真菰柱 (時雨。)
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真菰柱と柱合裁判

薄暗い室内を唯一照らす蝋燭の明かりは、ふすまの隙間から吹き込んだ夜風にゆらりと揺れた。

話し合う二人以外に誰も居ない部屋で向かい合うのは鬼殺隊は頭領、産屋敷耀哉と一人の青年であった。

青年は鬼殺隊所属、階級は柱という特殊な地位を除けば最上位の甲。色素の薄い赤茶の髪を後頭部で束ねる金の輪が蝋燭の光を淡く反射する。

 

「では、そういうことで良いかな」

「御意。委細承知、その件の全てこの俺が承りました。ですので、先程の件はくれぐれもよろしくお願い致します」

「勿論分かっているよ。でも、無理はしてはいけないからね」

「はい、お心遣い痛み入ります」

 

上司である産屋敷の気遣いに端的な感謝の言葉、それに続いて淡々と挨拶を述べ、すぐに部屋から退出していく。

他の隊士であれば極度に畏まった態度を取るか恐れて震えてしまう者ばかりの鬼殺隊の中でも良い意味でも悪い意味でも他とは違う態度を見せる青年が去ってから十数秒後、産屋敷は苦笑いと共に大きなため息をついた。

 

「まさか滅多に意見を言わない彼がどうしても叶えてほしい願いがあると言うから話を聞いてみたものの、あんな内容だったとはね……。こればかりは私も予想外だった。だが、提示された条件はそれに見合うどころか破格の内容だ。他の柱の子供たちの反応が今から予想できるけれど、そちらを抑えるのは私の役目だね」

 

やれやれ、というように再びため息をつき天井を見上げる。

きっと彼は既にこの屋敷を出立し、目的の為に動き出しているだろう。期限は次の柱合会議まで、と本人が言ったからそれをそのまま了承したものの、次回の柱合会議までの期間などたった一月しか無いはずだ。

だが、"彼女"に関することで彼が妥協や無理な賭けに出るとは考えづらい。恐らく何らかの勝算があるはずだ。

 

「現水柱である義勇、錆兎と同じく鱗滝左近次の弟子にして海の呼吸の使い手……。彼が"彼女"の名を出してやってのけると言ったのだからきっと本当にやり遂げるだろう」

 

その日のために準備をしておかなくてはいけない。まずは――――

 

 

産屋敷は一人きりになった部屋で考えを巡らせる。

全てはより多くの鬼を狩り、諸悪の権化を打ち取る為に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

柱合裁判にて、竈門炭治郎及び妹の禰豆子の処遇を決める話し合いが行われていた。

と言っても正確にはまだ裁判そのものは始まっておらず、参加者である柱達が容疑者である炭治郎を見下ろしてそれぞれ意見を述べているだけだ。

恋柱からお館様が来るまで独断で処刑するのは、という意見が出たものの即刻斬首、鬼もろともに殺してしまえという考えが大多数だった。

そんな最中風柱とひと悶着ありつつもお館様――産屋敷が到着し、一度場の空気が変わる。

彼が述べたのは竈門炭治郎、禰豆子両名の存在を容認していたこと、そして同じく柱にも彼らを認めてほしいという内容だった。

説明の途中で読み上げられた鱗滝左近次からの手紙には、禰豆子が人を襲った場合は鱗滝左近次本人、竈門炭治郎、現水柱の冨岡義勇、鱗滝錆兎の両名及び同門の鱗滝真菰が腹を切って詫びるという内容が書かれていた。

