

 決して全ての懸念が晴れたわけではないが、少しは幼馴染の言葉を信じて見ても良いかもしれない……エミリオに控えめながら笑顔が甦る。

 

「誰がお姉さんだよ……同い年じゃないか」

 

「その台詞は身長が追いついてから言いなさ~い♪」

 

 ひとしきりじゃれ合うと、エミリオは真剣な表情でコレットの顔を見上げて言った……『共に潜る』と言うことができない己の貧弱な肉体を悔しく思いながら。

 

「絶対に無茶はしないで……必ず無事で帰って来てよ」

 

 そして、コレットはそんなエミリオの心情を、幼い頃からずっと付き合ってきた経験から察して答えた。

 

「うん、わかってる。……必ずリリィを連れて無事に戻ってくるから、そしたらリリィの歓迎会を開こう? エミリオはいつでもお祝いできるように準備をしておいて」

 

 ――『心配しないで』とは言わなかった。……言ったところで、この優しい幼馴染は心配するに決まってるから

 

 

 この後、家に戻って準備を整えたコレットは穴の中へと姿を消した。それを見送ったエミリオは、コレットとの約束を守るため、(きびす)を返す。

 

 リリィの歓迎会……リリィに喜んでもらうために、自分に何ができるだろうか?

 ……そうだ、まずは花が好きなリリィのために、めずらしい花を用意しておこう。水鳥草(すいちょうそう)なんてどうだろうか? 白鳥の羽の裏のような、薄い水色の美しい花をつけるあれならば、必ずリリィの目に(かな)うはずだ。

 

 自分はコレットではない。彼女とはできることが違う。……ならば、自分は自分にできることをしよう。

 

 リリィが認めてくれた“誰かを喜ばせることを1日中考えられる”という己の長所を十二分に()かす彼の紅い瞳には、それまでの彼にはなかった力強い輝きが宿っていた。

 

 

 

 

 ――人間社会において“魔族”とは“駆逐(くちく)すべきもの”である

 

 その性質は残虐にして非道。“殺して奪うことしか頭にない者達であり、見つけたならば速やかに排除すべき”……これが一般的な人間族の魔族に対する認識であり、常識だ。こうした偏見はレスペレント地方を平定(へいてい)した半人半魔の王の活躍により薄れつつあるものの、いまだに人間族の中に深く根づいている。

 

 だが、エミリオもコレットもそんな常識を唯の一言(ひとこと)も口にすることはなかった。

 

 信じていたからだ……リリィのことを。

 

 

 ――そして、またリリィと共に花を育てられる日が来る、ということを

 

 

***

 

 

 ―― 一方、その頃のリリィ

 

「う~ん、失敗しちゃったなぁ……まさか、あんな形でバレちゃうなんて……」

 

 テクテクと迷宮を歩いて水の貴婦人亭へと戻る彼女の表情には、残念そうな色はあってもそれ以上のものはない。

 

 エミリオやコレットのことは気に入っているし、多少は情も湧いてはいるが、それだけだ。

 魔王の封印解放を巡って人間族と争う以上、いつかは彼らとの関係を切らなければならない――彼女は元々そう割り切っていた。ただそれが数日早まっただけである。

 

 リウラやベリークの影響で大分性格が丸くなったリリィだが、一朝一夕(いっちょういっせき)で性格がガラリと変わるはずもなく、物事に明確な優先順位をつけ、必要とあらば躊躇(ちゅうちょ)なく切り捨てる性質は依然(いぜん)として彼女の中に残っていた。

 

「さて、お姫様たちがやってくる日がわかったことだし、最後の準備といきますか」

 

 そう言うと、エミリオとコレットのことはリリィの意識の外に追いやられ、人間族との戦いへと思考が切り替わる。

 

 

 ――彼女は、自分がエミリオ達に与えた影響に気づいていない

 

 

 魔族とバレたことで、“エミリオ達からの信用は完全に失われた”と考えているのだ。

 今までリリィがエミリオ達にしてきたことも“エミリオ達から人間族の情報を引き出すため”といった裏の意図がある……そう思われているはずだ、と。

 

 リリィがそう思い込んでも仕方がないほど、人間族と魔族の間に横たわる(みぞ)は深い。

 まさか“魔族の中にも人間と共存できる者がいるのだ”と信じて、危険な魔物が蔓延(はびこ)る迷宮に、自分を探すためにコレットが潜り込んでくるなどとは夢にも思わない。

 

 1人の睡魔と2人の人間の想いは、完全にすれ違ってしまっていた。

 

 

***

 

 

 新たな水精(みずせい)の隠れ里……里長(さとおさ)であるロジェンの指揮によって、速やかに居心地の良い環境へと変貌(へんぼう)したその一角に、ぼんやりと視線を宙に(ただよ)わせる1人の水精が岩に腰かけていた。

 

 リウラが最も信頼する水精――ティアである。

 

 そんな“心ここにあらず”といった様子の彼女の元に、彼女の名を呼びながら駆け寄るやや幼い少女の姿の水精が2人。

 

 こちらは、リウラと最も気が合う水精の双子――レインとレイクだ。

 

「ティアちゃ~ん! ロジェン様がお呼びだよ~!」

 

「早く来ないと、怒られちゃうよ~?」

 

 双子が呼びかけるも、ティアは何の反応も示さない。

 

「ティアちゃ~ん?」

 

「ティアちゃ~ん?」

 

 双子がティアの目の前でひらひらと手を横に動かすが、それでも無反応。

 

「ティアちゃ~ん!」

 

「ティアちゃ~ん!」

 

 ゆっさゆっさとレインが右肩を、レイクが左肩を持って交互に左右にティアを揺さぶるが、それでも反応がない。

 

 

 ゆっさゆっさ、ゆっさゆっさ、ゆっさゆっさ、ゆっさゆっさ……

 

 

「ティ~アちゃん♪ ティ~アちゃん♪」

 

「ティ~アちゃん♪ ティ~アちゃん♪」

 

 

 ゆさゆさ揺さぶるうちに、だんだん楽しくなってきたのか、リズムに乗って彼女の名を呼び、身体を揺さぶるレインとレイク。

 特定のリズムで規則正しく左右に揺れるティアの身体は、まるでメトロノームのようだ。

 

 

「あ、そ~れ! ティ~アちゃん♪ ティ~アちゃん♪」

 

「ティ~アちゃん♪ ティ~アちゃん♪」

 

 

 揺さぶっても効果が無いと悟ったのか、はたまた何をやっても反応がないのが逆に面白かったのか……双子は肩を揺さぶるのを止めると、頭の上で両手をひらひらと動かす奇妙な踊りを踊りながら、グルグルと彼女の周りをまわり始める。

 もちろん、リズムに合わせてティアの名前を呼ぶことも忘れない。

 

 

「あ、よいしょ! ティ~アちゃん♪ ティ~アちゃん♪」

 

「ティ~アちゃん♪ ティ~アちゃん♪」

 

 

 グルグル回るうちに、双子の踊りが徐々に変化し、今度はグッと腰を落としてクネクネと両腕を動かす珍妙(ちんみょう)な踊りを踊りながら、ティアを中心に公転する。

 

 双子は非常に楽しそうだが、はたから見れば何かの怪しい儀式にしか思えない。

 おまけに、ノリにノっているうちに双子の表情が恍惚(こうこつ)としたものになってゆき、しまいにはティアの名を呼ぶことも忘れ、彼女達の頭から当初の目的が完全に消失した。

 

 

「「あ、そ~れ! へいっ! へいっ! ヘイッ!! HEY!!!」」

 

 

 ――ゴゴンッ!!

 

 

 頭を抱え、うずくまりながらプルプル震える双子。

 強制的に彼女達のトランス状態を解除したのは、彼女達の頭上に浮かぶ水の拳骨(げんこつ)(特大)であった。

 

「やかましい」

 

「……だって~……」

 

「ティアちゃん、全然反応しないんだもん……」

 

「……それは、すまなかったわね」

 

 涙目でぶーぶーと文句をたれる双子だが、ぼーっとしていた自覚があったティアが素直に頭を下げると、けろりと機嫌を直す。

 こうしたさっぱりとした性格が、リウラと気が合う理由のひとつなのかもしれない。

 

「ティアちゃん、最近どうしたの?」

 

「リウラちゃんがいなくなってから、ぼーっとしてばっかりだよ?」

 

 軽~く……誰もが“興味半分です!”とハッキリわかる口調で問う双子。

 だが、ティアの卓越(たくえつ)した洞察力は、その瞳の揺れと声音(こわね)にわずかに現れている“心配の色”を嗅ぎとった。どうやらこの“明るさ”は、ティアが悩み事を打ち明けやすいように、という双子の気遣いのようだ。

 幼い容姿ではあるが、“実はティアよりもお姉さんである”という自覚の成せる(わざ)だろうか。

 

 元々、隠すほどのものでもない。ティアはありがたくその気遣いを受け取り、自分がぼーっとしていた理由を話すことにした。

 

「……リウラのことを考えてたのよ」

 

「リウラちゃんのこと?」

 

「『追いかけとけば、良かった~!』とか?」

 

「半分正解」

 

 「「半分?」」と、双子はシンクロして首をかしげる。ティアはひとつ頷いて言った。

 

「私は、今でもあの時の選択を間違っていたとは思わないわ。“里のみんなを護りたい”、“そのために里に残らなければならない”と、強く思っている。……でもね、私の中でもうひとつの強い感情が叫んでるの。『リウラを追いなさい!』『リウラを護りなさい!』って……『でないと、私は絶対に後悔する!』って」

 

 自分の中にもう1人の自分がいるような感覚。

 通常、水精は人や魔により生み出された想念と、身体を持たぬ水の精霊が結びつくことで発生する種族なのだが、まるで2つの想念を基に自分が出来上がったような感覚であった。

 

「ん~……じゃあさ、今から追いかけてっちゃダメなの?」

 

「ティアちゃん1人くらい抜けても、そう簡単には襲われないと思うよ、ここ?」

 

 双子は誤解している。ティアの“里の者達を護りたい”という想いは、正確には“里の水精達が心穏やかに満ち足りた想いで過ごし、幸福のまま一生を終えられるよう尽くしたい”という想いである。

 それは、義務感……いや、使命感に近いものがあり、“里の者達が安全であれば良い”と放り出せるような軽い思いではない。もしそうであったなら、彼女はとっくにリウラを追いかけているだろう。

 

「ダメ」

 

 双子の問いに答えた声は、ティアのものではなかった。

 双子が声のした方に頭を向けると、そこにいたのは如何(いか)にも武人といった(たたず)まい、面構(つらがま)えの巫女服姿の水精。

 

 リウラの戦闘術の師――シズクである。

 

「ティアは“私たちが心穏やかなまま、幸せに一生を終えられるよう、たくさん尽くしたい”と考えているの。ティアにはまだまだやるべきこと、やりたいことがいっぱいある。だから、リウラ1人にかまけることはできない……わかった?」

 

 シズクが淡々と語り終えると、レインとレイクは「「そうなの?」」とティアに振り返る。

 だが、ティアはそれには反応せず、まるで猛禽類(もうきんるい)のような鋭い眼でシズクと視線を合わせると、こう言った。

 

 

「――()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

「……?」

 

 言っている意味が分からない、とシズクは(まゆ)をひそめる。

 

「私は、この想いを今まで誰にも打ち明けたことはない。私と一番長く共にいる貴女であろうと、知っているはずがないのよ」

 

 それを聞いて、シズクは納得がいった様子で(ひと)つ頷いて言った。

 

「ティア、私は貴女が生まれた時から一緒にいる。つまりそれは、あなたが生まれた時にどんな想いを持った人物がそこにいたか、私は知っているということ。だから、あなたが生まれる基礎となった想念も当然知っている」

 

「それは嘘ね」

 

 ――即答

 

 迷いのない断言であった。

 「え?」と不思議そうに首を傾げるシズクに、ティアは理由を告げる。

 

 

「だって、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「……!?」

 

 シズクは動揺に目を見開き、硬直する。

 

「私はあの子が前の隠れ里で生まれた時から、ずっとあの子のことを見てきた。あの子は私の妹も同然……シズク、もし貴女が本当に私の“親”となった人物を知っているのなら、むしろ貴女はリウラを追うように私に勧めるはずなのよ」

 

「……」

 

「シズク……あなたは、いったい何を知っているの?」

 

「……」

 

 シズクは口を開かない。開こうとする様子もない。明確な回答の拒絶であった。

 ティアが生まれてから1度も見たことのない彼女の(かたく)なな姿勢に、“彼女が何か自分にとって重大なことを隠していること”をティアは確信する。

 

 ……そして、溜息と共にやや呆れた口調で彼女は告げた。

 

 

「……シズク……()()()()()()()()()()()()

 

 

「……?」

 

 シズクは何を言われているのか分からず困惑する。

 

「そんなにあからさまに黙ったら、『何か隠してます』って言ってるようなもんじゃない……そこは『え、いやでも事実だし……』みたいに戸惑(とまど)わないと」

 

「…………? …………!? まさか……!」

 

「嘘よ嘘。カマをかけたの。私の基となった想いは貴女の言う通り“水精の幸福のために尽くしたい”で間違いないわ」

 

 絶句して涙目で口をパクパクさせるシズクを見ながら、ニヤニヤと嗜虐的(サディスティック)に笑うティアは実に楽しそうで、はたから見れば完全にいじめっ子といじめられっ子の関係である。

 事実、その様子を見ていた双子の水精はそのように認識しており、「ま~た師匠がティアちゃんに(いじ)られてるよ」「先生、進歩しないね~」と呆れかえっている。

 

「ま、あなたに悪意が無いのは知ってるから、悪いことではないんでしょうけど……どうしても話せない?」

 

 ティアが肩をすくめ、片目を(つむ)りながらそう言うと、シズクは彼女から目を()らしながら謝る。

 

「……ごめん」

 

「そ」

 

 ティアは岩から腰を上げると、彼女達に背を向けて歩き出す。

 

「どこへ行くの?」

 

「ロジェン様のところよ。私が生まれた時に傍に居たあの人なら、私のことも知ってるかもしれないし……もし答えてくれなくても、里長の彼女なら、すぐに里を出る許可をもらう話ができるでしょ?」

 

「!? ど、どうして里を出ようなんて……!!」

 

「簡単よ。シズク、あなたは“私をリウラの元に行かせたくない”……そういう想いで私の基礎想念の話題を引っ張り出してきた……なら、リウラ、もしくはリウラの周囲に貴女が隠したがっている“何か”がある……違う?」

 

「……違う」

 

「なるほど……ってことは、リウラ関係ではなく“里の外に出られること”自体が困るってわけね」

 

「……(汗)」

 

 ティアが見当違いの推測をしたため、安心して『違う』と答えた途端に、その情報を加味して推測を修正されたことに、シズクは冷や汗を流す。

 もはやティアの推測が正解だろうと間違いだろうと、自分が回答しただけでどんどん都合の悪い真実に近づかれてしまっている。

 

 ならば、ここからは黙秘だ。(さき)の失敗は、タイミング悪く黙秘してしまったのがいけなかったのだ。最初から最後まで黙っていれば、ティアは情報を得られまい。

 

「それは私を危険に(さら)したくないから?」

 

「……」

 

「当たり、と。だから、危険の真っただ中であるリウラの元へ行かせたくないのね」

 

「!?(滝汗)」

 

 そして、そんなやりとりを横で見ている双子は呆れていた。

 

「……先生、自分の表情で答え全部しゃべってるの、全然気づいてないね」

 

「戦ってるときは一切表情も動作も読ませないのに、どうしてこういうときはポンコツなんだろうね?」

 

 レインとレイクも、リウラと同様にシズクから戦闘術を学んでいる。だから師である彼女のフェイントや攻撃の予備動作を隠す、あるいは偽装する技術が凄まじいものであることを知っていた。ぶっちゃけ、まったく読めない。

 そんな彼女がこうもあっさりティアにオモチャにされているのを見ると、なんともいえない想いが胸に湧き上がってくる2人であった。

 

「ティアちゃん、外に行くんだね。大丈夫かな?」

 

「大丈夫じゃない? ティアちゃん慎重だから、無茶はしないと思うし」

 

 心配ではあるし、ティアと二度と会えなくなる可能性も充分にある。

 だが、だからといって彼女達はどうこうするつもりはなかった。

 

 

 ――双子が生まれた基礎想念は“ずっと一緒に居たい”

 

 

 まだ物心つく前の幼い双子の兄妹が、諸事情から引き離されることになったときに放たれた想念である。

 そのため、この水精の双子はお互いが離れ離れになることを極端に嫌う。

 

 目の前で襲われそうになっている仲間がいるような緊急事態なら話は別だが、基本的に片割れを失うような行動は避ける傾向があった。リリィについて行ったリウラや、今回のティアのように、自分から危険に突っ込んでいったのならば尚更(なおさら)である。

 

「それにしても、意外だったな~」

 

「何が? ……あ、ひょっとしてリウラちゃんのこと?」

 

「そうそう。リウラちゃんが前の隠れ里で生まれたなんて、私ぜんぜん知らなかったよ」

 

「ティアちゃんが前の隠れ里に来てすぐに、いつの間にか居たもんね。私もてっきりティアちゃんが連れてきたんだと思ってた」

 

「「でも……」」

 

 双子は同時に腕を組んで首を(かし)げる。

 彼女達が疑問に感じたのは、ティア達の会話の中の明らかにおかしな部分。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 流動的で移ろいやすい性質を持つがために、多様な影響を受けやすい水の精霊は、人や魔により生み出された想念と結びつく性質を持つ。身体を持たぬ水の精霊達が、それらと結びつくことによって誕生するのが“水精(みずせい)”という種族だ。

 ここで言う“人”とは、人間族や獣人族・エルフなどを指し、“魔”とは睡魔族(すいまぞく)をはじめとする多種多様な魔族を指す。

 

 そう、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 ――では、水精以外の種族が訪れない場所で、いったい誰の想念からリウラは生まれたというのだろうか?

 

 

 

 

 

 



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第五章 好敵手 前編

「シルフィーヌ」

 

 かけられた凛々(りり)しい声に、(ふみ)に落としていた視線を上げる。

 

 色とりどりの美しい花が咲き乱れる庭園を、ガチャガチャと白銀の鎧を鳴らして1人の美しい女性がやってくるのが見えると、ユークリッド王国第三王女 シルフィーヌは庭園の中央に(もう)けられた椅子の1つから立ち上がり、空色の髪を揺らしながら笑顔で友人を迎える。

 

「エステル様」

 

 彼女は隣国ゼイドラムの姫にして、魔王を倒した勇者の血縁たる騎士――エステル・ヴァルヘルミア。若くして“姫騎士”の名で呼ばれるほどの実力者だ。

 

 彼女の視線が、ふと机の上に置かれた手紙へと動く。

 

「……義姉上(あねうえ)からの手紙か?」

 

「はい。相変わらず心配性で、わたくしの心配ばかり(つづ)られております」

 

 シルフィーヌは苦笑いとともに答える。

 

 彼女の姉――ユークリッド第二王女 セリハウアは、(しと)やかなのに朗らかで気さくという、淑女らしさと付き合いやすさを兼ね備えた人物だ。常にぶっきらぼうで愛想がないエステルに対しても、気軽に声をかけてくれる、とても聡明(そうめい)で思いやりの深い女性である。

 

 母ゆずりの金髪・碧眼が美しい美女で、政略結婚ではあるものの、ゼイドラムの王子にしてエステルの兄――勇者リュファス・ヴァルヘルミアとの夫婦関係も非常に良好。さらには外交の手腕も高く、ゼイドラムとの融和にも理解があると、エステルの目から見て一国の姫として非の打ち所がない人物である。

 

 玉に(きず)があるとすれば、妾腹(しょうふく)の子であるということ……そして、よりにもよってゼイドラムの第一王子の心を見事に射止め、しかも周囲に認めさせてしまったことであろうか。本来ならば、ゼイドラム貴族の誰かをあてがうよう、政略結婚をゼイドラム側から申し込む予定だったのだが、大誤算である。

 しかし、逆に言うならば“それほどに魅力的で人望がある人物を、ゼイドラム王家に迎え入れることができた”ということでもある。“損か得か”で言えば、間違いなく得をしていよう。

 

 このようにゼイドラムの王子を射止めることができるほど魅力的な人柄を持つ第二王女だが、彼女にもたった1つだけ困ったところがある。彼女の姉――ユークリッド第一王女 サラディーネが魔王との(いくさ)で亡くなって以降、その思いやりの深さが心配性へと変化してしまい、少し何かあるとすぐに心配してしまうようになってしまったのだ。

 それは彼女の家族だけでなくユークリッド国民、ひいては嫁入りしたゼイドラム王家やその民に対してまで発揮されてしまっている。

 

 例えば、シルフィーヌの背後に(ひか)えているメイド服の女性。

 

 美しい金の短髪と(りん)とした青い眼を持つ、凛々しさと可愛らしさが同居した女性だ。

 その落ち着いた(たたず)まいと呼吸、ピシッと伸びた背筋から、彼女が王族の護衛すら務まる一流の王宮メイドであることがわかる。

 だが、彼女はシルフィーヌの王宮メイドではない。現に、彼女専属のメイド2人は、シルフィーヌのすぐ(そば)に控えている。では、彼女はいったい誰の専属メイドなのか?

 

 

 ――決まっている。()()()()()()専属メイドだ

 

 

「アーシャ、貴公(きこう)は何故ここに居る。単に手紙を届けに来ただけではあるまい」

 

 エステルがそう問いかけると、アーシャと呼ばれた王宮メイドは苦笑しながら腰を折って答える。

 

「ご機嫌(うるわ)しゅう、姫様。お察しの通り、エステル様の補佐を務めるよう、我が主より言付(ことづ)かっております」

 

 それを聞いて瞑目(めいもく)し、大きく溜息をついたエステルは言う。

 

「不要だ……と言いたいところだが、義姉上の事だ。一度言い出したら聞くまい」

 

「大変申し訳ございません」

 

「貴公が謝ることではない。……それに、義姉上の気持ちが嬉しくない訳でもない……もう少し自分の力を信用してほしいものだが」

 

 自分のことを心から心配してくれるのは嬉しいのだが、エステルは誰もが一流と認めるほどの騎士である。まるで幼子(おさなご)を相手にするかのように心配されるのは望むところではない。

 だが何度言っても義姉は聞いてくれず、こうしてエステルもアーシャも彼女の気の済むようにさせてやる結果となっている。溜息のひとつも出ようというものだ。

 

「まあ、それはいい。だが義姉上の心配は、こと貴公に関しては誤りではないだろう? シルフィーヌ」

 

「それは……」

 

「魔王を封じてから、(いちじる)しく体調を崩していると聞く。もともと貴公は身体が弱い方ではあったが、今はその比ではあるまい……本当に、明日儀式に(おもむ)いて大丈夫なのか?」

 

「……」

 

 エステルの言うことは事実であった。

 

 シルフィーヌは確かに不完全ながらも魔王を封じた。だが、不完全であるが故に(いびつ)となった封印の影響は、すべてシルフィーヌ自身の肉体へと襲いかかった。

 それは、ただでさえ身体の弱いシルフィーヌを追い込み、今では毎日薬草の世話にならねば日常生活に支障が出る水準にまで落ち込んでいた。……こうしてエステルが、たびたび様子を見に来てもおかしくないほどに。

 

 だが、そんな彼女の言葉に、シルフィーヌは申し訳なさそうな笑顔を浮かべて答える。

 

「ご心配をおかけして申し訳ございません。でも、大丈夫ですよ。……それに、封印を完全なものにしなければ治らないことはご存知でしょう?」

 

「それは……」

 

 エステルが苦々しげに(まゆ)を歪める。

 

 そう、不完全であるが故に身体に負担をかけるというのならば、完全なものにしてしまえば良いのだ。解決策は明快である。

 だが、問題は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ということ。シルフィーヌ級の莫大な魔力の持ち主でなければその作業は完遂(かんすい)できないため、結果、封印が完成するまで、さらにシルフィーヌに負担をかけるという負の循環ができあがっていた。

 

「……自分にできることは何でもしよう。だから無理はするな」

 

 一国の姫とはいえ、政治家ではなく騎士として生きてきたエステルの権力はそう大きくない。彼女がシルフィーヌに対してできることなどたかが知れているのだが、それでも言わざるを得なかった。

 なぜならエステルは、(たみ)のために身を削って奉仕するこの健気な姫のことを、心の底から友人として愛しているからだ。

 

「……ありがとうございます」

 

 その事を理解しているシルフィーヌは『はい』とも『いいえ』とも答えず、ただエステルに対して心からの感謝を述べる。

 

 両国の姫がお互いを理解し、思いやる光景。

 国の垣根を超えた友情のその美しい光景を――

 

「……」

 

 ――なぜか(かたわ)らに立つアーシャは、笑顔を崩さぬまま冷ややかな視線でそれを眺めていた

 

 

***

 

 

「はぁっ!」

 

「んなろっ!」

 

 リリィの放った上段後ろ回し蹴りを、ブリジットが同じ技で返す。

 両者の足が交差するように接触し、ドオンッ! と腹に響く音を立てて空間全体がたわむような衝撃波が走った直後、リリィの足がブリジットの足に押し負け、勢いよく弾き飛ばされる。

 

 リリィは、その勢いに逆らわず、軸足で地を蹴ってブリジットから距離を取り、空中で独楽(こま)のように回転しながら左手に持った連接剣(れんせつけん)を振るう。

 勢いよく伸長(しんちょう)した蛇腹(じゃばら)状の刃が、その鋭く(とが)った切っ先をブリジットの首に突き立てんと迫る。

 

「おらっ!」

 

 しかし、それを見てもブリジットは慌てず闇属性の衝撃波を放ち、刃ごとリリィを吹き飛ばす。

 連接剣が衝撃でたわみ、すぐには手元に引き寄せられなくなったリリィは連接剣を捨て、地に両足を付けつつ新たな武器を取り出そうとするが、

 

「させるかよ!」

 

 衝撃波を追うように追撃してきたブリジットの蹴撃に(はば)まれ、転送魔術を中断させられる。

 

 (あご)を狙ってくる右の突き蹴りを連接剣を捨てた左手の甲で逸らし、そのまま手首を返してブリジットの足首を(つか)みつつブリジットに背を向け、蹴りの勢いに逆らわないようブリジットの脚を右肩に背負いながら、巻き込むように地面へと振り下ろす。

 

 ――雫流魔闘術(しずくりゅうまとうじゅつ) 戦槌(せんつい)

 

 地面へと叩きつけられる瞬間、ブリジットは腕立て伏せをするように両手で柔らかく地面を受け止めて受け身を取り、直後、バネのようにその腕を伸ばしながら、リリィに掴まれていない左足の(かかと)でリリィの(あご)を打ち抜いた。

 

「ッ!?」

 

 脳を揺らされて一瞬前後不覚(ぜんごふかく)(おちい)ったリリィの鳩尾(みぞおち)に、容赦なくリリィの拘束(こうそく)から逃れたブリジットの右の爪先が弧を描くようにして突きこまれる。

 

 リリィの身体が岩壁に叩きつけられる瞬間、彼女の背後に巨大な水球が突如(とつじょ)現れ、柔らかく彼女の身体を受け止めた。

 

「それまでっ!」

 

「よっしゃっ! ボクの勝ちぃ~っ!」

 

 リウラの声が響いた瞬間、ブリジットは満面の笑みで勝鬨(かちどき)をあげた。

 

 

 

 

 

 

「……ウチのご主人様もデタラメだけど、アンタのとこも大概(たいがい)ね」

 

「……」

 

 呆れた様子のヴィアの言葉に対し、オクタヴィアは静かな微笑(ほほえ)みで返す。

 

 目的を同じくするブリジットと組んで以来、リリィ達はブリジット達とこうして限りなく実戦に近い訓練をするようになった。理由は簡単で、今のままではシルフィーヌ姫どころかその護衛騎士――姫騎士エステルにすら勝つことができないからだ。

 事実、リリィと出会う少し前、実際にブリジットはエステルにぼっこぼこにされた上で見逃されるという、非常に屈辱的な敗北を味わっている。

 

 リリィから共同訓練を提案されたブリジットは、『なんでこのボクが、お前とそんなことをやらなきゃいけないんだ!』と当初は反発したものの、強くならなければ魔王を助けられず、同格に近い戦闘力を持つリリィとの訓練は、間違いなく自身のレベルアップに繋がるため、最終的にはこの提案を呑んだ。……決して『また私に負けるのが嫌なの?』というリリィの挑発にのった訳ではない。

 

 訓練が始まってからしばらくは、リリィがブリジットを圧倒していた。というのも、ヴィアの戦闘経験吸収に味を()めたリリィが、リウラやリューナの経験までも吸収したため、経験の量も引き出しの数もブリジットを大きく上回っていたからだ。むしろ、リリィからすれば自分が吸収した経験を実戦で馴らし、使いこなせるようにするために、この訓練を提案したつもりだったのだろう。

 

 特に強力だったのがリウラの訓練経験で、意外なことに、彼女は古今東西ほぼ全ての武器の扱い方や体術の基本を修めていた。

 隠れ里でリリィから『水で大きな剣を(つく)れますか?』と言われてあっさり創ることができたのも、そうした武器を修練するために、様々な武器を水で創った経験があるからだという。

 

 雫流魔闘術を修めるための必須項目だったらしいが、そんな経緯はともかく、これによりリリィはあらゆる武器の基本を労せずして習得することができ、今までとは違うリリィの行動パターンに適応できないブリジットは、終始翻弄(ほんろう)されっぱなしだったのだ。

 

 ――ところが、そんな日が何日か繰り返された後、だんだんとリリィは苦戦するようになっていった

 

 ブリジットがリリィの行動パターンを学習したのである。

 もともと彼女は、魔王と共に戦えるよう、厳しい訓練を自身に課してきた努力家である。これまでは単純に自分を鍛えるだけだった彼女は、リリィに対し負けに負けを重ねた(すえ)、ついに反省することを覚えた。

 そして、これまでのリリィの様々な戦闘行動を思い起こし、対策を考え、ついにはそれを実践するに至ったのである。

 

 こうなると、器用貧乏と化していたリリィは、体術と魔術に絞って特化しているブリジットには(かな)わない。先ほど同じ後ろ回し蹴りを放ったにもかかわらず、ブリジットに競り負けたのがその良い証拠だ。

 追い詰められたリリィは、武器の中でも飛び抜けた応用力を誇る連接剣など、一部の武器に絞って修練を積んでいるようだが、どんどんと勝率が下がり、現在では5割を下回ってしまっていた。今ではリウラの方が勝率が高いありさまである。

 

「リリィ、今の“戦槌”は良くないよ。ブリジットさんの武器は脚なんだから、もう片方の脚がフリーの時に使ったら反撃を受けるのは当たり前だよ」

 

「……でも、お姉ちゃんの経験の中に、今の技を使ったのがあったから……」

 

「その時の相手がどんな状態だったか、リリィは知ってる?」

 

「……知らない」

 

 リリィがもらったのは、あくまで感覚的な経験のみだ。プライバシーの観点から、記憶まではもらっていない。

 

「私が相手の足の骨を折った後、動けなくなった相手が魔術だけで攻撃してくる状態だったの。私が突撃して一気に決めようとした時に、その機先(きせん)を制して、相手が無事な方の脚で飛び蹴りしてきたから……私は、あの技を使った」

 

 リウラの対人・対獣訓練は、主に、シズクがそれらを模して創った水人・水獣を相手に行われる。

 もちろん、水でできた人の足の骨が折れる訳はなく、リウラが技を仕掛け、シズクがそれを“成功”と判定したら折れた状態にする、という形だ。

 

 すでに相手のもう片方の足が使用不能の状態でのみ、あの技は使える……それがリウラの言いたいことなのだろう。リリィは(まゆ)を寄せて不満そうな顔をする。

 

「そんな状況が限定された技、いったい何の役に立つの?」

 

「リリィ、雫流魔闘術は決まった(かた)が無い、()()()()()()()()()()()()。私がシズクから習った型は全部“技の本質を学ぶため”()()のもので、それを修得できたら、次はその技を()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()。今の“戦槌”だって色んな型があったよね? リリィは、ただ私が使ったことのある型をなぞってるだけだから、そんなことになっちゃうんだよ?」

 

 ――リリィは絶句した

 

 たしかにリウラから吸収した経験の中には、同じ技の名前がついているにもかかわらず、まったく異なる型の技が3つも4つも存在していた。

 

 例えば、“戦槌”。

 先程リリィがブリジットに対して使ったように、自分の肩を支点にして相手の脚を背負い投げる技があると同時に、リウラがオクタヴィアに対して使ったように、相手の腕を体重移動で引き込んで水壁にぶつけるという技がある。一見まったく異なる技のように見えるが、その本質――“相手の突進の勢いを利用して相手の身体を振り回し、何かにぶつける”という点は全く同じである。

 

 その要点を理解し、相手や周囲の状況を照らし合わせて、その場で最も適した技や型を開発し、即座に実行する……言うのは簡単だが、するのは難しいどころかほぼ不可能である。

 そもそも“型”とは、“繰り返して身体に染み込ませることで、反射的にその技を出せるようにするもの”ではなかっただろうか?

 

「……どうやったら、そんな離れ(わざ)ができるの? まさか常に創る型を考えながら戦ってるわけじゃないよね?」

 

 そんな余計なことに気を散らしていたら、命がいくらあっても足りないはずだ。

 

「それはn「どうよ、ブリジット様の実力は! ボクがちょっと本気出したら、オマエなんかこの通りチョチョイのチョイだ!」」

 

 ――イラッ

 

 リリィの感情が乱れ、雰囲気が荒々しくなる。今のリリィを絵に起こしたら、間違いなくでっかい怒りの()(かど)が頭に描かれることだろう。

 

「ひとつ前の試合で、私にボコボコに負けてたくせによく言うね、この恥知らず。所詮(しょせん)、あなたは私の武器の実験台。ひと通り試し終わったら、あなたに勝利が(おとず)れることはないから、せいぜい今のうちに調子に乗ってなさい」

 

「な、なにおう!」

 

 憤慨(ふんがい)したブリジットと刺々(とげとげ)しいリリィが(にら)み合い、視線が火花を散らす。

 

 リリィの言っていることは強がりではあるが、決して嘘を言っている訳ではない。リウラ達のもたらした膨大な経験をリリィは未だ消化しきれておらず、試行錯誤(しこうさくご)して戦っているのが現状だ。先ほど不適切な技の選択をしてしまったことも、それを裏づけている。

 

 そして、今回の敗北でリリィは“雫流魔闘術”を自分の手札から捨てることを決めた。

 もともと水精(みずせい)向けに考案された武術だったのか、水を扱う術のレパートリーが異常に多く、しかも非常に繊細かつ素早い操作が要求される。水を感覚的に直接操作できる水精ならまだしも、魔術を使って水の精霊を介して間接的に使役(しえき)しなければ水を扱えないリリィにとって、とうてい扱える技ではない。

 

 では、“残った体術なら、なんとかなるか”と思えば、さにあらず。リウラが言うには、決まった型が無く、常にその場で型を創って戦わなければならないという。

 

 リリィの経験吸収は、吸収した相手と同じ技を繰り出すことはできても、それだけで新しい技を生み出すことはできない。新たな技を開発・修得するには、リリィ自身が考え、工夫する必要があるのだ。

 

 リウラが修得している以上、リリィもこのトンデモ武術を修得できる可能性はある。だが、このデタラメな難易度の武術を修得するためには、人並み以上に器用なリリィであっても数ヶ月単位、へたすれば年単位の鍛錬が必要になるだろう。それでは封印解除の決行日までに、とても間に合わない。

 リリィは、おとなしく“武器の扱いの基礎”だけを利用させてもらうことにしたのだった。

 

 ぎゃーぎゃー(かしま)しく言い争う少女たちを見ながら、オクタヴィアは微笑(ほほえ)ましそうに……そして、懐かしそうに目を細める。

 

「……」

 

「ずいぶんと嬉しそうね?」

 

「……はい。ご主人様がとても嬉しそうなので」

 

「……あれで?」

 

 どう見ても本気で言い争っているようにしか見えないヴィアにとって、彼女達の関係は険悪(けんあく)そのものだ。実際、目の前で試合を名目にしたガチのどつきあいが始まっている。殺気こそ無いものの、その怒りの波動はこちらにまでひしひしと伝わってくるほどだ。

 

「……かつてのご主人様と魔王様も、あのようによくケンカしておられました」

 

「魔王と?」

 

 ヴィアが驚く。

 ブリジットは確かに、そんじょそこらの戦士が束になっても敵わない猛者(もさ)ではあるが、魔王と比較すれば足元にも及ばない。そんな相手とあんな子供のようなケンカをしていたなど、ヴィアには想像もつかなかった。

 

「……ご主人様と魔王様は幼い頃からのつきあいで、ケンカしては仲直りする毎日でした」

 

「へぇ……」

 

(幼い頃の魔王、ねぇ……)

 

 ヴィアはリリィを見て思う。

 

 リリィは、本来、あんな幼稚(ようち)な挑発に乗るような性格ではない。

 最初はわざと挑発に乗っているのかとも思っていたが、そんな様子でもない。だからリリィがブリジットとケンカするたびにヴィアは不思議に思っていたのだが……

 

(子は親に似るってこと? よっぽどブリジットと相性が良いのかしら……?)

 

 いまだ()に落ちずひっかかるところはあるが、まあオクタヴィアの様子を見る限り気にするほどの事でもないのだろう。ヴィアがそう自分を納得させた時だった。

 

「ブリジット様! 人間族が迷宮内に侵入を開始いたしました!」

 

 大急ぎで飛び込んできたブリジットの配下の魔族から、開戦の知らせが告げられたのだった。

 

 

***

 

 

(どうやら自分の心配は無用だったようだな)

 

 儀式当日。

 先程、エステルの配下として割り当てられたユークリッド兵の伝令で、シルフィーヌが無事に儀式を開始した旨の連絡が入った。病弱病弱と言われながらも、なんだかんだで魔王と戦い、そして封印した姫だ。そのタフさには定評がある。

 

 儀式にはそれなりに時間がかかるため、見張り役の兵以外に休憩の指示を出すと、エステルはすぐ傍の手ごろな岩に腰を下ろす。そばに控えていたアーシャはメイドとしての作法に反するためか、腰を下ろすことなく、そのまま手を腰の前で組んだ状態で直立している。

 

 

 ――それから四半時(しはんとき)()たないうちに、彼女は現れた

 

 

「むっ!?」

 

「!?」

 

 まるで爆発したかのように膨れ上がる巨大な魔力。

 感じられる性質は明らかに闇寄り――間違いなく強力な魔族。

 

 エステル達の正面から堂々と気配は近づき、そしてその姿を(あら)わにした。

 

「また子供……だと……?」

 

 警戒しつつも戸惑(とまど)うエステルの声が漏れる。

 

 現れたのは、先日追い払った魔族と同じくらいの年頃(としごろ)睡魔(すいま)だった。

 だが、その膨大な魔力と真っ直ぐにエステルを見据える意志のこもった目つきが、決して侮ってはならない相手であることを否応(いやおう)にも認識させられる。

 

 周囲の兵達は、そのほとんどが相手の魔力の大きさに萎縮(いしゅく)してしまっており、(くだん)の睡魔の少女に向かって制止の声を上げるも、少女に無視されている。

 

 中には勇気を振り絞って剣を、槍を少女に向けて振るう者もいたが、それらは全て少女の周囲に張られた結界に呆気なく弾かれ、エステルに向けられた少女の視線を逸らすことすら叶わない。

 

 エステルは岩から腰を上げて少女がこちらに来るのを待つ。

 少女は、あと1歩でエステルの剣の間合いに入る、という絶妙な位置でその歩みを止めた。

 

「……あなたがゼイドラムの姫騎士 エステル・ヴァルヘルミアですか?」

 

「いかにも。……貴公(きこう)は何者だ?」

 

「私は睡魔のリリィ。ひとつ貴女に聞きたいことがあります」

 

「……なんだ?」

 

 『聞きたいことがある』と言われて、真っ先に思いついたのは、“自分はこの少女の家族の(かたき)なのではないか”という推測だ。

 エステルは騎士として人間族を守るために多くの魔族を斬ってきたので、充分にあり得る話である。

 

 しかし、それにしては、こちらに向けられる念に怨みや憎しみといった負の感情を感じない。

 いくら魔族とはいえ、見た目(おさな)い子供に対して剣を向けるのは気が引けることもあり、とりあえずは話を聞くべきか、とエステルはリリィと名乗る少女に話の続きを(うなが)した。

 

「『今、魔王の封印を解かなければ、私も人間族も大変なことになる。だから、すぐに封印を解いてほしい』……と言われて、あなたは話を聞く用意がありますか?」

 

 エステルは眉をひそめる。

 

 彼女は知らない。

 今すぐ魔王の封印を解いて、リリィが魔王の魔力を手に入れなければ、ディアドラが新たな魔王となる可能性があることを。

 原作においてディアドラが魔王となった場合、ゼイドラムのみならず、人間族すべてに対して牙を()く、ということを。

 

 だから、彼女は己が信念に従って、こう答えた。

 

「……愚問(ぐもん)だ。自分は民を守る騎士。民の命を(おびや)かす魔王を復活させるなど、あり得ない」

 

「事情を聞く気は?」

 

「無い。『例えどんな理由が有ろうと、それだけは絶対にしない』と断言できるからな」

 

「……なら、仕方ありません」

 

 リリィが右手をスッと横に伸ばすと、どこからともなく刃から(つか)まで透き通るように透明な大剣が現れ、その手に握られる。

 

(……妙な剣だな。警戒しておく必要があるか……)

 

 剣から強力な魔力が感じられる。おそらく、なんらかの呪鍛(じゅたん)魔術がかけられているのだろう。単に間合いが取りづらいだけの剣ではないはずだ。

 

 スラリと(さや)から愛剣を抜く。

 姫騎士エステルのために独自の装飾が(ほどこ)されたその美しい両手剣は、迷宮の壁面に(とも)燐光(りんこう)を反射し、その鋭さを伝えるかのようにギラリと輝く。そして次の瞬間、

 

 

 ――闘気が爆発した

 

 

 エステルの身体から莫大な闘気が立ち昇る。その(さま)は、さながら龍が滝を登るが(ごと)し。

 リリィを遥かに上回るデタラメな闘気量に、思わずリリィの表情が引きつっている。

 

「……逃げるなら今の内だ。敵として向かってくる以上、例え女子供といえど容赦はしない」

 

「……できません。私は私の大切なものを護るため、あなたを倒さなければならない」

 

 スッとリリィが大剣を大上段に構える。

 それを見て、エステルは眉をひそめた。

 

(……未熟すぎる)

 

 リリィの構えは大剣の基本にのっとったものであったが、あくまでそれだけ。平均的な一般兵士に毛が生えた程度であり、到底エステルと戦える水準には達していない。

 この程度で姫騎士と(うた)われた自分の前に立とうとするとは……おそらくは彼女の持つ魔力の大きさから“力押しで何とかなる”と考えているのだろうが、『浅はか』と言う他ない。

 

 エステルは、ゼイドラム王家に伝わる由緒(ゆいしょ)正しい構えでリリィに向き合う。

 実戦の中で磨きに磨き抜かれた、無駄のない美しい構え。ヴィアやリウラの戦闘経験を吸収したリリィであっても、わずかな隙も見つけられない見事な立ち姿だ。

 

 しかし、リリィは(おく)することなく地を蹴ってエステルへと突撃する。

 

 爆音とともに地が弾け、リリィの身体が瞬時にエステルに迫る。その速度は、アーシャを除いた周囲のユークリッド兵がその姿を見失う程に速い。

 

 だがこの程度の速度、エステルにとってはまだまだ生温(なまぬる)い。

 彼女の兄は、この何倍もの速度で地を駆け、剣を振るう。エステルは余裕を持って剣を袈裟懸(けさが)けに振り下ろす。

 

 

 ――エステルの斬撃が止まった

 

 

(なっ……!?)

 

 いや、斬撃を止めたのは()()()()

 

 突然足があらぬ方向へ(すべ)り、反射的にバランスをとるため、手が斬撃を中止したのだ。

 

(いったい、何が……!?)

 

 とっさにリリィが振るう剣を受け止めようと、自分の剣を眼前に配置する。リリィの剣がエステルの剣に触れるその瞬間、

 

 

 ――今度は、()()()()()()()()()

 

 

(!!?)

 

 続けざまに起こった未知の現象に混乱し、思考が一瞬停止する。

 その隙に、液状化したリリィの剣は、先端を鋭く尖らせた(いく)つもの槍の穂先のような棘と化し、鎧に覆われていないエステルの首へ頭へと襲いかかる――!

 

「エステル様!」

 

 その様子を見たアーシャが援護に入るために駆け出そうとした瞬間、自分の足元から前方にかけて何者かの魔力を感知し、とっさに右へと跳ぶ方向を変える。

 

 

 ()()()()()()()()()――その異様な光景をアーシャは目にした。

 

 

(なんて、いやらしい魔術……! エステル様が足を滑らせた理由はこれか!)

 

 翼を持たない人間族にとって、大地は文字通り自らを支える基盤である。当然、彼らの使う武技は、そのほとんどが不動の大地に足を置くことを前提としており、そこを崩されるということは闘うことそのものを封じられたに等しい。

 

 ――だが、その程度でやられるほど、ユークリッドの王宮メイドは甘くない

 

 アーシャの足が再び地に触れた瞬間、彼女の姿は既にそこになく、エステルの真上――迷宮の天井に足を置いていた。

 

 こちらの足を(すく)おうとする以上、敵は必ずこちらの足元の地面に魔力を浸透させ、支配下に置く必要がある。つまり、どうしてもワンテンポ遅れてしまうのだ。ならば敵が魔力を込め切る前に動いてしまえばいい。

 

 しかし、言うは(やす)し行うは(かた)し。

 敵が魔力を込めるのは一瞬。その間に周囲の状況を把握し、移動先を選択してアクロバティックに飛び跳ねながら、さらに戦闘までこなすのは至難の技だ。

 

 ――ましてや、味方のフォローまでするとなれば、さすがのアーシャも不可能なレベルである

 

(エステル様は!?)

 

 アーシャが視線を向ければ、なんとか手甲で全ての水槍を弾き、双刀を振るう睡魔の少女と斬り結ぶエステルの姿があった。おそらく、水槍の狙いが甘かったのだろう。そうでもなければ、とうてい防御が間に合うタイミングではなかった。

 

(――!?)

 

 突如として感じる膨大な魔力。

 睡魔の少女でも地面を操る何者かでも、もちろんエステルでもない。さらなる新手(あらて)の登場に、少なくない焦燥感がアーシャを襲う。

 

(あれは……!?)

 

 反射的に魔力を感じた方向に視線を向ける。そこにあったのは――

 

 

 

 ――湖から押し寄せる、巨大な()()であった。

 

 

 

***

 

 

 近隣の住民から“聖なる地底湖”と呼ばれる湖の中……ゆらゆらと揺れる水生植物(エルファス)に囲まれた水底(みなそこ)で、感覚共有の魔術によってリリィと視界を共有していたリウラは、己が操る水槍がエステルに防がれたことを知ると、すぐさま次の行動に移る。

 

 共有する視界をアイのものに切り替える。

 

 土塊(つちくれ)に“人としての機能”を与えられて生まれたアイは、その気になれば魔力を通した土・岩・地面の全てから視覚・嗅覚・聴覚情報を取得することができる。

 彼女の魔力が浸透している天井の一部の感覚から全体を俯瞰(ふかん)する視界を得ると、勢いよく両手を合わせ、精神を集中させる。1ヶ月近くにわたりリリィから性魔術によって魔力を供給され、成長し続けてきたリウラの莫大な魔力が、瞬時に湖の水の9割を支配する。

 

 そして次の瞬間、それらは巨大な一枚岩(モノリス)(ごと)(そび)え立ち、雪崩(なだれ)を打ってエステル達に襲いかかった。

 

「くっ……!」

 

 しかし、現在進行形でリリィと剣を合わせているエステルには、この攻撃を回避する(すべ)がない。

 

 キャミソールドレスのスカートの下……太ももに巻いたベルトから素早く抜いたリリィの本来の獲物である双刀が、まるで先程の大剣の未熟な剣技が嘘のように、怒涛(どとう)の連撃を叩き込み続けているが故に、それ以外の行動を取ろうものなら、その瞬間に小さくない怪我を負ってしまう。

 

 

 ――そして、津波がリリィごとエステルを飲み込んだ

 

 

 ……ように、エステルは感じていることだろう。

 実際には、津波は綺麗にリリィを避けて降り(そそ)いでいる。

 

 全力全開で魔力を高めている戦闘状態のリリィの位置を避けて津波を振り下ろすことなど、リウラの水操作技術をもってすれば朝飯前である。

 

(……あのメイドには避けられたか……やっぱり彼女は無視できないイレギュラーだね)

 

 滝のように雪崩落ちる水壁の先のエステルから視線を外さないまま、リリィはアーシャの位置を気配で感じ取り、リウラの津波が(かわ)されたことを悟る。

 

 エステルの(そば)に控えていた金髪メイドの少女は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 リシアンから原作知識に存在しない睡魔の少女――メルティの存在を聞いた時から、リリィはこう考えていた。

 

 

 ――おそらく、この世界は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 その理由が“ゲームと現実の違い”なのか、リリィのように“他世界からの転生者がいるため”なのか、はたまた“原作とよく似た平行世界である”のかは分からないが、原作とは異なる様々な可能性を想定しなければならないとリリィは心構えをしていた。

 

 そして、(あん)(じょう)。リリィの知識に存在しない人物がここに居る。

 

 リリィの知識では、迷宮に潜る王宮メイドは2人。シルフィーヌつきの姉妹メイド――短剣使いのサスーヌと槍使いのヴィダルだけである。

 しかも、彼女達は常にシルフィーヌの傍に控えており、敵を迎撃する際にしかその傍を離れないはずだ。

 

 さらに言えば、金髪メイドの少女は、リリィの眼から見てもハッキリ『美しい』と言える容姿であり、その洗練された動作から、姫騎士エステルに劣らない実力を持っていると感じられる。

 つまりは、非常に魅力的で個性的なキャラクターなのだ。……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 彼女に関しては、まったく情報がない。

 どのような思想を持ち、どのような戦闘手段を持っているのか分からない以上、説得するにしろ、叩きふせるにしろ、すべて手探(てさぐ)りで行う必要がある。

 

(……頼んだよ、ヴィア)

 

 原作知識が通用しない以上、生まれて間もないリリィよりも、交渉においても戦闘においても桁違いの経験を誇るヴィアの方が適任。こうしたイレギュラー対策のため、エステル以外の強敵に対する対応はヴィアに一任してある。自分はエステルを倒すことだけに集中すればいい。

 

(リリィ!)

 

 リリィの頭の中にリウラの声が響き、ピクリとリリィの猫耳が跳ねる。

 

 リリィの主である魔王が扱う魔術の中には、彼が独自に編み出したオリジナルの魔術がいくつか存在する。

 

 例えば、回復魔術。

 一般的に回復魔術と言えば、光であれ闇であれ、神の力を借りる神聖魔術が一般的だ。

 エルフなど精霊との関わりが深い種族は、大地の精霊の力を借りることで癒しの力を行使できる場合があるが、いずれにせよ超常の存在に力を借りることで癒しの力を発動させることが多い。

 

 ところが、魔王はそれらの例に当てはまらず、自らが保有する精気によって自身・あるいは他者を癒す魔術を組み上げている。この魔術があるからこそ、リリィは特に信仰する神がいないにも関わらず、癒しの力を行使することができる。

 

 今回、リウラからの合図を受け取ることができたのも、そうした魔王独自の魔術の恩恵(おんけい)だ。

 

 彼が扱う使い魔契約は、心話(しんわ)によって使い魔との意思疎通を可能とする。

 原作の魔王はこれを利用し、遠距離に居る使い魔からの偵察情報を瞬時に手に入れることに利用していたが、今回リリィはそれを戦闘時の意思疎通の手段として利用したのだ。

 

 すでに使い魔契約を結んでいる“リリィ――ヴィア”の組み合わせを除いた全ての仲間同士で、リリィ達は使い魔の仮契約を結んでいる。これにより、リリィ達は意識さえはっきりしていれば、いつでも味方と意思疎通できるという大きなアドバンテージを得ている。これを利用すれば、作戦の立て直しだろうと、コンビネーション攻撃だろうと思いのままだ。

 

 

 ――例えば、こんな風に

 

 

 リリィは、心話によってリウラから合図をもらった瞬間、すぐに短刀(ダガー)を握った左の拳を真横に突き出し、その先にある水塊へと雷撃を放った。

 

 バリバリバリバリ……ッ!!

 

 目も(くら)むような稲光とともに、弾けるような電撃音が辺りを包む。水を通してエステルに雷撃を叩き込んだのだ。

 手加減の必要はない。相手は自分よりも格上の相手だ。殺す気でやらねば、こちらがやられる。

 

 ――ゾクッ!

 

 リリィの第六感が最大級の警鐘を鳴らす。

 頭で考えるよりも先に身体が左へと跳ねると、リリィの足先を(かす)めるように前方から闘気の刃が通り抜けた。

 

 直後、轟音と共にリリィが(にら)む先の水壁が吹き飛ぶ。まるで爆弾が爆発したかのように勢いよく飛び散った水の中から現れたエステルは、獅子の如き強烈な咆哮(ほうこう)と共に飛び出し、リリィに唐竹割(からたけわ)りを叩き込む。

 

 リリィはそれを左の短刀(ダガー)で一瞬だけ柔らかく受け止め、その威力に肘が破壊される直前に左――リリィの身体の外側へと斬撃を受け流す。

 

 本来なら同時に右の短刀(ダガー)で攻撃するところだが、()えてそれをせずに後ろに退()く。

 すると案の定、リリィの斬撃速度を軽く上回るスピードで切り返されたエステルの両手剣がリリィの首に迫り、リリィはそれを(あらかじ)め構えていた右の短刀(ダガー)で素早く剣先を弾きとばす。

 

 ――ガギギギギギギギッ!

 

 嵐のようなエステルの連撃を、リリィは流れるように双剣を振るって(ことごと)く受け流してゆく。一見互角の勝負をしているように見えるが、リリィの険しい表情を見れば、それが誤りであることがわかる。

 

 両手剣と片手剣……より取り回しづらく重いのは、当然両手で扱うことを前提にして造られた両手剣の方だ。

 にもかかわらず、攻撃速度はエステルの方が上。つまり、それだけリリィとエステルの膂力(りょりょく)に差があるということである。

 

 そのパワー・重量・速度が掛け算された攻撃力は半端(はんぱ)ではなく、今や水蛇(サーペント)を超える魔力を持つリリィが全身全霊、細心の注意を持って攻撃を受け流しているのに、手が(しび)れて短刀(ダガー)が今にもすっぽ抜けそうなのを必死に耐えなければならない程である。

 

 先程、リリィの全力の雷撃をもろに受けて全身が痺れているはずなのに、この強さ……“姫騎士”という(ふた)つ名で呼ばれるだけのことはある。

 

 だが、そんな事は最初から想定済みだ。

 原作において、ブリジットとオクタヴィア、さらには魔王とリリィまで加えた4人がかりでも簡単にエステルに蹴散らされたことを、リリィは知っている。その差を埋めるための策は、いくつも用意している。

 

 

 ――雫流魔闘術 驟雨(しゅうう)

 

 

 その時、天から水の弾幕が降り(そそ)いだ。

 

 

 ――水精(みずせい) リウラの登場である

 

 

***

 

 

 リウラに与えられた役割は、大きく分けて2つ。

 

 ――1つは、リリィのサポート

 

 いくら強大な魔力を誇るリリィといえども、姫騎士エステル相手に単独で立ち向かうのはあまりに無謀であり、必ず誰かのサポートを必要とする。

 近接戦の専門家であるエステルと相対(あいたい)する以上、簡単に討ち取られないよう、後衛を得意とし、応用力の高い変幻自在の水術を駆使するリウラが、この役割を与えられたのは必然であった。

 

 ――もう1つの役割は、雑魚の掃討(そうとう)

 

 この世界では個人が数を凌駕(りょうが)することは珍しくないが、それでも数が力であることには変わりない。仮に数に物を言わせてリリィに対して妨害を仕掛けられたり、あるいは電撃で動きが(にぶ)っているエステルに治癒の魔術か魔法具(まほうぐ)でも使われたら、それだけでリリィがギリギリで保っていた均衡(きんこう)が崩れ、この戦いの敗北が決定する。

 雑魚であるが故に排除すること自体は簡単だが、排除するスピードが仲間の命すべてを左右する重要な役割であった。

 

 リウラは水の足場の上に立って、迷宮の天井付近から全体の状況を把握しながら、津波で一般兵を押し流すと、素早くエステルを飲み込んだ水の塊と切り離し、心話(しんわ)でリリィに合図を送る。

 

 

 ――直後、エステル側の水塊が、連続する破裂音と共に、目を貫かんばかりの稲光(いなびかり)(まと)った

 

 

 電撃というものは、相手が弱ければほんのわずかな電力でも命取りになる、極めて殺傷力が高い攻撃手段である。

 

 エステルほどの闘気の持ち主であれば、リリィの全力だろうと動きが鈍る程度で済むだろうが、一般兵はそうではない。ここでいたずらに死者を増やしてしまえば、のちのち人間族と和解したり交渉したりする際に悪影響が出てしまう。

 今後の行動の選択肢を増やすため、どうしてもリリィの電撃の範囲から彼らを外さなければならず、リウラは可能な限り迅速(じんそく)に水の塊を分ける必要があった。

 

 リウラは、押し流した一般兵が体勢を立て直す前に水塊を操作して、巨大な渦潮(うずしお)を創造する。

 

 エステルのような規格外の膂力(りょりょく)や闘気を持つか、あるいは特殊な魔術・魔法具を用いない限り、人間族は水中では行動力が激減する。

 特に鎧を着ていればそれが顕著(けんちょ)に現れ、専用の泳法を学んでいなければ浮かぶことすらままならない。

 

 そこに激しい流れを加えられては、最早(もはや)どうすることも出来なくなる。

 リウラはユークリッド兵達が死なないよう注意しながら、ある程度消耗したところで全ての水を宙に引き上げ、兵達を解放する。そのほとんどがグッタリと地に身体を横たえていたが、屈強な者は剣や槍を杖にして立ち上がろうとしている。

 

(――!)

 

 リウラの感覚が、エステル側の水塊の拘束が破られたことを彼女に伝える。リウラはすぐさまそちらの水塊も宙に引き上げ、精神を集中させた。

 

 

 

 ――雫流魔闘術 驟雨(しゅうう)

 

 

 

 空が無いはずの迷宮内に、局地的なスコールが発生する。

 

 だが、ただの豪雨ではない。その小さな雨粒一つ一つはリウラの魔力が込められた水の魔弾だ。

 死なないよう貫通力はなくしてあるが、代わりに、接触した瞬間に変形することで余すことなく伝えられた衝撃が、例え鎧の上からだろうと容赦なく兵士の肉体を貫き、その意識を奪ってゆく。

 

 ――パンッ!

 

(!?)

 

 リウラが、自身の周囲に張っていた水の結界が破られたのを感知した瞬間、リウラは素早くその場から飛び退(すさ)る。リウラの頬に線を刻むように、あふれんばかりの闘気が込められた投げナイフが通り過ぎた。

 

 リウラは戦慄(せんりつ)の表情で、ナイフが飛んできた方向を見やる。

 

(……()()()()()()()()()……)

 

 通常、生物は行動する前に、必ず何らかの()を放つ。生物が、まず心で行動を決めてから動く仕組みである以上、それは決して避けられないことだ。

 雫流魔闘術は、その相手の意を察知することで行動を先読みし、その行動を妨害することを基本のひとつとしている。特に相手を害するような攻撃的意識――俗に殺気と呼ばれるそれは、生存本能も敏感に反応するため、非常に感知しやすい。

 

 なのに、結界にナイフが接触するまでリウラは攻撃に気付けなかった……それも、あれだけしっかりと闘気が込められたナイフを。

 

 リウラの頬の上の傷痕(きずあと)が瞬時に消える。

 傷を癒した訳ではない。頬の上に展開していた水の膜を修復したのだ。

 

 リウラ達の相手は、あの魔王を封じた姫君とそれを護る従者たち。どんな強力な攻撃手段を持っているか分からない以上、どれだけ備えても備えすぎるということはない。

 そこで、リウラは(あらかじ)め水の結界を周囲に展開するだけでなく、全身に水の膜を纏うことで防御力を上げておいたのだ。

 

 リウラはナイフを投げたであろう人物――メイド服の女性に向き直り、その姿を見て違和感を覚える。

 

(あれ……? この人、どこかで見たような気が……?)

 

 初対面であることは間違いない。だが、その顔立ちが、そして纏う気配が、リウラの知る誰かに似ている。

 

(あ、そうか。ヴィアさんと少し似てるんだ、この人)

 

 数瞬後、それが仲間の猫獣人(ニール)であることに気づく。そうした余計な思考を(はさ)みつつも、リウラの身体は染みついた師の教えに無意識に従い、半身(はんみ)に構えてゆっくり静かに息を吐いた。

 

 

 ――直後、急速に空間内の湿度が上昇する

 

 

 心持つ生物である限り、行動前に意を放つことは避けられない。だが、それを修練によって限りなく“薄く”することは可能だ。リウラが感知できなかった以上、目の前のメイド服の女性は少なくともその技術においては、師であるシズクと同等かそれ以上だと想定した。

 

 そして、その想定は間違っていなかった。

 

 弓を使っても問題ないほど開いた距離を一瞬にして詰められ、有効射程に入ったナイフがリウラに迫る。

 

 気がついたらそこにいた、と言わんばかりの完璧な無拍子(むひょうし)

 ふわりとしたロングスカートが足の動きを隠していることも災いし、その動作から動きを予測することがリウラにはできなかった。闘気や魔力も()いだかのように静かで、気配察知で予測することもできない。

 

 ――スッ

 

 しかし、リウラは極めて的確に彼女のナイフを回避した。

 

 

 ――雫流魔闘術 狭霧(さぎり)

 

 

 自身が魔術的に支配する霧を発生させることで、その霧の動きを通して周囲の状況を知覚する技である。

 霧の密度が濃ければ濃いほど探知精度が上がり、薄ければ薄いほど敵がカラクリに気づきにくくなる特徴を持っており、“少し蒸し暑い”程度の湿度で展開したそれに、このナイフ使いの女性は気づいていないようだった。

 

 だが、技量そのものは相手の方が遥かに上。

 高精度の探知技を駆使しているにもかかわらず、反撃の糸口がつかめないどころか距離を離すことすら許されず、リウラは相手の攻撃を防ぎ、かわすことだけで手一杯になってしまっている。

 

 アイも先程から土槍や地滑(じすべ)り、岩弾を駆使してリウラの周囲を跳び回るアーシャを邪魔しようとしているのだが、すべて易々(やすやす)(かわ)されてしまっていた。

 

 このままでは、いずれ隙を突かれて殺される。

 

 リリィの方も、リウラの援護が途切れた所為(せい)で徐々に追い詰められている。

 

 圧倒的に不利な状況。なのに、リウラの眼から希望の光は消えていない。

 

 

 

 ――そして、リウラ達が待ちに待った声が聞こえてきた

 

 

 

 

「エステル様ッ! 姫様が!!」

 

 

 

 

 ――1人の兵士の焦燥に満ちた声が辺りに響いた

 

 

 

 

 

 



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第五章 好敵手 中編1

「エステル様ッ! 姫様が!!」

 

 迷宮に、焦りに満ちた大声が響く。

 

 迷宮の奥……シルフィーヌ姫がいるはずの方角から、大慌てで兵士がやってきた。

 頭に兜、全身に鎧をつけているために分かりづらいが、その声からして女性兵士のようである。

 

「どうした!?」

 

 リリィの腹部に蹴りを叩き込んで間合いを離しつつ、すぐさまその兵士へと一足飛(いっそくと)びに駆け寄るエステル。

 

 蹴られた瞬間に後ろに跳んでダメージを減らしたリリィは、すぐさま体勢を立て直して構えるが、エステルに向かってはこない。

 どうやらこの隙に息を整えようとしているらしく、その証拠にエステルが刻んだいくつもの細かい裂傷が見る間に癒えていく。

 

 兵士は焦りながらもリリィに視線をやると、敵に漏らしてはまずい話だと思ったのか、すぐに「恐れながら、耳をお貸しください」とエステルに頼みこむ。

 

 エステルも戦場で……しかも友好国の姫であり、個人的な友人の危機という緊急事態においてまで、礼儀にあれこれ言うような常識知らずではない。すぐにスッと兵士の口元に耳を寄せる。

 

 

 

「――()()()()()()()()()()!!」

 

 

 

 耳をつんざくようなアーシャの悲鳴。

 それを耳にした瞬間、エステルは全力で地を蹴って後ろへ跳ぶ……が、

 

「ぐっ……!?」

 

 時すでに遅し。

 

 

 ――鎧の隙間を縫うように、エステルの腹からナイフの柄が生えていた

 

 

 まるで焼き(ごて)を当てられたかのような灼熱感に堪えつつナイフを引き抜いて投げ捨て、脂汗を流しながらエステルは兵士を(にら)みつける。

 

「貴様、何者だ!?」

 

「……」

 

 ――ヒュヒュッ!

 

 答えを返さぬ兵士の足元から、2本の短剣(ダガー)(つか)を上にした状態で飛び出る。

 兵士は、まるでそれを知っていたかのように各々の手で短剣(ダガー)をつかみ取ると、スッと腰を落として構えた。

 

(……この構えは……っ!?)

 

 エステルは瞠目(どうもく)する。

 

 先程まで戦っていた睡魔の少女と瓜二(うりふた)つの構え。そして、自分達を妨害していたであろう土使いから武器を受け取ったという事実。

 それが意味することは、目の前の兵士が明確に魔族の味方であるということだった。

 

 間者(スパイ)なのか、洗脳されているのか、それとも服と鎧を奪った別人なのかは分からないが、これがエステルを倒すために練られた策であることは間違いない。

 

 ヒュッ!

 

 地を()うように姿勢を低くして、兵士はエステルへと突っ込む。

 それを迎撃せんと、肩に担ぐように剣を構えたエステルは、腹部の激痛に耐えながら剣を振るうタイミングを計る。

 

 トントンッ

 

(!?)

 

 しかしそんなエステルを嘲笑(あざわら)うかのように、軽やかに兵士は宙を駆け上がり、エステルの上を通過する。

 痛みを(こら)えて集中すれば、そこには透明な階段のようなものが忽然(こつぜん)と姿を現していた。

 

 兵士はそのまま階段を駆け上り、空中を飛び跳ねて水精(みずせい)と戦うアーシャに、背後から襲いかかる。

 そうはさせじと、エステルは闘気の刃を兵士に向かって放とうとするが、突き刺さるような殺気に身体が反応し、反射的にそちらに向かって剣を突き出す。

 

 ジャラッ!

 

「なっ!?」

 

 その瞬間、エステルの両手剣に金属質な音を立てて何かが絡みつく。

 

 

 ――直後、彼女の身体を電撃が貫いた

 

 

「がああああぁぁっ!!」

 

 エステルは痙攣(けいれん)する身体を意思の力で無理やり抑え込みつつ、自らの剣を見る。

 

連接剣(れんせつけん)だと!?)

 

 エステルの剣を封じたものの正体は、リリィの右手から伸びる蛇腹(じゃばら)剣の刀身であった。

 

 

 ――接技(せつぎ) 電撃剣(でんげきけん)

 

 

 電撃の魔術を剣に付与して敵を攻撃する魔法剣(まほうけん)の一種だ。

 連接剣による攻撃の中では基本的な技に位置するものの、リリィの魔力を持ってすれば絶大な威力を発揮する。

 

 なによりいやらしいのは、鎧に剣がかすったり、剣同士を打ち合わせたりするだけで敵にダメージが走る点だ。

 

 今リリィがしているように、敵の武器に絡ませながら電撃を走らせれば、身体が痺れた敵はあっという間に武器を奪われてしまう。

 エステルの桁外れの闘気と膂力(りょりょく)がなければ、とっくにエステルは自分の獲物を奪われていただろう。

 

(こいつ……っ! この歳で双剣だけでなく、大剣に連接剣まで操るだと……!?)

 

 リリィの年齢で、大人以上に武器を操る天才戦士は珍しいが、いない訳ではない。

 だが、それは1つの武器に、それまでの己の人生を賭けて修練を積まなければ、とうてい成し得ないことだ。

 

 ところが異常なことに、この睡魔(すいま)の少女は、双剣以外は二流とはいえ、まったく異なる武器3種を実戦レベルで操っている。ましてやそれが、玄人(くろうと)でも扱うのが非常に難しい連接剣とあれば尚更(なおさら)だ。

 

 その動揺した瞬間を狙って、少女はもう片方の手に握ったままの短剣(ダガー)をエステルの頭部めがけて投げつける。

 

「甘い!」

 

 エステルは短剣(ダガー)を無視してリリィへ真っ直ぐ踏み込み、連接剣が絡みついたままの両手剣を大きく振りかぶる。

 

()った!)

 

 武器を投擲(とうてき)した瞬間の無防備な状態。

 相手に、こちらの攻撃を咄嗟(とっさ)に防御できる武器もない。

 連接剣が絡みついたままではうまく斬撃が放てないが、鈍器としてなら十分だ。頭部を攻撃してやれば確実に殺せる。

 

 この瞬間、エステルは勝利を確信した。

 

 

 

 ――強者が油断する数少ない機会……その一つは勝利を確信した瞬間である

 

 

 

 ……ゴクリ

 

 ()()()()(のど)()()()()嚥下(えんか)()()()()()()()

 

 

 

 ――エステルが気づいたとき、リリィは彼女の懐に飛び込み、兵士のナイフで開けられた腹の穴にその手刀を差し込んでいた

 

 

 

「っ……がっ……」

 

 エステルには理解できない。

 

 

 ――どうして、あの瞬間にカウンターが成立したのか?

 

 

 武器を投げ放ったあの体勢からカウンターを成立させるためには、エステルが踏み込んだ瞬間に重心をエステル側に移動し、腰を(ひね)って手刀を叩き込むという一連の動作が必要になる。

 しかしその動作は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。つまり、エステルを超えるスピードが要求されるのである。

 

 今までは()えてスピードを抑えて戦っていた? ……いや、それはない。

 リリィの技量は明らかにエステルよりも格下。手加減して戦える相手ではないし、仮に手加減していたとしたら、その動作のぎこちなさに気づかないはずがない。

 

 では、ねこぱんちの要領で、魔力で自分の背を弾き飛ばした?

 それなら、前兆となる魔力の集中をエステルが感じなければおかしい。

 

 

 バリバリバリバリッ!!

 

 

 エステルの腹の傷口に手を突き入れた部分から、リリィは容赦なく電撃を放つ。

 さすがの姫騎士も体内に直接たたき込まれた電撃には耐えられず、白目を()いて崩れ落ちた。

 

 

 

 

 

「……ふうっ」

 

 なんとか無事にエステルを仕留めたリリィは、安堵(あんど)の溜息をつく。

 

 リリィが仕掛けたタネは簡単だ。

 なんのことはない、ただの“()()()()()”である。

 

 リリィの口内に仕込まれていた薬……その名は“加速の妙薬(みょうやく)”。

 

 服用した者の肉体の行動速度を上昇させる魔法薬である。

 とはいえ、3倍も4倍も速度が上がる訳ではない。個人差はあるが、せいぜい1.2~1.3倍、どんなに良くてもギリギリ1.5倍といったところだろう。エステルであれば余裕で対応できる速度だ。

 

 ――だが、今しがたリリィが使用したように、“ここぞ”という場面で使えば効果は絶大

 

 完全に相手がリリィの速度に慣れ、しかもそれがリリィの全力だと確信していたのならば、突如(とつじょ)として上昇したリリィの速度に相手はついていけなくなり、攻撃をまともにくらってしまう。

 『初見殺(しょけんごろ)し』と言って差支(さしつか)えない、凶悪な攻撃手段である。

 

 

 (……あれ? なんか、思った以上に上手く戦えた……?)

 

 ここ最近、ブリジット相手に負けが込んでいたリリィは、いくつもの策略にはめて弱体化させたとはいえ、明らかにブリジット以上の実力者であったエステルに、あっさり勝てたことを不思議に思う。

 しかし、すぐにその原因に思い至った。

 

 (……そっか。ブリジットと戦ってたとき、私、無理にお姉ちゃん達の技を使おうとしてたから……)

 

 リウラやリューナから得た経験に慣れるため、ブリジットとの模擬戦で、リリィは意識的に彼女達の技を無理にでも使おうとしていた。

 

 しかし、リューナは弓と魔法主体の中~遠距離戦専門。リウラは近距離戦もできるものの、使う技はその都度型を創るというトンデモ武術。そんなものを近距離戦の専門家であるブリジット相手に使おうものなら、ボコボコにされるのは当たり前である。

 最初は引き出しの多さに混乱させることができても、対策されてしまえばそれまでだ。

 

 対して、エステル戦では、リリィの中で最も近接戦に適したヴィアの技をベースに、リリィが感覚で連接剣や手刀といったリウラの技術を使った結果、自分でも驚くほど適切かつスムーズに技を繰り出せた。

 

 おそらくは、魔王によって与えられたリリィの神がかった戦闘センスが、瞬時にその場面で最適な技を判断したのだろう。

 ……これからは、可能な限り、自身の感覚や直感に任せて戦った方がよさそうだ。

 

 

 エステルの頭を軽く蹴飛ばして、完全に気絶していることを確認すると、彼女が出血多量で死なないよう、回復魔術で腹の傷を塞ぎつつ、リリィは未だ戦闘音が響く箇所へ振り向く。

 

「手助けは……必要なさそうだね」

 

 アーシャとの戦闘を繰り広げる姉の姿を見て、リリィはそう(つぶや)く。

 そして、リリィに味方したユークリッド兵がやってきた方角を眺め、機嫌悪く舌打ちする。

 

「……()()()()()……()()()()()()()()()()……!」

 

 そう言うと、リリィは未だ目覚めぬ眠り姫の唇に荒々しく吸いついた。

 

 

***

 

 

 ドオンッ!

 

 腹に響く重厚な音が鳴った瞬間、裏切り者の兵士――に扮装(ふんそう)しているヴィアは吹き飛び、迷宮の壁面に小さなクレーターを作りながら叩きつけられた。

 

(ふっ……ざけんなっ! どんだけ強いのよコイツ!?)

 

 作戦通りであれば、とっくにこちらに来ているはずのブリジット達が、いつまでたってもやってこない……そのことを(いぶか)しんだヴィアが状況を確認し、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことを理解すると、すぐさまリリィ達に心話で連絡。代案を立てて実行に移したのだった。

 

 大渦に巻き込んで気絶した兵士達の中から、手ごろな背格好の女性兵士を、リウラが水に包んだまま分離し、隠れていたヴィアの元へ移動。

 その衣服と鎧を剥ぎ取り(水分は全てリウラが取り去ったので湿り気は無かった)、兜と鎧で猫耳と尾を隠して兵士に(ふん)し、姫騎士に接近して隠しナイフを叩き込むまでは全て順調に進んだ。

 

 ところが、ヴィアがこのメイドの相手をし始めてから一気に計画が狂い始めた。

 

 代案では、ヴィアがメイドの相手をする間に、リリィとリウラが2人で、腹にナイフが刺さったエステルを倒すはずだったのだが……ヴィアの16年の人生経験・戦闘経験が、このメイドには全く通用しない。苦戦どころの話ではなかった。

 

 ――攻撃の前兆が読み取れず、一方的に攻撃される

 ――こちらの攻撃に対処しながら、あるいはこちらに攻撃を繰り出しながら平気で呪文を唱える

 ――袖からナイフが、鋼線が飛び出し、(ふところ)から呪符が、魔法具(まほうぐ)が、さらには口から毒まで飛び出す

 

 よくもまあ、こんなビックリ人間相手に攻撃を(さば)ききったものだ。アイの援護があったとはいえ、ヴィアはどうやってリウラがこのメイドの相手をしていたのか本気で疑問に思う。

 いや、むしろアイの妨害の中でこれだけの攻撃を繰り出せるメイドの方がおかしいのか。

 

(やばっ……意識が……!)

 

 攻撃を受けた箇所が悪かったのか、急速にヴィアの意識が遠のく。

 

 薄れゆく視界で彼女が最後に見たものは、作戦通りリリィの援護に向かおうとしていたリウラが、ヴィアがやられたことに気づいて慌てて(きびす)を返す光景だった。

 

 

***

 

 

 メイド(アーシャ)は大地に勢いよく片手を叩きつけ、魔術を発動させる。

 

 

 ――純粋魔術 翼輝陣(ケルト=ルーン)

 

 

 高純粋の魔力の渦が()()()()()()()()()()発生する。

 

「――ッ!」

 

 大地が丸ごとミキサーにかけられるのを見たリウラは、使い魔契約を介して瞬時にアイを(かたわ)らに魔術で招聘(しょうへい)、間一髪で地中に潜んでいたアイを救い出す。

 

 しかし、そのダメージはあまりにひどく、鳩尾(みぞおち)から下がすべて失われた上に右肩から先がなく、頭部が右眼ごと半分えぐり取られ、さらには核に魔術的もしくは物理的な負荷がかかったのか、アイは完全に意識を失っていた。

 

 リウラは無残な状態となったアイを見て、唇を噛む。

 

(ごめん……私がメイドさんから離れちゃったから……!)

 

 “狭霧(さぎり)”を使わなければ、攻撃を(さば)ききれない時点で気づくべきだった。

 

 彼女の攻撃は非常に読みにくい。攻撃の()が消されているだけでなく、引き出しが異常に多いのだ。

 どこから何が飛び出してくるかわからず、攻撃の瞬間に取り出す道具や仕掛けの形を魔力を込めた霧で読み取って、攻撃をあらかじめ先読みしておかなければ、とても対処ができない。

 

 自分よりも遥かに実戦経験を積んでいるヴィアならば……と思っていたが、その見積もりは酷く甘かったようだ。

 

(私がなんとかしなきゃ……!)

 

 リウラは空中に張った水床にアイをそっと横たえると、地面に飛び降り、半身(はんみ)になりながら鋭い視線でアーシャを射抜く。

 

 ――相手は完全な格上

 ――リリィも同様に格上の相手をしていて、応援に来れない

 ――援護してくれていたヴィアもアイも戦闘不能……状況は絶望的だ

 

 しかし、リウラの心に焦りはない。

 

()()()()……()()()()()()()()()()……?)

 

 リウラは静かに“狭霧”を再展開した。

 

 

***

 

 

「……そういえばシズク、あなたは、なんでリウラが里を出ることを許したの? あの子は貴女が唯一選んだ後継者ではなかった?」

 

 リウラとリリィの手掛かりを求めて迷宮を探索する(かたわ)ら、ふと気づいた疑問を水精(みずせい)ティアは口にする。

 

 隣で歩く友人のシズクは、自ら独自の戦闘術を生み出した実績を持つ、変わり種の水精だ。

 その戦闘術は、数多(あまた)の戦闘術を水精(自分)に最適化するようアレンジすることで(つく)られたものらしく、レインやレイクなどリウラ以外の水精も護身のために彼女に師事している者はいる。

 しかし、『明確に後継者として育てているのは、リウラだけだ』と以前ぽろっと口にしていたのをティアは覚えていた。

 

「……言ってる意味が分からない」

 

「“魔王復活”なんて世界を敵に回すようなことに首を突っ込んで、リウラが死んだらどうするの? また後継者を探すつもり?」

 

「大丈夫よ」

 

 ティアがそう言うと、シズクは即答する。

 

「……この間、水蛇(サーペント)に殺されかけたばかりなのに、どうして『大丈夫』と言えるの?」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「??」

 

 会話が繋がらず、ティアが軽く混乱する。

 妙な会話をした自覚があったシズクが、1から説明しようと口を開く。

 

「……ティア、なんで私がリウラを後継者に選んだか分かる?」

 

「……才能が有ったからでしょう?」

 

「そう、リウラには才能が有った……()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ティアは驚きに大きく目を見開く。

 シズクは前を向いたまま、かつてのリウラの訓練を思い起こしながら語る。

 

「リウラは異常な速さで私の技を吸収した。普通なら1年かかる技だろうと、3日もあれば修得してみせた。その時、私はふと思った……“もし、この天に愛された才を持つこの子に、教えた技を練習させないようにしたら、どうなるのだろう?”って」

 

「……(なま)るだけでしょう?」

 

「そうね。普通、誰でもそう考える」

 

「……鈍らなかったの?」

 

 シズクは、ゆっくりと首を横に振る。

 

()()()()()()

 

「……え?」

 

 言われた内容は理解できたものの、聞き間違えかと思いティアは反射的に()き返す。

 

()()()()()()。……()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……あなたに隠れて、こっそり練習していたとかじゃなくて?」

 

「それをされても気づけるように、あの時はリウラと寝食をともにしていた。もし夜中に起きて練習しようものなら、私は寝ていようとすぐに気づいて起きる……後で訊いたら、イメージトレーニングもしてなかったみたい」

 

 唖然(あぜん)とするティアをよそに、シズクは淡々と説明を続ける。

 

「あの特殊な生まれが関係しているのかは知らないけれど、とにかくリウラは一度学習した技を放置していても磨き続けることができる能力(ちから)がある。そしてそれは、リウラが得た経験が増えれば増えるほどに加速する。……だからこそ、基礎だけとはいえ、百を超える戦闘術の基本をたった1年で修得することができた。そして、私の戦闘術の真髄(しんずい)を、その一部とはいえ私以上に修得することができた」

 

「……シズク、以上……?」

 

「私の使う技……魔闘術(まとうじゅつ)真髄(しんずい)は“変幻自在”。技の本質はそのままに、移ろいゆく水のように、相手や状況に合わせて(かた)を創造し対応する“()(せん)の究極形”。……そして、それを行うためにはあらゆる戦闘術を修め、様々な敵と何百何千と戦い続けることでしか得られない、膨大な経験が必要」

 

 その場の状況と相手に合わせて型を創るには、数多く戦いを経験することによって磨かれる鋭い観察力・洞察力の他に、対応できる技の数々の修得、さらには実際に技をかけた経験が必要になる。

 そしてそれだけの経験を得るためには、人間族の寿命では到底成し得ないほど気の遠くなる歳月が必要だ。

 

 実際、シズクも完全に自分の型を崩しきり、状況に合わせた型を操るまでに数百年の時間をかけている。

 

「でも、それは簡単に言えば経験の質と量にものを言わせて、相手の行動を自分の知るパターンに落とし込み、もっとも適切な対応を取っているに過ぎない……それが私の限界。でもリウラは違った」

 

「あの子は本当に自分で型を創り、技を創った……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()……たぶん、あの異様な学習能力を使って」

 

 本人の無意識に行われる、技の開発と改良。

 シズクが理想とするそれを、リウラはいともたやすく行使する。

 

「だけど、多くの経験を持つ私があの子を鍛えていても、結局のところ、あの子が相手するのは師である私か姉妹(きょうだい)弟子のみ……しかも、リウラは“絶対に殺されない”“あまりに酷い怪我をさせるようなことはされない”と心のどこかで安心していた。だから、いざ本物の実戦を経験した途端、あの子は動けなくなったし、動けるようになった後も、いつもとは比べ物にならないほど動きが悪くなった」

 

 目の前に突如として現れたサーペントに、リウラは固まった。

 サーペントの純粋な殺意と悪意に、リウラの身体は震えて言うことを聞かなくなった。

 自分の身の危険、そして大切な妹の危機に焦り、本来の実力が出せなかった。

 

 

 ――だが、最初から自分に対する悪意が無いと悟っていたリリィとの戦いでは、落ち着いて十全な対応をこなしていた

 

 

 自分の予想の範囲ならば、すさまじい応用力をもって対処できる。

 だが、少しでも予想から外れると、その力を発揮することができない。

 

 本来ならどんな相手にでも対応できる雫流魔闘術だが、それができない理由は単純な“経験不足”。

 それも訓練では決して得ることができない“実戦経験”だ。

 

「だから、私はあの子を里の外へ送り出すことを許した。私では決して与えられない本物の経験、あの子だけの経験。それさえ手に入れることができれば、あの子は本当の意味で私の“魔闘術”を受け継いだことになる」

 

 経験を得れば得るほどに、彼女は強くなるだろう。

 魔王復活にかかわるとなれば、それこそ嫌というほどに実戦を経験できる。強敵との戦いもうんざりするほど経験することができるだろう。

 

「……それでも、戦いの中で死ぬ可能性だってあるでしょう? まさか、『死んだらその程度の器だった』とか言うつもり?」

 

 ティアが眉をひそめながら言うと、シズクは首を横に振る。

 

「そこまで言うつもりはない。でも、リスクを取らずに得られるものが無いのも事実……それに、いくら実戦を経験していないとはいえ、私の鍛え方は甘くない。油断さえしなければ、仮に勇者や魔王が相手だろうと数分は生き延びられるように鍛えた」

 

「数分って――」

 

「数分あれば」

 

 シズクは、ティアの文句を(さえぎ)る。

 

「……あの子は必ず打開策を見出す」

 

 自分の一番弟子を(あなど)ることは許さない、という意思を込めて。

 

 

***

 

 

(……おかしい)

 

 アーシャは(いぶか)しむ。

 

 こう言っては何だが、アーシャの扱う戦闘術は外道上等の殺しの技だ。

 不意打ち・奇襲は当たり前。毒だろうと罠だろうと使えるものは何でも使う、正真正銘の何でもあり(バーリトゥード)だ。当然、初見殺しの技もいくつも持っている。

 

 ――なのに、当たらない

 

 この水精は、まるで一瞬先の未来が見えているかのように、的確にこちらの行動に対処する。

 アーシャの引き出しはまだまだあるが、このまま戦い続ければいずれこちらの手札を丸裸にされることが分かりきっている。そうなれば、今は一方的にこちらが押している状況をひっくり返されかねない。早急に原因を究明しなければならなかった。

 

(……わからない。不自然なところが、どこにも見当たらない)

 

 水精の眼の動き、身体の力み具合、魔力の動き……観察できる箇所の全てにおいて不自然な点が見当たらない。

 ときおり対処が遅れることはあるものの、アーシャの技の初見殺しの特性を(かんが)みれば、決して不自然とは言えなかった。

 

 アーシャは相手に隙を見せないように注意しつつ、右眼に入ろうとしていた汗を手で(ぬぐ)う。

 

 

 

 ……()

 

 

 

(……そういえば、いつの間にか蒸し暑くなって……!?)

 

 

 ――見つけた。不自然な点

 

 

 アーシャはすぐさま精神を集中させ、素早く呪文を詠唱する。

 

≪風よ。悪意ある霧を吹き飛ばせ≫

 

 ゴォッ!

 

 アーシャを中心に激しい風が吹き荒れ、周囲の湿気を吹き飛ばす。

 

 途端(とたん)、水精の顔つきが険しくなる。どうやら()()()のようだ。

 

(……なら、ここで一気にケリをつける!)

 

 あまりにも回避されるので途中から温存していた初見殺しの技……今ならそれが通用するはずだ。

 アーシャはフェイントを混ぜながら右のナイフを突き出し、水精がそれを受け流そうと手を伸ばした瞬間、

 

 

 ――水精の背後へと転移した

 

 

 転移魔術は様々な条件が整わなければ、そう簡単にできるものではない。

 戦闘中に転移を扱えるものなど、霊体(れいたい)系の不死者(ふししゃ)か、空間を感覚的に認識・操作できる歪魔族(わいまぞく)くらいだろう。

 

 だが逆に言えば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()

 

 地中に居る敵の気配に気づいて地面を丸ごと魔術でシェイクした際、アーシャは地中に数枚、転移後の座標を示す魔術札(まじゅつふだ)を埋めておいた。

 後はその位置まで水精を誘導し、対となる転移魔術を封じた魔術札を発動させるだけ。座標認識や複雑な転移魔術の起動にかかる時間・集中力が不要となり、瞬時に転移魔術を使用することができる。

 

 結果、アーシャの攻撃を防御しようと行動していた水精は完全にその隙を(さら)していた。

 やはり、先の湿気がこちらの行動を見破るタネだったのだろう。

 

 アーシャのナイフは、無防備な水精のうなじへと吸い込まれ――

 

 

 

 ――ドオンッ!

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ぐっ!?」

 

 爆発の衝撃で手首を(ひね)ったアーシャは、すぐに左手で右手首を握って治癒魔術をかける。

 

(……いったい何が……!?)

 

 素早くこちらを向いた水精が、地面を蹴ってこちらへと突進する。

 

(……いや、何が起こったのか考えるのは後だ。とにかく“アイツに触れたら爆発する”と考えて行動しないと……!)

 

 だが、“触れたもの全てに対して爆発する”という訳でもあるまい。

 それならば、今しがた彼女が蹴った地面だって爆発していなければおかしい。おそらくこちらの攻撃を察知して意識的に爆発させているのだろう。

 

(なら、死角から攻撃すればいいだけのこと!)

 

 アーシャは水精にナイフを叩き込む構えを見せ、水精の視線をこちらに集中させる。

 

 だが、本命は水精の足元。

 今にも足を置こうとしている地面に、小規模の翼輝陣(ケルト・ルーン)を発生させ、彼女の足を奪う。

 

 水精の足が地についた瞬間、純粋魔力の渦がその華奢(きゃしゃ)な足を捕らえ――

 

 

 ――ドオンッ!

 

 

「なっ……!?」

 

 爆発。

 小型の魔力の渦は、その威力にかき消される。

 

 水精は爆発の勢いでややバランスを崩したものの、すぐに体勢を立て直してこちらへと向かってくる。

 

(……どういうことだ!? 完全に奴の注意はこちらに向いていた。なのに、なぜ死角からの攻撃を防げる!?)

 

 1つのタネを見抜いたと思ったら、さらなる謎が飛び出す。まるでビックリ箱のような敵。

 

 アーシャが抱いたその思いは、()しくもこれまでアーシャが敵対した者達が、彼女に対して抱いた感想と完全に一致していた。

 

 

 

 

 

 

 少し時間は(さかのぼ)り、アーシャが短距離転移でリウラの背後をとった瞬間。

 

 

 ――ドオンッ!

 

 

 なんとか対処が間に合ったリウラは、すぐさま背後を振り返り、そこに手首を抑えてこちらを(にら)むメイドの姿を認めて、胸をなでおろす。

 

(ま、間に合った~~~~っ!!)

 

 きっかり3分。

 

 それが、()()()()()()()()()()()(ひらめ)()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 リウラは今までの経験から、一定時間戦って相手を理解することで、自分が相手に対する有効な型や技を閃くことを知っていた。

 

 その経験則から、目の前のメイドに対する型や技を思いつくのにかかる時間は3分と見込み、そして、その予想通りに彼女は型を編み出した。

 

 

 ――雫流魔闘術 奥義 焙烙(ほうろく)

 

 

 粉々に砕け散る焙烙(=土器)に見立て、水を魔力によって強制的に水蒸気爆発させる、雫流魔闘術の奥義――その対メイド専用の型がこれだ。

 

 このメイドは、リウラの予想もしない攻撃手段をいくつも隠し持っている。

 攻撃の意を隠して放たれるそれらは、リウラの経験則だけでは到底予想・対応できるものではなく、“狭霧(さぎり)”が対処されてしまえば、実質リウラには回避も防御も不可能だった。

 

 そこでリウラは思いついた。

 

 

 ――なら、()()()()()()()()()()()()()

 

 

 つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を考案したのだ。

 

 もともとリウラは全身に水の膜を(まと)い、不意打ちや対処に失敗した敵の攻撃を予防していた。

 それをやや厚めに展開し、敵の攻撃を受けた瞬間に指向性を持たせて表面の水分を水蒸気爆発させることで、例えどんな奇襲が来ようともダメージを軽減することに成功したのだった。

 

 この1ヶ月の間に“焙烙”を修得し、完全な制御を身に着けたからこそできる技であり、それはリウラの学習速度の異常性を示すものでもあった。

 

 

 

 地面を蹴ってメイド……アーシャに肉薄する。

 奇襲を恐れる必要がなくなった以上、堂々と真正面から攻撃することが可能になったからだ。

 

 

 ――ドオンッ!

 

 

 今度は右足で爆発。

 

 何が起こったのかリウラには分からないが、どうやら右足に何かしようとしたらしい。

 その証拠に、アーシャの表情が驚愕一色に染まっている。

 おそらくこの“焙烙”を意識的に発動させたと思っているのだろう。

 

 だが、それは誤りだ。

 なぜなら――この“焙烙”は()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 リウラ自身も気づいていない、彼女の異様な学習速度の根本……それは、彼女の“無意識”にある。

 彼女は一度“こうなったらいいな”“こうしたいな”と思ったことに対し、無意識にその対応を考えて実行することができる、特異な性質を持っているのだ。

 

 ――例えば、技の学習や開発

 

 一度技を教わり、“もっとうまくなりたいな”“この敵に対応できる型を創りたいな”と彼女が思うと、彼女の無意識は自動的にその方法を考案し続け、ある時はリウラに“閃き”という形で技を伝え、ある時は最適化された動作イメージを記憶・保存して技術を向上させる。

 

 ――例えば、水の制御

 

 リウラが水蛇(サーペント)の尾で跳ね飛ばされてダメージを受けようと、リリィに創り与えた水剣はびくともせず、今こうしてメイドとの戦闘に全力で集中していようと、アイを横たえるために空中に展開した水床は崩れる様子を見せない。

 それは、リウラが“形を維持したい”という思いを無意識が()んで、実際に制御を維持しているからだ。

 

 ――例えば、彼女の心

 

 水蛇に(おび)えたとき、リウラの身体は動かなくなった。

 それは、彼女が“リリィを助けなければ”という表面上の思いよりも、心の奥底で思ってしまった“逃げたい”“(そば)に寄りたくない”という思いの方が強かったがために、その思いを無意識が読み取り、彼女の身体を危険から遠ざけようと動きを縛ってしまったからだ。

 しかし、心の奥底から“リリィを助けたい”と願ったとき、その願いを受けた無意識は彼女の身体を解放した。

 

 ブリジットと戦ったとき、目の前で行われた人殺しにリウラはショックを受けて行動不能になったが、心から戦う覚悟を決めた瞬間に、そのショックの影響が全て(ぬぐ)われたのも、リウラの戦う意志を汲み取った無意識が、戦闘に不要な感情を排除したがためである。

 

 今回も、そう。

 

 “攻撃を受けた瞬間に、焙烙を発動させたい”と思ったリウラの意思を汲み取った無意識が、相手の魔術の発動を感知して攻撃と認識、即座に“焙烙”を発動させたのである。

 

 

 ――リウラ固有の特性を前提としているが故に、師であるシズクであろうと真似(まね)することのできない、リウラ専用の型であった

 

 

 リウラは、驚愕に一瞬身体を硬直させたアーシャの腹に掌底を放ち、接触した瞬間に“焙烙”を発動させる。

 

 爆音とともにアーシャが吹き飛ぶ。

 

 しかし、しっかりと地面に着地した彼女の腹は無傷。服にすら傷ひとつついていない。

 その原因は、先程とは桁違いの力強さでアーシャの全身から溢れ出す、信じられないほど強力な魔力にあった。

 

(……凄い魔力。さっきのエステルさん以上かも)

 

 その感じる力強さは、姫騎士エステルの闘気すらも(しの)ぐだろう。あれで全身を強化されたとあってはリウラの魔力では傷ひとつつけられまい。

 なるほど、これならば“焙烙”を気にせずに攻撃できるだろう。

 

 アーシャは地面を踏み砕きながらリウラへと凄まじい速度で接近し、ナイフを失ったほうの手で拳を繰り出す。

 

 

 ――リウラは、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 たしかに、その強大な魔力で全身を強化してしまえば“焙烙”を無効化できる。

 しかし、焙烙”を完全に防ぎきるほど強力な魔力を全身に通すなんてことをすれば、その全身から放たれる魔力は凄まじいものになる。

 現に、リウラが“エステル以上”と認識できていることが良い証拠だ。

 

 そして、魔力や闘気をより感じとれるようになればなるほど、その力が使用者の意思を反映し、動作に合わせて流れ、その威力を強化する様子を感知することができる。

 

 つまり、攻撃の()を消しきれなくなってしまったのだ。

 

 リウラは雫流魔闘術の中でも、合気術(あいきじゅつ)を最も得意としている。

 それは彼女の無意識が相手の動きや魔力を認識し、力を受け流す最適な動作を導き出すことができるからだ。それは(すなわ)ち、相手の意を察知することを最も得意としていることを意味している。

 

 この状態では、アーシャがいくら攻撃しようとも彼女に攻撃を当てることはできない。

 奇襲が奇襲としての意味をなさなくなってしまったからだ。

 

 アーシャの頬が少し膨らむ。

 

 口に仕込んだ毒液を吐くときの動作だが、彼女の頬へ流れるはずのわずかな魔力が存在しないため、フェイクと判断。

 両脚と腰に流れる魔力を見る限り、右の中段回し蹴り――!

 

 リウラは一息でアーシャの間合いに踏み込むと、軸足の甲を蹴り砕く勢いで(かかと)を叩きつけ、足の動きを封じる。

 すでに振り上げられた右足の付け根に左腕を添え、全身の力で持ち上げるように蹴りの軌道を上へ逸らす。

 

 そして、滞空している水球の一つが腕へと変化し、アーシャの蹴り足の爪先を握ると、踵を中心に反時計回りに回転させ、彼女の蹴りの勢いを利用して足首を思い切り(ひね)る。

 同時にもう一つの水球に、足を持ち上げられてバランスを崩した彼女の顎を打ち抜かせ、さらには打ち抜く瞬間に“焙烙”を発動させることで衝撃を増加させた。

 

 

 ――雫流魔闘術 水車(みずぐるま)

 

 

 敵の攻撃の勢いを利用して関節を捻り、破壊する技である。

 いくらリウラの攻撃力が劣っていようと、強化された自分自身の攻撃力まで防げるはずもない。アーシャの足はグキリと嫌な音を立てる。

 

 次の瞬間、全身から魔力を放出させてアーシャはリウラを吹き飛ばし、さらに軸足で地面を蹴ってリウラから全力で距離を取る。リウラと近接戦闘することの不利を悟ったのだ。

 

 たしかにアーシャは、リウラ以上の魔力と攻撃の意を消す技術、そして幅広い奇襲の手段を持っている。しかし、単純な体術の腕ならばリウラの方が上なのだ。

 攻撃の意を消せなくなり、奇襲が意味をなさなくなった今、リウラに自分の攻撃のことごとくを返され、彼女は自分の技で自滅しようとしていることに気づいた。

 

 加えて言えば、雫流魔闘術の恐ろしさの一つはその“手数”。水を自在に操る彼女達にとっては、操れる水球の数だけ手足があるようなもの。

 

 今リウラがして見せたように、手足が合わせて4本しかない人間族では絶対にとることができない手足をとって関節技をかけたり、本来なら打てない位置にある箇所に打突(だとつ)を放つことができる。

 ただでさえ相手の方が技量が上なのに、手足が5本も6本もあるような相手に戦うのは流石に無理があった。

 

 だから、アーシャは距離を取って魔術攻撃を仕掛ける作戦に切り替えた。

 魔術合戦になれば、魔力で圧倒的に劣るリウラに勝ち目はない。

 

 そして無事な方の足で地面に着地しようとして、

 

 

 ――アーシャは足を滑らせた

 

 

 見れば、いつの間にか辺り一帯の地面……いや、壁や天井まで含めて周囲一帯が凍りついていた。

 

 これもリウラの閃きである。

 アイの地面操作をことごとくアーシャに回避される様子を見ていたリウラが、無意識に“どうすれば、この人に避けられずに済むのだろう”と考えたときから、彼女の無意識が考え続けて思いついた対策の一つだった。

 

 地面を操作して妨害するのでは、その魔力を感知して操作する場所を先読みされてしまう。

 なら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……それがこの結果だ。

 

 アーシャと比較すれば少ないものの、リリィの性魔術で強化され続けてきたリウラの魔力は相当なものだ。さらに、水の属性は魔力の方向性を変えることで冷却の属性を持つことができる。

 アーシャが大きく跳び退(すさ)る一瞬の間に辺りを水の膜で覆い、凍りつかせることなど、リウラにとっては造作もないことだった。

 

「……こんなもの!」

 

 何度も繰り返すが、魔力は圧倒的にアーシャが上。動きを封じたつもりかもしれないが、蹴り一発でこんな氷など粉砕できる。

 癒しの魔術ですぐに足首を治癒すると、アーシャはスカートを(ひるがえ)して踵を大きく振り上げる。

 

 

 ――雫流魔闘術 奥義 焙烙(ほうろく)

 

 

 その瞬間、アーシャの座っていた氷が爆発した。

 

 氷は何故滑るのか?

 それは氷の表面に薄く張られた水が、潤滑剤(じゅんかつざい)の役目を果たしているからだ。

 

 リウラは氷を張ると同時に、その表面を水で覆っていた。

 それを“焙烙”で起爆させたのである。

 

 その威力に一瞬身体が宙に浮いたアーシャを次々と水球が襲い、起爆し、どんどん彼女を宙へと押し上げてゆく。

 

 アーシャは焦る。

 

 ――空中では身動きが取れない

 ――襲ってくる水球を足場にしようにも、接触する直前に爆発する

 ――転移の魔術札を使っても、地面に移動した瞬間に氷が爆発し、また宙に押し上げられる……移動手段が完全に封じられていた

 

 しかし、爆発する直前に何とか結界を張ったため、いくら水球が爆発しようとメイドには傷ひとつつけることはできない。

 ならば、この状態のまま魔術を放つのみ――!

 

 アーシャは、周囲の水球ごとリウラを吹き飛ばそうと、広範囲の大規模魔術を使うため、全力で集中を開始する。

 

 

 ――その隙をリウラは狙った

 

 

 一気に“水の羽衣(はごろも)”を操って、アーシャに接近する。

 “水の床を走る”以外に、リウラに空中を移動する手段など無いと思い込んでいたアーシャは、その予想外のスピードに目を見開いた。

 

 先の“水車”で(あご)を打ち抜いたとき、本当はリウラはあれで終わらせる気だった。

 顎は人間族共通の弱点であり、多少強化されようと衝撃を受ければ脳を揺らされ、一時的に行動不能になるはずだからである。

 

 しかし、桁違いの魔力で強化されたアーシャは、その程度の攻撃など歯牙にもかけなかった。

 それは、相手が自分の肉体で攻撃を仕掛けなければ、リウラが普段使用している水術や体術では相手にダメージを与えられないことを意味していた。

 

 決定的な攻撃力不足――それを解決する(すべ)は、既に師より与えられていた。

 

 リウラは自分の右の掌の中に、水の剣を創造する。

 

(大丈夫……自分を信じて……“焙烙”の水粒子操作を制御できた私なら、絶対にできる……!)

 

 その剣はリウラが()び出した水と、彼女自身の魔力の凝縮体。

 それは今も水剣の中に喚び出され続ける水と、込められ続ける魔力によって加速度的に密度を増していく。

 

 かつて師より理論を授けられ、実演を見せてもらったが、再現できなかった奥義。

 それが“焙烙”操作の経験……そしてリリィと共に水蛇(サーペント)に突き刺した水剣を強化した経験が、リウラの無意識により融合・進化することにより、現実のものとしてここに顕現(けんげん)する。

 

 リウラの制御力の限界ギリギリまで密度を高めた水剣をグッと引き絞るように引き、平突(ひらづ)きでアーシャを覆う結界の上に突き立てる。

 

 しかし、その刃は刺さることはない。

 当然と言えば当然。どれだけ水剣が堅く鋭かろうと、アーシャの強大な魔力を貫くだけの力がなければ、貫くことはできない。

 

 リウラは右手首を返して刃を左下に向けると、水剣の先端に極微小の穴を開け、その瞬間に柄の空いた部分を左手で掴んで、大きく両腕を袈裟懸けに振り抜いた。

 

 

 ――ズバンッ!

 

 

「……え?」

 

 アーシャは“信じられない”といった様子で、袈裟懸けに肩から切り裂かれた自分の胸を見る。

 

 そして、傷口から大きく血が噴き出すと同時に崩れ落ち、リウラがすぐさま宙に張った水床の上に倒れた。

 

 

 ――雫流魔闘術 奥義 奔流(ほんりゅう)

 

 

 攻撃力とは、単純化すれば重量とスピードの掛け算である。

 例え軽く柔らかい水であろうとも、その速度が音速を超えれば尋常(じんじょう)ではない威力を発揮する。

 

 

 ――では、その音速を超える水をさらに魔力で強化したらどうなるだろうか?

 

 

 その結果がこれだ。

 “焙烙”の要領で一粒一粒を丁寧に魔力で覆い、その頑強さを強化された水の粒子が、極度に圧縮されることによって音速の3倍以上の速度で放たれる。

 

 その驚異的な速度も、()()()()()()()()()()()それだ。

 魔力強化を(ほどこ)された水粒子の速度・強度は、それをさらに上回る。雫流魔闘術の中でも最大の貫通力を誇る奥義である。

 

 リウラは水剣を振り切った状態で残心を続けながら、すぐにアーシャの傷口を水で覆って止血する。

 そのまましばらく様子を伺って彼女が起き上がってこないことを確認すると、慎重に水で縛り上げつつ、水のスカートのポケットから治癒の羽を取り出し、そのまま握り潰した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第五章 好敵手 中編2

 ユークリッド軍の部隊は、大きく2つに分かれている。

 シルフィーヌ及びその側仕(そばづか)えであるメイド2人が率いる部隊と、姫騎士エステルが率いる部隊だ。

 

 この2つの部隊は、リリィ達から見てどんな理由からかは分からないが、部隊間の意思疎通に伝令を必要とするほどに大きく間を空けて迷宮を進軍している。

 

 この状況は、ブリジット達にとって非常に都合がよかった。

 

 リリィとブリジットは、魔王の解放に向けて協力関係を結んだものの、その関係は決して良いとは言えない。絶えずいがみ合いを続ける2人にとって、お互いを支え合うチームプレイは非常に厳しく、それぞれが邪魔にならないようチームを分けて行動する必要があった。

 しかし、かといってそれぞれのチームが別々の相手とぶつかってしまえば、戦力が分散し、各個撃破されてしまう可能性が高い。

 

 ――ならば、ターゲットの部隊に対して挟撃(きょうげき)を仕掛ければいい

 

 シルフィーヌの部隊から大きく離れているエステルの部隊に対し、リリィのチームとブリジットのチームが挟み撃ちを仕掛ければ、お互いの邪魔をせずに戦力を集中して運用することができる。

 

 シルフィーヌの部隊に伝令を飛ばされて加勢に来られては困るため、私設の軍隊を持つブリジットが転移門を経由してエステルとシルフィーヌを分断する形で間に割り込み、エステル側の部隊へ強襲を仕掛け、その反対側からリリィのチームが攻撃を仕掛ける。

 こうすることでエステルを討ち取った後、リリィと合流して改めてシルフィーヌの部隊を攻略する……それが当初の作戦()()()

 

 

 ――その目論見(もくろみ)は、いとも簡単に崩れ去った……()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「くっそ! 人間ごときが調子に乗るなぁっ!!」

 

 ブリジットが吠えて宙から闇の魔弾を放つ。

 彼女の両手から1発ずつ放たれたそれは、人間族の軍の中に飛び込み、クレーターを作りながら周囲の人間族の兵士達をゴミくずのように吹き飛ばす。

 

 ブリジットは舌打ちする。

 

 鎧を見ればわかる。彼らは間違いなくユークリッド兵だ。

 ということは、“シルフィーヌの軍が引き返してきた”と考えるのが自然である。

 

 だが、何故?

 いったい、どうやってそれを知った?

 

 独自の通信魔術でも持っていたのかもしれない。はたまた、シルフィーヌが神託を受けて襲撃を知ったのかもしれない。

 理由は分からないが、襲撃を察知され、迎撃されていることだけは事実だ。ならば、なんとかするしかない。

 

 戦線は、かろうじて今は拮抗している。

 しかし、それはあくまでも迷宮の道幅により、一度に戦える人数が制限されているが故に過ぎない。リリィとの戦いで大きく数を減らしたブリジット軍は、ユークリッド軍に総数で劣るため、本来、策をもってあたらねば勝つことはできない。消耗戦に陥れば、敗北は必至である。

 

 だが、だからといって逃げることはできない。

 

 ブリジット自身は絶対に認めないが、自分と同じ人(魔王)を大切に想い、そして自分と対等に話すことのできるリリィのことを、心の底では憎からず思っている。ここを素直に明け渡してしまえばユークリッド軍は姫騎士の軍と合流し、リリィ達を叩き潰すだろう。

 それは、ブリジットにとって魔王を失った時に近い想いを、もう一度味わうことと同義だ。それだけは絶対にできない。

 

 では、どうするか? 

 その解答の一つが、今のブリジットの行動である。

 

 ――量で勝てないのならば、質で勝てば良い

 

 一騎当千の力を持つブリジットとオクタヴィアが自ら最前線で戦い、弱卒(じゃくそつ)を蹴散らす。

 シンプルで効果的。さらには味方の士気も向上する、この世界では王道の戦法である。

 

 しかし、その手段は王道であるが故に、対処もまた容易。

 

 

 ――ブリジットの背筋を寒気が襲う

 

 

「――くっ!?」

 

「ご主人様!?」

 

 必死にブリジットが身体を()らすと、今まで彼女の首があった箇所を凄まじい勢いで何かが貫き、そしてすぐに引き戻された。

 

「……よく(かわ)したな」

 

「! ……オマエっ!?」

 

 ブリジットの眼前で槍を構えつつ軽やかに着地したのは、黒髪のメイドの女性。

 シルフィーヌ姫の側仕(そばづか)え。槍使いの王宮メイド、ヴィダルである。

 

 視野の端で見れば、オクタヴィアの前には桃色の髪の王宮メイド、ナイフ使いのサスーヌが両手にそれぞれ3本のナイフを指に挟んだ状態で対峙している。

 

 

 ――敵の将に対して、より優れた将をぶつければいいのである

 

 

 ブリジットは冷や汗を垂らす。

 

 ユークリッド王国最高責任者を護る最高峰の王宮メイドの実力は伊達ではなく、目の前の2人はそれぞれが姫騎士(エステル)級の力を持っている。

 前回の戦いでは、エステルに対して2人がかりで蹴散らされたのだ。それが倍になれば勝てる訳がない。

 

 だが、勝たねばならない。

 勝たねば、ブリジットは魔王を除いて初めてできた“対等の相手”を失うことになる。

 

 ブリジットは翼を広げ、空中から眼下のヴィダル達を(にら)みつけつつ、わずかに考えを巡らせると、

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「っ!? 待てっ!」

 

 ヴィダルが槍を一閃し、闘気の斬撃を飛ばす。

 それを予想していたブリジットは、ヴィダルの闘気が高まるのを感じた瞬間に急降下して斬撃を回避し、ユークリッド兵達の中に突っ込んだ。

 

「お、おい。あの魔族どこに行った!?」

 

「探せ! 早く見つけろ!」

 

 リリィとの戦いを通じて、ブリジットは1つの教訓を学んだ。

 

 

 ――それは、“()()()()()()鹿()()()()()()()()()()()()()”ということ

 

 

 リリィの戦い方は非常にいやらしく、ブリジットの知らないあの手この手で惑わせ、隙ができた瞬間に容赦なく攻め込んで、ブリジットから勝利をもぎ取っていた。

 ブリジットがどんなに『卑怯だ』『反則だ』とわめこうが馬耳東風(ばじとうふう)。それどころか『魔族に対して何を言っているんだ』と逆に呆れられる始末。

 

 彼女に勝つためには、ブリジットもリリィの“いやらしさ”を学ぶ必要があった。

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()、といういやらしさを

 

 

 ブリジットは兵士達の足の隙間を縫うように低空を飛翔し、ヴィダルの気配へ向けて魔弾を放つ。

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

「なっ!?」

 

 ヴィダルの目の前でユークリッド兵が吹き飛び、彼らの後ろから魔弾が飛んでくる。

 

 ヴィダルは驚愕しつつも軽々とそれを槍で弾くが、その後ろから次々と()()()()()()()()()()ブリジットの魔弾が飛んでくる。

 

「貴様ぁっ!」

 

 ヴィダルは部下を盾にされた怒りに震え、兵士に紛れて姿が見えないブリジットの気配へ向かって突進する。

 

「そこをどけぇ!」

 

「は、はいっ!?」

 

 兵士達は慌ててヴィダルに道を譲るが、彼女達がもたつく間にブリジットは移動を済ませ、またもや兵士を吹き飛ばしながら魔弾を放ってくる。

 

(まずい……このままでは姫様から預かった兵士達を無駄に消耗してしまう……!!)

 

 ブリジットの強み――それは高い飛翔技術に基づく高速近接戦闘と、小柄な体躯(たいく)を活かした()()()()()()

 

 ブリジットは相手の死角を直感的に察し、そこに潜り込む天性の才能が有る。

 それは相手の体格が大きければ大きいほどに威力を発揮し、さらにはあちこちに死角が存在する密集地帯、それも足元ともなれば潜り込み放題となる。

 

 ブリジットとの戦闘に慣れたリリィですら未だに見失うことがある彼女を、一般兵程度の能力で(とら)えられるはずもなく、ユークリッド軍はヴィダルの攻撃からブリジットを護る即席の肉の城と化した。

 ヴィダルは味方であるユークリッド兵に攻撃できないが、ブリジットからは攻撃し放題。まさに一方的な展開である。

 

 そして、やや直情径行(ちょくじょうけいこう)猪突猛進(ちょとつもうしん)のきらいのあるヴィダルは特に対処法を思いつくこともできず、とにかくブリジットを捕らえようと、気配のある方へ兵士達をかき分け、飛び越えながら進んでゆく。

 

 それに気づいた姉のサスーヌが慌てて彼女を呼び止めようとするが、オクタヴィアがわざと攻撃魔術で爆音を発生させることで、ヴィダルの耳に届かないよう妨害する。

 

 瞬間、ブリジットの気配が消える。

 

 ヴィダルはその場に立ち止まり、腰を落としてどっしりと槍を構える。彼女の闘気の高まりに、この場で戦うつもりだと気づいた周囲の兵士達が慌てて巻き込まれないよう下がろうとした瞬間――

 

 

 ――ヴィダルの背後の兵士達の足元から現れたブリジットが、足元を払うように水面蹴りを放つ

 

 

 タンッ

 

 軽やかな音を立ててヴィダルが地を蹴り、ブリジットの足払いを(かわ)す。

 

 人間族は基本的に空を飛べないため、なるべく空中にいる時間は少ないほうが良い。

 ブリジットの蹴撃を(かわ)せるギリギリの高さで回避したヴィダルはその場で縦に回転し、ブリジットに上空から蹴りを見舞う。

 

 だが、ブリジットは蹴りの専門家だ。ヴィダルの蹴りは確かに速さも力強さも大したものだが、技術はブリジットよりも下の水準にある。

 ヴィダルの槍は捉えられられないが、この程度の蹴りならば対処は可能だ。

 

 ブリジットは、蹴り足の膝を自分の平らな胸に叩きつけるように勢いよく折り畳むことで、蹴りの勢いを自分が動くための推進力に変更。

 翼の推力を加えて、ヴィダルから見て右前方へと移動し、蹴りを回避しながら再び兵士の中に紛れ込む。

 

「くそっ!」

 

 ヴィダルは苛立つ。

 

 ヴィダル達とブリジット達では、部下に対する立場や価値観がまるで違う。

 ヴィダル達は“姫から預かった大切な部下”。ブリジット達は“使い捨ての駒”。ブリジットは平気で部下を切り捨てることができるが、ヴィダルやサスーヌにはそれができない。どうしてもブリジットを引きずり出さない事には戦いようがなかった。

 

 サスーヌも同様。

 実力では遥かにオクタヴィアを上回っているものの、上空からユークリッド軍を巻き込むように攻撃魔術を乱発され、その妨害や防御にかかりきりとなって、攻めきれないでいる。

 

 長年ブリジットと連れ添い、彼女をサポートしてきたオクタヴィアにとって、主の行動予測などお手のもの。ブリジットの移動するであろう範囲を綺麗に避け、肉壁を減らさないようにサスーヌの行動を妨害する魔術の展開は芸術的とさえ言えた。

 

 飛びかかって一気に仕留(しと)めようとサスーヌはずっと機会をうかがっているのだが、オクタヴィアは警戒を緩めず、上空での回避を最優先に行動しているためにそれができない。試しにサスーヌがブリジットの軍に襲いかかっても、まるで無反応だ。

 

(まずい……! このままでは……!)

 

 サスーヌとヴィダルの焦りが頂点に達しようとしたその時、

 

 

 ――神に祝福された光り輝く(ほのお)が、ユークリッド軍全体を包み込んだ

 

 

「ぐあああああっ!?」

 

 神聖なる光炎に体表を焼かれたブリジットが、たまらず悲鳴を上げる。

 

 しかし、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 足元で(うめ)き転がるブリジットの姿に槍や剣を突きつけるも、皆一様(いちよう)に戸惑うばかりである。

 

 

 ――神聖魔術 贖罪(しょくざい)光霞(こうさん)

 

 

 神聖なる焔によって神敵を焼く、神罰の力。

 この聖なる焔は術者が敵とみなした者のみを焼き払う“意思ある炎”だ。この焔の前では、例え人質を盾にしようが、霊体となって()りつこうが無意味。何せ、味方ごと焼き払えば、敵だけが息絶えるのだから。

 

「ご主人様!?」

 

 主が瀕死に追い込まれたことによるフィードバックで苦痛に顔を歪ませながらも、オクタヴィアは翼を大きく羽ばたかせ、必死に主の下へ駆けつけようとする。

 

 しかし、その前にブリジットを襲ったものと全く同じ聖なる光がオクタヴィアを襲い、彼女は主の軍ごと膨大な光の奔流(ほんりゅう)に飲み込まれる。

 

 その輝きが消え去った後、そこには誰もいなかった。あるのは魔族達が持っていた武器などの残骸(ざんがい)のみ。

 オクタヴィア握っていた連接剣も、そこに突き立っていた。

 

 地に倒れ伏したブリジットは絶望感に包まれながら、これを成したのが誰かを悟る。

 

 

 ――魔族でも高い実力を持つブリジットを一撃で瀕死に追い込み、

 

 ――オクタヴィアごと何千といた魔族をまるごと消滅させる

 

 

 人間族でそんなことができる膨大な魔力の持ち主なんて、ブリジットは1人しか知らない。

 

 

「2人とも、大丈夫ですか?」

 

 

 ――ユークリッド第三王女 シルフィーヌ

 

 

「姫様……どうし……」

 

「……おまかせ……さいと……はずで……」

 

「……嫌な予感が…………感覚を信……に、と姉様が……」

 

 意識が遠のき始めたのか、シルフィーヌ達の声がうまく聞き取れなくなってゆく。

 そして、とうとう槍を持つ王宮メイドが、ブリジットに死を与えるために近づいてきた。

 

(くそっ……こんなとこで終わるなんて……)

 

 悔しい。悔しくて悔しくてたまらない。

 人間なんかに負けたこと……そして何より、大切な幼馴染を救えなかったことが。

 

 不遜(ふそん)で生意気でいつも喧嘩ばかりしていたけれど、なんだかんだいって無視せず必ずブリジットの相手をしてくれた。

 本気の殴り合いもしたし、嫌いなところも色々あったけど、上から目線で何か言う訳でもなく、媚びへつらう訳でもなく、常に対等の立場で真正面から向き合ってくれたのはアイツだけだった。

 

 それがどれだけブリジットにとって大切で価値のある時間であったか……とても言葉で表すことはできない。

 彼は、当時のブリジットにとって唯一の“友”と呼べる存在だったのだろう。

 

 いつの間にかメキメキと力をつけ、彼はブリジットを置き去りにしてあっという間に魔王なんてものになってしまったが、それでもその関係は変わらなかった。

 ブリジットなんか指先1つで殺せるくせに、ギャーギャーとわめいて突っかかる自分を、嫌そうな顔をしながらも、今までと同じように相手をしてくれた。

 

 ……そんな彼に、いつの間にか惹かれていた。

 もっともっと強くなって、いつかは隣に立てる自分になるのだと心に決めていた。

 

 でも、あれほどの力を誇っていた彼は、見下していた人間族ごときに封印されて、自分は彼に並び立つどころか、彼を助けることもできずにここで地べたに這いつくばっている……あまりの情けなさに涙が出そうだ。

 

 ……ジャリッ

 

 靴が砂を噛む音に目を上げると、先程まで戦っていた槍使いのメイドが鋭い目つきでこちらを見下ろしながら、槍を構えている。最後の引導を渡すつもりだろう。

 

 

 ――いいだろう、だがタダでは死んでやらない

 

 ――例え此処(ここ)で死のうとも、不死者(ふししゃ)となって化けて出てやる。そして必ずお前たちを殺しつくして、アイツを甦らせる

 

 

 

 ……必ず。必ずだ。

 

 

 

 怨念(おんねん)と呼べる程の禍々(まがまが)しい凶悪な念。

 既に瀕死の相手から放たれてるとは思えないほど強烈なそれを受けて、ヴィダルの顔つきが引き締まる。

 

(……こいつは、ここで確実に殺しておくべきだ。生かしておけば、必ずや姫様の障害になる)

 

 一切の油断を排し、ヴィダルはブリジットの首へと向けて全力の一撃を放った。

 

 

 

 

 

 ――甲高い金属音が辺りに響く

 

 

 

 

 

「アイ!」

 

「はいっ!」

 

 ブリジットの横たわっている地面から急速に精気が湧き上がり、ブリジットの身体へと流れ込む。

 大地の包容力を感じさせる、力強くあたたかなエネルギーが自分を包み込んでいくのを感じた瞬間、ブリジットの全身から焼けつくような痛みがさっと引いてゆき、全身に精気が満ち溢れてゆく。

 

 しかし、ブリジットはその事に気づくことはなかった。

 自身の身体が癒されたことにも気づけない程に、信じられない光景を見たからだ。

 

 

 ヴィダルから己を護るように立つ、小柄さを一切感じさせない堂々とした背中。

 それは常にブリジットを苛つかせる存在であり……同様にブリジットのことを苛立たしく思っているはずの存在。

 

 

 

 ――そう、ブリジットを命の危機から救った人物……それは、“決して相いれることはない”と思っていた睡魔の少女であった

 

 

 

 己の槍を連接剣で弾き飛ばした目の前の少女に、ヴィダルは一旦(いったん)跳び退(すさ)って距離を取り、改めて構えを取って問う。

 

「……貴様、何者だ? そいつの仲間か?」

 

 その問いに、彼女はこう答えた。

 

「私は睡魔族(すいまぞく)のリリィ。この()の仲間……とはちょっと違う? 目的が同じだけだから同志……?」

 

 なんともいえない中途半端な答え。リリィ自身、ブリジットの事を自分にとってどういう存在であるのか、よくわかっていないようだ。

 

「まあ、あなた達の敵ってことには変わりないよ」

 

 そうリリィが言った瞬間、彼女の身体から凄まじい魔力が溢れ出した。

 

「なっ!?」

 

 絶句する人間族たち。

 性魔術でエステルとアーシャから精気を奪ったリリィの魔力の力強さは、シルフィーヌの魔力には及ばないものの、ヴィダルやサスーヌの闘気量を大きく上回るものだった。

 

 しかし、この場に居る誰よりもショックを受けていたのは、敵である人間族ではなく、仲間であるはずのブリジットだった。

 

(……こいつ、いつの間にこんなに強く……!?)

 

 つい先程までほぼ互角……いや、自分の方がわずかに強かったはずだ。

 それは実際に彼女と手合わせした自分が一番よく知っているし、彼女が手加減していた様子も、する理由もない。ならば、彼女はエステルとの戦いの中で爆発的に強くなったと考えるべきだろう。

 

 荒唐無稽(こうとうむけい)な考えとは言えない。

 実際、リリィと出会ったときの戦いで、当初圧倒していたブリジットを1日()たないうちに真正面から戦って(くつがえ)すという離れ(わざ)を彼女はやってのけている。

 

 

 ……それに何より、ブリジットは似たようなことをやってのけた人物を、もう1人知っていた。

 

 

 リリィの背中に、ある人物の背中が重なる。

 

 

 

 ――()()()()()()()()()()()

 

 

 

 ある時まではブリジットと全く互角であったにもかかわらず、急速に力を付けて自分を置き去りにしていった彼。

 その彼が創造した使い魔(リリィ)もまた、ブリジットを置き去りにしてゆく。

 

 悔しさと怒りで燃えていたブリジットの胸から、急速に熱が冷め、そして代わりに寂寥感(せきりょうかん)が彼女の内を満たしてゆく。

 

 リリィがこちらを振り向こうとするその瞬間、ブリジットはふと思った。

 

 ……彼女の眼には自分はどう映るのだろうか?

 

 見下されるのか、嘲笑(あざわら)われるのか、それも(あわ)れまれるのか……だが、どれであろうとブリジットにとって辛いことには変わらない。

 

 リリィと眼が合う。

 

 

 

 ――彼女の眼は……()()()()()()()()()

 

 

 

「え?」

 

 リリィはグイと胸倉(むなぐら)をつかむように、ブリジットの首輪から伸びる鎖の飾りを(つか)み、至近距離でブリジットを(にら)みつける。

 

「なにボーっとしてんの! さっさと構えなさい!」

 

 そう言って鎖を離してブリジットを立たせると、リリィはブリジットに背を向け、ヴィダル達に向けて連接剣を構える。その態度はブリジットを上から見るものではなく、()()()()()()()()であった。

 

「オマエ……そんなに強くなったのにボクを見下さないのか?」

 

 ショックな光景を見て、気弱になっていたのだろうか。

 いつもだったら絶対にブリジットのプライドが許さない、自分を下に見た質問をしていた。するとリリィはブリジットに背を向けたまま、フンと鼻を鳴らしてこう言った。

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 

 

 

 ……………………。

 

 

 

 

 

 腹の底から笑いの衝動がこみ上げてくる。そして、ブリジットはそれに逆らわず、大笑いした。

 

 嬉しかった。

 その言葉は、ブリジットが強くなることを、再びリリィと同じ強さを身につけることを心の底から信じていなければ出ない台詞であり、未だリリィとブリジットが対等であることを示す言葉だったからだ。

 

 ――そうだ、何を気弱になっている。もともと自分は魔王()の隣に立つ実力を身につけると誓ったではないか

 

 リリィの魔力など、魔王と比べれば赤子も同然だ。この程度、軽く超えて見せなくては“魔族姫ブリジット”の名が(すた)る。

 

 ブリジットが腰を落として構えると同時、彼女の眼にいつもの勝気な色が(とも)る。

 その中にはほんのわずかにだが、リリィへの感謝の色も混じっていた。

 

 

 ――心地良い

 

 

 追い越し、追い抜かれ、切磋琢磨(せっさたくま)して互いに実力を高め合い、相手を信じ切るこの関係がとても心地良い。

 

 このような関係を何と言っただろうか?

 

 ブリジットは思い至らなかったが、もしもオクタヴィアがその問いを聞いていたら、きっとこう答えていただろう。

 

 

 

 ――『ご主人様、それは“好敵手(ライバル)”と言うのですよ』、と

 

 

 

 リリィとブリジットは示し合わせたように宙に舞いあがり、眼下の敵たちを(にら)む。そしてリリィは自分の周囲に無数の魔法陣を展開しつつ、ブリジットに叫ぶ。

 

「ブリジット! 援護するから突っ込みなさい!」

 

「ボクに命令すんなっ!」

 

 そう言いつつも、思い切りよく全速力でヴィダルに突っ込むブリジット。

 リリィはこれまで戦った経験からブリジットがどう動くのかを予測し、魔法陣を操作した。

 

 ――純粋魔術 烈輝陣(レイ=ルーン)

 

 リリィの周囲の魔法陣が輝き、ブリジットの道を切り(ひら)くように、そしてサスーヌとシルフィーヌを牽制(けんせい)するように純粋魔力のレーザーを次々と撃ち放つ。

 

「はあぁっ!」

 

「舐めるな!」

 

 ブリジットがヴィダルの懐に潜り込もうと飛び込むが、そうはさせじと高速で刺突を放つ。真っ直ぐブリジットの顔に向かうそれを、頬に紅い線を刻みながら(かわ)すも、凄まじい勢いで槍が引き戻され、すぐにブリジットへ狙いをつけ直される。

 

 2撃目――

 

「来い! オクタヴィア!」

 

 主の体内で戦闘ができる程度に傷を癒したオクタヴィアがブリジットの眼前に現れ、結界で覆った右手の甲で槍撃を受け流す。

 

「なっ!?」

 

 ヴィダルが驚愕した瞬間、一瞬だけ槍の動きが止まったのを見逃さず、オクタヴィアは右手の結界を解除。そのまま手首を返して槍の柄を握り、引き戻されるのを妨害する。

 

 その隙に、ブリジットはヴィダルの(ふところ)に踏み込もうとする。

 

「させません!」

 

 それを黙って見ている姉ではない。サスーヌが闘気を込めたナイフをブリジットに投げつける。

 しかし、ブリジットはそれを一顧(いっこ)だにせず、まっすぐにヴィダルへと向かう。

 

 ギィンッ!

 

 ブリジットの前に魔法陣の障壁が現れ、いとも容易く彼女のナイフを弾き返した。

 ブリジットやオクタヴィアの張る障壁ならば、例え貫通しなくとも(ひび)くらいは入るはず……ならば間違いなく、これはリリィの援護。

 

 ヒュヒュヒュンッ!

 

「!!」

 

 だが、それに対処する間もなく、彼女は複数の魔法陣に囲まれ、慌てて地を蹴って後方に跳んだ瞬間、魔力の光線が先程までサスーヌがいた空間を貫いてゆく。

 

 回避できたからといって、安心はできない。

 魔法陣はくるりとサスーヌに振り向くように向きを変えると、再度彼女を取り囲もうと、魔力光線を連射しながら()()()()()()()()()()()()()

 

 リリィは、リウラがアーシャと戦うところを見ていて気づいた。

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()? と

 

 結論としては可能だった。

 

 ただし、あくまでもリウラから吸収した経験は()操作。魔力操作とは異なる感覚であるため、実戦で使用可能なレベルにするには練習が必要であった。

 だが、その3次元的に空間を把握し、水弾を配置する技術については、水操作そのものとは無関係であったため、そのまま応用可能だった。

 

 烈輝陣(レイ=ルーン)は、純粋魔力を直線状に放射する魔術である。

 その発射口たる魔法陣は基本的に術者の周囲に配置されるが、やろうと思えば敵の近くにも設置は可能だ。

 

 ただし、それをするには3次元的に空間を把握し、正確にその位置から敵を射抜く技術が必要となる。実戦でそれを使いこなす技術を身につけるならば、その分の時間で別の魔術を学んだ方がよほど強くなれると断言できる難しい技術であった。

 

 しかし、リウラは違う。

 

 雫流魔闘術(しずくりゅうまとうじゅつ)は水を操作することにより、対多数、全距離で体術を繰り出すことのできる戦闘術。たとえ相手との距離が離れていようと、正確に相手の動きを読んで手足を取り、体勢を崩し、投げ飛ばすことができる。

 それをするには、視界に収めた相手全ての動きを把握し、それに対応するように水を操作する、神がかった空間把握力が必要だ。

 

 ――その経験を、魔王から神がかった戦闘センスを与えられた、リリィが手に入れたのだ

 

 これは非常に脅威(きょうい)である。

 ただでさえリリィの魔力は強大で、いくらサスーヌといえど、一撃もらえば行動不能にはならずとも確実に大怪我をする。そんな強力な攻撃が四方八方から完璧なコンビネーションで放たれるのだ。

 リウラのような神がかった空間把握力を持たないサスーヌでは、数分もたずに撃墜されてしまう。

 

 烈輝陣(レイ=ルーン)の2射目。

 

 これまでに幾多(いくた)の戦場で磨き上げてきた経験を頼りに、サスーヌは直感でそれを奇跡的に避けることに成功した。

 

 

 ――しかし、それを()()()使()()()()()()()、まるで流水のように滑らかな動きで回避しながらサスーヌに近づく影が1つ

 

 

 リウラである。

 

 

 リリィが使う3次元的な魔法陣の配置は、リウラが過去に扱った水弾の配置を応用したもの。

 もともと自分が使っていた技なのだ。魔法陣と水弾の差異はあるが、どこにどのように配置されているのか、どんなタイミングでそれらが攻撃を仕掛けてくるかなど、手に取るようにわかる。

 

 サスーヌは驚愕(きょうがく)するが、彼女もまた姫騎士に劣らぬ歴戦の戦士。微塵(みじん)も驚愕の影響を感じさせない素早い動きで、すぐに迎撃態勢を取る。しかし――

 

(この人の動き、わかりやすい!)

 

 サスーヌは目の前の敵に集中できない。

 なぜなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 さらには、リウラはつい先程サスーヌとほぼ同格の実力を持ち、種類は異なるものの同じナイフ使いのアーシャを相手に戦った経験がある。

 そして奇襲上等の暗器使いであるアーシャと異なり、サスーヌは正統派の戦士だ。もちろんフェイントは上手いし、動きの洗練さはサスーヌの方が上だが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 相手の動きを読む合気を得意とするリウラにとって、その注意散漫(ちゅういさんまん)な動きは非常に読みやすかった。

 

 ――雫流魔闘術 空蝉(うつせみ)

 

 リウラの表面を(おお)っていた水膜がズルリと分離し、もう1人のリウラを形作る。

 

 半透明のそれは本体ではないにもかかわらず、達人そのものの動きでサスーヌが繰り出すナイフを(さば)き、腕を引いてサスーヌの体勢を崩す。

 

 

 

 その隙をリウラは見逃さなかった。

 

 

 

 ――雫流魔闘術 奥義 奔流(ほんりゅう)

 

 一条の水がサスーヌを裂く。

 自分の腹から飛び散る鮮血を目にした直後、サスーヌの意識が闇に沈む。

 

(姫……様……)

 

 サスーヌとリウラでは、総合的な戦闘力はサスーヌの方が上である。

 正面からリウラと戦ったのなら、この結果は無かっただろう。

 

 リリィとの連携がピタリと(はま)り、サスーヌに本来の実力を出させる前に終わらせたが故の勝利である。

 もしサスーヌに勝たせるならば、魔術を使えるシルフィーヌが魔法陣を破壊するか防ぐかして援護しなければならなかった。

 

 では、シルフィーヌは何故それをしなかったのか?

 

 

 

 ――()()()()()のではない。()()()()()()のである

 

 

 

「ヴィア! ブリジット達より早くお姫様を沈めるよ!」

 

「張り合ってんじゃないわよ! ガキかアンタは!?」

 

 サスーヌに放った烈輝陣(レイ=ルーン)の2射目。

 あれを撃った瞬間には、リリィはシルフィーヌへと突っ込んでいた。

 

 この場で唯一シルフィーヌの強大な魔力に対抗できるのはリリィだけである。

 それでもリリィとシルフィーヌの魔力には大きな差があるため、ヴィアの援護が有ろうと厳しい相手であることに変わりはない。

 

 その厳しい状況は、ヴィダルを相手にするブリジットも同じ。

 だが、リリィは根拠もなしに確信していた。

 

 

 ――『アイツは必ずヴィダルを倒す』と

 

 

 ならば、自分が負けるわけにはいかない。いや、()()()()()()

 どうしてかは分からないが、リリィはブリジットに対してだけは異様なまでに対抗心を()き立てられる。……しかし、リリィには決してそれが不快ではなかった。

 

 リリィは連接剣を投げ捨てると、転送魔術で虚空から双刀を()び出して握り締める。

 ヴィアは主に合わせるように後ろ腰から2本の短剣(ダガー)を引き抜くと、身を低くして、主と共に影のように疾走する。

 

「……っ!」

 

 シルフィーヌは、魔王という他を隔絶した強者と戦った実戦経験こそあるものの、その戦闘スタイルは生粋(きっすい)の魔術師。

 戦士の、それも素早さに特化した2人の動きを読めるような動体視力は持っていない。その実戦経験ですら、他国の勇者達が前衛に立って彼女を護ることを前提にしたものだ。

 

 ――結果として、彼女はリリィ達の攻撃を結界で防御する以外に選択肢がなかった

 

 ガギギギギギギギギギギッ――!

 

 球状に展開された結界の上を舐めるように斬撃の嵐が襲う。

 

 リリィが連接剣を捨てて双剣を選んだ理由は単純。ヴィアと連携するならば、ヴィアが持っている技術を使う方が呼吸を合わせやすいからだ。

 

 ヴィアの双刀術は、猫獣人特有の俊敏さとしなやかさを存分に活かした高速連撃。

 マフィアらしからぬその洗練された剣技は、その使い手の数が倍になったことで斬撃の結界と化してシルフィーヌを閉じ込める。

 

 さらには、リリィが隠蔽魔術を施したことにより、斬撃を放ちながら高速移動するリリィとヴィアの気配・魔力が掻き消える。

 これでは、結界越しに魔術で狙い撃つことは不可能だ。

 

 しかし、シルフィーヌの表情に焦りはない。

 

 理由の一つはサスーヌとヴィダルを信じていること。

 彼女達は現ユークリッド王国で最強の戦士である。多少シルフィーヌの援護が遅れようと、彼女達が負ける光景などシルフィーヌには想像もつかない。

 

 そしてもう一つの理由……それはリリィ達の攻撃が、絶対に自分の結界を超えることはないと確信しているからである。

 

 シルフィーヌの膨大な魔力が込められた結界はまさに“堅牢”の一言(ひとこと)。魔王の一撃から勇者たちを護った実績もある金剛不壊(こんごうふかい)の城壁だ。

 結界の外は斬撃の膜に覆われているために分からないが、逆に言えば敵は必ず結界の近くにいるということ。

 

 ――ならば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 わざわざ高速で動き回る彼女達を狙う必要などない。

 シルフィーヌが操る聖なる焔(贖罪の光霞)は、自身や味方を巻き込んでも全く問題ない、敵味方識別型の攻撃魔術なのだから。

 

 

 魔術攻撃のために集中に入ったシルフィーヌは気づかない。

 斬撃と、それが結界に叩きつけられる異音によって、目と耳が潰されたシルフィーヌは気づけない。

 

 ――いつの間にか、()()()(にな)()()()()()()()()()()()()()()

 

 

***

 

 

 リウラによってサスーヌの妨害が未然に防がれたため、ブリジットはヴィダルの懐に潜り込むことに成功した。

 

「らあああああっ!!」

 

 全身から魔力を(ほとばし)らせながら、空中を独楽(こま)のように回り、凄まじい蹴りの連打をヴィダルに叩き込んでゆく。

 脚に込められた魔力の輝きが蹴りの軌跡を鮮やかに(いろど)り、まるでヴィダルの前に光り輝く小型の台風ができたかのようだ。

 

(くそっ! (とら)えられん……!)

 

 懐に潜り込まれた相手に対処するのは非常に難しい。

 なんとか肘や膝を駆使して防御し、追い返そうとしているが、槍を使った中距離戦を得意とするヴィダルと、こうした超接近戦を得意とするブリジットでは経験の量が違う。

 

 ヴィダルの防御や攻撃をすり抜けて次々とブリジットの蹴りが突き刺さってゆく……にもかかわらず、ヴィダルは全く倒れる様子を見せない。鳩尾(みぞおち)をはじめとする致命的な急所だけはしっかりと防御されている上に、ヴィダルの持つ闘気量とブリジットの魔力量に差が有りすぎて、有効なダメージを与えられないのだ。このままではブリジットの魔力が先に尽きてしまう。

 

 ヴィダルとしては全身の闘気を爆発させて吹き飛ばすなどして、ブリジットと距離を取りたいところだ。彼女の得意分野である中距離戦にさえ持ち込んでしまえば、ブリジットなど物の数ではない。

 

 しかし、それをすると、またブリジットがユークリッド兵達の中に隠れてしまう可能性が高い。新手が現れた今、先程のようにシルフィーヌの援護があるかも分からない。それを恐れるため、微弱なダメージを受けながらも彼女は戦局を好転させることができない。

 両者ともにジリ貧の状態であった。

 

 

 ――ただし、それは()()()()()()()()()()()()()()、の話である

 

 

 シュンッ!

 

「っ!」

 

 地を蛇が()うかのように連接剣がヴィダルの足へと伸びる。

 オクタヴィアが主の援護に入ったのだ。

 

 経験上、地に倒されてしまえばさらに防御が困難になることを良く知っているヴィダルは、反射的に足を一歩引いて連接剣を回避し、ほんのわずかに隙を作ってしまう。

 

 そして、そのわずかの隙でブリジットには充分だった。

 

「はあぁっ!」

 

 己が片腕が作り出したわずかな時間で、瞬時に魔力を練り上げて蹴り足に集中させる。

 

 

 自身よりも闘気量・魔力量が上回る相手を打ち倒す際に必ずネックとなるのが、“()()()()()()()()()()()()()()()()”である。

 

 急所への攻撃は入ってないとはいえ、これだけブリジットが蹴りを叩き込んでもヴィダルの動きが全く鈍らないのは、彼我の闘気量・魔力量に差が有りすぎてダメージが通らないためだ。

 リウラ対アーシャならばもっとひどく、リウラが急所に通常攻撃を叩き込んですらダメージが通らない。一定以上の戦闘技能を持つ者はこうした状況を打破するため、なんらかの切り札を持っているものだ。

 

 ブリジットも例外ではない。

 

 彼女にはリリィのように、強力な電磁力場を築く魔術の知識も技量も無い。

 リウラのように、水を超圧縮する水操作の技量も無い。

 

 

 ――しかし、相手の防御をすり抜けて蹴りを叩き込む技量と、その蹴り足から魔術を放つという器用さを持っている

 

 

 ブリジットの足に集中した魔力が、彼女の意思によってある魔術へと変化してゆく。

 

 この時、決して全身の魔力を減らし過ぎてはいけない。

 体術は全身運動。拳や足だけ強化したところで、強力な威力は発揮できないからだ。

 

 ブリジットの絶妙な魔力配分によって、最大限の威力を発揮するよう調整された渾身(こんしん)の蹴りが、ヴィダルの防御をすり抜け、彼女の鳩尾(急所)に炸裂する。

 

 

 

 ――体術 消沈(しょうちん)旋風脚(せんぷうきゃく)

 

 

 

 彼女が蹴り足に込めた魔術は“戦意消沈”。

 

 本来であれば、敵軍全体にかけることで戦う意志を強制的に失わせ、戦力を烏合(うごう)(しゅう)へと変える魔術である。

 ブリジットはそれを極めて高密度に圧縮し、蹴りの衝突の瞬間に相手の体内に流し込んだのだ。

 

 闘気とは文字通り“闘う意志を込めて練り上げた精気”のことを言う。

 

 精気はそのままでは唯の生命エネルギーであり、生物が活動するためのエネルギーとして消費されるだけだ。

 しかし、ここに闘う意志を込めることで、精気はその生物の肉体をより戦闘に適した状態へと変化させる。

 

 身体能力を強化し、自己治癒力を強化し、敵から掛けられた魔術に抵抗(をレジスト)する……術者がさらに別の意思を乗せれば、闘気そのものを刃として、あるいは盾として具現化することだって可能だ。

 

 ブリジットの蹴りは、その“()()()()()()()()()()()()()()

 

 ブリジットが蹴りを叩き込んだ箇所の肉体に込められた闘気から、一瞬にして闘志が雲散霧消(うんさんむしょう)し、ただの純粋な生命エネルギーと化す。

 本来なら攻撃した相手の全ての闘志を奪うはずの技だが、ヴィダルの闘志・闘気量が並外れていたために、闘志を奪う……いや、薄められたのは蹴りを叩き込んだ箇所――鳩尾(みぞおち)周辺のみ。

 

 

 ――しかし、それで充分

 

 

「ガハッ!?」

 

 内臓を傷つけられたヴィダルが血を吐いて崩れ落ちる。

 闘気の強化が薄まった状態では、いくらヴィダルといえどもブリジットの蹴りには耐えられず、一瞬にして意識を失ってしまう。

 

 

 

 ――ブリジットの勝利だった

 

 

 

***

 

 

 アイと、サスーヌを倒したリウラが周囲のユークリッド兵達から護ってくれる中、シルフィーヌから大きく距離をとったリリィは、彼女達を信じて背中を任せ、精神を集中させる。

 

 リウラから吸収した空間把握経験を基に、自身の魔力で直接自身の周囲に積層型魔法陣を展開。一瞬にして電磁場の見えざる砲身を形成する。

 

 あらかじめスカートの下に装備していた鞘に両手の短剣(ダガー)を収めると、リリィは左手に弓を、背に矢筒を()び出し、右手で矢筒から1本の矢を取り出す。

 そして、未だヴィアが斬撃の乱れ打ちを叩きつけるシルフィーヌの結界を真っ直ぐ見据え、そちらに向けて矢を(つが)えた。

 

 ――瞬間、バチィッ! という雷音とともに、リリィの番える矢が、先端から高濃度の雷属性の魔力で(おお)われる

 

 リューナの経験をもらったリリィは、その卓越した弓術を偽・超電磁弾に利用する方法を思いついていた。

 エステルやアーシャの魔力を奪った今のリリィならば、偽・超電磁弾を撃っても自身がダメージを受けることはないだろう。しかし、仮にダメージが発生するとしても、この方法ならば、偽・超電磁弾を撃つ際の摩擦ダメージをリリィの指1本で済ませることができる。

 

(……慎重に、慎重に……絶対にお姫様に直接当てないようにしないと……)

 

 薄々予想はしていたものの、実際に撃つ段階になってリリィは確信した。

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と

 

 

 ゴーレムだった頃のアイに放ったときよりも、はるかに強化されたリリィの魔力。

 それによって形作られた電磁力場と(いかずち)の魔弾は、かつてとは比べ物にならない程の力強さと迫力に満ちている。

 ……それこそ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()易々(やすやす)()()()()()()()()()()

 

 もちろん、生粋の魔術師タイプであるシルフィーヌの肉体が、彼女の張る障壁よりも丈夫なはずもなく、リリィの矢が直撃すれば、矢が(まと)うであろう衝撃波も手伝って、身体に大穴が開いてしまう。

 そうなれば、もう人間族との交渉など絶望的だ。

 

 原作では、魔王がシルフィーヌ姫を倒そうが犯そうが、ルート(やりよう)によっては彼女と手を組むことができた……つまり、リリィが目的を果たした後でも人間族と和解する余地があったが、さすがに一国の元首を殺してしまってはどうしようもないだろう。

 例えリリィが計画を完遂して命が助かろうとも、そのあとは人間族から指名手配されるお尋ね者だ。各国の勇者から命を狙われることになるかもしれない。それでは本末転倒である。

 

 ……リリィの右手が矢羽から離れた。

 

 

 

 ――秘印術(ひいんじゅつ) 偽・超電磁弾

 

 

 

 バンッ!

 

 大きな破裂音を立てて、シルフィーヌの結界()()が砕け散る。

 驚愕に大きく目を見開くシルフィーヌの背後に、矢羽まで深々と壁に埋まった矢の姿が現れた。

 

 そして、その隙を逃さず彼女の背後に回ったヴィアが、彼女を気絶させんと、右の短剣(ダガー)柄頭(つかがしら)をシルフィーヌの首筋へと振り下ろす。

 

 

 

 ――()()()()()()

 

 

 

「え……?」

 

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 何が起こったのか分からない、といった表情でヴィアが崩れ落ちる。

 それはシルフィーヌやリリィをはじめとする、周囲の全ての者に共通の反応だった。

 

 

 

 ――たった1人、リウラを除いて

 

 

 

「な、んで……?」

 

 リウラには(かろ)うじて見えていた。

 

 あの一瞬の間にヴィアの周囲に極薄の()()()が九つ()び出され、ヴィアの(けん)靭帯(じんたい)を切断し、そのまま召喚を解除されて消えていった一連の流れを。

 

 

 ――それは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ヴィアが倒れ伏す音が響くと同時、シルフィーヌ達の後方に突如として気配が2つ出現する。

 

 1人は、東方諸国の者が身に着けるような水の(ころも)をまとった水精。

 リウラにとっての戦闘の師――シズク。

 

 そして、もう1人は……

 

 

 

「なんで、ここにいるの……!? ティア!! シズク!!」

 

 

 

 

 生まれた時から共に暮らしてきた水精――ティア。

 

 

 

 リウラにとって姉にも等しい大切な家族が、いったいどういうわけか、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――

 

 

 

 ――()()()()()()()()、明確な敵意を放っていた

 

 

 

 

 

 



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第五章 好敵手 中編3

「いいいいいいやあああああああああああっ!! 私、こんなのばっかりいいいいいぃいいいいっ!?」

 

「ハッハッハ! お嬢ちゃん、本当に足が速いな! まさか、この俺の足についてこれるとは思わなかったぞ!」

 

「そんなこと言ってる場合ですか!? 後ろ! 後ろからニュルニュルが! グネグネズルズルウゾウゾってええええええっ!!」

 

 陽気に、軽快に走る銀毛の狼獣人(ヴェアヴォルフ)の背後に必死に食らいつきつつ、コレットは後ろから追いかけてくる大量の触手から逃げるのに必死であった。

 

 その触手の造形たるや、“捕まったら間違いなく(はら)まされる”と確信できる卑猥(ひわい)さで、そのあまりのおぞましさに、さっきからコレットの肌には鳥肌が立ちっぱなしである。

 本当は視界にすら入れたくないのだが、追いつかれていないか確認せざるを得ないことと、怖いもの見たさのために、“後ろを振り返って見ては後悔し”、を繰り返してしまっている。

 

「大丈夫だ! 俺についてこれるんなら、アイツは絶対に追いつけん!」

 

「体力が持ちませんよっ!?」

 

 あんたら獣と同じにするな、とコレットは手足を必死に回転させながら(いきどお)る。そんな彼女の気持ちを知ってか知らずか、目の前の狼男は終始笑顔だ。

 ……いや、コレットに狼顔(おおかみがお)の喜怒哀楽は分からないが、雰囲気で何となく察していた。

 

 

 ――コイツは、コレットが慌てふためいている様子を心底楽しんでいる、と

 

 

「もう少し我慢しろよ! もうすぐアイツを()けるところにつく!」

 

 そう彼が言った後、すぐに曲がり角を曲がった瞬間に現れた光景に、コレットは度肝(どぎも)を抜かれた。

 

 

「崖ぇえええええぇえええっ!?」

 

 

 2人の前に現れたのは、まるで魔神が剣を振るってできたかのような巨大な断崖絶壁。

 軽く見積もっても10メートルは有りそうな幅のそれには、パッと見てどこにも橋などかかっておらず、転落死を避けるためにコレットは慌てて急ブレーキをかけようとして――

 

「止まるな、走れ!」

 

 今まで陽気に話していた彼の、急な厳しい口調に、思わず身体が本能に逆らって前へと飛び出す。

 グッと何かがコレットの腰を(つか)んだと感じた瞬間、

 

 

 

 

「ひょわああああああああっ!?」

 

 

 

 

 ――コレットは、跳んだ

 

 

 

 正確には、一瞬足を止めた狼獣人が、自分を追い越さんとするコレットの腰に片腕を回し、再度前方へ駆けてコレットを追い抜きつつ、抱きかかえて高々と跳躍したのだった。

 

 獣人族の並外れた身体能力で繰り出された跳躍は、軽々と向こう岸へコレットを送り届けるに余りあるもので、それに付随(ふずい)する高所から重力に捕まるふわりとした落下感は、コレットにとって経験したことのない衝撃を彼女の心にもたらした。

 

 スタンッ!

 

「よしっ、もう大丈夫だ。嬢ちゃん、大丈夫か?」

 

 狼獣人のその言葉に、呆然としていたコレットはハッと我に返る。

 空中で抱え直したのだろうか、いつの間にか姫抱きにされていたことに気づき、コレットは恥ずかしさに頬を真っ赤に染め、手足を振り回しながら猛然と彼に抗議する。

 

「下ろして、下ろしてください! 早く!!」

 

「おいこら暴れるな! すぐ下ろすから!」

 

 先程まで全身全霊で走っていたからだろう、ドキドキと痛いほど高鳴る胸を抑えつつ、彼女は言った。

 

「あ、ありがとうございました……」

 

「気にすんな。お前さんを安全に届けることも料金のうちだ」

 

 そう言って左の手のひらを上に向けつつ、軽く肩をすくめる狼獣人……ヴォルク。

 その雰囲気と仕草、そして瞳がわずかに細められた様子から、おそらく微笑んでいるのだろうとコレットは解釈し、彼に合わせるように彼女も笑顔を返した。

 

 今までコレットは、ヴォルクのような頭部を持つ獣人族が少々苦手だった。

 

 いかにも肉食獣といった容姿は、猛獣の恐ろしさを知る狩人であるコレットにとって恐怖の象徴でしかなかったし、さらにはそれが知恵と人間族以上の身体能力を持っているというのだから、いざ敵対すれば、少々狩りで鍛えている以外にとりえのないコレットなど、ひとたまりもない。コレットが苦手意識を持つのも、当然と言えば当然だった。

 

 もしこの2人が普通に顔を合わせていたのならば、コレットはなるべく関わり合いにならないようそそくさと去り、二度と2人の道が交わることはなかっただろう。

 

 

 しかし、2人の出会いはそうではなかった。

 

 

 いくら狩人としての技術を活かしていても、あくまでそれは森で猛獣を相手に最大限の効果を発揮する技術。迷宮で魔物を相手に十全(じゅうぜん)の効果を得られるものではない。

 ましてや、コレットは迷宮探索は人生初の初心者だ。誰かから訓練を受けた訳でもない。

 迷宮に潜れば、いずれ魔物に遭遇(そうぐう)し、襲われることは予想できたことだった。

 

 そんな彼女を助けたのが目の前の狼獣人だった。

 

 魔物に喰われる寸前まで追い詰められた彼女の前で、今しがた倒した魔物の血が付いた短剣(ダガー)を布で拭って鞘に納めた彼は、上も下も大洪水状態の彼女を見ても、笑うことも(あわ)れむこともなく、ただコレットの頭を撫でて一言(ひとこと)こう言った。

 

 

 

 ――『よく頑張った』

 

 

 

 “魔物に襲われても、その護身用の短剣でよく必死に抵抗した”……おそらくはその程度の意味だったのだろう。しかし、その何気ない一言がどうしようもなくコレットの心に響いた。

 

 コレットが迷宮に潜る目的である、魔族の友人の事を知っているのはエミリオのみ。

 体力が致命的に足りない彼に同行してもらうことはできない以上、必然的に彼女はたった1人で凶悪な魔物が(うごめ)く迷宮を手探りで探索しなければならなかった。

 

 ――怖い、恐ろしい、嫌だ、辛い、疲れた、やめたい、帰りたい……どうして私がこんなことをしなければならないんだ

 

 心中に次々と浮かぶ苦悩と後悔……そして孤独感。しかし、それを無理やり友情と使命感で抑え込みながら1歩1歩前に進んだ1日半。

 その苦難・困難に屈さず進んだ努力を認めてもらえたように感じられ、コレットは泣いた。うれし涙だった。

 

 しかし、そのコレットの涙を“魔物が恐ろしかったから泣き出した”と思い込んだ彼は、慌ててコレットを慰め始めた。

 その様子が、先程のあっという間に魔物を倒した堂々たる姿や、頭を撫でていた時の落ち着いた姿とあまりに解離していたため、今度はおかしさのあまりコレットは泣きながら笑い出してしまった。

 

 突如(とつじょ)笑い出したコレットに目を白黒させて固まった彼は、大きく溜息をついて、腰に手を当てた。その様子が獰猛(どうもう)な顔に似合わず、妙に人間臭かったところがさらにコレットのツボにはまり、彼女はさらに大きな声で笑い続けた。

 

 

 

 その後、ヴォルクと名乗った彼が情報屋を営んでいることを知ったコレットは、すぐにリリィの情報を購入した。

 この迷宮で一二を争う質の良い情報屋であるヴォルクの持つ情報は決して安くはなかったが、王宮専属庭師として幅広い草花の知識を持つ、エミリオから渡された希少な薬草(なぜか、少し虫にかじられていた)のおかげで問題なく購入はできた。

 

 しかし、コレットが最も欲しかった情報――現在の彼女の居場所についての手がかりはなかったため、ヴォルク自身が調査することになった。

 ヴォルクは『嬢ちゃんには危険な場所もあるから宿屋で待っていろ』と言われたが、じっとしていることが性分ではない彼女は同行を強く求め、こうして“2人で共にリリィを探す”という今の体制に至ったのだった。

 

 一般人であるコレットの脆弱(ぜいじゃく)性を考慮し、比較的安全な場所から始められた探索は、これまでとはまるで違ったものだった。

 

 迷宮を良く知り、また情報屋として様々な情報を持っている彼の案内は、とてもスムーズで安心できるものであり、また博識な彼が時折案内の過程で紹介する各所の見どころや、めずらしい草花の知識はとても興味深く、これまで辛いだけだった迷宮探索に鮮やかな彩りを与えてくれた。

 

 ときに危険な魔物に出会うこともあったが、半分は彼が軽々と斬り捨て、半分は今のように深い知識と経験を活かした対処で危険を回避した。

 どんなことがあろうと必ず自分を護り切ってくれるヴォルクに、頼もしさと信頼感を覚えるのは必然だったのだろう。いつの間にか2人の間の距離は自然と縮まり、今やヴォルクの狼顔が浮かべる表情がなんとなく分かるようになってしまった。

 

 ……そして、彼と2人でリリィを探すこの時間が、今までの彼女の生活とは比べ物にならない程スリリングで楽しく、そして大切に感じてしまっている。

 

 

 ――この時間が、もっと続けばいいのに

 

 

 リリィやエミリオの気持ちを考えず、一瞬そんな考えを思い浮かべた自分にわずかな罪悪感を覚えたコレットは、慌ててその考えを頭から追い出し、ヴォルクに先を(うなが)す。

 

「さあ、早く次に行きましょう! ……今度はもっと安全なルートでお願いしますよ?」

 

 この言葉は半分嘘だ。“どんなに危なくなってもヴォルクが助けてくれる”と信じているコレットにとって、少々の危険はこの探索を彩るスパイスになってしまっている。

 怖いのは嫌だが、“ヴォルクと共にスリルを味わいたい”とも思ってしまっているのだ。

 

「俺は可能な限り安全なルートを選んでるぜ? 昨日の水蛇(サーペント)のねぐらを調べる時だって、ちゃんと安全な隠し通路を見つけといただろ? ……まさか嬢ちゃんが足を滑らせて湖に落っこちるとは思わなかったが」

 

「あ、あれはっ! そもそも、あんなに足場が悪いなら手を引くぐらいしてくれたら――」

 

 不意にコレットの発言が(さえぎ)られる。コレットの口をヴォルクの手が押さえたのだ。

 

「――静かに……どうも様子がおかしい」

 

 ヴォルクは音を立てぬよう、静かに鼻から息を吸い込む。微かに感じる独特の鉄臭さ。

 

 

 

 

 ――()()()()

 

 

 

 

 ヴォルクは眉をひそめる。

 そして、懐から翼の意匠(いしょう)の耳飾りを一揃(ひとそろ)い取り出すと、それをコレットの両耳につけた。

 

「これは……?」

 

 男性でも女性でも使えるユニセックスのデザインの耳飾りで、女性であるコレットから見てもなかなかおしゃれなセンスのいい装飾品である。

 しかし、突然それをコレットの両耳につけるという訳のわからない行動に、コレットは戸惑いを隠せない。彼女の頭の中は大量の疑問符でいっぱいだ。

 

 だが、その行動の答えはすぐにヴォルクから告げられる。

 

「そいつは迷宮を脱出する効果を持つ魔法具だ。その耳飾りに精神を集中して“脱出したい”と念じれば一瞬で迷宮の外まで転移させてくれる。……魔力の無い嬢ちゃんでも問題なく使えるが、相当な集中力がいるから、落ち着いて集中できる状況でないと使えん。それだけは注意しろ」

 

(……あれ? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……?)

 

 一瞬、コレットの頭に更なる疑問が()ぎるも、ヴォルクが声に緊張感をにじませながら話を続けたため、いったんその疑問を棚上げする。

 

「俺は少しこの辺りを調べてくるから、嬢ちゃんはここで待ってろ……300数えて俺が戻らなかったら、俺の事は無視してすぐにその耳飾りで跳べ。いいな」

 

「……え、でも――」

 

()()()?」

 

「――はいぃっ!!」

 

 牙を()きだしにして(うな)りながら出したヴォルクの念押しのあまりの迫力に、涙をにじませながら、反射的にヴォルクの『待て』を了承してしまうコレットだった。

 質問する気も反論する気も、一瞬で失せるド迫力である。

 

 彼女の返事を聞くや否や、ヴォルクは瞬時にコレットの元を離れ、慎重に気配、音、そして匂いを探りつつ、気配も音も消し去ってなるべく風下から近づくルートを通って素早く目的地へ、匂いの元へと近づいてゆく。

 

 

 

 そして、彼は目にした。

 

 

 

「……」

 

 再び眉をひそめるヴォルク。

 

 

 ――そこにあったのは、半壊した城

 

 ――そして、その城にいたのであろう、多くの者の(しかばね)と血の海であった

 

 

***

 

 

 リウラの叫びに答えず、ティアは以前とは比べものにならない……それこそシルフィーヌに匹敵する大魔力を全身から溢れさせながら、彼女達が見せた心の隙を突くかのように、さりげなく右の(かかと)で軽く地面を突く。

 

 ――トンッ

 

「「!?」」

 

 ティアの足元から、2つの強力な魔力の(かたまり)が、地面を隠れ(みの)にするように地中を凄まじい勢いで掘り進み、片方はブリジットの方向に、もう片方はリウラの方へと直進する。

 そのあまりの力強さに危機感を感じたブリジットは、とっさに地を蹴って魔力の進行方向から退避する。

 

 しかし、戦場にかつての仲間が現れて、さらには自分に攻撃してくるというあまりにも予想外の状況に呆然としていたリウラは、反射的に回避行動を起こすことができず……彼女の無意識も()()()()()その魔力に嫌なものを感じなかったがために、なんの反応も起こすことができない。

 

 

 

 ……そして、()()()()()()()

 

 

 

「ッ! 迎撃してください!」

 

「へ?」

 

 何かに気づいたように目を見開いたオクタヴィアの指示。その言葉に、既に回避動作に入っていたブリジットは疑問の声を上げることしかできない。

 しかし、()()()()()オクタヴィアの言葉が正しいと感じたリウラは、動揺から立ち直らないまま、反射的にその指示に従い、パンッと両手を合わせて水術を発動させた。

 

 ――雫流魔闘術(しずくりゅうまとうじゅつ) 霜柱(しもばしら)

 

 ドンッ!

 

 まるでアイが放つ土杭のように、大地から巨大な氷の棘が突き出し、地中を進む魔力を串刺しにして地上へ打ち上げ、その姿を暴き出した。

 

 

 ――キラキラと輝く神聖属性の魔力。それは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「癒しの風!?」

 

 リリィが驚愕の声を上げて敵の狙いを悟ると同時、リウラが焦った声を上げる。

 

「1つ撃ち漏らした!」

 

 雫流魔闘術は、水精(みずせい)シズクが扱うことを前提に組まれた戦闘術。

 その基本は、周囲に滞空させた水球、あるいは密かに大地などに潜り込ませた水分を操作し、己の武器や防具、時には特殊な効果を持つ道具として扱うことにある。

 

 そして、その水球や水分は大抵の場合、()()()()()()()()()()()()

 当然と言えば当然だ。なにしろ、あまりに水球や水分が術者から離れすぎていては、いざという時に自分を護ることができないのだから。

 

 今回はそれが裏目に出た。

 

 ブリジットの居る場所の近くには、リウラが支配する水分は一切存在しなかった。かといって、リウラの力量ではブリジットのすぐ(そば)に水を召喚して迎撃するには、あまりに時間が足らない。

 したがって、リウラは自身の目の前に展開した“霜柱”を延長させる形で、ブリジット側の魔力を迎撃するしかなかったのだが……結果としてそれでも間に合わなかった。

 

 ブリジットを無視するように地中を直進した魔力は、追いすがる氷の巨杭を置き去りに、倒れ伏すヴィダルの真下で急上昇し、大地を突き破ってヴィダルを直撃した。

 

 一瞬、ヴィダルの身体が浮き上がり、そしてそのまま大地に打ちつけられる。

 

 次の瞬間、彼女はバンッ! とバネ仕掛けのように跳ね起きた。

 

「姫様!? ご無事ですか!?」

 

 ブリジットを(にら)みつけながら周囲の状況を確認するヴィダルに、先程ブリジットが思いっきり蹴りを叩き込んだ影響は見られない。

 

 リリィ達は唖然(あぜん)とした。()()()()()()()()()()()()

 

 内臓破裂を起こしていたかもしれないあの重傷を一瞬で治療したこともそうだが、なによりも評価すべきは“遠距離に居る相手に対して()()()を行ったこと”である。

 

 味方を癒すことができる魔術師や神官は星の数ほどいる。

 しかし、“遠距離で倒れている相手に対して気つけを行おう”などと発想し、さらにはそれを実際に行うことができる者となると、その数はガクンと減る。ましてや、()()()()()()()()()()1つの魔術(ワンアクション)()()()となれば尚更だ。

 

 そして“それ”ができるということは、ティアが非常に“戦闘慣れ”……いや、“()()慣れ”していることを意味していた。

 

 

 そして、ティアはリリィ達が呆然としている間に更なる行動に移る。

 

 

()()()()()()()()()()()()! ()()()()()()()!」

 

(……しまった!)

 

 リリィは己の不覚を悟り、急速に顔が青ざめる。

 今の一言を許してしまったことで、明確にティア達の立ち位置が決まってしまったことに気づいたためだ。

 

 リウラがティア達の名前を叫んだことにより、ティア達がリウラの知り合いであることはこの場の全員が理解している。

 

 しかし、彼女達がシルフィーヌを護り、ヴィアを倒し、ヴィダルを癒したことで“リウラ達の邪魔をしようとしている”ことも同時に理解しているのだ。ユークリッド王国側から見た彼女達は、まるで敵が仲間割れをしているように見えるだろう。

 

 つまりは“リウラ達もティア達も相争っている間に、どちらもまとめて攻撃しても良いかもしれない”、“いや、後から来た側はこちらの味方かもしれない”と、判断がつきかねる状況にあったのだ。

 

 

 そんな状況で、明確に『ユークリッドの味方』と宣言したのだ。

 その言葉を信じるにしろ信じないにしろ、『あなた達には敵対しない』ということを明言したのだ。

 

 

 仮にも国に残った唯一の王族を救ってくれた恩人である。何が起こっているのか事情を()くためにも、ティア達は決してユークリッド軍からは攻撃されないだろう。

 

 ――この瞬間、リウラ達はただでさえ強力なシルフィーヌに加えて、彼女と同等の魔力を操る凄腕の魔術師と、リウラの師である武術家を同時に相手しなくてはならなくなったのである

 

 

(みんな、撤退するよ! アイ、退路を!)

 

(わかりました!)

 

 流石にこれは勝ち目がない。そう判断したリリィの行動は早かった。

 

 アイの真価は戦闘力ではなく、その支援性能にある。

 大地の精霊そのものであり、さらには魔術も操れる彼女にとっては、先程ブリジットに(ほどこ)したように大地の生命力を傷ついた味方に分け与えることも、大地を操って道なき場所に道を造ることも容易である。

 

 特殊な結界でもなければ、触れるだけで石や土の続く場所が分かるため、いかに入り組んだ迷宮であろうとも彼女にとっては庭のようなものであるので、決して迷うことのない水先案内人でもある。

 例え今のように周囲を囲まれていても、彼女さえいれば撤退は充分可能である。

 

 

 

 ――はずだった

 

 

 

「うぐっ!?」

 

 ドンッと唐突にアイの身体が吹き飛ばされる。退路の作成を邪魔された……とアイが思うのも(つか)の間。

 

 ゴガアッ!

 

「……え?」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「アイちゃん、大丈夫!?」

 

「は、はい!」

 

 リウラがこちらを案じる声を出したことで、アイはようやく今の衝撃が“アイを助けるために、リウラが空気中の水分を操作することで放った突風”であることを理解した。

 

 そして、改めて慎重に己の立つ大地の下を、地の精霊としての感覚で探り、何が起こったかをようやく悟った。

 

(す、水脈ができてる……!? そんな、いつの間に……!?)

 

 大地の、そして岩でできているはずの壁面や天井のその奥に、いつの間にか葉脈のように水流が張り巡らされていた。

 そして、それらには強力な魔力が込められており、さらに集中して感知してみれば、土にまで魔力のこもった水が浸透している。これでは、アイが土を操作しようとしても、魔力を弾かれてしまって、退路を造ることができない。

 

 下手人はもちろんシズク………………そしてリウラである。

 

 リウラは、シズクがそれらを張り巡らせ始めた瞬間に対抗して、自分も周囲の地面や壁面に水脈を張り巡らせ始めたのである。

 

 大地に接触していないため、アイは気づいていないが、実際には空気中の水分の奪い合いも発生している。

 

 静かで熾烈(しれつ)な陣取り合戦。

 既に戦闘は始まっていた。

 

「シズク……本気、なんだね」

 

「……リウラ」

 

 瞑目(めいもく)していたシズクがゆっくりと(まぶた)を持ち上げた直後、凄まじい殺気がリウラに向けて放たれた。

 

 

 

 ――瞬間、リウラの構えが変化する

 

 

 ズンッ!

 

 

 軽く大地が揺れる。

 リウラの震脚(しんきゃく)が迷宮を揺らしたのだ。

 

 腰は深く落とし、(あご)鳩尾(みぞおち)を護るように持ち上げられた手は握り拳を作る。

 普段の、後の先を取る合気の構えとは真逆の思想で(つく)られた型――先の先を取って相手を殴り、蹴り抜く攻撃的な構えである。

 

 視線は真っ直ぐシズクの瞳を射抜き、その頬を冷や汗が流れ落ちる。

 

 リウラがこのような攻撃的な構えを取った理由はただ一つ。

 

 

「……最終試験よ」

 

 

 表層意識でも、無意識でもリウラは感じ取ったのだ。

 

 

「あなたが(おさ)めた技を駆使(くし)して……本気の私を殺してみなさい」

 

 

 

 ――後手に回ったら、自分は死ぬ……と

 

 

 

***

 

 

 

 リリィは焦っていた。

 

 突如として現れた増援。

 片方はシルフィーヌ級の魔力を持ち、さらにもう片方は、その研磨したナイフのように鋭い殺気から、魔力量はまだしも、戦闘技術においてはエステルを超える技量を持つ相手であると推測できる。

 

 シルフィーヌを相手にする以上、どちらか片方でも敵に回られただけで戦力的に厳しいのに、それが両方とも敵なのだから完全に勝ち目がない。

 加えて言えば、両方ともかつての仲間なのだ。家族であったリウラはもちろん、彼女達に恩が有るリリィにとっても、心理的にやりにくいことこの上ない。

 

 そして、先程アイから心話(しんわ)で連絡があったが、逃げ道まで塞がれたようだ。

 

 

 正直に言おう――状況は、ほぼ詰んでいる。

 

 

(何かないか……何か……!)

