アリュード・マクシミリアン伯ー妖精麗人の愚直なる復讐ー (護人ベリアス)
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序幕 幸福への道
幸福は目前に(1)


「リュ、リュー!?その格好で行っちゃあ…だめー!?」

 

灰色の髪を持つ少女はそう叫ぶが、リューと呼ばれた少女はその声を聞き流し、前へ前へと進んで行く。

 

リューが気にするのはただ一つのこと。

 

 

少年(ベル)の安否

 

 

今のリューには身体中に激痛が走っていることなど些事でしかない。

 

重要なのはベルの安否でベルが無事に生きていることでベルが可愛らしいと言っても遜色ない笑顔を浮かべていることでベルの温もりをこの身できちんと確かめることなのだから。

 

リューは心の中で必死に少年の名を叫びながら身体中が痛みで悲鳴を上げているのにも構わず壁とリューに宿る強い思いを支えに廊下の奥へと進む。

 

そして同僚(アーニャ)が漏らした場所を特定し、その少年の無事な姿を視界に収めようと飛び込むように扉を開いた。

 

「ベル!」

 

リューは扉を開けると共に抑えきれない感情がはち切れるかのように少年の名を叫ぶ。

 

リューの視界には確かにベルと呼ばれた少年、リューがその姿を見ることを待ち望んだ少年の姿が映った。

 

少年は寝台の上に身を起こしていた。左腕には包帯が厳重に巻かれ、重傷を負ったのだということが見るからに分かる風貌だった。

 

けれどリューはベルが確かに生きている姿を視界に収めることができた。

 

その事実がリューに溢れんばかりの安堵と喜びを巻き起こした。

 

「リューさん!…って!?」

 

リューの呼ぶ声に反応したベルは喜びの表情を浮かびかけたが、瞬時に真っ赤に染められたかと思うとギョッと驚くという七面相が如き表情の変化を起こした。

 

喜びの表情を浮かべたのはベルもまたリューの無事な姿を自身の目で見たいと待ち望んでいたからで。

 

ただそのリューの姿がほぼ下着姿といういくら【深層】で紆余曲折があった結果あられのない姿を見合った仲とはいえ純情なベルにはあまりに直視し続けることができない姿をリューがしていた。よってベルは耳まで真っ赤にしてしまった。

 

だがリューにとってそんなベルの表情の変化も自身のエルフにあるまじき姿もベルの無事な姿を確認した喜びと比べれば些事だった。

 

そのためリューは自身の現在の姿に気づきもせず次の行動に移り、その行動がベルに驚きをもたらしていたのだ。

 

ベルがリューの名を呼んだときには既にリューは地に足をつけていなかった。

 

 

リューは感情の赴くままベルの横たわる寝台に向かって飛び上がっていたのである。

 

 

「うわっ…!ちょ…ちょ…リューさん!?」

 

ベルがそう驚きのあまり叫んだ時にはリューは寝台に飛び込んできていた。

 

「…暖かい…ちゃんと温もりが…ある…」

 

リューは冒険者の跳躍力を生かして、ベルの上半身に見事に飛び込む。ただきちんとベルの身を配慮してベルの下半身に負担がいかないようにベルの脇に身体を着地させるというくらいの理性は持ち合わせてはいた。

 

ベルの元に飛び込んだリューはベルの身体を少しだけ引き寄せると優しく抱きしめ、ベルの体に宿る温もりを全身を使って確かめる。そしてリューはようやく安堵してそう呟いたのだった。

 

同時にリューは記憶の中にあるほんの少し前に温もりを確かめ合った時のことを思い返していた。

 

この温もりをもう一度確かめることができた。

 

私とベルは本当に生きて帰ることができた。

 

そう実感するとリューの心は落ち着くと同時に止め処ない想いが溢れてくる。

 

リューは感情を何とか抑えてベルの肩に自身の頭を載せるまではよかったが、ベルの温もりを感じてしまった今もうその溢れる感情を抑えることはできなかった。

 

リューの瞳から小さな水滴が溢れるのを皮切りにリューの頰に一つまた一つと涙痕を作りながらリューは口を開く。

 

「よかったぁ…ほんっとうによかったぁ…」

 

リューはそんな曖昧な言葉を少々幼げな口調で言う余裕しかもう残されていなかった。そんなリューにベルは再び驚かされるが、リューの余裕のなさを感じ取りようやく動揺を振り払う。そしてリューの背に動かせる右手を回して、優しく宥めるようにさすった。

 

「心配かけてすみません。もう大丈夫ですよ。リューさん。僕もリューさんも生きて帰ってくることができました。みんなリューさんのお陰です。本当にありがとうございます。」

 

「ベルゥ…ひぐぅ…ベル…!わたしはぁ…!あなたが…いなくなるのがぁ…とても…怖かったぁ…!」

 

ベルの優しい声かけにリューはさらに涙を溢れさせる。

 

リューが涙と共に溢れさせたのはベルへの想いだった。

 

「あなたは…っ…いつも前を向いていてぇ…だから…先に逝ってしまいそうでっ…アリーゼ達みたいに消えてしまいそうで…怖かったぁ…」

 

「リュー…さん。」

 

リューの吐露にベルは彼女の名を呼んで、その背をさすることしかできなかった。

 

「よかったぁ…ベルは生きてるっ…わたしは…ベルの力になれましたかぁ…?」

 

「…もちろんです。リューさんがいなかったら僕は絶対にここにはいられませんでした。」

 

ベルはリューの質問に答える以上のことはしない。

 

ベルは今はリューに想いを思いっきり吐き出してもらおう、と思っていたのだから。

 

涙ながらに告げられる一言一言に込められた心配、恐怖、罪悪感。

 

それら全てをベルは理解できたから。

 

だからベルは自分の温もりをリューに感じてもらう。

 

リューの吐露をきちんと受け止めて応える。

 

そんな些細なことでリューの力になり、そしてリューの抱いてしまった負の感情を取り払えたらと思ったから。

 

そして負の感情を取り払った時、リューの涙が止まった時。

 

ベルにはリューに伝えたいことがあったから。

 

だからベルはリューを抱きしめ、紡がれるリューの言葉に応え続けた。

 

「わたしのせいでっ…こんなに傷ついて…ごめんなさい…」

 

「リューさんのせいじゃないです。僕の力が足りないせいで…でもこれはリューさんを守ることができた言わば怪我の功名ってやつで寧ろ誇らしいくらいです。」

 

「それにぃ…いっぱい無茶をさせてしまって…」

 

「それはお互い様です。僕も確かに無茶しましたけど、僕以上にリューさんは無茶してたと思いますよ?」

 

「…ぅぅ…ごめんなさい…」

 

「責めてるんじゃないです。人のこと言えないけど、リューさんには無茶して欲しくないなとは思います。ただこうしてリューさんは生きて帰ってきてくれた。リューさんは生きることを諦めなかった。それが僕にとっては何よりも嬉しいんです。」

 

「ベルっ…」

 

リューはベルの言葉に感極まりついに言葉を紡ぐことも出来なくなって、代わりにベルを抱きしめる力をほんの少し強くした。

 

そこにはリューのいろんな思いが込められているようでベルはそのほんの少し強くなった抱擁を頰を緩ませながら受け入れた。

 

そしてリューは少し落ち着きを取り戻してから、といっても溢れ出す涙を止められないまま一つの問いを尋ねた。

 

「…わたしは…っ…ただ守られるだけの湖の妖精じゃなくてっ…あなたを…ベルを…支えられる冒険者で…いられましたかっ…?わたしは…あなたの支えに…」

 

「リューさんは…僕をとても頼もしく支えてくれました。でも僕にとってリューさんはただ僕を支えてくれる冒険者だとは思いたくはありません。」

 

「…ぇ?」

 

ベルの答えは『ベルを支える冒険者としてのリュー』を否定するものでリューは大きなショックを受ける。

 

そうなるのを分かっていて、リューが苦しい思いを抱くのをわかっていて、あえてベルはこのような答えを導いた。

 

ただその答えには続きがあって。

 

そしてリューがもたらしてくれた問いはベルにとってもリューにとっても幸福に繋がり得るものだと確信したから。

 

ベルはショックを受けてしまったリューの背をあやすように撫でると続きをリューの耳元で囁いた。

 

「僕にとって確かにリューさんは頼りになるすっごくカッコいい冒険者で。【深層】でもいっぱい助けられて。でもリューさんは僕にとってそれだけじゃないんです。」

 

だってベルは【深層】でリューの儚さ、悲壮な生き方や覚悟を見てしまったから。

 

リューはベルが消えてしまいそうだったと言った。けれどベルからすればリューの方がよっぽど消えてしまいそうで心配になって。

 

「僕は【深層】でリューさんのことを今まで以上に知ってしまった。リューさんがただカッコいいだけじゃないんだってわかったんです。そして僕はそんな色んなリューさんを知った今リューさんは僕にとって『カッコいい冒険者』というだけではなくなりました。」

 

「っ…ベ…ル…?」

 

「だってリューさんはただカッコいい。ただ強い。ただ美しいっていうだけじゃない。たくさん悩んでたくさん苦しんだりもする『普通の女の子』だと分かりました。…そして人一倍頑張って前に進んでいくことができる『凄い女の子』なんです。」

 

「…おん…なの子?こっ…この私が…?」

 

【深層】で一応は一度聞かされたリューだったが、この場で言われてしまうとその『女の子』という言葉はリューの心を途方もなく揺るがした。

 

「そうです。…今の僕はリューさんを『冒険者』としてだけではなく『女の子』として見てしまいます。僕は決していつも強くあるわけではないあなたを時には守り、時には支えたいってあの時からずっと思っています。僕は孤独を怖がるあなたを一人にしたくないってずっと思っています。」

 

「…ベ…ル?それは…」

 

まるで告白の前文のようで。

 

密かなリューの願いを叶えてくれる魔法の言葉の始まりのように思えて。

 

リューは思わず問いかけてしまう。

 

リューは思わず期待してしまう。

 

 

ベルはずっとわたしのそばにいてくれるの?、と。

 

 

期待を心で抱いてしまったリューにベルは期待通りに答える。

 

 

「はい。今から伝えるのは僕がリューさんをいかに大切に思っているかを伝える…所謂告白というものです。」

 

 

ベルはいかにも平静に言葉を紡ぎ続けるが、本当はすっごく緊張している。

 

それを表に出さないのは余裕がないリューを前にしているからでリューに安心してもらった次には幸せな気持ちになって欲しかったから。

 

それが自分にできるのかはベル自身にも分からない。

 

けれどそれ以上に無事な姿を見せてくれたリューへの想いがベルの中から溢れてきてしまって、ベルは完全に行き当たりばったりになってしまったけれどリューへの想いをたった一言に凝縮した。

 

 

「好きです。リューさん。僕はリューさんに…一生共に支え合うパートナーになって欲しいんです。」

 

 

ベルの思わぬ告白という名の提案にリューは時が止まったかのように動きを止める。

 

それは涙が止まったということと同義で。

 

リューの心を負の感情に代わって幸福が満たし始めようとしている証でもあった。

 

一瞬思考が停止してしまったリューだったが、何とか思考を復活させてベルに問いかける。

 

「…一生支え合うパートナーとは…どういうことですか?それはっ…それはっ…冒険者としてっ…」

 

「それだけじゃないです。ダンジョンでは冒険者としてですが、私生活では恋人として夫婦として。いつでもどこでも僕とリューさんはパートナー。そんな関係を僕はリューさんと築いていきたいです。」

 

「でっ…でもっ…」

 

「やっぱり僕じゃリューさんと釣り合えませんかね?もっと凄くて頼りにならないとダメですかね?」

 

「違うっ…そんな…わけ…ないっ…!そうじゃなくてっ…私はっ…あなたの隣に立つ資格なんてっ…」

 

リューはベルの甘い言葉の連鎖に心を揺るがされる。

 

ベルとそんな関係を築いていきたいって。ベルのそばにずっといさせて欲しいって。そう思ってしまう。

 

だが自分の及ばぬ部分に、ベルを何度も危険に晒した厳然たる事実がリューのそんな甘えた考えを遮る。

 

そんな葛藤に悩むリューを慮ったベルはリューのそんな葛藤を打ち崩す言葉を加えた。

 

「僕にとって大事なのはリューさんが笑顔になること。リューさん。あなたは…幸せになりたいって思うあなたはどう思っているんですか?僕のことをどう思って、どうしたいんですか?」

 

ベルの言葉はリューの心にできた壁を一気に打ち崩す。それで溢れ出るのはリューの本心であり、リューの一途な想いで。

 

リューはついに覚悟を決めて、さらに心から溢れ出す想いを言葉にした。

 

 

「私はっ…ベルとずっと一緒にいたいっ!ベルを一生支えるパートナーになりたいっ!私は!今のベルのことがっ…!大好きですっ!!」

 

 

リューの覚悟のこもった告白をベルに叫ぶ。一生懸命ベルの問いに答えてくれたリューにベルは感極まって嬉し泣きしそうになるが、それを何とか抑える。そしてリューを改めて抱き締めるとリューの言葉への感謝を告げる。

 

「ありがとうございます。リューさん。今の不甲斐ない僕を認めてくれて。僕がパートナーになることを許してくれて。」

 

「…っ私こそ…私がベルのそばにいることを認めてくれて…本当にありがとうございます…その…これから一生…いえ何度生まれ変わってもベルを好きでい続けます…だからどうか…私を一人にしないで…」

 

「大丈夫です。僕は絶対にリューさんを一人になんかしません。リューさんがどこにいようと絶対に見つけ出して、絶対にそばにいます。だから心配しないでください。僕とリューさんはいつでもパートナーです。」

 

「ありがとうっ…ベルっ…そのっ…わっ…わたしはっ…」

 

「なんですか?」

 

「そのっ…あっ…愛しています…!ベル!」

 

「ふふ…僕も愛してますよ。リューさん。ずっと一緒にいましょうね。」

 

二人はそう愛を誓い合うと熱く抱擁を交わした。

 

二人はそれからもうしばらくたった二人の暖かくて心地の良い世界に留まり続けた。

 

少し前まで暗黒の闇のようだったリューの世界はベルという光のお陰で眩しいほど明るく照らされた。

 

それはリューが暗い過去をようやく抜け出し、幸福へと歩み始める第一歩だった。

 

リューはベルの腕の中で自身が幸福に包まれているのを心から実感していた。

 

ベルもまたリューを腕に中に収めながらこれからの幸福な未来に想いを馳せていた。

 

だからそんな幸福で正の感情しか心になく、自分たちの世界に入り込んだ二人は気付かない。

 

実はそばに茫然とした二人の少女がいることを。

 

そしてその二人の少女が歯を軋ませて負の感情の詰まった視線をリューの背中に突き刺していることを。




始まりました新作復讐劇!
復讐劇の定番は最初に幸福なシーンを描いた上で徹底的に堕とすという展開ですよね。(完全な下衆発想)
(その上リューさんを初回から泣かしておいて何考えてるという指摘は嬉し涙だからセーフということで。)

原作からの分岐点を『決死行後のリューさんとベル君の再会シーン』にするという展開予測できたでしょうか?これからも予想外を突いていけたらな…と思っています。…できるかは分かりませんが。(そしてこれ展開上重要性なくない?というツッコミはダメです。)

そしてもう早速ヘイトが集まり始めてますねぇ。だからこのシーンを選び、原作にて居合わせたお二人(空気で名前も出ず、ついでに数名空気どころか存在も消されましたが)に強烈な危機感を抱かせることができた、と一応考えてはいます。
何せ【深層】で何があったのかはリューとベルしか知らないのだから。強烈な『何か』があったと周囲に想起させてもなんらおかしくはないのです。
さて復讐相手選定はしばらく続きます。…幸福シーンの展開によるヘイト集めで。


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幸福は目前に(2)

「リュー!ベルさーん!鍛錬もこれくらいにして、朝食にしましょー!」

 

サンドイッチの入ったバスケットを抱えたリューの親友であるシル・フローヴァはそう声を上げながらいつも二人が鍛錬を行っている中庭へと繋がる扉を開けようとする。

 

「あっ…シル!お待ちを!」

 

「えっ…あっ…シルさん!」

 

なぜか慌ててシルを止めようとする二人の声は不幸なことに数瞬の差でシルには届かなかった。

 

「今日は手作りサンド…すっ…すみません!!お取り込み中失礼しましたぁ!!」

 

「シルっ…これは!違っ!」

 

「待って!誤解なんですシルさーん!!」

 

二人は今度は引き留めるために叫ぶが今度も生憎シルには届かなかった。

 

シルの言う『お取り込み中』。

 

それは正直誤解のようで誤解じゃない気もするかなり際どい光景だった。

 

…シルが呼び戻されるのにはもうしばらく時が必要だった。

 

中庭にはしばらくの間バスケット、そして(武器を持ったまま)ベルを押し倒して何か事を始めそうなリューと(武器を持ったまま)リューと顔が至近距離まで近づいて顔を真っ赤にしているベルが残されていた。

 

 

 

⭐︎

 

 

 

「ふーーん。事故。事故だったんですねぇーさっきの。」

 

「そうですって!シルさん信じてくださいよー!」

 

「べっつにーリューとベルさんは恋人同士で近々夫婦になるんですもんねー汗を迸らせながらイチャイチャするとかアンアンしても別に何の文句もありませんよー」

 

「だから本当に鍛錬中の事故だったんですって!そもそもアンアンって何のことですか!?」

 

「どうでしょうねー」

 

事故(ベル曰く)からしばらく。

 

シルを何とか呼び戻せて、三人並んで座っての朝食と相成ったものの未だベルはシルに納得させられていなかった。

 

それもそのはずで…

 

「…シル?このサンドイッチは誰が作ったのですか?まさかシルが…」

 

「何でリューさんはそこ気にしてるんですか!?確かにさっきから何で僕の手を握ってるんだろうって思ってましたけど、まさかサンドイッチを取らないようにってことですか!?それ弁明より大事なんですか!?」

 

「まさか私の勘違いより私のサンドイッチの方が怖いって言うの!?今日はミア母さんが作ったから大丈夫だから!?それよりリューは自分が私にベルさん襲った疑惑かけられているのを気にして!?」

 

「あっ…そうですか。なら安心です。ベルもお食べください。」

 

「じゃあ…いただきます。」

 

リューはシルのサンドイッチの恐怖でもう疑惑解消どころではなかったのだから。

 

そしてサンドイッチの恐怖を解消されたリューはようやくホッとしたらしくサンドイッチを小さな口で頬張った。そんなリューを可愛いいなと思いながらもリューが恐怖の解消を理由に手を離してしまったことをベルは残念に思いつつ、サンドイッチを手に取って口にした。

 

そうしてようやく疑惑に意識の向いたリューはサンドイッチ片手に口を開く。

 

「疑惑に関してですが、別に疑われても私は気になりませんよ?それだけ周囲にはベルと私が仲睦まじく見えているということですよね?」

 

「まぁ…みんなリューが微妙にベルさんのこと好きすぎてポンコツになってるとか暇があればベルさんとの思い出語ってるのが羨ましいぐらいには思ってるけど…」

 

「え?リューさん『豊穣の女主人』でそんなに僕のお話しているんですか?」

 

「え…あ…」

 

シルの呟きを受けてベルが尋ねるとリューは思いっきり地雷原に踏み込んだのに気づいたらしく頰を赤く染めて口籠る。なぜならシルの呟きはリューに心当たりがありすぎたから。同時に勝手にベルとの思い出を周囲に話しても問題ないのかという疑念を心に抱いていたリューは心配もあってすぐに答えることができなかった。

 

そしてそんなリューを見て、ベルはニッコリと微笑んで言った。

 

「本当なんですか?リューさん?もしそれなら僕すっごい嬉しいなぁ。あと僕も他の人にリューさんのこといっぱい話してるからお互い様ってことでちょっと安心できますし。」

 

ベルの言葉はベルもまたリューと同じように相手のことを大切に思っていることがありありと伝わってきて。リューはベルに愛されているということを改めて実感することができた。だからリューは思わず幸せのあまり涙ぐんでしまう。そんな自分を見られまいとリューはベルの肩に頭をのせてから答えを告げた。

 

「はい…たくさんベルとのことをついお話して、つい暇ができるとベルのことを思い出してしまって…シルを始め同僚達にはほんの少し迷惑がられてしまっています…」

 

「そんな…リューさん悪くないのに。…どういうことですか?シルさん?」

 

リューが迷惑がられているらしいという事実にベルは少しムッとしてシルに視線を向ける。

 

「あっ…いやぁ…それは…」

 

ベルの鋭い視線にシルは不覚にも言葉を詰まらせる。そんなシルの様子にベルは疑いを強めてしまうが、それをリューは慌てて止めた。

 

「あの…!シルは悪くないんです。私が…その…ベルと一緒にいられることがあまりに幸せで…思わず泣けてきてしまうことがあって…それがシル達の反応を困らせる原因になってしまって…」

 

「そっ…そうなんです。たまにベルさんを大急ぎでお呼びすることありますよね?そういう時は実は大体リューが泣き出しちゃった時で…」

 

「あっ…!そういうことだったんですか…」

 

リューが告げた事実にシルが言葉を付け加えたことでベルの記憶にあるいくつかの事実が結びついて、ベルは納得した。

 

ベルとリューが【深層】からの帰還後の再会で愛を誓い合ってから早数週間。

 

未だリハビリもありダンジョンに潜れないベルは思う存分恋人になったリューとの逢瀬を謳歌していた。

 

ただいつでもどこでもリューと一緒…というわけにもいかず、ベルは本拠【竃火の館】でファミリアの仲間と過ごす時間もきちんと大切にしていた。

 

そんな日々を過ごす中唐突にベルがリューとの時間を作り出す時もあったりした。

 

ある時はシルが突然ベルの元に駆け込み、『豊穣の女主人』に来て欲しいと頼んできて、ベルが急行したところその場でリューに胸板に突進されてしばらく温かい眼差しに見守られながらリューを抱きしめ続けるということがあったり。

 

またある時はリューが突然【竃火の館】に来て、ベルが出迎えたところこれまたリューに胸板に突進されて温かい眼差しに見守られながらリューを抱きしめ続けるということがあったり。

 

それら幾回かの出来事を思い返したベルはリューに尋ねる。

 

「つまりリューは僕といるのが嬉し涙が出るくらいとっても幸せっていうことですか?」

 

「…はぃ。」

 

「そっか。そっかぁ。」

 

リューのか細い回答にベルは緩む頬を抑えきれなくなる。だから抑えるのを諦めると、思いっきりダラしない表情を浮かべながらリューの肩を抱いた。

 

「僕もとっても幸せです。リューさん。一秒でも多く一緒にいたいっていつも思ってます。でも僕もリューさんもそれぞれやるべきことがありますから。」

 

「…ベルの仰る通りです。私には酒場での仕事が。ベルには団長としての役割がありますから。」

 

「まぁ僕って全く団長の役割果たせてない気がするんですけどねー」

 

「…はい?」

 

ベルの呑気な呟きはほのぼのとした雰囲気を突如として硬直させてしまった。

 

それもそのはずリューは堅物と呼称されるほどの生真面目なエルフである。

 

よって団長の職務を果たしていないという言わば怠慢宣言が恋人であるベルの発言となれば、尚更追及しないわけにはいかないわけで…

 

リューは即座にベルと少し距離を取り、ベルの顔を見れる位置に座り直すと追及を始めようとする。

 

「…ベル?役割を果たしていない?それは一体どういうことで…」

 

「あっ…それはみんなリリがやってくれてるというか…」

 

「まぁリューも人のこと言えないけどねー」

 

「うぐっ…」

 

リューが追及し始めベルが拙い弁明を始めたところでシルのツッコミが投下されてリューは言葉を詰まらせる。

 

ただ座り直したというのは即ち並んで座っていたシルもその視界に入っているということで。シルが開始された追及に横槍を入れ、戯けた表情を浮かべているのも見え見えで。それもリュー自身に少し…というよりすごく見に覚えがあったから。そんなリューをニタニタと見つめるシルは公然と暴露を開始した。

 

「ベルさん聞いてくださいよ!リューったら定期的にいきなりうっとりと幸せそうな表情をしだしたり、いきなり泣きだしたりでとてもお店の配膳係なんてとてもとても任せられそうになくて…」

 

「シッ…シル!?それ以上は…!?」

 

「ある時なんて配膳中にベルさんの名前呟いたと思ったら突然お店飛び出しちゃって…それでリューが帰ってきたと思ったらベルさんがいて…」

 

「あっ…あー」

 

それって…リューさんが【竃火の館】に飛び込んできた時の…ことかな?とベルにはこの話の続きが読めた気がした。

 

「あぅ…シル…だってベルがそばにいないと…無性に寂しくなったり、急にベルがいなくなってしまいそうで怖くなる時が…あるんです。」

 

「リュー…さん?」

 

リューはそう言いながら俯く。

 

ベルがこれまで見たことのほぼない、だが最近は頻繁に目にしてしまっているとても弱さを曝け出したリューの様子にベルはリューを凝視する。

 

「…私自身なぜこんなにもベルにこだわっているのか分からないんです。好き、愛している…そんな感情が私に満ち溢れているとしても…ここまでは普通はならないと私自身思います。私は今ベルのお陰で言葉にできないくらい幸せで…なのにある時突然恐怖が襲ってくるんです。ベルが私の前からいなくなるんじゃないか、と。」

 

リューの独白は数週間前の告白の時も漏らしていた恐怖に関してだった。

 

リューからはいくら何度もベルに優しい言葉を贈られてもその恐怖だけは容易に拭い去ることはできなかったのだ。

 

「…根拠がないこと…ベルがいなくなることはないと理性では分かっているんです。なのに私の心はいつも心配を抱いては恐怖して…もしかしたら私はベルからある物が欲しいのかもしれないと思い至りつつあります。」

 

「ある.…物…ですか?僕に手に入れられる物なら何でも…」

 

 

「それは…ベル?私に私がずっとベルの物だという消えない印を付けてくれませんか?」

 

 

「…え?…ぇ?」

 

リューの言う『消えない印』というぼんやりとした物が全く見当もつかないベルは思わず首を傾げかける。だが分からないとリューに知られるとリューが悲しみそうで怖かったのでベルは助けを求めるように知ってる可能性のあるシルの方に視線を向ける。

 

ただ視線の先には心底軽蔑した表情を浮かべるシルがいた。

 

「…ベルさん?あなた一体リューに何をしたんですか?…あれですか?鍛錬と言いながらベルさんは実はリューに傷をつけて喜ぶクズだったんですか?それとも…」

 

「え?え?シッ…シルさん?一体何の話ですか!?僕とリューさんは普通に鍛錬してるだけですし、出来るだけ怪我とかしないようにやってますよ!?」

 

助けを求めたはずが思いっきり言葉のナイフの一突きを食らったベルは卒倒しそうな気分になりながらも弁明する。

 

すると誤解を招くような発言をしたリュー自身が付け加えた。

 

「えっと…それをベルが望むならしても構いませんが…そうではなくベルに私を『女』にして欲しいからと言いますか…それで私がベルの女だという証になると言いますか…そうすればベルは私の前からいなくならない気が…」

 

「リューさんは一体何を言ってるんですか!?」

 

「…へーベルさんとリューってそこ前進んでるんですね…へー」

 

「シルさんはそんな怖い表情しないでください!!」

 

俯きながらボソボソと爆弾発言を投下するリューと恐ろしく冷たい表情を浮かべるシルにベルはもう絶叫するしかない。

 

そうして特にシルの視線があまりに痛すぎたベルはその視線が逃げたいという思いとリューの抱く恐怖が想定以上に大きいことに深い憂慮を抱いた。そのためベルは向き合っていたリューを引き寄せて腕の中に収めて抱きしめた。

 

「…つまり…リューさんは僕がいなくならないっていう具体的な証拠が欲しいということですね?」

 

「…私のただのわがままで直感から出した結論ですが…そういうことです。…私はベルと一つになりたいんだと思います。…私に消えない印…いえ。傷をつけてください。」

 

ベルの質問に対するリューの答えには迷いを少々感じたもののそこには確かな意志が感じられた。だからリューを心配するベルはリューの思いを尊重すべきではと思いかける。

 

だがベルはやっぱり優しくてお人好しのベルだった。

 

「…やっぱりダメです。リューさん。僕にはリューさんを傷つけることはできません。」

 

「でもっ…!」

 

それしか恐怖を解消する方法がないと結論を出していたリューは食い下がる。だがそれでもベルの考えは揺らがなかった。

 

「そういうことは結婚してからだと思いませんか?もう少ししたら結婚するんです。結婚したらにしましょう?その時でも全く遅くないと思います。その時になったら僕はリューさんの恐怖が消えるようにいっぱいいっぱい愛しますから。そして家族をたくさん増やしましょ?ね?」

 

「ベルっ…!」

 

「だから今は我慢して欲しいです。僕がリューさんの前からいなくならないってことを精一杯伝え続けますから。怖くなったらいつでも僕を呼んでください。辛くなったらいつでも僕を頼ってください。僕はどんな時でもリューさんの力になります。」

 

ベルの優しさの溢れる声かけにリューは涙を我慢できずに泣き出してしまう。ベルはそんなリューの背をあやすように撫でた。

 

その背を撫でながらベルは密かに思う。

 

リューが涙もろくなった理由。リューが弱さを曝け出すようになってしまった理由。

 

それは自身にあるのではないか?

 

ここ最近凛々しいリューは完全に鳴りを潜めてしまっているのが、リューのこれからという意味でベルは密かに心配に思っていた。

 

ただベルにはこんなにも儚く愛おしい女の子のリューのことも大好きだから。目を離せなくて、いつまでも抱きしめていたいと思うくらい愛しているから。

 

だからもしかしたら自分のせいで壊れてしまったリューの何かを取り戻し、凛々しさを取り戻せるまでは自分が精一杯リューを支えようと心に決めていた。

 

「リューさんは一人じゃないんですから。僕がいます。僕とリューさんはいつまでも一緒です。まずは結婚が僕達を繋ぐ証になります。そして結婚したら僕達の愛の証を一緒に産み出すんです。言うまでもなくリューさんの幸せが僕の幸せ。僕はリューさんの幸せのためなら何でもしますから。僕を信じてください。」

 

「…ぅぅ…ベルっ…!ごめんっ…なさいっ…!変なことを言ってっ…!」

 

「いいんですよ。お話ししてくれてありがとうございます。お陰でリューさんの力になれて僕は嬉しいです。」

 

「…っぅ…ありがとぅ…ベル…愛してます…愛してます…」

 

「僕も愛してますよ。リューさん。ずっと一緒にいますから。」

 

それからしばらく二人は抱きしめあった。

 

ベルの言葉の影響か否かは分からないが、『冒険者』だったのがいつの間にやら『普通の女の子』になっていたリュー。

 

その変化の良し悪しは誰にも分からないし、何がこの変化をもたらしたのか、ましてこれがそもそもリューにとって進歩なのか退歩なのかはリューにさえも分からない。

 

なぜならありのままのリューというのがどんなリューなのか誰にも分からないのだから。

 

ただ少なくとも変化というものには評価が分かれるものである。

 

正義を尊び愚かなまでに真っ直ぐな『冒険者』だったリューの敵は少なくなかった。

 

ならば今の弱く儚い『普通の女の子』のリューをよく思わない者も当然現れるわけで。

 

そばから複雑そうな視線を向ける少女にこの時もまたついにベルとリューは気付くことはなかった。




ヘイト要員その?のご登場です。
シルさんって裏表あるから今回の言葉が本心か分からないし、リューさんが泣いた理由も真実かは分からないんですよねぇ。自分もどうなるか検討中ですね。(笑)
前作ではイチャイチャで周囲を触発して平和にするとか書きましたけど、それ以上にヘイト集めて抗争に発展しそうなんだよなぁ…特にベル君のせいで。

あと今回のリューさんはとっても感情表現豊かになってます。これはベルへの想いが思いっきり爆発してるからということもあるんですけど、原作のちょっとした考察の結果でもあるんです。
元々リューさんってアリーゼさんらの亡き後精神的支柱が揺らいでてて、情緒が決して安定してる状態ではないと思うんです。
ただ14巻でベル君はリューさんのトラウマ打ち払ったり、リューさんの正義を正しいと認めたりとシルさん以上にリューさんに影響を与えました。
ただでさえ純粋で少々依存癖がある(アリーゼさんや正義とかへの依存)のでベル君に依存しかけても何らおかしくないのでは…と。まぁあくまでリューさんがベル君への恋心を認めたら、という前提が必要ですが。
そしてリューさんはベル君の師匠枠で原作にいるわけですが、本来精神的には未熟さもかなり残しているわけで。今回のリューさんは前作のカッコよさと精神的強さを前面に押し出したリューさんとはかなり違ったキャラで描いています。新たなリューさん像の掘り下げということで。
このリューさんの表裏のギャップが魅力であると同時にリューさんの長所にも短所にもなる重大な点でして…


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幸福は目前に(3)

「え…ベル君が結婚!?」

 

面談用ボックスだったからよかったものの一人のハーフエルフの声が部屋の外まで漏れそうなほど響く。

 

「はい。エイナさん!こちらの【疾風】、リュー ・リオンさんと近日結婚することを決めました。」

 

驚きだけではない感情を表情に表出させて叫んだハーフエルフ、エイナ・チュールを余所に満面の笑みを浮かべながら報告するのはベル・クラネル。

 

「…はい。不束者ながらこの度ベルと結婚することになりました…」

 

そう恥ずかしそうにしながら小さな声でベルの告げた事実を繰り返したのはリュー ・リオン。

 

この二人はリューの心配を打ち払うためという名目で交際期間を吹っ飛ばし、さらには結婚した直後には新たな二人の愛の結晶を産み出す意気込みが満ち溢れた男女である。

 

そんな幸せなオーラを全身を身に纏ったような二人の男女にエイナはついつい顔をしかめてしまった。

 

「あの…それをなぜ私に?」

 

怪訝な表情でそう尋ねたのはエイナからすれば惚気以外の何物にも聞こえず、そして仮に冒険者の事情を把握することが求められるギルドの職員と言えど私生活まで把握することは問題かつ不必要で…

 

「だってエイナさんにもリューさんとのことを報告すべきですし、是非結婚式にもお招きしたくて!あといつでも相談してくれていいって言ってくれたじゃないですか!エイナさん!実は結婚に関して相談があるんです!」

 

なんてことをベルは気にもしないし、知りもしないので笑顔でそう答えた。

 

ベルの言葉にエイナの表情は歪む。いつでも相談していいと言ったのは、ベルと関わるための名目でしかなかったのをベルは全く気付いていない。そしてよりによって別の女性との惚気を相談されるなど論外であるということも。

 

エイナに複雑な気持ちが宿り、エイナはすぐにベルの言った『相談』が何か聞き返すことができなかった。だが何も気づかず満面の笑みを浮かべるベルはもちろんのこと結婚に思いを馳せソワソワしているリューもそんなエイナの表情の歪みに気づかなかった。

 

「ベル君…相談って…一体何かな?」

 

なんとかそんな質問を捻り出したエイナにベルは即座に答える。

 

「はい!僕とリューさんの結婚式は『豊穣の女主人』で行うつもりなんです!もちろん店主のミアさんの許可は取ってあります。けれど『豊穣の女主人』って冒険者の皆さんにすっごく人気な店じゃないですか?だからギルドのご協力で先にその日は『豊穣の女主人』は利用できないってことを冒険者の方々にお知らせしたらいいんじゃないかってリューさんと話してて思いまして。ね?リューさん?」

 

「えっ…ええ。ただ店で布告しても身勝手の多い冒険者のことです。そのような布告見ないことや無視することが十分考えられます。よってギルドのご協力を仰ぐことが一番とベルに提案したのです。」

 

ベルの振りにリューはスラスラと理由を付け加えた。そんな姿はまさしく息の合った夫婦にしか周囲には見えなかったことだろう。

 

「なっ…なるほど。」

 

根拠は理解してもギルドに依頼までする必要があるのかという疑問を心のどこかで抱いたエイナだったが、動揺のあまりそんな疑問を問うこともできずに納得したフリだけをしていた。

 

「ということでエイナさんお願いできませんか?僕リューさんの幸せを邪魔されたくないんです。」

 

「ベルと私を助けると思って、どうかご協力いただけませんか?私もまたベルが望む形で結婚式を執り行いたいのです。」

 

そうベルとリューは念を押すように告げると息ピッタリに頭を下げた。

 

そんあ二人の姿にエイナは一度小さく息を吸い、呼吸を整えるとようやく心に抱いたことをぶつけることにした。

 

「…それは別にギルドとしては問題はないです。ですがそれ以上にベル君。結婚に関して問題があると思うよ。」

 

そうようやく切り出したエイナが言葉にしたのは今のベルもリューもすっかり忘れていることだった。

 

 

「御本人の前で言うのは失礼ですけど…リュー・リオン氏はブラックリストに載った方です。そんな方との結婚を表向きに行うのは少々…」

 

 

エイナはベルに遠慮して控え目に言ったが、エイナが言いたいのはリューの今の立場。

 

リューはエイナの言葉通りブラックリストに載っていた所謂犯罪者。陰で密かに暮らすならいざ知らず、光の当たる場所で生きるなど本来ならば考えてはならない立場と言っても過言ではない人物だったのだ。

 

エイナの言葉にハッと自らの立場を気づかされたリューはその顔を真っ青に染め上げていく。

 

だがそんな『ベルにとって』そんな事実は燃え上がる愛の前ではどうでもいいことだった。

 

 

「何てこと言うんですか!!エイナさん!!」

 

 

ベルの類を見ない怒号がエイナに突き刺さる。

 

ベルは憤怒をその表情にありありと浮かべていた。

 

「リューさんはどこまでもみんなのために戦い抜いた正義の人です。リューさんはこれまで僕なんかじゃ想像もつかないくらいの苦しみをその一身で引き受けてきた人なんです。そんなリューさんにギルドはまだ傷つけようと言うんですか?ブラックリスト?だからなんです?僕のリューさんへの愛がそんなものに抑えられると思っているんですか?もしブラックリストなんかがリューさんの幸せの邪魔になるなら僕はどんな手段を使っても取り消させる。僕はリューさんを絶対に一人にしない。リューさんを絶対に幸せにする。」

 

「…っ…!ベルっ…!」

 

ベルのリューへの愛が込もった熱い語りに最近涙もろくなっているリューは嬉しさで感極まり、先ほどの厳しい指摘も忘れて泣きそうになった。

 

「なのでエイナさんと言えど、リューさんの誇りを汚すような言葉は認めることはできません。何があろうと僕はリューさんのそばにいるつもりなのでどうかエイナさんも反対しないで欲しいです。」

 

そんなリューをベルは優しく抱き寄せながらそうエイナへの少々の批判と固い決意の宿った熱い語りを締め括った。

 

あまりのベルの剣幕に圧されたエイナは身体を引きながらもコクリと頷いた。

 

「そっ…そう。リオン氏申し訳ありません…」

 

「あっ…いえ…私こそ…」

 

「さぁエイナさんへの依頼も終わったので行きましょうか?リューさん?」

 

「えっ…まっ…ベル?」

 

エイナの謝罪にリューは戸惑いながらも答えようとするが、ベルは思いっきり遮りリューの手を取るとそのままリューの手を引いて立ち上がる。

 

話途中だったリューはさらに戸惑うが、ここではベルはリューに構うことはなかった。

 

なぜならリューがその後に漏らすのは過去の自身の否定であろうと容易に察することができたから。リューに辛い思いをさせたくないベルがそんなリューの独白を垂れ流させる訳がなかった。

 

「と言うことでエイナさんよろしくお願いしますね?」

 

ベルはエイナの方を振り返りそう言い残すと、リューの姿を晒さないよう裏口からリューの手を引いて出て行った。

 

そう言い残した時のベルは笑っていた。ただ先程のエイナの言葉を咎めるような厳しい目つきをベルが笑いながらしていたと勘付いたエイナは背筋を震わせた。

 

ただそれと自身の感情は別物で。

 

エイナが何を考えているかまでは当然ベルもリューも把握することはできなかった。

 

 

 

⭐︎

 

 

 

