Afterglow〜Episode of Another〜 (ある@誠心誠意執筆中)
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第1章 Re:Play
プロローグ 追憶


皆さんどうも初めまして、『ある』と申す者です。

この度pixiv小説の方から移転させていただきました。理由は言わずもがな知名度向上の為です()

今回僕が執筆したのは、BanG Dream!ガールズバンドパーティシリーズの立役者である5バンドのうちのひとつである『Afterglow』のifストーリーです。内容はあらすじからすでに察しのついている方も多いと思いますが、主にオリ主(男)とAfterglowの5人繰り広げる青春となっております。

この Afterglow〜Episode of Another〜(以下頭文字よりアエオア)を手掛けるきっかけというのが、BanG Dream!はもとより男性の介入の好まれないジャンルという点から、あえて男の子を主人公にして物語を書いてみたらどうだろうと思いたったのがきっかけです。とは言っても、ハーメルンの他の二次小説を見た限り、似たような感じの作品が多々見られましたけどね。

要するに先人達の切り開いた道を辿る、ということです。出したもん勝ちとはいえ、同じ発想を先発されては後から執筆する身としては少し後ろめたくも感じます。なのでプレッシャーガンギマリでポチポチとキーボードを打っていくことになると思いますので、駄文等ご了承のほどお願いいたします。



それではどうぞ!


俺は、人一倍頭が悪かった。

 

それは学力に関することだけではなく、物事の考え方、記憶力、などを含めた頭の悪さだった。

 

ただ、昔からそうだったわけではない。

俺......「長門流誠」は、今は亡き両親とドライブに出掛けている途中交通事故に遭い、頭を強く打ち、そして記憶喪失を患った。不幸中の幸いか命は助かったが、記憶力などの脳機能は低下してしまい、多少の知識ももろもろ脳内から無くなっていた。そしてその事故で両親も亡くなってしまった。

 

加えて、両親に関しての記憶“も”無くなってしまった。

 

“も”というのも記憶喪失を患ったせいか、俺はどうやら自分の名前も忘れてしまったらしい。ただ、警察の方が亡くなった両親や俺の身元を調べている途中わざわざ俺の本名を割り出してくれたのだが、それは使わずに「今の俺」にとっての親である孤児院の先生に新しく付けてもらった名前を使わせてもらっている。なにせ「今の俺」は「俺」だ。「昔の俺」っていうような得体の知れないものなんか知ったもんじゃない。だから俺は過去の名前を捨てて、「今の俺」を選び、名前も新しく付けてもらったのだ。もちろん捨て切れない過去もあるんだが。

 

 

ちなみに流誠という名前の由来は、先生曰く、俺と先生が初めて対面した時、ふと空を見上げてみたら流れ星が見えたかららしい。正直単純すぎて、真面目に付けたのかと疑問を持つくらいだった。実際に問い質してみたが、当の本人はいたって真面目だったらしい。まったく...人が付ける名前というものには、その名付け親の性格が表れると耳にすることがあるが、どうやらそれは本当らしい。

 

話は変わるが、日本には神社という「神様」を奉る場所がある。そしてその「神様」というモノにお賽銭...お金を貢ぎ、今叶えて欲しい願いを心の中で祈れば、その願いを叶えてくれるという。

 

その日本人なら幼い頃から知ってるようなことを、俺はつい最近知った...いや、知り直したのか。そんな愚かで孤独な俺はひょんなことから、形もなく見えもしないその「神様」に縋ることにした。

 

毎日同じ内容の、対価とはまったく等しくもないことを祈り、願い、ただ縋り続けていた。

 

対価と等しくもないというのは、記憶のことだけでなく、「叶うことがあるとすればそれは奇跡ともいえること」を願いとして祈っていたからだった。

元を辿れば記憶も関係してくるのだが。

 

その叶うことも難しい願いというのは、「幼い頃からずっと一緒にいた幼馴染と再び出会えるように」ということ。ちなみに幼馴染は5人いる。

 

さっき言った通り俺は、記憶喪失で昔のことをろくに覚えていない。ただ、幼馴染がいたということ以外断片的だが、その幼馴染5人の顔や性格、そしてそいつらと見た夕日のことだけは、何故か頭の中に残っていた。その5人の名前は覚えていなかったが。

 

もしそいつらと再会するとして、それが吉と出るか凶と出るか。記憶を無くして孤児院に入ってから依然これといった楽しみも無い俺は気になり、先生から毎月貰う小遣いを「神様」に貢ぎ、再会できることを祈っている。なにせ、俺の元いた町にある羽丘高校に通うことになったのだから。

 

そう、俺は目当てである幼馴染を探すべく、そこで数少ない高校の内の一つである羽丘高校に入学することにした。ではなぜ羽丘を選んだのかというと、単に共学制だった高校がそこしか見当たらなかったからだ。尚のことを言うと、羽丘高校は去年まで女子校だったらしく、共学制は今年度から導入されたものらしい。なので同級生の男子生徒が何人入学してくるのか不安でならない。何しろ、元女子校だ。今時の男子ならその風潮からか、進学先の高校の候補から外してしまうのが大半なのではないのだろうか。

 

 

ただ、その羽丘で幼馴染を探す上でどうしても必要となってくるものがあった。

 

それは、俺の本名...「昔の俺」の名前だ。

 

もちろんそれは俺のポリシーに違反するし、本当は使いたくなかったが、やむを得ず使うことにした。

 

全ては幼馴染とまたかけがえのない思い出を作りなおしたいが為。そしてそいつらに「今の俺」を認識してもらう為...その為だけに俺は今まで、足りない頭を酷使して受験勉強をやってきた。

 

ここまで過去に固執するなんて「今の俺」らしくも無いなと、不意に空を見上げてみたら一番星である金星が輝いているのが見えた。

 

そういえば幼馴染の中で、いやに一番星を見つけるのが上手いやつがいたような......

 

「会って確認してみてぇな。なんて......」

 

不明瞭でもあり感懐深い記憶を引き出し、感傷に浸っている最中、冬の空気を僅かに感じさせる風が夜の訪れを知らせてきて、俺はそれに思わず身震いした。

 

「昼は暖かかったんだけどなぁ」

 

朝の天気予報で、朝から夜まで暖かい日を送ることができるでしょうなんて言ってたし大丈夫だろうと思っていたが、それが裏目に出たようだ。いつだって自然は気まぐれで理不尽だ。俺はそれを忘れていた。

 

「...冷えてきたし、そろそろ帰るか。」

 

長いこと神社にいたせいだろうか。つい先程まで黄色かった太陽は低い位置に移動し、山から橙色の顔を半分覗かせていた。

 

神社の境内にある長い階段を降りていく途中、立ち止まってそれに魅入った。

 

 

 

 

綺麗な夕焼けだ。まるで全てを優しく包み込んでくれるかのような、そんな暖かな────。

 

 

 

 

 

 

 

......───これからも、ずっと一緒にいようね。

 

 

 

 

 

 

 

「......ん、あれ......?なんだよ、これ......まさか俺、泣いてんのか......?にしてもなんで......」

 

 

何の拍子か俺は、絵に描いたような一筋の涙をいつか見たような空に刹那に輝く流星が如く、両目から垂れ流していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───“あの約束”を、夕焼けを背景に幼馴染たちと交わした瞬間を、無意識のうちに思い出しながら。




いかがだったでしょうか。プロローグということもあって少し短めに仕上げましたが、見応えはありましたでしょうか。そうであったら幸いですし、もしそうでないとしてもご安心ください。ストックはざっと30話ぐらいありますし、後半の話にもなると15000字ほどは三々五々と文字の羅列が皆様のご愛読をお待ちしておりますので。まあこれくらいが当たり前なんでしょうけど。

ともかく前座はこのくらいでございます。今回はこのような小説を最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。次回、というよりこのシリーズは3日ごとに19時30分ちょうどに投稿する予定となっておりますので、よければそちらも読んでいただけると嬉しいです。

最後に皆さん、これからどうぞよろしくお願いします!以上、あるでした!


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第1話 支度

急ぎの用なので前書きはしょらせてもらいます!私情極まりなく申し訳ない!


ついにこの日が来た。いや、来てしまった。

 

羽丘高校入学式当日、いつものように神社にお参りに行った昨日から緊張して一睡もできなかった俺は、絶賛お寝ぼけ中だ。

孤児院にある洗面所に映った自分の顔を見て、本当にこれが自分なのかと疑ったほどに。

 

「ご飯できましたよ〜!流誠、みんなを起こして来て〜!」

 

洗顔や歯磨きをしているうちに、先生は食堂の方から俺に向かってそう叫んだ。先生が毎日、朝早くから作ってくれている丹精の込められた朝食ができあがったのだ。

 

先生は相も変わらず元気が良い。

 

「はーい。今行きまーす」

 

俺は軽く返事をした後、他の孤児院の子供たちを起こすべく、二階の就寝室まで駆け上がっていった。

 

就寝室は和を連想させる畳やガラスの代わりに窓に張られた障子、そして敷布団が敷かれている、特に余分な物は無いこじんまりとして、なおかつ趣がある印象深い部屋だ。まさに“和”。

記憶を失って多少の知識が抜けてしまっていた俺でも、こんなとこに住むことになっては嫌でも和というものを理解させられる。

こじんまりとはいうものの、自然と和の知識が身についてしまうほどに印象深い部屋。それがここ就寝室だ。

 

「さあみんな起きろー。もう朝だぞー?」

 

そして、そこで悠々と寝ている彼らを起こすことは、至難の技だった。孤児院の子供の中でも年長である俺より彼らのことを知っている、あの先生が手こずるくらい。

 

(はあ...“アレ”使うか...)

 

だから俺と先生は、立ち退きを許さない彼らをどうにかするべく、とある手段を考えた。

 

 

 

「すぅぅぅぅぅぅぅ...」

 

 

 

それは、大きく息を吸ってから...

 

 

 

 

 

 

「お"お"お"お"き"い"い"い"い"ろ"お"お"ォ"ォ"ォ"ォ"ォ"ォ"オ"!!!」

 

 

 

 

 

 

近くの工具用品店に売ってあるようなメガホンを使って、やつらを爆音で叩き起こす。ということだった。

 

 

 

だが、甘かった。

 

 

 

 

「......って、あれ?」

 

 

 

やつらは音を防ぐ対抗手段として、孤児院にあるティッシュペーパーを耳に詰め、耳栓がわりにしていたのだ。さらには、そのティッシュペーパーが取れないようにしようとしたのか、何重にも結ばれた輪ゴムが掛けられていた。

 

「なんて小賢しい子どもたち...!つっても、何回もやられちゃあ何かしら対策は打つよなぁ...ていうかもう疲れちゃったし、あとは

先生に任せようかな」

 

と、孤児院にあるマンガから引用したセリフと降伏の意と欠伸を漏らした俺は、大人しく尻尾を巻いて1階の食堂に降りていった。

帰ったら先生とまた対策を練らないとな。

 

 

「先生。あいつら起きそうにもないんであとは頼みました。」

 

「えぇ?!あの大音量を聞いて起きなかったの?!」

 

当然の反応だ、無理もない。実際、声を出している自分でさえも耳を塞ぎたいほどの声量を出しているのだから。

 

「ティッシュペーパーを耳に詰めて輪ゴムでガチガチに固定してました」

 

「そうですか...なら仕方がないですね。じゃあ流誠は学校の支度をしていてください。あとは私にお任せを」

 

「じゃ、お言葉に甘えて」

 

そう一言添えて、俺は自分の部屋(使いそうも無かった階段下の倉庫を俺が勝手に部屋と呼んで使っている)に戻り、部屋の奥の段ボールに丁寧に畳まれ、敷き詰められていた制服をとりだした。

 

見た感じかなり派手そうだったそれは、一瞬だけ着るのを躊躇わせた。

 

「いやでも着てみれば案外似合うかも...どっちにしろ制服着なきゃ学校行けないんだけどな」

 

と、渋々寝巻きを脱ぎ、真新しい制服に身を通してみた。

するとどうだろう。予想通り案外似合っていたのだった。

 

「そして着心地も悪くない、と。先生に感謝しなくちゃな」

 

今更当たり前のことを言うのもあれだが、俺の学費や制服に金を払っているのは他でもない「今の俺」の親である先生だ。

その金はどこから湧いてくるのかというと、実のところ俺も知らない。実際、彼女に直接聞いたこともあるが、答えてくれなかった。

もしその金の出所が、裏の世界と関係していたとしたら...

 

「流誠さ〜ん?そろそろ出ないと初日から学校遅れちゃいますよ〜?」

 

「っあぁ?!わ、分かってますよ!」

 

「...? ならいいんですよ〜。」

 

なんて事を考えていたら、当の本人からいきなり声をかけられた。思わず返事がつっかえてしまった。感付かれていなければいいのだが...

 

間の悪さを呪いながら、俺はいつもの温かな食卓を召し上がった。うん。「いつも通り」の味だ。

 

 

 

...いつも通り

 

 

 

そういえば、幼馴染たちもよく「いつも通りだね」なんて言っていたような気がする。

 

このように、ふとした瞬間に記憶の欠片を拾う事がある。

 

「...真剣な顔してますね。何か悩んでるんですか?」

 

「ちょっ、いきなり顔寄せてこないでくださいよ...別に、悩み事なんて...」

 

「幼馴染のこと、とかですか?」

 

「...え?」

 

そんな記憶の欠片を眺めていた俺は、先生の急接近した顔面の近さに驚いたのも束の間、心を読まれ、例えようのないなんともいえない気持ちに、先ほどの衝撃が上書きされた。

 

「いえいえ、そんな顔していたように見えたものですから。──新しい高校で見つかるといいですね、その幼馴染たち」

 

「...はい」

 

全てを見透かされた俺はただうなずくことしかできなかった。

本当は、先生の言っていたことが紛れも無い正論だったからなのだが。

 

こんな気まずい思いをするなら、先生に幼馴染のこと秘密にしておいたのに。

 

そのことも見透かされることを危惧した俺はとっさに考えるのをやめ、黙々と食事を進めることにした。

 

先生は相変わらず元気が良く、笑顔だ。そして、その笑顔のまま、俺の顔を、俺が食事を終えるまで見続けていた。

 

 

 

 

溢れんばかりの慈愛を、その黄金色の瞳に宿しながら......

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

食卓とともに苦虫を噛み潰す状況の中、俺はやっと朝食を食べ終えることができた。

先生もいつの間にか食事をとり始めていたらしく、俺と同時に食べ終わっていた。

 

「ごちそうさまでした。」

 

「ごちそうさまでした。と...さて!それでは流誠、元気にいってらっしゃい」

 

「はい。いってきます」

 

制服を着た際に部屋から鞄も持ってきた俺は、そのまま孤児院の無駄に広い玄関に直行した。

 

「大きくなりましたね、流誠...」

 

と、先生が孤児院の年少のやつらの靴と俺の靴を見比べて一言。先生はいつも藪から棒に、これと似たようなことを言う。

だが全然慣れない。慣れてくれない。

 

「な、なんですか急に...靴紐結ぶのに集中するんで、お願いですから黙っていてください。」

 

「幼馴染以外にも大切なお友達、

たくさん作りなさいね?」

 

「人の話聞いてましたか?!...はあ、そのくらい分かってますよ」

 

そうして靴紐を結び終わった俺は玄関の段差から立ち上がり、先生に向き直った。

 

 

「では、いってきます。」

 

「ええ。いってらっしゃい。お友達、ちゃんと作りなさいね?」

 

「何回言うんですか!流石に今日は初日だし、できるとしても明日からだと思います」

 

 

まったく...あの人はどれほど心配すれば気がすむのだろうか...

 

一連の挨拶を済ませ、先生が見えなくなってから俺は、心を読まれることに気をかけることもなくなったのでそんなことを考えた。

 

 

 

事故に遭った日から俺は、先生や孤児院の仲間、幼馴染以外の人間に興味を持たず、小中学校で過ごした9年間、友達というものを作らずに孤立していた。だが、歳を重ねていくうちに、道徳の時間などて習った「友達の大切さ」なるものに気付き、次第にその友達というものを作りたいという気持ちが芽生えた気がしていた。

 

そしてその気持ちは今朝、先生の発言により明確な願望へと変わったのであった。

 

 

 

 

思えば、先生には救われてばっかりだな。

 

 

 

 

今必死にこいでいるこの自転車の乗り方も、俺が孤児院に入ってから間もないころ、先生が徹底指導で教えてくれた。

それ以外にも、先生には数え切れない借りがある。

 

 

「孤児院に帰ったら、何かお礼でもするか」

 

 

我ながらいい事を思いついたと、羽丘までの道のりが記された地図を確認しながら自画自賛していたら、いつのまにか羽丘高校の校門に到着していた。所要時間は自転車で10分程度。案外近かったことに驚いた。興奮のあまり激チャしたせいかもしれないが。

 

「こんな近かったのかよ...まあいいや。じゃあ、行きますかね...!」

 

そして俺は、これから3年間世話になる高校に、「よろしくお願いします」と小声で挨拶し、期待(3割)と不安(7割)を胸に秘め、勇み足で雲梯のようなアーチのある校門をくぐったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

......で、自転車置き場ってどこなんだ?




プロローグを経て1話目、いかがだったでしょうか。楽しんでもらえたなら何よりです。良ければ評価等付けてもらえると幸いです!喜んで舞います!!

次の投稿は11月17日(日)の午後19時30分です。ではまた次回お会いしましょう!


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第2話 再“かい”

初めにお詫び申し上げたいことがあります。

投稿期日守れず、誠にすみませんでした......

原因はおそらく新規投稿ボタンの押し忘れだと思います。そのことに先ほどハーメルンのサイトを開いて気がつきました。次からはこのようなことがないように心掛けていきます。


では、遅ればせながら第2話です。どうぞ!


自転車置き場に関しては、俺と同じ新入生である親切な2人に教えてもらった。一人は赤紫色の髪と透き通るような水色の瞳、あと女子にしては高身長なところが特徴的だった。普通に身長は負けていた。悔しい。

もう一人は両サイドに結んだ朱華(はねず)色の髪を肩にかけていたのと、翡翠色に近い色の瞳を持っていたのが特徴的だった。

 

そしてそれら以外の、両方ともに共通する特徴があった。

 

それは記憶の中の幼馴染の印象と合致していたことで......

 

と、入学式の会場である体育館まで案内図を頼りに歩いている最中に、記憶の中の幼馴染の姿とあの二人を照らし合わせてみていたが、何かの気のせいだろうと途中で投げ出してしまい、そのまま入学式を迎えることとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

体育館で校長先生からの祝辞の言葉など長々と聞かされた後、俺たち新入生は自分たちの学び舎となるクラスへ移動することになった。

 

羽丘のクラスはA、B、C、Dの4クラスがあり、生徒玄関にあるクラス表を見たところ、俺はBクラスに組み分けられていたことが分かり、早速移動した。

クラスまでの移動に関してはクラスの担任の先生が引率してくださり、自転車置き場の件の二の舞にならずに済んだ。

 

Bクラスは西校舎の1階にあるらしく、出発地点である生徒玄関から1分もかからないうちに到着できた。

そして到着してからすぐ、出席番号を頼りに自分の席を探し始めた。

 

俺の席は教室の中で左後ろ端の窓際の隣に位置していた。春の日差しが心地よい。

 

 

隣の席の人はと目をやれば、赤色のメッシュが視界に飛び込んできた。

体格などをよく見てみたが、やはり女の子だった。教室に入ってからざっと見積もってみたが、男女比率はやはりかなり差があるようだ。先が思いやられる。

 

(にしてもかっけー!...校則にもゆるけど、高校生にもなると髪とか染める人も出てくるもんなんだなぁ)

 

と、関心を交えながらその女子のメッシュをまじまじと眺め続けていたら。

 

「...何?」

 

流石に怪しまれた。

 

「あ、ご、ごめん......君の赤色のメッシュがカッコよくて眺めてた......」

 

ちゃんとした弁解を試みようとするも、あまり先生や孤児院のやつら以外の人とは話さない俺は、端的にしか説明できなかった。

 

間が悪くなったのを察してくれたのか、被害者である相手の方から「そう......」と話を切り上げてくれて、なんとか助かった。機嫌は悪くしてなさそうだし、入学早々クラスメイトに嫌われるようなことにならずに済んだ。

 

 

 

 

ただ、まだ心残りな事がある。

 

 

「────......」

 

 

隣の少女の顔もまた、いつかみた幼馴染の顔と似通っていたことだ。

 

 

さっきの自転車置き場でもそのようなことがあったばかりだが、本当にこの羽丘に、俺がずっと求めていた幼馴染たちがいるような......そんな気持ちがますます芽生えてきた。それと同時に、胸の中が希望で満たされていくのが分かった。

 

 

 

 

 

その時、今度は隣の少女が俺に向けて何かを確認するかのような視線を

送っているような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クラスでの最初の挨拶やこれから直近にある学校での行事についての説明を聞き終え、放課後一通りクラスメイトとの自己紹介を手探りに済ませた後、孤児院の門限まで時間的に余裕があった俺は正午から夕方まで、部活動の見学や学校内の散策に時間を使った。ついでに、入部する部活も見学の時に決めた。中学校からやっていた陸上部だ。

 

 

夕方になり、鮮やかなオレンジと水色のグラデーションに染め上げられた空を見た俺は、学校の屋上からならもっと綺麗に見えるだろうと思い、鞄にくしゃくしゃにして乱暴に入れていた学校案内図を広げ直し、屋上までの道のりを辿った。なんと羽丘は屋上に立ち入り可能な、現代では希少な高校なのだ。

 

 

 

屋上に到着してすぐ、俺は突然視界に入ってきた夕日の光に、思わず目をしぼませた。

予想通り、屋上からは地上で見るのよりも一段と美しさの上がった夕焼け空や夕日を眺めることができた。そして高所の特権でもある360°パノラマ風景も体験することもできた。流石は屋上と言えるだろう。

 

 

 

 

......綺麗だ。

 

 

「......ん?」

 

 

ひとしきり屋上から黄昏の世界を感じていたら、賑やかな声と共に後ろの屋上のドアが開く音が聞こえた。声のトーンから、その声の主は女子の集団であることがすぐ分かった。

 

 

「......っ!」

 

 

そしてチキン野郎の俺は、ビビって硬直状態に陥ってしまった。もちろん振り向こうともしなかった。

 

「やっぱ屋上からの眺めは最高だな〜!中学ん時と全然変わってないぜ!」

 

「風も気持ちいいしね!」

 

キャーキャー言ってる。これが女子か。

小学校の時からあまり興味の無かった女子同士の会話に、俺はいつの間にか聞き耳を立てていた。ただ、これはただの女子の会話ではないことに気がついた。

 

 

 

何故ならその声から、特に根拠のない懐かしさを感じていたからだ。

そして、その二人の声を良く聞いていると、自転車置き場でのあの二人の声だということにも気がついた。

 

 

「ただ、先客がいたみたいですな〜」

 

「あ、ホントだ...邪魔したら悪いだろうし、今日はもう帰ろうよ、みんな」

 

続いて、気だるげで甘ったるい声と、大人しそうで清楚な声が聞こえてきた。そしてその二人の声からも、懐かしさが含まれた既聴感を感じていた。

 

......ああ、だめだ。なんか泣きそうになってきた。

 

懐かしさから生まれた温もりに全身を支配された俺は、本当に目から『熱いもの』が出そうなくらいになっていた。

 

だって、今思い出したんだ。『あの日』の幼馴染のみんなの、姿と印象以外の、声。

 

『初めて聞いた音』としてインプットされたその声たちは、俺の記憶の中の声も無く不鮮明な映像と共に、頭の中で流れ続けている。

 

そして改めて認識する。

 

 

 

今、すぐ後ろにいる5人こそ、俺のずっっっ────......と探し続けていたかけがえのない幼馴染であると。

 

 

 

 

ああ、やっと......やっと、思い出せたよ......

やっと見つけたよ...

ひーちゃん。

ともちゃん。

モカ。

つぐちゃん。

 

 

 

......ただ、あと一人足りない。

そう、俺たち幼馴染6人の中で、誰よりも俺たちを影ながら気遣ってくれていた───。

 

 

「そうだね。帰ろうみんな。」

 

 

蘭。

 

 

だがその声は、しげしげとした足音達と伴って俺の耳孔を震わせてきた。

 

 

(まずい......!このままだとみんな帰ってしまう......でも、これがみんなに声をかけれる最期のチャンスかも知れない......!こうなったら......)

 

 

今にも帰りそうになった、やっと見つけた、思い出した幼馴染を止めるべく、声をかけなければいけないと思った俺は、こちらに背を向ける5人を呼び止めた。

 

「ま、待って!みんな!」

 

俺の声を聞き、踵を返して振り向いた5人は、みな驚きの表情をしていた。いや、蘭だけは何かに感付いたような顔をしていた。

そしてやはり、どれも見知った顔であった。

 

そんな安心感とは裏腹に、恐怖も押し寄せてきた。

 

 

もし気付いてもらえなかったとしたら?

その後の対応は?みんなの気持ちは?

 

良いビジョンと悪いビジョンが同時に浮かんできた俺は、頭の中の整理が落ち着かないまま、また言葉を詰まらせていた。

 

「なんだ急に......ってお前、朝の自転車のやつか!?」

 

「ホントだ!でもなんで呼び止めたのかな?お礼ならあの時、直接聞いたのに...」

 

「え〜?モカちゃんこんな人見たことない〜...ような?」

 

「初めましてかな?でも正直なところ私も、この子とどこかで会ったような気が......」

 

「.........」

 

ああ......やっぱりだ。

みんなそれぞれ、俺の予想していた困惑の色を示している。

それを前に俺は、唖然とするほかなかった。

 

 

 

こんな反応されるくらい、分かっていた。

だから俺は、自分のプライドを捨ててまで、「昔の俺」に頼ることにした。「昔の俺」と今一度向き直ることにした。

だから言わなきゃ。勇気を出して。俺の記憶のことを。あの時急に居なくなった理由を。そして、俺の本当の名前を。

 

 

一呼吸置いて、こう続けた。

 

 

「実は......俺の、名前は──

「......“青藍”?」

......ぁ......え?」

 

......俺の決意の一言は、俺の本名である“青藍”という名前は、蘭の予想外の横やりによって止められた。

 

否。蘭が俺の代わりに、俺の伝えたかったことを言ってくれたのだ。まるで、最初から分かっていたかのように。

 

「......青藍、なんでしょ?」

 

嬉しい。

分かってくれた。俺が言うまでもなく、蘭は、俺が青藍だということを分かってくれていた。

 

 

ああ。心が、満たされていく。

 

「うん......でも、なんで、俺のこと......

名前も、今は違う名前使ってるし......

それに......」

 

「実は今まで、青藍が突然いなくなった理由を考えてたんだ。みんなも

そうだった。」

 

俺が何も告げることなく突然みんなの前からいなくなったことにより、蘭やみんなが悩んでいたことを知らされた。

それは俺と同じように、お互いを遠くから思い合っていたことにもなる。

 

胸の奥が締め付けられる感覚と同時に、今日何度も感じてきた温もりが俺に向かって一斉に襲いかかってきて、包んできた。

 

「ちょちょちょ、ちょっとまって!!この子、青藍だったの!?あの青藍!?」

 

「ほお〜!せいくんおひさー。こりゃ気付かなかったな〜。でもひーちゃん、今は一旦落ち着こうかー」

 

「お、おい嘘だろ......まさかこんな形でセイと再開するなんて......おい、セイ!お前今までどこほっつき歩いてたんだよ!!あたしたち心配してたんだぞ!?」

 

「まあまあ、巴ちゃんも...今は青藍くんの話を聞いてあげよ?」

 

 

我こそはと俺の安否を心配していたと言ってくれるみんなの姿が、夢のようだった。

本音を言えば、声をかけれないまま......万が一声をかけたとしても、忘れられたまま終わってしまうと思っていたからだ。

 

 

「実はあたし、入学式の時から青藍を見つけてたんだ。だけどその時はまだ確証がなくて声かけらんなくて......でも、クラスに入って、青藍があたしのメッシュをジロジロ眺めてた時、確信したよ。ああ、こいつは青藍だって。今の名前は、なぜか違うらしいけど」

 

「そう、だったのか......う゛ぅ゛......うぁぁ......みんな、心配っ......かけて......ほんとにごめんなぁ......俺ぇ......俺ぇっ......」

 

「ほら、もう泣くのやめてよ青藍。あたしたちは信じてたよ。青藍があたしたちの前からどんな理由で消えたとしても、また必ず戻ってくるって...」

 

「「うん!」」

 

「ああ!!」

 

「そだよー」

 

やっと見つけた、俺の居場所。

やっと見つけた、かけがえのないもの。

もう離したくない。離れたくない。

 

「だから、青藍。おかえり。

泣き止んだらまた、事情説明してね?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───これから“は”、ずっと一緒にいようね。

 

 

 

 

 

 

その日、“あの約束”は再び、あの日から変わらない夕日を背景に交わされた。




いかがだったでしょうか。
次回の投稿は今回の手違いの件もあるので、明日11月19日の19時30を予定しております。お楽しみに!


ではまた次回お会いしましょう!


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第3話 再生

どうもあるです。

最近寒くなってきましたね。とうとう手袋の封印を解く時が来たか...
なんて冗談はさて置いて、皆さん風邪には気をつけてくださいね!


屋上での一件でひとしきり泣いた後、数年ぶりに再会した5人に、なぜ突然いなくなってしまったのか、なぜ偽名を使っているのかetcについてを約1時間ほど話した。

 

 

空にはまだ、夕焼けの余韻が少しだけ残っていた。

 

「──とまあ、こんな感じかな。」

 

俺の過去話を聞いた各々は数秒の間、唖然と悲哀の表情を無言で浮かべていた。それから一番初めに、開いた口を辛うじて動かし、声を出したのはひーちゃんだった。

 

「私達と離れ離れになってる間に、流誠は色々と苦労してたんだね......」

 

「そうだね......自分の名前のこととか、記憶のこと、自分にしか理解できないようなことを、今まで抱え込んでたってことだよね」

「ああ、その通りだ。側に居てやれなかったことがホントに悔しいくらいだ......」

 

ひーちゃんに続いて、つぐちゃんとともちゃんも感想を述べた。

 

「まあ、あたしたちも大概ですけどな〜。そう、それは遡ること二年前......あたしたちがまだ中学2年の頃、蘭が────」

 

と、俺の話を聞いて何か思い出したモカが、昔のことを話しだそうとしていたのだが、なぜか蘭が、慌ててその話を中断させたのだった。

 

「ちょ、ちょっとモカ!?その話だけはやめて!お願いだから!」

「どうした蘭?何か聞かれちゃまずいことでもあんのか?」

 

「べべべ別にないから!!だか気にしないで!みんなも早く帰ろうよ!こうして無事、青藍と......あっ」

 

蘭の自分の過去が暴かれる(?)ことへの焦燥が、一瞬にして困惑へと移り変わった。

 

 

その理由は俺も大体予想はついていたが、昔と今の名前、どちらがいいのか、というものだった。

 

「名前......どっちで呼んだほうがいいかな?」

 

「できれば流誠がいいかな......昔のことはまだよく分かってないし......だから俺は「今の俺」で生きたいんだ」

 

ひとしきり沈黙したのち、皆が首をうんと頷かせた。

 

「──分かった。じゃあ改めてよろしくね、流誠」

 

「流誠か、じゃあ新しくあだ名付けないとな。......よし決めた!流にしよう!カッコいいし!ということで、改めてよろしくな。流!」

「私からも、改めてよろしくね!流誠くん」

 

「じゃああたしは前と同じく、呼び捨てで

流誠って呼ぶね! 改めてよろしく!」

 

「う〜ん、流誠か〜......せいくんのままっていうのはダメかな〜」

 

「んまあ、いいよ別に。流誠にも「せい」って入ってるし」

 

「了解〜」

 

こうしてみんなの心遣いにより、俺は新たな名前で呼ばれることとなった。(1名を除く)

 

「じゃあ、今度こそ帰ろうか。流誠、もう呼び止めることはないよね?」

 

「もうねぇよ!目的だったみんなとまた会えたんだし......」

 

「だな!いや〜それにしてもホントに良かったな〜!流が戻って来てくれて!」

 

「だね〜。これで蘭がいじける心ぱぶふっ」

 

蘭がモカのみぞおちに肘打ちを喰らわせた。

 

「モカ......それ以上言ったら、今度は本気で殴るから......」

 

「今ので本気じゃないの〜......?モカちゃんかなり痛かったよ〜」

 

「え......なんで俺が居なかったことと蘭のいじけ事情の話が繋がるんだぶふはァッ!」

 

「流誠は......その話、忘れていいから......」

「分かりました!分かりましたから本気でみぞおちに膝入れてくるのやめてください!まさか、蘭が俺のことを思いすぎていじけてたとか?ってあ゛あ゛あ゛!腕゛か゛あ゛あ゛!!!」

 

右腕に関節技を華麗にキメられ、激痛がはしる。

 

「次は、左......」

 

「ら、蘭ちゃん!痛がってるし、もうやめて

あげたほうがいいんじゃ......」

 

「あははは!賑やかだなあ」

 

「ともちゃん、笑いごとじゃねえって......」

 

そんな一連のやりとりで、みんなと笑い合いながら校舎へと繋がる階段を下っていった。

その途中、突然ひーちゃんがこんなことを口にした。

 

「それよりみんな!こうして流誠が戻ってきてくれたことだし今日を新生Afterglow誕生記念日にするのってどう?」

 

「ひーちゃん気が早いよ〜。せいくんまだ正式加入してないじゃん〜。まあ、モカちゃんは強制にでも加入させるつもりだったんだけどねー」

 

「......あふたーぐろー?なんだそれ?それに加入って...」

 

聞き慣れない単語と加入という言葉を耳にした俺は、疑問符をふつふつと沸かせる他なかった。

 

「そういえば、流誠くんにはまだ言ってなかったね。私たちのバンドグループのこと」

 

「へぇ、Afterglowってつぐちゃんたちが

入ってるバンド名だったのか...ってバンド?!」

 

「リアクション大げさすぎ。あと、ただのバンドじゃないよ。『あたしたちだけのバンド』、だからね。」

 

「その通り〜」

 

こんなにも可憐な幼馴染たちがバンド活動をしていたなんて、一体誰が予想できただろうか。

 

「だからさ、流誠も一緒にバンドしようぜ!」

 

「うん。私も流誠くんがバンドに加入して

くれたら、嬉しいよ」

 

「そうだな...加入ってことになるのかは分からないけど、サポート役でも構わないのなら、喜んで入るよ」

 

楽器を手にしたことなど、ましてやギターやドラムなんていう専門的なものなんて全く触れていない身だったので、せめて身の周りの世話くらいはとそんな提案をしてみせた。すると一同は納得した様子で手を叩いた。

 

「サポート役か!そのアイデアは無かったな......」

 

「なるほど!私はてっきり、一緒に演奏するのかと思ってたよ」

 

「ごめんな。俺、ギターとか完全初心者だから」

 

ギターやドラムなど、バンドで使う楽器の知識は孤児院に置いてある雑誌の中でチラッと見たことぐらいしかない。

 

「じゃあ楽器は弾いたりしなくていいけど、

あたしたちの曲を聴いて、どこが良かったかとかアドバイスを言ったり、機材のセッティングもやってもらうことになりそうだけど、それでも大丈夫?」

 

「もちろん。それ以外にも俺、みんなに差し入れとかして役に立ちたいし。何より......」

 

「何より......?」

 

「みんなとまた一緒に過ごせる時間が増えるからな」

 

 

「「「「「......!」」」」」

 

そう言うと5人は、皆顔を赤らめて、次第に頰を緩ませていった。

 

「いいかな?」

 

「......よくないわけ、ない」

 

「おおう、ありがと......蘭、怒ってる?」

 

口では承諾する蘭だったが、なぜか顔を横に向けて眉をひそめていた。

 

「っ!こ、これは......その......と、とにかく!今日から流誠もAfterglowの一員だから、詳しいことはまた日を改めて伝える......から......も、もう今日は帰ろう、いい加減に。外暗くなってきたし」

 

「あ、ああ......これからよろしくお願いします......てか蘭!なんでそんな早歩きなんだよ!」

 

「ちょ、追いかけてこないでよ!今、顔見られるとヤバイから!」

 

こうして俺は、変な流れだがAfterglowの一員となることになった。役割は裏方からのみんなのバックアップ、そしてアドバイザーを担当することとなった。みんなの役に立てるように、気を抜かずに頑張っていかなきゃ。

 

 

 

......にしても、あれはなんだったのだろうか。

 

訳も分からず早歩きを続ける蘭と、それを止めようと追いかける俺を尻目に、残りの4人がヒソヒソと何かを話し合っていたのは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5人にまた明日と別れを告げ、自転車置き場に置いてあった自転車をこいで孤児院に到着すると、先生が玄関で俺の帰りを待っていた。なんでも帰りが遅いと感じていたらしく、30分くらいはそこに立ちっぱなしで待っていたという。

 

「ああ流誠、よかった...帰りが遅かったので、何かあったのかと心配してたんですよ?早速カツアゲにでもあっていたらどうしようかと......」

 

「自転車転けて怪我することに心配するのは百歩譲っていいとして、入学初日からのカツアゲは、流石にありえませんよ先生......」

 

先生の異常なまでの過保護さに呆れ、ツッコミを入れたあと俺は「風呂に入ります」と言い残したあと、そそくさと制服を脱ぎ、風呂場へと直行した。

 

 

 

湯船にたぷたぷに溜まったお湯に浸かってみると、ちょうどいい湯加減だった。そして、そのまま湯船の中で夢見心地な気分となってしまい、少しの間寝てしまった。いい夢だった。

 

 

 

風呂から出た後は夕食を済ませて、子供たちの遊び相手をして、そいつらを寝かしつけた後、俺も寝床へ行こうとした時、先生から「友達、できましたか?」と、今朝出された課題の確認をされた。

 

「そんなにすぐできるわけありませんよ、友達なんて......」

 

「"友達は"、ねえ......でも良かったですね。」

 

「え?」

 

「幼馴染とは再会できたみたいですし」

 

「......バレましたか」

 

「そりゃあバレますよ。顔、にやけてますし。ふふ」

 

先生から指摘されたことにまさかと思い、おもむろに顔に手を伸ばして触ってみると、俺の口角は目に見えるほどに釣り上がっていた。

 

「っ!?一体いつから......」

 

「あなたが学校から帰ってきた時からですよ?」

 

と、愉しげに笑う先生を見て、恥ずかしさのあまり、俺はとうとう逃げ出してしまった。一方先生はというと、「おやすみなさい、流誠〜」と、背を向ける俺に寝る前の挨拶をしていた。対する俺は返事はしなかったが。

(あああ恥ずかしい......まさか孤児院に帰るまでもあんな顔だったのか......?)

 

いやな推測を立ててみたが、悩むだけ無駄と判断し、今日あった出来事を振り返るのと、明日のことを考えることにした。その方がよっぽど有意義だし、うん。

 

(初日から幼馴染と出会えて本当に良かった。

最初は、もうあの町にはいないんじゃないか

とか思ってたぐらいだしな)

 

平常心を取り戻していた俺だが、夕方の出来事を思い出すと、再び口角が自然に釣り上がってきたことに気がついた。

 

 

 

 

 

(......これからは、ずっと一緒、か。ふふっ)

 

 

 

 

 

こうして、長年失っていた少年の居場所は、十数年振りに再会した幼馴染のおかげで息を吹き返したのであった。




いかがだったでしょうか。次の投稿は11月22日の19時30を予定しております。お楽しみに!

今回もご閲読、ありがとうございました!以上、あるでした。


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第4話 予感

どうもあるです。話すことがない!


メンバーからAfterglowの音楽性や方向性、そして各機材などの専門的な用語などについて説明してもらってから数日、俺はAfterglowの一員としての自覚を持ち、メンバーのサポートに明け暮れていた。

 

「......よし。今の曲、

いいカンジに仕上がってきたな」

 

「うんうん!私たちの幼馴染パワー最強って感じ!?我らAfterglowにコワイものなしっ!てね〜!」

 

「そうだな。けどひーちゃん?Aメロのとこ音外してたよね」

 

「うっ......」

 

「低音域担当だからってぬかってるんじゃダメだよ」

 

このように俺は、5人の演奏を黙聴し、どこを改善すべきか、継続していくかをメンバーに伝えている。もはやスタッフなんて下っ端ではなく、言わばAfterglowの監督だ。

 

「まあまあ。ひまりちゃん、ナイスベースだったよ!」

 

「ひまりちゃん、ナイスベース」

 

「もぉ〜!」

 

「ほらモカ。ほどほどにしとけよ?」

 

と、どうにか励まそうとつぐちゃんが、続いて多少の揶揄いを含めたモカが口を開き、最後にともちゃんが止めにかかる。しかしそうやって甘やかしすぎていても意味が無いのだが......

 

モカの「励まし」に関してはむし、大歓迎である。演奏力の向上にも繋がるし、何より、ひーちゃんの反応がおもしろい。

 

「蘭は今の演奏、どう思った?」

 

と、先ほどの場を制したともちゃんが蘭に感想を聞いた。

それに対して蘭は、

 

「......『いつも通り』だね」

 

満足げに微笑んだ。

 

『いつも通り』。

俺たちにとってのその言葉には、文字通りの本来の意味以外にも、「いつも100%の力を出せる。そしてそれが当たり前だ」という意味が込められている。

 

「でたっ、蘭の『いつも通り』!」

 

「おおー」

 

お褒めの言葉をリード役であるボーカルから言われて、他のメンバーも満足そうだった。

 

「ちょっと、変な風にいうのやめてよ。流誠は、どう感じた?」

 

「ひーちゃんが間違えたのが惜しかったが、俺も蘭と同意見だ。みんな前よりかは確実に上手くなってたし」

 

「ふふ......そうだね」

 

「確かに〜」

 

「も〜、話を掘り返さないでよ流誠〜!二人も賛同しないで〜!」

 

「次、頑張ればいいよ!ひまりちゃん!」

 

「うぐ、今はつぐの優しさが痛く感じるよ...」

 

ひまりのリアクションに笑みを禁じ得ず、みんながひとしきり笑いあった。

 

その後、モカが唐突にこう切り出した。

 

「ところでさー、スタジオにこもりっきりの練習も飽きてきたことないー?そろそろライブ、したいかもー」

 

ライブの開催を提案してきた。

 

「いいね〜!!

そろそろスタジオ飛び出して、

ライブやりたいかもっ!」

 

「いいね」

 

「アタシも同感。久しぶりにステージで派手にドラム叩きたいしな」

 

「うんっ!私もキーボード、がんばるよ!」

 

「ライブ、か......そういえば俺、Afterglowのライブ見たことなかったな」

 

ライブと聞いて思い浮かぶのは、せいぜいMCの掛け声や熱気滾る演奏に合わせて盛り上がるフロアぐらいだ。むしろそれが正答なのだろうか、いずれにせよライブという行事は俺にとって未知のものだった。

 

「ライブ、おもしろいよ〜?特にひーちゃんなんか、ライブするたび感動して泣いちゃうしねー。この前のライブも......」

 

「ええっ!?この間のはなんていうか、たまたまっていうか......もぉ、モカ!流誠にいらないこと教えないで〜!」

 

と、これまた、一笑。相変わらず、何度見てても飽きないな。幼馴染のやりとりっていうのは。

 

「ははは。ひまりはモカにはかなわないな。......っと、そろそろ終わりの時間か。」

 

ともちゃんの言う通り、時計を見てみればライブハウスで貸し切りにしているスタジオの制限時間が迫っていた。

 

俺たちAfterglowは、いつもここのCiRCLEというライブハウスにある練習部屋で練習している。と言っても俺は、ここに通い始めて数ヶ月程度しか経っていない。だからといって右往左往としているわけでもないのだが。俺がこの短期間でサポート等できるようになったのも、ここのスタッフの月島さんのご指導あってのことだし。ありがたいことだ。

 

「ほんとだ。あっという間だったな。みんな練習で疲れただろうし、帰りにどこか寄って行こうか」

 

「さんせーい。あたし山吹ベーカリー行きたーい」

 

「それじゃ、モカちゃんの好きなパン屋さん寄って帰ろっか?」

 

「わーい」

 

「と、なると...」

 

「まずは片付けだな」

 

「だな」

 

行き先は山吹ベーカリーに決定。ただお店側にも閉店時間という約束事があるので、行くなら早めに片付ける必要がある。

 

俺達は言わずもがな、手慣れた手つきで片付けし始めた。誰が何の片付けをするか、役割分担もいつも通り。

 

「じゃあ、スタジオ代は私が払ってくるから

みんな、お金、私にちょうだーい」

 

その間に、ひーちゃんがスタジオ代を払うこととなった。

 

「いくらだっけー?」

 

「いつも同じ金額でしょ〜!」

 

「そうだっけー?えーっとー......

100円だっけ?」

 

「ちーがーうー!」

 

まーたモカがひーちゃんいじめ始めたか...

 

「こらモカ。ひーちゃんをいじりたい

気持ちも分かるが、」

 

「分からないでよー!」という声がドアの閉まる音とともにスタジオに鳴り響く。

 

「 今は話が別だぞ?なにせ、やまぶきベーカリーに行けなくなるかもしれないんだからな」

 

「えー!それだけは絶対やだー!」

 

「なら黙って片付けできるでしょ、モカ?」

 

「はーい...」

 

蘭と俺は阿吽の呼吸からか、モカにとってあってはならない事態を双方から言い放った。それを聞いたモカは、のそのそと片付けを再開した。

 

「ふふっ、ほんと流誠くんとモカちゃんと蘭ちゃんの三人って、私たち幼馴染の中でも特に仲が良いよね!」

つぐちゃんの言う通り、再会した時に知ったことなんだが、俺と蘭とモカの三人は他の三人と比べて特に仲が良かった。俺はあまりそのことを覚えてないが、モカのボケには自然とツッコミを入れたり、蘭とは何かと気が合うので、揺るぎない事実なのだろう。

 

そんなことを考えていると、蘭の携帯から甲高い着信音がスタジオに鳴り響いた。

 

「......」

 

電話の発信主を確認した蘭は、変わることがあまり多くない表情を曇らせていた。

 

「「蘭?」」

 

そんな蘭を見て変に思った俺とモカは同じタイミングで、どこか様子のおかしい親友の名前を呼んでいた。

が、当の蘭は支払いから帰ってきたひーちゃんと入れ替わりで、「ごめん、席外す」とだけ断ってからスタジオの外へとそそくさと出ていってしまった。

 

「お待たせー!支払いと次の予約、終わったよ!」

 

「こっちも片付け終わったよ」

 

「ナイスタイミンーグ!それじゃあ帰りますか〜」

 

つぐちゃんの言葉を聞いて、モカの世話などに手間がかかったせいで片付けをした覚えのあまりなかった俺は、思わず後ろを振り返った。そこには先ほどのシールドなどでごちゃごちゃとした室内とは似ても似つかない殺風景と、綺麗に仕舞われた楽器が壁に立てかけられていた。これを主につぐちゃんとともちゃんの女の子二人でほとんど片付けたというのだから、驚きを隠せない。

が、俺と同罪であるはずのモカはそんなことに悪びれもせず、未だに戻ってこない蘭のことを心配していた。

 

「......ねー、蘭はー?」

 

「ああ......まだ電話から戻ってきてないだみたいだが、──あっ」

 

俺も話題を蘭へと向けた直後、蘭が帰ってきた。

 

「......ごめん。ちょっと電話してた」

 

「「......」」

 

依然俺とモカは、見逃さずにいた蘭のあの表情を忘れずにいた。

 

「蘭、大丈夫か?そんな疲れた顔して......」

 

ともちゃんがすかさず蘭の方へと歩み寄る。そんな心配そうなともちゃんに蘭は目を丸くさせると、すぐさま目を泳がせて首をふるふると横に振った。

 

「なんでもない......早く行こ。じゃないとモカの好きなパン屋、閉まっちゃうよ」

 

「っ!ほんとだー、もうこんな時間!モカちゃんの命の源でもあるパンが食べられないなんて、モカちゃんショックで死んじゃうよー」

 

「だろうね」

 

蘭の言動はまるで、モカを盾にして自分の何かを悟られないようにするかのようだった。かくいうモカも、蘭の思惑にわざと引っかかってあげてるように見えたのは気のせいだろうか。とりあえずモカのいつもの言動についてはいつも通り適当にいなしておこう。

 

「はいはい、パンは命ですねーモカさん」

 

「先、行くよ」

 

「へいへい。らしいから、行こう、みんな」

 

蘭は出発の合図を俺を中継して、みんなに伝えた。

 

「ははっ、これも『いつも通り』ってやつだな」

 

「あははっ、ほんとだね」

 

「どんな時も『いつも通り』であること...アタシは嫌いじゃないけどな」

 

「そうだね」

 

「巴ー!つぐー!早く早くー!」

 

「はいはい。それじゃ、アタシ達も行こうか」

 

「うん!」

 

そんな何気なく『いつも通り』に過ごす俺たちは、これから起こる試練の気配に、気づくことは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

......いや、それはどうやら俺だけのようだ。

 

 

 

 

「ああっ!」

 

孤児院の門限を、優に越していたのだった......

 




いかがだったでしょうか?次回は都合により11月24日の19時30に投稿いたします。その都合についても24日にお知らせしますので、どうぞお楽しみに!

ではまた!


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第5話 外連

どうもあるです。早速ですが、前回お話しした『都合』についてお話しします。

実は僕、明日から5日のあいだ、海外に修学旅行に行くんですよね。

...はい。そうなんです。海外ゆえにWifi環境があまり恵まれないので、投稿日を前倒しさせてもらったんです。急なお知らせで申し訳ないですが、そういうことです。

なお、今日から3日後のお話のぶんも前述の通りなのでお休みさせていただきます。お休みさせていただいたぶんは後日ちゃんと二話連続投稿しますので、どうかお許しください!


あ、あと今回後書きのほうに流誠くんもとい青藍くんのプロフィール的なもの載せてます。これを見れば流誠くんのことについて少しは詳しくなれると思いますので、ご拝見のほうよろしくお願いします。

では、どうぞ!


「ひーちゃん遅いじゃん〜」

 

 

 

ドアを勢いよく開け放ちスタジオに息を切らしながら入って来たのは、遅刻をしてきたひーちゃんだった。

 

「ひまりが遅刻なんて珍しいな......って、どうした?真剣な顔して」

 

いつも通り放課後のスタジオ練習をしにきた俺たちだったが、まだひーちゃんだけスタジオにいなかったのだ。

その理由はスタジオの受付の人からの話を聞いていたからだそうで、その内容とは......

 

「スタジオの人にこのチラシもらったんだけど......」

 

一枚の紙に、全て記されていた。

 

「『ガールズバンドジャムvol.1 出演者募集』......?これって......」

 

「ガールズバンドジャム......?ライブの催しか何かか?」

 

聞いた感じバンドライブの募集案内っぽいが、バンド初心者の俺には、結局よく分からなかった。

するとともちゃんが教えてくれた。

 

「ガルジャムは、ガールズバンド界結構メジャーなイベントなんだよ」

 

「そうなのか。まさか、ひーちゃんの聞いた話っていうのは、そのガルジャムに出るか出ないかっていう話だったり?」

 

「ピンポーン!そのまさかです」

 

予感が的中した。

誘われた理由として、スタジオの人がAfterglowが最近頑張っているのを見て、他のスタッフにガルジャムに推薦してもらうように頼んでくれたかららしい。

自分にとっての初ライブがそんな大きなイベントのライブになることに、俺は感動を覚えた。

 

するとともちゃんが、今度は俺たちを試すかのようにガルジャムについて語り始めた。

 

「確かに、ガルジャム出身の人気バンドは多い。アタシも客として何回か行ったことがある」

 

ともちゃんは自らの過去の経験を語ると、「けど」と前置きしたのちに言葉を続けた。

 

「アタシ達が今まで出てきたイベントは学生バンド中心の、規模が小さいやつだ。ガルジャムはそれとは規模も、熱量も全然違う。いくらスタッフの人が推薦してくれたとしても、あの場で、実際にライブをやるのはアタシ達だ......」

 

「「「「「......」」」」」

 

突きつけられた現実に、皆口を固く閉ざさるを得なかった。

もちろん、ガルジャムなどの大きなイベントに出ることは今まで小規模のライブにしか出てこなかったAfterglowにとって、自分たちをもっと知ってもらうためのまたとない機会だ。だが、それに見合った緊張感などが押し寄せてくるのもまた事実。そんな大きなイベントで失敗しようものなら、知名度こそ大なり小なり上がるかもしれないが、観客からは失望され、評価が下がってしまう可能性だってある。それだけは絶対あってはならない。観客には是が非でも、本気のAfterglowを知ってもらいたい。

 

神妙な顔つきでそんなことを悶々と悩んでいると、つぐちゃんがいきなり、

 

「......出ようよっ!!!」

 

「......え」

 

少し強張った声で言った。

 

「なっ......!つ、つぐちゃん!?」

 

先ほどまでの思考からは選び抜かれなかった選択を代わりに提案され、俺はたまらず疑問を投げかけた。

が、つぐちゃんは止まらなかった。

 

「で、出ようっ!うん、出たほうがいいよ!前の練習で、ライブに出たいって言ってたし、チャ、チャレンジだと思って、出てみようよ!」

 

「「「「「......」」」」」

 

「あ、あれっ!?私、変なこと言っちゃったかな......!?ご、ごめん......っ」

 

一同反応なし。沈黙を突き通していた。

 

が、表情は一変して、やる気に満ち溢れていた。俺もそうだった。

 

「ぷっ...はははははっ。変なことなんか言ってないよ。つぐ、よく言った」

 

「つぐ、かっこいい〜」

 

「ええっ、ちょっと、やめようよぉ...」

 

冗談っぽく褒められたつぐちゃんは、とうとう赤面してしまった。かわいいらしい。

 

「つぐの言うとおり、チャレンジしてみるのもいいかもな。蘭、モカ、流、どう思う?」

 

つぐちゃんの反応を見終えたともちゃんは、参加の有無に特に反応を示さなかった蘭とモカ、そして俺に話を振ってきた。

 

そして、その答えはもちろんYESだった。

 

「ああ。一緒に頑張ろうぜ。俺は観客側だけどな」

 

「いいんじゃない」

 

「さーんせ〜」

 

これでメンバーの意見が定まった。まあ、俺たちがビビって参加拒否することなんてないだろうし、最初からこうなることは決まっていたのかもしれない。

 

いつだって『いつも通り』やる。100%を出し切る。ただそれだけなんだから。

 

「蘭ちゃん、モカちゃん、流誠くん......!」

 

「やっっっったーー!!それじゃ、決まりだねっ!」

 

「ああ!」

 

俺たちの賛成の声を聞き、発案者であるひーちゃんと質問者であるつぐちゃんとともちゃんは、揃って舞い上がって喜んでいた。

 

 

......いや、見間違いだ。大げさにぴょんぴょんと舞い上がっていたのはひーちゃんひとりだけだったか。そしてその勢いで、ひーちゃんはメンバーを鼓舞した。

 

「そうと決まれば、練習がんばらなきゃ!

 ん〜〜!なんかやる気出てきたっ。

 みんな、頑張ろうね!!

 せーの、えい、えい、おー!」

 

 

 

「「「「「......」」」」」

 

そんなひーちゃんからの、やるのに多少勇気のいる掛け声の前フリに、場が凍りついた。

 

「......って、みんな言ってよぉ〜!もぉ〜!!」

 

一緒に掛け声をやってくれると信じていたひーちゃんだったが、見事に空振りしてぶーたれていた。

 

「ひーちゃん、悪いがやる側の気持ちにもなってみてくれ......」

 

「......さすがに、えいえいおーはないでしょ」

 

「ええっ!?」

 

「確かに、ちょっと恥ずかしい、かな......」

 

「え〜!巴まで!ひどいよぉ〜!」

 

掛け声に冷めた反応を示す俺たちと相反して、ひーちゃんはまんざらでもない様子だ。どれだけ度胸があるんだこの天真爛漫少女は。

その後しばらく笑いあって、ともちゃんが俺達を現実に引き戻しにきた。

 

「......冗談はさておき、本気で練習しないとな。アタシ達の晴れの舞台だ。派手にかましてやろうぜ!」

 

「えいえいおー」

 

「今言うの!?」

 

ともちゃんから喝を入れられ、気合い十二分となって、モカも数十秒遅れて例の掛け声をした。

 

そんなモカも決して不真面目ではないことなど、この中のメンバーなら誰もが知っている。

 

 

特に蘭と俺は。

 

「モカ。こないだ引っかかったフレーズ、合わせたい」

 

「おっけー。じゃあ一回合わせてみて、せいくんにどんな感じだったか聞いてみよーよー」

 

「そうだね。流誠は別にいいでしょ?」

 

「おう任せろ。良い点も悪い点もはっきり言ってやる。だから、安心して弾いてくれ」

 

「ありがと。じゃ、その2つ前のフレーズからいくよ......」

 

蘭からフレーズを直してもらうように頼まれたモカが、続いて俺に演奏を聴いてもらうよう頼んできた。蘭も同じ頼み事を考えていたらしい。それを代わりにモカが頼んでくれた形となった。そして、蘭は俺が肯定すると分かっていたような口ぶりだった。まさに阿吽の呼吸だった。

 

俺たちは互いに微笑み合うと、気持ちを切り替えて、ガルジャムに向けた練習に身を投じた。

 

 

 

そんな俺たちの練習風景に、他の3人も背中を押されたのか、負けじと練習を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

練習は長い時間ぶっ通しで行われた。しかしがむしゃらに張り切って練習しすぎてもいけないなとも思い、キリのいいところで休憩することにした。

 

休憩時間になったので、俺もひと段落と周りに合わせて近くのパイプ椅子に腰掛けた。そんな中、蘭が前の練習の時と同じように、携帯を手に取りスタスタとスタジオの外へと出て行ってしまった。

 

その直後、モカが自前のパンを貪りながらこちらへ駆け寄ってきた。

 

「......やっぱり蘭、何かあるねー」

 

「だな。ちょっと、声かけに行ってやるか」

 

「りょうかーい」

 

「すまんみんな。俺とコイツ席外す」

 

「わかった。早く戻って来いよー」

 

蘭のそんな行動は俺とモカにとって前々から気になって仕方なかったことだったので、痺れを切らして聞いてみることにした。

 

蘭のやつ、どうみても何か背負い込んでる。悩みがあるなら俺達が聞いてやるのに......まったく、何のための幼馴染なんだか。

 

 

スタジオから出て早々、俺とモカの二人は、窓際で携帯を耳に当て電話をしている蘭を見つけた。それから俺とモカは、その横顔へと声をかけようと口を開いて────。

 

 

 

 

「......だから、それは......!」

 

「「っ......!」」

 

蘭が怒気のこもった声を出し、それに怯んでしまい、声をかける寸前でその場に留まってしまった。

 

「かなりデカい声で怒鳴ってるな......邪魔しちゃ悪いだろうし、このまま観察してみるか。声かけるとしても、電話が終わってからにしよう」

 

「うん、その方が良さそうだねー......」

 

作戦を急遽変更した俺たちは、蘭からは死角となっている通路の角から、事の一部始終を覗き見るような形で観察することにした。

 

すると再び、渋るようなものから確かな怒号へと変貌した声が聞こえてきた。

 

「いちいちあたしのことに口出さないで。......だから!関係ないって言ってるでしょ!」

 

耳をつんざくような怒号に、すぐ側にあったカウンターのスタッフさんは、早く終わってくれと願わんばかりに終始目を瞑っていた。自分がやった事でもないのに、あまり面識のないスタッフさんに対して、俺は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

 

 

 

「はぁ......」と電話を切り、ため息をついた蘭はどこか虚ろな目をしていたように思えた。

 

それを察したモカは、何気ないように見せかけてすかさず蘭に声をかけた。そんなアドリブに、俺も続いた。

 

「蘭〜?」

 

「そろそろ練習始めないか」

 

「分かった。ごめん、今戻る」

 

「もう一回さっきのところ、せいくんに聴いてもらいながらやってみよ〜」

 

と、結局俺とモカは蘭の諸事情についてはあまり触れずに、あたかもさっき来たかのような素振りをとって、蘭を練習に引き戻した。

 

(今度あんなことになったら、俺達に悩みを洗いざらい明かしてもらうからな......)

 

目的を完遂できなかった俺は、歯噛みしながら心の中でそう呟いた。それはきっと、隣でへらへらと冗談を垂れてるモカも同じだった。

 

メンバーも再集結しスタジオ内に熱気が戻ってきた。

ただ、それはいつも感じるのとは少し違った低迷じみた熱気だった。それが、今日の最後の練習となった。

 

 

蘭が珍しくキーを外していた。そんな、実に印象的な練習だった。

 

 

 

 




前書きでも書いてあった通り、主人公でもありオリジナルキャラクターでもある流誠くん、もとい青藍くんのプロフィール(設定内容)を紹介していきます。()内に書かれているものは流誠くんがまだ青藍くんだったころのものです。ただ、過去のことに関しては、今明らかになっていることだけを書いています。



名前:長門 流誠
(長門 青藍)

身長:163cm

特徴:天パ、黒髪、黒瞳、意外かもしれないが眼鏡くん←事故の時、視力障害も患ってしまったため。

好きなもの、得意なもの:夕日、天体観測、昼寝、運動、料理、チョコ、爬虫類や両生類などのんびりとした生き物、もふもふしたもの
(夕日)

嫌いなもの、苦手なもの:人付き合い、勉強

大切なもの:Afterglowのメンバーもとい幼馴染、孤児院の先生、孤児院の子供達(両親、幼馴染)

部活:陸上部 短距離種目

性格:Afterglow5人の性格が合わさった感じ

誕生日:1月15日←流誠という名前が付けられた日が誕生日となっている

補足:記憶喪失とはまた別で、生まれもって喘息を患っている


以上が流誠くんと青藍くんのプロフィールとなります。ほとんど作者の経験してきたものがそのまま流誠くんの設定になっています。何かを元にして設定しないと色々と面倒だったので、お許しください。



さて、雲行きが怪しくなってきたところでいかがだったでしょうか。察しのいい方もおられるとは思いますが、アエオアは本家のバンドストーリーなどをもとに執筆しています。ご了承ください。

次回の投稿は11月30日の19時30分を予定しております。お楽しみに!

では、また次回お会いしましょう!


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第6話 切願

ただいま!無事日本に帰りましたあるです!これからはいつも通り投稿していくんでどうかご安心を!

あと、修学旅行の片付けなどで投稿時間過ぎてしまいました。誠に申し訳ない......次からは気をつけます。


では、本編どうぞ!







練習後の帰り道、蘭の異変に気付き始めていた俺たちは気まずさで押しつぶされそうになっていた。

気付いてるなら「何か悩み事か?」と聞いてみればいいのではと思うかもしれない。だが聞いたところで、あの強情で仲間思いの蘭が簡単に口を割ってくれるはずがない。特に今回の件は第三者視点から見た感じ、結構な厄介事っぽいし、それだと尚更蘭は仲間を私情に巻き込んでたまるかという気持ちが増していくだろうから、蘭以外のメンバーはあまり電話の件については蘭の前では触れないようにすることに、暗黙の了解のもと決まった。

 

「おーい、ひまりってば。聞いてるか?」

 

「えっ!?な、何!?」

 

ともちゃんが突然、ひーちゃんの名前を呼びだした。

 

「別になんでもないけど。ずいぶん難しい顔してるからどうしたのかと思って」

 

「あれ!?私そんな顔してたかな?あ、あははー。ちょっと、疲れちゃったかな。だ、大丈夫!なにもないよ!」

 

「んー、そうか?」

 

呼びかけたワケは、どうやらひーちゃんがずっと「難しい顔」のままだったかららしい。

 

(ひーちゃんも電話のこと気になってたのか。流石、俺たちAfterglowのリーダーだ)

 

ひーちゃんが難しい顔をしていた理由を勝手に解釈し自己完結していると、蘭が別れの挨拶をした。

 

「......じゃあ、私はここで」

 

「ああ......じゃあな、蘭。また明日、学校で」

 

それに応えた俺に続いて、他のメンバーも蘭に挨拶をした。こうして残りは、蘭以外の5人だけとなった。

 

 

俺にはその様がとても空虚なものに感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ......今日はいつもよりも、調子が悪かった気がする......」

 

最近頻繁にかかってくる父さんからの電話のせいか、練習中にキーを外してしまうことが多くなった。そのせいでメンバーには心配をかけさせてしまっているかもしれない。

そう思うと、胸が痛くなった。

 

「華道がなんだっていうの......私はみんなと、バンドを続けたいだけなのに......!」

 

募りに募って、今にもはち切れんばかりの父さんに対する怒りを抑えながら、私は家の玄関の扉を開けた。横開きの、見慣れた和風の扉だ。

 

靴を脱いでリビングへ向かうと、父さんが座椅子に座って、私の帰りを待っていた。

 

「......ただいま」

 

「蘭、また今日もこんな遅くまでバンドの練習か?最近は華道の集まりにも顔を出さずに、そんなことばかりして...少しは自分の立場を考えなさい」

 

人に決められた立場なんて、自分のものじゃないのに。

 

あたしの中の淀みがまた、グツグツと煮え立ちだした。

 

「ほっといてよ。父さんには関係ないでしょ」

 

ああダメだ。父さんの言動全て、気に触る。

私はずっと、募った怒りが形をもって体の外部に解き放たれてしまうことを恐れていた。ましてやその凶刃があの大切な幼馴染達に向けられることなど────。

 

 

そんな娘の気持ちなんかいざ知らず、厳格な父親はこう続けた。

 

「関係ないわけないだろう。私はお前の父親であり、美竹流の家元だ。お前はその後継だという自覚があるのか?」

 

この言葉を何度聞かされてきたことか。私はそれに返事をすることすら呆れてしまった。

 

「自覚が足らないようだからもう一度言っておこう。美竹流の後継者であるお前は、もっと積極的に華道に触れるべきだ。だいたい、高校生になったら、本格的に後継者としての勉強が始まると前から言っていただろ。それをお前は......」

 

 

 

言わせておけば、長々と偉そうに......

 

 

 

 

理不尽に突きつけられる運命と、自身に募っていくばかりの拠り所の無い怒りの重圧に耐えられなくなった私は、重たい口を嫌々開いた。

 

「......うるさいな!もう、部屋に戻るから」

 

「待ちなさい、蘭。」と呼び止められたが、知ったことでは無い。華道だってそうだ。

 

二階にある自分の部屋に駆け込んだ私は、入るや否や、ドアに背中を預け座り込んだ。

それから私は、自分の唯一の理解者である幼馴染達のことを脳裏に浮かべていた。

 

(......みんなと、離れたくない......ずっと、一緒にいたい......)

 

切なる願いを込めながら。

 

「モカ、流誠......あたしは──」

 

そして、最も親しみ深い2人の名前を、涙ながらに口に出した。

 

 

 

その時だった。

 

 

 

(......?モカから、電話......?)

 

 

 

ブーッ、ブーッという携帯のバイブ音がポケットの中から軽快に鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日の蘭ちゃん、後半少し疲れてそうだったよね...」

 

「ああ。珍しくキーを外してたしな」

 

「本人はそれを長時間の練習のせいだって言ってたけど......原因はそれだけなのかな」

 

「どういうこと?」

 

蘭が途中から家に帰った後、俺達残りの5人は、今日の蘭の様子のことで話題が持ちきりとなっていた。今はその蘭の悩みの原因をみんなで考えているところで、ともちゃんの持論を基に考察している。

 

「最近、蘭が頻繁に誰かと電話してるみたいなんだ。相手は、蘭の親父さんからじゃないのかなって思って」

 

ともちゃん曰く、蘭のお父さんが関係しているらしい。そこで俺は、とある疑問を一つ浮かべた。

 

「ごめん......なんで、蘭のお父さんが関係してくるんだ?」

 

そう。俺は蘭のお父さんについて、まったくの情報を得ていなかったのだ。記憶喪失をした過程で、その情報もトんだだけなのかもしれないが、いずれにせよおいそれと断定することはできない。

 

「あ、そっか......流誠くんはあまり、知らなかったんだったね」

 

と、蘭のお父さんの情報を求めていた俺に、つぐちゃんが親切にも教えてくれた。

 

聞くと蘭のお父さんは、華道の美竹流の当主だそうだ。そんな父親の娘である蘭もいずれは華の道に進むようになる。そんな話も、つぐちゃん自身が近所の人から聞いたことがあることも教えてくれた。そして蘭のお父さんももちろん、その気でいるのだろう。

 

俺が納得した様子を確認したともちゃんが、話を再会し始めた。

 

「前に蘭の親父さんが、高校生くらいになったら蘭に華道の勉強を始めさせたいって言ってたんだ」

 

「だが、当の蘭本人はそれに反対していて華道を継ぐ気も無い......ってとこか」

 

「ああ。だから、その件で親父さんから電話がかかってきてるんじゃないかって思ってさ」

 

自分の人生を奔放に生きている娘と、自分の言いなりにならない娘をどうしても思い通りにさせたい愚かな父親。

今の俺には、蘭と父親の関係がそんな風に見えた。

 

それから、自分とモカの2人で見かけた、あの蘭の電話の最中の風景をみんなに話し始めた。

 

「実は今日、俺とモカで休憩中に抜け出した蘭の後をこっそり追ってみたんだ。前々から蘭から感じてた違和感の正体を、原因を、直接本人から聞こうとして......」

 

けれども蘭はすごい剣幕で誰かと電話しながら、『関係ないでしょ!』とか『ほっといて!』って怒鳴っているのが見えた。そこで俺達は、しばらく観察することにした。それで気付いたことがあるのだが、蘭が電話を切ったあと、何かをこらえるような顔もしていた......

 

 

「その後の練習中も、さっきだってずっとつらそうな顔をしてた。モカは気付いてたよな?」

 

一部始終を語った後、同行していたモカに今日の蘭の様子がどうだったか聞いてみた。

 

が、予想外の答えが返ってきた。

 

「ん〜、そうだった?蘭はいつもあんなカンジじゃん?みんなも分かると思うけど、こう、ムムッ!ってしてるっていうか」

 

共に間近で同じ光景を見ていたはずなのに、感想はまったくの逆のものだった。

そこで、露骨な疑問をアイコンタクトで投げかけてみると、モカからは頷き返されただけだった。ただそれは、「まあ待て」というような意味が込められていそうな頷きだった。

何か考えでもあるのだろうか。

 

「実は私も、流誠と同じように感じてたんだけど......私の勘違いだったのかな?ならいいんだけど......」

 

モカの白白しいようで見抜けない芝居に、ひーちゃんはまんまと自分の見解を捻じ曲げられてしまった。

 

「けれど、心配、だね...」

 

「ま、明日以降もあんなカンジなら、タイミングを見て流たちがやろうとしたように、蘭に直接聞いてみるのも手か。簡単に答えそうにはないけどな」

 

「まあ、やれるだけやってみようぜ」

 

「「「「うん!(おー)」」」」

 

蘭の性格上効果的ではないものの、蘭から直接悩みを聞き出して親身になってその悩みを聞くということになった。

 

 

 

 

 

しばらく歩いた俺達は、それぞれの家に繋がる交差点で別れを告げた。

 

俺とモカだけはそこからの帰り道が途中まで一緒だったので、今日の蘭の様子を2人で、もう一度振り返っていた。

 

「蘭の様子がおかしかったのって、今日だけじゃなかったよな」

 

「うん、この前の練習も、いつもよりムムムッてしてたー」

 

今日のことだけではなく、前の練習でも蘭から違和感を感じていたどうかも聞いてみた。

やはりモカも、薄々勘付いていたらしい。

 

「ムムムッていえばお前、なんでさっきみんなの前で蘭についての話を逸らそうとしてたんだよ」

 

次に、先程のモカの言動でずっと疑問に思っていたことを思い出した俺は、その本意は一体何だったのか聞いてみた。

 

「ありゃりゃ、気付かれてましたかー。あの演技のことなんだけど、あまりみんなに心配かけたくなかったからなんだよねー」

 

「やっぱ演技だったのかよ...でも、そうか。なんだかんだいって、モカもみんなに気を遣ってくれてたんだな」

 

「当たり前ですよー」

 

その点では幼馴染としての経験やAfterglowとしての活動が短い俺に比べて、ベテランのモカの方がよく気が回るのかも。

 

「そのくせ俺は心配を煽り立てるようなこと

言っちまって......はぁ......」

 

「まあまあ。どんまいどんまい。それよりさー、モカちゃん、いいこと思い付いたんだけどー」

 

と、俺の肩をポンポンと叩いた後モカが突然話を切り替えてきた。

 

「いいこと?」

 

「まあまあ、耳を貸してみなさい」

 

「あ、ああ......?」

 

一体何を思い付いたのかと思い、モカの言う通り耳を貸した。

それからモカは、「いいこと」についてこそこそと話し始めた。声と共に出てくる息が、耳にかかってくすぐったい。

 

 

して、その「いいこと」の内容というのは...

 

「“蘭に電話をかける”?」

 

至極単純なものだった。

 

「......耳の近くで話すほどでもなくね?無駄にドキドキした俺がバカだった......」

 

「んー?何にドキドキしたのかなー?」

 

「うるさい......で、蘭に電話して、そこから何の話をするんだよ」

 

「いつも通りの会話をするだけだよー」

 

ひねりのない作戦のひねりのない内容に、俺は最初は肩をすくめていた。

けどよく考えてみれば、それが逆に蘭を少しでも安心させれる良いスパイスになるかもしれないと、次第に思い始めた。

 

「なるほど、な。いつも通り蘭とたわいない

会話をして安心させる、ってことか」

 

「ごめいとー。さすがせいくんだねー。それじゃあ早速、蘭に電話してみよー」

 

「俺、携帯持ってないんだけど......」

 

「しょうがないなー、じゃあモカちゃんの携帯からスピーカー通話で話そうかー」

 

その時携帯を持ち合わせていなかった俺は一言謝罪をはさみ、モカの携帯越しから蘭と会話させてもらうことにした。

 

 

携帯から発信してから蘭が電話に出たのは、ほんの数秒後だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

電話の発信主がモカだということに気付いて一瞬呆気にとられていたが、すぐに携帯に表示されていた緑の受話器のボタンを押した。

 

「......もしもし」

 

『もしもーし。蘭?ワシワシ、ワシじゃよ。モカじゃよ。なんてねー』

 

「モカ......」

 

『オレオレ詐偽みたいに言うなよ......あ、蘭?聞こえるか?流誠だよ』

 

「って、流誠もいるの?どしたの2人とも。急に電話なんて......」

 

電話から聞こえてきた2人の声を聞いて、体の奥底から込み上げてきていた淀みが消えていくのを感じた。

 

そうして話している安心感と怒りからの解放感からか嗚咽が出そうになったが、それをなんとかこらえて2人からの返答を待った。

 

『それがさー蘭、聞いてよ〜。帰り道せいくんと2人きりになっちゃって、せいくんがいきなりモカちゃんのこと襲ってむぐぐぐ』

 

『はああああお前何言ってんだよ?!蘭さん!?別に襲ってませんからね!?モカの度が過ぎたジョークですからね!?』

 

モカが冤罪をかけられそうになった流誠に口を塞がれたのか、途中で言葉を詰まらせていた。

 

「ふふっ......うん、分かってるよ。モカの声聞いてたらなんとなくそう感じるから。あくまでなんとなくだけどね」

 

濡れ衣を着せられている流誠に追い打ちをかけるようにからかってみると、悲痛な叫び声が返ってきた。ああ、おもしろい。

 

すると正気に戻った(?)モカが後ろのガヤを無視して、電話をかけてきた本当の理由を言いだした。

 

『まあさっきのは冗談として、たまには電話を かけてみるのもいーかなーと思っただけ。

蘭も、モカちゃんやせいくんの声聞いたら元気出てきたでしょ?』

 

「元気出てきたでしょ?」と言われ、華道のことで気付かれているのではと不安がよぎった。が、あまり気にすることはないだろうと、そんなことはすぐに忘れてしまった。

 

「心配しなくても、元から元気だよ」

 

そう、モカたちは心配しなくていい......

私のことは、大丈夫。

 

 

 

だから......

 

『元から元気だって?じゃあこれで元気100倍になったんじゃない?』

 

『アンパ◯マンかよ......』

 

『せいくんはモカちゃんを襲ったことをおとなしく反省してなさーい』

 

『だから襲ってねーよ!』

 

「あはは。2人とも、いつも通りだね。おかげで更に元気になった気がする。流石に100倍はないけど」

 

『それも冗談だってばー。......お、そろそろ家つくから切るねー。それじゃ、明日も元気にいってみましょー。じゃーね』

 

楽しい時間はあっという間だ。

 

『そういうことだ、蘭......また明日、学校でな......はぁ......』

 

「うん。2人ともありがとう。また明日」

 

モカを遇らうのに疲弊しきっていた流誠の挨拶を最後に、私は電話を切った。

 

(......)

 

それからしばらく、華道のことやバンドのことを考えていた。

 

(ひとりで、なんとかしなきゃ......みんなに迷惑かけないためにも......)

 

脳裏にはいつもみんながいた。笑顔で優しく、あたしのことを暖かく迎え入れてくれる、そんなみんなが。

 

 

 

その姿を鮮明にしながら、あたしは身の内に秘めていた決意を更に固めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「蘭、やっぱ元気無さそうだったな」

 

「口ではああ言ってたけどねー」

 

俺とモカは、蘭の言った「元から元気」という言葉に説得力を感じられずにいた。電話をしている途中、ただでさえ低い蘭の声の調子が更に低くなっていた気がどことなくしていたからだ。

 

「蘭のやつ、俺たちに気付かれてないとでも

思ってんのか?」

 

「だとしたら、詰めが甘いですなー」

 

「まあこれからは少し様子でも見てみるか。蘭は何かと俺たちに迷惑をかけたがらない性分だし、蘭のできるとこまでは、そっとしておこう」

 

「そーだね。それでもし蘭が耐えられそうになくなったら、私たちで助けてあげよー」

 

俺とモカは蘭の心境を考えた上で、まだ直接には華道のことを聞いたりせず、側からただ見守るだけにすることにした。それでもしも蘭が暴走しかけたら、俺たち5人で、蘭の気持ちを受け止めてあげよう。それでもまだ「なんでもない」なんてしらばっくれても、無理にでも悩みを吐かせてやろう。洗いざらい言いたいこと話させて、スッキリさせてやろう。

 

 

でも、それはあくまでも蘭が暴走しかけた時の話。

 

「「...」」

 

だから、今の俺たちにできることは────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「......頑張れ、蘭」」

 

 

 

蘭の幸運を、ただただひたすらに祈ることだけだった。




いかがだったでしょうか。次の投稿は12月3日の19時30分を予定しております。とうとう12月ですね。風邪には十分お気をつけて!



ではまた次回お会いしましょう。さいなら!


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第7話 霧散

どうもあるです。

皆さん風邪などは大丈夫でしょうか?筆者は絶賛風邪もしくはインフルエンザ予備軍です(笑)(笑えない)

これからはもっと肌寒くなっていきます。体調管理には十分お気をつけて!←



では、どうぞ!




蘭に電話をしてから次の日、あまり寝付けなかったため、遅刻を強いられそうになった。

 

(まずいまずいまずい......!うちのクラスの担任、生徒から遅刻してきたなんて言葉聞いた日には、鬼の形相で怒りだすからな......)

 

てきぱきとは言えないほど慌てた様子だったが、俺はできるだけでも早く学校へ向かおうと身支度をしながら、担任のことを思い浮かべた。

 

俺のクラスの担任である中川静樹は、普段は大人しくておおらかな女性教員なのだが、なぜか遅刻をすることに異常なほどの嫌悪感を抱いているらしく、同学年の“とあるやつ”がこの間、そのことを存分に廊下越しから身を以て知らしめてくれた。哀れ先人。

 

(って、噂をすれば......)

 

先人に向けて時期外れの追悼の意を込めながら自転車をこいでいると、前方にその人物らしき人影が見えた。

 

そいつの特徴というのは、灰色がかったのショートヘアに、ともちゃんと似たような瞳の色、それからパン好きということで......

 

 

......なぜそんなに詳しいのかって?

 

それは相手も相手だから。

 

 

「なーに呑気に歩いてんだ、お前は」

 

 

「おー、せいくんナイスタイミーング。遅刻しそうだけど走るのもめんどくさくて歩いてたんだー。後ろ乗せてくれなーい?」

 

そう。その先人の正体はこいつ、モカだ。

 

当の本人は前回自らが犯した罪に対しての反省を微塵も感じさせない言動をとっている。挙げ句の果てには、悪びれもなく幼馴染を巻き込んで己の窮地を打開しようとしていた。

 

「はぁ......じゃあ早く乗れよ。そのかわり次から遅刻するなよ。絶対にだ。いいな?」

 

 

「せいくんが遅刻しなければいいだけだと思いまーす」

 

 

「お前の事思って注意してやってんだ。何度もあの先生に怒られてきたっていうのに何も感じなかったのかお前は」

 

何はともあれ、流れでモカを荷台に乗せて自転車をこぐはめになってしまった。ただでさえ性能の悪い先生(孤児院)からもらったお下がりの自転車が、重みが加わったことにより更にのろまになった。

 

ちらりと恨めしげに後ろにいる重りを見てみると、そいつは俺の背中に頭を預けて夢の世界へと旅立っていた。とても幸せそうな顔をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

いろいろとあったが、無事時間通りに学校の正門まで到着できた。それと同時に後ろの重りもちょうど夢から覚め、俺に礼を言いながら背後から頭を撫でてきた。

 

 

 

しばらくすると、羽丘の外壁が見えてきた。それを見届けた俺はモカを片手で揺すり起こした。

 

「ほら起きろモカ。もう着くぞ」

 

 

「おや、意外と早かった。せいくんおつかれー。よくがんばったねー、えらいえらい」

 

 

「分かったから早く降りろ。遅れるぞ」

 

流石に校門近くでこの有り様を晒すのはマズいので、モカには早々に立ち退いてもらうように促した。

 

 

 

すれ違ったクラスメイトに挨拶を交わしていきながら駐輪場へと急ぐ。このくらいはできるほど、人見知りな俺でもちゃんと他人とは親睦を深めようと努力しているのだ。でもやっぱり一番はコイツらだが。

 

「ねえせいくん」

 

 

「なんだよ」

 

チェーンロックの確認をしていると、モカに肩を小突かれたので、俺は渋々そちらに顔を向けた。

 

「ひとつお願いしてもいいかなー?」

 

 

「お願い?はあ......またかよ」

 

自転車の件に次いで今朝から二度目のお願いごとを、断る余地もなくされた。まったく、コイツは朝っぱらから容赦がない。

 

そうしてやれやれと肩をすくめながらも、俺はそのお願いとやらに耳を傾けた。

 

「で、一体何だよ」

 

 

「せいくんA組でしょー?蘭のこと、任せたよー」

 

そのお願いごととは、同じクラスの幼馴染として蘭のお守りをして欲しいということだった。

 

実を言うと蘭の親しい仲がA組には俺しかおらず、他の4人は全員B組に分かれてしまっているのだ。だから別の組にいる自分たちの代わりに、悩みを抱え続けたままの蘭をそっと見守ってやっといてくれと頼んで来たのだろう。

 

「そんなことかよ......分かってるよ、そんくらい」

 

もちろん俺もそのつもりだ。仲間が悩み事しているところを見て見ぬフリをしたままじゃいられないし、話し相手になってやることぐらいはできる。

 

でもそれは、蘭から求めてきた時だけのこと。今はあくまでも様子見程度ということで。

 

「だよね。よかったよかったー」

 

その旨を伝えると、モカが安堵の表情を見せた。そういうお前もとモカに流し目を送ると、「わかってますとも」と言わんばかりにゆっくりと頷かれた。

 

 

それから校舎に駆け足で向かった俺たちは、階段を登って突き当たりにあるA組で別れを告げた。モカはそのもうひとつ隣のB組にあの3人の名前を声に出しながらすたすたと入っていた。

 

 

A組の教室内にはクラスメイトのほぼ全員が当たり前のように揃っており、席に着席して周りの友人達と談笑しながらチャイムの音が鳴るのを待ちわびていた。そんな中で教室のドアを開けた俺は、須く注目を浴びることとなった。俺はそれに慣れた身振りで「おはよう」と返した。するとあちら側からも「おはよう」と続々と挨拶を返してくれた。中学と違って良いスタートが切れたみたいで安心した。

 

席に座り、1時間目の道具を鞄の中から取り出していると、隣の席のやつから小声で声をかけられた。

 

蘭だ。この小動物みたいに大人しい態度から察するに、まだクラスに馴染めていない様子だった。

 

まあ、そんな態度をとっている理由はもうひとつあるのかもしれないが。

 

「遅かったね」

 

 

「昨日の夜なかなか寝付けれなくてさ。寝坊したんだ」

 

遅れた理由を聞いた蘭は「そう」とだけ言って、SHR前の恒例行事である朝読書に集中し始めた。寝付けれなかった原因に自分が関係しているとは微塵も思ってないかのように。

 

(早く悩み打ち明けてくれたら、こっちも気が楽になるんだがなぁ......)

 

そんな蘭を見て、聞き入れてくれそうも無い行き場のない要望を心の中で呟いた。

 

 

今日もまた、夜な夜なうなされるかもしれない。そう思うと俺は、気が気でなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日の流誠は、いつになく元気がないように見える。いつもならたわいのない会話をし合っているのに、あまりそれをしてこない。何か悩み事でもあるのだろうか?

 

(私も人の事言えないけどね......)

 

今は次の時間の移動教室の為、日直である私は教室のドアの鍵を閉めようとしている。その後ろでは流誠があたしの顔を見ながらじっと待っていた。

 

「何。またメッシュでも眺めてんの?」

 

 

「え?ああ、ごめん。特に理由は無いけど、急に蘭を見たくなっただけだから」

 

気になって理由を聞いてみると、側から見れば誤解を招きかねないようなことを言ってきたが、それは冗談に決まっている。根拠は特にない。

 

「なにそれ......まあいいや。行こ」

 

 

「うい」

 

ただ、モカみたいにあまりふざけたことを言わない(あくまで故意に)流誠が、いきなりレベルの高い冗談を言ってきたのが気がかりで仕方がない。やはり何かある。

 

そして理科室までの道中私は、横に並んで一緒に歩いていた流誠に真相を問い質そうと彼の正面に向き直り───。

 

 

 

 

 

〜♪

 

最悪のタイミングで授業開始2分前をお知らせするクラシック音楽が校舎に流れ始めた。

おかげで間が悪くなり、結局聞けなかった。

 

「げっ、もうそんな時間かよ......次の移動教室は理科室だから東校舎か、遠いな。......よし、走るか」

 

 

「えっ?あ、うん。でも東校舎ってすぐ隣......ってちょっと流誠!?飛ばしすぎだって!」

 

流誠はあたしの静止しようとする呼びかけを置き去りに、理科室のある隣の東校舎に繋がる連絡通路めがけて韋駄天の如く駆け抜けていった。流石は羽丘高校きっての陸上部短距離選手と言ったところだろう。余談だが、流誠はこの羽丘高校では一二を争うぐらいの俊足の持ち主だ。

 

ただ、そんな遠のいて行く流誠の背中からは、その速さも相まってか何かから逃げる脱兎を彷彿とさせていた。

 

 

 

......いや、本当に。本当に、何かから逃げているかのように見えた。

 

 

 

 

 

 

 

流誠が角を曲がった。その直後、先生の驚きの声と怒りの声が、廊下中に響き渡ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くっそー......まさか先生とばったり鉢合わせするとはな......おかげでどやされたよ」

 

 

「あんなに速く走るからでしょ」

 

理科の授業も終わって先程の出来事の反省会をしていると、その目撃者でもある蘭からド正論を言われ、ぐうの音も出なかった。

 

(少し取り乱しすぎたか......?)

 

取り乱したというのも、蘭が教室のドアを閉めるの待っている際、蘭を気にかけるあまりじっと見つめていたのを本人に気づかれてしまったからで、急に走り出した理由も、予鈴が鳴ったということ以外にそれが関係していた。

 

「それより次昼休みだし、弁当持って屋上に行って、みんなと合流しようよ」

 

 

「だな。みんな待ってるだろうし」

 

みんなというのはもちろんいつものメンバーのことだ。クラスが違い、体育の合同授業などがない限り放課後までは中々会えない俺たちは、昼休みの長い休み時間、解放された屋上に集まって弁当を食べたり駄弁ったりしている。

 

 

 

 

弁当を片手に屋上まで階段を駆け上がり、その勢いでドアを開けると、晴れ渡る空とみんなが待っていた。

 

「ふぅ......みんなお待たせ」

 

 

「遅いよ二人共〜。ていうかせいくん、さっき先生に怒られてたでしょー」

 

 

「バレてたか......」

 

 

「そりゃそうだよ!廊下中に『長門くん!』って先生の怒った声が響いてたんだもん」

 

 

「あれは凄かったな〜。思わず震えたよ」

 

 

モカ、ひーちゃん、ともちゃんに先生に叱責されたことを掘り返され、それをなだめようと周りに視線を送った。

 

そして、とあることに気がついた。

 

 

つぐちゃんがいない。

 

「あーっと、そういえばつぐちゃんは?」

 

遅すぎる発見に、申し訳なさそうに頭をかきながら、所在を聞いた。

 

「つぐは生徒会の仕事があるから遅れてくるらしいよ」

 

 

「そういえばつぐのやつ、放課後も生徒会があるって今朝言ってたなー。あと、すごく眠いとかなんとか言ってたし」

 

 

「そうなんだ」

 

どうやら生徒会の仕事で席を外しているみたいだ。頑張るつぐちゃんには感服するが、それと同時にともちゃんから今朝のつぐちゃんの様子も聞いて、少し心配にもなった。

 

「つぐのそういう頑張り屋さんなところ、私、好きなんだよね〜」

 

 

「そういうひまりだって、つぐみたいに眠そうにしてたじゃないか。理由聞いたら、まだナイショだからとか言って流されるし」

 

 

「ひまり、私たちから隠れて何やってるの」

 

 

「今朝巴やつぐとかには言った通り、今はどうしても言えないんだってば〜!」

 

ひーちゃんも寝不足らしい。ここまでメンバーが立て続けに寝不足を訴えているのを見ると、流石に不安が鮮明な形となってしまう。

 

「みんなあまり無理しないようにしないとな。ひーちゃんに限っては、寝不足の理由がまだ不明瞭なままだけどな」

 

 

「夜遅くにぱったり起きちゃってコンビニスイーツでも食べてたからじゃないのー?」

 

 

「はははっ、ひまりらしいな」

 

 

「そうだね。だから太るんじゃないの?」

 

 

「もうやめてよモカー!巴と蘭までー!」

 

一気に笑いが巻き起こる。これだから幼馴染というものは素晴らしい。辛いことや悲しいことも紛らわしてくれる。それは、俺の中でぐるぐると渦巻く“淀み”も同じだった。

 

 

 

でもそれは、あくまで紛らわせただけ。霧は振り払えど、薄まるのはほんの僅かだけだ。またしばらくすれば不安という名の霧が、その影を色濃くしていくのかもしれない。

 

 

 

 

 

そうこうしているうちに俺達は、昼休みでの一幕を終えた。




いかがだったでしょうか。次回は12月6日の19時30分に投稿予定です。お楽しみに!


今回は後書きを書く時間に余裕ができたので、この場を借りてお気に入り登録してくださった18名の皆様に、感謝の言葉を贈らせていただきたいと思います。本当にありがとうございます!大変励みになります。これからも精進していきますので、どうか暖かく見守ってやってください。


さてさて。話もだいぶ進んでまいりました。そこで皆さんに、折り入ってお願いしたいことがあります。それは「評価」です!

はい。僕と同じく執筆されている方ならわかるかと思いますが、あの黒→赤のやつです。一応評価はできるようにしているのですが、これが一件も無くて...おこがましいようですが、これからの執筆活動の糧として皆様のお声を活用していきたいので、評価のほう、どうかよろしくお願いします。


ではまた次回お会いしましょう。さいなら!


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第8話 各々

喉痛いィィィィィイイイ!!!!!!


放課後の陸上の練習中、昼休み予想していた通り例の霧が濃くなっていくのを感じて、練習に集中できずに走行中腕と脚のコントロールが利きにくくなり、顧問の先生から指導を受けた。

 

「長門ー!もっとストライド意識して走れー!終盤スピード落ちてきよるぞー!あと腕伸びとる!」

 

 

「......はい!」

 

バンドの練習の時間割いてまでこうして部活こうしてやっている。なのにこんなものでは顔向けできない。今は集中しなければ。

 

俺は喘息の発作を抑えながら、自分で自分を鼓舞して『霧』を払い、再びスタートブロックへと向かった。

 

 

 

スターティングブロックに向かう途中、そこからグラウンド全体へと鳴り響くピストルの音が、やけに煩わしく感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日はいつもよりも忙しく思えた。

いつもならみんなと屋上に集まっていたはずの昼休み中も仕事詰めだった私は、慣れない時間帯での作業に息をあげていた。そして今も生徒会の仕事にがむしゃらに取り組んでいる。

 

(なんだか体が重たい気がする......眠気も朝より酷くなっていく一方だし......)

 

身体をいつもより酷使し過ぎたせいか、身体への異常を感じ始めていた。限界が迫ってきている証拠だ。

 

「さて、資料の準備をしないと......」

 

一緒に仕事をしていた生徒会の先輩が次の仕事に移ろうとしていた。この先輩も、私と同じく昼間も働いている。ここは後輩として、同じ仕事を担っている先輩のお手伝いをしなければ。

 

そうやっめいつもなら仕事を引き受けているところなのだが、今の私はあまりの疲労感に押し黙ったままでいた。

 

 

その時。

 

 

『パァン!』

 

 

グラウンドの方から甲高い音が鳴り響いた。驚きのままに音の出所に見開いた目をやると、陸上部の短距離選手と思われる何人かがグラウンドを颯爽と走り抜けていくのが見えた。その背中から、さっき鳴った音の正体はスタートの際に使用するピストルによるものだったことに気がついた。

 

(陸上部......そうだ。流誠くんは今頃、陸上の練習を一生懸命に頑張ってるはず。流誠くんだけじゃない。蘭ちゃんたちだってそれぞれのやるべきことを精一杯やってる......)

 

陸上部の練習風景を見て、今は見えない所にいる幼馴染たちの頑張っている姿を連想し、思い浮かべた。すると今まで重いままだった身体が、何だか突然、枷が外れたように軽くなった。

 

疲労はやがて、やる気へと変わっていった。

 

(みんな頑張ってるんだ......だったら、私も頑張らないと!)

 

それから先輩に自分が仕事を代わりに引き受けるように言ったのはすぐ後のことだった。

 

「それ、私がやります!」

 

 

「ありがとう、助かるわ。でも羽沢さん。あなた大丈夫?昼間からそうだけど、なんだか疲れてるように見えるわよ?それにこの資料の量、結構多いし......」

 

 

「ご心配かけてすみません。でももう大丈夫です!頑張ります!」

 

 

「そう?じゃあ頼んだわね、羽沢さん」

 

 

「は、はいっ!」

 

どうやら先輩の目からは疲労感を誤魔化しきれていなかったみたいだが、なんとか言いくるめることができた。

 

 

 

何はともあれこれで仕事に専念できる。

 

 

みんなと同じく、頑張れる。

 

 

 

 

 

その時の込み上がるやる気に突き動かされてやっと動けていた私は、ただの付け焼き刃のようなもので......

 

 

少しずつ。だけど、着実に迫ってきていた限界をただ延滞していることに気付くことができなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ひまり〜!コート整備手伝ってー」

 

 

「まっかせてー!ひまりちゃんがいればあっという間よ!」

 

 

「もう、ひまりってホント調子いいんだから」

 

 

「ひまりー、頼んでた練習メニュー表、どうなってる?」

 

 

「げ...忘れてた」

 

今は、テニス部の練習が終わった後のコート整備などの作業を行なっている。

 

「ちょっと、ひまり......」

 

 

「ううう......」

 

 

「どうしてひまりはなんでも安請け合い

しちゃうかなあ......」

 

そして、軽々と色んな仕事を請け負ったツケも回ってきたところだ。

 

「だってぇ〜、頼られるとうれしくって断れないじゃん〜!」

 

こういう性分なのだから許してくれと乞うも、他の部員達はやれやれと肩をすくめるばかりだった。

 

「あーーーん!もうどうすればいいのー!」

 

それらを今さら投げ出すことなんかできず、途方に暮れていた。

 

「よ、ひまり!......おいおい、どうしたんだよ。泣きそうな顔して」

 

すると、頼れる親友である巴がやって来た。

そしてそれを見つけた私は、すぐさま巴に向かって泣き寝入りしにいった。

 

「巴〜!助けてぇ〜!」

 

その時に自分の発した情け無い声が、意気揚々とテニスコートに木霊していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今部活や委員会で頑張っているみんなとは違い、何にも所属していないあたしは、一人でCiRCLEに向かっていた。

 

(そういえば、蘭はどうしたんだろう。HR終わった後、A組覗きに行ったらすでに居なくなってたし......もしかしたらもうライブハウス来てるのかも)

 

同じく帰宅部である蘭の所在を予想していると、いつのまにかCiRCLEに着いていた。

 

カウンターに向かい、手続きを済ませた後、先程の予想の解答をスタッフさんに聞いた。

 

「そういえば、蘭ってもう来てますかー?」

 

 

「ああ、蘭ちゃんなら10分くらい前から練習してるよ」

 

的中。やはり、一人で来ていたようだ。

 

お礼をスタッフさんに言ってから練習スタジオのドアを開けてみると、そこには一人、元から険しい顔をさらに強張らせながら練習している蘭がいた。

 

「おーす。蘭、来るの早いねぇ」

 

 

「モカが遅いの」

 

何を言ってるんだか。

蘭が来るのが早すぎるというのに。

 

さしずめ早めに練習を始めようとした理由は、華道の悩みをどうにか紛らわせようと焦っていたからだろう。

 

 

......早く打ち明けてくれないだろうか。あたしはいてもたってもいられなくなってきていた。

 

「まーまー。ほら、笑って笑ってー。笑顔の蘭ちゃんが一番かわいーよ」

 

 

「うるさいなあ、もう」

 

気を和らげようと、割と冗談ではない冗談を言ってみると、軽くあしらわれて終わった。

 

と、蘭の目の前に置かれているスタンドに、一枚の譜面が置かれているのを見つけた。

 

「お、もしかしてその譜面は新曲かな〜?」

 

 

「これは......まだ全然できてないから見せられない」

 

 

「ふーん。もしかして、モカちゃんへのラブソングだったり〜?」

 

 

「はいはい、そうかもね。練習、始めるよ」

 

譜面の内容を聞き、また冗談を言って、また雑にあしらわれ、練習を開始しようとした。

 

 

『ブーッ、ブーッ』

 

 

が、蘭の鞄の中から鳴り響きだした携帯のバイブ音に邪魔をされてしまう。時間的に、他の4人は部活などで電話をかけてこれないだろうから、今電話をかけてきてるのは、おそらく蘭のお父さんだろう。

 

そしてその電話の受信者である蘭は、苦悶の表情を見せながら、ただ静かに立っていた。

 

「出なくていーの?」

 

この前とは違って、電話がかかってきた現場に直接居合わせたあたしは、蘭に判断を仰いだ。

 

「いい。父さんからだから」

 

蘭は、電話の主が父親だということはわざわざ携帯画面を確認しなくとも分かりきっている様子だった。

 

「......ん。そっか」

 

だからあたしは、端的に了解の意を述べるだけにし、それ以上何も言わなかった。

 

 

それはもちろん、あまり深入りしないようにもするためであった。

 

 

「練習、しよう」

 

 

それからしがらみを断ち切るような蘭の掛け声に続き、あたし達はようやく練習を始めることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日の陸上の練習はいつもより質も量も多く、後片付けなどを終えた時には時刻はすでに19時を回っていた。

 

部室で着替えをし、監督に挨拶をした後、練習後の疲れ切った足に鞭を入れ、自転車を駆り出しCiRCLEへと向かう......

 

 

 

前に、差し入れに何か買って行こうかと思いやまぶきベーカリーへ立ち寄った。

 

 

パンを選びトレイをレジへ持っていくと、レジ番をしていたやまぶきベーカリーの看板娘である、山吹から声をかけられた。彼女とは差し入れのパンを買いに行くたびに嫌でも会うため、それと同学年ということもあってか自然と会話を交わす仲になっていた。

 

「また差し入れ?」

 

 

「ああ。陸上の練習後のついでに、みんなに買ってってやろうかと思って」

 

 

「流石、気が効くね。でも、モカに全部食べられないように気をつけなきゃ。そうなったら本末転倒でしょ?」

 

 

「はは。確かに」

 

山吹は、俺と同じくここの常連であるモカのことをよく知っている。人付き合いがとても苦手な俺と、山吹がこうして仲良くなれたのは、モカも大なり小なり関係している。そもそものきっかけが、アイツに無理矢理連れられてパンを買いにきたことだし。

 

 

だが一番の理由は、山吹自身の人の良さなのだと俺は思う。

 

人当たりが良く聞き上手な彼女だからこそ、俺は心が開けたのかもしれない。そう思ったからだ。

 

「でも大丈夫。もしそんなことがあったとしても本人に全額弁償してもらうだけだから」

 

 

「あはは、容赦無いね......あ、お会計648円になります」

 

バーコードを読み取る音をBGMに会話を弾ませた後、指定された金額分の代金を払った。

 

ここのパンは場合によるがそのほとんどが税抜き100円均一で、とても買い求めやすい。それはパンの質の良さに次ぐここの人気の理由の内の一つだった。

 

 

レジ袋を手に取り山吹に別れを告げた俺は、再び自転車をCiRCLEに向けて駆り出した。

 

 

 

 

 

 

CiRCLEに到着し、手続きをしようとカウンターに向かう俺を見かけて、スタッフさんが駆け寄ってきた。そして今日は蘭とモカしか来ておらず、その二人はついさっき帰ってしまったことを告げられた。

 

 

思えば、今日は蘭とモカ以外のメンバーはそれぞれ別の用事があるため練習に遅れて来るか、もしくは来れないと昼休みに伝えられたような。かくいう自分も、その内の一人だった。

 

(すっかり頭から抜けてたな。にしてもどうすっかな、このパン......)

 

束の間の忘却により生まれた勘違いから買ってしまった、行き場の失ったパン達が入ったレジ袋をしばらく眺めた後、スタッフさんにお礼と挨拶を済ませてから帰ることにした。

 

 

入り口の扉を開けると、月明かりが目に入り込んできた。見上げてみると、そこには満天の星空が広がっていた。

 

ここ近辺ではCiRCLE以外に電気のついた建物があまり無いので、普通のところよりも多くの星が見える。

 

 

山間部などから見るものほどではないが何度見ても見慣れないその星空の雄大さに、何度吐いたかも分からない感嘆の息を、無意識に漏らしていた。

 

 

すると、聞き覚えのある声がどこからか聞こえてきた。

 

「流誠?」

 

それに導かれるように上空に向けていた視線を元に戻す。すると目の前には、すでに帰ったはずの蘭が立っていた。

 

「おお、蘭。帰ったんじゃなかったのか?」

 

 

「忘れ物したから取りに来ただけ」

 

聞くとどうやらCiRCLEに忘れ物をしてきてしまったらしく、今からそれを取りに行くところだったようだ。

 

「そっちは?なんか手にぶらさげてるけど」

 

と、今度は蘭から、俺の右手にかけられているレジ袋について質問された。

 

「ああこれ、みんなに差し入れでも

しようと思って買ったパンなんだけど......」

 

 

「今日は私とモカしか練習来ない事になってたはずだけど」

 

 

「それを今さっき思い出したんだよ......」

 

勘違いしていたせいで今この情け無い現状に至っていることを蘭に伝えると、やれやれと肩をすくめられた。

 

「はぁ......何やってんだか。まあいいや。お腹空いたし、一つちょうだい」

 

 

「一つどころか二つでもいいんだけどな。チョココロネでいいか?」

 

 

「ん、ありがと」

 

蘭はビターなものが好きだとこの前モカから教えてもらったので、あらかじめ買っておいたチョココロネを手渡すと、蘭は嬉しそうにそれを口へと頬張った。喜んでくれたようで何よりだ。

 

 

 

 

蘭がチョココロネを食べ終わった後、CiRCLEへと忘れ物を取りに行った蘭とそのあとについていった俺は、電灯のほのかな明かりの灯った住宅街の暗がりの中、それぞれの家への分岐点である交差点に着くまで、色々と話しながら歩いていた。

 

そしてその話題は、俺の過去の話へと移り変わっていた。

 

「『昔の俺』って、どんなだったの?」

 

 

「屋上で再開した時話さなかったっけ」

 

 

「いや、もっと詳しく知りたいと思ってさ」

 

俺はこうして蘭たちと再開できたものの、昔の記憶の全容が丸々戻ったわけではなかった。

 

 

記憶を失った直後にお世話になっていたカウンセラーの先生曰く、記憶喪失をしたとしても、過去と色濃く関係しているものと接触すれば、次第に記憶が元に戻っていく可能性が十分あるらしい。

 

けれどもやはり個人差というものがあるらしく、俺の場合は事故によって受けた反動があまりにも大きかった為、記憶を取り戻すのに通常よりも時間がかかるのだそうだ。

 

 

別に過去の自分に戻りたいだなんて思ってはいない。だが目を背けているだけではなく、ちゃんと向き合って、嬉しかった事も悲しかった事も全部ひっくるめて認めて、初めて今の俺が出来上がるんじゃないのかと、最近思い始めていた。

 

だからこうして、過去の自分のことを一番知っているであろう親友にそれについて聞いているのだ。

 

「......」

 

そんな俺の質問にしばらく思案顔をした後、こう告げた。

 

 

 

 

「女の子っぽかった」

 

 

 

 

「──は?」

 

衝撃的なその発言内容に、思わず気の抜けた声を出してしまった。

 

 

女の子っぽい????なんだそれ????

 

 

そんな心の中の疑問を、今度は口に出して聞いてみた。

 

「えーっと......具体的に言ってくれません?」

 

 

「仕草ひとつひとつが女子のソレだったり。顔つきとか体格もそんなだった気がする」

 

 

「他は?」

 

 

「他は特に......あっ」

 

 

「どした?」

 

 

「一緒にお──......や、違う。やっぱ忘れて」

 

 

「いや待て、すげぇ気になるじゃねえか。言え、言っちまえよほら」

 

 

「知らなくていいことだってあるからっ!」

 

 

「言い出しっぺお前だからな?」

 

後味の悪い締め方をされたが、何はともあれ昔の自分を少しでも知れたような気がする。それもハズレの方を。

 

「まあ、ありがとな。おかげで思い出したくもない自分を思い出せたような気がするよ」

 

 

「うん。でもなんかごめん、あまり力になれなかったみたいで」

 

 

「全然いいよ。逆に、さらに興味湧いてきたし」

 

 

「そう......なら、よかった」

 

蘭からさっき教えてもらったのが嫌な記憶だったのは事実なのだが、そんな感想とは裏腹にもっと昔のことを知ってみたいという知識欲の高まりを感じたのもまた事実だ。

 

 

前までの俺は閉ざされた記憶の詰まった箱を開けるのを恐れ、わざと知らないフリをし、ソレから逃げ続けるばかりだった。

 

だがそれは大切な親友たちとのあったはずの思い出もろとも否定することになる。だから勇気を出して、禁忌として避けてきたパンドラの箱に手を出した──。

 

 

 

だが、蓋を開けてみればどうだ。

 

嫌な気持ちは幾分かしたものの、思い出は思い出。過ぎた過去がどんなものであっても、よく考えてみてみればこれが意外と笑えるものなのだ。

 

そして、そんな過去と向き合うための前向きな姿勢を俺に与えてくれたのは、他でもないあの5人なのだ。

 

彼女たちが昔ではなく今の俺を受け入れて、そして支えてくれているからこそ、俺は俺のままでいられて、記憶も少しずつだが取り戻せている。

 

 

 

 

だから、今度は俺の番。

 

今度は俺がAfterglowのサポーターとしてみんなを支えていきたい。そしてその過程で、また五人との思い出を作り直していきたい。

 

それから蘭の華道のことも、いずれは白黒はっきりさせたい。

 

“蘭の為になる方法”を、尊重してやりたい。

 

「.....せい......流誠?」

 

 

「あーごめん。考え事してた」

 

 

「そ。じゃあ、私はこれで。また明日」

 

 

「ん、また明日」

 

時が経つのはあっというまだ。物思いに耽っていると、俺達はいつのまにか交差点のあるところまで歩いてきていた。

 

最近、「いつのまにか」を体験することが多くなってきたのは気のせいだろうか。逆に言えば、それほど楽しいと思える時間が増えてきたということなのだろう。はたまた、多忙すぎて時間がどれだけあっても足りないくらいなだけなのか。

 

 

とにかく今日のところはこれでさよならだ。

 

挨拶をし合って、押してきた自転車にまたがり、孤児院を目指しペダルをこぎ始めた。

 

「......あ、あの!待って流誠!」

 

が、数メートル先進んだところで蘭に大声で呼び止められた。まだ何か話でもあるのだろうか。

 

「どした?」

 

 

「あ......えっと、その......」

 

随分とかしこまっている様子だが......具合でも悪いのだろうか。

 

「気持ち悪いか?だったら家まで自転車に乗っけて送ってってやるけど」

 

 

「別に、そんなんじゃ......!」

 

 

「じゃあ何すか」

 

 

「......流誠って、今週の日曜日、予定とか空いてる?」

 

どうやら二日後の日曜日の予定の有無について聞きたかったらしい。それと恥ずかしがることがどう関係しているのかまではどうにも分からないが。

 

俺はいつも鞄の中に入れて持ち歩いているスケジュール表を開き、日曜の予定が無いことを確認した。

 

「うん。特に用事無いし、空いてる」

 

 

「そっか......じゃあ、さ。流誠ってここ周辺のことまだあまり知らない......というか覚えてないだろうし、だからその......その日曜日に、私が案内してあげてもいいけど?」

 

 

「......え?マジ?」

 

 

「マジだけど」

 

耳を疑った。あの恥ずかしがり屋の蘭が、自らお出掛け(?)しようだなんて誘ってくるとは思いもしなかったからだ。それも、ただのお出掛けではない。まだこの町に来たばかりで右も左も掌握しきれてない俺の為の案内役を引き受けてやると言うのだ。

 

 

 

未だに自分の事を圧迫し続けているであろう私情なんかさて置いて。

 

 

 

そう考えると、蘭の自己犠牲をしてまで親友を思いやれるまでの底知れぬ優しさが、しみじみと伝わってきた。

 

「あーもう......まったく、俺はいい親友を持ったよ......」

 

 

「ちょ、急にバカなこと言わないでいいから......それよりほら。行くの行かないの、どっち?」

 

 

「ごめんごめん。じゃあお言葉に甘えて、蘭にガイドしてもらおうかな」

 

 

「ふふっ、しょうがないな。じゃあやってあげるよ」

 

 

「おう、ありがとな」

 

こうして俺は、相変わらず素直じゃない蘭と共に町巡りを行うこととなった。一体どんな発見が待っているのだろうか、これから楽しみで仕方がない。

 

しかし、何故蘭一人だけで俺のガイドをしようだなんて考えたのだろうか。気になったので、それについても聞いてみた。

 

「でも、それだったら他のみんなも呼んだらいいのに」

 

 

「......ガイドぐらい、私一人でできるし」

 

 

(あー、ね)

 

考えてもみれば、彼女の負けず嫌いな性格を考慮すれば、一人でガイドをしようとするのも自然と頷ける。

 

つまり蘭は、案内役ぐらい一人でこなせる、というところを俺に見せたいのだろう。

 

「そっか。ま、改めてよろしくな」

 

当然そんなことを本人の前で言うわけもなく、謝意だけ伝えることだけに留めておいた。

 

すると蘭がホッとした様子で「うん。じゃあ今度こそ、また明日」と言った後、背中を向けて去って行った。

 

そんな蘭の後ろ姿をしばらく見送った後、吹いてきた心地よい夜風を感じながら、再び自転車をこぎだした。右側のハンドルでは、まだパンが5個入ったレジ袋が自転車の振動で無作為に揺れていた。

 

「しゃーない......今日の分は子供達にやって、明日にでもまた5人に買ってってやるかね」

 

そうしてパンの行く末と来る末を考えてから、もう一度星空を見上げてみた。そして孤児院のあの落ち着いた環境を目指し、ペダルに一層強く足を踏み込んだ。

 

その時の俺はきっと、希望に満ちた満面の笑みを浮かべていたに違いない。

 

 

 

 

 

愚かにも、いずれ来るかもしれない最悪の事態を案ずることすら忘れてしまうほどに。




いかがだったでしょうか。次回は12月9日の20時ちょうどに投稿予定です。お楽しみに!


さて、すっかり冷え込んできましたね。風邪にも気をつけてほしいところですが、日が落ちるのも早くなっているので、事件などに巻き込まれないようそちらも十分お気をつけください。



ではまた次回お会いしましょう。さいなら!


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第9話 秘密

こんちゃ。今回は後書きにて、お知らせがあります。




ではどうぞ。






翌日の土曜日の朝、俺が起床してから間もない頃に孤児院に一本の電話がかかってきた。

 

「流誠!電話とってもらえませんか?今どうしても手が離せなくて〜」

 

 

「はーい」

 

先生は朝食の支度で忙しいようなので、代わりに俺が電話に出ることにした。

 

寝ぼけ眼をこすりながら電話の置かれているカウンターまで行き、受話器をあげる。

 

「もしもし」

 

 

『あ、流誠?急な話なんだけど、今からつぐんちまで来てくれない?』

 

 

「ひーちゃん?」

 

電話の主はひーちゃんだった。やけに興奮気味だったのを不思議に思いつつ、集合を呼びかけた理由を聞いてみた。

 

「なんかあったの?」

 

 

『ふっふっふ。実は──』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自転車を近くの駐輪場に停めてからつぐちゃんの実家兼羽沢珈琲店まで行くと、ひーちゃんとつぐちゃん以外のメンバーと、ちょうど鉢合わせた。

 

「おはよう、流」

 

 

「ともちゃん。それに2人も。おはよう」

 

 

「おはよ。とりあえず急ぎの用事みたいだし、早く中行こ」

 

 

「れっつごー」

 

蘭を先頭に店の扉を開けると、カランコロンと鈴の心地良い音色と、コーヒー特有の馥郁たる香りが流れてきた。

 

 

ここには“初めて”来るが、コーヒーの香り以外にも、どこかしら懐かしさも漂わせていた。それはテレビなどでよく聞くような感覚的な懐かしさではなく、どちらかといえば事実的な懐かしさのような感じだった。

 

 

ここもまた、過去に来たことがあるが今は記憶には無い場所なのだろうか。

 

「あ、来た来た!みんな遅いよー!」

 

店の奥の席に座っているひーちゃんが待ちかねた様子でこちらに文句を垂れてきた。隣にはつぐちゃんも座っていた。

 

「ひーちゃんが早いんだよぉ」

 

 

「それより、電話での話ってホント?」

 

モカが反論を仕掛けると、それに続いて蘭が本題に話題を変えようとした。

 

本題──つまり、俺達がここに呼び集められた理由。

 

 

それは何かというと......

 

「ガルジャムから出演案内がきたっていうのは」

 

そう。とうとうガルジャムの方から出演案内の書類が入った封筒が届いたのだ。

 

それを今朝ひーちゃんから電話越しで教えてもらった時、どれほど嬉しかったことか。

 

 

メンバー全員が席に着いたのを見て、ひーちゃんがテーブルの上に例の書類を置いて見せた。

 

「『ガールズバンドジャムvol.12』出演者案内......」

 

ともちゃんはその書類に書かれた内容を信じられないと言わんばかりに朗読してみせた。

が、これは現実だ。現実はいつもどんなことであれ、良くも悪くも目の前に忽然と佇んでいる。

 

そんな現実を、電話や携帯ではなく実際に目の当たりにした俺たちは

 

「おお......」

「......こりゃあマジもんだね」

「うん......」

「......」

 

呆気に取られる他無かった。

 

「えっ!?ちょっとみんな!もっとこう、がんばるぞー!とかないの!?」

 

それを目の当たりにしたひーちゃんは、自らが予想していたものとは程遠い反応に面食らっていた。

 

「いや。嬉しいんだけど、さ。書類見てガルジャム出るんだーって改めて実感したら、感慨深すぎて......」

 

なんて裏方として仮メンバー入りして間もない俺が言うのも変な感じの理由を述べた。

 

すると突然、つぐちゃんの目から涙がポロポロと零れ落ち始めた。

 

「......って、つぐちゃん?泣いてんの?」

 

 

「えっ!?あ、あれっ!?ご、ごめん!安心して、つい涙が......」

 

どうやら無意識のうちに涙を流していたようだ。本当にそんなことが?なんて疑いたくもなるが、あのつぐちゃんならすぐ合点が付く。

 

「あははっ、もう、つぐってばすぐ泣くんだから〜!」

 

 

「ひーちゃんは人のこと言えないと思いまーす」

 

 

「私のことはいーの!」

 

また自然な流れでひーちゃんへの揶揄が始まろうとした時、ともちゃんが気を引き締めさせるかのように場をまとめ始めた。

 

「まあとにかく出演も決まったことだし、今日からは今まで以上にガッツリ練習しないとな。それじゃ、早速......」

 

「ライブハウスへ出発!」と言うつもりだったのか。ともちゃんの言葉はひーちゃんに「その前にー!」と強引に打ち切られた。

 

何事かと辺りが注目するなか、ひーちゃんは何やら愉しげな表情を浮かばせながら自分の鞄の中をまさぐっていた。

 

「むふふ〜!みんな、練習の前にちょっと見てほしいものがあるの!」

 

どうやら俺たちに、どうしても見せたいものがあるらしい。

 

「なになに〜?出演案内のお知らせはもう見たよ〜?」

 

 

「そうじゃなくて。実はね、みんなにお守りを作ってきたの!......あ、あった!じゃーん!ひまり特製のお守りだよー!みんな好きなところに付けてねー♪」

 

モカのお調子を歯牙にもかけぬ様子で俺たちに見せたもの。それは、パッチワークの目立つひーちゃんお手製のお守りだった。

 

「「「「「......」」」」」

 

 

「あれっ!?みんな静かになっちゃって、どうしたの?」

 

だがそれは控えめに言って、追い剥ぎで縫われた呪いの人形さながらの出来栄えだった。一瞬、微々たる忌避感さえ感じた程に。

 

その旨をどうしても共有したかった俺は、そのお守りから感じた負の感情をひーちゃんが傷つかない程度にできるだけ押し殺し、柔らかく、オブラートに包んだような表現を頭の中で練り込んでいた。

 

しかしなかなかまとまりきれず、もどかしさに苛まれていた。

 

「みんなの言いたいことをモカちゃんが代弁するとー......『マジ......?』かな」

 

モカが勝手に俺達の感想を代弁したが、それはあながち間違いでもなかった。

 

「えーーっ!?そんな、ひどいよぉ〜!寝ないで作ったのに〜......」

 

だから最近寝不足気味だったのか。

......まったく。うちのリーダーはどうしてもっと有効的な時間の使い方ができないのだろうか。

 

とはいうものの、完成品がどうであれ俺たちのことを想って作ってくれたのは事実だろう。そういうところもまたひーちゃんらしい、といえば少しはマシになるか?

 

それと同時に、先程までの人形に対する評価があまりに申し訳ないものだったことにも気がついた。するとともちゃんが俺と同じ事を思ったのか、一瞬狼狽した様子を人形に向けてからモカを叱責し始めた。

 

「モカ、せっかく作ってくれたひまりに対してそれはかわいそうだろ」

 

 

「そうだそうだ」

 

遠回しに心を抉られる痛みを感じながら、俺も適当に便乗してみた。

 

「巴ぇ〜!流誠ぇ〜!」

 

ひーちゃんは当然、自身の理解者の出現を喜んだ。だがその喜びも、ともちゃんのとある一言によりあっけなく砕け散る。

 

「ただちょっと......形がイビツ、かな......」

 

 

「がーんっ」

 

どうやらともちゃんは100%ひーちゃんの味方では無かったらしく、人形に対する感想を容赦なく述べていた。ともちゃんも言い方に気をつけようと努力はしたみたいだが、それでも十分。いや、十二分破壊力はあったのだろう。顔を一目見ただけで、ひーちゃんの落ち込みようが目に見えていた。

 

「だ、大丈夫だよひまりちゃん!私は......うん!すごくかわいいと思うよ!」

 

 

「その妙な間はなんなのー!」

 

つぐちゃんがすかさずフォローをかけようとしたが、当然そんな付け焼き刃では逆効果で、傷口を埋めるどころか更に広げてしまった。

 

とにかくもらったお守りはもちろん、それぞれの付けたい場所に付けることにした。どんな形であれ俺たちの為を想って作られた代物には変わりないし、大切に使ってやらないといけないから。

 

ともちゃんはスネアケース、つぐちゃんはキーボードケース、ひーちゃんはベースケース、蘭とモカはギターケース、そして楽器を持っていない俺は外出用の肩掛けバッグに付けることに決めた。

 

「えへへっ、これでみんなおそろいだねっ♪

なんかこういうの、うれしいなぁ〜」

 

それぞれ人形を付ける作業にあたっているとひーちゃんが満足げにそう呟いてから、ライブの成功を人形を握りながら祈っていた。それにお祈りしたところで、効力があるようにはどう考えても思えないのだが。しかし流石にこれ以上言ってやってもかわいそうなので、大人しく黙っておいた。

 

「そのお守りにお願いしても意味ないでしょ」

 

っておい蘭お前。

 

「いや、むしろ魔術とかに使われそうな形してるから、叶うかもしれないよ」

 

 

「「......たしかに」......って、あっ」

 

なんていう俺も首を頷かせてしまったのであった。

 

「ひーどーいー!」

 

子供のような駄々が店内に響き渡る。せっかくひーちゃんの機嫌が治ってきてくれたところだというのに、また振り出しに戻ってしまった。

 

だが時間も時間なので、ひーちゃんには悪いがこのまま練習を始めることにした。

 

「ほらほら。そろそろ、練習始めるぞ。ガルジャム......派手にキメてやろうぜ」

 

 

「「「「「うん!」」」」」

 

こうして俺達はともちゃんの掛け声のもと改めて気を引き締め、意気揚々とCiRCLEへと赴いたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「......」

 

練習とガルジャムに向けた話し合いを終え、CiRCLEから帰宅した俺は、湯船の中で意識を朦朧とさせながら今日の練習風景を思い出していた。

 

最近では前の練習の時のように蘭のキーがズレたりする以外にも、他のメンバーもミスをすることが多くなったような気がする。そのほとんど些細なことではあるが、それがいつしか肥大していって、俺達の脅威へと変貌するかもしれない。

 

ひーちゃんから手作りのお守りをもらいせっかく士気が高まってきたところなのに、この状態が継続していてはそれも無下に......いや、0を通り越してマイナスにまでなる恐れもある。それだけは絶対に避けたい。

 

 

風呂から上がり、体と髪を乾かし寝巻きに着替え、歯磨きをする一連の動作中にも、俺はいろいろな策を思いつけるだけ考えた。だが結局これといったものも無かったので、大人しく寝床につこうと自室へ向かおうとした。

 

 

 

 

──その道中、俺は机の上に妙なものが置かれているのを見つけた。

 

「......?」

 

それは全体が黒色に染まりあがった、見たこともないような一つの封筒だった。

 

 

LEDライトのまぶしい光ですら飲み込む異様な雰囲気を漂わせるそれは、人の好奇心を掻き立てるには十分な程で......

 

「なんだこれ......」

 

その魔性にまんまと惑わされた俺は何かに操られているかのような自然な動きで、既に封の開いていた封筒から中身を取り出した。

 

見てみると中には、封筒とはまったく正反対の色をした三つ折りの一枚の紙切れが入っていた。広げると、文字の配列から紙切れの正体が手紙だということが分かった。

 

故に紙の上部には、誰宛ての手紙なのかを認識できる名前が“拝啓”という文字の後ろに丁寧に綴られていた。

 

そこに書かれていた名前。それは......

 

「“つるまきひばり”......?」

 

“弦巻ひばり”という、聞き覚えの無い名前だった。そんな名前の「子供」はこの孤児院には居ない。

 

 

 

なら、たった一人の「大人」はどうだろう。

 

 

「──これって、先生の名前、なのか?」

 

 

まだ確証は無いが、俺はその名前の持ち主を先生だと考えた。

 

 

実はこの孤児院にお世話になってこのかた、先生の実名を一度も耳にした覚えがないのだ。自己紹介をした時だって先生、家庭訪問の時ですら頑なに自らの素性を明かそうとはしなかった。

 

単なる手紙の誤送も可能性としてはあるが、ここの立地や近所に他の住宅があまりないことを踏まえると、一番理にかなっているのは今の俺の考え方になる。

 

そして俺の意識は次第に、その名前の下の文字の隊列へと向いていった。

 

「とりあえず読んでみよう......」

 

人は未知と遭遇すると人では無くなる、なんて言葉をどこかで聞いたことがあるが、今の俺は至って冷静だった。それはこうなる予感を無意識のうちに抱いていまからなのだろうか。

 

だが、そんな根拠の無い冷静さも、こんな機械的で衝撃的な手紙の文字を前にすれば無意味なものとなる。

 

「ッッ!?」

 

思わず、息を呑んだ。

 

手紙の内容に目を通してみると、まず目に飛び込んできたのが、見たことのないような数字の羅列だった。そしてその横には“今月分の入金額”と追記されていた。

 

入金額......弦巻ひばりの正体が先生だとすれば、おおかた孤児院の為のお金ってところだろうか。

 

 

今まで不明瞭だった孤児院の運営費の出どころや、先程立てた仮説を基に、入金の理由を自分なりに解釈した。

 

「──最後は差出人か」

 

見てはいけないものを見てしまった罪悪感のような感情を抑え、最終段階。手紙の差出人の確認をするため、文末に目を通した。

 

そこには、昔使われていたような四つの漢字が彫られた朱印が押されていた。

 

 

目を凝らし、その漢字をよく見てみると、

 

「“弦巻財閥”......」

 

なんとなくそう読めた。

 

直後、点と点が線で結ばれたように、今まで不可解だったことの全貌が明らかになっていく感覚に襲われた。

 

 

孤児院運営費、多額の入金の知らせ、先生の名前、弦巻ひばり、弦巻財閥────。

 

 

 

 

──そして俺は、ある一つの結論にたどり着いた。

 

 

 

 

「先生は弦巻財閥のお嬢様で、そこから運営費を受け取っている。......ってことか」

 

 

先程言った通りまだ確証はない。だがここまで有力な情報を見せられたら、そう断定せざるを得ないだろう。

 

でもどうして先生はそこまでして、頑なに自分の素性を明かそうとしないのだろうか。何か言えない理由でもあるのだろうか。

 

自分の素性を隠そうとしてやまない先生の思惑だけは、今の段階ではどうしても理解することができなかった。

 

 

とりあえず事は終えたので、用無しとなった手紙を封筒に入れて元の位置に直し、今度こそ自室へと戻った。結局、バンドのことは考えられずじまいだった。

 

 

 

寝床につき、天井を見上げながらぼんやりとしているとら先生と出会った日を思い出した。

 

あの日もこうして、空を見上げていた。今は星ではなく、代わりに冷たい天井が俺と面と向かっているが。

 

とはいえそろそろ回想を止めて寝なければ、明日の朝寝坊してしまい、蘭との待ち合わせに間に合わなくなるかもしれない。なので俺は大人しく寝ることにした。遅刻するなんてことになって、蘭からなんて言われるか分かったもんじゃないし。

 

 

それから睡魔に身を委ねた俺は、日課である先生との“おやすみなさい”の掛け合いをせずに、そのまま夢の世界へと誘われて行くのであった。




いかがだったでしょうか。次回は12月12日の19時30に投稿予定です。お楽しみに。

さて。前書きでも言いました通り、今回はちょっとしたお知らせがあります。それは番外編についてです。

そろそろ番外編もどうかと思いまして、そのストックも一応いくつか作っております。番外編ではifストーリーやちょっとした小話などを主軸に執筆していこうと思います。本編に繋がるお話もあるので、ぜひお見逃しなく!またあげるときになれば随時お知らせします。


それではまた次回お会いしましょう。さいなら!


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第10話 喜哀

手が悴んでガルパができないナリィィィィィイイイ!!!!!あああああああああ!!!!!!!



本編どうぞ。






朝はいつも、先生の呼び声から始まる。

 

 

 

が、今日は珍しくそれが無かった。今日は蘭との約束があるから、昨日の夜から意識して寝ていたので運良く起きることができたが。

 

あと、声が聞こえなかった理由は大体目星が付いていたし、寝ぼけた頭でも十二分に察することができた。

 

 

「おはようございます」

 

 

 

「あらごめんなさい!