 

 リリィの頭が、かつてないほどに高速で回転するも、打開策が浮かばない。

 ならば、打開策が浮かぶまでの時間を稼ぐ必要がある。可能ならば、そのための情報も収集するべきだ。

 

「ティアさん……その魔力は、いったい何ですか?」

 

 ティアの急激に上昇した魔力……これは明らかな異常だ。もし以前からこれだけの魔力を持っていたのなら、そもそもあの時、水蛇(サーペント)程度で苦戦するなど有り得ない。リリィ達が水精の隠れ里を離れてから、何かがあったと考えるべきだ。そこに、何かこの状況を打破する突破口があるかもしれない……が、

 

「時間稼ぎにつきあうつもりはないわ」

 

 ティアはリリィの問いを切って捨て、巨大な光の槌を具現化する。

 容赦がなさすぎる――リリィは内心で舌打ちした。

 

 そこに、リリィにとって予想外の人物から、予想外の言葉がもたらされた。

 

 

 

「……()()()()()()()()()……?」

 

 

 

 リリィの猫耳がピクリと跳ねる。

 

()()()()()()、だって……?」

 

 ティアを見ながら呆然と言葉をこぼしたシルフィーヌを、ブリジットが“信じられない”と言わんばかりの目で見る。

 水精が人間の……それも王族であるということ自体意味がわからないが、そもそもそんなことよりも信じられないことがある。それは――、

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!?」

 

 ブリジットの驚愕(きょうがく)と困惑に彩られた叫びが響き渡る。

 

 そう、ユークリッド第一王女 サラディーネは魔王との戦いで戦死しているのだ。

 盛大に国葬が行われているが故に誰もが周知している事実であり、実際、リリィが魔王の記憶を検索してみたところ、サラディーネと思われる、ティアそっくりの人間族の女性が、魔王の攻撃で死亡する瞬間が映像としてくっきりと残っていた。

 

 ティアはリリィに視線を合わせたまま、シルフィーヌの声に(こた)える。

 

「……シルフィーヌ、私の事は後で話すわ。今はこの()たちを倒すことが先決よ」

 

 フッ――

 

 言うや否や、光の槌が振り下ろされる。

 

 どうやら徹底的にこちらに時間を与えたくないらしい。

 ティア渾身(こんしん)の魔力が込められた光の大槌は、リリィが全力で魔力を振り絞っても防ぐことができない代物だった。

 

 

 ――即席の(ごう)……壕ごと潰されるのがオチ

 ――転移……歪魔族(わいまぞく)でもあるまいし、こんな一瞬でできるわけがない

 ――魔術障壁……事前に準備しておくならともかく、こんな一瞬で張れる障壁など、このバカ魔力相手には紙1枚ほどの防御力もあるまい

 

 

(あ、これ終わった……)

 

 打つ手がない。泣こうがわめこうがどうしようもない。

 諦めの感情を抱く間もなく、リリィは光の大槌が迫り来るのを呆然と見続け――

 

 

 

 ――そのリリィの視界を、何か黒いものが横切った

 

 

 

 ()()()()()()()()

 

 リリィが、ティアが、その弾けた原因へと視線を向ける。

 

 

 

 ――そこにあったのは、大地に突き立つ漆黒の剣

 

 

 

 シックで上品な造りでありながら、どこか恐ろしく、そして禍々(まがまが)しい魅力に満ち溢れた連接剣であった。

 

 リリィは目を大きく見開き、ぽかんと口を開いたまま、まじまじとその剣を見つめる。

 

(まさか……アレを貫いたの? あんな、いとも簡単に……?)

 

 トン、とその(かたわ)らに軽やかに降り立つ人影。

 リリィを背に(かば)うように降り立ったのは、若い女性であった。

 

 20代後半くらいだろうか、(からす)()()色のロングヘアーを白の飾り紐でまとめ、(みやび)軽甲冑(けいかっちゅう)を身に(まと)った美しい女性だ。

 

 凛とした瞳は青玉のように輝き、ティアをその強烈な視線で射抜いている。

 左腰には先程の剣が収まっていたのであろう空の鞘、右腰には魔導銃(まどうじゅう)が収められたホルスターを身につけており……そして、今まさに彼女はそのホルスターから銃を抜き放った。

 

「!」

 

 銃と魔術――攻撃速度は引き金を引くだけの銃の方が圧倒的に上。

 だが、常に一定の威力しか出せない銃と異なり、魔術は術者の力量によってその威力が大幅に変化する。ならば、あえて一拍(いっぱく)遅らせてより威力の高い魔術を放ち、女性が放った弾ごと魔術で飲み込んでしまえば良い。

 

 そう考えたティアは、相手の銃撃を一般的な魔導銃よりもワンランク上と想定し、余裕を持って迎撃できる攻撃魔術を選択、発動させようと魔力を集中させる。

 

 

 ――しかし、すぐにその選択を変更せざるを得なくなった

 

 

「なっ!?」

 

「えっ?」

 

 黒髪の女性は抜き放った銃の銃口を、()()()()()()()()向けていた。

 

 間髪入れずに引き絞られる引き金。

 放たれたものは銃撃ではなく、()()であった。

 

「ッ……!?」

 

 殺到する魔力の奔流(ほんりゅう)。しかし、間一髪でシルフィーヌの前に割り込んだティアはそれを結界で防いだ。

 ところが、一般的な魔導銃の常識を無視して、(きし)む結界を打ち砕かんと魔力砲はさらに勢いを、威力を増大させる。

 

「くぅっ……! シルフィーヌ!」

 

「は、はいっ!」

 

「!? 違う、そうじゃないっ!」

 

「え、え!?」

 

 ティアは自分が障壁で支えている間に女性を攻撃してもらい、ひるませることで攻撃を中断させようとシルフィーヌに声をかけた。

 しかし、シルフィーヌはそれを『支えきれないから障壁を張るのを手伝え』と言われたと(とら)え、とっさに障壁を重ねてしまったのだ。

 

 これはどちらかといえば、シルフィーヌではなくティアのミスである。

 

 元来、身体が弱いシルフィーヌの戦闘経験はお世辞にも多いとはいえず、実質的に魔王との戦闘も含めた数回しかない。

 その際も、基本的にシルフィーヌに求められたものは補助・防御・回復であり、攻撃は勇者を含めた各国の猛者たちが請け負っていた。そのため、とっさに声をかけられれば、反射的に攻撃ではなく防御に意識が行ってしまうのである。

 

 知識についても、軍略や指揮といったものはある程度学んでいるが、素人に毛が生えた程度。

 

 これは、王・王妃・第一王女が次々と亡くなり、さらには第二王女がゼイドラム王子と電撃結婚して他国へと嫁に出たがために、本来病弱であるが故に王家を継がず嫁に出されるはずだったシルフィーヌが、いきなり国のトップに祭り上げられたこと……そして、その事が原因で、慌てて政治・外交を中心に知識を詰め込んだことで知識が(かたよ)り、軍事方面について未熟になってしまったことが原因である。

 

 ティアはそのあたりの事情を全く把握しておらず、とっさに“かつての自分だったらこうするだろう”と思い込んで言葉を(はぶ)いてしまったのである。

 

(あの王宮メイドは……!)

 

 ティアは視線を横に走らせてヴィダルが動けるか確認するも、これを好機と判断したオクタヴィアが、魔導銃の女性や(ブリジット)に近づかせないことを最優先に牽制しており、動きが封じられていた。

 

 ヴィダルの動きがややぎこちないことから、どうやら怪我は完治していないのだろう。本来なら格下の相手にもかかわらず、なかなか倒すことも押し通ることもできないでいる。

 自分もシルフィーヌも、この攻撃を支えながら他の事をする余裕はない。完全なこう着状態に(おちい)ってしまっていた。

 

 

 

 その一方、リリィは……

 

(この、砲撃は……)

 

 リリィはこの砲撃とそっくりの攻撃を見たことがあった。

 

 

 ――それは、かつてゴーレムだったアイが放っていた魔導砲撃

 

 

 そのことに気づくと同時、この女性の正体について思い至った。

 

「あなたは……ひょっとして、メルティさん?」

 

「……の、師です。はじめまして、リリィさん。ユイドラ工匠会(こうしょうかい)より参りました、セシル・トープ匠貴(しょうき)です」

 

 女性は、いつの間にか地べたに女の子座りでへたりこんでいたリリィに視線を向けて言った。

 以前、リリィがリシアンに入手を依頼した暗黒剣ザウルーラ……それを作成したであろう工匠の、助手の、先生。それが彼女――セシルであった。

 

(匠、貴……ユイドラ工匠会の、実質的な最高位の工匠……!)

 

 リリィは、大きく目を見開いて驚く。

 

 工匠の国 ユイドラの工匠職には、全部で10の地位がある。

 

 最低位の匠巣(しょうす)から、練士、匠士(しょうし)、少工匠、中工匠、大工匠……と地位が上がってゆき、それにつれて閲覧できる技術や、立ち入れる場所、政治への発言権など、様々な権力を手に入れることができる。

 

 もちろん、そこに至るまでには様々な工匠としての実績・功績が必要だ。その基準は非常に厳しく、中工匠ともなれば、大体が何らかの名誉称号を持っているほどである。

 誰も至ったことのない幻の(くらい)である“匠王(しょうおう)”を除けば、最高位の工匠。ユイドラの領主として選ばれてもおかしくない、鬼才である。

 

「さて、リリィさんに一つ申し上げなければいけないことがあります」

 

「……ザウルーラのことですか?」

 

 はるばるユイドラからやってきたであろう工匠が、リリィに伝えなければならない案件など、それ以外に思い浮かばなかった。

 実際、それは間違いではなく、セシルはコクリと頷いて口を開く。

 

 

 

「残念ながら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

「……え?」

 

 “今、何と言った?”と、リリィは自分の耳を疑い、一瞬呆然とする。

 

()()()()()()()()()()()()()……暗黒魔導鎧(まどうよろい)ザウルーラ。メルティの()る愛鎧です。あなたがどうしてそれを剣と勘違いしたのかは知りませんが、どちらにせよ、あれは売り物ではないのでお譲りすることはできません。ですから……」

 

 そこでセシルは、視線をリリィの眼の前に突き刺さる漆黒の剣へと移す。

 

「代わりの剣を私が用意しました」

 

 そこでリリィも目の前の剣へと吸い寄せられるように焦点を合わせる。

 

 ……美しい、とても美しい剣だった。

 

 紫がかった黒色の、宝石のように美しい刀身は睡魔のように見る者を魅了し、わずかに宝石や細工が(ほどこ)された射干玉(ぬばたま)色の(つか)は、その刀身の魅力を引き立てつつも機能性を損なわず、見るだけでとても握りやすく振りやすいと分かる形をしている。

 

 だが、とても危険な剣でもあった。

 

 その禍々(まがまが)しい雰囲気は、悪魔であるリリィをもってしても本能が警鐘を鳴らすほどである。

 “迂闊(うかつ)に握れば、何か良くないことがあるに違いない”と確信させるものがある。

 

「あなたは、できるだけ強力な剣が欲しいのですよね? ですが、私は誰彼かまわず強力な武器を渡すつもりはありません。その条件に、“あなたが善人であるか、悪人であるか”は問いません。私が(つく)った武器を振るう条件は2つ。“武器に振り回されない実力”と、“強力な武器の力を己の力と勘違いしない精神力”」

 

 だが、それでも――

 

「“その子”を握り、従えてみせてください。もし、それができたのなら、無償で“その子”をお譲りしましょう」

 

 それでも、やらなければならない。

 このような危険な試練を強制するこの女性が、試練から逃げたリリィ達を救ってくれるとは思えない以上――

 

 

 ――これを自分が手に取らなければ、自分も、リウラもただ死ぬことしかできないのだから

 

 

***

 

 

 ドンッ!

 

 リウラの背が、蹴り足が爆発する。

 

 “焙烙(ほうろく)”を使って(いしゆみ)のごとく撃ち出されるリウラの身体。

 大きく足を前へと開きながら繰り出される右の縦拳は、例えヴィア級の闘気の持ち主であろうとも、無防備に喰らえば、そのまま頭蓋(ずがい)を破裂させるであろう凶悪な速さと鋭さ、そして威力を兼ね備えていた。

 

 しかし、シズクはまるでリウラの行動を(あらかじ)め知っていたかのように、スッとわずかに一歩斜めに踏み込むだけでそれを避けて見せる。

 そして、無防備に(さら)されたリウラの鳩尾(みぞおち)に手を添え――

 

 ――ようとして、すぐに引っ込める

 

 ドンッ!

 

 今まさに触れようとしていたリウラの鳩尾が爆発した。

 

(“焙烙”を用いた攻性防御……確かに素晴らしい成長だけれど……)

 

 攻性防御型の“焙烙”の弱点――それは、爆発が自身と密着した箇所で発生するが故に、爆発の反作用でほんの一瞬行動が止まってしまうことにある。もう少しリウラの腕が上がり、爆発の指向性を完全に制御できればなくすことができる隙だが、今、この瞬間に晒してしまうのは致命的だ。

 たしかにここでシズクに鳩尾を打ち抜かれればそれで終わりであったものの、だからといってこのような隙を晒せば、その瞬間に“詰み”である。

 

 パシィッ!

 

 リウラが己の伸びきった右腕を引き戻しきる前に、シズクが()び出した3つの水塊がその右腕を捕らえ、2つの水塊がリウラの足を(すく)う。

 

 相変わらず凄まじい水の召喚速度である。

 そのスピードと滑らかさは、リウラをしていつ召喚したのか気づかせない程だ。繊細な水の操作技術は負けてはいないが、これだけは段違いである。

 

 ――魔闘術 戦槌(せんつい)

 

(……まずっ!)

 

 右腕を取られて投げられたリウラは、地面に叩きつけられる前に空中で受け身を取るべく、自らも水の床を召喚しようとする……が、それよりもシズクの行動の方が早かった。

 

 ――魔闘術 奥義 氷焔(ひえん)

 

 凄まじい勢いで地面から飛び出し、リウラを貫かんと迫るのは、()()()()()()()()

 

 リウラたち水精の操る水の精霊魔術は、“冷却属性”に分類される。魔力を属性の強化に回せばリウラ達は自分の操る水を氷へと変え、水の刃をより強靭(きょうじん)に、より鋭くすることができるのだ。

 これを利用して、地中に仕込んだ水を氷の杭へと変えて敵を貫く技が、“雫流魔闘術 霜柱”である。

 

 だが、それは同時に、彼女達は火炎属性と非常に相性が悪いことも意味する。そのため、通常であれば、何らかの道具を事前に用意しておかない限り、彼女達は“熱”に関する攻撃手段を使うことはできない。

 

 しかし、とある方法を使えば、無手の状態から、()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ――それは、極めて高温の環境下で、水を“雫流魔闘術 奔流(ほんりゅう)()()()超圧縮すること

 

 

 通常、水は100℃を超えると蒸発してしまう性質がある。

 しかし、水が簡単に蒸発する高温下においても、何十万、何百万気圧もの圧力で超圧縮すると、水は氷へと相変化を起こし、蒸発することなく数百度、数千度という“熱い氷”が生まれるのだ。

 

 雫流魔闘術において、術者が操作する水分は、()()()()()、術者の周囲に集中している。

 ――だが、中には例外も存在する。

 

 この地下迷宮には様々なフロアが存在する。罠や仕掛け、転移門が仕掛けられているフロアがあれば、逆に唯の洞窟でしかないような自然そのままのフロアもある。

 

 ――そして、その中には()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 その溶岩流の底に水を召喚し、蒸発することを許さず、魔力で無理やり超圧縮することにより創造されるのは、“マグマの熱さを持った氷”。

 溶岩は元が岩である以上、水精が直接()び出して操ることはできないが、元が水であるこの“灼熱の氷”は、好きな時に喚び出し、操作することができる。

 

 それが、“雫流魔闘術 奥義 氷焔”。

 

 超遠距離で“超高温の氷”を創造し、武器として喚び出し、敵を攻撃する――周囲の環境すら自身の型へと落とし込んだ奥義。

 この超高温の氷杭で貫かれれば、生半可な鎧は融解し、衣服は燃え上がり、さながら火あぶりのような様相で肉を焦がされつつ死に至るだろう。

 

 そして、この熱い氷による攻撃はリウラにとって致命的であった。

 

 先に述べたとおり、水の精霊魔術は冷却属性。当然、水の精霊の化身(けしん)である水精も、その性質は冷却に属する。

 そして、冷却属性と火炎属性は相克(そうこく)する関係にあり、冷却は火炎に弱く、また火炎は冷却に弱い性質にあるのだ。

 

 つまるところ、水精であるリウラにとって、高熱を伴う攻撃を受けると通常より遥かに大きなダメージを負ってしまうのである。

 

(だめ! 抜けられない!)

 

 シズクはリウラの手首と肘の関節を極めるようにして“戦槌”を仕掛けていた。これは梃子(てこ)の原理で力をかけることによって、リウラが“空蝉(うつせみ)”を使って“戦槌”から逃れることを防ぐためである。

 リウラの喚びだす水の床や盾では、シズクの“氷焔”など防げようはずもない。つかまれた箇所を“焙烙”で爆破してもシズクなら一瞬で掴み直すくらいはやってのけるだろう。

 

(――それならっ!)

 

 シズクは瞬時に覚悟を決めると、思いついた対処を躊躇(ちゅうちょ)なく実行に移した。

 

 ボンッ!

 

 次の瞬間、捕らえられていたリウラの右腕が()()()()()()()()()

 

「ギッ!」

 

 水精は自身の身体を一時的に液状化させることができる。

 この状態の時は物理攻撃を無効化することができる上に、自在に形状を変化させることで攻撃の回避も容易……と一見非常に便利なように見えるが、実は重大な弱点がある。

 

 ――それは、魔力や闘気などの攻撃に対する防御力が“0”であること

 

 人間で例えるならば、筋肉と骨を抜き取って、皮と内臓だけになったような状態なのである。

 

 そんな状態で攻撃を受けたならば、通常ならかすり傷で済むような(わず)かな魔力や闘気の攻撃でも一撃で致命傷だ。

 現に、今リウラは右腕だけ液状化させてシズクの拘束(こうそく)から逃れたが、シズクがすかさず流し込んだほんのわずかな魔力でご覧のありさまである。

 

 水精がわざわざ人の形を保って戦闘するのは、それが最も安定して防御力が高い状態であるからなのだ。

 

 歯を食いしばって悲鳴を(こら)えつつ、急いで“水の羽衣(はごろも)”で飛翔し、シズクから距離を取る。

 

 体勢を立て直して着地する瞬間、リウラの水の(ころも)のポケットがくしゃりと収縮し、中から聖なる癒しの魔力が溢れてリウラの右腕に向かう。

 リウラが自身の水の衣を操作して、ポケットで“癒しの羽”を握り潰したのだ。吹き飛んでなくなったリウラの右腕が、神聖な白光と共に復活する。

 

 ――ゾクリ

 

 リウラの無意識が警鐘(けいしょう)を鳴らす。

 リウラの表面意識はまだ感じ取れていない“それ”は、シズクが放つ斬撃の奥義。

 

 

 ――魔闘術 奥義 飛燕乱翔(ひえんらんしょう)

 

 

 牽制ではない渾身の水の刃による斬撃を、相手を囲むように、逃げ場をなくすように時間差で複数放つ技である。

 

 その水の刃は、召喚されたときには既に刃の形状で、しかも斬撃を放つ軌道にあるが故に、通常ならあるはずの召喚から攻撃までのタイムラグが全くない。

 また、召喚された水の刃は紙のように極薄であるため必要な水の量が少なく、よって召喚する時間そのものもごくわずか。魔力も感じ取りにくいから、察知も非常に難しい強力な初見殺しである。

 

 シズクが現時点で放つことができる水の刃は全部で九つ。

 

 その一つ一つが、現在のリウラの実力では回避不能・防御不能の一閃だ。

 “このままではリウラが死ぬ”と認識したリウラの無意識は、リウラの人生を総ざらいして対処法を探すも、たった3年余りの人生の中にこの凶刃への対処方法など、見つかるはずもなく……

 

 

 

 

 ――追い詰められたリウラの無意識は、さらに()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 次の瞬間、リウラの中で何かが弾け、雰囲気がガラリと変わる

 

 クリアになる思考、溢れる全能感、鋭敏になった感覚、ゆっくり流れているように感じられる時間、苦痛や疲労の消滅……

 

(……なんだろう……これ……)

 

 

 

 ――()()()()()()()()

 

 

 

 はるか格上のはずのシズクに対してそう思えるほど、突如としてリウラは()()調()()()()()()()

 

 先程は感じ取れなかった九つの水刃。

 それが今では、どこからどのように振るわれるのか、手に取るように分かる。

 

 

 ――右足の(けん)を狙う一撃……1歩右足を前へ出して回避

 

 ――右から迫る首狙いの()ぎ払い……流れに逆らわずに左へ移動して攻撃の範囲外へ

 

 ――その移動を(はば)むように振るわれる袈裟懸(けさが)けの斬撃と、胴狙いの斬撃、そして新たに出現した水刃による首狙いの刺突……軽く跳躍して斬撃の隙間に身を投じ、照準をつけ直そうとする刺突は、こちらも水刃を召喚して相手の刃の腹に叩きつけて破壊

 

 ――着地を狙って放たれる前後左右上下からの同時斬撃……一瞬だけ足の裏に隠れるほどの小さな水床を呼び出して前に飛び出しつつ、前から迫る唐竹割りを右手で反らしながら、できるだけ小さくするように身体を丸めて、空中を転がるように攻撃範囲から逃れる

 

 今までとは比べ物にならないほど滑らかで、的確な動作。

 いっそ芸術的とすらいえるそれは、今のリウラでは決してできないはずの動きであった。

 

(……これは……)

 

 シズクはリウラに起こった変化を敏感に、そして正確に察知していた。

 

 

 ――極限集中

 

 

 命の危機に見舞(みま)われたり、あるいは自分の好きなことに没頭(ぼっとう)したりすることで、ごく(まれ)に発現する、潜在能力を全解放した状態だ。

 

 この状態になった瞬間、その生物のあらゆるリミッターが外れ、通常では考えられない力を発揮する。

 リミッターの外れ具合は、発現した時の状況や本人の資質によって大きく変化するが、自身の命の危機をトリガーに、シズクを超える資質を持つリウラが発現した極限集中だ。その上昇幅が低い訳がない。

 

 ――少なくとも、今のシズクを倒すには充分なはずである

 

 リウラの状態を見て、そう結論を出したシズクは、細く鋭く息を吐き出す。

 

 次の瞬間、シズクの雰囲気がガラリと変わった。

 

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 ――魔闘術 奥義 明鏡止水(めいきょうしすい)

 

 自分自身の意思で極限集中状態に入る技である。

 何十年もの瞑想(めいそう)の末に体得したこの奥義、その上昇幅は決してリウラが発現したそれに見劣(みおと)るものではない。これで条件は互角だ。

 

 向かってくるリウラが放つ右の下段回し蹴りを膝で受けつつ、霧を目に当てて(ひる)ませようと――!?

 

 シズクの経験が警鐘を鳴らし、反射的に頭をグッと後ろに反らした瞬間、逆S字を描くように下段回し蹴りから上段の足刀へと変化したリウラの踵が(あご)(かす)めていった。

 

 ――信じられない

 

 ほんの一瞬だけ見開かれたシズクの眼は、そう語っていた。

 

 極限集中状態で、さらには自分が教えた技を読み違える……? それも、自分よりも何倍も経験が劣る相手に……!?

 

 その瞬間、彼女の水の制御がほんの一瞬だけ緩んだ。

 

(――今!)

 

 リウラとシズクの戦闘を見守りつつ、機会を今か今かと伺っていたアイが仕掛ける。

 

 ――一瞬だけでいい。シズクに隙を作る

 

 それが攻撃力に欠ける自分が今できることであり、やらなければならないことであると理解していたアイは、シズクの足下の地面に全力で魔力を注ぎ、左右に揺らしてバランスを崩そうと――

 

「あっ!?」

 

 ――したのだが、状況が悪かった

 

 極限集中状態にある相手の動きは非常に読みにくい。

 それは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ということを意味する。

 

 そして、今や師であるシズクですら読みきれないリウラの動きをアイが読めるはずもなく、結果としてアイが放った微震(びしん)は、シズクだけでなくリウラまでその効果範囲に収めてしまったのだった。

 

 恩人を命の危機に(さら)すこの致命的なミスに、アイは顔を後悔と焦燥(しょうそう)で悲痛に歪めて叫ぶ。

 

「避けっ……って、ええっ!?」

 

 アイは目を()いた。

 

 左右に揺れる足場に合わせてシズクとリウラの足が動き、アイの微震をものともせず、当たり前のように2人が戦闘を続けていたからである。

 

 雫流魔闘術はあらゆる状況を想定して技を学ぶ。

 その中には水術を封じられた状態で、吊橋(つりばし)の上のような足場の不安定な場所で戦うことを想定した技もあるのだ。

 この程度の横槍など、雫流魔闘術の使い手にとっては何の妨害にもならないのである。

 

 一方シズクは、リウラの攻撃を(さば)きつつ冷静に状況を分析していた。

 

(……この()の才能、どうやら“潜在意識の浸透力(しんとうりょく)が異常に高い”ってだけじゃないみたいね)

 

 3年に渡ってリウラを鍛え、観察してきたシズクは、リウラの異常な才能の原因について、ある程度の目星をつけていた。

 

 

 それは、“潜在意識へのイメージ浸透速度が、一般的な生物の何十倍も高い”こと。

 

 

 通常、潜在意識へ特定のイメージを伝えるには、大きく分けて2つの方法がある。

 

 ――1つは、大きく感情が揺れ動くこと

 

 大きな感情を伴ったイメージは、その感情が強烈であればあるほど、たやすく潜在意識にその時の出来事のイメージを刻み込む。

 

 ――もう1つは、何度も繰り返すことだ

 

 イメージだろうと、言葉だろうと、動作だろうと、繰り返せば繰り返すほどにそれらは潜在意識に刻み込まれてゆく。

 

 ところがリウラは、自分の潜在意識に何かを刻み込む際に、それらの条件を必要としない。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 潜在意識は、一度刻み込まれた思考やイメージについて、ずっとそのテーマを考え続け、繰り返し続ける性質がある。ずっと特定のことを繰り返し考えていた人が、ある時ふとアイデアを(ひらめ)くのは、イメージを受け取った潜在意識がそのテーマを考え続けているためだ。

 リウラが状況に合わせた様々な技を思いつくのは、常に潜在意識がその事を繰り返し考え続けているためである。

 

 しかし、今目の前で現れている彼女の力は、この現象には当てはまらない。

 

 

 ――それは、シズクの行動の先読み

 

 

 潜在意識でシズクとの戦い方を考えていた? もちろんそれもあるだろう。だが、それだけで行動を読みきれるほど、何百年と積んだシズクの研鑽(けんさん)は甘くない。

 シズクの行動を読める、何らかの仕掛けか能力があるはずだった。

 

 そして、そのシズクの推測は当たっていた。

 

(……なんだろう……“シズクがどうしたいのか”、“どうしようとしているのか”が何となくわかる……)

 

 リウラは感じていた。

 シズクが行動を起こす直前の“()”。それが気味が悪いくらいにハッキリと()()()にわかる。

 

 通常、行動を起こす前の“意”というものは感じ取れはするものの、酷く曖昧(あいまい)だ。

 “自分を殺そうと考えているな”、“大体ここら辺を狙っているな”といった程度のもので、具体的な行動は相手の視線や体勢、状況などから総合的に推測するものなのである。

 

 ところが現在のリウラは、“どこに”、“どんな攻撃が”、“どのように”、“どんな意図を持って”放たれるかが、推測するまでもなく、()()()()()わかってしまう。

 

 ここまで明確に攻撃が“予知”できるのならば、この隔絶した技術差や経験の差を埋めることはそう難しくない。大まかにとはいえ、相手の心を読んでいるようなものなのだから。

 

 リウラのその超感覚が、シズクがこれから繰り出そうとする技を伝えてくる。

 

 “雫流魔闘術 水の羽衣”と、“奥義 焙烙”を組み合わせた複合技。

 どうやら急に動きを読みきれなくなったリウラに対応する技を編み出すため、いったん距離を置いて中・遠距離戦でジックリとリウラを観察するつもりのようだ。

 

 それをされたらまずい。いつ、この絶好調状態がきれるか分からないのだ。今のうちに(たた)みかけなければ、勝機を失ってしまう。

 

 決断は一瞬。

 次の瞬間、師弟はまったく同時に同じ奥義を発動した。

 

 

 

 ――(雫流)魔闘術 奥義 彗星(すいせい)

 

 

 

 二条(にじょう)箒星(ほうきぼし)が迷宮を駆け巡った。

 

 

***

 

 

(……あれ?)

 

 魔剣の柄を握ったリリィは、きょとんと大きなお目々をパチクリ開いて、頭上に疑問符を浮かべていた。

 

 確かに握った瞬間に身体の異常は感じた。妙に身体が熱っぽくなり、頭が風邪にかかったかのようにぼーっとする。

 今やちょっとした上級悪魔並みの魔力を持つリリィに対して、このような状態異常を起こせるのだから、凄いといえば凄いのだろう。

 

 

 ――だが、それだけだ

 

 

 頭に(もや)がかかろうとも、リリィにはしっかりと自分の意思があるし、身体が熱っぽくても行動できないわけでもない。

 

 “握った瞬間にどんな苦痛にさらされるのか”、はたまた“自分の意思を乗っ取られるのではないか”と戦々恐々(せんせんきょうきょう)としていたリリィからすれば、なんともまあ拍子抜(ひょうしぬ)けの結果である。

 この程度のデメリットで、これだけの魔力を秘めた魔剣を振るえるのならば、破格も破格。大サービスである。

 

 “おそらく、急激に成長した自分の魔力が、この魔剣の魔力を上回っていたのだろう”、と推測したリリィは、急ぎこの魔剣を使ってシルフィーヌ達を制圧し、リウラの救援に向かわんと、地面から剣を抜き、顔をシルフィーヌに向けて――

 

「お、おい。大丈夫かよ?」

 

 心配そうにしているブリジットと顔を付き合わせることになった。

 リリィがセシルと話している間に近づいていたのだろう。そしてセシルの話を横で聞いていたために、リリィの身体を心配している、といったところか。

 

 しかし、リリィは疑問に思う。

 

 

 ――はたしてブリジットは、こんなあからさまに自分を心配するような性格をしていただろうか?

 

 

 よほど自分の様子がおかしくなったのならまだしも、大して異常がみられない今の自分の状態なら、“心配していない”スタンスは意地でも崩さずに“とりあえず()いてやる”といった上から目線の態度をとるはずだが……

 

 

()()()()()()()()()

 

 

 そんなリリィの疑問は、しゃぼん玉のように(はかな)く砕けて消えた。

 

 そんな疑問がどうでもよくなるほどに、リリィの興味を引くものが目の前にあったからである。

 

(……意外。全然気づかなかった……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 先程から必死に自分の名を呼ぶ、可愛らしい声。

 自分の肩を揺さぶってくるその健気(けなげ)な態度。

 心配そうに歪められた眉……彼女の全てが愛おしい。

 

 

 ――鳴かせたい

 

 ――乱れさせたい

 

 ――その小柄な身体にむしゃぶりついて極上の快楽を教え込み、自分なしではいられない身体にさせたい

 

 

(……別にいいよね? 今シルフィーヌ達は動けないし、私は性魔術でパワーアップするし、ブリジットは気持ちいい思いをするし……………………よし、やっちゃおう)

 

 

 リリィは気づかない。

 

 

 ――自分が今、どれほど異常な思考をしているか

 

 ――なぜ、必死になってブリジットが自分に呼びかけているのか

 

 

 熱に浮かされたような彼女の眼は、いやらしくブリジットの身体を視線で舐めまわし、その表情は発情期の獣の如く色欲一色に染まった笑みを浮かべている。

 

 いつの間にか右手に握っていたはずの魔剣が、刀身の連結を解除してまるで蛇のように右腕に絡みついていることにも気づかずに、彼女は両手でブリジットの肩を(つか)み返し、

 

 

 

 

 ――そして、強引に押し倒した

 

 

 

 

 

 

 



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第五章 好敵手 後編

「おい、何やってんだバカ!? 目を覚ま――むぐぅっ!?」

 

 エステル達の魔力を吸収したが故に、現在のリリィの魔力はブリジットを大きく上回っている。押さえ込まれれば、逃げ出すことは難しい。

 あっさりと唇を奪われ、性魔術戦に持ち込まれてしまった。

 

 唇だけではない。リリィの手が優しくブリジットの肌の上を這いつつ魔力を流し込み、ブリジットの性感を一気に引き出してゆく。

 

 そしてそれらは、ブリジットが今までに経験したことがない、絶大な快感を彼女にもたらした。……ともすれば、そのまま流されてリリィとの情事に(おぼ)れかねないほどに。

 

「こっ……のヤロウ!」

 

 グッと自身の腹に膝を引きつけるようにして、リリィの腹に膝を叩き込む。

 しかし、たしかに腹に叩き込んだ手応(てごた)えがあったにもかかわらず、せき込むことすらなく、何事もなかったかのように、リリィは無心にブリジットの身体をむさぼり続けている。

 

「うぐっ!?」

 

 さらに悪いことに、膝を叩き込むことに気を取られたせいで、急速にリリィの魔力にブリジットの身体が浸食される。

 性魔術の本質は精神戦。精神力の弱い者、集中力の無い者ほど相手の魔力の浸食を受けやすくなる。今のブリジットのように、快楽に耐えることから気を逸らしてしまえば、あっという間に主導権を握られてしまうのである。

 

 ――頭の半分が桃色になったかのような感覚

 ――急速に高まる性感

 ――そして、相手が同性である上に、()()リリィであるにもかかわらず、こんこんと無限に湧き出す性欲

 

 魔力は、リリィが上。

 性技も、睡魔族であるリリィが上。

 そして、リリィの様子が突如(とつじょ)おかしくなったことにより動揺したブリジットの精神……性魔術戦でブリジットが勝てる要素は、何ひとつ存在しない。

 

 リリィの舌が、指先が動くたび、ブリジットの眼から徐々に意思の光が失われ、代わりに色欲の色に染まっていく。

 

「ご主人様!? ……ッ!」

 

 異変に気づいたオクタヴィアがブリジットに気をやるも、その隙を逃さずヴィダルの槍が(はし)ったことで、視線を向けることすらままならない。

 いくらヴィダルが完全回復していない上に、防御に全力を注いでいるとはいえ、オクタヴィア1人でヴィダルを押しとどめるには、全力で彼女に集中する必要があった。

 

 セシルは、一向に途切れることのない魔導砲撃をシルフィーヌ達に向かって放ち続けながら、リリィ達の様子を見つめている。

 それは、まるで千尋(せんじん)の谷に突き落とした我が子を見守る獅子のように、真剣で真摯(しんし)なものであった。

 

(ボ……クは……)

 

 ブリジットに残った、最後の意思の欠片が消えようとしたその時だった。

 

「そこぉっ!」

 

 擬死反射(死んだふり)を意図的に起こすことで、行動する機会をうかがっていたヴィアが、“治癒の羽”を握りつぶしたことによる癒しの風を(まと)いながら、ブリジットとの性行為に夢中になっているリリィの背後から襲いかかる。

 

 狙いはリリィの右肩。

 ヴィアはリリィから力を分け与えられた使い魔だ。リリィがパワーアップすればするほど、ヴィアもまたパワーアップする。

 操り人形となり、性魔術に集中している今のリリィ相手ならば、魔剣が巻きついた右腕を切り落とすくらい何とかなる。

 

 

 

 ――はずだった

 

 

 

 バシィッ!

 

「……なっ!?」

 

 完全に不意を突いたはずだった。現に、()()()()()()リリィの意識は目の前のブリジットに集中している。

 しかし、まるで()()()()()()()()()()()()()()()、ヴィアの手首を(つか)み止めた。万力に捕まれたかのように、固定されたヴィアの手首はびくともしない。

 

 そして、リリィがゆっくりと身を起こし、ヴィアへと振り向く。

 

 ――ゾクッ!

 

 そのリリィの眼を見て、ヴィアの背筋が凍る。

 人を人とも思わない眼……それ自体はいくらでも見たことがある。女である自分を“犯す相手”としか見ないぶしつけな視線を感じた経験も、数える気が起こらない程ある。

 

 

 ――だが、()()()()()()()()()()()()。これは経験したことがなかった

 

 

 一見、ただの好色そうな視線に見えるが、リリィの使い魔であるヴィアには分かる。

 これはヴィアの精気を吸い殺し、己が(かて)としようとする眼だ。

 

 “喰われる”という原始的な恐怖がヴィアの獣の本能を刺激し、反射的に撤退しようと、固定されていないヴィアの左腕が後ろ腰のポーチに走る。

 しかし、それよりもリリィが(つか)んだ腕を引っ張り、ヴィアの唇を奪う方が早かった。

 

(ッ!)

 

 生粋(きっすい)の睡魔族であり、自分よりも数段上の魔力持ち相手に性魔術戦で勝ち目など有るはずがない。

 だが、すんなり諦められるほど育ちが良くない自覚があるヴィアは、最後の最後まで抵抗するつもりで、リリィによる魔力の浸食を待ち構えた。

 

 

 

 ――ピタリ

 

 

 

(……?)

 

 ところが、突如としてリリィが動きを止める。

 先程まで虚ろながらも妖艶(ようえん)な表情を浮かべていたリリィが、人形のように無表情になり、ヴィアに口づけた状態で完全に停止した。その様子はまるで……

 

(……戸惑(とまど)ってる……?)

 

 直後、ヴィアの身体を舐めるように魔力が浸食した。

 

「んぅうっ!?」

 

 リリィの魔力ではない。

 リリィに2度にわたり性魔術を受けたヴィアは知っている。リリィの魔力は“相手を気持ち良くしよう”という思いやりがこもった、どこか暖かな印象を受ける魔力である。

 ところが、今ヴィアを覆うこの魔力は直接本能……いや、魂に刻み込まれた根源的な性的欲求を無理やり引きずり出すような、うまく表現できない魔力だ。

 

 発情期、というものが自分に有れば、きっとこんな感じなのだろう。そうぼんやりした頭で熱病のような性欲に(もだ)えながら、ヴィアは必死に耐え、この危機を(くつがえ)す手を必死に考えようとあがきながら、チャンスがくるのをじっと待つ。

 

 

 そんな彼女達の様子を見て、セシルは眉をひそめた。

 

 

 (……何、今の反応……? なぜ、“この子”は、リリィさんを使わずに、直接自分でこの猫獣人を支配しようとしているの? あれでは、まるで……)

 

 ――まるで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そんな反応を示すとすれば、それは――

 

 (“この子”が、リリィさんとこの猫獣人を“同一の存在”と認識した……?)

 

 ()()()()()()、“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 魔剣が示す、この奇妙な反応に考え込むセシルは気づかなかった。

 

 

 ――魔剣の放つ色欲の魔力がヴィアを覆った時に、リリィに対する魔剣の支配が緩み、リリィの眼にほんの(わず)かに理性の(ともしび)(とも)ったことに

 

 

(……あれ……? 私、何してたんだっけ……?)

 

 睡魔の本能の命ずるままにヴィアの唇を舌でかき分けながら、リリィはぼんやりとそんなことを思う。

 未だハッキリとしない頭で状況を把握しようとしたその時、

 

「……ょ……」

 

 

 ――小さな……本当に小さな声が聞こえた

 

 

 猫の耳を備えるだけあって、睡魔族の聴力は動物並みに鋭い。普通なら聞き取れないであろうその声を、ぼやけた頭でもリリィは聞き取ることができた。

 

「……なんで、そんなにあっさり支配されてんだよ……」

 

 

 ――それは、彼女の悲しみ

 

 

「……『オマエには、絶対負けない』って誓ったボクが……馬鹿みたいじゃないか……」

 

 

 ――性魔術によって精神の大部分を支配され、理性のほとんどを失ったからこそ漏れた彼女の本心

 

 

「……『追いついてこい』ってボクに言ったんだろ……」

 

 

 ――声に反応して彼女に向いたリリィの虚ろな紅い瞳を、同じく虚ろな瞳でありながらも、真っすぐに見つめ返して、彼女は……ブリジットは言う

 

 

「……追いつくから、絶対に追い越してやるから……」

 

 

 なんだろう、この感情は?

 

 常に自分を意識してくれて、しかし決して馴れ馴れしいものでもない。

 

 リウラが自分に与えるものとは違う。

 ヴィアが自分に向けるものとも違う。

 

 だが、彼女達に負けない、この絶対的な信頼感――

 

 

「……そんな駄剣なんかに負けてんじゃねぇ……!!」

 

 

 “リリィなら何とかする”――そう確信していることが分かる声。

 

 信じている。信じられている。

 最も負けたくない相手。表面上は決して認めなくとも、心の底では誰よりもその力・その可能性を認めている相手が、自分の事を信じている。

 

 

 ――自分が認めるリリィは、決してこんなものに支配されたりなんかしない、と

 

 

 (ああ……そっか。私にとってブリジットは……)

 

 今まで(さだ)かでなかった、リリィにとってのブリジットの立ち位置……それを、彼女は今、ハッキリと理解する。

 

 

 

 

 (……好敵手(ライバル)……だったんだ……)

 

 

 

 

 ――その瞬間、奇跡が起こった

 

 

 

「な、なんだこれ……力が、溢れてくる……!?」

 

 ブリジットの身体から光が溢れ出す。

 途端(とたん)、ブリジットの身体を、心を浸食していたリリィの魔力が一気に押し流され、頭の中がクリアになる。

 それに戸惑いながらも、自分のするべきことを思い出したブリジットはグッと拳を握りしめた。

 

「いい加減に……目ぇ覚ませバカ!」

 

 ゴッ! ガチィン!

 

 光に包まれたブリジットの拳が、未だヴィアに口づけたままのリリィの頬に突き刺さる。

 謎の光で大幅にパワーアップしたその拳の衝撃はヴィアにまで連動し、ヴィアは額と口を押さえながら、あまりの痛みに悶絶(もんぜつ)して転げまわり……

 

 

 ――そして、リリィは自分の意思を取り戻した

 

 

(……そうだった……忘れてたけど、この()、公式チートキャラだった……!)

 

 ブリジットがヒロインとなるルートでは、特定の条件を満たすとブリジットが大幅にパワーアップする上に、魔王を第三者の洗脳から解放することができるようになる。

 その魔力の上昇は凄まじく、準魔王級と推測できるレベルにまで上がるうえ、その条件というのも、そこまで難しいというほどのものでもない。“お互い心から相手を愛する者同士で、性魔術を行うこと”……それだけだ。

 

 今、リリィに対しても発動したところを見ると、どうやら愛は“友愛”でも全く問題なかったらしい。

 

「くぅっ……! なかなかに乱暴な目覚ましだね……!」

 

「ボクがオマエを優しく起こすとでも? さっさとボクの上からどかないと、もう1発いくぞ?」

 

 未だ自分を再支配しようとする魔剣の魔力に全力で逆らいながら、無理やり笑顔で皮肉を言うリリィに対し、余裕の笑みで『さっさと魔剣の支配をどうにかしろ』と返すブリジット。

 

 どうやら、こちらを助ける気は全くないらしい。

 だが、何故だろうか。そのブリジットの態度が、リリィにはとても嬉しく感じられた。

 

(……やってやろうじゃないの!)

 

 リリィは全身の感覚を研ぎ澄ます。

 

 この魔剣の支配は、相手の色欲に訴えかけるものであるものの、性魔術ではない。

 ならば、話は簡単だ。性魔術でない以上、性行為以外でも抵抗は可能。支配の起点となる箇所を逆に魔術的に支配してやるか、最悪、破壊すれば、それで勝ちである。

 仮に起点を破壊した場合、ひょっとしたら剣そのものが壊れてしまうかもしれないが、今は支配を跳ね()ける方が最優先であった。

 

(殴られたところから浸透したブリジットの魔力。それを、もう一度浸食しようとする感覚を辿(たど)っていけば……!)

 

 

 

 ――ピクリ

 

 

 

 リリィの猫耳が跳ねたその瞬間、彼女の左腕が自分の右の二の腕をつかむ。

 

 いや、二の腕ではない。そのわずかに上……何もないはずの空間を、彼女はわしづかみにしている。

 ブリジットがそこに目をやっても、当然、何もないように……

 

 

 ――いや、()()

 

 

()()()……か……?」

 

 うっすらと見える、リリィの二の腕に張りついた、長い尾を持つ虫のような輪郭(りんかく)。それをわしづかみにしたリリィは、自身の二の腕から引きはがし、

 

 

 

 

 ――躊躇(ちゅうちょ)なく、かぶりついた

 

 

 

 

「……はぁっ!?」

 

「……!」

 

 大きく目を見開くブリジット、そしてセシル。

 リリィにかじりつかれて、大きく上半身を損壊したサソリの幻影は、跡形もなく消失していく。その直後、

 

 ゴッ!

 

 リリィの魔力が爆発的に(ふく)れ上がった。

 思わず頬を引きつらせるブリジットの目の前で、ニヤリと笑いながらリリィは身体を起こし、ブンと右腕を振るう。

 

 すると、まるでリリィの意思に従ったかのように、右腕に巻きついていたはずの魔剣が、その手に刀身を接続した状態で収まっていた。

 

 セシルは唖然(あぜん)とした様子でリリィに問う。

 

「……まさか魔力で“この子”を支配するのではなく、本体を喰らうことで同化するとは……あなたは本当に睡魔ですか?」

 

「睡魔族だって、性魔術以外の方法で相手を支配することはあるよ。なんのために頭がついてると思ってるの? ……で、これは私のものってことで良いんだよね?」

 

 不敵に笑うリリィに、セシルはハッキリと頷いた。

 

「もちろんです。“魅了剣 ルクスリア”、確かに納品いたしました」

 

 

 ――紫黒(しこく)の刀身がギラリと輝いた

 

 

 

***

 

 

 

(なるほど、だいたい読めてきた)

 

 全身に纏った水の膜から、特定の方向に爆発的に水蒸気を噴射することで、凄まじい勢いで宙を飛び回りつつ、シズクはリウラの能力の分析を終えつつあった。

 

 リウラのあの異様な洞察力、どうやらあれは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()らしい。

 

 試しに、明確な意図を持って頭で考えた行動を起こした時、リウラの超反応は鳴りを潜め、いつも通りの対応を行った。それは何度試しても同じであったことから、おそらく間違いはない。

 

 通常であれば、“無意識の行動をすべて読まれる”というのは致命的だ。

 武術というものは、型を反復することで技を無意識に出せるようにし、組手や戦闘を多く経験することで、特定の状況下で無意識に技を出せるようにすることが基本である。

 頭で考えてから行動するのと、無意識に行動するのとでは動きの速さが何倍も違うからだ。全て頭で考えてから行動していたら、とても相手の行動に対応できないのである。

 

 ――だが、

 

(……()()()()()()()()()()()

 

 シズクの過去の経験から、リウラへの対抗策が瞬時に構築される。

 

「えっ!?」

 

 シズクと同様、全身から爆発的に水蒸気を噴射しつつ、なんとかしてシズクに接近戦をしかけようとしていたリウラは驚愕(きょうがく)に目を見開いた。

 

 常に距離を取り、中距離戦を崩さなかったシズクが、突如として反転。

 リウラ達がやってきた方向――エステルと戦った地底湖の方へと逃げ出したのである。

 

(……!)

 

 おそらく罠だろう。自分に対抗する何らかの策を思いついたに違いない。

 

 だが、ここでシズクを無視してリリィの元へ戻るのはまずい。シズクを見失ったが最後、どこからどんな奇襲を仕掛けられるか分からないからだ。

 膨大(ぼうだい)な戦闘経験を持つシズクのこと。きっと、リウラには思いもよらない、えげつない奇策を()()げて、自分やリリィ達に襲いかかるに違いない。それだけは避けたかった。

 

 待ち伏せや奇襲を警戒しつつ、大急ぎでリウラはシズクを追う。

 すると、すぐにシズクに追いつくことができた。シズクは、広大な地底湖の中央の上空で、リウラを待ち構えていたのである。

 

(……周りにシズクの魔力は感じられない。あの地底湖にも一切魔力が通っていない……何を考えているんだろう……?)

 

 リウラも、行動予知の恩恵(おんけい)享受(きょうじゅ)している間に、その能力の内容をある程度自分でも把握しつつあった。

 どうやら反射的な行動は読めるものの、頭の中で計画された内容については一切読めないらしい。

 

 つまり、今シズクが張ろうとしている罠については、いつも通り自分の頭でシズクの行動を予測するしかない。

 そして、リウラの何倍もの経験を持つ師に対してそれをするのは、実質不可能に近かった。

 

 ならば、行動の指針は2つ。

 

 

 ――自ら突っ込んで罠を食い破るか

 

 ――いったん待機して相手の様子を見るか、である

 

 

 しかし、リウラにその選択を選ぶ時間は与えられなかった。

 

(さて、リウラ……私が考えた“対あなた用の技”……見事に受け切って見なさい!)

 

 フッとシズクの周囲に()び出される水球……その数165。

 そして恐るべきことに、それらはそれぞれが大量の水を圧縮したものであった。

 

「やばっ!?」

 

 リウラはシズクが何をしようとしているのかを悟り、慌てて真下……地底湖の方へと急降下する。

 しかし、それよりもシズクが引き金を引く方が早かった。

 

 ――魔闘術 奥義 奔流(ほんりゅう)

 

 迷宮に引かれる165のライン。それらは全て、触れるものを問答無用で切り裂く水の刃だ。

 

 ――例え半身になって当たる面積を減らそうと、(かわ)すことができない密度

 ――全力で防御しようとも貫ける攻撃力

 ――そして、全力の“彗星(すいせい)”でも逃れられない攻撃範囲……防御不能、回避不能の攻撃である

 

 

 いや、防御・回避不能の()()()()()

 

 

 ひゅっ、とリウラが鋭く息を吐き出すと、リウラの輪郭(りんかく)が溶ける。

 そして、液状になったリウラの身体は文字通り流水の如く、彼女を突き刺し、引き裂かんと薙ぎ払われる水のラインをするすると避けてゆく。

 

 シズクは感心する。

 

 いかにそれ以外に回避する方法が無いとはいえ、先ほど手痛いダメージを喰らった防御力0状態を再展開する度胸、そしてその不定形な状態で安定して“彗星”を維持できる制御力、その制御をこの短時間で身に着ける適応力……全てが天才の域である。

 

(……素晴らしい。では、次の手を……)

 

 リウラは湖面付近で人型を再形成して水面に立つ。

 

 “奔流”の弱点……それは、“水中では極端に水の速度、威力が弱まること”である。

 意外なことかもしれないが、“奔流”は攻撃対象が個体・気体であれば易々(やすやす)と裂くことができるのだが、対象が液体になると、その衝撃が分散されて、まともな威力を発揮できなくなるのである。

 いざ“奔流”を撃たれても、水中に逃げてしまえば防御も回避も容易(たやす)い。いったん水面付近にまで来てしまえば、実質、“奔流”を封じたも同然である。

 

 ――雫流魔闘術 航跡(こうせき)

 

 地底湖の水面をリウラが滑る。

 

 “航跡”は、足元に水流を生み出し、それに乗ることで滑るように高速移動する技である。

 飛行可能な“水の羽衣(はごろも)”を修得してしまえばあまり使われなくなる技だが、“水の羽衣”に比べ、“魔力消費が少ない”、“体勢が安定しやすい”といったメリットがある。

 今回の場合は、“奔流”を撃たれたときに一瞬でも早く水中に身を隠すため、水面と接触しながら高速移動できるこの技をリウラは選択していた。

 

 ビキビキビキ……ッ!

 

 瞬間、シズクの真下に位置する水面から、波紋のように氷が広がってゆく様子を見て、リウラの頬が強張る。

 

 いかにリウラが実力のある水精(みずせい)といえども、一瞬で(シズク)の魔力がこもった氷を砕きつつ水中に退避することはできない。

 おまけに、宙に浮くシズクの足元の水面から、放射状に地底湖に魔力が浸透していく様子を見るに、おそらく水面下も凍らされているのだろう。氷の下をくぐって、水中からシズクに接近する手は封じられた。

 

(……ならっ!)

 

 リウラは再び“彗星”を発動させ、シズクに向かって急加速。

 あれだけ大量の魔力を水中に放出して氷を作っている以上、さっきのように大量に“奔流”を展開することは不可能だ。今ならシズクの“奔流”を回避しつつ接近することは、そう難しいことではないはず。

 

 

 

 ――そして、面積を急速に広げる氷の先端の上を、リウラが通過した瞬間だった

 

 

 

 ズンッ……!

 

 水中から重い爆発音が聞こえる。

 リウラはその音に驚き、慌てて体の前面から水蒸気を噴射することで急停止する。

 

 “雫流魔闘術 奥義 彗星”――それは体表面で、爆発の威力・方向を制御した“焙烙(ほうろく)”を継続して発動し続けることで、文字通り爆発的な高速移動を行う、移動の奥義である。

 

 全身に纏った水の膜のどこからでも水を召喚・爆破・噴射できるため、今のように身体の前面から噴射することで急停止したり、腕や肩・脚から噴射することで移動方向を急激に曲げることだってできる。やろうと思えば、敵の攻撃の手前で直角に移動して回避することだって可能だ。

 

 だが、それは言ってみれば“超ねこぱんち”を使って、常に自分を弾き飛ばしながら移動しているようなもの。極限集中状態でなければ、まず間違いなく制御しきれずに、壁に頭から突っ込むであろう、非常に危険な技なのだ。

 先程のように初めから“奔流が来る”と分かっている状態であるならまだしも、敵が何をしようとしているのか分からない状況で、この技を使用し続けるのは、あまりに危険すぎる。

 

 リウラは目前のシズクから目を離さないまま、意識を下に向ける。

 しかし、かなり大きな爆発が起こったはずなのに何も起こらない。となれば――

 

(フェイント!)

 

 リウラは今度は意識を上に向けると、(あん)(じょう)……そこには雲のように広がる氷の粒子が激しくお互いをぶつけあっている様子が感じられた。

 耳に意識を集中させれば、小さくバチバチバチ……と、大量の氷の粒がぶつかり合う音が聞こえる。そして……おそらく“リウラに気づかれたこと”にシズクが気づいたのだろう、シズクが魔力を高め、氷がぶつかるスピードが爆発的に加速していく。

 

 ――魔闘術 火神鳴(ひがみなり)

 

 小さな氷の粒をぶつけ合うことで発生させた静電気を、魔力で強化することで、強力な雷撃(らいげき)を見舞う技である……が、何故だろうか――

 

(……なんで、すぐに撃ってこないんだろう……?)

 

 単純に考えれば、水面下の“焙烙”に魔力を裂きすぎたせいで、“火神鳴”の展開が“焙烙”のフェイントに間に合わなかった……といったところだろうか?

 しかし、リウラは知っている。自分の師がそんな単純なミスを犯すような、生やさしい相手ではない、と。

 

 

 ――そう思った、その時だった

 

 

 ピシッ!

 

「え?」

 

 足元から聞こえる(わず)かな異音。

 耳に集中していたからこそ聞こえた“それ”が何を意味するかを悟る前に、大量の水が、凍てついた地底湖の湖面を粉砕してリウラを打ち上げ、飲み込んだ。

 

 

 

***

 

 

 

 リウラを観察することで、シズクが改めて知ることができたリウラの弱点は3つ。

 

 1つは無意識的な行動でなければ、あの予知能力じみた行動予測は使えない、ということ。

 

 2つ目は、リウラが無意識に思いつく技、発展させる技は全て“リウラが知っている知識、経験を基に開発されている”ということである。

 

 つまり、リウラが知らない知識、経験したことのない技を使えば、リウラは対応することができない。もしくは、対応が遅れてしまう。

 ……とはいえ、一度でも見せてしまえば、すぐに対応する策や型を編み出されてしまうため、それらは“ここぞ”というところで使わなければならないが。

 

 そして最後の3つ目……それは、リウラが周囲の状況を知覚するとき、視覚と魔力、相手の“()”の感知の3つに頼り切っており、音や空気の流れ、そして精霊の動きへの感知が(おろそ)かになっていることである。

 

 基本的に生物が行動するときは“意”を放つし、遠隔操作などをするときは魔力や闘気を放つ。

 したがって、基本的にはその3つを意識していれば、ほとんどの状況は対応できる。対応できないのは、シズク以上に“意”や魔力を隠す攻撃が(うま)いアーシャのような存在を除けば、落石や自然災害などの事故くらいである。

 

 ……なら、話は簡単だ。

 

 ――明確に意図を持って行動し、

 ――リウラが知らない知識・経験を使った、

 

 

 

 ――“()()()()()()()()()()()

 

 

 

 それが、これ……“焙烙”の対リウラ用の型である。

 

 実はリウラが地底湖を凍らせた際、凍らせたのは水面だけだ。

 水面下へ魔力を浸透させたのは、“凍らせたと思わせて、リウラに水中に潜らせないため”、そして、“()()()()()()()()()()()()()()()()()()”である。

 

 水中で“焙烙”を発動……つまり、巨大な爆発を起こすと、水中に泡が発生する。

 その泡は、ある一定以上の広さと深さを持つ水場で、かつ水面に何らかの障害物がある状態で発生させると、爆発の衝撃波が周囲から跳ね返ってくる影響で、お(わん)を逆さにしたような感じで泡の下面がへこむ性質があるのだ。

 

 そしてその後、そのへこみが水流を(ともな)いながら泡の中心へ向かい、やがて水流が泡を貫通して水面へと勢いよく上昇する、という現象が発生する。

 先史文明期(せんしぶんめいき)において“バブルジェット”と呼ばれ、魚雷(ぎょらい)にすら利用されたその水流の威力は、爆発の規模によっては、鋼鉄の船体すら真っ二つにするほどだ。

 

 これならば、“意”を放つことも、魔力を操作することもなく、リウラに強力な水の打撃を与えることができる。

 

 ――初めに“奔流”を多数発射することで、“すぐに水中に潜れるように”と地底湖までリウラを誘導し……

 

 ――“水中に潜らせないようにする”と見せかけて、水面に氷の障害物を作成し……

 

 ――水中の“焙烙”をフェイントに見せかけて、真逆の方向に“火神鳴”を用意することで上方に意識を縛りつけて……

 

 ――そこに、下から自然現象である水流をぶち当てる

 

 後は、魔力を溜め、威力を増した“火神鳴”を真下に落とせば、水流に巻き込まれたリウラは、なすすべもなく感電して倒れる、という訳だ。

 

(お願い、間に合って――!)

 

 リウラは焦る。

 

 このままシズクの“火神鳴”を受けてしまえば、リウラの死が確定する。そうなれば、シズクがティアに加勢し、リリィの死もほぼ確定だ。それだけは、どうしても受け入れられない。

 

 リウラが今展開しようとしているのは、“雫流魔闘術 避雷傘(ひらいさん)”。電撃が落ちてくる方向に、円錐状の水盾を展開する技だ。

 円錐の円周には水で作った糸がいくつも飛び出しており、それらを地面に刺すことで強制的に電撃を誘導し、地面へと受け流す技である。

 

 言葉にすると、“ただその形状の水を展開すれば良いだけ”に聞こえるが、魔力のこもった電撃は術者の害意(がいい)沿()って動くため、そう簡単に受け流されず、下手をすれば水盾を貫いて直進し、術者に直撃してしまう。

 相手の拳を横へ逸らすような、力強く、それでいて繊細(せんさい)な魔力・水流操作を駆使して、うまく電撃を誘導しなければ、水盾そのものが簡単に破壊されてしまう、極めて高度な技なのである。

 

(だめっ、間に合わないっ――!!)

 

 しかし、リウラの対抗手段が“避雷傘”以外に無いのも悟られているのだろう。リウラを打ち上げた巨大な水柱のどこに当たってもリウラは感電してしまうが故に、リウラは否応(いやおう)なく水柱そのものを覆える程の巨大な“避雷傘”を展開せざるを得ない。

 

 シズクの“焙烙”が引き起こした、天を突くような水柱に身体を打ち抜かれた衝撃で(ひる)んでしまっているリウラに、新たに水を()びながら、そんな繊細な技を巨大展開する余裕などなかった。

 

 リウラは“避雷傘”の展開を諦め、電気伝導率の低い超純水を魔力強化して自身を覆う。

 魔力の込められた雷に対しては気休めにしかならないが、それでも直撃するよりは遥かにマシだ。

 

 

 

 ――雷が放たれる轟音が鳴り響く

 

 

 

(……?)

 

 しかし、いつまでたっても、リウラには(わず)かな痛みも痺れもやってこない。

 不審に思いつつ、どんな状況でも対応できるよう警戒しながらリウラはその場に“水の羽衣”で留まる。

 

 そして、リウラを覆っていた水柱が再び地底湖へと帰ったとき、リウラは目にした。

 

 

 

 

 ――地底湖を覆うほど巨大な避雷傘を展開して、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()姿()()

 

 

 

 

***

 

 

 

「お姉ちゃんを殺すつもりがない?」

 

「ええ、シズクにも私にも、あの()を殺す気なんてサラサラ無いわ」

 

 魅了剣ルクスリアを手に入れた後は、拍子(ひょうし)抜けするほどに呆気なく勝負がついた。

 というのも、あのどこからエネルギーを持ってきてるのか分からない、延々と魔力砲を吐き出し続ける銃をセシルが収めた時、ティアとシルフィーヌはほぼ魔力を使い果たしていたからである。

 

 最大の戦力である2人が使い物にならない今、大パワーアップを果たしたリリィとブリジット相手に勝てるわけがない……そう判断したティアは、あっさりと降伏を宣言。

 『リウラがそちらに居る以上、降伏してもそう悪い扱いにはならない』とのことだったが、リリィからすれば、それだけでこちらを全面的に信じられるティアの剛胆さに呆れ果てるばかりである。

 

「あの殺気全開で戦ってたアレがですか?」

 

「なんか、『今までの鍛錬だと“とりあえず殺されることだけは無い”って心の緩みがリウラにあったから、いい機会だ』って言ってたわよ? 殺すつもりでやってるだけだと思うわ」

 

 リリィは“頭が痛い”と言わんばかりに頭を押さえる。

 しかし、リウラからちょくちょく聞いていた、昔のシズクの色々やらかした話を考えると、なんか充分有り得そうだと納得してしまう。

 

「……それじゃあ、私も殺すつもりはなかったんですか?」

 

「いいえ、殺す気マンマンだったわ」

 

「うぉい」

 

 思わず女の子にあるまじきツッコミを入れてしまうリリィ。

 だが、ツッコミを入れつつも、ティアの言葉にリリィは納得してしまう。リリィに向かって振り下ろした神聖魔術の大槌を見て『殺す気が無い』など信じられようはずもない。

 

「なあ、何のんきに話してんだよ。そんな話、コイツらをさっさと縛り上げて牢に放り込んでからにしたら良いだろ?」

 

 そのブリジットの言葉に反応したヴィダルが、凄まじい殺気を放ちながらわめくのを尻目に、リリィは答える。

 

「……私とお姉ちゃんは、この人に恩が有るの。ちゃんと事情を()くまでは、それはできないよ」

 

(……え?)

 

 ティアの陰で顔を青ざめさせながら事の行方を見守っていたシルフィーヌは、その意外な言葉にきょとんとしてしまう。

 

 シルフィーヌの知る魔族は、自身の眼で見た魔王とその配下達、そして人々が口にする噂がすべてだ。

 彼らは好き放題に暴れまわり、人を人とも思わぬ所業を重ねる絶対悪である。

 

 なのに、同じ魔族であるはずの彼女が『恩』という言葉を口にし、あまつさえ、それで一度は殺されかけた相手に譲歩している。

 聞けば、今のような力を持たない脆弱な存在であったころ、“水精の隠れ里”という場所で、ティアに保護してもらった恩、そして、水蛇(サーペント)という強力な魔物に襲われたときに助けに来てもらった恩があるらしい。

 

 絶対悪であるはずの存在が、恩を口にして譲歩する(さま)……それは彼女にとっては信じられない光景であった。

 どちらかと言えば、ブリジットの方が彼女のイメージする魔族に近い。

 

「はっ、甘っちょろい奴だな、オマエ」

 

「なんとでも言って。……それで、私を殺してどうするつもりだったんですか? わかってるとは思いますけど、私を殺したらお姉ちゃんが黙ってないと思いますよ? それも覚悟の上だったんですか?」

 

「そこは考えてあるわよ。……ねえ、リリィ。ものは相談なのだけど……」

 

「?」

 

 急な話題転換に疑問符を頭に浮かべるリリィに、ティアは予想外の一言を放った。

 

 

 

「あなた……()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 

 

 



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第六章 3つの賭け 前編

 ――水精(みずせい)の隠れ里 ティアの出立(しゅったつ)

 

 

「あなた自身について知りたい?」

 

「はい。“私がどのように生まれたのか”……それを知りたいのです」

 

 里長(さとおさ)である水精 ロジェンの住居は、簡素ながらも絨毯が敷き詰められ、調度品が飾られた立派な部屋であった。

 これは万が一、外から客が訪れた時の応接間も兼ねているためである。

 

 『相手からナメられないようにするためには、最低限の装飾が必要なのだ』……とはロジェンではなく彼女の側近であるシーの(げん)

 シーだけではなく、ロジェンの周辺にたむろしている水精はいつも大体そんな感じで、何かとロジェンをどこかの王族のように振る舞わせようとする。

 

 今もゴゴゴゴゴゴゴ……と何かを削るような音が聞こえるが、あれは水のドリルや噴射で岩壁を削って、ロジェンの住居の拡張工事をしている音である。正直、音が里外に漏れてこの里の存在がバレやしないかとティアは冷や冷やしているが、そこは外にも人員を配置して水の結界を張り、絶対に音漏れしないようにしているらしい。

 いったい、何が彼女達をそこまで駆り立てるのやら……ティアには全くわからない。

 

「まあ、確かに存じてはおりますが……とはいっても、わたくしも多くは知りませんよ? 生まれたばかりの貴女(あなた)と出会った場所は覚えているでしょう? どうやら、あそこで戦争があったようですので、そこにいた人間族か魔族かの強い想いが貴女を生んだのではないでしょうか?」

 

「では、その人間族か魔族について心当たりはありますでしょうか?」

 

「……いえ、さすがにそこまでは……」

 

 残念そうに、かぶりを振るロジェン。

 しかし、そこでティアがこう言うと、ロジェンは表情を変えた。

 

「しかし、シズクは私の基礎想念を知っていたようですが……?」

 

「……シズク……あなたという水精(ひと)は……」

 

 ――頭が痛い、と言わんばかりのしかめっ面に

 

 額を押さえ、ジト目でティアの背後に立つシズクを見ると、シズクはそっと目を逸らした。

 なるほど、この(むすめ)がそんな大ポカをしているのであれば言い逃れはできまい。戦闘中の駆け引きは非常に(たく)みなくせに、どうしてこういう交渉事はてんでダメなのか。

 

 ロジェンは彼女の残念さに内心で深いため息をつきつつ、水の扇で口元を覆う。

 

「……申し訳ございませんが、お答えすることはできません」

 

「あ、私が元人間だったってことはバレてますよ? ひょっとして、ロジェン様がおっしゃる『そこにいた人間族』って、私のことですか?」

 

「シズク……後でちょっとお話ししましょうか」

 

 額に青筋を浮かべて、とてもにこやかにロジェンがシズクに声をかけると、次々と誘導尋問に引っかかって洗いざらいしゃべらされていたシズクは、ビクゥッ! と涙目で肩を跳ねさせる。

 

 ロジェンは改めてティアに視線を戻すと、深いため息とともに言った。

 

「……そこまで知っているのならば、隠しても仕方ありませんね。しかし、何故それを知りたいと? あなたは今までそんなことを気にしたこともなかったし、ましてや、自分の過去に興味を持つような性格でもなかったはず」

 

 ティアは非常に前向きな水精だ。過去をくよくよと振り返る時間があるならば、その時間で真っすぐ前を向いて現状を打開する策を考え、改善するための行動に移るだろう。

 そんな彼女が、今さら自分の過去に興味を持つのは少々不自然だった。

 

「……おっしゃる通りです。実際、“私の過去そのもの”にはそこまで興味はありません。私には人間だった当時の記憶なんてないから、今さら『あなたは実は人間だったんです!』なんて言われても実感がありませんし」

 

「では、なぜ?」

 

「私の中に“リウラを見捨てるな”という強い想いがあるのです。……私の基礎想念(生まれた理由)に勝るとも劣らない程の、強い想いが」

 

「新しい隠れ里に移ってから、私はこの“リウラを護りたい” という想いと、“隠れ里の水精達を護りたい”という基礎想念に挟まれ、迷い、悩み続けてきました。……このままあの娘を見捨てたら、私はきっと、一生後悔するでしょう。……それならば、私は、里を出てリウラを護りきり、全ての(うれ)いを晴らしたうえで、あらためてこの里を護るために戻ってきたいと思います」

 

「……」

 

「この感情に踊らされるがままにあの()を護るのも、それはそれで悪くはありません。私はリウラのことが大好きですから。……ですが、できるのならその原因も知りたい。そして、もし、その原因が私の過去にあるのなら、それを知りたい。……ただ、それだけです」

 

 ロジェンはティアの瞳をじっと覗き込む。

 

 一切の虚偽の色も動揺も無い。期待の色も希薄だ。“聞けたら(もう)けもの”程度に思っているのだろう。おそらく、ここでもう一度『教えない』と答えれば、彼女はそのままあっさりと(きびす)を返し、そしてこの里を去ってゆくだろう。

 

 ロジェンは瞑目(めいもく)し、少しだけ思案する……水精の隠れ里にとって、そしてこの水精ティアにとって、最も幸せとなれる選択肢は何か、と。

 

「……いいでしょう。ですが、正直に言いますと、あなたの“リウラを見捨てるな”という想い……それについて、わたくしは全く心当たりがありません」

 

「……そうで「なので」……?」

 

 ティアの言葉を(さえぎ)ると、ロジェンは扇をたたみ、玉座のように豪奢(ごうしゃ)な椅子からゆっくり立ち上がる。

 そして、腰まである三つ編みを揺らしながらティアの前まで来ると、右の人差指の先でティアの額に触れる。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 ――ティアの中で、何かが弾けた

 

 

 

***

 

 

「シズクぅっ!」

 

 『シズク』と呼ばれた水精の女性は、がばっと抱きついてきたお姫様に戸惑(とまど)いながらも返事を返した。

 

「……何? サラ」

 

「『何?』じゃないわよ、そんな仏頂面(ぶっちょうづら)して。今からそんな緊張してたら、勝てる戦いも勝てなくなるわよ?」

 

「……別に、仏頂面なんてしてない」

 

「してるわよ。ほら、ちょっとは笑いなさい、このコミュ障(むすめ)

 

 『サラ』と呼ばれた人間族の女性は、シズクの頬を人差指でつつきながら笑って言った。

 

 ここは魔王軍と対抗するために作られた、人間族や亜人族の連合軍……その中でも特別な役割を持った部隊だ。

 

 数か月前に突如(とつじょ)として現れ、瞬く間にシュナイル王国を滅ぼした魔王軍。そのトップたる魔王は自ら積極的に前線に出て戦闘を行うタイプであった。

 その巨体は一般兵の剣も魔術も弾き返し、繰り出す拳は大地に巨大な穴を穿(うが)つ。加えて神の如き強大な魔力は、一撃で軍を半壊させるほどの信じがたい威力で放たれる……早い話が、一般兵では全く役に立たず、完全な足手まといと化してしまうのである。

 

 よって、魔王と戦うためには、彼と充分に戦えるだけの実力者のみで結成された、精鋭部隊が必要とされた――それが彼女達である。

 大国ゼイドラム王国の第一王子にして、神殿から勇者の称号を与えられた戦士リュファスを初めとする彼らはまさに一騎当千の化けもの(ぞろ)い。それは、ここでじゃれている彼女達も例外ではない。

 

 絶大な魔力を誇るユークリッド王族の姫君――サラディーネ。

 

 水鳥草(すいちょうそう)のように美しい青の髪と、空のように透き通る蒼の瞳を持つ女性である。

 (やまい)で両親が他界した後も両親以上の手腕で国を治め、民心を(つか)み、強力で多彩な魔術をもって強大な魔を打ち砕く、文武両道の才媛(さいえん)だ。

 

 そして、彼女が抱きついている、東方風の水の(ころも)(まと)った水精――シズク。

 

 サラディーネが敵の気配を探っていた時、人探しをして迷宮をうろついていた彼女を感知したのが、出会ったきっかけであった。

 まるで深い海の底のように静かで落ち着いたその気配から、間違いなく指折りの実力者であることに気づいたサラディーネは、即座に彼女に接触。彼女の探し人を国を挙げて探すことを条件に、味方に引き込んだのである。

 

 どうやらシズクは1人きりで修行をしていた期間が非常に長かったらしく、人との付き合いが苦手なようだ。……笑顔を作るどころか、挨拶すらうまくできないというのだから重症である。

 

 しかし、その修行にかけた期間はダテではなく、“水精である”というだけで彼女の実力を疑問視した部隊のメンバーの一部を瞬く間に叩き伏せて見せた。

 その様子を見ていたリュファスが、『自分でも、初めから全力でかからねば、やられかねない』と断言するのだから、生半可なものではない。

 

 そんな彼女は、修行にかまけて世俗(せぞく)とあまり関わってこなかったせいか、非常に素直で反応がとても可愛らしい。

 

 そのため、サラディーネはこうして、ちょくちょくちょっかいをかけて反応を楽しみつつ、“どのようにコミュニケーションをとってゆけばよいのか”を目の前で実演して見せている。普段は家族にしか見せないような砕けた態度を取っているのは、そのためだ。

 そのおかげか、シズクのコミュニケーションを取る際のぎこちなさも少しずつ取れてきている。今では、サラディーネがフォローを入れれば、他のメンバーともスムーズな会話が可能なほどだ。

 

 ――ピクリ

 

 シズクの眉が(わず)かに動き、表情が引き締まる。

 

「……サラ」

 

「どうしたの?」

 

「誰か、近づいてくる」

 

 ――サラディーネの表情から笑顔が消え、緊張感が満ちる

 

 この部隊は魔王と戦う精鋭部隊であると同時に、少数精鋭であることを活かした奇襲部隊でもある。その部隊に真っすぐ近づかれるということは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ということだ。

 

「……どんな相手か分かる?」

 

「……気配の大きさと揺らぎからすると、おそらく一般人。それも子供。だけど、人間族や獣人族にしては少し魔力が大きいし、精霊(私達)との親和性も高い……特殊な生まれを考えなければ、多分エルフだと思う。歩き方と歩幅から、おそらく女性で、身長は大体140前後。……怪我をしてるか、疲れてる」

 

「距離と方向は」

 

「南南東、約100メートル先。突然現れた」

 

「……」

 

 

 ――不自然だ

 

 

 迷宮内における一般的な居住区は、比較的浅い階層にある。なぜなら、深くなればなるほどに生息する魔物が狂暴かつ強力になっていくため、住みにくくなっていくからだ。

 

 ここは迷宮の中でもかなり深い階層である。そこに一般人が迷い込むなど、まずありえない。

 半径数kmまで届くシズクの気配探知を()(くぐ)って、転移門も無い場所に突然現れるなど、それこそ転移魔術を用いたとしか考えられない。

 

 そして、その怪しい人物が真っすぐこちらに向かってくることを考えれば……それこそ“敵である魔王軍が用意した策である”としか思えなかった。

 

「……殺しましょう」

 

「……え?」

 

 シズクは、信じられないものを見る目でサラを見る。

 しかし、そんな目で見られても全く動揺もせずに淡々とサラは続ける。

 

「ここを離れるのは(まず)いわね。私達を分断する目的で用意したのかもしれない。……かといって、あまり近づかれて強力な魔術や爆弾がその子に仕込まれていても困るし、もしこの場に居る誰かの知り合いだったら、その子を目にした瞬間“助ける、助けない”で仲間割れが起こるかもしれない。……あらかじめ強力な結界を張って、ここに近づけないようにしておきましょうか。その上で、その子が此処(ここ)に来る前に、私の魔術で遠隔から爆破処理すれば……」

 

 

 

 ――シズクの背筋がゾクリと震えあがる

 

 

 

 サラディーネは極めて優秀な王女だ。その理由の一つとして、“国を護り、繁栄させるためならば大抵のことは何でもする事”があげられる。王族として小を切り捨て、大を活かす判断に躊躇(ちゅうちょ)がないのだ。

 もちろん、小をもまとめて救うことができるのならばそうするが、“そうできない”と判断した直後の行動が非常に速い。だからこそ、小国でありながら魔王軍の進行にも耐え、逆に攻め込めるまでの成果を上げることができたのだが……。

 

 

(……怖い)

 

 

 一般人の子供ですら必要とあれば躊躇(ためら)いなく殺害する、そのあまりの人間味の無さは、あまり人と関わり合いがなく、政治に(うと)いシズクに対して――

 

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

「私、その子を元いた場所に返してくる」

 

「え? ちょ――」

 

 シズクは、サラディーネが何か言う前に“水の羽衣(はごろも)”を使って瞬時にその場から移動した。

 彼女からは否定の返事しか返ってこない、と分かり切っていたからである。

 

 “その子供を助けたかったから”。

 “もともと自分は、サラディーネが運良く見つけた予定外の戦力であったから”。

 “彼女が子供を殺すところを見たくなかったから”……彼女がサラディーネの意思に反する行動をとった理由は様々だが、結局のところ一番の理由は、

 

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()……その事実を認めたくなかったのだろう

 

 

 

***

 

 

「速さ、きつくない? リューナ」

 

「は、はい! 大丈夫ですの! ……あ、でも、もうちょ~っと遅くしてくれても、わたくしは全然問題ございませんの」

 

「ごめん。急がないといけないから、我慢できるなら我慢してほしい」

 

「うっ……!? ご、ごめんなさいですの……」

 

 シズクが見つけたその少女は、シズクが推測した通りエルフの少女であった。

 腰までなびく白銀の髪、ロイヤルブルーサファイアの瞳、白磁のような肌と、まるで人形がそのまま命を授かったかのような芸術品のように美しい少女であった。

 

「……それで、どうしても思い出せない?」

 

「……はい、ですの。わたくしの町が魔族に襲われたところまでは覚えているのですが……何でわたくしがあんなところで迷ってて、どうしてわたくしが怪我をしているのか……何も覚えていませんの」

 

(……単純な記憶喪失……と考えるのは早計(そうけい)。でも、他人(ひと)とあまり付き合ってこなかった私に、この子が嘘をついていかどうかはわからないし……とりあえずは、その町を目指してこの娘を預けることが最優先)

 

 もしサラディーネの言う通り、部隊の戦力を分断する目的でリューナを転送したのであれば、すぐに戻らなければならない。おそらく、既にサラディーネ達が攻撃を受けている可能性が高いからだ。

 その事を予見(よけん)していたサラディーネ本人が居るのだから、そう簡単に奇襲を受けたりは受けないだろうが、それでも連合軍トップ戦力の一角であるシズクが居るのと居ないのとでは天地の差がある。

 

 少女を姫抱きにし、円錐状に展開した水結界の背面から勢いよく水蒸気を噴射して、シズクは迷宮を疾駆(しっく)する。

 文字通り爆発的な加速で飛翔するが、水の結界で少女ごと自身を覆っているため、風圧で息苦しくなることはない。

 

 しかしそれでも、自分が認識できない速度で、勢いよく背後に景色が飛んでゆく光景は恐ろしいのだろう。よく見れば、少女の表情は若干青ざめていた。

 

(そろそろ町に着く、けど……)

 

 

 様子がおかしい。

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ……いや、よく考えれば、おかしくはないのだろう。

 リューナは言った……『町が魔族に襲われた』と。ならば、その町の住人が全滅していても決しておかしくはない。

 

 しかし、困ったことになった。リューナを預ける当てが外れてしまった。

 いったん町の様子を見せて“自分を預かってくれる者は誰もいない”と納得してもらった後で、別の者に……いったんどこかの宿にでも預けることに――!?

 

 ――シズクの水蒸気噴射が、そして水の円錐結界が()()()()()()()()()

 

 慣性で勢いがついた身体を、空中でくるりとでんぐり返りをするように回り、地面で受け身を取って腕の中のリューナを(かば)いながら素早く起き上がり、彼女を床に下ろして背後を振り返る。

 

「これは……!?」

 

「こ、こらあっ! 急になんて止まり方しやがるですの!? わたくし、一瞬マジで死んだかと思いましたですのよ!?」

 

 シズクが厳しい表情で辺りを見回していると、彼女の背後に憤慨(ふんがい)したリューナが涙目で文句を言いながら詰め寄ってくる。ちょこんとシズクの袖を握っている手が震えているところを見るに、どうやら本当に怖かったらしい。

 非常に申し訳ない気持ちになるシズクであったが、今の彼女にリューナの相手をしている余裕は無い。

 

「リューナ、私から離れないで」

 

「ど、どうしたんですの? ……あ、なんかものすごーく嫌な予感が」

 

「気づかない? ……この周辺から急に水の精霊が追い出されてる」

 

「え……? あ……」

 

 エルフは精霊ととても親和性の高い種族だ。シズクに言われて精霊の気配を探ったのだろう。リューナは、即座にシズクの言葉が事実であることに気づいたようだ。

 

「あの……ひょっとして、今、急にシズクさんが止まったのは……」

 

「敵襲よ」

 

「うげ!?」

 

 水精は自らの意思で水を操作することができるが、戦闘中のように本人の意思を正確かつ迅速(じんそく)に反応させるような場合でなければ、その操作の補助を、目に見えず、身体を持たない水精にお願いすることがある。

 

 先程までのシズクの移動がまさにそれで、精密な操作が必要な水蒸気操作以外は、全てその水精達にお願いしていた。そして、精霊払いの結界が突如として展開されたことにより、それが強制的に解除されたから、シズクとリューナは宙に投げ出されたのだ。

 

 そして、そんな特殊かつ限定的な効果しか持たない結界が、今、ここで展開される理由など、1つしかない。

 

 

 

 ――シズクを狙い撃ちにした罠である

 

 

 

(新たな水の召喚は……やっぱりできない)

 

 精霊払いの結界は、精霊の力そのものを遮断する結界と同義である。新たな水を召喚するためには、シズクの魔力を対象の水場に届かせる必要があるのだが、それが結界で(はば)まれてしまい、召喚することができない。

 シズクは仕方なく、先程展開していた結界に使用していた水と、周囲に(ただよ)う水分を収束させて水球を宙に滞空させたところで、ふと気づいた。

 

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 ガシィッ!

 

 

 ――直後、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 恐怖に怯えてしがみついているわけではない。両手はシズクを羽交(はが)()めにするように回され、両脚は『決して離さない』と言わんばかりに胴に巻きついている。

 

 そして、幼い少女であるとは信じられない程の膂力(りょりょく)

 

 魔力で強化されているだけではない。ギシギシと微かに聞こえる音は、彼女の骨が(きし)む音だ。

 シズクはこの音をかつて一度だけ聞いたことがあった。それは、シズクと戦った、とある獣人族の男が自身のリミッターを意図的に外したが故に、骨が己の筋力に耐えきれなくなったことにより発生した自壊音(じかいおん)である。

 

 首を背後に回したシズクの目に映るリューナの瞳。

 至近距離から覗き込んだそれが、意思の光を失い、虚ろに何も映さない、まさに人形の持つガラス玉のような目をしていることに、ようやくシズクが気づいた瞬間、

 

 

 

 ――正面からやってきた、通路を埋め尽くす光の熱線に飲み込まれた

 

 

 

***

 

 

 ――魔導熱量子砲(まどうねつりょうしほう)

 

 メルキア帝国の決戦兵器である魔導戦艦(まどうせんかん)搭載(とうさい)される、極めて強力な熱線を発射する魔導砲(まどうほう)……それを、魔王軍の幹部である彼は、巨大なゴーレムが纏う鎧に搭載していた。

 

 疲労も恐怖もなく、高重量の魔導砲を運搬できる膂力を持ち、命令に忠実な兵士であるゴーレムに搭載することで実現した、“術者の意のままに動く魔導砲台”は中々に強力だ。

 燃料たる魔焔(まえん)こそ大量に要るものの、魔導戦艦が入れない迷宮のような狭い場所であろうと、ご覧のように、魔力を用いずに莫大(ばくだい)な熱線攻撃をお見舞いすることができる。冷却属性持ちの水精には、たまったものではないだろう。

 

 2年ほど前に“ラギールの店”に注文をかけたときは、無茶と承知ではあったし、店長も『期待はしないでくれ』と言っていたが……それが約1年で対応可能な技術者が見つかり、さらにたった1年で、これほどまでに完成度の高い魔導鎧(まどうよろい)を納めてくれるとは思わなかった。

 

 ブラックボックス化されてはいるものの、メルキア帝国の軍事機密であろう魔導戦艦の武装を搭載することなどまず不可能であるはずなのに、それを成し遂げてしまうとは……。

 あのエルフの娘を(さら)ってから1年以上待たされることになったものの、これほどのものを納品してくれるのであれば、不満など全く無い。“次からは是非贔屓(ひいき)にさせてもらおう”と、彼は心に留める。

 

 しかし、予想以上にうまく罠にはまってくれた。

 彼が見たところ、敵の特務部隊の中で“戦略的に”最も厄介だったのはサラディーネだが、“戦力的に”最も厄介だったのは、勇者リュファスでもサラディーネでもなく、この水精だった。

 

 とにかく、戦い方が非常に(うま)い。

 

 リュファスもサラディーネも決して戦い方が下手なわけではない。いや、それどころか西方諸国の中でも指折りの実力者なのだが、その戦い方はそれぞれの国の王族が代々引き継いできたものを踏襲(とうしゅう)しており、ある程度の予測がつく。

 戦術・戦略を練られ、裏をかかれて“してやられた”と思うことはあっても、彼をぎょっと驚かせるようなことはあまりない。

 

 しかし、この水精は()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 戦闘における応用力が半端(はんぱ)ではなく、どんな(こま)や罠をどんな状況で用意しても、いつも予想外の方法で戦局をひっくり返してくる。

 そして、この水精単体だけでも厄介なのに、これにサラディーネの入れ知恵が加わると、戦術単位だった厄介さが戦略単位にまで拡大する。

 

 彼の娘(ブリジット)も含めて脳筋(ぞろ)いの魔王軍にとってこれは致命的で、数少ない知略派の彼にとっては本当に頭の痛い悩みのタネであり、何をおいても真っ先に排除しなければならない対象であった。

 

 あの応用力(あふ)れる水精を倒すにはどうすれば良いか? そのためには、まず彼女の“応用力”そのものを封じなければならない。

 

 そして、その“応用力”の基盤にあるもので重要なウェイトを占めているもの……それは、()()()()()()()()()()()()()

 

 迷宮を出て地上に上がり、少し移動するとミーフェの森(ミーフェメイル)という森がある。

 初代族長であるミーフェというエルフが築いた集落で、自分達が住む森に彼女の名をつけたり、代々の族長が“ミーフェ”の名を襲名するほどに、血筋を重んじるエルフたちが住む地だ。

 

 “ここに住むエルフたちは封印術に長けている”という情報を入手した彼は、その族長に連なるものの、異端視されているが故に、集落からかなり離れたところに居を構えているエルフの一家を襲撃。両親の激しい抵抗に苦戦しつつも彼らを殺し、ついに目的のものを手に入れた。

 

 

 ――精霊に詳しいエルフであり、かつ青の月女神(リューシオン)の加護をもって、両親すら超える優秀な封印術を操る少女……リューナである

 

 

 弟と引き離したうえで『抵抗すれば弟を殺す』と一言(おど)してやれば、彼女はあっさりとこちらの洗脳魔術を受け入れた。

 そうなれば、あとは簡単だ。あらかじめ所定の位置に罠を張っておき、適当な理由で罠のある場所までシズクを連れてきてから、シズクの精霊としての力を封じるよう指示すれば良い。

 

 しかし、いざ彼女を捕らえてみれば、異端視(いたんし)されている彼女に、代々族長に伝えられるような強力な封印術は伝えられておらず、さらには……彼には“どういった理由でか”は分からないが、いつの間にか青の月女神(リューシオン)の加護をも彼女は失っていた。

 

 そんな彼女に、シズク本人や、彼女の操る術そのものを封じるような高度な魔術は使えず、“目に見えない小精霊達を追い出し、遮断する結界”程度しかリューナは扱うことしかできなかったが、あの水精が水を新たに()びだせなくなるのであれば、それで充分であった。

 

 なにせ、彼女の中・遠距離攻撃手段には全て水が用いられ、その上、自分の身を護る結界にすら水を使用するのだ。普段、周囲に滞空させているような水量で結界を張ってしまえば、新たに水を召喚しない限り、遠距離攻撃など不可能になってしまう。

 

 ならば、こちらは逃げ場のない場所で、あの水精が力尽きるまで回避不能の遠距離攻撃を繰り出せばいい。向こうはこちらに手が出せず、こちらは一方的に攻撃を叩き込める、必勝の図式が完成する。

 魔焔さえ放り込んでやれば、強力な魔導砲撃を延々と繰り出し続けることができる魔導熱量子砲つきの魔導鎧を彼が求めたのは、これが理由であった。

 

 ちなみに弟の方は、規格外に優秀なリューナと比較するとあまりにも魔術適性が低かった……というよりエルフとしては平凡であったため、リューナを脅した後は不要となり、早々に奴隷として売り払ってしまっていた。

 

(……しかし、長いな……?)

 

 もう大分長く熱量子砲を放射しているが、一向にあの水精とエルフの気配が消えない。

 あの規格外の水精のことだ。全力で防御に回れば、あの強力な熱線砲を受けても蒸発せずに耐えられる水結界を長時間張り続けることができるのかもしれないが……

 

 「!?」

 

 突如として強烈な違和感を感じた彼は、反射的に左に跳ぶ。

 

 

 

 ――その瞬間、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

(いったい何が――!? いや、考えている時間はない!!)

 

 正体不明の攻撃にさらされているのに、悠長(ゆうちょう)に考えている暇など無い。彼は、万が一のために事前に仕込んでいた転移魔術を発動させる。

 

 

 彼は、自分が何をされたのか理解できないまま、またもこの水精に敗北の苦渋(くじゅう)()めさせられたのだった。

 

 

***

 

 

 やむなく奥の手を使うことで、リューナともども無傷で罠を潜り抜けたシズクは、すぐにリューナの首に後ろから水弾を当てて気絶させて、彼女の身体を調べ……服の内に隠されていた首飾りを見つけた。

 

 ――それは“呪輪”と呼ばれる、洗脳用の呪術具

 

 それを見たリューナは、ふと気づいた。

 これが“()()()()()()()()()()()”であることは間違いないだろう。だが――

 

 

 ――『ここを離れるのは(まず)いわね。私達を分断する目的で用意したのかもしれない』

 

 

 シズクをサラディーネ達から引き離すための罠を()()()()()()保障などどこにもない、ということに。

 

 

 ザッと急速に顔を青ざめさせたシズクは、すぐに“呪輪”を破壊し、気絶したリューナを背負いながら大急ぎで元の場所に戻る。

 

 ……そして、彼女は見た。

 

 

 ――魔王軍の襲撃を受け、炎と死肉が焼ける匂いで満ちた地獄絵図を

 

 

「サラッ! サラ、どこ!?」

 

 

 ――そして、

 

 

「……サ、ラ……?」

 

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()()姿()()

 

 

 

『殺す……殺す……魔族は全て殺す……国を、民を、家族を……大切な妹たちを護らなきゃ……』

 

 ただひたすらに魔族への殺意をまき散らし、ただひたすらに魔族を探し、(ほふ)る。

 シズクが発見したのは、そんな妄執(もうしゅう)の具現となってしまったサラディーネであった。

 

 生前に持っていた強力な魔力が彼女の未練と融合してしまったためか、これまでのシズクの人生でも五指に入る程の強力な亡霊(ゴースト)と化している。

 彼女が放つおぞましい気配は不死者(ふししゃ)(あかし)。自分がこの場を離れてしまったが故に起こってしまった結果を受け止めることができず、シズクは呆然と動きを止めてしまう。

 

 おそらく魔王軍であろう魔族の背後に転移してその首に手を触れさせ、サラディーネらしい淡泊さで、甚振(いたぶ)ることもなく一瞬で精気を奪い取って殺す。

 そうして辺りに魔族が1人もいなくなったことを確認したのだろう、ようやく彼女はただただ彼女を呆然と見続けるシズクに気づき、死んだ魚のような虚ろな目でシズクを見つめる。

 

(……違う!)

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 (サラが見ているのは――!?)

 

 フッ――

 

 ふわりとサラディーネが消えた瞬間、ほんの(わず)かにシズクの背後の空気が揺らぐ。

 それを感じた瞬間、彼女は“水の羽衣”を使った無拍子(むひょうし)で瞬間的に前へと跳んでいた。

 

 シズクは背後を振り返りつつ、着地する。

 シズクの背後に現れていたサラディーネの手は、宙にそっと伸ばされていた。

 

 

 ――もしシズクが動いていなければ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「待って、サラ! この娘はもう大丈夫! 洗脳も解けたはずだし、罠を仕掛けた奴も追い返した! だから――!」

 

『……』

 

 シズクの声に(こた)えず、サラディーネの亡霊は魔力を高めて臨戦態勢を整える。

 その眼は相変わらず虚ろであった。

 

(……こっちの声に瞳が全く反応していない……! 無視しているんじゃなくて、()()()()()()()()……ってことは……!)

 

 霊体といえども、人間であった時の名残(なごり)故か、生理的な反応は変わらない。しかし、例外はある。

 

 ――それは、霊体の意識がハッキリしていない場合だ

 

 通常、生者が死ぬ間際に放つ悔恨(かいこん)の情――無念や怨念によって幽霊となる場合、生前の人格も意思も全て残る。それは霊体の中に本人の魂が存在するためだ。

 

 ところが、死した直後は自分が死んで意識がなくなっていることや、霊体としての身体に慣れていないことから、本人の意思ではなく、無念や怨念に基づいて夢遊病になったかのように行動することがある。

 これは逆に言えば、“不死者として安定していない”ということでもあり、安定してしまう前に神聖魔術などによって浄化してしまわなければ、成仏して輪廻転生(りんねてんせい)することすら困難になってしまうことを意味していた。

 

(どうする……!? このまま放っておいたら完全に不死者になってしまう……だけど、近くには神官もいないし、聖水だって持ってない……せめて、私が転移魔術を使えれば、聖水を取ってくるくらいは……あ!)

 

 シズクは自分の背から直接リューナに魔力を送り込み、気つけを(ほどこ)す。

 

「ふぁ~……おはよ~ございま……? ってうえぇっ!? あれっ!? いったい何がどうなってるんですの!?」

 

 目を覚ませば、誰とも知らぬ水精の背の上で、辺りは地獄絵図。

 そして、なんかやたらとおぞましい気配と、凄まじい魔力をビンビンに放つおっかない幽霊から殺意全開で虚ろな眼を向けられている。……正直、心に傷(トラウマ)を負わないか心配な状況ではあるが、そんなことを言っている余裕はシズクには無かった。

 

「あなた、浄化魔術か転移魔術使える!? この状況を切り抜けるために必要なの!」

 

「無理っ! 魔力がすっからかんですの! 浄化魔術どころか、火花ひとつ起こすことすらできやしませんの!」

 

「っ……! それもそうか……!」

 

 いくら対精霊に特化しているとはいえ、シズクほどの力ある水精が、水を召喚できない結界を洗脳中に張らされていたのだ。相応の魔力を消費していてしかるべきであり、少々眠ったところで回復は期待できない。

 

(……しかたない、とりあえずはっ……!)

 

 シズクはうまく重心を操作して片手でリューナを背負いつつ、もう片方の手で中指と人差指を立てた印を眼前に掲げる。

 

 

 ――彼女が念を集中しようとしたその時だった

 

 

 

 カッ!

 

 

 

(!?)

 

 突如として立方体の光の結界がサラディーネを包み、動きを封じる。

 

(……いつの間に……!?)

 

 ジャリ……と土を踏みしめてシズクたちの背後から現れたのは、シズクと同じく1人の水精だった。

 30手前であろうか、大人びた美しさと気品を纏った女性の水精である。彼女はシズクに目をくれることもなく、目に見えず、身体を持たない水の小精霊たちを喚び寄せると、それに自らの念を込めだした。

 

(いったい何を………………ッ!?)

 

 そこで、シズクは信じられないものを目にした。

 

 水精の手元に、淡い水色の輝きとともに、ひとかかえの水球が現れる。

 

 

 ――それは、()()()()()()()()

 

 

 いや、正確には水精の赤子になる直前の、“水精の素”だ。

 

 彼女達、人型の水精は、身体を持たぬ水の精霊と、人や魔が生み出した想念が結びつくことによって発生する。しかし、その想念はあくまでも人や魔のものでなければならず、水精は水精を生むための想念を提供することができない。

 

 

 ――そう、目の前の“水精が水精を生む”と言う光景は、本来あり得ないものなのだ

 

 

 いや、そんなことはどうでもいい。問題は、彼女がサラディーネをどうしようとしているか、だ。

 ここで彼女が“水精の素”を生み出す理由が分からず、声をかけることも忘れてシズクが混乱していると、(くだん)の水精は人型水精としての意識を宿しつつあるその水球を手にサラディーネに歩み寄り――

 

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

「サラッ!? あなた、いったい――!?」

 

「安心してください」

 

 水精は徐々に人型をとりつつある水球(水精)を悲しそうに、そして愛おしそうに見つめながらシズクに語る。

 

「彼女は新たに水精としての人生を歩むだけです。彼女の無念が癒されるその日まで……」

 

「どういうこと?」

 

 返答次第ではタダではおかない、という強い意志が込められたシズクの殺気にも怯まず、水精は自らが成したことの意味を説明する。

 

「わたくしたち水精には、(けが)れを浄化する力があります。それは思念においても例外ではありません。想念と結びつき、未だ完全な魂を形成するに至らない水精の身体に、現世(うつしよ)彷徨(さまよ)う魂を入れ、生前の無念と記憶を封じ、新たな生を謳歌(おうか)させる……そうして長い年月をかけることで水精の身体の内に封じられた無念を少しずつ浄化していく……そうすることで、わたくしたちは多くの死者を不死者と化すことなく、冥界へ送り出してきました」

 

「お、お姉さん……あれ……!」

 

「!」

 

 リューナに言われて周りを見て見れば、多くの水精が同じようにして亡霊と化した者達を次々と水精の身体に収めていく様子が見えた。

 

「この方は貴女(あなた)の友人ですか? でしたら、彼女は貴女に預けましょう。……生前の記憶を残したままだと、その念が新たな負の念を呼び起こして浄化が進まないので、そこは封じさせてもらいますが、人格は貴女の知る彼女そのままです。……ですが、もしそれが困るというのでしたら、責任を持って彼女が成仏するまでわたくしどもが預かりましょう。決して不幸には致しません。水精ロジェンの名において誓いましょう」

 

「……」

 

「……すぐに答えが出なくとも構いません。わたくし達の棲む隠れ里は、“水の貴婦人亭”の主人が知っていますので、その気になればおいでください」

 

 そう言って水精が背を向け――

 

 

()()()

 

 

 ――シズクの声に振り返る

 

()……ですか?」

 

「そう、()

 

「……? ならば、今この場でこの方を受け取れば良いのでは?」

 

「そうじゃない。『私と、サラもそこに住まわせて』と私は言っている」

 

 ――ロジェンの眼がスッと細められる

 

「あなたは今“隠れ里”と言った。つまり、なるべく外界とは接触しないようにしている、ということ。……サラから危険を遠ざけられて穏やかに暮らせる場所があるのなら、願ったりかなったり。後は、私もそこでサラが水精としての生を終えて成仏するまで、サラを見守りたい。……それと、できれば彼女の記憶だけじゃなく、魔力も封じて欲しい。いくら隠れ棲んでいても、あまり大きな魔力は、争いを呼ぶタネになるから」

 

「……失礼ですが、事情があって、あなたの事は調べさせてもらっています。あなたは人を探しているのでしょう? それに魔王との戦いは? そちらは良いのですか?」

 

「もう魔王との戦いは二の次。とにかく、サラに危ないことをさせたくないし、サラに近づく危険は排除したい。それに、私自身、魔王との戦いそのものに興味は無い。私はただ、サラに頼まれたから戦っていただけ」

 

 シズクがサラディーネの言うことを聞かなかったがために起こった不幸……それは、罪悪感をもってシズクを縛り、“サラディーネの安全”を最優先に考えるように彼女を変えてしまった。

 自分が原因で人間としての彼女は死んでしまった。それどころか、この水精……ロジェンが来てくれなければ、彼女は危うく妄念(もうねん)(まみ)れた不死者と化すところだった。

 

 ならば、自分はその責任を取らねばならない。

 サラディーネが全てを忘れて水精として生きることになったというのなら、シズクはその人生を平和に、幸せにする責任がある。

 

「人探しは……その………………ときどき留守にするかもしれないけど、その時はお願いしたい……」

 

「なんか、一気に情けなくなりやがりましたですの!?」

 

 シズクの気弱な返答に、彼女の背中から容赦ないツッコミが入る。

 その様子がおかしかったのか、ロジェンはコロコロと笑い……そして快諾(かいだく)した。

 

 

 

 

 

「……って、あれ? この流れだと、わたくしもその隠れ里とやらに?」

 

「……あなた、他に行く場所あるの? あるなら送るけど」

 

「あ……」

 

 両親のことを思いだしたリューナの表情がかげる。そのことから“何があったか”をなんとなく察したロジェンは言った。

 

「大丈夫ですよ。受け入れることはできますが、さすがに水精ばかりのあの場所はエルフには暮らしづらいでしょう。上層にある“水の貴婦人亭”という宿の主人はわたくしの知り合いですので、あなたを受け入れてもらえるよう、話を通しておきましょう」

 

「そ、それは助かりますの。………………って、あー!? そういえば、リシアンーっ!! あなた、今いったい、どこにいますのーーーっ!!?」

 

 

***

 

 

「……なるほど。つまり、いったん私を殺して、その魂を水精の身体に移そう、と」

 

 ティアは生前の記憶を取り戻した後、どのように自分が水精として生まれ変わったのかをロジェンやシズクから聞くことで、自身の過去の全てを知り……同時に、残念ながら、その記憶やロジェン達の話の中に、“リウラに執着する理由”が存在しないことも知った。

 

 そんな彼女の過去を背景にした提案――“リリィの水精化”を聞き、納得がいったようにリリィが頷く。

 それならば、ぎりぎりリウラから恨まれずに済むかもしれない……リリィ本人が納得し、かつリリィがリウラをなだめればどうにかなるかもしれない、という本当にギリギリのラインだが。

 

 そして、記憶と魔力を封じられていたティアはともかく、今のリウラを上回る力を持つシズクや、シルフィーヌに匹敵する魔力を持つサラディーネの亡霊を封じたロジェンが、水蛇(サーペント)程度の魔物を倒そうとしなかった理由を、今まさにリリィは理解した。

 

 要は、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 当時のリリィは、遠慮なく魔王の魂にアクセスして魔王の魔力を放っていた。そんなリリィは、サラディーネを危険から遠ざけたいシズクや、水精達を護る立場にあるロジェンからすれば、厄介ごとのタネでしかなかっただろう。

 それでもリリィを受け入れるためには、いったんリリィの肉体を捨てさせて水精に生まれ変わらせる必要があった……そう考えれば、()()()()筋は通る……が……、

 

 

 ――()()()

 

 

(……本当に? あの天真爛漫(てんしんらんまん)なリウラさんを育て上げた人たちが……私が“魔王様の使い魔”と知っても態度を変えなかったあの水精たちが、本当にそんなことをしようと思うの?)

 

 ロジェンやシズクを含め、リリィが知る水精達のイメージとの乖離(かいり)が、あまりにも酷すぎる。話の筋は通っているはずなのに、まったく納得することができない。

 むしろ、水蛇の件も、今回の件も含めて『リリィを殺す』という言葉が、何かの言い訳のように聞こえる。

 

 そう、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……

 

 

 ――リリィが感じている“違和感”……それは大正解である

 

 

(……違和感は覚えてるわね。でも、()()()()()()()()()()()()()()()()……)

 

 ティアは心の内で、もどかしさに歯噛みする。

 

 リリィは10歳前後の見た目からは想像もできない程に(さと)い子だ。

 ディアドラの“誘い”を聞いたり、彼女の振る舞いを見たりしただけで、自分とリウラがどれほど危ない立場であるかを瞬時に察し、その対策を即座に考えて実行できるほどの頭の回転の速さと行動力がある。あの時は少々深読みしてしまったようだが、それでも常識外れの洞察力だ。

 

 しかし、いかにそのように聡い彼女と言えど、目の前にシルフィーヌ達への完全勝利がぶら下がっている状態で、他のことに全力で気を回すことは難しいようである。

 

 水精達の性格を知っていることから、“リリィを殺す”という態度に違和感を覚えることはすぐにできたようだが、そこから先に思考が進んでいない。

 いつもの彼女であれば、この話の矛盾に気づき、そこから“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、ということに気づいていただろう。かなりギリギリまで分かりやすくしたつもりだったのだが、それでもリリィは気づけなかったようだ。

 

(……“嘘だ”と気づいてさえくれれば、リリィなら“そんな嘘をつかなければならない理由”にまで踏み込んでくれるはず。そこまできたら、“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……!)

 

 本来であれば、ティアがリリィにこのような嘘をつく理由などない。この戦いの勝者であり、自らの死を恐れるリリィが、“いったん自分が死ぬ”などという提案を受け入れる訳がないからだ。

 

 時間稼ぎ、というわけでもない。もし時間稼ぎをするならば、もっとマシな話題がいくらでもあるし、そもそも嘘でない話をすれば良い。人が嘘をつくのは、()()()()()()()()()()()つくのだ。

 

 

 ――そして、その嘘を聞かせる対象がリリィでなければ、いったい()()聞かせているのか?

 

 

 そこにまで考えが至れば、リリィから内緒話を持ちかけてくれる……という、ティアの期待は残念ながら叶えられることなかった。

 

 

 

(……とりあえず、後でお姉ちゃんの前で、もういっぺん同じことを言ってもらおう。お姉ちゃんなら、嘘かどうか分かるかもしれないし)

 

 かつてリリィの嘘を一発で見破った姉の勘を後で頼ろうと決め、リリィは話を先へ進めてしまったからだ。

 

「まあ……却下ですね」

 

「……でしょうね。そもそも死ぬのが嫌で、“魔王の封印を解こう”だなんて大それたことをするために里を出たんだもの。『後で生き返らせてあげるから死んで?』なんて言われて頷けるわけないわよね」

 

「いえ、それもあるんですけど……」

 

「?」

 

 言いにくそうにしているリリィを見て、ティアは不思議そうな表情をする。

 最後に会った時は、ただひたすら『生きたい』と全身で叫んでいたリリィが、それ以外の理由を持つ想像がつかなかったのである。

 

「私、やっぱり魔王様と……お父さんと暮らしたいんです」

 

「……」

 

「もちろん、まわりの人に迷惑をかけるつもりはありませ「いや、オマエ今まさに」()()()()()()()()()()()ありません! 方法については答えられませんが……できる限り、静かに、穏やかに過ごせたらと考えてます」

 

「はぁ? オマエ何バカなこと言ってんだ? 人間なんかに気ぃ使って生きて何が楽しいんだよ? だいたい、アイツがそんな風に生きられるとは絶対思えないね!」

 

「そうやって好き勝手生きてきた結果が今の状況でしょ? なに? ブリジットは自分も魔王様と一緒に封印してもらいたいワケ?」

 

「んだとぉっ!?」

 

 ぐりごりぐりごりぐりごり……!

 

 リリィとブリジットが青筋を立てつつお互いの額を擦り合わせて、仲良く喧嘩している様子を見ながら、シルフィーヌは静かに驚いていた。

 

 

 ――こんな魔族もいるのか、と

 

 

 シルフィーヌが知る典型的な魔族は、まさにブリジットのような魔族だ。

 傲慢(ごうまん)にして自信家。己こそがルールであり、他者を(おとしい)れることを嬉々として行う、悪そのもの。

 彼らに対して対話などもってのほか。(だま)されて食い物にされるか、問答無用で襲われるかしか有り得ない。

 

 ――だが、この幼い睡魔の少女は違う

 

 彼女は、ただ“生きたい”だけだ。

 家族との平穏な生活……そんな誰もが望み、場合によっては貧しい平民ですら得られるささやかな願い。それを叶えるために、彼女は今、命を懸けて戦っている。

 

 もちろん、一国を滅ぼし、多くの命を奪った魔王を復活させることなど、ましてやそのために一国の王女を襲うなど、決して許されることではない。

 しかし、“家族と共に生を全うしたい”という願いは理解できる……そう、()()()()()のだ。

 

 例えば、人間族が彼女と同様の状況に置かれたとしよう。その場合、彼女のように、一国の王女を襲ってでも家族を助けようとする人物は1人もいないだろうか?

 ……そんなことはない。決して多くはないだろうが、1人や2人どころの話ではなく、相当な数が出てくるだろう。つまり、

 

 

 ――彼女の価値観は、極めて人間族に近い

 

 

 そして、価値観が人間族に近い、ということは――

 

「そ、それで……お話はそれで全てですか?」

 

 ブリジットと頬やら髪やらを引っ張り合いながらリリィが言うと、ティアはこう言った。

 

「待って、あと1つ。この娘……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 ――交渉の余地がある、ということを意味していた

 

 

 



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第六章 3つの賭け 中編

「この()に……シルフィーヌに、あなたと交渉するチャンスをあげて欲しい」

 

「サ、サラディーネ姉様!?」

 

 突然振られた予想外の展開に、シルフィーヌは目を白黒させる。

 

「交渉ですか? この状況で?」

 

 未だシズクとリウラが戦闘中とはいえ、ティアとシルフィーヌという頭をしっかりと押さえたリリィ達は完全な勝者だ。交渉をするも何も、まず間違いなくリリィ側の要求はほぼ全て通り、逆にシルフィーヌ側の要望は全て跳ね除けられるだろう。

 

 仮にシズクがリウラを押さえたとしても、おそらくティアとリウラを人質交換すれば、それでおしまい。リリィの手元にはシルフィーヌが残る以上、どうしたって交渉はリリィの思い通りに進んでしまう。それが分からないティアではないはずだが……。

 

「ええ、お願い」

 

 なぜか、彼女は自信ありげにそう言った。いったい彼女が何を考えているのかリリィには分からないが、この状況で何ができるとも思えない。

 

 リリィは面倒くさそうに溜息をつく。

 

「……わかりました。それで貸し借り無しですよ?」

 

 そう言ってシルフィーヌと向き合うリリィ。

 

 しかし、シルフィーヌもリリィと同様の見解を持っている上に、そもそも彼女は外交関係について多少の知識は有れど、経験はほぼ無きに等しい。

 もともと病弱であまり政治の表舞台に立てていなかったところに、魔王との戦いで第一王女(サラディーネ)を失い、第二王女(セリハウア)がゼイドラム王家へ嫁に行った後、すぐに魔王との戦いに身を投じているからだ。

 この状況から、何をどう交渉してよいかさっぱりわからず、彼女は途方に暮れた。

 

「姉様……その、わたくしよりも姉様が交渉した方が……」

 

「シルフィーヌ……いえ、()()。今の私は水精(みずせい)ティアであり、ユークリッド第一王女のサラディーネは既に死んでいます。私はユークリッドの手助けはできても、国そのものを動かすことはできません。ユークリッドの代表としてリリィと交渉できるのは、あなたしかいないのです」

 

「そんな……!?」

 

「大丈夫、ヒントは既に出揃(でそろ)っています。姫様なら、それに気づけるはずです」

 

「ヒント……?」

 

 信頼する姉の言葉を信じ、シルフィーヌは必死に今までのリリィとティアのやり取りを思い出す。

 

(……そういえば、『静かに、穏やかに暮らしたい』って……)

 

 リリィの望みは、魔王との静かで平穏な暮らし。だからこそ、可能な限り人間と争うことを避けたいと考えている。

 

 今、こうしてシルフィーヌ達を襲ったのは、あくまでも“魔王の封印を解くために必要だから”であり、だからこそこうしてシルフィーヌ側の人的被害も可能な限り抑えようとしている。

 先ほど大怪我を負ったサスーヌをはじめとする負傷者たちを、拘束しつつも戦闘終了後に迅速(じんそく)に治療していた様子から見てもそれは明らかだ。

 

 ただし、それを逆手に取って、“私達を解放しなければ、各国の勇者達にお前の討伐を依頼するぞ”といったような脅迫に類する手段を使うことはできない。

 

 今この場でそれをすると、せっかくリリィがブレーキを踏んでくれているのに、危機感から、逆に思いきりアクセルを踏ませてしまう恐れがあるのだ。

 “この場の全員の記憶を消される”くらいならばまだいいが、最悪、シルフィーヌから封印に関する記憶を抜いたうえで、絶対に勇者達に状況を伝えられないよう、この場の全員が皆殺しにされてしまうかもしれない。

 

 勝者がリリィであり、シルフィーヌ達を自由にできる以上、シルフィーヌは下手(したて)に出る必要がある。

 つまり、リリィ達が魅力的に思える条件を提供することで、ユークリッドの益になる交渉を行わなければならない。

 

 ――“リリィと魔王をユークリッドで(かくま)う”と約束するか? ……それは無理だ

 

 到底隠し通せるものではないし、バレた瞬間に国際問題になり、外圧でユークリッドが消滅しかねない。

 いや、そもそもユークリッドは人間族の国。魔族を敵視する者達に監視された状況で、魔族である彼女達が心やすらかに暮らせるとは、とても思えない。まず、リリィは首を縦に振らないだろう。

 

 ――ならば、今ここでリリィに襲われたことを握り潰し、なかったことにしてしまうか? ……それも無理だ

 

 封印に関する情報をリリィに提供し、彼女達がユークリッドを襲撃したことを隠蔽(いんぺい)する。彼女達が魔王の封印を解いても、シルフィーヌ達は知らぬふりをする……確かにそうすれば、リリィ達の存在を明るみに出さないまま、魔王を復活できるだろう。そのままひっそりと隠れて暮らすことができれば、リリィの望みは全て叶う。

 

 だが、どうしたって人の口には戸が立てられない。外交の場で1対1で話しているのならともかく、今この状況では、この場にいる兵士も含めた誰かから、必ず“シルフィーヌが握り潰した”という情報が漏れてしまう。そうなれば、シルフィーヌは最も大切な“信用”を失ってしまう。

 

 ……いや、そもそも“国に戻ったシルフィーヌが約束を守る”と、リリィが信じてくれるとは思えない。

 魔術的な契約でシルフィーヌを縛ることはできるだろうが、それをするくらいなら、初めから交渉せずにシルフィーヌ達を洗脳したほうが、よほど信用できるだろう。

 

 ダメだ。どうしても分からない。どう考えても、交渉など成り立たない。

 それこそ、なにかしらの前提条件でも、ひっくり返さない限り……?

 

(……あれ……?)

 

 

 ――()()()()()()()()()()()

 

 

 シルフィーヌは考える。

 

 “今のままならば、絶対に交渉が成り立たない”と仮定するならば、“交渉が成り立つ状況”をまず作り上げなければならない。

 

 では、なぜ交渉が成り立たないのか?

 それは、リリィが勝者であり、シルフィーヌが敗者であるからだ。この立場を逆転させるか、最低でも対等にまで持ってこなければならない。

 

 ならば、どうすれば立場を逆転させることができるのか?

 ……可能性があるとすれば、やはり“リリィの望み”だ。

 

 彼女は、平穏に暮らすことを望んでいるにもかかわらず、父である魔王を復活させたいがために、“シルフィーヌを襲う”という、平穏とは真逆の行動をとっている。

 それを理解している彼女は、その悪影響を可能な限り低くしようと努めている。これは、リリィがシルフィーヌに対して見せている唯一の“弱み”だ。

 

 では、どうすればこの弱みを利用して立場を逆転できる?

 ……いや、やはり無理だ。そんなもの、それこそ“シルフィーヌを襲う理由そのもの”がなくなりでもしない限り――!?

 

 

 

(まさか……本当は、わたくしを……いえ、()()()()()()()()()()()()()()?)

 

 

 

 仮に……仮に、だ。

 

 魔王の封印を解くことなく、魔王が無害な存在として……そう、例えば大した力を持たない唯の水精として生まれ変わる方法があるのであれば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 シルフィーヌを襲うことなく、“父と平穏に暮らしたい”というリリィの望みは叶う。

 

 だが、本当に“ユークリッドを襲うことなく解決する手段”があるのならば、なぜティアはこの場でそれを言わない?

 

(いえ……“()()()()()()()()()、“()()()()”……?)

 

 もし、この推測が正しいのならば、ティアがその解決策を口にできないのは……

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……)

 

 ならば、ティアが今、シルフィーヌに求めているものとは――

 

 ……そこまで考えた時、

 

(……あれ?)

 

 “魔王の水精化”という案をシルフィーヌが考えていたためだろうか。ティアが話した“リリィの水精化”について、()()()()()があることに、シルフィーヌは気がついた。

 

(たしか……姉様は『リリィさんを殺して水精にする』って言っていましたけれど……)

 

 

 

 ――()()()()

 

 

 

 ティアの前世はユークリッドの第一王女だ。彼女が記憶を取り戻したこのタイミングで、“リリィを殺して水精にし、ユークリッドの危機を救おう”とティア達が動くのは、一見、自然に見える。

 

 

 しかし、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 今のティアの話を聞く限り、シズクはティアの幸せを第一に優先して行動している。

 リウラに恨まれることを覚悟でリリィを殺し、彼女を水精にしようとしても、決しておかしくはないだろう。

 

 だが、それをするならば、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ――そう、()()()()()()()()()()()()……その時に殺して水精にしてしまえば良かったのだ

 

 

 リリィとシズクが出会ったのは、“水精の隠れ里”という場所で、当時、リリィは脆弱な存在でしかなかったという。

 今のように上級悪魔クラスの力を持った後に彼女を襲うのでは、()()()()()()()()()()()()()()。抵抗され、手痛い反撃を受けることが目に見えていた。

 

 その時はリリィに対する殺意が無かった? 彼女を殺す覚悟ができていなかった? そんなことはないだろう。

 先程リリィが話していた“彼女がティア達から受けた恩”の話では、『ティアやシズクが助けに来てくれたおかげで、リリィとリウラは水蛇(サーペント)を倒すことができた』という。

 

 ――しかしそれは、逆に言えば、“()()()()()()()()()()()()()”、ということを意味している

 

 当時脆弱な存在であったリリィ達が倒せて、各国の勇者達と共に対魔王の精鋭部隊に選ばれるほどの強者であるシズクが、水蛇を倒せないわけがない。それこそ、リリィ達が倒す前に、あっさりと片づけられるはずだ。()()()()()()()()()()()()()()

 

 ということは、仮に“リリィを殺して水精にする”という話が真実なら、もうこの時すでに彼女は“リリィを見殺しにして、水精にしようとした”ということになってしまう。

 すなわち、この時点でリリィに対する殺意と覚悟があったことになり、“わざわざリリィ達が強大に成長してから殺しにやってくる”という、今の彼女の行動が完全に矛盾してしまう。

 

 もし“リリィを殺して水精にする”という話が正しいと仮定した場合、どうしてもこの矛盾を説明することができないのだ。……ならば、答えは一つ。

 

 ――“リリィの水精化”という話は真っ赤な嘘

 

 そして、リリィが絶対に受け入れないような提案でもって嘘をつく理由……それは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 ――では、その“()()”とは、()()()()()()

 

 

 

 成立しないはずの交渉。

 “リリィの水精化”、という嘘。

 

 どちらも指し示しているのは――“ティアにとって不都合な第三者が、この会話を聞いている”、ということ――!!

 

 そこに思い至ったシルフィーヌは、バッとティアを振り返る。

 それに気づいたティアは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 シルフィーヌは迷いのない澄んだ瞳でリリィを見つめ、一言お願いする。

 

心話(しんわ)をお願いします。サラディーネ姉様も一緒に」

 

「心話? 遮音(しゃおん)結界じゃなくて、ですか?」

 

「はい」

 

(……よっぽど聞かれたくない内容なのかな?)

 

 おそらく、ユークリッドにとってギリギリの交渉をするつもりなのだろう……そう判断したリリィは、シルフィーヌの望み通りにすることにした。

 

 リリィとシルフィーヌ、そしてティアは輪になるようにお互いの手を繋ぐ。

 

 心話は、別に使い魔の契約を結んでいなければ使えないものではない。

 使い魔の契約といったような、なんらかの魔術的なつながりが無ければ、魔力に乗せた声が拡散し、魔力が届く範囲なら誰にでも聞こえる状態になってしまう、というだけなのである。

 相手と接触することができるのならば、接触部分から相手にメッセージを伝えることは問題なく可能だった。

 

 これならば、遮音結界とは異なり、唇の動きから話している内容を読まれることもないだろう。

 

(……それで、お姫様は私達に何をしてくれるんですか?)

 

 単刀直入にリリィが問うと、シルフィーヌは慎重に口を開く。

 

(いえ、それよりもまず、サラディーネ姉様が“本当に話したいこと”を聞いた方が良いと思います)

 

(“本当に話したいこと”?)

 

 リリィが眉をひそめる。

 

(はい。おそらく、お姉様が本当に作りたかったのは、“絶対に誰にも盗み聞きされず、内緒話ができる、この状況”だったはずです。内緒話の場を整えるのならば、“交渉をするため”という名目が使える、わたくしから切り出すのが自然ですから)

 

(ええ、本当に良く気づいてくれたわ……ありがとう、シルフィーヌ)

 

 ティアは“リリィから内緒話を持ちかけるのは無理だ”と悟ると、今度はシルフィーヌへ水を向けた。

 シルフィーヌが言うように、“少しでもユークリッドの益になるギリギリの交渉をするため”という名目さえ与えてあげれば、今のように彼女から内緒話を持ちかけることができるからである。

 

 ティアが示した“ヒント”――“リリィの弱み”・“不可能なはずの交渉”から、シルフィーヌが“自分達の会話を聞く第三者の存在”に気づけるかどうかだけがネックだったが……勝者であるリリィと違い、敗者であるシルフィーヌは国を護るために全力で必死に考えることができ、見事、シルフィーヌは気づくことができたのである。

 

 ティアは、改めて“本当に伝えたかった話”を語る。

 

 ロジェンが人差指でティアの額に触れた時、封じられていたティアの記憶と魔力が解放されたのだが、ロジェンが行ったのはそれだけではない。触れていたところから、心話(メッセージ)を伝えてきたのだ。

 

 伝えられたメッセージは、“情報”と“要請”。

 

 ロジェンから伝えられた情報は2つ。

 

 ――黒ずくめの女に、隠れ里の水精達を人質に取られ、ロジェンがリリィ達を表立って護ることができなくなっていること

 

 ――黒ずくめは“ディアドラの邪魔をしてほしくない”……すなわち、“リリィの成長を(さまた)げて欲しくないから、ロジェンを妨害している”こと

 

 つまり、リリィ自身が動かなくても良いほど強力な助っ人が出てきたり、あるいはリリィが戦わなくても彼女の問題を解決できる手段を持つ人物に登場されると、黒ずくめが困るのだ。

 そして、リリィが隠れ里にやってきたとき、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そう、彼女は“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()”なのである。

 

 それだけの魔力があれば、ディアドラを倒すことも容易(たやす)い。リリィを(おびや)かす要因の全てを、彼女は排除できてしまう。

 だから、黒ずくめは人質を取ってまで、彼女の動きを封じにやってきたのだ。あれだけの実力を持つシズクが水蛇を倒せなかったのも、ロジェンから人質の件を伝えられていたためである。

 

 そして、リリィが魔王の魔力を放っていたことと、ディアドラの『封印を解かなければリリィは死ぬ』という発言から、“リリィと魔王の魂の繋がりを断てば問題は解決する”こともロジェンは理解している。

 

 ということは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことを意味するのだ。

 

 そう、ロジェンから伝えられた“要請”とは、“リリィを救うために、リリィとロジェンが接触する方法を伝えて欲しい”という、メッセンジャーの役割をティアに願ったのである。

 

 だが、それを馬鹿正直にリリィに伝える訳にはいかない。

 別の場所に隠れ里を移したとはいえ、あの黒ずくめは神出鬼没。新しい隠れ里の場所が知られていることは充分に考えられるし、どこで聞き耳を立てているかもわからない。

 

 もし黒ずくめが“リリィとロジェンが接触する”という情報を知れば、ロジェンに行動させないよう、再び力なき水精達を人質にとるだろう。場合によっては見せしめに1人2人殺してしまうかもしれない。

 

 ティアがリリィと接触するだけでも、非常に危険だ。

 突然ティア達がリリィ達に接触してくれば、真っ先に“ロジェンからのメッセンジャーではないか?”と彼女は疑うだろう。では、どうすればいいか? 

 

 ――1度、リリィ達と敵対すればいい

 

 リリィの成長を望む黒ずくめならば、シルフィーヌ並みの魔力を持つティアとの戦闘は、大いに歓迎するだろう。ティアの前世がユークリッド第一王女であることを明かしてしまえば、ユークリッドを襲うリリィと敵対しても怪しまれることは、まずない。

 さらにリリィへの殺意を口にすれば、まさかそんなことを堂々と宣言とする者が“リリィを救うメッセージを(たずさ)えている”とは誰も思わないだろう。

 

 そして、その戦闘でティアが勝てば、戦闘不能となったリリィに直接触れて拘束魔術をかけるふりをしつつ、触れた箇所から魔力を送って気つけや回復を行い、そのまま心話でロジェンからのメッセージを伝えればいい。

 後は、そのまま心話で『自分(ティア)を人質にして逃げろ』と指示を出せば、ティアをサラディーネ本人であると認識しているシルフィーヌは手が出せないだろう。リリィは、そのままロジェンの元へ向かうことができる。

 

 仮に負けたとしても、恩義に厚いリリィと、姉妹のように仲が良かったリウラがいる以上、ティアから事情を()く必要があるため、ティアが直ぐに殺されることはないだろう。

 そこから、リリィに対する殺意を“リリィの水精化”という矛盾した話で説明することで、リリィにクロの存在を気づいてもらえばいい。後は、先の“リリィの水精化”の流れの通りだ。

 

 勝つにせよ、負けるにせよ、必ず接触の機会はやってくる。

 そこで、なんとかして“ロジェンからのメッセージがあること”を黒ずくめに悟られないよう、リリィと心話を行うことさえできれば、このようにティアはその“接触するための手段”をリリィに伝えることができるのだ。

 

 ちなみに、シルフィーヌから内緒話を切りだすパターンが最も自然だが、別にリリィから内緒話を切り出しても問題はない。ティアから内緒話を切り出さない限り、“ロジェンからのメッセンジャーである”という疑いはかからないからだ。ティアが自分から内緒話を切り出さず、リリィやシルフィーヌに気づいてもらおうとしたのは、そのためであった。

 

(リリィ。ロジェン様からの伝言を伝えるわ。『このティアの話を聞いた後、()()()()()()()()()()()()()……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そうすれば、わたくしが貴女(あなた)と魔王の繋がりを断ち切って差し上げます』……以上よ)

 

 リリィは再び眉をひそめる。

 

(結成当時……? メンバーを名前で指定せずに、時期で指定するの?)

 

 つまり、それはアルカーファミリーを結成した当時に在籍していたメンバーであれば、全員が知っている“何か”がある、ということ。

 16年前ということは、ヴィアやリューナは知らず、ブランや……獣顔で年齢が分かりにくいが、おそらくヴォルクも知っているのだろう。ヴィアの母であるミュラは、当時の年齢を考えると微妙なところか。

 

 リリィは、ふとあることを思いだす。

 

(……そういえば、たしか今のヴィアの年齢は16だったよね。……っていうことは、“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……?)

 

 ……ダメだ。これ以上は情報が少なすぎてわからない。

 

 そうリリィは判断して、“不自然な条件”に対する思考を切り上げる。

 重要なのは、そちらではない。……この話の真偽だ。

 

 リリィが魔王の肉体を解放しようとしていたのは、単純に魔力タンクが欲しかったため。

 そして、魔力タンクが欲しかったのは、魔王との魂の繋がりを切り離すため、そしてディアドラを撃退する強さを得るために膨大な魔力が必要だったから。

 

 もし、ロジェンに魂を切り離せるだけの魔力があった場合、彼女と接触できれば、問題はほぼ解決である。

 それだけの魔力があれば、ディアドラを撃退することも容易い。仮に人質の件からロジェンが撃退できなくとも、ロジェンから魔力を分けてもらえば、リリィ自身で撃退が可能だ。魔王の魂をリリィから分離することも、彼のために新しい肉体を創造することもできる。

 もしこの話が本当ならば、リリィがシルフィーヌ達を襲う必要性はほぼなくなる。

 

 だが、ティアは、ユークリッド第一王女 サラディーネが水精として生まれ変わった存在だ。

 ユークリッドを、そしてシルフィーヌを救うため、リリィに嘘の話を吹き込んで危機を切り抜けようとする可能性は充分にある。

 

(……いや、それはないか)

 

 リリィは、少し考えて、その可能性を否定した。

 

 もしリリィを騙すのなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()。“黒ずくめの女”などという、いかにも怪しげで正体不明な人物を使って言い訳などするはずがない。

 

 そして、事実、リリィはその黒ずくめの女……クロの存在をヴィアから聞いて知っているのだ。

 ブリジットと自分を争わせようとしたところも、ティアの言う“リリィの成長を望む”という特徴にピタリと合致している。真実と判断して良いだろう。

 

 つまり――

 

 

(その……()()()()()()()()()()()()()。自信はありませんが、なんらかの形で必ずお詫びしに伺いますので、()()()()()()()便()()()()()()()()()()()()……?)

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 そう、“リリィがシルフィーヌを襲う必要はなかった”と明らかになれば、極めて人間族に近い価値観を持ち、かつ“穏やかに暮らしたい”と願うリリィは、シルフィーヌに対し“今回大暴れした件を穏便に納めて欲しい”と願い出ざるを得ない……()()()()()()()()()()()()()

 

 ちなみに、この交渉に対してティアが干渉するつもりは全くない。これだけユークリッド側が有利なのだ。よほどリリィを追い詰めない限り、どう転んでも、まずいことにはならない。

 シルフィーヌに交渉の経験を積ませる良い機会なので、彼女に任せて自由に交渉させようと、ティアは考えていた。

 

 交渉どころか、むしろ平謝りに近い状態になってしまったリリィに対し、シルフィーヌは全く責める様子を見せず、逆に笑顔を見せて()()()をした。

 

 

 

 

 

(でしたら………………()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?)

 

 

 

 

 

(………………え?)

 

 何を言われたのか分からず、リリィが硬直する。

 ティアもこれは予想外だったのか、口をあんぐりと開けて呆けていた。

 

(わたくしは“魔族”というものを(うわさ)でしか知りません。そして、それらの噂は決して良いものではありません。……でも、私はリリィさんを見て、“魔族”の方々がそうした噂に当てはまる方ばかりではないことを知りました)

 

(だから、知りたいのです。リリィさんのことを。そのために、どうかわたくしとお友達になっていただけませんか?)

 

(え、あの、その……今、私達、お姫様達を思いっきり攻撃しちゃったんですけど……)

 

 不敬どころではないドえらいことをしでかしているのに、友人になどなれる訳がない。

 リリィがそう言うと、シルフィーヌはニコニコと笑顔を(くず)さずに言い放った。

 

 

 

(あら? “()()()()()窮地(きゅうち)()(おちい)()()()()()()()()()首魁(しゅかい)()()()()()()()()()()”……魔族の方と友人になるのに、こんなに説得力があって英雄的(ヒロイック)なお話が他にありますか?)

 

 

 

「「!?」」

 

(……こ、このお姫様…………意外と腹黒い!?)

 

 まさか、こちらがユークリッド軍を制圧したことを逆手に取るとは思わなかった。

 たしかにこの方法ならば、ユークリッドのメンツをつぶすことなく、穏便に納めることができる。

 

 横目で見れば、ティアが『育て方を間違えたかしら……いえ、政治家として考えればむしろ……でも……』と珍しく頭を抱えている。

 どうやら彼女にとってもこれは予想外らしいが、今しがたティアの策謀の解説を聞いたリリィからしてみれば、原作のシルフィーヌにないこの腹黒さは、間違いなく生前の彼女の影響だった。

 

 ニコニコと微笑むシルフィーヌに対し、動揺し、うろたえるリリィ……心話を聞くことができない周囲の者たちには、その交渉の内容を知ることができないものの、交渉がどちらに有利に進んでいるかは、その表情を見るだけでも明らかだった。

 

「「「!?」」」

 

 リリィが返事をする前に、突如として迷宮に巨大な魔力が生まれる。

 魔力に敏感な者達が一斉に向いた方向はリウラとシズクが戦闘を続けているであろう、“聖なる地底湖”のある方角。

 

 

 その魔力は、あろうことか()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「な、なんだよこの魔力……!? 魔王(アイツ)よりデカいじゃないか!!」

 

「これは……!?」

 

 ブリジットが動揺に声を震わせ、冷静沈着なオクタヴィアが戦慄(せんりつ)に思わず声を上げてしまう。

 そう、リリィやブリジット、シルフィーヌが知る()()()()()()()()魔力が現れたのである。

 

「――お姉ちゃん!」

 

 当然、そうなればリリィは落ち着いてはいられない。

 最愛の姉のすぐ(そば)にこんな物騒な魔力が現れたのである。すぐに救出に向かおうと翼を広げたその時、

 

「リリィ!」

 

「お姉ちゃん!」

 

 巨大な水の(バルーン)に、エステルを含めた人間族の兵士達をこれでもかと詰め込み、泡の片面から勢いよく水蒸気を噴射(ふんしゃ)しつつ、こちらへと宙を()けてくるリウラの姿をリリィは(とら)えた。

 

「お姉ちゃん! 何があったの!?」

 

「わからない! 背中から触手が生えてておっきい剣を持った女の人が、何もないところから急に出てきて、いきなり私とシズクに攻撃してきて! ……今はシズクが押さえてくれてるから、シズクが逃げられなくなる前に早く逃げよう!」

 

 よほど慌てているのだろう、泡を大急ぎで解除しつつものすごい早口でまくしたてるリウラに、リリィは即座に頷く。

 その触手女が何者かは分からないが、魔王以上の魔力を持った化け物など、相手にしていられない。

 

「お姫様! 魔王様以上の化け物が来てるみたいだから、すぐに全員逃げ……ッ!?」

 

 その瞬間、

 

 ――リリィが、

 ――リウラが、

 ――ティアが……大きく目を見開いた

 

「うそ……」

 

 呆然とリウラが(こぼ)したことで、リリィは自分が今感じたものが現実であることを確認した。

 

 

 

 ――シズクの気配が………………()()()

 

 

 

 それだけではない。シズクが押しとどめていたはずの巨大な魔力がゆっくりとこちらに向かってきている。

 この状況が何を意味しているか……リウラ達に分からないはずがなかった。

 

 ガシィッ!

 

 リリィは慌ててリウラの腕を掴む。

 リウラが必死の形相でシズクの方に向かおうとしたからだ。

 

「離してリリィ! お願いだから!」

 

「今行っちゃダメだよお姉ちゃん! 時間を稼いでくれたシズクさんを無駄死にさせる気!?」

 

 リリィの言っていることは正しい。

 

 この状況で、シズクがわざわざ気配を消して敵を通す理由なんて無い。

 リウラが助けに行ったところで、おそらくシズクはもう死んでいるだろうし、狙われているであろうリウラが自ら敵の近くへ行くなど、シズクが命を懸けて作ってくれた逃げる時間を無駄にする愚かしい行為だろう。だが――

 

 くるり、とリウラが手首を返す。

 すると、力点をズラされたリリィの(てのひら)は、あっさりとリウラの手首を離してしまう。

 

「リリィの言ってることは正しいよ。すっごく正しい。でもね……」

 

 言葉の端々(はしばし)からひしひしと伝わってくるリウラの怒り。

 リリィがこれを感じたのは二度目だ。

 

 

「……そうやって、すぐに諦めちゃうところは………………私、嫌いだな」

 

 

 一度目はリューナを見捨てた時だった。

 喧嘩したのも、その時以外に無い。

 

 基本的に物事にとらわれないリウラが明確に譲らないこと、それは――

 

「リリィ……リリィはどうして今、ここでこうして生きていられるの?」

 

「それは……お姉ちゃん達が助けてくれたか「だったら!!」」

 

 リウラの声に悲しみの色が混じる。

 

「だったらどうして……“同じことをしてあげたい”って思えないの?」

 

 ――誰かの命がかかわった時だ

 

「そ、れは……」

 

 姉の真剣な問いに、リリィは自問する。

 

 仮にシズクの立場にリウラが立っていたとしよう。その場合、自分はどうしていたか?

 ……決まっている。間違いなく今のリウラと同じように皆の制止を振り切って、姉を救いに飛び出していくに違いない。

 それなのに、なぜシズクの場合はあっさりと見捨てられるのか。

 

 答えは簡単だ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……それだけである。

 

 たしかに、シズクは親友を魔王に殺されているにもかかわらず、隠れ里にリリィが住むことを許してくれたのだろう。

 それどころか、先程のティアの心話によれば、本当にリリィが水蛇に殺されそうになったら、なんとかしてクロにバレないように助けようと、必死に頭を回転させ、細心の注意を払って全力で集中してくれていたという。

 

 しかし、師と弟子として長い付き合いがあったリウラと異なり、リリィとシズクの接点はほとんど無い。魔王の魔力を放つリリィを警戒して、シズクの方からリリィと距離を置いていたためだ。

 ティアの話を聞き、シズクから受けた恩義が少なからずあることを知ったものの、あまりにも彼女と接触した時間が少なすぎて、まるで紙の上の人物のように実感が湧かないのである。

 

 だが、リウラは違う。

 

 彼女は、出会ってから1日しか経っていないリューナの命の危機にさえ、自らの危険を(かえり)みずに立ち上がる人物だ。そんな彼女が、師として多大な恩があるシズクを見捨てることなど決してできはしないだろう。

 

 リウラの強烈な視線に射抜かれてうろたえるリリィに、予期せぬ人物から声が掛けられる。

 

「大丈夫。おそらく、その“シズクさん”は無事です」

 

「へ?」

 

 声をかけてきたのは、リウラが初めて見る人物……軽甲冑(けいかっちゅう)を纏った黒髪長髪の美しい人間族の女性――セシルであった。

 

「ツェシュテル」

 

 そうセシルが呼びかけると、セシルの魔導銃(まどうじゅう)の銃床がパカリと開き、中からずるりと銀の液体が溢れると同時、瞬時に形と色を変え、人形のように小さな少女へと姿を変えた。

 紫がかった銀髪に、黄金の瞳、背からは鴉のように真っ黒な翼が生えた褐色(かっしょく)肌の、可愛らしくもどこかふてぶてしい雰囲気を持つ少女であった。

 

「はいはい、たった今解析完了したわよ。強制転移と(おぼ)しき空間の波を追跡した結果、その転移先は地下730階付近。ちょうどそこに、さっきの水精の魔力が観測されたわ。大きさ・質ともにその“シズクさん”と一致してるわよ?」

 

 その言葉にリリィとリウラは目を見開き、そしてリウラはその言葉に嘘はないと信じたのか、あからさまにホッと肩の力を抜く。

 

 だが、逆にリリィは警戒の目をその小さな少女――ツェシュテルに向ける。

 

 

 ――あれはいったい何だ? 小型の魔族? それとも小人族と魔族のハーフか? いや、最初の液状化した状態を見るに、水精やプテテットの亜種か?

 

 ――転移なんてほんの一瞬。“空間の波を解析する”なんて特殊な術式を間に合わせるには、事前に用意しておかなければならないはずなのに、それを間に合わせることができたのは何故だ? まさか“常時展開していた”とでもいうのか?

 

 ――地下730階? ここは大体地下290階くらいだぞ? どうして、そんな深くまで魔力を探知できる?

 

 

 リウラやアイも常識外れの存在だったが、この少女はそれ以上だ。いくら警戒しても、しすぎるということはないレベルである。

 

「そんで、その下手人は――」

 

 スッとツェシュテルがその小さな手を壁に向けると、セシルの魔導銃にも劣らない高出力の魔力砲をその人差指から吐き出した。

 やや青みがかかった白色の魔力光が空間を舐めた後、そこにはぽっかりと壁に空いた大穴と……

 

 

 

「いや~、まいったッスねぇ……どうしてバレたんスか?」

 

 

 

 その前に立つ、ボロボロになった黒布を(まと)った1人の女性の姿があった。

 

 

***

 

 

「あ、アンタ……クロ!?」

 

「お久しぶりッス、ヴィアさん。1ヶ月ぶりくらいッスか?」

 

 ヘラヘラと笑う黒ずくめの女性、それはかつてリューナを(さら)い、ブリジットへと売り飛ばしたヴィアの怨敵(おんてき)である何でも屋であった。

 彼女はセシルに目を向けるとこう言った。

 

()()()()()もお久しぶりッス。()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 リリィは猫耳を揺らして耳を疑う。

 偽名を使っていたことはいい。それよりも、この一見人間族にしか見えない女性が数百年を生きているということが信じられない。

 

 人間族が数百年を生きる、ということ自体は実は可能である。それこそ、別の種族になったり、特殊な神の加護を得たり、多くの魔力を得て身体になじませたりと方法は様々だ。

 しかし、そのような場合はどうしても“人間族ではない”気配がしたり、巨大な魔力を感じたりと何らかの異常をリリィは感じられるはず。ところが、彼女からはそれが全く感じられないのだ。

 

「……その名前は捨てました。今は“セシル・トープ”と名乗っています」

 

「おや、あんなにこだわっていた“ザイルード”の姓すら捨てるなんて相当ッスね。いったい、どんな心境の変化があったんスか?」

 

「あなたには関係ありません。それよりも、あの巨大な魔力……あれは貴女の仕業(しわざ)ですね? ニア」

 

「それは“()()”じゃなくって“()()”ッスねぇ……いや~成長しましたねぇ、見違えるほどッス。空間迷彩で誤魔化せないわけッスねぇ……。やれやれ、せっかく正体を隠してたのに、まさか私のことを知ってる人がやって来るなんて、予想外にも程があるッスよ」

 

 クロ……いや、ニアは観念したように肩をすくめると、己の右肩の黒布をグッと握り、バサリと放って己を覆う黒布を脱ぎ捨てた。自分を知る人物がこの場にいる以上、正体を隠しても仕方がないと判断したためである。

 

「あ、あれは……?」

 

歪魔(わいま)……いえ、天使……?」

 

 “歪魔”とは、その名の通り空間の歪みを操ることのできる魔族のことである。

 

 生まれつき高い魔力を備えており、その多くが上級悪魔か、それを超える貴族悪魔に位置づけられている。

 その特徴は、感覚的に空間を把握・操作できること。言うなれば、水精であるリウラが感覚的に水を操れるように、彼女達は空間を操ることができるのだ。

 

 ふわりと広がり肩をくすぐるクリーム色の髪。それを覆う、2本の山羊の角のように伸びるとんがりをつけた白色の道化帽。

 赤い瞳の下、頬の片方には涙のような化粧をしており、その身を覆うモノキニのような服や、肘・膝までを覆う長い手袋やブーツも、白を基調としつつも道化師らしい派手な柄で彩られている。

 このあからさまな道化師スタイルは、歪魔族によくみられるスタイルであった。

 

 ところが、彼女の背から生える翼は美しい純白。加えて、纏う魔力も魔なるものとは正反対の神々しい聖属性。

 このアンバランスさに、リリィ達もシルフィーヌ達も、彼女がいったい何者なのか判断がつかず、皆ひとしく警戒感を高める結果となった。

 

 ただ1人、ブリジットだけがそのあまりに平坦な胸を見て、彼女に親近感を覚えていたりするのだが、これは完全な余談である。

 

「んで、これはどういうことッス? 私達は目的を同じくする同志……こっちの邪魔はしないはずじゃなかったッスか? まさか『数百年も前の話なんて忘れました~♪』なんてボケたこと言ったりはしないッスよね?」

 

「ボケたことを言っているのは、そちらでしょう? 私達のそれぞれの最終目的は全く相いれないもの。共通するのはその()()()()()……あなたはこうも言ったはずですよ? 『ただし、こちらのやり方を妨害するようならば排除する』と」

 

「なるほど? つまり……」

 

「ええ、私は私の事情でこの睡魔の()の側につきます。あなたがどういう()()()を考えていて、どうしてあの巨大な魔力の持ち主に、この娘たちを襲わせようとしているのかは知りませんが……それだけは絶対にさせません」

 

 そうセシルが宣言した瞬間、セシルの身体から莫大な魔力が吹きあがった。

 

「何、この気配……!?」

 

 今まで人間族そのものであった気配が、まるで偽装であったかのようにガラリと変わる。魔族でもない。人間族でもない。獣人族でも無ければエルフでもない、初めて感じる気配。

 いや、感覚的に言えば人間族に近いが……何か別のもの、それも人工的な何かが混ざったような気持ちの悪い気配だ。

 

「……そうッスか。じゃあ仕方ないッスね」

 

 ニヤリと笑いながらニアが手を振る。

 すると、ニアの周囲に翼の生えた人形のようなものが無数に現れた。

 

 ――傀儡使霊(くぐつしれい)

 

 自らが使役する霊を宿した、天使の傀儡人形(くぐつにんぎょう)である。

 直接的な戦闘能力は低いが、支援能力に()けており、使役者の目的や能力によって、その用途は様々に変化する。

 そして、ニアが操る場合の用途は――

 

 ブウン……

 

 

 ――高速転移する魔術起点

 

 

 四方八方に散った傀儡人形が、目まぐるしく空間転移を行って周囲を跳び回り、各々が強力な()()()魔弾を生み出していた。

 

(闇属性の魔弾!? しかも、あのスムーズかつ瞬間的な空間転移……なら、やっぱりアイツは天使じゃなくて歪魔? いやでも、だったら傀儡使霊なんて使えるわけが――)

 

 ゴバァッ!

 

 リリィ達の背後……“聖なる地底湖”の方角から岩盤が崩落する音が聞こえる。

 振り返れば、成人男性の胴ほどもありそうな巨大な触手群が、その1本1本に炎を……あるいは風を、(いかずち)を、冷気を纏いながら、こちらへと侵攻(しんこう)しつつあった。

 

 度重(たびかさ)なる急展開について行けていなかったリリィ達は、ようやく気づいた。

 悠長(ゆうちょう)にセシル達の会話を聞いている余裕などない、ということに。

 

 リリィは転送魔術で魔力回復薬を左手に()び出し、頭からその中身をかぶると叫んだ。

 

「アイ、お姫様たちが逃げる道を造って! ヴィア、お姫様たちを先導して逃がして! お姉ちゃん、私を遠距離から援護して!」

 

「って、おい!? オマエ、いったい何をするつもりだよ!?」

 

「私が、あの触手の化け物を引きつけて、お姫様達が逃げる時間を稼ぐ! それが終わったら退却、それだけだよ!」

 

「オマエ、馬鹿か!? なんでさっきまで戦ってたこいつらなんかのために(おとり)になるんだよ!?」

 

「こっちにはこっちの事情があるんだよ! ああもう、うっとおしい!」

 

「んだとぉ!? って、うわっ!?」

 

 慌てて飛び退()いたブリジットを追うように、炎を(まと)った触手が伸びる。

 ブリジットの部下を一瞬で炭化させながら伸びるそれを、ブリジットは不本意ながらリリィの性魔術(セクハラ)を受けてパワーアップしたその身体から繰り出す蹴りで弾きとばそうとするが、

 

(重っ!?)

 

 弾き飛ばされたのは触手ではなくブリジットの方。

 その巨大な質量と満ちる膨大な魔力が、ブリジットの蹴りをものともしなかったのである。

 

 リリィが、自分に向かってくる冷気を纏った巨大な触手を、逆袈裟に切り上げる。

 

「はあああっ!」

 

 ザンッ!

 

(……硬い……!)

 

 何とか触手を断ち切れたものの、その手ごたえはあまりに重い。

 ルクスリアの切れ味が悪いわけでもなければ、リリィの腕が悪いわけでもない。単純に触手が頑丈すぎるのだ。

 

 “へたに斬れば逆に隙ができる”と気づいたリリィは、できる限り攻撃を回避する方向で時間を稼ぐ。

 それを援護するリウラの技術は流石の一言で、リリィやブリジットですらあれほど“重い”と感じた触手の一撃を、彼女達より遥かに劣る魔力しか込められていない水を操ることで、流れるように人のいない方へいない方へと受け流してゆく。

 

 その隙にアイが土や岩盤を操作して道なき場所に道を造り、土地勘を持つヴィアがシルフィーヌ達を先導しようとする。

 当然、今まで命のやり取りをしていた相手の言うことなどそう簡単には信じられず、「罠なのではないか」と疑い(わめ)く人間族の兵士達も少なくなかったが、

 

「じゃあ、お好きにどうぞ。私も本当は、アンタ達の世話してる余裕は無いから」

 

 と一言残してヴィアがリリィの援護に向かってしまったことで、「お前が余計なことを言うから!」「じゃあお前、魔族の言うことを信じられるのか!?」と大パニックに(おちい)った。

 

 それを(いさ)めるべくシルフィーヌが、一喝(いっかつ)しようとしたその時――

 

「いい加減にしないか!」

 

 ――それに先んじて腹の底から出された迫力のある声が響き渡り、兵士達を一瞬で沈黙させた

 

「エステル様!」

 

 リリィにその精気のほとんどを吸われていることなどまるで無かったかのように、堂々と立って姫騎士は言った。

 

「シルフィーヌ、状況は?」

 

 シルフィーヌは一瞬考えて、すぐに答える。

 

「正体不明の天使が、触手の魔物を召喚。睡魔は何らかの事情から、わたくし達が巻き込まれないよう(おとり)を買って出ました。彼女が用意した逃げ道がこちらです」

 

 3つの短文で説明しつつシルフィーヌが指差した穴を見て、エステルは考え、すぐに指示を出した。

 

「自分が殿(しんがり)を担当する! アーシャは斥候(せっこう)を担当しろ! ヴィダル! 先頭の部隊を指揮! サスーヌはシルフィーヌの(そば)で護衛だ! 急げ!」

 

 エステルは気絶から立ち直ったばかりであるため、今の状況は何ひとつ理解できていない。

 だが、それでも今現在見聞きしたこと、そして感じた魔力から明確に分かることがある。

 

 それは、あの触手の化け物もリリィ達も、今のエステルでは敵わない強敵であるということ。

 

 見れば兵士達も死なない程度に回復されているものの、そのほとんどがエステルと同じく満身創痍(まんしんそうい)であり、半数以上が戦闘できるような状態ではない。“ほぼ壊滅”と言って良い状況であった。選べる選択肢は“撤退”以外に存在しない。

 そして、事前に確認していた迷宮の地理から考えれば、この先は行き止まりであり、逃げ道はそれこそシルフィーヌが指し示した、エステルが全く知らなかった道以外に存在しない。必然、そこを細心の注意を持って進むことしかエステルには選べなかったのである。

 

 ――ゾクリ

 

 エステルの背筋を寒気が駆け抜ける。かつてない強敵の気配に振り向くと、通路に(あふ)れる触手の中から何かがやってくるのが見えた。

 

「あれは……」

 

 当然、その様子は攻撃を(さば)いている最中のリリィの視界にも入る。そして、現れたものを見て、リリィはくじけそうになる心を必死で立て直した。

 

 

 

()()()()()……()()()()()()!!?」

 

 

 

 頭部に金の巨大なティアラのような飾りを、身には赤い衣を纏い、その背から(むし)(あし)のような触手を、スカートの中からワームのような触手を大量に生やした蒼い肌の女性が、その身の丈を超える大きな大剣を片手に構えながら、その場にいる者達を睥睨(へいげい)した。

 

 

***

 

 

 ――魔神ラテンニール

 

 世界で名を()せる回遊(かいゆう)する魔神である。

 幾度(いくど)滅ぼされようとも必ず復活する“輪廻”という、この世界でも飛び抜けて特殊な能力を持っているが、何よりも恐ろしいのはその強さである。

 

 唐突だが、『この世界で最強の存在は誰か?』と問われた場合、原作知識を持つリリィだったらこう答える。

 

 『それは、“神殺しセリカ・シルフィル”である』、と。

 

 “魔神”とは、その名の通り“神の如き力を持つ魔族”の総称だ。リリィの主である“魔王”も、この“魔神”の1柱(ひとはしら)である。

 そんな、竜族などよりも遥かに強い魔神達……彼らをまるで端役(はやく)のごとくバッタバッタと倒して無双する彼は、リリィの知る限り最強の存在だ。

 

 もちろん、前世のリリィは原作の作者でもなければ、隅々(すみずみ)まで設定を読んだわけでもないし、原作の作品群を全てプレイした訳でもないため、本当は違うのかもしれない。

 しかし、少なくとも世界的に見て、トップクラスに強い人物であることは間違いない。

 

 そして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 ――『“いくら倒しても転生し、回遊する魔神がこの迷宮に出現する”という噂を聞いていたから、ひょっとしたら、とは思っていましたが……まさか、本当にこの魔王がそうだったとは……』

 

 

 

 魔王を倒した勇者の1人の発言は、ある意味正しく、ある意味間違っていた。

 転生し、回遊する魔神は、確かにこの迷宮に出現する。

 

 しかし、それは魔王ではなかった……()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ハッキリ言おう。勝てる訳がない。

 それどころか、逃げられるかどうかすらも怪しい。

 

 そして、理解した。

 今、ラテンニールは全く本気を出していない。もし出していたなら、リリィ達などとっくに瞬殺されている。

 

 リリィ達からやや離れたところから轟音(ごうおん)が聞こえる。

 

 轟音の付近で暴れている3つの魔力のうち、2つはセシルとあの小人、そしてもう1つはニアだろう。どうやら戦闘を開始したらしい。ラテンニールほどではないが、こちらも充分化け物だ。

 1人1人がパワーアップしたはずのリリィを軽くねじ伏せられるであろう魔力……間違いなく竜族よりもさらに上だ。魔神級と(ひょう)されるくらいの力はある。

 

 両陣営の魔力の動きから、おそらくその力は完全に拮抗(きっこう)している。

 セシルとあの人形のような少女(ツェシュテル)に、リリィ達を援護してもらうことは期待できないだろう。

 

「!?」

 

 走り高跳びで背面跳びをするように、リリィが触手の間をすり抜けた時、彼女は戦慄に大きく目を見開いた。

 

 

 

 ――ラテンニールが、その大剣を今にもエステルに振り下ろそうとしていたのだから

 

 

 

 ここでエステルが殺されるのはまずい。

 

 リリィはエステルを襲ったものの、それは“充分取り返しがつく事態である”と判断していた。エステルは騎士道を重んじる真っすぐな性格をしており、原作では“無益な殺生をしない”という点でしか見られなかったものの、魔族に対してすらその誠実さは発揮されていた。

 であれば、ディアドラの一件がまごうことなき事実である以上、全てが終わった後で事情を説明して、人間達に何も危害を加えなければ、充分に信じてもらえる可能性は高い、と判断していたのである。

 

 しかし、当のエステルが殺されてしまえば、その計画はおじゃんだ。

 いかに騎士とはいえ、一国の姫が殺されれば、ゼイドラム王国も本腰を入れてリリィ達を殺しにかかるに違いない。例えそこにどんな理由が有ろうとも“仕方がない”と納得はしてくれないだろう。そうなれば人間族との和解も交渉も夢のまた夢だ。

 

(間に合えっ!)

 

 リリィは“超ねこぱんち”の要領(ようりょう)で背を魔力で弾き、強引にラテンニールとエステルの間に割り込む。そのまま突撃の勢いを利用するように、ルクスリアの刀身をラテンニールの大剣の腹に当てつつ、その軌道を縦から斜め下へと逸らすように動かそうとする……いや、動かそうとした。

 

(!?)

 

 ラテンニールの大剣は、かろうじてエステルの肩を(かす)るように逸れた。

 しかしそれは、あくまで“超ねこぱんち”の突進力の分だけだった。リリィは軌道を逸らそうとした瞬間、その剣撃のあまりの威力に、衝撃で全身が一瞬にして痺れ、硬直してしまったのである。

 

(しまっ……!!)

 

 その致命的な隙を見逃してくれるはずもなく、ラテンニールは無造作に回し蹴りを繰り出し、それをリリィはまともに腹にくらってしまう。

 

「がっ……!?」

 

 ズゥン……ッ!

 

 迷宮が振動する。壁面に巨大なクレータを作ってめり込んだリリィは、大量の血反吐(ちへど)を吐き出した。

 

「ぁ……ぅ……」

 

 リリィから感じられる魔力が急速に小さくなっていく。

 彼女の視界はぼやけ、意識は今にも途切れる寸前。完全な致命傷であった。

 

「ごふっ……!?」

 

 同時、リリィへ向かう触手を少しでも減らすべく、自身も(おとり)として動いていたヴィアは、主であるリリィが致命傷を負ったことにより、そのフィードバックを受けて大量の血反吐を吐き、地に倒れ伏した。

 

(あんの……バカ……!)

 

 パワーアップして気が大きくなっていたのか、それともルクスリアの性能を信用し過ぎたのか。あんな災害の前に飛び出すなど、どんな理由があってもやってはならないことだ。

 例え、人間族との和解が不可能になったとしても、自分の身が可愛いのならばエステルを助けるべきではなかった。ヴィアは意識を薄れさせながらリリィに対して内心で毒づく。

 

 しかし、リリィがエステルを助けようとした本当の原因は、ヴィアの思惑とは異なる。

 

 直前に交わされていたリウラとの会話――『どうしてリリィは人を救おうとしないのか』という言葉が、リリィに対して影響を与えていたのである。

 リリィ自身は打算でエステルを救うつもりであったが、無意識に“救えるのに救わないこと”に罪悪感を覚え、本来ならばしない行動をとらせてしまっていたのだ。

 

 ラテンニールは自らの剣が(わず)かでも逸らされたことを脅威に感じたのか、目の前で呆然と固まるエステルを無視してリリィへと飛びかかる。

 

「リリィ!」

 

 襲いかかる触手を(さば)くことに手一杯となっているリウラは一瞬、リリィを救うべきか迷った。迷ってしまった。

 

 手を抜いているといえども、ラテンニールの速度は驚異的だ。彼女のスピードについていくためには、リリィかそれに準じる魔力の持ち主が“超ねこぱんち”を扱う速度で動かなければ到底追いつけない。

 

 ブリジットやオクタヴィアは魔力の条件をクリアしているが、“超ねこぱんち”クラスの速度で動く技を持っているかが分からず、そもそもリリィのために命を懸けて動いてくれる保障が無い。

 ヴィアはどちらの条件も満たしているが、リリィが倒れたことで自身も死にかけている。

 アイはそもそも魔力が全く足りていない。

 

 リウラは魔力こそ足りないものの、極限集中状態による先読みから“彗星(すいせい)”の機動力で移動すれば何とかリリィを(さら)って逃げることができる。

 つまり、この状況で唯一リリィを救けられるのは彼女しかいなかった。

 

 ところが、今ここで触手の対応を放棄してこの場を離れてしまえば、間違いなく今避難しようとしている背後の人間達が、触手の群れに襲われて大勢死んでしまう。

 だが、今リウラが動かなければリリィが死ぬ。

 無意識に頭の中で両者の命を天秤(てんびん)にかけてしまったことで、リリィを救う時間が奪われてしまった。

 

 大剣が再び振り上げられる。

 

「だめええええええぇっ!!!」

 

 

 

 ――ドクン……

 

 

 

 リウラの中で何かが目覚めようとしたその時――

 

 

 

 ゴッ――

 

 

 

 ()()()拳がラテンニールの頬を歪め、

 

 

 

 ――オオンッ!

 

 

 

 触手の海へとその身体を弾き飛ばした。

 

「……って、ええっ!?」

 

 リウラは目を疑った。

 リリィを救けた人物は、そんなことが――魔神を殴り飛ばすなんて芸当が到底できるはずのない人物――

 

 

 

 ――アイ、だったのだから

 

 

 

 



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第六章 3つの賭け 後編

 地脈(ちみゃく)から直接精気が供給され、リリィの傷が癒えてゆく。

 

「う……」

 

 リリィの意識が徐々にハッキリとしてくる。

 

「大丈夫ですか? リリィさん」

 

「……アイ?」

 

 思わず疑問形になってしまったのは、魔神を殴った衝撃で砕け散った腕を再生しつつ、リリィを護るように目の前で仁王立ちする彼女が、リリィの知る彼女とはあまりにも異なっていたからだ。

 

 まず目に入るのは、背から生える管。

 有線式のラジコンをリリィに思い起こさせるそれは、地面から直接伸びてアイに繋がっている。

 

 次に全身の色。

 全身が土塊(つちくれ)でできている彼女は、(つね)であればそのまま土気色(つちけいろ)の肌をしている。

 だが、今の彼女は、まるで全身が鋼でできているかのような鈍色(にびいろ)であった。

 

 そして最後に、彼女の全身から立ち昇る魔力。

 “一般的なアースマンよりは優秀”程度の魔力しか無かったはずの彼女は、今やリリィに迫る魔力を放っている。

 その強大な魔力の扱いに慣れていないせいか、全身を流れる魔力にところどころ(あら)が見られるものの、その身に秘めるだけで莫大な肉体強化の恩恵(おんけい)をアイに与えている。

 

「その魔力は一体……?」

 

「リリィさん、その話は後で。向こうの雰囲気が変わりました。たぶん、今の私でもあまり持ちません。リリィさんの協力が必要です」

 

 見れば、ラテンニールの気配が荒々しくなっており、明確な苛立ちを感じる。

 完全な本気を出してはいないようだが、先程よりも攻撃が苛烈になるであろうことは容易に予測できた。

 

「……アイ、その状態、どれくらい持つ?」

 

「……ある程度は持ちます……が、たぶん、この状態に耐えられなくなるよりも、向こうの攻撃が当たって私がやられる方が、ずっと早いでしょうね」

 

「なら、お願い……3分、私抜きで持たせて。そしたら私が何とかする」

 

「無理です。私1人じゃ10秒持ちません」

 

「何でもいい、どんな手を使ってもいいから、とにかく持たせて。これ以外に方法が無いの」

 

「……やってみます」

 

 『ある程度持つ』とは言ったものの、アイの声からは苦痛の色が覗いていた。おまけに、豊かな方であるはずの彼女の表情は無表情で固定されている。

 

 どのような無茶な方法を使ってこんな極端なパワーアップをしているのかはリリィには分からないが、おそらく想像を絶する多大な負荷が彼女を(むしば)んでいるだろう。身体能力は上がっていようとも、動作そのもののパフォーマンスは逆に下がっている可能性が高い。

 そんな状態の彼女に、1人であの化け物を任せることが、無茶を通り越して無謀であることは分かり切ってはいたが、本当に()()以外に手が無いのだ。

 

 これがリリィを狙っていないのでさえあれば、人間族との和解を諦め、シルフィーヌ達を見捨てて逃げるという手もある。しかし、リリィをつけ狙うあの歪魔(わいま)もどきが送り込んできた以上、その可能性は低いと見るべきだ。

 仮に逃げられたとしても、逃げた先にニアが再び空間転移で送り込んでくる可能性が高い。“逃げる”という選択肢は封じられている。

 

 ヒュッ!

 

 リリィの動体視力ですら(とら)えきれない、信じられないスピードでアイがラテンニールへと向かう。

 

(頼んだよ、アイ……)

 

 精神を集中させ、薄く眼を閉じたリリィの足元に、淡い紫色の魔法陣が輝いた。

 

 

***

 

 

「あれは……」

 

 ゴゴゴゴゴゴゴ……! というまるで、巨大な岩弾を連続でぶち当てているような異様な音に視線を向けたセシルは、信じられないものを目にした。

 

 ラテンニールの周囲で跳び回って彼女の触手をその拳や蹴りで打ち払い、本体の剣撃を回避し続ける1体の鈍色の影。それはあろうことか、通常よりもやや強い程度の力しか持たなかったはずの女性型アースマンであった。

 

 女性型のアースマンは珍しいものの、セシルは既にそのようなアースマンを、自身の活動拠点である工匠都市ユイドラにて、1体だけだが既に目にしている。

 だから、彼女と大体同じような能力なのだろうと考えていたのだが、その予想は今この瞬間(くつがえ)された。

 

 “はぐれ”という言葉がある。

 その意味が示す通り、群れから離れた者を指す言葉だが、転じて“群れから離れて、より厳しい環境で生き抜いたことにより、通常より遥かに強力になった個体”をも意味する。

 

 特にアースマンの“はぐれ”は、別種族かと思うほど強力な個体へと昇華(しょうか)することで有名であり、その特徴として、鋼の如き硬度と魔弾の如きスピードを兼ね備えた“生ける砲弾”と化すことがあげられる。

 “硬い・重い・速い”の三拍子そろった突進は驚異の一言であり、会敵(かいてき)したものがミンチになることも珍しくはない。

 

 鈍色に変化した彼女の状態は、まさにそれだ。

 先程まで通常のアースマンであったにもかかわらず、この短時間で昇華したタネは、おそらく通常のはぐれアースマンには存在しない、彼女の背から伸びる管にある。

 セシルが見たところ、あの管から無理やり許容量以上の魔力を取り込むことによって、己を強制的に強化・昇華しているようだ。

 

 しかし、いったいどこからあれほど莫大な量の魔力を供給しているのだろうか?

 いくら“はぐれアースマン”が強力な個体と言えど、魔神と戦えるようなものでは決してない。それが曲がりなりにもあのように立ち回れているとあれば、その魔力量は相当なものだ。

 ゴーレムのように自らの意思をはく奪されているならまだしも、あんな量を無理やり供給されて正気を保っていられるのが信じられない程である。

 

 チカリ……

 

 迷宮の照明が一瞬だけ消灯する。

 それを見てセシルは“まさか”と周囲の気配を探り、そして、息を呑んだ。

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 魔力を大地に浸透させているのではない。そうであれば、土や壁は“()()”を感じさせることはあっても、“()()”を感じさせることはない。

 

 これは、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 彼女はこの周囲一帯の迷宮と同化することによって、迷宮に供給される魔力……ドアの開閉や照明、罠や転移門の作動に利用されるはずの魔力を()()……いや、()()()しているのだ。

 この巨大迷宮を運用するための魔力だ。仮に、その魔力をほぼ無制限に奪えるのであれば、その量は莫大なものになるだろう。

 

 もしこの推測が当たっているのであれば、こんなことができる彼女は“アースマン”などではない。おそらく彼女は……

 

 ニヤリ、と思わず笑みがこぼれる。

 

「……マスター?」

 

 怪訝(けげん)な顔をするツェシュテルに、セシルは新たな命を下す。

 

「ツェシュテル、あのアースマンを補助して魔神を押しとどめて。少なくともリリィが何かするまでは絶対に死守。全機能を解放しても構わない」

 

「……いやマスター、アンタ正気? アンタよりずっと弱いあの土人形に何ができるってのよ? 第一、あの魔神を押しとどめるなら、逆にあの土人形は足手まといだし。むしろ、マスターがそこの道化を押しとどめている間に、私があの()達を逃がしたほうがよっぽど……」

 

「ツェシュテル」

 

 有無を言わさぬ命令に、ツェシュテルは如何(いか)にもめんどくさそうに溜息をついた。

 

「……はぁ~あ、わかったわよ。やりゃーいいんでしょ、やりゃー」

 

 ドウッ!

 

 ツェシュテルは全身に魔力を(まと)って、凄まじい勢いで場を後にする。

 残されたのは、セシルとニアの2人。

 

「おやぁ~? ずいぶんと舐められたもんッスねぇ? 少々強くなったとはいえ、あなた1人で私を押しとどめられるとでも? ……なんだったら、こちらからおとなしく退()いてあげてもいいッスよ? そうしたら、セシルさんも向こうに行ってフォローが――」

 

「できますよ」

 

「……へ?」

 

「『私1人で、あなたを押しとどめられる』……そう、言ったんです」

 

 ニアは苛立つでもなく、純粋に疑問に思い、首をかしげる。

 

 セシルもニアも共に魔神級の力を持っている。

 しかし、ひとくちに“魔神級”といっても、その力は竜族に毛が生えたようなものから、一級神とまともにやりあえるものまでピンキリだ。

 なにしろ、神格者(しんかくしゃ)……つまりは、“神に近き力を持つ者”であり、かつそれが“人間族に敵対するもの”であれば全て“魔神”と(しょう)されるのだから。

 

 セシルの力は中々のものだが、それでもニアよりは格下。

 セシルとほぼ同格……いや、それ以上のツェシュテルのサポートがあって初めてようやく戦いになるレベルだったのである。

 ツェシュテル抜きでは、どうやってもセシルに勝ち目が有るとは思えない。にもかかわらず、この自信……

 

(はてさて、いったいどんな()()()が飛び出してくるんッスかねぇ……ん?)

 

 鎧の隙間を縫うようにセシルの手が懐へと伸び、中からグリップ状の何かを取り出した。

 先端にボタンのような物がついており、それに親指を添えていることにニアが気づいた瞬間、セシルはグッとそのボタンを押し込んだ

 

 カチリ

 

「なっ!?」

 

 

 

 ――途端、周囲に滞空していた数十程の傀儡使霊(くぐつしれい)が、一気に3倍以上に増えた

 

 

 

 にもかかわらず、動揺に目を見開き、冷や汗を垂らしているのはセシルではなくニアの方。

 逆にセシルは余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)の表情で微笑んでいる。なぜか?

 

 

 

 ――実は、これらの傀儡使霊は()()()のではない。()()()()()()()()()のである

 

 

 

 空間から取り出したように見えた傀儡使霊は、全て“(おとり)”だ。

 それらを目くらましに、空間迷彩を施した本命の傀儡使霊たちが仕留(しと)める。それが、ニアの常套手段(じょうとうしゅだん)だった。

 隠れ里でロジェンの髪を吹き飛ばしたのも、リューナを(さら)った時に彼女達に一撃を加えたのも、空間を捻じ曲げることによって姿を隠した傀儡使霊たちである。

 

 このニアが張る魔術的な空間迷彩を看破(かんぱ)し、対抗するためにセシルはツェシュテルの正確無比な探知能力を必要としていた。

 しかし、こうして視認できるようにしてしまえば、その脅威(きょうい)は半減する。

 

 そして、先程押したスイッチの効果はそれだけではない。

 

(これは……魔力が中和されてる!? 転移が……いや、空間操作ができない!?)

 

 ニアの動揺を嘲笑(あざわら)うように、セシルが種明かしを語る。

 

「実は私、昔、あなたのような人と戦うことがあったんですよ。歪魔族でないにもかかわらず神出鬼没で、自分が危なくなった途端にパッと転移してしまう非常に厄介な方でした」

 

「一般的な転移魔術とは別系統の、あまりに特殊な術だったので、残念ながらメルキアの技術だけでは対策がとれず、レウィニアの力を借りることになりましたが……その時のレクシュミ将軍が起こした現象はしっかりと分析させてもらいました。かつて貴女(あなた)と出会った時から、この現象を再現する魔導具(まどうぐ)は開発に着手していたんですよ。遅かれ早かれ、あなたとはいつか必ず敵対することになると理解していましたから。……何を企んでいるのかは知りませんが、好きに動かさせたりはしませんよ。あなたはここで、私の相手をしていてもらいます」

 

 歪魔のような恰好(かっこう)をしているニアは、その姿そのままに空間操作を得意としている。己の最も得意とする武器を封じられ、更には逃走の手段すらも奪われたのだ。

 単純な魔力量ならばまだニアの方が勝っているものの、いったいどんな魔導具や兵器が飛び出すか分からないセシルを相手に『それだけで勝てる』など、ニアは口が裂けても言えない。

 

(……ヤバい、どうしよう……?)