そうして面談用ボックスを出たリューとベルだったが、すぐさま帰ることにはならずすぐに足を止めていた。

 

「あっ…」

 

二人の足を止めさせた人物の視線が二人の視線が絡み合って、声を漏らした。

 

「アイズ…さんじゃないですか。」

 

ベルの視線の先にいたのは気まずそうな表情を浮かべた【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインだった。

 

「どうかしたんですか?…まさか僕達の会話を盗み聞きを…?」

 

「えっ…あー」

 

ベルが怪訝な表情でアイズに問いかける。だがアイズは言葉を濁らせた。

 

なぜベルとリューが手を繋いでるの?と本来は尋ねたかったアイズ。

 

心にぼんやりと生まれたモヤッとしたわだかまりが気になったアイズ。

 

それを口足らずなアイズには言うまでもなくすぐには言葉にできず、言葉を濁らせることになった。

 

さらにそもそもリューのことを『酒場の店員さん』としか認識できてないアイズはそこから尋ねたらいいのか、と頭が混乱してしまったためしばらく感情表現の乏しいままその場に立ち尽くしていた。

 

「あのーアイズさん?」

 

何事かさっぱりなベルがもう一度尋ねるとようやく動揺から抜け出したアイズは口を開いた。

 

「えっと…さっきベルの後ろ姿が見えたからつい…」

 

気まずそうにそう告げるアイズにベルは納得したように頷く。

 

「そうだったんですね。なるほどです。でも申し訳ないんですけど、こちらにいるリューさんのことはあんまり他の人に話さないでくださいね?まぁアイズさんは信頼できる方なので心配していませんが。」

 

「それは…どういうこと?」

 

アイズは尋ねた。それはベルのいつにない鋭い視線に気付かないわけにはいかなかったからで。

 

そして先程エイナとリューとベルの会話を僅かながら聞いてしまったからの質問でもあった。

 

「報告が遅れましたが、僕とリューさんは結婚します!それでエイナさんに結婚式に関して相談していたんです。それでリューさんにはいっぱい幸せになって欲しいんですけど、目立ちすぎたりするのもよくないかなと。だけどリューさんにはいっぱい笑顔になってほしくて…」

 

「…ベル?…どう…」

 

「…ベッ…!ベル…!それ以上はおやめくださいっ…!ひっ…人前で…恥ずか…しいです…」

 

アイズの機嫌が良いとはいいとは言い難い声は恥ずかしさのあまり照れながら叫ぶリューの声にかき消された。

 

そうするとベルはアイズからリューにすぐに視線を移してしまったため、アイズ のモヤモヤはさらに大きくなった。

 

「だってこれが僕のリューさんへの本心です。隠す理由なんてないじゃないですか?」

 

「もぅ…ベルったら…でも…ありがとう…ございます…」

 

「はは…!リューさんは本当に可愛いですね。」

 

「かっ…かっ…かっ…!」

 

アイズのことを忘れて即座に二人の世界に入り込んでしまったリューとベルにアイズのモヤモヤはさらにさらに大きくなる。

 

そんなモヤモヤに耐えられなかったアイズはその世界を破壊したがるように口を挟んだ。

 

「ねっ…!ねぇベル…?最近訓練…してなかったよね?また…再開する?」

 

アイズが申し出たのはかつてベルとアイズが早朝に行なっていた訓練。

 

それはベルとアイズを結びつけることができる貴重な時間であり、『豊穣の女主人の店員』が手にすることができない時間。

 

アイズはどうしようもないモヤモヤがベルが自分から離れることにあると無意識に察し、そう提案した。

 

ただその『豊穣の女主人の店員』はただの店員ではなかった。

 

「あーアイズさん?その件に関してなんですけど…」

 

ベルはアイズの提案に申し訳なさそうに切り出した。

 

「訓練はこれからはなしということで…今まで本当にお世話になりました!」

 

そう頭を深々と下げるベルにアイズはさらに混乱すると共に絶望まで覚えながらも声を何とか絞り出した。

 

「どう…して…?わっ…私…何かベルに…悪いこと…した…?」

 

そう震える声を絞り出すアイズにベルはすぐさま顔を上げると大きく首を振った。

 

「そうじゃないんです!まず他の女性と二人だけで一緒にいるとリューさんに不安と心配をかけてしまうのでそれを避けたいという思いからです。」

 

「ベル…本当に…あなたという人は…」

 

ベルのまず口にした配慮にリューは案の定感動した表情を見せる。そんなリューをまたベルは抱き寄せるともう一つの理由を口にした。

 

「それとこれからは僕はリューさんと一緒に訓練して一緒に強くなっていきたいって思うんです。」

 

「…ぇ?」

 

「…ベル?それは一体…?」

 

ベルの宣告した理由アイズにとって絶望に等しきもの。

 

なぜなら『豊穣の女主人の店員』でしかないと思っていた相手がアイズとベルを繋ぐ唯一の訓練という時間を奪うと言うことに他ならないのだから。

 

そんなアイズの絶望をすっかりリューに視線を向けていたベルもベルに視線が釘付けのリューも気づかなかった。二人は向き合うと、お互いを見つめ合う。

 

「僕の言っていることは傲慢です。今も当然リューさんの方が僕より強いです。けれどこれからは僕はリューさんと共に、そしてリューさんのそばで成長していきたいと思うんです。そうしてリューさんと僕はお互いを支え合いながらさらなる高みに辿り着くんです。何度も言う通り僕はリューさんといつでも一緒にいたいんですから。それはダンジョンでも私生活でも辿り着く場所も一緒です。」

 

「…はぁ!ベルっっ!!」

 

ベルの述べた理由にリューはもはやいつも通りと化しつつある感極まった表情で涙ぐみ、先程から幸せな気分にさせる言葉ばかりベルに聞かされていたリューは今度ばかりは我慢できずベルに飛びつくように抱きついた。

 

「もぅ…私は結婚式がなくてもベルのそんな幸せになれる言葉をお聞きできるだけで十分すぎるほど幸せです。愛してます…本当に愛してます。ベル。」

 

「ふふ…僕も大好きですよ。リューさん。そしてリューさんはこれくらいで満足しちゃダメですよ?僕はもっともっとリューさんを幸せにしたいですから。リューさんはもっと欲を持つべきです。」

 

「全く…ベルったらそんなに私を甘やかして後悔しても知りませんよ?」

 

「まさか!後悔なんてあり得ません!これからもリューさんをいっぱい甘やかしたり一緒にがんばったりして、幸せにしますから覚悟してくださいね?」

 

「…ふふ…はい。ベル。ベルと幸せになる覚悟なら…私はとうの昔にできてますから。」

 

そう語り合う二人はまたも二人の世界に入り込むとついに時も場所も忘れ、しばらくの間お互いの温もりを確かめ合った。

 

リューは恍惚として幸せそうな表情で。

 

ベルは慈しむような優しい表情で。

 

二人はこれまた気づかない。

 

すぐそばに黒い感情を宿しつつある少女がいることを…




相変わらず地雷をそこら中に撒き散らすベル君。だから天然タラシはダメなんだよ…
少なくないラノベで恋が成就するとライバル達は(ご都合主義で)みんな諦めてくれます。
けれどそんな簡単に振られたことを納得できないわけで…(失恋経験者談)
こんだけたくさんの女性を堕としてしまったベル君は選ばれた女性にとってさえ害悪でしかない気が…
ただ誰が地雷を爆発させるかは分からないという点をお忘れなく!


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幸福への道の途絶えは突然に

「お前が大罪人リュー・リオンか?」

 

 

リューとベルを正式に結ぶ結婚式の場が。

 

笑顔と幸せに満ちた空間が。

 

放たれたたった一つの問いによって氷漬けにされる。

 

質問を発した男は本来人々に希望をもたらす『オラリオの憲兵』のはずだったのに。

 

その場にいたリューとベルにとっては絶望をもたらす悪魔でしかなかった。

 

その問いは刻々とリューの運命を狂わせる導火線であった。

 

その問いが言葉になることで導火線に火が点けられる。

 

ただ火を点けたのは質問を発した男であろうが、火を点けるきっかけをもたらした者は別にいる。

 

その者は…いやその者達は密かにほくそ笑む。

 

その者達にとってリューの不幸はまさしく蜜の味。

 

リューのつい先程までのベルのそばで浮かべていた幸福そうな表情。

 

それが絶望に染め上げられていくこの瞬間を目の当たりにできて、快感にその身を震わせていることだろう。

 

だがその問いはあくまで導火線。

 

リューの絶望は始まったばかりであった。

 

 

 

⭐︎

 

 

 

「っ!」

 

「…」

 

問いが発せられた瞬間黒いタキシードを纏ったベルはリューをその身で隠すように迅速にリューの前に立つ。

 

リューは純白のウェディングドレスを着こなしていたため、まるでとある王国の姫のようで。

 

そんなリューを身を挺して守ろうとするベルはまさしく騎士のようだった。

 

だがリューを守ろうとする騎士はベルだけではなかった。

 

結婚式場に選ばれた場所は『豊穣の女主人』。

 

即ち店員は手練れ揃いであり、次の瞬間にはそばにある包丁を構えて臨戦体制に移る者までいた。

 

さらに参列者もまた冒険者が少なからずいたため武器はその手に握られておらずとも数々の鋭い殺気が問いを発した男にぶつけられる。

 

その場の雰囲気は和やかな幸せに満ちたものから凍りついたような冷たいものに、そして殺気の飛び交う殺伐としたものへと目まぐるしく移り変わった。

 

その問いを発したのは引き連れた仮面をした男達に殺気から守られるようにして立つ仮面の男。

 

仮面の男達もまた突き立てられる殺気に応えるように武器を構える。

 

彼らが仮面をしているのは【ガネーシャ・ファミリア】の一員であることの証、即ち治安維持を担う者達であると言うことの証である。

 

その彼らの一人が『大罪人』とリューを呼び、そしてその場に厳重に武装して現れたということは明らかにリューに『何か』が起きたのは明らかであった。

 

「何用ですか!?リューさんが大罪人?そんな出鱈目をほざくならば、例え相手が誰であろうと…」

 

リューの一生に一度の晴れ舞台である結婚式に武器を持ちこみ汚した男達に激昂したベルは怒りに身を任せかける。

 

ただそんなベルをリューはそのままにはしておかなかった。

 

「ベル。ひとまず落ち着いてください。」

 

異様なほどの冷静さを保ったリューが自身の前に立つベルの頰をそっと触れる。

 

「リュ…リューさん?でっ…でも…!」

 

「まずは事の顛末を聞かなければ、怒りを起こしていいのかさえも分かりません。皆さんもどうかご自重を。」

 

リューはベルを抑えながらそう周囲に語りかけた。

 

そのリューの語りかけの効果もあり、式場にいたリューとベルの関係者の殺気はいくらか消え、それを受けて【ガネーシャ・ファミリア】の面々もまた緊張をほんの少し解いたように見えた。

 

そしてリューはベルに小さな笑みを見せると、ベルの頬からすっと手を離し一歩ベルの前に踏み出した。

 

「私が大罪人…それは一体どういうことでしょうか?」

 

その問いを発したリューの声色に動揺は見られない。

 

それは周囲にリューが潔白を寸分も疑っていないからだと思わせた。

 

しかしただ一人ベルにだけは違う印象を抱かせた。

 

直前にベルにだけ見せた笑み。

 

その笑みをベルはいつか見たことがあったから。

 

その笑みはリューの自信や信念がもたらすものではないとベルは気付いてしまった。

 

そんなベルの心でどんどん不安が大きくなっていく中リューと【ガネーシャ・ファミリア】の男は応答を始めた。

 

「ギルドに通報がありましてな。ギルドのブラックリストに名を連ねる【疾風】リュー・リオンが今尚生きながらえ、それどころかさらに罪を重ねたことが発覚し、治安維持のため迅速に対応を迫られ我々が急行したのだ。」

 

「ブラックリスト…?あれだけ命を賭けて治安を守るために…オラリオの…みんなのために尽力したリューさんをギルドはまだ傷つけるつもりでっ…!」

 

ベルは心で大きくなる不安を打ち消したいという思いもあり、男の述べた理論に猛反発する。

 

だがリューは小さく手を挙げてベルに自重するように促したため、ベルは致し方なくグッと押し黙る。

 

「過去は変えられません。私は確かに無関係な人々にまで危険を及ぼしました。ただ私の過去の罪をギルドには見逃していただいた記憶があります。」

 

「【疾風】の言う通り、共に治安維持を担った【アストレア・ファミリア】最後の生き残りをギルドも我々も最後の情けで見逃してきた。だが…」

 

「その『罪を重ねた』ことがあなた方の堪忍袋の緒を切ってしまった…ということですか?」

 

リューの静かな問いかけに男はコクリと頷く。

 

「罪を…重ねた?リューさんが…?いや…そんなことあり得ない…一体リューさんが何をしたって言うんですか!!」

 

 

「【疾風】リュー・リオンはダンジョン27階層において冒険者を殺戮した。これは許されざる罪だ。」

 

 

「なっ…!」

 

「ふぅ…」

 

罪の布告にリューとベルの周囲では騒めきが起こる。

 

ベルは怒りで表情を歪め、リューは小さく息を吐いて目を閉じた。

 

「あなたは…何を言ってるんですか?27…階層?冒険者を…殺戮?リューさんが?…そんなこと…リューさんがするわけないじゃないですか!!!」

 

ベルの怒号が会場に響き渡る。

 

それはリューとベルが【深層】での死闘に追い込まれるほんの少し前のことだとベルには容易に思い至れた。

 

27階層での出来事。

 

そこで少し前確かに多くの冒険者が命を落としたことをベルは知っている。

 

その場にリューが居合わせたのも知っている。

 

だが冒険者の命を奪ったのはリューではなくリューの心を苦しめ続けた【厄災】ジャガーノート。

 

その【厄災】の亡霊はリューのトラウマが打ち払われても尚何者かによってリューを苦しめ続けようとしていた。

 

「それは完全な誤解です!!リューさんは冒険者を助けるために必死に戦い抜いた!!なのにっ…!」

 

「…嵌められ…ましたか。」

 

「…ぇ?」

 

ベルの叫びはリューの小さな呟きによって遮られた。

 

リューは事の全てを分からないまでも自分が罪を問われている理由までは男の短い説明と自身の記憶で結論を出すことができた。

 

「…あの場に居合わせたのは私とベルとリヴィラの冒険者達…そして生きて帰ったのは私とベルを除けば…あぁ奴が…なるほど。段々分かってきました。」

 

リューの思い至ったのはリューの知るあのジャガーノートによる殺戮の場をたった一人生き残った、それもリューが救った男の顔。

 

リヴィラの街のならず者達の大頭でギルドにもその男の言葉なら信頼を得られる。そして金に貪欲という動機まで兼ね備えた男、ボールスの顔を思い出したリューは自嘲するように小さく嗤った。

 

どうやら自分は自らを滅ぼす者を自らの手で救ってしまったようだ、と。

 

ただ自らの正義に従ってその男を助けたリューにはそれほど大きな後悔を抱くこともなかった。

 

ただ一つ後悔することと言えば、これから自分がベルを悲しませることになるということだけだった。

 

「…ぇ?リュー…さん?どうしたんですか?どうして否定しないんですか?リューさんは…何にも悪いことしてないじゃないですか…そうでしょ?リューさん?僕知ってますよ…?」

 

なぜか濡れ衣を着せられたはずのリューが何の反論の弁を述べずにいることにさらに不安を大きくしたベルは震える声でリューの名を何度も呼びながら問いかける。

 

リューはベルの震える声に応えるため背を翻してベルと向き合う。

 

ベルは向き合ったリューの表情を目にして、思わず背筋を震わせた。

 

なぜならリューの表情からは先ほどまでの幸せいっぱいなものからすっかり変わっていたから。

 

 

リューの表情には明らかに『諦め』が映されていたから。

 

 

ベルはそんなリューから一歩退いてしまう。

 

なぜならベルはリューのそんな表情絶対に見たくなかったから。

 

その表情を見たら最後…ベルはリューと二度と会えなくなってしまうとまで恐怖を抱いてしまったから。

 

恐怖に取り憑かれたベルの表情を見て、リューは優しげで儚さを醸し出してしまうような小さな笑みを浮かべると距離を作ってしまうベルの右手を取り、両手で優しく握った。

 

「…結婚式を途中にて抜けるという大罪をベルに犯すこと。どうかお許しください。ベル。私は行かなければなりません。」

 

「…はぃ?…なっ…何言ってるんですか…?リューさん…?僕…知ってますよ?リューさんは一切悪いことをしていない…悪いのはみんなジャ…」

 

「残念ながらそれを証明できる者は誰一人いません。ですが多くの冒険者が命を失ったという確かな事実は存在しています。ならばこれまでに罪を犯した事のある私が疑われるのは致し方ないことでしょう。」

 

「何…言ってるん…ですか。そもそもリューさんは罪なんて一度も犯してない…そもそも…僕がいるじゃないですか!僕は現場にいた証人です!僕がギルドに説明しに行けばっ…!」

 

必死に言い募るベルにリューは冷静に冷静に答えていく。リューの表情から『諦め』は消えない。リューの表情にはいつまでも希望が宿らない。そんな事実がリューの表情に押し付けられるようでベルを不安で押し潰してしまいそうだった。

 

「ベル?ベルが証言しても情から嘘をついていることを疑われかねません。だから例えベルが真実を知っていようとベルの証言は確かな証拠にはなり得ない。」

 

「でもっ…!僕が言えば…!」

 

「もう一度言います。ベルの証言では私の無罪を証明することはできない。証言という形では私を助けることはできないのです。だから今は私は潔く彼らに従います。決して無謀な真似だけはなさらないように。どうかお許しください。」

 

リューはあえてボールスの名を出さなかった。今の怒りに先程のように身を任せかねないベルに裏切りの疑いのある者の名を出せば激情に駆られるまま復讐に走る可能性があるから。そうなればリューの無実を認められる可能性は露と消えるどころかベルにまで危険が及ぶことは明白。

 

それにリューはかつて自分が歩んだ復讐の道によってベルを汚したくなかったから。

 

リューはベルを説得するように今のベルの無力を説いた。

 

だがベルは納得しなかった。

 

「…ダメ…ダメです。リューさん…絶対に行かせられない…」

 

「ベル。」

 

「だって…リューさんは悪くない…絶対に…ダメです…」

 

「ベル。」

 

ベルは震える声のままリューの手を握り締めて、何度も何度も首を振り、リューに行かせないようにせめてもの抵抗をする。そんなベルの名をリューは静かに何度も呼びかける。

 

こう見るとまるで最近とは立場が逆転したかのようだった。

 

最近はリューが幸せのあまり泣いてしまい、ベルが落ち着かせるというのが定番だったのに。

 

今ではベルが不安のあまり子供のように拒否を繰り返し、リューが我儘をあやすようにベルの名を呼ぶ。

 

確かにリューの方が大人でベルがリューに導かれるようなことは以前ならよくあった。

 

ただ二人の立場がこうも突如変わった理由まではリューにもベルにも分からなかった。

 

ただリューに今分かっていたのは今のリューはベルの暴走だけは阻止しなければならない、ということだった。

 

拒否を繰り返すベルに普通の説得では埒があかないと悟ったリューは、右手だけベルの手から離すとそっとその手をベルの頰に添える。そして微笑んで見せた。

 

そのリューの微笑みにベルの拒否はついに止められてしまった。

 

だがその理由はリューの微笑みに『諦め』を再び感じたから…というわけではなかった。

 

「そうです。私は無実です。ベルの仰る通り罪を犯した覚えなど一切ありません。そして冤罪で裁かれるなど本来あってはならぬこと。」

 

「…ぇ?リュー …さん?」

 

微笑みと共に告げられた言葉には『諦め』は一切なかった。その表情と言葉の変化にベルは驚くほかない。

 

それどころかベルを見つめる今のリューの瞳には希望までも宿っている。そうベルにはリューの瞳から読み取れた。

 

そう。リューが『諦めた』のは今の苦渋を受け入れることだけだったのだから。

 

「確かにベルの証言は役に立たないと私は言いました。ですがいつ私がベル自身が役に立たないと言いましたか?ベルは私を証言することでしか助けてくれないのですか?」

 

「そんなっ…そんなわけないじゃないですか!」

 

リューの煽り混じりの言葉にベルはすぐさま言い返す。

 

「ならばお頼みできますか?私が関わっていないという証拠…真犯人は奴であると証明できる確固たる証拠を集めてきてくださいますか?」

 

「もちろんです…!もちろんですよ!リューさんの無罪を証明するためなら何だってします!」

 

ベルの力強い宣言にリューは満足げに頷く。

 

実はリューには確固たる証拠がない可能性もあると踏んではいた。なぜなら真犯人【厄災】ジャガーノートはもう既に灰になってしまっているのだから。

 

だがつい先程まで幸せに浸っていたリューは期待せずにはいられなかったのだ。

 

リューの『英雄』であるベルなら消えたはずの証拠を見つけ出すという不条理を覆す偉業を成し遂げてくれるのではないか、と。

 

そして心のどこかでリューは思ってしまっていた。

 

自分も囚われの姫を救い出す『英雄』の出てくる英雄譚のようにベルは自分を救い出してくれるのでは、と。

 

そんな可能性万が一にもあってはならないし、万が一助けに来てしまえば、ベルに危険が及ぶ。

 

だからリューは何度も言葉を尽くしてその手段が最後の手段で他の手段があることをベルに説き続けていたのだ。最後の手段ではない手段によってベルがリューを救い出してくれることにリューは強い望みをかけていた。

 

「よい返事です。ベル。私はベルを信じて耐えます。だからベル。頼みますね?」

 

「…っ!もちろんです!絶対に…絶対にリューさんの無罪を証明してみせます!」

 

涙が溢れそうになりながらもなんとか紡がれたベルの返事にリューは再び満足げに頷くとベルから流れそうだった涙を優しく拭う。そしてベルの頰と右手に触れていた両手をそっと離し、背をベルに向けると【ガネーシャ・ファミリア】の男達の元に身を委ねた。

 

リューはその男達に囲まれて、『豊穣の女主人』を後にする。

 

ベルは一瞬何に思いを馳せたのかその場に立ち尽くしていたが、リューの姿が消えると同時に『豊穣の女主人』を飛び出す。

 

ベルの視界に映るのは男達に囲まれ連行されていくリューの姿。

 

その時のリューは背筋が伸び、決して恥をかかぬよう虚勢を張っているようにも見えなくもなかった。

 

そんなリューにベルは精一杯空気を吸い込むとリューのその背に向かって、出来うる限り声を張り上げた。

 

「リューさん!!!絶対に…!絶対に…!!リューさんを救い出してみせます!!だからっ…!それまでっ…!耐えてください!!!僕達には幸せな未来が必ず待っています!!!だからっ…!リューさんには僕がいることを絶対に忘れないでください!!!」

 

ベルは遠ざかっていく背に向かって思いを叫んだ。

 

ベルの目にはそんなベルの叫びにリューが頷いたように確かに見えた。

 

リューに信じられている。

 

リューに期待されている。

 

それをその身で感じたベルは一瞬たりとも無駄にしまいと【竃火の館】に向かって走り始める。

 

リューとベルは幸せなひと時を壊されたもののまだ希望を失うことはなかった。

 

リューとベルは幸せな時を取り戻すことができると信じていた。

 

だがそんな二人の甘えを悪魔達は許すはずもなく。

 

結局結婚の契りという切れない繋がりを結ぶことに失敗させられてしまった二人を引き裂くのは悪魔達にとってそう難儀なものとは言えず。

 

二人の距離はどんどう遠ざかっていくことになる。

 

リューの悪夢はまだ始まったばかりであった。




最初に発覚した戦犯はボールス。
もう裏事情で話割く必要もないので書きますが、要は金に釣られて発言を変えました。
14巻エピローグからIFにしたのはボールスの発言をなかったことにするためでもあり、黒幕から金がもらえるということで義理も人情もなく裏切りました。…実際これくらいしそうですから…原作でもリューの死を証言したのは賞金に目が眩んだ感満載でしたし。命の恩人であろうとボールスにとっては悪く言うかよく言うかは気分次第でしょう。
正直何の躊躇もなく断罪できる数少ない人。…復讐対象主力級はある意味被害者が多いですから…
復讐劇の問題点は復讐対象に愛着があると思い切った復讐を描けないことです。

そしてまず結婚式のシーンを描かなかったのはそこを描いてからのどん底は流石に気を咎めたからです。…だって自分はリューさんの儚き強さは描きたくても決して無為に苦しめたいわけじゃないですから…あくまで前話までは伏線撒きのための必要な話。結婚式とは話が違ったので…

これからリューさんが辛い目にたくさん遭いますが、それでもリューさんは強く生き抜きますので…

そして今話が今年最後です。
…新年早々リューさんのどん底から始めることになると書き上げて投稿日割り振ってる時に気づいて、言葉を失いましたね。はい。
まぁ来年もどうぞお付き合いください!


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第二幕 絶望の道
希望は潰え、芽生えるは絶望


新年明けましておめでとうございます。そして新年早々こんな荒んだ内容を上げてしまって申し訳ないです…展開上必要なので…
これからもリューさんの正義、美しさ、強さを描いていきたいと思います。どうぞこれからもお付き合いください。

今話は際立って雰囲気が暗いです。というか色々と残酷です。本来二話分の内容な気もしましたが、鬱展開二話も続ける気にならなかったので合体しました。少々ご注意を…
ただかなり今後の展開に重要なシーンも含んでいますので…


「…がはぁ…!ゴホっ…!…ッゴホッ…!はぁぁ…はぁぁ…」

 

リューの咽せる息苦しそうな声が薄汚く狭く黴臭い部屋に響く。

 

意識を失っていたリューはたった今冷水を浴びせられたことで呼吸が苦しくなり、意識を取り戻した。

 

意識が朦朧とする中水滴を髪から滴らせつつもリューはなんとか呼吸を少しでも整えようと足掻いた。

 

「起きたか?」

 

「はっ…」

 

そんなリューに冷徹な視線を向ける男はたった今リューに水桶から大量の水を浴びせた男を下がらせるとリューの前に立った。

 

リューは意識を朦朧とさせながらもキッとその男を睨みつける。

 

だがその男はニヤリと口を歪めるだけだった。

 

何せその男とリューの立場の差は大きすぎた。

 

その場に似合わぬほどの豪勢な衣装を贅肉が溜まりに溜まったその身に纏ったその男は今の状況に邪悪な笑みを浮かべずにはいられない。

 

一方の睨み付けるリューは柱に縛りつけられ、無理矢理ウェディングドレスから着替えさせられた粗末な服は引き裂かれもうボロボロ。リューの身体の至る所から止まらぬ血が流れ続けている。

 

それでもリューに睨みつけるだけの余力が残っていたのはリューの背に宿る神の恩恵とリューの心に宿るベルという希望のお陰だった。

 

「お目覚めですかな?【疾風】リュー・リオン?」

 

「…ギルド…長…ロイ…マン…」

 

挑発的な問いかけにリューは睨めつけたまま何とか呼吸を整えて自身を苦しめる仇敵の名を呼ぶ。

 

リューをこのような状態まで追い込んだ男の名はロイマン。

 

オラリオの冒険者を統制するギルドの長である。そしてリューを連行した治安維持を司る【ガネーシャ・ファミリア】とは関係が深く協力関係まで構築している機関の長であるとも言えた。

 

「いやぁ…そう簡単には口を割ってはくれませんなぁ。早く認めれば、楽になるというのに。」

 

「…認める…ものか…私はっ…罪など犯していない…」

 

そう強く声を絞り出したリューにロイマンは鼻を鳴らした。

 

先ほどから続いているのはリューへの拷問。リューに『冒険者を大量に殺害した』という罪を認めさせるために鞭打ちを以って自白させようとロイマンは【ガネーシャ・ファミリア】からの引き渡し後部下に試みさせていた。

 

拷問が始まってからもはや3日が経過していた。それでも尚リューは決して痛みに屈して妄言を吐くようなことはなかった。

 

 

ただベルという希望を信じて。

 

 

ただそのたった一つの希望を支えにリューは拷問を耐え抜き、パンの一つも与えぬ飢餓地獄にも打ち勝ち、ベルが助けに来るのを今か今かと待ち望んでいた。

 

「まぁ最初から私はお前が認めることなど期待していませんがな。」

 

「何…だと…?」

 

ロイマンの呟きにリューは疑問の声を漏らす。

 

自白を期待しない、即ち自白を引き出すために行われるはずの拷問が意味を成さないということになるからだった。

 

自白なしに罪を着せたいならばすぐさまリューの首を刎ねて晒し者にしてしまえばいいのになぜしない?

 

そう違和感を抱いたリューに応えるようにロイマンは続けた。

 

「実はお前が苦しむのを望んでいる者がいる。当然私もその一人。お前の余計な詮索がどれだけ私のギルドでの地位を危うくしたことか。その恨みは消えぬ。」

 

「…ふざけるなっ…オラリオを…守るべき者が…ギルドがっ…そのような不義を成すなど…許せないっ…」

 

「ふっ…なんとでも言え。全てはオラリオの利益のため。」

 

目の前の者がリューの悪と見做す者達と同類だと吐いたことでリューには怒りが湧き上がってくる。

 

このような男がギルド長として専横していることと復讐に身を投じたあの時見逃してしまったことをリューは心の底から後悔した。

 

「お前は知りすぎた。余計なことをしすぎた。だから少なくとも私の恨みを買い、このような最期を迎えることになったのだ。全てお前の責任、お前の過ちだ。それにしてもようやく邪魔者が消えるとなると嬉しいものだ。全く融通が一切効かぬ【アストレア・ファミリア】が壊滅したと知ったときは喜ばしかったものだが、今日までお前は生き残るとは…全く悪運の強い奴め。」

 

「…っ…!私はよくとも…少なくとも…アストレア様の正義をっ…!侮辱するなっ…!」

 

「はっは。お前を助けにも来ない神のことをお前は庇うのか?復讐に身を堕とし、あの神の言う正義とはかけ離れたことをしておいて?この青二才は本当に笑い者だな。」

 

「…くっっ…!」

 

ロイマンの指摘に身に覚えを感じてしまったリューは言い返すことができない。するとロイマンは後方に下がっていた男の方に振り返る。

 

「おい。準備はできたか?」

 

「はっ…ただいま。」

 

そんな掛け合いにロイマンばかりを睨み付けていたリューはその後方の男に視線を向ける。

 

その男が準備していたものとは魔道具(マジックアイテム)らしき小瓶を一つと火鉢と共に用意された焼鏝。

 

準備されたものから今から自身になされることを容易に察してしまったリューはロイマンを無意味と分かりながらも再び殺気を込めて睨み付ける。

 

そんなリューにロイマンはニヤつきながら言った。

 

「流石は【疾風】。あの魔道具(マジックアイテム)と焼鏝の使い道をよく知っているな。かつて一度は闇に身を堕としただけのことはあるということか。察しの通りあれは解錠薬(ステイタス・シープ)を改良して作られた神の恩恵を晒すためではなく奪うためのもの。そして焼鏝でお前の背を焼き、二度とその身に神の恩恵を授けられぬようにしてやる。」

 

「…くっっ…そうまでするなら…早く殺せっ…!一思いにっ…!」

 

リューは恨みを込めて力の限り叫ぶ。だがロイマンの嫌な笑みは変わらぬまま。

 

そう力強く叫び強がるリューだったが、心の奥底では恐怖を感じていた。

 

力を奪われてしまうこと。背を焼かれる痛み。

 

それら自体はリューにとって大した苦痛でもない。その程度リューを支える希望さえあればリューには乗り越えることは無理なことではない。死の瀬戸際を幾度も乗り越えたリューには恐怖とまでは言い難いもの。

 

だがそれらはリューの冒険者としての存在意義を奪い、リューの身を汚すことになる。

 

 

存在意義を奪われ汚れたリューをベルは果たして受け入れてくれるだろうか?

 

 

それだけがリューの唯一の不安であり、次第にリューを呑み込まんとする恐怖であった。

 

リューは強がりながらも僅かに恐怖で顔を歪めてしまっていたのでその動揺をロイマンは見逃していなかったのだ。

 

そんなリューを嘲笑いながらロイマンはリューの耳元に近づく。リューは気味の悪さに思わずゾッと背筋を震わせた。

 

「よく聞け。【疾風】?簡単に死ねるなどと思うなよ?お前が苦しむのを待ち望む者は少なくない。誰もがお前に様々な苦しみを与えることを御所望だ。だから私はお前に絶え間ない苦しみを与えてやる。これはまだ始まりにすぎぬ。」

 

「…私はその程度の苦しみには…負けはしない。」

 

「ふっ…そうか。精々足掻くがいい。お前の澄ました表情が絶望で歪む日が楽しみだ。」

 

ロイマンの脅しにリューは精一杯の答えを返す。ロイマンはリューの答えを鼻で笑うとリューから離れ、背を翻す。

 

「【疾風】よ。これより始まる生き地獄…たっぷりと、味わうがよい。」

 

そう言い残すとロイマンは部屋を出て行く。

 

残されたのは焼鏝を手にする男とその餌食にされようとしているリューのみ。

 

リューは覚悟を決めて、小さく息を吐くと目を閉じる。

 

漆黒に呑まれた世界で想起するのはベルの笑顔。

 

リューはベルという希望を支えにその覚悟と共にこれより始まる苦難と向き合った。

 

 

 

⭐︎

 

 

 

差し込んできた僅かな光に目元を照らされ、リューは致し方なく目を覚ます。

 

恩恵を奪われた後地下牢へと投げ込まれたリューは鉄格子の窓より差し込む光の移り変わりからどれだけの日が経ったかを数えていた。

 

拷問に晒されていた日を含めると恐らくこれで12日。

 

…未だベルが証拠を見つけ、その証拠により解放される兆しは見られない。そもそも証拠が見つかる確実性もなく、ベルを巻き込むこともどうかと思い始めたリューの心中は複雑だった。

 

だがベルなら。

 

リューを愛している。

 

リューを一人にしない。

 

そう言ってくれたベルなら。

 

リューを必ず如何なる方法でも助けに来てくれるだろうというベルへの盲目的な信頼がリューにはあった。

 

ベルが必死に努力する中自分が勝手に生を諦めて、ベルの努力を無駄にするわけにはいかないとリューは自分に何度も言い聞かせていた。

 

だから生かさず殺さずと言わんばかりに与えられる僅かな食事を糧にリューは一日一日を必死に生き抜いていた。

 

そんな耐え抜く一日を過ごそうと固く誓ったリューの耳に鉄格子を叩く音が響く。

 

音のする先をリューが見れば、何人かの男が立っている。

 

拷問から解放されて以来これだけの男が姿を現すのは久しぶり…とリューが思っていると鍵が解錠される音が鳴り、二人の男がリューに近付く。そうしてリューに目隠しと手枷をはめると無理矢理立たせる。

 

どこかに連れて行かれるのだと察したリューは大人しくその男達に従い、何処かへと連れられて行く。

 

歩かされることしばらくして、目隠し越しに眩しい光が差し込んできて、さらに喧騒に出迎えられる。どうやら外に引き出されたようだった。

 

リューの姿が現れたからか急に喧騒は静寂に変わる中リューは歩かされた。

 

そうして手枷をどこかに繋ぐような金属音が聞こえてきたリューは自分が柱か何かに縛りつけられたのだろうと推測した。

 

そしてここは処刑場なのだろうとも。

 

だがリューは思い違いをしていた。ロイマンが言い残した言葉をすっかり忘れていた。

 

『簡単に死ねるなどと思うなよ?』

 

ロイマンの言葉通りそこはリューに死という逃げ場を与えるための場ではなかった。

 

リューの目隠しが徐に外された時リューにはそれが否応がなく分からされた。

 

リューの視界に映ったのは…怒りに身を震わせ礫をその手に握り締めた民衆達であった。

 

「このっ…!裏切り者め!」

 

「何が正義の使徒だ!!お前こそ悪じゃねぇか!」

 

「無関係の冒険者を殺すなんて!なんて非道な!!」

 

無数の礫と共にリューに集まるのは罵倒。

 

リューはその時民衆の怒りで歪んだ表情を見て、ようやく理解した。

 

リューに着せられた罪は『大量の冒険者を殺害した』罪。

 

本来その大罪を犯したのは【厄災】ジャガーノートだが、そのあまりの異常事態(イレギュラー)的怪物の存在をギルドが明かせないのは一度目の時に既に知ったことである。

 

その隠蓑にリューは利用されているのだ。

 

そうして親しい者を失った者達の憎しみが全てリューに向けられるように仕向けられていたのだ。

 

「…俺の仲間をっ…!返せ!!」

 

「正義を騙って、人々を騙した女に罰を!!」

 

飛び交う礫がリューの傷ついた身体をさらにボロボロにするが、リューはそれ以上の苦しみに悩まされていた。

 

それは心の痛み。

 

人々の罵倒はリューの正義を否定するものであり、リューのこれまでの行いをも汚す言葉。

 

自分は決して正義に恥じる行動をした覚えはないのに。

 

自分はオラリオの平和のために尽力したはずなのに。

 

 

なのにリューの守ってきたはずの人々はリューを否定し、リューを傷つける。

 

 

自分は誰のためにその身を削ってきたのだろうか?

 

自分にこのような恩知らずと言いたくなってしまうような人々を守る必要があったのだろうか?

 

 

リューの正義は段々と崩れていこうとしていた。

 

 

自身の正義が崩れ始め、絶望に少しずつ呑まれようとしていたリュー。

 

そんな時リューの目に一つの希望が移る。

 

「…ベ…ルゥ……?」

 

礫がリューの視界を遮る中民衆の遥か奥に見えた小さな希望。

 

白髪の少年の姿をリューの目は確かに捉えた。

 

リューの冷徹な頭脳は一瞬は幻覚、心身の痛みのあまり生み出されたまやかしの希望だと警鐘を鳴らす。

 

されどそんなリューの冷徹な思考をベルを愛するが故の楽観的な思考がすぐに追い出した。

 

そうだ。

 

ベルが今日まで助けに来なかったのは自分が今日この場に引き出されるのが分かっていたから。

 

容易に確実に自分を救出するためにベルは機を見計らっていたのだ。

 

ベルは戦略的判断で自分を苦境に残すしかなかっただけ。

 

自分を愛している、一人にしないと言ってくれたベルは絶対に自分を見捨てたりしない。

 

そう盲信したリューは白髪の少年に期待の眼差しを向ける。

 

だがその白髪の少年の行動は思いもよらぬものだった。

 

徐に少年が屈み立ち上がったかと思うとその手に握り締めていたのは一つの礫。

 

次の瞬間少年は振りかぶると勢い良くリューの方に向かって投げつけていた。

 

白髪の少年はリューの予期した、リューの愛するベルとは思えぬ行動を取ったのだ。

 

その礫は遠距離にも関わらずリューの頭に当たり、リューの頭からは新たな血の痕ができ始める。

 

それを見届けたからか白髪の少年はそのまま民衆の中に姿を消してしまった。

 

少年が去っても尚民衆の投げる礫はリューの身体を傷つけ続ける。

 

けれどその白髪の少年の投げた礫は他の礫とは違いリューの身体を傷つけるどころでは済まなかった。

 

リューは驚愕のあまり目を見開いたままもう少年の姿のない遠くを眺め続けていた。

 

そして思考が戻った時リューは混乱の極みに達した。

 

ベルが自分に礫を投げた?

 

ベルが自分を助けることなくその場を去った?

 

ベルに自分は見捨てられたのか?