いつも声掛けてあげてるのに...」

 

 

 

「別にいいですよ。子供じゃあるまいし」

 

 

いつも起こしてもらっているせいで正直ビビったが。

 

 

「まあ、頼もしいこと。ところで流誠、ちょっと聞きたいことが......」

 

 

 

「なんですか」

 

 

 

「ここに置いてあったもの、読んでませんよね?」

 

 

階段を下りて早々、謝罪の言葉と共に先生から封筒の置かれていた机を示されながらそう聞かれた。

 

 

「読んだだの読んでないだの以前に、何が置かれてたのかすら知りませんけど」

 

 

 

「そう。ならいいんですけど......あ!別に大したことじゃないんで、気にしないでくださいね?ほんとに」

 

 

 

「はあ...」

 

 

やはり封筒のことを気がかりにしすぎて起こしに来るのを忘れていたらしい。そういうところとか、あんな禁忌のような封筒を机の上に無防備で放ったらかしにしていたことを含めて先生らしいと言えば先生らしいのだが。

 

 

 

質疑応答と朝食を済ませた後、私服に着替える為に自室へと向かった。

 

今日はこの前先生に買ってもらった藍色の袖幅の広い半袖のパーカーに、動き易さを考慮して、スパッツに似たロングスポーツウェアパンツを着ていくことにした。どちらとも夏場の運動には欠かせない存在である。

 

 

「うおっ......!?」

 

 

着替えた後に部屋にある鏡の前で身なりを整えていると、後ろから突然の重圧に襲われた。

 

それは俺を含めた孤児院の子供10人の中でも最年少の斗真、圭人、亜香里の三人組によるものだった。

 

 

「せいにい、もうおでかけいくのー?」

「いいなー!おれもいきたいー!」

「でーとってやつだよねー?」

 

 

 

「お前らいきなり何すんだよ......今日はやけに早起きなんだな」

 

 

彼らは3年前、3人ともほぼ同じ時期にここへ来たのだが、出会って初日からいつもくっついて過ごしているほど仲が良いのだ。ちなみに年齢は今年で6歳になる。まだまだ若々しい。

 

 

「だってー、きのうせんせーからせいにいがあさからでーとにいくってきいてたから、みおくろうとおもって」

「えらいだろー」

「かんしゃしろー」

 

 

 

「ありがたいし偉いけど......亜香里。残念だがお前の言ってることは真っ赤な嘘だ。俺はただ友達と買い物しに行くだけであってだな?」

 

 

 

「そうなの?ちぇー、つまんないのー」

「ねー。“でーと”ってなんなん?」

「じつはぼくもよくわかんない」

 

 

先生のホラ話を鵜呑みにした純粋さを逆手に取り、なんとか言いくるめることができた。先生には後でそのことについては説教してやらなければ。

 

 

 

そして、例の件についても──。

 

 

「......よし。じゃあ行ってくる」

 

 

最後に肩掛けバックを持ち支度を終えた俺は、先生と斗真たちに見送られながら集合場所であるCiRCLEに向けて出発した。携帯を確認すると時刻は9時だった。約束の時間である9時30分までには間に合いそうだったので、ゆっくり行くことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ?蘭、もう来てたのか?待ち合わせ時刻より5分早いけど」

 

 

プチ田舎から都会へと移り変わりゆく町の風景を堪能しながら自転車をこいでCiRCLEに到着すると、屋外にあるカフェに座っていた蘭を見つけた。

 

 

「うん。ていうか10分くらい前から

ずっとここで待ってた」

 

 

 

「じゃあ俺がだいぶ待たせてたってことになるのか......なんか悪りぃな」

 

 

申し訳なく頭を掻く俺に対し、蘭はふるふると首を横に振った。

 

 

「いいよ別に。約束の時間までもうちょっとあるし、それに私が早めに来たいと思って来てただけだし」

 

 

 

「なんか用事でもあったのか?」

 

 

 

「新しい衣装の参考に、CiRCLEに置いてある音楽雑誌見たかったから」

 

 

 

「そうだったのか。なら、今日町巡りするついでに洋服屋に寄って衣装に使えそうな服探すのはどうかな?」

 

 

ひとりで作業するよりもそっちのほうが効率が良いだろうと、ひとつ提案してみた。蘭もそれには同感のようだった。

 

 

「いいね、それ。そうとなれば衣装選び、とことん付き合ってもらうから」

 

 

 

「こちらこそ。案内よろしく頼むな」

 

 

 

「うん。じゃ、行こっか」

 

 

こうして蘭の先導の元、未知に溢れた町へと繰り出して行くのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

事前に組み立てておいたスケジュール通り、始めは商店街の散策に行くことにした。ここには沙綾のやまぶきベーカリー、つぐみの羽沢珈琲店などの様々な店が立ち並んでいる。

 

が、今回の用事を他のメンバーには秘密にしているので、色々な誤解を生まない為にも羽沢珈琲店には立ち入らないように心がけた。流誠はそんな私の気も知れず、立ち寄りたそうにしていたが。

 

 

ふらふらと観光気分の流誠の腕を少々強引に引っ張り、近くにあった北沢精肉店のコロッケを買わせて、気を紛らわせた。心底美味そうに食べており、作戦は成功に終わった。

 

その後も商店街の散策を続けた。その際、らしくもなくまるで小さい頃に戻ったかのような冒険心を感じたことがしばしばあった。

 

 

 

 

 

とても......とても懐かしい匂いがした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だいぶ歩いたな」

 

 

商店街の施設を一通り見回った俺たちは、外れにある公園のベンチで休憩をしていた。公園内に設置されている時計に目をやると、すでに正午をまわっていた。

 

 

「おかげで道順とかよく分かったよ。昔の記憶も戻ってきた気がするし」

 

 

そう礼を言うと蘭は「ならよかった」と安心した様子を見せた。

 

ふと公園を見渡してみると、ちょうど4歳くらいの子供たちが遊具を使って、楽しげに遊んでいた。

 

 

「元気だなぁ。って、蘭?どうした?」

 

 

チラッと横目に見た蘭の顔が少しだけ呆けていたので声をかけてみた。

 

 

「......あ、ごめん。この公園に来るのも何年ぶりかなって思って」

 

 

蘭は遠い目で虚空を眺めていた。どうやら懐かしさに浸っていたらしい。

 

確かにこの公園からも先ほどのコロッケや商店街然り、似た懐かしさを漂わせている。ここにも何か記憶を喚起させる手がかりがあるのだろうか。

 

すると蘭がいきなり、説明口調っぽく昔の事を語り始めた。

 

 

「あの子らと同じくらいだったかな。私とモカが、流誠と初めて出会ったの」

 

 

 

「そうなのか──......がッ!?なんだ......?頭が......ッ!」

 

 

蘭の声に耳を傾けているうちに突如頭痛に襲われた。

 

ぐるぐると脳内が掻き乱される感覚に、膝をつく。しかし少し冷静になってみると、実際にはそんな苦しみなど襲ってきていなかったことに気がついた。

 

それどころか......むしろその逆だった。

 

 

「流誠!?大丈夫?」

 

 

 

「......あ、ああ。もう大丈夫だよ。ありがとな。──記憶も呼び起こしてもらって」

 

 

 

「え......戻ったの?昔の記憶」

 

 

ずっと失くしたままだった大切な記憶......どうやら先ほどの頭痛は、その一部が元に戻る前兆のようだった。

 

 

「......」

 

 

目を瞑り、自分の世界へと入り込む。

 

そう。あれはまだ『俺』が5歳くらいだったころの話────......

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ひっく......えぐ......」

 

 

今日もまた、いじめられた。遊び道具を横取りされたり、後ろから蹴られたり、靴を隠されたり......

 

原因は弱い自分にあった。こうやって公園の隅のブランコで一人泣いている自分にあったのだ。

 

泣き虫で背も小さく、見た目も性格も男らしくないのを理由に、ぼくは幼稚園でリーダー格の男の子を中心としたいじめの対象となっていたのだった。

 

どうして?なんて純粋な疑問は悠然と立ちはだかる理不尽さの前では無下に等しい。もちろん理解者もいる。だがその理解者である2人にさえ、共働きによる多忙が原因で相談することができなかった。でももし忙しくなくても、僕にはそんな勇気なんかさらさら無かった。故に僕は必然的に孤独となった。

 

 

「うっ......ぼぐ、もっとづよくなりだいよぉ......」

 

 

幼稚園のひとりの帰り道、誰もいない公園に空虚な吐息を漏らした。

 

でもどうやって?この絶望的状況を、一人でどうやって打開するというのだ?もし強くなったとしても、今度は自分がいじめる側になってしまい、負の連鎖が続いてしまうのではないか?

 

頭が痛い。いじめによって各所にできた痣が染みる。加えて小柄な体には見合わないほどの不安に、心身ともに押しつぶされそうになり、自暴自棄になりかけていた。

 

 

「──なんでないてるの?」

 

 

その時、後ろから誰かの声が聞こえた。振り返るとそこには、目を丸くさせてぼくをじっと見つめている二人の女の子がいた。

 

一人は、自分と同じ黒髪に燃えるような赤瞳が特徴的な女の子。もう一人は、灰色の髪に青と緑を混ぜ合わせたような色の瞳が特徴的な女の子だった。

 

 

「しつれんしたとかじゃなーい?」

 

 

 

「え......まだ、はやいんじゃないかな」

 

 

 

「......きみたちは、どうしてここに?」

 

 

冷やかしなら帰ってくれと、精一杯の威圧を込めながらそう聞いた。からかわれてる時点で時すでに遅しな気もするが。

 

 

「こうえんであそぼうとおもったらきみがいたの」

 

 

 

「うっそだー。ほんとうはきこえてきたなきごえをしんぱいしたから。そうでしょー?らんちゃん」

 

 

 

「ちっ、ちがうもん!べつにそんなんじゃ......」

 

 

どうやら悪い子達では無いらしい。そう思うと安心感からか、また涙が溢れてきた。

 

 

「あー。らんちゃんなかせたー」

 

 

 

「いや......これは、ぼくのせいで......」

 

 

 

「さっきのしつもんなんだけど、どうなの?」

 

 

真摯なこの女の子の姿にさらに涙が溢れてきそうになったが、そこはぐっと堪えて、いじめのことを洗いざらい話した。

 

 

 

両親以外で、初めてかけがえのない存在ができたのはその時だった。

 

 

 

 

 

 

 

......記憶と共に脳内に流れ込んできた擬似的な映像は、そこでプツリと途切れた。

 

 

「ハハ......ホントに泣き虫だったんだな、俺」

 

 

モカからちょくちょくからかわれていた通り昔の俺がいかに泣き虫だったのかを、記憶を通して知らしめられた。

 

 

「でも昔に比べたら、流誠ってだいぶ

変わったよね」

 

 

 

「そうか?例えばどんなところ?」

 

 

もし自分が同じ事を聞かれたとして、思い当たる節はいくつかある。身長、性格etc......

 

 

「体格とか?昔はもっと弱々しかったし、あとは性格かな。ちょっとがさつになった」

 

 

 

「なるほどな。まあ、陸上とかやってると

嫌でも体鍛えられるし、成長期もあるし。ってか、がさつってなんだよ。がさつって」

 

 

 

「有り体に言ったら男らしくなったってことだよ」

 

 

 

「元から元気ハツラツな

男の子な気がするんだけどなぁ」

 

 

 

「はいはい。昔は泣き虫な男の子でしたね」

 

 

 

「その話はN!G!だ!」

 

 

 

「ちゃんと昔と向き合わなきゃダメじゃん。ああ、今も泣き虫のままだからそりゃ無理か」

 

 

 

「あーもううっせえな......」

 

 

とうとう蘭にまで本格的にからかわれるようになってしまった。こうなってはひーちゃんの気持ちが痛いほど分かる。

 

 

手を組んで地面と睨めっこしていると、満足げな蘭が何か思いついたように立ち上がった。そろそろここを発って次の場所に移動するらしい。

 

もう一度公園の時計を見てみると、かれこれ話しているうちに30分もここで過ごしていたことに気がついた。

 

 

「次、行くよ」

 

 

 

「まだ調子戻ってないんですけど...」

 

 

項垂れる俺には蘭は目もくれず、公園の入り口の方へゆっくり歩き始めた。俺もこのまま一人残ってぐじくじと落胆に浸り続ける訳にもいかないので、重い腰を上げて、彼女に続くことにした。

 

 

 

 

(蘭......あの時助けてくれて、ありがとな)

 

 

 

 

口にするのがむず痒いほどの感謝の言葉を、心の中で抱きながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この服とこの上着を合わせて着るっていうのはどう?」

 

 

 

「いいと思う。それにワンポイント何か付け足すのもいいかも」

 

 

商店街を抜けてショッピングモールに来たあたし達は、約束通り洋服屋で衣装に使えそうな服を探していた。

 

 

 

そこで新たに気付いたことがある。流誠の服選びのセンスの良さだ。

 

彼は次から次へと、私たちのイメージにピッタリな服を選んでは勧めてきた。今のところ流誠が持ってきた服は全て、見事に衣装の選考候補入りを果たしている。

 

もしかしたら彼にはそういう隠れた才能があるのかもしれないと密かに思いつつ、作業を

続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ココアひとつ」

 

 

 

「俺はアイスコーヒーで」

 

 

 

「かしこまりました!」

 

 

衣装の参考選びも終わったところで、ショッピングモール内のカフェで一息ついた。流誠はもちろんのことだが、実はあたしもここに来るのは初めてだった。

 

 

「つぐちゃんとこ以外のカフェって

あまり来ないから、なんか新鮮だな」

 

 

 

「そうだね。でも、どこと比べてみても一番おいしいのがつぐみんとこなのは変わらないだろうけど」

 

 

 

「あはは。おっしゃる通りで」

 

 

こんな調子で雑談をしていると、あっという間に注文の品が届いた。小物やお冷のみ置かれていた机の上にカップに注がれたココアとコーヒーが新たに加わり、彩りが増える。

 

早速それを手に取り、味見をしてみた。

 

 

「......ん、おいしい」

 

 

口に含んだ瞬間、チョコレートと同じビターな香りと味が広がった。

 

さっきはつぐみのカフェが一番だなんて豪語していたが、ここのはつぐみのところとはまた一味違った味わいで、とてもおいしく感じられた。舌を巻くあたしはさながら井の中の蛙だった。

 

静かなる驚きと綻びを顔に表していると、流誠が何か言いたげにこちらを見つめていた。

 

 

「何?じろじろ見て」

 

 

 

「いやぁ?もしかして蘭ってコーヒー飲めないのかなって思って。だからココア頼んだんじゃないのか?」

 

 

 

「はあ?別にコーヒーぐらい飲めるし。でも今はココアを飲みたい気分だったからそっちを頼んだだけで...」

 

 

 

「本当は?」

 

 

 

「もうっ!嘘じゃないから!」

 

 

ココアを頼んだことにより、それをネタに流誠にからかわれてしまった。おそらく公園で自分がやられたことへの報復だろう。

 

だが、コーヒーが飲めるのは事実だ。そう言っているのにも関わらず、コイツはまったく信じる様子も見せず、小馬鹿にされて怒った私を見て、一人ほくそ笑みながらコーヒーを飲んでいた。

 

 

本当に調子の良い奴だ。見ていろ?そうやって高みの見物できるのも今のうち───......

 

 

 

 

 

 

 

ガシャンッ!

 

 

 

「......っ!?」

 

 

突然、何か物が割れたようなけたたましい音が緩やかな音楽の流れている店内に鳴り響いた。

 

何かの拍子にカップを落としたのではないのかと流誠の方を見やるが、手には依然カップが握られたままだった。むしろ流誠の顔からはさっきまでの笑顔は消えて、真剣な表情でただ一点だけを真っ直ぐに見つめていた。

 

おもむろにその視線を辿っていく。するとそこには唖然とした表情で地面に落ちて粉々になったカップの破片を見つめていた二人の男性と女性が立っていた。それぞれの服装と立ち位置を見て、その二人が従業員と客ということがすぐに分かった。

 

カップの破片を目で追った際、席に座っている男が履いているジーンズの裾にシミができていたのが視界の端に見えた。

 

 

「あーあー......どうしてくれんだよこれぇ!」

 

 

 

「も、申し訳ございません!」

 

 

当然、自分の衣服を汚された男は怒り心頭。怒りに身を任せて、従業員に罵声を浴びせた。

 

会話の内容から、事の発端はおおかた従業員が運んでいたカップを地面に落としたことだろう。その内容物が男性客のズボンに降りかかり、シミができたのではないだろうか。

 

 

「高かったんだよなぁこれぇ。なあ!?」

 

 

 

「誠に申し訳ございませんでした!!」

 

 

 

「あ?それしか言えねぇのかよ?そこは『弁償させてください』だろぉ!?」

 

 

 

「ヒッ......!!」

 

 

威圧感が増していく厳つい形相をした男の怒号に従業員は怯え、他の客は迷惑そうな顔でその終始を傍観していた。

 

 

だが流誠は違った。自分のことのように、真剣な表情のまま成り行きを見守っていた。早く終わってくれと祈るだけの他の客とは、まるで違った。

 

 

「言ってみろよぉ!『弁償させてください』ってよぉ!!」

 

 

 

「えっと、それは......」

 

 

 

「おい今なんつった?客に文句言うのか?自分のせいで迷惑かけたお客様に文句垂れ続けんのかお前はァ!!」

 

 

 

「ひゃあっ!!」

 

 

 

(危ない......!それ以上は......!)

 

 

責任転嫁をした末に、男は従業員の胸ぐらを乱暴に掴み持ち上げた。持ち上げられた従業員は女性故に、為すすべなく宙ぶらりんとなった。これには他人事としか思っていなかった他の客も、愕然としていた。だが、止めに入ろうとする者はやはり誰一人としていなかった。

 

 

(このままだと巻き込まれるかも......)

 

 

かなり席が近かったせいか忌避感を覚えた私は、一旦店の外に出ようと思い、流誠に判断を促そうと視線を正面に戻した。

 

 

 

 

が、そこに流誠の姿は無かった。

 

 

その代わりに声は聞こえてきた。

 

 

「その手、離してください」

 

 

 

「あ?なんだ?コイツの味方すんのかよ」

 

 

それも、注目の的になっていた男の元から。

 

 

「味方も何も、今の絶対悪はあなたでしょ。

現に手出してるし」

 

 

 

「ぐっ......」

 

 

 

「あとお客さんだからってその態度はありえませんよね?お客様は神様だなんてバカな考えをお持ちであるなら別ですけど」

 

 

なんと流誠は鼻息を荒くする男を相手に、冷静沈着な対応で太刀打ちしていたのだった。

 

だが頭に血が上ったせいで聞き分けの効かなくなった男は、矛先を流誠へと変えて唾を散らしながら道理の無いことを言い出した。

 

 

「うるせぇ!この女が俺の大切なジーンズにシミを付けさえしなければこんなことにはならなかったんだよ!」

 

 

するとあと一歩の勇気が足りなかった他の客たちが、流誠の勇気ある行動に背中を押されたのか、彼に加勢をし始めた。

 

 

「それとこれとは話が別だろ!」

「そーだそーだ!」

「暴力が一番いかんでしょーが!」

「従業員さんはちゃんと謝ったんだから、あなたも謝ってやるのが道理じゃないの!」

 

 

先程までの去勢された様子はどこへやら、手のひら翻したような猛攻撃に男はたじたじとなり、駆け足で店を出て行った。その直前、謝罪の代わりなのか、乱暴な形ではあるがレジにお代を支払っていたのを見て本当はいい人なのかもしれないとありもしないようなことを思った。

 

 

(それより流誠!)

 

 

安心しきった意識に再び緊張感を抱かせて単騎突入した流誠の無事を確認すると、何食わぬ顔で辺りを見回しながら従業員や客から称賛の声を受けていた......いや、少し顔を赤らめている。ははは。きっと恥ずかしいのだろう。

 

 

(ホント変わってないね、流誠は。名前や性格は違うけど、今も昔も......)

 

 

そんな光景を見て、困っている人なら誰でもすぐに助けるという幼馴染の変わらぬ一面を感じ、思わず笑みがこぼれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日もだいぶ沈み、夕焼け空が迫る中、あたし流観光ツアーの最終地点である町の一角にある見晴らしのいい高台で、カフェでの一件の反省会を開いていた。

 

 

「ごめんな、急にいなくなったりして。ああいうの見てるとじっとしてらんないんだよ」

 

 

 

「ホントだよ。突然消えたから最初どこ行ったのかと思った」

 

 

さらに言うと置いていかれたのかと思ったぐらいだったのだが、そんなことを流誠がするわけないので本音は言わなかった。それはきっと他の4人だって同じことだろう。

 

 

やれやれと高台の鉄柵に身体を預け、ため息を吐いた流れで空を見上げてみると、先ほどよりも色付き始めた夕焼け空が、世界を優しく包みこんでいた。

 

 

眩しい......夕陽の強いオレンジ色の輝きが雲を一直線に突き抜けて後光を差している。

 

 

「今日のは一段と綺麗だな」

 

 

流誠も同じく空を見上げていたらしく、感嘆の声を漏らしていた。

 

 

「そうだね」

 

 

あたしが肯定するや否や、次に流誠は藪から棒にこんなことを聞いてきた。

 

 

「俺以外の5人の中でさ、一番星見つけるのがすげぇ早い奴っていたっけ?」

 

 

 

「は?どうしたの急に?まあ、いるけど」

 

 

 

「誰なの?」

 

 

 

「つぐみ」

 

 

 

「つぐちゃん......ああ、そうか思い出した!いやあ、ずっと気になってたんだよ、記憶無くなってから」

 

 

 

「そうなんだ。思い出せて良かったね」

 

 

 

「ああ、ありがとな。案内もしてくれて」

 

 

一番星を早く見つけられるのが誰なのかずっと気になっていただけのようだった。だが、そんなことかと一蹴するわけにもいかない。こういう小さなことから記憶を呼び起こしていくこともまた、大切なことなのだから。

 

そしてその一環を手助けできることに、誇りと喜びを感じている。こうして親友に、なんらかの形で役に立てるということはやはり嬉しいのだ。

 

 

 

しかしそんな嬉しい反面、申し訳なさも感じていた。流誠にではなく、つぐみに。

 

 

(今日は天気も良くて星も見つけやすいだろうに。もったいないな)

 

 

夕焼け以外にも星を見ることに多少なり興味のあるつぐみとは、これから見られるだろう一面に広がる星の輝きを共有したかった。だが残念ながら、当の本人は実家の手伝いに手を焼いていることだろう。

 

だからせめてこの夕焼けの写真だけは送ってあげようと、携帯を鞄の中から取り出して手の中に握った。

 

 

 

ブーッブーッ。

 

 

 

 

その瞬間、着信を知らせるすっかりお馴染みとなったバイブの振動が、音と共にあたしの手を震わせた。

 

 

「......誰からだ?」

 

 

当たり前だが、隣にいた流誠には着信が来たことがすぐにバレた。

 

そんな彼が、誰から電話がかかってきたか目星が付いているように見えたのはあたしの思い違いだろうか。

 

 

「分かんない......」

 

 

そうは言ったものの、あたしも時間帯的に誰から電話がかかってきたかは大体察しが付いていた。

 

 

(父さんからだとして、流誠になんて言えば

良いんだろう......)

 

 

あたしがまた変な癇癪を起こしてしまったら、流誠に余計な心配をかけてしまう。そんな嫌な予感がしたあたしは、恐る恐る携帯画面を確認した。

 

 

だがそれは、ただの杞憂に終わったようだ。

 

 

「......巴からだ」

 

 

心許せる親友から電話がかかってきたことに安心感を抱いた。一方、流誠は目を丸くしていた。

 

 

「え、ともちゃん?なんだろ」

 

 

 

「わかんない。もしもし巴?」

 

 

 

『蘭か!?良かった、電話出てくれて......』

 

 

 

「どうしたの?そんなに慌てて......」

 

 

電話に出ると、落ち着きを無くした巴の声が聞こえてきた。どうみてもいつもとは様子の違う親友に消えたはずの嫌な予感を再び覚えた後、話の内容を聞いた。

 

 

『緊急事態なんだ。落ち着いて聞けよ?』

 

 

 

「うん......」

 

 

 

『実はつぐが......つぐが......!』

 

 

 

「──え」

 

 

 

 

......巴から聞かされた内容を理解するのに、どれほどかかっただろうか。はっきりとは覚えてはいないが、聞こえてきた言葉一つ一つを頭の中でじっくり咀嚼し味わって、初めて理解できるほどのことだったことは確かだった。

 

そしてその非現実的な覚えたての言葉を頭の中で反芻しながら、巴から聞いたことが本当に“これ”なのかを確認するため、復唱した。

 

 

 

 

「......つぐみが倒れた?」

 

 

 

 

電話越しの巴からは、肯定の返事だけが聞こえてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

つぐみが倒れた......

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つぐみが倒れた......?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つぐみが、たおれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────ぅ」

 

 

立ちくらみを起こし、流誠に肩を支えてもらった時にちらりと見えた空には、無数の鰯雲が悠々と泳いでいた。

 

 

 

 

その雲の大群の隙間からは、いくつもの星が顔を覗かせていた。

 

 

 

 

夕陽は、とうに沈みきっていた。




いかがだったでしょうか。前書きでは失礼いたしました...皆さんは手を冷やさないように十分心がけてくださいね。

さて、次回は12月16日の19時30分に投稿予定です。お楽しみに。



ではまた次回お会いしましょう。さいなら!


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第11話 衝突

4日ぶりの投稿となります。...え、僕ちゃんと今日投稿するように前回書いてましたよね?大丈夫ですかね...?

1日お暇を頂いたのは学校の課題が難航していたからです。いやあ私情私情。あっはっは()




...無理なく頑張らせていただきます。それでは本編、どうぞ!






つぐちゃんが倒れてから翌日の放課後、他のメンバーと練習に向かうべくB組に一人で立ち寄った。

 

蘭については、朝礼で見かけたっきり音信不通のままだった。

 

 

 

B組の教室の扉を開けると、ひーちゃん、ともちゃん、モカの三人だけが神妙な雰囲気の中佇んでいた。

 

 

そこにはもちろんのこと、つぐちゃんの姿はなかった。

 

 

「準備できた。そろそろ行こう」

 

 

 

「おう流。今日、蘭見かけたか?」

 

 

 

「見かけたっちゃ見かけたけど、それが朝礼終わってから突然姿消してさ。元気無さそうだったし声かけてみたけど、『大丈夫。ほっといて』ってだけ言われた」

 

 

 

「どうしたんだろ、蘭。私心配だよー......」

 

 

どうやら他のメンバーも、今日一日蘭を見かけたことが無かったみたいだ。

 

 

 

......いや、それは間違いだった。

 

一人だけ、目撃証言を持っていた奴がいた。

 

それはモカだった。

 

 

「蘭ー?いつものとこ、いたよ」

 

 

“いつものとこ”というのは、俺がみんなと再会したあの思い出の場所。屋上のことだ。

 

この前聞いた話で、ともちゃん達曰く、蘭がひとりだけで屋上に行くのは大体何か悩み事に悩まされている時らしい。

 

 

「......最近は屋上に行く回数減ってきてたんだけどな。モカも、蘭があそこにいたなら止めないと」

 

 

 

「んー......ごめん。今度はそうするねー」

 

 

ともちゃんからそう言われたモカは、何か言いたげな顔をしながら反省の意を示した。

 

何やら気まずい空気になったので、会話のきっかけを作るべく話題の転換を試みた。

 

 

「なあ。今日から練習再開するんだろ?」

 

 

 

「ああ。つぐはまだ来られないけど、本番まで時間があまりないからな。アタシ達だけでもできることをやろう」

 

 

 

「そうだな。つぐちゃんが戻ってきても、安心して練習ができるようにしておかなきゃいけないし。そうと決まればモカ。お前は蘭を

呼び戻してきてくれ。今度はやれるだろ?」

 

 

それから双方の少しもの気休めにと、蘭の招集係をモカに命じた。これならモカも名誉挽回できるだろうし、蘭も一番付き合いの長いコイツが来てくれたら安心するだろう。

 

するとモカはいつもの調子で、その仕事を快く引き受けてくれた。

 

 

「もっちろーん。あ、みんなは先に行ってていいよー。それではこれよりモカ隊員は、蘭奪還作戦へとおもむきまーす」

 

 

 

「うむ。健闘を祈る」

「蘭のこと、頼んだぞ」

「お願いねーモカー!」

 

 

モカは当てつけな敬礼を解くと、軽い足取りで屋上へ向かっていった。

 

 

「じゃ、アタシらはCiRCLEに行っとくか」

 

 

 

「流誠ー!確認したいパートあるから、演奏見てくれない?」

 

 

 

「それアタシもだ。二人まとめてお願いしてもいいか?」

 

 

 

「言われずとも。その前にパン屋寄っていいか?みんなの士気向上も兼ねて、差し入れ買いたいんだけど」

 

 

 

「いいねーそれ!じゃあさ、みんなでパン乾杯パーティーでもしちゃおうよ!」

 

 

 

「おいおい、祝勝会は気が早いぞ?それより流。いつもながらありがとうな」

 

 

 

「ホントその通りだよー!ありがと、流誠!」

 

 

急に向けられたお礼の言葉に、俺は思わずたじろいでしまった。

 

 

「いやそんな......まあでも、そう言われるとやりがいがあるってもんだ。こちらこそありがとな。......よし。じゃあ、今度こそ行くか」

 

 

 

「「うん!」」

 

 

こうして俺たちは夕暮れの中、パン屋に向けて出発した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まだ真新しい白色の目立つ屋上の扉を開けると、鉄柵にもたれかかりながら夕焼けを見ていた蘭がいた。背中からは哀愁が漂っている。

 

そしてそれを拭ってやるのがあたしの役目である。

 

 

「らーんー?練習、行こ〜」

 

 

 

「......先、行ってて。遅れるよ」

 

 

やはり、蘭のガードは堅かった。

 

 

「ゆーて、もう遅刻の時間だからな〜。どうせ怒られるなら二人一緒のほうがいいかなーって」

 

 

 

「あたしは一人で怒られなれてるから。家でいつも怒られてるし」

 

 

家でいつも怒られてる......?

 

 

......ああ、なるほど。

 

 

 

初めは何のことか分からなかったが、蘭の周囲の環境を考えたら、その答えはすぐ頭に浮かんできた。

 

 

「蘭パパのことかあ」

 

 

とうとう蘭が自分から父親の話をしてくれるようになった。ただでさえ重いものを抱え込んでいるのに、そこにつぐの事も合わさってくると流石に耐えられなくなったのだろう。

 

 

「......昨日、父さんにバンドのこと、ごっこ遊びみたいだって言われた。ごっこ遊び程度のものなら辞めろって」

 

 

蘭は心底悔しそうに、涙声を混じらせながらそう教えてくれた。

 

 

(“ごっこ遊び”......)

 

 

あたしもそのかけがえのない場所を貶した蘭の父さんの言葉を聞いて、同じ悔しさを味わった。

 

だが蘭にはそんなところを見せる訳にもいかないので、あえてその言葉を使っていつもみたいに冗談を言った。

 

 

「ごっこ遊びかぁ〜。じゃあ、あたしはギター役がいいなー」

 

 

 

「あたしはバンドのことごっこ遊びだなんて思ってない。バンドをやめるつもりもないし、華道だって継ぐつもりない......!そう言ってるのに......!」

 

 

 

(ありゃりゃ、逆効果だったかな)

 

 

効果はいまひとつ。むしろ、蘭の落ち着きのなさに拍車をかける形で終わった。

 

なのでどうにか挽回しようと頭の中を巡らせていると、蘭が自ら落ち着きを取り戻したようにこう言った。

 

 

「......ごめん、やっぱり先に行ってて。あとで行く」

 

 

 

「うん......スタジオで待ってるね」

 

 

ここで引き下がってはいけないと一瞬躊躇ったが、今まで誰にも明かさなかった秘密を勇気を出して言ってくれたし、今度は自分の考えを確立させる時間も与えるべきだろうと思い、大人しく聞き入れた。

 

 

そうしてあたしは、屋上のドアを開けて階段を下っていった。

 

 

 

 

 

背後からはドアの閉まる音と、蘭のすすり泣く声が聞こえてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ひーちゃんはこのパートがあまり上手くできてないみたいだから、ここを重点的に練習するように。ともちゃんはもうちょっと力抜いて叩こうか。あと、は──......」

 

 

 

「おいっすー。遅刻遅刻〜」

 

 

練習に没頭している最中、モカが悪びれた様子もなくスタジオにズカズカと入ってきた。

 

蘭の姿は見えなかった。

 

 

「モカ、蘭はどうしたんだ?」

 

 

 

「あとでくるってー」

 

 

所在を聞くと、モカはどこかやるせなさそうな感じでそう答えた。

 

 

「そう、か......」

 

 

蘭への心配が増す中、ドアの開く音がまた聞こえてきた。

 

噂をすれば何とやら、ちょうど本人が到着した。

 

 

「蘭!大丈夫?心配してたんだよ?」

 

 

そんな蘭に真っ先に声をかけたのはひーちゃんだった。

 

しかし蘭はそう言って自分に駆け寄ってきたひーちゃんに対して、氷のような冷たい反応を示した。

 

 

「別に......心配されるようなことしてないよ」

 

 

 

「え......だって、今日、授業に出ないで屋上にいたって聞いたよ?」

 

 

 

「......屋上にいたから何?」

 

 

 

「最近はちゃんと授業に出てたのに、どうし──.」

 

 

 

「別に、何もない。......てか、あたしが授業に出なくても、ひまりには迷惑かけてないでしょ」

 

 

それでもなお優しく言い寄るひーちゃんだったが、蘭は態度を変えずに牙を剥いた。

 

そんなあまりにも感じの悪い対応の仕方に、ともちゃんが横槍を入れてきた。

 

 

「その言い方はないだろ。みんな、心配して......」

 

 

 

「......心配なんかしなくていい。あたしが何しようが、どうなろうがみんなには関係ない......!」

 

 

張り詰めた緊張感に、思わず身震いした。様子のおかしい蘭を止めれず、傍観することしかできなかった。

 

 

「関係ない......?」

 

 

だが、ともちゃんは違った。

 

 

彼女の声には怒気がこもっていた。

 

嫌な予感がする。

 

 

次の瞬間、ひーちゃんの止めようとする声を最後に、ともちゃんの感情が爆発した。

 

 

「勝手なことばかり言うのもいい加減にしろ!!アタシらがどれだけ蘭のこと、心配してると思ってるんだよ!?」

 

 

 

「......っ!」

 

 

 

「アタシら、幼なじみだろ?そこらのヤツらより、よっぽと蘭のことわかってるつもりだよ。それを関係ないって......どうしてそんな風に言えるんだよ......!?」

 

 

 

(ともちゃん......)

 

 

俺はみんなと比べて蘭と過ごした時間が短いが、その気持ちはなんとなく分かった。それは、過ごした時間も作ってきた思い出も少ないけど、自然と心は通じ合っていたからだ。

 

 

 

ともちゃんは次に、蘭の家のことを話しだした。

 

 

「蘭の家がどういう家なのかだって知ってるよ。将来の事とか、きっと色々、一人で大変な思いしてるんだろうなって思ってる......!」

 

 

いつの間にかともちゃんは涙目になって、心なしか声も震えていた。

 

 

「けど、蘭はアタシ達に何も言わないから......だから......!」

 

 

 

「......」

 

 

涙ながらの言葉を聞いて、俺は歯嚙みした。それは、悔しかったからだった。

 

 

 

 

“何も言わないから”。確かにその通りだ。蘭は自分から家庭内の事情を俺たちに話すことは頑なに無かった。だから、そのことを前々から知っていた俺たちも、あまり詮索はしなかった。

 

 

だがそうしたせいで今現在、蘭が苦しんでいるのだとしたら?

 

本当は蘭の気持ちを踏みにじってでも思い切って聞くべきだったのでは?

 

 

どれもこれも結果論でしかなかったが、そんなことを一々判別できるほどの余裕は、その時には無かった。

 

だから。尚更。余計に。

 

 

 

俺は、後悔したのだった。

 

 

「......悪い。言いすぎた」

 

 

吐き出すものを全て出し切り落ち着きを取り戻したともちゃんは、まず蘭に謝罪をした。

 

 

しかし蘭はそんなともちゃんを置いて、何も言わずに部屋を飛び出しどこかへ行ってしまった。

 

 

「......」

 

 

 

「「蘭っ!」」

 

 

咄嗟にひーちゃんと呼び止めようとしたものの、もう遅かった。ガチャンというドアの音だけが、蘭からの唯一の返事だった。

 

 

「......ごめん。アタシ、最悪だ」

 

 

 

「ともちゃん...」

 

 

自分のせいでこんな事態を招いてしまった。その責任感を感じてるのか、ともちゃんの肩と声は未だに震えていた。

 

 

「だ、大丈夫だよ!」

 

 

ひーちゃんがそれを見て、どうにか励まそうとした。

 

 

「蘭もきっといろいろ重なって大変なんだと思うし、今はちょっと気持ちが高ぶってるかもしれないけどきっと、もう一回話せば分かってくれるって!ね?巴!」

 

 

 

「......ごめん。ちょっと外の空気吸ってくる」

 

 

 

「あっ、巴......!」

 

 

とうとうともちゃんまで居なくなってしまった。俺にはそれを呼び止める気力すら無かった。なんだかもう、体が重いんだ。

 

 

「あたし、蘭探してくる」

 

 

 

「モカ......!」

 

 

次にモカが蘭の捜索をしに行くと言い残し、部屋を出ていく。

 

 

その結果、矢継ぎ早にメンバーが減っていく中、残ったのは俺とひーちゃんだけになってしまった。

 

 

 

しかし、こんないつも通りとはかけ離れた事態が起きているというのに、不思議と冷静なままでいられるのは、一体何故なんだろうか。

 

 

「......みんな、行っちゃったな」

 

 

 

「私、どうすれば......どうすればいいんだろう......?」

 

 

 

「ひーちゃん?......っておい!大丈夫か?」

 

 

突然地面にぺたんと座り込んでそのまま倒れそうになったので、体を支えようと肩に手をやった。

 

......この子のもまた、小刻みに震えている。

 

 

「私、つぐが倒れた時、巴と一緒にいたんだ。いつも通りに珈琲店でケーキを食べてたら、急につぐが倒れて......その時急に頭が真っ白になって、何もできなかった。巴が『ひまり!救急車呼んでくれ!』って声かけてくれるまで、目の前で起きた事を理解することができなかった」

 

 

 

「ひーちゃん......」

 

 

 

「他のメンバーが行動起こして必死に解決しようとしてくれてるのに、私は何もできなかった。私......リーダー失格だ」

 

 

 

「......ッッ!」

 

 

思いを吐き出すひーちゃんか、聞きたくなかった言葉が聞こえてきて、思わず息を呑んだ。

 

 

「そんなこと......そんなことねぇよ!」

 

 

 

「ひゃっ?!りゅ、流誠?」

 

 

突然声を荒げて肩を支えていた手の力を強めてしまったせいか、ひーちゃんを怖がらせてしまった。

 

けど、そんなのどうだっていい。いや本当はよくないが、これ以上メンバーを悲しませない為なら致しかねないことだと切り捨てた。

 

 

「それだけは絶対にダメだ!だって......俺らのバンドのリーダーは、ひーちゃんにしか務まらないんだから!」

 

 

 

「っ......!」

 

 

正面から向き合い、双眸が交じり合う。

 

 

「優しくて面倒見が良くて......ちょっと間の抜けた部分もあるけど、それら全部ひっくるめてひーちゃんの良さだ。そしてそれらがあるからこそ、このバンドのリーダーが務まるんだと思う。いや、務まるんだよ。現に今まで、バンドが解散されてこなかったのも、ひーちゃんが引っ張ってきてくれたからだと思う。入って間も無い俺が言っても、説得力無いけど......えと、その......だから!」

 

 

 

「......!」

 

 

 

「仮にモカがリーダーにでもなってみろ。言っちゃ悪いが、全然まとまらなさそうだろ?だけど、ひーちゃんなら持ち前の明るさでみんなをまとめあげることができる。どこにも君の代わりなんていないんだよ。他のメンバーだってそうだ」

 

 

 

『人間みんな一人一人に代わりはいないんですよ。それぞれ自分だけの役割を持って生まれてきたんです。だから、強く生きて。託された“役割”を、簡単に投げ出さないで』

 

記憶を無くした俺に生きてても楽しいことなんか待ってないんじゃないのか?孤児院に入って右も左も分からず、そんな悲壮感でいっぱいだった俺に向けて、先生が最初に言ってくれた言葉がそれだった。

 

その言葉があの時の俺にとってどれだけの励みになったのか、今でも鮮烈に覚えている。

 

だから今度は俺が、自分しか持っていない大切な何かに気付けていない人たちを助ける。あの時、そう誓った。

 

 

 

 

だから......

 

 

 

 

 

 

 

だから。

 

 

「だから、お願いだ。リーダー失格だなんて口が裂けても言わないでくれ。自分の“役割”を投げ出さないでくれ。これからも、俺たちを導いてくれ」

 

 

ひーちゃんの目から失われていた光が次第に戻っていく。それは確かな形となって、ひーちゃんの頬をゆっくりとつたっていった。

 

 

「うぅ、流誠ぇ......」

 

 

 

「俺ももう一人ぼっちになりたくないし、みんなをそうさせたくないからさ」

 

 

次の瞬間、物理的な衝撃が体に走った。体が地面に叩きつけられ、次に骨が軋む音がした。

 

耳元から大きな鳴き声が聞こえてくる。

 

 

「ぐあっ!ひ、ひーちゃん?!いきなり抱きつかないでくれません?!それに痛いし──」

 

 

 

「うわあああああん!!!ありがとう流誠!私、自分のこと全然そんな風に思ったこと無かったからすごく嬉しいっ!!!」

 

 

 

「え?ああ......そっか。なら良かったよ。こっちこそ、“ありがとう”って言ってくれてありがとな。役に立てたなら俺も嬉しいよ。だからその、ちょっとのいてもらえるかな......!」

 

 

そう言って未だ抱きついたままのひーちゃんをなだめるべく、頭を撫でた。

 

まあ、逆効果だったけど。

 

 

「そんなこと言ってズルいよ流誠ええ!!!からかったりするけど、昔から優しくて...もう好き!大好き!!わあああああん!!」

 

 

 

「ああああ痛い!!!痛いから!!!一回落ち着こう!!!な!?」

 

 

何本か骨折したのではないかと思うくらい力いっぱいに抱きしめられ、ますます息が詰まりそうになった。

 

 

 

大切な仲間の温もりに包まれて、息が詰まりそうになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さっきは、ごめんね。私、ホントに自分の今までやってきたことにあまり自信が無かったから......」

 

 

 

「ひーちゃんの気が晴れたんなら、俺は別に構わないよ」

 

 

あの後練習するのは流石に気まずいと思ったので、暗黙の了解で俺とひーちゃんの二人だけで帰ることにした。

 

 

「にしても二人だけだと、いつもの帰り道も長く感じるな。もの寂しいし」

 

 

 

「でも、ひとりよりかは全然いいでしょ?」

 

 

 

「ん、そうだな。......おお」

 

 

 

「わあ。すごいキレイだね」

 

 

目の前を向いて歩いていると、視界の端からオレンジ色の眩い光が突然差し込んできた。

 

穀雨の季節。夕陽の光は春の暖気とともに、町を包み込んでいく。

 

 

「......またみんなで一緒に演奏、できるかな......?」

 

 

黄昏の世界へと変貌していく町を眺めながらひーちゃんはそう呟いた。そんなの決まってる。

 

 

「できるよ、必ず。俺たちがいつも通りで

いたいって思い続けてる限り」

 

 

そう言ってしばらくの間、俺達は一番星のまだ見えない茜色の空を眺めていた。




いかがだったでしょうか。次回は12月19日の19時30分に投稿予定です。お楽しみに!


あ、そろそろ番外編載せますね(唐突)



ではまた次回お会いしましょう。さいなら!


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第12話 相談

丸山かわいい。

はい。ということでやってまいりました。



本編どうぞ(適当)






「じゃねー、蘭ー」

 

 

 

「......」

 

 

いつもの交差点で蘭に別れを告げた。返事は返ってこなかった。

 

 

ライブハウスを飛び出してどこかへ行ってしまった蘭を見つけるまで、そこまで時間はかからなかった。何故なら、ライブハウスを出て数10m進んだところで、蘭が息を切らして座っていたからで......

 

 

(相変わらず運動が苦手だなー、蘭は)

 

 

それから疲れ果てた蘭をライブハウスまで連れて帰るべくおんぶをして行ったのだが、その時嫌がる反応を見せたっきり、蘭は一言も喋らなくなった。だからさっきも何も言わなかったのだろう。頷いたり、なんらかの反応はしていたが。

 

 

(そういえばせいくんも昔は運動音痴だったっけ)

 

 

運動神経繋がりで、せいくんのことが脳裏に浮かんできた。

 

過去と現在、双方を比べてみる。

 

 

(再会した時、正直困惑したなー。体格とか見違えるくらい変わってて。それこそ、その辺の男の子みたいに......)

 

 

最初目にしたときは思わず目を疑った。時というものはこんなにも残酷に人を変えさせるものなのかと改めて実感させられた。そこに『せいくん』の面影は少しだけしか見当たらなかった。

 

 

「あっれー?モカじゃーん☆」

 

 

 

「...あっ、リサさん」

 

 

まるで親のような心境で我が幼馴染の成長を喜ばしく、そして悲しくも思っているとリサさんと遭遇した。彼女とは同じバイト先で仲良くさせてもらっていて、あたしの中ではとても面倒見の良いお姉さん的存在になっている。そんな彼女がどうしてここに。

 

 

「バイト帰りですかー?」

 

 

 

「そうだよ。モカこそ今帰り?」

 

 

 

「ええ、まあ」

 

 

二つ返事に相槌を打つと、リサさんがいきなりあたしの顔をぬっと覗き込んできた。

 

 

「どうしたー?元気ないぞー?悩みでもあるなら、このリサさんに言ってごらん?」

 

 

 

「うっ......」

 

 

 

「なんでもお見通しなんだからね?ほら、大人しく白状しちゃいな」

 

 

まんまと胸の内に抱えているものを見破られ、不本意ながらそのままの流れで相談をすることとなった。

 

 

 

あたしの悩み。

 

無論それは、蘭の苦悩そのものでもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──なるほどね。蘭の家って、華道の家元

だったんだ。んで、自分は蘭にバンドをやめてほしくないって思ってるけど、それはあくまでも自分の考えだからって抑え込んでた」

 

 

この前から蘭の身に起きていた異変。それと家の事情や蘭にどうしてほしいか本人に言うことができなかったことを話すと、リサさんは目を丸くしながらうんうんと納得した様子で頷いた。

 

その後、いつもの笑顔に戻るとこんなことを

言い出した。

 

 

「モカは優しすぎるんだよ。ずっと黙ってたのも、そのせいじゃない?」

 

 

 

「そう、なのかも......」

 

 

自分のことは自分が一番良く分かってるなんて言葉をよく耳にするが、現状を考えるとそんなもの説得力皆無の御託に過ぎなかったことを、リサさんから言われたことをきっかけに思い知らされた。

 

 

「蘭のことが本当に大切なら、隣にいたり黙ってるだけじゃダメ。それこそ相談し合わなきゃいけないよ」

 

 

ダメ出しを食らい少ししょぼくれたあたしを置いて、リサさんはこう続けた。

 

 

「そうやって互いに遠慮せずに弱みを見せ

合ったり意見を交換することも、幼なじみならではなことなんじゃない?でなきゃ、お互いに不安な気持ちができた時発散できないじゃん。アタシも友希那のことが心配でさ。モカは、友希那が誰か知ってたっけ?」

 

 

 

「幼なじみなんですよねー?」

 

 

友希那......湊さんはリサさんと同じバンドグループのボーカル兼リーダーで、クールな見た目と蘭と似た力強い歌声が特徴的な先輩だ。リサさんとは十数年前からの幼馴染である。

 

 

「そ。で、あの子もひとりで抱え込むタイプでさー......自分で言うのもなんだけど、拠り所があまりない友希那にとってアタシは一番の相談相手だと思ってたんだよね」

 

 

 

「えー?自意識過剰過ぎですよ〜」

 

 

なんて言うあたしも驕り高ぶって、それと似たような感じだったのかもしれないが。

 

 

「ちょっとそんな目で見ないでよ、もー。......話戻すけど、友希那の様子がどうみてもおかしい時期があったんだよね。友希那がその理由を教えてくれる前から、アタシは

それに気づいてたんだ。でも、こっちからそのことを言うのも気に触るかなーって思って、あっちから相談してくるのをずっと待ってたんだ......」

 

 

親友に対する対応の仕方は、あたしとリサさんもまったく同じだった。

 

そうすることによってもたらされた結果も。

 

 

「でも、結局ダメだったんだよね。なんとか解決はしたんだけど。それでもやっぱり思いをぶつけたりしなきゃ、だいぶ苦労するよー?」

 

 

 

「でもリサさんもそうしてたんでしょー?」

 

 

一通りの話を聞いて、自分も同じようにしてたではないかと疑問を投げかけると、リサさんは短く高笑いしてこう言った。

 

 

「そりゃあその時のアタシは友希那と同じで相談する相手が友希那一人しかいなかったからねー。でも、モカにはそういう気を許せる人がたくさんいるじゃん?」

 

 

話を聞いているうちに、ハッとした。

 

 

 

あたしには蘭以外にも、ともちんやひーちゃん、つぐ、せいくん......

 

そうだ。大切な仲間がいる。遠慮なく気を許し合えるはずの、大切な仲間が。

 

であればおそらく、リサさんがあたしに伝えたいことは......

 

 

「蘭に一人でカチコミに行くんじゃなくて、周りに助けを求めるってことですかねー?」

 

 

 

「カチコミ......うーん、ちょっと違うかなー☆」

 

 

 

「ていうのは冗談でー、『ちゃんとみんなと

蘭の為になることを話し合え』ってことですよねー?」

 

 

 

「なーんだ分かってたんだー。なら最初から

そう言ってよー。カチコミって聞いてビックリしたよー?」

 

 

 

「えへへー、すみません」

 

 

当たりだった。リサさんが真に伝えたかったのは一人だけで悩んだり蘭と向き合うのではなくみんなのことも頼れということだった。

 

 

 

そう。あたしには十数年来の親友がいる。それもリサさんとは違って5人も。これほどまでに贅沢なことがあるだろうか、自らの悩みの捌け口を快く引き受けてくれる存在がいることが。

 

でもあたしはそれ故に巻き込みたくなかった。優しいみんなにも蘭と同じように迷惑をかけたらいけないと思って、これは自分と蘭の問題と勝手に決めつけて、黙って見守ってるだけでちゃんと話し合うことができなかった......

 

 

 

 

 

でもそれは間違いだった。今日の出来事を振り返ってみればそんなこと一目瞭然だった。

 

なのに気づけなかった。それもリサさんからアドバイスをもらって初めて気づけたほど。

 

 

 

 

 

──そう。今は気づけたんだ。なら後は実行に移すのみ。

 

 

「今日はホントにありがとうございました。おかげでモカちゃん、新しい打開策が見えてきましたよー」

 

 

 

「いいのいいの。モカも長話聞いてくれてありがとね☆」

 

 

 

「モカちゃんは優しいからな〜」

 

 

 

「はいはい。じゃ、時間も時間だしそろそろ帰るねー。頑張んなよー?モカー」

 

 

そう言って背中を向けて去って行くリサさんを、あたしはずっと見送っていた。

 

 

 

が、リサさんが数メートル先進んだところで突然何か思い出したようにこちらに向き直り大声でこう叫んだ。

 

 

「あ、そうそう!もしもの話なんだけど、モカがメンバー全員にいきなり相談するのはやっぱ無理ーっていうんなら、まずは一人だけにでも相談してみな?そっちの方が気が楽でしょー?」

 

 

 

「......了解でありま〜す。それじゃあ今度こそ

さいならー」

 

 

 

「うん!じゃーねー」

 

 

そしてリサさんは、すっかり暗くなった住宅街へと姿を消していった。

 

リサさんを見送った後、先ほど言われたばかりのことを思い出していた。

 

 

(一人だけ、か)

 

 

実は内心、全員に相談しに行くのは忍びないと心の片隅でそう思っていた。まさかそれすらも彼女に見抜かれていたなんて。

 

 

(まったく......リサさんにはかないませんなー)

 

 

先輩への悪態染みた賞賛を心中で呟きながらその“一人”を誰にするか思案していた。

 

 

 

 

 

そしてその答えは、案外すぐに出た。

 

 

 

「......よし、キミにきめたー」

 

 

 

 

 

 

 

そうやってどこかで聞いたことのあるセリフを言いつつ、あたしはその“一人”の電話番号を手慣れた動きで携帯に打ち込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、来たわけだが......本当にいいのか?」

 

 

放課後俺は、昨日電話をかけてきた張本人であるモカにその内容の確認をした。答えはイエスだった。

 

 

「そだよー。蘭と面と面向かい合って話す。これが本作戦の主内容となっておりまーす」

 

 

昨日電話越しに突拍子にそう聞かされた時は思わず反論した。それを認めるということは今まで自分が蘭の為だと信じてやってきたことを否定するのと同じで、すぐには受け入れることができなかったからだ。

 

それでもあのモカから伝わってくる珍しい真面目な態度に気圧され、最終的に同意に至ったわけなのだが......

 

 

「〜♪」

 

 

パンをパクつきながら鼻歌を歌うコイツを見ていると、ドタキャンしても誰にも責められないような気がしてきた。

 

 

「不真面目さが取り柄のお前にこう言うのもなんだけど、今回は本気でやれよ?今後の蘭の運命が懸かってるって言っても過言じゃないからな」

 

 

 

「むり〜って言ったらー?」

 

 

 

「お前を残して俺は帰る」

 

 

 

「むぅ、はくじょーものー。モカちゃんは

悲しいよー。オヨヨ〜......」

 

 

 

「お前でも少しくらい真面目にできるだろ...

...分かった。一緒に行くから。だから泣くな」

 

 

こういうところがあるからモカからの頼み事は断れない。まあ、ハナから断るつもりは無かったが。

 

 

「へへ、ありがとー。ちなみに今のは嘘泣きでしたー」

 

 

 

「......少しでも心配した俺がバカだったよ」

 

 

こうして半ばやけくそな感じではあるが、蘭がいるという場所までモカに案内してもらうことに。いや、ついて行かされることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「とうちゃ〜く」

 

 

 

「ここにあいつの......」

 

 

蘭の思い出の場所。それは羽丘学園高等部の近くに位置している羽丘学園中学部にある屋上だった。

 

なぜ高等部ではなくこちら側の屋上なのかは置いといて、

 

 

「俺OBじゃないんだけど、いいのか?性別も違うし」

 

 

高等部とは違って中学部は未だに共学制の導入がされておらず、男子が容易に足を踏み入れていいものでは無い。と、前々から敬遠していたのだがこうも簡単に侵入できてしまうとは。背徳感まっしぐらである。

 

 

「別に問題ないっしょー。羽丘学園生で

くくれば同じなんだしー」

 

 

俺もはじめはいやいや首を振っていたが、結局そんなノリでしぶしぶ中学部の敷地をまたぐこととなった。

 

ああ後輩達よ。どうか許してくれ。

 

 

 

 

高等部とあまり変わり映えのない生徒玄関のつくりや教室の配置の仕方などに既視感を覚えつつ歩いていると、いつの間にか屋上の扉の前まで辿り着いていた。

 

 

「この先に蘭がいるのか」

 

 

 

「はてさてどうでしょうかね〜」

 

 

 

「......開けるぞ」

 

 

形も錆び加減も高等部のそれと全く同じ扉のドアノブに手をかけ、慎重に開ける。

 

 

「うおっ」

 

 

開けた瞬間小さな隙間から流れ込んできた突風に驚き、思わず声を漏らした。

 

逆光に目を眩ませる。しかし、そこにはちゃんとあのシルエットが目に映っていた。

 

 

「......モカ?それに流誠も」

 

 

 

「あちゃー、見つかっちゃったか〜。もー。せいくんったら、バレないように行動しようってあれほど言ってたのにー」

 

 

 

「いや、初耳なんですけど」

 

 

 

「何しに来たの」

 

 

蘭からここに来た理由を聞かれた。そんな蘭の言葉にはどこか棘があった。

 

いつものクールな感じではなく、明らかな敵意を語彙に含ませていた。それを察知したのか、流石のモカも表情を強張らせる。

 

 

「実は蘭と話したいことがあってさ。なあ、モカ?」

 

 

 

「そーそー。蘭のお悩み相談相手役として来てあげたんだよー」

 

 

とりあえず訳を言わなければ話は進まないと思い、その旨を伝えた。

 

 

「......二人とも、隣、くれば」

 

 

 

「うん」

 

 

 

「おう」

 

 

それから蘭を間に挟む形で、俺とモカは隣に移動した。

 

するとモカがいつもの調子で喋り始めた。

 

 

「ここにくるのも久しぶりだな〜」

 

 

その後、流し目で俺を見つめてきた。どうやら俺の為に前フリを用意してくれたらしい。

 

それを見逃す事なく巧みに言い回し、蘭がなぜ屋上に来ているのか。既に知り得ているその理由を直接聞きだそうとした。

 

 

「俺は蘭と会うのが久しぶりだな」

 

 

 

「別にそうでもないじゃん。朝会ったんだし」

 

 

 

「軽く会釈されただけだしノーカンだろ。そういや、蘭ってなんで最近屋上行くこと多いんだ?」

 

 

 

「......」

 

 

 

(ダメかー......)

 

 

が、見事に撃沈した。作戦を行う上での土台づくりは失敗に終わった。

 

 

 

そんな感じで諦めムード全開になってちらりとモカの方を見てみると、なんだか笑いを堪えているように見えた。俺はあのにやけ面をどうにか歪ませてやりたい気分だった。

 

 

 

そんな矢先。

 

 

「......華道のことでずっと悩んでたから」

 

 

光明が差してきた。蘭が華道のことについて語り始めたのだ。

 

そのチャンスを逃すまいと、モカが間髪入れずに質問をした。

 

 

「んでー?蘭のお父さんからはなんて言われたんだっけー?」

 

 

 

「ごっこ遊びのつもりならバンドはやめろ......てか、モカには昨日その話したじゃん」

 

 

 

(“ごっこ遊び”、か。自分でやったこともないのによくもまあそんな軽々しく言えるな)

 

 

 

蘭の父親には“会ったことはない”が、蘭から聞いたその一言で、俺の中の蘭の父親に対する第一印象は最悪となった。

 

 

 

 

 

......ってちょっと待て。あとなんて言った?

 

 

「あのー、蘭?『昨日話した』って、一体どういう意味で......」

 

 

 

「どういう意味も何も、そのまんまの意味だけど」

 

 

 

「つまり?」

 

 

 

「モカには前から家の事情話してたってこと」

 

 

 

「......モカ?」

 

 

 

「ごめんねせいくんー。あたしだけ相談受けてるの知ったらがっかりすると思って、ずっと黙ってたー」

 

 

どうやらモカは前から、それもつい昨日、蘭から華道のことについて聞かされていたらしい。つまり俺は騙されていたということだ。

 

 

「そういうのは先に言えよ!一人歩きしてたみたいでなんか恥ずかしいわ!」

 

 

別に悲しくはないが、まんまと騙されていたと思うと恥ずかしくなった。それと同時に悔しさも湧き上がってきた。

 

 

「楽しませてもらったよ〜。ありがとー」

 

 

 

「ふふっ。流誠、ダサ」

 

 

モカに続き蘭からも貶されるハメとなった。

 

 

「お前も横槍入れてくるな!ああもう!どいつもこいつも!」

 

 

ささやかながら笑いの渦が巻き起こり、さっきまでの刺々しい蘭は居なくなった。代わりに、いつも通りの蘭が戻ってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

和やかな雰囲気はそのままに、蘭からこれから何をしたいのか聞くことに成功した。それ以外にも、蘭とモカのふたりが中学生時代の思い出話を語ってくれた。

 

文化祭でのライブのことや、その時味わった初めての感覚、ライブ後に泣きながらここから眺めた夕焼け。そこに俺の姿は無かったが、話を聞いていくうちに感情移入していき、実際その場にいたかのような感覚に陥った。

 

その流れでバンドが結成されるまでの経緯を聞き出そうとしたが、蘭からは頑なに拒否されて、モカにはニヤニヤと笑われただけで相変わらず教えてくれなかった。

 

 

だが、蘭がここの屋上を特別に思う理由は分かった。

 

 

「モカや流誠の前ならこうやって悩みとか打ち明けれるのにね。なんでいざってなると言えないんだろう?」

 

 

談笑もひと段落つき、鉄柵にもたれかかり一日の疲れを癒していると、蘭が突然そんなことを言い出した。

 

 

「もしかしてあたしたちのこと、カボチャかじゃがいもだと思ってないー?」

 

 

 

「あははっ、そうかも」

 

 

 

「もー、ひどいなあー」

 

 

 

「モカ、さらっと俺を巻き込むんじゃねぇ」

 

 

そう思われるくらい落ち着けるというのならあながち間違いでもないのかもしれないが、カボチャなどに例えられるのは御免だ。

 

 

「冗談。......ありがと、二人とも。その......いつも隣にいてくれて」

 

 

次に、顔を赤らめた蘭からお礼を言われた。

 

 

「隣に......」

 

 

 

「蘭がお礼なんて珍しいな」

 

 

 

「バカにしないでよ」

 

 

 

「これでおあいこだ。って、どうしたモカ?」

 

 

蘭に一矢報いた後、モカがすっとぼけた顔をしていたのに気づいたので声をかけてみると、ハッと我に返ったような反応を見せていつもの冗談をかました。

 

 

「いやあ〜、あんまり褒めないでよー。照れちゃうなあ」

 

 

 

「......じゃあもう一切褒めないし、

感謝の言葉も言わない」

 

 

 

「ぶっ......ははは!自爆してやんのー」

 

 

見事な自業自得を見せられて思わず吹き出すと、モカはまたわざとらしい泣き真似をし始めた。

 

 

「えーん、せいくんにバカにされたよ〜」

 

 

 

「モカも人のこと言えない」

 

 

 

「がーん」

 

 

蘭に助けを乞うモカだったが正論中の正論を突きつけられ、終いには地に膝をつきうな垂れてしまった。

 

 

「ね、明日、つぐみのお見舞いに行こうよ。

つぐみとも話、したい」

 

 

そんなモカを尻目に蘭がそう提案してきた。

 

 

「そうだな。つぐちゃん元気になってると

いいけど......ほらモカ。お前はどうすんだ?」

 

 

うな垂れているモカに気を取り戻させてから判断を促した。モカはそれを「行くー」とけろっとした様子で肯定した。

 

 

「にしてもでっかい夕日だな」

 

 

屋上に上がってきた時からそうだったのだが今日は雲ひとつなく、大きな夕日だけがぽっかりと空に浮かんでいた。

 

 

「......今思い出したんだけどさ、夕焼けの次の日って、晴れやすいんだって」

 

 

気を取り戻したもののずっと地面に居座っていたモカが、重い口を開けてそう呟いた。

 

 

「なら、明日は晴れるだろうな」

 

 

 

「うん。だから明日はきっと、いいことあるよ。蘭」

 

 

 

「......うん」

 

 

晴れの日にいいことがあるなんて迷信だということはもちろん承知の上だが、蘭がみんなと話し合った結果が良い方向になることを願えば、そんなしょうもない迷信でも信じ込みたくなる。

 

 

 

 

 

沈みゆく夕日を眺めながら、明日の晴れ模様を想像した。脳裏には、どこまでも青く澄み渡る青空が見えていたような気がした。




いかがだったでしょうか。次回は12月22日の19時30分に投稿予定です。お楽しみに!



さて、時間もあるのでちょっとした時系列でも載せておこうと思います。下記のものがそれでございます。


第一章(現在の)

ガルパ

第二章

やんややんや



こんな感じですかね。つーことで、第一章のあいだはAfterglow以外のメンバーではさーややリサ姉などプライベートな関係の人達としか面識が無いように描写しております。ご了承くださいまし。


ではまた次回お会いしましょう。ばいなら!


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第13話 交差

眠い!!!!!!!うむ!!!!!!!!!




ほんへ!!!!!!







昨日約束した通り、三人でつぐちゃんを見舞いに病院へ向かっていた。

 

 

「ねー、ほんとにパン買って行かなくてへーき?」

 

 

 

「いやいい。またみんなに渡し損ねて無駄にしたり、ひーちゃんに全部食べてもらうことになるのは御免だからな」

 

 

 

「そうなったらあたしが全部食べるのにー」

 

 

 

「そうならなくても全部食べる気だろお前」

 

 

 

「さすがにそれはないでしょ......でも、モカがパン食べたいだけなのは事実だと思うけど」

 

 

 

「違うよ〜。つぐのお見舞いに持って行くんだよぉ〜。あたしが食べたいなんて、まさかそんなー」

 

 

 

「はいはい。......ほら、面会の時間終わっちゃう。急ぐよ」

 

 

そう言って私欲丸出しのモカを二人で引っ張り、危うく止まりかけていた歩みを進める。

 

 

ゆっくりと流れる景色を流し目に見ていると、モカがこんなことを聞いてきた。

 

 

「トモちん達も来てるのかな?」

 

 

 

「どうだろうな。面会時間空いてるんだし来てるんじゃないのか?」

 

 

 

「いるといいねー」

 

 

 

「どう......だろう」

 

 

蘭の眉間に皺が寄る。昨日の今日だから無理もないだろう。それでも蘭は歩みを止めることは無かった。

 

 

「蘭、顔こわいよー?キンチョーしてんの〜?」

 

 

 

「べ、別にこれが普段の顔だし。緊張もしてない!......もし、巴達がいたら...ちゃんと謝って、それで...」

 

 

強がりな姿勢は相変わらずだった。

 

 

 

だが──。

 

 

「......バンド続けたいって、ちゃんと伝えるから」

 

 

一つの決意を宿した蘭の瞳は、いつも以上に紅く、静かに燃え上がっていた。

 

 

「うん」

 

 

 

「......そうか」

 

 

蘭を試すつもりでああ言ったのだが、今の蘭を見る限りそれは杞憂だったらしい。

 

 

「行こう。まずはつぐみに、会いに行かなくちゃ」

 

 

 

 

こいつはもう、迷わない。

 

 

 

 

そういった確信を胸に抱き、迷いの無い足取りの蘭の後に続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「つぐ(〜)(ちゃん)」」

 

 

 

「モカちゃん!流誠くん!それに、蘭ちゃんも!」

 

 

受付で聞いたつぐちゃんの部屋番号のところまで行き、横開きの大きなドアを開けると、ベッドの上にパジャマ姿のつぐちゃん。

 

 

「蘭......」

 

 

 

「......巴」

 

 

そして、窓際に置かれた丸イスに座ったともちゃん、ひーちゃんがいた。

 

 

「なんかこうやって6人揃うのも久々だな」

 

 

 

「そ、そうだね」

 

 

何日ぶりかの光景に思わず言葉を漏らすと、ひーちゃんがいかにも気まずそうにそう頷いた。

 

そんなしみったれた空気もお構いなしに、あのモカジョークが炸裂した。

 

 

「いやあ〜、何年ぶりかなあ〜。ひーちゃんもトモちんも、こんなに大きくなっちゃって......」

 

 

 

「2日しか空いてないだろ」

 

 

ともちゃんの的確なツッコミが入る。つぐちゃんはそれを見て苦笑いし、俺達に来てくれたことへの感謝をしてきた。

 

 

確かに、実際では2日しか空いていない。俺だってそう感じている。

 

 

だが、蘭はどうだろうか。

 

この2日間以前からだいぶ悩んでたし、随分前から一人だけ違う時間を過ごしていたように感じていたのではないだろうか。

 

 

そんな蘭の心境を考えていると、ありきたりな表現になるが、胸を締め付けられるような感覚に襲われた。

 

 

「......せい......流誠?」

 

 

 

「......ん?どうした?」

 

 

 

「いや、ボーっとしてたから」

 

 

蘭の呼びかけに反応すると、自分がボーっとしていたことを知らされた。

 

 

「そうか?考え事してたからかな......」

 

 

 

「......そう」

 

 

 

お前のことで考え事をしていた、だなんて口が裂けても言えるわけがない。

余計な誤解を招くことは言わないこと。これはモカから実体験を通して間接的に教わったことだ。もし口を滑らそうものなら......内容によっては数日間誰からも相手にされなくなる可能性もある。それだけは否が応でも避けたい。

 

 

俺が咳払いをしたその直後、モカが寝台から最寄りの丸イスに「よいしょ」と腰掛けた。

 

 

「つぐ、元気になったー?」

 

 

 

「うん、もうだいぶよくなったよ。

ありがとう」

 

 

つぐちゃんの方は、すっかり元気になったらしい。

 

 

「そっか。よかったねえ。つぐのことが心配で、夜も眠れなかったんだよ〜」

 

 

 

「ふふっ。そんな、大げさだよ」

 

 

 

「おいモカ。夫婦漫才みたいなことするのはあとにして、今はアレやらなきゃダメだろ」

 

 

 

「あ、そうだったね〜。すっかり忘れてたよー」

 

 

モカジョーク過多によりモカワールドが展開する謎のビジョンが頭をよぎり、本題である仲直りができる状態にするように諭した。

 

 

「まああたしがやるんじゃないけどね〜。ねー蘭?仲直りのこと、忘れてないよね?」

 

 

 

「......分かってる」

 

 

なんやかんやモカの持ち前の切り替えの早さのおかげで、事なきを得ることができた。

 

 

「......」

 

 

が、問題の当事者は言葉に詰まっていた。

 

 

(おいおい。お前が黙りこくってどうすんだよ......)

 

 

逸る気持ちを抑えながらも心の中でそんな愚痴をこぼしていると、つぐちゃんが何か言いたそうな顔をしながら「あの......」と呟いた。

 

だが、それもそのはず。つぐちゃんには今回揉めた事は、何一つ伝えられて......

 

 

「つぐ、“その話”はアタシからする」

 

 

 

「......え」

 

 

その話、というワードに俺は思わず声を漏らした。ともちゃんはあたかもつぐちゃんも理解しているような口ぶりで、横槍を挟んできたのだ。俺たちが見舞いに来るまでの間、代わりに説明してくれたのだろうか。だとしたらありがたい話だが。

 

 

「まず......蘭。この間は悪かった。蘭のことが心配だったとはいえ......言い過ぎた。その......ごめん」

 

 

 

「あ、あたしも......ご、めん......」

 

 

 

「これで仲直り〜......でいいのかな?」

 

 

 

「......ん」

 

 

 

「まあ、一件落着ってことで」

 

 

何はともあれ、互いに謝り合うことができたので、第一段階はクリアとなった。

 

次に行うのは、蘭の気持ちの表明になるが......

 

 

「......巴」

 

 

 

「ああ。それでさ」

 

 

ひーちゃんの声に応えるように、ともちゃんが蘭に語りかけ始めた。

 

 

「さっき、みんなで蘭のこと話してたんだ。最近の蘭、ずっとつらそうだって」

 

 

さっきというのは、やはり俺たちがまだ到着していなかった時のことだろう。ともちゃん達の3人はその間に蘭のことについて話し合っていたらしい。

 

その結果。つまり『これから蘭にどうさせるべきか』を、今現在述べているといったところか。

 

 

「もともとこのバンドは、みんなで一緒にいられるようにってはじめたものだろ?......なのに、そのバンドに参加してる時の蘭はすごく苦しそうに見えて」

 

 

 

「それは......!」

 

 

蘭が何か伝えようとした。だがともちゃんは止まらなかった。

 

 

「蘭はきっと今、家のことで大変なんだと思う。それは、アタシから見てもわかる。もし、バンドが蘭を家との板挟みで苦しめているのだとしたら......アタシらも、すごくつらい」

 

 

 

(確かにそれもそうだが......)

 

 

ともちゃんの口ぶりから、嫌な予感がした。言ってもいけないし聞いてもいけないような言葉が放たれるような予感がした。

 

 

「アタシらは、蘭を苦しめてまでバンドを

したいと思わない。だから......」

 

 

一瞬言葉を詰まらせたともちゃんは、どこか躊躇っているようにも見えた。そこに生じた少しの間が、俺には永遠のように感じた。

 

 

 

しかし“それ”は、ハッキリとした形を持って。

 

 

「しばらく...バンドを休止させないか」

 

 

 

ご丁寧にも予感していた通りに、ともちゃんの口から言い放たれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「......!」

 

 

意外にも意外な言葉に、思わず息を呑んだ。

 

 

部外者からならまだしも、今までバンドを一緒に続けてきた幼馴染の口からそんなことを言われる日が来るとは思ってもいなかったからだ。

 

蘭もあれを聞いて、さぞ辛かっただろう。

 

 

「......っ」

 

 

ちらりと彼女の方を見やると、案の定筆舌しがたい顔になっていた。

 

 

 

ともちゃん達が蘭の為を思ってそれを提案したことはもちろん分かっている。だがその結果は蘭にとってあまりにも酷なものだった。

 

 

「蘭が落ち着いたらまた、活動再開させようよ。......ね?」

 

 

リーダーからも後押しされ、話がますます思わぬ方向へと進んでいく。

 

そんな中、無意識のうちに窓から見える空を見上げた。青々と晴れ渡る空には雲がぽつんぽつんと浮かんでいた。

 

そんな春らしい天気を見て、昨日屋上で3人で話したことを思い出した。

 

 

 

 

 

『......今思い出したんだけどさ、夕焼けの次の日って、晴れやすいんだって』

 

 

 

『なら、明日は晴れるだろうな』

 

 

 

『うん。だから明日はきっと、いいことあるよ。蘭』

 

 

 

『......うん』

 

 

 

 

 

晴れの日には良いことがあるという数ある迷信の中でも幼稚なそれを、易々と気休め程度に言い放った昨日の自分。

 

 

握った拳をわなわなと震わせている蘭は今、どんな思いでいるのだろうか。

 

昨日嘯いた自分のことを恨んでいるのだろうか。そんな余裕もないくらいに、ともちゃんの言葉から受けた衝撃の余韻に浸ったままでいるのだろうか。

 

 

どちらにせよ、蘭には悪いことをした。自らの周囲を取り巻く絶望のなかにいたずらに差し込ませた希望を抱かせておいて、その仕打ちがこれなのだから。

 

 

(ごめんね、蘭......)

 

 

この期に及んで勇気が出ず、嫌の一言すら言えない自分を戒めながら、心のうちでそう呟くと、

 

 

「......やだ」

 

 

蘭が細々とそう言った。

 

 

「蘭?」

 

 

 

「いやだ!!!あたしはバンド、やめたくない!」

 

 

今一番心の中から叫びたい一言を、蘭が代わって伝えてくれた。

 

 

「蘭......」

 

 

 

「......」

 

 

いきなり大声をあげた蘭に、ひーちゃん達は困惑の表情を浮かべている。

 

 

「......やめたく、ない......っ」

 

 

一方蘭はというと、元々震えていた手をさらに震わせながらそう呟いて。

 

 

「......っ」

 

 

部屋のドアへと駆けて行った。

 

 

「蘭......っ!」

 

 

 

「蘭......」

 

 

突きつけられた現実から逃げようと踵を返す蘭。気づいた時には、蘭はすでに横開きのドアの取っ手をぐっと掴んでいた。きっとこのまま外へと逃げていくのだろう。

 

 

ドアが勢いよく開かれる。ガシャンというけたたましくも虚しい音が、部屋だけではなく廊下にも響き渡る。

 

また止められなかった。部屋を飛び出して行く蘭の手を掴むことができなかった......

 

 

 

 

 

 

いや、まだ飛び出してはいなかった。

 

それは蘭の意思ではなく、蘭を食い止める『制止力』があったからで。

 

 

 

「──蘭!」

 

 

 

あたしは知らぬ間に、蘭の手を掴んでいた。しかしそこには、もうひとつの手が添えられていた。

 

 

「蘭!待てって」

 

 

他の手の正体はせいくんのものだった。あたしの手の上から包み込むように、しかしながらがっちりと蘭の左腕を一緒に掴んでいた。

 

 

その時、あたしの脳裏にはあのリサさんとの会話が想起されていた。

 

 

 

『蘭のことが本当に大切なら、

隣にいるだけじゃダメ』

 

 

 

......ああ、そうだ。隣にいるだけじゃダメ。だから......

 

 

(あたしが......蘭が間違った方向に行かないように止めるんだ!)

 

 

新たな決意と握る手を、さらに固めた。

 

 

「蘭......!!!」

 

 

 

「離してよ、二人とも......っ!」

 

 

 

「やだ」

 

 

 

「離さない」

 

 

蘭が唸る。でも、怯んではいけない。ここで離してしまっては、同じことの繰り返しになってしまうから。

 

絡みつく枷を外そうと、蘭が自分の腕を勢いよく無造作に振り回す。あたしとせいくんはそれに振り解かれないようにするべく、固く手を握り直そうとした。

 

 

その時だった。

 

 

「いい加減に......してよっ!!」

 

 

迂闊にも隙を突かれ、力を抜いた瞬間に手を振り払われてしまった。その勢いで、蘭は脱兎の如く病室を出て行った。

 

 

さっきまで掴んでいたはずの腕が一瞬で消えて、あたしとせいくんの2人はあまりの呆気なさに、あっと声を漏らすことしかできなかった。

 

 

「......どこか行っちゃったみたいだね」

 

 

 

「蘭......」

 

 

ともちゃんは心配そうに、既に見えなくなった蘭を遠い目で見送っていた。

 

 

 

結局、止められなかった。邪魔することしかできなかった。

 

強く握りすぎたせいか、手のひらに突然痛みが襲ってきた。

 

 

「うっ......」

 

 

空いたもうひとつの手で震えるほうを握ってその場に座り込む。そんな苦痛はむなしくも、報われることは無かったが。

 

 

 

己の無力さに腹わたが煮えくりかえりながらも悔しさに打ちひしがって、例えようのない感情が生まれた。

 

 

 

次第に、このままどうにでもなってしまえばいい。そう思うほど、あたしは混沌に飲み込まれ始めていた。

 

 

 

 

一緒に手を掴んでくれたせいくんも、同じような心境なのだろうか。振り払われてから依然立ち尽くし続けているせいくんの方へとおもむろに顔を向ける。

 

それと同時に彼は腰に手を置いて、体をのびのびと伸ばし、今から走りに行くのかと思える動きをとって────。

 

 

 

 

 

 

 

「じゃ、追いかけますかね」

 

 

 

 

 

やれやれと笑ってみせた。

 

 

 

そう。彼は疲れたから屈伸などをしたのではなく、本当に走るつもりで準備運動をしたのだった。そんなこの現状でいえば奇異とも言える行動に、あたしは目を丸くした。

 

 

「え?でも......」

 

 

蘭は“止められなかった”。それをわざわざ追いかけてどうするつもりなのだろうか。

 

この前の練習の時とは勝手が違うはず。今度こそ自分の思いを真っ向から否定されたような事態となった。なのに、一体何をするつもりでおいかけようなどという発想に至ったのだろうか。

 

 

「なんだモカ。追いかけてどうすんだって顔してるけど」

 

 

心を読まれてドキッとした。

 

 

「図星か」

 

 

 

「え、えへへ〜。バレたかー」

 

 

 

「わかんないなら教えてやるよ。......いや、これはお前も、お前以外も知ってるはずなんだけどな」

 

 

強がってるのも見透かしてるかのような顔つきでせいくんは、追いかけた後は何をするのか教えてくれた。

 

 

 

 

 

 

「無理矢理に手を引いてでも連れ戻す、だ」

 

 

 

「......え」

 

 

それは至極単純なもので、且つ自分も密かに考えていたものだった。

 

でもそれこそ傷心者の蘭の傷をさらにえぐってしまう行為になるのではないのかと、懸念していたのだ。だからあたしも心の隅に、その愚策をしまいこんでいた。

 

 

せいくんに質問してみた。

 

 

「でもそんなことしたら、また蘭が......」

 

 

悲しんじゃうかもしれないのに、どうして?

 

 

 

その一言を告げる直前になって、せいくんの言葉に遮られた。

 

 

「わかってるよ。そのくらい覚悟の上だからな。でもな、モカ。だからこそなんだと思うんだよ」

 

 

強まっていく語気に、思わず身震いした。

 

 

「だからこそ、連れ戻してやらなきゃ。蘭が間違った方向に行ってしまう前に、俺たちが。何度も迷惑がられようともな」

 

 

 

「......!」

 

 

それを聞いた瞬間、胸の中の栓が抜かれ、淀みが抜け切っていくのを感じた。

 

 

結果がどうであれ、関係ない。エゴ上等。

 

 

 

 

 

当たって砕けて無理やり笑わせろ。

 

そう、せいくんは言いたいのだろう。

 

 

「..................ふふっ」

 

 

しばらく黙りこんだ後、吹き出した。

 

 

「な、なんだよ」

 

 

 

「いやーごめんごめん。どこまでも考えることは一緒なんだなーって思って、ついねー」

 

 

 

「あっははは。流らしいな」

 

 

笑いの余韻の残ったあたしの発言、そしてずっと黙りこくっていたともちゃんの笑いに、せいくんは首を傾げた。

 

 

 

過ごした時間や経験してきたことは違えど、根本的な部分は変わらない。他の幼馴染のことをすごく思いやる気持ちとそれを行動に移す勇気は、結局変わらないのだ。

 

 

そして、大切なことを思い出させてくれたせいくんに、絶大な安心感と信頼感を抱いた。

 

 

 

 

リサさんも言っていた。隣にいるだけではダメだと。お互いを使役し合って、問題を解決しろと。

 

なら今こそみんなと協力して、何かしら行動を起こさなければ。

 

 

 

「でも、追いかけるって言っても蘭が出て行ってから時間経ってるよ?」

 

 

 

「......」

 

 

ひーちゃんが怪訝そうに問いかける。

 

 

「たしかにそれもそうだねー。あたしでも捕まえられないかもー」

 

 

追いかけるにしても蘭が飛び出してから数分かは経っているこの状況。蘭が運動音痴だからといっても、かなりの距離を離されているはずだ。

 

それに追いつくには、当然足の速い人がいなければいけない。

 

 

 

 

「んっんー......」

 

 

思考を集中させているとせいくんが咳払いをし始めた。

 

 

「どうした流?喘息の発作か?」

 

 

 

「ああ違う違う。わざわざ心配してくれてありがとう、ともちゃん。」

 

 

 

「喉になんか詰まっちゃったとかー?」

 

 

 

「あーっと、そうだな......ごめん。なんか気づかない?」

 

 

何か異常があったのか聞いてみても、質問は質問で返ってきた。これ以上何に気づけというのだろうか。

 

 

「俺が準備運動してた理由とか」

 

 

全員が首を傾げたのを見て、しびれを切らしたようにせいくんがそう答えた。

 

 

「え、まさかせいくんが追いかけるのー?大して足速くないのにー」

 

 

 

「「「うーん......」」」

 

 

少しの距離ですらろくに走ることもままならないあのせいくんが、とうに距離の離れている蘭を追いかけようなど笑止千万。あたしたちは再び首を傾げた。

 

 

自分で言うのもなんだが、それならあたし自ら追いかけた方がまだ勝算はある。部活こそ入ってはいないが、これでも足には自信がある。とはいえ体力は無いし、相手が陸上部の短距離選手ともなれば流石に敵わないが......

 

 

 

 

 

 

 

......あれ?陸上部の、短距離選手......?

 

 

 

 

 

「「「「......あっ!」」」」

 

 

 

 

 

思い出した。すぐ近くにいるではないか。最高の適任者が。

 

 

「俺が陸上部、それも短距離種目なの、みんな知ってると思ってたんだけどなあ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ......はぁ......また勢いで飛び出しちゃった」

 

 

息を切らしながら、階段を上る。憩いの場である学校の屋上へと続く階段を。

 

 

 

行ったところで、何もかも放ったらかして逃げてきたことに対する罪悪感は消せないだろうけど。

 

 

「ならなんであんなことしたんだろ......私のばか......」

 

 

皆の前では素直になれず、自分は正しいと弁解する自分を戒めながら、相変わらず錆びついているドアをこじ開ける。

 

 

 

 

そこには、昨日見たような夕日が───。

 

 

「──はあああ......やっと来たか」

 

 

 

「......っ!?」

 

 

そして、鉄柵に背中を預けて肩で息をしながらへたり込んでいる流誠がいた。




いかがだったでしょうか。次回は12月22日の19時30分に投稿予定です。お楽しみに。


さて。今回は皆様に、とあることについてのお礼を申し上げたく存じます。

なんかお気に入り数めっちゃ増えてた!!ありがとうございます!!!


...はい。ということです。お気に入り数とか感想とかこない限りそういうのはあまり見ない性格なのですが、チラッと気晴らしに見てみたらもう多いのなんのって。本当に励みになります。ありがてぇ...!です。


この先も、駄文駄編など様々なお見苦しい点があるかもしれません。ですがどうか僕の成長を、この作品とともにこれからもずっと見守っていてください。これからも頑張りますので!



ではまた次回お会いしましょう。さいなら!


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第14話 結束

申し訳ありません。前回書いた投稿予定日の日付、間違ってました...(本来12月25日だったのが22日となっていた)

次からは気をつけます。




それでは本編どうぞ。






「どうしてここに......」

 

 

 

「決まってんだろ。連れ戻しに来たんだよ」

 

 

予想外の光景を目の当たりにした私に、流誠はそう答えた。

 

 

そんな一手先を読んだ流誠の心がけに、どれほど嬉しく思ったことか。

 

 

 

だが......

 

 

「......っ」

 

 

私にも皆の思いを無下にし、あのような行動を再びとってしまった責任がある。故にわざわざ迎えに来てもらう義理はない。それ以前に資格もない。

 

 

「私はまた逃げだした。それは、巴達が一生懸命に私のために考えてくれたことに対して目を背けたのと同じこと。こんな最低な私なんか放って、さっさと帰ってよ」

 

 

だからこの時だけは饒舌に、素直に自分を蔑み、自分がどれほど最低な人間かを流誠に知らしめた。

 

 

「そうか......」

 

 

それを聞いた流誠は、端的にそう答えた。

 

 

よかった。納得してもらえたみたいで──。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃ、一緒に帰るぞ」

 

 

 

 

 

 

「......は」

 

 

 

 

 

違った。私の気のせいだった。

 

 

こいつは納得するどころか、俄然私を連れて帰ろうと重い腰を上げてこちらに近づいてきてきた。

 

 

「ちょちょ、ちょっと待ってよ!」

 

 

 

「んだよ」

 

 

目と鼻の先の距離まで詰めて来た流誠は、どこか苛立たしげだった。というか近い。近すぎる。

 

 

「さっきの話聞いたでしょ!?私はみんなの思いやりを踏みにじった。それも自分の中でもうしないって決めてた身勝手な行動で!」

 

 

昨日モカと流誠と屋上で話していた際にも、もう逃げたりなんかしないと密かに決心した。そうやって現実から目を背けようとする己の心の弱さを戒めた。

 

 

 

だが今日、その釘を打ったはずの心の弱さがまたもや行動としてその姿を現した。

 

 

「わからないの......自分でやったことなのに、どうしたまたあんなことをしたのか......っ」

 

 

私はこの期に及んで、無責任極まりないことを言った。でも仕方がない、それが事実なのだから。これ以外にどう表現すればいいというのだ?このあたしの愚かしさを。

 

 

「......」

 

 

流誠は、依然私のすぐ目の前に立ち続けていた。きっと心の中では、心底私の愚かさに呆れているのだろう。その蔑みを言葉にして聞かせてほしい。聞いたうえで、あたしもそれらを脳内だけでなく全身で咀嚼し、なめずり、そして味わいたい。それが今の私にできる最大の贖いであるから。

 

 

 

 

 

「理由なんてわかんなくてもいいだろ。自分がどれだけ酷いことをやったのか......それを自覚してるんなら十分だ」

 

 

だが、沈黙を破った流誠の口から言い放たれたのはそんなものとは無縁のものだった。

 

 

「え......」

 

 

 

「お前がさっき言ってた通り、あそこでまた

飛び出してしまったのはいけないと思う。けど、そんなことをした理由まで考える必要はべつに無いんだぞ?本当にしなきゃいけないことは、自分の過ちを認めて、それを反省することなんだからな」

 

 

そんな流誠の言葉が都合よくも、励ましのように聞こえた。

 

 

「ぅ......」

 

 

今まで抑えてきた嬉しさや悔しさの感情が溢れ出して、嗚咽が漏れる。瞼の裏から込み上げてくる熱いものを堪えようと歯を食いしばり下を俯くと、自分の足が震えていることにようやく気がついた。

 

 

 

その光景にもうふたつ足が加わったところで、流誠は私に向けてこう続けた。

 

 

「あと、言いたいことがあるならちゃんと言えよ?じゃないと、自分がこれからどうしたいのかみんなに伝わらないだろ?」

 

 

 

「......!」

 

 

そうだ。私はまだ『結果』しか伝えられていない。重要なのはそうするための『過程』......

 

 

 

 

......私はまだ、バンドを続けるために父さんと向き合って話すと決めたことを巴たちに伝えられていない。

 

それに、みんな私のことを心配して待ってくれていることだろう。いつまでもそうさせるわけにもいかない。

 

 

 

 

 

でもまずは、今自分が本当にすべきことに気がつかせてくれた流誠に感謝の気持ちを伝えなければ。

 

 

「......流誠」

 

 

 

「なんだ?」

 

 

 

「その......あ、ありが、とう......」

 

 

俯いたままで、不器用なのも重々承知だ。それでも精一杯の気持ちを込めて、あたしは頭を下げた。

 

それに流誠は「ああ」と返事をしたあと、握った拳をこちらに差し出してきた。

 

 

「もう、迷うなよ?」

 

 

 

「......ん」

 

 

私も同じく拳を握り、それに打ち付けて応えてみせた。コツンと小さく軽快な音が鳴る。

 

 

「うっし!じゃあ行くか」

 

 

歯切れの良い拳骨同士のぶつかり合う音に満足したのか、流誠は軽く背伸びをして笑顔をつくってみせた。そのあと、私の背後にある扉へと歩き出した。

 

 

 

そんな流誠の後を追うようにして、私も歩み始めたのであった。涙を拭い捨てて、もう迷いはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(あーよかったー......“あっち側”じゃなくてほんとによかったー......)

 

 

蘭を連れ病院に帰っている道中、俺はとあることに対して多大なる安堵感を抱いていた。それは蘭の逃亡先のことについてだった。

 

 

 

病院を出発してしばらくした際に、他の4人と蘭がどこへ行ったかよく話し合わなかったことをひとりでとても悔やんでいたのを思い出した。

 

 

だがいくら助け舟を探しても頼るあてなど周りにいるわけもなく、なくなく俺はもともと自信の無い勘に頼るほかなかったのだ。

 

蘭がいそうな場所として真っ先に挙げられたのが二ヶ所、高等部と中等部、そのどちらかの屋上。つまり選択肢が二つだけだったことが唯一の救いか。おかげで当てることができた。

 

 

 

 

ただ単に、無意識に中等部の方を避けていただけなのかもしれないが。まあ結果論だ。終わり良ければ全て良し......って、今は言えそうにもないが。

 

 

「流誠?」

 

 

 

「......あ、ああ。着いたのか」

 

 

 

「うん......ていうかさっきから表情硬いよ?」

 

 

 

「あーいや、すげえしょうもないことで考え事してただけだから。ほら、病院着いたことだし早く行くぞ」

 

 

 

「だからさっきからそう言ってんじゃん」

 

 

隠しきれない怪しさに疑念の目を向けられながらも、気づかぬうちに到着していた病院の玄関の自動ドアを抜け、つぐちゃん達の待つ病室へと向かう。病室は3階のエレベーターを出てすぐ左に曲がったところだ。

 

 

「悪い。待たせちゃって」

 

 

 

「お、やっと来たねー。して、約束の品はどこかなー?」

 

 

 

「はいはい。ほら、蘭。出番だぞ」

 

 

 

「......うん」

 

 

ドアを開けて早々、モカに蘭の提示を要求されたので、ずっと背後に隠れたままだった蘭の背中をやさしく前に押してやった。

 

 

「蘭......」

 

 

ともちゃんがずっと座っていた丸イスから腰を上げる。2人の間の距離は、自然と縮まっていた。

 

それから互いに各々の反省点を曝け出した。

 

 

「改めて言わせてくれ。ホント、あの時のことは悪かった。ごめん」

 

 

 

「あたしも、ご、ごめん。また急に飛び出したりしちゃって......」

 

 

 

「蘭は別に悪くない。蘭の気持ちをちゃんと考えてやれなかったアタシらの方が悪いんだから」

 

 

 

「そ、そんなことない!あたしが気持ちの整理さえできていれば、迷惑かけたりしなかった

んだから......」

 

 

 

「いいや。落ち度があるのはこっちだけで十分だ」

 

 

 

「それじゃダメ!」

 

 

 

(......あれ?なんか脱線してってないか?)

 

 

ともちゃんと蘭の会話は、俺の描いていたハッピーエンドとは程遠い雰囲気になりつつあった。

 

声の大きさも会話を重ねていくごとに大きくなっていく。

 

 

(場所も場所だし、早く止めさせないと......)

 

 

公園など屋外で騒ぐならまだしも病院内でそれはまずいと、2人を止めるべく横槍を挟んだ。

 

 

「おい2人とも。そんなしょうもないことで言い争わないで、早く仲直りして......」

 

 

 

「「しょうもないことぉ?!」」

 

 

 

「え」

 

 

が、それは火に油を注いだ結果となった。

 

 

「あーあ、せいくん余計なことしーだねー」

 

 

 

「だ、だって!このままだと、“ヤツ”が......」

 

 

このままだと“ヤツ”が、来るかもしれない。人こそ違うが、俺がまだ入院していた頃によくお世話になった、ヤツが。どこの病院には少なからず一人はいる、“ヤツ”が......

 

 

 

そんな俺の心配もいざ知らず、ともちゃんと蘭は俺に牙を剥いてきた。

 

 

「あんたにとってはしょうもないことかもしれないけど、あたしらにとっては大事なことなの!」

 

 

 

「そうだぞ!」

 

 

 

「うん。だから巴もいい加減認めてよ」

 

 

 

「はあ!?なんでそうなるんだよ!」

 

 

 

「ちょ、そろそろやめなよ2人ともー!」

 

 

 

「あの、ここ、病室だから...!」

 

 

ずっと見守る側だったひーちゃんとつぐちゃんも仲裁に入る。もはやここまできたら漫才である。

 

......まったく。仲が良いのやら悪いのやら。

 

 

「はあ......もう俺疲れたから部屋の外行ってくる。......ああそうだ。モカ、適当に蘭を怒らせてやってくんないか」

 

 

 

「え?なんでー?」

 

 

 

「なんでも」

 

 

 

「え〜?......まあ、うん。やってみる」

 

 

目まぐるしく変わる状況に追いつけずギブアップすることにし、部屋を出る前にモカに蘭を怒らせるよう頼み込んだ。その理由はすぐにわかる。

 

 

横開きにドアを開け廊下に出る。それが閉まりきってからしばらくした後、音が遮断されているはずの病室から蘭の怒号が聞こえてきた。うまくやってくれたみたいだ。

 

これで準備は整った。あとは“ヤツ”が来るのを備え付けのソファに座って悠然と待つだけ。

 

 

 

病院内である程度の騒ぎを起こさなければならない。だが逆にこの条件さえ達成すれば、自ずと“ヤツ”は現れる。

 

 

 

 

......もうお気づきだろう?ヤツの正体が白い服を見に纏った、病院の看護婦の頂点に君臨している婦長であることを。

 

 

無駄に図体のデカいそいつは、俺の目の前をズカズカと通り過ぎたあと、つぐちゃんの病室へとぬっと入っていった。

 

その直後、先ほどの蘭のものとは比べものにならないくらいの怒号が甲高く響き渡ったのは言うまでもない。

 

 

(利用させてもらったよ、婦長さん......)

 

 

また、それを聞いた俺が、1人成し遂げたような顔をしたのも言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「「「「あはははははっ!」」」」」

 

 

十数分は経っただろうか。白い悪魔が退出したのを見計らって病室へ戻ってみると、意外や意外。みんな腹を抱えて笑っていたので、思わず寒気を覚えた。

 

 

「な、なんで笑っていられるんだよお前ら......」

 

 

気でも狂ったかと心配し、そう問いかけた。

 

 

「いや、いきなり怒られたもんだからさ......ははははは。はぁ......で、アタシら何の話してたんだっけ?」

 

 

 

「さあ?なんだったっけ?」

 

 

 

「忘れちゃったね〜?

でも、めっちゃスッキリした〜」

 

 

 

(無責任にもほどがあるだろこいつら!)

 

 

大声で笑いだしたかと思えば軽い記憶喪失を引き起こす彼女達のあまりの無責任さには、流石に感服せざるを得ない。もちろん皮肉である。ああ感服感服。クソ。

 

 

「......巴」

 

 

 

「なんだ?」

 

 

ひとしきり笑い終えたあと、蘭がともちゃんの名前を呼んだ。

 

和やかな空気の充満していはずの部屋に、一瞬にして緊張が走る。

 

 

「さっき、飛び出す前からちゃんと言いたかった......バンドが続けられるように父さんと話、してみる」

 

 

そんな緊張も押しのけてみせた蘭は、ようやく自分がどうしたいのかをはっきりと伝えることができた。

 

 

「蘭......!」

 

 

 

「素直でよろしい〜」

 

 

 

「ほら、からかうなって。......蘭の気持ちはわかった。話してくれて、ありがとな」

 

 

 

「蘭ちゃんの気持ちがきけて、私も嬉しいよ......!」

 

 

 

「私たち、お互いのことが大事すぎて、今まで言いたいこと言えなかったのかもね?ふふっ。ほんと、仲良すぎ」

 

 

 

「......だな」

 

 

蘭がバンドを続けるためにこれからどうしていくのかを聞けた他のメンバーは、ご満悦のようだ。

 

 

だが、その誰よりも喜びを感じているのは、ほかでもない蘭本人だろう。いつもは強張った彼女の顔が今は珍しく綻んでいるのを見れば、そんなことすぐにわかる。

 

そうして蘭の成長を垣間見た俺も、目を細めて微笑みを浮かべたのだった。

 

 

「ふあ〜。もうお日様も沈んできたし、お腹空いてきちゃったよ〜。みんなで帰り、パン屋さんよってこーよ。今日、菓子パンセールの日なんだよ〜。だからせいくん、おごってくんな〜い?」

 

 

 

「え?セールと何も関係性無いんだけど?てか重い」

 

 

モカに後ろから突拍子も無く飛びかかられた挙句、難癖を付けられてパンもせびられた。

 

 

「蘭をレンタルしたお駄賃として買ってー」

 

 

 

「意味がわからん」

 

 

 

「はは。モカのマイペースさを見ると安心するな。けど、パンは自分で買おうな。流はアタシらのパシリじゃないんだから」

 

 

 

「ちぇー」

 

 

 

「ありがとうともちゃん。助かった」

 

 

ともちゃんが助け舟を用意してくれたおかげで俺は束縛から解放されて、事無きを得ることができた。でもその軽さは、“他のこと”にも由来しているのかもしれない。

 

 

「それじゃ、行くか。今日からまた『いつも通り』だ」

 

 

そうして病室を出て行こうとするともちゃんの後を、俺達は追いかけようとした。

 

 

「わ、私は......っ!?」

 

 

そんな中、1人ベッドの上に置き去りにされたつぐちゃんが叫んだ。

 

 

「つぐはもうちょーっとだけガマン!」

 

 

 

「はーい......」

 

 

どうしてもついて行きたそうだったのだが、退院までおあずけ。とひーちゃんから止められた。

 

 

そんな一幕が、どうにもわがままを言う子供とそれをなだめる親のやりとりのように見えたので、思わず吹き出してしまった。他のメンバーも俺と同じようなことを感じたのか、婦長さんに怒られた時のように、また笑い始めた。 今度はその笑いの渦に、俺も加わった。

 

 

(──晴れの日にはいいことがある、か......)

 

 

呼吸を整え、昨日モカが言っていた言葉を思い出しながら窓の外を見た。

 

 

(......明日も、晴れるといいな)

 

 

オレンジがかった雲とどこまでも続く夕焼け空を見上げ、俺はそう確信した。




いかがだったでしょうか。次回は12月28日の19時30分に投稿予定です。お楽しみに!


最後に、この場をお借りしてお気に入り&しおり使用者様の数の増加のお礼を申し上げます。本当にありがとうございます。これからも頑張りますので、どうか応援のほど、よろしくお願いします。




ではまた次回お会いしましょう。さいなら!


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第15話 本音

どうぞ。


数日後、病院で宣言した通り蘭は父親に説得するべく、傍聴人として俺たちを家の門前に招集した。

 

そう。玄関前ではなく門前なのだ。玄関は、その前に堂々とそびえ立つ門をくぐった先にあると思われる。ここに来るのは初めてだし今は門のせいで実際にはどうなっているのか中に入るまでわからないので、予想で留めておくほか無いが。いつかはお邪魔することになるだろうから、その真相はそれまでのお楽しみだ。

 

 

それよりも気になるのは、ここまで広大な敷地と豪邸を有している美竹流の家元......蘭の父親の財力だ。このご時世、とてもじゃないが華道で稼いでいけるとは思ってもいなかった。そんな独断と偏見は、目の前に悠然としてある事実によって俺の頭から霧散していった。

 

 

「蘭〜......ほんとに1人で大丈夫?ついていこうか?」

 

 

らしくもなく黒い思考に頭を巡らせているとひーちゃんが見兼ねたのか、運命の分かれ目とも言える説得劇の当事者である蘭に心配の目を向けていた。案の定蘭は鬱陶しそうに、そんなひーちゃんの気遣いを一蹴した。その後のモカからの追撃も、軽くあしらっていた。

 

 

「......うん。じゃあ、行ってくる」

 

 

いつも通りのやり取りに安心したのか、蘭は不意に微笑みをこぼした後、腹を括ったようにそう言った。

 

 

「蘭ー!ホントに無理しないでねー?!」

 

 

 

「頑張ってねー、蘭ー」

 

 

 

「しっかりやってこい」

 

 

 

「蘭ちゃん、頑張ってね!」

 

 

 

「ああ。頑張れ、蘭」

 

 

見送りの言葉をかけると、蘭はこちらに背中を向けたまま手を振り返してきた。そんな蘭の背中からは、前まではあった迷いなどは一切感じられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

玄関を開けると、当たり前のようだが、いつも通りの我が家の落ち着いていながらも厳かな雰囲気が私を優しく、そして刺々しく出迎えた。

 

玄関の扉を閉め、外界からの一切をシャットアウトした。ここからは父さんとの一騎打ちだ。誰にも邪魔されることは許されない。

 

 

「......父さん」

 

 

リビングを覗いてみると、牙城である父さんが座椅子の上で新聞を読んでいた。

 

 

「蘭か。どうした?バンドをやめる気になったのか?」

 

 

私から話しかけることなんて滅多に無いため、父さんは一瞬面食らった顔をしてみせた。そんな反応を笑われる隙なんて作らせないと言わんばかりに、すぐにお馴染みの嫌味節をかましてきたが。

 

 

 

だけど、もう怯まない。

 

 

「やめない......やめたくないから、話、しにきた」

 

 

 

「......」

 

 

父さんはまた、先ほどと同じような反応をしてみせた。だが、耳を塞ぎたくなるような嫌味は飛んでこなかった。

 

 

「父さん。あたしはバンドをやめない。......これからもずっと、続けていく。父さんはバンドをごっこ遊びって言うけど、あたし達は本気でやってる」

 

 

 

「口で本気と言われたところで、これまでのお前の行動を考えると納得することはできないな」

 

 

確かにそうだ。本音を伝えたところで、結果として示さなければ納得されるわけがない。

 

 

 

ならば、示してやればいいだけのこと。

 

 

「......このチケット、父さんに」

 

 

 

「ガールズバンドジャム......?なんだこれは?」

 

 

 

「ガールズバンドのイベントなんだけど、出演バンドの中にあるAfterglowってやつ......それが、あたし達。......このイベントを父さんに見に来てほしい。そして、あたし達の本気の姿を見て納得してほしい」

 

 

 

「......蘭」

 

 

 

「......おねがい、します......!」

 

 

直角とまでは言えないが、深く頭を下げた。

言いたいことは全部言った。出し切った。

 

 

 

部屋に、束の間の沈黙が走る。ただ、束の間というのは肩書きでしかなくて、私にとってはとても長い時間のようにも感じた。

 

そんな沈黙を破って、父さんが言い放った言葉は......

 

 

 

 

 

「......わかった」

 

 

肯定の一言だった。

 

 

「父さん......!」

 

 

 

「見に行こう。だが、私を納得させる演奏をしなかった時は考えさせてもらうぞ」

 

 

 

「......!もちろん、納得させてみせる。その為に父さんに来てもらうんだから」

 

 

正直消極的に見積もっていたものの、何はともあれ言質はとれた。これでようやく、心置きなく練習に専念することができる。

 

 

「ふっ。威勢がいいな。思えば、はじめてだな。お前が私に思いをぶつけてきたのは......」

 

 

心の中で控えめなガッツポーズをとっていると、父さんから突然そんなことを言われた。

 

 

「そうだっけ」

 

 

 

「......よく、言ってくれたな」

 

 

 

「別に、バンドがやりたいだけだし」

 

 

 

「そうか」

 

 

先ほどまでの挑発的な態度とは打って変わって、今度は瞳に温もりを宿した父さんを見て最初は気持ち悪がった。

 

けれど、いつもは厳格な父さんの久方振りの優しい一面を見ているうちに、棘の生えかかっていたあたしの心も次第にほぐれていき......

 

 

 

ああ、ダメだ。こんなのあたしらしくない。

 

 

「じゃああたし、このあと練習あるから......」

 

 

 

「ああ」

 

 

 

「......父さん」

 

 

 

「......なんだ?」

 

 

 

「......ありがと」

 

 

赤くなった瞼を悟られないために面と向かい合うことはできなかったが、心からの謝意を娘のわがままに付き合ってくれた心優しい父親に対して、できる限り示した。

 

 

 

まだ見慣れない自分の側面を見て慄いている今のあたしでも、そのくらいは十分できた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「蘭ちゃん、どうなったかなあ......」

 

 

 

「さあ......どうだろうな」

 

 

蘭が昼に話し合いに行ってから、どれくらい経っただろうか。陽は傾きはじめていた。

 

 

「話し合いがうまくいったのが嬉しくて泣いてるんだよ〜。目の腫れがひいてから出てくるんじゃない〜?」

 

 

 

「またモカはそういうこと言うんだから......」

 

 

蘭の帰りをずっと待ち続けている俺たち5人は、あまりの帰りの遅さに懸念していた。

 

モカのいつも通りの冗談のおかげで、緊張も少しは和らいだが。

 

 

「あっ、蘭!」

 

 

 

「......」

 

 

噂をすればなんとやら。蘭が神妙な面持ちで大層な門から出てきた。

 

もちろん、待ちわびていた蘭が帰ってきたのを知った俺たちは真っ先に話し合いの結果を聞き出した。

 

 

「......蘭?」

 

 

 

「どうだった......?」

 

 

 

「父さん、ガルジャム見に来てくれるって。

ライブで納得させる」

 

 

そしてその結果は、望んでいたものをそっくりそのまま写したようなものだった。

 

 

「じゃあ......!」

 

 

 

「ほら、早くスタジオ行こう。納得させる演奏をしてみせるんだから」

 

 

 

「「「「「......」」」」」

 

 

その結果を聞いて活気が湧いた......わけでもなかった。理由としては、不自然に顔をこちらにあまり見せようとしない、蘭の仕草にあった。

 

その理由は、容易に想像できる。

 

 

「......さては泣いてたな?」

 

 

 

「ははーん?やっぱりね〜」

 

 

 

「......っ!泣いてない」

 

 

このツンツンした態度。図星か。

 

 

「またまた〜。モカちゃん達の目はごまかせないぞ〜?」

 

 

 

「......泣いて、ない......っ!」

 

 

 

「あ......っ」

 

 

さすがに言いすぎたのか、涙目で留まっていた蘭の瞳からは大粒の涙がぽろぽろと溢れはじめていた。

 

 

「蘭......」

 

 

 

「あ〜、モカが泣かせた〜!」

 

 

 

「あたしじゃないよぉ〜。最初に言い出したのはせいくんだもーん」

 

 

 

「はあ?!お前っ......!」

 

 

モカから見に覚えのない罪をなすりつけられる。そこに便乗するかのように、蘭もまた、己の思いをぶちまけて────。

 

 

「......っ、ぐすっ、2人とも......バカ......っ!」

 

 

 

「ええ〜、あたし、バカなの〜?」

 

 

 

「バカっていうのが間違ってないことに自分への憤りを感じざるを得ない...」

 

 

喧嘩両成敗。あまりに的を射抜いた言葉を言われて、俺の頭の中に溢れかえっていた言い訳の数々は自責の念へとみるみる変わっていった。

 

 

「......蘭、よく言ったな」

 

 

 

「......うんっ。うん......!あたしだって......不安だったんだから...!」

 

 

ともちゃんが、泣くことに恥を感じなくなってきたように見える蘭を、そっと抱き寄せた。

 

 

「何はともあれ、蘭とまたバンドができてうれしいよ。やっぱり、Afterglowはこの6人じゃないとね!」

 

 

 

「うんうんっ!」

 

 

ひーちゃんやつぐちゃんが見守り、静かに語りかける。俺とモカは何か言ってやったりこそしなかったものの、同じことを思っているのは確かだった。

 

 

......うん。やっぱり俺たちはこうでなくっちゃな。

 

 

「みんな......その......いつも助けてくれて、ありがと」

 

 

感傷に浸っていると、蘭がみんなに向けてお礼を述べた。

 

 

「何を今更......それはこっちもだ。お前の歌があるから、このバンドが成り立つんだよ。だからお互い様だ」

 

 

 

「うんうん!そのとーりだよ!よーっし、目的も達成したし、そろそろ練習いこっか!」

 

 

 

蘭に、モカに、ひーちゃんに、ともちゃんに、つぐちゃん。皆がひとつになることで奏でられる音楽。

 

これでようやく、曲を作っていける。ここからまた『いつも通り』に戻っていくんだ。

 

 

 

そう思うと安心した......のと同時に、つぐちゃんが突然あっと声をあげた。

 

 

 

「......わあ!みんな見て、あれ!」

 

 

 

「おお......今日のはまた一段とすげえ夕焼けだな」

 

 

 

「お〜、ホントだ。まぶしいねえ。まるであたし達の青春みたいだね〜」

 

 

つぐちゃんの声の指す方へ目を向けると、思わず瞼を閉じたくなるほど眩しい紅い夕焼けが空に広がっていた。

 

 

「みんな、この夕日に誓おう!ライブ、ぜ〜〜〜ったい成功させよう!えい、えい、おー!」

 

 

 

 

「「「「「......」」」」」

 

 

木霊するひーちゃんの声は夕焼け空に儚く散っていった。

 

 

「え〜!?やっぱり誰も言わないの〜!?」

 

 

 

「すまんひーちゃん。こればっかりは......」

 

 

 

「......おー」

 

 

 

「......蘭?」

 

 

状況も状況だ。また誰も言わずじまいで終わってくれるかと思いきや、一番ノリの悪そうな蘭が右手を挙げながら静かにおー。と腕を小さく持ち上げて言った。

 

 

「頭大丈夫か?」

 

 

 

「あたっ......!?そこまで!?」

 

 

 

「こりゃ明日は嵐がくるね〜」

 

 

 

「う、うるさい!」

 

 

焦る蘭の反応に笑いの渦が起こる。

 

 

「あははっ。......でも、本当によかった。これでやっと、『いつも通り』に戻れるね」

 

 

 

「ああ。あとは、ガルジャムに向けて突っ走るだけだな。蘭のために......いや。アタシたちのために、最高の演奏をしよう」

 

 

 

「......うん!」

 

 

そうして俺達は、ガルジャムに向けた久し振りの練習を行うために、スタジオに向けて出発した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「......よし。そろそろ休憩にするか」

 

 

 

「つーかーれーたー......」

 

 

 

「せいくん先生ー。もうちょっと手加減してよ〜」

 

 

久々の練習に、メンバーは揃って疲れた様子を見せていた。

 

 

「でも音外しまくってたのは事実だしな。厳しめに見ていたのは悪かったけど、そうでもしないとガルジャムで失敗するぞ」

 

 

 

「そうだぞー?ひまり、モカ」

 

 

 

「「はーい......」」

 

 

とは言っても、かなりキツい練習に耐え抜いた彼女達を労ってやらないほど自分も鬼畜ではないので、スタジオを出てすぐにあるカフェで売られている飲み物でも買ってやろうと考えた。

 

するとモカもついていくと言うので、渋々承諾した。渋々というのはもちろん、何か余計な物まで買わされるのではないかと懸念していたからだった。

 

 

「モカ。わかってるだろうけど買うのは飲み物だけだからな」

 

 

 

「せいくんお父さんみたーい」

 

 

 

「返事をしないってことは、金輪際パンの差し入れは無しってことでいいんだな?」

 

 

 

「ええ〜?聞いてないよそんなことー」

 

 

 

「今聞いただろ。嫌なら返事」

 

 

 

「はーい......ん?あれはもしや......」

 

 

モカに向けて予防線を張っていると、どうやら開け放ったドアの先に何かを発見したらしい。

 

それは、何やら物思いに耽っているかのように頬杖をつきながら窓の外を眺めている蘭だった。

 

 

「おーい。蘭ー」

 

 

 

「流誠にモカ......2人ともどうしたの?」

 

 

 

「せいくんが飲み物買ってくれるらしくて、モカちゃんはその付き添い人してるんだー」

 

 

名前を呼んでみると、蘭は一瞬驚いた顔をしながらこちらへ振り向いた。

 

それからモカと2人っきりなのは少々、いや、だいぶ不安だったので、制止力として蘭を誘ってみることにした。

 

 

「蘭も、一緒に来るか?」

 

 

 

「ん。そうする」

 

 

返事はOKだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい2人とも。アイスコーヒー」

 

 

 

「ありがと」

 

 

 

「ほんとはカフェモカがよかったけどな〜。

モカちゃんだけに〜?」

 

 

 

「それしか無かったんだよ。少しくらい我慢しろ」

 

 

 

嘘だ。本当は他にもあったが、モカにちょっと意地悪してみたくなったのでコーヒーにしておいた。蘭に関しては元々苦いのが好きなので問題なかった。

 

 

 

「なんか流誠って、誰かの父親みたいだね」

 

 

 

「でしょー?モカちゃんもさっきからそう思ってたんだー」

 

 

 

「蘭までそんな風に感じてたのかよ......」

 

 

飲み物も買い終わり、せっかくだし外で飲んでからスタジオに戻ろうと思い、俺達はカフェにあるテラス席に座って昼間ほどではないが多少の騒めきを残した夜の雰囲気を嗜んでいた。辺りにはスタジオのを除いたら明かりがあまりないので、空にはかなりの星が姿を現していた。

 

 

「そういえば、蘭と蘭パパって仲直りしたよねー?てことはもう電話もかかってこなくなるのかなー。蘭はそれ、寂しくないー?」

 

 

 

「はははっ、確かに。なあ?蘭」

 

 

 

「......ハア。あのねえ......」

 

 

モカの悪ノリに便乗して俺も蘭をからかってやると、蘭はやれやれといった表情をしてみせた。いつも通りに。

 

 

 

そう、『いつも通り』に...

 

 

「......戻ってこれて、よかったな」

 

 

 

「そーだねー」

 

 

 

「......」

 

 

まだバンドが続けられると決まった訳では無いのはわかっている。これが束の間の『いつも通り』だということも。

 

 

 

だがそれは、自分たちを信じきることができていない場合の話。

 

 

「蘭。またみんなで夕焼け見れてよかったね」

 

 

 

「......うん」

 

 

 

「そんで蘭。戻ってきてくれてありがとな。おかえり」

 

 

 

「おかえりー」

 

 

 

「......ただいま、モカ、流誠」

 

 

今の俺達は瘡蓋になった絆で、以前よりも固く結ばれている。だから信じ切ることができる。だからこうしておかえりと言える。

 

 

 

 

本音を曝け出した今なら、どんな困難だって乗り越えていけるだろう。俺達はそんな確信を抱いてやまなかった。

 

 

だからこれからどんなことがあっても、共に泣いて、怒って、楽しんで、笑っていよう。

俺達なら、ずっとそうしていられるさ。

 

 

 

 

もう一度空を見上げてみると、心なしか流れ星が空を駆けていったような気がした。けれどそれ以降、どれだけ眺めていても流れ星が流れることはなかった。

 

 

月明かりに照らされた雲をポツンポツンと浮かばせている、藍色の空が見えるだけだった。




いかがだったでしょうか。次回は12月31日の19時30分に投稿予定です。お楽しみに!



ではまた次回お会いしましょう。さいなら!


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第16話 本気

どうも。大晦日ですがちゃんと投稿はしますよー!なのでと言ってはあれですが、評価もくれたら嬉しいです。


では本編どうぞ!







「ここが、ガルジャムの会場......」

 

 

 

「思ってたより人多いんだな」

 

 

 

「つってもこんなもんだぞ?アタシが前に行った時なんかは、この倍はいたぐらいだしな」

 

 

 

「ううっ、緊張してきちゃった......」

 

 

ついに本番当日を迎えた俺達は、本番前にも関わらずガルジャムの会場の入り口前の人だかりを見ただけですでに圧倒されていた。

 

 

「まだ中にも入ってないじゃん〜。ほら〜、ツグってツグって〜」

 

 

 

「つ、ツグる......?えと、どういう意味......?」

 

 

 

「おいモカ。余計につぐちゃんを混乱させるな......って、蘭、どうした?まさかお前も......」

 

 

つぐちゃんの不安を煽るモカをたしなめていると、蘭が仏頂面をしているのに気がついた。

 

 

「べっ、別にしてないし!......入るよ!」

 

 

 

「同じ方の手足同時に出してる奴がなに言ってんだか」

 

 

 

「ガチガチじゃ〜ん」

 

 

 

「うるさいっ!」

 

 

 

「あっ、蘭っ!んもー。素直じゃないんだから」

 

 

蘭が勇み足で人混みの中へと姿を消す。まあ、あそこまで緊張するのも無理はない。なにせこの一大イベントを盛り上げる立役者のうちの一人に、自分も含まれているのだから。

 

入り口前からすでにかなりの人だかりができている時点で、それがどれほど重大なことなのかは誰でも理解できること。

 

 

だが、緊張の原因の大半はやはり私情......バンドの死活問題が関係しているのだろう。特に蘭は、審判者である自分の父親に啖呵を切った張本人なので、俺たちのよりも多くのプレッシャーを抱えているに違いない。

 

 

 

蘭の父親で思い出したのだが、俺は今日その本人と不本意ながら一緒に演奏を見守ることになっている。きっかけなんて無い。悲しくもそれは、勝手に決まっていたことだから。

 

 

「あっ、そういえばせいくんって、蘭のお父さんと一緒に見るんでしょ〜?」

 

 

 

「ああ......気まずいこと間違いなしだが」

 

 

モカからも同じことを言われ、突きつけられた現実を前に立ちすくむ。

 

 

嫌なことは嫌だ。でも、すでに決まったものなら仕方がない。

 

 

「行きたくないってのが本音だけど、約束したことは守らなきゃな」

 

 

 

「おう。親父さんのこと頼んだぞ。かなり手強いぞ〜?」

 

 

 

「不安になるからやめろよそういうの......じゃあ行くわ。楽屋は行けたら行く」

 

 

 

「え〜?絶対来てよ〜?“アレ”やらなきゃだしー」

 

 

 

「蘭の父さんから何かしら言われなかったらな」

 

 

俺は清々しいほど不服そうな顔をしてから他のメンバーに別れを告げ、待ち合わせ場所であるメインホールの出入り口へと足を運んだ。

 

 

 

 

 

 

 

「気抜いたら人混みに流されそうだ」

 

 

外の様子から大体察しはついていたものの、建物の内部のあまりの人口密度にさらなる驚きを隠せなかった。

 

小高い天井から吊り下げられた案内板を見上げ、メインホールがここであることを再度確認する。間違いない、やはりここで合っているようだ。

 

 

「これだと見つけるのも一苦労だな。どんな人か“なんとなく”わかるけど」

 

 

蘭から聞いた特徴を頼りに、蘭の父親らしき人物を探す。眼鏡をかけているのと、着物のような服を着ているのが特徴らしい。

 

 

......実は、その蘭の父親の特徴なのだが、俺は蘭から聞かされる前から薄々だが感づいていた。それが蘭の父親、そして華道の家元という先入観からなのか。

 

 

 

 

──あるいは、昔、深い関わりがあったからなのか。

 

 

「......」

 

 

なんとなく感づいていたというのも未だに奥底に眠ったままの記憶のせいなのかもしれない。今の段階では不確定要素だが、本人と出会えばその答えは自ずと出てくるだろう。

 

 

「......きみ」

 

 

 

「あ、はい?......って、あっ......」

 

 

すると後ろから肩をぽんぽんと叩かれた。振り向くとそこには、先ほどまで脳裏に思い浮かべていた眼鏡をかけた和装の男性が立っていた。

 

蘭と同じ、紅い瞳。俺に声をかけたことから察するに、この人が蘭の父親だ。

 

 

「もしかして、蘭のお父さんですか?」

 

 

 

「“蘭のお父さん”、か......」

 

 

内心断定していたのだが、もしかしたらただの迷子の人かもしれないと思って仮定で踏み留めた発言をした。すると男性は、自らの呼び名を訝しむように復唱してみせた。

 

 

「合って、ますかね?」

 

 

 

「ああそうだ。私が蘭の父親だ。......ただ前より呼び方がだいぶよそよそしくなったなと思っただけでね」

 

 

 

「え?よそよそしく......?」

 

 

その後聞こえてきた意味深な発言に首を傾げる。厳かな蘭のお父さんの顔には、哀愁に似た感情が付与されていた。

 

 

 

 

......胸騒ぎがする。

 

 

「それって一体、どういう......」

 

 

脈がだんだんと早くなるのを感じる。それに呼応するように息も荒くなって。

 

 

「やはり、覚えてないのか。青藍......いや。今は流誠くん、だったか。蘭から話は聞いている。つい先日のことになるがね」

 

 

 

「───っ」

 

 

───俺は『青藍』という単語を知っているかどうかを、相手が自分の過去を少なからず知っているかどうかの判断材料として使っている。

 

 

 

 

故に記憶が喚起され、立ち眩みが起きた。

 

 

「──ぁぐっ......」

 

 

流れ入る記憶の濁流がだんだんと俺の頭の中で渦を巻く。それは次第に、不鮮明なモノクロから眩しいくらいの思い出となって。

 

 

 

戻って。

 

 

 

「おじ、さ......」

 

 

 

「......」

 

 

 

ああ、思い出した。あそこまで自分のこと、みんなのことを不器用ながら大切に見守ってくれていたおじさんのことを。

 

 

「......積もる話もある。蘭達の出番までまだ時間はあるし、外でゆっくり話そう」

 

 

喚起された記憶の量があまりに多かったのか立ち眩みどころか頭痛も襲ってきた。頭を抱え呻く俺の背中には、おじさんが優しく手を添えてくれていた。

 

 

 

触れられているのは肌身だけなのに、なぜか心までもが温められていく感じがした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──とまあ、こんな感じだ。どうだ、思い出せたか?」

 

 

 

「うん......ありがとう、おじさん」

 

 

気を取り直したところで、おじさんから昔のことなどを話してもらった。

 

初めて思い出せたことがたくさんあった。ほとんど解せそうにないものばかりだったが、おじさんの話を聞くにつれて、それは俺の体に深く浸透していった。

 

そんな混沌にも似た記憶の中でも一際目立つものがある。それは......

 

 

「ああ......そういえばそうだったな。おじさんと父さんが同級生だったことも」

 

 

そう。実は俺の父親......父さんとおじさんは、高校生活を共にした級友だった。そしてその2人は、周囲も目を見張るほどの仲の良さだったらしい。

 

だが、大学生になってからおじさんと父さんは音信不通になってしまった。原因は互いの夢の相違だった。

 

華道の道を極めるべく、おじさんは専門学校へ、そして父さんは普通の進学校へと通うことになったのだ。

 

 

いくら仲が良くとも己の夢は曲げられない。そして互いの夢への障害になることを懸念した2人は、大学に入ってからの一切の交流を禁じた。

 

 

そこまでしなくても......なんて、俺も最初こそそう思ったが、あのおじさんのことだ。彼の生真面目さが不幸にもそうさせたのだろう。それを止められなかった父さんもおそらく、そんな人だったのかもしれない。

 

 

だがその数十年後、2人は不本意ながら再開を遂げた。その理由は、父さんの息子である俺とおじさんの娘である蘭が出会い、お互いの親の顔合わせをしたことにあった。

 

数十年ぶりの親友との思いもよらない邂逅に2人は唖然とした。それはまさに偶然としか言いようのないことだったからだ。そしてひとしきりの沈黙ののち、その再会に涙していたのを見て、俺と蘭が首を傾げていたことも思い出した。

 

 

それからのこと、共働きで両親から面倒を見られることの少なかった俺に対して、おじさんは手厚く世話をしてくれた。家に泊まらせてもらうこともしばしばあった。

 

父さんの仕事が休みの日なんかには、2人揃って酒に入り浸たれたりしてたっけ。まだ物心があまりついていなかった俺から見ても、2人の仲は本当に良かった。

 

 

 

......だからこそ悲しかったのだろう。父さんが交通事故で亡くなったことが、夢なら覚めてほしいと切に願ったほどに。

 

その事故のこと、そしてその事の顛末をおじさんは蘭には伝えなかったらしい。その理由は、同乗していた俺のことを蘭に心配させないためだった。

 

流石は父親と言ったところだ、娘のことは一番に把握している。蘭に交通事故の件を伝えたりすれば、自意識過剰かもしれないが、彼女はきっと、意識不明の重体の俺のことで頭がいっぱいになって苦しむことになっていたかもしれない。

 

 

 

だからおじさんは、1人で抱えきりだった。

 

 

 

1人で影に隠れ、嘆いていた。

 

 

 

血は、争えないな。

 

 

「......彼は寡黙で1人きりだった私に、手を差し伸べてくれた唯一の親友だった。今では亡くなってしまった彼を今になって嘆くつもりは毛頭ない......だが君を見ていると、彼のことを思い出さざるを得ないな」

 

 

そう言っておじさんは、はにかんでみせた。俺はそれをただ憂うことしかできなかった。

 

 

 

(もしもみんなと再会できてなかったら、俺もこんな風になってたのかな)

 

 

 

まるで、他人事のようにしか思えなかった。

 

 

「そういえば眼鏡、かけるようになったんだな」

 

 

 

「ああ。事故の後遺症で、視力が落ちてさ」

 

 

 

「外してみてくれないか?」

 

 

 

「え?......まあ、いいけど」

 

 

急な頼みごとに何事かと思いつつも、言う通りに外してみせた。するとおじさんは、俺の顔をじっと見つめてきた。

 

 

「ああ、ますます......」

 

 

 

「おじさん?」

 

 

眼鏡を外したせいか視界がぼやけてしまい、焦点がうまく合わなかった。

 

 

「ますます......あいつに、似てきて......っ」

 

 

 

 

「......ぁ」

 

 

それでも少し昂ぶった涙声を出し、空を仰ぐおじさんの横顔がどんな表情だったのかは、はっきり見えずとも容易に想像することができた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「蘭パパの差し入れのドーナツ、おいしかったな〜」

 

 

 

「モカちゃん、口にドーナツ付いてるよ」

 

 

 

「あ、ホントだー。ありがとーつぐー」

 

 

 

「モカの食べっぷりは相変わらずだったな。

でもひまりの分も食べちゃうのはさすがにダメだろ」

 

 

 

「えー?だって差し入れもらったとき、ひーちゃんいなかったんだもーん。ほらー。ドーナツは鮮度が大事だしー?」

 

 

 

「うわ〜ん!ヒドいよモカぁ〜!」

 

 

 

「......」

 

 

和やかな空気の中、他バンドの演奏も順々に進んでいき、ついに私たちの順番の近くまで回ってきた。次第に増していく緊張感が嫌というほど身体を蝕んでいく。

 

 

 

少し広めの楽屋を見渡す。でもそこに流誠の姿はなく、他の4人が各々ライブへの準備を進めている姿しか見えなかった。父さんとの話が長引いているのだろうか。

 

 

『コンコン』

 

 

 

「ん?誰かな?どうぞー!」

 

 

部屋にドアをノックする音が響く。

 

ドアをあけてみると、ガルジャムのスタッフの人だった。

 

 

「失礼します......Afterglowのみなさん。そろそろ出番なので、各自衣装等の準備をしておいてください」

 

 

 

「もうやってまーす」

 

 

 

「ならOKです。それでは出番までごゆっくり......」

 

 

どうやら本番前の呼びかけをわざわざしに来てくれたらしい。そして自らの役割を終えたスタッフさんは、愛想良い笑顔を見せながら部屋を出ていった。

 

 

 

と、次の瞬間。

 

 

「あ、すみません!もうひとつ要件が!みなさんとどうしてもお話がしたいという方が......」

 

 

先ほど部屋を出ていったばかりの同じスタッフの人が再び戻ってきた。どうやら私達に用がある人がいたらしい。状況的に、ドアを開けた目の前にでもいたのだろうか。

 

それよりもこのタイミングでの来客。まさかとは思うが、噂をすればなんとやらか。

 

 

「えっ誰だれ!?はっ!もしかして、ファンだったりして......!」

 

 

 

「ひゅーひゅー。ひーちゃんモテモテ〜」

 

 

 

「こら落ち着けひまり!モカも担ぐな!」

 

 

 

「......名前聞いてもらってもいいですか?」

 

 

巴がはしゃぐ2人を制止したのを見計らって淡い期待を抱きながら、来客の名前を聞いてもらうように頼んだ。

 

 

「ああ!名前の方ならもう伺ってます。先に言うべきでしたね。すみません......」

 

 

どうやら確認済みだったらしい。

 

 

「ああいえ。で、名前は?」

 

 

「えっと確か......長門 流誠さんという方でしたね」

 

 

そして、スタッフさんの口からは予想通りの名前が言い放たれた。

 

 

「呼びました?」

 

 

それに応えるかのように、当の本人が少し開けたドアの外から背伸びをしながら顔を覗かせてきた。

 

そんな彼を見て、みんなが一斉にもう一度名前を呼んだ。

 

 

「流誠......!」

 

 

少し遅れたが、私もその一員だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺とみんなとで板挟みだったスタッフさんに礼を言って解放したところで、改めてみんなの方へ向き直った。

 

 

「ようやくのご登場ですか〜」

 

 

 

「もう来ないのかと思ってたぞ?」

 

 

 

「ごめんごめん」

 

 

待ちくたびれていたのだろうか。みんなの口からは文句ばかりが垂れ流れてきた。まあそのほとんどはモカの便乗節だったが。

 

 

「ちょーっと話が長引いちゃってな......」

 

 

遅れた原因の元凶である蘭に視線を集中させた。元はと言えばこいつがおじさんの付き添い人なんていう役を、俺にこじつけてきたのが悪いのだから。

 

その対価としておじさんのことを思い出せたのだけれども。

 

 

「......何?」

 

 

 

「自覚が足りないことがお前の悪いところだぞ。それより本番もうすぐだし、“アレ”、やっとこう」

 

 

わざと意味深な言葉を添えた俺に向かって怪訝そうな顔をする蘭は置いて、会場の入り口近くで話していた“アレ”をするようにみんなに促した。これは前日提案された、ひーちゃん考案の願掛けのようなものである。えいえいおーではない。

 

 

全員で輪になり、肩を組んだまま前かがみの姿勢を作る......そう、円陣だ。

 

 

 

計画通りにフォーメーションを組む。次に、それぞれ一言ずつ述べていく。まずはつぐちゃんから。

 

 

「今すごく緊張してドキドキしてるんだ......でもみんなとなら、ガルジャムだって成功できると思う!だから頑張ろ!絶対、成功させよう!」

 

 

続いてともちゃん。

 

 

「待ちに待ったガルジャムだ。夢の大舞台......とまでは言えないかもだけど、大舞台なのは違いない。練習の時よりも、さらに派手にキメてやろうぜ!以上!」

 

 

そしてひーちゃん。

 

 

「あたしもつぐと一緒で、心臓が張り裂けそうだよ〜......だからって、弱音ばかり吐いてられないよねっ!あたしもあたしなりに頑張ってみる!」

 

 

モカ。

 

 

「つぐはともかく、ひーちゃんもツグってる

とはね〜。こりゃあ、モカちゃんも負けてられないなー。よーし、モカちゃんもツグっちゃうぞ〜。はい次ー」

 

蘭。

 

 

「流誠が戻ってきたり、ガルジャムにでることになったり、いろいろあってもめたりもしたけど......今ではこうしていつも通りみんな集まることができてる。そんな今の私達なら、“本当のAfterglow”ならどんなことだって乗り越えていける......大丈夫。いつも通りやるだけだよ。気張っていこう」

 

 

そして最後に、アシスタントである俺に順が回ってきた。

 

 

「俺はみんなと違ってステージに立たない。代わりに客席側にしか立てないけど、いつもみんなのことを見守ってることをどうか忘れないでくれ」

 

 

各々がそれぞれの決意を表明し、団結力の高まりを覚える。

 

 

 

その流れに乗って足を踏み出して......