自分達の為にこれだけの人が命を賭けている。

そのことに涙する炭治郎だったが、そんなことは知ったことか、人を襲えば襲われた人間の命は返って来ないと風柱、不死川は怒りを顕にする。

鬼の醜さを証明すると言い放った不死川は禰豆子の入った箱を手に座敷へと上がり、その箱ごと禰豆子を刺し貫こうと緑に染まった刃を振り上げた。

風を切って振り下ろされる刃は箱へと鋭く突き刺さるかと思われたが、刃が突き立てられる直前その切っ先は方向を変え、自身を庇うように振り上げられた。

甲高い金属音を立てて緑の刃と深みの濃い青い刃が打ち付けられる。

風にたなびく濃紺の羽織の背には水辺と稲に似た植物で形作られた紋が施されていた。

とっさに身を守った不死川は驚きに目を見開く。

 

「確実に首を跳ねるつもりだったんだが、一応は錆兎や義勇と同じ柱か」

「テメェ、どういうつもりだァ……領海(おさみ)ィ!」

「どういうつもりも何もお前を殺すつもりで刃を振るっただけだが?なにか問題あったか?」

「おおありに決まってんだろ!そもそもテメェは柱でもねェのになんでここ、に」

 

つい数秒前までアレだけ苛烈に叫んでいた不死川の声がしりすぼみに落ち着いていく。

その理由は目の前に立つ己を殺そうとして男、領海の肉体が満身創痍だったからだ。全身のあちこちから白い包帯が見え隠れし、頭と首にも包帯が巻かれているが、頭の包帯は彼の左目にものばされている。

更には利き腕ではない左腕はだらりと力なく垂れ下がっていた。

 

弥潮(やしお)、帰ったのかい?」

「はい、階級甲領海弥潮、只今帰還致しました」

「おかえり。それと、どうして今実弥に斬りかかったのかな」

「禰豆子が傷つけば真菰が泣いてしまうかもしれませんので」

「弥潮は相変わらずだね。でも、他の隊士に刃を向けては駄目だよ」

「御意」

「それで、例の件はどうなったのかな」

「勿論、恙無く」

「……流石弥潮だ。信じていなかった訳ではないけれど、まさか本当に一月でやり遂げるとはね」

 

何のことか理解できない周囲を置いてけぼりにしたまま話が進みより一層どういうことなのか理解できなくなっていく柱と炭治郎。

しびれを切らした同門にして同期の水柱、錆兎が声を上げる。

 

「お館様、例の件とは一体どういうことでしょうか。それは今弥潮が大怪我をしていることとなにか関係が?」

 

大怪我と聞いた産屋敷は眉を顰め、側に付きそう二人の娘に現在の弥潮の状態を聞いて一層顔を顰めた。

 

「無理は禁物と言ったはずだよ。弥潮」

「無論です。嘘偽りなくお約束の件は恙無く終えられたのですが……こちらに帰還する道中で上弦の参と戦闘になり、負傷致しました」

 

上限の参と聞いてざわつく周囲を無視して当の本人は風柱が禰豆子を再び傷つけないかじっと不動で見つめている。

 

「お館様!結局の所領海が成し遂げた例の件とは一体なんなのですか!」

 

大きな2つの瞳を産屋敷に向ける燃える炎のような髪色の男、炎柱、煉獄杏寿郎が明瞭な声音で皆が注目している件の内容について問う。

それを聞いた産屋敷は一つ頷き語る。

 

「彼が提示した条件は一月の間に下弦の鬼を4体以上滅するというものだった。具体的な結果は本人から聞こうか」

「承知致しました。討伐数は下弦の鬼4体、道中や情報を掴んだものの十二鬼月ではなかった際に討伐した鬼、総数42体を討伐してまいりました」

 

それを聞いた柱の反応は様々だ。

素直に称賛する者も本当にそんな成果を上げたのかと疑う者。しかし、次の一言で全員がまたかという表情になる。

 

「真菰と、それからこの背の紋に掛けて(たが)いありません」

 