 

絶望的な疑問がリューの頭で溢れ出る。絶望でリューは壊れそうになる。

 

 

なぜならリューにとってただ一つの希望はベルだったのだから。

 

 

違う…あのベルは幻覚。折れそうになった自分の心が生み出したまやかし。

 

ベルはあのようなことはしない。ベルは自分を見捨てはしない。

 

リューは先ほどとは正反対の理論を打ち立てて、何とか心の平穏を保とうとする。

 

だが目にした光景はリューの記憶から打ち消せない。

 

ベルはリューに向かって礫を投げていた。

 

ベルはリューを置いてその場を立ち去った。

 

リューの記憶からその事実は消せない。

 

けれどリューはその事実を決して認められない。

 

 

「ああああああああっっっっ…!!」

 

リューは慟哭を挙げると同時に絶望から免れるためにその意識を絶った。




戦犯その2ギルド長ロイマン。
…保身のためならなんでもする小物。こいつもまた何の躊躇もなく断罪できる…というか原作内の罪だけでも断罪すべき人物。外伝で肯定的に有能とか評価してたけど、少なくともリューさんとは絶対相容れない人物。というか執筆後に読み始めたフレイヤの外伝で汚職が確定したから躊躇なく断罪できるという。(笑)もう微妙にクロニクルのテッドが混ざってるけどどちらにせよクズなので気にしない。鬼畜仕様なせいで口調が崩れたのと真田○の徳川○康の模倣台詞入れたお陰で自分的鬼畜度UP。録な死に方絶対しない男…

未だに黒幕が姿を現しませんが、もうしばらくは監獄にいるリューさん視点中心に進めます。
民衆による石投げは某国のドラマにおける政治的罪人への罰を参考にしてます。死なない程度に行うのが某国流…と思われるのでリューさんは生きてます。宗教絡みのとは一切関係はございません。


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牢からは免れ得ども絶望からは免れ得ず

リューは床下から聞こえてくる物音のせいで眠りの世界から呼び戻された。そうは言ってもリューは言うほどの落胆を覚えなかった。なぜならその眠りの世界でさえ現実の世界と同じく暗黒に呑まれてしまっていたから。

 

リューを真に絶望に突き落としたあの日からどれだけの日が経ったのかもうリューには分からない。リューはあれ以来日の経過を数えるのをやめていたから。だが少なからぬ年月が過ぎたのだろうと言うことぐらいリューにも分かった。

 

リューは牢において生かさず殺さずという待遇で未だに生かされ続けていた。これがロイマンの言った『生き地獄』なのだろうとリューも察する。だからロイマンの思い通りにいるのも癪であり、逃れることも考えたこともあった。

 

だが拷問を死なない程度に行われ、食事も死なない程度の量にされ、リューの力の源だった恩恵を奪われたリューには脱獄を試みるほどの体力も道具もなかった。それでもリューにはその『生き地獄』から逃れる死という術を持っていた。リューは元々死に恐れを抱いてもいないし、仮に武器がなかろうと死ぬ方法なら幾らでもある。リューは死ぬことを思い立ってはいた。

 

だがリューは死のうとしなかった。

 

なぜならリューの頭で解消され得ぬたった一つの疑問が常に存在していたから。

 

 

あの時見た白髪の少年、ベルは自身の幻覚だったか否か、という疑問である。

 

 

この疑問へのリューの導き出した二つの答えがリューの心で攻防を繰り返し、その疑問に明確な答えが出るまでリューは身動きが取れなかったのである。

 

 

人の負の面を否応がなく見続け、絶望しかつて死に急いでいたリューはこう主張する。

 

あの時見たベルは幻覚ではない。ギルドに罪人認定された自分をベルが見捨て、自己保身のために自分に石を投じたのだ。どれだけ待とうとベルは助けに来ないし、当然誰も助けには来ない。

 

ならば自分を嵌めた者達へのせめてもの報復として潔く速やかに死を選ぶべきである、と。

 

一方のベルの優しさを知り、ベルの愛と献身を信じ続ける盲目的で楽観的なリューはこう主張する。

 

あの時見たベルは一時の絶望が生み出した幻覚である。ずっとそばにいる、絶対に自分を一人にしないと言ってくれたベルが自分を見捨てるはずがない。今もまたベルは自分の無罪を示すために必死に尽力しているに違いない。

 

ならばベルの努力を無駄にしないために何があろうとベルを信じ生きながらえなければならない、と。

 

 

ただこんな攻防を心の中で繰り返したところで最終的な結論をリューは出すことはできない。なぜならあの時のベルの姿が幻覚か否かの証拠はただあの光景を目撃したリューしか持っていないのだから。そのリューがその証拠を疑っている時点で結論が出ることはない。

 

よってリューは延々と堂々巡りの鬩ぎ合いを心で行い続けて、ただただ無為に生き長らえていたのである。

 

そんな無駄と言える時を過ごし続けていたリューの耳に聞こえてきた小さな物音。

 

リューは一度は身体を起こしその音に注意を向けようかとも思ったが、すぐにやめた。

 

周囲から物音や近くで拷問でもやっているのか悲鳴が聞こえてくることは時折あるので今の物音もきっとその類であろうと思ったからであった。

 

リューはもう誰かが助けに来てくれるなどという幻想にほど近くなってしまった希望に関心を向けることさえなくなっていたし、脱獄のための努力も行うことはなかった。

 

ただこの物音だけはリューの予想に反することになった。

 

しばらくの間床下から聞こえる物音に注意を払っていなかったリューだったが、次第に次第に音が大きくなっていくのを確かに聞き取り、リューは再び身体を起こす。ただ体力もあまり残っていなかったため転げ落ちるように床へと身体を下ろした。

 

そして冷たい石畳の床に耳を密着させてみると、リューの耳に届いたのは何かを掘っているかのような音。

 

リューのいたのは地下牢。

 

よって地下から掘り進んでくるという可能性がないわけではなかった。

 

 

ベルがもしかしたら助けに来てくれたのかもしれない。

 

 

そんな希望をいつぶりかに抱いたリューは行動を起こそうと思い立つ。

 

リューの瞳は今までとは打って変わってほんの少しだけ生気を取り戻したかのようだった。

 

それは『生き地獄』から抜け出す希望がようやく見えてきたからか。

 

それともベルという希望がようやく助けにきてくれた可能性があるからか。

 

そこまではリュー自身にも分からなかった。

 

だがせっかくリューに生気が戻ろうとも今の今まで活力を失っていた身体にまで力が漲ってくるわけでもない。久しぶりに動かそうと思った身体はそれ以上動いてくれそうになく地に伏したまま。仕方なくリューは牢の外に注意を向けて定期的に巡回してくるギルドの職員が来ないか警戒を払うことにした。

 

窓からの光が段々と陰りを見せ始めているため、時は日没寸前。

 

場合によっては夜食が届けられる可能性もある中リューはひたすら耳をすまそながら牢の外に警戒を払った。

 

 

 

⭐︎

 

 

 

それからどれだけの時間が経ったのだろうか。実際は半刻も経っていないだろうが、緊張のあまりか永遠にも感じる時をリューは過ごしていた。

 

偶然かこの日は夜食の時間が遅れているようで未だにギルドの職員は姿を現さない。

 

そうしてついに緊張の時が終わる時が来た。

 

ガタガタと音を立てながらリューの視線の先の石畳を成す大きな石の一つが振動し始める。

 

誰だろうか?ベルだろうか?ベルが助けにきてくれたのだろうか?とリューが期待を膨らませていると突如石が真上に吹き飛び、小さくない音を立てて石が天井にめり込む。

 

救出に来たにしてはあまりに手荒なやり方と大きな石を吹き飛ばすという怪力を見せつけられて、リューの動かせられない身体が完全に硬直してしまった。

 

こんな怪力の持ち主が助けに来ようとは夢にも思えないリューには、実はリューに恨みを持っていて自らの手で殺してやろうと思い立った者が乗り込んできたのではという考えが思い浮かぶ。

 

そのためリューは別の警戒を払おうと石畳にできた大穴に目を凝らすことになる。

 

すると石畳を軋ませる音を立てながら大穴を作り出した主は大穴から顔を出した。

 

「ふぅ…やっと着いたよ。リュー?あんたを迎えに来たよ。」

 

 

「…ミア…母…さん…?」

 

 

思いも寄らぬ人物が姿を現したことでリューは大きく目を見開き驚きを隠せなかった。

 

「…ったく。すっかりやつれちゃって…さっ。いくよ。ぐずぐずしてると見つかるかもしれないからね。」

 

そんなリューにミアは心配そうな表情を浮かべながら声を掛ける。そして大穴から身を乗り出すとリューを軽々と担ぎ上げた。

 

「ほんっとうに軽くなっちまって…外でリューをオラリオから逃す手筈は整ってる。ちょっと穴が狭いけど我慢しな。」

 

そうミアがまた声を掛けるが、リューは何も言わなかった。ミアはリューの返事を一瞬だけ待ったが、すぐに大穴に引き返そうと身を翻した。

 

リューは何も言わずミアに背負われながらしばらくの間暗闇の坑道を進んだ。

 

リューが何も言わなかった、と言うよりは何も言えなかったのは人肌と言うものが本当にリューにとって久方ぶりのものだったから。

 

リューはその人肌の温もりもそう遠くないうちに消えてしまうとも知らずミアの背の温もりを感じ続けた。

 

そうしてようやくリューが口を開いて出てきたのはやはりあの名前であった。

 

「…ベルに…頼まれ…たの…ですか…?」

 

「ようやく話したと思ったら早速坊主の名前かい…」

 

長い間使っていなかった声を絞り出したリュー。ミアはそう呆れ返ったような愚痴だけ溢す。その愚痴は明らかにリューの質問に答えていなかったが、それでもリューは続けた。

 

「…ありがとう…ございます…わざわざ助けに…来ていただいて…どう…恩を返せば…よいのか…」

 

「…恩なんていいさ。リューはあたしのバカ娘だ。娘を助けに来るのは当然さ。…むしろ長い間辛い目に遭わせたままですまなかったよ。」

 

「…いえ…ベルに…協力して…くださった…だけでも…感謝…しても…しきれません。」

 

「…それはともかくそろそろ外に出そうだね。気を引き締めな。」

 

ミアはもう一度リューが呟いたベルの名前を再び聞き流す。リューはなぜベルに協力を求められたならそうだと言えばいいのに言わないのか不思議に思ったが、それ以上にミアの『気を引き締めな』という言葉の意味に関心が向かい、ひとまずその理由をミアに問うのは控えた。

 

ミアの言葉通り暗闇が明るくなる。どうやら光が差してきているらしい。

 

だが今はもう日が沈んでいるはず。なぜ光が差し込むのだろうか?とリューは思う。

 

そしてそんなリューの疑問は坑道から抜け出した瞬間解き明かされた。

 

「…なっ…」

 

リューが目にしたのは燃え盛る家屋。光源はこれだったのである。

 

リューは思わず自身の目を疑うが、そんな疑いもその周囲の光景から消え去った。

 

なぜなら周囲ではリューとミアの出てきた坑道を囲むように戦闘が繰り広げられていたから。剣が交えられ、魔法が飛び交う激戦が行われていた。その結果周囲には遺体が転がり、辺りの家屋にも被害が飛び火していたのである。

 

そしてその戦闘に加わっている者達にリューは見覚えどころか懐かしさまで覚えることになった。

 

「おっ!ミア母さんが帰ってきたのニャ!ミャーの指揮のおかげだニャ!」

 

「おっしゃ!なんとか耐えきれた!てかクロエ!あんたも指図だけじゃなくて戦え!」

 

「ミャーの槍でみんなぶっ飛ばすからクロエがいなくても大丈夫なのニャ!」

 

そのリューに届いた声達にリューは聞き覚えどころか聞き慣れていたとまで言えた。

 

その声の主達とは…

 

「よぅし!バカ娘達よく耐えたね!リューを奪還してきたよ!クロエ!よく融通の効かないバカ娘どもを動かしたね!でも前線が崩されるからとっとと出な!ルノア!一回クロエと入れ替わって一回下がって体力戻しな!アーニャは調子に乗るんじゃないよ!」

 

「「「はーい(ニャ)!」」」

 

ミアの矢継ぎ早に飛ばされた指示に三つの声が返ってくる。

 

その場で戦っていたのはクロエ、ルノア、アーニャを始めとしたリューの同僚、つまり『豊穣の女主人』の店員達だったのである。

 

「…あの…これは…一体…?」

 

店員達に指示を飛ばした後すぐに走り始め、そばに見えていたオラリオの巨大な門へ向かうミアにリューは困惑のあまり尋ねる。リューの問いにミアは苦笑いしながら答える。

 

「…あたし達が助けに行けなかったのはあたし達自身の身を守るので精一杯だったってこともあってねぇ…とにかくリューを救うにはこれしか方法がなかったんだよ。」

 

「…え?それは…」

 

「やばっ!増援きた!ミア母さん!今度こそ崩されるかも!」

 

「分かったよ!すぐ行くからしばらく耐えな!」

 

リューの発しようとした問いはルノアの悲鳴によってかき消されてしまう。

 

相当に悪い状況に先を急いだミアは普段の【ガネーシャ・ファミリア】の門番ではなくリューの同僚達に確保されていた門を出る。

 

すると門の外には一頭の馬と一人の武器を持たぬ女性が立っていた。

 

「リュー!!!」

 

「その…声は…シル…?」

 

リューの名を呼んだのはリューの親友である馬の手綱を握るシルであった。リューの姿を確認したシルはすぐに馬に跨り、その馬にミアはリューの身体を軽々と持ち上げて鞍に座らせた。

 

馬から落ちないように脚で馬体を締めようにも上手く力が入らないリューは馬の首にしがみつくという少々みっともない姿になってしまう。だがそんな恥など構うことなくリューは疑問をミアとシルにぶつけた。

 

この場にいる馬は一頭で乗っているのはリューとシルだけ。

 

リューにはその状況の異様さに気付かないわけにはいかなかった。

 

「…シル?ミア母さん?今の状況は一体どうなって…?なぜ私を馬に…」

 

「あーリュー?私がちゃんと馬操るからずっと頑張ってきたリューは安心して乗っててくれればいいよ?」

 

「違うっ…シル。私はそんなことを聞いてるわけじゃっ…」

 

「ミアお母さん。どれだけ時間稼げますか?」

 

「うーん…一刻が限界な気がするねぇ…」

 

「分かりました。出来るだけ遠くまでリューを逃がしてみせます。」

 

「頼んだよ。シル。」

 

リューの苦悶の声をミアとシルは無視して、自分達の話を進める。それを側から聞いてしまったリューは状況を段々と正確に理解していってしまう。

 

リューはついに自分の問いに答えてくれないことに我慢がならず叫ぶように声を絞り出した。

 

「時間稼ぎとは!!…一体…どういう…ことですか?その言葉の…意味…まるで…私を逃すために…捨て石に…なるように…聞こえます…気のせい…です…よね?」

 

最初は何とか声を張り上げたリューであったが、息が続かず言葉を途切れ途切れに続けるリュー。そんなリューの切実な言葉をもうミアもシルも聞き流せなかった。

 

「…そうさ。あたし達はリューを逃すために命を賭けるつもりなのさ。」

 

「なぜ私などにそのようなことをっ…!」

 

リューはミア達がそこまでする理由を図りかねて叫んだ。そんなリューにシルはとんでもない事実を伝えた。

 

 

「それは私達『豊穣の女主人』のみんなもお尋ね者にされてて、もう未来がないからだよ。」

 

 

「…ぇ?」

 

シルの言葉のあまりの重みにリューは即座に返事を返せない。そしてシルの言葉にミアが詳細を付け加える。

 

「元々ウチのバカ娘達はリューを含めて色々やらかしてから来たのが多いからねぇ。ギルドにはそんな不穏分子の溜まり場が気に入らなかったんだろうさ。リューが連行された途端店は取り潰されて、みんな揃って逃亡生活。お陰でリューの救出にもだいぶ手間取っちまった。」

 

ミアは小さくため息をつきながらそう述べた。

 

つまりはあの結婚式の日の出来事がリューだけでなくミア達『豊穣の女主人』の人々までどん底に突き落としていたということ。それは自分が原因だとリューが思っても仕方がないことだった。

 

「そんな…私の…せいで…」

 

リューが再び襲い来た絶望に負けて、自虐的になりかける。だがシルがそれをすぐさま遮った。

 

「違う。悪いのはギルドとリューをはめた人達。リューは絶対に悪くない。」

 

「そうさ。リューはリューなりの正義を貫いてた。だから責められる理由は何らないのさ。」

 

そう弁護するシルとミア。自分が起因を作った時点で自分にも罪があると言おうとする。

 

だが切迫した状況がこれ以上の会話を許そうとしなかった。

 

「…シル。急ぎな。時間がない。」

 

「…ちょ…お待ちを…ミア…母さんは?アーニャ…は?クロ…エは?ルノアは?みんなは…どう…逃げるんです…?」

 

「…リュー。馬には慣れないだろうけどしっかり掴まっててね。」

 

リューの痛切な問いにシルもミアも答えない。それでもリューは問い続ける。

 

「…私だけ逃そう…とでも?…嫌です。私もここで一緒に…!」

 

リューがそう言い募ろうとする。

 

リューは自分のせいで知人達が命を散らすのをもう見たくなかった。

 

リューも一緒に死にたかった。

 

だがそんな弱気な言葉をミアが許すはずもなかった。

 

「バカ言ってんじゃないよ!!あたし達はリューに今まさに命賭けてんだ!!そんなこと言ったら承知しないよ!!」

 

「…ミア…母さん…」

 

ミアの怒号に流石のリューも気圧されて、言い返せない。

 

リューが黙らせたミアは浮かべていた厳しい表情を解くと優しげな笑みを浮かべる。

 

その笑みはまるで慈愛に満ちた母のようで。

 

そしてその笑みはリューがいつか見たことのある死を覚悟した者のみが浮かべる笑みであった。

 

「あたし達がしっかりリューの尻もちをしてやる。あんたは生きるんだよ。リュー。」

 

『お願い…『約束』よ、リオン?』

 

「…ぁぁ…」

 

リューはもうミアのその笑みを見て、もう完全に言葉を返すことができなくなった。

 

もうリューは新たな絶望に呑まれるしかなかった。

 

「さぁ。行きな。」

 

「…はい。あとを頼みます。ミアお母さん。」

 

「任せな。あたしがいれば一刻以上稼いでみせるさ!」

 

もうリューの元にミアの豪胆な宣言は届かない。リューは馬の首にしがみついたままミアを見続けることしかできない。ミアの覚悟を引き止めることができない。

 

「行くよ…リュー。」

 

シルはそう声をかけると馬の腹を小さく蹴る。

 

そうすると馬は前へと駆け始める。

 

少しずつ小さくなっていくミアの姿。

 

ミアはリューに小さく笑いかけると背を翻してしまう。

 

「さぁ!バカ娘ども!あとはとことん暴れるだけだよ!!派手にやっちまいな!」

 

「ミア母さん遅いニャ!」

 

「別にミア母ちゃんいなくてもミャーがいたから大丈夫なのニャ!全員ぶっ飛ばしてやるのニャ!!」

 

「…さっ最期の戦い。リューのためにもうちょい暴れますか!!」

 

ミア、クロエ、アーニャ、ルノアの奮起を促し合うような言葉がリューの耳にも届く。

 

だがリューはもうこの声をこれから聞くことはできない。

 

リューは本当はそんなこと認めるはずがなかった。

 

リューもあの輪に混ざって最期まで戦い抜きたかった。

 

だが恩恵を失ったリューはただの足手まとい。

 

さらに彼女達は皆リューが生きることを望んだ。

 

今もリューを生かそうと必死に馬を駆けさせるシルがリューのそばにいる。

 

だからリューは彼女達の最期の姿をその目に焼きつけようとずっと後ろを見続けた。

 

次第にその姿が小さくなっていっても。

 

追撃を遅らせるためか門がミアによって閉じられてもずっとずっと。

 

リューは自らのために命を賭け、自らが本当の意味で殺した彼女達の存在を心に焼き付けた。

 

その時リューの心に黒い感情が芽生え始めた。

 

その黒い感情をかつてリューは抱いたことがある。

 

その感情はリューの身を滅ぼしかねない、だがリューが逃れることができなかった危険な感情。

 

まだ今はかつてよりはその黒い感情は小さいまま。

 

だがその黒い感情が大きくなるのも時間の問題。

 

リューにはさらなる絶望が襲い掛かるのである。




リューが牢から何とか脱出しました。救出役はミア母さんというある意味の大抜擢。ミア母さんって時折カッコよく見えるのでこういう英雄的役も何ら問題ないですよね?

そして『豊穣の女主人』の扱いに関してですが、訳あり娘を大量に抱えた場所が堂々と存在するってギルド的に大きな問題だろうとずっと思ってたんです。クロエとルノアとか完全犯罪者ですし。手を出されなかったのは単にミアが化け物じみていてフレイヤの後ろ盾があるからというだけであり、大義名分さえあれば潰すことが不可能ではないはず。ということで救出にみんなで関わってもらいました。お尋ね者だとリューを救出に来る躊躇も減るというものですし。

あとシルさんが馬乗れるというのは、馬に乗る女性はかっこいいと確信する作者の趣味とシルさんの活躍の場を作りたいとか恩恵なしで疲弊したリューを逃すにはこれしかないいうご都合主義によるものです。…別にミア母さんが担いで逃すでも良かったんですけど、シュチュエーションが微妙過ぎなので…
というかダンまちには冒険者は馬乗るより走った方が速いというイかれた設定があるので馬乗れるのそれこそリヴェリア様ぐらいな気が…


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垣間見える事実と逃れ得ぬ絶望

オラリオから逃れ出て一刻も経たぬ時。

 

リューは未だシルの操る馬の背にただ揺られていた。

 

もうリューは振り返ることはなかった。

 

なぜならリューがミア達『豊穣の女主人』の親しき者達を死なせる原因になったのだという厳然たる事実から目を背けたかったから。

 

そしてリューがその事実を認識するのにはオラリオの方角から漂ってくる焼け焦げた悪臭だけで十分だったから。

 

リューは絶望から逃れることはできなかった。

 

だからリューは絶望に身を委ね、呆然と自分達が進んでいく鬱蒼とした森林に挟まれた道の暗闇の先を眺めていたのである。

 

そんなリューの心情を慮ってかシルはリューに話しかけることはせず、ただ馬を操ることに専念していた。

 

そうして幾ばくか経た時何を思ったのかリューはシルに呟いた。

 

それはリューにとって唯一無二の希望のことであり、ミアに聞き流されて答えを得ることのできなかったことについてだった。

 

「シル…ベルは…今どうして…いるのですか…?」

 

「…」

 

リューの問いにシルは聞こえなかったフリをする。だが絶望に呑まれたリューはもう希望なしに生きながらえることができる余裕を失っていたので、躊躇わず尋ね続ける。

 

「ベルは…私の無実を…証明してくれると…約束してくれました…今の状況は…それが不可能と…分かり…致し方なく…ということですよね?」

 

「…」

 

リューの続けられた問いにシルは尚答えない。

 

そんなシルに痺れを切らしたリューはそれでも尋ねる。

 

「シル…教えてください…ベルは…ベルは…」

 

「リュー。ベルさんのことを本当に聞く覚悟はあるの?聞いて後悔しない?」

 

リューの切実さの混じり出した問いに唐突にシルは問い返した。

 

その問いを発したシルの声色はとても冷たく、まるでこれから話すのが残酷な事実だと言わんばかりであった。

 

リューはそんな問いを発したシルの方を振り返らなかった。

 

リューはまだ希望が残っていると信じたかった。

 

だからリューは一瞬の躊躇いののち覚悟を伝えた。

 

「はい…覚悟はできています。」

 

ただベルが希望のままであると信じて。

 

「そっか…分かったよ。リュー。話すね。」

 

シルは大きく息を吐くとシルもまた覚悟を決めたかのように言葉を紡ぐ。

 

リューはそのシルの話す内容に恐怖と期待が入り混じった心境で聞いた。

 

「正直言うと私達はリューが連行されてからお尋ね者になってしまって、ダンジョンにみんなで潜伏してたからオラリオの事情にあまり詳しくないんだ。でも私達は出来る限りリューに関する情報を集めてたから少しは分かることがある。」

 

「それでベルは…!」

 

いつまでもベルのことを述べないシルに回りくどさを感じたリューは催促するようにベルの名前を呼ぶ。

 

だが次にようやく待ち望んだベルの名前が出た時リューは言葉を失ってしまった。

 

 

「ベルさんは今回の救出作戦には一切関わってないよ。」

 

 

シルの告げた事実はリューに信じ続けた希望は存在しないと宣告したも同然だった。

 

リューは本当に暗黒の世界に突き落とされたかのような思いを味わうことになった。

 

だがそれでもリューは消えかけた希望に縋ろうとする。

 

「…でっ…でも…仮に今回の一件に関わってないとしても…あの優しいベルなら…苦境に陥ったシル達を助けないはずが…」

 

「あの優しいベルさんなら、ね。でも仮にベルさんのそばによからぬことを吹き込む人がいたら?」

 

「…まさか私を嵌めたのはベルに近しい方だったとでも言うのですか!?」

 

リューはシルの呟きに反論しないわけにはいかなかった。なぜならそうであれば自分の不注意がこの事態を招いたと言うことに他ならず、そしてベルが信じた人物がそのようなことを為すなど思いたくもなかったからだった。

 

だが心の中の冷静なリューは告げる。

 

それ以外にギルドに自分の生存を伝えられる者はいない。何せボールスでさえも【深層】での決死行を知らず、自分が生き延びたと言う確証がないはずだったからだ。

 

そしてギルド長ロイマンも自分の苦境を望む者は多くいると言った。

 

その人物がどうしてベルの近しい人でないと言えるのだろうか?

 

むしろ自分に現状で新たに恨みを抱くとしたらベルの近しい人しかいないのではないか?

 

そう心の中の冷静なリューの言葉を信じざるを得ないと思いかけたところ、シルはさらに思いもよらぬことを宣告する。

 

 

「それに私達はこのリューが苦しんでた5年間ベルさんが何をしていたか何一つ知らない。」

 

 

「…どういうことです?それは…ベルが私のために何一つ努力しなかったとでも言うのですか!?それはいくらシルでもベルへの侮辱と…」

 

シルの曖昧な言葉をベルが何もしなかったという意味と解釈したリューは激しい怒りを見せる。ベルを盲信し愛し続けるリューにとってベルへの侮辱は親友相手であろうと怒りを覚えずにはいられなかったのである。

 

ただいつにないリューの怒りの沸点の低さはリューの精神的余裕のなさを示していた。そして同時にシルの言葉で初めて認識した5年と言う短くない期間の間ベルが結局助けにこなかったという隠しようもない事実がリューに不安を掻き立て、その不安に負けかけていることを押し隠すための強がりでもあった。

 

「とにかく私達はこの5年間ベルさんと会っていないからベルさんが何をしていたか細かくは何一つ知らない。けれど私達には結局リューがベルさんに助けられなかったと言うことだけは分かる。」

 

「…っ…!しかしベルは…!」

 

シルの冷静な物言いにリューはうまく言い返すことができなかった。

 

なぜならシルの告げた事実はリューが認識していたことでもあったのだから。

 

「とにかく私はリューに真実を伝えられない。だからリューは真実を知る必要があると思う。なぜリューがこんな目に遭わないといけなかったのか。誰がリューや私達を嵌めたのか。…ベルさんがこの5年間何をしていたか。それら全てをリューは知るべきだと思う。」

 

「…シル。」

 

最終的にシルはベルの言動の詳細の答えをリューに伝えることはなかった。

 

結局リューにはベルのことが謎として残ったまま。

 

ただリューのベルへの思いには確かな変化があった。

 

未だあの時リューに石を投じた白髪の少年がベルだったのかは分からない。だが…

 

自分がこの5年間救ってもらえなかったと言う事実。

 

シル達に手を差し伸べなかった事実。

 

それら事実がベルへの疑念を強めるのに役立っていた。ベルへの盲信的な信頼ももはや盲信的とは言い難いものになりつつあった。

 

精神的支柱が崩れかける中リューはただシルの言葉に耳を傾けた。

 

「だからね?リュー?私の言葉を絶対忘れないで。リューは真実を知る権利と必要がある。だから今は絶対に生き残らないといけない。何があろうと、ね。真実を知ったその時リューはどうしたいかを考えて。できればその時私達のことも慮ってくれると嬉しいな。」

 

「…シル?それは一体…」

 

リューは何事かを尋ねようとする。

 

だがその応答をもはや続ける刻は残されていなかった。

 

リューが質問を発している真っ只中にリューの視界を一本の線が横切る。

 

リューは一瞬は気のせいかとも思ったが、その直後に小さな音が立ったのを聞いて気のせいではないと悟った。

 

「…もう追いついてきたかぁ…予想より早いなぁ…」

 

シルが悔しそうにそう呟く。

 

リューの視界を横切った一本の線とは矢であった。オラリオからの追手が放った物だとリューもすぐに思い至る。

 

シルが漏らした通り一刻も経っていない以上早すぎると言う他なくミア達がオラリオの城門にて時間稼ぎを成功させられなかったということを暗示していた。

 

「ごめん。リュー。話は終わってから。今は逃げるのに集中しないと。」

 

「…ええ。」

 

リューは緊迫した状況のせいで発しかけた質問を胸の内にしまう他なかった。

 

「いたぞ!!応援を呼べ!!包囲して捕らえるのだ!!」

 

リュー達を発見した追撃者の一人がそう声を張り上げる。リュー達を追撃しに来ているのはどうやら後方にいる者達だけではないらしい。

 

時折矢が飛来する中振り返ることもできない二人は状況を完全には把握できないまま馬に先を急がせる。

 

だが飛来する矢がだんだんと増えていくのを見て取ったシルは一瞬の思考の後にリューに伝えた。

 

「ちょっと荒っぽいけど我慢してね?リュー?」

 

シルはそう言うとリューの返事を待つことなく手綱を右へと引き、馬に方向転換させるとそのまま脇の森林に飛び込ませる。

 

シルにとっては豪快な手段で追撃の手を緩めようとの判断であったが、これは戦闘経験も乗馬経験が乏しいシルだからこそ犯してしまったミスであった。追ってくる冒険者達は徒歩であり、馬に跨るリュー達よりも森林内の移動では有利だったのだから。

 

そんなシルの判断が追撃者達に包囲を容易にしたことに気付かないシルは祈るように手綱を固く握り締めた。

 

そんな時リューはこんな緊迫した状況にも関わらず対処をシルに任せたまま思考の海に溺れていた。

 

それは先程発しそびれた質問のことを考えずにはいられなかったからだった。

 

シルの述べたこと。

 

それはリューに今生き残ることに理由を与え、その理由で絶望で死に急ぎかねないリューを押し留めるためのものではあった。

 

だが今生き残った後のことはリューの思うようにするように、と言った。

 

正直生き残った後のことなど考えてもいなかったリューは聞き返すしかなかったのである。

 

シル達を慮ってリューはどのようなことをすればいいか分からなかったから。

 

ミア達が命懸けで救ってくれた恩にどう報いればいいのだろうか?

 

未練を残したまま散っていった同僚達の分まで幸せに生きればいいのか?

 

ベルがいないのに、ベルが場合によってはリューを見捨てたかもしれないのにどうやって幸せになれというのだろうか?

 

リューにはその方向性に進むことはあまりにあり得ない未来のような気がした。

 

代わってリューの心にぼんやりと生まれる未来の展望がリューに黒い感情を巻き起こす。

 

 

その未来とは復讐に生きる未来。

 

 

未練を残したまま散っていった同僚達の無念を晴らすためにリューを嵌めた者達を全て罰し、復讐を完遂すること。

 

全ての真実を知った先にある未来としてはまさに相応しいものだった。

 

そんな風にリューの心を巣食う黒い感情が着々と大きくなるが、過去に復讐に身を堕としたことのあるリューだからこそ押し留める思いも強い。

 

その過去の復讐が今の状況を招く遠因になったのは明らかだったため、今回のリューは易々と復讐を志す黒い感情に身を委ねることはなかった。

 

だがこれでは結局自分では答えが出せない。

 

だから生き延びた後伝え損なった先程の質問をシルに再び問い、その上で自らの答えを導き出そうとリューはひとまず納得する。

 

だがリューにその伝える時が来るかはもはや分かったものではない状況に陥ってしまった。

 

「あっ…森を抜けそう…」

 

シルの小さな呟きで意識を現実に引き戻されたリューは正面に目を凝らすと遠くに見えてきたのは月明かりに照らされた地面。鬱蒼として月明かりを遮ってきた木々からようやく抜け出せることが分かったのである。

 

もう木々の枝や後方から撃ち込まれる矢でかすり傷だらけになり、周囲で飛び交う連携を呼びかける追撃者の何事かを伝え合う掛け声に神経を擦り減らしていたリューとシルはようやく見えた光明にほんの少しだけ安堵する。

 

だがその安堵も抜け出した瞬間には消えてしまっていた。

 

「そんな…嘘…」

 

シルの悲痛な声が漏れる。

 

リューもまた声にはしなかったが、とうとう諦めを覚えてしまった。

 

 

森から抜け出した先にあったのは断崖絶壁、その下に待ち受けるのは激しく音を立てる川の流れだったのである。

 

 

「そろそろ追い込めるぞー!ネズミ一匹通すな!」

 

「奴らは馬に乗っている!油断していると突破されるぞ!気を引き締めろ!」

 

拓けた場所に出たからかようやく鮮明に聞こえるようになった掛け声が伝え合っていたのはリュー達を追い込むための罠。

 

リュー達は闇雲に逃げ回る余り見事に冒険者達の思い通りの場所に追い込まれていたのである。

 

「リュー…」

 

「…シル。」

 

互いの名前を呼び合おうとも解決策は見つかるはずもない。

 

もう二人の中の選択肢は絞られていた。

 

一つはここで諦めて、次の機会まで耐え忍び冒険者達に投降すること。

 

一つは最後まで抵抗しこの場で果てること。

 

シルはリューがこの場で果てることを望みかねないと即座に予測を立てた。

 

だからシルはリューに考える時間を与えないよう即座に提案した。

 

「…このまま川に飛び込もう。リュー。」

 

シルの提案にリューは振り返る。

 

この時ばかりはリューも振り返った。

 

そしてリューが見たシルの表情には何故か自信らしきものが浮かんでいた。リューには何がシルに自信を与えているのか分かりようがなかった。

 

逆にシルが目にしたリューの表情には安堵が浮かんでいた。シルにはリューはようやく死に辿り着けると思い込み、安堵しているのだろうと推察した。だがシルがリューを死なせるつもりなど毛頭ないことは言うまでもないことだった。

 

「…そうですか。ここまでですね。ここはせめてシルに辱めを与えないよう川の流れに身を任せるのは良い手です。」

 

「…そう。私もリューにこれ以上傷ついて欲しくない…から。」

 

シルはここであえてリューに生き延びて欲しいという本意を伝えなかった。

 

なぜなら伝えればリューの抵抗を受けてしまいタイミングを失ってしまう可能性があったから。

 

シルは心を痛めながらもリューを騙し、運命にリューと自身の身を任せることにした。

 

この高さの断崖から身を投げても必ず死ぬとは限らない。いや、リューを死なせるような判断をできるわけがない。

 

そう心に言い聞かせるシルを見たリューは儚げにシルに言った。

 

「すみません…シル…あなたに最期まで恩をお返しすることができず…それどころか仇で返すことになってしまい…」

 

「そんなの…気にしないよ。私はリューの親友だよ?リューのために命を賭けられるなら本望だよ。」

 

「ふふ…私はこんな素晴らしい親友と最後を共にできるなんて身に過ぎた光栄ですね…」

 

リューは弱々しく笑うとシルから視線を外し空を見上げた。

 

シルにはリューが何を思い、空を見上げたのかまでは分からない。

 

だがリューが死を覚悟したのだろうということは容易に察せた。

 

それでもシルは命に換えてでもリューを死なせるつもりだけはなかったのである。

 

「さぁ…あまり時はありません…お願いします…」

 

リューはシルがリューの思いに反する決意を固めているとは露とも思わずシルに死への導きを求める。

 

「うん…分かった。」

 

そんなリューに決意を悟られまいとしながらシルは手綱を握り、リューを絶対に死なせまいと決意をさらに固くする。

 

 

「…行くよ。」

 

 

シルは馬の腹を強く蹴ると無理矢理前へと駆けさせる。

 

次の瞬間馬もろともリューとシルは空中にその身を躍らせる。

 

そして重力に従ったリューとシルの身体は勢い良く落下し、水中へと姿を消したのである。




お決まり崖からの飛び降りシーンです。ドラマであろうとアニメであろうと陳腐化されるレベルで使い古された展開。
されどこのシーンの面白い点は飛び降りた後の生死が本当に運次第であること。
現実でも生き延びたり亡くなったりと結果は規定とは言えない。これが陳腐化されるほど使われる理由なのかもですね。

果たしてリューさんの…と言いたいところですがリューさんは主役なので生き延びるのは言うまでもないので…
果たしてシルさんの運命は…

と言いたいところですが、ここでリューさん達を追うのを切れ目なので一度中断します。
次回はリューさんが囚われの間の裏側、謀略を仕組んだ方々にスポットを当てます。果たして黒幕とは…


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舞台裏で黒幕達は暗躍す

真夜中のギルド。

 

そこで汗をだらだらと流しながらギルド長ロイマンは肥えた身体を不本意ながら奮い立たせて、精一杯走っていた。

 

ロイマンとしては本来ギルド長という最高位にいる身である以上不本意にも急がされるなどということはギルドを司る神ウラノスの厳命でも下らぬ限りあり得ないはずであった。だがそんな一般的な見解が通じないような事情を抱えてしまったが故の不本意な現状をロイマンは受け入れながらも不満がないわけもなかった。

 

ロイマンは息を絶え絶えとさせながらようやく目的地に着くと一度大きく息を吸うと御丁寧に戸にノックをした上で目的地へと足を踏み入れた。

 

「ようやく報告が入った。【疾風】と奴を連れ出した女をようやく殺したそうだ。」

 

そう息を整えながら告げるとロイマンの身に三つの鋭い視線が突き刺さった。

 

「…はい?ギルド長。生け捕りにするように伝達したのにどうしてそのような結果に終わっているのですか?」

 

「うっ…チュールよ…そう難しい要求を出されてもそう事は簡単ではないのだ…派遣した冒険者達も発見するのもやっとだったのだぞ?」

 

真先にロイマンに質問を突き刺したのは茶髪の眼鏡をかけたハーフエルフ、エイナ・チュール。リューとの関係性から言うと、恋人ベルのアドバイザーだった女性である。

 

「まぁまぁ…リリももっと苦しめてやりたいっていう気持ちはよく分かりますが、逃してしまえば後々の禍になります。下手に拘って消しそびれるよりはマシでしょう。」

 

そうエイナに取りなしの言葉を述べ、リリと名乗ったのはリリルカ・アーデ。リューとの関係性から言うと、恋人ベルのファミリアにおけるサポーターだった女性である。

 

「で?殺してしまったのは百歩譲って許すとしてちゃんと死骸は確保したんですよね?死骸がなければその死に確証は持てませんよ?」

 

「…死体は…確保できなかったそうだ…」

 

「「…はい?」」

 

ロイマンの解答に冷たい口調で詰問するエイナとリリルカ。そんな二人に慄いたロイマンはすぐに言い返すことができない。碌に言い返せないロイマンはギルド長という最高位にある者というより彼女達に隷属する僕のようだった。

 

幾ばくかの時を置いた末にロイマンは何とか報告にあった事情を言葉にして捻り出す。

 

「…川に身投げされて死体の発見は困難だ…そうだ…一応今も捜索させてはいるが…」

 

「なら彼らに発見するまで帰還は許さないと伝達します。よろしいですね?」

 

「リリも賛成です。何としてでもあの女の死を確認しなければ!」

 

「…しかしだなぁ…」

 

リューの死の確認に一層の熱意を見せるエイナとリリに利益を重視するロイマンは冒険者をあまりオラリオ外に置いておくことが気が進まず、恐る恐る小さな反論の声を上げる。

 

だがそんな反論はロイマンの立場からは許されざる事だった。

 

「あなたの意見は求めていません。ギルド長。今ギルドにおいてあなたには権力などないに等しいことをお忘れですか?」

 

「ぐっ…」

 

エイナの告げた厳然たる事実にロイマンは言葉を詰まらせる他ない。

 

エイナの言葉通り今のロイマンに権力はない。代わって権力を握っているのは目の前で応対する他でもないエイナ。エイナはこの5年間で副ギルド長にまで出世し、ロイマンから権力を簒奪していたのである。

 