 

 ここ数百年は経験していなかった大ピンチに、ニアは焦りに焦っていた。

 

 自分の命の危機に? ()()()()()()()()

 この程度のピンチでおいそれと死ぬような(やわ)な鍛え方はしていない。

 

 もし彼女の内心を覗ける者がいれば目を疑うだろう。

 なにしろ、彼女が焦っていたのは――

 

(……リリィさんたち……死なないっすよね?)

 

 ()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()ということだったのだから。

 

 

***

 

 

(右、上、斜め、また右、前、下、腕を捨てて逸らす、後ろ、斜め後ろ、前、左……)

 

 ラテンニール本体とその触手が仕掛けてくる攻撃を、アイは無心で(かわ)し続ける。

 

 精気を奪って強くなるリリィをヒントに、“自分も魔力を吸収すれば強くなるのではないか”、“迷宮の魔力をそのまま自分の力にすることはできないか”と考え、土で(つく)った管を介して迷宮と繋がったアイは、その予想通りに大幅なパワーアップを成し遂げていた。

 

 しかし、その身の丈に合わない強大な魔力は、相応の負担を担い手の心身に()いる。

 全身が土塊でできたアイと言えども身体の感覚がある以上例外ではなく、常時気が狂いそうなほどの激痛がアイを襲う……いや、通常の土精(つちせい)であれば、とうに気が狂っているであろう。

 それほど大量の魔力を身に宿さなければ、曲がりなりにも魔神の前に立つことなど叶わない。

 

 しかし、かつてゴーレムに封じられ、その存在を変質させられながらも常に高出力の魔力に(さら)されていたアイにとって、この痛みは慣れ親しんだものであった。

 だからこそ、こうして正気を保ちつつ冷静に戦闘をこなすことすらできる……仲間を、リウラを護ることができる。

 アイは生まれて初めて自分をゴーレムに封じた者に、わずかながら感謝の念を覚えた。

 

 予想外だったのは自分の身体の変化だ。

 土塊でしかなかったはずの身体は、鈍色へと変化すると同時に、ゴーレムであったころ(まと)っていた鎧のように硬くなり、しかしながら羽のように身体が軽くなるという、今この場においてリリィ達を護るのにこれ以上ないほど適切な進化を遂げていた。

 

 魔神ですら捉えきれない速度で攪乱(かくらん)し、時折わざと自身の手の構成を崩して土塊を相手の目に投げつける。

 これだけで煩わしく思った魔神は、リリィからアイへと目標を変更した。

 

 そして、昇華前とは比べ物にならない程に強化された己の硬度。

 このとんでもない行動速度に耐えてくれることだけでも充分驚異的だが、それ以上に素晴らしいのはその威力。

 

 攻撃の威力とは、厳密に言えば異なるものの、非常に単純化すれば“重さ×速度×魔力(もしくは闘気)”だ。

 

 土でできたアイの身体は非常に重たい。肉体のほとんどが水でできている水精や人間族、精気でできた天使や魔族など比べ物にならない程に重たいのだ。

 そんな重量の相手が全体重をかけて突進し、ラテンニールの攻撃を回避できるほどの速度をもって、魔力強化された自分の腕が崩壊するほど全力で殴りつければ、本気でないとはいえ、強力な属性魔術に覆われた魔神の触手を逸らすことだってできる。

 

 電撃属性の触手だけは、触れた瞬間に感電して核が破壊されてしまうので、避ける以外に方法は無いが、それ以外であれば、腕が炭化しようと、凍り砕けようと、風で切り刻まれようと、すばやく腕を切り離し、廃棄すれば問題なく継戦可能だ。

 

 そう、例え身体の一部が崩壊しようとも、本体たる精霊が納められた核さえ無事であれば、土塊でできたアイの肉体は、供給される強力な魔力で増幅された回復力で、周囲から土を吸い上げて何度だろうと再構成できるのである。

 戦っている相手からしてみれば、これほどやりづらい……いや、うっとうしい相手もそうそういないだろう。

 

 『3分時間を稼げ』と言われたものの、アイは秒数など(はな)から数えていない。そんなことに気を割いた瞬間、自分は目の前の相手に粉々にされることが分かり切っているからだ。

 とにかくこの目の前の相手から気を逸らさず、周囲の触手から逃れることだけを考える。

 

 ガクンッ!

 

「ッ!?」

 

 一瞬、背中が引っ張られるようにアイがつんのめり、直後、その体色が一瞬で鈍色から元の土色へと戻ってしまう。

 

「あっ……!」

 

 アイは避けることだけに集中していた……いや、()()()()()()()()()()

 迷宮から魔力を自身に供給する土管――それが、アイの背後から回り込むように迫ったラテンニールの触手によって破壊されてしまったのだ。

 

 しまった、と思う暇も無い。

 速度を失いつつも後ろを振り向くアイの目に、己の背部……ちょうど人間族で言えば心臓を、アイならば核が納められた箇所を貫くように炎を纏った触手が迫る。

 

(だめっ……止められない!)

 

 その触手のみアイが避けられないことを先読みしたリウラが、思い切り魔力を込めて、気化しないように制御した水塊で逸らそうとするが、そんな障害など存在しないかのように、触手は自身に触れた水塊を一瞬で蒸発させる。

 

 水精の操る水は冷却属性。火炎属性とは相克する関係にある。

 そして魔神が操る炎とリウラが操る水に込められた魔力量に歴然とした差がある以上、こうなることは必然であった。

 よりによって、唯一リウラが受け流すことのできない属性の触手が、アイの急所を狙ったのである。

 

 同時に、アイが耐えられなくなったことに気づいたリリィが詠唱を中断して救出に入ろうとして……再び詠唱に戻った。

 

 

 その必要がないことが分かったからである。

 

 

「あー、ホンット世話が焼けるわー」

 

 

 ゴッ!

 

 

 眉間にしわを寄せながら軽々と魔神の触手を蹴っ飛ばした、人形のように小さな姿を見て、アイはポカンと口を開けた。

 ラテンニールも予期せぬ珍妙な侵入者に対してどう対応したらいいか考えているのか、ジッとその紫銀の髪の少女を見つめ、その動きを止めている。

 

「あ、あの……鎧の女の人はい「あ~、良いの良いの、そのマスターに言われてこっち来たんだから」は、はぁ……」

 

 ツェシュテルは『やれやれ』と言わんばかりに肩をすくめ、アイの(げん)(さえぎ)る。

 

 事情はよくわからないが、あの正体不明の天使の相手は問題なく、またツェシュテルはこちらの相手をしてくれるらしい。

 アイ達としては願ったりかなったりなので、あまりこの話題をほじくり返して相手の機嫌を損ねないようにしておく。

 

「……すみませんが、私は土の管を再作成しないとさっきの力を発揮できないんです。だから、申し訳ないけどそれまでの間アイツの相手を――」

 

「何をバカなこと言ってんの。そんなことアイツが許す訳ないでしょ」

 

 「ほら」と(あご)で示された方向を見て、アイは頬を引きつらせる。

 

 ――ラテンニールが剣を持たぬ左手を軽く持ち上げ、その手に稲妻を纏わせているのが見えた

 

 広範囲の電撃魔術は土精の最大の弱点。土塊の体内に電撃を走らせ、直接核を攻撃されればアイの消滅は必至だ。

 今の速度が落ちたアイではもちろんのこと、例え先程のはぐれ化したアイであろうと、地面から管を伝って直撃してしまう。

 ましてや、魔神の魔力で放たれる雷撃だ。その範囲がどれほどになるか想像もつかず、そうなれば詠唱中のリリィや戦闘中のリウラ達が巻き込まれてしまう。

 

 そんなアイの様子を気にも留めず、ガリガリと気乗りしない様子で頭を掻くツェシュテルは、やる気のない声で、そして嫌そうな声で一方的に告げた。

 

「んじゃ、嫌だけど……本当にマジで嫌だけど! マスターから言われたから! アンタを助けてあげるわ! 感謝しなさい!」

 

「本当に心の底から嫌そうですね!? でも、ありがとうございます! ……ってあの早く、早くしてくれないと電撃が!」

 

 今にも放たれそうになっている電撃魔術に焦りつつも、実際、本当に助かるので素直にお礼を言うアイ。

 ツェシュテルは、心底めんどうくさそうに、アイに了承の意を返した。

 

「はいはい、わかってるわよ。……“土精 アイ”を仮マスターとして登録。魔導巧殻(まどうこうかく)ツェシュテル、融装(ゆうそう)開始」

 

 

 ――ツェシュテルが融ける

 

 

 次の瞬間、銀に液状化したツェシュテルが爆発的にその質量を増加させ、あまりの衝撃的なシーンに固まっていたアイを一瞬にして飲み込んだ。

 

「って、え!? え!?」

 

 ツェシュテルだった液体に飲み込まれ、視界が真っ暗に染まったかと思いきや、突如(とつじょ)、アイの視界が元に戻った。

 

 いや、戻ってなどいない。

 愕然(がくぜん)としたアイに飛び込むのは、()()()()()()()()()()()()()

 それだけではなく、今まで聞き取れなかったはずの小さな音や、魔力の反応、熱源反応に、一定周期で放たれる電波の反射反応など、凄まじい情報がアイの頭を埋め尽くす。

 

(アイ、目を開けて)

 

 脳裏に響くツェシュテルの声に言われて、初めてアイは自分が目を閉じたままであることに気づいた。

 目を開けると、先程の光景が見えた状態で、更にもうひとつの視界を得るという気持ちの悪い光景をアイは味わう。

 そして、アイが直接自分の眼で捉えた視界に映ったのは、詠唱しているリリィやこちらの様子を伺っているリウラ達、アイの仲間のそれぞれの様子を移した拡大映像であった。

 

 そして、取り込まれたアイ自身は気づいていないが、アイを覆ったツェシュテルはシャープな銀のシルエットで描かれた全身鎧へと変化し、ラテンニールを含めた周囲の一同を唖然(あぜん)とさせていた。

 

(アイ、学の無い貴女にこの偉大なる“魔導巧殻ツェシュテル”様の説明をしている時間は無いし、説明したところで使いこなせるわけもないわ。私の(からだ)で貴女を護ったまま戦ってあげるから、そのままジッとして「ツェシュテルさん! 魔焔反応炉(まえんはんのうろ)のエネルギーをこっちに回して! 残りは鎧の強化に! 早く!」……ッ!?)

 

 ツェシュテルはうっかり忘れていた。

 融装――融合装着(ゆうごうそうちゃく)が行われると、装着者はツェシュテルを使用するための全ての情報を共有してしまう。

 もちろん、仮の主人(マスター)である以上、開示(かいじ)されていない情報も多数あるが、戦闘行動に全く支障がでないレベルの情報がアイに渡されてしまうのだ。

 

 そして仮とはいえ、マスターとして登録した者にはツェシュテルへの命令権が存在する。

 本来のマスターであるセシルが心話(しんわ)で遠隔からでも解除命令を出せば解ける程度のものではあったが、今現在ツェシュテルがその命令を跳ね()けることなどできない。

 

(何を勝手に私に命令して……!)

 

 ――永久魔焔反応炉、最大出力

 ――先程の映像情報から得た迷宮からの魔力供給量と同等の魔力を仮マスター アイへ提供

 ――並行して分析した結果から、限界値まで大幅に余裕があると推定。動作に影響のないと推測される許容値まで供給量を増加。残エネルギーは魔導巧殻ツェシュテルの強化へ

 

 搭載された魔制機構により、命令に逆らえず(いきどお)るツェシュテルの感情もしっかりと伝わってきて、それに非常に申し訳なく思いつつもツェシュテルの能力を知ったアイは興奮とともに理解した。

 

 ――これなら、3分時間を稼げる、と

 

 供給される魔力に再び全身が悲鳴を上げた瞬間、アイは再びはぐれ化し、超速で行動を開始する。

 アイの意図を理解したツェシュテルは、舌打ちをしつつもおとなしく従う。

 

 突進する全身銀色の甲冑(かっちゅう)に一瞬動揺しつつも、左の手のひらをアイに向けようとするラテンニール。

 それをラテンニールの魔力の流れや筋肉の動きから動作予測していたツェシュテルは、アイの指示を待たずに妨害する。

 

 ――格納庫より魔導熱量子砲(まどうねつりょうしほう)を1門解凍

 ――質量増加処理、問題なし。格納庫残数99。魔導熱量子砲を右肩部に装備

 ――永久魔焔反応炉よりミスリアプテテット鋼を通じた動力接続を開始……終了

 ――簡易走査開始……正常に解凍・接続されたことを確認

 ――発射

 

 アイの視界の隅にメッセージが流れ始めるや否や、アイの鎧の右肩部分が盛り上がり、一瞬にして砲門を形成し、熱線を発射。

 ラテンニールの顔面――いや、眼球を狙うように放たれた熱線を無視できないと悟ったのか、ラテンニールは素早く電撃魔術を準備していたはずの左手を持ち上げ、瞬く間に扱う魔術を切り替えて障壁を形成し、その熱線を容易(たやす)く弾く。

 

「やああああああっ!」

 

 アイは脳内でツェシュテルに更なる命令を下す。

 すると鎧の背部に推進装置が生成されて火を噴き、ただでさえ速かったアイの身体がさらに加速し……その魔術障壁に銀の籠手に覆われたアイの拳が突き刺さる。

 

 はたして、誰が予想したであろうか

 

 ――土精の拳が魔神の障壁を破壊し、その頬に突き刺さっていた

 

 

***

 

 

(アンタ馬鹿か!? よくこんな無茶に耐えられるわね! 私は元々耐えられるように設計されてるけど、アンタは違うんでしょ!?)

 

(あの、私、昔ゴーレムだったことがあって……その時、許容量以上の魔力を供給される痛みに慣れちゃったっていうか……)

 

 アイは確かにツェシュテルの使い方の全てを知った。

 しかし、それはあくまでも“情報を全て入手した”というだけのもの。言うなれば、説明書を熟読した状態とほぼ何も変わらない。

 

 そして、リリィのような戦闘センスや器用さもなければ、リウラのように戦闘中に成長できるほどのずば抜けた才能も持っていないアイは、今まで通りの戦いをすることしかできない。

 

 そう、土を操って攻撃するか……もしくは魔力で自身を強化してぶん殴るか、である。

 

 土を操るために外部に意識を向ければ、それが隙となる可能性が高いため、このギリギリの勝負では基本的に後者で戦うしかない。

 

 ツェシュテルが一度に供給する魔力量は、迷宮から無理やり盗む魔力よりも明らかに多く、アイの土塊の身体をラテンニールと曲がりなりにも戦いが成立するまでに強化してくれた。

 その魔力量は、ツェシュテルが柄にもなくアイを心配してしまうほどであり、事実、アイは先程以上の激痛に苛まれているが、それに見合うだけの効果はあった。

 

 障壁を破られたことで眼つきが変わったラテンニールの攻撃は、苛烈さを大幅に増し、触手と剣の嵐と化している。にもかかわらず、アイはそのほとんどを今まで通りに回避し、逸らし、さらには反撃して(わず)かながらもダメージすら与えているのである。

 土精にあるまじき凄まじい戦闘能力だ。

 

 アイの腕も、先程までは崩壊するまで全力で殴ってようやく攻撃が逸らせるレベルだったのに、先程以上に強化されているためか、はたまた鎧と化したツェシュテルに腕が護られているためか、今や全く崩壊することなくラテンニールの触手たちを次々と殴り飛ばしている。

 

()っ!」

 

 ……とはいえ、どれだけ速く動けようと、どれだけ正確に動作予測をしようと回避不能の攻撃はある。

 右の膝から下を粉砕されたアイは衝撃に一瞬足を止めてしまうが、それをフォローするようにツェシュテルは左腕、左大腿部に推進装置を作成・噴射し、次の攻撃を緊急回避する。

 

 ――右脚部の損傷を検知

 ――応急処置を開始

 

 アイの視界の隅にメッセージが流れると同時、アイの鎧に覆われた右足の傷口から何かがシュッと伸びたと思った瞬間、元通りとなった右足でアイは再び駆け出した。

 

 その様子を見ながら、ツェシュテルは胸中で複雑な思いを抱く。何故か?

 

 

 ――相性が良いのだ。それも、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ツェシュテルはユイドラが誇る工匠――匠貴(しょうき)セシルが、魔神アスモデウスから先史文明期(せんしぶんめいき)……この世界、ディル=リフィーナが創世されるよりもさらに前に存在した超科学技術の一部を授かったことによって生み出された、史上初の()()()()()魔導巧殻だ。

 

 魔導巧殻とは、かつてセシルが“リセル”と名乗っていた頃、彼女が所属していた国における最高機密の軍事兵器にして、エルフとドワーフ、そして先史文明期の技術がふんだんに使われた“生ける機械仕掛けのゴーレム”である。

 彼らがかつて創造したオリジナルの魔導巧殻は、それぞれが異なる神の力を発揮して戦う戦士・魔術師であると同時、軍を率いる指揮官でもあった。

 

 しかし、ツェシュテルは彼女達とは異なり、主をその堅牢な鎧で護り、戦闘に集中する主に潤沢な魔力や戦場を客観視した様々な情報を提供し、主の危機を回避するためにいざという時に自立稼働するという“サポート機能つきの魔導鎧(まどうよろい)”――それが“魔導巧殻ツェシュテル”の本来の用途(コンセプト)だ。

 

 しかし、アイの使い方はそれとは大きく異なる。

 

 実は、アイは動作予測以外の情報のほとんどを意図的にシャットアウトしている。

 自分に扱いきれる訳がない、とそれらの処理・判断を全てツェシュテルに丸投げしているのだ。

 

 実際、その判断は正しい。

 

 瞬時に情報の要不要を判断しつつ戦闘するなど、凡夫(ぼんぷ)であるアイでは相当な訓練を積まなければこなせるわけがない。

 だからこそ、最初にツェシュテルはアイに『じっとしていろ』と言ったし、自らラテンニールと戦おうとしていたのだ。

 

 ところが、そのアイの行動が結果的にツェシュテルを救った。

 

 あまりのうっとうしさに本気を出したラテンニールのスピードとパワーは、その程度では(さば)くことなど到底できないものであった。

 暴風雨のように降り注ぐ触手と斬撃の雨は、ツェシュテルの分析・推測を上回りかねない速度で襲いかかる。

 

 仮にツェシュテルが自身で回避しようとすれば、最適な回避ルートを算出する処理速度が足りず、数秒も持たずに破壊されていただろう。

 実際の回避動作をアイに任せきりにし、自身は回避ルートの算出や周囲の情報収集に集中できたからこそ、今の均衡は保たれている。

 

 そして、ツェシュテルは決して認めないだろうが……この分業体制は必然的にツェシュテルの立ち位置を“補助装置”から“パートナー”へと無意識に押し上げた。

 ツェシュテルにとっては未知のその感覚は妙にむず痒いが、決して嫌なものではなく……嫌々やろうとしていた当初とは比べ物にならない程に彼女のモチベーションを引き上げた。

 

 それだけではない。

 ツェシュテルの精神はその特殊な身体の影響で少々……いや、かなり歪んではいるものの、出自は地の精霊――つまりアイと同じである。

 

 本来の魔導巧殻――エルフ・ドワーフ製のそれらに宿る魂は元が何だったのか……それはセシルを含めた魔導巧殻の関係者しか知らない機密事項だ。

 しかし、それらが何であろうと、魔導巧殻を操れるほどの知恵を持つ生物の魂をそのまま持ってきて利用することは、工匠という立場上、倫理的に多大な問題があった。

 そこで、セシルは知り合いのエルフからアースマン作成の手順を教わり、それを利用して土精を宿すことで魔導巧殻に息を吹き込もうとしたのだ。

 

 そして、精霊を宿すためには、その器は()びだす精霊と親和性のあるものでなければならない。

 

 とある事情から生物を融合させる知識について豊富だったセシルは、その魔導巧殻の素材として、

 

 ――“質量を変化させる”性質を持つ特殊金属“Sミスリア鋼”

 ――液体金属生物である“メタルプテテット”

 ――そしてその“Sミスリア鋼”を(つく)るための知識を伝授した魔神から盗んだその肉体の一部

 

 それらを融合させた新素材“ミスリアプテテット(MP)鋼”を作成し、“生きながらにして金属(地属性の鉱物)である”という条件を満たした機械の身体に地精を宿し、ツェシュテルを誕生させたのだった。

 

 そんな彼女の身体とアイとの相性が悪いわけがない。

 事実、こうして土の代わりに“MP鋼”で代替した彼女の右足は十全に機能し、先と全くスピードも動きも変わっていない。

 お互いが同じ土精であることも影響しているのか、お互いの意思疎通・情報伝達が異様なまでにスムーズであり、本来なら有り得ないはずの互いの感情まで伝わってくる始末である。

 

(――!)

 

(ッ――!)

 

 その様はまさに一心同体、以心伝心。

 

 アイの意図を汲み、従い、フォローするツェシュテル――ツェシュテルの意図を汲み、従い、フォローするアイ。

 まるで離れ離れになっていた半身を見つけたかのように、彼女達は活き活きと戦場を舞う。

 

 ツェシュテルは忌々(いまいま)しく思いながらも、アイがツェシュテルに任せきりにせず、自らツェシュテルを()って戦おうとした理由を理解し、納得する。

 

 驚くなかれ、心を合わせた彼女達は、今や本気になったラテンニールすらも翻弄(ほんろう)する。

 輪廻転生する過程で得た膨大な戦闘経験から、幾度(いくど)かアイを捕らえることはできているものの、ツェシュテルによって行動パターンを分析されているためか、再生可能な浅いダメージしか与えられず、仕留めることができないでいる。

 

 業を煮やしたラテンニールが再び広範囲魔術の準備に入る。

 ツェシュテルが右腰部に展開した魔導熱量子砲で妨害しようとするが、何枚も重ねて展開された魔術障壁が軽々とそれを阻む。

 

((――まずい!))

 

 妨害に失敗したアイとツェシュテルは、同時にそう考えた。

 

 ラテンニールの攻撃魔術は、おそらくツェシュテルの装甲ならば問題なく防げる。

 固体としての頑強さと、液体としての流動性を(あわ)せ持つツェシュテルの特殊装甲は、物理的衝撃を吸収するだけでなく、電撃魔術を含めた様々な魔術的な作用をある程度受け流せる。

 

 さらには、内蔵された格納庫から魔術障壁系統の魔法具や魔導具を解凍・装備したり、ツェシュテル自身が魔術障壁を張れば、敵の魔術の威力そのものを大きく減衰できるのだ。

 損耗した装甲を再生する時間さえ稼げれば、全く問題はない。

 

 しかし、()()()()()()()()()()()()()()

 

 アイはこの場に居る者達を、ツェシュテルはリリィを護ることが目的でこうしてラテンニールの攻撃を引きつけている。

 アイ達に向けられた攻撃魔術の余波が彼らに及べば、その目的は果たせない。

 

(チィッ! “嵐姫(らんき)の護り”、“霊属(れいぞく)の盾”を解凍! 魔術障壁、最大出力! アイ、アイツが撃つ瞬間に突っ込んで腕を重ねなさい! 一瞬だけアイツの腕に()りついて、魔術の発動を強制的に失敗させるわよ!)

 

(わ、わかりました!)

 

 “手から電撃を放つタイプの魔術である”と分析したツェシュテルは、耐電能力を著しく高める魔法具と、装備した者を一時的に霊体化する盾を解凍。

 撃つ瞬間に結界が解除されることを見越し、魔術を放とうとしている腕に自身の腕を一時的に憑依させて乗っ取り、魔力の流れを乱して魔術の発動失敗を目論(もくろ)む。

 

 アイの纏う銀の鎧の胸の中央から、若草色で縦長の六角形の宝石が現れ、その左腕から腕よりも小さい盾が現れると、急速にその質量を増大させ、一般的な盾の大きさとなって左腕に固定される。

 

 アイは突撃するタイミングを、ツェシュテルは盾の機能を発動して霊体化するタイミングを計り、ラテンニールの動きを注視する。

 

 アイ達に向けられたラテンニールの手が巨大な雷光に輝いたその瞬間、

 

 

 

 ――その声は響いた

 

 

 

 

《我が力、我が命……全てを遮る金剛の壁とならん!》

 

 

 

 

 それは、ユークリッド王家に伝わる秘儀。

 

 今や唯一の王族となってしまったシルフィーヌを護るため、例外としてサスーヌとヴィダルに伝授されたそれは、本来の担い手である王族が、本来の目的である民を護るため、その本領を発揮する。

 

 アイ達の目の前に現れた翡翠(ひすい)色の巨大な魔術障壁。

 それは軽々と魔神の肉体の一部であるはずの無数の触手を易々(やすやす)と裁断しながら空間を区切り、魔神の放つ稲光をそよ風と言わんばかりに吹き散らす。

 

 驚くアイの目の前に、後方の景色を移した窓が拡大表示される。

 

 ――そこには、大量の魔力回復薬でずぶ濡れになった、シルフィーヌとティアの姿があった

 

 魔王が倒れることでおとなしくなったとはいえ、魔物・魔獣が棲む迷宮に出向く以上、回復薬や魔力回復薬を持って行かない方がおかしい。

 そして、最大戦力であるシルフィーヌの魔力を回復させない理由などある訳がなく、さらには避難中の自国の民を護るためにその力を使わない理由もなかった。

 

 そして、この術が2人以上の同等の魔力を持つ術者を必要とする術であるからこそ、シルフィーヌと同等の魔力を持つティアもその恩恵に預かることができたのだろう。

 仮に周りが反対していたとしても、既に彼女をかつての自身の姉だと信じ切っているシルフィーヌが強引に押し通したに違いない。

 

 

 

 ――そして、この瞬間、時間稼ぎは成った

 

 

 

 リリィの足元の魔法陣がまばゆい輝きを放つ。

 

 魔法陣から放たれる光を纏うようにリリィの姿が光で覆い尽くされ、そのシルエットが一回り大きく膨らんだ。

 リウラ達が驚愕に目を見開く間もその変化は続き、その光が弾け飛んだ時、光の殻を破って現れたのは美しい睡魔の少女。

 

 年の頃は16~17くらいであろうか。

 白のリボンでツーサイドアップにまとめられた金糸のように輝く髪は、腰のあたりまで優雅になびき、その美しい(かんばせ)は、睡魔特有の色気をかもしつつも、戦士として死線を潜り抜けてきた者にしか出せない、迫力ある“覚悟”に彩られている。

 

 スラリと伸びた手足、大きく膨らんだ胸と尻を覆うのは、白を基調とした黒のフリル付きのキャミソールドレス。

 むき出しになった肩甲骨からは、両手を広げてもなお余りあるであろう大きなコウモリの翼。

 そして、スカートから伸びる猫のような尾に、頭頂部の猫耳。

 

 それを見たリウラは呆然とつぶやく。

 

「……リリィ、なの?」

 

 以前とはまるで異なる体躯(たいく)。別人のように大きく膨れ上がった魔力。

 しかしながら、その容姿は『親族だ』と言われれば間髪入れず頷けるほどに似ており、何より個人個人で異なるはずの魔力は、あろうことか全くの同質。

 

 それらが指し示す事実は、ただひとつ。

 

 “()()()()()()()()”という、見たことも聞いたこともない魔術をリリィが使った、ということであった。

 

 

***

 

 

 ――これは、賭けだ

 

 スッと左手を持ち上げると、ふわりとルクスリアが宙に浮き、次の瞬間バシッと音を立ててリリィの手のひらに収まる。

 

 次の瞬間、リリィの意を受けたルクスリアが甘ったるい桃色の魔力を放ち、刀身の上に1匹の紅いサソリが具現化する。

 

(……身体の調子は……問題ないわね。精神が少し変異……いえ、成長しているけれど、戦闘に支障はない。どうやら1つ目の賭けには勝ったみたい)

 

 リリィが使用した魔術は一種の禁呪だ。

 一定以上の精気を得た者が上位種族へと進化する“昇華”と呼ばれる現象、それを人工的に再現する魔術である。

 

 だが、“自然物あるいは自然現象を人工的に再現した”という(たぐい)のものは、いつだって何らかの不具合を抱えているものだ。

 人工的に作りだした食物が自然界のそれと比べて健康に悪かったり、栄養価で劣っているように、この術にも致命的な欠陥がある。

 

 ――それは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ということ

 

 仮に限界までこの術で被術者を強化すれば、不老不死すら夢ではないであろう。……だが、十中八九それを施された者は、人の心も姿も失った正真正銘の化け物と化すに違いない。

 

 リリィが使った術は、精神や肉体への影響をギリギリまで抑える程度に弱めたものだが、それでもこのように急激な成長を肉体にも精神にも強いる。

 リリィの口調が変わってしまったのは、その影響だ。

 

 ちなみに、原作で成人レベルまで成長するよう術を強めると、リリィの猫耳はまるでダックスフントのように長く伸びて垂れ下がるように変異してしまうし、この術を使って昇華した魔王は巨人族のように巨大な肉体へと変化している。

 

 原作通りに昇華できるか、なんて誰にもわからない以上、へたに昇華すれば化け物になったり、精神に異常をきたす可能性もあった。だからこそ、今までリリィは自身を飛躍的に強化するこの術を絶対に使わなかったのだった。

 もしかしたら見えない部分で異常な変化を起こしている部分があるかもしれないが、パッと見たところ異常が見られない点で、まずリリィは1つ目の賭けに勝っていた。

 

 そして、2つ目。

 

「アイ! 一瞬で良い、隙を作って!」

 

 リリィの指示を受け取ったアイは一瞬でイメージを描き、ツェシュテルと共有する。

 リリィが何かをすると悟ったティアとシルフィーヌが障壁を解除した瞬間、アイの背部に装備・展開された推進装置が火を噴き、アイは一瞬でラテンニールの眼前にまで移動する。

 

 ズバッ――!

 

「アイ!?」

 

 ラテンニールの大剣に鎧ごと縦に真っ二つにされたアイを見て、治癒の羽を握り潰しながら起き上がりつつあったヴィアが目を()く。

 しかし、それは彼女の動体視力がアイとラテンニールの速さについて行けなかったが故に起こった勘違い。

 

 素早く上を向こうとしたラテンニールの顎を、鈍色の両手ががっしりと(つか)む。

 気がつけば、そこには鎧を脱いだアイが上下逆さまにラテンニールの頭上を飛び越そうとしていた。

 

 次の瞬間、ラテンニールが切り裂いたはずの鎧がどろりと融け、一瞬にしてラテンニールを追い越して再びアイを覆い、鎧を形成する。

 

 あの瞬間、鎧そのものを囮に、パクリと開いた鎧の背面からアイが飛び出し、宙返りするように振りかぶる剣の横をすり抜けてラテンニールを飛び越したのだ。

 

 魔導鎧と化したツェシュテルはメタルプテテットを基にした液体金属で創られている。

 反応炉や格納庫、ツェシュテル本体である核などの急所さえ当たらないようにしておけば、このようなことも充分に可能なのである。

 

(ズレて!)

 

 地精(ちせい)たるアイが命じる。

 

 すると起こるは地面の流動。

 人間族の戦士たちを苦しませた極小規模の超局地的な地滑(じすべ)りが、ほんの一瞬ラテンニールの重心をずらす。

 顎を持ち上げられて強制的に天井を見ることとなったラテンニールは、足元の異常に気がつくのが遅れ、バランスを立て直すために一瞬だけ隙を(さら)す。

 

 

 

 

 ――その一瞬で、充分だった

 

 

 

 

 スッ……と、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 すると、先程まで暴れに暴れていた触手が、まるで時を止めたかのようにピタリと止まり、まとった冷気や雷を消滅させた。

 

「……終わったのですか?」

 

 緊張の面持(おもも)ちを崩さずにシルフィーヌが問う。

 が、即座に否定の声が上がった。

 

「いいえ、まだよ」

 

「お姉様?」

 

「あれは、ただ性魔術戦に持ち込んだだけ。リリィがこの戦いで負ければ、アイツはまた暴れ出すわ」

 

 第2の賭け、それは性魔術戦に持ち込むための隙を作ること。

 そして第3の……最後の賭けが、この性魔術戦を制することであった。

 

 性魔術は精神戦だ。持ち込まれた瞬間に、ほぼ全ての武力的行為が“ただの精神集中を妨げる行為”にまで成り下がる。

 ラテンニールが即座にあらゆる攻撃的行動を止めたのは、それをするとあっという間にリリィに精神支配されてしまうことを理解しているからだ。

 

 同時に、性魔術は性行為による儀式……すなわち、相手を快楽の海に叩き落し、精神の制御を放棄させた側の勝ちとなる。

 単純な武力勝負では絶対に勝てないと悟ったリリィは、敵の武力を封じると同時、睡魔族(すいまぞく)たる自身の土俵にまで引きずりおろす、この性魔術戦に全てを賭けたのである。

 

 ただし、性魔術戦は“完全に純粋な精神力勝負”、という訳ではない。

 

 快楽に屈しない精神力が最も重要であることは確かだが、

 

 ――相手に、より強力な性的快感を与えることのできる技量や肉体

 ――相手の快感を増大させる性魔術や、逆に自身の快感を抑えて耐久力を上げる性魔術などの魔術的技量

 ――そして単純な魔力量の多寡(たか)

 

 など、多くの要素が絡み合って形成されている。

 

 魔力量では絶対に(かな)わないだろう。

 ラテンニールとの魔力・精神力の差を少しでも埋めるために、化け物になるリスクを(おか)してまで昇華魔術で自身を急激に成長させたものの、魔神相手にそうそう優位など取れるわけがない。

 

 が、性的技量や肉体、そして性魔術についてはリリィに軍配(ぐんばい)が上がる。

 睡魔族の肉体は、この世界の何よりも優れた性的才能を秘めている。生まれながらにして熟練の娼婦のように振る舞うことができる彼女達に勝てる者など、同じ睡魔族を除けばほんの一握りしかおるまい。

 

 そして、こと性魔術に限っては心強い味方もいる。

 

(――!)

 

 リリィの意を()んだルクスリアが刀身の連結を解除し、つい先程リリィにそうしたようにラテンニールの腕に絡みつくと、その刀身を伝うようにしてサソリの幻影が這いより、ピタリとその首に張りつく。

 

 ――そして、鋭く尖ったその尾を、滑らかな肌に躊躇(ためら)いなく突き刺した

 

「!?」

 

 ラテンニールが眉根を寄せる。

 魔剣ルクスリアの干渉により、彼女の性欲が、性感が爆発的に上昇したためであった。

 

 動揺に魔術的な防御が緩んだのを感じたリリィは、その隙にラテンニールの肉体へ自身の魔力を浸食させる。

 すぐにその浸食はラテンニールの魔力で防がれるものの、睡魔の本能に刻まれた性技がリリィの唇を、舌を、指を動かし、快楽で緩んだ精神の隙を突くように、少しずつ丁寧にその防御をリリィは崩してゆく。

 

 リリィは内心で『いける!』と確信する。

 

「グゥゥ……!」

 

 リリィに唇を塞がれているがためにくぐもった声となったが、その(うな)るようなラテンニールの威嚇(いかく)の声にリリィの背筋が冷えた瞬間、

 

 

 

 

 

 ――彼女は最後の賭けに負けた

 

 

 

 

 

 一瞬にしてリリィの魔力が押し返され、彼女の肉体がラテンニールの魔力に侵される。

 

(!!?)

 

 ラテンニールからは、全く性的快楽を(うなが)愛撫(あいぶ)など行ってこない。

 リリィの精神力を快楽などによって削ることなく、純粋な自身の精神力と魔力量だけで性魔術の支配を跳ね除けているのだ。

 

 リリィの誤算は、ルクスリアのブーストでこの魔力差・精神力差を覆せると見込んでいたことにある。

 

 一度その効果を身を(もっ)て味わい、そしてその本体を喰らって自らのものにしたからこそ理解できたことだが、この魔剣は相手の精気を吸って自らの()力を爆発的に増大させる性質がある。

 つまり、相手が強くあればあるほど、相手を性的に堕落させることができるのだ。

 事実、ラテンニールに与えている影響は甚大で、リリィの精神力がもう少し強ければそれだけでこの性魔術を制するだけのスペックがあった。

 

 だが、前世を含めてもおそらく100年も生きていないだろうリリィの精神力と、何千年もの間、戦い、殺されては生き返る人生を繰り返してきたラテンニール……どちらの精神力が上かなど比べるまでもない。

 魔神である彼女との魔力差など、比べることすらおこがましい。

 むしろ、それだけの差をギリギリとはいえ、性魔術戦を成り立たせるほどに縮ませることができるルクスリアが異常なのである。

 

 ラテンニールは、未だ右手に握り締めている大剣をギリリと握り締める。

 性魔術戦に勝利した後に、それでリリィをぶった斬る気満々だ。

 

 (どうする……!? どうすれば……!!)

 

 性魔術を中断することはできない。中断しようとした瞬間に、そちらに意識が持っていかれるため、集中力を失い、一気に身も心も支配されてしまうからだ。

 敵対的な性魔術戦が発生した場合、基本的に仕掛けた側も、仕掛けられた側も、勝敗が決着するまで中断することは不可能なのである。

 

 また、へたに周りの人たちに介入してもらうこともできない。リリィの気を散らした瞬間に、リリィの敗北が決定してしまうためだ。

 シルフィーヌ達がラテンニールを攻撃せず、リリィの性魔術を静観しているのも、その事を理解しているためである。

 

 

 ――リリィがこの状況を打開するための策を必死に考えていた、その時だった

 

 

(……ぁ)

 

(……え?)

 

 突如としてリリィの頭に響く誰かの声。

 酷く懐かしさと愛おしさ、そして崇敬(すうけい)の念を覚えるその声の持ち主にリリィが思い至る直前、

 

 

 

 

 

(アホかああああああああああああぁあああぁあぁあああっ!!??)

 

(うわきゃあああああああああああっ!!?)

 

 

 

 

 

 頭いっぱいに響き渡る怒声に、リリィの肩がビクリと跳ねる。

 そして声の主に思い当たったリリィは、あまりに予想外の人物に精神を動揺させ、わずかにラテンニールの魔力の侵入を許してしまう。

 

(ま、魔王様!?)

 

 そう、リリィに罵声を叩きつけたのは、リリィの中で眠っていたはずの魔王の魂であった。

 いったい何故? そう疑問を浮かべた瞬間にリリィは思い至る。

 

 ――リリィが行った昇華の儀式魔術……あれが、原因だと

 

 あの魔術は肉体、精神、保有する精気など、対象者の全てを強化・変異させてしまう。

 そして、その対象にリリィを選んだことで、その体内に居る魔王の魂をも昇華させてしまったのだろう。

 おそらく“リリィの肉体と噛み合わない”といった何らかの理由で今まで休眠状態にあった魔王の魂は、その魔術で昇華することで環境に適応し、意識を取り戻したのだ。

 

(貴様、わかっているのか!? 奴は私よりも格上の魔神だぞ!? 貴様ごときが多少力をつけたところで、性魔術戦で勝てるわけがあるまい!!)

 

(し、仕方なかったのよ! こんな化け物に狙われている以上、いくら逃げても無駄だし、あの歪魔っぽい天使が加担しているから、どこに逃げようと空間転移で送り込まれちゃうのよ!!)

 

(貴様、主であるこの私に向かって、その口の利き方は何だ!?)

 

(この危機の真っただ中で、魔王様が気を散らすようなことを言うからでしょ!?)

 

 魔王が指摘するのは、リリィとて重々承知している事実。

 分かりきっていることを指摘されたうえに、集中を乱されてイラッときたリリィは、反抗期を迎えた小娘のように主であるはずの魔王に噛みついた。

 

(チッ……仕方ない、貴様のしつけは後回しだ。今はとにかく、この状況を何とかするぞ!)

 

(できるの!?)

 

 ラテンニールに口づけたままのリリィの顔が喜色に彩られ、瞳に希望の光が宿る。

 

 彼女の主である魔王は睡魔族でこそないものの、性魔術の経験は百戦錬磨。

 リリィでは思いつかない打開策を立てることができてもおかしくはなかった。

 

(……期待はするな。これはイチかバチかの賭けだ。この策で、もしお前の精神が耐えられなければ……)

 

 魔王の魂からこの状況に対する忌々しさと怒り、そしてわずかな恐怖と重々しい覚悟がリリィの魂へと流れると同時、その言葉は苦渋に満ちた響きで告げられた。

 

 

 

 

 

 

(……私も貴様も……死ぬ)

 

 

 

 

 

 ふっ、とリリィの口の端が持ち上がる。

 そのリリィの感情を魂で感じたのであろう、魔王が怪訝な想いを浮かべるが、リリィはその問い(想い)には答えずに、言った。

 

(でも、やるしかないんでしょう?)

 

(……その通りだ。悠長に話している時間も無い。行くぞ、気をしっかりもて……!)

 

 次の瞬間、リリィの身体が言うことを聞かなくなる。

 

 ……いや、違う。()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 リリィの秘めた潜在能力すべてが、次々と無理やりに解放されてゆく。

 

 ――それは彼女の生存本能が定めたリミッターをこじ開ける行為

 ――それができるのは、彼女の全てを“使い魔”として支配する権利を持つ、ただ1人にのみ許された行為

 

 本来ならばおぞましく、恐ろしく思うべきなのだろう。

 だが、彼女の心に陰りは一切ない。

 

 

 前世の記憶が甦る前のように、彼の全てを全肯定することはできない。

 だが、彼こそが彼女の創造主にして、尊敬すべき魔を()べる王。

 

 ましてや、その目的が、行動が、悪しきものでなく大切なものを護るためであるならば……

 

 

 

 ――この身をゆだねることに、ためらいはない

 

 

 

「グッ!? ……ゥゥウウウウウッ!」

 

「………………!!」

 

 押し込まれかけていたラテンニールの魔力を、魔王が操るリリィの魔力が押し返し、拮抗する。

 

 リリィの手を離れたリリィの身体は、先程までの女性らしい丁寧で繊細な性技を放棄し、男らしい大胆かつ荒々しい性技を繰ってラテンニールの身体を攻め立てる。

 魔王は睡魔族ではないものの、幾人もの女性を手籠(てご)めにしてきた百戦錬磨の性豪(せいごう)だ。その技術は決して睡魔族に劣るものではない。

 

 だが、ここまでしてもラテンニールを押し込むまでには至らない。

 それ程までにラテンニールの魔力と精神力は強い。根本的な地力の差を覆すには、まだ足りないのだ。

 

「……ったく、世話が焼けるなオマエは!」

 

 ポンとリリィの左肩に小さな手が触れた途端、リリィへと大量の魔力が流れ込んだ。

 

 魔王が驚愕し、その意を反映したリリィの眼が大きく見開かれ、その手の主へと反射的に視線を向ける。

 

(……ブリジットだと!? なんだ、この魔力は!?)

 

 魔王は知らない。

 

 ――ブリジットがかつてとは比べ物にならないほど成長し、強くなったことを

 ――先のリリィとブリジットの性魔術によって、彼女達の魔力が爆発的に増幅されたことを

 

 天秤が、わずかに魔王側に傾く。

 そして、今度は右肩に触れる感触。

 

 いまだ乾いていない魔力回復薬によって濡れた、白く、細く、美しい手から、膨大な量の魔力が流れ込む。

 

 再び魔王が乗っ取ったリリィの眼が、その手の主を捉える。

 すると、彼はまたも驚愕に目を見開くことになった。

 

(……馬鹿な……シルフィーヌだと……!?)

 

 自分を封印した憎むべき敵。

 それが今、自身の使い魔の危機に手を貸しているという受け入れがたい事実に、魔王の思考が一瞬停止する。

 

「おい、いったい何のつもりだよ」

 

 ブリジットが喧嘩腰(けんかごし)にシルフィーヌに問うも、シルフィーヌは全く動じずに堂々とした(たたず)まいで言う。

 

「今ここで彼女に倒れてもらう訳にはいきません。……ここで彼女が負けたら、この魔神を野放しにしてしまう。それはユークリッドの破滅に繋がります」

 

 シルフィーヌが言ったことは嘘ではない。

 だが、それだけが目的、という訳でもなかった。

 

 ――シルフィーヌは知りたいのだ、この幼くもひたむきな魔族の少女のことを

 

 この少女に“貸し”を作りたい訳ではない。

 この少女を通して“魔族との融和”を実現したい、といった下心がある訳でもない。

 

 “ただ、知りたい”という純粋な好奇心。

 そのために、彼女はリリィを助ける。

 

 彼女は気づいていなかった。

 それが“友情”と呼ばれるものの、きっかけであることに。

 

 そして、リリィの背に、ひんやりとして弾力のある小さな手が添えられる。

 ラテンニールの口を自身の唇で塞いでいる魔王には、その手が誰の者であるかはわからず、

 

「リリィ……」

 

 声を聴いても知ることは叶わない。

 

 魔王にとっては出会ったことのない赤の他人。

 取るに足りない一介の水精の声。

 魔力を提供してくれるわけでもないその手を魔王は(わずら)わしく思うも、

 

「……頑張って!」

 

 

 

 ――彼女は、彼にとって大きな力となる

 

 

 

(……なんだと!?)

 

 リウラの祈りが迷宮に響き渡った瞬間、魔王の無理な操縦に限界を迎えようとしていたリリィの精神が一気に持ち直す。

 

(……こいつ、いったい何をした!? なぜ、我が使い魔の精神が持ち直した!?)

 

 一方、リウラのおかげで意識を失いかけていたリリィは正常な精神状態を取り戻し、状況を把握するとともに、リウラの特性の一部を理解する。

 

 ――リウラの“祈り”には力がある

 

 それは、信仰する神からの加護、といったような第三者が介在(かいざい)するものではない。

 彼女が願い、祈ったことは、実現することがあるのだ。

 

 ――アイの身体の強化を願えば、彼女は魔術を繰れるアースマンとなり、

 ――“上手くなりたい”と願えば、自身の武術や魔術の腕が上がり、

 ――“戦いたい”と願えば、自身の恐怖心を打ち消す

 

 そして、“リリィに頑張って欲しい”と願えば、“リリィが頑張れるよう、精神力を復活させる”……願えば何でも叶う訳ではないようだが、これは驚異的な特性である。少なくとも、へたにバレれば悪意を持つ者から狙われかねない程に。

 

 だが、それはひとまず置いておく。今はこの性魔術を制さなければ。

 

 ――リリィの全能力を引き出す魔王

 ――膨大な魔力を提供するブリジットとシルフィーヌ

 ――そして、リリィの精神力を回復させ続けるリウラ

 

 これだけの条件が揃ったのだ。

 いかに()高名(こうめい)な魔神といえども、勝てない訳がない。

 

(魔王様、ブリジット達のことは後で説明します! 今はラテンニールを!)

 

(……ええい、後で必ず説明しろよ!? 一気に押し込むぞ!)

 

 じわりじわりとリリィの魔力がラテンニールを侵していく。

 

 それは麻薬のように甘い蜜。

 敵対しているはずのリリィへの好悪(こうお)が反転して愛しさが膨れ上がり、彼女に対して服従することが喜びと思えてくる。

 それに屈したら終わりだと理性では分かっているものの、その理性がまるで紅茶に放り込んだ角砂糖のように(もろ)く崩れてゆく。

 

(……っ、イっけえええええぇえええええっ!!)

 

(……堕ちろぉおおおおおおおおっ!!)

 

 最後の一押しを決めた瞬間、ラテンニールがビクンと大きく痙攣する。

 性魔術戦における絶頂は敗北を意味する。この瞬間、ラテンニールはリリィ、そして魔王にどんな命令をされようと服従するようになってしまったのだ。

 

 そして、彼らが行使する命令は、主従(そろ)って完全に一致していた。

 

 

 ――私に絶対服従せよ(しなさい)

 

 

 ラテンニールの精神に(かせ)()められる。

 

 

 ――その精気を全て明け渡(しなさい)

 

 

 生存に最低限必要な精気を残して、その膨大(ぼうだい)な精気がリリィに明け渡される。

 その影響か、まるで時間を巻き戻されたかのようにラテンニールの身体が縮んでゆき、10歳前後の少女の姿へと変化してしまう。

 

 

 

 ――しかし、その後の魔王の行動は、リリィにとって意図しないものであった

 

 

 

(!? ま、魔王様!?)

 

 

 ――()()()()()()()()()

 

 

 リリィの心臓の位置からゆっくりと上り、(のど)(つた)い、唇を通し、()()()()()()()()()()()

 

「ま、待って!? 魔王様!?」

 

 迷宮にリリィの声が響き渡ると同時、シンと辺りが静まり返った。

 

 ――シルフィーヌは自身の耳を疑い、

 ――ブリジットは動揺に瞳を揺らし、

 ――リウラは目を大きく見開き、

 ――ヴィアは嫌な予感に、全身の毛を逆立てる

 

 リリィの目の前で、想像を絶する快楽に意識を飛ばしていたはずのラテンニールの眼が、ゆっくりと開かれる。

 そして、先程まで獣が(うな)るような声しか出していなかった状態が、まるで嘘であったかのように滑らかに、鈴を転がしたかのような可愛らしい声を出した。

 

「よくやった。一時はどうなることかと思ったが、なかなかやるではないか」

 

 呆然とするリリィの前で、ゆっくりとラテンニールは起き上がる。

 

「どうした? もっと喜ぶがいい。貴様の働きで、私は以前の私よりも更に優れた肉体を手に入れることができたのだ。これならば、人間どもに復讐することも容易(たやす)かろう。誇りに思うがいい」

 

 

 そう言って、リリィの瞳に映る“()()”ラテンニールはニヤリと笑うのだった。

 

 

 

 

 



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第七章 少女が告げる想い 前編

「ぬぅぅうううううんんっ!!」

 

 ギシリと筋肉が軋む音を立てて、暗緑色の剛腕が振るった三日月刀(シミター)が、直径がその刀身の何倍もあるはずの巨大な蛇の首をズバンと斬り落とす。

 

「グギャアアアアアァアァアアアッ!?」

 

 迷宮を震わす轟声を上げて悲鳴を上げ、怒り狂う7本の真っ赤な蛇の巨頭が、その牙で下手人を貫かんとまるで追尾する隕石の如く襲い掛かる。

 だが、三日月刀(シミター)を持つ男はそれらを軽々と避け、あるいはその剛腕でもって(はな)(つら)をぶちのめすことで、返り討ちにしていく。

 

 業を煮やした“多頭を持つ炎の蛇(フレイムヒドラ)”は残った(くび)の全てを大きく持ち上げ、口を一斉に開くと同時に炎を噴き出した。

 

 男の足では到底避けきれない広範囲攻撃。

 男は腹を決めると、両腕を顔の前で交差させ、己を覆う闘気を爆発的に増加させる。

 

 30秒ほどであろうか。炎を吐き終わったヒドラが警戒心を切らさぬまま、男のいた位置を(にら)みつけて様子を伺う。

 すると、炎が収まった位置に、防御姿勢のままどっしりと構えた五体満足の男の姿が現れた。

 

 フレイムヒドラのブレスに燃やされた上着が崩れて現れたのは、無駄な肉の無い筋骨隆々とした堂々たる体躯(たいく)

 2メートル近くあるそれは、その内から沸き上がる強大な闘気によって、その何倍もあるはずのヒドラにさえ劣らない、尋常ではない迫力を(かも)し出す。

 

 右手で握り締めていたが故に炎の影響をまぬがれた(つか)だけ残し、刀身がドロドロに融けて使い物にならなくなった三日月刀(シミター)を見て、男は特徴的な豚鼻をフンと鳴らすと、初めて掛け声ではない意味ある言葉を口にした。

 

「ちょうどいい」

 

 男は柄だけになった三日月刀(シミター)を肩越しに後ろに放りつつニヤリと笑い……ゴウッ! と今まで以上に激しく闘気を身体全体から噴出させる。

 

「ちょうど、武器無しで()り合う経験も欲しかったところだ」

 

 そう言って、男は……オーク族の戦士 ベリークは重戦車の如く、炎蛇の巨獣へと突進した。

 

 

***

 

 

「ここで買える1番良い剣と防具をくれ。防具は鎧でないものが良い。足りなければ言ってくれ」

 

「はい、かしこまりました」

 

 にっこりと笑って袋に入った金銀財宝を受け取り、店の奥へと向かった木精(ユイチリ)の店員を見送ると、ベリークは(あご)に手を当てて考え込んだ。

 

 ――はたして自分は、愛する睡魔の少女に届く力を手に入れたのだろうか?

 

 あの少女の鬼神の如きパワー、スピード、そして斧槍(おのやり)さばきを見て分かったことは、“少女が自分とは次元の違う強さを持っていること”……ただ、それだけであった。

 その程度しか分からない程に実力差が離れ過ぎていたのだった。

 

 並大抵のことでは少女に追いつくどころか差が開くばかりと気づいていたベリークは、己の矮小(わいしょう)な頭脳では良い案が出せないと分かり切っていたため、素直に信頼できる知恵者を頼ることにした。

 

 古今東西の情報を保有し、払うものを払いさえすれば精度の高いそれらをくれる者……貯金のほぼ全てをはたいて狼顔の情報屋から購入した回答は次のようなものだった。

 

『短期間でべらぼうに強くなる方法? アンタ、どれくらい強くなりたいんだ? ……リリィの嬢ちゃんを超えるくらい? ……アンタ、悪いこたぁ言わんからやめとけ。アレを超えようとするんだったら、それこそ命がいくつあっても足りねぇか、あるいは外道に手を染めることになるぞ? ……はぁ、わかったよ。とりあえず、もらえるもんもらっちまったから、情報だけは渡してやる。だが、それ以上の事は責任持たねぇ……ちゃんと、忠告はしたからな?』

 

『短期間で劇的に強くなる方法は大きく分けて2種類ある。技術を高める方法と、精気を高める方法だ。前者は魔術を使って相手の持つ経験を奪い、後者は何らかの方法で精気を奪う……なんで後者だけ“魔術”って限定していないかって? そりゃ、魔術以外で精気を奪う方法があるからさ……どうすれば良いか? 簡単だよ』

 

 狼顔の情報屋は、肩をすくめて事もなげに言った。

 

『――()()()()()。相手を殺してな』

 

 なるほど、わかりやすい。ベリークはそう思った。

 

 ――骨を強くしたいならば、骨を喰えばよい

 ――肉を強くしたいならば、肉を喰えばよい

 ――ならば、精気を強くしたいならば、精気を喰えばよいのだ

 

 そして、精気がその肉体に宿る以上、肉体を喰えばその精気も己のものとなる。

 とてもシンプルな理屈であった。

 

 その狼獣人(ヴェアヴォルフ)が言うには、実際にこの方法で氷精(こおりせい)レニア・ヌイが上位精霊ラクス・レニアへと昇華した事例があるらしい。

 だが、“いったいどのくらい喰えば昇華できるのか”は種族差・個人差があるため、具体的にはわからない。

 

 また、“ただ魔物を倒して喰えばよい”という訳ではなく、大量の精気を持つものを喰わなければ、いくら喰おうとも強くなどなれない。

 そして、“大量の精気を持つ”ということは、同時に“それだけ強い”ということを意味する。

 強敵との戦闘経験もまた間違いなく己を強くする、ということを己が経験から理解していたベリークは、この方法を喜んで受け入れ、実践していたのだった。

 

 メキメキと彼は実力をつけ、厳しい戦いは更に己の勘と肉体を鋭く磨き上げ、かつてのでっぷりと太った相撲取りのような体形はいつしかその脂肪を失い、中に隠れていた猛々(たけだけ)しい筋肉の鎧を(さら)すようになった。

 

 強敵を倒すため、その磨き上げた身体を、防御系統の呪鍛(じゅたん)魔術が付与されたシャツやジャケット、ズボンなどで覆った彼は、今や豚の形をした鼻を見なければ……いや、見たところで誰も彼がオーク族であるということを信じられない程に、威風堂々、質実剛健とした偉丈夫(いじょうふ)となっていた。

 

 そして、つい先程のことだが、ベリークは家屋など容易(たやす)く押し潰せるほど巨大な八つ首の大蛇を倒せるほどに強くなった。

 あの巨体であるため、食べきるには数日を要するだろうが、それが終わればベリークはさらにパワーアップするだろう。

 

 これで愛する少女に追いつけていればよいのだが、そうでなければ更なる強敵を探さなければならない。

 ……まあ、情報料さえ支払えば、あの狼獣人の情報屋が、強力な魔物の居所を教えてくれるだろう。問題はない。

 

 そんなことを考えていると、店の奥から木精の店員が戻って来て、いくつかの剣をカウンターに置いた。華奢(きゃしゃ)体躯(たいく)の少女であるにもかかわらず、意外と力持ちである。

 

 ベリークはそれらの剣を一瞥(いちべつ)すると、1本を手に取り、鞘から抜いて軽く振ってみる。

 しかし、感触が合わなかったのか、それをすぐに鞘に戻してカウンターに置くと、次の剣を手に取って同じように振ってみて……それを繰り返す。

 その間に店員は衣服(鎧ではない)タイプの防具をカウンターに用意していた。

 

 剣の感触を試しているうち、店員の少女がこちらをぼうっと見つめていることが気になったベリークは少女に声をかける。

 最初は、あまりにオークらしからぬ見た目となったベリークが珍しいのかと放っておいたのだが、それにしては長く自分を見つめ過ぎていることから、“自分に何か用があるのか”と気になったのだ。

 

「……どうした? 俺の顔に何かついているか?」

 

「あっ!? い、いえ、申し訳ございません。少し、ぼうっとしていただけですので、どうかお気になさらず」

 

「……すまんが、気になる。さっきのお前の眼は何かを(うらや)んでいる眼だ。少し違うが、以前、俺の想い人が似たような眼をしていてな……『無理に』とは言わんが、もしよければ話してほしい」

 

 ベリークの想い人であるリリィは、彼を(だま)す罪悪感の裏に、“ある人物と比べて(いちじる)しく思いやりにかける”という劣等感を抱えていた。

 “自分に無いものを持っている”という嫉妬の色……リリィの眼に表れていたそれが、今の店員の少女にも表れていたのだった。

 見れば、歳の頃もリリィに近い。そうしたことから、ベリークは先程の少女の視線を流すことができなかったのだった。

 

 少女はわずかに逡巡(しゅんじゅん)するが、“別に言っても問題ない”と判断したのか、至極(しごく)あっさりと理由を口にする。

 

「申し訳ございません。お客様の経済力が少し羨ましくなったのです」

 

「経済力?」

 

 ただ強敵を倒しては喰らっているだけのベリークに、経済力なんてものはない。

 最近は賞金稼ぎも必要最低限しかやらないため、貯金もカツカツである。

 

 一瞬疑問に思ったが、すぐに少女の言うことに思い当たる。先ほど支払った財宝が原因だろう。

 

 魔物の生態に詳しくない彼には良くわからないが、どうやらあの大蛇(ヒドラ)は財宝を貯めこむ性質があったらしく、倒したヒドラの背後の部屋から今まで見たこともない量の金銀財宝が出てきたのだ。

 ヒドラとの激しい戦闘で武器防具を損傷し、失ったベリークは、これ幸いとその財宝で装備の新調をしに、この“ラギールの店”にやってきたのである。

 

「“お客様が先ほど支払った財宝を稼ぐだけの力が私に有れば、私は今すぐにでも奴隷としての立場から解放されるのに……”と、そう思ってしまったのです」

 

 少女――ヨーラは“ラギールの店”の店長を任されるほどの逸材である。いつもの彼女であれば、このような失態は犯さない。

 しかし、つい先日、同じような立場にあった同僚が、奴隷として購入されてしまうギリギリのところで姉と仲間達に買い戻されるという、非常にドラマチックな場面を見てしまったことで、“うらやましい”という想いを抑えきれなくなってしまっていたのだった。

 

 ヨーラが見つめる先で、ベリークは再び顎に手を当てて考え込む。

 その様子から機嫌を損ねているわけではないことは分かるものの、考え込んでいる理由が分からず、ベリークがどんな反応を返そうとも対応できるよう、ジッと彼の様子を見ながらヨーラは待機する。

 

 ややあって、ベリークは言った。

 

「少し待っていろ」

 

「は、はい?」

 

 ベリークは、とまどうヨーラをそのままに店を出て行く。

 

 訳も分からず、とりあえず出しっぱなしにしていた剣や防具を元の場所に戻して業務をこなしていると、ドアベルが鳴る音とともに暗緑色の巨体がドアを潜って再び現れる。

 大きな背負い袋を肩に担いで現れたベリークは、そのままヨーラのいるカウンターまでのしのし歩くと、おもむろにその袋をカウンターに置いて言った。

 

「やる。足りるか?」

 

「へ?」

 

 思わず間抜けな声を上げて、ヨーラは目をぱちくりさせてしまう。

 何が何だかわからないまま袋の中身を見ると、そこには先のベリークが支払ったものとほぼ変わらない量と質の財宝がぎっしりと詰まっていた。

 

 そこまできて、ようやく先のベリークの言葉と意図を理解する。

 いや、理解しようとするも、あまりに現実離れした状況に、ヨーラはベリークの言葉の意味を自分が理解できるように曲解する。

 

「え~と、“私を奴隷としてお買い上げいただける”、ということでしょうか?」

 

「違う。『その金をやるから、自由になれ』と言っている。お前を買ったところで、俺には何のメリットも無い」

 

 “持ち上げられてから落とされる”結果になることを恐れて張った予防線が、いとも簡単に取り除かれる。

 

 

 ――夢ではない

 ――詐欺でもない

 

 

 幾人もの商人や(すね)に傷を持つ者を相手に商売をしてきたからこそ、ヨーラには分かる。

 この御仁(ごじん)は本当に心の底から“()()()()()()()()()()()()()”に、この金をヨーラに渡そうとしている。

 立派な砦を2,3基築いてもまだ有り余るほどの、この財宝を――!

 

「う、受け取れませんよ! こんな大きな借りを作ったら、私にはとても返しきれません!」

 

 タダより高いものはない。

 例えベリークに今そんなつもりはなくとも、のちにベリークが困窮(こんきゅう)した時にこの貸しを思い出し、返却を要求するかもしれないし、それ以上の事を要求するかもしれない。

 

 ヨーラが恐怖とともにそう言うと、ベリークはわずかに困惑した様子で言う。

 

「別に、あぶく銭だから気にする必要はないんだが……」

 

 ベリークからすれば、“借りを作る”という考えが理解できない。

 なぜなら、リリィを除き、ベリークに近寄ってきた女性達はベリークにたかるだけたかって、金が尽きれば離れていく者達ばかりだったからだ。

 その時の借りや恩を返そうとする女性など1人としていなかった。

 

 だから、ヨーラも嬉々としてこの金を受け取り、ベリークのことなどきれいさっぱり忘れて自由になると予想していたところに、この反応である。

 あまり頭の回転が速くないベリークには、こんなときにうまく立ち回ることなどできやしない。

 したがって、彼には不器用にかつ誠実に対応することしかできなかった。

 

「そこまで心配するなら、“お前には今後何も要求しない”と誓おう。なんなら誓約書に署名してもいい。『それでも嫌だ』というならば、無理にとは言わんが……」

 

「うっ……!?」

 

 ヨーラは迷う。迷ってしまう。

 降って湧いた特大のチャンス。本当にこれを見逃して、拒否して良いのか?

 

 この機を逃せば、自分はどこぞの好色な(やから)に買われてしまうかもしれない。そうなれば自由になることなど夢のまた夢だ。

 もしそうなったとして、彼の手を振り払ったことを後悔しないだろうか? ……ヨーラにはどうしても分からなかった。

 

 固まってしまったヨーラを見て、ベリークもまた“どうしたものか”と頭を悩ませる。

 

 “リリィにふさわしい己となること”が人生の主目的となってしまったベリークにとって、金など二の次三の次である。ぶっちゃけ執着など全くない。

 今後の生活費や武器・防具の新調代として必要となるであろうから、ある程度取っておいてあるものの、それだって必要となれば適当に賞金首を狩るなり、狩った魔物を素材として売るなりして稼げばいいだけの話である。“修行”という目的を考えれば、最悪、武器無し防具無しで素手で戦っても構わない。

 この先いくら困窮しようとも、こんな幼い少女にたかるようなみっともない真似は絶対にしない自信もあるのだが……こればかりは、相手が信じられなければどうしようもない。

 

 ――カランコロン

 

 大男と小柄な少女が無言で固まる異様な状態を崩すかのように、再びドアベルの音が鳴る。

 ヨーラが慌てて「いらっしゃいませー!」と声を上げるのを聞きながらベリークが振り向くと、そこには、かつての太っていたベリークそのままの姿の客がいた。

 

「む? お前、リュフトか?」

 

「ん? 誰だお前?」

 

 太った……いや、一般的な姿のオークが(いぶか)しそうに眉をひそめる様子を見て、ベリークはかつてとは様変(さまが)わりした己の腹を思い出し、改めて自分の名を告げる。

 

「俺だ。ベリークだ」

 

「……ベリーク!? いったい何だ、その身体は!? ……ああ、いや分かった。どうせ“強くなれば女にモテる”と勘違いして、延々(えんえん)自分を鍛え続けてそうなったんだろ?」

 

「『掘れば良い女が見つかるはず』とか言って、あちこち穴を掘っているお前には言われたくないんだが……」

 

「何言ってんだお前! 俺はちゃんと美女を見つけただろ! 振られちまったけど!」

 

「……まあ、信念は人それぞれだ。俺は否定せん」

 

 リュフト……彼もまたベリークと同じで理想の嫁を求めて村を飛び出した、変わり者のオークの1人だ。

 

 しかし、彼はベリークとは異なり、己の強さによって理想の女性を()きつけるのではなく、“良い女は隠されている”という仮説を(もと)に、あちこちを発掘したり、あるいは隠し部屋を探すことによって理想の女性を探すという、なんとも風変(ふうが)わりな嫁探しをしていた。

 なんでも、幼い頃に聞いたおとぎ話が、“深窓(しんそう)の令嬢は家に(かくま)われている”、“魔王が王女を(さら)う”といった内容であったことから、そのような仮説を立てたらしい。

 

 しかしながら、その仮説が当たっていたのかいなかったのか……今から約10年程前に、彼は()()()()()()()()()()()()()

 

 かつて亡国の公爵令嬢であったというその女性は、既に肉体を失って亡霊となっていたものの、『そんなものは知ったことか!』とリュフトは男らしくアタック。

 ……しかし、丁寧に断られて見事に玉砕したらしい。

 

 その後も彼女には時々会っているらしく、まれに水精(みずせい)の女性を引き合わせてお見合いの席を設けてくれているのだが、未だ成立には至っていないらしい。

 その時の成功体験から、彼はこの信念をより強固なものとし、今でも(くだん)の亡霊令嬢に頼りきりにならず、自分でもせっせと穴を掘り、隠し部屋を探して嫁探しを継続しているとのことだ。

 

 ベリークからすれば、“それ”はあくまでも偶然なのだが、彼にとっては違うのだろう。

 彼が信じるものを否定する気は、ベリークには全くない。

 

 ……そして、ベリークには彼に対して、()()()()()()()()()()()()()()があった。

 

「……なあ、リュフト……その、頭の上の文字は何だ?」

 

 リュフトの頭上……そこには何故か、でかでかと大きな文字がふよふよと浮かんでいた。

 ベリークの認識が正しければ、“へたれ認定”と書かれているように見える。

 

 チラリと横を見れば、ヨーラが仮面のように不自然な笑顔を貼りつけながら、リュフトの顔のわずか上に視線を向けている。

 どうやら彼女にも、その文字は見えているようであった。

 

「文字? ……なんにもねえぞ?」

 

 リュフトは自分の頭上を見るが、不思議そうな顔をするだけだ。どうやら本人には見えないらしい。

 別に彼の体調に影響があるわけでもないようだし、変に主張しても、信じてもらえず関係をこじらせるだけだと悟ったベリークは、その文字を見なかったことにすることにした。

 

「……そうか。いや、すまない。俺の気のせいだった」

 

「? ……変な奴だな……まあ、いいや、聞けよ! ついこないだ、女じゃねえけど、すげぇモンを見つけたんだぜ!!」

 

「ほう、いったい何を見つけた?」

 

 旧友が実に嬉しそうにする様子を見て、ベリークもまた嬉しさが湧き、声が弾む。

 

 信念は違えど、共に同じ目的に邁進(まいしん)している者同士。ベリークはリュフトに対して共感とともに友情を抱いていた。

 そんな相手の成功談だ。嬉しくない訳がないし、とても興味深い。

 

「それが、金銀財宝の山をしこたま貯めこんでた隠し部屋なんだよ! なんか魔法具っぽいものが多いせいで査定に手間取(てまど)っちゃいるが、まず間違いなく一生遊んで暮らせる額はあるぜ! 部屋の奥の方に、なんかヤベぇ奴の気配があったからそっちの方は探せちゃいねぇが、そんなもの気にならないくらいの質と量だ!」

 

「むう、それはすごいな!」

 

 ベリークもかつてはそうであったが、基本的にオーク族の金づかいは荒い。

 “宵越(よいご)しの銭は持たない”という言葉を体現するような生活をする者も、決して珍しくない程である。

 

 リュフトもその例に漏れず、彼の金づかいも相当に荒いのだが、その彼が『一生遊んで暮らせる』と断言する額だ。ベリークが先ほど手に入れたヒドラの貯めこんだ財宝など、おそらく比較対象にすらならないだろう。

 

 それはそれとして、ベリークには一つ気になる単語が彼の台詞(せりふ)に含まれていたことに気づいた。

 

「ところで、その魔物の強さはどのくらいだ? それと、できればその場所を教えて欲しい」

 

 そう、強さを求めるベリークにとって、強力な魔物の情報は値千金の価値があるのだ。

 可能ならば、リュフトの話に出たその魔物も喰らい、己の力にしたい……ベリークはそう思ったのだが、

 

「やめておけ」

 

 問うや否や、先程の陽気な様子が嘘だったかのように、真剣な表情でリュフトはベリークを止める。

 

 その様子は決して“そこにあるはずの財宝を取られたくない”といった欲望に基づいたものではない。ただひたすら真剣に友を案じるものであった。

 

「あれはお前さんの手に負えるもんじゃねぇ。正真正銘の化け物だ。たぶん……いや、確実に()()()()()()()()()()()()()。……正直な話、見つけた隠し部屋に入り込んで“それ”の気配を感じた瞬間、俺は腰を抜かしたよ。最初は“お宝を取っていこう”なんて、考えすらしなかった」

 

「だが、不思議なことにそいつらはその場所から全く動かなくてよ。恐る恐る俺がお宝を持って部屋を出ても全く動かなかった。……おそらく、俺みたいなちっぽけな奴の事なんて気づいてすらいなかったんだろうな。俺が最後のお宝を持って部屋を出た後、気配が動いた感じがしたから、もう今は奥から出てきていてもおかしくない。お前が強さを示して女にモテたいのは知ってるが、こればっかりは相手が悪い。諦めろ」

 

「ふむ……」

 

 ベリークは考える。

 

 リュフトは迷宮探索のベテランだ。女性こそ、この10年の発掘で1度しか見つけていないものの、それ以外では新たな隠し部屋や様々な魔法具の発掘など、情報や発掘品を売るだけで充分に豊かな生活を送れるほどの実力と経験がある。

 当然、魔物に襲われて逃げ帰った経験、やり過ごした経験など数知れず。その彼が言う以上、その見立てに間違いはまずあるまい。ならば、ここはリュフトの忠告に従った方が無難(ぶなん)……

 

 そこまで考えたところで、ベリークははたと気づく。

 

 たしかにリュフトの忠告に従うのは正しいだろう。命あっての物種だ。そもそもベリークが生きていなければ、リリィと結ばれることなどできるわけがない。

 だが、無難な道ばかりを選んでいてもまた、あの常識外の武力を持つ少女にふさわしい己となることも不可能だ。

 

 ベリークは(しば)し悩んだ結果、“間を取る”という中途半端な選択を取ることにした。

 

「……なるほど、お前の言うことも(もっと)もだ。そいつに挑むことはやめておこう。だが、それだけ強力な魔物なら、その魔力に惹かれた魔物が周囲にいるはずだ。それを狩りたい。だから、場所を教えてくれないか?」

 

「……う〜む……」

 

 リュフトもまた悩む。

 

 ベリークは村1番の戦士。その実力や才能はリュフトも良く知っている。

 女性を求めて迷宮のかなり深い階層まで潜るリュフトもまた相当な実力者ではあるものの、その彼をしても“今のベリークには足元にも及ばないだろう”と肌で感じている。

 そんな彼が、自分の実力を見誤って不相応な相手に挑みかかることは、まず無いはずだ。

 

「……わかった。くれぐれも下手に手を出すんじゃないぞ」

 

「助かる……そういうわけだ、店主。俺は武器と防具を受け取ったら早速こいつと出かける。“()()”は好きにしてくれ。どうしても要らないなら、今度来た時に返してくれればいい」

 

「は、はいっ……! あ、いえ、あ、その……!」

 

 第三者であるリュフトがいることに気を使って、“釣り”という言葉でもって『財宝は好きにしていい』とベリークはヨーラに言うが、ヨーラは相変わらず人生の一大事に決断を下すことができない。

 

 結局、ヨーラは返事ができないまま、ベリークが店を去るのを見送ることしかできなかった。

 

 

***

 

 

「……」

 

 ベリークは1人、リュフトに教わった場所に来ていた。

 

 なるほど、酷く入り組んだところにある隠し部屋である。まず、一般的な探索技能の持ち主では見つけることは叶うまい。

 その入り口近くの床には、腐食したかのようにドロドロに融けた扉の残骸。

 そして、入り口に向かって右側の壁には1枚の貼り紙があった。貼り紙にはこう書かれている。

 

 “へたれには呪いが待ち受けている。

 この部屋の宝物と魔物に手を出すべからず。

 主を退(しりぞ)けたる勇者はへたれにあらず”

 

「……」

 

 しかし、ベリークの視線はその貼り紙に注がれてはいない。

 彼の視線は自身の足元――正確には、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()不思議な状態の迷宮の床にあった。

 

 ベリークは無言で考え込み、ややあって腹を決めると、堂々と蝶番(ちょうつがい)しかない、かつて扉であったものの横を通り抜け、隠し部屋へと侵入する。

 

「……」

 

 中には何もない。そして、誰もいない。

 

 部屋の外と同様にドロドロに溶けて固まったような床を進み、慎重に気配を探りつつベリークは部屋の奥へ向かう。

 豚鼻を鳴らして匂いを確認し、耳を澄ませて音を確認しながらゆっくりと壁から目を出して奥の様子を確認する。

 

「……」

 

 何もない。そして誰もいない。

 ……だが、ベリークの眼は1つの異常を(とら)えた。

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()

 

 

 あの床が融けて固まったかのような痕跡(こんせき)について、ベリークは心当たりがあった。

 黒プテテットなどのように酸を体内から排出する魔物が()いずり回った時、あのような痕跡が残る。

 仮の話になるが、体高が10メートルを超えるであろう巨大な黒プテテットが存在して、這いずりながら外に出た場合、あれとそっくりな状態になるに違いない。

 

 だが、仮にその仮定が正しいとするならば、本来そのプテテットがいたであろうこの部屋もまた床や壁が融けていなければおかしい。

 では、融けていない理由があるとすれば、それはいったい何であろうか?

 

 ベリークには分からない。分からないが……彼に(そな)わった野生の本能、そして幾多(いくた)の経験が警鐘(けいしょう)を鳴らす。

 

 

 

 ――今、とてつもなく危険な事態が起きている、と

 

 

 

(……)

 

 ベリークは慎重に気配を探りながら部屋を後にし、そして数日をかけて入念な準備を行った。

 そして、あれほどこだわっていた自身の修行を一度中断し、隠し部屋から伸びる、酸で溶けたような跡を彼はたどり始めた。

 

 

 

 ――この部屋にいたであろう“何か”を放置したらまずい……ベリークの勘がそう激しく警鐘を鳴らしていたからである

 

 

 

***

 

 

 

 本人の人柄がにじみ出る漆黒の魔力。

 まさに魔の王と(しょう)されるべき懐かしい魔力を放つラテンニールにリリィは固まり、シルフィーヌは戦慄(せんりつ)とともに杖を構え、ブリジットは戸惑(とまど)い、うろたえる。

 

 そしてリウラは、あまりに呆然としてしまったが故に、リリィの背に添えていた手の力が抜けて滑り落ちる。

 

 

 

 ――瞬間、リリィの精神が悲鳴を上げた

 

 

 

「……ギッ!? あああぁあああぁああっ!!?」

 

「リリィ!? どうしたの!?」

 

「お、おい!? どうしたんだよ!」

 

 ラテンニールを(のぞ)く全員が、リリィの様子にギョッと目を()く。

 しかしリリィは心配して声をかけるリウラやブリジットに説明する余裕もなく、悲鳴を上げながらも瞬時に自身の胸に手を当てて魔術を発動した。

 

 リリィの胸を中心に魔法陣が身体を透過するように、いくつも重なるように展開され、やがてそれらが収束してリリィの胸の中に消えていくと、ラテンニールの魔力を取り込んで次元違いに増加していたリリィの魔力が、取り込む直前の水準にまで落ち込んだ。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」

 

「……ふむ、流石は私の使い魔だな。あれほどの魔力の負荷を受けながら瞬時に最適の対応を行うとは」

 

 膝をついて荒々しく呼吸するリリィを見て、ラテンニール……いや、魔王は感嘆(かんたん)するように言う。

 

「ど、どういうこと?」

 

 リウラが反射的に問うと、別に隠す意味も無いからか、魔王はあっさりと答える。

 

「体内に宿る魔力は常にその魂に負荷をかける。当然、魔力が大きければ大きいほど負荷がかかる訳だが、たいていの場合、生まれた時もしくは生まれる前の卵や腹の中にいるときから徐々に魔力が増加し、それに魂が慣れ、適応していくために問題になることはない。……だが、先程のこいつのように自らの魂の許容量を超える魔力を一度にその身に宿せば、今のように絶大な負荷がかかる訳だ。私が精根注いで(つく)った使い魔でなければ、先の一瞬で精神が破壊されていただろう。だから、こいつは瞬時に先程取り込んだ魔力を封じた、という訳だ」

 

「で、でも……さっきまで何ともなかったのに……?」

 

「それは貴様のせいだな」

 

 全く心当たりのないことを言われ、リウラは「え?」と首を(ひね)る。

 

「貴様は何故か触れた相手の精神を強化……いや、回復……違うな、何と言えば良い……むぅ、()いて言うなら()()か……? とにかく、触れた者の精神を最適な状態に持ってくることができるようだ。そのおかげで、我が使い魔がこのラテンニールから膨大な魔力を奪っても、その精神を破壊されることも狂わされることもなかったのだ」

 

 余談だが、魔王自身の精神が無事だった理由は、彼自身が魔神級の魔力の持ち主であったため、魂がその負荷に耐えられたためである。

 長期間魔力負荷が低い状態に置かれて、魂の強度が低下してしまえば話は別だが、1ヶ月程度であれば何も問題はなかった。

 

 しかし、ラテンニールの方が格上の魔神であり、魔力も魔王より上であることは確実なので、念のためにリリィの肉体に魔力を移しておいて、ラテンニールの肉体の魔力負荷を弱めておいてから、魔王はその肉体を乗っ取ったのである。

 

 魔王から更に全く心当たりのないことを言われて、リウラの頭上には疑問符が乱舞する。

 

 だが、魔王にとって、そんなことはどうでもよかったのだろう。

 魔王はリウラから視線を切ると、いまだ名前すら付けていなかった自身の使い魔の前に歩を進め、本来ならば原作で彼が付けるはずだった彼女の名を呼ぶ。

 

「“リリィ”……と名乗っていたのだったな。大儀(たいぎ)であった。さあ、その魔力を私に渡すがいい。それで私は完全に復活する」

 

 一帯(いったい)に緊張感が満ちる。

 

 シルフィーヌ達、人間族にとって、今の状況は非常にまずい。

 

 リリィの体内に魔王の魂が存在したことを知らない彼女達からしてみれば、いったいどうして魔王がラテンニールの肉体を奪えたのか訳が分からないが、そんな経緯など今はどうでもいい。

 問題は、このままリリィがラテンニールに先ほど奪った魔力をそっくりそのまま返してしまえば、魔王は完全に復活してしまうということ。……それも、以前の魔王を遥かに上回る力を持って、だ。

 そうなれば、シルフィーヌを除く各国の勇者がこの場にいない以上、シルフィーヌ達は全滅し、再び戦乱の世が訪れることだろう。

 

 だが、シルフィーヌは期待する。先程リリィが話した内容が彼女の本心であるならば、この申し出には(こた)えないはずである。

 なぜなら、魔王の完全復活は、彼女の理想……“魔王との平穏な生活”が永遠に叶わないことを意味するからだ。

 

 

 

 ――だが、その期待は裏切られる

 

 

 

「う……ぁ、ぁあ……っ!」

 

 ギギギ、とまるで()びついたブリキ人形が無理やり動くかのように、リリィの身体が魔王へと()り寄ってゆく。

 そして、ゆっくりとその両手を魔王の頬に添え、自身の唇を近づけていく。それは間違いなく性魔術を(もち)いた魔力譲渡の予備動作だ。

 

 それを見たシルフィーヌは思わず叫ぶ。

 

「どうして!? どうして、あなたは言いなりになっているのですか!? 『平穏に生きたい』と言った、あの言葉は嘘だったのですか!?」

 

 シルフィーヌの言葉に、リリィは苦しそうに表情を歪めながら残酷な事実を告げる。

 

「無理、なんです……! 私、魔王様の使い魔だから……だから、魔王様の“命令”には()()()()()()()()()()()……!」

 

「!!」

 

 そう、リリィは魔王が1から肉も魂もその手で創り上げた唯一の使い魔である。当然、逆らうことがないよう、魔術的にその魂を縛られている。

 だからこそ、リリィはまずこの魔王との魔術的な繋がりを断ち切ってから、魔王を復活させようとしていたのだ。

 

(どうすれば……わたくしは、どうすれば……!?)

 

 リリィが魔力を譲渡する前に魔王を殺す? いや、無理だ。いくら平穏な生活が脅かされるとはいえ、“父”と慕う魔王を殺すことをリリィが許容するとは思えない。おそらくリリィ自身に妨害されるし、ブリジット達も黙ってはいないだろう。

 単純に魔王を殺さず気絶させたところで、すでに出された命令は取り消されまい。魔力の譲渡を防ぐことができない以上、魔王の復活は阻止できない。

 

「ちょっ、ちょっと!? 今まで色んな人から魔力をもらってきたリリィが耐えきれない魔力なんだよ!? いくら魔王さんでも耐えられないんじゃ……!?」

 

 苦しまぎれにリウラが言うも、魔王は事もなげにさらりと返す。

 

「この魔力は元々魔神ラテンニールのものだぞ? ラテンニールの魂であれば当然耐えられる……であれば、ラテンニールの魂と融合した私が耐えられない訳があるまい」

 

「ゆ、融合? 魂と?」

 

 とまどうリウラを追い越してティアが歩を進め、魔王に問う。

 

「それはおかしいわね。見るかぎり、あなたの人格はかつての魔王そのもの……あなたよりも格上の魔神であるラテンニールの魂と融合したのであれば、その主人格はラテンニールになるはず……!」

 

「む……その姿、その気配……貴様、まさかユークリッドの第一王女(サラディーネ)か? ずいぶんと変わり果てたとはいえ、よくもまあ生き残っていたものだ。……まあいい、貴様の疑問に対する答えは簡単だ。先の性魔術で、私はラテンニールに絶対服従の縛りをかけた。その縛りは例え魂が融合しようとも変わらん。つまり、私の一挙手一投足に対し、ラテンニールは従属せざるを得ん。結果として、私の人格には影響はなく、ラテンニールの人格は消滅したも同然……今、まさに不死身と(うた)われた魔神は滅んだのだ」

 

(そういうことか……!)

 

 ティアは内心で歯噛みする。もしラテンニールの人格がわずかでも残っていれば、そこを突破口にどうにかできるかもと考えたのだが、空振りに終わった。

 魂が融合している以上、多少は価値観などに影響が出ているだろうが、ラテンニールの人格そのものが出てこないのであれば、干渉のしようがない。

 

 万事休すかと思われたその時だった。

 

 

 

「魔王様……お願いですから、少し待ってください。魔力を戻す前に、私の話を聞いてください……!」

 

 

 

 ――ピクリ

 

 リリィの懇願(こんがん)が響いたとき、魔王の眉がわずかに不快そうに動く。

 だが、彼……ラテンニールが女性である以上、今は彼女か……は何事もなかったかのように応えた。

 

「……何だ? 言ってみるがいい」

 

 そう魔王が言った途端、命令の効力が切れたのか、糸が切れたようにガクリとリリィの身体が崩れそうになるも、瞬時に(こら)えて王の御前にふさわしい膝をついた姿勢をとり、真摯(しんし)に、そして誠実に述べた。

 

「魔王様……あなたの肉体が封じられ、その魂を私の身体の中に受け入れてから、私はわずかな期間、わずかな範囲ながらも世間を見て回り、色々な人と出会うことができました。無力で幼い私を拾い、家族になってくれた人……魔王様の使い魔であると知っても仲間でいてくれた人……こんな利己的な私を女として愛してくれた人もいました」

 

「魔王様の魂は私の中にありました。私が経験した様々な愛情は、魔王様にも影響を与えていると思われます。……もしそうでなければ、今、こうして私の言葉を聞いてくださってはいなかったでしょう」

 

「む……」

 

 リリィは知っている。

 かつての魔王の人柄はまさに傍若無人(ぼうじゃくぶじん)

 例え自らが()ずから生み出した使い魔であろうと、急務であるはずの魔力の受け渡しをいったん置いておいてまで話を聞くような人物ではない。

 

 では、なぜ、そうなったのか?

 

 ここからはリリィの推測になるが、おそらく、魔王の魂がリリィの魂の影響を受けていたのだろう。

 

 ――生まれて間もなく、前世の来歴も(さだ)かではないのに、土下座するヴィアに対して悪魔のような笑顔を浮かべることができたこと

 ――いつの間にか、リリィが他者を殺しても大して動揺しなくなっていたこと

 ――幼い頃の魔王のようにブリジットとすぐに喧嘩してしまうこと

 

 ……もし、これらの原因が、内に秘めた“魔王の魂”の影響を受け、リリィの人格が魔王の人格に近づいていたからだとしたら、筋が通ってしまう。

 ならば、その逆……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 影響を受けた原因が、“使い魔の中に主の魂がある”という不自然な状態がもたらしたのか、はたまたリリィが無理やり魔王の魂に接続して記憶を覗いていたことがもたらしたのかは分からない。

 だが、そんなことはリリィにとってどうでもよかった。なぜなら、この魔王の変化は間違いなくリリィにとって喜ばしいものだったのだから。

 

「魔王様。今、あなたには“良心”があります。その“良心”に従って生きてください。種族を問わず、周囲の者達と理解し合えるよう努めてください。かつてのように好き勝手に生きていては、また同じように封印されるか殺されてしまいます。……私は、魔王様と共に平穏に暮らしていたい。もう、魔王様が封印されたあの時のような想いを、二度としたくないのです」

 

「……」

 

 魔王の眉が不快そうにひそめられる。

 だが、彼女はリリィの言葉に反発することなく黙り込んだ。

 

 その様子にシルフィーヌ、ブリジットなどのかつての彼女を知る者や、“魔王”という言葉に著しく悪いイメージを抱く人間族は“信じられない”と驚愕に目を見開いている。

 

 ややあって、彼女は言った。

 

 

 

()()()()使()()()()()()()()?」

 

 

 

***

 

 

 思わず固まってしまうリリィ。

 彼女は、魔王が今言ったことを理解することができなかった。

 

「……今、なんて……?」

 

「『貴様は私の使い魔ではない』、と言ったのだ。いくら貴様がその“愛情”とやらに触れようと、そこまで価値観は変わらん。それでは、まるで人間族だ。少なくとも、創造主である私の意思よりも自分自身の欲を優先させることなど有り得ん」

 

 ……その通りだ。

 

 前世の記憶を取り戻す前のリリィであれば、何をおいても魔王を優先しただろう。原作の彼女が親しい人間族の友人を、魔王の命令であっさりと見捨てたように。

 彼女が今こうして魔王に嘆願(たんがん)しているのは、人間として生きたときの記憶が甦ったからだ。それをあっさりと見抜かれ、リリィは戦々恐々とする。

 

(……どうして? 魔王様ってこんなに鋭くなかったよね?)

 

 リリィの記憶では、封印される前の魔王はここまで鋭くはなかった。

 “魔術に明るい”など知識的なものは素晴らしかったが、それ以外は基本的に脳筋思考で、何事も暴力で解決するような節があった。

 

 原作の魔王が戦略家となったのも、どう工夫したところで自分自身で戦うことができない脆弱な肉体に宿ってしまったが故に、彼無しで戦える軍を作る必要に迫られたからであり、そうした経験を積んでいない今の魔王がここまで鋭くなる理由が分からなかった。

 

(……あ)

 

 ……が、ふとリリィは思い出す。

 

 リリィは、これまで魔王の魂から様々な経験を引き出して利用していた。

 もし、リリィの魂と魔王の魂が相互に影響を与えあっていたのなら、リリィが魔王の経験を引き出した時と同じように、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、ということを。

 

 その事に思い至ったリリィが動揺している間に、魔王は何かに気づいた様子を見せた。

 

「……そうか……貴様、あの時の魂……その切れ(はし)か」

 

「切れ、端……?」

 

 何が何だか分からない。

 リリィが事態を理解する間もなく、魔王はどんどん話を進めていく。

 

「私はかつて異世界に繋がる時空間魔術の研究をしていてな。たしか……15~16年ほど前か? 私の魂を覗いていたのならば、この世界(ディル=リフィーナ)現神(うつつかみ)古神(いにしえがみ)、それぞれが支配する2つの世界が融合して生まれたということは知っているな? 同じような異世界を探し、そこの資源を手に入れることができないか、私は模索していた時期があったのだ」

 

 簡単に言えば、現神とは今の世界を支配している、“かつてのネイ=ステリナという世界の神”、古神とは彼らに敗北し、追いやられた“イアス=ステリナという世界の神”の事を指す。

 一般には“古神=邪神”として伝えられているが、そこは人間族だろうと神族(しんぞく)だろうと変わらない“勝者の歴史”が広められた結果である。

 

 そして、リリィは思い出した。

 原作の作品群の内、神殺しセリカが自らの使徒と巡り合う過程を描いた物語の中で、お遊び要素(アペンドディスク)としてリリィと魔王が登場した作品が存在することを。

 

 時空の歪みに飲み込まれて、地域どころか時間軸すら異なる場所に現れた魔王とリリィ……彼らがセリカと共に旅をする物語。

 

 

 

 ――だが、それがもし“()()()()()()()()()()()()()()()

 ――その“リリィが登場する物語”が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

「異世界へと繋ぐ空間を作成する時空間魔術の実験をしたときに、どこかの冥界へと繋いでしまったのか、大量の魂が溢れ出したのだ。急いで空間を閉じたのだが、1つだけ私の肉体に入り込んだ魂があった」

 

「魔術で魂を覆う結界を創って防いだから、その魂は融合することはなかったのだが……どうやら微妙に間に合わずに引っかかってしまい、面倒だったので無理やり魔術で千切(ちぎ)って放り出した。その時、私の魂にその魂片(こんぺん)がわずかに残っていたのだろうな。それが、貴様の体内に入った際に貴様の魂と融合した、といったところか。……生まれて間もない無垢(むく)な魂しか持たぬ使い魔であれば、例え魂片であろうと融合した別の魂が与えた影響は大きい。真っ白な布に血を垂らしたように、あっという間に価値観を染められたのだろう」

 

 この世界の魔王は、何らかの理由でディル=リフィーナ創世の歴史を知り、その事から異世界の存在を知った。

 そして彼は“異世界”へと繋ぐ魔術を開発しているつもりが、どこを間違えたのか“平行世界”へと繋いでしまった。

 

 そして、それは例のお遊び要素の世界……神殺しセリカの元へと辿(たど)り着く平行世界ではなかった。

 

 

 ――このディル=リフィーナが、()()()()()()創作(フィクション)()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 そこから飛び出した魂が、たまたま魔王の肉体に入り込み、そして()()()()()()

 

 通常、他人の肉体に入った魂は“元の魂と融合する”、“元の魂をかき消す”、“元の魂を肉体から追い出す”のいずれかの反応を示す。

 しかし、何事にも例外は有り、中には“引っかかる”というパターンも存在するのだ。

 

 原作関連で言うならば、メンフィル帝国の()イリーナ王妃の魂が、魔神の如き力を持つ大魔導士ブレアードの核に定着してしまった事例が該当する。

 このパターンではメンフィル王によって2度もブレアードが倒されたことによって、イリーナ王妃の魂が吸収されずに済んだことが原因だが、今回の場合は、魔王が魂の融合を防ぐ魔術を使ったことが原因となったのだろう。

 

 そして、魔王によって引きちぎられ、放り出された(本体)とは別に、魔王の魂にはその魂の欠片がくっついたまま残ってしまった……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そして、リリィがつまづき、誤って魔王の魂をその身に受け入れた時……使い魔の契約で完全に分かたれている魔王の魂とは融合しないが、それ以外の魂は別だ。リリィの魂は、その魂の欠片と融合してしまった。

 生まれたばかりで幼子(おさなご)同然の無垢(むく)な魂を持つリリィは、その魂片の持つ知識・記憶・価値観を受け入れ、染まってしまった。

 

 ――だから、リリィはかつて人間であった時、自分が何者であるかを知らなかった……その記憶の大部分はちぎれて、どこかへ行ってしまったのだから

 ――だから、リリィは時折幼子のような振る舞いを見せた……“リリィ”を完全に染めきることができないくらい、融合した魂の量が少なかったから

 ――だから、リリィはどんなに自身の生存にとって不都合な存在であろうとも、魔王を求めた……融合した魂の価値観が染めきれないくらい、“リリィ”が魔王を慕う想いが強かったから

 

 つまり、彼女の持つ原作知識は、正確には“()()()知識”ではない。

 

 異世界の人間……それも死者の持つ知識であったのだ。

 彼女は睡魔族のリリィであると同時に、その平行世界の人間でもあったのだ。

 

 落ち着いて考えてみれば、当然だ。

 彼女は魔王によって創造された使い魔。それは、()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 ――魂すら創造された存在に……()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 あまりに突拍子(とっぴょうし)もない話に、周囲は唖然(あぜん)として固まり――

 

 

 

 ――そして、それはとてもとても大きな隙となった

 

 

 

 

 ドンッ!

 

 

 

 

「なっ!?」

 

「お姉ちゃん!?」

 

 突如(とつじょ)としてリウラの背から水蒸気が噴射され、瞬時に魔王を突き飛ばす。

 

 場の誰もが予想だにしていなかった、急襲。

 それを、魔王との和睦(わぼく)を望んでいたはずの水精の少女が行うとは思わなかったのだ。

 

「うぐっ!」

 

 だが、彼女がそのような凶行に走った理由はすぐに明らかにされる。

 リウラが苦しそうな声を上げ、両腕両足をピンと直線に揃えて伸ばした奇妙な姿勢になった途端、彼女の首から下を丸々隠すほど巨大な手が徐々に姿を現したのだ。

 

「あ、ああああああぁああぁあああっ!?」

 

「お姉ちゃん!? っ、そこかぁっ!!」

 

「おっと、そこまでだよ? このお嬢ちゃんがどうなっても良いのかい?」

 

 握り潰されようとしているのか、悲痛な悲鳴を上げるリウラを救うべく振り上げた魅了剣(ルクスリア)がピタリと止まる。

 

(この、声は……!?)

 

 

 ――なんで、よりによって、こんな時に

 

 

 ぐったりとしたリウラを覆う手の持ち主が完全に姿を現した。

 

 蒼白な体表を覆う腰から下の体毛。

 両足は煌々(こうこう)と燃えるエメラルドグリーンの炎が覆っている。

 禿頭からは山羊のような2本の角が左右に向けて伸び、手首の横から肘にかけて鋭い刃のように硬化した皮膚が伸びている。

 

 コゴナウア。

 上級悪魔の中でも上位……魔神一歩手前の貴族悪魔に列せられる種族。

 

 その肩にはリリィが今、もっとも見たくない人間の姿があった。

 

 

 

 ――魔術師ディアドラである

 

 

 

「久しぶりだねぇ、睡魔のお嬢ちゃん。悪いけど、そのままジッとしてておくれよ? 用があるのはそこの魔王様だけだから、さ!」

 

「……」

 

「くっ!?」

 

 ディアドラの操るコゴナウアが、巨体のくせにリリィに勝るとも劣らぬ速度で魔王を握り締めようと手を動かし、魔王は慌ててそれを回避する。

 

 最悪だ。リリィに絶対の命令を下せる魔王は、精気のほとんどを奪われたラテンニールの肉体へ宿った。すなわち、弱体化した彼を押さえるだけで、リリィは手に入ったも同然。

 おまけに、一時的に弱体化しているとはいえ、ラテンニールは高位の魔神。神にすら届きうる極めて優れた肉体を有しているというのだから、新たな魔王となることを目論(もくろ)むディアドラからすれば、(のど)から手が出るほど欲しいだろう。

 

 リリィには、コゴナウアを退(しりぞ)けるだけの力はある。

 だが、いったいどのようにディアドラの隠蔽(いんぺい)魔術を感知したのか、リウラが魔王を(かば)ってしまったせいで、リウラが人質に取られ、リリィは動けなくなってしまった。

 

 先程リウラが悲鳴を上げたのは、おそらく握り締められたのではなく、精気を奪われたのだろう。

 ぐったりしている彼女からは弱々しい精気しか感じられない。これでは彼女自身に何とかして脱出してもらうことは不可能だろう。

 

「おい、オマエっ! 人間族のくせして、ボク達に何なめたマネしてんだよ!」

 

「……」

 

 唯一の救いは、ブリジットが大幅に強化されたことで、なんとかオクタヴィアと2人で魔王を護ることができていることか。

 2人はリウラのことなどまるで気にせずコゴナウアを妨害し、魔王を何とか護りきっている。

 

「……ああ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……なら、こいつらに相手してもらおうか」

 

 ディアドラが新たに配下を召喚しようとするのを見てブリジット達がそれを妨害しようとするも、コゴナウアは無言でブリジット達からディアドラを護りきる。

 

 そして、現れた不死者(アンデッド)の群れを見て、ブリジットは絶句した。

 

「おま……え……」

 

 不死者そのものは問題ではない。そんなもので悲鳴を上げるような可愛らしい感性など持ってはいないし、何度も戦って蹴散らしている。

 だが、彼らの姿、それが問題だった。

 

 ブリジットは彼らの姿に見覚えがあった。当たり前だった。

 

 

 ――だって彼らは、()()()()()()()()()()()()

 

 

「オマエェェェェッ!!」

 

 ブリジットは、そして周囲にいる召喚魔術に明るい者は即座に状況を理解した。

 コゴナウアのような強大な力を持つ者を使役するためには、相応の代価が必要だ。それは時に財宝であったり、時に極上の女を抱かせることであったりと様々だが、もっと一般的でかつ手ごろなものがある。

 

 

 ――生贄

 

 

 大量の贄を用意し、その精気を捧げることで悪魔・魔物・魔人を使役する。ディアドラはそれをブリジットの部下を利用して行ったのだ。

 そして、残った死体を再利用して、不死者として復活させ、使役しているのである。

 

 ブリジットに部下に対する愛情など欠片も無い。

 もしあるならば、同じように部下を大量に殺したリリィとここまで良い関係など築ける訳がない。

 

 彼女にあったのは、自分が認めていない相手……それもたかが人間族に自分の城を荒らされた、というプライドを傷つけられた怒りである。

 

 そして、ディアドラはその怒りを待っていた。

 ブリジットは非常に単純で、魔王に似た脳筋思考。基本的に真正面からぶつかる性質を持ち、非常に頭に血が(のぼ)りやすい。

 一度怒らせてしまえば、その戦闘パターンは非常に単調になる。いくら戦闘力が高くとも、知恵を持たぬ猪などディアドラには恐るるに足らない。

 

 ディアドラのとった行動は非常に適切。ブリジットを無力化するための最初の一手として、これ以上ないものであった。

 

 

 ――しかし、それがとある人物の神経を逆撫でするものであることには気づかなかった

 

 

 ブリジットとオクタヴィアの攻撃を防ぐコゴナウアの隙をついて、白刃が(きら)めく。

 

 ギッ! と自身の魔術障壁と当たった音でそれに気づいたディアドラは、慌ててその刃の持ち主から距離をとり、先程まで立っていた場所とは逆側の肩へとコゴナウアの頭越しに飛び移る。

 

「……どういうつもりだい? せっかくアンタ達の尻ぬぐいを私がしてやろうってのに、なんで邪魔をするのさ?」

 

 その刃の主はディアドラからは目を離さずに口を開く。

 しかし、その口から出た言葉はディアドラへの返答では無かった。

 

「娘……リリィと言ったか。()()が言っていた『大変なこと』とは、これに関することか?」

 

「は、はい! というより、原因そのものですけど……」

 

 リリィは戸惑うあまり、思わず行儀よく答えてしまう。

 

 ――なぜ?

 ――どうして?

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、それが分からない。

 あまりに意外過ぎて混乱したが故の敬語であった。

 

「信じよう。この者のあまりの外道ぶり……騎士として捨ておけん。そこの小さな魔族、この大きな魔族を抑えておけ! 私は、この魔術師を斬る!」

 

「小さくて悪かったな!? 蹴り殺すぞ!!」

 

 

 ――ゼイドラムの姫騎士 エステル

 

 

 “治癒の水”を頭からかぶったことにより、濡れた金髪を額に張りつかせながら装飾剣を構えた彼女は、海のように深い蒼の瞳に義憤(ぎふん)をたぎらせ、ディアドラをその鋭い視線で射抜く。

 

「くっ!? 正気かい!? 私は同じ人間族で、そこの魔王を倒す仲間だよ!?」

 

「死者の尊厳(そんげん)を踏みにじる者の言うことなど、信じることはできん!」

 

「チッ……!」

 

 エステルは召喚魔術に明るくない。

 だが、この状況を見れば、この不死者たちが小さな魔族の仲間であったことは疑いようがなかった。

 

 ――人質をとる

 ――皆殺しにした敵の部下を死者として甦らせ、けしかける

 

 それは、エステルにとって、例え魔族が相手であろうとも、騎士として……いや、人として決して許してはならない事であった。

 

 そして、エステルと戦闘する前にリリィが交わした会話が、ここに来てエステルの信用を勝ち取る一因となった。

 

 

 

 ――『“今、魔王の封印を解かなければ、私も人間族も大変なことになる。だから、すぐに封印を解いてほしい”……と言われて、あなたは話を聞く用意がありますか?』

 

 ――『私は私の大切なものを護るため、あなたを倒さなければならない』

 

 

 

 エステルを倒すだけならば不要な事前の会話。

 のちに人間族と和解する可能性としてリリィが撒いておいた種の一つが今、芽を出した。

 

 ディアドラの非道を受けたリリィを見て、“これがリリィの抱えている事情である”と理解したエステルは、先の会話を“リリィの誠意であった”と捉え、彼女を信用できる人物であると判断したのである。

 ラテンニールの一撃から、リリィが命を懸けて彼女を護ったことも、その誠実さを裏づける証拠として後押しした。

 

 ディアドラは焦る。

 

 完全に予想外だった。

 人間(エステル)が魔族と協力すること自体もそうだが、不倶戴天(ふぐたいてん)の敵である魔王を倒すことを止められるとは思ってもみなかったのだ。

 

 魔術師であるディアドラは、当然近接戦は不得手。

 今は魔術障壁がエステルの剣を防いでくれてはいるものの、勇者の血族と言われているだけあって彼女の剣は異様に重く、いつ障壁を抜かれてもおかしくない。

 

 リリィに対しては非常に効果が大きかった人質のリウラも、エステルにはまるで通じていない。

 それが“人質の意味がない”と思わせたいのか、それとも“本当に意味がない”のかまでは判断できないが、不用意にそれを振りかざせば、さらなる外道ぶりに義憤を(つの)らせて、今度はシルフィーヌ達まで参戦しかねない。

 

「まったく馬鹿だねぇ! あとで後悔しても知らないよ!」

 

 先が全く読めない以上、へたな行動は自分の首を絞めかねない。

 そう気づいたディアドラは、さっさと退却することに決めた。

 

「ま、待ちなさい!」

 

「逃がすか!」

 

 リウラごとうっすらと姿を薄れさせるコゴナウアとディアドラを見て、リリィは慌ててリウラを握るコゴナウアの手首めがけてルクスリアを振るい、エステルはディアドラの首めがけて装飾剣を振るうも、共に手ごたえはない。

 

 

 

 ――直後、()()()()()()()()()

 

 

 

「これは……()()()()()()!?」

 

 リリィとヴィアは気づいた。

 これは先の戦いでオクタヴィアが出した、視界と気配、そして魔力を遮断する闇を生み出す魔術だと。

 

 

 ――だが、()()

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 その思いは彼女の主や魔王も同じだったのか、酷く戸惑った声が闇の向こうから聞こえる。

 

「うおっ、なんだぁ!? オクタヴィア、これオマエだろ!? いったい、どうしたんだよ!」

 

「む!?」

 

「……事情は後で話します。魔王様、ご主人様、今すぐこの場を離れます」

 

 その言葉が聞こえるや否や、暗闇が霧散する。

 魔王、ブリジット、オクタヴィアは完全にその姿を消していた。

 

 

 

***

 

 

 

「あー、流石の私でもそれは無理。さっきの闇の魔術が転移の痕跡ぜーんぶ塗りつぶしちゃってて転移先の逆算ができなくなってるもん。魔術で隠蔽されてるのか、魔力の広域探知にも引っかからないし」

 

「それと、さっきのおばさんの方は、その闇の魔術とは関係無しに追えないわね。よくもまあ、あんなに転移先を悟られないように魔術を組めるもんだわ。ここまでくると芸術的ね。せめてアイツらが、どこかで転送魔術でも使ってくれたら、空間の歪みを辿(たど)って見つけることができるんだけど」

 

 小人形態に戻ったツェシュテルが肩をすくめる。

 あの後、シズクの転移先を逆算したように、ディアドラと魔王の居場所を特定できないかツェシュテルに聞いた返事がこれである。

 

 歪魔(わいま)の転移先を計測できるのだから、人間族や魔族の扱う転移術の逆算ぐらい簡単かと思ったのだが……どうやら先のシズクを転移させた時の場合は素早く自然であったものの、偽装を一切していないシンプルな術式であったがためにできたことらしい。

 少々の偽装であればツェシュテルも解析して無効化できるが、ディアドラとオクタヴィアはその“少々”には当てはまらなかったようだ。

 

 おまけにリリィと使い魔の仮契約を結んでいるはずなのに、リウラを魔術で召喚できない。

 どうやら簡単に取り戻されないよう、なんらかの妨害魔術をディアドラに組まれているか、契約そのものを断ち切られてしまっているらしい。

 

「どうする……どうする……どうすれば……!」

 

 それを聞いたリリィは、必死になって(うつむ)き考え込む。

 考えていることが口から出ていることが分からない程に、必死になって考え込む。

 

 それを見たシルフィーヌが落ち着くよう声をかけようとしたところで、

 

 

 

 ――ヴィアの肘鉄がリリィの後頭部を直撃した

 

 

 

 ゴッ! という重々しい音に、思わずアイが首をすくめ、リリィは痛みのあまり頭を押さえて涙目でうずくまる。

 

「~~~~~っ!? ヴィ、ヴィア!? いきなり何を……!?」

 

「アンタが焦る気持ちは、よ~~~~~~~~っくわかるけど、とりあえず落ち着きなさい。リウラには人質としての価値があるんだから、すぐにどうこうされたりはしないわよ」

 

「で、でも……」

 

「『でも』も『しかし』もないわよ。とりあえず落ち着け。落ち着かないと救けられるものも救けらんないわよ。お~ち~つ~け~」

 

わかった(わひゃっら)わかったから離して(わひゃっらはらはなひれ)!」

 

 ヴィアがリリィの頬をびろーんと餅のように横に伸ばしたところで、ようやくリリィがわずかに落ち着く。

 その微笑ましいやりとりを見てわずかに頬を緩ませたシルフィーヌは、すぐに真剣な表情へと切り替えると、疑問を(てい)した。

 

「……それにしても、どうして魔王達は撤退したのでしょうか? たしか、あの小さい魔族達とは仲間なのでしたよね?」

 

「……仲間っていうよりは、“同盟”かな? “魔王様を復活させたい”って目的は同じだけど、私は平穏に生きたいし、ブリジットは好き勝手に生きたいって感じだからね。“利害が一致した”ってだけ」

 

「……ならば、魔王が復活したのだから、それで“同盟を結ぶ理由がなくなった”と考えたのではないか? 魔王を縛ろうとする貴公から引き離すつもりで逃げたのでは?」

 

「う~ん……私は魔王様に絶対服従だから、それは無いと思う。仮にそうだとしても、私の魔力を魔王様に受け渡すのを待ってからするんじゃないかな?」

 

「……その、サラディーネ姉様はお分かりになりますか?」

 

 シルフィーヌがすぐ(そば)に控えて難しい表情で考え込んでいた水精に問う。

 リウラが(とら)われた瞬間からリリィと同様に焦りを募らせていた彼女は、自分以上に慌てていたリリィを見て落ち着き、現在の状況を沈思黙考して分析していたのである。

 

 ティアは難しい表情を崩さないまま答える。

 

「おそらく、だけどね。あのままだと魔王は……」

 

 

 

 

 一方その頃、転移先のとある場所で魔王やブリジットも同様の疑問をオクタヴィアに投げかけており……そして、その答えは至極あっさりと返されていた。

 

「それは、あのままでは魔王様が……」

 

 

 

 

 ――「「……()()()()()()()()()()()()()()()()()です(だと思うわ)」」

 

 

 

 

「は、はい?」

 

「どういうことだ?」

 

 リリィとエステルが呆ける。

 そもそも使い魔として絶対服従を()いられているのはリリィの方だ。『リリィが魔王の良いように操られる』というならば分かるが、その逆とは一体どういうことなのか?

 

 ティアは言う。

 

「覚えてる? リウラが人質になったときのこと。もしかつての魔王だったなら、リリィに対してこう命令していたはずよ? 『人質を無視して、この不届き者を殺せ』ってね」

 

「そういえば……でも、それは魔王様に良心が芽生えていたからで……」

 

「そうね、それは貴女(あなた)の言う通りだと思う。でも、魔王は目覚めたばかりで、良心といっても貴女からわずかに影響を受けたものくらい。自分の命に関わることを無視できるほどの良心ができていると思う?」

 

「それは……」

 

 

 

 

 オクタヴィアは言う。

 

「おそらく、魔王様は“()()()()()()()”のではなく、“()()()()()()()()”のでしょう。そして、その原因は魔王様とリリィとの会話に有ります」

 

「会話だと?」

 

「あの愛情がどーとか言ってた、くっだらない話だろ? そんな話がどうして関係するんだよ?」

 

 とまどう魔王とブリジットに、オクタヴィアは真剣な表情で丁寧に説明していく。

 

「思い出してください。彼女が話した言葉の中に、1つ非常に厄介な()()()が紛れ込んでいたのです」

 

 

 

 ――『魔王様、今、あなたには“良心”が有ります。その“良心”に従って生きてください』

 

 

 

 ティアは言う。

 

「そう、()()()()()()()()()()()()()()()()。“()()()()()()()()()()()

 

「い、いや無理ですよ!? だって、使()()()()()()()()()()()()!? いくら命令したって従えられる訳ないじゃないですか!?」

 

「そうかしら? リリィ、ラテンニールを性魔術で撃退した時、あなたは彼女にどんな束縛(ギアス)をかけたの?」

 

「え、え~っと、たしか魔王様も私も同じ縛りをかけたんですけど……内容は“絶対服従”と“全ての保有魔力の譲渡”です」

 

「そう。なら()くけど――」

 

 

 

 

 ――あなたに絶対服従するよう縛られたラテンニールの魂と融合した魂がいたとしたら……()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

「なっ……!?」

 

 魔王は絶句し、己が失態に気づいた。

 

 なぜ、どうして気づかなかった!?

 ラテンニールの魂と融合した瞬間、()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()!!

 

 目を見開いて固まる魔王に、オクタヴィアは続ける。

 

「……魔王様。今現在、魔王様もリリィもお互いに対する絶対命令権を(ゆう)しています。この状況を覆す方法は、おそらく唯ひとつ」

 

 

 

 

 ティアは言う。

 

「それは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()。相手に命令さえさせなければ、自分を操らせることはできない」

 

 

 

 

「魔王様、()()()()()()()()

 

「リリィ、()()()()()()()

 

 

「いかに相手の不意をついて、『命令するな』と命令するか」

 

「相手の居場所を探り、潜伏し、かつ相手よりも先に命令すれば勝利するゲーム」

 

 

「当然、あの人間族の魔術師の妨害はあるでしょう。魔王様が彼女に捕まることも避けなければなりません」

 

「魔王がディアドラに捕まって洗脳されればもちろんアウトだけど、同時にリリィ1人でディアドラと会ってしまってもアウトよ。リウラが人質にされているからね」

 

 

「このゲームで勝利すれば」

 

「この危機を乗り越えさえすれば」

 

 

「「魔王様(リリィ)は、その望みをかなえるでしょう(ことになるわ)」」

 

 

 

 ――以前よりも更に力を持った魔王として君臨し、人間族に復讐するという望みを

 

 ――魔王とともに平穏に生活するという望みを

 

 

 

 



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第七章 少女が告げる想い 中編

「まず、最初に確認しますが、魔王が心話(しんわ)でリリィに命令することはできますか?」

 

「……たぶん無理ね。魔王様の魂を入れたまま無理やり肉体を昇華させたせいか、それともお互いが使い魔の状態になってしまったせいかは分からないけど、うまく魔王様の位置がつかめないわ。おそらく、お互いの意思を届けることも不可能よ。なら、当然、私に命令することも不可能ね」

 

 あの後、リリィ達は改めてお互いの情報を共有した。

 

 リリィ自身の事、ディアドラの事、ティアの事、(原作知識で把握しているが)エステルやシルフィーヌ達、人間族の事情……中には疑いの視線を向ける人物もいたが、少なくともエステルやシルフィーヌは全て信じてくれたようだった。

 

 リリィの回答を聞いて、シルフィーヌ達はホッとする。

 

 使い魔を操る魔術の中には、心話で遠距離から使い魔に命令できるものも存在する。

 (あん)(じょう)、魔王が使う魔術もその手のものだったものの、リリィの昇華魔術のせいで、それが不可能となっていた。

 これで、“突如(とつじょ)としてリリィが魔王に支配される”という懸念は無くなった。不幸中の幸いである。

 

「……エステル様、しばらく私とともに行動してくれませんか? “人質を無視して動ける”と思われている貴女(あなた)が居れば、ディアドラを牽制することができます」

 

 エステルはリリィからの要請を聞き、即座に首を横に動かす。

 

「すまないが、それはできない。事がここまで大きくなった以上、もはや私が判断できる水準を超えてしまっている。私は一度ゼイドラムへ戻って指示を仰がねばならん。その代わり、援軍を約束しよう。兄上を呼べるかは分からないが、少なくとも私とほぼ同等の力を持つ弓使いと神官は保証する」

 

「……」

 

 知っている。おそらく彼女が言うのは、原作に登場したエルフの弓使いティオファニアと獣人族の神官ネリーだろう。

 たしかに強力な援軍ではある……が、同時にリリィにとっては大きな不安要素でもある。

 

 義を重んじ、例え魔族であろうとも女子供に手を上げることを躊躇(ちゅうちょ)するエステルであれば、今のリリィと敵対することは、まず無いだろう。

 しかし、ティオファニアは目的を達成する為ならば手段を選ばない性格であるため、事が全て終わったら背後から撃たれかねない。

 

 だが、ここでそれを理由に反対することもできない。

 知らないはずの知識を知っている、ということは()らぬ疑念を生み、信頼を失うことに直結しかねないからだ。

 

「申し訳ございませんが、私もエステル様にご同行させていただきます。今の状況でエステル様を1人にするのは非常に危険ですから」

 

「不要だ、アーシャ。自分の身くらい自分で護れる」

 

「お言葉ですが、()()()()()()()()シルフィーヌ様の元に彼女(リリィ)達がいるのでしょう?」

 

「む……」

 

 これでアーシャも脱落。

 

 まずい。

 たしかにエステルの言うように、“魔王が復活するか否か”という状況は1王女の判断できる裁量を超えてしまっている。

 いや、下手すれば王ですら判断できない。周囲の国家の首脳が集まって初めて判断できる案件となってしまった。このままでは各国の勇者達によって、リリィもろとも魔王が滅ぼされかねない。

 リリィは心の中で頭を抱えた。

 

「わたくしは……リリィと共に行動した方がよさそうですね」

 

「姫様!?」

 

「いったい何を!?」

 

 突拍子(とっぴょうし)もないことを言い出したシルフィーヌに、周囲はギョッとし、お付きのメイド達は悲鳴のような疑問の声を上げる。

 しかし、言った当人であるシルフィーヌは落ち着き払って言った。

 

「サスーヌ、ヴィダル、落ち着いて考えてみて。今、魔王がとるべき行動とは何?」

 

「……まずは、拠点の確保ですね。魔王の精気がほとんど奪われている以上、あの魔術師(ディアドラ)との真正面からの衝突は避けるべき。であれば、身を隠して機を伺うことができる場所が欲しいところです」

 

「そうですね。では、その後は?」

 

「……向こうの作戦にもよりますが、魔王を隠しつつ、私達を分断、もしくは攪乱(かくらん)して戦力を分散させて、リリィを孤立させる。そこで隙を伺って“命令”ではないでしょうか?」

 

 それを聞いて、シルフィーヌは静かに否定する。

 

「おそらく違います。先ほど現れた時の様子を考えると、ディアドラは神出鬼没。いつ、どこに現れてもおかしくありません。もし私達を襲うことに集中したら、その隙を突かれてディアドラに魔王を(さら)われてしまうでしょう。ならば、まずは魔王の自衛力……つまり、魔力を回復することが最優先」

 

「し、しかし姫様……魔力など時間をおけば自然回復するのでは……? そうでなくとも魔力回復薬を使えば……」

 

「それはディアドラ側も把握していることです。つまり、ほぼ確実にディアドラは魔王の魔力が回復する前に行動しようとする。逆に魔王側は、ディアドラが襲ってくる前に魔王の魔力を回復しようとします」

 

「ところが、魔王側は転送魔術を使って回復薬を取り寄せることができません。こちらには空間転移を把握できるツェシュテルさんが居ますし、あの得体(えたい)のしれない歪魔(わいま)のような天使に居場所が知られてしまえば、何をしてくるか分からないからです。おそらく、心話を使って使い魔に連絡を取ることすらできないでしょう」

 

 ブリジットとオクタヴィアは、ツェシュテルがニアの空間転移を把握する様子も、歪魔の如き優れた空間操作能力を持つニアが、ラテンニールを転移させてリリィにけしかけたことも知っている。

 魔王やブリジットの魔力を用いて空間操作系統の魔術を使えば、『自分の居場所は此処(ここ)だ』と大声で叫んでいるようなものである。

 

 心話も同じだ。

 空間を(へだ)てていようと連絡を取ることができる心話は、空間干渉の側面を持つ。ブリジットやオクタヴィアが使い魔に心話を送った瞬間、その魔力と空間の乱れをツェシュテルやニアは感知するだろう。

 

「かといって、既に存在する拠点へ直接回復薬を取りに行くこともできません。なぜなら、こちらには魔王の魂を覗き、その記憶の全てを知っているリリィが居るからです。のこのことそれらに足を運べば、待ち伏せにあうだけ。なにしろ、ひとことリリィが声をかけるだけで終わりなのですから。自分達の居場所が発覚することは極力避けなければなりません」

 

 シルフィーヌはリリィをチラリと見ると、リリィはコクリと頷く。

 

 先程、互いの情報を共有し合った際に、リリィが魔王の魂を覗いてその知識・経験を自分のものにしていたことも話してある。

 流石にブリジットの拠点については魔王といえども全て熟知しているかは分からないが……仮にブリジット達しか知らない隠し拠点があったとしても、いつの間にかディアドラに部下を皆殺しにされていたことを考えると、うかつに戻ることはできないだろう。

 彼女の神出鬼没さを考えると、隠し拠点であろうとも安心はできない。

 

「拠点に保管している回復薬を頼るのは危険。では、店から調達するなり奪うなりすればいい? これも同じです。店で待ち伏せされたら最後。ブリジット達に店に行くよう頼んで魔王と別行動などしようものなら、魔力を失った魔王が無防備になります。オクタヴィア単体で店に行くならなんとかなりますが……」

 

 シルフィーヌの言葉を受けて、リリィが肩をすくめる。

 

「たとえ例の闇の索敵妨害魔術があったとしても、“魔神の魔力を回復できる量の回復薬を持って1人で移動”なんて現実的じゃないわね。せめて運搬役と護衛役の2人が必要だわ。もし私やディアドラに見つかってしまえば、魔王様の元にたどり着く前に、簡単に彼女を撃破できる。うまくいけば、オクタヴィアの帰還ルートから魔王様の居場所を推測できるかもしれない……魔王様の身の安全を考えれば、あまりに危険すぎる賭けね」

 

「はい。そうなると、次に考えられるのは――」

 

「……居場所を特定されないよう、魔物とかを狩って精気を奪う」

 

 リリィがぼそりと言うと、シルフィーヌは頷く。

 

「しかし、狩る対象が一般的な魔物では、ディアドラや彼女の操る魔族に対抗する魔力を得るのに、何百頭、何千頭と必要です。それでは到底間に合いません。……となれば残った手段は、おそらく1つ」

 

「“シルフィーヌ王女を捕らえて魔力を奪う”……? いえ、違うわね。仮に、そこのメイド2人を含めても、とてもディアドラに対抗できるだけの魔力を確保できるとは思えない」

 

「違いますよ、リリィ。“()()()()()()()”ではなく、“()()()()()()()()()()()()()()()”を考えてください。……居るではないですか、わたくしなど比べ物にならない魔力の持ち主で、それでいて今は魂を失った“でくのぼう”となっている者。それでいて、魔王の良心も痛まない存在が」

 

 そこまで聞いてリリィはハッと目を見開く。

 

「……魔王様の元の肉体……!」

 

 リリィの発言に“我が意を得たり”とシルフィーヌが頷く。

 

「魔王の肉体を封印する場所、そして封印強化の儀式を行った場所を知っているのは、この迷宮の近辺ではわたくしだけです。もし、わたくしがリリィから離れれば、わたくしは即座にブリジット達に襲われて、魔術でその場所を吐かされ、魔王の肉体から直接魔力を奪って魔力を回復させるでしょう。なんなら、わたくしを洗脳して直接封印を解かせてもいい。だからこそ、リリィから離れるわけにはいかないのです」

 

 “良心”で縛られているのは、あくまでも魔王のみだ。ブリジットやオクタヴィアが独自に動いてシルフィーヌを襲うことは問題なくできる。

 そして、シルフィーヌ、サスーヌ、ヴィダルの3人がかりでも、急激に力をつけたブリジットには(かな)わないだろう。

 あのパワーアップした瞬間の爆発的に増幅された魔力を見たのだ、それはハッキリと理解している。

 

 エステルやアーシャはすぐにゼイドラムへと戻ってしまい、シルフィーヌの護衛としてカウントすることはできない。

 また、エステルクラスの実力者がそうホイホイいるわけもなく、城に戻ったところで戦力にそう大差はない。

 つまり、彼女達とともにシルフィーヌが地上に戻っても、シルフィーヌの安全は全く保障されないのだ。

 

 昇華魔術によってブリジットすらも蹴散らせる実力を手に入れ、さらには利害が一致しているリリィであれば、間違いなくシルフィーヌを護ってくれる。

 皮肉なことに、先程まで敵対していた彼女の(そば)が一番安全なのである。

 

 そして、この提案はリリィ側にもメリットがある。

 

 “人質が通用しない人員”として、シルフィーヌ達がディアドラと戦ってくれるからだ。

 ブリジットとオクタヴィアが2人がかりでもどうにもならない魔族を操るディアドラに対して少々不安であるものの、リリィが人質で動けなくなる可能性が高い以上、強力な戦力は有れば有るほど良い。

 

 そこまで話したところで、サスーヌが「そういえば……」と疑問の声を上げる。

 

「……どうしてディアドラは、人質を盾に『エステル様を斬れ』とリリィに命じなかったのでしょうか? そうすれば、わざわざ逃げる必要もなかったはずでは?」

 

「……それについては心当たりがある」

 

 その疑問に答えたのはエステルだった。

 

「奴が何度か気を逸らそうとした瞬間があったのだが、その隙を見るたびに自分は奴に打ち込んでいた……今思えば、あれはリリィに脅しをかけようとしていたのだろうな。自分は気づかないうちに、それを妨害していたのだろう」

 

 エステルの推測は当たっていた。

 

 エステルが斬りかかってからすぐに、ディアドラはリリィを脅してエステルを排除しようとしていた。

 しかし、言おうとリリィへ意識を向けようとした瞬間に、エステルが障壁を貫通するような渾身の斬撃を繰り出してきたため、そのたびに障壁を強化したり、回避動作を行ったりしなければならなかった。脅そうにも脅す隙が無かったのである。

 

 だが、魔術師でありながらエステルの斬撃を防げるのは、相当な技量を持つ証拠。

 少なくともエステルとほぼ同等の実力を持つ戦士でなければ、ディアドラの脅し文句を封じることはできまい。

 

 やや後方支援に近い魔術師であるシルフィーヌでは、その隙を突くことは不可能。

 そして、ゼイドラムへ戻るエステルとアーシャを除外すれば、その役割はサスーヌかヴィダルしか(にな)えない。

 そして、彼女達はシルフィーヌの傍から離れられない以上、やはりシルフィーヌとリリィが共に居ることが望ましい、ということになる。

 

 ちなみにアイとヴィア、ツェシュテルはアウトだ。

 

 そもそもアイとヴィアはリウラを人質に取られたら動けないし、ツェシュテルは魔王達の居場所の調査を終えた途端、『ご主人様を援護してくるから』と早々に去って行った。

 いつの間にかセシル達の気配が感じられなくなっていることから、どうやらニアと戦闘をしながら別の場所へ移動してしまったらしい。

 

 『魔王やディアドラの居場所をつかんだら、仮マスターのアイに心話で連絡を入れる』と言ってはくれたものの、魔神とも戦える彼女が居なくなるのは非常に厳しい。

 だが、本来の彼女の主人であるセシルが死闘を行っている以上、無理は言えなかった。

 

 ともあれ、大体の方針は固まった。

 

 ――エステルとアーシャは、ゼイドラムへ応援を呼びに行く

 ――シルフィーヌとヴィダルは、そのままリリィと行動。ディアドラが現れたら即座に攻撃に入りつつ、アイの心話を通してツェシュテルを救援に呼んでもらう

 ――サスーヌはいったん地上へ戻り、さらなる兵と兵站(へいたん)部隊を率いて戻る。その後、大量の兵を用いて人海戦術で魔王を捜索

 ――リリィはシルフィーヌ達とともに待機。不意に魔王の命令を受けないよう、可能な限り警戒態勢を維持しつつ、リリィの記憶にある拠点を中心に魔王を捜索

 ――ヴィアはアルカーファミリーの情報網を駆使して、魔王やブリジットの拠点、各都市の店舗を中心に魔王の情報を探る

 ――ティアはリウラを取り戻す策を練る

 

(とりあえずは、これで迷宮内のどこに居ても、こちらが先手を取れると思うけど……)

 

 リリィ側のアドバンテージである人脈を最大限に活かした作戦。

 これを覆すことは容易ではない。容易ではないはずなのだが……

 

(何だろう……()()()()()()()()()()()()()()()()()……)

 

 リリィは、漠然とした不安を振り払うことができなかった。

 

 

 そして、その不安は見事に的中する。

 

 

 これだけ大量の人員を投下し、ヴィアの情報網を駆使しているにもかかわらず、ブリジット達の目撃情報は()()()()()()()()()()()()

 彼女達は、まるで煙の如く姿をくらませてしまったのである。

 

 

 

***

 

 

 

「犬小屋かよ!? なんだよ、この狭い家は!?」

 

「こら、文句言わないの! ……っていうか、ここ私の家よりずっと広いんだけど、貴女(あなた)どんだけ良いとこのお嬢様なのよ?」

 

「へへ~ん、聞いて驚くなよ! あの迷宮の数階ほぼ全域を支配して――」

 

「おらんだろう、適当なことを言うな。ろくな根城(ねじろ)すら持っていなかったではないか」

 

「いったい何年前の話だよ!? 今は立派なのを持ってるよ! いつまでも、あの時のボクだと思うなよ!?」

 

「……それは親のものではないのか?」

 

「あんな奴のものなんて使うか! ぶっ殺すぞ!? ちゃんと自分の力で奪い取ったヤツだよ!!」

 

「ま、まあまあ、落ち着いてください。ほら、お茶が入りましたよ?」

 

「悪いな兄ちゃん。ほら、嬢ちゃん達もこれ飲んで落ち着け」

 

 リリィ達が迷宮を必死で捜索しても、ブリジット達を見つけられるわけがなかった。

 当然だ。彼女達は()()()()()()()()()()()()

 

「ごめんね、エミリオ。急にこの人達を(かくま)ってもらっちゃって」

 

「いいよ、コレット。この人達、リリィの友達なんだよね? コレットも助けてもらったみたいだし、恩返しの良い機会だよ」

 

 すまなそうにするコレットに対し、笑顔で返すエミリオ。

 

 そう、ここはユークリッド王宮の庭園近くにある庭師専用の住居――エミリオの家。つまりは()()()()()

 魔族を目の(かたき)にする人間族が住む地上、それも目と鼻の先に軍が常駐する王宮の敷地内に潜伏するなど、リリィ達には思いもよらなかったのだ。……かつて、リリィ自身がやっていたことにもかかわらず。

 

「エミリオ……でしたか? 少しの間、ご主人様方とお話させていただきたいのですが……」

 

「あ、はい。ちょうど僕もそろそろ仕事に戻らなければならなかったので、庭園に戻ります……コレットと……え~っと、「ヴォルクだ」ヴォルクさんは少しの間、隣の部屋に居ていただけますか?」

 

「あ、私もいったん家に戻るから大丈夫」

 

「俺も少し外を見て回っても良いか?」

 

「……すいません。流石に部外者が王宮の庭園に居ることを見られるとまずいので、ヴォルクさんは家に居ていただけませんか?」

 

「わかった……すまんな、無理を言って」

 

「いえいえ。では、みなさん、ごゆっくり」

 

 そう言って、エミリオはスコップなどの道具が詰まった袋を手にコレットとともに外へ。

 ヴォルクは隣の部屋へ移動した。

 

 直後、オクタヴィアが遮音(しゃおん)結界を張り、口を開く。

 

「……魔王様、“縛り”について把握できましたか?」

 

「ある程度はな。これは少々……いや、かなり厄介だ」

 

 忌々(いまいま)しそうに魔王は語る。

 

「貴様も分かっていようが、今までならば無視できていたようなことが、できなくなってしまっている。道中、あの人間族の小娘と獣人を魔物から助けてしまったのが良い例だ。どうやら、“助けてしかるべき人物を助けない”ということは“縛り”にひっかかるらしい」

 

 魔王達はディアドラから転移して逃げた後、道中で偶然魔物に追われるコレットとヴォルクに遭遇した。

 その時、魔王の身体は反射的にその魔物を無造作に背の触手で串刺しにし、彼女達を救ってしまったのである。

 

 魔力の大半を奪われたとはいえ、元は強大な魔神の肉体。まるで強大な魔力を持つ()()に惹かれたかのように、その階層にふさわしくない力を持った魔物であったものの、魔王は造作もなく魔物を(ほふ)り、ついでにその精気を奪った。

 

 その後、助けてもらった恩を感じたコレットと情報収集を兼ねた自己紹介をしているうちに、魔王達がリリィの知り合いであり、手ごわい敵から追われていることを知り、命を救われた恩返しとして地上へと案内された、というわけである。

 

 ……ちなみに、嘘は言っていない。その“手ごわい敵”にリリィが含まれていることを言っていないだけだ。

 

 さらに幸いなことに、コレットは迷宮を脱出する魔法具“飛翔の耳飾り”を所持していた。

 

 “飛翔の耳飾り”を使って転移してしまえば、彼女達の脱出の過程を見る者も、彼女達の魔力を探知する者も存在しない。

 なぜなら、迷宮に転移門が多数設置され、多くの者が利用している以上、“転移した”という事象だけで、魔王達を探知することは不可能だからだ。魔王達の空間干渉を探知するためには、あくまで“()()()()()()()()()()”空間干渉が行われることが条件だった。

 

 こうして魔王達は誰の眼にも触れることなく迷宮を脱出し、コレットが記憶する迷宮の入り口……すなわち、ユークリッド王宮の庭園付近の穴へと転移。コレットからエミリオに事情を話して、一時的に匿ってもらっていたのである。

 

 コレットは当初、不便ながらも人目につきにくい狩猟用の山小屋へと案内しようと考えていたのだが、向かう道中で魔族だとバレる危険性から、エミリオが『自分の家をしばらく使ってくれていい』と申し出てくれた。

 万が一バレればエミリオ自身への影響どころか国際問題必至のはずなのだが、(くだん)の“恩返し”とやらのためか、なぜか彼は非常に協力的だった。

 

「いや、どうしてアイツが“助けてしかるべき人物”なんだよ? ただの人間族だろ?」

 

「……“助けられる力があるから”だろうな。おそらく、私の魂に影響を与えたリリィの常識やモラルにのっとって判断されるのだろう。事実、先程から試しているのだが、“奴らを害そう”という気がまるで起こらん。私なら、“皆殺しにして拠点を奪う”ことは当たり前だが、リリィの常識では有り得んのだろうな。かといって、それをお前たちにさせることもできん……私がお前たちを止めてしまう」

 

 魔王の分析を聞いたオクタヴィアは、ややあって一つ頷き、口を開く。

 

「……おそらく、この“縛り”はリリィの“常識”というよりも、“罪悪感”に反応していると思われます」

 

「はぁっ!? 罪悪感!? アイツにか!?」

 

 ブリジットが、すっとんきょうな声を上げる。

 あの意地の悪い戦術を嬉々として使い、口を開けば上から目線の罵詈雑言(ばりぞうごん)が飛んでくる少女に、“罪悪感”なんて殊勝なものがあるとは到底思えなかったのだ。

 

 だが、もろに彼女の魂の影響を受けてしまっている魔王は理解できているようで、苦々し()に頷く。

 

「オクタヴィアの推測は当たっているだろう。“害そうという気が全く起きない”相手を害そうと意識する時、なんとも言えん奇妙な感情が湧き上がる。おそらくはこれが“罪悪感”というものだろう。……リリィと私の魂が、同じ身体に妙な形で共存していた影響だろうな。奴の価値観が私の価値観と混ざり合っている」

 

 リリィは魔王が創造した使い魔だ。

 彼は自身の魂の器たる神核のひとかけらを素に、リリィを創りだした。

 

 彼の使い魔であるリリィは、魔術的に支配される側の立場であるため、通常、魔王の魂に干渉することはできない。

 しかし、“リリィの体内に魔王の魂が入る”という本来有り得ない状況が発生したために、それが可能になってしまった。

 

 この状態でリリィが魔王の魂に干渉しようとする……つまり、魔王の魂にリリィの魂が近づこうとすると、リリィの魂の本来の姿である“魔王の神核のかけら”に戻ろうとする現象が発生し、お互いの魂の波長が一致することで、魔王の魂にアクセスできるようになるのである。

 

 この状態は、“魂の融合の一歩手前”とも言うべき状態であり、魂が融合した時のように“どちらかの自我が消失する”ようなレベルでのものではないが、お互いの価値観が著しく歪むほどに互いの魂の影響を受けてしまう。

 

 ――魔王に対しては、“良心”や“罪悪感”といった、普段の彼であれば到底(とうてい)有り得ない感情を芽生えさせ、

 

 ――リリィに対しては、“必要であれば、人を殺しても全く罪悪感を抱かない”という、人としては異常な精神性を獲得させる

 

 余談だが、幼き日の魔王のように、リリィがブリジットとよく喧嘩するようになったのも、これが理由であった。

 

「ご主人様、ああ見えてリリィはかなり人間族よりの考え方をします。であるならば、“罪悪感”も持っていてもおかしくはありませんし、それが人間族の常識に基づいたものでもおかしくありません。ましてや、人間族の魂と融合しているならば尚更です。……ですが、それは“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()”ということでもあります。魔王様、どのような相手、どのような状況ならば“相手を害する”ことができますか?」

 

「……リリィとその周りの者達は微妙だな。できるかもしれんし、できないかもしれん。確実に害せるのは私を襲った人間族の魔術師と……あとは、せいぜいそこらにたむろしている魔物くらいか。それら全員に共通しているのは……」

 

「……魔王様の身を護る分には問題ない、ということですね」

 

「リリィ達の場合、“私を殺す意図”はないが、“私の意思を曲げる意図”は持っている。これを防ごうとする分には問題ないようだ」

 

「?」

 

 ブリジットが首を捻っているので、オクタヴィアは補足で説明する。

 

 オクタヴィア達が聞いた、水精(みずせい)と化したサラディーネとリリィの会話を思い返すに、リリィは“魔王に人を害させないようにしよう”とする意図がある。

 その方法がどういったものかまではわからないが、もし仮に洗脳の(たぐい)であれば、明確に“害意”に分類される。

 それに抵抗することはリリィの価値観でも問題ないため、魔王は抵抗することができる、ということである。

 

「魔王様、確認ですが……“魔王様の魔力を回復するために薬屋を襲う”ことは可能ですか?」

 

「可能だ」

 

 魔王は、いともあっさりと即答する。

 

「どうやら“自分が生きるために必要な手段である”と判断できるのなら、無関係な第三者に対する攻撃もできるようだ。ここの庭師たちを排除できないのは、それが『必要』とまでは言えないからだな。……とはいえ、その薬屋を“襲う”ことはできても“殺す”ことはできんし、人質を無視してリリィに魔術師を攻撃させられなかったことを考えると、判断基準はもっと複雑かもしれん」

 

 もし仮にこの家以外に行く場所がなく、さらにエミリオ達が魔王達を追い出そうとしていたのならば、それは“必要”な行為だ。

 つまり、魔王は彼らを皆殺しとは言わずとも、排除することはできた、ということである。

 

 同様に、ディアドラにその身を狙われているという状況下では、魔王の魔力回復は自身の身を守るために“必要”な行動に分類される。

 よって、“魔力回復薬を奪う”という行動そのものに(かせ)()められることはないのだ。

 

 とはいえ、それは植え付けた価値観の持ち主であるリリィも重々承知のはず。

 店に潜まれたリリィから、不意に『命令するな』とでも命じられればそれで最後だ。

 その行動はとりたくてもとれない、というのが現状であった。

 

 ここまで会話を続け、魔王はフッとオクタヴィアに笑みを向ける。

 

「?」

 

 不思議そうに首をかしげるオクタヴィアに、魔王は言う。

 

「いや、なに。“お前はブリジットなどにはもったいないほど優秀な使い魔だ”と思ってな」

 

「な、なにおうっ!? 喧嘩なら買うぞ、このヤロウ!」

 

 額に青筋を浮かべてギャーギャー騒ぐブリジットを無視して、「どうだ、私の使い魔にならんか?」とオクタヴィアに誘いをかけるも、オクタヴィアはふるふると首を横に振る。

 

「……まあ、お前なら断るだろうな。予想通りではある」

 

 魔王は大してがっかりした様子もなく、ガタリと椅子を動かして立ち上がる。

 この家の主のものであろうハンガーにかけられた日除け用のフード付きローブを、持ち主に無断で手に取ると、それを(まと)って姿を隠し、玄関のドアに手をかける。

 

 男性としては非常に小柄であるエミリオに合わせられたであろうそのローブは、魔力のほぼ全てを失って幼い少女の姿になっている魔王の姿を覆い隠してなお余りある大きさとなっており、ちょうどいい具合に全身のシルエットを覆い隠していた。

 ……見つかったら呼び止められること間違いなしの、怪しさ大爆発な姿ではあるが。

 

「? どこに行くんだよ」

 

「確認すべきことは確認したのだ。私はあの庭師を見張りながら策を練る……奴が裏切るかもしれんからな」

 

 魔王達の見ていないところでリリィやその仲間に告げ口などされたら、それだけで魔王はゲームオーバーだ。用心しておくに越したことはない。

 

 バタンと扉が音を立てて締まる。

 

「……」

 

 ブリジットは先程の剣幕が嘘のように口を閉じ、じっと魔王が出て行った扉を眉をハの字にして見つめ、ポツリと(つぶや)いた。

 

「……なんだよ。せっかく久しぶりに会えたんだから、もうちょっとかまってくれてもいいのに……」

 

 主の寂しそうな呟きをしっかりと耳に収めながら、オクタヴィアは(しば)し沈思黙考するのだった。

 

 

***

 

 

「……こんなところで何をしている」

 

 魔王は目の前の状況を理解できず、とまどっていた。

 

 

 

 ほんの数分前――なるべく目立たぬよう気をつけながら、広大な花園を手入れするエミリオを監視していると、突然彼はあらぬ方向へと歩み始めた。

 “これは怪しい”と可愛らしく眉をひそめた魔王が、自身の短い歩幅に少し苛立ちながら後をつけると、庭園からわずかに離れたところの穴の中へと姿が消えていく。

 

 エミリオの気配を追いながら慎重に歩を進めてたどり着いた場所……そこは案の定、迷宮へと続いていた。

 

 あまりに階層が浅すぎて魔物が徘徊(はいかい)していないが、迷宮は迷宮。ここを通じて深層のリリィ達と連絡を取ることも可能だろう。

 “やはりリリィに情報を流そうとしているのか?”と疑いかけたその時、彼はエミリオの気配が移動しなくなったことを感じ、その場所を覗き込んだ。

 

 そこで彼が見たものは……()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 ――エミリオが花の世話をしている姿だった

 

 

 

 迷宮の中にこしらえた、簡素ながらもしっかりとした花壇。

 その中には色とりどりの花々が咲き誇っており、その種類は王宮の庭園にも劣らない。中には水鳥草(すいちょうそう)なんて希少な花までもが美しく咲き誇っていた。

 

 

 ――こんな場所に、いったい誰が見に来るというのか?

 

 

 魔王は当然の疑問を抱いた。

 つい「いったい何をしているのか」と声を上げてしまうほどに、この訳のわからない行動をする庭師に戸惑(とまど)ってしまったのだった。

 

 その声を聞いたエミリオは、そこで初めて魔王が来ていたことに気づき、照れくさそうに頭を掻く。

 

「どうしてここに? ……え~っと」

 

 名前を聞いていなかったことに気づいたエミリオが困ったように言葉を(にご)すが、“そんなことは知ったことか”と言わんばかりに魔王は彼の様子を無視し、再び問いを投げる。

 

「貴様が怪しげな行動を取ったからな。後をつけさせてもらった。……それで? この花壇はいったい何だ? こんな辺鄙(へんぴ)な場所にある、みすぼらしい花壇をいったい誰が見に来る?」

 

 清々しさすら感じさせる程に歯に(きぬ)着せぬ言いっぷりに、エミリオは苦笑いをこぼしつつ、あっさり答える。

 

「これはリリィのための花壇ですよ」

 

「リリィの?」

 

 魔王は“リリィがここに通っているのか?”と警戒を強める。

 しかし、その警戒は杞憂(きゆう)に終わる。

 

 エミリオは語る。

 

 ――少し前にリリィがこの庭園にやって来ていたこと

 ――ある時、落ち込んでいた自分を力強く認め、肯定し、立ち直らせてくれたこと

 ――その時にリリィが魔族だとばれてしまい、リリィが慌てて逃げてしまったため、お礼も言えずにいたということ

 

「ただの人間族の女の子でしかないコレットが迷宮に居たのは、リリィを探すため……というのはさっきコレットが話していましたよね? コレットがリリィを連れて来てくれた時に、僕はこの花壇をプレゼントしたいんです。……花を美しく育てること、それを僕の“誇り”にしてくれた彼女に」

 

 「知ってました? リリィは花が大好きなんですよ?」と語るエミリオの笑顔に一切の曇りはないが……これは、かなり危険な話である。

 

「……貴様、理解しているのか? 匿われている私が言えた話ではないが、このことが明るみに出れば貴様だけではない。貴様以外の親族、へたすれば国にまで“魔族と内通しているのではないか”と疑われるぞ?」

 

 至極当然の意見。

 だが、エミリオはその懸念をあっさりと「それはないですよ」と否定した。

 

「僕が作っているのは唯の花壇です。言い訳なんていくらでもできます。例えば『庭園だけでは育てられる花の種類も限られます。だから、こういう湿度のある場所も必要だったんです。必要があれば、姫様に献上するために……』とか」

 

「リリィが見に来ているところを見られても、その言い訳で通せるとでも考えているのか?」

 

「その時は僕が責任を取れば良いだけです。花を育てるしかできない僕に、大した悪事なんてできませんよ。むしろ“魔族に脅された被害者”と思われるかもしれません」

 

「仮に責任を問われたとしても、家族もいないので、僕1人の命で済むでしょう。他の人に迷惑は掛かりません。……まあ、姫様は無益な殺生を嫌われる方ですから、命を奪われる心配なんて、まず無いと思いますけど」

 

 魔王は庭師の少年の見通しの甘さに、内心で呆れた。

 

 たしかにエミリオは唯の庭師である。

 政治的に重要な情報は何ひとつ知らされていないし、誰かを害せる武力も無ければ、魔術で小細工をすることもできない。

 

 だが、だからといって“大したことができない”と考えるのは大間違いだ。

 魔王がパッと思いつくだけでも、エミリオを洗脳し、花壇のどこかしらに毒針を仕込ませれば、それだけでシルフィーヌを毒殺できるかもしれない。

 

 ……まあ、『お前は花を枯らさないことだけ考えていればいい』と言われ続け、実際“花を育てること”しか教えてもらえなかった彼に、高い防犯意識を求める方が(こく)なのかもしれないが。

 

 しかし、そんなエミリオの愚かさなど、魔王にとってはどうでもいいことだ。

 それよりも1つだけ、気になることがある。

 

「……何故だ?」

 

 魔王は“あること”に困惑していた。

 

「なぜ、貴様がアイツにそこまでしてやる必要がある? 礼なら口で言えば良かろう。物を贈りたいなら手で渡せば良い。こんな大仰(おおぎょう)なものを、命を懸ける覚悟までして用意する理由は何だ?」

 

 エミリオが用意したリリィへの礼――それは大した身分も持っていない1人の少女に対する贈り物としては明らかに過剰である。

 たかだか“慰めた”程度の礼には到底釣り合うまい。

 

 そのように問うた魔王に対する、エミリオの答えはシンプルだった。

 

「“釣り合う、釣り合わない”なんて関係ありません。ただ僕がそうしたいから、そうしているだけです。……それに」

 

 魔王はわずかに驚く。

 

 魔王の経験上、この手の(やから)は怒りを飲み込むどころか、全てを諦めて強者の言いなりになる者がほとんどだ。

 なのに、モヤシと表現するに相応(ふさわ)しい軟弱なこの男の気弱な眼が鋭くなり、剣呑(けんのん)な光を()びたのだ。へたをすれば、()()()()()()()()()()()

 

「ただ友人に会うことが、友人にお礼をすることが罪になる世の中なんて間違っています。僕は自分に恥じることは何ひとつしていません。僕にできることは少ないけれど、魔族に厳しいこの世の中で、あの心優しい女の子を元気づけられるのなら、僕は全力を尽くす……それだけです」

 

「……………………そうか」

 

 魔王はそう一言だけ返すと、(きびす)を返す。

 エミリオには立ち去る魔王の表情は見えない。しかし、言いたいことを言い切った彼の表情に、後悔の色はひとかけらもない。

 

 エミリオは蒸し暑さから額に浮かぶ汗を袖で(ぬぐ)い、再び花々へと向かう。

 その瞳は先程とは打って変わって、まるで赤ん坊に向けるような優しい愛情に満ち溢れていた。

 

 

***

 

 

「ブリジットちゃん、あの真っ青な()のことが好きなんだって?」

 

 ブリジットは噴いた。

 

「は、はああああっ!? いきなりなんだよ! っていうか、誰があんな奴……いや、そもそも誰だそんなこと言った奴は!? あと、ちゃん付けやめろ!!」

 

 ただでさえ(かしま)しくてうざい人間族の女が、何やら弁当を持ってやってきたかと思えば、唐突にこれである。

 いったいコイツの頭の中身はどうなっているのか。いや、そもそも一体誰がこの女にそんな戯言(ざれごと)を吹き込んだのか。

 

「なんかオクタヴィアさんがそう言ってたよ。う~ん……聞いたことはあったけど、女の子同士で恋愛かぁ……ほんとにそんなことあるのねぇ……」

 

「オクタヴィアぁああっ!? 裏切ったな!? いや、アイツあんなナリしてるけど、立派に男だから! 別にボクは同性愛者じゃないぞ!? ……って、違う! ボクは別にあんな奴、好きでも何でもない! ボクはアイツの好敵手(ライバル)だ!!」

 

 まさかの下手人の名前に、ブリジットはびっくり仰天。

 直後に同性愛者と勘違いされ、更にはそれを言い訳して自分の恋愛感情を暴露し自爆……もうブリジットのハートはボッコボコである。

 

 吠えた直後、ブリジットは自身の使い魔を探すが、つい先程までそこにいたはずなのに、いつの間にか姿が無い。

 いい度胸である。これは(きゅう)をすえてやらねばなるまい。

 

 ……あと、今の魔王の肉体は女だが、心は男だ。

 好きだった男が、たまたま女になっただけ。自分は断じて同性愛者(レズ)ではない……ないよな? これって、どうなんだ? あれ?

 

「そうなの? オクタヴィアさん『我が主は照れ屋でひねくれているので素直になれず、危うく片方が殺されそうになって、想いも告げないまま永遠の別れになるところだった』って」

 

「ブッ殺ぉす!!」

 

 ブリジットが危うく真実に辿(たど)り着きそうになったところで、容赦なく投下される主の評価(燃料)に、ブリジットの怒りは大爆発。

 そうか、オマエは内心で自分の主の事をそう思っていたのか。待っていろよオクタヴィア。今宵(こよい)、我が脚は血に飢えておるわ。

 

 ブリジットが頭の中でオクタヴィアの尻に高速旋風脚を叩き込んでいると、コレットが真剣な表情で言う。

 

「ブリジットちゃん……すぐにでも告白した方が良いよ」

 

「だ・か・ら! 惚れてないって言ってるだろ!! あと、ちゃん付けすんな!」

 

「迷宮なんて危ないところに住んでたら……ま、魔物に襲われたりなんかして、今度こそ二度と会えなくなっちゃうかもしれないんだよ」

 

「聞けよ、人の話!」

 

「ズルズルの触手に襲われてグチョグチョにされて、一生魔物を産まされ続けて……ああああああああああブリジットちゃんがああああああああ」

 

「何、想像してんだよ! オマエ、ほんっと失礼だな! あと、ちゃん付けやめろって言ってんだろ!」

 

 ヴォルクと共に迷宮を駆け巡ったコレットは、迷宮の魔物の恐ろしさをとてもよく知っている。

 だからこそ、こうして真剣にブリジットに助言しているし……こうして実際に襲われたときのことを想像してもだえ苦しむのだ。

 特にあの触手の魔物は怖かった。ある意味、命の危険を感じる魔物以上に怖かった。

 

「……つーか、オマエはどうなんだよ。このボクにそんだけ偉そうにモノを言えるんだ。ちゃんと告白できてて当然だよな?」

 

「っ!」

 

 ブリジットが半分照れ隠し、半分話の矛先(ほこさき)を逸らすためにそう返すと、コレットは答えに詰まった。

 

 言われた瞬間、彼女の脳裏に狼顔の獣人の姿が浮かんだからである。

 

(私……なんで……?)

 

 ふと浮かんだ疑問は瞬時に氷解する。

 コレットは鈍い人間ではない。この状況から自分がヴォルクのことをどう思っているか……その事を理解することは難しくない。

 

 コレットは目を閉じて深呼吸し、そしてイメージする。

 先ほど自分が言ったように、自分が何らかの理由でもしヴォルクと二度と会えなくなったとしたら――

 

 スッと(まぶた)を持ち上げると、怪訝(けげん)そうな表情をしたブリジットが見える。

 

 なぜだろう。とても……とても心が静かだ。身体全体がリラックスし、呼吸が自然と深くなっているのが分かる。

 

 コレットが口を開くと、その言葉はするりと滑らかに出てきた。

 

「そうだね。ブリジットちゃんの言う通りだ。……だから、私……()()()()()()()()()

 

 ブリジットはちゃん付けを訂正することも忘れ、大きく目を見開いて固まった。

 

 

***

 

 

 庭師の小屋の裏、2つの影が重なる。

 1つは姦しい人間族の女の、もう1つは狼顔の獣人族の男の。

 

「……」

 

 ブリジットは草陰から、1人の女の想いが成就する瞬間をまじまじと眺めていた。

 

 正直、あの女の趣味は悪いと思う。あんな獣そのものの顔した相手に恋ができるその感覚がまるで理解できない。

 だが、それでもこの光景には心惹かれる……そして、この光景に心から“うらやましい”と感じる。

 

 ――“もし、あそこに立っているのが自分とアイツだったら”……そう思わずにはいられなかった

 

 やがて狼男が去り、コレットがこちらへとやってくる。

 

 ブリジットの居場所を知っているのは、元々ブリジットに『ここに隠れて告白を見ているように』と指示したのがコレットだからだ。

 人間族に指図されたことに少なからず不快感を覚えたブリジットだったが、1人の女が告白する様子を拝む興味がそれを上回ったため、渋々ながらこうして草陰に隠れることとなったのだった。

 

 コレットが来るのを見て立ち上がったブリジットに、コレットは端的に声をかけた。

 

「次は、あなただよ」

 

「ボ、ボクは……」

 

 正直、賭けであった。

 もしコレットの恋が破れ、そのシーンをブリジットに見せることになれば、ブリジットは告白する勇気をもらうどころか、逆に告白することに怖気(おじけ)づく可能性があった。

 

 だが、コレットは賭けに勝った。だからこそ、ブリジットは『ボクはアイツに惚れていない』と照れ隠しをすることもないし、告白することを突っぱねもせず、こうして迷っている。

 告白し、その恋が成就するコレットを見て、“自分もそうなりたい”と思ってくれた証拠であった。

 

「どうして躊躇(ためら)うの? あなたとあの子は幼馴染なんでしょう? 他人同士だった私達より、よっぽど成功しやすいんじゃない?」

 

「……簡単に言うなよ。アイツはボクの事をそういう目で見たことないし、アイツの周りにはボクよりよっぽど美人でスタイルも良い女が掃いて捨てるほどいたんだ。あんなモテなさそうな狼野郎と一緒にするなよ……」

 

 “モテなさそうな狼野郎”というワードには引っかかるものの、コレットは内心でオクタヴィアを思い出し、“なるほど”と頷く。

 

 あんな美人で立派な従者がついているのだ。おそらくブリジットは相当なお嬢様なのだろう。

 そんなお嬢様の幼馴染なのだ。おそらくは彼も相当な金持ち。美人でスタイルの良い女性を(はべ)らせることなど造作もないに違いない……あの幼さで、ずいぶんとませた男の子である。

 

 幼い容姿の彼が実は成人した魔王で、過去にとっかえひっかえ女を抱いていたとも知らず、そんな考えに至ったコレットは自分の右耳に両手を持って行く。

 パチン、と音を立てて何かが彼女の耳から外れる。同じように左耳にもすると彼女は「ちょっとじっとしてて」と今度はブリジットの耳に両手を持って行く。

 

 パチン……パチン

 

 コレットの両手はブリジットの耳から彼女の側頭部へと移っていき、サイドテールで纏めていた紐をほどく。

 髪の先端を飾っていたビーズをとり、コレットの頭部を飾っていた羽の形をした髪飾りをブリジットの髪へと挿す。

 最後に、少々長い前髪やもみあげの頭髪を、コレットの髪を纏めていた髪留めを使って整えた。

 

「? オマエ、いったい何してんだよ」

 

「いいから、ちょっとこっちに来て」

 

 コレットは(いぶか)しむブリジットの手を取ってエミリオの家の中に招くと、棚から手鏡を取り出してブリジットに持たせた。

 

「どう? だいぶ良い感じになったと思わない?」

 

「……」

 

 鏡の中に居たのは、髪を下ろし、翼の意匠の耳飾りと羽の意匠の髪飾りを付けたブリジットだった。

 コレットの手の中には先程までつけていたブリジットの装飾品……金の輪のイヤリングと、髪の先端を飾っていたビーズ、そして後頭部を帯のように覆っていた紫をベースに金細工がされた妖艶な髪飾りが握られていた。

 

 あまりに魔族魔族していた容姿――それが、シンプルな白の翼の意匠の装飾品で清潔でさわやかな印象に変わり、髪を下ろしてシンプルな髪留めで纏めたことで、素朴(そぼく)でややおとなしい印象に変わる。

 先程までは“お転婆で我儘な子供”といった感じだったが、これならば“良いところのお嬢様”で通るだろう。

 

「あの子の周りに、こんな感じの()って居た?」

 

「……」

 

 

 ――いない

 

 

 魔王の周りにこんな“人間族っぽい”女性など、いなかった。

 いや、戦争で捕らえた人間族の女はいたが、着飾っている者は大抵貴族で、金銀財宝がちりばめられた装飾品を身に着けており、こんな素朴な格好をしている者はいなかった。

 庶民ならではのセンス……それがブリジットの幼い容姿にマッチし、これまで魔王もブリジットも見たことがないジャンルの容姿を生み出していた。

 

 ブリジットやオクタヴィアのやや露出が多めで派手で活動的な服装を見る限り、こうした清純さやお(しと)やかさ、素朴さを前面に押し出すような女性は少ないだろう、とコレットは考えていた。

 そして、このブリジットの反応を見る限り、その推測は誤っていないだろう。

 

「もし、いないんだったら私に任せて。あなたに似合う服装もお化粧も、全部私の家から持って来てあげる。……その“武器”を使って戦うかどうかは、あなた次第だよ」

 

「……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――1時間後、そこにはブリジットを自分のお古で着せ替え人形にして十二分に楽しむ、とても良い笑顔のコレットの姿があった

 

 

***

 

 

 豪奢(ごうしゃ)な花の庭園の一角に寝そべりながら、夜空に星が瞬く様子を魔王はぼんやりと眺め、考えに(ふけ)っていた。

 ほとんどの人間達は夢の中なのか、周囲に人の気配は無いため、ローブは脱いで(かたわ)らに放り出している。

 

 別にエミリオの言葉に感銘(かんめい)を受けた訳ではない。そんな良い育ちをしていたら魔王なんてやっていない。

 彼女が気になっていたのは、エミリオの()り方であった。

 

 エミリオは言った。

 『やりたいからやっているだけだ』、『自分のやっていることを許さない世の中の方が間違っている』と。

 

 エミリオ自身は気づいていないが、この考え方は()()()()()()()()

 

 ――“正しさ”というルールに縛られるのが、天使族

 ――“権力者が敷いたルール”という秩序の中で、自由に動くのが人間族や亜人族

 ――そして、他人が作ったルールを無視し、己の好きなように生きるのが魔族である

 

 例えば“人を殺したい”と感じた時、天使であれば“私的な感情で人を殺すことは罪である”と自らを戒めるだろう。

 

 人間であれば、“法に触れるから”と怒りや憎しみを抑えるだろう。中には“自分が相手の立場だったら殺されたくないから”と思いやりの精神を発揮するかもしれない。

 憎しみが抑えきれなければ、“法の目を掻い潜って”、あるいは“バレないように”殺すこともあるだろう。

 

 だが、魔族にそうした配慮はない。

 殺したいときに殺し、奪いたいときに奪う。

 

 悪しき自由、無法の極致――それこそが魔族の思考であり、魔族を除くあらゆる種族から忌み嫌われる理由の一つであった。

 

 魔王が見る限り、本来エミリオにそんな大それた考えを抱く素養(そよう)など無い。典型的な弱者であり、唯々諾々(いいだくだく)と強者に従い続けて人生を終える“負け犬”タイプ……それが魔王の見立てだ。

 

 そんな負け犬をあそこまで変えたのは誰か?

 考えるまでもない。不遜(ふそん)にも自分に枷を与えて、人間族と仲良しごっこをしようとした、できそこないの使い魔だろう。

 

 そう、彼は変わった……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 今の魔王は、ほぼ全てを失っていた。

 ブリジットやオクタヴィアが言うには、かつて魔王の城に蓄えられていた財の全ては、人間族のみならず、わずかに生き残った魔王の部下だった者達にも持ち去られてしまったらしい。

 おそらく事実だろう。自分だって、彼らの立場であればそうする。

 

 さらには自分の強大な肉体も魔力も失い、残ったのは魂と魔神(ラテンニール)の肉体だけ。

 その魔神の肉体だって、幸運が重なりに重なったことで偶々(たまたま)手に入っただけだ。

 あの状況がなければ、本当に何もなかった……リリィの奮闘が無ければ、あの状況すらなかったのだが、そこは無視した。

 

 ――だが、もし魔王の部下が皆、エミリオがリリィに向けるように、魔王に対して敬意を、信頼を、恩を感じていればどうだっただろうか?

 

 ……おそらく財を持ち去られることがなかったどころか、さらに財を蓄え、兵を増やし、一丸となって魔王を復活させるために動いたことだろう。

 リリィのように“主の行動を制限する”など思いもよらぬはずだ。

 

(……そうか。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 周囲の状況の変化に関わらず、ただ主の幸せだけを願い、主のためだけに全てを捧げる優秀な使い魔。

 

 彼女に『部下にならないか』と誘いをかけてあっさりと断られたとき、魔王はそれを当然のように受け入れた。

 それは、魔王が彼女の能力でも容姿でもなく、その忠誠をこそ最も買っていたからなのだろう。

 

 だが、無意識に“オクタヴィアと同じようになって欲しい”と願って創造した使い魔であるリリィは、そうはならなかった。

 ならば、そこには何か原因があるに違いない。

 

 原因は、リリィとほぼ関わることがなかったことが大きいだろう。

 教育を施そうにも、戦争が激化したためにその時間が全く取れなかった。きちんと教育を施せれば、どこの馬の骨とも分からない魂の影響を受けようとも、魔王への忠誠は変わらなかったはずだ。あくまでも魂のベースはリリィなのだから。

 

 しかし、それだけではない。

 使い魔でない、ましてや“自分に忠誠を誓うよう”教育をしたわけでもない唯の人間であるエミリオが、オクタヴィアほどではないとはいえ、たった1人の魔族のために尽くしているのだ。

 

 では、その原因とは何か?

 

 

 ――『コレットがリリィを連れて来てくれた時に、僕はこの花壇をプレゼントしたいんです……花を美しく育てること、それを僕の“誇り”にしてくれた彼女に』

 

 

「……“誇り”……精神的な満足感か?」

 

 そう魔王が呟いたとき、がさりと草むらが動く。

 

「誰だ!」

 

 考え事に夢中になっていたためか、周囲の警戒が(おろそ)かになっていたことにようやく気づき、魔王は跳ね起きて身構える。

 

「……ボ、ボクだよ」

 

 ――が、覚えのある声と気配に、魔王はすぐに警戒を解き、そして怪訝な表情をする。

 

 いつもならば堂々と正面から現れてギャーギャーとやかましく喧嘩を吹っかけてくるのがブリジットという少女であるのに、あろうことか草むらに隠れ、今も出てこない。

 こんなに不安と緊張を(にじ)ませた彼女の声など、魔王は聞いたことがなかった。

 

「……どうした? 何か用があるならさっさと出てこい」

 

「い、言われなくても……」

 

 再びガサガサと草むらを鳴らして現れたブリジットの姿に、魔王はポカンと口を開いた。

 

 いつもは簡単にサイドテールにくくられていた髪が下ろされ、軽く散髪したのか前髪は丁寧に整えられている。

 長いもみあげは三つ編みにされて可愛らしさを強調し、頭部に一輪だけ添えられた白く小さな花が控えめな清楚さを生み出す。

 

 両耳には翼の意匠のイヤリング(飛翔の耳飾り)

 首には白いハートの意匠の首飾り。

 少し袖やスカートがふんわりと膨らんだ淡い水色の半袖ワンピースは、袖口や膝下まであるスカートの先にフリルがついて、幼い容姿のブリジットの魅力をこれでもかと引き出している。

 

 そして、その(かんばせ)

 その気性からややきつい印象を受けるブリジットの表情は、コレットの化粧テクによって見事に緩和され、月明かりに照らされた彼女は、まるで妖精のような神秘的な雰囲気を纏っていた。

 

「な、なんだよ、その顔……ふん、どうせ似合わないってんだろ。自分でもわかってるよ、それぐらい」

 

「……別に、そんなことはないが……」

 

「うぇっ!?」

 

 ブリジットが何を考えているのか分からないため、本当に何気なく魔王が返事を返すと、ブリジットは異様なまでに慌てだす。

 しかも、慌てて顔を赤くしながら、ただ「あー」だの「うー」だの言ってるだけで用件を何も話さないため、“いったいコイツは何がしたいのか”という魔王の疑問は(つの)るばかりだ。

 

 その時、ふと疑問に思う。

 

 自分は確かに全てを失った。

 だが、ブリジット(こいつ)はなんだかんだ言って、こうして自分に付き合ってくれている。それは何故だ?

 

 だんだんブリジットの痴態を眺めるのにも飽きてきた魔王は、存在するであろうブリジットの要件を無視し、単刀直入に()いてみることにした。

 

「ブリジット」

 

「は、はいっ!」

 

 妙に緊張して良い返事をするブリジットに違和感を覚えるものの、魔王にとっては些細(ささい)なことであるため、無視する。

 

「どうして貴様は私に協力している? いくら私が魔神の肉体を得ているとはいえ、今の貴様なら弱った私を倒すことなど造作もないはずだ。むしろ、放っておけば私は前以上の力を得て、貴様など容易(たやす)く追い抜くだろう」

 

「幼い頃から、毎日のように突っかかってきた貴様のことだ。私の事を(うと)ましく思っていないはずがあるまい。リリィやシルフィーヌ達を敵に回してまで、私に協力するメリットなど無いはずだ」

 

 『馬鹿言うなよ! 最強のオマエを僕が倒さなきゃ意味ないんだ! ボクはオマエの好敵手(ライバル)なんだからな!』――いつも通り反射的にそう言おうとして、ブリジットは固まり、押し黙った。

 

 

 ――違うだろう

 

 

 それでは、いつもと同じだ。この関係は決して変わらない。

 

 この関係の居心地が悪いわけじゃない。

 いや、正直、認めたくはないが……とても心地良い。それこそ、いつまでもこの関係を続けていたいほどに。

 

 だが、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 怖い。とても恐ろしい。

 もし自分が好意を告げて、拒絶されたら……そう考えると今すぐにでも逃げ出したくなる。でも、受け入れて欲しい。

 

 そんな2つの想いに挟まれたブリジットの足は、敵を屠る時の強靭さはどこへ行ったのか、ふるふると震えて動かない。

 うつむく彼女の表情は、不安で今にも涙をこぼしかねない状態だった。

 

 

……が、そんなブリジットの様子を見て何を勘違いしたのか、魔王はこう(のたま)った。

 

 

「……まさか、気づいていなかったのか? 今更その事に気づいて、自分への怒りに震えているのか? ……阿呆か貴様」

 

「オマエの事が好きだからだよ、馬鹿野郎!!」

 

 

 

 ――想い人への怒りに震えた、最低の告白だった

 

 

 

 



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第七章 少女が告げる想い 後編

 突然、予想外の答えが予想外の勢いで返され、魔王は目を白黒させる。

 

 ――わからない。ブリジットが何を言っているのか、わからない

 

 幼い頃から、彼女はことあるごとに魔王に突っかかってきた。それのどこに好意がある?

 彼女に突っかかられるたびに蹴散らし、あしらい、敗北を味わわせ続けてきた。そんな相手にどうして好意を抱ける?