真菰、真菰と先程からちらほら出てくる名前に柱は呆れ顔、産屋敷は笑顔、炭治郎はなぜここで姉弟子の名前が……?と困惑気味である。

そんな弥潮はふと産屋敷の娘の一人が持っていた手紙に視線を落とす。

その文面の中に真菰という単語と腹を切るという内容を発見すると同時に少女が何か言葉を発する暇もなくその手紙を奪い取った。

しまった。そんな声が水柱二人から聞こえたような気がしたと思った次の瞬間には弥潮は地面に倒れ伏した炭治郎の頭を掴んで持ち上げていた。

当然上に乗っていた蛇柱は後ろに放り出されて背中から転げ落ちる。

 

「おぉぉおい、竈門炭治郎ぉ……。貴様おい貴様妹が人を食ったら真菰がハラキリたぁどういうことだおい貴様ふざけんななんで真菰が切腹だ馬鹿野郎。お前を指導したらしい熱血錆兎とぼんやり義勇が腹を切るのは分かる。本人がそう望むなら勝手に腹でもなんでも切ってくれ。だが、なぜ真菰の名前がここに書いてある?駄目だろおい、てかなにこれ俺以外のみんなの名前書いてあんじゃん俺だけハブかよおいこらどうなんってんだそこの狐二匹」

先程まで丁寧な口調だったのが嘘だったかのように態度が急変した。

突然の出来事に驚いたのもつかの間、悍ましい怒気とも殺気とも取れる気配と匂いをダブルコンボでその身に至近距離から浴びた炭治郎は歯をカチカチと鳴らし、冷や汗が全身を滝のように流れる。

それを見つめる弥潮の瞳はドス黒く何も写さない深淵のようだった。

そんな瞳をギョロリと向けられた水柱二人はまずいことになった、と言わんばかりの苦い顔色である。

助けを求めるような視線を義勇から向けられた錆兎は、意を決して口を開く。

 

「あー、それなんだがな、やし」

「黙れクソ(うさぎ)なに真菰まで巻き込んでんだぶち殺すぞ。否、確実にぶち殺す」

 

駄目だ、もう手がつけられない。

遠い目で空を仰ぎ見た錆兎は少し離れた所に居た隠しにアイコンタクトを送る。

状況を理解した隠しはブンブンと風を切る音がするほどに頭を縦に振って全速力で駆け抜けていった。

その行き先は彼が先程から連呼している同門の真菰が居るであろう場所である。

もうこうなっては彼女にしか彼は止められない。

 

 

 

 

 

 

 

彼は甲ではあるが、その実力は柱の上位に余裕で食い込める程のものであることは一定以上の実力を持つ者や彼らの周りの人間、そして彼が破壊した痕跡の後片付けを担当する隠達には周知の事実である。

そんな彼は、主に被害を被っている隠を中心にあるあだ名がつけられていた。

 

 

柱並みの実力に異常なまでの真菰への執着。

 

 

 

 

 

 

――――真菰柱

 

 

 

 

彼が実際に柱に就任し、本来の海柱ではなく自身は真菰柱だと公言することでそれがあだ名ではなく本来の名称なのだと誤った情報が隊内に蔓延するのはあと数カ月先の話。

 

 

 

 

 

 




未来の真菰柱
・真菰がすき。なによりも真菰が好き。
・真菰が居れば三食霞だけで生きていける。
・全ては真菰の為に。

竈家長男
・突然どこかから現れたと思ったら頭をわしづかみにされてブチ切れられていた。完全にとばっちり。
・全身の先から冷え込んでいくような恐怖と今まで感じたことのない冷たい殺意の匂いがする。
・圧倒的恐怖。それを見たら終わり。

熱血な方の水柱
・弥潮隊員とは同門にして同期。もうひとりの水柱や真菰と同じく鱗滝左近次に鬼殺の技術を教わった。
・また真菰狂いが始まった……。
・せっかく喋ろうとしたのに躊躇なく言葉を遮られる。


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真菰が来るときは単騎ではやってこない。 かならず軍団で押し寄せる。

