Q.穂村尊は陽炎であったか (鈴近)
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Q.穂村尊は陽炎であったか

転校生の穂村尊、ただのクラスメートからしたらわけのわからない存在では? という話。尊は主人公の俺くんと仲良くなりたいようですが俺くんはそれがさっぱりわからないようです。つまり俺くんは尊エアプ。
本編数年後設定。
主人公こと俺くんは名無しなので名前は■■表記で出ます。ほぼ俺くんの生活と独白。


 ごほん、と。空っ咳が気道を通り抜けて、静まり返った路地に響いた。

 新年早々旭日は燦々と輝いていて、しかしその明るさはまるでアスファルトを温めてはくれない。通り抜けていく冷たい空っ風が熱を根こそぎ奪っていく。陽射し以外に暖を取れるものはぎゅうぎゅうに巻いたマフラーとコートだけだ。

 要するにものすごく寒い。今すぐ毛布を敷いた敷き布団と、もこもこ毛布プラス羽毛布団の間に挟まって、気が済むまで爆睡したい。当直明けの俺の頭はその考えで埋め尽くされていた。腹は減っているが、そんなことよりとにかく寝たい。疲れていた。びっくりするほど疲れ切っていた。目に沁みる朝日すらうざったい。今、きっと俺は人殺しのような目をしていることだろう。同僚に見つかったら反射で通報か確保かをされかねない。それほどまでに機嫌が悪い自覚があった。

 もう、イベントごとでテンションの上がりきった酔っぱらいを相手にするのはうんざりだ。ハロウィンが終わったらクリスマス、クリスマスが終わったら正月。騒ぎたい人間というものはイベントにかこつけてとにかく騒ぐ。ついでに酒をカパカパ開けて酔っぱらい、大暴れする。第三者のけが人を出さないように突っ込んでいって、しかし殴り返すわけにもいかないから、宥めながらサンドバッグにならざるを得ない、しがないお巡りさんはとてもつらい。お祭り騒ぎは無礼講がたやすく起こりうる。善良な市民の楽しい思い出を楽しいままにとどめるのがこっちの仕事だし、望んでこの職に就いたのだから、多少の負傷は必要経費みたいなものだが。

 一歩立ち止まり、息を吐く。重苦しいため息は白く染まって、空中に溶けていった。陽がまぶしい。こんなときに限って空は澄みわたっている。雲一つない青空は元旦にふさわしい朝だった。

 

 高校を卒業して四年。警察学校を卒業して三年。初出勤からだいたい三年。同級生が大学のモラトリアムを謳歌している横で、黙々と職務に励んできたけれども、やはり年末年始だけは毎回くたびれきってしまう。

 ポストを確認、何枚かの年賀状。だいたいがダイレクトメール。クーポンはありがたく使わせてもらう。特に行きつけの飯屋とマッサージ店。

 カンカンと音を立てながら階段を昇っていく。幼い頃に比べたら、ずいぶんと届くはがきの数は減った。

 まあ今のご時世、そんなものだろう。学生時代の繋がりだってろくに残っていないのだ、わざわざ金と手間をかけて毎年年賀状を出してくるようなやつには、一人しか心当たりがない。その一人もどうして送ってくるのかわからないのだけれど。

 一枚の年賀はがきを手に取り、見慣れた姓名と地名を視線でなぞる。

 毎年同じ住所から、毎年同じあいつの写真。例年通りそれが印刷されていて、走り書きの近況が書いてあるのだろうなあと思いながら、はがきをぴらりとめくった。笑顔のあいつと、知らない女の子のツーショット。

 誰だ? 少し悩んでから、ぽんと電球がつくように思い出す。

 ああ、「キクチャン」だっけ。幼馴染で彼女の。回らない頭でも情報検索はしてくれるらしい。丁寧に書いたのだとわかる生真面目な筆跡が、「もうすぐいい報せができそうです」と躍っていた。十中八九結婚の話だろう。俺にはまったく関係ないが、めでたいことには変わりないので遠くから祝いの念を飛ばしておけばいい。……はずだ。さすがに式の招待状は来ないだろう。来ないよな? 来ないでくれ。困惑するから。なんで一年も同じクラスにいなかった同級生の結婚式に。ありえない。ダメだ知能が下がっている。ろくにものを考えられない。

 自宅に上がり、鍵とドアチェーンをしっかり閉め、ようやく人心地つく。数日留守にしていた部屋はキンキンに冷えていてとてつもなく寒い。まめに掃除をしていた成果が出ているが、それはそれとしてほぼ外と同じ気温だ。スタスタ歩いていたおかげで今はまだ暑さを感じているくらいだが、このままだとすぐに風邪を引く。明後日も仕事なのにそれは困る。この仕事は身体が資本なのだ。だから、今すぐ布団で休ませろと訴えてくる全身の疲労をなだめすかしつつ、俺は寝室に向かい暖房を起動させた。

 居間のテーブルに年賀状をぽいと投げ捨て、コートを適当なところに置く。そのままダイニングに移動。部屋が暖まるまでの間に、冷蔵庫の中身を確認しておく。カロリーゼリーと発泡酒が一本。あと味噌。俺は眉をひそめて、すぐに冷蔵庫の戸を閉めた。

 まともなものがない。おせちもない。いや、もともとその手のイベント料理を買う習慣がないから当たり前なのだが。しかしここまで生活感が死滅しているとは思わなかった。自炊をしていたのは先月だった気がする。味噌とゼリーが残っているだけラッキーだったのだろうか。考えるのが面倒だからそう思うことにしよう。

 実家に顔を出したらなにかご相伴にあがれるだろうが、今は空腹より睡眠の方がしんどかった。すごすご冷蔵庫をあとにし、先ほどより確実に暖かくなった部屋に滑り込む。そのまま布団にイン。

 ふあーあ、とでっかいあくびをひとつ。すぐに指先や爪先があったかくなっていって、でろんととろけるようだった。

 あとのことは起きたときの俺に任せる。おやすみ。クソネミだよほんとに。勘弁してくれ。

 そうやって、俺はスコンと眠りに落ちた。泥のように眠った。やはり自分の匂いが染みついた部屋と布団はものすごく安心する。仮眠は気が休まらないから、多少の疲労回復にはなっても80%くらい回復したいときには向かない。自分の巣はどこよりも安全な場所だ。なぜなら俺以外誰もいないから。

 喉が渇いて目が覚めた。

 ゾンビが這い出てくるようにずるずる布団から出ながら、スマホで時間を確かめる。カーテンは閉め切っているから部屋は暗い。ボウッとブルーライトが目に刺さる。数字を見る限り、昼下がりのお八つ時らしかった。

 二枚重ねのカーテンを開けたら、相変わらず空は晴れている。今日はもうずっとこんな感じだろうか。あとで天気予報を確認しておこう。寒風にさらされることを想像しただけで身体がぶるりと震えた。ついでに空きっ腹がぐうと鳴く。

 

「おでん食いてえ……」

 

 予想外に弱々しい声が出た。まあわからんでもないのだが。

 からっけつの腹を撫でて、俺はがっくりうなだれた。恨めしさを抱えながら窓の外を見る。もう一歩も外に出たくないが、家に引きこもっていてもまともなカロリー源はない。つまり、どうあがいても一度は外に出なければならない。この寒い冬空の下に、だ。想像するだけでテンションが下がる。手札が一面の緑だったとき並に下がる。正月から出勤してくれるコンビニ関係者には本当に頭が上がらないのだが、寝正月を満喫したかった身としては己の不手際を憎むほかないのである。

 いや、これ以上ぐだぐだ言っていてもどうしようもない。腹を括って外に出なければ。昼になってもこの晴天なら、アスファルトも多少は遠赤外線を吸収して暖まっていたりするかもしれないだろう。悲観的になるのはよくない。

 

「案ずるより産むが易し!」

 

 自分で自分にバフをかけながら掛け布団を跳ねのけてベッドから降りた。そこで寝間着に着替えていなかったことに気づく。締まらねえ……。せめて下着は穿き替えて、もこもこのニットを上に着てから外出しよう。そうしよう。設定目標は酒、おでん(大根とたまごふたつずつ、糸こんは確定。あとは気分で)、そして煙草だ。たまには身体に悪いことをしなければやってられない。くさくさした気分を抱きながら、もそもそ着替える。

 

「くあっ」

 

 家を出る頃、噛み殺しきれなかったあくびが喉を通り抜けていった。

 

 

 食事をして、もう一眠りして。気づいたらオレンジの空がすっかり黒に変わっていた。冬至を越えると日は少しずつ長くなっているはずなのに、まるでその恩恵を感じられない。寒いので酒を投入。

 さらには粉雪がちらついていた。路面凍結からのスタッドレスなしがスリップした結果出る死人が一人でも減りますように、と反射で祈った。A.I.によって行われる自動運転で、ヒューマンエラーによる交通事故は激減したが、ああいうものは限りなくゼロに近づいても完全になくなるということがないのだ。だからこそ人間はそれを「不幸な事故」と呼称するのである。

 日常的に人死にについて考えるようになったのはもはや職業病の類なのかもしれない。まあ、でも、どちらにせよ肉体が有限である限り生物は、人間は死ぬ。エロスとタナトスは双子であり、どれだけ影が薄くなろうが死はいつもそこにあるのだ。メメント・モリである。メメント盛り蕎麦。つられて死をソーキ蕎麦を思い出し、口がにやけた。箸が転んでもおかしい頃合いになってきたからだいぶ酔っていると思う。

 

「もしもし穂村? 生きてる?」

『生きてる! 毎回殺そうとするのやめろよ!』

「わりいわりい、癖になっちまったんだよなあ。ミナミ人かよって自分でも思うぜ」

 

 だからノリに任せて高校の同級生に電話なんて掛けられるわけだ。

 火照った身体を雪の下にさらして、わざわざベランダに椅子を置いて、火のついた煙草片手に通話。ヘッドセットで話しているからうっかりスマホを落とす心配もない。

 ふわふわとろとろの夢見心地で、俺たちはぽつぽつと近況を話し合った。卒論が大詰めだとか、贔屓のカリスマデュエリストについてだとか、穂村の地元は今海風がきついが脂がのった出世魚がめちゃくちゃ旨いだとか、俺はおせちもお雑煮も食べてないとか、そんなどうでもいい話をたらたら続けた。

 

「今雪降ってる」

『えっ!? 交通網大丈夫か!?』

「どうせ積もらねえよ~へぇきへぇき。地面に落ちた端から溶けてるし。それに最近のA.I.は人間よりリスクヘッジが上手いし、ダイヤになんかあってもどうにでもなるだろ。そもそも三が日に徒歩圏外に出勤するのは無能がやることだっつーの」

『うわ、都会すご……』

「そーかね。穂村だってクリスマスからそっち帰ってるんだろ。そんなもんじゃね?」

『はは! まあ、お前は実家がぎりぎり歩いて行ける距離だもんな。そんなもんかあ』

「寝正月推奨の分、稼ぎ時の商売もあるしな~。難しいね。そういえば年賀状届いたぜ。お前も律儀だよな、ほんとに」

『それこそ癖になってるんだよ。別にいいだろ、古風でも!』

「悪いとは言ってないって。いい報せってやっぱ結婚? 卒業してからか?」

『えっ、あっ、……そんなにわかりやすかったか?』

「俺は鈍感野郎じゃないので~。今まで存在の匂わせしかなかった彼女の写真付き年賀状はさすがに気づくわ」

『遊作は気づかなかったよ』

「そりゃ、藤木だから仕方ねえよ。あいつときどき情緒が幼児だからな」

『えー……うーん……だいぶましになったと思うんだけど、まだそう?』

「まだっつーか、あいつのボケてるところはずっとそうだと思うぜ。三つ子の魂百までだろ。いくつになったってガキの自分は心のどこかにいるもんだしな。……やべえ悟ったみたいなこと言ってる……俺だってまだまだ若輩のぺーぺーだよクソが……」

『おいこらぁ! 先輩社会人にそういうこと言われると不安になるんだぞ! やめろ!』

「あはははは!!」

 