 

 

「練習の成果、見せてやれ。この会場を、もっともっと沸かせてやれ!いくぞ!!」

 

 

 

「「「「「おーーーー!!!!!」」」」」

 

 

俺の掛け声に応えるように、昂ぶる気持ちのままに皆一斉に声を張り上げる。鼓膜がビリビリと震えるのを感じる。するとちょうどスタッフさんが、出番を知らせに楽屋の扉を開け放ってきた。

 

 

「Afterglowさん!次、お願いします!」

 

 

 

「きたか......じゃあ、おじさんとこ戻るわ。改めて言うけど、みんな頑張れよ」

 

 

 

「ああ。アタシ達の本気、蘭の親父さんとしっかり見ててくれよ?」

 

 

 

「わかってるって。もちろんだ」

 

 

 

「寝ないでよ〜?」

 

 

 

「誰が寝るかよ、こんな音の嵐の中で......」

 

 

モカを軽くあしらったのと同時に、MCの威勢の良いトークが終わる。

 

 

いよいよ、本当の本当に出番が回ってきた。

 

 

「うう、緊張してきた......」

 

 

 

「ホントにそろそろ戻らないとヤバいんじゃないの!?」

 

 

 

「だな。じゃあ今度こそまた後で。えーっと、あれだ。まあ、頑張れ!」

 

 

 

「おう!じゃあなー、流ー!」

 

 

急かされたせいで締まらない別れ方だったが、これはこれで彼女らの緊張の糸も多少は緩むことだろう。なんていう独断を信じ込みながら、俺は観客席で待つおじさんの元へと駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「遅かったな」

 

 

 

「ははは......円陣とかいろいろしててさ」

 

 

席に着くと、おじさんは先ほどの5人と同じく待ちくたびれた様子をしていた。

 

 

「おわぁ......」

 

 

思わず、間抜けた息をついた。

 

決まり悪くなったので助け舟を探そうと辺りを見回したところ、その視線の先にあるのは入り口などで見たものとは比にならないほどの人の群れだったからだ。

 

その会場から溢れんばかりの人群から成される熱気は、さきほどまでの演奏も相まって最絶頂に達するであろうところまできていた。

 

 

「......きたか」

 

 

すると次の瞬間、ただでさえ暑苦しい熱狂の渦が、さらにどっと湧き上がった。

 

 

 

 

Afterglow......蘭達がステージ袖から出てきた。

 

 

(歓声すげえ......鼓膜、ビリビリする)

 

 

数多の音の荒々しい波紋を全身で感じながら横にいるおじさんの方をちらりと見やる。表情こそ依然厳格そのものだったが、その体は感動に震えているように思えた。

 

 

「みなさん、こんにちは」

 

 

 

「「「「Afterglowです!!!」」」」

 

 

熱気の第二波がメンバーの声とともに押し寄せてきた。

 

いいぞ。会場の主導権をうまく握れている。

 

 

「......今、この瞬間から、会場の熱をすべてあたしたちのモノにする。見逃さないでついてきて!いくよ!」

 

 

こうしてガールズバンドジャム最終演奏バンドグループ、Afterglowの熱演が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あれから蘭たちはぶっ通しで、複数曲を演奏してきた。故にメンバー全員、疲弊しきった様子を見せている。そんなことはお構い無しに、観客のAfterglowに対する期待度と熱量は上がっていくばかりだ。

 

 

 

 

 

......蘭が一呼吸ついた。

 

 

 

 

 

───次がラストの曲になる。

 

 

「......次で最後です」

 

 

 

「......」

 

 

先ほどまでの狂乱が嘘のように会場がしんと静まり返った。そんな静寂の中、蘭は淡々と言葉を連ねる。

 

 

「あたしが、道に迷った時......そばにはいつだってみんながいてくれた。今、ここに立っていられるのも、そのおかげだと思ってる」

 

 

 

「......」

 

 

胸に熱いものが込み上げてくるのを感じる。蘭の変化に自分も関われたことへの誇りだ。

 

 

「......あたしは、もう迷わない。どんなに迷っても、もう逃げたりしない」

 

 

ふと思えば、見違えるほど、そしてどこか昔の面影を残したままのみんなと再会してまだ一カ月ほどしか経っていない。

 

共に過ごしてきた時間の差は程遠く、その隔たりを埋めることはできない。“知らない”ことだってまだたくさんある。

 

 

だが俺達の間には、切っても切れない確かな絆があった。だからこうしてまた巡り会い、

互いにぶつかって、認め合うことができた。最高の瞬間を迎えようとすることができた。

 

 

「......だから、その気持ちを歌にして、届けたい──!」

 

 

 

「......ああ」

 

 

だから、これからはずっとお前らを支えてやりたい。そう、心の底から思えたんだよ。

 

 

「聞いてください。『True coler』!」

 

 

期待のざわめきが静まり返ったところで、蘭のレスポールギターが鳴り響く。

 

そこにモカ、ひーちゃん、ともちゃん、つぐちゃん、それぞれの音が重なって───。

 

 

 

 

 

 

気づけばそこには、いつか見た綺麗な夕焼け空が広がっていた。

 

 

 

淀み一つ無い、“本当の色”の空だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとうございました」

 

 

 

「「「「ありがとうございました!」」」」

 

 

演奏を終え、締めの挨拶が済んだのと同時に耳をつんざくほどの歓声が湧き上がる。その歓声に背を向け蘭たちは袖へと戻っていった。

 

 

「終わったか......」

 

 

余韻がまだ残っている。そこから蘭の決意の表明を改めて噛みしめた。演奏中もそうしていたのだが、それはとても力強くもあり、ありのままの弱さを曝け出したものでもあった。

 

 

 

気づけば、脳裏に浮かんでいた夕焼けはすでに消えていた。

 

 

「......」

 

 

 

「おじさん......」

 

 

夕焼けの残像を見送っていると、おじさんが目を閉じて何か物思いに耽っていた。

 

 

 

そうだ。このガルジャムでの出来は俺たちのバンド活動の死活問題でもある。そしてその審判を下すのは、紛れも無い彼なのだ。

 

 

「流誠くん」

 

 

 

「......うん」

 

 

おじさんが目を開け、視線をこちらに向けてきた。

 

緊張が走る。

 

 

「蘭のバンド、Afterglowと言ったな。意味は夕焼けだったか」

 

 

 

「そうだけど......」

 

 

 

「君にとって、“夕焼け”とはなんだ?」

 

 

 

「......」

 

 

一瞬、躊躇した。試されているからだ。今、俺が何を言うのか。そこにAfterglowのこれからが懸かっている。

 

 

 

 

俺たちの居場所が懸かっている。

 

 

なんて言えば良い?何が正解なのか?逡巡しているうちに、心臓の鼓動が早くなっていくのを感じる。

 

 

 

 

 

 

 

──いや、違う。いくら綺麗事を取り繕ったところで、それは嘘偽りのものだ。

 

 

 

大切なのは、本当の声......

 

 

 

本音だ。

 

 

 

夕焼けは俺にとって、俺達にとって誰にも奪われたく無い居場所だ。いつでも、どこにいても、みんな揃って笑っていられる大切な......

 

 

 

 

だから。

 

 

「俺だけじゃない、俺たちの居場所だよ。そんで俺は、みんなはそれが大切なんだよ。ただ、それだけ」

 

 

端的にそう答えた。本当に『ただそれだけ』だったから。

 

 

「そうか」

 

 

 

「うん」

 

 

おじさんが再び目を閉じた。対して俺は目を伏せた。

 

言いたいことはちゃんと伝えた。後は結果を待つだけだ。

 

 

「......流誠くん」

 

 

しばらく経ち、目を開けたおじさんから再び名前を呼ばれた。そして────。

 

 

「迷惑かもしれないが、これからもみんなと蘭のことを支えてやってくれ」

 

 

 

「えっ?てことは......」

 

 

含みのある言い方にもう一度聞き返す。それに対して、おじさんは溢れんばかりの慈愛をその笑顔に乗せて、こう言った。

 

 

 

 

 

 

「──認めよう。もとより、きみが無事戻ってきてくれたのだからなおさらだ」




いかがだったでしょうか。次回は1月4日の19時30分に投稿予定です。お楽しみに!


今年も色々なことがありました。そして来年も、また元気に執筆していきたいと思います!皆さん、今年はありがとうございました。来年もよろしくお願いします!


ではまた次回お会いしましょう。さいなら!


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第17話 目標

〜謹賀新年〜
新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。


ということで皆さんどうも、あるです。
改めまして明けましておめでとうございます。今年も頑張っていきましょう!



それでは本編、どうぞ!





「大盛況、やったな!あの会場全部、アタシ達のモノって感じだったな!」

 

 

 

「今日の蘭ちゃん、すごかったよ!なんだか、私も演奏しながら感動しちゃったよ......!」

 

 

 

「ああ、つぐの言う通りだ。今日の蘭はここ最近で一番アツかったよ。そのおかげで、アタシらも最高の演奏ができた!」

 

 

 

「今日あの歌が歌えたのは、みんなのおかげだよ。......本当に、ありがとう」

 

 

全ての曲を演奏し終え、楽屋に戻ったあたし達は先のライブの感想を語り合っていた。

 

 

「ううっ、そんなこと言われたら

また泣けてきちゃうよぉ〜!」

 

 

 

「シャッターチャーンス」

 

 

 

「も、モカちゃん〜!!」

 

 

涙もろいひまりが泣き始めた。それをすかさずモカのカメラが捉えようとし、つぐみが止めにかかる。

 

 

この光景を見るのも何度目だろうか。そんな『いつも通り』に狼狽しながらも、それとは裏腹に求めている自分がいる。

 

 

 

 

 

その『いつも通り』も、本日をもって終わるかもしれないのだが。

 

 

「よう、みんなおつかれ」

 

 

すると背後から、聞き慣れた男子の声がドアを開く音とともに聞こえてきた。

 

流誠だ。

 

 

「せいくんじゃーん。そしてその後ろにいるのはー?」

 

 

 

「......蘭」

 

 

 

「......!」

 

 

そして当然ながら、先ほどまで流誠と同席していた父さんの姿もあった。

 

 

「父さん......」

 

 

 

「わあ〜、蘭のパパだあ。お久しぶりでーす」

 

 

 

「こんにちは、モカちゃん。みなさんも......いつも蘭がお世話になってます」

 

 

 

「お世話してまーす」

 

 

 

「お、おいっ......!」

 

 

空気の読めないモカを巴が叱責した。それから父さんの隣にいる流誠も便乗して声をあげた。

 

 

「モカ、こっからは大事な話だ。今だけは抑えててくれないか」

 

 

いつもの親しみのある流誠の姿はそこには無く、厚みのある声で発せられた言葉に、この場に立ち会っている全員が息を詰める。さすがのモカも半ば硬直状態に陥っていた。

 

 

 

そんな空気の中、意外にもあの父さんが、その場をなだめるかのように不気味にも笑い出した。

 

 

「ははは、いいんだよ。本当のことなんだろうから」

 

 

 

「......おじさんがそう言うんならいいけど」

 

 

 

「......」

 

 

そして流誠が父さんのことをおじさんと呼んでいるのを、あたしは聞き逃さなかった。

 

 

 

 

父さんのこと、思い出してくれたみたいでよかった。

 

 

「───皆さんの演奏、聴かせてもらいました」

 

 

驚きと安堵。相反する感情を抱いたのも束の間、父さんが今回のライブについて感想を述べはじめた。

 

 

 

 

審判の時だ。

 

 

「正直、高校生が趣味でやっているバンドなんて、たかが知れていると......そう思っていました」

 

 

あたしが本音を歌に乗せて応えたように、父さんもまた心の内を吐露する。

 

 

「しかし...非常に感動しましたよ。それもこれほどまでに心震わされたのは何年振りかと思うくらいに。......蘭」

 

 

 

「......」

 

 

名前を呼ばれた。いつもの威嚇的かつ否定的な声ではなく、温かく懐柔するような声で。

 

 

「お前の情熱や思いはしっかりと伝わった。これほどまで真剣に、バンドに打ち込んでいたのだな」

 

 

 

「───」

 

 

そうだ。あたし達はいつも、あたし達がいつも通りでいられるように努力してきた。衝突してきた。笑ったり、泣いたりした。ずっとこのままでいたいと、何度も思った。

 

 

「そして、一緒に作り上げてくれる仲間を大切にしなさい」

 

 

 

「......!それじゃあ......」

 

 

 

 

 

 

 

 

「──バンド活動を認めよう。お前は、いい仲間に恵まれたな」

 

 

 

「......っ!ありがとう、ございます......!」

 

 

肩の重荷が取れるとはこういうことを言うのだろうか。今の今まで感じていた重圧感が嘘のように消え、代わりに思わず飛び跳ねそうになるくらいの達成感が、あたしの心を満たしていった。

 

 

父さんに、バンド活動が認められた。手放し難くも半ば諦めかけていた現実に、ようやく手が届いた。

 

 

「蘭、よかったね......!」

 

 

 

「ああ、ほんとによかった......!今日は、最高の日だ......!」

 

 

 

「うっ......うっ......よかった......っ」

 

 

 

「蘭〜。これからも、がんばろーね」

 

 

 

「うん......うんっ......!」

 

 

喜びを分かち合おうと、みんながあたしに目掛けて駆け寄ってきた。

 

ひまりたちがぶつかった衝撃とは違う感触が頬を襲う。その時ようやく、あたしは涙を流していたことに気がついた。

 

 

「みんな、本当に......本当に、ありがとう......っ!」

 

 

涙ながらに、改めて感謝の気持ちを伝えた。そして心から、この5人と巡り会えて本当によかったと思った。

 

 

 

ここまで、短くも険しい道のりだった。苦しい思いも無理矢理心にしまい込もうとしたりもした。責任転嫁、現実逃避ばかりのどうしようもない自分を責めて、自暴自棄になりかけたこともあった。

 

そんな時、いつも側にいて支えてくれたのがモカ、ひまり、巴、つぐみ、そして流誠の5人だった。父さんの言っていた通り、あたしはあまりに恵まれすぎている。口で言えはしないが、この5人とはこれからもずっと一緒にいたいと思う。

 

 

それでも時は無慈悲にも、季節とともに目まぐるしく移ろいゆく。そうして歳をとるにつれて、死という逃れられぬ現実に直面することにもなるだろう。

 

 

それでも、足掻き続ける。これまでにできた数々の瘡蓋を背負いながら。今この一瞬を1フレームも逃さずに、大切にしながら───。

 

 

 

 

 

その1フレームの中に、何か足りないものがあることに気がついた。

 

 

(あれ......そういえば流誠は?)

 

 

流誠がいない。正確にはいるのだが。

 

他の4人とともにあたしのことを囲っているはずの流誠は、父さんと部屋に入ってきた時と同じ位置から、一歩も動いていなかった。

 

 

(......まあ、いっか)

 

 

あまりの人混みに人酔いしてしまったのかもしれない。流誠は壁に背中を預け腕を組み、床を睨みつけていた。もとより、あたしと同じ人見知りなのだから人酔いしてしまうのも無理はないだろう。さすがのあたしもそこまでには至らなかったが。

 

苦しむ様子の病者に一緒に喜びを分かち合おう。なんて自己満足な言葉をかけるほど、あたしも鬼畜ではない。なので今は彼のことをそっとしておいてあげることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「みんな、荷物持ったか?」

 

 

 

「忘れ物はー、と......ああ、大丈夫そうだ」

 

 

 

「よし。それじゃあ行くか」

 

 

退出の時間が迫ってきていたので楽屋を出る前に忘れ物が無いか確認し、スタッフさんにお礼を言ってから退出した。

 

 

 

 

 

「......」

 

 

ガルジャムの会場を出てしばらくしてから、夕焼けに染まりかけている空を仰ぎおじさんから言われた『とあること』を思い出した。

 

それは約一時間前、バンド活動継続の許しを得たすぐ後のことだった。

 

 

 

 

 

 

『なあ、流誠くん』

 

 

 

『ん?』

 

 

 

『さっき話した通り、君の両親は亡くなってしまった。だが今は、孤児院に引き取られてるそうじゃないか』

 

 

 

『それも蘭から聞いたのか?んで、それがどうかしたの?』

 

 

吉報を他のメンバーよりいち早く聞いて上機嫌だった俺に、おじさんが突然ひょんなことを言い出した。そんな藪から棒な発言に対して、俺も質問してみた。

 

 

 

のだが......

 

 

『今まで苦しかっただろうな。知らないところに引き取られて、知らない環境で育てられ、知らない面々と一つ屋根の下で生活してきたのだから』

 

 

 

『────は』

 

 

発言の理由を聞いて、俺は唖然とした。その理由というのが、俺の現環境のことを懸念していたことだったからだ。

 

そして俺の唖然とした表情は、次第に怒りの込められた表情へと変わっていった。

 

 

 

だからなんだ。

誰が心配してくれと言った。

誰が先生たちとの暮らしが不幸だと言った。

 

 

 

誰が、誰が。

 

 

 

 

 

 

 

誰が勝手に他人の人生を推し量れと言った。

 

 

『流誠くん?』

 

 

 

『あ、ああ。なんでもないよ、ごめん』

 

 

自覚の無い元凶から声をかけられ、骨が軋むほどに握りしめた拳を解放し、我に返った。

 

 

 

そうだ。おじさんはあくまでも、俺のことを心配してくれただけ。何も悪くない。仕方ないことだ。他人を思いやる気持ちが空回りすることなんて、結構あるんだから。

 

 

そうやって自分に言い聞かせて、溢れでる怒気に気付かれてしまう前に、体の奥にしまい込んだ。そして当たり前のようだが、気分は優れないままだった───。

 

 

 

 

 

 

 

そしてその状態は、今でも続いている。

 

 

(だからって、あん時一人だけ感じ悪そうにしてたのは反省点かな......)

 

 

皆が喜びに打ちひしがれているなかでの自分の態度を思い返し、自戒した。あの時の俺はずっと、床の枠線を目で綴るように睨みつけ、八つ当たりをかましていた。結局のところ怒りは収まらず、床の代わりに空を恨めしそうに見上げる今に至るのだが。

 

 

(ダメだな、俺。身内のことになるとすぐムキになって、へそ曲げちまうもんな。短気なガキじゃあるまいし)

 

 

ふう、と一つ息を吐いて気を落ち着かせ、視線を水平に戻す。するとモカと蘭が道端で立ち止まって、手に持った何かをじっと見つめていた。

 

 

「どうしたんだよ。2人して立ち止まって」

 

 

 

「いやー、この前から行方不明だった

ひーちゃんのお守りが見つかってさ〜」

 

 

 

「パーカーのポケットの中に入ってたって」

 

 

そう言って蘭が指をさした方へ目をやると、モカの手のひらの中から顔を覗かせている追い剥ぎの呪術道具が────......

 

 

 

...失礼。ひーちゃんのお守りがあった。まったく、『あんなもの』を平気で無くすとは。モカはよっぽど呪われたい────......

 

 

 

っと、これまた失礼。

 

 

「いつの間に無くしてたんだよお前......」

 

 

 

「んー、ツグり事件の時くらいかな〜」

 

 

 

「ツグり事件......?ああ、あれか」

 

 

聞くと、つぐちゃんが倒れたあの日らへんからお守りを紛失してしまっていたらしい。

 

 

「見つかってよかったな」

 

 

 

「うんうん、ほんとほんと〜。でも、なんでいきなり失くなったりしたんだろー?」

 

 

 

「ちゃんと管理してなかったからでしょ」

 

 

 

「えー?蘭、ヒドイよ〜」

 

 

 

「......」

 

 

蘭の言うことにも一理......いや、二理三理あるが、今回に関しては違うのかもしれない。

 

 

 

このお守りはもしかすると、陰ながら俺達の『今』を守っていてくれたのかもしれない。

 

でなきゃ、お守りじゃないし。

 

 

「せいくんはどう思う〜?」

 

 

 

「え?あ、ああ。さあな、よくわからん」

 

 

 

「んー?へんなのー」

 

 

俺みたいなやつがそんな夢のような話を語れば、間違いなくモカの餌食になる。だから口にはしなかった。

 

 

「へんなのはモカの方じゃん。自覚症状も無いのに」

 

 

 

「聞き捨てなりませんなー......?」

 

 

 

「3人共ー!行くよー!」

 

 

蘭とモカの言い争いが開幕するかと思われたその時、数メートル先を行くひーちゃんの呼び声が聞こえた。にもかかわらず、二人は依然、構えを解こうとはしなかった。

 

 

「ほら。行くぞお前ら」

 

 

そんな2人の肩を叩き、俺は一足早くひーちゃん達のもとへ、軽い足取りで駆け寄っていった。さっきまで俺の心に鉤爪をかけて取り憑いていた『悪魔』は、もういなかった。

 

 

「あっ、この公園......なつかしいね」

 

 

3人のもとへ駆け寄ってから数秒後、つぐちゃんが感慨深そうにそう呟いた。

 

 

「ここは......」

 

 

 

「なつかしーっ!小さいころ、よくここで遊んでたっけ」

 

 

それは、この前蘭に町を案内してもらった時に寄った、あの公園だった。

 

 

「......っ」

 

 

すると突然、軽い頭痛が起きて記憶が喚起されるのを感じた。それから間もなく、記憶の中で見た風景が、映像として頭の中で流れ始めた。

 

そこには六人の子供達が手を繋いで、はるかな夕日を眺めている姿があって───。

 

 

 

 

『これからも、ずっと一緒だよ』

 

 

 

 

ふと、そんな声が聞こえてきた。

 

 

( ───思い出した)

 

 

ここは、俺と蘭とモカ......3人が出会ったという“だけ”の思い出の場所じゃなかった。

 

 

『あの約束』を交わした場所もここだったことを、今更思い出した。

 

 

「──......ゅう。おい流!」

 

 

 

「うおっ!?」

 

 

確かになった記憶の断片を愛でていると、ともちゃんに無理やり現実へと引き戻された。

 

 

「ビックリしたー......どうした?」

 

 

 

「ここ、寄って行こうかと思ってさ」

 

 

そう言ってともちゃんは、後ろにある公園を親指で指し示した。

 

 

「何か思い出したみたいだし。な?」

 

 

 

「別にいいけど......ていうかバレてたのか」

 

 

ついでに言うと、記憶のことも見透かされていたみたいだった。そこまでわかりやすい顔をしている自覚は無いのだが、今何を考えているか悟ることなんて、ともちゃんたちからすれば案外お手の物なのかもしれない。

 

 

「へへっ。まあ、早く行こうぜ!」

 

 

自慢気な笑顔を見せた後、ともちゃんが身を翻して公園へと走って行った。それに続いてひーちゃんが「待ってよ巴〜」と背中を追って行った。

 

 

「ほんと、よかった......」

 

 

やれやれと2人の背中を目で追っていると、隣に並んでいるつぐちゃんがこれまた感慨深そうに言葉をこぼした。その姿はさながら、老後になってから世界を憐れむように見守る老人のようだった。

 

 

「何がよかったのかな?」

 

 

 

「......あっ!わわ、私、今、ヘンなこと......」

 

 

からかうようにつぐちゃんを横目に見ると、予想通りの反応をみせてくれた。かわいい。

 

 

と、ここでも立ち往生してひーちゃんからまたどやされるのも面倒なので、急いで公園で待つ二人のもとへと向かった。

 

 

 

 

 

 

「なつかしいね......私達が遊んでた頃と、あんまり変わってない」

 

 

 

「ほんとだね!こうして変わらないままあるのってうれしいなあ」

 

 

なんだかんだで六人揃ってから、一緒に公園の遊具を見て回った。

 

 

雨や子供たちの手汗にさらされ、すっかり錆びついたジャングルジム。

 

ひしゃげたままのタイヤがクッション代わりのシーソー。

 

ループ、ストレートなどの様々なすべり台。

 

風に煽られひとりでに寂しく動くブランコ。

 

 

 

「よく見たら、ほんと“変わってない”な」

 

 

 

「変わらない......か。あたしは、変わらない、変えたくないものが多すぎて、いつの間にか、『変わる』ことが怖くなってた」

 

 

一通り散策し終え、近くにあったベンチにおもむろに座ってから記憶の中の風景と公園を照らし合わせていると、蘭が語り始めた。

 

 

「だから、将来のことからも、みんなとぶつかることからも逃げていた。何もかも今のままでいたい。そう思ってた」

 

 

淡々と語られる蘭の言葉に、俺たちも傾聴する。

 

 

「でもケンカして、ぶつかって......あれがあったからこそ、本当の意味でみんなのことを信頼できるようになったんだと思う」

 

 

 

「今日の演奏は、いつも以上にみんなとの一体感を感じた。あと流が見守ってくれてたおかげか、いつもより安心して演奏もできた」

 

 

次は蘭の言葉に割って入るように、ともちゃんが口を開いた。

 

 

「私も!いつもよりももっと、音からみんなのことを感じれて......すごく、すごく楽しかった!」

 

 

つぐちゃんが共感の意を述べる。それを聞いて俺もまた、共感に共感した。

 

彼女の言う通りだ。俺にとって初のライブだったガルジャムは、最高という言葉がふさわしいくらいの高揚感を感じさせてくれた。バンドという集団から奏でられる音楽の真髄を味わわせてくれた。

 

 

「あたしは......あたし達は『変われた』。今日、新しいAfterglowが生まれた」

 

 

 

「新生Afterglow、ようやくたんじょー!だね!」

 

 

 

(新生Afterglow......か)

 

 

頭の中で反芻する。皆と再開したあの日にも聞いたその言葉には、八割の誇りと、二割の不安があった。

 

 

不安というのは、蘭が抱いていたものと同じ『変わること』への不安だ。それが今になってその姿を顕現させた。

 

 

それでも蘭は、その不安をも自らの糧とし、前へと進もうとしている。

 

そんな蘭からかけられた言葉とは──。

 

 

「Afterglowは、あたし達が変わらないことの証であり、変われることの証。これからも......大切にしていこう」

 

 

 

「......!」

 

 

俺の中でからまりかけた小さな『毛玉』を、そっとほどいてくれた。

 

ただ変わることだけが全てじゃない。大切なのは、変わらないために変わること。自己解釈に過ぎないが、蘭の言葉からは、そんな意図が読み取れた気がした。

 

 

 

まったく。彼女から学ぶことは本当に多い。

 

 

「な、なんかむずかしいけどがんばるよ!」

 

 

 

「ははっ、ま、これからもよろしくってことだな」

 

 

 

「うん!これからも、ずっとずっと、よろしく!」

 

 

 

「うん」

 

 

そして他のメンバーもその言葉に対して、それぞれの反応を見せた。蘭はそれらを、たった一言だけ呟いて受け止めた。

 

風がそよぎ、公園内に植えられた樹木達が、その身から伸びる枝いっぱいに付けた葉をこれでもかと揺らす。

 

 

「──さて、新生Afterglow......これからどうするよ?」

 

 

突然訪れた静寂。俺はそれがどうも決まり悪くもどかしくてしょうがなかったので、誤魔化し程度に話題を掘り起こした。

 

 

「目標とか、決めてみるか!」

 

 

数秒経ってから、ともちゃんが食いついた。

 

 

「目標、かあ......新曲を作るぞー!とか?」

 

 

 

「もっとエモいのがいいよー。例えばー......んー、思いつかないけど」

 

 

 

「目標......なんだろう」

 

 

新生Afterglow。まずは目標を決めることになったのだが、案外思いつかないものでみんな揃いに揃って頭を悩ませていた。

 

 

その時。

 

 

「あ、あのっ......!」

 

 

 

「おっ、どうしたつぐちゃん?」

 

 

つぐちゃんが何かひらめいたように、突然声をあげた。その声をすかさず拾い上げて、回答を待つ。

 

 

「『目指せ、武道館!』とかどうかな?」

 

 

 

「......は?」

 

 

それを聞いて、俺は間の抜けた声を出してから、鳩が豆鉄砲をくらったような顔をした。それは他の4人も同じだった。

 

 

「つぐ、今、目標の話してる?」

 

 

さぞ驚いたのだろう。あのモカが混じりっ気無しで、俺たちに釣られて唖然としたままのつぐちゃんにそう聞いたのだ。

 

 

「ええっ!?う、うん......そうだよ。あ、あれ!?私また、なんかヘンな事言っちゃったかな!?やっぱり、バンドっていったら武道館っていうか、そんなイメージが......」

 

 

 

「ぷっ......なんだそれ」

 

 

 

「「「「あはははっ!」」」」

 

 

俺たちの反応に若干どころかだいぶ困惑気味だったが、つぐちゃん本人に至ってはどうやら本気らしい。それでも今の自分たちには見合いそうにもない目標とのギャップに、俺を始めに皆思わず腹を抱えて笑った。

 

 

「あははははは!つぐ、スケール大きすぎ......!でも、いいんじゃない?」

 

 

気を抜くとまた込み上げてきそうな笑いを必死に抑えていると、ひーちゃんが息継ぎ混じりにそう答えた。

 

 

「武道館、か......。ははっ、いいんじゃないか?」

 

 

 

「うん、エモいね〜」

 

 

 

「ああ、悪くねえかもな」

 

 

ともちゃんやモカに便乗して俺もそんな感じで表面上では真っ当に賛同した。にしても最初こそは小馬鹿にしたように笑ったものの、よく考えてみれば無くはない話でもある。

 

 

(武道館か......)

 

 

テレビ越しからでしか聞いたり見たことのないその建造物で、Afterglowが演奏する姿を思い浮かべた。

 

先ほど見たばかりのガルジャムのものよりもはるかに規模の大きい会場で行われるライブは、俺達にとっても一生忘れられない思い出にも、有意義な経験にもなるだろう。

 

 

まあやるにしてもやらないにしても、どうせ俺は相変わらず客席側なのだろうけど。

 

 

「しかしつぐちゃんは頑張り屋なせいか、目標まで立派なもんだな」

 

 

 

「あ、あはは......そうかな?」

 

 

 

「......こういう類の言い出しっぺって、だいたいはつぐみだよね」

 

 

 

「こういう類?」

 

 

少し疎外感を感じたのではらいせにつぐちゃんを褒めるように皮肉ると、蘭が何やら面白いことを言い出した。

 

 

「何かのはじまりのこと。バンドやろうって言い出したのも、つぐみだったんだ」

 

 

 

「ああ。つまりつぐがいなかったら、今のアタシらがいなかったかもしれないってことでもある」

 

 

 

「とっ、巴ちゃん!そんな大げさだよ......」

 

 

 

「へえ〜、初耳だな。すげえなつぐちゃん」

 

 

 

「流誠くんまで〜!」

 

 

どうやらそういうことらしく、つぐちゃんの意外そうでそうでもなさそうな一面を垣間見て感嘆の声をあげると、つぐちゃんは困った顔であたふたし始めた。そんな彼女を見ていると、くつくつと笑いが込み上げてくる。

 

 

「あっははは......はあ〜。......あーあ!なんか笑い過ぎたら、元気出てきたぞー!」

 

 

ひーちゃんも同じだったらしく、笑いが治まったところで大きな背伸びをした。

 

 

「Afterglowはこれからも永久不滅だよ!みんな!これからもよろしくーっ!」

 

 

 

「......くるぞ」

 

 

 

「だよねー」

 

 

異様なテンションで続いた言葉に、ある予感を抱いた。そして───。

 

 

 

 

 

「ということで、がんばるぞーっ!えいっ、えいっ、おー!」

 

 

 

 

 

例の掛け声が黄昏色の空に高らかに響き、再び静寂が訪れる。そんないつもの俺たちの反応に、ひーちゃんは相変わらず不服そうに頬を膨らませた。その後、今日で何度体験したかもわからない笑いの渦が巻き起こったのは、言うまでも無いだろう。

 

 

「......ふぅ」

 

 

笑いのせいか痛み始めた胸に手を置き、一呼吸ついてから空を見上げた。

 

 

 

地平線に沈んでいっているであろう夕日は、そこらじゅうに乱立する住宅のせいで見えなかったが、雲にオレンジの影を落とす夕焼けは鮮明に映っていた。

 

 

 

 

“あの約束”は、数年経った今でも続いていた。




いかがだったでしょうか。次回の1月7日の19時30分に投稿する分から2章が始まります。それに先駆けて、番外編も本格的に載せていこうと思います。中には2章に繋がる話も含まれているので、お見逃しなく。(番外編は1章の欄に投稿していきます)



ではまた次回お会いしましょう。さいなら!


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番外編 第1話 低迷

番外編です。場の雰囲気を醸し出す為にあえて心中描写は控えめにしております。暗めの内容です。



それでは本編、どうぞ。






「とーちゃーっく、と。おや?そこに座っているのはもしや?」

 

 

 

「ん、なんだモカか。蘭見なかったか?」

 

 

 

「見てないよー。というかあたしも蘭を探してるとこなんだ〜。んで、屋上にいるかなーと思って来てみたらせいくんと鉢合わせたって感じー」

 

 

 

「なんだそうだったのか。俺もここにならいるだろうと思って来てみたんだけど......しっかしどこ行ったんだ?蘭の野郎......」

 

 

 

「なにか用事でもあるの〜?......はっ!まさか愛の告白とか〜!?」

 

 

 

「ちげーよ。先生から言伝しておくように頼まれてんだよ。ほら、この前のテスト」

 

 

 

「テスト......?あー。そういえば蘭、数学の点数ヒドかったよねー。もしかしてその言伝の内容って、補講の日程ー?」

 

 

 

「うん。本来なら夏休み中にやる予定だったらしいんだけど、それだと補講生が余計多忙になるだろうという先生の懸念から、日程が前倒しされたんだとよ」

 

 

 

「確かに夏休みは宿題多そうだからねー。あたし達に関してはバンドもあるしー。ところでせいくんは補講とかないのー?」

 

 

 

「俺は特にないかな」

 

 

 

「だよねー。せいくん意外と頭良いし」

 

 

 

「記憶力悪いなりに頑張ってるだけだよ」

 

 

 

「ま、この天才モカちゃんと比べたら天と地の差くらいあるけどねー」

 

 

 

「褒めるのか貶すのかどっちかにしろ」

 

 

 

「よしよし、えらいえらーい。わー、相変わらずもふもふだねー」

 

 

 

「あっ、おい!撫でるな!天パが余計にはねるだろ!?」

 

 

 

「......せいくん」

 

 

 

「あ?なんだよ」

 

 

 

......

 

 

 

「頭、大丈夫?」

 

 

 

「褒められたと思ったらそれかよお前......」

 

 

 

「いやー、そういう意味じゃなくてさー。......最近多いじゃん。記憶のこと」

 

 

 

「ああ......」

 

 

 

「やっぱり、自分でも知らない自分を知るのって、恐い?」

 

 

 

「──そりゃ恐いよ。場合によっちゃ頭痛がするくらいだし。それに、“今の自分”を見失うかもしれないから」

 

 

 

「どういうことー?」

 

 

 

「そのまんまの意味だよ。昔のことを思い出していくたび、流誠(おれ)っていう存在がかき消されていくんじゃないのかなって」

 

 

 

「ふーん、そっかー。でもあたし達にとったら、どっちともかけがえのない存在だし大して変わりないけどねー」

 

 

 

「の、割には扱いが雑な気がするけどな。今まで思い出してきた記憶によれば、みんなの俺への人当たりが昔のがもっと優しかったっぽいけど」

 

 

 

「そうかなー?」

 

 

 

「そうだよ。俺が言うのもなんだけど、お前らホント変わったよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

......変わった、か

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「......モカ?どうした?ぼーっとして」

 

 

 

「いやー?なんでもないよー。今日天気良いじゃ〜ん?それで眠くなっただけー......んしょっと。隣座るねー。んで、肩借りるねー」

 

 

 

「っておい、いきなりもたれてくるなよ!つか蘭はどうす────......って、あーあー。完全に寝ちまった......しゃーない、10分後くらいに起こしてやるか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(あったかーい......ホント変わってないなあ、“せいくん”は)

 

 

 

 

 

 

 

屋上にそよ吹く『風』は、年中あたたかい空気を運んでくる。

 

それが単なる気のせいなのか、はたまた幸せな日々をこうしてただひたすらに過ごせているからなのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(ま、言うまでもないけどね)

 

 

 

 

せいくんと再開し、より一層あたたかくなった『風』はいつにも増して強く、そして優しく、昔も今も大して変わらないなどと大口を叩いた臆病なあたしを皮肉にも包み込み、夢の世界へと誘っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あたしは弱い。臆病者だ。本当に、本当に...

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それからちょうど10分後、せいくんの目覚ましによって意識が覚醒した。

 

 

 

束の間の夢の中に広がっていたのは、ただの深い、深い暗闇だった。




いかがだったでしょうか。本編と違って番外編は不定期更新となりますので、そこはご了承ください。



それではまた次回お会いしましょう。さいなら!


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番外編 第2話 猫姫

番外編。今回は圧のすごい人が出ます。おつまみ程度にお楽しみくださいませ。



では、本編どうぞ。






「ふっ......ふっ......」

 

 

 

 

いち、に。いち、に。そうしてリズミカルに呼吸を繰り返し、体全体へと酸素を送り届ける。寝坊ついでにいつもより遅く家を出たので時刻はすでに10時を過ぎたころだろうか、それでも心地良い朝霧は未だに残ったままだった。

 

休日の恒例行事である朝のランニングのルートは決まって孤児院から商店街の方面で、商店街らへんに近づいてきたらその周辺を周回するのがお決まりとなっていた。

 

 

そうこうしているうちにノルマも達成することができたので、休憩場所であるいつもの公園へと足を運んだ。

 

 

 

 

「ふっ、ふっ、ふっ、───......はぁ」

 

 

 

 

公園に到着したところで弾む息を落ち着かせる。その後俺の体に襲ってくるのは、朝方ゆえの疲労感とそんな中運動を怠らなかったがゆえの達成感である。

 

朝の運動はあまり効果的ではないらしいが、俺にとってはこれが至福のひと時でもあったので、スポーツマンの端くれと言えどもそんな非効率をいつまで経ってもやめることができずにいる。大げさではあるが、言わばドラッグのようなものだ。

 

 

 

木製のベンチにどっかりと座る。膝に肘を置いて俯いた視線からは見えないが、見上げた空が青々としていることは遊具でこんな朝早くから元気一杯に遊ぶ子供たちの声でなんとなく想像がついた。それに負けじと、セミもジリジリと喚いていた。

 

 

 

 

「あっちぃなあ」

 

 

 

 

額を伝う汗を乱暴に拭う。朝方といえども、昼間になれば陽炎も伸びるこの季節。その要因であるまだ半ばほどしか昇っていない太陽を恨めしく睨むも、大きな入道雲のてっぺんの陰からせせら笑われるだけだった。

 

 

 

太陽を見ているとなんだか喉が渇いてきた。これも全てあの灼熱のせいだと歯を食いしばりながら、俺は水飲み場へと向かった。

 

 

 

 

 

その道中、奇妙な声を耳にした。

 

 

 

 

「──んちゃん」

 

 

 

 

 

「......ん?」

 

 

 

 

聞き間違えか?今さっき、何か聞こえてきたような気がしたが。俺ははっきりと聞き取れなかったがために、最初は気のせいだと割り切って水飲み場への歩みをまた進め始めた。

 

 

 

その直後、またあの声が聞こえてきた。

 

 

 

 

「にゃーんちゃん」

 

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

今度ははっきりと聞こえた。言葉の正体は『にゃーんちゃん』で、言葉の通り猫撫で声だった。それでいてその声色には確かな力強さがあった。芯も通っているし、さぞ歌も上手かろう。そんな美声の出所は意外にも近かった。

 

 

 

 

「ほら、おいで。怖くないから」

 

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

数歩先にある木の裏から聞こえる呼び声が俺に対してのものではないのは確かだが、俺はそれに導かれるように興味本位で慎重に足を進めていった。

 

 

 

 

徐々に距離が迫る。そこから俺は木陰から顔を覗かせるように、声の主のほうへと視界を向けて───。

 

 

 

 

「......っ!」

 

 

 

 

足を滑らせた拍子に落ちた木の枝を踏んでしまい、乾いた音が周囲に鳴り響いた。それに驚いたのか、猫が突然木の陰から公園の端に植えられた低木のほうへと飛び出していった。

 

 

 

 

 

それから間もなく、声の主が湊先輩であることを知った俺は決まり悪そうに頭を下げた。

 

 

 

湊先輩は去りゆく猫の背中を、虚しげにただただ目で追うだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「......湊先輩、ほんとすみませんでした」

 

 

 

 

 

「あら?意外と早かったわね」

 

 

 

 

ベンチに座って足を組む女王様気取りの湊先輩に猫を献上する。

 

まさかお詫びに猫を連れてこいと言われるとは思ってもいなかった。この子には悪いが、ここはしばし耐えてもらおう。

 

 

 

 

「にゃーんちゃ......猫に好かれる体質なの?」

 

 

 

 

 

「いや、たまたまここいらの猫とは顔見知りだったんで」

 

 

 

 

 

「そ、そう......そうなのね」

 

 

 

 

 

「......?」

 

 

 

 

なぜか残念そうな顔をする湊先輩に俺も眉をひそめる。

 

 

 

 

「どうしたんですか」

 

 

 

 

 

「いえ、別に。なんでもないわ」

 

 

 

 

今度はつんけんとした態度で俺の質問に首を振ってみせた。一体なんなんだこの人は、情緒不安定なのか?猫を撫でる手つきもどこか覚束なかった。

 

 

 

 

「好きなんですか?ずいぶんと猫撫で声出してましたけど」

 

 

 

 

 

「聞こえてたのね......あれは、その、えっと......」

 

 

 

 

友希那さんがまたおどろおどろしい言動をし始めた。なんだか俺も面倒臭くなったので、しれっと湊先輩の隣に物憂げに座った。

 

 

 

 

「いや好きなんでしょ?正直に言えばいいのに」

 

 

 

 

 

「だからそんなんじゃ───」

 

 

 

 

 

「......撫で方」

 

 

 

 

 

「え......?」

 

 

 

 

猫はもふもふでかわいい。しかしそれは人間の視点から見たものであって、触られる側である本人たちからすればストレスになりかねないのだ。それでも大半の愚か者はそんなことお構い無しに、自分のやりたい放題に猫の御身体じゅうを撫でくり回す。

 

 

でも、湊先輩は違った。猫はキレイ好きがゆえに毛並みを逆撫でされるのを嫌うのだが、湊先輩はその辺をちゃんと熟知している様子だった。小さなことかもしれないが、こういうことを気にかけているのは猫好きである何よりの証拠にもなる。

 

 

 

 

「撫で方、ちゃんとしてるんだなって。そういうのってわざわざ調べたりしないとわからないじゃないですか」

 

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

 

「湊先輩。別に猫が好きだというのは悪いことでもなんでもないんですよ?」

 

 

 

 

俺に諭されながらも、湊先輩の手は気持ち良さそうに喉を鳴らす猫の喉元を往復していた。

 

 

しばらくすると、湊先輩が重い口を開いた。

 

 

 

 

「......まあ、そういうことにしてあげるわ。けれど、あくまでその範疇であることを忘れないで」

 

 

 

 

 

「ふっ......はいはい、わかりました」

 

 

 

 

まったく、この人も素直じゃない。俺は何かと猫好きを認めない湊先輩の姿に、あの赤メッシュが重なって見えたような気がした。

 

 

 

 

「ここにはよく来てるんですか?」

 

 

 

 

 

「ええまあ。ある日を境に、仕方なくね」

 

 

 

 

 

「ある日?」

 

 

 

 

 

「この前ここを通りかかった時に、この子が道端で倒れていたのを見かけたのよ。それで助けてあげたら懐いてしまって、私はそれに仕方なく付き合ってあげているだけよ」

 

 

 

 

湊先輩の言葉を自分なりに解釈すると、どうやら助けた猫が気がかりでこの事件現場である公園に立ち寄っているらしい。彼女の身嗜みからしても、それは間違い無さそうだった。

 

 

 

 

「キャットフードも持ってきて、そりゃ懐きますよ。餌付けって本当はダメなんですよ?」

 

 

 

 

 

「お腹を空かせて野垂れ死ぬなんてことになったら見てられないでしょう?私はそれが嫌だし、あなただってそうでしょ?ほら、お食べ」

 

 

 

 

手に載せたキャットフードをパクつく猫に、湊先輩の口角がにんまりと上がる。もはや猫好きを隠す気は無いみたいだ。隠しているつもりなのかは別として。

 

 

 

 

「ていうかどうして猫なんか好きになったんですか?イメージとはあまりにもかけ離れてますけど」

 

 

 

 

 

「......飼っていたのよ」

 

 

 

 

 

「え......?」

 

 

 

 

湊先輩のせわしく動いていた手が止まる。見上げたその瞳は、どこか遠くを見据えているようだった。

 

 

その言動の意味を俺はようやく理解し、自分が大きい地雷を踏んでしまったことを心底悔やんだ。

 

 

 

 

「飼っていた、ってことは......」

 

 

 

 

 

「ええ。もう死んでしまったわ」

 

 

 

 

 

「────あ」

 

 

 

 

淡々と告げられた事実に胸が締め付けられる。気がつくと俺は頭を下げていた。

 

 

 

 

「すっ、すみません......気遣いが足りていませんでした」

 

 

 

 

 

「いいわよ別に。誰も他人の飼っていた猫が死んでしまったことなんて知ってるわけないのだから」

 

 

 

 

静まり返った空気に「にゃー」と猫が鳴くと、湊先輩は再び喉元を撫で始めた。その温みを実感するかのように顔を緩ませると、湊先輩はゆったりと語り始めた。

 

 

 

 

「出会いのきっかけは父が拾ってきたことだった。土砂降りの雨の中、手持ちの傘も差さずに猫を抱えて家に帰ってきたのは幼い頃の私でも驚かされたわ」

 

 

 

 

猫は電柱の下に置かれた『拾ってあげてください』という用紙の貼られたダンボール箱に入れられていたらしい。父親のくだりも含めてなんて夢物語なんだろうと思ったが、顔を見ただけでもわかるくらい物思いに耽る湊先輩を見る限り、それが嘘偽りではないことに確証を持たざるを得なかった。

 

 

 

 

「あの時からあの子はすでに6歳を超えていたかしら。私より2個年上だった」

 

 

 

 

 

「そしたら4歳のころから約10年間、ですか?」

 

 

 

 

俺の質問に湊先輩は静かに頷いた。猫の寿命は約16年という意外と短い月日で終わりを告げる。彼女の猫もちょうどそのうちの一匹だったようだ。

 

 

 

 

「ずっと一緒だった。だからとてもショックだったわ。拾った日からもうあの子は家族になったというのに、突然別れを告げられるのだから」

 

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

その気持ちは幼い頃に家族を亡くした俺も重々承知だった。他の誰よりも長い時間を共にしていた者たちとの別れは、筆舌に尽くし難い邪悪そのものだ。冬場の布団やこたつといった表面上のものではない、もっと体の芯に取り入るように優しく温もりを与える存在。それを失くした反動が如何様なものなのかも、湊先輩から語られるまでもなく俺の脳裏に思い浮かばれた。

 

 

 

 

「それでも天国に行ってしまったあの子へのぶんの愛情も、今この世界に生きるにゃーんちゃ......猫たちにも配ってあげているのよ」

 

 

 

 

 

「仕方なく、ですか?」

 

 

 

 

 

「仕方なく、よ」

 

 

 

 

湊先輩はわかっているじゃないと言わんばかりに満足げに頷いたが、俺はさらさらわかってなどいなかった。厳密に言えばわかってはいるのだが、それを敢えて湊先輩にぶつけるのは癪だと思い、大人しく同調してやっている。

 

 

 

とはいえ湊先輩の以外な一面を垣間見ることができた。前々から噂はちょくちょく聞いてはいたのだが、よもやここまでとは思いもしなかった。蘭に話したらどんな反応をするか......いや、やっぱりやめておこう。アイツは何かとこの人に突っかかる、その際にきっと悪用するに違いないから。

 

 

 

 

「......ふふっ」

 

 

 

 

 

「何よ」

 

 

 

 

 

「いや?あの湊先輩がと思いましてね」

 

 

 

 

とはいえあの蘭のがみつきには俺にも一理ある。確かにガルパでの湊先輩の態度は気に食わなかったし、何より自分たちが頂点、それ以外は論外と言わんばかりの物言いだったからだ。

 

 

 

ここは一泡食わせてやろうじゃないか。

 

 

 

 

「それじゃ、俺はそろそろ行きますね。ランニングの途中だし、何よりその後にはバンド練習がある。そう、バンド練習がね」

 

 

 

 

 

「そういえば長門さんはAfterglowのアシスタントだったわね......って、何か言いたげね」

 

 

 

 

 

「正解。そんな呑気にしてて大丈夫なんですかってことですよ」

 

 

 

 

 

「......っ!」

 

 

 

 

ようやく気づいたかお間抜けさんめ。ハッとした様子の湊先輩に怪しい笑みを残して、俺はそそくさとベンチを立ち上がった。

 

 

 

 

「あっ、ま、待ちなさい!」

 

 

 

 

 

「それじゃあまたいつか!せいぜい追い越されないように頑張ってくださいねー」

 

 

 

 

幸も不幸も猫に求められているがために、湊先輩はひらひらと手を振りながら遠ざかる俺を追いかけられずにいた。俺もそれを尻目に公園を飛び出して、孤児院への帰路に沿って走り始める。

 

 

 

 

(......たまには遅起きも悪くないかな)

 

 

 

 

夏特有のじめったい風が凪ぐ。俺はそれを振り切るように、軽い気持ちひとつ、さらに足を速めた。




いかがだったでしょうか。今回のようにAfterglow以外のメンバーとの絡みも書いていきますので、どうぞお楽しみに!



ではまた次回お会いしましょう。さいなら!


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番外編 第3話 漣夏①

どうもあるです。

ということで今回は季節外れの水着回、それの序章となっております。この話からいずれ来たる夏を思い浮かべて少しでも温まってもらえると嬉しいです。



それでは本編、どうぞ!






 

 

 

ライブの誘いがあった。それは、一本の電話からだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ......?電話?」

 

 

 

 

 

真夏の昼間、冷房の効いた室内に鳴り響く着信音にしかめっ面を向ける。こちとら夏休み課題の攻略に手間取ってるというのに、なんて呑気な着信音なのだろうか。

 

 

そんな自業自得を他人事のように語るが、電話がかかってきたら何かしら対応してやるのが義理というものだ。据え置きのとは違ってこっちにかけてくるやつなんてたかが知れてるし、見切りでもまあ大丈夫だろう。

 

用事を早く済ませてさっさと本題に取り掛かりたかった俺は、画面などろくに確認もせずにしぶしぶ表示された緑のボタンを押した。

 

 

 

 

 

「あー、もしもし」

 

 

 

 

 

相手の応答を待つ。しかし聞こえてきたのは予想外のものだった。

 

 

 

 

 

『もしもし?流誠くん?』

 

 

 

 

 

少し大人びた声に一瞬身構える。それはもちろん、電話越しの相手が不明瞭だったからだった。聞こえてきたのは蘭たちの声ではなかった。

 

 

 

そう、相手は蘭たちではない。それでも顔馴染みであるかないかと聞かれたら、冷静になった今の俺なら前者と答えるだろう。

 

 

 

 

 

「え......月島さん?」

 

 

 

 

 

イントネーションや音程などの声の特徴に聞き覚えがないか、記憶を頼りに細部にまで注意を凝らした結果、俺は相手が月島さんであることを推測した。

 

 

 

その答えやいかに......

 

 

 

 

 

『そうだよー!ていうかゴメンね、先に言っとくべきだったよね』

 

 

 

 

 

「あーいや、大丈夫っす」

 

 

 

 

 

謝る月島さんだったが、頭を下げたいのは俺の方だった。とにかくよかったのだ、相手が知ってる人で。

 

 

 

 

 

「どうしたんですか?急に電話なんてしてきて」

 

 

 

 

 

夏の暑さによるものとはまた違う汗を拭い、次に電話の用件を聞く。すると何やら紙をいじった時に出るようなガサゴソという音が、「えっとねー......」という声とともに耳孔を襲ってきた。

 

 

 

 

 

『実はお願いしたいことがあってね?』

 

 

 

 

 

「は、はぁ......」

 

 

 

 

 

『そんなに身構えないでよ、大したことじゃないから。ね?』

 

 

 

 

 

億劫な俺に対して月島さんは絵に描いたように他人事な感じだった。この人は面倒見が良いが、それと同じくらい割と人遣いが荒いような気がする。

 

いつもこうなのだ。スタジオ練習の時だって、休憩中の俺を狙ってすかさず力仕事を投げかけてくるのだから。それも機材運びという精神的にも疲れる仕事を。いくら男性スタッフが少ないからって限度ってものがある。ナメられているのかは知らないが、お代をコーヒー缶一本で済まされている俺の身にもなってほしい。

 

 

慣れてはいるものの面倒ごとはあまり好きではないがゆえに、再び聞こえてきた何かを触る音に固唾を飲みながら耳をすましていると、求めていた答えはすぐに返ってきた。

 

 

 

 

 

『今回お願いしたいのは簡単に言えばボランティアみたいなものなんだけど、その内容が私の友人が経営してる海の家のお手伝いなの』

 

 

 

 

 

「海の家......って、あの海の家ですか?」

 

 

 

 

 

『そう!ご存知、焼きそばとかラムネとかを売ったりしてるあの海の家です!』

 

 

 

 

 

それを聞いた俺は真っ先に砂浜にポツンと建った一件の小屋を脳裏に思い描いた。

 

 

 

暖簾とともに屋根の端に吊された風鈴。氷水でキンキンに冷やされたスイカ。そして、鉄板の上で身を躍らせるソースのかかった焼きそば───。行ったことこそ無かった俺でも、テレビや漫画で散々見て聞いた話からならそんな様相など容易に想像することができた。

 

 

ゆえに俺は、その月島さんの依頼を断った。

 

 

 

 

 

「絶対に嫌です」

 

 

 

 

 

『え〜!なんでー!?』

 

 

 

 

 

「俺高校生ですよ?夏休み真っ只中の。理由くらいそこから察してくださいよ」

 

 

 

 

 

『あー、宿題ね。わかるよ?私も学生の頃はすごく大変だったもん』

 

 

 

 

 

「知れたことを......」

 

 

 

 

 

そんなことはわかってる、誰だってそうなのだから。俺が聞きたかったのは「そうだよね。ゴメンね、無理言って」という別れの一言だけだ。

 

それでも月島さんは依然として、ろくに斜に構えもせずに俺に仕事をせがんできた。

 

 

 

 

 

『でも意外だな。流誠くんって真面目だし、宿題なんてもう終わらせてるのかと思ってたもん』

 

 

 

 

 

「俺を何だと思ってるんですか」

 

 

 

 

 

『褒めてあげてるの!ていうか今は終わってないってだけで、進捗の方は結構進んでるんでしょ?』

 

 

 

 

 

「んー、まぁ、そうですけど......」

 

 

 

 

 

月島さんの言う通り、課題の量を問われれば少ないと言っても過言ではなかった。実際のところワークを数ページやってあとは答え合わせをするだけだった。しかし問題は“量”ではなく“質”の方なのだ。

 

何だよ、『作者の心情を答えたうえでそれに対する自分の意見を述べよ』って。そんな追加課題を国語科の先生から告げられた俺の頭の中には須く、エゴにエゴを重ねてどうするのかという疑念が急浮上した。しかもこの手の問題が得意なモカでさえも狼狽していたのが、今でもとても印象に残っていた。

 

 

 

 

 

「課題の量は少なくても質が違うんですよ、質が」

 

 

 

 

 

左手の受話器を耳に当てながら空いた右手で問題を解き進める。その傍ら、左耳には駄々をこねるような唸り声が流れ込んでいた。

 

 

 

 

 

『お願いだよー!数少ない友人からのヘルプコールなんだよー!』

 

 

 

 

 

「友達が少ないのは同情します。でも申し訳ないですがそれまでです、その人は俺の友達じゃないんで」

 

 

 

 

 

『私とキミは友達でしょー!?』

 

 

 

 

 

「提供者と受領者の関係です」

 

 

 

 

 

『うぅ......』

 

 

 

 

 

きっぱり言い切られた月島さんはきっとうなだれていることだろう。だがこちらも手間取っているのだ、ここはお引き取り願おう。

 

次に俺は、別れの挨拶を言いかけた。

 

 

 

 

 

「つーことです。すみませんが他の人を渡ってください」

 

 

 

 

 

そう言って携帯を耳から突き放す。無論右手はシャーペンを忙しなく動かしている。用も済んだ電話を片手間に切ろうと、今度は赤のボタンへと左手の親指を伸ばす。

 

 

 

 

その直後。

 

 

 

 

 

『──って!待って待って!!』

 

 

 

 

 

「......ッ!?」

 

 

 

 

 

スピーカーモードにしていないにもかかわらず、聞こえてきたまりなさんの声は音が割れたようだった。

 

 

 

 

 

「っるさいなあ......!今度はなんですか!?」

 

 

 

 

 

『違うの!私の言い方が悪かった!』

 

 

 

 

 

「はぁ......?」

 

 

 

 

 

“言い方が悪かった”?一体どういうことなのだろうか。まさか、丁寧語だとかそういう問題じゃないだろうな?馬鹿にしてるのか。

 

 

 

とにかく無駄な労力は消費したくない。俺は一刻も早く用件を済ませてもらうべく、最後のチャンスを与えた。

 

 

 

 

 

「捨てゼリフならさっさと言ってください。軽く聞き流してあげますから」

 

 

 

 

 

『人聞きの悪い!』

 

 

 

 

 

「いいから早く!簡潔に!」

 

 

 

 

 

トントンと強めに指で机を弾く。それに急かされるように、月島さんも口を開いた。

 

 

 

 

 

『キミにしか......キミたちにしか頼めないことなの!』

 

 

 

 

 

「......は?俺たちにしか頼めない?」

 

 

 

 

何を言い出すのかと思えばこの人は。俺は鼻で笑うほか無かった。

 

 

 

 

 

「いやいや、どういうことですか?海の家のバイトなんて代わりはいくらでもいるじゃないですか」

 

 

 

 

 

当然の疑問を当然のように当然の事実とともに提示する。俺たちにしか頼めないことなんて、そんな当て付け染みた見え透いた嘘に引っかかるワケが────......

 

 

 

 

 

 

 

......あれ?俺“たち”?

 

 

 

 

たち、って誰のことだ?

 

 

 

 

 

「え、てか待ってください。俺だけならわかりますけど、“たち”ってなんなんです?」

 

 

 

 

 

聞き間違いでなければ、まさか他にもいるというのだろうか。気になって仕方がなかったので、俺は真っ先に質問に移った。

 

 

 

 

 

『Afterglowだよ。もうあとはこの子たちしかいない!と思って』

 

 

 

 

 

「え?なぜに?」

 

 

 

 

 

突如として上がったAfterglowという単語に耳を疑った。力仕事と接客の多い海の家での仕事なら必要だとしてもともちゃんとつぐちゃんで事足りるというのに。

 

 

 

 

 

 

 

──とここで俺は、大事なことを聞きいていなかったことを今更ながら思い出した。

 

 

 

まだ仕事の内容がわからないままだ。

 

 

 

 

 

そこから俺は、一つの可能性を見出した。

 

 

 

 

 

「......いや、まさか」

 

 

 

 

 

働き詰めであった右手が止まる。シャーペンを握っていた右手はいつのまにか、無意識にも俺の顎へと当てられていた。

 

 

 

海の家......集客......Afterglow......バンド......オーディエンス......

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──マジ、すか?」

 

 

 

 

 

もはや何がと言う必要などあるまい。それは月島さんも、俺のマジが何に向けられてのものなのかわかりきっていると思ったからであった。そして──......

 

 

 

 

 

 

その予想は、見事に的中したのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いらっしゃま......あ!流誠くん」

 

 

 

 

 

「悪い、遅れた」

 

 

 

 

 

「遅い」

 

 

 

 

 

これで何回目かという思いを込めて愚痴を垂れる。一方その愚痴の標的である本人はそれどころの話じゃない様子だった。

 

 

 

 

 

「もうっ!自分から呼び出しといて遅れるとか、女子ナメてるの?」

 

 

 

 

 

「次からは今度こそ気を付けろよ、流」

 

 

 

 

 

「はい......すみませんでした」

 

 

 

 

 

流石に巴の“今度こそ”という言葉が響いたのか、我が物顔でイスに座っていた流誠がそのだらけた姿勢をしゃんと立て直した。

 

 

 

それではさっそく本題に......と思った矢先、つぐみが流誠に向けて「飲み物取ってくるね」とだけ言い残して厨房の方へとそそくさと行ってしまった。そこから詳しいことは全員が揃ってから話してもらうことになったので、それまでのあいだの話題は自然な流れで夏休みの課題になった。

 

 

 

 

 

「ところで皆さん、宿題の方はどうですかなー?」

 

 

 

 

 

「アタシはまだまだだな......どうしたもんか」

 

 

 

 

 

「やめてよモカー!思い出させないで!」

 

 

 

 

 

「そういうモカはどうなの」

 

 

 

 

 

あからさまに顔をしかめる巴や悲痛な叫びをあげるひまりと同じくあたしも気分を害されたので、その思いを込めて鋭い視線を言い出しっぺであるモカへと向ける。

 

 

 

 

 

「へへーん、ばっちしー」

 

 

 

 

 

「はぁ!?お前、現代文のアレできたのかよ!」

 

 

 

 

 

モカの返答は大体予想がついていたものの、突然の流誠の叫び声には思わず目を剥かれた。

 

とはいえ流誠の言う通りだった。彼の言う”アレ”というのは、まさしく”アレ”と形容するに等しい忌みさを持ち合わせているのだから。

 

 

 

 

 

「そうだよ。よくあんなのできたよね〜」

 

 

 

 

 

「モカちゃんにかかればよゆーですよー」

 

 

 

 

 

「なんかムカつく…」

 

 

 

 

 

「ふっふっふ〜、手伝ってあげようかー?」

 

 

 

 

 

悪戯な横目にそっぽを向く。すると厨房からつぐみが戻ってきたのが見えた。

 

 

 

 

 

「お待たせ!はいコレ、新作作ったの!試しに飲んでみて」

 

 

 

 

 

「なんだこれ……オレンジジュース?」

 

 

 

 

 

「いいから飲んでみてよ!自信あるんだ」

 

 

 

 

 

「あ、あぁ。ゴクッ……」

 

 

 

 

 

流誠はつぐみに促されるがままに差し出された橙色の液体をそっと口に含むと、途端にその口角を綻ばせた。

 

 

 

 

 

「……ん〜、おいしい!マンゴージュースか!」

 

 

 

 

 

「正解!隠し味にレモン汁を入れて、酸味を引き出してるんだよ。ひまりちゃんと一緒にこっそり開発してたの」

 

 

 

 

 

「ふふーん」

 

 

 

 

 

流誠の反応に喜ぶつぐみと得意げになっているひまりには悪いが、そろそろ例の件について話してもらわなければならない。

 

 

 

 

 

「はいはい。全員揃ったんだしそろそろ本題に移るよ。流誠、話して」

 

 

 

 

 

そんなそっけないあたしの目配せに流誠は何か不満そうだったが、すぐさま気持ちを切り替えたようにイスに座り直し、神妙な面持ちで口を開いた。

 

 

 

 

 

「ああ。さっきチャットでも言ったからみんなも知ってるだろうけど、今朝月島さんから電話があった」

 

 

 

 

 

最初そう聞いた時は私も何事かと思った。だが流誠が言うには、ただのボランティア活動への支援要請だったらしい。

 

しかし、その肝心の内容をまだ聞かされていない。そのことが気になって仕方がなかったのか、巴が頬杖をついて口をとんがらせた。

 

 

 

 

 

「具体的に何すればいいんだ?もったいぶらずに教えてくれよー、気になるだろ」

 

 

 

 

 

「いやあ、それがさ……」

 

 

 

 

 

返答に応じる流誠からはどことなく恥じらいのような感情が伝わってきた。そんな赤面とは裏腹に、その後答えられた内容はまったくもって普遍的なものだった。

 

 

 

 

 

「砂浜でライブしてくれー!つって……」

 

 

 

 

 

「え?ライブ?」

 

 

 

 

 

耳を疑った。聞くところによると、どうやらボランティアの一環として海の家の集客活動もといライブを行ってほしいとのこと。だがそれのどこに恥ずかしさを孕む要素があるというのだろうか。

 

砂浜でやるという点で機材や音響といった環境への心配をするのはまだわかる。ゆえに、今のあたしには流誠がなぜ申し訳なさそうに頭を搔いているのかがわからなかった。

 

 

 

 

 

「おー、砂浜ライブかー。なかなかエモいですなー」

 

 

 

 

 

「すごーい!それ、ホントにできるの!?」

 

 

 

 

 

「まああっち側から誘ってきたんだし、環境は整ってるんだろうけど……」

 

 

 

 

 

「マジか!じゃあやろうぜ!」

 

 

 

 

 

流誠からの報せを嬉々として引き受けようとする一同。だから目を伏せ続ける流誠の内心がなおさら気になった。

 

そんな彼を気にかけてか、つぐみが笑顔を一変させた。

 

 

 

 

 

「りゅ、流誠くん?大丈夫?」

 

 

 

 

 

「ん?あぁ、うん。そうだね……うん」

 

 

 

 

 

「……ライブのこと、気になることでもあるの?」

 

 

 

 

 

つぐみに乗じてあたしも問いかけた。すると流誠はあからさまにも肩をビクつかせた。

 

 

 

……やはり、何かある。

 

 

 

 

 

「お?何だ、気になることでもあんのか?」

 

 

 

 

 

「お給料とかー?せいくんそこらへん厳しそうだもんね〜」

 

 

 

 

 

「お前は俺を何だと思ってんだよ。そうじゃなくてだな……」

 

 

 

 

 

「じゃあ何」

 

 

 

 

 

あたしを含む面々からずいずいと迫られ、流誠の顔が狼狽したかのように歪んでいく。それから流石に観念したのか、流誠はその重い口を開き始めた。

 

 

 

 

 

「じ、実は……」

 

 

 

 

 

「「「「「実は?」」」」」

 

 

 

 

 

「うっ……実はその、ライブの衣装が、さ……?」

 

 

 

 

 

水着なんだよ。

 

 

 

 

 

……水着なんだよ。

 

 

 

 

 

 

 

────水着、なんだよ。

 

 

 

 

 

「「「「「────ぇ」」」」」

 

 

 

 

 

それからあたしたちは、顔を火照らせる流誠から言い放たれた水着という単語の意味を理解……認容するのに、数分を要したのであった。

 

 

 

 








いかがだったでしょうか。次回は本編で、いつもより2日遅い2月27日の20時30分に投稿予定です。お楽しみに!



それではまた次回お会いしましょう。さいなら!


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第2章 Un:Changing
プロローグ 変化


第2章始動!!!

ということでみなさんどうも、あるです。先日お伝えしました通り第2章始まります。番外編も第1章のほうに載せときますのでそちらもよろしくお願いします。


では本編どうぞ!






「よし、キリもいいし今日の練習はこのへんにしておくか」

 

 

ともちゃんがバチを指でクルクルと器用に回しながらそう言うと、みんなの口から疲れたという言葉の代わりにため息がこぼれた。

 

今日もいつも通りの練習だった。最近ではライブはご無沙汰なものの、その腕は依然として衰えておらず、それどころかむしろ上達していく一方だ。アシスタントの俺から見てもみんな本当に良くやってくれている。

 

 

「みんな、おつかれー!」

 

 

 

「お疲れ様っ!......あ、そういえば、蘭ちゃん」

 

 

鞄の中から水を取り出そうとしていると、つぐちゃんの蘭を呼ぶ声が練習部屋に響いた。

 

 

「ん、どうしたの?」

 

 

 

「前に流誠くんと商店街を歩いてる時、蘭ちゃんのお父さんに会ったんだけど、最近都合がつかなくてライブに行けないの残念がってたよ」

 

 

聞き耳を立てながら水を飲んでいると、自分の名前が挙げられたのを聞いたので、話の内容を思い出しつつ手に持っているペットボトルを口から離した。

 

たしか商店街でつぐちゃんとたまたま居合わせて、立ち止まったままもアレなのでと歩き出したすぐ後の話だったか。

 

 

「ぷはっ......ああ、そういやそうだったな」

 

 

 

「最近は華道の集まりがちょっと忙しくて......ていうか!別に来なくてもいいし!」

 

 

 

「はは......蘭のお父さんがライブに来てくれるのも『いつも通り』だな」

 

 

 

「いらないから、それ」

 

 

ともちゃんの冗談混じりの発言に、蘭があからさまに顔をしかめる。それから俺は、これを見たらおじさんはさぞ悲しむことだろうなと、内心がっかりしてそうなおじさんの厳格な顔を思い浮かべた。

 

 

 

......いや、してそうじゃなくて少しくらいは眉を下げるだろうな。実際あの時、そんな顔をしていたような気がするし。

 

 

「ちょっと〜、みんな早く片付けてよ〜。特にせいくんはアッシーなんだから、水なんか飲まないでキビキビ働いてさー」

 

 

脳内でのおじさんの顔いじりに意外な面白さを見出だし始めたところで、モカが何やら地団駄を踏み始めた。

 

 

「ブラック企業かよここは......ていうかそんなに焦ってどうしたんだよ」

 

 

 

「やまぶきベーカリー閉まっちゃうよー」

 

 

 

「モカは相変わらずだな〜。そんなに急がなくたって大丈夫だって」

 

 

 

「1秒でも早く行って、1秒でもゆっくりパンを選びたいんだよ〜」

 

 

どうやら自分の食欲を満たしたいらしく、その強さはひーちゃんの慰めにももろともしないほどだった。こいつは一体どこまで、パンに固執しているのだろうか......

 

 

「あーわかったわかった。まったく......つーことだみんな。急いで片付けよう」

 

 

まだかまだかとギターケースを背負って準備万端な様子のモカの為に、愚痴をこぼしつつもみんなに早急に片付けをするように促した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとうございましたー」

 

 

 

「またくるねー、さーやー」

 

 

パンがぎっしり詰められた落ち着く匂いのする紙袋を両手でしっかりと抱えながら、店番をするさーやに別れを告げ、カランコロンと鳴る鈴の付いたドアを開けて店の外へと出た。

 

 

「モカちゃん、パン買えてよかったね」

 

 

 

「これもみんなのおかげだよ〜。ありがとー」

 

 

外に出てからすぐにつぐから笑顔で話しかけられたので、こちらも感謝を込めて笑いかけた。

 

一方で他のメンツからは、奇異の目を向けられていた。

 

 

「こんなに買って、これホントに一人で全部食べるの?」

 

 

 

「そだよー。夕飯のあとに食べて、明日の朝食べて、明日のお昼前に食べて、学校終わったら食べる」

 

 

 

「それにしたって、おかしい量だろ......」

 

 

 

「だよな......むぐぐ」

 

 

 

「おにぎりくんも人のこと言えないと思いまーす」

 

 

 

「ごくっ......誰がおにぎりくんだパン星人が」

 

 

なんとでも言え。そう言わんばかりにあたしは、コンビニのしゃけむすびを貪るせいくんに向けてふんと鼻を鳴らした。

 

 

すると、蘭がとある店に視線を向けているのに気がついた。

 

 

「......ん?蘭ー?」

 

 

 

「ごめん、ちょっと寄ってもいい?」

 

 

蘭が指し示した先には、店内のみならず店先にもずらりと彩りを並べて、街行く人々の気を引くような可憐な香りを垂れ流す花屋があった。

 

 

 

 

 

 

 

「ん〜、いい香り♪どのお花もかわいいね」

 

 

蘭のあとに続いて店内に入ると、誇らしげに咲く色とりどりの花たちが店先で嗅いだような可憐な香りとともにあたしたちをお出迎えしてくれた。

 

 

「蘭、どの花が気になってるんだ?」

 

 

 

「あたしは......これかな」

 

 

店内を見回っている途中で、ともちんからの問いかけに、蘭はちょうど目の前にあった一つの鉢を手に取った。

 

そこに咲いていたのは、つくしのような形の赤色の花だった。

 

 

「なんか不思議なお花〜。お花っぽくないお花だね」

 

 

 

「これでも一応バラ科なんだよ」

 

 

純粋な感想を述べると、その不思議な赤色の花を見つめながら蘭が説明をしてくれた。その意外性に、あたしも含めてみんな興味を示した。

 

 

「へー!そうなんだ。なんていうお花?」

 

 

つぐちゃんの問いに食いつくように答えを述べようとした。

 

 

「これは......」

 

 

 

「ワレモコウ、か」

 

 

しかし、せいくんが代答したせいでその役割はかき消されてしまった。

 

 

「え、あ、うん......合ってるけど......」

 

 

藪から棒な発言に、本来の回答者である蘭は何故知っているのかと言わんばかりに目を丸くして、せいくんを見つめていた。

 

せいくんはそんな蘭の視線から何が聞きたいのかを察したように「あー」と前置いてから語り始めた。

 

 

「孤児院の年少のやつらに読ませてやったりしてんだよ、花の図鑑とか。その過程で自然と花の名前とか覚えたりするからさ。さすがに科とか目はわからなかったけどな」

 

 

「だとしてもスゴいよ、流。アタシも時々そういう本とか読んだりするけど、名前とか覚えてらんねえもん」

 

 

 

「うんうん!しかも、下の子のお世話もしてるっていうんだから!スゴイよ!」

 

 

 

「さすがお兄さんって感じだね!」

 

 

少し謙遜気味に言い終えたせいくんに、ともちんが感心深く賞賛した。それに続いてつぐとひーちゃんもすごいだの意外だのの一点張りだった。

 

 

「......」

 

 

一方蘭はと言うと、自分の役割を横取りされ腹を立てたのか、注目を浴びるせいくんをじっと凝視していた。

 

 

「おやー蘭ちゃん?拗ねてるのかな〜?」

 

 

 

「す、拗ねてないしっ!」

 

 

なので今度は蘭を注目させてあげようと、助け船......という名目の冗談をわざと大きな声で言った。

 

 

だが当の4人はあーだこーだとまだ何か話し合っているみたいで、“助け船”は見事に撃沈した。

 

 

「あーもう......つぐみ、ちょっと来て」

 

 

 

「えっ!?な、何!?」

 

 

蘭が痺れを切らしたように、輪の中にいたつぐの腕を掴んで、その輪から無理やり引っ張り出した。

 

 

「さっきのワレモコウのことなんだけど......流誠も知らないことがまだあるんだ。どう?知りたい?」

 

 

 

「え?えーっと......う、うん......?」

 

 

 

「はあ、しょうがないなーつぐみは......まず、ワレモコウって花は───......」

 

 

 

 

「あちゃー。始まっちゃったよ」

 

 

どうやら蘭の競争精神に火が付いたみたいだった。こうなっては彼女は止まらない。

 

すると、状況を把握しきれていないのか何事かといった様子でせいくんが顔をしかめた。

 

 

「おいおい、急にどうしたんだよアイツ......」

 

 

 

「まーまー。ここは見守ってあげましょー」

 

 

そうやって無自覚な彼をなだめてから、彼女の一生懸命に説明する姿を遠目に見始めた。

 

 

 

そこには前までは花に対して微塵も興味も示さなかった、むしろ避けていたようにも見える彼女の姿は無く......代わりに、真摯に華道と向き合っているような、彼女の決意の姿勢が見てとれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな蘭の変化を見てあたしは、心の奥底から異様な虚しさがふつふつと湧き上がってくるのを感じた。




いかがだったでしょうか。次回は1月10日の19時30分に投稿予定です。お楽しみに!


いつも通りかと思っていた日々のなかで著しい変化を見せる蘭に、この先流誠くんたちはどのような展開を見せてくれるのでしょうか。



......なんて具合に第2章始めてみました。拙い部分もあると思いますが、第2章も全力で執筆させていただきます!よろしくお願いします!



最後に、お気に入り登録者数がおかげさまで30人となりました!パチパチー!大変励みになります!ありがとうございます!!!これからも応援してもらえると嬉しいです...!

ついでと言ってはなんですが、評価もできるようになってます。よければそちらの方もよろしくお願いします!


ではまた次回お会いしましょう。さいなら!


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第1話 擦曲

どうもあるです。今回も前回に続き、1章のほうに番外編を投稿しておりますので、そちらもご覧くださると幸いです。




それでは本編、どうぞ。(定まらない本編への繋ぎ)







休日の午後、今日も今日とてバンド練習をするべくCiRCLEへと赴いた。

 

 

 

 

「──かあ......久しぶりにいいかもしれないな」

 

 

 

 

自転車を駐輪場に置き、入り口前へ向かう。そこにはすでに他のメンバーが到着しており何やら立ち話をしているようだった。

 

 

 

 

「お待たせしましたーっと」

 

 

 

 

 

「おっ、流。きたか」

 

 

 

 

 

「遅刻だよ〜」

 

 

 

 

 

「ちゃんと時間通りだろうが......それより、何の話してたんだ?」

 

 

 

 

 

「うん。えっとね───......」

 

 

 

 

聞くと、つぐちゃんが間を置いてから説明をしてくれた。どうやら、次のライブをいつにするかについて話し合っていたらしい。

 

 

 

 

「そうだったのか。でもどうして急に?」

 

 

 

 

 

「私達、最近練習ばっかりでしょ?だから久しぶりにライブでもやろうかなーって思って」

 

 

 

 

質問に質問を重ねると、いつもよりもやる気に満ちているように見えるひーちゃんからそう伝えられた。

 

そこから俺は、一つ提案をした。

 

 

 

 

「だったら、新曲を作ってみるのもアリかもな」

 

 

 

 

 

「あっ!それ、いいかも!」

 

 

 

 

 

「なるほど。ナイスアイデアだな」

 

 

 

 

 

「新曲かあ......なんか、久しぶりなことばかりだね」

 

 

 

 

新曲の作成なんて無茶振りっぽい提案だったが、メンバー一同頷いてくれた。

 

 

 

 

「いいねー。この数ヶ月で鍛えられたあたしたちをお客さんにも見せたいしー?」

 

 

 

 

提案をした理由として、モカが言ったような気持ちを俺も抱いていたことが挙げられる。

 

 

 

俺達、Afterglowはガルジャムなどのイベントを通していくうちに、そのファンの数もかなり増やしてきた。だがここ最近の音沙汰の無さに彼らを随分と待たせてしまっているだろうし、であればそれ相応の対応をするのが道理でもある。

 

ただそれはどちらかといえば建前みたいなもので、本命はAfterglowの『変化』を......幼なじみとしても、ミュージシャンとしてもレベルアップした俺たちを見せたいということだ。

 

 

あれから俺たちは変わった。互いに遠慮なく互いの思いを語り合える、心からぶつかりあえる『本当の意味での幼なじみ』へと。その過程で音楽に対する意識も変わった気がする。

 

そんな変化の中でも著しい変化を遂げたように見えるやつがいる。それは蘭だ。

 

 

この前もつぐちゃんにワレモコウの植えられた鉢を両手に持って、必死に華道のことについて説明をしていた。

 

 

 

 

......あの蘭が、だ。普通なら綺麗だ、かぐわしいなどといった感情を花に対して抱くところを逃避行ばかりで何もかも置き去りにしていたあの蘭が、華道の跡取り娘という家の事情とも向き合い、今ではその華道にも積極的な姿勢を見せている。

 

 

 

 

「......あれ?」

 

 

 

 

そんな彼女に今回も作詞と作曲を頼もうと、辺りを見回す。

 

だが、そこに蘭の姿は無かった。

 

 

 

 

「そういえば蘭は?」

 

 

 

 

 

「えー?今さら〜?」

 

 

 

 

いや。最初からいなかった、か。そのことにようやく気付き、モカに肩をすくめられた。

 

 

 

 

「あー。もしかしたらもう先に中に入ってるかもしれないな」

 

 

 

 

誤魔化しついでに一つの可能性を提示する。するとみんな合点がいったように、揃って首を縦に振った。

 

 

 

 

「確かにそうだな。ていうかどのみち練習もあるし、中入るか」

 

 

 

 

それからともちゃんの言葉に続くように、俺たちはCiRCLEへと足を踏み入れていった。

 

 

 

そうするや否や、モカが何かに気がついた。

 

 

 

 

「むっ、あれはもしや」

 

 

 

 

モカの声に足を止める。そしてモカの向いているのと同じ方向へと目を向けた。

 

そこには、何やら気難しい顔をして携帯の画面を見つめている蘭がいた。

 

 

 

 

「蘭。やっぱり先に来てたのか。......当てずっぽうだったけど」

 

 

 

 

 

「あっ、みんな」

 

 

 

 

声をかけると、蘭は先ほどまで眉を寄せていたあの表情は何処へ、今度は意表を突かれたような驚いた様子へと様変わりさせた。すると次に、俺たちより先に到着していたわけを語り始めた。

 

 

 

蘭の話によると練習前に華道の集まりがあったらしく、そのままここに来たところ思ったより時間に余裕ができたとのことだった。

 

 

 

 

「そうだったのか。蘭、お疲れ」

 

 

 

 

 

「それよりさー、なんで携帯に向かって怒ってたりしてたのー?」

 

 

 

 

第一発見者であるモカが携帯とにらめっこしていた理由をまるでからかうような態度で聞いた。一方の蘭はため息を吐きつつも、ちゃんとその理由を答えてくれた。

 

 

 

 

「予定確認してただけ。華道の集まりが入ってたりしてて」

 

 

 

 

 

「へえ。そうだったのか」

 

 

 

 

淡々とその理由を述べる蘭に対して、俺は感心の意を述べた。

 

前も見たが、近頃の蘭の華道に対する姿勢はお世辞抜きで本当に見違えるほど変貌した。それも良い方へと。

 

 

でもそれなら新曲は難しいやもしれない。スケジュールを睨んでいたあの蘭の顔から察するに、相当予定が圧迫されているのだろう。

 

 

 

そんな中で新曲作り......ましてやそれと違って合間あいまにできるようなものではないライブなんて、とてもじゃ───......

 

 

 

 

「───ところで蘭ちゃん。そろそろライブとかやらない?」

 

 

 

 

 

「そうそう。んで、新曲もいいよなーって、さっき外でみんなと話してたんだよ」

 

 

 

 

 

「......っておい!2人とも!」

 

 

 

 

酷な提案を控えようと押し黙る俺に代わってつぐちゃんとともちゃんが口を開いた。それを聞いて、2人に向かって咎めようとした。

 

 

 

 

「いいよ、べつに」

 

 

 

 

だがそれは、提案を受けた本人自らによって止められた。

 

 

 

 

「えっ、いいのかよ」

 

 

 

 

 

「逆に聞くけど、なんでそんな心配するの。華道とかで忙しいけど、あたしだってやれることはやるつもりだから。それがライブとかだったら尚更だよ」

 

 

 

 

首を傾げるも、こうも自分の意思をまっすぐに伝えられるとぐうの音も出なくなる。でもそれは、本当は蘭がどうしたいかを心の底では薄々感づいていたからだ。

 

 

 

......俺もいい加減素直にならなきゃな。

 

 

 

 

「はあ......そうかよ。それは悪うござんした」

 

 

 

 

 

「まったく、これだから素人はー。蘭の扱い方を熟知し直してから......あっ」

 

 

 

 

 

「誰の扱い方だって......?」

 

 

 

 

そう言って怒気のこめられた拳を胸元に掲げた蘭に怯えるモカの姿がどうにもおかしくなり、杞憂に悩まされていた自分なんか忘れて俺は......いや、俺たちは愉快に笑いあった。

 

 

 

 

「んじゃ、そろそろ時間だし練習始めるか。ライブ開催も決まったしな」

 

 

 

 

 

「そだねー」

「ああ!」

「がんばろー!」

「うん!」

「ん」

 

 

 

ひと段落ついたところで区切りをつけると、やる気のこもった返事が返ってきた。それを互いに確認しあい、軽い足取り、同じ足並みでスタジオへと進んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「みんな。新曲、作ってきたよ」

 

 

 

 

機材のセッティング途中、スタジオ内に勢いの良いドアの開く音と声が響いた。それを聞いて俺はシールドを握っていた手を放し、音の下へと目を向けた。

 

 

 

 

「蘭、今日も華道の集まりだったんだな」

 

 

 

 

 

「うん。そのせいで遅れた。ごめん」

 

 

 

 

 

「ははっ、いいよ別に。むしろおつかれ」

 

 

 

 

 

「うん!蘭ちゃんおつかれ!

 

 

 

 

労いの言葉をかけるともちゃんとつぐちゃんに、蘭は「そんなことより!」と少し照れくさそうに咳払いしながら、背負ったままだったギターケースのポケットから“あのノート”を取り出した。

 

 

 

“あのノート”......というのは、これまで蘭が手がけてきた曲の原案などが記されているノートである。それ以外にも色々とページが使われているみたいなのだが......何故かそこだけは誰にも見せたがらないのだ。

 

ただ教室では席が隣なこともあってか、教室でその例のページを開いているところをチラリと横目にしたことがある。その罪業の代償として、机の上に置いていた俺の手のひらが蘭によってくりだされた鋭利なシャーペンの一撃の犠牲となったのだが。

 

 

 

 

と、ひょんなことを思考しているうちに、蘭はみんなの前に歌詞のページの開かられたノートを無防備にも手渡し、マイクスタンドの前に立っていた。

 

マイクを握るのとは別の手には、アンプにコードを繋いでいる作曲アプリの開かれた携帯が握られていた。

 

 

 

 

「それじゃ、いくよ」

 

 

 

 

蘭が携帯に表示された再生ボタンをクリックした。それから数秒後、作曲アプリらしい機械的なメロディが流れてきた。それに合わせて、蘭も歌い始めたのだった────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高らかに、かつ渋さのあるギターの音を最後に曲と蘭の声が止まった。

 

 

 

 

「......どうだった?」

 

 

 

 

一息ついたところで、蘭からそう聞かれた。

 

 

 

だが、みんなは蘭の望んでいたであろう反応はしなかった。

 

それは俺も同じだった。

 

 

 

 

「あの......沈黙されると気まずいんだけど」

 

 

 

 

それを見て頼り無さげにする蘭に、まずはじめに口を開いたのはつぐちゃんだった。

 

 

 

 

「すっごくかっこいい曲だと思うよ!私はサビ前のところが好き!」

 

 

 

 

言葉ではそう言ったものの、つぐちゃんの顔はどこか曇っているようにも見えた。

 

 

次に、ともちゃんが感想を述べる。

 

 

 

 

「アタシもいい曲だと思うし、これからアレンジしていくのが楽しみだよ。ただ、その......」

 

 

 

 

一瞬躊躇したかのように見えたともちゃん。だが結局、自分の思ったこと全てを、蘭にそのまま伝えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「──歌詞がちょっとわからなかったんだ」

 

 

 

 

......今まで、Afterglowに対するお客さんからのいろんな評価、批判を裏から聞いてきた。応援はもちろん励みになったし、少し棘のある評価も芽生えた悔しさをバネにして、それも別の意味での励みになった。

 

 

 

ただ今回に関しては、身内からの、あの幼馴染からの苦い評価......

 

 

このようなことは今まで経験したことがなかった。一番の理解者がお互いだったからだ。

 

 

 

 

「え......」

 

 

 

 

その理解者からの酷評とも言える容赦ないレビューに、蘭は困惑の表情を浮かべた。

 

 

 

 

「私も、難しい歌詞かもって思った。なんだかいつもの蘭が作る歌詞とは違うよね」

 

 

 

 

続くひーちゃんに、蘭は表情を変えずこう聞いた。

 

 

 

 

「そんなつもり、なかったんだけど......どういうところが?」

 

 

 

 

「うーん、なんて言うんだろう......うまく言えないんだけど......」

 

 

 

 

蘭からの質問に、ひーちゃんが言葉を詰まらせる。

 

そんなひーちゃんの気持ちを、「ちょっといいか」とともちゃんが代弁した。

 

 

 

 

「蘭はこれまでさ、アタシたちが経験したこととかをそのまま歌詞にしてきただろ?だからアタシたち自身もしっくりきてたと思うんだけど......」

 

 

 

 

ともちゃんの言う通り、蘭の作る歌詞......つまり、Afterglowの曲は俺たちが経験してきたものを題材としたものが多い。もちろんそれには、ガルジャムで披露したTrue colerも含まれている。だから俺たち以外の人からはあまり共感が得られにくい。批判を受ける要因もそこにあった。

 

 

 

でもそれでいいんだ。それが俺達だから。

 

俺たちがこれまでも、今でも、いつまでも......幼馴染でいられるように。Afterglowはそのために生まれたんだから。

 

 

 

だから俺たちが共感さえできればいいんだ。他人のことなんて気に病まず、俺たちさえ共感できていれば。

 

 

 

 

 

その共感を、今の俺たちはできずにいた。

 

 

 

どうしてもできなかった。

 

 

 

 

 

 

「今回の歌詞、アタシにもちょっと難しくてまだしっくりきてないんだ」

 

 

 

 

 

「雰囲気があってかっこいい歌詞だと思う!でも......わからない部分もあるかも」

 

 

 

つぐちゃんの総評も聞いて、蘭は「そう......」とだけ言った。

 

そしてしばらくの沈黙の後、こう告げた。

 

 

 

 

「ごめん、もう少し歌詞考え直してみる」

 

 

 

 

 

「忙しい中作ってきてくれたのに、ゴメン......ただメロディラインはカッコイイと思う。アタシたちは蘭が歌詞を直している間に、そこをアレンジしていこう」

 

 

 

 

「うんっ、そうだね!」

 

 

 

 

気持ちの切り替えとも言える蘭の言葉に、みんな静かに頷いた。そして、まずは各々のできることからやっていくこととなった。

 

 

 

 

「そうと決まれば、流。試しに叩いてみるからさ、テンポがズレてるかどうか確認してくれないか?」

 

 

 

 

 

「流誠!私もお願いー!」

 

 

 

 

もちろん俺も参加型だ。そして俺も、頼りにされている以上断る余地は無い。

 

 

俺は先ほどのように、静かに頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

そう。頷いたのだ。

 

何も、言わなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

......何も、言えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「「......」」

 

 

 

 

 

 

俺とモカの2人だけ終始何も言えなかった。

 

ともちゃんたちが言っていたような感想も、提案も。文字通り何もかも......

 

 

 

 

 

 

ずっとあの蘭の不満そうな顔を、傍観することしかできなかったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

蘭がそうなった理由。

 

 

歌詞が俺達の心を擦り抜けてしまった......それは蘭が、蘭だけが『変わって』しまったからなのではないか......

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

......そんな疑念を抱きながら。




いかがだったでしょうか。次回は1月13日の19時30分に投稿予定です。お楽しみに。


時間も余りましたので、久々に雑談のコーナー。

皆さんはもうお気づきになられてると思いますが、この作品の題名は全て二字熟語で構成しております!ですがネタが限定かつ不足しがち...なので今回よろしく造語も含まれておりますのでご了承くださいませ。



それではまた次回お会いしましょう。さいなら!


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第2話 偏狭

どもども、あるです。


さあ三連休最終日!明日から学校という人もいらっしゃると思います。ちなみに僕もそうです...共に頑張りましょう。



では本編、どうぞ!






あれから数日経った。しかしAfterglowは今も尚、例の新曲作りに難航の一途をたどっている。それは、蘭が歌詞を手直ししているため歌詞の無い状態での音作りを他のメンバーが強いられているからであった。

 

そうやって苦悩する日々も度重なり、メンバーの顔もそれにつれてだんだんと暗くなりつつあるようにも見えてきた。

 

 

 

 

それはアシスタントである俺も例外ではなかった。

 

 

 

 

 

「......はぁ」

 

 

 

 

 

今日は珍しくみんなと昼食を食べなかった。それは俺個人の意思ではなく、作曲に集中さしたいというみんなの思いゆえのことだった。

 

 

食堂で弁当も済ませて、昼休みに何もすることがなくなった。気分転換にでも屋上に行こうと階段を上っている途中、ため息が響いた。それが自分のものだと気づくのに数秒かかった。

 

 

 

そのくらい、最近になってから自然とため息が出るようになっていた。

 

 

 

 

 

「ふぅ......」

 

 

 

 

 

またため息がひとつ、踊り場にこぼれた。上る気力すら失いかけそうになったので、一旦手すりに体を預けて休むことにした。

 

 

 

 

 

天井を仰ぎ見る。そこにできた大きな黒いシミが、こちらを監視する目障りな瞳のように見えた。

 

 

 

 

 

(アイツもこの前まで、『こんな』だったのかな)

 

 

 

 

 

目の前の天井。背中合わせの壁。

 

 

それらを見て、触り、閉鎖感を感じた俺は当時の蘭をふと思い浮かべた。

 

 

 

 

 

彼女も自分の家の事情、そしてそれを俺達に悟られないようにするための気配りという名の障害......いわばストレスで構成された小さく狭苦しい『部屋』に蘭も閉じ込められていたのかと。

 

 

 

 

 

しかし、蘭はそれを最終的に打ち破ってみせた。

 

そして解放された今、閉鎖感の原因でもあった華道などとも向き合い、新たな『いつも通り』も手にしてみせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

......そんな前向きな蘭の姿を思い浮かべていると、自身を取り巻いていた倦怠感や不安はいつのまにか消え去っていた。

 

 

 

 

俺も負けていられない。

 

 

 

 

 

「───......行くか」

 

 

 

 

 

深呼吸をしてから手すりに傾けていた体を起こし、屋上への一歩をまた踏み出し始めた。

 

 

 

 

階段を活き活きと上っていく。すると間も無く屋上への扉が俺の視界に映り込んだ。

 

相変わらず冷たいドアノブを握り、少々錆びついた扉を開ける。

 

 

 

 

 

そうするや否や、声が聞こえてきた。

 

 

 

 

 

「『幾千の時を超えても』......いや、違うかな」

 

 

 

 

 

 

「......?」

 

 

 

 

 

使い込まれたやすりのように掠れ、それでいてどこか暖かみのある声。間違いない、蘭だ。

 

聞こえてきた方角からしておそらく扉を出てからすぐ突き当たりにいる。どうやらこちらには気づいていないようだ。

 

 

 

せっかくなので、こっそり耳を傾けてみた。だが、そうして聞こえてきたのはこの前試聴した歌詞のような堅苦しい言葉のみだった。

 

 

 

 

そんな俺達らしくない『いつも通り』に感じられない言葉......それを蘭が口にしたことに、霧散したはずの不安がまた疼き始めた。

 

 

 

 

 

今ならこの角から飛び出して蘭の手助けをしてやれるかもしれない。驚かして、歌詞の作成の難解さに強張っているであろう顔を和ませてやることができるかもしれない。

 

 

 

 

 

そんな先ほどまで抱いていたはずの勇気が、徐々に不安へと染め上げられていく。

 

 

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

 

 

俺は黙って傍聴することにした。脳内の蘭との会話のシュミレーションにはノイズがはしり、手がつけられなくなっていた。

 

 

 

 

代わりに、自分の耳に入り込んでくる言葉に込められた思い、そして蘭の『いつも通り』を感じ取ることに専念した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だが。

 

 

 

 

 

 

 

「────......」

 

 

 

 

 

何度聞いても、考えても、理解に及ぶことはなかった。

 

 

 

 

わからない。気づけない。頼りになれない。いつまで経っても、己の無力さを突きつけられるだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

そうか、蘭。お前はそこまで......お前は───。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

変わっていってしまったんだな。

 

 

 

 

 

そう。『変わって』、『行ってしまった』んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だぁーっくそッ!まとまんねぇな......」

 

 

 

 

 

 

「まあまあともちゃん。落ち着けって」

 

 

 

 

 

放課後のバンド練習、今日は蘭が予定が空いていたということで今では珍しいメンバー全員揃ってでの練習にすることができた。

 

 

にもかかわらず、1、2回持ち曲を合わせたっきり、蘭だけがまた歌詞の手直しに向かっていた。持ち主にあまり触れられずに壁に立てかけられたまま放置された紅のレスポールからは、その見事な光沢からでさえも寂寥感を感じさせられる。

 

 

 

 

 

「ひーちゃん。さっきのフレーズ変えてくんない?合ってない気がするー」

 

 

 

 

 

 

「ちょうどあたしもそう思ってたんだよー!巴〜!もう一回合わせてくれるー?」

 

 

 

 

 

 

「おういいぞー。むしろこっちがお願いしたいよ」

 

 

 

 

 

 

「私もいいかな?気になるところがあって。流誠君にも試しに聞いてほしいんだけど」

 

 

 

 

 

何やらまた音作りをするらしく、俺にも救援を求められたので快く引き受けた。

 

 

 

 

 

「じゃあ、もっかいさっきのところからな」

 

 

 

 

 

メンバーに指示を出す。Aメロはこの前の練習でなんとかイメージを掴めたので、今日の練習ではその次のBメロの音を合わせることにしている。

 

 

 

俺の指示に静かに頷き、ともちゃんがスティック同士を叩いて音頭を取った。それに続いてモカ達も自らの楽器を弾き鳴らす。

 

歌詞の無い音だけの曲がその力強さとは裏腹な微かな虚しさを乗せ、スタジオに響く。

 

 

 

蘭は......

 

依然、シャーペン片手にノートとにらめっこをしている。

 

 

 

 

 

「......待った」

 

 

 

 

 

と、サビに差し掛かる直前で違和感を覚えたので声の聞こえにくいメンバー達にもわかるようにスッと手を挙げて演奏を中断させた。

 

 

 

 

 

「またかー......あそこって『主音』が無いと合わせにくいんだよな」

 

 

 

 

 

そうともちゃんはため息を吐いて、両手に持ったスティックで物憂げに肩を叩いた。

 

主音。それは蘭の歌声のことだった。そして先ほどからつまづいているのが、ここのフレーズである。

 

 

 

それが何を意味しているのか。

 

 

 

 

 

「......やっぱり歌詞が無いと難しいね」

 

 

 

 

 

 

「ひーちゃん」

 

 

 

 

 

口を滑らしたひーちゃんを睨み、戒める。そうして己の罪に気づいたひーちゃんは「あ、ごめん......」と拠り所が無さそうに呟いた......

 

 

 

だけかと思いきや、ひーちゃんは「でも、」と焦ったそうに続けた。

 

 

 

 

 

「やっぱり歌詞が無いと......ううん。蘭の歌が無いと私達、演奏できないよ。ねえ蘭。一緒に歌詞考えようよ。ね?その方が気持ちも楽になるよ」

 

 

 

 

 

口早な提案だったが、俺は一言一句聞き逃すことはなかった。

 

なるほどその手があったか、と。

 

 

 

 

 

「ああ、たしかにそうだな......その方がきっと俺たちでも納得いくような歌詞が────」

 

 

 

 

 

出来上がるはず。

 

俺はひーちゃんを戒めた理由の1つであるデリカシーの無さを指摘した本人でありながらも、その真髄に触れるようなことを言いかけた。

 

 

 

 

その一言は、蘭の勢いよくノートを閉じる音に遮られた。

 

 

 

 

 

「『納得いくような歌詞』......?何?今のあたしじゃ、あんたたちを満足させるような歌詞は書けないって言うの?」

 

 

 

 

 

 

「え?あ、いや。そういうことじゃ......」

 

 

 

 

 

敵対心剥き出しの蘭に言葉を詰まらせる。半分事実な気がしてならなかったからだ。

 

 

 

たしかにあの歌詞では俺達は満足できない。だが、日常的によく聞く『満足』とは少し......いや、だいぶ意味がかけ離れている。

 

 

 

俺たち同士でしか理解できない『満足』を、蘭以外まだできていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

っていうことは、そうか......

 

 

 

 

やっぱり、そういうことなんだよな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「......はあ。蘭、やっぱお前変わったな」

 

 

 

 

 

 

「変わった......?」

 

 

 

 

 

ずっと心の内に忍ばせていたことをいっそのこと開き直り、とうとう口にした。蘭は首を傾げこそしなかったものの、疑問を抱いているような言動をとった。

 

 

 

 

その時の蘭の態度が、ああ、なぜか。なぜかわからないが、いや、多分必然的なのだろうか。それでいて挑発的に、そして感傷的に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺の心に、無責任という名の火種をくべた。

 

 

 

 

 

「ああ、変わった......変わったんだよ。それも俺たちを置いて!1人だけ先走って、後ろなんか振り向かずに!」

 

 

 

 

 

ただでさえ思い悩んでいるであろう蘭に、容赦なく噛み付いた。牙を立て、血肉を貪り、あわよくばその内側に潜む悩みすら喰らいつくそうとした。

 

 

 

 

 

吐露される思いの数々。油を得たように焚きつける火炎のようなそれは、しかしどれもただの詭弁に過ぎなかった。

 

 

 

 

 

「......はぁ?置いてって何?まるで自分たちは悪く無いみたいな言い方して」

 

 

 

 

 

 

「......あ」

 

 

 

 

 

そんな俺の咬撃に蘭は目もくれず、夏にたかる小蝿でも振り払うかのようにそう告げた。そんな的を射た言葉に、俺はふと我に帰った。

 

 

 

 

 

「お、オイ!やめろって2人とも!」

 

 

 

 

 

 

「そうだよ!それだと流誠も人のこと言えてないよ!」

 

 

 

 

 

 

「そういう巴やひまりだって、流誠と同じでしょ?」

 

 

 

 

 

 

「「......!」」

 

 

 

 

 

ともちゃんとひーちゃんがその場を制そうと困惑気味に真一文字に結んだままだった口を開くも、それすらも蘭は1人で太刀打ち、その場の険悪さに拍車がかかる結果となった。

 

 

 

名指しこそしなかったが、おそらく蘭は、喧騒に加わっていないモカやつぐちゃんにも同じようなことを言っている。それに気づいているのか、はたまたやめてほしいと思っているだけなのか、その2人も困惑の表情を見せていた。

 

 

 

 

 

 

だが、蘭の言う通りだ。蘭が置いて行ったのではなく、俺たちが付いて行かなかっただけなのだから。

 

 

 

 

本当に変わることを恐れていたのは蘭ではなく、他でもない俺たちだったのだから。

 

 

 

 

そんな反省も、今一番言ってほしくなかったであろうことを言われ怒りを露わにした蘭の前では、何のメリットも持ち合わせていなかった。

 

 

 

 

 

「あんたの言うようにあたしは変わった。父さんとも華道とも向き合って、みんなとの事が変わらないように、変わったんだよ!!!」

 

 

 

 

 

 

「......っ」

 

 

 

 

 

結果はわかりきっていたが止めようとした。

そして案の定蘭の勢いに押し流された。

 

 

 

 

 

「変わらない方がよかった!?昔みたいに、家から逃げるためにバンドやってた頃のあたしが書いた方が歌詞もわかるだろうし、よかったでしょ!?」

 

 

 

 

 

そこまで今の自分を卑下することはないじゃないか。なんて、そうさせた本人が言ったところで何も起こらないし変われもしないが。

 

 

 

 

 

「みんなと一緒にいたいだけなのに......あたしはただ、それだけで......」

 

 

 

 

 

 

「......ごめん」

 

 

 

 

 

やっとの思いで謝った。しばらくの間、その安っぽさに満ちた言葉が脳内で反芻していた。

 

 

 

 

 

「......っ」

 

 

 

 

 

すると蘭は手に持ったままだったシャーペンとノートを放り捨て、それ以外の荷物も置いて勢いよくスタジオを飛び出していった。

 

 

 

 

 

「蘭......!」

 

 

 

 

 

ずっと黙り込んでいたモカもまた、飛び出した蘭の行方を探しにスタジオを抜けた。

 

残りは下を俯いていた。

 

 

 

一方で蘭の背中を物理的に追いかけることさえできなくなった俺は、蘭が床に落とした拍子に開いたノートをおもむろに拾い上げ、そのページを見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこにはただ一言だけ。

 

 

 

 

 

 

 

『わからない』、という自体の整った文字だけが完全に消しきれていないおびただしい消し跡の上に書かれていた────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「───じゃあ、この辺で」

 

 

 

 

 

 

「うん......蘭とモカのこと頼んだよ?」

 

 

 

 

 

 

「ただ、言い方には気をつけろ」

 

 

 

 

 

 

「......わかってるよ」

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、また明日」

 

 

 

 

 

 

「うん」

 

 

 

 

 

駅前まで3人を見送り、みんなから散々釘を刺された後にまた明日と別れを告げた。一方俺は責任問題として、この両肩に担がれているギターと鞄をあの2人に届けなくてはならなくなった。

 

というより、あの3人はそれぞれ用事があるみたいだし、その上自転車である俺は小回りが利くし、どのみちそうなる運命だったのだろうが。

 

 

 

ペダルを立ち漕ごうと上半身を浮き上がらせる。その時感じた、両肩にのしかかるギターの重みが、自らが犯した罪の重さのようにも思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自転車を駆り出し、颯爽と風を切りながら2人を捜索する。その最中に、先ほど駅までの道中3人で話したことを思い出した。

 

 

やはりみんな同じだった。蘭の背中を押していたはずだったのが、それはただの押し付けで、醜いエゴの塊でしかなかったことが。

 

 

苦しい思いをしていたのは蘭だけで、それを俺たちは見ていただけ。揃いに揃って、蘭だけ変われればそれでいいなんていう利己的で甘い考えをしていた。

 

 

 

 

大事なのは1人だけじゃなくみんなで変わっていくことなのに、それに気づいていたはずなのに、怖気付いて、心の奥底にこっそりしまいこんでいた。それを今になって引っ張り出してくるもんだから、そんな己の都合の良さに自分でもつくづく腹が立つ。

 

 

 

 

 

だが、そうやって自分を咎めているだけでは現状は打破できない。話し合いの末にそう判断した俺達は、変わらなければいけないことから逃げないこと。当たり前のようなことを大げさに言って阿呆らしくも感じるが、これを第1目標として掲げることにした。

 

 

 

 

でも、どうやって変わっていけばいいのか?

 

目標を高々と掲げてから早々に、そんな新たな壁に直面した。まずはそこからだということを、無情にも気づかされた。

 

 

 

 

 

(どうやって変わるか、か)

 

 

 

 

 

単純に見えて難解であるその言葉の意味を熟考していると、周りの風景はいつの間にか、都市部の喧騒から外れたあの見慣れた住宅街へと移り変わっていた。

 

 

 

 

そのことを認知したのと同時に、どこからか声がすることにも気がついた。それは進行方向の先にある、公園からのものだった。

 

 

何事かと気になり、足を地に付けて自転車をゆっくりと押し、歩み寄っていく。そうして距離を縮めていくうちに不鮮明だった声がはっきりと聞こえてきはじめた。

 

 

 

 

 

声は2つあった。

 

 

 

 

「ぁ......」

 

 

 

 

......2つに合わさった泣き声が、夕焼けの空虚な公園に響いていた。

 

 

 

 

 

 

その声の主は、肩を震わせながらベンチに座っている蘭とモカだった。

 

 

 

 

 

「......っ!」

 

 

 

 

 

入り口まで来てそのことにやっと気がついた俺は、泣きじゃくる2人の元に少しでも早く行こうと自転車を乱暴に放棄し、肩の荷物も振り落とされそうなくらい腕を振って、全速力で駆け寄っていった。

 

 

 

 

 

「蘭っ!!モカっ!!」

 

 

 

 

 

 

「......せいくん?」

 

 

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

 

名前を呼ぶや否や、2人は俯いたままだった顔をすぐにあげて反応してくれた。

 

 

 

 

そして、そのどちらともが涙に濡れていた。

 

 

 

 

 

「あーあー、こんなにしやがって......2人とも、ちょっと目瞑ってろ」

 

 

 

 

 

びしょびしょになった顔を元に戻そうとポケットをまさぐってティッシュを取り出し、2人の顔を丁寧に拭いてやった。

 

 

 

 

 

「あははー、せいくんお母さんみたい」

 

 

 

 

 

 

「......どうしてこんなになってんだよ」

 

 

 

 

泣き止んだものの、その目にはまだ潤いを保たせている2人に郗泣のワケを聞いた。

 

 

 

 

 

「いやー?目にゴミが入っちゃってさー。ねー、蘭?」

 

 

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

 

わざとらしく頭をかく仕草をするモカ。それを肯定も否定もせずに沈黙を押し通し続ける蘭に、シラを切る気かと苛立ちを覚えた。

 

 

 

 

 

 

でも......

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────......そう、か」

 

 

 

 

 

互いのすぐ隣ではなくベンチの両端に座り合う2人の距離感を見ていると、先ほどの自分の質問がどれほど野暮だったかを逆に思い知らされた。

 

 

 

 

 

「......ゴミなら、仕方ないよな」

 

 

 

 

 

だからモカの言う通り、“大きなゴミ”のせいにすることにした。

 

 

 

 

 

「そーそー。わかってくれて何より〜」

 

 

 

 

 

 

「ま、俺も『目にゴミが入る』のは嫌だし、その気持ちわかるからな」

 

 

 

 

 

そうやって俺とモカはおあつらえ向きに笑い合った。

 

 

 

 

互いに、己を殺して。

 

 

 

 

 

「......ああそうだ。2人とも、はいコレ」

 

 

 

 

 

しかしさすがに気まずくなってきたので、目的だった荷物の配達を口実に、そのしがらみから抜け出そうとした。

 

 

 

何事もなかったかのようにギターケースと学校の鞄を肩から下ろし、2人に差し出す。それをまずはモカが手に取り、それに続くように蘭も、己の荷物におぼろげに手を伸ばす。

 

 

 

 

 

「ごめんな、蘭」

 

 

 

 

 

そうして荷物を手元へ寄せ終わるのを伺ってから、改めて謝罪をした。

 

 

 

 

 

すると蘭は、か細くこう呟いた。

 

 

 

 

 

「......今日はもう聞き飽きたよ、それ」

 

 

 

 

 

 

「え?」

 

 

 

 

 

加害者にしては失礼だが、まだスタジオで一度しかしていない謝罪を聞き飽きたなんて蘭もおかしなことを言うもんだなと、俺は首を傾げた。

 

 

 

 

その際にふらっと泳いだ視線の端に、とあるものが映っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気まずそうに下を俯いている蘭とは正反対に、曇りがかった秋の夕暮れをぼんやりと物憂げに見上げているモカだった。




いかがだったでしょうか。次回は1月16日の19時30分に投稿予定です。お楽しみに!


最後に一点、お知らせがあります。一応番外編投稿してるんですけど気づいてない方もいるかもしれないので、次からはわかりやすいように同時投稿はやめておくことにしました。本編か番外編どちらを投稿するかはその都度お知らせいたしますので、どうかご了承くださいませ。

ちなみに次回は本編を予定しております!(日程よろしくあくまで予定ですので、急遽変更があるやもしれません)



それではまた次回お会いしましょう。さいなら!


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第3話 醒空

初めに皆さんにお詫び申し上げることがあります。

投稿時間遅れました...すみません。

理由としてはシンプルに諸事情によるものです。次からはもう少し余裕を持てるように心がけていきます。申し訳ありませんでした。



それでは本編、どうぞ!






俺は小学生の頃、クラスメイトから『分からず屋』と呼ばれていた。

 

それは俺が事故に遭って、学校に編入されて間もなかったころのことでもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

教室の隅の方で、1人の少女が体操座りになって泣いていた。体を丸めようと足の前に組まれた手には1枚の紙切れが握られていた。

 

 

 

そしてその少女の友達らしき女子たちがその子を取り囲むように身を屈め、背中をさすりながら慰めの言葉をかけている。そこから数歩離れたところでは何事かとざわめく男子たちが好奇心に身を任せ、目を爛々とさせながらうずくまる少女を見据えていた。

 

 

 

 

 

 

だが、全員が全員そうだったわけではない。

 

 

 

その群がりの中にただ1人だけ、浮かない顔をしている少年がいた。

 

 

そしてそいつは、その時の俺の唯一の友達だった。

 

名前は、荒川環(あらかわ たまき)という。

 

 

 

クラスに留まらず同学年内なら誰とでも仲の良かったそいつは、『たまちゃん』という愛称で呼び親しまれていた。

 

頭脳明晰、運動神経も平均以上で、顔立ちも端正であり人柄も良かったが故に、たまちゃんは須らくみんなの憧れのマトとなっていた。

 

 

そして編入したてで右往左往だった俺もその人柄の良さに救われた内の1人だった。新たな学校、そしてクラスでの自己紹介を終えた後、たまちゃんは真っ先に憂鬱に机に突っ伏している俺のところへ駆け寄り、笑顔で話しかけてくれたのだ。

 

その笑顔のなんと輝かしかったことか。その凡人には到底ありえないであろう気前の良さからか、取り巻きがウヨウヨいるはずの彼の背後には後光が差しているようにも見えた。

 

 

 

 

 

 

 

だがその光輝も、すすり泣く少女を見ていたあの時だけは鳴りを潜めていた。

 

 

 

 

 

「あ、荒川くん。何かあったの?」

 

 

 

 

 

不思議に思った俺はその理由を聞いてみた。

 

みんながたまちゃんとあだ名で呼んでいる中で、まだ友好関係の短かった俺だけは未だに苗字呼びだった。

 

 

 

 

質問する俺に対してたまちゃんは、

 

 

 

 

 

「いや、それがさ......」

 

 

 

 

 

と、らしくなく苦悩の表情で頭をかきながら事の発端を教えてくれた。

 

 

 

たまちゃんが言うには、どうやら自分があの少女からの告白を断ったことが原因らしい。となれば少女が握っているあの紙切れは少女本人が書いた恋文か、それに対するたまちゃんからの苦い返事だろう。

 

 

 

 

 

そうか。だから泣いているのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

......いやちょっと待て。なぜそれだけの理由で『だから』が成り立つのだ?

 

 

たまちゃん側にもなぜ振ったのかちゃんとした理由があるに違いない。そもそもの話、恋談を一方的に持ちかけたのはあの少女の方で振ろうが振らまいがはたまちゃんに委ねられている。それなのに、あんな無責任に泣かれては往生際が悪いにもほどがある。

 

 

 

 

 

「......あのさ」

 

 

 

 

 

そこはかとなく義憤を抱いた俺は、困り果てたたまちゃんを擁護しようとその意地汚い少女に物申してやることにした。

 

 

 

 

 

「ひっぐ......な、何......?」

 

 

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

 

俺の声に反応するように少女がその泣きっ面を上げるのを見て、さらに距離を詰める。

 

 

そして端的に、こう呟いた。

 

 

 

 

 

「いい加減にしろよ、お前」

 

 

 

 

 

 

「......っ!」

 

 

 

 

 

俺の呟きを聞いた少女はその泣き顔を、今度は面食らったような顔へと変化させた。その変わり様が嫌に可笑しく、思わず吹き出しそうになったがそこはグッとこらえた。

 

 

 

とにかくやることやって気分もスッキリしたので、たまちゃんの元へ帰ろうとその場から踵を返して歩みを進めようとした。

 

 

 

 

これでたまちゃんの気分も晴れるはず。心配そうにしてた周りの奴らだって、本当はアイツのことをなんて無責任な...なんて思ってたに違いない。一石二鳥だ。

 

そんな希望を抱きながら。

 

 

 

 

 

 

だが、しかし───......

 

 

 

 

 

「え」

 

 

 

 

 

目線を向けた先に待ち受けていたのは、周囲からの奇異の目だった。

 

 

予想外の展開に、俺は面食らった。それから間もなく、耳をつんざくような声の嵐が後ろから俺を襲った。

 

 

 

 

 

「ちょっと!それはないんじゃないの!?」

 

 

 

 

 

 

「そうよ!この子、泣いてるのに......」

 

 

 

 

 

 

「謝りなさい!謝りなさいよ!!」

 

 

 

 

 

聞こえてきた声は取り巻きの女子達の声で、男子の声は聞こえてこなかった。

 

 

 

“俺には”、聞こえてこなかった。

 

 

 

 

 

「お、お前ら......なんで」

 

 

 

 

 

ぎゃんぎゃんとおらぶ女子たちと打って変わって、男子諸君はコソコソと耳打ちし合っていたのだ。そんな女々しさに、俺は異常に腹が立って仕方がなかった。

 

 

 

 

 

......いいや、こんな奴らに構っていてもただただ労力を無駄に消費するだけだ。きっとこいつらは物事を根本的なところから違うように解釈することしかできない、馬鹿どもなのだ。

 

 

 

 

 

「......くそっ」

 

 

 

 

 

何がともあれ、たまちゃんのところへ戻らなければ。

 

そうやって気を取り直し、今度こそとたまちゃんの方へとフォーカスを当てた。

 

 

 

 

 

「たまちゃ──」

 

 

 

 

 

目の前にいたたまちゃんの名前を呼ぼうとした。だが皮肉にも、俺の声は目の前の本人によって遮られて────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「───そりゃないよせいくん。サイテーだよ」

 

 

 

 

 

おためごかしな嘲笑に、遮られた。

 

 

 

 

 

 

 

 

その時の俺の唯一の友達は、『その時』に友達ではなくなったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それからというものの、リーダー的存在であるたまちゃんに見限られた俺はその評判を学年内に言い広められ、編入早々、白い目に囲まれながら小学校生活を送るハメとなった。

 

最初こそそのことを不満に思ってどうしても納得がいかなかったが、冷静に考えてみればさすがにあの言い方はなかったのかもしれないし、その戒めとしてこうなったのかと思うと、自分のことがすごく情けなく感じた。

 

 

そこからは反省の一方で、周りの環境もあってか自分と十分向き合うこともできた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

......できた、

 

 

 

 

......はずなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──その結果がこれなら、逆に笑えてくるな。はは......」

 

 

 

 

 

蘭とモカの虚ろな背中を見送った後、公園の自販機で買った缶コーヒーを片手に、1人空に向かって乾いた笑みを浮かべた。

 

 

 

ただでさえ懊悩する蘭の、みんなの頭をさらに抱えさせたのは他でもないあの経験を経た自分なのだと。

 

記憶の片隅でずっと俺の名前を呼びかけてくれていたみんなだけは悲しませたくない。そう改心した自分なのだと。

 

 

 

 

 

 

だが今の俺はあの頃となんら変わってない。

 

『分からず屋』のままだ。

 

 

 

 

 

 

なんて学習能力の無さ。これも事故の後遺症なのか?それならあんな事故に遭わなきゃ良かったのに。記憶なんか失わなきゃ良かったのに。そんなたらればを思い浮かべた。

 

 

 

 

というより『俺』という存在は、みんなにとって必要なのだろうか。事故に遭って記憶を失わなければ小学校を編入してまで苦しい思いをせずに済んだし、みんなとも離れることなく過ごせた。その方がみんなを思いやる気持ちも育めただろうし、この状況に陥ることもなかった。

 

 

 

 

 

 

 

俺じゃなく、青藍なら。

 

 

 

 

 

流誠じゃなく、『僕』なら......みんなを幸せにできていたんじゃないのか?

 

 

 

 

 

「はは、は......」

 

 

 

 

 

自分という存在がどれだけちっぽけなのか。どれだけ疫病神なのか。

 

そうやって心に深々と釘を刺していると、

 

 

 

 

 

「───さん?」

 

 

 

 

 

夜に掻き消されそうなほどに小さい囁きが聞こえてきた。

 

 

 

 

微かな手がかり、もとい耳がかりを頼りにその音の出所へと目を向ける。

 

 

 

 

 

「どうしたんです?空なんか眺めて」

 

 

 

 

 

 

「......あ」

 

 

 

 

 

暗くて顔は見えなかったが、代わりに遠くからの街灯の光に反射された眼鏡のレンズが、その人が何者かをその特徴的な口調とともに証明した。

 

 

 

 

 

「師匠......!」

 

 

 

 

 

図々しくもAfterglowのアシスタントをしている俺にとっての『師匠』が......

 

 

 

 

 

「だから大げさですってばー。それにちょっと恥ずかしいですし......フヘヘ」

 

 

 

 

 

大和先輩が、夜影で顔を赤らめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──なるほど。美竹さんの書いた歌詞の意味がいまいち理解できず、その焦燥感からか、きつい言い方をしてしまったと」

 

 

 

 

 

 

「恥ずかしながら。ホント、いい歳した男が何ほざいてんだって話ですよね」

 

 

 

 

 

師匠の確認を聞いて己の愚かさに対して改めてやるせなくなり、どうしようもなく頭を掻いた。

 

 

あの時......いや、あの時以前から蘭のことをもっと気にかけてやれていれば、あんなことにもならなかったはず。

 

 

 

たらればが、再び脳内を蝕み始める。

 

 

 

 

 

「『俺』って、必要なんですかね」

 

 

 

 

 

自分に対する蔑みとは裏腹に、否定してほしいという思いも込められたそれを師匠に聞いてみた。すると師匠は、うーんと唸ってからこう言った。

 

 

 

 

 

「自分に需要があるかどうか、ですか......申し訳ないですけど、それはジブンから......というより他人からははかりかねることです」

 

 

 

 

 

 

「えぇ......」

 

 

 

 

 

どっちつかずな回答に今度は俺が唸る。そんな俺を尻目に、師匠は「ただ」と続けた。

 

 

 

 

 

「別に、わからなくてもいいことだと思うんです」

 

 

 

 

 

 

「え?でも、それじゃあ──」

 

 

 

 

 

 

「Afterglowのみなさんに迷惑をかけると言いたいんでしょう?」

 

 

 

 

 

 

「......っ」

 

 

 

 

 

図星だった。唖然とする俺を見て薄く微笑んだ後、師匠はどこか遠い目をしながらこんなことを語り始めた。

 

 

 

 

 

「実はジブンも、長門さんと似た悩みを抱えていた時期があったんです。ジブンがアイドルだっていうのはご存知ですよね?」

 

 

 

 

 

 

「もちろんです。実際、演奏見ましたし。最初こそアイドルバンドなんてどうせなんて思ってましたけど、良い意味で裏切られましたら。すごくカッコかわいかったです」

 

 

 

 

 

 

「フヘヘ......恐縮です。でも前までは、その『アイドル』というものが何たるかを一生懸命に思い悩んでたんですよね。それも、夜眠れないほどに」

 

 

 

 

 

 

「そっ、そんなことが......」

 

 

 

 

 

初めて聞く師匠の懊悩譚に、俺は驚きの色を隠せなかった。

 

 

 

 

 

「でも、心では隠そうと思っていてもやっぱり顔に出ちゃうんですかね。帰りに学校の正門を出たところでばったり鉢合わせた日菜さんに、あっさり見破られちゃいました」

 

 

 

 

 

 

「ああ......でも、仕方ないですよ。あの人やたらと鋭いですもん」

 

 

 

 

 

苦笑いしながらそう明かした師匠に、俺は共感を抱かざるを得なかった。それは氷川先輩と天文部の活動をしている時、俺が今日はどの星を見たいと思っているのかをいつもあっさり言い当てられてしまうからだった。

 

 

 

あのせせら笑いにはどうにも慣れないが、憎く思ったりしたことは不思議と一度もない。そんなことを本人がこの場にいないことをいいことにお互いにひとしきり笑い合った後、本題に戻った。

 

 

 

 

 

「で、半ばヤケになって打ち明けたんです、アイドルというものがよくわからないと。すると日菜さんからこう言われたんです」

 

 

 

 

 

そこから数秒の間の後、師匠は咳払いをし、人差し指をピンと立てながらこう言った。

 

 

 

 

 

「『今わかんなくたってきっとパスパレにいればそのうちわかるように』......ごほっ」

 

 

 

 

 

 

「し、師匠?」

 

 

 

 

 

言葉の途中で息を詰まらせむせ返る師匠に、心配というより困惑した。

 

 

 

 

なにせ、わざとらしい高音にその直前の咳払

い。

 

 

師匠は氷川先輩の声真似をしようとしていたのだから。

 

 

 

 

 

「ぶっ......はははは!」

 

 

 

 

 

 

「あー失敗してしまった......って、笑わないでくださいよー!ジブンはただその場の臨場感を醸し出したかっただけなんですからー!」

 

 

 

 

 

 

「ふぅ......ふぅ......わかってますよ。フフッ」

 

 

 

 

 

呼吸を落ち着かせ、収集がつかなさそうに顔を歪める師匠をなだめる。まだ完全に落ち着ききってはいないが、後で存分に思い出し笑いするだろうし気に留めないでおこう。

 

 

 

 

 

「オホン......とりあえず話戻しますね。『今わかんなくたってきっとパスパレにいればそのうちわかるようになるんじゃない?』って言われたんです」

 

 

 

 

 

 

「今度は声真似できましたね」

 

 

 

 

 

 

「あー!掘り返さないでくださいよー!」

 

 

 

 

 

俺の悪戯な笑いに師匠は再び頰を赤らめる。

 

 

そして俺も、師匠が何を伝えようとしているのか。

 

それに気づくことができた気がした。

 

 

 

 

 

「要するに、師匠が言われたみたいに俺もAfterglowにいれば蘭の考えていることも歌詞の意味も、いずれわかるようになるってこと。それで......」

 

 

 

 

 

 

 

自分の存在意義が見つけられるようになる。

 

 

 

 

 

「......っていうことですか?」

 

 

 

 

 

 

「はい。遠回しではなく直結に言うとそういうことになりますね」

 

 

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

 

師匠がうんと頷く。俺の推測はどうやら正解だったみたいだ。

 

でもどうだろう。今の俺がみんなと一緒にいても、なんら問題がないと言い切れるのだろうか。その確証はあるのだろうか。

 

 

 

 

ある時忽然と姿を消して、数年経ってからようやく再会を果たし、でも昔とは違って記憶もなく、十分迷惑だというのにそれだけでも飽き足らず、右往左往なままにバンドのアシスタントをしたいなどと身勝手なことを言って、その結果無神経にもただてさえ切羽詰まっている蘭を逆撫でし、今のこの状況にまで追い詰めてしまった......