そんな普通ならあり得ない事態が発生したのはロイマンに後ろめたい事実が存在していたからである。

 

「いいんですか?リリ達に刃向かっても?確かに証拠を握っていたあの女はあらゆる意味で消せたも同然。ですが代わりにリリ達が証拠を握っています。闇派閥(イヴィルス)と内通して暴利を貪っていたことを公表しても別にリリ達は問題ないんですよ?」

 

リリルカの述べたことこそリューを嵌めることにロイマンが関与した理由である。リューが命懸けで戦い抜いていた闇派閥(イヴィルス)に治安維持を担う他でもないギルドの長が内通していたのである。

 

愚直に悪とみなした者を裁くことに献身していたリューの存在は以前のロイマンの言葉通り邪魔以外の何物でもなかったのである。その事実が公表されればロイマンは今のようにエイナ達に使役される以上の災厄に見舞われるのは確実なのだから。

 

「分かった…余計なことを言った…すまなかった…」

 

そう自分の立場を再確認して平謝りするロイマンの姿は無様という他ない。

 

そんな時ロイマンを取り成すような言葉を発する者がいた。

 

「…あの女を発見するのも苦労したと言うのは事実…そんなに責めるべきではないと思う…」

 

「【剣姫】…様?」

 

言葉を発した者とは【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタイン。リューとの関係性から言うと、恋人ベルの戦闘における師匠といった立場にいた女性である。

 

「…あの女が逃げた門を突破するのには相当な手練れを相手にしないといけなかった…特に【小巨人(デミ・ユミル)】を倒すのには私でも手こずった…から…」

 

「まぁ…確かにそうですねぇ…お陰で別の門から迂回させて冒険者達を派遣しないといけないほどでしたから…恐らく門を突破するのを待てばさらに時間を浪費したでしょうからねぇ…」

 

「ヴァレンシュタイン氏とアーデ氏の仰る通りかもしれませんね。これが最良の結果と認める他ないかもしれません。」

 

エイナもリリルカもアイズの言葉にひとまずは納得した様子だった。

 

ロイマンを庇ったというより自分の不手際を悔しがっているようにしか見えないアイズに一応は救われた形になったロイマンはほっと息を撫で下ろす。

 

そんなロイマンを置いて話を三人は進め始めた。

 

「それにしても今回ようやく『豊穣の女主人』の店員達を殲滅できたのは大きな成果でしたね。目の上のたんこぶが消えたような気分でリリは清々しています。」

 

「私も同感です。潜伏していた彼女達には派遣した多くのファミリアを撃破されて正直困り果てていました。」

 

「お陰であのジャガーノートという化け物のことを知っている可能性のあったリヴィラのならず者達を葬れたのは正直助かりましたけど。これで真相を知る者はリリ達以外…」

 

「…今日の戦闘でもボールスは生き残ってたよ?…しぶとく。」

 

「「ちっ…」」

 

「私は…これで【小巨人(デミ・ユミル)】とか強い人と戦う機会がなくなって残念…かな?」

 

「ホント【剣姫】様は自分のことしか考えてなくて羨ましいですよ…第一級冒険者ってみんなこうなんですかね?」

 

「…どうしたの?アーデさん?」

 

この三人は共謀してリューを嵌めたのは事実と言えば事実。ただその共謀関係にある三人にはいくつかの共通点があるのは言うまでもないが、少なからず相違点が存在し物事に向き合う時の意識の強さに差をもたらしていたことも着目すべき点ではあった。

 

第一にエイナとリリルカはリューを嵌めるのに利用した【厄災】ジャガーノートの事件に少なからず関係していたために嵌めたということが露見させる可能性がある証拠の抹消に血眼になっていた。裏事情を知り得るリヴィラの冒険者達をリューから何か話を聞いている可能性のある『豊穣の女主人』の店員達の討伐に差し向け、双方を消し去ろうと謀ったのはそのためであった。

 

その一方そんな事件には関与していないアイズにとって『豊穣の女主人』の店員達の討伐にこだわる理由と言えば強さを希求するアイズが戦闘の経験を積むくらいしかなく、意識の差が生まれるのは仕方ないことではあった。

 

だがそんな意識の差があろうとこの三人を結びつけ続けていたのは他でもないリューの存在であった。

 

「…それにしても…川から身を投げたなら絶対にあの女は…死んだと思う。だってあの女にはもう力がないんだから。」

 

そうホッとしたように告げるアイズにリリルカは嘲笑するように笑った。

 

「あの時【剣姫】様は大層あの女から恩恵を奪うのにこだわっていましたからねぇ。恩恵を奪うだけでなくその背を焼いて恩恵を二度と刻ませないようにするなんて執念深い真似…そんなにあの女の力が怖かったんですか?」

 

「当たり前…ベルが認めた女…どれだけの力を秘めているか分からなかったから…」

 

「ヴァレンシュタイン氏が警戒するほどの女ではなかったはずですが…念には念を入れた結果今回のような不測の事態に対応できたという点ではヴァレンシュタイン氏の推測は正しかった、ということになるでしょうね。」

 

リリルカの言うようにリューの恩恵を奪うように要請を出したのはアイズであった。

 

それは『ベルの師匠』という立場を奪ったリューへの恐怖と嫉妬がさせた行為に違いなかった。

 

「…そういうあなただって…わざわざ処刑場にあの女を連れ出すなんて危険を犯すような必要なかったような気がするけど…?」

 

バカにされたように思い不快に思ったアイズはリリルカに切り返すようにそう言う。アイズが指摘したのはリューが民衆によって石を投じられ、そしてリューがベルかどうか判断を下せなかった白髪の少年にまで石を投じられた忌まわしき出来事のことであった。

 

「それは…あの女に深い絶望を味合わせてやりたかったんです!今まで正義なんてものを振りかざして人々の守護者ぶってたあの女がその守ってきた人々に傷つけられてその忌まわしい正義とやらをズタズタに引き裂いてやりたかったんですよ!あの時のあの女の表情は最高でした!あの女もあの時ようやく真の絶望というものを知ったことでしょう!」

 

アイズの指摘にリリルカは恍惚とした表情で当時を思い出し、嬉しそうに語る。そんなリリルカの言葉にエイナも付け加えた。

 

「アーデ氏の仰る通りあの女の正義は民衆に少なからぬ好印象を与えていました。よってあの女に汚名でも着せなければ、ギルドの陰謀かと疑われていた可能性もあったでしょう。あの女の名誉を地に落とすことでその可能性を封じられた分あれには意味があったことだと思います。今のあの女の地に落ちた名声ならば万が一生きながらえたとしても誰からも協力を得ることはできないでしょう。」

 

リリルカとエイナの狙いは他でもないリューの正義をリュー自身の中でも人々の中でも打ち砕くことにあった。

 

そのための工作はあの場での数え切れないリューへの非難を引き起こした人々の怒りを喚起するためにリューへのデマを流し、生じた怒りを直接リューにぶつけさせる場を設けるという周到なものであった。これはエイナとリリルカの個人的執念ではとてもできないことであり、他の要素も絡み合っていた。

 

その要素とはギルドであった。

 

ギルドはリューのせいで闇派閥(イヴィルス)との内通した職員がいたという疑惑を抱えていた以上リューの正義が称賛されることはギルドの権威が汚されていることとほぼ同義。よってギルドに勤めるエイナとロイマンにとってリューの正義を打ち砕くことはギルド存続のために不可欠なことだったと言える。エイナとロイマンは個人的な事情は差し置いても組織のためにリューを排除する理由があった。

 

そのための工作が正義の使徒として名を馳せていたリューへの人々の信頼の失墜させると同時にリュー自身の正義を打ち砕くことを狙い、その結果実際にリューの精神的支柱の一方を失わせていた。

 

ただリリルカが成したことはこれだけに留まらなかった。

 

「そういえばアーデ氏?あの女の表情が最高だったと仰いましたが、いつご覧になったのですか?私は監督していたので周囲にいましたが、見かけた記憶はありませんよ?」

 

「あぁ!それは当然ですよ!だってあの時リリはベル様に変身してあの女に石を投げつけてやったんですから!しかもちょうどあの女の顔に当たって!もう言葉にできないくらい最高でしたよ!」

 

「…アーデさん性格悪い…」

 

「アーデ氏…あの女が絶望した表情を浮かべていたのは正義を失ったからというよりクラネル氏に裏切られたと思ったからではないのですか?」

 

リリルカが唯一持つ魔法。シンダー・エラ。それはどんな姿にでも変身できる変身魔法。

 

リューが目にした白髪の少年とは恋人のベルではなく変身したリリルカだったのである。リューが見た姿は幻覚ではなかったが、ベルではなかったということになる。

 

そしてリリルカがそこまでしたのは言うまでもなくリューが苦しむと分かっていたからであり、そうまでするのには当然理由があった。

 

「性格が悪い?何を言っているんですか【剣姫】様!あの女が何をしたのか分かっているでしょう?そうでなければここにはいるはずないじゃないですか!私がベル様に変身してあの女の前に現れたから絶望した?大いに結構じゃないですか!私達からベル様を独り占めにしようとしたあの女には当然の報いです!」

 

「「…」」」

 

リリルカの高らかな語りに同意するしかなかったエイナとアイズは黙り込むしかなかった。

 

三人を結びつけていたのは言うまでもない。

 

 

リューがベルを自分達から奪ったことへの復讐。

 

 

「そうです…あの女はリリからダンジョンでのベル様のパートナーという唯一無二の役割を奪おうとしたんです。これは当然の報い…あの女はリリが味わってきた以上の絶望を味わうべきだったんです。」

 

「…アーデさんの言う通り…あの女は私からベルの師匠で一緒に訓練をする仲だったのに…あの女が私の立場を奪った…この報いは当然…」

 

「…その通りです。あの女は私からもベル君へのダンジョン探索の指導という役割を奪ったんです。私の助言者という唯一のベル君と関わる唯一の方法を…あの女は消えなければならなかったんです…」

 

三人が口々にリューへの怨念を言葉にしていく。

 

リューがベルと愛を誓い合ったこと。

 

それはベルの親愛の情をリューが独占するということに他ならない。

 

特に本人にも判らぬ情緒不安定に陥っていたリューを優しいベルが見過ごせるわけもなくベルのリューへの思いやりは周囲から見れば過度になっていた。となればベルの優しさを知る彼女達が抱くのはベルの優しさにリューがつけ込んだという在らぬ疑いである。

 

不幸にもリューがベルの愛を勝ち取り幸福を享受せんとしたことが周囲に絶望を掻き立て、リューを追い落とそうという謀略を引き起こすことに繋がってしまったのだ。

 

無意識に彼女達の絶望を掻き立ててしまったリューに当然罪はない。そして絶望に掻き立てられた末に走ってしまったリューを嵌めるという謀略を為した彼女達にもまた罪はないのかもしれない。

 

「…そういえばアーデ氏?今ベル君…クラネル氏はどうなさっているんですか?」

 

「そうだ…ベルが今日のことを気づいたら…困る…」

 

怨念を口にした結果怨念を抱かせる発端となったリューではない人物、ベル・クラネルのことを思い出したのかエイナとアイズはベルと同じファミリアのリリルカに尋ねた。

 

「…今頃【竃火の館】でぐっすり眠っていらっしゃると思いますよ。5年前以来ヘスティア様が夜間の外出を厳禁にしてますし、あの距離では戦闘の騒ぎもちょっとした喧嘩ぐらいにしか聞こえないでしょう。」

 

「…未だに気になるのですが、神ヘスティアに真実を伝えなくてもよいのですか?」

 

「何を今更…ベル様に5年前あの女を無実だと証明するための捜索をやめさせたのはヘスティア様です。どうせ神様ですからリリ達の思惑も分かって黙認してるんじゃないですか?もしくは単にお尋ね者が起こす問題にベル様を関わらせたくなかったか?とにかくヘスティア様はそもそもリリ達並みにベル様にこだわっています。きっと万が一があっても面倒ごとに関与しようとするベル様を引き止めてくれているはずです。特に連絡もないので大丈夫でしょう。」

 

そうリリルカは心配なさげに告げるのでエイナもアイズもそれ以上の追及はしなかった。

 

そこまで話したところで三人に沈黙が訪れる。

 

そんな三人を完全に除け者にされて突っ立っていたロイマンは不思議そうに眺めた。

 

いつもならリューへの憎しみで意気投合する三人がリューが死んだという吉日になぜか盛り上がらない。

 

それがなぜなのかロイマンには分からない。

 

憎み続けた女が死に絶えて清々して言葉にならないほど喜んでいるのか。

 

死をきちんと確認できていないためにリューの亡霊とも言うべき幻影を想起して未だ喜べないのか。

 

それとも男を奪われた復讐を完遂したにも関わらず気分がよくならない終わり方を迎え、胸につかえでも感じているのか。

 

ただ少なくともロイマンには分かるのは女の怒りは相当に恐ろしく、仮にも彼女達の怒りを買えばリューのような悲惨な末路を辿るのは明らかなこと。ロイマンは彼女達に恐怖を抱きながらこれからも続く僕のような生き方に疲れを感じ、彼女達に気づかれぬよう隠れて小さく嘆息した。




要は全部悪いのは周囲に中途半端に優しくしすぎて片っ端から無意識に口説き落としていたハーレム系主人公ベル・クラネル。
というのが今作の結論の一つではあります。

今回悪役に祭り上げたエイナさん、リリ、アイズさんは悪くない。自分の意思を貫くために行動したことは方法は何であれ尊重すべきだと思ってます。
何もせずに笑顔で祝福した場合、それは諦める覚悟を決められたすごい精神力の持ち主か何もすることができない臆病者かのどちらかでしょう。(もちろん本来なら前者が最善で後者が次善)
それで前者に当てはまるのが神であるヘスティア、後者に当てはまる春姫だろう個人的に思ってます。
ヘスティアならベル君の幸福を願って身を引ける覚悟を持っていると思っています。(往生際が微妙に悪いのは認めますが、ベル君の幸福を第一に考えているのも彼女な気がします。)
ただ今作では謀略は相談されてないけど協力的行動はしているという立ち位置は微妙にグレーで何を考えているのかは不明です。意図的黙認か本当に何も知らないポンコツなのかベルへの心配のみで行動したのか…
逆に春姫は自虐的発想が強いのできっと謀略に誘われてもビビって何もしないか逃げ出すでしょう。
とは言いながらリューさんだってリュー×ベル作品だからベル君と結ばれたのであってきっと後者寄りになり、謀略にも関与することはないと思います。

とまぁちょっと語りましたが、要は悪役に仕立てた三人に悪意はないよと言いたいんです!
行動する機会がある分、ただベル君が自分のそばにいてくれなくて絶望し続けるよりはいいと思いますから。
…リューさんの復讐開始が決まってるのでアレですが、今作で描かない空白の時間に三人はこれまで通りベル君と親しい関係を維持していますから三人なりにそれなりの幸福は現状あります。

それで続きを楽しみになさっている方がいたら申し訳ないんですが、ここで一時休載させていただきます。理由はベル君の処遇を未だ決められていないため。ここを決めないと復讐の展開が定まらないんですよね…なのに落とし所をどうも決められなくて…
なのでそこが決まって一定の書き溜めが書けるまで休載とするのでその点申し訳ないです…


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第三幕 復讐への道?
九死に得し一生の用途


お久しぶりです。
ようやく展望が少し見えてきたので投稿を再開します。


ふと気がつくととても暖かい場所にいた。

 

痛みも苦しみもない。そんな場所。ただそれだけではない。

 

ふと見てみると赤い髪を持つ私の恩人がいる。

 

…ようやく会えた。ずっと私はアリーゼに会いたかったのだ。これでようやく私はアリーゼに直接きちんとお話しできそうだ。

 

アリーゼだけじゃない。

 

ミア母さんも輝夜もアーニャもライラも。みんな。私の大切な人達がみんなここにいる。

 

なんて暖かくて和める場所なのだろうか。

 

不安なんて生まれそうにもない平穏な場所。

 

 

「…ュ…さん…」

 

 

…なのにどうしてだろう。

 

 

「…ュー…さん。」

 

 

私を…呼ぶ声が聞こえる。

 

その声は私が本当にずっと聞きたかった声で。

 

失礼だけれど、ここにいる誰よりも大切で恋しくてどんな時でも忘れることのなかった人の声で。

 

 

「リューさん。」

 

 

その声を無視し続けることができない。

 

私は一言一句聞き取ってしまう。

 

その声のする先へと振り返らないといけないと思いもする。

 

けれどこんな暖かい場所を離れるのも嫌。

 

アリーゼともみんなとも離れたくなんかない。

 

だけどみんなは微笑みながら首を振っている。

 

私はまだあなた達の元には逝ってはいけないということ?

 

まだ私は苦しみながら戦い続けなければいけないということ?

 

私はそう思うと憂鬱になって、振り返りたくなくなってしまう。

 

 

「リューさん。」

 

 

けれどその声は私を襲いくる苦しみよりも幸福を与えてくれそう、だなんて楽観的な考えも浮かんできて。

 

私はその誘惑に勝てない。

 

その声の持ち主のためなら不幸になったって苦しむことになったっていいとまで思えてしまって。

 

私はついに振り返ってしまった。

 

ごめんなさい…みんな。

 

私はみんなの好意に甘えます。

 

みんながまだ私がみんなの元にいてはいけないと言うならば…私は…あの人の元に…

 

私は私の名を呼ぶあの人の声に応えた。

 

 

⭐︎

 

 

「ベルッ!!」

 

リューは彼女の想い続けた人の名を叫びながら勢い良く身体を起こす。ただ全身に激痛が走ってしまい、リューはそれ以上の言葉を続けることができなかった。

 

それでもリューは自分の名を呼んで、暖かい場所から呼び戻した人の姿を必死に見渡して探す。

 

けれどその姿はなく見えるのは木の壁だった。それでも辺りを窺い続けると…

 

「やっと目が覚めたね。何日も寝込んでたから心配したよ。」

 

「シル…」

 

代わりにいたのはシルだった。シルは心底ホッとしたような表情を浮かべて飛び起きたリューを見つめていた。リューはその時ようやく意識を失うまでの経緯を思い返し、大きな安堵の溜息を漏らした。

 

「…よかったです。シル。あなたも無事で…もし恩を受けたあなたの身に何かあれば、私は死んでも死にきれなかった…」

 

「もぅ…恩とかそんなのどうでもいいの!私とリューは友達だよ?私達は友情で結ばれててそれ以上もそれ以下もないんだから!いい?」

 

「はぁ…」

 

リューは自身のシルから受けた恩を否定し、友達であることを強調するシルの物言いに少々の違和感を抱いたが、先に尋ねるべきことがあると考えその点を追及するのはやめておくことにした。

 

「それで…ここは何処です?それと追手は?」

 

リューの問いにシルは川に身を投げてからの出来事を掻い摘んで話した。

 

二人は飛び込んだ後しばらく意識を失ったまま川の流れに身を任せて漂流していたが、何とか河原に漂着。その漂着先が幸運にも事前にシル達が準備しておいた隠れ家に近く、先に意識を取り戻したシルが何とかリューをそこまで運び、今までここに滞在し続けていること。

 

追手は川に身を投げて絶命したと思ったのか二人が追手の予想よりも漂流していて見つけ出すことができなかったのかは見当がつかないが、少なくとも今まで追手に居場所を掴まれていないこと。

 

リューは軽傷だったものの長期の牢獄生活のせいで衰弱し、今まで意識が戻らなかったということ。

 

シルは安堵を浮かべたままリューにそれらを語った。

 

「状況は…掴みました。ひとまず落ち着ける…ということですね。」

 

「そう。とりあえずは安全だと思うよ。それでリューはまず体調を整えないと、ね?」

 

シルはそうリューに微笑みかける。そんなシルにリューは思い詰めた表情を浮かべて言った。

 

「あの…シル?私のせいで貴方だけでなくミア母さんやみんなを…」

 

リューが語ろうとしたのはリューを助け出すために命を賭けたリューにとって大切な人々のこと。

 

落ち着きを取り戻したリューは彼女達のことを思い出し、シルに何かを言わずにはいられなかった。

 

だがリューの口から出てくるのはきっと自分を責める言葉ばかりで。

 

そんな言葉聞きたくなかったシルはすぐさま遮った。

 

「言わなくていいよ。リュー。私はリューの言いたいことが分かってる。」

 

「シル…私は…」

 

リューはシルに懇願するような目を向ける。それはあえて自分を責める言葉を吐き、シルに慰めてもらいたいからか。それともシルに断罪して欲しかったからか。そこまではシルにだって分からない。だがリューに全てを言わせてもいいことなど何一つないことはシルには分かっていた。

 

「リュー?ミアお母さんもみんなもリューを助けたいと思ったから行動したの。当然私も同じ。決して強制とか義務感からとかじゃない。理由はそれぞれかもしれないけど、みんなリューのことが大好きで命を賭けてでも助けたいと思った。それだけは間違いない。だからリューは自分が助けられたことを否定しないで。それはみんなの死を否定することにもなる。それはリューにも理解できるよね?」

 

「…っ。…分かります。…すみません。シル。」

 

シルの言葉を理解したリューはハッと息を飲むと自らの考え方の間違いを悟り、謝罪を言葉にする。そんなリューにこくりと頷いたシルは続けてリューに語る。

 

「それにリューは過去のことにばかり囚われすぎてる。確かに過去の過ちや後悔から学ばないと成長は絶対できない。けれどずっと過去ばかり気にしても何もできないよ。前に進むこともできない。過去を忘れていいとは言いたくない。だけどリューはもっと今や未来のことを気にしてもいいような…気がする。」

 

「シルの…言う通りです。」

 

「だからリュー?これからどうしたい?リューは何がしたい?」

 

シルの持ち出したのは先日追手に妨害されて途切れていた未来を問う質問の続きだった。その問いにリューは困惑した表情を浮かべたまま戸惑いがちに答える。

 

「それは…特にないです。なのでシルの望むように…」

 

リューはあの時心で出した答えと同じシルに委ねると言う答えを口にした。

 

だがその答えをシルは許さなかった。

 

「ダメ。私に自分の未来を委ねるようなことを言っちゃダメだよ。恩があるからとか理由をつけて私の考えに従おうとするのもダメなんだからね!」

 

「シル…」

 

シルの言葉にリューは困り果てる。シルにそう言われてもリューには未来を決めることができないのである。

 

あのとき思い浮かべた未来は二つ。

 

平穏な生活か復讐か。

 

どちらも命懸けで助けてくれた大切な人達の思いに応えられない…そう感じるリューはどうしても答えを決められずにいた。

 

そんな困り果てるリューにシルはリューが気づいていなかった決定的事実を告げた。

 

 

「まぁ…決められないよね。だってリューはいつも自分の意思で行動を決めれてないもん。」

 

 

「シッ…シル…?今一体何と…」

 

リューの声は震えていた。それはリューの気づいていない核心を突かれたようで思わず恐れを抱いてしまったから。その核心を告げられたくない。そう瞬時に思ったから。

 

だがシルは冷たい表情を浮かべて続ける。

 

「そうだよね?リュー?リューがいつも行動するときは『【アストレア・ファミリア】の正義が…』とか『シルが…』とか『ベルが…』とかばっかり。リューがリュー自身が何したいどうなりたいとかはあんまり言わないよね?それもリューの個性で優しさとかの現れなのかもしれない。けど少なくとも私はリューが他人を理由にしたり他人の考えの受け売り以外の自分の考えで行動しているのをほとんど見たことがない。」

 

「それは…」

 

思い当たる節がリューにはあった。

 

ある時のリューは主神であったアストレアの唱える正義を受け売り。

 

またある時は【アストレア・ファミリア】の仲間達の未練や恨みを理由に復讐を敢行し。

 

またある時はシルへの恩返しを理由に行動して。

 

またある時はベルの窮地を理由に手助けを行なってきた。

 

リューは自身の行動基準は正義があるかどうかに置いていた。そして【アストレア・ファミリア】にいた頃の正義は人々や平和に害がある者を倒すことにあった。だからリュー達は闇派閥(イヴィルス)の討伐に力を尽くした。

 

だが忌まわしき【厄災】の一件以来リューは何をした?

 

治安を正すために行動しているはずのリューが治安を乱すことなど多々あった。

 

リューには自身が【アストレア・ファミリア】の元で抱いた正義を遂行し続けていたという自信があるとは言うことができない。

 

『豊穣の女主人』でウエイトレスとして働き続けたこともベルを何度も助けたことも周囲に求められたから、という理由は立てられてもそれはかつての正義とは関連性はあるとは言い難い。

 

リューの行動には一貫性がなくなっていたのは明らか。それはリューには本当の自身の正義がないからだというのはシルに言われてしまえば、そうだと言わざるを得ない。

 

リューはシルの指摘に動揺を隠しきれず呆然と言い訳を捻り出すための考えを巡らせるしかなくなる。そんなリューにシルは小さく溜息を吐いた。

 

「ごめん…リュー。私もその原因を作った一人だもんね。私がリューに色々頼んでリューが行動する理由を作ろうとした…リューの何かが変わって欲しいと思った…それは認めるしかない。それがリューに悪い影響があったなら私が悪いよ。リュー。本当にごめんなさい。」

 

「違う…謝らないで…ください…これは…私の意志の弱さ…里を出てからも何一つ変われなかった私が…悪くて…」

 

シルが深々と頭を下げるのにリューは首を振って否定する。

 

リューには元々明確な夢も正義もなかった。それは故郷の里を出た時からずっと。だからアリーゼやアストレアの語る正義がそのままリューの正義になった。それがリューが変わることのできる正義(希望)になりうると思ったから。

 

だがリューは里にいた頃と何一つ変わっていない。エルフの慣習に縛られているのが何よりの証拠であることはアリーゼと出会った時から気付かされていたのに。

 

ただ里を出るだけで。ただアリーゼ達と共に正義を執行するだけで。私は何かが変わるだろう、変えてくれるだろう、と心の何処かで期待していたのかもしれない。

 

そして私は周囲が私を気遣ってくれることに甘えると同時にその意図に気付けていなかったのかもしれない。シルだけでなくアリーゼも輝夜もライラも。私は彼女達と意見をぶつけることで対等になったと勘違いし、幼いままの自分を変えることに一切の関心を払ってこなかったのだから。

 

輝夜が私を幼いと表現したのはまさにその通りだったのだ。

 

変われなかったのはリュー自身が努力を怠ったためであることは明らか。

 

それがリューだけでなく周囲にまで不幸をもたらしたのである。

 

そう気付かされたリューは自らを呪いたくなった。リューは表情を歪ませて自らの積み重ねた過ちに絶望する。

 

何度も何度も周囲が変わることを促していたのに変わろうとしなかったリューを普通の人なら見捨てるだろう。ここまで過ちを重ね続け、変わろうともしない愚か者など何度言おうと無駄であると誰でも思いそうだ。

 

だがリューのそばにいるのはリューの親友だと自認するシル・フローヴァでリューを決して見捨てたりなんかしなかった。

 

「リュー?後悔を身に染みて感じるなら…変わらなきゃ。」

 

「しかし…どうせ私など…」

 

「どうせじゃない。リューなら変われる。リュー・リオンは…ポンコツで愚直すぎて間違えることもある。けれど最後には必ず正しいことができる人。私の親友はそんなすごい人。今からでもリューは変われる。自分を信じて。リュー。だからまずは自分が何をしたいのか自分で決めなきゃ。ね?」

 

「シル…」

 

シルは真摯な目でリューの背を押すようにそう言う。そしてシルはリューにもう一度問うた。

 

「もう一度聞くね?リュー?あなたはこれからどうしたい?あなたは何がしたい?あなた自身は何がしたいの?」

 

シルの二度目の問いを今度こそリューはきちんと受け止める。

 

シルの言う通り自分は変わらないといけない。そう思ったから。

 

今はシルに背中を押されながらでも遠くないうちにリュー自身の考えで決断しなければ。

 

これがリューの第一歩にならなければ。

 

そう強く思ったリューは深く深くシルの問いへの答えを考えた。

 

答えを出すのにリューは長い時が必要だった。リューは目を閉じて静かに思考に没入した。考え込むリューをシルは黙って待ち続けた。

 

そしてリューがその目をゆっくり開いた時。シルはリューが答えを出せた時だと分かった。

 

 

「やはり…私には分かりません。」

 

 

その答えはシルにとってあり得ないと思わせるものだった。シルはその瞬間呆れと怒りでリューに掴みかかりたくなる衝動にまで駆られた。

 

当然だ。結局リューは結論を出そうとしなかったと思える回答だったから。結局リューが変わろうとしていないと思える回答だったから。

 

だがその言葉には続きがあった。

 

「…情報が足りなすぎます。これでは私が何をすべきか判断できません。私を陥れた者達のことも。…ベルのことも。あらゆる周囲の状況や動機などをきちんと知らない限り…私が正義に反することを為していて陥れられるに値する者だったのか。それとも陥れた者達こそが間違っていて復讐する必要があるのか。また…その陥れた者達が正しいことを為し…ベルに危害を加えていないなら私は復讐するべきではないと思います。その全てを今はまだ私には判断できない…」

 

シルはリューの語りに目を丸くさせた。リューは自らの考えで色々な将来を見出すことができていたから。そしてその中から自らの意志で一つの将来を選び取る覚悟を垣間見ることができたから。

 

そしてリューは一つの答えをようやくシルに差し出す。

 

 

「…私はオラリオに今すぐ戻らなければなりません。全てを知るために…私の未来を決めるために…」

 

 

「…今すぐじゃないといけないの?オラリオから脱出してきたばかりだから警戒が強い可能性も…」

 

「いえ。私自身のことを考えると時を置く理由は全くありません。…不義を為した者がいるならばその専横し続けることを許すわけにはいきません。それに…ベルの今にも関心がありますから。」

 

リューにあえてシルは翻意を促す言葉を告げて自身の言葉によってリューの意志が揺らぐか試してみるが、リューの決意がシルの言葉で揺らぐ様子はない。リューは決然と自らの行動の根拠を述べてくれた。

 

シルはリューの進み出た第一歩に小さな満足感を覚えながらコクリと頷いた。そしてシルもまた自身の決意を告げる。

 

「そっか。よし。リューがそうすると決めるなら私は親友としてリューを助けるよ。」

 

シルがそう決意を告げると、リューはなぜか不満げな表情を浮かべる。

 

「…私がシルの意志に従うのは許されずシルが私の意志に従うのは許されるというのは些か矛盾していませんか?」

 

「それとこれは違うよ。リューは私に頼まれて行動してた。でも私はリューに頼まれてないし、きっと断るつもりなんでしょ?」

 

「…当然今のオラリオに戻るのは私にとってもシルにとっても危険極まりありませんから。本当はをシルを止めたいですが…」

 

「私は止められようとも付いて行くよ。私自身の意志で。親友を助けるために。」

 

「…お言葉は嬉しいですが…分かりました。お願いします。」

 

リューの指摘はあっさりシルに論破され、今までの如くシルの発言をリューは認めるほかなくなる。こういったシルのわがままを断固として抑える力もリューには必要かもとシルは思いはしたが、これ以上頑固になられては非常時の柔軟性を失いかねないと思い直し指摘を控える。

 

ともかくリューは失礼な考えだが、シル的にはまだまだ未成熟だと言うしかない。だから自分が少しでもその背を支え、成長を促すしかないとシルは密かに決意していた。

 

それがリューをこれまで振り回し続け、リューに不幸が襲いくるのを防げなかったことへのシルなりの償い。

 

シルはリューの同意に笑みを零すと徐に立ち上がった。

 

「じゃあ…私に策があるから聞いてくれる?」

 

「策…ですか?」

 

「オラリオに戻るための、ね。」

 

あとはリューがオラリオに戻り、真実を見定めた上で未来を決めるだけ。

 

どんな未来であろうとリューを支えるとシルは決意を固めている。

 

だからシルのまずすべきことはリューが真実を知るための道筋を整えること。

 

その準備をもう既にシルは整えていたのである。




リューさんの正義…
作者の中でのこの揺らぎが休載に追い込まれた原因の大半を占めてました…お陰でベル君の処遇もリューさんのあり方も今後の展開も全部消し飛びました…
みんなダンメモのクリスマスイベントのせいなんだ…と言い訳しておきます。

ちなみにこの混乱をTwitterで延々と呟いてたのでご覧になりたい方がいらっしゃれば、どうぞ。
@ryu_beru
です。フォローすれば、ほぼ毎日リューさん語りを見れますよ!(笑)

リューさんの正義に関しては原作で希望だと出ていましたため、あくまでこれは個人的解釈です。(正義=希望→希望を守ること、だったのなら一貫性が保てますが、そのままの意味だとイマイチ意味が通じないなーと。個人的所感ですけどね。)


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誕生アリュード・マクシミリアン伯

「策…ですか?」

 

「オラリオに戻るための、ね。」

 

そう言ったシルは徐に立ち上がると、備え付けてあった箪笥へと向かう。何があるのだろうと不思議そうにリューはシルを眺めていると、しばらくしてある物を携えてリューの元に戻ってきた。

 

「…まさか…」

 

「そう。まさかのまさかだよ。」

 

リューは嫌な記憶を思い出すような表情をシルに向けるもシルはニコニコしたまま笑みを崩さない。

 

シルの持っていたのは燕尾服と眼帯。

 

 

「リュー。またアリュード・マクシミリアン伯になろう。」

 

 

アリュード・マクシミリアン伯。

 

それは以前リューがシルと共にカジノに潜入した時に用いた偽名。

 

ついでに言うと男装までさせられて、助けた女性に男性と勘違いされた挙句告白寸前の状況にまで陥った、リューとしてはあまりいい思い出のない名前でもある。

 

ただそんな嫌な記憶を抱え、嫌そうな顔をしながらもリューはそのシルの提案の利点欠点をすぐさま見抜いて見せた。

 

「男装…確かにオラリオに再び戻るにはそれくらいの偽装は当然必要です。ですが実在する人物の偽名で調査して結論を出すまでの間誤魔化せるでしょうか?以前は一夜のみの偽名でしたが、真実を知るにはそれなりの時間が…」

 

「あぁ。その点なら大丈夫。マクシミリアン伯はフェルナス伯領の伯爵で白聖石の山を掘り当てたおかげでカジノで豪遊できるまでになった…という設定を前使ったよね?どうやらそのせいでつい先日隣国にその利権を巡って侵攻されて国は滅亡。マクシミリアン伯本人も奥さんのシレーネ夫人と一緒に行方が分からないまま。恐らく戦闘に巻き込まれて亡くなったんだと思う。」

 

「つまり私とシルがその二人を装うことは可能…いえ。それどころか国の再興の支援の要請を名目にギルドに接近する機会も得られるのでは?」

 

「あっ…そこまで考えてなかった…前の時の成功にあやかれたらなぁ…とかリューの男装もう一回見たいなぁ…というぐらいで…てへっ。」

 

「てへっ…ではないですが、ともかくシルの提案は理に適っています。ギルドに接近すれば情報の集まりも早いでしょうし、まず私の投獄に直接関わったと分かっているのはギルド長ロイマン。ギルドから情報を得るのは必須です。その偽名は有効に生かすことができるでしょう。」

 

シルの詰めのない策にリューは呆れながらもシルの策がシルの予想以上に役立ち得ると考えたリューは満足げにそう言う。ただふとリューは新たな懸念を思い付く。

 

「ただ…旅費などの資金はどうするのですか?ギルドと接触を取ろうにもかなりの資金が必要になるような…」

 

「その心配はしなくて大丈夫。私がリューの必要な資金全部工面して見せるから任せて!」

 

「…その自信は一体何処から出てくるのですか?まさか違法に調達を?」

 

資金面を心配するリューにさらりと自信げに問題ないと言ったシルにリューは疑惑の目を向ける。それにシルは鋭く返した。

 

「そう言うリューだって法とか今までほとんど気にしてなかったよね?例えその行為が人助けで正しいとしても、ね。そのリューの理論だとリューを助けるためにお金を集めるんだったらいいということにならないかな?」

 

「うっ…」

 

過去のリューを持ち出して指摘するシルに自らの過去を鑑みると批判することができないと悟ったリューは口を噤む。そんなリューにシルはニコリと微笑んだ。

 

「うーん…時が来たら分かる、と言っておこうかな?少なくともリューが嫌がるような方法で集めるわけではないのは約束するね。とにかく幾らでもお金なら工面できるから心配しないで!」

 

「はぁ…時が来れば…ですか?…分かりました。お願いします。」

 

「それでよし!リューは今はこれからのことだけ気にしていればいいよ。」

 

リューの納得した様子にシルは満足げに頷く。そしてリューはまだ懸念があるかと考えたが、特段今は思い浮かばないので早速行動を起こそうと決める。

 

「では早速準備を整えましょう。すぐにでもオラリオに向かいます。」

 

「もぅ…そんなに焦らなくてよくない?…と言っても聞かないもんね。リューは。」

 

「私の意志を尊重すべき、とシルが仰るならば。そして一応私としては傷などが癒える前にオラリオに到着した方が国が滅び命からがらオラリオに逃げ延びた、という設定に現実味が帯びるかと思いますが?」

 

「うーん…リューの体調を考えれば、止めるべきだけど…わかった。リューの言う通りだよ。すぐに準備しよう。辛かったら手伝うから言ってね?」

 

「ええ…きっと大丈夫だと思いますが。」

 

そう言ってリューはベッドから降りて立ち上がろうとする。そんなリューを気にかけながらシルもまた準備のため腰を上げる。

 

だがその時シルはふと気づく。

 

準備とは何をするのだ?ほとんど持ち寄る物もないのに?

 

そうシルが疑問を抱く一方、リューは一度辺りを見回す。それからシルの方を見るとポツリと呟いた。

 

「…準備すること…あります?」

 

「…特別ないような…あっ!」

 

「あぁ…」

 

シルが何か閃いたという表情を浮かべた瞬間ニヤリと笑ったことでリューは一つちょっとだけ厄介なことが一時的に頭からすっぽり抜け落ちていることに気付いた。

 

 

「リューは男装しなきゃ!」

 

 

 

⭐︎

 

 

 

「…本当にこれだけでバレないものなのでしょうか…?」

 

「さぁ?運次第?」

 

「…かもしれませんね。」

 

場所は迷宮都市オラリオの城門前。

 

そこには馬車に乗った商人や冒険者志望らしき軽装の若者などが長蛇の列を作っている。

 

その中に馬を引きながら並ぶ二人の男女がいた。

 

男は土埃や血で薄汚れたタキシードを纏っていて、その左目には眼帯がされている。眼帯にその顔の一部を隠されているものの見るからに美形の青年であることが見て取れ、その風貌は周囲の視線を引き寄せずにはいられない。だが男は厳しい表情を浮かべて辺りを警戒し、その隠されていない右目が発する鋭い眼光はその集まる視線を散らすのに役立っていた。

 

一方の隣に立つ女の纏うドレスもまた土埃で汚れているだけでなく胸元やスカートの部分に破れが見受けられる。それがまた妖艶さを醸し出し周囲の視線を集めそうだったが、隣の男の眼光が光っているため彼女を見ようとする者は少ない。それに気付いて安心しているのかは分からないが、彼女はずっとニコニコしながら隣の男との談笑を楽しんでいるようだった。

 

その男女の正体は言うに及ばずリューとシルであった。

 

「…シルが散々お楽しみになった成果であるこの男装。役に立って頂かなければ、困ります…」

 

「ふふん。私の自信作だよ?バレるわけないと思うなー」

 

リューのボソリと呟いた嫌味をシルは笑顔で受け流す。そう嫌味を零すリューもそれほど嫌そうな表情を浮かべているわけではなかった。

 

以前と同じくリューの男装を監修したのはシル。以前と同じようにリューを弄って楽しんでいたわけであるが、それがリューに少しでもその瞬間だけは色々忘れて笑顔になってもらえたら…と思って、試行錯誤をしていたことはシルだけの知る秘密である。

 

「それにしても…こんなに警備が厳しいものでしたか?オラリオの外を出入りしたことはあまりないので分からないと言いますか…」

 

リューの言うように視線の先では【ガネーシャ・ファミリア】の団員が検問に立ち、怪しい者を見定めてはどこかへ連れ去っていた。その検問の厳しさがこの長蛇の列を作っているのは見るからに明らかである。リューの記憶にあるオラリオを初めて訪れた時の検問ではここまでの警戒はなされていなかった気がリューはしていた。そのリューの疑問にシルはさらりと答える。

 

「まぁ私達がオラリオを脱出してから一カ月経ってないからね。もしかしたら私達が生きているのを疑っているのかも。」

 

「…それもそうですか。…やはり動くのが早すぎましたか?ただこの偽名を用いるなら今を置いて時は他になかったですし…」

 

リューは早々にそう弱音を吐くように呟く。それがリューの決断に対する自信のなさの表れと感じ取ったシルはリューに言う。

 

「リュー?リューの判断は間違ってなんかないよ。自信持たないと。素直なリューは心の動揺が顔に出ているのがばれちゃうかもしれない。そうなると検問の人にも疑われやすくなっちゃう。何か隠してるんじゃないか、ってね。もっとビシッとしないと!」

 

シルはそう言ってリューの背を優しくポンと叩く。

 

それに頷いて応えたリューは心に言い聞かせた。

 

 

シルの言うとおりだ。私は何を躊躇している?