争いをやめなさい。
皆、真菰を愛す人間なのだから。


産屋敷の「落ち着きなさい」という鶴の一声で浮足立っていた柱や隠達は再び静かに傅いた。

唯一一人だけやけに不服そうな顔をしている甲の隊士が居たが、それを産屋敷は有無を言わせぬ笑顔で黙殺する。

その後風柱である不死川の稀血を使った試練を禰豆子が乗り越え、兄の炭治郎共々蝶屋敷に運び込まれていった。

この後に行われる本来の柱合会議に備えてしばし休憩を言い渡された柱達は各々仲の良い別の柱や近くに居た柱と雑談をしだす。これは言わば柱合会議が終わった後と同様の恒例のようなもので、半年に一度全ての柱が一堂に会する数少ない機会に皆自主的に交流を図っているのだ。

そんな中、この中で唯一柱ではない隊士が同門の水柱二人に向かってつかつかと近づいてくのをこの場にいる誰もが視界に捉えていた。

 

「さぁ、事の些細を話してもらおうか」

「あぁ……そう、だな」

「…………」

 

苦笑いで頬を引きつらせる水柱が片割れ、鱗滝錆兎。

普段の飄々とした表情は何処へやら、困り顔で相方を見つめる冨岡義勇。

二人へ詰め寄るのはこの場にいる誰もがご存知真菰柱、領海弥潮(おさみやしお)である。

 

「今回の件、俺と義勇と鱗滝さん、それから真菰とでよく話し合って決めたことなんだ。俺達はあの兄妹に可能性を感じている。他の鬼とは違う、あの二人だけが持つ何か。それが鬼舞辻無惨へ繋がる大きな一手になると信じている」

「だから何だってんだ。あぁん?そこでお前らが真菰を諌めるなりなんなりするべきだろ。てかなんで俺にだけこんな完璧に隠匿してんだよ真菰にもしろよ。そうすればお前らだけ腹切りショーでもなんでもできただろ」

「俺は見世物ではない」

「無闇に命を掛けると言っている訳じゃない。弥潮、お前もあの兄妹を見ればきっと俺達の思いが分かるはずだ。それに、なによりこれを言い出したのは――――」

 

 

 

 

「私だよ、弥潮」

 

その声に誰よりも早く、そして激しく反応したのは弥潮。

そしてホッとしたように息をついたのが水柱の二人。

じゃり、じゃりと庭の石を踏んで足音を立てながら言い合いの渦中へ向かって行くのは彼らの同門にして甲の女性隊士、鱗滝真菰である。

その姿を捉えた弥潮はこれまで向かい合っていた水柱二人に背を向けて真菰に向かって走り出す。

全身に大怪我を負っているとは考えられないほどの軽快な動きで駆けていくものだから、この場にいる全員が一瞬奴が現在進行系で医療施設に緊急入院すべき重症患者であることを忘れさせられた。

今までの険悪な表情からは想像もつかないような爽やかな笑顔を撒き散らしながら動かない左手はそのままに生き残っている右手は大きく広げる弥潮。

それに対して真菰もニッコリと可愛らしい朗らかな笑みを浮かべる。

 

「真菰ぉぉぉおおおおお!!!!!」

「おかえり、弥潮!」

 

真菰も彼を受け入れる様に軽く両手を広げる。

柱の中には彼女を初めて目にした者もそれなりにおり、弥潮はあれだけ愛を振りまいているがそれを向けられている側はどうなのかと常々思っていた。だが、今の様子を見るにどうやら相思相愛のようである、と結論付けたその直後。