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でもだからこそ、変わらなければならないのかもしれない。

 

 

Afterglowで。みんなで。

 

 

 

 

 

 

 

今度こそ、これからもずっと、俺たちが俺たちであり続けるためにも。

 

 

 

 

 

 

俺が、『俺』であり続けるためにも────。

 

 

 

 

 

「───そうだろ、みんな」

 

 

 

 

 

 

「長門さん?」

 

 

 

 

 

 

「......ありがとうございました、師匠」

 

 

 

 

 

澄み切った心が温まっていくのを感じ、そうさせてくれた師匠にお礼を告げた。

 

 

 

 

 

「いえいえ。気分、晴れましたか?」

 

 

 

 

 

 

「はい。おかげさまで。本当に改めてありがとうございました」

 

 

 

 

 

重々しく座り込んでいたベンチからすくっと立ち上がり、隣に座って親身になって相談に乗ってくれた師匠の方を向き、感謝の意を込めて深くお辞儀をした。

 

 

 

 

 

「いやいやそんな。ジブンとて、悩める後輩の相談相手になるというただ当たり前のことをしたまでです」

 

 

 

 

 

 

「またそんな......謙虚も慎ましさも過剰すぎたら卑屈に繋がりますよ。師匠ももう少し自分のことを労ってやってください」

 

 

 

 

 

 

「ははは......ご忠告どうもです。あ、それじゃあこれでおあいこですね」

 

 

 

 

 

 

「はは。そうですね」

 

 

 

 

 

公園に再び、夜に溶け込むようなささやかな笑いが生まれた。その時9月らしからぬ冬をも思わせるような肌寒い夜風がよぎったが、そんな風の冷たさに気を取られる暇もなく、俺は吹っ切れたように笑った。

 

 

 

 

 

 

 

ああ、今、どうしようもなくみんなと会いたい。

 

会って、話して、くだらないことで笑って、泣いて、怒って、そしてまた笑って......

 

 

 

 

そんな日々を、変わらない日々を、変えてはいけない日々を、これからもみんなとともに過ごしていきたい。

 

 

 

 

 

「おお!綺麗ですねー、星空!」

 

 

 

 

 

 

「そっすね。ホントに──」

 

 

 

 

 

ふと見上げた都会の街頭からかけ離れた空には、無数の輝きを放つ星たちが煌めいていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

......良い、『ソラモヨウ』だった。




いかがだったでしょうか。次回は今回の反省を踏まえて1月19日の20時30分に投稿を予定しております。内容は本編です。お楽しみに。


白い息の目立つのが当たり前の季節になりました。皆さんどうか風邪にはお気をつけくださいね。


それではまた次回お会いしましょう。さいなら!


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第4話 道導

どうもあるです。

皆さんは休日何されますか?僕はコーヒーすすりながら本読んだりしてます。ゆったりと時間が流れる気がして好きなんですよね。


それでは本編、どうぞ!






「ふいぃ......」

 

 

 

 

 

浴槽に浸かり、体が少し軽くなるのを感じながら大きく息をする。すると、いつもよりも疲れがどっと落ちていく感覚に見舞われた。

 

 

 

 

それから今一度、公園で師匠に教わったことを思い出した。

 

 

 

 

 

「───『いずれわかる』、か」

 

 

 

 

 

小声で復唱し、ふと天井を仰いでみる。そこには先ほど見た星空が重なって見えたような気がした。

 

 

 

 

師匠はあの時、自分と同じように仲間と一緒にいればわからないままだったことも自ずとわかるようになると教えてくれた。日菜さんが言いそうな単純な受け売りだったが、師匠が言うからには間違いないだろう。冷静に考えてみても、たしかに話し合ったりお互いに補いあうことさえもしなければ解決に至ることもないのだろうし。

 

 

 

 

そう。大切なのは一緒にいることではない。一緒にいて、かつ何かしらの行動をしなければ何も始まらない。時が癒してくれるなど甘えていてはいけない。

 

口にこそしなかったが、師匠も日菜さんもおそらくそういう意味合いを含ませたうえでのあの発言だったに違いない。俺の自己解釈に過ぎないが。

 

 

 

 

ただ、いかんせんその行動とやらが思いつかないのだ。今更それを師匠に聞いてみてもああ啖呵切った後だし、そもそも師匠のとはワケが違う。

 

 

 

 

 

「......ん?」

 

 

 

 

 

腕を組み短く唸っていると、風呂場の扉のガラスの向こうに人影が映っているのに気がついた。

 

 

 

 

 

「誰だ」

 

 

 

 

 

 

「あ、せい兄。ちょっといいか」

 

 

 

 

 

人影から間もなく返事が返ってきた。声質的にその正体は塁だということがわかった。

 

 

 

 

 

「塁......お前受験生だろ。兄ちゃんの覗きなんかにうつつ抜かしてる場合じゃねーだろ」

 

 

 

 

 

「誰が覗くかよ!せい兄だっていずれわかるか、なんてカッコつけたこと言ってたくせによ」

 

 

 

 

 

「なんだ聞いてたのか。

ならお前は知りすぎた。死に晒せ」

 

 

 

 

 

「あーもうわかったから......ってうお!?いきなり出てくんなよ!」

 

 

 

 

 

口封じに向かおうと風呂戸を開けると、腰を引かせた長身が目の前に現れた。それを見てさらにむかっ腹が立った。

 

 

 

 

 

「チッ......悪気あんならとりあえずその身長よこせよ。話はそれからだ」

 

 

 

 

 

「よこせねーし話すこともねーよ!てか何回やるんだよこのノリ!......はあ。それより、コレ」

 

 

 

 

 

いつどこで習得したかもわからない怒涛のツッコミの嵐の後に差し出されたのは、等間隔に震えている俺の携帯だった。

 

 

 

 

 

「なんだ、電話きてたのか。はは。疑って悪かったな」

 

 

 

 

 

「ホントだよまったく......じゃあオレ、洗濯モン仕掛けとくから」

 

 

 

 

 

「おっ、気が効くねえ。有能な弟を持って兄さんは幸せだぞー」

 

 

 

 

 

揶揄すると、洗濯物探しに行った塁の喚き声が遠巻きに聞こえてきた。さしずめ恥ずかしさを紛らわすための怒号だろう。まったく、かわいいヤツめ。

 

 

 

 

そんなことを想像し独り笑いを済ませた後、洗面台の淵に置いてあったメガネを掛け直して鮮明になった携帯の画面を見た。

 

 

 

 

 

 

......電話の主は、ともちゃんだった。

 

 

 

 

 

「───っ」

 

 

 

 

 

先ほどのこともあり、余計に緊張したせいか思わず息を詰まらせてしまった。

 

 

そんな若干の後ろめたさはあったもののいつまでも待たせるわけにもいかないので、躊躇する指を無理やり奮い立たせて緑の受話器のボタンを押した。

 

 

 

 

 

「......もしもし」

 

 

 

 

 

唾を飲み込み応答する。脳内に響いてきた自分の声は引きつっていた。その一方で、スピーカーから聞こえてきた声は相変わらず溌剌としていた。

 

 

 

 

 

『よっ、ちょっと話したいことがあってさ。時間空いてるか?』

 

 

 

 

 

 

「......ああ、大丈夫。何?」

 

 

 

 

 

水の滴る頭を拭きながら情けなくも穏便に済ませようと大人しく聞き手になる。するとこんなことを言われた。

 

 

 

 

 

『明日の放課後、屋上に来てくれないか?』

 

 

 

 

 

「......え?」

 

 

 

 

 

 

『話したいことがあってさ』

 

 

 

 

 

藪から棒な提案に、俺の頭が疑問符で埋め尽くされる。

 

 

だがそれもつかの間。俺はその疑問符を今までに起こった出来事と先ほどの提案の起因を結びつけ、無理矢理消し去ってひとつの結論へと変換した。

 

 

 

 

 

「......あ、いや。なんでもない。どうせ蘭のことだろ」

 

 

 

 

 

『え?ああ、そうだけど......』

 

 

 

 

 

なんでわかったんだ?

 

 

口にこそしなかったがそう言いたげな口振りをするともちゃんに一泡吹かせてやった。そもそも、ともちゃんがそう提案することなんて心の底ではわかりきっていたし。

 

 

 

 

 

「へへ。話が早くていいだろ」

 

 

 

 

 

『ははは......そうだな、助かるよ。それじゃあ、詳しいことはまた───』

 

 

 

 

 

「あっ、と、ともちゃんっ」

 

 

 

 

 

そそくさと電話を切ろうと別れの挨拶を告げるともちゃん。俺はそれを引き止めた。

 

 

 

後日と思っていたがこの際だ、どうしても言っておかなければならないことがある。

 

 

 

 

 

「今日のこと、本当に悪かった。抑えられなかったんだ。焦りに焦って、みんなも同じだったはずなのに俺だけ身勝手言って......」

 

 

 

 

 

『......流』

 

 

 

 

 

「あの時の俺、本当にどうかしてた。

デリカシーのデの字も無かったよな」

 

 

 

 

 

電話がともちゃんからのものだとわかった時から再び募り始めていた謝意を吐露する。愚かしさに満ち満ちた、ひとり懊悩する幼馴染すら思いやれないあの言動。その愚業に対する謝意を。

 

 

 

するとともちゃんは長いため息をついて、

 

 

 

 

 

『あのなぁ、流......そういうものは蘭本人に言うべきだぞ。アタシたちに謝ってそれで済ませるつもりか?』

 

 

 

 

 

「ち、違うよ!俺のせいで蘭を傷つけたのには違いない。だけど、みんなにも迷惑かけたのも事実だろ!?」

 

 

 

 

 

謝罪を素直に受け止めてくれないともちゃんに、浅ましくもまたもやいらつきを覚え始める。こんなの責任転嫁も甚だしいぐらいだ。

 

 

 

俺は蘭を傷つけ、その流れでギスギスした空気も生み出し、無罪であるはずのみんなも巻き込んでしまった。ただでさえ曲のことで張り詰め続けていた心をさらに追い詰めてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして何よりも───......

 

 

 

 

 

 

 

「ともちゃんたちと別れた後、蘭とモカを探しに行ったのは知ってるだろ。あいつら、商店街の近くにある“あの公園”のベンチに座っててさ。......泣いてたんだよ、2人揃って」

 

 

 

 

 

 

 

 

『......!そう、だったのか......』

 

 

 

 

 

あの表現のしようがない2人の落涙を招いたのは他でもない自分だと。あの場ですぐ謝ったものの、そのことが今でもどうにも心につっかえたままでげに悪い。ましてや、あの2人以外にも裏では涙を流していたやつがいたなんて事態にでもなっていたらなおさらだ。

 

 

 

 

だから......

 

 

 

 

 

「だから、俺......」

 

 

 

 

 

『そうか。アタシ達のことも気遣って

くれてたんだな。ありがとう』

 

 

 

 

 

「そ、そんなこと......!」

 

 

 

 

 

謙遜のように聞こえるただの事実を述べる。するとともちゃんが俺の言葉を遮るように、「だけど」と続けてこう言った。

 

 

 

 

 

『アタシ達のことは気にするな。こっちだってビビってたせいですぐ追いかけてやることができなかった』

 

 

 

 

 

だから、気にするな。

 

 

不甲斐なさげにそう念押すともちゃんだったが、俺は何も言えずにいた。

 

 

 

 

 

「っ......ともちゃ───、」

 

 

 

 

 

『まあ続きは明日にでもってことで。

それじゃあ、今度こそ......ああそうだ。蘭とまた喧嘩すんなよ?クラス一緒で隣なんだろうけど』

 

 

 

 

 

「わ、わかってるよそんくらい!」

 

 

 

 

 

『はは。それじゃあな』

 

 

 

 

 

「あっ、ちょっ......」

 

 

 

 

 

ようやく口を開きかけるも、またもや強引に遮られてしまった。そしていやに口早に流され、一方的に電話を切られる始末となった。

 

 

 

 

 

「......はあ」

 

 

 

 

 

またひとつため息を吐く。まったく、相も変わらず草舟な自分に心底腹が立つ。のも、今日で何度目だろうか。同じ事をこうも何度も繰り返していると、なんだか感覚が狂ってくる気がしてならない。

 

 

 

 

......気がしてならないといえば、もう一つそんなことがあるのを思い出した。

 

 

 

 

 

「ともちゃん、元気なかったな」

 

 

 

 

 

さきの電話。携帯から流れ出るともちゃんの声色からは、なぜか不甲斐なさのようなものも感じられた。ただ、それは内面的な話であって、表面上ではあのお馴染みの背中押されるような声だったのだ。

 

 

 

 

俺はその当てつけな声の違和感を、たまたま見抜けただけであって。

 

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

 

その声の理由を。真意を。

 

その時の俺が理解するには、まだ思考が安定していなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だいぶ遅れた......ともちゃん、もう来てるかな」

 

 

 

 

 

 

 

えらく長引いていた終礼もようやく終わり、解放された俺は、すぐさま屋上への階段へと駆け足で向かっていた。

 

 

運良く今日は部活も無い。にもかかわらず、俺の心はあまり浮かない気持ちでいた。

 

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

 

階段を駆け上がりながら、今日の出来事を振り返る。昨日予想していた通り隣にいる蘭との気まずさが否めなかった。脳内で楔のように絡み付いて、とても印象に残っている。終礼が長引いていたのも、実はそこから生じた憂鬱さによる錯覚だったのかもしれない。授業も同様だった。

 

 

 

 

それもこれも全て、俺の自業自得なのだが。

 

 

 

 

 

「───ぁ」

 

 

 

 

 

神妙な面持ちで扉を開けると、燃えるような赤髪をたなびかせながら鉄柵に体を預ける人影が見えた。

 

 

 

 

 

「......ともちゃん。やっぱり先に来てたのか」

 

 

 

 

 

「おう。正確にはお前が遅いんだけどな」

 

 

 

 

 

「“終礼が長かった”んだよ、ごめん」

 

 

 

 

 

俺のここ最近で随分と手慣れてしまった言動に、ともちゃんからは微笑み返されるだけだった。

 

 

 

 

 

 

───静寂が、訪れる。

 

 

 

 

 

「「......」」

 

 

 

 

 

しばらくの間そのまどろむ波に身を委ねていると、突如として夏の熱気の残った生温い風が2人の間を縫うように吹き抜けていった。

 

 

 

 

 

それに急かされるかのように、ともちゃんが静寂を切り裂いて、こう叫んだ。

 

 

 

 

 

「ゴメン、流っ!!」

 

 

 

 

 

「うおっ。ビックリした......」

 

 

 

 

 

唐突の謝罪とがむしゃらな大声に思わず身を震わせる。だが驚いたのもつかの間、すぐにひとつの疑問へと変わっていった。

 

 

 

 

 

「な、なんだよ、急に謝ったりなんかして」

 

 

 

 

 

謝るべきなのは俺であるのに。そんなニュアンスも含めて眉を下げたままのともちゃんに聞いてみた。

 

 

 

 

 

一呼吸置いたあと、こう答えられた。

 

 

 

 

 

「怖いんだ、アタシ......今のアタシ達は、同じ空が見れてるのかって。蘭も、みんなも、夕焼けが好きなのかって......」

 

 

 

 

 

「......!」

 

 

 

 

 

ともちゃんの口から放たれたのは、彼女自身のこの先のことへの懸念だった。

 

 

 

 

 

「このまま何もかも変わっちゃったら、って」

 

 

 

 

 

「ともちゃんっ......」

 

 

 

 

 

ついには涙ぐんでしまったともちゃんを落ち着かせようと手を差し出す。だが、感情の吐露はその勢いを増していくばかりだった。

 

 

 

 

 

「あの時だってそうだ。変わるのが怖い。そんなことで頭いっぱいになってたせいで蘭の後を追うことができなかったんだ。ホント自己中だよな。一番悩んで苦しんでるのは、アイツだってのに......だから......だから、ゴメンっ......」

 

 

 

 

 

歯噛むともちゃんに対して、俺は何も言うことができなかった。意を決して己の弱さを曝け出してくれたともちゃんに対して、言葉の意味とは裏腹にさらに傷口を抉り取ってしまうやもしれない慰言など、とても言えなかった。

 

 

 

そうやって俺もともちゃんと同じように下を俯いていると、ともちゃんのほうから先に顔を上げ、夕日を向いてこう言った。

 

 

 

 

 

「そういやまだお前には話してなかったな。......Afterglowがどうやって結成されたのか」

 

 

 

 

 

「......ぇ?」

 

 

 

 

 

辛うじて声を出すことができた。しかし予想外、そして唐突の発言に、反射的に発せたに過ぎなかった。言わば、喘ぎに似たようなものか。

 

 

 

喘ぎを尻目に、ともちゃんはこう続けた。

 

 

 

 

 

「Afterglowがアタシたちがまだ中2の頃に結成されたのはこの前話したよな?」

 

 

 

 

 

質問に対して俺は記憶を確かめた後、静かに頷いた。思い出したのは屋上でみんなと再会した時のことだった。

 

 

 

 

 

「でもどうして急にそんなこと......」

 

 

 

 

 

そんな純粋な疑問にともちゃんは無理もないと言わんばかりに、自らの頭を掻いた。

 

 

 

 

 

「......実はな、その理由の中に流も関係してる部分があるんだよ」

 

 

 

 

 

 

「え......なんで、俺が────」

 

 

 

 

 

ともちゃんから告げられた事実に、俺はまた疑問を抱きかけた。だがこれもまた、瞬時に行われた記憶の連想により、彼方へと消え去っていった。

 

 

 

ようやく理解できた。こんな簡単なこと、今まで気づけなかったのが不思議なほどだ。

 

 

 

 

 

「まさか......っ」

 

 

 

 

 

「始まりはつぐの一言だったのも知ってるだろ?でもそれはクラスも自分だけ別々になって、流のことでまだ落ち込んでたのにさらに気落ちした蘭のことを励まそうと、バンドをやろうって言ったことだったんだ───」

 

 

 

 

 

「......それが俺の、俺たちの居場所の誕生秘話だったってワケか」

 

 

 

 

 

「そうだ。いつまでも、どこにいても、いつも通りで居られるように、ってな」

 

 

 

 

 

いつも通り。

 

 

そう語るともちゃんの目は、ここではない、遠い彼方を見据えていたような気がした。

 

 

 

 

 

「そしてある日お前が帰ってきた。断然男らしくなって、背も大きくなって。......ホントお前、変わり果てたよ」

 

 

 

 

 

「ともちゃん......?」

 

 

 

 

 

「ああ、変わってたんだ......アタシとは違って心が強く、変化を恐れないお前は、立派になってた。よく泣きベソかいてた昔とは大違いだ」

 

 

 

 

 

懐かしむともちゃんの姿からは、成長していく我が子を見守る母親のような温かなものが見受けられた。

 

 

 

 

だがそんな喜びとは裏腹に、移り変わる我が子の姿......そこから成る未知への恐れも同時に存在していたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

でも......───ああ、そうか。

 

 

 

 

 

“だからあんなに”、怯えてたんだ。

 

 

 

 

 

「────......」

 

 

 

 

 

しばらくして、ともちゃんがまた何かを言いかける。

 

 

 

 

 

「なあ、流。お前は────」

 

 

 

 

 

 

「......ってない」

 

 

 

 

 

「え......?」

 

 

 

 

 

だから、今度はこちらからともちゃんの発言を遮ってやった。

 

 

 

ともちゃんからどう言われるか、何を聞かれるか、どれほど心配されているかなんてとうに知れていたから。

 

 

 

 

 

「変わってないよ、俺は。今も昔も」

 

 

 

 

 

「......!」

 

 

 

 

 

「ともちゃんの言う通り、性格も顔つきもほとんど変わっちゃったよ。みんなと一緒に成長できなかったよ。......身長は伸び悩んでるけどな」

 

 

 

 

 

冗談を交えながら、言葉を続ける。思いの丈を述べる。

 

 

 

 

 

「でも夕焼けは好きだ。大好きだ。大切だ。たとえ時がどれだけ流れようと、ちっちゃいころからそこは変わんないよ」

 

 

 

 

 

俺がまだ『僕』だったころ。みんなと見たあの夕焼け、交わした約束、繋いだ手───。それらがあったから、ずっと心に大切にしまっていたから、過去と現在の渦中に閉じ込められていた俺の心の支えとなり、それを乗り越えることができたから、今の俺がいる。

 

 

 

 

 

「流......!」

 

 

 

 

 

「当たり前だろそんなこと。心配しなくても、俺たちはいつまでもいつも通りのままいられるんだよ」

 

 

 

 

 

そうして一歩、心に張り付いた氷を溶かすべくともちゃんのほうへとそっと歩み寄る。

 

 

 

 

 

「───『変わらない』ために、『変わる』んだよ。んでもって、俺たちは『変われる』んだよ」

 

 

 

 

 

「────っ」

 

 

 

 

 

ただまっすぐにともちゃんを見据え、真実を指し示す。心の濁りを吐き出させる。

 

 

 

 

 

 

 

今度は俺が、みんなを導いてやる。

 

 

 

 

 

「......なんて、抽象的にも程があるよな。思ってたのと違ってたらごめ───」

 

 

 

 

 

いかにもな根性論だったが、やはりあまり論理性が感じられず我ながら少し説得力に欠けていたので、予防線を張ろうとした。

 

 

 

その最後の『ん』の言葉は、『ンッ!?』という嗚咽へとすり替わった。

 

 

 

 

 

「ゲッホッ、ゴホッ......」

 

 

 

 

 

突然の衝撃に思わずむせかえる。。そうして激しく躍動する俺の背中には、ともちゃんの手が添えられていた。

 

どうやら俺は、背中を叩かれたらしい。

 

 

 

 

 

「ともちゃ......っいきなり何すん───」

 

 

 

 

 

恨めしげにその違和感の先を睨む。そこにいた手の主は痛がる俺などいざ知らず、俯いたまま静かに微笑んでいた。

 

 

 

 

その微笑みを崩さないまま、ともちゃんは俺のほうを見てこう言った。

 

 

 

 

 

「やっぱそうだよな......“ソレ”しか無いよな。ありがとな、流。おかげでスッキリした」

 

 

 

 

 

唐突の礼に俺は困惑を隠せなかった。

 

 

 

 

 

「いまいちわかんなかったんだな、アタシ。変わらないために変わるってなんだって。でも、これではっきりした」

 

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

 

目の前に映るともちゃんの笑顔は、ほんの数日の間だったのにすごく久しぶりに見たような気がした。

 

 

 

 

 

「わかんなくてもやってみなくちゃな。それがアタシたちのためだっていうなら!」

 

 

 

 

 

「......うん」

 

 

 

 

 

でもよかった。新たな決意を表明したともちゃんを見て、俺は安堵した。こうして友を救えたことに対して。そして、友の道しるべとなれたことに対して。

 

 

 

 

......だが、これで終わりではない。

 

 

 

 

 

まだ、終われない。

 

 

 

 

 

「そうと決まれば、みんなを呼ばないと......」

 

 

 

 

 

「あ、ああ......そのことなんだけどさ......」

 

 

 

 

 

妙に渋るともちゃん。そこで俺はあからさまに眉をしかめてみせた。

 

 

それをまあまあと制するかのように、ともちゃんがスカートのポケットから携帯を取り出して、こちらに差し出してきた。

 

 

 

 

 

 

 

「携帯が何だって───って、これ......!」

 

 

 

 

 

最初こそその意味がわからなかった。だが、そんな疑念にもそこに映し出された『見慣れた光景』を見れば、自ずと察しがついた。

 

 

 

 

 

───いや、確信づいた。

 

 

 

 

 

「......こりゃ、余計な心配だったか」

 

 

 

 

 

「へへっ、『話が早くていいだろ?』」

 

 

 

 

 

それから数秒後だった。

 

 

 

 

 

重い扉の音とともに随分と聞き慣れた喧騒が雪崩れ込んできたのは。

 

 

 

 

 

「よっ、遅かったな。───みんな」

 

 

 

 

 

自分が知り得ていた未来がたった今目の前で起きたともちゃんはどこか満足げに、携帯を持ったままの腕を少々混乱気味の乱入者達に向けて掲げてみせた。

 

 

そこには『緊急事態!みんな屋上に集合!』というメッセージとそれに対する返信が表示されていて......

 

 

 

 

 

 

 

 

「───巴!連絡、見たよ。どうしたの?」

 

 

 

 

 

 

 

ともちゃんの言う、“みんな”。そのうちの1人にはもちろん、蘭も含まれていたのだった。




いかがだったでしょうか。次回は1月22日の20時30分に投稿予定です。お楽しみに。

明日からまた平日です。憂鬱だとは思いますが、ともに一週間乗り切っていきましょう!


ではまた次回お会いしましょう。さいなら!


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第5話 眺和

どうもあるです。


新イベ始まりましたね。いやーチャイナは素晴らしいですね!(何がは言いませんけど)


それでは本編、どうぞ!







「巴!連絡、見たよ。どうしたの?......あっ」

 

 

 

 

 

「......っ」

 

 

 

 

 

一際目立つ声を発する蘭のほうに、一同は一斉に目を向けた。その際俺と蘭は目と目が合ってしまい、そして即座にその目を伏せた。

 

 

 

 

 

「あ、あの...」

 

 

 

 

 

張り詰めた空気に尻込みしながら、つぐちゃんが俺たちにか細く呟く。

 

 

 

 

 

「緊急事態なんだよね?何か大事な用事でもあるの?」

 

 

 

 

 

「「うぐっ......」」

 

 

 

 

 

純粋な眼差しに、今度は俺とともちゃんが尻込みさせられた。

 

なにせ緊急事態はまったくの嘘。こんなことなら、応急処置でもいいから何か言い訳を作っておくべきだった。正直言ってものすごく心が痛む。

 

 

 

 

 

「そ、それだよつぐっ!私も心配してて......何があったの!?」

 

 

 

 

 

「ぐ───っっ......ああ、もう!ともちゃん!」

 

 

 

 

 

続くひーちゃんからも質問責めされ、とうとう耐えかねた俺は発案者であるともちゃんに責任の有無を問いかけた。

 

 

 

 

 

「言い出しっぺともちゃんだろ......!?なんとか言ってくれよ......!」

 

 

 

 

 

「ええ......んなこと言われても......」

 

 

 

 

 

「そっちが勝手に呼んだんだから言い訳のひとつやふたつくらい事前に考えといてくれよ......!」

 

 

 

 

 

「わ、忘れてたんだよ、うっかり......つかお前も最終的には賛同しただろ!これ自体お前のためを思ってやったことなんだし、一緒に考えてくれよ......!」

 

 

 

 

 

「あぁあ......?なんでそうなるんだよ......!そもそも余計なお世話だっての......!」

 

 

 

 

 

意地汚くもひそひそと互いの責任をなすりつけ合う。客観的に見れば、肩を組みながら屋上の隅の方で繰り広げるそれは、さながら悪巧みをする悪党のような怪しい光景なのだろう。

 

 

そんな中、ずっとだんまりだったモカが悪党どもに向けて重い口を開いた。

 

 

 

 

 

「......はあ。仲直りしたかったんでしょー?」

 

 

 

 

 

「「───え」」

 

 

 

 

 

いつもの調子で、それでいて少し呆れた様子で見事に的を射た発言をするモカに、俺たち悪党は目を丸くしてモカのほうへと向き直る。

 

 

 

 

それから互いに、泳ぐ視線でしばらく見つめあってから───、

 

 

 

 

 

「あ、あはは......」

 

 

 

 

 

「バレちまったな......」

 

 

 

 

 

悪事を見抜かれ緊張感がほぐれたせたいか、へらへらと力無く笑い合った。さすが、いつも俺たちを『見て』いるだけはある。

 

 

 

 

 

「モカちゃんをナメないでほしいですな〜、

他人の心情を読み取るのは得意だもん。というか、かなり顔に出てたからねー?」

 

 

 

 

 

「「......」」

 

 

 

 

モカから告げられた自分でも気付けなかった新事実に、俺とともちゃんはその顔をさらにはにかませた。自分的にはポーカーフェイスを意識していたつもりだったのだが。

 

 

 

 

 

「なーんだ、そういうことだったの?もー、心配して損したじゃん!」

 

 

 

 

 

「うん、でもよかった。大事じゃなくて......」

 

 

 

 

 

 

 

モカによって真実を知り、身内の安否を確認できたひーちゃんとつぐちゃんは、ほっとため息をついてそっと胸を撫で下ろした。

 

 

 

しかしこうも己の内を看破されると全て見透かされてるような気がしてならない。そんな恐怖心からか、いつしか俺の口角が先ほどよりも異質に吊り上がっていることに気がついた。隣にいるともちゃんも俺と同様、苦笑い染みた気持ち紛れの笑みを浮かべている。

 

 

 

でもよかった。形としては最悪に等しいが、みんなが事情を理解することはできたみたいだ。それならモーマンタイ、案ずることはないというわけで────......

 

 

 

 

 

 

────いや、まだ1名。

 

 

 

 

 

1名だけ、未だに納得できていない様子の者がいる。

 

 

 

 

 

「ちょ、ちょっと待ってよ」

 

 

 

 

 

飲み込みが悪いのか。はたまた自覚しているうえであえてそう言っているのか。

 

 

懸命にただ一人状況を把握しようと目を白黒させていたのは、あの蘭だった。

 

 

 

 

 

「えー?蘭、これでもわかんないのー?」

 

 

 

 

 

「いや違うから。気づいてるけど、その...」

 

 

 

 

 

茶化すモカをたしなめた後、蘭は妙に言葉をつぐんだ。そして───、

 

 

 

 

 

「──仲直りって、この前のこと......?」

 

 

 

 

 

瞬間、辺りの空気が張り詰めるのを感じた。

 

 

どうやら“後者”で間違いなさそうだ。

 

 

期待にも恐怖にも似た感情をもって、蘭は俺一直線にその緋色の眼差しを向けてきた。

 

 

 

 

そうだ。この前の、ライブハウスでの一件。

俺の節操の無い罵詈雑言が蘭を襲ったあの日のこと。思い出したくもない、目背けたくなるどころか耳も塞ぎたくなる一幕。

 

 

 

しかしそれでいて、他でもなくそのことが理由で、俺はここに来たのだ。

 

 

 

 

 

「あ、ああ」

 

 

 

 

 

鈍い輪郭をもった視線が重々しく体を貫く感覚を感じながら、きまり悪い返事を返す。すると蘭はまさかと肩をすくめた。

 

 

 

 

 

「ら、蘭ちゃん!」

 

 

 

 

 

気が立った様子の蘭を落ち着かせようとつぐちゃんがなだめに入る。だが効果はいまひとつのようだった。

 

 

 

 

 

「なんていうかその、蘭とか、みんなにも話したいことがあって。けど、どうしたらみんなに集まってもらえるかわかんなくてさ......」

 

 

 

 

 

「......そう。だから“あんな”ウソついたんだ」

 

 

 

 

 

つぐちゃんの決死の消化活動に背中押されたのか、ともちゃんが弁明という形で蘭の鎮静に助太刀に入る。そんなともちゃんに見ているこっちもどこか決起づけられるような気がした。元はと言えばこれはともちゃんから一方的におくりつけられた、ありがたよりのありがた迷惑なのだが。

 

 

 

だが、被害者と加害者が相対するこの状況。そのうちの後者である俺からすれば、今はまさに針のむしろである。

 

 

確かに俺は謝りたいと宣言した。そんな身で言うのもなんだが、正直今すぐにでも逃げだしたい。

 

 

 

 

 

 

......でも、だからこそ。

 

 

 

 

 

「────」

 

 

 

 

 

だからこそ、目の前のかけがえのない幼馴染に対して精一杯の謝意を、自らの犯した過ちへの贖いを告げるべきなのだろう。それは人としてというより、もっと深い意味を伴ったうえでのことで────。

 

 

 

 

 

 

 

 

『もう逃げない』。

 

 

 

 

 

そう、静かに燃ゆる信念とともに固く決意した、“あの日”の蘭に応えるため。

 

 

 

 

 

「あの、さ」

 

 

 

 

 

緊張のせいですっかり砂漠化した喉から生じた俺の声が、いつもよりもやけに広く感じる屋上に辛うじて響き渡る。

 

 

 

 

......今、伝えなくては。

 

 

 

 

 

「蘭、まず言わせてくれ。この前は──」

 

 

 

 

 

不安を振り切って、面と面向かう。

 

 

 

 

 

蘭。そして、己の罪と向き合う。

 

 

 

この前はごめん。

 

 

 

 

ただそれだけの、当たり前のことを伝えるために、俺は頭を下げかけた。

 

 

 

 

 

 

その時だった。

 

 

 

 

 

「ごめ──」

 

 

 

 

 

「ごめん...っ」

 

 

 

 

 

「......は?」

 

 

 

 

 

突如として俺のよりも先に聞こえてきた謝罪の声に、はて、と耳を疑った。

 

 

 

寸前まで下げかけた頭を今一度、おずおずと上げてみせる。

 

 

 

 

 

「──ぇ」

 

 

 

 

 

そして、その視線の先で見た光景に、俺は思わず息を詰まらせた。

 

 

 

 

浅く、それでいて自省の念を感じさせられるほどに硬く頭を下げた蘭の予想外の行動に。

 

 

 

 

 

「おい......なんで、お前が謝って──」

 

 

 

 

 

「あんたがそうであるみたいにあたしにも言いたいことがあるの。こっちもあの時、また急に大声出して出てっちゃったから......」

 

 

 

 

 

あまりにも予想外だったため、思わず引きつったような半笑いが滲み出た。そんな抑制のための嘲笑にも似た笑みを浮かべながら、未だ頭を下げ続ける蘭を止めようとしたが、蘭は依然として、その姿勢を崩ずに淡々と語り始めた。

 

 

 

 

 

「あの時あたしが飛び出していったのは、怖かったから。今まで共感できてたはずの歌詞が、ある日突然そうならなくなって。みんなのことが、わからなくなって──」

 

 

 

 

 

不安で、寂しくて......なんでわかってもらえないのか、わからなかったから。

 

 

 

 

だから、また『逃げた』。

 

 

 

 

震える手を握り締めながらそう語られる言葉に、俺は前までの蘭が照らし合わさって見えたような気がしてならなかった。

 

 

 

 

 

そして、そうさせるまでに蘭を追い詰めてしまったのは他でもない俺であることも、重ねて認識することができた。

 

 

 

 

 

......加害者は被害者でもあり、被害者は加害者でもあった。

 

 

 

 

 

 

どちらともが互いの心を、“言刃”で傷つけ合っていたのだ。

 

 

 

 

 

「だからごめん......あたし、何も見えてなかった。見ようともしてなかった」

 

 

 

 

 

伏し目がちに告白する蘭。その声が痛々しいほどに俺の心に突き刺さる。まるで自ら率先してほ責任を被ろうとする偽善者のようだ。

 

 

 

でも実際、その謙遜は溢れんばかりの善意と謝意で満ちていた。そんなことは、この場にいる蘭本人以外の全員知っていた。

 

 

 

 

 

 

───だから、無意味だった。

 

 

 

 

 

「違う......本当に悪いのは俺のほうだ。ただでさえ歌詞のことで手一杯だった、そんな蘭のはち切れそうな思いすら汲み取ってやれなかったんだから」

 

 

 

 

 

俺も負けじと、蘭の傷心に鋭利すぎるほどの言刃を容赦なく突き立てたあの日の自分を振り返る。

 

 

 

あの時も蘭は、先ほど言っていたような心持ちでいた。そこに水を差すように放たれた、あまりにも無神経な焦燥の怒号。結果的に蘭の苦悩を助長させ、挙げ句の果てには周りをも巻き込み、自らの首を締めるだけとなったそれを戒めとして脳髄にまで叩き込んだ。ゆえに俺は、蘭の懺悔に嬉々として首を横に振った。

 

 

 

しかし蘭も蘭で聞き分けが悪いのか、俺の意思を尊重しようとはしてくれなくて。

 

 

 

 

 

 

......いや、違う。よく見ると蘭は俺の発言を聞いて少々気圧されていた。

 

 

 

 

 

だがそれは、蘭がそうした理由の3割にも満たないように思われた。

 

 

 

 

 

「──......ああ、もう!焦れってぇな!」

 

 

 

 

 

なにせ蘭は俺にではなく突如として大声を上げ頭をかくともちゃんのほうへと、その驚きの顔を向けていたのだから。

 

 

 

 

 

「と、巴?何、急に......」

 

 

 

 

 

「みっともないぞ2人とも!いつまでもねちねちと自分が悪いだの何だの言い合って!」

 

 

 

 

 

発言の意図が読み取れず、その対象である俺と蘭は2人揃って首を傾げるほかなかった。すると今度はその意味不明な猛りの矛先が、俺に向かって一点集中された。

 

 

 

 

 

「特に流!まさかお前、わざわざあたしがこうしてやった理由を忘れたわけじゃねえだろうな!?」

 

 

 

 

 

「え......だから、それは──」

 

 

 

 

 

なぜこのような場を設けたのか。

 

 

 

 

その『理由』とは一体、何なのか。

 

 

 

 

 

 

間髪なく迫るともちゃんからの質問に、俺は反射的に「仲直り」と答えそうになった。

 

 

 

 

 

 

 

──そして思い留まり、思い出した。

 

 

 

 

 

「あ」

 

 

 

 

 

すっかり頭から抜けきっていた『理由』にはっと目を覚まし、間の抜けた声を漏らす。

 

 

そうだ。まだ自分とは向き合っていても、蘭やみんなとはちゃんと向き合っていないじゃないか。

 

 

 

 

 

一緒に、今まで何を思って過ごしてきたか、これからどうしていきたいのかなど話し合うと決めていたことを、すっかり忘れていた。

 

 

 

 

 

「はあ......頼むぜ、まったく」

 

 

 

 

 

「うおっ。あはは、ごめんて」

 

 

 

 

 

ともちゃん緊張で震え続けていた俺の肩にやれやれと粗暴に手を置いた。その感触はやがて温もりとなり、俺の体を取り巻いていた震えもいつの間にか消え去って、強張った表情もだいぶ朗らかになっていた。

 

 

 

 

 

 

 

...うん。もう大丈夫。

 

 

 

 

 

「ありがとう、ともちゃん」

 

 

 

 

一言お礼を述べると、ともちゃんはただ静かに、ぐっと親指を立てるだけだった。

 

 

 

すると先ほどまで黙ったままだったひーちゃんが、いきなり俺達の目の前にずんと立ちはだかってきた。

 

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

 

「な、何だよひーちゃん」

 

 

 

 

 

「おいひまり?なんか、顔怖えぞ?」

 

 

 

 

 

頬を膨らませながらじっとこちらを見つめるひーちゃんに尻込みしながら、2人でその理由を聞く。するとこう答えられた。

 

 

 

 

 

「そういえば2人とも......なにか忘れてない?」

 

 

 

 

 

「「え?」」

 

 

 

 

 

その答えに、先ほどモカに看破された時と同じように俺とともちゃんで顔を見合わせる。

 

 

ひーちゃんには悪いが、まったくもって心当たりがない。強いて言うなら、今までえいえいおーを一緒にやってやらなかったことか......

 

 

 

 

そうやって首を傾げたままでは、もちろんのことだがひーちゃんの気は済まされず──。

 

 

 

 

 

「もーっ!私達を心配させたことだよっ!」

 

 

 

 

 

「「...あ」」

 

 

 

 

 

ぷりぷりと怒るひーちゃんに、俺とともちゃんは寝耳に水だった。

 

 

 

 

 

「親友を騙しただけじゃなく、そのことすら忘れちゃうなんて......」

 

 

 

 

 

「あ、はは......ごめん」

 

 

 

 

 

「ああ......アタシも、ゴメン......」

 

 

 

 

 

続けざまにひーちゃんから告げられる傷口に塩を塗るような小言に、2人してやれやれと頭を抱える。

 

 

 

 

 

そんな中、何者かからこんなことが提案された。

 

 

 

 

 

「じゃあさー、せいくん家で反省会含めて作詞会とかすればいいんじゃなーい?」

 

 

 

 

 

「───は?」

 

 

 

 

 

藪から棒な発言に思わず声を漏らす。それに重なるように、周囲もまた、その声のほうに注意を払う。

 

 

 

 

 

そんな情報処理の追いついていない聴衆の中でたった1人、にへらと不敵な笑みを浮かべる者がいた。

 

 

 

マイペースの代名詞、モカだ。

 

 

 

 

 

「でも、迷惑にならないかな」

 

 

 

 

 

「だいじょーぶだいじょーぶ。こんなに優しいせいくんの家族なんだし、そのくらい許してくれるでしょー。それにせいくんにとっても償いにはもってこいだと思うよー?」

 

 

 

 

 

怪訝そうにモカの提案に懸念するつぐちゃんだったが、道理にかなってそうで実際にはあまり確証のないモカからの返答に、思わず同調する結果となった。

 

 

 

 

そしてそれは、他のみんなも同じだった。

 

 

 

 

 

「へえ、悪くないね」

 

 

 

 

 

「流誠ん家、か......なんか楽しみー!」

 

 

 

 

 

「ははは!いいな、それ」

 

 

 

 

 

「でも、迷惑にならないかな......」

 

 

 

 

 

「心配ご無用だって〜」

 

 

 

 

 

「ちょ......みんなぁ!」

 

 

 

 

 

 

 

流水が如く進んでいく話の流れを止めようと異議を申し立てる。ともちゃんに至っては同罪なハズなのに、他人事な態度をとっているし。

 

しかしそんな異議申し立てもむなしく、、女子高生特有の協調性によって話が盛り上がってしまえば、そこに付け入る隙なんて......ましてや男である俺は、拒否権などとうに剥奪されたも同然だった。

 

 

 

そしてそれは、幼馴染であるが故の団結力が裏目に出た瞬間でもあった。

 

 

 

 

 

「......あーもうわかったよ。それで許されるなら」

 

 

 

 

 

自分の今の立場を見極めて諦めがついて、大人しく白旗を振った。

 

 

 

 

そして当然、そのような情け無い姿を見せてしまっては。

 

 

 

 

 

「──ふふっ......」

 

 

 

 

 

誰かに小馬鹿に、鼻で笑われたりするものだ。

 

 

 

 

 

「あ、おい!今誰か笑ったろ!」

 

 

 

 

 

流石に頭にきたので、俺も負けじとその犯人を炙り出そうと慣れない怒鳴り声を迫真的に発してみた。するとモカがとっさに、とある方向へと目線をそらしてみせた。

 

 

 

 

その視線の行方を追ってみる。するとそこには、口に手を当てて懸命に笑いをこらえようとする蘭の姿があった。

 

 

 

 

 

「らーんー?」

 

 

 

 

 

「ちょ、ちょっとモカ......せっかく堪えてるのにバラさないでよ......ふふっ......!」

 

 

 

 

 

「あー!また笑ったなぁ!?何がそんなにおかしいんだよ!」

 

 

 

 

 

嘲笑う表情の蘭に、何に対して抱腹しているのか問い詰めてみた。それから一呼吸置いたあと、こう答えられた。

 

 

 

 

 

「いやだって......流誠がなんか一方的に色んなこと押し付けられてるみたいで、それがなんだかおかしくって......」

 

 

 

 

 

「はあ......?何だよ、それ」

 

 

 

 

 

理由を聞いたものの、それがどうにも理にかなっていないような気がした俺は肩をすくめた。

 

 

 

 

 

「他人の不幸を笑うなよな!」

 

 

 

 

 

「──あっははは!」

 

 

 

 

 

不幸だなんて実際にはまんざらでもないようなことを口走ると、今度は蘭とはまた別の豪快な笑い声が聞こえてきた。

 

 

 

 

 

「と、ともちゃんまで......」

 

 

 

 

 

「あははは......いやーゴメンゴメン。流誠ばかり責められてるからなんか悪いなーって」

 

 

 

 

 

「それこそ理由になってねえだろ!」

 

 

 

 

 

「それが面白いんだよ!ははは!」

 

 

 

 

 

「くっ......」

 

 

 

 

 

的確なツッコミに、ともちゃんはまた笑い転た。それに釣られるかのように、ひーちゃんなどもけらけらと笑い始める。

 

 

 

 

 

「俺だけ悪者扱いかよ!」

 

 

 

 

 

「ま、まあまあ......落ち着いて......ふふ」

 

 

 

 

 

「つぐちゃんも人のこと言えてねーよ!あーもう、勘弁してくれよ......」

 

 

 

 

 

どうにも収集が付かなくなり、頭を抱える。

こうなってしまっては手に負えない。

 

 

 

 

 

まったく、薄情な奴らだ。幼馴染が困り果てる様子を見てそれを面白おかしく笑うのだから、もはや悪魔染みている。

 

 

 

 

 

 

......でも、まあ。

 

 

 

これでまた、俺達の『いつも通り』を守っていけるのなら。

 

 

 

かけがえのない親友達とのかけがえのない日々を過ごしていけるのなら。

 

 

 

 

 

「──ふっ......」

 

 

 

 

 

俺もそいつらと一緒に笑ってやるのが、世の常というものだろう。

 

 

 

 

 

「あ、せいくんも自分で笑ってんじゃーん。

とうとう自虐の道に走りましたかー」

 

 

 

 

 

流石は観察力が高いのか、モカが顔を伏せて吹き出す俺の異変にいち早く気づき、からかうように言及してきた。

 

 

 

 

 

「あっ、ホントだ!なんだー、まんざらでも無さそうじゃーん!」

 

 

 

 

 

「みたいだな」

 

 

 

 

 

屋上に高らかに響くモカの声は須らく皆の耳にも届き、話題の矛先が俺に対してより一層向けられることとなった。

 

 

 

 

 

「まあ、いつまでもぷんすかしてるワケにもいかないからな。ならいっそのこと笑ってやろうと思っただけだよ」

 

 

 

 

 

俺自身半ばヤケで吹き出していたので、ここは大人しく白状することにした。正直言うと、俺も自らの置かれている立場の理不尽さに自分でも笑いがくつくつも込み上げてきていたところだったし、機会としてはちょうど良かった。

 

 

 

 

 

 

 

「ははは......にしてもバカだったな、俺。ホントごめんな、蘭。あんなこと言って」

 

 

 

 

 

 

 

勢いに任せた俺は次に、蘭に向けて改めて謝罪した。しかし、今度のそれは大してかしこまっていなかった。

 

それはまるで、街中を練り歩く通行人とうっかりぶつかってしまった際にとっさに出る、相手への思いやりによる本心からの端的な言葉のような。

 

 

 

 

そんな、たった一言の『ごめんなさい』。

 

 

 

 

ただそれだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

......そう。

 

 

 

 

 

俺たちに必要な言葉は、本当にそれだけだったんだ。

 

 

 

 

 

 

のだが......

 

 

 

 

 

「......ん?」

 

 

 

 

 

今まで心を塞ぎ込んでいたような、そんな淀みがすっと抜けきっていくのを感じながら微笑していると、何やら物音がするのが聞こえてきた。

 

 

 

それはまるで、歯車と歯車の間に何か挟まった時に生じる歯切れの悪い雑音のようなもので───。

 

 

 

 

 

 

その物音は『生きていた』。

 

 

 

物音の出所は、蘭だった。

 

 

 

 

 

「ん......あ、ええと......その」

 

 

 

 

 

「蘭?」

 

 

 

 

 

きしきしと軋む歯車のように言葉を詰まらせる蘭を見て、どうしたのかと俺は眉をひそめた。

 

 

 

 

 

「腹でも痛めたか?大丈夫か?」

 

 

 

 

 

「いや、違うから!そんなんじゃなくて」

 

 

 

 

 

念のため腹痛の容疑をかけてみたが物の数秒でぴしゃりとはねのけられた。

 

 

 

すると今度は蘭の後ろから何者かの手がいきなり伸びてきた。それから蘭の肩をガッと掴むと、その持ち主がぬっと顔を覗かせてきた。

 

 

 

 

 

 

 

───長身の上に乗っかったともちゃんの呆れ顔は、俺に向けられていた。

 

 

 

 

 

「おい流。あまり蘭のことからかってやるなよ?」

 

 

 

 

 

「え?からかって?いや、俺はそんなつもりじゃ──」

 

 

 

 

 

「急にまた謝られてビビったんだろ」

 

 

 

 

 

とんだ疑いをかけられたものだと嬉々として首を振ったが、そんな俺にともちゃんは目もくれず、今度はその目と晴れやかな笑顔を蘭へと向けていた。

 

 

 

 

 

「はぁ!?そ、それも違う、し......」

 

 

 

 

 

隣に輝く笑顔とは正反対に、蘭の顔には焦燥感のようにも倦怠感のようにも似たしかめっ面が浮かんでいた。

 

 

 

 

 

「ていうか巴、くっつかないで......暑い......」

 

 

 

 

 

「あ、悪い悪い」

 

 

 

 

 

と、蘭がここで先ほどから自らの顔に張り付いたままのともちゃんの笑顔をぐいっと押しのけた。その蘭の額には汗、はたまた冷や汗のような水滴がつうっと滴っていた。

 

 

 

 

その一瞬の隙を、モカが見逃すわけがなかった。

 

 

 

 

 

「おや〜?蘭ちゃん、言い逃れする気ー?」

 

 

 

 

 

「は......?」

 

 

 

 

 

「あわわわ......」

 

 

 

 

 

蘭の勇み良い態度に空気がピリつく。それをいち早く察知したつぐちゃんがまたもや仲裁に入ろうとする。

 

 

 

 

その一方でモカは少しの物怖じもせず、勇敢にも茶々を入れ続けた。

 

 

 

 

 

「とは言っても顔は正直なんだなー。ほら、おでこが冷や汗でたらたらり〜ん」

 

 

 

 

 

「いや、ホントに暑いんだって......」

 

 

 

 

 

そう言うと蘭は、すでに開けた制服の第1ボタンのさらに下にある第2ボタンをおぼつかない手取りで外してみせた。よく見てみると、その純白のワイシャツにはおびただしいまでの汗によるシミができていた。よもやここまでとは。

 

 

 

 

 

「お前、本当に汗っかきだな」

 

 

 

 

 

「アウトドア派のあんたにはあたしの苦しみはわかんないだろうね」

 

 

 

 

 

「ああそうだな。裏を返せば、お前はそのせいで体力テストが絶望的な結果で終わったんだがな」

 

 

 

 

 

腕を組み敵対の意図を強める蘭に皮肉るが、まったくおっしゃる通りだった。いつもグラウンドを元気に走り回ってる俺からすれば汗をかくことなんて日常茶飯事だし、大してそれが苦じゃなかったからだ。

 

 

 

 

 

「あれはたまたま調子が悪かっただけで......」

 

 

 

 

 

歯向かう蘭の抵抗は思っていたよりも弱々しいものであった。あまり張り合いが無かったために俺は肩を落とす。

 

 

 

 

するとここで突然、ひーちゃんの横槍が入ってきた。

 

 

 

 

 

「もう2人とも!いい加減にしなさいっ!」

 

 

 

 

 

「ひーちゃん?」

 

 

 

 

 

「え、またいきなり......」

 

 

 

 

 

「いつまでもケンカしないでって言ってるのーっ!」

 

 

 

 

 

耳をつんざくような声が頭蓋を揺らす。思わず耳を塞いだ手を元に戻し、物憂げにひーちゃんを睨む。

 

 

 

 

 

「あーもうわかってるって!叫ぶな!俺たちもつんぼじゃあるまいし!」

 

 

 

 

 

「あんたも大概だよ......響くからやめて」

 

 

 

 

 

「お前も何か言ってやっても──んぐ!?」

 

 

 

 

 

「っ!?」

 

 

 

 

 

中立的でどっちつかずな蘭に嫌気がさしたのでがみつこうとした次の瞬間、ガッと強く頭を掴まれる感覚に襲われた。それは蘭も同じだった。

 

 

 

 

可動域が固定された首は動かせない。なので代わりに眼球を動かし、この忌まわしき手の持ち主を視界に収めようと試みる。

 

 

 

 

 

 

揺れる視界──その先に映ったもの。

 

 

 

 

それは、そよ吹く風にたなびく紅色の長髪だった。

 

 

 

 

 

「ちょっ、巴!いきなり何すんの!」

 

 

 

 

 

「だから焦れったいっつってんだろ!

いつまで傍観させるつもりだお前ら!」

 

 

 

 

 

「だからって俺までわし掴みにするのは話が違うだろ!ちゃんと謝ったんだし!」

 

 

 

 

 

「両方が両方認めて謝んなきゃ。......んん!意味無いだろ?」

 

 

 

 

 

「「うっ......!!」」

 

 

 

 

 

「巴ちゃん!?それはやりすぎだって!」

 

 

 

 

 

「ナイス巴〜!」

 

 

 

 

 

さらなる衝撃に息を詰まらせ、態勢が崩れないように衝撃から反対方向へと体を仰け反らせる。

 

 

しばらくすると、頭に取り付いていた枷が外された。ようやく勝ち得た自由に呼吸を取り戻し、体も元の姿勢に戻す。

 

 

 

 

 

......そうしてようやく、その吹き返した息がかかるか否かと言えるくらい蘭との距離が詰められていたことに気がついた。

 

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

 

「ほら、謝る時は相手の目を見ろよ」

 

 

 

 

 

「わかってるよ、子供じゃあるまいし......」

 

 

 

 

 

恥じらう蘭を冗談っぽく気にかけるも、まるで気が立った猫のように爪を立てられるだけだった。そもそも、今のこの立ち位置自体間違ってるような気がする。おかげでこのありさまだし。かと言う俺も、割と精神がキツイところまできているのだが。

 

 

 

 

なので一歩引いてから、こう告げた。

 

 

 

 

 

「改めに改めを重ねて......蘭、この前は本当に悪かった」

 

 

 

 

 

擦り減った精神を奮い立たせ本日、いや、ここ最近何度目かの謝罪をおくる。数え切れないほど謝ってきたので、それに伴って言動にも少しは磨きがかかっているだろうと思っていたがその逆だった。

 

 

 

これよりひとつ前の謝罪もそうだったが、やはりフランクなほうが俺的にも性に合う。もちろんTPOは弁えるが。

 

 

 

 

 

「俺が悪かったのは蘭の気持ちを全然理解できていなかったことだ。そのせいで蘭を追い詰めて、他のみんなも巻き込んだ。......だから、みんなにも謝っておきたい」

 

 

 

 

 

たじろぐ蘭から4人のほうへと顔と体を向ける。そして俺は浅く礼をした。

 

 

 

 

 

「ほんと、ごめん」

 

 

 

 

 

「おけまる〜」

 

 

 

 

 

「反省したならヨシ!」

 

 

 

 

 

「気にしないで!」

 

 

 

 

 

「うん、アタシも大丈夫だ」

 

 

 

 

 

とりどりの反応に肩の重荷が少し軽くなったような気がしながら、もう一度蘭へと向き直る。しかしそこには、先ほどまでの慌てふためく蘭の姿は無かった。

 

 

 

 

 

「終わった?」

 

 

 

 

 

「ああ、終わった」

 

 

 

 

 

「......そ。なら──」

 

 

 

 

 

蘭は俺の頷きを見ると俺がそうしたように頷き返し、目を瞑った。そして少しの静寂の後に蘭の口が開かれた。

 

 

 

 

 

「あたしもゴメン。逃げないって決めたのに

また逃げ出しちゃった。自分だけが先に変わっていたことに気づいて、不安になって。......それで逃げた。というか、それなら前と同じだし、変わってないっちゃ変わってないのかも」

 

 

 

 

 

そう言い切る蘭の瞳には、静かに揺らめく炎のような決意が宿っているようにも見えた。

 

 

 

 

 

「通りで歌詞もわかんないわけだよね。同じ世界を見ていたわけじゃないのに、あたしはそのことに気づけなかった。みんなを置いてけぼりにしたままで......」

 

 

 

 

 

ふいに吹いた木枯らしにさらされただけでも消えてしまいそうな火種。次第にそれは風前の灯火から大きな豪炎へとなって────。

 

 

 

 

 

「──だから、ついてきてよ。もうあたしが不安がって逃げないように、ちゃんとあたしの後をついてきて。あたしの背中を......見失わないで」

 

 

 

 

 

その『炎』を、蘭は俺たちに示してくれた。

 

 

 

俺達に『変わらないために変わっていく』ことの大切さを教えてくれた。

 

 

 

 

 

「蘭ちゃん......!」

 

 

 

 

 

「わがままっぽく聞こえるのはわかってる。あたしがみんなについてきてって一方的に言ってるワケだし、どうするかはみんなが決めていい」

 

 

 

 

 

蘭の言う通り俺達がどうしたかろうと勝手である。選択権は俺達に委ねられているのだから、それを願い下げしたって別に構わない。

 

 

 

 

 

それこそ俺たちは願い下げだが。

 

 

 

 

 

「決めていいって......ずいぶんと裏腹だな」

 

 

 

 

 

「そんなにかしこまらなくていいよ、蘭ちゃん!」

 

 

 

 

 

「ついていかないワケないだろ?」

 

 

 

 

 

「うん、それにわがままなんかじゃないよ!

私たちだって蘭の背中追いかけたいから!」

 

 

 

 

 

「......そうだね〜」

 

 

 

 

 

もうこれ以上、この『差』を開けたくない、これからはもうお互いを見失いたくない、それはもう蘭一人のわがままなどではなく皆それぞれの同一の願いなのだ。

 

 

 

 

だから、わがままだなんて言わないでくれ。

 

 

 

 

 

「みんな......!」

 

 

 

 

 

蘭が感極まったように俺たちを一人ひとり一瞥する。それはまるで、何か欠落があるかどうかの確認作業のようだった。しかし確認しているのは蘭自身のほうだった。

 

 

本当に良いのか、こんな私についてきてくれるのか。そんな謙遜を以ってして、こちらに視線を注いでいる。そういうところが俺たちがついていこうと思った理由のうちの一つなのだが。

 

 

 

 

 

「......うっ」

 

 

 

 

 

和んだ空気の中、つぐちゃんが目を強くつむりながら小さく唸り声をあげた。

 

 

 

 

 

「つぐ、どうした?具合でも悪いか?」

 

 

 

 

 

「ううん平気。心配してくれてありがとう」

 

 

 

 

 

「そうか、なら良かった。じゃあさっきのは?」

 

 

 

 

 

ともちゃんの問いかけに、つぐちゃんはとある方向へと指を差して応えてみせた。

 

 

 

真っ直ぐ指された方へと視線を移す。そこには、ビルの地平線にその体を半分沈み込ませたまばゆい夕日が悠然とした様子で居た。

 

オレンジ色の光がビルをもとに世界を包み込んでいく。沈みかけてるせいで一段と輝きの増したそれに、つぐちゃんと同じように俺たちも驚愕の意を示した。

 

 

 

 

 

「まぶし......」

 

 

 

 

 

「うん。でも、すごくキレイ......」

 

 

 

 

 

「ああ。こりゃ格別だな」

 

 

 

 

 

驚きのあまり連続して瞼でシャッターを切るのも束の間、今度はその優美さに感嘆の声を漏らした。

 

 

オレンジの空の海、揺蕩う大小様々な雲船。いつも見るものとはちょっと違うような、そこまで大きな違いは無いけれど、どこか特別感のある光景には少しロマンチストではあるが運命さえも感じさせられる。

 

 

 

 

 

 

でもそれは、俺たちが『Afterglow』だからなのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

Afterglow......“夕焼け”という意味の英単語の名付けられたこのバンドには、まだ数ヶ月しか経ってないが色んなことを教えてもらった。そして俺が居なかった間も、こいつらのかけがえのない居場所として支えとなってくれていた。そしてそれはきっと、これからもだ。

 

 

 

 

 

「───変わらないために、変わるんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

「......え?」

 

 

 

 

 

囁くように耳元に聞こえてきた声が気になったので、その出所へと視線を流した。するとその先には、夕日とは真反対の方向へ向き直っている蘭がいた。

 

 

 

 

 

「変わるってことは正直怖いよ。でもそうでもしなきゃこれから先、みんなと一緒に居られなくなるような気もするんだ」

 

 

 

 

 

打ち明かされたジレンマには共感せざるを得なかった。だが実際には、そのことには自分でもすでに気づいていたのかもしれない。

 

 

事故に遭って、記憶を失って、『俺』は生まれた。そうして右往左往としているなかで、その砕けたはずの記憶が断片的にだが徐々に蘇り始めた。

 

 

 

胸に残る、家族同然の存在との温かい記憶。未だに残ったままだった繋いだ手の感触を何度も噛み締めながらおくる日々。

 

 

 

幾度も焦がれた。またみんなとくだらないことで盛り上がって、しょうもないことで喧嘩して、そしてまた笑い合って。そんな日常を再びともに過ごしていきたいと、強く願い続けていた。

 

 

 

しかし、そんななかだったのかもしれない。俺の変化に対する微々たる懸念が育っていったのは。

 

もし会えたとしても、変わり果てた俺を見て絶句しないだろうか。あの弱っちい少年から随分と見違えた変貌っぷりに、戸惑いはしないだろうか。

 

 

 

 

そんな小心を引きずってきたから、本来なら可視できていたはずの蘭の変わりゆく姿からも目を背けて、無意識のうちに自らは変わろうとしないようにしていたのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

でも、違った。本当に大切なのは変わることだった。そしてそれは世間一般に聞くただの変化じゃない。

 

 

 

 

『変わらないための変化』。それが今の俺達がすべき、第一優先事項だ。

 

 

 

蘭の見据える夕影と一対をなす紺碧の空を俺も望みながら、そう思った。

 

 

 

 

 

 

 

そんな夜の気配をうっすらと感じていると、つぐちゃんが一歩前に踏み出した。

 

 

 

 

 

「うん。蘭ちゃんの言う通りだよ。私たち、変わらなきゃ......!」

 

 

 

 

 

「つぐみ......」

 

 

 

 

 

上空に横たわる空模様はさることながら、つぐちゃんの先ほどの引け腰な態度とは対照的な変貌ぶりは一目瞭然って感じで、つぐちゃんらしさに溢れていた。彼女は今まさに“ツグってる”。

 

 

 

 

 

「さっすがつぐ〜!ツグってるぅ!」

 

 

 

 

 

「ひ、ひまりちゃん、茶化さないでよ〜!」

 

 

 

 

 

「おいひまり。つぐをあまりイジってやるなって」

 

 

 

 

 

冷静に、かつ温厚な態度で嗜めるともちゃんにひーちゃんは「えへへ、ゴメン」と反省の意を示した。一応謝ったもののあまり謝意の感じられない謝り方だったためか、ともちゃんはやれやれと肩をすくめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

......と、ここでとあることに気がついた。

 

 

 

何かが足りない、と。

 

 

 

 

 

いつも見る光景のはずなのだ。みんなの為にと必死になるつぐちゃんを見て、それを労う代わりに誰かが揶揄して、それをまたともちゃんが注意する。これがいつもの一連の流れだ。

 

 

 

そしてその“誰か”に当てはまる大体がひーちゃんかモカであって───。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

......モカ。

 

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

 

ふいに後ろを振り向いてみる。いない。限りない違和感に耐えきれず、あのへらへらとした態度を求めて辺りを見回す。どうして今回は黙っているのか、その理由を探るべくモカの方へと視線を送る。

 

 

 

 

そして、見つけた。その距離はなぜか少しだけ、それでもやけに離れているようにも見えた。

 

 

 

 

 

 

紺碧に背を向けて消えゆく夕焼けをただ一人だけ見つめている、モカの姿が。

 

 

 

 

 

「も、モカ」

 

 

 

 

 

思わず名前を呼んだ。あまりにも遠い場所にあるような気がして、そんなことはありえないはずなのに、ただひたすらにその背中へとおもむろに手を伸ばしかけた。

 

 

 

そのままお前は、一体どこへ────。

 

 

 

 

 

「......んー?どしたの、せいくん」

 

 

 

 

 

「......へ?」

 

 

 

 

 

「いやー、モカちゃんのこと呼んだでしょ?あっ、まさか寂しくなったとか〜?」

 

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

 

俺の呼びかけに応えるかのように急にこちらへと向き直ったモカは、いつも通り変わりばえの無いモカだった。

 

 

 

俺が手を伸ばして掴もうとしたのは、あたかも他人をからかうかのように怪しげな笑みを浮かべながら、調子づいた言葉を淡々と連ねるあの饒舌なモカだった。

 

 

 

 

 

どうやら杞憂だったみたいだ。

 

 

 

 

 

「おーい、黙ってないでなんか言ってよー」

 

 

 

 

 

「うるせえ」

 

 

 

 

 

「え〜?そっけないなぁ」

 

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

 

夕影に黄昏れるあのモカの物寂しげな背中は俺の思い過ごしだったのだろうか。今のコイツの態度からすれば、そうとしか言いようがなかった。というか実際そうに違いないのかもしれない。

 

黙ってこちらに背を向けていたのもきっと夕焼けのあまりの優美さに見惚れてしまっていたのだろうし、その背中が意味深に感じられたのも夕日に照らされて影がかかっていたからで......なんだ、至極単純な話じゃないか。つまり俺は一人芝居をしていただけだったということか。ああ、馬鹿馬鹿しい。

 

 

 

 

 

そうして俺はやめだやめだ、と無駄骨だったと言わんばかりに蘭たちのほうへと向き直った。そこに今度はモカもどことなく着いてきた。

 

 

 

 

 

「お、流。戻ってきたか。何してたんだ?」

 

 

 

 

 

「コイツが何してんのか気になって離れてただけだよ」

 

 

 

 

 

「モカか。一人で何してたんだ?」

 

 

 

 

 

「夕焼けが綺麗だな〜と。写真も撮っちゃったよー」

 

 

 

 

 

「じゃじゃーん」と見せられた携帯の画面には、確かに夕焼けの写真が写っていた。なぜか妙にブレていた。

 

 

 

 

 

「夕焼けか。確かに今日のはスゴいなー。......いや。今日だけじゃなくて、実際にはいつもそうだったのかもな」

 

 

 

 

 

そう言うとともちゃんは夕焼けの方へと目を細めてみせた。すると紺碧から、「いや、違う」と悟ったように異を唱える声が聞こえてきた。

 

 

 

 

 

「雲の流れと一緒に空模様も変わる。いつもまったく同じ景色が見れるってわけじゃないんだ。当たり前なことなんだろうけど、あたしも前まではそんな巴みたいなことを思ってた」

 

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

 

「でも違った。そんなに甘くはなかった。今のあたし達と同じで、この空も変わることからは逃げられないんだ」

 

 

 

 

 

どんなにしがみつこうとも、時は流れてゆく。それに連れて周囲もめくるめく移り変わっていき、その『空模様』を変えていく。

 

 

 

まったく無慈悲なものだ。俺たちの思いは置き去りにろくな覚悟もできないままに色んな景色が目の前を通り過ぎていくのだから。そして、時にはその過程で何か大切なものをも忘れ去ってしまう。

 

 

 

 

でもそれはいつまでも意固地になってその場に立ち止まってばかりいたからだった。その忘れ去った大切なものとやらも、淡々と秒針を刻む時と共に歩みを進めていた。置いていかれていたのは俺たちのほうだったのだ。

 

 

 

 

ならば、進まねばなるまい。変わらなければなるまい。その『忘れ去った』大切なものを取り戻すためにも、俺たちが“いつも通り”であるためにも────。

 

 

 

 

 

 

 

 

だから。

 

 

 

 

 

「......だから変わろう。あたしたちがいつも通りであるために、どんな『空模様』も大切にしていこう」

 

 

 

 

 

改まった蘭の宣誓が心髄に染み渡る。決して破られることのない、忘れられることのない約束の楔として魂に打ち付けられる。

 

 

 

それに呼応するかのように俺達もまた、沈黙の中で再び意を決したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

......この先の『空模様』がどうなるかなんて誰にもわからない。晴れたり、曇ったり、頰を撫でるようなにわか雨から鈍器のような豪雨まで、どんな姿をして俺達の目の前に現れるかなんて。それが怖くないのかと聞かれても否定できる自信がない。

 

 

 

でも、みんなとならきっと乗り越えられる。そこに根拠なんてものは必要ない。必要なのは、お互いの変わろうという意思のみ。

 

 

 

 

 

であれば、それはもはや杞憂。臆することなど何も無い。

 

 

 

 

 

そう思うと、なんだか心が洗われるような感じがした。もみくちゃに洗われて漂白されたまっさらな心。この心をどう色付かせていくかは俺達次第。

 

 

なら、思いっきり汚していこう。汚して、反省して、また洗っての繰り返し。そんなくだらない遠回りを、これからもみんなと続けていきたい。

 

 

 

 

 

この空が果てしなく、永遠と続いていくように、ずっと、ずっと───......




いかがだったでしょうか。次回は1月26日の20時30分に投稿予定です。お楽しみに!


今回は珍しく話が長続きしましたね。ちなみにこのくらいの量がこの先数話続くので、どうかお付き合い願います。


最後に、おかげさまでお気に入り者数35人いきました!ありがとうございます!!これからも精進していきますので、応援のほど、よろしくお願いします!!



それではまた次回お会いしましょう。さいなら!


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第6話 背中

どうもあるです。眠いのでこのくらいにしておきます。




それでは本編、どうぞ。






鮮やかなオレンジ色の縁に彩られた雲の隙間から漏れる夕日の光が、嫌というほどに顔を照りつける。にしてはなんだか肌寒いように感じられるのは、刻一刻と迫る秋の気配のせいなのだろうか。

 

 

 

 

 

そうして俺は、今にもビル群に飲み込まれそうな夕日によって黄昏色に染められた廊下を歩きながら図書室から借りてきたとある本をぼんやりと静観した。

 

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

 

プリントされたでかでかとしたタイトルと、デフォルメの著しいキャラクターが描かれている表紙が目立つこの小説───通称、“ライトノベル”。

 

 

最近になってからあこ繋がりで、ようやく親睦の深まってきた白金先輩。ガルパメンバーの中でもあまり関わりの無かった彼女がおずおずとしながらもオススメしてきた、言わばお近づきの印のようなこの本は、先輩から聞いた話や図書室にある『今イチオシの一冊コーナー』に置かれていたのを見たところ、どうやらかなりのシリーズ物で巷でも話題の作品らしい。

 

しかし俺の性格上、こういったキラキラ(?)したジャンルの本を読むことにはかなり抵抗がある。

 

 

読書自体は好きだ。しかしその読むほとんどが、名の知れた文豪の書いたような硬派な作品ばかりなのだ。このようなストーリーがご都合主義めいてそうなものが本屋の店頭に並んでいたとしても、普段の俺ならまず手に取ることすらしない。

 

 

故に俺は、こうして目の前にある見出しページすら開いていない本の表紙を見ただけで、もう眉をひそめている。

 

 

 

 

 

「うーん......どこで読もうか」

 

 

 

 

 

おちゃらけた表紙とのにらめっこにもいい加減うんざりしてきたので、次にこの小説をどこで読むかを顎に手を当ててひとりブツブツ呟きながら考え始めた。

 

 

これはあくまでも俺個人の意見なのだが、読書場所の決定は読書をするうえでかなり重要な作業だと思う。例えば家で読めば......俺の場合孤児院になるが、家族の暖かい空気の中での読書が可能となるし、カフェや公園といった場所では人のざわめきや環境音の中で、ある程度の緊張感を持って読書に集中できる。

 

 

 

その時の気分で、その時の自分に合った場所を選び、好きな環境で好きな本を読む。俺はそうして初めて、ストレスフリーに本の世界へとのめり込むことができる。だからこうして場所選びを真剣に、なおかつ慎重におこなっているのだ。

 

 

 

 

......まあ、今回に限っては好きでもなんでもない、もう少し口悪く言うと嫌い寄りの、近代の若者に媚びへつらったようなあまり気の向かないジャンルの小説なのだが。

 

 

 

 

 

しかし、物は試しという言葉通り食わず嫌いしていても仕方がないのかもしれない。何よりこんな態度ばかりとっていては、大の人見知りである白金先輩のあの勇気ある行動も、骨折り損のくたびれ儲けという体で終わってしまう。それは流石に申し訳ないし、そんなことがあろうものなら彼女の一番の親友であるあこが黙っちゃいないだろう。歳こそ俺と1歳しか離れていないが、精神的にはまだ幼ないであろうあの子が怒れば色々と面倒になりかねない。

 

 

 

 

 

「......よし、ウチで読むか」

 

 

 

 

 

白金先輩の目尻を下げてがっかりする顔とあこの頬を膨らませてガミガミ怒鳴り散らす姿を思い浮かべ、それを楔に意を決した。この憂鬱な心だけは少しでも紛らわしておかないと気がすまないため、俺は孤児院での読書を選択した。

 

 

 

見知った光景、そして見知った人に囲まれながらの環境なら、ラノベにしろ堅っ苦しい教則本にしろ、どんなに苦手な本でも流れで一通り読めることだろう。

 

 

 

 

 

そんな希望的観測で自己暗示をかけつつ、置いてきた荷物を取りに行くべく教室へと向かう。放課後とはいえ終礼が終わってからまだそんなに経っていないし、鍵もかかっていないはずだ。

 

 

 

急ぎ足で黄昏の廊下を駆け抜ける。だがその時、俺はまだろくに長い距離を走っていないにも関わらず、すでに胸の内で心臓の鼓動を跳ね上がらせていたのだった。

 

 

 

 

そしてその理由は、至極単純なものだった。

 

 

 

 

 

(......何から話そうかな)

 

 

 

 

 

窓の縁を境に点滅する陽光に目を細める。その狭間で揺蕩うすじ状の雲を視線で撫でながら、孤児院で俺の帰りを心待ちにしているであろう家族の姿を思い浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

......そう。今日は待ちに待った、みんなに俺の自慢の家族を紹介できる日なのだ。

 

 

 

 

上手く予定が噛み合わずにずっと保留のままとなっていたが、この前の屋上の件で今日みんなと孤児院に泊まりがけで一緒に反省会兼作詞会を開くこととなったので、その過程でようやく念願が果たされるのだ。初めこそ宿主役を無理やり押し付けられる感じがしてそこはかとなく不服に感じていたものの、考えてみればメリットのほうが大きい。とんだ僥倖だ。

 

 

みんなにもっと今の俺を知ってもらうためのまたとないチャンス。もちろん作詞なども大切だが、せっかくの機会だし交流を深めてもらいたいところだ。では、そのためには一体何をすればいいだろう。

 

 

 

 

 

凌太が色々と多種多芸なので、そのお披露目会みたいな催しでもしたらいいかもしれない。それならみんな楽しめるだろうし、ちょうどいいだろう。本人のやるかやらないかの意思は申し訳ないが英断させてもらおう。......ああ、凌太の鬼の形相が眼に浮かぶな。

 

 

 

それか伽恋の画力を用いて、5人それぞれの似顔絵......いや、肖像画でも描いてもらったりしてみても面白いかも。伽恋は口数こそ少ない引っ込み思案なやつだが、そのプロ顔負けの美術センスから生まれる作品は、口ほどに物を言うという言葉通りその作品を見た者の舌を巻かせるほどのものだ。9歳であのレベルなのだから、今後が楽しみで仕方がない。

 

 

 

あとは適当にお笑い役として、塁に出し物でもさせておこうか。それ以外のやつらにも何かしてもらいたいところだが......ふふ。

 

 

 

 

 

 

そうして色々な期待に胸を膨らませながら足を進めていると、目の前にはいつのまにか教室が見えていた。

 

 

 

 

 

「お、ラッキー」

 

 

 

 

 

ドアを横に動かして鍵の開閉の確認をする。どうやら“当たり”のようだった。

 

 

 

 

 

「んー......あれ?」

 

 

 

 

 

急ぐ足取りはそのままに中へ進み、入室一番にご機嫌伺いがてら周囲をぐるりと見わたす。しかしそこに予想していた光景は広がっておらず、教室の隅や教壇、各所に点在しているはずの人の姿は猫の子一匹として見当たらなかった。

 

 

 

 

 

「みんな帰るの早いな。まあでも今日はどこの部活も休みだし、明日から土日なんだから当然か」

 

 

 

 

 

どうにも見慣れない物寂しい雰囲気の教室に尻込みした気持ちを奮い立たせ、完全下校までには帰らねばと目的である荷物のほうへと足を急がせる。

 

 

 

共学生になったせいか少し小さめの教室の中の随分と間隔の狭い机と机の間を、慣れた身振りで潜り抜けていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───そして、その先で俺はまたひとつ、別の『違和感』を見つけた。

 

 

 

 

 

「......ん、何だアレ」

 

 

 

 

 

まずはじめに、荷物に釘付けになっていた視界の端に何やら文字の書かれた紙切れのようなものがうっすら映り込んだことに気がついた。次に視界の真ん中にそれが来るように机の隙間に縮こめた態勢を今一度整えると、その紙切れの正体が無防備に開かれたノートであることがわかった。

 

 

 

 

 

そしてそのノートが置かれている机は、俺の席の隣に位置していた。

 

 

 

 

 

その位置関係やノートに書かれた文字の字体から、ノートの持ち主は蘭であることがわかった。

 

 

 

 

 

......でもなぜ今、この時間帯にこんな物が?

 

 

 

もし他の人が俺と同じ立場にいるとして、そのうえで目の前の光景を目撃したとすると、おそらくこのような純粋な疑問が思い浮かびあがるだろう。そしてそこから皆揃って行き着くのは、ただの忘れ物という結論である。

 

 

 

 

 

 

 

 

......ああ、そしてもうひとつ。

 

 

 

 

 

 

今度は少し、黒い疑問。

 

 

 

 

 

 

 

 

───何が書かれているのかということ。

 

 

 

 

 

「ちょっとくらい見ても......」

 

 

 

 

 

何がとは言わないが悩みに悩んだ挙句、俺はもしかするとこの“忘れ物”に手がかりがあるのではないかとふんで、おもむろに蘭の机へと向かった。

 

 

 

......ああ、わかってる。これはれっきとしたプライバシーの侵害である。でも仕方のないことなのだ。これは中身が気になるからなんていう私情ではなく、なぜいつもならたむろしているはずの生徒達が今日は教室にいないのか、その理由が隠されているかもしれないもいう合理的判断である。まあぶっちゃけその可能性は低いような気もするし、教室にいない理由も思い当たりが過ぎる節が一つだけあるが、決して建前なんかではない......うん。大丈夫大丈夫。

 

 

そう心に言い聞かせて隠しきれない本心から背徳感を薄めたのち、若干引き気味だったノートとの距離を縮めていく。するとピントの合っていなかった文字が、次第にその形を成していく。意識が自然とその言葉の意味を理解しようと集中していくのを感じる。

 

 

 

 

 

 

机にそっと手を付き、至近距離で文字の羅列を黙読する。その言葉を目で頬張り、脳で咀嚼し、意味を吸収しようとした────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───そう。しようとしたのだ。

 

 

 

 

 

だが。

 

 

 

 

 

「──は」

 

 

 

 

 

文字をなぞっている目が内容の理解に努力しようと、白黒と瞬きを繰り返す。

 

 

だが、結果は同じ。理解ったのは、文字の羅列が経緯線で区切られた白紙に横たわっているという事実だけだった。なので今度は声に出しながら、文字を読み起こしてみた。

 

 

 

 

 

「──『この思い 声を枯らして叫ぶ ここが私の居場所(ステージ)』......『冷たい金網に絡まる紅い感情の渦』......」

 

 

 

 

 

悪く言えば意味不明、さらに悪く言えば奇々怪界......いや、流石にそれは言い過ぎか。

 

 

 

 

それでもそう見合った表現を探し当てようとするほどに、俺にはこの蘭の文章がえらく痛々しく見えた。

 

 

 

 

 

 

 

......まったくもって、意味がわからない。

 

 

 

声に出しても、その言葉の骨の随までしゃぶりつくしても、何度視界をリセットしても。

 

 

 

 

理解できない。目の前の白地に三々五々並べられている文字の羅列、その深奥に在るはずの意味を掴み取ることができない。

 

 

 

 

 

 

 

 

───でも。

 

 

 

 

 

「『届くことのない叫び(思い)が黄昏の空に消えていく』......『冷たいコンクリート 打ち付けるパトス』───......」

 

 

 

 

 

言っておくが、『痛々しい』というのは中二病だとかそっち系の意味で言ったわけではない。そこはかとなくだが、この詩からはもっと根本的にそこからかけ離れたような、そんな“何か”を感じ始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

だから決して笑うことなどできなかった。

 

 

 

 

そのうえで、やっと“解読”できた。

 

 

 

 

 

烈火の如く、清水の如く、轟地の如く、春風の如く。───力強く、そして繊細に書き連ねられた文字の羅列が。

 

 

 

 

 

“2016年”───......ページの左上のほうに乱雑に綴られたそれを見て、青天の霹靂を覚えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───その『詩』は、蘭の心そのものだった。

 

 

 

 

 

「“これだった”のか......」

 

 

 

 

 

静かに天井を仰ぐ。ところどころに見えるシミを見据えながら、たどり着いた結論と乱雑に書かれた日付から、この前おじさんが神妙な面持ちで語ってくれたことを連想させた。

 

 

 

それは、蘭達がまだ中学2年生のころ───......

 

 

 

 

 

 

 

 

『俺』がまだ、不明瞭だったころ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───春のクラス替え。中学生に限らず、小中高どの学生にとってもの一大イベント。

 

教員の話し合いによるものなのか、はたまたくじ引きで簡易に決められるものなのか。

 

そんな選定基準も手段もあやふやな中で定められたクラスメンバーの記された一枚の紙切れ。理不尽なその運命の選択から強いられる勝敗には、参加者達の様々な表情が見て取れる。

 

 

 

そこで勝利する......つまり、仲のいい友達や好きな人と同じクラスになれた人は、その後1年間は一時的な安泰が約束され、満面の笑みを浮かべて友達などと肩を組んだりして喜びを分かち合う。

 

 

 

 

逆にそこで敗北し、その人達と離ればなれになった人にはもれなく絶望感と虚無感の入組特典付きだ。表情は暗く、過剰なものにまでなるとその場で泣き喚く者や植物人間のようになるやつもいる。まあ小学校高学年から中学3年の数年間友達と言える人のいなかった俺からすれば、勝ち敗けのどちらともが共感しようのないことなのだが......

 

 

 

 

 

 

まあともかくだ。

 

 

 

 

 

 

蘭はそこで“敗北”した。

 

 

 

みんなと離れることとなった。

 

 

 

 

 

 

距離こそ近い。だが、蘭にとって4人と離れることは例えクラスといった些細なことでも疎遠したのと同じようなものらしい。俺たちとは『離れる』のベクトルが違うのだ。

 

 

 

しかし、現実はいつだって非情だ。甘くもあれば非情でもある。蘭の絶望になど目もくれず、現実は現実らしく、その非情さを以って蘭に嘆きを与えた。

 

 

 

 

それだけならまだ良かったものの、そこに畳み掛けるかのように知らされた、自らが座る席の位置。蘭はちょうど中央に見せしめのように座らされるハメとなったのだった。そしてそれらを掛け合わせての落胆ぶりのなんと酷いことか。

 

 

 

みんなから聞いた話によれば、授業を黙って抜け出したり、そのことが父親であるおじさんにバレた際にも体調が悪かったせいで保健室に行っていたなんていう嘘をでっちあげる始末。

 

 

 

でも、そうまでして蘭が隠したかったこととはなんだったのか。虚偽を重ねてまで屋上に居座り続けていた意味とは、一体何だったのだろうか。

 

 

 

 

 

父親であるおじさんでさえも教えられず、気づけなかったこと────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その答えが、今、俺の目の前に開かれているこのノートなのだろう。

 

 

 

 

きっとこれこそが、中学2年生の気難しい時期にある蘭が唯一思いを吐露することのできた大切な『場所』、その一部なのだ。

 

 

 

 

 

 

走り書きで少々の不安の感じられる筆跡のこの詩が、それの何よりの証拠である。

 

 

 

 

 

「アイツ......何もこんな物に頼らなくてもよかったろうに」

 

 

 

 

 

なら一体何のための幼馴染なのかと、ノートを読み取っていた目を瞑り、ため息を吐く。教室に虚しく響くそれは、宿題を忘れてしまったクラスメイトを他人事のようにとり囲む友達からの嘲笑のようだった。

 

 

 

 

 

 

 

......いや。実際、俺はあの時の蘭のことを他人事として捉えている。なにせ今となっては、ああしろこうしろといくら嘆いても無駄な蘭の過去のことに対し、こうして揚げ足をとるかのような疑念すら抱いていて、何よりそれを自覚し、誰よりも悔いているのだから。

 

 

 

 

他人事なんて言っているが実際にはその逆。その話には俺も十中八九関係している。

 

 

 

 

 

 

 

───俺がいなくなってから、どれほど寂しい思いをさせてしまっていたのだろうか。

 

 

 

そんな後悔が、あの蘭のはにかんだような控えめな笑顔を時々でも目にするようになった今になっても、俺の心に巨大な腫瘍としてこべりついているのだ。滅多なことが無い限りこれは取り除かれることはないだろう。

 

 

 

 

 

 

いずれにせよ、今回のことも含めて蘭には本当に申し訳ないことをしてばかりだ。俺もかなりの期間“留守”にしていたなりに、誰よりも一番にデリケートな蘭のことを気遣っていたつもりだったが、逆にそれを逆撫でするような結果のほうが多く見られるし───......

 

 

 

 

 

「──っ!?」

 

 

 

 

 

と、惨めにも物思いにふけっているところで自分以外の人の気配がこの教室内にいることに遅かれ早かれ気がついた。

 

 

 

 

この空気の流れ、教室に入ったばかりの時とは違う異様な静けさ......素人なりに第六感のようなものを本能的に働かせてみるが、間違いない。

 

 

誰か、いる。

 

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

 

息を殺し、先ほど教室に入ってきた時のようにまんべんなく辺りを見渡す。しかしいくら目を凝らしても、その気配に該当するような者は見受けられなかった。

 

 

 

 

 

まあ、当然と言えば当然か。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何せ“そいつ”は、背後にいたのだから。

 

 

 

 

 

「......わっ!」

 

 

 

 

 

「うおっ!?」

 

 

 

 

 

陰鬱な黄昏の教室による気のせいかとその気配の存在を抹消したところで、突如として俺の耳孔に気の抜けるようなねこだましが滑り込んできた。そして、安堵に落とした両肩にはこれでもかと膨大な重力がずしんとのしかかってきた。

 

そんな不可視からの衝撃だったが、危うく崩しかけた体勢はたまたま机に突いていた片腕によって辛うじて支えきることができた。

 

 

未だにのしかかる重みを感じつつ、折り曲げられた背中をゆっくりと起こし、元に戻す。途中「おっとっとー」とわざとらしい慌て声が聞こえてきたのが、どうにもムカついてならない。

 

 

 

 

 

なので、その声の出所───。

 

 

おそらく背後でほくそ笑んでいるであろうモカめがけて、精一杯の怒りを込めた渾身の微笑をお見舞いしてやった。

 

 

 

 

 

「おい?」

 

 

 

 

 

「おーこわいこわい」

 

 

 

 

 

「またそうやって心にも無いことを......」

 

 

 

 

 

「だってわざとらしいんだも〜ん」

 

 

 

 

 

「お前が言うかよ」

 

 

 

 

 

モカから返ってきたのは恐怖の沈黙ではなく、いつものモカ節だった。思った通りの結果にならず、今度は落胆に肩を落とす。

 

 

 

 

 

「ていうか何だよ、いきなり驚かしたりなんかして」

 

 

 

 

 

こいつに立ち向かおうと下手な真似をして無駄に気力を削ぐのもあれなので、今度は比較的生産的な質問を投げかけるだけに留めておいた。

 

 

 

 

するとモカは呆れたように肩をすくめて、

 

 

 

 

 

「えー?また忘れちゃったのー?」

 

 

 

 

 

「え?忘れた......?」

 

 

 

 

 

まるで俺がこの場にいること自体が俺の責任問題であるかのような口ぶりで答えたモカに、俺はあからさまに眉間に皺を寄せる。

 

 

 

だがいかんせん、思い当たる節が見当たらない。どれだけ眉をひそめようとも、どれだけ頭をひねろうとも、脳裏に浮かぶのはこの蘭の『想い』のみ。コイツが邪魔してならないのだ。

 

 

 

 

 

あと強いて言うなら、先ほど借りたチャラチャララノベぐらいだが────。

 

 

 

 

 

「───あ」

 

 

 

 

 

ふと、本日何度目かの記憶の再起がまた訪れる。最近になって、やたらと多くなってきた感じがするのは気のせいだろうか。

 

 

 

 

そんなことを思い浮かべたものの、今は本題のほうに集中すべきだと考えてすぐさま水に流した。

 

 

 

 

 

「そうか......今日は一緒にウチに泊まりに来るんだったっけか」

 

 

 

 

 

頭から抜け落ちていたものを拾い上げ、それをモカに手渡す。するとモカは「そーそー」と小刻みに頭を頷かせた。

 

 

 

 

 

 

 

そうだ。今日は孤児院にみんなと集まって歌詞作りとかするんだから、そこに住んでいる俺が道案内をするのは当然のことだろう。

 

 

 

そのことを先ほどもみんなと確認したにも関わらず、俺は無意識のうちに自分の記憶の引き出しに閉まってしまっていたようだ。後遺症のせいという可能性もあるにはあるだろうが、よもやここまで悪化するとは......もしやそれとは別に、若年性アルツハイマーなどの障害ができたとか?ははは、シャレにならん。

 

 

 

 

 

「あー......また忘れてたわ」

 

 

 

 

 

「最近物忘れヒドイね〜。みんな、せいくんが本借りてくるの待っててあげてたって言うのにさ〜?」

 

 

 

 

 

「あはは......ごめんて」

 

 

 

 

 

暗に俺に反省を促すモカの事実提唱に、俺は力無く頭を掻くほかなかった。

 

 

 

 

 

しかしモカは俺に対して諭すだけではなく、あるもう一つの感情も抱いていたようにも見えた。

 

 

 

 

 

「────」

 

 

 

 

 

───憐れみ。

 

 

そんな感情が、静かに俺を見つめるモカの薄浅葱色の瞳の奥深くに宿っているように感じられた。

 

 

 

 

でも一体、何をそんなに気に病むことがあるのだろうか───。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

......静寂が訪れる。

 

 

 

 

 

「......なあ、モカ──」

 

 

 

 

 

「あー。これ、蘭の“あの”ノートじゃーん」

 

 

 

 

 

ものの数秒続いた沈黙にもどかしさを感じ、話を展開させようとした。だがその必要はなかったみたいだ。

 

 

 

 

次にモカは、いつも通りのおっとりとした調子で蘭の机に近づいていき、おもむろにノートを持ち上げてみせた。そうするや否や、怪しげに口角を釣り上げてそこに書かれている内容を黙読し始めた。

 

 

 

 

 

 

......でも、なぜだろう。

 

 

 

その奇怪なモカの行動が裏腹に、あたかも自分の漏れ出た弱みを隠すための言い逃れのようにも感じられたのは。

 

 

 

 

 

「──ああ、それか」

 

 

 

 

 

とは言え、そんな確証のないことを聞き出すなんていう野暮なことをする勇気はあいにく持ち合わせていなかったので、仕方なくモカの話に付き合ってやることにした。

 

 

 

 

そんな俺の行動も、側から見ればただの言い逃れに見えるのだろうか。そんなこと他人にでもならない限り分かり得ないのだろうが。

 

 

 

 

 

 

でも仮にもしそうだとして、そしてそう見えたのだとしたら......

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───俺は一体、何から逃げようとしているのだろうか。

 

 

 

......ああ、やめだやめだ。こんなどうしようもないことばかり考えていてはキリがない。

 

 

 

 

今日は何だか調子がおかしい、というか最近ずっとそうだ。だが今日に限ってはきっとみんながうちに来るっていうんで、心のどこかでうずうずしているのが原因だろう。早くみんなと家族の顔を会わせてみたいという焦燥感と好奇心からだろうか、まったくらしくない。

 

 

 

 

 

 

そうして冷静さを欠く自分を深く戒め、本来の平常を保とうとノートに焦点を当てた。

 

 

 

 

 

「荷物取りに行ったらたまたま見かけてさ、何かなって気になって見てたんだよ。そしたら、そこにお前が来た」

 

 

 

 

 

「へー、そうだったんだ〜」

 

 

 

 

 

饒舌な俺の説明に頷くと、モカはノートを手にしたまま窓際に腰かけた。そんな彼女を目で追ってみると、モカ越しに見えた空には少しばかり暗がりが見え始めていた。

 

 

 

 

 

「......なんとも、思わないのか?」

 

 

 

 

 

ノートを静観するモカの顔色を伺っているうちに、その変化が乏しいことに気がついた。普通あのような文章を読もうものなら嫌でも凝視する、最低でも呆けたような顔は見せるはずだと思ったのだが。

 

 

 

 

 

「んー?コレのことー?」

 

 

 

 

 

「ああ。失礼だと思うけど、なんかこう......変じゃないか?」

 

 

 

 

 

モカは気だるく笑い、ノートへと向けていた視線を、悠々と空を揺蕩う雲に移した。

 

 

 

 

 

「あっはっはー、確かにそだねー。お世辞にも万人受けとは言えませんなー」

 

 

 

 

 

そう言ってモカは、風に吹かれるカーテンをそっと掴んだ。そんな子供染みたことをするモカの顔には、あのノートを最初に見た俺の反応とはかけ離れたような表情が浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

......そういえばこいつ、まるで蘭のノートを読んだことでもあるかのような口ぶりを、先ほどしていたような気が。

 

 

 

 

 

「一応聞くけどさ。お前はソレ、読んだことあんのか?」

 

 

 

 

 

知る必要も無く大したことでもないが、念のため確認しておこうと問いかけてみた。

 

 

 

そんな問いかけに、モカはこう答えた。

 

 

 

 

 

「あるよ〜」

 

 

 

 

 

案の定だった。

 

 

 

 

 

「それ、いつの話なんだ?」

 

 

 

 

 

「んー、できたてホヤホヤの時ですなー」

 

 

 

 

 

「できたてホヤホヤ?......って」

 

 

 

 

 

予想外だった。すこし婉曲な言い振りに頭を捻り、そして導き出した答えから、なんとモカはそのノートの製作現場に居合わせたというのだ。

 

 

 

 

 

「そ、そうだったのか......」

 

 

 

 

 

「うん。いやいやー、あの時の蘭はだいぶ病んでてビックリしたよ〜」

 

 

 

 

 

その後驚く俺に立て続けに思い出したように語られたのは、屋上で『詩』を執筆していた蘭と対峙した時のことだった。

 

 

 

 

 

「授業を抜け出してるっていうのは前々から気づいててさ休み時間になってA組覗いてみても戻ってなかったから試しに探してみたんだよね。そしたら、たまたま屋上ででくわして。背中向けてノートに向かってる蘭の姿の

なんと痛ましかったことか〜......ヨヨヨ」

 

 

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

 

モカの語り口からその時の光景を思い浮かべてみる。するとモカの言う通り、どことなく哀愁漂う蘭の背中がそこにはあった。

 

 

 

 

 

「それからあれよこれよとあったんだー。後ろから迫るモカちゃんに気づけず、なすすべなく押し倒される蘭は流されるがまま。そして地面に横たわって見つめ合う2人はそのまま──」

 

 

 

 

 

「へえ」

 

 

 

 

 

「......こっそりノート覗いてさ、いつ気づくかなって思って声に出して詩を読んでみたんだー。そしたら流石にバレたのか、蘭が勢いよく振り向いて、めっちゃおもしろかったー」

 

 

 

 

 

 

 

白々しい態度の俺に観念したのか、モカが本当の意味で飾りっ気無く屋上での出来事を詳細に語ってくれた。

 

 

 

 

 

「でもやっぱり、それより驚いたのがこのノートだったんだよね〜。流石のあたしも、うわあ......ってなったよー」

 

 

 

 

 

「でも、それだけじゃなかったんだろ?」

 

 

 

 

 

モカの迫真の演技に対する俺の指摘に、モカは「ご名答〜」と軽く褒め称えた後、ノートをポンポンと撫でるように叩きながらこう続けた。

 

 

 

 

 

「そうなんだよね〜。モカちゃん、気づいちゃったんだよねー。......蘭がどれだけ苦しい思いをしてたのか」

 

 

 

 

 

寂寞、無念、懺悔───。

 

 

 

様々な感情が、吐き捨てるようなモカの口からとめどなく溢れ出す。

 

 

 

 

 

「───それで?」

 

 

 

 

 

泡沫にも似た感情達をこのだだっ広く感じる教室に霧散してしまう前に拾い上げながら、俺はモカに続きを話すよう促した。

 

 

 

 

 

モカの指がそっと、自らの薄灰色の髪の輪郭を優しく撫でつける。

 

 

 

 

 

「いや──......それだけだったよ。気づいちゃって、んで、そのまま。蘭の苦労を色々労ってあげたりだとか、蘭が安心できるように、いつもの調子で励ましてあげたりはしたよ。だけど──」

 

 

 

 

 

 

 

でも、それだけ。

 

 

 

 

 

自分はいち早く、蘭がいかに苦しい思いをしていたかに気がついた。

 

 

 

 

しかし、深入りまではしなかった。いや、できなかった。そんな度胸なんて......資格なんて、自分は到底持ち得ていないだろうと考えたから。

 

 

 

 

 

 

だから、蘭の気の済むようにさせてあげた。でもそれは時が癒してくれるのを待つことを祈るのと同じ。故に、ただの責任転嫁だったのかもしれない。

 

 

 

自分のせいで蘭をこれ以上傷つけてしまわないかという恐れからの逃避行だったのかもしれない────。

 

 

 

 

 

「────......」

 

 

 

 

 

過去の不鮮明な自分を振り返りながら淡々と語るモカに対し、俺は励ましたり、ましてや責めたりなどできなかった。

 

 

 

 

 

それらが間違いだったかどうかなんて、その場に居合わせていなかった俺がとやかく言えることじゃないし、それはモカ本人が一番よく理解しているはずだと思ったから。

 

 

 

 

 

「──ねえ、せいくん」

 

 

 

 

 

搔き消えそうな声で名前を呼ばれた。陰湿な空気と己の不甲斐なさに嫌気がさし、おもむろに小説の冊子を開いてから間もなくのことだったので、思わずその声の出どころへと勢いよく顔を持ち上げた。

 

 

 

 

 

それは、先日の屋上であの背中を見た時のように、このまま放っておけばモカがどこかに行ってしまうような気がしたからでもあった。

 

 

 

 

 

「......モカ?」

 

 

 

 

 

そうして戦慄したように顔を歪ませる俺を尻目に、モカはシアトリカルなはにかみ顔をこちらに向けながらこう告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「───幼馴染ってむずかしーね」

 

 

 

 

 

 

「────......ぁ」

 

 

 

 

 

直後、生徒会の完全下校を知らせる放送が校内全域に流れ始めた。その少々強張った声をよく聞いてみると、どうやらつぐちゃんのものだった。俺の立場からすれば、さしづめ迷子のアナウンスだ。

 

 

 

母親の呼び出しに急かされるがままに、俺とモカは教室を抜け出した。お互い、終始無言だった。

 

 

 

 

何事も無かったかのように足を進める。足音2つがそれぞれリズムをとりながら、静かに廊下に響き渡る。そしてやはり、その時でさえも俺達が言葉を交わすことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

......応えてやれなかった。

 

 

 

幼馴染は難しい。そう嘆くように吐き捨てたモカの心を汲み取ることなんて容易いことだった。俺がその傷心に投げかけてやれるような言葉を、脳を埋め尽くす語彙の海から拾い上げることができなかっただけだ。かといって、うんとかすんとか何らかのリアクションぐらいはできたはずなのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───それとも本当に俺は、『何か』から逃げているとでも言うのだろうか。

 

 

 

 

 

「せいくーん」

 

 

 

 

 

「......あ」

 

 

 

 

 

ふと耳孔に舞い込んできた呼びかけに辛うじて返事......とはお世辞にも言えなさそうな、それに似た嗚咽を発する。再び俯かせた顔をあげると、そこには随分と距離の空いた俺とモカの余白が横たわっていた。

 

 

 

 

 

「どしたの〜?ぼーっとして」

 

 

 

 

 

「──いや、忘れ物無いかと思っただけ」

 

 

 

 

 

ぽやんと疑問符を浮かべるモカにお前のせいだなんて到底言えるわけもなく、知らぬが仏と解釈して見栄っ張りな嘘をついた。

 

 

 

 

 

「ふーん......そかそか」

 

 

 

 

 

まんまと騙されてくれたのか納得した様子のモカに、俺はひとまず安堵した。

 

 

 

 

しかしその直後、モカがまた先々とその歩みを進め始めた。

 

 

 

 

 

「あ......おい、モカ──」

 

 

 

 

 

「ほらー。早く帰らないと怒られるよ〜?」

 

 

 

 

 

俺の霞む声が聞こえていなかったのか、はたまた聞こえたうえでそれを無視したのか。

 

 

 

いずれにせよモカはその歩みを止めず、黄昏時からすっかり暗くなった廊下の闇を、鼻歌を歌いながらかきわけていった。

 

 

 

 

 

 

 

──片手に、あのノートを握りしめたまま。

 

 

 

 

 

「何なんだよ、あいつ......」

 

 

 

 

 

教室での一件で見せた、あの虚しいの一言に尽きる表情。そこから一変したモカの行動に対して、その背中が闇へと消え去っていった今でなお、俺はひどく訝しんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

まあ、でも。

 

 

 

あいつが虚ろな顔をしていたのも、それを虚勢で隠し通そうとしてたのも。

 

 

 

 

 

 

 

全ては、『幼馴染が難しい』からなのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

「──なんだか、なぁ」

 

 

 

 

 

 

 

お手上げと言うように天井を仰ぐ。それからそこを越えた先に広がっているであろう暗がりの夕焼けを思い浮かべた。

 

 

 

 

 

 

そして目を瞑ってから、あのモカの言葉をもう一度脳内で反芻してみた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──幼馴染って難しい。

 

 

 

 

そう告げたモカにとっての明るい夕焼けみたいだった『幼馴染』も、今ではこんな夜空のように、薄明かりしかない単色な闇で覆われているのだろうか。

 

 

 

 

......ただ。

 

 

 

 

ひとつだけ、確かなことがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは、今の俺は少なくともその夜空の上に浮かぶまばゆい『星』ではないことだ。

 

 

 

 

 

 

今のモカにとって、俺は『光が死滅した星』に過ぎないのだろう。

 

 

 

幼馴染の『心』という名の空に覆う闇を振り払うことすらできない、むしろ光すら取り込んでしまうブラックホールのような漆黒の天体。

 

 

 

 

 

それが、今の俺なのだと───。

 

 

 

 

 

「────」

 

 

 

 

 

窓から見える雲の合間から見え隠れする一番星を見据えながら、俺はそう確信付いた。

 

 

 

 

 

ふいに廊下に、穏やかな秋風が吹き抜ける。

 

 

 

それはまるで俺を嘲笑うかのように、生々しく肩を撫でていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

......ああ。本当に今日は、やけに肌寒い。




いかがだったでしょうか。次回は1月29日の20時30分に投稿予定てます。お楽しみに!



それではまた次回お会いしましょう。さいなら!


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第7話 来訪

どうもあるです。紗夜さんピックアップまだですか()



それでは本編、どうぞ!






「...あ!やっと来た!」

 

 

 

 

「おまたせしましたー」

 

 

 

 

「ごめんみんな。ちょっと“用事”があってさ」

 

 

 

 

校門で首を長くして待ち続けていた蘭たちに声をかけると、返事の代わりに数々の愚痴が返ってきた。

 

 

 

 

「用事なんて本借りるだけじゃん。なんであんな時間掛けてたの?」

 

 

 

 

「それはかくかくしかじかで......」

 

 

 

 

「というかそれ以前に、なんで今日じゃなきゃダメだったの?本ぐらい他の日でも良かったんじゃないの?バカなの?」

 

 

 

 

「ねえ!立ち続けたせいでもう足クタクタで歩けないんだけど〜!」

 

 

 

 

「アタシもだ......おい流!これからお前ん家まで歩くってのに疲れさせてどうすんだよ!」

 

 

 

 

「ハイ、ハイ......ごもっともです」

 

 

 

 

俺はへこへこと頭を下げるほかなかった。蘭の“あのノート”を見ていただなんて口を滑らせてみろ、次に目を覚ました時には知らない天井が眼前にあるに違いない。

 

 

そうやって気を遣わせていると、じゃああたしがと言わんばかりにモカが暴露した。

 

 

 

 

「あそーそー。蘭、はいコレー」

 

 

 

 

「え?何......って、ちょ、ウソ......!」

 

 

 

 

当然の如く持ち主である蘭は、自らの黒歴史でもあろうブツに目を剥いた。

 

 

 

 

「ああっ!おいモカ、お前っ──......」

 

 

 

 

「蘭の机に置いてあったってせいくんがー。それよりなんでまたこんなモノを〜?」

 

 

 

 

「『こんな』って......鞄漁ってたら出てきたから、懐かしいと思って読み返してただけで」

 

 

 

 

「蘭、何それ?」

 

 

 

 

「ひまりは気にしなくていいからっ!......流誠、コレ見てないよね?」

 

 

 

 

蘭がこちらへ訝しそうな視線を向けてきたが、もちろん俺は嬉々として首を横に振った。本人には悪いし心も痛むが、命を投げ打ってまで真実を伝える度胸なんてよっぽどなことが起きない限り俺には無い。

 

 

 

 

「よ、読んでねえよ。いくら幼馴染の物とはいえプライバシーってもんがあるし......」

 

 

 

 

「そうなの、モカ?」

 

 

 

 

(頼むモカ......!)

 

 

 

 

いい加減に空気を読めと上の空なモカに念を送ってみると、どうやらその思いは届いたらしく、何かを察したような道化じみた態度でこう答え始めた。

 

 

 

 

「せいくんの言う通りだよー?うんうん、そうだよねー。プライバシーは守らなきゃいけないもんねー」

 

 

 

 

「あ、ああ......そうだよ。個人情報だからな。ナニが書いてるかもわかんないもんな。見るわけねえだろ、何言ってんだよ。あはは」

 

 

 

 

「何よりあたしと蘭だけのヒミツのノートだもん、ねー?」

 

 

 

 

「よ、余計なこと言わないでよ......」

 

 

 

 

モカの三文芝居に頰を赤らめる蘭を見て、安堵に胸を撫で下ろす。モカのあの悪癖が役に立つ場面といえばさしずめこのようなシチュエーションぐらいだろうと、皮肉った弁論をかましていたモカに少しでも一矢報いてやろうと心の中で自己完結した。

 

 

 

そんな過ぎ去った嵐に未だ辟易する俺だったが、ここでとあることに気がついた。

 

 

 

 

「あれ、そういやつぐちゃんは......」

 

 

 

 

「いるよ?」

 

 

 

 

「あ、もう来てたのか。よかったよかった」

 

 

 

 

すれ違いになってないかと心配したが、ともちゃんの背後から顔を覗かせるつぐちゃんの笑顔を見て安心した。

 

 

 

 

「つぐみならずっとここにいたぞ?」

 

 

 

 

「すまん、ともちゃんで見えなかった」

 

 

 

 

「ああ、それは悪かった」

 

 

 

 

「つぐちゃんお疲れ様。つぐちゃんの放送のおかげで急いで帰ってきたよ。でも、その担当の人って別の人じゃなかったっけ?」

 

 

 

 

「実はその人が仕事を忘れたのか、先に帰っちゃったの。だから代役としてやってくれないかって先生に頼まれて」

 

 

 

 

「ああ......そんなことが」

 

 

 

 

何食わぬ顔で経緯を語るつぐちゃんには同情せざるを得なかった。こんな純真無垢な少女をいいように利用するとは...まったく、先生方には頭が上がらない。もちろん皮肉である。

 

 

 

 

「もう、つぐ!?ツグるのもいいけど、前みたいに体壊さない程度にしてよね!」

 

 

 

 

「そ、そうだぞ!頑張り屋なところはいいけど、あの時はアタシら心配で仕方なかったんだからな!?死にでもしたらどうしたらいいんだってどれほどうなされたことか......」

 

 

 

 

「わわ、わかったから落ち着いてよ2人とも〜!」

 

 

 

 

つぐちゃんは昂ぶるひーちゃんとともちゃんの鎮静を試みたものの、あまり信用できないのか2人は当分説教染みたことをべらべらとぼやき続けた。

 

 

 

 

兎にも角にも、これで全員揃った。孤児院まではだいぶ距離もあるし、太陽もすっかり落ちて辺りには街灯などの明るい場所以外暗がりが広がってきている。ことが大きなる前にそろそろ帰らなければ。

 

 

 

 

「俺が言うのもなんだけど、みんな揃ったしそろそろ行くぞ」

 

 

 

 

「前置きするぐらい自覚してるならおんぶしてよー!」

 

 

 

 

「おんぶしろー!」

 

 

 

 

「んなことしたら俺潰れるわァ!」

 

 

 

 

未だ鳴り止まない喧騒にやれやれと肩をすくめる。それでいて、俺達にはやっぱり“こういうの”が似合っているとも思った。

 

 

前までの辛気臭さはもうウンザリだ。それはみんなの共通認識でもあるだろうから、尚更嫌だ。

 

 

 

 

この今を守っていくためにも、俺達は変わっていかなくてはならない。変化を恐れず、むしろ好んでいかなくては。見る景色は変わろうとも、俺達が俺達であることに変動や介入の余地は無いのだから。

 

 

 

 

「ああもう、まったく......ほら、蘭とモカもそろそろ──」

 

 

 

 

ひしひしと伝わる温かさに表情を綻ばせながら、残る2人にも声をかけようとした。しかし向けた視線の先で、その姿は見られなかった。

 

 

 

蘭とモカはすでに、少し先まで歩いていた。

 

 

 

 

「あ、あれ?いつの間にあんなに......」

 

 

 

 

「せいくんたちこそ早くしないと置いてっちゃうよ〜?」

 

 

 

 

「ほら。みんな行くよ」

 

 

 

 

「あーん待ってよ蘭、はやいってばー」

 

 

 

 

そう言って2人は我先にとスタスタと行ってしまった。途中まで通る道は同じだが、誘導される側に逆にこうも先導されてしまっては収集がつかない。

 

 

 

 

「おい待て!お前ら、ウチがどこかわかんねえだろ!おいって!......あー、クソ」

 

 

 

徐々に小さくなっていく背中に呼びかけるも、そのあまりの小ささに諦めがついたので叫ぶのをやめた。

 

 

 

 

「行っちゃったね......」

 

 

 

 

「あーあ。どうすんだ?追いかけるか?」

 

 

 

 

「うん。ていうか強制だな、それ」

 

 

 

 

仕方のないやつらだ。後先考えずに思いついたらすぐ行動に移すなんて、愚かとしか形容できない。目を離せばどこへ行くのか、何をしでかすのかなんて知れたことではない。

 

 

 

 

 

──だったら俺が、見守ってやらないと。

 

 

 

 

「......よし、とばすか!」

 

 

 

 

「えっ?ちょっと、流誠!?」

 

 

 

 

「なんでいきなり自転車に乗って......それに“とばす”って......?」

 

 

 

 

「......ま、まさか!?」

 

 

 

 

置いていかれるのはもうごめんだ。みんなと違う世界でなんて生きていたくない。

 

 

 

 

だから......

 

 

 

 

 

だから俺が、むしろ蘭を、みんなを追い抜いてやるんだ。

 

 

 

そして......

 

 

 

 

「みんな、ついてきて!」

 

 

 

 

って笑って言って、手を引いてやるんだ。

 

 

 

 

「やっぱりそうなるの〜!?」

 

 

 

 

「流!待て!!お前まで行くなーー!!」

 

 

 

 

「はっはははははははは!!!!」

 

 

 

 

迷いはなかった。振り向きはしなかった。みんな、ついてきてくれるって信じてるから。

 

 

 

 

大丈夫。俺たちなら変わって、そして変わらずにいられる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──これからも、一緒だからな。

 

 

 

 

 

 

そんな決意の中、俺はペダルを力いっぱいにこぎ続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

流石にスピードを出しすぎたせいか息切れしてしまった。喉元からはか細い呼吸音がヒューヒューと絶え間なく鳴り響き、喘息の発作の兆候が見られた。

 

 

 

 

「はあ、はあ......もうダメだ......」

 

 

 

 

「りゅ〜せえ〜!」

 

 

 

 

背後から恨めしげな唸り声が聞こえてきたので思わず振り返った。案外離れていない距離、そしてその声の主が誰かはとうに見当がついていた。

 

 

 

 

「あ、ともちゃん......ゲホッ、ゴホッ......どうもッス」

 

 

 

 

「はぁ......はぁ......!やってくれたなこのヤロー!お前がバカみたいにすっとばしたせいでみんなクタクタだぞ!?ほらコレ見てみろ!」

 

 

 

 

「え、つぐちゃん!?」

 

 

 

 

差し向けられたともちゃんの背中に目をやると、すっかりのびてしまったつぐちゃんの姿がそこにはあった。

 

 

 

 

「えへへ......あれ?一番星が見えて......」

 

 

 

 

「いやつぐちゃんそれ幻覚!もうすでにたくさん星見えてるよ!つかどうしたんだよこれ、酒でも飲んだか......あだっ!?」

 

 

 

 

「冗談言ってる場合か!」

 

 

 

 

ともちゃんからの重たい一撃が脳天を襲う。これでも割と冗談じゃないのだが。幻覚なんて酒飲んだりとか“薬”でも射たないかぎり見るようなもんじゃないだろう。

 

 

 

......いや待て。もしや気絶しかけているのでは?そう思い直してつぐちゃんの顔色をよく見てみると、案の定青ざめていた。

 

 

 

 

「おいマジかよ!ツグりすぎるなってさっき言ったばっかだってのに......」

 

 

 

 

「元はと言えばお前がいきなり走りだしたのがいけないんだけどな!」

 

 

 

 

「でも、こうなったらもう仕方ないよ!急いで流誠ん家に行ってつぐを休ませてあげないと......って、ここどこ?」

 

 

 

 

「え?どこって?」

 

 

 

 

「いやここ森じゃん。追いかけるのに必死すぎてどこ行ってるのかわかんなかったままだったけど、なんでこんな所に?」

 

 

 

 

“こんな所”と目を丸くして、あたかもここら辺に家などあるわけがないと言わんばかりにひーちゃんが訴えかけてきた。

 

 

 

 

「まっ、まさか私達を疲れ果てさせたところで、山に入って襲ったりなんてこと───」

 

 

 

 

「するわけねえだろ!この先にあるんだよ、孤児院が!」

 

 

 

 

「「......え?」」

 

 

 

 

ともちゃんとひーちゃんが揃って首を傾げるのを見て、やれやれと右手で頭を抱えた。よもやここまで鈍感とは。

 

 

 

すでにここ......───通称“ひだまりヶ丘“は、孤児院の領内だっていうのに。

 

 

その事実を答え合わせのように、きょとんとした2人に告げた。

 

 

 

 

「もうすでに敷地内だぞここ。なら、進んでった先に家があるのは当然のことだろ」

 

 

 

 

「え?シキチナイ......?」

 

 

 

 

「ちょっと待て!?じゃあもうここ......というより、この山って......」

 

 

 

 

「文字通り孤児院のだけど。あと山じゃなくて丘な、どちらかというと」

 

 

 

 

「「エエ〜〜〜ッ!!??」」

 

 

 

 

驚嘆の声が樹林に響き渡る。そこまで驚く内容だったかと疑念の目を向けるが、ともちゃん達の態度は変わらずだった。

 

 

 

 

「こんなだだっ広い山みたいな所がまるまる所有地って、お前んとこの先生って人は大富豪か何かかよ!」

 

 

 

 

「大富豪......そうだ、そうだよ!じゃないとこんなに広い敷地持てないもん!流誠、お坊ちゃんじゃん!」

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

大富豪。

 

 

そう豪語して止まない2人に、俺は黙り込んだ。それは彼女達の言うそれがただの事実でしかなくて、肯定する意味もなかったからだった。

 

 

 

 

 

 

──いや違う。『意味がないから』ではない。『余裕がないから』だ。

 

 

肯定する余裕がないから、こうして下を俯いて唇を固く噛み締めているのだろう。未だに受け入れがたい事実があるから、こうして懊悩しているのだろう。

 

 

 

 

だって先生は、あの優しい先生は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

“弦巻ひばり”は、俺たちに今まで何も言わず、ずっと騙してきて───......

 

 

 

 

「──せい......うせい......流誠!」

 

 

 

 

「......っ」

 

 

 

 

呼び声に顔を上げると、そこには結局行方不明のままだった蘭とモカが立っていた。

 

 

 

 

「どうした流?いきなり棒立ちになったりして」

 

 

 

 

「突っ走りすぎてつぐみたいになりかけてんじゃなーい?」

 

 

 

 

「自分からやったんだから勘弁してよ〜!」

 

 

 

 

「いや違う違う!大丈夫だって!ただ少し考え込んでただけだから......」

 

 

 

 

悟られまいと必死に表情を作る。俺たち家族の問題に首を突っ込まれる筋合いはない。正しくは巻き込みたくないというのが正解なのかもしれないが、いずれにせよ皆が知るべきようなことではない。

 

 

 

 

だから頼む、見逃してくれ。そんな命乞いにも似た祈りを込めつつ、俺は必死に笑顔を振りまいた。

 

 

 

 

「......そうか?ならいいけど。つか、悩み事なら何でも相談しろっていつも言ってるだろ?」

 

 

 

 

「アレかもよ〜?男の子特有の悩みとか......」

 

 

 

 

モカの捻くった推定にみんな何か察したように静かに頷いた。人聞きは悪いもののおかげで納得するだけに留まったので、心の中で少しの感謝と毒だらけの愚痴を吐いた。

 

 

 

 

「ていうか本当にここ全部、流誠ん家の敷地なの?」

 

 

 

 

先ほどの話を耳にしていたのか、その場にいなかったはずの蘭がそう問いかけてきた。

 

 

 

 

「だから言ってんだろ?何回言わせんだよ」

 

 

 

 

「だって現実味無かったから......そんなことできるのって、思いつく限りだとこころとかじゃん」

 

 

 

 

「───......ほら、着いたぞ」

 

 

 

 

蘭を尻目に坂の上から屋根を覗かせる孤児院のほうへと指をさす。それを見たともちゃんが最初に声を荒げた。

 

 

 

 

「で、でっけー!!」

 

 

 

 

「え、ええ!?何アレ!お城!?」

 

 

 

 

続いて目を剥くひーちゃんに向けて、蘭が訝しそうに流し目を送る。

 

 

 

 

「流石にそんなわけないでしょ」

 

 

 

 

「おや〜?案外驚かないんだね」

 

 

 

 

「そういうモカだってね」

 

 

 

 

「蘭みたいに怖がりじゃないし、何より鍛えてますからー」

 

 

 

 

「あんたねえ......」

 

 

 

 

「───あら?あらあらあら?」

 

 

 

 

抉れあいが勃発しかけたところに、天真爛漫たる晴れやかな声が孤児院のほうから聞こえてきた。

 

 

 

そんな貴婦人にも無邪気な子供にも似た声を発したのは他でもない、我らが母親でもある先生だった。

 

 

 

 

「流誠〜!帰ってるのなら言ってくださいよね、もうっ!」

 

 

 

 

「家上がってからでもいいじゃないですか」

 

 

 

 

「時間も遅いしできるだけでも早く帰りを伝えようかなーとは思わないんですか、あなたは!また門限制度戻してやってもいいんですよ!!」

 

 

 

 

「こんな広いところで叫んだところで聞こえないでしょ!アホか!」

 

 

 

 

「あ、あのー......」

 

 

 

 

「あらどうも〜。流誠、もしかしてこの子達が?」

 

 

 

 

先ほどの突っかかりとは打って変わって興味津々な眼差しをこちらに向けてきたので、俺も仕方なく静かにうんと頷いてやった。すると今度はうさぎのように小刻みに飛び跳ね始めた。

 

 

 

 

「やっぱりそうなんですね?きゃー!やっと来てくれた!流誠の言ってた“かけがえのない親友“さんたち!」

 

 

 

 

「ちょっ、先生!?あんまりベラベラ喋らないでくださいよ!そんなこと言ったら......」

 

 

 

 

「「「......」」」

 

 

 

 

「どうも〜。”かけがえのない親友“のモカちゃんでーす。以後お見知りおきをー」

 

 

 

 

「ほら言わんこっちゃねえ......」

 

 

 

 

案の定モカ以外は顔を赤らめさせていた。恐れていた未来を目の当たりにし、俺も恥ずかしさのあまりに深くうな垂れる。それを尻目に、話の流れは自然と自己紹介へと行き着いた。

 

 

 

 

「はじめましてっ!私は上原ひまりです!」

 

 

 

 

「アタシは宇田川巴。流にはいつもお世話になってます」

 

 

 

 

「初めまして、美竹蘭っていいます。今日はよろしくお願いします」

 

 

 

 

「青葉モカでーす」

 

 

 

 

「ひまりちゃんに、巴ちゃん、蘭ちゃんにモカちゃん!噂はかねがね聞いてるわ。みんなよろしくねぇ。......ああ、そうだ!今日はみんな来てくれるっていうもんだから、いつもよりも腕によりをかけて料理作ったのよ!さっき味見してみたけど、それがもう美味しくて美味しくて......」

 

 

 

 

「あー、先生。談笑するのもいいんですけど、ちょっと───......」

 

 

 

 

話を遮りつぐちゃんのことを伝える。すると先生の笑顔は一変し、口をあんぐりと開けてその驚きようを顔全体で示してみせた。それから間髪入れずに「まあ大変!」と言ってから孤児院のほうへと緊急の寝床の確保に急ぎ足で向かって行った。

 

そんな忙しげな背中を追うように、俺達も暗黙の了解でゆっくりと歩み始める。その時発言こそあまりしなかったものの、全員笑顔に満ち溢れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お邪魔しまーす」

 

 

 

 

「「「お邪魔します......」」」

 

 

 

 

「なんだよ、変にかしこまって......お前は相変わらずだな」

 

 

 

 

「いつも通りですな〜」

 

 

 

 

「そんなんで社会に出るなよマジで。まあいいや、とりあえず入って」

 

 

 

 

流誠の声を合図に玄関から中へと入る。外観もそうだったが、内装の印象的なまでに美麗な様相に、あたしたちは再び息を呑んだ。

 

 

玄関の広さは数多くの靴が並べられているにもかかわらずまだ余裕があるほど広く、その両脇に立つ純白の壁に飾られたゴシック調のような照明が目に眩しかった。

 

 

しかしそんな豪勢な物に囲まれていながらも、不思議と心は落ち着いていた。他所の家で、しかも豪邸であるにもかかわらずこうして平静を保てている理由だが、明確にはわからないがこの家ならではの雰囲気によるものなのだろう。

 

 

 

靴を脱いで床に上がって下を見てみると、場違いにもほどがあるポップのきいたマットが何食わぬ顔で敷かれていることに気がついた。

 

 

......これが”そう“させていたとでもいうのだろうか?そんなしょうもないことを思い浮かべるも、なんだかおかしくなってきた。

 

そこにエプロンを巻いて主婦全開となった”先生“が、パタパタとスリッパを鳴らしてやってきた。

 

 

 

 

「ささ、みんな上がって上がって。巴ちゃん、その子をこっちまで運んでもらってもいいかしら?」

 

 

 

 

「あ、コイツの名前はつぐみです。わかりました!ついていきます」

 

 

 

 

「ってちょっと先生!そっちは......」

 

 

 

 

つぐみを背負った巴を連れてどこかへ消えて行った先生めがけて、流誠がちょっと待てと言わんばかりに声を張り上げる。しかし先生はその呼び止めに対して「みんなを案内してあげておいてくださいね〜」と、ひらひらと手を振りながら言い残しただけだった。

 

 

 

 

「どしたのせいくん?」

 

 

 

 

「あれじゃない?先生が行った先に何かマズい物とか置いたままだとか──......ハッ!?まさか!」

 

 

 

 

「まさか?......あー、なるほどそりゃそうかー。まあせいくんも『お年頃』だもんね〜。ほら、つぐやともちゃんの目につく前に早く取りにいきなよ〜」

 

 

 

 

「いや違ぇよ!まあ間違ってないかって聞かれたら否定できないけど......あー、クソ!まったく本当にあの人はデリカシーの欠片も無い......」

 

 

 

 

ぶつぶつと文句を言いながらも流誠はあたし達の先導を開始した。先ほどは図に乗って先走ってしまったあたしとモカも流石に人様の家ということなので、それに大人しく従うことにした。

 

 

 

 

にしても本当に広い。しかしただ広いというわけでもなく、一般の家庭でも見られるような人二人がちょうど通れるくらいの廊下だったり、割と内装はごく普通のソレなのだ。

 

 

 

 

......なるほど、やはりそういうことなのか。そう心の中で、あたしはひとつの解釈に確信を持った。

 

 

 

初めて訪れた者でもすぐに馴染むことができるこの豪邸とも呼べる孤児院。その温かさの要因は、このありふれた内装にこそあるのだと思った。

 

 

冷たくも確かに居住者の息のかかっている白雪の壁、木星のあの縞模様を思わせる鮮やかな木目の入った木材で造られた天井と床、そこはかとなく漂う芳香剤か何かの、とにかく心にストンと落ちるような落ち着いた香り。それらがあたし達を迎え入れてくれていたのだとわかった。そしてその時、家の雰囲気というのはそこに住む人によって大体決まるという話を、どこかで聞いたのを思い出した。

 

 

 

 

 

......どうやらこの孤児院は、よほど愛されているみたいだ。

 

 

 

 

「......あ」

 

 

 

 

と、流誠の足が突如として止まった。物思いに耽っている中でもたつかされた自らの足に少々苛立ちを覚えつつ、流誠に問いかけた。

 

 

 

 

「流誠......?何か、あったの」

 

 

 

 

「やっぱり『例のブツ』が気になるんじゃないの〜?」

 

 

 

 

「だから違うって!......ほら、コイツだよ」

 

 

 

 

「───え?」

 

 

 

 

そう言って指差された方向に目を向けると、そこにはなんと、巨大な熊がぐったりとしていた。

 

 

熊だ、熊がいる。しかし、当たり前のようだが実際は違う。胴体から生えた四肢の先にある指は5本に分かれているし、髪や顔など、それ以外でもちゃんと人間だった。本当に熊が横たわっていてでもしたら、恐怖のあまりにこうして二本足で立つことなんてままならないだろう。

 

しかしそう惑わせるくらいに、目の前のこの男の子は巨漢も巨漢だった。有り余るほどに広い肩幅に、プロスポーツ選手ほどではないがTシャツの上からでもわかる筋骨隆々たる体格。それらを形容するのに一体何と表せばよいのかと問われれば、あたしが最初に感じた『熊』という第一印象が最適解として挙げられるであろう...と思っていたが、モカがふいに「ゴリラ?」と疑問符を浮かべるのを見て、前言撤回した。

 

 

 

 

「わあ、すごいガッチリしてる......カッコイイ!」

 

 

 

 

「惚れるのは勝手だけど、まずなんで塁が倒れているのか考えてくれないかな?」

 

 

 

 

聞いたところ、この子の名前は”塁“というらしい。次にあたしは、体格の割に若々しさに溢れている塁の顔を見て一体何が起きたのかを思案し始めた。

 

 

まずは情報を集めなければ。

 

 

 

 

「塁って流誠の弟なの?ていうかそうだよね、他人の家でこんなになるワケないだろうし」

 

 

 

 

「自分ん家でもこうなることなんて普通なら滅多にないはずなんだけどな......こういう流れで紹介するとは思ってなかったけど、塁は俺達兄弟の中で2番目に歳の大きい次男だ。今はぐったりのびてるけど、普段は野球部でエースも務めてるタフガイなんだぞ」

 

 

 

 

「へえ、そうなんだ」

 

 

 

 

顔つきから大体予想はしていたが、塁はどうやら次男らしい。そして野球部のエースときた。そんな丈夫そうなスポーツマンがここまで意気消沈するとは、よほどのことがあったに違いない。

 

 

 

 

だとすれば......