 

「……私は貴様に好意を向けられるようなことをした覚えがないが?」

 

 魔王がそう言うと、状況を思い出したのか、ブリジットの中で怒りがしゅるしゅると(しぼ)んでゆく。

 

 そして、あまりにいつも通りに怒ったせいか、それとも勢いとはいえ想いを告げてしまったせいか……怒りが収まったブリジットの中に、もう不安はなかった。肩肘を張る気も起きなかった。

 素直に、自然に、ブリジットは思ったまま、感じたままの想いを言葉に乗せる。

 

「したんだよ。……オマエ、ボクみたいにこうして毎日喧嘩して、毎日いがみ合っていた奴……他に居たか?」

 

「……いないな」

 

 ブリジット以外の者と争いになることはあった。いがみ合うこともあった。

 だが、それを毎日のようにこなした者となれば、1人もいなかった。

 

 なぜなら、大抵の相手は魔王を恐れてひれ伏し、それでも屈しない相手は大体が殺し合いにまで発展し、亡き者となっていた。

 殺し合いになる前に争いが終わり、憎しみ合うことなく争いが再開される……そんな相手はブリジットを除いて他に存在しなかった。

 

「ボクもそうだよ。大抵の奴はボクを怖がるか、形だけ従うか、見下すか……オクタヴィアはボクの事をきちんと見てくれたけど、それはあくまで従者として……ボクを対等に見てくれる人はいなかった」

 

「……」

 

「だけど、オマエだけは違った。力をつけて魔王になってからも、ボクを無視したりしなかった。面倒くさそうにしながらも、いつも相手してくれた。『やかましい』って言いながらも、ボクと話してくれた……『オマエに勝つ』って無謀な挑戦を、何度だって受けてくれた」

 

「……」

 

「だから、ボクはオマエを好きになった……ボクは、そう思う」

 

 魔王は、ようやく気づくことができた。

 

 ――ブリジットの想いに

 ――そして、自分にとって、彼女こそが“リリィにとってのエミリオ”であることに

 

 ブリジットの好意は本物だ。

 

 彼女と毎日のように喧嘩してきた魔王には、彼女が自身に対する恐れも、“利用してやろう”といった下心も無いことを良く理解しているし、そもそも腹芸ができるような性格ではないことも知っている。

 仮に、魔王が魔神の肉体ではなく、ちっぽけな人間族の肉体に宿っていたとしても、この好意は変わらなかっただろう。

 

 エミリオの想いはリリィに対して向けられたものであったため、気づくことができなかったが……ブリジットからの下心の無い、心からの真摯な想いを受けた魔王は衝撃を受けていた。

 

 

 ――心からの好意とは、これほどまでに自分の心を満たすものか、と

 

 

 今までは魔王にとって絶対の価値観であった“力”……強力な肉体、莫大な魔力、財、城、配下、それらを全て失ったとしても、関係なく自分を慕ってくれるということが、どれほど貴重で、どれほど心強く……そして、どれほど嬉しいか、ということを。

 

 

 ――魔王は知らない

 

 

 かつて、同じように全てを失ったリリィが、同じように何も持っていない……いや、それどころか受け入れればマイナスであろう自らを家族として受け入れ、愛してくれた水精の少女と出会ったことを。

 それこそが、リリィが誕生してから最も心を震わせた出来事であり、彼女の価値観に最も大きく影響を与えていたことを。

 

 

 ――それほどまでに大きくリリィの精神が、価値観が変わったのであれば……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 かつての魔王であれば、理解できなかっただろう。

 だが、今の彼女はそうではない。

 

 彼女は、今まさに“人に愛される”という喜びを、生まれて初めて理解したのだ。

 

 そして同時に、これこそが“エミリオがリリィを慕う理由”であると理解した。

 彼女の心に、今ふつふつと湧いてくる“ブリジットの為に何かしてやりたい”という気持ち……この気持ちこそが、魔王軍を新生させるための鍵なのだと、彼女は理解したのだ。

 

(……そうか、私は間違っていたのだな)

 

 いや、正確には間違っていたわけではないだろう。

 力による支配もまた1つの方法だ。無法者の集まりである魔族を束ねるには最も効率的で分かりやすい。

 

 だが、それだけではダメなのだ。

 自分の周り全てをそうした者で囲った場合、なんらかの理由で“力”を失った瞬間、今の魔王のように全てを失ってしまう。

 

 ――“心”だ

 

 ブリジットにとってのオクタヴィア、リリィにとってのエミリオ……そして、魔王にとってのブリジットのように、“心”を、その“魂”を支配することが肝心なのだ。

 

 それも、魔術などによって洗脳するのではなく、本人自身が心から魔王に心酔しなければならない。

 そうすることが……いや、()()()()()()()()()()()()、真に精強な魔王軍を(つく)りだすことはできない。魔王は、そのことにようやく気づいたのだ。

 

(1からやり直しだな)

 

 そう思った瞬間、魔王はブリジットの腰に手を回し、グイと強引に抱き寄せた。

 

 「うわっ!?」という驚きの声とともに、赤く染まったブリジットの頬に軽く手を添え、顔を近づける。

 想い人、それも(肉体は)女性であるとはいえ、絶世ともいえる魔王の美しい顔が迫り、ブリジットの胸が激しく高鳴ってゆく。

 

「……貴様には礼をしなければならんな」

 

「は、はぁっ!? れ、礼って何の礼だよ!?」

 

「貴様のおかげで、私に真に必要なのは、貴様のように“私の事を心から考えられる者だ”ということを知ることができた。……その礼だ」

 

 とはいえ、魔王がブリジットの好意を手にしたのは、全くの無自覚で行われたこと。“力”ではない方法で他者の心を支配するためのノウハウが、魔王には決定的に欠けている。

 魔王はその練習相手として、“比較的”ではあるが、幼馴染としてその人柄について良く知っており、更には既に好意を抱いてくれているブリジットを選んだ。

 

 だが、魔王にはブリジットの顔色をうかがう気もなければ、ご機嫌取りをするつもりもない。

 魔王である自分が他者の顔色をうかがうなど到底自分の誇りが許さないし、なによりそんなことをすれば、ありのままの魔王を慕ってくれたブリジットを侮辱することになる。

 あくまでも自分自身の()り方は変えずに、その心をつかみ取らなければならない。

 

 魔王はこれまでのブリジットとの思い出や経験を総動員し、その上で今のブリジットの発言を照らし合わせ、ブリジットをより満足させ、完全に取り込むための策を編み……そして、結論を出す。

 

「うむぅっ!?」

 

 くぐもった驚きの声を上げるとともに、ブリジットが身体を硬直させる。

 

 それは、不意に行われた深い口づけ。

 “お前を決して離さない”と言わんばかりの力強い抱擁(ほうよう)

 

 

 ――あの時ブリジットが夢見た光景……魔王と自分のキスが、今ここに現実となった

 

 

 ブリジットからすれば永遠にも等しい時間――それが終わり、ゆっくりと魔王が唇を離すと、顔をリンゴのように真っ赤に染めたブリジットが、呆然と口を開いたまま愛しい人の瞳を見つめ続けていた。

 

「貴様を私の妃としよう。私についてこい……ブリジット」

 

 魔王の結論は、ブリジットを伴侶(はんりょ)とすること。

 

 人間族がよく口にする“愛”とやらが自分にあるのかは分からない。

 今、この胸を温めている“ブリジットに何かしてやりたい”という気持ちが“愛”なのかもわからない。

 

 しかし、純粋にありのままの魔王を愛する彼女を……そして、自分を鍛え、高め続けて、上級悪魔級の力を身に着けた彼女を、“そばに置いても問題ない”と……いや、“そばにいて欲しい”と思う気持ちに嘘はない。

 

 呆然としたままのブリジットの瞳から涙がこぼれ、溢れ出す。

 やがて、ゆっくりと彼女の表情は崩れ……泣きそうで、それでいて誰もが見とれるような魅力的な笑顔で……

 

 

 

 ――はっきりと彼女は頷いたのだった

 

 

 

***

 

 

「う、うわぁ~……うわぁ~……ホントに男の子だったんだ……」

 

 コレットは顔をリンゴのように真っ赤にして、顔を両手で覆いつつもしっかりと指の間から魔王とブリジットが(むつ)み合う様子を見ていた。

 

 ブリジットが押し倒され、そのまま男女の行為が始まってもしっかりと見ていた。

 それはもうガン見していた。

 なんか鼻から熱いものが溢れて口に入り、口中に鉄臭い匂いが広がっているが、全く気づかない程に目の前の光景に集中していた。

 

 魔王は男性化の魔術を使ったことで、幼いながらも立派なブツを生やしていた。

 そんなものが友人(とコレットは思っている)を(あで)やかに(あえ)がせているのだ。そりゃあ、目が離せないし、興奮もしようってもんである。

 

 そんな残念極まる彼女の様子を苦笑いしながらヴォルクが眺めていると、隣に立つ赤髪の美女が話しかけてきた。

 

「……ありがとうございました」

 

「? 何がだ?」

 

彼女(コレット)の想いを受けてくれたことです。……あなたは、ご主人様が隠れていることに気づいたから、彼女の告白を了承したのでしょう?」

 

 あの時、ブリジットはあまりに予想外の展開に動揺し、コレットは自らの告白に頭がいっぱいであったため、ブリジットの隠れる位置が風上であることに全く気づいていなかった。

 いくらブリジットがうまく隠れようと、また気配を隠しきろうと、匂いが流れてしまっては狼の鼻を持つヴォルクにはバレバレである。

 隠れてその様子を見ていたオクタヴィアは、“ブリジットに悪影響を与えないために、あえてコレットの告白にOKしたのだ”と認識した。

 

 しかし、ヴォルクはオクタヴィアの問いに、首を横に振って肩をすくめる。

 

「いいや、そいつは嬢ちゃんに失礼ってもんだぜ。俺は間違いなく“あの嬢ちゃんならつきあってもいい”って思ったからこそ受けたんだ。……アンタのご主人様には悪いが、もし俺につきあうつもりがなかったら、ハッキリと断ってたよ」

 

「……そうですか」

 

「ああ」

 

 オクタヴィアは主人が幸せそうに魔王に抱かれている姿を見て、幸福感と……そして、わずかな罪悪感を抱く。

 

 なぜなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、その根底にはブリジットの幸せだけでなく、これからの()()()()()()()()()()()()()()である。

 

 魔王はリリィからの束縛により、よほどのことがない限り他者に不利益をもたらすことはできない。さらには、“リリィから命令されること”を回避するため、うかつに店などを襲うこともできない。

 これらの前提条件を満たした上で、魔力を回復するなど自然回復ぐらいしかないだろう。

 

 しかし、それ以外に唯ひとつだけ……さらには、素早く、かつリリィやディアドラに対抗できるまでに回復できる手段が存在する。

 

 

 ――そう、性魔術だ

 

 

 性魔術は、何も敵対者を縛り、その精気を奪うだけの魔術ではない。

 被術者の精気の質を高め、量を増やす精気増幅術でもあるのだ。

 

 もともと性行為は“女性の体内に全く別の魂を降ろし、憑依させ、新たな命を育む”という、神降ろしにも似た非常に高度な儀式であり、それを用いた精気増幅術は爆発的な効果を発揮する。

 さらには、敵対的な性魔術戦と異なり、被術者が協力的な性魔術は、被術者の快感を極限まで高めることで、その精気の質を高純度に高めることができるのだ。

 

 原作においても、力を使い果たしたシルフィーヌと、魔力の全てをディアドラに奪われた魔王が、協力的な性魔術を行うことによって、ディアドラに対抗できるまでに魔力を回復させている。

 かつてとは比べ物にならないほど強くなったブリジットの魔力でそれを行えば、その効果は凄まじい。

 極限まで高めたブリジットの精気を受け取ることができれば、リリィもディアドラも、そう簡単には手を出せないレベルにまで回復できるだろう。

 

 ブリジットは魔王に対して異性として好意を抱いている。

 お互いの心が通じ合うならば、魔王に抱かれることに抵抗はない。いや、むしろあの照れ屋をうまくムードにのせさえすれば、自ら望んで抱かれることだろう。

 そうなれば魔王が罪悪感にとらわれることなどない。リリィの“良心”の束縛をすり抜け、完全に合意の上で性魔術を行うことができる。

 

 だが、いくら主人のため、魔王のためとはいえ、主人の想いを利用することに罪悪感を抱かないはずがない。

 さらに言えば、コレットを通じてブリジットに告白するよう(うなが)すことで、ブリジットが失恋するリスクまで(おか)させてしまっているのだ。

 

 “従者”という立場のオクタヴィアでは、馬鹿正直に『性魔術で魔王様を回復させましょう』などとブリジットに提案しても、顔を真っ赤にして跳ね除けられてしまうことが容易に想像できるが故の仕方ない行動であったものの、主を謀略にかけたことには何の違いもない。

 

 ちなみに、“オクタヴィアが抱かれる”という選択はあり得ない。

 恋する主の目の前で、想い人に別の女を抱かせる? それも主よりも遥かにスタイルの良い女を? どんな冗談だ。

 

 さらに言い訳をさせてもらうなら、“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()”という理由もある。

 

 リリィが意図せず魔王に付与した束縛(ギアス)には、実は“()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ――『種族を問わず、周囲の者達と理解し合えるよう努めてください』

 

 

 今の魔王は、無意識に他者を理解しようとする。魔王がエミリオの行動や、その精神性を理解しようと考え込んでいたのも、この束縛が原因だ。

 

 根本の性格がアレな以上、即座に主を心から愛してくれる確率は低い……が、今が最も主を理解してくれるタイミングであることに違いはないのだ。

 その証拠に、ブリジットを抱く魔王の眼は獣欲に満ちているものの、その所作の一つ一つにブリジットへの配慮が感じられる。

 

 かつて魔王が堂々と外で女を抱いていた光景を見たことがあるオクタヴィアは知っている。

 今、主の肌を滑る魔王の指や口を塞ぐ唇……それらは、以前、他の女を抱いていた時はもっと荒々しいものであったことを。

 

 そして今の彼はそれだけではなく、時折ブリジットと目を合わせたり、耳元で優しく何事かを囁いたりと、以前の快楽に任せた乱暴かつ自分勝手な行為とは比較にならないほどの丁寧さでブリジットを扱っていた。

 おそらくは“ブリジットがそのように扱われることを望んでいる”と理解し、彼女の望むままにしているのだろう。その証拠に、快楽に喘ぐブリジットの眼はとろんとしており、幸福感に満ち溢れていた。

 

 “相手を理解すること”……それは愛情の第1歩である。

 リリィの束縛が解かれる前に、束縛に関係なく、魔王が心から主を愛してくれるようになっていることを、オクタヴィアは願ってやまなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 ……もう一つだけ、言い訳させてもらおう。

 オクタヴィアが主の濡れ場をじっっっっっっくり眺めているのは、魔王と睦み合って無防備になる間、ディアドラやリリィに襲われないよう見張るためである。

 

 

 ――決して、主の思い出の1シーンを拝みたいが為ではないのだ

 

 

***

 

 

 ――翌朝

 

 エミリオが早々に庭園に出て花々の手入れをしているとき、その幼馴染であるコレットはとある人物を見てぽかんとした間抜け面を(さら)していた。

 

「……え~と、あの青い子のお姉さんですか? あの子はどこに?」

 

「貴様が否定したくなる気持ちも分からなくはないが、私はその“青い子”本人だ」

 

「え……えええええええぇぇえぇぇええええええっ!!?」

 

 コレットが驚くのも無理はない。新たな女友達の恋の成就を見守った次の日になった途端、そのお相手が“成人”していたのだから。

 

 充分に魔力を回復した今の魔王は、その肉体を大きく成長させ、オクタヴィアにも勝る長身を持つスラリとした女顔の美丈夫となっていた。

 男性化の魔術は継続中なのだが、元が美女であるラテンニールの肉体であるせいか、コレットが初見で女性と見間違えるほどに中性的な美男子である。

 

 優雅にたなびく銀の長髪や、細く美しい指、切れ長で鋭く、強い意志の光を放つ紅の瞳、そして元魔王ならではの迫力と(みなぎ)る自信に彩られた不敵な笑顔……コレットの眼から見ても文句なしの超ワイルドなイケメンだ。

 もっとも、いくら美しかろうと、こんな恐ろしい雰囲気を持つ男性を伴侶に迎えたいとはコレットは欠片も思わなかったが。

 

「いったいどうしたの、その身体!?」

 

「……いちいち貴様などに説明するつもりはない。体調が回復した、とでも思っておけ。そう間違ってはいない」

 

「体格って体調で変わるもんなの!?」

 

 愕然(がくぜん)とするコレットの前で面倒くさそうに目を細める魔王の(かたわ)らでは、昨日とそう変わらない格好のブリジットがちょこんと座っていた。

 彼女は、真っ赤な顔をして「あー」だの「うー」だの(うめ)いては、魔王の顔を覗き込んだり、視線が合いそうになったら慌てて顔を逸らしたりと、非常に落ち着きがない。

 

 魔王も、まさかここまでブリジットが(うぶ)だとは思ってもみなかった。

 

 魔王である自分が初めて女を抱いたときはこんなことにはならなかったし、魔王が抱いた生娘(きむすめ)は大抵自分を恐れるか、憎むか、()びるか……あるいは錯乱(さくらん)するか、壊れるか……とにかく、このような反応は示さなかったので、魔王としてもどう対応して良いのか分からない。

 とりあえず手探りで何とかしているが、ブリジットが機嫌を損ねていない以上、そう間違った対応ではないのだろう。……リリィ達と相対(あいたい)する前にはいつもの調子に戻ってもらいたいものだ。

 

 結論から言うと、ブリジットとの性魔術による精気回復は無事に成功した。

 

 

 ――()()()()()()()()

 

 

 ひとくちに“魔神”と言ってもその力はピンキリだ。

 “魔神”とは、あくまでも“神の如き力を持つ魔族”の総称。仮に魔神同士が戦ったとしても、片方がボロ負けするということは充分に有り得る。

 

 そして、魔神ラテンニールは間違いなく超一級の魔神だ。万全(ばんぜん)の状態ならば、そこらの魔神など軽く(ひね)れる力がある。

 それだけの力を持つ器の魔力が(から)になったのならば、いかに優れているとはいえ魔神の域に届いていないブリジットとの性魔術1回では、完全回復はしない……はずだった。

 

 ところが、魔王の予想を裏切り、()()()()()()()()()()()

 それどころか、ほんのわずかだが()()()()()()()()()()()()()()、さらには、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ――そう、リリィとブリジットとの間で起こった現象と全く同じことが起こっていたのだ

 

 

 前回発生した時点では、魔王はリリィの中で魂の状態で昏睡(こんすい)状態にあったため、魔王はその事を知らない。

 しかし、魔王はこの特殊な現象を経験したことから、“あること”を思い出した。

 

(……そういえば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 リウラの“精神強化”能力である。

 特に魔術を使った様子もなく、ただ触れるだけでリリィの精神力を強化し、魔神ラテンニールの莫大な魔力を吸収しても耐えられるようにした、今まで魔王が見たことも聞いたこともない能力(ちから)

 

 おそらく、これらの能力は、効果は全く異なるものの、根本は同種のものだ。

 どちらの能力も経験した感覚・受けた印象から、魔王はそう考える。

 

 同様に、ブリジットの能力を受けた感覚から、彼女の能力の鍵は“性魔術を行うこと”だけでは不十分であることも、なんとなくわかった。

 

 おそらくだが、これは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ブリジットとより親密になればなるほど、性魔術の効果が何倍にも(ふく)れ上がり、お互いの……特に術者であるブリジット自身を大幅に強化するのだろう。

 

 ――魔王の推察は当たっていた

 

 お互いの友情を確立しただけのリリィの時は、リリィは洗脳を解いてもらう程度で、リリィ自身は(ほとん)ど強化されていない。

 ブリジットも大幅にパワーアップしたものの、その力は魔神どころか貴族悪魔にすら届いてはいなかった。

 

 ところが、お互いに恋仲(こいなか)となった魔王との時は、超一級の魔神の器を魔力で満たしたうえで(わず)かにまで強化している。

 ブリジット自身など、魔神にこそ届かないものの、その一歩手前……貴族悪魔の上位クラスにまで一気にパワーアップするという、異次元(いじげん)の成長を果たしていた。

 

 故に、これ以上ブリジットと性魔術を行っても、さほどパワーアップは見込めない。

 今以上にパワーアップするためには、さらにブリジットと絆を深める必要があり、その為には相応の絆を育む時間が必要だからだ。

 

 しかし、ブリジットのこの能力は非常に有用だ。

 もし訓練などでブリジットが使いこなせるようになれば、“絆”の有無にかかわらず発動できるようになるかもしれない。状況が落ち着いたら、一度ブリジットと協力してじっくり調査すべきだろう。

 

 コレットに対して“魔力が欠乏(けつぼう)すると体格が幼くなる者もいる”という説明をしているヴォルクを見て、ふと思いついたように魔王が言う。

 

「そこの狼獣人(ヴェアヴォルフ)……貴様、たしか『情報屋で、そこの娘の案内人をしている』と言ったな」

 

「? ああ、そうだが?」

 

「ならば、私に情報を売れ。“人間族に見つからずに迷宮に戻る方法”についてだ」

 

 魔族である魔王達を気づかってか、エミリオは『サスーヌが軍を率いて迷宮に入った』という情報を入手し、魔王達に伝えてくれていた。

 迷宮で出会った魔王達は“迷宮に住んでいる”と思われているだろうし、人間達に見つかったら間違いなく争いになるであろうことから、魔王がヴォルクにこのような取引を持ちかけても決して不自然ではない。

 

 本当ならば、『リリィ達に見つからずに迷宮に戻る方法』と()きたかったが、コレットと共にリリィを探していたヴォルクがリリィの味方である可能性がある以上、このような訊き方しかできなかった。

 

 ヴォルクは魔王の言葉を聞くと、ニヤリと笑って言う。

 

「良いぜ、売ってやる。ユークリッド軍が、今どのように迷宮に展開されているかは、俺でも分からんが……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。だが、そんだけ貴重な情報だ。まける気は、これっぽっちもねぇぞ?」

 

 そう言ってヴォルクは右の指を3本立てる。

 

 その身ひとつで迷宮を脱出した魔王とブリジット達が即支払える物品など、その身に(まと)う服や防具・装飾品くらいだ。

 もちろん、魔神ラテンニールの振るう大剣――魔剣インフィニーや、ブリジット達の装備する一級品の服や防具・装飾品は、一般人からすれば目の玉が飛び出るであろう価値がある。

 

 だが、そのほとんどは実用的な価値があるものばかり。

 装飾品ですらブリジットやオクタヴィアを魔術的にサポートする、極めて効果の高い魔法具(まほうぐ)である。リリィ達と交戦状態にある魔王達が差し出すのは厳しい。

 

「これでは不服か?」

 

 そう言って、魔王は自らの美しい銀髪を一筋抜いてヴォルクに差し出した。

 

 ヴォルクは大きく目を見開いて驚く。

 情報屋である彼は魔王の容姿から、その正体を……正確には、その肉体のかつての持ち主を知っている。

 

 輪廻の魔神ラテンニールの肉体の一部……魔法具や魔術の触媒として、どれほどの価値があるか分からない。

 しかるべきところで売れば、一生遊んで暮らせるほどの金が手に入るだろう。ヴォルクが提示した情報代など、支払っても有り余る金が手に入るに違いない。

 

 そして、それは魔王も良く知っている。

 

 これはヴォルクに対する“揺さぶり”であった。金に目がくらむようであれば、それはそれで良し。

 髪一筋で一攫千金(いっかくせんきん)の肉体を持つ魔王はまさに“金の生る木”だ。

 魔王から搾り取れるだけ搾り取ろうと動くなら、上手く金を払ってやるだけでヴォルクの握る情報を支配できる。おそらく逆に誤情報を流すことだってできるだろう。

 

 逆に一番厄介なのは――

 

 魔王はヴォルクの眼をじっと見つめて様子を伺う。その本質を見極めんと集中する。

 その視線を受けながら、ヴォルクは苦笑し、肩をすくめた。

 

「いや、それ1本で充分……つーか、そんな凄ぇもん貰っても、俺には釣りなんて返せねーぞ?」

 

「構わん。その代わり貴様にはその道を案内してもらうぞ。余った分は口止め料と……コイツの服代としてその小娘に支払ってやるがいい」

 

「OK、商談成立だ」

 

 “ブリジットちゃん可愛いな~”とぼんやりちびっこ魔族を眺めていたコレットは、魔王の発言を受けて、ハッと思い出す。

 

「あ、ブ、ブリジットちゃん「だから、ちゃん付けすんな!」、その耳飾りなんだけど、それ元はヴォルクさんのもので……」

 

「ああ、いいよ嬢ちゃん。確かにそこそこ大切なもんではあったが、女が意中(いちゅう)の男を仕留(しと)めるために使ってもらったってんなら、俺が使うよりもよっぽど、その耳飾りも本望(ほんもう)だろうさ。そのまま持ってってもらって構わない」

 

「す、すみません。勝手に貸しちゃって……」

 

「気にすんな。……さて、俺はこの兄ちゃんたちを送ってくるから、それまで嬢ちゃんは留守番しててくれ」

 

「え、ま、待って待って! 私も行くよ!?」

 

「いや、今回ばかりは危険度が段違いだ……それこそ、この兄ちゃんくらいでないと、いざという時、対応できねぇくらいのな。流石に嬢ちゃんは連れていけねぇよ。終わったらまた迎えに来て迷宮を案内してやるから、おとなしく待っててくれ」

 

「……()()()()()()()()()()()だと?」

 

 魔王は(いぶか)しむ。

 

 先程のやり取りから、ヴォルクは魔神ラテンニールのことを知っているはずだ。

 その魔神でないと対応できないほど危険な場所……いや、裏道とは一体どのような道なのか?

 

「……アンタ、南の大陸から鳩頭(はとあたま)の魔神が定期的に飛んできているのを知っているか?」

 

「何だと!?」

 

 ずっと迷宮に(こも)っていて、地上に出たのはシュナイル王国を滅ぼしたときくらいである魔王だが、そのような魔神の話など聞いたことがない。

 もし本当にそのような魔神が出れば、魔王の耳に届かないはずがないのだ。

 

「まあ、普通は知らねぇよな。とある場所に、地上から地下700階くらいまで直通の大穴がある。表層から地下500階くらいまで迷宮とは繋がってねぇ大穴だ。巨人族並にデカい(やっこ)さんは、定期的にこの穴を通って迷宮に入ってから、これまた見上げるほど巨大な地虫やらカタツムリやらを狩って、南の大陸へとそいつを抱えて飛んで行ってる。その縦穴の存在があまり知られていないことと、その魔神の滞在時間が極端に短いことが知られてない原因だろうな。つまり……」

 

「その鳩頭の魔神に見つかったら、対応できるのが私しかいない、ということか」

 

 ひとくちに“魔神”と言ってもピンキリだ。

 上は上級神と真正面から殴り合える者もいれば、下は竜族に毛が生えたような者もいる。厄介な特殊能力持ちもいれば、単純に身体能力が異常に強いだけ、という者もいる。

 (くだん)の鳩頭がどのような魔神かは分からないが、肉体と魂を奪ったばかりで試運転すらしていない魔神ラテンニールの力を振るうには少々リスキーか……?

 

(……いや、ここは少々の無理を押してでもそのルートを使うしかないか。そうでなければ、リリィ達に先んずることは難しい)

 

 魔王はブリジットを押し倒してから頭の中で計画していたシナリオを、再度見直し、結論を出した。

 

「良いだろう。では、案内してくれ」

 

 

***

 

 

「おいっ! 普通、逆じゃないかコレ!?」

 

「仕方なかろう。以前の肉体であれば翼があったが、今の私は飛べんのだ」

 

「こちらでよろしいですか?」

 

「ああ、そのまま……そこであっちへ行ってくれ。そっちの方が、ヤバい匂いが少ない」

 

 危険な場所を通るということで、耳飾り以外の装備を元に戻したブリジットは、なぜか愛しい男をお姫様抱っこしながら深い深い縦穴を降下していた。

 へたにロープなどを使って降下すれば、魔物に狙い撃ちされてしまう上、件の魔神が通りかかった時にすぐに逃げられないため、こうして飛行して移動せざるを得なかったのだ。

 この中で翼を持つのはブリジットとオクタヴィアだけなので、彼女達に魔王とヴォルクが彼女達に捕まらざるを得なくなるのは必然だった。

 

 だが、文句を言いつつもブリジットの頬は赤く染まり、魔王を放り出す様子もまるでない。

 なんだかんだ言って、想い人と触れ合えるのが嬉しいのだ。要は照れ隠しである。

 

「……ここら辺が400階くらいだ。アンタ、どこら辺まで降りられればいいんだ?」

 

「……私の城の付近は、手が回っていると考えてまず間違いあるまい。魔神が相手でもない限り、大抵の脅威は私が排除できるから、可能な限り下まで行く」

 

「了か……っ!? 避けろ、オクタヴィア!!」

 

「ッ……!?」

 

 ヴォルクが吠えた直後、オクタヴィアの胸に穴が開いた。

 何が起きたのかもわからず、呆然とした様子でオクタヴィアは手足の先から光となって消えていく。

 

「オクタヴィア!?」

 

「ちぃっ!!」

 

 凄まじい速度で放たれた影響で発生した衝撃波に吹き飛ばされそうになりつつも、ブリジットはその小さな翼で体勢を立て直しつつオクタヴィアがやられたことに取り乱し、魔王はオクタヴィアを倒したその攻撃の脅威に戦慄(せんりつ)する。

 

 先の一撃、その威力・速度もさることながら、最も恐ろしいのは殺気も魔力も闘気も……その攻撃の予兆を一切魔王達に感じさせず、放ったことである。

 オクタヴィアはブリジットの使い魔である為にブリジットの体内で傷を癒せば復活できるが、魔王とヴォルクはそうではないし、ブリジットがやられれば使い魔であるオクタヴィアも道連れに死んでしまう。

 

 魔王はすぐさま背から触手を生やして落下中のヴォルクを絡めとり、ブリジットや自分の前面に触手で壁を作って防御態勢をとる。

 直後、凄まじい衝撃とともに、何かが砕ける音が響き、魔王の触手に激痛が走った。

 

「ぐぅっ!!」

 

(私の魔術障壁を容易(たやす)く貫通するだと!? まさか、コイツが例の“鳩頭”か!?)

 

 未だ完全回復とは言い(がた)いとはいえ、魔神である魔王の魔術障壁を貫通するなど、そう簡単にはできない。

 同格の存在……すなわち、魔神が放ったと考える方が現実的であった。

 

「ええいっ! 障壁で防げんのならば、受け流せば良いのだろう!?」

 

 そう言うと、魔王は昆虫の足のように節くれだった触手の1本を真下に向かって大きく横一線に()いだ。

 

 魔王が触手で薙いだ軌跡がパクリと(まぶた)のように開き、中から凄まじい圧力とともに闇の魔力が漏れ出す。

 直後、再び衝撃波をまき散らしつつ、何かが凄まじい勢いで迫りくるも、闇の(まなこ)の中へとすっぽり入り、魔王達へとその身を届かせることはなかった。

 

 

 ――暗黒魔術 ティルワンの闇界(あんかい)

 

 

 闇世界(ティルワン)へと相手を引きずり込み、闇の魔力によるダメージを与える高位魔術である。

 今回は“術者が敵と認識したものを異空間へと引きずり込む”という特性を応用し、正体不明の攻撃を無理やり闇世界へと引きずり込んで、攻撃を無効化する障壁として利用したのだ。

 

 その効果から分かるように、空間干渉系の魔術であり、あの人形のような小娘や、歪魔(わいま)もどきの天使に居場所がバレてしまっただろうが……()()()()()

 

 今のリリィが持つアドバンテージは“人脈”だ。

 迷宮で知り合った仲間を頼ることはもちろんのこと、もしリリィがシルフィーヌを味方につけていれば、彼女を通じてユークリッド軍を動かせるだろう。

 さらに、エステルを味方につけることに成功していれば、ゼイドラム軍まで出張ってくる可能性もある。

 ブリジットも軍は持っているが、リリィ、シルフィーヌとの戦闘で大幅に消耗したうえに、ディアドラに大量に生贄にされてしまったため、あまり頼りにすることはできない。

 

 であれば、まずはこのアドバンテージを消し去ってしまわなければ、魔王達の方が、先にリリィ達に捕捉されてしまう。

 

 ヴォルク(いわ)く『700階まで直通』のこの縦穴であれば、一気に700階付近まで降りることができる。

 そこは、魔王の本拠地がある階層すら通り過ぎた危険区域だ。生息する魔物もそれに応じて強力になり、捜索できる実力を持つ人員は大幅に減少する。今の魔王の魔術障壁を貫通して攻撃できる何者かが居ることを考えれば、準魔神級の敵がごろごろ潜んでいてもおかしくはない。

 

 ましてや、この縦穴付近は鳩頭の魔神の通り道……そんな超危険ルートなど、シルフィーヌどころか、リリィですら迂闊(うかつ)に足を踏み入れられない。

 

 

 ――()()()()()()()

 

 

 魔神ラテンニールの肉体を持ち、魔力をほぼ全快させた今の彼ならば、例え“鳩頭”に見つかろうとも対抗できる。

 逃げることを前提に考えれば、ブリジット達を庇いつつ消耗を抑えることだって可能だろう。

 

 ならば、あえて空間干渉系の魔術で一時的に居場所を知らせた上で、魔王ぐらいしか潜むことの(かな)わないであろう最も危険な場所……すなわち、この縦穴の最下層に潜み、リリィ達を待ち伏せればいい。

 ユークリッドの一般兵はもちろんのこと、うまくいけばシルフィーヌ達すら入ってこれず、リリィ1人でやってくるだろう。運が良ければ、リリィ達が“鳩頭”や準魔神級の何者かに襲われている隙を突けるかもしれない。

 

 

 ――そこを、狙う

 

 

 とはいえ、これは危険な賭けだ。

 今まさにこうして襲われているように、魔王が準魔神級の相手にてこずっている間にリリィが来て、あっさり魔王に“命令”してしまう可能性もあるし、複数の準魔神級の相手が集中して魔王を攻撃してきて全滅する可能性もある。

 

 魔王は自身の頭にある“()()”を念頭に、リリィ達に先に捕捉されてしまうリスクと、準魔神級の敵を相手にするリスクを天秤(てんびん)にかけ……最終的に、後者をとった。

 

「……いい機会だ。“鳩頭”と戦うことになる前に、この肉体の性能を確かめさせてもらうとしよう。ブリジット! まずはコイツを倒し、縄張りを奪うぞ! ついてこい!!」

 

 魔王のその言葉を聞いた瞬間、ブリジットの胸の内から感情の荒波が押し寄せ、じわりと涙がにじむ。

 なぜなら、彼女はこのために……“彼の隣に立つ”、ただそれだけのために、今この時までずっと努力を続けてきたのだから。

 

 女としての魅力でも、共に進む相棒(パートナー)としても認められた。

 

 

 ――今この瞬間、ブリジットの夢は全て叶えられたのだ

 

 

「ああ、ボク達の強さを思い知らせてやろう!」

 

 ブリジットのやる気に満ちた言葉を聞きながら、魔王は思った。

 

(……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、な……)

 

 先程の攻撃は、オクタヴィアどころか、ブリジットも、魔王すらも感知できなかった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 罠か? それとも実力を隠しているのか? ……どちらにせよ、油断できる相手ではあるまい。

魔王はヴォルクに対する警戒も崩さないまま、最下層へと向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「センサーに反応。敵味方識別信号に該当なし……推定魔族2、獣人1……接近中の目標を敵対勢力と認定。攻撃します」

 

 

***

 

 

「う~~~~…………暇~~~~……暇れふの~~~……暇れ暇れ()んれひまいまふの~~~……」

 

 迷宮のとある一角。

 岩肌の床に敷物を敷き、組み立て式のテーブルと椅子を備えただけのスペースで、リューナはテーブルに(あご)を乗せ、カップのふちを(くわ)えてブラブラとカップを揺らしながらぼやいた。

 美しい銀の髪は腰まで流れるように垂れ、青玉の瞳はあまりの暇さに眠そうに細められている。

 

 リューナはカップを口から離す。

 達磨(だるま)のようにバランスを取り戻してテーブルに戻るカップ……そのふちに触れていた唾液が糸を引き、ぷつんと切れる様子をぼんやりと眺めながら、彼女はひとりごちる。

 

「そりゃー、わたくしにだって理解はできますの? ヴィーもリリィもリウラも信じられないくらい強くなったし、アイだって“巨大化”なんてふざけた技能を持ってるし……今のわたくしが下手に参戦したら足手まといになるってことくらいは分かりますの……でも……」

 

 

 ――だからって、この扱いはあんまりではないか?

 

 

 大切な弟とともに“暗黒剣ザウルーラ”とやらを求めて大陸南方に渡って調査してみれば、何をどう情報がねじ曲がったのか、ザウルーラは剣ではなく鎧。

 それも創った工匠が自分自身のために創った非売品ということで、いきなり交渉は暗礁に乗り上げた。

 

 『要望に合った剣を作りましょうか?』と言ってくれたからこちらの要望を伝えてみれば、今度はあからさまに警戒される始末。

 

 まあ、それはそうだろう。

 “直剣もしくは連接剣”はまだしも、“闇属性”、“斬った対象の精気を吸収”、“魔神が振るっても耐える頑丈さ”……どう聞いても、ヤバい魔族が使うとしか思えないキーワードばかり。

 まっとうな工匠なら“悪事に使われるのではないか”と警戒し、お断りするのが当たり前だろう。

 

 そんなときに出会ったのが、その工匠の師であるというセシルであった。

 

 彼女はリューナ達……というよりも、リューナを見て何やら息を呑んで驚いていたようだったが、すぐに落ち着いた笑顔で詳しく事情を聞いてくれた。

 

 別に悪いことをするわけでもなし。リューナ達は下手に事情を隠さず、正直に全てを話した。

 大切な魔族の友人がいて、彼女達の命を救うため、彼女が振るうにふさわしい剣がいる……そのように、背景まで含めて正直に話した。

 

 すると、なんとセシルは二つ返事で了承した。

 彼女の弟子が“正気か!?”と慌てて止めるのも意に介さず、さっさとリューナ達を自身の工房へと案内し、1ヶ月ほど滞在するように言われた。

 

 驚くことに既に似たようなコンセプトの武器は彼女の頭の中でほぼ完成しており、材料の調達含めて1ヶ月ほどあれば完成させられるという。

 出発前に少しだけ聞いたリリィ達の計画を考えれば、もっと早く欲しかったが、流石にそれは難しいらしい。

 

 その代わり、お代は負けてくれるそうだ。(にな)い手が剣に相応(ふさわ)しければ、タダも有りうるらしい。……なんとも太っ腹であった。

 やはり立派な剣は、立派な戦士に振るってもらいたいものなのだろうか? 鍛冶師の感覚はリューナにはよくわからなかった。

 

 打ちあがった見とれるほどに美しい魔性の魅力を持つ連接剣……豪商リシアンも(うな)らせる超一級の魔剣を持って迷宮に戻ってみれば……リシアンは店に戻るように、リューナは自身の知る最も安全な避難場所で待機するように言われた。

 ちなみに、その避難場所……すなわち、今リューナが居るこの部屋は、アルカーファミリーのボスであるブランや、その家族達のために用意された隠し部屋である。

 

 リシアンは、まあ分かる。

 リシアンは元々商売人だし、彼が最もリリィ達の力になれるとすれば、商人としてその力を振るうしかない。

 

 だが、リューナはそうではない。

 戦力としては心許(こころもと)ないかもしれないが、それでも陰で彼女達を手伝うくらいはできるだろう。

 

 しかし、なぜかセシルは彼女が危険な目に遭うことを異常に忌避しており、リリィ達とユークリッド軍の衝突後、“リリィの仲間だから”とユークリッド軍の恨みの矛先がリューナに向くことを恐れ、彼女は(なか)ば無理やり人目につきにくいこの部屋に押し込まれたのだった。

 

 本当ならセシルは、絶対にリューナに被害が行かないよう、ユイドラで待っていてほしかったようだが、流石にそれは拒否した。

 今の自分に何ができるかはわからない。でも、いざという時に大切な友人の危機に駆けつけられる位置にいたい……それだけは譲れなかったのだ。

 

 しかし――

 

(……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……?)

 

 そんな中途半端なことをするくらいならば、いっそヴィア達の元にまで戻ってしまえば良い。

 だが、セシルが心から自分の事を心配していると分かると、なぜかリューナは強く出ることができないでいた。

 彼女がツェシュテルと共にリューナに語り掛けるたび、込み上げてくる“懐かしさ”のようなもどかしい感覚……まるで、彼女達が何十年来の友人のような、そんな有り得ない関係に思えてしまう。

 

 「はぁ……」とリューナは溜息をついて、そんな思考を追い出す。

 リューナがどんな感情を抱いていようと、この状況に変わりはない。リューナがここから出て動くためには、セシルを安心させるだけの“力”が必要だった。

 

「“力”……か……」

 

 リューナは椅子を後ろに傾け、天井に備え付けたランプの灯りに自分の手をかざし、じっとその手を見つめる。

 

 ――かつては有ったのだ

 

 それこそ、ミーフェの森(ミーフェメイル)のエルフの誰もが恐れるほどの巨大な力が。

 自分や家族を追いやり、魔族に目をつけられた忌むべき力――

 

(……今更“それが欲しい”と思うなんて……ホント、どうかしていますの………………っ!?)

 

 ガタンッ! ゴンッ!!

 

 リューナはバランスを崩し、思いっきり後ろに倒れ、後頭部を床に強打する。

 やや厚めの敷物が引いてあるとはいえ、その下にある床の素材は硬い岩盤。リューナは後頭部を抑えてゴロゴロとひとしきり(もだ)えると、ガバリと起き上がる。

 

「今の感覚……!」

 

 ここから動くことができないため、“少しでも状況を把握したい”という想いから起動した位置把握の魔術――それが、今、異常な情報を彼女に伝えていた。

 

「……()()()()()()()()()()……!? なんで、こんな離れた場所に……ううん、それは良いとして、どうしてこんな凄い勢いで迷宮を降りて……え、え……? いったい、どこまで降りるつもりですの!?」

 

 かつて幼い頃にヴィアが攫われたことから掛けられた位置把握の魔術、それはヴィアだけに掛けられたものではない。リューナを除くアルカーファミリー全員にかけられたものだ。

 

 リューナはヴィアだけを大切に思っているのではない。孤児となったリューナを受け入れてくれたファミリー全員を大切に思っている。

 だからこそ、ファミリー全員にこの魔術をかけ、“この中の誰が攫われたとしても、必ず助ける”と誓ったのだ。

 

 不可解なことに、ヴォルクの動きは転移門を利用したランダムに近い移動ではなく、真っすぐ真下へと動いていた。

 それは断じてロープなどではない、まるで翼でも生えているかのような高速移動……とうに魔王の本拠地である400階付近すら通過した、明らかに異常な動きである。

 迷宮は深層になればなるほど魔物が凶悪化する。そんな場所に降りてしまえば、いくら迷宮のベテランであるヴォルクといえども無事で帰ってくる保証はないだろう。

 

「お義父(とう)様に……って、わたくしは馬鹿ですの!? 逆にファミリーを危険に晒してどうしますの!?」

 

 このことをブランに言えば、間違いなくヴォルクを助けるために動いてくれるだろう。

 だが、それは同時に“ファミリーを深層送りにすること”をも意味している。それも、リューナが見たことも聞いたこともない場所からの調査になるだろう。

 仮に彼らがロープなどで降下すれば、へたすれば強力な飛行系の魔物の餌食になる可能性もある。ファミリーが壊滅的な被害を受ける可能性は決して低くはなかった。

 

 ファミリーの中で400階を超える深層に行っても対応できそうな人物など、それこそたった1人しかいない。

 

(わたくしに力が……力さえあれば……!!)

 

 ギリィッ! と歯を食いしばり、リューナは立ち上がって矢筒と弓を背負い、駆け出した。

 

 彼女にヴォルクを救えるだけの力が有れば良かった。彼女が1人で直接ヴォルクの元に向かって状況を確かめてくれば良いのだから。

 それができない彼女は、選ぶしかなかった。……“親友に助けを求める”という選択肢しか選べなかったのだ。

 

 

 

 ――力を求めるその心が、リューナの心にほんの小さな信仰心の種火を生んだことに、彼女はまだ気づいていなかった

 

 

***

 

 

「……ここは……」

 

 触手を大量に背から生やした魔神と戦っていたかと思えば、唐突にまるで城の中のような豪奢(ごうしゃ)な廊下へと景色が変貌(へんぼう)する。

 その異常な状況にシズクは一瞬妖精などが使う幻術を疑うも、軽く舌打ちしたその反響音と視覚情報の一致から、“今見ている景色が現実である”ということを把握する。

 

 おそらくは強制的な転移魔術。

 シズクにここまで悟らせずに発動できるなど、歪魔族でも余程の実力者でなければできない鮮やかな早業(はやわざ)である。

 まず、あの力まかせ・魔力まかせの戦い方をしていた触手魔神の仕業(しわざ)ではあるまい。シズクの戦いを監視していた何者かが、シズクを邪魔に思って発動した、といったところだろう。

 

(まずい……早く戻らないと)

 

 またサラディーネを失うなど、絶対にごめんだ。

 その決意とともに、焦らずシズクは周囲の気配を慎重に探って――

 

 

 

 ――凍りついた

 

 

 

「な……んで……?」

 

 動揺に思わず声が震える。

 あれほど大切に思っていたサラディーネのことを瞬間的に失念するほどの強烈な驚愕(きょうがく)

 

 シズクは水でできた巫女服をひるがえし、その気配の元へと走り出す。

 

 気配の主が居るであろう巨大な広間を、入り口の陰から覗き込めば……おそらくそこで凄まじい戦闘があったのであろう、中は死屍累々(ししるいるい)(しかばね)の山。

 壁や天井にまで血が飛び散り、そこかしこの壁や像が完膚(かんぷ)なきまでに破壊されている。

 

 だが、この中で唯一両の足で立っている者……肩を出した東方風の白い着物に身を包んだ白い毛皮の狐の耳と尾を持つ若い女性だけが、完全な無傷でそこに(たたず)んでいた。

 返り血すらついてないその姿は、周囲の状況と相まって明らかに“異常なもの”として浮いていた。

 

 彼女は横たわる巨漢の死体――全身が青緑色の肌で、下半身が巨大な蟲の姿をした魔族の左胸にその真っ白な右腕を突き入れる。

 ズッ……と引き抜かれたその手の中には、暗い紫色に輝く玉が握られていた。

 

 女性は玉を見つめたまま、息をする者が誰もいないはずの広場で、口を開く。

 

「……あなたは(かたき)を取ろうと思わないの? ずいぶんと憎しみの色が薄いみたいだけど」

 

 

 ――気づかれている

 

 

 今の発言から、おそらくこの虐殺の関係者だと思われているのだろう。それは別にいい。

 だが、居場所どころか殺気の有無まで完全に把握されている……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、だ。

 

 しかし、シズクにその事実に対する動揺はない。

 この程度の事、()()()()()()()()()()()()()()

 

 覚悟を決めたシズクは、スッと入り口の陰から姿を現す。

 肩甲骨まである(つや)やかな白髪をさらりと流して振り返った狐耳の女性は、その姿を見た瞬間、軽く目を見開く。

 

「……シズク?」

 

「久しぶり……とてもとても長い間、探しました……()()。」

 

 シズクがそう言った瞬間、狐耳の女性の手から紫玉がフッと消え去る。

 ピクリと狐耳を振るわせてその事に気づいた女性は、血に濡れた右手をじっと見つめる。

 

「……そういうこと……やけに都合がいいとは思ってはいたけど、まさかこいつを片づけさせた後で神核(しんかく)だけ横取りする為とはね……。まあ、私達は協力者であれど、仲間ではないから、当然っちゃ当然か……」

 

 シズクには理解できない(ひと)(ごと)をつぶやくと、彼女は玉のことなどなかったかのようにシズクに話しかけた。

 

「で? シズクはどうしてここに? もしかして、この魔神の(めかけ)にでもなっていたのかしら?」

 

「いいえ……私がここに居る目的は前と全く同じ……」

 

 そう言ってスッとシズクは腰を落として半身になり、ゴッ! と全身から魔力を噴出させて告げる。

 

「……あなたを、止めに来た」

 

 その様子を見た狐耳の女性は、やれやれと言わんばかりに肩をすくめ、ぼやいた。

 

「……これも、ニアやベアトリクスの(たくら)みかしら? ……まあ、いいわ。かかってらっしゃい。久しぶりに稽古つけてあげる」

 

 そう言って穏やかに微笑む彼女は右手を降ろし、全身の力が完全に抜けてリラックスした自然体で静かに立つ。

 

 

 

 ――いつの間にか、その右腕からは一切の血が(ぬぐ)い去られ、一点のシミも無い真っ白な肌と着物がそこにあった

 

 

 

***

 

 

「ア゛ア゛アアアアアアア゛アアァァアァア゛アアアア゛アアアアアアッ!!!? やめて、ヤめてぇえええっ!! 私の中に入ってこないでええええぇぇえええっ!!!」

 

 煌々(こうこう)と毒々しい赤に輝く魔法陣の上で、魔術で縛り上げられた1人の水精が悲痛な悲鳴を上げる。上げ続ける。

 

 その魔法陣は対象の精神を侵し、犯し、術者のものとする外法の術式。

 まるで心の中を(うじ)やムカデが這いずり回るようなおぞましい感触と、それらに心を喰らわれているような精神的な激痛が絶え間なくリウラを襲い、リウラを屈服させんといきり立つ。

 

 ……そう、屈服()()()()()()()()()のだ。

 

 

 

 ――かれこれ、20時間以上も

 

 

 

「ああ、もう! なんなんだいコイツは!? こんだけ手を尽くしても魔力を尽くしても洗脳できないなんて、いったいどんな精神をしてんだい!?」

 

 術者であるディアドラは疲弊(ひへい)していた。

 それも当然と言えば当然。この水精(みずせい)は元気にピーピー泣いてはいるものの、ディアドラができているのは結局のところ()()()()。肝心の洗脳については、全くこれっぽっちも進んではいなかった。

 

 隠蔽(いんぺい)魔術を駆使してリリィ達の行動を観察した結果、ディアドラが下した“水精リウラ”に対する評価は、“訳のわからない存在”であった。

 平気で肉を食う、水の(ころも)を気軽に変化させる、地精(ちせい)の声を聞き、アースマンの存在を変質させ、しまいにはリリィの精神力を回復させる。

 

 ただでさえ自身を液状化できる水精に物理的な拘束は無意味だというのに、そんな意味不明な存在に通常の拘束魔術をかけたところで安心できるはずもなく、彼女はリウラを洗脳して思考そのものを封じることによって、リウラの行動を縛ろうとしていた。

 

 ――ところが、リウラは()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 別に、リウラの精神力が特別優れているというわけではない。

 魔力とは似て非なる独特の力が彼女の精神――正確には深層意識をガチガチに防御し、ディアドラの術式の一切を完全に遮断してしまっているのだ。

 

 そのせいで、表層意識は何とか攻撃することができるのだが、深層意識への侵入ができず、大量の魔力も時間も使いながら、洗脳の“せ”の字もできないという(てい)たらくである。

 己の魔術に多大な自信を抱いていたディアドラは、(いた)くプライドを傷つけられ、ムキになって洗脳しようとした結果、大量の魔力と時間を浪費してしまっていたのだった。

 

 リウラとリリィ達を結ぶ使い魔の仮契約は何とか解除できたものの、それだってリウラに直接干渉する方法ではどうにもならず、リウラから伸びる魔術的なラインを切断する方法でなければ解除できなかった。本当に訳のわからない水精である。

 

 ディアドラは魔法陣への魔力供給を中断し、大きく溜息をつく。

 

「……あ~、やめだやめ! まったく、“骨折り損のくたびれ儲け”ってのはこのことだよ……しかたない、別の方法を考えるとするか。……ほんと、無駄な時間と魔力を使っちまった。こんなことなら、さっさと弱ってる魔王の方を襲っとくんだったよ」

 

 ディアドラが立ち去ったその部屋、光を失った魔法陣の上で、リウラは涙と唾液を垂らしながら倒れ伏し、焦点の合わない瞳で、ただひたすらにうわごとを繰り返すのだった。

 

 

 

 

 

「た……す、け………………()()()……()()………………()……()………………」

 

 

 

 



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第八章 理解者 前編

 ――地下760階

 

「あははっ! アンタ、ほんっと面白~い! ねえねえ、他になんか芸できないの!?」

 

「おう、ならこれはどうだ? んんっ! …………『貴様のような豚が、姫様に拝謁(はいえつ)を求めるとは思い上がったものだな!』」

 

「き、貴様っ! 私の声を……!」

 

「あははははははははは! なにそれ!? なん、で、太った、豚から、シャンデル、そっくりな、声が……あははははははははは!!」

 

「姫様!? 豚が私の声でしゃべるのが、そんなにおかしいですか!?」

 

「あはははははははははははははははははははははははは……はっ……はっ……はっ……!!」

 

 でっぷり太ったオークが咳払(せきばら)いしたのちに、いったいどのように成しているのか、女性そのものの美しい声でモノマネをすると、ほのかに若葉色に光るウスバカゲロウのような4枚羽を生やした幼い少女が涙を流して笑い転げ、巨大な亀から女性の上半身を生やした造形の氷精(こおりせい)(いきどお)る。

 

 オーク族の探検家 リュフトは今、なんと精霊王の娘……すなわち、精霊の王女様と面会中であった。

 

 彼の磨きに磨いた“良い女センサー”は留まるところを知らず、とうとう生身の王女様と出会うところまで行ってしまった。

 (はか)らずも“良い女は隠されている”という彼の思い込みが、実は事実であったということが証明されてしまった形である。

 

 鳩頭(はとあたま)の巨人が通るという迷宮の縦穴を利用して辿(たど)り着いたこの場所に降り立った時、リュフトの勘はビンビンに冴えわたり、“間違いなくここに良い女がいる”という確信に満ちて一心に探索を始めた。

 すると、突如(とつじょ)としてリュフトが理想とするような女性が、何の前触れもなく目の前に現れた。

 

 だが、リュフトはその“良い女限定の第六感”で()()()()()()()()()()()()()()、大きくその豚鼻から息を吸い込むと、唐突にとある方向にくるり向いて(ひざまず)き、こう述べた。

 

『シャイなお方だ……だが、その奥ゆかしさもまた良し! 俺はリュフト! オーク族1の良い男! どうか、わたくしめにそのご尊顔(そんがん)拝謁(はいえつ)する名誉をお与えいただけませんか?』

 

 ――ぶふぅっ!!

 

 でっぷり太って腰蓑(こしみの)をまとった豚さんが、妙に気取って紳士的な台詞(せりふ)を吐くその姿がツボにはまり、幻術を使っていた精霊王女は大笑い。

 本来はリュフトのような侵入者は幻術で()かしてお帰り願うところだが、一発でリュフトの事を気に入った王女は、従者である氷精達が止めるのも構わず、嬉々として彼を自分の領域へ招き入れた。

 

 己の魅力を“強さ”に求めていたベリークは無骨な男であったが、リュフトは違う。

 彼が良い女と出会った時に落とせるよう磨いていた己の魅力は、“()()()”。

 “良い女は隠されている=箱入り娘である”という間違った思い込みを抱いていた彼は、“ならば、良い女は外の刺激に飢えているに違いない”と考え、“女を笑わせ、楽しませる男こそがモテるのだ”という信念を抱いていた。

 

 だから、彼は良い女を探す(かたわ)ら、様々な芸を修め、面白い物語を暗記し、様々な遊びを経験し、覚えてきた。

 鍵開けをさらりとこなすような器用な種族である為か、はたまた嫁探しの情熱の為かは分からないが、頭が悪いはずのオーク族であるにも関わらずリュフトはそれらを軽々とこなし、こうして今その真価を発揮している。

 

 精霊王より、とある役割を授かってこの迷宮に(つか)わされた精霊王女――フィファはまさにリュフトの想定していたような箱入り中の箱入り娘。

 そんな彼女にとってリュフトの存在は非常に刺激的で、彼が次々に繰り出す芸や話に、きゃらきゃらと楽しそうに笑い転げている。

 

(……ああ、やはり良い女には笑顔が一番似合う)

 

 美しい女が心の底から楽しそうに笑っている姿が、リュフトはたまらなく好きだった。

 相手がリュフトの嫁になるならないに関わらず、嬉しそうに、楽しそうに笑う姿を見ていると、リュフトは自然と笑みが浮かぶ。

 

 だから、彼は一生懸命、全身全霊をかけて彼女を笑わせる。

 いや、彼女だけではない。今はむっつりと怒っている氷精の従者たち……彼女達もまた素晴らしい美女たちだ。そんな不機嫌そうな顔は似合わない。

 だから、王女を巻き込みつつ、彼女達へも話題を振る。彼女達が気に入るであろう、あるいは驚くであろう芸を披露する。

 

 必ず笑わせる。

 こんな美女の笑顔を見ずに帰るなど、もったいないにも程がある。

 そして、彼女達の笑顔を充分に堪能した後で、改めて申し出るのだ。

 

 

 ――『どうか、俺の嫁になってください』、と

 

 

 従者の声マネで笑い過ぎて呼吸困難になったフィファを見て、一息入れるために芸からリュフトの体験談へと話題を移す。

 良い女を探すために迷宮の様々な場所を訪れたリュフトの体験談は非常に興味深く、多彩な経験に彩られており、フィファどころかその従者達までもが興味津々といった(てい)で耳を傾けていた。

 

 そして、その話題が、リュフトがとある場所で一攫千金(いっかくせんきん)を手に入れた話へと移った時の事だった。

 

「そこは変な貼り紙が貼ってある部屋でよ。貼り紙には、こう書いてあった……“へたれには呪いが待ち受けている。この部屋の宝物と魔物に手を出すべからず。主を退(しりぞ)けたる――」

 

「――待て」

 

 そこで従者――氷精シャンデルがリュフトの話を止める。

 

 その表情はかつてないほどに真剣で……なぜか凄まじい焦りに満ちていた。

 いや、彼女だけではない。気づけば、ベリークを除くその場の全員が表情を青ざめさせており、フィファに至っては、額から冷や汗をダラダラと垂らして、パクパクと酸欠になった魚のように口を開閉させている有様(ありさま)である。

 

 そして、なぜだか彼女達はベリークではなく、ふと思い出したかのように彼の頭上に一斉に視線を向けていた。

 

「ひとつ()きたいんだが……まさか、貴様はそこの宝に手を出したのか?」

 

「……? おうよ」

 

 そう答えた直後、悲鳴と聞き違うほどに悲痛な叫びが従者の口から放たれた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!?」

 

「お、おう?」

 

 頭上に“へたれ”の文字を浮かばせながら戸惑うリュフトに、シャンデルは半泣きになりながら怒涛(どとう)の勢いで“なぜ彼女達がこれほどまでに焦っているのか”を語る。

 

 彼が探索した部屋……それは、かつて下手な神をも(しの)ぐ化け物を封じるために、精霊王が用意した“()()()()()()()()

 

 強力な大地の精霊を数十体用意して地脈から大地の力を大量に汲み上げ、その力を部屋に設置した魔法具によって増幅し、強力な結界を張って化け物を封じていたのだ。

 化け物がいたであろう部屋の床や壁だけが一切溶解した様子がなかったのは、その結界が張られていたためだったのである。

 

 そして、その結界はその化け物だけは決して通さないが、それ以外は素通りする特殊な結界であった。

 これは、もしこの化け物を打倒しうる力を持った者が現れた場合、その者に化け物を倒してもらうためであった。

 

 この部屋に用意された金銀財宝はその者への報酬であり、化け物を倒さずに財宝を持って部屋を出ようとした場合、強力な呪いが降りかかって部屋から出られなくなる。

 財宝を元の場所に戻せば部屋から出られるし、呪いの効果もしばらく嫌がらせに“へたれ認定”という文字を頭上に見せる程度にまで減少するが、逆に無理に財宝を持って出ようとすれば余程の強者であろうと命を落とすほどの強力な呪いであった。

 

 だが、リュフトは財宝を持ち出しつつ化け物を倒していないのに、こうして生きている。

 

 

 ――それは、いったい何を意味しているのか?

 

 

「シャ、シャンデル……特に異常なんて感じなかったわよね? あの部屋の封印が弄られたりとか、破られたりとか……」

 

「……はい。ですが、こうしてこの豚が生きている以上、絶対に何かが起こっています。そして、その事に我々が全く気づかなかったことは否定のしようの無い事実……もし、このことが精霊王様に知られたら……」

 

 ガクガクガクガク――とまるで彼女達の真下だけに地震が起こっているかのような、強烈な震えが彼女達を襲う。

 

 彼女達が異常に気づかないのも無理はない。

 なにしろ、結界は()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 今から数百年前、とある人間族の大魔術師が巨大な迷宮を建設し、この迷宮と繋げてしまった事で地脈の流れがおかしくなり、この部屋への精霊力の供給が(とどこお)るようになってしまったのである。

 

 それにより大地の精霊達の力は数百年をかけて徐々に徐々に……フィファ達が違和感を覚えないほど少しずつ弱まり、結界も呪いも弱体化。

 いつの間にか大地の精霊達は意識を失って休眠状態に入ってしまい、その時には呪いもほとんど効果を失っていた。仮にリュフトが宝を持ち出していなかったとしても、数年以内に封印は自然に解けていただろう。

 

 そして、その化け物はリュフトが宝とともに封印用の魔法具までも持ち去ったことで完全に解き放たれ、その場にいた大地の精霊を喰らいながら部屋の外へ出てしまい……もはやこの時点で封印が解除された信号も、化け物が解放された警報も地下700階まで届かせるような力はその場には残っていなかった。

 

 そして、それは“わずらわしい俗世と関わりたくないから”、“少しでも精霊以外の種族を近づけたくないから”というフィファの我儘(わがまま)から、そんな地下深くを拠点に選んでいたフィファの失態を意味している。

 そして、それを知った精霊王が、いったい彼女達をどうするか――

 

 

 ――それは、恐怖に染まった彼女達の表情が物語っていた

 

 

「シャンデル! 急いで状況を確認するわよ! 豚! ウチの氷精を1人つけるから、アンタはその魔法具、取り戻して戻ってきなさい!!」

 

「はっ!」

 

「お、おう……?」

 

 なにやら、自分はヤバいことをやらかしてしまったらしい……それだけはなんとなくわかったリュフトは、おとなしく精霊王女達に付き従うのだった。

 

 

***

 

 

『ただいまー! シズク!』

 

『おかえりなさい、母様』

 

 晴れやかで、それでいてとても嬉しそうな表情の白髪の少女が、腰から生える同色の10本の尾を嬉しそうに右に左にと振りながらシズクの元へと駆け寄ってくる。

 金色の瞳をキラキラと輝かせ、頭頂部の狐耳を細かく震わせる彼女は、“サエラブ”という炎を操る狐の幻獣が、長い年月をかけて仙狐(せんこ)となり、人の姿へと変容した姿であった。

 

 人としての姿を得たためか、はたまた彼女の生まれが特殊であっためか、本来、人か魔の想念でしか生まれないはずの水精(みずせい)……シズクの生まれるきっかけとなった想念を提供した女性でもある。

 名をソヨギというが、シズクはそう呼んだことはない。“自身の親である”という尊敬の念を持って『母様』と呼んでいるからだ。

 

『どうしたの、母様? なんか、とても嬉しそう……?』

 

『あ、やっぱりわかる?』

 

 うふふ、とソヨギは笑う。

 

 狐炎獣(こえんじゅう)サエラブは、通常、炎のような赤い毛並みで生まれてくるが、彼女は突然変異の白子(アルビノ)として生まれた。

 

 彼女の生まれたサエラブの群れが、“善狐(ぜんこ)”と呼ばれる善良かつ思慮深い性質を持つサエラブたちであれば良かったのだが、あいにく彼女が生まれた群れは“悪狐(あくこ)”と呼ばれる欲望のままに生きる者達。

 1匹だけ不自然な特徴を持って生まれたうえに、悪狐らしからぬ……いや、善狐そのものの精神をもって生まれた幼い彼女は、群れ全体から迫害され、ついには殺されかけたことで群れから逃げ出し、人も魔も、知恵ある者が誰もいない……彼女を迫害する存在がいない、この湖にたどり着いたのだった。

 

 その当時のトラウマからか、彼女は世界を“悪意のかたまり”と見る傾向があり、心優しさこそ失っていないものの、どこか世界に絶望し、(すさ)んだ眼をしていたのだが……今はどうしたことか、年頃の少女のように希望に満ちた光が瞳にはっきりと浮かんでいた。

 

 わさわさと、10本のもふもふの尾が嬉しそうに揺れる。

 

 過去の体験から、彼女は周囲の悪意に非常に敏感であり、悪意から自身の身を護るための“強さ”を追い求める傾向があった。

 今も、自らを鍛えるための武者修行の旅から帰ってきたところである。

 

 そうした彼女独自の厳しい修行によるものか、はたまた突然変異で誕生したという生来の特性のためか……彼女は通常のサエラブではありえない凄まじい速度かつ異質な成長を遂げ、本来であれば9本までしか増えない尾が、今では10本にまで増えていた。

 通常であれば、9本の尾を得たサエラブがさらに年月(としつき)()ると、尾を失って男性化するらしいのだが、本当にそのように成長できるのかは、彼女自身にも見当もつかないらしい。

 

『あのね、シズク以外で、私を初めて受け入れてくれた人ができたの』

 

『それは……おめでとうございます』

 

 うつむき頬を染める少女は、女性であるシズクの眼から見ても非常に愛らしく、それでいて微笑ましいものであった。

 照れるようにはにかみながら、ソヨギは熱に浮かされたような表情で、その御仁(ごじん)の事を語る。

 

『異種族で、亜人ですらない真っ白な毛並みのサエラブなのに、あの人達は何のためらいもなく受け入れてくれたの。セリカさんもサティアさんも本当に優しくて……特にセリカさんなんて、魔物を殺すことにも躊躇(ためら)っちゃうような甘い人なんだけど、そこも可愛くって……』

 

 延々と途切れることなく続く惚気話(のろけばなし)……いや、彼女の瞳に懸想(けそう)の色はない。これはもっと原始的かつ根源的な好意だ。それは、シズクがソヨギへと向けるものと同じ――

 

 

 ――親へと向ける愛情そのものであった

 

 

 かつて、彼女は群れ全体から迫害されていた。誰も、彼女を護ってくれる者はいなかった……彼女の生みの親ですら、彼女を護ってはくれなかった。

 異質な毛並みと精神を持って生まれた彼女は、早々に親から捨てられていたのである。

 

 彼女は、今、生まれて初めて自分の“親”を見つけることができたのだ。

 

『2人とも今はとても忙しいけれど、今度機会があったらシズクにも紹介するね!』

 

『……はい、その時は是非』

 

 シズクはソヨギに“親”ができたことを心の底から祝福した。

 これで、彼女もずっと笑顔でいられると安心することができた。

 “親”達の力となるために再びソヨギがこの地を離れることになっても、少し寂しくはあったものの、ソヨギの幸せを信じきることができた。

 

 

 ――数年後、彼女が絶望の表情とともに戻ってくるまでは

 

 

 なぜか1本となっていた尾を揺らしながら現れたソヨギの眼に宿っていた光は、希望ではなく深い深い憎悪。

 まるでこの世の全てを憎むかのようなその(くら)い輝きに、シズクは思わず息を呑み、『おかえり』と声をかけることすらできなかった。

 

 ソヨギはシズクと向かい合うや否や、シズクの反応を意に介さず、一方的に話し出した。

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()、と

 

 

 (いわ)く、セリカが現神(うつつかみ)――嵐の神バリハルトに操られ、サティアと殺し合いをさせられ、2人は巨大な火柱の中に消えたらしい。

 どうやら、サティアの正体はアストライアという名の古神(いにしえがみ)――この世界で言う邪神であったそうで、それを討つ為にセリカはバリハルトの使徒として操られたそうだ。

 

 バリハルトの最大級の加護(かご)と、彼から与えられた神剣スティルヴァーレを()って戦うセリカは、人間族でありながら神に匹敵(ひってき)する力を持っており、女神であるサティアでも彼を……愛する男を取り戻すことは(かな)わなかったのだ。

 

『シズク……この世界は……ううん、この世界の“神”は間違ってる』

 

『サティアが邪神? あんなに優しくて愛情に溢れた人が? バリハルトが善神? あんなおぞましい儀式をして、あれだけの信徒を犠牲にして、愛し合う人達(セリカとサティア)を殺し合わせた奴が? ……逆よ、全て逆よ! この世界の常識は逆転してる。忌まわしい神々の手によって!!』

 

『ぁ……ぅ……』

 

 セリカ達の元へと戻るためにこの地を()った時とは次元違いの魔力――憤怒(ふんぬ)と憎悪に染まったそれの余波を真正面から受けて、シズクは恐怖に震えながら滝のような冷や汗を流す。

 

『……シズク、この世界は正さねばならないわ。放っておけば神々によってこうした悲劇が繰り返される……ううん、今も起きているかもしれない。誰も正すことができないのなら、私が正す』

 

 そう言って、(きびす)を返すソヨギを見て、シズクは焦る。

 焦りのまま、彼女は頭に思い浮かんだ言葉をそのまま口から出してしまう。

 

『待って、母様! いったい何をするつもり!?』

 

 首だけ振り返ったソヨギは淡々と言葉を返した。

 

 

 

 

 

『私が、“神”になるわ』

 

 

 

 

 

 シズクは固まる。

 

『“神”なんて大層な名前で呼ばれていようと、それは所詮“次元の違う力を持った存在”でしかない。そして、それはより大きな力を()ってすれば滅ぼせる……サティアを見ていれば、それは良くわかるわ』

 

 サティアが古神であることが確かならば、それは確実に目で見え、手で触れられることが証明されている。

 現神も同じであるとは限らないが、かつて現神と古神が戦った……“戦闘になった”ということは、現神も同じである可能性はある。

 

 そして、人間族のセリカが嵐神バリハルトによって操られ、強化されたことによって彼女を殺すことができたのならば……同じように現神を殺すことができるかもしれない。

 

『私はこれから更に力を蓄える。空天狐(くうてんこ)に至った私は、もう寿命で死ぬことがない。何百年、何千年だろうと、修行し、悪しき者と戦い、その力を喰らって、いつか神をも殺す力を手に入れるわ。……そして、現神を殺し、支配し、現神のような私利私欲ではなく、愛をもって……私は、この世界を治める』

 

 “クウテンコ”とやらが何なのかはシズクには分からないが、“ソヨギが何を言いたいのか”は分かる。

 現神達が悪逆を成すのならば、それを排除する、あるいは抑え込めるだけの力を持てば良い。シンプルな理屈だ。

 

 だが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことに、シズクは気づいていた。

 

『でも……! 母様の言うことを信じてないわけじゃないけど、それでも……! “()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!? ううん、それだけじゃない! “悪しき者の力を喰らう”って言ってたけど、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!?』

 

 人の数だけ価値観があり、人の数だけ正義がある。

 “絶対的に正しい正義”、“絶対的に正しい判断”など、全知全能の存在でもない限り不可能だ。

 そして、この世界では神ですら全知全能ではない。

 

 現神ら全てを超越する力を持った独裁者が生まれれば、それを止めることすら不可能になる。

 そうなれば、本人が意図していなくとも、間違った判断が生まれ、悲劇が生まれてしまう。

 

 その前提条件である“他者の力を奪う”といった内容でさえ、ソヨギ個人の価値観によって“悪である”と判断して行われる。

 例え何らかの事情があって行われたことだとしても、ソヨギが知る情報、持つ価値観で()って“悪だ”と判断されれば問答無用で喰らわれるのだ。

 

 たった1人の持つ価値観で行われる善……まさに、独善の極みである。

 

『……否定はしないわ。私個人の価値観だけでは、この世界は測れない。あなたの考えはとても正しい。それは確かだけど……』

 

 ゾッとするような恐ろしい目つきで、ソヨギはこう締めくくった。

 

 

 

 ――今の神々よりはマシよ

 

 

 

***

 

 

 ――魔闘術(まとうじゅつ) 狭霧(さぎり)

 

 フッ、とまるで絵を差し替えたかのように、瞬時に視界が“白”に染まる。

 

 シズクが展開した“狭霧”は、普段リウラが使うような“ある程度、視界を確保できる”レベルのものではない。

 一寸先が白き闇と化した、濃霧。空気中の水分を凝固させた程度では確保できない水分量。

 

 だが、彼女は別の場所から水を()び出した訳ではない。“そんなものでは、母を止めることはできない”と、十二分に承知しているからだ。

 

 ゴオウッ!!

 

 一瞬にして狐耳の女性の周囲の霧が晴れ、彼女の姿が露わになる。

 彼女の全身を覆うように、そして、彼女の周囲にまるで人魂のように(ただよ)う“青白い炎”――それは、“炎と水”という相反する性質ながら、シズクの操る“狭霧”と本質的には同じものだ。

 

「流石、水精とはいえ私の娘ね。上位の竜族でもないのに“()()()()()()()()()()()()

 

 

 ――魔闘術 奥義 蜃気楼(しんきろう)

 

 

 強力な思念(イメージ)を物質化する奥義である。

 

 基本的に“莫大な魔力”を材料に、“明確なイメージ”という設計図を()ってなされた“魔力の物質化”は、魔力の量に物を言わせれば比較的容易に実現でき、それを用いた分身魔術や肉体改造の魔術もこの世界には多数存在する。

 

 だが、“()()()()()()”を物質化できる者はそうはいない。

 世界に対し“かくあるべし”と自身の認識を押しつける……それは神々の成す天地創造の真似(まね)ごとであり、それを成すためには、神々の認識すら覆すほどの強烈な精神力が必要となるからだ。

 

 神格位を得ていないのに、そんなことができる者など、竜族――それも、魔神に迫る一握りの猛者(もさ)くらいだろう。

 いや、そもそも多大な精神力を必要とするので、思いつきはしても“やろう”と思う者は少ない。

 原作である“姫狩り”においても、同様の技は水竜フリーシスの操る“圧縮水弾”以外には存在しない程である。

 

 シズクは、それを易々(やすやす)と成した。

 

 今、彼女が操っている霧や水は全て彼女の念が(こご)ったものだ。その強度、発生速度、操作速度は通常の水操作とは比べ物にならない。

 なぜなら、その水は彼女の“想い”であり、“イメージ”そのもの。思考の速度で生まれ、動くそれらは時に音速すら容易(たやす)凌駕(りょうが)する。

 彼女の想いが強固であれば、例え魔導熱量子砲を途切れることなく照射され続けようとも、蒸発することなく悠然と術者を防ぎきるだろう。

 

 だが、魔神の領域に至った者に、その程度では通じない。

 

 闘気や魔力による肉体強化は、科学的な常識では測れない程デタラメな効果を発揮する。

 金剛石より硬く、鋼線よりもしなやかで、音よりも速い水球だろうとも、“神殺し”を目指すソヨギを(とら)えるには至らない。

 

 さらには、今、ソヨギが操っている炎は、一般的なサエラブが操る術とは異なる、シズクと同じ“思念の具現化”だ。

 シズク以上の念とイメージ力によって世界に描かれたそれは、相打ちにならず、一方的にシズクの念水(ねんすい)を蒸発させてしまう。力の次元が違い過ぎて、勝負になっていないことは誰の目にも明らかであった。

 

(わかってる。そんなことは、ずっと前からわかってる……私が母様に(かな)わない事なんて)

 

 

 ――ゆらり、と霧が揺らぐ

 

 

 シズクも決して才能がないわけではない。いや、むしろ一般的な水精に比べれば、隔絶(かくぜつ)した才能の持ち主だろう。

 

 だが、ソヨギの才能は異常――まさに異才であった。

 

 一目見れば技の本質を見抜いて己のものとし、一を聞けば百を知る。

 肉体も魔力も闘気も己の意のままにならないことはなく、一度見聞きした物事は本人が意図して記憶から消さない限り、決して忘れない。

 彼女と戦うことは、己の技術の全てを奪われることと同義であり、時間が()てば経つほどに不利になる。

 

(だから、母様を倒すには“奇襲”しかない)

 

 

 ――魔闘術 奥義 明鏡止水

 

 

 流れるように極限集中状態に入るが、その様子を見たソヨギはシズクが次の行動を移す前に、シズク以上の早さ、滑らかさで息をするようにごく自然に極限集中状態に入る。

 

 その凄まじい練度を見るに、シズクの技を盗んだのではない。おそらく最初から使えており……その上で、シズクの行動に合わせて使う技を決めているのだろう。それができるだけの実力の開きがシズクとソヨギの間にはある。

 

 しかし、それはシズクにとって好都合なことでもある。

 その油断、その傲慢、その隙をつかなければ、シズクに勝ち目など有りはしない。

 

 

 ――魔闘術 奥義 波紋

 

 

 周囲の念水で牽制しつつ、最短距離を突っ切って右の人差し指を突き出す。

 

 敵の点穴(てんけつ)――突くことによって様々な効果を及ぼすツボを突く技のように見せかけて、実際は指先から念水の針を刺し込み、一気に広げることによって傷口を波紋のように広げる、極めて殺傷能力の高い技だ。

 かつてリューナを操った魔族の腕を奪ったのも、遠距離から撃ちこんだこの技である。

 

 これだけ殺意に満ちた技を使っていても、シズクはソヨギを殺すつもりは全くない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 (あん)(じょう)、シズクの指がソヨギの胸に触れる直前、まるで歪魔族(わいまぞく)のように一瞬にしてその姿が掻き消える。

 “変幻転移”と呼ばれる、仙狐と化したサエラブが扱う空間操作術だ。

 

 フッとわずかに動いた空気の流れから、彼女が自分の背後に転移したことを知り、シズクは思い切り前へ前転しながら跳ぶ。

 

 前転する最中、逆さまになった視界に背後の状況が映る。

 突き出された手刀が、ちょうどシズクの首があった場所を貫いていた。

 

 

 ――ゆらり、と霧が揺らぐ

 

 

 シズクは、首をソヨギの方向に強引に向けるように身体を()じって相対(あいたい)しつつ、地面を滑りながら次の術を発動する。

 

 

 ――魔闘術 奥義 飛燕乱翔(ひえんらんしょう)

 

 

 ヴィアやリウラに放ったような、()()()()()で放つ奥義ではない。

 ()()で放つ神速の九連撃だ。

 

 だが、放つ直前にソヨギはいかにも“面白い”といった表情になり、()()()()()()

 

 

 ――狐炎術(こえんじゅつ) 飛焔爛傷(ひえんらんしょう)

 

 

 蒼炎を凝縮した刃が()()放たれた。

 

 念焔(ねんえん)(つく)られた刃は、シズク以上に薄く鋭いくせに密度が段違いに濃く、その上、“魔力を持たぬ思念である”ことを()かして気配を極限まで落とされている。

 そのため、技の開発者であるシズク本人ですら、その斬撃の軌道を完全には捉えきれなかった。

 

 

 ――ゆらり、と霧が揺らぐ

 

 

 あっさりとオリジナル以上の完成度で放たれる自分の技に、シズクの放つ水刃は全て砕け、蒸発し、シズクに焔刃が襲い掛かるも、シズクに動揺はない。

 この程度、ソヨギならば当たり前のようにこなすことを知っていたからだ。

 

 

 ――魔闘術 奥義 乱流(らんりゅう)

 

 

 飛燕乱翔を放つと同時に、シズクを中心に広がり、空間を埋め尽くしていた、具現化一歩手前まで()らされたシズクの念の塊。

 その念を裂いて向かってくるソヨギの焔刃の腹を押すように念の圧力を強め、あるいは、梃子(てこ)のように刃の端と中心の圧力を強めることで、刃の軌道を逸らし、あるいは刃そのものを()し折る。

 

 念で空間を埋め尽くすことによる索敵と攻撃、防御の3つを兼ね備えるシズクの奥義。

 弱点は具現化一歩手前まで念を強めているため、シズクが何をしているかが一発でばれてしまう点であった。

 

 だが、問題ない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ――ゆらり、ゆらりと霧が()()()()()()()()()――!!

 

 

 シズクとソヨギを囲うように展開されているシズクの“狭霧”……それは、決してソヨギを逃さないための障壁でもなければ、水刃などの武器を隠すための隠れ(みの)でもない。

 

 

 “()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 シズクは、ソヨギから学んだ武術を基礎に、他のあらゆる武術を学び、自らに最適化したものを修めた後、自分が扱うその戦う術の名前を“魔闘術”と名づけた。

 

 リウラに由来を問われた際、『魔力や魔術を使って戦う(すべ)だから』と答え、リウラはそれに『じゃあ、シズクが創ったから“シズク流魔闘術”だね! ……“シズク”って東方ではどんな字書くの?』なんて流派までつけてしまったが、実際はそんな流派を名乗れるようなお綺麗な武術でもなければ、本当の名前の由来もまるで違う()()()()()ものだ。

 

 

 ――“魔”とは何か?

 

 

 それは“魔族”という種族を見れば明らかだ。

 彼らの特徴・本質は“悪を成すこと”ではなく“()()()()()()()”。

 

 本人がやりたければ躊躇(ちゅうちょ)なく悪行(あくぎょう)を成すが、同時にやりたければ善行(ぜんこう)だって行う。

 “ルールが無い”、すなわち“()()()()()()()()()、それこそが()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ――霧の一部が動き、複雑な図形を描き出す

 ――霧の一部が動き、長い魔術式を描き出す

 

 

 ルールが無い……つまりは、“()()()()()()()()()()()”、それこそが“魔闘術”という名の由来である。

 

 ソヨギを止める為の闘術――そのためには、手段なんて選んでいられない。なんだって使ってやる。

 魔力だろうが、闘気だろうが、魔術だろうが、身体だろうが、武器だろうが、話術だろうが、罠だろうが、地形だろうが、天候だろうが、助っ人だろうが……

 

 

 

 ――“()()()()()()

 

 

 

 霧が描く図形が、魔術式が、シズクの“念”を受けて、今、発動する。

 

 

 

 

 

 ――魔闘術 絶技(ぜつぎ) 変性(へんせい)

 

 

 

 

 

 ソヨギはまさに化け物と呼ぶにふさわしい異常な才の持ち主だ。

 その洞察力にて敵の行動のことごとくを予測し、その観察力にて敵の(たくら)みを見抜く。

 どんなに(うま)いフェイントを入れようと、どんなにタイミングをずらそうと、まともな方法では攻撃を当てることすらできない。

 

 

 ――ならば、()()()()()()のではなく、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 “呪術”という魔術がある。

 通常、魔術は魔力量に比例して威力・効果を発揮するが、呪術はその法則に当てはまらず、魔力量よりも術者が込める“念”によって威力・効果が左右される。

 

 また、呪術の特殊性はそれだけではなく、通常の魔術では考えられないような効果を及ぼすことができる点も大きい。

 

 通常の魔術であれば、“魔弾を作成して撃つ”、“炎を生み出して放つ”といったように“何らかの魔術的現象を発現してからそれを対象にぶつける”ことで敵を攻撃するが、呪術は“敵を病にかける”、“敵を衰弱させる”、“敵を不死者(ゾンビ)にする”など、対象との距離や接触過程をほぼ完全に無視して直接効果を及ぼすことができるのだ。

 

 数あるシズクの奥義の中でも、こうした“敵を呪う”技だけは誰にも……それこそ己の技の後継者であるリウラにも伝えていない。こうした外道の技を扱うのは自分だけで充分だからだ。

 だからこそ、この技は“絶技”……“シズクの代で絶やす技術”、“シズクしか使えない技”と定められているのである。

 

 かつて、シズクはソヨギを探すため、のちに生存が確認されたセリカ……すなわち、“神殺し”の足跡を辿っていたことがある。

 その途中、アビルース・カッサレという魔術師が神殺しを追っていたことを知った彼女は、その祖先に大魔術師ブレアード・カッサレという者がいることを知った。

 

 ブレアード・カッサレ。

 野望の解放戦争……のちにフェミリンス戦争と呼ばれる戦争に勝利し、大陸にクモの巣のように広がる大迷宮――ブレアード迷宮を築いた人間族の大魔術師である。

 

 彼はフェミリンス戦争で敵対していた姫神(きしん)フェミリンスを倒し、彼女を封じている。

 三度(みたび)戦って二度負け、最後の戦いで自分の本拠地に誘い込んでの(ようや)くの勝利ではあるものの、人間族である彼が、はるか格上の神を倒し、封じたのだ。

 さらには、フェミリンスの子孫に対して“長女は必ず殺戮(さつりく)の魔女と化し、それ以外の子孫は長くは生きられず、若くして不幸な死を遂げる”という呪いまでかけた。

 

 この事実を知った時、シズクは衝撃を受けた。

 

 ――自分よりも何倍も大きな魔力を持つ相手を封じる?

 ――その子孫だってその神と同等かそれに準ずる魔力を持っているはずなのに、彼女達を確実に狂わせ、あるいは死なせる?

 

 ブレアードとて人間離れした大魔力を持っていようが、それでも通常の魔術では天文学的な魔力量が必要になるであろう。

 しかし、彼はそれを“呪い”という形でクリアした。

 

 シズクは、これこそがソヨギに対しての勝利の鍵であると確信した。

 

 シズクはブレアード迷宮を探索し、ついにその本拠地であろう場所を探し出し、石化した姫神フェミリンスを発見した。

 伝説級に(いわ)く付きの場所だけあって、魔神の溜まり場になっているという凄まじい状況であったが、気配を消しながら会話を聞くに、彼らは新たな主を探す真っ最中であるらしく数日様子を見ていると、戻ってこなくなってしまった。

 これ幸いと彼女は石化したフェミリンスを調べ上げ、不完全ながらもその封印術の再現、更にはアレンジに成功したのである。

 

 

 ――シズクが行ったアレンジは唯ひとつ……()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 霧の中に浮かぶ魔法陣や魔術式が現れるのはほんの一瞬。

 しかも、出現場所が次々と変わっていく。

 

 よほど注意力に優れた者でも、まず見つけることは叶わない。

 例え見つけることができたとしても、出現場所の法則を初見で見抜くことは不可能だろう。

 

 霧が揺らぐたびに複雑な魔法陣や魔術式が現れ、シズクの霧に込められた念を消費して効果を発揮してゆく。

 しかし、周囲の霧に込められた念圧は全く変化がない。呪術に消費される念を計算して、シズクが再び念の霧を具現化し、()ぎ足しているからだ。

 

(……これで……最後!)

 

 最終段階――ソヨギの肉体を硬化させ、魔力を封じ、動きを止める。

 シズクの持つ知識や経験では、()の大魔術師の(わざ)を完全には再現できず、石化させることはできなかったのだ。

 動きを止めた後は、“神を目指す”という目的を諦めてもらうまで説得するだけ……シズクがソヨギを封じる理由は、“説得の時間を稼ぐ”、ただそれだけなのだ。

 

 

 ――ゆらり、と霧が揺らぎ……最後の魔術式・魔法陣が霧に浮かぶ……!!

 

 

「え……?」

 

 呆然とした声が霧の中で響く。

 

 

 

 

 

 ――それは、()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 “信じられない”と言わんばかりに大きく見開かれた眼は、悠然と微笑むソヨギを映し、その身体は力を失って崩れ落ちる。

 

(まさか……まさか、まさか、まさかまさかまさかまさか……!!?)

 

 まるで石になったかのように動かない身体。

 

 

 ――いや、“()()()()()()()

 

 

 ピシピシと響く硬質な音に、恐る恐るうつぶせに倒れたシズクが目を向けると、そこにはシズクが当たっていて欲しくなかった嫌な予感、嫌なイメージ通りの光景があった。

 

 

 水精であるシズクの半透明の身体――それが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「発想としては良かったわ。たしかに呪術なら私のスピードも技術も関係なく命中する。でも、呪術はその便利さの分、とてもリスキー……相手が“返し方”を知ってるだけで、簡単に“倍返し”にされてしまう。これ、フェミリンスを封じたブレアードの術でしょ? あなたの勉強のために、完全版にして返してあげたわ」

 

 たしかに、その通りだ。

 呪術に有って魔術に無い致命的な弱点……それが、この“倍返し”であった。だが、それを成すには2つの条件が必要だ。

 

 1つは“呪いの返し方”を知っていること。

 これはまだ良い。彼女もまた神殺しの安否を確認するため、その足跡を追っていた。その道中でシズクのようにブレアードの術について知る機会があってもおかしくはない。

 

 だが、もう1つは……!

 

「どうして……!? どうして“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……!!?」

 

 そう、まず()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 これが“シズクの呪術を受けた後”ならば、分かる。

 シズクが攻撃のそぶりも見せていないのに、いきなり身体が硬直し、魔力が封じられれば、ソヨギならばまず間違いなく“呪術攻撃を受けた”と気づけるだろう。

 

 だが、彼女はシズクの呪術が発動した直後、自分に効果が及ぶまでの数瞬の間に呪いを返して見せた。

 これは、“シズクが呪術攻撃の準備をしていること”にあらかじめ気づいていなければ、到底成せないことだ。

 

 だが、シズクは呪術の魔法陣も魔術式も念霧に巧妙に偽装し、発動直前まで隠し通した。

 それは、魔王やサラディーネですら絶対に気づけないとシズクが明言、断言できるほどの完成度である。

 気づけるはずがない、気づける理由など存在しないはずなのだ。

 

「……そうね、シズクの偽装は素晴らしかったわ。ここまで巧妙に偽装された儀式魔術の使い手は、私の人生の中で貴女(あなた)が初めてよ。例え魔神や神であろうと、あなたの偽装に気づける者はほんの一握りでしょう」

 

「なら、どうして!?」

 

 シズクが泣きそうな声でそう叫ぶと、ソヨギは瞑目(めいもく)し、そのまま口を開いた。

 

「……シズク……あなたは“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

「……え?」

 

 ソヨギの言っている意味が分からず、シズクはぽかんと呆ける。

 

(音に……色?)

 

「いったい、何を……?」

 

「……音だけじゃない。文字にも味にも匂いにも色があるし、逆に色には温度や匂いや味がある……時間は私の周りを取り巻く帯のように見えるわ。そして……」

 

 ソヨギやゆっくり(まぶた)を、(あご)を持ち上げ、やや上空……そこに未だ漂うシズクの念霧を見やる。

 

()()()()()()()()()……()()()()()()()()()

 

 

 ――ソヨギの視界では、淀んだ黒に近い紫色……()()()()()()()()()()()()()

 

 

「……!」

 

 シズクは絶句する。そして、ソヨギと戦闘を開始する前の会話を思い出した。

 

 

『……あなたは(かたき)を取ろうと思わないの? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 あれは、“第六感で、シズクの気配に憎悪の感情が感じられなかった”という意味ではない。

 

 あれは、本当にその言葉通り……“シズクの感情に憎しみの色が()()()()()()()()()()()”という意味だったのだ……!!

 

「それだけじゃないわ。私の視界は色々なところに数式が描かれているの。ある程度成長してから分かったけど、その数式は今そこで起こっている事象を示している……だから、その数式を解いてしまえば、シズクが何をしようとしているのかも大体わかるの。私、大抵の数式は一瞬見れば解けるから、あなたの呪術のカラクリやアレンジは水の刀を飛ばしてきたときには大体わかったし、返し方も、そのすぐ後くらいに組み終えたわ」

 

「……」

 

 シズクは呆然として声も出せなかった。

 

 ――天才だとは知っていた

 ――異才だとは知っていた

 

 だが、これほどか。

 これほどまでに違うのか。

 

 もはや努力がどうこうという次元の話ではない。ソヨギとシズクでは完全に()()()()()()()()()()()()()()()

 

 『時間が見える』? 『事象が数式として見える』? ……いったい何の冗談だ。

 いや、百歩譲ってその意味不明な感覚が理解できたとしても、あの巧妙に偽装された儀式の全容を一目で解析し、数秒……下手したら一瞬でその対抗術式を組み上げて、ぶっつけ本番で成功させる?

 

 

 ――無理だ……少なくともシズクには

 

 

 シズクの心が折れ、瞳から希望の光が消えるのを見て、ソヨギは悲しそうに眉をひそめつつも、しっかりと返した呪いを媒介に今の戦闘から解説までのシズクの記憶を消去する。

 

 これで、シズクは“どのようにかは分からないが、ソヨギとの戦闘に負けて心が折れた”状態となった。

 経緯(けいい)のわからない部分は、弱りきったシズクの精神が自分に都合の良い理由で補うだろう。

 

(……我ながら、甘いわね)

 

 普段のソヨギならば、問答無用で相手を喰らうか、消し飛ばしている。それが最も確実に自分の情報を漏らさない手段であるからだ。

 多大なリスクを(おか)してまで自分の強さの理由を話して心を折り、その上で記憶を消去するなんてとても面倒で危険な手段を取るのは、“シズクが自分の娘であり、家族である”という自覚があり、シズクを大切に想っているからに他ならなかった。

 

「……シズク。何度も言ってるけど、私の事は諦めて。たしかに私は間違うこともあるかもしれないけれど、それでも必ず今よりもずっとずっと悲しみの少ない世界を創るから」

 

 それを聞いたシズクの眼から一滴の涙がこぼれ、小さな……本当に小さな声が静まった空間に響く。

 

「……違う……違うの……」

 

「……シズク?」

 

 ぽろり、ぽろりとシズクの両目から涙がこぼれてゆく。

 下半身と肩から下の腕を石化されて身動きが取れないまま、彼女は絶望に濡れた瞳から涙を流して懺悔(ざんげ)する。

 

「本当は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……私は、私はただ……」

 

 

 

 

 

 

 

 ――母様と一緒に居たかった……!

 

 

 

 

 

 

 

「……!!」

 

 ソヨギが驚愕に目を見開く。

 

「私……寂しかった……! 母様が私を置いてどこかに行ってしまうのが辛かった……! 母様を()ったセリカやサティアって人が、ずっとずっと憎かった……!!」

 

 呆然とするソヨギの視界に現れるシズクの感情の“色”、声から感じる“匂い”や“味”……ソヨギの五感に感じられる全てのそれらが、“シズクの発言が全て本心である”ことを示していた。

 

 シズクの声は高ぶる感情とともに、崩れに崩れてゆく。

 もはやそこに高潔な武人の姿はない。赤子のように親を求める幼子(おさなご)の姿がそこに在った。

 

「だから、母様に神様になんてなって欲しくなかった! どこかへ行ってしまうのが嫌だった! 神様と戦って死んじゃうかもしれないのが嫌だった! ……お願い……お願いだよ……私を置いてかないで……!!」

 

 シズクはソヨギの放った想念によって生まれた。

 湖の(そば)で自らを鍛えるソヨギが放った想念は、“強くなりたい”というものでもなければ、“自分を群れから追いやった仲間が憎い”というものでもなかった。

 

 

 ――“()()()”……ただ、それだけだった

 

 

 親から捨てられたが故に、特に親に対する愛情に飢えていたソヨギの念は、それを基礎想念として生まれたシズクにも同様に反映されていた。

 その想いは、例え魔王に親友を殺されようとも、ただ“親が帰ってこない”というだけで、魔王の魔力を放つリリィの気持ちを理解し、受け入れることができるほどに、強い強い想いであった。

 

 ソヨギは気づいていなかった。

 

 ――自分を護るための強さばかりを求めて、旅に出ること

 ――セリカ達から愛を貰うことばかり考えて、セリカ達の元で過ごすこと

 ――セリカ達を失った復讐心と、この理不尽な世界を変えることに(とら)われて、世界各地で悪しきものを喰らい続ける生活をすること

 

 こうした“自分の事ばかり考えて、シズクを1人で放り出す”という選択が、シズクから見たら何を意味するのか……彼女は理解していなかった。

 

 

 ――自分が親にされたことを、そのまま我が子(シズク)に対して行っていたことに

 

 

 シズクはその事に気づいていた。

 だが、言えなかった。

 

 初めてシズクを置いて行ったときは、世界を恨むような眼をしていたソヨギが恐ろしかったから。

 

 次にシズクを置いて行ったときは、セリカ達に会うことを心の底から楽しそうにしていたソヨギを自分の我儘(わがまま)で悲しませることが躊躇(ためら)われたから。

 

 最後にシズクを置いて行ったときは……自分の我儘では止まらないだろう、高潔な目的を持っていたから。

 

 だから、シズクは“自分の望み”という個人の感情ではなく、“ソヨギが間違うかもしれない”という、()()()()()()()をでっちあげたのだった。

 

「…………………………………………………………ごめん」

 

 長い沈黙の後、ソヨギは一言だけ謝罪する。

 

 それは、シズクの願いに対する明確な拒否であった。

 

 そして、何事かを言おうと再び口を開きかけ……何も言わずに口を閉じて踵を返した。

 どんな言葉を、どれほど口にしようとも、ソヨギがシズクに(こた)えられない以上、それは唯の言い訳にしかならないからだ。

 

「待って……! お願い、待って!!」

 

 ソヨギは唇をかみしめ、その声を振り切って前に進む。

 

 自分が酷いことをしているのは分かっている。ソヨギだって本当はしばらくシズクの(そば)で母として彼女を愛してあげたい。

 だが、今、歩みを止める訳にはいかないのだ。協力者でありながら敵でもある、あの天使達や魔導技師が、着々と己が目的に向けて邁進(まいしん)している以上、ここで足踏みしていたら世界はどうなるか分からない。

 

 だが、もし、自分が目的を達成し、平和な世界を創世できたその時には……

 

 

 

「……必ず、戻ってくるわ」

 

 シズクが聞き取れない程に小さい声で己が決意を述べると、シズクの念霧による妨害がまるで存在しないかのように、ソヨギは霧の中へと消えていったのだった。

 

 

 

 

 直後、シズクに返された呪いが解除され、彼女は元通りの半透明の手足を取り戻す。

 

 

 ――しかし、彼女は立ち上がることなく、声を押し殺して涙を流し続けることしかできなかった

 

 

 

 



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第八章 理解者 中編1

≪――幾重(いくえ)もの(はば)みも光の(つぶて)の前に開かれん。黄の太陽神、アークリオンの輝き、今、この地に下らん!≫

 

≪――主の御名に代わり、我が名において命ず。死すべき時を見失いし哀れなる者達よ、今こそ汝らの罪を許さん。穢れた肉体(からだ)を捨て、その魂を我が手に(ゆだ)ねよ!≫

 

 シルフィーヌが聖句を唱えて杖を掲げるとともに、爆発的な光が広大な城の広間を照らし出し、亡者の軍勢を光の彼方へと消し飛ばす。

 

 その上空でコウモリの翼を広げ、空色に金細工の装丁の魔導書を左手で開いたリリィが、芸術的なまでに美しい白く細い右手をかざし、シルフィーヌ達には耳慣れない不思議な聖句を唱える。

 すると、20メートル向こうで虚ろな眼窩(がんか)をシルフィーヌ達に向けるドラゴンゾンビが巨大な聖なる光の柱にのまれ、苦悶(くもん)咆哮(ほうこう)をあげた。

 

 竜の不死者(ふししゃ)は、その眼窩に宿る紅い輝きを上空のリリィへ向け、強烈な敵意を叩きつけながら大きく息を吸い込み、口腔(こうくう)に毒々しい暗緑色の魔力光をはちきれんばかりに膨れ上がらせる。

 

 その様子を見ても一切動じず、リリィは紅玉の瞳で不死竜を鋭く(にら)みつけながら、一時的に所有者に神聖魔術適正を与える魔法具――“神聖魔術の書”を左手から消し去ると、その右手に力天使の力を宿す(つるぎ)――“ヴァーチャーズ”を()び出し、“()”の名を叫んだ。

 

「シルフィーヌ!」

 

「はい!」

 

 “()”の一言を聞いたシルフィーヌは瞬時にその意図を汲み取り、朗々とリリィの守護を願う祝福の呪言を紡ぎ、神聖な輝きを帯びた長杖をリリィへとかざす。

 シルフィーヌの祈りが込められた対毒の呪鍛(じゅたん)魔術は、あらゆる不浄を清めるであろう清々しさを感じさせる白く優しい輝きを睡魔の少女に(まと)わせる。

 

 

 ――次の瞬間、空間がたわんだ

 

 

 不死竜の放つ猛毒の吐息は、自身の背後以外の空間を衝撃波で破壊しながら、その濃緑色の輝きを()って睡魔の少女を沈めんと迫る。

 雫流魔闘術の奥義たる“奔流(ほんりゅう)”にも勝るその速度――並の相手であれば、毒に侵される前に、その身体を細胞単位にまで削られるであろう。

 

 ――だが、睡魔の少女は恐れない

 

 大きく振りかぶった聖なる剣に渾身の魔力を込め、自身が暗緑色の闇を切り裂く一条の流れ星となって、少女は腐乱した巨躯(きょく)を貫く。

 

 イィンッ!

 

 空間そのものが悲鳴を上げるかのような斬撃音とともに、竜の背後に少女が剣を振り下ろした姿勢で現れる。

 

 左膝が、剣の切っ先が床に触れんばかりに、深く腰を落とした状態で残心をとった少女の背後で、巨竜がピタリと動きを止め……

 

 

 ズゥン……と、重々しい音ともに崩れ落ちた。

 

 

 頭から尾へと走る斬撃の跡は、その淡く清らかな輝きを徐々に広げてゆくとともに、不浄なる肉体を光の粉雪へと変え、迷いし竜の魂を冥府へと(いざな)う。

 

 やがて、肉の一片も残さず浄化され、消滅すると、“終わった”と判断した少女はブンと血糊を払うように剣を振るい、その手から剣をいずこかへと消し去った。

 

 ――途端、少女……リリィは満面の笑顔で、シルフィーヌへと振り返る

 

 「ナイスよ、お姫様! ほら、手ぇ上げて、手!」

 

 「は、はい?」

 

 “なぜ挙手を求められているのか?”と目を白黒させながらも、杖を握る手とは逆の手をシルフィーヌが上げると、リリィはその手に向けて、自分の手を軽く、だが勢い良く合わせる。

 

 パァンッ!

 

 乾いた音が響き渡る。

 じわじわとした軽い痛みが少しずつシルフィーヌの手から引いていく感覚につられるように、その動作が“祝勝を分かち合う意味である”ことを、ゆっくり少しずつ理解したシルフィーヌは……

 

 

 ――花がほころぶような笑顔を浮かべるのだった

 

 

 

 

 

 自国の姫に対して、あまりにも気安い態度で接するリリィを注意しようと激高する妹を、サスーヌが止める。

 

 あれほどまでに楽しそうなシルフィーヌの笑顔を、サスーヌは見たことがない。

 

 思えば、人間族から見た彼女は、常に“王族”という色眼鏡で見られていた。

 物事の道理が分からないほど幼い頃であればともかく、物心がついた頃からは、例え友人同士の付き合いであろうとも、その立場を意識した振る舞いをシルフィーヌも、その友人も求められていたであろう。

 

 

 ――だが、リリィの場合にはそれが無い

 

 

 魔族である彼女にとって、人間族の立場はそこまで重要な意味を持たない。必要があれば敬うこともへりくだることもあるだろうが、逆に必要であれば敵対だってできる。

 その奔放(ほんぽう)さが、“やりたいことをやる”という魔族の性質が、ありのままのシルフィーヌを見て、真に対等な関係を構築しているのだ。

 

 (……皮肉なものですね。まさか、姫の友人として最もふさわしい価値観を持っていたのが、人間族ではなく魔族であったなんて……)

 

 シルフィーヌに対する同情と、申し訳なさと、リリィに対する(わず)かな嫉妬をそっと心に隠して、サスーヌは楽しそうな2人のやり取りを見つめていた。

 

 

 

 

 

 しかし、少女達の楽しそうなやり取りはすぐに終わり、リリィとシルフィーヌは表情を引き締める。

 

 「……危険を承知で飛び込んではみたけど……居ないみたいね」

 

 猫耳をピクピクと振るわせて、周囲の気配を探りながらリリィが言うと、探知の魔法陣を眼前に展開させたシルフィーヌが応じる。

 

 「そうですね。不死者たちの巣窟(そうくつ)になっている時点で“可能性は低い”と感じておりましたが……やはり反応はありませんね」

 

 今、彼女達が訪れているのは、かつてブリジットの一族が利用していたという別荘だ。

 

 “別荘”とは言うものの、強力な魔族の一族が利用していたそれは、広大な“城”である。

 対侵入者を想定して建築されたそれは、間取りを把握していないリリィ達にとって、いつどこから魔王に“命令”されてしまうか分からない危険な場所であった。

 

 しかし、それでも彼女達がここにやってきたのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()だ。

 

 ユークリッド軍を使った人海戦術で、リリィの知る魔王やその部下達の拠点を中心にしらみつぶしに探しても、魔王達は影も形も見当たらなかったのである。

 魔王すら知らないこの“別荘”は、原作でブリジットが進言することによって魔王の拠点になっていたため、“もしかしたら”と門番の魔物ごと門を吹き飛ばして押し入ったものの、やはり魔王達の姿はないし、この拠点が使われた形跡もない。

 

 ここまでくると、“もう既に魔王はディアドラに捕まっている”と想定して動いた方が良いかもしれない……そう2人の認識が一致したその時だった。

 

 

 ――パリ……

 

 

 ピタリ、とその場の全員の動きが、会話が止まる。

 何か硬質なものが割れたような音……慎重にリリィとシルフィーヌが視線を向けると、そこにはかつてこの城の主が利用していたのであろう、朽ちた玉座があった。

 

 リリィは視線を外さないまま、シルフィーヌに向けて(ささや)く。

 

 (……私が行くわ。お姫様は此処(ここ)で待ってて)

 

 (……いえ、わたくしも行きましょう。もし、あそこに魔王が居たら、“命令”を回避できないかもしれません)

 

 (……了解)

 

 リリィは心話(しんわ)でヴィアへと周囲の警戒を命じ、シルフィーヌもサスーヌを手招きして同様の指示を出す。

 これが、敵の注意を音のする方へ引きつけるための策でない、という保証が無いからだ。

 

 ルクスリアを右手に喚び出したリリィは、両手で杖を握るシルフィーヌを伴い、慎重に玉座へと向かう。

 

 そして、ゆっくりと玉座の裏を覗き込んだ。

 

 

 

 「……卵……?」

 

 

 そこに()ったのは、わずかに(ひび)が入った2つのダチョウサイズの卵。

 シルフィーヌの不思議そうな声を聞きながら、リリィは「あ」と思い出していた。

 

 (ああ、そっか。そういえば、そんなユニットも居たっけ……ほとんど存在感が無いから、かんっぜんに忘れてたわ……)

 

 そんな失礼なことを考えながら、リリィが卵を見つめていると、バリバリと音を立てて見る見るうちに殻が破壊されていき、中から現れたものが元気よく産声を上げた。

 

「ぴぴー!」

 

「ぴぴぴー! ぴぃ!」

 

 誕生したのは、ひと抱え程の大きさの竜の子供。

 同じ親から生まれた兄弟なのか、どちらも同じ姿形をしているが、片方は純白の鱗にターコイズブルーの瞳、もう片方は漆黒の鱗にピオニーパープルの瞳をしている。

 

 赤子ならではの可愛らしい姿に、わずかに目を輝かせていたシルフィーヌは、ふと表情を曇らせる。

 

 「リリィ……もしかして、この子達は先程の……」

 

 「……たぶんね」

 

 原作でも明言はされてはいなかったが、おそらくこの竜の赤子達は、あのドラゴンゾンビの子だろう。死してなお、愛する我が子を護り続けていたのだ。

 悲しそうに眉をひそませるシルフィーヌを見て、リリィは軽く溜息をつくと、ポンとその頭に手を乗せる。

 

 「……そんな顔しないの。あの竜を眠らせてあげたことは、決して間違ってはいないわよ……って、わぷっ!?」

 

 リリィがシルフィーヌへと視線を逸らした隙を突いて、翼を広げた黒竜がリリィの顔面へ突撃し、ぺっとりと腹から抱きついた。

 リリィはすぐに黒竜の首根っこを(つか)み、ベリッと顔から引きはがすと、ジト目でそのつぶらな瞳を覗き込む。

 

「……コラ、いきなり人の顔に何してくれてんのよ」

 

 黒竜はぬいぐるみのような可愛らしさで、コテンと首をかしげる。

 同じように胸に飛び込まれた白竜に頬を舐められながら、シルフィーヌはリリィの疑問に答える。

 

「……おそらく、わたくし達の事を親だと思い込んでいるのではないでしょうか?」

 

「“刷り込み”ってやつ? 私、ペットの世話なんてできないわよ?」

 

「でも、この子の親を奪ってしまったのはわたくし達ですし、責任を取る必要があるのではないですか?」

 

「うぐっ……!?」

 

 冗談ではない。リリィは(うめ)いた。

 

 竜族は強力な種族だ。飼い犬に手を噛まれても“大怪我”で済むだろうが、竜に手を噛まれれば“大災害”である。その殺傷力も、被害範囲も比べ物にならない。

 

 しかも、やっかいなことに成長すればするほど、どんどん大きくなる。

 その大きさは大型犬なんか目ではなく、ちょっとした豪邸……へたすれば文字通り山のような大きさにまでデカくなる。

 もし飼うこととなれば、エサ代も住む場所も悩むどころの騒ぎではない。

 

 一国の姫であるシルフィーヌならば、それぐらいどうとでもなるだろうし、むしろ軍事力が増えるので喜ばしいことだろうが、こちとら宿屋暮らしの根無し草である。リリィには、とても飼える気がしなかった。

 

「……ん?」

 

 リリィの猫耳がピクリと動く。

 一拍(いっぱく)遅れて、ヴィアも近づいてくるその懐かしい気配に気づいた。

 

「リュー!?」

 

 

***

 

 

「わかった。リューがヴォルクを感知した場所を教えて。すぐに向かうわ」

 

「ヴィア、ストップ」

 

 リューナが事情を話し、ヴォルクの救出をヴィアに願うと、ヴィアはすぐに首を縦に振ったが、即座にリリィが“待った”をかける。

 ヴィアは苛立ちを隠さず、自身を止めんとする主を(にら)みつける。

 

「……アンタが言いたいことは分かるわよ? 魔王が(よみがえ)ろうかどうかって非常時に、たった1人の――」

 

 

 ――ゴッ!

 

 

 額にリリィの肘鉄を打ち込まれたヴィアが、被弾箇所を抑えてふるふると震える。

 

「落ち着きなさい。私だってお姉ちゃんが危ない目にあったら絶対助けるんだから、ヴォルクさんを助けるのを止めやしないわよ。ただ、“ヴォルクさんの位置情報を感じた場所へ直接向かうのは反対”ってだけ」

 

「……?」

 

 涙目になったヴィアが(いぶか)()にリリィを見つめると、リリィは真剣に己が発言の意図を説明する。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()んでしょ? ってことは、そこはまず間違いなく一本道よ。ひょっとしたら見晴らしも良いかもしれない。そんなところで強力な魔術……例えば、そうね……私の偽・超電磁弾みたいな魔術なんて撃たれてみなさいよ? あなた、一発であの世行きよ?」

 

「……じゃあ、どうすれば良いってのよ? 私がそんな場所の道を知らなかった以上、そこの行き方なんて、それこそヴォルクくらいしか知らないわよ? それとも何? 『アンタが別の道を知ってる』とでも言う気?」

 

「む……」

 

 ヴィアがそう言うと、リリィは少し考えこむや否や、はたと何かに気づいた顔をする。

 そして、なぜか急に虚ろな眼をして自分の左肩にへばりつく黒竜を眺め、そのくりくりとしたアメジストのような美しい紫の瞳と視線を合わせて言った。

 

「……ねぇ、あなた……ここよりずっとずっと深くに行く方法……知ってる?」

 

「……アンタ、気ぃでも狂ったの?」

 

 “生まれたばかりの赤子に道を聞く”というリリィの正気を疑う行動に、ヴィアはドン引きしながら思ったことをそのまま口に出す。

 

 ――が、

 

 

 

 

 

 

 「ぴぃーーっ!」と黒竜は嬉しそうに鳴き、コクリと首肯(しゅこう)した。

 

 

 

 

 

「は……………………はああああああぁああぁあああっ!?」

 

 驚くのも無理はないだろう。つい先ほど生まれたばかりの赤子が言葉を理解したばかりか、見たことも聞いたこともないはずの……それもヴィアですら知らない迷宮の道を知っていると言うのだから。

 大声を上げたのはヴィアだけだが、まわりの者達も目を丸くして呆気(あっけ)に取られている。

 

「いや、待って!? どういうこと!?」

 

「落ち着いて、ヴィア。馬だって生まれて1~2時間で立てるでしょ? 竜族だったら生まれてすぐ言葉が分かってもおかしくないんじゃない? ……たぶん」

 

「アンタ今『たぶん』って言ったわよねぇ!? いや、百歩譲ってその怪奇現象は見逃すとしても、“生まれた直後に迷宮の道が分かる”って、どう考えてもおかしいでしょ!?」

 

「あ~……ヴィア。地、水、火、(いかずち)の四大守護竜って聞いたことない?」

 

「“竜の始祖を護ってる”っていう、おとぎ話の竜でしょ? それがいったいどうしたってのよ……って、まさか……!?」

 

 言ってる途中でリリィの言いたいことを理解したヴィアが言葉を詰まらせると、リリィはその推測を肯定するように、こっくりと頷き、下を指さした。

 

情報源(ソース)は明かせないけど、その竜達はこの迷宮の地下600階層くらいに()んでるって聞いたことがあるわ。多分この子は、その同族の気配か何かを感じ取ることができるんじゃないかな?」

 

「ぴぃっ!」

 

「……うそぉ……?」

 

 仮にリリィの言うことが正しいとするならば、この子竜は生まれて間もなく地下数百階先の気配を探ることができるという、正真正銘の化け物である。

 

 ……いや、決しておかしくはないのかもしれない。

 

 この世界での強さを大雑把(おおざっぱ)に上から並べると、神族≧(魔神・神格者)≧竜族となる……が、そもそも“魔神”や“神格者”は種族ではなく、“神の如き力を持った者”の事を指すうえ、神族に至ってはそのほとんどが“神骨の大陸”と呼ばれる聖地に住んでいるので、ラウルバーシュ大陸ではまず出会うことはない。

 

 つまり、竜族とは実質的なこの地の最強種族なのである。

 

 そんな彼らからすれば、生まれてすぐに言葉を理解し、千里先の同族の気配を掴むなど、造作もないことなのだろう……ヴィアは、そう無理やり納得しておく。

 

 ……が、実際のところ、ヴィアの考えは半分間違いである。

 原作知識を持つリリィは知っている。この子竜が原作において魔王とリリィを地下600階以降の深い階層へと案内してくれることを。

 

 ――そして、たしかに竜族は強力な種族だが、その強さは()()()()()()()()()()()()()ということを

 

 強い竜族は魔神級の力を持つ上に、人化だってできる高度な魔術の使い手になり得るが、弱い者は成竜であろうと言葉を話すこともできない唯の巨大トカゲに過ぎない。

 つまり、デタラメなのは竜族という()()()()()()、そのデタラメを成した()()()()()()()()()()()()()なのである。

 

 リリィの眼が虚ろになったのはそういうことだ。

 この子竜は将来、間違いなく魔神級の力を持った化け物竜になる。その飼い主が自分? ……厄介ごとを呼び寄せる未来しか想像できない。

 この子竜の設定なんて思い出したくはなかった、というのがリリィの正直な想いである。

 

 

「「……!!」」

 

 

「ちょ、ちょっと、どうしたのよ?」

 

「どうしたのですか?」

 

 リリィとシルフィーヌが戸惑(とまど)ったような声を上げる。

 

 なぜなら、2人の(かたわ)らにいたそれぞれの子竜が、突如(とつじょ)として警戒態勢に入ったからだ。

 子竜たちが睨みつける先は全く同じ。疑問に思いながらも一同がそちらの方に視線を向けると、そこから現れたのは皆が良く知る人物であった。

 

「……ここに居ましたか、リューナさん」

 

「マスターやこのツェシュテル様の手を(わずら)わせるなんて、いい度胸してるじゃない? “置手紙の一つでもしておこう”とか思わなかったの?」

 

「……あ、すすす、すみませんですのー!! 決して、決してわざとやったわけじゃあいだだだだだだ待って待って耳引っ張らないで千切(ちぎ)れる千切れてしまいますの~~~っ!!!」

 

 現れたのはセシル匠貴(しょうき)と、空飛ぶ小人ツェシュテルだった。

 

 ツェシュテルは現れるや否やリューナへと飛びかかり、その尖った耳をグイグイと引っ張ってリューナを涙目にしている。

 とても(なご)む光景のはずなのだが……2頭の子竜の敵意に満ちた視線は、一切緩むことなく明確にただ1人に向けられていた。

 

 

 ――にこやかに微笑む黒髪の女性、セシルに

 

 

***

 

 

 ――『……その座標、私が感知した“魔王が空間魔術を使ったと思われる位置”とほぼ同じね。そのヴォルクって奴、アンタ達に対する人質として捕まえられたんじゃないの? それか、アンタ達の注意を引きつけとくためのエサとか……』

 

 ツェシュテルのこの発言に、“状況は予想以上に悪化している”と理解したリリィとヴィアは、焦りを(にじ)ませつつも真剣な表情で、“どういった状況が予想されるか”、“どのようにヴォルクを救うべきか”を話し合いながら、最後にツェシュテルが反応を感知した地下700階付近を目指す。

 

 岩が一度溶けて固まったかのような、不思議な造形の床をコツコツと足音を立てて歩くリリィとヴィアの前を、白竜と黒竜がパタパタと可愛らしい羽音を立てて先導している。

 伝説の四大守護竜が棲むような迷宮の深層では、一般兵は足手まといにしかならず、上層に待機させたため、辺りに響く足音は少ない。

 

 そうして移動する中、リューナはシルフィーヌに深刻な表情で相談を申し込んでいた。

 彼女もまた実力的に非常に不安な者であり、同行することに皆は……特にセシルが難色を示したものの、ヴォルクの位置を現在も正確につかめるのが彼女だけであったため、いざとなったら逃げることを条件に、仕方なく同行を許されたのだった。

 

「……それで、わたくしに聞きたいこととは何でしょうか?」

 

「……私があのお城につく少し前に感じた神聖な魔力……あれはシルフィーヌ様の魔力ですの?」

 

「? ええ、不死者たちを浄化するためにアークリオン様の御力(おちから)をお借りしました。でも、あの時はリリィも――」

 

「どうすれば! どうすれば、あれほどの信仰心を手に入れることができますの!? 教えてください! お願いしますの!!」

 

「!? わ、わかりました! わかりましたから、少し落ち着いてください!!」

 

 基本的に魔術は本人の魔力量によって質が上下する。

 神聖魔術もその点に変わりはないが、1点だけ他の魔術にはない特徴がある。

 

 

 ――それは、“術者の信仰心が高ければ高いほど、扱う魔術の質が向上し、使える魔術も増える”ということ

 

 

 その時、城外にいたリューナであっても、ありありと感じることができるほどの聖性……それがシルフィーヌが放った魔術からは感じられた。

 純粋で透明感のあるさわやかな風のような信仰心、自身が信ずる神への尊崇(そんすう)の念と愛……彼女の魔術から感じられたそれらは、リューナがかつての力を取り戻すために必要なものだった。

 

 リューナは己が事情を語る。

 

 ――ほんの数年前、自分はとある神の加護を異常なまでに受けていた子であったということ

 ――その力のせいで、生まれ故郷から追い出されたこと

 ――その事から自身に加護を与えた神を恨み、やがてその力を失ったこと

 

 

 ――そして、今、その力を仲間を助けるために取り戻したい、ということ

 

 

「虫のいい話だってことは、よ~く理解していますの。でも、仲間を助けるためにはどうしても力が――」

 

「信仰とは、そのように甘いものではありません」

 

 ぴしゃり、とシルフィーヌが断じ、リューナが言葉に詰まる。

 

「今の貴女(あなた)のような御利益信仰(ごりやくしんこう)でも、神は貴女に力を与えてくれるでしょう。しかし、それはとてもこの戦いについて行けるほどの力ではありません。なぜなら、この苦境を乗り越えた時、あなたは間違いなくその信仰を失うからです。その程度の信仰心では、与えられる力も、それ相応のものしかいただけないでしょう」

 

 苦しい時の神頼みは間違ってはいない。苦しい時ほど人は真剣に祈り、相応の信仰を神にささげるからだ。

 だが、その苦しい時が去った時、彼らは信仰を失い、忘れる。いかに真剣と言えど、それはその時限りの薄い信仰心なのだ。

 

 真の信仰とは、そのような生やさしいものではない。

 

 ――神の手足となって、神の意思をこの世に()ろし、神の代行者として無私の心で奉仕する

 ――己の“()”を極限まで薄く、透明にし、どのような苦難困難に見舞われようとも、神の御心(みこころ)のままに行動する。

 

 そのような振る舞いが、行動力が、そして何より精神が求められるのである。

 一時(いっとき)限りの力を求めるような心の弱い者では、リューナが望むレベルの信仰心を手に入れることはできないのだ。

 

 リューナは(うつむ)き、唇を噛む。

 

 分かっている。そんなことは言われなくても分かっているのだ。

 でも、それでも何か、力を取り戻すきっかけとなるものがないか……そのような(わら)にも(すが)る想いで吐き出した問いかけだったのだ。

 

「……ですが、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……え?」

 

 パッとリューナが顔を上げる。

 涙に(うる)んだ瞳が、優しく微笑むシルフィーヌの瞳と視線を絡め合わせた。

 

「世の中には無条件で加護を与える神もいらっしゃいます。リリィなんかが良い例でしょう。睡魔族(すいまぞく)は生まれながらにして誘惑の女神(ティフティータ)の加護を得ると聞きます。なぜ、()の女神は彼女達に、そして貴女の神は貴女に加護を与えるのでしょうか? それは、その神自身にしか分からないでしょうが……ひょっとすると、昔の貴女を好ましく思っていたのかもしれません」

 

「昔のわたくし……ですの?」

 

 シルフィーヌは真剣な表情で、こくりと頷く。

 

「信仰心を磨くことも、あなたの力を取り戻すための一助(いちじょ)となることは確かでしょう。しかし、それは一朝一夕で手に入るものではありません。毎日の生活の中で徐々に(やしな)ってゆくものなのです。それよりも、特に信仰を意識しなくとも多大な加護を得ていた当時の自分を振り返って見てください。おそらくその中に、あなたが力を取り戻すためのヒントがあるはずです」

 

「……」

 

 ――当時の自分……故郷を追い出される前の自分はどうだっただろうか?

 ――どのように日々を生き、どのように世界を見ていただろうか?

 ――そして、自分に加護を与える神の事をどう思っていただろうか?

 

 リューナが深く己の内を思索しようとした、その時だった。

 

 

 

 ――ドサリ、と人が倒れる音が響く

 

 

 

 「「ティアさん(姉様)!?」」

 

 突如として意識を失ったティアに、リリィ達の注意が奪われた直後――

 

 

 

 ――その頭上に忽然(こつぜん)と現れた“海”が、彼女達に襲いかかった

 

 

 

***

 

 

 ――空気の流れが変わった

 

 その事を感じ取ったリリィは、反射的に天に向かって広範囲の障壁を展開する。

 

 

 ――ギガガガガガガッ…………!!!

 

 

 巨大な魔法陣が淡い紫に輝き、上空から降り注ぐ水槍の豪雨を次々と弾き返す。

 しかし――

 

 リリィは鋭く舌打ちすると、瞬時に地を蹴り、翼を広げる。

 直後、先程までリリィが居た場所を4本の水の槍が射抜く。見れば、まるで空間転移してきたかのように大量の水が地面を覆い始めていた。

 

(違う、転移じゃない……これはまさか、“蜃気楼(しんきろう)”!?)

 

 蜃気楼――それは、強力な思念を()って自身のイメージをこの世界に具現化する、雫流魔闘術の奥義。

 魔力を全く用いず、イメージ力のみで物質を生み出すその特性から、魔力を一切感じさせず、瞬時に指定した空間に発生させることができる、極めて奇襲に適した技である。

 

 自身の姉から経験を貰ったことにより、この技を知るリリィは、瞬時に敵対者の候補を洗い出す。

 

 ――この技の開発者であるシズクか

 ――雫流魔闘術の後継者であるリウラか

 

(……いえ、それにしては様子がおかしいわね。もしあの2人だったら、こんなに雑な水の使い方はしないはず……)

 

 仮にあの2人がディアドラか誰かに洗脳されているのであれば、こんな念力(ちから)まかせの攻撃はしない。変幻自在の水術で翻弄(ほんろう)するはずだし、何より本人がリリィ達に姿を見せた方が精神的な動揺を誘えるだろう。

 いや、そもそも攻撃させるよりも、彼女達を人質として使った方が余程効果的なはずだ。

 

 そのリリィの疑問は、直後の水の動きで氷解する。

 

「ぴぃ!?」

「ぴぃーっ!!」

 

 突如(とつじょ)、周囲の水が子竜達を捕らえ、(さら)いにかかったのだ。

 

「させないわよ!」

 

 連結が解除されたルクスリアの刀身が伸びる。

 

 紫黒(しこく)の刃が念水を切り裂き、2匹の子竜を絡めとると、瞬時にその(にな)い手の元へと引き寄せる。

 リリィは子竜を左手で抱きかかえながら刀身を連結。追いすがる水を翼を羽ばたかせて回避する。

 

(なるほどね……そういえば、そうだったわ。あの強力な水弾、たしか思念を具現化させたものだったっけ……応用すれば、この程度のことはできるってことね)

 

 生まれたばかりのこの子竜達を奪おうとする水使いで、ここまでの実力者など、原作において1人……いや、()()しかいない。

 

 

 ――伝説の四大守護竜の一角 水竜フリーシス

 

 

 自分達の一族に連なる子竜達を取り戻しに来たのだろう。

 リリィの都合を考えれば、厄介ごとの種でしかない子竜をそのまま返しても構わないのだが……

 

 チラリ、と抱きかかえる子竜達に目を向ける。

 

 ――そこには、こちらを見つめる子竜達の、リリィを信じきる澄んだまなざしがあった

 

(まあ……“本人の同意なしで問答無用”っていうのは、流石に論外よね!)

 

 不敵な笑みを浮かべるリリィの意志を受け取ったルクスリアが、ぼうと桃色に輝き、蜜のように甘くねばついた魔力を解き放つ。

 すると、先ほど子竜達を助ける際に切り裂いた水の塊に、紅いサソリの幻影が浮かび上がった。

 

 サソリが、右のハサミを鋭く閃かせる。

 すると、液体であるはずの水が、まるで傷口のようにパックリと開かれた。

 サソリは、両のハサミを器用に使い、()()から内部に潜り込み――

 

 ――途端、リリィ達を襲う周囲の水すべてが、まるで幻影であったかのように一瞬にして消滅した

 

(……対応が早いわね。長く生きてるだけあって、呪術の(たぐい)にも詳しいのかしら?)

 

 魅了剣ルクスリア――その能力は“接触した対象を魅了し、操ること”。

 基本的に被術者との物理的接触を想定しているが、別に()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 イメージ……つまり、“想いそのもの”が具現化した念水に接触できれば、それを媒介に、呪術的に本体の精神を犯し、魅了することも可能だ。

 

 しかし、本体へ干渉する直前に具現化を解除されたことで、魅了は不発に終わってしまった。

 セシルが作成したばかりの魔剣の情報を、フリーシスが知っているとは考えにくい。むしろ、竜族ならではの長寿を以って、呪術的な知識を蓄えていたと考えた方がいいだろう。

 

 ――ピクリ

 

 リリィが猫耳を振るわせつつ、ルクスリアを構える。

 すると、リリィの前方に再び大量の水が具現化し、巨大な竜を形作った。

 

(うわ~~……知識として知ってはいたけど、本当に綺麗……水で(つく)った偽物でこれなら、本物はどんだけ綺麗なんだろ……?)

 

 ――生ける芸術

 

 ふっとリリィの頭に浮かんだ言葉がこれだった。

 

 おそらく水竜フリーシス本人の姿だろう。巨大な氷を削りだして彫刻にしたかのようなその造形は、リリィがこれまで見たどんな生物よりも美しいと断言できる。

 竜の“恐ろしさ”と“美しさ”を奇跡的なバランスで兼ね備えた、自然界の美しさの結晶であった。

 

 フリーシスが口を開き、重々しい声で要求する。

 

「我ら竜族の肉体を(もてあそ)ぶ者よ……()く、我が一族の宝を返せ。そして、その首を差し出すのだ」

 

 リリィは眉をひそめる。

 

 『一族の宝』、というのは分かる。

 原作でも子竜のことを指して同様の言い方をしていたから、おそらく『子竜を返せ』という意味だろう。

 

 

 ――だが、“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 さらに言えば、原作の彼と比べて、あまりに殺意が高すぎる。

 『子竜を返せば許す』と言っていたはずが、『子竜を返して、死ね』だ。明らかに様子がおかしい。

 

「帰って来てほしいんだったら、ちゃんとこの子達の意思を()きなさいよ。だいたい、“アンタ達の肉体を弄ぶ”って何のことよ?」

 

「とぼけるな……っ!! 我が一族の宝を貴様らの玩具(がんぐ)にされてたまるものか!! ……さては、先の化け物……アレも貴様らの仕業(しわざ)か!?」

 

「いやいやいや、勝手に納得して勝手に話を進めるんじゃないわよ!? まずは話を――」

 

「問答無用――!!」

 

 言うや否や、フリーシスを(かたど)った水が消え失せ、空間から(にじ)み出るように大量の水が喚び出される。

 

 (まず――!?)

 

 周囲一帯の迷宮を埋め尽くす勢いで喚び出された大洪水は、空気という空気を押し流さんと溢れかえる。

 このままでは、潜水魔術を使えないであろうヴィアやサスーヌ達が溺死してしまう。

 

 

 ――その時、アイが動く

 

 

 勢い良く大地に両手を叩きつけた彼女は、迷宮と融合し、その魔力を吸い取りつつ、地精としての力を行使。

 ()()()()()()()()を破壊し、全員を下の階層へと落下させ、強制的に洪水を回避する。

 

「ツェシュテルさん!」

 

 落下しつつ叫んだアイは、シルフィーヌ達を囲うように周囲の土や岩を操作しつつ、それらと融合。

 それを見たリリィは、子竜達をシルフィーヌへとブン投げ、ツェシュテルは自身を液状にしつつ、その質量を爆発的に増加させる。

 

 上階から洪水が流れ込み、下の階をも満たした時、既にシルフィーヌ達を取り込みつつ巨大化したアイは、鎧と化したツェシュテルを纏い、リリィは潜水魔術を発動させて構えていた。

 

(さすが伝説の水竜……とんでもない水への干渉力ね……! ティアさんが気絶したのは、これが原因か!)

 

 リリィは、ティアが突如として倒れた理由を理解する。

 おそらく、水竜ならではの水精霊への干渉力と、強大な魔力を利用して、ティアに干渉したのだろう。

 

(!? くっ……!)

 

 突如、水の不自然な流れを感じたリリィは、大きく右へと移動。

 

 

 ――直後、目に見えない“何か”が、先程までリリィが居た位置を突き抜けていく

 

 

(なるほど、迷宮を水で埋め尽くしたのは、そういうこと……!)

 

 思念が具現化された水は、()()()()()()()

 ならば、空間を水で埋め尽くしてしまえば、視覚で念水を(とら)えることはできない。

 

 念水そのもので空間を埋めなかったのは、リリィの持つルクスリアによって念水を媒介に干渉されることを警戒したことと――

 

 ズゥン……!!

 

 ――念を集中することによって、水弾の威力を上げることが、その理由だろう

 

 リリィが回避したことによって突き進んだ思念の水弾は、急激に進む方向を変更し、アイを直撃。

 アイは胸の前で腕を交差させて防御姿勢を取り、その鎧には傷ひとつついていない。

 

 だが、問題はダメージの有無ではない。問題は、()()姿()()()()()()()()()()

 そう、フリーシスの水弾は、魔神級の魔力を持つツェシュテルの魔術障壁を突破したのである。

 

 これが、水竜フリーシスの奥義――“圧縮水弾”。

 

 その強力な思念を凝縮させることによって、格上の相手であろうと問答無用で貫き、押しつぶす念の水弾を生み出す技である。

 

 リウラから雫流魔闘術の経験をもらっているリリィは、周囲の水の流れから水弾の位置を察知し、回避できる。

 アイもツェシュテルの力を借りれば水弾の位置を察知することは可能だが、回避はできない。

 なぜなら、圧縮水弾を回避できるような超速度でアイが動けば、彼女の体内に保護したシルフィーヌ達がシェイクされ、大怪我を負ってしまうからだ。

 

 アイとリリィの視線が交差し、リリィは頷く。

 

 このまま圧縮水弾による攻撃を受け続けてもアイは耐えられるが、中の人達はそうではない。

 アイが体内に用意した空間はそう広くはないのだ。この状況をどうにかしなければ、シルフィーヌやヴィア達が酸欠で死んでしまう。

 

 

 ――ならば、自由に動けるリリィがフリーシスを倒すしかない

 

 

 使い魔の仮契約を結んでいるアイから心話が届く。

 

(ツェシュテルさんがフリーシスの居場所を見つけました! そこまでの経路も私が把握済みです! 心話で案内しますから、そちらに向かってください)

 

(了解!)

 

 リリィは薄くまぶたを閉じ、精神を集中させる。

 

 圧縮水弾を回避することは可能だ。

 だが、障壁を容易(たやす)く貫通する水弾の嵐を回避しながらフリーシスの元へ向かうとなれば、非常に時間がかかる。ましてや、入り組んだ迷宮であれば尚更(なおさら)だ。

 その間にフリーシスに場所を移動されてしまえば、いつまでたってもこの状況は変わらない。

 

 

 ――ならば、リリィに変わって水弾を避け、移動させてくれる“足”を用意すればいい

 

 

 水精に劣らぬ水中移動速度を誇り、

 眼球に似た多数の感覚器官から敏感に周囲の状況を把握し、

 リリィが魔術的に支配しているが故に信頼できる“足”を――!

 

 

 リリィの後方に巨大な魔法陣が現れる。

 それは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()”――!

 

 

 

 

 

『――さあ、出番よ……()()()()! ()()()()()!!』

 

 

 

 

 

 ――招聘(しょうへい)魔術 水蛇 サッちゃん(サーペント)招聘

 

 

 光り輝く魔法陣の中から、かつてリウラとリリィを苦しめた巨大な水蛇(すいだ)が現れる。

 

 使徒どころか本契約すら結んでいない仮契約の使い魔であるため、成長したリリィの魔力の影響を受けて強化されることはない。

 そのため、サッちゃんが耐えられる限界ギリギリの魔力を与えることで、リリィは彼女を一時的に強化する。

 

 サッちゃんはリリィの意思を受け取ると、その身をくねらせて、主の指示する方向へと身を躍らせる。

 

 入り組んだ迷宮を、巨大な水蛇が凄まじい速度で突き進む。

 発生する水中衝撃波によって、周囲に少なくない破壊をまき散らしつつ、右へ、左へ、時に上へ下へと、水棲生物ならではの自由自在さで泳ぎ回る。

 

 リリィは、サッちゃんの頭部から生える突起を握り、頭部に足をつけてルクスリアを構えて前方を睨みつける。

 ジェットコースターを何十倍にも速く、危険にしたような迫力ある光景を見つめつつ、リリィは気合とともに連接剣を振るった。

 

『ふっ!』

 

 鋭く、複雑にうねった蛇腹状の刀身が、3つの圧縮水弾を切り裂き、魅了の魔力で浸食する。

 魅了の魔力が浸食しきる前に消失した圧縮水弾のあった場所を、リリィとともにサッちゃんが駆け抜けた。

 

 直後、再び3つの圧縮水弾がリリィ達を迎撃せんと迫り――

 

 

 ――するり、とサッちゃんはそれを回避し、置き去りにした

 

 

 彼女の眼……身体の側面に沿うように一列に存在する多数の感覚器官には見えているのだ。

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()巨大な異物(不自然な水)の姿が

 

 

 まさに、一心同体。

 

 かつての敵と味方は今、運命共同体として、パートナーとして1個の生物となり水の守護竜へと迫る。

 

(そこを右に! その真正面にある壁を突っきってください! そこにフリーシスが居ます!)

 

 地の精霊たるアイの最後の導き。

 それを聞いたリリィは、サッちゃんへ心話で指示を飛ばす。

 

 リリィの指示を受けた水蛇が、その移動速度を全く落とさないまま、大きく口を開く。

 ズラリと鋭い牙が生えた口が、次から次へと大量の水を飲み込み、その喉元に強大な魔力を集中させてゆく。

 

 

 ――そして、リウラの奥義にも劣らぬ超圧縮した水の奔流が、前方の壁を粉砕した

 

 

 突き抜けたその先で、大きく口を開いた氷の竜がその喉元に魔力を集中して待ち構えていた。サッちゃんが扱うウォーターブレスの上位技――アクアブレスだ。

 

 だが――

 

『甘い!』

 

 瞬時にその口に連接剣が巻きつき、強引にその口を閉じさせる。

 連接剣から滲む魅了の魔力にフリーシスが動揺したその瞬間、

 

 

 ――気づいた時には、目の前に大きく翼を広げ、重ねた両手に煌々(こうこう)と輝く巨大な魔力弾を構えたリリィが不敵な笑顔を浮かべていた

 

 

『さあ、お話の時間よ』

 

 

 ――魅了魔術 イルザの束縛弾

 

 

 リリィ渾身の魅了の魔力が込められた砲弾が、フリーシスの脳髄を撃ち抜いた。

 

 

***

 

 

 リリィに魅了されたフリーシスは、対話を強制する束縛(ギアス)をかけられたうえで、魅了を解呪された。

 ここまでされて、ようやくリリィ達が本当に何も知らず、対話を求めていることを信じたフリーシスは、まず何よりも先に子竜達との対話を求め、リリィ達は快くそれに応じたのだった。

 

「……我らの元に来る気はないというのか?」

 

「「ぴぃっ!」」

 

 フリーシスの問いに、『(しか)り!』と元気に首肯(しゅこう)する2匹の子竜。

 彼らの返事を(にご)った瞳で見ていたリリィは、どんよりとした雰囲気を漂わせながら肩を落として言う。

 

「お願いだから、フリーシスさんのところに行ってくれない? いやほんと、アンタ達の将来のエサ代考えただけでも憂鬱(ゆううつ)なんだけど」

 

「リリィ、この子にとって貴女は母なのですよ? その発言がどれほど残酷か、わからない貴女ではないでしょう?」

 

「……お姫様は余裕で世話できる財力があるから、そういうこと言えんのよ」

 

「否定はしません。ですが、もし貴女がリウラさんから同じように言われたらどう思いますか?」

 

「う゛っ……」

 

 それを言われると弱い。

 

 明らかに厄介ごとのタネでしかないのは、子竜だけでなくリリィも同じ……いや、“魔王の使い魔である”という背景を考えればリリィの方が遥かに厄介だ。

 それでもリリィを受け入れてくれたリウラの()(がた)さというものを、リリィはとてもよく知っている。

 シルフィーヌが眉を吊り上げてリリィに苦言(くげん)(てい)するのも無理はなかった。

 

「……なるほど、そなたらもその者だけは認めていないと」

 

「「ぴぃ……」」

 

 そう言って3頭の竜が視線を向けるのは、やはりというかなんというか、セシル匠貴であった。

 

「……アンタ、こいつらにいったい何やったのよ?」

 

「心外ですね。()()()()()()()何もしていませんよ?」

 

 うさんくさそうに見つめるヴィアに、セシルはその言葉通り“心外だ”と言わんばかりの態度で返す。

 その様子を見たフリーシスは(うな)るように発言する。

 

「……たしかに貴様の言う通り、()()()()()()何もしていないだろう」

 

「あん? なら何が問題なのよ?」

 

「……例えば小娘、貴様とは全く無関係の同族……猫獣人の肉体を使って人体実験をするような者がいたら、貴様はどう思う?」

 

 ヴィアは顔をしかめた。

 そして、それが答えでもあった。

 

「……そういうことだ。そ奴は、命を弄ぶことを何とも思っていない。いや、そ奴にも何らかの基準はあるのかもしれんが、少なくともその中に我ら竜族は含まれていないのだ」

 

「待って、どうしてそこで“竜族は含まれていない”って分かるの? ――!?」

 

 

 ――ゴゴゴゴゴゴゴ……ッ!!

 

 

 リリィがそう訊いた瞬間、凄まじい振動が迷宮を襲った。

 後衛であるシルフィーヌや、先ほど目覚めたばかりのティアが、すぐ(そば)にいたヴィダルやセシルに支えてもらわなければ立っていられない程の大地震である。

 

「地震!? アイ、いったい何が起こってるの!?」

 

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 

 リリィに問われたアイは、すぐさま周囲の地の精霊に呼びかけて状況を探る。

 そして、状況を把握した瞬間、ざっと血の気が引いた。いや、土塊(つちくれ)でできているので顔色はさほど変わっていないが、それほど絶望的な表情に変わった。

 

 

「め、()()()()()()()()()()()()()()()()!!?」

 

「「は……はああああああぁああぁあああっ!!?」」

 

 

 リリィとヴィアが(かしま)しいデュエットを奏でた瞬間、天井が、床が、詰み木細工のように崩れた。

 

「ちぃっ!」

 

 ヴィアは鋭く舌打ちすると、超ねこぱんちの要領で身体を弾き、リューナを抱き抱えると宙を崩れ落ちる瓦礫を足場に、徐々に下へと降りてゆく。

 

 リリィは素早く翼を広げてシルフィーヌを姫抱きに(すく)い、ヴィアを追いかけて急降下。その後ろを、子竜たちが小さな翼を一生懸命パタパタと羽ばたかせて追ってゆく。

 

「大丈夫ですか?」

 

「ええ、ありがとう」

 

 ティアは宙を浮くセシルに姫抱きにされている。

 セシルが宙に浮くカラクリは、彼女の腕を飾る魔法具、“飛翔の腕輪”の効果である。

 

 ヴィダルは……

 

「おい、貴様! 早く姫様を追いかけろ! ……って、ちょっと待て!? よせ、離すな!!」

 

「あ~、聞こえないわね~。せっかく助けてあげたのに、感謝の“か”の字もない人の言葉なんて~。あ、滑る。手が滑るわ~~~~けけけけけけけけけけけけ」

 

「落ち、落ちる!? わかった! わかったから! 感謝するから、私を掴んだまま早く姫様を追ってくれ!」

 

 などと魔族よりも魔族らしく、いやらしそうに笑うツェシュテルとコントをしながら、彼女の人形のように小さな手から振りほどかれないよう、必死に掴まっている。

 

「アイさん……でしたか。すみません、急いで姫様を追ってください」

 

「了解です! しっかり掴まっていてください!」

 

 アイはサスーヌを抱いたまま背から巨大な土の手を生やし、遠く離れた壁や砕かれつつある床にその巨腕をひっかけつつ降下していた。

 

 だが、サスーヌからの要請を受け、すぐさまその手をひっかけた場所から直接迷宮に融合し、はぐれ化。

 背の巨腕を管状に変化させつつ身体を跳ね上げ、巨大な穴の端……壁に着地。

 土の管を伸ばしつつ、壁を、落下する岩を蹴り、稲妻のような軌道を描いて凄まじい速度で降下し、リリィに抱かれたシルフィーヌを追う。

 

 一行(いっこう)が床を踏みしめることができたのは、少なくとも100階は降下した後の事だった。

 

 

 

 

 

 ――そして、彼女達はこの世の地獄を目にする

 

 

 

 

 

 辺りを凄まじい勢いで“何か”が飛び交う。

 それらはヴィアの眼でも捉えきれず、リリィの眼で辛うじて捉えられるほどの速度で飛んでおり、着弾箇所をまるで巨人族が拳を振るったかのように軽々と粉みじんに粉砕していた。

 

 周囲では巨大な歯車が回っており、何らかの罠でも稼働しているのか、あちこちから巨大な岩が転がり出て凄まじい勢いで通り過ぎてゆく。

 

 空間を埋め尽くす勢いで振るわれる触手。

 良く見れば、そこには()の魔王が、ラテンニールを彷彿(ほうふつ)とさせる力を振るい、暴れ回っていた。

 炎を、雷を、風を、冷気を……様々な属性を帯びた触手が踊り狂い、魔王自身も大剣や轟雷を操り、周囲の者たち相手に大立ち回りを繰り広げている。

 

 魔王のすぐ傍では「ぽぽぽっ! くわっ! こけぇぇぇぇぇっ!!」と、“お前は何の鳥なんだ”と言わんばかりの奇声を上げる黒々とした鳩頭(はとあたま)の巨人が、くちばしから唾液を垂らしつつ、その4本の筋骨隆々とした腕に剣を構え、飛び交う何かを打ち払い、触手を断ち切り、魔王と鍔迫(つばぜ)り合いを繰り広げている。

 

 特に右上腕に構えた大剣が明らかにヤバい気配を放ちつつ、轟々(ごうごう)と刀身から炎を噴出している。

 おそらく魔神ラテンニールの振るう魔剣インフィニーでなければ、刀身ごと魔王の身体は断ち切られていたであろう。

 

 やや離れたところでは“巨大なカタツムリ”としか言いようのない、不思議な魔物が猛威を振るっていた。

 

 鳩頭の巨人も充分に大きいが、それよりもなお大きい、砦のように巨大な怪物。

 その背に背負う棘の生えた濃緑色の甲羅(こうら)もまた鋼のように硬いようで、あの凄まじい勢いで飛ぶ“何か”をギィン!という金属音で次々と弾き返し、その後には傷すら残っていない。

 

 甲羅から姿を現している本体は鋼のような鈍色で、頭部には左右に4つずつの紅い眼、その間に収まるように額に甲羅と同じ色の巨大な眼が、点滅を繰り返しつつ周囲をギョロギョロと眺めまわし、紫色の舌をのぞかせた口から強力な雷のブレスを吐いて、己に群がる蜥蜴人族(リザードモール)達を蹴散らしている。

 

 別の片隅では、2人の少女たちが凄まじいスピードの激戦を繰り広げていた。

 

 1人はリリィ達も良く知る魔族姫ブリジット。

 残像すら残さない高速移動と共に繰り出される体術と魔術が一体化した流れるような動きは、まるで演武のように美しく敵を追い詰めてゆく。

 

 もう1人は東方風の着物と甲冑(かっちゅう)を身に着け、頭部に巨大な一本角の(かぶと)を身に着けた10代前半の人間族とみられる少女。

 滞空させている東方の“(おうぎ)”と呼ばれる送風具のような機械から、魔力弾や障壁を展開し、ブリジットの攻撃を(さば)きつつ的確に反撃している。

 

 

 ――そして、そうした魔神級・準魔神級の力を持つ者達の戦いのど真ん中に、()()()()()()()()()()()()()()()が堂々と鎮座(ちんざ)していた

 

 

 それは、プテテットだった。

 

 姿形は一般的な水色のスライムであるプテテットと大差はない。違いと言えば、せいぜい頭に巨大で立派な王冠が乗っかっているくらいだろうか。

 

 だが、一般的なプテテットと決定的に異なるとリリィ達はハッキリわかる。

 先のカタツムリの化け物と全く見劣りしない巨大さ、繰り出される攻撃や防御手段の強力さと多彩さ……

 

 

 ――そして何より、その身に秘めた次元違いの魔力量であった

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そのあまりの強大さに、一般的な魔術師からすれば充分以上に優秀なはずのリューナが、()()()()()()()()()()()()()()ほどである。

 『この化け物であれば、神であろうと喰らい尽くせる』……そう言われてもリリィ達はあっさりと頷けるだろう、そんな現実味が感じられない幻想の中の生き物のようであった。

 

 リリィ達は理解する。

 先程の迷宮の崩壊は、間違いなくこの化け物たちの大暴れが原因だと。

 

 その時、ヴィアはふと水竜の言葉を思い出す。

 

 

 ――『()()()()()()()()……()()()()()()()()()()!?』

 

 

(……まさか、()()()()()()()()()()()……!?)

 

 フリーシスに襲われる直前に歩いていた、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を思い出し、恐る恐るプテテットを観察してみれば、その巨体から()()()()()()()()()()()()()()()()()()のがわかった。

 

(喰ったの!? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!?)

 

 原作知識を持たないヴィアは知らない。

 あの突き出ている翼の色からして、喰われたのは四大守護竜だけでなく、その(おさ)である伝説の創造竜も喰われているということを。

 

 つまり、あのプテテットは、今のリリィとだって戦える竜を、フリーシスも入れた5体同時に相手して倒してしまった、正真正銘の化け物なのだ。

 今思えば、“自らは矢面に立たず、ひたすら遠距離から水で攻撃する”という、竜族にしては妙に腰の引けた戦い方は、この化け物に襲われてフリーシスが弱っていたからなのかもしれない。

 

 その化け物プテテットを全員が避けるように戦っている。

 周囲で戦っている者達もみな化け物だが、彼らをさらに上回るこんな化け物がいたら全員がさっさと逃げ出してもおかしくない……が、それが起こらない。いったい何故か?

 

 

 ――ピクリ

 

 

 魔王が舌打ちしつつ素早く後ろに跳ぶ。

 つばぜり合いで勝った鳩頭の魔神は、追撃をかけて当然のところで、なぜか同様に奇声を上げつつ素早く後ろに飛び退()く。

 

 ゴオゥッ!!

 

 直後、彼らのいた場所に、洞窟を太陽のように煌々と照らす巨大な光の柱が出現した。

 その神聖な魔力はプテテットの魔力と全くの同質。すなわちそれは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、という意味に他ならない。

 

 カタツムリの化け物が雷のブレスを吐き、数人のリザードモールがバタバタと倒れる。

 その瞬間、カタツムリがその巨体に似合わない素早い動きで後ろに下がると、すかさずプテテットの身体の一部が触手のように伸び、痺れて動けないリザードモール達を覆う。

 ゼリー状の肉体が戻されたとき……既にそこには何もなかった。

 

「ふっ!」

 

「……回避不能。障壁貫通を予測。デバイスで本体を防御します」

 

 バリッ、ガキィッ!

 

 ブリジットが繰り出した後ろ回し蹴りが着物の少女の障壁を貫通し、それを少女は扇形の機械で受けて何とかしのぐ。

 遠距離攻撃を主体とする着物少女に対して、追撃をかける好機。しかし、ブリジットはゾクリと背筋を振るわせて慌てて少女から離れ、着物少女も無表情のままその場から飛び退く。

 

 直後、その場に雷撃と轟焔が同時に炸裂する。喰らえば例えブリジットであろうとひとたまりもないその威力に、受けた地面が消滅し、ガラス状になったクレーターが現れる。

 

 

 

 この場の全員が理解していた。

 そして、“それ”を見たリリィ達も、今まさにその事を理解した。

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 なぜプテテットが周りの獲物を襲わないのか?

 それは獲物が絶えず動き回っており、非常に捕らえづらいからであると同時に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 プテテットは単細胞生物。魔術を扱えてはいるものの、それはあくまで“能力として反射的に使用している”だけであり、その知能の程はお察しだ。獣以下の反応をすることも珍しくはない。

 すなわち、これほどまでに精気に満ち溢れた魅力的な獲物たちを前に、どれを襲って良いのか分からないのである。

 

 仮に、逃げようとした者がいたならば、“獲物が逃げるかもしれない”と反応して、そちらを襲うだろう。

 仮に、動きが止まった者がいたならば、“獲物を捕らえる好機”と判断し、そちらを襲うだろう。

 

 

 ――そう、これは()()()()()()()()()

 

 

 カタツムリにまとわりついているリザードモールのような精気の小さな相手ならば、一瞬でプテテットに喰われ、吸収されてしまうであろうが、それ以外の者達はそうではない。

 誰もが魔神級、準魔神級の力を持った強者の中の強者。たとえプテテットに襲われ、捕らわれようとも、そう簡単に喰われるような者ではない。

 

 たった1人で良い。

 ほんの数瞬で良い。

 

 誰かの動きを止め、プテテットに襲わせることができれば、逃げ出せる時間が稼げるのだ。

 可能ならばより強い者が良い。その方が喰われないよう抵抗する時間が増え、逃げる時間も増えるからだ。

 その為に彼らは、こんな常軌を逸した化け物の傍で必死に誰かを、可能な限り強い者を蹴落とし、生贄にしようとしている。

 

 こんな場所にリリィ達が居て良い訳がない。

 今はまだ気づかれていないから良いものの、気づかれたらプテテットを含めた周囲の全員から攻撃対象にされる。

 

 リリィやセシル、ツェシュテルならばまだどうにかなるだろう。

 アイも“はぐれ化”すれば逃げるくらいなら何とかなるかもしれない。

 しかし、それ以外は間違いなく全滅である。

 

 

 ――しかし、その逃げ道は無情にも塞がれる

 

 

 ふっ……とプテテットの頭上、数十メートル上の空中に何かが現れる。

 リリィ達はそれに素早く反応し、大きく目を見開いて固まった。

 

 目を閉じ、力なく脱力したまま自由落下する()()()()()()()()――

 

 

 

 

 

 ――それは、ディアドラに(さら)われていたはずのリウラであった

 

 

 

 

 

***

 

 

 リウラが、巨大プテテットに向けて落下する。

 もし、このままプテテットに叩きつけられれば、彼女はドロドロに溶かされ、消化・吸収されてしまうだろう。

 

 この瞬間、ティアは理解した。

 

 

 ――自分は、()()()()()()()()()()()()()()()

 ――そして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()――ティアの魂が吠え、慟哭(どうこく)し、リウラを……大切な妹を救わんと猛り狂う。

 

 

 “もう、後悔したくない”――魂の奥底から溢れる謎の衝動に呑まれたティアは、“リウラを救う”という想い以外の全てを放棄して、化け物へと突き進む。

 

 そのティアを追い抜くように、背後から鈍色(にびいろ)の影が飛び出す。

 

 はぐれ化したアイが、落下するリウラを受け止めんと、背から土の管を伸ばしつつプテテットの頭上へと跳んだのだ。

 

 2人とも、周りの人間を危険に晒すことなど頭から消し飛んでいた。

 ティアは妹の、アイは恩人の命の危機に、彼女を助けること以外の事を考えられなくなっていたのだった。

 

 

 ――そして、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ガシィッ!

 

「な、なにっ!? ……あ、しまっ――!?」

 

 空中で何かに握り締められるように棒立ちになってしまったアイは、これと全く同じ現象がリウラで起こっていたことを思い出し、自分にも同じことが起きていることを遅れて理解した。

 

 しかし、理解した時にはすでに遅く、アイは宙に融けるように消えてしまう。

 

「アイ!?」

 

 ヴィアは叫ぶと同時、今、何が起こったのかを悟る。

 

 おそらく今のは、ディアドラに操られていた巨大悪魔だろう。

 ディアドラの魔術で不可視化し、アイが跳ぶであろう軌道上にその巨大な手を置いておいて、アイを握り締め、そのままディアドラの魔術で転移した、といったところか。

 

 

 ――だが何故?

 

 

 これではリウラとアイの交換だ。

 言っては悪いが、リリィの精神的支柱ともいえるリウラと、ただの友人もしくは仲間扱いのアイでは、人質としての価値に大きく差がある。わざわざ交換するメリットなど無いはずだ。

 

 いや、そんなことを考えている場合ではない。

 

 アイの救出が間に合わなかったリウラはプテテットの頭頂部に接触し、ずぶずぶとその身を沈めていく。

 リウラもかなりの強者ではあるが、それでも単純な魔力量はシルフィーヌに劣る。そう長い時間はもたない。早く助け出さなければ、ドロドロに溶かされて吸収されてしまう。

 

 それだけではない。

 

「ティアさん戻って!」

 

「バカ! 早く戻りなさい!」

 

 ティアが宙に浮かした水を足場にリウラに向かっている。明らかにリウラ以外が見えていない。

 

 シルフィーヌは驚愕する。

 

 サラディーネはどんな状況でも冷静沈着に事を進める才媛である。

 それは例え家族に危機が迫っていようとも変わらず、実際、彼女はシルフィーヌとリウラが戦闘状態に入っていても全く取り乱すことなく割り込んだ。

 

 そんな彼女が、ここまで取り乱すとは……いったいリウラとは何者なのか?

 

 自分達家族よりも大切に思われていることに、シルフィーヌは僅かにもやもやした想いを抱きつつも、彼女は今自分ができることを必死に考える。

 

 アイとティアが飛び出したことで、この場の全員がこちらに気づいてしまった。急いで動かなければ全滅してしまう。

 ましてや、この場には魔王がいるのだ。彼に一言『命令するな』と言われてしまえば、リリィの敗北まで決定してしまうだろう。

 

 シルフィーヌの結論が出る前に、ヴィアが動いた。

 

「リリィ、急いで! この場で何とか動けるのはアンタと――っ!?」

 

 ヴィアは息を詰まらせて仰天した。

 そこに居たのは、憎たらしくも強く美しく頼れるご主人様ではなく――

 

 

 

 

 ――顔を青ざめさせ、両目から涙を垂れ流し、身体をぶるぶると震わせて女の子座りでへたりこむ1人の無力な少女しかいなかったのである

 

 

 

 

「ちょっと、リリィ!? アンタ、いったいどうしたのよ!?」

 

 ヴィアが問うも、リリィは過呼吸に(おちい)り、紫になった唇を震わせて「あっ、あぅ……はっ、はっ……!」と苦しそうに呻くばかり。

 その視線はヴィアではなく、ただ真っすぐに彼女の背後の巨大なゼリー状生物に向けられていた。

 

「ヴィ、ヴィ……ア……わた、わ、たし……っ!」

 

 リリィは何とか震える唇と肺を動かし、かろうじて言葉を(つむ)ぐ。

 獣人の優れた聴力をもってしても周囲の爆発音に掻き消されそうなそれを、ヴィアは自分の猫耳を近づけることで何とか聞き取った。

 

 

 

 

「プテ、テット……は……、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!!!」

 

 

 

 

「は…………………………はああああああぁああぁあああっ!!?」

 

 リリィはおそらく“この”化け物プテテットを指していない。

 この言いよう……間違いなくごく一般的な、最弱の魔物であるプテテットを指している。

 

 “()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()”という訳のわからない事態に、ヴィアは一瞬とはいえ、思考を停止させるのであった。

 

 

 

 



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第八章 理解者 中編2

『……それは、プテテットか? リセル』

 

『お父様!』

 

 10歳程の少女が振り返る。

 “(からす)の濡れ()色”と称するに相応(ふさわ)しい(つや)やかな黒髪をなびかせて振り返ると、その空色の瞳は愛しい父の姿を(とら)えた。

 

『お父様、お父様! また“ぶるぁああああっ!”ってやって!』

 

『……お前ももうじき10(とお)になろうというのだ。そろそろ、そういう幼い遊びはやめなさい』

 

『えーっ!?』

 

 ぷーっ、と少女の頬が膨れる。

 ……膨れたまま、じっと父――オルファン・ザイルードの眼を見たまま無言で訴え続ける少女に根負けし、オルファンは“仕方ない”と腹を(くく)り、腹の底から声を出した。

 

『ぶるぁああああっ!』

 

『あはははははははははははははっ!!』

 

 きゃらきゃらとおなかを抱えて心底楽しそうに笑う娘の姿に、溜息をつきながらもオルファンはどこか嬉しそうな雰囲気を出す。

 

『……まあ、よい。普段、仕事で忙しくてかまってやれんのだ……これくらいはしても罰は当たるまい』

 

 “やれやれ”といった表情で、オルファンは溜息をつきつつ苦笑いする。

 

『それで、リセル? それはプテテットなのか?』

 

『そうだよ! 軍のおじさんにお願いして、ちっちゃいのを()って来てもらったの!』

 

『……リセル。最弱であるとはいえ、プテテットも魔物だ。万が一ということも有る。お前の“私の役に立ちたい”という想いは心の底から嬉しいと思うが、危ないことはするな』

 

『大丈夫だよ! 無理はしないから!』

 

 元気にそう言う幼い娘に、“これは分かっていないな”とオルファンは再び溜息をつく。

 

 オルファンの娘――リセル・ザイルードは天才だ。

 

 (よわい)9にして軍に属し、大人顔負けの見識を持ち、ひとたび目を通した書籍や、耳にした会話を完全に記憶する。

 また発想も豊かであり、オルファンどころか専門家でも思いつかないようなことを発想し、しかもそれを自ら実践・実現してのけるだけの行動力・開発力もある。

 

 ……そして、頭の痛いことに、未だ彼女は失敗というものを経験したことがない。

 これでは、いくらオルファンが口を酸っぱくして注意を喚起(かんき)しても、『大丈夫、大丈夫』の一言で済まされてしまう。

 

 しかも、事実、オルファンの役に立ってしまっているが故に、むりやり仕事を取り上げる訳にもいかない。

 もしそうしてしまえば、この色々な意味で型破りな娘が、何をしでかすか分からない。仮にオルファンの眼の届かないところで何かしでかされたら、それこそ大事(おおごと)である。

 

『……リセルはプテテットで何をしていたのだ?』

 

『ああ、そうそう! 凄いんだよ、見てて!!』

 

 リセルはそう言うと、おもむろにやや大きめのプテテットを頑丈そうな手袋をはめた手でつかみ、それを(はかり)に乗せた。

 

 

 ――数字は30を示している

 

 

『この数字を覚えててね! いくよ~!』

 

 リセルは秤からプテテットを下ろし、それを右手に持った包丁で躊躇(ちゅうちょ)なく真っ二つにする。

 その後、2つに分かれた片方を再び秤に乗せた。

 

 

 ――数字は、()()()()()()()()

 

 

『これは……』

 

 わずかに驚くオルファンに、リセルは得意そうに言う。

 

『プテテットって、分裂して増殖するでしょ? その仕組みについて調べてたら見つけたの! プテテットは多分、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。だから、真っ二つにされても、すぐに自分の質量を増やして今までと同じ大きさのエサを食べれるんだよ。だから、こうして重さが変わらないの。この能力を研究すれば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!』

 

『!?』

 

 プテテットはスライム状の魔物であり、最弱の魔物として広く知られている。

 倒すに(やす)く、またさほど貴重な材料にもならないため、興味を持って調べる者はまずいない。

 

 そんなものを調べて画期的な研究成果を出すだけでも信じられないのに、さらにはそれがオルファンの研究する軍事兵器のブレイクスルーに直結するというのだから、もはや“神童”という言葉でも言い表せない程の突出した才能であった。

 

(これほどの才能……親として喜ばしくもあり、不憫(ふびん)でもある……親とは難しいものだ……)

 

 オルファンは思い悩む。

 

 オルファンからすれば、このくらいの歳であれば、娘には元気に外で遊んでいてほしかった。血なまぐさい軍事になど関わっては欲しくはなかったのだ。

 だが、娘の強い希望を叶えてやりたいという思いもあるし、凄まじい勢いで軍に貢献する娘を誇らしいとも思っている。

 

 自分は果たして親として正しいのか、それとも間違っているのか……答えの見えない難題に、オルファンは額にしわを寄せる。

 

 

 ……そんな父の様子を見て、娘もまた表情には出さずに、ほんの少しだけ悩んでいた。

 

 

(……あ~、なんか難しそうな顔してる……ちょ~っとやりすぎたかな~? でも、私の夢のためには、妥協なんてできない。()()()()()()()()()()()()、このまま放っておいたらメルキアの魔法技術が衰退しちゃう。今のうちからもっともっと頑張って、ぐいぐい軍事機密に食い込んでいかないと!)

 

 少女は転生者であった。

 

 交通事故で逝ったかと思いきや、気がつけば目の前にバカでかい鬼のような化け物の姿。おまけに自分は光の玉のような姿になっていた。

 死んだ直後であった事実から考えて、この光の玉のような姿が“魂”というやつなのだろう。

 

 周りにうようよ(ただよ)う魂に紛れて、急いで化け物から逃げ出した瞬間、突然ガラリと景色が切り替わり、いつの間にか目の前に迫っていた女性の大きく膨らんだおなかにスッポリ。

 

 

 ――その後、気づいたときには、自分は3歳の幼女になっていた

 

 

 戦争上等の血なまぐさい世界に生まれてしまったことに思うところがないわけではなかったが、生まれてしまったものはしょうがない。

 こうなったら、今回の人生も思いっきり楽しみつつ幸せになるべきである。

 

 そう考えたリセルは思う存分に己が才能を発揮して、自国の安全と発展に貢献することにした。

 どこぞの小説のように神様から転生特典をもらったりしたわけではなかったが、それが充分にできるだけのスペックがこの身体にはあった。

 

 

 ――完全記憶能力

 

 

 一度見聞きしたものを、一字一句、一言一句(たが)えることなく記憶することができる特殊技能だ。

 忘れたいことを忘れられないデメリットがあるものの、それを補って余りある学習能力をこの技能はリセルにもたらした。

 

 大人の経験とこの能力が合わさって、神童にならないはずがない。

 これがリセルの天才性の正体であった。

 

 彼女はこの力を使い、自身の国であるメルキア帝国を原作以上に発展させるつもりであった。

 

 メルキアは魔導技術によって発展した国家だ。その技術は、ドワーフ族を除けば、他の追随を許さない。

 しかし、今から約20年後、とある魔導兵器が大事故を起こしたことにより、魔導技術に対する不信が広がり、父オルファンが開発を進めていた魔法技術が日の目を見ることになるのだ。

 そして、原作の主人公――ヴァイスハイトはメルキアを支える技術として、魔導技術か魔法技術かを選ぶことになる。

 

 

 ――そう、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 史実においてヴァイスハイトは魔導技術を選ぶことになるが、リセルからすれば、そもそも“どちらかを選ぶ”という考え方そのものが間違いだ。

 どちらかしか開発を進められないほど国の資源(リソース)が不足しているのであれば仕方ないが、現実に魔導技術も魔法技術も同時並行で急速に進化できたのだ。

 

 ならば、魔導技術と魔法技術の両輪でメルキアを発展させるべき――

 

 

 

 ――いや、むしろ、魔導技術と魔法技術を融合させた、他国には絶対に真似のできない、メルキア独自の技術を創造するべきである

 

 

 

 リセルの夢は、その新技術の第一人者となり、メルキアをこれまでとは異なる次元へと発展させること。

 そのために、彼女は一生懸命に魔導技術も魔法技術も勉強し、自分なりに研究を重ね、こうして父を通してその成果を軍に提出しているのである。

 

「それとね! もう1つ凄い発見をしたんだよ! これ、な~んだ?」

 

「……ただの鉄くずに見えるが」

 

「正解! じゃあ、よく見ててね」

 

 リセルは鉄くずをザラリとプテテットの片方に流し込む。

 すると、プテテットはそれらを取り込み、徐々にその体躯(たいく)を鉄色に変化させ始めた。

 

 その後、やにわにリセルは包丁の峰でプテテットを叩く。

 

 

 カァンッ!