まさに弥潮が真菰を抱きしめようとしたその瞬間、笑顔のまま表情を変えない真菰の右手が弥潮の顎を横からぶった。

ものの見事に脳を揺らされた弥潮は体をそらした真菰の横を通り過ぎてそのまま半ば白目を剥いた状態で顔面から地面へと倒れ伏す。

ベチャァッ!というおよそ転んだとか滑ったという事象では最大級の音を立てながら弥潮は地面に対して海老反りで滑って行き、やがて停止する。

突然の予想打にしない自体に柱の面々は目を見開き、元から見開いたような目をしている炎柱は「よもやっ!」と声を上げた。

元々そういう打ち合わせだったのか、そそくさと後方に控えていた隠し達が倒れた弥潮を担いでどこかへ運んで行く。

 

「遅くなってごめんね、ふたりとも」

「いや、むしろ思っていたよりも早かったぐらいだ。助かった。完全に頭に血が登っていたようだったからな。普段と違って満身創痍だったっていうのもあっただろうが、俺達がどれだけ何を言おうとも聞く耳を持たなかっただろう」

「そうだねぇ。それにしても随分傷だらけだったけど、そもそもこの一ヶ月弥潮は何処に行ってたの?」

「知らん」

「ああ、俺達も詳しく聞かされてない。どうやらお館様から直々の密命を受けていたらしい」

「えー!?そうだったの!?」

 

さも何事もの無かったかのように会話に興じる彼らだが、ついさっき自分達の兄弟弟子が死にかけで担がれていったことを忘れてしまったのだろうか。

それとも普段から彼の扱いはこんな感じなのか……。

そう思うとこれまで鬱陶しく感じていた彼の真菰談義だが、少しはまともに聞いてあげてもいいかもしれない。

そう心変わりをした柱達だった。

 

 

 




真菰が波のように押し寄せる。朦朧とする意識の中そんな夢を見た。きっと俺の呼吸が海の呼吸とかふざけた名前だからに違いない。


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お前の真菰は、 今、何処にある。

真菰狂いが割とまとも、だと……???


それは吐いた息が月明かりに照らされて美しく輝く夜だった。

何時にもまして冬の到来が早く、母や父と寒いね、早く家に帰って温まりたいななんて会話をしながら何かの遠出から家に帰っている途中であったと記憶している。

自分達の住んでいる村の直ぐ側にある狭霧山は何時にもまして黒く、大きく見えて、少しだけ怖くなった俺は母の着物の袖を引いて自分の顔を母の腕と体に挟み込む。

普段と違う様子の俺に母と父はどうしたのかと不思議そうな顔をしていたが、俺は顔が寒かっただけだと見栄を張って嘘を答えた。

今になってみれば仕方がない、という顔で二人は顔を見合わせていたので、俺の薄っぺらい嘘は直ぐにバレていたのではないかと思う。

子供の俺の足でも付いてこれる程度の早足で家へと再び歩きだした俺達一家だったが、もう家までそう掛からないという頃になって唐突に周辺の空気が変わった気がした。

母も父もこの異常に気がついていない。

自身の直感から来る悪寒と恐怖に走って家まで帰ろうと二人に言うが、二人共自分達が居るから心配しなくても大丈夫だと言う。

しかし、言いしれぬ恐怖が足元から神経を伝って冷たい何かを自分に染み込ませているような感覚を受けていた俺は、もう後から叱られようがなんだろうがいいから早く二人を家まで連れて行こうと半ば強引に両親の手を握って走り出そうとした。

左手に母、右手に父の手を取って前へ進もうとした瞬間、突然右手が後ろへ向かって引かれた。

腕の力を入れて引っ張られているというよりは体重を後ろへ移動させてゆっくり倒れ込んでいるような――

反射的に父を見上げれば本来父の首から上があるべき場所には美しく映える満月。

俺が何か言葉を発する暇もなくそのまま父だったものは後ろへ倒れた。

あまりにも唐突なことで俺も母もその場で硬直する。

数秒間父だったものから血が流れ出ていくのを呆然と見た後に、縋るようにして母を見上げようとすれば首を母の方へと向けた途端に顔に温かいナニカが降り注いだ。

目の中にも入ったそれに驚いた俺は慌てて両手で顔を拭う。ねとりとしたそれをなんとか最低限瞼を持ち上げられるだけ取り払い、一体何だったのかと目を向ければ自身の両手が真っ赤に染まっている。