 

 

 

 

「つぐみと同じで体調不良なんじゃ......」

 

 

 

 

「確かに言われてみればそうかもな」

 

 

 

 

「ええっ!?それなら早く看病しなきゃ!」

 

 

 

 

「まあ落ち着けって。こういうのは段取りってもんがあるんだよ」

 

 

 

 

慌てふためくひまりをなだめると、流誠は何やら塁の服を脱がせ始めた。

 

 

 

 

「っ!?ちょっと流誠!?」

 

 

 

 

「わお、せいくんったらダイタン〜」

 

 

 

 

「えっ、流誠?な、何してんの?」

 

 

 

 

あたしたちの困惑を尻目に、流誠は淡々と塁の身ぐるみを剥いでいく。待て、急にそういう展開になるなんて聞いていない。まあ聞いていたところで心の準備なんて一生できないだろうが。

 

 

流誠が塁の力無く垂れた腕を器用に動かして服を脱がし、ついに鍛え上げられた胸筋と腹筋が露わとなった。もちろんそのどちらとも隆起し、そして割れている。

 

 

 

 

「キャーッ!!”仲良し”なのはわかったからもうやめて〜!!」

 

 

 

 

「ヒューヒュー。お熱いねぇ」

 

 

 

 

「えっ、ウソ......」

 

 

 

無防備にうな垂れる獣とそれを我がままに見て触る獣。その先の展開が見えてしまったあたしは、もはやこれまでといち早くその交わりから目を背けた。

 

 

 

 

 

 

 

その時だった。

 

 

 

 

「───やっぱり、か」

 

 

 

 

「「......え?」」

 

 

 

 

「あれ、ヤメちゃうの〜?」

 

 

 

 

突如として止まった痴漢行為、そしてそれを行なった本人である流誠の口から発せられた言葉に、あたしたちは首を大きく傾げた。

 

 

 

 

「やっぱりって何が?」

 

 

 

 

「コレだよ、ほら」

 

 

 

 

「え!?む、ムリムリ!直視できない!恥ずかしーよ!」

 

 

 

 

「あ、あたしもちょっと......」

 

 

 

 

「俺だってヘンな容疑かけられたくないんだよ!いいから見ろコラ!」

 

 

 

 

「「っ......!!」」

 

 

 

 

流誠に怒号をもって急かされたので、あたしとひまりは仕方なく裸体となった塁の上半身に視線を送った。

 

 

 

そして、あることに気がついた。

 

 

 

 

「......あれ?なんか赤くなってる」

 

 

 

 

お腹の辺りが異様に赤く染まっていたのだ。じんわりとした広がりを見せていることから、これはおそらく内出血の類だろう。

 

 

 

 

「ああ、こりゃ誰かに”やられてる”な」

 

 

 

 

「ほほーん?事件の香りがするね〜」

 

 

 

 

「事件?ご、強盗でも入ったとか?」

 

 

 

 

「心配しなくてもそんなんじゃない」

 

 

 

 

そう言い切る流誠には、どこか心当たりがあるように思えた。

 

 

 

 

「はあ......また叱らなくちゃいけないのか」

 

 

 

 

「叱る?何言って......」

 

 

 

 

「──なあ、そこにいるんだろ?伽恋。ほら、隠れてないで出ておいで」

 

 

 

 

「......?」

 

 

 

 

意味不明な発言を繰り返す流誠が事件現場の少し先にある角に向かって視線を向ける。そんな何も無いと思われていた場所から、ひとつの影がひょこっと飛び出してきた。

 

 

 

 

「せいにい......!これは、その......」

 

 

 

 

影の正体はなんと、小さな女の子だった。

 

 

白を基調としたワンピースに身を包み、そこから細くしなやかな腕と足を縮こめたように伸ばして、無垢な白の髪のおさげをさらりと肩に下げている。そんな百合の花とも言える華奢な姿は、まさに”少女“そのものだった。

 

 

 

 

「かっ、カワイイ〜!小動物みたーい!」

 

 

 

 

「ひっ......!せ、せいにい......この人たちは......?」

 

 

 

 

「ああ、そういや伽恋らには言ってなかったか。今日泊まりにきた俺のお友達だ。怖がらせてごめんな」

 

 

 

 

「ん......だいじょぶ......あ、あのっ......!はじ、め......まして......」

 

 

 

 

純白のお人形がこちらへテケテケと駆け寄ってきた。その動作すらも愛おしく感じた。これが母性というやつなのだろうか。

 

 

 

 

「初めまして〜。挨拶できてえらいねー」

 

 

 

 

「さっきは驚かせてゴメンね!私は上原ひまり、よろしくね」

 

 

 

 

「モカちゃんでーす」

 

 

 

 

「美竹蘭。えっと......伽恋ちゃん、だっけ?」

 

 

 

 

先ほどと同じ要領で名前を予測する。少女はそれにこくりと頷いて、その名前が伽恋であることが確定した。

 

 

 

 

「伽恋は兄弟の中で七番目の妹で三女なんだ。にしても伽恋、なんで塁兄さんにこんなことしたんだ?」

 

 

 

 

「せいにいが斗真とかと......年甲斐もなさそうに......はしゃいでうるさかったから......」

 

 

 

 

「はあ......“また”やったのか?」

 

 

 

 

「ごめんなさい......何回言っても聞かなくて......」

 

 

 

 

「あーいやいや、違うよ。伽恋にじゃなくて塁兄さんに言ったんだ、むしろ伽恋は逆だ。いつもしっかりしてくれてありがとな。コイツにはあとで言っとくから」

 

 

 

 

流誠からのお褒めの言葉に、伽恋が恥ずかしそうにもじもじと身をよじらせる。流誠はそれを愛でるように伽恋の頭を「よしよし」と撫でつけた。

 

 

 

 

本当に良く出来た兄弟関係だ。塁の雑な扱いを見るに多少のヒエラルキー的なものは感じられるものの、こう言うのも勝手だが塁本人もそれは認めてるはず、というよりも流誠達の容赦のなさからして意にも介してないはずだし、本当の意味で気楽にコミュニケーションの図れる理想的な家族となっているようだった。正直、あたしもこんな兄弟愛を目の当たりにされてひとりやふたりくらい同じのが欲しくなった。この兄弟と同じ人数分は、流石にいらない。なにしろ多すぎるから。

 

 

確か流誠も含めて全員で11人兄弟だったか。この前流誠から語られた時には驚きはしたものの、彼にとっての家が孤児院であることを考えると言われてみればな大した問題でもなかった。

 

 

 

そんな衝撃も、今ではそこはかとない好奇心へと昇華している。今のところ会っているのは11人のうち3人、そしてこの3人ですらすでに個性的なのだから、残りの8人がどのような人物像なのか想像するだけでも割と楽しめる。

 

 

 

 

 

早くみんなと会って、話してみたい。

 

 

 

 

「──ご、ゴホン......」

 

 

 

 

「蘭、カゼ?大丈夫?」

 

 

 

 

「あ、えと、大丈夫。ありがとうひまり」

 

 

 

 

「わざとらしい咳ですな〜」

 

 

 

 

「うるさい」

 

 

 

 

ひまりはそうではなかったみたいだが、モカはあたしが咳払いをした本当の理由を察しているみたいだった。

 

 

 

 

「ねえ流誠」

 

 

 

 

「ん?どうした」

 

 

 

 

「あたしだけで自由に散策してみてもいいかな」

 

 

 

 

流誠が眉をひそめる。

 

 

 

 

「えぇ......?これまたどうして?」

 

 

 

 

「べっ、別にいいでしょ!そういう気分なの!」

 

 

 

 

そう、あたしは今『そういう気分』なのだ。流誠が今までどんな環境でどんな人達に囲まれてどんな物語を紡いできたのか、それをひとりで見つけて、じっくりと考え込んでみたい。

 

 

 

もちろんあたしは、それを悟られたくなかった。なんか、恥ずかしいから......

 

 

 

 

「蘭もああ言ってるんだし、ほっといてあげたらー?”そういう気分”らしいしー」

 

 

 

 

「うーん......そうか、わかったよ蘭。でも迷子になっても知らないぞ」

 

 

 

 

「流石にそこまで広くないでしょ」

 

 

 

 

「はっ、どうだろうな。じゃあまた後でな。ほら伽恋、行くぞ」

 

 

 

 

「るいにいは......?」

 

 

 

 

「兄さんがおぶってくよ」

 

 

 

 

「蘭ー!迷ったら連絡するんだよー!」

 

 

 

 

「はいはい」

 

 

 

 

モカの助け舟のおかげで流誠を説得することができ、ひまりの忠告を最後に3人はどこかへと去って行った。おかげでひとりになることができた。故にここからはあたしがどこに行きたいかを自分で決めて、自由に行動することができる。

 

 

 

さて、どこから周ろうか。と言ってもここに来てまだ間もなく、右往左往の状態なので手探りで探索していくほかないのだが。

 

 

とりあえずリビングらしき場所を目指そう。あそこなら一家団欒の場所なだけあって人も集まっているはずだし、何よりその位置もわかりやすいはずだから。

 

 

 

 

「......〜♪」

 

 

 

 

そうしてあたしは鼻歌を歌いながら、軽い足取りで木の床板の温もりと感触を味わいつつゆっくりと歩き始めた。




いかがだったでしょうか。次回は2月1日の20時30分に投稿予定です。お楽しみに!


あと追加で情報なのですが、青藍くんと流誠くんの顔だけのイラスト描いたんで近々それを載せようと思います。そちらもお楽しみに。



それではまた次回お会いしましょう。さいなら!


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第8話 片譚

どうもあるです。

バレンタインガチャ30連爆死しました。なんの成果も得られませんでした。


皆さんのガチャ運に神のご加護のあらんことを、心から切にお祈りしております。どうか俺の分も頑張ってください...




ではどうぞ。






体の浮くような感覚を拭い捨てて、意識の覚醒を図る。するとずっと重く感じていた瞼も自然と開き始めた。

 

 

 

 

 

「んぅ......」

 

 

 

 

 

浮遊感の代わりに纏わり付いた疲労感を鬱陶しく感じながらも、目の前の光景を把握しようとする。

 

 

 

まず真上には知らない天井があった。さらにその視界の端には、燃えるような赤髪が持ち主の動きに合わせて静かに揺らめいていた。

 

 

 

 

 

「おおつぐ!起きたか」

 

 

 

 

 

「巴ちゃん」

 

 

 

 

 

こちらを向いて目を見開く巴ちゃんは、どこか心配している様子だった。だが無理もない。何せ私は、先々行く流誠くんを追いかけようとして、その疲れから意識が朦朧としているうちにこくりと眠りに落ちてしまっていたのだから。

 

 

 

 

 

「ごめんね、心配かけて......疲れて気分が悪くなって寝ちゃってたみたい。性懲りもなくツグっちゃったせいで」

 

 

 

 

 

「はは、ツグってるって自分で言うかそれ?でもそのくらいの冗談が言えるのなら大丈夫そうだな。いやーよかったよかった!」

 

 

 

 

 

「えーっと、ここって......?」

 

 

 

 

 

もちろん見慣れないというのは天井だけではなかった。この小さなおもちゃ箱のような少し散らかった部屋。もう少し注意深く周囲を観察してみると、何やらトロフィーや賞状のようなものが乱雑に飾られているのが見えた。

 

 

そんな奇怪にも見えるここが一体どこなのか巴ちゃんに聞いてみると、少し躊躇ったように頭を掻いたあと、こう答えられた。

 

 

 

 

 

「......『リュウ』の部屋だ」

 

 

 

 

 

「────......うん?」

 

 

 

 

 

今、なんと言った?リュウノヘヤ?リュウ、というのはなんの『リュウ』なのだろうか。ドラゴンの“竜”か?もしくは”柳“か?にしてもどちらともこの部屋を形容するには不相応としか言いようがないようにも思えるが......

 

 

 

竜のように勇ましくもなく、柳のように優美でもないこの部屋は、一見してどの家庭でも見られるようなありふれた雰囲気がとても印象的だ。無駄にかっこつけたように言い表すよりも、ここは無難とだけ言ってやればそれこそちょうど良いだろうに。

 

 

 

 

だとすれば、巴ちゃんの言っていた『リュウ』とは一体何なのだろうか。そうして相次ぐ疑問の浮上に懊悩していると、巴ちゃんが何やらガサゴソと部屋を物色し始めた。

 

 

 

 

 

「にしてもスゴいよなあ、こんなにトロフィーとかとっててさ」

 

 

 

 

 

「あわわ......ダメだよ巴ちゃん!知らない人の部屋でしょ、ここ!」

 

 

 

 

 

我がもの顔で部屋に飾られた品々を手に取るともちゃんに自らがどれだけ罪深いことをしているのかを自覚してもらうべく、少々強気に注意する。しかしその結果は意外にも意外だった。

 

 

 

 

 

「知らない人?何寝ぼけたこと言ってんだ?」

 

 

 

 

 

「ふぇ?」

 

 

 

 

 

意表を突かれたあまりに、思わず阿保っぽい声を漏らしてしまった。

 

 

どういうことなのだろうか、この部屋が私も見知っている人のものというのは。

 

 

 

 

 

そんな私の抱える数々の疑問のうちのひとつを知ってか知らずか、巴ちゃんがまた声をあげた。

 

 

 

 

 

「だからここは『リュウ』の部屋だって」

 

 

 

 

 

「りゅ、リュウ......?」

 

 

 

 

 

またリュウだ。謎は謎のままだったが、とはいえこれでようやくわかった。聞いたところリュウというのは形容詞ではなく名詞らしい。私も知ってる人の部屋......つまり『リュウ』は人物名となる。

 

 

 

 

しかしそんな名前の人なんて私の知り合いにいただろうか?熱弁する巴ちゃんには申し訳ないが、思い当たる節は何も────......

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あっ。

 

 

 

 

 

「......えっ」

 

 

 

 

 

脳内に舞い降りた思わぬ展開に、思わず頭を抱える。無いと思われた可能性が、実はあったのだ。

 

 

 

 

しかしどうだろうか。いやでも、もしそれが現実だとして私は......いやそんなことは......でもでも、先ほどまで私が寝息を立てている時に覆っていた、嗅ぎ慣れた匂いをほのかに忍ばせたこの毛布はもしや────。

 

 

 

 

 

「ね、ねえ、巴ちゃん......」

 

 

 

 

 

「ん?なんだ」

 

 

 

 

 

未だにトロフィーをまじまじと見つめる巴ちゃんが、私の声に反応する。おそらく彼女の手に握られているそれも、『彼』のものなのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

”都総体 100m走 準優勝“。

 

 

 

土台の部分にあしらわれた文字を見ながら、私はまたひとつ質問を投げかけた。

 

 

 

 

 

「この部屋、もしかして流誠くんの......?」

 

 

 

 

 

答えを待つ。......隙もなく、巴ちゃんからは間髪入れずに返答された。

 

 

 

 

 

「ああ、だからそう言ってるだろ」と。

 

 

 

 

 

巴ちゃんの繰り返していた『リュウ』は、彼女の流誠くんの呼び名である『流』だった。

 

 

 

 

 

 

 

......この部屋は、あの金色のトロフィーは、このどこか落ち着く匂いをふわりと漂わせている毛布は。

 

 

 

部屋の悉くが、『流』のものだった。

 

 

 

 

 

「──きゅうっ」

 

 

 

 

 

恥ずかしさのあまり頭に血がのぼり、赤面してしまった。次第に頭が回らなくなって自由の効かなくなった体は重力に従うがままに敷き布団目掛けてダイブし、間も無く意識が遠のいていく。

 

 

 

 

その数秒前。巴ちゃんのヒステリックで野太い驚声と倒れゆく私の身を優しく包む無駄に肌触りの良い毛布がとても印象的だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ......はぁ......!」

 

 

 

 

 

乱れた息を整えようと口から肺へと酸素を送り届け、肺から口へと二酸化炭素を吐き出していく。鼓動は未だに早いままで金切音のような耳鳴りもひどく鬱陶しいが、今はそれどころじゃない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───”今の”は、一体......

 

 

 

 

 

「はぁっ......もう......いないよね?」

 

 

 

 

 

壁によりかけた背中を起こして、側にある角からその先に見える部屋のドアの前へと慎重に顔を覗かせる。

 

 

 

......誰もいない。どうやら”ヤツ”は消えたようだ。その事実を知った今、あたしの両肩に重くのしかかっていた緊張感、恐怖感、その他諸々の負の感情は、一時的にだが彼方へと飛んでいった。

 

 

 

 

 

「ふぅ────っ......」

 

 

 

 

 

安堵に胸を撫で下ろす。ここまであたしを追い詰めたあんなエンカウントを、よりにもよってこんな迷宮染みた一軒家もどきの豪邸で遭うことになるとは......あたしの命運ももう尽きたのかもしれない。

 

 

 

あんな......血塗れの鬼の形相との邂逅だなんて。

 

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

 

思い出しただけでも身の毛がよだつ。寿命の約半分はアレのせいで削られた、そのくらいヤツから受けた恐怖はすさまじいものだった。

 

 

 

紅の斑点の目立つエプロンに、片手に握られた銀色の銃口、あとはえらく長い前髪のせいでよく見えなかったが......いや、その逆か。それによってできた影のせいでより際立った、その奥に潜む隻眼に気付いた時には、あたしはそこから後方にあったこの角まで一歩。二歩。三歩、四歩、五歩六歩と、さながら”G”のような足捌きで後ずさった。

 

 

 

 

そして今のあたしがいる。こうして息をし、心臓を動かし、血を巡らせて現界を目にすることができている。

 

 

であれば今度は死ぬ思いで繋いだそれを生かしていくためにも、こんな死気に満ちた場所からは早々に立ち去らねば。いつヤツが踵を返してこちらに帰ってくるかなんて誰も予想つかないし、なら多少の危険を冒してでも探索を続ける価値はある。

 

 

何しろここは流誠の家だ。彼はもちろん、今ならモカやひまり、巴、今はまだうなされているだろうがつぐみだっている。加えて先生などの流誠の家族だ。そんな心強い仲間達が同じ屋根の下にいるわけだし、いくらその広さが舌を巻くほどとはいっても、遭遇することは想像以上に容易であろう。出会えば匿ってもらえるはずだ。

 

 

 

 

 

......今はその可能性を信じるほかない。

 

 

 

 

 

「──よしっ」

 

 

 

 

 

かっと目を見開き、万が一のことのためにも臨戦態勢をとる。無骨だが、こうして少し腰を低く屈ませておけばいざという時には自らの渾身の一撃を喰らわせることができる。いくら殺人鬼とはいえ、小柄な体格である女性から繰り出される咄嗟の攻撃には目を剥くだろう。そこで怯んだ隙に、あたしはそそくさと逃げればいいだけのこと。

 

 

しかしちょっと心配なのが、そのトリガーは自らの気持ち一つという点である。でもまあ問題ないだろう。力んだ態勢のおかげか、今なら体だけでなく心までもが芯から固くなったような感覚だ。

 

 

 

......いける。今なら何でも轢き倒せる。

 

 

 

 

 

「......ッ!」

 

 

 

 

 

そしてあたしは、未知の世界へと再び足を踏み出していった。もう何でもこい。どんとこい。あたしが全部受け止めて、そしてなぎ倒してやるから。

 

 

 

がむしゃらに踏み出して跳躍した勢いをそのままに角を曲がる。そしてあの忌々しい部屋の前を通り過ぎようと────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

......あれ?なんでまた元の道に戻ろうとしてるんだ、あたし。

 

 

 

 

そんなことがふと脳裏によぎった瞬間。それは、殺人鬼の出てきた部屋を通過した瞬間でもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───永遠に感じられた廊下に、真後ろから聞こえてきたドアの開かれた音が不気味に、そして虚しく響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えー?モカねーちゃんって“てんさい“ってやつなの?」

 

 

 

 

 

「そのとおり〜。このモカちゃんにかかればどんなことでもお茶の子さいさいよー」

 

 

 

 

 

「おー!おちゃのこー!」

 

 

 

 

 

「さいさーい!」

 

 

 

 

 

賑やかな談笑に取り巻かれながら歩みを進める。とりあえず風呂場などの大まか部屋は一通り案内し終わったので、次は寝室まで案内しなければ。

 

 

 

にしてもこの短時間で暴れ馬で有名な最年少組の手綱を見事にコントロールするとは......モカの技量には悔しながらも感服せざるを得なかった。

 

 

 

 

 

と、ここで雷オヤジのような怒鳴り声がけたたましくあがった。

 

 

 

 

 

「コラ3人とも!さっき会ってまだ間もないってのにそんな馴れ馴れしくしたらダメだろ!初対面の人には行儀よくしろ!」

 

 

 

 

 

「さっきまで俺の背中でのびてたお前も人のこと言えないけどな」

 

 

 

 

 

「うぐ......あれは元はと言えば伽恋が──」

 

 

 

 

 

きまり悪そうに頭を掻く塁に対して、伽恋は怯まず訝しげにジト目で訴えかけた。

 

 

 

 

 

「ヒッ......!」

 

 

 

 

 

「あれは......るいにいが悪いの......あんな大声で叫んでたら......みんなに、迷惑......!」

 

 

 

 

 

「わわわわかったわかった!な?とりあえず一旦落ち着こう伽恋さん!」

 

 

 

 

 

「はあ......悪いな2人とも。弟がこんな情け無い姿晒して」

 

 

 

 

 

プライドもくそもなくへこへことゴマをする塁に代わってモカとひーちゃんに頭を下げる。するとモカからは「おもしろいしいいよー」と言われ、ひーちゃんからは枯れた笑い声が返ってきた。

 

 

見たところひーちゃんに関してはショックが大きそうだった。気絶する前の塁への第一印象はイケメンだったのに、今となっては真逆の印象を抱いているのが彼女の顔や態度から薄々感じ取れる。これでは失望も良いところだろう、ああかわいそうに。

 

 

 

 

しばらくしたのち、ひーちゃんが「そういえば、」と突然切り出したした。話題の転換でもしようと思ったのだろうか。

 

 

 

 

 

「ねえ伽恋ちゃん、お絵かきが上手ってホント?」

 

 

 

 

 

「え......?そ、そんなに......上手くないと思う......じゃなくて、思いますけど......?」

 

 

 

 

 

「お兄さんがさっき言ってたよ?伽恋は絵がすごい上手なんだーって!」

 

 

 

 

 

「えへへ......ありがと......ございます......今度、何か絵でも描きましょうか......?」

 

 

 

 

 

「ホント!?ありがとー!うれしいよ〜」

 

 

 

 

 

ひーちゃんもなかなか親睦を深めることができているみたいだった。そしてその相手である伽恋も、あの騒音トリオ(塁を添えて)と打って変わって一輪の百合の花のような粛々とした正しい態度で話の輪を広げていた。

 

 

 

しかし、こうして幼馴染と家族達の仲睦まじくやりとりをする姿を見るのはやはり嬉しい思いに尽きる。相性も悪くなくすぐ打ち解けられたみたいなので安心した。

 

 

 

 

 

 

......コイツを除いては。

 

 

 

 

 

「なあ塁、お前もうちょっと絡んでけよ」

 

 

 

 

 

「は、はあ!?なんでだよ!別にしなくたって......」

 

 

 

 

 

「まったく......そんななりしてるくせにコミュ障なのも大概にしろよな」

 

 

 

 

 

「う、うるさい!俺の勝手だろ!」

 

 

 

 

 

流石に二度目の塁の怒鳴り声に関心が向いたのか、塁が敬遠していた2人が一斉に、塁のほうへと顔を向けた。

 

 

 

 

 

「お、どしたの塁くーん」

 

 

 

 

 

「えっ。ああ、いやあその......」

 

 

 

 

 

「ほら、シャキッとしろシャキッと」

 

 

 

 

 

「んなこと言っても......」

 

 

 

 

 

どうしてこうも内気になるのだろうか。初対面といえども少し話をするだけで十分なのに。それにそこらへんの躾ならとうの昔にしているはずだが......詰めが甘かったか。

 

 

 

 

 

「よしわかった。塁、後で俺の部屋に来い。みっちり仕込んでやるから」

 

 

 

 

 

「えっ!?なんで......」

 

 

 

 

 

「察しろ」

 

 

 

 

 

「ちょっと流誠、何する気?......はっ!まさか、やっぱり”その気”なんじゃ───」

 

 

 

 

 

「だからそれは違うって......!」

 

 

 

 

 

 

 

ひーちゃんが掘り返してきたので目つきを尖らせた。そんなこと言ってみろ、またモカが──......あーあー、そらみろ。さながら醜悪な悪魔のように怪しげに口角を吊り上げているではないか。

 

 

 

 

 

「へぇ〜?やっぱりねぇ〜?あー、こりゃ一体ナニする気なんだろうねぇ〜」

 

 

 

 

 

「はあ......ひーちゃん?」

 

 

 

 

 

「あっ、な、なんか......ゴメン......」

 

 

 

 

 

まあら過ぎたことをどれだけ憎んで後悔しても仕方ないし、それは俺が今日に至るまでの過程で嫌というほど実証済みである。

 

 

ここは大人しく引いた方が良さそうだ。

 

 

 

 

 

「はあ......もういいよ別に。それじゃあ、2人はこの先の階段の上った先にある寝室に向かって荷物を置いてきてくれ、そしたらまた一階のリビングに来るように。夕食用意してるから」

 

 

 

 

 

「え!?まさか流誠手作り?」

 

 

 

 

 

「朝ちょこっと一品だけ手加えただけだけどな」

 

 

 

 

 

「わーい。せいくんのごはーん」

 

 

 

 

 

ビンゴ。やはり人間、それも学生。日々の学業や成長期で募りに募った食欲には誰も逆らうことなんてできないのだ。

 

 

 

とりあえずこれで話を脱線させることができたし、針の筵から解放される。やはり飯を餌にして正確だった。

 

 

 

 

俺はくるりと軽い足並みで踵を返した。

 

 

 

 

 

「それじゃあ俺はつぐちゃんとともちゃんと蘭迎えに行ってくる。塁と伽恋と、そこ3人組!オイ聞いてんのかお前ら!つかはしゃぐな!」

 

 

 

 

 

「「「あいさー!」」」

 

 

 

 

 

「今日は晃と陽菜が当番だったか......2人が食器とか準備してるだろうけど、今日は人数も多いし大変だろうから、そっち手伝いに行ってやってくれ」

 

 

 

 

 

「ん......」

 

 

 

 

 

「タダ働きかよ......」

 

 

 

 

 

「あ?文句あんのか?」

 

 

 

 

 

「いいえ何も!誠心誠意手伝います!」

 

 

 

 

 

「ハッ......じゃあ頼んだぞ」

 

 

 

 

 

返事を聞き届けたところでその場から離脱する。そしてモカとひーちゃんは二階へ、塁達はキッチンの方へと、皆も行くべき場所へと移動を始めた。

 

 

 

とは言っても、階段の下の小部屋が俺の部屋なわけだから二階組とは少しだけ道中を共にするのだが。

 

 

 

 

 

「そういえば料理って、流誠は何作ったの?」

 

 

 

 

 

「教えたら面白くないだろ」

 

 

 

 

 

「むー!流誠のいじわる!」

 

 

 

 

 

「ケチンボー」

 

 

 

 

 

ひーちゃんはともかくモカのケチンボという酷称がどうにも気に入らなかったので、仕方なくヒントを出してやることにした。

 

 

 

 

 

「後でのお楽しみだってのに......じゃあ代わりにヒントやるよ。───それは、”赤”だ」

 

 

 

 

 

「「赤......?」」

 

 

 

 

 

2人が揃って首を傾げる。しかし俺から見れば、彼女達がどんな料理かを予想しているかなんて手に取るようにわかる。さしずめ赤という単語を聞いてミネストローネなどトマト系の料理を思い浮かべているのだろう。

 

 

 

 

が、残念ながらそれは違う。

 

なのでもうひとつ、ヒントをくれてやることにした。

 

 

 

 

 

「まだわからないみたいだな。おまけに言うけど、そいつは野菜でもあり果物でもある......これならもうわかるだろ」

 

 

 

 

 

「わかんないよー!」

 

 

 

 

 

「ははーん、なるほどね〜」

 

 

 

 

「え、モカはわかったの?なになに?教えて」

 

 

 

 

 

ひーちゃんがようやく察しのついた様子のモカを問いただすも、「さあね〜?」とのらりくらりと巧みに躱されるだけだった。するとひーちゃんがあからさまに頬をぷくーっと膨らませてみせた。そんないつも通りのばかばかしい光景に、俺も表情を綻ばせる。

 

 

 

 

 

 

 

──その時だった。

 

 

 

 

 

「......って、あれ?」

 

 

 

 

 

ひーちゃんが何かに感付いたかのように目を丸くさせる。その大きく見開かれた視線の先を見てみるも、その先には階段への上り口がちょうど見えてきただけだった。

 

 

 

でもまあ、それも当たり前か。

 

 

 

 

 

何せひーちゃんが疑問符を浮かべた要因であろう足音は、その階段の少し上から聞こえてきていたのだから。

 

 

 

 

 

「足音ー?」

 

 

 

 

 

「ああ、階段からだな。誰だろ」

 

 

 

 

 

ギシッ、ギシッと、その音の主がしっかりと地面を捉えているのがわかるくらいに不気味な足音。それがゆっくりと、着実にこちらへと距離を詰めてくる。

 

 

 

 

 

「な、何かコワイ......」

 

 

 

 

 

「まあ落ち着けって、幽霊なんかじゃあるまいし」

 

 

 

 

 

確かにこんな怪しげな音だけ聞けば、幽霊だとかそういった恐怖の具現体を想像するのも無理はないと思うが、どうせ九分九厘違うに決まってる。幽霊なんていう存在自体...このあいだの夏の学校探検の一件のおかげで一概に言い切ることはできないが、まずありえない。さしずめこの足音の正体は、上で暇を潰してた他の兄弟か、もしくは探検中の蘭のものか。いずれにせよ、恐れることなど何もないではないか。

 

 

 

 

 

にもかかわらず、ひーちゃんは未だに怯えた様子だった。隣のモカもまたよからぬことを考えている表情をしていて、両者共々理由は違えど、その事実を受け入れる気はなさそうだった。

 

 

......仕方ない。俺だけでも挨拶してやろう。そう意気込んで、一歩、また一歩と階段のほうへと詰め寄った。すると次第に、揺れる赤色が二階から降りてくるのが見えてきた。どうやら、『後者』の方らしい。

 

 

 

 

 

「なんだ、やっぱり蘭じゃないかよ。ひーちゃん驚かすなよな」

 

 

 

 

 

よくもややこしくさせてくれたなと淡々とこちらへと近づいてくる蘭に愚痴をこぼす。しかしこれはかえって探す手間が省けたということにもなる。

 

 

いやあ、ならよかった。孤児院の中は最年長の俺でも時々戸惑うほどめんどくさい構造をしているので、もし探すとなると億劫になるのが正直な話だ。離脱を提案したのは彼女自身だが自分から帰ってくるとは思っていなかったので、相対的に蘭はお手柄である。

 

 

 

 

 

「今から飯食うぞー。探索は後にしてこっち来とけよ」

 

 

 

 

 

ご褒美の夕食、とまでは言わなかったが呼びかけてみた。だが蘭からの返事は無く、不気味な足音を響かせるだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

......そういえば、なんでさっきから黙ったままなのだろうか。会話なら十分にできる距離のはずなのに、まさか体調を崩してしまってそれどころじゃないのだろうか。

 

 

 

そんな予感が脳裏をよぎり心配になったので蘭の方を凝視してみると、覚束ない足取りをしていたことが判明した。暗がりからゆらゆらと頭を垂れて降りてきていたように見えたのはそのせいだったのか。今ようやくそのことに気が付くことが────......

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

......あれちょっと待って?なんかアイツ、足浮いてね?

 

 

 

 

 

「は?......は?」

 

 

 

 

 

「んー?せいくんどした......って、何あれー?」

 

 

 

 

 

「え、なんで2人とも固まって────」

 

 

 

 

 

俺の反応に興味を示した2人がこちらに駆け寄ってきて、同じ方向を見た。そして、同じ反応を見せた。

 

 

 

 

 

なんだアレは、なぜ浮いているのだ、と。

 

 

 

 

 

「キャアアアアアアアアア!!!!!おばけ!!!おばけええええ!!!!!!」

 

 

 

 

 

「おー!すごーい、なんか蘭が浮いてるー」

 

 

 

 

 

「落ち着けふたりとも!」

 

 

 

 

 

騒ぎ立てる2人を落ち着かせようと呼びかけるが、これに至っては致し方ないとしか言いようがない。こんな異様な光景を目の当たりにしたら、誰だって取り乱し必至だ。

 

 

 

 

 

 

──今、俺達の目の前には暗闇で宙に浮いている蘭がいる。その目を疑うほどの事実にまた、俺たちも立ちすくんでいるのだ。本当に何なのだこれは......そんな疑問を抱きながら。

 

 

 

と、モカが何かに気がついたのか、突然「あっ」と声をあげた。

 

 

 

 

 

「なんかよく見たらもうひとりいるよ〜?」

 

 

 

 

 

「は?何言って──」

 

 

 

 

俺の視界に映っているのはあの赤いメッシュだけだ。気が動転してとうとう目も狂ったかというモカに対しての疑念を抱きつつも、指された方へと意識を集中させた。

 

 

 

 

 

しかしそこには......蘭の隣には確かに、もうひとりの影がうっすらと見えていた。

 

 

 

 

 

「もも、もうひとりおばけが......!?」

 

 

 

 

 

「大丈夫、大丈夫」

 

 

 

 

 

親を求める赤子のように手を強く握ってきたひーちゃんの手を、俺もまた握り返す。今度の”幽霊”はちゃんと地に足を着かせていた。

 

 

 

 

 

 

......いや待て。よく見たら蘭も、アイツに担がれているだけじゃないか。別に浮遊しているわけでもないし、そう見えた要因であったアイツが今まで見えなかったのも、服装のせいだったのかもしれない。

 

 

 

黒を基調としたフード付きのつなぎに重ね着されているのは、白のエプロン。そこには血痕にも似た赤色の斑点が点々としてあった。

 

 

 

 

 

 

そこから俺は、一つの予想に至った。

 

 

 

 

 

「ああ、───......なるほどな」

 

 

 

 

 

一見殺人鬼の様相の小柄な少年が、階段を降りるごとにその漆黒を灯りへと露わにしていく。その過程で気づいたことがあるのだが、彼のエプロンの襟元には銀色の目立つエアブラシが掛けられていた。

 

 

 

 

 

 

そして予想は、一つの確信へと変わった。

 

 

 

 

 

「やっぱりか......ひーちゃんひーちゃん」

 

 

 

 

 

「なに......?もういなくなった?」

 

 

 

 

 

ひーちゃんが俺の背後からひょこっと顔を覗かせる。そんな期待の籠った視線に俺は嬉々として首を振った。

 

 

 

 

 

「いや、まだいるけど」

 

 

 

 

 

「もお〜!じゃあなに〜!?」

 

 

 

 

 

さっと首を再び引っ込めたひーちゃんをまあまあと手仕草で宥めながら、俺は少年の方へと向き直った。

 

 

 

 

 

 

少年は────凌太はもう、階段を降りきってその場に足を留めて立ちつくしていた。

 

 

 

 

 

「よう凌太。どうだ?塗装の調子は」

 

 

 

 

 

「まだ途中で終わってねぇし最悪だよクソが。今日はどうも騒がしいと思って部屋から出てみたら“コレ”だし、一体どうなってやがんだよクソ」

 

 

 

 

 

相変わらず粗暴な口振りで眉をひそめると、凌太は蘭を担いだ腕を持ち直してから俺の後ろにいるモカとひーちゃんの方に睨みをきかせた。

 

 

 

 

 

「......そっちもお仲間サンかよ、クソ」

 

 

 

 

 

眼帯を掛けてもなおその奥の紺青の威光を失わせることなく、失ったはずの片目をも爛々と輝かせる凌太は、この場の和んだ空気を凍てつかせるには十分過ぎるほどの立役者だった。

 

 

 

 

 

それから蘭が目を覚まし、近くにある俺の部屋からつぐちゃんとともちゃんの2人が出てきてちょっとした騒動になるのは、また少し先の話である。

 

 

 

 

 

 

 

そんな波乱の予兆を前にあまりにも無力だった俺は、ただただ肩をすくめるほかなかった。




いかがだったでしょうか。次回は2月4日の20時30分に投稿予定です。お楽しみに!


さてさて。前回話した青藍くんと流誠くんの似顔絵ですが、上記と同じ日程に載せたいと思います。そちらもお楽しみにしていてくださいませ。



それではまた次回お会いしましょう。さいなら!


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第9話 偽戯

どうもあるです。へあっ!!




それでは()本編、どうぞ。






烏合の衆、という言葉がある。我らが広辞苑によると規制も統制もない群衆、または軍勢のことをそう呼ぶらしい。有り体に言えばバカの寄せ集めで、最近ではなんの専門知識も持ち合わせていない輩がおごり高ぶって建築物の構想を練ったり、化学実験の手順や方法など考えたり、そんな荒唐無稽な状況に用いられることがよくある。

 

 

馬鹿げた話だ。自分の力量及び技量を見誤って、進んで手に余る仕事を平気な顔して無謀にもこなそうとするのだから。彼らはもう少し利口になることはできないのだろうか。

 

 

 

 

「───なあ?」

 

 

 

 

 

「何が『なあ』、なの」

 

 

 

 

 

蘭からキッと睨みをきかされたので、俺は肩をすくめた。

 

 

 

 

 

「いやあ。いつになったら諦めるのかなーと思ってな」

 

 

 

 

 

「せい兄があんなこと言うからだぞ」

 

 

 

 

 

「あたしたちにも引き下がれない戦いってもんがあるの。止めたって遅いよ、もう火がついちゃったもんねーだ!」

 

 

 

 

 

蘭の横に並ぶ晃と陽菜からの追撃を受けて、すくめる肩も呆れ果てて元に戻した。

 

このくらいの料理お前らでも作れるだろうと、俺がキッチンに寄った際に暇つぶしにちゃちゃっと仕上げてみせた味噌汁を前に冗談で言っただけなのにコイツらときたら......よもやここまで頑固、言い方を変えると聞き分けの悪いガキとは思わなかった。

 

 

そんなにカチンとくるものだったのか、はたまたここまでして自分たちの料理の下手さをひけらかしたいだけなのか。後者に至っては今まさに目の前で起こっている惨状の通り、一切のメリットも見受けられないが。

 

 

 

 

 

「なら勝手にしろ。ただ後片付けはちゃんとしとけよ。流しに雑に置きっぱにしたフライパンとか、あとそこの......なんだ?ダークマター?みたいなナニカも」

 

 

 

 

 

「はあ?ちょっと、自分から喧嘩売っておいて逃げる気?」

 

 

 

 

 

「蘭さんの言う通りだ。僕たちの料理食べてもらわなきゃこっちの気も済まないし」

 

 

 

 

 

「あ、ちょっと!せめて味見してよっ!あたしたちの味を!」

 

 

 

 

 

冗談じゃない。俺は人数分に注いだ味噌汁をお盆に乗せて、それを担いてからそそくさとその場を後にした。あんなモノ、とてもじゃないが料理とは呼べない。何かの儀式道具とか、そっち系の名前で呼んでやった方が身の丈に合っているのではないのだろうか。それこそ先ほど俺がおもむろに口にしたダークマターとか。

 

 

 

目に映るブツと焦げくさい臭いから逃げるようにリビングへと向かう。するとそこにはすでに、キッチンにいる3人以外の全員が食卓についていた。

 

 

 

先に用意された先生の料理を前によだれを垂らす斗真、圭人、亜香里。そいつらを慎重に、腕組みしながら監視する塁。その隣には伽恋が座っていて、そのさらにその隣にはいつの間にか璃空が顔を並べていた。そこから席は二つ空いて、対して反対側にはつぐちゃんにともちゃん、ひーちゃん、そしてモカが弟妹たちとの談笑に顔を綻ばせている。もちろん、人見知りの塁や自室に料理を運んでいった凌太はその輪の中に入り組むことはできていないが。いつかはアイツらにも蘭たちと仲良くしてもらいたいところだ。

 

 

 

弟妹たち(主に斗亜圭トリオ)の妨害を払い除けながら味噌汁を食卓に配り終えると、ちょうど全員を見渡せる真ん中の位置に座った先生の掛け声があがった。

 

 

 

 

 

「さっ!それじゃあそろそろいただきましょうか」

 

 

 

 

 

それを聞き届けたのかキッチン勢がいそいそとリビングに戻ってきた。彼らの雰囲気的に......というかそれを見ずともわかりきっていたことだが、やはり失敗に終わったようだった。

 

 

 

例の3人が席についたところで、先生がこちらに目配せをしてきた。

 

 

 

 

 

「全員揃いましたね?」

 

 

 

 

 

「ひー、ふー、み、......はい、ちゃんといますよ」

 

 

 

 

 

折り曲げた指を見せながらそう答えると、先生も満足げにうんと首を頷かせた。それから彼女は、「みんな静かにー!」と手をパンパンと叩きながら席を立ち上がった。

 

 

 

夕食前の恒例行事──“家族会”の始まりだ。

 

 

 

 

 

「今日も一日お疲れ様でした!金曜日ということもあってみんなお疲れでしょう。今日はゆっくりお休みなさいね......と、言いたいところなのだけれど」

 

 

 

 

 

先生は含みを込めた口振りをして自らの口に指を当てると、とある方向へと視線を流した。その先には、周囲から一身に注目を浴びてきょとんとした様子でいる幼馴染達の姿があった。

 

 

 

 

 

「あ、あたしたち......?」

 

 

 

 

 

「正解ー!なんと今日は、流誠のお友達がお泊まりに来てくれていまーす!」

 

 

 

 

 

「「「わーい!」」」

 

 

 

 

 

「はあ......で、それが何だっていうんですか」

 

 

 

 

 

隣のバカ騒ぎするトリオと打って変わってドライな反応を示す塁に対し、先生は爛々とした表情でこう答えた。

 

 

 

 

 

「みんなも知ってるでしょうけど、うちにお客さんが来ることとか誘うことなんて滅多にないでしょう?」

 

 

 

 

 

「そりゃそうでしょ、こんなうるさい人が親だなんて知られたくないだろうし」

 

 

 

 

 

「晃、空気読め」

 

 

 

 

 

「でも、今日はそんな珍しいお客さんが来ているのよ?これはもう私たち家族にとってもお祭りのようなものです!学校のこととかで疲れているでしょうけど、そんな疲れも吹っ飛ばすくらい一緒に楽しみましょう!以上っ!」

 

 

 

 

 

先生はそれだけ言い残すと、ストンと自分の席に腰を下ろした。先ほどのスピーチの全容を聞いた兄弟のほとんどは楽しみそうな表情を見せていたが、俺の両隣に座っている幼馴染達は、無論困惑の色を隠せずにいた。

 

 

 

 

 

「あはは......先生って面白い人なんだね」

 

 

 

 

 

「不思議ちゃんだね〜」

 

 

 

 

 

「はあ......なんか、みんなごめんな」

 

 

 

 

 

先生の豪放磊落な性格は別に嫌いではないが、こうやって他人を勝手に巻き込んでいくスタイルだけは何が何でも控えてもらいたい。その後始末をするのはいつだって、俺や塁などの年長組なのだから。

 

 

 

 

 

「すみません皆さん、うちの母が......」

 

 

 

 

 

「大丈夫だよ、晃くん。別に謝らなくたっていいって。なあひまり?」

 

 

 

 

 

「うん!私たちこそみんなと楽しく過ごしたいし、むしろウェルカムって感じだよ」

 

 

 

 

 

「仲良くしようとするのはいいけど、まさか歌詞作りのこと忘れてないよね?......まあ、あたしも別に少しだけなら遊んであげてもいいけど」

 

 

 

 

 

「みんなぁ......!ほんとありがとな!」

 

 

 

 

 

皆の寛容な心に触れて、思わず声を震わせる。やはり持つべきものは真なる友情というべきか......いやはや、我ながらよくこれほどの貴重な存在と巡り合えたものだ。

 

 

 

......と、胸に手を当てて物思いに耽っているところで大事なことを思い出した。

 

 

 

 

 

「って、いかんいかん。いつまでも長話してたらせっかくの飯が冷めちまう」

 

 

 

 

 

「ふふっ。流誠、さっきの顔かわいかったですよ?」

 

 

 

 

 

「あー、それわかりますー」

 

 

 

 

 

「あら〜、モカちゃん気が合いますね。この子滅多なことがない限りあんな笑ったりしないから尚更ですもの」

 

 

 

 

 

「ですですー」

 

 

 

 

 

右隣と斜め前からこちらを見貫いてくる醜悪な笑みを無視して手を合わせる。それに続いてパンッと響き良い音がいくつが鳴ったところで、お決まりのヤツを提唱した。

 

 

 

 

 

「手を合わせましょう」

 

 

 

 

 

『できました!』

 

 

 

 

 

「......合わせてから言うんだ」

 

 

 

 

 

「うるさい、間違えたんだよ......いただきます」

 

 

 

 

 

『いただきます!』

 

 

 

 

 

動揺したせいできまり悪い挨拶となったが、なんとか締めることができた。

 

 

 

 

カチャリ。カチャリ。食器同士が擦れた際にたつ金属音のような気味の良い音が、静かにリビングに鳴り響き始める。それをBGMに俺たちはまた、談笑に入り浸り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「......ふい〜」

 

 

 

 

 

アツアツに熱せられた湯船に腰を下ろし、身体中に幸せがじわじわ染み渡っていく感覚を味わいながら長いため息をついた。

 

 

 

 

 

「ふふ......モカさん......おじさんみたい......」

 

 

 

 

 

「言ったな〜?そんな子にはおしおきだー。それー」

 

 

 

 

 

「きゃ......!」

 

 

 

 

 

伽恋ちゃんの華奢な肢体をひょいと持ち上げ、幸せの源泉へと放り込む。その際生じた波に隙を突かれ、無防備だった顔に衝撃を加えられた。

 

 

 

 

 

「ぷはーっ!いやー、どの家庭でもやっぱりお風呂は気持ちがいいですなあ〜」

 

 

 

 

 

「ぷるぷる......モカさんやりすぎです......」

 

 

 

 

 

「これくらいがちょうどいいのー」

 

 

 

 

 

大人の嗜みというものをわからせてやろうという体で身振り手振りで弁解しようとするも、伽恋ちゃんには全てお見通しなのか、「はいはい」と軽くあしらわれるだけだった。

 

 

 

 

世間一般的なおじさんがしているであろうような身振りで、湯船の縁に両腕を置く。それからふ、と昇っていく湯気を辿りながら天井を見上げた。

 

 

 

こうして上に......空に顔を向けるのはあの日以来か。

 

 

 

 

 

「────」

 

 

 

 

 

熱で昂ぶった鼓動に耳を澄まし、おぼろげな視界から目を瞑り、脳裏であの夕焼けをぼんやりと思い出した。

 

 

 

 

忘れもしない。忘れられない。いつもあたしを見下ろしてるような普段の夕焼けじゃなくて、もっとこう心臓とかをぐっと掴みとってくる、そんな特別なもの────。

 

 

 

 

 

 

 

 

......ああ、そうだ。

 

蘭の決意に、あたしはまだ揺れているんだった。

 

 

 

変わらないために変わろう。そう豪語してやまない蘭に、迷わずうんと頷いていたみんなが本当に羨ましい。どうすればそんなに強くいられるのかをぜひとも教えてもらいたいところだ。......なんて、そう切り出す勇気すらあいにく持ち合わせていないのだが。

 

 

 

 

 

「......にしてもほんと意外だな〜」

 

 

 

 

 

「え......?」

 

 

 

 

 

「せいくんだよー。よくあんな大人数の下の子の面倒を見ることができるなーってさ」

 

 

 

 

気分転換兼この機会なので、伽恋ちゃんからの兄への評価を話題に振ることにした。

 

 

 

 

 

「して、そのうちのひとりである伽恋ちゃん。君の彼に対する意見を聞こうじゃないかー」

 

 

 

 

 

「えぇ、いきなりそんな......え、えと......せいにいは......優しくて強いし......ちょっと、ふざけたりもするけれど......でもやっぱり、他の人のことを優先するから......みんな、慕ってるんです......」

 

 

 

 

 

「ふむふむ。伽恋ちゃんはせい兄さんのこと、すきー?」

 

 

 

 

 

「うん......!だいすき......♪」

 

 

 

 

 

「そかそか〜。せいくん、モテモテだなー」

 

 

 

 

 

やはりせいくんはせいくんのようだ。蘭ほどではないがちょっぴりコワモテで、でもなんやかんや世話焼きでみんなからも尊敬されて、愛されて。

 

 

 

 

 

 

......でも、その人格は“最初から”そうだったのだろうか。

 

 

 

 

 

「......あのさ伽恋ちゃん。もひとつ聞いてもいいかなー?」

 

 

 

 

 

「え......?はい......大丈夫です......」

 

 

 

 

 

「ここに来たばかりのせいくんって、どんなだった?」

 

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

 

あたしの質問を聞き届けると、伽恋ちゃんの陽だまりのような笑顔は一変して、虚を突かれたような表情へと変わった。

 

 

 

 

 

「それは......私にもよくわからないんです......私はここに来てまだ......3年くらいしか......経ってないから......」

 

 

 

 

 

「あー、そうだったんだねー」

 

 

 

 

 

「あっ......!えと......すみません......お役に、立てなくて......」

 

 

 

 

 

申し訳なさそうに風呂の中でぶくぶくと泡を拭く伽恋ちゃんの頭を「いいよ別にー」と優しく撫でつけてやった。仕方のないことだ。いくら家族とはいえ、そこまで手が回るほど気にすることでもないのだから。

 

 

 

 

 

「でもどうして......急にそんなことを......?」

 

 

 

 

 

頭上にあたしの手を載せたまま、今度は伽恋ちゃんから質問されたので、あたしも正直に答えることにした。

 

 

 

 

 

「せいくんが記憶喪失だっていうことは流石に知ってるよねー?」

 

 

 

 

 

「それはもちろん......ですけど......」

 

 

 

 

 

「なら話が早ーい」

 

 

 

 

 

姿勢を整え声色を低くし、本音を打ち明ける。

 

 

 

 

 

「さっきも言ったけど、せいくんって記憶喪失じゃん?だから昔の記憶はほとんどリセットされちゃってるわけだし、その中に自分も含まれてるだろうし────」

 

 

 

 

 

記憶が無くなる前......そのころから“せいくん“は優しくて、いつもあたしやみんなのことを気にかけてくれていた。その人格は今となっても引き継がれ、口の利き方や態度こそ昔のような温厚さとはかけ離れたものとなったが、時が経っても、記憶が無くなっても、根本的にいえばせいくんはせいくんだった。

 

 

 

でもそれはあくまでも、あたし達がせいくんと再会した時から見てきたせいくんに対しての印象であって、それより以前の『彼』の姿は皆知らないままだった。正確に言えば、そのことについて聞き出すことが上手くできなかったというのが正しいか。

 

 

 

 

要するにあたしは、その姿とやらについて話を聞きたかったのだ。今までせいくんがどのように『自分』を保とうとしてきたのか、本当に変わらないために変わろうとしたのか。

 

 

 

それら全てを伽恋ちゃんに説明すると、そこはかとなく感慨深そうにこちらを向いて、しばらく目を丸くさせていた。

 

 

 

 

 

「......ちゃんと伝わったかな〜?」

 

 

 

 

 

顔を覗き返すと、伽恋ちゃんははっと我に返った様子で慌てふためき始めた。

 

 

 

 

 

「あう......その......」

 

 

 

 

 

「だいじょぶだいじょぶ、ゆっくりでいいからー」

 

 

 

 

 

「す、すみません────......ふぅ」

 

 

 

 

 

まだ膨らみの小さい胸に手を当てて深呼吸する伽恋ちゃんを見ていると、そのシアトリカルにも見えるあまりの素直さに本当に育ちが良いんだなと感心した。

 

 

これも先生やせいくん、塁くんなどの家族の存在がいたからなのだろうか。孤児院という聞いただけでも同情の浮かぶような環境のなかで生活するうえで、性格もやや拗れてしまうのではないのかと心配していたが、食卓などでも見た感じそれに該当するような子は一人として見受けられなかった。見た目も喋りかたもキツい凌太くんのような例外こそいたものの、気絶した蘭を運んでくれていたあたり、彼も根の人柄は優しさに満ち溢れているに違いない。

 

 

 

 

 

「落ち着いたー?」

 

 

 

 

 

「はい......もう大丈夫です......すみません......モカさんの......質問した理由に......驚いちゃったんです......」

 

 

 

 

 

「ありゃりゃ。がっかりしたー?」

 

 

 

 

 

聞くと、伽恋ちゃんは勢いよく首を横に振ってみせた。あそこでいっそのこと肯定してくれたなら、あたしもいい加減自分の本性を割り切ることができたのに。

 

 

 

 

 

「違うんです......がっかりとか、そんなんじゃなくて......びっくりした......みたいな感じで......こんな穏やかなモカさんでも......悩みごとがあるんだ......って、思って......」

 

 

 

 

 

「そりゃあ流石の天才美少女のモカちゃんだって人間なんだし、悩みのひとつやふたつくらいあるよー。ナメないでもらいたいなー」

 

 

 

 

 

「ふふっ......そう、ですね......でもごめんなさい......さっきも言った通り......昔のせいにいのことは......よくわからないんです......」

 

 

 

 

 

再び告げられた事実に密かに眉を下げる。それを知ってか知らずか、伽恋ちゃんは「でも」と前置きしてからこう続けた。

 

 

 

 

 

「せいにいはきっと......ううん、絶対......自分なりにでも......『自分』を保とうと......必死だったんだと......思います......」

 

 

 

 

 

「───っ」

 

 

 

 

 

「だって......せいにいがそうしようとした理由のなかに......モカさんたちも含まれてるって思ったら────......」

 

 

 

 

 

“ストンと心に落ち着いたんです。”

 

 

 

 

そんな彼女特有の後ろめたそうな喋り方とは程遠いハッキリとした鮮明なまでの声に、あたしはハッとさせられた。

 

 

 

 

そうか......せいくんはずっと頑張ってたんだ。まどろんだ記憶の中でテレビの砂嵐みたいなままだったあたしたちのことを信じて、彼なりの努力を一生懸命に。ただひたすらにこれまでの日々を、景色を過ごしてきたんだ。

 

 

 

 

 

 

 

──”やっぱり“せいくんはとっくの昔から、変わらないために変わり続けてたんだ。

 

 

 

 

 

「────」

 

 

 

 

 

「モカさん......?」

 

 

 

 

 

「......ん?あーゴメン。ぼーっとしてたー」

 

 

 

 

 

「のぼせたんでしょうか......」

 

 

 

 

 

「あはは、かもねー。......よし、それじゃあそろそろあがろっかー。教えてくれてありがとね、伽恋ちゃん」

 

 

 

 

 

湯船から体を起こしながらお礼を述べると、伽恋ちゃんからも「こちらこそ」とぺこりと頭を下げられた。でもそれは間違っている。伽恋ちゃんにはお礼を返される以上に価値のあることに気づかされたのだから。

 

 

 

 

そうだ。せいくんはあたしが見てないところでも必死になってたに違いない。そんなこととうに知れていたはずなのに、どうしてあそこまで杞憂になっていたんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───なんて、その理由にもすでに気づいてるくせに。

 

 

 

あたしは弱いから、置いてけぼりにされた自分を認めたくないから、せいくんもそうであってほしいなんて、あらぬ希望を抱いていたから。

 

 

 

 

 

......ねえ?そうでしょ?

 

 

 

 

 

「───おいで伽恋ちゃん。頭拭いたげる〜」

 

 

 

 

 

タオルを片手に持った伽恋ちゃんの背中に、おもむろに手を伸ばす。

 

 

 

その背中にせいくんの面影を重ねながら、あたしは水の滴る自らの顔を乱暴に拭い捨てた。

 

 

 

 

 

その時拭い切れなかったのか、ひとつの水滴が口の中へと入った。

 

 

 

やけに熱く、そしてしょっぱかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「......」」

 

 

 

 

 

「なあふたりとも、なあってば」

 

 

 

 

 

俺の呼びかけはどこへやら、交差する鋭利なまでの眼光の中へと虚しく掻き消えていった。

 

 

 

そのうちの片方に、今度はつぐちゃんが鎮静を試みかけようとした。

 

 

 

 

 

「ね、もうやめようよ?別にそんなにならなくてもいいじゃん!」

 

 

 

 

 

「つぐみは黙ってて」

 

 

 

 

 

「そ、そんなぁ......」

 

 

 

 

 

「おいおい......いくらなんでもその言い方はないんじゃないのか?」

 

 

 

 

 

慈悲の塊であるつぐちゃんからのありがたぁ〜い注意を一蹴した失礼極まりないソイツに向かって、今度は俺が牙を剥いた。すると今度はその鋭い視線が、俺の顔を貫いてきた。

 

 

 

 

熱く燃えたぎる紅────。

 

 

蘭はあからさまに、怒りの色を表している。

 

 

 

 

 

「コイツがあたしのことを運んでくれたのはありがたいと思ってる。でもそれとこれとは話が別でしょ?ていうか、元はと言えばそうせざるを得なくなったのはコイツのせいなんだけどね」

 

 

 

 

 

「......なあひーちゃん、ひーちゃんからももっと言ってやってくれよ」

 

 

 

 

 

助け舟を要請するも、それを受信したひーちゃんからはともちゃんの傍らに寄りかかりながら泣きべそをかかれるだけだった。

 

 

 

 

 

「ひっぐ......もう知らないもん......みんな私の言うこと聞かずに......ううっ......」

 

 

 

 

 

「ああ、ひーちゃんがセンチメンタルに......」

 

 

 

 

 

「張り合い無ェなクソが。泣くんなら最初から首突っ込んでくんなよクソ」

 

 

 

 

 

「うわはあああぁぁぁぁぁぁん!!」

 

 

 

 

 

「ひ、ひまりぃ......おい流!お前まずコイツをなんとかしろよ!兄ちゃんだろ!」

 

 

 

 

 

慟哭するひーちゃんを抱きしめながら、ともちゃんがある方向へと指を突き差す。その先に何があるのかなんて、わざわざ向き直らなくともわかっていた。

 

 

 

 

静かにゆらめく蒼────。

 

 

凌太は隻眼の内に、憐れみを宿らせている。

 

 

 

 

 

「つってもなあ......いかんせん凌太は扱いづらいんだよ」

 

 

 

 

 

「このまんまでいいのかよ!蘭の書いた歌詞バカにされて、それで終いかよ!」

 

 

 

 

 

ともちゃんに叱咤され、俺はぐうの音も出なかった。そこに火に油を注ぐかの如く、凌太が横やりを入れてきた。

 

 

 

 

 

「バカもなにもそれが事実だろクソ。あんな共感性の低い歌詞聞いて、誰が感動するんですかってんだよクソが」

 

 

 

 

 

「何を書こうがあたしたちの勝手でしょ!いきなりノート取り上げて歌詞見ただけでそんな適当なこと言わないでくれる!?」

 

 

 

 

 

「わっかんねェな......そんなんじゃ売れるモンも売れねェぞ?」

 

 

 

 

 

「っ......!アンタねぇ......っ!!借りがあるからって限度ってものが───」

 

 

 

 

 

堪忍袋の緒が切れた蘭が凌太の目前まで寄り詰めて、ついに一触即発の事態に陥ってしまった。それから数秒も経たないうちに、蘭が自らの腕を天高く振り上げる。

 

 

 

 

そして平手打ちの気味の良い音が、広々としたリビングへと鳴り響く────。

 

 

 

 

 

 

 

......前に、別の怒号が突如として、俺たちの耳孔をかき乱してきた。

 

 

 

 

 

「────やめなさいッ!!」

 

 

 

 

 

『......っ!』

 

 

 

 

 

耳をつんざく感覚に身をよじりながら、その声の主の方へと向き直る。そこには血相変えた様子で悠然と立ち尽くす先生の姿があった。

 

 

 

 

 

「せ、先生......」

 

 

 

 

 

「いやにうるさいから何かと思って来てみたら......どうしたの一体!そんな剣幕して!」

 

 

 

 

 

「これは、その......」

 

 

 

 

 

「──もういい」

 

 

 

 

 

蘭は呆れたようにそう吐き捨てると、ソファからすくっと立ち上がってリビングを後にした。その背中を追うように、先生に一言添えてからともちゃん達もその場を離れていった。そして謝罪された先生もまた、彼女達を心配したのか慌ててその後を追った。

 

 

 

 

 

「ちょ、みんな!」

 

 

 

 

 

「......チッ」

 

 

 

 

 

「おい......舌打ちしてるとこ何だが、元はと言えばお前のせいなんだからな」

 

 

 

 

 

リビングに残ったのは俺と凌太とギスギスした空気のみ。実に居心地の悪いことこの上ない。

 

 

 

 

しかし今は、そんなことはどうだっていい。

 

 

 

 

 

「つか、あそこまで言うことなかっただろ。やけに挑発的だったし、なにより不自然だった」

 

 

 

 

 

ずっと感じていた違和感を凌太に伝えた。

 

 

 

確かに凌太は、その凶悪な口振りを以てしてお得意の罵倒を繰り広げたてみせた。しかし本来の彼は初対面の人にはあまりそういう対応はしないのだ。あくまで“あまり”の範疇だが、それが適応されない時には本当に、嘘のように黙りこくっている。

 

 

 

にもかかわらず、どうして今回だけは違ったのか。

 

 

 

 

それは────。

 

 

 

 

 

「──何か思ったことでもあったのか?」

 

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

 

俺の問いかけに、凌太は瞠目するだけだった。しかしそれも束の間、凌太はすぐさま己の隻眼を開けて、同時に口も開いた。

 

 

 

 

 

「......心配、なんだよ」

 

 

 

 

 

「......は?」

 

 

 

 

 

「せい兄のことが心配なんだよ!出会って間もないアイツらのことをすっかり信じきっちまってる、せい兄のことがッ!!」

 

 

 

 

 

威厳のある眼光に捉えられ、俺は思わず身震いをした。しかしそんな凌太の訴えの根源にあるのは怒りでも憎しみでもなく、その彼の優しさゆえの憂いのようなものだった。

 

 

 

 

 

「それは昔仲良くしてた仲だし無理もねェと思う。でも......でも、それとは話が別だ!」

 

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

 

「アイツらはどうなんだよ!表ではせい兄に対して愛想振りまいてるだけで、心の底では”前”の方が良かっただなんて愚痴垂れてんじゃねェのかよ!?俺はそうじゃないのかって思って心配で、本当に心配で......」

 

 

 

 

 

俺の気持ちを裏切ってるかもしれない蘭たちのことがどうしても信じきれず、ああして心の無いことを嘯いた。

 

 

 

 

そう打ち明けた凌太に対して、俺は何も言えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

......ことはなかった。

 

 

 

 

 

「いい加減にしろ!!!」

 

 

 

 

 

「......っ!?」

 

 

 

 

 

凌太の頬に思い切り掴みかかる。そして醜くなった凌太の顔と真っ直ぐ向き合いながら、俺はこう続けた。

 

 

 

 

 

「何を言い出すかと思えばそんなことか?まったく聞いて呆れる。心底な!俺はそんなつまらない男の面倒を見てきた覚えはない!」

 

 

 

 

 

「んぶ、んぶぅぶ......!」

 

 

 

 

 

 

「俺が蘭たちに蔑ろにされてるんじゃないか心配だぁ?ほざけ!仮にもしそうだとしても、そんなアイツらを俺がどう思おうが、逆にどう思われようが関係無い!俺が何かを一方的に信じることに誰も口出しする権利は一切無いっ!!」

 

 

 

 

 

「ぶっ!ぶぅっ!」

 

 

 

 

 

既に歪んだ凌太の顔をさらに締め付けて、おまけに揺さぶってみせた。そのハリの目立つ感触を尻目に、俺はトドメの一発をお見舞いしてやった。

 

 

 

 

 

「何より、蘭たちがそんなひどいこと思ってるわけ無えだろうが!この、人付き合いエアプ野郎が!!」

 

 

 

 

 

「ぶっ......ぐあっ!!」

 

 

 

 

 

俺に乱暴に放り捨てられた凌太が床にぶつかって体を跳ねさせる。そして俺は続けざまに、今度はその胸ぐらを掴み上げて叱咤してやった。

 

 

 

 

 

「幼馴染っていうのは......『かけがえのない存在』っていうのは、そういうもんなんじゃないのかよ!!」

 

 

 

 

 

「......っ」

 

 

 

 

 

静寂が訪れる。聞こえるのは、淡々と時を刻む時計の針の音だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

───チッ......チッ......チッ......

 

 

 

記憶が無くなり、その断片的な記憶の中で鈍く輝きを放つ蘭達を追い求めている間にも、そうして時は進んでいたに違いない。ゆっくりゆっくりと、俺と蘭達との距離を突き放していたに違いない。

 

 

 

 

でも俺たちはこうして巡り合うことができた。俺は俺なりに変わらないように努力して、蘭たちもきっとそうしてきた。

 

 

 

だから互いの変貌ぶりを認め合い、讃え合うことができるのだ。そこに一切の疑念なんてないはずだ。

 

 

 

 

 

どんなに変わっても、俺たちはAfterglowのまま。

 

 

 

それをついこの前、再確認することができたのだから。

 

 

 

 

 

「......言いすぎた。悪いな凌太、年甲斐もなく怒鳴っちまって」

 

 

 

 

 

「別に......“まだ”家族のこと信じきれてなかった俺の方こそバカだった」

 

 

 

 

 

束縛を解き、凌太を自由の身にする。凌太は体のあちこちを念入りにほぐした後、こう告げてきた。

 

 

 

 

 

「せい兄がそこまで言うならわかったよ。でも、大丈夫なのかよ」

 

 

 

 

 

「いやだから、それは大丈夫だって────」

 

 

 

 

 

また俺のこと心配しているのかコイツはと思い、ご忠告ありがとうと言う代わりに軽く手を翻した。

 

 

 

 

しかし......

 

 

 

 

 

「違う。せい兄のことじゃねェよ」

 

 

 

 

 

「あ?俺じゃない?」

 

 

 

 

 

俺はどうやら勘違いをしていたようだ。凌太は俺ではなく何か別のことに関心を向けていたのだ。なんか、ちょっと恥ずかしい。

 

 

 

 

 

「じゃあ今度は何が心配だってんだよ」

 

 

 

 

 

ばつが悪くなって頭を掻きながら問いただす。すると凌太から告げられたのは意外な答えだった。

 

 

 

 

 

「あの”白いやつ“だよ」

 

 

 

 

 

「は?」

 

 

 

 

 

「名前がわかんねェんだよクソ......ほらあの、言うことひとつひとつがふわふわしてるアイツだよ」

 

 

 

 

 

白いのとふわふわしているという点から凌太が誰のことを説明しているのか推理......するまでもなく、俺は反射的にひとつの答えに至った。

 

 

 

 

 

「モカか。珍しいな、凌太が他人のこと気にかけるなんて......まさか!?」

 

 

 

 

 

「ねェから」

 

 

 

 

 

まだ俺が何も言ってないのに凌太はそれを真っ向から否定した。

 

 

 

 

......やけに深刻そうな顔をしている。

 

 

 

 

 

「せい兄なら気づいてんじゃねェのかよ」

 

 

 

 

 

「気づいてるって何がだよ」

 

 

 

 

 

心当たりが見当たらず首を傾げる。すると凌太は肩をすくめながら、こちらへと歩み寄ってきて、────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「相当抱え込んでるぞ、アイツ」

 

 

 

 

 

「────......」

 

 

 

 

 

凌太の厳眼が、まるで品定めでもするかのようにこちらを一点に見つめてくる。それに捉えられる......いや、捕らえられる感覚を得た俺はさながら蛇に睨まれた蛙だった。

 

 

 

 

 

「なんだよ、やっぱり心当たりあるっぽいじゃねェかよクソが」

 

 

 

 

 

「ちっ、違うんだ凌太。俺はっ」

 

 

 

 

 

蛇睨みによって生じた震えを覚えつつ、辛うじて凌太を呼び止めようとした。しかし彼はその薄く見開いた隻眼を撫でながら、無言でリビングを離れていった。

 

 

 

 

 

 

そしてとうとう、リビングには誰もいなくなってしまった。

 

 

 

 

 

「......はは、は。なんだよアイツ。何言い出すかと思えば“そんなこと”かよ......」

 

 

 

 

 

戯言を猫の子一匹いないリビングに吐き捨てる。異様な雰囲気だった。

 

 

 

 

久しぶりだ、こんな広々としたリビングを独り占めできるのは。俺は空虚にも見える生活感に溢れたリビングを視線で撫で回した。

 

 

 

 

 

 

この景色を何度目にしてきただろう。一体どんな言葉や表情をここで見つけてきたんだろう。

 

 

 

色んなことがあった。時には笑って、怒って、悲しんで、そしてまた笑って。家族と一喜一憂した日々を過ごして、俺は変わった。

 

 

 

 

 

 

......まるで、蘭のように。

 

 

 

 

 

「────」

 

 

 

 

 

意識していなかったが、俺はどうやら昔からすでに、幼馴染との大切な思い出を忘れないために......変わらないために変わり続けていたみたいだ。だからこうして、『俺』の面影が現存しているのだろう。

 

 

でもその片鱗を、変わり果てた俺を見せつけられたみんなはどう思うのだろうか。相反する、ギャップに塗れた俺の姿を見て何を想い、どう感じるのだろうか。最初こそそう心配していたが、特にこれといった衝突やしがらみもなく、事なきを得たまま俺は今日この日までみんなとひた走ってきた。

 

 

 

本当にありがたい。自分を認めてほしいだなんてただのわがままだっていうのに、それを快く引き受けてくれて、俺はみんなの寛容さに感服した。

 

 

 

 

 

 

 

その裏に潜む欠落に気づけないまま。

 

 

 

 

みんなの笑顔に疑いなどなかった。みんながそう言うならと雑に割り切って、それで終わりだったから。

 

 

自分のことで必死だったんだ。やっと認めてもらえた。自分の居場所が増えた。俺はその事実を捻じ曲げたくなく、赤点のテストでも隠すように、そっと目を逸らしてきた。

 

 

 

 

でも現実はそう上手くはいかない。隠したテストだって、いつかは見つかるものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───モカは今、焦燥しているのだ。

 

 

 

変わりゆく俺達についていけず、どれだけ追いかけてもかけ離れていく背中を見て、己の無力さを思い知らされて、打ちひしがれているのだ。

 

 

 

 

 

そして俺も、それに気づくことができていた。

 

 

 

モカの異変には薄々気づいていた。元からポーカーフェイスだったアイツでも、ふとした瞬間にその表情に浮き出てくるのだ。俺はその”あく“を見かけたうえで目を背けて、いつも通りを演じ続けていたんだ。

 

 

 

 

 

 

それは追いかけられる立場である俺から追いかける立場であるモカにかけられる言葉が、溢れんばかりの語彙の海をいくら掻き分けても見当たらなかった。だから────。

 

 

 

 

 

「────せいくーん。お風呂出たよー」

 

 

 

 

 

静けさに包まれたリビングにひとつの声が舞い込んできた。それは足音とともに俺の側へと近寄ってきて、確かな輪郭を持ち始めた。

 

 

 

 

 

ずっと瞑っていたせいなのか、すっかり涙ぐんでしまった目を開ける。するとそこには、普段なら癖っ毛の髪の毛を、水滴とともに垂直に近い角度で垂らしているモカが茫然と突っ立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

......よりにもよって、こんな時に。

 

 

 

 

 

「あれれー、どしたのー?目赤いよー?」

 

 

 

 

 

「──そうか。ゴミでも入ったのかもな」

 

 

 

 

 

「にしては痛そうじゃないけどー?」

 

 

 

 

 

「......それよりどうだった、伽恋との風呂は」

 

 

 

 

 

聞くとモカは、静かに親指を立てた。

 

 

 

 

 

「それはそれは何より。ただひとつ言いたいことがあるんだが......」

 

 

 

 

 

「なにー?」

 

 

 

 

 

「なんで髪拭いてねえんだよ。めっちゃ水垂れてるし」

 

 

 

 

 

「えへへー、やっぱバレちゃったかー。でもそれには理由があるのだよ〜」

 

 

 

 

 

待ってましたと言わんばかりに、モカが懐から何かを取り出してこちらに差し出してきた。

 

 

 

モカの手には、バスタオルが握られていた。

 

 

 

 

 

「......何だよ」

 

 

 

 

 

「せいくんに髪の毛拭いてもらいたいなーって思ってさー?ということでー、よいしょっと!」

 

 

 

 

 

「は?って、うおっ」

 

 

 

 

 

「13人兄弟の中でも長男の流誠お兄さんのお手並、拝見させていただきまーす」

 

 

 

 

 

寝巻き姿になったモカが俺の膝の上へと何の躊躇もなく腰を下ろしてきた。だが不思議と俺も、そんなモカの突発的な行動を受け入れることができた

 

 

 

 

 

「あれ〜?案外オッケーな感じー?」

 

 

 

 

 

「みたいだな。自分でもよくわからんが」

 

 

 

 

 

「ま、それもそうかー。こんな美少女に髪を拭いてって頼まれた挙句、膝の上に座られたら誰でも引き受けてくれるもんねー」

 

 

 

 

 

「いいからタオルよこせ」

 

 

 

 

 

「ちぇー......はいどうぞー」

 

 

 

 

 

モカからタオルを受け取り、ずぶ濡れになった灰色の髪に手を添える。しっとりとした手応えが嫌に鮮明に感じられた。

 

 

 

 

タオルで髪を優しく撫で始めると、うちのシャンプーの華やかな香りが匂い立ってきた。それからしばらくして、モカがおもむろに鼻歌を歌い始めた。曲調からしてTrue colerだろうか、奇遇にも俺もこの曲はお気に入りだった。

 

 

 

 

 

 

 

モカは俺に髪を拭かれている間、終始幸せそうだった。

 

 

でもその声や仕草ですら虚実に過ぎないのだと思うと。そう、思うと────。

 

 

 

 

 

 

 

俺は。

 

 

 

 

 

 

 

「......はい、終わり」

 

 

 

 

 

「わはあ、すごいふわふわー、ライヤーで乾かすより断然イイや〜。ありがとー、せいくん」

 

 

 

 

 

気に入ってもらえたのか、モカのにへらとした笑みが俺に向けられる。そんないつも見ているはずの笑顔が、なぜかその時だけは違和感にしか感じられず......

 

 

 

 

 

「────そっか」

 

 

 

 

 

臆した俺は、ただただ笑い返すことしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして俺はまた、知らないフリをしたのだった。




いかがだったでしょうか。次回は2月7日の20時30分に投稿予定です。お楽しみに!


〜読者の皆様へ〜

最後に、読者の皆様にお伝えしたいことがあります。なんかいつのまにかUAが6500超えてましたー!わーい!

つってもUAってのがイマイチわかんないんで数字だけで「わあすごそうだなお祝いしとこ」的なノリで言ったまでです。しかしながら、これほどの数字が出たのは読者の皆様のおかげであることには変わりありません。本当にありがとうございます!!これからも頑張ります!!



以上ですかね。あーあと前回言っていた通り青藍くんと流誠くんのイラストなんですが、挿絵のやり方がよくわからず今回は載せることができなくなりました......申し訳ありません。次回載せれたらまたお知らせいたしますので、どうかお許しくださいませ...


ということで今回はここまで。また次回お会いしましょう。さいなら!


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第10話 誰彼

どうもあるです。 


すみません、投稿遅れました...理由は体調不良です。これからは今まで以上に体調管理に気をつけたいと思います。

あと追加ですが、前回言っていた青藍くんと流誠くんの絵、後から調べてみたらちゃんと投稿できてました。閲覧方法は僕のプロフィール(名前を押す)を開いてから右上のその他の欄の中にある画像一覧を押すことです。そうすればイラストがご覧いただけると思うので、もしよければそちらのほうも見ていってください。



それでは本編、どうぞ。






「──ふぅ」

 

 

 

 

 

すっかり火照ってしまった体に、冷蔵庫でキンキンに冷やされたお茶を流し込む。ルイボスティーと麦茶のブレンド、これを風呂上がりに飲んだらまた格別に美味いのだ。

 

 

 

しかし今日はいやに爽快感が得られなかった。加えて味もほとんどしなかったような気がする。

 

 

 

 

 

 

......それもこれも全て、アイツが原因なのだろうか。

 

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

 

ふと頭を撫でる。感触こそ違うが、そうして風呂に入る前に触ったモカのあの髪の質感を思い出した。

 

 

 

俺ほどではないがやや癖のある髪は、触れた瞬間から俺の手を優しく包み込み、手じゃないのにまるでこちらを握り返してくるようだった。

 

 

 

 

どことなく懐かしい感じがした。それは昔に同じようなことがあったからなのだろうか。とても柔らかくて、朗らかな匂いで、そして────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺はモカの頭から、微かな震えを感じた。

 

 

 

 

初めは気づかなかったが、時々聞こえてくる妙なすすり声を聞いてそんな確信を得た。鼻水をすすっているとは到底思えない、もの寂しげなあの声。

 

 

 

そしてその震えの要因が何かなんて言うまでもない。もはや明白な事実だった。

 

 

 

 

やはりアイツは......

 

 

 

 

 

「──づっ!?」

 

 

 

 

 

俯いたままとぼとぼ歩いていると、その進行方向から何かと衝突した感覚が襲ってきた。

 

 

物憂げに顔を上げる。そこには晃が似たような顔つきで俺と面向かっていた。

 

 

 

 

 

「どうしたのせい兄、俯いて歩いたりして。お金でも落ちてた?」

 

 

 

 

 

「お前は俺をなんだと思ってんだ......見ての通り、あるのは木の床だけだよ」

 

 

 

 

 

ならどうして?そう言いたげに首を傾げる晃に俺は何も答えられず、適当に話を設けてこの場を凌ぎ切ろうとした。

 

 

 

 

 

「つかお前はもう寝ろ。明日も朝からサッカーだろ?スポーツマンは早寝早起き朝ご飯が基本条件だからな」

 

 

 

 

 

「何回も聞いたよソレ。あとそんなのしなくても僕は平気だから。それよりせい兄もいい加減に前もってパジャマ用意しときなよ」

 

 

 

 

 

晃が仕返しにと言わんばかりに俺を淡々と責め立てる。

 

 

 

 

 

「また上だけ裸になって、まだ暑いからってちゃんと暖かくしとかなきゃ風邪ひいちゃうよ?それこそスポーツマンの基本条件なんじゃないの?」

 

 

 

 

 

「何回も聞いたよソレ。あとそんなのしなくても俺は平気だから」

 

 

 

 

 

こちらも対抗して晃が言っていたことをまるっきりコピペして言い返す。球の時速が160/kmは超えてそうな会話のキャッチボールをしながら歩いていると、視界の先に俺の自室の入り口が階段脇から徐々に姿を現し始めているのが見えた。

 

 

 

部屋に入る前に晃に一言言ってやろうと背後を振り向く。すると晃が何か思い出したのか「あっ」と小さく声をあげた。

 

 

 

 

 

「今度はなんだよ」

 

 

 

 

 

「部屋に服取りに行くんでしょ?なら代わりに僕が行くよ」

 

 

 

 

 

「はあ?なんでだよ」

 

 

 

 

 

「あーっと、それはね......う〜ん」

 

 

 

 

 

「......?」

 

 

 

 

 

晃は口籠るばかりだった。そんな時間も惜しく感じた俺は、そそくさと部屋へと向かっていった。

 

 

 

 

 

「あっ、ちょっと......!」

 

 

 

 

 

何を理由にか知らないが、晃が俺を咄嗟に呼び止める。俺はそれに見向きもせず、部屋のドアノブに手をかけた。

 

 

 

 

 

そして扉を開き、見慣れた空間へと足を踏み入れて────、

 

 

 

 

 

「────は?」

 

 

 

 

 

見慣れていたはずの空間が見慣れない空間と化していたことに、俺は驚きを隠せなかった。

 

 

 

その部屋にはなんと、蘭たちがところせましと我がもの顔で居座っていたのであった。

 

 

 

 

 

「は?......は?」

 

 

 

 

 

俺は呆気に取られるほかなかった。なぜ上に案内したはずの彼女たちが俺の楽園に勝手に踏み入っているのか。それが不思議で仕方なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

あとそんな疑念のほかにもうひとつ、気になる点がある。

 

 

 

 

 

それは皆の視線だった。

 

 

 

 

 

「えっ。な、なんだよ。ジロジロどこ見てんだよ。てかここ俺の部屋なんだけど......」

 

 

 

 

 

興味津々にこちらに目を向ける皆の視界の先には俺がいた。しかし不思議にも、見ている箇所は俺の顔ではないのだ。

 

 

まったく失礼極まりない。人とコミュニケーションをとる際には相手の顔をよく見なさいと教えられなかったのだろうか。俺の中で渦巻いていた“なぜここにいるのか”という疑念はそこで、ある一種の怒りのような感情へと変化した。

 

 

 

 

とは言っても、コイツらにもコイツらなりの凝視する理由が何かしらあるのかもしれない。ほら、気づかないうちに唇の横に米粒が付いていたりするだろう?そして気づいたら視界の端にあったそれを見ようと無意識にそこ一直線に視線を移動させてたり、そんな感じの事態が彼女達にも起こっているのかもしれない。

 

 

そう冷静に考え直して、蘭たちの立場になってみようと彼女たちの視線の先を慎重に辿っていった。

 

 

 

 

 

......結果。

 

 

 

 

 

「────あ」

 

 

 

 

 

行き着いた先には、俺の上半身があった。

 

 

 

 

布切れ一枚肌に通していない、なまじ鍛えられたあられもない身体の全容が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「───ああ疲れた。ちょっと休憩」

 

 

 

 

 

「んう〜!だいぶ考えたけど、やっぱり思いつかないものだね」

 

 

 

 

 

溜まった疲れを発散させようと体を伸ばす。

 

 

 

 

 

「歌詞作りもそうだけど、アタシたちの新しい『いつも通り』を考えるってのもやっぱり結構大変だな」

 

 

 

 

 

巴の言う通りだ。歌詞作りをする過程でこれまでの私達の変化、すなわち変わっていく『いつも通り』の様子を歌詞にも取り入れようという話になったのだが、どうにも行き詰まって仕方がないのだ。

 

 

 

胸元の襟元を掴んでパタパタとさせていると、寝っ転がったモカが溜まっていた鬱憤を晴らすかのようにすかさず揶揄してきた。

 

 

 

 

 

「ひゅーひゅー、ひーちゃんのセクシーポーズ」

 

 

 

 

 

「もー!またそうやって〜!」

 

 

 

 

 

「からかうぐらいの元気があるんなら、もう少し話し合いに参加してくれてもいいんじゃないの?」

 

 

 

 

 

「人聞き悪いなー。モカちゃんにもちゃーんとやらなきゃいけないことだってあるんだからねー?」

 

 

 

 

 

モカはそう言って体を起こすと、後ろにあるとある“モノ”へと手を差し伸べた。

 

 

 

 

 

「せいくんの子守りっていう、大切なお仕事がね〜」

 

 

 

 

 

モカによしよしと背中をさすられる流誠の隣にはつぐもいた。つぐも同じように落ち込む流誠を励ましはしていたものの、励まされる流誠本人にとってはどこふく風同然のようだった。

 

 

 

 

 

「流誠くん......」

 

 

 

 

 

「やめろよふたりとも......もう良いんだ。あんな醜態晒した今となっちゃ、もう目も当てられんねえよ」

 

 

 

 

 

「そうだねー。それこそあんなセクシーポーズ見せつけてさ〜?」

 

 

 

 

 

「ぅあああああぁぁぁぁぁぁッッ!!!!」

 

 

 

 

 

流誠の悲痛な叫びが小さな部屋にこれ見よがしに響き渡る。それとほぼ同時に、巴がモカの頰をくにっとつねった。

 

 

 

 

しかしモカの言うことにも一理、いや二理ある。塁くんのせいで相対的に小さく見えていた制服越しの流誠の体だったが、いざ脱いでみれば立派な体がご開帳である。塁くんがゴリマッチョなら流誠は細マッチョとでも言うべきか、私もそれを最初見た時にはあまりのスタイルの良さに開いた口が塞がらなかった。

 

 

と、モカがまた性懲りもなく「にしてもー」と言葉を続け始めた。

 

 

 

 

 

「ほんとに立派になりましたなー」

 

 

 

 

 

「うん。私もビックリしちゃった」

 

 

 

 

 

「みんなして大げさなんだよ......陸上やってんだし、アレぐらい普通だよ」

 

 

 

 

 

「それでもだよー。部活入ってる人でも、ちゃんと鍛えてない人だっているんだしさー?もっと誇ってもいいよー。ねっ、蘭〜?」

 

 

 

 

 

モカがまた何かを企んだ様子で、今度は蘭へと標的を変えた。注目を浴びる蘭は見て見ぬふりでもするかのように、部屋の棚から勝手に出した小さな机に突っ伏していた。

 

 

 

 

 

「おい蘭、どうしたんだよ。そんな態勢だと余計疲れないか?」

 

 

 

 

 

「巴は黙ってて」

 

 

 

 

 

「おやおや〜?もしかして、あまりの変貌っぷりに混乱してるのかなー?まあ無理もないかー。なにせあんな真正面から男の子の裸を────」

 

 

 

 

 

「ああああああああ!!見てない!!あたしは何も見てないもん!!!」

 

 

 

 

 

蘭が自分では耳を塞ぎながらこちらが耳を塞ぎたくなるほどの叫声を発する。それとほぼ同時に、巴のげんこつがモカの頭をぽかっと叩いた。

 

 

 

 

 

「あいたたた......も〜、何すんのさー」

 

 

 

 

 

「からかうのもいい加減にしろ、余計混乱するだろ?」

 

 

 

 

 

「むぅ、それでも叩くのは反則でしょー?」

 

 

 

 

 

「いつもやりすぎたら注意してやってんのに、モカがいつまで経っても聞かないからだろー!」

 

 

 

 

 

「ちょっとふたりとも落ち着いて......!」

 

 

 

 

 

一触即発の事態につぐが仲裁にかかる。そんなやりとりの傍ら、流誠がおもむろにかつ物憂げに、重い腰を上げてぬっと立ち上がった。

 

 

 

 

 

「......ちょっと、外の空気吸ってくる」

 

 

 

 

 

「あっ、流誠!」

 

 

 

 

 

私も立ち上がって去りゆく背中に呼びかけるも声は届かなかった。ドアの乾いた虚しい音だけが唯一の返事だった。

 

 

ふと辺りを見渡すと、有象無象としたモカと巴の会話のドッジボールと、それが手に負えなくなって置き去りとなったつぐ、そしてぶつくさと何やらお経を唱えている蘭が各々好き勝手自分のやりたいことを横行していた。

 

 

どうするべきか。流誠は半袖短パンというラフな一枚着のセットで出て行ってしまった。いくら秋序盤の残暑の季節とはいえそんな格好で、なおかつ風呂上がりの体で夜風の吹く外に出て行ってしまっては湯冷めする恐れが十二分にある。

 

 

 

 

 

そんなことを頭の中で考えていると、体は自然と答えを導き出していた。

 

 

 

 

 

「私も外行ってくる!モカと巴のことよろしくね、つぐ!蘭!」

 

 

 

 

 

つぐ、それからおまけ程度ではあるが蘭に向けてすっかり熱の入ってしまったあのふたりのことについて一言添えてから、ハンガーに掛けられていたフリースのパーカーをひったくって部屋を後にした。

 

 

 

 

 

玄関までの道のりはもう体に染みついていた。

 

靴を履き、気品に満ち溢れた玄関を開け、夜の世界へと身を投じる。そして流誠の名を空に向けて名乗りあげた。

 

 

 

 

 

「りゅーせえー!どこ〜!?」

 

 

 

 

 

やまびこに紛れる虫の音さえも聞き漏らさないほどに耳を済ませる。返事を待つ。あの足の速さだ、あまり遠くへ行ってないといいが......

 

 

 

そんな私の心配も、耳元で囁かれた一声によってただの杞憂となった。

 

 

 

 

 

「──ひーちゃん?」

 

 

 

 

 

「ひゃん!?」

 

 

 

 

 

聞こえてきた声のほうに顔を向けると、流誠との距離がかなり縮まっていたことに気がついて、思わず変な声が山......ではなく丘へと響いた。

 

 

 

 

 

「あーもうビックリしたー......もうっ!脅かさないでよー!」

 

 

 

 

 

「いやこっちのセリフだよ、何しに来たの」

 

 

 

 

 

首を傾げる流誠に本来の目的を想起させられ、「そういえば」と大事に抱えていたフリースを手渡した。

 

 

 

 

 

「お風呂上がったばっかでしょ?さすがに冷えるだろうなって思ったから」

 

 

 

 

 

「ああなんだ、そんなことか。わざわざありがとな、ひーちゃん」

 

 

 

 

 

「えへへー。どういたしまして!」

 

 

 

 

 

薄く微笑む流誠にえへんと胸を張る。しかしそれからすぐに流誠から「ただ」と含みのある言葉を投げかけられて、一度手渡したフリースを返却された。

 

 

 

 

 

「俺は大丈夫だからひーちゃんが使ってくれ。ひーちゃんだって似たようなカッコなんだからさ」

 

 

 

 

 

「えっ!?で、でも......」

 

 

 

 

 

実は先ほどまで、意外にも吹き荒ぶ夜風に密かに身を震わせていたので、そのせいで私は真実を言い当てられたような感覚に襲われ、そのまま口籠もってしまった。

 

 

その隙を流誠は見逃すことなく、肩をすくめながらこう言った。

 

 

 

 

 

「もしこれでひーちゃんが風邪でもひいたら、ともちゃんや蘭に何言われるか知れたもんじゃないからな」

 

 

 

 

 

そうして冗談交じりに鼻で笑う流誠だったが、案外冗談で済む話でもなさそうだ。元はと言えば私が外に出たのも流誠が心配をかけさせたからであって、つまりは責任問題は流誠にあるからだ。万が一私が外から帰ってきた矢先に咳のひとつやふたつ出したとして、そこから自分がどうなるかを予測したうえでのこの行動なのだろう。

 

 

 

しかしそんな義理っぽい行いでも、その裏には確かに流誠の優しさが感じられた。というよりもむしろ前者は大義名分のようなもので、本懐は私自身の体の安否にあるに違いない。

 

 

 

 

 

なにより私は、流誠がそういう人だと確信づいているから。

 

 

 

 

 

「そっか......ふふ、ありがとう流誠♪」

 

 

 

 

 

「え?あ、あぁ......」

 

 

 

 

 

無自覚な本人からフリースを受け取り、早速それを身に纏った。流誠が後ろから優しく包み込んでくれるような気がして、少しだけドキドキする。

 

 

 

 

 

「暖かいなぁ」

 

 

 

 

 

「やっぱ寒かったんじゃん」

 

 

 

 

 

「違う〜!そういう意味じゃないの」

 

 

 

 

 

「はぁ......?まあいいけど」

 

 

 

 

 

肩をすくめた流誠が空を仰ぐ。それに続くように私も顔を上へと向けた。

 

 

 

するとどうだろう。

 

 

 

 

 

「わあ......!」

 

 

 

 

 

普段よく目にする街中のビルや電光掲示板のような私利私欲に塗れたような人工的な灯りではなく、赤青と様々な色の優しくもどこか神々しさを感じさせる光が、夜の空に点々として散らばっていたのだった。

 

 

 

 

 

「どう、ウチの丘から見る星空は。綺麗だろ?」

 

 

 

 

 

横目に質問してきた流誠に、私は有無を考える暇もなく頷いた。これほどの壮大な自然の景色を目の当たりにして、好きとか嫌いとかそんなちっぽけな感情なんて抱いている暇なんてない。ただただ目の前の暗闇を揺蕩う星々の戯れに身を委ね、魅入られて立ち尽くすほかなかった。

 

 

私は感動のあまりぽかんと開けたままだった口から辛うじて声を発し、星空に指をさして流誠へと問いかけた。

 

 

 

 

 

「ねえ流誠、あれ何?」

 

 

 

 

 

「あの赤い星?あれは木星だな」

 

 

 

 

 

南西の空に一際眩しく輝く星の正体を知って、私は衝撃を受けた。

 

 

 

 

 

「えっ?木星って光るの?」

 

 

 

 

 

 

「違う違う、あれは月と同じで太陽の光を反射してるんだ。ああやってただ光ってるように見えるけど、それは距離が遠すぎるからで、木星にもちゃんと満ち欠けはあるんだよ」

 

 

 

 

 

目を輝かせて語る流誠に、私は「へー」と他人事のような返事しかできなかった。それほどまでにこの目の前に広がる広大な星空のキャンバスが、私にとっては驚きと発見と感動に満ちた眩いものだったから。

 

 

 

 

 

 

......流れ星、見えたりしないかな。

 

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

 

いつの日か流誠から聞いた話をふと思い出す。彼は確か、自分の名前の由来はたまたま空を駆け抜けた流れ星からとられたものだと言っていた。

 

 

偉く単純明快な名前の付け方だと思った。本人もそのことについては少々、いやだいぶ不満を感じる節があったように見えたが、そうして肩をすくめていた流誠の顔には苦笑でも嘲笑でもなく、純粋な笑顔が浮かんでいた。それだけは鮮明に脳裏に留まっている。

 

 

 

 

そしてその時の彼がそんな表情をしたのは、その瞬間こそが『流誠』という存在が生まれるきっかけとなったからだろう。

 

 

 

 

 

「......ねえ流誠───」

 

 

 

 

 

サーッと肩を撫でる夜風に急かされるように星空を前にはしゃぐ無邪気な彼の名前を呼んだ。なぜか無性に、その懐かしく見えた横顔に語りかけたくなったから。

 

 

 

 

 

......その、直後だった。

 

 

 

 

 

「───俺さ」

 

 

 

 

 

「......え?」

 

 

 

 

 

黒洞々とした闇夜に霞んですぐにかき消されてしまいそうな弱々しい声に、たまらず首を捻った。

 

 

鼓動が早くなる。空気が張り詰める。

 

 

 

 

 

いつの間にか流誠は、空に向けていた視線を私に目掛けて一直線にしていた。

 

 

 

 

 

「ずっと気になってたことがあるんだ。ずっとずっと、ずーっと、心の片隅で渦巻いてた」

 

 

 

 

 

流誠は微動だにしない。ただ風に髪をたなびかせて、不敵な笑みを浮かべて私に問いかけるだけだ。

 

 

それなのに、それだけのはずなのに、こんなにも肩が震えるのはなぜだろうか。微笑みかけられているだけにもかかわらず、何も身動きのとれなくなった私の姿はさながら蛇に睨まれた蛙だった。

 

 

 

そんな蛇から聞かれたのは、意外にも意外なことだった。

 

 

 

 

 

「改めて、みんなから見て俺ってどうなのかなってさ。今まであまり意識してこなかったけど、今日になって急に気になっちゃって」

 

 

 

 

 

「え?どうなのか、って......?」

 

 

 

 

 

「さっきのだってそうだ。みんな俺の体見て驚いてただろ?どう思ったのかなって───」

 

 

 

 

 

流誠の口から語られたのは、なんと自分への評価がいかようなものかという、藪から棒でどこか可愛らしさのある質問だった。

 

 

だが流誠だって年頃の男の子だ。他者からの、ましてや女幼馴染からの自分のイメージを気にするなんて言ってしまえば当たり前のことである。

 

 

 

だから私も、正直に答えてあげることにした。

 

 

 

 

 

「そりゃ驚くよ!だってあんなに流誠がカッコよくなってるんだもん!」

 

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

 

「学校で再会した時だってそうだった。巴には負けてるけどすごく背が高くなってて、顔も凛々しくなって......本当に、本っっ当にカッコよくなったよ!」

 

 

 

 

 

思いの丈を述べる。流誠は本当に変わった。身も心も、なにもかも変わり果てた。でもそれは決して皮肉でもなく、ましてや蔑視でもない。ただの、心からの純粋な感情だ。

 

 

 

 

それに嬉しかった。私たちのことを忘れず、懸命にずっと追いかけ続けてくれてたこと。それが何よりも暖かく、私の胸の内を包み込んでくれた。

 

 

 

 

 

そしてそれはきっと、流誠も同じで───。

 

 

 

 

 

「そういうのじゃないんだよ」

 

 

 

 

 

「────ぇ」

 

 

 

 

 

首を横に振る流誠に呆気にとられる。その所作に一つの迷いも感じられず、タイミングもあってか、その否定が私の胸の内に対するものなのかと思って目を剥いた。

 

 

 

 

 

まさか......まさか、流誠は。

 

 

 

 

 

「......っ」

 

 

 

 

 

私は行き場の無くなった手を互いに握り合わせた。

 

 

その恐怖に耐えられなくなったから。

 

 

 

 

 

「りゅう......せい......」

 

 

 

 

 

「ああごめん、言い方が悪かったかな。僕が言いたかったのは、変わった僕がどうとかそういうのじゃなくて......」

 

 

 

 

 

「え......?」

 

 

 

 

 

どうやら流誠の否定は、先ほど彼自身が述べたことに対してのものだったらしい。それを聞いた私は、自らの肩の震えが止まるのを感じた。

 

 

 

 

というよりなぜ、彼の一人称が『僕』になっているのだろうか。

 

 

 

 

 

 

......でもよかった、と安堵に胸を撫で下ろす。しかし、それも束の間。

 

 

衝撃がまた、私の思考を乱してきたのだった────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「......『前の方』が良かったかな、ってさ」

 

 

 

 

 

その時の星空を背に映す流誠の姿は、月明かりのない森の暗闇のせいでよく見えなかった。

 

 

 

 

 

故に、だろうか。

 

 

 

 

 

「『俺』より『僕』、なんつって」

 

 

 

 

 

「────」

 

 

 

 

 

寂しげな声とは似ても似つかない気味の悪いほどの清々しい笑顔が、彼の顔面に呪いのように張り付いているように見えた。

 

 

 

 

その笑顔は────落ち着きすぎているとも言えるその笑顔は、まさしく青藍そのものだった。




いかがだったでしょうか。次回は2月10日の20時30分に投稿予定です。お楽しみに。


〜感謝の言葉〜

この度、お気に入り登録者数が30人になりました。ここまで多くの方にお気に入りにされるなんて、感謝感激の極みです。これからも精進していきますので、何卒、お見守りください。よろしくお願いします。




それではまた次回お会いしましょう。さいなら!


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第11話 変調

どうもあるです。


最近になって一気に冷えてきた気がします。コロナウイルスで世間の話題は持ちきりとなっていますが、寒さにも十分お気をつけください。



それでは本編、どうぞ!





「『俺』より『僕』、なんつって」

 

 

 

 

 

「────」

 

 

 

 

 

「......って、どうしたのひーちゃん?そんな顔してさ」

 

 

 

 

 

「──────」

 

 

 

 

 

「悲しいなあ。せっかく“久しぶりに会えた”っていうのに」

 

 

 

 

 

「────────」

 

 

 

 

 

語りかけられる。甘ったるく、道化のような声色で、静かに、淡々と、あでやかに。

 

 

 

 

今、私の目の前に立っているのは......

 

 

 

 

 

 

「僕だよ?青藍だよ?覚えてない?」

 

 

 

 

 

眼鏡の外されたその容姿、声、仕草、そのことごとくが懐かしい。本当の意味で、懐かしく感じる。

 

 

 

 

──ああ、確かにそうだ。

 

 

 

私は今、青藍と対峙している。

 

 

 

 

 

「せい......ら?」

 

 

 

 

 

「ああよかった、覚えててくれたんだ」

 

 

 

 

 

忘れるわけない。忘れられない。だって君は、私の、私達の......“本当”の。

 

 

 

 

 

「本当に......青藍なの?」

 

 

 

 

 

「うん、ちゃんと青藍だよ。あの大人しくて臆病な青藍」

 

 

 

 

 

「ふふっ......あとすぐ調子に乗る、もね」

 

 

 

 

 

「一言余計だなあ」

 

 

 

 

 

決まり悪そうに青藍が頭を掻く。その仕草が数年前と比べてまったく変わりばえがなく、私は筆舌に尽くしがたい思いに駆られた。

 

 

 

 

でもどうして急に、青藍に逆戻りしたのだろうか。

 

 

 

 

 

「──ふふっ」

 

 

 

 

 

「......ははは」

 

 

 

 

 

まあ良い。そんなのどうだっていい。今はただこの瞬間を味わっていればいいのだ。

 

 

 

 

ようやく巡り合えた。青藍だ。本物だ。その事実だけで今の私にはもう十分だった。嬉しい。またあの優しい青藍が戻ってきてくれたことが、本当に、本当に......

 

 

 

 

青藍はいつも、巴と一緒に私のことをいじめっ子などから守ってくれた。つぐと一緒に励ましてくれた。モカと一緒に笑わせてくれた。蘭と一緒に手を引っ張ってくれた。ずっとずっと、側で見守ってくれていた。

 

 

思い出がふつふつと蘇る。生温くて、すこしでも油断してしまえばすぐ寝こけてしまいそうな夢見心地に、私はそっと目を瞑った。

 

 

 

 

 

ああ、なんて暖かくて心地良い夢のだろう。気がつくと私は、青藍の頬に手を当てていた。

 

 

 

 

 

「青藍......青藍......」

 

 

 

 

 

何度も何度も、再会を待ちわびるにも待ちわびた幼馴染の名前を反芻する。次第にそれは、私の脳内にも達していって、そして────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「───なワケないよね、流誠」

 

 

 

 

 

私は頬をさすっていた手に思いっきりしなりを入れて、甲高い音を響かせた。

 

 

 

 

 

「ッ!?」

 

 

 

 

 

青藍......だった流誠が平手打ちをくらった勢いで後ろへと大きく後ずさる。私はすかさずその体をしっかりと抱き留めて、一緒に地面に倒れ込んだ。

 

 

 

 

 

「......っ!」

 

 

 

 

 

「ぐあッ!?......かはっ」

 

 

 

 

 

「はぁ......はぁ......大丈夫、流誠?」

 

 

 

 

 

流誠の体に巻き付かせた腕は繋ぎとめたまま、私と胸合わせで地面に背をつける彼の名前を呼びかけた。

 

 

しかし返ってきたのは、野良犬のような反抗的な声だった。

 

 

 

 

 

「ち、違う!僕は青藍だ!あんな、変わり果てた流誠なんかじゃない、正真正銘の──」

 

 

 

 

 

「もうやめてよッ!!」

 

 

 

 

 

「......ぁ」

 

 

 

 

 

聞き分けの悪い子供を叱りつけるように、私も負けじと怒号を発した。それに流誠が怯んだ隙に、私はすかさず言葉を続けた。

 

 

 

 

 

「どうしてそんなことするの!?そうやって青藍のマネをして、私の心を弄ぼうとでもしてるわけ!?」

 

 

 

 

 

「ぁ......お、俺、は」

 

 

 

 

 

「いい加減にしてよ!流誠は流誠で、青藍は青藍なの!!無理に戻ろうとしないでよ!!どうして急に、そんなことしたの......?」

 

 

 

 

 

「────」

 

 

 

 

 

「答えてよッ!!!!」

 

 

 

 

 

流誠の上にまたがり彼の胸を強く叩く。どうしてあんな真似をしたのかと問うた。

 

あんな真似......というのも、言わずもがな流誠は、青藍の真似をしていたのだ。

 

 

私も最初は困惑した。失った記憶が急に舞い戻ってきたのか知らないが、人格ごと入れ替わったように急に青藍になりすましだした流誠に、私は騙されていたのだ。

 

 

しかしそれも束の間、私はその芝居の中の僅かな抜かりを見逃さなかった。というよりその抜かりというのはもっと内面的なもので、外面的に見たら流石は本人と言ったところか、まったく見分けの付かない完璧なものだった。

 

 

 

 

ではその内面的な抜かりのうちの一体何が、私を現実へと舞い戻らせてくれたのか。

 

 

 

 

その答えは至ってシンプル。

 

 

 

青藍はもう、戻ってこないということ────。

 

 

 

 

 

「青藍はもういないし代わりもいないの......でもそれは、流誠だって同じこと。流誠はもっと『流誠』を大事にしていいの。青藍も流誠も私たちにとっての大切な幼馴染に変わりないんだから」

 

 

 

 

 

「ひー、ちゃん」

 

 

 

 

 

泣きぐだる子供をあやすように流誠の背中をさすってあげながら、優しく諭す。それから過去も今も、そしてこれからも私達は流誠と一緒で、彼自身もそうだと伝えた。

 

 

 

 

 

「お願い流誠、答えて。......なんで、あんなことしたの?」

 

 

 

 

 

傀儡のように魂の抜けきった顔に語りかける。すると流誠の顔が少しだけびくついた。

 

 

 

 

 

「───......たかった」

 

 

 

 

 

「え?」

 

 

 

 

 

「聞いて、みたかっただけなんだ」

 

 

 

 

 

私はそれに対して何を、と聞き返すまでもなかった。いや、正確には聞き返す隙がなかったと言うべきか。流誠は淡々と、間髪入れずにその理由を語り始めた。

 

 

 

 

 

「モカの様子がおかしかったんだ。最近の蘭のことを見ているうちに、いつの間にか俺はアイツにも気を配るようになってた。それでようやく気がついたんだ......アイツは『置いてかれてる』ってことに───」

 

 

 

 

 

「......!」

 

 

 

 

 

「そしてそうさせてるのは蘭だけじゃなくて、俺だってそうなんじゃないのかって思ったんだ。変わり果てた俺のギャップで......それでそこから、モカだけじゃなくてみんなもそう感じてるんじゃないのかって考えた。もしかしたら他のみんなも、流誠より青藍のままのほうが良かったんじゃないのかって」

 

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

 

だからわざとあんなことをした。そんな流誠の言葉に、私は青天の霹靂を覚えた。

 

 

 

確かにモカの様子はおかしかったような気はしていた。どことなくいつもと違う雰囲気をしているなとは思ってはいたが、確信までには至らなかったのだ。しかし流誠はすでに、心の奥底では感付いていたのだ。

 

 

 

 

でも私は違った。きっと無意識のうちに見て見ぬ振りをしていたのだ。本来なら懊悩する幼馴染を解決に向かわせるために助力してやるべきところをそっとしまいこんで、ずっと隠し続けてしまっていたのかもしれない。

 

 

情け無い話だ。挙げ句の果てにはモカだけではなく流誠まで追い詰めてしまっているのだから、誰かに嘲笑われても文句は言えまい。

 

 

 

でもわからないのだ。思い悩む幼馴染達と同じ立場に立てないがために、苦しい気持ちが共有できないのだ。

 

 

 

私には何もわからない。遠ざかる背中を追いかけようと決意するまでの躊躇いも、過去と現在の自分の存在意義のギャップも。全部わかってやりたいけどうまくできない。同じ立場になって考えてやれない......

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──でも。

 

 

 

 

 

「──ねえ、流誠」

 

 

 

 

 

いくら不器用だとしても、隣で寄り添ってあげることぐらいはできると思うんだ。

 

 

 

 

 

「私、思うんだ。人の気持ちを理解することはすっごく難しいことだって。でもそれはきっと同時に、人の役に立つための大きなきっかけにもなるとも思う」

 

 

 

 

 

「きっかけ......?」

 

 

 

 

 

「逆境ってやつだよ!ほら、部活の練習がしんどい時とかにやってやろうって頑張れる気持ちが湧いてくるでしょ?今回のことだってきっと、それと同じなんだよ」

 

 

 

 

 

私はそう言ってから流誠の隣に寝っ転がって、大の字になってみた。柔らかい草枕が気持ちいい。そこから見上げた空にも、依然として星々が横たわっていた。

 

 

 

 

 

「たとえ同じ立場になって考えることができずに何も言葉が思い浮かばなかったとしても、そばにいてあげることはできると思う。その結果がどうだとしても、自分のできる範囲で相手に真摯に向き合ってあげたら、それで十分なんじゃない?」

 

 

 

 

 

「......!」

 

 

 

 

 

かつては自分がそうするべきだったことを今度は流誠にも教えてあげた。すると流誠は今度は目を丸くして、こちらをまじまじと見つめてきた。

 

 

 

 

 

「本当に、それだけでいいのか?」

 

 

 

 

 

「私も正直、自分勝手な考え方みたいだとは思うよ?でも、何もしないことのほうがもっといけないと思う。当たって砕けろだよ!それにそっちのほうが、私たちっぽくない?」

 

 

 

 

 

「は......ははは。まあ、確かに」

 

 

 

 

 

きょとんとしたあと、流誠は空に向かって高らかに笑った。それでいて、こぼれたような笑みだった。

 

 

 

 

 

「でも、そっか......そんな単純な話だったんだな」

 

 

 

 

 

「そ!それに流誠自身のことだって、同じ立場にならなくても心配しなくていいことなんだよ?」

 

 

 

 

 

「俺のこと?」

 

 

 

 

 

「自分を曲げなくて良いってことー!もうっ、流誠の分からず屋!」

 

 

 

 

 

「分からず屋なんて久々に言われたなあ。まあでも、その......ありがとう、色々気づかせてくれて」

 

 

 

 

 

はにかむ流誠の笑顔はとても愛おしいものだった。私はそれを一身に受けた恥ずかしさのあまり、向かい合っていた顔をまた空へと向けた。

 

 

 

しかし本当に、ここの星空は筆舌に尽くし難い。たまに夜空を眺めた時に目にする夏の大三角形以外でも、大小様々な星が飽きを感じさせないほどに軒を連ねている。あれが天の河というものなのだろうか、なんと神々しい恍惚さだろう。

 

 

 

空の果てまで続く煌めきの集合体───。

 

 

 

 

 

そんな永遠を眺めていると、私はまた無性に流誠に話しかけたくなった。

 

 

 

 

 

「流誠」

 

 

 

 

 

「......何?」

 

 

 

 

 

「モカのこと......みんなのこと、これからもよろしくね」

 

 

 

 

 

他人事のようだった。そこに私の存在があることは自明の理のはずだったのに、まるで自分は関係ないとでも言い張るかのような言い方だった。

 

 

 

そんな粗末な願いにも流誠は真摯に耳を傾けて、うんと頷いてくれた。

 

 

 

 

 

「当たり前だ。“どんな形であれ“、俺は最初からそうするつもりだったよ」

 

 

 

 

 

「流誠じゃなきゃダメなのー!」

 

 

 

 

 

「ははは、そうかそうか。......わかった、わかったよ」

 

 

 

 

 

流誠はそう言い放つと「よっこらせ」と立ち上がり、背中に付いた土などを払い除けてから大きなあくびをした。

 

 

彼の背筋は、えらくしゃんと伸びていた。

 

 

 

 

 

「もう帰ろう。だいぶ冷えてきた」

 

 

 

 

 

「うん。そうしよ」

 

 

 

 

 

ふいに差し伸べられた手を掴んで私も同じように起き上がり、同じように背中のゴミを払い除け、同じようにあくびをした。

 

 

 

大きく口を開けながら紺碧を仰ぐ。その先にあるのはもはや察しのついている景色。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────......あれは。

 

 

 

 

 

「ぁ────」

 

 

 

 

 

夜空にスッと引かれた一閃が、私の視線を惑わせた。

 

 

 

 

 

「ひーちゃん?どうしたの?」

 

 

 

 

 

「え?あー、えっと......」

 

 

 

 

 

消える瞬間を見る間も無く、流誠がすかさず足を止めた私のほうへと声をかけてきた。私はそれに対して思わず口籠ってしまった。

 

 

 

 

......今私は何を見たのだろうか。

 

 

 

視界の端での出来事だった。場面から場面へと切り替わる、その瞬間に起こった出来事を把握するなど、運動部のくせして動体視力に自信の無い私が到底できるわけがなかった。

 

 

 

 

とても眩くか細い閃光だった。ひとたび触れればその先からすぐ瓦解してしまいそうな脆さを兼ね備えた、そんな光だった。

 

 

単なるたまたま通りかかった飛行機の光かもしれない。この期に及んで姿を現した未確認飛行物体だったり、はたまたただの幻覚だったのかも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───いや、実際にはそのどれでもなかった。

 

 

 

 

私の隣には今、目も眩むほどに輝く『流星』が落ちているではないか。

 

 

流星ならとっくの昔から、私達の目の前に姿を現している。消える瞬間を見れなかったのではない、彼はずっと輝きを放ち続けている。

 

 

 

 

 

 

私の願いを込めた、不滅の流星。

 

 

 

 

......でもごめんね、君にはまだそれに気づいてほしくないの。自分がどれだけ大切な存在なのかを。それを知ったら君は傲り高ぶらずに首を振るだろうから。

 

 

 

 

 

モカを助けてあげられるのは君しかいない。今の私じゃ彼女の異変をどうこうすることなんてできない。ましてや気づいてやることすらできなかったのだから、尚更────......

 

 

だからお願い。あのマイペースで親友思いのどうしようもない子の、空いた背中を押してあげて。張り付いた笑顔をひっぺがしてやって。

 

 

 

そんな願いを込めながら、流星に向かって首を振った。

 

 

 

 

 

「......ううん!なんでもない!」

 

 

 

 

 

止めた歩みを皆が待つ孤児院へと再び動かし始める。軽い足取りだった。きっとそれは一片の迷いのない、まるで春の陽だまりの道を夢中になって掻き分けていくような、そんな感じのものだった。

 

 

私は今まで見ず知らずのうちに、青藍という存在に囚われ続けていたのかもしれない。というよりもむしろ過去という代物にないものねだりばかりしていたと言ったほうが正しいか。だから今回の同じ境遇にあるであろうモカの異変に対しても、そのモカの姿に自分が照らし合わさって見えるのが怖く感じ、結果いち早く気づいてやることができなかった......という言い訳を設けて、本当は気づいていないフリを続けていたのかもしれない。

 

 

愚かしいにもほどがある。懊悩する幼馴染を見捨てて自分の殻に閉じこもっていたのだから。そう思うと、あの時蘭の背中を追いかけると決意した自分のことが嫌になるほど恥ずかしくなる。

 

 

 

それでもようやく目が覚めた。本意ではないにしろ、流誠が自らのポリシーを侵してまで私を悪夢から引きずりだしてくれたのだ。そうでもしなきゃ今の私がいなかっただなんて、とんだ皮肉だ。

 

 

流誠には感謝してもしきれない。こうしてAfterglowを続けてこられたのも、彼がかつての蘭を叱咤激励してくれたおかげでもある。世話焼きもいいとこだ。でもそこはリーダーである私の面子が立っていないということでもあるので、少し複雑な気分ではあるが。

 

 

 

 

それでもそこはグッと堪えて、適材適所という言葉通りこの件は流誠に任せるとしよう。そのほうが効果的だろうし、何より流誠ならうまくやってくれるはずだ。

 

 

 

 

 

今の私では力不足だ。真の意味で君のことを捉えることのでき始めたばかりの私では、モカのぽっかり空いた穴を塞ぐことなんてなおさらできないだろう。

 

 

 

 

 

 

だから......

 

 

 

 

 

「───お願いね、流誠」

 

 

 

 

 

「ん?ひーちゃん何か言った?」

 

 

 

 

 

後ろから流誠が駆け寄ってきた。そうして覗き込んできた顔に向かって、私はまた首を振った。

 

 

 

 

 

「だからなんでもないってば!」

 

 

 

 

 

「えー......そうか?」

 

 

 

 

 

「そうだよ。ていうかほら、行こ!モカと巴のこと止めなきゃ!」

 

 

 

 

 

「ああ、それもそうだな」

 

 

 

 

 

未だに罵り合っているかもしれない2人の姿を脳裏に想起したのか、流誠が笑った。

 

 

私にはそれが、夜空に駆ける流星をも霞ませてしまうほど輝いているように見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい流誠、コーヒーですよ」

 

 

 

 

 

差し出されたマグカップに「ありがとうございます」と手を差し伸べる。それから鼻で匂いを確かめて一口目を口に流した。

 

 

果実のようなフルーティな味わい......今回はモカブレンドだった。

 

 

 

 

 

「......狙ってます?」

 

 

 

 

 

「えっへん」

 

 

 

 

 

「100点中2点で」

 

 

 

 

 

「意外とヒドい!」

 

 

 

 

 

どこが意外なのだろうか。俺は仕向けられた小洒落に妥当な評価をしただけだったので、なおさら肩をすくめてやった。

 

 

 

 

 

「どうしてですか......流誠がせっかくモカちゃんのことについて相談してくれたということで、それを励ましてあげようと面白がらせようとしただけなのに......」

 

 

 

 

 

「余計なお世話ですよ......ていうかあまり大きな声で話さないでくださいよ、聞かれたらどうするんですか......!」

 

 

 

 

 

「別にいいじゃないですか。この際パーっとバラして、パーっと流れで解決したら」

 

 

 

 

 

「んな他人事な......!」

 

 

 

 

 

この人は本当にデリカシーという言葉を知らないみたいだ。俺のとっ散らかった部屋に好奇心の赴くままにみんなを招き入れたのも先生だというのに、彼女はその反省の色を見せていない様子だった。

 

 

他の家族だってそうだ。先生に俺が部屋に帰ってこないように門番係として任命されていた晃だって、みんなから聞いた話によると俺の特殊な性質を赤裸々告白してくれたみたいだし、もう目も当てられない。

 

わかるさ。確かに自分より目上の存在の弱みを握っていれば誰だって打ち明けたくなる。だが限度ってものもあることも理解してほしい。『動物の名前の後ろにいちいち“ちゃん”付けすること』だぞ?おかしいだろ。あれこれが嫌いだとかそういったレベルの話じゃない、俺の威厳に関わる死活問題だ。

 

 

実際みんなからは高笑いされたし、特にモカからはお察死の通りの言動を浴びせられた。あの時だけは鮮明に、俺のただでさえ高くなかったヒエラルキーがガラガラと崩れさっていく音がした。

 

 

 

 

 

「やめてくださいよホント、何もかも......!こちとら腹がキリキリしてならないんですよ......!?」

 

 

 

 

 

「まあまあそう言わずに。ほら、コーヒーが冷めちゃう」

 

 

 

 

 

先生が飄々とした態度で俺の手に持たれたままのマグカップに向かって顎をしゃくった。なんて虫の良い人なのだろうか。

 

 

とは言うものの、俺もそれについては少々気にかけていたので正直なところ助け舟だった。

 

 

 

俺が大人しくコーヒーを啜っていると、先生が唐突にこんなことを聞いてきた。

 

 

 

 

 

「......モカちゃんのこと、まだ心配してるんですか?」

 

 

 

 

 

「......っ」

 

 

 

 

 

俺は一瞬吹き出しかけそうになったのをぐっと堪えて、マグカップをテーブルに置いてから先生を横目に質問を質問で返した。

 

 

 

 

 

「......どうしていきなりそんなことを」

 

 

 

 

 

「顔に出てますよ。母親ナメないでください」

 

 

 

 

と、先生がまた己のふくよかな胸を「えへん」と張ってみせた。そんな彼女に対して俺は、先ほどと同じような言動をすることができなかった。

 

 

 

 

 

何も、言えなかった。見事なまでに図星だったから。

 

 

 

 

 

「────俺、は......っ」

 

 

 

 

 

「さっきも言った通りです。貴方は自分が相手の為になると思ったことをその人にしてあげたらいいだけなんです」

 

 

 

 

 

「だからそれがわからないんですよ......アイツがどう思うかどうか以前に、自分のことすらもわからないままで......やっと、やっと流誠っていう存在をブレさせないようにすることができたっていうのに!」

 

 

 

 

 

モカから感じ取った変化というものへの恐怖を歪な形に捉えたことから発展してしまった、ひーちゃんへのあの自暴自棄な行動。そんな俺をひーちゃんは正しい解釈へと導いてくれた。おかげで流誠という存在に確信を持つことができた。

 

 

 

それでもまだわからない。やはり自信がない。かつての俺と同じく変化に対する嫌悪感を抱くモカに投げかけてやれる優しい言葉が、まったく思い浮かばない。彼女の震える体をそっと包み込んでやるための術が見当たらないのだ。当たって砕けろだなんて言っていたが、それでもやっぱり慎重になってしまう。

 

 

 

自分のことすらままならない......であれば俺はまだ、真の意味で自分を見つけることができていないのかもしれない。

 

 

 

 

 

「クソっ......」

 

 

 

 

 

情け無く天井を仰ぐ。両腕と椅子にもたれた背中は重力に垂だれた俺の姿は、まさに意気消沈という言葉を体現したものだった。

 

 

時間がない。こうしている間にも、進み続ける蘭と止まったままのモカの間にできた縮まらない距離は理不尽にも離されていってる。

 

 

 

 

 

「俺が悪いんだ......バカな俺が、全部......」

 

 

 

 

 

「流誠......」

 

 

 

 

 

ああ、頭が痛い。自分に対する嫌悪感とモカに対する焦燥感で今にもパンクしそうだ。

 

 

それでも考えなきゃ。曲がりなりにでもいいから、付け焼き刃でもいいから、何か言葉を。

 

 

 

 

 

『大丈夫。きっとなんとかなるさ』

 

 

 

 

 

他人事かよ。

 

 

 

 

 

『お前ならついていける。頑張れ!』

 

 

 

 

 

しらじらしいにもほどがある。

 

 

......ああ、そうだ。いっそのことこう言ってやろうかな。

 

 

 

 

『もう、何もかもやめちまって────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「......っ!?」

 

 

 

 

 

突如襲いかかってきた重みに、思わず目を見開いた。しかし目の前にはブラックアウトした闇の世界しか見当たらなかった。

 

 

 

さらに言うと、悉くを包み込むような柔らかな感触が────。

 

 

 

 

 

「むぐっ......?!むぐぐ......!」

 

 

 

 

それには心当たりがある、いやそれしかなかった。これは先生の胸だ。昔よく抱きしめられていたからわかる。苦しい、息ができない、目の前が暗くて怖い......なんて昔は思ってたっけ。

 

 

でも今は違う。回数を重ねていくごとに俺はその行為の優しさに触れ、いつしか自然とそれをすんなり受け入れるようになった。

 

 

 

しかしなぜ今なのか。その答えは、俺の過去の経験上から容易に算出することができた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先生はいつも俺が困っている時、そしてそれに対して的確なアドバイスをくれる時には、決まってこうして抱擁してくれるのだ。

 

 

 

 

 

 

こんな、前置きを添えて。

 

 

 

 

 

「───しっかりしなさい」

 

 

 

 

 

「......ぁ」

 

 

 

 

 

先生の厳かな声に俺は思わず喉を震わせた。

 

久しぶりの感覚に身震いが止まらない。こう、胸元にできた厄介な腫瘍を一気に浄化してくれるような、そんな感じの陽だまりのような暖かさが......俺の心にへばりついた氷を優しく、ゆっくりと溶かしてくれるのだ。

 

 

 

 

 

「答えならすでに出ています。貴方はそれに気がついていないだけなんですよ?」

 

 

 

 

 

背中をさすられながら語りかけられた言葉に俺は耳を疑った。

 

 

答え──というのは、俺がモカに対して一体何をしてやれるかということ。でもそれはわからないままでいるのが現状のはず......それを先生は否定したが、一体どういうことなのだろうか。

 

“答え”ならすでに出ている、というのは一体──。

 

 

 

 

 

......そんな疑念も、素っ頓狂な先生の声で彼方へと飛んでいった。

 

 

 

 

 

「ま、確証は無いんですけどね」

 

 

 

 

 

「......へ?」

 

 

 

 

 

「いやーごめんなさいね。出会ったばかりのモカちゃんのことが関係してるものだから、どうにも掴みどころが悪くて......」

 

 

 

 

 

「んなっ......」

 

 

 

 

 

呆気に取られる俺とやれやれと肩をすくめる先生。両者相容れない雰囲気の中、「それに」と言葉を続けたのは先生のほうだった。

 

 

 

 

 

「それに、こればっかりは流誠の過去が関係してそうですから」

 

 

 

 

 

「は?......は?」

 

 

 

 

 

これまた藪から棒な発言に、俺はさらに開いた口を大きく開けた。

 

 

俺の過去......つまり、俺がまだ青藍だったころのことが関係していると。でも先生は何を根拠にそんなことを?

 

 

 

 

 

「どうして昔の俺が関係しているんですか」

 

 

 

 

 

「え?そんなの勘に決まってるじゃないですか」

 

 

 

 

 

「────......あ、そっすよね」

 

 

 

 

 

ああ、そうだ。そうだった。今思い出した。いや、本当は心のどこかでそんな予感はしていたのかもしれないが。

 

 

 

先生はいつも、俺や家族の相談には本当に親身になって対応してくれる。しかしそれに投げかける解決策のほとんどは自らの勘だというのだ。

 

 

実に奇想天外、荒唐無稽、馬鹿げてる。俺も最初の頃はそう思っていた。でも蓋を開けてみればどうだろうか、これがまた奇妙にもその先生の勘がバンバンと当たっていくのだ。

 

それからというものの、俺達はその勘に助けられていくうちにそれをすんなりと受け入れるようになってしまった。そう、なってしまったのだ。これではまるで依存しているみたいでは......いや、実際しているのか。

 

 

 

 

 

故に俺はまた、その勘とやらを自然と納得してしまった。

 

 

とはいえ今回は内容が内容だ。忘却の海へと放り出された記憶を無作為に引き揚げようとしたところで、何かしらきっかけが無い限りそれらは全て水泡に帰すだろう。

 

 

 

 

 

「つってもやっぱり、そんなの流石にわかんないですよ」

 

 

 

 

 

元に戻した眉を再びひそめて先生に異議を申し立てる。するとそれに対して先生は、いやに冷静な態度でこう返してきた。

 

 

 

 

 

「大丈夫。今度もまたきっとうまくいきますから」

 

 

 

 

 

先生にその自信の根源は何かと問えば、また自分の勘だと答えるのだろう。しかし俺にとってはやはりそれが、やたら説得力の感じられる答えのように思えた。

 

 

 

 

 

 

”きっかけ“を待て。

 

 

 

先生はそう言いたいのだろう。

 

 

 

 

 

「果報は寝て待て、ですか......」

 

 

 

 

 

「焦らない焦らない。きっとうまくいきます、だから大丈夫ですよ」

 

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

 

「うまくいく」、「大丈夫」の一点張りに気圧されがくりと肩を落とす。いくら実績のある先生の勘でも、その勘が当たるのが『いつか』なんていう不確かなものでは困るのだ。

 

 

 

それでも今は、その勘にしか頼ることができない。気休め程度ではあるが、ここは......

 

 

 

 

 

 

「はあ......わかりましたよ。そこまで言うのなら大人しく寝て待ちますよ」

 

 

 

 

 

藁にもすがる思いとはこのことである。俺は苦虫を噛み潰したような顔で、先生の提案をようやく体全体へと吸収しきることができた。

 

 

先生は満足そうに微笑むと、俺を束縛し続けた腕を離し、そっと抱擁を解いた。

 

 

 

 

 

「なら良し!そうと決まればモカちゃんに────」

 

 

 

 

 

「早速順序間違ってますけど!」

 

 

 

 

 

「あらうっかり。てへっ」

 

 

 

 

 

先生はあざとく腕を自らの頭にコツンとぶつけると、「あとはおまかせしますよ」とだけ言い残して手のひらをひらひらと振りながら洗面台へと消えていった。

 

 

 

そんな無責任なその背中を見ていると、唖然とした顔にも笑いが込み上げてきた。

 

 

 

 

 

「はは......まったく、先生には敵わないな」

 

 

 

 

 

論理的な考えなど持たずともフィーリングだけでここまで俺達を導いてくれた先生。不器用ながらも真摯に向き合ってくれたその姿勢には、もはや敬意しか表れない。

 

 

 

 

 

 

......ならもう、彼女の勘を信じるしかない。それが誠実で嬉々とした彼女への一番の恩返しにもなるから。

 

 

 

 

 

 

どの道俺の力だけでは、どうにもならないのだから。

 

 

 

 

 

「寝て待つのはいいけど、なるべく早起きしたいな」

 

 

 

 

 

最後の抵抗として冗談混じりの愚痴をこぼしてから、残りのモカをぐいっと飲み干す。

 

 

口の中に甘酸っぱい香りが広がり、ほろ苦い後味は俺を極上へと誘う。その全てを芯まで味わってはじめて、俺はとあることに気がついた。

 

 

 

 

 

「───ぷはー!おいしっ」

 

 

 

 

 

冷え切っていたと思われていたモカからは、なんだか温もりのようなものが感じられたような気がしたのだ。




いかがだったでしょうか。次回は2月13日の20時30分に投稿予定です。お楽しみに!


〜謝礼の言葉〜

と、いうことで。なんとお気に入り登録者数が40人を突破いたしました!!!前回は30人でしたが、ここ数日ですんんんごい伸びました。めっちゃ嬉しいです。本当に励みになります。これからも頑張りますので、何卒応援よろしくお願いいたします。


ではまた次回お会いしましょう。さいなら!


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第12話 幾望

どうもあるです。

ロゼリアイベ、来ましたね。今回はボーダーが高いそうですが、一応自分も走ってみたいと思います。ちなみにただいま2000位です!しんどい!!!!



それでは本編、どうぞ!