 酒が回っているせいか、どうでもいいことでゲラゲラ笑って涙が出る。そのまま俺たちは話し込んでいた。

 

 

 そろそろお開きかな? と思うくらい口数が減ってきて。で、俺は油断していたのだと思う。言わなくてもいいことがつるっと口から滑り落ちていった。

 

「でもさあ、穂村。俺たち、そんなに仲良かったっけ。つーかなんで年賀状一切返してないのに毎年生真面目にくれんの? 今のご時世あけおめのメールも来ないのがザラだぞ」

 

 瞼の裏に映る転校生は、揺れる陽炎によく似ている。

 

 

 さっきまでご機嫌だった通話口の向こうが、急に静かになる。奇妙な静寂が寒空の下に広がった。

 ジジ、と音を立てて煙草が灰になる。落ちていくそれをぼんやり見ながら、あーあと思った。とうとう核心に触れてしまった。ずっと疑問に思っていたけれど、なあなあで済ませ続けるのなら聞かなくていいことを、聞いてしまった。

 煙だか水蒸気だか判別がつかない白い息が口から出てくる。酔いでふわふわしていた頭が一気に冴えた。同時に疲れもどっと押し寄せてくる。自分から振っておいてなんだがとてつもなく面倒くさくなってきた。そうだ、俺はこういうのをとにかく避けて避けて人生のコマを進めてきたから、慣れてないし苦手だ。相手や自分に傷がつくのもいとわずに人の心に踏み込むなんて馬鹿げている。コスパが最悪。だからクラゲみたいに漂って、浅瀬でチャプチャプ遊ぶように生きてきたのに、つい緩んだ。穂村に甘えているのか、はたまた疲労困憊の酔っぱらいが口を滑らせたのか。もう主観では判断がつかない。「ワリ」とだけ断って、俺も黙った。粉雪がチラチラ視界をかすめていく。どうせ積もりやしない。

 あと十秒なにも言わないなら、さっさと切り上げて寝ようと思った。いい加減寒い。酔いがさめてきた。それでなくとも明日の休みが終わればいつも以上にハードな勤務だ。とにかく寝たい。そう思いながら、数を数える。

 でも、十数え終わる前に穂村が復活する方が速かった。

 迷惑だったか。しょぼくれた犬のような、泣きまじりの声が、鼓膜を揺らす。

 ううん、と俺はうなった。

 

「迷惑ってほどでもねえけど……ずっと不思議だったんだよな。つか迷惑だったらいちいち古風なはがきが届くたびに電話しねえし、スマホの電話帳からも連絡先全部消すし、お前の誤爆チャットもブロックする。だから迷惑ではない……と思うが……でも俺たち別に友達でもなんでもないだろ。……だよな?」

 

 ヒュッと空気が裂かれる音がした。風の音だろう。

 すうっと酸素を取り込む。もうこの際、全部言ってしまおうと思った。

 

「だってお前、藤木にしか興味なかったし。初めて教室に入ってきたときから、人懐こいような笑顔しながら、藤木以外は部屋の全部を警戒してただろ。俺らだってバカじゃなかったから、季節外れの転校生があからさまに人馴れしてなくて、いかにもワケありで、んで一人にべったり構ってるならそいつに任せるよ。いや、押しつけたっていうのが正しいかもな、陰キャ同士がつるんでても興味ねえもん。お前だって俺らに興味なかっただろ? 藤木もそうだ。そしたら、特に関わる暇もなくお前は地元に戻っていって、気づいたら俺たちは卒業してて。クラスメートとしての共通の思い出もなにもねえ。それで友達って、あるかあ? 悪い、俺にはいまいちわからん」

 

 そもそも俺は「トモダチ」をよく理解していないのだろう。自我がフワフワしている時期に同じ教室に詰め込まれていた人間たちの中から信頼できる数人を見つけろって、昨今のガチャ商法確率絞りよりエグくないか? 目当てのシクレア出すまで何個箱開ければいいんだよって話だ。俺はわりと初期にそれに気づかされてしまったから、教室は社交という名の政治が渦巻く戦場だった。

 というか、そもそも、俺は他人を信じることが不得意なのだろう。それが経験から来るものだというものは十分理解していた。俺が俺であるという事実だけで俺を愛してくれる人がいるのなら、俺が俺であるという事実だけで俺を疎む存在もこの世にはいるのだから。そして、俺はできるだけ疎まれることがないように、疎まれても加害をされないように立ち回ることを必死に覚えてきたのだ。

 運動ができないと下に見られるから、じいちゃんから剣道を習い続けた。勉強ができないと馬鹿にされるから、学校の教育の他にも通信講座を受けた。不潔だと嫌われるから、洒落てはいなくても清潔感には気を遣い続けた。クラスの中心の人気者になりたいと思ったことはなかったが、一定の愛想は必要だからうまいことポジションを獲得して、身近の世渡り上手な大人たちを見本にエミュレーションを続けた。

 これである程度の腕っぷしがあり、それなりに頭のいい一匹狼の完成である。まあ、反骨心と学習意欲はあったけれども、俺当人は動機を肯定しづらい。「負けなければ勝てる」の方針で負け筋を潰し続けただけであって、要は守りを固めすぎた。鎧を着こんで両手に盾を持っているようだ。まあ、盾は鈍器になるので悪いことばかりではないけれども。

 同級生たちは俺のことをそこそこ評価してくれていたようだが、俺は他人の顔を窺い続けて政治に腐心していただけなのだ。与えられたそれは、ちょっと過大評価だと思う。虐げられる側に位置づけられなかったのは、俺がビクビクオドオドと怯えてはいなかったからだろう。常に距離を測り、最適な位置を探していただけで、ヘラヘラ笑うのは苦手だったし、他人に合わせる、譲るということもあまりうまくできなかった。なんやかんや俺の我は強い。そのくせ自分の腹は明かさないのだから、この年になっても本音でぶつかれる友人がいないわけである。

 トモダチになるのに特別な儀式が必要なくても。普通を取り繕い続けるのがどれだけ難しくても。本音を話せる相手が見つかるまで、俺は周囲の人間を分類し続けていた。今は……同期でつるんでいるやつらなら、少しは信じられるかもしれない。あとネットでバチバチやりあっている対戦相手。それくらいの距離感の方がやりやすい。「顔が見える相手」というのがやりづらいときというのは、ある。もちろん逆もしかりだが。

 穂村と藤木は、ずーっと「わからない」のカテゴリだ。あいつらはなんでか俺を気にかけているようだが、俺からするとそうなる因果関係がさっぱりわからないので、不器用な手探りの距離詰めになんとなく付き合い続けているのが現状である。

 嫌いってわけじゃない。人間性を好ましいとも思う。だけど、それでも、戸惑いはなくならない。

 

「なんで俺?」

 

 これが本音だった。なぜ、俺なのか。俺なんかより、お前たちの人生の重要ポジションについている人間はざらにいるだろうに、どうしてまだ俺にこだわるのか。それがわからなくて、ずっと思考停止で受け流してきたけれど、わからないことは気持ち悪い。

 藤木の距離の詰め方は特に謎だ。あいつ、いつか俺が「ゼリーだけで飯、足りるのかよ。信じらんねー……」と尋ねて以来、毎食の記録を写真付きでチャットに飛ばしてくる。お前は俺で記録ダイエットでもしているのか? それに適当に付き合い続ける俺も俺だが。なあなあで五年はこれをやっているのだからお互い馬鹿だと思う。

 ぷかりと煙の輪が浮く。人生百年時代、二十代前半の今もきっと、これから怒涛の勢いで消費されて、積み重なっていく年月に押し潰されるに違いない。高校の、一年未満の関わりなんてその最たるものだろう。

 俺は小学生の頃の悪夢を思い出してイライラすることはあっても、無味な中学三年間になにも見いだせない。仲間だの、友達だの、そういう青臭い言葉を面と向かって言える相手がいないままここまできた。これからもそうだ。つるめる同期と適当につるんで、いいなと思った女と付き合っては別れ、その繰り返しで人生は続いていくのだろう。穂村尊と藤木遊作だけが、ハイスクールの名残を残し続けている。ついでに言うと俺は歴代教育機関の同窓会に一切出ていない。あれだけ腐心したクラス内政治は今やなんの価値もないのだ。お笑い草である。学生時代の感傷は全部脱ぎ捨てて置き去りにした。心底どうでもいいとも思う。

 それなのに、なぜあの二人だけはまだ思い出せるのだろう。繋がりがあるのだろう。あの二人は同じ大学に進学したと本人たちから聞いたから、これからも友人として付き合っていくのだろうが──じゃ、俺は? なんで、俺? 同じ時を共有する機会がそう多くもなかった、通り過ぎるだけのクラスメートに、どうして? 

 

 

「なんでそんなこと言うんだよ」

 

 震える声は湿っぽさを含んでいた。俺はただ、寒いな、と思っていた。

 

「お前だから友達になりたいと思ったんだよ、■■」




ありがとうございました~。筆者が尊について学習できたら解答編ができるかもしれない。


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シャーベットスノウ

陽炎であったか?のアンサーです。
あなたのトラウマを刺激しうる要素 いじめ・自殺の示唆
二次創作要素 大学生設定、イグニス復元済み、ほむきくの婚約、同性間でっかい感情


 深いため息が鼓膜を揺らし、尊はひくりと肩を震わせた。

 どうしよう。なにか言わなきゃ。でもなにを? なにを話せばあいつはわかってくれるのだろう。尊が君の、なんてことのない、当然のように与えられた優しさにどれだけ救われたかという話だとか、ずっと大事な友達として接してきていたつもりだったとか、言いたいことはたくさんある。

 しかし、そのどれが彼の心に正確に届くというのだろうか。なんでもないように言い放たれた「俺たち別に友達でもなんでもないだろ」に、冷たく突き放された直後の頭では判別がつかない。無い知恵を絞ろうとする脳みそだけが空回りし続けてオーバーヒートしかねないくらいだ。その間にも時間は過ぎる。沈黙は続く。そこには、尊と彼のどちらが、この静寂を破るのが速いかという結果だけが残る。

「わかった」と、疲れ切った声がする。全身が強張った。唾を飲みこもうとしたが、舌の根はカラカラに乾いていて、飲みこむ唾がなかった。

 わかったって、なにが。オレが気持ち悪いやつだってことが? 

 ドッドッドッドッと耳元で忙しなく鼓動が鳴り響く。冷や汗はじっとりと背筋を濡らし、視界がチカチカと明滅する。呼吸は次第に浅く、荒くなっていく。悪い想像が津波のように次から次へと襲いかかってきて、尊は溺れてしまいそうだ。息継ぎで喘ぐように、「やっぱなし」と「タンマ」、「待って」をぎりぎり間に合うところで吐き出したかった。

 それよりも早く、静かな声が耳を揺らす。

 

『穂村、お前いつこっちに戻ってくる?』

「ぇ?」

 

 間抜けな声が、ひっくり返りそうになりながらこぼれ落ちた。ぷつんと途切れたように冬の夜の静けさが戻ってくる。

 いつ自分がDen Cityに戻るかなんて、今の会話の文脈のどこにその伏線があったというのだ。頭が混乱するのがわかった。尊はぽかんと口を開けて黙り込む。三が日が過ぎる頃に帰ろうとは思っていたけれど、前後が繋がらない。脳内をクエスチョンマークが埋め尽くしていく。

 電話越しの彼は面倒くさそうに、気だるげなまま、けれど矢継ぎ早に言葉を続けた。

 

『俺も腹括るって言ってんだよ。休み合わせるから会って話そう。藤木は連れてきても連れてこなくてもいい、いやもうまとめて話した方が早いのか?』

 

 はっとして、慌てて尊は待ったをかけた。

 

「ちょ、だけど、お前忙しいだろ。無理にそんな」

『こんなところで遠慮するんじゃねえアホ』

 

 一刀両断。返す刃もない。ぐうと唸り声をあげる。ため息交じりに彼は話を続ける。相も変わらず面倒そうだ。実際面倒なのだろうな、と尊は当然のようにその事実を受け止めていた。

 

『今回っつーか今までのは、俺に確実に否があるんだから、お前らが気にするようなことは小指の爪の先ほどもねえの。塵ひとつねえの。わかる?』

「う、えっと」

『はいって言え』

「はい……」

『それに、こういうのは、顔合わせて同じ空間でやらなきゃ意味がないらしいからな。酒でも飯でも好きなものつつきながら話をすればいい。なーんか俺とお前たちの間に認識の齟齬があるのもそれで埋まるだろ。俺としちゃあ、俺みたいなのと友達になりたかったって言われても、は? なにその天変地異の前触れ? って感じだけどな』

 

 絶句。さすがに聞き捨てならない。

 カッと腹の底が熱くなる。思わず使い古した携帯電話を握りしめてしまったせいで、ぎちっと音が鳴った。

 

「だからっ! なんでそうっ!」

 

 唾が飛びそうなほど、尊は声を張り上げた。

 なんでいつも■■はこうなんだ。お前がどれだけいいやつで、オレや遊作がどれだけお前を好きか、いくら伝えようとしたって一度たりともまともに受け止めてくれたことがない。それどころか自分を卑下するようなことばかり言う。そのたびにどんなに歯がゆかったか! 当然のように、かつふざけた調子で自分を貶めるお前を見るのがどれだけ悲しかったか、わかっているのか! 