 

自らの命がオラリオに帰還することで危険に晒されること?いや、私はいつだって死を覚悟してきたはずだ。今更死など怖くはない。

 

なら真実を知ることか?

 

誰が裏切ったのかを知るのが?

 

いや、私はそれに恐れなど抱いていない。大切な人々の命を奪った者達のことを知らずにいようだなどと私は決して思いはしない。復讐を躊躇しようとその者達への冷たい怒りは今も心の奥底で燻り続けている。その真実が復讐に値するものであれば、躊躇なく復讐へと身を乗り出すであろう。

 

なら私が復讐に再び身を墜とすのが怖いのか?

 

私は自身にそう問いかけると答えに詰まる。

 

そう。

 

私は怖い。

 

再び復讐に身を墜とすのが。

 

過ちを繰り返すのが。

 

親しい人々だけでなく無関係の人々を苦しめる結果を招く行いを再び行うのが。

 

だが復讐が過ちだと決めつけるのはまだ早い。

 

私を嵌めたのが私を投獄していたギルドである可能性は高い。オラリオを事実上統括するギルドが冤罪を黙認するなどという悪行を成していたならば、多くの人々にも被害が及んでいる可能性は十分考えられる。ただでさえギルド長ロイマンは闇派閥(イヴィルス)と内通し暴利を貪っていたのである。ギルド全体が腐敗している蓋然性は高い。

 

ならば私が復讐を行うのは過ちか?

 

いや、人々を守るための正しい行いに成り得ると私は断言する。

 

となれば私は何を気を付ければいいか。

 

それは真実を見誤らないこと。

 

無関係の人々を苦しめる結果に繋がらないようにすること。

 

その二つこそ私が過去の復讐から学んだ正すべき点。

 

私はそのために自らの意志で自らの決断で行動していかなければならない。

 

その行動を規定するのは何か?

 

それは私の正義。

 

シルの指摘通りその正義は今までアストレア様やアリーゼの語った物を受け売りにしてきた。それはシルの言う通り自らの意志で行動していたとは言い難いのかもしれない。

 

ならば私の正義とは何か?

 

それはオラリオに着くまでの道中ずっと考えてきた。

 

それが私の未来を規定する重要な要素だと思ったから。

 

為すべきことを判断する材料になると思ったから。

 

だが思うように明確な答えは何時まで経っても出ない。

 

それも当然だと途中でようやく気付いた。

 

私にはアストレア様やアリーゼが語ったような高尚な正義などもともと持ち合わせていなかったから。

 

その高尚な正義が私の正義(希望)になると思い込んでいたから。

 

ただそれは私の本当の正義ではない。

 

私の行動を振り返ってみれば、私の本当の正義はもっと単純で簡単で一言で表せるものだったのだから。

 

 

それは目の前の困っている人を助けること。

 

 

いくら他人の正義を自らの正義のように語ろうと私の正義の本質はその程度のものでしかない。

 

ただ目の前で困っている人を助けたい。

 

それだけだったのだ。

 

無理に高尚に語ろうとするから身の丈に合わない自分を肯定もできないし、判断を誤りもする。

 

それに気づいたはずだ。私の才能ではすべての人を助けることなどできないことも。

 

だからそれを踏まえて私は決断を下していかなければならない。

 

そのことに合わせた正義に基づいて行動していかなければならない。

 

せっかく偽名を用いて私ではない者に成りすまさなければならない時。気が進まない男装までして命を懸けてオラリオに舞い戻ろうとまでしているのだ。

 

これを機にもう背伸びをして無理を繰り返すリュー・リオンには別れを告げなければ。

 

私はそろそろ変わらなければならない。

 

これ以上過ちを繰り返さず周囲を苦しめない成長した私へ。

 

 

そうこう考えていると気づけば、行列はかなり前に進んでいて、仮面をつけた検問に就いた【ガネーシャ・ファミリア】の団員が目の前にいた。

 

「おい。そこの男。名を名乗れ。」

 

リューはすぐさまその問いに答えた。

 

過去の自分と決別するため、幼かったリュー・リオンと決別するため力強く答えた。

 

 

「私はアリュード・マクシミリアン。フェルナスの伯爵です。」




タイトル通りアリュード・マクシミリアン伯誕生!

変わる変わると言ってますけど、無謀さはもはや持ち味なので手放せないリューさん。

オラリオに帰還したリューさんは自身の正義を見つめなおした今どう行動していくのやら…
(というかカッコよく締めたけど、検問突破できるの?というそもそもの疑問をリューさんは忘れてますが。)


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潜入迷宮都市

「…入れましたね。」

 

「…入れちゃった。」

 

迷宮都市オラリオの城門を入ってすぐの場所でリューとシルはそう呟いて互いに顔を見合わせる。

 

一悶着あるかに思えた【ガネーシャ・ファミリア】による検問。

 

その検問はリューとシルをその瞬間は緊張に追い込んだ。だが人相書きで誰かを探している様子もなければ、手荷物を検査して強い警戒をしている様子もない。ただ名前と身分、目的を尋ねただけで検問は呆気なく終わってしまったため二人とも拍子抜け、と言った心境だった。

 

とは言っても身分を伯爵夫妻と名乗ったため対応した団員たちは格式に基づいた敬意を示してきたため特に身分に相応しい振る舞いに慣れていないリューはその応対にはそれなりに気を使うことになった。さらにシルの狙い通り身なりの汚れから事情の複雑さを察したらしくギルドへ事情を伝えに行けば何かしらの援助を得られるかもと丁重に助言される始末。

 

これにはリューもシルも驚かされることになると共にオラリオが外交的にうまく立ち回れている理由を垣間見た心地だった。

 

とは言え特段疑われた様子もなく二人は上手く伯爵夫妻に化けられたらしく難なく検問をクリアできたのである。

 

こうして第一関門と言えたオラリオへの潜入をあっさりやり遂げてしまった二人は次の段階に移ろうとした。

 

「それで…次は拠点を探しますか?できれば人の目の付かない場所が良いと思いますが…」

 

「それには私も賛成。リューには心当たりある?」

 

「…一応かつての経験則を用いるのなら念のためダイダロス通りに拠点を構えるのが良いかもしれません。あそこなら迷路のように入り組んでいるためギルドの眼も行き届きにくい。」

 

「なるほど。なら私達が一時期潜伏に使ってた隠れ家がダイダロス通りにあるからそこにしない?そこに少し資金を分散して隠してあるからどちらにせよそれを取りに行く必要があるし。」

 

「分かりましたが…ギルドがその場所を割り出して押さえている可能性はありませんか?」

 

「うーん…行ってみないと分からないかなぁ…最近使ってなかったし…」

 

「では行って確かめましょう。」

 

「分かった。そうしよう。」

 

話し合った二人はそう結論を出すと早速ダイダロス通りに向かうことにした。

 

 

 

 

 

 

「相変わらずひどい場所ですね…というか以前より酷くなった気がします…」

 

リューはダイダロス通りに足を踏み入れてしばらくして顔を顰めながらそう呟いた。

 

ダイダロス通りはオラリオの中でも貧民層が多く住む言わばスラムであった。

 

そのためゴロツキなどが何かと集まりやすく治安が決していいとは言えない場所だった。そのためリューは【アストレア・ファミリア】にいた頃より何かと調査などで訪れることが多かった。そんなリューが数年ぶりに見た感想がこれであった。

 

人通りは少なく音も少ない。なのにたまに聞こえてくる悲鳴や赤ん坊の泣き声らしき声は不気味さを醸し出し、治安の悪さを露骨に伝えてくる。それだけでなくたまに通りがかる人も見るからにみすぼらしく貧困に苦しんでいるのが見て取れる。お陰で汚れを偽装してきたはずの二人の方が綺麗に見えると感じてしまうほど。

 

二人の身なりから裕福な可能性があると見て取った者から先ほどから三度も恵みを求められるのにまで出くわしていた。目の前の困っている人を見過ごしがたいと考えるリューは何か助けになるようなものを渡したいとつい考える。だがリューは手持ちの資金が少ないのとシルの諫めもあってを断るしかなかった。それがリューの表情の歪みに繋がっていたのは言うまでもないかもしれない。

 

辺りを伺っても穴の開いた壁や血痕などがやけに目に付く。最近戦闘でも起きたのかもと思えたが、新しいものと古そうなものが混在しているためどちらも修繕もされず放置されていると考える方が妥当に思えた。さらにどこからともなく腐臭か死臭かも分からない異臭まで漂い、遺体まで放置されている可能性も考えられた。

 

このようなダイダロス通りはリューが知るダイダロス通り以上に悲惨でまるで街そのものが死にかけているとまで思わせた。

 

そんな街の様子に心を痛めずにはいられず苦しそうな表情で歩くリューにリューが投獄されていた間のことを少しは知るシルはリューにこの悲惨なダイダロス通りの状況の原因の推測で伝える。

 

「うん…ここで起きたモンスターの一件でただ打撃を受けたのが未だ復興できてない…とは考えにくいけど、前より酷くなった感じはするね。もしかしたらここで絶大な支持を集めていた『貧窮』の神様のぺニア様がいなくなったことが関係しているのかもね。」

 

「そう…なのですか。」

 

その時リューの心はズキリと痛んだ。シルの口にした『モンスターの一件』はベルを助けるという名分のもとでリューも関与していた事件。ベルの話から異端児(ゼノス)が悪いわけではないと聞いたがゆえに協力したリューであったが、その時のリューは戦闘に巻き込んでしまったダイダロス通りの人々のことを一切鑑みていなかったことに気づかされる。

 

その時は正義だと思い、目の前の困っている人を助けたとしても別の面から見ると誰かを苦しめている…そんな事実を改めて気づかされたリューは過去の行いを恥じずにはいられない。自身の行いが今なお人々を苦しめているのかもと考えると後悔せずにはいられない。

 

同時にその時の出来事と共にベルのことを思い出してしまったリューは思考を乱されるような感覚を覚える。その感覚を追い払うためリューは意識して別のことを考えようと試みた。

 

「…ギルドは何をしているのですか?【ガネーシャ・ファミリア】も治安を安定させるために動くべきではありませんか?…この様子、彼らが動いているとはとても思えません。その一件からもう五年が経過しているはずですし、仮に私達の知らない戦闘が発生していたとしても何かしらの復興が進んでいてもおかしくないはず…なのにこれは…」

 

「リュー?そんなの言うまでもないんじゃないの?ギルドは冒険者がダンジョンから集めてくる収益しか興味ない。ダイダロス通りの復興がこんなのなのとは反対に歓楽街はすぐに復興が進んだ。ギルドの対応はそんなものだよ。【ガネーシャ・ファミリア】だってすべての人を助けることはできないし、今頃カジノの護衛で忙しいんじゃないかな?」

 

シルの皮肉めいた回答にリューはギルドや【ガネーシャ・ファミリア】に対して怒りを覚えて、拳に思わず力が籠る。

 

リューはかつて【アストレア・ファミリア】の元でギルドや【ガネーシャ・ファミリア】と正義のために共闘してきたつもりだった。だがギルドも【ガネーシャ・ファミリア】も本当に助けるべき人々を助けていない。それは以前からずっとそうだったはずだ。

 

なのにリューはその事実からずっと目をそらしてきたのだと気づかされる。共闘関係にあるから。自分も冒険者でギルドには助けられてきたから。ギルドなくしてファミリア間の協力は不可能だと思えたから。

 

理由はいくらでも立てられる。

 

だが今だからこそ自身の本当の正義と向き合っているから分かる。

 

それは矛盾だ。

 

もしギルドが自身の思う正義と食い違っているなら協力を止めるか正すために動くべきだった。なのにリューは【アストレア・ファミリア】にいた頃はそれを黙認し、復讐に身を墜としていた頃はロイマンなどの腐敗に気づいていながら見逃した。それがリューの大切な人々を苦境に陥れることになったと考えれば、かつての判断はごく普通に間違っていたと考えられるし、自身の本当の正義からは完全に反する。

 

それがリューの正義の歪みでリューの甘さであることは明らか。

 

ならばやはりリューの正義に反し非道な真似を行うギルドもそれに協力した【ガネーシャ・ファミリア】も悪?そもそもギルドはリューを嵌めた悪で【ガネーシャ・ファミリア】もリューを冤罪で逮捕した悪とも捉えることができ、それらへの復讐は正義になり得るかもしれない。そう短絡的に結論をリューは急ぎそうになる。

 

だがオラリオを訪れた時意識を改めたリューは結論を急ぐのを押しとどめる。

 

今のリューは多くのことを知らなすぎる。

 

かつてのリューは自分自身のことさえよく分かっていなかったから過ちを繰り返したのだ。

 

まずは真実を知る必要がある。

 

そう考えたリューは自分に言い聞かせるように呟いた。

 

「…ギルドにも【ガネーシャ・ファミリア】にも何かしらの事情があったのかもしれません。彼らは私と違って責任ある立場。私達の与り知らぬ深い事情があって然るべきです。結論は…その真実を知ったその後でなければ。」

 

「…」

 

「…どうかしましたか?シル?私の顔に何かついていますか?」

 

リューは無言でリューの顔をじっと見るシルに違和感を感じてすぐにそう尋ねた。

 

リューの判断がシル的には望ましくなかったからかもとも思い至ったからでもある。

 

なぜならギルドや【ガネーシャ・ファミリア】を擁護することはシル達を苦しめた者達への擁護と同義だったから。

 

シルはリューの問いにハッと自分の世界に没入して帰ってきたかのような表情をするとすぐさまリューの問いに答えた。

 

「…ううん。リューの言う通りだなーって思っただけだよ。私も推測で物を話したらいけないね。気を付けないと。あと私的にはリューの顔はすっごく可愛いから私がじっと見ちゃうのも仕方ないと思うなー」

 

「なっ…!シル!からかわないでください!」

 

シルのからかいにリューが頬を赤くして否定に走ってくれたお陰でシルはあっさりとリューの顔を凝視していた理由を誤魔化した。

 

当然シルはただリューが可愛いから凝視していた…なんてことはない。

 

僅かに感じたリューの変化に驚いていたのである。いつもならリューは行動を急ぎギルドへの復讐を心に決めていたことだろうし、シルの言ったギルドや【ガネーシャ・ファミリア】への批判にもあっさり乗ってくるだろうと思ったから。

 

だがリューはそうせず結論を急がなかった。

 

それは単に判断が遅れ迷っているだけではあるまい。

 

シルの言葉に誘導されることなくリューは自らの考えで自らの目で真実を見極めようとする意志を見せている。

 

そんなリューの小さな変化がシルにとっては驚きであると共にうれしい事柄であった。

 

それでシルは思わず物思いにふけっていた。そんなシルの思いも知らずリューは静かに隣を一緒に歩いていたが、しばらくしてシルを物思いから引き戻した。

 

「それで…シル?その場所にはまだ到着しないのですか?」

 

「ん?あっ…そろそろだよ。次の角を曲がったくらいかな。」

 

リューの質問に物思いから呼び戻されたシルは一度慌てて辺りを見回してから答えた。雑談をしながら歩いていた二人は気づけば目的地の近くにいたのだ。

 

そしてシルの言う角を曲がろうとした時二人の視界に一人の金髪の女性が入った。

 

その女性は二人を含めて今まで見てきたダイダロス通りにいた人々の中で誰よりも清潔な服を纏っていて、リューは見た瞬間に場違い感を感じずにはいられない。そしてなぜかその女性は建物を前にして腰に差した剣に手を添えたままなぜか立ち尽くしている。

 

リューはその女性を見た瞬間は何者かと思ったが、壮麗な剣を腰に差した金髪の女性の横顔をきちんと見た時何者かに判別がついた。

 

「…あれは…まさか【剣姫】?なぜこのような所に…」

 

リューはこの場で偶然出くわした違和感からポツリと呟くが、その瞬間リューの腕がいきなり強く引き寄せられて曲がり角の陰に引き戻される。

 

その引っ張った主が隣にいたシルだと理解したリューは何事かと尋ねようとする。だがその時のシルの表情が冷や汗を流して緊迫したものだったのを見て、瞬時に何かがあると察した。シルは焦りを隠せない様子のままリューを小声で急かした。

 

「戻ろう。リュー。ここに留まるとまずい。」

 

「…何事ですか?まさか彼女が…」

 

 

「そう。【剣姫】はミア母さん達の死に関わってる。私達は【剣姫】達に何度も襲撃されてる。」

 

 

「なっ…!」

 

シルの告げた新事実にリューは絶句する。その理由など言うまでもない。

 

 

あそこで立ち尽くしている女がリューの大切な人々の仇だということだから。

 

 

リューの心に急速に怒りが湧き上がってくる。

 

今すぐにでもあの女に一矢報いたい。そんな衝動が沸き起こる。

 

だがシルはリューが激高しかけているのを見て、必死に首を振りながら手を引く。シルはリューを今すぐにでもこの場から遠ざけようと試みる。

 

それも当然で今のリューにはかつてのような神の恩恵はない。

 

それにそもそもリューはアイズと戦って二度とも敗れているのである。

 

例え恩恵があろうとも勝ち目は薄い。

 

その厳然たる事実をシルの必死な様子のお陰もあり、リューは時を置かずに冷静さを取り戻す。そしてその場を静かに二人は立ち去ろうとした。

 

だがその一瞬の逡巡が命取りになるということを冒険者だったリューは記憶にとどめておくべきだった。

 

 

「…そこに誰かいるの?」

 

 

オラリオ最高峰の冒険者の一人であるアイズ・ヴァレンシュタインが僅かな物音も聞き落とすはずなどなかったのだから。




最初にご登場の敵役はアイズさん。
潜入直後からクライマックスなのはきっと気のせい。


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【剣姫】との邂逅

「…そこに誰かいるの?」

 

アイズ・ヴァレンシュタインは僅かな物音も聞き落とさなかった。アイズは警戒から愛剣であるデスペレートを引き抜き物音のした先に剣先を向ける。アイズは相手が見えない以上手練れである可能性を踏まえ、先手を打たず相手の動きを見定めるべく静かに待った。

 

一方彼女の警戒を呼び起こしてしまったリューとシルは次の手をこまねいていた。

 

シルは今すぐにでもこの場から離れようと必死な様子でリューの手を引く。シルは自分達を何度も襲撃したアイズとの接触はあってはならず、もう向かおうとしていた隠れ家も当然の如くギルドによる捜索が行われ、周囲にも監視員がいると判断したからである。

 

だが一方のリューはシルの必死な様子が目に入っているにもかかわらずその場から動こうとしなかった。

 

それはアイズの実力を知るリューは逃げてもアイズにすぐ追いつかれることが分かっていたからである。

 

下手に逃げれば疑いを深め、正体が露見する可能性が高まる。

 

かと言って大人しく姿を見せるにしてもいくら変装して偽名で潜入してきたとは言えリューとシルの顔をアイズを覚えているのはほぼ確実でどちらにせよ結局正体は露見する。

 

逃げてもダメで大人しく姿を現してもダメ。

 

まさに八方ふさがりの状況。

 

どちらの方がリスクが低い?リューは必死に考えを巡らせる。

 

「…いるのは分かってる。出てこないなら…斬るよ?早く出てきて。」

 

アイズは最終勧告のようにリュー達のいる方向に向かって宣告する。

 

猶予はない。今すぐ決断しなければならない。

 

シルがぐいぐいとリューの袖口を引き、逃げるよう促す中リューは決断を下した。

 

 

「あの…決して危険な者ではありません。高名な剣士様がいらっしゃったのでつい隠れてしまった…と言ったところでして。」

 

 

リューは曲がり角の陰から姿を現し、アイズの宣告に従った。

 

リューはアイズが二人の顔を覚えていないことに賭けたのである。

 

リューの決断にシルは驚きを隠せないが、その決断に身をゆだねるようにシルもまた陰から身を乗り出した。

 

さてアイズはどう出る?

 

二人の正体に気づくか?

 

まるで自分の心臓を直接握られているかのような緊張に苛まれながらも二人はアイズの言葉を待つ。

 

二人が緊張に苛まれる中アイズは少々の時を置いてからようやく言葉を発した。

 

「…ごめんなさい。つい警戒して剣を向けてしまいました…」

 

アイズはそう言って剣を鞘へと戻した。

 

少なくともアイズは二人のことを警戒する相手とはみなさなかったようだ。

 

ただアイズが二人の顔を覚えていなかったのかとぼけて油断を誘っているのかまではリューにも判断がつかない。

 

アイズのような冒険者なら剣を鞘に収めようともすぐに抜いて斬りかかれるだろうから大した意味はないかもしれない。

 

そう思いつつもどちらにせよリューには正体を隠しつつ警戒を解き、演技をすることでこの場を潜り抜ける他ない。

 

リューは緊張感を保ちながら仇と向き合った。

 

「いえ。お気になさらず失礼にもあなたの姿を見た瞬間隠れてしまった私達の落ち度でしょう。その点は申し訳ありません。」

 

「ううん…それは大丈夫…です。それよりあなた達は高貴な身分の方…ですか?身なりが汚れているけど、高そうな衣装に…見えます。そんな方がなぜこんな所に?」

 

「えっ…ああ。少し迷ってしまいまして…」

 

「そうでしたか。えっと…ご苦労様です?」

 

アイズは少々不思議な慰めをリューに与えたが、ともかくどうやら本当にアイズは二人の正体に気づいていないらしい。

 

そうアイズの反応から察したリューは少し安堵しつつもダイダロス通りという高貴な身分の者来そうにないスラムにいる理由をでっち上げるのに少々手間取ってしまっていた。それがアイズに不信感を与えてしまったかもと心配になるが、幸いにもアイズは特に不思議には思わなかったようだった。

 

ともかくこの場は誤魔化せた。あとは自然にアイズから距離を取ってしまえば、問題あるまい。

 

自身の関係者には極力不用意に接触しないようにしなければ、と今回のことを教訓に心に刻んだリューはできる限り早くアイズの前を立ち去ろうと試みる。

 

「では私達は目的の場所があるのでこれで失礼…」

 

リューはそう告げて背を翻し、この場を立ち去ろうとする。それにシルも倣って背を向け、二人は逃げるようにそそくさと歩いて行こうとする。

 

だがアイズが思わぬことを告げてきたのである。

 

 

「えっと…迷子なら私が案内しましょうか…ここのことは少しは知っているので…」

 

 

アイズのまさかの提案に二人はびくりと足を止める。

 

ただの善意か。

 

それとも二人の正体に気づき引き留めようとしているのか。

 

アイズのそばにこれ以上いるのも危険。

 

かと言ってこれを断るのも不自然。

 

判断がつかないリューは回答に詰まる。

 

すると今まで何も言おうとしなかったシルが振り向いていた。

 

「ええ!よろしいのですか!ならぜひお願いします!」

 

「シッ…シッ…」

 

先ほどまでリューを必死にアイズから遠ざけようとしていたシルの回答とは思えない言葉にリューは思わず振り返り、その発言を止めようとする。だがシルの偽名であるシレーネという名を呼び慣れぬリューは危うくシルと呼んでしまいそうになり、言葉を詰まらせるだけで終わった。

 

一方のシルは先ほどまでとは打って変わった感激したと言わんばかりの満面の笑みを浮かべていた。

 

「えっと…」

 

満面の笑みでアイズの提案を受けようとするシルと言葉を詰まらせてシルが提案を受け入れようとするのを止めようとするリュー。

 

この二人の意見の食い違いを見たアイズはどちらの回答を受け入れればいいのか分からず困惑の声を上げる。

 

一方の意見を食い違わせたリューとシルは顔を見合わせてお互いの真意を小声で確かめようとした。

 

「一体どういうつもりですか?一刻も早くこの場を離れるべきでは…」

 

「まぁまぁあなた。落ち着いて。」

 

そうリューに宥めるようにシルは言うと、アイズの方を見て、ニコリと笑顔を浮かべた。

 

「ちょっと痴話喧嘩してきますので少々お待ちいただけますか?」

 

「えっ…あっ…はい。分かりまし…た?」

 

シルの求めを困惑したまま受け入れるアイズを見届けたシルはリューの手を引き再び曲がり角の陰に連れ戻し、アイズに聞こえない程度の声量で密談を始めた。

 

「シル…いったいどういうつもりですか?【剣姫】はシル達を襲撃してきた仇だと…」

 

「そう。だから接近するんだよ。【剣姫】は元々第一級冒険者でギルドの信頼も厚い。さらに何度も襲撃してきたところから見て、かなり深く関与しているのかもしれない。だから【剣姫】から情報を聞き出せるかもしれないよ?」

 

「確かに…ですがリスクもかなり高くありませんか?」

 

「それは今気づいてないのとか天然なのとかで上手く誤魔化せるんじゃないかな?」

 

「…」

 

リューはシルから提案を受け入れた理由を聞き出せたもののなかなかに適当な安全の根拠に無言になる。その様子に少々シルは恥ずかしく思ったのか小さく咳払いをして付け加えた。

 

「…ん。とにかくギルドにいきなり直談判するよりギルドの信頼に厚い【剣姫】の仲介を得た方がいいと思う。それに最低私達が知らない何かを聞き出せるかもしれないし。」

 

「なるほど。一理あります。よく考えてみれば、そもそも顔を曝した以上無関係でいるのは厳しいでしょうし、それに仇を前に逃げるのはかなり不愉快です。」

 

「うーん…そういうことではない気が…」

 

「決まりです。彼女の気が変わらないうちに承諾しましょう。」

 

シルが言い終える前に決定を告げたリュー。

 

アイズの心変わりへの懸念を建前としたが、実際は心で燃え盛る復讐心を指摘されそうだったからだったから。その指摘を遮るために決定を急いで告げたというのが実際のところであった。

 

「終わりました。あなたの申し出をありがたく受けさせていただきましょう。よろしくお願いします。えっと…」

 

アイズの提案の承諾を告げたリューであったが、ここでさらりとアイズの二つ名を告げようとしたところで続きの言葉を飲み込む。いくらアイズが有名な冒険者だからとはいえダイダロス通りの地理も分からないオラリオに来たばかりを装う余所者の自分達がアイズの二つ名と顔が一致しているとなるとまた小さな疑いを生む危険があるとリューは考えたからである。

 

そんな言葉を詰まらせたリューを見て、一度首を傾げたアイズだったがすぐにハッと何かに気づいたような顔を浮かべた。

 

「あっ…自己紹介がまだでしたね。私はアイズ・ヴァレンシュタインと言います。【剣姫】と呼ぶ人も多いです。よろしくお願いします。」

 

「…こちらこそ自己紹介が遅れて申し訳ありません。私はアリュード・マクシミリアン。こちらは妻の…」

 

「シレーネ・マクシミリアンです!アイズさんのお噂はかねがね聞いています!ぜひぜひ武勇伝などを聞かせてくださいな!」

 

シルはそう言ってアイズのもとに駆け寄るとその手を取ってあっさり握手まで交わしてしまった。

 

それに対してアイズの方が困惑気味である始末。

 

仇だと認識し、アイズに散々苦しめられたはずのシルがよくあそこまでやるとリューは遠巻きに見ながら驚きを隠せない。ただのシルのコミュニケーション力の高さは相変わらずであったと、リューは自分で納得した。シルを少しは見習った方がいいのかもとふと思いはしたが、リューには到底真似できそうにないと結論に至り、リューは率先してアイズとの会話を引き受けてくれるシルにアイズの相手を任せようと思い至る。

 

こうしてリューとシルは仇敵だというアイズに偶然ながらもダイダロス通りの案内という名目で接近することに成功したのであった。

 

 

 

 

 

 

「あの…本当に私だけいいんですか?」

 

「ええ!もちろん!今日案内していただいたお礼です!」

 

「…」

 

困った表情をしながらも目の前に差し出されたお礼(ジャガ丸くん)に釘付けのアイズと賄賂(ジャガ丸くん)を押し付けようと満面の笑みを浮かべるシル。その対峙をリューは少し離れた場所で遠い目で見ていた。

 

あれから二人はアイズに行き先を尋ねられたが、その行き先はアイズが立ち尽くしていた目の前にあった建物でアイズがそこにいた理由も分からない以上当然行くなどとは言えず、適当に宿や教会の場所に案内してもらうよう誤魔化す羽目になった。

 

その間アイズの相手はほとんどシルが行い、リューはたまにシルに話題を振られたときに会話に加わるくらいでシルが意図してアイズとの会話を避けさせようという配慮をしているのではと感じてしまうほどだった。そしてシルはあれやこれやと話しているうちに何だか親しくなってしまったようだとリューの目には見えた。

 

そうして案内してほしい場所を誤魔化すのが厳しくなってきたころ、シルがお礼をしたいとアイズに提案したのである。その提案を無理矢理押し通したシルは市場へとアイズに案内させて、現在のジャガ丸くんの押し付け合いに繋がるのである。

 

言うまでもなくジャガ丸くんをシルがお礼に選んだのは、アイズの好みだと知っていたから。

 

シルのしたたかさにリューはいつもの如く舌を巻いてしまう。

 

あとついでに言うとアイズの分しかないのは、資金を隠れ家から調達できなかったせいで本当に資金不足なのだ、とアイズに毒づいてやりたかったがリューはそれを抑えておくことにした。

 

そんなこと考えているうちにアイズはアツアツのジャガ丸くんをさぞおいしそうに頬張っていた。その幸福そうな表情がリューの心で燃え盛る復讐心に油を注いだのは言うまでもない。

 

一方のシルは説得の末にアイズが賄賂(ジャガ丸くん)を口に含んだのを見てから口を開いた。最初からシルがアイズにジャガ丸くんを差し出したのは、好物で気分を良くさせ口を軽くさせようという魂胆。企みが成功したのを見て早速シルは動き出したのである。

 

「それで【剣姫】さん?私達は迷子になってあそこにいたわけですけど、【剣姫】さんはなぜあんなところに?まさかあの有名な冒険者である【剣姫】さんが私達と同じく迷子だった…なんてことあるわけないですからね?」

 

シルはアイズをおだてながらあの場、即ちシル達の隠れ家だった建物の前にいた理由を笑顔のまま尋ねた。それを聞かないことには資金も手に入らないことになり、問題が生じるからであった。

 

「それは…私より強い人が使ってた場所だったからつい…」

 

「強そうな人…ですか?あそこに誰か住んでいたんですか?」

 

「オラリオの外から来たあなた達は知らないでしょうけど、あそこはオラリオの治安を乱すお尋ね者が拠点に使ってた場所で…」

 

アイズの口にした『お尋ね者』。それがシル達であることは分かりきっているシルは加えて尋ねた。

 

「えっ…お尋ね者!?そんな危険な場所だったんですか!あそこは!」

 

「はい…でもそのお尋ね者もちょっと前に殲滅したからもう安全です。ギルドもそう街に布告を出してますから…」

 

「それは良かったですけど…それならなあの場所へ?あそこにはもうお尋ね者はいないんですよね?」

 

「えっと…あそこに行けば、また私を強くしてくれる人と出会えるかもって思って…ただの勘ですけど…」

 

「へっ…へー」

 

ジャガ丸くんを平らげた上でアイズが述べたあの場にいた理由はシルには到底理解できないものだった。

 

ただ少なくともアイズが強くなることに執着しているが故にかつて戦ったミア達のことが強く記憶に残っているのだろうということは分かった。

 

さらにアイズが悪い意味で勘が鋭いことも。

 

もしリューがアイズ達への復讐を選んでしまった場合、恩恵がないリューはアイズでは対応できない武力を用いないやり方で復讐を果たそうとするに違いない。そうなれば第一級冒険者の武力だろうと役には立たない。そういう意味ではリューは『アイズを強くしてくれる人』に当たるのかもしれない。もっともアイズがそういう意味での強さを求めているとは思えないが。

 

そうシルはアイズの答えを愛想笑いで流した。

 

だが今の今まで沈黙を保ってきたリューはそうはいっていなかった。

 

「…私を強くしてくれる人?」

 

「…えっ…」

 

「【剣姫】…あなたはただ強くなるためだけに人を殺してきたのですか…?」

 

その時リューは怒りで自分が正体を隠している身だったことを忘れた。

 

ただでさえ仇だと知らされたアイズといるのも心で燃え盛る復讐心に油を注ぎ続けていたのに、今のアイズの言葉はその復讐心を最高潮まで高めてしまった。

 

ついにリューは暴発してしまったのである。

 

「…アッ…アリュード…さん?」

 

突然激高しだしたかに見えるリューにアイズは戸惑いながらその名を呼ぶ。

 

そんなアイズの反応により怒りを駆り立てられたリューは掴みかからんと距離を縮めようとまでしてしまう。

 

それをシルが咄嗟に腕を掴んだため抑えられたものの、リューの怒りはより昂るばかりであった。

 

「強さ強さ強さ…そんなもののために人を殺すのですか!?あなたにとって人はモンスターと同じあつかいなのか!?ふざけるな!」

 

リューの怒りの源。

 

それはリューの大切な人々がただアイズのステイタス更新のためだけに殺されたかもしれないという事実。

 

実際はそれだけではないどころかアイズがより強さに執着し出した理由はベルに選ばれた特別な強さを持つとアイズに思われ、ベルの恋人となってアイズからベルを奪った形となったリューにあったのだが、そんな事情まではリューも知ることはなかった。

 

「あなたのような冒険者ばかり褒め称えられるからオラリオの治安は何時まで経ってもよく…!んんん…なっ何を!」

 

「あなたはちょっと落ち着いて黙ってて。」

 

リューの怒りに任せた責めはシルがリューの口を塞いだことでようやく収まった。

 

シルがリューを抑えたのは当然理由がある。それはアイズに悪印象を与えないため、などという単純な理由だけではない。

 

三人がいるのは市場のど真ん中。

 

アイズは言うまでもなく有名人でそんなアイズを怒りに任せて責める…なんて光景は到底見られていいものではなかった。

 

だが微妙にもはや手遅れ。もう既に三人に周囲の視線は集まってしまっていた。

 

有名人であるアイズを責めるという光景にシルは批判が集まってきて、解決が難しい問題に直面することを覚悟する。

 

だがリューが黙らされた後に生まれた静寂は保たれたまま。周囲が反応を見せないという奇妙な状況に陥っていた。

 

その状況に不安を抱きながらもシルはそれでも怒りをぶつけようともごもご言っているリューを黙らせたままリューへの擁護を口にした。

 

「あの…【剣姫】さん。あまり気を悪くしないでください。実は私達がオラリオに来たのは失った祖国を取り戻すためで…私達の祖国は平和を愛する国だったのに富国強兵のために白聖石を狙う隣国に攻められて民は殺され財産は奪われ…とにかく強さを追い求めるということを聞くと、ついそのことを思いだしてしまって、私も夫も怒りと悲しみを抑えられなくなってしまうのです。だからどうか夫の無礼をお許しください。」

 

そう言って重い事情を嘘ででっち上げて、リューの怒りが別のところにあるようにシルは装った。

 

そして悲しげな表情でアイズに謝罪をしながらもリューを擁護する。それによってリューの激高は重い事情によって正当化された雰囲気になり、アイズの方が気まずい思いをする羽目になる。

 

「その…こちらこそごめんなさい。アリュードさん…」

 

「…っ謝って失われた命が戻ってくるものか!」

 

「はい。あなたは【剣姫】さんが謝ってくれたんだから、これくらいにしましょ?ね?」

 

結果アイズはリューに謝罪したもののリューはその程度では怒りを抑えられずシルの抑えを振り切って罵倒する。

 

そんなリューに宥めるようにシルは言い聞かせるもリューは怒りを収められそうになかった。

 

そんな状況でどうしたらリューの怒りを収められるか困りに困るアイズ。そんなアイズが苦し紛れに慌てて言った。

 

「おっ…お詫びに!私がギルドの仲介をします!そうすればお二人の祖国を取り戻すための手助けができるかもしれません…それで許していただけませんか?」

 

「「え?」」

 

アイズの提案にシルだけでなく怒りで我を忘れていたはずのリューまでポカーンとした表情をした。そして驚きのあまり二人は顔を見合わせてしまった。

 

その提案はギルドと接触を試みようとする二人にとって渡りに船だったのだから。




ジャガ丸くん一つでぺらぺらと話してくれるアイズさん。
レヴィスとの戦いでは対人戦ではなく対モンスター戦と意識していたように少々対人戦を好まない傾向を感じましたが、今作ではリューというある意味の不穏分子のせいで対人戦強化に走っていました。目指すは自らの手でリューを倒すこと…今も昔もリューの方が弱いんですけどね。


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疑惑の魔窟へ

アイズとの接触で一波乱起こした日から翌日。二人はダイダロス通りにあるアイズに紹介してもらった宿にいた。二人とも結局アイズを警戒して元々拠点に使うことを予定していた隠れ家を使うことができなくなったためである。

 

そしてその警戒心を解くことができないアイズにリューとシルは結局ギルドとの交渉の仲介を依頼することにして、今はギルドへ出向くための準備をしていた。

 

「本当に大丈夫でしょうか…私達の正体に気付いて罠に嵌めようとしている…そんな可能性はありませんか?」

 

その時はアイズの提案の利益を鑑みて承諾したリューであったが、その時のリューは直前まで激昂していて冷静さを失っていた。そのためアイズと別れ冷静さを取り戻した今になって心配になってきていたのである。

 

「うーん…私も【剣姫】さんのことはよく知らないけど、そんな小細工しないと思うなー疑ってたらすぐさま斬りかかってくると思うよ。と言ってもあんな提案をほぼ初対面の状態でするのも奇妙だし…」

 

渡りに船と積極的に受け入れようとリューを説得したシルもまたあまりにうまく行き過ぎた提案に一抹の不安を隠せない。とは言ってもあんなに仲良くなっていたのに『ほぼ初対面』ではないのでは?、とリューは少し思ったがその突っ込みは抑えることにした。

 

このように結局二人揃って意気揚々と依頼した割には心配で乗り気でないという奇妙な状況に陥っていた。

 

ただここで依頼を断るのもすっぽかすのも疑われる要因になり得る。そう結論を出したリューは小さくため息を吐いて言った。

 

「…もう依頼してしまった以上行くしかないでしょう。ここまで来たら露見しないと信じて突き進むしかありません。」

 

「ん…そうだね。うじうじしてたら真実も分からない!よし!行こう!」

 

「ええ。あまり約束の時刻まで時間もありませんし。」

 

二人はそう決断を下すと話しながら準備を整え終えていたため、宿を出発しようとする。

 

だがそんな時すぐに部屋を出ようとするリューをよそにシルは立ち止まると、静かに尋ねた。

 

「ねぇリュー?一つ本当は言いたくはないけど、ギルドに向かう前に言ってもいいかな?」

 

「…何ですか?シル?遠慮なくどうぞ。」

 

シルの戸惑い混じりの問いにリューは自分に不都合のあることなのだろうと見切りをつけて、少し躊躇したがシルが言うべきと思ったことならと承諾する。

 

「昨日のリューを見て思ったんだ…リューはもっと感情をコントロールできるようにならないと。昨日みたいにちょっとのことで感情を顕わにしてたら正体がばれるかもしれない。」

 