「あ、流誠くん」

 

 

 

 

 

「おかえりー!」

 

 

 

 

 

自室の扉を開けると、ひーちゃんとつぐちゃんの和かな笑顔が俺を快く出迎えてくれた。

 

 

 

 

 

「ただいま。モカとともちゃんは......」

 

 

 

 

 

家に帰ってから直行で先生のところに向かったので、例の2人の行く末はどうなったのかと視線を向けてみると、どちらともすやすやと気持ち良さそうに寝息を立てていた。さしずめ喧嘩して疲れたのだろう。

 

 

やれやれと肩をすくめていると、ひーちゃんとつぐちゃん以外のもうひとつの視線がこちらを鋭利なまでに突き刺してきた。

 

 

 

 

 

「どこ行ってたの?この2人落ち着かせるの大変だったんだからね」

 

 

 

 

 

「あはは......悪い悪い」

 

 

 

 

 

愚痴る蘭にはへこへこと頭を下げるほかなかった。どうやらコイツもコイツなりに2人の喧嘩を止めようとしてくれていたみたいだ。

 

 

 

 

 

「ひーちゃんが先に帰った時にはもうこの状態だったの?」

 

 

 

 

 

「うん。まさかとは思ってたけどそのまさかだったって感じ。ありがとう!蘭、つぐ!」

 

 

 

 

 

「別に」

 

 

 

 

 

「あたしも。そんなことより早く歌詞書き上げなきゃ」

 

 

 

 

 

蘭はひーちゃんからのお礼を軽くあしらうと、こちらにアイコンタクトをしてきた。その真意を心中で察した俺はすぐ行動に移した。

 

 

 

 

 

「はいはい、そしたら2人を起こさなきゃな」

 

 

 

 

 

今回の歌詞作りには皆の意見が必要不可欠である。誰一人として歌詞作りをサボってもらってはこちらとしても困るものがある。今だけは心を鬼にして、この2人の眠り姫を起こさねば。

 

 

 

 

 

「ほら起きろふたりとも、もう喧嘩は済んだんだろ」

 

 

 

 

 

モカとともちゃんの肩を交互に揺する。それから間もなく、唸り声が返ってきた。

 

 

 

 

 

「うーん......?ああ、流か......おはよ」

 

 

 

 

 

「ふにゃ〜......あと5分......」

 

 

 

 

 

「そんな時間無えから。ほら、大人しく起きろ」

 

 

 

 

 

寝ぼけ眼のふたりの背中をポンポンと叩き、起床を促す。ともちゃんはすぐに飛び起きてくれたが、モカだけはまだ夢うつつだったのでぐにっと頬を摘んでやった。

 

 

 

 

 

「ふふ。流誠くん、なんだか面倒見の良いお兄さんみたい」

 

 

 

 

 

「こういうのには慣れてるからな」

 

 

 

 

 

「それって女の子の眠りを妨げることー......?」

 

 

 

 

 

「蘭に頼まれたんだよ。だから恨むなら蘭を恨め」

 

 

 

 

 

「おのれぇ......眠りの恨みは怖いんだぞー?」

 

 

 

 

 

恨めしそうに見つめられる蘭だったが、彼女はそんなの全然気にも留めない様子だった。

 

 

 

 

 

「どうぞご勝手に。どうせ大したことないんだから」

 

 

 

 

 

「うぅ......はくじょーものー」

 

 

 

 

 

モカもそうは言ったものの、結局は歌詞ノートの近くへとノソノソと体を寄せていくのであった。それに続いて他のみんなも机を囲むように近づいてきた。

 

とにかくこれで面子は揃ったので、ようやく歌詞作りを始めることができる。それを確認するかのように蘭は俺達を一瞥したのち、意気揚々と場を仕切り始めた。

 

 

 

 

 

「よし、それじゃあ始めよう。まずは冒頭の部分から。これはさっきあたしが先に考えてみたやつなんだけど────」

 

 

 

 

 

こうして、“俺たちの”歌詞作りは幕を開けたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっ、先生ー。おはよーございます」

 

 

 

 

 

「あら璃空。今はこんばんは、ですよ?」

 

 

 

 

 

「おひるねしてたんだ。なにしてるの?」

 

 

 

 

 

洗濯物を干していると洗面所の入り口のところから璃空が興味津々そうな顔でこちらを覗いていたので「おいで」とひらひら手招きしてやると、にぱっとした明るい笑顔がこちらに駆け寄ってきて、そのまま私の体に激突してきた。

 

 

 

 

 

「わーい。先生だー」

 

 

 

 

 

「璃空ったら甘えんぼさんですねぇ。でも今は、先生のお手伝いをしてほしいな」

 

 

 

 

 

そう言って濡れたTシャツとハンガーをチラつかせると、璃空はそれを快く受け取ってから手慣れた手つきで手伝い始めた。

 

 

 

 

 

「さすが璃空!先生、すごく助かります。ありがとう。お兄ちゃんたちだって、きっとそう思ってますよ?」

 

 

 

 

 

「えー!ほんとにー!?」

 

 

 

 

 

「もちろん!」

 

 

 

 

 

目を丸くする璃空に私はうんと頷いた。この子がここまでてきぱきと仕事をこなすことができるのも、日頃から流誠達の手伝いをしているからだろう。

 

だってほら、ハンガーをかける順番だって右から左だ。これは流誠の手癖である。時々頭を掻くのも嫌々ながらも手伝う凌太の真似だろうし、こういうのを見ていると本当に兄姉達の姿をよく観察しているのだなあと、母親ながら感心させられる。後者に関しては別に教わらなくてもいいことではあるが。

 

 

 

 

 

......にしても母親か。

 

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

 

はたして私は、“母親”というものをちゃんと担うことができているのだろうか。この子たちの支えとなることができているのだろうか。

 

 

先ほどの流誠との一幕からずっと思い悩んでいた......いや違う。それはあくまでも忘れ去っていたものが込み上がってきただけ。

 

 

流誠のずいぶんとたくましくなった背中を撫でながら、私はこう思った。ここまで大きくなれたのは、はたして私のおかげなのだろうかと。

 

確かに料理などの家事をして流誠やこの子達を育てあげたのは私だ。しかしその類稀なる優しさ、強さ、可愛さといった輝かしいほどの人格を形成したのは私とは限らない。むしろ彼ら自身の経験が活きているのであろう。

 

 

皆、出会ったころと比べて肉体的にも精神的にも大きくなってくれた。だが前者に至っては、誰にだってできるもの。美味しい料理さえ食べさせていれば誰だって健康的に育つ。

 

対して後者はどうだろうか。子は親に似るとも言うが、それは精神的な面でのことであると私は捉えている。

 

 

でもそれは違った。間違いだった。似ていなかったのだ、私の方が。流誠たちはきっと自分の手で、今の自分を作り上げたに過ぎない。

 

 

 

 

だって。偽りばかりの、この私は────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「......せい......先生!」

 

 

 

 

 

「────ぁ」

 

 

 

 

 

突如として耳に入り込んできた声に意識が舞い戻る。虚な視線に光を灯すと、璃空が脚立の上から自慢げに腕を腰に当てて、靴下などの垂れ下がったタコ足を望んでいた。よく見るとTシャツなどのハンガーを要するものも、後で私が外に干しに行きやすいようにとしたためか、近くの取っ手に等間隔にかけられていた。

 

 

 

 

 

「せんたくものぜんぶほせたよ?ほら」

 

 

 

 

 

「あぁ......こんな、いつの間に」

 

 

 

 

 

驚きのあまりに開いた口が塞がらなかった。それと同時に、まだ小学2年生の息子がこんなにもしっかりしているのにもかかわらず、呑気に感傷に浸っている自分に対して情けない気持ちがどっと溢れ返ってきた。

 

 

 

 

そう思うと......ああ、やっぱり。

 

 

 

 

 

 

私は本当の意味で、この子達の母親になってあげることはできないのかな。

 

 

そんな虚しさでいっぱいになった。

 

 

 

 

 

「......先生、どうしたの?げんきないよ?」

 

 

 

 

 

「──あ、あらら、ごめんなさい。先生、ちょっと疲れてるのかもしれませんね。ほら、最近色々とバタバタしてましたし」

 

 

 

 

 

「うーんそうかなー?そんなに変わらないような気もするけど」

 

 

 

 

 

「......とにかく!璃空、今日は......いえ。今日も手伝ってくれてありがとうございました。ほらこんな時間、今日はもう寝なさい」

 

 

 

 

 

悟られまいと必死になるあまり、璃空の小さな背中を少し強めに階段のほうへと押してしまった。それでも璃空はそんな私のわがままを素直に聞いてくれて、「おやすみなさい」とだけ言い残して2階へととぼとぼと上がっていった。

 

 

 

 

 

その暗闇の中から見える背中が、どうにも寂しげで......

 

 

 

 

 

「......あぁ」

 

 

 

 

 

腰から足にかけての力が抜けて、私はその場にへたり込んだ。空虚な洗面台にはずん、という重みのある振動だけが鳴り響いた。

 

 

 

 

いい加減に目を覚ませ、私。世界中の苦しむ子供たちを助けるのではなかったのではないのか?あなたの信念はそんなものか?

 

 

 

 

 

「......私がしっかりしなくて、どうするの」

 

 

 

 

 

自らを鼓舞し、地に足裏をついてからゆっくりと立ち上がる。ここで折れるわけにはいかない。例え彼らにとっての母親が私でなくても、私にとって彼らは大切な子供達......血こそ繋がってはいないが、それはもう家族同然の存在である。

 

 

 

ならば最期まで面倒を見てやらねば。彼らのぽっかり空いた隙間を、曲がりなりにでもいいから私が埋めてやらねば────。

 

 

 

 

 

 

 

でなければ“あの家”を......“あの子”を見限ってまでこうした意味が無くなってしまう。

 

 

 

 

 

「──元気に、しているかしらね......こころ」

 

 

 

 

 

気がつくと私の脳裏には、あの目も眩むほどまぶしい笑顔が浮かび上がっていた。

 

 

そしてそれにはもう二度とお目にかかることはないであろう現実に、私はまた心の傷を深々と抉られたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「......ふがっ」

 

 

 

 

 

頭蓋に響いた衝撃に、無理矢理夢から叩き起こされた。目を覚ました時点での態勢から考えるに、頬杖をついていた位置がずれてしまったみたいだ。

 

 

......今何時だ?覚束ない視界で時計を見てみると、短針がすでに5の数字を回っていたことに驚いた。

 

そんな俺の戸惑いに気づいたのか、他のみんなもそれぞれの反応を見せた。

 

 

 

 

 

「あ、せいくん起きた」

 

 

 

 

 

「もう流誠。勝手に寝落ちしないでよ」

 

 

 

 

 

「おはようぐらい言ってくれよ......」

 

 

 

 

 

挨拶がひとつもなかったおかげで、眠気にかまけた俺はさらに機嫌が悪くなった。

 

 

 

 

 

「そもそもお前らが俺がついていけないような話を持ち出してくるから、放置された俺は寝るしかなかったんじゃないか」

 

 

 

 

 

「それは確かに......いやーでもこれがまた懐かしくてさあ、中学の頃が!」

 

 

 

 

 

「だよねー!なんだかんだ言ってあの頃も楽しかったよね。特にAfterglow初のライブのあった文化祭とか!」

 

 

 

 

 

「もう何回も聞いたって、それ......」

 

 

 

 

 

この短時間で耳にタコができることなんてそうそう無い。ひーちゃん達にとってよほどその思い出が感慨深いものだということはわかったが、いかんせん俺にとってはただの与太話のようなものでしかない。

 

 

とはいうものの、実はこの前その時録音されていたという音源を聞かせてもらったのだ。そしてその無骨さには血の気が引くほど圧倒された。とても言い難いのだが......てんで形になっていなかったのだ。

 

しかしその奥底から伝わってくる、オーディエンスにおべっかをかくような典型的な演奏ではないありのままの自分達を素直に表そうとする情熱は、俺の魂を揺さぶって鮮明に伝わってきた。その点で言えば彼女達はこの頃からすでに、今のAfterglowの原型を完成させていたのかもしれない。

 

 

確かに俺にとっては知らない話だ。でもそうやって深々と考えれば考えるほど、彼女達がどんな思いを募りに募らせてライブに臨んだのかとか、どんな表情を見せていたのかとか、ポンポンとはたいてみればそういった好奇心がぽろぽろと落ちてくる。

 

 

 

 

......ああ、そうか。本当は俺も腹の中では気になっていたのか。そのことにようやく自覚することができた。ではなぜ居眠りしていたのかというと、多分知らない世界を見せつけられてひねくれていただけなのかもしれない。

 

 

 

 

 

「ん──......っと」

 

 

 

 

 

これからはもっとひたむきにならなくてはな。そんな新たな決意を胸に、俺は勢いよくのびをした。

 

 

 

 

そんな俺とは正反対に、約1名。

 

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

 

体育座りのつぐちゃんが自らの足に向かって水飲み鳥のように頭を揺らしていた。

 

 

 

 

 

「ありゃ、つぐ、寝そうだね」

 

 

 

 

 

「......はっ!!ご、ごめん......こんな時間まで起きてることって......ぜんぜんないから......ふわあ......」

 

 

 

 

 

つぐちゃんは大きな欠伸をすると、小窓から顔を覗かせている薄明かりの青空に寝ぼけ眼を向けた。

 

 

 

 

 

「ふむふむ、5時か。もう朝ですな〜」

 

 

 

 

 

「すっかり喋ったな。ほとんど内容覚えてないけど」

 

 

 

 

 

「2人ともお眠さんですなー」

 

 

 

 

 

そういうモカはというと全然元気な様子だった。しかしこちらとしてもそんなことを言われても困る。

 

俺は話があまり共感性がなかったからふて寝しただけだし、つぐちゃんに至ってはその健全さゆえに夜更かしすることなど普段ならありえない行為なのだから、こういう状況で俺とつぐちゃんが寝落ちしても周りにとやかく言われる筋合いなんてどこにもないのだ。

 

 

 

なんていう合理化を図っていると、ひーちゃんからこんな提案をされた。

 

 

 

 

 

「じゃあ眠気覚ましに外出てみない?朝日見たら気分もスッキリするかも」

 

 

 

 

 

名案だった。もしかしたら歌詞についても何か良い案が浮かび上がるかもしれないし。

 

 

 

 

 

「それもそうだな。じゃあ行こっか」

 

 

 

 

 

俺が呼びかけると、みんなもすぐに立ち上がってくれた。そして朝の気配に導かれるがままに朝霧に包まれた世界へと、みんなで身を繰り出した。

 

 

 

そして、そこで目に映した景色は────。

 

 

 

 

 

「わあ......っ!」

 

 

 

 

 

「おお......!」

 

 

 

 

 

「朝焼け......すっごくキレイ!!」

 

 

 

 

 

玄関を開けたすぐ先に待ち構えていた空と橙のコントラストに、俺たちは思わず息を呑んだ。遠くに見えるビル群よりももっと先にある朝日はすでにその半身を地表へと現し、そこから放射状に後光を放っていた。

 

空には青、雲には白、草木には緑。世界中のあらゆる生命や物に色が付与されていく。そしてそれらにはみな平等に淡い橙色が伴っていて、豊かな温かみを帯びていた。

 

 

 

 

 

「これはエモいっすね〜」

 

 

 

 

 

「ホントだ......」

 

 

 

 

 

「写真撮っとこーっと!」

 

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

 

それぞれの感想やシャッター音が飛び交うなか、俺はひとりだけ黙りこくっていた。朝焼けなんていつも日課であるジョギングの時によく目にするはずなのに、今日のはなんだか形容するのがもったいないような......そんな特別な気がしたからだった。

 

 

にしてもなんだか既視感を感じる。順序こそ違えど、俺たちが目にしているものは夕焼けのそれと同じだった。

 

 

 

 

 

「......流?大丈夫か?ぼーっとしてるけど」

 

 

 

 

 

「え?あ、ああ。大丈夫だよ。なんか朝焼けと夕焼けって似てるなーって思ってさ」

 

 

 

 

 

「あー確かに!アタシも見たことあると思ってたんだよな」

 

 

 

 

 

理解者の出現に俺は密かに安心した。でもそれは、ともちゃんひとりだけではなかった。

 

 

 

 

 

「あたしも思ってた。ここから朝になって、昼がきて、夕焼けが出て......夜がくるんだよね」

 

 

 

 

 

「夜がきたら、また朝焼けがでて、朝になる〜」

 

 

 

 

 

そう、蘭やモカの言う通り時は巡る。日が昇り、そして沈めば1日が刻まれて、そうして時は過ぎていく。俺も、そしてみんなもそんな時の波に揉まれながら今日まで生きてきて、そしてこれからも死ぬまで生きていく。

 

でもそのなかで見る“景色”はいつまでも変わらない。いつになっても太陽と月の追いかけっこ。昼と夜の堂々巡り。そこには時々雲や雨模様が割り入ったりして......でもそれらは全て同じ空だ。

 

 

 

それこそ、『いつも通り』に────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「......ああああっ!!」

 

 

 

 

 

「うわっ!?びっくりした......何、急に」

 

 

 

 

 

「あ、ごめん。つい......」

 

 

 

 

 

突然の俺の迫真の叫びに驚いたあまり耳を塞いだ蘭に謝罪を添える。だが今はそれどころじゃない。

 

 

伝えなくては、この“発見”を。

 

 

 

 

 

「蘭やモカが言ったことでようやく気づいたんだ。全部、繋がってるんだって」

 

 

 

 

 

「繋がってる......?」

 

 

 

 

 

「空のことだよ。晴れの日も、曇りの日も、雨の日も、嵐の日も。───どんな姿形でも、空が『いつも通り』なのは変わらない」

 

 

 

 

 

晴れ、曇り、雨、嵐......多種多様な天気を見せる空。でもそんな変化の渦中でさえ、朝、昼、夕方、そして夜と時は平行して均等に刻まれていくのだ。俺が気づいたのは、それが俺達の『空模様』と似通った点があるということだった。

 

 

 

 

 

「さっき、新・いつも通りをみんなで出し合っただろ?」

 

 

 

 

 

「せいくん寝こけてたけどねー」

 

 

 

 

 

「......知らないうちに俺たちの『いつも通り』も変わっててさ。それって、空が時間と一緒に少しずつ変わっていくのに似てるなって思ったんだ」

 

 

 

 

 

雲ひとつなければ底の抜けた薄群青。そんな空にだって、時には物憂げな曇天や泣きたくなるような大雨がやってくる。

 

 

理不尽だとか残酷だとか、色々思うことだってあるかもしれない。でもその次の日には嘘のように晴れ渡ったりすることもある。喜怒哀楽に変わったように見えるけれど、本質的には何も変わってなどいない。

 

 

 

 

 

「全部繋がってるんだ。空も、そして俺たちも」

 

 

 

 

 

「そっか......あたしたちの『いつも通り』は日々少しずつ変わってて、今までそれが不安で仕方がなかった」

 

 

 

 

 

「でもそれは間違いだったってことか」

 

 

 

 

 

「そうだねー」

 

 

 

 

 

いつまで経っても今も昔も変わらない。過去、現在、そして未来になっても変わらない『いつも通り』が、俺たちにはあるんだ。

 

 

 

 

 

「うん。今は私たち、同じ新しい『いつも通り』を見てるよね?」

 

 

 

 

 

「私もそう思う!『いつも通り』は、日々変わっていくこと。日々変わってく中で、変わっちゃいけない『いつも通り』を守ること」

 

 

 

 

 

それが私たちがいつまでも一緒にいられるためにできること。ひーちゃんはそう続けると、蘭にこんな提案をした。

 

 

 

 

 

「ね、これを歌詞にしようよ!」

 

 

 

 

 

身を乗り出すひーちゃんに、蘭はあたかもそう言うとわかっていたかのように頷いた。

 

 

 

 

 

「あたしもそう思ってたとこ。新しい『いつも通り』をあたし達の中にずっと刻んでおけるような歌詞......そんな歌詞にしたいね」

 

 

 

 

 

蘭の願い、それは俺やみんなも同じだった。ようやく見つけたこの俺達の『いつも通り』を、確かな形のまま後世にまで残しておきたいんだ。

 

でもそうするためにはもうひと工夫加えておかなければなるまい。俺達の絆がいくら深いとはいえ、それを載せた最高最善の手を尽くした曲でなければ廃れてしまうかもしれない。

 

 

 

石橋は叩いて渡れ。そうして俺は石橋と足りない自分の頭を頭を叩いて案を捻り出し、それを持って向こう岸へと石橋を渡った。

 

 

 

 

 

「あ、あの、さ。歌詞のなかに変わってく空の色とか入れてみないか?朝日とか夜空とか。もちろん夕焼けもさ......どうかな?」

 

 

 

 

 

らしくなく腰を低くして反応を伺う。すると答えはすぐに返ってきた。

 

 

 

 

 

「せいくん、ナイスていあーん」

 

 

 

 

 

「空模様か......いいね、それ。......うん。歌詞のイメージ、湧いてきたかも」

 

 

 

 

 

「ほ、ほんとか!?」

 

 

 

 

 

安堵に胸を撫で下ろす。その理由はただ自分の案を採用してくれたことではなくて、もっと根本的な部分にあった。

 

 

 

 

 

「俺、この前のことで色々反省したんだ......だから今度は蘭の役に立ちたいって思って、だから───」

 

 

 

 

 

だから、蘭の力になりたかった。無責任な言葉で傷つけるのではなく、親身になって助けになりたかった。

 

そんなお誂え向きにも見える俺の願いを、みんなはなんの勘繰りもなく快く引き受けてくれた。

 

 

 

 

 

「蘭だけじゃないぞ。これはアタシたちの歌でもあるんだから、流はみんなの力になったんだ」

 

 

 

 

 

「あー!流誠に先越された〜!あたしもそう言おうと思ってたのにー!」

 

 

 

 

 

「おや、こういうときこそリーダーの本領発揮するとこじゃないんすか〜?」

 

 

 

 

 

「モカは黙ってて!」

 

 

 

 

 

いつも通りのやりとりに、どっと笑いが巻き起こる。空へ突き抜けた暖かい笑い声は、少し肌寒い朝風にのってどこかへと飛んでいってしまった。

 

 

 

しばらくして静寂が訪れた。それから俺達は今一度、あの雄大な朝焼けに思いを馳せた。

 

 

 

 

 

「朝焼け......ほんとにきれいだね。夕焼けよりも空の色が渋くて」

 

 

 

 

 

「......アタシはやっぱり、燃えるみたいな色の夕焼けが一番好きだけどな〜」

 

 

 

 

 

「うん、俺もだ」

 

 

 

 

 

初めてこうして朝焼けをまじまじと眺めたはいいものの、やはり俺たちにはAfterglowが一番似合っていたし、何より俺達自身もそれを好いていた。

 

 

......しかし、Afterglowが結成したきっかけって結局は何なのだろうか。そしてなぜよりにもよってAfterglowという名前が名付けられたのだろうか。俺はそれが今になってもわからずじまいのままだった。

 

 

 

まあいい、この際流れで教えてもらっても悪くないだろう。そう思った俺はみんなに問いただそうと口を開きかけた。

 

 

 

 

が、その瞬間。

 

 

 

 

 

「......くしゅっ」

 

 

 

 

 

モカの縮こまったくしゃみが、冷え切った秋空に高らかに響き渡った。そこで俺は、動かしかけた自分の口の動きを「あのさ」から「大丈夫か」へ変換させた。

 

 

 

 

 

「残暑っぽいとはいえ、朝はさすがに冷えるからな」

 

 

 

 

 

「そうだね。風邪ひいてもあれだから、もう戻ろっか」

 

 

 

 

 

つぐちゃんの意見には一同賛成だった。少しは心残りがあった俺もここは空気を読んでみんなに合わせて頷き、くるりと孤児院のほうへと踵を返した。

 

 

 

とはいえ、バンドの結成した理由など聞こうと思えばいつでも聞けることだし、そこまで気にしなくてもいいだろう。また今度聞けばいい。

 

 

 

 

そうして愚かなまでに雑に割り切れるほど、今の俺は純粋な期待心で満ち溢れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

......さあ。蘭のソロ作詞作曲作業が始まってから、かれこれ小1時間ぐらいは経っただろうか。半身しか姿を現していなかった朝日は、すでにその全容を外界に晒していた。

 

 

そんな眩しい陽だまりとは対照的に、俺の部屋は静寂に包まれていた。「あとはあたしに任せてよ」と啖呵切ったあの蘭も、ノートパソコンの音楽編集ソフトを起動したまま机に突っ伏せていた。皆すやすやと、気持ちよさそうな寝息を仲良く立てている。

 

 

 

じゃあそれを目の当たりにしている俺はなぜひとりだけ目を覚ましているのかというと、日課である朝のジョギングに行くためであった。

 

 

 

 

 

「んー......と、あったあった」

 

 

 

 

 

朝食代わりにパサついた栄養補助食品を頬張りながら、お目当てであるウインドブレイカーを棚から探り当てる。蛍光素材の縫い込まれたその白地の布を見に纏うと、早速そこに反射してきた朝日の光に少し目が眩んだ。

 

 

 

 

 

「......よし」

 

 

 

 

 

残像を振り払って鏡の前で身なりを確認し、「いつも通りだ」と満足げに頷く。でもその『いつも通り』は、すでに普段口にするようなものではなくなっていた。

 

 

 

昨日と今朝......『いつも通り』とは一体何なのか、みんなと頭を捻って考え抜いた。だがそんなことをせずとも、その答えは俺達のすぐそばにすでに存在していたのだった。

 

朝、昼、夜、そしてまた朝。そうしてとめどなく昼夜逆転するあの空こそが、俺達の『いつも通り』だったということ。それに気づけた今なら、空に対する見方も変わっているだろう。

 

 

 

 

 

「今日の朝は一味違ってそうだな」

 

 

 

 

 

ウインドブレイカーのチャックを首元まで締め、小窓から差し込む朝日に目を向ける。そんな新しく始まったばかりの『いつも通り』の世界に期待を寄せながら、俺は軽い足並みで部屋の外へと駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

......はずだった。

 

 

 

 

 

「うあっ」

 

 

 

 

 

何かに足でもとられたのか、扉へと進めようとしたはずの足が前に出なかった。

 

鉄球でも引っ張っているのだろうか。そんな力強く握られたような足からの感触に、俺は眉をひそめて......

 

 

 

 

 

 

 

───否。”握られたような“ではなく、“それ”は実際に俺の足を“握っていた”。

 

 

 

 

 

「は?......手?」

 

 

 

 

 

目を疑った。いきなりこんなものが足を掴みかかってきたら、誰だって驚くに決まっている。だがいつまでも驚いていたって事は進まないので、俺は次にその持ち主が誰なのかを判別するべく、先に続いている腕を辿ってみた。

 

 

細くしなやかな腕。ぬっと伸びたその先には、俺のお気に入りであるふわふわの毛布が横たわっていた。そして俺はそれが何を、誰を包み込んでいるのかを他の誰よりも知っていた。何せ、俺が被せてやったからだ。

 

 

 

くしゃみをしたくせにろくにかけものもせず、半袖のまま力無く壁にもたれて目を瞑って......俺はそれが心配になって、やむを得ず近辺にあったその暖かいお気に入りの毛布をかけてやったのだ。

 

 

 

だが、今となってはどうだろうか。

 

 

 

 

 

「って、お前......」

 

 

 

 

 

毛布をかけて風邪の予防もして一安心。それなのに俺の胸は、再びざわめき始めていた。その原因は目の前の光景にあった。

 

 

 

 

 

「モカ......?」

 

 

 

 

 

「......せい、くん」

 

 

 

 

毛の塊から顔を覗かせているモカ。彼女の俺の名を呼ぶ声はいやに震えていて、いつものへらへらした態度を一切感じさせないものだった。

 

 

それに気持ち悪さを覚えたのも束の間、モカはふと顔を持ち上げて、こちらを一直線に見つめてきた。

 

 

 

 

そして────。

 

 

 

 

 

「いかないで......もう、あたしを置いていかないで......っ」

 

 

 

 

 

心の奥底で予感していた事実にようやく確信づくことができたのは、モカの顔を伝う涙が朝日に照らされてからだった。




いかがだったでしょうか。次回は久しぶりに番外編で、2月16日の20時30分に投稿予定です。お楽しみに!


それではまた次回お会いしましょう。さいなら!


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第13話 萌芽

どうもあるです。

今回は後書きの方で流誠くんのことについて少しばかりお話しさせていただきたく存じます。今後の彼への見方が変わるかもしれないことなので、よかったらぜひ目を通してってください。



それでは本編、どうぞ!






辺り一面、闇だった。

 

 

 

 

 

暗い、暗い、闇だった。

 

 

 

 

 

ひとたび足を踏み入れればそこから瞬く間に体ごと引きずり込まれそうな、漆黒の沼。

 

 

 

 

 

月明かりも、星明かりでさえもその一切を遮られた夜のとばりに、あたしはひとり立っていた。すでに沈んだ陽を目で追いながら、追いかけられずにいた。いずれまた昇るだろうと待ち続けていた。

 

 

 

 

 

それでも、いつまで経っても、決まってそこに在るのは漆黒の世界のみだった。遠くからかぐわしい花の香りが鼻にかかるたびに、それが愛おしくてたまらなかった。

 

 

 

 

 

でももう、嫌になった。強がる自分のことが。素直になれない自分が。貧弱な心の自分が。

 

 

 

 

 

だから目を閉じた。授業中にこっくりと眠るように、すっ、と。悪夢......そのさらに先にある“夢の夢”を見ようと試みたんだ。

 

 

 

 

 

ぷつんと糸が切れたマリオネットのようにその場にへたり込む。だが、その時だった。

 

 

 

 

 

突如として“光”が差したのは。

 

 

 

 

 

巣穴をこじ開けられたモグラはこんな気持ちなのだろうか。自分を嫌なくらいに一直線に照らしてくるあの“光”に、あたしは思わずたじろいだ。

 

 

 

 

 

でもそれはただ単に、あたしが天邪鬼なだけだった。あたしは無意識のうちにその“光”へと手を伸ばしていたのだ。

 

 

 

 

 

否応無くだんだんと距離が縮まっていく。空の天井に位置していたかのように思えた“光”が、米粒から拳ほどへと次第に大きさを変えていく。

 

 

 

 

 

その反面あたしは躊躇っていた。あの“光”に手を伸ばしてはいけない、そんなことは許されないような気がしてならなくなったのだ。

 

 

 

 

 

理由はわからない。ただ、そう思えるだけの原因があるのは事実なのだろう。なら今はそれに従うのみ。“そうやって”あたしは生きてきたし、きっとこれからもそうなのだろう。

 

 

 

 

 

そうしてあたしはせっかく近づいた距離を苦惜しく感じながら、伸ばしかけた手を引っ込めた。“光”もそれに準ずるように、その煌めきようを弱め始めた。

 

 

 

 

 

......わけではなかった。か弱いと思われていた灯火は、再びその勢いを増していったのだ。

 

 

 

 

 

それはもちろん、“光”自身の意思によるものではなくて────。

 

 

 

 

 

 

 

『────』

 

 

 

 

 

 

 

己に向けられた声。それに向かって、あたしはただ一心に、川に溺れた子供のように、必死に、必死に、必死に必死に必死に......

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「───いかないで」

 

 

 

 

 

 

 

愚かしくも、その手をまた一縷の“光”へと掴みかからせていた。

 

 

 

 

 

頬を伝う熱が、いつもよりも嫌に熱く感じられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「落ち着いたか?」

 

 

 

 

 

「ぐすっ......うん。ごめんね、突然泣きついちゃって」

 

 

 

 

 

モカの背中の震えもだいぶ収まり、俺はひとまず胸を撫で下ろすことができた。その反面、そんなずっと怯えたままだった彼女の背中をなぜかさすってやれずに躊躇し続けていた自分の有り様に後悔もしていた。

 

 

場所を外に移したおかげで、先ほど浴びたばかりの涼しい朝風が再び頬をなでてきた。俺はそれに急かされるように、モカにこう聞いた。

 

 

 

 

 

「なんで泣いたりしてたんだよ」

 

 

 

 

 

「えへへ。もしかしておどろいちゃったー?」

 

 

 

 

 

モカはまた普段のような冗談めいたことを口にしたが、それはどこからどう見ても弱みを隠すための言い逃れのようなものにしか聞こえなかった。

 

 

 

 

 

「......モカ」

 

 

 

 

 

真剣な眼差しを向ける。それを一身に受けたモカがあからさまにたじろぐ。やはりコイツは何か隠して────、

 

 

 

 

......いや。その答えはすでにわかりきっているはずだ。“何か”ではない、形のある“確かなもの”だ。

 

 

 

もう、目を逸らしたりしてなるものか。

 

 

 

 

 

「怖いんだろ?」

 

 

 

 

 

「え......」

 

 

 

 

 

「変わることが正しいことだっていうのはわかってる。でも怖い。そうだろ?」

 

 

 

 

 

これまで見て見ぬフリをしてきた自分への戒めでもあった。俺は自分で自分に問うたのだ。これがお前が望んだ結果なのか、と。右往左往している暇なんてあったのか、と。そうして出された回答に、俺はもちろん首を振った。

 

 

 

 

 

「......うん」

 

 

 

 

 

目を伏せながらこくりと頷くモカを見て、俺はさらに胸が締め付けられる感覚を覚えた。

 

 

 

 

 

「みんなが蘭の、お互いの背中を追いかけようとしているなかで、あたしだけ決意が弱いままだったんだよね」

 

 

 

 

 

「────」

 

 

 

 

 

「自分でもウンザリだよ。あれほど強がってたのに、結局はこうなるんだから......ね?」

 

 

 

 

 

力無くはにかむモカに、俺は何も言ってやれなかった。その悲哀に満ち満ちた表情こそが、俺の犯した罪そのものだったから。

 

 

俺が身勝手に馬鹿みたいなことを一生懸命悩んでいたせいで、他人の気持ちを自分の杓子定規で推し測って、勝手に結論づけたこと。その因果の果てを目の当たりにし、茫然と立ち尽くす。

 

 

様々な後悔が頭の中で渦を巻く。そうしている今でも、未だに俺は解決方法が見当たらずにいた。それでもぶつかってやることが正しいことぐらいはわかっている。にも関わらずこうして懊悩しているのは、俺にろくな勇気が無い何よりの証拠だった。

 

 

 

 

 

ああ、モカ。俺は君に......

 

 

 

君に一体、何をしてやれば────。

 

 

 

 

 

「──にしても懐かしいなぁ」

 

 

 

 

 

「......え?」

 

 

 

 

 

モカの藪から棒な発言に思わず死にかけた目を丸くする。懐かしい?はて、モカはここに一度と来たことがあっただろうか。

 

 

 

 

 

「懐かしいって、急にどうしたんだよ」

 

 

 

 

 

「あ、聞こえてたー?ただの独り言だよー。つっても、やっぱり覚えてないかー」

 

 

 

 

 

そう言って遠くを見つめるモカにさらに眉をひそめる。また言い逃れかと訝しむ俺を見兼ねたのか、モカはまるで宝物に被った埃を振り払うかのように、ゆったりとした態度で語り始めた。

 

 

 

 

 

「懐かしいって言ったのは『昔』の話。そこで見た風景が今見てるのと似てたから、なんか懐かしくなっちゃってさー」

 

 

 

 

 

「昔見た風景と、今見てる風景が......」

 

 

 

 

 

モカの言葉につられるように辺りを見渡してみる。風に揺られる道草に、鬱蒼とした樹木。そしてその天井からこちらを見下ろしている青空。

 

 

......なんだ、ただの見慣れた孤児院の庭じゃないか。これのどこが懐かしいと言えるのだろうか、俺には皆目見当が付かな────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

......あれ。

 

 

 

 

なんで。

 

 

 

 

 

「あれ───ぇ」

 

 

 

 

 

隣に座っているモカに、なぜか、ノイズが、走って、見えて......

 

 

 

 

 

──瞬間、俺の脳裏に稲妻がほとばしった。

 

 

 

 

 

「......ぐっ!?あぁっ、ぅあ......ッ!」

 

 

 

 

 

「えっ......?せ、せいくん!?大丈夫!?」

 

 

 

 

 

目を剥いてまで心配するモカには悪いが、彼女を安心させられるおべっかをかく余裕は生憎今の俺には持ち合わせてなどいなかった。

 

 

頭蓋を直接揺さぶられるような感覚。今までのとはまるでワケが違う、脳神経が焼け切られたみたいだ。

 

 

 

身をよじるような痛み。でも、なぜだろうか。そんな苦痛を味わう反面、喜びと感動のような感情が湧き上がってくる......その原因が何なのかを俺はすでに知っていた。

 

 

 

 

身に覚えの無い記憶が容赦なく脳内に雪崩れ込んでくる。それでいて産湯のように生暖かい、この流動は────。

 

 

 

 

 

「......ああ、もう大丈夫。久しぶりでびっくりしただけだ。心配してくれてありがとな、モカ」

 

 

 

 

 

咄嗟に俺の肩を支えてくれたモカに感謝しながら、胸に手を当てて呼吸を整える。

 

 

 

そして......

 

 

 

 

 

「───それと、思い出させてくれて」

 

 

 

 

 

俺は静かに目を瞑り、記憶の濁流の中へと身を投じたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「......せいくんっ!」

 

 

 

 

 

周りの環境音の一切が遮断された暗闇に、石を投げつけるような昂ぶった声が舞い込んできた。うっすらとしか聞こえなかったそれが気になった僕は、耳を塞いだままの手をそっと引いて、声の出所へと瞑った目を開けた。

 

 

 

 

 

「あっ......モカちゃん......!」

 

 

 

 

 

「はあ〜、やっとみつけたー。もー!勝手にいなくなったらダメでしょー?」

 

 

 

 

 

ぷりぷりと叱咤され、僕は何の言い訳もできずに目を伏せる。

 

 

 

 

 

「ここをぼうけんしてみようっていったのはせいくんなんだから、もうちょっと気をつけてよねー」

 

 

 

 

 

「うぅ......ごめんなさい」

 

 

 

 

 

モカちゃんの言う通りだった。まだ小学生になって間もない子供にも関わらず傲り高ぶった僕は、いつも遊ぶ場所から少し離れた場所で冒険してみようと言い張って、渋々なみんなを無理矢理に付き合わせて......挙げ句の果てにはこのザマなのだから。

 

 

 

 

 

「でもこわくてしかたなったんだ......ひとりぼっちになってから、ずっと......」

 

 

 

 

 

「ま、らんちゃんこわがりだから、さっさとぼうけんしてかえろうって言って先に行っちゃったからねー。そりゃおいてかれてもしかたないかー」

 

 

 

 

 

「うん。それでもおいかけようとしたら、いつの間にかみんなもいなくなっちゃってて......」

 

 

 

 

 

そして、気がつけばひとりだった。ひとりぼっちになった僕とともに周りに残されたのは、腰の高さに届きそうなくらいのうざったい雑草に、風に煽られ葉をざわめき立たせる木々と、空虚なまでに澄み渡った空という不気味な光景だけだった。

 

 

 

とても怖かった。目に見えるものの悉くから見下され、へらへらとあざ笑われるような。そんな錯覚に囚われ続けて、飲み込まれそうな勢いだった。目を瞑って耳を塞ぎ込んだ僕にできたのは、その音の無い暗闇の世界に映ったみんなの背中を追いかけようとすることだけだった。結局それすらもままならなかったが。

 

 

そんな中、モカちゃんの一声が僕を覚醒へと導いてくれたのだ。

 

 

 

 

 

「......ありがとうモカちゃん。僕を見つけてくれて」

 

 

 

 

 

「モカちゃんレーダーにかかればこんなのばんめしあと......じゃなくて、えーと......?うーん、なんかちがうきがする」

 

 

 

 

 

「それを言うならあさめしまえ、じゃないかな?ぜんぶさかさまだよ」

 

 

 

 

 

「あれー?そうだっけー」

 

 

 

 

 

「ふふっ......もう、モカちゃんってば」

 

 

 

 

 

きょとんとしたモカちゃんの顔がとてもおかしくて、僕は思わず吹き出した。

 

やはり、こうして親友が近くにいてくれるだけでも心が落ち着いてくる。気がつくと僕の体の震えはとうになくなっていた。

 

 

 

モカちゃんがふいに、僕の顔を覗き込んできた。

 

 

 

 

 

「いけそう?」

 

 

 

 

 

「うん。だいじょうぶ」

 

 

 

 

 

僕の返事を受け取ると、モカちゃんから「じゃあ、はいコレ」と手を差し伸べられた。

 

 

 

 

 

「えっ?なに?」

 

 

 

 

 

「いいからにぎってー」

 

 

 

 

 

「う、うん......ってうわあっ!?」

 

 

 

 

 

躊躇いつつモカちゃんの手を掴むや否や、僕は思いっきりそれに体を引っ張られる感覚に襲われた。というより実際に引っ張られている。それも、一瞬でも気を抜いたら引きずられそうなくらい。ものすごい勢いで連れ走らされている。

 

 

 

 

 

「ちょっ......モカちゃん!まって!まってってば!はやいよぉ!!」

 

 

 

 

 

「せいくんはさー!」

 

 

 

 

 

「え、えぇ!?」

 

 

 

 

 

それどころじゃないが、僕はモカちゃんの呼びかけに辛うじて返事をした。ぐるぐると目を回す僕には目もくれず、モカちゃんはこう答えた。

 

 

 

 

 

「せいくんはー、みんなとはぐれたから泣いてたんだよねー?」

 

 

 

 

 

「な、泣いてなんかないもんー!」

 

 

 

 

 

「でもこわがってたんでしょー?」

 

 

 

 

 

「うぅ......そ、それは、その......」

 

 

 

 

 

息が上がってきたのも相まってか、僕は何も言い返すことができなくなり口籠った。

 

 

 

 

 

......突然、モカちゃんの足が止まった。

 

 

 

 

 

「わぶっ!?」

 

 

 

 

 

慣性で前倒しになりかけた体を余力でなんとか持ちこたえさせる。それからモカちゃんに向けて今度は何だと、あからさまに睨みつけてみせた。

 

そこには、悪びれもないモカちゃんの姿があった。

 

 

 

朗らかな笑顔で、僕と繋いだ手を差し向けるモカちゃんの姿が。

 

 

 

 

 

「じゃあ、こうしていればもう離れたりしないよね」

 

 

 

 

 

「え......?」

 

 

 

 

 

「あたしもいっしょにおいかけてあげるってことだよー」

 

 

 

 

 

「......!」

 

 

 

 

 

優しく微笑みかけるモカちゃんに、ハッとさせられた。この繋いだ手の意味を知って、思わず息を呑んだ。

 

 

モカちゃんは遠のく蘭ちゃん達の背中を、親切にも一緒に追いかけてくれると言うのだ。

 

 

 

 

 

「モカちゃん......!」

 

 

 

 

 

「ひとりじゃないんだから、もうちょっとあたしのことだってたよっていいんだよー?」

 

 

 

 

 

「うん......うん......!」

 

 

 

 

 

モカちゃんの言葉に静かに頷き返す。握った手に力を込める。もうはぐれないため、そして一緒に追いかけるため。

 

 

それを見届けたモカちゃんもまた、ほぐれた笑みをさらに深くさせてから強く握り返してくれた。

 

 

 

 

 

「よーし、それじゃあれっつごー。いざ、“みんなのせなか”へ〜」

 

 

 

 

 

そんなモカちゃんの駅のアナウンス調の語り口を合図に、僕達は再び鬱蒼とした森の中を駆け抜け始めた。

 

 

颯爽と切っていく風の冷たさも、この手の温もりさえあればなんともなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──ふぅ」

 

 

 

 

 

「終わったー?」

 

 

 

 

 

「ああ。なんとかな」

 

 

 

 

 

覗き込むモカの顔に向かって微笑み返す。とても清々しい気分だった。頬を撫でる風には冷たさのほかに懐かしさが加わって載せられている気がした。

 

 

 

 

 

「......うん。確かに似てるな」

 

 

 

 

 

澄み切った視界で再び辺りを見渡す。モカの言う通り、目に映る景色全て“あの日”のものと同じように見える。ざわめく木々も、揺れる道草も、青空も。

 

 

 

しかしそんな相似した景色の中にも、ただひとつだけ違う点があった。

 

 

 

 

 

「あん時と違って、隣には最初からすでにお前がいるけどな」

 

 

 

 

 

「あたしがいなきゃ、せいくんまた泣いてたかもねー」

 

 

 

 

 

「お前が言うな」

 

 

 

 

 

モカの額を指ではねると、まだ赤みがかった目が「うぐーっ」としわを寄せて勢いよく閉じられた。

 

 

 

 

 

「そんないじめたらまた泣いちゃうんだからねー?」

 

 

 

 

 

「あー泣け泣け。泣きたきゃ好きなだけ泣けばいい。そしたら笑ってやるよ」

 

 

 

 

 

「ああ、あの頃の優しくて健気なせいくんはどこへやら......ヨヨヨ〜」

 

 

 

 

 

目元に手を当てて泣き真似をしたモカに約束通り嘲笑を浴びせてやると、横腹を肘でつつかれた。つつき返すとまたつつき返された。しばらくその繰り返しだった。

 

 

 

 

 

「このー。生意気だなー、もう。ふふ」

 

 

 

 

 

「あははは。......はぁ」

 

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

 

「......なあ、モカ」

 

 

 

 

 

子供がおもちゃで遊び疲れた後のような静寂を切り裂き、モカに向き直る。くっと彼女の顔が少し強張るのを見届けて、俺は思いの丈を伝えるべく口を開いた。

 

 

 

 

 

「追いかけるのが怖いんだろ?それでいて置いてかれてひとりぼっちになることが」

 

 

 

 

 

「うん......」

 

 

 

 

 

最近になって見かけることが多くなった憂鬱な顔を、モカは再び自らの表情として俺に見せてきた。

 

 

とても物寂しい顔をしている。でもそんなもの、お前には一番似合わない代物だ。

 

 

 

 

 

「......とりあえず笑えよ。そのほうが気持ちも楽になるだろうしさ」

 

 

 

 

 

「笑えないよ。だって、怖いものは怖いんだもん」

 

 

 

 

 

「あー、まあ、それもそうだよな」

 

 

 

 

 

無理強いをしたのはこっちだ。俺はきまり悪くなって頭を掻いた。確かに気落ちしてる最中に突然笑えだなんて言われても火に油を注ぐだけである。

 

 

 

 

......こういうのはやっぱり、ちゃんと“順序立て”しなきゃな。

 

 

 

 

 

「確かに怖い。俺だって周りの環境が目まぐるしく変わっていくのを見ているとなんだかめまいもするし、それはすごくわかるよ」

 

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

 

「でもなモカ。実はそれ、自分が“ひとりぼっち”だと思っているからなんだぞ?」

 

 

 

 

 

「──え?」

 

 

 

 

 

「俺だってそうだったろ?お前が思い出させてくれた。ひとりで体を小さく丸めて怯えていただけ......」

 

 

 

 

 

暗い、暗い不安という名の森の中。まどろみに囚われ、鬱陶しい足枷に身動きが取れなくなる。何もできない無力感、どうにもならない絶望感、変えられない現実への悲壮感に身も心も侵されそうになる────。

 

 

 

 

 

「でも、そこにお前が来てくれた。一緒に行こうって手を引いてくれた。───決して俺を置いて行ったりしなかった」

 

 

 

 

 

現れた一筋の温かい、春の陽だまりのような光。その光明の紐を掴めば、たちこむ闇もたちまち霧散していった。

 

 

 

 

 

「あの時運動音痴だった青藍(おれ)が走れたのはお前のおかげだったんだよ。お前がずっと手を繋いで隣にいてくれたから......みんなの背中に追いつくことができた」

 

 

 

 

 

「......ぁ」

 

 

 

 

 

「だからモカ。不安なら俺が一緒にいてやる。あの頃と同じで手を繋いで、一緒にあの先々行く背中を追いかけるんだ」

 

 

 

 

 

「......!」

 

 

 

 

 

ようやく気づけた。いや、モカに気づかされた。大切なものは......その答えはすでに、俺の中にあったのだ。

 

 

今までのようなトラブルに比べれば、俺が森に迷ったことなんてほんの些細な出来事だった。でもそれが一番大切なことを気づかせてくれた。先生の言う通りだった。

 

 

 

 

 

「あの時、お前は俺に手を差し伸べてくれた。挫けそうな心を奮い立たせてくれたんだ。それは、俺とお前ふたりだったからできたことなんだと思う」

 

 

 

 

 

「うっ......」

 

 

 

 

 

「何クソって追いかけてやろうぜ。そんで追いついて、終いにゃ追い越して、遅いぞって笑ってやるんだ」

 

 

 

 

 

あの日モカがそうしてくれたように手を差し伸べる。ようやく見つけた。これが俺の、モカのためにしてやりたいことだった。

 

 

 

 

今度は俺が、お前を引っ張ってやる。

 

 

 

 

 

「だから......だから、俺の手を取ってくれ」

 

 

 

 

 

「せいくん......!」

 

 

 

 

 

「もう、お前の泣き顔は見たくないんだよ」

 

 

 

 

 

この時俺は、どんな表情をしていたのだろうか。たとえそれがわからなかったとしても、泣いたりとかそんな顔ではなかったのは確かだった。

 

 

 

 

 

 

それは。

 

 

 

 

 

「お前といれば、俺だってずっと、ずぅーっと笑ってられるだろうから」

 

 

 

 

 

「......っ!」

 

 

 

 

 

「っ、て!?」

 

 

 

 

 

引き寄せられる感覚に体全体ごと持っていかれそうになるのをぐいっと堪えると、モカが俺の手を両手で大事そうに握っているのが見えた。

 

 

 

 

 

「ズルいよ......こんなの......こんなの......!」

 

 

 

 

 

「モカ......」

 

 

 

 

 

「ずっとみんなに迷惑かけたくなくて......心の中に塞ぎ込んで、ひとりで抱えてた。なのにこんなにもあっさりと......!」

 

 

 

 

 

歪んだ口から吐露される言葉の数々が俺の耳から体へとインプットされていく。それは元から俺のものだったかのように、我が物顔で俺の心の中にどっかりと居座った。そこからチクチクとした感触が全体へと伝わっていくと、痛みは温みへと昇華した。

 

 

 

 

 

「こんなの......あたしには優しすぎるよ......ぬるすぎるよぉっ......!」

 

 

 

 

 

「バカ、困った幼馴染を助けるなんて当たり前のことだろ?変な自己犠牲なんて考えるな。お前には俺たちがいて、俺たちにはお前がいるんだから」

 

 

 

 

 

繋いだ手の片方をモカの背中へと移す。そのまま俺は、モカをそっと抱き寄せた。小刻みに震える背中を撫でながら、俺はこう告げた。

 

 

 

 

 

「だからもう泣くな。お前の小さな不安ぐらい、他の誰かに見せたくなくたって俺がいくらでも一緒に請け負ってやるから」

 

 

 

 

 

「うっ......ひぐっ......」

 

 

 

 

 

「だからさ......一緒に、“みんなの背中”にれっつごーしよ?」

 

 

 

 

 

「うっ、ううっ......ぅああぁぁぁぁっ!!!」

 

 

 

 

 

さするモカの背中の震えは止むことはなかった。むしろ大きくなるばかりだった。だが、そんな慟哭の中にはもはや恐れなんてものは存在していなかった。

 

 

 

モカは俺と繋いだ手を強く絡めながら、俺の懐でただただ涙を流すだけだった。頬を伝ったそれは次に、ふたりの手の中に落ちて────。

 

 

 

 

 

「よしよし......よく、頑張ったね。頑張った、頑張った」

 

 

 

 

 

ぽたり。ぽたり、ぽたりぽたり。

 

 

涙の斑点は俺たちに温みを共有すると、毒が抜けるように触れた先から蒸発していった。

 

後に残ったのは、俺とモカの手の温もりだけだった。




いかがだったでしょうか。次回は番外編で、2月22日に投稿予定です。お楽しみに!


さて、前書きでも話した通り今回は流誠くんについて語らせていただきます。

小さいころに事故に遭い、両親と自らの記憶を失った流誠くん。そうしてすっかり性格も変わってしまった彼ですが、実は記憶を失う前──つまり青藍くんを匂わせる言動がちらほら見受けられるのです。

青藍くんであったことをあまり好まない流誠くん。そんな彼がなぜ自らの嫌悪の対象の言動をわざわざするのでしょうか。

そしてその行動が彼の意識下からなるものなのか、はたまた無意識ゆえのものなのか...どちらなのかまでは言い切りませんが、そこは読書の皆様のご想像にお任せします。ここから流誠くんへの見方も変わるかもしれませんからね。



さて。今回お話ししたかったのはそういうことです。手間だとは思いますが、ぜひとも皆さんの頭の中でそういった妄想を膨らませてみてください。そうすることによってこの作品をもっと楽しんでいただけるかもしれません。


それではまた次回お会いしましょう。さいなら!


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第14話 蘇蘭

どうもあるです。


コロナウイルス、怖いですよね。僕は四国住みなんですが、とうとう四国にも感染者が出たみたいでらしくもなくびくついております...こわひ......そこはかとなくこわひ......まあどうせ罹らないんでしょうけどね()


あ、今回も後書きのほうで小話挟みます。ということで本編、どうぞ!






ノブに手を掛けてゆっくりと扉を開く。静まり返った俺の部屋には、可愛らしい寝息が未だに鳴り響いていた。

 

 

 

 

 

「ふっふっふ、みんなおねむですなぁ」

 

 

 

 

 

「あまり騒いでやんなよ」

 

 

 

 

 

モカは俺の忠告を背にそそくさと部屋に入るや否や、先ほどの毛布をまた自らの上に覆い被せた。どうやらその気はこれっぽっちも無いみたいだった。

 

そんな光景を横目に今朝のジョギングの埋め合わせはいつ行おうかとウインドブレイカーを脱いでいると、モカが口角をにへらと吊り上がらせてこちらを見つめていることに気がついた。

 

 

 

 

 

「せーいくん」

 

 

 

 

 

「なんだよ」

 

 

 

 

 

「まあまあこちらへ〜」

 

 

 

 

 

「はあ......?まあいいけど」

 

 

 

 

 

どうせまた面倒ごとに巻き込まれるのだろうなと承知したうえで、手招きに導かれてやった。そうして近寄ったが最後、モカは俺を「それ〜」と毛布の中に閉じ込めた。

 

 

もちろんその中にはモカも入ったままである。

 

 

 

 

 

「んうっ......!?おいモカ......!何すん──」

 

 

 

 

 

布一枚の中、互いの吐息がかかるほどに縮まった距離に思わずたじろぐ。それでも蘭たちを起こすわけにもいかないので、苦しみながらも息を殺した。対してモカはお構いなしに息を荒げているので、中はさながら蒸し風呂である。

 

 

運動後とはまた違った類いの緊張に胸を締め付けられる。その元凶であるモカを恨めしげに睨みつけてやると、彼女もまた顔を赤く染めていた。

 

 

 

 

 

「えへへ〜。これで一緒でしょ?」

 

 

 

 

 

「一緒......って」

 

 

 

 

 

モカの含みのある言い方には突っかかるところがあった。それは先ほど外で語り合った際に出した単語だった。

 

 

 

 

 

「お前なあ......俺が言ったのはその意味での“一緒”じゃないんだけど」

 

 

 

 

 

「しゅーん......」

 

 

 

 

 

「......あ」

 

 

 

 

 

あからさまにしょげるモカに一瞬呆気に取られる。モカはその隙を突いて、俺に畳み掛けてきた。

 

 

 

 

 

「モカちゃんの側にいてくれるんじゃなかったの......?」

 

 

 

 

 

「っ......だからそれもだな......!」

 

 

 

 

 

「ううっ......せいくん冷たいなぁ、モカちゃん悲しいなー、また泣いちゃうかもなー」

 

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

 

実際、モカの涙腺には潤いが増してきていた。コイツの芝居もここまでくると女優レベルなんじゃないかってつくづく思う。モカは堅気な俺を落とすのにどんな身振り手振りをすればいいのか熟知していたのだ。

 

 

 

でも......

 

 

 

そんな思惑ばかり巡っているひねくれ屋な俺でも。

 

 

 

 

 

「......っ」

 

 

 

 

 

「およ?」

 

 

 

 

 

「し、仕方なくだからな......クソ恥ずかしいけど。だからほら、もう泣くなよ......」

 

 

 

 

 

悲しむ幼馴染の側に寄り添って、涙を拭ってやることぐらいはできる。

 

 

 

 

 

「相変わらず素直じゃないなー。......まあでも、ありがと」

 

 

 

 

 

モカがにまりとはにかむ。なんだか見ているだけでも眠たくなってきそうな、そんな優しい笑みだった。

 

 

 

 

 

「にしてもあったまる〜......せいくんってなんでこんなにあったかいのー?」

 

 

 

 

 

「知るかよ。基礎体温が高いとか、んぐ......そんな......だろ......んぶ、っておい!おま......!」

 

 

 

 

 

モカは俺の肩にもたれかかるや否や、何を思ったのか俺の頬を念入りにいじり始めた。ここが一番暖かいのだろうか。

 

私利私欲を満たそうとするモカの行動はされる側の俺からしてみればただの邪魔でしかなかったが、それでコイツの涙が引っ込むのならと「やめろ」という一言を喉元でぐっと堪えた。

 

 

 

 

 

「あはは、せいくんのほっぺもちもちー。赤ちゃんみたーい。あはははー」

 

 

 

 

 

「んぎぎ......いはっ、ちょ、もは......いはいっへ......」

 

 

 

 

 

次第にいじりの激しさは増していき、とうとう呂律が回らなくなってきた。痛い、とちゃんと言えない。結局思いは届かないまま、俺はモカの気の済むまでいじられ続けた。

 

 

上へと下へと頬が引っ張られる。そこから仕上げにむにむにされた後、ようやく束縛から解放された。

 

 

 

 

 

「はいおわり〜。あーあ、楽しかったー」

 

 

 

 

 

「はあ、はあ......そりゃ......何より、です」

 

 

 

 

 

ため息を吐きながら、モカが再び俺の肩へともたれかかってきた。それを振り払う気力などとうに尽きていたし、そうしようとも思わなかった。

 

 

 

 

不思議なものだ。先ほどまで泣きじゃくっていた奴が今度は手のひら返したように甘えてくるのだから。あの泣きっぷりからして普通ならもう少し気落ちしていてもいいぐらいなのに、コイツに至っては平常運転のままで。

 

 

 

 

 

 

......ああ、そうだった。

 

 

 

モカは、“そういう奴”だった。

 

 

 

 

 

「──なあ、モカ」

 

 

 

 

 

「ん?なあに、せいくん」

 

 

 

 

 

隣からモカが微笑みかけてくる。あくまで主観だが、そこに偽りの色は見えなかった。仮面の剥がれた、正真正銘モカの素顔だった。

 

 

 

 

 

 

......なら、大丈夫そうかな。

 

 

 

 

 

「───......いや。やっぱなんでもない」

 

 

 

 

 

「え〜?なにそれー」

 

 

 

 

 

「ほらもう寝ろ。つってもお昼寝程度だけどな」

 

 

 

 

 

「えー、なんでー?」

 

 

 

 

 

垢抜けたモカの態度に安心したところで目を瞑る。悪いが俺も眠いんだ。それでもやるべきことはやらなきゃいけない。

 

 

 

 

 

「もう少ししたら蘭の仕上げた歌詞をひーちゃん達と読んで、ちょっとアレンジでも考えてみようと思ってさ」

 

 

 

 

 

着替えの際にちらりと電源のついたままの蘭のパソコンを見たところ、歌詞やメロディラインはすでに仕上がっていたように見受けられた。ロックな重低音に加え高音域もバランスよく組み込まれた、譜面を見ただけでもわかる明るそうな曲調の曲だった。

 

 

でもそこに俺達の手はあまり付けられていない。歌詞のアイデアは一緒に考えたわけだし間接的には関わっているのだが、それではまだ物足りないだろう。

 

 

 

 

 

「それはナイスアイデアー。そうだね、そうしたほうが面白そうだしー」

 

 

 

 

 

閉じた視界を横目に開けると、そこにはモカの依然とした呑気な笑みが映っていた。

 

 

 

 

 

「でもモカちゃんはもっと寝たいんだけどなー。そこんところどうです?せいくん」

 

 

 

 

 

「強制はしないぞ?ただ、それで蘭が喜ぶかと言われたら......なあ?」

 

 

 

 

 

「むう。イジワルだなー......」

 

 

 

 

 

そう愚痴をこぼすモカだったが、しばらくすると大人しく目を瞑って眠り始めた。

 

そうして「おやすみ」の一言も無くすうすうと寝息を立てるモカを見て、俺もつられて夢の世界へと誘われることにした。

 

 

 

 

 

一度離れかけた距離。それを繋ぎ留めることができたから、今の俺とモカが在る。こうして隣に寄り添ってやることができる。

 

 

もうひとりで抱え込む必要など無い。不器用なお前の面倒は俺が見てやる。だから俺がもしもまた道に迷って置いてかれそうになった時には、お前も俺のことを引っ張ってくれ。

 

 

なんて願いを、心の中で呟く。それをわざわざ口にしなかったのは、モカも同じような思いを秘めていると勝手ながら確信していたからだった。

 

 

 

 

 

......いや、でもやっぱり。

 

 

 

 

 

「むにゃむにゃ......まてぇ〜、めろんぱ〜ん......」

 

 

 

 

 

「......まったく」

 

 

 

 

 

余計な心配だったか。期待外れで馬鹿みたいな寝言を呟くモカに、俺はやれやれと肩をすくめてから、隣の阿呆とともに束の間の休息に身を委ねた。

 

 

 

 

尚のことを言うと、俺はそうする前からとっくに夢見心地だったが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

眩しいくらいの日差しに目が突き刺されるような感覚を覚える。だんだんと覚醒していく意識のなか、あたしの脳裏に一抹の不安がよぎった。

 

 

 

......今、何時だ?

 

 

 

 

 

「ん……」

 

 

 

 

 

時刻を確認するべく体を起こす。まずは携帯を手に入れなければならないがために、あたしは寝ぼけ眼のままに手探りで周囲を物色し始めた。

 

どこだ。どこだ、携帯。そうして右往左往しているうちに、指先に硬い感触を感じた。

 

 

 

しかし、それはお望みの物ではなく──。

 

 

 

 

 

「蘭、おはよ〜」

 

 

 

 

 

聞き覚えしかない浮遊感のある声に顔を向けると、そこにはモカのにやけ面が構えられていた。どうやらあたしの手が触れたのはモカの肩だったようだ。

 

モカにつられて他のみんなからもおはようの挨拶が送られる。それからあたしが何をしたいのか察してくれたのか、巴が気を利かせて自分の携帯を見せてくれた。

 

 

 

 

 

「あれ……うわ、もうお昼じゃん……なんかゴメン、あたしだけ寝ちゃってたみたい」

 

 

 

 

 

「いや、アタシらも寝てたぞ?“用事”があって少し早く起きただけだし」

 

 

 

 

 

思わせぶりな巴の発言に首を傾げる。まず辺りに変化がないか確認してみると、みんながあたしのノートパソコンの周辺を取り囲んでいることに気がついた。

 

 

 

 

 

「え?用事ってまさか……」

 

 

 

 

 

「ふっふっふ......サプラーイズ!」

 

 

 

 

 

ひまりの掛け声を合図にみんなが一斉にパソコンから離れる。その開けた視界の先に見えたのは、色とりどりの音符が散りばめられたバンドスコアだった。

 

 

 

 

 

「蘭ちゃんの作ってくれた歌詞とかを見て、私たちなりにアレンジしてみたの!どうかな?」

 

 

 

 

 

つぐみからの自信の声に譜面を確認する。そうせずともその出来の良さは大体予想がついていたが、改めてよく見てみると随所に細かなアレンジが付け加えられているのが伺えて、思わず感嘆の息を漏らした。

 

 

 

 

 

「スゴい……めっちゃ細かいね」

 

 

 

 

 

元々あたしが手掛けた譜面に重ねがさねに手直しされたかさぶたの譜面。リフレインや倍音などのアクセントの追加、さらにはエフェクターの使用も提案されている部分もあり、とてもこだわりの感じられるバンドスコアとなっていた。

 

 

 

 

 

「いぇーい、がんばりましたー」

 

 

 

 

 

「こういうのって蘭の方が得意なのはわかってる。それにアタシたちがやったのはただの勝手だし、もし気に入らない所があったら正直に言って欲しい」

 

 

 

 

 

「いや......むしろこっちの方がみんなの“音”がもっと伝わってきそうで、ホント......すごく良い。ありがとう、すごく嬉しい」

 

 

 

 

 

語彙力の欠如が著しいが、それほどまでにあたしはみんなの思い思いの譜面に心を揺さぶられていた。

 

 

完成だ。あたしたちの新しい『いつも通り』......その想いをのせた一曲。

 

 

 

 

 

 

 

──『ツナグ、ソラモヨウ』が。

 

 

 

 

 

「せいくんが作ろーって提案したんだよー」

 

 

 

 

 

「そうなんだ」

 

 

 

 

 

意外そうだが妙に納得のいく人物名を聞いて静かに頷く。確かにこの手の企画は用意周到な流誠にはうってつけのものだ。おかげであたしも良い意味で驚かされた。

 

 

 

とりあえず流誠にもお礼を言っておかなければ。あたしはふと辺りを見回した。

 

 

そうしてはじめて、流誠の不在に気づくことができた。

 

 

 

 

 

「って、あれ?流誠は?」

 

 

 

 

 

「昼飯作ってくるってさ」

 

 

 

 

 

「へぇ......」

 

 

 

 

 

巴から不在の理由を聞き、なるほどと頷く。それから間もなくして、部屋に可愛らしいお腹の音が鳴り響いた。

 

 

 

 

 

「あ、ごめん......」

 

 

 

 

 

「あらら〜、お腹空いちゃったねぇつぐ〜」

 

 

 

 

 

「まあ無理もないか、朝ごはん食べてないんだし」

 

 

 

 

 

「......あたし、ちょっと流誠のこと見てくる」

 

 

 

 

 

流誠にお礼を言いにいこうとちょうど考えていたところだし、何よりお腹を空かせたつぐみの姿がどうにも見ていられなかった。あたしはキッチンへ向かうべく、重い腰をぐんと上げた。

 

 

扉を開き廊下へ出る。慌てて駆け出すとたちまち陽だまりに満ちたリビングの切れ端が見えてきた。キッチンはその一つ手前に隔たれたスペースにある。

 

 

 

が、必死になりすぎたがゆえに足元をおろさかにしていたせいか、思わず足を滑らせそうになった。

 

 

 

 

 

「......っ!」

 

 

 

 

 

支点が不安定になったがために体勢がするすると崩れていく。こうなってはもはやどうすることもできないので、あたしはもうじき来たる衝撃に備えようと受け身の体勢を整えようとした。

 

 

 

そんな行動とは裏腹に、地面との接触まで僅か数十センチに差し掛かったところで思いがけない奇跡が起こった。

 

 

 

 

 

「──あれ?あたし、なんで......」

 

 

 

 

 

拭いきれない不自然さに疑問符を浮かべる。それもそのはず、あたしは地面にぶつけるべき体を宙に浮かせていたのだ。

 

 

......あたしの背中を沿うように添えられた何者かの片腕によって。

 

 

 

 

 

「ん、これは......」

 

 

 

 

 

「──よォ、美竹サン」

 

 

 

 

 

「ッ!?アンタは......!」

 

 

 

 

 

「おっと」

 

 

 

 

 

聞こえてきた耳障りのするざらついた声に体を跳ね上がらせる。今度はちゃんと足が地面に着いているかをしっかり確認してから、あたしはその声の主の方へと向き直った。

 

 

 

 

 

「凌太......」

 

 

 

 

 

「ハッ、こっちはちゃんと名字で呼んでやってるってのに馴れ馴れしく呼び捨てかよ。いいご身分ですねェ、クソが」

 

 

 

 

 

毒が盛りに盛られた悪態に眉をひそめる。ただでさえ他人からこんな罵声を聞かされるのは嫌いだというのに、その相手がこのクソガキとなればもはやアレルギーレベルだ。

 

散々あたしたちの思い思いの歌詞をバカにして、そんな昨日を経た上で今日になってみれば手のひらを返したように手を差し伸べて......

 

 

 

 

 

「何のつもり」

 

 

 

 

 

「たまたま居合わせただけだクソ。それよりも助けてやったのにお礼もなしかよ」

 

 

 

 

 

「フン......ありがと。じゃ」

 

 

 

 

 

皮肉った謝礼を捨て台詞にその場を後にする。そうして踏み出そうとした一歩だったが、あたしに向けられた「待てよ」というやけに慌ただしい声によってきまり悪くも足止めされてしまった。

 

声の正体はほかでもない、凌太のものだった。

 

 

 

 

 

「......何」

 

 

 

 

 

「いやその......えっと」

 

 

 

 

 

「早く言ってよ!こっちは急いでんだから!」

 

 

 

 

 

ぴしゃりと言いのけると、凌太はビクッと肩を跳ね上がらせてからおずおずと口を開いた。

 

 

 

 

 

「き、昨日はその......すっ......すみま、せんでした」

 

 

 

 

 

「────は?」

 

 

 

 

 

あたしの聞き間違いだろうか、今凌太からありえない言葉を言われたような気がするのだが。スミマセンデシタ?謝られたというのか?敬語で?あたしが?コイツに?いやいやまさか。

 

訝しみながらも凌太の顔を見てみる。しかし彼の顔には意外にも意外な、悪びれたように眉の垂れた表情が張り付いていた。

 

 

 

 

 

「......は?」

 

 

 

 

 

「だからその......アレはちょっと、言いすぎたかなって」

 

 

 

 

 

「ああ、そう……」

 

 

 

 

 

先ほどまで視線と視線で火花を散らしていた相手にここまで頭を下げられた場合どんな反応すればいいのか、闘志を剥き出しにしていたあたしには皆目見当もつかなかった。

 

 

 

 

 

「……美竹さん」

 

 

 

 

 

「──え?ああうん、何?」

 

 

 

 

 

消え去った怒りから残った空虚感を否めずにいるところに、あたしの耳に涼太の声が舞い込んできた。それからあたしの素直な返事を聞き届けると、涼太はこう続けた。

 

 

 

 

 

「せい兄のこと……これからもどうか、よろしくお願いします」

 

 

 

 

 

「……!」

 

 

 

 

 

また頭をさげられた。それも今度は深々と。彼の言う“せい兄”とは、ほかでもない流誠のことだ。

 

孤児院の子ども達が流誠のことを“せい兄”というあだ名で一貫して呼称しているのは、兄である流誠への尊敬や親愛の証である。そのことを昨日子ども達と触れ合うなかで、ひしひしと感じることができた。

 

 

どうやら凌太も例外ではないみたいだ。

 

 

 

 

 

「せい兄はホント優しくて面倒見も良いし、怒る時はちゃんと怒ってくれて......でも記憶喪失だし、その反動でいつか暴発するかもしれない」

 

 

 

 

 

暴発というのはおそらくあの“頭痛”のことだろう。流誠は過去と類似する光景や行動を体験したのをきっかけに記憶が戻ることがあるのだが、そのほとんどが頭痛を伴うものなのだ。加えて頭痛の強弱はその蘇った記憶の内容によって変動する。あたしはその様態を何度も目にしてきた。

 

 

もし万が一にでも流誠が『強い記憶』───それも“最悪の結果”とも言うべき事態を引き起こすものを思い出すようなことがあれば......そんな悪い予感を抱いたことなど、あたしもしばしばどころかかなりの回数あった。

 

冷静に考えてみれば凌太があそこまで下劣なことを言っていたのも、あたし達がそのトリガーであると見なしたがゆえのことだろう。そういう意味ならこちらが謝罪する側の立場にあるべきだが。

 

 

血こそ繋がってはいない。しかしその親しさは世間一般の家庭よりも深いと言っても過言ではない。だから、そんなかけがえのない関係性を構成する一員である流誠を脅かす恐れのある存在を、自らへの人格評価を引き換えにしてまで排除しようとするのは当然のことだと思う。凌太も根は流誠と大差ないのだ。

 

 

 

 

......やはりどの家族も、血は争えないものだな。

 

 

 

 

 

「だから......だから──」

 

 

 

 

 

「あーもうわかったわかった」

 

 

 

 

 

「......え」

 

 

 

 

 

軽くあしらわれたと勘違いしたのか凌太の顔に少しの不安がよぎったように見られた。本当にお兄さん思いの弟なんだな。

 

 

 

 

 

「というか最初からそのつもりだったし、もしそんなことがあっても絶対にあたし達が側で見守り続ける。それが幼馴染みであるあたし達の役目だから」

 

 

 

 

 

あたしの言葉に呼応するかのように、凌太の曇りがかった表情に晴れ間が現れだす。続け様に「だから安心して」と言ってやると、重苦しい灰色が鮮やかな水色へと完全に様変わりした。

 

 

 

 

 

「あっ......ありがとう、ございます」

 

 

 

 

 

「お礼はいいって。てか、そっちの口調の方が明らかに感じ良いと思うんだけど?」

 

 

 

 

 

ついでにアドバイスを付け足してやると、今度は顔を赤らめ始めた。そこに騒ぎを聞きつけたのか、流誠が「あっ」と声をあげてこちらに歩み寄ってきた。

 

 

 

 

 

「蘭、起きてたのか───って、凌太も?あれ、でも2人は昨日......」

 

 

 

 

 

「......っ!」

 

 

 

 

 

「あ、おい凌太!降りてきたんなら飯持ってけよ!......あーあ、またかよ」

 

 

 

 

 

隻眼は背中を向けてそそくさと2階へと上がっていってしまった。それを見送る流誠だったが、何も珍しくなさそうな雰囲気だった。

 

 

 

 

 

「アイツほんと不器用だな、何したいんだか全然わからんし」

 

 

 

 

 

「流誠も流誠で鈍感だな......」

 

 

 

 

 

「あ?なんか言ったか」

 

 

 

 

 

「いや別に。それよりあたしもみんなもお腹空いてんだけど」

 

 

 

 

 

わざと不機嫌そうにそう言うと、流誠は思い出したようにあたしをキッチンに案内し始めた。手招きする流誠に続いてもはやお馴染みとなったルートを辿ると、そこには彩り豊かな料理が美味しそうな匂いを漂わせながら悠然と並べられていた。

 

 

 

 

 

「へぇ、やっぱ料理上手いね」

 

 

 

 

 

「あんがと。見ての通り本日の昼食はご飯、豆腐ハンバーグ、ほうれん草のおひたし、そしてデザートにスイカジュースソーダ割りとなっております」

 

 

 

 

 

「ソーダ割りって......どうせ昨日の残りを少しだけ改変しただけでしょ」

 

 

 

 

 

あたしの的確な指摘に流誠はぐうの音も出ない様子だった。

 

 

昨日流誠から告げられた“赤”と“野菜でもあり果物”というヒント。その謎に満ちた献立の正体はなんと、スイカを丸ごと使ったフルーツポンチだったのだ。ただ、丸ごとという名の通りその大きさはかなりのもので、あたしや他のみんな(巴やモカや流誠などの大食い以外)は取り皿に少し取り分けた程度で済ませていた。

 

 

 

 

 

「結構ずぼらなんだね」

 

 

 

 

 

「で、でも普通に美味しそうだしいいだろ!それよりほら、腹空かせてんなら早くみんなを呼んできて───」

 

 

 

 

 

焦る流誠の口が止まる。突然の沈黙に目を丸くしていると、流誠からこんなことを聞かれた。

 

 

 

 

 

「待てよ、みんな起きてるってことは......歌詞はもう見たのか?」

 

 

 

 

 

「ん、見たよ。最高だった」

 

 

 

 

 

「そうか......よかったよかった。いや、結構ノリでアレンジした節あったからさ」

 

 

 

 

 

照れくさそうでもありながら少し自慢げな流誠だが、あたしにはまだ言わなくちゃいけないことがある。

 

 

 

 

 

「歌詞のこと、流誠が提案したんでしょ?だからありがとう」

 

 

 

 

 

「いやいや。俺が役立ったことといえばそんくらいだし......でも、そうか。少しは役に立ったんだな」

 

 

 

 

 

噛み締めるようにそう呟くと、流誠は私の顔を見据えた。

 

 

 

 

 

「───完成、したんだな」

 

 

 

 

 

瞳に映る流誠の清々しいまでの微笑み顔に、私は思わずたじろいだ。それも束の間、私もまた流誠に向けて微笑み返した。

 

 

 

 

 

「うん......完成したよ。『いつも通り』ね」

 

 

 

 

 

そう、『いつも通り』。でもそれは今までのとは違う、新しい『いつも通り』。

 

 

絆が捻れて絡まって、終いには解けてしまったとしても、何度だって結び直せば良い。あたし達が変わらないために変わり続けていれば──『いつも通り』に過ごし続けていれば、そんなことなど容易いはず。

 

 

 

 

 

「......流誠」

 

 

 

 

 

「ん?」

 

 

 

 

 

あたしの呼ぶ声に流誠も応える。確かに、ここにいる。

 

 

そんな温かい実感を噛みしめながら、あたしはこう続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

──“これからも、ずっとよろしくね”、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──ふぅ」

 

 

 

 

 

コーヒーを啜って溜まった息をそっと吐き捨てる。そうして鼻に伝ってくる芳しい香りを感じながら、時刻を確認するべく携帯の電源を付けた。

 

 

 

 

 

「おっ、そろそろだな」

 

 

 

 

 

「うおっ、ともちゃん」

 

 

 

 

 

聞こえてきた声に顔を上げると、俺の携帯を横から覗き見ているともちゃんがいた。

 

 

 

 

 

「着替え終わったの?」

 

 

 

 

 

「ああ。来いよ、みんな待ってるぞ」

 

 

 

 

 

「わかった」

 

 

 

 

 

右手に握ったコーヒーの缶をゴミ箱に捨て、ともちゃんの後を追う。楽屋に入ると、衣装に身を包み各々のライブへの準備を行っているみんなの姿が俺の目に飛び込んできた。

 

 

 

 

 

「あ、流誠!」

 

 

 

 

 

「よっ」

 

 

 

 

 

挨拶を投げかけて一人ひとり一瞥していく。そうして改めてその衣装の華やかさに目を奪われ、感嘆の息を漏らした。

 

黒を基調とされた衣装の胸元には胡蝶蘭が付けられていて、頭に載せたハンチング型の帽子も合わせて、いつものそれぞれの個性の出た衣装ではない統一性に秀でた仕上がりとなっている。とても新鮮で目新しさが目立つが、初の試みの割にはみんな様になっていた。

 

 

 

 

 

「......うん、みんなよく似合ってる」

 

 

 

 

 

「もう、そんなにジロジロ見ないでよねー。いくら露出が多いからってさー」

 

 

 

 

 

モカの言う通り網タイツなどといった過激な箇所もあるが、これはあくまでも機能性を考慮した上でのものであると衣装作りの際に担当のつぐちゃんから聞かされていたので、モカの揶揄は無視しておくことにした。

 

とはいえこの様相で公衆の面前に出るのか......いつもの衣装も大概だが、今回のは少々攻めすぎている気もする。今更どうこう言うつもりはないが、少し心配だ。もしものことも考えてみんなを襲おうとする輩がいないか、観客席からおじさんとともに見張っておくことにしよう。

 

 

 

 

 

「ていうかごめんな、今日しか出演枠の空いてるライブがなかったんだ。規模もあまり大きくないし」

 

 

 

 

 

「ううん、大丈夫。別に気にしてないよ」

 

 

 

 

 

「そーそー、どんなライブだって『いつも通り』エモい演奏をするだけなんだしー」

 

 

 

 

 

「だな」

 

 

 

 

 

俺の謝罪を快く庇護してくれるみんなには本当に頭が上がらない。その反面、Afterglowのサポーターとしてもっと大きなステージに立たせてやりたかったという後悔が渦巻いていた。

 

とはいえ、いつまでも落ち込んでいても何も始まらない。せっかく新しい『いつも通り』を初披露できるというのに、こんなどんよりした気持ちのままでは楽しめるものも楽しめまい。

 

 

いかんいかんと自戒心を立て直す。するとそこにひとつの声が舞い込んできた。

 

 

 

 

 

「Afterglowさん!そろそろ準備お願いしまーす」

 

 

 

 

 

楽屋にスタッフさんの飄々とした声が響く。それは俺達への出番の知らせだった。

 

 

 

 

 

「きたっ!!」

 

 

 

 

 

「時間だな。よし、みんな出ようか」

 

 

 

 

 

ろくに話す時間もなかったがまあ仕方ない。俺はゆったりした足取りで楽屋から退出した。みんなもそれに続いて各々の楽器を持って廊下へ飛び出た。

 

 

みんなとは一時ここでお別れだ。観客席への道のりが右方向なのに対して、出演者の出るライブステージは向かって左側となっているからである。

 

 

 

 

 

「それじゃあ流誠くん、またあとでね!」

 

 

 

 

 

「あとで感想聞かせてくれよな」

 

 

 

 

 

「わかったわかった。さあ!みんな頑張っといで」

 

 

 

 

 

心惜しそうにするみんなに手を振って送り出す。遠のく背中が見えなくなるまで、俺もまた見守ろうとしていた。

 

 

 

その傍ら、モカが途中で立ち止まった。

 

 

 

 

 

「───......」

 

 

 

 

 

「───......、────......」

 

 

 

 

 

ぽつんとしたモカに気づいたのか、蘭もモカの元へと駆け寄る。それから何か話し合うと、蘭はモカのもとを離れてステージ袖へと駆けて行った。

 

 

......モカがこちらへと近づいてきた。

 

 

 

 

 

「せいくん」

 

 

 

 

 

「モカ」

 

 

 

 

 

俺の名前を呼ぶモカに、俺もまた名前を呼び返す。たったそれだけのやりとりだったが、そこには確かに特別な意味が込められていたと思う。

 

 

 

 

 

「いよいよだね」

 

 

 

 

 

「そうだな。色々あったけど、無事に新しい『いつも通り』が始まりそうで良かったよ」

 

 

 

 

 

「うん......昨日はホントにありがとー、せいくん」

 

 

 

 

 

「モカ......」

 

 

 

 

 

感謝を述べるモカだったが、彼女の声音は少し震えているように聞こえた。

 

 

 

 

 

「正直、まだ怖いよ。ちゃんと蘭の背中を追いかけられるかわかんないもん」

 

 

 

 

 

「知ってる。でもそれはお前ひとりの場合だろ?」

 

 

 

 

 

「......そうだね。あたしにはせいくんがいて、せいくんにはあたしがいるもんねー」

 

 

 

 

 

「ま、俺はお前がいなくてもひとりで追いかけられるけどな」

 

 

 

 

 

「へぇ〜?泣き虫のクセにー?」

 

 

 

 

 

「それは昔の話だろ!」

 

 

 

 

 

俺のツッコミがおもしろかったのか、モカの顔に笑顔が咲いた。それに同調するように俺の口角も自然と徐々に吊り上がっていき、それから高笑いへと変わっていった。

 

 

 

 

 

「......ふぅ。よし、それじゃあそろそろ行くねー」

 

 

 

 

 

「おう。頑張ってこい」

 

 

 

 

 

「モカちゃんのモカった演奏、その目にしっかり焼き付けておいてね〜?」

 

 

 

 

 

モカはそう言うとくるりと踵を返し、相棒のストラトを担いで変わり映えのない笑顔で去っていった。そんなんで走ると危ないぞと注意しようとしたが、なんだか野暮に感じてきたのでやれやれと肩をすくめるだけに留めておいてやった。

 

 

でもまあ良かった。一時は何もかもがあやふやで暗雲低迷ここに極まれりな状態が続いていたが、これなら丸く収まりそうだ。

 

 

 

 

それでも安心しきってはいけない。彼女達の演奏をちゃんと見届けてやらねば───。

 

 

人気のなくなった廊下に訪れた静寂に耳を澄ませる。すると、熱気に満ちた歓声とそれを盛り上げるかのようなMCのトークが遠巻きに聞こえてきた。

 

 

 

 

 

それに背中を押されるように、俺も観客席へと足を速めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────♪」

 

 

 

 

 

ビブラートとこぶしの効いた蘭の歌声を筆頭に、会場に響き渡るそれぞれの楽器の音色が余韻を生み出す。それがだんだんとフェードアウトしていくとまるで反比例するかのように、観客の興奮がさらに熱を帯びていった。

 

 

 

 

いよいよ最後の曲だ。

 

 

 

 

 

「──ありがとう。続けて聴いてもらいました。次、最後は新曲です」

 

 

 

 

 

新曲というワードに観客のボルテージがさらに湧き上がる。蘭はそれを静止するように片手を上げると、あたし達に目配せしながらこう言った。

 

 

 

 

 

「あたし達の空はずっとつながってる。それが、『いつも通り』だから」

 

 

 

 

 

「......!」

 

 

 

 

 

「それでは聴いてください」

 

 

 

 

 

──『ツナグ、ソラモヨウ』。

 

 

 

 

 

「────♪」

 

 

 

 

 

......ああ、蘭だ。『いつも通り』のあの歌声だ。

 

序盤のつぐのキーボードに合わせての蘭のソロパートは、それほど長くはない。しかし今のあたしには、それがまるで永遠のように感じられたのだ。

 

 

いつぶりだろうか、これほどまでに生き生きとした蘭の声を聞いたのは。

 

 

 

緊張に手が震え、興奮に汗が止まず、歓喜に鼓動が雄叫びをあげている。

 

 

 

 

ああ......そうか。やっぱりあたしは、6人で一緒にいられることが一番嬉しいんだ。この“つながった空”がとてつもなく愛おしくてたまらないんだ。

 

 

だから、決めたよ。蘭の背中を追いかけていくこと。その背中を追いかけるみんなの背中を追いかけていくこと。

 

 

時々見失ってしまうかもしれない。躓いて転んでしまうかもしれない。だから、正直怖い。

 

 

でも、あたしにはせいくんがいる。みんなには内緒だけど、心強い味方がいる。だからもう、あたしは大丈夫。......大丈夫だよ。

 

 

 

だから行って。

 

 

 

 

 

前へ、前へ、進んで行って。

 

 

 

 

 

あたしも......あたしも────!

 

 

 

 

 

「──“あたしの背中を信じてついてきて!”」

 

 

 

 

 

「......!」

 

 

 

 

 

あたしも頑張って、追いかけるから!!

 

 

 

 

 

 

この『空』をみんなと......いつまでも、つないでいたいから────!




いかがだったでしょうか。次回は3月3日の20時30分に投稿予定です。お楽しみに!


さて、今回も小話をしていきましょうか。内容はモカについてですね。

あれ?と思っている方もいるかもしれませんが、モカが蘭の背中を追いかけるくだりありますよね?この部分、本編ではモカもそのことにはあまり乗り気ではない様子でいます(最終話の心中描写では追いかけると決心しておりますが)。
しかしこちらでは少し手を加えて、流誠くんと協力して追いかけるようにしてます。そのぶん「笑顔」に関連したワードを少し多めに使ってみたんですが、気づいてもらえたでしょうか。


要するに本来ひとりで抱え込んでいたところを、こちらでは二人三脚の体で描写しているということです。なのでこれからの展開も本編とはまただいぶ異なってくると思うので、どうぞお楽しみにしておいてください。


小話は以上です。それではまた次回お会いしましょう。さいなら!


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第15話 繋想

どうもあるです。

さて、皆さんにお知らせしなければならないことがあります。


......2章本編、この話が最終話となっております。
ほんとに申し訳ございません。前々からお知らせしておくべきでしたがタイミングを逃してしまい、今の今まで引きずってました。割と重要なお知らせでしたのに、痛恨の極みです...改めまして、本当に申し訳ございませんでした。次回からは気をつけるようにします。



それでは本編、どうぞ。






 

 

 

 

「はぁっ......!はぁっ......!」

 

 

 

 

 

会場を出て行く観衆をみぎひだりに掻い潜っていく。時々肩と肩がぶつかることもあったがそのたびに立ち止まって謝り、そしてまた颯爽と駆け抜けて行く。

 

 

目的地はもちろん、みんなの待つ楽屋だ。

 

 

 

早く、一秒でも早く、この感動をみんなと共有したい。興奮が、鳴り止まない。

血走った目でうまく視界が捉えられない。それでも俺は残った感覚を頼りに、一目散に楽屋へと向かって行った。

 

 

 

しばらくすると楽屋が見えてきた。少し進んで到着したのと同時に、扉を開ける。

 

 

 

 

 

「みんな......ッ!」

 

 

 

 

 

横開きの扉と壁とが勢いよく接触し、けたたましい音が部屋に鳴り響く。そんな爆音など今日のうちで聴き慣れたのか、みんなあまり驚きはしなかった。

 

 

 

 

 

「おお、せいくん」

 

 

 

 

 

「流!おつかれ」

 

 

 

 

 

通行の邪魔にならないうちに楽屋に入る。扉を閉めればあとはみんなとの空間だ。

 

 

 

 

 

「みんな、ほんと最高だった。なんかこう、いつもとは違うグッとくるものがあって、本当に心の底から......」

 

 

 

 

 

今回のセトリは『Scarlet Sky』、『Y.O.L.O!!!!!』、そして新曲である『ツナグ、ソラモヨウ』だったのだが、考案者であるモカ曰くこれは移りゆく空をイメージして構成したとのことだった。俺はそれをライブを通して、改めて実感させられた。演奏中、みんなの背景に夕焼け、夜空、朝日と様々な色の空が映っているように見えたのだ。

 

 

明暗ともに移りゆく空。流れる雲は時に空を覆いつくし、降りしきる雨は悲しみを具現したようだった。それでも最後には何事もなかったかのように晴れ渡り、またいつも通りに戻った。全部、つながっていた。

 

 

 

 

その時味わった感動を、俺はどう表現すれば良いのかわからなかった。

 

 

 

 

 

「いつの間にか色んな空がみんなの後ろに流れだして、それで......ああもう!なんて言ったらいいんだ!?」

 

 

 

 

 

「わかるー!私もそんな感じがしたの!そしたらもう涙が......ううっ......」

 

 

 

 

 

「ひまり、また泣いてる」

 

 

 

 

 

「あぁ〜......なんか俺も泣けてきた......」

 

 

 

 

 

「りゅ、流誠くんまで!?」

 

 

 

 

 

それでも自然と涙が出るくらいには感動したのだろう。言葉にできずともそのくらい感動したのであれば、わざわざ口に出して言う必要などあるまい。

 

ひーちゃんからのもらい泣きに鼻を啜っていると、蘭から何枚か重ねられたティッシュペーパーをもらった。

 

 

 

 

 

「ほら二人とも。これで涙拭いて」

 

 

 

 

 

「うん......」

 

 

 

 

 

「ありがとう蘭......ずずっ」

 

 

 

 

 

ほのかに濡れた顔をティッシュで拭き取る。

 

 

 

 

 

「ひまりはわかるけど、なんで流誠まで泣く必要あんの」

 

 

 

 

 

「待ってよ蘭、せいくんは元から泣き虫だったじゃんー」

 

 

 

 

 

「もう昔の話だろ!」

 

 

 

 

 

俺が怒号をあげたのに対し、みんなはそれを他人事のように笑い飛ばすだけだった。

 

 

 

 

──突如として静寂が訪れたのは、そんななかだった。

 

 

 

 

 

「......ホント、良かった」

 

 

 

 

 

静寂を割った蘭の声は震えていた。そして、俺はその“良かった”という一言に様々な意味が込められている気がした。

 

 

 

 

 

「ライブもそうだけど、みんなとこうして幼馴染として出会って、一緒にいられたこと───そのおかげであのライブがあったんだと思う。......だから、ありがとう」

 

 

 

 

 

「──っ......!蘭......!らぁん〜!!」

 

 

 

 

 

「うわ、ちょ!?ひまり!!」

 

 

 

 

 

突如として自らに泣きついてきたひーちゃんを払い除けようとする蘭だったが、当の本人はお構いなしに泣きじゃくるばかりだった。

 

 

 

 

 

「私も......私も、みんなと幼馴染でホンっっっトに良かったよぉ〜!!」

 

 

 

 

 

「あ〜あ、蘭がひーちゃん泣かせたー」

 

 

 

 

 

「あっははは!いつも通りだな!」

 

 

 

 

 

「ふふ、そうだね」

 

 

 

 

 

「つぐみまで......ちょっと流誠!なんとかしてよ!!」

 

 

 

 

 

「なんか面白そうだし無理でーす」

 

 

 

 

 

数少ない増援を求める蘭には悪いが、俺はこの賑やかさをもう少し味わっていたかったので嬉々として首を振らせてもらった。

 

 

 

 

 

「あははは......なんか今度は笑えてきちゃった〜......」

 

 

 

 

 

「もう、ひまり!笑うか泣くかどっちかにしてよ......」

 

 

 

 

 

未だに腕にしがみついたままのひーちゃんに愚痴を垂れる蘭だったが、その顔にはもう邪魔くささに歪ませた表情は一切なかった。

 

 

 

 

 

......いや、これもある意味『歪み』の一種なのだろうが。

 

 

 

 

 

「ホントにもう、みんな最悪だよ!」

 

 

 

 

 

満面の笑みで俺達を酷評する蘭。その悪意のない発言と表情に、俺達もまた、つられて大きな笑い声をあげたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──じゃあまたね、みんな!」

 

 

 

 

 

「んー、おつかれー」

 

 

 

 

 

「暗いから気をつけて帰れよ」

 

 

 

 

 

いつもの交差点でみんなと別れを告げる。あとに残ったのはもちろん、途中まで帰りが一緒のモカだった。

 

 

 

 

 

「にしても打ち上げ楽しかったねー」

 

 

 

 

 

「お前食いすぎなんだよ......なんだよ、ポテトLサイズ二つとビッグバーガー三つって」

 

 

 

 

 

「えー?あたしいつもあれぐらい食べてるでしょー?」

 

 

 

 

 

「あれ......?そうだっけか」

 

 

 

 

 

話題は自然と先ほどファストフード店で行ったライブの打ち上げ会での出来事についてとなった。

 

 

 

 

 

「というかせいくん家に泊まった時から思ってたんだけど、せいくんも意外と大食いなんだねー。ありゃモカちゃんとタメ張れてたよー?」

 

 

 

 

 

「俺も食べ盛りなんだよ。あと、お前と同じくらいっていくらなんでも話盛りすぎだからな」

 

 

 

 

 

「ちぇ〜、せっかく話盛ってまで褒めてあげたのにー」

 

 

 

 

 

「いらねぇよそんな称賛!」

 

 

 

 

 

和気藹々と駄弁り合いながら歩を進める。その一歩一歩が今日に限ってやけに惜しく感じられる気がするのは、ライブの余韻がまだ残っているからなのだろうか。

 

 

 

 

 

「......せ、せいくん!」

 

 

 

 

 

「ん?どうした、モカ──」

 

 

 

 

 

横にいたはずのモカがいつの間にか後ろに行っていたことに気づいたのは、モカから声をかけられ、その聞こえてきた方向に違和感を覚えてからだった。

 

 

 

 

 

「ってあれ、なんでそんな後ろに?」

 

 

 

 

 

「───るこ......」

 

 

 

 

 

「え?なんて?」

 

 

 

 

 

やけに離れた距離のせいか声が聞き取りづらい。俺はモカにもう一度何を言ったのかを教えてもらうように、耳に手を当てた。

 

 

 

 

 

「も、もうちょっと......ゆっくり歩こ?」

 

 

 

 

 

「......っ」

 

 

 

 

 

今度こそ耳孔にモカの声が吹き抜けてきた。しかしその声は普段聞くものとは似つかわしくなく、見えるはずもないのにまるで妖艶な雰囲気さえ漂わせているかのような輪郭さえも感じられた。

 

 

 

 

 

「え、と......まぁ、別にいいけど」

 

 

 

 

 

「あ......うん、ありがとう」

 

 

 

 

 

恐々とした俺の返事にモカもぎこちなく頷いたが、彼女からこちらに来ようとする気配はそれとしてなかった。この距離すら惜しいとでもいうのだろうか。

 

 

モカの心中を勝手に想像したところで、俺はどこかよそ見をしながらモカのもとまで自転車とともに歩調を合わせにいった。

両者の肩が再び並ぶ。しかし、その周囲を包み込む雰囲気は先ほどまでとはまた一味二味違った印象を孕んでいた。

 

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

 

「......なんだよ、急にゆっくり歩こうなんて」

 

 

 

 

 

夜のとばりも相まっての妙な静けさに嫌気がさしたので、隣で沈黙を貫き続けるモカに向けてこうして牛歩したいと思った理由を聞いてみた。

 

 

 

 

 

「いやー、なんとなくというかー?」

 

 

 

 

 

「お前なんかヘンだぞ?態度も辿々しいし」

 

 

 

 

 

「えー?そ、そんなことないよー」

 

 

 

 

 

ちょくちょく言葉を詰まらせていることから考えるに、何かを隠しているのは事実だろう。

モカは自らの逃げ場を探すようにおもむろに夜空を見上げると、こんなことを呟いた。

 

 

 

 

 

「今日は月がキレイだなーと思って」

 

 

 

 

 

「あー、言われてみれば確かに」

 

 

 

 

 

モカに倣って俺も夜空に目を向けてみると、そこには彼女が言った通りの綺麗な細長い弧を描く三日月が、西の空にぽっかりと浮かんでいた。

 

 

 

 

 

「低緯度にあるせいか結構大きいな。今にも手が届きそうなくらいだ」

 

 

 

 

 

「────え」

 

 

 

 

 

「ん?どうした、モカ」

 

 

 

 

 

モカが今度はあからさまな驚いた表情でこちらを一心に見つめてきた。その瞳にはいつも見るようないたずらごころではなく、ただただ純粋な期待のような感情が宿っていた。

 

 

 

 

と、急にモカの歩みが止まった。

 

 

 

 

 

「おいおい、歩いたり止まったりしてどうしたんだよ」

 

 

 

 

 

「────......」

 

 

 

 

 

「モカ......?」

 

 

 

 

 

よく見るとモカは俺に向けていた目を伏せてぶつぶつ何かを呟いていた。

気分でも悪くしていてもいけないので、再び離れた距離を詰め、俯くモカに優しく語りかける。

 

 

 

 

 

「おい大丈夫か、体調悪いのか?」

 

 

 

 

 

「......ねえ、せいくん」

 

 

 

 

 

「なんだ?てかやっぱりお前顔色悪いじゃねえか」

 

 

 

 

 

こちらに向けられたモカの表情はどことなく優れているようには見えなかった。熱でもあるのか、いつにも増してとろけた面持ちだった。

症状が悪化しても困るのでここは早々に手を打つべきだと判断した俺は、まず確認のためにモカの額に手を当てた。しかしその体温は大して熱くなかった。

 

 

 

 

 

「あれ?熱はないみたいだ────」

 

 

 

 

 

とりあえずこれで一安心と手を離す。その際にもう一度モカの顔色を伺った。

 

 

 

すると、どうだろう。

 

 

 

 

 

「────......な」

 

 

 

 

 

とろけた表情はそのままに、モカは夢見心地のように柔らかく目を瞑っていた。よく見ると頬も少し赤くなっている気がした。やはり熱があるのではと疑ったものの、それが思い過ごしであったことは先ほど額に手を当てた際に実証済みである。

 

 

では一体なぜ、モカはこれほどまでにぼーっとしているのだろうか。熱もないのに頬をほんのりと赤らめているのだろうか。

 

 

 

 

 

──どうしてこうも胸が高鳴るのだろうか。

 

 

 

 

 

「モカ──」

 

 

 

 

 

「せいくん」

 

 

 

 

 

「────っ」

 

 

 

 

 

名前を呼んだはずなのにすぐさま呼び返され、その悠然たる声色に思わず身を固くする。

モカと向き合う余裕などない。なんだかこっちが熱くなってきた。ドキドキと心音が高まっていくのを感じる。

 

 

それでも俺がモカから目を逸らそうとしなかったのは、そうする前にもう身動きがとれなくなったからなのか、はたまた訳もわからず火照らせる自分への謎の恥じらいに対する強がりなだけなのか、それとも────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その想いを────『言葉』を受け止めようとしたからなのか。

 

 

 

 

 

「あたし、みんなとずっと一緒に過ごしてる時が一番()()()()()。せいくんがいなくなっても、それは変わらなかった」

 

 

 

 

 

固唾を飲む。そのわずかな音すら聞こえそうなくらいに、モカは俺の近くまで歩み寄っていた。

 

 

 

 

 

「でもそこにせいくんが戻ってきてくれた。しょうじ初めはもう二度と戻ってこないって諦めかけてた。だから、とても嬉しかった」

 

 

 

 

 

モカは止まった俺の横を通り過ぎると少し先まで歩いていったような気がした。“気がした”のはもちろん、呼吸を整えるのに必死で振り返ることもままならなかったからだ。

 

 

 

 

 

「そしてまた『いつも通り』が始まった。笑ったり泣いたり、時にはぶつかったりもして、本当にでこぼこな道だった......そんな時だった」

 

 

 

 

 

徐々に声が遠のいていく。それがけたたましい鼓動の音のせいなのか、はたまたモカが離れていっているせいなのかはわからなかった。

 

 

 

だが、その答えはすぐに出た。

 

 

 

 

 

“両方”だったのだ。

 

 

 

 

 

「......っ!」

 

 

 

 

 

遠巻きになっていくはずのモカの声はいつしか、俺の耳元にまで及んでいた。

 

なんとモカは、俺の背中に抱きついてきたのだ。

 

 

 

 

 

「せいくんの優しさに触れた。せいくんは陰ながらみんなをサポートして、ダメだと思ったところはちゃんと言ってくれて、励ましもしてくれた」

 

 

 

 

 

「も、もか......」

 

 

 

 

 

「そして何より、あたしのことを助けてくれた......一緒に“あの背中”を追いかけようって手を伸ばしてくれた」

 

 

 

 

 

モカの抱擁が強まる。そこから生まれたのは息苦しさではなく、ましてや嫌悪感でもない、形容しがたいナニカだった。

 

 

 

今までに経験したことのない感情が湧き上がってくる。不思議なことに、それが馴染むまでにあまり時間は要さなかった。

 

 

 

 

 

「ねえせいくん。なんであたしがもう少しゆっくり歩こうって言ったのか、わかる?なんでこうやって抱きついてるのか、わかる?」

 

 

 

 

 

「お、俺は......」

 

 

 

 

 

「ずっと苦しかったんだ。蘭のこととは別のことで、ずっと、ずーっと......でも、この前せいくんに慰めてもらって、そして今日のライブを通して、やっとわかったの」

 

 

 

 

 

踏ん切りがついたのかモカの力強い抱擁が一気に解き放たれた。その余韻を上半身に感じていると、後ろにいたモカは今度は打って変わって俺の目の前に繰り出してきた。

 

 

 

モカは秋の涼しい夜風に髪をたなびかせている。薄暗い月の下、モカはらしくもなく照れ臭そうに頬を掻いていた。

 

 

 

 

 

それからしばらくしてだった。

 

 

 

 

 

「あたし......あたし、せいくんのことが好き」

 

 

 

 

 

モカが俺に告白したのは。

 

 

 

 

 

「だからその......あたしと、付き合って......ください......っ」

 

 

 

 

 

俺がこの胸の高鳴りの正体を見破ることができたのは。




いかがだったでしょうか。次回は番外編で、3月13日に投稿予定です。お楽しみに。


さて、時間も余りましたのでここでひとつ余談を挟ませていただきます。

皆さんの中に夏目漱石の「月が綺麗ですね」の話をご存知の方も少なからずいらっしゃると思います。「月が綺麗ですね」というのは「あなたのことを愛しています」と伝える際の比喩表現とされていますが、実はこれ、夏目漱石がI love you.を「月が綺麗ですね」と訳したからなんですよね。

しかしこれはあくまでも告白する側の台詞。ちゃんとそれに対する返しも用意されてあるんです。その代表例として挙げられるのが「死んでもいいわ」、「あなたと見る月だからでしょうね」、そして「今なら手を伸ばせば届くかも」、なんですよね。



......もうおわかりいただけましたでしょうか。そんな具合で今回はここまでにさせていただきます。

それではまた次回お会いしましょう。さいなら!


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番外編 第1話 堕星

どうもあるです。


今回は前回言っていた通り番外編です。加えて言うと、2章で初の番外編です。かなり短めに仕上げましたのでサクッと読めるかと思います。



あとここだけの話、今回のは後々の伏線になるやもしれません。








...ふふ。それでは本編、どうぞ。


生き物や読本などと同じように、夢にも様々な種類がある。

 

 

見たら幸せになる夢や不幸が訪れる夢。代表的な例でいえば一富士二鷹三茄子などが挙げられる。

 

 

 

 

 

では、星に関する夢はどうだろうか。

 

あるとすれば静かに瞬く星の夢、激しい点滅を見せる星の夢、あるいは───......

 

 

 

 

 

......それを俺は───今まさに、満点の星空の映る夢を見ている俺は、まったく知らなかった。

 

 

 

 

 

「────」

 

 

 

 

 

己が精神だけが生物として存在している世界の真ん中、俺はあまねく星々の遊覧飛行を見上げていた。

 

精神世界であるがゆえに一つとして言葉を口に出すことはできず、感動を形容することも許されない。そんな違和感もたちまち忘却の彼方へと行ってしまうほど、あの広大な星の海を股に駆ける火の玉は俺の心を鷲掴みにして離さなかった。

 

 

 

 

 

「────」

 

 

 

 

 

おもむろに“手”を伸ばす。しかし天高くに在る星、ましてや高速に動く流星を捕まえることなど無理に決まっていた。

 

 

 

......はずだった。

 

 

 

 

 

「────」

 

 

 

 

 

突如として大気が揺れる。轟々と響く音は身を焦がす熱をもって俺の目の前に落ちた。

 

 

 

振動とともに巨大なお椀状の穴が大地に空く。宙に浮くような感覚が襲ってきたかと思えば、“身体”が地面に叩きつけられた。もちろん身体諸々擬似的なので、大事どころか軽傷すら負わなかった。

 

 

 

 

行動に移した原理はともかく、俺はまもなくしてまるで虫が外灯に誘われるように、ただ無心に勾配の激しい斜面を下ってその穴の中心へと向かい始めた。乱雑にひび割れた小石の数々を掻き分けていった先にあったのは、眩い光を放つ物体だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───『星』だ。

 

 

 

 

 

「────」

 

 

 

 

 

薄く発光するそれを“手”に取り爆発の際に巻き起こって付着した砂塵を拭き取って、表面を露わにさせる。すると、虹色に輝く美しい鉱石が俺を出迎えた。

 

 

おもむろに天にかざすと変光星のように赤、青、白など魅力的なプリズムを放つそれは、まさに筆舌に尽くし難いという表現がお似合いだった。この世のものではない、畏怖するに足る代物だった。

 

 

きっと地球上に存在するどんな高価なものでもこれに値するものは無いだろう。むしろ価値云々の問題ではなく、もっと潜在的で根本的な観点から次元が違うのかもしれない。

 

 

この世の全てを一身に凝縮し、丹念に磨き、命を一欠片。そうして初めて、この怪物は生まれてきたに違いない。

 

 

 

 

なんて眩しいのだろう。なんて芳しいのだろう。なんて愛おしいのだろう。なんて猛々しいのだろう。いつしか俺の意識は、この星の輝きに夢中になっていた。

 

 

 

そして。

 

 

 

 

星を握った“手”が、口元へと、ゆっくりと、自然と運ばれて────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

......────。

 

 

 

 

 

 

......──────。

 

 

 

 

 

 

 

............────────────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「......ん、ぅぁ」

 

 

 

 

 

ふ、と目が覚めた。

 

 

 

 

 

「あー!せい兄、やっと起きたー!」

 

 

 

 

 

「......?あれ......陽菜?」

 

 

 

 

 

寝ぼけ眼に叱咤する声の元を辿ると、腕を腰に当てながら俺を睨みつける陽菜がいた。背景には窓に差し込む西日の光があった。そこに夜は無かった。

 

 

 

 

「ちょっと寝るとか言って寝すぎだよ!今何時だと思ってんの?おかげで洗濯物とか当番じゃないのにやらされたんだからね!」

 

 

 

 

 

「......っるせーなあ、たまにはいいだろ」

 

 

 

 

 

「あっ......もー!ちょっとぉ!」

 

 

 

 

 

けたたましい声に耳を塞ぎ、ふかふかのソファへと再び体を横にする。そんな俺の脳内では、先ほど見た夢での出来事がぐるぐると渦を巻いていた。

 

 

 

 

不思議な夢だった。内容はあまりよく覚えていないが、それだけは確かだった。

 

星降る夜空の下に俺がひとり。天を分かつ天の河を彩る星々に魅入られる中で、俺は天からの授かり物を見つけてしまった。

 

 

地に落ちたそれはとても美しく......いや、形容するには美しいとしか他に言いようがなかった。

 

 

 

ただただ、美しかった。俺はその虹色の光沢に捉われていて、手放すことを酷く惜しんだ。

 

 

 

 

 

だから......

 

 

 

 

 

 

だから、食べた。

 

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

 

陽菜が地団駄を踏みながら遠ざかっていくのを横目に確認し、今度は耳に当て続けていた手で唇をなぞった。現実に起こったわけでもないのに、俺の口内にはあの“星の味”が残っていた。

 

咀嚼したそばから広がる無数の煌めき。パチパチと弾けるような感触は、いつの日かどこかのアイスクリーム屋さんで食べたアイスと同じものだった。

 

確かあれは夏頃だったっけ。Afterglowのみんなと行って、各々好きなアイスを選んで食べて。俺とかがシングルコーンだったのに対して、モカだけは食い意地張ってトリプルコーンも頼んで......ともかくとても楽しい思い出だった。アイスも、とても美味しかった。

 

 

 

 

そんな思い出に浸りながら食べた『星』。しかしお世辞にもそれは、まったくもって美味しくなかった。金平糖のように可愛らしい見た目と形の割には、食感だけが唯一の愉しみだったのだ。

 

 

 

 

そう。愉しみは、それだけだった。

 

 

 

 

 

「うっ......」

 

 

 

 

 

星だから当然だろう?......なんていう理屈がまかり通るようなら、あの俺の行動は証明されない。

 

俺だって腹の中ではわかっていた。だが無機物の塊である鉱石をかっ喰らおうなど、大食漢でも考えにも至らないようなことを俺はやってのけた。

 

 

 

 

やってしまった。

 

 

 

 

体が、いうことを聞かなかった。

 

 

 

 

 

花に群がる働きバチのように、俺も魅入られるがままに直感的にそれを口にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

......また、味わったのだ。

 

 

 

 

 

「────お、ぅえ」

 

 

 

 

 

神々しい流星。

 

 

それは、甘い甘い、甘ったるい死の味がした。




いかがだったでしょうか。次回は2月19日の20時30分、本編を投稿予定です。お楽しみに!


余談なんですが、いつのまにかUAが7400を突破しておりました。どのくらいすごいのかはわかりませんが、皆さんが何回もここへ足を運んでくださっているということには変わりないと思うのでめちゃくちゃ嬉しいです。毎度毎度のことですが大変励みになります。いつもありがとうございます。



それではまた次回お会いしましょう。さいなら!


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番外編 第2話 温傘

どうもあるです。

皆さん、変わりばえないでしょうか。俺はこの通り相変わらずな自堕落をおくっています。とはいっても運動もしなきゃなので家で筋トレを始めることにしました。初日で死にました。



それでは本編、どうぞ!







 

 

 

 

 

「......あー、クソ」

 

 

 

 

 

物憂げに愚痴をこぼす。その相手は他でもない、このどんよりとした雨空だった。

 

ゲリラ豪雨が風物詩でもある夏はとうに過ぎ去っている。もはや秋真っ盛りだ。にもかかわらず、今日は運悪くも突然の豪雨に見舞われた。時雨という秋特有のゲリラ豪雨のようなものもあるが、それに関しては完全に存在を忘れていた。

 

 

天気予報では晴れが続くでしょうとかなんとか言っていたのにどうして......そんな後悔を抱きながら、おつかい袋をぶら下げた方とは反対の腕を、店先の屋根の下からふりしきる雨の世界へとふいに伸ばしてみた。

 

 

 

 

 

「うーわ......思ったよりもひでえなこりゃ」

 

 

 

 

 

目で捉えただけでも雨足の激しさは大体予想できてはいたものの、実際にはその倍近い強さで降っていた。そこに掲げた俺の手はもちろんびしょ濡れとなった。

 

 

とはいえこのまま放置して、なおかつ風邪をひいてしまっては雨宿りした意味がない。早くハンカチで濡れた箇所を拭き取らなければ。

 

そう思ってポケットをまさぐる。だが、お目当ての感触はそこには無かった。

 

 

 

 

 

「ええ?あれ......ええ?」

 

 

 

 

 

次にポロシャツの胸ポケット。無い。

 

もしかしてとおつかい袋。無い。

 

まさかズボンの縁とか?......もちろん、無い。

 

 

 

結局ハンカチは見当たらなかった。またもや『今日に限って現象』が起きてしまった。

 

 

 

 

 

「......くしゅっ」

 

 

 

 

 

雨とともに吹き荒れる風に濡れた腕がさらされ続けた結果、その寒さからかついにくしゃみが出始めた。

 

ああ、寒い。盛大にやってしまった。夏が過ぎたとはいえまだ比較的暖かい季節。長袖でもなければ、もちろん上に羽織る物など持ち合わせていなかった。

 

 

薄着なうえに無防備なまでに露わとなった腕に湿った冷風が吹き付ける。それは俺の体温を奪うのに十分な威力を有していた。次第に体が震えてきた。

 

 

そんな己の体調の異変に不甲斐なさとやるせなさを感じていると、誰かから突然声をかけられた。

 

 

 

 

 

「あの」

 

 

 

 

 

「え?......あ、はい?」

 

 

 

 

 

声が聞こえてきたのは左の方からだった。おぼつかない動きでそちらへ振り向いてみると、そこには意外な人物が立っていた。

 

 

 

 

 

「......って、氷川先輩?」

 

 

 

 

 

「こんにちは、長門さん」

 

 

 

 

 

「あっ、ど、どもっす」

 

 

 

 

 

淡々とした口調に自然と背筋が立つ。氷川先輩は相も変わらずな冷ややかな態度だった。こちらとしてはただでさえ雨風で冷やされているのだから勘弁してほしいところなのだが......

 

 

 

 

 

「雨宿りですか?にしてはびしょ濡れですね。突然でしたし、駆け込んできたとか?」

 

 

 

 

 

「あーいや、どのくらい降ってるのか気になって確かめようとしただけで」

 

 

 

 

 

「なるほど」

 

 

 

 

 

嘘をついても忍びないので本音を伝えたが、やはりなんだか恥ずかしい。いい歳した高校生がいちいちそんなことをするものかと思われるかもしれないからだ。

 

 

 

 

 

「そういう氷川先輩も雨宿りですか」

 

 

 

 

 

「ええ、お恥ずかしながら傘を忘れてしまいまして」

 

 

 

 

 

はにかむ彼女の両腕ともに、傘らしきものは見当たらなかった。それから同じ境遇の顔見知りと出会えたことに、なんだか心に落ち着きが生まれるような感覚を覚えた。

 

 

 

 

 

「......ああ、濡れているんでしたよね」

 

 

 

 

 

氷川先輩は思い出したように俺にそう聞いた後、何やらカバンの中を確認し始めた。何事かと伺っていると、「これを」とハンカチよりもひとまわり大きいタオルを差し出してきた。

 

 

 

 

 

「ちょうど持ち合わせていたので、どうぞ使ってください」

 

 

 

 

 

「ええっ!?いやそんな!大丈夫ですよこのくらい」

 

 

 

 

 

濡れてしまったのは俺の自己責任だし、何より先輩の(それも女性の)身だしなみ用品に手を付けるなど御法度である。もちろん俺は反対した。

 

 

そして氷川先輩も、そんなことでおいそれと見逃してくれるほど甘くはなかった。

 

 

 

 

 

「大丈夫なわけないじゃないですか。先ほどもくしゃみをしていたでしょう」

 

 

 

 

 

「うっ......聞こえてたんですね」

 

 

 

 

 

「ええ。大変可愛らしいものでしたね」

 

 

 

 

 

「なッ......!?」

 

 

 

 

 

悪戯な笑みに思わずたじろぐ。でもそれはからかわれたからではなくて、もっと別の意味でのたじろぎだった。

 

 

 

まさか“あの”氷川先輩が、あんな表情を見せるとは思わなかったから。

 

とはいえ、言われるだけで終わってしまっては心地良くない。

 

 

 

 

 

「......んっ、んー。氷川先輩もそんな表情するんですね」

 

 

 

 

 

「いいから早くこれを使ってください」

 

 

 

 

 

「うぐっ......」

 

 

 

 

 

こちらも誤魔化しがてらに反論するも、氷川先輩はなんら歯牙にもかけない様子で依然タオルを差し伸べてきた。

 

そんな彼女に俺もとうとう根負けし、おとなしくお言葉に甘えることにした。

 

 

 

滴る雫を拭き取っていく。触れた先から温もりが広がっていくのを感じ、思わず表情を綻ばせた。

 

 

 

 

 

その傍らだった。

 

 

 

 

 

「───本当に、私は変わったんですね」

 

 

 

 

 

「......へ?」

 

 

 

 

 

突然の言葉に俺も反射的に聞き返す。すると本人も無自覚だったのか、「ああ、いえ」と口に手を当てながら言葉を漏らした理由をいつもの調子で語り始めた。

 

 

 

 

 

「先ほど長門さんから『そんな表情』と言われて、それが笑顔だったのは何となくわかっていたので、私は以前まで“やっぱり”笑ったりしていなかったのかと思って」

 

 

 

 

 

「なるほど。......って、やっぱり?」

 

 

 

 

 

引っかかった物言いに首を傾げる。あの藪から棒な発言といい、前にも俺のと似たようなことを誰かから言われたことがあるような物言いだった。

 

 

 

 

 

「もしかして、俺以外からも言われてたんですか?」

 

 

 

 

 

「ええ。最近になって今井さんなどから度々言われるようになりまして」

 

 

 

 

 

見事に的中だった。やれやれと語る氷川先輩は見ての通り困惑気味だった。

 

 

 

 

 

「困ったものです。何をそんなに珍しがる必要があるのか......」

 

 

 

 

 

訝しげに腕を組む氷川先輩。そんな彼女だったが、次第に「でも」と自らの今井先輩たちへの反感を鑑み始めた。

 

 

 

 

 

「それは他でもない、私の著しい変化への評価なのでしょう」

 

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

 

人という生き物は複雑で、忘れっぽかったり不器用だったり、誰もが何かしらの欠点を抱えている。それでいて、それらを“治したい”とも思っている。

 

しかし、そうするためには何かきっかけが必要だ。その種類は小さなことから大きなことまで、そして目に見えるところから繊細な部分に幅広く存在している。

 

 

例えばそれは日々の生活の中での些細な出来事で、友達とのくだらない会話だったり、お風呂に浸かっている時だったり。あと強いていうのであれば、あるいは────......

 

 

 

 

 

 

家族とのちょっとしたしがらみだったり。

 

 

 

 

 

「──“何か”あったんですね」

 

 

 

 

 

水分を吸い取ってすっかり湿ったタオルを折り畳む。その際に香り立った芳香剤に鼻腔をくすぐられるのを感じらながら、氷川先輩にお礼と共に返却した。

 

 

 

 

 

「ありがとうございました」

 

 

 

 

 

「いえ。大事に至る前に防ぐことができて良かったです」

 

 

 

 

 

氷川先輩がまた笑った。対して俺は、雨模様のこれからの行方を伺うばかりだった。

 

 

 

 

 

......いつのまにか、豪雨は霧雨へと変わっていた。

 

 

そんな秋時雨に触発されたかのように、氷川先輩が淡々と語り始めた。

 

 

 

 

 

「───私はずっと、日菜のことを邪険に扱っていました」

 

 

 

 

 

ガルパの合同練習。ゆえに、バンドメンバーとして出場する氷川先輩と日菜さんの2人はその場に居合わせることもしばしばあった。

 

その際の氷川先輩の日菜さんに対する氷のような態度、そして日菜さん自身もどう接していいのか模索しているような感じだったことを、スタッフとして側から見ていた俺は薄々気付いていた。

 

 

 

 

 

「前に日菜と話し合ったんです。今までちゃんと向き合えていなかったぶん面と面を交えて、ずっと日菜のことをコンプレックスに思っていたことを。それは───......」

 

 

 

 

 

氷川先輩の冷酷さの原因は、日菜さんと比較したうえでの自分への劣等感だったらしい。

 

 

何をしても日菜さんにその才能を以って先々越されていく。そんな堂々巡りを繰り返す自分の弱さに嫌気が差し、氷川先輩はギターに逃げ込んだ。数ある事ごとの中でも努力を必要とする、かつ日菜さんもやったことのないギターを己の確固たる居場所としようとした。

 

 

でも、無駄だった。才能は言わば努力をも上回る可能性を秘めたもの。その中でも突出した才能を有した日菜さんは、姉である氷川先輩の『聖域』にまたもや土足で立ち入り、そして積み上げた努力という名の壁を軽々と超えてみせたのだ。

 

 

 

 

 

そしてそんな現実に、氷川先輩は今度こそ、完膚なきまでに叩きのめされた。

 

 

 

 

 

「日菜の『楽しい音』に比べて、私のは『つまらない音』に過ぎませんでした。でもそれは当然です。妹へ募らせた憎しみを形にしていただけなのですから」

 

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

 

「だから私も、ギターをやめようとしました」

 

 

 

 

 

「え......」

 

 

 

 

 

告白された事実に呆気にとられる。よもやそこまで追い詰められていたとは思っていなかったから。

 

 

だが、“やめようとした”ということは───。

 

 

 

 

 

「でも、日菜がそれを止めてくれたんです。私の音を......『つまらない音』ではないと言ってくれたんです」

 

 

 

 

 

「日菜さん本人が?」

 

 

 

 

 

予測はしていたが、これまた意外だった。俺が見てきた限り、日菜さんは氷川先輩と一緒にいるときは楽しそうでもありどこか寂しそうでもあった。それは氷川先輩との決定的な隔たりが原因だったに違いない。

 

 

日菜さんも十分承知していたはず。その理由のひとつに、自分のギターも関係していることを。

 

 

 

それでもギターをやめるなと言ったのは、彼女の無遠慮さからなのだろうか。

 

 

それとも───。

 

 

 

 

 

「前から約束していたんです。お互いがきっかけだから勝手にギターをやめたりしないって。それが日菜にとっては嬉しかったみたいで......だからあんなに怒っていたんでしょうね」

 

 

 

 

 

「えっ?あの日菜さんが?」

 

 

 

 

 

「ふふ、まったく日菜らしくないでしょう?実は泣いたりもしていたんですよ。そこまで感情を剥き出しにするほど、日菜は私との約束が大切なものだったんです」

 

 

 

 

 

一瞬上がった氷川先輩の口角が一文字へと舞い戻る。変わるがわるな氷川先輩はそのまま話を続けた。

 

 

 

 

 

「日菜は私とは違って天才で、いつも私のことを軽々と追い越していく。今まではそれだけだと思っていました」

 

 

 

 

 

でも、それは違った。

 

 

 

 

 

「......ずっと待ってくれていたんです。土砂降りの雨から私のことを庇おうと、ずっと傘を差し出してくれていたんです」

 

 

 

 

 

だから、私も決めた。

 

例え今は無理でも、いつか必ず日菜の隣に立って胸を張って歩けるようになるまで。

 

 

私はギターを弾き続ける。

 

 

 

 

そう語られる氷川先輩の言葉からは、確かな決意が感じられた。

 

 

 

 

 

「皮肉ですがそうして自分探しをしていく過程で、私も変わることができたのかもしれませんね」

 

 

 

 

 

「確かに皮肉ですけど、人は変わることで成長していくんじゃないですか」

 

 

 

 

 

変わらないために変わる。少し前にAfterglowが再び低迷し始めて考え出した、俺たちが俺たちであり続けるための唯一の方法。苦くも甘い、そんな経験を体験したからこそ、俺も氷川先輩の気持ちを理解することができた。

 

 

 

確かに変化は恐ろしいものだ。未知の世界へと足を踏み入れていくわけだから、尻込みして当然なのだ。

 

それでも人は変わらなければならない。結果がどうであれ、その未知へと挑戦したことは瘡蓋となって、やがて己が力へと昇華する。

 

 

 

 

 

「心配しなくても氷川先輩は元からつまらなくなんかないですよ。つっても、自分で気付けてないならどうにもなりませんけど」

 

 

 

 

 

「そうですね。なのでこの『つまらない音』もそう思えるように、これからもギターを弾き続けていきたいと思います」

 

 

 

 

 

「はい。氷川先輩が日菜さんと肩並べられるように、俺も影ながら応援してます」

 

 

 

 

 

「ふふ。ありがとうございます」

 

 

 

 

 

氷川先輩がまた笑った。そんな表情もこの短時間で何度も見てきたせいか、俺もすでに慣れてきていた。

 

 

でもやっぱり、そのあまりの顔立ちの良さに目を逸らしてしまう。そうして移した視線の先に映るはずの雨模様は、もう無くなっていた。氷川先輩もそれに気付いたようだ。

 

 

 

 

 

「おや?雨が......」

 

 

 

 

 

「やんだみたいっすね」

 

 

 

 

 

空を見上げると雲が点々としていた。その合間から差し込む太陽光を見て、今の時間帯が正午だということを思い出した。

 

 

 

 

 

「......あ、今日は長々と流れでお話に付き合わせてしまってすみません。私ったらつい」

 

 

 

 

 

「いやいや。俺も退屈しのぎできましたし、タオルも貸してもらって。お礼を言いたいのはこっちのほうです。ありがとうございました」

 

 

 

 

 

お互いに頭を下げ合う。雨水が南中した太陽で蒸発し始め、コンクリートの成分を含ませながら宙へと散っていく。秋と言えどもわずかながら残暑が続いていることを、この昼間の日差しを見て改めて実感した。

 

 

そういえば今日は、俺が昼食係だったか。

 

 

 

 

 

「俺も用事あるんで今日はこのへんで。本当に今日はありがとうございました。では、また」

 

 

 

 

 

家で腹を空かせて待ちかねている弟や妹たちのためにも早く帰らねば。そう踵を返した俺の背中に、氷川先輩の呼び声が刺さった。

 

 

 

 

 

「長門さん」

 

 

 

 

 

「え?は、はい。なんでしょうか」

 

 

 

 

 

と振り返ったはいいものの、先輩を置いてそそくさと帰ろうとしたことが癪に障ったのだろうかという嫌な予感が、直後に俺の脳裏をよぎった。

 

 

 

それがただの杞憂だったことは、氷川先輩から告げられた言葉によって証明された。

 

 

 

 

 

「長門さんのことは度々耳にしています。あなたが記憶喪失を患っていることを」

 

 

 

 

 

「え......」

 

 

 

 

 

「記憶を失って一度積み上げたものが崩れ去って、それらを取り戻す過程で様々な『変化』と出会うでしょう。......だけどどうか、あなたもそれを恐れないでください」

 

 

 

 

 

「......っ!」

 

 

 

 

 

これまで色んなことを思い出してきた。『変化』を目にしてきた。街中の風景、巷での流行、政界の情勢、そして何より幼馴染たちの心身。

大小様々な『変化』は時として優しい抱擁となり、それでいて牙を剥いたりもした。

 

 

だが、それらにはひとつだけ共通点があった。恐怖だ。未知への恐怖だった。俺はそれを必死で呑み込み、かつての自分が見ていた『景色』が如何様なものかを知ろうとずっと息巻いてきた。

 

 

 

内容は違えど、本質的には俺と氷川先輩は一緒だった。『変化』に怯えながら生きて、それでも知ろうと、変わろうとしている。

 

 

 

 

素直に嬉しかった。同じ境遇に在る人がこんなにも身近にいたこと、そしてその本人から労いの言葉をかけてくれたことが。

 

 

 

 

 

「──......ありがとう、ございます」

 

 

 

 

 

「いえいえ。......あっ、余計なお世話でしたでしょうか?」

 

 

 

 

 

「え?いや全然ぜんぜん!」

 

 

 

 

 

「ふふ、よかった。お互いに頑張りましょうね」

 

 

 

 

 

氷川先輩はそう言うと、今度はあちらが「ではまた」と踵を返して家路を辿っていった。その遠のいていく背中からも、彼女の和やかさは十分に伝わってきた。

 

 

その後を追うようにして、俺もまたゆっくり歩み始めた。

 

 

 

 

 

「......俺も負けてらんないな」

 

 

 

 

 

それから1日のこと、秋時雨の気配が再び匂い始めることはなかった。代わりに、眩しいくらいの太陽が秋の冷涼の世界に温もりを届け続けていた。

 

 

 

 

傘はもう必要なかった。

 

 

 

 

 









いかがだったでしょうか。次回も番外編で3月18日の20時30分に投稿予定です。お楽しみに!


〜感謝の言葉〜
UA数9000&お気に入り登録者数50人突破しました!ありがとうございます!!これからも応援よろしくお願いしますです!!



今回はここまで。それではまた次回お会いしましょう。さいなら!


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第3章 Up:Sign
プロローグ 新旧


どうもあるです。

臨時休校も終わりますね。すでに終わっている、もしくは働いているという方もいると思いますが、これからお互いまた頑張っていきましょう。
という心持ちのもと、今回から新章が始まります。他バンドとの絡みも多くしていく所存ですので、タグも後々追加していこうと思います。



それでは本編、どうぞ!