 鼻息荒く、尊は激情を吐き出そうとした。「でも」、と彼が続ける。

 

『お前と藤木の気持ちを、俺が勝手に否定するのは、違うだろ』

 

 他人が俺を通して何を感じたのかを、俺が否定する権利なんてないんだから。

 静かな声。気焔がふっとかき消される。瞬間的に熱くなった思いはあっという間に鎮静化され、胸に宿っていたごうごうと燃える炎はしゅるんと霧散する。静謐を湛える彼の声は、音もなく降る霧雨のようだった。乾いた地面が水を吸い込んでいくように尊を黙らせる。

 

『俺は、俺のことをいいやつだと思ったことなんて一度もないし、自分のことを、打算と偽善にまみれた、みみっちくてつまんねえ人間だと認識してるよ』

 

 そんなこと、ないよ。か細い否定が喉にひっかかる。それなのに言えない。あとに続く言葉がなんとなくわかるから。

 彼の語り口はやわらかく、しずかで、ぽつりぽつりと尊の中に染み込んでいく。

 

『だけど、お前たち二人からしたらそうじゃないんだろ? じゃあ教えてくれよ。穂村と藤木、お前らに俺がどう見えているか。……ちゃんと向き合うから。うまくできるかは、やったことないから、わかんねえけど』

「うん。……うん。向き合おうとしてくれて、ありがとうな……」

 

 引き攣れそうな喉を絞ることで、尊はようやく、「ありがとう」を言えた。くらりと視界が揺れる。喉が熱い。ともすれば鼻を啜ってしまいそうだ。ついさっきとはまったく違う理由から、目頭が熱っぽくなっていけない。空いている左手で瞼を抑えると、ずれた眼鏡が小さく音を立てた。

 

『じゃ、よい休暇を。うまい飯食ってあったかくして寝ろよ』

「お前こそ」

 

 声が震えていないか心配だった。今までなら、なにも気にせずに軽口を叩けたのに。そして、「友達ではない」と思っていた相手にも、気軽な気遣いを当然の礼儀として見せられる彼にさみしさを感じた。

 

『あー……明日の仕事が終われば実家に顔出すし、休めるだろ。たぶん。おやすみ』

「おう、おやすみ」

 

 耳元から携帯電話を外して、通話終了ボタンを押す。

 ずび、と鼻を啜ってしまうのは外が寒いからだ。他に理由なんてない。帰省するたびに祖父にしこたま飲まされるものだから、誰かと通話するときは酔い覚ましもかねて、たいてい庭先の縁側に出ていた。今日もそうだった。

 白く、丸い月が、ナイフのように冴え冴えと、暗い夜空に輝いている。手を伸ばせば届きそうなくらい明るく光っているのに、実際はとてつもなく遠くにいるというのは、彼によく似ているように思えた。

 

(友達っていうものは、特別なことをしなくてもなれるもののはずだった。普通ならそうだと思う)

 

 Den Cityに住んでいた頃の自分は間違いなくそうだったし、今は恋人となった幼馴染にだって、仲のいい友達が複数人いる。それが「普通」のことだ。

 

(でも、オレはあの頃、自分で思うほど普通にはなれなかったから……。■■も、そうなのかな)

 

 教室にいる彼を思い出す。一人でいる時間は確かに多かったけれど、浮いていたというわけではない。クラスメートたちとコミュニケーションをとるのはとてもうまかったように思う。尊や遊作より、ずっと。それに、彼はみんなから一目置かれているというか、頼られているところがあった。

 彼はなんだか、教室の中でいちばん「おとな」だった。気まぐれな猫のように、みんなとは少し違う、傾いた視点で世界を眺めていた。

 だけど、よく思い返せば、彼は教室全体から平等に距離を置いていた……という見方もできたのかもしれない。観察するようにみんなを──もちろん、尊や遊作もそこに含まれていた──見ていた、とも受け取れるのだ。今となっては。それはまんべんなくサンプルを採って学習を続けるA.I.にも似ていたし、俯瞰的に全体を見渡す指揮官にも似ていた。だからこそ彼はあの教室の中で絶対の中立、バランサーであれたのだろう。

 そういえば、成人式のときも同窓会の知らせが届くときも、いつもそこに彼はいない。複数人でつるむ相手がいたのに、その誰も連絡が取れないと言う。毎回誰かが「あれ、今日も■■くんいないの?」と言葉にしている。それくらい、教室の多数派に彼は焼き付いているのに、きっと彼の中には教室の爪痕なんか残っていないのだ。あの口ぶりからして生真面目に年賀状を出しているのは尊だけで、日常的にチャットを飛ばし合っているのは遊作くらいなのは察せられる。

 誰が、彼の深いところに触れたことがあるだろうか。

 今まで壁なんてないと思っていたところに不可視の壁がある。地続きだと信じていた道に大きなクレバスがその顎をぐぱりと広げていて、尊が落ちてくるのを待っている。それは尊を戸惑わせ、悲しませた。

 でも、今からでも遅くないと気づいてもいた。だから「友達だと思っていた」じゃなくて、「友達になりたかった」と言ったのだ。今友達じゃなかったとしても、これから友達になれる可能性は開かれている。五年弱、彼が抱えていた奈落にも、自分たちの間に横たわっていた断絶にも気づけなかった自分がそう言うのはおこがましいのかもしれない。だが、ほしいと思ったものに手を伸ばすのを諦めるほど自分はまだ大人になりきれない。妥協と諦めは後悔になる。今はまた左腕に収まっていてくれる相棒を失った、あの十六の年に味わった辛酸は、痛いくらいに尊の背中を押すのだ。

 繋がることを恐れるな、手を伸ばすことを諦めるな、小さくて大きな一歩を踏み出せ、と。

 きっと、遊作も同じ感情を常々感じていることだろう。自分たちは超高性能A.I.が演算に演算を重ねた破滅の未来を蹴り飛ばして、共によりよい明日を紡いでいこうと手を伸ばし、強欲に、傲慢に彼らを黄泉返らせたのだから。

 選んだことより、選ばなかったことの方がよほどしこりになる。選ばなかった以上存在するはずもないifをぐちゃぐちゃと並べ立てたところで、それは水の中に沈殿していく淀みのようにじわじわと人間を腐らせていく。そのまま、腐り果てた人間は、絶対に未来に行けない状態で暗闇に取り残されるのだ。尊たちにはもうわかっている。

 だから尊は選んだ。隣にいると思っていた遠くの月に手を伸ばし、彼を理解したいと懇願する。そのためなら、たった一握りの人間にしか晒したことのない傷を、再び開いて見せても構わないと思った。

 ■■の自己評価の低さも、彼が新陳代謝のように繋がりを脱ぎ捨てていくのも、彼我に大きな断絶が横たわっているのも、きっと彼が自分を守るために着こんできた鎧が作り上げた結果なのだ。そして、彼にはその重く、冷たい鎧をまとわざるを得なくなるほどの傷があるに違いなかった。臆病に、消極的にならざるを得ない理由があるはずだった。自分と同じもの──呪いだとか、傷だとか、業だとか──を抱えた人間には鼻が敏感になる。フィルターを通してみたとき、数人にだけ色がついて見えるように。

 彼はその断絶を理解していたから、正確に距離を測ってボーダーを引いていたのだろう。そして今、あの人は崖の向こう側から手を伸ばしている。いつ奈落に落ちるかわからないまま、恐々と深い峡谷を覗き、それでも尊たちに手を伸ばして、その断崖を飛ぼうと決めてくれた。それが、たまらなく嬉しい。「今までやったことがないから上手くできるかはわからない」と言った彼の言葉を信じるなら、きっと尊と遊作がはじめて彼の一番弱いところに触れられる権利を得たということなのだから。

 あっけらかんと友達ではないと言われたときの悲しさ、切なさはもう消えていた。特別なひとりになれたような気分だった。

 はあ、と白んだ息で手を温める。今夜は冷える。この街も、また雪で埋まるだろう。黒い冬の海に雪が叩きつけられ、雷が空を割ることだろう。

 

「尊ー? そろそろ冷えてきたから中入ってよ、風邪引くよ~?」

「今行く!」

 

 廊下の向こうから幼馴染の声がする。それに大声で返事をして、よっこらせと尊は立ち上がった、「やっと戻ってきた」と呆れように呟く彼女は、いくらか酔いで頬を赤らめていた。足取りはしっかりしているから前後不覚になるまで飲まされてはいないだろう。祖父が二人を潰したのは二十歳の誕生日に「限界を知っておくといい」とぐでんぐでんになるまで飲ませ続けたときだけだ。あのとき尊は二日酔いがひどくて頭痛が激しかったが、隣の綺久はけろりとしていたので、酒飲みの素質があるのはきっと彼女の方だ。当人は甘い酒が好きなようなので、祖父の晩酌には付き合えないのだが。それでなくても祖父は男孫の自分と飲みたがるので、尊もほどほどに付き合うわけだ。

 酔いが回ってくるといつも席を立って、一人で、遠くに行ってしまった人たちのことを考える。頭がふわふわしているときは感傷に浸ってもそんなに悲しくならない。酩酊は胸の痛みを誤魔化してくれる。時の流れも同じことだった。

 ふと思い立って、尊は綺久に尋ねた。

 

「綺久はさあ、『お前なんか友達じゃない!』って言われたこと、あるか?」

「え、なにそれ? 誰を怒らせたの? ちゃんと仲直りしないとダメだよ?」

「おいおい、怒ったのはオレだよ……なんか、喧嘩の段階ですらなかったって感じ」

 

 首をかしげた婚約者は、ふうん? と言いながら眉を寄せる。

 

「うーん、みっちゃんもスゥちゃんもそこまでカンカンになったことないからなあ……っていうかそこまで言っちゃったら修復不可能だって子供心にもわかってるでしょ。だから、そういう風に怒る子は、私の周りにはいなかったな。『友達じゃない』ってわざわざ否定してくるのは、こっちを傷つけたいからだと思ってた。尊のは違いそうだけど、どうなの?」

「うん? ううん、友達になりたいって思ってたやつが、実は結構難攻不落! みたいな。もともと気難しいやつだとは思ってたけどここまでとは思ってなかったっていうか」

 

 へえ、と言いながら考え込み、視線をあっち、こっちと彷徨わせていた綺久が、急に「あ」と漏らす。そのまま顔を曇らせたものだから尊は少し嫌な予感がした。言いづらそうに、彼女が口を開く。

 

「……まさかと思うけど藤木くんじゃない、よね……」

「ちょぉっ、オレと遊作の友情を疑うなよ!」

 

 咄嗟にそう言った。言ったけれど、笑い飛ばせたらよかったのだが、一瞬考えてしまった。「俺たち友達だったのか?」といつもの真顔で聞いてくる、別学部の同窓生のことを。彼、「共に戦った仲間」とは認識できていても、友達かと聞かれるとためらいそうである。友達いなかった歴十年を甘く見てはいけない。