そしていつの間にか目の前に立っていたはずの母も地面に仰向けで倒れ伏していた。父の時と同様に首から上がない状態で。

 

「は、え、ぁ、かあ、さん、とう、さ――」

 

半ば恐慌状態になりかけ、呆然と両親を呼ぼうとした所で体が何かによって力強く引き寄せられた。

その何かは俺を抱き上げたままその場から勢いよく離れていく。

俺が先程まで居た場所には二人の人影がどこからか舞い降り、小さな子どものようなナニカと棒のようなものを持って戦っている様に見えた。

何が起こっているのか全く理解できないまま暗い闇の中をこれまでの人生で経験したことのない速度で移動していく。

しばらくすると速度が落ち、狭霧山の麓の林の中で木を背にするようにして降ろされた。

担がれていた状態では見えなかった相手の顔をこちらが見上げる形で目にする。

 

「もう大丈夫だよ」

 

そこに立っていたのは俺とそう歳の変わらない様に見える少女だった。

そう、真菰だ。

後に俺がこのちっぽけで薄っぺらい人生のすべてを捧げると誓う少女。

これはそんな彼女と俺が初めて出会った月の美しい夜の話。

 

 

 

 

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全身満身創痍で蝶屋敷運び込まれた弥潮はそのまま3日間眠り続け、入院四日目の早朝にようやく目を覚ました。

折れた左腕は固定されたままだが、それ以外の傷はおよそ最低限ではあるが全て塞がり胡蝶しのぶに本当に最低限ではあるが、気をつけながらであれば日常生活を送ることに問題は無いと診断された。

日が登りはじめ、患者も屋敷の人間も起き出て屋敷が回り始めるころ、弥潮は一人とある一室へ向かう。

本来であれば足音を殺せる所を態と足音を立てながらその部屋の前までやって来て、部屋の中を覗き込む。

そこには弥潮が目的としていた人物以外にもう二人隊士と思しき人間が何事かとこちらに視線を向けていた。

 

「え?誰?なんかめっちゃ強そうな音なんですけど……お、俺らに何か様ですか、ね」

 

目に悪そうな髪の色をした少年、我妻善逸が顔を見せた弥潮に対して声を掛ける。

それに対して弥潮は一言も発さず一番手前のベッドの側まで近づく。

下半身を掛け布団の中に入れたまま体を起こしていた炭治郎は、臭いでわかっていたがやはりあの時の――と、数日前に髪を掴まれて殺意をぶつけられた時のことを思い出した。

顔を些か青くしながらも、自身を見下ろす弥潮を真正面から見つめ返す炭治郎。

他の二人はそんな朝っぱらから重たくなった空気を察して静かに場を見守っていた。

数秒の沈黙の後、弥潮が口を開く。

 

「この間はいきなりすまんかったな。俺もここ一ヶ月働き詰めで気が付かないうちに精神的にまいってたらしい。弟弟子に向けていい殺意じゃなかった」

「あ、い、いえ!その、俺も鱗滝さん達が自分達に命を掛けてくれているなんて知らなくて、あの場で手紙を読み上げられて初めて知らされたんです。俺、強くなります!絶対に禰豆子に人を襲わせず、みんなの期待に答えたえられるぐらい……!。そして禰豆子を人間に戻してみせます!!」

 

炭治郎の言葉を聞いた弥潮は少しだけ目を見開いた後にこう答える。

 

「――そうか。じゃあ俺が鍛えてやるよ」

「えっ!?いいんですか!?」

「ああ、なんか俺だけ鱗滝一門でハブられててお前と接点無かったからな」

 

ありがとうございます!!とキラキラした笑顔で感謝の言葉を言う炭治郎。

しかし、後にその選択をしたことを酷く後悔することとなる。

 