 

 

「じゃ、いってきます」

 

 

 

 

 

「はぁ〜い!いってらっしゃーい」

 

 

 

 

 

先生の掛け声を背に自転車のペダルを漕ぎ出す。進級したからと言って俺の反発を押し除けてまで先生が買った新しい自転車の乗り心地は、まさに文句なしのものだった。個人的には前まで乗っていた先生のお下がりの方が恋しく感じていたのだが。

 

丘の坂を下り道路に出ると、路傍からトンテンカンと気味の良い工事現場の音が忙しなく響いてくる。

ここ最近になってから住宅地の開発がより一層多くなった気がする。おかげで丘の上にあるはずの孤児院からでもしばしば金属製の騒音が聞こえてくる始末だ。

 

 

 

どうにかならないものかと思いつつ自転車を漕ぎ進めると、いつの間にかいつもの交差点が見えてきた。

 

自転車のスピードを落として辺りを見回す。探しているのは猫ではない。人だ。

しかしそこにお目当ての人物はいなかった。また寝坊でもしたのだろうか、近頃になってからはいつも一緒だったのに。

 

 

 

 

 

「────いない、か」

 

 

 

 

 

猫の子一匹としていない閑静な交差点に呟き、俺は再び自転車を漕ぐのに集中しようとした。それを止めたのはひとつの声だった。

 

 

 

 

 

「おーい!流ー!」

 

 

 

 

 

「......ん?」

 

 

 

 

 

聞き覚えのある声の聞こえた方に目と耳を向けると、そこにはこちらに手を振るともちゃんと眠たげに目を擦る蘭がいた。

 

 

 

 

 

「蘭にともちゃん......か。おはよう」

 

 

 

 

 

「おはよ。てか何その言い方......あたし達じゃダメだったワケ?」

 

 

 

 

 

「いやいや、そんなことないけど」

 

 

 

 

 

「いやあるだろ。なんせこの頃、()()()()べったりだもんなぁ」

 

 

 

 

 

「そ、そんなべったりしてねぇよ!!」

 

 

 

 

 

人聞きの悪いともちゃんから逃げるように「じゃあ先行くから」とだけ言い残し、颯爽と自転車を駆り出す。背後から何か罵倒のようなものが二つ聞こえてきたような気がしたが、それに構う暇も勇気も俺にはなかった。

 

 

なんといっても今日は始業式。新たな学年になって初日から遅刻してしまったら面目が立たなくなってしまう。

 

新たな門出を前にした俺の胸の内は、逸る期待と募る不安で一杯だった。

 

 

 

 

 

しばらくして学校の外堀が見えてきた。雲梯のような校門を潜り抜け、颯爽と自転車置き場へと向かう。

自転車を置いたところで昇降口へ向かうと、そこはすでに多くの生徒で埋め尽くされていた。

 

 

 

 

 

「てっ......ちょ、ごめん......ぐわっ!」

 

 

 

 

 

人波に揉まれながらも自らの上履き入れを目指す。その道中、思わぬ遭遇に目を剥いた。

 

 

 

 

 

「あっすみませ......って、つぐちゃん!?」

 

 

 

 

 

「りゅ、流誠くん......?おはよう!」

 

 

 

 

 

ぶつかった衝撃に謝罪の言葉を漏らしたのも束の間、その相手がつぐちゃんだったことに俺の驚きの矛先が向いた。

窮屈そうな彼女の様相をよく見てみると、その両手には『押さないでください!大変混み合ってます!』と書かれた看板が握られていた。

 

 

 

 

 

「おはよう。ていうかそれって......」

 

 

 

 

 

「ああこれ?実は先生に頼まれちゃって」

 

 

 

 

 

「はぁー......やっぱりか」

 

 

 

 

 

まさかと思いながら質問したが、その答えは案の定だった。

 

こういう生徒の誘導は教師や生徒会が行うことなのでつぐちゃんがすることにはなんら違和感はない。問題は、教師側が誘導も含めたほとんどの仕事をつぐちゃんに押しつけがちなことにある。つぐちゃんの人の良さを利用して仕事を削減するとは、成人しているはずの教師達の方が未成年のつぐちゃんよりもよっぽど子供に見えてくる。

 

 

 

 

 

「あまりツグりすぎるなって言ってるだろ?とにかくほら、手伝うよ」

 

 

 

 

 

「いやいや平気へいき!まだ働けます!」

 

 

 

 

 

「言ったそばからじゃん......そもそもなんでこんなに人がいるんだ?」

 

 

 

 

 

こうして話している今でなお、激しい人の流れは止まることはなかった。そいつらの異様なテンションの高さからして皆何かに急いでいるような気もするが、本日の一大イベントである始業式が始まるまでにはまだ時間はたっぷりある。

 

 

 

 

 

「人もここに集中してるみたいだし、なんか騒ぎでも起きたのか?」

 

 

 

 

 

「えーっと、それが────......」

 

 

 

 

 

「あぁっ!愛しの子猫ちゃん、子犬くん達よ!」

 

 

 

 

 

つぐちゃんが何かを伝えようとしたが、そこに割り込むように意気揚々とした芝居がかった声が舞い込んできた。

 

 

 

 

 

「え、あれってまさか......」

 

 

 

 

 

俺はそこはかとない疑心を抱きながら、爪先立って背伸びをして群衆の伸びる先を見た。すると階段の踊り場の手すりにもたれながら下方を見下ろす瀬田先輩が、胸に手を当てながら感慨深そうにしているのを見つけた。

 

 

 

 

 

「キャーッ!!薫先輩ー!!」

 

 

 

 

 

「薫さーん!!うおおおお!!!」

 

 

 

 

 

「やあやあ、ありがとう諸君。君達とまたこうして春の木漏れ日のもとに集えて、私は心から嘆いているよ」

 

 

 

 

 

流石のカリスマ性といったところか。文面を冷静に読み解けばその意味が少しズレてることがわかるのだが、それに気づかせる隙を与えないほどに瀬田先輩のしぐさや彼女自身を取り囲む雰囲気は絶大な魅力を有していた。

 

要するに、瀬田先輩含めるあの集団は簡潔に言えばアホ以外の何者でもないということだ。

 

 

 

 

 

「相変わらずすげぇ人気っぷりだな。あんなところに居座られても邪魔なだけだけど」

 

 

 

 

 

「ちょっとー!邪魔とか言わないでよ!」

 

 

 

 

 

「......え?」

 

 

 

 

 

待て、俺の聞き間違いか?今常識人であるはずのつぐちゃんが瀬田先輩の肩を持つような発言をした気がするのだが。いやきっと気のせいに違いない。そうでなきゃ俺は......いやいやいやいやいや。

 

 

 

割と心配そうな眼差しをつぐちゃんに向ける。しかしそこにはつぐちゃんの姿はなく......

 

 

 

かわりに撫子色のおさげの目立つ人影が、俺の視線をしっかりと受け止めていた。

 

 

 

 

 

「ひーちゃん!いつの間に」

 

 

 

 

 

「薫先輩がいるって聞いたから慌てて来たの!はぁー......薫先輩、今日もカッコいいな〜」

 

 

 

 

 

どうやらひーちゃんもその手の者(アホ)のようだった。

瀬田先輩に羨望の眼差しを向けているひーちゃんの背後から、つぐちゃんが出てきた。

 

 

 

 

 

「ひまりちゃん、瀬田先輩に場所移してもらうように行ってくれないかな?」

 

 

 

 

 

「えぇっ!?む、無理ムリ!!そんなおこがましいことできないって!」

 

 

 

 

 

「おこがましいって......」

 

 

 

 

 

俺が思っていた以上にひーちゃんはよほどの重傷者のようだった。

やれやれと肩をすくめていると、瀬田先輩率いる混沌のなかに一筋の光が見出された。

 

 

 

 

 

「はいはいすいません、通りますよー......」

 

 

 

 

 

「ん、あれは?」

 

 

 

 

 

興奮の息でもはや蒸し風呂状態となった人混みを掻き分ける人影に、その異様さに驚きを示す。

人影は瀬田先輩と同じ踊り場に出たや否や、ガラス窓から差し込む朝日の光に眼鏡を光らせた。

 

 

 

 

 

「薫さん!こんなとこにいたらファンで昇降口がいっぱいになっちゃうじゃないですか!」

 

 

 

 

 

「師匠!」

 

 

 

 

 

人影の正体はなんと師匠だった。同じ演劇部に所属している師匠だからこそ、ああして注意ができるというのか。何にせよとんだ僥倖だった。

 

 

 

 

 

「いやあ、すまない。私の魅力にみんな夢中になってしまっているみたいなんだ」

 

 

 

 

 

「夢中にさせるのは勝手ですけど、ここだと邪魔になるんで上に行きましょう」

 

 

 

 

 

「ああっ!それはいい提案だね、麻弥。それでは場所を屋上に移すとしようか」

 

 

 

 

 

「「「待ってください薫さーーーん!!!」」」

 

 

 

 

 

ファンを引き連れて瀬田先輩と師匠が上へと上がっていく。聞くところによると屋上へ向かうらしいので、あの群衆に紛れていけば2階の教室に上がれるはずだ。

 

 

 

 

 

「チャンス!今のうちに教室行かなきゃ......」

 

 

 

 

 

「あ、私も行く......ぶわぁっ!」

 

 

 

 

 

「ひ、ひまりちゃん!......きゃっ!」

 

 

 

 

 

「あっ、つぐちゃん!ひーちゃん!」

 

 

 

 

 

一斉に人が動き出したせいか、流れに乗り遅れた2人がその流動へと姿を掠めていくのが見えた。飲み込まれぬようにとあたふたする2人に必死に手を伸ばすも、こっちまでもが巻き込まれそうな勢いだった。

 

 

 

 

 

「だ、大丈夫か2人とも......っ!」

 

 

 

 

 

「うん、なんとか!それより流誠くんは先に行ってていいよ!」

 

 

 

 

 

「うん〜......悔しいけど、この人の量だと流石にキツいかも......」

 

 

 

 

 

自分のことは捨て置けと豪語する2人に俺は歯噛みしたが、2人の言うことには一片の誤りも見当たらなかったため、しぶしぶ俺は腕を引っ込めた。

 

 

 

 

 

「わ、わかったよ......じゃあ先に行くけど、ホントにいいんだな!?」

 

 

 

 

 

「うん!!行って!!」

 

 

 

 

 

「私の分も薫先輩のこと見てきてよ〜!」

 

 

 

 

 

「いやそれは無理だし嫌だ!じゃあね!!」

 

 

 

 

 

2人の二の舞になる前に絶え間ない流動へと身を投じる。

意外とすんなり流れに入れたがゆえに本当なら助けられたのではと2人への罪悪感がふつふつと湧いてきたが、それでも俺は振り返らずに右に左に揺さぶられる感覚に身を委ねた。

 

 

俯く余裕がないせいで足下を見ることができない。そんななか最大の難関である階段を上りきり、やっとの思いで2階に辿り着いた。

もはや狂気染みた群衆を抜け出し2階の廊下に躍り出る。久しぶりの吹き抜けた廊下は背後の狂声さえなければ、朝特有の雰囲気に満ち満ちた素晴らしい場所となるだろう。俺はそんな廊下を左へと曲がった。

 

 

突き当たりにA 組の教室がある。ここが俺の元教室だ。

しかし俺はそのさらにひとつ隣にあるB組へと足を進めた。

 

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

 

淡い期待を込めながらB組の扉を開く。開けて初めて気づいたが、瀬田先輩の件が関与しているのかは知らないが、中はまったくのがらんどうだった。そして案の定、そこに“アイツ”の姿はなかった。

 

 

 

 

 

「やっぱりか......」

 

 

 

 

 

まさか先に学校に来ているのかと確認してみたが、やはりアイツのことだ。どうせ寝坊でもしているのだろう。ひーちゃんじゃあるまいし、瀬田先輩を追いかけているとは到底思えない。

 

 

とにかくここにはいない。俺は淡い落胆に肩を落としながら、無人のB組を後にしようとくるりと外に向き直った。

 

 

 

 

......瞬間、何かとぶつかった。

 

 

 

 

 

「あうっ......」

 

 

 

 

 

「っ、と」

 

 

 

 

 

すっとんきょうな声が二つ、廊下に響き渡る。そのことから俺は、ぶつかった相手が物ではなく人だと認識した。

 

 

 

 

 

「ああごめん。大丈夫───」

 

 

 

 

 

声的にも女子生徒だった。女性に対して男の俺がぶつかって大事はないかと心配になったので、俺はすかさずその女子に手を差し伸べた。

 

 

 

そして驚いた。

 

 

 

 

 

「......って、モカ!」

 

 

 

 

 

「んぅ〜......?おぉー、せいくん。おはよー」

 

 

 

 

 

なんと俺がぶつかったのは、偶然にもあのモカだったのだ。さっきの今で思いもしなかったことだったので、思わず挙動に不調が生じた。

 

 

 

 

 

「え?あ、あれ......?お前、寝坊したんじゃ......」

 

 

 

 

 

「違うよー。トイレ行ってただけだよー」

 

 

 

 

 

「じゃあ先に学校に行ってたってことか?」

 

 

 

 

 

「用事があったからねー。ていうかそれ、昨日も通話で言ってたことなーい?」

 

 

 

 

 

首を傾げるモカに俺もまた首を傾げ返す。それから数秒も満たないうちに、俺は昨日の夜モカと話した内容を思い出した。

 

 

 

 

 

「ふむ......ああ、そういえば」

 

 

 

 

 

「ほらねー?せいくん最近忘れっぽいねー」

 

 

 

 

 

「ははは、そうだな......」

 

 

 

 

 

モカの言う通りだった。前々からだが、ここ最近で俺の物忘れが急激に悪化していってるような気がするのだ。

あまり自覚はないのだが、それこそ物忘れによるものだという可能性もなきにしもあらずなのでそうそう油断はできない。尚のことを言うと原因もわからないがために、いつの間にか気のせいにしてしまっていた。次からは気をつけなければ。と言っても、このことすらまた忘れてしまうかもしれないのだが。

 

 

 

 

 

「にしても、せいくんからモカちゃんのこと気にかけてくれるなんて珍しいじゃ〜ん?モカちゃん嬉しいなぁー」

 

 

 

 

 

「違ぇよ!その......最近は一緒に登校したりしてたから......」

 

 

 

 

 

「あー、そっか。他の男の子と登校してないか心配で、さらに嫉妬してたってところかー」

 

 

 

 

 

「ぐっ......」

 

 

 

 

 

きょうび行われるは希望に満ち溢れた始業式。それでもやはり少しは不安を伴うものだ。

でも俺の場合は違った。クラス替えがどうとかではなく、俺にとってはモカのことが心配、ついでに言えば少しヤキモキもしていた。

 

 

でも当然のことだろう?“誰だってこうなったら”、そう思うに決まってる。違うか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───もしも、万が一のことがあったら......交際相手にそんな感情を抱くことなど、当然の道理だろう?

 

 

 

 

 

「俺だって付き合う前まではあまり気にはしなかったよ。でもいざ付き合ってみると、それも相手がモカみたいな大切な幼馴染だと......余計に心配するというか」

 

 

 

 

 

「うんうん、素直でよろしい」

 

 

 

 

 

当てつけに頭を撫でられるだけなのも癪なので、こちらからも反論することにした。

 

 

 

 

 

「つかお前はどうなんだよ。自分から告白したのに、付き合ってから数ヶ月経った今でも、なんかこう......付き合う前までとあまり変わりばえない気がするんだけど」

 

 

 

 

 

「えぇ〜!?これでもせいくんにいーーーっぱい愛情注いでるつもりなのに、まさか気づいてくれてないのー?」

 

 

 

 

 

「ちっとも」

 

 

 

 

 

「えー?わがままだなー」

 

 

 

 

 

とはいうものの本当に今までとなんら変わりばえがないのだ。強いていうなら通話をする回数がかなり増えたことぐらいで、カップルっぽいことはあまりしていないし────......

 

 

 

 

 

「......えいっ!」

 

 

 

 

 

「ッ......!?」

 

 

 

 

 

いきなりの抱擁に思わず息が止まる。肌という肌がかなりの密度で密着しているため、制服越しとはいえどもモカに俺の早まる鼓動が聞かれそうで少し恥ずかしくなった。

 

 

 

 

 

「も、モカ......!誰かに見られるから離れて......」

 

 

 

 

 

「────あたしは」

 

 

 

 

 

「へ?」

 

 

 

 

 

細々としたモカの声がよく聞き取れず、突き放そうとした手を止める。対してモカは俺を抱く腕の力を強めながらこう呟いた。

 

 

まるで、あの時のように。

 

 

 

 

 

「あたしはちゃんと......せいくんのこと、大好きだから」

 

 

 

 

 

「......っ」

 

 

 

 

 

感情のこもったモカの瞳には潤いが生じていた。少し高めの目線から望むモカの上目遣いに、俺はなす術もなく言い伏せられるのであった。

 

 

 

 

 

 

......実を言うと、モカとの交際はなあなあで決まったものだった。その過程である程度の恋愛感情が芽生え始めたはいいものの、モカから告白された時点での俺にはそういう意識は全然なかった。

なので恋愛だとかそういうことが不明瞭だった俺はモカの告白に対する返答を渋っていたのだが、彼女の今しているような悲しげな表情に圧倒され、仕方なくな形で交際を決定したのだった。

 

 

 

モカがあんな顔をしてまで俺に愛をぶつけてきてくれたことには、俺自身本当に嬉しいとも思う。

 

しかしその反面、なんだか嫌な予感もするのだ。

 

 

 

 

 

「だからずっと隣にいてね......せいくん」

 

 

 

 

 

モカの俺に対する異常な執着。────その原因が俺にあるのではないかということ。

 

 

 

そして、このままでいいのかということ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───“ずっと隣にいてね”。

 

 

 

 

その言葉に頷くのに、おこがましくも少しの躊躇いが生まれた。

 

 

 

 

 






いかがだったでしょうか。次回は3月23日の20時30分に投稿予定です。お楽しみに。


それではみなさん、また次回お会いしましょう。さいなら!


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第1話 衝動

どうもあるです。

皆さん、ドリフェスの結果はいかがだったでしょうか。俺ですか?まあ、お察しの通りです。ははは。



......それでは本編、どうぞ。







 

 

 

 

 

陳列棚には大小色形様々な楽器が吊るされている。その圧巻たる光景を横目にギターコーナーへと向かう。今日は擦り減ってきた弦を買い替えに来た。

 

 

 

ここ数日でギターの腕もだいぶ上達した。いつかみんなを驚かせたいがために家族以外には秘密裏、つまりは素人特有の有り合わせな練習を続けてきたが、自分で言うのもなんだが人並み以上には弾けるようになった気がする。これも度重ねてきた練習の成果なのか、はたまたAfterglowのサポートをしていくうちに身についた(気がする)音楽センスのおかげなのか。まあ、弦が擦り減ったことを考えたら前者である可能性の方が高いか。

 

 

 

 

 

「えー......と、あったあった」

 

 

 

 

 

くるくると回る四角柱の商品ラックを回し、お目当ての物を手に取る。師匠におすすめの弦を聞いて以来、ずっとこれを選び続けている。といっても、買いに来たのはその長寿命のおかげで二、三回程度しかないのだが。

 

 

 

......ああ、そういえばピックもくたびれてきてたんだった。

 

主原料が金属質の弦とは違ってプラスチックやナイロンなど安価な素材で作られているピックもまた種類が豊富で、細かな動きのしやすい“なみだ型”、ストロークのしやすい“おにぎり型”、中には滑り止め付きのものまである。

ただ原料が原料、かつ音を奏でる際に一番ダイレクトに使う道具なので弦以上に消耗が激しい。しかし寿命は弦以上に人それぞれで、アタックの強弱次第でその伸び縮みに差ができるのだが、俺の場合激しめに弾くので気づけばピックの死体の山が積み重なっていることもしばしばある。

 

 

ただ弦と比べればピックはとてもチープなものだ。今目の前で品定めしているピックの大半だって、どれもやけにオシャレな見た目をしているにもかかわらず100円ちょっとするかしないかぐらいである。これを理由に、ピックコレクターなる楽器を弾くこともないのにただただピックを収集する輩もちらほら表れているくらいだ。俺も違う意味でピックをコレクトしているが。それも死体を。

 

 

 

......なんて冗談に決まってる、ちゃんとゴミは捨てるさ。この後だって明日のプラスチックゴミの日に備えてゴミ出ししに行かなければならない。そのためにはまず家に帰らねばなるまい。

 

 

ピックを一枚取って、用事も済んだところでレジへと向かう。その途中、うっかり人とぶつかってしまった。

 

 

 

 

 

「きゃっ!」

 

 

 

 

 

「うおっ、と」

 

 

 

 

 

疲れているのか、この頃になってよく何かにぶつかることが多くなったりと、よくないことばかり身に起きている。もう少ししっかりしなければ、あるいは......

 

 

とにかくまずはぶつかった相手に謝らなければならない。俺は謝罪の言葉とともに手を差し伸べた。

 

 

 

 

 

「すみません!ケガとかないですか?立てます?」

 

 

 

 

 

「いえいえ大丈夫です!こちらこそうっかりして、どうもすみませんでした」

 

 

 

 

 

相手は女性だった。俺の手を取った女性の少し冷たい肌は、春の陽気に冬を思い出させるようだった。

 

 

 

 

 

「......あっ!ごめんなさい、私ったらつい......」

 

 

 

 

 

と、女性が何か思い出したかのように慌てて自らの手を背後に隠した。恐らく異性である俺の手に迷いなく触れたことへの恥ずかしさを覚えたのだろう、声的にもタメか年下ぐらいでそういうお年頃だそうだからまあ無理もない。かくいう俺はいつものことだったので、そこまで恥じらいはなかったが。

 

 

女子の表情がふと気になったので、身なりを整えてから面と面向き合った。そうして、その少し赤らんだ顔に見覚えがあることに気がついた。

 

 

 

 

 

「あれ?君ってもしかして、羽丘の一年生の────」

 

 

 

 

 

肩にシュシュでまとめられたおさげを垂らしている女子に対する見覚えの確認をしようとした直後、その対象である女子が驚いた表情で「あっ!」と俺の声を遮ってきた。

 

 

 

 

 

「もしかして、Afterglowの皆さんと一緒にいる......えーと......?」

 

 

 

 

 

「あはは......先越されたな。俺は長門 流誠」

 

 

 

 

 

「長門......先輩、ですよね?」

 

 

 

 

 

うんと頷いてやると、女子はぱあっと顔を明るくさせて喜びを噛み締めるように言葉を続けた。

 

 

 

 

 

「わあ......!光栄です!えと、初めて話したのがこんな形なのはちょっと申し訳ないんですけどっ」

 

 

 

 

 

「まあまあ落ち着いて。でもよく俺がみんなといるってわかったな。俺やみんなが上級生で、しかも学校も始まってまだ一ヶ月ちょいしか経ってないってのに」

 

 

 

 

 

「そりゃあもう、見させてもらってますから!」

 

 

 

 

 

「......え?」

 

 

 

 

 

見させてもらってる......?何をだ?

唐突な予想外の発言に困惑を隠しきれずにいた俺に、女子はすかさずフォローを仕掛けてきた。

 

 

 

 

 

「あっ、すみません、言葉足らずでした......ライブです!Afterglowさんのことは最近になって知ったんですけど、みなさんの演奏を見るたびに、曲やみなさんの仲の良さも伝わってきて、それで......」

 

 

 

 

 

「あーそういう。いつも見に来てくれてるの?」

 

 

 

 

 

「はい!というよりライブハウスのスタッフなので、必然的に見ることになるんですけど」

 

 

 

 

 

「ライブハウス......あぁー、Galaxyか」

 

 

 

 

 

女子の言葉に合点がいった。それはこの女子への既視感と俺達のこの頃のライブ活動が一致したからだった。

 

 

Afterglowはここ最近、新たな刺激を求めてリニューアルオープンしたばかりのライブハウスでのライブイベントにも参加したりもしている。それが先ほど俺が口にしたGalaxyというところだ。そこの音響設備もキャパもあまりCiRCLEと変わらない、つまりは「悪くない」ことをライブを重ねていくうちに認識していった。あの堅物である蘭も口々にそう言っている。

そんなライブハウスでスタッフを務めているのがこの女子。俺がこの子に抱いていた異様な既視感も、きっとそのせいに違いない。

 

 

 

 

 

「そうか......なんか見覚えあると思ってたけど、確かにいつもアンプとか準備してくれてたよな。いつもお務めご苦労さま」

 

 

 

 

 

「そそそんな、滅相もない!スタッフとして当然のことをしたまでです!長門先輩こそ、Afterglowのみなさんと一緒に手伝ってくれたりして、本当に助かってます!」

 

 

 

 

 

「そりゃどうも。そう言ってもらえると、こっちも手伝い甲斐があるってもんだ」

 

 

 

 

 

感謝されるのは気分が良いが、こちらもこちらで「もっと音響機器とかについて調べたい」というみんなの勉強の場として利用させてもらっている。もしかするとこの子はその際の俺とみんなのやりとりを通して、俺達の仲の良さを見知ったのかもしれない。ライブ中は俺は観客席にいるわけだし。

 

 

 

 

にしても、“この子”だの“女子”だの周りくどいな。

 

 

 

 

 

「そういやそっちの名前、まだ聞いてなかったな」

 

 

 

 

 

「あ、そういえば。ごめんなさい......長門先輩の名前は聞いて私だけ名乗らずに......」

 

 

 

 

 

「いや気にしないで。それで名前は?」

 

 

 

 

 

「はい!朝日 六花といいます!」

 

 

 

 

 

「朝日 六花か......はは、いい名前だな」

 

 

 

 

 

「あっ、ありがとうございます......!」

 

 

 

 

 

蘭と同じく花の入った名前の華やかさに微笑むと、朝日は再び照れ臭そうに顔を赤らめた。

 

 

 

 

 

「朝日って呼んだんでいいか?」

 

 

 

 

 

「そこらへんは長門先輩にお任せします!ところで、これ......」

 

 

 

 

 

「ん?......あっ、それって──」

 

 

 

 

 

朝日の差し出してきた右手を見てみると、その上には俺が先ほど選んだ弦とピックが持たれていた。

 

 

 

 

 

「ぶつかった時に落としちゃったのか、全然気づかなかったよ。わざわざ拾ってくれてありがとうな」

 

 

 

 

 

「いえいえ、お構いなく。先輩もエリクシーなんですね」

 

 

 

 

 

「“も”、ってことはもしかして朝日も?」

 

 

 

 

 

「はい!いつも買ってるのがこれなんですよ。長持ちしてくれるので気に入ってるんです」

 

 

 

 

 

「おぉ!やっぱいるもんだな。俺も同じだ。音の違い比べたらやっぱ他の弦も選ぶけど、それでも長く使えた方が全然いいし────」

 

 

 

 

 

初めは弦についてが起点となって、そこからギターの種類やアンプ、エフェクターなど、各々の好みの音作りの環境などに話の裾が広まっていった。

 

 

当然そんなことをしていれば、陽が傾くまで時が経つことなどあっという間なことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「───それではまた!」

 

 

 

 

 

「おう。今日はありがとな」

 

 

 

 

 

「こちらこそ!」

 

 

 

 

 

こちらを微笑みかけながら遠のいていく朝日に手を振り終えたところで、俺も自転車とともに前に向き直った。

 

あれから結局話は盛り上がりに盛り上がってしまい、携帯を確認してみると時刻はすでに18時をまわっていた。ゴミ捨てのことを放ったらかしにし、若干やってしまったという後ろめたさはあったものの、ギターについてまた学べたという点を鑑みればちっぽけなもののように思えてきた。

 

 

にしても朝日もギタリストだったとは。学校ですれ違った時やライブハウスでの地味な身なりを見た限りだと、あの眼鏡っ子がギターをかき鳴らす姿など想像するには値しなかった。世の中わかったもんじゃない、人で見かけで判断するなとはよく言ったものだ。

ともかくこれでギタリスト仲間が増えた。学年的には後輩で、ギター歴でいえば先輩という複雑なものだが。それでも俺は心置きなく話のできる仲間が増えたという事実に心を躍らせていた。

 

 

そんな時、妙な光景を見かけた。

 

 

 

 

 

「......?」

 

 

 

 

 

あれはなんだろうか......何やらとんがった耳が頭に生えた少女がライブハウス前で、その入り口から出てくる人達に睨みを利かせている。さらに注意深く少女の様相に目を凝らしてみると、耳に生えていると思っていたものがヘッドホンだということに気がついた。

 

にしても目立つ。ムスッとした顔をライブハウスから出てくる人達に対してなり振り構わず振りまいている点でも、その小さな身なりには不釣り合いなヘッドホンを身につけている点でも、少なくともこの近辺で彼女に勝る派手さを兼ね備えた者はいないだろうと言わしめれるほどだった。

 

 

とはいえこのままだと周りの迷惑になりかねん。彼女の顔から見て今にも獲物に喰いかかっていきそうな感じだし、現にその眼光に捉えられた人達も体を丸めて怯えだしている。

 

 

 

......恥ずかしいが仕方ない。ここは一発かましてやらねば、何より傍観者のままで見過ごしたくもない。

 

 

 

 

 

「おいキミ!」

 

 

 

 

 

「......?」

 

 

 

 

 

少女の方へ近づいていくと、その視線の矛先は間もなく俺一点に当てられた。その隙にお客さんが走り去っていくのを見届けたのち、俺はさらに少女との距離を詰めながらこう言い放った。

 

 

 

 

 

「ダメだろ、そんなとこで立ち往生して。周りの人に迷惑かかるだろ?」

 

 

 

 

 

「たちおう、じ......?What?」

 

 

 

 

 

「は?ワット......?」

 

 

 

 

 

少女の言った言葉......それはまさしく、英語の『What』そのものだった。顔つきからしてあまり外国人っぽくもないが、完全にそうでないかと聞かれたら肯定しかねない。この子はおそらくハーフで、外国出身である片親の影響で英語を口にしたのだろう。

 

 

 

 

 

「Well......Can you speak Japanese?」

 

 

 

 

 

「Ah,no problem.日本語くらい話せるわ」

 

 

 

 

 

「あ、あぁ......そうか。ならよかった」

 

 

 

 

 

今、“日本語くらい”と言ったか?若干海外なまりが否めない感があるが、確かに彼女の日本語はちゃんと発音もできていたしそれなりに流暢でもあった。日本語は数ある言語の中でも屈指の習得難易度を持っているはずなのだが、この子の前では虚実のように思えてくる。

 

と、少女が日本語を話せるということを確認したところで、こちらも容赦なく英語から日本語へと使用言語を完全に切り替えた。

 

 

 

 

 

「立ち往生。わかるか?今キミ邪魔になってるんだよ。ほら、そんなとこ突っ立ってたら入り口から出てくる人が困るだろ?」

 

 

 

 

 

「それもそうね......Sorry,気がつかなかったわ」

 

 

 

 

 

「わかればいいんだよ」

 

 

 

 

 

素直にその場から立ち退く少女にうんうんと頷く。

ともかくこれで事件解決だ。元凶である少女も立ち去ったことにより、ライブハウスから出てくる人達もほら────......

 

 

 

 

 

 

 

......あれ?おかしいな、まるで顔つきが変わっていない気がするのだが......

 

まさかと思いつつ周囲を見渡すと、不幸にも予感は的中した。

 

 

 

 

 

「ってちょっと!なんでまだいるんだよ!」

 

 

 

 

 

なんと家路を辿っていったと思われた少女は、実は少し離れた場所に行っただけで、再び先ほどのような仁王立ちをして鋭い眼光を宿していたのだった。

 

 

 

 

 

「迷惑だからのけって言っただろ」

 

 

 

 

 

「ええ言ったわ?だから移動したじゃない」

 

 

 

 

 

「うーん、そういう意味じゃなくてだな......」

 

 

 

 

 

とんち臭く反論する少女は、まるで自分の罪を自覚していないみたいだった。言葉足らずだった俺にも分があるが、最低でもあの睨み付けはやめてもらわなければならない。

とは言えただ単に圧をかけただけでは言うことも聞いてもらえないだろうから、俺はあえて下手に出ることにした。

 

 

 

 

 

「つか、どうしてそこまで睨む必要があるんだ。どうしてもしなきゃいけない理由があるとでも?」

 

 

 

 

 

「Of course!私は今“Check”をしているのよ」

 

 

 

 

 

Check、か......選別といったところか。

 

 

 

 

 

「へぇ。一体なんの?」

 

 

 

 

 

「SpecialでInvincibleなGuitaristを探しているの。けれどもどいつもこいつも凡人ばっか!どうなってんのよ!!」

 

 

 

 

 

「俺に言うな」

 

 

 

 

 

ともかくこれで少女の目的が発覚した。彼女が言うには、どうやら『SpecialでInvincibleなGuitarist』を探しているらしい。理由はなんであれ、そこは持ち前の英単語力で理解することができた。

 

 

 

 

 

「───あれ?そこにいるのって......」

 

 

 

 

 

「ん?」

 

 

 

 

 

少しピリついた空気の中に、場違いな気の抜けた声が舞い込んできた。声量的に俺に当てられたものらしかったので何かとその声の方を向いてみると、そこにはこちらに興味津々な眼差しを向けている花園がいた。なぜか黒のエプロンに身を包んでいる。

 

 

 

 

 

「花園か......なんだよその格好」

 

 

 

 

 

「私、ここのスタッフ」

 

 

 

 

 

お得意の端的な発言だったが、なんとなく察することができた。背後のライブハウスを指し示していることから察するに、コイツはこのライブハウスでスタッフのバイトをしていて、エプロンはさしづめその制服だろう。

 

 

 

 

 

「そうだったのか。休憩中か?」

 

 

 

 

 

「うん、でもそれはまた後で」

 

 

 

 

 

俺の質問にそう答えると、花園は例の少女めがけて一直線にスタスタと歩いて行った。かと思いきや、その体を「よいしょっ」と意気味良く担ぎ上げた。

 

 

 

 

 

「What!?ちょっと、何すんのよっ!!」

 

 

 

 

 

「お客さんからあなたの事は聞いてるよ。他人に迷惑かけたらダメだからね」

 

 

 

 

 

「でも......!」

 

 

 

 

 

「わがまま言わない」

 

 

 

 

 

少女の訴えを一蹴すると、花園は少女を担いだまま路地裏へと消え去っていった。その様子はさながら誘拐事件の現場のようだった。

 

フェードアウトしていく少女の声を聞きながら、やれやれと肩を竦める。その一方で、俺の心中にはたある好奇心が芽生え始めていた。

 

 

 

ギタリストを探しているというあの少女......一見一聴するにただの生意気なマセガキだと思っていたが、それはとんだお門違いだった。

交渉という名の会話を重ねていくうちに気づいた、あの真剣な眼差し────音楽に関わってきて1年と少ししかない俺が言うのもなんだが、間違いない。あれは音楽に全てを賭けた者の目だった。

 

ライブハウスでギタリストを探していることから、きっとバンドメンバーでも探しているのだろう。あのただならぬ存在感を放つ少女が組もうとしているバンドとは、一体どのようなものなのだろうか。どんな音楽を奏で、どんな世界を見せてくれるのか......俺はそれが気になってしょうがなかった。

 

 

しかし生憎、俺にはあの子のバンドのギタリストが務まる腕前を持っていない。それ以前に、彼女が募集しているのはきっと女子だろうから男である俺が加入できるわけもない。

 

 

 

 

......だから。

 

 

 

 

 

「────紹介してみるか」

 

 

 

 

 

俺は何かの変化になるかと────俺ではない“誰か”が俺のかわりを務めてくれるかと思い、その“誰か”をさっそく模索し始めた。

 

 

 

そして、その結果はすぐに出た。

 

 

 

 

 

俺の脳裏に浮かんだ人物。

 

 

それは────......




いかがだったでしょうか。次回は3月28日の20時30分に番外編を投稿予定です。お楽しみに。


さて。出てきましたね、ロック。残りのメンバーも後々登場させていきますので、どうぞお楽しみに。え?チュチュもいるじゃないかって?名前挙がってないのでまだ確定ではありませんよ()
あとチュチュの特徴でもあるルー語......じゃなくて英語混じりの喋り方なんですが、その部分をわかりやすくするために英語で文字を打ってます。漫画版などと表記が異なる場合があるかもしれませんが、そこは当作品のオリジナル要素として捉えていただければと思います。


最後に、分かる人にはわかると思いますが、流誠くんとロックの会話の中で弦のことを『エリクシー』と呼んでいますが、これは現実で実在する弦の製造元の名前をもじったものです。俺も愛用させてもらってます。いいですよね、アレ。



では今回はこの辺で、また次回お会いしましょう。さいなら!


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第2話 開簾

どうもあるです。

コロナウイルス、やばいですね...著名人の方々が亡くなったことでその脅威がさらに知れ渡った今日この頃、皆さまはどうお過ごしでしょうか。もし外出されてる方がいましたら今すぐ家に帰ってください。そして俺の小説でよければぐだぐだしながら読んでください。その方が身のためです。皆さんの保身が良い結果を生むこと、心からお祈りしています。



それでは本編、どうぞ!







 

 

 

 

 

「ふぅ......これでよし」

 

 

 

 

 

「こっちも窓閉め終わったよ」

 

 

 

 

 

「おー、サンキュー朝日」

 

 

 

 

 

窓際の朝日からの報告に礼を言う。すると朝日もこちらに目礼した。

 

 

 

 

 

「今日は私と長門くんが日直なんだから、手伝うのは当たり前でしょ?」

 

 

 

 

 

「それでもだよ。日直でも仕事サボるやつはサボるし、それに比べたら朝日はすごく優しいもんだよ」

 

 

 

 

 

「そ、そんな買い被らなくてもいいから!」

 

 

 

 

 

「教室カギ閉めるぞー」

 

 

 

 

 

「人の話聞いてる!?」

 

 

 

 

 

とたとたと朝日が教室を出たのを確認し、仕上げにドアのカギをかける。ガチャンという音が聞こえたら、あとは科学室に移動するだけだ。

 

 

昼下がりの日光に照らされた暖かな廊下を行く。とはいってももう5月にもなったので、少々暑くも感じられた。

 

 

 

 

 

「そういや朝日ってさ、昼休みにも言ってたと思うけどギターやってたんだっけ」

 

 

 

 

 

「え?ああ、うん」

 

 

 

 

 

「あ、また同じ反応した」

 

 

 

 

 

昼食を俺、宇田川、戸山、そして朝日のいつもの4人でとる際、宇田川が結構な頻度で「最近ギターどう?」という質問を朝日に向けてする。しかし、当の朝日に関してはいつも浮かない表情でうーんと横に流すような口振りをするのだ。

 

 

 

 

 

「一回見てみたいなあ、朝日がギター弾く姿」

 

 

 

 

 

「そ、そんな大したものじゃないよ!」

 

 

 

 

 

「えー。つか、さっきからなんでそんな謙遜してんだよ」

 

 

 

 

 

依然変わらぬ朝日の一歩退いたような態度に、何をそこまで弱気になる必要があるのかと眉をひそめる。そこに弁明するかのように、朝日はゆっくりと口を割りだした。

 

 

 

 

 

「実は昨日、ちょうどギター募集してるバンドがあるみたいだからそこに入ったらって、長門先輩からお誘いがあって......」

 

 

 

 

 

「へえ?いいんじゃね。朝日もバンドやりたいって言ってたじゃ────」

 

 

 

 

 

朝日から出た“長門先輩”という単語に思わず身が固まった。

 

長門先輩......この学校の上の学年の中で、長門という名字が付くのはアイツしかいない。

 

 

 

 

 

「ちょ、ちょっと待て。一応聞いとくけど長門先輩っていうのは......」

 

 

 

 

 

「うん、長門くんのお兄さん」

 

 

 

 

 

「うーわマジか......」

 

 

 

 

 

高校生活が始まって約一ヶ月。ここにきて初めて、同じ羽丘に通う俺の兄であるせい兄の話題が友達の口から出たことに少し戸惑いを感じさせられた。なんだか少しむず痒い。

 

しかし、人見知りであるせい兄が一体どういう風の吹き回しで朝日にバンドへの加入を勧めたたのだろうか。

 

 

 

 

 

「そういや朝日とせいに......兄さんって面識あったんだな」

 

 

 

 

 

「ついこのあいだ江戸川楽器で知り合ったばかりなんだけど、話してみたらすごくおもしろくて!」

 

 

 

 

 

「そこから自然と仲良しになった、と」

 

 

 

 

 

朝日はうんと頷いた。出会ったきっかけがぶつかることなんてせい兄らしくてとても笑える。吹き出す俺に朝日が不思議そうな顔を向けてきたので、「なんでもない」と軽くあしらった。

 

 

 

 

 

「......って、また暗い顔してどうしたんだよ」

 

 

 

 

 

笑う俺とは真逆に朝日の顔には再び哀愁が灯っていた。質問する俺にはお構いなしに朝日はため息をつくばかりだった。

 

 

 

 

 

「その長門先輩からのバンドのお誘い、断っちゃったの」

 

 

 

 

 

「えぇ!?」

 

 

 

 

 

俺の驚愕の声に朝日も目を剥く。そんな朝日を無視してしまうほどに、俺は驚きに驚いていた。

 

 

 

 

 

「なんでさ!あんなに夢見てんのかっていうくらいバンドのこと考えてたのに!?」

 

 

 

 

 

「ゆ、夢!?」

 

 

 

 

 

「あのなぁ......お前自分でも気づいてないっぽいから言うけど、結構独りごととか言ってるからな?」

 

 

 

 

 

「えぇっ!?そうだったの......?」

 

 

 

 

 

朝日がバンドをしたがっていると知ったのもそのせいだった。朝日の独りごとはそれはもう目を見張るもので、朝日の席の位置が端っこだったから良かったものの、酷い時には授業中でもぼんやりと窓の外を見ながら「バンド、やりたいなぁ......」なんて寝言のように呟いているくらいだ。

幸い聞こえていたのが隣の俺だけだったのも不幸中の幸いと言ったところか。それでも朝日にとってはたった一人に知られたことでもよほど恥ずかしかったのか、顔を赤くして見事なまでに茹で上がっていた。

 

 

 

 

 

「なんなん、むっちゃ恥ずかしいわぁ......」

 

 

 

 

 

「なんでそんなに敬遠するんだよ」

 

 

 

 

 

「えっと、実はね......?────」

 

 

 

 

 

しおらしかった朝日の態度が改まる。そして聞き役の俺もまた、彼女の口から明かされる事実に耳を傾けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「流誠くん」

 

 

 

 

 

「ん?どうした、つぐちゃん」

 

 

 

 

 

「何見てるのかなって気になっちゃって」

 

 

 

 

 

つぐちゃんが興味津々な顔で近づいてきた。どうやら俺の携帯の画面が気になるらしいので、こちらとしても包み隠す気は微塵もなかったので素直に見せてあげた。俺はライブハウスの検索アプリで予約状況を確認していた。

 

 

 

 

 

「次のライブどこでしようかと思って、どこの“箱”が空いてるか探してたんだ」

 

 

 

 

 

「そうだったんだ。でも見た感じどこも空いてなさそうだね......」

 

 

 

 

 

「そうなんだよなー」

 

 

 

 

 

春が始まってしばらく経ち、バンド活動も活発になってきたためか、休み時間も丸々使って調べてみたもののどこのライブハウスも空きは見当たらなかった。ガールズバンド時代到来とニュースでも大々的に取り上げられていたが、よもやここまでとは。

 

 

 

 

 

「そういやモカとかは?」

 

 

 

 

 

「ひまりちゃんと巴ちゃんは部活の集まりで、蘭ちゃんとモカちゃんはジュース買いに行ってるよ」

 

 

 

 

 

「そうか。じゃあライブのこととかはまた後で話そうか。つぐちゃん、俺たちもジュース買いに行かない?」

 

 

 

 

 

「うん、いいよ」

 

 

 

 

 

俺も少し目が疲れてきたし休み時間にもまだ余裕があるので、休憩がてらつぐちゃんと自販機に行くことにした。

自販機は外に設置されているのでそこまでの道のりでも良い気分転換になるだろう。俺は来たる休息に備えようと、思いっきりぐんと背伸びをした。

 

 

 

......と、つぐちゃんが突然「あっ!」と声をあげた。

 

 

 

 

 

「おわあ!?ビックリしたー......」

 

 

 

 

 

背筋をビクつかせてから振り向いた先にいたつぐちゃんが見ていたのは、天井に向けて高く伸ばした手に握られている俺の携帯の画面だった。

 

 

 

 

 

「どうしたんだよ、そんな驚いてまた携帯なんか見て」

 

 

 

 

 

「いやだってほら、見てよ携帯!」

 

 

 

 

 

つぐちゃんがずいぶんと慌てた様子だったので、俺もつられて少しばかり焦燥感を孕んだ。まさか何かの手違いでふしだらな画像でも映っているのだろうか......嫌な予感は俺の脳裏をよぎるどころかどっかりと居座った。

 

少し億劫になりつつ振り上げた携帯を眼前に下ろし、画面へと目を向ける。しかしそこに映っていたのは、依然として「予約一杯」という文字で埋め尽くされた近辺のライブハウスの予約状況の確認画面だった。

 

 

 

 

 

「見てよつったってなんもなくね」

 

 

 

 

 

「ここだよここ!よく見て!」

 

 

 

 

 

つぐちゃんが身を乗り出して携帯の画面の端っこの方を指差した。そこにあったのは小さく表示されたGalaxyの案内表へと飛ぶためのURLだった。

 

 

 

 

 

「これはGalaxy......?ああ!なるほど、そういうことか」

 

 

 

 

 

つぐちゃんはきっとGalaxyになら空きがあるのではないかと考えたのだろう。そこから俺はGalaxyは最近リニューアルオープンしたが故に、ライブハウスの予約受付の一覧に表示されていないことを思い出した。新設、もしくはリニューアルされたばかりのライブハウスは一覧に掲載されるまでに時間がかかるのだ。代わりにそこでの予約をするための特設サイトが設けられる。つぐちゃんはそこに着眼したのだ。

 

さっそくURLを開く。それぞれのライブハウス情報が統合された先ほどのアプリと違って、こちらはGalaxy独自のサイトとなっている。

 

 

リニューアルされて間もないGalaxyのサイト────そこには当然、人の目はあまりつけられていなかった。

 

 

 

 

 

「おお!予約空いてる!」

 

 

 

 

 

予約状況を確認してみると、そこにはまっさらな予約リストが載っていた。すでに他のバンドも予約をしているみたいだったが、余裕は十分にあった。

 

 

 

 

 

「さすがつぐちゃん!ここに目をつけるとは」

 

 

 

 

 

「そんな大げさだよ!でも、役に立てたなら良かった」

 

 

 

 

 

「いやいや、ほんと助かったよ。......よし、とりあえずこれで目処は立ったな」

 

 

 

 

 

後はみんなにライブの日程に予定が空いているか、そしてライブに出るかどうか聞くだけだ。

 

とにかくこれでひと仕事終わった。休憩に行く必要もなくなった。でも、つぐちゃんに何か飲み物を奢ってあげるのもいいかもしれない。

 

 

 

 

 

「それじゃあ今度こそ自販機行こうか。お礼に何か奢るよ」

 

 

 

 

 

「えぇ!?だからそんな大したことしてないってば〜!」

 

 

 

 

 

「遠慮すんなって。ほら、いこいこ」

 

 

 

 

 

そうして俺は待ったをかけるつぐちゃんに手招きしながら席を立ち上がった。携帯は不用になったので、無駄な電池を消費する前に電源を切ろうとした。

 

 

 

 

 

「......む」

 

 

 

 

 

と、電源を切る直前、俺の目に気になるものが写った。

 

 

 

 

 

「“RAISE A SUILEN”?」

 

 

 

 

 

ほぼ空白だった予約リストの一番上に書かれたバンド名、それは俺が初めて目にしたものだった。

これまでAfterglowのサポート役をこなしてきたなかで、多種多様なバンドをその名前とともに見てきた。しかしRAISE A SUILENという名前のバンドは見たことも聞いたこともなかった。新しくできたバンドだろうか?先輩バンドである俺たちより先に予約を済ませているとは恐れ入った。

 

 

RAISE A SUILEN......少し気になるが、今はかまっていられない。とりあえず今はつぐちゃんを労ってやらねば。

 

 

 

そうして俺はホームではなく予約画面のまま、携帯の電源をそそくさと落としたのだった。

 

 

 

 

 









いかがだったでしょうか。次回は特別章で4月7日の20時30分に投稿予定です。お楽しみに!


今回も文字数や内容少なくてすみません。2話というより1.5話ですねこれ...なにぶんネタが考えられないものでして。不器用ですみません。次回は頑張りますので見守っていてください。



それではまた次回お会いしましょう。さいなら!


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第3話 相反

どうもあるです。




本編どうぞ。(投げやり)







 

 

 

「......じゃ、セトリはこんな感じでいいかな」

 

 

 

 

 

「ふむふむ。これはなかなかエモい組み合わせですなー」

 

 

 

 

 

「なかなか盛り上がってんな......どうだ?できたか?」

 

 

 

 

 

バンド練習後の機材の片付けも終わり、ホワイトボード周辺に群がるみんなの方へと体ごと視線を向ける。まっさらだった白板には大小様々な文字がごちゃごちゃと並んでいた。

 

 

 

 

 

「なんとか間に合ったぜ......ったく、流!もうちょっと余裕もって考えさせてくれよ!」

 

 

 

 

 

「そうだよー!おかげで適当な感じになっちゃったじゃん!」

 

 

 

 

 

「それでもしっくりきたみたいなんだろ?ならいいだろ。あと文句ならコイツに言ってくれ」

 

 

 

 

 

ピッとモカめがけて指をさす。元はと言えばコイツのせいで時間を巻かなきゃいけないハメになったのだ。

 

 

 

 

 

「本来ならこの後にセトリ考えるはずだったんだけどな」

 

 

 

 

 

「仕方ないじゃーん。今日は大事なやまぶきベーカリーポイント増量デーなんだもーん。早く行かないとしまっちゃうもーん」

 

 

 

 

 

「ふふ、ならしょうがないね」

 

 

 

 

 

「流されてるよつぐみ」

 

 

 

 

 

蘭の呼びかけにきょとんとするつぐちゃんを見届けたところで、みんなに号令をかけた。

 

 

 

 

 

「さ!セトリ決めも終わったことだし外出るぞー。みんな、忘れ物ないな?」

 

 

 

 

 

メンバーからは「うん」と頷かれた。それに俺も頷き返したのち、スタジオ、そしてライブハウスから外へと出た。

 

 

ガラス窓越しからだった夕日を今度は直接浴びながら、やまぶきベーカリーへの道を辿っていく。遠く見えるビル群に沈みゆく夕日を眺めながら、今日もいつも通りの一日だったとふと思い返した。

 

 

 

 

 

「にしてもライブかー、久しぶりで勘が戻ってるか心配だな」

 

 

 

 

 

「それも対バンだもんね。私も心配だな」

 

 

 

 

 

「でも、せっかく流誠が頑張って見つけてくれたライブだもんね。頑張らないと!」

 

 

 

 

 

「だからそれはつぐちゃんのおかげなんだって」

 

 

 

 

 

やまぶきベーカリーへの道中の話題は今回出場するライブのことについて持ちきりとなった。

 

今度の休みにあるGalaxyでのライブは、実は対バンライブだったのだ。予約表の表記のされ方からみて薄々感づいてはいたが、内心そこまで本気に思っていなかったので、後から内容を確認した蘭にそのことを言及された時には少々焦ってしまった。

 

対バンというのは「対するバンド」......つまりツーマン以上のライブを意味する。Afterglowは基本的にワンマンライブを主に続けてきたので、複数のバンドと混合して行う対バンに関してはガルパ以来あまり音沙汰がなかった。

 

 

 

 

 

「でも、久しぶりなのもあって楽しみでもあるよねー。ふっふっふ、血が騒ぎますな〜」

 

 

 

 

 

「また調子の良いこと言って......失敗しても知らないぞ」

 

 

 

 

 

「せいくん、言霊って知ってるー?」

 

 

 

 

 

「知らん」

 

 

 

 

 

素っ気なく答えると、モカは頬を膨らませた。そんな俺たちのやり取りを横目にひーちゃんらが何やらゴニョゴニョと耳打ちし合っているのを見つけた。

 

 

 

 

 

「おいそこ。何をこそこそ話してんだ」

 

 

 

 

 

「何をって聞かれても......ねぇ?」

 

 

 

 

 

「流誠、また見せつけてるなって思って」

 

 

 

 

 

 

「はあ?何がだよ」

 

 

 

 

 

「お似合いのカップルだなーって!」

 

 

 

 

 

今度はひーちゃんが頬を膨らませた。どうやら俺とモカのやり取りを見てジリジリしていたらしい。

 

 

 

 

 

「ただモカと話してただけだし、こんなん付き合う前からいつも通りだったろ」

 

 

 

 

 

「でもいざ付き合ってると、なんだか本当にお似合いのカップルだなって思って」

 

 

 

 

 

「それ言うならみんなモカの彼氏になるだろ!みんなお似合いだよ!」

 

 

 

 

 

「うわーん、せいくんがモカちゃんを突き放そうとするよぉ〜」

 

 

 

 

 

「なっ......そういうわけじゃ────」

 

 

 

 

 

腕をぐわしと掴み取ってきたモカを遠ざけようとこちらもモカの体に両手を当てる。

 

 

 

......そして気づいた。いや、思い出したと言ったほうが正しいか。

 

 

 

 

 

「────」

 

 

 

 

 

触れた背中は呼吸に上下させていた。とても健康的で、モカはあいも変わらず元気そうで何よりだと、素直にそう思えた。

 

 

だからあの時のモカの涙を余計鮮明に思い浮かべることができた。蘭の背中を追いかけることへの恐怖の留まるところを知らないあのモカの震えが、幻肢痛のように蘇った。

 

 

今目の前にあるこの笑顔は、俺が隣にいてやれているからこそ咲くことのできる花だということをゆめゆめ自覚しておかなければなるまい。それがモカの為にならない甘やかしだとわかっていても、こんなモカの晴れ渡ったような笑顔を見てしまっては何も言えなくなってしまう。

 

 

 

 

......なら、俺が守ってやらないと。

 

 

 

 

 

「......仕方ねえな」

 

 

 

 

 

「およ?」

 

 

 

 

 

渋々モカの頭を撫でつけてやる。それを餌にひーちゃんがまたキャーキャー騒ぎ始めた。

 

 

 

 

 

「うわっ!またそうやって見せつけちゃってー!」

 

 

 

 

 

「まあまあひまり、落ち着けって」

 

 

 

 

 

「巴も何か言ってやんなよー!見てるこっちが恥ずかしくなっちゃうのわかるでしょ?」

 

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

 

外野から飛んでくる無数の野次も、特に気にかけはしなかった......なんていうのは強がりで、本当のところは気にかける余裕もなかった。

 

 

 

 

 

「えへへ〜......せいくーん」

 

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

 

今の俺にとって一番大切なこと、そしてしなければならないこと。それはきっと、この笑顔を側で見守ってやることなのだろう。

正解なんてないことはわかってる。恋愛にまでそんなもの求めていてはつまらなくなるのは当然だ。あるとしてもそれぞれの恋の理想の形だけ。

 

 

でも、もし正解があるとするのなら......俺にとっての正解は、モカの理想の恋の形(心の穴)を少しでも満たしてやることなんだろうな。

 

 

 

 

 

それも、自分の思いを重く、強くねじ曲げてでも────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『......ありがとうございました!!』

 

 

 

 

 

マイク越しに聞こえる蘭のシメの挨拶に、観客もまた歓声で応える。その声は「蘭ちゃーん!」という呼びかけや「アンコール!」などなど、種類は様々だった。掴みは完璧だ。

 

 

歓声を背にAfterglowがステージ袖へと姿を消していく。それを見送った後、俺も身を翻して観客席から楽屋へと駆けていった。

 

 

 

 

 

「みんなおつかれ!」

 

 

 

 

 

ドアを開けるとみんな疲労困憊の様子だった。俺はそんな汗の滴る面々に労いの言葉をかけた。

 

 

 

 

 

「あ、きたきた!」

 

 

 

 

 

「流誠。今日のライブどうだった?」

 

 

 

 

 

「久しぶりにしては上出来だよ。やっぱみんなが最高だ」

 

 

 

 

 

「お〜、せいくんったら大胆〜」

 

 

 

 

 

モカにからかわれたが、それが事実なのだから仕方がないだろう。気持ちが昂った今だからこそ言えることだし、言えるときに言わせてもらわないと体に毒だ。

モカを軽くあしらい、楽屋にくる道中にあった自販機で買った水を一人ひとりに手渡していく。受け取った直後からキンキンに冷えたペットボトルを一気に呷るみんなを見ていると、こちらも疲れが吹っ飛ぶような感覚だ。

 

 

 

 

 

「ぷはーっ!あー生き返るぜ!!」

 

 

 

 

 

「ふふ、巴ちゃんは元気だね」

 

 

 

 

 

「流がいつも気利かせてくれるからな。ほんと助かるよ、流」

 

 

 

 

 

「こちらこそだよ」

 

 

 

 

 

突き出されたともちゃんの拳に俺も拳をコツンとぶつける。それとほぼ同時にスピーカー越しからアナウンスの声が聞こえてきた。

 

 

 

 

 

『えー、次はRAISE A SUILENさんの演奏になりますが、機材の準備に時間を要しますので少々お待ち下さい!』

 

 

 

 

 

声を聞くと、アナウンサーは朝日が務めていることに気がついた。にしても機材の準備が必要とは何事だろうか。通常ならギターやベース、エフェクターなど小さな機材意外はライブ前から常設されているはずなのだが。ツーバスでも使うのだろうか。

それにバンド名はあのRAISE A SUILENと言っていたし、ますます気になるところだ。

 

 

 

 

 

「......ちょっと俺、手伝いに行ってくる」

 

 

 

 

 

「あ、流誠!私も手伝う!」

 

 

 

 

 

「いいっていいって。みんなは休んでろ」

 

 

 

 

 

「ちょ、おい流────......」

 

 

 

 

 

ここで疲れているみんなを連れていくのは忍びないので、俺は手を振りながらそそくさと楽屋を飛び出した。

 

 

観客席に戻ると、休憩中なのもあってか客はほとんど外に出ていてところどころスペースが空いていた。そこを伝うようにステージ前まで進むと、朝日含むスタッフさん達が忙しなく動いていた。俺もとりあえず同じ目線に立とうと、観客席とステージを隔てる少し高い段差をひょいと越えた。

ステージ上に上がると、どうやら朝日はシールドの絡みを少なくしていたようだ。顔見知りという顔見知りはこの場では朝日ぐらいしかいなかったので、俺は横やりを入れてきた立場でありながらも朝日の元へといそいそと駆け寄っていった。

 

 

 

 

 

「よう朝日」

 

 

 

 

 

「あっ!せ、先輩......ライブ、良かったですよ」

 

 

 

 

 

「はは、ありがとな────っと......そういやバンドの返事、まだだったな。とりあえず、それ俺も手伝うよ」

 

 

 

 

 

浮かない顔の朝日を見て“例の件”のことを思い出したついでになんとか会話の機会を作ろうと、朝日の仕事をぶんどるような形で肩代わりした。一方の朝日はそんな俺に「ありがとうございます」と一言お礼を言ってくれたものの、その暗い表情は依然として顔に張り付いていた。

 

 

 

 

 

「やっぱまだ悩んでんのか」

 

 

 

 

 

「はい......」

 

 

 

 

 

「塁から聞いたよ。“あの子”のバンド、RASなんだって?」

 

 

 

 

 

これは朝日の友達でもある弟の塁から孤児院で聞かされたことなのだが、どうやらRAISE A SUILEN......もといRASは、最近になって巷で有名になってきているガールズバンドらしい。そして驚くべきことに、そのRASのリーダー兼プロデューサーは、先日のあの猫耳ヘッドホンの少女だったのだ。思い出してみればあの日も胸ポケット辺りに名刺のような紙が入っていたし、塁経由の朝日からのRASについての情報もすんなり納得することができた。

 

しかしあの少女、見た感じでもまだ中学生っぽい身なりだった。あんな幼い身でもう大人顔負けのバンドグループを立ち上げようだなんて生き急いでいるとしか言いようがない。何せ自らバンド専用のサイトまでも立ち上げているのだから。そんな麒麟児も本格的にバンドに加入すべきギタリストを振るいにかけるべく、現在では現場視察以外にオーディションも行っているらしい。それならなおさらバンドをしたいと言っていた朝日にもダメ元でもいいからオーディションを受けてほしいところなのだが、ちょいちょいアプローチをかけたところで当の本人は渋った反応を見せるばかりだった。その理由も塁から聞いた。

 

 

 

 

 

「───......RAS、嫌いなんだってな」

 

 

 

 

 

「は、はい......ああでも!そういう嫌いってわけでもないんです」

 

 

 

 

 

「それは......ああ、苦手の方が意味合いが近いって感じか」

 

 

 

 

 

俺の質問に、朝日は手元を動かしながらこくりと頷いた。俺も塁から聞かされたとはいえその理由の全容を詳しくまでは知らなかったので、新たに知った朝日のRASに対する苦手意識にそこはかとない疑問が生じた。

 

 

 

 

 

「にしてもなんでそんな毛嫌いするんだ?」

 

 

 

 

 

「ええと、それは────......」

 

 

 

 

 

喉元まで言葉が出かかっているはずなのに朝日が急に言い留まる。そこまでもったいぶるものでもないだろうと、俺も朝日に向けてあと一押しと催促しようとした。

 

 

その寸前で他のスタッフさんからの催促が俺のものの代わりにステージ上に響き渡った。

 

 

 

 

 

「そろそろ時間だから準備急いでー!!」

 

 

 

 

 

「あ......!えーと......」

 

 

 

 

 

「あはは......こりゃまた後でだな」

 

 

 

 

 

なんと間の悪いことかとスタッフさんを恨みはしたものの、それも一時的なものに留めておいた。とりあえず今は仕事に専念しなければならなかったので、俺と朝日は目の前の絡まった黒の導線をせっせと整理し始めた。

 

 

 

 

しばらくして無事仕事も終わったものの、その余韻に浸ってひと段落つく暇も与えられないまま、俺と朝日はステージから下ろされた。

下りた観客席から今一度ステージを見上げる。すると、見慣れないものがあることに気がついた。

 

 

 

 

 

「あれってDJブースか?」

 

 

 

 

 

「みたいですね」

 

 

 

 

 

作業中ずっと俯いていたため今の今まで気づけなかったが、ステージ後ろにはキーボード、ドラムと並んで、なんとDJブースが用意されていた。DJの機材の下の土台にはRASのロゴがでかでかとプリントされている。よく見てみると、バスドラにも同様のものがあった。

 

 

 

 

 

「随分と手が凝ってるな、よほど自信があるみたいだ」

 

 

 

 

 

「でも、サイトを見ただけでも相当レベルが高そうなバンドっぽかったです。楽しみやな〜......」

 

 

 

 

 

先ほどこそ暗い顔をしていた朝日も、今ではRASへの期待に笑顔を隠しきれずにいた。対する俺はその顔を見て、やはり朝日にはバンドをしてもらいたいという思いが強くなっていた。

 

 

 

 

 

「「......!?」」

 

 

 

 

 

と、急に会場の照明が暗くなった。何事かと思い辺りを見渡すにも、そこはすでに大量の観客で埋め尽くされていた。だがそれもそのはず、もうじきRASの出番が来るのだから当然のことか。でなきゃ俺達の苦労が無駄になる。

 

 

 

 

 

「やべっ、もうそんな時間か......朝日は仕事戻んなくていいのか?」

 

 

 

 

 

「は、はい!ここからはアナウンスも音響も別の人が担当してくれるので、片付け以外は手が空いてます!......わわっ、と」

 

 

 

 

 

「とりあえずここ離れるか。裏方の俺達が観客の邪魔してもアレだし」

 

 

 

 

 

朝日が観客の圧に飲み込まれるそうになったのを見て、俺は後ろに行くことを提案した。そこからは流れに沿ってステージから遠ざかるように後ろの方の運良く空いていたスペースへと下がっていった。

 

会場に突如として静寂が訪れる。観客は何かを察したようだった。そしてそれを見計ったかのように、これ見よがしとアナウンスが鳴り響いた。

 

 

 

 

 

『お待たせしました。これよりRAISE A

SUILENさんの演奏となります。それではどうぞ!』

 

 

 

 

 

煽るアナウンスに会場の熱気もまたどっと湧き上がる。まだライブも始まっていないのにも関わらずこの熱量とは......俺が知らなかっただけで、RASの口コミはかなり良いものなのだということを改めて実感させられた。

 

 

 

 

 

『────Hello!Every one......いえ、Nice to meet youというべきね」

 

 

 

 

 

「来たか......」

 

 

 

 

 

暗転した照明かパッと明るくなったかと思いきや、それはステージへと一直線に傾いていった。

 

 

そこに照らされながら立っていたのは他でもない、あの少女だった。

 

 

 

 

 

『初めまして皆さん、RAISE A SUILENです。今回は私達の初のライブに来てくださってありがとうございます』

 

 

 

 

 

シアトリカルな仕草をしながらの彼女の挨拶に、会場は大いにウケて掴みもかなり良さそうに思えた。それを静止するかのように少女は片手をスッと低く上げると、続けてこう言った。

 

 

 

 

 

『皆さんとお目にかかるのは今回で初です。ということで、ここでひとつRASの目標を宣言させていただきたいと思います。それは────』

 

 

 

 

 

「目標......」

 

 

 

 

 

途端に鋭くなった少女の声色に緊張がはしる。それに身を委ねながら、俺や朝日を含めた会場の観客全員が静かに少女の言葉を心待ちにした。

 

 

 

......そして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『────この大ガールズバンド時代を終わらせるッッ!!!』

 

 

 

 

 

「......!」

 

 

 

 

 

『Oh,right!それでは聞いてください────“R・I・O・T”』

 

 

 

 

 

少女はそう言い残すと、歓声を背後にDJブースへと向かっていった。どうやら彼女がDJのようだ。

 

少女があのヘッドホンに耳を当てながら、指揮をとるかのようにリズムをとりながらオーディオ・インターフェースに顔を俯かせる。それに続くようにベース、キーボード、ドラムが音を奏で始めた。イントロだけでもわかるその演奏力の高さに、俺も思わず身を震わせる。しかしそんな重厚な音の嵐の中でも、やはりギタリストの姿は見えなかった。

 

 

 

ふと、隣にいる朝日に目を向ける。その時の俺がどんな気持ちで、どんな表情で朝日を見たのかはわからなかった。

 

 

......ただ、ひとつだけ確かなことがあった。

 

 

 

 

 

「......朝日」

 

 

 

 

 

「────」

 

 

 

 

 

朝日はRASの演奏に魅入っていた。釘付けになった瞳にも、確かに活力はあった。だが......

 

 

先ほどまで見せていたあの笑顔は、いつの間にか消えていた。

 

 

 

 

 

澄み渡るような晴れ空は、重苦しい曇天へと移り変わっていた。

 

 

 

 

 







いかがだったでしょうか。次回は本編で4月18日の20時30分に投稿予定です。お楽しみに!


RASが出てきました。ということでここで一度注釈をさせていただきます。
このシリーズに出てくるRASは、本家の方とは少々異なる点がいくつかあります。この作品自体二次創作なのでそこは承知していただけているかと思いますが、念のため注釈を挟ませていただきました。ということですので、ご了承下さいませ。



それでは今回はここまで、次回またお会いしましょう。さいなら!


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第4話 膨望

どうもあるです。

語ることは特にありません。



それでは本編、どうぞ。







 

 

 

 

「────朝日」

 

 

 

 

 

「あ、先輩」

 

 

 

 

 

イスに座っていた朝日はどこか遠くを見ていた。ドリンクバーから取ってきたジュースを渡すと、朝日は「ありがとうございます」とお礼を添えてからそれをひと口力無く啜った。

 

 

 

 

 

「ふぅ......ほんと、わざわざありがとうございます」

 

 

 

 

 

「いいって。見た感じ具合まだ悪そうだけど、大丈夫か」

 

 

 

 

 

「いえいえ全然!余韻に浸ってるだけなんで大丈夫ですっ」

 

 

 

 

 

「そうか。ならいいんだけど......」

 

 

 

 

 

RASのライブの始終、朝日はずっと呆けたようにRASの演奏に釘付けになっていた。演奏が終わった後もそんな調子だったので、俺が試しに声をかけてみると、朝日は突然その場にへたり込んでしまった。慌てた俺は、とりあえず近くにあったこのイスに座らせた。

 

 

そして現在に至るわけなのだが......

 

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

 

チラリと朝日の顔を見下ろす。俯いているせいでよくわからなかったが、雰囲気的にまだ調子が戻っていないのは目に見えていた。ライブ前はあんなに心を弾ませていたのに、いざMCが入ったら一気に表情を曇らせて、あの時の朝日はまるでスコールのような百面相ぶりだった。

 

 

 

......MCが入ったら、か。

その時、俺の脳裏にはあの少女の発言が浮かび上がっていた。

 

 

 

 

 

『この大ガールズバンド時代を終わらせるッッ!!!』

 

 

 

 

 

「────......」

 

 

 

 

 

あの少女......名前は確か『チュチュ』とライブで名乗っていたな。しかしとても挑戦的で好戦的な発言だった。

 

“大ガールズバンド時代”。ニュースでも取り沙汰されているおそらく今最も熱いワードでもあるそれは、他でもない今のガールズバンド界隈のことを表しているものだ。そんな大々的な名を冠されるほどに、今のガールズバンド界隈は東京だけでなく、地方でも著しく発展してきているらしい。

 

 

しかし今回チュチュはそのいち時代を終わらせると、これまた大々的に宣言した。いや、これは宣言というよりも宣戦布告に近いものだった。そう形容できてしまうほどに、あのチュチュの発言からは覇気に近い何かを感じ取ることができた。

 

しかしまあ物騒な話だ。このご時世よくそんな周囲全員を敵に回すようなことを言えるなと、冷静を取り戻した俺は肩をすくめた。それでも演奏技術はプロ顔負けなのは確かだった。

 

 

歌唱力もありながら演奏もそつなくこなすベースボーカル。

荒々しさと繊細さを兼ね備えた剛柔無二のドラム。

一音一音艶のある、粒立つような音色のキーボード。

音作りもエンターテインメントも欠かすことのないDJ。

 

本当に、それぞれの個性が際立ちながらも調和の取れた見事な演奏だった。あれほどのバンドが間近にいるだなんて、正直Roselia以外にはいないだろうなと思っていたからなおさら輝いて見えた。

 

 

それなのに朝日は一体何が不満なのだろうか。あのRASでなら五体満足で練習もできるだろうし、腕前はともかくオーディションを受けてみる価値は十二分にある。

 

 

 

......いや。もしかしたら朝日は、環境云々よりもっと別の理由があってRASへの加入を嫌っているのかも。そう思ったころには、俺の口はすでに動いていた。

 

 

 

 

 

「なあ朝日、教えてくれよ。一体何をそんな躊躇う必要があるんだよ」

 

 

 

 

 

「......っ」

 

 

 

 

 

「お前も見ただろあの演奏。RAS(あそこ)でならお前も満足にやってけるはずだ。まあ、入れるかはまた別だけど......」

 

 

 

 

 

それでもなぜ、オーディションすら受けようとしないのか。

 

そんな俺の質問に対して、朝日はこう答えた。

 

 

 

 

 

「......私、ポピパさんが大好きなんです」

 

 

 

 

 

「ポピパさん......?Poppin' Partyのことか?」

 

 

 

 

 

朝日がこくりと頷く。対して俺は、なぜ今それを?という疑問符を浮かべていた。

しかしそれも束の間、今までの話に関連付ければ、なぜ朝日がその話を持ちかけてきたかなど容易に理解することができた。

 

 

 

 

 

「......って、ああ。“そういうこと”だったのか」

 

 

 

 

 

俺は疑問にひそめた眉を上げ、納得したように手を打ち付けた。朝日はきっと、こう言いたかったのだろう。

 

 

 

 

 

「お前はガールズバンド時代を────......Poppin' Partyを終わらせたくないんだな」

 

 

 

 

 

「はい......その通りです」

 

 

 

 

 

「そっか......」

 

 

 

 

 

予想的中だった。でもそれもそうか。自分の好きなバンドが華やいでいる時代を壊そうだなんてできるわけないだろうからな。

とはいえ俺も無神経が過ぎた。朝日がそんな理由で思い悩んでいたとは思ってもいなかったが、しかしそれを言い訳にするわけにもいかまい。

 

 

 

 

 

「なんか悪かったな、朝日の事情も知らずに好き勝手言って」

 

 

 

 

 

「とんでもないです!私の方こそ早めに言っておくべきだったのに......余計に気を遣わせてしまってすみませんでした」

 

 

 

 

 

「いいよ別に。俺がそうしたかっただけだし。後輩、それも数少ないギター仲間が困ってたら助けたくもなるしさ」

 

 

 

 

 

俺がやたらと朝日に肩入れしていたのはそれが理由だった。俺はただ朝日の居場所を作ってやりたい一心だった。

 

 

───いや、それはこれからもか。

 

 

 

 

 

「でも、やっぱりお前にはRASが似合ってるよ。何が一番良かったかってそりゃ演奏もだけど、アイツらめっちゃ演奏するの楽しそうだったしさ」

 

 

 

 

 

「楽しそう?」

 

 

 

 

 

「自分の力を存分に発揮して、自分の思うままの演奏をすることができる。それをRASは見せてくれた......本当はお前もそうしたいんじゃないのか?」

 

 

 

 

 

「......!」

 

 

 

 

 

「俺も同じような境遇だから、なんとなくそういうのわかるんだ」

 

 

 

 

 

記憶がなくなって、新しい自分に生まれ変わって、そしてAfterglow(みんな)と再開した。みんなは俺とまた会えたことを喜んでくれていたけど、一方で俺は本当は迷惑なんじゃないかと思っていた。でも、それは間違いだった。

流誠はもっと『流誠』を大事にしていいと、そう言ってくれた。自分の気持ちに正直になればいいのだと教えてもらった。

 

今目の前にいるのは、自分。気持ちを抑え込んで息苦しそうにしている少し前までの俺だ。であれば、みすみす見過ごすわけにもいかまい。

 

 

 

 

 

「やりたいことやって何が悪いんだよ。お前はもっとわがまま言ってもいいんだぞ?」

 

 

 

 

 

「私は────......」

 

 

 

 

 

朝日は再び口ごもった。かと思いきや、すぐさま席を立ち上がって俺にこう言った。

 

 

 

 

 

「......ごめんなさい!」

 

 

 

 

 

「え?あっ、おい!」

 

 

 

 

 

朝日は俺に一言添えるとどこかへ走り去って行ってしまった。そのあまりの唐突さに呆気にとられ、俺はろくに呼び止めることもできなかった。机の上には、朝日の飲みかけが置かれたままだった。

 

 

 

 

 

「ったく、どうすんだよこれ......」

 

 

 

 

 

結露によって水滴で埋め尽くされた紙コップを手に取り、力無くぼやく。正直、朝日があそこまで躍起になってRASへの加入を拒むのと、その理由とのギャップに理解が追いついていない。

確かに好きなアーティストの活躍の場を潰したいとは到底思えない。裏方だが、Afterglowの一員である俺にもその気持ちはよくわかる。でもそれとはまた話が別なのだ。その違いを朝日はわかっていない。

 

朝日のやつ、相当思い悩んでいた。巨大に膨らむ期待に反して、彼女の器は今にもはち切れんばかりだ。

 

 

朝日はもっとわがままでいていいはずなんだ。それをなんとかわかってもらいたいところだが────......

 

 

 

 

 

「りゅーせぇー!」

 

 

 

 

 

「ん?」

 

 

 

 

 

ふと聞こえてきた自分の名前に意識が思考世界から現実へと戻される。声は入り口の方から聞こえてきたのでそちらに振り返ってみると、俺にひらひらと手を振っているひーちゃんがいた。

 

 

 

 

 

「おぉ、ひーちゃん」

 

 

 

 

 

「もぉ、おぉじゃないよ!突然飛び出したっきり戻ってこないでビックリしてたんだからね!?

 

 

 

 

 

「ごめんごめん。ライブの準備の手伝いしてからそのままライブ見てたからさ」

 

 

 

 

 

俺はひーちゃんに言い訳を並べ立てながら、ライブという単語からRASのことを思い出した。

 

 

 

 

 

「そういやRAS見たか?RAISE A SUILEN」

 

 

 

 

 

「うん、ステージ袖にお邪魔させてもらってみんなで見てたよ。スゴかったね、あの演奏!」

 

 

 

 

 

「だよな。いやあ、あそこまでとはな」

 

 

 

 

 

無名のバンドと思われていたRASは想像を絶するに等しい演奏技術を観客である俺達に存分に魅せてくれた。その熱狂とも言えるあのパフォーマンスには驚いたと、俺とひーちゃんは頷きあった。すると声がまたひとつ、小箱のような会場に舞い込んできた。

 

 

 

 

 

「流!!やっぱりここにいたか」

 

 

 

 

 

「あ、巴!ねえねえ、RASの演奏スゴかったよね?」

 

 

 

 

 

入ってきたのは何やら焦った様子のともちゃんだった。それに気づいていないのか、ひーちゃんはさっきの話の流れでRASの話題をともちゃんに振った。対してともちゃんは、それを突っぱねるかのような態度でひーちゃんを諭した。

 

 

 

 

 

「ひまり、今はそれどころじゃないだろ?」

 

 

 

 

 

「え?......あ、そういえばそうだった」

 

 

 

 

 

「え、なんだよ」

 

 

 

 

 

ひーちゃんの顔は一変して、ともちゃんと似たような顔つきとなった。そしてそれらの矛先は凛として、俺の顔面を鋭く貫いていた。

 

 

 

 

 

「二人ともらしくもなくそんな顔して......何かあったのか?」

 

 

 

 

 

すっかり浮かれきっていた俺もさすがの緊張感に表情を強張らせる。ともちゃんとひーちゃんはそれを見届けたかのように俺を見て互いに頷きあった後、ともちゃんからこう告げられた。

 

 

 

 

 

「流、落ち着いて聞いてくれよ?......実はな────」

 

 

 

 

 

ともちゃんの知らせとやらに耳を傾ける。その終始、俺の体には尋常じゃないほどの焦燥感が駆け巡っていた。

 

まだ何も伝えられていないのになぜ焦っているのか、どこにそんな感情を抱く根拠があるのか。それを考える余裕などこの時の俺は持ち合わせていなかった。

 

 

 

でもひとつ思い当たるとすれば、共感覚のようなものが原因だったんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────モカが、突然倒れてしまった。

 

 

 

その一言で、俺の予感はかくしんへと変わったのだった。

 

 

 

 

 

「────ッ!」

 

 

 

 

 

気づけば俺は、片手に紙コップを握り締めたまま楽屋の方へと走り出していた。

 

 

 

 

......ろくに量の減っていないジュースがコップから俺の手へと溢れていく。その冷たさが感じなかったのはきっと、悪寒の方が勝っていたからに違いない。

楽屋の中、蘭とつぐちゃんの側で長イスに寝かしつけられたモカを見て、俺はそう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあねみんなー」

 

 

 

 

 

「モカ!何かあったら連絡してねー!」

 

 

 

 

 

「無理しないでよ」

 

 

 

 

 

「はいはーい」

 

 

 

 

 

心惜しそうにあたしを見つめる蘭達に手を振り、その背中が遠のいていくのを笑顔で見送った。それから、帰り道が途中まで一緒であるせいくんとゆっくりと帰路を歩き始めた。

 

 

 

 

 

「なあ......本当に大丈夫なのか?」

 

 

 

 

 

「ばっちぐー。今日はちょっとツグり過ぎただけだからさー」

 

 

 

 

 

「......そうか。まあ、その調子なら大丈夫そうだけど」

 

 

 

 

 

せいくんが納得したように頷く。それを見てあたしは、せいくんの単純さを微笑ましく思ったのと同時に、それを利用した己の狡猾さを呪った。

 

 

 

 

 

「にしてもRAS、ほんとやばかったよな。今まで聞いたことがなかったバンド名だったからわかんなかったけど、あそこまでとは思わなかったよ」

 

 

 

 

 

「......そうだねー」

 

 

 

 

 

みんなと分かれる前から、案の定話題は今日のライブについてで持ちきりだった。特にせいくんは興奮しているのか、何度も同じ話をふっかけてきている。正直言って、色んな意味で迷惑だ。

 

 

 

 

 

「でも俺達も負けてなかったよな。あの演奏見た後じゃ、まるでお膳立てみたいにも見えるけど......」

 

 

 

 

 

「そうだねー」

 

 

 

 

 

「さっきからそればっかだな......もっとちゃんとした感想とかないのかよ」

 

 

 

 

 

感想。心配せずともそんなものいくらでもある。問題はそれらを言えない......いや、打ち明けられないことなのだ。だからあたしはまたへらへらとにやけ面を振りまいた。

 

 

 

 

 

「特に何も〜。いつも通りって感じでよかったんじゃなーい?」

 

 

 

 

 

「はぁ?......まあ、それもそうか」

 

 

 

 

 

せいくんがまた一人で頷いた。本当、この素直さは昔から変わっていない。まったくありがたいことだ。

 

 

 

......対してあたしは────......

 

 

 

 

 

「────モカ」

 

 

 

 

 

「......!な、なにー?」

 

 

 

 

 

「なにって......お前、帰り道こっちだろ」

 

 

 

 

 

せいくんが顎でしゃくった周囲を見渡すと、あたしの家とせいくんの孤児院に続く分岐点に辿り着いていたことに今更気がついた。あたしがその真ん中に立っているのに対して、せいくんは先に自分の帰路を少しだけ前に進んでいた。

 

 

 

 

 

「用事あってお前のこと見送れないけど気をつけて帰れよ。あと、無理はするな」

 

 

 

 

 

「あ、あの、せいく────」

 

 

 

 

 

「それじゃあまた明日学校で。寝坊すんなよー」

 

 

 

 

 

「あ......うん。また、明日ねー」

 

 

 

 

 

何を思ったのかあたしはせいくんに手を伸ばしていたが、せいくんが一方的に別れを告げてくれたおかげで気づかれないままそれを引き戻すことができた。その反面、少し残念な気持ちも少なからずあった。

 

 

 

......いや違う。これでいいんだ。これも全部あたしが弱いせいなんだから、助けなんて求めなくて当然なんだ。あの時倒れたのだってそのせいなんだし、何より────。

 

 

 

 

 

「......あ」

 

 

 

 

 

ふわっ、と風が巻き上がった。それはやがて地上から空へと飛び立っていき、あたしの視線を引き寄せていった。

 

 

 

空には夕焼けが浮かんでいた。いつも通りの綺麗な夕焼けだった。あたしはそれを見て、思わず息を呑んだ。

 

 

......そう。自分と夕焼けのスケールのギャップに、息を呑んだんだ。

 

 

 

 

 

「────なんだか、また遠のいちゃった気がするな」

 

 

 

 

 

憂いた目で見上げる夕焼け。そんな遥か遠くに見える夕焼けに、あたしはみんなの背中のかげぼうしを思い浮かべた。

それはとても大きく見えているはずなのに、とても遠くにあるようにも感じた。

 

 

 

 

 








いかがだったでしょうか。次回は4月24日の20時30分に投稿予定です。お楽しみに!


あ、前書きで語ることはないと言いましたがひとつだけありました。みなさん、アークナイツというゲームアプリを知っているでしょうか。僕も最近ハマり始めたゲームなんですけど、その結果ssを書きたいと思うようにもなりました。実際、絶賛執筆させていただいております。
......そうです。ハーメルンにアークナイツのssも投稿することにしました。こちらは今のこのシリーズと違って単発投稿にするつもりですが、暇があればそちらも拝見していただけると嬉しいです。何卒、よろしくお願いします。



それでは今回はここまで、また次回お会いしましょう。さいなら!


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第5話 明星

どうもあるです。

バ!アニメ最終話、良かったですね......個人的に3バンド合同夢撃ちが心にグッと来ましたね。ああああああああああああ



ということで本編どうぞ。







 

 

 

 

「む」

 

 

 

 

 

「あっ、せいに......兄さん」

 

 

 

 

 

「塁か」

 

 

 

 

 

移動教室の道中、階段の踊り場に上がった先で塁とばったり出会った。その隣には朝日がいた。

 

 

 

 

 

「と、朝日。おはよう」

 

 

 

 

 

「おっ、おはようございます......」

 

 

 

 

 

「オイ、あんま圧かけてやるなよ」

 

 

 

 

 

朝日と挨拶を交わそうと思っただけなのに、その間に割り込むように塁が朝日を後ろへと庇った。まあ、昨日の今日なのでそうする気持ちもわからなくもないが。

 

 

 

 

 

「朝日から聞いたぞ、またバンドのこと勧めたんだってな」

 

 

 

 

 

「おーおー、そんな立派に彼氏ヅラしちゃって。お似合いだぞー塁」

 

 

 

 

 

「さらっと誤魔化してんじゃねぇ。......つか、そっちこそ彼女(青葉さん)はどうしたんだよ」

 

 

 

 

 

「モカか?アイツは────」

 

 

 

 

 

塁からの質問から脳裏にモカの姿を思い浮かべるも、その実体は不鮮明なものだった。実はモカは、今朝から教室を早足に出て行ってからずっと行方をくらましている最中なのだ。まだ抜け出してから1時間目しか経っていないが、これにはさすがに俺達幼なじみも不安にさせられた。

 

 

 

 

 

「......今日は休みだ」

 

 

 

 

 

わからないと言えば塁から「彼女のことも気にかけれないのか!」とどやされかねないので、その場しのぎで典型的な不在理由を述べる。すると塁も納得してくれたのか、腕を組みながら腑に落ちた表情をしてみせた。

 

 

 

 

 

「そうか。放課後になったらちゃんと見舞いに行ってやれよ」

 

 

 

 

 

「言われずとも。じゃ、俺はこれで」

 

 

 

 

 

そろそろ時間も時間なのでと、俺は二人の間をすり抜けるように助走をつけた。そんな俺の背中を塁が声を荒げて呼び止めた。

 

 

 

 

 

「せい兄!!」

 

 

 

 

 

「あ?なんだよ、こっちは急いでんだけど。つかやっとせい兄って言ってくれたな」

 

 

 

 

 

「あ......じゃなくて、それより今は朝日のこと!これ以上無理強いしてやるなよ!」

 

 

 

 

 

「な、長門くんっ......!それは......」

 

 

 

 

 

困り顔の朝日を見て困らせているのはお前の方だと塁に言ってやりたかったが、あの頑固者を“ねじ伏せる”にはまず第一条件として人目のつかない場所にいないといけないため、朝日が傍観者としてそばにいる以上、俺に勝ち目はなかった。

 

 

 

 

 

「あーいいんだいいんだ。俺が悪かったんだよ。悪いな朝日、次からは気をつけるよ」

 

 

 

 

 

「あっ、オイ!その言い方だと......」

 

 

 

 

 

「じゃあもう時間ないし行くわ。二年生はお前らと違って忙しいからなー!」

 

 

 

 

 

塁が呆気にとられている隙に科学室に続く渡り廊下に向かって一直線に走りだす。そのためにはまず3階まで上らなければならない。俺は軽々と1階から2階、3階へと階段を上り詰めていった。

 

 

その途中で、思いがけない人物と出会った。

 

 

 

 

 

「わっ、と......ってモカ!?」

 

 

 

 

 

「あ......せいくん」

 

 

 

 

 

3階に上りきった瞬間、視界の右端から(・・・・・・・)モカがぬっと姿を表してきた。そんな突然の出来事に俺は思わず目を剥いた。

 

 

 

 

 

「朝から黙ってどこ行ってたんだよ!みんな心配してたんだぞ?」

 

 

 

 

 

「あ、あー。ちょっと気分悪くなったから保健室行ってただけだよー」

 

 

 

 

 

「は?それなら出席簿に書かれてるはずなんだけど......」

 

 

 

 

 

授業前になると、担当の先生が必ず出席をとる。その際に出席簿を確認するのだが、体調不良の生徒がいればそこにその詳細が書かれているはずなのだ。しかし1時間目の時、出席簿を確認した先生はモカの所在を保健委員に聞いていた。それら保健室に行く前には必ず保健委員に告げてから行く決まりになっているからだ。でないと出席簿にそのことを記すことができない。

もしかするとモカはそのことをてっきり忘れたまま保健室に行っていたのかもしれない。それほど体調が優れていなかったというのなら納得もいく。背に腹は変えられないからな。

 

 

 

 

......では、なぜモカは1階から上がってこなかったのだろうか。

 

 

 

なぜ屋上に続いている階段から、ここ3階に下りてきたというのだろうか。

 

 

 

 

 

「......なあ、モカ────」

 

 

 

 

 

モカのことを不審に思い、その名前を呼ぶ。

その直後、授業開始2分前を告げる音楽が鳴り始めた。

 

 

 

 

 

「おっと、もうこんな時間なのかー。それじゃあモカちゃんは、教室に道具取りに行ってくるよー」

 

 

 

 

 

「え......っておい、ちょっと!」

 

 

 

 

 

「せいくんは先に行ってていいからねー」

 

 

 

 

 

「もっ、モカ!!」

 

 

 

 

 

俺の止める声も届かず、モカは自分の教室のある1階へと颯爽と下りていった。先ほどまで保健室にいたはずのモカが去っていくその背中を俺は異様に感じざるを得ず、生ぬるい風の音と音楽の響く廊下の真ん中でしばらくのあいだ立ち竦んでいた。

 

 

 

 

 

「......行っちまった」

 

 

 

 

 

そんな放心状態もそこまで長くは続かず、俺はすぐさま現実世界へと引き戻された。モカの姿はすでに見えなくなっていた。

 

 

 

 

 

「......ってやべ!早く行かねーと!」

 

 

 

 

 

音楽は約2分で終わる仕様になっている。徐々にフェードアウトしていくヴァイオリンの音を聞いて、俺は今自分がすべきことを思い出した。科学室まではここから歩いておよそ1分。走って行けば間に合うだろう。

 

 

キュッと踵を返して渡り廊下へと抜ける。その際に茫然と立ち尽くしているモカを1階の窓越しに見下ろすことができたが、俺は気に留めず科学室へと駆け抜けていった。代わりに、朝日のRASへの差し向けについて考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「......蘭ー」

 

 

 

 

 

「モカか。何」

 

 

 

 

 

窓から差し込む眩しい夕日の光に当てられながらシャーペン片手にノートと睨めっこしていると、モカがこちらににじり寄ってきた。用件を聞くと、どうやら休憩中の暇つぶしに来たらしい。

 

 

 

 

 

「何してるの〜?」

 

 

 

 

 

「歌詞書いてる。また新しい曲作ろうと思って」

 

 

 

 

 

「モカちゃんにも言ってくれたら喜んで手伝ってたのにー」

 

 

 

 

 

「紙の端っこにパンの落書きすることのどこが作詞なんだか」

 

 

 

 

 

「えぇ〜?失礼しちゃうなー」

 

 

 

 

 

あたしの記憶が正しければ以前モカにイタズラされたことが思い浮かばれる。あたしが必死に歌詞を思考しているあいだ、モカは呑気に鼻歌を歌いながらノートの端の方に落書きしていた。その時はお返しに頬をつねったが、今回は前払いでもしてやろうか。

 

 

 

 

 

「まあいいや。みんなは?」

 

 

 

 

 

「まだ練習するってさー。せいくんも付き合わされてるー」

 

 

 

 

 

「あはは......結構やる気だね。まあでもそれもそうか」

 

 

 

 

 

「うん、こないだのねー」

 

 

 

 

 

先日行われたライブを思い出す。あのバンド、RAISE A SUILENと言ったか。技術もそうだったが、観客の煽り方をよく心得ていたように思える。

今まで名前も知らずに未知数だった分、あれには豆鉄砲どころか大砲でも食らったかのような衝撃を心と体に浴びせられた。ステージ袖から見ていた身だったのでなおさらだ。みんなもおそらくそれに感化されて......

 

 

 

 

 

「......あ」

 

 

 

 

 

そう思考を巡らせている時、ふと重要なことを思い出した。

 

 

 

 

 

「んー?どしたの?」

 

 

 

 

 

「ライブといえばあの日からモカ、体調崩してばっかでしょ。本当に大丈夫なの......?」

 

 

 

 

 

「あー。うん、別に大丈夫だよ?」

 

 

 

 

 

「でも今日だって......」

 

 

 

 

 

今日も今日とて朝からみんなと駄弁っていた。その最中、遅れて登校してきたモカは教室に入ってくるや否や、そそくさとどこかへ姿を消していった。それからというものの、トイレにでも行ったのかと思いきや1時間目が始まっても戻ってこず、後から聞いた話によるとなんと保健室に行っていたらしい。理由はもちろん体調不良だった。

 

 

 

 

 

「心配ご無用〜。もうすっかり治ったから安心してくれたまえー。ていうか蘭もみんなも何度もそれ聞いてくるから、さすがのモカちゃんもそろそろ耳が痛いんだけどなー」

 

 

 

 

 

「......ごめん。でも、本当に無理な時はいつでも相談してよ」

 

 

 

 

 

「もっちのろんー」

 

 

 

 

 

そう言ってにんまり笑みを浮かべるモカだが、こういう奴ほど案外抱え込みやすいタイプであることをあたしもみんなも知っていた。しかし本人が大丈夫というのであればそれまでだ。無闇に詮索して逆に傷つけてもいけないし、単なる体調不良なのかもしれないのでここはそっとしておいた方がいいのかもしれない。

 

 

モカの用事はモカに任せたところで、あたしも気を取り直して机に向かう。その直後、ポケットの中の携帯がブルブル震えた。取り出してみると、父さんからのメッセージだった。メッセージには、『もうじき華道の作品展が開かれる。それに備えて一旦バンド活動を休止しなさい』と書いてあった。

 

 

 

 

 

「どうしたのー?」

 

 

 

 

 

「父さんからのメールでもうすぐ作品展があるってさ」

 

 

 

 

 

「作品展?華道のー?」

 

 

 

 

 

「そう。あたしも出なきゃいけない」

 

 

 

 

 

「それじゃあ────......」

 

 

 

 

 

「うん、またしばらく練習休まないといけなくなる」

 

 

 

 

 

口惜しくもありのままの事実を告げる。毎度のことだが、練習やライブができなくなるのはやはり悔しい。しかし、父さんに華道と向き合うように約束した身なのでいつも仕方がないと呑み込んでいる。

それでもだんだんと回数を重ねていくうちに完全にではないがまんざらでもなくなってきて、今ではあの毛嫌っていた華道に楽しささえ見出せているような気もする。これも成長している証拠なのだろうか、そう思うとなんだか嬉しい。

 

 

でもやっぱり、あたしにとっての一番の楽しみはみんなと一緒にバンド活動をすることだ。そこは譲れないし、元はといえば華道だってそれを存続させるために行っている。一緒に歌って弾いて......そんな『いつも通り』があたしの一番であることはいつまでも変わらないだろう。

 

 

 

とにもかくにも、まずみんなに報告しなければなるまい。あたしは席を立ち上がり、モカも一緒に行こうとモカの方へと視線を流した。モカは何を思ってか、ぼーっと窓の外の夕影を眺めていた。

 

 

 

 

 

「モカ」

 

 

 

 

 

「......ん?なーにー?」

 

 

 

 

 

「そろそろ練習戻ろ、みんなにも休むこと言わなくちゃいけないし」

 

 

 

 

 

「はーい」

 

 

 

 

 

モカの返事はどこか覚束ないものだった。そこからまた体調でも悪くなっているのではと思ったが、先ほどのモカとの会話を思い出し、ふとした疑問を心の内にしまい込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあなモカ」

 

 

 

 

 

「うん、じゃあねー」

 

 

 

 

 

いつもの分かれ道で、いつも通りにモカと別れを告げる。時刻はすでに20時をまわっており、空には星がまばらに散りばめられていた。その輝きを見上げながら、俺は今日の出来事を思い返した。

 

 

今日もいつも通りだった。何かあったとすればモカが突然いなくなったことだが、本人曰く大した問題でもなさそうだったので特に心残りはない。

 

 

 

 

 

 

 

────“この件”以外には。

 

 

 

 

 

「......さて」

 

 

 

 

 

上げた顔を戻してポケットから取り出した携帯に目を向ける。するとすでにメッセージが届いていたことに気がついた。

 

 

 

 

 

「『もう着いたよー!』......って、早いなぁ」

 

 

 

 

 

見た感じアイツ(・・・)は時間にルーズな性格なのかと思ったが、案外そうでもないみたいだ。俺は慌てて自転車に跨り、待ち合わせ場所である公園めがけて駆り立てた。

 

 

 

しばらくしてから、公園の敷地の生垣が徐々に見え始めた。ブレーキを握りスピードを緩めて携帯を確認すると、待ち合わせ時刻である20時30分には間に合ったみたいで、俺はほっと胸を撫で下ろした。

地面がコンクリートから砂地へと変わり、チェーンの音に小石などが散らばる音が加わって辺りに響き渡る。それに気がついたのか、端の方に設置されたベンチから人影のシルエットが立ち上がったのが見えた。相変わらず頭に生えたツノが目立っている。

 

どこか適当な場所へ自転車を置きに行っていると、ヤツはすでに俺の方へと歩み寄って来ていた。

 

 

 

 

 

「長門くーん!」

 

 

 

 

 

「おう、今日は呼び出して悪かったな」

 

 

 

 

 

「いいよいいよ、私も久々に長門くんと会えて嬉しいし!それより......」

 

 

 

 

 

「ああ......頼みたいやつな」

 

 

 

 

 

俺からの謝罪に彼女は静かに頷くと、間髪入れずに今回の件についての説明を要求してきた。それに応えるべく、俺も伝えたいことを一言一句頭の中で整理し始めた。

 

 

 

今回コイツを呼び出したのは他でもない朝日のためである。アイツは今『バンドをやりたい気持ち』と『“好きなもの”を壊したくない気持ち』とで板挟みになって、もがき苦しんでいる。しかしそれは間違いなのだ。別にRASに入ってバンドをしたところで、朝日の好きなものは壊れはしない。

 

 

 

 

ではその根拠はどこから来たものなのか。

 

 

それはもう、コイツから確認済みである。

 

 

 

 

 

 

「朝日が今悩んでるのはもう話しただろ?アイツはもっと自分のやりたいことに正直になっていいことを知らないんだ。それを気づかせるために、今回『お前ら』に相談を持ちかけた────」

 

 

 

 

 

朝日の悩みの中枢にあるのは好きなもの......つまり、Poppin' Partyである。彼女はRASの攻撃的な面にPoppin' Party存亡の危機を見出した。だからRASのオーディションを拒んだのだ。

 

それから俺は、Poppin'Partyから直接エールをおくってやり、大丈夫だと伝えてやれば良いのではという考えに行き着いた。そうすることで朝日も安心して、RASでのバンド活動に専念することができるかもしれない。

 

 

 

だから俺は今、ここにいる。だからこうして、コイツを......

 

 

 

 

 

Poppin' Partyが筆頭の戸山を呼び出したのだ。

 

 

 

 

 

 

「戸山......頼む、朝日を笑顔にしてやってくれないか」

 

 

 

 

 

瞠目し頭を下げる。そんな俺の懇願を、戸山は「もちろん!」と嬉々として受け入れてくれた。

それからゆっくりと顔を上げると、その先に見えた戸山の目には、今空に浮かんでいる綺羅星のような輝きが灯っていた。

 

 

 

 

 








いかがだったでしょうか。次回は4月30日の20時30分に投稿予定です。お楽しみに!

あとお知らせで、ただいま流誠くんのビジュアルイラストを描かせてもらっています。完全次第こちらにあげるつもりなので、よければそちらも拝見してもらえると嬉しいです。



〜感謝の言葉〜
えー、最近になってようやく気がついたことなんですが、おかげさまでお気に入り登録者数が60人を突破いたしました。本当にありがとうございます。これからも精進していきますので、どうか見守っていてください。



それでは今回はここまで、また次回お会いしましょう。さいなら!


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第6話 馬鹿





どうもあるです。

リアルライブ連動イベント始まりましたね。最初はてっきりガチャキャラは限定のものかと思っていましたが、どうやら恒常のようですね。いやーよかったよかった......
皆さんはガチャは引きましたでしょうか?僕は無事友希那さんをお迎えできました。皆さんにも幸あらんこと、切に願っております。


それでは本編、どうぞ。







 

 

 

 

「おい流」

 

 

 

 

 

「ん?どうしたのともちゃん」

 

 

 

 

 

練習の休憩中、ペットボトルの水を飲みながらふらふらと歩いていると、窓際の席の方で携帯を見ながら何やら頭を悩ませている流が目に入った。

 

 

 

 

 

「何してんのか気になってさ」

 

 

 

 

 

「ああ......別に大したことじゃないんだ。ただの私情だよ」

 

 

 

 

 

「......そか。ならいいけど」

 

 

 

 

 

そう言いつつさりげなく携帯の電源を落とす流には疑念が募るばかりだったが、ここは彼の言葉を信じてあまり詮索はしてやらないことにした。

 

 

 

 

 

「蘭、頑張ってるかな」

 

 

 

 

 

「まあアイツなりに頑張ってるだろ」

 

 

 

 

 

「はは、そうだな」

 

 

 

 

 

話題は一変して蘭のことについてとなった。蘭は今バンド活動を休止し、華道の作品展に向けての作品作りに専念している。そんな姿を想像しながら、アタシと流は空に浮かぶ雲を窓越しに見つめた。

 

 

 

 

 

「前までは親の仇かっていうぐらい嫌がってたのに、今となっちゃアレだもんな」

 

 

 

 

 

「どっちかというと親が仇だったけどな。でもほんと蘭は成長したよ」

 

 

 

 

 

「ああ。その仇でもある親父がライブに来てもあまりとやかく言わなくもなったしな」

 

 

 

 

 

「あははは。確かに言えてるな────っと、そうだ」

 

 

 

 

 

流は上げた口角を元に戻すや否や何か思い出したように口をつぐんだ。何事かと応答を待っていると、その回答はすぐに返ってきた。

 

 

 

 

 

「そっちはどうなんだ?」

 

 

 

 

 

「ん?どうって?」

 

 

 

 

 

「練習」

 

 

 

 

 

「あぁ!おかげさまで絶好調だよ」

 

 

 

 

 

「ならよかった」

 

 

 

 

 

流は客観的に演奏を見て聴いて、アタシ達の演奏のどこに、いつ、どんな間違いがあったか、どう改善すればよいかを的確に伝えてくれる。これをもとに全体の合わせや個人練習をするのだが、流がアドバイスを加えた後なら大概が数回で上手くいく。流自体が素人なためアドバイスの内容はフィーリング要素が濃いが、幼馴染みなだけあってかそこは流れで不思議とやっていけているのだ。

 

 

 

 

 

「案外適当言ってる気しかなかったけど、まあそう言ってもらえて何よりだよ。にしても最近頑張りすぎじゃないか?」

 

 

 

 

 

「あ?そりゃそうだろ」

 

 

 

 

 

辟易とする流に何を言っているのだと肩をすくめる。その理由にはもちろん蘭の不在のことも含まれているが、もっと根本的なことを言えば“あのライブ”にあった。

 

 

 

 

 

「RAISE A SUILEN......アイツらの演奏はなんかこう、グッとくるものがあってな」

 

 

 

 

 

「もう......それは何回も聞いたよ」

 

 

 

 

 

「何回でも言うさ!あと、グッとくるだけじゃなかった」

 

 

 

 

 

ガールズバンド時代を終わらせると豪語し、会場をざわめき立たせて、好き勝手やって去っていく。アタシには純粋な尊敬以外にも、RAISE A SUILENへの印象がそうとも捉えられた。事実、Afterglow含めた他バンドが培ってきた会場の熱も掻っ攫われてしまった。

 

 

 

 

 

「正直悔しかったんだ......」

 

 

 

 

 

「俺達はいつも通りやればいいだけさ」

 

 

 

 

 

「でもガールズバンドを終わらせるって上から目線で言われたら、アタシ達なんか目じゃないみたいな感じでイヤなんだよ」

 

 

 

 

 

「まあそれもそうだな」

 

 

 

 

 

納得した様子の流にアタシもうんうんと頷いた。流には間近でアタシ達の練習への意気込みっぷりを実演を通して見てもらっているのだから、逆に理解してもらわなかったら困る。

 

流は大きく伸びをしてからすくっと席を立ち上がると、アタシの方を見つめた。

 

 

 

 

 

「言われてみればともちゃん以外もすげえ頑張ってるみたいだし、気持ちは十分にわかるよ。でも、モカまで練習熱心になってたのは意外だったなぁ」

 

 

 

 

 

「わかる!あのモカがあそこまでやる気になるとは思わなかったもんな」

 

 

 

 

 

セッション中でも個人練習の時でも、モカの頑張りは目に見えていた。普通ならアイツは頑張るにしても影で努力するタイプなのだが、最近はいつにもましてアタシ達の前でも真面目に練習を行っているのだ。何があったかと本人に聞いても「別に〜?」といつもの調子で返されただけだったが、アイツにもきっと先日のライブで思ったことがあるに違いない。

 

 

 

 

 

「まさか今も練習してるのか?」

 

 

 

 

 

「たぶんやってると思うぞ。アタシが休憩し始めてからも外に出てきてないし」

 

 

 

 

 

「マジかよ......なんか俺達だけ休憩しといて悪いな」

 

 

 

 

 

「そうだな。時間もちょうど良いし、アタシ達も戻って練習再開するか?」

 

 

 

 

 

アタシの誘いに流は「もちろん」と答えた。その予想通りの答えを聞いて、アタシも先ほどの流と同じように背伸びをした後、2人でスタジオへと向かった。

そういえばモカもそうだったが、つぐとひまりも休憩中外に出てくることはなかった。モカの練習に少し付き合ってから休むと言っていたが、アタシが休憩し始めてから20分弱は経っているため少しどころではない気もするが......

 

訝しみながらもスタジオの扉を開ける。その瞬間に外に漏れ出てくるであろうサウンドに備えてあらかじめ身構えていたが、聞こえてきたのは爆音ではなくひそひそとした話し声だった。

次に、つぐとひまりが心配そうな眼差しをしながらモカの手元を念入りに弄っている光景が目に入った。

 

 

 

 

 

「あれ?どうしたんだ3人とも」

 

 

 

 

 

「あ、せいくん、ともちん」

 

 

 

 

 

「休んでんのか......って!」

 

 

 

 

 

側まで近づいてようやく気がついた。なんと、モカの指から血が垂れ流れていたのだ。つぐとひまりはというと、その手当てをしようと絆創膏だの何だのと慌てていた。

 

 

 

 

 

「どうしたんだよこれ!誰にやられたんだ!?」

 

 

 

 

 

「巴!お、落ち着いて!!これは、えっと......」

 

 

 

 

 

「ひひひまりちゃんこそ落ち着こ!!ね?」

 

 

 

 

 

「速弾きしてたら切っちゃっただけだよー」

 

 

 

 

 

呂律の回らない2人に代わって、怪我した本人であるモカがその原因を教えてくれた。アタシ達に現状を伝えようとしているのかひょうきんにその怪我をした箇所を差し向けてきたが、その傷口から伝う痕跡から見て、すでに結構な量の血が流れ出てしまったようだ。

 

 

 

 

 

「切っちゃったーじゃねえよ!!ちょっと、2人とも絆創膏貸して!!」

 

 

 

 

 

「え?あ、はい!」

 

 

 

 

 

わなわなと震える2人から絆創膏を受け取ると、流は冷静に、かつ迅速にモカの傷の手当てを施した。

2人からもらった2つの絆創膏は剥がれにくくするため、二重に傷口に貼られた。その器用さを間近で見たモカはというと、「おー」と呑気に感嘆の声を漏らした。

 

 

 

 

 

「さんきゅーせいくん」

 

 

 

 

 

「はあ......まったく、心配かけさせやがって」

 

 

 

 

 

そう言ってパンパンと手を払う流に対して、アタシ達もまた多大な感心を抱いた。

 

 

 

 

 

「す、スゴい......!」

 

 

 

 

 

「ありがとう流誠くん......私達、こういうの慣れてなくて」

 

 

 

 

 

「アタシもとっさに動けなかった。ゴメン」

 

 

 

 

 

「ケガの手当ては弟とかにみっちり鍛えられてるからこのくらいどうってことないよ。それより......」

 

 

 

 

 

流の穏やかな声色に緊張感が加えられる。その矛先は、流に優しく手を握られたモカに向けられていた。

 

 

 

 

 

「お前もこんなになるまで無理するなよな」

 

 

 

 

 

「え、あ......うん」

 

 

 

 

 

「めっちゃ血も出て痛いだろうに、大丈夫かよこれ......弦の方は切れなかったのか?」

 

 

 

 

 

「ああそうだった。ごめん、弦も切っちゃったんだよね」

 

 

 

 

 

モカはそう言って、握られていない方の手を使ってスタンドに立てられたギターの方へと指さした。切れていたのは1弦と2弦だった。

 

 

 

 

 

「あっちもあっちでヒドいな......みんな、モカを頼む」

 

 

 

 

 

「おう」

 

 

 

 

 

そそくさとギターの方へと向かう流を見送り、代わるがわるでモカの元へと向かう。さらに近くで見ると、モカのパーカーには赤い斑点がポツポツと出来ているのが伺えた。

 

 

 

 

 

「パーカー汚れちゃったな。モカ、ホントに大丈夫か?」

 

 

 

 

 

「うん、ありがとーともちんー。つぐとひーちゃんもねー」

 

 

 

 

 

「「まだ何もしてあげれてないよ!」」

 

 

 

 

 

己の不甲斐なさを揃って嘆くつぐとひまりを見て、モカはわははと愉快な笑い声をあげた。それを見てアタシも、大事に至らなかったみたいで何よりだと胸を撫で下ろした。

 

 

 

 

 

「せいくんには申し訳ないことしたなー」

 

 

 

 

 

情けなさそうに懺悔するモカの視線の先には、淡々と弦の張り替えを行っている流がいた。弦が切れることなんて滅多にないのでてこずっているだろうと思っていたが、案外あと少しすれば終わるというところまで作業は進んでいた。

 

 

 

 

 

「流誠くんって手際良いよね」

 

 

 

 

 

「ほんとだよー!モカはイイ彼氏さん持ったね」

 

 

 

 

 

「────うん、まーね」

 

 

 

 

 

「......?」

 

 

 

 

 

変に間を置いて返事をしたモカはどこか無表情だった。見ての通り流は小回りが効いて気遣いもできる、彼氏として見れば最高のパートナーだ。側から見れば完璧に近いように思えるが、彼女の立場でしかわからないことでもあるのか、モカには流に対して気に入らない点でもあるように思える。

 

 

 

 

 

「まーねって言ってる割には物足りなさそうだけど」

 

 

 

 

 

「あー、別にそういう意味じゃないんだよねー。あたしはただ......」

 

 

 

 

 

「ただ?」

 

 

 

 

 

アタシとモカのやりとりのはずが、周りの2人も口ごもるモカへと興味津々そうに目を丸くさせた。モカはというと、口が滑ったと言わんばかりに「あっ」と呆気ない声をあげた。しかしアタシら3人からの期待も裏切りたくないとも思ったのか、それからすぐに観念したようにはぁとため息をついた後、ゆっくりと口を動かし始めた。

 

 

 

 

 

「......もっと別の言葉をかけてもらいたかったなーって思ってさー」

 

 

 

 

 

「「「別の言葉......?」」」

 

 

 

 

 

「そ、別の言葉。ただそれだけだよ」

 

 

 

 

 

“別の言葉”────。そうモカから告げられた答えを、脳内で反芻させる。しかし、いつまで経ってもその意味を理解することはできなかった。答え合わせをしようとモカに聞こうとするも、彼女はアタシ達が気付かぬうちに、寝息を静かに立てながら夢の世界へと旅立っていた。

 

 

 

ふと、流の方へと視線を向ける。すると弦の張り替えはすでに終わらせていたみたいで、代わりに休憩時のように、再び携帯の画面へと意識を集中させていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『────それでね?ロックったら恥ずかしいですー!って言って......』

 

 

 

 

 

「あはは、そうかそうか」

 

 

 

 

 

報告会という名の戸山との電話越しの会話では、もう朝日の話題で持ちきりだった。今日早速様子見で接触したらしいが、先ほど練習中に送られてきた写真から見ても戸山達と一緒に映った朝日の顔はとても晴々としていた。ほとんど朝日が抱きつかれていたりして少々やりすぎな感じもしたが。

 

 

 

 

 

『......ふぅ。あーあ!いっぱい喋った喋ったー!とりあえず今日はこのくらいかな』

 

 

 

 

 

「ほんとありがとな。頼んでもないのに話も聞いてやったりしてくれて」

 

 

 

 

 

『私達がそうしてあげたかっただけだし別にお礼なんていいよ。それに悩みも聞けたし』

 

 

 

 

 

「そうか。......ああそうだ、曲も作ってあげてるんだって?」

 

 

 

 

 

『現在進行中!今はりみりんの歌詞に合わせてメロディライン作ってるんだ。だからもうすぐできるよー』

 

 

 

 

 

俺が戸山に頼んだのは『朝日に勇気を持たせてあげてくれ』、ただそれだけだった。そんな俺の無計画で端的なお願いを戸山達は快く引き受けてくれて、こうして誠心誠意向き合ってくれている。まさかそれがエールソングにまで発展するとは思いもしなかったが。

 

 

 

 

 

「さすがは行動力の塊といったところか......」

 

 

 

 

 

『んー?何か言った?』

 

 

 

 

 

「あいやなんでもない。つかもうだいぶ話したし、今日はこのへんでお開きにしようぜ」

 

 

 

 

 

ライブハウスを出た時にはまだ半身残っていた太陽も沈んでしまい、辺りにはすでに夜の気配が訪れていた。いくら春とはいえ夜は冷える。空に見えるのが一番星だけのうちに早めに孤児院に帰らねば。

 

 

 

 

 

『そうだね、私もこの後みんなと練習あるし』

 

 

 

 

 

「気合い十分だな。頼んだぞ、戸山」

 

 

 

 

 

『まっかせてー!じゃ、またね!』

 

 

 

 

 

「ん、じゃあな」

 

 

 

 

 

別れの挨拶も告げたところで電話を切り、俺はやっとかと言わんばかりにほうとひと息ついた。

こう言っちゃ悪いが、やはり戸山と話すのは少々疲れる。しかし話すといってもどうせこういう時ぐらいしか機会がないだろうから、そこは仕方ないと割り切るように公園のベンチに勢いよく背中を預けた。その衝撃で少しだけむせた。

 

 

 

 

 

「ふぁ〜あ、ねむ......」

 

 

 

 

 

突然の眠気にたまらず欠伸を立てる。心なしか視界もぼやけてきて、なんだか不思議な心地だった。

 

 

 

 

......不思議か。

 

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

 

立ち込む倦怠感のままに、公園の電灯へと視線をおくる。そこに漂う蚊柱をぼーっと見つめながら、今までの自分の行動をふと振り返ってみた。

 

 

不思議なのだ。今までそんなことなかったのに、ここまで幼馴染みや家族以外の他人に尽くそうとする自分のことが。相手が数少ないギター仲間である朝日だからこその行いなのかもしれないが、よくよく考えてみれば理由はそれだけじゃないような気もする。もっと潜在的な『何か』が、あまり他人に関心を示さない俺をここまで突き動かしてくれているのではないかと......

 

 

 

 

 

 

「......いや」

 

 

 

 

 

やめておこう。これ以上考えても頭が痛くなるだけだ。それにもしその『何か』がわかったとして、それが義理人情のようなものだったらまるで俺が恩着せがましい奴に見えて自分で自分が嫌になってしまうかもしれない。

 

 

俺は『流誠(おれ)』だ。ひーちゃんに教えてもらってから変わったんだ。俺はもう簡単に自分を見失いたくない、投げ捨てたくない。『何か』に捉われていてはいけないんだ。

 

 

 

俺は俺の意思で朝日を助けたい。

 

それが、俺の本心だ。

 

 

 

 

 

「────っしょっ、と」

 

 

 

 

 

物思いにもふけ終え、気持ちを切り替えたところでいい加減孤児院に帰ろうかとベンチを立ち上がった。めまいはもう治っていた。

 

自転車の側まで歩み寄り、ポケットからカギを取り出す。その際、同じ所に入れていた携帯がブルブルと震えだした。

カギをまさぐろうとした手で携帯を取り出す。画面には『モカ』という文字と緑と赤の電話のボタンが映っていた。

 

 

 

 

 

「もしもし?」

 

 

 

 

 

『やあせいくん、君の大好きなモカちゃんだよ〜』

 

 

 

 

 

「......切るぞ」

 

 

 

 

 

そう言って俺は耳から携帯を離した。すると案の定モカの慌てふためいた待ったの声が聞こえてきた。

 

 

 

 

 

「なんだよ、からかうだけなら明日にでも相手してやるからいいだろ。こっちも早く帰って飯作ってやんなきゃなんだよ」

 

 

 

 

 

『違うってばー!冗談だよぉ〜......冗談じゃないけど』

 

 

 

 

 

「はぁ......で?なんの用?」

 

 

 

 

 

やれやれと肩をすくめつつモカの用件を聞いてやった。

 

 

 

 

 

『今日のギターとかのお礼言おうと思ってさー』

 

 

 

 

 

「なんだそんなことか。つかギターよりお前だよお前。血は止まったのか?」

 

 

 

 

 

『うん。お風呂入る時絆創膏剥がしたらかさぶたになってたよー』

 

 

 

 

 

「そうか。もし自分でやるのが難しいなら親にでも頼んで貼り直しとけよ」

 

 

 

 

 

『はいはーい』

 

 

 

 

 

モカの二つ返事には疑念を抱きかねないが、そこはグッと喉元で呑み込んだ。それよりも優先して伝えるべきことを言っておかなければならなかったからだ。

 

 

 

 

 

「最近無理しすぎなんじゃないのか?ケガしたのだってそのせいだし......ライブ、悔しかったのか?」

 

 

 

 

 

『んまあそんなとこー』

 

 

 

 

 

「そうか......あんま無理すんなよ」

 

 

 

 

 

『......うん、わかった』

 

 

 

 

 

モカは俺の忠告を受けると、ひとつ間を置いてからそう返事した。不思議といつもの調子ではなく元気のないように聞こえた気がするが、気のせいだろうか。でもまあそうなるのも仕方がないことなのかもしれない。

もちろんモカもだが、頑張っているのは彼女だけではない。ともちゃんやつぐちゃんやひーちゃん、もちろん俺だってより一層練習に励んでいる。モカの声が活力がないように聞こえたのはそのせいで疲れたからだろうし、俺だって疲れによって幻聴が聞こえたからなのかもしれない。もし後者なら病院に行った方が良いが。

 

いずれにせよ現段階ではそこまで大事には至っていない。であれば、今のうちに釘を刺しておかねばなるまい。

 

 

 

 

 

「とにかく療養しろよ。体壊しちゃ本末転倒もいいとこだからな」

 

 

 

 

 

『あいあいさー』

 

 

 

 

 

「よし。それじゃあ切るぞ」

 

 

 

 

 

『はーい。バイバーイ』

 

 

 

 

 

モカの声を聞き届け、今度こそ電話を切る。その瞬間、俺の体を肌寒い夜風がふらふらと通り過ぎて行った。

 

それに急かされるままに、俺は孤児院へと自転車を駆り立てた。頭の中は今晩の献立と、朝日のこれからについてでいっぱいだった。

 

 

 

 

 








いかがだったでしょうか。次回は5月6日の20時30分に投稿予定です。お楽しみに!


〜お願い〜
コロナウイルスの感染予防のためにも自宅待機のほどよろしくお願いします。皆さんの心がけ一つで助かる命があります。辛いと思いますが、大切な人のためにも不要不急以外の外出は控えましょう。


それでは今回はここまで、また次回お会いしましょう。さいなら!


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第7話 想贈




どうもあるです。

皆さん、どうお過ごしでしょうか。緊急事態宣言が延期となった今、膨れ上がったしがらみに絶望している方もいらっしゃるかもしれません。ですが、もう少し、もう少しの辛抱です。一緒に乗り越えていきましょう。


それでは本編、どうぞ。







 

 

 

「じゃあねーろっかー!」

 

 

 

 

 

「また明日ね」

 

 

 

 

 

「うん。じゃあね明日香ちゃん、あこちゃん」

 

 

 

 

校門前、こちらに手を振る2人に私もまた手を振り返す。ちゃんと笑顔は作れていただろうか。彼女達の明るい表情からして、一見問題はなさそうだが。

2人とは反対方向に帰路を辿り始める。やがて左には、野球部のオーエスの掛け声とともにグラウンドが見えてきた。

 

そっと耳を澄ませる。掛け声の中には長門くんの声も混ざっていた。それを聞いて私は、今日彼に言われたことを思い出した。

 

 

 

 

「......今日だけやないんやけどね」

 

 

 

 

────“無理、するなよ”。

 

ふとした拍子に暗い顔を浮かべていたのを見抜かれたのか、心配そうな眼差しを向けられながら長門くんにそう言われた。一体何に対しての忠告だったのかなんて本人だけが知っていることだろうが、十中八九バンド活動のことに違いない。

毎日聞かれるものだから、受け答えもマンネリ化が加速する一方だ。首を横に振って、「大丈夫だよ」と力無く微笑むだけ。最初のうちこそ上手く繕えてはいたが、こうも何度も暗に現実を突きつけられていると、気を遣ってくれている長門くんには悪いがむしろ逆効果だ。

 

 

 

それに......

 

 

 

 

「はぁ......」

 

 

 

 

私とてわかっている。正直なところ、RAS(あそこ)でライブがしたい。思いっきり”この子“をかき鳴らしたい。しかしその反面、RASへのそこはかとない嫌悪感もあった。

ガールズバンドへの宣戦布告......もちろんその対象には、ポピパさんも例外なく含まれているのだろう。誰が好き好んで推しの居場所を無くしたいと願うか、そう思っていた。

 

 

 

......ではどうして、こうして今もギターケースを背負っているのだろうか。

 

 

なぜ毎晩の如く、あの時感じた興奮を夢の中で味わっているのだろうか。

 

 

 

 

「私は......私は、どうしたいんやろ」

 

 

 

 

自分でもよくわからなかった。ギターケースが日に日に重く感じるのもきっとそのせいだ。背中を覆う重圧に足をひきずりそうになる。まるで棺桶を背負わされている気分だ。

それでも私は今日この日まで、欠かすことなくギターケースを持ち歩いている。特別必要になる場面もない、むしろ今だけは忌むべきとも言える物を肌身離さないでいる。

 

 

なぜだ。何がしたいんだ。一体、何が目的なんだ。

 

 

 

私は。

 

 

 

 

 

......私は────。

 

 

 

 

「......ん?」

 

 

 

 

途方もない疑問にその場に立ち竦んでいると、胸ポケットの中から聞こえてきたギターリフに意識が戻された。

 

 

......着信だ。一体、誰から────......

 

 

 

 

 

そんな私の疑問も、携帯の画面に映し出された名前によって瞬く間にかき消された。

 

 

 

 

「へ?」

 

 

 

 

驚きというかなんというか、思わず表現し難い声をその場に漏らす。それはもちろん、電話の相手が理由だった。

 

 

 

 

「かっ、かかかかかか......香澄先輩ィ!?」

 

 

 

 

不明瞭な感情はやがて明確な驚嘆となって私の全身を支配し、駆け巡る興奮によって息が上がり始める。まだ連絡先を交換して間もないというのに、こんなにも跳ね上がることが起きて良いのだろうか。

とにもかくにも、先輩をいつまでも待たせるわけにもいくまい。ここは呼吸を整えて早急に電話に出なければ......!

 

 

深呼吸をし酸素を体中に流し込む。朦朧としかけた意識が明白になったのを感じたところで、私は意を決して電話をとった。

 

 

 

 

────瞬間、香澄先輩の溌剌極まる声が私の耳孔を貫いた。

 

 

 

 

『ロックー!今日ライブするから来てよ!!』

 

 

 

 

 

「......!」

 

 

 

 

一面を覆う暗闇の中、それを打ち払わんとする勢いで輝く星のような先輩の声。

突然の出来事だった。まるで空を駆ける流星のような神出鬼没さだった。おかげで一瞬、呆気にとられた。

 

 

 

......そう。“一瞬”、呆気にとられたのだ。

香澄先輩の誘いを一言一句聞き漏らさなかったおかげで、『余分な思考』は取り除くことができたのだ。

 

 

 

────“ライブに来て”。

 

 

 

 

「っ......はっ、はいっ!!」

 

 

 

 

その時の私は断る理由など、迷うことなど、さらさら思い当たらなかった。

 

 

それはきっと、『何か』を予感したからなのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「......はぁ」

 

 

 

 

と、自分以外のいない自室にて虚空にため息をこぼした。こうして弱音をこぼしても誰も気にかけることはない。だからあたしは、この静寂極まった部屋に、もしかしたらここが今の自分にとっての一番の居場所なのかもしれないと、皮肉混じりな卑下をかました。

そんなことをしている暇なんてない事など自分が一番わかっている。それでもしっくりこない。“あの時”から勘が戻らないのだ。

 

ベッドに仰向けになったまま天井に両手をかざす。前々から傷だらけだった左手に加え、本来あまり傷のつきにくい右手にさえ絆創膏が貼られている。そんな痛々しい様相を見ても、自分ですらもはや何も感じなくなった。

 

 

 

代わりに感じるようになったのは、とても歪な劣等感だった。

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

窓の外にはすでに黄昏が降りてきていた。いつもなら身近に感じるそれも、今となってはまるで他人のように思えた。思うことしかできなかった。

 

 

 

 

......あの日、久しぶりに行われたライブの日。

みんな思い思いの演奏ができていたように思えた。あたしも手応えは感じていた。久しぶりにしては上手くいったと、確信していたのだ。あの演奏を聴くまでは。

 

 

RAISE A SUILENという名前自体は初めて聞いたが、そのパフォーマンスはバンドの知名度の低さとはまるで不釣り合いだった。それを目の当たりにしたあたし達の達成感は一変して、そこはかとない焦燥感と化した。

その理由は悔しかったりとか多種多様だった。つぐやひーちゃんは羨望のようなもので、ともちゃんと蘭は言わずもがなな感じだった。せいくんはよくわからない。

 

対するあたしも悔しかった。でも、悔しさの対象が別だった。

 

 

 

あたしの悔しさは────......あたし自身に対してのものだった。

 

 

あたしがもっと上達していれば。あたしがもっとみんなを引っ張っていけたら。そんな後悔が、あたしの体の中でとぐろを巻いてやまない。

 

 

 

でも、一番の要因はやはり......

 

 

 

 

 

 

 

 

“あたしの背中を信じてついてきて!”

 

 

 

 

「────っ」

 

 

 

 

ああ、そうだ。あの時の自分が後悔したのは......あの時から自分が後悔しているのはきっと、心の奥底で未だにみんなの背中を追いかけることを躊躇している自分なのだ。

表面では取り繕ったつもりでも、ああいう場面になったらボロが出る。そりゃそうだ、こんな弱気なあたしなんてみんなには相応しくないから。

 

それでも、そんなあたしの思いを受け止めてくれた人もいる。一緒にみんなの背中を追いかけようって手を引いてくれた大切な人がいる。

 

 

 

なのにあたしは......

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

気がつくとあたしは、携帯の画面を開いていた。なぜ?無意識下の自分にそう問いかけると、答えは画面に映し出されていた。あたしはせいくんに電話をかけようとしていた。

確かにそうだ。今せいくんと話せば、気持ちも和らぐかもしれない。また何か元気の出る言葉をかけてもらえるかもしれない。

 

 

だからこうして発信画面にまで至ったというのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────バカか、あたしは。

 

 

 

 

「......っ」

 

 

 

 

ホームボタンを押して通話アプリのキャッシュクリアを手早く行う。あたしは画面外へと消えゆく「せいくん」の文字を見て安心しながらも、唇を強く噛みしめた。

 

甘えるな青葉モカ。お前がやるべきことはもっと別にあるだろう。そうやってのろける暇があるのなら体に鞭を打て。

 

 

むくりと起き上がりスタンドにかけてあったギターを手に持つ。触れた指先が痛いが、このくらいどうってことない。みんなに追いつくためならこのくらい......

 

 

 

 

「どうってこと......ない......っ!」

 

 

 

 

そう、自分に言い聞かせる。ポタリとしずくが落ちた。まさか泣いているのか?

ダメだだめだ......頑張れあたし。頑張れ、頑張るんだ。こうして影で努力することぐらいしかあたしに取り柄はないんだから、今頑張らなくていつやるというんだ。

 

 

 

必死だった。その結末がハッピーエンドか、はたまた自壊か。

そんなことを考える余裕もなく、あたしは嗚咽を抑えながらギターをかき鳴らし始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

扉を開けて店外に出る。すると、お馴染みのカランコロンというドアチャイムの音が鳴り響いた。

 

 

 

 

「ありがとうございましたー!流誠、ひまり!モカのことよろしくね」

 

 

 

 

 

「はいはい」

 

 

 

 

レジカウンターからの山吹の声にひらひらと手を振る。その様子を見かねたのかひーちゃんが物申してきた。

 

 

 

 

「ちょっと流誠!私と沙綾は本気なんだからね!」

 

 

 

 

 

「本気って......まだ決まったわけじゃないだろ」

 

 

 

 

 

「もうアレは決まってるって!流誠も見たでしょ?モカの顔色の悪さ」

 

 

 

 

ひーちゃんの言う通り、今日のモカの様子は先日と同じくおかしくなっていた。体調は別段悪いわけではなさそうだったが、顔色は優れていなかった。

しかしその話題を部外者である山吹にわざわざ吹っかけなくてもいいだろう。それなのにこの子ときたら......まったく、お喋りも大概にしてもらいたいところだ。

 

 

 

 

「こんなんだったらやまぶきベーカリー寄るんじゃなかったよ」

 

 

 

 

 

「お腹が空いたんだから仕方ないじゃん」

 

 

 

 

 

「まあ部活帰りだしな」

 

 

 

 

今日はバンド練習は休みになっており、代わりにちょうど部活練習が長続きした日でもあった。故に、汗水垂らしてくたくたになった俺とひーちゃんはこうして恵みを求めてやまぶきベーカリーに立ち寄ったわけである。他の4人はというと、ともちゃんはダンス部の後に町内会の集まり、つぐちゃんは生徒会、蘭は帰宅部なのを良いことに相も変わらず家にこもって華道に勤しんでいる。モカは......何をしているのかわからない。

 

 

 

 

「今頃モカ、何やってんだろうね」

 

 

 

 

 

「さあな」

 

 

 

 

 

「えー!?彼氏なら知っとかないと!常識でしょ!?」

 

 

 

 

 

「プライベートにまで突っ込んでやる必要ねえだろ!アホか!」

 

 

 

 

ひーちゃんは俺の正論に「た、確かに......」と思い留まった。かといって、反論した俺にもひーちゃんの言ったことに同意できる箇所があった。

確かに、俺はモカについて知らなさすぎるのかもしれない。付き合い始めたという事実だけ浮き彫りにしたまま、それ以上は変わった点が特にないというのが事実だ。

 

 

 

 

「でも、流誠ももう少しモカのこと気にしてあげなきゃだよ?女の子は男の子より繊細なんだからね」

 

 

 

 

 

「フェミってるとこ悪いが男にも男なりの悩みがあるんだからな。でも......そうだな、考えてみるよ」

 

 

 

 

髪を弄りながら夕焼けに呟いた。それを見たひーちゃんもまた、微笑みながら満足げに頷いてくれた。

 

......と、ひーちゃんの足が「あ」という声と共に突然止まった。

 

 

 

 

「ひーちゃん?」

 

 

 

 

 

「そういえば流誠って、今日用事があるんじゃなかったっけ」

 

 

 

 

 

「用事......あっ!」

 

 

 

 

用事というワードとそれを匂わせる最近の出来事を結びつけ、答えにたどり着いた。

 

そうだった、今日は例のライブがあるんだった......