 さーっと血の気が引いて、思わず両手で綺久の肩をつかむ。

 

「……信じていいよな遊作を!? 改めて考えたら不安になってきちまった……! でも今さら『オレたち友達だよな?』って聞くのは重くねーか!?」

「まあ、普通はそうだよねー。幼稚園の頃ならよくあったけど、高校過ぎると確認したりしないよ。ていうか近いよ。おじいちゃんたちにも聞いてきたら? 男の友情っていうのは私にはわかんないもん」

 

 ステイステイ、と犬のようにあしらわれて若干機嫌が悪くなるものの、まあそれもそうかと肩から手を放し、近づけていた顔を遠ざける。尊はため息を吐いた。

 重ねて言うが、遊作の孤独期間とコミュニケーション弱者ぶりを嘗めてはいけない。だから未だに鴻上了見に対する距離感がバグっていて、健全な友人関係というものが遠いのだ。五年弱過ぎても互いに消化しがたい重い感情を抱えているように見えて、尊は心配している。

 というか尊が了見とそれなりに親しくなる方が早かった。友人というには気恥ずかしいし相性が悪いが、知り合いよりは近い距離にいると思う。彼とのデュエルを通して過去に蹴りをつけられたからだろうか? 自分たちは案外気安い。遊作がまごついている間にそんな仲になっていた。なんでだ。

 そしてなんで遊作は今の今になっても不器用すぎるアプローチを重ねているのか? たぶん、■■とのコミュニケーションもパーフェクトにはできていないのだろう。遊作に食事の誘いをかけるときに、ついでにカマをかけてみようか。

 

 

 後日、記録ダイエットに対して「野菜食え」とか「今度は肉が足りない」、「そもそも全体量が少ない、胃を拡張しろ」と会話を試みている■■からの返信で天を仰ぐ尊の姿が食堂で衆目にさらされるのであった。

 

「え……これを五年弱やって……? 二人ってオレが知らなかっただけで実は馬鹿だったのかな?」

「さすがに失礼だぞ」

「いやムッとするところじゃないから。遊作のやつただの日記じゃん。SNSのbotみたいになってるよ」

 

 尊もさすがにSNSやbotなどの用語は覚えた。インターネットリテラシーがガバガバだった田舎の高校生はもういない。

 

「■■もなんでこんなところ律儀なわけ? これじゃあもう惰性じゃなくて習慣でしょ」

「休学している間は連絡が途切れて、そのあと心配されたんだ。嬉しかった」

「照れんな。こら。……あのフルダイブ強行突破のときの限界飯まで見せてたら本物の馬鹿だと認識せざるを得なかったよ。ほんっとうに肝が冷えたんだからな」

 

 そこを詰められると遊作は弱い。うっと首を竦めて、ごまかすために豚汁を啜る。彼がもくもくとたくあんをかじっている数十秒の間も尊はじっとり遊作をねめつけていたが、次第に馬鹿らしくなったのだろう。ひとつため息を吐き、■■に食事に誘われたがいかないかと聞いた。遊作は二つ返事で頷いた。

 

「一緒に出掛けるのは初めてだな。楽しみだ」

「店はあいつが選んでくれるらしいから空いてる日だけ教えてくれってさ。グループチャット作る?」

「それもそうだな。俺が作っておく。尊はなにもしなくていい」

「はいはい、オレはどうせ機械オンチですよ~。■■にも誤爆チャットのこと言われたし……オレだって進歩してるのにさ……」

「……というか、いつ連絡を取ったんだ?」

 

 ごちそうさまでした、と手を合わせながら遊作が尋ねる。今度言葉に詰まったのは尊の方だった。あからさまに表情を曇らせた正面の彼を、怪訝そうに遊作は見つめ返す。

 

「それに■■から誘ってくるというのも妙じゃないか? いや、嬉しいが……でも俺たちは一緒に飲みに行くような仲には至れていないと思うんだ……」

「うん……おっしゃる通りです……ところで話は変わるんだけどさ、遊作」

「なんだ」

「オレたち友達だよな?」

 

 不安を表に出さないよう、気を遣いながら、なんでもないように尊は尋ねた。遊作は虚を突かれたように目を見開き、それから呆れたように口を開く。

 

「なにを今更。俺がお前を、大切な仲間だと思わない理由がないだろ」

 

 つまり、イエスだ。その答えにどれだけ安心したか。

 詰めていた息を吐き出し、尊はほっと胸を撫で下ろした。ドコドコと痛いくらい脈打っていた心臓が落ち着いていくのを感じる。その、今にもだるんと潰れそうな彼の様子を見て、遊作は眉を寄せた。心外とでも言いたげだ。

 

「まさか疑ったのか」

「いや……仲間とは言い切ってくれると思ってたんだけど、『仲間だけど友達じゃない』とか『俺たちは友達だったのか?』って言われる可能性を捨てきれなかった……」

 

 遊作はばつが悪そうに視線を逸らした。今までの自分の言動で、思うところがあるようだ。ふはっと尊は気の抜けた笑いを漏らし、垂らした前髪をかきあげる。はらはらと髪は散っていった。

 

「不安だったんだよ、ちょっとだけ。詳しくはまた今度話すね」

「? ああ」

 

 ちらりと壁掛け時計を見上げる。三限が始まる十分前と言ったところか。「そろそろ出よう」と言いつつ、遊作は席を立った。

 

 

 

 待ち合わせ場所に指定されたのは、シティ中央部から少しだけ離れたダウンタウンの駅だった。

 遊作も尊もあまり利用したことのない場所である。Den City中心部に企業や大学はビル、キャンパスを構えているし、その周辺は自然と住宅街もできて、人が多いから商業施設も増える。学生向けのファッションビルなどがいい例だ。ダウンタウンの方には安くてうまい飲み屋や昔ながらの商店街、急速な電子書籍の台頭によって今やデッドメディアとなりつつある古本を扱う古書店などがあるらしい。

 全部ネットで調べた情報だ。それくらい二人にはなじみのないエリアだった。大学生という身分である以上、生活の活動拠点は学校周辺になる。それに二人ともバイトはCafe Nagiでしているから、観光スポットに詳しくなることはあっても、古くから土地に根差している人々の生活圏にはとんと縁がない。サークルや部活に所属しているわけでもないから、飲み会の機会なんて面白いほどないし、そもそも二人ともそこまで酒が好きかというと首をひねる。まだまだ食べ盛りの青年たちは、草薙が作ってくれる優しい味の家庭料理の方がずっと好きだった。それは彼の弟の仁も同じらしい。三人とも、賄いのおまけでチューハイをちびちび飲むか、安いイタリアンでこれまた安いワインを一杯だけ飲むくらい。場の雰囲気に呑まれて無理に飲み、胃の中身をあらいざらいぶちまけるよりは、健康的な付き合い方をしているはずだ。

 財布を自動改札に当てる。機械音。雑踏。構内にある店から香る食事のにおい。

 

「よう」

 

 改札に出てすぐの場所に彼が立っていた。ポケットに両手を突っ込んで、寒そうに鼻頭をあかく染めている。

 オリーブグリーンのモッズコート、縄編みが印象的な黒のセーター、ネイビーのスキニーを合わせた、シンプルでラフな出で立ちである。それなのにやたらと様になるのが、この男だ。

 肌に吸い付くようなスキニーパンツは彼の股下が長いことをこれでもかと主張するし、そのふくらはぎの隆起が如何に流線的で均整がとれているか目に焼きつけてくる。職業柄まんべんなく、ごつめに筋肉がついているはずなのに、それ以上に上背があるから、肉が付きすぎているわけでも足りていないわけでもなく。バランスはさながら黄金比率。右の人差し指にはめられた繊細な造形のシルバーリングがまた憎い。さらにその爪先はウィングチップの革靴に包まれている。トゥには一点の曇りもなく、ぬるりとしたなめらかさすら持ってつやつや輝いていた。いつも通りの仏頂面すらクールな横顔に見える。

 内心尊は唸った。ほれぼれするほどかっこいい。

 結局、■■という男子生徒は尊にとって憧れの存在だったのだ。Playmakerに向けたようなヒーローを熱心に見つめる眼差しとは違う。ふと視界に入ったときについ彼の方を見てしまうような、そんな引力を彼は持っている。それに引き寄せられたのが自分たちにとっていいことだったのか、それともそうでなかったのかは、今となってはわからない。ほんの些細なことで人は人を好きになる。「憧れ」という形で、好意は尊の胸に息づいていた。

 

「……なに変な顔してんだ? 藤木まで」

「おお!? いや、なんでもない、なあ遊作!」

「ああ。それに俺も尊も変な顔はしていない」

「ふーん、じゃあ気のせいか。それじゃ行くぞ。すぐ近くだから、寒くても我慢しろ」

「わかった」

「おう!」

 

 尊と遊作は■■を挟んで並んだ。■■は黙って二人の顔を順繰りに見たが、しばらくするとそのまま歩き出した。二人はそれに着いていく。

 カラッと晴れた空には欠けた月が一つ。三人の足取りは人混みに消える。ぽつぽつ話していると、吐息が白く染まった。

 

 

 

 引き戸を開けて店の中に入ると、尊の眼鏡が曇った。「いらっしゃい」と微笑む女将に会釈して、ハンカチでレンズを拭う。クリアになった視界には、白熱灯の光で照らされた店内。木とだしの香りがふわっと鼻腔をくすぐった。「お友達?」「そんなもん」と、彼は女将とやり取りしながら靴を脱ぐ。尊たちもそれに倣う。コートを預かられて、そのまま三人は個室の座敷に通された。

 座椅子を引き、柔らかい座布団の上に尊は所在なさげに正座で座った。隣の遊作も似たようなものだ。そもそも遊作は和室が珍しいのだろう。店に入ったときから結構きょろきょろしている。畳の目は整っていて、部屋の片隅には生け花が置いてあり、雪見障子からはライトアップされた庭がよく見える。

 尊は声を潜めて向かいの■■に耳打ちした。

 

「なあ、ここって高いんじゃ」

「気にすんな、俺の奢りなんだし」

「なおさら気にするけど!?」

「は? 俺が社会人でお前ら学生なんだから当然だろうが」

「いや、でも……」

 

 遊作がおずおずと援護に入る。

 

「高い酒飲むわけでもないしそこまでかかんねえよ。どうしてもって言うなら初任給でなんか奢れ」

 

 二人とも黙った。そのまま唸るように頷く。満足そうに彼は鼻を鳴らした。

 タイミングを見計らってか、女将がすっと扉を開けてお通しを出してくれる。温かい番茶と、湯葉のおひたしが置かれた。「お前ら嫌いなものあったか」と伺いを立てる彼に尊も遊作も首を横に振ると、彼は慣れた口ぶりで注文を言っていく。女将はにこにこ頷いてメモを取り、部屋を後にした。

 冷えていた指先を湯呑で温める。遊作はちろりと視線を上げ、重い口を開いた。

 

「こういう店、よく来るのか」

「ん? あー、ここはじいさんの行きつけでさ。昔馴染みなんだよ。俺の家もわりと近い」

 

 そうなのか。そう呟いて、ちびちびと舐めるように熱い茶を口に含む。

 

「足、崩してもいいんだぞ」

「ああ、うん……」

 

 それきりみんな黙った。■■はなにを話すか考えているようだったし、尊と遊作は言葉を言いあぐねている。料理が運ばれてくるまで、部屋はとても静かだった。

 

 

 

 女将がてきぱきと配膳をしていく。運ばれてきたのは、一人一本ずつのだし巻き卵。ふっくらと炊かれた、だしの香る大根の煮つけ。漆塗りの茶碗に盛られたご飯と澄まし汁。それから、シェアできるサイズの豆腐サラダと、二口サイズのおばんざいが色とりどりに並べられた盛り合わせ。

 部屋を出ていく女将に■■がひらりと手を振り、尊と遊作は小さく会釈する。そして三人とも箸を取り、誰からともなく手を合わせて瞑目した。いただきます。静かに声が広がる。

 