 

 

 アメーバ状の生物であるはずのプテテットが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「これは……!?」

 

 オルファンは、その予想外の結果に驚愕する。

 

 プテテットは、自らに接近した物質にとりつき、それが食べられるものならば溶かして養分を吸い取るという、細菌とほぼ同様の生態を持っている。

 無機物をエネルギー源として捕食する細菌がいるように、プテテットもまた無機物を捕食することができるのだ。

 

 しかし、捕食した物質の特性を自身の肉体に反映する性質があるなど、オルファンは聞いたことがなかった。

 

「プテテットって、実は接触したものを()()()()んじゃなくて、()()()()()()んだよ。それで、食べたものの性質が必要な状況にならないと、すぐにその性質は退化してなくなっちゃうの。だから、鉄を食べた後で直ぐに叩いてあげると、こんなふうに鉄みたいに硬いプテテットになるし、魚を食べさせた後で直ぐに水の中に入れると、ヒレを生やして泳ぐプテテットになるんだけど……」

 

 リセルが解説するうちにも、放置したプテテットは見る見るうちに鉄色から空色へと戻ってゆく。

 彼女が指でつつくと、プテテットはプニプニと、いとも簡単にその身体をへこませた。

 

「……進化した状態を維持する力が弱いから、放っておくと、すぐに元に戻っちゃう。何度も叩いてあげると環境に適応しようとして、また硬くなるけどね。たぶん、みんな接敵した時には、ほとんどのプテテットが元に戻ってるし、だいたい一撃で倒しちゃうから、この性質を知っている人が誰もいないんだと思う」

 

 余談だが、この“進化を維持する力”そのものは、より多く捕食し、より大きく成長し、体内に保有する精気が膨らむほどに強くなる。

 また、“食べたものの性質”を必要とする環境が長く続けば続くほど、“その性質を反映した状態を維持する力、思い出す力”が鍛えられてゆく。

 

 そして、特定の進化した状態を恒常的に維持するようになった時、そのプテテットは“別種”として他の者に認識されるのだ。

 リセルが一時的に生み出した“鉄”状態を恒常的に維持できるようになれば『メタルプテテット』と、“酸を生み出す”黒く変色した状態を維持できるようになれば『黒プテテット』と呼ばれるようになる。

 

 中には、財宝を喰らって融合し、分裂する要領で体内にてそれらを複製……周囲にバラ撒くことで、光り物に誘われたカラスや人などを喰らうなんて変わり種もいる。

 もっとも、財宝なんてものをバラ撒いてしまえば、強者にも狙われてしまうのは当たり前だったため、愚かにも彼らは“逃げ足が速い”状態をも恒常的に維持するよう進化せざるを得なくなってしまったのだが。

 

「もし、この融合した状態を維持する技術を生み出せれば、魔法生物と魔法生物を融合できるかもしれないし、ひょっとしたら魔法生物と魔導兵器を融合することだってできるかもしれない……それに……」

 

「うむ?」

 

 リセルの表情が、ほんの少しだけ曇る。

 リセルの口がわずかに開け閉めされ、やがてためらいがちに声が出された。

 

「特定の病気に強い魔法生物を(つく)って、その細胞をお母様に融合させれば……お母様の病気を治せるかもしれない……」

 

「リセルよ、それは……」

 

 オルファンが(うな)るように何かを言おうとすると、リセルはそれを(さえぎ)って言った。

 

「ううん、わかってる。お母様はそれを望まないだろうってこと。……でも、私はお母様に元気になってほしいの。そう思うことはダメなの?」

 

「……いや、ダメではない……が、魔法生物との融合など、肉体にどんな影響があるかわからん。お前とて母の身体が異形となってしまうことを望んでいるわけではあるまい……それと、この話は誰にもするな。いいな、リセル」

 

「……うん。でも……」

 

「リセル」

 

「……わかった」

 

 リセルは渋々と頷く。

 その様子を見てとりあえずは一息つくも、オルファンは我が娘の危うさを知った。

 

 

 ――この子は目的を達成するために手段を選ばない

 

 

 普通は“他の生物との融合”など、患者の身体への影響がどうこう以前に、そもそも()()()()()()()()()()()()()()

 本質が善であるが故に悪事は働かないだろうが、このまま放っておいては異端として白眼視は避けられまい。

 

 だが――

 

(……手段を選ばぬのは私とて同じ、か……まったく、こんなところは似て欲しくなかったのだがな……)

 

 オルファンはリセルの頭を優しく撫でる。

 それは、しゅんと落ち込んだ娘に対する不器用な男なりの精一杯の慰めであり、それを理解していた娘は父にほにゃりと笑顔を向けた。

 

 

 これは、セシルがまだリセル・ザイルードであった頃の……幸せであった時の記憶――

 

 

***

 

 

 セシルは(まと)った魔導鎧(まどうよろい)をおもむろに外していく。

 そして、転送魔術で人形が入る程の……ちょうどツェシュテルがすっぽり収まりそうなほどの箱を()び出し、それをリューナに手渡した。

 

「……これは……?」

 

「本当は、あなたには危ないことをしてほしくなかったんだけど……この場から逃げるためには、多分これが必要だから」

 

 突如(とつじょ)として敬語を()め、真剣な表情で箱を差し出してきたセシルを、リューナは疑問に思いながらも、箱を受け取り、蓋を開ける。

 おそらく何らかの武器か魔法具が入っているのだろう……そう思っていたリューナの予想は明後日(あさって)の方向に裏切られた。

 

()()……?」

 

 それは、白銀の髪を腰まで流した美しい少女の人形であった。

 まぶたが開閉できる仕組みになっているのか、今は眠るように閉じられている。

 

()()()()()()()()()。私とともに戦場を駆け抜けた戦友。……思い出して。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。たとえ生まれ変わっても、その記憶・経験・感覚は貴女(あなた)に染みついているはずよ。……多分この身体は、それを思い出すためのきっかけになるはず」

 

「え? え? ……え?」

 

 次々と新しい情報が入ってきたことで、リューナの頭が混乱する。

 しかし、彼女が落ち着くのを待たず、セシルはその瞳に親愛と感謝と……そして覚悟を宿して、『生きて欲しい』という願いを告げる。

 

「かつて、あなたはその命を捧げて私達を……いいえ、()()()()()()()()()……だから、今度は私の番。あなたと私が力を合わせて創った魔導兵器の力、その進化形を見せてあげる。私があの化け物をくいとめている間に、あなたは月女神の力を取り戻して、みんなと一緒に逃げて」

 

 リューナの返事を聞くことなく、セシルは彼女に背を向け、巨大プテテットを(にら)みつける。

 

 

 

 ――その空色の瞳が一瞬にして金に染まり、瞳孔が爬虫類のように縦に裂けた

 

 

 

 

「ツェシュテル!」

 

「わかった!」

 

 直後、セシルの姿が輝き、その輪郭が大きく膨れ上がる。

 まぶしさに目を閉じたリューナが再び眼を開いたとき……

 

 

 

 ――そこには、1頭の巨大な竜の姿があった

 

 

 

 その鱗は灰銀に輝き、金の瞳は内から溢れる膨大な魔力によって、ぼうと淡く輝いている。

 背にある大きな翼が羽ばたけば、身体ごと吹き飛ばされそうな強風が吹き荒れ、ズンと脚が地を踏みしめれば、大地が揺れる。

 鼻から、頭から、翼から……その全身のいたるところから太く鋭い棘が飛び出ており、身体の各所に見える宝石のような部位が、瞳と同色の光彩を放つ。

 全高は、その長い首を地に伏せたとしても、なお巨大プテテットを上回るだろう。

 

 立ち並ぶ凶悪な牙を(あら)わにしながら竜が大きく口を開くと、その中にツェシュテルが飛び込む。

 ゴクリ、とツェシュテルが飲み込まれた瞬間、ただでさえ大きかった竜の魔力が爆発的に膨れ上がった。

 

 プテテットが竜――セシルを“動きの止まった獲物”と認識したのか、純粋魔力の光線を放つ魔法陣を展開する。

 それを見たセシルは、その口腔(こうくう)に膨大な魔力を充填・収束。並の竜族であれば瞬時に消滅するであろう、魔神級の魔力を込めたブレスを解き放った。

 

 

 

 ――竜咆(りゅうほう) ペルソア歪波動(わいはどう)

 

 

 

 2つの超魔力が激突する。

 その凄まじい輝きに照らされたセシルの姿に、リューナは何かを思い出しかけていた。

 

 

***

 

 

 その女性は天寿を全うし、病院の中で静かに亡くなった。

 眠るように死んだからだろうか、ふと気づいたとき目の前に鬼のような化け物の姿が現れても、彼女はぼーっと彼を見つめるだけで特に反応を示さなかった。

 

 彼女は周囲の光の玉に押し流される形で、ただ流されるままに彷徨(さまよ)い、様々な景色をただ眺め続けた。

 

 それは、石器時代のような古代の人々の営みであったり、あるいは生前の彼女の時代では考えられないほど進んだ未来社会であったり、環境が完全に破壊された世界だったりと、過去・現在・未来が入り混じっていた。

 国も人も場所も様々であったが、それらで最も多かった場面は中世チックなファンタジー世界の景色が多かった。

 

 時間も空間もめちゃくちゃになった場所を、魂の姿で飛び続けていた彼女は、いつの間にか意識を失い、再び気づいた時には、彼女はエルフの幼子(おさなご)――フリティラリアとして第2の生を生きていた。

 

 ルーンエルフ、という種族らしい。

 生前の彼女からは考えられない程に美しい彼ら、彼女らは山菜を採り、弓で獣を狩るという自然と共に歩むようなスローライフを営んでおり、不思議な呪文を唱えて様々な魔術を操ることができた。

 

 若返った肉体に引きずられてか、自分がファンタジー世界の主人公になった気分となった彼女は、目を輝かせてその生活を満喫した。

 

 特に彼女の生前には存在しなかった“魔術”には興味津々で、暇さえあれば魔術で遊んでいたほどだった。

 魔力切れで気絶した数など両手両足の指で数えても足りない。それほどに、その不可思議な現象は彼女の心を魅了していたのである。

 数あるエルフ族の中でも高位の種族であったため、その魔術の質も規模も高度であったことも、フリティラリアを魅了した理由の1つだろう。

 

 そんな充実した生活の中でも、たった1つだけ彼女にとって憂鬱なことがあった。

 

 

 ――それは、ルーンエルフが遥か昔から戦争を続けていたことである

 

 

 その昔、闇の月を(つかさど)る月女神アルタヌーの力の結晶が、鋼の檻(ドゥム=ニール)と呼ばれるドワーフ族が住む地域へと舞い降り、これに精神を犯されたドワーフ達が中原を瞬く間に火の海に変え、多くの種族を滅ぼした。

 それに対抗するために湖上の森(エレン・ダ・メイル)のルーンエルフと、精神支配を(まぬが)れた鋼の檻(ドゥム=ニール)のドワーフ達が立ち上がり……以来、延々とアルタヌーの化身と化したドワーフ達と戦い続けている、という訳である。

 

 母親譲りの凄まじい魔術の才能に加え、魔術オタクと化したフリティラリアも、当然成人した途端、母親とともに戦争に参加することになった。

 魔術を使うことは大好きだが、それで人を傷つけることには多大な抵抗感があった彼女は、毎日続く命のやり取りに心底辟易(へきえき)していたのである。

 

 だが、それももう終わり。

 

 アルタヌーの力に支配されたドワーフ達をすべて倒し、アルタヌーの力の結晶……のちに“晦冥(かいめい)(しずく)”と呼ばれるそれを確保した旨の連絡が届いたのである。

 これをルーンエルフの秘術なり、ドワーフの魔導技術を駆使した魔導具なりで封印するか破壊するかすればこの長い戦争に決着がつく……フリティラリアは呑気にもそんなことを考えていた。

 

『どうして!? どうして、この子が犠牲にならなければいけませんの!? 必要なのは魔術の扱いに長けたルーンエルフなのでしょう!? なら、わたくしが志願いたしますの!!』

 

『お母様……』

 

 フリティラリアの母は、愛しい我が子を抱き締めて泣き叫んだ。

 白銀の髪を振り乱し、青玉の瞳から涙を溢れさせてルーンエルフの王を睨む。

 

 彼女の生き写しのように生まれたフリティラリアと彼女は、その容姿も才能も瓜ふたつ。

 たった1つ彼女達の命運を分けたのは、前世に存在しないが故に人一倍強かった“魔術への興味”――それだけだった。

 

 

 

 

 

 晦冥の雫の力は強すぎた。

 

 ほんの一部とはいえ、神の力……その力の前にはルーンエルフの秘術もドワーフの魔導技術も歯が立たなかったのだ。

 困り果てたルーンエルフとドワーフは互いの持つ技術を組み合わせ、さらには失われた技術である先史文明の遺物まで利用して、かろうじて封印するための機構を創り上げた。

 

 

 ――それが究極の人型封印装置――魔導巧殻(まどうこうかく)である

 

 

 晦冥の雫をその内に納め、封印するための1体。

 そして他の月女神の力を()って、その封印を補佐するための3体。

 

 この4体で構成される封印装置には、ある致命的な欠陥があった。

 

 

 ――それは、()()()()()()()()()()()

 

 

 晦冥の雫は周囲の者の意思だけでなく、あらゆるものをその闇の魔力で浸食する。

 それはルーンエルフやドワーフの封印とて例外ではなく、浸食された封印術や封印装置は放っておけば無効化されてしまう。

 それをされないためには、定期的にその力を発散させる必要があった。“晦冥の雫を納める1体”の役割には、この“力の発散”も含まれているのである。

 

 そして、もう一つの欠陥。

 それはこの装置に、()()()()()()()()()()()()()()()、ということであった。

 

 ――意思を持ちながら精神を犯されず、それでいて闇の魔力を行使し、力を発散するため

 ――単なる装置としてだけではなく、己で考えて動き、自分自身の身を護れるようにするため

 ――そして、月女神たちの力を引き出す為の術式そのものとして、その魂が必要であるため……

 

 ドワーフではなくルーンエルフの生贄が必要なのは、最後の理由からであった。

 魔術に長けたルーンエルフの秘術がこれでもかと詰め込まれた封印装置……その核となる術式になれる魂など、同じルーンエルフ……それも、特に魔術に長けた者でなければ到底(にな)えるものではなかったのである。

 

 フリティラリアは、その生贄となれる資質を備えてしまった。

 母を超える優秀さを周囲に示してしまった。

 

 晦冥の雫が世界を滅ぼすかもしれない程の脅威である以上、少しでも優秀な者に託す必要がある。

 だからこそ、湖上の森(エレン・ダ・メイル)の王は、彼女ではなくその娘であるフリティラリアを生贄に差し出すよう求めたのである。

 

 

 

 

 

 

 フリティラリアは、母の胸を押してその身体を遠ざける。

 

『リティア……?』

 

『……お母様のお気持ちはすごく嬉しいですの。わたくしは世界一幸せなエルフだと、心の底から思いますの』

 

 幼い頃から聞き続けていたが故にうつってしまった、母そっくりの口癖を(ともな)いつつ吐き出されたその言葉は、一切の嘘偽りない本音であった。

 

 ここまで自分の事を心から愛してくれる人達の元に生まれたこと、共に信頼し合える仲間とともに戦場を駆け抜けたこと、そして生前とは全く異なるこの魅力あふれるファンタジー世界に生まれられたこと……それらは全てフリティラリアの中で宝石のようにきらめく大切な思い出になっていた。

 

 自分はもう充分生きた。既に人としての一生を全うし、さらにはエルフとして200年の月日を生きている。人間の寿命に換算すれば、前世を含めて人の3倍は生きているのだ。

 これ以上を望んだらエルフの神(ルリエン)の罰が当たってしまう。

 

 父も母もまだ若い。もう1人子をもうけることだって充分にできるだろう。

 どうか、私の事は死んだと思って新しい人生を生きて欲しい……フリティラリアは心の底からそう思った。

 

 フリティラリアは父母に別れを告げ、自分よりも数百年年上の戦友達とともに眠りについた。

 

(……どうせ、起きた時には全て忘れていますの。お父様、お母様……今まで育ててくれて……愛してくれて、ありがとうございました……)

 

 魔導巧殻へ魂を移すことは一種の転生を意味する。その際、生前の記憶はリセットされるであろうことは聞かされていた。

 この胸が押しつぶされそうな悲しみや寂しさも消えてなくなるのだろう。

 

 そんな事を思いながら、魂を移す秘術を行使する魔法陣の中で横たわるフリティラリアはゆっくりと瞳を閉じた。

 

 

 

 

 

 

(ところがどっこい! ……なんで、全部覚えてるんですの……? しかも、わたくしだけ……)

 

 目を開けば、そこにはむっさいおっさんの顔のドアップ。

 『ギャーッですの!?』と叫んだ自分は、正直悪くないと思う。いや、ほんとに。

 

 魔導巧殻に転生したフリティラリアは、なぜかしっかりと前世の記憶を覚えていた。

 人としての前世の記憶を持っていた為なのか、被術者の年齢的なものなのか、はたまた全く別の理由によるものなのか……良くは分からないが、どうやら記憶を保持しているのは自分だけのようで、他の3人……いや、3体か……はエルフ時代の記憶をしっかり失っていた。

 

 目覚めてからは大した事情も説明されず、鋼の檻(ドゥム=ニール)から北に進んだところにある激戦区にポイッ……以来、大量の魔物と戦ってはドワーフの元に戻ってメンテし、また戦ってはメンテし……の繰り返しである。

 

 正直、あの戦争があった頃の生活と全く変わらない……いや、()()()()()()()()()

 

 彼らの自分達に対する扱いは、丁寧であるものの完全に“兵器”であり、とても人間扱いされてるとは言えない。

 そして、記憶を失っているためか、他の3体の魔導巧殻も“それが当然”と言った様子で受け止めているのだ。

 

 娯楽もなければ、ものを食べる必要もないので食事もないし、風呂だってない。

 魔術が趣味であるフリティラリアは、自分なりに魔術を開発したり、魔導巧殻(自分自身)に使われている術式や、“自分の魂がどのように魔導巧殻内で術式として機能しているのか”を研究したりしてストレス発散しているものの、それでも人として、エルフとしての生を覚えているフリティラリアとしてはたまったものではない。

 

 それだけではない。

 自分たち魔導巧殻を戦わせているのは、おそらく晦冥の雫の力を発散させるためだろう。これはまあ、フリティラリアにも理解できる。

 

 

 ――だが、自分たち4体()()を、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のは、さすがに理解できない

 

 

 たしかに、月女神の力を以って晦冥の雫を封印する魔導巧殻は、その副産物として、月女神の力を利用した高い戦闘能力を持つ。

 しかし、それは()()()()()()()()()()()()のもの……すなわち自分達が破壊されないための自衛機能であって、敵を殲滅するための機能ではない。

 魔導巧殻はあくまでも“()()()()”であって、“()()()()()()のだ。

 

 それなのに、そういった晦冥の雫に関する裏事情を改めて説明するでもなく、万が一、魔導巧殻が破壊されそうになった時の対策がされるでもなく、ただ戦場へと放り出すだけ……もし、自分達が破壊されて世界の危機が訪れてしまったら、いったいどう責任を取るつもりなのだろうか?

 

 自分達に対するこの扱いを許可した、ドワーフやルーンエルフのトップ達の頭がどうなっているのか、フリティラリアは全く理解できなかった。

 

 “戦場に出てくる敵が、魔導巧殻よりも遥かに弱いから問題ない”?

 そんなことを考えているおバカさんには、今の状況をよ~く見せてやりたい。

 

「あーんもぉぉぉおッ、待ちやがれぇ~ナフカぁっ! いつもいつも無茶しやがるなーですのーーー!!」

 

 百発百中の腕を持つ弓の名手であった戦友は、今や鏡の月を司る賢王ナフカスの力を宿す魔導巧殻――“ナフカ”として生まれ変わり……なぜだか、2つの鎖鎌を両手に持って、北方からやってくる魔族や魔物達の中に突っ込み、血飛沫をまき散らす脳筋(バーサーカー)と化していた。

 

 いくら記憶を失っているとはいえ、これはあまりに酷い。

 あの時のクールな貴女はどこに行ってしまったのか……エルフ時代に抱いていた(はかな)い幻想が粉々に砕けてしまって、フリティラリアはがっかりである。

 

 本人は『腕がちぎれても、足が吹っ飛んでも、直せるから大丈夫』なんて阿呆な発言をしているが、本体に直撃したら死ぬのは自明(じめい)()

 そして彼女が破壊されれ(死ね)ば、晦冥の雫の封印の力が弱まり、世界の危機……いや、他に3体いるのだから、すぐに封印が解かれるわけではないのかもしれないが、楽観視はできない。

 

 ともかく、自らの命を捧げ、胸を引き裂かれるような親しい人達との別れによって、ようやく手に入れた平和を、こんな阿呆なことでパーにされることだけは、フリティラリアにとって絶対に我慢ならない事であった。

 

 だいたい、そこら辺の説明をドワーフ達がしてくれないのも悪い。

 “自分達は唯の兵器だー”なんて思っているから、こんなバカな突撃をナフカが繰り返すのである。

 かといって、最高機密であろうことをフリティラリアが勝手にバラすのも(まず)い。そこに政治的な意図が絡んでいる可能性も充分にあるからだ。

 

(うあー、めんどくさいですのー。他の2人はまともなのに、どうしてナフカだけはこんななんですのー……)

 

 (なか)ばあきらめに近い心境で、いつも通り彼女はナフカのフォローに走る。

 

 

 

 指先が動く――魔法陣を展開、一陣の風が吹く。

 

≪涼風に吹かれるがまま。(しん)より(きた)る慈愛を形と()して、我を客体(きゃくたい)と成さしめる者達に永劫(えいごう)の別れを告げん……絶命の意を内包する幸福を甘受(かんじゅ)せよ!≫

 

 清く、穏やかであり、優しげである光の抱擁。

 しかし過ぎたる癒しは、逃れられぬ害悪となる。

 

 浴びた者に一切の苦痛を与えず絶命させる死と隣り合わせの輝きは、ナフカに群がる魔獣たちを一掃する。

 

 青き月を司る月女神リューシオンの力だ。

 今の彼女はルーンエルフのフリティラリアではない。

 

 青き月女神リューシオンの力を()って晦冥の雫を封印する魔導巧殻……“リューン”――それが、フリティラリアに与えられた新たな名前であった。

 

 

***

 

 

 竜と化したセシルが口内から放つ魔力の奔流(ほんりゅう)、それは一瞬だけプテテットが放つ純粋魔力砲(レイ=ルーン)拮抗(きっこう)するも、すぐに押し負けて徐々に後ろへと押し流される。

 

(ツェシュテル! 黎明機関(れいめいきかん)を起動させなさい! 早く!)

 

(うええっ!? アレ使うの!? わかってるでしょ!? アレを使えばマスターの身体が持たないって……!)

 

(多少壊れたところで自動修復するから問題ないわ! あなたの暴走もどうにかする! とにかくリューナ達が逃げる時間さえ稼げれば良い!)

 

(……ぁぁぁぁぁああああああああっ! もうっ!! わかったわよ! 死んでも知らないからね!?)

 

 多少その精神が歪んでいても、ツェシュテルの本質は、生を育むおおらかな大地の精。

 大切な者の命を護ろうとするその姿勢は、決して理解できないものではなかった。

 

 セシルの胸元に、背に、手足に、尾に埋め込まれた巨大な宝石のような器官が、黄金の輝きを放つ。

 ただでさえ魔神級であったセシルの魔力がさらに膨れ上がり、魔力のブレスの威力を一気に引き上げる。

 

(……これでも、まだ押し負けるの!?)

 

(ぐぎぎぎぎぎっ……!!)

 

 変わらず……いや、セシルのブレスに合わせて更に威力を上げるプテテットに、セシルとツェシュテルは苦悶(くもん)の声を上げる。

 

 その様子を見ていたリューナの眼が大きく見開かれ、

 

「あれは……黎明、機関……?」

 

 そして、リューナの口から、彼女が知るはずのない単語が洩れた。

 

 

***

 

 

 数百年は続いた、リューンたち4体の魔導巧殻の(いくさ)が終わったのは突然だった。

 

 北からの魔族の侵攻を防ぐことを条件に、アヴァタール地方五大国の1つ、人間族の巨大国家メルキア帝国に彼女達が譲渡されたのである。

 

 彼女達に与えられた待遇は、皇帝の直下にある東西南北の領地を治める元帥達直属の魔導兵器。

 その扱いは元帥に次ぐものであり、(いくさ)でも兵器として最前線で戦うのではなく、将としての役割が求められた。

 

(そうそう、これですのこれ! これこそが魔導巧殻のあるべき扱いですの!)

 

 ――力を発散する必要があるため、戦場に出て魔術を行使したりはする

 ――だが、基本的には破壊される危険が比較的少ない将として兵達の後方にて指揮を行う

 ――そして、元帥のパートナーとして、人としても働く

 

 それぞれが各元帥の元で働くため、他の3体となかなか会えなくて少々寂しいものの、それ以外はまさにリューンにとって理想の職場であった

 

 (あん)(じょう)、ナフカとかは自分から『自分を兵器として扱え』なんて自身の元帥に申し出ているらしいが……もう好きにすればいいと思う。

 魔導巧殻の重要性は元帥がしっかり理解しているようだから、ナフカがこれまでのように猪の如く敵に突撃しようとしても、元帥が許しはしないだろう。……たぶん。

 

 さらに、リューンにとっての幸運は続く。

 

 四元帥(しげんすい)が集う会議にて、新たに就任した東の元帥――ヴァイスハイトが連れてきた副官 リセル・ザイルードが、リューンの主である西の元帥に、とある魔導具を献上してきたのである。

 

『……これは何だ?』

 

『魔導巧殻の部品(パーツ)です。口の部分をこちらに換装(かんそう)いただけば、リューン様にもお食事をご堪能(たんのう)いただけるかと』

 

『……は?』

 

 魔法技術によって創られた、魔法生物と魔導具の融合作品。

 魔法生物の舌を部品と融合させて無機物に味覚を付与し、さらには飲み下したものを融合・質量減少で処理する……このトンデモ発明によって、リューンは再び食事を楽しめるようになったのである。

 

 このことをきっかけに、リューンとリセルは手紙を通して付き合いを始めるようになり、よりその仲を深めていくことになった。それこそ、プライベートではタメ口で話せるほどに。

 

 

 ――そして、その深まった絆こそが、リューンの運命を決めた

 

 

 

『……“黎明(れいめい)(ほむら)”……ですの?』

 

『ええ。それを使って晦冥の雫を破壊するそうよ』

 

 その後、メルキア帝国は凄まじい動乱に見舞われた。

 

 周辺諸国との間に次々と戦争が起こるも、最終的にはその全てに勝利。

 各国を併合して巨大国家へと成長した。

 

 ……が、その直後に、東の前元帥ノイアスの反乱、魔導巧殻アルの洗脳、現メルキア皇帝ジルタニアの“晦冥の雫”を動力とした魔導兵器による自国民への無慈悲な見せしめ……次から次へと起こるトラブルの数々に、リューンは自身の元帥と共に右往左往していたのだった。

 

 このトラブルを解決するために出された結論が、“()()()()()()()”。

 

 本来不可能であったはずのそれは、ルーンエルフやドワーフのみならず、獣人族、竜族、ダークエルフ……各国の様々な種族が、持てる全ての技術を使って生みだされた奇跡の魔導具、“黎明の焔”によって可能となった。

 メルキア帝国が併合した国々の異なる文化や身体的特徴を持つ者達が、お互いを理解し合えるよう努力することで生まれた“絆”……その結晶が、この魔導具であった。

 

 しかし、神の力を打ち砕くには、同じ神クラスの力が必要。

 そんなものを無理やりひねり出すのは、この奇跡の魔導具といえども、一瞬が精々。それも至近距離で発動しなければ意味がない代物とのことだった。

 

『……それ、完全に博打(ばくち)ではないですの。予備もありませんの?』

 

『ええ……でも、他に方法がないのも事実。それと、未完成ではあるけど、複製品ならあるわ』

 

 そう言って、リセルは(ふところ)から1つの結晶を取り出す。

 

『……これ、どうやって手に入れたんですの?』

 

『ふふ、私はメルキア最高の魔導技師よ? メルキアの代表として、これの開発に(たずさ)わってない訳ないじゃない。なら、互いに作成に関わる技術供与は成されて当然だし、一度見聞きしてしまえば、私は二度とそれらを忘れない……開発と同時進行で複製するくらい訳ないわ』

 

 ……もう、いちいちこの程度では驚いていられない。

 

 完全記憶能力を持つリセルは、本を流し読みするだけで、脳内にその本を複製(コピー)できる。まさに、生ける大図書館だ。

 さらに彼女は幼い頃から魔導技術・魔法技術に触れ、20年近くにわたり知識を蓄え、軍用兵器の開発に携わってきた。メモを取る必要のない彼女の頭の中にしか存在しない知識や技術も当然存在しており、メルキアの兵器開発は魔導分野であれ、魔法分野であれ、彼女が居なければなり立たない程である。

 

 そんな彼女が、黎明の焔を開発するためのメンバーとして選ばれるのは当然であった。

 “ディナスティの神童”、“センタクスの狂魔導技師”の異名は伊達(だて)ではない。

 

 そして、一度メンバーに選ばれてさえしまえば、黎明の焔を開発するための全ての技術が公開されてしまう。例えメモを取る許可が出なくとも、リセルには無意味。

 目にした設計図、交わした会話、実際に開発・作成する工程……その全てが彼女の脳内に映像として、音として、動画として記憶されてしまう。

 後からそれらを思い起こせば、複製品を創ることなど容易(たやす)い。

 

 だのに、今ここにある複製品が未完成である理由。それは――

 

『……再現できなかったのは、ルーンエルフの秘術ですの?』

 

『……正解。私には彼女たち程の魔力も、魔術の腕もなかったから。今から練習なんて現実的じゃなかったし……正直なところ、メルキアの魔法技術とは方向性が違い過ぎて理解できない部分も多かったわ』

 

 ドワーフ族の魔導技術も非常に高度であり、職人芸に近い部分も多々あったが、メルキアとて魔導技術で成り上がった大国――高度な知識も何とか飲み下し、ドワーフの繊細な技巧も、リセルが所有する別の技術や魔導具・魔法具で加工を施すことでクリアすることができた。

 

 しかし、ルーンエルフの魔法技術は別だ。

 

 メルキアの魔法技術は、近年ディナスティ領で急速に発達したものであり、その歴史はまだまだ浅い。

 さらに、その方向性は、“より強力な魔術を操るため、強大な魔力に耐えられる器を創る”というもので、どちらかというと術式よりも生物工学に傾いており、ルーンエルフの高度な術式をリセルは理解することができなかったのだ。

 加えてルーンエルフ達は、そうした術式に日常的に触れている上、種族的に魔力量に恵まれている。

 

 リセル本人も魔術が使えない訳ではないが、いかに彼女といえども、これだけの知識的・技術的な差を短期間で埋めることは不可能だった。

 

 そこまで話を聞いたリューンは、口元に手を当てて考え込み……ぼそりと、とある単語を口にする。

 

『……永久魔焔反応炉(えいきゅうまえんはんのうろ)

 

 ピクリ、とリセルの肩がわずかに跳ねる。

 

『あれを考案したリセルが思いついていないはずがありませんの。あれをこの黎明の焔で代用すれば、継続して神に匹敵する力を発揮させることができるのではありませんの? そうすれば、至近距離にこだわる必要もなくなりますの』

 

『……無理ね。それをするためには、こんな不完全な複製品ではなく完成品が必要よ。たった1つしかない完成品を、成功するかどうかも分からない兵器に利用するなんて、それこそ本当に博打でしかないわ』

 

 永久魔焔反応炉――それは、リセルが開発した次世代の魔焔反応炉だ。

 

 魔焔と呼ばれる燃料を使用して莫大なエネルギーを創り出す魔焔反応炉……その“魔焔の供給”と“廃棄物の処理”を不要とする、『画期的』と呼ぶことすら生ぬるい超兵器である。

 

 その原理は、プテテットの質量変化性質を付与した魔焔を、特定の刺激を与えることで質量増加させ、その一部を切り離して炉にくべ、利用が終わった廃棄物をこれまたプテテットの融合性質を付与した部品に融合させ、質量減少させることで処理する仕組みである。

 

 リューンは、この魔焔を利用する部分を、黎明の焔で代用しようというのだ。

 そのためには、黎明の焔の完成品を、財宝プテテットが体内で財宝を分裂させて増やすように、そのままの形で複製できるよう、質量増加処置を施す必要がある。

 

 時間をかければ、ジルタニア皇帝の魔導兵器が再びメルキアの都市のどこかを消滅させてしまう以上、2つ目を創っている時間など無く、処置に失敗してしまえば全てがおじゃんだ。

 そんな状況で、各国・各種族の知識・技術が結集してようやく完成した奇跡の産物を前に、『絶対に失敗しない』など、口が裂けても言えない。

 

 それに何より――

 

『……なにより、完成させたところで、それに耐えうる器が無い。神の力を御するためには神の器でなければ――』

 

『――ならない訳がないでしょう。()()()()()()()()()()()()()

 

『え? ……あ』

 

 そう、闇の月女神アルタヌーの力の結晶たる“晦冥の雫”を御するために誕生したのが、彼女たち魔導巧殻である。

 完全ではないとはいえ、現に神の力を封印し、その力を御して発散させているのだ。扱えない訳がない。

 事実、ジルタニアが扱う晦冥の雫を動力とした魔導兵器は、洗脳した魔導巧殻アルを利用して稼働しているのだ。

 

 

 

 ――ならば、魔導巧殻の一部……晦冥の雫を納める部分だけでも複製できれば、黎明の焔が生み出す超エネルギーにも耐える反応炉を創ることができる

 

 

 

『すぐにわたくしに黎明の焔の完成品を見せてもらえるよう、ヴァイスハイトに言ってほしいですの。それと、リセルが覚えている限りの秘術に関する説明をお願いしますの』

 

『こう見えて、わたくしは魔導巧殻に使われているルーンエルフの秘術を全て解析しておりますの。あののんびり種族が戦争もないのに魔術を大きく発展させているとは考えにくい……おそらく、黎明の焔に使われている秘術も、そのほとんどが魔導巧殻に使われている秘術の応用に過ぎませんの。なら、私がそれを再現できないはずがありませんの』

 

 しかし、リューナの意気込みに満ちた言葉に、リセルは眉をハの字にして首を横に振る。

 

『……無理よ。たしかに魔導巧殻の……アルの機構を複製できれば、反応炉を創れるかもしれないけど、一部とはいえ、あんな高度な技術の塊を今から創っている時間なんて無いわ……』

 

 数百年前以上前に創られたとはいえ、魔導巧殻は現在でも超技術の結晶だ。

 今からそんなものを創っていたら、反応炉が完成する前に、ジルタニアの魔導兵器が再びメルキアの都市のどこかを消滅させてしまうだろう。

 

 だが、気落ちするリセルの否定を、リューナは更に否定する。

 

 

 

『なら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

『……え?』

 

 リセルには、何を言われたのか分からなかった。

 

『わたくしたち全員の整備をしたことがあるリセルなら分かるはずですの。魔導巧殻の基本的な構造そのものに、そこまで大差はないってことに。リセルなら、わたくしの身体を外殻として反応炉を創ることもできるはず。……たしかに、封印・発散担当であるアルと、封印を補佐するわたくしでは機能が違いますの。たぶん、アルのように安定して力を行使し続けることはできない……でも、晦冥の雫を封印する力を4分の1とはいえ、わたくしも持っているんですの。ジルタニアを倒す間くらいは充分に持つはずですの』

 

『でも……それは……』

 

 

 ――それは、リューンの死と同義だ

 

 

 魔法生物をはじめとする様々な兵器の小型化は、リセルが10歳の頃に確立させている。質量を減らして小型化すれば、反応炉をリューンの内部に組み込むことは問題なく可能だ。

 

 問題は、()()()()()()()()()()()()()

 

 闇の月女神の力の結晶である晦冥の雫を体内に納め、封印していた魔導巧殻――アルであれば、仮に反応炉を組み込んだとしても、問題なく反応炉は稼働するだろう

 しかし、魔導巧殻リューンの役割は()()()()()。彼女自身にも、晦冥の雫を封印するための力は備わっているものの、晦冥の雫そのものを保管・封印しているアルに及ぶものではない。無理に反応炉を組み込み、起動してしまえば、リューン自身が耐えられず、自壊してしまう。

 

 アルの構造を完全再現してリューンに組み込むことができれば、この問題は解決できる。

 だが、先も言ったように、今からそんなものを創っている時間など無い。ジルタニアは既に、自身の魔導兵器に次弾を装填しつつあるのだ。

 もしやるならば、今のリューンそのものに組み込まなければ、到底ジルタニアとの戦いに間に合わず、再び多くの国民が死んでしまう。

 

 泣きそうな顔で首を横に振るリセルに、リューンは優しく微笑みかけた。

 

『お願いですの。わたくしに、大切な人たちを……そして、大事な大事な親友(リセル)を護らせてほしいですの』

 

 ――その後、アルタヌーの力を取り込んだジルタニアを滅ぼそうと、ヴァイスハイトが黎明の焔を使用したが、倒したはずの東の前元帥ノイアスが間に割り込み失敗に終わる

 

 リセルとリューンの独断によってリューンの体内に組み込まれた、黎明の焔の複製品を用いた反応炉――“黎明機関”と名づけられた“それ”を起動せざるを得なくなった。

 

 ジルタニアを倒し、彼の魔導兵器から魔導巧殻アルを救い出したリューンは、彼女から晦冥の雫を(えぐ)りだして破壊。

 黎明機関の発動によって修理不能の機能停止に(おちい)りつつあったリューンは、最後の力を振り絞ってアルへの黎明機関の譲渡を願い、アルの体内から失われた晦冥の雫の代わりに、修復されたアルの動力として黎明機関が駆動することとなる。

 

 晦冥の雫とは異なり、封印を浸食するような性質が無い上に、起動も停止もアルの意思1つであるため、リューン1体の封印が欠けたところで、彼女たち魔導巧殻の稼働には何の問題もなかった。

 

 こうしてメルキア帝国の……いや、アヴァタール地方の平和は護られた。

 

 

 1体の心優しい魔導巧殻の犠牲によって――

 

 

***

 

 

(……まったく、ほんっとうになんにも変わっていませんの。目的のために手段を選ばないところも、一度“これ”と決めたら猪突猛進するところも………………本当に大切なもののためには何もかも投げ捨てちゃうところも)

 

 こんな状況にもかかわらず、思わずリューナは変わらない親友の姿に、ふっと笑みをこぼしてしまう。

 

 ――いや、物理的な姿は大いに変わっているのだが。なんだ、竜になるって

 

 しかもアレはどう見ても、メルキア帝国ディナスティ領の最終兵器“歪竜(わいりゅう)”ではないか。

 おまけに、なんかリューナも知らない魔導巧殻と合体してるし……まあ、それも狂魔導技師たるリセルらしいといえばらしいのだが。

 

 そこで、リューナはふと水竜が嫌悪感を露わにして言った言葉を思い出す

 

 

 ――『……そういうことだ。そ奴は、命を(もてあそ)ぶことを何とも思っていない。いや、そ奴にも何らかの基準はあるのかもしれんが、少なくともその中に我ら竜族は含まれていないのだ』

 

 

 なるほど。竜族はもちろん、人間族を除くあらゆる生命を(いじ)りに弄った末に歪竜(生物兵器)を生み出し、さらにはそれと融合した彼女の行為は、彼からすればまさに悪魔の所業だろう。

 その形が“竜”そのものである以上、歪竜には竜族の因子も多く含まれているはず。そのいびつな同族の気配を感じ取ることで、彼や子竜達は、リセルの正体を見破ったのかもしれない。

 リューナは、水竜フリーシスが彼女を嫌悪していた理由を理解した。

 

 ……今思えば、ユイドラで会った時から妙に彼女が親切だったのは、そして妙にリューナを安全な場所に押し込めようとするのは、リューナの振る舞いが昔日(せきじつ)親友(リューン)の生き写しであったからなのだろう。

 かつて魔導巧殻へと不自然な転生をした影響か、それとも別の要因があるのか、リューナの性格も、言動も、態度も全てが魔導巧殻であった時のままだったのだ。

 つまり、その魂の()り方もまた、青の月女神の力を宿す魔導巧殻であった時のままであり……その事が原因で、彼女は生まれながらにして、青の月女神から大きな加護を与えられていたのだろう。

 

 そして、シルフィーヌに対して『幼い頃、青の月女神から大きな加護を与えられていた』と相談したことによって、リューナがリューンの生まれ変わりであることを、リセルは確信した。

 

 だからこそ、彼女はこの“魔導巧殻リューン”をリューナに渡したのだろう。

 贄にされた魂こそが魔導巧殻の力を引き出すための術式であり、起動させるための鍵であることを、かつてのリューンは、自身に黎明機関を組み込んでもらう時にセシルに伝えている。

 

 感覚でもいい。

 直感でもいい。

 

 前世の自身の身体を見ることをきっかけに、少しでも魔導巧殻として……いや、青の月女神の力を降ろす依代(よりしろ)としてあるべき魂の在り方を思い出し、青の月女神の加護を取り戻し、逃げて生き延びる確率を上げて欲しい……そんな想いで、大切な親友の身体を渡してくれたのだろう。

 

 

 

 ――ありがとう

 

 

 

 思い出せた。

 すべて、思い出せた。

 

 

 ――青の月女神の力を降ろす依代として、あるべき魂の在り方も

 ――かつてのルーンエルフの仲間達や、リセルを含むメルキアの戦友達への愛情も、感謝も、想い出も

 

 

 

 

 ――そして、魔導巧殻リューンが滅びる間際に編み出した、この技術も

 

 

 

 

()()()()()()()

 

 

 ――彼女(リューナ)の手に収められた魔導巧殻(リューン)のまぶたがゆっくりと開かれた

 

 

 

 



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第八章 理解者 後編

(いい加減にしなさいっ! マジでアンタ死ぬわよ! マスターにはどうしても叶えたい願いがあったんじゃなかったの!?)

 

 歪竜(わいりゅう)の膨大な魔力をコントロールするための機構は、設計時の想定を超える力に(さら)されて、悲鳴を上げていた。

 

 セシルが歪竜と融合したのは、自らの戦闘力を上げるためではない。人間族の寿命では到底叶えられない彼女の夢を叶えるため……寿命による死をなくすためだ。

 ツェシュテルの黎明機関(れいめいきかん)を利用した自身の超強化は、“無茶をすれば出せるであろう、現時点でセシルが出し得る最大出力”でしかなく、そもそも運用することなんて想定していない、未完成の攻撃手段なのである。

 

 歪竜の肉体には高い再生能力も備わってはいるが、神域の力を外付けされても長時間耐えうるようなバカげた代物ではない。

 このままでは良くてプテテットの烈輝陣(レイ=ルーン)に消し飛ばされ、悪ければ自身の魔力暴走により自爆する。

 

(うるさいっ!! 確かに私は“私の理想が間違っていないこと”を証明するって決めた! “私の夢を絶対に叶えてみせる”って誓った! でも、ここでまたリューンを……大切な親友を失ったら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!?)

 

(……っ!!)

 

 ツェシュテルは言葉に詰まった。

 

(私は、大切な人を失わない世界が欲しかったの! お父様もお母様も、リューンもヴァイスも……みんなが幸せに暮らせる、(やまい)(いくさ)も災害も飢饉もない世界を実現する神が欲しかったの! その世界を(つく)るのに、大切な人を犠牲にしてしまったら、何の意味も無いじゃない!!)

 

 セシルとツェシュテルが力を合わせれば、彼女達だけは逃げることができるかもしれない。

 

 ……しかし、セシルにそんなことはできなかった。

 

 それしか手が無かったとはいえ、彼女は大切な親友の身体に未完成の兵器を埋め込み、そのせいで親友は帰らぬ人となった。

 死の間際にリューンが『リセルを責めないでほしい』と言ったことにより、誰も彼女を責めることはなかったが、誰よりも彼女自身が自分を許すことはできなかった。

 

 そんな彼女が、リューナを……そして、リューナが大切に想う人達を見捨てて逃げられる訳がない。

 

 しかし、ツェシュテルの言うこともまた事実。

 

 刻一刻とセシルの限界は近づいてゆき、さらには成人男性ほどもありそうな紅いサソリの幻影が、1匹2匹とどこからともなく現れて彼女の身体を這いまわる。

 サソリがセシルを魅了し、狂わせようとするのを防いで、ツェシュテルに搭載された対魅了用の魔法具が、彼女の体内で次々と破壊されていく。

 

 セシル達に与えられた選択肢は3つ。

 

 ――セシルの肉体が耐えきれずに自壊するか

 ――セシルがサソリに狂わされて暴走するか

 ――あるいは、追い詰められたセシルが最後の手段に出て、なんらかの無謀な行動を行うか

 

(ああああああぁぁぁあああああああっ、もうっ!? 誰か、どうにかしてぇぇぇえええええっ!!)

 

 そのあまりに理不尽な状況に、ツェシュテルが広域心話(しんわ)(わめ)き、(なげ)いた、その時だった。

 

 

 

 

 

「りょーかいっ、ですの♪ 可愛い妹よ~、今、お姉ちゃんが救けに参りましたの!」

 

 

 

 

 

(…………………………………………はい?)

 

 底抜けに能天気な声が響く。

 追い詰められすぎて、ついに自分の頭がおかしくなったのか……そうツェシュテルが考えた瞬間、(おごそ)かなる祝詞(のりと)が唱えられた。

 

 

悠久(ゆうきゅう)なる時の流れに寄り()いし我が身、清らかなる月明かりを(みちび)(しるべ)とならん≫

 

 

 驚愕に大きく目を見開いた歪竜(セシル)は、恐る恐ると言った様子で視線をゆっくりと左へ向けてゆく。

 

 

 ――そこには、優しく微笑む銀髪碧眼の美しい人形の少女が宙に浮き、その小さな手をセシルへと差し伸べていた

 

 

≪生きとし生けるもの全ての為に、我は祈る。青き月女神の祝福あれ≫

 

 

 ――()()()()()()

 

 

 魔導巧殻(まどうこうかく)アルの構造を模して創られた、完全版の黎明機関がうなりを上げる。

 

 直後、セシルの再生速度が爆発的に強化され、一気に体勢を整え直した。

 それだけではない。肉体強度、反応速度、魔力、さらには戦意までもが格段に強化されている。

 

 

 複数の呪鍛(じゅたん)魔術の同時付与。

 

 

 青の月女神リューシオンの力を()って為されたそれは、魔術オタクであったかつての親友が好んで使った超高等技術。

 さらには、黎明機関による増幅(ブースト)まで行われている。

 

 

 ――魔導巧殻を起動し、

 ――黎明機関を駆動させ、

 ――かつての親友そのものの魔術を操る

 

 

 そんなことができるのは……できる可能性があるのは、セシルの知る限り1人しかいない。

 

 

(まさか……まさか……!!?)

 

 

 ……そして、それは、彼女の絶望をも意味する。

 

 

 

 ――その魔導巧殻を起動させるための鍵……それは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 セシルの視線が恐怖に震えながら更に左に動き、魔力砲の向きが変わらない程度に首を曲げ、背後を視界に収める。

 

 

 

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()姿()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 セシルは、唖然(あぜん)として固まる。

 

 彼女は知らなかった。

 

 ――かつて魔導巧殻リューンが黎明機関を起動してジルタニア皇帝に立ち向かい、その身体が出力に耐えきれずに半壊した時、その魂が(なか)ば抜けかけていたことを

 ――しかしながら、彼女は即興で魔導巧殻(自身の身体)を遠隔操作する魔術を組み上げ、その術式を()って最後まで戦い抜いたことを

 

 魔導巧殻に使われている術式を熟知していた彼女だからこそ――

 そして、何百年もの時を魔導巧殻として過ごし、その感覚を深く理解していたからこそ成せた、離れ技である。

 

 状況を理解できず呆然とするセシルに、再び横から懐かしい声がかけられる。

 

「……あきらめないで」

 

(……え?)

 

 かけられたリューンの言葉の意味を理解できず、セシルは心の中で疑問の声を上げる。

 

「あきらめないで。まだ、わたくし達はできることを全てやり終えた訳ではありませんの。今もヴィーはリリィを立ち直らせようと必死に呼びかけているし、わたくしもこうして再び黎明機関を操れるようになった。……先ほどシルフィーヌ様と話して打開策も考えましたし、あの子竜達ですら、わたくし達の話を聞いて、必要な触媒として自分から鱗をはぎ取って差し出してくれましたの」

 

「たしかに、わたくし達の中で一番強いのは歪竜と黎明機関、両方の力を融合して使うことができるリセルだと思いますの。だけど、だからといって、“わたくし達に何もできない”と考えるのは間違いですの」

 

「……思い出して。かつて、わたくし達は決して誰か1人の力で晦冥(かいめい)(しずく)を、ジルタニアを打ち破った訳ではありませんの。いろんな国を、種族を一つにまとめてくれたヴァイスハイトがいて、絆を結んだみんなが黎明(れいめい)(ほむら)を創って、それを基にリセルが黎明機関を生み出し、わたくしに組み込んでくれたからこその勝利」

 

 リューンは真摯なまなざしで、親友に願った。

 

「信じて」

 

「わたくしを、みんなを」

 

「決して貴女(あなた)だけを犠牲にしたりなんてしない。あの時は力およばずリセルに悲しい想いをさせてしまったけれど……今度こそ、誰一人欠けることのない、完璧なハッピーエンドにして見せますの!!」

 

 

 ――カッ!

 

 

 突如(とつじょ)として床一面に純白の輝きが満ち、一瞬にして八芒星を基盤とした複雑な魔法陣が描かれる。

 

 正四角形を重ねるように描かれた八芒星は、プテテットを中心に据えるように展開され、その八つの頂点には、小さく薄い何かが配置されていた。

 良く見れば、片方の正四角形の頂点に配置された“何か”は黒く、もう片方の正四角形のものは白い。おそらく配置されているものは、伝説の四大守護竜の血族たるあの子竜達の鱗なのだろう。

 

 その鱗の付近では、メイド2人が必死の形相(ぎょうそう)で、周囲の化け物共の流れ弾や流れ魔術、流れ触手などを回避している。

 どうやら、あの子竜たちの鱗を配置してくれたのは、彼女達のようだ。

 

 その魔法陣を起動しているのは、シルフィーヌとリューナだ。

 

 魔王を封印した姫に、晦冥の雫の封印術式を知り尽くしたルーンエルフの生まれ変わり。

 封印術のエキスパート達が、今、仲間を救わんと力を合わせる。

 

 

 ――魔導巧殻リューンの黎明機関を利用することを前提にした、魔王の封印術と晦冥の雫の封印術の重ね掛け

 

 

 シルフィーヌとリューナが打ち合わせたのは、“()()()()()()()()()()()()()()()”……それだけだ。

 

 いかに彼女達と言えども、こんな化け物を、しかるべき魔法具も魔導具も無しに完全封印することなどできない。

 だが、リウラを救う時間を、そしてこの化け物から逃げるための時間を稼ぐ……その程度の封印ならば、どうにかして見せる!

 

 黎明機関を用いた二重の封印術は、プテテットの動きを縛ろうと魔法陣より魔術式を宙に投影し、絶えずその式を移り変わらせて少しずつその力を抑え、封じてゆく。

 しかし、明確に動きが鈍り、烈輝陣(レイ=ルーン)の出力が大きく下がったものの、それでもプテテットは止まる様子がない。

 

 

 ――その時だった

 

 

「よくやったわ、有象無象(うぞうむぞう)ども! シャンデル!」

 

「はっ! 全員、配置につけ! 豚ぁっ! 貴様も早く魔法具を配置しろぉっ!!」

 

「おうさ!」

 

 突如としてなだれ込む精霊の少女と、氷精(こおりせい)の女性達。そして何故かオークが1人。

 

 何者かは知らないが、彼女達はシルフィーヌ達が築いた魔法陣をさらに囲うように立ち、それぞれが必死の表情で呪文を唱えてゆく。

 ……なぜか、オークがその背後でせっせと奇妙な魔法具を積み上げ、組み上げているのは気にしないほうが良いのだろうか?

 

 

≪精霊王の娘、フィファの名において命ず。大地の精霊たちよ、我が呼び声に(こた)えよ。……アタシの不始末(ふしまつ)を隠すために、全力でコイツを封じ込めなさ~い!!≫

 

 

 凄まじく身勝手かつ間の抜けた呪文が響き渡ったその瞬間、

 

 

 

 ――ぴたり、と烈輝陣(レイ=ルーン)の輝きが止まった

 

 

 

「リセル!」

 

 その瞬間、限界を迎えたセシルは、竜の姿を失って人の姿に戻ると、膝を折り、崩れ落ちた。

 

(……そういえば、そうだったっけ。“()()()()()()()”、か……お父様に、ヴァイスに私の夢を否定されてから、すっかり忘れちゃってたな……)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かつて、メルキア帝国皇帝 ジルタニア・フィズ・メルキアーナは言った。

 

『アヴァタール五大国の1つ、レウィニア神権国は、地方神“水の巫女”の力によって豊穣の大地を手にし、現在の権勢を得ている。世界に覇を唱えるためには、同じように神に匹敵する力を得なくてはならない』……と。

 

 行きづまった魔導兵器の発展。

 その壁を打破し、神域の力を手にするため、彼は魔導巧殻を求め、手にし、それらに用いられている技術を基に更なる魔導兵器の発展を成し遂げた。

 

 そのやり方は、リセルの父――オルファン・ザイルードの眼には、あまりに急ぎ過ぎているように見えた。

 神の如き力を求めるが故に、メルキアが滅びの道をひた走るように感じられたのだ。

 

 オルファンは己が罪をリセルとその主――東の元帥たるヴァイスハイト・ツェリンダーに告白する。

 

 ――ジルタニアの忠実な臣下である前の東の元帥ノイアス・エンシュミオスを排除するため、敵国を手引きしたこと

 ――新型魔導兵器を暴走させ、ジルタニアごと帝都を破壊し、魔導兵器への忌避感を国民に植え付けようとしたこと

 

 “すべてはメルキアのため”と思い、やったことだと。

 

 オルファンは思った。いや、願った。

 

 リセルが自分に怒り、拒絶してくれると。

 完全記憶能力を持つリセルが、母の死の悲しみを未だに抱えて苦しむ彼女が、病に蝕まれてもう長くない自分の死に悲しまないように。

 

 そして、自分と同じ愚かしい行動を取らないように。

 

 オルファンはヴァイスハイトに、そして何よりもリセルに知っておいてほしかった。

 ただ力を追い求める行為の愚かしさ……そして、ただ理想を追い求める思考の愚かしさを。

 

 結局のところ、自分もジルタニアと変わらない、自分の信念に()りつかれた、未来ばかり見て今を生きる者たちのことを何も考えていない“人でなし”だ。

 娘には自分のようになってほしくない……その一心で取られた彼の行為は、

 

 

 

 

()()()()()()()! ()()()!』

 

 

 

 

 ――最悪の方向に裏切られた

 

 

 リセルは父に同情し、賛同した。

 

 ――未来のために今を生きる人々を犠牲にし、それらを背負って生き続ける覚悟

 ――誰よりも未来を憂い、見据えているその先見性

 

 それらを心の底から尊敬し、目を輝かせて称えたのだ。

 

 ――しかも、

 

『ただ、1つだけ言わせていただくと……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?』

 

 あろうことか、ジルタニアの思想を肯定したのだ。

 

 彼女は語った。

 今、オルファンが治めるディナスティ領の魔法生物創造技術――その最終形として計画されている“歪竜”は()()()()()()()()()、と。

 

 

 リセルは夢見る少女のように、恐ろしい計画を父に語った。

 

 

 ――魔導機神(まどうきしん)計画

 

 

 ディナスティ領の魔法技術と、西のバーニエ領の魔導技術、それらを掛け合わせ、さらに進化させて創りだそうとしているのは()()()()()

 

 レウィニア神権国のように、“()()()()()()()”のではない。

 “()()()()()()()()()()()()()”――それこそがリセルの理想。

 

 それが実現した時、メルキア帝国は世界(ディル=リフィーナ)を支配する。

 

 もはや神を畏れる必要もなければ、魔神に怯える必要もない。

 もちろん他国から攻め込まれることもない。

 

 その加護により、病は根絶し、怪我は癒され、作物は豊かに実り、寿命以外による死が訪れることもない。

 

 人々の幸せのために、全ての神々が一致団結しなければ実現できないはずの理想郷……それを、人工的に創造した神々に代替させることにより、この世界に完全な自由と平和を実現する。

 それこそが、完全記憶能力を持って生まれてしまったが故に、幼くして母を失った悲しみをいつまでも記憶し……そして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()リセルが描いた夢の世界だった。

 

 これを聞いた直後、オルファンはリセルを勘当(かんどう)し、ザイルードの姓を剥奪(はくだつ)した。

 ヴァイスハイトは、リセルを排除することはなかったが、リセルの思想に賛同を示すことはなく、逆にその思想の危険性を説いた。

 

 誰もリセルの考えを理解できず、次第にリセルは孤立していった。

 

 彼女の思想を理解してくれた者は、今は亡き魔導巧殻――リューンただ1人だけだった。

 

 

『おお~! 夢が大きくて良いと思いますの! ……まあ、魔導巧殻なんてものの生贄になったわたくしからすれば、誰かの犠牲を(ともな)うようなものは勘弁してほしいけど……誰も不幸にしないなら、とても良いと思いますの!』

 

『またどこかの神がポロッと力を落っことして大勢の人が不幸になるのなんて、もううんざりですの。自分の国に専属の神が居れば、そんなものもパパッと破壊してそれでおしまいになりますの! ……そうなればきっと、母様も安心してくださいますの』

 

 

 リセルは悔やむ。

 自分のたった1人の理解者だった親友を失ったことを悔やみ続ける。

 

 ――どうしてこの事態を想定できなかったのか

 ――どうして原作知識を与えられていたにもかかわらず、『“黎明の焔”が無いと、どうしようもないから』と早々に(さじ)を投げて諦めていたのか

 

 親友の犠牲の上に築き上げられた平和の中で、決して消えることも薄れることもない親友の記憶が、彼女を(さいな)み続ける。

 誰かの犠牲の上に成り立つ理想など何の価値も無い……リセルは、親友を失って初めて父の過ちを理解した。父が、ヴァイスハイトがリセルに伝えたかったことを理解した。

 

 

 ――そして、ある日突然、彼女はメルキアから姿を消した

 

 

 自身が開発した培養槽の中で、メルキアから持ち出した歪竜の細胞が復元される(さま)を見ながら、彼女は自嘲する。

 

 ああ、自分は何て愚かなのだろう……“犠牲の上の理想”を否定しておきながら、それでもこうして“犠牲の上の理想”の結晶たる魔法生物の創造技術を捨てられない。

 “父が開発したこの技術でもって、魔導機神を創造し、幸福な世界を創り出す”という彼女の理想を諦められない。

 

 リューンと笑い合った思い出が、理想を語り合った記憶が、リセルに語りかけてくるのだ。

 

 

 ――もし、あの時、魔導機神が完成していたら、あの悲劇は起こらなかったのではないか?

 ――もし、リセルが魔導機神を完成させて、真に平和な世界を創造したら、リューンもあの世で喜んでくれるのではないか? 他界してしまった父も、自分を認めてくれるのではないか?

 

 

 もちろん、黎明の焔を開発できたことすら奇跡的であったあの状況で、そんなものを創造できるわけがない。

 よほど特殊な状況に(おちい)るか、不死者にでもならなければ、死した魂が生前の記憶を持ってリセルの様子を知ることもない。

 これは、完全なリセルの妄想でしかなかった。

 

 しかし、彼女はその妄想へ逃げた。

 

 “もし自分が魔導機神を完成させていたら”、“もし自分が魔導機神を完成させたら”というifの物語を想像し、決して消えることのない自身の心の傷を舐め続けることを選んだのだ。

 

 かつて父が、己が成したように、生者の犠牲を“良し”とするような開発はもうしない。これからは、細胞の一部を採取し、この培養槽で培養しての研究開発になるだろう。

 だが、その開発の土台となるメルキアの生物工学に、多くの生物の、種族の犠牲があったことに変わりはなく、自分もまたその研究に携わっていたことも変わらない。

 

 だからリセルは、その罪の証たる歪竜と融合し、その十字架を背負うことを選んだ。

 

 “魔導機神を創造するための時間を確保するため、寿命を延ばす”という意味もあるが、それだけならば、“歪竜との融合”以外にも方法はある。

 様々な生物・種族の因子が混ざった歪竜の気配……その気配を感じている限り、リセルは自身の愚かさを忘れることはなく、魔導機神を創造する理由を忘れることもない。例え魔導機神を完成させたとしても、かつての理想を見失って、私利私欲の為に彼ら彼女らを使うことはないだろう。

 

 ……今思えば、ヴァイスハイトが魔法技術を捨て、魔導技術を選んだのは、他国の人々と、他の種族と絆を結んだ彼にとって、多くの生物を、種族を犠牲にする技術を“良し”とすることができなかったからなのかもしれない。

 

 リセルは、培養槽のガラスに映った自身の顔を見て、ふと思う。

 

 ――父の最後の教えを護ることができず、それどころか“父の技術で幸せな世界を築ければ、きっと自分を認めてくれる”と己に言い聞かせ、

 ――誰にも理解できない夢を叶えるために故国を捨て、

 ――さらには目の前で培養している歪竜と融合して、人間ですらなくなる親不孝者……

 

 

 

 そんな自分が、父と母がくれた“リセル”なんて素敵な名前を名乗って良いのだろうか?

 

 

 

 ……何を今さら。

 

 その思考に至った自分をリセルは嘲笑う。

 “ザイルード”の姓を剥奪された自分が、何を未練がましく(すが)っているのだ。理想を語ったあの時から、既に自分はオルファンの娘ではない。

 数年後には、親からもらった大切な肉体(からだ)すら捨てて、ただ夢を追いかけるだけの1頭の歪竜がここにいるだろう。ならば……

 

(……なら、歪竜の識別名“ペルソアティス(Pelsoatis)”から取って……“セシル・トープ(Sesil Toap)”でいっか……)

 

 

 

 

 

 

 少女は祈った。

 

 

 ――“誰も死なない優しい世界をください”

 

 

 しかし、少女の祈りに応える神はいなかった。

 

 少女は呼びかけた。

 

 

 ――“幸せな世界を創れる神様を創りましょう”

 

 

 しかし、少女の願いを理解する人はいなかった。

 

 

 

 ……たった一人の、小さな友人を除いて。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……リューン」

 

「はい?」

 

 仰向(あおむ)けになったセシルは、天井を見上げながら、ぽつりとつぶやくように親友に声をかける。

 セシルが力尽きると同時に分離されたツェシュテルを姫抱きに抱えたリューンは、セシルを(かば)うように障壁を展開しながら、首を傾げた。

 

 セシルは、かつて何度もメルキアで口にした言葉を、もう一度口にする。

 

「……神を、創りたいの」

 

 何度も拒絶され、理解されることを諦め、もう何百年も口にしていなかった言葉を、もう一度だけ口にする。

 

「……どんな災いも消し去り、どんな争いを治められる、幸せな世界が創りたいの」

 

 拒絶される不安を、理解されない不安を、軽蔑されるかもしれない不安を抱え、瞳を揺らしながら、自らの夢を口にする。

 

 

 

 ――そして、(こいねが)

 

 

 

「……一緒に、ついて来てくれる?」

 

 

 

 

 

 

 

「まかせとけ! ですの!」

 

 

 

 

 

 天井を見続けるセシルに、リューンの表情は映らない。

 それでも、そのワクワクした声の抑揚から、まるで見ているかのようにありありと想像できた。

 

 静かに一筋の涙がこぼれる。

 

 

 ――その口角は(わず)かながらも明確に上がっていた

 

 

***

 

 

「ふざけてんじゃないわよアンタ! 今この状況で、私達を、リウラを救ける力を持ってるのはアンタしかいないのよ!?」

 

「わか、って……わかってるわよ、そんなことぉっ!! でも、か、身体がうごっ、かないんだから仕方ないじゃないっ! 私だってお姉ちゃんを救けたいのよぉッ!!?」

 

 リウラと出会った直後、猛魚(バギル)の潜む湖に突き落とされることによって、リリィは強敵と戦う恐怖を克服することができた。

 

 

 ――だが、それはあくまで()()()()()()()()()()()()()

 

 

 リウラと出会う前、リリィは()()()()()()()()()()()()()()

 真っ先に経験した命の危機である“プテテット”に対する恐怖を(ぬぐ)いきれていないのだ。

 

 これがごく一般的なプテテットであれば、リリィはここまで取り乱さなかったであろう。

 明確に“自分より弱い”と認識できていれば、苦手意識は持とうとも恐怖までは持たない。

 あるいは、リウラやツェシュテルのように、プテテットに近い液状形態になれる能力があっても、本物のプテテットでないのなら、ここまでの拒否感は持たなかっただろう。

 

 だが、今ここに居るのはリリィであろうと容易に捕食できる化け物であり、正真正銘の巨大プテテット。

 あの時の手も足も出ずに喰われかけた記憶が鮮明に(よみがえ)り、リリィから戦意という戦意を奪い尽くしてしまったのだ……シルフィーヌの戦意高揚の魔術すら効果が無いほどに。

 

 ヴィアは歯噛みする。

 

 この局面を切り拓くためには、どうしてもリリィの力が必要だ。

 だが、リリィの心を奮い立たせるためには、ただの一使い魔でしかない自分では完全に力不足であった。

 

「ぴぎぃっ!? ぴぴぴぴぴっ!!」

 

 小鳥の悲鳴をボリュームだけ最大化したような面妖な絶叫が聞こえた瞬間、ズズンと地響きが鳴る。

 チラリと見てみれば鳩頭の魔神が化け物プテテットに足を捕らわれ、体勢を崩して尻餅をついている姿が目に入った。

 

 

 ――ピクリ

 

 

 ヴィアの猫耳が、奇妙な風切り音を(とら)える。

 

 瞬時に音の出所(でどころ)である背後上空へと視線を向けると、先程まで鳩頭が振り回していたバカでかい剣の一振り……それもよりにもよって炎を刀身から吹き上げていた一番危険そうなものが、回転しながらヴィアとリリィに向かって落下してきていた。

 

(まっず……!)

 

 ヴィアはリリィを背に庇って腰から2本の短剣(ダガー)を抜き、全身に闘気を(みなぎ)らせて迎撃の体勢をとる。

 

 

 だが、彼女が対処するよりも早く、リリィの危機に動いた者がいた。

 

 

「ぬぅんっ!!」

 

 剛腕一閃。

 刀身が(まと)う炎など意に介さず、筋骨隆々とした緑色の腕が巨剣を弾き飛ばす。

 

 ズン、と重々しい音を立てて着地したのは、2メートル近い長身を持つ巨漢。

 身に纏うものは布系の装備であるものの、それらがあくまで動きやすさを重視しただけで、その防御力は鋼にも勝る魔術的な高級品であることが分かる。

 

 豚鼻であることからオークのように思えるものの、その肉体に無駄な脂肪は一切なく、当然のように腹など出てはいない。

 ヴィアが受けた印象を一言でいうならば、“鬼”というのが最も近いイメージだ。

 

 その身から溢れる闘気は荒々しくも力強い。

 単純に比較すればヴィアの方が上ではあるものの、それはあくまで竜をも倒すリリィの使い魔であることが理由であり、リリィとの契約を切ってしまえば逆立ちしても勝てないであろう実力者だ。

 

 さらに言えば、この化け物どもが暴れる空間で生存できるだけの知恵や知識、経験もあるだろう。

 そんな人物がどうして自分達を助けるのか? ヴィアは迎撃体勢を崩さないまま、“鬼”を(にら)みつけて、その正体と目的を問おうとした。

 

 しかし、その疑念は即座に解消する。

 

 

 

()()()()()()()()()()!?」

 

 

 

 ――リリィを知っていて、成長したこの姿のリリィを知らない

 ――オークに近い容姿

 ――粗削りながらも力強い闘気

 ――そして何より、この気配と匂い……

 

 ヴィアの頭でそれらの情報が繋がった瞬間、この“鬼”の正体に思い当たり、大きく目を見開く。

 

「アンタ……まさか!」

 

 ヴィアが己が推測を口にする前に、リリィが呆然とした表情でその人物の名を呼ぶ。

 

 

 

()()()()……()()……?」

 

 

 

「どうした!? いったい何があった!?」

 

 己が心から惚れた女だ。例えその姿が大きく変化していようと、魔力が桁違いに膨れ上がっていようと、見間違えるはずがない。

 リリィの気配を感じてから、己が命を確保しつつもすぐさま駆けつけて見れば、彼女は涙を流して弱々しく座り込んでいる。

 

 以前会った時とは見違えるほどにたくましくなり、(よそお)いも大きく変わった彼の姿を見ても、その気配から、彼がかつて自分を救ってくれたベリークであるとリリィは瞬時に理解し……そして、()()()

 

 

()()()()()()()……!」

 

 

「お姉ちゃんが、お姉ちゃんがあそこにいるんです。食べられちゃいそうなんです。お願い、お願いします……! お姉ちゃんを救けて……!!」

 

「アンタ……っ!」

 

 ヴィアの頭が瞬時に沸騰(ふっとう)する。

 

 リリィの願いは、『自分よりも遥かに弱い相手に対して、自分よりも遥かに強い相手に立ち向かえ』と言っているも同然だ。

 

 

 ――そして、それは同時に『()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 リリィの性格からして、悪意など無く、ただパニックに陥ってその事に気づいていないだけであろう。しかし、惚れた弱みを持つ相手に対してして良い行為では決してない。

 そして、かつてリューナを救わんがために同様のことをリリィ達に()いて、リリィ達に辛い思いをさせてしまった教訓を知るヴィアが見逃して良い行為でも決してなかった。

 

 バシィッ!

 

 リリィを殴り飛ばさんと振り上げられたヴィアの拳、それが緑色の手に手首を掴まれて留まる。

 ヴィアは自分を止めたベリークをキッと睨みつけて叫ぶ。

 

「止めないで! アンタだって分かってるでしょう!? 今はコイツを甘やかしていい状況じゃないって!」

 

「無理だ。リリィは完全に心が折れている」

 

 ベリークはリリィの眼を見る。

 彼女の眼からは主体的な意思が欠片も残っていなかった。これではまるで親に頼りきりの幼子(おさなご)のようだ。

 

 自分では何ひとつできず、ただ親にねだり、縋ることでしか生きられない弱者。

 己の手で道を切り拓くのではなく、他者の手や環境の変化によって自分が救われることを望むだけの……親から口にエサを突っ込んでもらうのを待つだけの雛鳥。

 

 ベリークの経験上、一度こうなってしまったら立ち直るのは容易ではない。

 ベリーク自身はこうなったことはないが、村のオークでこのような状態になった場合、長期間丁寧に扱い、心を癒してやる必要があった。少なくとも、この戦闘中にリリィが立ち直ることはあるまい。

 

「じゃあ、いったいどうしろってのよ! まさかアンタ、リリィの言うこと聞いてあの化け物に突っ込むつもりじゃないでしょうね!?」

 

「そのまさかだ」

 

「…………え?」

 

 何を言われたか分からず、ぽかんと呆けるヴィアを置いて、ベリークは(きびす)を返す。

 そして、今しがた吹き飛ばして地に横たわっていた炎の大剣の柄を両手で握り絞める。

 

「むんっ!」

 

 ベリークの両腕の筋肉がグッと張り詰める。

 すると、刀身が自身の身の丈の倍以上あろうかという巨剣が軽々と持ち上がった。

 

 鋭いその視線は巨大プテテットの全身を探り、やがて頂点で1人の水精が必死になって魔術を繰り出している箇所に止まる。

 その様子を見るに、“このプテテットを倒そう”という感じではない。“誰かを助けよう”としている感じだ。

 

(……あそこか)

 

「待ちなさいよ! アンタ正気!? できるわけないじゃない!!」

 

 至極(しごく)当然なその意見に、ベリークは振り返らず深く頷く。

 

「だろうな。俺程度の実力では無謀も良いところだろう」

 

「だったらっ!」

 

「すまんが、俺は頭がすこぶる悪い」

 

 ベリークは振り返り、未だうずくまるリリィを見て言った。

 

「惚れた女が泣いているんだ。俺は、その願いを叶えてやりたい」

 

 無謀だろうとなんだろうと、知ったことではない。

 

 ――心の底から好きになった少女が、涙を流しているのだ

 ――真実の愛を自分に教えてくれた女性が、泣きながら自分を頼ってくれたのだ

 

 

 これに(こた)えずして、何が男か。

 今、動かずして、いったい何のためにこの肉体を鍛えてきたのか。

 

 

「オオオオオオオォォォォォオオオオオオオオッ!!」

 

 

 “鬼”が吠える。

 リューナや精霊達が張った封印を踏み越え、大きく跳躍する。

 

 ベリークの眼がプテテットの頂点の様子を捉える。

 

 1人の水精が半狂乱になって、頂点からプテテットに穴を開けようとがむしゃらに魔術を繰り出している。

 その地点から5、6メートルほど奥深く……非常に見えにくいが、プテテットの中に、かすかに半透明の頭部と胴のようなものが見えた。おそらく、彼女こそがリリィの姉であろう。

 

「そこをどけええええぇぇえええっ!!」

 

「ッ!?」

 

 ベリークの雄叫びを聞き、ティアの身体が一瞬硬直する。

 

 パニックに陥っていたためか、彼女はその場から即座に退避できなかったようだが、動きを止めてもらえば、それで充分。

 静止したティアに当たらないよう注意して、ベリークは轟焔を吹き上げる巨剣をプテテットの頭頂部に刺しこんだ。

 

「……」

 

 だが、プテテットは何の痛痒(つうよう)も感じていないようで、暴れる鳩頭を取り込み捕食することに夢中になっている。どうやらベリークの一撃は、“ただプテテットの形を変形させただけ”のようだ。

 

 だが、それでもかまわない。

 

 深々と突き刺された炎の魔剣は余程の業物(わざもの)であったのか、プテテットの中で全く溶ける様子もなく、リウラまでの道を造りだした。

 

「ぬぅぅぅんっ!!」

 

 ベリークは己が手が焼けるのも気にせず、炎の魔剣の刀身に手を添えるようにして傷口を大きく押し広げ、一歩ずつ前へと進んでゆく。

 

(……これは、キツいな……っ!)

 

 闘気の鎧を纏っているにもかかわらず自身の肉体を焼く魔剣の炎もそうだが、何よりも押し広げるプテテットに接触した部分がまずい。

 触れているだけなのに、まるで栓が抜けた水槽の如く自身の闘気が奪われてゆくのを感じる。

 

 鳩頭の捕食に夢中になっているにもかかわらずこれだ。

 おそらく意識してこちらの捕食を始めれば、瞬く間に闘気の鎧を剥がされ、精気もろとも肉体をドロドロに溶かされて喰われることだろう。

 

 

 その時、ベリークは違和感に気づいた。

 

 

(……()()()()()()()()()()()()()()()()()()?)

 

 闘気を全開にすることで、精気吸収に辛うじてベリークは抵抗している。

 見れば、後ろからついて来ている水精も、結界に魔力を込め続けることで、なんとか結界を維持している状態だ。

 

 

 ――では、取り込まれたリウラ(リリィの姉)は?

 

 

 見る限り、完全に気を失っている。つまり、抵抗力はゼロのはず。

 おまけにベリークやティアと異なり、その全身をプテテットと接触させている。一瞬で溶かされていても全くおかしくない。

 

 だが、彼女は手足や髪、服を溶かされ、徐々に身体を蝕まれつつも、未だに人としての形を保っている。

 

(無意識に何らかの方法で抵抗しているのか?)

 

 ベリークは一瞬そう考えるも、己の頭の悪さを思い出し、“自分では戦闘中にその解答に辿(たど)り着くことはない”と余計な思考を振り払い、無心でプテテットの肉体を掘り進めた。

 

 

***

 

 

「わ……私……そんな、つもりじゃ……」

 

 自分が恩人を死地に追いやったと気づいたとき、リリィは更なるパニック状態に陥った。

 瞳孔が大きく開き、治まりかけていた過呼吸が再発する。その様子を見てヴィアは一瞬あきらめそうになるも、そんな気弱な自分を気合でねじ伏せる。

 

 ヴィアは、リリィの(あご)を持ち上げて顔を近づけることで、焦点が合っていないリリィの瞳と強制的に目を合わせる。

 

「……じゃあ、どうするのよ?」

 

「……え?」

 

「ここで嘆いてたって、どうにもなりゃしないわよ。それは、ここまで道を切り拓いてきたアンタなら良く分かってるでしょ? 今度は私をアイツにぶつける? 良いわよ? どうせアンタの命令には逆らえないし、それでアンタが立ち上がれるんなら私の命くらい安いもんよ」

 

「わ、私は……」

 

 ヴィアは()えて冷たく言い放ち、リリィを追い詰める。

 

 ベリークはああ言ったが、ヴィアはリリィを信じていた。……いや、()()()()()()

 決してこの少女は、こんなことで足を止めるような存在ではない。ましてや自分の大切な者が危機に陥っているのだ。必ず立ち上がる。立ち上がれる。

 

 

 なぜなら、()()()()()()――

 

 

「……っ!」

 

 リリィは、グッと歯を食いしばる。

 ぶるぶると身体が震える。

 

 しかし、その震えは先程と異なり、怯えからのものだけではない。立ち上がろうと身体に必死に力を込めているが故に起きているものだとヴィアは気づいた。

 

「~~~~~っ!!」

 

 ……だが、立てない。

 

 腰が浮こうとしているのだが、そこからどうしても先に進まない。

 “殺されたくない”、“喰われたくない”という恐怖が、リリィの足をその場に縫い止めている。

 

 プテテット以外であれば、どんな強敵であろうと立ち向かえるリリィの足は、今は生まれたばかりの赤子と変わらぬ力しか発揮できなかった。

 

「くぅっ……!」

 

 リリィの手から放たれる魔力が、必死に宙に魔法陣を描こうと走る。

 その軌跡から、先程シルフィーヌがリリィに使ったものと同じ戦意高揚の魔術とヴィアは推測するが、精神的な動揺が邪魔しているのか、その形は見るも無残で、何の効果も発揮することなく魔法陣は霧散する。

 

「動けっ……! 動け動け動け動け、動けええええええぇえぇえええええっ!!」

 

 

 ――リリィが無我夢中で叫んだ、その時だった

 

 

「リリィ!」

 

 

(この……声は……!)

 

 目を大きく見開き、猫耳を振るわせて声の方向に振り返る。

 崩れた大岩の上に立つその姿を目にして、リリィは己が失策を悟った。

 

 

 

 

 

()()()……!?」

 

 

 

 

 

(は、早くやらなきゃ……! あ、あれ……? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……!?)

 

 いっぱいいっぱいになっていたリリィは、『命令するな』と魔王に命令しなければならないことを咄嗟(とっさ)に思い出すことができなかった。

 

 そんなリリィを置き去りに、無情にも魔王の口が開かれる。

 

 リリィは思わず目を(つむ)り、顔を(そむ)けた。

 

 

 

 

 

()()()()()()()()()()()()! ()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

 

 

 

 

「…………………………………………………………………………え?」

 

 リリィは、何を言われたか分からなかった。

 

 次の瞬間、リリィの胸がドクンと温かく力強い鼓動を刻むと、自分の意思を無視して、今までのやり取りがまるで嘘のように、リリィの足がすくっと立ち上がる。

 

 いつの間にか、頬を濡らしていたはずの涙は止まっていた。

 

「魔王様……」

 

 呆然と自身の主の名を漏らすリリィに、魔王は尊大に腕を組みながら、ふんと鼻を鳴らして言う。

 

「仮にも私が手ずから生み出した使い魔が情けないざまを晒すな、見苦しい」

 

 再びリリィの胸が大きく高鳴る。

 

(今、私のこと、『使い魔』って……!)

 

 

 ――『貴様、私の使い魔ではないな?』

 

 

 実を言うと、その言葉はリリィに少なからぬショックを与えていた。自らを生み出した創造主から見限られるというのは、想像以上に(こた)えるものなのだ。

 

 だが、今、彼はハッキリとリリィのことを『私が手ずから生み出した使い魔』と言ってくれた。

 まるで日の光が差してきたかのような温かな想いが胸に満ち溢れ、思わず笑みがこぼれる。

 

 

 ――ああ、自分はなんて単純な女なのだろう。主として、父として慕う相手から認められただけで、こんなにも舞い上がってしまうなんて

 

 

 だが、舞い上がってばかりはいられない。大切な姉が、恩人が命の危機に晒されているのだ。

 主の期待に応え、見事に救け出して見せねば、“魔王の使い魔”の名が(すた)る。

 

「……はいっ!」

 

 無駄な言葉はいらない。ただ一言、肯定の意さえ示せばいい。

 後は結果を出すだけだ。

 

 リリィは、自らの内に封じた魔神ラテンニールの力を全開放する。

 

「っ……!」

 

 全身の神経をむき出しにして、おろし(がね)にかけたかのような凄まじい激痛が走る。

 

 だが、耐えられる。

 耐えて見せる。

 

 リリィは魔王の意図を汲み取り、与えられた命令(ギアス)を利用する。

 “姉を救い出すためにはこの魔力を取り込む必要がある”と無理やり思い込むことで、この膨大な魔力を強引に支配しようとしたその時、リリィの肉体は魔神の魔力を一息に飲み干した。

 

 ゴオゥッ!!

 

 リリィの身体から、先のセシル達にも劣らぬ凄まじい魔力が噴き出す。

 

 

 

 ――直後、まるで麻薬を直接頭にぶち込んだかのような凄まじい快楽と高揚感、そして全能感がリリィの全身を襲った

 

 

 

「あ……っ!?」

 

 魔力や精気というものは、多量に摂取し過ぎると“酔う”性質がある。

 性魔術で精気を多量に摂取した睡魔が、軽く(くら)み、酔っぱらったような状態になることも稀にだがある。

 

 では、本人の許容量をはるかに上回る魔力を摂取した場合、いったいどうなるのか?

 

 

 ――()()()()

 

 

 圧倒的な己の力に酔い、正気を失う。

 

 それは、魔王によって生み出された、才能とセンスの塊であるリリィであろうと変わらない。

 なにしろ、原作では魔王ですら仲間との絆がなければ耐えられず、全ての思考を放棄して、目の前の物を破壊し続けるだけの存在と化してしまった程なのだ。

 

(……っ!!)

 

 しかし、彼女は耐える。

 耐えて見せる。

 

 魔王の命令(ギアス)の力だけではない。

 リウラの、ヴィアの、リューナの、アイの、ベリークの、ブリジットの、皆の……そして、今、取り戻した魔王との絆があると、そう信じられるから――!!

 

 

 

 ――頭にかかろうとしていた(もや)が……吹き飛ぶ!

 

 

 

「来なさい、ルクスリア!」

 

 セシルのブレスと、プテテットの烈輝陣(レイ=ルーン)がぶつかった際の爆風で吹き飛ばされていたリリィの魔剣が地から跳ね上がり、吸い込まれるようにリリィの右手に収まる。

 

 シャッ!

 

 リリィの姿が()き消える。

 次の瞬間、ベリーク達の背後にリリィの姿が現れた。

 

「リリィ!?」

 

「どいてくださいっ!」

 

 リリィの莫大な魔力とルクスリアの頑健さによるゴリ押しで、一気に道を押し開く。

 だが、それもあと3メートルといったところで止まってしまう。炎の巨剣が突き刺さった先端までたどり着いてしまったのだ。

 

「はああああああぁああぁあああっ!!」

 

 リリィがルクスリアを突き刺し、そこから強引に傷口を押し広げようとするも、なぜか先程のベリークのようにはいかない。

 深くまで進んでプテテットが抵抗を始めたこと、そして何より魔神級の強者へと進化したリリィが自分の内部まで入り込んだことで、積極的に捕食しようと動き始めたことが原因だった。

 

(あとちょっと……あとちょっとなのに……っ!!)

 

 焦る彼女を嘲笑うかのように、リリィの魔力が奪われてゆく。

 見れば、本格化した精気吸収に耐えられず、ベリークとティアが倒れ込んでいた。

 

(何か……何か、一瞬でもコイツの力を上回る技があれば……!)

 

 そう、例えば雫流魔闘術の“波紋(はもん)”。

 

 水竜フリーシスが扱う巨大な水弾でさえ、念を凝縮すればツェシュテルの魔術障壁を突破できるのだ。

 念を指先の1点に凝縮して放つあれならば、魔力を吸収されることなく、このゼリーのような肉壁を抜けられるはず……!

 

 リリィは、リウラからもらった経験を思い出す。

 

 基本である“型の創造”すらできなかった自分に、雫流魔闘術の奥義を放てるとは思えない。

 でも、今ここで使えなければ、リウラを救うことはできないのだ。

 

 “できるかできないか”ではない。

 “やらなければならない”のだ。

 

 リリィは突き刺したままのルクスリアを左手に持ち替え、右の人差し指に可能な限りの念を集中させる。

 

 

 

 ――その時だった

 

 

 

「魔闘術……」

 

 

 

 背後から聞こえた声に、思わず振り返る。

 驚愕に固まるリリィの眼が捉えたのは、()()()()()()()()()()()()()()()()――!!

 

 

 

「“波紋”!」

 

 

 

 1点に凝縮された念を込めた半透明の人差し指が、プテテットの肉壁を穿(うが)つ。

 

 一瞬にして指から伸びた“シズクの思念が凝固した水の針”が差し込まれ、波紋が広がるかのようにその傷口を押し広げた。

 

 プテテットの中から、未だ形を失っていないリウラの肘が現れる。

 

 その時、ティアが最後の力を振り絞り、リリィを、シズクを追い抜いて、リウラを引っ張り出そうとその肘に触れた。

 

 

 

「――リウラ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――溶ける、融ける。身体が、全身が解けてゆく

 

 痛い、苦しい、そして何より恐ろしい。

 

 力は得た。大切な人達との楽しい思い出もできた。生前の思い残しは大分解消できた。

 

 でも、足りない。まだまだ足りない。

 

 もっともっと力が欲しい。もっともっと素敵な思い出が欲しい。何より、大切な人たちを護りきれていない。まだ、死ぬわけにはいかない。

 

 まぶたが僅かに開く。()()()と同じように半透明の化け物に囚われているせいか(にじ)む視界に、1人のドレス姿の女性が映る。

 “何か”を必死に叫びながら私に向かって必死に手を伸ばし、それを周りの人たちが必死になって手伝っている。

 

 ――ああ、私はこの光景を知っている。私はこの女性(ひと)を知っている

 

 そう、あれは確か――

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

「エステル様、お茶が入りました」

 

「ああ、すまない」

 

 騎士とはいえど、その身分は王族。エステルは広々とした豪奢な馬車で、アーシャが入れてくれた紅茶を口にしつつ、ゆったりとくつろいでいた。

 本人としては、騎士であるが故に“他の騎士達と同じ扱いでも構わない”と考えてはいるのだが、それでは他の国への示しがつかないがために、渋々このような扱いを受け入れている。

 

「……あの睡魔の娘は信用できるのでしょうか?」

 

「個人的には“信用したい”、と考えているが……そこは兄上達の判断を仰がねばならんだろう。我々の個人的な感情ではなく、国益を考えなければ……」

 

 アーシャからの質問に答える最中(さなか)、エステルは急激な眠気に襲われ、あくびを(こら)える。

 それを見て取ったのか、アーシャが席の下にある物入れから毛布を取り出して言った。

 

「おそらく緊張が解けて戦闘の疲れが一気に出てきたのでしょう。王都に着きましたら起こして差し上げますので、ごゆっくりお休みください」

 

「すまないが、貴公の言葉に甘えさせてもらう……兄上達の前で無様な姿は見せられん……」

 

 そう言うや否や、スゥ……とエステルは深い眠りについた。

 

 

 ――直後、

 

 

「エステル様……エステル様」

 

 先程『ゆっくり休め』と自分から言ったばかりにもかかわらず、アーシャはエステルの名を呼び、肩を揺すって起こそうとする。

 しかし、エステルは起きない。それ程に深い眠りについているのだ。

 

 そうして“少々のことをされても起きない”ことを確信したアーシャは、それまで浮かべていた優しい笑顔を、冷ややかな無表情へと変えた。

 

(やれやれ……姉上と結ばれるためとはいえ、姉上以外の女を抱かねばならないとは……まあいい、眠り薬が効いているうちにさっさと済ませてしまおう)

 

 縦列走行中の馬車の窓から覗き見られることはそうそうないだろうが、万が一ということもある。

 アーシャは淡々とカーテンを閉める。

 

 ――そこから少しの間、馬車の中から僅かな水音が聞こえたが、馬車の走る音に紛れ、誰の耳にも届くことはなかった

 

 

 

 

 



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第九章 水瀬 流河 前編

 これは、水精(みずせい)リウラが誕生する、ずっとずっと前の話。

 

 この世界――二つの回廊の終わり(ディル=リフィーナ)が未だ存在しておらず、2つの世界……ネイ=ステリナとイアス=ステリナに分かれていた頃。

 

 そして、イアス=ステリナが、未だ“地球”という名前で呼ばれていた頃の物語。

 

 

***

 

 

「ど〜んぐ〜り〜こーろーこーろーど〜んぶ〜り〜こ〜〜〜〜♪ お〜い〜け〜に〜は〜ま〜って、さ〜あた〜いへ〜〜〜〜ん!」

 

「あ、あれ? “どんぐりころころ”って、こんな渋いメロディだったっけ?」

 

「……ルカっちよ、“どんぐりころころ”を水戸(みと)のご老公(ろうこう)のテーマで歌うでない。シャネルが混乱しているではないか」

 

「相変わらずのルカクオリティ……流石。親友として戦慄を禁じ得ない」

 

「意味がわからないよう!?」

 

 天慶(てんぎょう)第二学園……世界に名だたる巨大複合企業(コングロマリット)であるミレニアム重工業――通称、MHI(Millennium Heavy Industries)が出資する、自社の技術を有用に扱える人材を育てる高等学校。

 その屋上にて、楽しそうに(かしま)しい声を上げる4人の制服姿の少女達の姿があった。

 

 サイドテールを揺らして、元気よく“どんぐりころころ”を歌っている少女の名は水瀬(みなせ) 流河(るか)

 

 かつてMHIの最高財務責任者(CFO)を務めていた水瀬 成康(なりやす)の次女である。

 飛行機事故によって両親を失い、さらには親戚に財産まで奪われて今は姉と2人暮らしであるものの、そんな不幸を微塵(みじん)も感じさせないほど元気で明るく、その名の通り流れる川のように、とらわれることない(さわ)やかさを感じさせる少女だ。

 

 彼女の歌う歌に翻弄(ほんろう)されている金髪碧眼の少女の名は、シャネオルカ・ミラーヴォナ・ブリューソフ。

 

 純血のロシア人にもかかわらず、まるで大和撫子(やまとなでしこ)のようにお(しと)やかで奥ゆかしい少女である。

 その為か、周囲の3人に良く振り回されており、今のようにツッコミ役に回ることもしばしば。

 その長ったらしい名前が呼びにくいため、他の3人からは“シャネル”という愛称で呼ばれている。

 

 制服の上から悪魔チックなフード付きパーカーを着込み、花柄のアップリケをつけた眼帯で右眼を覆う少女の名は蘇芳(すおう) 杏里咲(ありさ)

 

 その服装もそうだが、時代劇に出てくる(サムライ)のような独特の口調など、一風変わったキャラづけを自らに課した人物であり、常に高いテンションと飛び抜けた行動力から、4人の中では流河と一二を争うトラブルメーカーである。

 だが、その実、非常に周囲の配慮に長けた人物でもあり、困っている人を目にすれば率先して助けに行く心優しい少女でもある。

 

 黒々とした黒檀(こくたん)の髪をポニーテールに結った、クールな雰囲気の少女の名は仙崎(せんざき) 美來(みらい)

 

 流河とは孤児院時代からの幼馴染であり、親友同士。

 同世代の中では抜きんでて落ち着いており、暴走する流河や杏里咲のストッパー役でもある……のだが、意外とノリも良いため、結構な頻度で彼女も悪ノリする。結局、振り回されるのはシャネルだけである。

 

「よし、秀哉(しゅうや)さんを()けよう」

 

「どうしたの急に!?」

 

 こんなふうに。

 ちなみに、“秀哉”というのは美來の兄の名前である。

 

「実は、さっきお手洗いに行った時、ちらっと(うわさ)で聞いたんだよね……明日、秀哉さんが学生会長さんとお出かけするって」

 

「大問題ではないか! 何ゆえ今まで黙ってたのじゃ!?」

 

「あぅ……パーティー、多分できないよね……」

 

 有能であるが故に、最近なにかと色々なことを頼まれて忙しそうにしている秀哉。

 そんな彼をねぎらう為に、4人娘は日曜日にサプライズパーティーを企画していたのだが、これまでの彼の仕事ぶりを考えると、帰りは遅くなるだろう。

 当然、パーティーなんてできるはずもない。

 

「むぅ……しかし、秀やんめ。全学生の憧れである会長殿とデェイトして何をす……まさかっ、学園で乳繰(ちちく)り合う気なのでは!? 制服の上からでも分かるくらいに、繰り合いがいのありそうな乳じゃったし!」

 

「ありえない。0点。本当のところ、お兄ちゃんはちっぱい好き」

 

 杏里咲が妙な妄想を繰り広げると、美來はさらりとそれを否定し、さりげなくそこに自分の願望を付け加える。

 そんな彼女の胸のサイズは()して知るべし。

 

 ちなみに、(くだん)の学生会長は容姿端麗、成績優秀、文武両道、おまけに人望もあり、MHIと唯一張り合うことのできる大企業――三鷹(みたか)セラミックスの社長令嬢という、できすぎなくらいの美女である。

 秀哉自身、文武ともに非常に優秀かつ眉目秀麗な好青年ではあるのだが、いったい何があってそんなスーパーご令嬢との縁ができたのだろうか?

 

 杏里咲は茶化して『デート』などと言っていたが、美來が即『ありえない』と否定したように、普段の2人の振る舞いを見ている限り、そのような様子はなかった。

 ならば、必ず2人が外で会わなければならない、何らかの理由があるはずだが……?

 

「はいはーい、杏里咲達がここでいくら頭を捻ってたって、答えは分からないよ? だからこそ、レッツストーキング! 美來! 秀哉さんが明日どこでデートするか、007(ダブルオーセブン)よろしく!」

 

 

***

 

 

「……あんまり秀哉や鳴海(なるみ)先輩に迷惑かけるんじゃないわよ?」

 

「わかってるよう。……で、お姉ちゃんは何か知らない?」

 

「あいにく、私も初耳ね。もし『秀哉を学生会長に~』なんて考えているのなら、私に話くらいは通すはずだから、それはないと思うけど」

 

 “親戚すべてから見放されている”という点、そして“唯一残った肉親(きょうだい)との2人暮らしである”という点については仙崎兄妹も水瀬姉妹も同じである。

 境遇が同じ、ということは与えられている保護も同じであるわけで、仙崎家と水瀬家は同じMHIが提供する寮に住んでいた。今頃、この寮の別室で、流河と同じように、美來が秀哉へ探りを入れていることだろう。

 

 “美來にばかり任せて自分は何もしない”、というのも何なので、流河は姉である水瀬 (るい)に『何か知らないか?』とストレートに確認していた。

 なにしろ、彼女はその卓越した頭脳を見込まれ、学生会長より直々(じきじき)に副会長に指名された人物。

 もし明日のデートが『秀哉を次期学生会長に~』あるいは『副会長に~』という話をする為であるならば、必ず何らかの形で彼女に連絡が入るはずだからだ。

 

「……お姉ちゃん。何度も言ってるけど、食べてる時くらい勉強は()めようよ」

 

「私は父さんと違って、前世の記憶なんてないからね。どんな細かい時間でも有効に使わないと偉くなんてなれないのよ」

 

 食卓でも教本を手放さない姉を見て、流河は不満そうに溜息をつく。

 

 かつての飛行機事故で奇跡的にほぼ無傷で(たす)かった涙とは異なり、流河は瀕死の重傷を負っており、手術を受け、入院していた。

 その間、涙は両親を失った自分達から、更に財産という財産をむしり取っていった親戚達の悪意に(さら)され続けていたのだ。

 その悪意の程は、先に流河の手術代を払っていなければ、それさえもむしり取られ、流河が死んでいたかもしれない程に欲深く、おぞましいものであった。

 

 そのため、その悪意と直接向き合うことがなかった流河には、財産がなくなったことなど“不便になったな”程度の実感しかないが、実際に相対(あいたい)した涙は、彼らに深い深い恨みを抱いている。

 その恨みを原動力に、彼女はあらゆる手段を使って強大な権力を手に入れ、その力を()って彼らに復讐を成そうとしているのだ。

 

 学生会長である栢木(かしわぎ) 鳴海と親しいのは、涙自身が鳴海の人柄に惹かれていることが大きいものの、そこには“三鷹セラミックスのご令嬢”という強力な人脈を得る打算も明確に存在しているのである。

 

(お姉ちゃん、自分では全然気づいてないみたいだけど、本当に苦しそう……でも、お姉ちゃんの想いが間違ってるとも思えないし……まどかお姉ちゃんに相談してみようかな……)

 

 復讐に燃える姉……その憎しみ自体が姉を苦しめているように見える流河は、彼女を心の底から心配する。

 しかし、そうした心配を口にすると涙は猛反発するため、流河は困ったように眉根を寄せることしかできない。

 

 幼い頃にお隣さんであった流河の2つ上の少女――風波(かざなみ) まどかは、明るく、世話好きであり、場を楽しく盛り上げるムードメーカー……さらには新聞部の部長として(たぐい)まれなる手腕を発揮する有能さと行動力を兼ね備えた、あの学生会長の親友であることが頷けるスーパーウーマンである。

 

 また、流河と同じく楽しいことが大好きである上に、非常にさっぱりとした気質を持っており、彼女と流河は幼い頃から非常にウマが合った。

 その仲の良さは、飛行機事故の直前、旅行に行く流河達をわざわざ家の前で『いってらっしゃい』と見送ってくれたほどである。

 彼女ならば、この姉の瞳の奥にある(くら)い輝きをどうにかしてくれるかもしれない。

 

(……うん。月曜日になったら、まどかお姉ちゃんに相談してみよう)

 

 今は明日の秀哉のデート模様を観察して楽しむことだけ考えよう、と流河は考えを打ち切る。

 

 

 

 ――しかし、その相談が実現することはなかった

 

 

 

***

 

 

「しゃがむのじゃ、ルカっち!!」

 

「!!」

 

 杏里咲の声が聞こえた瞬間、その声に従って流河は何も考えずにその場にしゃがみ込む。

 頭上をブンッという重々しい音が通り過ぎた瞬間、すぐ(そば)の工事現場に置かれていたはずの地面を固める機械が目の前の化け物にぶつかっていた。

 

 暗く青い光に包まれたショッピングモールの床に倒れ込み、うめき声を上げるゾンビのような化け物から目を離せない流河の手を、杏里咲の手が握り、引っ張り上げ、しゃがんでいる流河を立ち上がらせる。

 

「しっかりするのじゃ、ルカっち! 呆けている場合ではないぞ!」

 

「ぁ、ぁ……」

 

(何が、いったい何が起きて……?)

 

 杏里咲が必死に声をかけて流河の精神を立て直そうとするものの、流河は動揺から立ち直ることができない。

 それもそのはず。彼女達はいきなり日常から非日常へと叩き落されたのである。

 

 昨晩、秀哉は理由も告げず、『明日は海岸公園には近づくな』と美來に確約を迫っていた。

 そのあまりに不自然な態度から、“デートの場所は海岸公園のショッピングモールである”とアタリをつけた彼女達は、ショッピングモールに向かい、到着した途端(とたん)、未知の脅威に襲われることになった。

 

 天地が逆転するかのような凄まじい地震が起こり、周囲は突如(とつじょ)として夜のように暗くなり、床や壁が一部青白く光りだし、空や宙に不思議な光の紋様(もんよう)が浮かびだしたのである。

 

 それだけならば、まだ良かった。

 

 上空では白い鳥の翼を生やした天使のような人々と、黒いコウモリの翼を生やした悪魔のような人々が光弾を撃ち合い、剣や爪を打ち合って激しい殺し合いを繰り広げており、さらにはショッピングモール内に次々と謎の化け物達が現れたのだ。

 その種類は豊富で、先のゾンビから始まり、巨大なカラスに(むし)、全身が水でできている女性、果てはディスクが連なって輪を描いているような、そもそも生物かどうかも怪しいものまでいる。

 

 天使や悪魔の放った流れ弾がショッピングモールを破壊し、怪物どもが人を襲い喰らう。

 海岸公園にいた人々は、即座にパニックに(おちい)った。

 それは流河も同様であり、彼女は完全な思考停止状態となってしまったのである。

 

 グイッと手を引っ張られ、流河はそれにつられてふらつきながらも、反射的に引かれた方向に走り出すことで、転ぶことなく杏里咲と並走する。

 このまま流河に話しかけていても(らち)が明かないと判断した杏里咲が、流河の運動神経の高さから、“この程度では転ばない”と見越して強引に移動を開始したのだ。

 

「ルカっち! みぃとシャネルがおらん! はぐれてしもうた!」

 

「!!」

 

 その時、流河達は目撃した。

 

 

 ――怪物に襲われた人間が、先ほど目にしたゾンビへと変化していく、おぞましいありさまを

 

 

 その様子を見て辺りを見回せば、同じようなゾンビがうようよと辺りを徘徊(はいかい)しながら人に襲いかかろうとしているのが見えた。

 

 考えたくない。

 嫌な予感がガンガンと警鐘(けいしょう)を鳴らす。

 必死にその可能性から目を()らそうとするが、流河の袖を引いて必死に親友達を探す杏里咲の姿が、流河にそれを許さなかった。

 

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()? 

 

 

 

「美來……シャネル……!」

 

 流河の頭を事故の記憶がフラッシュバックする。

 父を、母を……大切な人達を失った、未だ癒えない心の傷が(わず)かに口を開く。

 

 奇跡的にほぼ無傷であった姉が、瀕死の重傷を負った流河を背負い、飛行機の外へと必死に逃がしてくれた。

 MHIの最先端医療を受けなければ、まず間違いなく死んでいた重傷を負いながらも、流河は必死に、今にも消えそうなほど小さな声で『お父さんとお母さんも救けて』と涙に(こいねが)っていた。

 

 本当は流河も分かっていた。

 

 父も母も既にこと切れていると。

 涙は唯一救けられる可能性のある妹だけは何としてでも生かそうと、唇を噛み切りながら流河の言葉を無視していたのだと。

 

 

 

 ――もう、あんな思いはしたくない

 

 ――二度と大切な人達を失いたくない

 

 

 

 心の底からそう思った瞬間、ただ杏里咲に手を引かれて前に進むだけだった流河の両足が、力強く自らの意思で地面を踏みしめた。

 

 

***

 

 

「シャネル、流河と杏里咲がいないっ! 探さないとっ……!」

 

「うんっ、分かってるよっ……分かってるけど……!? ……来たっ、もうすぐ傍まで来てる! 私達に気づいてるみたい!!」

 

 周囲から押し寄せる怪物から逃げるため、美來とシャネルはモールを走り回っていた。

 

 命の危機から火事場の馬鹿力でも発揮しているのか、地震が起こった直後からシャネルの勘が急激に冴えわたり、周囲から近づく怪物達の気配のことごとくを察知し、おびえながらも的確に彼女達は怪物達を避けながら逃げ続けていた。

 

 しかし、少女達に怪物達を突破できる攻撃力が無い以上、追い込まれるのは必然。

 ビルの隙間へと逃げ込んだ彼女達は、とうとう逃げ場を失っていた。

 

 ずるずると()い寄る音に(おび)えて震えるシャネルを、美來が抱き寄せる。

 

「はぅぅ、うぅ……みぃちゃん、今までありがとう……友達になれて嬉しかったよ……」

 

「っ……! 私も同じ……でも、諦めちゃダメ! きっと、きっと……!」

 

 絶望と恐怖でまぶたを閉じたシャネルの目から涙がこぼれ、美來も徐々にビルの角から姿を現そうとする怪物の姿に全てを諦めそうになった。

 

「救けて……お兄ちゃん……っ!!」

 

 

 

 ――その、瞬間だった

 

 

 

 ギャイギャイギャイギャイギャイイイイイイイッ!!

 

 

 耳をつんざく凄まじい切断音。

 それも、チェーンソーのように強力なモーターを利用した機械的な力で、無理矢理に対象を引き裂くような暴力的な音が辺りに響く。

 

「ぬははははっ、待たせたな! 拙者(せっしゃ)が来たからには何も心配はいらぬぞ!」

 

「2人とも、大丈夫!?」

 

(この声……!)

 

 美來とシャネルは恐怖で閉じていた目を、胸から溢れる温かな希望に押されるように開く。

 

 

 

 

 ――そこには、全身をフード付きのレインコートで覆い、ホッケーマスクをかぶり、血まみれのチェーンソーを構えた超不審者がいた

 

 

 

 

「……………………ふぅ」

 

 恐怖のレベルが許容量を超え、悲鳴を上げることもなくシャネルが気を失い……そうになったところを、その声から冷静にホッケーマスクの正体を見破っていた美來に、頬をはたかれて叩き起こされる。

 

「シャネル!? しっかりして! ……杏里咲、後ろ!」

 

 不審なホッケーマスク――杏里咲の背後からゾンビが現れ、

 

「そいや~っ!!」

 

 更にその後ろから現れた流河が、見とれるような美しいスイングで、血まみれのゴルフクラブをスイングする。

 背後から忍び寄っていたゾンビの頭が強打され、大きくバランスを崩したところを、身体ごとチェーンソーを振り回しつつ振り返った杏里咲が逆袈裟(ぎゃくげさ)に斬り飛ばした。

 

「ぬははははっ! ()ねっ、去ねっ! うぬらの居た世界に戻るのだ! 2人には舌1枚触れさせぬぞぉっ!!」

 

「杏里咲! こっちの2体、バランス崩すよ!」

 

「おうっ! まかせるのじゃ!」

 

 美來は驚きに目を見開く。

 

 杏里咲がチェーンソーなんて重たいものを、まるでオモチャのように軽々と振り回して次々と怪物を駆逐(くちく)しているのだ。

 

 流河が振るっているのは、美來でも振るえそうなゴルフクラブだが、その動きが尋常ではない。

 一流のスポーツ選手もかくやというほどの滑らかで素早い動き。周囲の怪物の動きを全て理解しているかのように動く彼女は、的確に怪物達の行動を阻害し、杏里咲の行動をアシストしている。

 

 美來が唖然(あぜん)とする間もなく、速やかに周囲に居た怪物達は一掃されてしまっていた。

 

「無事だったか2人とも。遅くなって済まぬの」

 

 その声につかつかと杏里咲に近寄った美來は、ベリッと杏里咲のホッケーマスクをひっぺがし、ペッと地面に捨てた。

 

「ちょっ、何をするんじゃ!?」

 

「それはこっちの台詞(せりふ)。シャネルが怖がってるのが分からない?」

 

「……おお! すまんすまん。ルカっちが『その武器だと血飛沫(ちしぶき)が凄いことになるから』と半壊したスポーツ用品店で見つけて来てくれたのじゃ! 本当はヘルメットや胸当ても欲しかったんじゃが、掘り起こす暇は無いと思っての」

 

「…………………………なるほど」

 

 一応、ちゃんとした理由は有ったらしい。

 確かに、よく見れば杏里咲の着ているレインコートや、地面に転がっているマスクの所々(ところどころ)に血飛沫らしきものがついている。

 

 どこか釈然(しゃくぜん)としないものを感じながらも、美來は納得して頷く。

 

「でも、どうしてここがわかったの? 私達、結構あっちこっちに逃げ回ってたんだけど……?」

 

「これ、美來のでしょ? これがあそこに落ちてたから『ここら辺にいるのかな?』って」

 

 シャネルが疑問を口にすると、流河がどこに持っていたのか美來の鞄を持ち主に手渡す。

 

 なるほど、この混乱で落としてしまっていたらしい。これが落ちていた場所を中心に探し回ってくれていたということだろう。

 化け物がうようよとうろついていただろうに、恐怖も危険も(かえり)みず……本当に自分にはもったいないほどの友人達だと、美來もシャネルも胸の内から湧き上がる想いに涙が浮かびそうになる。

 

「そうだ、お兄ちゃん……っ!?」

 

 美來が“兄も怪物達に襲われているかもしれない”と気づいたその瞬間、轟音とともに美來の左隣のビルが崩れ始めた。

 

「走れえぇえええええぃっ!?」

 

「き、きゃあああああぁぁああああっ!?」

 

 杏里咲が必死にシャネルの手を引き、流河と美來が青ざめながら全力疾走する後方で、重々しいものが次々と落ちてくる恐ろしい音と膨大な土煙を上げながら路地が崩れ、先程までビルであったものによって埋まってゆく。

 

 幸運にもコンクリートのひとかけらもぶつかることなく逃げ切り、ほっとしたのも(つか)の間、流河の1.5を超える視力は崩壊したビルの瓦礫の上で、ぐったりと横たわる人影を(とら)えた。

 

「天、使……?」

 

 全身を白い衣服で覆い、背から白翼を生やした少女であった。

 

 見る限り、だいたい流河と同年代くらいだろうか。白熊を()した布製の帽子をすっぽりかぶっており、それが少女のやや幼い顔によく似合っている。それぞれの熊耳の上には小さな光輪が1つずつ浮かんでいた。

 だが、その白い衣服はあちらこちらが真っ赤に濡れており、(ひたい)を切ったのかその顔の半分も紅に染められていた。さらには、彼女の左腕は二の腕あたりから有り得ない方向を向いている。

 

(救けなきゃ……!)

 

 そう感じて動こうとした瞬間、流河の足がピタリと止まる。

 

 美來も杏里咲もシャネルも彼女に気づいていない。このまま流河が見て見ぬふりをすれば、自分達は()()()を抱えることはない。救かる確率はグッと上がるだろう。

 

 事実、姉は“救からない”と判断した両親だけでなく、その他の救けを求める人達を見捨てて、流河だけを救けてくれた。幼い涙には、流河しか救ける余裕がなかったのだから、見捨てても仕方がないことなのだ。

 

 同じように見捨てればいい。見捨てるべきだ……流河はそう思う。思い込もうとする。

 

(ど、どうして……? さっきまで色んな人が襲われているのを見過ごしていたのに……!?)

 

 流河の内に湧き上がる凄まじい罪悪感。

 美來とシャネルを必死に探していた時には(いだ)かなかったそれに、流河は激しく戸惑(とまど)っていた。

 

 ……流河は気づいていなかったのだ。

 

 ――美來とシャネルを救けたことによって、流河の心に罪悪感を抱くだけの余裕が生まれてしまったということに

 ――そして、心のどこかで“無理をすれば彼女1人くらいなら救けられる”と思えるようになってしまったことに

 

(……私にとって大切なのは美來達……美來達を危険に晒す可能性のあることは……!)

 

 

 そう自分に言い聞かせていた時だった。

 

 

 流河の良すぎる視力が、ゾッとする光景を捉える。

 

 崩壊したビルの中に燃えやすいものでもあったのか、少女の周辺のあちこちで火の手が上がっていた。

 そして、ビルの瓦礫に横たわる少女のすぐ近く……そこには(ふた)が潰れ、中から大量の中身をこぼすポリタンクがあった。そのポリタンクに記載されている文字、それは……

 

「リ、エンノル……?」

 

 それは、MHIが開発した化石燃料に変わる新エネルギー。その燃焼力は灯油やガソリンの比ではない。

 あんなものに火がついてしまえばどうなるかは、それこそ火を見るよりも明らかだ。

 

 流河の脳裏に、燃え上がる飛行機の残骸が辺りに散らばる光景が浮かび上がる。

 

 

 

 ――気がついたら、流河は天使の少女めがけて走り出していた

 

 

 

「流河!?」

「ルカっち!?」

「ルカちゃん!?」

 

 親友達の声を置き去りに、流河の身体は、そして意識は加速する。

 

 命の危機に反応したのか、先程から流河の身体は普段からは考えられないほど、自由自在に動くようになっていた。

 意識が身体の隅々にまで行き渡る感覚。身体を思い通りに動かし、まるで時間が遅く動いているかのような感覚に陥る。

 

 崩れやすく、足を取られやすいはずの瓦礫の山を、軽やかに流河は駆け上がる。

 瞬く間に少女の傍まで駆け寄ると、普段の流河では考えられないパワーで軽々と少女を姫抱きに抱え上げ、すぐさま瓦礫を蹴って宙を跳んだ。

 

 

 ガオンッ!!

 

 

「ぐぅっ!?」

 

 流河の背を爆風が叩き、吹き飛ばす。

 だが、幸いにも石の(たぐい)は飛んでこなかったようで、流河は怪我をすることもなく、宙でうまくバランスを取り戻し、スタンと軽やかな音を立てて着地する。

 

「大丈夫か、ルカっち!?」

 

「……流河、その()は……?」

 

「わかんない……ひょっとしたら、上から落ちてきたのかも……」

 

「う、上……?」

 

 シャネルが戸惑いながら空を見上げて絶句する。

 地上の怪物の気配を敏感に感知する彼女は、そちらに気を取られて気づいていなかったのか、空で激しく切り合い、光弾を撃ち合う天使と悪魔に全く気づいていなかったようだ。

 

「……とても声をかけられる状況ではないのう……どうする気じゃ、ルカっち?」

 

「……」

 

 杏里咲の言葉に考え込む流河を見て、代わりに美來が案を述べる。

 

「……ひとまず、東に逃げよう。みんな、東に向かってる。そこにお兄ちゃん達もいるかもしれない」

 

 命の危機がいったん遠ざかったことで、冷静な思考能力が美來に戻って来ていた。

 

 場を見渡した時、天使らしき者達は北から、悪魔のような者達は南から、そして怪物達は西からやってきているように見えた。

 必然的に、この場に居る人々は東へ逃げる流れができている。秀哉達もそれに合わせて一緒に逃げている可能性は高かった。

 

 天使と合流して怪我をしている少女を預ける、という選択肢は除外した。

 怪物達を潜り抜けて天使のところまで移動するのは、いくら杏里咲のチェーンソーがあるといってもあまりにも危険すぎたし、なにより天使達が味方である保証はどこにも無かったからである。

 

「杏里咲、悪いけどそのパーカーをこの娘に着せて。流河は、この娘を背負って逃げれる?」

 

「わ、わかったのじゃ」

 

「……うん、たぶん大丈夫」

 

 慌てて杏里咲がフード付きパーカーを脱いで少女に羽織らせて少女の翼と光輪を隠し、流河が少女を背負う。

 これで少なくとも上空の天使や悪魔から見て、彼女が天使だとは分からないだろう。いきなり上から攻撃される、ということは無いはずだ。

 

 怪物との戦闘が可能な流河に、少女を背負わせるのは、正直に言って心細い。

 だが、唯一チェーンソーを扱える杏里咲は戦闘要員として外せず、美來とシャネルに少女を背負って走るだけの体力がない以上、その役割は流河以外に(にな)えない。

 

「シャネル、怪物を()けて東へ行くルートを教えて。杏里咲、どうしても怪物が避けられない時はお願い」

 

「うん、わかったよ、みぃちゃん」

 

「うむ、拙者のチェーンソーに任せておけい! 行くぞ(みな)(しゅう)!」

 

 全員が覚悟を決めた表情で東へと走り出す。

 

 

 

 ――しかし、(いく)ばくも()たないうちに、彼女達の行く手はあっさりと(はば)まれた

 

 

 

「は~い、そこのお嬢ちゃん達ぃ、ちょ~っとスト~ップ」

 

 妙に軽い声が()()()かけられる。

 ギクリと身体を硬直させる流河達が上を向くと、そこには異形の姿をした男がニヤニヤと笑いながら宙に浮いていた。

 

 まるで暗い穴に紅い光点が浮かぶような不気味な眼。それが両目だけでなく、額にも縦にパックリと開いている。

 肌は不気味なまでに青白く、逆立つ髪は完全に真っ白。首には暗い紫のスカーフをネクタイのように結び、腹の上からビリビリに破れたコートをその上から羽織(はお)っている。

 そして、背から生える、骨だけになった翼。

 

 10人が見れば9人が『悪魔』、残る1人が『化け物』と答えるであろう容姿の男であった。

 まず、間違いなく空で戦っていた悪魔達の仲間。傷ついた天使を見られれば、いったい何をされるか分からない。

 

 美來は慎重に……それでいて舐められないよう、毅然(きぜん)とした態度で口を開く。

 

「……何? 私達に何か用?」

 

「いやぁ~()(はい)、『人間を通行させないように出口を塞げ』とか言われてたり? まぁ、つっても絶賛サボり中な訳なんだがなぁー!」

 

「なら、私達も通して。どこからどう見ても私達は人間」

 

「確かに、お嬢ちゃんは人間だなぁ。そこの眼帯も金髪も、えーと……サイドテール? も人間だなぁ」

 

 男の言いように、シャネルの顔からざっと血の気が引く。

 美來は額から冷や汗を流し、視線をきつく(とが)らせながらも、表情を崩さない。

 杏里咲は僅かに腰を落とし、いつでもチェーンソーのエンジンをかけられるよう、スターターロープに手をかけた。

 

「……だが、その背負われてる嬢ちゃんだけは見逃せないねい。そいつを置いてってくれたら、お嬢ちゃん達4人だけは通そう。おじさん、約束しちゃう!」

 

 美來達は確信していた。

 

 男はこの口約束を守るだろう。なぜなら、今しがた会ったばかりのこの男は、杏里咲のパワーも流河の動きの巧みさも知らない。4人の無力な少女相手に下手(したて)に出る必要など全くないのだ。

 堂々と正面から美來達をぶちのめして、天使の少女を奪い取れば良い。わざわざこんな申し出をする、ということ自体が、“彼が約束を守る”という姿勢を示していた。

 

 ……だが、『類は友を呼ぶ』と言うべきか。

 天使の少女を見捨てられなかった流河と同様、美來も杏里咲もシャネルも、少女をこの不気味な男に渡す気になどなれなかった。

 

「……みんな、聞いて。方針変更」

 

 美來は相手に聞こえないよう、声を小さくして呼びかける。

 

「今から私達は北に向かう。北には天使達が居るはず。そっちに近づけば、たぶん途中でこの人は逃げてくれると思う」

 

 なんとかして悪魔達が敵対している相手の集団へ近づくことができれば、たった1人しかいない男は美來達を諦めるしかないだろう。

 

 天使達が美來達を受け入れてくれるかどうかは分からない。だが、傷ついた天使の少女を救けた美來達を攻撃しない可能性は充分にある。

 少なくとも、この男の横を無理やり抜いて東へ抜けたり、西へ戻って怪物達を回避しながら逃げるよりは、ずっと救かる可能性は高いはずだ。

 

「「「……」」」

 

 杏里咲達は沈黙を()って、肯定の意を示す。

 一拍(いっぱく)ののち、美來は叫んだ。

 

「走って!」

 

 命懸けの全速力。

 

 流河など、人1人背負っているにもかかわらず、この中で一番足の遅いシャネルの全力疾走に負けていない。

 その見事な逃げっぷりに、男は「おーおー、凄ぇ凄ぇ」と軽く目を見開いている。

 

「良い逃げっぷりだなぁ~……だが、我が輩のこと、ちょっと舐め過ぎだぜぃ」

 

 そういうと、男は骨だけの翼を広げて空を飛び、あっという間に美來達を追い越し、彼女達の前に降り立って道を塞ぐ。

 

「そこじゃあああああぁっ!!」

 

「おっ?」

 

 杏里咲が素早くスターターロープを引く。

 ドルンと重々しい音を立てるチェーンソーが唸りを上げ、男の胴体に迫る。

 

 杏里咲が困っていたのは、男が空を飛ぶ能力を持っていたことだった。

 

 美來達をも護ろうとしても、杏里咲は空を飛ぶことができず、チェーンソーを当てることができない。

 こうして目の前に降り立ってくれたのは非常に幸運であった。空から光弾を撃たれていたら、杏里咲にはどうすることもできなかったのだから。

 

 

 ――だが、杏里咲は知らなかった

 

 

「ほい」

 

 男が軽く拳を振るっただけで、彼女のチェーンソーがバラバラに砕け散る。

 

「……!?」

 

 

 ――男が光弾を撃たず、ただ立ち塞がったのは、単に“それをしても問題が無いほどに実力が離れている”という、余裕の表れでしかなかった、ということを

 

 

 ドンッ!

 

 重々しい音を立てて、杏里咲の腹に蹴りが叩き込まれる。

 いくら体重が軽いとはいえ、蹴りで人間が宙を飛ぶさまを、美來達は初めて目にした。

 

「ぐっ、げええええっ!」

 

「「「杏里咲!!」」」

 

 腹を押さえて杏里咲がのたうち回り、美來達が慌てて彼女に駆け寄る。

 

「これで分かっただろ~ん? おとなしく、その背中の女を渡してくんないかなぁ?」

 

 美來達が絶望に支配されそうになった、その時だった。

 

 

 

「……降ろして」

 

 

 

 流河の耳元から、今までに聞いたことがない涼やかな声が聞こえる。

 流河が振り向くと、白熊帽子の中からこぼれる水色の長髪を風に揺らした天使の少女が、アメジストの瞳で冷ややかに目の前の悪魔を(にら)みつけていた。

 

 その瞳が放つ凄まじい迫力に、流河は呑まれる。

 

 いったい、どれだけの戦場を潜り抜けてきたのだろうか? 

 ボロボロの身体であるにもかかわらず、目の前の敵を倒さんとする気迫に満ち溢れたその眼は、(ろく)に殴り合った経験すらない流河達にはあまりにキツいものであった。

 

 その迫力に、思わず力が抜けた流河の手からするりと少女は抜け出し、バサリと背の翼を羽ばたかせてフード付きパーカーを強引に弾き飛ばしつつ、美來達の前に……美來達を男から(かば)うように、両の足でしっかりと大地を踏みしめて立つ。

 

「あなた達が私を救けてくれたことには感謝する。すぐに貴女(あなた)達は北へ向かって。そこで天使達に保護してもらって欲しい。『ヴァフマーが保護するように言っていた』と言えば、保護してくれるはず」

 

「おやおや~? 健気だねい、身を(てい)して人間を護るなんて。天使の(かがみ)って奴じゃない?」

 

「舐めるな。私は懲罰部隊の……兄様(あにさま)の副官。あなた程度の悪魔なんて、たいしたことない。すぐに倒してみせる」

 

 言うや否や、少女の、男の姿が()き消える。

 

 直後、上空から何かが激しくぶつかる音、天使や悪魔が光弾を撃っていた時に聞こえたものと同じ不可思議な音が聞こえる。

 美來達が上へ視線を向けると、男と少女が空中で目まぐるしく移動しながら戦闘を開始していた。

 

 人間の視界は左右には広いが、上下には狭い。

 おそらく瞬時に空へ飛んだことで、美來達の視界から消えたように見えたのだろう。

 

 先程までとは比べ物にならないほど速く力強いその動きから、いかに男が手加減していたのかが良く分かる。

 そして、それと渡り合う少女もまた、凄まじいまでの強者だった。

 

 だが、やはり大怪我が響いているのだろう。

 戦闘の素人である美來達の目から見ても、明らかに形勢は少女の不利に傾いていた。

 

 このままでは少女が敗北することは確実。その結果、少女がどうなるかは美來達には分からないが、どう考えても良い結果になるとは思えなかった。

 

 美來は自分の力の無さに歯噛みする。

 

 思えば、この4人の中で、唯一“火事場の馬鹿力”的な力を発揮できていないのは自分だけだった。

 

 杏里咲のパワー、流河の身体能力、シャネルの感知能力……無いものねだりだとは分かっている。だが、自分にも何らかの“力”があれば……それが、少女を助けられるものであったなら、と思わずにはいられなかった。

 大怪我をしている少女を護るのではなく、その本人に護られる、という状況は彼女にとって受け入れ(がた)いものだった。

 

 

 ――美來の固く握りしめられた拳が、そっと温かいものに包まれる

 

 

「……流河?」

 

 振り返ると、流河が自分の手を握っていた。

 

「考えよう」

 

 流河の目は諦めていなかった。

 

「私は諦めない。諦めたくない。だから、助ける方法を考えよう。今、あの娘が時間を稼いでいるうちに」

 

 

 ――そうだ。そうだった

 

 

 流河は決して諦めない。諦めさせてくれない。

 あの時もそうだった。

 

 

 

 

 

 

 美來の両親が行方不明となり、孤児院に預けられた時、幼い自分は毎日毎日泣きはらして過ごしていた。

 院長である真朱(まそほ)先生や、兄が心配してかける声も、気を紛らわせようと渡されるお菓子やオモチャも彼女にとっては何の慰めにもならず、声が()れるまで……いや、嗄れてもなお、泣いて泣いて泣き続けていた。

 

 

 ――そんな時だ。流河が孤児院にやってきたのは

 

 

『お願い。信じてあげて』

 

 秀哉から事情を聞くや否や、美來に向かって流河はこう言った。

 

『“美來ちゃんのお父さんもお母さんも必ず帰ってくる”って信じてあげて。それを心から信じてあげることができるのは、帰りを待っていてあげられるのは、秀哉君と美來ちゃんだけなんだよ?』

 

 自分自身も父と母を失ったからこそ、だろう。

 深く物事を考えられるほどの思考力がなかった当時の自分にも、すんなり受け入れられるほどに、流河の発言は重い説得力を(ともな)っていた。

 

 

 それから、美來が両親を想って涙を流すことはなくなった。

 

 

 今も、美來はどこかで自分の両親が生きていると信じている。

 いつか自分達の元に戻ってきてくれると信じている。

 ……そう思えるようにしてくれたのは、流河のおかげだと心から彼女に感謝している。

 

 そして今、流河は美來の背を支え、前へと押してくれている。

 

「……わかった」

 

 だから、美來は力強く頷く。友を信じて全力を尽くすことを誓う。

 

 

 

 

 ――その時、何かが美來の中で胎動(たいどう)した

 

 

 

 

((!?))

 

 直後、美來の視界が暗転する。

 

 昏い……上下左右前後、どこにも光が存在しない、真っ暗な世界。

 そんな世界で、美來はふらふらと宙を(ただよ)う風船のように浮いていた。

 

(……ここは……?)

 

(美來!)

 

 美來が戸惑っていると、背後から流河の声が聞こえた。

 振り返ると、流河がこちらに向かって飛ぶように移動してきているのが見えた。

 

(流河、ここがどこかわかる? 杏里咲とシャネルは?)

 

(……私も良く分かってないけど、たぶん美來の中だよ。だから、杏里咲とシャネルはここにいない)

 

(私の……中……?)

 

 流河が何を言っているのか良く分からない。

 だが、そんな美來の手を掴み、流河は“時間がない”とばかりにどこかへと引っ張ってゆく。

 状況は理解できていないが、親友の事を心から信じている美來は、引っ張られるがままに流河についてゆく。

 

 やがて、流河が向かう方向にぼんやりと光る何かが見えてきた。

 

 

 ――それは黄金色に輝く卵であった

 

 

(今、初めて分かったんだけど、私が急に運動ができるようになったのは、私の中にそういう“異能(ちから)”があったからだったんだ)

 

 流河は語る。

 

 ――美來の中に入ったことで、“自分の中の異能が力を発揮している感覚”を理解できた、ということ

 ――自分の異能が美來の中に導いてくれた、ということ

 ――流河の驚異的な運動能力は、その異能の一端(いったん)である、ということ

 

 

 

 ――そして、今、目の前にある()()()()()()()()()()()()()()()()()、ということ

 

 

 

 卵の形で見えているのは、“未だ美來の異能が目覚めていない”という状況を美來自身が無意識に“卵”というイメージで描いているからだろう。

 その卵は、ドクンドクンと胎動を響かせて、今にも生まれようとしていることを美來達に伝えてくる。

 

(美來、私の異能は“見えないもの”、“隠れているもの”をある程度操ることができるみたい。だから、今、目覚めようとしている美來の異能を、まだ形になっていない力を、美來の望む方向にほんの少しだけ……変えてあげることができる)

 

 流河の異能は、一言で言うならば“潜在事象の操作”。

 潜在的な状態・状況を任意の方向へと操作・変化させることができる力だ。

 

 普段、ダンスなど習ったことのない人間に『あなたは一流のダンサーだ』と深い暗示をかけて踊らせると、本当に一流のダンサーのように踊れた、という事例がある。

 これは、潜在的にそれを行うだけの実力があり、それを暗示を使って引き出せたことによって実力を発揮した典型的な一例だ。

 

 また、『あなたは力持ちだ』と暗示をかけられた人間が鉄パイプを捻じ曲げた事例もある。

 これは肉体にかけられているリミッターが暗示によって外され、人間に元々備わっていた潜在的なパワーが引き出されたことが原因だ。

 

 

 流河の異能は、そうした潜在的な能力を、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 だからこそ、いきなり一流のアスリートのような見事な運動能力を発揮できたし、人1人背負って走り回ることもできたのだ。

 

 仮に彼女が何らかの技術を学んだ場合、一生その技術が衰えることはないだろう。

 “(なま)る”ということは、“その技術が潜在化する”ということ。潜在能力を引き出せる彼女の異能がある限り、彼女は100%のパフォーマンスをいつでも発揮することができる。

 

 それだけではない。

 

 心から自分を受け入れてくれる相手であれば、こうして潜在意識の領域に潜り込むこともできるし、そこに本人の表面意識を連れてくることもできる。

 本人の中に眠る才能を探して見つけることだって、そこに案内することだってできる。

 

 

 

 ――そして、本人が受け入れてくれるのであれば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

(イメージして。美來が考えられる“最強の異能”を。“あの娘を助けることができる異能(ちから)”を。……私は、それを形にしてくれるよう、“美來の異能”に干渉するから)

 

(……)

 

 美來は考える。

 

 

 ――自分にとって“最強の異能(ちから)”とは何か?

 

 

 ――もう、杏里咲や流河の後ろに隠れたくはない。護りは固めるべきだろう

 ――護りだけではいけない……杏里咲のように敵を倒す(すべ)がなければ、切り抜けられない場面もある。攻撃手段も確保すべきだ

 ――そして、それは空を飛ぶ相手に対しても届くものでなければならない……そんな攻防一体の異能

 

 ふと、美來の記憶に引っかかるものがあった。

 それを自らの異能で敏感に感じ取った流河は、美來の潜在意識からその原記憶を()み取って美來に渡す。

 

 すると、今見てきたかのように、美來の脳裏に当時の記憶が鮮やかに(よみがえ)った。

 

 それは、秀哉が孤児院でゲームをしていた光景。

 幼い兄が目をキラキラさせて操作していたゲームの主人公が操る力――

 

 

 

 ――()()()、と感じた

 

 

 

 その瞬間、“卵”は美來の想いに応え、太陽のように(まばゆ)い光を放つ。

 

 

 

 

 

 

 

 ――“卵”に、(ひび)が入った

 

 

 

 

 

 

 

「――ぁぁぁぁあぁああああぁぁぁぁぁぁあああああああッ!!」

 

 咆哮(ほうこう)

 いや、それは“産声(うぶごえ)”だった。

 

 

 突如として爆発的に膨れ上がった“力”の気配に驚いた悪魔の男と天使の少女がそちらを振り向くと、そこには異様な光景があった。

 

 あの4人の中のリーダーであったポニーテールの少女。

 彼女が天に吠えながら背の左から光の翼、右から闇の翼をまるで噴水のような勢いでエネルギーを噴出しながら展開していた。

 

 直後、翼から(いく)つもの二重螺旋(らせん)の鎖が伸びあがり、少女を、いや、少女()を護るように周囲に舞い踊る。

 その先端は鎌のように鋭利に(とが)り、少女を害するものを貫かんとギラリと光り輝き、闇に濡れる。

 

 少女――美來が固く(つむ)っていた(まぶた)をゆっくりと開く。

 そこには、先程まで失われていたはずの自信がみなぎり、“必ず護り抜く”という強固な決意に満ち溢れていた。

 

「流河、杏里咲、シャネル……あの天使の女の子も……みんな、私が護ってあげる」

 

 

 ――それは宣言

 

 ――それは誓い

 

 ――それを成し遂げられるだけの力がある……それを自覚したが故の、彼女の覚悟の証であった

 

 

 

 



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第九章 水瀬 流河 中編1

 キッと美來(みらい)は空に居る男を(にら)みつける。

 直後、周囲を舞っていた光と闇の鎖たちが凄まじい勢いで“敵”を串刺しにせんと、男めがけて(おど)りかかる。

 

「おおっとぉ!?」

 

 あくまでもお調子者のようなノリを崩さないまま、男は慌てて回避行動にうつる。

 だが、宙を走る鎖たちは男を包囲するように逃げ場をなくし、先端の鎌で男が移動するであろう空間を予測し、()ぎ払う。

 

 男は時に(かわ)し、時に腕で弾き、バリアーのようなものを張って()き止め、黒い光弾を放って鎖をまとめて吹き飛ばす。

 だが、次から次へと繰り出される鎖は、美來の背の翼から際限なく増えてゆき、徐々に対処が追いつかなくなってきている。

 

「うおー、凄ぇ凄ぇ! だ~が~、これならどうかな!?」

 

 男が言うや否や、美來めがけて闇の弾丸を連射する。

 

 直後、美來の足元を光が流れ、一瞬にして彼女を移動させ、闇弾を回避する。

 更には杏里咲(ありさ)たちに向かってきた流れ弾を、鎖のいくつかを連結させることで強固な壁を形成し、彼の放った闇弾を軽々と弾き飛ばす。

 

「うっそ~ん……」

 

 これには、流石の男も唖然(あぜん)とした。

 天使の少女も宙に浮いたまま、大きく目を見開いて固まっている。

 

 そして、美來の力を目覚めさせた張本人であるはずの流河(るか)もまた、美來の異能の力強さに腰を抜かし、呆然として戦う彼女の背を見ているしかできなかった。

 

 

 確かに、美來の異能の力強さは“卵”のイメージからも感じ取れていた。

 確かに、『最強の異能をイメージしろ』とも言った。

 

 

 だが、それらが組み合わさった時、ここまで強力な異能になるとは、思いもよらなかった。

 

 

 ――チェーンソーを軽々と振り回せる()()の腕力

 ――一流には成れるものの()()()()()()()()()()()()()身体能力

 ――怪物()()居場所を探れない探知能力

 

 

 ()()()()の異能とは一線を(かく)す、次元違いの異能。

 どんな敵も打ち倒せるであろうと確信できる、強力かつ派手(はで)で応用力の()いた能力。

 もしここが漫画やゲームの世界であるならば、間違いなく美來こそが主人公だろう。

 

 このまま押し切れる……そう思っていたその時だった。

 

「あっひゃひゃひゃ! 人間のくせにすんごい能力じゃないの、()(はい)もう絶頂寸前だぜ!!」

 

 突如として男が(まと)う凶悪なオーラが霧散する。

 急な態度の豹変(ひょうへん)に警戒した美來が、鎖を宙に待機させたまま、男の様子を伺う。

 

()め止めーっと。我が輩は充分に楽しんだ。ここまで上物の異能者がいるとは、我が輩も完全に予想外♪ おい嬢ちゃん、その異能はどこで手に入れたのかな?」

 

「……」

 

 美來は答えない。

 『流河が目覚めさせてくれた』なんて言ってしまえば、確実に流河がこの悪魔に目を付けられてしまうからだ。

 

「そう警戒しなさんなって。もうマジで戦う気はない。ナッシングも(はなは)だしい。サービスして、そこの天使の嬢ちゃんも通しちゃう……つっても、もう通さざるを得ないんだけどな」

 

「? どういうこと?」

 

 地面にぺたんと尻を付けたまま流河が首をかしげた直後、ゴウと突風が吹きすさび、思わず目を(つむ)った瞬間、「うひょおう!」という男の声が響く。

 

「ヴァフマー、無事か!?」

 

 男らしい重い声質が響く。

 流河が再び目を見開いたとき、

 

「へ?」

 

 思わず眼が点になってしまった。

 

 

 

 ――そこに居たのは、()()()()()()()()()

 

 

 

 背に白い翼が生えて、頭に光輪を(いただ)いた白熊だった。

 しかも、なんかしゃべっていた。

 

兄様(あにさま)!」

 

「あに……さま……?」

 

 

 兄。

 ……あれが、兄。

 

 

(……天使って不思議だなぁ……同じご両親から“熊の男の子”と“人間の女の子”が生まれてくるなんて……)

 

 流河は知らないことだが、実際には彼らは神に直接生み出されたのであって、両親が愛し合った末に生まれた訳ではない。

 ついでに言えば、ヴァフマーが白熊を“兄のように慕っている”だけであって血縁ですらない。

 だが、天使という存在や、彼らの関係を良く知らない彼女達からすれば、その会話は奇想天外なものであった。

 

「流石は懲罰部隊の隊長殿! 歪魔(わいま)の転移すら許さないという加速襲撃、素晴らしい! 我が輩なんか、あっさり殺されちゃう! というわけで、さらばだお嬢ちゃん達! また会おうぜぃ!!」

 

「逃がすか!」

 

「……!」

 

 白熊がその巨体に見合わぬ超スピードでギラリと爪を、美來が鎖を繰り出すが、鮮やか()つ鋭い動きでそれらをあっさりと(かわ)し、あっという間に南の空の彼方へと消え去ってしまった。

 

「……」

 

 やっかいな敵を取り逃がしてしまったことに、美來は舌打ちしたい気分になる。

 だが、当初の目的であった天使の少女と流河達を護ることには成功した。まずは、ひと安心……

 

「ルカっち、どうしたのじゃ!?」

 

「ルカちゃん、大丈夫!?」

 

 ハッと美來が振り返ると、ガクガクと(おび)える親友の姿が目に入った。

 

 慌てて美來も彼女に駆け寄る。

 異常に気づいたのか、天使の少女や白熊も宙を滑って近づいてくる。

 

「どうしたの、流河! アイツに何かされた!?」

 

「むぅ……私が見た限り、この()には特に何もしていなかったはずだけど……」

 

 天使の少女――ヴァフマーが回復魔術で自らを回復させながら言うも、事実、こうして流河は怯えている。

 まずは状況を確認する必要があった。

 

 震える喉から絞り出される流河の声に、美來達は真剣に耳を澄ませる。

 

「あの人……私達を殺す気なんてなかった……」

 

 それは分かる。本当に殺す気ならば、最初の蹴りで杏里咲は死んでいる。

 だが、それならば、なぜ怯える必要がある?

 

「……でも、あの人、最後に逃げる時、私を見た……()()()()()()()()()()()!!」

 

「「「「「!?」」」」」

 

「……殺気は感じなかったぞ?」

 

「……違う。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。もし、さっきの悪魔が本当に流河を殺す気になっていたら、いくら上手に隠そうとそれを感じ取ってもおかしくない」

 

 自分達を“食べるため”に襲ってくる怪物は確かに恐ろしい。

 だが、食欲ではない明確な“殺意”を……それも、絶対に自分では敵わない強者から向けられ、それを異能によって敏感に感じ取ってしまった流河は、心底から震えあがってしまったのだった。

 

「ふむ、そこの娘も異能者か……。ならば、我らの拠点に来ると良い。お前たちは我が副官の命の恩人だ。奴らから護るぐらいはさせて欲しい」

 

 

***

 

 

「はぁ~~~~~もふもふ……ぷにぷに……」

 

「これは、癖になるのう……素晴らしい毛並みじゃ……」

 

「気持ちいいですぅ~……」

 

「これは、至福。ウチにも1頭欲しい」

 

「……我はベッドではないのだがな……」

 

 流河は意外とあっさり立ち直った。

 

 決め手は、()()()()()()()()

 

 ラグタスと名乗った白熊天使が、天使の拠点に来た後も怯え続ける流河を慰めるために、熊そのものの手で流河の頭を撫でた時……それは起こった。

 

 

 

『……()()()()……!!』

 

 

 

 頭部から感じられる触感に酔いしれた流河は、それまでの怯えようは何だったのか、嬉々としてラグタスに『肉球を触らせてくれ』と言い出したのだ。

 ラグタスは困惑しながらも、『それで少女が立ち直れるなら』と快く流河に肉球を触らせてくれた。

 残像が見える勢いで、ぷにぷにぷにぷにぷにぷにぷにぷに……と肉球を連打する流河に、好奇心を刺激された少女達が『我も我も』と殺到するのは時間の問題だった。

 

 以降、ここ数日にわたり、ラグタスは度々(たびたび)少女達にわらわらと纏わりつかれては、こうして肉球だけでなく、フカフカモフモフの毛並みをも堪能される結果となっている。

 寝そべるラグタスの上に少女達がぺとぺとと張り付いた光景は、となりのト○ロに抱きつく某姉妹のように微笑ましい。

 

「あなた達! 兄様は、懲罰部隊の隊長で、今の天使たちのトップ3に入るとても偉い方。気軽にべたべたしないで! それに、兄様はとても忙しい人だから、立ち直ったのなら早く離れて!」

 

「……そうは言うが、お主もしっかり堪能しとるではないか」

 

「わ、私は兄様の副官だから良いの! それに仕事の邪魔になる程くっついてはいない!」

 

 そう、くっつく少女達の中には、ヴァフマーも混ざりこんでいたのだった。

 クールに見えて、実は結構おもしろい少女である。

 

「ラグタス様、ご報告が………………いったい何をしているんですか、ヴァフマー様」

 

 頭痛を(こら)えるような表情で現れたのは、青い鎧を纏った女性の天使であった。

 腰をも超える薄水色の長髪に、深い蒼の瞳。付け根から先端に向かって徐々に桃色が強くなっていく白翼を(たずさ)えた、長身でスタイルの良い、非常に美しい女性だった。

 

 だが、美來達はこの女性――メヒーシャが少々苦手だった。

 

 なんというか……美來達を見る目が非常に冷たいのだ。侮蔑(ぶべつ)というか、嫌悪というか……そういった負の感情を感じる。

 美來達は、彼女に対して特に何かをした覚えは全くないのだが。

 

「こ、これは休憩! ちゃんと仕事はしているから、問題はない!」

 

「……上官に寄りかかっての休憩は如何(いかが)かと思いますが?」

 

「うぐっ!?」

 

「……良いのだメヒーシャ、我が許可している。……すまんが、全員、降りてくれないか?」

 

 流石に報告に来た部下の前で寝そべっているわけにはいかない。

 渋々ながらも「「「「はーい」」」」と少女達は、素直に魅惑のもふもふゾーンから退避するのだった。

 

「それで、報告とは?」

 

「はっ。先程ルファディエル様より新たな任務を授かり、一時的にここを離れる旨、ご報告に参りました。遅くとも3日後には帰る予定です」

 

「新たな任務だと?」

 

「はい。昨日、約100人ほどの人間が我々に保護を求めてやってきたことはご存知でしょうが、その責任者が『ここより南に学園があり、そこに人間が取り残されている』と伝えてきたのです。私はこれよりその人間達の保護に参ります」

 

 美來達は思わずお互いの顔を見合わせる。

 

 天使の支配領域では多くの人間達が保護されていた。

 怯える流河を(なだ)める(かたわ)ら、そして流河が立ち直ってからも彼女達は“秀哉達もここで保護されているのではないか?”と秀哉と学生会長……そして、副会長としての仕事をする為に、学園へ向かったはずの(るい)の姿を探したのだが、一向(いっこう)に見つかることはなかった。

 

 見つけられたのは、じっと美來を見つめる怪しい白装束(しろしょうぞく)の美女の姿だけである。

 ちなみに、その女性に流河は声をかけてみたのだが、美來が近づいてきた途端に何故か慌てて去って行った。いったい何だったのだろうか?

 

「あ、あの!」

 

「……なんだ」

 

 心底嫌そうな声を出されて一瞬ひるむも、流河はグッと堪えて言う。

 

「わ、私も連れて行ってください! お姉ちゃんがそこにいるかもしれないんです!」

 

「……貴様はバカなのか? あれだけ怯えたざまを見せておきながら、クリエイターや悪魔どもがうろつく場を移動できると思っているのか? 足手まといだ」

 

「ッ……!」

 

 言い訳の余地のない正論に、流河は言葉に詰まる。

 

 怪物――由来は分からないが、天使達が『クリエイター』と呼ぶそれらと違い、悪魔達は明確な殺意を持って攻撃を仕掛けてくるだろう。

 そうなったとき、同じように……いや、それ以上に流河が怯えてしまわない保証など無いのだ。

 

 そこに、彼女を(かば)うように美來が前に立つ。

 

「……美來?」

 

 美來は、(ひる)むことなく真っすぐにメヒーシャの瞳を見つめて言う。

 

「……大丈夫、流河は私が護る。あなた達に迷惑はかけない。ただ、私達の前を歩いてくれればいい」

 

「おおっと、拙者(せっしゃ)も忘れてもらっては困るぞ? 流石にあのレベルの悪魔は難しいが、そこらの化け物など拙者の愛チェーンソー2号の(さび)にしてくれるわ~!」

 

「わ、私も! 私なら、ク、クリエイター? の居場所が分かりますから、きっと学園にスムーズにたどり着けるはずです! だから、ルカちゃんたちと一緒に連れて行ってください!」

 

「みんな……」

 

 美來の、杏里咲の、シャネルの訴えを聞いてメヒーシャが眉をひそめるのを見たヴァフマーは、(かたわ)らに立つ上司を見上げて言う。

 

「兄様、お願いがある」

 

「……何だ?」

 

 答えるラグタスの声は穏やかだ。

 まるで、己が副官が何を言おうとしているか分かっているかのように。

 

「この人間達を護衛させてほしい」

 

「「「「!」」」」

 

 驚く人間の少女達。

 だが、天使達は全く驚く様子を見せず、ヴァフマーは話を続ける。

 

「わずかな時間だけど、この人達は一度決めたら梃子(てこ)でも動かないことは、兄様からち~っとも退()こうとしないことから、良く分かってる。なら、説得は時間のムダ。さっさと行って、さっさと帰ってきた方が良い。その間、メヒーシャに迷惑をかけないよう、私が見張る」

 

「……わかった。許可しよう」

 

 ラグタスが頷くと、眉間に縦皺(たてじわ)を刻んだメヒーシャが固い声で告げる。

 

「……1時間後に出発します。それでは」

 

「わかった……ありがとう」

 

 メヒーシャは『ついてこい』とも『準備しろ』とも言わなかった。

 

 “自分達とは別部隊である貴女(あなた)達が勝手についてくるならば、関知しない”という姿勢を無言で示したのだ。実質的な許可と同義である。

 それを察したヴァフマーは、感謝を込めてメヒーシャを見送った。

 

「ヴァフマーちゃん!」

 

「わぷっ!?」

 

 そして、流河は思いっきりヴァフマーに抱きつくことで感謝を示す。

 

「ありがとーっ!! 本当に助かったよ!」

 

「……あなた達には借りがある。それを返しただけ。これで貸し借りはチャラ」

 

「うんっ!」

 

「うむうむ、お主は話が分かるのう」

 

「……クールに見えて、実は温かくてお茶目。ギャップ萌え」

 

「これからよろしくね、ヴァフマーちゃん!」

 

「うん……って、ちょっと待って。ギャップ萌えって何。あと、ちゃん付けは止めて」

 

「なら、ヴァフりんで」

 

「うむ、よろしくな! ヴァフりん!」

 

「やめて」

 

 わいわいと(かしま)しく騒ぐ5人を見て、ラグタスは目を細める。

 

 ヴァフマーはラグタスを慕うあまり、“ラグタスの役に立つ”以外の事が目に入らない傾向にあった。

 ところが、実際の年齢はどうあれ、見た目が同年代の同性……それも、悪魔との戦争とは無関係の者達に囲まれることで、本来のヴァフマーが顔を出しつつある。

 

 以前の彼女であれば、この戦争のただなかでラグタスに寄りかかることなど有り得なかっただろう。あれはラグタスに遠慮なく甘える少女達を羨ましく思えばこそだ。

 少女達より遥かに年長とはいえ、ヴァフマーは未だ幼い。間違いなく少女達との交流は彼女にとって良い影響を与えるだろう。

 

 メヒーシャとは異なり、ラグタスは何の心配もなく少女達を送り出したのだった。

 

 

***

 

 

「ふっ!」

 

 流星のようにトンネルの宙を()ける美來の背から大きく広がる光と闇の翼、そこから伸びる二重螺旋(らせん)の鎖が次々と宙を舞い、空中の悪魔やクリエイター達を射抜いてゆく。

 

 しかし、その鮮やかな手並みに反し、美來の表情は冴えない。

 

「……数が、多い!」

 

 学園へ向かうまでの道が荒れ地しかなかったことから薄々予感はしていたものの、美來達が目にした学園を取り巻く状況はあまりにも変わり果てていた。

 周囲を海で囲われていたはずの天慶(てんぎょう)第二学園……今やその海は全て干上がり、その代わりと言わんばかりに悪魔やクリエイター達が(うごめ)き、殺し合い、喰らいあっていた。

 

 おぞましいことに、クリエイターが、悪魔や別のクリエイターを喰らうと、その肉体を取り込んで融合し、食べた者の特徴が如実(にょじつ)にその肉体に現れ、明らかにパワーアップしていた。

 知恵が増し、先程まで悪魔が使っていた光弾や術、クリエイターが使っていた器官を身体から生やして使用し、更に敵を倒し喰らって、どんどん強くなっていく。

 

 おまけに、融合した質量は一体どこへ行ったのか、その体積も重量もまるで変っていないようで、その踏みしめる足元の土は柔らかそうなのに大して(へこ)みすらしていない。

 増えすぎた重量や体積で身動きが取れなくなる、といったことは期待できなかった。

 

 このまま放っておけば、蟲毒(こどく)のように凶悪な力を持ったクリエイターが誕生してしまうのだろうが、悪魔もその事に気づいているのか、融合回数を重ねているクリエイターを優先して攻撃している。

 

 そんなことを繰り返した結果、学園前は殺戮(さつりく)に殺戮を重ねた、血なまぐさい殺し合いの坩堝(るつぼ)と化していた。

 

 キューブ状の不可思議な粒子が学園を覆い、まるでバリアのように干渉を防いでいるため、なんとか無事か……そう思いきや、シャネルが異常に気づく。

 

 

 ――クリエイターの反応が、()()()()()()()

 

 

 シャネルが感知したクリエイターの反応を辿(たど)れば、なんと、そこには学園直通の海底道路があった。

 ここから悪魔やクリエイター達に侵入されたのだろう、そう判断した天使達、美來達は大急ぎで海底道路の強行突破を開始したのだった。

 

「みぃちゃん! 私達の事は良いから、先に行って!」

 

「うむ、みぃの方が機動力があるからのう! さっさといって我がクラスメイト達を(たす)けてやってくれぃ!」

 

「……わかった。みんなも、無理はしないで」

 

 翼を持つ美來や天使達の機動力は非常に高い。

 杏里咲、シャネル、流河、そして彼女達を護衛するヴァフマーはあっという間に置いて行かれてしまった。

 

「安心して。この程度の奴らから貴女達を護るくらい、朝ご飯前」

 

 ふん、と可愛らしく鼻息を鳴らして、ヴァフマーが言う。

 

「ふむ、しかし拙者らも“ただ護られているだけ”、というのは避けたいところじゃが……そうじゃ! ルカっち! 確か、お主はみぃをぱぅわーあっぷさせたのじゃったのう?」

 

「え? う、うん。そうだけど……」

 

「なら、拙者もぱぅわーあっぷさせてくれ! そうすれば、拙者も役に立てるやも知れぬ!」

 

「わ、私も! お願い、ルカちゃん!」

 

 確かに、流河の異能によって、美來は劇的なパワーアップを遂げた。

 チェーンソーを振り回すことしかできない杏里咲や、クリエイターを感知することしかできないシャネルも、流河の異能を使えば、同様のパワーアップを果たす可能性は充分にある。

 

 だが、流河の異能によって潜在能力を解放するためには、いったん流河を自分の潜在意識に招き入れる必要がある。

 そうすることによって初めて、流河は本人の望み通りに異能を改ざんし、本来、訓練などで徐々に引き出されていくはずの力……潜在能力を全開放して、異能の力を100%発揮させることができるのだ。

 

 美來が異能を初めて使ったにもかかわらず、あのように自由自在に戦闘できたのは、流河の異能によって美來の潜在能力が解放され、実力を100%発揮できたことが原因だったのである。

 

 しかし、流河を潜在意識……つまり自分の心の中に招くということは、“やろう”と思えば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、ということ。

 

 それはある意味で裸を見せるよりも恥ずかしく、恐ろしいことだ。

 そして、ほんのわずかでもそうした恐れを抱くと、流河の異能は拒絶され、相手の潜在意識に入ることができない。

 

 美來があっさりと流河を受け入れられたのは、幼い頃から地道に築き上げてきた信頼関係があってこそのものだったのである。

 

 それを流河が伝えると、

 

「ぬわぁ~にを今更! 事故の後遺症で、たびたび記憶を失っている拙者を受け入れ、導いてくれているのはルカっち達ではないか! ……ルカっちを受け入れる準備など、当の昔にできておる」

 

 杏里咲は、流河がデザインしたタチアオイのアップリケの眼帯に触れながら、何の躊躇(ちゅうちょ)もなく、いつも通りの自然体で言ってのける。

 

「外国人で、しかもおどおどして友達がなかなかできなかった私を、ルカちゃんと杏里咲はあっという間に友達にしてくれたよね。ひょっとしたら、ルカちゃんは“たいしたことしてない”って思ってるかもしれないけど、私はすごく嬉しかったんだよ? ルカちゃんにだったら、心の中だって見られても全然平気」

 

 シャネルは、両手を胸に当てながら、すべてを包み込むような優しい眼で想いを告げる。

 

「……ありがとう。2人とも。……手を、出して」

 

 ヴァフマーが次々とクリエイター達を蹴散らす背後で、流河は涙が溢れそうになるのを堪えて、両手を差し出す。

 

「む? こうか?」

 

「こ、こう?」

 

 杏里咲の右手が流河の右手に、シャネルの左手が流河の左手に触れる。

 

 

 

 

 

 ――変化は、劇的だった

 

 

 

 

 

「ふははははっ! ()ね去ね去ねええええぃっ!! 学園に近づく(やから)は全員ぶっとばーす!!」

 

 言うや否や、杏里咲が腕を振るう、すると局所的に重力がねじ曲がり、倍加し、悪魔達を勢い良く海底トンネルの外へと()()()()()()

 

「ほりゃっ!」

 

 その重力場を(かろ)うじて回避した悪魔達も、続けて指揮棒のように振り回された杏里咲の腕の動きに合わせて地面に落とされ、そのまま何倍にも膨れ上がった自身の体重に押しつぶされた。

 

 発現した杏里咲の異能、それは腕力を強化するものではなかった。

 

 

 

 ――重力操作(グラビティゾーン)。それが杏里咲の本当の異能(ちから)である

 

 

 

 杏里咲は自身が触れたもの、および指定した空間(エリア)にかかる重力を自在に操作できるのだ。

 彼女が軽々とチェーンソーを振り回せたのは、“腕力を強化していたから”ではない。“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 その威力は“凶悪”の一言。

 

 やろうと思えば、重量を10倍にでも100倍にでもできるため、人間以上に強力な身体能力を持つ悪魔であろうとも自分の体重がトン単位にされてしまえばひとたまりもない。

 

 自分自身に対しての重力操作はできないようだが、持ち物に対しては簡単に付与できるため、やろうと思えばチェーンソーに重力の刃を纏わせることもできるし、敵からの攻撃に対しても、周囲に高重力の障壁(バリア)を張ることで対応できる。

 その有様(ありさま)は、さながら高耐久、高威力の固定砲台のようだ。

 

 

 そして、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

≪み、みなさん! あの人達を追い払ってください!≫

 

 そうシャネルが一言声をかけると、周囲のクリエイター達の威圧が急激に増す。

 直後、クリエイター達は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 ――怪物暗示能力。それがシャネルの異能の正体

 

 

 

 クリエイター限定の感知能力、それはあくまでもシャネルの能力の一端(いったん)でしかなかった。

 

 本来の彼女の異能は、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 やろうと思えばテレパシーのように意思を交わし合うこともできるし、強制的に洗脳することも、支配することもできる。

 

 それだけならば、たいしたことはない。固体として強力なクリエイターがその場にいなければ、ただの弱者連合……たいした戦力にはならない。

 本当に恐ろしいのは、彼女が()()()()()()()()()()()()()()()()()()である。

 

 彼女は、自分が支配したクリエイター達の本来の力量()()の力を引き出すことができる。

 精神的な要因によって発揮できていなかった潜在能力を解放するだけではない。まるで魔法をかけられたかのようにパワーもスピードも劇的に増大するのだ。

 

 疑問に思った流河が自身の異能を発動させると、見えないものを見通す流河の目には、シャネルの生命エネルギーが見えない糸のようなものを通ってクリエイター達に(そそ)がれている様子が見えた。

 おそらくこれが、クリエイター達を支配し、強化している“何か”なのだろう。

 

 シャネルが支配するクリエイターの数は底が見えない。

 現に、彼女の視界に居た全てのクリエイター達は彼女に支配され、悪魔達に襲いかかっている。

 

 しかも、様々な能力を有したクリエイター達が彼女を司令塔として1つの生き物のように動くため、その戦闘力は足し算ではなく掛け算……いや乗算のように爆発的に増加している。

 

 攻撃・防御・補助に索敵なんでもござれ。

 本人の優しい気質が災いして“殺害”ではなく“撃退”を命令している上、負傷したクリエイターが出たら率先して彼らを退避・回復させているため、殲滅力という点では杏里咲に劣っているものの、その物量と対応力は杏里咲や美來を大きく引き離す凄まじいものがある。

 

 先ほど学園前で見た光景を考えれば、悪魔を殺し喰らわせれば、クリエイター達はその融合能力を()って加速度的に強大になり、美來や杏里咲など相手にもならない力をシャネルは得られると思うのだが……それをすると、シャネル本人の心が傷ついて戦闘どころではなくなってしまう可能性が高い。

 少々残念にも思えるが――

 

「……私の出番がない」

 

「……そうだね」

 

 唖然としたヴァフマーが、流河の隣でつぶやく。

 

 そう、わざわざシャネルの心を傷つけてまで、そんなことをする必要はない。

 なぜなら、潜在能力を完全に解放された2人の戦闘力が凄まじすぎて、既に過剰戦力であったからだ。

 

 ヴァフマーも、彼女達が討ち漏らしたクリエイターが流河を襲った時のため、流河の(そば)に控えることくらいしかやることがないほどである。

 

(……あれ?)

 

 流河は、ふと自分の胸を押さえる。

 

(……なんだろう、この気持ち……)

 

 強大な異能を振るい、活躍する親友たち。

 その姿を見ていて湧き上がった気持ち、それは……

 

 

 

 

 

 ――彼女に似つかわしくない、どろりとした(くら)(ねば)ついたものだった

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 結論から言うと、学園の人的被害はほぼゼロだった。

 

 悪魔やクリエイター達からあれだけの猛攻を受けて、流河達がたどり着くまで、いったいどうやってしのいでいたのか?

 その答えは簡単で、学園にも流河達のように異能に目覚めた者達がいて、彼らがその力を()って悪魔達を退(しりぞ)けていたためだった。

 

 流河による潜在能力解放もなしに悪魔を退けるなんてできるのだろうか? と新たな疑問も湧いたものの、実際にその能力を見せてもらって流河達は愕然(がくぜん)とした。

 

 解放するまでは“触れたものが軽くなる”、“クリエイターの居場所を感知する”、といった程度の能力であった流河達に対して、彼らの能力は……

 

 ――血を大量に操って武器化し、敵を攻撃する

 ――瞬間移動レベルの人外の速度で移動する

 ――指定した空間を氷漬(こおりづ)けにする

 

 ……といった、充分に敵を圧倒できるだけの能力が発現していたのである。

 

 となれば、流河の能力を知る者が考えることは皆同じ。

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 しかし、事はそう簡単ではなかった

 

 

「アカリ先輩、怖がらないでください。大丈夫です。絶対に先輩の記憶を見たり、心の中を覗いたりしませんから、安心して私を受け入れてください」

 

「へ? あたし、流河ちゃんのこと受け入れてるわよ?」

 

「……先輩、無意識に私に心を見られることを拒絶してます。表面意識が怖がってなくても、潜在意識が怖がってるんです。私の事を家族だと思って、身も心も(ゆだ)ねてください」

 

「そ、そんなこと言われても……」

 

 『赤の他人を心の底から受け入れろ』、『心の中も記憶もまるごと覗かれても良いくらい』と言われて、『はい、そうですか』とできるのだったら、この世に争いなど有りはしない。

 

 学園を防衛していた能力者は合計……たったの4人。

 

 ――美來の兄である秀哉(しゅうや)

 ――彼のクラスメイトである樋口(ひぐち) 海斗(かいと)と、北河(きたがわ) アカリ

 ――そして学生会長である鳴海(なるみ)である

 

 例外として、もう1人……50代後半くらいの執事さんが凄まじい格闘技を駆使し、一騎当千・獅子奮迅の活躍で彼らを超える戦果を叩き出してくれたらしい。

 

 普通の高校に執事など居る訳がないが、天慶第二学園だけは別だ。

 MHIの最高経営責任者(CEO)の娘である椎名(しいな) 沙夜音(さやね)の付き人として、学園にまでついて来て彼女の世話をしているのである。

 

 彼女専用の私室が用意されているなど、学園の母体であるMHIの威光を存分に利用してやりたい放題な彼女も、流石に学園の危機には協力してくれたらしい。

 なぜか、悪魔達を追い払った後、いつの間にか沙夜音とともに煙のように姿を消したらしいが……そろそろ初老に差しかかろうかという年齢で、能力者以上の戦果を、素手でもって叩き出すというあまりに人間離れした執事さん……実に謎の多いお方である。

 

 それはさておき、アカリ達の潜在能力を解放しようと、流河が異能を駆使するも、結果は惨憺(さんたん)たるものだった。

 

 海斗はそもそもが女性……それも付き合いが薄い人物を非常に苦手としており、流河と手を繋ぐことすら恥ずかしがって拒否する有様。

 流河達をたびたび新体操部に勧誘するアカリでさえも、ご覧のように潜在意識では流河を拒否してしまっている。

 

 だが、この結果は容易に予想できていたことでもある。

 

 他人を自分の心に招き入れることは相当に難しく、幼い頃から孤児院で姉妹のように育ってきたからこそ、美來は流河を受け入れることができたのだ。

 あっさりと流河を受け入れるほどの恩を感じていた、杏里咲やシャネルの方が例外なのである。

 

 この様子では、今メヒーシャと話し合っている最中の学生会長もあまり効果は望めないだろう。

 唯一可能性があるとすれば、美來と同様に幼い頃から共に育ってきた秀哉くらいか。

 

「やっほー、流河ちゃん! 元気してるかな?」

 

「まどかお姉ちゃん!」

 

 流河は幼い頃から良くしてくれた、もう1人の姉のような存在の登場に、パッと顔を明るくして振り向く。

 その様子を見て、まどかの目がわずかに細められる。

 

(……ふむ。こりゃあ、結構精神的にキてるね。しかも、たぶん本人も自分の精神的な状態に気づいてないって感じかな?)

 

 流河は幼い頃からナチュラルに明るい性格をしている。細かいことを気にせず、おおらかに人を愛し、許し、包み込む、10代とは思えない包容力を持った少女なのだ。

 そんな少女がまどかを見た瞬間に、無意識に希望を見出したような表情をする……それは、まどかを精神的な()(どころ)とせざるを得ないほど、流河が追い詰められている証拠と言えた。

 

 まどかは、わざと流河の様子に気づいていないふりをして、流河の様子を探る。

 

「2人は何をしてたのかな? 姉妹の誓い的な何かとか? おねーさん、ひょっとしてスクープ見つけちゃった?」

 

「は、はいっ!? せ、先輩、いったい何を……!?」

 

「違いますよ。アカリ先輩の氷結(ひょうけつ)能力を強化できないか、(ため)していたんです」

 

「アカリちゃんの……?」

 

 まどかが“そんなことができるのか”と言わんばかりに目を大きく見開く。

 

「そうだ! 流河ちゃん、まどか先輩に異能が無いか確かめてくれない? 美來ちゃんの能力を目覚めさせたのって、流河ちゃんのおかげなんでしょ?」

 

「そうですね! まどかお姉ちゃんが戦力になってくれれば、百人力です!」

 

 アカリが“良いことを思いついた”と流河に提案し、流河もそれに頷く。

 

 幼い頃からの知り合いであるまどかであれば、流河を受け入れられる可能性は高い。おそらく、異能に目覚めさせることは可能だろう。

 

 誰彼かまわず強力な異能に目覚めさせるわけにはいかないが、流河が充分に信用できる人物であれば話は別だ。

 いくら天使達の力があろうとも、自衛力があるに越したことはない。

 

 特に、ヴァフマー経由で聞いたメヒーシャの話では、学園の人間全員を天使の領域にまで連れてくるつもりでいたようだし、何百人もいる生徒たちを護りきるには戦力はいくらあっても“ありすぎる”ということはないだろう。

 この際、まどかだけでなく、涙にも目覚めておいてもらった方が良いかもしれない。

 

 しかし、その話を聞いたまどかの様子は(かんば)しいものではなかった。

 

「う~ん、秀やん達の話では、能力に目覚めた人たちは変わった夢を見るらしいんだけど、おねーさんはそんな夢、見てないんだよね。だから、おねーさんに異能は無いと思うんだけど……」

 

「夢……?」

 

 心当たりのない流河が首をかしげると、アカリが説明をしてくれる。

 

 どうやら、アカリ達は異能に目覚める直前に、それぞれ不思議な夢を見ているらしい。

 

 ――アカリは、氷のベッドで眠る夢

 ――海斗は、大平原を裸足で駆ける夢

 ――そして秀哉は、血の海を(ただよ)う夢

 

 その結果、アカリは氷結能力、海斗は超加速能力、秀哉は操血(そうけつ)能力に目覚めたという。

 

 そこまで聞いて、流河は“なるほど”と頷く。

 

 潜在意識の領域から異能を知覚し、美來の異能の発現にも関わった流河からすれば、異能の発現前に“異能にかかわる夢”を見るのは、きわめて自然なことと言えた。

 

 夢は心が見るものであり、その心の90%は潜在意識が占めている。

 そして、それぞれが発現する異能は、その“心”に強く影響を受けるのである。

 ならば、夢を見た潜在意識の干渉によって、異能の方向性が決まっても全くおかしくはない。

 

 美來の時は意図的に流河が彼女の異能を改変したが、あれは美來が心から強く望んだからこそ、あのように改変できたのだ。

 聞けば、海斗は走るのが好きだし、アカリも寒いのが好きらしい。

 おそらく“好きなもの”の夢を見たことで、それに関する異能を獲得したのだろうと、流河は推測する。

 

 とはいえ、流河はそのような夢など見ていないが、しっかりと異能に覚醒している。

 “まどかに異能は無い”と判断するのは早計と言えた。

 

 物は試し、とばかりにまどかの両手をとる流河。

 

 

 

 

 

 ――絶叫がその場に響いた

 

 

 

 

 

「流河ちゃん!? 流河ちゃん、どうしたの!!?」

 

「おい、大丈夫か!?」

 

 はたき落とすようにまどかの両手を振り払い、両目を大きく見開いて涙を流しながら、荒い息で怯え、まどかを“信じられない”と言わんばかりの面持(おもも)ちで見つめる流河の様子は、尋常(じんじょう)ではない。

 アカリや海斗はそのあまりの取り乱しように、必死になって流河に声をかけるも、流河にその声は届かない。

 

 なぜなら、彼女はその“見えざるものを見る”異能を持って()()のだ。

 

 

 結論から言おう。まどかに異能は無い。

 そして、その代わりと言わんばかりにあったのは、

 

 

 ――まどかの元気で優しい心を表したかのような、力強く輝く白い力と、

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 その闇は、まさに悪意の塊。

 “呪い”とか“怨霊(おんりょう)”というものが存在するのならば、まさにこれこそがそうだろう。

 

 対象を問わず振りまく悪意と欲望の奔流(ほんりゅう)は、10代の少女にとっては猛毒のようなものであった。

 先の悪魔の男から受けた殺意のトラウマまでもが(よみがえ)り、流河は一時的な恐慌状態に(おちい)っていた。

 

 

 

 ――その時だった

 

 

 

 ふわり、と流河は何者かに抱きしめられる。

 

「大丈夫、大丈夫よ」

 

 それは、この世でたった1人の血の繋がった家族。

 

「流河はお姉ちゃんが護るわ。何があっても護ってあげる」

 

 燃え上がる飛行機の中から、命を懸けて流河を救ってくれた、心の底から信じられる存在。

 

「だから、安心して」

 

 荒々しく刻まれていた流河の鼓動が、徐々に落ち着いてゆく。

 やがて、身体の震えと、乱れていた呼吸が治まると、流河は涙を()いてゆっくりと顔を上げた。

 

 涙は、妹の落ち着いた様子を見て、ほっと安堵(あんど)の溜息をついたのだった。

 

 

***

 

 

 落ち着いた流河はまどかに平謝りすると、包み隠さず事情を説明した。

 言葉を(にご)そうとする流河に対し、まどかが『どうしても知りたい』と強く希望したからである。

 

 流河は語る。

 

 ――まどかに異能は無いこと

 ――その代わり、変わった生命力を持っていること

 ――それに惹き寄せられる“良くないもの”もまた、まどかの中に存在すること

 

 しかし、それを(おそ)れる必要はなかった。

 なぜなら、その“良くないもの”を封じている力が、まどかの中に存在していたからである。

 

 『とてもまどかによく似た印象を受ける力だ』ということを流河が説明すると、まどかは自分の頭に乗るキャスケット帽に軽く触れながら、悲しい顔で小さく『おばあちゃん……』と(つぶや)くも、パッといつもの元気な様子に戻り、『怖がらせてごめんね』と謝ると、早々に悪魔達に荒らされた学園で必要な作業をする者達の手伝いに戻っていった。

 涙が居る以上、まどかがフォローする必要もないのだから、怖がる原因となった自分はしばらく離れていた方が良い、と流河に対して気を使ってくれたのだろう。

 

 一度“ある”と認識できたためだろうか、まどかの手を離しても、彼女から“良くないもの”を感じ取ってしまっていたため、その心遣いは流河にとってとてもありがたかった。

 まどかが流河やアカリに近づくと、どういう訳か“良くないもの”が活性化している様子も感じられたため、まどかにとっても流河と距離を置くことは良いことであったのかもしれない。

 

 余談だが、涙には異能どころか、まどかのような特殊な生命力すら存在しなかった。流河とは血の繋がった姉妹であるにもかかわらず、である。

 どうやらこの異能は必ずしも遺伝するものではないらしい。

 

(……でも、秀哉さんと美來はどっちも異能に目覚めてるんだよね……目覚める人とそうでない人の違いって何だろう? 私とお姉ちゃんの違い……)

 

 ……正直、思いつかない。

 

 同じ両親から生まれてきた以上、遺伝的なものはほぼ完全に同じはず。

 性格は相当違うし、勉強や運動といった能力もかなり涙とは異なるが、それを言えば、異能に目覚めている杏里咲達なんて見事に性格も能力もバランバランである。とても共通点があるとは思えない。

 

「ねえ、お姉ちゃん。“もし心当たりがあったら”、でいいんだけど……」

 

「? 何?」

 

「今から言う人で共通してることって何かあるかな?」

 

 そう言って、流河は自分の知る異能者全員の名前を上げる。

 涙は(わず)かに考え込んだ後、流河に問い返した。

 

「……シャネオルカさんは、MHIの最先端医療を受けたことはある?」

 

「え? え~っと……あ、確か前に虚弱体質の治療の話をしてたから、あると思う」

 

「なら決まりね。今、流河が()げた人は()()M()H()I()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「え?」

 

 流河は驚きに目を見開く。

 涙は話を続けた。

 

「秀哉と美來は学習園(孤児院)に来る前に受けているのは知っているわね? 杏里咲さんは右眼を失った事故の件。あなたは知らなくて当然だけど、鳴海先輩や樋口君も受けているし、北河さんは貴女と同じように飛行機事故に()った際に手術を受けているわ」

 

「そして、私もまどかもMHIの最先端医療は受けていない……どうも、きな臭いわね」

 

 涙は眉をひそめる。

 当然だ。大切な妹の身体に得体のしれない技術が使われているかもしれない、ということが分かったのだから。

 

「涙さん」

 

「……鳴海先輩」

 

 ちょうどそこへ学生会長がやってきて涙に声をかける。

 どうやらメヒーシャとの協議が終わったらしく、その内容を副会長である涙に伝えに来たらしい。

 

 その場に涙が居なかったのは、鳴海の代わりに生徒たちの不安を取り除き、生徒を纏める役割を(にな)っていたからである。

 流河を見つけたのは、その見回りの最中に流河の悲鳴を聞いたためだったのだ。

 どうやら、すぐにでも天使の領域へ生徒全員を連れて移動するらしい。

 

 涙は再び眉をひそめる。

 先程の悪魔の侵攻を考えれば、どう考えても生徒たちに死傷者を出さずに移動を完了させることは困難だったからである。

 

 だが、悪魔の領域に近いこの場所では、先のように悪魔達に襲われる可能性がある。今回は何とか死傷者を出さずに済んだものの、次もそうである保証などどこにもない。

 その事を考えれば、早々に移動したほうが良いのは確かであった。

 

「流河!」

「ルカちゃん!」

「大丈夫か、ルカっち!?」

 

「みんな!?」

 

 一方、流河の元には美來達が慌てた様子で駆け寄ってきていた。

 

 先程までは秀哉の安全を確かめるために秀哉の元に居たはずだが、まどかから流河がショックを受けた話を聞いて慌てて戻って来てくれたらしい。

 変わらず思いやりのある友人達に、流河の胸が温かくなる。

 

 

 ――その時、

 

 

(あ、れ……?)

 

 

 ――ふと、流河は違和感を覚えた

 

 

「? どうしたの? 私の顔に何かついてる?」

 

「ほう、シャネルはルカっちすらも魅了するほど可愛くなったようじゃな! 罪な女よのう」

 

「きゃー、シャネルのえっちー」

 

「な、なんでそこで私がえっちになるの!? ……え、る、ルカちゃん?」

 

 流河は杏里咲達のボケにつきあう余裕もなく、パッとシャネルの手を取り、異能を発動させる。

 

(なんで……?)

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 流河によって潜在能力が解放されようとも、それは“解放された人の成長限界”を意味するものではない。

 それはあくまで“現時点で発揮できる全力”を強制的に発揮できるようにしているだけであるため、その後の経験や修練によって顕在能力も潜在能力も増大させることができるのだ。

 よって、シャネルの異能が成長していたところで、それは決しておかしなことではない。

 

 だが、流河の異能は告げる。

 

 

 ――“この短時間における上り幅としては、明らかに異常だ”と

 

 

 シャネルの異能はつい先ほど解放したばかりだ。確かに多数の悪魔との戦闘は経験したものの、それだけでは大した成長は見込めない。

 1時間程度ピアノの練習をしたところで、すぐに満足に1曲弾けるようにはならないようなものだ。

 

 だが、今のシャネルは先程まで1曲しか弾けなかったにもかかわらず、ギリギリ2曲分を弾けるようになっているような、おかしな成長の仕方をしている。

 

(私が、シャネルの異能を成長させるように干渉したから……? でも、あの時はほとんど効果はなかったはずだし……)

 

 シャネル達の潜在能力を解放してしまえば、流河は完全な戦力外である。なにしろ、流河の潜在能力は、既に自身の異能によって全開放された状態だ。

 つまり、彼女の戦闘力は、身体能力を最大まで発揮してゴルフクラブを振り回していたあの時のままなのである。

 

 超重力や超常の鎖、怪物達を使役する能力に比べれば、ただ身体能力を十全に使いこなす能力など、あってなきが(ごと)し。

 場合によっては、彼女達の足を引っ張る可能性すらあった。

 

 そこで、流河は自分の異能で彼女達に対して更に何かできないか考えた。

 

 流河の異能は“潜在能力の解放”ではなく、“潜在事象の操作”。

 流河の主観において“隠れているもの”や“潜在的であるもの”を感知し、操作する異能である。

 

 この“主観”というのがくせ者で、()()()()()()()()()()()()、流河の認識によって、感知・操作の“できる・できない”が決まってしまう。

 

 例えば、美來が操る鎖を流河は操ることができない。だが、美來本人が心から流河を受け入れれば、美來の異能そのものの改ざんはできてしまう。

 これは、美來の異能が起こす“現象”に対しては“どこにも隠れていないもの”、“美來の異能そのもの”に対しては“美來の中に隠れている、目に見えないもの”と流河が認識していることが原因だ。

 

 このことが理由で、潜在能力を全開放して()()()()()()()()()シャネル達の異能を解析し、その詳細を本人に説明する、という矛盾したことを流河はやってのけている。

 先ほど“ギリギリ2曲弾ける程度、シャネルの異能が成長している”と流河が感知できたのも、これが理由だ。

 流河にとっては、“その力がどれほど顕在化されているか”を問わず、“異能”と分類されてしまうだけで、それは“能力者の体内に()()()()()()()”と認識しているのである。

 

 この特性を理解した時、流河はふと気づいた。

 

 

 ――ならば、自分の認識を異能で(いじ)ることができれば、自分も役に立てるのではないか?

 

 

 例えば、“空気”は目に見えないものの、流河の主観においては“隠れて()()()もの”に分類されている。よって、流河は空気や風を操作して戦うことはできない。

 もし仮に流河が“空気とは隠れて()()ものである。だって目に見えないのだから”と心から認識できれば、流河は“風使い”として美來達とともに戦闘に参加することができるだろう。

 

 そう考えた流河は、すぐさま自身の認識を弄ろうと自らの精神に干渉し……そして、失敗した。

 

 流河の異能は、“潜在的なものに干渉する”という性質ゆえか、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 “自分の精神を弄る”というのは流河の表面意識が思う以上に恐ろしいことらしく、流河の潜在意識が断固として異能の使用を拒否したのだ。これには流河も頭を抱えた。

 

 “ならば”と、次に流河が試したのは、“自身の異能の強化・改ざん”であったが、こちらは何とか成功した。

 美來の時のように“未だ形になっていないものに方向性を与える”というものではなく、“既に存在しているものを無理やり書き換える”という無茶なことをしているためか、長時間かけて本当に微々たるものであったが、確実に流河自身の異能を強化することができたのである。

 

 杏里咲やシャネルをパワーアップさせる際、潜在能力を解放するだけで、異能の改ざんまでは行えなかったのは、流河が改ざんしようと干渉してもあまりに手応えがなかったからだ。

 だが、時間をかけさえすれば何とかなるのであれば、話は別。

 

 そこで、試しに杏里咲にも10分くらい手を繋いでもらって、同様の処置を行ったところ、『う~む、ほんのちょっぴり重力の操作が滑らかになった? かも? ……う~ん、よくわからん!』程度の効果はあった。

 本人には分からないが、流河の異能でなら何とか検知できる程度には成長していたのである。

 『別の人だったら、個人差でもっと大きく影響したりするかなぁ?』と、シャネルにもダメもとで30秒だけ干渉させてもらったが、結果は大差なく、ほぼ成長なしだった……そのはずである。

 

 そう、流河が頭を悩ませていた時だった。

 

「流河ちゃん! 大丈夫か!? まどか先輩から『ショックを受けた』って聞いたけど……!」

 

 

 

 ――流河の異能による成長を嘲笑(あざわら)うかのように、グンッとシャネルの異能の力が目に見えて増加した

 

 

 

「秀哉さん!」

 

 シャネルが嬉しそうに振り返る。

 その瞳は見る者が見ればわかる、恋する乙女のもの。

 

 流河は愕然とした表情で、今しがたやって来て心配そうにこちらを見つめる秀哉へと目を移しながら、今、目の前で起こった事象を信じられない思いで、己の中で反芻(はんすう)していた。

 

(な、んで……!? 秀哉さんの異能って、血を操って武器化するだけのはずじゃ……!)