 

 

 

 

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「がっ、ご、げぇぁ、ごふっ」

 

蝶屋敷の庭で全身を震わせながら蹲り、えずく炭治郎。

それを木刀片手に見下ろす弥潮。

既に炭治郎は全身をボコボコに殴られた上に鳩尾に強烈な突きを食らい、挙げ句に痛みで身動きを取れないままがら空きになった腹に回し蹴りを受けて吹き飛んだ後である。

なぜこんな稽古ではなく蹂躙としか言えないような有様になってしまったのか。

ことの発端は数刻前まで遡る。

稽古ということで木刀を借りて蝶屋敷の庭までやって来た炭治郎と弥潮。

木刀を持って向かい合った状態で軽く打ち込みをした後に、これから本格的に稽古を始めると言い出した弥潮。

何をするのかと炭治郎が疑問に思っていると、突然あの柱合会議で嗅いだ強烈な殺意の臭いを察知した。

思わず身を固くしていると、弥潮が徐に告げる。

 

「これから俺が鬼役をするから、お前は最低限死なないように頑張れ」

 

稽古じゃないんですか!?と悲鳴のような声を上げる炭治郎に弥潮はそうだが?とい差も当然のような顔をしたまま先程の型を確認するような生易しい打ち込み練習を行った人間と同一人物とは思えないような苛烈な攻撃を繰り出す弥潮。

控えめに言ってマジで鬼である。

あれよあれよという間に炭治郎は壁際まで追い込まれ、フェイントに引っかかって木刀を弾き飛ばされた。

飛んでいく木刀を視線で追ったままの炭治郎の腹へ突き出された弥潮の足が突き刺さり追い込まれていた壁に叩きつけられる。

背を打って地面に落下し、蹲ったまま咽ていれば空かさず真剣ならば首が容易く落ちるような速度で自身の首目掛けて木刀が振り下ろされる。

それをなんとか紙一重で躱した炭治郎だったが、逃げた先にも弥潮は追いかけてくる。

 

「せめて木刀を拾わせてください!」

「お前は鬼殺隊の任務で鬼に追い詰められた時も同じ様に鬼に向けて刀を拾わせてくださいと懇願するのか?」

 

そう問われてしまえばもう何も言えない。

炭治郎は弥潮が先程告げた通り本当に自身を鬼に見立ててこの稽古、もとい痛め付けを行っているのだと理解する。

もしやあの時姉弟子が自分に命を掛けると書かれた書面を見た時の怒りがまだ残っているのでは?というか絶対今も怒ってると思わざる負えない程の躊躇の無さに思わずあの時同様体が震えた。

そうしてそのままろくに抵抗もできず、木刀も拾わせてもらえずに今に至る訳だが、流石に騒ぎを聞きつけたのか蝶屋敷の面々が慌てて弥潮を止めに来た。

 

「領海さん!止めてください!炭治郎さんはまだ先日の怪我が治っていないんです!それに明らかに怪我が悪化しているじゃありませんか!!」

 

蝶屋敷で働く隊員である神崎アオイがそう叫ぶ。

元から十二鬼月との戦闘でダメージを追っていた炭治郎は、既にうちのめされていたにもかかわらず今の鍛錬で間違いなく怪我を増やしていた。

それは蝶屋敷で彼を治療した一人として見過ごせない。

しかし、それを聞いた弥潮はほんのり不満そうな顔をして反論する。

 

「これはあいつが望んだことだぞ」

「望んだって、一体何をどう望んだらこんなことになるんです!?」

 

困惑した声を上げるアオイだが、全く同じことを思っていたのは現在進行系でボロ雑巾もかくやという状態にされている炭治郎もだ。

一体何が彼をそうさせるのか。

二人の疑問はその直後に解消されることとなる。

主に悪い方向に。

 

「『みんなの期待に答えたい』。炭治郎はさっきそう言っていた。みんなというのは当然真菰も含まれてるんだろ?真菰の期待に答えるためにはこれぐらい余裕でこなしてもらわなくては困る」

 

アオイと炭治郎の表情が固まる。

そういうこと……?そういうことなの?また真菰?てかあまりにも極端すぎじゃない?てかこいつ水柱の片割れとおんなじくらい会話が足りない!!!