「食いながらでいいから、聞いてくれるか」

「ああ」

 

 遊作が返事をして、尊も頷く。だし巻き卵を一切れ口に含んだ彼が咀嚼を終えてから、その口を開く。

 

「俺がわりと人間不信だってことは、藤木ももうわかってるよな」

「尊から聞いた。俺たちは友人になるそれ以前の段階だったと」

「まあ、そうだよ。ダチなんか必要ないと思ってた。だいたい他人はいつ期待を裏切るかわかったもんじゃない。だから当てにしてこなかった。信じるだけ無駄だと思ってきた」

 

 箸の爪先が豆腐を割るように、ふんわりと炊かれた大根を割いていく。一口分に切り取られたそれをよく味わってから、彼はじっと二人の目を見た。

 

「お前たちとちゃんと向き合おうと思って、どこから話すかとか、なんで俺がこうなったのかとか、どう説明するかをずっと考えてきた。前も言った通り、うまく話せるかは、わかんねえけど。だって自分の分解をやったことがないんだもんな。まあ、だから、なんか、わかりづらいところは質問してくれれば深掘りするし……いや前置きが長い。悪い」

 

 謝らなくていい。遊作も尊もぶんぶん首を横に振った。

 それから、少しの逡巡を経て、彼は口を開く。

 

 

「俺さあ、小学生の時期をほとんど不登校で過ごしたんだよ」

 

「よくある話だと思う。三年のときに身体の小ささとか、声の高さとか、そういうのでタゲられて、からかわれて、次第にいじめに発展して。文房具壊されたり、靴にゴミ詰められたり、終いにゃ俺が話すだけでにやにや笑いやがる。最初はなにが起きてるのかわからなくて、『みんな』なにか新しい遊びをしてて、それにノれてない俺が悪いのかなって思ってた。『いじめ』の概念も他人を侮辱することが罪だってことも知らないガキ。ついでに悪意を向けられたことなんてなかったからな、不格好に笑ってんのは道化みたいだっただろうよ。それで向こうは余計調子づいた」

 

「いじめってのは、被害者側がいじめだって言わない限りは、実態と結びつかないんだよな。主観で左右されるから、問題ないと思ってたことが唐突に火種になったりさ。流れてる空気が異様かどうか判断するのはその空間の外側にいるやつだ。当たり前になっちまえばそれは日常になる。外から見て歪んでいようが関係ない。本当に問題ないやつもいるのかもしれないけど……俺はそうじゃなかった。次第に学校に行くのが嫌になってきてた」

 

「なんか変だなってようやく気づいて、でも具体的にどうすればその流れを直せるのかわからなくて……そういう時期に市内で中学生が自殺した。そうそうあれだよ、SNS使ったいじめ。わりとセンセーショナルに報道されたよな。闇インターネットとか、子供のストレスとかメディアが過熱報道してさ。子供向け六法とかが出てもガキってのは狡猾だよ……ふと見たネットニュースに、被害者がどういう仕打ちを受けたかが書いてあって。全然他人事じゃねえなーって気づく頃にはいろいろ、掲示板とかニュースとか読んだあとだったな。このままだったら俺もこんな風に死ぬのかなってぼんやり思った。ストレスの限界だったんだろうよ。身体の方にも症状出てたし……親も親で心配してたらしいけど、俺に自覚がないなら意味がないんだよなあ。そのタイミングで、自分がされていることが理不尽な言い掛かりや暴力だって……やっと肯定されたような気分だった」

 

「そうしたら腹が立ってきたんだよ。なんで俺がこんな目に遭うんだ、ここで俺が思いつめて死んでも加害側は絶対のうのうと生きていくに違いない。だったら耐えるだけ無駄だろ? なんで今まで抵抗しなかったんだろうって呆然としたよ」

 

「まあまだ信じてたんだろうな、トモダチのこと。やめてって言ったらやめてくれるかもってさ」

 

「すぐにそんなわけないかと思い直したけど。簡単にやめてくれるならあんなに続くわけねえもんなあ。それで、その翌日も学校に行って。国語の授業で音読をやるよう教師に言われて、俺は言われた通り教科書を読んでたんだ。ガキ大将はにやにやしながらこっちを見ていた。『ヘンな声がするから集中できない』だったか? まあなんか難癖つけられて……」

 

 キレて窓を割った。そう言って彼は吸い物を啜った。思わず二人とも顔を見合わせて、ぽかんと口を開ける。聞き間違いじゃなく? つい尊は口を挟んだ。

 

「それマジ?」

「マジの大マジ。ちょうど窓際の席でさ、脚つかんで投げたら景気よく割れたんだわ。ついでに俺も額切った。もう教室は阿鼻叫喚の大騒ぎ。女子が泣き出してなあ。その最中で俺を馬鹿にした当人はぼけっと間抜け面をさらしてるから余計ムカついて。教師が動揺から帰ってくる前に、頭から血ィだらだら流しながら『なにがおかしいんだ、俺の目ェ見てもう一回言ってみろよ』って引き倒した、はず。いや、実を言うとその辺親から伝聞で聞いただけであんまり覚えてねえんだよな……で、駆け付けた他のクラスの担任に引きずり出されて翌日から不登校、チャンチャン。って感じ」

 

「反撃しちまったから俺も暴行罪働いたことになるんだよなー、あれ。あと器物損壊。被害者面し続けるには反抗しがたいってのも変な話だぜ。救いだったのは家族が『舐められるすなわち死』ってくらい喧嘩っ早かったことだよ。教頭校長が『あれは喧嘩だ、子供同士だから穏便に』ってぬるい隠蔽を謀ったらしくて、親はそれにキレ散らかして帰ってきたからな。来てくれと頭下げられても行く必要がないってカンカンでさぁ。父親が今まで見たことないような顔で泣いて、気づけなくてごめんって頭下げてくるんだ。自分で言わないって決めたのは俺なんだから気にしなくていいのに」

「いや、お前を大切に思っているなら、それは気にするだろう」

「そうだよなあ……そうなんだよなあ……」

 

 ふう、とため息を吐く。回り続けた舌をいたわるように彼は少し冷めたお茶を呷った。

 

「んー、箱入りで育った結果、悪意への対処方法を経験学習してなかったのは確かだから、そこを気にしてたんだとそのときは処理したんだ。初孫の長男だし……いや俺が女でもうちの家族は過保護だっただろうけど……そのあとから人間関係の中で如何にうまく立ち回るかとか、どうやったら相手に舐められないかを全身に叩き込まれるようになったから、教育方針の転換はあったと思う。戦う気があるなら戦え、武器なら準備してやるって、さ。それで、俺にやる気があったから残りの三年でいろいろやって、ちょっと遠くの進学校の中等部を受験した」

 

「引きこもってる間に成長期が来て、学力もついて、環境も変わったから、一気にヌルゲーになった感覚はあったな。毎年一人はクラスに家の等級や出身地区でうるせえやつはいたが──俺、下町の子供だから──その頃にはすっかり同世代への期待が失せてて、スクールカーストをどれだけ無視するかとか、年上から習ったことを試すこととかに夢中だった。だから中学の頃のことなにも覚えてねえの。教師の面白かった小話みたいなのは覚えてても、クラスメートの顔がまるで全然、なにも記憶にない。毎日ルーチンで学校行って、勉強と運動をこなして……ただひたすらその繰り返し」

 

「だから穂村が友達になりたいと思ってくれた俺も、その状態だった頃じゃないかな」

 

 どきりとした。尊は、いつの間にかあふれてきていた唾液を飲みこむ。

 

「人間として《そうすべき》と思ってきたことは《そう》してきたから、他人に対して親切な振る舞いはしてたかもしれないけど、なんていうか……俺の『やさしさ』みたいなものは全自動でふりまかれる反射であって、そこに俺の心とか感情は伴ってないんだと思う。どうやったら波風立たないかって計算もほぼ無意識でできるようになってたから、高校の頃には人を操縦する方法を覚えてたんじゃないか? 庭の整備と似たようなものだった。景観を整えるのに邪魔だから、脇芽や余分な枝を剪定する感じ」

 

 彼が人差し指と中指を立て、ちょきちょきと鋏を動かすように開いては閉じる。

 その顔を見ながら、尊は呆然としていた。

 自分は覚えている。転校してきたばかりのとき、遊作のひっつき虫になってクラスに馴染もうとしなかった自分を、「藤木と穂村は仲良いみたいだから、放っておいてやれよ」と、気遣ってくれた彼のことを。事実、尊は遊作に会うためだけに学校に行っていた。だから、■■の助け舟はとても嬉しかったし、助かったのだ。それで彼という一人の人間に興味を持った。自分が大事にしてきたきっかけは、彼にとっては取るに足らない日常だったというのは、一度彼に突き放された今ならば、素直に当然のことだと受け止めよう。寂しいのは事実だけれど。ぐっと机の下で手を握りしめる。

 

「だからさ、基本的に俺が信じているものは、家族とか、自分より経験のある年上ばっかりなんだよな。同年代は全員、同じ校舎に詰められることになっただけの生物。なにも期待してなかったし、第一友情を微塵も信じちゃいなかった。なにそれおいしいの? ってやつ。もちろん年上にだって尊敬に値しない人間はいるし、子供から学ぶこともある。とはいえ高校生の俺は今の俺より劣っていただろうし、クラスメートを全員見下すことで自意識を保っていたのかもしれない。間違いなく人間扱いはしてないよな。だから操縦なんて言えるわけだろ……」

 

 そう言いながら、再び彼は音を立てずにすうっと吸い物を啜る。

 隣の遊作がどんな顔をしているのか、尊には見ることができなかった。そして■■になにかを言うこともできない。

 そりゃあ、あえて比較をするならば、六歳のときに誘拐され、過酷な実験を強要されたロスト事件被害者の自分たちの方が、ひどい目に遭っているのだろう。最初に■■が言った通り、この現代社会において大人の中でも子供の中でもいじめはありふれている。よくある話だ。だが、ありふれたよくある話だからと言って、そのとき感じた苦しみを軽んじていいはずがないだろう。ましてや比較など。彼の小学生時代の苦い記憶は間違いなく彼の人生を捻じ曲げているのだ。

 

「繋がりに裏切られたから、繋がることをやめたのか」

「うん、そう」

 

 静かに問いかけた遊作に対し、彼はあっけらかんと言い放った。

 

「俺は完全にオフラインのスタンドアローンだった。でもお前らが、俺の今まで積み上げてきた壁を悠に五年はかけて崩した。結構すごいことだと思うんだけどな」

「ああ、俺もすごいことだと思う。今こうして、■■が俺たちに傷跡を晒してくれていることだって、そうだ」

 

 くしゃりと彼は笑った。

 

「だろ? だから今でよかったと思うんだ。高校のときに穂村から『友達になりたい』って主張されてたら、反射で、は? キモ……くらいは言ってたかもしれねえもん」

「ひでえ」

「本当にそうだよな~。たぶん、普通だったら毎年年賀状くれて頻繁にチャット飛ばし合う相手っていうのは友達と呼んでしかるべきだと思うし、俺が壁の中に引きこもったままずっと外に怯えてたからこうなったんだよ。穂村になんで律儀に年賀状くれんのってぽろっと言っちまったのも、それだけ無意識のうちに気を許してたっていうか、甘えてたんだと思うし。は~やだやだ、恥ずかしくなってきた」

 

 ぱたぱたと■■は襟をはたいて胸元を仰ぐ。目尻がかすかに赤くなっている気がした。酒は一滴も飲んでいないのに。だから、これは彼の本音だ。

 

「すごく振り回したし、傷つけたと思うけど、今からでも遅くないなら……今度こそ俺とトモダチになってくれるか?」

 

 そうやって彼が、初めて見るような顔ではにかむものだから。尊は考えるよりも早く頷いて、ずびっと鼻を啜った。遊作だってきっとそうだっただろう。それは向かいにいる彼が気恥ずかしそうに破顔したから、すぐにわかった。

 それを見た遊作が意を決したように眼光を鋭くしたのが、尊には見えた。嫌な予感がする。じわりと背中に汗が浮かんだ。反射的に立ち上がりかける。

 

