落陽 (Marshal. K)
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1話
午後2時過ぎ、エマニュエルは
物思いといっても高尚なもの、例えば「人間は何のために生きるのか?」などでは全然なく、ただの懐古だ。
つまり、現実逃避である。
十年ほど前、エマニュエルが王都の
世紀に一人の英傑とされた"勇者"が冒険者出身であったため、当時は定職に就かず国中を放浪し、害獣となる魔を駆除して糊口をしのいでいたような者たちへの蔑称であった「冒険者」は、たちどころに民衆の憧れの的となった。
かくてそれまでは汚い浮浪者の溜まり場、といった風情だった寄場に人が溢れた。組合への登録を求める者、依頼の貼り出された掲示板を食い入るように見つめる者、
そのさなかにエマニュエルは雇われ、忙しくも楽しい日々を送っていたのだ。
彼が思い返していたのは、その日々だった。詰め所は常に喧騒にあふれていた。事務方と声高に話し合う者、掲示板を見上げて落胆の声を上げる者、そして広間の卓で、昼間から気勢を上げる飲兵衛たちの歓声。
翻って今、彼が呆と眺めている詰め所の様子はどうであろうか。
過去の喧騒はどこへやら、ほとんど無人である。開いている窓口は、エマニュエルの席ただ一つ。彼の背後に一
そして何より暗かった。広間は南向きである。この時刻なら明るい陽光が射し込み、書き物にも灯りがいらないほどのはずだった。しかし今、詰め所を照らしているのは、所々に置かれた蝋燭のわずかな光である。窓という窓は鎧戸が下ろされ、羽目板を打ち付けて封印されている。かつては開け放しであった玄関の大扉も今は閉ざされ、二重に閂がかけられている。
なぜこんな措置を取っているのかと言えば ──―
エマニュエルの耳に、聞きたくない音が入ってきた。集合した人間が織り成す騒々しい叫びだ。混沌として何を言っているのか一向に聞き取れないが、いつものことなので彼らの言いたいことが、エマニュエルにはわかっていた。
彼らの声は次第に近づき、やがて詰め所の前で留まった。統制された大声が張り上げられる。
曰く、
「既得権益に固執するコンパニオナージュは解散せよ」
「王に続いて評議会に媚びを売る、権力志向の豚はいらない」
「革命の都に、互助を騙る権力団体など最早不要」等々。
しかしエマニュエルも他の書記たちも、代わり映えしない戯言と聞き流していた。問題なのはこの後だ。
広間に衝撃音が響いた。誰かが玄関扉を叩いたのだ。叩き金を使って案内を求めたわけではなく、角材か何かで殴っているらしい。さらに彼らは羽目板を引きはがすと──―やや明るくなったのでそれがわかった──―鎧戸を殴り始めた。石材や鉄棒などを使っている者もいると見え、広間はガンドンゴンと様々な音程の、リズミカルな騒音であふれた。
詰め所に緊張が走る。外が見えないのでわからないが、もし彼らが大きな丸太や
エマニュエルをはじめ書記たちは、扉が破られることに怯えていた。責任者である番頭や書記役が不在である以上、群衆がなだれ込んで来れば、自分たちが血祭りにあげられるであろうことは想像に難くない。赤化した
エマニュエルは
しかし彼らの火器には出番がないまま、この日の示威行動は終わることになる。
ピリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリ!!!!!
左手、寄場の正門側から甲高い警笛の音が響いた。殴打の音は止み、混乱した叫びが取って代わった。
「警察だ!」
「兵隊だ!」
「評議会の犬め!」
群衆の怒りは、突如としてギルドから憲兵達へと向けられた。怒号が飛び交う。と、魔導で増幅された大音声が轟いた。
「無許可の集会はただちに解散せよ!」
群衆の声は怯んだように小さくなった、が、すぐに先ほど以上の勢いをもって噴出し始めた。
「評議会は民衆の自由を否定するのか!」
「何のための革命だ!」
「我々よりも王党派のところへ行くべきだろう!」
憲兵隊への叫びはしかし、直ちに中断される。憲兵隊が
どれほどの時間が経ったか、憲兵の怒号と銃声、群衆の悲鳴が収まると、玄関扉が叩かれた。力強い、ともすれば威圧的な叩き方だったが、鉄棒で滅多打ちにされるよりはるかに礼儀正しい。
エマニュエルは、できれば自分で出たくなかった。玄関の前にあるであろうものを目にしたくなかったし、嗅ぎたくなかったし、聞きたくなかった。それでも、当然
玄関に立っていたのは一人の憲兵軍曹。厳つい顔に立派な髭を蓄えている。エマニュエルは軍曹を注視することで、彼の背後にあるものに焦点を合わせないようにしていた。それでも臭いは容赦なく鼻腔へ侵入する。血と糞尿と、火薬の入り混じった臭い。そして声だ。音もまた、遮るもの無く彼の鼓膜を揺らしてくる。不幸にも、弾丸を喰らってなお、死ぬことのなかった者たちの苦悶の唸り。それが何重にもなって、重厚な
軍曹が喋りだした。
「責任者はいるかね」
「いえ」
「では貴君をコンパニオナージュの代表者と見做して命令する。首都の公衆衛生に関する条例に基づき、敷地内、ならびに周辺街路の汚物を直ちに除去すること。知っての通り、コミューンはまともに機能していないのでな。清掃係には期待しないように」
「わかりました」
「ガァァァアアアアア!」
突如、玄関脇で襤褸雑巾のようになっていた暴徒の一人が起き上がり、軍曹に襲い掛かった。当の軍曹は眉一つ動かさずに振り向きざま、暴徒の顔に見事な右ストレートを決めた。ギャッと叫んでひっくり返った暴徒に、軍曹はすばやく魔導騎兵銃の銃床を振り下ろし、頭蓋骨を砕いてしまった。
一部始終を目にしてしまったエマニュエルは、今にも反吐すか失神しそうだったが、軍曹は彼の方を見て一言、
「死んだふりには充分注意するように」
とだけ言い、頭部の歪んだ遺骸を捨て置いて、憲兵伍長のいる方へ歩き去った。
黒い
すでに日は傾き始めていたが、彼の一日の一番ひどい部分は、これから始まろうとしていた。
筆者は特にフランス史やフランス革命に精通しているわけではありません。なので、時代考証に関するご意見は大歓迎です。それ以外のご意見・ご感想・激励・罵倒などもお気軽にどうぞ。励みになるかもしれません。タグの付け方とかジャンル分けとか、いま一つ自信がないので。
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