「…っ!…シルの言う通りです。昨日の私の行動は言われるまでもなく危険に満ちた行動でした…」

 

シルの指摘にリューは反省を覚えずにはられない。

 

シルの言う通りアイズに直に怒りをぶつけるのはアイズに恨みのある者であることを自ら暴露するのと等しい行為。

 

シルが偽りの身分から作り上げた偽りのストーリーでリューを擁護したものの、リューの怒りはそれだけでは説明できない大きさだったので小さな疑いの芽を残した可能性は小さくないのである。

 

それに気づかされたリューは自らの浅はかさを呪いたくなる。

 

そうしてあからさまに沈んでしまったリューに少々気が咎めたシルは慰めるように付け加えた。

 

「…確かにリューの怒りはもっとも。【剣姫】さんの言葉は私だって怒りを覚えずにはいられなかった。だってミアお母さんやアーニャ達がただそんな理由で殺されたのならと思うと浮かばれないし、私自身許せない。…でも私達には真実を知ってその上で為すべきことを見つけないといけない…リューはそう決めたよね?」

 

「…はい。」

 

「ならそのために感情をコントロールしないと。確かにそうやって感じたことをきちんと行動に移せることはリューのすごいところだと思う。でも時と場所を弁えないと。リューは今までそういうことを気にしてこなかった感じがあるけど、もし何か感じる所があるならコントロールすべきだと思う。ただ変えるべきじゃないと思うとしても正体を隠せるように最低限のことはしてほしいと思うな。その調節はリューの考え次第でいいから。」

 

「…分かりました。きちんと考えるようにします。」

 

「うん。ごめん。行こうとしてたのに邪魔しちゃったね。それじゃあ行こうか。」

 

「…ええ。」

 

シルの促しにリューはコクリと頷いて、ギルドへと再出発する。その前にリューは自らの感情の自制を強く心に言い聞かせたのだった。

 

 

 

 

 

 

「アリュード様とシレーネ様!ミィシャ・フロットと申します!此度はようこそ迷宮都市オラリオにお越しくださいました!ささ事情はヴァレンシュタイン氏にある程度お聞きしてるので個室でお話ししましょう!」

 

ギルドに到着したリューとシルを出迎えたのは、桃色の髪の幼さを残した容貌のギルド職員ミィシャ・フロットだった。

 

「彼女は私のファミリアの担当の方で信頼できる方ですから。大丈夫です。」

 

「もうー!私本当は【ロキ・ファミリア】担当のつもりじゃないんですけどー!」

 

リュー達よりも先に到着してミィシャに事情を説明していたらしいアイズがミィシャの言葉に補足する。

 

ミィシャのことはよく知らないリュー。

 

だが都市最大派閥たる【ロキ・ファミリア】担当となれば多くの情報を握っていると同時に優秀なだけではなくアイズと共にリューの投獄等にも関与している可能性があることが容易に察せられる。

 

警戒して臨まなければ、とリューは気を引き締めた。そしてミィシャに笑顔で会釈しながら個室への招きに応じた。

 

四人ともがソファーに腰を下ろしたところでリューが話を切り出した。

 

「今日は相談の機会をお作り頂きありがとうございます。【剣姫】からお話を伺っているようなので単刀直入に申し上げます。私の国は隣国によって不当にも奪われその圧政に民は苦しんでいます。そのため民を一刻も早くそれから解放すべくオラリオには是非支援を賜りたいのです。謝礼は国を取り戻した暁にはいくらでも出しましょう。」

 

リューはさらさらと嘘を並び立てる。言うまでもなくこれはシルと事前に話し合って組み上げた仮想の話である。要請という形を取れば、ギルドも接触に応じやすくなると考えてのことだった。

 

ただミィシャの反応は最初から芳しくなかった。

 

「えっと…つまり冒険者を戦力として貸して欲しいということですよね?それは戦力流出防止を方針とするギルドとしてはちょっと難しいことでして…」

 

ミィシャの反応はリューが冒険者だった以上予想の範疇。

 

ただここであっさり引き下がっては、違和感がありギルドとの接触の口実もオラリオに留まる名分も失われる。そのためリューは言い募った。

 

「そこを何とかなりませんか?身一つの私達夫妻にはもうオラリオからの支援を受けるしか国を取り戻す方法はないのです!」

 

リューは悲壮感を漂わせてミィシャに訴えかける。

 

これはこの反応を事前に予測してシルがリューに練習させていたため思いのほか説得力が高いものに仕上がっていた。

 

ただリューに練習させていたのはこれだけではなく、色々な状況を想定して練習を一夜の間にリューはしていたため、それなりの説得ができると隣で黙って見守るシルもリュー自身も思っていた。

 

ただし昨夜シルがリューに練習させて完全に楽しんでいたことをリューは気づいていない。

 

「そう言われましても…」

 

ミィシャはリューの説得にあっさりと押されて困り果てた様子になる。それにアイズが口を挟んだ。

 

「ミィシャさん。アリュードさん達はオラリオの人じゃないから、本当のことを話してもいいんじゃないですか?」

 

「えっ…でもエイナがあまり口外するなって…」

 

アイズの言葉に困惑を強くするミィシャ。そして『本当のこと』という如何わしい言葉をリューが聞き逃すはずがなかった。

 

「本当のこと…ですか。オラリオは何かしらの冒険者をお貸しいただけない事情が別にあるので?」

 

すかさず追及するリューにミィシャは逃げ場を失ったかのように硬直して、視線を泳がせる。その様子に何か隠していることがあるということは見るからに明らかだった。

 

「…断る理由をきちんと伝えた方がお二人も納得できるんじゃないかんって思いますし。」

 

「ううう…分かりました。口外しないと約束いただけるならお話しします。」

 

アイズの口添えのお陰もあってかミィシャは観念したようにそう言った。そうしてリューとシルはすぐに頷くとミィシャは小声で語り始めた。

 

「実は先日オラリオでとある囚人がギルドの牢獄から救出される事件があって、救出に加わったお尋ね者はみな死亡が確認されたんですけど、ギルドとしては警戒を未だ解くべきではないという方針で冒険者をあまり外に出せるような余裕がないんです…」

 

「…っ!」

 

「あっなるほど…!【剣姫】さんからお話は聞いていたんですけど、そんなに危険なお尋ね者がオラリオに…」

 

ミィシャの説明はミア達の死が確実に示される言葉が含まれておりリューは思わず悔しさと後悔をにじませてしまう。それを隠すようにシルはミィシャに質問した。

 

「…私はもう全員倒した以上そんなに警戒する必要ないと思ったけど、あの人達が…」

 

「そうだよ!エイナとアーデ氏が変なこだわりを持つから私まで迷惑してるんだから!オラリオに出ようとする冒険者に説明して引き留めるの大変なんだから!まったく二人ともどういうつもりなんだか!」

 

シルの質問にアイズとミィシャは口を揃えて愚痴がましく言う。

 

そしてその時『エイナ』と『アーデ氏』と言う名が漏れるのを二人とも聞き逃すことはなかった。

 

「その…つまりギルドの関係者の誰かが冒険者がオラリオの外に出るのを特に嫌がっている…ということですか?ならば要請を通すにはその方と交渉すればよいのですか?」

 

リューは感情をひとまず抑え、さらなる情報を得るべく嘘と絡めながら詳細を問う。それにミィシャは話してよいものか迷っているようだったが、間を置いて話し始めた。

 

「えっと私の同僚にエイナって言う人がいて、その人が今ギルド内ですっごい発言力を持ってるんです。それでその人が【ヘスティア・ファミリア】にいるアーデ氏と一緒に中心になってこのことに関しては指示を出しているんです。だからそのエイナに頼めば許可出るかもですけど…エイナ一人説得するだけじゃ無理かもです…ギルド長とか【ヘスティア・ファミリア】もこれにはかなり関わってます…」

 

「【ヘスティア…ファミリア】?そのファミリアはかの有名な【ロキ・ファミリア】よりもすごいのですか?」

 

リューはミィシャの口からベルのいる【ヘスティア・ファミリア】の名が出たのを聞いて、すかさず尋ねる。

 

もしかしたらベルのことが少しでも分かる、そう思ったからである。

 

ただリューはあくまで婉曲に聞くに留めた。

 

するとアイズが代わりに答える。

 

「私のファミリアほどじゃない。けど団長のベルはオラリオでもトップクラスLV.6の冒険者だからオラリオで実力のあるファミリアの一つではあると思います。ただ要請の助力を頼むなら団長のベルではなくアーデさんか主神のヘスティア様の方がいいかもです。【ヘスティア・ファミリア】の方針は大体あの二人のどちらかが決めてるので…」

 

「なる…ほど…」

 

リューはアイズの回答を注意深く考える。

 

【ヘスティア・ファミリア】がリューの投獄などのすべてに関わっている可能性が高いことがアイズとミィシャの言葉から分かる。

 

だが動機が読めない。

 

ただギルドに要請されたから?

 

だがギルド職員と直接結びついて協力を行う理由もないように思える。

 

そもそもその協力は誰の意向で行われた?リリルカか?ヘスティアか?…それともベルか?

 

憶測が憶測を呼びリューの中で収集がつかなくなろうとする。

 

そんな時部屋のドアが突然開いた。

 

 

「ミィシャ!何亦余計なこと話してるの!?」

 

 

眼鏡をかけた女性が怒りのこもった声をドアを開けた途端上げる。それにミィシャは大慌てで応じた。

 

「えっ…エイナ!あっ…これはその…」

 

「言い訳はいらないよ。ミィシャ。またぺらぺらと機密を話して…減俸にしないといけないことが分からない?」

 

「そんな!酷いよ!エイナ!」

 

「あと私は副ギルド長だって何度言ったら分かるの?公的な場では私を名前で呼ばないでってずっと言ってるよね?」

 

突然始まった説教混じりの会話にリューもシルもアイズも取り残されたように彼女たちを見守る。すると一通り説教を終えたらしいエイナはリューとシルのほうを向き小さく咳ばらいをすると姿勢を正して言った。

 

「お見苦しい場面をお見せして申し訳ありません。私は副ギルド長を務めていますエイナ・チュールと申します。アリュード伯爵、シレーネ夫人。お話しは伺いました。こちらの不手際で事情をお知りになってしまった以上仕方ありません。私が今からオラリオの現状を踏まえた対応をさせていただきます。」

 

ミィシャよりも礼を以って挨拶するエイナはそう言うとミィシャを追い出すと同時にアイズにも退室を願った。

 

その動きは少々の緊張を二人にもたらす。

 

今の今まで情報を上手く引き出そうとミィシャとアイズに質問を重ねた二人。

 

その質問に対して事情をあっさりと話す二人を追い出したのは情報が漏れるのを嫌ってのことだということは容易に察せられる。

 

それは不用意に詮索をしたことがエイナに警戒を抱かせてしまったということに他ならない。

 

先程の二人ほど一筋縄ではいかない相手の登場にリューもシルもさらに気を引き締めることになった。




優秀(笑)のミィシャさん。この子出てきたらおしゃべり情報漏洩担当なんだよなぁ…
今回でリリ、ヘスティア、ベル関与疑惑がリューの中で浮上しましたが、生憎エイナの登場で差し止め。
それどころかリューを狙った女性たちの中でトップの頭脳派エイナさん。
リューさんこれはちょっとまずいんじゃないですか…


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魔窟からの疑惑の提案

誤字訂正ありがとうございます
最近執筆をスマホからpcに変えたので慣れてなくて少々誤字が増えてる…のかもです。一応一度添削はしてるんですがね…


「さて改めて交渉を進めさせていただきましょうか。」

 

副ギルド長を名乗ったエイナ・チュールはミィシャとアイズが退室するのを見届けると彼女達の座ってたリューとシルの向かい側のソファーに腰を下ろした。

 

「ただ失礼ながらその前に…アリュード伯爵に一つ伺ってもよろしいですか?」

 

「…何でしょうか?」

 

言葉を選ぶように尋ねてきたエイナにリューは気を引き締めながらその求めに応じる。

 

エイナはリューが求めに応じたのを見て、鋭い視線を向けながら間を置かず尋ねた。

 

 

「以前私とどこかでお会いしたことはありませんか?」

 

 

エイナの単刀直入な問いは、リューとシルに極度の緊張をもたらした。

 

リューとシルはエイナが二人の正体に早くも気づこうとしているのではと警戒せずにはいられない。

 

だが気づいていれば、すぐにでも捕えてしまえばいいものをそれをする気配はない。中途半端とも言える対応は二人の緊張を少しはほぐすのに役立つ。

 

それでもリューは警戒を解かず言葉を選びながら答えた。

 

「…はぁ…記憶にございませんが、なぜでしょうか?」

 

「いえ…あなたと同じ鋭い視線を放つとある同胞に記憶がございまして。もうその者の死は確認されている以上あり得ないかと思われますが、つい気になってしまいまして…申し訳ありません。失礼なことを申し上げました。私の勘違いかと。」

 

エイナはそう言うとあっさりと引き下がる。

 

その言動にリューもシルも全く理解が及ばず心の中で困惑する。

 

アイズに続きエイナまで二人の正体に気付かず、変装してできる限りの万全な状態でオラリオに滞在しているとは言えここまですんなり行くのは実に奇妙なことと思われた。

 

ただリューは投獄されていた五年間エイナもアイズも牢獄を訪れた記憶はある限りはなく、シルも逃亡生活中は戦闘に加わらず後方で隠れていることが多かったため姿を見られた可能性は低い。

 

元々『豊穣の女主人』の店員時代も二人と接触がなかった二人の顔をこの五年間で完全に忘れてしまったのでは?と不確実極まりない結論を出すしかなくなる。

 

ともかくエイナにもアイズにも正体が気づかれていないなら御の字と考えることにして、リューは念のためエイナの記憶から疑いを消し去るために嘘を伝えることにした。

 

「もしかしたら…一度妻の願いでオラリオのカジノを訪れたことがあります。そこは確かギルドが運営に携わっていたはずです。そこでもしかしたらお会いしたのかもしれません。」

 

「あっ…そういえばそんなこともありましたわね。あなた。でも私のお願いではなくて、オラリオの方から招待状が来たんですわよ?そこは間違えないで欲しいですわ。」

 

「そういえば…そうでしたか。」

 

「もうぅあなたったら!」

 

リューの嘘にシルも加わって、夫婦の痴話喧嘩まで装ってその嘘に信憑性を与えようと試みる。その茶番をエイナは不審さを拭えないような視線を向けながらも小さく息を吐くと言った。

 

「なるほど。もしかしたらそこでお会いしたのかもしれませんね。ちなみにそのカジノの名前も教えていただけますか?」

 

「…エルドラド・リゾートですが、それがどうかしましたか?」

 

「…いえ。申し訳ありません。脱線が過ぎましたね。要請に関してに話を戻しましょうか。」

 

「…ええ。もしあなたの疑念が晴れたのならば是非。」

 

「大丈夫です。これはあくまで個人的事柄なのでお気になさらず。」

 

エイナはそう言うと仕切りなおすように小さく咳ばらいをした。

 

その様子に何とか正体が露見するのは阻止できたらしいとリューとシルは感じ取る。

 

だがエイナの不自然な言動に不安は拭いきれはしなかった。

 

「それで…アリュード伯爵の祖国奪還のための支援に関してですが、先程フロットが申したでしょうが、現在ギルドはオラリオ外に冒険者を出すことを固く制限しています。…どうやら彼女はかなり機密までお話ししてしまったようですが、先日オラリオの治安を乱すお尋ね者が蜂起し、それへの警戒のためでした。その警戒はもうしばらく続けなければなりません。」

 

「なるほど…ただそのお尋ね者は先日全滅したとお二人からお聞きしましたが?オラリオの冒険者はオラリオ外では千人力も等しいとか。報酬は祖国を奪還し次第速やかに正当な額を差し上げるつもりです。それでも早急にはお出しいただけないのですか?」

 

「申し訳ありません。かの者達はオラリオの有力ファミリアからの離脱者を集めて、謀を企んでいたようで、ギルド側も正確に構成員を把握できていないのです。そのため油断した隙に残党が再蜂起する…などという可能性も捨てきれません。なので警戒を私達も解くことができないのです。よってこの一件の完全解決が確認できるまでは、少なくともアリュード伯爵が望まれるほどの戦力をお貸しすることは厳しいものだとお思いください。」

 

エイナの語りからリューは尋常ではない警戒を読み取る。

 

それだけミアが『豊穣の女主人』で雇っていたリュー自身を含む訳ありの者達の存在はギルドに緊張を与えていたと気付かされる。

 

確かに【フレイヤ・ファミリア】元団長であったミアを始め【アストレア・ファミリア】元所属のリュー、元暗殺者のクロエとルノア…と異様なまでの実力者揃いは警戒を呼び起こさざるを得なかったのかもとしれない。

 

冤罪で嵌めたことは許す余地は寸分もないが、その感じていたのであろう恐怖は多少は鑑みる必要があるのかもしれない。

 

そうリューは冷静に考えた。

 

ただリューとシルの知る限り残党など存在せずあの脱出の日に皆命を落としたのは確実で、そもそもの話今の二人はその『お尋ね者』とは無関係。これ以上の詮索は不要と、リューは偽りの立場のみを考慮した回答を用意した。

 

「…力を失った私達はオラリオの冒険者の力のみが頼り。どうしてわがままが言えましょうか?その一件の早急な解決を願うばかりです。」

 

リューはそう力を失ったように沈んだ振りをして告げる。それにエイナは居住まいを正して言いなおした。

 

「アリュード伯爵。ここは勘違いいただきたくないのは、オラリオは決してあなた方を見捨てたわけではありません。この一件が解決した暁にはお望みの戦力をお貸ししましょう。もちろん相応な報酬はいただきますが。」

 

「当然です。そのお言葉を聞けて非常に安心いたします。副ギルド長を信じさせていただきましょう。」

 

「ありがとうございます。ただ早急に、とはいきません。当面はオラリオに滞在して頂かざるを得ないでしょう。よってその間の生活費等はギルドが保証いたしましょう。時間を頂くお詫び、と受け取って頂ければ結構です。」

 

「「本当ですか!?」」

 

エイナの申し出にリューとシルは顔を見合わせて喜びを浮かべる。これは演技ではなく本心から喜ばしい申し出だった。

 

現状隠れ家に隠してあった資金を回収に行くのがアイズのお陰で危険を伴うものとなっていたため、調査費や交遊費となる資金繰りが正直不安要素となっていたのだ。

 

だがその資金をギルドが出してくれるという。

 

単に資金不足が解消されるどころか仇の疑惑のある者達の資金でその証拠を暴くというのは何とも滑稽な話で、もしそれが許されるなら是非ともと言ったところだった。

 

「ええ。もちろんです。生活に何一つ不自由のないような環境を提供させていただくと約束します。それで早速ですが、現在はどこにご滞在なさっていますか?」

 

そのエイナの問いに一瞬リューは言葉を詰まらせる。

 

なぜなら自ら居場所を伝えては万が一の時対処できない可能性があったからだった。

 

だがシルはリューに目配せして問題ないと暗に伝える。

 

それでリューはシルの承諾もあり、素直に場所を伝えることにした。

 

「今はダイダロス通りの【剣姫】にご紹介いただいたとある宿に…」

 

「ダイダロス通り!?あのような所をなぜお選びになったのですか!?あそこは貧民の住む治安の良くない街!そのような場所にお二人に滞在して頂くなどあってはならないこと!すぐにでも別のもっと整った宿泊場所をすぐにでも手配させていただきましょう。」

 

そう言いかけたところエイナは大きく驚いて見せる。

 

確かに伯爵夫妻たるものが貧民の住む治安の悪い街に滞在するなど普通考えられず、その驚きは至極普通のものと言えた。

 

だがリューからすれば、貧困に苦しんでいる人々の住む場所をその悪環境を改善する立場にあるエイナが『あのような場所』と表現するのは些か看過し難いことだった。

 

「…『あのような場所』?その表現は少々違和感を覚えますね。本来ギルドの職員が悪環境の改善に尽力すべきものを単に軽蔑を示すとは…如何なものでしょうか?」

 

「ちょ…あなた!」

 

「…ギルドの役割は冒険者を助けることを第一としていますので。それにしてもアリュード伯爵は先程から非常にオラリオの現状にご興味があるようで。はたまた何故でしょうか?」

 

「…かつて国を統治した身として民や街の生活を考慮するのは当然…という回答では足りないでしょうか?」

 

不快感を覚えたリューはやはり抑えられなかった。シルがリューの暴走を止めようとするもエイナがその態度を批判されたことに苛立って応酬してしまったため、それにリューも反撃する。

 

雰囲気がまずいどころかエイナに無用な不快感を与えることになりかねない。そう即断したシルは一度仕切りなおすように手を叩くとエイナとリューの応酬に介入した。

 

「お二人とも。ここは本題に戻りましょう。副ギルド長さん。夫は祖国にいた頃も街を定期的に巡察するほど国の皆さんが不自由のないように気を配る方でした。それでダイダロス通りの方を見て心を痛めているのです。その点をご理解いただきたいです。そしてあなたは副ギルド長さんに怒りをぶつけても意味はないですわ。そもそも私達はギルドから力を借りる身。そのような態度ではまずいと思いません?」

 

「…なるほど。アリュード伯爵のお立場はよく理解いたしました。さぞお国では名君だったのでしょう。」

 

「…シレーネの言う通りです。先ほどは失礼をいたしました。…お詫びいたします。」

 

「…いえ。ダイダロス通りの環境改善に関しても検討してみましょう。」

 

エイナは不快感を込めた嫌味を呟く一方リューは自らがまたミスを犯したことに気づき、素直にエイナに謝罪を口にする。

 

それにエイナはリューの事を慮ったような回答を返すが、リューにはそれが社交辞令にしか聞こえなかった。それでも額面上の回答に満足した振りをリューはしなければならないとリューは自分自身に言い聞かせる。

 

「…ええ。もし可能ならばダイダロス通りに住む人々のために是非。」

 

「もちろんです。私達はオラリオのことを誰よりも考える者ですから。…では話を戻しますが、もしアリュード伯爵の愛着があるようなダイダロス通りにどうしても滞在なさりたいならお止めしませんが、如何なさいますか?」

 

リューはその問いに即答するのは控えた。ギルドの提供した宿泊場所に留まるということは、ギルドに逐次動きを把握されると同義。それは望ましいことではない。だが断るのも不自然さを伴うだろう。

 

そう迷っているとここでもシルが代弁した。

 

「ぜひお願いできますか?私祖国から逃げてきて以来きちんとしたベッドでゆっくり休むこともできなかったんです。もし副ギルド長さんが手配してくださるならぜひお願いしますわ!」

 

「シッ…シレーネ!どういうつもりですか?」

 

「いいでしょう?あなた?私あんな場所に泊まるの嫌だもの。別に私達のあんなことやこんなことを見られても何も問題ないのではなくて?ね?むしろ私は見せつけたいぐらいですわ!私とあなたの愛の深さを、ね?」

 

「…シレーネ…」

 

シルの意味深げな物言いにリューは溜息をつきたくなる。

 

ただシルの言う『あんなことやこんなことを見られても』が『監視されても』を暗に示し、監視されていたとしても問題ないことを伝えようとしているのはリューにも察することができた。

 

さらにエイナに監視を配置することへの牽制までしたようにも聞こえることにリューはシルの深謀遠慮に舌を巻かされることになった。それでリューはエイナの提案を受け入れようと決めようとする。

 

一方のエイナはと言うとシルの物言いの如何わしさに何か思うところがあったらしく咳払いをした上で付け加えた。

 

「…シレーネ夫人もこう仰られています。祖国奪還前に体調を崩されるのはよろしくないでしょう。提案を受け入れていただけませんか?」

 

「分かりました。副ギルド長の提案をお受けさせていただきましょう。よろしければ場所をお聞きしても?」

 

「ええ。もちろん。よい宿泊場所をお教えしましょう。」

 

こうしてエイナに不信感を与えてしまった可能性を残しながらもリューとシルは新たな資金と滞在拠点を獲得することができたのである。

 

ただ少しずつ明らかになる闇にどう向き合うか。

 

その準備を未だリューは整えられていない。




復讐云々は放置して気づいてしまった目の前の困った人のために怒りをエイナにぶつけるリューさん。この短絡的思考がリューさんの欠点かつ美点だと思ったり。
あと先に言うとリューさんオラリオの冒険者ほんとに借りれたらどうするの?という疑問があるでしょうが、それは後々触れるので放っておいてくださいね!


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思わぬ出会いは何の導き

「…彼女が提供した宿泊場所とはここですか…?」

 

「まさかとは…思ったけど…」

 

エイナに宿泊場所として提供された屋敷の前に立つリューとシル。

 

エイナとの会談から二日後。

 

宿泊場所の準備が整ったということで伝えられた場所に二人は警戒を保ったまま来ていた。

 

だがその警戒が一瞬溶けてしまうほどの驚きで屋敷を見る二人の表情はあからさまに歪んでいた。

 

それもそのはず。

 

 

そこはかつて『豊穣の女主人』があった場所だったのだから。

 

 

そうは言っても『豊穣の女主人』の周辺の家屋も軒並み屋敷の敷地内に組み込まれていて、そのかつての『豊穣の女主人』の趣は寸分もなく、ギルド本部と同じ建築様式で比較的大きな屋敷へと生まれ変わっていた。

 

リューは知らないが、シルはこんな屋敷が建った理由をなんとなく察していた。

 

それはリューが連行された直後『豊穣の女主人』が【ガネーシャ・ファミリア】による強制捜査が行われたときミア達が大暴れしたおかげで周辺の家屋まで吹き飛ばしていたから。

 

その後その曰くつきの空き地をギルドが接収して、この屋敷を建てたのだろう、ということまでは事情を少々知っていたシルには察しがついた。

 

ただそんな事情を知らないリューはギルドの不正な接収と捉えて、ギルドへの怒りまで募らせていたわけだが。

 

エイナが言うには今建つのはギルドが迎賓館として建設した建物だと言うこと。

 

『豊穣の女主人』の存在した過去さえも消し去らんとする意図が見え見えで二人の気分を害するのも当然。

 

だがそれよりも問題なのはなぜあえてここを二人に提供したか、である。

 

正体に気付いているなら早急に捕えてしまえばいい。

 

だがそれはないようだった。

 

なぜならギルド本部にいる時特段の対策もせずにエイナが二人との会談に臨んでいたように感じられたからだ。

 

かと言って気づいていないのならこんな二人に縁がある場所をあえて提供する理由はない。

 

まるで二人の心の傷を意図的に抉ろうとしているかのような行いは正体を気付いていると暗に伝えているようにも感じる。

 

その中途半端なエイナの対応に不信感を抱かずにはいられなかった。

 

だがそれ以上の行動を起こしてこない以上どうにも判断ができない。

 

結果二人はエイナの提案通りに提供される宿泊場所に移ることに決めたのである。

 

ただ問題はそれだけではなかった。

 

エイナは宿泊場所の提供と共にあることを申し出てきていた。

 

それは使用人の提供。

 

それも賃金はギルド持ちという大盤振る舞いである。

 

名目上は高貴な伯爵夫妻が使用人がいないとなれば、その権威に傷がつく上に何かと不便だろうということだった。

 

だが送り込まれてくる使用人はギルドに監視を申し付けられているに違いない。

 

そのためその使用人への対応にも気を使わないといけないのがかなり厄介だった。

 

危険を招きかねない情報を掴まれる前に何かしらの手を打たなければならない。

 

ギルドの非を説いて味方に引き込むなり何か名目を立てて追い出すなり最悪消すなり…

 

それを決めるのはこの中にいるという使用人本人と話をつけた後とリューとシルは話し合って決めていた。早まって何かしらのミスを犯さないように。

 

二人はしばらくの間『豊穣の女主人』の入口があった辺りに聳え立つ門の前に立ち尽くしていた。

 

だがいつまでもそうしているわけにはいかず二人は一度顔を見合わせて、互いに心の準備ができたか確認しあうと、門から入ろうと歩み始める。

 

その途端門の奥に見える玄関が二人が動き出したのを見計らったかのように開き、結局二人はその歩みを止めることになった。

 

そして玄関から現れたのは一人の女性。

 

その笑みを浮かべて小走りで近寄ってくる女性に二人は僅かながら記憶があった。

 

「アリュード様!シレーネ様!ようこそお越しくださいました!どうぞ遠慮なさらずお入りください!」

 

「あなたは…!」

 

「アッ…アンナさ…!?」

 

「わぁぁぁ!?!?お二人ともストップ!ストップ!」

 

 

目の前にいたのはかつてカジノで救出したアンナ・クレーズだったのである。

 

 

ただ二人の記憶は正しかったようだったが、何かしらの問題がアンナにはあったらしい。

 

 

 

 

 

 

「やはりあなたはあの時のアンナさん…」

 

「はい!お久しぶりです。アリュード様。シレーネ様。先ほどは失礼いたしました。大慌てで屋敷の中に引き込んでしまって…」

 

「いえ。それは問題ないです。それよりお聞きしたいことがあります。」

 

場所は変わって屋敷の中。

 

なぜか大慌てで会話を遮ってまでして二人を屋敷の中に引き入れたアンナ。

 

理由は図りかねた二人だったが、とりあえずアンナに案内されて応接間らしき場所にいた。

 

そのアンナは応接間に来るまでの簡略な説明によると、この屋敷で働く使用人をしているらしい。

 

それは他の使用人が見当たらずアンナしかいないようなので恐らく嘘ではない。

 

だが肝心のアンナに対して不信感を抱かざるを得なかった。

 

それはこの屋敷の使用人であるということはギルドに雇われているということだからである。

 

 

つまりギルドから監視を命じられている可能性がある。

 

 

確かにそのアンナとはリューとシルは面識があり、少なくとも二人にはアンナに恨まれるようなことをした覚えはない。

 

だがそんなもの一方的な考えでしかなく事実は分かりはしない。

 

そのためアンナがギルドから送り込まれた監視人であることを疑わざるを得ないのである。

 

だからその疑念をできれば晴らすためにリューは尋ねた。

 

「それで…です。まずお聞きしたいのはなぜここにアンナさんがいらっしゃるのかをお聞きしたいです。」

 

リューは単刀直入に尋ねる。それにアンナは笑みを保ったまま答える。

 

「先日ここの使用人を雇うというギルドからの求人がありました。それも私をあのカジノから救い出してくださったあのアリュード様とシレーネ様の使用人だということで是非恩返しをさせていただきたいということで応募したら幸運にも採用されたのです!何でもお国を追われてお困りなっているとギルドからはお聞きしています。非力な私でも少しでもお役に立てれば、と思うのでいくらでも使ってください!…と言いたいところなのですが…お二人にはお話ししにくいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」

 

「…何でしょうか?」

 

嬉々として恩返しを語るアンナだったが、途端に態度を重いものに変える。

 

それでリューはギルドが正体に気付いていて、その探りをアンナに命じていたのではと疑いの目を向ける。

 

ただリューの読みはあっさりと外れた。

 

「実は…ギルドはお二人の監視を私に命じました。よって定期的に私はギルドに報告をしなければなりません。」

 

「…それで?」

 

あまりにあっさりと誘導もしていないのに監視を白状したアンナにリューもシルも呆気にとられる。

 

リューはアンナが恩を語りながら監視の任を受けたという矛盾した行動に不信感を抱きながらもアンナが何を伝えようとしているのか読み取ろうとした。

 

「…まずはこれをお話ししたのはギルドの助けを求めたにも関わらずギルドが不審な態度を取っているということを知っていただきたかったからです。監視を命じられている私を信じるのは難しいでしょうが、ギルドには適当なことを報告するつもりです。だからどうか私を信じてお役立てください。私の恩に報いたいという気持ちを疑わないでください!」

 

「そこまで仰るなら…」

 

そう言って頭まで深々と下げて信頼を求めるアンナにかつて助けた折にその人柄を垣間見たこともあり、リューは絆されそうになる。

 

だがそんな甘い性格ではないシルはリューの言葉を遮ってアンナを詰問した。

 

「そう言われても残念ですが、私達はそう簡単に信じられません。私達の事情を知っているならば、監視の必要性なども理解できているはずです。それなら恩返しなんて申し出られるはずはないです。本当のことをお話しください。」

 

「うっ…」

 

「…そこまで言わなくてもよいのでは?」

 

「ううん。警戒することに越したことはないよ。例え知り合いでも油断するわけにはいかない。私達は危険と隣り合わせの立場なのを忘れないで。」

 

シルの詰問に困り果てた表情を浮かべるアンナを見て、絆されかけたままのリューはシルを窘める。

 

だがその窘めをシルは一蹴してアンナを鋭い視線で睨みつける。

 

そんなシルにアンナはタジタジとした様子で答えた。

 

「…ギルドはお二人にこのような支援をしているのは、不自由ない生活を差し上げることでお国を奪還する気力を失わせようとしているからです。ギルドは実際のところお二人が要請を取り下げることを望んでいるのです。ただ提供した資金でお二人が許可なくファミリアを雇ってお国を奪還しに行ってしまわないか警戒しています。だから私は監視として送り込まれたのです。…私などがお察ししたようなことを言うのは変かもしれませんが、故郷を失うのはすっごくお辛いことだと思います。…それこそ私があのカジノに売られたことよりずっと。だからお二人が故郷に戻ることをお助けするのが私のできる恩返しだと思っています。どうかギルドの妨害があろうとも故郷に戻るという希望を失わないでいただきたいのです!」

 

アンナは誠意を込めて言葉を選びながらそう答える。

 

その答えに嘘はない。

 

アリュードとシレーネの事情を真摯に思う言葉だと分かった。

 

だが二人はアリュードとシレーネという伯爵夫妻ではなくオラリオでお尋ねの者とされているリュー・リオンとシル・フローヴァなのである。

 

「「…え??」」

 

リューもシルも思わず口を揃えてしまった。それも頭の上に疑問符を浮かべんばかりの不思議そうな表情を浮かべて。

 

アンナが二人の苦境を本当に思ってくれているのはシルでさえも感じ取った。

 

だがその苦境は二人にとって偽りなもので二人が監視に送り込まれたと疑った理由は全く違うもの。

 

二人ともアンナとの話が少々食い違っていることにようやく気付かされる。

 

そしてそんな時リューはふと振り返ると一つの事実に気付かされる。

 

 

二人は救出した時にアンナに正体を伝えていなかったのである。

 

 

まさかとは思ったが、そのまさかの可能性が高いと踏んだリューはすぐさま尋ねた。

 

「…アンナさん。私達への認識をもう一度お話しいただけませんか?」

 

リューの問いにアンナは首を傾げるが、スラスラと答えた。

 

「え?えっと…かつて私をカジノから救い出してくださって、今は故郷をオラリオの力を借りて取り戻そうと努力なさっているフェルナスの伯爵様夫妻アリュード・マクシミリアン様とシレーネ・マクシミリアン様…ですよね?…あれ?でもアリュード様は女性ですから…女性同士で結婚なさって…え?え?…ってこんなことをお聞きになってどうするのですか?私をお信じになることに関わりあるのですか?」

 

アンナの回答に思わずリューとシルは途方に暮れた。

 

見事に認識が錯誤していたのである。

 

アンナは本当に二人の正体を知らなかったのだ。

 

言われてみれば、リューが女性であることも別れる直前まで認識していなかったことから考えると、いまだにリューの正体を知らないという状況にも少々の納得がいく。

 

その事実認識の錯誤が分かった以上ギルド側も二人に警戒をしながらもその正体を気付いていないのは確定にほぼ近づく。

 

それは二人にとって安堵できる材料だった。

 

だがリューにとって本当に恩返しがしたいと思って行動してくれると言うアンナに正体を知らせずに騙し続けるのはかなり気の咎めることであった。

 

だからリューはその正体をアンナが正直に吐露してくれたように話そうと心に決めた。

 

「あの…アンナさん?大変心苦しいのですが、私達はフェルナスの伯爵夫妻では…」

 

そうリューが言いかけた瞬間シルはリューの腕を掴み、それ以上話すなと首を大きく振って止める。

 

だがそんなシルにリューは小さく微笑みながら伝えた。

 

「アンナさんは私達に不信感を抱かれるのも覚悟で誠意をもって真実を伝えてくださいました。ならば私達も誠意をもって真実を伝えるのが道理ではありませんか?それでダメなら…私のこれまでの行いはそれまでだったということです。」

 

「…分かった。ほんと甘いよね。…もぅそう言うならどうとでもなれだよ。」

 

シルはそう不貞腐れながらぼやくとリューの腕を離し、リューに話す許可を暗黙の裡に与えた。

 

それを受けてリューは少々の覚悟と共に話し始めた。

 

 

「実は私達はフェルナスの伯爵夫妻ではなく『豊穣の女主人』の従業員…そして私はかつて【疾風】という二つ名で呼ばれていた女です。」




リューさんに惚れた女性アンナ・クレーズさん登場です。元はシルさんが退場してアンナさんがその枠に入るのを二話くらい書いてたんですけど、なんでいるのかどう考えても理由をつけられなかったので今回からの登場。
リューさんの正体を知らないのはあくまで推定です。女性と明かしたままそのまま返しちゃったし、両親も【疾風】に依頼したという認識はないはずですから。
さてアンナさんはどう反応するのか…


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過去の罪は何を意味す

「実は私達はフェルナスの伯爵夫妻ではなく『豊穣の女主人』の従業員…そして私はかつて【疾風】という二つ名で呼ばれていた女です。」

 

 

覚悟と共にアンナにそう告げたリュー。

 

リューの告白にアンナは大きく目を見開き、絶句したような表情を浮かべる。

 

「【疾風】…【疾風】ってあの…」

 

「ええ。…どのような印象を抱かれているかは分かりませんが、あの【疾風】です。」

 

絶句したまま硬直しているアンナにリューは厳しい表情を浮かべる。

 

リューはあの五年前に騒動を起こした【疾風】でお尋ね者とされている『豊穣の女主人』の関係者であると告げた。

 

それで恩返しの気持ちが消えてしまうならそれでもいい。

 

もしその気持ちがせめて温情へと変わるなら今後起こすかもしれない行動を黙認してほしい。

 

だがリューが広場に引き出されて受けた仕打ちを考えれば、アンナにさえも恨まれている可能性は高い。

 

それだけの過ちを犯してしまったことはリューにだって自覚がある。

 

…だからできればギルドに真実を報告してほしくないが、アンナがそうすべきだと思うなら致し方ない。

 

そんな覚悟でリューは告白したのであった。

 

一方のシルは呆れ顔でリューの行動に呆れているようだが、その一方でアンナの反応に少々の期待を抱いていた。

 

そしてしばらくの間硬直していたアンナはようやく答えた。

 

 

「えええええ!?!?じゃあつまり私をあの時助けてくれたのは【疾風】様だったのですか!?!?」

 

 

それも素っ頓狂な大声を上げて。

 

思わずリューとシルの方がびくっと驚いてしまう。

 

だがアンナの口から『【疾風】様』という二人からすれば奇妙な呼称をリューは聞き逃さなかった。

 

「…【疾風】様?そんな敬称で呼ばれるような印象を持たれているとはとても…」

 

そう自虐も混ざった呟きにアンナはブンブンと首を振る。

 

「とんでもない!【疾風】様は何年も前から困っている方に手を差し伸べ、強きをくじき弱きを助けてくださる義賊のようなお方と誰もが噂しています!私には記憶はありませんが、かつて正義とオラリオの平和のために戦ってくださった【アストレア・ファミリア】のもとで活躍までされたと聞いています!ずっとオラリオの外の伯爵様が助けてくださったのがなぜか分かりませんでしたが、【疾風】様だったのなら納得です!やっぱり【疾風】様は生きておられたのですね!」

 

アンナの恐ろしいまでのべた褒めにリューもシルも思考が追い付かない。リューはとりあえずアンナの認識をきちんと理解すべく質問を加えた。

 

「あの…アンナさんの認識がなぜそのようなものなのか分かりませんが、私は大変な過ちを犯したことを自覚しています。なのにそのように褒め称えられるのは理解できません…恨まれるのは当然の如く理解できますが…」

 

そう言いつつリューはかつての広場でのことを思い出す。

 

あの人々の様子を見る限りリューはかなり恨まれている。そんな自覚はあった。

 