 

 

 ――違う

 ――全然違う

 

 

 流河の異能は、ハッキリと断言する。

 “理解したくない”という流河の想い(表面意識)を無視して現実を突きつける――()()()()()()()()()()()()()()()()()、と。

 

 流河は、それを信じたくなくて、否定したくて、その様子のおかしさに心配する皆を無視して秀哉の手を取り……己が異能が暴き出した、秀哉の異能のあまりの凄まじさに言葉を失う。

 

(なに……これ……)

 

 

 ――それは、1つの世界であり、生命であった

 

 

 秀哉の中に流れる血液、それはあらゆる生命の素となる“命の水”。それは秀哉の意のままに姿を変え、質量を変え、性質を変える。

 それは“武器化して操作する”だけではなく、相手に秀哉の血液を打ち込むことでその存在を秀哉が()()してしまえば、その物質や生物すら複製し、使役できるという規格外の異能。

 

 だからこそ、シャネルのような怪物操作の異能もなく、あれほどの数の悪魔にも対応できたのだ。

 秀哉が居れば、敵を攻撃するたびに、武器防具や能力まで含めて敵をコピーできるのだから、敵の軍勢を丸々複製しているようなものである。

 

 さらに言えば、どれだけコピーした血液生物を破壊されようとも、秀哉の意思ひとつで復活できる上、不要になれば秀哉の血液として秀哉の中にしまうことができる。

 シャネルのように劇的な強化こそできないものの、シャネルと違って怪物の維持も損耗も考える必要がない。血液を鎖状にして戦えば、美來のような戦い方もできるだろう。

 美來達の異能も凄まじかったが、秀哉は次元が違う。まさに天賦(てんぷ)の才と言えた。

 

 それだけで済めばよかった。

 それだけならば、流河も“凄い能力だなぁ”と思うだけで済んだ。

 

 だが、彼の異能はそれだけには(とど)まらなかった。

 

 

 ――流河の異能はハッキリと感知していた。シャネルの心が秀哉に対して好意を抱いた瞬間、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 秀哉自身も気づいていないようだが、彼の異能は、“親しくなればなるほど”、“絆を育めば育むほど”、絆を結んだ相手の能力を強化する性質を持っている。

 流河のように、長時間相手に触れる必要も、異能を発動させるために集中する必要も、潜在意識に潜り込めるほど受け入れてもらう必要もない。

 

 ()()()()()()()()()()()()

 

 更には、流河の異能による強化と比べ、その上昇幅は()()()()()()()()()()()()

 

 これらの事実が意味するところ、それは――

 

 

(……私の……完全な上位互換……)

 

 

 無論、厳密に言えば違う。

 

 確かに、流河の異能は“敵に対する直接的な攻撃力”に乏しいし、“味方の強化”という点でも秀哉に遥かに劣る。

 だが、潜在的なもの・隠蔽(いんぺい)されたものに対する感知・認識能力は秀哉に無いものである上、対象が流河を受け入れられる人物限定ではあるものの、それらの改変すらできる。

 

 特に、本人の訓練なしに潜在能力を即座に全開放し、現時点での最高のパフォーマンスを味方に発揮させられるのは非常に大きい。

 現に、彼女が居なければあの悪魔と出会った時点で美來は能力に覚醒できず、ヴァフマーを救うことはできなかったかもしれない。

 

 だが、度重(たびかさ)なるショックを短期間で受け続けてきて、心が動揺しきった流河には、そうは思えない。

 敵にも味方にも大きな影響力のある秀哉の異能を知ることによって、“自分の異能(ちから)は完全に不要なのだ”と思い込んでしまった。

 

「……秀哉、さん」

 

 流河は気づいていない。

 自分がどれほど心細そうな声を出しているのかを。

 

「……抱き締めてもらっても、良いですか……?」

 

 秀哉の異能は、絆を育んだ相手を成長させる異能だ。

 ならば、秀哉とより仲良くなることができれば、自分の異能も成長するはず……その、かすかな希望は――

 

 

 ――例え抱き締めてもらっても、秀哉の異能の発動条件を満たすことができ(に好意を抱け)ない流河の心と、

 ――そして自らの異能によって、秀哉の異能による干渉を……いや、“秀哉の異能そのもの”を拒絶した流河の潜在意識によって裏切られた

 

 

 

 ――自分の異能を……存在意義を否定する異能を認めることも、その異能を持っている相手に対して“仲良くなりたい”と思うことも、できる訳なんてないのだから

 

 

 

 とまどう秀哉の腕の中で、流河は(おび)え、震える。

 

 いつの間にか“自分の価値”が“自分の異能”にすり替わっていることに、彼女は最後まで気づけなかった。

 

 

 

 



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第九章 水瀬 流河 中編2

 ――気分が重い

 

 天使達、そして美來(みらい)達が、全校生徒を護衛しながら天使の領域へと進んでゆく。

 

 そう、()()()だ。

 そこに流河(るか)は含まれない。

 

 流河は異能者とはいえ、直接的な戦闘力に乏しい。

 かといって、どこかのテレビゲームのように回復魔法や防御魔法に(るい)するような、味方の戦闘を補助する異能も持ってはいない。

 そのため、他の生徒と同様に“ただ護られる者”としてクラスメート達とともに黙々と歩き続けていた。

 

「あ、あの、ルカちゃん……ほんとに大丈夫? 凄く顔色悪いよ……?」

 

「……大丈夫」

 

 明らかに大丈夫ではない。

 

 普段の流河であれば、たとえ本当に不調であったとしても、ハイテンションに微笑んで、クリエイター達を指揮する負担がかかっているシャネルを逆に気遣(きづか)っていただろう。

 それは、現在の彼女が()を気遣うどころか、自分自身の事すら把握できない程に精神が弱っていることを意味していた。

 

 もちろん、このことは(るい)秀哉(しゅうや)、美來達も気づいている。

 だが、“何か得体のしれないものを見た”だけのまどかの時とは異なり、自分の存在意義にかかわるショックを受けた流河は涙達が少々抱き締めたり、声をかけたりしたところですぐには回復せず、更にはすぐに天使領への移動が始まったことで、このような状態のまま移動することになってしまったのだった。

 

 当初は出発を(おく)らせようかとも提案されたのだが、流河自身が拒否したことに加え、メヒーシャ(いわ)く『移動が遅れれば遅れるほど、悪魔達に攻撃の機会を与えてしまう』という(もっと)もすぎる提言があったため、仕方なく出発することとなってしまった。

 

 流河が、戦闘に直接大きな影響を与えるような異能者ではなかったことも大きい。

 彼女が好調であろうが不調であろうが、総合的な生徒達を護衛する力には、ほとんど変わりがないのである。

 

 とはいえ、このような状態の流河を1人で放り出す訳にもいかない。

 そこで、クリエイター達の指揮・操作能力は有るが、本人に直接的な戦闘力が無いため、必ずしも前線に出る必要がないシャネルが流河につくことになったのである。

 

 流河達を護衛するためについてきたヴァフマーも、“自分が流河を護る”と申し出てくれたものの、流河は断り、生徒たち全体の護衛をお願いした。

 ただでさえ自分の価値に疑問を覚えているというのに、その自分を護るためにヴァフマーという貴重な戦力を()いたことで誰かが傷つき、死ぬことになれば、流河はその罪悪感に耐えられないからだ。

 

 流河は悩む。

 

(……私が、もっとお姉ちゃんのように勉強してたり、生徒会の仕事をしてたら……異能なんて関係なく、みんなの役に立てたのかな?)

 

 異能が無くとも、涙も、そしてまどかも非常に皆に貢献していた。

 

 涙は生徒会副会長として積み上げてきた信頼や実績、そして本人の統率力を活かして、不安そうな生徒達を見事にまとめ上げていた。

 その手腕は、悪魔達に襲われていた時にもパニックを起こさせず、今も生徒達を1人残らず天使領へと導いていることからも明らかだ。

 

 ――そう、()()()()()である

 

 通常であれば、これだけの人数が居れば、少なからず反対者は出るものだ。

 特にあれだけの悪魔達に襲われた直後であれば、“安全そうに()()()学園から動きたくない”と思っても仕方がないし、中には不良のように、上に従うことを良しとしない者達もいる。

 

 だが、学園生活を“政治能力を(みが)く場”として(とら)えていた涙は、既に彼らに対しても確固とした人脈を築き上げていた。

 清濁あわせ呑む彼女の交渉力や人心掌握術は凄まじく、なぜ鳴海(なるみ)が彼女を副会長に指名したのかが、今や誰の目にも明らかになっていた。

 

 『椎名(しいな) 沙夜音(さやね)が学生会長選挙で栢木(かしわぎ) 鳴海に敗れたのは、水瀬(みなせ) 涙を味方につけられなかったからだ』という(うわさ)が一時期流れたことがあったが、おそらくあれは真実だったのだろう。

 

 同様に、まどかも非常に役に立っていた。

 

 彼女は涙のような政治能力はないものの、新聞部部長として鍛え上げてきた足や観察力・情報収集能力、そして生来の機転の良さを存分に活かし、生徒達の不安を初めとする数々の問題点を即座にまとめ上げ、改善案を提案し、鳴海達に報告することで生徒達の不満や恐怖が爆発することを抑え、天使領への移動のリスクを最小限に抑えている。

 

 それだけではない。

 この不可思議な世界の写真を撮影して証拠を残す(かたわ)ら、流河達のように学園以外の場所に居た人たちを、天使領への移動中に次々と見つけ出し、学園生へと合流させている。

 

 こうした事実が、流河を更に責め(さいな)んでいた。

 

 流河とて、本当は分かっている。

 彼女達と自分ではできることが異なるのだから、自分ができることをやれば良いのだと。

 秀哉達に劣るとはいえ、異能者である自分の方が一般の生徒達よりも戦闘能力が高く、いざという時には生徒達を少しでも護ることができるのだと。

 

 だが、高校生離れした能力を発揮する姉達の姿を見て、“自分が如何(いか)に役に立たないか”ということにばかり焦点が合ってしまう。

 それ程に、彼女は追い詰められていた。

 

「――!」

 

 シャネルの隣にいた、土を人間の女性型に固めたかのようなクリエイターが、一瞬驚いたような表情を浮かべた後、慌ててシャネルに謎の言語で話し出す。

 

 美來の謎のネーミングセンスによって『土でできてるから、“つっちゃん”』と名付けられてしまった彼女は、『どこの宇宙人の言語か』と言いたくなるような奇妙な言葉をしゃべりだすも、それを聞いたシャネルは瞳に理解の色を浮かべて頷き、上空へと視線を向ける。

 すると、上空に居た飛行型のクリエイター達がシャネルの無言の指示に従い、一斉に右回りの円を描いて飛び出した。

 

 

 ――敵襲である

 

 

 生徒達を囲うように移動していた天使やクリエイター達、そして秀哉が展開していた血液による悪魔やクリエイターの複製体達が一斉に戦闘行動に入り、いつの間にか忍び寄っていた悪魔達と激戦を繰り広げる。

 

 多くの生徒達が(おび)え震えながらそれらを見守りつつも移動を続ける中、流河は無気力に死んだ魚のような瞳で……いや、()()()()()()()()それらを(なが)めていた。

 

 

 

 ――……!

 

 

 

「……………………ぇ?」

 

 流河の耳が……いや、流河の異能が“声なき声”を聴く。

 

 それは、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 何らかの理由によって()()()()()()()()であった。

 

「流河ちゃん!?」

 

 流河は走る。

 

 今の声を聞けるのは()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()……それを自覚した瞬間、流河は悲鳴の元へと走り出していた。

 

 異能を発動――流河の肉体の全能力が引き出され、一流アスリートもかくやと言わんばかりの流れるような動きで、生徒達をすり抜けて移動する。

 自身の身体能力には一切干渉できないシャネルの異能では、とても追いつくことができず、シャネルはあっという間に流河に置いて行かれてしまった。

 

(……!!)

 

 そして悲鳴の聞こえる場所で流河が見たもの……それは悪魔達が放つ闇弾によって岩盤が崩れ、下に落下して足を(くじ)いて動けなくなっていたまどかの姿だった。

 

(……なんで、誰も気づいてないの!?)

 

 流河は疑問に思うが、これは誰が悪いわけでもなく、完全に偶然の産物だった。

 

 ――()()()()、まどかが他の場所へと移動しようとした時、

 ――()()()()、生徒たち全員がまどかを見ておらず、

 ――()()()()、彼女の周りに人が居ない時に、

 ――()()()()、悪魔からの流れ弾が彼女の足元に直撃した……それだけだった

 

 そして、まどかは生徒達が自分の危機に気づいていない事を知り……本当は『救けて』と声を上げたいにもかかわらず、それを押し殺した。

 それぞれの異能者が全身全霊で眼前の敵と戦っている今、自分を救けることに力を割いてしまったら、自分だけでなく、より多くの被害を出してしまうかもしれないから。

 

(……ううん、今はそんなことを考えてる場合じゃない!)

 

 だがここに、彼女の悲鳴に気づいた少女がいる。

 どんなにショックを受けていようとも、誰かの危機に駆けつけることのできる、心優しい少女が。

 

 襲撃を受けながらも徐々に生徒達が移動することによって、まどかは完全に孤立してしまっている。悪魔達が彼女に気づくのも時間の問題だ。

 それまでに、この闇弾の入り乱れる中、まどかを救い出さなければならない。

 

 ふっ……と流河が息を吐く。

 

 

 ――直後、流河の中で何かが弾けた

 

 

 ショックに曇っていた思考が急にクリアになり、全身から全能感が溢れ出す。

 鋭敏になった感覚は、周囲を飛び交う悪魔の闇弾やクリエイターの吐く酸を明確に捉え、ゆっくりと流れる時間の中で、それらを()うように避けて、まどかの元へと走る。

 

 先程まで歩き通しだったのに、痛みも疲れも感じない。

 先程までの落ち込みようは何だったのか分からない程の高揚感……流河は突如(とつじょ)として過去最高の絶好調状態を体感していた。

 

(……そうか、私の異能……ちょっとだけ成長させたから……!)

 

 杏里咲(ありさ)に試す前に自分自身で試していた“異能の強化”。

 ほんの少しだけであったものの、それは明確に形として流河の前に成果を示した。

 

 流河の異能は、“流河の主観において潜在的な事象を操作する”異能。

 そして、流河にとって“心”とは間違いなく目に見えない……即ち、“潜在的なもの”だ。

 流河の意思によって発動するそれは、()()()()()()()()()()()()()()()、術者である流河自身の精神すらも操作・改変する。

 

 “まどかを救けたい”、“そのために、この落ち込んだ状態をどうにかしたい”という本心からの願いを()み取った流河の異能は、強制的に流河の精神状態を調律し、まどかを救けることに集中させ、心と体が完全に調和した流河は、(ぞく)に“ゾーン”や“フロー”と呼ばれる超集中状態へと突入していた。

 

 まどかが驚きに目を見開き、「来ないで!」と叫ぶのを無視して流河は瞬く間にまどかの元へと辿(たど)り着く。

 少女とは思えない膂力(りょりょく)で、まどかをひょいと背負った直後、流河は今来た道を振り返って冷や汗をかく。

 

(気づかれたっ……!)

 

 悪魔達によって、既に道が塞がれていた。

 おまけによく見れば流河達は既に包囲されており、じわじわとその輪は縮まっている。おそらく流河の人間離れした動きを見て、“異能者ではないか”と警戒しているのだろう。

 

 だが、流河の表情に焦りはない。

 

 流河達を包囲していた悪魔達が、クリエイター達に次々と(ほふ)られてゆく。

 見れば、追いついてきたのだろうシャネルが、こちらに向かって心配そうな視線を向けている。隣には、流河の名前を呼びながら必死に駆けるシャネルを見かけたのか、涙の姿もあった。

 

 シャネルの異能(クリエイターの操作能力)を知るまどかも安心したのだろう。

 おとなしく背負われて、感謝の言葉を述べようとして、

 

 

 

 

 ――突如、彼女は流河に振り落とされた

 

 

 

 

 したたかに腰を打ち、まどかは(うめ)く。

 いや、それだけではない。横腹に激痛が走り、反射的に右手をあてがうと、ぬるりとした感覚が返ってきた。擦り傷どころの話ではない、いったい何が起こればここまで多量の血が流れる傷が……

 

 

 

「……え?」

 

 

 

 まどかが考えることができたのは、そこまでだった。

 なぜなら、彼女は見たからだ。

 

 

 

「流河……ちゃん……?」

 

 

 

 ――血は繋がらなくとも、妹のように可愛がっていた後輩が、目の前で水の触手によって串刺しにされている、悪夢のような光景を

 

 

 

 シャネルが操り、まどか達を救けに来たはずのクリエイター……その全身が水でできている女性のような姿から、美來によって“スイちゃん”と名づけられていた個体が、その両腕から幾本(いくほん)もの水の触手を伸ばし、流河の背後からその腹部を貫いていた。

 

 喉にせり上がってきた生温かく鉄臭い液体を、流河は口から大量に吐きだす。

 

 ほんの数瞬前、流河の異能は感じていた。

 つい最近どこかで感じたことのある“何か”が、突然、電波のように飛んできたのが分かった瞬間、シャネルとクリエイター達の間に繋がっていた生命エネルギーのラインが切れ、流河達に……いや、()()()その敵意が向いたことを。

 

 だから、流河は背中に居るまどかが自分ごとまとめて攻撃されないよう、彼女を振り落とした。

 残念ながら完全には間に合わず、スイちゃんが繰り出す触手の1本がまどかの腹部を(かす)めてしまったが、なんとかまどかの命は救かった。

 後は、流河が救かるだけなのだが……

 

(こ、れは……無理かな………………は、はは……)

 

 奇跡的にスイちゃんが繰り出した触手は、流河の急所をことごとく外していた。

 流河の異能も肉体の生命力を全開にすることで、なんとかギリギリで流河の命を保っている。

 

 もし、美來や、あるいは海斗(かいと)といった速力に優れる異能の持ち主がこの場に来て、急いで治療できる場所まで運んでもらえれば、流河が救かる可能性もあるだろう。

 

 だが、流河には見えていた。

 

(な、んで……? ……封じ、られてる、はずなのに……)

 

 まどかの腹部の傷から漏れ出し、流河にまとわりつく真っ黒な“怨念(おんねん)”が。

 

 

 ――死ね、死ね、死ね

 ――お前が死ねば、まどかが不幸になる。だから、死ね

 

 

 いったい、まどかに何があったのだろう。

 どんな理由があれば、これほどまでに彼女の不幸を望むようになるというのだろう。

 

 流河が異能を通じて聞いた“怨念”の声は、ただひたすらにまどかの不幸を望むものだった。

 

 だが、一つだけわかったことがある。

 ()()()()まどかが致命的な不幸に陥った(足を挫いて取り残された)のは、間違いなくこの“怨念”が原因だ、ということであった。

 

「たず、けっ……」

 

 怨念が徐々に流河の異能の働きを妨害し、生命力を奪ってゆく。

 そうなれば、腹部から大量に出血している流河に(あらが)(すべ)はない。

 

 スイちゃんの身体に取り込まれた部分からじわじわと溶かされ喰われていく感覚――そのあまりの恐ろしさに、流河は思わず此処(ここ)にはいない涙に救いを求め、涙を流して叫ぼうとする。

 だが、ごぽりと(のど)から溢れる大量の血液がその叫びを(にご)らせ、こちらに向かって必死に走るシャネルにすら届くことはなかった。

 

 『愚か』、と人は彼女を見て言うかもしれない。

 

 事実、愚かだろう。そのような目にあいたくなければ……あるいは死ぬ覚悟ができていないのならば、まどかを救いに行ってはいけなかったのだ。

 他の強力な異能者に任せ、他の生徒達ともに震えていればよかったのだ。

 

 たとえ、その異能者が間に合わずにまどかが死のうとも、被害を増やしてはいけなかったのだ。

 もし、行動してしまったのならば、救けを求めて仲間の手を(わずら)わせてはならないのだ。

 

 だが、彼女は歴戦の兵でもなければ、おとぎ話の勇者でもない。社会経験すらまともに積んでいない学生の少女だ。

 そんな彼女が自分のもう1人の姉ともいえる存在の危機に、後先のことなど考えてはいられなかった。

 

 たとえ、流河に異能の力が宿っていなくとも、彼女はまどかを救うために走っただろう。

 “もう二度と大切な人を失いたくはない”という想いは、それほどまでにこの少女の心の底に深く根付いてしまっていたのだから。

 

 やがて、流河の鼓動は緩やかに動きを止め始め、瞳から光が失われる。

 直後、彼女は触手ごと水の怪物の体内へと取り込まれた。

 

 

 

「流河――――――――――――ッ!!!」

 

 

 

 半透明の怪物(クリエイター)の中でぼやける視界に、必死にこちらに手を伸ばして駆けてくる大切な姉の姿が見える。

 

 そんな涙を周囲の人たちが必死に止めようと抑え込むも、涙は彼らを振り払い、たった1人の家族を救わんと半狂乱で暴れ回っていた。

 しかし、この“電波”は流河の殺害が目的だったのか、流河をスイちゃんの腹に収めたまま、一斉にクリエイター達を離脱させていく。

 美來やヴァフマー、海斗が応援に来た時には、既にその姿は遠く離れてしまっていた。

 

 こうして、流河は天使領へ移動した天慶(てんぎょう)第二学園生の唯一の行方不明者となり、二度と彼女達の元へ戻ることはなかった。

 

 

***

 

 

「洗脳した全クリエイターの自害を確認。作戦、完了しました」

 

「すぐに現場の全チームを撤収させなさい。痕跡(こんせき)は可能な限り残さないように」

 

「了解。全チーム、撤収開始。Dチームは洗脳装置の解体を急げ」

 

 沙夜音は、表面上は余裕の笑みのまま、内心で大きく安堵の溜息をついた。

 

(……ようやく、ひと段落ね。最大のイレギュラーは排除できた……これまでの影響が大きいから、到底“原作そのまま”とはいかないとは思うけれど、それでも大分予想はしやすくなったわ)

 

 MHI社長の一人娘、椎名 沙夜音は両親によって知能を異常発達させられたデザインベイビーであると同時に、この世界をゲームとしてプレイした経験を持つ転生者だ。

 彼女は与えられた才能も環境もフル活用して、ただ1つの願い……“平穏な生活”を手に入れるために奮闘してきた。

 

 

 ――歪秤(わいびん)世界

 

 

 このゲーム――“創刻(そうこく)のアテリアル”の舞台となる、直径数十kmの小さな異世界だ。

 

 この世界固有の生物“クリエイター”は、捕食した相手の特徴を取り込み、融合・進化する性質を持っている。

 しかし、この小さな世界で、生まれ、捕食し、産み、捕食され……の繰り返しなんて行ってしまえば、最終的に行き着く先は全く同じ特徴の生物だけの世界……すなわち、進化の行き詰まりである。

 

 それを解消するため、この小さな世界は()()()()()()()()()

 

 新たな世界と繋がれば、新たな生物や物質が流入してくる。それと融合すれば、クリエイター達は劇的に進化できる。

 彼らにとって、他の世界との接触は、自らを進化させる重要な要因(ファクター)であった。

 

 あるとき、現世と繋がったこの異世界の存在に気づき、そこに存在する未知の素材・資源を現世に持ち込んで研究し、売り出すことで莫大な財を築いた企業が現れた。

 

 それこそが、MHI――歪秤世界の研究成果を売りさばいて成り上がった組織である。

 

 

 ――化石燃料を過去のものにする超高効率燃料“リエンノル”

 ――クリエイターの質量操作能力を素に(つく)りだした、自在に自身の質量を変化させる特殊金属“ミスリア鋼”

 ――さらにそれの強度を高め、現軍用兵器の装甲を時代遅れにした“Sミスリア鋼”

 

 

 MHIは、世界の科学を何世代も先に進化させた、偉大な功績を遺した大企業なのだ。

 

 ……が、同時に、医療分野において平然と人体実験をするような、超外道組織でもあったりする。

 それがバレた瞬間、MHIのCEOの娘である沙夜音がどうなるかは想像に(かた)くない。

 さらには、MHIの主力研究者――宮原(みやはら) 権三(ごんぞう)の勝手な行動により、天慶市が歪秤世界と融合してしまうという大事件が起こされるのだ。

 

 のんびり静観していては、MHIの転落とともに沙夜音のお先は真っ暗である。間違いなく社会的に抹殺されてしまうだろう。

 下手すれば、何百人も死んだ恨みから、殺されてしまう可能性だってある。MHIが転落すれば、金で安全を買うことなどできなくなってしまうからだ。

 

 そんな最悪の未来を回避するため、沙夜音は幼い頃から行動を開始した。

 

 超人的な戦闘能力を持つ執事との信頼関係構築に始まり、MHIの持つ民間軍事会社から密かに引き抜きを行ったり、原作であれば犬猿の仲であるはずの栢木 鳴海との良好な関係の構築など、やれることは全てやってきた。

 

 本来、未成年である彼女では無理であろうことも、MHIの権力と異常発達した頭脳のおかげで何とか(無理やり)成し遂げてきた。

 高校2年目が始まった時には、想定される大体の状況には対応できると自信を持っていたのだが、そこで彼女は信じられないものを目にした。

 

 

 ――“原作”における主人公、仙崎(せんざき) 秀哉の仲間である1年生の少女達……原作では“(いもうと)ズ”と呼ばれていた彼女達の人数が()()()()のだ

 

 

 水瀬 流河――彼女こそが、沙夜音の持つ原作知識に存在しない登場人物であった。

 

 沙夜音と同じ転生者ではないだろう。最も未来を予測しにくくなるであろう転生者の存在の確認は真っ先に行っている。

 彼女の父である、MHIの前CFOは少し怪しかったが、その娘である彼女は“完全に白である”と他ならぬ沙夜音自身が判断したのだ。

 

 おそらくは、沙夜音が原作に無い行動を取ったことによって起こったバタフライエフェクトなのだろうが……その正体が何であろうと、原作に存在しない彼女の行動を予測し、さらにそこから派生する未来を予測するという離れ(わざ)は、いかに沙夜音の頭脳が人間離れしていようとも難しい。

 

 これで、流河が異能者でなければ、まだどうにかなったのだが……彼女は幼い頃にMHIの最先端医療を受けている。

 つまりは、世間どころか本人にも知らされていない、クリエイターの因子を埋め込まれた人体実験の被験者だ。間違いなく歪秤世界と天慶市が融合したら、異能力に覚醒する。

 どんな異能に目覚めるかは分からないが、高確率で秀哉達の戦力に組み込まれるだろう。そうなっては、もう沙夜音には予測のしようがない。いくら原作知識があろうとも、望み通りの未来へと誘導することなど不可能だ。

 

 かといって、手っ取り早く彼女を引っ越しさせることもできなければ、暗殺することもできない。

 

 権力を使って無理やり引っ越しさせれば、長い時間をかけて必死に構築してきた鳴海に不審の念を抱かせて信頼関係に(ひび)を入れることになるし、科学が発達した現代で完全に証拠を残さずに暗殺することは非常に難しく、沙夜音が秘密裏に少しずつ築き上げてきた小さな組織程度では到底無理だ。

 やるならば、それこそMHIをまるごと使えるだけの組織力が必要になるだろう。それができるのは沙夜音の父のみであり、彼女はその権力のほんの一部しか使うことはできない。

 

 ならば、方法はただ一つ。

 今の科学技術では証拠が見つからないやり方――()()()()()()()()()()()() ()()()()()()()

 

 歪秤世界の物質を研究して挙げられた様々な成果の中で、最も大きなものの1つが“洗脳装置”だ。特殊な電波を飛ばすことにより、一時的にではあるが、人間はもちろんのこと、天使・悪魔・クリエイターすらも洗脳できる。

 それを利用して沙夜音の関係者以外の者に流河を殺させれば良い。躊躇(ちゅうちょ)なく人間を殺してもおかしくない悪魔やクリエイターであれば、なお良しだ。

 

 そこで、流河と遭遇する悪魔やクリエイターに、“流河に殺意を抱かせる”程度の影響の電波を当てさせるよう、あらかじめ部下に命じていたのだが……その程度の影響しか与えなかったためか、対象となった悪魔の男は、なぜか流河を殺さずにその場を去ってしまったらしい。

 仕方なく次の機会を狙っていたところ、天使領へ生徒全員での移動する最中に運よく流河が孤立したため、これ幸いと急いでクリエイターを洗脳してけしかけ、そして今ようやく排除に成功したのである。

 

 クリエイターとコミュニケーションをとれる異能を持つシャネオルカが居る以上、“クリエイターに何かがあった”ことは分かるだろうが、実際に洗脳したクリエイター達を自害させてコミュニケーションできなくさせた以上、わかるのはそこまでだ。

 

 あとは、こちらの持つ洗脳装置を破壊するか隠してしまえば、沙夜音が疑われることはまずない。

 元々は宮原の開発した設計図を密かに入手してこちらで組み立てたものなのだ。“オリジナルの洗脳装置を持つ宮原によって水瀬 流河は殺害された”と思ってくれるだろう。

 

藤二郎(とうじろう)、お茶を用意して」

 

 緊張から解放されたことにより、喉の渇きを自覚した沙夜音が、自分の最も信頼する右腕に声をかけたところで………………彼女は気づいた。

 

 

(……待って。藤二郎が()()()()()()()()()()()()()()()()()()……!?)

 

 

 田沼(たぬま) 藤二郎は非常に優秀な執事だ。沙夜音の様子を観察し、沙夜音が欲求を自覚する前に行動を起こす。

 お茶の用意など、それこそお茶が藤二郎に差し出されて、初めて喉の渇きを自覚するのが常であった。

 

 背後で、重たい何かが落ちる音がする。

 

「本当に、ここに“あたいとラグタスを2人きりにできるもの”があるんだろうね?」

 

「多分な! 我が輩の勘は確かだぜ!」

 

「……期待はできないねぇ……」

 

 その声を聴いてゾッと沙夜音は背筋を震わせ、慌てて振り向いた。

 

 そこにいたのは、人間よりも何千年も昔に歪秤世界を発見し、その世界を我が物にせんと軍団を送り込んだ種族。

 それを阻止せんと送り込まれた天使と終わらぬ争いを続ける者達――

 

 

 ――悪魔

 

 

(堕天使ギレゼルと歪魔(わいま)エルンスト……! なんで、こいつらがここに……!?)

 

 頭の後ろで腕を組んでニヤニヤと笑う男と、右腕の肘から先を藤二郎の血で真っ赤に染めた女……その容姿から、彼らが流河達を襲った悪魔の男と、ショッピングモール上空で白熊型天使(ラグタス)と激戦を繰り広げていた、空間を操り、跳躍する悪魔の女であることを沙夜音は知る。

 

 一瞬、状況を理解できなかったものの、沙夜音の優秀な頭脳は瞬時に現在の状況と、悪魔達の発言、そして原作知識を組み合わせ、すぐにその疑問を解消し、状況を理解する。

 

(!! アイツら……よりにもよって、ギレゼルを洗脳装置の対象にしたわね!? いえ、それはいいとして、拠点までずっと後を()けられるなんて、いったいアイツらは何をしていたのよ!?)

 

 ギレゼルは道化ぶっているものの、実は非常に頭の良い悪魔だ。

 洗脳装置を片付けて移動する人間を何らかの理由で見つけたことで、突如として湧いた流河への殺意に対する違和感と結びつけた可能性は高い。

 おそらく確信があってのことではないだろう。『勘』と言っているのが、その証拠だ。

 

 そして、その人間達を尾行してこの拠点を突き止めた後、エルンストに話を持ちかけて、その空間を操る能力を利用し、内部に転移。真っ先に、この中で最も戦闘力が高い藤二郎を排除した。

 流石の藤二郎も、空間を跳躍して打ち込まれるような不意打ちは想定外だったのだろう。

 

 エルンストはギレゼルの言うことなど聞くような性格ではないのだが、彼女はラグタスとの戦いに酷く執着している。

 先程の発言を聞くに、ギレゼルはここにある洗脳装置を使って、エルンストとラグタスを除く悪魔と天使を退(しりぞ)けて、1対1の状況を作ることを約束したのだろう。

 それならば、エルンストが動く可能性はある。

 

 そして、この予想が正しければ、まだゲームオーバーではない。

 “洗脳装置”を初めとするいくつかの利用価値を提示できれば、まだ交渉の余地があるはずだ。

 

 ヒュッとエルンストが手を横に振る。

 

 

 ――直後、沙夜音の背後で銃を構えていた配下達の首が一斉に飛んだ

 

 

「……え?」

 

 固まる沙夜音へと、ニヤニヤ笑いながらギレゼルが近づく。

 その様子に“次は自分だ”と考えた沙夜音は、慌ててストップをかける。

 

「ま、待ちなさい!? あなた達が欲しいのは洗脳装置でしょう!? 私を殺せば、その在処(ありか)も使い方も分からないわよ!?」

 

「それを今からお前さんに()くのよ。安心しなって」

 

「な、なら良いわ。その装置の場所まで案内するから、ついてきなさい」

 

 なんとか自分だけは助かりそうだ、と沙夜音はほんの少しだけ安心する……が、

 

「そ~んなこと言って、いざその装置の場所に着いたら、我が輩たちをその装置で洗脳しちまうつもりなんだろう? 我が輩、引っかからないぞ~♪ ……それにな、」

 

 ガシリ、と沙夜音の頭をわしづかみにして言ったギレゼルの言葉に、

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 あ、と沙夜音の口から声が漏れ、その安心は砕け散った。

 

 沙夜音の頭脳は、人よりも優れてはいるが、決して万能ではない。例えば、“ギレゼルに尾けられた”という情報がなければそれに対する対策が取れないように、“彼女が知らないもの”に対してはどうすることもできない。

 そして、“原作知識を持つこと”は、決してメリットだけではない。その知識を基に組み立てた計画には、必ず()()()()()()()()()()()()()()

 

 “創刻のアテリアル”において、悪魔達が記憶を覗いたり、弄ったりする場面は存在しない。情報が必要な時には、暴力で強引に訊き出していた。だからこそ沙夜音は“交渉の余地がある”と判断していた。

 

 だが、同じ世界観を持つ別の作品……原作から1万年以上経った世界が舞台の作品では、“神殺し”と呼ばれる人物が、集団レイプされた女性からその記憶を探し出して消してあげたり、特定の人物をつけ狙う魔神から、その人物の記憶のみを思い出せないようにしていた。

 

 

 ――ギレゼルには彼と同じことができないと、沙夜音は思い込んでしまったのだ。“原作で彼がそんなことをしていなかったから”という、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 沙夜音は悟った。

 

 ここが彼女の終わりだと。

 記憶を奪われた後、不要となった自分はあっさりと殺されるのだと。

 

 

 

 

 

 結局、彼女は最後まで自分が失敗した本当の理由を理解することはなかった。

 

 原作知識なんてものではなく、人を……秀哉でも、鳴海でも、藤二郎でも良い……心の底から誰かを信じ、全てを話し、救けを求めたならば、この結果にはならなかったであろうということに。

 

 ――“原作の沙夜音”は藤二郎を信じ、救けを求めたからこそ、苦難はあろうとも、最後まで生き残ることができたのだから

 

 

***

 

 

 ――溶ける、融ける。身体が、全身が解けて……消えてゆく

 

 痛い、苦しい、そして何より恐ろしい。

 

 流河は恐怖に泣き叫ぶ。『助けて! お姉ちゃん、助けて!』と。

 とっくの昔に身体の大部分は溶かされ、この水のクリエイターに喰われてしまったというのに、怪物の腹の中で、彼女の魂は必死に救いを求めていた。

 

 

 ――ああ、どうしてこんなことになってしまったのだろう

 

 

 涙のように復讐がしたかったわけではない。

 自分の異能を自慢したかったわけでもない。

 

 ただ、家族と、友人と一緒に、何気ない日常を過ごせれば、それでよかった。

 美來達の中に、自分の居場所があればそれでよかった……ただ、それだけだったのに。

 

(死にたくない……私、死にたくないよぉ……)

 

 

 ――流河の救いを求める叫びに、少女の異能が(こた)える

 

 

 彼女の異能は“目に見えないもの”にしか干渉できない。

 だから、彼女の異能は流河の肉体ではなく、その精神を護った。

 

 本来であればクリエイターの精神に取り込まれ、1つに融合するはずの流河の精神は、異能の力によって確固とした存在を保ち、輪廻の輪に囚われることもなく、クリエイターの体内で()()を続けた。

 

(私にもっと……もっと力があればこんなことにならなかったかもしれないのに……)

 

 

 ――己が無力を(なげ)く流河の後悔に、少女の異能が応える

 

 

 流河の異能そのものへの強化を開始する。

 少しずつ、少しずつ……まるで亀が1歩1歩あゆむかのように(のろ)く……だが確実に己が異能を強化してゆく。

 より強力に、より便利に、より応用できるように……より、皆の役に立てるように。

 

(もういやだ……こんな(つら)くて(みじ)めな思い、したくなんて……ない)

 

 

 ――そして、現実逃避する彼女の願いに……少女の異能が応えた

 

 

 流河の異能は、彼女の記憶が顕在意識に現れることを固く封じ、そしてこの残酷な光景から目をそらすため、深い深い眠りへと、彼女を(いざな)った。

 (もや)がかかったように、彼女の精神活動が、ゆっくりと低下し、少しずつ思い出が思い出せなくなってゆき……やがて彼女は長い長い眠りについた。

 

(……こんなことなら……もっと……みんなと、たくさん……遊んどけば、よかったな……)

 

 もっと色んな所へ行って、いっぱい美味しいものを食べて、いっぱい着飾っておけばよかった――そんな、少女らしい後悔とともに。

 

 

 

 

 

 

 

 そして、時は流れる。

 

 少女を喰らったクリエイターは、クリエイターを操った者の陰謀により自害させられ、やがてその亡骸(なきがら)は、同じく水によって肉体を構成する少女型のクリエイターに喰われた。

 

 “リュカティエネー”と呼称される種の彼女は、やがて歪秤世界が人間の世界と融合してから何千年もの月日の中で、何度も世代交代を果たし、ついには更なる異世界“ネイ=ステリナ”と地球が融合した際に、その世界で彼女に最も近い存在である“水精(みずせい)”と呼ばれる種族と共生を始め……やがて両者は長い年月を経て混じり合い、別の種――“水精ティエネー”へと姿を変えた。

 

 彼女達は、誰に気づかれることもなく、眠り続ける“流河の魂”と、彼女の魂に刻まれた自己改造を繰り返す“異能(ちから)”を次の世代へと受け渡し続け、そしてある時、“流河”を内に秘めた水精が、とある事故によってその命を失い、ただの水へと(かえ)った。

 

 水に還り……大地に染み渡り……冥府(めいふ)へ渡ることなく、流河の魂は水とともに()()()()()()()へと流れついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ブランさん達がリューナを受け入れてくれてよかったわね。あの奴隷にされたっていう、リシアンって子が少し気になるけど……」

 

「大丈夫ですよ。彼女の新たなご両親は私の知り合いですから、リシアン君のことは何とかしてくれるでしょう」

 

「……そうなの?」

 

「ええ。ですから、もし貴女(あなた)達が隠れ里から出て宿をとる時は、水の貴婦人亭に泊まったら良いですよ? 他のどの宿の人よりも貴女達を気にかけて、護ってくれるはずです。おそらく、私たち隠れ里の水精にとって、迷宮内で最も安全な宿屋でしょう」

 

 魔王軍から隠れ潜む水精達の()()――水精の隠れ里。

 その(おさ)であるロジェンは、新たに生まれた水精であるティアと、彼女を心配してついてきた東方出身の水精シズクを新たな仲間として招いていた。

 

 水精として生を受けたばかりのティアにとっては目にするもの、体験すること全てが新鮮であり、この人型の身体を動かすことや、水を操ることすら初めての経験で、シズクに手取り足取り教わる始末である。

 

 

 ――そんな彼女が、ふと足を止め、今訪れたばかりの隠れ里の湖の片隅をじっと眺めはじめた

 

 

 何か彼女の興味を引くものでもあったのだろうか?

 シズクは同じ方向を注視し、気配を探るも……シズクから見て、特別変わったものは見られない。

 

「……何か、面白いものでも見つけた?」

 

「……わからない。わからないけど……」

 

 とまどいながら、ふらふらとティアは注視していた方向へ足を進め、湖の上を歩いてゆく。

 なんとなく心配になったシズクも彼女の後ろからついてゆくと、やがてティアは湖の一ヶ所で足を止め、水面に両膝(りょうひざ)をつき、ゆっくりとそのたおやかな手を水面へと伸ばし……

 

 

 

 

 

 ――()()()

 

 

 

 

 

 ああ、来てくれた。とうとう、私を助けに来てくれた。

 

 信じていた。前と同じように、きっとまた私を助けてくれると。

 

 さあ、起きよう。また1からやり直そう。この人と家族になって、友達をいっぱい作って、いろんなところに行って、いっぱい美味しいものを食べて、いっぱい遊んで……

 

 

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 流河の潜在()意識は、自らの内に眠る力のほんの一部を解放する。

 助けに来てくれた彼女の身体を精査し、その構造を理解すると、周囲の()()()()()()水精と自らの魂をうまくすり合わせる。

 

 何千年……いや、何万年ぶりだろうか? 腕の、脚の、身体の感覚が目覚める。

 

 かつての記憶は……封印したままでいいだろう。もはや自分は“水瀬 流河”ではないのだ。

 彼女の無意識は異能を使って、“水瀬 流河”を潜在意識に封じたまま、元となる人格だけを顕在意識に覚醒させる。

 

 これから家族となる彼女が水面からゆっくりと、自分を引っ張り上げてくれる。

 すると、まるで水面から生えてくるかのように、少女の手が、頭が、肩が……全身が引っ張り上げられた。

 

 唖然(あぜん)とする背後の水精2人と、未だ手を繋ぎ、じっとこちらを見つめてくる水精の女性に向かって、大きな水のリボンで結ばれたサイドテールを揺らしながら、彼女は笑顔で元気よく挨拶した。

 

 

 

「はじめまして! 私はリウラ。水精です! これからよろしくお願いします!」

 

 

 

 



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第九章 水瀬 流河 後編

 ディアドラがリウラに施そうとした洗脳魔術の中で、最も強力だったのは呪術系統のものだった。

 強大な魔力を用いずとも大きな効果を発揮する呪術は、リウラの異能による精神防御を突破するだけの攻撃力を(そな)えていた。

 

 まどかの一件から“呪い”というものの脅威を良く知るリウラの無意識は、このままでは異能そのものを弱体化させられて防御を突破されると悟り、“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()”方法に切り替えることによって、自身の精神を護り抜いた。

 

 しかし、“呪い”に侵されそうになっている状況で、かつてリウラが誕生した時のように、人格を再構築する過程で“水瀬(みなせ) 流河(るか)”の記憶をより分ける余裕など有る訳がなく、再構築したリウラの人格には“水瀬 流河”の記憶が完全に混じってしまっていた。

 

 そんなところに、かつて己が死んだ時と酷似した光景を目にし……その結果、リウラは全てを思い出した。

 

 

(ああ、そうか……そうだったんだ……)

 

 

 リウラは、自分の今までの水精としての生を思い出し、その行動の1つ1つに彼女の前世が影響していたことに、ようやく気づいた。

 

 

 ――あれほどまでに外の世界を渇望し、美味しいものや、美しい衣服・装飾品を求めていたのは、“もっと遊びたかった”という後悔があったから

 

 ――細長いものを水で創造するとき、ロープやリボンではなく“鎖”なんて複雑なものにこだわっていたのは、美來(みらい)の異能に憧れたから。水弾を(つく)る時に生物を(かたど)るのは、秀哉(しゅうや)の異能が(うらや)ましかったから

 

 ――親を失ったリリィにものすごく同情してしまったのは、自分もまた親を失ったから

 

 ――サーペントに“サッちゃん”、アイアンゴーレムに“アイちゃん”と名づけていたのは、美來のネーミングセンスを真似(まね)して、かつての親友を少しでも感じていたいと無意識に思ってしまっていたから

 

 ――無意識下で決められているはずの“水の(ころも)”を自由に変化できたのは、異能を使って自分の無意識にある“水精(みずせい)リウラ”の衣服イメージを書き換えていたから

 

 ――水精なのに美味しく肉を食べることができたのは、長い長い年月の間に失われた水精型クリエイターの潜在能力を異能によって目覚めさせ、先祖返りすることにより、有機物・無機物を問わず捕食・融合する機能が復活したから

 

 ――リリィのホルモンに影響されなかったのは、リウラの異能が彼女の精神への干渉を防いでいたから

 

 ――ブリジットと戦った時、強く念じることで落ち着くことができたのは、リウラが心から“落ち着くこと”を望んだことで、異能がリウラの精神そのものを“落ち着いた状態”に操作したから

 

 

 今ならわかる。どうして魔神すらも恐れるほどの力を持つこの巨大プテテットに、半端に吸収された状態で止まっているのか。

 それは、目覚めたばかりのあの頃とは比べ物にならない程に強大になった自分の異能――その1割にも満たない力で“吸収”・“融合”というプテテットからの干渉を防ぎ、侵攻が中途半端なところで止まってしまったからだ。

 

 では、残りの9割は?

 今もリウラの……いや、今は()き流河の願いを聞き届け、彼女の異能の強化を続けていた。

 

 もう、充分だろう。

 

 リウラには、あれから何年経ったのかは分からない。

 だが、それが何百年、何千年……ひょっとしたら何万年という長きにわたり自己改造されてきたそれが、今こそ必要とされているのだ。

 

 さあ、自らの無力に(なげ)くのは終わりにしよう。

 

 

 

 ――今度こそ、完全無欠のハッピーエンドを迎えるために

 

 

 

 

 

 

 

 ビクン! とプテテットが大きく震える。

 その反応を、かつてプテテットに襲われたことがあるリリィは良く知っていた。

 

(これは……!?)

 

 それは、捕食した獲物が反撃した際に起こす、プテテットの反射的な嘔吐(おうと)反応。

 

 かつてリリィを襲ったプテテットとは比較にならない魔力を持つこの化け物が起こすその速度は、まさに神速。

 魔神の力を得たリリィすら反応できない速度で、プテテットは原因と思われる今しがた取り込んだ体内の異物全てを吐き出した。

 

 いや、()()()()()()()()

 

 今や魔神級の力を持つリリィすらも吐き出した彼が、たった一つだけ吐き出せないものがあった。

 

 

 ――既に彼に半分融合していたリウラである

 

 

 吐き出せなかった理由は、“半分融合していたから”ではない。

 彼がリウラを切り離そうとするのを、()()()()()()()()()()()

 

 リウラの異能は、“リウラの主観において「隠されている」・「見えない」と認識しているものを操作する”能力。

 そして、過去のリウラ――水瀬 流河が最も利用したパターンは“潜在能力の全開放”だ。

 

 アイが何故、通常のアースマンの姿で生まれず、女性型で生まれ、肉を食べられるようになったのか?

 

 それは、魔制珠(ませいだま)によって命令を聞かざるを得ない状態のアイに、“強くなってほしい”という願いを受けたリウラの異能が干渉し、強制的に潜在能力を解放された結果、先祖返りを起こして“つっちゃん”と同種の“クリエイター”としての力を手に入れた……いや、()()()()()からである。

 

 土精(つちせい)アースマンも水精と同様、極めて近い存在……土精型クリエイター“トトガノ”と異世界(ネイ=ステリナ)の土精が、何千年もの年月の間に1つの種として融合した存在だったのだ。

 

 リウラは、それと同じことを自分に(ほどこ)した。

 

 既に(なか)ば目覚めかけていたクリエイターとしての力を完全に覚醒させ、太古の“クリエイターの力”を100パーセント使えるようにしたのである。

 

 “クリエイターの力”、とは何か?

 それは種によって様々だが、唯一どのクリエイターも共通して保有している力がある。

 

 

 ――それは、()()()()

 

 

 弱った相手を喰らい、吸収し、相手の全てを己のものとする力。

 知識も、知恵も、姿も、器官も、能力も、魔力も、膂力(りょりょく)も、精気も、異能も、すべてすべて自分のものにしてしまう力。

 

 リウラはそれをこの巨大プテテットに対して行った。己を喰らおうとするプテテットに、逆に自ら喰らいついたのである。

 通常であれば、逆に取り込まれてしまうであろう無謀な行為。だが、彼女の異能がその奇跡を叶える。

 

 リウラは知らないことだが、“プテテット”とは、遥か昔から現在に至るまでほぼ姿形を変えずに残ることができた、ほんの(わず)かなクリエイター達の一種だ。

 

 中でも、この巨大プテテットはその生存競争に勝ち続けたことで、一級神ですら迂闊(うかつ)に手を出せない程の強大な力を手に入れるに至った例外中の例外。

 相手を喰らい、融合することで、己を強化する種族たちが集う蟲毒(こどく)世界(つぼ)の中で最後まで生き残った、たった1匹の勝者だ。

 

 

 ――だが、それは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、ということをも意味する

 

 

 膨大な魔力をいきなり宿した者が暴走してしまうように、魔力の素となる生命エネルギーである精気を、他者と融合することによって急激に増大させた者が暴走しない訳がない。

 この(あわ)れなクリエイターはひたすら融合を繰り返したことで、己が精気の膨大な量に耐えられず、知性も人格も失い、ただ本能のままに喰らい、融合するだけの食欲の怪物と化していた。

 

 本来ならば、融合した相手の特徴が現れるはずの彼の肉体が、“プテテット”の形を取っているのはその象徴だ。

 “相手を倒す”能力も、“誰かを癒す”能力も必要ない。必要ないから彼の体内に“因子”となったまま出てこない。

 必要なのは“ただ相手を喰らう”能力……それだけだった。

 

 リウラは、それをとても寂しいことだと思う。

 

 プテテットの精神世界の中で、融合に融合を繰り返して見上げるほど肥大化してしまったプテテットの魂を見ながら、彼女は同情する。

 彼女がプテテットの体内に残ったのは、かつてのアイの時のように、彼の苦しみに満ちた声を聞いたからだ。精気に溺れ、食欲に()りつかれ、ひたすら貪り、喰らうことをやめたくてもやめられない中毒者のような苦しみの声。

 

 “食欲”しか存在しない精神――ここまで狂ってしまえば、いかに相手の魔力が多かろうと、リウラが相手にとって心許せる相手でなかろうと関係ない。

 顕在意識も潜在意識も完全に自身の制御を手放した精神など、鍵の壊れた家のようなもの。簡単に相手の精神世界に入り込み、リウラの異能を()って精神を少し(いじ)れば、無意識に行われている捕食行動を止めてしまうことができる。

 

 いわば、リリィの扱う性魔術の上位互換のようなものだ。

 リウラが、その異能のたった1割にも満たない力でこのプテテットに吸収されずに済んでいるのは、その為だった。

 

 

(……辛かったね)

 

 リウラがプテテットの魂に触れる。

 

(……苦しかったね)

 

 巨大な光の塊が、徐々に光の粒子となってほどけてゆく。

 

(……もう大丈夫だよ。今、私が助けてあげるから)

 

 今のリウラの力ならば、数える気すら起きない魂の集合体を分解し、融合に融合を繰り返した肉体の因子を読み取って分離させ、彼ら彼女らを個として再び甦らせることは可能だ。

 狂いに狂った精神を異能で強制的に落ち着かせることもできるだろう。クリエイターに食べられた記憶や、その時の恐怖を封印することだってできる。

 

 

 ――だが、果たしてそれは、本当にして良いことだろうか?

 

 

 今この場で全員を甦らせたとき、再び蟲毒のような捕食の連鎖が始まらないだろうか?

 例えそれをリウラが止めたとしても、全員を魔術で縛って管理するわけにもいかない。クリエイターの本能に支配され、第二の化け物プテテットが誕生しないとも限らない。

 

 また、何千年、何万年も後になった世界に放り出されて、彼らは生きて行けるだろうか?

 人格を持つ者も持たない者も含め、凄まじい種類の生物・種族が、融合を解けば何億、何十億と現れるのだ。

 そんな彼らの面倒を、リウラは見ることができるだろうか?

 

 

 無理だ。

 そこまでの重責を、リウラは背負えない。

 

 

 だから、リウラは彼らを()()()()()()()()()

 

 リウラが異能を持って巨大な魂を()()と、小さな個性を持った粒子がお互いに混ざり合っているのが分かる。

 リウラの異能は“見えないもの”を感知し、操る異能。彼女が“見よう”・“感じよう”と意識を向ければ、“見えなかったはずのもの”・“感じなかったはずのもの”を知覚することができる。

 アイやこのプテテットの()()のように、リウラが無意識に“見過ごせない”と感じていれば、意識せずとも感知することだってできるのだ。

 

 他の人が見ればミックスジュースのように見えるものも、リウラが見れば砂利と砂金が混ざったように見える。

 リウラは砂金と砂利をより分けるように、丁寧(ていねい)にプテテットの魂片(こんぺん)を分けて、次々に融合前であろう元の魂に戻し、分離させていく。

 “暴食”の苦しみから解放された魂が、強化されたリウラの異能を全開にすることによって1つ、また1つと凄まじい勢いで増えていく。

 

 肉体からそれぞれの魂を切り離し、それぞれの魂が苦しみから解放された途端、それらの魂が何か大きな力に引っ張られるのを感じる。

 それがこの世界を巡る“輪廻の力”であるとリウラの異能が分析すると、彼女はその力に逆らわず、ただ自然のままに魂をまかせた。

 

 絶えることのない飢えより解放され、ようやく眠りにつくことを許された魂たち。

 リウラの眼には光の玉のように見えるそれらは、キラキラと輝きながら流星群となって去って行った。

 

 

 

 

 

 ……ありがとう

 

 

 

 

 

(……!)

 

 リウラの耳に届いた、小さな小さな声。

 以前とは比較にならないほど強化された異能を()ってして、かろうじて聞き取れた弱々しく……それでいて感謝に溢れた言葉に、リウラははちきれんばかりの笑顔で応えた。

 

 

(どういたしまして!!)

 

 

 

***

 

 

 

「お姉ちゃん!? お姉ちゃん!!」

 

「ええい、少しは落ち着かんか! 策も立てずに(いのしし)のように突撃しようとするなど、貴様本当に私の使い魔か!?」

 

「でもっ! 早く、早くしないとお姉ちゃんが……っ!!」

 

 状況は最悪だった。

 

 せっかく救けに入った全員が強制的にプテテットの体内から排除され、よりによって救出対象であったリウラだけが取り残されてしまった。

 さらには、プテテットとの接触部分からかなりの量の精気を持って行かれ、リリィの魔力は半減。ベリークは膝をつき、シズクも立っているのがやっとだ。

 ティアに至っては魔力が枯渇寸前で気を失い、シズクが魔力を与えることで(かろ)うじて存在を保っている状態である。

 

 こんな状態で先程と同じようにプテテットに突撃などしたら、間違いなく全滅である。

 とはいえ、魔王にも他に策がある訳ではなく、半狂乱になっているリリィを触手で締め上げて暴走を止めることしかできない。

 

 完全に手詰まりで途方に暮れる彼らに、状況はさらに追い打ちを加える。

 

「……! 姫様、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

 氷精(こおりせい)シャンデルが警告し、精霊王女フィファが疑問符のついた悲鳴を上げる。

 

「えええぇぇええええっ!? なんで、どうして!? ここ激戦区よ!? なんでわざわざ危ない場所に突撃してくるわけ!?」

 

「私だって分かりませんよ!? でも、間違いなく魔物の気配がこちらに向かってきてます! このままでは、あと数分もしないうちに接敵します!!」

 

 確かに、魔物は強大な魔力の持ち主に()かれる性質を持っている。

 原作でいうなら、エステルが魔王の力を手に入れた際、大量の魔物が彼女に従った事例がそれにあたる。

 

 だが、流石に魔神同士がバチバチ()り合う戦場に好んで姿を現すような魔物は、滅多にいない。

 彼らは“魔力のお(こぼ)れに(あず)れるかもしれない”、“長い物に巻かれたい”といった思いで巨大な力の持ち主に()り寄るのであって、命知らずな訳ではないのだ。

 

「……来る!」

 

 

 ドッ――

 

 

 まるで洪水のように魔物の大群が押し寄せた――その時だった。

 

 

 

 

 

(……おいで)

 

 

 

 

 

「え? ふ、封印が……!?」

 

 プテテットを縛っていた封印が、フィファの手をすり抜ける感覚。

 直後、プテテットに異変が起こった。

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

***

 

 

 魂なきクリエイターの強大な肉体、これを放置するわけにはいかない。

 だが、あまりに秘めた魔力が高すぎて容易に破壊できず、様々な特性を持つ生物や無機物を取り込んでいるため、へたに破壊しようとすると何が起こるか分からない。

 

 ならば、自分が隠してしまおう。

 決して誰にも触れられない場所に。

 

 だから――

 

 

 

 ――融合する。飲み()

 ――その肉体も、魔力も全て

 

 

 

 クリエイターを取り込むことで、クリエイターを縛っていた封印魔術が対象を見失う。

 全てが終わった後、リウラはタンッと軽やかに地を蹴った。

 

 

 

 

 

 

「お、お姉ちゃん――!?」

 

 押し寄せる魔物の波の前に突如(とつじょ)として現れた影、それは間違いなくリリィの愛しい姉の姿であった。

 

 リリィが慌てて背後を見やれば、あの巨大なプテテットが影も形もない。

 いったい何があったのか、と戸惑(とまど)うリリィをよそに、リウラはそっと目を閉じ、両掌(りょうてのひら)を上に向けて軽く手を広げ、己が異能に心で命じた。

 

 

 ――因子顕現

 ――対象:氷精ヴィリニ、ヴュリテュン、レニア・ヌイ

 

 

 リウラの魔力が爆発的に膨れ上がり……()()する!

 リウラの眼が開かれ、鋭く魔物達を射抜いた。

 

 

 

 

 ――融合転身(ゆうごうてんしん) ブリザードティエネー

 

 

 

 

 白い爆発が起きる。

 いや、爆発ではない。リウラを中心に生み出された氷、それがあまりの速度で広がったため、爆発したように見えたのだ。

 

 大量の魔物を巻き込んで氷漬けにしつつ、リリィ達の前に生まれた巨大な氷山。

 その頂点に(ひび)が入り、徐々にその亀裂を広げ、粉々に砕け散った。

 

 輝くダイヤモンドダストの中から現れたのは、豪奢(ごうしゃ)(しも)のドレスで着飾ったリウラの姿であった。

 クリスタルのように輝く氷の首飾りやティアラが上品に彼女を飾り立て、白と水色のみで構成された(よそお)いながら、気品を感じさせる華やかさがそこに()った。

 

 リウラが(しと)やかにその手を振るう。

 すると、その軌跡をなぞるように氷の瀑布(ばくふ)が走り、進路上にいた魔物達をいともたやすく氷漬けにしてゆく。

 

 その氷を飛び越えるように、翼持つ魔物達が襲いかかる。

 すると、リウラは先程の淑やかな様子は何だったのか、ニッと笑ってグッと雄々しく拳を上に突き上げた。

 

 

 ――因子顕現

 ――対象:ルトハルピュア、歪秤(わいびん)の鳥娘、迎撃ユニットMG33

 

 

 霜のドレスが輝き、光がリウラの姿を覆い隠した直後、いつの間にかリウラを覆い隠すように現れていた2対の水の翼がバサリと広がり、中にいたリウラが露わになった。

 

 黒のリボンで二つ結びになっている髪型。

 服装は素肌の上に直接ブレザーのような服を着てネクタイをしており、下にはミニスカートとニーソックス、パンプスを履いている。

 肩から肘までを露出する分離式の袖(デタッチドスリーブ)やスカート、靴下はベースが黒なのだが、やたらキラキラしており、上着は銀に輝いている。

 頭には黒のカチューシャ、額に青銀のアイマスクをつけている。

 

 

 ――そう、()()()()()()()()。氷や水ではなく、明らかに()()()()()()()衣服が顕現していた

 

 

 先端が鳥の足のようになっている奇妙な翼から、何やら丸い金属製の物体がいくつも飛び出す。宙を飛んでいるところを見ると、何らかの魔導具だろうか?

 それらはライトをリウラに照射すると同時に、音楽を流し始める。

 

 ハラハラと水の羽が舞い散る中、ダンッとリウラが勢い良く右足を踏みしめると、舞い落ちていた水の羽の1つから短めの棒状の“何か”が勢い良く飛び出し、くるくると回転しながらリウラの手に収まった。

 

(……はい?)

 

 魔王達がその“棒状のもの”を理解できない中、リリィは“それが何であるか”をとても良く知っていた。

 それは、このファンタジー世界にはあるはずのない、非常に現代じみた道具――

 

 

 

 ……()()()、であった

 

 

 

 

 ――融合転身 アイドルティエネー

 

 

 

 

 リウラが歌う。

 超音波として指向性を持って放射されたそれは、味方には聞こえず、敵には破滅をもたらすセイレーンの歌となった。

 

 性質(たち)の悪いことに、その歌には“これでもか”とたっぷり魔力が乗っており、聞いた魔物を魅了で足止めしつつ、超音波でもって鼓膜を粉砕し、絶命させる凶悪な一撃であった。

 

 超音波の影響で、魔物が現れた側の迷宮が崩壊する。

 リウラは大きく跳躍すると、降り注ぐ岩盤の中へ、身を投じた。

 

 

 ――因子顕現

 ――対象:猫獣人ニール

 

 

 水の翼で再び自分を覆うと、パンッと翼が弾け、中から水の猫耳と2本の尾を生やしたリウラが飛び出した。

 

 

 

 

 ――融合転身 キトゥンティエネー

 

 

 

 

 ヴィアとは比較にならない魔力で強化されたリウラの身体は、水でできているにもかかわらず猫獣人のしなやかな筋肉を再現し、颶風(ぐふう)となって魔物や降り注ぐ岩々の間を駆け抜ける。

 

 タンッと落下する大岩を蹴り、くるくると回転しながら元の場所へと降り立つリウラの両手には、ひと目で業物(わざもの)と分かる立派な短剣(ダガー)がいつの間にか握られており、ブンと血糊(ちのり)を振り払った瞬間、魔物達の首を初めとする様々な急所から血飛沫(ちしぶき)が上がる。

 

 リリィ達は唖然(あぜん)とした。

 リウラが次々に姿を変えること……そして、何よりその強さに。

 

 これまでも気分によって水の衣を変化させる程度の事はしていたが、これはそんなレベルではない。明らかに“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そうでなければ、口から超音波を放ったり、猫獣人そのもののしなやかな動きを再現したりなどできるはずがない。

 

 これは、“クリエイター”という種族の特徴と、リウラ固有の異能について知らなければ、到底理解できる事象ではなかった。

 

 クリエイターは喰らった相手と融合し、その力を己のものとする特徴を持っている。

 性魔術のように“魔力や経験だけ”といった制限もなく、肉体に依存する固有能力や無機物ですら取り込める上、いくら喰らおうとも質量を自在に操作して適切な状態に保つことができる。

 さらには、やろうと思えば必要のない器官や能力は“因子”の状態にしておき、特定の姿を保つこともできるという凄まじい能力だ。

 

 一見、最強の強化能力に見えるが、しかし同時にこの能力は非常に大きな弱点も持っている。

 

 

 ――それは、“急速に力をつけすぎるせいで、膨れ上がった己の精気や魔力に魂が耐えられず、狂ってしまう”ということ

 

 

 いくら自身が強くなろうとも、己が人格が消えてしまっては何の意味もない。

 生まれるのは、ただ強大な力を持つ()()の怪物だ。

 

 しかし、強化されたリウラの異能が、この弱点を補った。

 

 1万年を超える長い年月をかけて、様々な自己改造が行われたリウラの異能は、“既に顕在化しているものを()()()()()”という点においてのみ、“目に見えるもの”に対しても干渉可能になっていた。

 

 どんなに強大な魔力であろうとも、本人の奥底に眠っている状態であるならば全く影響はない。

 リウラは、神ですら軽々と(ほふ)れるであろう強大な魔力の大半を己が内に眠らせてしまったのだった。“異能による封印状態”、と言い換えてもいい。

 

 その結果として、強化された能力のほぼ全てを“取り込んだ巨大プテテットの潜在化”に使ってしまい、彼女は弱体化してしまった。

 彼女は1万年以上かけて鍛えた異能を、ただ“神域の魔力を持つクリエイターの遺骸を保管するためだけの倉庫”として使ってしまったのだった。

 

 しかし、彼女に後悔はない。

 

 こんなとんでもない力を持ち、破壊すら困難であろう遺骸を放置しては、いったい誰に悪用されるかもわからないし、再びこのプテテットのような悲しい怪物が生まれてしまうかもしれない。

 例えどこかに封印したとしても、魔王の復活を企むディアドラのように狙われてしまうかもしれない。

 

 この遺骸によって、悲しむ人が出ることだけは避けねばならない……そう、リウラは信じているからだった。

 

 だが、強化された異能の力の大半を失ったものの、その代わりに彼女は別の力を手に入れた。

 それは強大な魔力と、数える気すら起きない数多(あまた)の種族特有の能力である。

 

 リウラが狂わない程度、という上限こそ定められてしまっているものの、異能によって魂が保護・強化された彼女の発揮できる最高出力は、今のリリィすら超える。

 潜在化した魔力を次々に引き出せることを考えれば、たとえ魔神と戦おうともガス欠の心配は()らないだろう。

 

 そして、その強大な魔力を持って駆使(くし)される様々な種族の特殊能力。

 本来であればささやかなはずの特殊能力が、膨大な魔力のブーストによって凶悪な効果を発揮する。

 

 彼女が自重なしに魔力を込めれば、わずかな時間魅了するだけの歌声が強力な洗脳魔術と化し、軽く痺れるだけの麻痺毒も心停止まで引き起こす猛毒と化す。

 更にはそれらを組み合わせることだってできる。

 

 リウラは雫流魔闘術(しずくりゅうまとうじゅつ)すらも超える膨大な技と、様々な状況に対応できる適応力を手に入れたのだった。

 

 

 ――ゴッ!

 

 

 唐突に横から放たれた、雷撃を(まと)う嵐。

 

 しかし、それに瞬時にリウラは反応して左手をかざすと、一瞬にして水の傘を展開。雷風を円錐状の水結界で受け流し、結界から伸びた水のアースが雷を地面へと受け流すことによって、リウラを含めた仲間全員を護る。

 かつて師が魔神の雷撃よりリウラを護るために使ってくれた技――避雷傘(ひらいさん)である。

 

 雷竜にも劣らぬサンダーブレスを吐き、未だ口の周りで火花を散らす巨大蝸牛(ラーグスネール)を視認したリウラは、グッと両の拳を握って胸の前で交差しつつ腰を落とし、両の手を鉤爪(かぎづめ)のように開きながら勢い良く下に降ろしつつ、咆哮(ほうこう)した。

 

 

 ――――――――!!!

 

 

 少女の口から放たれたとはとても思えない、竜そのものの咆哮が響き渡った直後、リウラの周囲に稲光が弾け、足元から極大の昇雷放電(ブルージェット)が立ち昇り、リウラの姿を覆い隠す。

 

 雷光が過ぎ去った時、リウラの姿は大きく一変していた。

 

 頭部より前方に伸びる2本の角は紫電を纏わせ、しなやかさを感じさせつつも周囲を威圧する豪奢な青紫と銀の2色でカラーリングされた鎧を纏っている。

 その鎧の胸部には発光する紫紺の四角い宝玉が埋め込まれ、凄まじい雷の魔力を放射していた。

 

 ――リウラは知らない

 今、顕現した因子の元の持ち主である雷竜が、彼女の背後にいる子竜達の血族であるということを。

 

 まるで今は亡き雷竜の遺志を汲み取ったかのように、()の雷竜の同朋(はらから)である子竜達を……そして、その家族となるであろう仲間を護るため、四大守護竜の一角と融合したリウラは強力な不可視のフィールドを展開する。

 竜族特有の魔力力場だ。竜族は自らの魔力を用いて特殊な力場を創り上げることにより、飛翔を初めとした数々の難解な魔術的作業を正確かつ素早く、そして感覚的に行えるようになる。

 

「この力場って……まさか……」

 

「……」

 

 リリィが息を呑み、魔王の視線が鋭さを増す。

 

 人の記憶とは曖昧なように見えて、実は機械のように正確である。

 暗示をかければ、どんなに幼い頃の記憶でも引き出せることからわかるように、人の記憶は無意識を活用することにより、どんなに些細な記憶だろうと写真や動画のように鮮やかに再生することができる。

 

 リウラが脳裏に再生し、そして力場によって再現しているのは、当時の愛する妹が自傷もいとわず放った、身の丈に合わない大魔術。

 固い硬い人型の牢に(とら)われて泣いていた、たった1人の土精を救った優しい魔術。

 

 その時に使われた短剣(たま)は無いけれど、そんなものよりもずっと硬く丈夫な弾はここにある。

 

 

「――貫いて」

 

 

 

 ――竜技 偽・超電磁弾

 

 

 

 一瞬にして全身に雷を纏ったリウラが、自らの創った電磁力場に弾かれ、次の瞬間、迷宮を揺るがす轟音とともにラーグスネールの背後に降り立った。

 

 繰り出されたのであろう右脚は、ひときわ強力な雷の魔力に輝いて、大人の親指ほども有ろう太さの火花を散らし、視線は真っすぐ前方を(にら)んで残心の姿勢を取っている。

 その背後で、あれほど容易(たやす)く魔神達の魔弾を弾き返していた背の殻に大穴を開けたラーグスネールが、ぐらりと横へ倒れ――

 

 

 ――かけたところを、がっしりと巨大な鉤爪が引っ(つか)んだ

 

 

「へ?」

 

 振り返ったリウラが間抜けな声を上げた時には、鳩頭の魔神はラーグスネールをかっさらい、「かかかかかかかっ! 妻よ、娘達よ! 今、土産(エサ)を持って帰るぞ~~!!」と叫びながら空へと羽ばたき去って行ったのであった。

 

 

 

「……あの鳥、しゃべれたんだな」

 

「……むしろボクは、アレに嫁と子供がいたってことに驚いてる」

 

 先程までブリジットと戦っていた着物少女を、背から生える触手によって背後で埋もれさせながら、魔王はそれを見上げつつぽつりと(つぶや)き、その隣でブリジットは腰に手を当てながら同じ方向へ視線をやりつつ、呆れたように感想を述べるのだった。

 

 

***

 

 

「お姉ちゃん!」

 

「リリィ!」

 

 ひしと抱き締め合い、再会と互いの無事を喜び合う姉妹。

 しかし、安心する暇は無い。未だ予断を許さない状況は続いている。

 

「ヴォルクーっ!! どこですのーっ!!」

 

 リューナは焦る。この階に降りるまで感知できていたはずの位置把握の魔術……ヴォルクにマーキングしていたそれが一切反応を返さないのだ。

 付与された魔術が何らかの理由によって()がされたり機能不全に(おちい)っていたりするだけならば良いのだが、最悪の場合――

 

 

「呼んだか?」

 

 

 ――を想定する暇もなく、のほほんとした声とともに、リューナの背後から狼顔がニュッと現れた。

 リューナの肩が面白いように、びびくん! と跳ねる。

 

「うおわぁっ!? いったい、どこから現れやがったですのっ!?」

 

「なに、隠形(おんぎょう)は得意分野でな」

 

「そういう問題じゃ……」

 

 そう言いかけて、リューナは「あれ?」と首をかしげる。

 

(なんで、わたくしはヴォルクを感知できなかったんですの?)

 

 見たところ、リューナが掛けた位置把握の魔術は確かに剥がれてしまっている。

 だが、今の彼女は、ルーンエルフの魔術を知り尽くした前世の記憶を取り戻しているのだ。

 

 こんなすぐ傍まで近寄ったならば、彼女が今まさに行使している数々の探査魔術のいずれかに確実に引っかかっている。

 もしリューナが見つけられなかったとするならば、ヴォルクにそういった探知を回避するような魔術がかけられていた、としか考えられない。

 

 だが、ヴォルクがそんな高度な魔術を使えるなど、リューナは聞いたこともない。

 リューナが頭を悩ませようとする間もなく、ヴォルクはリリィの居る方向を見て口を開いた。

 

「どうやら厄介ごとのようだな。向こうへ行くぞ、リューナ嬢ちゃん」

 

「うえっ!? ちょっ、ちょっと待つですの! 引っ張るなー!」

 

 “いったい何なのか?”とそちらを見て、リューナの顔が引き締まる。

 なるほど、これは大変だ。少なくとも、無事が確認されたヴォルクの技能のことなんて、後回しにしても全然かまわない程に。

 

 

 ――リリィと魔王が、今まさに向き合って会話を始めていた

 

 

***

 

 

(……なんなのでしょうか、この違和感は……?)

 

 シルフィーヌが見守る中、リリィと魔王の会話は彼女に……いや、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 魔王は『リリィのおかげで、心から自分を愛してくれている人に気づくことができた』と、照れて真っ赤になっているブリジットを紹介し、リリィは『魔王のおかげで大切な姉を救うことができた』とリウラを紹介する。

 

 そして、リリィは『命令するな』という単純な1ワードの命令を口にするどころか、『あなたの使い魔ではなく、1人の魔族として、あなたの家族として魔王と向き合わせてほしい。だから、使い魔の契約を解除してほしい』と申し出た。

 

 従属の縛りがある以上、これは申し出ではなく、実質的な命令だ。

 だが、その事に気づいているのかいないのか、魔王は申し出を快諾し、シルフィーヌ達の目の前で呪文を唱え、契約を解除して見せた。これで、リリィの命令のみが魔王に通ることになるだろう。

 

 

 順調だ……()調()()()()()()()

 

 

(もしかして、本当に魔王がリリィの使い魔になっていることに気づいていないのでしょうか? そう考えれば、先の命令も理解できますが……)

 

 リリィがあの巨大プテテットに怯えていた時、魔王は行動不能に陥っていた彼女に対し、『命令するな』ではなく『勇気を振り絞り、立ち上がれ』と命じた。

 もし単純に巨大プテテットに突っ込ませたかったのならば、『命令するな』と命じておいてから先の命令を出すなり、単純に傀儡(かいらい)として突っ込ませるなり、やり方はいくらでもあるだろう。

 

 これがリリィの命令によって“自分の良心に従った結果”だというのならば、辻褄(つじつま)が合う。魔王はリリィのためになるように動いたのだ、と。だが……、

 

 

 ――なぜだろう。うまく()に落ちない

 

 

 

 

 

 一方、シルフィーヌよりも政治的な経験が多いティアは、さらに深く魔王達のやり取りを分析していた。

 

 魔王達の狙い自体は明確だ。

 彼らは“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 先の命令の最大のメリットがそれなのだ。

 あの状況であのように命令すれば、周囲の者は十人中九人までがシルフィーヌのように“魔王はリリィの命令に気づかず、己が良心に従って生きるようになったのだ”と思うだろう。

 リリィが巨大プテテットに突っ込んで死のうが死ぬまいが関係なく、その印象だけは植え付けることができる。

 

 こうしてリリィの要求に快諾しているのも、それが目的だと考えると矛盾しない。

 

 事実、非常にさりげなくではあるものの、先程から影を薄くしているブリジットの使い魔(オクタヴィア)がシルフィーヌとティアに視線を送り、こちらの様子を伺っている。

 人間族……より正確には、“ユークリッド王国で最も影響力を持つ2人に今のシーンを見せたい”という思惑(おもわく)が丸わかりだ。おそらく、エステルが居れば彼女の様子もうかがっていたことだろう。

 

 

 ――だが、いったいなぜ? どうして、彼らが人間族の顔色を(うかが)う必要がある?

 

 

 仮に協力してディアドラを倒す方向に方針転換したのだとしよう。

 だが、そうだとするならば“リリィに対する完全従属”はあまりにも代価が大きすぎる。そこまで譲歩せずとも、協力するだけならば交渉は充分に可能だ。

 

 

 更に、先の仮定が正しいとするならば、()()()()()()()()()()()()

 

 

 ティアは気づいている。

 魔王の触手によって今まさに性魔術の餌食となっている着物少女。触手に埋もれてその姿が見えなくなっているが、触手の間から彼女の視線が、何故か()()()()()()()()()()()()()

 “実はとっくに性魔術による支配が完了している”とするならば、彼女の行動は魔王の意思だろう。ならば、なぜ1獣人、1マフィアでしかない彼の様子を伺う必要がある?

 

 そして、魔王の表情。

 病弱な身であるが故に、政治的な経験の少ないシルフィーヌでは気づけなかったようだが、明らかに何かを企んでいるときの特徴が表れている。

 

 最後に……()()()()()()

 彼女もまた、何かを企んでいる。親子であるが故か、その表情は魔王とそっくりだ。

 さらに、リリィはヴォルクと目が合った瞬間、()()()()()()()()()()()()()。いったい、それは何を意味している?

 

 ……腑に落ちないのは、ティアの経験に照らして見る限り、魔王とリリィの“何かを企む”表情が、()()()()()()()、ということである。

 

(実は、使い魔の契約で心話(しんわ)が使えていた? シルフィーヌが問いただした時には既に魔王から『命令するな』という命令が下っていて、私達には『心話は使えない』と嘘をつかされた? それならリリィを裏切らせることも可能だけど……いえ、それならリリィが“共犯者”の顔をするはずがない。むしろ、何とか反抗しようと動くはず)

 

 リリィが魔王の命令を受けた時、リリィは逆らい、『待ってくれ』と嘆願(たんがん)した。だからこそ、あの場面で魔王に対し『自分の良心に従え』と、リリィ本人が意図することなく命令を下すことができた。

 もしリリィ自身の意思にそぐわない命令を出されたのであれば、同様に逆らって見せるはずだ。

 

(……まずいわね。明らかに何か情報が足りない。そして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 おそらくそれは魔王とリリィが共有する何らかの情報、もしくは知識。

 それが欠けている為に、現在の状況が理解できない。おそらく、そのカギは――

 

(――魔王の魔力。いったいどうやって短期間であそこまで回復できたのか……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 気づいていない訳がない。

 これだけの戦場で魔神達と対等に戦っていたこともそうだが、何より見た目がまるで違う。

 

 リリィが魔力を奪った直後は幼女の姿をしていたのに、今は女顔の美青年になっているのだ。

 おそらくは男性化の魔術を使ったのだろうが、これだけ顕著に表れていて“魔力の回復”に思い至らないのはあまりに不自然。

 

 だが、彼女はその事について全く話題に出そうとしていない。いや、()()()()()()()()()()()()

 でなければ、これほど話題にしやすいものをあえて避ける必要がない。確実とは言えないが、そこにヒントがある可能性はあった。

 

 ティアが問いただそうと動いた、その時だった。

 

「なんだと……っ!?」

 

「こ、この魔力って……!」

 

 魔王が驚愕(きょうがく)に目を開き、リリィが猫耳や尾の毛を逆立てて動揺する。

 

 

 ――直後、迷宮の様子が一変した

 

 

 ゴツゴツとした岩肌が緑がかった不気味な肉の壁へと変化する。

 

 それだけではなく、所々(ところどころ)に巨大な心臓のようなものや腫瘍(しゅよう)のようなものが現れ、大きく脈動している。

 良く見れば肉壁には血管のようなものが通っており、それらの脈動とともに液体を押し流している様子が見える。

 

 そして、何より異常なのは……

 

「こ、これは私の魔力か……!?」

 

 それらが全て魔王の魔力を……それも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を発していることだ。

 

「な、なんで……どうして…………?」

 

「! お姉ちゃん、どうしたの!?」

 

 リウラは青ざめ、動揺に声を震わせる。顔色のわかりにくい水精でありながら、ハッキリとわかる程に。

 そして、それは魔王やリリィのような“驚愕”だけではなく、明確な“恐怖”を(ともな)っていることを意味していた。

 

 それもそのはず。彼女だけが今、何が起こっているのかを、原作知識を持つリリィ以上に理解していたのだから。

 そして、それこそがリウラが最も避けたいと思っていたことだったのだから。

 

 

 ――魔王の肉体の先祖返り

 ――そして、それに伴うクリエイターの捕食・融合能力の暴走である

 

 

 リウラの前世……水瀬 流河は見ていた。

 クリエイターが悪魔を捕食し、融合していた場面を。

 

 ならば、あれから何千年、何万年とたてば、“先祖がクリエイターだった悪魔”が生まれても決しておかしくはない。

 クリエイターにだって、生殖能力は有るのだ。悪魔をより多く取り込み、悪魔の特徴を色濃く反映したクリエイターならば、悪魔とつがいになることも有るだろう。

 巨大プテテットを取り込み、その機能の全てを理解したリウラにはそれが分かる。

 

 そして、その力が暴走すれば、今のように生物・無生物を問わず手当たり次第に食い荒らすことになる。

 それはやがて、世界そのものを喰らい尽くす存在となるだろう――巨大プテテットの死骸を残すことを恐れ、リウラが自らの内に取り込んだのは、これを避けることも大きな目的だったのだ。

 

 だが、なぜ?

 いったい、どうしてこうなった?

 

 過去、リリィの話を聞いた限りでは、魔王にこのような融合能力など無かった。

 非常に優秀で強大な力を持ってはいたが、それ以外は極めて一般的な魔族だったはずだ。

 リウラのような“潜在能力を解放する異能”でもない限り、遥か昔に失われた先祖の能力を復活させることなどできるはずが……!

 

「……アイは迷宮と融合して魔力を奪う能力を持っていたわね。ディアドラが彼女と、封印された魔王の肉体に何かしたのかしら?」

 

 ティアがそう考察すると、意外なところからそれを否定する声が上がった。

 

「……それはないわよ」

 

 いつの間にか傍に居た精霊王女である。

 彼女の顔もまた、リウラと同様に青ざめていた。

 

「ちらっと見ただけだけど、“アイ”って魔術でどこかに行っちゃった、変わった土精の子でしょ? もし、あの子が迷宮と融合したんだったら、どんなにその魔王の魔力が強力だろうと、アタシが気づかない訳ないわよ……」

 

 今の迷宮に満ちる魔王の濃密な魔力は、パッと感じただけでもかつての魔王を遥かに上回っている。この魔力濃度の中でも、彼女は明確に精霊の気配や魔力の特徴を感知できるらしい。

 精霊限定なのかもしれないが、デタラメな感知能力である。

 

 では、いったいなぜ?

 

「……おそらく、昇華(しょうか)の魔術が暴走したのだろうな」

 

 回答を見出した魔王の声。

 周囲の視線が彼に集中する。

 

「貴様らも見ているだろう。リリィが自身を成長させた魔術……あれは、いったん肉体を精気として分解し、その潜在能力を解放してから肉体を再構成する術だ。分解するレベルが高ければ高いほど強力な存在になれるのだが、そのぶん原型を留めなくなる可能性が高い危険な魔術でもある」

 

「かつて私は、その術を自分自身に使用したことがあるのだが、再構築が甘かったのか少々肉体が不安定でな。やろうと思えば、自分で自分の肉体の形を多少いじることができたのだ。あの女(ディアドラ)が私の肉体の扱いを誤って魔力を暴走させたのなら、こうした事態も十分に有り得る。……おそらく、あの土精の娘は、私の肉体の封印を解くためか……あるいは私の肉体を操作するための魔力の供給源にされたのだろう。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()

 

 だからか、とリリィは納得する。

 

 原作では、魔王の本来の肉体のサイズが場面場面によって大きく異なる。

 勇者達と戦う時などは見上げるような巨人のような大きさなのに、ある時は幼い頃のリリィと性行為を行えるほどのサイズにまで縮んでいることがあるのだ。

 さらに言えば、自分の肉体を操作して触手を生み出し、複数の女性と性行為を行うシーンもある。あれは、彼の肉体の不安定さが原因だったのだ。

 

 莫大な魔力を持つ魔王の肉体が精気として(ほど)かれ、その制御を失えば、この迷宮全体を覆い尽くしてもおかしくはない。

 そして、覆い尽くした後で再構築されてしまえば、“迷宮そのものが魔王化する”ということも充分に有り得てしまう。

 

 だからか、とリウラもまた納得する。

 

 一度、自らの肉体を精気レベルにまで分解すれば、なるほど、確かに潜在能力を100%解放することは可能だ。

 どんなに退化していようとも、構成するエネルギーにまで分解して確認すれば、異能など使わずとも、その者の持つ全能力を確認することができる。

 融合能力が残っているのならば、十全な状態で機能を復活させることは可能だろう。

 

 完全に解放して精気そのもので肉体を構築してしまえば、不老は確定。

 一部のプテテット等が持つ超再生能力を運よくその肉体が持っていれば、“魔力が持つ限り”という条件の元でなら不死をも実現できるかもしれない。

 

 しかし、分解した自分の再構築を魔術まかせにするなど、リウラには恐ろしくてできない。

 そんなことをすれば、どんな形に自分が戻されるか分からない。どんなおぞましい姿になってもおかしくはないのだ。

 

 場合によっては魂にまで影響が出て、正気を失ってしまう可能すらある。

 リリィが正しく成長した姿に戻れたのは、分解レベルが低かったこともそうだが、彼女自身が精気で肉体を構成する睡魔族(すいまぞく)であったことが大きかったのだろう。

 

 そして、リリィが既にこの魔術を使っているということは、“彼女に眠ったままの力は(ほとん)ど残っていない”ということを示している。

 リウラが異能を使っても、彼女を大幅にパワーアップさせることはできないだろう。

 

 ……ラテンニールとの性魔術戦で魔王がリリィを操ったように、あるいは昇華の魔術のレベルを引き上げるように、リリィの生命維持や肉体・精神に異常をきたすレベルで力を引き出すのなら、話は別だが。

 

 2人が納得し、対策を考えようとした直後――――――迷宮が大きく震えだした。

 

 

***

 

 

「兄上、ご報告します」

 

「エステルか。どうした?」

 

「今しがた○○○国が到着いたしました。これで残るはあと1国になります」

 

「承知した。到着するまで待機していてくれ」

 

「はっ」

 

(シルフィーヌ……もう少しだけ待ってほしい……そうすれば、兄上が、私が、各国の勇者が魔王を打ち滅ぼしに行く)

 

 エステルの鬼気迫る説得が功を奏したのか、ゼイドラム王は(ただ)ちに神託を求めるよう神官達に命じ、そして“魔王の復活と、その討伐”という神託を授かるや否や、勇者リュファスが先頭に立ち、各国の勇者に協力を要請した。

 

 勇者達は忘れていない。魔王の怨嗟(えんさ)に満ちた呪いの言葉を。

 

 

 ――『……覚えて、おくがいい。私は、滅びるわけでは、ない。いつか必ず蘇り、復讐を……果たすであろう』

 

 

 魔王の恐ろしさは、実際に最前線で戦った各国の勇者達が最もよく知っている。

 魔王が封印され、平和な日々を過ごすうちに市民や一部の王侯貴族、中には兵士ですら平和ボケしてしまったようだが、勇者達はそうではない。

 いつ復活するか分からない魔王の存在を恐れ、日々自らの力を(みが)き続けてきた。

 

 だからこそ、“魔王の復活”という一報が届いた瞬間から、彼らは行動を起こした。

 その速度は通常では考えられない程に素早く、エステルが王に報告してからそう時は()っていないというのに、もうユークリッド近郊に各国の勇者達がほぼ勢ぞろいしていた。

 

「……なんだ?」

 

 エステルは設営された自軍のテントに戻る際、わずかに揺れを感じた。

 一瞬“気のせいか?”と思うも、すぐにその揺れが足を(すく)われそうになるほどに増大し、決してそれが勘違いでないことに気づく。

 

(地震だと!?)

 

「全員、テントから離れろ! 貨物の(そば)に居る者もだ! それから――」

 

 滅多に経験することの無い地震にわずかに動揺するも、すぐに的確な指示を大声で下すエステル。

 しかし、その彼女の指示をかき消すような叫び声が響いた。

 

「エステル様! あれを! あれを見てください!!」

 

「!? 貴公は、いったい何……を……!?」

 

 エステルは未だ大地が揺れているにもかかわらず、呆然とそれを見上げた。

 

 はるか地平線の向こう……かつて魔王によって滅ぼされたシュナイル王国のある辺りから、徐々に何かがせりあがってくる。

 

 

 ――それは、“人”だった

 

 ――巨人族すら、赤子に思えるほど大きな“人”だった

 

 

 ……いや、よく見れば“人”ではない。

 頭や肩から大量の土砂を落としながら身を起こすその大きさ、そしてその身に秘める魔力はかつての彼とは天と地ほどにも違うが、各国の勇者も、彼らの配下で戦った兵士達も、その姿は恐怖とともに記憶に刻み付けられていた。

 

 そう、彼は……

 

 

 

「魔王……」

 

 

 

 だれかがそう呟くと同時、“それ”は大きく咆哮(ほうこう)し、ギラリとエステル達を、この遠距離からでもハッキリとわかる大きな(まなこ)で睨みつけた。

 

 

 

 



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第十章 決戦 前編

()()()()()()()魔王(コイツ)()()()()()!?」

 

 今なお続く迷宮の凄まじい振動に声を揺らしながら、ブリジットの疑問符に満ち満ちた叫びが辺りに響く。

 

 彼女の疑問はもっともだ。言っている意味が分からない。

 いや、“迷宮と魔王の肉体が融合したこと”は周囲を見れば分かるのだが、それならばリウラは素直にそう言うはずだ。『迷宮が魔王になる』という言い方はしないだろう。

 

「この凄い地震……これ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。まわりから魔王さんの魔力だけじゃなくて、明確に“戦おう”とするディアドラの意思を感じる。たぶん、ディアドラも魔王さんの肉体と一緒に迷宮と融合したんだ」

 

「ディアドラだと? いったい誰と、何のために戦おうというのだ?」

 

 リウラの説明に、魔王が問う。

 

 魔王の肉体とディアドラが融合するのは分かる。おおかた魔王の肉体を乗っ取ろうとしたのだろう。

 昇華魔術で不安定になっていた魔王の肉体の扱いを誤り、魔力を暴走させ、迷宮まで融合してしまったのは誤算だろうが。

 

 封印の間の場所についても、あれだけ神出鬼没な彼女であれば、知っていてもおかしくはない。

 この場においてはリリィしか知らないが、彼女は原作において王城にあっさり忍び込み、シルフィーヌに気づかれることなく彼女の部屋に潜んで盗み聞きできる腕を持っているのだ。

 

 だが、魂を失って抜け殻となった魔王の肉体にディアドラの精神が入った以上、彼女自身が魔王となったようなもの。

 そんな彼女が、明確に“敵”と認識して戦おうとする相手とは、いったい誰だ? そして、彼女は何のために、その“敵”と戦うのか?

 

 彼女の殺気や敵意をリウラ達が感じていない以上、その“敵”がリウラ達でないことだけは確かだった。

 

「そんなこと、どうだっていいでしょ!? “迷宮(ここ)が魔王の腹の中になった”っていうんなら、早くみんなを避難させないと!!」

 

 焦りに満ちた声でヴィアが叫び、リューナが隣でガクガクと頭を上下させる。

 

 今の迷宮は非常に危険だ。この地震もそうだが、いつ自分達もこの迷宮のように同化・融合してしまうか分からない。

 ひょっとしたら高い魔力や精気を持つ自分達は問題ないかもしれないが、彼女達の家族をはじめとして、そうではない者達が迷宮には大勢暮らしている。避難を真っ先に訴えるのは当然であった。

 

 実は、融合に関してだけはおそらく問題ないと、リウラにだけは分かっている。

 

 迷宮が魔王の肉体と融合した当初は焦ったが、迷宮と融合したディアドラの意思からは“戦意”しか感じられず、度を超えた融合をしたクリエイターに存在してしかるべき“捕食”や“食欲”の衝動が欠片も意識に浮かんでいない。

 

 リウラの異能の特性上、ディアドラの許可なく彼女の精神を探ることはできないが、おそらく戦闘を止めたとしても、今から誰かを吸収・融合することはまず無いだろう。

 もしかしたら、魔王の肉体に残っていたクリエイターの因子はごくごく弱いものだったのかもしれない。

 

 懸念があるとすれば、“迷宮と融合した瞬間”だが、リウラ達の魔力の高さによる抵抗力とは無関係に生物を取り込もうとはしなかった。

 事実、わずかに生き残ったリザードモール達が、戦闘によって瀕死の状態であるにもかかわらず、誰一人として取り込まれていない。こちらも心配する必要はまず無い、と言えた。

 

 とはいえ、この地震はまずい。

 迷宮そのものが魔王と化した以上、迷宮の動き方によっては上下逆さになったり、生物の関節のようにグリグリ動いてもおかしくはない。

 そうなれば、壁に挟まれたり、どこかにぶつかって骨折したりする人も出てくることだろう。場合によっては致命傷になってもおかしくはない。

 

 シルフィーヌはヴィアの言葉に頷くも、その表情は(かんば)しくない。

 

「確かに、あなたの言う通りです。……()()()()()()()()?」

 

 そう言われて、ヴィアは言葉に詰まる。

 

「この広大な迷宮を探索し、人を見つけ、彼らを避難させることにどれほどの時間がかかるでしょう? 私は短距離転移ならばできるので、ある程度距離を無視できますが、それでも迷宮の隅から隅まで探索して避難誘導を行うのは現実的ではありません。ましてや、私は封印の間までのルート以外、この迷宮をほとんど知らないのです。達成は非常に困難と言えるでしょう」

 

「さらに言えば、シルフィーヌも私も“迷宮内から迷宮内への転移”はできるけど、“迷宮そのものから脱出する転移”はできないわ。もしそれをするなら、“飛翔の耳飾り”を用意するか、迷宮外に通じる転移門まで避難者を集める必要がある。……もっとも、この状況でその転移門が無事かは分からないけどね」

 

 シルフィーヌとティアが、救助における課題を列挙(れっきょ)する。

 

 この迷宮は非常に広い。その広さは情報屋であるヴォルクですらどこまで広がっているか把握しきれておらず、『大陸中に広がっている』と言われても全くおかしくない広さだ。

 いかにシルフィーヌが並外れた凄腕の魔術師であろうとも、一個人でそのような広さを短時間で回れる訳がない。

 

 そして、シルフィーヌやティアが使用する転移魔術の有効範囲は、だいたい射撃系魔術の有効射程と同程度……要は()()()()()()()()()()()()、ということだ。

 

 壁があろうとも無視して移動できるし、連発できるので総合して見れば移動速度は相当に速いが、迷宮そのものから脱出するような長距離転移はできない。

 それをするならば、転移門や飛翔の耳飾りといった専用の魔法具が必要になるだろう。

 

 だが、迷宮が魔王の肉体と融合した以上、転移門も融合に巻き込まれてしまっている可能性は非常に高い。

 まともに使用できるかは賭けになるだろうし、仮に機能したとしても、今も動き続けている迷宮のどこに門があるのかは分からない。

 

 『出口に転移した途端、魔王化した迷宮の移動で押しつぶされました』では目も当てられない。

 この迷宮から脱出するには、力づくで外壁を破壊して安全を確かめるか、あるいは“必ず使用者が安全な場所に転移する”機能を持った飛翔の耳飾りの使用は必須条件である。

 

 実を言うと、状況がひっ(ぱく)しているのはシルフィーヌ達も同じだ。

 

 迷宮が動き出した、ということは迷宮の上……すなわち地表にも多大な影響がある、ということ。

 ユークリッドを含む地上の国々に何が起こっているのか、現在の彼女達には知る(すべ)がないのだ。

 早急にこの迷宮を脱出して状況を確かめなければならないのだが、その為にもなんらかの脱出手段の確保は急務と言えた。

 

()()()()()()()()()()()

 

 意外なその言葉に全員がヴォルクを見ると、彼は鋭い爪を伸ばした人差し指で隣を指さしていた。

 

 ヴォルク以外の全員の視線がその指先を辿(たど)ると、そこにはきょとんとした表情のブリジットが思わず自分を指さしていた。

 彼女の耳には、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が揺れていた。

 

「なるほど、そういえばそれは元々貴様の持ち物だったな」

 

「確かに私達は、それで迷宮を一時的に脱出していましたね」

 

((((((それでか……))))))

 

 魔王とオクタヴィアが納得して頷き、リリィ、ヴィア、シルフィーヌ、ティア、サスーヌ、ヴィダルの6名が疲労感による脱力とともに納得した。

 

 なるほど、いくら迷宮中を探しても魔王達が見つからない訳だ。……長距離転移で迷宮の外に出ていたのだから。

 彼女達の“無駄なことをしていた”という徒労感(とろうかん)は凄まじかった。

 

「あ、揺れが止まった」

 

 突如(とつじょ)として揺れが止まり、今度はズシン……ズシン……と大きな音を鳴らしながらゆっくりと上下に動いている。

 

 どうやら、今の迷宮には何本かは分からないが“足”があるようだ。

 そして、リウラが迷宮から“戦う意思”を感じた以上、この迷宮はなにがしかの“敵”に向けて移動を開始している可能性は高い。

 

 救出を行うなら今だ。

 可能なら戦闘が始まる前が良い。

 

「飛翔の耳飾りは1組だけ? 今の迷宮でも使えるのかしら?」

 

生憎(あいにく)これ1組だけだな……あと、ティアの嬢ちゃんの懸念は、おそらく当たってる。こんだけ魔王の魔力が迷宮に(かよ)っちまってると、まともに機能するかどうかは賭けだ」

 

 飛翔の耳飾りは便利な反面、非常に繊細な魔法具だ。

 特殊な魔力が通った迷宮だと、うまく機能しないことは多々(たた)ある。

 

 また、飛翔の耳飾りは“脱出”はできるが、“迷宮に戻る”ことはできない。つまり、飛翔の耳飾りが1組だけならば、使えるのは1回だけだ。

 ということは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()、ということを意味している。この広大な迷宮の生存者全てを1ヶ所に集めることの困難さは言うまでもない。

 

「それ貸して! 早く!」

 

「お、おう?」

 

 珍しく慌てた様子のリウラの姿に、戸惑いながらもブリジットは耳飾りを取って渡す。

 

 あまりにも素直に渡すその様子に、ティアが(わず)かに反応する。

 

 これがもし自分やシルフィーヌ達であれば間違いなく反発したであろうし、たとえリリィであったとしても多少なりとも抵抗感がある様子を示しただろう。

 そうした様子が一切ないということは、彼女がリウラに対して妙なプライドや反発心を持っていないという何よりの証拠であった。

 

 ティアは頭の片隅に“ブリジットに交渉するときはリウラを通したほうが良い”と書き込んでおく。

 

 リウラはブリジットから右手で耳飾りを受け取ると、左手で迷宮の肉壁を強引にむしり取り、それらを手の中に入れたまま両手を合わせ……数秒したのちに開く。

 

 

 ――そこには、肉壁と同色の()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「……オマエ、いったい何したんだよ」

 

 一同が絶句してドン引きする中で、薄々リウラが何をしたのかを察しながらもブリジットが問うと、リウラは真剣な表情で答える。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()。これなら多分、この迷宮からでも脱出できると思う」

 

「……次から次へと色々起こるから聞くのを後回しにしてたけど、お姉ちゃんにいったい何が起こったの?」

 

「あのでっかいプテテットを取り込んだり、変身したり、魔法具や魔術を使った様子もなしに、飛翔の耳飾りを合成したり……いったい、いつからリウラは水精(みずせい)()めてしまったんですの?」

 

 リリィが“頭が痛い”と額に手を当て、リューナが呆れた様子でジト目になり、彼女の隣では彼女の操る魔導巧殻(リューン)が宙で肩をすくめている。

 だが、本当に時間が無いので『その質問への回答は後で』ということで、話は進む。

 

「とりあえず、これで脱出手段は確保できたわね。……とはいえ、1組しかないということは、脱出させる人達を1か所に集めないと――」

 

「あ、そっか。ごめんごめん」

 

 ヴィアの言葉に、そうリウラが言うや否や、彼女は再び手を閉じる。

 

「リリィ、両手を出して。こう、水を(すく)うような感じで」

 

「はい?」

 

 訳も分からず、とりあえず言われた通りにリリィが手を出すと、その上にリウラは自分の閉じた両手を持って来て下向きに開く。

 

 

 

 ――ぼとぼとぼとぼと

 

 

 

「「「「「「「……………………………………」」」」」」

 

 “もう、何も言うまい”――1組しかなかったはずの耳飾りが、リウラの手からリリィの手に向かって人数分こぼれ落ちる様子を見て、一同の心は一致した。

 

 

 ――ただ1人……セシルを除いて

 

 

 一見しとやかに微笑んでいるものの、彼女の目はリウラに対する興味と興奮でギラギラと輝いている。

 なぜなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 リウラの変身も、今の物質の合成・複製も、その本質は同じ――クリエイターの融合能力だ。

 しかし、リウラの場合、彼らとは決定的に異なる点がある。

 

 

 ――それは、“()()()()()()

 

 

 リウラは一度融合したものを判別・把握し、それを自在に制御することができるのだ。

 

 クリエイターの融合能力はあくまでも()()()()能力。本来、リウラのように特定の能力を切り取って持ってくるような器用なことはできない。

 なぜなら、彼らの融合能力は“進化”・“生存”するための能力として究極化されたものであり、“その能力が必要とされる状況・環境”が現れない限り、そうした能力は因子化され、使われることがないからだ。

 

 仮に様々な能力を持つ生物を捕食したクリエイターが居たとしよう。

 彼らの姿は吸収した生物が全て入り混じった不気味な姿になるようなことは決してなく、最も安定した姿、現在の環境に最適化された能力を発現する。

 

 ――海で生活するならば、水中でも呼吸できるか、あるいは呼吸が不要になる能力が……

 ――強力な攻撃をする外敵がいる環境では障壁作成能力が……

 ――そして、何も過酷な環境が無ければ、獲得した能力はだんだん退化=因子化し、最後には一番最初の……この世に生を受けた時の姿に戻るだろう。その姿が一番安定しているからだ

 

 彼らの融合能力は、本来は何世代もかけて死者を多数出しながら適応していくはずの過酷な環境を、“既に適応した生物”を捕食し、己のものとすることによって適応化の期間を大幅に短縮するという“進化短縮能力”なのである。

 

 

 ――しかし、リウラは違う

 

 

 彼女は環境への適応など関係なく、“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()”し、“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()退()()()()()()()()”ことができる。

 

 ……つまり、()()()退()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 だから、あのように毎回欲しい能力を発現した姿に()()できる。

 

 さらには、彼女は“飛翔の耳飾り”と“迷宮の肉壁”を合成……いや、()()して見せた。

 

 あれはおそらく、いったん“飛翔の耳飾り”と“迷宮の肉壁”を自身に取り込んで融合し、その2つの因子だけを手のひらに限定して表出させ、それらを切り離したのだろう。

 彼女が自分の体内の因子を自在に操作できる証拠だった。

 

 一度融合してしまえば、クリエイターの質量変化能力を使って数を増やすことなど、因子を操る彼女にとっては造作もないことだろう。

 リリィの手のひらに山のように積まれた飛翔の……いや、“迷宮の耳飾り”は、その結果だった。

 

「む……なんか魔力が薄くなっていないか?」

 

「そういえば……」

 

 ベリークが疑問の声を上げると、サスーヌが同意する。

 

 確かに、先程に比べて空気中の魔力濃度が薄くなっている。

 迷宮は深く潜れば潜るほどに魔力が濃くなる。相当深く潜った今の階層はかなり濃度が濃いはずであり、さらに言えば魔神級の強者たちがその魔力を存分に使って戦い終わった今ならば、一般人ならば気絶するレベルの魔力濃度のはずである。

 

 しかし、今感じられる魔力はせいぜい中層……だいたい200階レベルでしかない。

 その違和感の答えはシズクが見つけた。

 

()()()()()()()()()()()……生物からは奪わないけど、空気中の魔力は吸い取るみたい」

 

「では、特に問題はないと?」

 

「んなわきゃないでしょ!? 大問題よ!」

 

 ヴィダルが『生物に害が無いなら問題ないか?』問うと、『これだから迷宮の素人は!』とヴィアが苛立(いらだ)つ。

 

「魔物ってのは魔力の濃い場所に()かれる性質を持ってんのよ。強力な魔物であればある程、より強い魔力の方へ行こうとするの」

 

「だから、この迷宮は下の方に行けば行くほど魔物が強力になっていくんだ。下の方に行くほど魔力が濃くなるからな」

 

「つまり、“空気中の魔力が迷宮に奪われる”ということは、“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()”、ってことですの! 放っておいたら上層にいる人達が襲われるだけでなく、へたすれば()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

 そこまで聞いたヴィダルの血の気がサァーッと引いていく。

 

 ヴィダルからすれば迷宮に住む者達などどうでもいい……とまでは言わないが、そこまで自分と関わりが深いわけでないため、危機感は少ない。

 だが、地上に魔物が溢れるのはまずい。ユークリッドの民が虐殺されるのだけは、なんとしても防がなければならない。

 

「なるほど、さっき魔物が下の階から突撃してきた理由はそれか」

 

 そうベリークが納得していると、今度はただでさえ顔色の悪いフィファが声を震わせて発言する。

 

()()()()()()()()()()()()()()……? ね、ねぇ……そういえばさっき『転移門とかも魔王と融合してるかも?』って言ってたわよね? ……じゃ、じゃあ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……?」

 

「……? それが魔導具か魔法具か、それとも先史文明の遺産かは知らないけど、外部からの攻撃に備えていないんだったら十中八九融合しちゃってるでしょうね。今もキチンと効果を発揮できているかは怪しいと思うわ」

 

「やっぱりぃぃぃいいいいいいいっ!?」

 

 ティアの回答にフィファは頭を抱えてのけぞり、従者(シャンデル)(まと)う雰囲気から凄まじい焦燥が溢れる。

 ……そして、原作知識から心当たりのあったリリィが内心で「あ」と声を漏らす。

 

「何よ、自分1人だけで分かってないで、ちゃんと説明しなさいよ!」

 

「じゃあ言ってあげるけどねぇ! どうしてこの迷宮がこんな魔力の吹き溜まりになってたか分かる!? ()()()()()()()()()()()()()古神(いにしえがみ)()()()()()()()()()()()()()()()()! アタシは、あのでっかいプテテットのお化けと、その古神の封印を護るために精霊王(パパ)から(つか)わされた管理者なの!!」

 

「「「「「!?」」」」」

 

 魔王だけでもいっぱいいっぱいだったところに邪神まで出てきて、話を聞いていたメンバーの内心はもう大混乱だ。

 しかも、フィファの言い方からして、相当長い間その古神は魔力を放出し続けている。

 

 通常、神族は信仰を得なければ魔力不足に(おちい)るような、エネルギー補給を必須とする種族である。

 そして、現神(うつつかみ)によって『邪神である』とレッテルを貼られた古神への信仰などほとんど存在せず、ましてやこんな迷宮の底に封印されっぱなしの神など、まず間違いなく完全に忘れ去られていて信仰など欠片も集まるはずがない。

 

 なのに、フィファの言う古神は、()()()()()()()()()()()()()()()()という。

 それも、封印されたまま……つまり、それは“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()”ということだ。

 

 これだけで相当ヤバい神であることが分かる。

 まず間違いなく一級神クラス。そんな神を封じている封印設備が迷宮ごと魔王の肉体に取り込まれているとなればどうなるか……?

 

「設備ごと取り込まれているのであれば、封印は解けていないのではないでしょうか?」

 

「楽観視は禁物よ。それに解けていないならいないで、漏れ続けている魔力を魔王が丸々吸収しているかもしれない。そんな相手をどうやって止めるというの?」

 

「ホントにそこまで魔力高いかぁ? さっきリウラ(ソイツ)が簡単に壁をむしってただろ?」

 

「違うわよブリジット。お姉ちゃんがむしったところ、もう再生されてるでしょ? もしその魔力が防御力でなく再生能力に全振(ぜんぶ)りされてたら、倒すのは逆に困難よ。アンタだってアイ……土精(つちせい)の子と戦って、それは分かってるでしょ?」

 

「そうだ! この迷宮、魔王さんの身体なんでしょ? 魔王さん、アイちゃんの位置は分からない?」

 

「……無理だな。どうやら、私と本来の肉体とのつながりが切れてしまっているようだ。私からこの迷宮に干渉することは不可能だろう」

 

「う~ん……あ、そういえば、フィファさん精霊のお姫様なんだよね? アイちゃんの居場所わからない?」

 

「水精の隠れ里の位置も探してほしい。私とティアは、隠れ里の位置がバレないよう、記憶を(いじ)られて場所が分からない。ロジェン様達も避難させないと」

 

「古神が復活しようってのに、精霊の救出に構ってる余裕なんて無いわよ! アンタたち状況わかってる!?」

 

「あ~……リウラ? アイとの仮マスター契約が切れてないから、追跡は何とかなるわよ? たぶん契約が特殊すぎて、ディアドラも見つけられなかったんだと思うわ」

 

 あまりにもやるべきことが多すぎて、議論だけが進んで行動に移れない。

 早く行動しなければ手遅れになる……その事だけは全員認識しているのに、問題が大きすぎて迂闊(うかつ)な行動がとれない。

 

 ティアは考える。

 

(優先順位をつけないと、どうしようもない。避難誘導については、このメンバーの関係者を最優先して脱出させる。古神の封印については判断材料が少なすぎる。とりあえず魔神級の気配を感じないことから、“封印は解けていない”と判断して、その区画をまるごと隔離して封印する手段を考えてみましょうか……なら、巨大プテテットの封印方法を知っていた精霊王女(フィファ)を説得して……)

 

 ひと通り考え終わったティアが口を開く。

 正直もう少し考えたいところだが、そこまで考えを巡らせる時間的余裕は無い。

 

「この中で転移魔術が使える人はいる? セシルはそういった効果を持つ魔法具を持ってない?」

 

「……ツェシュテル」

 

「はいはい、分かったわよ~。ほら、そこの人間。ありがたく分けてやるから、両手出しなさい」

 

「貴様っ!」

 

「ヴィダル。……これで良いですか?」

 

 (いきどお)るヴィダルを(たしな)めたサスーヌが、先程のリリィのように両手を差し出すと、これまた先程のリウラのようにツェシュテルの人形のように小さな手から、ボトボトと腕輪が落ちてくる。

 

 “転移の腕輪”――装備したものに短距離転移能力を授ける魔法具だ。

 

 

 ――やはりか

 

 

 アイがツェシュテルを纏った時に、鎧から砲門やら盾やらが現れていたことから、“ツェシュテルは体内に様々な魔法具や魔導具を保管しているのではないか?”と推測していたが、どうやら当たっていたようだ。

 

 ……あまりにもリウラと()()()()()()その能力は、後で問い詰める必要が有りそうだが。

 

「ヴィア、ヴォルク、リューナ。あなた達はこの迷宮に詳しいわね? その腕輪を使って助けたい人をできるだけ集めて飛翔の耳飾りで転移して脱出して。魔王、あなたは……」

 

「貴様の指示は受けん。私は勝手にやらせてもらう……私の身体を勝手に使われるのは我慢ならんからな。人助けをしたいのなら、私が迷宮を破壊しつくす前にさっさと終わらせることだ」

 

「でしょうね。そういうわけだから――」

 

 

()()()()()()()()

 

 

 そのとき、ティアの指示をシルフィーヌが(さえぎ)った。

 

 ほんの僅かな間とはいえ、生前サラディーネの指導を受けたことがあるシルフィーヌには、彼女の考えていることがなんとなく分かってしまった。

 

 避難誘導を指示されたのがヴィア、ヴォルク、リューナである時点で、“避難させたい人だけ避難させればいい”という考えが透けて見える。このメンバーの中で“避難させたい人”がいるのは、迷宮の住人である彼女達だけだからだ。

 水精の隠れ里と関わりがあるであろうリウラやシズクがその対象から外れているのは、“隠れ里の位置を探す時間は無い”と考えているから。

 

 絶対に他人の指示なんて聞かないだろう魔王に()えて話を振ったのは、『自分達は勝手に行動する』という言葉を引き出すため。

 そうすれば、腹の底で何を考えているか分からない彼らと自然に別れ、リウラ達と共に脱出しやすくなる。

 

 おそらく、ティアは“実現する可能性が高い範囲”を自ら定め、そこから漏れたもの……救出する対象や、取りかかるべき事柄を切り捨てている。

 同時に、“自分が救けたい人”を優先し、それ以外を切り捨てるように動いている。

 それは、かつて彼女がユークリッドの第一王女だった頃に行っていた、王族として小を切り捨て大を活かす判断と同じものだ。

 

 その事を理解した時、シルフィーヌの口から、

 

 

「……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ぽろり、と無意識にその言葉が漏れ出た。

 

 

 静かに、そして次々と大量の情報を処理し続けている彼女の頭脳は言っている。

 

 

 

 

 ――『()()()()()()()()()()()()()』、と

 

 

 

 

 今、姉をも超える彼女の才能が花開く。

 

 

 

 

 ――『……もしそれをするなら、“飛翔の耳飾り”を用意するか、迷宮外に通じる転移門まで避難者を集める必要が……』

 

 ――『あのでっかいプテテットを取り込んだり、変身したり……』

 

 ――『……さては、先の化け物も貴様らの仕業(しわざ)か!?』

 

 ――『あ~……リウラ? アイとの仮マスター契約が切れてないから、追跡は何とかなるわよ?』

 

 ――『……この迷宮の最深部で封じてた古神から魔力が際限なく漏れてたからよ!』

 

 ――『……強制転移と(おぼ)しき空間の波を追跡した結果、その転移先は地下730階付近。ちょうどそこに、さっきの水精の魔力が観測されたわ……』

 

 ――『……あの巨大な魔力……あれは貴女の仕業ですね? ニア』

 

 ――『アイ、お姫様たちが逃げる道を造って! ヴィア、お姫様たちを先導して逃がして!』

 

 

 

 

(……!)

 

 シルフィーヌは真っすぐにリウラを見つめ、きょとんとする彼女に対してこう言った。

 

「リウラさん……()()()()()()()()()()()?」

 

 

***

 

 

「全軍っ、撤退しろおおおおおぉぉぉぉおおおおっっっ!!」

 

 そう叫んだのは、いったい誰だったのか。

 声が聞こえた直後、はるか彼方にある山よりも大きな魔王の口から、一条(いちじょう)の光が真っすぐに放たれて、弧を描くように軍を()ぎ払う。

 

 

 ――直後、光が大地を切断。断面が一瞬にして融解・膨張し、大爆発を起こした

 

 

 リュファスを含めた各国の勇者達は、そのあまりの威力に心底から恐怖し、(おのの)いた。

 

 以前戦った時とは明らかに次元の違う魔力。

 こんな化け物が相手では、倒すことなど到底不可能だ。あの時のように、都合よく封印する設備が近くにある訳でもない。ならば、いったいどうすれば良いのか。

 

「氷剣リーニよ!」

 

 エステルがゼイドラム王より新たに(たまわ)った魔法剣を振りかざし、先程の魔力砲によって燃え上がる大地を鎮火する。

 火がある程度治まるや否や、アーシャが広範囲治癒魔術を()って兵士達の傷を癒し、リュファスが各国の軍へ撤退するよう伝令を出す。

 

「各国に通達! いったん退却して、作戦を立て直す! 今のままではムダ死にするだけ……っ!?」

 

 再び魔王の口から太い魔力砲が放たれる。

 しかし、今度の魔力砲は先程とは少し異なっていた。

 

 

 真っすぐ兵士達に向かって放たれたはずの魔力砲――それが()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「「「「「「「!?」」」」」」

 

 魔力砲はあらぬ方向へと飛び去り、その場にいた人間たち全てを困惑させる。

 ……が、はるか彼方(かなた)で爆発音とともに大きなきのこ雲が上がったことにより、全員の表情が同時に青ざめた。

 

「兄上……()()()()()()()()()()()……」

 

「っ!!」

 

 逃げられない。逃げ道を失った。

 

 今逃げてしまえば、魔王は手当たり次第に魔力砲を放って“()()()()()()()()()()()()。そうなったら、もう立て直しどころの話ではない。

 

 

 ――何としても今ここで魔王を倒さなければならない。例えそれが、どんなに無理難題なのだとしても

 

 

「伝令! 先程の命令を取り消す! 各国へ勇者と、それに準ずる者達のみを戦闘に出すように伝えてくれ! エステル、君も来い!」

 

「はい、兄上!」

 

 背後ではアーシャが兵士達の撤退の準備を進めている。

 

 以前の魔王の時もそうだったが、あまりにも敵が強すぎる場合は一般兵が居ても足手まといになるだけだ。

 邪魔にならないよう、後方で(ひか)えさせて、勇者達を治療・支援させる以外に役に立てる場はない。

 

 ゼイドラム側の戦力は、勇者リュファス、エステル、アーシャ、そして隻眼(せきがん)のエルフの弓使い“ティオファニア”と獣人族の神官“ネリー”……このたった5人だ。この5人以外は全て足手まといになる。

 おそらく他の国々も似たようなものだろう。この少数精鋭であの魔王をどうにかしなければならない。

 

「う、うわああああぁああああああっ!?」

 

 突如上がった悲鳴に、“何事か”とエステルが振り向く。

 彼女が目にしたものは――

 

「魔物!?」

 

 兵士達が大量の魔物に襲われている場面だった。

 

 突然、兵士達の間に現れたのだろう。

 兵士達が動揺して、態勢を整えるのが遅れている。

 

 しかし、いったいどこから!?

 どうやって!?

 

 

 ――その答えは、彼女の()からやってきた

 

 

 ガクンッ!

 

「っ!?」

 

 大地が割れ、足を取られそうになったところに、割れた地面から大量の魔物が現れ、飛びかかってきた。

 

「エステル!」

 

 ティオファニアが魔力を()びた矢でもってそれらの魔物を消し飛ばし、体勢を整えたエステルが残った魔物を斬り払う。

 ……が、射ても斬ってもキリがない。次から次へと現れる魔物の対処に手を取られてしまい、魔王が今にも次の魔力砲を撃とうとしているのに、何もできないでいる。

 

「ネリー! アーシャ! あの魔力砲を防げるか!?」

 

「ムチャ言わないでください! 一瞬だって持ちませんよ!」

 

「ッ!? ネリー、下だ!」

 

「え? きゃあっ!?」

 

 ネリーが何かに足を取られてこけてしまう。

 何事かと自身の足に目を向ければ、そこには毒々しい緑色の触手の1本が彼女の足首を絡め取り、その他の触手が鎌首をもたげて今にも襲いかからんとしていた。

 

「ちっ!」

 

 再びティオファニアの魔矢が触手を消し飛ばすも、今度は破壊されると同時に一瞬で再生してしまう。尋常(じんじょう)ではない凄まじい再生能力だった。

 

「単に破壊するだけじゃダメってか……ならっ!」

 

 ティオファニアは転送魔術で新たに矢筒を取り出し、今まで使っていた矢筒を放り捨て、すぐにその矢で触手を射抜く。

 すると、ギグンッと触手はその動きを止め、力なくひび割れた大地に次々と倒れ込んでゆく。

 

 彼女特性の麻痺毒が塗られた矢だ。

 そう本数は多くないが、とりあえずはこれで何とかするしかない。

 

 だが、彼女は知らなかった。

 今、彼女達を襲う触手は、地下迷宮と融合した魔王の肉体が変化して伸ばされているもの。いくら麻痺毒で麻痺させようと、その膨大な質量を利用して何百本、何千本と生み出せるのだ。

 たかだか数十本程度の毒矢程度では、たいした時間稼ぎすらできない。

 

「はぁっ!」

 

 ティオファニアの対処法を見たエステルは、すぐさま氷剣の力を借りて氷の壁を地面に(つく)りだし、触手を閉じ込める。

 今も地割れが起こっているところを見ると、一時しのぎにしかならないと思われるが、これで態勢を整える暇ぐらいは作れるはず――

 

「エステル! 後ろ!」

 

「なに!?」

 

 エステルが振り向くと、未だ遠方にはあるものの、魔王の口が大きく輝いていた。

 先程の魔力砲の発射直前の兆候(ちょうこう)だった。

 

(馬鹿な、早すぎる!?)

 

 先程の魔力砲と比べ、明らかに短い充填速度。

 それは威力を落としたことが原因だったらしく、再びまばゆい輝きとともに放たれた魔力砲は、若干細くなっている。

 

 しかし、それでも感じられるその魔力は、充分にエステルに致命傷を与えるだけの威力を秘めていた。

 回避できるような攻撃範囲でも速度でもない。エステルはとっさに剣を盾にするよう防御姿勢を取る以外の事はできなかった。

 

 

 ――だが、

 

 

「兄上!?」

 

 勇者リュファスは違った。

 

 エステルとは1つ次元の違う強さを持つ彼には、周囲の状況を把握する余裕も、指示を飛ばす余裕も、妹たちを護るために魔王の攻撃を受け止める余裕もあった。

 彼は魔王の攻撃に割り込み、いったいどのような理屈なのか、その剣を()って、まるで太陽が落ちてきたかのような威力と輝きの魔力砲を受け止めて、エステルを含めた背後の兵を護りきっていた。

 

「ぐっ!?」

 

 だが、魔王はそれが面白くなかったのか、徐々に魔力砲の太さを絞っていくことで、魔力砲の勢いを上げていく。

 

(……角度が、急に……!?)

 

 ほぼ真横に向かって防いでいたはずの魔力砲が、徐々に上からのものになってゆき、リュファスを地に押しつぶさんと凄まじい圧力をかけてくる。

 魔力砲の光に遮られてリュファス達は上手く見えないが、他の視点で見れば、魔王がゆっくりと2本の足で立ち上がり、前へ前へと歩いて来ているのが分かっただろう。

 

 そう、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そして、その巨人族すら遥かに上回る巨体で踏みしめられた1歩1歩の距離は凄まじく、見る見るうちにリュファス達へ距離を詰めていた。

 魔力砲の角度が急激に縦へと変わっていったのは、そのためだった。

 

(キツい……! だが、さっきの魔力砲から考えれば、そろそろ1発分の魔力が切れるはず……! その隙に僕が斬り込めば――)

 

 

 ――ごぽり……

 

 

 突然、リュファスの(のど)から温かい何かががせり上がり、口腔(こうこう)から溢れた

 

「な……ん……?」

 

 腹に感じる灼熱感に目を落とせば、そこには鎧の隙間を縫うようにいつの間にか()()()()()()()()()()

 

(いったい何が……? これも、魔王の……?)

 

 

 

「兄上――――――――――――ッ!?」

 

 

 

 リュファスは何が己に起こったのか理解できぬまま、魔力砲に飲み込まれた。

 

 

 

 



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第十章 決戦 中編1

(次! X261、Yマイナス354、Z5021! X279、Yマイナス370、Z5021! X301、Yマイナス355、Z5025!)

 

「オッケー、いいよいいよ! どんどん情報送って!」

 

 肩に乗ったツェシュテルの指示に従い、リウラは次々と空間に穴を開けていく。

 

 その姿は先程までと異なり、道化師(ピエロ)のような姿へと変わっていた。

 しかし、同じ道化師姿であるニアとは異なり、リウラの様相は上半身は肩を出しつつ、下は膝上のミニスカートで、白を基調としたフリルを多めにトランプの柄をあしらった非常に可愛らしいものとなっていた。

 ニアは涙のマークを入れていた頬も、リウラは小さな赤いハートマークをあしらっている。

 

 ツェシュテルは非常に複雑な表情をしていた。

 セシルの命で再び仮のマスターを(つく)らされたこともそうだが、アイとは別の意味でリウラもまた非常に彼女と相性が良かったことがその原因である。

 

 彼女はアイとは違い、“ツェシュテルを使いこなせないが故に、自然と相棒(パートナー)関係を築く”といったようなことはない。

 むしろ、()()()。彼女はツェシュテルを、()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()

 

 オリジナルの魔導巧殻にも存在する特殊術式――魔神の知識をもってセシルが再現し、アレンジを加えてツェシュテルに与えられたそれは、戦場の状況を直接兵士の頭の中に送り込み、それを理解させることで乱れなき行軍を可能とする術だ。

 

 だが、“頭の中に突如(とつじょ)として情報が現れる”という奇妙な感覚を植え付けられれば、まず間違いなく対象は戸惑(とまど)う。

 それはアイやセシルであろうと変わらず、心構えが無い者であれば、“自分の頭や魂に何かされたのではないか”と軽いパニックに(おちい)ってもおかしくはない。

 

 ところが、リウラはそうではなかった。

 逆に彼女は一瞬でその術式がどういったものかを把握し、なぜか大喜びしたのだ。

 

 それどころか、送りつけられる情報の速度を上げるようにすら要求してきた。

 内心“バカかコイツは”と思いながら『頭がパンクするわよ?』と伝えるも、『大丈夫大丈夫』と能天気にのたまうので、“いっぺん痛い目見ればいい”と要求通りに情報量を増やしてやれば、軽々とそれを処理しきり、瞬時に的確な座標――ツェシュテルが検索した救出対象や撃破対象が存在する場所に空間の穴を次々と展開したのだ。

 

 これだけの情報処理能力と、雫流魔闘術によって鍛え上げられた臨機応変な対応能力があれば、彼女の変身能力と組み合わせて、ツェシュテルに搭載された様々な機能や魔法具・魔導具を十全に使いこなしてくれるだろう。

 自分の全能力を引き出してくれるかもしれない……それは創造物としての自覚を持つ彼女にとって、とても魅力的な誘惑であった。

 

 一方、リウラは非常に驚き……とても興奮していた。

 

 肩にちょこんと可愛らしく乗ってくれた途端、様々なデータや座標情報が頭の中に浮かんだことから、ツェシュテルが彼女の知識で言う“()()()”であると気づいたためである。

 

 自分自身、“水の精霊”なんてファンタジー世界の住人になってしまっており、リリィをはじめとする猫耳少女やら魔王やら王女様やらゴーレムにエルフに騎士に魔法使いと、バラエティ豊かな存在に出会ってはいるものの、隠れ里に居たままでは出会えない存在、漫画の中でしか出会えないはずだった存在と触れあえてワクワクしないリウラではない。

 それが、これまで出会ったことのない科学チック(サイエンティフィック)なロボ少女とくれば尚更(なおさら)だ。

 

 とはいえ、今は緊急事態。

 ワクワク感は胸の内に秘めつつ、リウラはツェシュテルから送られてくる情報の奔流(ほんりゅう)を、異能を()って自分の無意識領域を最大限に活用することで余裕を持って処理し、次々と空間に穴を開けていく。

 

 ……もっとも、そのワクワク感は、直接頭の中に情報を投影しているツェシュテルには完全に筒抜けであり、彼女には呆れた視線を向けられていたが。

 

「悪いわね。事情を説明している暇は無いの。さっさと外に脱出してもらうわよ」

 

 リリィやヴィア、リューナの操る魔導巧殻(リューン)が、次々とリウラが開けた“穴”へと飛び込み、その先にいた迷宮の住民を抱えて戻り、リウラの隣に開けられた巨大な“穴”へと放り込んでゆく。

 リウラの有り余る精気を分け与えられて、完全に魔力や精気を回復した彼女達の動きに(よど)みは無い。

 

 “穴”の先は地上へと繋がっており、毒々しい緑で彩られた翼の形の耳飾りをつけたサスーヌとヴィダルが、放り込まれた人達を避難誘導していた。

 情報屋であるヴォルクは、放り込まれる人達をチェックし、彼の知る情報の範囲内ではあるものの、避難対象に漏れが無いかを確認している。

 

 その一方でリウラは、ツェシュテルが算出した“魔物を上層や地上に上げないために撃破すべき優先順位”に従って、水弾や魔弾による空間跳躍攻撃をしかけ、広範囲にわたって魔物の移動を制限し、リリィ達の避難誘導を魔物達に邪魔されないようフォローしている。

 

 

 ――シルフィーヌはあの時、リウラに2つ質問をした

 

 

 1つ目の質問は、『歪魔族(わいまぞく)に変身できるか』。

 

 リウラは様々な姿に変身し、その姿に合わせて能力を大きく様変わりさせた。

 今まで彼女が見たことのない姿もあれば、猫獣人(ニール)というシルフィーヌも良く知る種族の姿もあり、当初は彼女の変身の法則性についてシルフィーヌは全く理解できていなかった。

 

 

 ――しかし、リウラの最後の変身を見た瞬間、“もしや”とシルフィーヌの中で仮説が立てられる

 

 

 リウラの最後に変身した姿に現れた特徴……紫電を纏う2本の角や青紫と銀の鎧、そして胸部の紫紺の四角い宝玉が、伝説に語られる四大守護竜――雷竜トゥオーノの特徴と酷似していたのである。

 そこに、水竜フリーシスの『さては先の化け物も……』という発言や、巨大プテテットから突き出た竜の翼を見れば、推測は容易に成り立つ。

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()? と

 

 

 シルフィーヌは覚えている。

 非常に特徴的で巨大な竜の翼に目を奪われやすいが、その他にも、あの巨大プテテットから突き出ていたものは数多くあり、その中には()()()()()()()()()()()()()()()ということを。

 そして、普段からそのような格好をする種族など、歪魔族以外に彼女は知らない。

 

 

 ――もし、プテテットが捕食した中に歪魔族が居たのならば、

 ――そして、もしシルフィーヌの仮説が成り立つのならば、

 

 

 リウラは歪魔族に変身し、彼女たち特有の空間把握・操作能力を使うことができるはず。

 

 その推測に、リウラは首を縦に振り……キラキラと輝きながら華麗な変身バンクを繰り出して可愛らしい道化師(ピエロ)へと変身し、『この緊急時に何をしているんだ』とティアからこっぴどく叱られた。

 

 そして、2つ目の質問……それは、『特定の座標を指定して空間に穴を開けられるか』。

 

 歪魔族は空間操作に特化した魔族だ。

 通常の転移魔術など比較にならないレベルで自由自在に転移し、場合によっては超遠距離から空間に穴を開けてナイフやら爆破魔術やらを放り込んでくるという、危険極まりない存在である。

 

 だが、逆に味方が使えれば、これほど便利で心強い能力はない。

 

 『迷宮の住人を逃がす』と聞いて、シルフィーヌは“アイが迷宮に穴を開け、ユークリッド兵達の逃げ道を(つく)ってくれたシーン”を真っ先に思い出した。

 そして考えたのだ……“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()”、“欲を言えば、()()()()()()()()()()()()()()”と。

 

 ティアに拳骨(げんこつ)をくらって涙目になっていたリウラは、この質問にもまた首を縦に振った。

 

 

 ――ここに、シルフィーヌの策は成った

 

 

 まず、セシルを介してツェシュテルの協力を依頼する。

 

 ニアに強制転移させられたシズクの位置を探知したことから、彼女には生命を探知する何らかの能力がある。

 地下500階であろうと探知できるそれを使えば、迷宮中の住人や魔物の現在位置を把握することも難しくはない。

 

 ツェシュテルに直接協力を依頼しなかったのは、彼女の主人であるセシルの顔を立てるため、セシルがツェシュテルをアイに貸し出す程リリィ達に協力的であるため、そしてツェシュテルがセシル以外、誰の言うことも聞かないためだ。

 

 そして、サスーヌを“迷宮の耳飾り”で地上の安全地帯へと脱出させる。

 

 サスーヌの転移を追跡したツェシュテルが、リウラにサスーヌの座標を知らせ、リウラがその場所と現在位置を繋ぐ大きな空間の穴を創造。

 これで大人数が脱出できる即席の転移門ができた。

 

 後は簡単だ。同じ要領で迷宮の住人達の座標をツェシュテルがリウラに伝え、リウラがそこに至る“穴”を創り、リリィ達がそのバカ魔力にものを言わせた速度で()って彼らをさらって、転移門へ放り投げて強制的に脱出させる。

 

 いちいち事情を説明している暇が無いため、こうでもしないととても間に合わないのだ。

 いきなりさらわれるので抵抗を示す人も多いが、魔神級・準魔神級の力を持つ彼女達に抵抗できる訳もなく、あっさりと放り出されている。

 

 とはいえ、迷宮に異変が起きていることは明らかなので、地上に出された時点で何となく助けられたことを悟り、地上で待機していたサスーヌとヴィダルが簡単に事情を説明しつつ避難誘導しているので、そこからの混乱は少ない。

 話が通じない者も少なからずいるが、そうした者はリリィ達によって強制的に意識を刈り取られて安全地帯へと運ばれている。

 

 上層や地上に上がろうとする魔物についても、それらの座標をツェシュテルが探知し、リウラが歪魔族特有の空間跳躍攻撃で瞬時に撃破することで、避難者が魔物に襲われることを防ぎつつ、一度に魔物が大量に地上に溢れることを阻止している。

 

 シルフィーヌの策は順調に進んでいた。

 

「よし、住民の避難は終わったわよ! あとはアイだけね!」

 

「!? 待って、隠れ里の水精が1人も脱出した人の中にいない!」

 

「はぁっ!? レーダーには魔物以外なにも映ってないわよ!?」

 

「あ、アタシも、この迷宮のどこにも人の姿を保てるほどの精霊力は感じないわよ!?」

 

 ツェシュテルが作業終了を告げると、シズクが焦りとともに『隠れ里の住民の避難がまだである』ことを告げる。

 しかし、彼女に搭載されたレーダーには何も映っていないし、フィファも精霊の存在を一切感知できない。

 

 それを聞いてシルフィーヌがパッと思いついた状況は2つ。

 

 

 ――結界か何かを張って、位置情報が遮断されているか

 ――あるいは、何らかの理由でもう既に隠れ里が壊滅してしまっているか

 

 

 かつて水精の隠れ里は、リリィが放つ魔王の魔力を感知されたことでディアドラにその存在が発覚している。気配や魔力への探知は念入りに対策するはずだ。

 同様にディアドラも、自分の居場所を探知されないよう、入念に自分やアイの気配・魔力を隠蔽(いんぺい)しているだろう。

 ツェシュテルや精霊王女の探知であろうと妨害する結界が展開されている状況は、充分に考えられた。

 

 未だツェシュテルとの特殊契約が切れていないアイは、契約者である彼女が追跡できる。

 では、隠れ里の水精に対し、結界などを無視して場所を把握するためには、どうすればいいか?

 

 再びシルフィーヌの脳が回転し始めた直後、予期せぬところから唐突に“答え”が降ってきた。

 

()()()()()()()()()()()()()西()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そこに穴を開けてくれ」

 

「! わかった!」

 

 ヴォルクの指示にリウラが即座に反応して“穴”を開けると、まさにドンピシャで中には避難準備を始めていたシー達が驚いた顔でこちらを覗き込んでいた。

 

「……なんで知ってんのよアンタ」

 

「俺は情報屋ですぜ? ……っつって誤魔化されるわけもねぇか」

 

「当たり前でしょ? 情報を売り買いする奴にバレてたら元も子もないじゃない」

 

 隠れ里はその性質上、位置情報が漏れてしまうことが致命的である。それが情報を売り買いする情報屋に漏れていたのではお話にならない。

 水精達はその場所がバレないよう最大限の注意を払っていたはずだ。……それこそ、隠れ里を出る際にティア達から記憶を奪ってまで場所を隠すほどに。

 

 なら、いったいどこから漏れたのか?

 

「お嬢、オヤジのやってる宿の名前は?」

 

「? “()()()()()亭”……って、ああっ!?」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()を思い出したヴィアは頭を抱え、思い至った“ヴォルクが隠れ里を知っている理由”を全力で否定したい衝動に駆られる。

 

「あ~……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ってことですのね……そりゃー、わたくしを養子として受け入れてくれるはずですの……」

 

「『()()()()()()()()()宿()』って、そういう……!」

 

 リューナが遠い目で結論を(つぶや)き、リリィが水の貴婦人亭を紹介したロジェンの言葉を思い出して頭を抱える。

 

 水精の隠れ里が抱える組織ならば、その長であるロジェンが頼めば、エルフの1人や2人受け入れてくれても全くおかしくはない。

 同様に、リリィやリウラが初めて泊まる宿として最も安全で適切であるのも言うまでもない。

 なにしろ、身内が経営している宿屋なのだ。財布の件をはじめとして妙に親身だった理由に、ようやく納得がいったリリィであった。

 

「……なんで娘の私がそれを知らないのよ」

 

「お嬢にまで、そんな重荷を背負わせたくなかったんですよ。第一、さらわれて心に傷つくったり、エルフの坊ちゃん助けるために必死になってたりしたお嬢に、そんな情報話したところで混乱するだけだと思いやすぜ」

 

「うっ……」

 

 ヴィアは言葉に詰まる。

 

 実際、ヴォルクにそんな情報を話されたところで、ヴィアにはどうすることもできなかっただろう。

 もし話されていたら、リシアンを助けることに集中できなかったかもしれない。

 

 

 ――ひるむ彼女に、影が(せま)る!

 

 

「おかーさーん!!」

 

「ぐふぅっ!?」

 

 ヴィアの鳩尾(みぞおち)めがけて頭突(ずつ)きを喰らわせながら、1人の水精が体当たりするように抱きついてきた。

 水精の隠れ里きってのおてんば娘その1、レインである。ちなみにその2は妹のレイクで、その3はリウラだったりする。

 

「レインのお母さん、私のお父さんは居ないの? ほら金髪の“いかにも王子様~!”って感じの」

 

「いや、私コイツの母親じゃないから!? あと、私に金髪男の知り合いはいない!」

 

「うわぁ……認知しないとか、酷っ……人として最低だね……」

 

「おかーさん、私のこと嫌い……?」

 

「ああああああああ、話が通じない!! ちょっと、リウラ! コイツらどうにかしなさいよ!!」

 

 まさかの認知拒否にドン引きするレイクに、涙目で上目づかいにグサグサとヴィアの良心(ハート)を攻撃してくるレイン。

 意味不明な双子の水精の精神攻撃にヴィアのストレスは急上昇。そして機嫌は急降下。

 

 そんな彼女達の様子を見かねたのか、ティアとシーが2人を上手に(たしな)めて、転移門へ避難させる。

 その言いくるめ方は堂に入っており、“彼女達が如何(いか)に双子の扱いに苦労させられていたか”が容易にうかがい知れた。

 

「これで全員ですか?」

 

「そうだな。ロジェンの姉御(あねご)は事情があって別の場所に居るはずだから、俺の知る限りはこれで全員だ。水精の嬢ちゃん達と同じように結界張って引きこもっている連中もいるかもしれんが、そこまで構ってる余裕は()ぇ」

 

 情報屋の彼が知らないのであれば、“ほぼ全員が救出できた”と判断して問題あるまい。

 シルフィーヌはヴォルクの言葉に頷いた。

 

「わかりました。……リウラさん」

 

「うん、わかった。みんな、アイちゃんの救出いくよ!」

 

 リウラの言葉に、一同が顔を引き締める。

 

 アイはディアドラにさらわれた。ということは、アイが居る場所はディアドラの拠点である可能性が非常に高い。

 リウラより『既にディアドラは、魔王の肉体と共に迷宮と融合している』とは聞かされているため、本人はそこに居ないだろうが、侵入者を防ぐための凶悪な罠はあってしかるべきだ。いくら警戒しても、しすぎるということはないだろう。

 

 

 リウラが“穴”を開く――

 

 

 

 

 

「……どうやら番人の(たぐい)は居ないようね」

 

「ツェシュテル?」

 

「……ええ、どのセンサーにもアイ以外の反応は一切ないわ。特に罠らしきものも見当たらないわね」

 

「アイちゃん!」

 

 リウラは輝く魔法陣の上に横たわるアイへと駆け寄り、魔法陣へ伸びる土の管を手刀で切断しながら抱き起し、異能をもってアイの精神状態を確認する。

 強制的に意思を操作するような干渉の痕跡があることから洗脳されていたことが分かるが、それ以外の事はされていないようだ。

 

 リウラが異能で精神の中に入ろうとしたところ、どうやらかなりリウラの事を受け入れてくれているようで、問題なく洗脳を解除することができた。

 これなら後遺症の心配もないだろう。

 

 状況確認のため、ほんの少しだけリウラがアイの記憶を覗くと、洗脳されたアイがさせられていたのは、魔王の予測通り、迷宮の魔力をディアドラに渡すことだったようだ。

 

 洗脳されたアイの前で、意気揚々と“魔王の肉体を我が物にせん”と姿を消した様子も確認できたので、おそらく魔王の肉体と融合したのは彼女自身の意思だったのだろう。

 他の生物が一切融合していないのに、ディアドラだけが融合していた理由が分かり、リウラは納得する。

 

「……俺はソイツの事を良く知らんが、用済みになったからその土精(つちせい)ごと拠点を放棄したんじゃないか?」

 

「もしディアドラの目的が“魔王の肉体と自身の融合”に有ったのでしたら、その可能性も充分にあります。ですが、ここの防衛が手薄である理由を探っている時間はありません。次に行きましょう」

 

 まるで防衛がされていない拠点に対し、ベリークがシンプルな理由を考え、シルフィーヌがそれを否定せず、次の指示を出す。

 ある意味、次が最大の問題だ。

 

 

 ――古神(いにしえがみ)の封印の確認

 

 

 こればかりは、今まで封印を担当していた専門家であるフィファ達に任せるしかない。

 リリィ達はフィファ達を護るための護衛だ。古神が(よみがえ)ってしまえば、へたをすれば魔王以上の脅威になってしまう。それは魔王達にとっても面白いことではなかった。

 

 リウラとツェシュテルは、フィファが指定する座標を検索し、これまで通り空間の穴を開けようとする。

 

「あ、あれ?」

 

「どうしたの、お姉ちゃん?」

 

「うまく、空間が開けない……」

 

 

 ――シルフィーヌ達の顔に緊張の色が走る

 

 

「精霊王女様、封印の周辺に結界などは?」

 

「い、いちおう無い訳じゃないけど、歪魔の転移を防げるような代物(しろもの)じゃないはずよ? ねぇ、シャンデル?」

 

「はい。幻術を主体とした“迷わせてたどり着けないこと”を目的とするものですので、座標を直接指定して転移されたら防ぎようがないはずです」

 

 あれほど自由自在に“穴”を開けていたリウラが、うまく空間を(いじ)れない。

 それは何者かが彼女の作業を妨害していることを意味している。

 

 

 ……そして、その“何者か”が古神でない保障など、どこにも無い。

 

 

「……ここを、こうして、こう……うわ、ものすごい複雑に空間を弄ってる…………これ、たぶんだけど歪魔族の人が転移してくるのを考えて結界張ってるよ。でないと、ここまでグチャグチャに空間を操作する必要なんてないもん」

 

()()()()()()()()()()……? なぜ歪魔族なのでしょう? 精霊王女様の言葉を信じるなら、今までそんなものは張られていなかった。つまり、その結界を張った者はつい最近やってきて、歪魔族の転移を防ぐ結界を張った。ということは、特定の歪魔族を警戒していたことを意味している。ならば、可能性として挙げられる人物は2人……)

 

 

 ――歪魔族に極めて近い容姿と能力を持った天使 ニアか

 ――今まさに歪魔族に変身して、迷宮のあちこちに空間の穴を開けているリウラか

 

 

 おそらくは、後者。

 先程から手当たり次第と思える速度で空間に穴を開けまくっているこの状況……もし、古神の近くで何らかの作業をしようと思っていたら、“自分のところに何かの拍子(ひょうし)にやってくるのではないか”と気が気ではないだろう。

 

「違うわよ、そっちそっち」

 

「あ、そっか。じゃあ、ここをこうして……ああ、なるほどこうすればいいんだ。よくできてるね~」

 

「何を呑気(のんき)なこと言ってんのよ、このスカぽんたん! あ、そこ弄る前にこっちよ! でないと、アンタ罠にかかって別次元にすっ飛ばされるわよ」

 

「テルちゃん凄いね! 私だけだったらこんなに早く解けないよ!」

 

他人(ひと)に勝手に変なアダ名つけてんじゃないわよ、このボケボケ精霊!」

 

 ツェシュテルが対象の空間を分析し、罵倒を絡めつつリウラの空間連結をサポートする。

 マイペースで悪口を気にしないリウラと、なんだかんだで面倒見が良いツェシュテルの相性は非常に良いようで、見る限り結界の解除は問題なく進んでいるようだ。

 

「できた! いつでも“穴”開けられるよ!」

 

「全員、戦闘態勢を……リウラさん、お願いします」

 

 

 リウラが“穴”を展開する――

 

 

 

 

 

 ガキリ、ゴリッゴリッゴリッ……

 

 むせ返りそうなほどの濃密な魔力とともに、何か硬いものをかじる音が聞こえてくる。

 一同が目を向けたそこには、山のように巨大な女性が胸から血を流しながら仰向けに倒れる姿があり、

 

 

 

 ――その上に腰掛けて、丸い何かに鋭い牙を立てて(かじ)りつく純白の狐耳と尾を持つ女性が、こちらに視線を向けていた

 

 

***

 

 

 リウラは弾かれるように飛び出した。

 

 背後の人に影響を与えないよう、“彗星”ではなく、リリィの超ねこぱんちを真似(まね)て背を魔力で弾き飛ばす。

 

 アイの時と同じだ。

 

 見えざるものを見、聞こえざるものを聞く異能を持つリウラには聞こえる。

 今まさに噛られているあの丸い物体――神核から悲痛な叫びが上がっているのが聞こえるのだ。

 リウラもかつて人間だった頃に味わった、“生きながらにして喰われる”苦痛……そんなものを感じとって動かずにいられるリウラではない。

 

 魔神級の魔力で弾丸の如く放たれたリウラの身体は、先の偽・超電磁弾ほどではないものの、下位の魔神程度では反応できない凄まじい速度で狐耳の女性へと接近する。

 しかし、女性はそれをいともたやすく視線で追い、自身が噛る神核にリウラが左手を伸ばすのを見て、スッとその手を(かわ)そうと動き出す。

 

 

 ――ふっ

 

 

 直後、リウラの姿が()き消える。

 

 歪魔の能力で空間を捻じ曲げて跳躍したリウラは、進行方向と逆方向から現れて女性の背後をとり、その勢いのままに神核に左手を伸ばす。

 しかし、女性はそれすらも予期していたのか、リウラが姿を消した途端に背後に視線を向け、回避方向を変更。リウラから見て左方向へと移動して彼女の手を躱し、リウラの手は神核にかすることもなく彼女の目の前を通過した。

 

 

 ――女性の目が驚愕に見開かれる

 

 

 神核からズルリと魂が抜ける。

 女性がよく目を凝らせば、リウラの左手から気配を極限まで落とされた“念”で創造された手が伸びて魂を丁寧(ていねい)(つか)んでいる。

 

 直後、彼女が先程まで座っていた巨体の女性が、いつの間にか触れていたリウラの右足へゾルッと吸い込まれる。

 

 リウラは融合能力を()ってその巨体を自分の身体へと取り込み、即座に転移。

 その場を離脱すると、リリィ達の背後に現れ、すぐに右手から巨体を修復した状態で吐き出し、自分から切り離した。

 

 そして、いつの間にか念の手から実体の左手に握り直されていた淡く光り輝く魂を、その巨体の胸……復元した神核がある位置へと素早く、だが慎重に押し込んだ。

 

「大丈夫ですか!?」

 

「う……」

 

 リウラが声をかけると、女性はうめき声を上げつつゆっくりと起き上がる。

 そして周囲を見渡して、“自分がこの少女達に助けられたのだ”と状況を理解すると、口を開いた。

 

「すまぬ、助かった。マルドゥクに消耗させられていたとはいえ、この私がこうも容易(たやす)(やぶ)れるとは……」

 

「いったい何があったんですか?」

 

「……そこの娘がマルドゥクの施した封印を解いて私を解放したのじゃ。私が目覚めた途端、『今、この世界が異界の神々によって支配されていて好き勝手に振る舞っているから、そやつらを倒すために協力しろ』などと言うてきてな。夫と同じ過ちを繰り返させるわけにもいかぬ故、『まずは落ち着いて、そやつらと話し合え』と(さと)しておったのじゃが……」

 

「そうしたら攻撃された、と?」

 

 巨人の女性は、シルフィーヌの問いに「うむ」と首を縦に振る。

 リウラが巨人の女性から狐耳の女性へと視線を向けると、彼女は感心した様子でリウラを見ていた。

 

「……素晴らしいわね。“念の手を創って魂だけをつかみ取る”って発想もそうだけど、私が反応できないくらい綺麗に気配を隠すなんて。今の動きを見るにシズクの教え子だと思うんだけど、違うかしら?」

 

 女性の言葉に、一同の視線が一斉にシズクに集まる。

 シズクの表情は、全身が半透明な水精であっても一目でわかるほどに青ざめていた。

 

「シズク、知り合い?」

 

「……ソヨギ、と言います。……私の母で、師です」

 

「シズクのお母さんで先生!?」

 

 ティアが問い、リウラが驚く。

 シズクは震える声で母に問う。

 

「母様……この方を殺そうとしたのは、“あなたにとっての『悪』だから”ですか?」

 

「そうよ」

 

 

 ――即答

 

 

 そのあまりにシンプルで傲慢な理由に、シルフィーヌ達は唖然(あぜん)とせざるを得なかった。

 

「だって……! この人はサティアさんと同じ古神でしょう!? 今の話を聞いても、とても悪い人には見えないのに、なぜ……!?」

 

「シズク。私は“古神だから”、“現神(うつつかみ)だから”という見方は一切していないわ。私が見ているのはただ1点……“(わたしたち)に迷惑をかける存在か、否か”」

 

「別に私に協力しないこと自体はどうでもいいのよ。でも、コイツは()()()()()()()()()()()()()。私がどんなに“酷い目に()っている人が大勢いるか”、“彼らがどれほど酷い目にあっているのか”説明しても『即排除するのではなく、まずは話し合え。排除は本当に最後の手段だ』なんてぬるいことを言うのよ。今、こうしているときも苦しんでいる人達が居るかもしれないというのに……!!」

 

「話していて、ハッキリわかったわ。コイツは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。コイツを野放しにしたら、現神と同じように何とも思わず人を食いものにするようになる……なら、そうなる前に、私がこの手で殺しておかないと……!」

 

 ソヨギは、怒りと憎しみに満ちた眼で古神の女性を(にら)む。

 

 ソヨギからしたら、彼女の答えはあり得なかった。

 それは、神の都合によって親とも言える存在を奪われた彼女からしたら、許せないものであった。

 

 人々に多大な苦しみを味合わせた現神は排除してしかるべき。いいや、排除だけでは生ぬるい。

 彼らと同じ苦しみを受けさせるのが当然の(むく)い……そういう考えが根底にある。

 

 そんな彼女に向かって、『例え、彼らの勝手な都合で親を殺した相手であろうと、まずは話し合え』などと言うのは、『被害者(お前)の気持ちなど知ったことではない』と言うようなもの。

 即座に“コイツは現神の同類である”と判断され、殺しにかかってもおかしくはない。

 

 一方、原作を知るリリィは古神の女性の言い分を聞いて“なるほど、彼女らしい”と納得していた。

 彼女の名はティアマト。バビロニアの創世神話“エヌマ・エリシュ”に登場する、原初の海の女神である。

 

 彼女は夫のアプスーとともに多くの神々を誕生させる“神々の母”なのだが、若い神々がうるさく騒いでも(とが)めもせず耐え、夫のアプスーが騒々しさに耐えかねて神々を殺そうとした際にはそれをやめさせ、夫が騙し討ちに遭って殺害された時でさえ、新しい神々の味方だったという、非常に忍耐力と慈愛に満ちた神なのだ。

 異邦(いほう)の神を受け入れる寛大さも、彼らが過ちに気づくまで見守る優しさも兼ね備えているだろう。

 

 

 ――だが、そこに人間に対する気遣(きづか)いが無い

 

 

 それも無理はないだろう。なぜなら彼女は()()()()()()()()()()()()

 人類が創造されたのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 マルドゥクとの戦闘で封印されて、時間が止まってしまっていた彼女にとっては、いくら口で説明されようとも“その存在がどういうものか”、“どのような営みをしているのか”、実際に目にしなければ、まるで実感が湧かず、うまく共感できないのである。

 

 さらに言えば、“神々の迷惑な振る舞いに堪忍袋の緒が切れて、殺害を(くわだ)てる”というシチュエーションは、まさにかつて彼女の夫が行った行為そのものであり、彼女はソヨギに夫と同じ過ちを繰り返さないよう、真摯に諭している。

 初対面かつ見たことがない種族であるにも関わらず、ソヨギの身を心配する彼女の姿勢は、決して“悪”と判断されるようなものではない。

 

 しかし、ソヨギはそうした事実を知らない。

 

 古神、それもディル=リフィーナ創世よりもさらに前……イアス=ステリナの創世記に封じられた存在のことなど、それこそ現神すら知らないだろう。

 だから、ティアマトの現状も知らないし、そこから推測できるはずの彼女の気持ちも分からないのだ。

 

 彼女達の想いは、完全にすれ違ってしまっていた。

 

「いやいやいやいや、何普通に話進めちゃってんのよ。古神よ? 復活しちゃってんのよ? どうして古神を助ける流れになってんのよ? いや、その前にどうやってあの封印を解いたってのよ?」

 

 精霊王(ちちおや)から封印をまかされていたフィファが冷や汗とともにそう言うも、ソヨギは事もなげに言う。

 

「ああ、あれ? 見たことない魔術式の解読には時間がかかったけど、フェミリンスを石化したブレアードの呪いとよく似てたから、そこからは簡単に解けたわよ? シズクが使ってたから実際に呪いをかける時にどうなるのか良く分かったし」

 

「アンタのせいかぁぁぁあああっ!! 責任取りなさいよおおおおおぉぉぉぉおおおおっっっ!! 精霊王(パパ)に怒られるのはアタシなのよぉおおおおおおっ!?」

 

「ご、ごめん……」

 

 (……へぇ、原作にはなかったけど、ティアマトを封じていた魔術って、ブレアードの呪いとよく似てるんだ。そういえば、確かにフェミリンスも同じように石化して封じられて……あれ? もし本当にそうなら、この人(ティアマト)は既にブレアードに見つけられて……)

 

 フィファに胸倉(むなぐら)をつかまれて、シズクがガクガクと揺さぶられるのを見ながら、リリィは頭の中でいくつかの情報が線で結ばれるのを感じていた。

 

 ティアマトが封じられていたということは、この迷宮はディル=リフィーナ創世前に存在していたことになる。

 なら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 上層にある、シルフィーヌが魔王の肉体を封じた施設。もしそこもディル=リフィーナ創世前……いや、イアス=ステリナ創世記に創られたのだとしたら、使われている魔術式は現代のものと到底一致するはずがない。

 何しろ、“人類が生まれる前に創られた”ということは、“古神によって創造された”ということを意味するのだ。古代語以上に訳のわからない代物となっているはずである。

 

 だが、現実にシルフィーヌ達は、何の疑問も覚えずに封印施設を利用して魔王を封じているし、リリィだって、転移門をはじめとするその他の迷宮の施設を違和感なく利用している。

 このことから、上層の施設において使われている魔術式は現代のもの、もしくは極めて現代に近いものが利用されていることが分かる。

 

 これが意味することは、“この古神を封じた封印施設そのものはディル=リフィーナ創世以前に創られたものであるが、上層の施設は比較的近代に創られた可能性が高い”ということだ。

 

 リリィはさらに思い出す。

 女神ティアマトを封じていた区画は、原作でどのように表現されていただろうか?

 

 

 ――今までとは雰囲気の違う迷宮

 ――子竜の案内が無ければ辿(たど)り着けないようなところにある

 ――女神が封じられている区画そのものを、四大守護竜たちが封じている

 

 

 実際にリリィがその身を(もっ)て辿ってきたからこそ分かる。

 それらの表現は事実であると。

 

 そこに、ソヨギの発言が結びつく。

 

 

 ――『()()()()()()()()()の解読には時間がかかったけど、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()から、そこからは簡単に解けたわよ?』

 

 

 リリィの脳裏に浮かぶ1人の人物。

 

 それは、かつて十柱の魔神を率いて姫神(きしん)フェミリンスへ戦いを挑んだ人間族の大魔術師――ブレアード・カッサレ。

 “フェミリンス戦争”と呼ばれる三度の大戦の中で、彼は、レスペレント地方全土にわたる巨大な地下迷宮――“ブレアード迷宮”を築き上げて神殿へと侵攻し、最終的にフェミリンスに勝利。フェミリンスは彼に石にされて封じられてしまうのだが……

 

 

 ――その“神すら石化して封じる術式”を編み出すための()()()()()()()()()は、いったい何だ?

 ――対神用の術式をぶっつけ本番で使うとは思えない。入念に実験に実験を重ねて完全なものに仕上げたはずだ。では、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ……仮の話だ。

 

 

 ――女神を封じていた区画と、それ以外の区画……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ――女神を封じていた迷宮の上に、新たに別の誰かが迷宮を築き、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 ――()()()()()()()()()()()、“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 まずい、とリリィは焦る。

 

 仮にこの推測が当たっているなら、この迷宮はブレアード迷宮と繋がってしまっている。

 ()の迷宮は『レスペレント地方全土にわたる』と言われているものの、実際にはフォルマ地方や北ケレース地方など、他の地方にも普通に伸びており、レスペレントからそう遠くないこの地域にまで伸びてきていても全くおかしくはないのだが……思い出してほしい。

 

 迷宮の一部に接続して魔力を盗んだだけで、ただのアースマンであるアイが曲がりなりにも()()()()()()()()()()()()()()()()()ということを。

 

 では、

 

 ――最低でも1地方全域に広がる広大な迷宮の魔力すべてを利用できるようになり、

 ――それを元々魔神級の魔力を持っていた魔王の肉体が操ったとしたら、

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 ――ヤバい。これはヤバい

 

 

 考えすぎだと思いたいが、今のところ否定できる材料がない。

 とにかく急いで魔王の肉体を停止させないと、地上が火の海になるどころの話ではない。今まさに地上の国々が滅ぼされていても全くおかしくはないのだ。

 

「シルフィーヌ。すぐに地上に行って、魔王様の肉体を止めて。ヴィアも、早く!」

 

「え……?」

 

「はぁ?」

 

 リリィは先ほど思い至った可能性について、簡潔に、だが要点は外さずに説明する。

 それを聞いたヴィアの頬は引きつり、シルフィーヌの顔が険しさを増す。

 

「ハッキリ言うわ。今、最低でも魔神級の力を持っていない人は足手まといよ。あの古神を助けるにしろ、そうでないにしろ、戦闘になれば貴女(あなた)達をかばう余裕なんて無いわ。先に外に出て魔王様の肉体がどうなってるか確認してきて」

 

「え、別に戦闘になるとは限らないんじゃない?」

 

「いや、なるな。奴は完全にやる気だぞ」

 

 フィファが疑問符を頭に浮かべるも、魔王が当たり前のように否定し、リリィが頷く。

 

 魔王は間違いなく天才中の天才である。

 彼は生まれてわずか十数年で魔神級の力を得ているが、そのためには、肉体や魔力の強さ、そして頭脳の優秀さだけでなく、何よりも“センス”が必要になる。

 

 “現在の状況はどうなっているのか”、“目的を達成するためにはどうすれば良いのか”を瞬時に把握する感覚がズバ抜けているのだ。

 原作において花の世話から高度な錬金術までマスターする器用さや、脆弱な人間の肉体からスタートしても瞬く間に軍を復活させ、以前以上の魔力を身に着けている事実もそれを証明している。

 

 その彼の感覚が言っている。

 

 

 ――奴は相当な頑固者だ

 ――この古神を殺すことはコイツの中ではすでに決定事項だ、と

 

 

 そして、もう一つ。

 彼が“やる気だ”と判断した理由がある。

 

「――貴様、“魔神喰い”か」

 

「“魔神喰い”? なんだそれ?」

 

「各地で悪事を()す魔神を殺しては喰らう白狐の獣人だ。何百年も前から流れているおとぎ話のようなものだったのだが……まさか実在するとはな。ブリジット、気を抜くな。こいつの狙いはそこの古神だけではない。私やお前も喰らうつもりだぞ」

 

 魔王とブリジットとのやり取りを聞いて、リリィは冷や汗を流す。

 

 リリィは以前魔王の魂から様々な知識を引き出していたものの、彼の記憶すべてを覗いたわけではなく、“魔神喰い”なんておとぎ話をリリィは聞いたことがなかった。

 原作にだって、そんな言葉は出てこなかったはずである。

 

 しかし、魔王が嘘をついているとは思えない以上、シルフィーヌ達に散々迷惑をかけてしまったリリィ達も喰われる対象になっている可能性は充分にある。

 “魔神ばかりを狙って喰らう”なんて化け物に狙われるなど、冗談ではない。既に魔王に“戦闘は避けられない”と断言されているにもかかわらず、“何とか戦闘を回避できないか”とリリィは必死に頭を回していた。

 

「……わかりました。ご武運を」

 

 リリィの願いに、シルフィーヌは頷いた。

 

 もともと地上の事は気がかりだったのだ。迷宮の住人の退避が終わった今、迷宮内にとどまっているのは、“古神”という特大の爆弾を処理するためでしかない。

 魔王の言葉に説得力を感じたシルフィーヌ達は、“穴”の向こうへ退避を開始する。

 

「リューン、あなたも行って」

 

「えっ?」

 

「『えっ?』じゃないわよ。いくら黎明機関(れいめいきかん)があるといっても、それを操ってるアンタはちょっと魔力のあるエルフどまりじゃない。本体狙われたら反応する間もなく即死よ。それくらい気づきなさいよ、バーカ」

 

「うっ……!? わ、わかった……ですの」

 

「ほら、そこの精霊のお姫様も」

 

「わかってるわよ! 良いわね! ちゃんと何とかしなさいよ! 何とかしないと全部アンタ達のせいだって精霊王(パパ)に言いつけてやるんだからね!!」

 

 セシルとツェシュテルに(うなが)されてリューナが、リリィに言われてフィファやシャンデル、ついでにリュフトも退避した。

 

「……リウラ」

 

「……ごめん、ぉ……ティア。ティアが私の事を大切に想ってくれてることは分かってる。その為に何もかも捨てて私のところに来てくれたことも……よく、わかってる」

 

「……」

 

「この人は私の何倍も強い。戦ったら死ぬかもしれない。魔族でも神様でもなくて、この人の気に障ることもしていない私は、ティアと一緒に逃げたら助かるかもしれない…………それでも、私は自分の心に正直に生きたい。理不尽に殺されようとしている人を、見過ごすことはしたくない」

 

 リウラは……いや、水瀬(みなせ) 流河(るか)は憧れていた。

 幼い身体であの飛行機事故から必死に自分の事を救ってくれた水瀬 涙(最愛の姉)のことを。

 

 同時に彼女は思った。

 もしあの時、父も母も、飛行機事故の被害を受けた全ての人々を救うことができたのなら、それはどんなに素晴らしいことだろうか、と。

 

 ――バッドエンドは要らない

 ――ハッピーエンドが、ただそれだけが欲しい

 

 これこそがリウラ(流河)ティア()の決して(あい)いれない価値観であった。

 

 助けられる望みの薄い者を躊躇(ちゅうちょ)なく切り捨てるティアは、決して間違っている訳ではない。

 そうしなければ助けられない場面も数多いだろうし、無理に多くを助けようとして被害を拡大してしまえば目も当てられない。

 国を統治する者としては、むしろティアの方が好ましいだろう。その事はリウラも理解している。

 

 言うなれば、リウラは我儘(わがまま)なのだ。

 

 他人の意見を聞けない訳ではない。

 他人の価値観を受け入れられない訳でもない。

 他人の意見を聞き、他人の価値観を認め、その上で自分の心の声を優先する。

 

「……」

 

 だから、ティアは諦めた。

 

 こうなったら梃子(てこ)でも動かないことは、水蛇(サーペント)からリリィを助ける時に良く分かっている。

 今のリウラを無理やり連れて行くだけの力も、自分には無い。

 

 

 ――だから、ほんの少しの八つ当たりも兼ねて、

 

 

「……無事に戻って来なさいよ」

 

 

 ――()()()を、させてもらった

 

 

 

 

 

「………………………………()()

 

 

 

 

 

 弾かれたようにリウラ(流河)が背後を振り向く。

 

 『してやったり』と言わんばかりの悪戯心に溢れた楽しそうな表情。

 それは飛行機事故が起こる前……憎しみに(とら)われる前の(るい)の表情そのままだった。

 

(……ああ、そっかぁ……私、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……)

 

 おそらく巨大プテテットにリウラが囚われていた時だろう。あの時、人格を再構築し、“水瀬 流河”としての記憶が入り混じったリウラに、ティアは触れた。

 

 “自分は水瀬 流河である”と自覚したリウラは嬉しかったのだろう。

 こうして幾年月も()ち、転生して記憶を失い、種族すら変わって、“リウラがかつて自分の妹だった”と分からなくなってしまっても……それでも、あの時と同じように、こうして自分を大切に想い、助けに来てくれたことが。

 

 

 ――ならば、無意識のうちに“ティア()に自分の事を思いだしてほしい”とリウラが思ってしまってもおかしくはない

 

 

 リウラの潜在意識が異能を通じてティアに干渉し、そしてティアもその事を(こば)まなかった。

 だから、こうして魂から前世の記憶を引き出され、流河のことを思いだしてくれたのだろう……リウラは溢れる涙を隠すことなく「うんっ!」と元気よく頷いた。

 

「シズク、行きましょう」

 

「……私は、残る」

 

「……」

 

「この中で、母様の事を一番知っているのは、私。なにか、役に立てることがあるはず。……大丈夫、絶対に母様は私を殺さないから……先に行ってて」

 

 ティアは軽く溜息をつく。

 どうして、よりによって自分が大切にしている人ばかりが危険に突っ込んでゆくのだろうか。

 

 ティアは、リウラに対してそうしたように、“ティアの元に帰りたい”と思うような言い方(小細工)をすることしかできなかった。

 

「早く来なさいよ?」

 

「……わかった」

 

 サラディーネと出会った頃を彷彿(ほうふつ)とさせる気の置けない語調を聞いて、シズクの口の端がほんの(わず)かに上を向いた。

 

「ブリジット、お前も下がれ。別に『シルフィーヌを助けろ』とは言わん。この場から「やだね」……何?」

 

「別にオマエに(かば)ってもらう必要なんてない。ボクが鍛えてきたのはオマエの隣に立つ為なんだから、今ここで戦わなきゃ意味ないんだ。……それぐらい、わかれよ」

 

 ブリジットの手が握り締められ、わずかに震える。

 

 彼女の脳裏に()ぎるのは、つい先日魔王が封印されたときの記憶だ。

 自分があまりに無力であったがために、想い人の危機に駆けつけることすらできなかった。

 その時の無力感と絶望は今も彼女の心に暗い影を落としている。

 

 

 わかっているのだ。

 

 

 ――自分は未だ魔王の隣に立つに相応(ふさわ)しい力を得ていないと

 ――かつてとは比べ物にならないくらい強くなったが、それでも魔神と呼ばれる域には届いていないのだと

 

 

 それでも、この男の隣に立っていたいのだ。

 例え1度限りの弾除(たまよ)けだっていい。何もせずに、ただ安全な場所にこもっているのだけは二度と御免だった。

 

「ブリジット」

 

 魔王の声に、いつの間にか下を向いていたブリジットが顔を上げると――

 

 

 

 ――突然、魔王の唇によって、彼女の口が塞がれた

 

 

 

「ぷはっ! い、いきなり何する――!?」

 

「簡易的な使い魔契約を行った。()()()()()()()()()()()()()()()()()。この程度の契約でも問題あるまい」

 

「はっ? 何を言って……!?」

 

 直後、ブリジットの全身が輝き、魔王の身体へと吸い込まれた。

 

 “憑依”という現象がある。

 一般的には霊体が他者の肉体に乗り移る現象の事を指すが、この世界ではもう一つの意味がある。

 

 

 ――それは使い魔が主と肉体ごと同化することによって、使い魔の魔力や能力を主に差し出すこと

 

 

 掛け算や乗算ではなく、単純な足し算的な強化ではあるが、魔神に準ずる力を持つブリジットの力が加わることは決して小さくはない。

 

「これでお前と私は一心同体だ……私が死ねばお前も死ぬ。嫌なら言うがいい。すぐに分離してやる」

 

『――言う訳ないだろ! 望むところだ!』

 

 ……ああ、自分の心が浮かれているのが分かってしまう。

 

 “大切な人の力になれている”ということが、“共に力を合わせて戦える”ということが、何よりもブリジットを高揚(こうよう)させる。

 

 そんな主の幸福を感じ、いつの間にかブリジットの体内に戻っていたオクタヴィアは静かに微笑んだ。

 

「リリィ」

 

 ベリークの呼びかけにリリィが振り返ると、鳩頭の魔神が使っていた巨剣を(かつ)いだベリークは一言だけ彼女に声をかけた。

 

「……待っている」

 

 彼はブリジットとは違う。己が足を引っ張ると分かっていて、大切な人の隣に立つことはできない。

 だから、彼はただ己の役割を果たす。自分が惚れた女の願いを叶える。

 

 そして、彼はただ信じる。

 

 

 

 ――自分が惚れた女は必ず無事に帰ってくる、と

 

 

 

 その信頼に、彼女は不敵な笑顔をもって応えた。

 

「まかせときなさい!」

 

 

 

 



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第十章 決戦 中編2

「ダメです! まるで効いてません!!」

 

「すみません、魔力がもう……!」

 

「くっ……! アーシャ、ネリーを下げる間、持たせられるか!?」

 

「下げるのは良いですけど、魔力回復薬をこの混乱の中でネリーに探させるのは不可能です! 下げるなら私かティオファニアを傍につけないと!」

 

 地上は大混乱に(おちい)っていた。

 

 大地に触手が生え始めてから、急にあのバカげた威力の魔力砲を撃ってこなくなったのは良い。

 そのため、リュファスが殉職してから誰一人として勇者・準勇者級の実力者たちは脱落していない。

 

 しかし、それは決して状況の好転を意味してはいない。

 

 勇者達は既に至近距離まで接近してきた魔王達に攻撃を仕掛けているものの、まるで効いた様子がない。

 エステルをはじめとする勇者達の攻撃が辛うじて傷を与えることができているものの、見る見るうちに傷が塞がってしまうのだ。

 この再生力をどうにかするか、あるいは再生する間も与えないくらいの次元違いの攻撃力が必要とされていた。

 

 通常、このような場合は呪術部隊に再生力を封じさせたり、魔術部隊による大規模術式による高火力で殲滅するのがセオリーなのだが、その役割を担当する呪術兵・魔術兵達は周囲からひっきりなしに現れる触手や魔物の相手に精一杯で、そんな高度な術式を起動している暇がない。

 

(くそっ! これでは完全に(なぶ)り殺しだ!)