「……■■、俺も、聞いてほしい話があるんだが」

「あ?」

「えっ、ちょ、遊作、この場でそれは絶対重いからやめよう!? な!? 胃もたれするから!! ■■がキャパオーバーになるから!!」

 慌てて止めに入る尊に対し、遊作は納得いかなさそうに唇をへの字に歪めている。けれど、しばらく無言でじっと尊の目を見て言外に訴えて、彼が絶対譲らないからね! と負けじと見返してくることで、ふうとため息を吐く。

「……それもそうか……」

「はーんだいたい察した。お前らが孤立して二人でべったりするに至った理由だな? じゃあ次の予定立てようぜ、つーか食えよ。冷めるぞ。ここの飯は冷めてもうまいけど、だし巻きはアツアツをホフホフ言いながら食うのが一番うまいんだぜ」

(ホフホフ……)

(ホフホフ……)

 

 尊と遊作は顔を見合わせて、くすりと小さく笑った。怪訝そうに彼が眉をひそめる。

 

「なんだよ」

「いや、お前ってたまに言動がなんか……かわいいよなって」

 

 思わずそう言ってしまって、ぎゅうっと彼の眉間に皺が寄ったから、アッ失敗した! と瞬時に尊は悟った。ご機嫌取りに忙しくなったのは言うまでもない。

 けれども、そのあとは会話は弾むようになったし、少し冷めてしまった卵焼きや澄まし汁に二人とも舌鼓を打った。今までのクールな表情が嘘のように■■の唇は笑っていた。それを見ていると、尊も嬉しくなって、気づけば三人ともかすかに微笑んでいた。

 

 空は晴れている。欠けた月は口の端を釣り上げて笑っている。今夜のことはしばらく忘れられそうにないな。遊作は、胸の内で一人、そう呟いた。




月を見て男を思うなって思ったけど、ジャック・アトラスが「あの月を見ていたらお前が来るような気がした」って言ってるから問題なかった。


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佳き日

番外の遊作視点 成人式の話
モブ度高め


 二年前の十二月。遊作は二十歳で、大学生だった。

 二年前の十二月。彼は二十歳で、すでに警察官だった。

 

 

「なあなあ、成人式は袴にする? スーツにする?」

「おれ袴~。代々伝わる紋付きを着ろってじいちゃんが」

「じいさん気合入ってんな!? 俺はスーツ。入学式に着たっきりのがあるし」

 

 基礎演習のクラスメートたちががやがやと騒いでいる。

 成人式か。自分には関係のない話だな。そう思って、遊作はぼんやりと壁にかかったアナログ時計の秒針を見ていた。彼らとはそれなりに話すし、付き合いもある。たぶん友達ってやつだ。自然とそうなった。自然とそうできた自分にとんでもなくびっくりしたものだが、案外うまくやれている。

 遊作が、ずっといいものなんだろうなと遠巻きに見ていた人間関係は、中に入ってしまえば「なんだ、こんなものか」と拍子抜けしてしまうくらいにはあっけなくて、儚い繋がりだった。他人と自分は違うもので、交わることなどないと思っていた思考の狭まりは視線の先にある対象を美化していたらしい。

 三人のうち一人が大げさにのけぞってみせる。椅子の後ろ脚に体重を乗せて揺れる様は高校で見たものとそう変わりがない。遊作はちょっとだけぎょっとしつつ、前の席の背中を小さくにらんだ。

 高校生と大学生の違いは思っていたよりもない。まあ、そんなものだろう。半年かそこらで変わるものは、ふつうはそんなにないものだから。遊作の周りが激動に満ちていただけだ。さながら、Aiが文字通り台風の「目」だったかのように。

 

「えー、そこはレンタルでもなんでもやりようがあるだろ! せっかくだし袴着よーよ! 藤木は?」

「えっ」

 

 当然のように話題を振られて、反射的に遊作は首をすくめた。これが課題をやってきたかとか、レポートの進み具合はどうかとか、来週までにレジュメをうまいこと作ることができるか、なんていう勉強絡みの世間話ならなんとでもなった。けれど、今回は遊作にツキが回ってきていなかった。

 成人式。大人の仲間入りを祝うもの。庇護される未成年から、庇護する側の成年へ橋渡しをする儀式。噂では、スーツや紋付き袴などのちょっといい晴れ着を着て、ここまで育ててくれた親に感謝するような催し。

 さっきまで自分にはまったく関係ないと思っていたものは、「ふつう」なら気にして当然のものだったらしい。遊作は少し焦る。あんまり黙り込んだりしたら心配させてしまうし、人の輪から浮いてしまう。もう遊作には繋がりを拒絶する理由がないし、拒もうとも思っていない。けれども「ふつう」を装って、そのまま振る舞うというのは案外難しいものだった。遊作は大人しくて目立たない、無害なクラスメートを装うのは得意だったけれども、数人のグループでつるんで話を合わせるという、同調圧力の中でうまく泳ぐ術を未だに体得できていない。こういうところが陰キャと小突かれる所以なのだろう。しかし遊作には遊作の言い分があるので、「興味がなくて面白くもない話にニコニコ合わせる方がどうかしてる」と仏頂面を晒すしかないのだ。

 若干まごつきながら、「考えてなかった」と素直に遊作は白状した。

 

「え、式出ないのか?」

「……まだ決めていない。案内のメールは来ていたと、思う」

「そっか。出るにしても出ないにしても、予約するなら早い方がいいぞ」

「そうそう。シーズンはどこも混むうえに着付けとかいろいろあるしぃ」

「ああいうの、小学校の学区で会場分かれるから、プチ同窓会みたいになるよな~」

「わかるわかる~」

「同窓会といえばさあ……」

 

 遊作の言葉はスルッと流して、別の話題に移ってくれたことに感謝した。ほっと息をつき、鞄からタブレットを取り出して、メールを確認する。記憶通り、成人式のお知らせはメールボックスにあった。

 何気なく「なんで?」と深く突っ込まれてしまうともうなにも言えなくなる。残るのは気まずさだけだ。彼らもそれをわかっていて遊作と付き合っていてくれているから、もう慣れたものだった。そういう、些細な無関心さが遊作の呼吸を楽にしている。友達だから常に腹を割って話さなければいけないということはない。なんだかんだ高校に三年通い、大学入学もストレートで済ませたのだ。それくらいを軽くこなすだけの社交性も身につけた、はずだ。

 しかし、成人式。それに小学校の学区ごとに分けられた会場と、同窓会のような空気になる……という事実。それは遊作の気を重くするのに十分だった。

 小学生の頃と言えば、入学早々誘拐監禁記憶喪失のコンボを決めて軽く人間不信になっていた頃だ。学校は空間に馴染むまで保健室登校だったし、周回遅れで教室入りしてからも目立った思い出というものはない。当然友達もいない。教員やカウンセラーはよく遊作を気にかけてくれたし、配慮もしてもらったと思う。それでもわざわざ着慣れない晴れ着をまとい、いい思い出も悪い思い出もない小学校の同窓生と顔を合わせ、たいして顔を覚えていない市長だか誰だかのありがたい薫陶を受けたところで……と考え込んでしまうものだ。

 憂鬱に顔を歪ませる遊作とは裏腹に、ネットワークでのびのびやっているAiが興味を示しているのが手に取るようにわかる。遊作は内心ため息を吐いた。あいつのいいように事を運ばれる前に手を打たなければならない。ただでさえ気が乗らないのに、Aiのお祭り好きが絡むと余計厄介なことになる。

 

 Aiの蘇生をきっかけに、二人を繋ぐリンクセンスは強度を増していた。今となっては軽度の感情共有は常で、ちょっと感情が高ぶったり体調が悪くなったりすると、視界がジャックされたかのように二重がかることもある。もとより遊作から生まれた存在であるAiが、遊作といくらか同期していたところで、前例がない以上「そんなものか」と軽く流すほかない。自分はリンクセンスをネットワークのなにかを感じるものと定義づけ、名前をつけて納得させてきたが、真相なんて実験を繰り返さなければわからないことだ。それに遊作に検証実験をする気はまったくない。

 そして、事が全部済んだ今となっては、遊作がネットワークを通して感じていたのはAiやイグニスが潜伏し、ばらまいていた複数の視線だったのではないかと推測がつく。すべての不可解な出来事はイグニスを始点としているのだ。ネットワークの中に紛れたイグニスたちの気配を察するという能力は了見にもあるし、あそこの研究施設に同時期にいたということは一種のサイコメトリ的超能力を遊作たちに与えたのかもしれなかった。

 そう考えれば、尊が不霊夢を付喪神やおばけと勘違いしたことと、彼が暗闇の中にいるよくわからないものが苦手なのも結びつけることができる。半端に開いたリンクセンスがネットワークの中のさざめきと同期していたら、それこそオカルト方面のものとも接続して交信していた可能性がありえてくるからだ。今は不霊夢が近くにいるから、リンクセンスが本来ペアリングしている不霊夢を探して手あたり次第なにかに接続するということもないだろう……というのが、不霊夢の主張だった。尊当人はよくわからなさそうに頷いていたけれども。

 思考が逸れた。しかし、友達のことを思い出すことができたおかげで、遊作には彼らに成人式について尋ねるという手段ができた。授業が始まるまであと五分。今の間に、尊と財前葵、返事が返ってくるかあまり期待できないが了見にもチャットメッセージを飛ばしておくとする。

 財前は、あの兄と妹に加えて家庭環境及び経済環境が考慮に入るし、アバターのシリーズを見た限り青を好んでいるようだ。青い振袖を着て式に出るのが想像に容易い。華やかな振袖を纏った彼女が杉咲美優と並んで微笑んでいる姿が、瞼の裏に浮かぶようだ。

 尊はどうだろう? 彼の家族が晴れ姿を見たいと望む気持ちはよくわかる。不霊夢だってそうだろう。しかし式に出る場合は住んで長い今の地元の方なのか、六歳までいたDen Cityの方になるのか。今年の冬休みは長く帰るのだろうか。どちらにせよ、尊本人に聞かなければわからないことだ。

 了見は、「犯罪者の我々が足の着くようなことをすると思うか」くらいの嫌味を飛ばしてきそうだが、そのくせ今年のスペクターの成人祝いはきっちりしているのだろう。その三分の一くらいの優しさをこっちにも分けてほしい。気づけば了見は尊と仲良くなっていたし、財前とは街ですれ違えば挨拶する程度の当たり障りない間柄に落ち着いている。あれから四年経っているというのに未だ彼との関係にまごついている自分が情けないし、踏み込んできてくれない了見がもどかしい。了見とどういう関係になりたいかというと、もちろん友達なのだが、欲を言えば親友の座も狙ってみたいところなのだが、「友人」と言って差し支えない存在が複数できた今でも「トモダチ」というものはよくわからない。非常に度し難い。結婚は入籍してしまえば社会的契約ができるのに、恋人だとか友人だとか、人間関係というものはどれもひどく曖昧だ。あるかないかの極端思考では測りかねる。

 そうやって迷っていたから、遊作はもう一人にメッセージを送りそびれてしまった。

 

「よっ」

「■■」

 

 軽く片手をあげて現れた彼は、黒のトレンチコートにマフラーを合わせてすっかり冬支度だ。よく見ると耳が赤くなっている。冬に見る彼はいつもどこかしらかじかませているので、寒がりなのだろう。

 

「注文は?」

 

 トングを片手に遊作はキッチンカーから身を乗り出した。彼も慣れた態度で、メニューをちらとも見ずに「ホットドッグと激流ソーダのセット」と指を立てる。遊作は頷き、さっそく鉄板に油を引いてソーセージを焼き始める。その間に草薙が会計を済ませてくれるから、遊作は目の前のことに集中して、おいしいホットドッグを焼き上げようと一生懸命になれるわけだ。においと音に気をつけながら焼き目をひっくり返す。

 不意に視線を感じて顔を上げた。■■がじっとこちらを見つめている。そうしたら目が合うのは当然のことで。バチッ! と音でもなるように、視線が合った。つい遊作はたじろぐ。

 