だがアンナは別の視点を提供した。

 

「あー冒険者や商会、ギルドの方はそうかもしれません。【疾風】様に悪事を暴かれて散々な目に遭っているので。ですが少なくとも私達のような普通に生きるみんなは【疾風】様のお陰で生活が良くなりました。皆【疾風】様がギルドに投獄されたと聞いた際は表立っては口にはできませんでしたが、強い怒りと悲しみを覚えました。あの時ギルドはダンジョンでリヴィラの街の冒険者が大勢殺害されたことを【疾風】様の罪と公表しましたが、実はその冒険者達も悪事を働いていたのではなくて?本当は【疾風】様や『豊穣の女主人』の方々がギルドの不正に気付いてしまったためにあのような目に遭われてしまったのではないのですか?」

 

「えっ…いえ。そもそも私が闇派閥(イヴィルス)の残党を除き冒険者達を殺害したというのは冤罪だと断言はさせていただきます。ただ確かにギルド長の悪事をかなり前から知ってはいましたが…実は私自身嵌められた理由を十分に理解できていないので…」

 

リューはそう言って事情をリューよりは知るであろうシルに視線を向ける。

 

だがシルも困惑したまま答える。

 

「…実はリューは投獄されてて、私達も逃亡生活しててでよくこういう事態に陥った理由が分かってないんだ…」

 

二人の回答に二人が少なくとも義賊的活躍がギルドの弾圧につながったという噂は嘘だったらしいと分かったアンナは少々沈むが、それでも気を取り直すように言った。

 

「そうでしたか…まぁ私達の知るのはあくまで噂ですからね…ただとにかくなお一層私がお二人をギルドに売るような真似はしません!どうしても信用出来ないと仰るならば、今すぐ街に出て【疾風】様や『豊穣の女主人』の方々の印象を聞いて回りましょうか?確実にギルドや冒険者の方々のお話とはかけ離れた話をお聞きできるはずです!」

 

「…そこまで仰るなら…シル?」

 

「…うん。分かった。アンナさんを信じることにしようか。」

 

「ありがとうございます!精いっぱい努力させて頂きます!」

 

アンナの熱い語りにリューはシルに目配せしてこれ以上疑うのはやめようと伝える。

 

それに降参したようにシルはアンナを信じることに決め、アンナは花を咲かしたような笑顔で礼を告げた。

 

そしてアンナは信頼を勝ち取ったと見たからか話を早速進め始める。

 

「それでお二人は危険を顧みずオラリオに戻ってこられた…ということはギルドなどで悪事を働く者達に鉄槌を下しに来られたのですか?もしくはお二人を嵌めた犯人を見つけて、それ相応の罰をお与えになるとか?これからどうなさるおつもりなので?」

 

アンナの問いに今度はシルがリューの方を見る。

 

アンナからすれば、オラリオに戻ってきた以上何か目的があり、それがやり残したことを果たすことだったり、復讐だったりと想像するのはある意味普通だったかもしれない。

 

ただリューはまだ何をすべきか何をしたいかというのも不明確というのが現状。

 

リューは少々困った様子でその問いに答える。

 

「…まだ真実が明確に分かっていない以上これから何をするかなどは全く決めていません。真実を知った上で何をするかをその時に考えます。」

 

「…え?何をなさるか決めてないんですか?」

 

リューの問いにアンナは驚いた様子を見せる。

 

アンナの知る【疾風】はかなり理想化された人物像。

 

まさかリューがこうも迷い間違えポンコツで…だなどとは思いもしなかったのだろう。

 

そんなアンナに苦笑いしながらシルは言った。

 

「…まぁリューは直感とかその時の感情とかで動いたりするから…アンナさんを助けに行った時も目の前で困ってる人を助けたいーっていうただその一心だったみたいだし。」

 

「そう…なんですか?」

 

「…恥ずかしながら私はその程度の器の者ですから。私には感謝される資格などありません…」

 

シルの説明にリューは沈んだ様子で答える。

 

シルの指摘はリューの過ちに繋がり、リューが強く反省するところでもあったからである。

 

ただリューをそんな表情にさせたいという意図があったわけでないシルとリューへの尊敬の念が尽きないアンナはリューに伝える。

 

「まっ…それがリューの良さでもあるからね。私は間違えながらも真っすぐ進んでいくリューが好きだなー無謀でもなんでも最後はリューは正しい選択肢を選べるから。ね?リュー?」

 

「【疾風】様のことは詳しくは知らない身ですが…あなたのお陰で数多くの救われた方がいます。あなたに感謝する方がいます。だからご自分にもっと自信を持ってもよいかと思います!ギルドや冒険者の方が否定しようとも【疾風】様が行ってきたことは、間違えなく彼らよりも正しく素晴らしく多くの方々が感謝し、お慕いしたくなるようなことだったのですから!」

 

「シル…アンナさん…」

 

シルとアンナが笑顔と共に送ってくれた励ましにリューは少々の自信を与えられた気がした。

 

それと同時にそれだけの自身への信頼を与えられたとも捉えたリューは、真実と向き合った際に誤った判断をするわけにはいkないと強く心に誓う。

 

そしてリューは二人の励ましに応えた。

 

「ありがとうございます。シル。アンナさん。そしてお二人には私が間違えた時でも過ちを正せるようお支え頂けませんか?」

 

「もちろんだよ!リュー!」

 

「私などがお役に立てれば是非!」

 

リューの求めに二人は笑顔で応じてくれる。

 

そんな二人の反応に深く感謝を覚えるリュー。

 

その一方でアンナに問われた今後を不鮮明にし続けることは色々と問題があるとアンナの問いからも判断したリューはなすべきことを見定めるためにアンナに情報を求めた。

 

「それでアンナさん。いくつかお尋ねしてもよろしいでしょうか?今の私達はオラリオの現状にあまりに疎いので…」

 

「はい!どこのファミリアが悪そうかとかどこがギルドと繋がっているかとか噂を信じてくださるならお教えできますよ!」

 

「え?アンナさんそんなこと分かるの?」

 

「私の両親の店にもそれなりに商人の方が出入りなさっているので多少は、ですけどね。例えば五年前から都市最大派閥は【ロキ・ファミリア】と【フレイヤ・ファミリア】ですが、この五年で規模は小さいながらダンジョンでの実績とギルドとの親密さでは【ヘスティア・ファミリア】が抜きんでていますね。…確かお二人の事件にも関与していた記憶がありますが…」

 

「え?【ヘスティア・ファミリア】が!?」

 

シルとアンナは質問をしようとしていたリューを放置してポンポンと話を進めていく。

 

本当は別のことを尋ねようとしていたリューであったが、二人の会話が進む中リューには二人の会話を遮って自分の質問に話を引き戻す精神的余裕はなくなっていた。

 

 

【ヘスティア・ファミリア】と言う名に意識を奪われていたから。

 

 

アンナが最初に【ヘスティア・ファミリア】と言ってしばらくからはもう二人の会話はリューの耳に届いていなかった。

 

【ヘスティア・ファミリア】がダンジョンで実績を挙げ続けている。

 

これはリューがベル達【ヘスティア・ファミリア】を巻き込まず、ベルの立場を危険に晒さずに済んだということ。

 

それは一人でも少なく自身のせいで苦しむ人が少なくあって欲しいリューにとっては望ましいこと。

 

だがギルドと親密であの一件に関与していたというのであれば話は大きく変わってくる。

 

【ヘスティア・ファミリア】のメンバーないしはベルがリューの生存を密告し、この陰謀を企てたとも考えられるからである。

 

 

まさかベルが?

 

 

リューの頭にはそんな推測が思い浮かぶ。

 

ベルは少なくともリュ-を助けに来なかった。

 

リューを見捨てた。

 

ならば最初からリューを愛してなどおらず、邪魔だったが故にリューを嵌めたのでは?

 

それでギルドの信頼を勝ち取り、一石二鳥…

 

そんなシナリオもリューには考えられた。

 

その一方でベルはそんなひどい仕打ちをしたりはしない。

 

ベルはリューを愛していた。

 

そう囁く自分も心の中にはいる。

 

憶測がリューの頭で飛び交うも答えは当然でない。

 

そもそもリューの考えるべきことはそこにはない。

 

そう冷静に何とか判断できたリューはぴしゃりとその思考を打ち切った。

 

リューが今考慮すべきは【ヘスティア・ファミリア】でもベルでもない。

 

考慮すべきはギルドが悪事を働いているか否か。

 

その悪事を正すために動くことが間違えかどうかを見極めること。

 

副ギルド長のエイナとの対談で抱いた怒りとダイダロス通りで苦しむ人々への憂慮は自らの恨みや関心などよりも重きをなさなければならない事項である。

 

そう今のリューは考えを引き戻すことができた。

 

変わると決めた以上リューはその必要な考慮を乱されるようなことを自制することを少しずつ覚えていたのである。

 

リューは自身を放置して会話を進める二人に待ったをかけることにした。

 

「シル。アンナさん。今ファミリアの勢力状況などには興味はありません。それより私の質問に答えていただけませんか?」

 

「…興味ない?」

 

「えっ…あっはい。すみません。ご質問とは何だったでしょうか?」

 

リューが突然二人の会話を遮ると、シルは怪訝な表情を浮かべる一方アンナは申し訳なさそうにする。

 

アンナはともかくシルはリューも少なからず【ヘスティア・ファミリア】のことが興味があるだろうと踏んで会話を進めていたつもりだった。

 

だがリューは上の空などころか興味ないと言ってのけた。

 

何かリューに感情の変化があった。

 

それを感じ取ることはできたが、シルでもその詳細まで読み取ることはできず、それ以上の追及は控えリューに会話の主導権を譲り静かにすることにした。

 

「私がお尋ねしたかったのは、ダイダロス通りの現状。私の目からはあそこに住む人々が貧困に苦しみ、誰からの支援も受けられていないように見えました。ギルドや【ガネーシャ・ファミリア】はどのような対策を執っているのか。かの人々は何に苦しんでいるのか。私はそれを明確に知りたいです。」

 

「…ダイダロス通り…ですか?」

 

アンナはリューの問いに不思議そうな表情を浮かべるが、ハッと何かに気付いたようだった。

 

「あっまさかダイダロス通りに何かギルドの不正の証拠が隠されているのですか?それでダイダロス通りにご興味が?確かにダイダロス通りはギルドは完全に見捨てているように見えるのは、そこに何かを隠したがっているのかも…」

 

「いえ…そうではなく単にダイダロス通りの現状が知りたいのです。」

 

「えっと…私達のような者はダイダロス通りに入ればまず帰ってこれないような迷路に治安なのでほとんど立ち入らずその現状はあまり知らなくて…ただ少なくとも言えるのは、ただでさえ五年前以来ギルドは冒険者への優遇を強化して、私達のような冒険者ではない人への待遇が悪くなったと思えるほどです。お陰で冒険者の暴力沙汰などが増えたように感じます。それはそれなりに【ガネーシャ・ファミリア】が抑えてくれているのですが…ダイダロス通りだと私の知る街以上に酷いかもしれません。」

 

「うーん…どうやら問題は興味のあるダイダロス通りだけではないみたいだけどどうする?」

 

リューはアンナの説明を頭で整理しながらシルの問いへの答えを導こうとする。

 

一度歩いたダイダロス通りの惨状は見ていられないものがあった。

 

それに気づいてしまった以上リューはそこに住む人々を助けないという選択肢はない。

 

だがリューには何をすべきか、それが分からない。

 

アンナもダイダロス通りの現状をよく知らないと言うし、まずダイダロス通りだけでなく冒険者以外の人々に少なからぬ我慢が強いられていると聞こえる。

 

あの【ガネーシャ・ファミリア】が治安の乱れを見過ごすとは考えにくいが、リューは冤罪で連行されているし、ギルドとの親密さでは随一なのは変わっていないだろう。

 

ならばギルドに便宜を図っている可能性は高い。見過ごされる事件も存在するのだろう。

 

そんな見過ごされた事件の解決に関わったのが【アストレア・ファミリア】だった。

 

だがその【アストレア・ファミリア】はもうない。

 

つまりは誰もそんな見過ごされた事件を解決する者はいなくなった。

 

故にその生き残りと目されたリューが義賊として神聖化されるにまでなったのだろうと自分で結論を出す。

 

その神聖化は裏を返せば、それだけ冒険者以外の人々も不満を覚えているということ。

 

それは困っている人々はダイダロス通りにだけいるわけではないということになる。

 

そうなると再びリューがすべきことは多様化し、何をすべきかは不鮮明になる。

 

考えることが増えれば、間違えも増えるだろう。

 

そう判断したリューは答えを導き出した。

 

「…決めました。様々なことに手を出しても手に負えなくなる可能性が高いです。だから私はダイダロス通りの問題のみを注視することにしたいです。まずはそこに蔓延る問題を解決する。その中にもしギルドの悪事や怠慢があるならば…為すべきことは一つです。よろしいでしょうか?」

 

「分かったよ。リューがそうしたいと思うなら私は精一杯助けるよ。もちろん危険はできるだけ避けて、だけどね。」

 

「もちろんです!ダイダロス通りに特別思い入れはありませんが、【疾風】様のように私も誰かを助けるために生きたいです。だから私も全力で支えさせていただきます!当然ギルドの悪事を暴くのも辞さず、です!」

 

リューの問いにシルは釘を刺しつつ、アンナは舞い上がりつつその問いを承諾してくれた。それにリューは安心と満足を込めた笑みを浮かべて頷く。

 

「ありがとうございます。では明日ダイダロス通りに赴き、今一度その現状を確かめ為すべきこと探ることとしましょう。」

 

リューはそう結論を出して締めくくる。リューは最初に見つけてしまった困っている人々をやはり見過ごすことはできなかったのである。そこにはリューが自らの道を突き進もうとする意志が垣間見える。

 

ただ少しずつ自らの道を自分で決められるようになりつつあるリューであったが、そんなリューの成長を妨げるものがあることをリューは未だ明確に認識できていなかったのである。




リューさんが義賊と見なされている!という設定は以前の展開から血迷ったとかではないです。原作的に民衆の認識が改まった描写がそのまま残っていただけで、あの広場にいたのはリヴィラにいたり同業者だった冒険者ばかりでリューさんのことを褒め称えた民衆はあまり関与していなかったということで。まぁ民衆は往々にして手のひら返しをするので現在進行形で手のひら返ししてるのをアンナさんが代弁しているだけかもですが…


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第四幕 新たな道
為すべきことを見出した先で


アンナとの出会いから翌日。

 

リューとシルとアンナはダイダロス通りに溶け込めるような貧相な服に着替える。

 

その目的は密かにダイダロス通りへと向かい、その現状の把握を図るためであった。

 

シルが以前ダイダロス通りの隠れ家に滞在していた。それもありシルが地理をある程度掴んでおり三人はそれなりに迷わず見回ることができた。

 

女三人であったがために見回る中何度かトラブルにも遭遇した。

 

とは言え今は恩恵が無いと言えどかつては恩恵無しで盗賊などを故郷で撃退していたリューの腕はそれなりに鈍っていなかった。そのため何組かのチンピラをいとも簡単に地に沈めてしまった。

 

それが小さな噂になることを三人はまだ知らない。

 

そうしてリューの望むがままダイダロス通りを見回ったり住民に話を聞いたりと言った調査行は日が沈むのを以って切り上げることになった。

 

三人は調査行を終えて一度屋敷に戻って服装を整えると、シルとリューの要望で市場の方に来ていた。

 

「ふぅ…結構疲れたね。こんなに歩き回ることになるとは思わなかったよ。ねーあなた?」

 

「…気になることがあるとつい…すみません。」

 

「まーあなたが生き生きとしているからいいんだけどね。」

 

「そう…ですか?」

 

シルはリューの顔を見て、ちょっとした愚痴を呟きながらもリューの生き生きとした表情に嬉しさを感じていた。

 

シルの思うようにダイダロス通りを歩くリューは自らの為すべきことを自らで考え、見出そうとしていた。

 

そうやって誰かを助けようと必死に行動するリューの事が大好きなシルはそんなリューを見れたのは何よりも嬉しかった。

 

同時に今のリューは何か決意をしたような瞳をしていると見て取ったシルはこれからリューが何をしようとするのかかなり楽しみでもあった。もちろん危険なことをしそうで心配ではあったが。

 

一方シルとリューを挟むように立つアンナはうきうきとした様子で語る。

 

「それにしてもリュ…はっ伯爵がチンピラをコテンパンにやっつける手際には見惚れてしまいました!以前もあんな感じに悪者をばったばったと倒していたんですね!」

 

調査行中に【疾風】様からリュー様に呼び方を変えたアンナ。

 

彼女はリューが現在変装している身で出歩いているのだということも忘れるほどリューの活躍にかなり興奮していたよう。どうやらリューの義賊的活躍というイメージが抜けきっていないらしかった。そのアンナのべた褒めにリューは困り顔で諭す。

 

「…本当は何事もなく終わらせたかったのですが…まぁ仕方ありません。あの程度の者なら今でも相手にできると分かって一応役には立ちましたが。」

 

「一応の自衛はできて何よりだったね。あとやりすぎることもできなくなって。」

 

「え?どういうことですか?」

 

「まぁ…その通りです。」

 

シルの指摘にアンナは首を傾げる一方リューは苦笑いする。

 

かつてリューはいつもやりすぎて建物を吹き飛ばしたり周囲に被害を与えたりと色々と問題を引き起こしてきた。

 

だが恩恵を失ったことでやりすぎても骨を数本砕く程度のやりすぎに収まるようになったのは、周囲に被害を与えるのを望んで行っているわけではないリューとしては少々有難くもあることだった。

 

とは言っても第一級冒険者などを相手に自衛する能力を失っているのは非常に問題があるとも言えるのは当然だが。

 

そこら辺のやりすぎるリューの欠点のことを知らないアンナは首を傾げたまま苦笑いするリューを見つめた。

 

もしかしたらなかなかにポンコツなリューの本性をアンナはこれからも知らない方がいいのかもしれない。

 

もちろん隠し通せるかは定かではないが。

 

「それでお二人にお聞きしたいのですが、なぜ市場に来ることにしたんですか?というか今どこに向かって歩いているんですか?そういえばその理由をお聞きしてなかった気がします。」

 

何やら自分の知らない次元に話が進んだことに気付いたアンナは新たな話題を提起する。それにシルが先に答えた。

 

「あーリューがきっと行きたいっていうだろうって思ったから私もついてくる名目に言っただけ。何をするかはリューに聞いてみないと。私もリューが何のために市場に来たのか聞いてみたいなー」

 

シルもアンナに便乗してリューに尋ねる。リューは二人の視線の注目を集めながらアンナのほうを向いて言った。

 

「まずお聞きしたいのですが、ギルドは私達にどれだけの額を提供すると言っていますか?」

 

「えっと…屋敷の倉庫に保管してありますが、とにかく見たこともない凄い額です。元々お二人をカジノなどに誘って娯楽に入り浸らせて故郷を奪還する気をなくさせよう…というのがギルドの魂胆なのでとにかく相当な額だと思います。」

 

「カジノで使わせれば、回りまわってオラリオに還元されて、冒険者を支援に出させずに済む…流石ギルド手口が汚いね。まぁ思い通りにはなっていないようだけど。」

 

「相当な額…ですか。それなら大丈夫でしょうか。」

 

「何がです?」

 

シルとリューはそれぞれの感想を述べる。

 

シルはギルドの謀略の汚さを軽蔑すると同時に結局はアンナという想定外の要素のお陰で二人はギルドの思い通りには動いていないことに少しだけ気分を良くした。

 

一方のリューはそんなことには興味ないらしくアンナの問いに答えた。

 

「ダイダロス通りを歩く中為すべきことが少なからず見つかりました。まずオラリオの他の地区の住民の出入りの少なさ…その住民による差別意識…入り組みすぎた交通路…治安の悪さ…食糧事情の悪さ…数多くの問題がありますが…ってお二人とも何です?その表情は?」

 

リューは真面目に粛々と考えを述べていたはずが、アンナとシルの表情はポカーンと唖然としていた。

 

そんな想定外の表情にリューは思わず説明を止めていた。

 

説明が止まったことでリューが怪訝な表情をしていることに気付いた二人は各々自分の感想を語り始めた。

 

「…さすがです。あなた様はただお強く正義の名のもとに弱きを助けてくださるだけでなくそこまで皆さんのためにお考えに…感服いたします!」

 

「だからアンナさん…何度も言いますが、褒めすぎだと…」

 

アンナはすっかりリューに魅了されてしまって、リューの姿を尊敬の眼差しで見つめる。

 

ただ一方のシルは言うまでもなくというかアンナとは違う理由で唖然としていた。

 

「…力技じゃない解決法を考えようとしてる…まさかそんなことが…」

 

「…何を驚いているのですか?まるでいつも私は力で何事もねじ伏せてきたような言い方…私だって一応交渉を試みたことくらい…」

 

「その試みは大体失敗したんじゃなかったっけ?リュー?」

 

「…っ!」

 

「…あのーどうなさいました?」

 

小声で語り合いシルに論破されたリューはアンナの質問をの助け舟としてシルにからかいから逃れることにした。

 

「とにかく、です。あまりに問題が多く仮に資金と労力があるとしてもすぐさますべての問題は解決できない…ならば差し迫った問題から取り組むべきではありませんか?」

 

「確かに言う通りだね。」

 

「おっしゃる通りです。それでその問題とは何でしょうか?」

 

シルとアンナは先程までの衝撃等をひとまず脇においてリューの言葉の続きを求める。それにリューは即座に答えた。

 

「それは食糧事情の改善です。そこの改善が進めば、治安の問題も少しは緩和されるはず。まず早急にできるのはそこからでしょう。」

 

「まずは胃袋から…確かに色々考えてもそこからがいいかも。それにお金を使うのくらいギルドもできる。もしギルドに勝手なことをしたとして咎められても止める名分はない。それどころかギルドは自分の怠慢を自ら暴露することになるだけ…名案だね。」

 

「別にそういうつもりはないのですが…」

 

「なるほど!だから市場に!となれば、あの資金で食材を買い揃えればいいんですね!それで炊き出しをして食事が無くて困っている方々をお助けすると!分かりました!すぐにでも食材を扱っている店の方に交渉して準備を整えましょう!」

 

策略的思考で判断するシルにリューは否定の言葉を告げようとするが、隣でアンナはリューの意図を理解してリューがしようとしていることを把握して早速行動を開始しようとする。

 

だがそれをリューは慌てて止める。

 

「お待ちを!…その食材を扱っている店ではなく屋台を営んでいる方に交渉すべきだと思うのですが…」

 

「え?お二人は酒場にお勤めになっていたのならば、わざわざ屋台の方にお頼みしなくても食材調達だけで十分ではないですか?そう余分に資金を使う余裕もないでしょうし…」

 

アンナは見事に地雷を踏みぬいた。

 

「…」

 

「私は別に料理でき…」

 

「ダメです。それだけはしてはならない。私は…彼らに辛い思いをさせたいわけではないので。」

 

「えっ?えっ?」

 

シルが何かを言いかけたところリューはいつになく悲壮な表情で強くシルを引き留めた。

 

その二人の掛け合いにアンナは理解が追い付かない。

 

確かにアンナの認識通りリューもシルも『豊穣の女主人』で勤めていて、そこは確かに酒場だった。

 

だがアンナは知らなかった。

 

 

リューは料理をすればなぜか必ず黒炭を量産し、シルは独特過ぎて憤死しかねない料理を作り上げることを。

 

 

シル的には料理にはそれなりの自信があるようだったが。

 

要は二人とも料理ができないとリューは判断したがゆえに屋台の人間を雇うことを提案したのであった。

 

二人の無言になってしばらく。

 

「あっ…はい。屋台の方に交渉しましょうか。」

 

アンナはようやく事情を察し慌てて訂正したのだった。

 

 

 

 

 

 

「炊き出しの手伝い…?それもまたなんで伯爵様が…」

 

「お金はこの通り払わせて頂きます。前金もお出ししましょう。どうかご協力いただけないでしょうか?」

 

リューはそう頼むが、相手の屋台の店主の顔は浮かない。

 

これで三軒目だった。

 

だが交渉の経過は芳しくない。

 

前金を払うと言って金の入った袋を示してもこのありさまである。

 

これはダイダロス通りで炊き出しを行うと言ったのが原因なのは明確には指摘されないとはいえ明らかと言えた。

 

それだけダイダロス通りへの差別意識が浸透しているのかギルドへの恐れが勝っているのか。

 

そこまではリューにも分からなかった。

 

「…それだけのお金を食材費含めて渡してくれるなら、お手伝いしたいのはやまやまなんだけど…事情もよく分からないし…」

 

「先ほど申し上げた通り私はただかのダイダロス通りに住む方々をお助けしたいだけ。他意は何一つありません。」

 

「そう言われても…申し訳ありませんねぇ。」

 

「そう…ですか。」

 

三度目の断りにさすがのリューも少々気が滅入る。

 

ただ今回の交渉相手の店主の女性が申し訳なさそうに答えてくれただけマシだと思うことはできたが。

 

ともかく失敗は失敗。

 

気を落としながらもそばで待つアンナとシルのもとに戻ろうとすると屋台の奥から幼い声が響いた。

 

「ねーおばちゃん!そろそろ店終いの準備を始めてもいいかい?…って。」

 

幼い声の主は店主に話しかけようと奥から出てきたかと思うと、リューと目が合った瞬間動きをピタリと止めた。

 

「そうだねぇ。そろそろ店終いでいいと思うけど…ヘスティアちゃん?」

 

その主の動きが止まったことに気付いた店主は不思議そうな表情でその名を呼ぶ。

 

 

その主の名はヘスティア。

 

 

【ヘスティア・ファミリア】の主神。

 

即ちベルのファミリアの主神に当たる神。

 

そしてリュー達を嵌めるのに関与した可能性のあるファミリアの主神。

ヘスティアがリューを何も言わず凝視し続ける中リューも硬直してしまう。

 

目の前にいるのは、いくら男装をしていると言えど少なからず交流のあった神。

 

リューの正体に気付かない可能性の方が低い。

 

何せ相手はこれまでと違って神なのだから。

 

リューにヘスティアがどのような対応をしてくるかという警戒で緊張が強まる。

 

そんな中ヘスティアは視線を動かさないまま口を開いた。

 

「おばちゃん。この…エルフ君はなぜうちの屋台にいるんだい?何か話し込んでいたようだけど…」

 

「あぁこちらの男性はフェルナスの伯爵様で何でもダイダロス通りで炊き出しをしたいからお金を払うから手伝ってほしいということなんだけど…」

 

「ダイダロス通り…ねぇ。それでおばちゃんは引き受けたのかい?」

 

「それは…申し訳ないと…」

 

店主とヘスティアはリューをよそに話を進める。

 

それはリューには丸聞こえなわけだが、そんな時ヘスティアは思いもよらぬことを言った。

 

 

「別にいいじゃないか。おばちゃん。エルフ君を助けてあげようじゃないか!」

 

 

ヘスティアは胸を大きく張ってリューへの協力を店主に申し出たのである。

 

その想定外の言葉にリューは目を丸くする。

 

「え?え?でもギルドが…」

 

「ふふん。その点に関しては僕が責任を持つよ!僕を誰だと思ってるんだい!」

 

「…何年たってもヘスティアちゃんはヘスティアちゃんな気がするけどね…」

 

「あ!おばちゃん。僕のすごさをまだ分かってないなぁ!」

 

戸惑う店主にヘスティアは笑顔でその心配を打ち消す。

 

「まぁいつ炊き出しをするのか知らないけど、僕も手伝うから一緒にエルフ君を助けようじゃないか!悪いことどころかいいことをしようってのに何を戸惑うっていうんだい?」

 

「確かに…ヘスティアちゃんの言う通りね。伯爵様。ご依頼受けさせていただきます。先ほどは申し訳ありませんでした。」

 

「あっ…こちらこそお考え直していただきありがとうございます。」

 

店主のヘスティアの言葉による前言撤回にリューは戸惑いながらも深々と頭を下げて礼を伝える。

 

「それじゃあおばちゃん。今からは僕が話を進めるから、お店を閉める準備をしてくれるかい?」

 

「え…じゃあヘスティアちゃんにお願いしようかしら。」

 

ヘスティアはなぜか店主を遠ざけるとリューとの距離を縮めてリューと向き合った。

 

「まず自己紹介からいこうか。僕はヘスティア。一応ファミリアの主神をしてるんだ。それで君は?伯爵様だと言ってたけど…」

 

「…アリュード・マクシミリアンと申します。先ほどは店主を説得していただきありがとうございます。」

 

「いいんだ。僕は一応天界では慈愛の女神をやっていたからね。困っている子を助けるのは当然だよ。ダイダロス通りには知り合いもそれなりにいるしね。それで?炊き出しはいつやるんだい?」

 

「明日にでも。一日たりとも猶予はないと考えています。」

 

自己紹介を何気なく進めていくヘスティアにリューはまた正体に気付いていないのかもしれないという疑惑を覚える。

 

ただ神にそんなことがあるとも思えず警戒は解けなかった。

 

それはともかくリューの回答にヘスティアは呆れ顔を浮かべる。

 

「…これまたすごい急ぐねぇ…また何というか…これじゃあ今から他の屋台に声をかけてもあんまり集まってくれないかもなぁ…」

 

「他の屋台に声をかける…?」

 

「せっかく炊き出しをするんだぜ?エルフ君が伯爵で本気でしようとしているならそれなりに資金はあるんだろ?ならどーんとたくさんの人を助けないとね!」

 

ヘスティアの度重なる善意にリューはその意図を全く読めず何を言えば分からない。するとヘスティアはにっこりと笑みを浮かべて言う。

 

「エルフ君の真意は神の僕にもよく分からない。だけど僕は君の善意を信じて助けることにした。ただそれだけ分かっていてくれればいいよ。」

 

「…神ヘスティア?それは一体どういう意味で…」

 

「じゃあ他の屋台に話を通さないといけないからこれくらいにしておこう!お金は後払いで準備は進めておくからダイダロス通りの入り口前に来ておくんだ。僕が責任を持って準備を整えようじゃないか。あ、即金が欲しい子もいるかもだからお金も持ってきてくれると助かるね!」

 

「ちょっ…お待ちを…!」

 

ヘスティアの真意を確かめようとリューは試みようとしたもののヘスティアは素早く話を進めてしまい、理由を立てて屋台の奥に立ち去ってしまう。

 

結局突然姿を現したヘスティアに翻弄され、主導権を握られたまま話を進められてしまったリュー。

 

この後仇かもしれないヘスティアの意のままにされたことにシルはリューの失態に怒りを示す。

 

だがその直後に交渉をした店主から数店舗による協力の申し出があったという知らせが届き、翌日の炊き出しを実行せざるを得なくなってしまったのだった。




今作初登場のヘスティア様!
リュー達に近づいたのは諜報のためか単なる善意か…
誰も彼も化かしあい始めてそうで書いてる自分が一番よく分からなくなってくるというww
誰が嘘をついていて誰が信頼できるのか…あくまでリューさん視点で分かる範囲しか示さないのでそこら辺はよく分からなくしてあります(なってしまったとも言う)
ともかくそろそろベル君に近づいてきましたね…


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善意の行為の至る先(1)

「やー!エルフ君!今日は頑張っていこうじゃないか!」

 

ヘスティアとの偶然の出会いから一日。

 

結局リュー、シル、アンナはヘスティアに半分流れで決定された時間にきちんと必要なものと共にダイダロス通りの入り口を訪れていた。

 

「おはようございます。みな…」

 

リューはそう言いかけたところで思わず目を見張ってしまい言葉を詰まらせてしまった。

 

確かにヘスティアは前日手配は一任してくれるようリューに頼んでいたため、リューは資金の準備と炊き出しの場所に関して以外はヘスティアに任せていた。

 

だがここまでとは想定していなかった。

 

ヘスティアの後ろには穀物や野菜を積んだ荷車を引く者が十名近く。

 

前日話した屋台の店主を含めて調理人らしき者も五六名。

 

さらに調理器具や仮設テントを携えた雑用係に呼ばれたらしき者も何名かいる。

 

総勢二十名を越えるメンバーが集められていることにリューも驚きを隠せなかったのである。

 

「どうだ!エルフ君!僕の力を見たか!伊達にジャガ丸君をずっと屋台で揚げてきたわけじゃないんだよ!今回はなんと製薬系の【ミアハ・ファミリア】とジャガ丸君作りの戦友のタケの【タケミカヅチ・ファミリア】のみんなにまで来てもらったぜ!」

 

「そなたがマクシミリアン伯爵か?異国の伯爵とお聞きしたが、困窮する人々を助けるために力を尽くしてくれると聞いて、オラリオに住む我々も助力しないわけにはいかないと思ってな。今日はよろしく頼むぞ。」

 

「おぉ!ヘスティアから聞いていたが、中々に美形な丈夫だな!と言うのはいいとして今日はよろしく頼む。お前の困っている人々を助けたいという志には感服した。俺達ができることはなんでも言ってくれ。是非とも助太刀させてもらいたい。」

 

ヘスティアの紹介にそばにいたミアハとタケミカヅチの二人の主神はリューを見て、笑顔でそう告げる。

 

どちらの神も以前より神格者と有名でこの炊き出しに参加したがる理由をリューには納得できた。

 

だがヘスティアが屋台の関係者だけでなく他のファミリアにまで呼び寄せてしまうというのはさすがに想定外だった。

 

ただ一見する限り【ヘスティア・ファミリア】の団員もベルの姿もないようで二つのファミリアの団員達にもリューの顔見知りはいない。

 

そのことに複雑な感情をリューが抱いたが、リューはそれを顔に出さないように心掛けた。

 

「ふふん。エルフ君、そんな顔して?まさかギャラが払いきれないのかもって心配になってきたのかい?」

 

するとヘスティアはリューの驚く表情を見てか意地悪そうな笑みを浮かべてそう尋ねてくる。

 

それに対してアンナがポツリと呟く。

 

「いや…これだけの人数の人件費に食費…流石に払えない気が…」

 

リューが横目にアンナの表情を見ると少々青ざめている様子。

 

一方のリューはアンナほど悲観的ではなかった。

 

ヘスティアは自分達のこの問題に向き合う覚悟を問うている。

 

そう勝手に判断したリューはアンナの言葉を聞き流して笑みを浮かべると言ってのけた。

 

「まさか。仮に払えないとしてもあらゆる手段を用いてでも払って見せましょう。この命を投げうってでも人々を助ける一助を為したいと考えていますから。」

 

リューの言葉に後ろからは小さな溜息やら苦笑いする声が聞こえてきたが、リューはそれに気づかなかったことにする。そしてヘスティアをじっと見つめ続けた。

 

しばらくは何も言わずにリューを見返していたヘスティア。ヘスティアは謎の間を置くと、ニヤリと笑ってまた胸を張って言った。

 

「僕はしっかりその言葉聞き届けたからな!エルフ君がその覚悟なら僕も全力で頑張ろうじゃないか!今日は僕のジャガ丸君作りの腕を存分に発揮してやるぞ!」

 

「いや…ヘスティア?ジャガ丸君は腹持ちは良くでも栄養バランスは微妙だから今回の炊き出しのメニューには入ってないぞ?」

 

「…え?」

 

「そうだぞ。代わりに皆で作るのは私とナァーザが屋台の者達と考えた健康に良い野菜や薬草をふんだんに使った雑炊だ。そなた覚えておらぬのか?」

 

「え…いっいやぁ…僕の役目は皆を説得することで…」

 

自信満々に宣言したヘスティアだったが、タケミカヅチとミアハに突っ込みを入れられた挙句早々にしどろもどろになる。

 

その様子をリュー達はポカーンと眺める羽目になった。

 

「…相変わらず間抜けと言うか何というかだよね。ヘスティア様って…」

 

「…ええ。そうですね。ただ…」

 

シルが小声で呟くのにリューはポツリと答える。

 

シルがヘスティアの適当さに呆れる一方リューはヘスティア達の様子を見ながら別のものを感じていた。

 

ヘスティアの間抜けさの発揮によってヘスティア達は三人を置いて笑いの渦に包まれていた。

 

その様子はリューに居心地の良く笑みの絶えなかった今は亡きリューの居場所を嫌にでも思い出させた。

 

ただリューの気分は言うほど不快ではなかった。

 

それが仮に自身を嵌めた疑惑のあるヘスティアが巻き起こしたものだったとしても、である。それどころか心地よさまで感じていた。

 

リュー自身なぜそんな心地よさまで感じているのか理解ができない。

 

ここ数年の間絶望や恐怖、後悔に苛まれ続け、生まれ変わろうと心掛ける今尚周囲への警戒を解くことができない。

 

なのになぜ自身の気が和らいでいるのか。

 

なぜリューまでつい微笑んでしまいそうになるのか。

 

リューには自身の心境を理解することができない。

 

リューがそんな違和感を抱く中、予定通りリュー発案の炊き出しはその準備へと動き始めた。

 

 

 

 

 

 

集合してから早々ダイダロス通りの中央部にあった広場を炊き出しの場に選定し、そこに移動したリュー達一行。

 

その広場には事前に今日の炊き出しの旨を記した標識を立ててあったため、周囲には少なからぬ住民が集まっており、その視線に見守られながらの設営開始となった。

 

恩恵を持ち力仕事を楽々とこなしていく【タケミカヅチ・ファミリア】の面々のお陰で設営を難なくこなす。

 

すると今度は調理人達の出番。

 

ミアハとナァーザの指導の下雑炊の調理が開始され、そう時を置かずに香しい香りが辺り一帯に漂い始める。それに釣られたのかは分からないが、だんだんと見物人も増えていく。

 

そしてシルとアンナもそれを手伝う中リューだけが取り残されていた。

 

力仕事では伯爵と言う高貴な身分な方に力仕事はさせられないと断られ、料理は元々できない上にリューにポンコツを発揮されてはたまらないとシルに追い返されてしまっていたがためである。ちなみにシルは食器の準備のみで調理には一切携わっていないことをここに付記しておく。

 

こうして調理でも力仕事でも戦力になれなかったリューは少々不満げにその様子を眺めていた。

 

そこにヘスティアがひょこひょこっと近寄ってきた。

 

「どうしたんだい?エルフ君?もうそろそろ料理の準備が整いそうだけど、何かご不満かい?」

 

首を傾げてそう尋ねるヘスティアにリューは慌てて笑みを作って答える。

 

「いっ…いえ。とんでもない。全て神ヘスティアのご尽力のお陰でです。何も不満はありません。…ただ…」

 

「ただ?」

 

リューはヘスティアへの感謝のみを告げるつもりが、つい口を滑らしてしまう。

 

そのリューが漏らしてしまった呟きにすかさず問い返してきたヘスティア。それに対してリューは答えたくなかったが、無視もできず少々羞恥心を覚えながらも答えた。

 

「…発起人にも関わらず料理でも力仕事でもお役に立てず立場がない…と思いまして。」

 

リューは本心からそう呟く。

 

それにヘスティアは一瞬だけ驚いた様子を見せたが、次の瞬間には顔をほころばせて笑い出していた。

 

「ぷぷっ…何だい。そんなことかい!」

 

ヘスティアに笑われたことに当然の如く不快感を抱いたリューはすぐさまヘスティアを睨みつつ言う。

 

「そんなことではありません。困っている人々を助けると決意し、行動に移した以上何時如何なる時も自分自身で行動を起こすのは当然のことで今こうして他人任せにしているのは看過し難く…」

 

リューはつらつらとヘスティアの態度に反論を述べていく。

 

するとその途中で笑うのを止めたヘスティアはリューの言葉を途中で遮った。

 

「まぁそう堅く考えない方がいいんじゃないかな?エルフ君?君の言い分はよく分かるよ。君は何時だって自分が先頭に立って物事を為し、自分が苦労することを厭わないんだろう。だから今自分が何もしていないのが役に立ってないように思えて許せない。ただ自分が行動しないから、何の役にも立ってないという考え方は少々違うと思うぜ?」

 

「…そうでしょうか?今と言う時を無駄にしないためにも今私にできることをすべきではないでしょうか?」

 