 

 この状況で士気を維持できていることこそが、今ここに集結している軍の非凡さを表していたが、彼らにも限界はある。

 

 軍が瓦解するのも時間の問題だった。

 

 

***

 

 

「竜のおじちゃん! お願い!」

 

「頑張ってくれたら、私達が“イイコト”してあげる♪」

 

(ぬし)ら……いったい、どこでそういう言葉を覚えてくるのだ……。まあ良い、しっかり(つか)まっておけ』

 

 レインが白竜の子を、レイクが黒竜の子を抱き締めながら、首を横に傾けて可愛らしくおねだりすると、水竜フリーシスは呆れつつも彼女達の願いに応えた。

 

 

***

 

 

 膨大な水が、大地を埋め尽くす。

 

 しかし、それらは不思議なことに軍の兵士達だけを器用に避け、触手や魔物のみを押し流し、大地へ押しつぶして封じ込める。

 

「おお~っ!! おじちゃん、さっすがーっ!」

 

「よ~しっ! 私達もがんばっちゃうぞーっ!!」

 

 元気な2人の少女の声が聞こえてきた瞬間、フリーシスが操る大量の水が、魔王の山の如き片足を縛り、その場に縫い止めんと(りき)む。

 

 動きを封じることは叶わなかったが、一歩一歩の動作は明らかに鈍くなっている。とりあえずはこれで充分だろう。

 近づくにつれて、そのあまりの巨大さに顔どころか腰から上を拝むことすらできなくなった魔王に近づかれては、片足を振り下ろされるだけで人間族の軍が全滅してしまう。

 

 双子の水精(みずせい)は、自ら空中に水を生み出してその上をスケートのように滑り、はるか天空に位置する魔王の頭部近くまで一気に上昇する。

 

 レインとレイクはシズクの教えを受けており、戦闘力は隠れ里の中では上位に位置するが、迷宮全体で見ればさほど高くはない。

 まともにやり合えば、竜種はおろか、地下100階層程度の魔物にすら容易(たやす)(やぶ)れるだろう。

 

 彼女達にはシズクのような何百年もの経験も無ければ、リウラのような異能も無い。

 だが、それでも彼女達はシズクやリウラを上回るものを持っていた。

 

「行くよレイク!」

 

「良いよレイン!」

 

「「雫流魔闘術!」」

 

 

 

 

 ――水花火(みずはなび)!!

 

 

 

 

 パアンッ! と大きな音を立てて、魔王の眼前に大輪の水花が次々に咲いた。

 しかもそれらは光の反射を想定しているのか、見るも鮮やかに虹色に輝き、腹立たしいほどに美しい。

 

 シズクやリウラを上回る彼女達の特性――それは、意外性。

 ()()()()()()()()()()()()……それこそが彼女達の恐ろしさなのだ。

 

 やたら大音量で爆発する水の花を眼前で展開され、視界を確保するために魔王の肉体は腕を振ってそれらを払おうとするも、腕をすり抜けるようにして花火が移動し、大きさを変えて嫌がらせのようにしつこくパンパン破裂する。

 中には耳元で破裂しているものまである。

 

 そのいやらしさは(はた)から見ている者にも余裕で伝わるほどで、心なしか……いや、明確に魔王がうっとうしそうにしているのが分かる。

 振り払う腕の動きが見るからにイライラしているし、肩を怒らせる様は、額に怒りの四つ角を幻視するほどであった。

 

「良いね良いね~! 太陽の光の下で使うのは初めてだけど、いい感じだね~!!」

 

「次々! 次の悪戯(いたずら)いこう! ティアちゃんが悪戯をおおっぴらに許可してくれるなんて、今だけだよ!!」

 

「よ~し、受けるがいい! ティアちゃん達から怒られるのが怖くて使うに使えなかった、秘められし技の数々!」

 

「シズクちゃんに『それを“雫流”と呼ぶのはやめて』と真顔で言われてから、シズクちゃんのおしおきが怖くて、考えた悪戯……じゃなかった、技を振るうに振るえなかった私達のストレス! 受けるが良いよ!!」

 

「「SHIZUKU流魔闘術!!」」

 

 『“雫流”と呼ぶな』と言われて、発音だけやたら西方諸国っぽく言い換えるだけ。

 それこそが双子クオリティ。

 

 

 

 ――笑いの()えない触場(しょくば)ver58.9

 

 

 

 ビクンッ! と魔王の肉体が激しく反応する。

 

 脇、脇腹、首、背中……膝、手のひら、果ては股間にまで水の触手が現れ、丁寧に、そして時に激しくくすぐってゆく。

 足は一歩踏み出して地上を踏み砕くごとに地下の迷宮と癒着してしまっているらしく、足裏だけはくすぐれなかったのが非常に残念。

 

 水の触手から返ってくる手応(てごた)えから“どこをどうくすぐると相手は弱いのか”を探り、双子は瞬時に触手の形状、柔らかさ、数を変更し、適応させる。

 数秒後、そこには全身を()きむしって触手を引きはがそうと(もだ)え苦しむ魔王の姿があった。

 

 水精以上のスピードで動いた水蛇(サーペント)と異なり、魔王の動きは非常に鈍重だ。しかも、水蛇など目ではないほどにデカい。

 双子の放つ(イタズラ)に、魔王は面白いほど的確にハマってしまっていた。

 

「いやあ、この悪戯の開発には苦労したよね~」

 

「ホントホント。一度ティアちゃんに使ったら、ものすごく怒られて、即、禁術に指定されちゃったよね。声を上げて笑ってるティアちゃん、すっごい可愛かったのにな~」

 

「そして禁術に指定されてから、魔物や魚類相手にこっそり技の試し掛けをする(むな)しさといったら……」

 

「最後には魚すら笑わせられるレベルになって、“あ、この魚ちゃんと笑ってる”って分かるようになった時、『私たち何してんだろ……』って真剣に考えちゃったよね……」

 

 いつのまにか、魔王の肉体から離れて、宙に浮く水の足場に座りつつ、遠い目で昔を懐かしむ双子であったが、それも束の間。

 すぐに目をキラキラと輝かせて、次の悪戯の相談を始める。

 

「よし、次は全身に猛烈な(かゆ)みを与える“蕁麻疹(じんましん)”を使ってみようよ!」

 

 過去、シーに使っていたらシズクに即マネされて、逆に酷い目にあっ(おしおきされ)たことをすっかり忘れて、活き活きとレインが提案する。

 

「え~。私、結局誰にも使えなかった“げろっぱ”とか使ってみたい」

 

 (のど)の奥、正確には舌の付け根あたりを良い感じで刺激すると嘔吐感(おうとかん)(もよお)すことに気づいて開発した“ゲロ技”だが、あまりのエグさに双子すら使用を躊躇(ためら)いお蔵入りとなった技を、レイクはこれ幸いとばかりに嬉々として使おうとする。

 

「じゃあ、それぞれ使いたい技を好きに使おっか?」

 

「さんせー!」

 

(ぬし)ら……」

 

 双子のあまりのえげつなさに、いつの間にか傍にやってきた伝説の守護水竜がドン引きし、天を(あお)いだ。

 

 ――ちなみに“水花火”だの“笑いの絶えない云々(うんぬん)”だの、“蕁麻疹”や“げろっぱ”だのといった奇妙奇天烈な技は、雫流魔闘術には存在しないことを、シズクの名誉のためにも明言しておく

 

 

***

 

 

 今にも軍を壊滅させようとしていた魔王の肉体を見て、真っ先にティアが思いついたのがレインとレイクの投入であった。

 彼女達ならば、どんなに魔力量に差があろうとも、えげつない悪戯で魔王を足止めしてくれるという、全力で間違った方向への信頼をティアは(いだ)いていた。

 

 しかし、彼女達はあまりにも脆弱。

 魔王に攻撃されても何とかできるよう、ティア自身が援護に向かうつもりであったが、ここでフリーシスが協力を申し出てくれるという幸運に見舞われた。

 

 彼自身、水と関わりが深いため、水精達に親しみを覚えていること……そして、世界を安定させるため、精霊王が遣わした管理者とともに、何千年も古神の封印を護っていたくらい世界の平和を願っていることから、“目の前で暴れている魔王を前に何もしない”なんてことはできないらしい。

 

 ……まあ、嘘ではないだろう。『悪戯オーケー』と言われてはしゃぐ双子を見て心配になった、というのが本音であることが誰の目から見ても明らかだったのは、言わぬが花だ。

 

「さあ、今よ! あの双子(バカども)が魔王の足止めをしているうちに!」

 

「わかりました、サラディーネ姉様!」

 

「姫様、ご武運を!」

 

 ティアが号令をかけると、シルフィーヌとティアは瞬時に転移魔術で別の場所へ。

 サスーヌとヴィダルは、ツェシュテルからもらった転移の腕輪でさらに別の場所へと向かう。

 

 彼女達の到着した地点……それは魔王を中心として、正三角形を描いた頂点。

 それぞれの頂点で、シルフィーヌ、ティア、そして王宮メイド姉妹は全力で魔力を高め、全身から力強く輝く魔力を立ち昇らせる。

 

「シルフィーヌ!? 迷宮の中に居たのではないのか!?」

 

「すみません、そのお話は後で!」

 

 エステルが呼びかけるも、シルフィーヌはそれに答えている暇がない。

 

 己が苦痛の原因が双子にあることに気づいたのか、魔王が(かゆ)みだの吐き気だのを(こら)えて必死に腕をぶん回し、魔術をぶっ放している。

 フリーシスの援護はあるものの、そう長くは持たない。一撃でも当たればフリーシスはともかくあの2人はお陀仏(だぶつ)だ。それまでに何とかしなければならない。

 

 

 ――サスーヌとヴィダルは(とな)える

 

 

≪我が力……≫

 

 

 ――ティアは念じる

 

 

≪わが命……≫

 

 

 ――そしてシルフィーヌが祈る

 

 

 

 

≪全てを(さえぎ)る……金剛の壁とならん!≫

 

 

 

 

 魔王を中心に、大地に巨大な魔法陣が描かれる。

 

 直後、魔王を囲うように三角柱の結界が現れた。

 魔神ラテンニールの肉体すらも切断する強力な翡翠(ひすい)色の魔術障壁が魔王を閉じ込め、足を切断し、迷宮との融合を物理的に解除する。

 

 結界による迷宮との分離はシルフィーヌの発案だ。

 

 迷宮内に居る時、リウラは『迷宮が動くことによって地震が発生している』といった。

 すなわち、先程までシルフィーヌ達が居たのは、今まさに巨人となって暴れている魔王の中であり、そこからさほど離れていない座標であるアイを救出した場所……魔王の封印施設も近い場所にある可能性が高かった。

 それは、迷宮を浸食する魔王の肉体の大本がある場所も、巨人化している魔王の中にある可能性が高い、ということも意味する。

 

 

 ――ならば、強制的に迷宮と巨人を切り離せばどうなるか?

 

 

「触手が消えていく……?」

 

 フリーシスの念水で押し込められていた触手が魔物を残して徐々に消えていくのを見て、エステルは驚く。

 

 リウラが容易く迷宮の壁を千切(ちぎ)っていたこと、そして巨人の魔王が双子の悪戯に反応していたことから分かることがある。

 

 

 ――それは、アイとは異なり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、ということ

 

 

 もし集中させていたならば、いかにリウラが魔神級の魔力を持っていたとしても、あれほど容易く千切れたりはしない。

 もし迷宮中の魔力がその肉体に満ちていたのならば、双子の悪戯に反応できるほど正気を保てるわけがない。

 

 おそらく魔王の肉体に溜まっている魔力は、封印前とそう変わらない。

 ただ、“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 

 魔王は決してプテテットのような単細胞生物でなければ、リウラのように進化退化を自在に繰り出す規格外でもない。

 “融合”はあくまで増設タンクとの“接続”という意味でしかなく、プテテットが分裂増殖するように“それもまた魔王の一部”という訳にはいかないのだ。

 魔王の肉体と完全に融合している迷宮は、今、魔王の姿を取っている部分のみなのである。

 

 結果、切り離された迷宮は“魔王”としての属性を失い、魔王の操作から解き放たれ……迷宮から魔王の肉体の一部として操作していた触手は、ただの岩や土塊(つちくれ)に戻ってゆくしかなかったのである。

 

「エステル様! これで魔王の魔力は以前と同等ではありますが、無尽蔵ではなくなりました! 移動はさせませんし、攻撃も結界の外には届きません! 今なら倒せますから、突入する人員を呼んでください! わたくしの短距離転移で結界内に飛ばします!」

 

「転移の腕輪も有りますの! 緊急時はこれを使って結界内から脱出してください!」

 

「リュー、急ぐわよ! ベリークがもう戦闘を始めてる!」

 

 目の前に積まれた転移の腕輪を見て、エステルは考える。

 

 『魔王の魔力は以前と同等』……シルフィーヌはそう言った。

 あの尊敬する兄にして、誰もが認める勇者であった()()()()()()()仕留(しと)()()()()()()()()()()()()、と。

 

 

 ――果たして、自分に兄と同じ役割が果たせるのだろうか?

 

 

「……愚問だな」

 

 別に兄と同じ役割を果たす必要はない。

 リュファスにはリュファスの、エステルにはエステルのやり方があり、長所がある。

 

 

 ただ、魔王を倒すこと。それだけを考えていればいい。

 

 

「ティオファニア、ネリー。ついて来てくれ。アーシャも各国の勇者達にこの腕輪を配り終えたら来てほしい」

 

 当然、と不敵に頷く戦友たち。

 なんの動揺も見せず粛々(しゅくしゅく)と主の命に従う従者。

 

(……私は、本当に得難(えがた)いものを得ているな)

 

 なぜだろうか。

 これほどまでに絶望的な相手なのに、今だけは負ける気がしなかった。

 

「行くぞ!」

 

 結界内に跳ぶ。

 その中では、先程エルフに声をかけていた猫獣人が、魔王の肉体から生える多数の触手を回避しながら、エステルの眼にもとまらぬ速度で魔王の巨体へ攻撃を仕掛けていた。

 彼女の後方では、銀髪エルフの少女が小さな人形を操り、凄まじい魔力で猫獣人の少女を援護している。

 

「……っと! ご新規さんですの!? 今、呪鍛(じゅたん)魔術をかけますから少し待ちますの!」

 

 エルフの少女はそう叫ぶと、彼女の(そば)で浮かぶ小さな人形が詠唱を始める。

 短い詠唱が終わった直後、瞬時にエステル達の疲労が吹き飛び、痛みが消え、凄まじい力が身体の奥底から湧き上がってきた。

 

「こ、これは……!?」

 

 驚くエステル達の疑問に答える余裕もなく、エルフの少女は猫獣人の少女の援護に戻ってゆく。

 

「ねぇ、これ! 魔王の身体の中に戻って、中からぶっ壊したほうが良かったんじゃないの!? っていうか、今から中に戻れないの!?」

 

「無理ですの! もう“穴”が閉じちゃって戻れないし、仮に戻れたとしてもこの調子じゃ四方八方から触手の海に呑まれますの! そんなことするくらいだったら、大人数で連携したり援護したりできる今の方がよっぽどマシですの!」

 

 狐耳の女(ソヨギ)との戦闘の影響が外にまで及ぶことを恐れたのか、それとも“穴”を維持する余裕がなくなったのか、リウラが(つく)りだした“迷宮と外とを結ぶ空間の穴”は既に閉じられていた。

 

 そして、いくら迷宮の内部が広さに余裕があると言っても、限界がある。

 1ヶ所で動ける人数には限りがあるし、魔王は自身の身体から触手を生やして攻撃できるため、天井も床も壁も全てが敵になってしまう。

 

 体内からの攻撃は一見有効そうに見えて、実は一番危険でやってはならない攻撃方法であった。

 

「!?」

 

 言ってるそばから、もはや巨大な岩壁にしか見えない魔王の足に、更なる触手が大量に生え、1本1本から小さな魔力砲が放たれる。

 

 触手だけではない。

 様々な形の生物……いや、魔物だろうか? それらが魔王の肉体からぼろぼろと生まれ落ち、エステル達に攻撃を仕掛けてくる。

 

「むぅん!」

 

 ズウンッ!

 

 エステルの視界を、突如(とつじょ)として壁のように巨大な刀身が遮り、触手の魔力砲を弾き飛ばしつつ魔物達を一刀両断にする。

 

「怪我はないか?」

 

「あ、ああ……貴公(きこう)は?」

 

「俺はオークの戦士、ベリーク」

 

 ただ一言それだけを述べると、彼は巨剣を担いで戦闘に戻る。

 仮にも一国の姫に対する態度ではないが……その無骨ながらも己の仕事に邁進(まいしん)する()り方は、騎士でもあるエステルには好ましく映った。

 

(魔族……か)

 

 魔族――それは“()()()()()()()()()()”。

 

 ならば、今こうして人間族と共闘している彼は()()()()()()のだろう。

 オークなんて、本来であれば“人間族の女性を犯す、典型的な魔族”のはずなのだが、不思議とそう思えた。

 ……やたら筋肉質な肉体を持つ彼を見て、とてもオークとは思えなかったことは脇に置いておく。

 

 ベリークが振り下ろした巨剣が、魔王の足に大きな傷を刻む。

 

 刀身に炎が宿ったところを見るに、名のある魔剣なのだろう。

 氷剣を操るエステルは別の箇所を攻撃した方がよさそうだ。

 

 

 

 

 

 エステルが仲間とともに魔王に攻撃を始めてから、どれくらいの時間が経っただろうか?

 気づけば、人間族の勇者達と、迷宮の戦士たちが入り乱れ、一丸となって魔王と戦っていた。

 

 魔王の魔力は強大で、決して優勢に戦いを進められた訳ではない。大怪我をする者だって当然いる。

 だが、不思議と結界に突入してから死者だけは出ていなかった。

 

 ベリークがエステルに対する攻撃にフォローを入れたように、誰かが窮地(きゅうち)(おちい)れば誰かがフォローし、誰かが大怪我をすれば誰かが癒すというチームワークが自然と生まれていた。

 強大な敵を前に、種族の差にこだわる余裕が誰からも失われていたのだ。

 

 

 ――こいつがやられたら、回復が間に合わなくなる

 ――この人を失ったら、攻め続けることができなくなる

 

 

 無意識のうちに、誰もがその者に対する“価値”を認めていた。

 全種族が連携する“連合軍”は、それぞれの武器や技を駆使して、魔王の身体を少しずつ削っていく。

 

 あっという間に傷が再生されてしまうものの、その分、魔王の魔力は削られているし、魔王が攻撃魔術や魔力砲でこちらを一掃しようとしても、人形遣いの少女が操る強力な魔術で防いでくれる。

 

 

 ――いける……!

 

 

 魔王の魔力は絶大だ。だが、迷宮と切り離されている以上、無限ではない。

 このまま攻め続けていれば、倒すことは不可能ではないだろう。魔王と連合軍との体力の削り合いの形になっている以上、それは綱渡りの消耗戦ではあったが、勝ち目は充分にあるはずだ。

 

 

 

 

 ――そう思った直後、その見立てが唯の幻想に過ぎなかったことを、エステル達は思い知らされた

 

 

 

 

「「「「「!?」」」」」

 

「な、に……!?」

 

「これは……!?」

 

 エステル達の身体から、急激に力が抜ける。

 剣を持つどころか、膝に力を入れることすらままならず、結界の床の上に無様(ぶざま)()いつくばってしまう。

 

 それは結界の外にまで影響し、遠距離から結界を張っていたシルフィーヌ達や兵士達も倒れ、結界どころか、魔王の動きを妨害していたフリーシスの操る念水まで消滅してしまう。

 

「いったい、何が……?」

 

 倒れ伏すシルフィーヌの視界に、自分の手が映る。

 

 

 

 ――小指の先から石化が始まっている、自分の手が

 

 

 

「!?」

 

(なぜ、石化が始まって………………()()?)

 

 シルフィーヌの脳裏に、ソヨギの言葉が(よみが)る。

 

 

 

 ――『……フェミリンスを()()したブレアードの呪いとよく似てたから、そこからは簡単に解けたわよ?』

 

 

 

 ゾッとシルフィーヌの背筋が凍る。

 

 

 もし、もし仮に……古神(いにしえがみ)を封印する設備が魔王に融合、取り込まれていたとして、

 

 

 

 魔王が設備を“自分の肉体の一部”として使うことができたら?

 設備が実は遠距離でも使うことができたとしたら?

 

 

 

 ――それは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 おそらく、遠距離で使うこと自体に無理はあるのだろう。

 古神すら封印する呪いをまともに受けたら、一瞬で全員石化してしまうはずだ。こんな風に力が抜けて倒れるだけ、なんて生ぬるい効果になるはずがない。

 

 だが、その“生ぬるい”効果が今は致命的だ。

 全員が無力化されれば、後はただ(なぶ)り殺しにされるだけである。結界も消されてしまい、連合軍が必死で消耗させた魔王の魔力も、迷宮と再接続することによって回復されてしまう。

 

 それに、この呪い……おそらく魔王との距離が近くなるほど効果が高い。

 精鋭である勇者達なら何とかなるだろうが、一般兵であれば魔王から近づかれただけで即、全身が石化してもおかしくない。

 

(どうすれば……いったい、どうすれば……!)

 

 精気は全ての行動を行うためのエネルギーだ。それがなければ、闘気も魔力も生み出すことはできず、肉体を動かすことすらままならない。それを封じられてしまえば、なすすべがない。

 

 魔王の口が大きく開き、その前方が大きく光り輝く。

 

 シルフィーヌ達は絶望とともに、今までで最大級の魔力砲が発射されるのを見届けるしかなかった。

 

 

***

 

 

「さて、逃げ出すなら今のうちよ? そこの魔族達と古神以外は全員見逃してあげるわ」

 

「嫌!」

 

(だよねー……)

 

 シンプルなリウラの回答に、リリィは苦笑する。

 

 姉はいつもこんな感じだ。一度“助けたい”と思ったら、それを曲げない。

 以前は激怒して猛抗議したものだが、流石にもう慣れた。

 

 後先考えずに自分の思いに正直に従う彼女はリリィにとって悩みの種だが、困ったことにこうした彼女の性格をリリィは嫌いになれなかった。

 

 なら、リリィは彼女の想いを叶えるために、彼女の足りない部分を補うべきだろう。

 卑怯卑劣、罠に策謀どんと来い。リウラでは思いもつかない手練手管で、いけすかない狐女を追い払ってやろうではないか。

 

 

 

 ――そんな彼女の自信は、次の瞬間に砕け散った

 

 

 

 ゾクッ!

 

 リリィは己の感覚の命ずるまま、自身の背後に魅了剣(ルクスリア)の刀身をまわす。

 直後、そんなとっさの防御を嘲笑(あざわら)うかのようにすり抜けて、多段展開されたリリィの魔術障壁をまるで紙のように容易く貫き、彼女の背にソヨギの手刀が突き刺さった。

 

「ぐっ!?」

 

 とっさに前方に跳んで威力を殺すことで、なんとか手刀が背を貫通することを避け、前方に回転しながら受け身を取って振り返る。

 

(いない!?)

 

 ソヨギの姿が見えない。

 

 だが、突き抜けた解析能力を持つツェシュテルと、空間を自在に操る歪魔(わいま)へ変身したリウラの視線の向き――彼女達の視線が交差する位置にいると想定し、牽制の魔術を繰り出す。

 

 

 ――暗黒魔術 破滅のヴィクティム

 

 

 肉体を崩壊させる漆黒の霧を生み出して敵を包む魔術だ。

 

 そんじょそこらの魔物であれば触れただけで軽く消し飛ぶそれが、いともたやすく青白い炎によって燃えつくされる。

 炎の中から姿を現した彼女の視線はリウラに向き、いつの間にか膝がかがめられている。

 

 

 ――雫流魔闘術 狭霧(さぎり)

 

 

 歪魔族に変身しているとはいえ、基本(ベース)はあくまで水精だ。雫流魔闘術は問題なく使える。

 リウラは瞬時に半径数百メートルを霧にならない程度の水蒸気で埋め尽くす。これでどんなに巧く姿を隠そうとも、どんな奇策を巡らせようとも、その位置も行動も手に取るようにわかる。

 

「!?」

 

 直後、リウラは慌ててしゃがみつつ背後を振り返る。

 すると、そこにはいつの間にか“もう1人のソヨギ”が鋭く伸ばした爪で、先程までリウラが居た空間を薙ぎ払っていた。

 

「――空蝉(うつせみ)!」

 

 リウラは瞬時に水の分身を生み出し、その操作を無意識に任せて背後のソヨギに向かわせる。

 

 意識とは無関係に身体が動く、という経験をしたことはないだろうか?

 表面に現れる顕在意識と、現れない潜在意識とで行動が食い違う、ということはままある。

 

 リウラの場合は、それが特に顕著だ。

 なぜなら彼女の場合、“潜在意識が勝手に異能を使い、本来表面に出ないはずの無意識の活動を表面化させる”ことが可能だからだ。

 

 かつて美來(みらい)たちの潜在能力を解放したように、リウラの異能は潜在的なものを表面化させることができる。

 ならば、潜在意識の活動を表面化させることもまた可能だ。

 

 そして、リウラの異能は顕在意識だけでなく、潜在意識も使用することができる。

 結果として、リウラは顕在意識だけでなく潜在意識までリウラの身体や異能・魔力を駆使して戦うことができるのである。

 

 その片鱗が現れたのは、アーシャとの戦闘だ。

 

 彼女が特に意識せずとも空中に水床を固定し、敵の攻撃に合わせて無意識に身体の表面で“焙烙(ほうろく)”を発動させた。

 あれは潜在意識が異能を使って、勝手に表面に出てきたからこそできた芸当なのである。

 

 あの時と同じように……いや、分身である“空蝉”に遠慮はいらない。

 体表面どころか、分身を形作る水分全てを水蒸気爆発させるつもりで背後のソヨギに襲いかからせ、自分は目の前のもう1人のソヨギに集中する。

 

 既に極限集中状態には突入済みだ。

 ()()まされた感覚と全能感がリウラを満たし、力強く腰を落として拳を構える。

 

 リウラの構えに対しソヨギは、まるで“避雷傘(ひらいさん)”のような円錐状の炎の障壁を展開しつつ突っ込んで……

 

 

 

 ――()()()()()()“避雷傘”のような障壁?

 

 

 

 ゾクリと嫌な予感に背筋を震わせたリウラは、瞬時に転移してその場を離脱する。

 

 ――直後、

 

 ゴッ!!

 

 水蒸気爆発させる間もなく、背後側に居たソヨギが放った蒼炎の濁流によって、リウラの水分身は跡形もなく蒸発させられた。

 正面側に居たソヨギは、その濁流を円錐状の障壁で悠々と受け流す。雫流魔闘術 “焙烙”について充分に理解していることが良く分かる、適切すぎる対応であった。

 

「何よアレ!? 正真正銘のバケモノじゃない!?」

 

「双子……? いえ、アレは“影”ですか。あんな膨大な魔力を必要とするものをいとも簡単に……」

 

 ツェシュテルが(おのの)き、セシルが冷や汗を垂らす。

 

 物質の具現化、それ自体は比較的簡単な技術である。なにしろ、魔力をイメージ通りに固めればそれだけで具現化できるのだから。

 現に、リリィの衣服などは彼女の魔力とイメージで構成されており、破損しても瞬時に修復が可能だ。

 

 

 しかし、生命体を具現化する場合は例外で、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 原作ではディアドラが“影”と呼ばれる自身の分身を創造していたが、あれは魔王の肉体という膨大な魔力タンクがあってこその芸当である。

 その他にも原作のリリィが死を迎えつつある魔王に対し、新たな肉体を創造することで救ってみせたが……並み居る兵を軽々と薙ぎ倒す原作終盤のリリィであっても、施術直後に昏睡し、長期にわたって目覚めることができなかった程の致命的な魔力不足に陥った。

 

 しかもそれだけの莫大な魔力を支払って生み出されたそれらは、必ずしも強大な力を秘めている、という訳ではない。

 先の例のように、原作のリリィが魔王の生存のために脆弱な人間族の肉体を生み出しただけでも、それだけ膨大な魔力を消費するのだ。“魔力による具現化”が如何に多大な魔力を必要とするかがそれだけで良く分かる。

 

 ところが、ソヨギはあっさりと“魔神級の力を持つ分身”を生み出して見せた。それもリウラの“空蝉”のような“水を固めただけの分身”ではなく、“完全な複製体”として。

 いったいそれを成すのにどれほどの魔力が必要なのか、想像もしたくない。

 

「水の娘! ()に繋げるのじゃ!」

 

「!」

 

 ティアマトの言葉の意味を瞬時に察したリウラが迷宮の上の空間に干渉し、直接迷宮の外と空間を繋げる。

 燦々(さんさん)と照る太陽の輝きが差した直後、凄まじい勢いで莫大な質量を持つ何かがソヨギ達を押し潰した。

 

 

 ――隕石である

 

 

 およそ地属性の魔術としては最高峰に近い攻撃魔術。本来ならば遊星(ゆうせい)をぶつけたかったところだが、それをすると味方にまで被害が出る可能性が高い。

 それに、これはあくまでも()()に過ぎないのだ。この程度で仕留められる相手ならば、ティアマトは敗北なんてしていない。

 

 ティアマトの眼が素早く横に動く。

 

 天地が創造される前……原初において夫とともに神々を誕生させた、あらゆる生命の母である彼女は、それが“生命”である限りどんなに気配を消そうとも探知することができる。

 

 ティアマトの翡翠色の瞳が神々しく輝く。

 すると、再び空間が閉じて現れた天井から、壁から、床から、そして何もない空間から突如として塩の刃が現れ、神に歯向(はむ)かう愚か者を断罪せんと空間を埋め尽くした。

 

 しかし、それもまた牽制。

 一瞬だけだがソヨギの視界を奪い、その間にティアマトは己の親指の腹を噛みちぎり、床に血を(したた)らせる。

 

 ソヨギが塩の剣群に対応しようと持ち上げかけた腕がピクリと震え、剣群に遮られて何も見えないはずの上方を視線鋭く見据える。

 

 

 

 ――直後、塩の刃がソヨギに届くのを待たず、稲妻を(まと)った巨大な(ひづめ)が、それらごとソヨギを踏み潰した

 

 

 

 

「ブモオオオオオオオオオォオォォオオオオオオッッッッ!!!!!」

 

 

 

 

 例の巨大プテテットなど比較にもならない、文字通り山をも越える巨躯(きょく)の牡牛が吠える。

 

 太古の生命の母が垂らした血の一滴から生まれた怪物は、その背で迷宮の天井を破壊してそびえ立つ。

 その雄姿は“怪獣”と呼んで差支(さしつか)えない莫大な質量と魔力をその身に蓄え、母の命を狙う敵を打ち滅ぼさんと眼下を(にら)みつける。

 

 

 ――ズンッ!

 

 

 ソヨギを下に敷いたまま、その蹄が更に地にめり込み、

 

 

 ――カッ!

 

 

 威力が高すぎてもはや閃光と化した稲妻が蹄から放たれる。

 たとえ魔神であろうともただでは済まぬその威力。だが、ティアマトも牡牛も共に表情に余裕は無い。

 

 

 ――グッ……

 

 

 徐々に、

 

 

 ――ググッ……

 

 

 徐々に、

 

 

 ――グググッ……

 

 

 見せつけるようにゆっくりと牡牛の蹄が持ち上がっていく。

 牡牛の意思ではない。彼は今も全体重、全膂力(りょりょく)、全魔力をもって狐娘を踏み潰そうとしている。

 

 やがて人1人分の身長程度持ち上がったところで、クスクスと笑い声が響いた。

 

「ああ、もう本当に……」

 

 ソヨギは片腕1本で自身の何倍もある牡牛の蹄を押し返しながら、金の瞳をギラつかせて叫んだ。

 

「うっとうしいわね!」

 

 

 ――狐炎神術(こえんしんじゅつ) 陸獣王(りくじゅうおう)(ほむら)

 

 

 ソヨギの腕から放たれた蒼炎が牡牛の蹄を、脚を伝い、一瞬にして燃え広がる。

 牡牛の全身に広がった炎はその断末魔とともに巨大な肉体を飲み込み、同じサイズの狐型の炎の塊となってティアマト達を睥睨(へいげい)する。

 

『――解析完了。ターゲットロックオン……発射』

 

 

 ――魔渦(まうず)封印弾

 

 

 ツェシュテルを身に纏ったセシルが機械的な翼を広げ、ライフル型の魔導銃を巨大炎狐に向けて放つ。

 

 セシルの魔力によって保護された弾丸は狙い(あやま)たずツェシュテルが解析した炎狐(えんこ)形成術式の“核”へと届き、その魔力の発生を停止させる。

 すると、炎狐は自身を保つことができず、ぐずぐずに全身を崩壊させる。

 

 セシルはライフルを魔導鎧(ツェシュテル)の腰部にガシャンと収めると、両の籠手からせり出した2門横並びの砲門――計4門の砲門を構えて言った。

 

「突っ込んでください! 援護します!」

 

 言うや否や、轟音とともに加速したセシルはソヨギの周囲を舞って小型魔導砲を乱射する。

 魔導砲の閃光が降り注ぐ中を――

 

「行くぞリリィ!」

 

「はい、魔王様!」

 

 

 

 ――魔王とその使い魔が駆ける

 

 

 

「はああああぁああああっ!」

 

「シィッ!」

 

 刀身の連結を解除した魅了剣ルクスリアが舞う中を魔王が駆け抜け、魔剣インフィニーを大上段から振り下ろす。

 ソヨギはふらりと剣撃の風圧に押し流されるように、自然にそれを魔王から見て右へと回避しつつ、掌底を繰り出そうと(わず)かに腰を落とす。

 

 しかし、その隙を補うように自身の背を魔力で弾いたリリィが魔王を追い抜き、一瞬にして刀身を引き戻し、連結しなおしたルクスリアで平突(ひらづ)きを放つ。

 それをしゃがんで避け、リリィの無防備な腹に向けて魔王に撃つ予定だった掌底を打とうとすると、地を舐めるように放たれた魔王の旋風脚が放たれる。

 それを見たソヨギは身体を捻りつつ後方へ宙返りすることで、脚を狙って放たれた旋風脚を回避しつつ、リリィから見て右へと移動する。

 

 

 ――純粋魔術 追尾弾

 ――純粋魔術 翼輝陣(ケルト=ルーン)

 

 

 リリィが自身の周囲に百を超える追尾性能付きの魔力弾を生み出し、魔王が敵の足元に高純粋の魔力の渦を生み出す。

 

 金の長髪と、銀の長髪をなびかせて、主従が駆ける。

 

 その連携はまさに阿吽(あうん)の呼吸。

 あらゆる武器を使いこなす使い魔と、魔術や錬金術など様々な分野を高いレベルで修める魔王。ともに器用さとセンスにおいては群を抜いている彼女達は、生まれて初めての即席の連携であるにもかかわらず、比翼の鳥の如く1つの生き物として怒涛(どとう)の連撃を繰り出してゆく。

 

 ――クンッ

 ――フッ

 

 魔王とリリィが攻める間もひっきりなしに降り注ぐ小型魔導砲撃が、不規則に軌道を曲げ、空間を跳躍する。リウラが歪魔の力を用いて魔導砲撃の軌道を変更しているのだ。

 本来であれば当たらないはずの軌道が急にソヨギへと向きを変え、逆にリリィ達に当たりそうになる砲撃が宙に空いた空間の穴の中に消え、ソヨギの背後へと撃ち出される。

 その砲撃の中には、いつの間にかリウラが()び出した水弾が混ざり、変幻自在に形を変えて、ソヨギの動きを封じようと襲いかかる。

 

 その様はまさに嵐。

 エステルやシルフィーヌであろうとも流れ弾が1撃当たっただけで戦闘不能になるであろう超絶的な暴力の渦の中で、純白の狐娘は軽やかに踊る。

 

 

 ――まるで効いていない

 

 

 そのことが嫌でも分かる光景だった。

 

「……うん、大体わかった」

 

 ぼそりと(つぶや)かれたソヨギの不穏な言葉に、ざわりとリリィの背筋が凍えたその瞬間、リリィの眼が大きく見開かれ――

 

 

 ――気づいた時には、炎を纏ったソヨギの肘がリリィの鳩尾(みぞおち)に叩き込まれていた

 

 

「がっ……!?」

 

 

 ――狐炎神術 九焔尾(きゅうえんび)

 

 

 吹き飛ぶリリィに追い打ちで放たれた九つの炎の帯が次々とリリィに炸裂し、彼女を火だるまにする。

 しかし、彼女が迷宮の壁にクレーターを作る前にその姿が掻き消え、比較的攻撃されにくいであろうシズクの傍にリウラと共に現れた。

 

 ――冷却魔術 氷盾(ひょうじゅん)

 

 リリィごと氷の盾に閉じ込めるつもりで冷却魔術をかける。

 魔神級の魔力を込めて放たれたリウラの冷却魔術は、なんとかソヨギの炎を鎮火させることに成功し、リリィは焦げてボロボロになった肉体と衣服を魔力で再生・修復して素早く立ち上がる。

 

「冗談じゃない、何よあのバカげた実力は!? 魔力も膂力も技量も全部桁違いじゃない!」

 

「流石、シズクのお師匠様だね~。あの短時間でリリィの攻撃に適応されちゃったか~……でも、なんで真っ先に適応できたのがリリィなんだろ?」

 

「? どういうこと? お姉ちゃん」

 

 リウラの言っていることが分からず首を捻るリリィに、リウラは自分の疑問を詳しく解説する。

 

「ほら見て。私や魔王さん達の攻撃に対して、ソヨギさんはまだうまく反撃できてないでしょ? あれ、まだ私達の攻撃を見切れてないんだと思う。でも、私以外の今戦ってる人たちって、単純な技量だけならリリィより下なんだよね……なら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

「……言われてみれば」

 

 確かに不自然だ。

 

 リウラには雫流魔闘術の下地が、リリィはリウラとヴィアからもらったそれぞれの武術の経験がある。

 それに対し、ティアマトは強力で独特な魔術を次々と繰り出しているものの、その戦闘には粗があり、あまり戦闘に慣れていないのが分かる。

 

 魔王の場合、ラテンニールの戦闘経験と、憑依したブリジットやオクタヴィアの武術・体術を生まれ持ったセンスで巧みに使いこなしているが、以前の肉体では膨大な魔力で力押ししていた弊害か、その扱いはリリィに比べれば一歩も二歩も劣る。

 

 そして、セシル。

 

 自身で素材を狩りに行くことで有名なユイドラの工匠(こうしょう)であり、かつてメルキアの軍人でもあった彼女の戦闘経験はそれなりに豊富だが、あくまでも彼女は“創る者”であり“戦う者”ではない。

 数年という僅かな期間ではあるものの、武術の専門家であるシズクから天才と評されたリウラの戦闘経験……それを引き継ぎ、使いこなすリリィに(かな)うものではなかった。

 

「……それは、リリィの連接剣術が、魔闘術(私の技)を基礎としているから」

 

「「!!」」

 

 リリィとリウラがバッと振り返る。

 2人の視線を受けたシズクは、“今の自分の知識が少しでもソヨギを止めるための力になれば”と必死に状況を説明する。

 

「魔闘術……それを生み出す基礎となった技術は母様に教えてもらったもの。技の長所も短所も良く理解している。それをそのまま使っているのなら、見切るのが早いのは当たり前」

 

 シズクの言葉に、リリィとリウラが異論を唱える。

 

「いや待ってください。確かにお姉ちゃんの戦闘経験はもらったけど、あくまで武器を使う基礎だけで雫流魔闘術は使えてないですよ? 私の戦闘術の基盤(ベース)はヴィアだし……それに、あの水精に最適化されてる技と、“型をその場で創る”っていう独特の感覚が理解できなくて」

 

「それに雫流魔闘術が見切られるんなら、リリィじゃなくて私が先じゃない?」

 

 水の精霊を喚び出して自在に操る技、そしてその場で型を生み出す独特の感覚。

 リウラから性魔術で経験をコピーさせてもらったものの、それらが自分には到底理解することができず、以来、リリィは雫流魔闘術を使っていない。

 使っているのはもっぱらヴィアの修得した武術と、魔王の魂からもらった知識で利用している攻撃魔術だ。

 

 さらに言えば、“雫流魔闘術が見切られる”というのならば、まず見切られるのはリウラでなければおかしい。

 多彩な変身を持つものの、その全ての戦闘スタイルの基礎は雫流魔闘術なのだから。

 

 2人の当然の疑問に、雫流魔闘術の創始者はあっさりと答える。

 

「ううん、あなたは魔闘術を使ってる。それも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……え?」

 

「正当な、形……?」

 

 ポカンと呆ける2人。

 

 “正当な形”とは一体どういうことか?

 リウラのそれは正当ではないと?

 

「リウラには独特の能力(ちから)がある。一度修得し、経験したものを無意識のうちに反復し、磨き、改善し、工夫する力。本来であれば何年もかけて開発するはずの“技”をリウラは戦闘中に開発する……ハッキリ言うけど、()()()()()()()()()()()()。もしそれを“型を創る”と言っているのなら、それは間違い」

 

「どうして貴女(あなた)がそんな勘違いをしているのかは分からないけど、魔闘術は決して水精用の戦闘術じゃない。ただ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。“型を創る”というのも、そんなに大げさなものじゃない。“技の要点を理解して、それを状況に適した形で使えるようにする”というだけのこと。本来、膨大な経験を必要とするそれを、あなたは自分の生まれ持ったセンスを使って自然に行っている。“特定の敵への最適化”は未熟なところも多いけど、それ以外……“特定の状況への最適化”や“自分のやりやすいようにする最適化”は理想的なほどに」

 

 雫流魔闘術の奥義に“明鏡止水”というものがある。

 

 極限まで精神を集中することによってゾーン状態に入り、最高のパフォーマンスを発揮するための技だ。

 つまり、技を発動させるためのプロセスとしては、まず“精神を集中させ”、それから“ゾーン状態に入る”という流れになる。

 

 しかし、リウラの場合は違う。

 彼女の場合、まず()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()になる……つまり、完全に原因と結果が逆転しているのだ。

 

 このような“異能を前提とした感覚”を経験としてもらったところで、リリィにそれを再現することなどできはしない。いかにリリィが器用であったとしても、“存在しないもの”を操ることなどできはしないのだから。

 できることはせいぜい、“リウラが使った型そのものを真似(まね)る”ぐらいである。

 

「そして、そんな能力(ちから)によって歪められた雫流魔闘術は、源流(ルーツ)こそ同じかもしれないけど、完全にリウラ()()に最適化された別物と化している。もう“リウラ流”と言ってもおかしくないくらい。リウラ独特の特性を前提にされた武術なんて世界に一つしかない流派、いくら母様といえど、見切るのに時間がかかるのは当然」

 

 それは事実だった。

 

 今もリウラの無意識が繰り出している空間歪曲や、水を使った多彩な攻撃を読むのに、ソヨギは非常に苦労していた。

 “読み切った”と思った(はし)から行動パターンが変わり、ソヨギの予想もつかない攻撃や補助を繰り出してくるからである。

 

 “少しの間、練習を休んでいたのに、なぜか以前よりも上手くなっていた”という経験をしたことはないだろうか?

 あれは無意識が練習のイメージを反復し、気づかないうちにイメージトレーニングをしていた結果である。

 

 リウラが“相手に適した型を創造しよう”と考えた瞬間、彼女の顕在意識は異能を介して潜在意識に指令を出し、“相手の動きに適した動き”を考え、思いついた端からイメージトレーニングを行っているのである。

 

 そして、顕在意識が1秒間あたり15~20ビットの考えが浮かべることができるのに対し、潜在意識は1100万ビットもの考えを浮かべることができる。

 潜在意識も含めて本心から望めば、異能をもってその思考を完全に制御できるリウラのイメージトレーニングの量は莫大だ。それこそ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 つまり、ソヨギは自分の使った行動パターン1つ1つに対応するよう訓練したリウラを、都度相手にしているのである。

 そう考えれば、むしろ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「多分だけど、その“ヴィア”って人が使っていた技は短剣術でしょう? どうしてリリィは、その動きの上に私の連接剣術を乗せて使うことができているの?」

 

「それは……私が使えるようにうまく合わせたからで……」

 

 そう言ったリリィに、シズクは“我が意を得たり”と頷いた。

 

 

 

「――それが、“型を創る”ということ」

 

 

 

 ストン、と()に落ちた感じがした。

 

 魔王から“最高の使い魔”として生み出されたリリィの戦闘センス、そして器用さはズバ抜けている。

 他者から性魔術で奪った経験を、即座に自身の種族や体格に合わせて反映させるなど、まず普通はできない。

 事実、過去にリリィがアイにそれを行った際、アイはとても他者の経験を自分のものにすることはできなかった。

 

 リリィがあらゆる武器を利用できるのは、彼女自身の器用さに加え、リウラの経験をもらっているからだ。

 リウラがシズクから学んだ、あらゆる武器の戦闘術、その基礎。その経験を性魔術でもらったからこそ、彼女は連接剣なんて複雑な武器を自在に利用することができる。

 

 そして、リリィはそれをヴィアの武術に組み合わせて行使した。

 それはヴィアの動きが最もリリィにとってしっくりくる動きだったこともそうだが、何よりもリリィのセンスがそれらを自分に最適化して組み合わせるということをあっさりと行えたことが大きい。

 

 そして、雫流魔闘術はそれを“型を創る”と表現するのである。

 あとは、それを敵と状況に合わせて同じように最適化するだけだ。

 

 リリィは考える。

 

 自分の動きは見切られてしまった、とソヨギは言う。

 直感に過ぎないが、おそらくそれは事実だろう。『全ての攻撃が全く当たらない』とまでは言わないが、おそらくこれから有効打はほぼ与えられない可能性は高い。

 

 

 ならば、いっそのこと――

 

 

「シズクさん」

 

 

 ()()()()()()()()が、どのように敵や状況に対して最適化するのか――

 

 

「あなたの経験……私に下さい」

 

 

 

 ……それを学びつくし、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この後、シズクはリリィの手練手管で、わずか5秒で盛大にイかされることになった。

 ヴィア、ブリジットに続く、リリィから受けたセクハラ被害者第3号である。

 

 

 

 



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第十章 決戦 中編3

 ――ピクリ

 

 ソヨギの狐耳が反応する。

 

(……何?)

 

 リリィの気配がガラリと変わった。

 

 ダイヤモンドの原石のように輝く天才的なセンスを持っているものの、まだまだ経験が足りていないがため、少々乱れが目立っていた全身の魔力の流れ……それが、急に熟練の武術家のように静謐(せいひつ)なものに変化したのだ。

 

 どうやらそれは魔王達も感じ取っているらしく、いったん攻撃を止めて全員がリリィの方へ注意を向けている。

 ソヨギに至っては、魔王達よりも脅威と判断したのか、しっかりとリリィへと顔を向けて注視していた。

 

 ジャリ……

 

 砂を踏みしめて現れたリリィの表情に決して余裕は無いが、静かな自信に満ち、その瞳には勝負を諦めていないことを示す希望の光が見えた。

 

「……魔王様」

 

「なんだ」

 

 リリィはソヨギから視線を外さないまま、魔王に願った。

 

「私が時間を稼ぎます。その間に、この人を何とかする方法を考えてください」

 

「よかろう」

 

 そして、魔王は唯の一言でそれに応える。

 

 『どうやって?』とも『できるのか?』とも聞かなかった。

 

 魔王様なら、できる――

 リリィなら、できる――

 

 お互いにそう信じているが故に、言葉はそれだけで充分だった。

 

「セシルさん、ツェシュテルさん、お願いがあります」

 

「はい?」

 

「? 何よ?」

 

 唐突なリリィの“お願い”に、そろって疑問符のついた声を上げた主従たちへ向かって、リリィは言葉を続ける。

 

「ツェシュテルさんの力を、私に貸してください」

 

 ツェシュテルを(まと)うセシルではなく、ツェシュテル個人を指しての協力要請。

 その意味を理解したツェシュテルは、静かに激怒した。

 

「……アンタ、この状況で私に『マスターの守護を放棄しろ』と……『マスターではなく、アンタに従え』と、そう言「はい、どうぞ」って、ますたああああああああぁあぁあああっ!?」

 

 あっさりと我が子を売り渡し、勝手にリリィを仮マスター登録されてしまったツェシュテルは涙声で訴えるも、セシルは笑顔で知らんぷり。

 魔導鎧状態が強制的に解除され、いつもの人形サイズの少女の姿に戻った彼女の表情は、怒りと悲しみとショックで複雑に歪んでいた。

 

「ツェシュテル。私は工匠(こうしょう)であって、戦士ではないのよ? 歪竜(わいりゅう)の力だって寿命を延ばすことが目的であって闘うためじゃないしね。なら、私よりもリリィに使ってもらった方がよほど戦力が上がるわ。……私はソヨギが襲う対象に入ってないから、別に逃げても問題ないし」

 

「言いたいことは分かるけど、分かりたくない! ああああああああ……もう、いったい私は何人の主を持てば良いってのよ……死にたい」

 

「ごめんなさい」

 

 リリィの言葉に、頭を抱えていたツェシュテルが頭を上げる。

 リリィの視線が真っすぐにツェシュテルを射抜いた。

 

「護りたい人から引き離してしまって、ごめんなさい。無理を言ってしまって、本当にごめんなさい。この人を抑えるために、私の大切な人達を護るために、あなたの力が必要なんです。……いただいた借りは、必ずお返しします。だからお願い、私に力を貸してください」

 

「……」

 

 真摯で、誠実な言葉だった。

 言い訳も無ければ、脅迫じみた言葉も無い。ただ素直に、そして真剣にツェシュテルに協力を求めていた。

 

 本当ならば、ソヨギという強敵の前で彼女から視線を外すことすらしたくはなかっただろう。しかし、彼女はしっかりとアイへと視線を向けて懇願(こんがん)した。

 もしソヨギがこの場にいなければ、おそらく彼女は頭を下げて……いや、ひょっとすれば土下座すらしていたかもしれない。それほどに必死な想いが彼女の言葉から、態度から、眼から感じられた。

 

(あ……)

 

 魔神の肉体が混ざった影響により変質したツェシュテルが、自らの魂の本質(土精の性質)を思い出す。

 

 

 ――自分は、いったい何故セシルの願いに(こた)えて魔導巧殻(まどうこうかく)になったのか?

 

 

(……『大切なものを護って欲しい』って、言われたんだったっけ)

 

 セシルが願う真摯な想いに……大地の化身として、地に生きるものを癒し、育み、護る性質を持つツェシュテルは応えたのではなかったか。

 リリィからひしひしと伝わってくる“大切なものを護りたい”という想いは、彼女の心の奥底にいつの間にか眠ってしまっていた(こころざし)を思い起こさせるに充分なものであった。

 

 

(――この人だ)

 

 

 ツェシュテルは確信する。

 

 

 ――自分の原初の志を思い出させてくれた、この人が

 ――自分と同じ志のために戦おうとしている、この人が

 ――そして、その志を果たすため、ここまで自分の事を必要としてくれている、この人こそが

 

 

 創造主であるセシルが一時的に預かっている“真のマスター権限”を受け渡すに相応(ふさわ)しい人物であり、自身の生涯を通してその身を捧げるべき存在……

 

 

 

 ……ツェシュテルの真の使い手(マスター)である、と。

 

 

 

 こんな状況で、不謹慎かもしれない。

 だが、真に主として望む人物を見つけたツェシュテルは、“リリィと共に戦いたい”という想いを抑えきれず、キラキラと輝く瞳で不敵に笑ってしまう。

 

「良いわ! そこまで言うなら、このツェシュテル様の力を貸してあげる! 見事、私を使いこなしてみなさい!」

 

 瞬間、人形サイズの身体が爆発的に膨らみ、鋼の濁流となってリリィの身体を包む。

 その様相はアイの時のように銀のシャープな形のものでもなければ、セシルの時のように機械的な“これぞ魔導鎧”といったものでもない。

 

 魔導巧殻ツェシュテルは、主人の思い描く“鎧”のイメージを基に自身のデザインを決める、オートオーダーメイドの魔導鎧。

 これにより、“どんなに高性能の装備でも、サイズが合わなくて装備できない”、“本人の戦闘スタイルとうまくかみ合わない”といったデザイン上の問題を克服している。

 

 リリィが思い描くのは姫騎士エステルが(まと)っていたような、“動きやすさ”と“防御力”を両立する鎧。

 

 白を基調として金の装飾がなされた胴、肩当、籠手、具足が装備される。腰回りは鱗のように何枚もの装甲が折り重なるようになっており、動きを阻害しにくくなっている。

 肩から肘、足の付け根から膝までに装甲は無く、その代わりにぴったりとした黒のタイツのようなものを纏っている。MP鋼を糸状にしたものを幾重(いくえ)にも編み込んで柔らかさを調節したものだ。ワイヤーにも勝るその硬度と伸縮性は、魔神相手でも充分に通用する頑強さとしなやかさを誇る。

 

 そして、何より特徴的なもの。

 それは……リリィの左手に握られた一振りの連接剣。

 

 ツェシュテルの体内に極小サイズで保管され、質量変化によりリリィに最適化されたサイズで解凍された、魅了剣ルクスリアにも劣らぬセシル謹製の逸品だ。

 

 リリィは、その月明かりのように冴え冴えと白い刀身をゆっくりと持ち上げ、剣先をソヨギへ向ける。

 半身となった彼女は腰を落とし、右手の魅了剣(ルクスリア)を腰の後ろへと回して構え――

 

 

 

 

 

 次の瞬間、魔王達が目で捉えることができたのは、淡い紫の魔力光の残滓(ざんし)だけだった。

 

 

 

 

 

 大きく目を見開いたソヨギが、手首をしならせるように放たれた白き連接剣での面打ちを、リリィの手首を左に逸らして回避しようとする。

 

 

 ――直後、リリィの姿が消える

 

 

「っ!」

 

 ピクリとソヨギの狐耳が震える。

 視界から消えたリリィの位置を音と空気の流れから察知し、突き出そうとしていた左手を止め、後ろへと跳んだ。

 

 先程までソヨギの足があった位置を紫黒(しこく)の刃が通過する。

 宙に魔力の床を(つく)りだして着地したソヨギは、すかさず反撃に移るため重心を前に動かそうとするが、眼を大きく見開いたソヨギはその場で肘を跳ね上げ、左から凄まじい勢いで振るわれた()()()()を上へと()らす。

 

(これは……!)

 

 紫の魔力光を纏う斧槍(おのやり)が、その重さを感じさせない軽々とした動きでリリィの右手の中でくるくると回され、両手でピタリとソヨギに突きつけるように構えられる。

 いつの間にか魅了剣は手放され、リリィの右腕へと巻きついていた。

 

 

「今の……ひょっとして“彗星(すいせい)”?」

 

「合ってるけど……正確には、違う」

 

 リウラが驚愕とともにリリィが使ったであろう技の名前を口にするも、彼女の師はそれを否定する。

 

「あれは、“()()()()()()()()()。確か、名前は――」

 

 

 リリィが再び淡い紫の閃光となって駆ける。

 斧槍が縦横無尽に振るわれ、突かれるも、ソヨギはそれらを的確に(さば)く。

 

(……ここね)

 

 ソヨギがリリィのフェイントを見切り、斧槍の袈裟斬りの軌道を左に回避しつつカウンターの掌底を当てようとする。

 

 ――が、

 

(っ……!?)

 

 リリィの身体がぶれる。

 

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 確かにソヨギは左に回避したはずなのに、同じ距離分だけリリィが()()()()()()()()()()()()()()()()()()動いたのだ。

 その結果、リリィが振るうであろう斧槍の軌道から、ソヨギは全く逃れていないことになってしまっている。

 

 タンッ!

 

 ソヨギは左への回避を諦め、地を蹴って上へと跳ぶ。

 リリィが振るうであろう斧槍を回避し、1回転しつつ(かかと)落としを脳天に決める腹だ。

 

 グンッ!

 

「くっ……! ()()()()()()()()()()!」

 

 リリィの肩の動きから、間違いなく袈裟懸けに振るわれるはずだった斧槍……それが、振るおうとした直後に軌道を変え、リリィの頭上へと跳んだソヨギへ、まるで追尾するかのように移動する。

 しかし、ソヨギは冷静に刃を(かわ)しつつ斧の側面を蹴り飛ばし、いったん大きく距離を取り――始めた瞬間に、さらに転移。

 

 

 ――直後、一瞬前までソヨギの身体があった空間をリリィの斧槍が通過した

 

 

 リリィの全身が淡い紫の輝きを纏い、光の尾を引いて一瞬にしてソヨギの背後に回り、斧槍を振るったのだ。

 その速度、その動きはまさに紫電一閃。当たればソヨギであろうともタダでは済まないであろう鋭さを備えていた。

 

 ソヨギは知っている。

 この超人的な速度と、予測不可能な動きを可能とする、魔力による肉体操作術を……その名は――

 

 

 

(……“()()()()()”……っ! ここまで洗練されたものは初めて見た……!)

 

 

 

 猫獣人や睡魔族(すいまぞく)が好んで使う独特の体術――ねこぱんち。

 それは己が肉体を闘気や魔力で弾くことによって、本来の肉体では発揮できない瞬発力を一時的に生み出す技術である。

 

 はるか昔、ディル=リフィーナのとある武術家が“自分の動きが読まれやすくなっている”という壁にぶつかった際、ふと小さな猫がその可愛らしい手で虫にパンチしてじゃれている様子が目に入った。

 

 その静止状態から瞬時に猫がパンチを繰り出す様子をヒントに、武術家は“猫がパンチを瞬時に繰り出すように、魔力で自身の肉体を弾いて瞬時に動く”という、“肉体を全く動かさずに、魔力を()って肉体を操作する技”を生み出した。

 

 武術家は自身にヒントを与えてくれた猫にあやかって、この技を“ねこぱんち”と名づけたのである。

 

 だから、別に拳に限らずとも、脚であろうと、頭突きであろうと、あるいは剣、槍、斧、(つち)といった武器を用いようとも……もちろん、猫耳の無い種族が繰り出そうとも、“魔力や闘気を弾いて行う肉体制御術”であれば、それらは全て“ねこぱんち”と呼称されるのである。

 

 かつてリリィが繰り出した“ねこぱんち”や“ねこぱんち・改”は、この肉体制御術を学ぶためのとっかかりとして、スケールダウンしたものに過ぎない。

 それらを基礎として修得し、全身を制御するための(すべ)として極めると、今のリリィのように変幻自在の動きを可能とするのだ。

 

 全身が発光するのは、いつでもどの部位でも弾けるように、また、弾く部位を敵に悟られないようにするために全身を魔力や闘気で覆った結果であり、そのため術者が動くと、その闘気や魔力の光が残像となって残り、まるで彗星が尾を引いて()けたかのように見える。

 

 そう、実は雫流魔闘術の“彗星”とは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ――体術 ねこぱんちの極み

 

 

 リウラたち水精(みずせい)が扱う“彗星”は、水蒸気爆発を自在に操って移動する奥義だ。

 しかし、睡魔であるリリィが扱う場合はそうではない。“魔力の爆発を自在に操る技”となる。

 

 シズクの膨大な経験を得たリリィは、その生まれ持ったセンスをもって即座に己のものとして昇華。“彗星”をはじめとする彼女の技を、自身が扱える“型”へと最適化して修得した。

 結果、長い長い努力によってしか得られないはずの経験と、天性の才能とを兼ね備えた即席の達人が此処(ここ)に誕生したのである。

 

 ――ソヨギの視界の中で、ほんの(わず)かにリリィの姿がブレる

 リリィの“彗星”がミリ単位で、彼女の姿勢を崩すことなく移動させたのだ。

 

 ――リリィの振る剣が不意に軌道を曲げる

 剣に纏わせた魔力が、本来の軌道を捻じ曲げたのだ。

 

 ――突進していたはずのリリィが急に停止する

 ――リリィが手元に呼び戻し、連結を解除した連接剣(ルクスリア)が、慣性では有り得ない軌道を描く

 ――筋肉の動きが全くない状態で腕や足が動く

 

 とにかく動きが読めない。

 魔力の流れや爆発の予兆を読んで(かろ)うじて回避できているものの、非常にやりにくい。

 

 そして、動きの読みにくさに拍車をかけているものがもう一つ。

 

(でも、だいたいの動きは分かった。次は何とかでき……!?)

 

 ソヨギの瞳が一瞬戸惑(とまど)いに揺れる。

 

 リリィの背後に転移した彼女は、当然リリィの背を目にしている。

 しかし、あれだけ長大なはずの斧槍の柄も斧も、見当たらない。

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……!

 

 

 

 ――リリィの肩が、ほんの僅かに動く

 

 

 その動作が“何かをつま()く動作”だと気づいたソヨギは、慌てて空気の流れを見切り、ほんの1歩分左に、そして軽く右に飛び込んで前転するように動く。

 

 直後、ソヨギの背後で凄まじい音を立てて岩が崩落する音が聞こえる。

 見れば、こちらを向いたリリィの手の中には“竪琴(たてごと)型の弓”が構えられていた。

 

 再び、リリィの指が竪琴をつま弾くと、魔力を込められた空気の刃が宙を縦横無尽に駆けてソヨギを襲う。

 非常に視認しにくいはずのそれらを、ソヨギは“音などの色を見る”自身の眼でハッキリと視認しながら、回避する。

 

 

 その様子を見たリリィは背後へと跳びながら、()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ――これだ

 

 リリィの剣となり、鎧となった小人の少女。

 彼女はどうやら鎧や連接剣、魔導銃だけでなく、あらゆる武器にその姿を変えられるらしい。

 

 いや、それだけならば、たいした脅威ではない。

 

 いくら多彩で強力な武器に変身しようとも、使用者が扱いきれなければ何の意味もない。

 事実、セシルが使用していた時、ソヨギはツェシュテルに何の脅威も覚えなかった。彼女が扱えるのは魔導銃しかなかったからである。

 

 厄介なのは、それをリリィが()()()()()扱えてしまっていることである。

 

 どろり、と竪琴が形を崩し、瞬時に鉤爪(かぎづめ)へと変化してリリィの両腕に装着された瞬間、リリィが全身に纏う魔力のうち、背中側がキラキラと魔力の粒子を噴出して、瞬時にソヨギの間合いに入り込む。

 

(させないっ!)

 

 ギラリ、とソヨギがリリィを(にら)みつける。

 すると、轟と空気を焼き尽くす音とともにリリィの身体が蒼炎に包まれた。

 

 ソヨギの念炎だ。

 同時、ソヨギは青白い闘気を全身から放ち、気合とともに掌底を炎の塊となったリリィに叩きこむ。

 

「はっ!」

 

 ドン!

 

 重々しい音とともに炎の塊が吹き飛ぶ。

 しかし、打ち込んだ瞬間に感じた異様な手応えに、ソヨギは大きく目を見開いて動揺した。

 

「な、なんで色が減って……っ!?」

 

「……なるほど、“()”ね」

 

「!?」

 

 背後から聞こえた有り得ない声に、ソヨギは反射的に肘打ちを繰り出す。

 しかし、それはあっさりと白銀の籠手に覆われたリリィの腕に防がれ、リリィとソヨギは至近距離で見つめ合うことになった。

 

「おかしいとは思っていたのよ。いくら貴女(あなた)の技術や身体能力、魔力が優れていようとも“どうしようもないこと”っていうのは必ずある……あなた、お姉ちゃんが空間の穴を開ける前に反応してたわよね? それに、さっきから視線どころか視界にすら入っていない攻撃に対する反応……明らかに()()()()()

 

「ッ……!」

 

「魔術の霧で包もうが、神気そのものの塩剣(えんけん)で囲おうが、お姉ちゃんが空間や空気に干渉しようが、ほんっとうに面白いくらい的確に対応してたものね、あなた。流石に“気配”やら“空気の流れ”だけで対応できる範囲を超えてるわよ」

 

 リウラ……いや、歪魔族(わいまぞく)が操る空間操作術は、基本的に前兆が皆無だ。

 

 仮に、歪魔の眼前の空間Aから、敵の眼前の空間Bに対して空間の穴を開けたとしよう。

 

 一般的な転移魔術などとは異なり、彼ら彼女らが操る魔術は空間に直接干渉する。

 もちろん、起点となる空間Aに対して魔力干渉する以上、そちらには“魔力を空間に放つ”という前兆はあるのだが、終点となる空間Bは“穴が開くまでは”何の前兆も無い。

 

 つまり、“穴が開く瞬間”ならばまだしも、“穴が開く前”に敵が反応することはできない。

 そんなもの、たとえ歪魔族であろうと感知することは不可能だ。

 

 また、戦闘が始まった瞬間にリウラが放った“狭霧(さぎり)”は、魔力のこもった水蒸気を空間に満たす特性上、“空気の流れが通常では有り得ないものになる”という副次的な効果がある。

 

 雫流魔闘術の使い手と戦った場合、周囲の空気の流れすらフェイクとして使われてしまう上、必要とあれば空気の流れを停止できるので、空気の流れから敵の行動を予測することは極めて困難だ。

 シズクとリウラが戦闘になった際、空気中の水分を操作して突風を起こすことでアイを突き飛ばし、攻撃を強制的に回避させたのも、その応用である。

 

 それだけではない。

 

 リリィの魔力がたっぷりと込められた漆黒の霧に包まれようと、ティアマトが創造した神々しい神気を放つ剣群に視界を完全に遮られようと、その後の攻撃がまるで見えているかのように、彼女は適切に対応して見せた。

 

 ならば、魔力感知でも空気の流れでもなければ、気配でもない“何か”で感知している、と考えるのが筋だ。

 先程の『色』という発言からしてそれは――

 

「あなた……共感覚能力者ね? それも複数の複合型」

 

「……ッ!」

 

 

 ――共感覚

 

 

 それは、ある刺激に対して通常の感覚だけでなく、異なる種類の感覚をも生じさせる特殊な知覚現象だ。

 例えば、文字や音、数に色が見えたり、味や匂いに色や形を感じたり、痛みに色が見えたり……中には、人の心が発する感情や、時の流れですら視覚情報として捉えることができる者もいるという。

 

 こうした共感覚能力を持つ者はそう珍しくなく、リリィに原作知識を与えた魂の居た世界でも、100人に1人は存在していた。

 

 このリリィ達が感知できない知覚情報によって、リリィ達の攻撃を感知していたのだとしたら、ソヨギの異様な対応力も説明がつく。

 1つや2つの共感覚では、これまでの対応は不可能であろうことから、おそらく彼女は最低でも3つ以上の共感覚を保有している可能性が高い。

 

 

 ――ならば、

 

 

「なら、話は簡単よ。いったい(いく)つの感覚を持っているのかは分からないけど、それを把握する必要なんてない。だってそれは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 その声は、背後から聞こえた

 

 

 

 

 ――目の前にリリィが居るのにも関わらず、()()()()()()背後から聞こえた

 

 

 

 

 バッと、ソヨギは背後を振り向く。

 そこには、()()()()()()()()()()()

 

(あの小人の変身……!? いえ、違う!)

 

 あれは……“()()

 

 ソヨギも先ほど用いた、膨大な魔力を固め、イメージで具現化した分身。

 それを、リリィが操っているのだ。

 

 

 ――雫流魔闘術 空蝉(うつせみ)

 

 

 その、対ソヨギ用の型だ。

 

 リリィは、ソヨギが放った炎に包まれた瞬間、自分の分身を目の前に生み出しつつ、ツェシュテルに頼んで分身にも鎧を纏わせ、分身がソヨギの掌底に吹き飛ばされた瞬間に、彼女の背後に回り込んだのである。

 

 分身にリリィ自身の精神は込められていないし、分身の纏う鎧にもツェシュテルの精神は存在しないが、それ以外は肉体も鎧も本物と寸分たがわぬ複製だ。

 いくら共感覚を持つソヨギとはいえ、瞬時に“偽物である”と判断するのは難しいだろう。

 事実、掌底を打ちこんで接触するまで、“リリィの感情”を表す色が消えていることに、ソヨギは気づけなかった。

 

 分身の鎧が(ほど)けて液状化し、リリィ本体が纏う鎧へ吸い込まれていくと同時、分身を(かたど)っていた魔力が一瞬にして形を崩し、リリィの元へ戻ってゆく。

 その膨大な魔力量にソヨギは目を()いた。

 

(おかしい……! あの分身、明らかにリリィ本体と同じだけの魔力量があった! そんな莫大な魔力、いったいどこから……!?)

 

 ひたすらに魔神を喰らい、自分を鍛えてきた彼女は知らない。

 “人が創る兵器など、鍛えた魔神の拳の前には無力”と信じる彼女は知らない

 

 

 

 ――メルキア帝国の英知が結集し、1人の才媛の発想を持って生み出された、夢の永久機関の存在を

 

 

 

 永久魔焔反応炉(えいきゅうまえんはんのうろ)

 

 メルキア帝国の決戦兵器――魔導戦艦のメイン動力にも使われるほどの莫大なエネルギーを生み出し続ける、人には過ぎた力(オーバーテクノロジー)

 それを搭載されたツェシュテルの存在は、リリィにとってルクスリア以上に彼女に適した力となった。

 

 なにしろ、強大な魔力を持つ敵を倒す必要もなく――

 性魔術のように面倒な儀式も必要なく――

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 その恐ろしさが分かるだろうか?

 

 “魔力切れがない”ということ……それは、精気で肉体を構成する彼女にとって、()()()()()()()()()()()()()()()()であり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ということと同義である。

 

 普通ならば、その膨れ上がった力に振り回されて、あっという間に自滅するだろう。

 しかし、彼女は他者の経験を奪った瞬間から使いこなし、己のものとしてみせる天才中の天才。魔力が膨れ上がった状態を予測して己の動きを最適化するなど、朝飯前だ。

 それどころか、ソヨギとの戦闘を己が(かて)とし、戦闘中であるにもかかわらず、技がどんどん磨かれ、()()まされていっている。

 

 ……おまけに、分身が消えた後、周囲の空間に膨大で多種多様な色や匂い、音、触感が入り乱れ始めた。

 何をどうやったのか知らないが、どうやら周囲の微妙な音、匂い、温度、魔力……いや、おそらくソヨギが把握していない“何か”すらも含めて、巧妙に(いじ)られている。

 これはおそらくツェシュテルの仕業(しわざ)か。

 

 

 ――『いったい幾つの感覚を持っているのかは分からないけど、それを把握する必要なんてない。だってそれは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 なるほど、木を隠すなら森の中――()()()()()()()()()()()ということか。

 

 納得したソヨギは、簡潔に今の状況をまとめる。

 

(……つまり、眼も耳も塞がれた状態で、今この時も技量と魔力を増大させ続ける、超再生能力持ちの化け物を相手に勝たないと、私はあの古神(いにしえがみ)()れないと……)

 

 ソヨギの口の(はし)が弧を描いて牙を剥き、獣そのものの眼光を目に宿しつつも、人が磨き上げた術理に沿った構えをしなやかに、ゆらりと構える。

 獣性と理性を兼ね備えたその構えに、隙は無い。

 

(……やって、やろうじゃない……!)

 

 彼女は母を殺し、父を今も苦しめている神々を相手に戦わなければならないのだ。

 世界中の信仰を集めて魔力に満ち溢れる彼らに勝利するなど、今のリリィに勝てなければ夢のまた夢である。

 

 ソヨギはかつてない敵の登場に、全身全霊をもって戦い、勝利することを決意する。

 

 

 

 ――目の前のリリィに集中するあまり、いつの間にかその場から魔王達が消えていたことに、彼女が気づくことはなかった

 

 

***

 

 

 仮の契約を含めると、魔導巧殻ツェシュテルには複数の主がいる……いや、セシルに()()()()()

 普段は変なプライドが邪魔をして絶対に口にすることはないが、実は心の底では皆すばらしい主だと彼女は考えている。その想いに嘘は無い。

 

 

 だが、『全く不満が無かったか?』と問われれば……ツェシュテルは首を横に振るだろう。

 

 

 ――セシルは、ツェシュテルの全てを知る創造主であったが、戦士ではない

 

 創造主として彼女の全権限を預かってはいるものの、セシルの本分は“戦う者”ではなく“創る者”……かつて軍人であった経験からある程度戦うことはできるものの、現役かつ一流の戦士達に比べれば劣り、ツェシュテルの全能力を引き出せているとは言い(がた)かった。

 

 

 ――アイは同じ土精(つちせい)同士、非常に気が合った。自分を必要ともしてくれた

 

 その感覚はとてもくすぐったいものだったが……同時に“ただ速く動いて殴るだけ”の戦い方に物足りなさを覚えた。

 “自分はもっと活躍できるはず”……そういった思いが常にどこかに付きまとっていた。

 

 

 ――リウラは、先史文明期の技術が使われているツェシュテルに匹敵する素晴らしい情報処理能力を持っていたが、必ずしも自分を必要としていた訳ではなかった

 

 彼女は自分の肉体を変化させて戦う者であり、必要なものは自ら生み出すことができた。戦士が自らの命を預ける武器や防具も、彼女にとってはポンと生み出せる道具にすぎない。

 ツェシュテルは彼女にとって“強力な武器や道具の一つ”にはなれても、“相棒”にはなれない。アイの時のようにお互いを必要としあう関係にはなれなかったのだ。

 

 

 彼女の理想の主……それは、自分を必要としてくれて、かつ自分を十全に活かしきれる者。

 “自分は主を護る剣であり、鎧である”と感じさせてくれる人。

 心身ともに1つとなって、敵に立ち向かえる者だ。

 

 原初の想いを思い出させてくれたリリィを主に選んだことに悔いはない。

 しかし、ゆくゆくは彼女にそのような人物になってもらいたい……そう、ツェシュテルは願っていた。

 

 

 

 そして、彼女にとって思いがけないことに――()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 超常の感覚器を備え、そこらの魔神など軽く超える魔力を持ち、数百年の研鑽(けんさん)を積んでなお戦闘中に技量を成長させる仙狐(せんこ)の魔神。

 そんな規格外の化け物を相手に、主は自分(ツェシュテル)を振るい、()()()()()()()()()()

 

 

 ――そう、(リリィ)もまた常軌を逸した才を持つ人物であったのだ

 

 

 相手は複合共感覚能力者。音に色を、熱に匂いを感じるような別感覚を備える能力者だ。

 言ってみれば、彼女は五感や第六感、魔力・気配感知に加え、多数の感覚器(センサー)を持っているような状態である。

 

 そんな敵に対抗するには、どうしたらよいか?

 

 

 簡単だ……()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ツェシュテルに搭載されている各種センサーをはじめとする様々な機能……数百キロ先だろうと生命体を感知できるそれらは、決してソヨギの感覚に劣るようなものではない。

 電波探知や、魔力分布および熱源分析による瞬間動作予測なんてものは流石にソヨギにも真似(まね)できないだろう。

 

 常人であれば、戦闘中に見せられたら間違いなく邪魔になるであろうそれらのデータが脳内に投影されても、リリィは“そういうもの”を常態として瞬時に適応し、使いこなしてみせた。

 

 それどころか、リリィは“敵が多数の感覚を備えている”と知った途端、恐ろしいほどの数のフェイントを入れ始めたのだった。

 

 ――ほんの少し指や肩、足を動かす

 ――ほんの少し身体のどこかに魔力を込める

 ――ほんの少し空間に念を凝らす

 

 たったそれだけでソヨギは反応し、思い通りに動けなくなる。

 

 適当に動いただけならば彼女が反応するはずがない。

 一見無造作に出されているように見えて、“実際にその行動を起こす場合、その動きの起点となる挙動はどうなるか”を想定した丁寧なフェイントだからこそ引っかかるのだ。

 

 多数の感覚を持つからこそ、そして達人であるからこそ引っかかる僅かなフェイントは非常に効果的で、彼女は明確に攻めあぐねていた。

 

 もちろん、ツェシュテルも様々な魔導具・魔法具を駆使して、的確なタイミングで周囲に熱や電磁波・魔力などを放ったり、わずかに空間を歪めたりすることで多数のフェイントを入れている。

 しかし、リリィのフェイントは未だ破られていないのに対し、ツェシュテルのフェイントは徐々に対応され始めていた。

 こと“先読み”に関しては、先史文明期の技術が使われた分析能力を持つツェシュテルよりも、リリィが勝っている、という証拠であった。

 

 それだけではない。リリィは攻めのパターンを次々と変えてソヨギを攻めたてているのだが、その多彩なパターンの構築には、ツェシュテルの機能が大いに活かされた。

 

 リリィが腕を振るうと、鎧からズルリと鉄色の液体が飛び散る。

 

 飛び散った液体は、それぞれ内蔵された武装や魔導具・魔法具の質量を爆発的に増大させ、あるものは爆弾、あるものは矢、あるものは毒、あるものは剣、あるものは呪符……と鉄色の雫の一滴一滴がソヨギを害するものへと変化し、ツェシュテルの意思やリリィの念によって操作され、複雑な軌道を描いてソヨギへと襲いかかる。

 

 その軌道を見切り、流れる水のように飛び交う武器の隙間を縫って接近するソヨギに、拳撃用の籠手へとツェシュテルを変化させたリリィが、迷宮を震わせる震脚とともに縦拳を放つ。

 その縦拳を受け流そうと手を添えようとしたソヨギは、急に手を添えるのをやめてしゃがみ前転での回避に切り替える……リリィの籠手の側面から大きな曲刃が飛び出していた。

 

 ソヨギは前転が終わった直後、背後にいるリリィに向かって飛び込むように地を蹴ってバク宙。直後、冷気を纏った矢がソヨギの足元を通り過ぎた。

 

 ……見れば、ソヨギに向き直って低く距離を離すように跳んだリリィの左足の具足が弓へと変化し、弓弦(ゆづる)が大きく震えている。

 

 足に引っかけて撃てるような特殊な形状をした矢を念で具現化することで作成し、背後へ身体の向きを変える体捌(たいさば)きに合わせて軽く跳躍。

 右足に矢を引っかけて弓を引き絞り、矢に魔術で冷気を纏わせて放ったのだ。

 

 

 ――パズルのピースがピタリと合う感覚

 ――自分の全てが、全力が強引に引き出されていく快感

 

 

 ツェシュテルは、その感覚に酔いしれる。

 “大切なものを護るための兵器”として、自身の存在意義を遺憾なく発揮できている今、彼女の魂は震えるほどの歓喜に満ちていた。

 

 

 

 

 ……そう、満ちて()()

 

 

 

 

 ソヨギがバク宙の回転に合わせて足を振り下ろす。

 それをリリィは肩部分の鎧で受け止め、指向性を持たせた魔力爆発で威力を減衰させる。

 

 

 ――雫流魔闘術 焙烙(ほうろく)

 

 

 衝撃でソヨギの脚が跳ね上がった瞬間、目の前で逆さになっているソヨギの頭をキッと睨みつけたリリィの眼が紅く輝き、視線を媒介に直接ソヨギの眼に魔力を叩き込む。

 

 魔力量的にソヨギの方が格上であるため、かつてコウモリに叩き込んだ時のように全身の精気を支配することは叶わないが、ルクスリアによって増幅した睡魔の誘惑の魔力は、“焙烙”で足を弾かれた勢いに乗せて打ち込もうとしたソヨギの肘をほんの一瞬止めることに成功する。

 

 その瞬間、全身の各所を魔力で弾き、上体を(ひね)るようにして、自身の肩をソヨギの鼻の下へ思い切りぶつけ――

 

 

 ――リリィの肩が、ソヨギの顔を()()()()()

 

 

「がっ!?」

 

(リリィ!?)

 

 いつの間にか、リリィの死角に(もぐ)り込むように、右手を大地につけて蹴りをリリィの腹に叩き込むソヨギの姿があった。

 空中に()ったソヨギの姿がふわりと消える。どうやらこの御仁(ごじん)は精霊王族並の幻術も使えるらしい。とことん多芸な人物である。

 

 腹を押さえたリリィは、冷や汗を流しながらツェシュテルのみに聞こえる心話(しんわ)でひとりごちる。

 

(……()()()()()……思ったよりずっと早かったわね)

 

(アンタ何を言ってんのよ!? ()()()()!? この私がついてるのよ!? 時間切れなんてある訳ないじゃない!!)

 

 

 ――永久魔焔反応炉による無限の魔力供給

 ――精気で構成された睡魔の肉体

 

 

 この2つが揃えば、彼女は肉体を無理やり超速で再生させ、精神力が尽きない限り戦い続けることができる。

 ソヨギ相手の戦闘はたとえ数秒であっても精神を削るであろうことは想像できるが、リリィのバイタルを見る限り、彼女の精神力はまだまだ余裕があるはずだ。

 

 いったい何をどうすれば“時間切れ”になど――

 

 

 

 

 ――気づくと、ソヨギの爪がリリィの頸椎(けいつい)に迫っていた

 

 

 

 

(―――――――え?)

 

 思考が止まるツェシュテルをよそに、リリィはまるでそうなることが分かっていたかのように、後ろを振り向くようにして体捌(たいさば)きしつつ、数センチだけ右へ身体を弾くことによって回避。

 しかし、ギリギリ回避しきれず、頬から僅かに血が飛び散った。

 

(な、にが……………………いったい、何がっ……!!?)

 

 ツェシュテルの思考が止まった理由は明白だった。

 

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()である

 

 

 

 先程、ソヨギの姿はリリィから見て左前方にあった。

 光学でも熱源でも、その他のセンサー全てでも感知できていた。

 

 しかし、実際に攻撃が来た方向は()()()……真逆(まぎゃく)である。

 

 しかも、左前方にいたソヨギは爪ではなく、蹴りを繰り出していた。空間を捻じ曲げて一瞬にして背後に回ったとか、そういうレベルではない。

 かといって、先程のリリィのように膨大な魔力にものを言わせて分身を創ったのか、と思えば、それも違う。

 

 

 ――雫流魔闘術 驟雨(しゅうう)

 

 

 リリィが足を通して魔力を地面に浸透させ、広範囲の地面から上方に向かって間欠泉のごとく魔力弾の乱れ打ちを放つ。

 足元という死角から撃たれるそれらが2人のソヨギに当たり……

 

 

 そして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

(なんで……!? 確かに、確かにそこにいるはずなのに……っ!?)

 

 

 そこで、気づいた。

 

 

 

 ――ツェシュテルに搭載された各種センサー……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

(まさか……まさか……っ!?)

 

 反射的に、リリィへの情報提供そっちのけで全力で周囲の環境情報を分析する。

 その結果、わかったこと。それは――

 

(ありえない……こんな場所にこんな熱源や電波がある訳がない。私が配置したダミーでもない……それに、この魔力――っ!)

 

 分析に分析を重ねることでようやく判明した、不自然な環境を創りだしている魔力の波長……それは主人を今まさに追い詰めている女と完全に一致した。

 

 ツェシュテルは先にリリィが口にした言葉を思い出す。

 

 

『いったい(いく)つの感覚を持っているのかは分からないけど、それを把握する必要なんてない。だってそれは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 ――さて、幾つもの感覚を持っているのは、()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

真似(まね)……された?)

 

 その言葉を証明するかのように、()()()()()()()()()()()()()()()、先ほど以上のスピードと不規則性でリリィを追い詰め、リリィの雪のように白い肌に傷を刻み始めた。

 

 

***

 

 

「持って5分。()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……それほどか、奴は」

 

「もちろんリリィも凄いよ。1を聞いて10どころか100を知っちゃう。だから、普通なら戦いが長引くほど成長して、最後には勝っちゃうはずなんだけど……でも、ソヨギさんは1を聞いたら500、場合によっては1000くらい成長しちゃう。いくらリリィでも、自分の5倍も10倍も成長する相手には、そんなに持たせられないよ」

 

 ソヨギ達から数百キロ離れた迷宮のとある場所にて、魔王達はリリィに言われた通り策を練っていた。

 

 リウラは途中からリリィの援護をやめていたが、それは自分達の安全を優先した訳ではない。単純に“()()()()()()()()()()()”である。

 

 ソヨギとリリィは相手の行動に対応できるよう、常に成長・進化を続けながら戦闘を続けていた。

 しかし、天才中の天才たる彼女達の成長速度に、精神の100%を使い尽くすリウラの高速学習が追いつけなくなったのだ。

 

 仮に一般的な兵士が1の経験を得る状況において、リウラが100の経験を得るとするならば、リリィは300、そしてソヨギは1500~3000の経験を得ることができる。

 

 リウラは異能によってイメージトレーニングを超加速させ、原記憶を(すく)って一度見たものを二度と忘れないことができるが、異能を操る彼女自身は凡人だ。

 天才(ギフテッド)特有の繊細さ・敏感さは持たない。

 

 リウラが見、感じる一場面で、リリィやソヨギは彼女の何倍もの情報に気づくことができる。

 リウラであれば、何度も何度も繰り返し鍛錬することでようやく気づけるコツや極意を、彼女達はずっと少ない鍛錬で……場合によっては実際に行う前、頭の中でシミュレーションした段階で気づくことができるのだ。

 

 だから、リウラは早々にリリィの援護を切り上げ、魔王達を空間転移で別の場所に移した。

 リリィが時間稼ぎに専念できるように、そして魔王達が策を練ることに専念できるようにするために。

 

 しかし、リリィの時間稼ぎがそう長く持たない事に気づいていたため、リウラの表情は非常に厳しい。

 

 リウラの高速学習で追いつけなくなったのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 その体感速度がリリィと比較して5~10倍くらいだったので、その見積もりから“持たせられるのは5分が限度”と、魔王にはそのように告げたが……実際にはもっと早い可能性も充分にある。

 

 学習とは経験同士の(ひも)づけである。“既知”に“未知”を繋げることで、人は新しい情報をインプットすることができるのだ。

 たとえば、『“グレイビーボート”という単語を覚えろ』と言われても、初めてその単語を聞く者はなかなか覚えることはできないだろうが、

 

 ――ランプみたいな形の、カレーを入れる器の名前

 ――“グレイビー”は“肉汁”の意。“ボート”はボートみたいな形だから

 ――“肉汁”という単語が入るのは、もともと肉汁から作られたソース(グレイビーソース)を入れるための入れ物だったから

 

 と言われれば、覚えることができる者も多いだろう。

 “既知”である“ランプ”や“カレー”、“ボート”、“肉汁”といったイメージに、“未知”である“グレイビーボート”という単語が結びつくからだ。

 

 これは、戦闘にも当てはまる。

 戦闘経験が増えれば増えるほどに、未知の経験と既知の経験が結びつき、学習速度は飛躍的に高まるのだ。

 

 当初、リリィがあっさりソヨギに見切られて吹き飛ばされていたにもかかわらず、シズクの膨大な戦闘経験をもらった途端、ソヨギの学習能力に喰らいついていけたのはそのためだ。

 “未知”であるソヨギとの戦闘で結びつくことができる“既知”の経験が、数百年におけるシズクの多彩な戦闘経験をもらうことにより、爆発的に増えたことが原因だったのである。

 

 

 ……そこで、問題が一つ。

 

 

 ――ひたすら自身を強化するため、魔神のような化け物たちを狙って多数相手にしてきた経験を持つソヨギと、

 ――魔神クラスの化け物を相手にしたことは数える程度で、ソヨギを探すことを目的として旅してきたシズク……

 

 

 

 “既知”の戦闘経験という1点で見た場合、はたしてどちらの質が上だろうか?

 

 

 

 リウラの見積もりである5分……それすらリリィが持たない可能性がある理由は、そういうことだ。

 

「方法は、あります」

 

「……言ってみろ」

 

 シズクはソヨギを止めるために学んだ呪術について語る。

 既に一度それをソヨギに対して行って破られているのだが、ソヨギに記憶を消されてしまった彼女はそれを知らずに内容を語った。

 

 しかし――

 

「却下だ」

 

「……なぜ?」

 

「魔神を喰らい、神を殺そうとするような奴だ。その手の格上を殺す手段はむしろ自分から求めているだろう。知らない可能性の方が低い。下手にかければ、こちらが呪詛返(じゅそがえ)しを喰らうぞ。……ちっ、仕方ない。奴の目的を話せ。奴は、なぜ古神や魔神を狙う? 大まかなところは奴の言動から理解したが、もっと(くわ)しく話せ」

 

 魔王は、まずソヨギの目的から探る。

 戦闘を避けるのならば、武力で追い払う以外にも、相手の目的そのものをなくしてしまうことも有効だからだ。

 

 しかし、シズクの回答を聞き、魔王はそれが難しいことを知る。

 

 

 ――ソヨギの目的は、この世界唯一の神となること

 

 

 そのためには並み居る現神(うつつかみ)達をなぎ倒し、支配する強大な力が必要だ。

 その力を得るため、彼女は自身が“悪”とみなした神や魔神達を食い荒らしている……この目的を失わせるのは難しいだろう。

 

 魔王は視線を、リウラへと移す。

 

「貴様は様々な姿に変身できたな。奴よりも強く、もしくは奴の弱点となるような変身はできないのか?」

 

「……ごめん、無理」

 

 リウラは、あっさりと否定する。

 即答するところを見るに、その可能性は真っ先に考えていたのだろう。

 

「確かに、私は時間をかければ今より強く変身できるし、ソヨギさんの弱点を突くような変身もできるけど、それでもすぐにソヨギさんを戦闘不能にするのは無理。……それで、もし短時間で仕留(しと)められなかったら――」

 

「すぐに対応されて反撃される、という訳か」

 

 リウラの異能は強力ではあるものの非常に繊細であり、彼女の表面意識だけでなく、潜在意識の影響も多大に受けてしまう。

 その影響力は表面意識よりも強く、その強さは例え表面意識が異能を発動しようとしても、潜在意識が拒否すれば発動しない程だ。

 

 そんな彼女が異能を()って変身しようとする場合も、当然彼女の潜在意識の影響は避けられない。

 具体的に言うと、“自分は強い”と潜在意識に思い込ませることが出来なければ、強力な変身ができないのだ。

 

 だから、彼女は変身する前に必ず何らかのポーズを取る。

 それはリウラが自分自身に“自分は強い”と思い込ませるための自己暗示のプロセスであり、それを丁寧に行えば行うほど、強く自分を納得させることができる。

 

 歪魔族に変身した際の変身バンクもまさにそれで、凝った演出を行うほどに、そして時間をかけるほどに、彼女の異能は変身元となる生物の能力も潜在魔力もより多く引き出すことができる。

 結果として、リウラはより強力な存在へと変身できるのだ。

 

 先の変身バンク以上の時間をかけて丁寧に演出を行えば、今以上の力を得ることはできるものの、それでも限界はある。

 “ソヨギ以上の力を得る変身ができる”とは、リウラには到底思えなかった。

 

 そして、“強力な変身に時間がかかる”ということは、実質“1回の変身で仕留めなければならない”と言うことを意味する。仕留めきれなかった場合、すぐに対応方法を学習されて反撃され、逆にリウラの方がやられてしまうからだ。

 ソヨギの学習能力がもう少し低ければ、次々と弱点を突く変身を繰り返すことで対応できるのだが……流石はシズクの師匠。雫流魔闘術以上の変幻自在さと対応能力である。

 

「……女、貴様は何をしている」

 

 1人、『我関せず』と言わんばかりに、マイペースに転送魔術で取り出した大量の魔導具やその部品、そしてそれらを整備する工具を取り出して、カチャカチャと弄りだしたセシルを見て、魔王は眉をひそめる。

 

「相手は空天狐(くうてんこ)なんでしょう? なら、それに合わせた対空天狐用の魔導具を用意しないと」

 

「……奴の種族は炎狐(サエラブ)ではないのか?」

 

「その炎狐(サエラブ)の進化形の、更に進化形があれなんです。過去に一度別個体を見たことがありますが、ソヨギさんほどではないにしろ、あちらも化け物でしたよ。なにしろ身体がバラバラにされていても平然と生きていますし、生首の状態なのにほんの一瞬眼を合わせただけで、ウィル……下位の竜族くらいなら単独討伐できる方の精神を乗っ取れるくらいですから」

 

 セシルの手の中でみるみる内に魔導具が組みあがってゆく。

 魔神級の身体能力を持つ者が全力で組み上げるその様子は、まるでビデオの早回しのシーンを現実で見ているかのように不思議な光景であった。

 

「だから、彼らへの対抗策自体は考えていたんです。ただ、滅多にいない種族である上に、基本的に彼らはソヨギさんと違って引きこもりですからね。作業が後回し後回しになっていたんです」

 

「じゃあ、それを私が取り込んで変身すれば……!」

 

 リウラが期待に顔を輝かせるも、セシルは手元から目を離さないまま首を横に振る。

 

「いえ、正直5分では大したことはできません。出来合いのものを組み上げるだけで精一杯……武器が一つ増える程度です。決定打自体は別に考えなければなりません」

 

「なら、お前の頭の中にある“それ”を万全の状態で組み上げることができたなら、対抗できるのか?」

 

「無理です。私の頭の中にあるのは、あくまでも()()()()()()()()()()への対抗策です。ソヨギさん特有の、あの異常な学習能力をどうにかしない限り、どうしようもありません」

 

 その時、リウラが「あ!」と声を上げ、表情が明るくなる。

 

「そうだ! リリィがそのラ、ラ……?」

 

「ラテンニールか?」

 

 リウラが魔王を指さしながら言葉に詰まると、魔王が言いたいことを察する。

 

「そう! ラテンニールさんを倒したときみたいに――」

 

「やめておけ。確かに性魔術は格上殺しも可能だが、それはあくまでも()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。よく『性魔術は純粋な精神戦』などと言われるが、実際には精神力だけでなく、性魔術の経験や、魔力の多寡(たか)、性技の技量といった総合的な能力が試される……もし仕掛けるのなら、本当に速攻で仕留めなければ、あっという間に性魔術を学習し、性技の技量を上げて、逆にこちらが支配されるぞ? 敵側の戦力が増えるかもしれんことを考えれば、“ただ奇襲をかける”手を取った方が余程(よほど)マシだ」

 

 ――呪術の(たぐい)は、おそらく事前に対策されている

 ――多少戦闘力を上げたり、性魔術を仕掛けたところで、すぐに技量で上回られる

 ――ツェシュテルのような半永久的な魔力炉を持っていない以上、スタミナには限界があるだろうが、あの状態のリリィすら5分持たないのに、ソヨギのスタミナ切れまで戦闘を続けるのは現実的ではない

 ――かといって、ソヨギの目的そのものにアプローチしようにも、方法がない

 

 

 

 ……完全に手詰(てづ)まりだった。

 

 

 

「……」

 

 だが、魔王は諦めない。

 リリィから『この人を何とかする方法を考えてください』と頼まれ、ハッキリと魔王は了承した。

 魔王の名に懸けて、その約束を破ることなど………………っ!?

 

 

(……そうか)

 

 魔王は気づいた。

 

 ソヨギを倒す必要など無い。

 目的を失わせる必要など無い。()()()()()()()()()

 

 

 

 ――本当に必要なのは、()()()()()()()()()()()()()()()()――!

 

 

 

「そこの水精! 聞きたいことがある!」

 

「! ……なに?」

 

 魔王は、自らが分析した“ソヨギの性格”をシズクに確認する。

 ややあって、シズクはハッキリと頷いた。

 

「……うん、合ってる。あの人は大人なようでいて、実は非常に子供っぽいところがある。とても直情的で、何かに集中すると他に目がいかなくなるし、現実的なようでいて、実は理想を夢見てる……でも、それがいったい――」

 

「よし、次だ。古神よ、人をまとめる演説は得意か?」

 

「……ふむ。一応、マルドゥクらの騒動に悩まされる神々(我が子ら)(なだ)め、抑えていた経験はあるでな。最終的に抑えきれず、マルドゥクと戦うことになったことを考えれば、お世辞にも『得意』とは言えんが……まあ、兵の士気を上げる程度の事はやって見せよう。キングゥに与えた軍を鼓舞したこともある」

 

「あとは貴様だ。……リウラと言ったな? 1回だけで良い。奴を強制的に指定した場所に跳ばせるか?」

 

「……ごめん、たぶん無理。あの人、歪魔でもないのに、ものすごい空間操作に()けてるから、私が空間に干渉した瞬間に反応して対抗術式を組まれると思う。もう既に一度私の転移を目の前で見せてるから、奇襲もまず通じない」

 

「……なら、これでどうでしょう?」

 

 そういってセシルがひょいと手元で組みあがった魔導具を放り投げ、リウラはそれを受け取る。

 それは、辞書を3冊ほど重ねた大きさの金属質な箱であった。そのずっしりとした重さから、それが何らかの装置であることが推測できる。

 

「それを使えば、彼女が使う術を妨害できるはずです。ただ、空天狐の進化前である“仙狐(せんこ)”の術式を分析して創ったものだから、『絶対大丈夫』とは口が裂けても言えませんが……」

 

 セシルの言葉を聞き、リウラが内容を吟味(ぎんみ)する。

 しかし、彼女の表情は晴れなかった。

 

「……それでも、厳しい。たぶん、強制転移させること自体はできると思うけど、その前に私が転移させようとしている効果範囲から逃げられる方が先だと思う。せめて、もう1人歪魔の人が居れば……!」

 

 

 

 

「それなら、私がその役割を請け負うッスよ?」

 

 

 

 

「「「「ッ!?」」」」

 

 フッと浮かび上がるように、何もないところから道化姿の天使が現れる。

 ニヤニヤと笑うその姿を見て、セシルは溜息をつく。

 

「……なるほど。落ち着いて考えてみれば、あなたが古神が殺されるのをみすみす見逃すわけがありませんでしたね。今思えば、あの“歪魔族を想定した結界”は貴女からの妨害を防ぐためにソヨギが張ったものだったのでしょう」

 

「どういうことだ? ……いや、それはいい。こいつは信用できるのか?」

 

 魔王が眉をひそめる。

 

 そもそもこの道化天使については、全くその素性が知れない。動機も目的も何もかもが不明なので、信用できないのだ。このままでは作戦に組み込むことなど到底できない。

 セシルやニアもそれは承知していたようで、共に“仕方がない”と言わんばかりの表情を浮かべると、すぐに簡単な説明を始める。

 

「この件に関しては信用して問題ありません。まず、私とニア……そしてソヨギは“()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 “既にニアやソヨギと面識があった”ということに、わずかに驚く一同……しかし、次の言葉には度肝を抜かれた。

 

「――その目的とは……()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「「「「!?」」」」

 

 セシルは語る。

 

 この世界、ディル=リフィーナは現神に支配されているが、彼らは決して全知全能でもなければ、人間達や弱者の味方、という訳でもなく、公正でなければ公平でもない。

 ギリシャ神話に近い非常に人間的な個性を持つ神々であり、その権能を使って個人々々が好き勝手しているせいで、そのしわ寄せが弱者に行くことも多いのだ。

 

 事実、そのせいでソヨギは、親代わりとなった何の罪もない男女を、現神に洗脳された末、同士討ちさせられるという凄まじい経験をしている。

 そんな現神に世界が支配されていると困るのは、ソヨギだけでなく、セシルやニアも同様だった。

 

 

 セシルの場合……どんなに栄えた国を創ろうとも、神の気まぐれで滅ぼされてしまうような不安定な状況が耐えられなかった。

 

 彼女は、闇の月女神(アルタヌー)から(こぼ)れ落ちた、神の力の一滴(ひとしずく)によって、祖国メルキアやその周辺諸国が凄まじい戦乱の渦に巻き込まれた経験がある。

 そんな神々の影響を排除し、自国の安全を確保するため、彼女は“神を軍事力として支配する”技術を求め、魔導技術による人工的な神の創造計画――魔導機神(まどうきしん)計画を打ち立てた。

 

 

 ニアの場合……彼女はかつての古神の眷属である天使族だ。

 その目的は“古神の復権”。現神を退(しりぞ)け、その後釜(あとがま)に古神を()えること。

 

 そのためには、現神を退けるための戦力として、そして退けた後にこの世界を支配する支配者として、可能な限り多くの古神を保護する必要があった。

 

 

 そう、こと“古神を護ること”に関してだけは、その目的から彼女を信じることが可能なのである。

 ティアマトが襲われていた場所の空間が、ソヨギによってグチャグチャに弄られていたのは、歪魔族に変身したリウラではなく、古神を護ろうとするであろうニアを想定したものだったのだ。

 

 

 ただし、彼女達が描いている“現神を倒した後のイメージ”は完全に(あい)いれないものだ。

 

 ――ソヨギは、自らが神となるため

 ――ニアは、古神が治める世界を創るため

 ――セシルは、神々に支配されない世界を創るため

 

 彼女達は、それぞれが全く異なる理想の世界を実現するために、現神を排除する同盟を結んでいる。

 つまり、彼女達は同盟の目的を果たした後は、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ならば……互いが互いを倒すための手段を考えているのは当たり前。

 セシルが、ニアの空間転移を封じる魔導具を開発していたり、ソヨギの術を封じるための装置を準備していたのは、そのためであった。

 

 ……そして、それはニアも例外ではない。

 

「ま、そーいうこってス。私とリセルさんとソヨギさんは同盟を結んではいるものの、その思想は完全に()(どもえ)の相いれないもの……リセルさんが私の転移やソヨギさんの術を封じる手段を考えていたように、こっちも対抗手段は考えてあるッス。リウラさんの転移範囲に押し込むぐらいはやって見せるッスよ」

 

「それって、さっきのものすごく複雑な気配遮断魔術のこと?」

 

「……企業秘密ッス♪」

 

 リウラの異能は、あらゆる隠されたものを見抜く。

 今までほとんどの相手に見抜かれなかった自慢の魔術が察知されていたことを今のリウラの発言で知り、ニアは冷や汗を垂らしながら誤魔化す。

 

「……で、いったいお主は何を考えておる?」

 

「今から説明する。時間が無いから一度で把握しろ」

 

 ティアマトに(うなが)され、魔王は自分が考えた策を話す。

 すると、聞き終えるや否や、ニアが「はいはーい」と手を上げて疑問の声を上げた。

 

「それ、事前にリリィさんに言った方が良いんじゃないッスか? リリィさんて、確か魔王さんの使い魔ッスよね? 気を抜けない戦闘中なのは分かりますけど、心話を通じて説明しといた方が良いと思うッスよ?」

 

「……もう、奴と使い魔の契約は切っている。心話は使えん」

 

「うえぇ!? 大丈夫ッスか、それ!? 戦闘中のあの魔神お2人を、綺麗にリリィさんだけ避けて、ソヨギさんだけ転移させるなんてできないから“転移範囲に押し込む・押し込まない”の話をしていたんでしょ!? 下手したら転移後も2人が戦闘しっぱなしになるッスよ!?」

 

「……大丈夫。それは私がやるよ」

 

 全員の視線がリウラに集中する。

 

「できるのか? おそらくだが、ディアドラにさらわれたときに、貴様とリリィの仮契約は強制解除されているだろう?」

 

「うん。心話は使えないけど、方法は有るよ」

 

「……わかった。そこは貴様に任せる……行くぞ!」

 

 魔王が声をかけると同時、全員の姿がその場から消え――

 

 

 

 ――次の瞬間、リウラは現れた

 

 

 

 現れた場所は、ソヨギの後方50メートル先……膝をつくリリィに、蒼炎が凝縮された青い爪をソヨギが繰り出す瞬間であった。

 

「リリィ!」

 

 その掛け声に、リリィもソヨギも視線は互いから外さないものの、気配が僅かに揺らぐ。

 

 その瞬間、リウラは叫んだ。

 

 

 

てんいがおわったら、せんとうをやめて!!」

 

 

 

(……?)

 

 ソヨギが(いぶか)()に眉をひそめる。

 

 しかし、

 

 

「――!」

 

 

 リリィは大きく目を見開いて驚いた。

 

 

 リウラが叫んだ言葉は決して暗号ではない。

 一般の人々が使う普通の言語だ。ただし――

 

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 『リリィだけに作戦を伝える手段はないか?』と考えた時、リウラは思い出していた。

 リリィが酒場で酔った時に歌っていた歌……あれは、()()()()()()()()()()()()()()()ということを。

 

 リウラの異能は“目に見えないもの”全般を支配し、操作する。

 応用すれば当時経験したそのままの記憶……原記憶を脳内に再生することだってできる。

 

 当時は理解できなかったあの歌は――

 

 

『◆ー%ー&ー#¥~、スティルヴァ~レ~▲□÷、◎~$*~、×ー#~%~、@+■$~●~∞~∀~♪』

 

 

 ――前世の記憶が甦った今のリウラには、ハッキリと理解できた

 

 

 古神にして正義の女神――アストライアが放つ聖なる裁きの炎。

 それに呑まれ、燃え尽きてゆく愛しい男と……現神が彼女を討つ為に授けた神剣スティルヴァーレ。

 その孤独、痛み、切なさを歌う(うた)

 

 

 

 ――あれは、()()()()

 

 

 

(今!)

 

 リウラは己が異能で、ソヨギの一瞬の隙を察知する。

 

 目に見えないものを把握・操作する彼女の異能は、自身の潜在意識だけでなく、その更に深い領域……個人を越えた、集団や民族、人類に普遍的に存在する、超個人的無意識――すなわち、集合的無意識すら把握することができる。

 

 もちろん、精神操作に相手の同意を必要とする彼女に、集合的無意識を通して相手を操作することはできない。

 だが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 だからこそ、彼女はリリィの嘘を見抜き、(シズク)の無意識的な動きのことごとくを先読みすることができたのだ。

 

 

 それを応用すれば、たとえこの学習能力の化け物であろうと、一瞬の隙を突くくらいはやってみせる――!!

 

 

 リウラは体内に取り込み、融合した狐炎術(こえんじゅつ)妨害装置を、体内でスイッチを叩いて起動させ、転移術式を発動する。

 

「ッ!」

 

 空間に浸透する魔力に気づいたソヨギが対抗術式を構築しようとするも妨害され、仕方なく瞬時にその場から退避しようとしたその時、

 

「はい、ギューッ!」

 

「なっ……!? ニア!?」

 

 ニアに抱きつかれてその場に留められる。

 “あのソヨギに抱きつく”という、リリィですらできない偉業をあっさりとやってのけたことに、(はた)で見ていたリリィはあんぐりと口を開き、ツェシュテルは眩暈(めまい)を覚えた。

 

「っ! そうか、()()()()()()()()()()――!」

 

「やっぱ、バレちゃったッスか……でも、これでこっちの勝ちッス!」

 

 神々からすら隠れることのできる神殺し直伝の気配遮断術式……それをアレンジしたニア独自のこの魔術は、看破(かんぱ)された以上、二度とソヨギ相手には使えないだろう。

 

 だが、ニアにとってはそれで問題ない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()――!

 

 

 

 

 ――転移術式、起動

 

 

 

 



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第十章 決戦 後編

 迷宮と融合し、天を()く巨人となった魔王の口が大きく開き、その前方の空間が大きく光り輝く。

 

 シルフィーヌ達が絶望とともに、今までで最大級の魔力砲が発射されるのを見届けるしかなかったその時――

 

 

 

「……貴様にしては随分(ずいぶん)と雑な攻撃だな。どうやらその肉体は貴様には過ぎたものであったらしい」

 

 

 

 ――青い肌の魔族の背が、かつて人間族を追い詰めた宿敵の生まれ変わった姿が、その射線を(さえぎ)った

 

 

 

 強大過ぎる魔力に正気を失った魔王(ディアドラ)が放つ魔力砲を、本来の肉体の持ち主である魔王が(はば)む。

 

 ――魔力(ちから)まかせに放たれる魔力砲

 ――それを強固な城壁の如く遮り、散らす、複雑な紋様を描く魔術障壁

 

 かつての彼らとは真逆の攻防を崩すは、メルキア帝国の決戦兵器たる巨竜の咆哮(ほうこう)

 

 

 

 ――竜咆(りゅうほう) ペルソア歪波動(わいはどう)

 

 

 

 灰銀に輝く鱗を持つ竜……セシルが轟音と共にブレスを撃って辺りを光で埋め尽くす。

 その威力は迷宮内でシルフィーヌが見た(ツェシュテルを融装していた)時と比べれば大分落ちてはいるものの、ブレスは巨人の(あご)に直撃してその軌道を強制的に変更し、魔力砲は空の彼方へと消え去った。

 

 シルフィーヌ達が呆然としている間にも、状況は次々に目まぐるしく変わっていく。

 

 

『あまねく世に生きる全ての勇者よ、よくぞここまで勇敢に戦った』

 

 

 神威を感じさせる女性の声が頭に響く。

 その声は慈愛と母性に満ちており、“この世界に存在する、ありとあらゆる生命を我が子のように愛している”ことを直感的に理解させた。

 

『我はこの迷宮の土着神、塩の(かんなぎ)。今こそ汝らに我が加護を授けよう。我が使いとともに今一度勇気を奮い、我が領域を侵し、奪い取った魔王を共に倒そうぞ!』

 

 直後、一帯に淡く柔らかな光が降り注ぎ、シルフィーヌ達の身体に触れる。

 すると、ぼうとシルフィーヌ達の身体が淡い光に包まれ、温かさとともに石化が引いてゆく。

 

「これは……いったい……?」

 

 シルフィーヌ達が立ち上がると、そこに魔王がコウモリの翼を羽ばたかせて降りてくる。

 彼の背から生えているのがオクタヴィアの翼であることに気づきつつ、シルフィーヌは身構える兵達を手で制し、自ら彼に近づいていく。

 

「まぉっ……いえ……」

 

 とっさに『魔王』と呼びそうになってしまったが、ここで彼をそう呼んだら、巨人の方の魔王と合わせて魔王が2人居ることになってしまう。

 事情を知っている一部のユークリッド兵やエステルならばともかく、それ以外の兵に()らぬ混乱を生むだろう。

 

 シルフィーヌが言いよどんだのを見て事情を察すると、魔王は言った。

 

「私の事は“アナ”と呼べ。姫よ、助けに来たぞ」

 

「助けに来てくれたのはありがたいのですが……状況を説明していただけますか?」

 

 魔王――いや、アナは周囲の兵へ一瞬だけチラリと視線をやる。

 その様子から“周囲の者に聞かれるとまずいことなのだ”とシルフィーヌは理解した。

 

 (あん)(じょう)、彼は口で話す内容とは別に、心話(しんわ)で詳細な状況を説明し始めた。

 彼の魔力と意思が伝わってくる右手の小指を見れば、いつの間にか一筋の銀髪が絡みついている。おそらく、この髪を通して心話を行っているのだろう。

 

 

 

 

 

 魔王アナがリリィとの約束を思い返していた時、彼は1つの矛盾に気づいた。

 

 アナは、『ソヨギを何とかする方法を考えて欲しい』という“リリィとの約束を守る”ために動いている。

 

 なぜ、彼は約束を守るのか?

 

 その理由は、自身の使い魔が命を懸けて稼いでくれた時間を無為にすることを、“主人ならばできる”という信頼を裏切ることを、彼の“魔王としての誇り”が許さないからだ。

 

 だからこそ彼には“リリィを見捨てて逃げる”という選択肢が存在しない。“魔王としての誇り”という極めて個人的な感情が、彼を縛っているからだ。

 

 同じように考えてみよう。

 

 ソヨギは、自らが“悪”と判断した古神(いにしえがみ)である“ティアマトを殺し、喰らう”ために動いている。

 

 なぜ、彼女はティアマトを殺し、喰らおうとするのか?

 

 その理由は、彼女がこの世界唯一の神になり、神々の身勝手な行為に巻き込まれる不幸な人々を救うため。

 そして、自らが“悪”と判断したティアマトが人々を不幸にする前にこの世から消す為だという。

 

 ならば、なぜ――

 

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 実際の彼女は目の前の古神を殺すことに躍起(やっき)になって、民の事が頭から消し飛んでいる。

 先の前提と明らかに矛盾しているが……魔族である魔王には、すぐにその理由が理解できた。

 

 

 ――それはおそらく……彼女が“共感”や“理想”ではなく、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 彼女が唯一神になろうとする原動力――それは両親を奪った神に対する復讐心だ。

 だから、同じようなことをしている魔神や神を見ると、彼女の中の復讐心が燃え上がり、その魔神や神を徹底的に攻撃する。

 

 つまり、力を得るために魔神らを喰らうのも、その結果として人々が救われるのも、単に彼女の復讐心を(なぐさ)める代償行為の副産物に過ぎないのだ。

 “神に成り代わり、悪を裁く”なんて一見お綺麗なお題目を掲げてはいるものの、それは自身の復讐を正当化するためのつたない言い訳でしかなく、復讐を成す上で犯した罪から目をそらすために自分自身についた嘘に他ならない。

 

 だからこそ、目の前に復讐すべき対象が居た時、彼女は冷静さを失い、それ以外が目に入らなくなる。まず目の前の相手を満足するまで痛めつけないと、復讐心に狂った彼女は自分自身を止めることができないのだ。

 “自分を酷い目に()わせた奴に復讐したい”、“自分に不快な思いをさせる(やから)に八つ当たりしたい”……魔族であれば極めて自然なその思考は、魔王アナにとって実にトレースしやすい考え方であった。

 

 

 そして、ここで重要なことが1つ……それは、“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()”ということ。

 

 

 封印から解放されたばかりの彼女は、単にディル=リフィーナの現状を知らないがために、ソヨギの言うことを鵜呑(うの)みにせず、判断を保留しただけに過ぎない。彼女自身が弱者を虐げたり、あるいは虐げられているのを見て見ぬ振りしたりしていた訳ではないのだ。

 ソヨギがティアマトを攻撃しているのは、復讐心に目が曇り、“自分の意見を否定する神=今の現神(うつつかみ)と同じ”と思いこんだからなのである。

 

 ならば、話は簡単だ。

 

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 すると、“神が弱者を庇護し、慈しむ”という彼女にとって本来あるべき理想の光景ができあがる。

 そうなれば、もう彼女はティアマトに手を出すことができない。なぜなら、“自らの個人的な復讐心で、理想の光景を破壊する”ということは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 “両親の仇と自分が同類になる”などという、ソヨギからすれば身の毛もよだつ状況……そんなもの、彼女は自身の舌を噛み切ってでも受け入れる訳にはいかないだろう。

 

 “極めて個人的な感情”で動く彼女を縛るために最も効果的なもの……それもまた、“極めて個人的な感情”だった、というわけだ。

 “極めて個人的な感情”である“魔王としての誇り”に縛られている……というよりも、“()()()()()()()()()()()()()()()()魔族の王であるアナは、それを誰よりも良く理解していた。

 

 そして、おまけでアナやリリィ達を彼女の“使い”……“天使のようなもの”として扱えば、自分達もその攻撃対象から外れる。

 魔王は(わず)か一手で、自分達全員をソヨギの攻撃対象から外してしまったのだった。

 

 

***

 

 

 ――これは、なんだ?

 

 

 ソヨギは自失していた。

 

 ニアとともに迷宮の外へ跳ばされた直後、急にリリィもリウラもニアも、なぜかソヨギを無視して目の前の巨大な人型創造物――戦闘前に聞いた会話から、迷宮を取り込んだ魔王の肉体だろう――へと向かっていった。

 いったいどんな策を考えたのかと、術で空に浮かびながら周囲へ感覚を()ぎ澄ませた瞬間、ソヨギは固まった。

 

 

 

 ――不可視化したあの古神が、眼下にいる人々へ語りかけ、鼓舞し、加護を与えていた

 

 

 

 ……見事な策だ。

 

 確かに、この状況でティアマトに手を出すことは、ソヨギにはできない。

 このまま彼らの守護神としての地位に収まれば、ティアマトが彼らに不当な扱いを()いない限り、ソヨギはティアマトに手を出せないだろう。

 

 だが、そのこと自体は別に問題ない。

 自己の安全のために弱者を利用するなど、ソヨギが最も嫌う行為。()()()()()()()()()()()()()()()()()()これらの行為が行われたのであったのなら、彼女は冷静でいられた……なぜなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 しかし、複数の共感覚を持つ彼女の感覚器が、正確にティアマトの感情の色を捉え、ソヨギに伝えてくるのだ……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と。

 

 

 

 ――それは、()()()()()()ソヨギがイメージする“理想の神の()(かた)”だった

 

 

 

 そして、驚愕によって復讐心が一時的に薄れた今だからこそ、ソヨギは気づくことができた。

 ティアマトがソヨギへと向ける目。そこには警戒こそ含まれていたものの、怒りや憎しみといった負の感情が一切ない。

 

 そこにあったのは……

 

 

 

 ……母が子を(しか)る時に見せる、“愛”の色しか見えなかった。

 

 

 

 信じがたいことに、ティアマトは自らを殺そうとした()()()()()()()()()()()

 “ソヨギが誤った方向へ行かないように”、“幸せになれるように”と叱ってくれていた。

 

 一瞬、ティアマトのまなざしが、かつて炎狐(サエラブ)だった頃の彼女を叱ってくれた(サティア)のそれとかぶる。

 

「……ぇ? …………ぁ、…………ぇ?」

 

 もう、ソヨギには訳が分からなかった。

 

 だって、アイツは『今も苦しんでいる人たちを放っておいて、話し合え』なんて言っていたではないか。

 今感じているアイツの感情は本当か? 自分の感覚器が騙されているのではないか? ……今も感じ、伝わる愛情を否定したくて、ティアマトが敵である理由をソヨギは必死に探す。

 

「古神さんを信じてあげて」

 

「……え?」

 

 いつの間にか(そば)に居たリウラが、ソヨギを安心させるように微笑む。

 

「私からの……お願い」

 

 リウラが言ったのは、たったそれだけだった。

 それだけで充分だった。

 

 

 ――本人が信じるか否か……問題はそれだけなのだから

 

 

 リウラが再び巨人へと向かって飛び去った後も、ソヨギは呆けたようにその場から動くことはなかった。

 

 

***

 

 

「……大丈夫なのかしら」

 

 迷宮と融合した魔王の肉体へ向かって翼を羽ばたかせるリリィが背後を振り返り、呆然と空中に立ち尽くすソヨギを見ながら不安そうに言う。

 

 別にソヨギの心配をしている訳ではない。

 ソヨギを放っておいて、もし恥も外聞もなく自分(リリィ)を含めた味方が攻撃されたら……と、あれほどの実力を持つ相手に背を向けることを不安に思っているのだ。

 

「大丈夫だよ」

 

 しかし、そんなリリィに、なんの(うれ)いも無い笑みを浮かべて、リウラはハッキリと断言する。

 

「? なんでわかるのよ?」

 

「だって、少しずつだけどソヨギさんの心が優しく、温かく変わっていってるから」

 

 集合的無意識を通して感じられるソヨギの心……それが、大きな“戸惑(とまど)い”、“困惑”の中で、少しずつ“憎しみ”の色が薄れ、“許し”と“親愛”の色が生まれているのを感じる。

 この分ならば、今すぐティアマトや自分達を攻撃することはないだろう。……ひょっとしたら、友達にだってなれるかもしれない。

 ハッピーエンドの予感に、リウラはワクワクとした想いが抑えられなかった。

 

 嬉しそうな姉の姿に、リリィは“仕方ないわねぇ”とでも言うように軽く溜息をつくと、気を取り直して言う。

 

「……ま、お姉ちゃんがそう言うなら、信じるわ。……さて、じゃあ、あのデカブツを何とかしなきゃね」

 

「うん! ……あ、その事なんだけど……」

 

 リウラがちょいちょいとリリィを手招きし、その可愛らしい猫耳に口を近づけ、手を添えて、魔王アナの策を耳打ちする。

 ややあって、リリィは一つ頷いて了承の意を示すと、巨人族ですら赤子に見えるほどの巨体……その足元へと視線を移した。

 

 そこでは、石化が徐々(じょじょ)に治りつつある、エステルをはじめとする勇者や戦士たちを、はぐれ化したアイが凄まじい速度で抱え、安全な場所へ避難させようとしていた。

 リューナの傍にあの人形(魔導巧殻)が浮いていないところを見るに、アイが人形を取り込むことではぐれ化するためのエネルギーを確保し、昇華したのだろう。

 確かに避難させるためには、人形を直接使った魔術的な破壊力よりも、アイの常識離れした速度の方が重要だ。

 

 リリィは、アイに向かって大きく叫ぶ。

 

「今から私達がコイツをどうにかするわ! 全員、お姫様の方へ退避させて!」

 

「……!」

 

 こちらを向いたアイがハッキリと頷き、進路を変える。

 そして、避難済みのリューナや戦士たちと合流すると、彼らの居る地面がズルリと滑り、アイを含めた全員をベルトコンベアーのようにシルフィーヌ達の元へと運んでいった。

 

 ……前々から思っていたが、地味に便利な娘である。

 

「……よし、ツェシュテルさん。最後の一仕事といきましょうか!」

 

(……うん。……でも、その前に少し待ってちょうだい)

 

「……? まあ、少しなら」

 

 リリィは頭に疑問符を浮かべるも了承し、それを聞いたツェシュテルは神妙な声音で心話を繋げた。

 

(マスター、聞こえる? お願い、()()()()()()()()()()!)

 

「え!?」

 

 目を丸くするリリィをよそに、ツェシュテルの生みの親であり、真のマスターであるセシルとの会話は続く。

 

(……そう、見つけられたのね?)

 

(ええ、リリィが私の(つか)えるご主人様よ)

 

(……ちゃんとリリィの許可は取った?)

 

(う゛っ……!? さ、最初に私を求めてきたのはリリィの方なんだから、私を拒否する訳ないでしょ!? だいたい、リリィは私に大きな借りがある訳だし……!)

 

(ダメよ? ちゃんと許可を取らなくちゃ……でないと、本当に心が繋がった主従にはなれないわよ?)

 

(~~~~~~っ!!)

 

 凄まじい葛藤(かっとう)がセシルの心と……ついでに仮マスターとして繋がっているリリィの心にまで伝わってくる。

 たかだか許可を取るだけの事なのに、何をそんなに躊躇(ためら)うのか……そして、なぜそんな(ツェシュテル)の様子を見て微笑まし気な雰囲気がセシルから伝わってくるのか。

 

 ややあって、仕方なく……ほんっと~~~に仕方なく、っといった悔しそうな……それでいて、必死な声がセシルに返る。

 

(……わかったわよ。たとえ今認めてもらえなかったとしても、絶対に認めてもらえるまで諦めないわ……だから、お願い!)

 

 彼女の願いに、セシルは真摯に応えた。

 

(うん、わかった。……リリィさん、うちの子をよろしくお願いします)

 

(願ってもないことだけど……良いの? この娘、機密情報の塊じゃない?)

 

(うちの子を売り飛ばすような人だったら、そもそも許可なんてしませんよ。……それに、あなたは元々“うちの子と相性良さそうだなー”と()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

(………………………………はい?)

 

 

 

 何やら聞き逃せない単語(ワード)が飛び出したような……?

 

(リリィさんって、身内にすっごい甘いタイプですよね。いったん身内にしちゃったら、たとえ世界を敵に回そうが、多少倫理観に問題があろうが、味方になってくれるタイプ。リューナの話を聞いたときも思いましたが、実際にリリィさん達の戦っている姿を見て確信しました。だから、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ツェシュテルでも受け入れて、しかも何かあったら護ってくれそうだな~とは思っていたんですよ)

 

(え……、え……!?)

 

 初めて耳にするツェシュテルの創造理由に、子竜が生まれた時にも似た“厄介ごと”の匂いを嗅ぎ取り、リリィの額を汗が伝う。

 “リリィの許可を取ること”に、ツェシュテルがあそこまで葛藤していた理由を、彼女は少なくない動揺とともに理解した。

 

(おまけに、“魔王が創造した使い魔”で“睡魔(すいま)”だっていうじゃないですか。ツェシュテルは生物でありながら黎明機関(れいめいきかん)の出力に耐えられるよう、魔神の細胞を基に(つく)ったんですけど、私が唯一細胞を採取できたのが“色欲の魔神アスモデウス”だったせいで、最大出力……黎明機関を起動させると、魅了の魔力が制御できずに暴走して主を狂わせてしまうんですよ。なので、“もしかしたらリリィさんなら耐えられるんじゃないかな~?”って、リューナの話を聞いたときに思ったんです)

 

 セシルが出会ったことのある魔神で、唯一戦闘となったのが、ユイドラの工匠であるウィルフレドとともに戦った色欲の魔神アスモデウスであった。

 戦闘の際に武器に付着した魔神の血液や肉片を、歪竜(わいりゅう)作成の技術を応用して培養し、魔導兵器を融合させて創り上げたのが“魔導巧殻(まどうこうかく)ツェシュテル”である。

 

 しかし、彼女に組み込んだ動力炉を起動したところで、問題が発生した。

 

 魔焔反応炉(まえんはんのうろ)程度なら問題はなかったのだが、黎明機関を起動すると、魅了の魔力が暴走……アスモデウスの司る大罪“大いなる色欲(ルクスリア)”の象徴たるサソリの幻影として具現化し、主に()りついて狂わせてしまう。

 セシルが改造を施しても、ツェシュテルが訓練してもなかなか制御できず、彼女達は困り果てていた。

 

 そんな時、古き親友の生まれ変わりであるリューナがやってきて、教えてくれたのだ。

 

 

 

 ――“とても仲間想いで優しい、魔王が創造した睡魔の子が武器を必要としている”、と。

 

 

 

(だから、ツェシュテルと同じ素材を基にしつつ、わざと魔力を暴走させた剣を渡して試してみたんですよ。『リリィさんなら、耐えられるんじゃないか?』って。最初は『あ、こりゃダメかな?』と思って、『そろそろ取り上げて別の連接剣を渡そうかな?』と考えてたんですけど……見事にその支配を跳ね除けるどころか、“剣の本能”とでも言うべきものを喰らって取り込んでしまうなんて予想以上の結果を出されたら、そりゃもう認めるしかないですよね)

 

(ちょっ……!?)

 

 この世界には、セノセラスという巨大な巻貝の魔物に代表されるような“精神を持たない生物”が存在する。

 

 セシルによって創造されたルクスリアは、彼らと同様に、精神を持たず、本能によってのみ行動する生ける魔剣だ。

 いわば“心を持たない劣化ツェシュテル”であり、“ツェシュテルの主足りうるか”を判断するための実験道具だったのである。

 

(だから、“リリィさんが如何(いか)に相性ピッタリか”ってことをツェシュテルに理解しやすくさせるために、先に他の人を仮のマスターにさせてみたりとか……まあ、同じ土精(つちせい)のアイさんや、クリエイターの力を最大限に発揮できるだろうリウラさんも“相性良さそうだな~”と思って選んだところもありますけど)

 

(待っ……!? はぁっ!?)

 

(それじゃ、ツェシュテルのこと、よろしくお願いしますね! マスター権、放棄!)

 

(待ちなさいよ、アンタぁああああああぁぁぁぁぁあっっっっ!!!?)

 

 プツン――とセシルとのリンクが切れる感覚。

 どうやらツェシュテルのマスター権を破棄されたせいで、つながりが切れたらしい。

 

 リリィの脳裏に、当時の様子が甦る。

 

 ――『私は誰彼かまわず強力な武器を渡すつもりはありません。その条件に、“あなたが善人であるか、悪人であるか”は問いません。私が創った武器を振るう条件は2つ。“武器に振り回されない実力”と、“強力な武器の力を己の力と勘違いしない精神力”』

 

 なるほどなるほど。確かに、神々に対抗して平和を築くために創られた兵器の主になるのに、善悪を気にしてはいられないだろう。

 ツェシュテルの力に振り回されるような未熟者も、ツェシュテルの力を自分のものと勘違いする者も、彼女の主には相応(ふさわ)しくない。

 

 ――『“その子”を握り、従えてみせてください。もし、それができたのなら、無償で“()()()”をお譲りしましょう』

 

 そして、()()()()()()()()()()()()()()()……と。

 

 つまり、あの言葉は魅了剣ルクスリアのことだけを指していたのではない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ……なんのことはない。セシルは()()()()()婿()()()()()()()()()()()()

 

 

 リリィの味方をしていたのも、娘の婿(むこ)の条件を満たすであろう良物件だから。

 “さあ、神々に対抗できる兵器を創ってやるぞ”なんて罰当たりな女性なのだ。今更、国の1つ(ユークリッド)2つ(ゼイドラム)と敵対したところで何とも思わないし、何やら同盟っぽいものを結んでいたらしい道化姿の天使とも平気で敵対するだろう。

 

 リリィは今更ながらに、セシルが無条件で味方になってくれた理由を理解した。

 

(ッ……! アンタの母親、良い性格してるじゃない!)

 

(その……なんか、ごめん)

 

 珍しく殊勝(しゅしょう)に謝るツェシュテル。

 さすがに、アレはどうかと思ったらしい。

 

(そ、それで……その………………どう、なのよ?)

 

(はい?)

 

 妙に歯切れ悪く、曖昧な言い方をするツェシュテルに、リリィは首をかしげる。

 

(だからっ! わ、私のご主人様になってくれるの!?)

 

(……)

 

 頭に響く声色(こわいろ)から、顔を真っ赤にして涙目でリリィを(にら)むツェシュテルの姿が容易に想像できて――

 

 

「あははははははははははははははははははっっっ!!!」

 

 

 リリィは、盛大に、声に出して笑った。

 

 

(ちょっ、なに笑ってんのよ!?)

 

「ごめん、ごめん。いや~、アンタ、ほんっと可愛いわね」

 

(かわ……っ!?)

 

「……オーケーよ、()()()()()()。」

 

(~~~~ッ!?)

 

 当初は静かに暮らすためには邪魔だった“魔王の使い魔”なんて肩書も、創造主である魔王から使い魔として認められた今はとても誇らしく感じているのだ。

 “対神兵器の使い手”という肩書くらい、背負って見せねば“魔王の使い魔”の名が(すた)る。

 

 

 ――それに……何よりもリリィ自身が、この可愛らしくも頼もしい少女の友であり、主でありたいと願っているから

 

 

 ツェシュテルの“認めてもらえた”という嬉しさに満ちた感情が、繋がりを通して伝わってきて、自然と優しい笑顔が浮かんでくるのを感じつつも、リリィは彼女に改めて確認する。

 

「でも、本当に私で良いの? 世界は広いわ。ひょっとしたら、ソヨギや()の有名な神殺しみたいに、私よりずっと凄い人たちが他にいるかもしれないわよ?」

 

(そんなの知らないわよ。もちろん、あなたの強さに()かれたのは事実だけど……一番の理由は“私の心が貴女(あなた)を選んだから”よ)

 

「“勘”ってこと?」

 

(“()()勘”よ)

 

「そう……なら、仕方ないわね」

 

 ツェシュテルの真のマスターとなったリリィに、秘匿されていた全ての情報が流れ込む。

 リリィは、ゆっくりとルクスリアを頭上へと掲げて言った。

 

 

「魔導巧殻……いえ、()()()()ツェシュテル……あなたの主、リリィが命じるわ」

 

 

 魔導巧殻とは、“魔導”技術によって創られし、“(こう)()を極めた、晦冥(かいめい)の雫を納めるための“(から)”である。ツェシュテルにその名の由来は当てはまらない。

 魔導巧殻という名は、彼女の正体を隠すためのカモフラージュ。

 

 彼女の正体は、セシルが魔導技術と魔法技術を融合させることによって生み出された、“機械仕掛けの神”。

 神々の、魔神の、先史文明の遺産の……あらゆる脅威から主を、そして主が大切に想うものを護るために生み出された、忠実なる(ほこ)にして盾。

 

 

 

 ――魔導機神(まどうきしん)ツェシュテル

 

 

 

 彼女は、忠誠を誓う主からの命を、耳を澄ませて待ち望む。

 

「魔王様の肉体を好き勝手に操る不届き者を、私の手となり、足となって滅ぼしなさい」

 

(了解……()()()()

 

 ツェシュテルの声が響いた途端、リリィの(まと)う鎧が液状に(ほど)け、掲げられたルクスリアの刀身へと吸い込まれてゆく。

 

 魅了剣ルクスリアの構成素材は、ツェシュテルとほぼ同じだ。

 その大部分はMP鋼と……元智天使の堕天使にして、ソロモン72(はしら) 序列32位の大いなる王――色欲と秘術を司る魔神、アスモデウスの細胞からできている。

 

 

 ――なら、ツェシュテルがそれを喰らい、融合することも可能だ

 

 

 刀身が吸い込まれるような紫黒(しこく)から、星空のようにキラキラと輝く銀がちりばめられた紫紺へと変わる。

 柄が黒を基調に金で細工されたシックな意匠へと変化し、その刀身に一瞬、ぼんやりと紅いサソリの幻影が浮かび上がる。

 

 そして、ツェシュテルがルクスリアと融合するのならば、ルクスリアの本能を取り込み、一心同体と化しているリリィに影響が出ないはずがない。

 リリィの黄金色の長髪が頭頂部から一瞬にして紫銀に染まり、血のように赤かった瞳が、毒々しい金へと変わる。

 

 

 ――それは、ツェシュテルの(もと)となった魔神……アスモデウスと同じ髪と瞳の色であった

 

 

 睡魔らしい……いや、睡魔以上に妖艶な笑みを浮かべたリリィは、静かに、そして厳かに自身の剣にして盾、杖にして鎧たる相棒に命を下した。

 

 

 

 ――黎明機関、起動

 

 

 

 魔導機神ツェシュテルの真のマスターのみに許された、持ち主の力を神域に押し上げる動力炉が唸りを上げる。

 

 すると、高まる異常な魔力に反応したのか、断崖のようにしか見えないほど巨大な魔王の肉体から、メキメキと音を立てて翼持つ悪魔が無数に生まれ、リリィを包囲する。

 ガーゴイル……いや、魔王の肉体が混ざっていることを鑑みるに、肉人形(フレッシュゴーレム)といったところか。

 

 1匹1匹からエステルにも匹敵する魔力が感じられるが……

 

 ニヤリとリリィは笑う。

 

 

 

 ――今の、私達の敵ではない

 

 

 

 リリィは鎧の作成を命じることすらなく、心話で望む武器のイメージを伝え、ツェシュテルはそれを汲んで、必要な武装を解凍。

 夜空を思わせる連接剣は溶けるように形を変え、両端に(おもり)のついた鎖――流星錘(りゅうせいすい)と化す。

 

 リリィは鎖を(つか)んで円を描くようにクルリクルリと錘を振り回す。

 やがてヒュンヒュンと音を立てて速度を上げていくにつれ、徐々に回転範囲を広げ、突如(とつじょ)、その錘の軌道が変化する。

 

 指先、肩、腰、肘、頭……全身のあらゆる部分を使って鎖の支点を変えることで、錘の速度と軌道を変化させ、両端の錘は変幻自在に動き、ゴーレム達にその軌道を読ませない。

 

「ハッ!」

 

 ガガガガガガガガガッ!!

 

 次の瞬間、ゴーレム達が立て続けに破壊される。

 MP鋼の特性である質量操作により、鎖が一瞬にして伸び、錘が大きさをそのままに質量を増加させ、軌道上にあったゴーレム達を砕き散らしたのだ。

 

 リリィは翼持つゴーレム達の中で舞い踊る。

 リリィから伸びる鎖が、あまりの速度に影だけを残して宙を飛び、ガラス細工のように軽々とゴーレム達を砕いてゆく。

 それは(リウラ)へと向かうゴーレム達も例外ではなかった。

 

 

 

 

 

 リリィが創りだした安全な時間と空間。

 それを利用して、リウラは魔王の肉体を止めるための変身を行う。

 

 今の彼女に必要なものは、スピードでもなければ応用の効く能力でもない。大地そのものが隆起したと言える大質量にも通用する、圧倒的な出力(パワー)だ。

 瞑目(めいもく)したリウラは自分の中に、そのパワーが生み出せるイメージを探す。

 

「……」

 

 しかし、なかなか見つからない。

 

 おそらくソヨギであれば簡単に発揮できるし、リウラの体内に空天狐(くうてんこ)の因子は存在しないものの、炎狐(サエラブ)と他の生物を組み合わせて、それらしい能力を再現することはできるだろう。

 しかし、あまりに隔絶した実力差から、“自分がソヨギに変身できる”と彼女は信じることができなかった。

 

 リウラの異能は無意識の影響を多大に受ける。

 自分が“変身できる”と信じられない者に変身することはできない。

 

(……ううん、そうじゃない。誰かをマネするんじゃダメなんだ。それじゃあ、その人以上にはなれない。私にとって、最も強く、印象に残ったイメージ……それを再現するような変身……)

 

 リウラにとって最も強く印象に残る“破壊”のイメージ……それは――

 

 

 

 

 ――お姉ちゃん、お願い……! お父さんと、お母さんも救けて……!!

 

 

 

 

 それは、未だ癒えない心の傷。

 彼女が家族を失うことを恐れ、“人を救いたい”と願うこととなった原点。

 

 姉に背負われて崩壊する飛行機から逃れつつ見た、人も荷物も草木も全てを燃やし尽くすその光景……それは水瀬(みなせ) 流河(るか)という少女の中で“何よりも恐ろしいもの”として定義されていた。

 

 リウラの頬を一滴の雫が(つた)い……そして、()()()()()()()()()

 

 

 

 

 ――直後、リウラの身体が巨大な紅蓮の渦に包まれた

 

 

 

 

「ああああああぁぁあぁああああぁああああぁっっっ!!!」

 

 

 悲しき過去を、大切な人を救うための力に変えて、少女は生まれ変わる。

 その身を包む轟焔は、はるか後方にいたシルフィーヌ達にもうかがえるほど凄まじいものだった。

 

「……(あわ)れよな」

 

「え?」

 

 神託(しんたく)を聞く役目を(にな)っているためだろうか。シルフィーヌのみに聞こえたティアマトの(つぶや)きを拾い、シルフィーヌが思わず声の聞こえた方向を見上げる。

 姿を消しているはず……しかし、シルフィーヌの眼にはハッキリと映っている原初の母たる古神は……リウラを包む炎を見て、悲しそうに眉をひそめていた。

 

「わからぬか? あの(むすめ)が纏う炎は、呪いのそれよ。“心の傷の具現化”と言い換えても良いかもしれん……泣いておるのだ、奴は。『苦しい、悲しい、寂しい』……とな。そんなものを武器にせざるを得ん奴が、我は哀れで仕方がない」

 

 リウラを包む業火の渦が掻き消えた。

 

 現れた姿を見て、シルフィーヌは思わずつぶやいた。

 

「人、間族……?」

 

 今までのリウラの変身は、必ず“水精(みずせい)の身体”の上に“融合した種族の特徴”が表れるという形で行われていた。

 

 しかし、今回はそうではない。

 

 “リウラ”ではなく“水瀬 流河”の記憶を基に再構築した肉体……ならば当然、その肉体のベースは水精ではなく人間のものとなる。

 

 熱い熱い……流河の大切なもののほとんどを奪った燎原(りょうげん)の火。

 その“印象”を再現するため、リウラの異能は様々な火属性の魔物やクリエイターを顕現させていた。

 しかし、その姿は四大守護竜の一角――火竜ウェルシュを主軸に据えていたため、どこか竜に近い容姿へと変わっている。

 

 熱したガラスのように光を放って輝く角は頭部から大きく反り返るように伸び、後ろでひとくくりにまとめられた長い髪は真っ赤に染まっている。

 肩口から手の甲まで紅い鱗でおおわれ、纏う衣装はやや黒みがかった真っ赤なドレスと、足から膝上までを覆う黒いブーツのみ。

 そして、その背では堕天使でも顕現したのか、鴉のように黒々とした立派な鳥の翼がバサリと羽ばたいた。

 

 閉じられていた(まぶた)が開き、新緑(しんりょく)に淡く輝くリウラの瞳が(あら)わになる。

 リウラはゆっくりと身体を半身に構え、右手を前へ差し出す。……すると、太陽のように(まばゆ)い閃光がその(てのひら)の前に(とも)る。

 

 姉の準備が終わったことを確認したリリィが、ツェシュテルを流星錘から元の連接剣の姿へと戻し、大上段へと掲げる。

 黎明機関が生み出す莫大なエネルギーが刀身から溢れ、リウラの右手にも負けない輝きを放つ。

 

 

 

 ――呪譚(じゅたん) 喪失(そうしつ)悲焔(ひえん)

 ――魔導接技(まどうせつぎ) 黎明魅了剣(れいめいみりょうけん)

 

 

 

 リウラが右手で輝きを握り潰した瞬間、魔王の肉体の全身が輝き出し、黄金色の炎に覆われる。

 

 

 ――それは、流河が大切なものを奪われた過去の再現

 

 

 魔術よりも呪術に近いその炎は、リウラの任意の場所にて発火し、その構成素材のみならず、精気や精神力も含め、“()()()()()()()()()()を燃やす”ことによって、その存在を保つ。

 そしてリウラが指定したものを燃焼し尽す(が全て失われる)まで、決して消えることはない。

 

 

 リリィが振るうツェシュテルの刀身連結が()かれ、その質量操作能力を活かした、はるか地平の彼方へと伸びる斬撃が瞬く間に魔王の巨体を切り刻む。

 

 リリィとツェシュテルの共鳴によって引き出され、黎明機関によって強化された魅了能力は、精神を持たぬ無機物すらも(とりこ)にする。

 斬撃を受けた切断面には無数の紅いサソリが這いまわり、リリィの命を受け、魔王本人の意思を無視してその再生能力を停止させる。

 

 いくら無限の魔力があろうとも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 それどころか、サソリは切断面から他の細胞へと足を延ばし、徐々に徐々に他の細胞へと浸食……魅了範囲を拡大してゆく。

 

 “このままではまずい”と考えたのか、魔王が(はし)も見えないほど巨大な拳を大きく振りかぶる。

 

「させんぞ」

 

 ニヤリと笑いながらアナが言うと、その背から爆発的に増え、伸びた触手が怒涛(どとう)となって魔王の身体を這いあがり、貫き、その巨拳が振り下ろされる前に縛り上げる。

 

 ならば、と魔王は大きく口を開け、巨大な魔力塊を生み出す。

 

 しかし、突如として魔王を覆うように展開された巨大なドーム状の立体型魔法陣が展開され、直後、その魔力塊は雲散霧消した。

 

 

「――()()()()()!」

 

 

 リウラが嬉しそうな声を上げて振り向くと、ソヨギは未だ悩み、苦しむ表情を見せつつ言った。

 

「……正直、まだ私には分からない。あなた達を信じるべきなのか……そして、私はどうするべきなのか……。でも、コイツを暴れさせていたら、不幸になる人が出てくる。それだけは分かるから……!」

 

 次々と目まぐるしく変わる展開に、今まで戦っていた人間族の軍や、迷宮の戦士たちが呆然としていると、天から大量の水に乗った氷の彫像のような美しい竜が、キラキラと輝きながら大地へと降りてきた。

 

 やがて、氷竜はシルフィーヌとエステルの前にゆっくりと降りると、その背から瓜ふたつの2人の水精がふわりと降り、それぞれがシルフィーヌとエステルに手を差し出した。

 

「ゼイドラムの姫……勇敢なる騎士、エステル様」

 

「ユークリッドの姫……聖なる巫女、シルフィーヌ様」

 

「「今こそ、あなた達の力が必要です。どうか、私達と共に来て、魔王を倒すために力をお貸しください」」

 

 厳かに、しかし親しみを感じさせる笑顔でそう告げる水精達。

 

 

 

 

 ……しかし、その内心は非常にキャピキャピとした興奮に満ちていた!!

 

 

 

 

(レインちゃん、レインちゃん! 今、私達すっごく輝いてるよね! これ、伝説になっちゃうよね!)

 

(“もち”よ、レイクちゃん! 明日から私達は人気者ね! 後でサインの練習しとかないと! いや~、まいっちゃうね! カッコいい役目をくれたリウラちゃんに感謝だね!)

 

(ぬし)ら……………………いや、もう何も言うまい)

 

 お互いの片耳に張った水の膜を振動させることで、心話なしで会話する双子。

 その水の振動を感じ取ることで、その気の抜ける会話を傍受(ぼうじゅ)してしまったフリーシスは、疲労感たっぷりの溜息を飲み込んだ。

 

 

 

 

 ソヨギの攻撃対象から外れるだけならば、人間族の味方をするだけで良い。

 だが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。仮にそうなった場合、この場にいる人間族の立場はどうなるか?

 

 ――人間族は魔王にいいようにやられてしまい、

 ――魔族達、魔神達にその命を救われ、

 ――そのまま、おめおめと帰ってきました

 

 ……ある程度事情を知るシルフィーヌやエステル達個人ならばともかく、それ以外は間違いなく人間族と魔族との間にしこりが残る。

 それは人間族との不和を望まないリリィにとっては致命的だし、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 だから、ここで人間族を立てておく必要があった。

 そこで魔王は、『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()』と、人間族が胸を張って言えるようなお膳立てを用意した。

 

 しかし、この策を成り立たせるためには、そのお膳立てまで導く者が必要だった。

 

 当初は変身能力を持ち、いかにも神々しい姿へと変身できるだろうリウラがその役割を(にな)う予定だったが、ちょうど良い位置にちょうど良い人材が偶然存在したため、リウラはその役割をその人達にお願いしたのだ。

 

 

 

 ――そう、今まさにシルフィーヌ達の前に登場した、水精の双子と水竜フリーシスである

 

 

 

 やはり竜族は、存在そのものが非常に迫力がある。

 それだけでなく、水竜フリーシスは氷の彫像のような姿をしており、誰が見ても『美しい』と断言できる芸術的な造形美がある。

 神の使いの霊獣としてこれほど相応しい存在は、そうは居ない。

 

 そして、水精の双子たち。

 どう見ても水属性、冷却属性のフリーシスに連なる眷属としてこれほど相応しい人材もいない。

 隠れ里に住んでいたためにその姿を知る者もほとんどいないし、“誰かを悪戯(いたずら)に引っかけるため”というアレな理由ではあるものの、演技力も普段から磨かれている。

 

 そして、彼女達が居た場所が余程(よほど)視力が良い者でもそうそう見つけられないような上空、というのが素晴らしかった。

 魔王の石化の呪いが発動する直前、フリーシスが魔王を縛っていた念水を放棄し、大急ぎで双子を咥えて呪いの効果範囲外まで急上昇して、彼女達を避難させていたのだ。

 

 上空からキラキラと太陽の光を反射させて降りてくる彼女達は、さぞかし“天の使い”のように美しく登場してくれるだろう。

 まるで、この時のために待機していてくれたかのように思えるほどであった。

 

 リウラは迷宮の外に転移した直後、彼女達の元へ霧を飛ばし、それを振動させることで発声。

 現在の状況と作戦の詳細を説明したのである。

 

 『リウラの言うことならば』と双子は快諾。

 直後、自分達の姿が人型であるにもかかわらず、竜そのものの姿であるフリーシスに堂々と無意味な色仕掛けをしつつ、効果が無ければ清々しいまでの空中土下座外交を仕掛け、彼を呆れさせつつも見事に協力を勝ち取ったのである。

 

 

 つい今しがたアイに運ばれてきたばかりのエステルが、状況について行けず僅かに自失していると、そこに力強い親友の声が響く。

 

「行きましょう、エステル様」

 

「シルフィーヌ……」

 

「信じましょう……今、世界が巨悪を倒すために1つになっていることを」

 

 そう言って微笑む彼女に、エステルはフッと笑みを返す。

 

 いったい、いつの間に自分の親友はこんなにも大きくなっていたのだろうか?

 一国を背負う重責、そして魔王を封印する者としての重責を背負いながら、シルフィーヌはその重みに潰されず気丈に前を向いて生きてきた。

 

 だから、その心の強さは良く知ってはいたが、王族としての義務感と規範意識のみで動いていた彼女はどこか能動性に欠けるところがあった。

 今のような突発的な状況が起こった時、“どう動いたら()()()のか”とばかり考え、臨機応変に動くことができない傾向性がちらほらと見られていたのである。

 

 

 ――それが、今はどうだろうか

 

 

 堂々と前を見据える彼女に迷いはない。

 明確に自分の()()()こと、自分の()()()ことを理解している彼女の眼は勇気に満ち満ちていた。

 

(……勇者の血を引く者、兄上の遺志を継ぐ者として、負けてはいられんな)

 

 エステルは頷き、レイクの手を取る。

 シルフィーヌも僅かに遅れて、レインの手を取る。

 

 すると、彼女達の前に水で創られた透き通る階段が現れ、水精達はシルフィーヌ達を導くように階段をのぼり、水竜の背へと導いた。

 

 グッと身をよじった水竜が再び空へと昇ってゆく。

 水竜を支える念水は彗星のように尾を引き、役目を終えた(はし)から消えてゆく。

 

 やがて水竜は魔王の眼前へとやってくる。

 そこにはいつの間にか、塩の結晶でできた足場が創られていた。

 

 四方に立てられた柱の意匠からするに、おそらくは簡易的な神殿のようなものなのだろう。その証拠に、その足場や柱から神々しい雰囲気……神気を感じる。

 その足場の中央を見ると、鞘に収まったツェシュテルを左手に携えたリリィがこちらへ視線を向け、頭から角を生やし、両腕に紅い鱗を纏った少女が手を振っていた。

 

「……リリィ、なのか? その眼と髪は……? それに貴公(きこう)は?」

 

 エステルが紫銀の髪と黄金の瞳となったリリィの姿と、人間族の姿になったリウラに疑問を覚えて問うと、リウラはにっこりと笑って元の水精の姿に戻った。

 

 驚くエステルをよそに、リリィは言う。

 

「この姿の説明は後でお願いします。それよりもアレを倒すために力を貸してください」

 

「……具体的には?」

 

「私がこの場の人たち全員にお姫様達の声を届けるから、『みんなの力を分けて』ってお願いしてほしいんです。そうしたら、私が力をくれる意思を持った人達から力を集めて」

 

「それを私が魔術に込めて撃ちます」

 

 エステルの疑問に、リウラとリリィが答えるも、エステルは首を捻る。

 

「……それは、お前たちだけで充分なのではないか?」

 

 エステルの疑問は(もっと)もだ。

 

 魔神級の実力者が複数……ツェシュテルを入れれば5(はしら)。エステルは知らないが、ティアマトやソヨギ、ニアまで数に入れれば8柱もいる。

 そのうちソヨギはリリィ達が(たば)になって戦っても倒せなかった実力者だし、この場には彼女達を支援する神すらいる。どれか1柱とすら勝負にならないエステル達の力が必要とはとても思えなかった。

 

「それは違います」

 

「“みんなが力を合わせて倒した”……その事実が、みんなを結ぶ絆になるんです」

 

「……なるほどな」

 

 真っすぐに見つめるリリィとリウラの視線を受けて、エステルは納得する。

 

 ここで魔神達が魔王の肉体を滅ぼすのは簡単だ。おそらくソヨギ1柱だけでも簡単にできてしまうだろう。

 だが、それでは“人間達では倒せなかった”、“どこからともなく現れた魔神が倒した”という印象しか残らない。人間族のメンツは丸つぶれだ。

 

 しかし、人間達よりも遥かに強力な力を持つ彼女達が、頭を下げて人間達の協力を求めたのならば、そして最後の一撃の一端(いったん)(にな)えたのならば、話は別だ。

 

 全員の自尊心を満たすと同時、“共通の敵を協力して倒した”という連帯感が生まれる。

 それが分かっているから彼女達は、“魔王から再生能力を奪うこと”、“魔王の動きを縛ること”だけにとどめているのだろう。

 

 エステルはリリィへと視線を向ける。

 

 思えば、彼女は魔族であるにもかかわらず、人間族の……それも彼女の父であり主である魔王を封印した勇者の妹であるエステルと、出会った時から誠実に向き合おうとしていた。

 

 そして、先ほど共に戦ったオークをはじめとする迷宮の様々な異種族の戦士たち。

 彼らの視線に人間族に対する隔意(かくい)がまったく無かったとは言えない。しかし、同時にお互いの実力を認め、共に戦う戦士として認めていたことは確かだった。

 

(『“魔族”とは人間族に敵対するものである』……か)

 

 今にして思えば、なんと傲慢(ごうまん)な定義であろうか。

 エステルは彼女達の“種族を超えて仲良くしたい”という想いを汲むと、眼下にいる大勢の人々に向かい、腹の底から声を出した。

 

 

 

『魔王を倒すため、種族を超えて集った勇者達よ、聞いてほしい。私の名はエステル・ヴァルヘルミア。勇者リュファス・ヴァルヘルミアが実妹にして、ゼイドラムの第二王女だ』

 

『“塩の(かんなぎ)”の使いが、魔王を倒すため、私達の力を必要としている。どうか、貴公達の力を貸してほしい。私達の力を束ね、魔王を貫く刃と成すのだ』

 

『わたくしはユークリッドの第三王女シルフィーヌです。みなさん、どうか祈ってください。“魔王を倒すため、自分の力を使って欲しい”……そう祈ることで、あなた達の力はわたくし達に届きます』

 

 

 

 端的に、だが誠実に姫達は望み、願い、求める。

 

 それを見てリウラは嬉しそうに微笑むと、光を纏ってクルリクルリとその場で舞い始める。

 いつしかその姿は紅い着物姿に変わり、額に小さな角、髪を赤いリボンで纏めた衣装に変わっていた。

 

 

 ――融合転身(ゆうごうてんしん) コツミヤノティエネー

 ――機能発動 友軍精気徴集(フィアシャルフ)

 

 

 リウラは己が異能によって個人個人の想いを汲み取り、変身したクリエイターの能力を()って、それぞれから負担にならない程度に精気を分けてもらう。

 キラキラと大地から光が舞い上がり始める。地上にいる人々が淡い光を纏い、彼らからホタルのように優しく小さな光がふわりふわりと舞い始め、それらは次々と塩の神殿へと集ってゆく。

 

 シャラン――

 

 リリィが鞘に納めていた愛剣(ツェシュテル)を抜き、アナの触手とソヨギの仙術で縛られた魔王へとその切っ先を向ける。

 すると、ツェシュテルは連接剣から長い銃身を持つ魔導銃へと姿を変える。凛と表情を引き締めるリリィの背に、この場に集う人々の力と想いを背負ったリウラが手を触れる。

 

 ゴウッ!

 

 リウラから伝わる凄まじい力が銃身に集中してゆく。同時、銃身を輪切りにするように次々と魔法陣が発生し、銃口に凄まじい密度の雷の塊が生まれる。

 

 

 スッ――

 

 

 リウラの背に2つの手が触れる。

 

 リウラが振り返ると、笑みを浮かべた2人の姫が、リウラがもらった分に加えて、更に手のひらから闘気を、魔力を送ってくれていた。

 リウラは笑みを返して1つ頷くと、リリィの肩越しに魔王へと視線を向けた。

 

 

 

 ――とても、とても悲しそうな視線を……向けた

 

 

 

 ()しくも、この状況はアイを助けた時ととてもよく似ていた。

 見えざるものを見るリウラの眼は、魔王の肉体に憑りつき、そしてそのあまりの魔力量に精神を狂わされてしまったディアドラの魂をハッキリと見ることができた。

 

 

 

 そして……彼女が、狂いながらも、()()()()()()()()()()()……その心が()()()()()()()()()()()()()()()()()()……見ることができた。

 

 

 

 ――素晴らしい。それでこそ人間だ。脅威に、苦難に立ち向かい、輝く魂。(みなぎ)る勇気、国どころか種族すらも超える友情と愛情……本当に、本当に人間は美しい

 

 ――ああ……私は間違っていなかった……だから、私は負けられない。私は永遠に人間達の脅威であり続けよう。人間達の魂を輝かせ続ける砥石(といし)となり、苦難を与え続けよう

 

 

 

 

 

 ――我が名はディアドラ……魔王 “災いと悲しみをもたらす者(ディアドラ)”なり

 

 

 

 

 

 リウラの異能は、“反射的行動”や“嘘に伴う後ろめたさ”といった無意識的なもの以外は、基本的に相手の本心からの許可が得られなければ、その心を覗くことはできない。

 しかし、今のディアドラは別だ。幽霊が『苦しい』『恨めしい』と叫び狂うように、彼女は『嬉しい』『素晴らしい』と叫び続けている。その様子があまりに(あわ)れで、リウラは眉を悲しそうに歪めるしかなかった。

 

(違う……それは、違うんだよ)

 

 確かに、苦難に立ち向かう人々は綺麗だし、かっこいいだろう。恐ろしいものに立ち向かう勇気も、見た目や文化の違いを乗り越える愛も、とても尊いものだろう。

 だが、その裏ではその苦難に押しつぶされて泣き叫ぶ人もいれば、その心に憎しみを抱えて生きることになる人もいるのだ。そんなもの、綺麗でも何でもない。みんながみんな苦難に立ち向かえるほど心が強い訳ではないのだ。

 

 それは……水精として生まれ変わる前に、両親も財産も、何もかも奪われた経験を持ち、憎しみに囚われた姉を見ていたリウラだからこそ、理解できることだった。

 

 そして、全てを奪われたからこそ、リウラは知っている。

 

 

 ――“平和”というものがどれほど貴重で()(がた)いものであるのかを

 ――(おび)えず心やすらかにいることの温かさを

 ――平和の中にあって、親しい友と()わす笑顔の美しさを

 

 

 それを……ディアドラにも知ってもらいたかった。

 

 だが、自分の肉体を失っても、強大な魔力に自我を失っても、なお叫び続ける彼女の信念……それ程までに大事にしている想いを、リウラの異能で操作することなんてできないし、したくない。それは、ディアドラの人格を、尊厳を、侮辱し、踏みにじる行為だ。

 かといって、これほどまでに強固な信念を持つディアドラを説得できる自信もない。

 

 オクタヴィアと戦った時と同じだ。

 リウラにはリウラの、ディアドラにはディアドラの譲れない理由があった。

 それぞれが信じる想いを通すために、彼女達は戦わなければならなかった。

 

 だから……リウラはディアドラが根っからの悪人ではないことを、そして、その“人を愛する尊い想い”を知りながらも……彼女を倒す。

 もし、もっと早く出会えていたら、友達になれたかもしれない……そんな未練を押し殺して、リウラは彼女の信念を否定する。

 

 リリィが静かに引き金を……………………

 

 

 

 

 引いた。

 

 

 

 

 

 ――秘印術(ひいんじゅつ) 超電磁弾

 

 

 

 

 

 直径2メートルを超える超圧縮された雷属性の大魔力弾が、リリィの眼にすら留まらぬ速度で飛び去り、ツェシュテルが見抜いた神核の位置を正確に貫いた。

 魂を収める器を砕かれた魔王の肉体は抵抗力の一切を失い、未だその肉体を蝕むように燃えていたリウラの炎に一瞬にして飲まれた。

 

 大地にいる人々は見た。

 一条の光が魔王を貫いた後、魔王の巨体を舐めるように這っていた黄金の炎が魔王を覆い、あっという間に燃え尽き、崩れ落ちるその光景を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 歓声が、轟く。

 

 

 ――戦いは、終わったのだ

 

 

 

 



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最終章 水精リウラと睡魔のリリィ 前編

 ――シュナイル神権国(しんけんこく)

 

 西方諸国において、魔王に滅ぼされたシュナイル王国……その跡地に建国された多種族国家である。

 

 その国民の多くは、迷宮そのものが魔王となった際に住む場所を追われた、迷宮からの避難民達だ。

 主義主張・文化・生態・種族の異なる彼ら彼女らを(まと)めることができているのは、ひとえにその統治する者達が、“迷宮の魔王”を倒した地方神 “塩の(かんなぎ)”とその“御使(みつか)い”であることが大きい。

 

 

 シュナイル神権国を(つく)りあげた、塩の巫の御使いは全部で5(はしら)

 

 

 ――千の宝具を創造し、御使い達に知恵と宝具を授ける竜の賢人……竜賢人(りゅうけんじん)セシル

 ――聖巫女(せいみこ)シルフィーヌに神託を授け、千の触手によって神敵を縛る、女と見紛(みまご)う美男子……(つた)の魔人アナ

 ――千の術を操り、邪悪な魔神を喰らう白狐の仙女……魔神喰いソヨギ

 

 

 そして、これら3柱とは別格に名が知られ、恐れられる2柱の御使いがいる。

 

 

 ――千の姿を持ち、人の心を束ねる力を持つ水精(みずせい)の魔神……水魔神(すいまじん)リウラ

 ――千の武器を操り、眼を合わせただけで人を魅了する睡魔(すいま)の魔神……睡魔神(すいまじん)リリィ

 

 

 いともたやすく迷宮の魔王を燃やし、切り裂いたというシュナイル神権国の建国神話によって、国内外から畏怖と尊敬を集めるシュナイル神権国の2大スイ魔神は今――

 

 

 

 

 

 ――書類の山に埋もれて、半泣きになっていた

 

 

 

 

 

「お願いっ! 5分! 5分でいいから寝かせてえええぇぇぇぇぇえぇえええっっっ!?」

 

「その5分があれば、書類に1枚署名(サイン)できる! 良いからさっさと手を動かす!」

 

 

 シュナイル神権国の首都オセアン。

 

 その国家運営の中枢たるザルツ城はリウラの執務室にて、「ぴぃ~~~~~~~っ!!」という木精(ユイチリ)の鳴き声にも似た情けない悲鳴が響き渡る。

 

「うぅ~~~~……どうして? どうしてこんなファンタジーな世界に生まれてまでOL(オフィスレディ)なんてやらなきゃいけないの……?」

 

「人手が足りないからに決まってるでしょ? 『みんなが幸せに暮らせる国を創る~っ!』って張り切ってたあの頃の姉さんはどこに行ったのよ?」

 

「……リリィは寝たくないの?」

 

「……寝たい」

 

「……」

 

「……」

 

 (しば)しの無言。

 

 無言になりながらも目は書類の文字を追い、手は署名(サイン)を書き続ける。

 ややあって、ガン! とリリィは机に頭を打ちつけて唸りながら言った。

 

「いや、いくらなんでも働かせすぎでしょ!? 丸1年休日なし、平均睡眠時間2時間は流石におかしいでしょ!?」

 

「……だから、あの時私が言ったのに……リリィが『ちょっとやそっと優秀なだけの奴になんか任せられない』なんて言うから……」

 

「うっ! ……それは……そのぅ……」

 

 のちに“迷宮の魔王”と呼ばれることになった迷宮と魔王の肉体の融合体を倒した後、迷宮の魔王が大地からその身を起こした……いや、引っこ抜いたことによってボロボロになったシュナイル王国跡地に、セシルは新たに国を(おこ)すことを提案した。

 

 元々セシルから国興(くにおこ)しの話を聞いていたリューナは、すぐに賛成。

 隠れ里の水精をはじめとする、迷宮に住んでいた人たちの居場所を創るために、リウラも賛成した。

 

 そして、リウラが賛成すれば、彼女を大切に思っているリリィもまた賛同する。

 しかし、大切な姉が住むことになる国の中枢に無能な人材を置いて、リウラが危険に(さら)されることをリリィは何よりも恐れ……結果、国づくりに関わる仕事全てにべらぼうに高い採用基準を設けてしまっていたのだった。

 

 そのため、1年()った今でも、シュナイル神権国の国家中枢は人材不足でヒイヒイ言っているのである。

 

 リリィは精気生命体であり、リウラは睡眠を不要とするクリエイターの能力(ちから)を引き出すことができる。

 精神的な疲労さえ無視すれば、実質的に不眠不休で働くことができた。

 

 そして彼女たち程の魔力量があれば、“影”を生み出すことで、自身と同等の能力を持つ分身を創ることができる。

 今も別室でセシルが作った“魔導情報端末(コンピュータ)”のキーボードをカタカタカタカタと叩いているはずだ。ファンタジーの欠片(かけら)もない光景である。

 

 あまり先史文明期の技術を使うと現神(うつつかみ)に目をつけられて危険なのだが、セシル(いわ)く『電気じゃなくて魔焔(まえん)で動いているから、先史文明期の技術ではありません♡』だそうだ。

 セシルにこの技術を伝えた某色欲の魔神を、リリィが恨んだのは余談である。

 

 そんな分身たちから脳内に送られてくる情報を処理する疲労も含めて、肉体的には問題ないものの、精神的に2人は限界ギリギリまで追い込まれていた。

 

「もう選挙しちゃおうよ、選挙……やる気のある人に任せちゃおうよ……」

 

「姉さん………………仮にリンカーンとパンダのシャンシ○ンが選挙に出たら、どっちに入れる?」

 

「シ○ンシャン! …………………………あ」

 

 元気よく、そして躊躇(ためら)いなくパンダ(客寄せ動物)に1票入れる姉に、リリィは大きく溜息をついた。

 

 ちなみに、今の『リンカーン』発言でわかるように、既にリリィとリウラはそれぞれの前世について共有している。

 共通点は多いが、歴史的な差異が随所に見られること、そして以前の魔王の『異世界』発言から、“リリィの前世世界は、リウラの前世世界と限りなく近い平行世界”であると結論は出たものの、今のように共通する知識は多いため、最近はこのようなやり取りを楽しむ様子がちらほらと見られていた。

 

 リリィが溜息をついた直後、バタン! と大きな音を立てて、目の下に大きなクマを作ったヴィアが座った眼でリシアンを(ともな)って現れた。

 リシアンは苦笑いをしながら冷や汗を垂らしている。

 

 ツカツカツカツカ……とリリィに向かって早足で歩いてくると、バンッ! と両手をリリィの執務机に叩きつける。

 疲労に濁った2人の猫娘の視線が交わる。

 

「国民番号作るわよ。それで、全ての資産やサービスに国民番号の付与を必須にして、全国民の財産をデータ管理するわ」

 

「ヴィア…………国を潰す気?」

 

 旧シュナイル王国跡地は、それなりに広い。

 新たに国を興すにあたって、その広い国土を管理するためには多くの人員が要るし、他の国から商人を呼びこまなければ経済もまわらない。

 迷宮の避難民たち全員に国が仕事を与えても全く人手が足りない程に、黎明期のシュナイル神権国は多くの人材を必要としていた。

 

 ところが、“迷宮の避難民が住める場所”として生まれ変わるシュナイルは、必然的に魔族も含めた多種族国家にならざるを得ない。

 このラウルバーシュ大陸で最も繁栄しているのは人間族であり、その人間族に他の種族……特に魔族が警戒されているということもあって、シュナイルは“人材を必要としているにもかかわらず、非常に人が集まりにくい”という深刻な問題を抱えていた。

 

 そこで、リシアンが提案したのが“無税国家”である。

 

 実際には、非売却資産である国土の利用料や、任意で入ることができる国民保健など、各種サービスの利用料は取るものの、消費税や相続税、所得税や住民税といった税金は存在しない租税回避地(タックスヘイブン)を生み出した。実に商売人らしい発想である。

 

 こんな無茶ができるのは、セシルのおかげだ。

 彼女はクリエイターの融合能力・質量操作能力を利用した、有機物・無機物を問わず資源を増やす大規模なクローニングプラントを設立。

 結果、どこからも何も購入することなく国を運営する(すべ)をシュナイルは手に入れたのである。クローニングした素材を輸出する事業も順調で、シュナイルの御台所(おだいどころ)事情は非常に健全であった。

 

 話は()れたが、租税回避地としてシュナイルは見事に成功し、各国の富豪や商人たちがなだれ込み、凄まじい速度で人口を増やし、経済を一気に盛り上げた。

 しかしそれは同時に()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ため、治安を維持する仕事を振られているヴィアの苦労は加速度的に上昇した。

 

 国民1人1人の資産を全て番号管理できれば、“怪しい”と目星を付けた時点で全資産を国が差し押さえることができる。

 確かにそれができれば、ヴィアの苦労はだいぶ減るのだが……

 

「せっかく入ってきた富裕層も商人達も、“いつでも国が資産を差し押さえられる”なんて知ったら一目散(いちもくさん)に逃げだすわよ? ただでさえトップの1人が魔族だから信頼されにくいってのに……アンタ、リシアンさんの成果を台無しにするつもり?」

 

 商売人の発想で創られた国で、商売人を絞めつけるような政策を行えば、国が潰れるのは当たり前である。

 普段ならヴィアもそんな提案はしないのだろうが、そんな提案をしてしまうほど、彼女は疲れ切っていた。

 

「あはは。まあ、僕のことは良いんですけど、せっかくここまでヴィー達が頑張ってくれたのに、(むく)われないのは嫌ですよね」

 

「むぐぐぐぐぐ……!」

 

 治安維持責任者のヴィアに比べて、財務・経済責任者のリシアンの疲労はそこまででもない。

 クローニング技術のおかげで財政的に困っていない事や、ラギールの店の店長である木精(ユイチリ)のヨーラを引き抜いたことが大きな理由だ。

 

「失礼しまーす! ……うわぁ。いつものことだけど、大丈夫? はい、気休めかもしれないけど栄養ドリンク」

 

「いえ、助かります。エルヘンミリッタ匠範(しょうはん)

 

 ヴィアが開け放した扉から、肩甲骨まである美しい銀髪をなびかせた碧眼の少女がセシルを伴って入室し、栄養剤の入った袋をリリィに手渡した。

 

 彼女の名はエルヘンミリッタ・ミリエーダ・レビエラ。

 

 ユイドラの前領主……つまり、“当時の工匠達の頂点に立つ人物”の娘という重い期待を背負いながらも、みごと匠貴(しょうき)に次ぐ地位にまで上り詰めた才媛である。

 

 見た目は10歳前後の可愛らしい少女であるが……驚くなかれ、立派に成人している。

 彼女の前で、身長やら胸囲やらの話をしてはいけない。リリィをも唸らせる芸術的な魔術攻撃が、彼女の怒号(どごう)と共に飛んでくることだろう。

 

「こっちは南の国境の壁が完成したよ。これで外壁の工程は全部終わったから、次は不足してる公共施設を優先する予定……あと、セシルから報告があるって」

 

 いくらセシルがゆりかごから墓場までお世話できる工匠技術を持っていたとしても、流石に国家すべての建物やら設備やらを作成するのは無理がある。

 そのため、彼女は信頼できる工匠としてエルヘンミリッタを招聘(しょうへい)し、国家のインフラ造りを一手に(にな)ってもらっていたのだった。

 

 エルヘンミリッタがセシルを(うなが)すと、何がそんなに嬉しいのか、セシルはニコニコと笑みを浮かびながら前へ進み出る。

 

「……何か良いことでもあったの?」

 

「ええ、リウラさん達にとって、とっても良いニュースが」

 

「……アンタが言うとメチャクチャ胡散臭(うさんくさ)いわね」

 

 リウラが小首をかしげ、リリィが胡乱(うろん)なまなざしでセシルを見やる。

 

 いくら事情があるとはいえ、コイツは出会った瞬間から“持ち主を魅了する魔剣”なんて物騒なものを赤の他人に平気で渡したりしてきているため、リリィからの信用は限りなく低い。

 しかし、そんな彼女のジト目などどこ吹く風と、彼女は部屋の外に待機させていた“それ”を部屋の中へと招き入れた。

 

「うげっ!?」

 

「……それって、プテテット?」

 

 セシルが招き入れたのは、彼女の身長より拳ふたつ分ほど低い体高のプテテットだった。

 ちょうどリウラと出会う前にリリィを襲ったプテテットと同じくらいの色と大きさで、トラウマを刺激されたリリィは冷や汗とともにうめき声を上げる。

 

「はい♪ ……ですが、ただのプテテットではありませんよ? こちらはクリエイターの融合能力を分析して開発した特殊なプテテットで、触れた相手の姿形や能力を完全に再現するという――」

 

 

 ――そこまで説明した瞬間、セシルの背後でダァンッ! と大きな音を立てて2つの影が舞い降りる!

 

 

「そんな面白そうなことを聞いたら!」

 

「じっとしてなんていられないね!」

 

 膝をつき、グリコのように両手を斜め上に上げたポーズで降り立った、お騒がせ(かしま)し水精娘のレインとレイクは、立ち上がるとババッ! とリリィ達に背を向けた状態で、某仮面をかぶったバイク乗りのようなポーズを取り、不穏な宣言を言い放つ。

 

 ……『お前らじっとしてる時なんて無いだろ』と突っ込んではいけない。

 

「「とーうっ!!」」

 

 そして、グッと膝をかがめると、バッと両手を上にあげて、自らの身長を大きく超える大ジャンプ。

 天井近くで膝を抱えてクルクルと回転すると、(ひね)りまで入れて芸術的なプテテットへの飛び込みを披露(ひろう)した。

 

 

 

 スッポン!