 

 

 

 

「悪いひーちゃん、これ全部あげるからパン持って帰ってくれ」

 

 

 

 

 

「え?な、なんで!?」

 

 

 

 

 

「急ぎの用事なんだよ!それ邪魔だからあげる!じゃあな!」

 

 

 

 

ひーちゃんの否応なしに、俺は押し歩いていた自転車にまたがり、ペダルを強く漕いだ。また太るちゃうじゃんという声が聞こえたような気がしたが、気にかける余裕はなかった。

 

 

当事者である俺は、あのライブの行く末を見届けてやらなければならない。

 

 

 

そう、朝日の行く末を────......

 

 

 

 

「よし着いたっ......!」

 

 

 

 

会場であるGalaxyにたどり着いた俺は、自転車を駐輪スペースに置いてからその階段を勢いよく下って行った。入り口はこの先にある。今日は特別に貸し切りにされているため、並んでいる客はいなかった。

 

 

 

その代わりに。

 

 

 

 

「......うおっ」

 

 

 

 

 

「きゃっ......!って、長門先輩!?」

 

 

 

 

観客席に続くドアを開けると、そこにはすでに席に座っている朝日がいた。

 

 

 

 

「へ?ど、どうしてここに......」

 

 

 

 

 

「あーえっと......まあ話は後で。それよりほら!」

 

 

 

 

朝日もそうだが、暗転されたステージにもすでに人影が見えていた。どうやらあちらも準備万端のようだ。

 

 

と次の瞬間、ステージにスポットが当てられた。引き立て役のおでましだ。

 

 

 

 

『こんにちは!私達......』

 

 

 

 

 

『『『『『Poppin' Partyです!!』』』』』

 

 

 

 

お馴染みの溌剌とした掛け声が閑散とした会場に響き渡る。観客なんて俺と朝日しかいないのに、場の雰囲気がまるでパーティ会場になったかのような錯覚に陥った。

コールアンドレスポンスされている間に、あくまで主役は朝日なので、俺は遠目に移動することにした。

 

 

ちょうどいい位置にあった壁に背中を預ける。遠目から見た朝日の表情は、あの日見せたものとは程遠い明るい感情があらわとなっていたように見えた。それは演奏が進むにつれて、さらに増幅していった。

 

 

 

 

そんな晴れやかな笑顔を見て、俺もまた何かが満たされていくような気がした。

 

 

 

 

 







いかがだったでしょうか。次回は5月17日の20時30分に投稿予定です。お楽しみに!


最後にお知らせです。流誠くんのビジュアル画のようなものができたので、その画像を載せておきます。下記から拝見できますので、よければ是非ご覧ください。(画質荒いです。申し訳ない...)
ビジュアル画 1
【挿絵表示】

ビジュアル画 2
【挿絵表示】



それではまた次回お会いしましょう。さいなら!


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第8話 雨音




どうもあるです。

まずはじめに、皆さんにお知らせがあります。
今更ではありますが、実は僕、今年度から受験生となりました。こればかりは人生に関わる一大イベントですので、より一層勉学に励まねばなりません。
つまるところ、更新ペースの延長をお願い申し上げるということです。最長でも2週間以内に1話投稿したいと思ってますが、最悪の場合不定期更新になりうるかもしれません。なお、投稿期間はその都度の都合に合わせてお知らせいたしますのでその点はご安心を。私情まみれとなりますがどうかご容赦ください。



それでは本編始まります。どうぞ。







 

 

 

「......ふぅ。よし!それじゃ、そろそろ休憩にすっか」

 

 

 

 

巴がバチを鳴らして休憩の合図をとる。それに合わせて私達も各自持ち場から離れた。ベースをスタンドに置きに行くと、それについてくるようにつぐが水を差し出してきた。

 

 

 

 

「はい、ひまりちゃん!」

 

 

 

 

 

「いつもありがとつぐ〜!」

 

 

 

 

 

「いいよいいよ、お礼なんて。次はモカちゃん!」

 

 

 

 

私に水を渡し終えると、つぐはモカの方へと駆け寄って行った。モカはというと、真剣な顔つきでギターのチューニングをしていた。まさかとは思うが......

 

 

 

 

「あれ?モカちゃん、休憩しないの......?」

 

 

 

 

 

「いやあ、もう少しだけ練習しようかなーと」

 

 

 

 

 

「「「えぇっ!?」」」

 

 

 

 

予想もしたくなかった予想通りの答えを聞いて、質問者であるつぐだけでなく私を含め他の2人も合わせて目を見開いた。もちろん驚きによるものだったが、それ以外にもそこまでのリアクションをした理由があった。

 

 

 

 

「まま、まだするの!?ただでさえそんな状態なのに!?」

 

 

 

 

 

「そうだよ!もう絆創膏まみれじゃねえか......」

 

 

 

 

ここ最近モカの指は絆創膏で覆われ続けており、最後に日の目を見たのがいつだったのかなんてとうに忘れてしまった。代わりとして、しっとりと血の滲んだ絆創膏が私の脳裏にすっかり焼き付いてしまった。

 

 

 

 

「つぐ、水ちょーだい」

 

 

 

 

 

「え?あ、うん......」

 

 

 

 

 

「やめとけってモカ。練習したい気持ちもわかるけど、そこまで無理する必要ないって」

 

 

 

 

巴の言葉には痛いほど共感できた。モカがまるで、何かに脅されて焦燥感に入り浸っているようにしか見えなかったからだった。

 

私達も一生懸命には練習をしている。しかしそれは、ちゃんと自分の体と向き合った上でのことだ。今のモカにはその様子が見られない。私は、私達はそれが、不穏にしか思えなかった。

 

 

モカはつぐから受け取った水を一気に飲み干すと、口を拭いながらこう告げた。

 

 

 

 

「うーん、どうかなー?あたし的には全然大したことないと思うけどな〜」

 

 

 

 

 

「いやありありだよ!!何をそんなに必死になって────」

 

 

 

 

おかしい。明らかに様子が変だ。背中を押すほとばしる悪寒に従って私はモカに近寄り、彼女の顔をまじまじと見た。

 

 

 

 

 

────そして、後悔した。

 

 

 

 

「......っ」

 

 

 

 

私に向けられたモカの顔は悲壮感で満ち満ちており、かつ希望を失ったかのような無表情の一面性も垣間見えた。その混沌とも言える異様な光景に私は戦慄し、絶句した。

 

そんな私を差し置いて、モカの顔にはいつのまにかいつもの気怠げそうな笑顔が浮かんでいた。

 

 

 

 

「ひーちゃんこそそんなに必死になってどしたの〜?」

 

 

 

 

 

「え?あ、あれ......?」

 

 

 

 

あまりの一瞬の出来事に今度は呆気にとられる。まるで気まぐれな猫に引っ掻き回されているかのような気持ちだ。

モカはいつもこうだ。私が何かやらかせばそれを良いことに笑いをとる。巴に注意されてもお構いなしに、あの笑顔を振りまくのだ。

 

 

 

......笑顔は、嬉しい時に見せるもの。

 

 

 

私はそれが、今のモカには当てはまっていないと確信してやまなかった。

 

 

 

 

────だから。

 

 

 

 

「......ああもうっ!!」

 

 

 

 

 

「ッ!?」

 

 

 

 

モカの手を握り、スタジオの外へ向かおうと力強く引っ張る。もちろんモカは驚いていたが、そんなの知ったことか。

 

 

 

 

「ひ、ひまりっ!」

 

 

 

 

 

「急にどうしたの!?」

 

 

 

 

 

「ごめん!2人は先に休憩しててー!」

 

 

 

 

困惑する2人には悪いが理由を話す余裕もなかったため、私は一言添えてからモカとスタジオを後にした。

 

外へ出ると、空には重苦しい濃い灰色の雲が一面に広がっていた。強く握り締めたモカの手もどこか引き気味な感じだった。

 

 

 

 

「はぁ......はぁ......」

 

 

 

 

 

「ちょっと〜、ほんとどうしちゃったのー?」

 

 

 

 

 

「はぁっ......モカ......!」

 

 

 

 

シラを切る気なのか未だに飄々とした態度を見せるモカの目に、私はこれでもかと睨みをきかせた。こうして外に連れ出したのもそのためだ。

 

 

この『予感』を、放っておいてなるものか。

 

 

 

 

「どうしちゃったって、私が言いたいよ......」

 

 

 

 

 

「ひーちゃん?」

 

 

 

 

 

「モカ、なんか最近変だよ......あ、変っていうのは悪口じゃなくてね!その、練習がんばってるけどそれはただのがんばりじゃないというかなんというか、そんな感じで......」

 

 

 

 

口ごもり、上手く言い表せなかった。それは自分の語彙の無さも原因の一つやもしれないが、先ほど垣間見たモカの表情といい、それだけでは済まされない気がしてならない────そんな不明瞭さに、私は言語化に苦しんだ。

だからこれはあくまでも私の推測、勝手な思い込みに過ぎないのかもしれない。

 

でも......だからこそ、そう感じてしまった以上放っておくわけにもいかないのだ。

 

 

 

 

「と、とにかく!いつもと違って感じるの!モカは何かに追い詰められてるような......そんな気がするの」

 

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

 

「教えてよ。悩み事でも、私ならなんでも聞いてあげるから!」

 

 

 

 

 

「......っ」

 

 

 

 

以前、流誠が蘭に「変わった」と言ったことで蘭を傷つけたことがあった。それは流誠以外の私達も思っていたことだったが、Afterglowのために頑張る蘭にとっては心のない一言に尽きなかっただろう。

 

目の前の事実に必死になって、その過程や理由にまで気を配ることができなかった。私達を想う優しさに対して、私達は冷態を返すことしかできなかった。

 

 

だから、私も考えたのだ。自分を偽り隠そうとしていた流誠にだって、こうして平気なフリをするモカにだって......これからは、困っている友達がいたらお節介でもいいから遠慮なく優しくしてあげるって決めた。Afterglowのリーダーとしての在り方を追求すると決めたのだ。

 

 

 

......知りたい。モカの悩みも、辛さも、何もかもをぶつけてほしい。一緒に向き合ってあげたい。

 

 

全部、教えてほしい。

 

 

たったそれだけなのだ。

 

 

 

 

......でも。

 

 

 

 

「────なんもないよ」

 

 

 

 

 

「え......」

 

 

 

 

 

「モカちゃんはいつも通りのモカちゃんでーす。だから何の心配もいりませ〜ん」

 

 

 

 

「そんな......ちょっと、モカ────」

 

 

 

 

道化染みた笑いが再び巻き起こる。私とて、そんなものは虚実に過ぎないと悟っていた。

だから私も性懲りもなく、言い逃れようとするモカの目線を追った。

 

 

────そして、悟り直した。

 

 

 

 

「......!」

 

 

 

 

ふらつくモカと力む私の瞳孔が交差した瞬間、私は直感した。口下手なモカが数少ない主張をする際、彼女ならどのような伝え方をするのかを気づかされた。

 

 

流れゆく視線には、こう書かれていた。

 

 

 

『私のことは放っておいて』、と。

 

 

 

 

 

とても......とっても、冷ややかな“文字”だった。

 

 

 

 

「────......」

 

 

 

 

 

「ひーちゃん?」

 

 

 

 

直視できずに地面に顔を向ける。そして考えた。

時がいつもより遅く流れるような感覚に陥る。空気が重くなる。きっとここでの選択を間違えれば、後々響いてくるのだろう。

 

モカは確かに『放っておけ』と目で訴えかけていた。であればモカが何かしら悩みを抱え込んでいるのは間違いないのだ。しかし、もしそこに付け入ったとしてモカはどう思うのだろうか。

モカはきっと私達のために背負っているに違いなく、それを相談したがらずにいるのもまた事実だ。そんなモカの思いを無下にしたら、彼女自身傷つくやもしれない。いやでも、放置したままでいたらことさら悪化してしまうのではないか......?

 

 

何が正しいのか。モカを尊重するべきなのか、我を押し通すべきなのか。

 

 

私は一体、どうすれば────......

 

 

そう思い悩んでいる最中、私の脳裏に目の前にあるはずのモカの顔が思い浮かんだ。

 

それは、あられもないモカの痛切な表情で────。

 

 

須く、私の心は完膚なきまでにへし折られてしまった。

 

 

 

 

「......わかったよ、モカ」

 

 

 

 

重くのしかかる葛藤に俯かせた頭を上げて、モカと顔を合わせる。そこには想像の残像すら残されていないモカの呆け顔が映っていた。それが虚実だと知っていても言及できないでいる自分が歯痒いとともに情けなくて仕方がなかった。

 

 

 

でも......

 

 

 

でもそれが、モカのお願いであるのなら......

 

 

 

 

「何かあったら、また言ってよ......?」

 

 

 

 

私から言えるのは、これくらいしかなかった。『何かあったら』じゃ遅いのに、私は逃げ道を作るような甘えたことしか言えなかった。

そんな私を、モカはにへらと笑って受け入れてくれた。

 

 

 

 

「うん、ありがとう。ひーちゃんみたいな友達がいて、あたしは幸せ者だな〜」

 

 

 

 

 

「もう、また調子の良いこと言って!」

 

 

 

 

とは言っても、実際モカの周りの雰囲気には和らぎが生まれていた。依然として表情は変わってはいなかったが、今だけはそれが作り物ではないように伺えた。

 

 

 

 

「それじゃあ戻りますかー。あーあ、モカちゃん喉渇いちゃったよ〜」

 

 

 

 

 

「さっき水飲んだばっかでしょ?」

 

 

 

 

 

「あれ、そうだっけ」

 

 

 

 

 

「あはは。もう、モカったら......」

 

 

 

 

モカが大丈夫と言うのなら、私もいつも通り側で見守るに徹しよう。見え隠れする後ろめたさの残った気持ちを無理にでも笑い飛ばしながら、私はそう決意した。

 

自動ドアをくぐり屋内へと戻る。するとその直後に、ザーというノイズのような音が耳に入った。

 

 

 

 

「あっ、雨だ」

 

 

 

 

 

「すごい大降りだねー。せいくん、大丈夫かなー」

 

 

 

 

ガラス越しに外の風景を見ながら、モカはおぼろげにそう呟いた。実体があるとしたらぷかぷかと浮かんでいきそうなその言葉を聞き入れ、私はモカに視線を移した。

 

 

 

 

「大会が近いから部活行くって言ってたけど、グラウンドでの練習は中止になるだろうね」

 

 

 

 

 

「せいくん短距離ランナーなのに〜。かわいそうだなぁ、ヨヨヨ〜......」

 

 

 

 

そう言うモカこそと言いたかったが、流誠のことを考えているあいだは不安も紛れるのか、その顔つきはどこか晴れやかだった。それを見て私は、問い詰める矛先を流誠へと変えた。

 

窓をしきりに垂れ落ちる雨粒を見ながら、今の流誠の姿を想像する。きっと、急な雨を睨みながら屋内に避難している頃だろう。容易に想像がつく。

 

 

でももし、そんな流誠が今この場にいてくれたとしたら。モカの異変に気づき、それを一喝してくれたとしたら、モカは身も心も慰めに慰められるに違いない。

 

 

 

 

「がんばれせいくーん」

 

 

 

 

自分のことでも精一杯のはずなのに他人のことばかり思いやるモカを見て、流誠の不在を心の底から呪った。

 

 

 

 

「モカったら......ここにいないんだから、言っても意味ないでしょ」

 

 

 

 

事実確認をするかのようにそう呟く。でも、現実は変わりはしない。それでも私は、一縷の光に縋るように窓の外を見やった。

ただでさえ冷たいのに雨でさらに冷えきったコンクリートの道路には、傘をさす人影どころかその往来すらなかった。

 

 

降り頻る雨はしばらく止みそうになく、むしろその激しさは増していく一方だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カバンの中をまさぐり、お目当ての物を探り当てる。指先に当たったナイロン生地の手触りを確認した後、俺はそれを引っ張り出した。

 

 

 

 

「あったあった、これないとずぶ濡れだからな......持ってきといて正解だったな」

 

 

 

 

バサバサとシワを伸ばして合羽を羽織る。合羽は干し方を一度誤ってしまえば異臭を放つ恐ろしい代物だが、ここ数年でその対処法を培ってきた俺にかかればどうってことなかった。

はたく動作によって辺りに散らばった芳香剤の香りを味わいながら、カバーをかけたカバンをカゴに入れて自転車のスタンドを上げる。それから少し開けた場所まで押し進めて、自転車に跨りペダルを漕ぎ始めた。

 

にしてもヒドい雨だ。万全を期して合羽に付属のフードも被っているとはいえ、ここまで大振りだと防ぎようがない。おかげでメガネは水滴塗れになって俺の視界をこれでもかと遮っていた。

......いやいや、ほんとシャレにならない。ここまできたらゲリラ並ではないだろうか。梅雨にすら入っていないというのに、雨脚はグラウンドから校内に避難した時のより刻々と増す一方だった。

 

 

とにかくそろそろ視界を確保するべく一旦メガネを拭き取らねば。それから俺は、どこか手頃な雨宿りのできる場所はないかと朧げな視界で辺りを注視した。

そうして感覚を研ぎ澄ましているなか、何かが聞こえたような気がした。

 

 

 

 

「────!」

 

 

 

 

 

「......ん?」

 

 

 

 

気のせいだろうか。一切の断続のないけたたましい雨音のせいでよく聞こえなかったが、雨音とは別の“何かの音”が俺の耳孔を襲ったような気がしたのだ。

 

足を止めてその場に立ち尽くす。そしてもう一度、その音に聞き耳を立てた。

 

 

 

 

「────い!────んぱい!!」

 

 

 

 

次第に音は大きくなっていき、それが声であることを判別できるくらいには聞こえるようになっていた。加えて、俺に向けて発せられているような気もする。

 

 

聞こえた方向も大体認知していた。その後方からの微力な気配に振り向くと、そこには傘をさしたままとてとてとこちらへ走り寄ってくる朝日がいた。

 

 

 

 

「長門先輩ー!」

 

 

 

 

 

「おあぁ、朝日!?なんだ、気のせいじゃなかったのか......」

 

 

 

 

 

「ん?何の話ですか」

 

 

 

 

 

「呼ばれた気がしたからさ、この頃働き詰めだったし幻聴でも聞こえ出したのかなって」

 

 

 

 

 

「ご心配なく!呼んだの私ですから」

 

 

 

 

とのことだ。とりあえず薄ら予感していた身体の異常はなさそうだったので、俺はホッと胸を撫で下ろした。

 

 

 

 

「にしてもどうしたんだよ、傘さしてんのにそんなビショ濡れになって────」

 

 

 

 

傘の存在意義を疑いかねる朝日の容貌に疑問を持つも、先の出来事を鑑みてみるとなるほど理解できた。

 

俺を呼びながら駆け寄る朝日、風に煽られ大きく傾いた傘......

 

 

 

 

「待て......まさかお前、俺を追いかけようとして......」

 

 

 

 

 

「先日のお礼を改めて言おうと思ってたんですけど、中々会えなかったもので。それで放課後ならと正門前で待ってたら、自転車に乗った先輩を見かけたので必死に追いかけてきました」

 

 

 

 

 

「......あー」

 

 

 

 

案の定だった。朝日は俺の背中に追いつこうとするあまり己の身を守る傘すら気にも留めずに、降り頻るこの雨の中を肌身さらして駆け抜けてきたらしい。そういえば正門を出る時に見たことあるおさげの少女が横目に映っていたような気もする。あの時俺が確認のために止まっていれば朝日はずぶ濡れにならずにすんだということだ。

とはいえ、こうして天を仰いでいるだけでは事態も収束しないままだ。俺は少しものお詫びとして練習の時に結局使わなかったタオルをカバンの中から取り出した。

 

 

 

 

「悪りぃ朝日、お詫びにコレても使ってくれ」

 

 

 

 

 

「えっ?いえそんな......」

 

 

 

 

 

「いいから!!なんか申し訳ないから!!お願いだからっ!!」

 

 

 

 

謝る側であるはずの俺が少しわがままな感じになってしまい少々立場が混乱してしまったが、そんな俺の要望を朝日は渋々呑み込んでくれた。罪悪感を揉み消すはずがなんだか悪化した気がした。

 

 

 

 

「わざわざありがとうございます。それも何から何まで......」

 

 

 

 

 

「いいよ別に、俺がしたいだけなんだから。ていうか、あの日のお礼ってまさか?」

 

 

 

 

 

「はい、ポピパさんのライブのことです」

 

 

 

 

それは朝日を元気付けるためのあのライブのことだ。でもそのお礼ならこの前もらったはず......では一体なぜなのだろうか。そんな疑問を抱いていると、俺の心中を察したのか朝日がこう続けた。

 

 

 

 

「アレって長門先輩が主催してくれたんですよね?」

 

 

 

 

 

「え?あれ、なんで、お前がそのこと知って......」

 

 

 

 

解消されたはずの疑問はすぐさま形を変えて、再び俺の前に立ちはだかった。だっておかしいのだ。あくまで俺は裏方の裏方なので、朝日には俺のことは『機材の準備係』として名前を挙げといてくれと準主催者である戸山に頼んだはずなのだ。どこかで情報が漏れたのだろうか......

 

 

......情報が漏れた、か。

 

 

 

いやいやまさかそんな。

 

 

 

 

「......なあ、朝日。一応聞いとくが、それどこで知った?むしろ誰から聞いた?」

 

 

 

 

 

「戸山先輩です。家に帰ったあと、メッセージでわざわざ教えてくださったんです」

 

 

 

 

 

「ああ......そうなんだ。そうかそうかへぇー」

 

 

 

 

はい、恐れていた事態。うっかり口でも滑らしたのか?ははは、まったく戸山のやつめ。

 

 

 

 

「あーあ......────覚えとけよ、あの野郎......」

 

 

 

 

 

「先輩?」

 

 

 

 

 

「あーいや、くしゃみ出そうになっただけ。“なんとか治まった”から気にすんな」

 

 

 

 

このそこはかとない怒りを朝日にぶつけても何も生まれない。俺は自分の言った通りに戸山のアホさに対する怒りをなんとか治めた。

そんな俺のごまかしにまんまと引っかかってくれたのか、朝日は「そうですか」と言った後思い出したかのようにペコリと頭を下げた。

 

 

 

 

「何はともあれ、本当にありがとうございました。皆さんのおかげで自分のやりたいことが見つかって────いえ、認めることができました」

 

 

 

 

 

「何回も聞いたよ。でも良かったな、本当に......」

 

 

 

 

せっかく拭いた朝日の顔には風に煽られて飛んできた雨粒が再びへばりついていた。ちょうど目元に落ちてきたのでさながら涙のように見えたが、朝日本人はというととても晴れやかな笑顔だった。

 

 

と、ここでようやく朝日の背中に背負われている“モノ”に気がついた。

 

 

 

 

「そういや今日もギター持ってきてたのか」

 

 

 

 

 

「はい。今日オーディション受けようと思って」

 

 

 

 

 

「へぇ、今日行くのか......って、ん?今日?」

 

 

 

 

やはり朝日はオーディションを受けるらしい。しかし問題はその日時にあった。

 

 

 

 

「待て待て待て!!いくらなんでもそれは生き急ぎすぎだろ!?」

 

 

 

 

 

「でももう待ちきれないんです!!ここで退いたら私、この先どうなるのか......」

 

 

 

 

 

「ここで退いたらつったって、明日でも明後日でも機会なら十分────......」

 

 

 

 

 

「それじゃダメや!!今日行かんでいつ行くんですか!!!」

 

 

 

 

 

「ヒッ......」

 

 

 

 

急にヒステリックに叫び出した朝日に思わずたじろぐ。その鬼のような覇気を目の当たりにした俺は、普段穏やかな人ほど感情が爆発した時の反動がデカいんだなあと密かに実感した。

 

 

 

 

「あ、すみません、つい......でも本当なんです!せっかく皆さんが背中押してくれたから少しでも踏み止まってたくないんです!!」

 

 

 

 

 

「そ、そうか。うん、じゃあその方がいいと思うよ」

 

 

 

 

 

「ですよね!」

 

 

 

 

朝日のあまりの迫力に俺は同調せざるを得なかった。それから朝日はうんと頷くと、再び頭を下げた。

 

 

 

 

「改めて本当に......本っっ当にありがとうございました!!」

 

 

 

 

 

「ああ。お前がRASに入ったとして、ポピパもガールズバンド時代も簡単には終わらない。安心して行ってこい」

 

 

 

 

朝日がRASに加入すれば朝日とはライバル同士になるわけだが、その時は全力で相手をするまでだ。その決意を以て、俺は朝日に最後のエールをおくった。

 

 

 

 

「はいっ!私、がんばります!では!」

 

 

 

 

 

「あっ、オイ!俺のタオル!!」

 

 

 

 

 

「また後日洗って返します!!」

 

 

 

 

それだけ言い残すと朝日は踵を返して疾風の如くその場を立ち去って行った。まるで籠から放たれた鳥のようだった。

 

 

 

 

「行っちゃった......まったく、こっちの言い分も聞かずによく横暴してくれるなぁ」

 

 

 

 

というものの、実際に朝日は以前からは考えられないくらいに見違えていた。朝日は感情的になったりすると出身地の方言が出てしまうと塁から聞かされてはいたが、なるほどその通りだった。あれはまさに嘘偽りのない朝日の思いだった。

でも、俺もただそれに恐れ慄くだけではなかった。彼女があそこまで必死になってくれたのは、自分の気持ちに正直になった何よりの証拠でもある。今回の件の目的がまさにそれだったので、俺はとても誇らしくも思っていた。

 

 

......あぁ、やはり一仕事終えた後は清々しいに尽きる。とはいえ、この結末はポピパがいなければ成し得ることはなかった。後日お礼参りにでも行こうか。戸山が口を滑らした件は少々、いやだいぶ不服ではあるが。

 

ともあれまずは帰るとしよう。この大雨だ、空を覆う雨雲もまだまだ底が見えないしこれからさらに雨脚が強くなるやもしれない。メガネは拭き損なったが、今考えてみればわざわざとりあげるような問題でもなさそうだ。

 

 

 

 

「......さ、じゃあ俺も帰るか」

 

 

 

 

辺りには暗がりが生まれ始めていた。俺は自転車のライトを付けて、ゆっくりとペダルを漕ぎ始めた。辺りはコンクリートに打ち付ける雑音で溢れているはずなのに、とても穏やかな気分だった。

 

 

そんな中だった。また、声が聞こえた。

 

 

 

 

「せいくーん」

 

 

 

 

 

「......ん?」

 

 

 

 

馴染みのある声に振り向くと、そこにはモカが立っていた。こいつも強く打ち付ける雨に濡れてしまったのか、傘をさしているにもかかわらず顔には水滴がしきりに垂れ流れていた。

 

 

 

 

「そういえば今日練習じゃなかったか?......ああ、もう終わった────」

 

 

 

 

 

「一緒に帰ろー」

 

 

 

 

 

「......え、あ、ああ。いいけど......」

 

 

 

 

街角で突然バッタリ会って前置きなく突然誘われて、淡々と話を進めるモカに俺は流されるがままだった。

 

 

 

俺の予想通り、その後の雨脚はさらに強くなった。そのせいなのか、せっかく自転車から降りて肩を並べて歩いていたのにモカとの会話はあまり弾まなかった。

 

......なんだか、地に着く足が覚束なく感じた。

 

 

 

 

 







いかがだったでしょうか。次回は5月24日の20時30分に投稿予定です。お楽しみに!


さて、前書きでも書きました通り、投稿期間の間隔を増やさせていただいてます。最短でも1週間後には投稿しようと考えてますので、ご理解のほどよろしくお願いします。



それでは今回はここまで。また次回お会いしましょう。さいなら!


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第9話 顕現


どうもあるです。過労死しそうです。


ということで詳細は後書きの方で。(流誠くんの新規イラストもあります)

それでは本編、どうぞ。







 

「ねえ流誠」

 

 

 

 

 

「......ん?」

 

 

 

 

机に突っ伏せながらぼーっと窓の外を眺めていると、沈みがちな声が耳を揺さぶった。辺りを見回そうと顔を上げると、その先にはひーちゃんとともちゃんが怪訝そうな面持ちで立っていた。

 

 

 

 

「どうしたんだよ2人とも、そんな顔して」

 

 

 

 

 

「最近、モカとどうなんだよ」

 

 

 

 

 

「どう────......って、え?待って待って、ほんとなんだよいきなり」

 

 

 

 

何かと思えば俺とモカの進展についてだった。突然の質問に少々困惑したが、こんな真剣な顔をしてまで知りたいとはよっぽど暇なのだなと心の中で勝手に結論付けた。

本人に聞かれたらまずいと思ったが、ちょうどいいことに教室にはモカの姿は見当たらなかった。それを確認したのち、俺は口を開いた。

 

 

 

 

「いやでも、どうって言われてもなぁ......まあ実を言うと、付き合う前とそんな変わってないんだよな。手繋いだことすらないし」

 

 

 

 

2人の暇つぶしにでもなるのならと俺も正直にモカとの現状を告白したが、それを聞いた2人の顔は未だに晴れないままだった。

 

 

 

 

「違うんだよ。そうじゃなくて......」

 

 

 

 

 

「え?違うのか」

 

 

 

 

 

「ホント変なところで鈍感なんだから......」

 

 

 

 

 

「は?」

 

 

 

 

やれやれと肩をすくめられたがこっちもこっちで意味がわからない。まわりくどい言動をするに痺れを切らした俺は、顔だけでなく体ごと2人に向き合わせた。

 

 

 

 

「何が言いたいんだよ」

 

 

 

 

 

「最近のモカ、おかしくないかって話だよ」

 

 

 

 

 

「あ、なんだそっちか......」

 

 

 

 

どうやら2人が俺に聞きたかったのはモカ個人についてのことらしい。早とちりした挙句いらない恋沙汰話を漏らした己を恥じらいながら、俺は口々にこの頃のモカの様子を整理し始めた。

 

 

 

 

「おかしいかどうか、か......確かに妙に気張りすぎてる気もするけど」

 

 

 

 

 

「でしょ!?」

 

 

 

 

考えてみればそうだった。今朝も見たがあの指の傷、少しずつだが着実に日に日に増えていっている。きっといずれ来るライブに向けて、俺達が見ていないところでも練習に励んでいるのだろう。

 

 

 

 

「でもそれってモカが頑張ってる何よりの証拠だろ。もちろん無理は禁物だけど」

 

 

 

 

 

「それはわかってる。問題は“何でそこまでするのか”ってことなんだよ」

 

 

 

 

 

「何でって、前のライブのことで気に病んでるからなんじゃないのか?ほら、アイツ変なところにこだわりがあるだろ」

 

 

 

 

 

「それは私達も同じだよ。でも、モカの場合それだけじゃないと思うんだよ......」

 

 

 

 

 

「ただの思い過ごしだって。何かあったら真っ先に俺に言うだろうし、それがないということはつまりはそういうことなんだろ」

 

 

 

 

俺だって腐ってもモカの彼氏だ。何かあったら一番近くにいる俺に相談してくるだろうし、今のところその気配は感じられない。

 

 

 

 

「でも────......」

 

 

 

 

 

「大丈夫だって、もしモカからなんか聞かされたらまたみんなに言うから。よいしょっと」

 

 

 

 

そう言い切ってからすくっと席を立ち上がる。そのまま教室の外へと向かおうとする俺の背中に、2人の声が刺さった。

 

 

 

 

「おい流!!」

 

 

 

 

 

「ちょっと......!」

 

 

 

 

 

「用事思い出したからちょっと行ってくる」

 

 

 

 

それだけ言い残して、2人の方には見向きもしないでそそくさと廊下へと出た。実を言うと用事という用事は大してない。押し問答に嫌気がさし、当てつけな理由を設けて逃げただけだ。なので、無責任にも罪悪感を多少なりは感じていた。

とはいえもう啖呵を切ってしまったわけだし、何かしらをして残りの休み時間を過ごさなければなるまい。そんな俺がふと思い浮かべたのは、朝日の様子見だった。

 

朝日がRASのオーディションへ行ってからかれこれ数日が経った。オーディションの結果は後日発表されるらしく、未だに知らされていないらしい。朝日もそれが待ち遠しくて今ごろそわそわしていることだろう。

 

 

1年の教室に行くのは久しぶりのことだった。俺が朝日に何か吹き込むのではないかと塁が目を光らせているがために近づき難かったからだ。まったく人聞きの悪いったらありゃしない。

しかし、その“吹き込み”とやらも今となっては終わったことだ。それは塁も朝日経由で知ったようで、こっそりRAS加入への手回しを裏で行なっていたという少々語弊のある事実については孤児院で散々言及された。それでも過ぎたことと見做してくれたのか、それからは学校での朝日との面会は大目に見てくれるようにはなった......のだろうか?よくわからない。

 

そんな嫌な予感が脳裏を掠めていくのを感じながら階段を駆け下りていると、見慣れた顔ぶりと遭遇した。

 

 

 

 

「おっ、流誠じゃーん☆」

 

 

 

 

 

「っと、今井先輩。こんちは」

 

 

 

 

踊り場に下りる一歩手前のところで、下から上ってきた今井先輩と鉢合わせた。立ち止まった際に今井先輩から香ってき芳香剤か何かの良い香りが鼻につき、相変わらずだなと思った。

 

 

 

 

「久しぶりだねー、それこそ最後にいつ会ったのか忘れちゃうぐらい。前のライブ見にきてくれた時からだっけ?よく学校で会わなかったもんだよねー」

 

 

 

 

 

「ああそっすね。それじゃあ俺はこれで────」

 

 

 

 

何か話したそうにする今井先輩に対して俺はあまり乗り気ではなかったため、先を急いでいるからという雰囲気を醸し出しながら先輩の横を通り過ぎようとした。

が、先輩はそんな俺の目の前に素早く割り込んで立ちはだかってきた。

 

 

 

 

「ちょーっとー!適当な反応しちゃって、まったくつれない後輩だなぁ」

 

 

 

 

 

「うぐ......!ちょっとどいてくださいよ、急いでるんですから!」

 

 

 

 

 

「まあまあまあ。ここで会ったのも何かの縁だしさ、その前にちょっとお願いごと聞いてってよ」

 

 

 

 

 

「えぇ〜......」

 

 

 

 

先輩の突拍子のない要望からは怪しさが滲み出てならなかった。そうしてあからさまに眉をひそめる俺に対して、先輩は依然としてどうどうと手で宥める仕草をとっている。

 

 

 

 

「実は今日のバイトでのモカのシフトの埋め合わせで困っててさ、今日1日限りで良いから入ってくれる人いないかなーって探してたんだよね」

 

 

 

 

 

「ん?どうかしたんですか、モカのやつ」

 

 

 

 

 

「昨日の夜に用事があるので明日のバイト行けませんって突然言ってきたもんでね。ドタキャンとまではいかなかったけど、シフト入ってたのがアタシとモカしかいなかったから代わりになる人探すのに苦労してたんだよ」

 

 

 

 

初耳だった。今日はバンドでの練習がないため帰宅部のモカにはこれといった用事はないはずだが......あるとしても、さしずめやまぶきベーカリーのタイムセールだのなんだのといったとこなんだろうけど。

 

 

 

 

「でも、それなら別に俺じゃなくてもよかったんじゃないんですか」

 

 

 

 

 

「まあそうだね......いや、()()()()()っていうべきか」

 

 

 

 

 

「......?」

 

 

 

 

 

「ホントなら手伝ってくれる人なら誰でも良かったんだけど、急遽変更」

 

 

 

 

意味深な発言に訝しんでいると、今井先輩は階段を上りながら俺の耳元にこう囁いた。

 

 

 

 

「────ちょっと聞かせてもらわなきゃいけないこと、思い出したからね」

 

 

 

 

 

「......っ」

 

 

 

 

至近距離での会話をする俺と今井先輩の姿は、側から見れば如何わしいように見えるのだろうか。たとえそうであったとしても、少なくとも当事者である俺にはそうは感じられなかった。

 

 

これといった理由なんてないはず。むしろこういう状況に陥ったら、恥ずかしさの類の感情が芽生えるのが普通だ。

なのに、俺が抱いたのはもっと別の感情で......

 

 

 

 

「......ということで、今日の放課後コンビニ来てよ?あ、場所はわかるよね?」

 

 

 

 

 

「え......いや、あの!」

 

 

 

 

いつのまにか立場は逆転し、見下ろす側だった俺は上へと上った先輩に逆に見下ろされる側となっていた。

ちょっと待てと手を伸ばしかける。しかし、もう手遅れだった。

 

 

 

 

「じゃ!そういうことで!」

 

 

 

 

俺の無言の訴えもむなしく、今井先輩は颯爽と姿を消してしまった。ひとり取り残された俺はやれやれとため息をつくほかなかった。

 

にしても、先ほどの今井先輩が一瞬だけいつもと少し雰囲気が違っていたのは......あれは俺の気のせいだったのだろうか。

 

 

今井先輩から耳打ちされる瞬間、彼女の声色に重みが加えられたような気がした。恥じらいとはまた違った感情を抱いたのもそのせいだったのかもしれない。だとすれば、あの時俺が感じたのは恐怖とかそういった感情だろうか、今となってはそう振り返ることしかできないが。

 

 

でももし、そうなのだとしたら......

 

 

 

 

俺は一体、何に怯えて────。

 

 

 

 

「────お、せいくーん」

 

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

また馴染みのある声が下から聞こえてきた。違和感を拭いきれないまま今度は誰かと声が聞こえてきた方を見てみると、そこにはモカと蘭がいた。

 

 

 

 

「なんだ、お前らか」

 

 

 

 

 

「どうしたの?元気なさそうだけど」

 

 

 

 

 

「いやその......さっき、今井先輩から急にバイトの手伝いお願いされたからさ」

 

 

 

 

 

「あ〜、もしかしてモカちゃんの分〜?」

 

 

 

 

 

「そうだよ!第一お前が用事なんて作らなかったらこんなことに......」

 

 

 

 

ぶつくさと文句を垂れようとする寸前で、俺は一度思い留まった。

強制とはいえ、もはやこれは決定事項である。先輩からのお願いとなれば拒否なんてできるわけないし、であれば素直に今ある現実を受け止めた方が後々のことも考えると賢明な判断であることは間違いない。

 

 

それに......

 

 

 

 

「......いや、やっぱいいわ」

 

 

 

 

 

「およ?やけに素直だねぇ」

 

 

 

 

 

「ふふっ、まあそれが流誠らしいっちゃ流誠らしいんじゃない?」

 

 

 

 

 

「せいくん優しいもんねー」

 

 

 

 

なんだか上手く言いくるめられてる感が否めないが、俺はそれを渋々聞き流すほかなかった。そんな中、蘭が思い出したようにパチっとまばたきをしてこう言った。

 

 

 

 

「あっ......ていうかモカ、あたし達おつかい頼まれてるんだから早く戻んないと」

 

 

 

 

 

「......それってもしかして、ともちゃん達に頼まれたとか?」

 

 

 

 

 

「ぴんぽーん、大正解〜」

 

 

 

 

やはりそうだった。休み時間に入って蘭とモカが突然いなくなったのは知っていたが、その理由まではよくわからなかった。でも、今考えてみると納得がいった。

 

なぜあのタイミングでモカと蘭がおつかいを頼まれたのか、ともちゃんとひーちゃんが“あのこと”を話題に持ちかけてきたのか......

 

 

 

どうやら俺は、だいぶ気を遣われているらしい。

 

 

 

 

「......あっ、そ」

 

 

 

 

 

「ん?......まあいいや。早く行こ、モカ」

 

 

 

 

 

「は〜い」

 

 

 

 

ひとり納得した様子の俺を置いて、2人が階段を上り始める。俺はその後ろ姿を少し下の目線から見送った。

 

 

 

 

......いや、違うな。

 

 

 

ずんずんと前へ進む蘭と、その少し後ろを行くモカ。

 

見送ったというのは、それらの背中が消えゆくまでの間、俺が身動きがとれないでいただけだ。

 

 

なぜか、そこから目を離してはいけない気がしたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「......以上で467円になります」

 

 

 

 

 

「レシートはいらないから」

 

 

 

 

 

「わかりました。......こちら、お返しの33円です。ありがとうございました」

 

 

 

 

お釣りを手渡し、入り口に向かうお客さんを目で追う。自動ドアから外に出ていくのを確認してから、俺は思いきりため息をついた。

 

 

 

 

「あぁ〜......なんだってこんな日に限って人が多いんだよ」

 

 

 

 

時計を見てみると、短針は8の数字を指していた。バイトしに来たのが何時だったのか忘れたが、時間単位でぶっ通しで仕事をこなしていたことだけは覚えている。

しかし本当に疲れた。下手したら陸上の練習メニューの中でも最難関である1時間インターバルよりもキツいかもしれない。しかし考えてみれば、ただただ走り続けるより相手のご機嫌を伺いながら作業を行うこっちの方が厳しいのは当然のことか。

 

腰に手を当てて大きく反りを返すと、ポキポキと小気味よくなる骨の音に紛れて溌剌とした声が舞い込んできた。

 

 

 

 

「流誠おつ〜☆初めてにしては様になってるみたいでよかったよ〜」

 

 

 

 

 

「先輩......」

 

 

 

 

ちょうど陳列棚の配列を終えたのか、空っぽのカゴを持った今井先輩が俺に向けて労いの言葉をかけてきた。生憎、ただの煽りにしか聞こえない。ウザい。

 

 

 

 

「仕分け、随分と長かったですね。おかげでお客さんがこっちに集中しまくりでしたよ」

 

 

 

 

 

「こらこら、目が怖いぞ〜?ほら、接客する時はどういう態度でいるんだったっけ?」

 

 

 

 

 

「先輩は同業者なんでなんの問題もないですね」

 

 

 

 

とは言ってもこれでも相手は学校でもバイト(ここ)でも先輩の立場に位置している人なので、ならばせめてと思った俺はあからさまにひきつった笑顔を作ってみせた。

そんな俺の頬に、突如として鋭い痛みがはしった。

 

 

 

 

「あっ、づぁッ!?」

 

 

 

 

当てつけな笑顔がために目を瞑っていた最中の不可視からの衝撃に、思わず肩を跳ねさせる。何事かと思って元いた場所より数歩ほど離れた場所から辺りを確認すると、今井先輩がしたり顔でこちらを見つめていた。片手には大きな顔の目立つキャラクターがマスコットのキャンディアイスが2つぶら下がっていた。痛みかと思った謎の感覚の正体はあのアイスの冷気によるものだったらしい。

 

 

 

 

「まあまあ、これでも食べて休憩しよ?」

 

 

 

 

 

「人を物でつりやがって......それはそうと勝手に食べていいんですか?」

 

 

 

 

 

「店長の奢りで取り置きされてたやつだから大丈夫。助っ人呼んだアタシの分と、その助っ人本人である流誠の分!さあ入った入ったー!」

 

 

 

 

 

「うおっ」

 

 

 

 

今井先輩は俺の背中を押してそのまま休憩室へと連れて行った。休憩室に放り込まれるや否や、今井先輩はソファに座って自分の隣へと俺を案内した。

 

 

 

 

「ここ座りなよ」

 

 

 

 

まるで我が家のように振る舞う今井先輩に眉を潜めながら、どこか逃れる場所はないかと他のイスを目で探した。が、結局見当たらなかったがために大人しく彼女の隣に座ることにした。

 

 

 

 

「失礼します」

 

 

 

 

 

「あっははは、流誠ってホント礼儀イイね」

 

 

 

 

先輩はそう言いながら俺にアイスを手渡してきた。俺も二重の意味で「ありがとうございます」と述べてからアイスを受け取り、余分な水分を拭き取ってから勢いよくパッケージを割いた。

 

 

 

 

「モカから流誠の話聞くんだけど、そんなかでも流誠の人当たりの良さとか聞いたりしてたから、今改めて納得できたよ」

 

 

 

 

 

「買い被りすぎですよ」

 

 

 

 

 

「あはは、確かにそうかも。さっきだって先輩のアタシに向かって生意気言ってたし」

 

 

 

 

 

「メリハリってやつです」

 

 

 

 

上手い具合に評判を上げてから落としてくる今井先輩にモカの姿が照らし合わさって仕方がなかった。アイツのからかい癖もこの人由来のものなのだろうか、だとすれば先輩はモカの師匠とも言えることとなるが......そう考えると、なんだか先輩のことが恐ろしく感じてきた。

不吉な予感を覚え、たちまち思考を覆す。代わりにとある関心が生まれた。

 

 

 

 

「ていうかまさかとは思いますけど、アイツっていつも俺のことばっか話してるんですか」

 

 

 

 

 

「そうだよ?しつこいくらいにね」

 

 

 

 

 

「......っすか」

 

 

 

 

薄々感づいてはいたがやはりそうだった。どうしてこうも俺の周りには余計なことばかり言い漏らす奴ばかりいるのだろうか。中には天然さ故に仕方がないと割り切れる奴もいるが、モカに至っては故意に違いないのでもはや目も当てられずにいる。

 

でも、今回のはなんだか違った。いつもなら人を出汁に話の裾を広げるモカでも、影では人の良さを認めていたのだ。そういう奴なのは前々から知ってはいたが、まさかここまでとは思いもしなかった。実際俺も......少しだけだが嬉しかった。

 

 

 

そんなこんなで談笑していると、いつのまにかアイスも食べきってしまう寸前にまで達していた。

残り少ない水色の氷菓を口に頬張る。シャリシャリとした食感を味わってから溶けきって液体となったそれを、俺は喉へと流し込んだ。

 

 

 

 

「......ふぅ。ごちそう様でした」

 

 

 

 

パンっと手を合わせて食後の挨拶をする。先輩はというと、最後の一口をまだ食べきれずにいた。

 

 

 

 

「先輩?あとちょっと食べないんですか」

 

 

 

 

俺と同じくらいまで食べ進めていた先輩の口が急に止まったがために、その光景に俺も違和感を覚えずにはいられなかった。そんな俺に向けて、先輩はこう呟いた。

 

 

 

 

「流誠、覚えてる?アタシが学校で言ったこと」

 

 

 

 

 

「え......」

 

 

 

 

藪から棒な質問に、俺は目を白黒させた。それも束の間、質問に答えるべく曲がりなりに思考を巡らせた。

 

確か先輩は......

 

 

 

 

「────......あっ」

 

 

 

 

 

「......思い出したみたいだね」

 

 

 

 

 

「はい......“聞かせてもらわなきゃいけないこと”────ですよね?」

 

 

 

 

聞き返すと、先輩は俺が学校で耳打ちされた時と同じような雰囲気でうんと頷いた。それならすでに終えただろうと思い込んでいたが、どちらかといえばあれはあくまでも先輩からの話題責めだった。故にそれではまだ目的が果たされていない。

 

先輩が聞かせてもらわなきゃいけないことは......

 

 

俺が言わなきゃいけないことは、まだ知らされていないままだ。

 

 

 

 

「......何が聞きたいんですか」

 

 

 

 

なんて、言ってみた。それでも心のどこかでは何なのか、薄々予想できていたのかもしれない。じゃないと、この状況でここまで苛立ちを覚えることなんてないから。

 

 

 

 

「うん、じゃあ単刀直入に聞くけど......」

 

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

先輩の手に握られた棒から、アイスがとろとろと溶けていく。まるで俺の怒りの熱に呼応しているかのようだった。やがてそれは先輩の手へと伝っていった。それでも先輩は、俺から目を離すことはなかった。

だから俺も淡々と、続く言葉を待ち望んだ。済ませるなら早くしてくれ、そんな嫌悪にも似た望みだった。

 

 

 

人間というのはこう何度も同じことを聞かされると苛立ちを覚えることの多い生き物である。例えばそれは親からの宿題のことへの言及だったりだとか、ありふれた日常の中でもそのような人間の傾向が見られる。

 

夏の日差しのようにしつこいくらいに照りつける現実。

それはもちろん、家庭内での戯事に留まらず......

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────モカのこと、どうするつもりなの?」

 

 

 

 

立ちはだかる現実に、差し迫る現実に、どこまでも追いかけてくる現実に。

 

 

────紛れもない『現実』に、俺は苛立ちを覚えずにはいられなかった。

 

 

 

 

 





いかがだったでしょうか。次回は不定期更新を予定しております。お楽しみに。



......はい、そういうことです。本編終わったすぐにこんなことを言うのもなんですけど、ここ数日で勉強量の多さに驚いた次第であるのです。正直このまま1、2週間間隔で仕上げるのは厳しいかと...今回の話もたまたま話の流れが掴めたってだけで、かなり行き詰まってしまったのが本音です。

なのでこれからは本格的に学業を優先、執筆活動はこれまでよりもさらに二、三の次にさせていただけたらなと思います。前回遅くても2週間以内には投稿すると言ったばかりなのに、身勝手の連続で大変申し訳ありません。それでも、こんな作者でも良いのであればこれからも応援のほど、よろしくお願いいたします。

お詫びと言ってはなんですが、下記に流誠くんの新規ビジュアル画を載せておきます。身長を伸ばすために牛乳を飲んでいます。ご査収くださいませ。


ビジュアル画 3

【挿絵表示】



それでは今回はここまで。また次回お会いできたらお会いしましょう。さいなら!


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第10話 悔雨

お久しぶりです皆さん、あるです。

......いや、本当にお久しぶりです。最終投稿日からかれこれ何ヶ月経ちましたでしょうか、指折々と日々を数えていきたいところですが、実はこうして文字を打っている時間も惜しいくらいに受験勉強に追われているんですよね。なのでこうして投稿ペースがどこぞのハンター漫画と同等と言えるほどスローなわけでして......

毎度毎度申し上げておりますが、これでも最善は尽くしているつもりです。執筆者たるものそのような言い訳は軽く一蹴されて当然ですが、そこはご理解のほどよろしくお願いします。こちらも誠心誠意、出来る限り執筆に努めていきます。どうか長い目で見守っていてくださると嬉しい限りです。



それでは、久しぶりの本編です。どうぞ。







 

 

 

 

 

「モカのこと、どうするつもりなの?」

 

 

 

 

「────......」

 

 

 

固く、ただただ固く拳を握る。握られたアイスの棒にはヒビが入っていき、パキッ、パキッという断続的な音が響き渡る。

 

 

 

「────どうするって、何をですか」

 

 

 

 

「......!ちょっとそれホンキで言ってんの!?」

 

 

 

 

「本気も何も......ていうか、まさかとは思いますけどその為に俺を誘ったんですか」

 

 

 

バラバラになった棒をゴミ箱に放り投げて先輩の方を見る。相手も相手なので出来る限りは抑えているつもりなのだが、どうやら無理のようだ。眉間にしわが寄って仕方がない。瞳孔に揺らぎが生じてやまない。苛立ちが、抑えきれない。

 

 

 

「っ......これは────」

 

 

 

 

「はぁ......言わせてもらいますけどね」

 

 

 

俺はすくっと立ち上がり、目を伏せたままに言い放った。歯噛みするように言ったためうわ言を呟くようなか細さだったが、そんなことは今は重要ではない。あるのは夏の蚊柱のような鬱陶しさだけだ。

 

 

 

「さっき、ともちゃんとひーちゃんにも同じこと言われたんですよ。最近のモカって変じゃないか、何かしてやらなくてもいいのかって」

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

「先輩って、俺とモカが付き合ってるの知ってます?」

 

 

 

聞くと、先輩は静かに目礼した。俺はそれを確認した後、荷物をまとめ始めた。

カバンのフタを開けようとする。その際、いつもならあまり気にかけようのないあのつぎはぎのお守りがいやに目についた。引き手に取り付けられたそれはジッパーの開閉を妨げている。

邪魔だと振り払わずに優しく、そっと手に取る。改めて見てみるとだいぶやつれていることに気がついて、なんだか笑えてくる。

 

 

 

......。

 

 

 

......あぁ。

 

 

きっと、大丈夫。

 

 

 

「告られた時は気がつかなかったんすけど、アイツ、俺じゃないとどうにもダメみたいなんですよね。自分で言うのもなんですけどね」

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

「まだ手も繋いだりとかしてない関係ですけど......それだけはハッキリと言えます」

 

 

 

付き合い始めて何が変わったかと聞かれても大して変わってないとしか言いようがない。だが、雰囲気が変わったことは確かだ。モカは以前よりももっと、俺を頼るようになっていた。

 

 

 

「朝起きれなかったら電話で起こしてとか、ギターの音作りのこととか、以前よりも頼ってくれるようになって......何か困りごとがあれば真っ先に俺に相談してくれるんです」

 

 

 

“ずっと隣にいてね”。始業式の日、モカは俺を抱きしめながらそう言った。まるで母を求める赤子のようだった。そんなモカの囁きに、俺もこくりと頷けた。だから、きっと大丈夫だ。

......俺だってずっとモカの隣にいてやるつもりだ。アイツの気が済むまでならとことん付き合ってやる、そんなところだ。だからモカだって、苦しい時には俺に相談を持ちかけてきてくれるだろうし、何ら問題はない。

 

 

 

「でも相談してこないってことは、つまりはそういうことなんじゃないですか」

 

 

 

 

「だからそれは────」

 

 

 

 

「ふぅ......もういいですか。とりあえず仕事は全部終わりましたよね?話題も尽きましたし、何より俺、今日は夕飯の当番任されてるんですよ」

 

 

 

即席で作られた規約上の仕事も片付いた。それもどうせ俺をここに呼び出して問い詰めるための先輩の口裏合わせなのだろうが、そんなことはもはやどうだっていい。

 

 

 

「流誠、待っ────」

 

 

 

今井先輩は立ち上がると、身支度をし終えた俺を呼び止めようと手を伸ばしかけた。しかしその瞬間、彼女の制服の胸ポケットから軽快な着信音が鳴り響き始めた。

 

 

 

「ああもうこんな時に......もしもし紗夜?ちょっと今立て込んでるんだけど......」

 

 

 

 

「......」

 

 

 

電話の相手は氷川先輩のようだった。八百長を疑うくらいにタイミングが良かったので一瞬呆気にとられたが、この機を逃すまいとすぐさま正気を取り戻し、そそくさと裏口のドアへと向かった。

ノブを握り、開け放つ。すると、夜の涼しい空気が一気に舞い込んだ。

とても心地よかった。そんな夜の世界に逃げるように、俺もまた足を踏み出そうとして────。

 

 

 

「えぇっ!?」

 

 

 

 

「ッ......!?」

 

 

 

また呆気にとられた、というより今度は肩を弾ませられた。原因は言わずもがな、張り裂けんばかりに発せられた今井先輩の驚愕の声である。流石に何事かと気になったので出口へと向けた体を翻してみると、先輩は案の定口と目を大きく開いて唖然としていた。

 

 

 

「それ大丈夫なの?ああ、うん......なるほど、とりあえず手当てはしてるってとこね」

 

 

 

 

「ちょっと、何かあったんですか」

 

 

 

『手当て』というワードにただならぬ悪寒がはしり、今井先輩に思わず声をかけた。先輩はみすみす逃げようとした俺のことを根に持ってかキッとした視線をおくってきたが、その視線はすぐに穏やかなものとなった。

 

 

 

「それが────え、なに?流誠に電話かわってって?......それもそうか。うん、わかった」

 

 

 

 

「えちょっと、なんで俺が......」

 

 

 

 

「聞けばわかる」

 

 

 

質問に答えてくれるのかと期待していたが逆に電話を押しつけられるハメになった。にしても俺に電話を寄越してほしいだなんて、氷川先輩の方で何が起こっているのか一切詳細がつかめない。それに今井先輩も『聞けばわかる』だなんて......

 

 

 

 

 

......。

 

 

 

いやいやいや。

 

 

まさか、な。

 

だってアイツは......アイツは。

 

 

 

「......っ」

 

 

 

黙って差し出された携帯を手に取る。やたら手に滑るカバーケースの感触から、今井先輩の焦りようが文字通り手に取るようにわかった。

 

 

氷川先輩は手当てをしていると言った。手当てということはおそらく、誰かが倒れたのを看病してやっているということだろう。交通事故なら救急車にでも連絡しているだろうし。

 

とはいえ、氷川先輩はなぜ今井先輩に電話をかけたのだろうか。他の誰でもなく、なぜ今井先輩を選んだのだろうか。それはきっと、面倒見の良い今井先輩から何かしらアドバイスをもらうためなのかもしれない。あと強いて言うなら、その手当ての対象と今井先輩が何らかの繋がりがあるからだとか。そう、何らかの繋がりが。

 

今井先輩が顔を青ざめさせて、瞬時に手汗を湿らせるほどの繋がりがある誰か。思い当たる節はいくつかある。しかし俺の脳裏には────いや、俺だからこそというべきか。そいつしか俺の脳裏に思い浮かばなかったのだ。こべりついているみたいで、仕方がなかった。

 

 

 

「......電話、かわりました」

 

 

 

 

『長門さん!ちょうど良かった......』

 

 

 

ちょうど良かった、か。

 

ああ、まったくだよ。

 

 

 

「何で俺に電話を」

 

 

 

何で、なんて。

 

そんなことわかってるくせに。

 

 

 

『それが......どうか落ち着いて聞いてください。実は────』

 

 

 

......モカだ。

 

 

 

『......え?』

 

 

 

モカが倒れた。だから俺に電話をかわれと言った。

 

 

 

「────ですよね?」

 

 

 

 

『そう、ですけど......』

 

 

 

 

「流誠......」

 

 

 

先が読めて仕方がなかった。どうせそんなことだろうと思ってたんだ。わかってた、なんとなく予感はしていたんだ。

 

......いつからだよ。

 

 

 

「はは、は......なんだ、やっぱり当たってたのか」

 

 

 

 

『なぜ笑って......』

 

 

 

 

「今どこにいるんですか」

 

 

 

 

『え?CiRCLEのスタジオですけど......』

 

 

 

スタジオ。モカの用事。氷川先輩。なるほど、これでようやくはっきりした。

 

 

 

「スタジオ!?まさかモカがバイト休んでたのって......」

 

 

 

 

「まぁ......さしづめ氷川先輩にギターの練習を付き合ってもらってたってところですかね」

 

 

 

点と点が線で結ばれてようやく明確となった事実に、今井先輩は驚きを隠せていない様子だった。まあモカが休みを所望した理由がこれなのだから無理もない。

 

 

かくいう俺は。

 

 

 

────俺は。

 

 

 

「......氷川先輩、そこで待っててもらえますか?今からそっちに向かいたいので」

 

 

 

 

『あっ、は、はい』

 

 

 

 

「どうも、じゃあ俺はこれで。......今井先輩も携帯ありがとうございました」

 

 

 

 

「流誠......」

 

 

 

携帯を返すや否や静かに踵を返す俺の背中に今井先輩の呼び声が突き刺さる。そこにはもう糾弾しようという意思は見受けられなかった。むしろその逆で、何か重いものを吐き捨てるかのような、耳にしたこっちまでもが胸を引き締められる......そんな声だった。

 

 

 

「言霊ってやっぱあるんですかね。言ったそばからこんな事が起きるなんてあんまりですよ」

 

 

 

 

「違う、違うよ流誠......これは────」

 

 

 

 

「みなまで言わないでくださいよ。......もうわかってますから────」

 

 

 

ああそうだ。わかってる、わかってたんだよ。全部俺のせいだって。俺は目を背けて、心の中で蠢く後ろめたさを仕舞い込んでいたんだ。アイツの不安そうな顔にも笑顔のフィルターを勝手に貼りつけてた。全部、自分のわがままだった。

 

 

 

────俺はモカに『自立』してほしかった。ずっと隣にいてやるつもりだなんてのはただのその場しのぎにしか過ぎなかった。いつまでも俺に頼ってばかりではいけないと、そう考えた。それではモカの蘭の背中を追いかけれるようになりたいという思いとは少し意味が違ってくるような気がしたからだ。アイツが自分なりの方法を見つけてこそ、真の意味が見出される。だから極力接触も控えていた。アイツではなく、俺こそが距離を置いていたのだ。そうなれば俺とモカとの交際に進展がないのも当たり前だ。

まさに因果応報といえるシナリオである。己の身勝手が、モカの為という大義名分のもと装われた平穏が、むしろその対象であるモカの首を絞める羽目になるとは。

 

 

 

何から謝ればいいか、自転車にカギをはめながら考えた。どんな顔をすればいいか、サドルに跨ろうとしながら憂いた。そしてこれからどうなるのか、ペダルに足を置きながら......はて、どうしたかったのだろうか。俺はそれすらもわからないまま、暗闇にも似た混在した思考世界のなかで途方に暮れるほかなかった。

時がゆっくりと、俺自身が犯した罪とともに秒針を刻んでいく。そうしてのしかかる重圧に狼狽していると、背後からトタトタとローファーとコンクリートがぶつかる音が聞こえてきた。

 

 

 

「りゅうーせぇー!!はぁ、はぁ......モカはっ......モカはねぇっ!!」

 

 

 

 

「っ......せ、先輩......?」

 

 

 

今井先輩に声をかけられ、自分がコンビニからだいぶ進んだ位置にまでいつの間にか移動していたことに初めて気がついた。そうなるまでに速まった自転車とのスピードを合わせようと必死になっていたのか、先輩の息は途切れ途切れだった。そして、少し遠目から何かを伝えようとしている。

 

 

 

「モカのこと放ったらかしにしてたんでしょっ!?アタシはそれ、許せる気しないよ......でも、モカはきっと────!」

 

 

 

きっと。

 

その後に続く言葉はもはや聞くまでもなかった。そんなことなどつゆ知らず、先輩はお節介にもこう言ってくれた。

 

 

 

「大丈夫だよ、って言ってくれる!!」

 

 

 

 

「......っ」

 

 

 

俺は数秒唖然とし、また前へと向き直った。予想通りの結末を見届けたところでこれ以上用が無くなったからだ。

 

地面に置いていた足を蹴り出し、十分に助走にのってから自転車を漕ぎ始める。背後からまた何か声が聞こえたような気がしたが、振り向くことはできなかった。前を......いや、上を向くのに必死だったから。

 

 

空は曇天に覆われていた。灰色がかった雲は月明かりの一片すら通さず、世界に真の宵闇をこれ見よがしに見せつけていた。そんななか、ポツリという冷たい感触が俺の頬を打ちつけた。雨だ。

雨......それから俺は、あの日のモカを思い浮かべた。朝日の元気そうな姿を見送ったあの日も、今日ほどの霧雨ではないが酷い雨模様だった。その見送った後の帰り道でモカと出会った。傘はさしていたしギターケースもそんなに濡れてはいなかったにも関わらず、アイツの顔はというとぐしゃぐしゃになっていた。見るも無様で滑稽だった。それがあの時に俺が抱いたモカに対する第一印象だった。

 

 

 

そう、たったのそれだけだった。

 

 

 

「......クソっ」

 

 

 

あの時会話が弾まなかったのは、雨がうるさくて声が聞こえづらかったからじゃない。顔が濡れていたのは、横雨に吹き曝されていたからだけではない。態度がおどおどしいように感じたのも、ただの気のせいではない。そして俺はそれに薄々気づいていた。なんとなく、あの時だけはそう感じることができた。

 

 

 

「クソっ......クソっ......」

 

 

 

それでも深く詮索しようとしなかったのは、無意識にその違和感を払拭してしまったからなのだろう。それもこれも全て俺のモカへの勝手な期待のせいだった。

 

 

俺こそがモカをあそこまで追い詰めた張本人なのだ。

 

それでもモカは、俺を許すと......そう言ってくれるのだろうか。

 

自分を蔑ろにされても、心から受け入れてくれるのだろうか。

 

 

 

 

モカは......モカは俺に、なんと......

 

 

 

 

 

 

 

 

 

......────。

 

 

 

「......あぁ」

 

 

 

想像した。卑怯にも、もし自分が謝ったらモカはどういう反応をするのか、表情は身振りに至るまで緻密に思い描いた。

こんな仕打ちを信頼している人から受けて、普通の人なら怒り心頭するに違いない。そうさせた本人の胸ぐらを掴み、どうして自分を優先してくれなかったのか、見て見ぬ振りばかりしたのか、糾弾し、号哭することだろう。それで当然なのだ。それほどまでに酷なことを俺は平然とやってのけたのだから。

 

 

 

......でも。

 

 

それでも、俺の脳裏に浮かんだモカには怒りの感情の一つすら抱いてなどおらず......

 

 

 

アイツはただ“大丈夫だよ”って、そう微笑み返してくれるだけだった。

 

 

 

「────」

 

 

 

大きく口を開ける。別段あくびをしたかったわけではない。叫びたかったのだ。この行き場のない、懺悔しようのない後悔を少しでも減らしたかった。

声にならない嘆きが夜のとばりへと流れていく。あんなことを言わせるまでに大切な幼馴染を追い詰めたことへの罪悪感を今更ながらに噛み締める。それに呼応するかのように、雨脚もだんだんと強さを増していった。

 

これでモカと同じになれるのならどれほど良かっただろう。そんな甘い考えに縋る暇もないまま、俺は瞬く間に鼠色に染まっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────それでねー?その時おねーちゃんが......」

 

 

 

 

「あはは......そうですねー」

 

 

 

おねーちゃん、おねーちゃん。この単語を今日のうちに何度聞いただろうか。少なくともこの道中だけで数十回は聞いた気がする。それに生徒会の仕事中での回数も合わせると......ああ、なんだか頭が痛くなってきた。

 

ひとまず状況を整理しよう。私は今、日菜先輩と帰路を共にしている、というか付き合わされている。今日は中でも多忙な生徒会の仕事を任せられ、その労いを兼ねてという理由で先輩に誘われたからだ。労い、ということもあってか帰り道は少し遠回り気味にして風景を楽しんだりもした。日菜先輩の自慢話をBGMに聴きながら。

 

 

 

「ん?つぐちゃん、顔色悪いけど大丈夫?」

 

 

 

 

「よくわかりません......」

 

 

 

 

「ふーん、変なのー」

 

 

 

こっちの台詞ですと言ってやりたいところだが、そこはグッと堪えた。相手が先輩だからという以前にもう疲れ切ってしまっていたからだ。ただ、日菜先輩の言うことには一理二理頷ける節があるのも確かだ。

おねーちゃん......じゃなくて紗夜さんのライブ中での立ち振る舞いや普段の生活での抜かりのなさには、私も心から尊敬していた。実際、日菜先輩から語られる紗夜さんの話からその姿を容易に想像することができた。とてもたおやかで、凛としていて────。

 

 

そんな紗夜さんが、CiRCLEのカフェで何やらぼんやりと一人で座っていた。

 

 

 

「って、あれ?おねーちゃん?おーい!!」

 

 

 

 

「ん?......日菜?羽沢さんも」

 

 

 

 

「こっ、こんばんは!」

 

 

 

噂をすれば何とやら。私の息詰まった挨拶に、紗夜さんは柔らかく微笑んで応えてくれた。

 

 

 

「こんばんは。二人はどうしてここに?」

 

 

 

 

「たまたま立ち寄っただけだよ。そしたらそこにおねーちゃんがいて」

 

 

 

 

「立ち寄った?帰り道はこっちじゃないはずだけれど......まさかこんな夜中に寄り道しているんじゃないでしょうね」

 

 

 

 

「あーえっと!実は......」

 

 

 

易々と魂胆を見透かされたところで、私はかくかくしかじかと寄り道の理由を説明した。すると紗夜さんは「そうですか」と訝しげに頷いてから、しわを寄せた眉間を日菜先輩へと向けた。

 

 

 

「もう日菜!まったくあなたって子は......」

 

 

 

 

「生徒会のお仕事で疲れちゃったからその気分転換にと思ったんだよ〜!そんな怒んなくていいじゃ〜ん」

 

 

 

 

「羽沢さんの身にもしものことがあったらどうするの!夜道で襲われでもしたら......」

 

 

 

 

「その時はあたしが守ってあげるもん!」

 

 

 

 

「......」

 

 

 

前々から思っていたことだが、この姉妹に私は何かと可愛がられている気がする。自分で言うのもなんだが2人の私への人当たりが他人と比べてみてどこか和らげ......というより甘えさせてもらっているような感じがするのだ。だからそういう心地に陥るたびに胸のどこかがむず痒くなってしまう。現に今だってどういう反応をすればいいのか脳内で取捨選択の連続を行なっている。

 

結果、話題の転換をすることに決めた。

 

 

 

「そっ、そういえば!紗夜さんは今日も練習ですか?」

 

 

 

彼女の座っているイスの後ろに立てかけられたギターケースに気づいた私はそれを利用して話を逸らした。すると不思議にも、紗夜さんは低い唸り声をひとつあげた。

 

 

 

「あ、はい。そうなんですけど......」

 

 

 

 

「......?何かあったんですか?」

 

 

 

 

「ええ......それが────」

 

 

 

そう言うと紗夜さんは、CiRCLEのライブハウスの方へと憂慮深そうに視線を移した。私もそれを辿っていくと、そこには二人の人影が見えた。

あれは一体誰だろうか。もう少しだけ意識をそちらに向けてみると、その正体が明らかとなった。

 

 

 

「あれは......流誠くんとまりなさん?」

 

 

 

CiRCLEの窓際、二人は長椅子を取り囲むようにして何やら作業をしていた。一体何をしているのだろうか、その詳細まではよくわからなかった。だからもう少し近づいてみた。

 

 

そして気がついた。

 

 

 

「2人とも何を......って」

 

 

 

まず、目視できた人数が二人から三人に増えた。流誠くん、まりなさん、そして問題の3人目なのだが、どうやら長椅子に横になっていたみたいだ。

私は十分に、それもその三人目の顔が目視できるくらいには近づいた。故に、それが誰なのか瞬時に理解できた。

 

 

 

────モカちゃんだ。

 

 

モカちゃんが、苦しげに顔を歪ませている。

 

 

 

「モカちゃんッ!!!」

 

 

 

 

「わわっ!?」

 

 

 

 

「羽沢さん......!」

 

 

 

何をそんなに苦しんでいるのか、理由はどうだって良かった。私は一心不乱に駆け出した。先輩方を驚かせてしまったみたいだが構いなどできなかった。今はただモカちゃんの安否を確かめようと、それだけで頭がいっぱいだった。

 

 

 

「はぁ、はぁ......!モカちゃん!モカちゃん!!」

 

 

 

 

「わぁっ!?つぐみちゃん!?」

 

 

 

入り口の扉を勢いよく開け放った轟音にまりなさんは驚きを隠せずにいた。

 

 

 

「びっくりしたぁ......どうしたの急に────きゃっ!?」

 

 

 

 

「も、モカちゃん!何かあったんですか!?」

 

 

 

私は早く説明してくれんと言わんばかりにまりなさんの肩を力強く両手で掴んだ。しかし返ってきたのは、まるで暴れ馬を制するかのような慎重に慎重を重ねた声だった。

 

 

 

「ちょっとつぐみちゃん!モカちゃんモカちゃんって......まあまあ、一旦落ち着いて。ね?」

 

 

 

 

「......あっ、す、すみません。つい......」

 

 

 

まりなさんに静止され、私は冷静を取り戻した。まりなさんから離別し行き場を無くしたきまり悪い両手を今度は自分の腰辺りで留める。どちらとも小刻みに震えていた。

 

 

 

「と言っても、幼馴染がこうなってたら取り乱すのが普通だよね」

 

 

 

 

「いえ、私もいきなりつかみかかったりしてすみませんでした......ところで」

 

 

 

事の一部始終をと、まりなさんに向けて目配せをする。すると彼女はさも落ち着いた面持ちで眠るモカちゃんの頭をそっと撫でた。

 

 

 

「私も現場にはいなかったからよくわからないんだけど、紗夜ちゃんが言うには軽い頭痛らしいよ。今だって気絶してるんじゃなくてただ疲れて寝てるだけだし」

 

 

 

 

「そうなんですか......?はぁ......よかったぁ」

 

 

 

 

「わわっ、つぐみちゃん!?」

 

 

 

そこまで大事には至っていなかった安心感からか私は一気に脱力してしまい、足から腰の順番に地面へとへなへなとへたり込んだ。

 

 

 

「大丈夫?」

 

 

 

 

「ああっ大丈夫です。ちょっとホッとしちゃって」

 

 

 

 

「そう......ふふっ、本当にAfterglowのみんなは幼馴染み思いなんだね」

 

 

 

 

「え、えへへ......」

 

 

 

まりなさんから告げられた称賛に私はどう答えたらいいのか口を開きかねた。すると側にいた流誠くんがいきなり立ち上がり、スタジオの方へと姿を消してしまった。

 

 

 

「あれ?流誠くん?」

 

 

 

 

「あっ......行っちゃった」

 

 

 

 

「......流誠くんにも、何かあったんですか?」

 

 

 

というのも、先ほどから流誠くんは終始沈黙を貫いてやまなかった。私がCiRCLEに駆け込んだ時からというよりもそれ以前、つまり私が彼の姿を窓越しに見た時からその不動さを見せていたのだ。そしてその微動だにしない背中がとても異様に思えた。確かに眠るモカちゃんの傍らに座っていた流誠くんからはモカちゃんへの心配が伺えた。しかしそれ以上に、もっと別の何かに苛まれているようにも感じられたのだ。

 

ちらりと見た横顔にはもちろん、彼の特徴でもある凛とした顔立ちが張り付いていた。ただそれだけだったのだ。怒りでもなく、哀しみでもなく、ましてや愉しみでもない。ただの────......あれはなんと言い表せばよいのだろうか。

 

 

スタジオの扉が閉じる音が空虚に鳴り響いたのと同時に、まりなさんが重い口を開いた。

 

 

 

「ごめん、それに関しては本当によくわからなくて......私も聞いてみたんだけどなんでもないの一辺倒だったから」

 

 

 

 

「そう、ですか......」

 

 

 

まりなさんから返ってきた答えに、今度は私自身で思い当たる節はないかと思考を巡らせてみる。そうして難しそうな顔をして腕を組んでいると、少しもの気休めにと思ったのか、まりなさんが「でも」と数秒置いてから言葉を続け始めた。

 

 

 

「紗夜ちゃんがモカちゃんが倒れた事をバイト仲間のリサちゃんに連絡した時、たまたまそこに流誠くんがいたみたいでね?流誠くんったらそれを聞きつけてからすぐにCiRCLEに駆けつけてきてくれたの」

 

 

 

 

「へぇ......」

 

 

 

まりなさんが言ったのはそういうことだった。これは他人からすればただの事実に過ぎないのだろうが、まりなさんはきっとそこから流誠くんの人の良さを見出して、彼のあの冷徹とも言える冷ややかな態度を擁護しようとしてくれているのだろう。

とはいえ私も元より流誠くんの優しさはしみじみと理解している。困ったことがあればいつでも相談に乗ってくれるし、力仕事なんかは巴ちゃんと一緒に手伝ってくれたりして本当に助かっている。それこそ今回のようにモカちゃんのところにいち早くお見舞いに来たりだとか、そういう心がけなどを────、

 

 

 

あれ?そういえばモカちゃん、それに流誠くんって......

 

 

 

「────あっ」

 

 

 

と、ここで私はとあることを思い出した。

 

最近からずっと巴ちゃんやひまりちゃんから聞かされていたことなのだが、どうやらモカちゃんと流誠くんの様子が少しもどかしい感じでそれが気になってしょうがないらしい。私もそれを言われるまであまり意識できていなかったものの、そのことを踏まえて改めて二人を観察してみると確かにそう思われる節が少なからずはあることがわかった。前までカップルらしく仲が良かったのに、ちょっとしたいざこざでもあったのだろうか。二人の間に横たわる何とも言えない距離感を遠巻きにまじまじと眺めながらそんなことを思った。仮にその違和感が真実だとして、もしかすると流誠くんはそのことを後ろめたく思い悩んでいるのかもしれない。

 

 

 

「ん?どうかした?」

 

 

 

 

「いえ、流誠くんのことで少し心当たりが......まりなさん、少しだけモカちゃんのことお願いしてもいいですか?」

 

 

 

モカちゃんももちろんそうだが、流誠くんも流誠くんで放っておけない。真相を確かめるためにもまずは彼の後を追わなければ。私はこの場を離れるためにも、まりなさんにモカちゃんの世話を引き続き見てもらうよう頼んだ。すると、まりなさんは何かを察したかのように静かに頷いてくれた。

 

 

 

「オッケー、こっちは任せて!」

 

 

 

 

「ありがとうございます。ではっ」

 

 

 

ご厚意に預かったところで軽くお辞儀を済ませた後、私はすぐさま流誠くんのいるスタジオへと向かって行った。

 

 

 

「流誠くんっ!」

 

 

 

勢いよく扉を開け放ちスタジオ内へと身を投じる。すると、無音かと思われていたスタジオから乾いたギターの生音が聞こえてきた。

 

 

 

「ん......つぐちゃんか。生徒会お疲れさま」

 

 

 

 

「え、あ......」

 

 

 

流誠くんのその予想外の光景に思わず息が詰まる。意気消沈としてイスにでも座って呆けてしまっているのではないかと思っていたが、どういうわけだか彼は淡々と様々なコードを弾き鳴らしている。先ほどまでまるで傀儡だったのに、今となっては水を得た魚のようだった。

 

 

 

「あの、なんでギター弾いて......?」

 

 

 

 

「これか。アイツ、ここ最近ギター弾きまくってただろ?その点検にと思ってさ」

 

 

 

 

「そう......」

 

 

 

ふっと微笑みを浮かべながらモカちゃんのギターを軽く差し出してきた流誠くんに、私はまたたじろいだ。にしても流誠くんを心配して後を追ってきたというのに、これではまるで無駄足ではないか。

 

 

......いや、そんなことはないはず。感覚的な問題ではあるが、彼にはきっと、何か心につっかえているモノがあるはずなのだ。

 

私は口を開いた。なぜだかそこはかとない恐怖を覚えたが、なんとか口を開いてみせた。

 

 

 

「......ねぇ、流誠くん」

 

 

 

 

「ん?なに」

 

 

 

 

「っ......モカちゃんのこと、何か知ってたりしない......かな?」

 

 

 

その時の私はとても慎重だったと思う。危険物でも取り扱うような、究極の選択を迫られているかのような感覚だった。

隠れ怯えているであろう流誠くんを見て見ぬ振りで見逃すか、その手を無理にでも掴んで助けて日の目に連れ出してやるか。私はその選択を慎重に、そこから後者を選び抜いた。

 

 

 

────結果、流誠くんのギターを爪弾く指の動きに動揺が見られた。

 

 

 

「......つぐちゃん」

 

 

 

 

「その様子だとやっぱり知ってるんだね。教えてよ、私で良ければお話聞くから。ね?」

 

 

 

 

「......!」

 

 

 

尾を巻いて怯える子犬を宥めるように、流誠くんに向けて優しく微笑みかける。すると、彼の身の内に潜んでいた負の感情が露見したように見えた。流誠くんはハッと呆気にとられた表情をしたのち、沈黙のままに顔を俯かせた。私もそれに合わせて、その中途半端に立った背中にそっと手を当てて撫でてやった。すると、彼の背中はオジギソウのようにだんだんと垂れていった。

 

 

 

「話聞くって............はぁ。まったく、つぐちゃんはずるいなぁ......」

 

 

 

 

「って言っても、恋愛相談とか詳しくないからあまり力添えできないと思うけど」

 

 

 

 

()()()()()()()も含めてつぐちゃんは優しいからなぁ......ぁあー、もう......」

 

 

 

流誠くんの言い回しにはてと首を傾げていると、いつの間にか私の触れていた背中から鼓動以外の振動が伝わり始めていた。

 

 

 

「ぐすっ......ぁあくそっ、俺が泣いてどうすんだよ......うぅっ......」

 

 

 

 

「流誠くん......」

 

 

 

 

「はぁ......ごめんつぐちゃん......もう少しだけ、待ってくれないか......?」

 

 

 

ひとたび収まった振動によって絞り出された声に対し、私は一言一句を抱きとめるように深く、優しく頷いた。その気配を背中で感じ取ったのか、流誠くんも私の受諾を受け入れて、今度は背中だけでなく体全体を震わせて号哭した。

 

 

流誠くんの言った“もう少しだけ”とやらが終わり説明が為されるまでの間、もちろん私は彼の事情など知らなかった。ただ、彼の言動からするにモカちゃんに対して消極的な事を行ってきたのは事実だろうから、多少の疑念と怒りはそこはかとなくあった。

 

それでも私が一心不乱に泣き叫ぶ流誠くんの背中を支え続けてあげられたのは、きっと────。

 

 

 

「よしよし、大丈夫、大丈夫だよ......」

 

 

 

 

「うっ、ぐぅっ......ぅああああぁぁぁぁぁぁ......」

 

 

 

モカちゃんのギターを玉のように抱えながら懺悔の念に溺れる流誠くんの姿だけは、きっと本物に違いない。

私は暖かくも冷たい形の整った堅い背中を撫でながら、そんな予感を確信付けたのだった。

 

 

 

 

 









いかがだったでしょうか。次回もまた不定期投稿となってます。出来上がり次第すぐにあげますので、予告無しの投稿となります。申し訳ありません。


さて、久しぶりの投稿でしたが、前の回の内容を忘れてしまって今回の話に追いつけない、そんな方もおられると思います。その場合お手数をかけますが前回の話の読み返しをおすすめします。内容のより深い理解の為にも、よければお願いします。
あと新しいビジュアル画も載せておきます。ご覧になりたいという方は下記のURLからページに飛んでもらえると見れると思いますので、よろしくお願いします。



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それではまた次回お会いしましょう。では!


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特別章 If:World
世界線α 『さす四つ又』と『卓上の魅』①


お久しぶりです。あるです。

今回も番外編...ではなく、本編とまったく関係のないストーリー、いわゆるif世界線のストーリーを書かせていただきました。前回言いそびれたので急でなんですが、これを機にif世界線用の章も作りました。タイトルも少し違いますね。


はい。ということで新章スタートです。ご存知の通り筆者の気まぐれスキルのせいで物語の進行がバラけてしまいがちですが、どうかご了承くださいませ...



それでは本編、どうぞ!






朝目覚めると、俺はいつも背伸びをする。

 

 

 

 

背伸びをした後、洗面台に行く。

 

 

 

 

顔を洗い、歯磨きをし、鏡に映った自分に「おはよう」と呼びかける。

 

 

 

 

タオルで顔を拭き取る最中、ちょうど聞こえてくる先生の声に従ってキッチンへ向かう。

 

 

 

 

そんないつも通りの朝のルーティン。俺の一日はここから始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──そして、そんないつも通りに違和感を見出すのに、俺はあまり時間を要さなかった。

 

 

 

 

 

「......あれ」

 

 

 

 

 

口元からマグカップのふちを遠ざけ、訝しげにその中身を覗く。そこにはもちろん朦々とした湯気とともに香り立つコーヒーが入っていた。

 

 

 

 

 

「先生」

 

 

 

 

 

「はい?」

 

 

 

 

 

「今日のコーヒー、なんだか不思議な味ですね。というかまるで味がしないみたいで、いつもよりも匂いが引き立ってる感じがします」

 

 

 

 

 

先ほど喉に流し込んだコーヒー、奇妙なことに味が感じられなかった。本来コーヒーというものは香りを楽しむものである。なんていうどこかで聞いた受け売りの言葉を俺は信条にしていたため、あまり不快にこそ感じはしなかったが。

 

 

 

 

 

「新しいブレンドですか?」

 

 

 

 

 

「いえ?いつものモーニングショットと変わりないはずなんですけど」

 

 

 

 

 

「えっ」

 

 

 

 

 

きょとんとした先生に俺も目を丸くする。ただの気のせいだったのか確かめるためコーヒーをもう一度口に含んでみたが、やはり無味のままだった。

 

 

 

 

 

「あれ......?おかしいなぁ」

 

 

 

 

 

「少し疲れてるんじゃないんですか?最近、部活とバンドに家事で働き詰めだったでしょう」

 

 

 

 

 

「それはいつものことですよ」

 

 

 

 

この人は俺が毎日毎日家事に勤しんでいる......いや、勤しまされていることに気づいてないのだろうか。ただでさえ部活等他方面での活動で体は悲鳴をあげているというのに、先生はそこに鞭打つようにいつも家事の手伝いをせがんでくる。まあ家族の人数も人数だし、第一に俺もその一員なので快く引き受けてはいるが。

 

 

ともかく労働者の気苦労もろくに労われない雇用者はごめんだ。俺は嫌気がさしたので、すでに食卓の並べられているリビングへととぼとぼと向かった。テーブルの上にはやはり、いつも通りの和食の目立つ朝食が軒を連ねていた。

 

鮭のバターしょうゆ焼き、汁をたっぷり吸った麩とワカメの浮かぶ味噌汁、カボチャの煮付けとデザートに大好物のりんご......俺はゴクリと唾を飲み込んだ。

 

 

 

先ほどは恩の“お”の字もない先生の薄情さに呆れてはいたが、これが先生の示し方というのならそれはそれで許してやろう。

 

 

 

 

 

「よいしょ」

 

 

 

 

 

イスを引いて着席する。さらに近くなった食器達に誘惑されるあまり箸に手を伸ばしかけたが、そこはぐっと気持ちを抑えて、食前の挨拶の構えをとった。

 

 

 

 

 

「......いただきます」

 

 

 

 

 

食材への感謝の表明も終わり、俺は食べる権利を得た。であれば、それを無駄にすることなどあってはならない。命をいただく以上全力でいただかなければ。

 

 

箸を右手に取り、食器を左手に持つ。掴んだ具材を口へと運ぶ。そして舌の上の感触を味わいながら、ゆっくりと咀嚼し......

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───訪れるはずの美味の不在に、そのあまりの不自然さに吐き気を催した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おまたせみんな」

 

 

 

 

 

「あ、蘭ちゃん!」

 

 

 

 

 

屋上の扉を開くと、いつも通りの光景があたしを出迎えた。急いで階段を上ってきたので体は疲弊しきっていた。

 

 

 

 

 

「遅かったな、呼び出しくらってたとか?」

 

 

 

 

 

「またなんかやらかしたのー?」

 

 

 

 

 

「はいはい、トイレに行ってただけですよ」

 

 

 

 

 

人聞きの悪い推測をつっぱねながら地面に座り、カバンの中から弁当箱を取り出す。早速中身を見てみると、タコの形をしたウィンナーが入っていた。

 

 

 

 

 

「お、タコさんウィンナーじゃーん」

 

 

 

 

 

「タコといえば、蘭!だよね!」

 

 

 

 

 

「ちょっ......もうそんな前の話引っ張り出さなくていいから!」

 

 

 

 

 

ひまりの発言を毛嫌ったのは、中学校の頃にみんなと行った井ノ島での出来事を思い出したからだった。

 

水族館のお土産ショップで何を買おうか悩んでいたのでモカとひまりに助けを求めた結果、オススメされたのはタコのフードタオルだった。つぐみはイルカ、巴はサメと他のみんなはちゃんとそれぞれのイメージに合った動物がモチーフのグッズだったのに、あたしのはどうしても腑に落ちなかった。後でモカからそのチョイスの理由を聞いてみると「メッシュの色が赤色だから」と、これまた意味不明な理由だった。

 

 

以来、あたしはタコに対してそこはかとない嫌悪感を抱いている。

 

 

 

 

 

「井ノ島のやつか!懐かしいな」

 

 

 

 

 

「巴も話の裾広げなくていいから......!」

 

 

 

 

 

「ゴメンゴメン......あ、そういやさ」

 

 

 

 

 

言い逃れでも試みているのか、巴が突然何か閃いたような口振りをした。

 

 

 

 

 

「前に井ノ島行った時は流誠いなかっただろ?だから、今度は六人で行きたいなーって思ったんだけど」

 

 

 

 

 

言われてみれば確かにそうだった。そんな巴からの提案に、あたし達はもちろん同意した。

 

 

 

 

 

「おぉ〜、いいねー」

 

 

 

 

 

「巴、ナイスアイデア!一度行った私達なら案内もできるし、ピッタリじゃん!」

 

 

 

 

 

あたしも静かに頷く。確かに井ノ島プチ旅行は楽しかったが、流誠がいなかったせいかちょっとだけもの寂しい感じもしていたのもまた事実だった。今度は流誠も入れたみんなで、思い出を上書きしたい。

 

 

 

 

 

「私も賛成!でも、いつにする?」

 

 

 

 

 

「そうだな......やっぱり前と同じ連休とか?てかまず本人に確認しとかないと──」

 

 

 

 

 

巴が流誠はどこかと視界を巡らせる。しかし、求めていた彼の姿はどこにも見受けられなかった。

 

 

 

 

 

「あれ?そういえば流誠は?」

 

 

 

 

 

同じクラスメイトだからなのかひまりがあたしに問いかけてきた。

 

 

 

 

 

「わかんない。言い忘れてたけど、アイツ朝から気分悪いのか保健室行ってたから。でも今はどこにいるのか......」

 

 

 

 

 

「え〜?それを早く言ってよー」

 

 

 

 

 

「大事なことじゃん!」

 

 

 

 

 

「今更いないことに気がついたヤツに言われたくないんだけど」

 

 

 

 

 

あたしの的確なツッコミにモカとひまりは申し訳なさそうに頭を掻いた。まあ流誠自体影が薄いので、一概にモカ達が悪いとは言い切ることはできないが。

 

 

 

話題は井ノ島から流誠の体調不良のことへと様変わりし、旅行への膨らむ期待も連なるように心配へと変わっていった。

 

どうしたものかと一同頭を抱え込む。そんな重苦しい空気の中、ぎい、と扉が開かれる音がした。

 

 

 

 

 

「あれ?誰だろ......って」

 

 

 

 

 

「みんな......」

 

 

 

 

 

扉から出てきたのは、あの流誠だった。

 

 

 

 

 

「流誠!!」

 

 

 

 

 

「噂をすればなんとやらー」

 

 

 

 

 

「流、聞いたぞ!?もう大丈夫なのか?」

 

 

 

 

 

「うんまあ......ごめんな、心配かけたみたいで」

 

 

 

 

 

そう言って向けられた流誠の笑顔は、誰がどう見ても偽物とわかるような無理やりなものだった。もちろんあたし達はそれを見逃さなかった。

 

 

 

 

 

「顔色悪いままじゃん、嘘つかないでよ」

 

 

 

 

 

「とりあえず座ろ!ね?」

 

 

 

 

 

「ほら、肩貸すよ」

 

 

 

 

 

巴とひまりに介抱されながら流誠が腰を下ろす。鉄柵に背中をもたれかけたところで、流誠の表情が少し和らいだ。

 

 

 

 

 

「ありがとう二人とも。......ふぅ」

 

 

 

 

 

「にしてもどうしたのー?健康第一のせいくんが珍しく体調崩すなんてさー」

 

 

 

 

 

「別に......」

 

 

 

 

 

流誠のモカへの曖昧な回答に、あたしは眉を潜めた。

 

 

 

 

 

「流誠、なんか隠し事してない?」

 

 

 

 

 

「隠すつもりなんて最初からねぇよ。ただ......」

 

 

 

 

 

変に渋る流誠に、あたしも「ただ?」と聞き返す。すると流誠は自分の唇をそっとなぞりながらこう答えた。

 

 

 

 

 

「───味が、しないんだ」

 

 

 

 

 

「味がしない......?」

 

 

 

 

 

「どういうこと〜?」

 

 

 

 

 

まさか食べ物の味がしないとでもいうのだろうか。だとすれば相当な重症だが......

 

 

 

 

 

「まんまの意味で食べたもの全てから味が感じられないんだ。それがすごく気持ち悪くて......そのせいで体調も崩れたんだと思う」

 

 

 

 

 

「そんな......」

 

 

 

 

 

どんぴしゃだった。では一体何がここまで流誠を陥れたというのだろうか。問題が明らかになったところで、論点は原因究明へと変わった。

 

 

 

 

 

「でも、なんで急に味覚がなくなったんだろうな」

 

 

 

 

 

「ストレスとかー?」

 

 

 

 

 

「生活習慣とかは特に変わったことないし、それはないと思うんだ」

 

 

 

 

 

「そっか......」

 

 

 

 

 

ストレスで一時的な味覚障害を引き起こすことは耳にしたことがあるが、それでもないなら一体何なのだろうか。念のために本格的な病気に罹っているのではないかと確認をとったものの、「それこそ絶対にない」とキッパリと言い切られた。

 

 

と、モカがここで何かに気がついた。

 

 

 

 

 

「ん?待てよ......それじゃあせいくんって朝から何も食べてないのー?」

 

 

 

 

 

「まあ、味見程度の一口目だけだけど──ってわあっ!?」

 

 

 

 

 

流誠が空元気な大声をあげる。その視線の先にはずいずいと流誠に迫るつぐみがいた。

 

 

 

 

 

「ダメだよ!ちゃんと朝ごはん食べないと、それこそストレスの原因になるんだよ!?」

 

 

 

 

 

「ちょっ、つぐちゃん落ち着いて......!なあ!みんなも何か言ってくれよ!」

 

 

 

 

 

流誠が傍観するあたし達に向けて助けを請うてきたが、そっと成り行きを見守ることにした。それは、つぐみがなぜこれほどまでに敏感になっているのか──その理由を知っていたからだった。

 

おそらくつぐみは自らが過去にストレスによって倒れたがために、流誠をその二の舞にさせないようにするべく躍起になっているのだろう。流誠は自分のことは自分が一番よくわかってると言いたげだったが、それはつぐみも同じだった。今のつぐみには流誠と過去の自分が照らし合わさって見えているのだ。

 

 

 

つぐみは手に持った弁当のふりかけご飯を箸で大振りにつまむと、それを流誠の口元へと本人の否応なく寄せていった。

 

 

 

 

 

「ほら食べて。味がしなくても栄養はちゃんとあるんだから、食べないままだと元気にならないよ!?」

 

 

 

 

 

「いっ、いーやーだぁ......!」

 

 

 

 

 

「食べなさい!!」

 

 

 

 

 

「んぐぐぐ!!!」

 

 

 

 

 

つぐみと流誠の攻防はさながら母子の喧嘩だった。いつもなら逆の立場で手の焼く弟妹達に同じように振る舞っているはずの流誠が、こうも一方的に防戦を強いられるとは。

 

 

 

 

 

「「「「......」」」」

 

 

 

 

 

つぐみの底力の強大さと流誠の意外なひ弱な一面を、あたし達は肩をすくめながら側から見守り続けた。

 

にしても微笑ましいものだ。母子の小競り合いとは言ったが、なんだか子犬同士の戯れのようにも見えてきた。

 

 

 

晴れやかな屋上に平和な時間が流れる。今日もいつも通りで何よりだ。そんな陽だまりのなか、あたしは小さな喧騒に耳を傾けながら再び箸を進め始めた。

 

 

 

 

が、その直後、あたしの手から箸が落ちた。

 

 

 

 

 

「あれ──」

 

 

 

 

 

最初はカランコロンという音を耳にして、そこから「ああ、箸を落としたのだな」と直感した。

 

そうこうしているうちに菌が付着してもいけないので、慌てて地面に目を向ける。が、いくら目を凝らしてもあたしの近辺に箸らしきものは見つからなかった。

 

それもそのはず。あたしの手にはなんと落としたはずの箸が握られていたのだ。どうやらあたしはタイミングもタイミングで早とちりをしていたようだ。

 

 

 

ではあの音はなんだったのか。その答えは案外すぐに見つかった。

 

 

 

 

 

──衝撃的な光景とともに。

 

 

 

 

 

「ちょっ......!」

 

 

 

 

 

音の出所を探していると、奥の方でつぐみが仰向けに倒れているのが見えた。でもそれはただの転倒ではなかった。

 

 

 

......子犬はいつしか大人になり、野生であれば立派な野犬となる。野を駆け獲物を狩るその姿は、まさしく野生そのものだ。

 

 

しかし、あたしが目にしたのはそれよりもっと恐ろしいものだった。そのあまりの非現実さに言葉を失う。第三者であるはずなのに、あたしはまるで直接睨まれているような錯覚に陥った。

 

 

口を小刻みに震わせ、その隙間からは獣のような犬歯がこれ見よがしにその容貌を覗かせている。逆立った髪の毛には殺気のような歪なオーラが漂っているように見えた。

 

 

 

 

 

 

 

──狼だ。

 

 

食に飢えた、真の意味での野生。

 

 

 

 

 

「なに、してんの」

 

 

 

 

 

言葉を投げかける。しかし、己が欲求を満たさんとする獣に、人間の言葉など通じるはずもなく────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────流誠......?」

 

 

 

 

 

血走った眼で押し倒したつぐみを捉える雄狼に、あたしはその名前を呼びかけることしかできなかった。




いかがだったでしょうか。次回は3月8日(最近日にち跨いでばっかで申し訳ない)の20時30分に本編を投稿予定です。お楽しみに。


はい。読んでもらってる最中に気づいた方もいるかもしれませんが、今回は「ケーキバース」という創作設定を基に執筆しました。詳しくはGoogle先生に聞いてみてください。刺さる人には刺さります、コレ。



それではまた次回お会いしましょう。さいなら!


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世界線α 『さす四つ又』と『卓上の魅』②

どうもあるです。

つい先日、うちの地元でもコロナウイルスによる死者が出ました。まだニュースには反映されていないみたいですが、この脅威を一刻も早く世に知らせてほしいところです。皆さん、お互いに気をつけましょう。



それでは本編、どうぞ。







 

 

 

 

 

──なぜ、あんなことをした。

 

 

 

 

 

「クソ......っ」

 

 

 

 

 

──なぜ、抑えられなかった。

 

 

 

 

 

「クソ......クソ、クソ......っ!!」

 

 

 

 

 

──なぜ......なぜ......なぜ、なぜ、なぜ......

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────なぜにッッ!!!!

 

 

 

 

 

「......ぐ、ぅ」

 

 

 

 

 

壁に頭を打ち付け続けていたせいか途端に視界がくらみだした。朦朧とする意識のなか、俺はなすすべもなく地面にへたり込んだ。

 

 

 

ここは自室。なんの変哲もない俺だけの空間。残響となった耳鳴りさえ消えてくれれば、紛れもない静寂となる俺の唯一無二の場所のなかのひとつ。

 

そんな安心できる環境にいるにもかかわらず、俺の心は未だに荒みに荒んでいた。

 

 

 

 

震える両腕を見つめる。この震えはほかでもない、自らが犯した大罪への恐怖心によるものだった。

 

 

 

 

この両腕が、あの心優しき親友に危害を加えたのだ。

 

 

 

 

 

「うっ......おぇ......」

 

 

 

 

 

忌まわしい現実に本日何度目かも忘れてしまった吐き気を催す。でもそれは今は大して重要ではない。俺の体調なんてどうだっていい。

 

無気力にベッドに体を放り投げたのと同時に、ポケットの中で温められ続けていた携帯が震えた。取り出した携帯の電源を付けると、画面にいの一番に出てきたのはチャットの通知だった。

 

 

 

 

 

......つぐちゃんからのものだった。

 

 

 

 

 

『流誠くん、大丈夫?』

 

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

 

“大丈夫?”。その一言にどんな意味が込められているのかを想像することなど、今の俺にはあまりにも恐ろしすぎた。

 

 

覚束ない指先で順番に文字を打っていく。果たしてこんな俺に発言権があるのかなどの不安がよぎったが、せめてつぐちゃんを安心させるためとおこがましくも自己解釈し、俺は苦虫を噛む思いでメッセージを送信した。

 

 

 

『うん。大丈夫だよ』、と。

 

 

 

 

 

「はっ......何がだよ」

 

 

 

 

 

ピコンという音とともにチャット内に表示された自分の道化染みたメッセージに愚痴を垂れる。

 

こういう時の大丈夫は、実際にはそうでないことが多い。しかしつぐちゃんはそんなおべっかを真に受けたのか『そう?わかった』と気の利いた返事とともにゆるみにゆるんだキャラクターのスタンプを送ってきてくれた。対して俺は、そんな純粋さを踏みにじった己の狡猾さを酷く呪った。

 

 

腕で目を覆ってからしばらくして、また通知が届いた。同じくつぐちゃんからだった。

 

 

 

 

 

『改めてあの時はごめんね......自分勝手だったよね。流誠くんはいらないって言ってるのに、無理にご飯を食べさせようとして......』

 

 

 

 

 

「つぐちゃん......」

 

 

 

 

 

『つぐちゃんは謝らないでよ。どんな理由でも暴力を振るうのはいけないだろ』

 

 

 

 

 

『それでも私もちょっと横暴すぎたから。そのせいで流誠くんも怒ったんでしょ?だから謝らせて』

 

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

 

俺は横暴という単語に対し、不覚にも肯定よりの意を思い浮かべてしまった。それはあの時の謎の衝動に駆られた自分を思い出したからだった。

 

 

徐々に近づいてくるつぐちゃんと箸でつかまれた食材。それは朝食もろくにとってなかった俺にとっては、口から手が出るほどに欲していたはずのものだった。それでも俺が頑なに顔を背けて食べようとしなかったのは、あの“違和感”を味わいたくなかったことはもちろん、それによって引き起こされる嘔吐をみんなの前でしたくなかったからである。

 

 

 

 

 

 

 

 

......“あんな感情”が沸き上がることまでは予想していなかったが。

 

 

 

 

 

「───ぅ」

 

 

 

 

 

腹が疼く。あの香りを......業の果て、血の底まで堕落させるに足りるあの甘い香りに秘められているであろう美味を、もっと近くで、そしてより細部まで味わいたいと────。

 

 

 

 

 

......そう。俺は初めて、人のことを『捕食対象』と認識してしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

つぐちゃんのことを、ただの『餌』としか見ることができなかった────......

 

 

 

 

 

(もう、ダメだ......想像するだけで......)

 

 

 

 

 

食欲というのは恐ろしいもので、気を抜けば口の端からよだれの氾濫が起こりそうなくらいだった。原因はわからず、わかりたくもなかったが、あの時は......いや、今でも俺はつぐちゃんを欲している。

 

 

 

抑えなきゃ......ああ、でも、食べたい。あの甘い『食べ物』を、貪って、吸い尽くして、それで......

 

 

 

あぁあ、つぐちゃん......いやダメだ......でも腹空『食べたい』いてるし......それな『食べたい』ら他のもので代用し『食べたい』て......いやでも気持ち悪くなるのも嫌だし、それでも友達を『食べたい』、ましてや親友を食べる『食べたい』なんてそんなありえないし、したくないし聞き『食べたい』たくないし考えたくもいやでもそれでも俺は俺は『食べたい』嫌だんああ嫌だダメ『食べたい』だダメダメだ駄『食べたい』だから『食べたい』ヤメろよ『食べたい』せそんなことあぁああぁぁああああああああああ『食べたい』ああああ『食べたい』ああ『食べたい』あ『食べたい』食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたたたたたたたたたたたたたたタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタあああああああああああああああああああああああああああああ───────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────ぶつん。

 

 

 

 

 

 

 

 

「......ッ!?」

 

 

 

 

 

突然頬を襲った刺激に思わず体を跳ねさせる。辺りを見回し原因を探ってみると、携帯が断続的に震えていることに気がついた。

 

そういえばまだチャットを開いたままだった。

 

 

 

 

 

『おーい、流誠くん?』

 

 

 

 

 

既読スルーに見兼ねたのか、『つぐちゃん』が俺の名前を呼ぶ。

 

 

 

 

......今日はこのへんにしておこう。これ以上『つぐちゃん』と話していたら、俺は────。

 

 

 

 

 

『ごめん......気分悪くなって返信できてなかった。今日はもう休ませてくれないかな』

 

 

 

 

 

『そうだったんだね。こちらこそごめんね!気づいてあげられなくて』

 

 

 

 

 

『いいよべつに。それじゃあまた明日ね』

 

 

 

 

 

『うん!また明日。お大事にね』

 

 

 

 

 

『ありがとう』

 

 

 

 

 

お礼も言って話を切り上げたところで、俺は逃げるように携帯の電源を切った。再び訪れた静寂のなか、俺の耳には耳鳴りのほかに絶え間なく躍動する鼓動の音が加わっていた。

 

 

これではまるで獣だ。広大な野生の地で食に飢え、野を駆ける獲物をひとたび見かけたら牙を剥き、追いついたあとその四肢を抑えつけ、本能の赴くままに血肉を貪る───。今の俺ならそんな獣に平気でなることができる気がしてならなかった。

 

 

 

 

 

「......ぅぐ、あぅ......んぐ」

 

 

 

 

 

苦し紛れに自分の手を噛んでみる。意外と歯が鋭かったのか、試しに少し力を入れて噛んだだけなのにその跡からは血が次々と滲み出てきた。もしかしてと思って舐めてみたが、あのお馴染みの鉄の味はもちろんしなかった。

 

 

 

 

 

でも......

 

 

 

 

 

それでも、『つぐちゃん』の血なら、きっと───......

 

 

 

 

 

「────」

 

 

 

 

 

俺はただひたすらに、すでに唾液で血の止まった傷口を舐め続けた。

 

 

 

 

 

小汚い粘着音に、あの甘美を馳せながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でもやっぱり......」

 

 

 

 

 

「まあそうなるよなぁ、うーん......」

 

 

 

 

 

「みんなお待たせ!」

 

 

 

 

 

弁当箱片手に屋上の扉を開け放つと、何やらみんな真剣な表情をして携帯と睨みあっていた。

 

 

 

 

 

「つぐ!また生徒会?」

 

 

 

 

 

「うん、さっきは何も言わずに急いで行ってごめんね。ところでみんな、何見てるの?」

 

 

 

 

 

ひまりちゃんがこちらを向いたついでにこの異様な光景の実態について質問をした。その答えは代わりに巴ちゃんから告げられた。

 

 

 

 

 

「流誠が味を感じない原因を探ってたんだ。でもこれがイマイチわかんなくてさー......」

 

 

 

 

 

「そうだったんだね......」

 

 

 

 

 

眉を潜めて凝視していたのは、流誠くんの味覚障害について調べ込んでいたかららしい。

しかし見たところその結果はあまり芳しくないようだ。

 

 

 

 

 

「一時的な味覚障害もあるんだけど、それは絶対にないと思うんだよね」

 

 

 

 

 

「せいくん、ここ最近ずーっとお休みしてるもんねー」

 

 

 

 

 

「......」

 

 

 

 

 

モカちゃんの発言に少し胸が苦しくなった。

確かに流誠くんの姿は今日もどこにも見当たらずにいる。そしてこの状態が続いてはや一週間が経とうとしているという事実に、私は恐れ多い事態を脳裏に掠めた。

 

 

 

 

 

「もしかして、私達が思ってる以上にもっと酷い症状なんじゃないかな......」

 

 

 

 

 

「えっ!?いやでも、そんな......」

 

 

 

 

 

「昨日グループでも『病院行ったけど特に問題はなかった』って流誠言ってたじゃん」

 

 

 

 

 

私たちの心配に気兼ねしたのか、昨日流誠くんから自発的にそう発言された。体調のことも考えてグループでのやり取りは一時的に控えることにしていたのだが、逆に彼も私達に心配をかけまいと思ってくれていたのだろう。

 

 

だからこそ疑うのだ。メッセージの真偽はともかく、流誠くんが『そういう人』だということはすでにわかっているから。

 

 

 

 

 

「でもそれが本当かどうかはわからないでしょ?ああは言っても、私たちを心配させないようにするためのウソなのかもしれないし」

 

 

 

 

 

「つぐが疑うなんて珍しいな。でも言われてみれば確かに......」

 

 

 

 

 

「うんうん。確かに流誠ならありえるかも」

 

 

 

 

 

流誠くんへの疑心は皆同じみたいだった。しかし、疑ったところで何も始まりはしない。未だに流誠くんの容体の真相は不確かなままだ。

メッセージを送れるようになったくらいには気分は落ち着いているようだし、メッセージで聞き出そうと思えばできないこともない。かといって面と面で向き合って話しているわけでもないので表情を読み取ることはできない。読み取れるのは、電子記号に組み変えられた無表情な文字の数々だけだ。

 

 

 

 

......百聞は一見に如かず。

 

今日の古典の授業で原典を学んだあのことわざが、ふと私の脳内に思い浮かび上がった。

 

 

 

 

 

「......私、行ってみる!」

 

 

 

 

 

「え?行ってみる、って?」

 

 

 

 

 

「もちろん孤児院......流誠くんちだよ!」

 

 

 

 

 

すっくと立ち上がりはっきりと宣言する。しかしそれを聞いたみんなは、表情をさらに曇らせた。

 

 

 

 

 

「えぇ!?でもつぐ、また襲われるかもしれないよ?」

 

 

 

 

 

「そうだよ!アイツの目、本気だったの覚えてるだろ!?理由はどうあれ危ないって!」

 

 

 

 

 

確かにひまりちゃんや巴ちゃんの言う通りだ。あの時───流誠くんが私を押し倒してきた時、彼の顔は酷く歪んでいた。ぎらりとした目は食に飢え、普段あまり見せない口から覗く鋭い犬歯はもはや凶器そのものだった。

あの時の流誠くんはまさに獣そのものだった。巴ちゃんと蘭ちゃんが流誠くんを取り押さえてくれていなければ、私は喉元をやられていたかもしれない。そのくらいの怒気を彼から感じることができた。

 

 

 

でも、そんな流誠くんの顔に浮かんでいたのは獲物に対する殺意だけじゃなかったのも事実だ。

 

 

 

......流誠くんはきっと今も怯えている。

 

 

 

 

 

「でも行きたいの。私だからこそできることもあるんじゃないかなって────」

 

 

 

 

 

そう、私だからこそできること。

それはきっと、抱きとめるにしろ砕けるにしろ、真正面から当たってやること。

 

 

 

 

 

「そう思ったから」

 

 

 

 

 

「「「「......」」」」

 

 

 

 

 

「どうかな......やっぱりダメかな?」

 

 

 

 

 

場に沈黙が走る。そこに最初に一声を投じたのは、意外にも意外なあの子だった。

 

 

 

 

 

「......せいくんは」

 

 

 

 

 

「え?」

 

 

 

 

 

ぽつりと聞こえた声の方へと振り返ると、そこにはモカちゃんがいつもの悠然とした顔立ちで考え込むように腕を組んでいた。

 

 

 

 

 

「せいくんは、つぐを見てからさらに状態が悪くなってたような気がするんだ。だから、つぐ本人が直接行って原因探るっていうのもアリなんじゃないかなー?」

 

 

 

 

 

「モカ!だからそれは......」

 

 

 

 

 

「そう、つぐが襲われるかもしれない。だから────」

 

 

 

 

 

モカちゃんは言い留まるのと同時に、人さし指をピンと立ててこう続けた。

 

 

 

 

 

「......みんなでいけば、何も怖くないよね?」

 

 

 

 

 

「「「「あ......」」」」

 

 

 

 

 

「おや〜?もしかしてみんな気づいてなかったのー?こんな簡単なことなのにー」

 

 

 

 

 

モカちゃんの言う通りだった。確かに被害者である私が単独で行くよりもみんなでお見舞いに行ったほうが安心だし、何より流誠くんも喜んでくれることだろう。

 

 

しかし......

 

 

 

 

 

「でも、みんなを巻き込むわけにはいかないよ。モカちゃんが言った通り、原因は私にあるかもなんだし」

 

 

 

 

 

モカちゃんに言われて確信したことなのだが、実際に襲われた時、確かに流誠くんは私を間近で見るや否や別人のように豹変していたように見えた。その可能性がある以上、この一連の事件を私事ではないと言い切ることはできない。私はみんなをその巻き添いにはしたくなかった。

 

 

その旨を伝えた。そして、返ってきた答えはこうだった。

 

 

 

 

 

「ダメ」

 

 

 

 

 

「え......で、でも」

 

 

 

 

 

ダメと言い切る蘭ちゃんに不安の眼差しを向ける。すると次は、ともちゃんからこう告げられた。

 

 

 

 

 

「アタシら一人ひとりの悩みはみんなの悩みだ。一人で背負い込もうとするなっていつも言ってるだろ?」

 

 

 

 

 

「蘭はその辛さ、よく知ってるもんねー?」

 

 

 

 

 

「あの時は悪かったって......────だからほら、つぐみ」

 

 

 

 

 

蘭ちゃんがそっと恥ずかしそうに手を差し伸べる。それに続くように、他のみんなも私に温かい眼差しを向けてきた。

 

 

 

 

 

「あたしらも一緒に行くよ。何があってもつぐみを守ったげる」

 

 

 

 

 

「蘭ちゃん......みんなも......!」

 

 

 

 

 

「ぷっ......守ったげるって、なんか流誠が悪者みたい」

 

 

 

 

 

「いや悪者でしょ!つぐみを襲ったんだから!流誠にはちゃんと謝ってもらわないと気が済まないし」

 

 

 

 

 

「蘭、お父さんみたーい」

 

 

 

 

 

「うるさいモカ!」

 

 

 

 

 

「あはははは!!」

 

 

 

 

 

巴ちゃんの高らかな笑い声に連なるようにみんなの笑い声も屋上にこだましていく。それを聞いていると、なんだかなんとかなるような気がしてならなかった。

 

正直、あの時の恐怖は未だに私の心の奥底にこべりついている。それでも大切な幼なじみが困っていたら見過ごせるわけがない。流誠くんだって今もきっと苦しんでいることだろう。なら、あとはやるしかない。

 

 

 

 

......待っててね流誠くん。私たちが必ず、助けてあげるから。

 

 

そんな決意を、私は微笑みの内で強く固めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「久しぶりだな、孤児院来るの」

 

 

 

 

 

「何度見てもデッカいね......ほんとここの家主の先生って何者なんだろ」

 

 

 

 

 

「ほら、早く行くよ」

 

 

 

 

 

絢爛豪華な孤児院に見惚れていると、蘭ちゃんからの呼びかけに目が覚めた。それから私はハッとしながらも、先々行く蘭ちゃんの背中を必死に追いかけた。

 

 

 

 

 

「インターホン......インターホンは......」

 

 

 

 

 

「ここだねー」

 

 

 

 

 

「あ、ありがとモカ。さすが流誠の彼女なだけあるね」

 

 

 

 

 

「いうてここ、あの時から行ったことなかったんだけどねー」

 

 

 

 

 

モカちゃんの助けもあって、広大な入り口のエリアから無事小さなインターホンを見つけることができた。

蘭ちゃんはおほんと咳こむと、震える指先でインターホンのボタンを押した。

 

 

 

 

 

「蘭、緊張してる?」

 

 

 

 

「ちょっとひまり、黙ってて!もうボタン押したんだし!」

 

 

 

 

 

「人来る前にからかえるところまでからかっとこー」

 

 

 

 

 

「あのねぇ......!」

 

 

 

 

 

「ま、まあまあ落ち着いて......」

 

 

 

 

 

蘭ちゃんが緊張していたのかは私も気になるところだが、今はそれどころではない。私は一触即発しかけた蘭ちゃんたちを制止し、みんなとインターホンからの返事を待った。

 

 

......しかし、いつまで経っても返事は返ってこなかった。

 

 

 

 

 

「あれ?留守なのかな......」

 

 

 

 

 

浮上してきた不在の可能性に、私は家の周囲へと視線を振りまいた。

孤児院の壁の側、木陰、駐車場......様々な所へと目を凝らした結果、孤児院には誰もいないことが発覚した。

 

 

 

 

 

「自転車も自動車もない......やっぱり誰もいないみたい」

 

 

 

 

 

「っ......待て!じゃあ流誠は......?」

 

 

 

 

 

巴ちゃんの言葉に、私や他のみんなはハッとした。流誠くんは今ごろ体調不良で寝込んでいるはずなのに、本来ならあるはずの彼の自転車も見当たらなかった。であれば、あるいは......

 

 

 

 

 

「どうだろう......病院行ったとかかな」

 

 

 

 

 

「あれほど無理するなって言ったのに......」

 

 

 

 

 

「でも玄関は開いてるみたいだよー?」

 

 

 

 

 

ふと聞こえてきた声にまさかと俯かせた顔を上げてみると、モカちゃんが玄関の扉をゆっくりと開け始めていた。

 

 

 

 

 

「ちょっとモカ!!不法侵入だよ!?」

 

 

 

 

 

「モカちゃん彼女ですし問題ないっしょー。それに開いてたら気になるしー」

 

 

 

 

 

「絶対そっちが本心でしょ!?って、行っちゃった......」

 

 

 

 

 

モカちゃんはひまりちゃんの呼びかけを擦り抜けて孤児院の中へと足を踏み入れていった。

 

 

 

 

 

「あーあ......どうする?ついてく?」

 

 

 

 

 

「うん、ていうか呼び戻さなきゃ」

 

 

 

 

 

さすがに法に触れることをするのはまずいので、大事に至る前に私たちもモカちゃんを外に連れ戻すべく孤児院の中へと入っていった。

 

 

扉を越えた先には、あいも変わらず豪勢な内装が私たちを待ち構えていた。外も中もこんなものだから、いくら親友の家とはいえ慣れるには相当時間を要するだろうな。

 

と、そんな呑気なこと考えている暇は......

 

 

 

 

 

「あれ?モカちゃん?」

 

 

 

 

 

モカちゃんを探すために靴を脱ごうとしていると、ターゲットであるモカちゃんは目の前にある玄関先のカーペットの上で茫然と立ち尽くしていた。

 

 

 

......と、ここで私は靴を脱ごうとする途中で、不可思議な点に気づいた。

 

誰もいない孤児院。流誠くんも含めて、全員外出中のはず。

なのになぜ、モカちゃん以外の外向きの靴が揃えて置かれてあるのだろうか。

 

 

 

 

......なぜいつも見る流誠くんのスニーカーが、“今”ここにあるのだろうか。

 

 

 

 

 

「え......え......?」

 

 

 

 

 

モカちゃんについてか流誠くんのスニーカーについてか、どちらの不自然さを先に言及しようか言い悩む。そんな私の嗚咽を遮って、モカちゃんが私たちにこう問いかけてきた。

 

 

 

 

 

「────ねえ。これ、何」

 

 

 

 

 

「“これ”?」

 

 

 

 

 

モカちゃんの声がやけに重々しく感じられ、その一瞬で場の空気が一変したのが嫌でもわかった。

 

 

 

 

 

「これって言われてもどれだかわかんないんたけど......」

 

 

 

 

 

「......モカ、何を見つけたんだ?」

 

 

 

 

 

ひまりちゃんと巴ちゃんに何事か伝えようとしたのか、モカちゃんは自分の足元へと静かに指さした。

その微かに震えている指から伸びる先へと視線を辿る。やがて視線は、モカちゃんからほんの少し前にある床へと着地した。

 

 

 

────斑点模様の血痕の染みついた床へと。

 

 

 

 

 

「ひ......ッ!な、何これ......!」

 

 

 

 

 

「これは......血なのか?」

 

 

 

 

 

「すごい量......」

 

 

 

 

 

血なんて指を切った時とかにしか見たことがない。それも少量だ。しかし、ここまで大量の血を実際に見るのは生まれて初めてだった。

あまりの異様な光景に吐き気を催す。そんなうつろな意識のなか、血痕はリビングのほうへと伸びていることがわかった。

 

 

 

 

 

「この血痕、リビングにまで伸びてるみたいだけど......」

 

 

 

 

 

「......ねえみんな、流誠の靴があるのはもう気付いてるよね」

 

 

 

 

 

「......ッ!蘭、お前......!」

 

 

 

 

 

ふと、蘭ちゃんが呟く。そこに巴ちゃんが血相を変えたように突っかかっていった。

 

 

 

 

 

「縁起でもないこと言うなよ!」

 

 

 

 

 

「でも事実かもしれない......それにもしそうだったら、縁起とか考えないで早く助けに行かなきゃでしょ!」

 

 

 

 

 

「......!」

 

 

 

 

 

蘭ちゃんの言葉に、私は先ほど屋上で密かに心に決めたことを思い出した。

 

 

 

 

そうだ────......流誠くんは、私たちが必ず助けてあげないと。

 

 

気がつくと、口より先に体が動いていた。

 

 

 

 

 

「私、見てくる!!」

 

 

 

 

 

「ちょ、つぐ!?」

 

 

 

 

 

ドタドタと廊下を駆けていく。その勢いと後ろから聞こえてくるみんなからの呼び止めゆえの後ろめたさに思わず躓きそうになったが、今は流誠くんの安否確認を優先すべきとつま先で踏みとどまった。

 

 

長い廊下をしばらく進むと、リビングへと伸びていたと思われていた血痕は手前のキッチンへと分岐していた。私もそれに従ってキッチンへと足を運んだ。

 

 

......そんな矢先、流誠くんを見つけた。

 

 

 

案の定流誠くんは口から血反吐を垂らしながら、横向きになって倒れていた。そして彼の周囲には、かみついた跡のついた様々な食べ物がいくつも乱雑に散らばっていた。

 

 

 

 

 

......とても、暴力的な噛み跡だった。

 

 

 

 

 









いかがだったでしょうか。次回は本編で、4月12日の20時30分に投稿予定です。お楽しみに!


少し説明不足だったので、一応このif世界線について補足しておきたいと思います。
このif世界線は名前の通り、いわゆる「もしものルート」というやつです。そこに超常があるかどうかは関係ありません。
もしもあそこであの選択をしていたら、世界観が違ったら、などなどそういった観点を軸にこの特別章を進行させていただいてます。選択という単語から察した方もいると思いますが、これは分岐ルートでもあります。事実この世界線αも「2章が終わったあとケーキバースが発現した世界」という体で進行してます。


とまあこんな感じです。もしわかりにくい箇所があれば気軽に感想欄に書き込んでもらえると幸いです。



ということで今回はここまで、また次回お会いしましょう。さいなら!


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世界線β 手向けの出会い

どうもあるです。

えー、挨拶も済ませたところでみなさんにお詫びと訂正をさせていただきたく存じます。
前回番外編を投稿すると言いましたが、あれは特別章の誤りです。申し訳ございませんでした...
番外編も特別章も一緒に見えますが、厳密にいえば特別章は別の世界線で起こっていることなので番外も何もありません。そのことがうっかり頭から抜けていたようです。今後はしっかりと区別できるように心がけていきたいと思います。改めまして申し訳ございませんでした。



それでは本編、どうぞ。







 

 

 

空を見上げると、満天の夕焼け空が広がっていた。

雲の少ない空は底が抜けているようで、どこまでも突き抜けていくオレンジとダークブルーの黄昏は俺の足を止めるのに十分な魅力を有していた。

 

 

 

 

 

「すげぇ......」

 

 

 

 

 

筋状に伸びた薄い雲にかかる夕影も、周囲一帯を照らす夕日も、今日の夕焼けは一段と輝いて見えた。目に映るどれもが美しく見える。そんな命が吹き込まれた景色の最端に、一番星を見つけた。太陽系のうち第二惑星に位置づけられている、金星だ。

 

 

 

俺は小さい頃から星が好きだった。暇さえあれば天体図鑑と睨めっこして、夜になると星空に浮かぶ実物を眺める。高校も始まって忙しくなった今でも、気分転換に星を探すことだってある。

しかし、それ以上に好きなものがあった。それがこの夕焼けだ。

 

星空に比べたら眺める機会など無いに等しいはずの夕焼け。それでも、俺にとっての一番は夕焼け一筋だった。

 

 

俺ももとよりおとなしい性格だったので、こんな燃え盛るような空よりも静寂に包まれた星空の方が性に合っているはずだった。それなのに、何をそんなに夕焼けに思いを馳せることがあるのだろうか。

 

確かに夕焼けは綺麗だ。星空と同じく天気に左右されやすいが、その優美さを拝めることができた時にはいつだって感動させられる。

 

 

 

 

 

 

 

 

────ではこの『痛み』も、感動の一種とでもいうのだろうか。

 

 

 

深い思い入れなんて一切ない。なのに、どうしてこんなにも胸が締め付けられるのだろうか。

 

 

 

 

どうしていつも、涙が溢れてくるのだろうか。

 

 

 

 

 

「────......」

 

 

 

 

 

頬を伝う熱は放っておいた。どうせ拭ってもまたすぐに流れてくるし、風が乾かせてくれるだろうから。別に感傷に浸りたいわけじゃない。そもそも浸る感傷なんてないわけだし......

 

 

なら、この鬱陶しいまでの胸の『痛み』はどう説明すればよいのだろうか。

 

その答えがないかと、俺ひとりの高台の周囲を見渡した。やはり何もなかった。

あるのは昼と夜の境界線だけで、その世界の一部に俺が在るということを再認識させられただけだった────。

 

 

 

 

 

それが気のせいだったことに気がつけたのは、あの眩しいまでの紅を目にした瞬間だった。

 

 

 

 

 

「────ぁ」

 

 

 

 

 

『何もない』と思われた高台。しかしそこには、俺以外の存在が5名ほど見受けられた。

 

 

 

一人は、おとなしそうな普通の女の子。

 

 

 

 

一人は、情熱が滾るような女の子。

 

 

 

 

一人は、面倒見の良さそうな女の子。

 

 

 

 

一人は、のんびりでおっとりとした女の子。

 

 

 

 

一人は、夕焼けを閉じ込めたようなメッシュの女の子。

 

 

 

一見して個性はバラバラでも、仲の良さそうな5人だった。かなり距離が空いているため何を喋っているのかは聞こえないが、それだけは確かだった。

 

 

......ああ、そうだ。彼女達はきっと幼なじみに違いない。いつも5人で肩を並べて、あの背中に背負ってるギターケースとかだって、みんなといつまでも仲良くいたいからとか、そういう理由でバンドを組んでいるからだろうな。

 

 

 

羨ましいな。俺にもあれぐらい仲の良い友達がいたらな。それこそ、幼なじみのような分け隔てなく気の許し合える友達が。

 

ここまで初対面の人に憧れを抱くことなんて初めてだ。いつもなら人見知りをかまして見て見ぬフリばかりするのになぜだろうか。これまでで仲良し同士なんて腐るほど見てきたはずなのに、この子達からはなんだか特別なものを感じるのだ。

 

 

 

今目の前に広がっている、この夕焼けと同じような。

 

 

 

 

 

 

そんな、身も心も洗われるような何かが────......

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「......あれ」

 

 

 

 

 

気がつくと、あの5人組は姿を消していた。

再び俺ひとりとなってしまった空虚なまでの高台には、切なさを感じずにはいられなかった。

 

 

 

そんな感情を抱いたのは、そう、きっと。

 

 

 

 

 

 

 

......きっと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────......あぁ」

 

 

 

 

 

やめておこう。見ず知らずの彼女達の関係に俺も関わっていただなんてありもしないことを想像して、一体何になるっていうんだ。この胸の痛みだって......そうだ。これはきっと、喘息の発作が出たからに違いない。

 

毎回こうして夕焼けを見るたびに苦しくなるのもきっと偶然なんだ。でなきゃ説明がつかない。理解できない。何を根拠に、あの子達につまらぬ情を抱くのか。

 

 

 

 

 

 

......いや、でも。

 

 

 

『つまらぬ情』、か。

 

 

 

 

 

初対面である彼女達とのひと時を想像するなんて気色の悪いことだというのはわかっている。でもそれを真に受けるだけで終わらせることが、俺にはどうしてもできなかった。

 

 

世の中に遍在する可能性のなかで、彼女達と過ごす日々。

同じ高校に行って、同じバンド活動をして、時にはぶつかって、それでもまたつながりあって────。

 

 

 

 

 

 

 

 

俺にはそのどれもが、なぜだか異様なまでに想像できてしまうから。

 

 

 

 

 

「......また、会えるかな」

 

 

 

 

 

ぽつり、と吐き捨てた言葉は瞬く間に空へと散っていった。やがてそれは水面に落ちた雫のように、波紋を広げながら雲の一部となっていった。

 

 

 

 

 

 

────雲が空を覆っていく。

 

 

 

気づけば夕焼けは、星の輝きも月明かりも届くことのない曇天の夜へと変わっていた。

 

 

 

 

 









いかがだったでしょうか。次回は本編で、4月2日の20時30分に投稿予定です。お楽しみに!

今回の世界線では、もしも流誠くんがみんなのことを『一切』忘れていたら、つまりバッドエンドルート的な感じに仕上げてみました。
一切というのは文字通り、事故で記憶障害を患ってしまい、Afterglowのみんなについて何もかもを忘れてしまったということです。

少しだけでも蘭達のことを覚えていた本編とはまた大きく異なっていますが、流誠くんも奥底では何かを予感している、それでも思い出せない。そんな情景を書きたいと思い、この世界線を作りました。切ない。



とまあ今回はこの辺で、また次回お会いしましょう。さいなら!


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