先程と同様に全く同じ思考が脳内を駆け巡ったアオイと炭治郎の二人だが、至って真面目な顔でそう言い切った弥潮の目には善意しか見えない。

そう、彼はここまでの可愛がり(蹂躙)を完全に善意のみで行っていたのだ。

はっきり行って鬼畜の所業である。

一体どこに「がんばります!」と言われたからといって「よし分かった頑張らせてやる!オラオラ!何へばってんだもっと頑張るんだよ!!」となる人間がいるのか。

恐らく日本中探し回ってもこの男ただ一人だけである。

これには別時空の未来において読者からブラック上司と呼ばれる鬼の首領鬼舞辻無惨もドン引き不可避。

炭治郎が半ば現実から意識を飛ばしている間にも、弥潮は鍛錬という名の蹂躙を再開するつもりなのか木刀を構え直す。

どうにかしてこの真菰狂いを止めなくては。

普段の蝶屋敷では考えられない殺伐とした空気が庭を包んでいく。

そんな渦中にふわりと舞い降りる様にして炭治郎と弥潮の間に入ったのは、美しい黒髪を風になびかせる蝶の髪飾りを付けた女性だった。

 

「あらあら、あまり弟弟子に厳しくしては駄目よ。弥潮君」

「カナエか。久しぶりだな、息災か?」

「おかげさまでね」

 

胡蝶カナエ。

元花柱で、現在は蝶屋敷の常在隊士として鬼殺隊に所属している女性隊士である。

この殺伐とした空気を切り裂いて朗らかな笑顔を振りまく彼女はさながら地獄に舞い降りた天使であった。

鍛錬(暴力)を再開しようとする弥潮に、カナエは落ち着くように優しく語りかける。

俺は炭治郎の為を思って、焦ってはいけないわ、だがそれでは、無理は良くないわと、弥潮の反論はあれよあれよと押し込められていく。

最終的に今日の鍛錬はここまでということになった。

炭治郎が落とした木刀を拾い上げ、自分が片付けておくからゆっくり安めとひと声かけて弥潮は屋敷の中に入って行く。

ようやくなんとか危機を逃れたとアオイと炭治郎の二人がほっと息をつくと、カナエがくすりと笑った。

 

「大変だったわね、二人共。彼と会話をする時は大まかなくくりや曖昧な表現で話しては駄目よ。全く関係ない話題でも自動的に真菰ちゃんがくくりの中に入ってる体で進んじゃうから。今回は炭治郎君が弥潮君たちの弟弟子だったっていうのもあると思うけど、次からはちゃんと気をつけないとまた痛い目を見ることになっちゃうわよ」

 

その言葉に炭治郎は赤べこのごとく何度も縦に首を振って答えた。

正直に言って今日のようなことはもう懲り懲りである。

とはいえあの濃すぎる殺意が鍛錬の終了を言い渡された瞬間に一気に霧散し、残った感情からはこちらを心配する気持ちや罪悪感のような臭いを感じていたので恐らく根は優しい人なんだろうと思ったが、それにしたって怖すぎである。

大変勘弁してほしい。

 

 

 

 

 

 

その後弥潮が炭治郎を痛め付けたという話が鱗滝一門の耳に入り、また何かあったのかと急ぎ蝶屋敷に駆けつけた三人が苦笑いのカナエから事の顛末を聞かされて頭を抱えることになるのはそう遠くない未来の話。




いつから真菰狂いがまともだと錯覚していた?


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