 

 

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

 

 

 プテテットに刺さる双子の上半身。

 

 水の(ころも)のスカートが(まく)れて下着が全開になり、4本の半透明の生足が飛び出ている奇怪なオブジェクトを、リリィ達は無言で眺め続ける。

 

 やがて、身体が抜けないことが分かったのか、逆さになってもがく虫のようにジタバタと必死で足が動き始める。

 そこにエロスなど全くない。あるのは愚かさと滑稽(こっけい)さだけであった。

 

 呆れたリリィとヴィアが双子の足首を(つか)んでズボッ! と引き抜くと、プテテットは2つに分裂し、見る見るうちにその姿を変える。

 

「わっ、面白~い!」

 

「「おおっ!!」」

 

 3人の水精達が目を輝かせる。

 

 

 ――そこには、眼を閉じて静かにたたずむもう1人のレインとレイクの姿があった

 

 

 スゥ……と静かに……あまりに双子らしくない様子で、水精の姿となったプテテット達は目を開く。

 

 そして彼女達は、リリィとヴィアに足首を掴まれて逆さ吊りにされた、自分達のオリジナルであるレインとレイクを見るや否や、カッ! と目を見開いてタンッ! と軽やかに床を蹴った。

 

 それを見て何やらハッ! としたオリジナル達は、すぐさまこう言った。

 

 

「「私達に構わず、やれーーーーーーっ!!」」

 

 

 それを受けて、プテテット達もノリノリで叫ぶ。

 

 

「「あなた達の犠牲、無駄にはしないっ!! 覚悟っ! ネコババーズ!!」」

 

 

 

 

 

 

 

 ――ぶっすぅ♡

 

 

 

 

 

 

 

「「誰がネコババァだ」」

 

 

 ――シンクロしたように同時に、ネコババーズの容赦のない目潰し(チョキ)をカウンターで喰らって墜落するプテテットーズ

 

 ――目潰しと同時に足首から手を離され、ゴッ! と痛そうな音を立てて床に頭頂部をぶつけるオリジナルズ

 

 

 眼を押さえ、頭を押さえて情けなくゴロゴロと床で痛みに(もだ)える4人の間抜けな姿は、寸分たがわず瓜ふたつであった。

 

 

 その様子をジト目で眺めながら、リリィは言う。

 

「……随分(ずいぶん)とまあ良くできたものね。……で、これがいったい何だってのよ?」

 

「あら、流石にお疲れですか? リリィさんにしては察しが悪いですね」

 

 首を捻るリリィにセシルはクスクスと笑う。

 親にサプライズプレゼントを渡す子供のように、セシルは無邪気な(たくら)みに満ちた眼で言った。

 

「このプテテット……“複写粘体(ふくしゃねんたい)”でリリィさん達をコピーしたら、今している仕事のほとんどを肩代わりしてもらうことができるんですよ。リリィさん達のバカ魔力まではコピーできませんが、思考能力も価値観も性格もリリィさん達と完全に同じ……事務仕事をする分には全く問題ありません」

 

「さらに単細胞生物(プテテット)なので、適当に(えさ)を与えておけば、不眠不休で働いてくれるおまけつきです。これで、ようやくみなさんに休暇を差し上げることができます。……さすがに、あまりに重要な判断を必要とするものは、本人にしてもらう必要がありますが――」

 

 

 ――ガッ!

 

 

 凄まじい勢いでヴィアに両肩を掴まれ、思わずセシルの言葉が止まる。

 

 セシルの眼を覗き込むヴィアの形相は“ネコババァ”ならぬ“トラババァ”と呼ぶべき凄まじい迫力で、そのあまりの恐ろしさに、いつも余裕がある(たたず)まいを崩さないセシルが、珍しく額から冷や汗を流して固まっていた。

 

「……………………それ、本当?」

 

「え、ええ……本当です」

 

「当然、私の分もあるのよね?」

 

「は、はい。一応、主要な方々の人数分は用意しています」

 

 そこまで聞いてセシルを解放すると、ヴィアはふらふらと力ない足取りでリシアンに近寄ると、ギュッと彼を抱き締めた。

 

「ヴィ、ヴィー?」

 

 愛する女性の抱擁(ほうよう)に嬉しさを隠せず頬を赤くしながらも、ヴィアのあまりに“らしくない”行動に戸惑(とまど)い、心配するリシアン。

 

 彼女は非常に照れ屋で、2人きりの時以外……それもこんな大人数の前で彼女の方から愛情表現をするのは(まれ)だ。

 何か辛いことでもあったのか、と声をかけようとしたその時、リシアンの(とが)ったエルフ耳がヴィアのかすかな声を聴く。

 

「…………き……ょ……」

 

「え?」

 

 上手く聞き取れずに問い返すと、ヴィアはガバッ! と天を仰いで絶叫した。

 

「式をッッッ! ()げるわよおおおおおおぉぉぉおおおっっっっ!!!」

 

 積もりに積もった乙女心が爆発した、そのあまりに(おとこ)らしいプロポーズに、リシアンは頬を赤く染めたまま、嬉しそうに「はい」と(まぶ)しい笑顔で応えたのだった。

 

 

***

 

 

「……なんてこともあったよね~!」

 

「あれからもう1年か……時が経つのは早いものね……」

 

 思い出話をしながらリウラとリリィはオセアンの町を歩く。

 

 エルヘンミリッタ匠範の腕は確かで、わずか2年にしてシュナイル神権国の首都を、他の一流国と遜色(そんしょく)ない一大都市へと築き上げていた。

 その他の都市については未だ建設中の箇所も多々あるが、それでも凄まじい速度と質を兼ね備えた仕事ぶりである。

 

 リリィは白のシャツに青のスラックス、花をあしらったブレスレットに、小さなルビーのついた金の鎖の首飾り、リウラは髪を下ろしてピンクの薄手のワンピースに身を包み、貴族だけが住める区画を歩き、やがて大きな屋敷へと辿(たど)りつく。

 本当は馬車で来ることもできたのだが、魔神である2人ならば歩いた方が余程(よほど)早いため、散歩がてらこうして歩いて目的地に向かうことは度々(たびたび)あった。

 

 カンカン!

 

 リリィがドアノッカーを鳴らすと、猫科と思われる耳を生やした壮年の執事が中から現れる。

 

「これはこれはミナセ様、ようこそいらっしゃいました。ささ、どうぞこちらへ。奥様がお待ちです」

 

 シュナイル神権国を建国する際、建国に(たずさ)わった主要な人物には貴族の(くらい)と、家、土地、義務と権利、そして貴族としての姓が与えられた。

 

 リリィ達が希望した姓は“ミナセ”……リウラの前世の姓である。

 以来、彼女達はリリィ・ミナセ、リウラ・ミナセと名乗り、同じ家に入り、名実ともに義姉妹として世に知られることになったのである。

 

 残念ながら、生まれ変わる前にリウラと姉妹だったティアに関しては、“主神である塩の巫の言葉を聞いて政治を行う、事実上のシュナイルのトップ”という公正中立を求められる立場となったため、シュナイルで政治的な力を持つ者達……特に、人間族から警戒されやすい魔族であるリリィと同じ姓を名乗ることは難しかった。

 そのため、リウラから『同じ姓にしよう?』と誘われたものの、ティア自ら辞退していた。

 

 しかし、“政治的な話をする”という名目で、彼女は頻繁にリウラの家を訪れるし、泊まっていくことも少なくない。

 たとえ姓は違えども、2人はお互いを大切な家族として認識しており、前世では失われてしまった姉妹で過ごす大切な時間を、ゆっくりと取り戻していたのだった。

 

 執事に通された応接間――既に部屋にいたヴィアの腕の中を見て、リウラは目を輝かせて歓声を上げた。

 

「わぁぁ~~~っ! 可愛い~~~~っ!!」

 

 そこにいたのは、可愛らしい猫耳を生やした美しい白銀の髪の赤子であった。

 将来、間違いなく美少年、もしくは美少女になるであろう端正(たんせい)な顔立ちをしている。

 

 あれからリシアンと結ばれたヴィアは、夢の結婚生活へと突入して、めでたく懐妊。

 そして、つい昨日出産が終わり、その知らせを聞いたリリィ達はそのお祝いにやってきたのであった。

 

「男の子? 女の子?」

 

「女の子よ。名前はフィリアブラン。『フィリア』って呼んであげて」

 

 フィリアを見つめるヴィアの眼はとても優しい。それに、心なしか以前よりも落ち着いた気がする。

 母としての自覚が芽生(めば)えたのだろうか? と不思議な気持ちになりながらも、ヴィアの手が赤子で塞がっていることに気づき、リリィは1箱1000エリンは下らない高級菓子の土産を執事に手渡す。

 

「あれ? “ブラン”って、もしかして……」

 

 リウラの気づきに、ヴィアは頷く。

 

「ええ、父さんの名前よ。もともと“ブラン”っていうのは大昔の言葉で“白”って意味らしいわ。今は年を取ってちょっと色あせちゃったけど、若い頃の父さんは綺麗な純白の毛並みをしていたのよ? 父さんの血か、リシアンの血かは分からないけど、この子の毛並みも綺麗な白銀でしょ? だから名前を貰ったの」

 

「あれ、白髪(しらが)じゃなかったんだ……」

 

 その2人の会話を聞きながら、リリィは軽く思案する。

 

 “フィリア”とは、確かギリシャ語で“愛”を意味する言葉だったはずである。

 “ブラン”は、ヴィアが言うようにフランス語で“白”。

 

 

 ならば、“フィリアブラン”という名前は――

 

 

(“純白の愛”……意訳して“無垢(むく)なる愛”、“(くも)りなき愛”といったところかしら? ずいぶん乙女チックな名前ね)

 

 別々の国の言葉が混じっているのは、1万年以上前の古語であることを考えればご愛敬(あいきょう)といったところか。

 ヴィアの可愛らしいネーミングセンスに、リリィは微笑ましさから思わず笑みをこぼした。

 

 おそらく自分が乙女チックな名前を付けてしまった自覚があるからこそ、名前の由来の半分をわざと話さなかったのだろう。ヴィアの言葉には(わず)かな照れが見えた。

 だが、もう少し年を取って余裕ができれば、堂々と全ての名前の由来を言えるようになるはずだ。……とても良い名前である。是非(ぜひ)、自分の子供ができた時の参考にしたいほどに。

 

 バアンッ!

 

「でかしたぞっ! ヴィア!」

 

 おろおろする執事を無視して、勢い良く扉を開け放ち、初代“ブラン”本人のご登場である。

 

 「ほーら、じいちゃんだよ~」とだらしなく微笑む父の姿に苦笑いしつつも、ヴィアはきょとんとしているフィリア嬢を父の腕に抱かせた。

 ブランは“たかいたかい”をしながら、何やら確信に満ちた力強い眼で、フィリアの透き通った大海のように無垢な碧眼を見つめた。

 

「う~む……こりゃあ、コイツはでっかくなるぞ……。ジジイの贔屓目(ひいきめ)なんかじゃねぇ。間違いない! よし、フィリア! 夢はでっかく極道王だ!」

 

「父さんっ!! この子にそんなヤクザな商売は絶対にさせないわよ! この子は立派な教育を受けさせて、ゆくゆくはリシアンの跡を継いでもらうんだからっ!!」

 

 既に手紙か何かでフィリアの事を知らせていたのだろう。

 フィリアの名前を叫んで『マフィアの王になれ』などと寝言をほざく父から、激怒したヴィアは素早く、しかし丁寧(ていねい)にフィリアを奪い返し、フシャーッ! と尻尾の毛を逆立てて威嚇(いかく)した。

 

「……ヴィアは間違いなく教育ママになるわね」

 

「だねぇ」

 

 片手を腰に当ててリリィは苦笑いし、リウラはのほほんと微笑みながら親子のやり取りを傍観する。

 

 

 ……彼女達は知る(よし)もなかった。

 

 

 この十数年後、シュナイルから(はる)か南西の海で、猫耳ハーフエルフの海賊少女が大暴れし、自分達が頭を抱えて悩むハメになるということを。

 

 

 

「ずいぶんと(にぎ)やかだな」

 

 遅れてのそりと2メートル近い筋肉質な巨漢が、メロン大の何かが入った袋を執事に手渡し、入室する。

 

「ベリークさん!」

 

「いらっしゃ~い!」

 

「おう」

 

 リリィとリウラが声をかけると、白いシャツをラフに着崩し、茶のズボンを()いたベリークは男らしく力強い笑みを浮かべ、2人に軽く手を上げて挨拶(あいさつ)する。

 

 そんな彼の眼を、リリィはジトッ……とした視線で見つめ続ける。

 想い人の明らかにご不満な様子に、“自分は何かしただろうか?”と疑問符を浮かべながら、ベリークは問う。

 

「どうしたリリィ? 何かあったのか?」

 

「……べっつに~。ヴィアは結婚して子供まで作ってるのに、ベリークさんが鍛錬ばっかであんまり構ってくれないだとか、ぜ~んぜん、()()()()()! 思ってませんから」

 

 当てつけるように“ぜ~んぜん”を強調しながら、腰に手を当てて下から覗き込むようにジリジリと迫ると、ベリークはのけぞりながらもすまなそうに頭を()く。

 

 そう、実はこの2人……迷宮の魔王を倒した直後あたりから、おつきあいを始めていた。

 

 

 

 

 

 

 ――2年前……迷宮の魔王を倒してから数日後

 

 迷宮の避難民たちのキャンプから少し離れたところにベリークを呼び出したリリィは、今にも沈もうとしている夕陽を前に膝を抱えて座り、ベリークに隣に座るよう(うなが)す。

 そして、腰を下ろしたベリークに微笑みかけて言った。

 

『……あの時は、ありがとうございました。……それと、ごめんなさい』

 

『……あの時?』

 

 ベリークが首を捻ると、リリィは頷く。

 

『……私が泣いて、(おび)えて、何もできなかった時……あなたは私の無謀(むぼう)な願いを何も言わずに聞いてくれた。私の何倍も強くて恐ろしい相手に立ち向かってくれた』

 

 化け物プテテットと遭遇したあの時、リリィは無自覚とはいえ自分より遥かに弱いベリークにお願いし、立ち向かわせてしまった。

 あれから、まともに謝罪も礼もできなかったため、落ち着いた今、改めてリリィは場を(もう)けたのだった。

 

『気にするな。俺がしたくてしたことだ』

 

『……私が、言いたいんです』

 

『……そうか。なら、受け取っておこう』

 

『……』

 

『……』

 

 しばし無言の時間が続く。

 

 ややあって、ベリークは言った。

 

『リリィ、俺はお前のことを愛している』

 

『……はい』

 

 ベリークの再びの告白。

 リリィは動揺することなく静かに頷く。

 

『俺は腕っぷし以外に能の無い男だ。だから、お前を護れるだけの力をつけて、お前に相応(ふさわ)しい俺となって……お前に惚れて欲しいと思う』

 

『……』

 

 夕日を見つめるベリークの横顔を、リリィは黙って見つめる。

 ベリークは、リリィへと視線を戻して言った。

 

『都合の良いことを言っているのは理解している。だが、それでも言わせてくれ。……必ずお前に相応しい力を身につける。だから、それまで待っていてほしい。……そして、その時になったら、俺の女になって欲しい』

 

『……』

 

 リリィは何も言わず、じっとベリークの眼を見つめ続ける。

 

 ベリークは理解していた。

 

 確かに自分は強くなった。しかし、リリィは自分以上に……それも比べ物にならない程に強くなっていた。

 ソヨギとの戦いで『足手まとい』とハッキリ断じられた時、ベリークは自分の弱さを思い知った。

 

 だから、ベリークはリリィに『待ってほしい』と頼む。

 どれだけ時間がかかっても、必ずリリィの伴侶(はんりょ)として相応しい力を身につけることを誓う。

 

 

 ……リリィがそれを受け入れてくれるか分からない、という恐怖に耐えて。

 

 

 ベリークにとって、何時間も経ったかのように感じられる数秒が過ぎた後、リリィはゆっくりと口を開いて言った。

 

 

 

 

 

『――嫌です』

 

 

 

 

 

 ショックに固まるベリーク。

 しかし、そんな彼に構わず、リリィは悪戯(いたずら)っぽく微笑んで続けた。

 

『……()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

『む……?』

 

 自分が何を言われたのかが分からず、思考が停止するベリーク。

 リリィは、そんな彼のことをとても可愛く思う。

 

『“今の貴方(あなた)が私に相応しくない”って、いったい誰が決めたんですか? “あなたの魅力が腕っぷしだけだ”と誰が言ったんですか? ……私が、たった一言でもそんなことを言いましたか?』

 

『それは……』

 

 言葉に詰まるベリーク。

 

 確かに、言っていない。

 では、なぜ、彼はそんなことを思ったのか?

 

『あなたがこれまでどんな女と出会ってきたのかは知りません。……あなたの腕っぷしに寄ってきたのか、お金に寄ってきたのか……それとも、容姿を馬鹿にされたのか、頭の悪さを馬鹿にされたのか……』

 

 そう、それこそが原因。

 ベリークがこれまで出会ってきた女性達は、(そろ)ってベリーク自身を見なかった。

 

 “オーク”という豚の鼻に相撲(すもう)取りのような体形、緑の肌という容姿で毛嫌いされることも多かった。

 彼女達の見ているものはベリークの持つモノや容姿、能力であり……いつの間にかベリーク自身も、その価値観に毒されていたのだった。

 

『自分を(みが)くことは素晴らしいことだと思いますし、私のために頑張ろうとしてくれるベリークさんはとても素敵だと思います。……でも、勘違いしないでください。私は貴方の腕力を好きになったんじゃない。“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ベリークが再び固まる。

 

 先程のように悲しいショックではない。

 ……彼が幼い頃から欲しいと思っていた言葉を、求め続けてきた言葉を、心から愛する女性が言ってくれた。

 

 

 ベリークの夢が叶った瞬間――それが今、唐突(とうとつ)にやってきたため、ベリークは嬉しさのあまり固まったのだ。

 

 

『――誇ってください。胸を張ってください……私が好きになったベリークさんは、一途で、誠実で、思いやりがあって、頼りになって……とても優しい、良い男です』

 

 リリィはベリークの両頬に自分の手をそっと添える。

 (うる)む彼女の瞳は、男を狂わせる魅力に溢れていた。

 

 

『……私を、貴方のものにしてください』

 

 

 黄昏(たそがれ)が終わり、夕日が沈む直前――2つの影が重なった。

 

 

 

 

 

 

 ……なんてロマンチックなことがあったにもかかわらず、複写粘体の活躍によって仕事(肉体労働)から解放されたベリークは、シズクのところに入り(びた)って鍛錬三昧(ざんまい)

 いくらリリィから『そのままの貴方を愛しています』と言われても、いざという時にリリィの役に立てない自分でいるのは我慢ならないらしい。

 ……リリィが『男のプライドってめんどくさい』と思ったことはナイショである。

 

 迷宮の魔王が生まれたことにより地下迷宮が崩壊したため、強力な魔物と戦うことができなくなったベリークは、戦闘技術を磨きながら世界を旅してきたシズクにアドバイスを貰おうと思って彼女の部屋を訪れた。

 

 『アドバイスをする前に、まず軽く手合わせしたい』という彼女の要望に頷き、実際に手合わせした途端、闘気にばかり頼り過ぎて力に振り回されかけていた彼の動きのあまりの酷さに我慢できなくなったシズクは、ベリークの動きの徹底改善に乗り出した。

 

 当初、『技術など身につけられるほど、俺は頭が良くない』とベリークは困惑していたものの、シズクは『武術に頭の良さなんて要らない。必要なのは“身体で理解すること”。……むしろ変に頭が良いと、素直に師の言うことを聞けずに中途半端なところで成長が止まる』と一蹴(いっしゅう)

 

 以来、手取り足取り……言葉で説明するのではなく、手本を見せて真似(まね)させ、おかしなところ……手首の向き、肩の位置、膝の向きといった細かなところをシズクの手で正しい位置に修正し、その時の感覚を覚えさせ、感じさせることで、言葉ではなく感覚で理解させた。

 

 結果、自分の力を無駄なく利用できるようになり、見る見るうちにベリークの実力は上がっていった。

 鳩頭の魔神から奪った、持ち主の意思によってその大きさを変える炎の魔剣――レーヴァテインも自在に扱えるようになったし、セシルが用意した強力な軍事用の魔法生物にも勝てるようになった。

 

 リウラのようにわけのわからない成長をするわけでもなく、普通に筋の良い生徒をシズクは気に入ったようで、暇があればベリークを鍛錬に誘い、ベリークもまた積極的にそれに応えた。

 

 しかし、そうなると面白くないのがリリィである。

 

 “リリィに相応しい力を身につけたい”という気持ちはとても嬉しい。

 鍛錬の合間を()って、リリィをデートに誘ってくれ、気にかけてくれているのも嬉しい。

 

 なにやらヨーラから好意を寄せられているようだが、それでもリリィ以外の女を見ようともせず、一途に自分を想ってくれていることも、ちゃんと知っている。

 

 

 ――だが、だからといって自分とつきあっている男が、鍛錬の為とはいえ、他の女と自分よりも長い時間一緒にいる、ということに何も思わないほど、リリィは達観していない

 

 

 結婚とは言わずとも、同棲くらいしてくれれば、シズク以上に一緒に居られるのに……と思わずにはいられないのだ。

 今の幸せそうなヴィアを見ていたら余計にそう思わずにはいられない。ベリークに我儘(わがまま)を言ってしまうのも致し方ないことなのだ。

 

 そして、そんな我儘を言われたベリークは困り顔ながらもどこか嬉しそうだ。

 こんな美人の……それも睡魔族である彼女が、他に男を作らず、一途に自分だけを想ってくれているからこそ出てくる言葉だということを理解しているからである。

 

「その事なんだが……この間、(シズク)から『俺に神核ができかけている』と言われてな。……神核ができれば、少なくともリリィと寿命で生き別れることはない。ならば、そこを一区切りにしても良いかと思ったんだ」

 

 神核とは、魔神クラスの力を手に入れると自然に肉体にできる“魂を入れる器”のことである。

 一度これができてさえしまえば、老いや寿命による死とは無縁になる上、例え肉体を滅ぼされても、神核さえ無事なら長い年月を経て復活することだってできるようになる。

 

 シズクとの鍛錬と、デートの(たび)にリリィから“早く鍛錬終われ”という念を込めて与えられた精気によって、わずか1年でベリークは魔神の領域へと足を踏み入れていたのだ。

 

 ベリークは近くにあった椅子に、手に持っていた袋を置くと、(ふところ)から小さな箱を取り出す。

 首をかしげるリリィの前で、ベリークはパカリと箱を開いた。

 

「……!」

 

 

 ――そこには、白銀に輝くシンプルなデザインの指輪があった

 

 

「リウラから聞いた。お前の故郷では指輪を薬指に()めることで、婚約の誓いとすると。……あともう少しだけ、待ってほしい。神核ができて、俺が魔神となったら……結婚しよう」

 

「……」

 

 たっぷり30秒。

 

 じっと指輪を見つめまま動かなかったリリィは、頬を赤く染め、猫耳を嬉しそうにピクピク動かし、尾をうねんうねん(もだ)えさせ……ニヤニヤと笑いそうになる表情を必死に取りつくろいつつ言った。

 

「ふんっ! し、仕方ないわね……! しょうがないから、もうちょっとだけ待ってあげるわ!」

 

 身体中からウキウキした雰囲気が漏れているのだが、全く気づいていない。

 興奮のあまり、敬語が取れていることも気づいていない。

 

 それほどに、リリィが嬉しく思ってくれていることにベリークは喜び……リリィの背後で、とてもイイ笑顔でグッと親指を立てているリウラに心から感謝した。

 

「……はい」

 

「?」

 

 スッと手の甲を上にして左手を差し出したリリィに、ベリークが戸惑う。

 湧き上がる喜びが落ち着いたのか、頬の赤みは残りつつもすまし顔で微笑みつつ、茶目っ気たっぷりに片目を閉じて、リリィはねだった。

 

「指輪。……ベリークさんの手で、はめて欲しい」

 

「……わかった」

 

 白魚のような細い指に、緑の無骨で太い指が丁寧に指輪をはめていく。

 

 『美女と野獣』と呼ぶにふさわしい容姿のカップルだ。きっと多くの人……特に嫉妬に狂う男たちは、こぞって彼女達を見て『釣り合っていない』と言うのだろう。

 だが、お互いを大切に想って誓いを交わす2人の姿は、リウラ達から見て……微笑ましいほどにとてもお似合いだと感じられたのだった。

 

 

 

 

 

「……」

 

 ホッとヴィアは安心したように溜息をつく。

 

 ――本当に……本当にリリィが幸せになれて……穏やかに暮らせるようになって良かった

 

 前世の記憶を取り戻してから、彼女はずっと生きた心地がしなかっただろう。

 彼女の前世の何倍も治安が悪い今の世界では、かつてのような平穏はこれからも決して得られないだろうが……それでも、こうして大切な仲間と伴侶を手に入れ、彼女を政治的に護る国もできた。

 

 この平穏な日々を、彼女のためにも、我が子のためにも、微力ながらこれからも護っていこう……ヴィアはそう、心に誓う。

 

 リウラは、ヴィアから溢れる感情にリリィへの親愛と決意の色を見て、なにげなく()いた。

 

「ねえ、ヴィアさんがリリィを大切に想ってるのって――」

 

 

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 ヴィアは眼を見開き、リウラへと振り返る。

 

 リウラは自然体でジッとヴィアの返事を待っている。

 ヴィアから驚愕の波が抜けると、肩から力を抜いて苦笑し、訊き返した。

 

「……いつから気づいてたのよ」

 

「ん~……実は、最初にヴィアさんに会った時から“よく似てるな~”とは思ってたんだよね。振る舞いとかしゃべり方とか……なにより性格とか考え方が、もうホントにそっくり」

 

「……そんなに似てた?」

 

「双子かと思うくらい瓜ふたつだよ。大切なもののために簡単に他人を切り捨てたり、逆に自分を切り捨てたり。“信頼できる”と思った人には簡単に信じ切っちゃったり、いざ人を頼る時は真正面から誠実に頼み込んできたり……」

 

「……」

 

「ちょっと違和感を感じたのは、リリィがお酒を飲んで日本語で歌を歌いだした時かな? あの時、ヴィアさん凄いビックリしてたけど、今思えば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()? その時の私は気づかなかったけど、でも、その後から急にヴィアさんがリリィに親切になったのはちょっとだけ気になった」

 

 おそらく、当時のヴィアも“リリィが自分と同郷の生まれである”と知った程度であっただろう。

 だが、それがリリィの立場のより深い理解へと繋がり、ヴィアの同情を生んだ。だからこそ彼女はリリィに対して協力的になったのだ。

 

「“ひょっとして”って思ったのは、魔王(アナ)さんが『リリィの魂は別世界の魂だ』って言った時。あの時、アナさんに引っかかった魂片(こんぺん)がリリィの人格に影響した、ってことは分かったけど、“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?”って考えて……真っ先に思い浮かんだのがヴィアさんだった」

 

「……」

 

 ほんのわずかにヴィアの眉がひそめられる。鬼を思わせる巨大な化け物――おそらくは、アレがかつての魔王だったのだろう――に魂を引きちぎられた時の、想像を絶する苦痛を思い出したからだ。

 

 あの後、とある猫獣人の女性の腹に宿り、彼女から無償の愛を注がれ続けていなければ、きっと今もヴィアはその時の事がトラウマとなっていたに違いない。

 

「確信を持ったのは、この異能(ちから)に目覚めてから。リリィとヴィアさんの魂の色……微妙に違うけど、凄いそっくりだよ。“姉妹だってここまで似てない”ってくらい、そっくりだった」

 

「そう……」

 

 ヴィアは再び幸せそうに(むつ)み合うリリィ達へと視線を戻す。

 そうしてしばらく見つめていると、ヴィアはぽつりぽつりと話し始めた。

 

「私ね……()()()()()()()()

 

「……うん」

 

 聞く人が聞けば衝撃的な事実を、リウラは静かに受け入れる。

 

 

 ――姫狩りダンジョンマイスター

 

 人間族の勇者に倒され、魂だけの存在となった魔王が新たな肉体を手に入れるも、その身体が脆弱な人間族のものであったため、唯一残った配下である魔族の少女“リリィ”を鍛え上げながら、配下を増やし、元の肉体を取り戻すまでを描いた、R-18の男性向けゲームだ。

 

 そう、この世界は()()()()()()()()()()

 決してそれらを女性がプレイしないとは言わないが、高確率でプレイしている人たちは男性だ。

 その世界を知っていた魂……リリィの魂と融合した魂片やヴィアの生前もまた、それに当てはまっていたのである。

 

 ゲームの知識の記憶はリリィの魂片に全て持って行かれたのだろう……ヴィアはこの世界についての事前知識など一切持っていない。

 その代わり、彼女にはリリィには無かった“自分は何者か”という記憶がしっかりと残っており……それが、彼女を苦しめていた。

 

「こんな人権なんて存在しない世界で、“性同一性障害”なんて理解される訳がない。だから、マフィアの跡取り娘としてこの世界に生まれた時から、私は苦しかった。幸い、マフィアの家に生まれたから多少ガラが悪く(女の子らしくなく)ても許されたけど……男を伴侶に迎えなければならないことが、どうしても私には受け入れられなかった」

 

 多少の壁は感じていたものの、両親を含めアルカーファミリーの皆はヴィアを愛してくれた。

 

 ……そして、ヴィアはそんな彼らを失望させたくなかった。

 

 ちゃんと子供を作り、跡継ぎを……孫を抱かせ、安心させてあげたかった。

 色々とわがままを言って両親を困らせてはきたが、そこだけは絶対に困らせたくはなかった。

 

 

 ――だから、ヴィアはリシアンに目をつけた

 

 

 リシアンと初めて出会った時、ヴィアは“これだ”と確信した。

 エルフという、男性であろうと女性に見紛(みまご)う美形種族。更には、未だ二次性徴を迎えていない、男臭くない肉体……ヴィアは“この子だったら、()()()()()()()()()()”と確信したのだ。

 

 そう、彼女はショタコンではない。“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()”だけなのである。

 

 幸い、両親は政略結婚とは無縁で、『ヴィアの好きな人を選べばいい』と常々(つねづね)言ってくれていた。

 一目惚(ひとめぼ)れしたと嘘をつき、惚れた演技を()ってリシアンに近づいた。

 

 

 ……そして、()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 友人として魅力的だとは思っていた。それが、いつの間にか友情が愛情にすり替わっていた。

 到底理解できないと思っていたはずの“女性としてのヴィア”が目覚め、次第次第に男としての感覚は薄れ……今では、こうして彼と愛し合った結晶をこの腕に抱いている。

 

(――本当、人生って何が起こるか分からないわね)

 

「……だけど、やっぱり私とあの娘は違うわね。私だったら、どんなに良い人でもあんなに男くさい人を選べるとは思えないわ」

 

 ヴィアと同じ魂片によって人格に多大な影響を受けたとはいえ、土台は“リリィ”なのだ。混ざり合った魂は、魂の本体と似てはいても決して同じではない。

 

 原作のリリィは、例え魔王がどんな姿になろうとも心から慕い続けた、非常に一途な睡魔である。

 そんな“リリィ”の魂を土台とする彼女にとって、本当に心からその人を愛したのであれば、例え相手が豚面(ぶたづら)の巨漢であろうとも関係ないのだろう。

 そのことが今のリリィを見ていれば良く分かった。

 

「別にいいんじゃないかな? 元は同じ魂でも、リリィはリリィ。ヴィアさんはヴィアさんなんだから」

 

 軽くそう言うリウラ。

 見えざるものを見るリウラは知っている。魂とはいろんな色があるから美しいのだと。

 

 その魂のしたいこと、したくないことはそれこそ千差万別。

 “どんなに良い人でもオークと結婚するのは無理”……そんな人が居たって別に良いと思う。

 そうした個性を否定したら、ロボットのような無味乾燥な人々の住む世界となるだろう。そんなもの、リウラは見たいとは思わなかった。

 

「……さ~て、それじゃ、孫の顔も見れたことだし、俺は行くぜ」

 

「もう行くの?」

 

 今のヴィア達の会話を気にもせず、ブランが言う。

 

 ヴィアもブランも、今の会話の内容を聞いたところで崩れるような親子関係でないことを理解している。

 だからこそ、ヴィアもこの場で何のためらいもなく話し始めたのだろう。

 

「ああ、ちょっと墓参りにな」

 

「母さんの? だったら私も行くわよ」

 

 ヴィアが用意をしようと動き出すのを手で制し、ブランはどこか悲しそうな目をしながら言った。

 

「……いや、俺の戦友だ」

 

 

***

 

 

 ――迷宮の魔王との戦場跡地

 

 戦の跡が2年の間で緑の草原に覆い隠されたそこに、ぽつりと石碑が置かれている。

 その石碑には、“デアドリー・ディル ここに眠る”と刻まれていた。

 

 ブランはそこに少量の菓子とワイン、そして小さな薬瓶を置くと、片膝を立てて座り込んだ。

 

「……」

 

 しばらく無言でそうしていると、背後から足音が近づいてくる。

 やがて、足音の主は呆れたような溜息をつくと、苦笑いしていると明らかにわかる声音で言った。

 

「……また、そんなものを供えてるんですかい? デアドリー副隊長、怒りますぜ?」

 

「んなこたぁねぇよ。……なんだかんだ言って、怒ったふりをしながらも菓子をつまみにワインを飲んで馬鹿話して、最後に脂燃薬(やせぐすり)を飲んで安心する……そういう可愛い女だったからな」

 

「……」

 

 ブランの部下である狼獣人の男性、ヴォルクは暫し(もく)すると、ぽつりとつぶやくようにブランに問う。

 

「……副隊長を、どうして止めなかったんですか?」

 

「……元々あいつは汚れ仕事にゃ向いてなかったんだ。特務部隊なんてものに入っちまったのがアイツの大きな間違い。“人間”の醜さを毎日毎日見続けて……そんでもって、ある時そんな鬱屈した感情を吹っ飛ばすくらい綺麗なものを見ちまった……よりにもよって、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

『――ブライト隊長! 私、気づいたんです。私達がしているような、こんな醜い仕事をなくす方法に!』

 

()()()()()()()()()()! 人間が欲望に染まり、怠惰に流れ、悪に手を染めるのは、強大な敵がいないからです! 苦難が無いから、恐怖が無いから、自分が害されないから、人は堕落し、つつましさを知らず、他人を想いやることができないんです!』

 

『――だから、私は人間の心を美しく保つため、永遠に彼らの強大な敵として君臨します!』

 

 

 

 迷宮の魔王ディアドラの過去……デアドリー・ディル。

 彼女はユークリッド特務部第一部隊隊長ブライト・アルカポネ――のちのブラン・アルカーが直々(じきじき)にスカウトした、非常に優秀な人材だった。

 

 非常に強大な魔力や幅広い魔術知識からなるその魔術の腕もそうだが、なにより優秀だったのは、どんな人間の(たくら)みだろうとも見抜く、その洞察力と思考力。

 そして、それらを己のものとすることができる立案能力だった。

 

 故に、ブランは彼女を副隊長に取り立てて、暗部として様々な汚れ仕事を行っていたのだが……まさか、彼女が狂気に目を染めてそんなことを言い出すほどに追い詰められているとは思わなかった。

 

 だから、ブランは彼女を解任した。やりたいことをやらせてやった。それだけが彼女を追い詰めた自分にできる唯一のことだと思ったから。

 ブランは自分達の主にこのことを報告していない。ただ“部下が1人死んだ”と報告しただけだが……おそらく主はこのことに気づいているだろう。その上で何も言わないのだから、きっと問題ない……そう、ブランは考えた。

 

「……だから、副隊長の好きにさせたと? そのせいでヴィアラガルデ様が危険に(さら)されて、俺達の任務が失敗するかもしれなかったのに?」

 

「……いや、すまん。まさかアイツが魔王の封印を解いて融合するとまでは思わなかったし、ヴィアもあんだけポンポンポンポンとんでもねぇ厄介ごとに巻き込まれるとは思わなかったんだよ」

 

「そーいうところは、ほんっと変わってませんね。今までどれだけ副隊長に頼ってたかが良く分かるってもんです」

 

「……とりあえず、ヴィアをそう呼ぶのは止めろ。俺達以上の実力者が聞いているとも限らねぇ」

 

「……了解」

 

 ブランとヴォルクは再び黙して佇む。

 そうして、ブランは今しがたヴォルクに言われた“任務”が終わった時のことを思い起こしていた。

 

 

 

 



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最終章 水精リウラと睡魔のリリィ 中編

 ――2年前

 

「……任務終了?」

 

「ええ。シルフィーヌ様は英雄として確固とした立場を築きましたし、他の王族を(かつ)ぎ出して傀儡にするような不穏な(やから)は、先の戦争に乗じて私が粛清しておきました。もう、ヴィアラガルデ様が王族であると知られても、王位争いに関わるようなことにはならないでしょう。よって、この任務は終了です。……お疲れさまでした。以上を持ちまして、あなた達をユークリッド特務部隊より除隊いたします」

 

 ユークリッド王国……その一部の王族しか知らないはずの緊急用脱出通路の一区画で、ブランは自分の主であるメイド服姿の少女――アーシャの前でひざまずいて、これまで行ってきた任務の終了を告げられていた。

 

 

 その任務の内容は――ユークリッド()()()()ヴィアラガルデの秘匿と保護。

 

 

 ユークリッド王は、既に正妃との間にサラディーネという世継ぎが居るにもかかわらず、貴族の娘に手を出してセリハウアという第二王女を作り、正妃にこっぴどく叱られて不和に陥った前科がある。

 ……にもかかわらず、今度はよりにもよって猫獣人のメイド……それも平民の少女に手を出してしまった。

 

 貴族との間にできた娘でアレなら、平民との間ではどうなるのか考えたくもない。

 跡継ぎ争いが更に熾烈になるのも避けたい。

 

 悩んだ王は、当時の第1特務部隊隊長であったブライトに、こう命令を下した。

 

 

 ――『ヴィアラガルデに()()()()()幸福な人生を全うさせよ』

 

 

 つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 しかも、よほど妻に露見することが恐ろしかったのか、絶対に人目に触れないよう、よりにもよって『地下迷宮で育てよ』という、とんでもない命令を下したのだった。

 

 たしかに、人間が滅多によらない迷宮ならば、王妃や貴族が独自に雇った間者が非常に入りにくく露見しにくい。

 また、獣人族ならば、迷宮で生活していても不自然ではない。魔術で少女の腹の中を確認した結果、尻尾のようなものが確認できていたため、猫獣人であるメイドの少女や、その子供が住んでいても、違和感は持たれにくいだろう。

 だが、魔物が溢れている迷宮で暮らさせるなど、『死ね』と言っているのと同じだ。

 

 そこで、王は、更なる愚行を犯した。

 

 なんと、王しか存在を知らない直属の特務部隊を丸々1部隊、彼女を護衛するために割いたのである。

 要は、自身の子をただの平民として一生を終えさせるためだけに、特務部隊を1部隊使い捨てたのだ。サラディーネが事実を知れば、怒髪天を突くに違いない所業である。

 こんな王だから、ゼイドラムに良いようにされて、ユークリッド王国は属国扱いされるようになったのかもしれない。

 

 ブライトは、既に腹が膨れ始めていたメイドを引き取り、それまで迷宮を支配していた暴力組織……いわゆるマフィアを駆逐し、自らが成り替わることで治安を維持。王女の安全を保つために尽力した。それが、のちのアルカーファミリーである。

 そして、第四王女はその名を“ヴィア”と改め、ブライトとメイド少女を父母とし、マフィアのボスの娘としてすくすくと育ったのだ。

 

 “強大なマフィアのボスの娘”という肩書を与えられた彼女は、ブライトの狙い通り、迷宮に住む者達にとって下手に手を出せない存在になった。

 

 それは、ヴィアの友人を少なくしてしまうデメリットもあったものの、彼女に自由を与えた。

 ある程度の自衛力が身につけば、1人で行動することも許されたし、リシアンという恋人ができたことも許した。

 その複雑な生い立ちを考えれば、信じられないほど、彼女は自由に生きることができていたのだ。それは全て、ブライト達のおかげだった。

 

 ところが、流石に“迷宮に魔王が出現して地上に侵攻する”、なんて事態までは想定できず、第四王女の保護に割かれた人員の少なさから、ブライトはヴィアの母を護りきれずに死なせてしまう失態を犯してしまう。

 “何らかの理由でヴィアに眼をつけられては困る”と、可能な限り魔王軍の影響を排除しようとしたことが原因で、逆に衝突してしまったのだ。今思えば、ある程度は受け入れておくべきだったと、彼は今も悔やんでいる。

 

 彼がユークリッドに援助を求めようとしたその時には、既に魔王との(いくさ)で王は亡くなり、この任務については、目の前のアーシャが引き継いでいた。

 

 

 ――そして、彼女はこの件について一切の情けを持たず、淡々と『現状維持』の命を下した

 

 

 そもそも、今は亡き王はともかく、ユークリッドという国にとって、ヴィアラガルデの価値はそこまで高くない。

 

 ユークリッドに残った直系の王族であるシルフィーヌが、仮に魔王との戦で亡くなったとしても、人間族の国であるユークリッドの頂点に、平民の血を引く猫獣人を据えれば、貴族たちの激しい抵抗があるだろう。場合によっては、平民すら反発するかもしれない。

 サラディーネやシルフィーヌのように優れた魔力を持っていれば話は別だろうが、母方の血が強く出たためか、彼女にはそれすら無い。

 

 彼女を王にするくらいなら、王家の血を引く貴族から新たに王を選出した方がまだマシなのだ。

 もしヴィアラガルデを王にしようとする者がいるならば、十中八九その者の目的は、彼女を傀儡として権力を握らんとする不埒者である。

 

 だから、アーシャはヴィアラガルデを見捨てた。

 

 ――へたにブラン達に援助を行うと、第四王女の存在が露見する可能性が高くなるため、ユークリッド側からは何もしない

 ――第四王女の存在を露見させないことが最優先のため、彼女を地上へ逃がすことも許さない

 ――仮にその事が原因で第四王女が亡くなろうとも、その責は問わない

 

 ……『現状維持』とは、そういうことである。

 

 だが、だからこそ、ブランは失態を犯しながらも、こうして引き続きヴィアを護る役目……父親で居ることができた。

 “死んでも構わない”と思われているからこそ、彼女が危険な物事に首を突っ込もうとも、彼女の意思を尊重して自由に生きさせることができた。

 

 複雑ではあるが、ありがたいことに違いはなかった。

 

「……承知しました。……その、ヴィア、いえヴィアラガルデ様についてですが……」

 

 そして、父である彼は懸念する。

 

 

 ――この情け容赦ない御仁が、建国中のシュナイルの要職につくであろう、ヴィアに何かするのではないか、と

 

 

 まず、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 確かにシルフィーヌが英雄となった以上、次のユークリッドの王はシルフィーヌになるだろう。今さらマフィアの娘の猫獣人がポッと出てきたところで、王位を争えるわけがない。

 

 だが、そもそもヴィアラガルデを秘匿した目的は、“跡継ぎ争いを避ける”よりも“スキャンダル隠し”という意味の方が大きいのだ。

 “ユークリッド王が猫獣人の平民に手を出した”という事実が明るみに出ることは、ユークリッドという国にとって、明確なデメリットであるはず。

 

 ならば、可能な限り……それこそ、ブライト達が死ぬまで任務を引き延ばす方が自然だ。

 

 にもかかわらず、彼女は任務終了を告げた。

 『ヴィアラガルデの存在を秘匿せず、保護しなくともよい』と言ったのだ。

 

 しかも、『彼女を利用するであろう存在は全て粛清した』と彼女は発言している。

 それは、逆に言えば『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ――つまり、彼女はこう言っているのだ……『これからヴィアラガルデに干渉するから、邪魔をするな』、と。

 

 

 きちんと裏の意図が伝わっていることが分かったのだろう。アーシャは冷ややかな目でブライトに告げる。

 

「あら、情でも湧きましたか? ブライト、言わなくても分かってるとは思いますけど――」

 

「――はい、そこまでです。わたくしの前で無体(むたい)真似(まね)は許しませんよ?」

 

「……ハイドラ様」

 

 ブランの背後で浮遊する霊体の女性が笑顔で、しかし有無を言わせぬ迫力を持ってアーシャに言い放った。

 

「ブラン様、安心してください。ヴィア様とそのご家族はこのわたくしが護って差し上げます。……()()()()()()()()()()()()()()()()()、とっても素直で可愛らしい方ですね。思わず応援したくなってしまいます」

 

 クスクスと扇で口元を隠しながら上品に女性は笑う。

 

 ハイドラ・ディオクシド公爵令嬢――かつて暴政を敷く王に苦しむ民衆のために蜂起し、少数精鋭の部下たちと共に王城へ突貫。

 並み居る兵士達を強力な魔術で押しのけ、まさかのクーデターを成し遂げて民衆を悪政から解放した女傑(じょけつ)である。

 

 ハイドラもその部下達も最終的には力尽きて命を落としたものの、不可能を可能としたその偉業からついた異名が“玉座斬り”。

 前世、20世紀フランス人であった記憶を持つが故に、貴族として生まれながらも、虐げられる民衆の心を理解できる……そんな彼女が理不尽な目に()おうとしている少女を見過ごせるはずがなかった。

 

 リューナがヴォルクを感知できなかった理由、それは彼女がヴォルクに()りつき、彼を隠蔽(いんぺい)する魔術を使っていたからだった。

 彼女がヴォルクに憑りついていたのは、彼が、コレットと名乗る人間族の女性とともにリリィを探すことになったためだ。彼に憑依してリリィと物理的に接触すれば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ハイドラ……水精(みずせい)としての名をロジェン。

 水精の隠れ里の(おさ)であり、共に不死者となってしまった部下を成仏させるため、数百年を魔術の研究に費やした亡霊だ。

 

 紆余曲折あり、迷宮の奥深くで研究を進めていた彼女は、ある時から研究に行きづまり、そこに理想の嫁を求めて迷宮を探索するオーク――リュフトが現れた。

 

 自分を信じてついて来てくれた部下達をなんとかして救おうと必死になっていた彼女は、リュフトから見て、明らかに追いつめられていた。

 女性の笑顔が大好きなリュフトはそれを見ていられず、不死者特有のおどろおどろしい雰囲気をものともせずに堂々と彼女をデートに誘ったのだった。

 

 

 ――『美しいお嬢さん。深く掘り下げることはとても大切ですが、広い視野を持つこともとても大切です。一度、外の世界を見て回られてはどうでしょうか? この迷宮の中で良ければ、俺がご案内いたしましょう』

 

 

 ちなみにこれは、『良い女は丁寧に隠されているだろうから、深く探索するのも大事だけど、だからといってそればっかりにこだわっていると、他の場所の良い女を見逃すよね?』というリュフトの嫁探しの経験則から出たものである。彼に研究関係の経験は無い。

 

 しかし、(わら)にも(すが)る思いであったハイドラは、『なにかきっかけを得られるのなら』とリュフトの言葉に頷き、

 

 

 

 ――そして、とてもとても美しい湖を見つけた

 

 

 

 そこは“聖なる地底湖”と呼ばれる場所。

 

 『不死者ですら浄化する』と言われる清らかな湖は、事実、極めて水質浄化能力の高いパワースポットであり、不死者の浄化に関して研究しているハイドラの研究の何らかの助けになるであろうというリュフトの配慮によって案内されたものであった。

 

 そこで彼女は水の精霊には高い浄化能力があることを知り、これまでの研究成果と合わせて、見事“水精に生まれ変わることによる怨念の浄化”という一つの結果を生み出した。

 

 元人間族である彼女の魂は、水の精霊と結びつくことの出来る想念を生み出すことができる。

 彼女は、“水精として生まれ変わった者達の幸福”という、自分の中にある最も強い想いを込めて水精の素を生み出し、その水精の素と、死して迷宮をさまよっていた魂を融合させて、水精として生まれ変わらせたのだ。

 生前の記憶を封じることで、新たな怨念を生み出さないようにしながら、かつての無念を自身の水精としての力で自浄し、元の健全な魂を取り戻させることに成功した。

 

 部下達の成仏に目途(めど)が立ったハイドラは(いた)くリュフトに感謝し、礼として、嫁を探す彼に、たびたび良さそうな女性を紹介するようになった。

 

 その後、魔王が現れてからは、戦争によって死者が生み出されるたびに同様の方法を用いて水精へと生まれ変わらせ、戦争から隔離された場所を用意し、怨念が浄化されて成仏するまで、死者たちを水精として静かに暮らさせることに尽力(じんりょく)した。

 

 

 ――これが“水精の隠れ里”の正体である

 

 

 ハイドラの発言を聞き、眉をひそめたアーシャは苦言(くげん)(てい)する。

 

「……っ! ハイドラ様、お話が違います。あなた達は、我が特務部隊に協力して――」

 

「――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……それ以外に仕事は請け負っていないし、あなたの部下になったわけでもありません。……それに、あなた、わたくしの“玉座斬り”の逸話(いつわ)を知らないわけではないでしょう?」

 

 ゴッ! と凄まじい殺気が放たれる。

 不死者特有のそのおぞましい威圧に、アーシャの背筋を冷や汗が流れる。

 

 アルカーファミリーが迷宮に根付(ねづ)いて間もないころ、ブライトは水精ロジェンとして生まれ変わったばかりの彼女と接触する機会があった。

 先史文明期の言葉で“白”を意味する“ブラン”という言葉を彼女から教わり、それを自分の新たな名としたのもこの時である。

 

 彼女やその部下達が元は霊体型の不死者であり、今も水精としての姿を脱ぎ捨てて元の霊体に戻ることができると聞いた彼は、彼女達に協力を(あお)いだ。

 

 霊体である彼女達ならば、姿を隠し、空間を跳躍し、壁を突き抜けてヴィアラガルデを見守ることができる。

 また、その特性を活かして情報収集を行い、ヴィアラガルデに迫るであろう脅威を事前に排除することもできる。

 

 特務部隊であるブライト達も相応の実力はあるものの、迷宮内で秘密裏に活動しているため、おおっぴらに王家からの支援を受けられない。

 政治的に力ある者が本格的にヴィアラガルデを探し出したとき、『確実に彼女を護りきれる』とは言いがたかった。

 

 事実、おとりを使ってブラン達をおびき寄せた上で、ユークリッド貴族が糸を引く何者かによってヴィアがさらわれたことがあった。

 

 独自にさらわれたヴィアを探していたリューナとともに、彼女を救ってくれたのは霊体化したロジェン達だ。

 幼いヴィアを救った“声”の正体は、彼女達がヴィアのみに聞こえるよう魔力を絞った広域心話だったのである。

 

 ハイドラ自身が高い位の貴族であり、そういった王族の事情についても良く理解していたため、ヴィアラガルデを不憫(ふびん)に思った彼女は、快く彼の依頼を引き受けたのである。

 

 以来、彼女達は時に霊体として迷宮に潜み、時にアルカーファミリーの誰かに憑依して、ひそかにヴィアを見守っていた。

 

 水精の隠れ里から定期的に“情報を仕入れるため”という名目で幹部……かつてのハイドラの部下の何名かがいなくなるのは、裏で彼女達がヴィアを護るために動いていたからだった。

 リリィ達が何とか切り抜けてしまったため現れることはなかったが、いざヴィアの身に命の危機が迫れば、彼女達は姿を現してヴィアを保護していただろう。

 

 ブラン達にとって、ヴィアが自分から魔王をめぐる戦いに首を突っ込んだのは完全に予想外であり、気づいた時にはブラン達の戦闘力では手に負えないレベルにまで事態が急展開していた。

 準魔神級の魔力を持つハイドラの協力が得られていなければ、彼らは途方に暮れていただろう。彼女の協力を取りつけられたのは、ブランの人生で最大のファインプレイだったのだ。

 

 

 ――『あ~……アルカーファミリー自体が、隠れ里が情報を得るための組織だったってことですのね……』

 

 

 ヴィアやリューナ達はそのように信じていたが、そんなことはない。()()()()()

 

 繰り返すが、霊体である彼女達は、姿を隠しつつ、距離や地形などに縛られずに、大抵の場所に(もぐ)り込むことができる。

 ヴォルク達アルカーファミリーよりも()()()()()()()()()()()()()()。自分達より能力が劣る諜報機関など必要であるはずがない。

 

 そもそも、本当にアルカーファミリーが、隠れ里のための情報収集組織であるならば、“水の貴婦人亭”なんてあからさまな名前も、“ドレスを着た水精の絵柄”なんて分かりやすい看板も使う訳がない。

 それらは、“アルカーファミリーと隠れ里が深い関係にある”とバレた時、ヴィアを護るため、彼らから目を逸らさせるためのミスリード。

 

 まさか、引きこもりである隠れ里の方が情報収集に長け、情報屋を営むヴォルクを擁するアルカーファミリーの方が彼女達から情報を買っていようとは、誰も思うまい。

 

「……魔王が暴れていても何もできなかったくせに……っ!」

 

 悔しまぎれにアーシャがそう言うと、ハイドラは能面のように無表情になった。

 

「……そうですね。わたくしたちも勇者達とは別行動で魔王の暗殺に動いておりましたが、力およばなかったことは認めましょう。所詮、わたくしたちにできたことは、理不尽に魔王に殺された者達の魂を、水精の力を()って鎮めることだけだった、ということも」

 

 そして、その不死者特有の死んだ魚のように精気の無い瞳で、アーシャの瞳を覗き込む。

 

 人でなくなってしまった彼女が(つの)らせる恨み、(つら)みは生者のそれとは比べ物にならない。

 既に終わってしまった生前の恨みは水精の力で浄化されようとも、現在進行形で発生し続ける怨念は、そう簡単には浄化できない。

 ……だからこそ彼女は、“生まれ変わらせた水精の記憶を封印する”という強硬手段を取らざるを得なかったのだ。

 

「……だからこそ、その無念を晴らす機会があるのなら、躊躇(ためら)いは致しません。もし、あなたがブラン様やヴィア様達に非道を成すというのなら……“玉座斬り”の異名の意味、とくと味わわせてさしあげましょう」

 

 

 ――そして、その“無念”の中には“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ロジェンも、その部下である騎士たちも、本当はリリィとリウラを助けたかった。だが、ニアが他の水精達を人質に取ったがためにできなかったのだ。

 いくら霊体から水精として復活できるといっても、霊体や魂そのものを魔力で消し飛ばされてしまえばどうしようもない。

 

 その後も、霊体として、あるいはアルカーファミリーの誰かに憑依して、ニアに発覚しないよう、“陰からそれとなく”の範囲でしか手助けすることができなかった。

 特にヴィアに関してはニアの脅しとブランの依頼の中間に位置するため、非常に慎重な判断が求められたし、妙に勘が良く、不可視化した霊体であるはずの彼女達に気づきそうになるリウラがいたため、あまり近くに寄ることすら中々できなかった。

 

 ――ブリジットの城で、近距離から魔力を絞った広域心話でヴィアに危険を知らせたり、

 ――リウラの元へ向かおうとするティアを通して、リリィを救うための計画を知らせようとしたり、

 ――ヴォルクが迷宮の奥深くへ潜るのを知って青ざめるリューナが、ヴィアへ会いに行く道中の敵を彼女が通る前に殲滅しておいたり……

 

 他にも様々なところで、ニアにバレないよう細心の注意を払って、彼女達はリリィとリウラを助けてきた。

 

 ティアにメッセージを託した後は、自らヴォルクに憑依し、ブライトとハイドラの関係を知る特務部隊隊員……すなわち、アルカーファミリー設立時のメンバー全員に、彼女の部下達が憑依し、リリィとロジェンを接触させるように動いたりもした。

 

 ……残念ながら、ヴォルクがリリィを見つけた時――正確には、リリィがヴォルクに対して首を横に振った時に魔術で確認したところ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、彼女達の努力は無意味なものと化していたが。

 おそらく、あの首を横に振る動作は、“接触は不要だ”という意味だったのだろう。

 

 しかし、本当であれば、前面に立って未だ幼い彼女達を保護してあげたかった。

 それが叶わずとも、せめて身を張って共に戦いたかった。

 悲しみ、苦しむ彼女達を抱き締めてあげたかった。

 

 

 ――その無念……決して軽くはない

 

 

 それが、ただの代償行為であろうとも、その動機(怨念)は非常に重い。たとえアーシャであろうとも、彼女の恨みを買えばタダでは済まないだろう。

 それを力でねじ伏せるのなら、それこそ魔王やニアといったような魔神級の力が必要だ。

 

 アーシャはその不気味な眼を(にら)み返しながら、吐き捨てるように言う。

 

「……契約の話、なかったことにするわよ」

 

「ご自由に? ヴィア様を保護する代わりにわたくしたちが要求した対価は、“急ごしらえの隠れ里の代わりに、迷える魂が()()()()水精として暮らせる場所”……今の貴女(あなた)を見る限り、そんな場所を用意できるとはとても思えませんね。シュナイルに造ってもらえるよう、わたくしがロジェンとしてリウラやティアにお願いした方がよほど現実的でしょう」

 

「……」

 

 アーシャの持つ裏の権力を使えば、水精達の住む場所を提供することは可能だろう。

 

 だが、“情”ではなく“益”によって動く彼女の態度を見て、“アーシャが水精達に何もしない”とはとても思えない。

 『契約の話をなかったことにする』との発言から、少なくともハイドラの動きを牽制するために利用されることは確実だった。

 

 アーシャは無言で(きびす)を返し、足元に複雑な紋様の魔法陣を輝かせると、フッといずこかへと姿を消す。おそらくは彼女の主が居るゼイドラムへと帰還したのだろう。

 慎重に気配と音を探り、“この場にアーシャが隠れていない”と判断できたところで、ブランは大きく溜息をついた。

 

「ハイドラ様、助かりました」

 

「いいえ。わたくしはわたくしのやりたいようにしたまでです。……では、帰りましょうか」

 

 言うと、ハイドラの周りに水しぶきが上がり、気がついた時にはそこには亡霊の女性はおらず、代わりに美しい水精の女性が現れていた。

 

「ハイ……いや、ロジェン様。何故その姿で? 幽霊の姿ならすぐに転移して帰れたのでは?」

 

 霊体系の魔物には転移能力がある。ロジェン1人ならば、瞬時にシュナイルに帰還できるのだ。

 にもかかわらず、水精の姿をとった彼女を疑問に思ってブランが問うと、ロジェンはきょとんとした表情で返した。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()あの娘(アーシャ)()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。きちんと、ヴィア様の元に送り届けるまでは安心できません」

 

 アーシャはブランよりも遥かに格上の戦士であり、さらには強力な魔術師でもある。

 もしロジェンが去った後に戻ってきて、ブランの意識を奪い、魔術で彼を洗脳するなんてことになれば、彼女はあまりに迂闊な自分自身を許すことができないだろう。

 

 ごく自然にそう言う彼女に「……ありがとうございます」と礼を言うと、ブランは思った。

 

(……シー殿たちが成仏できんのは、このお人柄が原因だろうなぁ……)

 

 ロジェンがかつての部下達を成仏させることができないのは、部下達がこの世にとどまる未練が()()()()()()()()()ということを理解できていないためだった。

 

 ロジェンは基本的に水精として生まれ変わった霊の生前の記憶を封じているが、彼女自身と、かつての部下である騎士たちは封じていない。

 ロジェン自身は、“自分には部下達全員が成仏するまで見守る義務がある”と考えているためだが、騎士たちは、彼らが封じられることを拒否したためであり……その理由は、ロジェンには告げていないが、“ロジェンのことが心配だったから”である。

 

 部下達のため、そして全くの赤の他人のために死してなお身を粉にして働くロジェン……そんな彼女を見て心配しない者が、彼女と友に命を懸けて討ち入りなどできるはずがない。

 

 騎士たちは水精として生まれ変わった後も、変わらず彼女を支え続け、ロジェン自身が成仏しない限り、彼女に寄り添うことだろう。

 そして、ロジェンもまた成仏できない部下達が心配で、いつまでたっても成仏できないことだろう。

 

(……ままならねぇなぁ)

 

 いざという時に迷宮を脱出し、ヴィアラガルデの危機をユークリッド王に連絡するため、特務部隊全員に渡されていた飛翔の耳飾り。

 それをヴォルクは自身の犬耳につけると、ロジェンの手を取り、地上へと転移する。

 

 脱出通路を抜けたブランは、透き通るように青い空を仰いで再び溜息をつき、そんな彼を不思議そうにロジェンは見ていた。

 

 

***

 

 

 コンコンコン

 

「……失礼します」

 

 主の入室許可が聞こえると同時、アーシャは丁寧に、だが素早くドアの内側へ身を滑らせた。

 彼女らしからぬ苛立ちが(にじ)む動きは、先程までのハイドラ達のやり取りが原因であり……それを見透かしたようにニヤニヤと笑う道化天使の姿を見て、その苛立ちは倍増した。

 

「いや~、怒ってるッスねぇ~。何か思い通りにいかないことでもあったんスか?」

 

「……あなたには関係ないことよ」

 

 軽く殺気が飛び交うその場を収めたのは、アーシャの主の声だった。

 

「2人とも、その物騒な殺気をしまって。あの子が起きちゃうでしょ? それとニア、アーシャをからかわないでちょうだい」

 

 道化姿の天使――ニアは、チラリと部屋の奥に設置されたベビーベッドへと視線をやると、肩をすくめて言った。

 

「はいはい。……それで、どうッスかね? 充分以上の成果だと思うんスけど?」

 

「……確かにね。“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。……まさか“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そういって、アーシャの主たる女性は腰まである長い金髪を揺らして首を振り、“頭が痛い”と言わんばかりにこめかみを指で押さえた。

 

 

 ――セリハウア・ヴァルヘルミア

 

 

 ユークリッド王国第二王女にしてゼイドラム第一王子の妻であり……そして、ユークリッド王から唯一特務部隊の管理を任せられた生粋の謀略家だ。

 

 ユークリッド第一王女 サラディーネは、前世において、最後にして唯一の家族である“水瀬(みなせ) 流河(るか)”を失って以来、復讐にその人生の全てを捧げてこの世を去った。

 その際に(つちか)われた政治的能力や非情な心構えは、今世のユークリッド王家でもいかんなく発揮され、それを見て育った妹たちは少なからず影響を受け……あの心優しいシルフィーヌですら、その腹に黒いものを抱えることになったほどである。

 

 

 しかし、実は最も彼女の影響を受けていた人物こそが、このセリハウアであった。

 

 

 サラディーネは、どこか非情に徹しきれない甘さがあるのだが、セリハウアにそれはない。

 非情に徹する才だけなら、ユークリッド王族の中で誰よりも抜きんでており……そんな彼女がサラディーネの背中を見て育った結果、サラディーネを超える謀略家が誕生してしまったのだった。

 

 ゼイドラムに輿入(こしい)れしたのも、間者から『ゼイドラムがユークリッドを制圧しようとしている』という情報を入手し、それを防ぐためである。

 あの姫騎士エステルですら、ゼイドラム王から命を受けた間者であり、アーシャは彼女のスパイ行為を妨害するために送り込まれた、ユークリッド側の間者であった。

 もっとも、エステルは、シルフィーヌにほだされてスパイ行為が大分中途半端になっていたようで、大したことはできていないようだったが。

 

 もちろん、夫であるリュファス・ヴァルヘルミアに対する愛情など、彼女には欠片も存在しない。

 にもかかわらず、“妾腹(しょうふく)の子である”というハンデを抱えながらも、見事リュファスの心を射止めて見せたのだから、恐ろしい。

 

 そんな彼女に、ある時、目の前の天使は突如として現れて、こう言った。

 

 

 ――『新しい宗教を布教したいんッスよ。“セリハウア様が良からぬことを考えてる”ってこと、黙っててあげますから考えてくれません?』

 

 

 (いわ)く、『自分が仕える地方神による宗教を立ち上げたい』、『そのために、宗教を広めても弾圧されないよう便宜(べんぎ)(はか)ってほしい』……ずいぶんとリスキーで図々しい願いだ。

 

 “地方神”とは言っているが、それが闇の勢力の神の別名であったり、魔物や古神(いにしえがみ)であったりする可能性は充分にある。

 そんな危険な宗教をはやらせれば、神罰が下る恐れだってある。政治に携わる者であれば、絶対に呑んではならない要求だ。

 

 だが、城の強固な魔術防御も潜り抜けて、あっさりセリハウアの寝室に転移できる力を持つ彼女の言葉を無視することはできない。

 ゼイドラムのユークリッド制圧計画を、セリハウアが内部から妨害しようとしていることをバラされるのもまずい。もしバレれば、それを理由にこれ幸いとゼイドラムはユークリッドを制圧するだろう。

 つまり、実質的にセリハウアに拒否権は存在しない。

 

 セリハウアは要求を聞くと、片手で口を覆って考え込む。

 この要求を拒否することは不可能だ。であるならば……

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

『……私は確かにリュファス王子の妻だけど、外様(とざま)である私にそこまでの権力は無いわ。もし叶えたいなら、条件をクリアしてもらわないと』

 

 そうして、セリハウアが要求した条件は2つ。

 

 ――セリハウアにとって都合の悪いゼイドラム貴族の排除

 ――絶対にセリハウアが怪しまれないようにことを成せ

 

 これは実質、不可能な要求である。

 

 彼女にとって不都合な貴族を次々と暗殺したら、たとえその証拠がなくとも彼女が疑われることは確実だ。

 そして、嫌疑がかかってしまえば、証拠なんてものはいくらでもでっち上げられてしまう。

 

 そうなれば、セリハウアに待っているのは死であり、セリハウアが死ねば、ニアの要求も実現されない。

 可能であればニアの要求を跳ね除け、もし交渉が結ばれてしまったなら、ニアがセリハウアの要求を適当にこなそうとすることを防ぐという2重の策であった。

 

 しかも彼女が挙げた“都合の悪い貴族”の中には、彼女の夫である勇者リュファスの名すらある。

 

 ニアぐらいの実力があれば別だが、まず普通の暗殺者はその実力からして彼を暗殺することなどできない。

 ニアが無理やり殺せば、真っ先に疑われるのは夫婦として同衾(どうきん)し、リュファスの油断を突くことができるセリハウアだ。

 仮に毒殺などのからめ手を使っても、毒見役をすり抜けられる立場であるセリハウアが疑われることは避けられない。

 

 だが、この条件をクリアしなければニアの要求が叶えられないのは純然たる事実。

 クリアせずに無理に叶えようとすれば、必ずこの“都合の悪い貴族”の中の誰かから妨害されてしまう。

 

 ニアもその事が分かったのだろう。

 彼女はその要求を聞いて(しば)し『う~ん』と(うな)りに唸って悩んだ後、『うあ~っ!』と頭を()きむしり……そして、ハッキリと言った。

 

『あ~……()()()()()()()()()。とりあえず、私が失敗しても絶対にセリハウア様に嫌疑がいかないようにはするんで、安心して待っててください』

 

 そうして、彼女達は呪術契約を交わした。

 契約の内容は、大まかにまとめると以下の通り。

 

 1.ニアは、セリハウアが挙げた人物すべてを殺害する。この際、セリハウアが疑われてはならない。

 2.条件1がクリアされた場合、セリハウアはニアの教徒を水面下で保護しなければならない。

 3.条件2はセリハウアだけでなく、セリハウアとリュファスの間にできた子や、その子孫すべてにおいても適用される。

 

 セリハウアだけでなくその子孫まで契約に含めたのは、ニアの希望だ。

 セリハウアが死んだ瞬間に“はい、おしまい”では困る。宗教を広めるため、可能な限り長く教徒を保護してもらわなければならない。

 

 子孫を“セリハウアとリュファスの間にできた者”と指定したのは、セリハウアの希望だ。

 曰く、『政敵(リュファス)との間にできた子供はどうなっても良いが、もし好きな人との間に子供が出来たら、その子にこんな呪いは背負わせたくない』とのことだった。

 

 血を分けた我が子に対するそのあまりな言い分に、ニアは思わず眉をひそめてしまったが、その呪いをかける本人である自分がどうこう言えることではない。

 リュファスの……ゼイドラム王家の血を引く子孫さえ契約を護ってくれれば、充分に教徒を保護してもらえるだろうから、契約内容としても言うことはない。

 ニアはモヤモヤとした思いを抱えながらも、契約を結んだ。

 

 それからしばらく経ったある日、突如としてセリハウアの目の前の空間に小さな穴が空き、彼女のみを覆う遮音結界が張られ、慌てたニアの声が穴の中から響いた。

 

『セリハウア様! リュファス以外の例の人達、今すぐ1ヶ所に集められるッスか!?』

 

『……いや、無茶を言わないでちょうだい。復活したっていう魔王との戦の真っ最中だから、戦える人はみんなリュファスと共に出て行っちゃってるし、それ以外の人は城のあちこちでてんてこまいよ』

 

 どこかからこっそり監視されていても全くおかしくない立場にいるセリハウアは、口元を手で覆いながら呆れたように答える。

 すると、慌てている様子は変わらないものの、ニアの声にハッキリと希望の色が混じった。

 

『城!? そっちに居る人は()()()()()()()()()!?』

 

『そうだけど『今すぐ、その城から脱出してください!』……なんでよ?』

 

 要領を得ないニアの言葉に眉をひそめながらセリハウアが問うと、ニアはとんでもないことを言い出した。

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()!』

 

 

 

 ……不自然に軌道を曲げた迷宮の魔王の魔力砲が城を吹き飛ばしたのは、セリハウアが供を(ともな)ってリュファスの戦勝を祈りに神殿に向かった直後の事であった。

 

 

 

 確かに、不都合な相手どころかセリハウアの味方になるであろう貴族までまとめてふっ飛ばしたことによって、彼女は一切疑われなかった。

 国を率いる者がまとめて消し飛んだことでパニックになった国民を見事にまとめ、落ち着かせ、鼓舞したことで、セリハウアがゼイドラムで広く認められるきっかけにもなった。

 

 だが……もう少しやり方は無かったのだろうか?

 

 ――おかげで城は地下にあった緊急用の脱出通路や倉庫以外はほぼ全壊

 ――仕事のノウハウを知る者が城にあった資料とともにまとめて消えたせいで、国の運営は生き残ったゼイドラム貴族とセリハウアの知識を基にした手探り

 ――住居もままならず、王子妃であるはずのセリハウアが、城ではなくヴァルヘルミア家の所有する屋敷に寝泊まりするざまだ

 

 ユークリッドやシュナイルと同盟を結び、両国が他国を牽制してくれているおかげで、他国から攻め込まれてこそいないものの、ぶっちゃけゼイドラムはボロボロだ。

 セリハウアはこれまでの苦労を思い出して、大きく溜息をついた。

 

 ちなみに、正直、戦場とはいえ魔王の仕業(しわざ)に見せかけてリュファス達を殺すのは至難とセリハウアは考えていたのだが、()けば「そんなに難しくなかったッスよ? 魔王と戦ってる最中に、こう……ぷすっと」とナイフで突く動作をして見せたニアに、“そういえば、コイツ空間に穴を開けて攻撃できるんだった”と納得したのは余談である。

 

「わかったわ。なるべく長く保護できるようにするから、そちらも可能な限りバレないようにしなさい」

 

「了解ッス! ありがとうございました~!」

 

 フッとその姿が消え去ると、セリハウアは思いっきり溜息をついた。

 

 ……疲れた。

 

 自分以上に常識外れな思考をする相手とのやり取りは、いかにおちゃらけていようとも決して気を抜けない。

 セリハウアにとっては、リュファスの心を(つか)む時以上に大変な相手であった。

 

「……セリハウア様」

 

 アーシャが声をかけると、セリハウアはリュファスにも見せたことのない自然で、愛情にあふれた微笑みを見せる。

 

「お疲れさま……ごめんなさい、嫌な役目を押しつけてしまって」

 

「いえ……セリィのためですから」

 

 主のはずの女性を愛称で呼んだアーシャから響いた声は、先程までの高い女性の声ではなく、低い男性の声だった。

 ばさり、と一息にメイド服が脱ぎ払われると、そこに居たのは、男性用の貴族服に(よそお)いが変わった、金髪で背の高い美男子であった。

 

「ヴィアラガルデの様子はどうだった? アルス」

 

「こちらと違って呑気(のんき)なものですよ。僕と違ってユークリッド王家の魔力も持っていないみたいですし……正直、僕も猫耳に生まれたかったですね」

 

「私と出会えなくても?」

 

「……やっぱり、こっちで」

 

 そう言って、アルスと呼ばれた男とセリハウアはクスクスと笑う。

 

 ユークリッド王が(はら)ませた猫獣人のメイドが迷宮でヴィアラガルデを出産した時、問題が発生した。

 

 

 ――彼女が生んだのは()()。しかも、片方が()()()()()()()()

 

 

 かつてヴィアがリウラに語ったように、異種族が結ばれた場合、基本的にはどちらかの種族になる確率が高い。

 今回の場合は猫獣人と人間が結ばれたため、双子がそれぞれの種族で生まれてしまったのだ。

 

 迷宮に住む人間族なんてこの近辺ではまずいない。この事実が知られれば、“何らかの事情によって迷宮に捨てられた”という推測からユークリッド王に辿(たど)り着く可能性も否定できない。

 ならば、人を隠すには人の中……彼だけは人間族の中で過ごさせなければならない。

 

 こうして、物心つく前にユークリッド第一王子アルスガルドと第四王女ヴィアラガルデは引き離され、その高い魔力のこともあり、アルスガルドは執事見習いとして、とある下級貴族の養子となった。

 

 その後、メキメキと実力を身につけた彼は、その有能な働きぶりが屋敷にやってきたセリハウアの目に留まり、スカウトされ、彼女の手足として特務部隊で働くようになり……やがて、セリハウアとの恋に落ちた。

 腹違いとはいえ、姉弟。ユークリッド貴族は一応、近親相姦が可能ではあるものの、避けるべきであるという風潮はあり、なによりアルスガルドは王族としての身分を隠している以上、下級貴族の身分的にセリハウアと結ばれることは、まずない。

 

 

 ――そこで、2人は一計を案じた

 

 

「……やっと、家族水入らずになれたわね」

 

 ()()()()()()()()()部屋で、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、セリハウアはアルスガルドへ感無量の想いで話しかける。

 

「うん……ようやく、夢が叶うんだね」

 

「ええ……“()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 2人は、ゼイドラムの王子リュファスを隠れみのに、子を成すことを思いついたのだ。

 

 ――まず、アルスガルドは女性化の魔法を使い、王宮メイド“アーシャ”として名を上げる……アナが男性化の魔法を使ったのだ。女性化の魔法だってきちんと存在する

 

 ――次に、セリハウアがアーシャを自分の傍付(そばつ)きに任命。これで、常に傍に居ても不自然でない状況を作る

 

 ――そして、セリハウアがリュファスを落として婚姻。性魔術でそうとは悟られないよう避妊を行う

 

 ――最後にリュファスが不在の深夜を狙ってアーシャが女性化を解き、セリハウアを孕ませる

 

 どちらもユークリッド直系の王族。生まれてくるのは完全にユークリッドの血を引いた子供だ。

 

 ――その子をセリハウアが『リュファスの子だ』と言い張ればどうなるか?

 

 ――その子をセリハウアにとって都合のいいように教育できればどうなるか?

 

 

 

 ……ゼイドラムは人知れずして、ユークリッド王族に支配されることになる。

 

 

 

 ――(……まぁ、ほとんど属国に近い立場からすれば、頼まれれば断れないよねぇ……)

 

 

 魔王を封印した時、とある勇者の1人が感じた認識は正しい。

 

 ユークリッドとゼイドラムは表向きこそ友好的であるものの、実質的にユークリッドはゼイドラムの属国に近い状態にある。

 この状態を改善するため、そしてアルスガルドと結ばれるため、セリハウアはこの計画を実行したのだった。

 

 懸念があるとすれば、唯一生き残った王族であるゼイドラム第二王女エステルだが……彼女は女性化を解いたアルスガルドが馬車の中で眠らせた彼女に性魔術を行い、“セリハウアの子をゼイドラムの王にするよう動け”と命じてある。

 少なくともエステルが存命の間は問題ないだろう。

 

 そして、ニアにとっては残念なことだろうが、彼女が結んだ契約はセリハウアの代で終わる。

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 悪魔と結ぶようなこの手の契約は、意味があるように見せかけて、本当は何の効力も無い契約を結び、悪魔にタダ働きしてもらうのが鉄則だ。

 残念ながらセリハウア自身は契約に縛られてしまったが、もともと“ユークリッドの間者である”という弱みを握られてしまっていたのだ。契約を結ぼうが結ぶまいが、大差はない。

 つまり、この契約のみに限って言えば、自らの手を汚さず不都合なゼイドラム貴族を排除できたセリハウアの1人勝ちであった。

 

 2人が互いの唇をむさぼり、身体を重ね合う。

 

 これからもアルスガルドが本来の姿で居られる時間は、ほんの(わず)かだろう。2人が普通の家庭を築くことなど無いだろうし、これ以上子をもうけることもできないだろう。

 

 

 ――それでも、愛する人とともに自分達の子を育てられる“今”を(つく)り上げた2人は、お互いへの愛と幸福感に満たされていた

 

 

***

 

 

「……とまあ、そんな訳でこっちはなんとか信仰を集める土台ができそうッス。なんかオマケで魔族含めた他種族国家ができて、そっちは現神を信仰していないんで、ティアマト様の迷惑にならない程度にそこにもウチの信仰を広めていこうとタタタタタタ痛い痛い痛い痛いッス~!! やめてやめてマジ痛いッスからやめて姉貴!?」

 

「ニア……どういうこと? 私、言ったよね? 『人に迷惑かけるな』って……それが、何? 王子妃様を脅して? ディアドラって人や王子妃様の(たくら)みを盗み聞きして、魔王を復活させる後押しをして? 復活した魔王を利用してお城の人を皆殺しにして? ……あなたはいつから悪魔になったのかな?」

 

「と、とりあえず、頭から手を離して姉貴! 頭が割れちゃうッス!」

 

「割れれば良いじゃない」

 

「!?」

 

 とある国のとある宿で、こめかみにでっかい青筋を浮かべた少女が、とても良い笑顔で愚妹(ぐまい)たる道化天使の少女の顔面にアイアンクローをかましていた。

 

 白い熊耳を生やした熊獣人(ヴェアベーア)のような容姿をしているが、背から立派な白い翼が生えているところを見るに、彼女もまたニアと同様に天使なのだろう。

 その細い指のどこにそんな力があるのか、魔神級の実力を持つはずのニアの頭蓋骨(ずがいこつ)がミシミシと不協和音を奏で、必死に逃れようとジタバタ暴れる彼女を完全に抑え込んでビクともしない。

 

 熊天使の少女が怒るのも無理はない。

 この道化天使は、生来備わった空間操作の技能を悪用し、あちこちの空間に穴をあけて盗み聞きをしては、自分の悪だくみに巻き込んで周囲に大迷惑をかけたというのだ。

 

 天使を父に、歪魔族を母に持つ彼女の空間操作は、熟練の魔術師でもそう簡単には気づけない。

 そこに、神殺しから教わったという気配遮断魔術を加えれば、例え魔神であろうとも彼女の盗み聞きに気づくことは困難。

 自らが魔王になろうとするディアドラの企みも、セリハウアがユークリッドの間者として動いていることも、全て筒抜けだった。

 

 余談だが、水蛇(サーペント)の一件があった直後に、ニアが真っ先にヴィア達に接触したのは、空間に穴をあけてセリハウアとアーシャの会話を盗み聞きし、ヴィアが廃棄された王女であることや、彼女の実母が魔王軍によって殺害されたことを知っていたからである。

 

 

 そのままたっぷり5分強はダメージを与えた少女がニアを解放すると、ニアは「おおおおおおおおお……」と頭を押さえてうずくまる。

 やがて、痛みが治まったのかニアが顔を上げると、熊天使の少女はピクリと眉を上げる。一見おちゃらけている妹の目に、明らかな不満の色が見られたからだ。

 

「何よ、言いたいことがあるなら言ってみなさい」

 

「……じゃあ、言わせてもらうけど、姉貴のやり方はまどろっこしいんだよ。いったい、姉貴のやり方でやってたら何千年かかるってんだ。リセルは魔神級の力を持つ魔導巧殻(まどうこうかく)を創ってたし、ソヨギは一級神とも余裕で戦える力を手に入れてた……なのに、私達の計画はどれだけ進んだんだ?」

 

「……」

 

 天使である父に注意されてから無理やり直した丁寧語が消えうせる。

 それは、そのまま彼女の深い怒りを表していた。

 

「『犠牲を出したくない』、『間違ったことをしたくない』……結構なことだな。まさに天使の(かがみ)だぜ。……で、姉貴と信者の地道な布教で、どれだけ成果が出たんだ? せっかく姉貴が規模を増やして作った組織が、現神の使い達に何度潰されたか覚えてないのか? 今の信者たちが石を投げられている姿を見て、姉貴は何とも思わないのかよ?」

 

 ニアの手が少女の胸倉(むなぐら)をつかんで引き寄せる。

 ニアは冷たい怒りを宿した紅い眼で、少女の青い眼を覗き込んで言った。

 

「……姉貴のやり方は生ぬるいんだよ。今、重要なのはスピードだ。多少の犠牲は出しても、多少の手段は選ばなくても、とにかく前に進む。それが、未来の多くの人達を救うんだ……私の言ってること、間違ってるか? ……答えろ、ベア」

 

 ニアとて“魔王をわざと復活させる”なんて、リスキーかつ悪質な行為はしたくはなかった。

 

 しかし、それも全ては“信者が迫害されない国”を創るため……自分を、姉を慕い、信じ、ついて来てくれる信者たちが、最低でも不幸にはならない場所を用意したいが為であった。

 だからこそ、わざとリリィを苦難に()わせ、ディアドラが魔王を復活させるための魔力タンクとして成長させたのだ。

 

 彼女は必死だった。

 

 リリィがシルフィーヌと交渉することになり、彼女の魔力を奪わなかったどころか、逆に不利になっていることがその表情からありありと分かったとき……“シルフィーヌとの交渉をうやむやにして、和解させないようにしよう”、“リリィを成長させよう”と焦るあまり、彼女は、迷宮の深層にいた魔神ラテンニールを強引に空間転移で無理やり転送してまでリリィにぶつけた。

 

 そうでもしなければ、魔神級の力を持っていると分かるセシルがリリィを補佐する以上、勝負にならないと分かっていたからだ。

 “もしリリィが殺されそうになったら、空間転移で逃がせばいい”と考え、分不相応な相手をぶつけた。それほどまでに、彼女の精神は追い詰められていたのである。

 

 ところが、セシルは空間迷彩を施したニアを見つけるほどに、いつの間にか成長しており、警戒されたニアはセシルと戦うことになってしまった。

 いざとなったらリリィを逃がさなければならないため、その場を離れられず、しかしセシルは自分と戦っているため、リリィを援護できず、さらには空間操作能力を封じられてリリィが死にかける……と、あの時は本当にどうしようもないほどニアは追い詰められていた。

 

 余談だが、本当に何もかもニアの思い通りに行った場合、成長したリリィの魔力を使ってディアドラが魔王の封印を解いたところをシルフィーヌ達に目撃させたうえで、シルフィーヌ達を空間転移で逃がし、すぐにディアドラを殺害。

 魂の無い魔王の肉体を操ってゼイドラムへ侵攻させ、セリハウアが指定した人物たちを消すつもりであった。

 

 こうすれば、ディアドラに全ての罪をなすりつけた上で、セリハウアの条件をクリアできる。

 うまくいけば、でくのぼうの魔王の肉体をニアがゼイドラム国民の前で片づけることにより、ニアの宗教を広める土台までできるはずだった。

 

 熊天使の少女ベア――本名ベアトリクスは無言で、自分の胸倉をつかむニアの手を右手で掴む。

 ニアは全魔力を解放して、引きはがそうとするその手に抗った。

 

 姉のことは尊敬しているが、綺麗ごとばかりでは世の中は回らない。そのことを理解してもらうまではこの手を離さない、そう決意を込めて。

 

 ……しかし、

 

「ッ!?」

 

 ベアがまったく魔力強化を行っていないにも関わらず、1本1本、ゆっくりとニアの指が強制的に開かされてゆく。

 

 素の膂力(りょりょく)は確かにベアの方が上だ。父譲りの怪力を持つベアは、母似であるニアの何倍もの力を持つ。

 だが、流石に魔力で全力強化すれば、ベア自身も強化しない限り余裕で勝てる。有り得ない事象を見て唖然(あぜん)とするニアに、ベアは静かに言った。

 

「なぜ私にこんなことができるか分かる? ニア。……みんなが、私の事を信じてくれているからよ」

 

「信じ……?」

 

「私は決してみんなを見捨てない。私は決して人を騙さない。私は誰も裏切らない。人と向き合う時は誠実に。決して改宗を強要せず、その人の自由意思を尊重し、その上で地道に私達の……古神を祭る宗教を信じてもらってきた」

 

「それが、とても遅く、遠回りな道であることは認めるわ。異端である以上、ちょっとデマを流されるだけで壊れるような(もろ)いものであることも認める。私が未熟なせいで、信者のみんなに苦労をかけていることも、他の宗教に攻撃されて助けられなかった人たちがいることも認める」

 

「でも……だからこそ、一度信じてもらったら、強い……他の御利益(ごりやく)信仰なんか比べ物にならないくらい。ただ神の教えを広めている“使い”でしかない私が、ここまでの信仰を得られるほどに」

 

 確かに、ニアのやり方は早い。多くの人の犠牲を許容できるからこそ、計画を早く進められることは(まぎ)れもない事実であり、早急に計画を進めなければ間に合わないことは多々ある。

 だが、同時にそれはとても脆いものでもあるのだ。簡単に人を犠牲する者を、人は信用しない。なぜなら、そこには必ず“自分も切り捨てられるのではないか”という疑念がついて回るからだ。

 

 ニアとベアは最終的には古神を旗印に、現神と戦わなければならない。

 その時にそんな脆い信仰心では、ディル=リフィーナ創世期……古神と現神が戦った時のように、“目に見える御利益”という餌をちらつかされるだけで人間の信仰が容易く古神から現神へと流れ、敗北を(きっ)することが目に見えていた。

 

 だからこそ、ベアは誠実に主の愛と教えを伝え、古神と現神の真実を訴えてきた。

 どんな罵倒にも耐えて何百年、何千年と教えを広め続けてきた。

 

 御利益なんてものは(ほとん)ど無い。信仰によって得られるものは、“如何(いか)に主が自分達を愛しているか”、“どのように生き、何のために生きるのか”という教えのみ。

 何の見返りもないからこそ、本当に強い心、強い信仰を持つ者が信じてくれる。嘘を全く言わないからこそ、一度信じてさえもらえれば“この天使は、この教えは信頼できる”という確信を持ってくれる。

 

 その信仰の質、それこそが今のベアの力となっている。

 神の教えを告げる天使でしかない彼女すら信仰の影響を受け、ベアを一段上の存在へと押し上げるほどに、信者たちの信じる力が強力である証であり……いつか現神と戦う時に、旗頭となる古神達の底力となるものであった。

 

 

 ――効率ばかり追い求めていたニアでは、決して得られない信仰……それを彼女は証明していた

 

 

 呆然とするニアに、ベアは言う。

 

「ニア、思い出して。私達が立ち上がったのは、現神に食い物にされる人間達を見ていられなかったからではなかったの? ……その私達が護るべき人間達を、共にあるべき魔族達を、私達が食い物にしてどうするの」

 

 今、現神が人間族を重視しているのは、その信仰心の高さが理由だ。

 他の種族と比べても突出して高い信仰心を持つ彼らは、他者の信仰心を自身の力とする神族にとって非常に重要な存在……だからこそ、現神達は異世界(イアス=ステリナ)の種族であるはずの彼らを繁栄させ、信仰を要求し、その対価として彼らに加護という名の魔力を与えている。

 

 

 

 ――しかし、その状況は……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 信仰とは、何らかの対価によって、得られるものだっただろうか?

 加護とは、何らかの対価によって、与えられるものだっただろうか?

 

 

 ニアもベアも、さらには彼女達の父や母も、直接の(あるじ)である“(しゅ)”と会ったことはない。だから、主がどのように考えているかも良く分からない。

 それでも、彼女達は“違う”と感じた。

 

 神も、その使いである天使も、人間を見守る存在であるべきだ。

 人間は神に縛られるべきではない。自由であるべきであり、その自由な行動によって起きた出来事に対する責任も負うべきである。決して“信仰”欲しさに彼らの行動を縛ってはならない。

 

 もし、人間の中に“より多くの人をより幸福にしよう”と動く者が現れた時、その人にこそ大きな加護を与えるべきである。

 その人物の心根(こころね)も動機も問わず、ただ“信仰をくれるから”、“自分に都合がいいように動いてくれるから”という理由で与えるものではない。

 

 神と人とは()()ではない。だが、()()であるべきだ。

 

 立場も価値観も能力も……存在の何もかもが異なれど、1個の存在として互いに敬意を持って接しあうべき存在だ。

 そして、過去の地球(イアス=ステリナ)の神々は、そのように世界を治めてきた。

 

 だからこそ、現神が人を家畜のように扱う現状も、人がそれを当然のように感じている状況も、彼女達は許せない。

 

「私達は、シュウヤさん達が、人間達が居たからこそ生まれることができた。シュウヤさんがメヒーシャさんに認められて加護を受けて、悪魔達と戦って和解して、共にクリエイター達を操るミヤハラを倒して……人間と、天使と、悪魔が共に暮らせるようになったからこそ、父様とヴァフマー母様、エルンスト義母様は結ばれて、私達は姉妹としてここに居る」

 

「その恩を返して、再び人間に、シュウヤさん達がいた頃のように自立してもらうために……人間と天使と悪魔が対等に尊敬しあっていた時代を再びよみがえらせるために、私達は頑張っている」

 

「だから、尊敬すべき人間を、悪魔を、どんな理由があろうとも私達の都合で食い物してはダメなの。それを……分かって欲しい」

 

「……」

 

 呆然としたままのニアからの返答はない。

 しかし、反論が無いということは、おそらく何か心に響くものがあったのだろう。願わくば、自分の想いのほんの少しでも伝わっていてほしい、とベアは祈った。

 

「……他に、報告すべきことはある?」

 

 その声で我を取り戻したニアは、きまり悪そうに視線を()らしながら、妙な丁寧語を復活させて言った。

 

「……え、え~っと……ああ、そうそう! シュウヤさんとメヒーシャさんの子孫っぽい方を見つけたッスよ! ブリジットさんって方なんすけど――」

 

「それ、本当!?」

 

 ベアトリクスは喰い気味に、そして嬉しそうにニアに問う。

 

 1万年以上経っている上に、ディル=リフィーナ創世期の戦争で亡くなったり、行方不明になったりしてしまったため、今や、当時の友人や知り合いのほとんどが死に絶え、子孫の行方もわからなくなっていた。

 なので、“友人の子孫が見つかった”という事実は、彼女達の目的云々をよそにしても、単純に喜ばしかった。

 

 特に天使メヒーシャと契約して英雄となった人間の青年 シュウヤは、ニアやベアトリクスが幼い頃からの付き合いで、とりわけ思い入れが強い。

 

 その思い入れの強さは、古神アストライアと人間族の青年であったセリカの仲睦まじさに、かつてのメヒーシャとシュウヤを重ね、セリカが現神の神官戦士であったにもかかわらず、ついつい彼らに力を貸してしまったほどである。

 ソヨギと出会ったのはこの頃で、時に炎狐(サエラブ)の姿で、時に少女の姿でセリカとアストライアに挟まれていた彼女は、とても幸せそうで可愛らしいものだった。

 

 しかし、そのセリカは現神に操られ、アストライアと殺し合わされ、セリカの肉体はアストライアの“聖なる裁きの炎”によって滅び、アストライアは彼に生きてもらうために、自身の肉体を彼に譲り渡した。

 ニアは、その悲劇を止めることができなかった自らの至らなさを悔い、極限まで精気を消耗したアストライアの肉体に宿るセリカを救うため自身の精気を分け与え、以来、彼がレウィニア神権国に居を構えて落ち着けるようになるまで、彼を支え続けてきた。

 

 セリカが“古神の肉体を奪った神殺し”と呼ばれているにもかかわらず、古神を守護するニアと彼の仲が良いのは、このことが原因だ。

 セリカと旅する中で彼から教わった気配遮断魔術も、実は最初はそこまで高度なものではなかった。

 

 ――現神からは“古神の肉体を持っているために”

 ――古神からは“同朋殺しとして”

 ――そして魔神からは“身体を奪い、力を手に入れるために”

 

 世界中からその命を、身体を狙われ続けている彼の力となるよう、セリカの術式を基にニアが長い年月をかけて工夫と開発を重ねた贖罪の結晶だったのである。

 

 強力な女神の肉体に無理やり脆弱な人間の魂が押し込まれた弊害か、狂気に陥ることはなかったものの、セリカは重度の記憶障害を患っており、いつしか改良された術式をニアから教わった事実を忘れてしまい……ある時、自身と全く同じ気配遮断魔術をニアが使った際、『どこで教わったのか?』と何気なくニアに訊いてしまった。

 

 そして、訊かれたニアはこう答えた。

 

 

 

 ――『何を言ってるんス? これ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 もし『自分が改良してセリカに教えた』と伝えてしまえば、例え“ニアの至らなさが招いた悲劇を尻拭いするため”という理由があったとしても、セリカは自分に感謝してしまう……彼は、そういう人物だ。

 

 

 だから、ニアは彼のために行った全てを、彼の記憶が失われるがままに無かったことにした。

 

 

 おそらくソヨギはセリカからこの魔術の事を聞いたのだろう。だから、彼女は“セリカがニアに教えた”と認識していたのだ。

 

 シュウヤの話をしたことで、ついセリカとのことまで思い出してしまい、暗く悲しい気持ちになってしまったニアは、自分の気持ちを誤魔化すように無理やり口を動かして話を続ける。

 

「ええ、まあ……。“絆を結んだ相手を強化する”なんて特殊すぎる(レアな)異能が、そこらに有るとは思えないッスからね。……どっかの世代で堕天しちゃったのか、完全に魔族になってたから、こっちの味方にはなってくれそうにないし、おまけに異能そのものも見る影もなく劣化してたから、シュウヤさんみたいなチート戦力にもなってはくれないと思うッスけど」

 

 シュウヤの異能は凄まじかった。

 性別年齢種族、あらゆる条件を問わず、とにかく()()()()()()()()()()、味方を大幅に強化することができた。

 

 しかし、ブリジットが味方を強化するためには、“ただ仲良くなる”だけではダメで、対象と性魔術を行う必要がある。

 

 ぶっちゃけ、“特殊な条件が必要な性魔術”と言われれば、否定のしようがないし、おそらく彼女の代々の先祖たちも、“何故か、ウチの家系は性魔術の強化幅が大きいな?”程度の認識だっただろう。

 だからこそ、“彼女の家系が異能持ちである”という事実が発覚しなかったのだ。ひょっとしたら、ブリジットの代で発現した隔世遺伝の可能性すらある。

 

 これだけでも相当な劣化だが、さらに血液を操る能力も、それを用いて軍勢をコピーする能力も完全に失われていた。

 シュウヤのような、化け物じみた活躍は望めないだろう。

 

 ……まあ、そもそも、あのブリジットが魔王以外の言うことを聞くとは思えないので、ニア達の味方になってくれるはずもないのだが。

 

「いいよ、そんなの。“あの2人の子孫がまだ生きてる”って知れただけでも嬉しい! 今度、紹介してよ!」

 

「わ、わかったッス」

 

 先程とうってかわって嬉しそうな姉の様子に、ややたじろぎながら、ニアは報告を続ける。

 

「あ! あと、あの迷宮に巣くって好き勝手してた魔神をソヨギさんに紹介して、魔神の神核だけソヨギさんに喰われる前に回収したッス。いや~、これだけは計画通りにいって本当によかっ……………………?」

 

 

 ――アレ?

 

 

 ニアが宙に開けた空間の穴に手を突っ込むも……手応えが無い。

 労せずして手に入れたはずの、シズク(ソヨギの娘)を放り込んでまで隙を作って奪ったはずの……弱った古神の力を取り戻させる食料(パワーアップアイテム)が。

 

「あ、あれ? た、確かここに入れたはずなのに……ど、どこに行ったッス!?」

 

 ニアは必死になって空間ポケットの中を探し、ポイポイと中に入っていた物品を外に放り出すが、出てくるのは神核とは関係のないものばかり。

 何があったか薄々察したベアは、眉をハの字にして妹を憐れむことしかできなかった。

 

「と、盗られたッス~~~~~っ!!!?」

 

 

***

 

 

 ガリッ……

 

 ニアが奪われた魔神の神核……迷宮で一度ニアに横からかっさらわれたそれを、いつの間にかあっさりと奪い返していたソヨギは、とある緑豊かな草原に座り、ぼうっと空を眺めながらかじっていた。

 

 悲鳴は聞こえない。

 神核に収められていた魂は、いつの間にか彼女の肩を()っていた青虫の中に放り込んだからである。

 

 魔神に対する容赦はないつもりだが、先の古神ティアマトの一件から、“あえて苦しませる必要もないだろう”と気配りを見せたのだ……ソヨギがシズクの元を離れてから、こんなことをしたのは初めてであった。

 

 青虫は彼女の肩でその身を起こし、うねうねと動いて彼女に何事かを訴えている。

 常人では分からぬだろうが、ソヨギには青虫が発する魔力の色や音から、何を訴えているのがハッキリとわかった。

 今も己が神核を喰らうソヨギに対する文句と(いきどお)り……ではない。

 

 

 ――なんと、この青虫……ことも有ろうに青虫の分際(ぶんざい)でソヨギを口説(くど)いていた

 

 

『美しい狐の少女よ、私の伴侶(はんりょ)になって欲しい』

 

 ニュアンスとしてはこんな感じだろうか。

 ソヨギは神核をかじる口を止めると、横目で青虫となってしまった元魔神へと視線を向ける。

 

「……あなたは、どうしてそんなことが言えるの? 私は貴方と貴方の女たちを皆殺しにしたのよ? 普通なら“私を殺してやりたい”と思うはずでしょ?」

 

 ソヨギは不思議だった。

 

 彼から感じられる怒りや憎しみの感情は非常に薄い。決して無いわけではないのだが、割り切っていることがハッキリと分かる。

 ソヨギであれば決して耐えられない。かつて義母(サティア)を失った時のように、復讐せずにはいられないほど憎しみに身を焦がすはずだ。

 

 しかし、青虫はハッキリと首を横に振った。

 

『たしかに、そなたに対する憎しみが無いとは言わん。我が妻たちを失った悲しみも未だ癒えぬ……だが、これはいつか来る終わりが今来ただけのこと。それだけだ』

 

「理不尽だ、とは思わないの?」

 

 ソヨギが問うと、青虫は不思議そうに首を(ひね)る。

 

『そなたの言う“理不尽”というものが余には理解できん。逆に問うが、そなたは自分の大切な者が、飢えを満たすために喰われた時、それを“理不尽”だと感じるのか?』

 

「それは……」

 

 ソヨギは口ごもる。

 ややあって、言葉を探すように話し始めた。

 

「それは理不尽とは言えないかもしれないけど……別の……例えば、必要も無いのに傷つけられたり、悪意を持って殺されたりしたら理不尽だとは思う」

 

『“その者にとって必要であるか否か”が“理不尽である”ということか? 目的が変われば、あるいは善意で傷つけられれば理不尽ではないのか?』

 

「……」

 

 再び黙り込むソヨギ。

 その眼が苦悩に染まっているのを見て、青虫は“少しでも参考になれば”と自分の経験と価値観を語る。

 

『余は元々は小さな虫であった。何十匹もいる虫の中の1匹で、その日の餌を得ることだけに専心して生きていた』

 

 それを聞いて、ソヨギは青虫の本来の魔神の姿を思い出す。

 上半身は人間の男性の姿をしていたが、下半身は確かに昆虫のような姿をしていた。

 

『それがたまたま精気に満ちた餌にありつけ、他の兄弟よりも長生きし、更に強く精気に満ちた餌を食べられるようになり……やがてそれを繰り返すうちに魔神と呼ばれるに相応(ふさわ)しい力を得た。だが、その間、余は常に自分よりも強く恐ろしい者達、自分を喰らうであろう者達を恐れ続けていた。余は弱者であったからこそ、この世界が弱肉強食の(ことわり)で成り立っていることを良く知っている』

 

「……」

 

『だから、余にとっては、余がより強い者に喰われることは覚悟して生きていた。大切な者が喰われることも覚悟していた。だから、そなたを恨むことはできん。そなたもまた余と同じ弱肉強食の理の中で生きる者なのだから』

 

 ソヨギは長い沈黙ののち、振り絞るようにかすれた声で訊いた。

 

「私……間違ってたのかな……? 私は、みんなが幸せに、平和に暮らせる世界が正しいって思って……でも、私がしていたことは、貴方が言うように強さにものを言わせて、弱い人達を自分の思うようにすることで……結局、私も、私が嫌いな人たちと同じことをしていて……」

 

 子供が泣きすがるようなその響きに、青虫は首を横に振った。

 

『それは、余には分からん』

 

「……え?」

 

 その返答に、ソヨギは目を見開く。

 てっきり、『間違っている』と否定されると思っていたのだ。

 

『これは、()()()()()()()()()()。我が妻たちが様々な考え方を持っていたように、そなたにもそなたの考えがあるのだろう。そして、これは経験則だが、そなたが納得できる答えは、そなたの中にしかない』

 

「私の、中……? でも、私は、自分が間違っていたかもしれなくて……」

 

『そなたがそう感じるのなら、そうなのだろう。そして、余には分からんが“平和な世界こそ正しい”と感じていたのも事実なのだろう。ならば、そのどこか……考え方か、方法がそなたの納得できないものであるか、あるいは知識や経験と言った何かが不足して、納得できないものしか思い浮かべることができないでいるのだろう。そなたは、それを今探っているだけだ』

 

「私に、足りないもの……」

 

 ソヨギは青い青い空を見上げて、ぼんやりと考える。

 今の自分に足りないものは何だろうか、と。

 

「……」

 

 ややあって、彼女は再び肩に乗る青虫に視線を戻す。

 

「?」

 

 彼女の視線に、青虫は体幹をひねって、器用に首をかしげる。

 その意外にも可愛らしい姿に、ソヨギはほんの少し笑顔をこぼした。

 

『む? 迷いは晴れたのか?』

 

「ええ。……私は、たぶん心のどこかで“きっと他の人も私と同じように考えているに違いない”、“こうされたら、こう感じるに違いない”って考えていたんだと思う。そんな訳、あるはずないのにね」

 

 もし、ソヨギがティアマトの立場であったなら、自らを殺そうとした相手を愛するなど思いつきすらしないだろう。

 今、ソヨギの肩に乗っているこの青虫のように、“自分も伴侶も皆殺しにされたが、それはいつか来る終わりが今来ただけだ”なんて割り切ることだって、彼女には不可能だ。

 

 世界にはそのように、彼女の知らない価値観で溢れている。

 しかし、彼女はそれを理解しているつもりで、まるで理解できていなかった。“自分を、大切な人を傷つけられたら、あるいは殺されたら、怒り、恨むはずだ”、と思い込んでいた。

 

 そう、彼女は本当の意味で他人を認識していなかった。心のどこかで、他人をまるで自分のコピーであるかのように考えていたのである。

 だからこそ、自分と全く異なる感じ方、考え方をするティアマトや青虫の価値観を知り、ショックを受けたのだ。

 

 そんな自分が神になったところで、世界中の人々を幸せにできる訳がない。

 人の気持ちを理解できない者に神たる資格はないのだ。

 

 

 ――なら、

 

 

「少し、世界を旅してみようと思う。今度は武者修行じゃなく、人々の営みを見て、話を聞いて、一緒に暮らして……いろんな価値観を勉強してみる。結論を出すのは、その後でも遅くはないと、今ならそう思える。たぶんシズクも……私の娘もそれを喜んでくれると思う」

 

 ソヨギは立ち上がると、青虫に微笑みかける。

 

「貴方も一緒に来る? 行く先々で、私とは全然違う貴方の価値観を聞かせてもらえるとありがたいわ」

 

『もちろんだ。未だ余はそなたの心を手に入れていないからな』

 

「そう……これからよろしく」

 

『モーヌだ』

 

「え?」

 

 きょとんとするソヨギに、小さな小さな青虫は、その矮躯(わいく)に見合わぬ堂々とした態度で名乗った。

 

『魔王モーヌ、それが余の名である。そなたの名は?』

 

「……ソヨギよ」

 

『よろしく頼む、ソヨギ。……ああ、そうだ。一言言っておこう』

 

「?」

 

 青虫はグッと胸を張るように頭を上げて、ハッキリと宣言した。

 

『余は人妻でも全く構わん。遠慮なく余の寵愛(ちょうあい)を受けるが良い………………なぜ笑う?』

 

「……ふふっ……! あははっあははははっ、ご、ごめん……っ! だ、だって、ま、間が抜けてるのに可愛くて……っ!」

 

 歩み始めた狐耳の少女の姿と楽しそうな笑い声……柔らかな風が流れると、その風に流されるかのようにそれらは消え去った。

 

 

 

 ――2人の旅は、まだ始まったばかり

 

 

 

 



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最終章 水精リウラと睡魔のリリィ 後編

 ――再び時間は現在に戻る

 

 ザルツ城の地下にある塩の大神殿。

 旧:古神(いにしえがみ)ティアマト……現:塩の(かんなぎ)の住まう神殿だ。

 

 現神(うつつかみ)に姿を(さら)すことのないこの場所にて、彼女はシュナイルの民を守護してくれている。

 自分の命の恩人であるリウラ達への恩返しとして、そして自らの子である神々が愛したという人々を知り、見守るため、セシル達の願いを聞いてくれたのだった。

 

 数多の神々の親であった彼女の加護は凄まじく、家内安全、学業成就、商売繁盛、勝利、成功、安産・子宝となんでもござれ。

 1つ1つの効果はささやかなものに留めているが、種類はまさしく加護のバーゲンセールであり、シュナイルの発展に凄まじく貢献していた。

 

 

 ――そして今、彼女は1人の恩人の願いを叶え終わったところだった。

 

 

「よく来たな、リリィ、リウラ」

 

「お久しぶりです、塩の巫様」

 

「こんにちは~!」

 

 朗らかに挨拶する2人に優雅に微笑むと、塩の巫は背後に振り返り、子をあやすように柔らかな声で促した。

 

「……さあ、どうした? 私の陰に隠れずに、立派になったそなたの姿を見せると良い」

 

「……」

 

 おずおずと塩の巫の背後から現れる、人形のように小さな影……それは、リリィの(つるぎ)にして鎧たる魔導機神ツェシュテルであった。

 

 しかし、その様相は以前と少し異なり、以前はどこか作り物めいていた肌が、生気溢れるみずみずしい少女のものに変わっている。

 髪と瞳の色も変わっており、紫銀の長髪と黄金の瞳は、共に眼の覚めるような美しい翡翠色へと変わっていた。

 

 そして何より、彼女から感じる気配。

 魔神の肉体の一部を材料として(つく)られていた彼女は、以前は明確に“魔”の気配を放っていたが……今は神々しいまでの神気を放っていた。

 

「わぁ~っ! 可愛い~っ!」

 

「……」

 

 無邪気に喜ぶリウラの言葉に、ツェシュテルは(わず)かに頬を赤く染める。

 

 

 ――ツェシュテルはソヨギとの戦いの際、明確に自身の力不足を感じていた

 

 

 決して彼女がリリィの役に立たなかったわけではない。追い詰められたときだって、黎明機関(れいめいきかん)という切り札を残していた。

 だが、“あの時、凄まじい勢いで成長するリリィに相応(ふさわ)しい武器であれたか?”と自問した彼女は、どうしても首を縦に振ることはできなかった。

 

 “もし自分にもっと力があったら、自分の主(リリィ)はソヨギに押し勝っていたのではないか?”……あの次元違いの戦闘を見て、彼女はそう思わずにはいられなかった。

 それは、自らを兵器と自覚するツェシュテルにとって、とても重い悩みとなった。

 

 創造物たる彼女が強くなるには、セシルによる改造が必須だ。いくら材料に生物が使われ、精霊としての精神を持つ彼女であろうと、例外ではない。

 妙な鍛え方をして魔力のバランスが崩れでもしたら、自身の限界を超えた魔力を保有するための制御板が誤作動を起こして自爆してしまうかもしれない。

 

 そんな彼女は、自らの創造主たるセシルと、血の一滴からでも魔神級の生物を創造できるティアマトに嘆願した。

 

 

『私……もっと、強くなりたい。強くなれる自分になりたい! リリィに相応しい(つるぎ)であるために……!』

 

 

 ツェシュテルが求めたのは、自分で自分を鍛える力と成長できる肉体。

 

 主の常軌を逸した学習能力についていける自信は無い。だが、それでも常に主に相応しい自分でいたい。リリィにとって最高の剣でありたい。

 そんな彼女の健気な願いに、セシルもティアマトも快く応えた。セシルによるツェシュテルの改造案を基に、ティアマトが自らの血を分け与え、“そのような機能を持った神”へと生まれ変わらせたのだ。

 

「な、なんとか言いなさいよ……」

 

 ジッと自分を見つめるリリィの視線に、期待と、それ以上の不安を感じながらツェシュテルは言う。

 リリィは笑顔で利き手である右手を差し出して、ツェシュテルが一番欲しい言葉を告げた。

 

「おいで、私の(つるぎ)

 

「っ!」

 

 ツェシュテルは一瞬瞳を揺らすと、微笑んでその身からまばゆい光を放ちながら瞬時にその姿を変え、リリィの手へと納まった。

 

 

 ――透き通るような翡翠色の刀身の剣

 

 

 継ぎ目は見えないが、握っているリリィには分かる……これはリリィが最も得意とする連接剣だ。

 (つば)に刻印された紅いサソリの紋章と、(つか)から伝わってくる魔力から、例え生まれ変わろうともルクスリアの魅了能力やツェシュテルの黎明機関の力は失われていないことがわかる。

 

 ごく自然に極限集中状態に入ったリリィは、明確に“断つ”という意識を持ってツェシュテルをその場で振り下ろす。

 

 

 イィンッ――!

 

 

 耳鳴りのような音とともに、ツェシュテルの刀身が通過した空間が裂ける。

 

「……」

 

 リリィは音もなく閉じる空間をじっと眺めた後、その視線を翡翠色の刀身へと移して言った。

 

「……本当に、私が貴女(あなた)の主でいいの? この力……私の勝手な思い込みかもしれないけど、例え()の神殺しが握っていようとも全くおかしくない絶大なものよ? あなたは『自分の心が私を選んだ』と言ってくれたけど、私以上に強い人も、私以上に貴女をうまく使える人も探せばきっと見つかると思うわ」

 

 リリィはツェシュテルを握った時から感じていた……“()()()()()()()()()()()()()()()”、と。

 

 その威力はまさに壮絶。例え神々が握っていようとも全くおかしくない絶大な切れ味と、手に吸い付くような扱いやすさ。そして(みなぎ)る魔神級の魔力。

 これならば、多少格上の相手が敵であろうとも、彼女を握っただけでその持ち主は勝利を収めることができるだろう。

 

 そして、世の中にはリリィなど軽く蹴散らせる化け物だって存在する。リリィが挙げた神殺しなどはその筆頭だ。

 仮に彼がツェシュテルを扱えば、リリィのように様々な形態で彼女を扱うことはできないものの、リリィなど足元にも及ばぬ変幻自在の剣技で並み居る魔神をなぎ倒すことだろう。

 

 翡翠の連接剣が再び輝き、宙に浮かぶ小人の姿に戻ると、彼女はキッとまなじりを吊り上げて言った。

 

「良いに決まってるでしょ? この私が私自身の意思でアンタを選んだのよ? 『ふさわしくないんじゃないか?』なんて情けないこと言ってんじゃないわよ。私のご主人様なら堂々と胸を張ってなさい」

 

「でも……」

 

「……確かに、アンタを選んだ理由の1つは“私の心が選んだから”……極端に言って“勘”ってのは嘘じゃないわ。でも、それだけじゃない」

 

「?」

 

 ツェシュテルはその視線を背後……ティアマトの隣でこちらを見て微笑ましそうにしているセシルへと移して言った。

 

「私は、昔……ただの土精(つちせい)でしかなかった時、セシルの……母さんの願いに応じて魔導機神になることを了承したわ。……『この力を使って、大切な誰かを護って欲しい』ってね」

 

「大切な……()()?」

 

 リリィは首をかしげると、ツェシュテルは肩をすくめた。

 

「それは私にもわからなかった。当時の私は、母さんの周りの人か、あるいは母さんが創る魔導機神たちが現神を倒した後の世界中の人々かと思っていたけど……今なら、なんとなくわかる」

 

 ツェシュテルはリリィの瞳を強く見据えて言う。

 

「きっと、母さんは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と思う」

 

「母さんは別に“現神を強制的に排除しよう”とは考えていないわ。現神の支配を跳ね除けて、人々が完全な自由を得るために神の力を必要としたの」

 

「そして、その力はあくまで“大切なものの自由と平和を守るため”でなければならない……だからこそ、その力を振るう者として、大地に生きるものを慈しみ、育み、護る傾向を持つ土精(わたしたち)が選ばれた……今思えば、母さんが仮マスターに選んでくれた人は、みんな“大切な誰かを護るため”に私を使ってくれていたと思う」

 

 魔導機神は、神々を含めたあらゆる脅威に対抗して平和を築くために創られた兵器だ。

 だから、魔導機神は決して唯の意思なき人形であってはならない。もし何らかの理由で彼ら彼女らが心ない者に支配されてしまったら、これまで以上に悲惨な光景が生まれるからだ。

 

 そして同時に、魔導機神は“誰かを大切に想う気持ち”を知っていなければならない。

 そうでなければ、かつてのセシルのように“誰かの犠牲の上に成り立つ理想”を肯定してしまうからだ。

 

 だからこそ、セシルは“守護”の傾向を持つ土精であるツェシュテルをその力の持ち主に選び、彼女自身に“護りたいもの”を探させた。

 リューナ達の願いを聞いてわざわざ戦闘の真っただ中に首を突っ込み、仮のマスターを選ばせて“大切なものを護る戦い”を経験させた。

 

 

 ――それこそが、ツェシュテルの“大切なものを護りたい”という想いを育むと信じて

 

 

 セシルが選んだ仮のマスターは皆、大切なものを護るために戦っていた。

 アイは魔神ラテンニールに襲われるリウラやリリィ達を護るため、リウラは迷宮に取り残された人々を救出するため、そしてリリィもまた……

 

 魔導機神が主を……いや、パートナーを必要とするよう設計されているのは、“魔導機神にとって本当に大切な人を見つけて絆を結んで欲しい”、“その中で、『大切なものを護りたい』という気持ちを育んでほしい”という、セシルから我が子へのメッセージだったのである。

 

「リリィ。あなたは私にハッキリと『大切なものを護るために力を貸してほしい』と言ってくれた。私を頼ってくれた。だからこそ、私は魔導機神として生まれ変わったときの想いを、志を思い出せた……“あなたと一緒に戦いたい”と、“あなたを護る盾となり、あなたの敵を切り裂く剣となりたい”と、思わせてくれた」

 

「だから、どんなに私が優れた剣であろうと、あなたが私の主であることに変わりはないわ。もし“私に相応しいか不安だ”っていうなら、精進するのね。……私も、負けないよう努力するから」

 

 最後の言葉がほんのわずかに震えたことにリリィは気づく。

 

 気丈に見せかけているが、ツェシュテルもまた不安なのだ。

 “リリィが成長した時、自分がリリィに相応しい剣であり続けることができるのか”と心配しているのだと、今更ながらに気づく。

 

(ティアマト様たちに自己改造を依頼した理由は()いてなかったけど……そういうことだったのね)

 

 “自分を成長できるようにした”理由はそういうことか……リリィは表情に出さないよう内心で苦笑しつつ、ツェシュテルの言葉に頷く。

 ……どうやら自分達は似たもの主従になりそうだ。

 

「わかった。よろしくね、ツェシュテル」

 

 リリィがそう言うと、何故かツェシュテルはジッとこちらを見つめたまま黙り込む。

 リリィが不思議に思いながらもしばらく返事を待つと、ややあってツェシュテルは言った。

 

「……私は、あなたのために生まれ変わった。()()()()()()()()()()()()()。だから……生まれ変わった私に、名前を付けて欲しい」

 

「え?」

 

「私が、あなたの剣であることを示すものが欲しい。………………嫌?」

 

「い、嫌じゃないけど……でも、いいの? “ツェシュテル”って、セシルからもらった大切な名前じゃないの?」

 

「いい。母さんにも許可はもらってる」

 

 チラリ、とセシルに視線をやると彼女は笑顔で頷く。『それでツェシュテルが納得するのなら』という声が聞こえてくるかのようだ。

 本人達が納得しているのなら、とリリィは真剣に彼女の名前を考え始める。まさか自分が子をもうける前に、誰かの名を考えることになるとは……と思った瞬間、ふと先程の、ヴィアが我が子を抱いていた光景を思い出す。

 

(ブラン)(フィリア)曇りなき愛(フィリアブラン)、か……ツェシュテルも『大切な名前』という部分は否定しなかったわけだし……うん、決めた)

 

 リリィはツェシュテルと視線を合わせると、こう提案した。

 

「それじゃあ、セシルからもらった名前もちゃんと入れましょうか。……“ルクスリア”と“ツェシュテル”から取って――」

 

 

 

 

 

 

「――“()()()()()()”、なんてどう?」

 

 

 

 

 

 

「ルク……ティール……」

 

 それを聞いたツェシュテルは呆然と、その言葉を口から零す。

 

 “ルクティール”――それは、単純にセシルが生み出した、ツェシュテルを構成する二振りの剣の名を合わせただけの言葉ではない。

 しっかりとこの世界(ディル=リフィーナ)の言葉として意味のある単語だ。

 

 その意味は――

 

 

 

「“世界の、狭間(はざま)”……?」

 

 

 

「そう。あなたは “成長する剣”として生まれ変わった。なら、夢は大きい方が良いでしょう? “この二つの回廊の終わり(ディル=リフィーナ)をも断ち切る刃となって、大切なものを護れるように”、って願いを込めてみたの。……どうかしら?」

 

「……」

 

 リリィの言葉を噛みしめるように、リリィの剣たる少女は瞑目する。

 やがて、少女は不敵な笑顔とともにギラリと目を輝かせた。

 

「ハッ、上等じゃない! なってやろうじゃないの! 世界をも切り裂き、両断する剣に! 私は“世界の狭間(ルクティール)”! 睡魔神(すいまじん)リリィの(つるぎ)にして世界を断つ刃よ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 やる気満々に笑いあう主とその剣のやり取りを見て、すぐ傍に居たリウラはのほほんとこう考えていた。

 

(う~ん……『中二病っぽくて可愛い』って言ったら怒るかなぁ?)

 

 ネーミングセンスは人それぞれである。

 

 

***

 

 

 ――ピクリ

 

 娘の門出を微笑ましく見守っていたセシルの肩が、突如(とつじょ)わずかに震える。

 急に(きびす)を返したセシルを怪訝(けげん)に思い、ティアマトは声をかける。

 

「どうした? 娘との会話に混ざらんで良いのか?」

 

「申し訳ございません、そろそろミーフェ様がお見えになるので、リューナさん達のフォローに参ります。あの子には、後で個人的にお祝いをいたしますので」

 

「ああ、あのエルフの娘の件か……」

 

 ティアマトは納得したように頷く。

 

 魔王を倒した一件によって、ユークリッドやゼイドラムといった人間族の主要国家とシュナイルの間では異種族……特に魔族に対する確執が大分減っていた。

 

 それはミーフェメイルのエルフ達も例外ではない。

 彼女達もまた先の(いくさ)に参加しており、ともに共通の敵である迷宮の魔王と戦った経験から、彼女たちはシュナイルに対して非常に友好的だった。

 

 そこまでならば問題なかったのだが、黎明機関を搭載した魔導巧殻(まどうこうかく)リューンを駆使して、魔神級の力で戦闘を行うリューナを見た彼らのうち、かつて『リューナを“森を護る者”として族長に』と主張した者達が、『それみたことか』とばかりに“彼女を自分たちの森の族長に据えよう”と動き出したのである。

 

 リューナの今までの扱いを考えれば、あまりに厚かましいこの考えを認められるはずもなく、現族長であるミーフェは反対派とともに必死になって彼らの動きを止めようとしたが、それすら『ミーフェは、族長の座に固執しているのだ』と逆に彼らの意欲を燃え上がらせてしまう始末。

 

 以来、恥を忍んでミーフェはこの件についてリューナに相談しに訪れる。

 リューナ自身、ミーフェに思うところが無いわけではないのだが、自分自身あの森の族長に収まるなど到底許容できないため、仕方なく相談に乗っていた。

 その際、関係者であるリシアンや、政治担当のティア、そして国防を(にな)うセシルも会議に参加しているため、こうしてミーフェの来訪とともにセシルは足を運ばなければならないのである。

 

「……わかった。ツェシュテル……いや、ルクティール達にはそのように伝えておこう」

 

「ありがとうございます」

 

 足早にその場から去るセシル。

 彼女は充分にティアマト達から距離を取ると、冷え切った声を出した。

 

 

 

「……それで、何の用よ。私は、もう貴方(あなた)と関わり合いになりたくないのだけど?」

 

 

 

 神殿の廊下。

 誰もいないはずのその場でセシルがそう言うと、彼女の背後からひょうきんな男の声で返事が返ってきた。

 

「ひどいなーリセルちゃん。我が輩、なんか嫌われることしたっけか? 俺様は全面的にお嬢ちゃんの味方だぜい? ちっちゃなリセルちゃんがニアに殺されないよう、睨みだって利かせてあげたってーのに、ひでー言い草だなぁ?」

 

 冷めきった表情のセシルが鋭い視線で背後を振り返ると、3つの紅い眼を持つ魔族の男が後頭部で両手を組んでニヤニヤと笑いながらこちらを見ていた。

 背から骨だけになった翼を生やし、肌は不気味なまでに青白く、真っ白で逆立った髪をしている。

 

「味方? 私を操ろうとした貴方が?」

 

「おんやぁ? 我が輩がいつリセルちゃんを操ろうとしたんだ? 我が輩は一切リセルちゃんに干渉したことはないし、本当のことしか言ってないぜ?」

 

「……そうね、確かに貴方は嘘をついていないでしょう。幼い私に語った“原作知識”とやらにも嘘は無かった」

 

 

 ――でも、

 

 

「『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()』、と……あなたは誓えるかしら? ()()()()

 

 

 イアス=ステリナの大悪魔――ギレゼルから笑みが消える。

 

 

「あの時の私は理想ばかりを見て、今を生きる人達の事を何も考えていなかった。そして、それは父も同じだった。だから、私達は理解し合えていると思っていた……そう、私が一方的に思い込んでいた。だから、私は父から縁を切られた」

 

「私の贔屓目(ひいきめ)を抜きにしても、主人公(ヴァイス)から見て父は間違いなく重要人物中の重要人物。そんな人の思想がまったく“原作”とやらに書かれていないのは、あまりにも不自然。……答えなさいギレゼル。あなたは私を利用して、何をしようとしているの?」

 

 セシルが未だ幼い頃、この魔族は彼女の前に現れて言った。

 

 

 ――『お前は“原作”を知っている者か?』と

 

 

 その言葉を聞いたセシルは、その時はじめて“この世界が何らかの物語の世界である”ということ、そして“自分が何らかの形でその物語から外れる行動をとり、目立ってしまったのだ”ということに気づいた。

 

 幸い、当時のギレゼルは興味本位で訪れただけらしく、“違う”と気づくや否や、早々に去ろうとしたが、そんな彼を幼いセシルは呼び止めた。

 

 

 ――『もし貴方がこの世界の未来を知っているのなら、どうか私に教えてほしい』

 

 

 ここが物語の世界であるならば、未来にどんな災厄が待っているかわからない……そう恐れた彼女は、“機嫌を損ねて殺されるかもしれない”、“不利な契約を持ちかけられるかもしれない”と震えつつも、自分を、そして大切な家族を護るため、強い意志を持ってギレゼルに願った。

 

 ところが、そんな彼女の覚悟を嘲笑うかのように、彼はあっさりと未来の情報を話してくれた。

 

 

 

 ――そして、彼女が大人になった時、それらの予言は現実となった

 

 

 

 セシルはあらかじめ準備していた策や魔導具などによって次々に困難を打破し、メルキアで知将として称えられ、周辺諸国からは恐れられた。

 全てが全て、とは言わないが、その(ほとん)どの出来事が彼女の手のひらの上であった。

 

 そんな彼女が犯した致命的なミス――それが、父オルファンの思想を理解せず、自らの夢である魔導機神計画を語ってしまった事だった。

 父の普段の行動から、“その思想が自分と同じである”と思い込んだ。まさか、“自分と同じになって欲しくない”と思っているなどとは考えもしなかった。

 

 もし、ギレゼルがオルファンの思想について語っていたら……彼女が勘当されることなどなかっただろう。

 そして、ギレゼルが語った“原作”――メルキアの戦乱の歴史において、彼ほどメルキアの根幹にかかわる人物の思想が語られていなかったとは考えにくい。

 

 では、なぜ彼はオルファンについて語らなかったのか?

 破滅するセシルを見て楽しんでいたのか? それともセシルを利用して何かを企んでいるのか?

 

 彼女の真剣な問いに、悪魔はニヤリと笑って返した。

 

「なんで、教えなかったかって? そりゃあ、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……なんですって?」

 

 眉をひそめるセシルに、ギレゼルはひょうひょうと答える。

 

「“死ぬ”っていっても、文字通りの意味じゃない。“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。俺様は別に“お前さんを利用しよう”なんて考えちゃあいない。お前さんが俺に“未来を教えてくれ”って言った時の、あの“未来にどんな苦難が待っていたとしても、絶対に最高の未来を手に入れて見せる”って覚悟に満ちた眼……俺が惚れ込んだ男と全く同じその眼に、俺は魅せられた。だからこそ、お前さんに未来の情報だけでなく、過去の……先史文明期の情報までくれてやったんだ」

 

 ――ギレゼルの脳裏に、血液を操って戦う異能者の青年の姿が浮かぶ

 

 ギレゼルがセシルに伝えた情報は、メルキアの未来の情報だけではない。先史文明期の情報の中で、セシルに役立つであろう知識もいくつか与えていた。

 プテテットがかつて“クリエイター”と呼ばれていた生物であり、自身の質量を操作する能力を持っていることを教えてくれたのもギレゼルである。

 

「もし俺がオルファンの本心を話したら、お前さん、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

「ッ!? そ、れは……」

 

 言葉に詰まるセシルに、ギレゼルは表情を真剣なものに変えて続ける。

 

「“人間の輝き”ってのは、“誰かのために”って思いやりと、そのためには誰にも縛られない自由さだ。“天使の思いやり”と“悪魔の自由”、矛盾するそれらを融合したところにある。俺はそれを人間の戦友から教わった」

 

「人間ってのは脆弱な種族だが、頭の固い天使よりも、自分勝手な悪魔よりも優れた存在になれるようにできてる。(しゅ)……とある古神が天使を創造し、堕天した悪魔の存在を許し、最後に人間を創ったのは、ひょっとしたら『お互いのいいところを見て手本にしろ』って意味だったのかもな」

 

「母親のために、メルキアのために、そして全ての人間族のために“神を創る”って夢を俺に語ったお前さんは“コイツなら運命を切り拓ける”と俺に確信させる“輝き”を持っていた。……だってのに、父親の価値観に縛られて夢をあきらめたら、お前さんの“輝き”が失われちまう。俺には、それが我慢ならなかった。だから、俺はお前さんに父親の想いを話さなかった」

 

 動揺に揺れるセシルの瞳をジッと見据えた後、ギレゼルはクルリと背を向け、再び声音をひょうきんな調子に戻して言う。

 

「お前さんは父親に理解されなかっただろうし、つらい想いもたくさんしただろうな。それを『我が輩のせいだ』って言われたら、否定はできねぇ。だが――」

 

 ギレゼルは肩をすくめると、こう言いながら姿を薄れさせ、その場から消えていった。

 

 

 

 ――絶対に夢をあきらめずに貫いたからこそ、あの小さなお嬢ちゃんは生まれることができたし、こんな素敵な国を創ることもできたんだろう?

 

 

 

 セシルは、(しば)しギレゼルが消えたその空間を見つめた後、大きくため息をつく。

 再び歩き出した彼女の表情は……

 

 

 

 ――心なしか、ほんの少しだけ晴れ晴れとしているように見えた

 

 

 

***

 

 

 

「え、まだベリークとヤッてなかったの? ……ご主人様ってホントに睡魔?」

 

「るっさいっ! 私だって、ベリークさんに誘われるのを待ってるのよ! ……でも、毎日シズクさんにボコボコにされてご飯食べるのも億劫(おっくう)なくらい疲れてるから、全然誘ってくれなくて……たまのデートの時も、疲労がたまってるのか、終わったら私を送ってさっさと帰っちゃうし……」

 

 オープンテラスの喫茶店で、リリィとリウラはスイーツをつまみつつ、生まれ変わるために神殿にこもり続けていたルクティールに近況を報告していた。

 全員が全員肥満とは無縁の体質であるが故に、注文されるスイーツの量は凄いことになっている。

 

「自分から夜這(よば)いに行けばいいじゃない。絶対拒否されないわよ。保証するわ」

 

「そんなはしたない真似ができるかっ!?」

 

「……リリィって変なところで意地っ張りだよね。素直に『誘ってくれなくて寂しい』って言ったら、ベリークさんも喜んで抱いてくれるだろうに」

 

「姉さんまでそんなこと言う!?」

 

 色々あった戦いが終わった後、リリィは遅くやってきた思春期のためか、妙に意地っ張りになった。その影響はリウラの呼び方にも表れており、昔は『お姉ちゃん』と呼んでくれていたのに、今では“恥ずかしいから”と『姉さん』呼びだ。

 時折『前みたいに“お姉ちゃん”って呼んで?』とお願いしてはいるのだが、未だリウラの願いは叶えられていない。

 

「そういえばご主人様、ちゃんと鍛えてる? あなたに世界を斬れるだけの力を身につけてもらわないと、私が名前負けしちゃうんだから、頑張ってよね?」

 

「あ~……、いちおう鍛錬はしてるけど……」

 

「あんまり伸びてないよね、私たち」

 

「はぁ? なんでよ。ご主人様の才能と、アンタの異能なら凡人の何倍も成長出来るはずでしょ?」

 

 眉をひそめるルクティールに、背後から声がかかった。

 

「……それは、良い先生が居ないせい」

 

「シズクさん」

 

「珍しいね、どうしたの? こんなところで」

 

 声をかけてきたのは、武闘派水精(みずせい)シズクであった。

 

 今の彼女は大神官補佐という職に就いており、これは塩の巫の神託を受け取って政治を行う立場である大神官――ティアの補佐をする職業だ。

 

 シンプルに言えば、ティアの護衛。ぶっちゃけ今までと変わらないのだが、給料だけは非常に良い。

 なんと、あの書類の山に埋もれていたリリィよりも良い。納得できなくてシズクの頬を(もてあそ)んだのは良い思い出だ。

 

 余談だが、“塩の巫の神託を受けて政治を行う”というのは建前で、未だ世間に疎い彼女は政治にかかわっていない。

 実際に政治を行っているのは、ティアを頂点としたシュナイルの要人たちである。

 

「“先生が居ない”ってどういうことよ? そんなもんなくても、ご主人様たちなら平気でしょ?」

 

「それは違う。リリィ達は次から次へと強敵と戦ってきたから、爆発的に成長した。常にリリィ達の前には困難が立ちふさがっていて、それを乗り越えざるを得なかったから超人的に進化した。今、この国でこの2人を超える実力を持つ人はいないし、“戦闘”と言う意味で乗り越えるべき壁も無ければ、命を懸けた緊張感も無い。あの時と同じような成長率は期待できない」

 

 シズクも後から聞いた話だが、あの時は奇跡的に“リリィ達が超えられる限界ギリギリの困難”が次々に襲いかかって来ていた。

 だからこそ、彼女達は信じられない速度でレベルアップすることができたのだ。

 

 今や、魔力的な意味でも、技術的な意味でも、彼女達を越える実力者はシュナイルに存在しない。リリィとリウラで戦闘訓練を行うことは有るが、やはり命を懸けた緊張感からは程遠い。

 彼女達の成長速度を上げるためには、彼女達を大きく超える実力者の存在が必要だった。

 

「リリィもリウラも敵わないくらいの実力者……できるならリリィよりも剣術がうまくて、リウラよりも格闘術がうまい人。2人とも私の経験をベースにしているから、東方の流れをくむ剣術や武術が使えて……ツェシュテルのように意思持つ武器としての経験を積んでいるような――」

 

「いる訳ないでしょ、そんな都合のいい奴。バカじゃないの?」

 

「……」

 

 ルクティールに容赦なくぶった切られて、口をつぐむシズク。

 良く見れば、無表情ながらちょっぴり目の(はし)に涙が浮かんでいる。

 

 このお人、殴り合いは強いのだが、口で攻められると非常に(もろ)い。

 そんな彼女の様子に気づいていながらも平然と「あと、私、改名したから。次から“ルクティール”って呼んで」とのたまうルクティールの後頭部をリリィはペシッとはたき、リウラは慌てて話題を変更して場の空気を変えにかかる。

 

「そ、それで? どうしてシズクはここに来たの?」

 

「……そうだった。リリィに手紙を預かって来ている」

 

「手紙?」

 

 郵便受けに届かず、シズクが直接手渡しに来るということは、一般的なルートではなく、使い魔か何かを使って直接城に届けられたものである可能性が高い。

 警戒感をにじませながらリリィが手紙を受け取ると、その差出人の名を見て目を輝かせた。

 

 

 

「魔王様からだ!」

 

 

 

***

 

 

 シュナイルの建国神話――それは、魔族すらも含めた他種族国家である新生シュナイルが、“いかに正当に築かれ、安心できる国家であるか”、“魔神級の力を持つ将を幾人(いくにん)も抱え、いかに下手に手を出すと危ない国であるか”をわかりやすく表現・宣伝するために創られたプロパガンダの一種である。

 

 水精であるリウラが、この神話において“魔神”……つまり、“神の如き力を持つ、()()()()()()()()()”なんて表現されているのも、“いざとなったら、シュナイルを護るために人間族とだって戦えるぞ”という、政治的な含みを持たせているためである。

 

 なので、正直かつての魔王であり、行動を読むことも制御することもできないアナの存在は本当は神話には()せたくなかった。

 しかし、先の戦争にて多くの者に目撃されているが故に、下手に隠すと“何か後ろ暗いところがあるのでは?”と疑われてしまうため、仕方なく彼の名もシュナイル建国の歴史にその名が刻まれている。

 

 ――が、歴史に刻まれていようが宣伝されていようが、そんな他者の都合など魔王アナには関係ない。

 彼はシュナイルの建国に一切かかわらず、ブリジットとオクタヴィアを連れて、早々にリリィ達の元を去り、新たな魔王軍の(かなめ)となる人物をスカウトするための旅に出ていた。

 

 

 

 

 とある獣人族が経営する宿屋の一室で彼らがくつろいでいるとき、ブリジットがふと思い出したように言った。

 

「そういえば、オマエあんだけ色々やらかしてたのに、全然人間族から追手がこないな。手配書も配られていないし」

 

「当然だな。()()()()()()()()()()()()()()

 

「? どういうことだよ」

 

「……そうだな、私の妃となるのだから、これぐらいは分かるようになってもらわねばならんな」

 

「いちいちもったいぶるなよ! さっさとボクにも分かるように話せ!」

 

 癇癪(かんしゃく)を起こしつつも、“妃”と呼ばれて微妙に頬を緩ませる可愛らしい姿に苦笑しつつ、アナはブリジットに問う。

 

「まず、私がリリィの使い魔契約を破棄した時のことは覚えているか?」

 

「ああ、どっちが先に『命令するな』って言えるか、って状態の時だろ? どうして契約破棄したんだよ。あいつら全然()()()()()束縛(ギアス)()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そう、実は迷宮でリリィと出会った時、既にリリィから魔王に対しての従属の呪いは解けていたのだった。

 

 正確には契約を解いたのは、アナが花畑でブリジットを押し倒した時。

 彼はブリジットに対して性魔術を行使したが、それは単に自分の精気を回復するためだけではない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 性魔術は他者から経験を奪うことができる。ならば、逆に他者に与えることももちろん可能だ。

 ブリジットは受け渡された“他者の使い魔契約を強制的に破棄する性魔術経験”から、魔王が自分に経験を渡した意図を察し、初めての性魔術で魔王にかけられた束縛(ギアス)を破棄することに成功したのだ。

 

 こうした魔術的な契約において、性魔術は非常に強力な破棄・改ざん手段であり、原作においては使い魔であるリリィが、逆に主である魔王を性魔術で支配しかえすシーンすら存在するほどである。

 

 充分な魔力さえあれば……それこそ、精気を回復したアナの魔神級の魔力を譲渡してもらえば、契約を断ち切ることも問題なく可能だった。

 “ブリジットが性魔術を扱えること”という条件さえクリアすれば、“先に『命令するな』と命令した方が勝ち”という勝負の大前提が崩れる。

 

 だからこそ、彼はヴォルクを警戒した。

 

 情報屋である彼は、もしかしたら性魔術に関する知識も有るかもしれず、あの花畑で行った性行為からその事に勘付(かんづ)かれる可能性があった。

 そして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。オクタヴィアもその事については気づいていたため、2人して“ヴォルクがシルフィーヌ達にその情報を流さないよう”監視していたのである。

 

 さて、そのように魔王が全く魔術的に縛られていない状態で、わざわざリリィとの使い魔契約を破棄するメリットは無い。

 こちらが一方的にリリィに対して命令を下せるのだから、契約は維持するべきである。であるのに、なぜアナは契約を破棄したのか?

 

「まず断っておくが、私はリリィとの契約を破棄していない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「え?」

 

「原因はあの水精だな。あの巨大プテテットを倒した後、水精がリリィを抱きしめた時に契約が解除された感覚があった。ラテンニールを倒した時もそうだったが、おそらく奴は性儀式無しで性魔術と同等の効果をもたらすことができるのだろう。あの巨大プテテットを取り込んだのなら、それが可能なだけの魔力も持っているだろうしな。そう考えれば辻褄(つじつま)が合う」

 

「おい、ちょっと待てよ。じゃあ、何か? ()()()()()()()()()()()()、“()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 アナは頷く。

 

 ブリジットは混乱する。

 いったいなぜ? 何のために?

 

「おそらく水精が契約を解除した時にリリィも気づいたのだろう――“性魔術を使えば契約を解除できる”、と。奴は私の魂から魔術的な知識を引き出していたし、何より奴は性魔術を得意とする睡魔族だ。気づかない方がおかしい。そうなれば、“先に『命令するな』と言った方が勝つ”という大前提が既に崩れていることにも気づく」

 

「しかし、それはあくまで()()()()()()()()()()()()()()()()()()。ふだんあまり性魔術を行使することがない、お綺麗な人間族であれば尚更(なおさら)だ。つまり、シルフィーヌ達からみれば、この前提は崩れていない。この状態で、私がリリィとの使い魔契約を破棄するふりをして見せればどうなる?」

 

「……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それも“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「その通りだ」

 

 オクタヴィアの回答にブリジットは唖然(あぜん)とし、納得する。

 だからシルフィーヌ達からの敵意が妙に少なかったのか、と。

 

 また同時に、魔王の肉体が迷宮と融合した時に、アナやその使い魔であるリリィに全く影響がなかった理由も理解した。

 

 アナは既に以前よりも質の高い肉体を得ているため、本来の肉体に執着はない。

 本来の肉体に何かあるたびに影響が出る状態は望ましくないから、ブリジットと結ばれた際、彼女に頼んで、リリィとの使い魔契約とともに、本来の肉体とのつながりをも断ち切っていた。

 

 “本来の魔王の肉体に何かあれば、自身にも影響がある”と言う状態が望ましくないのは、リリィも同じだろう。

 リウラがリリィを抱き締めたあの時に、魔王の肉体とのつながりもリウラによって断ち切られていたのだ。

 

「リリィから契約破棄を申し出たことからも分かるように、この状態は私にとってだけでなくリリィにとっても都合がいい。奴は私と静かに平和に暮らすことを願っていたのだからな。そして、私は今までとは全く異なる新たな魔王軍、その基礎となる人材を探すため、可能な限り自由に動ける必要があった。“人間に害をなさない”というお墨付きを得るために、“良心に従って生きている”、“いざとなればリリィが命令できる”という“()()()()”は私にとって非常に都合がよかった」

 

「だから、魔王様は『命令するな』とは絶対に口にしなかったし、可能な限り“良心に従って生きている”ようなふりをした……それは、シルフィーヌ達に“束縛(ギアス)がかかっている”と思わせるだけでなく、リリィに対して“人間族をあまり刺激しないように生きる”というメッセージになるからですね?」

 

「うむ。リリィは、私が封印されたことがトラウマになっているようだからな。“人間族を刺激しないで生きる”というメッセージが無ければ奴の協力は得られん」

 

 あの無言のやり取りの中で、いかに多くのメッセージが飛び交っていたかを知って、ブリジットは頭が痛くなる思いを味わった。

 

 余談だが、仮にリウラがリリィの使い魔契約を解除していなくとも、アナはこの方針で行くつもりだった。

 彼がリリィに見つからないように迷宮に戻ろうとしたのは、リリィよりも先に“()()()()()()()()()()”命令を出すことで、“自分がいつのまにか良心に従って生きていることに、アナが気づいていない”と偽装し、自身の無害さをアピールするためだったのである。

 

 先にリリィから『命令するな』と言われてしまったら、どんなにリリィや人間族に友好的に振る舞おうと“リリィに取り入って、命令を解除してもらおうとしているのではないか”、“油断させておいて、アナ以外の誰かにリリィを排除させようとしているのではないか”といった疑念が常につきまとう。

 条件が有利、もしくはイーブンの状態で友好的に振る舞うからこそ、無害さのアピールに説得力が生まれるのである。

 

「偶然ではあるが、魔王を倒すための加護を与える神……ティアマトの味方、という立場を得られたことがダメ押しになったな。今の私はシュナイルの要人だ。下手に手を出せば国際問題。こちらから何か問題を起こさない間は、絶対に私に手は出せん」

 

「……オマエ、こんなに細かいことゴチャゴチャ考える奴だったか? ってうわっ!?」

 

 かつての幼馴染、その全てを腕力にものを言わせていた時期とのあまりの違いにブリジットが思わずつぶやくと、魔王はグッとブリジットに顔を近づけ、その頬に手を添えて言った。

 

「こんな私は嫌いか?」

 

「べ、別に嫌いじゃないけど……って何で笑うんだよっ!? オマエ、ボクをからかったなっ!!?」

 

 ブリジットが顔を真っ赤にしてアナに蹴りを放ち、アナは背から生やした触手の1本で彼女の足を絡めとって、押し倒す。

 再びドギマギしてしまうブリジットをアナはからかい、激怒したブリジットが拳を突き出す。

 そんな微笑ましいやり取りを見ていてオクタヴィアが感じたのは、かつての魔王と明らかに違う、ブリジットへの愛情だった。

 

 かつての魔王はなんだかんだでブリジットの相手はしてくれていたものの、今のようにブリジットに積極的にかかわっていったり、ましてやブリジットの心情を(おもんぱか)り、からかって場の空気を変えようなどとはしなかった。

 

 オクタヴィアはつい先日のことを思い出す。

 

 

 

 

『私の新しい名の由来? ああ、南方の言葉を混ぜているから分かりにくかったか? “アム”とはセテトリ地方語で“始まり”を意味している。それに“意志(ルナ)”を合わせて“初志(アナ)”だ。“新たな魔王軍を創る”という初志を貫徹するという(いまし)めとしてつけた』

 

『……なんか、女みたいな名前だな』

 

『なに、かつて女神の身体を奪った神殺しも女のような名前だったのだ。女魔神の身体を奪った私が女のような名前をしていても問題あるまい』

 

 

 

 

 『新たな魔王軍を創る』とは言っているものの、おそらくそれはかつてのように欲望のままに動く荒くれ者の集団となることはないだろう。きっと“アナの良心に従って動く集団”となるはずだ。

 

 

 ――なぜなら、彼は変わったのだから

 

 ――ブリジットを、そして自身の使い魔であるリリィを通して、“良心”を……そして“愛”を理解したのだから

 

 

 その証拠に、当初は“自分を封印した人間族に復讐すること”を目的としていたはずが、いつの間にか“以前とは全く別物の、忠誠心溢れる精強な魔王軍を創ること”にすげ変わっている。

 そして、そのことにアナ自身が気づくことはないだろう。魔術でも呪いでもなく、ただアナが“したい”と思ったことをしているだけなのだから。

 

 魔王に良心を目覚めさせ、愛を理解させたのが、それらに従って生きる人間族ではなく、欲望に従って生きる魔族――価値観を共有したリリィや、魔王を愛したブリジットであった、というのは何という皮肉だろうか。

 

 どうしてリリィが何も言わずに自分達を送り出してくれたのか……それが良く分かる光景であった。

 

 

***

 

 

「魔王様も自分の国を創るために頑張ってるみたい。『使い魔に負けるような国では魔王の名が(すた)る』だってさ」

 

「シュナイルも、うかうかしていられないね~……でも、大丈夫かな? アナさん、どっかの国を襲って奪ったりしない?」

 

「それは無いと思う。魔王様、心配する私にちゃんと『基本的に人間族に迷惑をかけるつもりはない』って言ってたし、魔王様は約束を自分の誇りにかけて守る(かた)だから」

 

「“()()()()”ってのがミソだね……」

 

 リリィの言葉に、リウラが苦笑いする。

 

 仮に、アナが何らかの問題を起こしたとしても問題はない。

 シュナイルの神話を創る際、セシルが物理的・魔術的に厳重に施錠された箱から一筋の銀髪を取り出して、『もし彼が問題を起こしたとしても“別人である”、“偽物だ”と言い張る準備はできています』と言い放ったシーンは記憶に新しい。

 

 アナの髪であろうそれを『どうやって手に入れたのか?』と問えば、どうやらヴォルクからかなりの高額で買い取ったらしい。おそらくその髪を使ってアナの偽物(クローン)を創り、『こちらが本物である』と言い張るつもりなのだろう。

 あの狼獣人(ヴェアヴォルフ)の手腕もそうだが、抜け目のなさすぎるセシルの手際の良さに、リリィは呆れて開いた口がふさがらなかった。

 

「まあ、政治なんてそんなもんでしょ。あと、ご主人様? 私も母さんを『マスター』って呼びそうになるから気持ちは分かるけど、(はた)で聞いている人が誤解するから“魔王”呼びはやめて」

 

「う……、ごめん」

 

「う~ん……となると、アナさん、どうやって人間族に迷惑かけずに国を創るつもりだろう?」

 

 リウラの疑問を聞いて、シズクがなんとはなしに頭に浮かんだ考えを述べる。

 

「……案外、どこかの国王や神が『優秀な者に国を譲る』とか言ってくれて、それにアナ達が……」

 

「現実を直視しなさいよバカ。どこの世界にわざわざ赤の他人に国譲る奴がいるってのよ。ましてや神なんて寿命と無縁じゃない。その水ばっかり詰まってる頭に痛だだだだだだだ痛い痛い痛いごめんやめて私が悪かったわお願い許してぇっ!?」

 

 再び涙目になってフルフルと震えだした水精のあわれな姿を見て義憤(ぎふん)に駆られたリリィは、容赦なくルクティールの小さな頭のこめかみを背後から親指と人差し指で挟み、存分に魔力強化された握力で変則的なアイアンクローを繰り出した。

 

「ティル……アンタはその口の悪さどうにかならないの? 大体、さっき注意されたばかりなのに、同じ過ちを繰り返すアンタも相当な大馬鹿者じゃない」

 

「はいそうです私が愚か者でしただからやめてやめて痛い痛い痛い痛いぃぃぃぃっ!!?」

 

 質量変化や形態変化で逃げられないよう、ルクティールの身体をリリィの魔力で覆って指の圧力を逃がさないようにする徹底ぶりである。

 笑顔で額に青筋を浮かべて容赦なく折檻(せっかん)する彼女を見て、シズクは“ああ、なるほど。やっぱり、元・魔王の使い魔なんだなぁ”と納得していた。

 

 なお、“ティル”というのはルクティールの愛称である。

 

 テーブルの中央で両のこめかみを手で押さえてうずくまるルクティールを尻目に、会話は進む。

 

「そういえば、この間ユークリッドに行って、あの時アナさんとした会話の事を話してきたんだよね? シルフィーヌさんは元気? 反応はどうだった?」

 

 ユークリッドと政治的な会談をする際は、基本的にリリィが向かっている。

 

 というのも、シルフィーヌに(なつ)く白竜の子と、リリィに懐く黒竜の子が出会うたびに仲良くじゃれる姿が、両国の仲の良さをアピールするのに一役(ひとやく)買っており、何かと都合が良いのだ。

 リリィとシルフィーヌも友人関係にあるため仲が良く、多少の障害はあるものの両国の関係自体はとても良いものとなっている。

 

 そして、お互い国を興したり、迷宮の魔王との(いくさ)の戦後処理をしたりとゴタゴタしたせいで大分遅くなってしまったが、“あの時迷宮でアナと話した時には、既にどちらの契約も解けていたこと”を、リリィは話してきたのだ。

 “これは友人であるシルフィーヌには話しておくべきことだ”という、リリィのわがままを聞いてくれたシュナイルの仲間たちには、本当に頭が上がらない。

 

「……とりあえず、心配していたことは起こらなかったわ。特に裏での取引もなく良好な関係を築けたし、私のことも、まお……アナ様のことも一応は理解してくれた、と思う。少なくとも、すぐにアナ様を指名手配するようなことにはならないはずよ」

 

「……? ご主人様にしては、えらく弱気ね」

 

「……いちおう信用はしてるけど、あのお姫様、お腹の中で何考えてるか分かんないんだもの。ユークリッドに行ってみて初めて知ったんだけど、あの()、“魔王を倒した英雄”って肩書を存分に活かしてやりたい放題やってたわよ? 姉さんも知ってるでしょう? エミリオさん……庭師の男の子と結婚したって話」

 

「うん、知ってる。今、ユークリッドの王都で広まってる逆シンデレラストーリーだよね? 素敵だなぁ……過酷な政治や魔王との戦いで疲れたお姫様の心をお花で癒してくれる、心優しい青年の物語」

 

 ほわぁ……と幸せそうにのほほんとした表情で憧れる姉に、リリィはうんざりとした表情でその夢をぶち壊すであろう裏話を語る。

 

「ああ、うん。間違ってはいないんだけどね? 実際のところ、あれ、お姫様が単に結婚したい相手と結婚して、それを美談にするために意図的に流した噂だから。わざわざその手の絵本作家だの小説家だのに依頼して出版してもらってる政治工作だから。あのお姫様、信念は綺麗なんだけど、使う手段は結構黒いわよ? まさに政治家よ?」

 

 さらに言えば、政略結婚を求める貴族たちには『英雄という立場になったわたくしが、どの貴族に嫁ごうとも、その貴族の力が膨れ上がって権力のバランスが崩れてしまいます』、『だから……全然権力とは無縁の殿方を選びました!』と強引にエミリオを引っ張り出したのだ。

 

 ただの平民の庭師でしかない彼は、自分とは天と地も位が離れている方々(特におつきのメイド2名)の視線の凄まじい圧力にさらされて白目を()いていたとか。

 灰被り姫(シンデレラ)は平民あがりでも平気な顔で妃の座に居座り続けたのかもしれないが……素朴(そぼく)で心優しい彼の胃に穴が開かないか心配である。

 

 こうして、シルフィーヌは夫となる者に権力を奪われることなく、英雄の立場を利用してユークリッドを完全掌握してしまっている。

 

 ゼイドラムも噂では、今は亡きリュファスの妻である元ユークリッド第二王女が国のかじ取りを行い、エステルは騎士としてその補佐を行っているという。

 エステル自ら補佐に回り、将来はリュファスの子を王にするよう支えるつもりだとか。

 

 シュナイルも、建前的にはティアマトが国を治めていることになっているが、実際に治めているのは元ユークリッドの第一王女であるティアだ。

 偶然だが、3か国をユークリッド王族が治めていることになる。世の中、どうなるか分からないものだ。

 

 ちなみに、ゼイドラムは、魔王の魔力砲によって主要な貴族が大量に亡くなったらしく、今も立て直しに必死であり、本来自国より遥かに小さいはずのユークリッドや、できたばかりのシュナイルの手まで借りている始末である。

 かつての魔王のことは気がかりだろうが、指名手配する余裕などないだろう。

 

 いちおう、シュナイルからも『何かない限り、アナを指名手配しないように』とお願いはしているものの、心配せずともエステルが生きている間は無理である可能性は高い。

 

「……にひひ」

 

「……? どうしたのよ、姉さん」

 

「なんか、向こう(ユークリッド)で良いことあったみたいだね? リリィから嬉しそうな雰囲気を感じるよ?」

 

「……姉さんの能力、ほんっとやりづらいわね」

 

 リリィはわずかに顔をしかめるも、頬が紅く染まっている。

 どうやら照れ隠しのようだ。

 

 実際、良いことはあった。

 

 シルフィーヌがこっそり案内してくれたのは、ユークリッド城のすぐ近くにある迷宮……そこには、彼女の夫であるエミリオと、そこに造られたささやかな花壇があった。

 

 未だ唯の庭師であった頃に、大切な友人であるリリィのためだけに造られたその場で、彼女達3人はささやかなお茶会を開いた。

 

 

 ――その時、エミリオの気持ちを聞いたリリィは、恥ずかしながらほんの少し泣いてしまった

 

 

 うるっときた程度ではあるが、まさか魔族である自分のためにここまでしてもらえるほど想ってくれているとは、考えてもみなかったのだ。

 

 次もユークリッドに来たときはそこでお茶会をする予定になっている。おそらく時間に余裕がある時は、毎回開催することになるだろう。

 

「……そういえば、精霊のお姫様はどうなったの?」

 

 シズクの問いに、リウラが答える。

 

「リュフトさんと一緒にお父さんに謝りに行ったって」

 

「……リュフトさんが行ったってことは、あの双子も一緒か……厄介ごとを起こしていなければいいんだけど」

 

 リリィが頭を押さえて天を(あお)ぐ。

 

 女性に喜んでもらうことが生きがいのリュフトと、面白いことや面白い人が大好きな双子の水精の相性は、まさに奇跡の相性(マリアージュ)と言うべきものであった。

 お互い意気投合し、大体いつも3人組で居るところが目撃されている。

 

 事実、前にリリィが見かけた時は、レインにひたすらあごの肉をタプタプされ、レイクにお腹の肉をぽんよぽんよ叩かれて、ご満悦の表情でリュフトは双子に面白おかしい話を語っていた。

 

 ロジェンの見立てでは、そのうち成り行きでゴールインしてもおかしくないらしい。

 双子が隠れ里に隠れていたことを考えると、“隠された理想の女性を見つけ出す”という信念をリュフトは見事に貫ききったのだろう。

 

 精霊王女フィファは、あの巨大プテテットや古神を管理できなかったことを叱られに行ったらしいが、あの3人が精霊王の怒りに触れるようなことをしでかさないかと考えると、リリィの胃がキリキリと痛む。

 

 余談だが、ティアやシズクといった政治的に重要な役割(ポジション)である者以外の水精は、双子も含め、シュナイルに建設された“水精の里”に住んでいる。

 かなり大規模に造られており、彼女達の守護者として、サッちゃんやフリーシスも共に住んでいる。

 

 面白いことに、里周辺の者の中には、フリーシスのことを“氷竜”ではなく“塩竜”と認識している者が多いらしい。

 “塩の巫”の使いなのだから、あの身体は“氷”ではなく“塩”なのだろうと勘違いしているようだ。いちおう、神話にはきちんと“氷の身体を持つ竜”と書いてはあるのだが……。

 

「――さて、そろそろ行きましょうか」

 

「? 行くってどこへよ?」

 

「あ、そうか。ティルさんは知らなかったっけ。私達、これから旅行に行くの」

 

「……は? 旅行? 国の重鎮のアンタ達が?」

 

 ルクティールは、ぽかんと呆け、眉をひそめる。

 

 リリィとリウラの2人はシュナイル建国における伝説の2大魔神――言ってみれば守護神のようなものであり、同時に政治の中枢でもある。

 そんな2人が一時的とはいえ国を抜けても大丈夫なのか……そんな彼女の心配にリウラは『大丈夫大丈夫』と気楽に応え、リリィも(うれ)いなく微笑んでいる。

 

「最近は優秀な人が入って来てくれてるから、政治も経済も私達が居なくてもちゃんと回ってるんだよ。流石にあんまり重要なのは私達の判断が要るけど、ティアとセシルさんが居れば問題ないくらいの量だし」

 

「国防の方も、セシルが何とかしてくれるらしいしね。……まあ、私がパッと思いつくだけでも、あのコピープテテットどもに黎明機関をぶち込むだけで、大抵の軍は吹き飛ばせそうだしね」

 

 一瞬にしてリリィの眼が死ぬ様子を見て、ルクティールがドン引く。

 おそらく、自分の大嫌いなプテテット達が、自分やリウラの姿を模して他国の軍や魔神相手に大暴れする姿を幻視したのだろう。

 

 事実、リリィが挙げた例だけでも、他国にとっては凄まじい脅威だろう。

 そして、あの腹黒いマッドサイエンティストのことだ。絶対にリリィには思いつかないようなロクでもない手段を多数用意しているに違いない。

 こと国防に関しては、リリィは全く心配していなかった。

 

「……ねえ、その旅行……まさか、私を置いていく気じゃないでしょうね?」

 

 リリィの眼前まで接近し、ジト目で確認するルクティールに、リリィは苦笑しながら姉に許可を得る。

 

「姉さん、良い?」

 

「もちろん! だって、ティルさんはリリィの剣なんでしょ?」

 

「ええ。……おいで、ティル」

 

 リリィが自分の左肩を軽くぽんぽんと叩くと、ルクティールは「ふんっ!」と不機嫌そうに鼻を鳴らしながらも、素直に、そしてまんざらでもなさそうにリリィの肩に腰かける。

 リリィはそれを確認すると、静かに、そしてリウラは意気揚々とシュナイル国外へ続く門へと向けて歩き始めた。

 

「さあ、行くよ! まずは水の(みやこ)、レウィニア神権国(しんけんこく)!」

 

「レウィニア? なんでまた?」

 

「姉さんが、神殺しのファンになっちゃってね……聖地巡礼ってわけ」

 

「なるほど、ご主人様のせいってわけね」

 

「……」

 

 いつぞや寝物語にリウラに聞かせた、戦女神(いくさめがみ)の物語。

 

 世間一般に触れ回っている意図的に歪められたものではなく、この世界を物語として知っているリリィが聞かせた“本当の神殺しセリカの物語”を聞いたリウラは、その“どんな不幸にも屈せず、堂々と()る姿”に感動し、憧れ、一気にファンになってしまった。

 彼女自身、全てを失った経験が有るため、非常に共感してしまったのだろう。

 

 そのため、セシルから『休暇を差しあげますので、旅行にでも行かれては?』と勧められた時、リウラは真っ先に『セリカ・シルフィルの足跡をたどってみたい!』と言い出したのだ。

 

 そのあまりの期待にキラキラと輝く目を見て、リリィはそれを“絶対に面倒事に巻き込まれるから”と却下することができなかった。

 “神殺し本人に関わらなければ、そう面倒なことにはならないだろうし、まあいいか……私が話したのが原因みたいだし。それに、良い恩返しになるでしょ”と無理やり自分を納得させていた。

 

 

 ――だって、リウラは今、ようやく()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 本来、リウラが隠れ里を出る目的は、“外の世界で、可愛い服を着たり、美味しいものを食べたり、綺麗なものを見たりしたい”というものだった。

 しかし、リリィが隠れ里に来て、彼女の命の危機を知ったことにより、リウラは何よりも“リリィを護ること”を最優先で行動してきた。

 そして、戦いが終わった後は、国づくりで多忙の毎日だ。合間合間で食事や着替えを楽しむことは有れど、リラックスして純粋に楽しむ時間をまとめてもらえたのはこれが初めてだ。

 

 

 ああ、愛されているんだな――と、リリィは改めて感じていた。

 

 

 楽しそうに「まずはミルフェっていう港町に行って、そこから船に乗るんだって!」と自分で書いたスケジュール表を見ながら言う姉に……姉になってくれた大切な人に、リリィは伝える。

 

 

 

 

「――()()()()()

 

 

 

 

 久しく聞くことのなかった“自分を指す言葉”に、弾かれるようにリウラは顔を上げる。

 感謝と家族への愛情に満ちたリリィの眼が、リウラの眼を見つめている。

 

「聞いて。……あの時、お姉ちゃんに出会えてなかったら、私はきっとこの世界を恨んでいた。自分の不幸を呪っていた。プテテットにすら勝てない弱い私は、ひょっとしたらのたれ死んでいたかもしれない。……この危険が溢れている世界で、先が見えない暗闇の中で、何も聞かず、どんなに拒絶してもただ私を抱き締めて、そばに居てくれたお姉ちゃんは、私にとって希望の光だった」

 

「……だから、ありがとう。こんな私の家族になってくれて。……どうか、これからも貴女の妹でいさせてください」

 

 リウラは真剣な表情で、伝えられたリリィの想いを受け止める。

 そして、ややあって、彼女は口を開いて、こう言った。

 

「……それは、こっちの台詞(せりふ)だよ」

 

 大切な妹にすら伝えていなかった秘めた想い。

 それを伝える覚悟を、リウラは決める。

 

「私はリリィに出会って身の上を聞いたとき、“この娘を護りたい”って思った。……記憶を封じていたからその時は自覚は無かったけど、今思えば、あれは前世で家族を護れなかった無念をリリィで晴らそうとしてたんだと思う」

 

 飛行機事故によって家族を失ったトラウマ――それは水精として生まれ変わってなお、彼女を(むしば)み続けた。

 “あの時、大切な家族である父を、母を護れなかった”、“救けたかった”という想い。その無念を晴らす代償行為としてリウラは護るべき家族(リリィ)を求め、命を懸けて護った。

 

「ごめんなさい。私の心を癒すために、あなたを利用してしまった。私にとって、あなたは、私が過去を受け入れるために現れてくれた希望だった。……でも、今は違う。『そういう想いが全くない』と言ったら嘘になるけど、それでも、私はリリィを大切な“本当の家族”だと思ってる。……だから、どうかこれからも貴女の姉でいさせてください」

 

 リウラの告白を聞き、リリィは言う。

 

「これはベリークさんの受け売りなんだけどね?」

 

「?」

 

「私を心配してくれたこと、命を懸けて護ってくれたこと……私が家族になって喜んでくれたこと、私を家族として愛してくれたこと……その想いや行いに嘘はなかったんでしょう?」

 

「あ、当たり前だよ!」

 

「だったら、間違いなく貴女は私のお姉ちゃんだよ。底抜けに明るくて、毎日楽しそうで、家族想いで、ちょっぴり頑固な……自慢のお姉ちゃん。他の誰が否定しようとも、私は絶対に譲らない……ねえ、()()()()()

 

「な、なに?」

 

 『お姉ちゃん』ではなく『リウラさん』と呼ばれたことに戸惑(とまど)い、わずかな不安とともにリウラが返事を返すと、リリィはこう言った。

 

 

 

 

 

 

「――()()()()()()()()()()?」

 

 

 

 

 

 

(あ……)

 

 

 

 

 

 

 それは、リリィとリウラが初めて家族になった時のやり取り。

 

 覚えている。あの時のやり取りは、みんなみんな覚えている。

 

 リウラは頬を温かな雫が伝うのも気にせず、ハッキリと言った。

 

 

 

 

 

 

 ――「うん! もうとっくに!」

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 ――深い深い森の奥。魔物が跋扈(ばっこ)するその地にて、1人の魔族の男が満身創痍の状態で少女の前にひざまずかされていた。

 

 男と少女の周りには紅い紅い血液が宙をただよい、そのうちのいくつかは鋭い刃となって男を串刺しにして大地に縫い止めている。

 少女はそんな男の惨状を毛ほども気に留めず、男の前に1枚の紙を差し出してにこやかに問う。

 

「いい? 正~直に答えてくれたら、解放してあげる! この絵に映ってる顔に見覚えはない?」

 

 少女が差し出した絵……先史文明期において“写真”と呼ばれたそれには、複数の男女が描かれていた。

 しかし、その中の3人を除いて、その顔には黒く太い線で“×”が描かれて見えなくなっている。

 おそらく、“×”が描かれていない人物を探しているのだろう。男はそこに描かれている人物が全て人間族であることを理解すると、ロクに確認せずに叫んだ。

 

「し、知らねぇ! こんな奴ら見たことねえよっ!?」

 

 嘘ではない。

 人間族を下等生物としてしか見ていない彼は、人間の顔などいちいち覚えていないのだ。

 

「……じゃあ、ルカ・ミナセ、ルイ・ミナセ、アリサ・スオウの名前を聞いたことはない?」

 

「知ら……っ! そ、そうだ! 確か、シュナイルって国に居る魔神! あいつらの姓が“ミナセ”だったはずだ!」

 

「っ!? ……へぇ~、ありがとう! 参考になったよ!」

 

 少女はそう言うや否や、即座に男を解放する。

 ドシャッ! と崩れ落ちた魔族の男は必死に立ち上がると、()()うの(てい)で、少女の姿をした化け物から逃げ出した。

 

 未だ大して情報を引き出していないにもかかわらず、男を解放してしまったが、問題ない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 男の姿が見えなくなると、周囲をただよう血液が1ヶ所に集まり、()()()()()()姿()()()()

 少女はその様子を見ることもなく、じっと悪魔の消えた方を見つめたまま、魔族の姿をとった血液に問うた。

 

「シュナイルっていう国にいる魔神のフルネームは?」

 

『リリィ・ミナセとリウラ・ミナセ』

 

「その2人の姿は分かる?」

 

 すると、血液は2つに分かれ、今度は1人の睡魔族と1人の水精の姿をかたどり、

 

 

 

 ――少女はその姿を……水精の方の姿を見て固まった

 

 

 

「は、……ははは……()()()()………………、()()()()()()()()()……()()()()()……」

 

 少女は涙をぬぐうこともせず、リウラの姿をかたどった血液の頬をなでる。

 その表情は、今にも泣きそうなほどの大きな悲しみと……そしてそれ以上の罪悪感に歪められていた。

 

「シュナイル……だったっけ。確か、魔王に滅ぼされたって聞いてたけど……ううん、そんなのはどうでもいいから早く行かないと。ここからだったら、船を使ってレルン地方……ミルフェに行くルートが早いかな」

 

 人差し指の先にできた小さな切り傷へと周囲の血液をしまい、少女は歩き出す。

 

 

 

 

「……待っててね、ルカちゃん。()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 ――少女の瞳は、(くら)い昏い狂気に蝕まれていた

 

 

***

 

 

「うぉのれカーリアン()ぁめ、可愛い孫になんてことを……」

 

 じんじんと痛む頭をさすりながら、メンフィル帝国第一王女 リフィア・イリーナ・マーシルンは自らに折檻を加えた祖母への悪態(あくたい)をついた。

 

 12~13歳くらいの小柄で可愛らしい少女で、翡翠色の髪を頭の横でくくっている。

 桃色を基調としたその(よそお)いは、大きな白い(ふさ)が左右に垂れる立派な帽子も含めて相当な金と、一流の素材、そして技術が使われた逸品(いっぴん)であることが(うかが)えた。

 

「う~む、なんとか婆ぁからは逃げきれたものの、壺魔神パイモンは取り上げられてしもうたし、エヴリーヌはあっさりリウイになびいて離れおったし……さて、どうしたものか?」

 

 幼いなりにもかかわらず、妙に偉そうな話し方をする少女は悩む。

 

 彼女は自身の中に宿るもう一つの魂……イリーナの新たなる肉体を見つけ、復活させるために魔神2柱とともに国を飛び出して旅を続けていた。

 ちなみに、その魂はリフィアが(した)う祖父――先代のメンフィル国王リウイ・マーシルンの初めての妃という重要人物である。

 リフィアのミドルネームが彼女にあやかって名づけられたことからも、いかにイリーナ王妃がリウイにとって大切な人であったかが良く分かる。

 

 しかし、追ってくるとは予想していたものの、リウイ達がリフィア達を追う速度が彼女の予想以上に早く、大陸南方で追いつかれてしまった。

 そこで、祖母のカーリアンにボコボコにされかかったところを何とか逃げ出したのだが、魔神2柱はあっさりとリウイへ寝返り、結果、リフィアは1人になってしまった。

 

 

 ――だが、彼女の頭に“国に帰る”という選択肢は無い

 

 

「ふむ、確かユイドラの領主(ウィル)が言うておったな。『新生したシュナイルという国では、生物の肉体を複製する技術を持っている』、と。ならば、イリーナ様の身体を創るヒントになるやもしれん。……よし、次の目的地はシュナイルじゃ! そうと決まれば、さっそく西へ行く船を見つけねば!」

 

 大陸西方にある港町――ミルフェへ向かう船を探すため、少女は元気よく1歩を踏み出す。

 

 彼女の辞書に“諦める”という言葉はなかった。

 

 

***

 

 

「……大丈夫か、シュリ?」

 

「平気です。これくらい大したことは……あっ!?」

 

 10代中頃の少女が、小さな身体に似合わない大きな荷物袋を背負って歩いている。

 隣に立つ女性と見紛(みまご)うほどの美青年は、無表情ながら心配する言葉をかけると、(あん)(じょう)。地面の石に(つまづ)いて少女はよろけ、とっさに青年は手を差し伸べることとなった。

 

 しかし、少女はしっかりと自分の足で踏みとどまって転倒を避けると、どこか誇らしげに言う。

 

「……ご覧いただいた通りです。ちゃんと仕事はできますから」

 

「……」

 

 しかし、なおもじっとこちらを見つめて心配してくれる主人に、シュリは重ねて言う。

 

(あるじ)に荷物を持たせる使用人なんていません。……ご主人様はお身体のご回復と、ミルフェの町で任務を果たされることを第一にお考え下さい」

 

「……」

 

 やがて、根負けしたのか、青年は相変わらずの無表情のまま、少女の言葉に従った。

 

「……お前の仕事を取る訳にはいかないな。お前の手を(わずら)わせないよう、気をつけよう」

 

「――」

 

 少女が小さく何事かをつぶやく。

 しかし、青年の耳にその言葉が届くことはなかった。

 

 

 少女と青年を柔らかな風が包む。

 青年はやや長めの(つや)やかな赤髪を揺らして言った。

 

「風が出てきたな」

 

「はい。心地(ここち)良いですね」

 

 少女もまた主に同意し、そっと風に乗せるように敬愛する(あるじ)の名を口にした。

 

 

 

 

 ――――――()()()()

 

 

 

 

***

 

 

 水精リウラと睡魔のリリィのお話はこれでおしまい。

 

 これからも、彼女達はたくさんの苦難や困難に出会うこととなるでしょう。

 ひょっとしたら、神様たちと戦うことになるかもしれません。

 

 けれど、きっと彼女達はその全てを乗り越えていくことでしょう……固く結ばれた彼女達の絆が、お互いの心の中にある限り。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 Fin

 

 

 

 



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