「ど、どうかしたのか」

「ん? ああ、悪いなジロジロ見て」

「いや、気にしていない。どこか変なところがあったか?」

「いーや、んなことねーよ。ただずいぶんうまくなったなーと思ってさ。ほら、ずっと前の夏休みに入ったばかりの頃は、お前、しかめっ面でソーセージ焦がしてただろ」

 

 思い出す仕草かのように耳の横で人差し指をくるくる回している彼の言葉を認識する前に、草薙が噴き出す音が聞こえた。それをじろりと睨みつけながら、遊作は口をもごもごと動かして不明瞭な言葉を口の中に溶かしていく。

 

「……よく覚えているんだな」

 

 なんとか口にできたのはひどく無愛想で、ぶっきらぼうな台詞だった。

 

「おー、俺もちょっとびっくりした。やっぱあれかね、お前にバイト許可証の取り方の話をしたのを思い出したから?」

「えっ、あれって君が教えてくれたのかい」

 

 思わず、と言わんばかりに草薙が会話に参加する。ぱちぱちと瞬きしながらも、■■はこっくり頷いた。

 

「夏休み利用して短期の配達なんかのバイトを受けるデン高生徒はわりといましたし、生徒手帳にも載ってたんですけど、学校としては学業を優先してもらわなきゃいけませんからね。なんでかみんなバイト禁止だって思い込んでて……そしたらアナザーだのハノイの塔だのの大事件が終わったあとに、広場でふらふらしてたら同級生がバイトしてたんですもん。こいつ俺と目が合った途端に露骨に動きが鈍くなりましたからね、ああこれはバイト禁止なのに学校には内緒で働いてるってつもりなんだろうなーと思って」

「そうしたら、その場で許可の申請の話を詳しく教えてくれたんだ。すぐに申請した。……それにしても、本当によく覚えているな」

「だって面白かったし」

「なにが?」

「真剣にソーセージ焦がしてたやつが、俺を見るやいなや真顔で慌て出すってのは面白いだろ」

 

 ねえ? と振られた草薙はニコニコ頷いている。遊作は面白くないので、黙々とドッグにレタスとソーセージを挟み、ソースをトッピングした。

 こんなに寒くて、彼も寒さで露出した部位を赤くしているというのに、氷がたっぷり入ってキンキンに冷えた炭酸飲料を飲むのか。風邪を引くのではないか? そう思いつつも、客の注文にケチをつけるような無粋なことはできない。遊作は決まりきった「ありがとうございます」を言って、彼に商品を手渡した。サンキュ、と口にしながら彼も受け取る。

 

「袋は?」

「いらない」

 

 そのまま、流れるように立ち去ろうとした■■を草薙が引き留めた。

 

「せっかくだし座って食べていきなよ、時間あるでしょ? もうお昼時じゃないし」

「あー、バレました? 実は夜勤明けでさっき起きたんですよ……」

「非番か」

「そう」

 

 そう言って、あー、と■■が大口を開ける。そしてドッグにかぶりついた。レタスとソーセージが食いちぎられて咀嚼される音が響く。彼の歯がぶつかるリズムはどこか小気味よかった。

 

「昔からよく買ってくれたけど、こうして話すのは初めてだな。遊作の同級生で合ってるか?」

「ええ、まあ。高校の一年と二年が同じクラスですね。三年になってからもそのあとも、こいつはよく食事の記録を飛ばしてくるし」

「えっ」

「お前が『ちゃんと食べてるのか?』って聞くから証明しただけだろ」

「えっ」

「あの世間話にそういう対応をとるところが真面目だよなあ、藤木はさ」

 

 草薙の視線が遊作と■■を交互に行き来する。それから、彼は首をかしげた。

 

「……どういう関係なんだ?」

 

 ぺろりと彼が親指と人差し指の先を舐めとる。遊作は、彼がなんて答えるかわからなくて、どきどきしながらそのかさついた唇を見ていた。

 

「改めて聞かれると悩むんですけど……学校卒業してもほどほどにつるむ間柄っていうか」

「友達ってことでいい……のか?」

「どーでしょーねー、藤木と俺次第? 知り合い以上友達未満ってとこ。まあ言うてこいつ穂村や他のクラスメートとの方が気安いし、知らん間に女子とも親しくなってたしそんなもんじゃないですか?」

 

 小首をかしげてハッと笑う彼の横顔に、少なからず遊作は落胆する。やっぱり自分はまだ彼と、ちゃんとした「トモダチ」になれていないのだ。うすうす察していたけれども、直面すると少し切なくなる。

 彼の言う通り、これは遊作自身と彼自身の問題だった。遊作のコミュニケーションが手探りで不器用で下手なのは認めるが、なにより■■の身持ちが堅い。知れば知るほど、彼は攻略の難しい城塞のような男だった。守りを固めて撤退の構えを見せつつ、虎視眈々と盤面をひっくり返す隙を狙う戦い方が近い。きっとデュエルでも同じような手を打つだろう。

 草薙に対する当たりはかなり柔らかいが、それも彼が年上であることと、馴染みの店の主人であることが理由だろう。今だって油断なく瞳の奥を探っているのが見える。調理器具を片付けながら、遊作はため息を吐いた。休憩入っていいぞ、という言葉を受けてそのまま奥に引っ込む。エプロンを外して、手を洗ってから遊作も広場に広げたテーブル席に向かった。断ってから彼の正面に座る。

 

「そんなに当時の俺の食事は変だったのか」

「ん~? 変ってほどでもないけど……育ち盛りの昼飯とは思えねーよーなメシばっかり食ってたから、弁当作るような保護者はいなくて金もないんだろうなーとは察してたよ。思わず口挟んじまったときは、柄にもないお節介焼いたって後悔したし、藤木のことだから放っておいてくれとかお前には関係ないだろくらい言うかなって思ってたんだけど、それもなかったし」

「そういう気分のときもある。いつもとっつきづらいと思われているのは心外だ。……それに、あれから食事には気を付けている」

「そうだなー、自炊もしてるんだもんな。えらいえらい」

 

 雑な反応。遊作はムッと口を尖らせた。

 

「別に、普通だろ。キッチンがましな部屋に引っ越したら栄養管理AIが張り切り出して……正直少しうるさい」

「そりゃあご愁傷さま」

 

 くすりと溶けるような空気を揺らして、彼は目を細めた。さっきまでその手にあったホットドッグはもう消え去っている。当たり障りのない表情と、無遠慮な言葉なのに、どうしてこんなに嬉しくなるのだろう。彼と話をするのは楽しい。遊作がどんなにつっけんどんにしてしまっても、気分を害したようにはしないから。それはきっと、無関心さと表裏一体なのだろうけれど。

 

 

「ところで、■■は」

 

 一度言葉を切って、遊作は彼の目の奥を覗き込んだ。拒絶の色はない。踏み込んでも大丈夫だろうか。■■が先を促すように顎をしゃくる。腹は決まった。

 

「成人式はどうするんだ?」

 

 ■■はきょとんと目を丸くしたが、遊作の胸は達成感でいっぱいだった。財前は出席、尊は地元の会場で出席、了見からは返事が来ていない。そしてあのときメッセージを送りそびれて以来タイミングを逃して聞くに聞けなかった彼に、やっと聞けた。それだけで満足感のようなものが身体にじわーっと広がっている。つかえていたものがやっととれたような、そんな心地だった。

 

「どんな深刻な話かと思ったら……俺は今度前撮りで済ませるよ。式の日は仕事だし、同窓会に興味はねえもん」

「まえどり?」

「……わかった、お前自分には一切関係ないイベントだって全部流してたな!?」

「う」

 

 遊作は肩を竦めて小さくなった。彼はため息をひとつ。ぱんと机を軽く叩く。

 

「前撮りっていうのは式より前に袴やスーツ着て撮影すること」

「そういう手があったか……」

「俺は親戚が貸衣装と撮影スタジオで勤務してるからそこを頼るつもり。……当てがないなら紹介するけど」

「ぜひ頼みたい」

 

 遊作は力強く頷いた。食い気味に頷いたものだから、■■が勢いに押されるように若干顔をひきつらせた。

 そういう話だったらうちの弟も……と、耳を大きくしていた草薙に打診され、じゃあもういっそ三人とも同じ日にやってしまおうという話運びになった。彼が挙げた候補日のうち二つ目が偶然、遊作も仁も都合のつく日であったためとんとん拍子にスケジュールが固まっていく。集合場所はわかりやすいからとこの広場を指定され、じゃああとはまた当日。ジュゴッとソーダを吸い上げ、指定のゴミ箱に紙やカップを捨てて■■は去っていった。

 

 

 約束の日。遊作はなにを着ていくか前日の夜まで悩んでいたが、結局普段着のパーカーとジーンズで済ませて、一足先に集合場所にいた。なにを着ていこうかと悩んだところで自分の手持ちの服はどれも似たようなものばかりだし、クローゼットでかさばっているのはAiが買い集めた華美な服ばかり。悩むだけ無駄だったと寝る前には早々に気づき、緊張して眠れないという事態を避けるためにホットミルクを飲んでよく眠った。

 その結果が、ちょっと早く着きすぎてしまったかと疑ってしまうくらい閑散とした広場だった。この広場の人口密度が上がるのは夜のリンクヴレインズが中継される時間帯だけで、朝や昼は散歩をする老人や、職員に連れられた幼稚園児たちくらいしかいない。当然、草薙も店を出したところで商売あがったりなので、今の時間は他の観光地をうろうろ移動している。大学生は個人個人によって時間割がまったく異なるから、ひとりふらふらしていても特に怪しまれたりしないのがいいところだ。モラトリアム真っ只中であることを嫌でも感じる。

 今日は小春日和と言うほかないほどカラッと晴れていて、風がなければ二月上旬なのではと思うほどあたたかい。やはり太陽が出ているだけで気温は大げさなほどに変わる。はあと息を吐けば白く染まるのは、冬真っ盛りだなという感想を抱くけれど。

 ぽかぽか降り注ぐ日差しを受けながら、遊作は仁と■■を待っていた。

 

 今日はデュエルディスクごとAiを家に置いてきてある。よっぽど着いてきたければSOLtisに入っていただろうが、遊作が渋ると引き下がってくれた。今度別のことで埋め合わせをしようと思う。派手好きな彼に、自分の趣味と異なる衣装を勧められるのは勘弁願いたいし、遊作が着替えて写真を撮っているだけの時間を付き合わせるのは退屈だろう。それに今日は草薙や尊と出かけるのとは勝手が違う。■■はイグニスのことなんかこれっぽっちも知らないし、遊作とPlaymakerを等号で結ぶこともない。彼に「藤木遊作」以外の顔を見せるつもりはないのだ。

 秘密を作るなら、それは徹底的に隠すべきである。十一歳のときから、Aiの狙い通りハノイの騎士の敵対者として少しずつ動き始めたときのように、どれだけ時が経とうとも、明かす必要のない情報を他人に明かそうとは思えない。悪いことをしているわけではないけれど──いや、本当は悪いことをたくさんしたのだけれど──秘密は、秘密だ。この秘密を守ることで自分の大切な存在を守れるのなら、いくらだって遊作は沈黙を貫き通す。

 イグニスと人間の共存は、長い年月をかけて、じんわりと広がっていく方がいい。Aiたちをよみがえらせることを決めたときから、遊作はぼんやりとそう思っていた。人間が急激な変化を恐れるのと同じように、遊作も自分の日常をひっくり返されるのを厭う。リボルバー、ライトニング、ボーマンと矛を交えたのも彼らの主張があまりにも世界に対する劇薬であったからだし、Aiとの融合を拒んだのも、それが彼の孤独を癒す方法にはなりえないと判断したからだ。自他の境界を溶かしても、それはAiにとって最善の策ではなかっただろうし、遊作も最後に残ったたったひとつ、自分自身をなげうつほどあの瞬間は人生を悲観していなかった。今だってそうだ。他者と繋がり合うことによって自分は生きる喜びというものを知ったのだ。だから、もっといい方法があるはずだと思って、遊作は提案を蹴った。その結果、大事な相棒に三度目の死を体感させることになってしまったのは……それも、彼に「たったひとりのともだち」と言わしめた自分が手を下すことになってしまったのは、自分が万能のスーパーマンじゃなくて、民衆が思っているほど強く正しい英雄でもなくて、ただのちっぽけで哀れな、十六歳の子供だったからだろう。あの経験は間違いなく遊作の心を壊した。だから、無理やりにでも、首根っこをひっつかむようにイグニスたちを再構築したのだ。あの激動の一年によって得た日常。彼らが側にいない人生は、もう考えられなかった。

 大切だから、外敵の手が届かない場所で幸せに暮らしていてくれていれば、それでよかった。しかし彼らが彼ららしくあるだけで人類と敵対するか、人類に搾取されるかの事態に陥るのならば、遊作にできることはなんだろうか。三か月、Aiのデータをリンクヴレインズから回収しながらずっと考えていた。そして結局、イグニスたちに人類を好きになってもらえるように行動して、ゆっくりと人類側のブレイクスルーを起こしていくよう、人生を担保にして時間を費やしていくことだけが自分にできることだと結論付けたのだ。

 大切な隣人として愛しているから、自分が生きている限りは側にいてやりたいと願うし、手放した途端死んでしまうとわかってしまえば手放すことなどできない。遊作は、ちょっとコネがあってデュエルが強いだけの、ただの人間だ。これから先のことは未来の自分に託すしかない。それならば、もっとも望む未来を引き寄せるために今を精一杯生きて、できることを全部やっていかなければならない。そのための一手を、遊作は打ち続けている。今はネットの監視者として世界を飛び回っているハノイの騎士たちともどうにかこうにか話し合いをこぎつけることができて、パンドールと了見が行うシミュレーションを待ちながら日々の生活を送るのが遊作の日常だ。

 

 よみがえらせたばかりのAiは、「お前が生きていてくれるならおれは死んだってよかったんだよ」と泣いたけれど、遊作にできたのは「じゃあ俺が生きていくためにお前も生きるんだな」と憎まれ口を叩くことだけだった。

 長い時間をかければ幸せになれると信じていたい。鴻上博士が予見したように人類がどん詰まりで、イグニスたちが生まれるべくして生まれてきたのなら。彼らが少々オーバースペックで、速すぎる誕生が人造の神を産み落としてしまったのなら。いずれ来るブレイクスルーまで側にいてほしいと願ったって、誰に責められる謂れもないはずなのだ。

 

「遊作! ごめん、待たせた?」

 

 はっとして遊作は顔を上げた。仁と■■が並んで立ち、仁が少し身をかがめて座っている自分を覗き込んでいる。時計を探せば、待ち合わせ時間ぴったりだ。少し考え込みすぎてしまったようだった。「大丈夫だ」と軽く笑って、遊作は立ち上がる。そのまま、三人は歩き出した。

 

「身体冷やしてないか? 今日があったかいからって言ったって、お前どれだけあそこに座ってたんだよ。結構考え込んでただろ、風邪引くぞ」

「大げさだ。二十分もしていないと思う」

 

 気まぐれに伸ばされた手が遊作の片手を包む。うわっ、冷たい! そう言って仁は笑った。

 

「はい、カイロ。兄さんが持たせてくれたんだ」

 

 ポケットから取り出されたそれを受け取ると、冷えて縮こまっていた指先がほどけていくようだった。■■の言葉もそれほど大げさではなかっただろうか。確かに、思っていた以上に身体が冷えている。

 仁に礼を言って、遊作は使い捨てカイロをくしゅくしゅと握った。

 

 

 そう遠くないと言われていた通り、撮影スタジオには汗もかかない間に着くことができた。伯母と紹介された女性は■■と目元や髪色の雰囲気が似ていて、親戚というものはやはり似通っているのだなというぼんやりとした感想を遊作に抱かせた。

 挨拶をして、中に通される。事前に連絡していた通り、部屋には三人分の黒袴が用意されていた。

 

「じゃ、着付けが終わったら簡単にヘアセットして撮影ね。それにしても本当に普通のでいいの~?」

「いいんだよ! つーか女子ほどレパートリーないだろ。派手に装うほど不良化していくのもどうかと思うぜ、本当に」

「確かに、毎年新成人で暴れてる人が着るイメージあるなあ……ああいうのとか」

 

 仁が指差した先にあったのは、背中に銀糸で龍が刺繍された羽織だった。確かにあそこまでいくと尻込みする。彼の伯母は呵々と笑った。

 

「まあちょっとイケイケの子たちが選びがちではあるわね!」

「そういうやつらは自力で一式仕立てるじゃん」

「そうなのよね~……うちの商売としてはレンタルしてくれた方が稼げて助かるんだけど」

「いくら個性だ、多様化だって言ってもマジョリティに紛れて普通を取り繕ってる方が楽なんだから、商魂たくましいのはともかく、姉貴もちょっとは遠慮してくれよな」

 

 甥っ子からのブーイングに、ぺろりと舌を出して肩を竦める。それからひらりと手を振って、

 

「はいはい。それじゃあ、肌着着たら呼んでちょうだい」

 

 そう言い残して彼女は部屋を出ていった。

 

 

 遊作は、こんなにめかし込むのが初めてだった。三歳と五歳の七五三は覚えていないし、七歳の頃には施設暮らし。人に着付けをしてもらうのも初めてだし、アイラインと眉を整えるだけだがメイクまでしてもらった。彼の妹のようによく似た従姉妹から(アルバイト中だったらしい)、「ちょっとだけ、ちょっとだけだしサービスだからメイクさせてぇ……」と拝み倒されたときは本気で困り果ててしまったけれど、鏡に映った自分はずいぶんと様になっていた。晴れ着を着て、髪を若干フォーマルになるよういじって、顔の印象をキリッとさせるだけでまあ化ける、化ける。仁は「これは女の子がお化粧に夢中になるの、わかっちゃうな~」とにこにこ笑っていた。その彼だって普段の三割増しくらいきらきらしているのだから、服飾は侮れない。Aiがおしゃれにこだわる気持ちを少しだけ理解できたかもしれなかった。

 それにしても、他人になにかを委ねるという行為はとても緊張する。特に遊作は誰かに頼るということが不得手だと自認している。自分から甘えに行けるのは未だに草薙くらいだ。美容師に髪を整えてもらうだけで緊張するし、今日だって着付けの最中、メイクの最中、ずっと肩に力が入っていて、これっぽっちもリラックスできやしない。「そんなに緊張しなくても」と笑われてしまったほどで、恥ずかしくて遊作は小さくなった。■■は頭が痛いのをこらえるような表情で、「こういうの慣れてないんだから容赦してやってくれ」と、面白いおもちゃを見つけた猫のように目を光らせていた母子をとどめてくれたが。

 

「遊作、遊作、写真撮ろうよ」

「今から撮るのにか?」

 

 わくわくしながらスマホを起動させている仁を、怪訝な面持ちで見遣る。彼はぎゅっと握りこぶしを作って力説した。

 

「それはちゃんとデータもらって、印刷もしてもらうやつでしょ! 三人で撮れるのは今だけだよ、ほら■■くんも!」

「プリクラ撮りたがるJKか? まあいいけど」

「やったー! なんだかんだ押しに弱いよね」

「お兄ィはそういうところあるんですよね~。やれやれ系っていうの? なんか困ったらごねたモン勝ちですよっ!」

「こら、余計なこと言うな」

 

 にょきっと現れたぴかぴかの女子高生が口を挟んだ途端、■■がその薔薇色の頬を引っ張って台無しにする。上から抱え込むように頬肉をもみくちゃにされ、彼女はじたばたと暴れた。

 

「あ~っ、ちょっ、暴力反対~!」

「教育的指導~」

「セクハラ~~~~!」

「この距離感でそれを言ってどうにかなると思ってんのかお前は。俺に勝とうなんざ百年早いわ」

 

 絶妙なタイミングでぱっと頬から手を離して、呆れたようにぺしりと軽く頭を叩く。確かに、気安いこの距離感は、従姉妹側がセクハラと訴えたところで周囲に冗談の一言で片づけられるのが想像に易い。どれだけじゃれあっていようが仲が良いと処理されるものだろう。

 それにしても、■■は身内の前だとこんな態度になるのか。なんだか意外だ。非常に新鮮である。見知った姿とだいぶ異なる表情を見ていると、見てはいけないものを見てしまったかのような高揚感が胸の奥からあふれてくるようだ。気づけば遊作はじっと彼の顔を盗み見ていた。

 

「ほら、写真撮るならさっさとやろうぜ。草薙は自撮りでいいのか? 全身撮るならあーにカメラ任せるけど」

「あっ、そっか。三人並んで撮ろうと思ったら他の人に撮ってもらわなきゃダメだったね。お願いしてもいいですか?」

 

 ■■から「あー」と呼ばれた彼女はにかっと明るく笑う。母似の、太陽のようにまぶしい笑顔だった。

 

「もっちろんです! イケメンにバシッと撮っちゃいますよ~!! ……ねえお兄ィ、うまく撮れたらお店のブログに載せちゃダメ……?」

「ダメ。個人情報流出は許さん」

「いじわるゥ! はいじゃあお三方、並んで並んで! お兄ィスマホ借りるよっ」

「おーう」

 

 タタッと少女が距離を取り、「撮るよー」と声をかける。各々適当なポーズと表情を作り、フラッシュ、シャッター音。連続して二度目が撮られ、うんと彼女は頷いた。

 

「ちゃんと撮れたよ」

 

 どれどれ、と三人はそれぞれ小さな画面を覗き込む。三人とも少し黙ってから、最初に■■が口を開いた。

 

「ピースするの下手か?」

「あ、あまりやったことがないんだ」

「えー。じゃあこれから遊びに行くときはいっぱい写真撮るから、遊作は覚悟しててよね。ぎこちなさがなくなるまで撮るよ」

「それは、ちょっと怖いな……」

 

 小さく遊作が笑うと、仁が楽しそうに口許を緩める。その横で■■は写真データをグループチャットにアップロードしていた。

 それからは、順番に撮影をして、つつがなく前撮りは終わり。

 サンプルデータを見ていると、飾り立てられた自分は澄ました顔をしている。昔より背が伸びて、筋肉がつき、肩幅も広くなった。改めて画像という形で見るとなんだか感慨深い。

 

「施設の人たちにも見せてやったらいいじゃん」

「え」

 

 ひょこりと現れた彼は、「さすが姉貴、よく撮れてる」と呟きながら、じっと遊作の目を見た。

 

「お前がちゃんと育ったことを喜んでくれる大人、いるはずだと思うけどな。……いや、いらんお節介だった。なかったことに」

 

 注がれていた視線がふいっと逸らされる前に、遊作は食い気味に言葉をかぶせる。

 

「しない。……そうだな、■■の言う通りだ。たまには顔を出してみる」

「お前がいいなら、いいんだけど。あー、やっぱりお前らといると調子狂うぜ」

 

 がしがしと襟元を掻く彼はもういつも通りの普段着だ。もう少し袴姿を見ていたかったと、少しだけ残念に思った。

 

 

 送ってもらったスリーショットは早速草薙と尊と了見に送信した。彼らも、こうして一緒に時を重ねられたことを喜んでくれたらいいなと思う。

 それは施設の職員たちも同じことだ。遊作は扱いづらい子供だったし、自分でも施設に上手く馴染めていなかったと思う。それでも職員の人たちは遊作を軽んじたり、煙たがったりはしなかった。それが仕事だからと言えばそうなのだけれど、人間の感情は仕事で封殺しきれるほど簡単にできていない。きっとたくさん心配をかけたことだろう。自分は■■が言うほど「ちゃんと」「まっとうに」成長したとは思えないが(なんせやった違法行為が多すぎる)、それでも自分を見守ってくれていた大人たちが、遊作がこの年を迎えたことだけで喜んでくれるなら安いものだろう。

 

 空は晴れていた。雪の気配はない。遊作はこれからも、この街で生きていく。




ここまでお節介しといて数年後に「友達じゃない」ってこいつひどいな……。

これで一連の話は終わりです。お付き合いいただきありがとうございました。


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