「んー言いたいことは分かるぜ?でもいつだって息抜きは必要だ。君みたいなにずーっと張りつめてばかりじゃ精神的にもたないぜ?心配しなくても料理を配り始めるときは発起人のお披露目も兼ねてたくさん働いてもらうことになるから今くらい休んでもいいんじゃないかな?」

 

「それなら…分かりました。もう何も言いません。すみません。」

 

ヘスティアの言い分に納得させられたリューは些かの不満を残しながらも大人しく何もしないことにする。

 

ただその不満に気付いたヘスティアは笑み浮かべると言葉を付け加えた。

 

「そもそも、だよ?エルフ君?この炊き出しは君の発案で始まったんだ。君の決意なかったら僕達はここで炊き出しをしようだなんて考えもしなかっただろうね。君がいたからこその今回の炊き出しだ。それだけで君は彼らを助ける役割を十二分に果たしているんじゃないかな?」

 

「確かに…そうですが…」

 

「エルフ君。見てごらん。」

 

ヘスティアがそう言うと共にリューから視線を外す。

 

それにつられてリューもその視線の先を見てみる。

 

そこにいたのは炊き出しの準備を行っているのを様々な表情で眺めているダイダロス通りの住民達であった。

 

「あの子達を見ると…服はボロボロでブカブカ…きっと食事とかも碌に食べれてないんだろう…それも老若男女問わず、だ。もしかしたらこの一回の炊き出しが。この雑炊一食が。彼らを救うきっかけになるのかもしれない。君の決断はここにいる数えきれない子達を助けることに繋がるかもしれないんだ。それでも君は役立たずだって言えるかい?」

 

「…たった一度の炊き出しで全ての問題は解決できません。まだまだ力不足です。」

 

「まっ…君の言う通りではあるね。うーん…僕があーだこーだ言っても君は意志をきっと変えないんだろうね。そんな意志の強さが今回の炊き出しに繋がったんだろうって僕は推察するね。ただその意志が何なのかは僕には正直分からない。君がどうして炊き出しをしよう、ダイダロス通りの子達を助けようと思い立ったのかは全然分からない。ほんと不思議だよ。君は。」

 

「…はい?今の言葉、一体どういう意味で…」

 

唐突に意味深なことを言い始めたヘスティア。

 

そんなヘスティアに怪訝な目を向け、その言葉の真意をリューは問いただそうとする。

 

だがタイミング悪く調理場の方からシルが歩いてきてしまう。

 

「お二人ともー!そろそろ準備できまーす!」

 

「だってさ。エルフ君。お待ちかねの出番だぜ?」

 

「…ええ。行きましょう。」

 

結局リューはヘスティアの言葉の真意を問いただせないまま準備をしていた人々の元に戻ることになった。

 

こうしてようやく炊き出しは始まりを迎える。

 

この後この炊き出しにまでも一波乱も二波乱も起きるのに誰も気づいていなかった。



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善意の行為の至る先(2)

ようやく準備の整った炊き出しは受け渡し用に設けた場に大鍋が並べられた途端無秩序に開始されることになった。

 

周囲で見守っていた人々が我先に群がってきたからである。

 

お陰で発起人の自己紹介やこの炊き出しの意図やらをリューが話す機会まで吹き飛ばされ、それどころかきちんと雑炊を分配できるかまで危機に瀕するかに見えた。

 

だが【タケミカヅチ・ファミリア】の団員達の働きもあって、次第に秩序を取り戻して整列した形での配給が何とかできるようになった。

 

そしてその配給をする側の列の中に今度こそリューはいた。

 

 

「どうぞ。野菜たっぷりの雑炊です。」

 

「ありがとうございます!このご恩をどうお返しすればよいか…!」

 

「お気になさらず。私達は成すべきことを成しているだけですから。それよりも美味しくいただいてくださいね。」

 

「はい…!」

 

 

「本当にありがとうございます!あなた様のお陰で母子飢えずに済みます!」

 

「…ええ。しっかり食べてくださいね。まだたくさんありますから。」

 

「ほら。あんたもちゃんとお礼言わないと!」

 

「…うん。ありがとう。お兄さん。」

 

「…はい。どういたしまして。僕もいっぱい食べてくださいね。」

 

「うん!」

 

 

リューは受け渡すとき一人一人に声を掛けながら器に雑炊を盛り、手渡していった。

 

その声掛けはリューなりの誠意。

 

その誠意が住民との会話を生み、小さな会話の花を幾度も咲かせていた。

 

その会話にリューも微笑みを絶えず浮かべることができた。

 

一方の受け取る住民達もリューの纏う燕尾服を見て、説明がなくとも高貴な身分でこの炊き出しの発起人であることを察し、時折感謝の言葉を揃って伝えてくれていた。

 

その気づきにはリューの意図せざることだが、リューのみが準備に加わっていなかったことも影響していたりする。

 

ともかく長い時間をかけてリュー達は手分けして一人一人に配った。

 

そうして一刻以上が経て、雑炊が尽きるのが先か行列が尽きるのが先かの心配が生まれる中、幸運にも行列の方が先に途絶えた。

 

リュー達はようやく一息つくことができるようになったのである。

 

「ふぅ…」

 

「お疲れ様です。伯爵様。」

 

静かにリューが息をついた時そばに寄ってきたのはアンナであった。

 

アンナは手招きして、近くの椅子へとリューを呼び寄せ、揃って腰を下ろした。

 

「最初はどうなるかと思いましたけど、みんな並んで受け取りに来てくれてよかったですね。お陰で言うほど問題も起きずに済みました。」

 

「全くです。【タケミカヅチ・ファミリア】の方々の尽力のお陰でしょう。」

 

「その通りかもですね。いやー何事もなく終えれて本当に良かったです!」

 

アンナはそう顔を綻ばせながら言う。

 

だがリューの表情は疲れからか未だ浮かない。

 

それに気づいたアンナは不思議に思って尋ねた。

 

「あの…どうかいたしましたか?浮かない表情をなさって…お疲れならほかの方にお伝えして、屋敷に戻れるように手配しますが…」

 

「いえ…そういうわけではありません。ただ…」

 

「ただ?」

 

「…この炊き出しだけで全ての問題が解決されるわけではない…そう考えると、つい気が重くなってしまって。」

 

リューが炊き出しの成功を見ても表情に憂いが残っていたのは、先程もヘスティアと話していたことであった。

 

リューにとってもこのダイダロス通りに山積みにされた問題にとってもこの炊き出しはほんの少しの意味しかなかったのだ。

 

ただアンナとしては、そんな風にリューがいつまでも浮かない顔をするのは見てられないことだった。

 

「確かにあなた様の仰る通りですが…でもあちらをご覧ください。」

 

アンナがそう言って視線を向けた先にリューも視線を向ける。

 

そこには炊き出しでリュー達からもらった雑炊をおいしそうに頬張る老若男女を問わない数えきれない人々がいた。

 

「みんな美味しそうに食べてますよね…みんな笑顔を浮かべています。彼らの姿を見ると、私は炊き出しの一助ができてよかったと心から思うのです。全てあなた様との出会いのお陰です。」

 

「…私のお陰などではありません。今回協力してくださった全ての方々のお陰です。ただ…私もアンナさんの感じたことには同感です。…僅かながらでも彼らを助けることができてよかったと…心の底からそう思います。」

 

「なら今だけは今回の成功を素直に喜んで、これからの憂いは一瞬だけでも忘れてもいいんじゃないかなって私は思います。」

 

「…確かにアンナさんの言う通りです。今くらいは…彼らを笑顔にできたことを喜びましょうか。」

 

リューはそう言って穏やかな表情を浮かべた。

 

アンナもまた自身の言葉がリューに届いたことを嬉しく思って、笑みを浮かべる。

 

その打ち解けた流れでアンナは少し調子づいて一つ思ったことを口にした。

 

「そういえば先程の炊き出しの時の様子を見ていて思ったんですけど…子供には特別親切になさってませんでしたか?」

 

「え?そうだった…でしょうか?」

 

アンナの質問にリューは首を傾げる。そんなリューにアンナは一つ余計なことを呟いてしまった。

 

 

「あなた様もお子さんが欲しかったのかなーって思ったり。やっぱり子供って可愛いですもんね!私もいつか結婚して子供欲しいなー」

 

 

それはリューの前では言っていいことではあまりなかった。

 

もうアンナの言葉は途中からリューの元には届いていなかった。

 

アンナのリューは子供が欲しかったのか、と言ったのがまずかった。

 

それが必然的に夫になり父となるはずだったベルのことをリューに思い起こさせてしまったのである。

 

 

リューは自身を疑う。

 

今回の炊き出しは本来ギルドの無行動に憤り、ダイダロス通りの人々の窮状を少しでも改善するために行ったはず。

 

だが自身は子供ばかり優遇していた?

 

少なくともアンナの目にはそう見えた。

 

なら意味合いは変わってこないか?

 

リューは確かにベルとの子供が欲しい。

 

そう願ったことがある。

 

とは言っても最近は意識したことなんて当然なかった。

 

だがリューはベルのことを未だ忘れられていない。

 

もしかしたらベルトの子供を未だに欲しいと心のどこかで思っているかもしれない。

 

となると自身が子供を持てなかった辛さを今回の炊き出しで子供達と触れ合い笑顔にすることで埋め合わせようとでも思っていたのか。

 

それはあってはならないこと。

 

それは困っている人々を助けるという自身の正義には全く合致せず、自分の欲を満たすためだけに行ったことになってしまう。

 

そんなこと許せない。

 

自分は正義のためにこの炊き出しを行ったのであってベルとの間にできたかもしれない子供を想ってでも自身の傷を埋め合わせるためでもない。

 

そうでなくてはならない。

 

だから…

 

 

 

「伯爵様!伯爵様!」

 

その時雁字搦めの思考に没入しかけたリューを焦りに満ちた呼び声が引き戻した。

 

どうやらリューは思考に没入するうちに眠りに落ちていたらしい。

 

ハッと我に返ったリューは辺りを見回すと、リューが自分の思考に没入する前の穏やかな雰囲気はなかった。

 

代わって何やら張りつめた空気が漂っていたのである。

 

その異様な空気にも動揺しないよう心掛けながらリューは自身を呼んだ者に問うた。

 

その者はよく見てみれば、【タケミカヅチ・ファミリア】の団員と紹介された者であった。

 

「…何事ですか?」

 

「休息中申し訳ありません。先程警戒しないといけない情報が届いたのでそれについて今タケミカヅチ様達が離れた場所で話し合っています。ご夫人は伯爵様にはお伝えしなくともよいと仰ったのですが、タケミカヅチ様が念のためお呼びすべきだと…」

 

「…警戒すべき情報とは一体何です?」

 

リューはシルが情報を伏せようとするような『警戒すべき情報』とやらをすかさずその者に問う。

 

その者は少々の不安さを醸し出しながらこのタイミングでリューが一番聞きたくなかった情報を口にした。

 

 

「…ギルドがここで炊き出しを行っているのを知り、阻止ないしは差し止めのために動こうとしているとか…」

 

 

その者の言葉を聞き終わらぬうちにリューは立ち上がっていた。

 

今すぐにでもその対応を考えなければならないと思ったからである。

 

そしてギルドのあってはならない行動に対しては当然としてそんな重大事への対応に自分をあえて呼ばないというシルの対応に憤りを覚えずにはいられなかったからでもある。

 

「案内してください。今すぐ。どこで話し合っているのですか?」

 

「はっ…はい!今すぐ案内いたします!こっこちらへ!」

 

リューの求めにびくりと体を震わせながらその者はリューにタケミカヅチ達が話しているという場所に案内した。

 

ビクビクしていたのはリューが怒りの形相を浮かべていたからだったが、生憎リューは自身が憤りが顔に出ていることに気付いていない。

 

そうしてリューは炊き出しに来ていた住民達には会話が聞かれなさそうな建物の陰に案内された。

 

そこにはヘスティア、タケミカヅチ、ミアハと言った神たちの他にシルも混ざっていた。

 

「あなた…どうして起きて…」

 

シルは現れたリューの姿を困惑を隠せない様子で見る。そんなシルにタケミカヅチが呟いた。

 

「ご夫人は伯爵を呼ばなくともよいと言ったが、今回の炊き出しの発起人は伯爵だ。故に対応策の決定権は伯爵にある。呼ばないわけにはいかないと俺は思った。ご夫人には申し訳ないと思っている。」

 

「はい…言い分は分かります…もう夫に任せます…」

 

シルはそう言うとタケミカヅチの言葉に大人しく引き下がるだけでなく話し合いの場からも距離を作った。

 

リューはシルの意図を図りかねると同時にシルの行動の理由を問いただしたかった。

 

だがこの時は冷静に状況の把握と対応策を出す方が優先と考えることができた。

 

「それでお三方。状況をお教え願いますか?」

 

「タケの眷族から少し聞いてるだろうけど、ギルドがここでしてる炊き出しを知って、ここに人を派遣して何かしらの対応を取ろうとしているらしい。その派遣されてる者達はダイダロス通りに入っていて、じきに到着すると思う。その者達はきっと炊き出しを止めさせたいんだろうね。何せこの炊き出しは無許可でやってる上に他国の伯爵様がそんな慈善事業をしておいてギルドが何もしないじゃ体裁が保てないからね。」

 

「伯爵に聞きたいのは、ギルドの職員がここに向かっている今どう俺達が動くか、だ。炊き出しはもう終わってるから無理して残る理由もない。だからすぐにでもここを引き払うのも手だ。残っていてもギルドに糾弾されたりと、面倒なことしか起こらないからな。だが逆にギルドにこの窮状を伝える絶好の機会でもある。」

 

「そなたはどうしたい?伯爵よ?面倒から目を背けることもできる。ただそうすれば、そなたの決意は一度限りでギルドに妨げられることになろう。ギルドに一度目を付けられれば、容易には行動できまい。とは言ってもここに残りギルドの者と対面し、窮状を伝えるなりすれば今後ギルドとの対立は避けられんだろう。ギルドは冒険者の救済には関心があってもここの困窮する者達の救済には些か興味がないと見えるからな。」

 

「要はギルドと穏便に済ますためにここからすぐにでも立ち去るか、問題解決のためにギルドと正面からぶつかるか、だ。」

 

「…少なくとも君の対応がどう出るかをダイダロス通りの子達は見守ってる。何せみんなギルドの職員がここに向かってるのを知っている上に食事もほとんどの子が終わっている以上面倒に巻き込まれたくなければ、すぐに立ち去ってもいい。なのに立ち去った子は少なく、この広場に残っている子があんなにもいる。それは間違えなく君がどう出るかに興味があるからだ。君の対応に何かしらの感情を抱いているからだ。そこを踏まえてよく考えて欲しい。」

 

三人の神は矢継ぎ早に状況を説明していく。そしてリューの決断を求めた。

 

リューはヘスティアが言葉を終えると小さく息を吐いて、その話に出ていたダイダロス通りの人々がいる広場の方に目を向ける。

 

確かにヘスティアの言うようにそこに残る者の数はリューが眠りに落ちる前と大きく変動はないように見える。当然食事を続ける者も少ない。

 

となれば、彼らはヘスティアの言う通りなのだろう。

 

リューの言葉を待っている。

 

リューに期待を抱いている。

 

リューに救いを求めている。

 

 

炊き出しという行いで彼らに救いの手を差し伸べようとしたリューに。

 

 

そのリューの思いが気まぐれの善意でギルドの妨害ごときで屈しないことを願っているのだ。

 

リューの答えは言うまでもなく最初から決まっている。そしてもしも彼らがリューの決断に期待を寄せているかもしれないなら尚更だ。

 

 

「考えるまでもありません。ギルドにこの窮状を訴え、改善を検討させるために対決すべきです。」

 

 

リューははっきりと決意を込めてそう告げた。

 

するとまずタケミカヅチが苦笑いした。

 

「まっ…そう言うと思ったからご夫人は伯爵を呼ぶなって言ったんだけどな。」

 

その言葉にリューはシルの意図を自ずと読み取ってしまい、思わずシルの方を振り返る。するとシルは大きくため息を吐いてから、ニコリと笑みを浮かべた。

 

「まぁ…あなたならそう言うと分かってたよ。そう決断したなら仕方ないね。これはあなたの道だもの。」

 

「…そうです。これは私の道ですから。私以外の誰も妨げることはできません。」

 

リューはシルの思いに従わなかったことを謝らなかった。

 

それはシル自身がリューに自身の道を歩んでほしいと思ってくれていると考えたからである。

 

リューはいつでもシルの言う通りにするなんて言うことはもうない。

 

「さてエルフ君が決断したならあとはギルドの子達を待つだけ!広場に戻ろうじゃないか!君の決断をあそこにいる子達に聞かせるためにも、ね?」

 

「ええ。必ずやギルドにこの思いを納得させて見せます。これはまだ始まりに過ぎないのですから。」

 

こうして先を急ぎすぎている感がありながらも、早速リューは悪と自身が見なしつつあるギルドとの対決に一歩踏み出したのであった。



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こうして問題の火蓋は切られる

リューの決断からあまり時は要しなかった。

 

リューが炊き出しを行った広場に戻った直後、正面の広場に繋がる通路に溜まっていた人々が恐れを抱いてか波を打つように道を開けた。

 

その生まれた道を通ってギルド職員の一団が姿を現したのである。

 

その周囲には【ガネーシャ・ファミリア】の団員を護衛としてか引き連れており、警戒が露骨に示されていた。

 

そしてその一団の先頭に立っていたのは副ギルド長エイナ・チュールであった。

 

そのエイナをリューは炊き出しの設営の前で待つ。

 

エイナ達が広場に生まれたリューへと至る道を歩いてくるのに掛ったのは僅かばかりであった。

 

広場にはダイダロス通りの住民を始めギルド職員、【ガネーシャ・ファミリア】、さらに炊き出しにかかわった人々まで詰めかけているのに妙な静けさに包まれた。

 

そしてそこにいる視線は全て向き合うエイナとリューに向かっていた。

 

まるでこれより始まるであろう舌戦に今後の未来が関わっていると誰もが感じているかのように。

 

静寂の中向き合った二人。

 

先に口を開いたのはエイナの方だった。

 

「お久しぶり…と言うほど時は経っていませんね。アリュード伯爵?」

 

「その通りです。エイナ副ギルド長。ダイダロス通りに一体どのような用件でいらしたのでしょうか?」

 

エイナは露骨に嫌悪感を顔に出したままリューに声を掛ける。

 

一方のリューは冷静さを保つどころか笑みまで浮かべてそれに応えた。

 

ただそのリューの冷静さはエイナの気分をさらに害したらしく表情をより険しくした。

 

「そのようなこと言うに及ばないでしょう。なぜ今ここで炊き出しなどと言うことを行っているかです。是非釈明をお願いしたいものです。」

 

「釈明?まるで私達が悪事を働いていて、あなた方の誤解を解かなければならないかのような言い分ですね。私達がいつどこで悪事を働いたというのでしょう?」

 

「…アリュード伯爵はどうやらご自身の立場というものをご理解いただけていないようですね。あなたの今のお立場オラリオへの亡命者。かつての故国での立場とお同じではないのですよ?オラリオにおいて炊き出しなどという慈善行為を行う権限などありません。ましてギルドの許可なくしては当然です。」

 

「困っている人々を助ける…これに立場など必要でしょうか?ただそれを成す意志と力…それのみがあれば事足りるでしょう。」

 

「それは詭弁です。あなたがオラリオの冒険者に支援を求める立場である以上こちらの事情に配慮するのは当然の事でしょう。これは内政干渉です。我々ギルドはあなた方の行動に断固抗議いたします。早急にお立ち去りください。そして今後ギルドの許可のない勝手な行動は慎んでください。それがあなた方が故国を奪還するための唯一の方法です。…これ以上の身勝手な行動があれば、ギルドにも考えがあります。」

 

エイナの文句は明らかな脅迫。

 

ギルドの認めない行為をこれ以上続ければ、当然故国奪還のための冒険者を貸すことはないし、場合によってはオラリオからの放逐も検討に入っているのであろう。

 

そんな脅迫を受けてもリューはまだ笑みを崩さなかった。

 

「…それは脅迫でしょうか?」

 

「…ええ。あなた方のお立場を考えれば。」

 

「…それでその脅迫は以上ですか?」

 

「…はい?」

 

だがリューの仮面のような笑みも二つの問いが終わるまでであった。

 

 

「吠えるな。」

 

 

リューの冷徹さを帯びた声がその場に響き渡る。

 

その一喝は目の前にいたエイナを凍りつかせた。

 

言うまでもないが、リューもかつては恐れられた冒険者の一人。

 

気迫だけなら第一級冒険者にも負けないものを発揮できるのである。

 

そしてリューはエイナの態度にかなり頭に来ていた。

 

「脅迫?だから何です?私は彼らの窮状を知り、助けなければならないと強く感じました。それが故国奪還で再び戦争を起こし、さらなる人々の血を流すよりも重要なことだと思ったからです。その判断に誤りはないと確信しています。そして内政干渉?それはあなた方がこのダイダロス通りの窮状を見て見ぬふりをしているが故でしょう。あなた方の失政がなければ、私はこのようなことはしなかった。違いますか?」

 

「…依然申し上げた通りギルドは…」

 

「冒険者しか関心がない。ええ。聞きました。その視野の狭さをよく理解しました。故に私は行動を起こしたのです。私がギルドの怠慢に代わって資金を必要な所に配分するために。」

 

「必要な所…まさか…!」

 

「お察しの通りです。ギルドから生活費か娯楽費か知りませんが、莫大に配給された資金をこの炊き出しに使わせて頂きました。私のような一介の伯爵にあれだけの額を支給された理由が心底理解できませんでしたが、これこそ正しい資金の運用用法と言えるでしょう。確かに外交費は必要かと思いますが、流石に本来なら浪費かと思いますよ?私でなければ、きっとカジノなどで浪費していたことでしょうから。」

 

「っ…!」

 

エイナは顔を真っ赤にしてリューから視線を外してその後方を睨みつける。

 

リューは気づかなかったが、そこにいたのはギルドに間者として送り込まれたはずのアンナであった。

 

エイナはアンナに恥をかかされた恨みをその睨みに込めてぶつけたのだ。

 

とは言ってもエイナの睨みをアンナは余裕綽々で受け流したが。

 

「さらにご覧のように今回の炊き出しには、単にお雇した方々だけでなく【ヘスティア・ファミリア】や【タケミカヅチ・ファミリア】、【ミアハ・ファミリア】の方々にもご協力いただきました。これはオラリオ内にもギルドの方針に違和感を持っている方が数多くいる証。これでも冒険者のみ優先の考えが変えられませんか?本当に困っていて救わなければならない人々をあなた方は無視するのですか?」

 

「くっ…」

 

リューの挙げたファミリアの名にエイナは絶句したまま辺りを見回す。

 

確かにリューの挙げたファミリアの主神も団員の一部もいるのでその面々を目にしてさらに怒り心頭している様子だった。

 

そんなエイナにリューはさらに畳みかける。

 

「あなたに問いましょう。これでも私の行いは間違っていますか?私は今後行動を制限され、私の決意を心の奥底にしまわなければならないのですか?この炊き出しは間違いだと言えるのですか?」

 

「…」

 

リューは質問を重ねる。エイナの糾弾が間違っているのではないかと問い詰める。

 

リューの鋭い視線がエイナを射すくめる。

 

さらに周囲の視線もエイナに集まった。それも厳しい視線が。

 

言うまでもなくここにいる人々の大半はダイダロス通りの住民。

 

ギルドの人間は平然と自分達を半分見捨てていると宣えば、怒りを覚えないわけがない。

 

四方八方から集まる厳しい視線。

 

元よりリューへの警戒とダイダロス通りへの無関心のみで動いていたエイナに大義名分はない。

 

リューを脅迫して行動を控えさせる以外に対処法は持ち合わせていなかったのである。

 

こうして舌戦の行きつく先は決まった。

 

「…お話し理解いたしました。後日今後のことは話し合わせていただきましょう。今日の所はこれ以上追及しないこととします。」

 

「そうですか。それは何よりです。」

 

「…ではお騒がせいたしました。失礼いたします。」

 

エイナは素直に糾弾の手を引き、引き連れてきた者達に合図を出すとそのまま引き返そうとしていった。

 

これは明確にリューの論が正しいと認めたも同然。

 

エイナの逃げるかのような姿はこれまで見捨てられたかのように困窮に苦しめられてきたダイダロス通りの人々の歓喜を巻き起こすものであった。

 

そのため二人の舌戦が終わりを告げた直後盛大な歓声がその場に巻き起こった。

 

言うまでもなくリューの行為を称えるための歓声である。

 

その歓声はエイナの怒りをさらに招くものであった。

 

だがその時ある者がその歓声を手で制した。

 

その者はリューであった。

 

リューは大きく深呼吸すると声を上げた。

 

「ここに集うダイダロス通りの皆さん!ギルドや【ガネーシャ・ファミリア】の皆さん!そして私の我儘に協力してくださった皆さん!私はアリュード・マクシミリアン!l今ここに改めて私の決意をお話ししたい!」

 

リューの大音声に周囲の人々が歓声を止めるだけでなくこの場を立ち去ろうとしていたエイナ達まで足を止めた。

 

リューが物申そうとすることに否応が無しに関心を抱いたからである。

 

リューは自身に視線が集まるのを肌に感じながら続ける。

 

「この度は私の我儘によって始まったこの炊き出しにご協力いただき、そして私の布告を信じこの広場に来て私達の思いを受け取ってくださった方々に心からの感謝を表したいと思います!私は故国フェルナスを他国に奪われた無能な指導者です!国が滅ぶのを見ていることしかできなかった!民が苦しむ姿を見ていることしかできなかった!故にかつてはわが祖国を奪った国に復讐をしてやりたい!そう思いもしました!」

 

リューは先刻述べそびれたこの炊き出しの趣旨と感謝。

 

だがリューの述べようとしているのはそれだけではなかった。

 

「ですが冷静になってからふと思ったのです!私の正義とは何か?私の為すべきこととは何か?それを自身に問うた時気づいたのです!私の正義は復讐に非ず!苦しみにあえぐ人々を助けることにあると!」

 

それはリューがこの数日間を経て導いた答え。

 

復讐でも平穏な暮らしでもない全く異なる未来の選択である。

 

「故に私はあなた方ダイダロス通りに住む皆さんを見過ごせなかった!目の前で苦しんでいる方々を助けられずして、どうして私の正義が果たされたことになりましょうか!だから今ここに誓いましょう!私は復讐ではなくあなた方を困窮から解放するためにこれより命を懸けて邁進していくと!」

 

リューは遂に明確に見出したのである。

 

 

リューの為すべきことを。

 

 

リューの頼もしい宣言に歓声が再び舞い上がる。

 

それを一時成すがままにしたリューは手で制止を合図する。

 

その身振りにすぐに観衆が反応する辺り如何にダイダロス通りの住民がリューに歓喜しているかが分かるかもしれない。

 

リューは歓声が収まったのを見て取ると、再び言葉を紡ぎ始める。

 

「ただあえて言いましょう。私の決意。私の覚悟。それのみでは、事態の改善には繋がりません!確かにこの度の炊き出しには、市場の屋台の方々を始め【ヘスティア・ファミリア】や【タケミカヅチ・ファミリア】、【ミアハ・ファミリア】の方々のご協力を頂きました!この場を借りて改めて協力への感謝をお伝えしたい!ですがこの協力関係は一度限りのものにすべきではありません!なぜならこの炊き出しは始まりに過ぎないからです!」

 

再び口を開いたリューは協力してくれた人々への感謝と共にこれからの未来を語り始める。

 

「解決に必要なこと、解決すべきことは数えきれないほどあります!故にここに集う皆さんにも協力をお求めしたいのです!それと同時に私は皆さんに陰の協力者の存在をお伝えしたい!それはギルドの方々です!」

 

リューの言葉に一気にざわめきが広がる。

 

エイナ達も思わず振り返ってリューを凝視した。

 

だが構わずリューは続ける。

 

「この炊き出しのために用いられた資金は全て私への生活費としてギルドから提供されたもの!確かにギルドはこれまであなた方に一切手を差し伸べてこなかった!そして私に提供された資金も炊き出しのために提供されたわけでは当然ありません!ギルドは先程迄の私への糾弾を考えれば、その態度の改善は寸分たりとも考えていないでしょう!」

 

ここぞとばかりに告げられたのはギルドへの糾弾。

 

それに便乗するように観衆からも怒号が飛び始める。

 

その状況にエイナ達の表情は険しくなるばかり。

 

だがリューが言いたかったのはそれだけではない。

 

「その態度を改善しないと言うのであれば、これからも何度でも糾弾しましょう!私は私自身の正義の達成のため、声を上げ続けるでしょう!私は決して彼らの失政と過ちを見逃しはしない!ですが確実に言えるのは共にオラリオに住む身なら手を携えることは絶対にできるということです!」

 

その時騒めきはすーと消えていった。そしてエイナ達の表情も僅かに蠢いた。

 

「先ほど言った通りこれは始まりに過ぎません。そこにおいてギルドのみが例外になることなどあり得ない!確かにギルドの立場も理解できないことはないのです!ですが過ちは過ちと言えましょう。困窮する方々を無視するなどあってはならないことだからです!ですが過ちを繰り返してきたギルドと言えど、過ちを正すことは当然できます!故にここに提案します!これからはギルドもこの困窮を脱するために共に協力しないか、と!」

 

それは先程までの糾弾とは打って変わった協力の申し出。それと同時にギルドの立場を擁護するような発言まで織り交ぜてあるのだ。

 

エイナ達は驚きを隠せない様子でリューを見つめる。

 

その視線を感じながらリューはこの演説を締めくくる。

 

「これより素晴らしい未来を切り開くことがどうして不可能と言えましょうか?ただ可能と言うにはここに集う全ての人々が協力することが不可欠!故に私と共に第一歩を踏み出しましょう!より良き未来を手にするために!」

 

その締めくくりに先程以上の大歓声が沸き上がった。

 

それはリューの言葉が人々から共感と理解を得られたからこそのものであった。

 

その事実をリューは深く噛み締めつつ自身の思いが届いた喜びを身に染みて味わう。

 

一方の協力を求められたエイナ達はと言うと、複雑そうな表情を浮かべていたが、一人エイナはリューに深々と頭を下げると、そのままその場から立ち去った。

 

リューにはそれがエイナに少なからぬ理解を得られたが故だと読み取った。

 

歓声が響き渡る中リューの第一歩は華麗な形で踏み出されたのであった。

 

 

 

 

 

 

「いやー流石エルフ君!実に名演説だったよ!それに反応するあの子達の歓声…鳥肌が立ちそうだったね!」

 

「…神ヘスティア…それは褒めすぎというものです。」

 

リューの演説からしばらく。

 

リューの演説による観衆の興奮がリューを散々もみくちゃにした上で収まった後、ようやくリュー達は炊き出しの設営の片づけに移ることができた。

 

そして早朝と同じくリューとヘスティアは出番なしと言わんばかりに放り出されて、近くで雑談に耽ることになっていた。

 

「私を称えるのはそれくらいにして…神ヘスティア。今日はご協力感謝してもしきれません。本当にありがとうございました。」

 

ヘスティアに褒められ続けて居心地が悪くなっていたリューは話を変えると共にヘスティアに礼を伝える。それにヘスティアは笑みを浮かべて答える。

 

「いやいや、まだ僕は大したことをしていないさ。君の言う通りこれがあくまでも始まり、だからね。これからもよろしく頼むよ?エルフ君?」

 

「ええ。もちろんです。これからもどうぞよろしくお願いします。」

 

ヘスティアの笑みに応え、リューも笑みを浮かべる。するとヘスティアはなぜか辺りを伺い始める。

 

「…どうかなさいましたか?神ヘスティア?何か気になることでも?」

 

「ん?あっ…いや。そろそろ日も暮れるから僕の迎えを頼んでおいたんだけど…まだかなーって思ってね。」

 

「迎え…ですか?」

 

ヘスティアの答えにリューは少々の疑問を浮かべる。

 

来るときは【タケミカヅチ・ファミリア】や【ミアハ・ファミリア】の面々と来たのに、帰りにはなぜ迎えを呼んだのか、という疑問である。

 

そしてもしヘスティアが迎えを呼ぶながらば、【ヘスティア・ファミリア】の団員。

 

リューはその時妙な胸騒ぎがした。

 

「おっ…来た来た!おーい!こっちだぜー!」

 

ヘスティアが通路の先に向かって呼びかける。

 

その声に応えた主の方にリューも視線を向けた瞬間。

 

リューの時間は止まってしまったような感慨を覚えた。

 

 

「はーい!神様ー!今迎えに来ましたよー!」

 

 

その声の主は他でもないベル・クラネルの声だったのだから。




問題を持ち込むのがエイナさんだと思ったそこのあなた。
違います。
今作の一大問題児はベル君です!
こうしてようやく決意を果たしたリューさんを散々にベル君がかき乱していきます…
物語第二の転機ってやつです


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第五幕 青年のいない道
その想いに再び火が灯る


「はーい!神様ー!今迎えに来ましたよー!」

 

 

そう声を上げた青年は少々の駆け足でリューとヘスティアのもとに向かってくる。

 

だが青年の足は二人の姿をはっきりと確認するにつれて、急激に遅くなっていった。

 

「やぁ!ベル君!ちょっと遅かったね?今日もダンジョン探索お疲れ様!」

 

そばに来たベルと呼ばれた青年にヘスティアは笑顔でそう告げる。

 

だが当のベルの方はヘスティアの呼びかけに応じることはなかった。

 

「えっ…あっ…いや…え?…あ…」

 

ベルはヘスティアの声など届かなかったかと思えるほど、動揺した様子でヘスティアと隣に立つリューを交互に見る。

 

その様子の違和感に気付いたらしいヘスティアはベルに伝えた。

 

「あぁ。ベル君は初対面だったね。こちらはフェルナスの伯爵アリュード・マクシミリアン君。今日僕が協力した炊き出しを最初に提唱した子さ!」

 

「え…アリュード・マクシミリアン…さん?」

 

「そうさ!せっかくだからこの機会にベル君もお話ししてみるといいよ!エルフ君?問題ないかい?」

 

「え…神様一体どういうつ…」

 

ベルはヘスティアの提案に動揺を隠せないままその意図を問おうとする。

 

だがヘスティアはベルの動揺もリューの了解が得られていないことも気にせず背を翻した。

 

「じゃあ僕はタケ達とちょっと話があるから、二人ともゆっくり話していてくれていいぜ!」

 

「ちょ…神様!」

 

ヘスティアはベルの呼び止めるのも聞かずササっとその場を立ち去ってしまう。

 

そうしてベルとリューはただ二人取り残された。

 

ベルは気まずさを残しながらもこの時ようやくきちんとリューの方を見る。

 

その表情は眼帯に一部を隠されているせいで分かりにくかったが、どこかに意識が飛んで行ってしまっているかのような表情だった。

 

だがベルは意を決して話しかけてみることにした。

 

「あの…アリュード・マクシミリアンさん…でよろしいんですね?」

 

そうベルが声を掛けた時リューはようやくショックで時間が止まったかのような感覚を覚えていた頭を再起動させた。

 

そして少々の時を必要としながらもなんとかその問いへの答えを模索した。

 

「え…あ、はい。わっ…私はアリュード・マクシミリアンと申します。初め…まして。」

 

リューはゆっくりと嘘を紡ぎ出した。

 

だがその動揺はとても隠せそうになかった。

 

一方のベルの方も動揺したままなのは唯一の救いだったかもしれない。

 

ベルはその動揺のせいでリューに多くを聞き出す余裕はないだろう。

 

だがその動揺こそがベルが『何か』に気付いているかもしれない証拠だということをリューは気づかないわけにはいかなかった。

 

ベルはリューの回答に落胆を交えた表情を浮かたものの、いきなりベルは大きく深呼吸をした。

 

そしてその深呼吸の後ベルの表情から動揺は消えていた。

 

「そう…ですか。神様から説明はあったかと思いますけど、僕はベル・クラネルと言います。神様のもとで【ヘスティア・ファミリア】の団長をさせてもらっている者です。」

 

ベルは淡々と自己紹介を述べていく。

 

それも動揺も落胆も消えた無表情で。

 

その表情の変化に理解が及ばないリューだったが、その紹介に自身も淡々と答えられるよう心掛けた。

 

「クラネルさん…ですか。」

 

クラネルさん。

 

その呼び方をするのはいつ以来だろうか?

 

リューはその呼び方をいつからしないようになったのだろうか?

 

もうそれをリューは思い出すことはできない。

 

なのにリューの心は何時になく苦しかった。

 

リューの心がずきりと痛む。

 

本来は自分がクラネルになっていたはずなのに、自分は他人の名として呼ぶことしかできない。

 

リューの胸が苦しくなる。

 

なぜ自分は自分を傷つけるだけの嘘を重ねているのだろうか、と。

 

だがそんな痛みには耐えなければならないと、自身の心にある覚悟と正義が強く求めてくる。

 

だからリューは表情が歪みそうになるのを抑えながら言葉を続ける。

 

「この度は…あなたの主神のヘスティア様には大変お世話になりました。あなたにも礼をお伝えしなければ、なりませんね。ありがとうございました。」

 

「いえ…僕は何もしていませんから…本当に何も…だから僕なんかにお礼なんて言わないでください。それより…今日行ったっていう炊き出しは成功したんですか?」

 

「…ええ。皆さんのご協力のお陰で滞りなく。」

 

「そうですか…それは何よりです。それで…それがアリュードさんのしたいことなんですか?」

 

「…え?」

 

「それがアリュードさんのしたいこと…なんですよね?」

 

ベルはリューの顔をじっと見ながら重ねて尋ねてくる。

 

リューにはその問いの意図を分からなかった。

 

目の前にいる青年は何が聞きたいのだろうか。

 

それがリューには分からない。

 

だからリューは本心をそのまま答えた。

 

 

「ええ…当然です。これが私の正義…これが私の為したいことですから。」

 

 

リューはそう言い切った。その答えにベルはなぜか一度瞬きをしてから、笑みを浮かべてみせた。

 

「そう…ですか。正義…ですか。とても響きのいいカッコいい言葉ですよね。僕なんかが到底及ばない素晴らしいものです。」

 

「べ…ル?」

 

ベルは寂しさを含んだかのような呟きをそっと漏らす。

 

その反応にリューは不覚にも思わずベルの名を呼んでしまう。

 

だがベルはそれにも気づかないかのように息を小さく吐くと、再び笑みを浮かべて言った。

 

その笑みから寂しさが拭いきれていなかったことをリューは見逃すことはできなかった。

 

「あなたの正義がみんなに届くことを願ってます。僕も陰で応援してますから。だから頑張ってください。アリュードさん。」

 

「あの…クラネル…さん?」

 

「アリュードさん。失礼ながら一つだけお願いを聞いていただけませんか?」

 

「何…でしょうか?」

 

 

「一度でいいのでその眼帯を外していただけませんか?」

 

 

 

 

 

 

「それでベルさんに頼まれて眼帯を外してしまった…と。正体がばれるかもしれないのを承知で?」

 

「…はい。」

 

それから数刻。

 

リュー達は屋敷に戻ってきていた。

 

そして話題に上ったのはその時のリューとベルの邂逅。

 

シルは何とも言えない表情でリューの話を聞いていたのだ。

 

「…それにしてもよかったです。」

 

「…何が?リュー?」

 

「シルは当然知っていると思いますが、私は眼帯を外すように頼まれた時のために手を打っておきました。それが…」

 

「オラリオに戻る直前リューがどうしてもって言ったから渋々私が認めた眼帯をする左目の眼球を短刀で抜き取ったことを言ってるんでしょ?」

 

「…ええ。そうです。」

 

それはほんの少し前の事。

 

リューはアリュード・マクシミリアンに成りすますと決め、眼帯をしなければならないことになった時正体の露見をできるだけ防ぐべくリューが言い出したこと。

 

要は本当に右目を喪失してしまえば、正体を疑う者はいないだろうという理論である。

 

確かにリューの考えた通りただ正体を偽るためだけに片目を抉るなど常人ならするはずがないことだった。

 

だがそれをリューはその時シルの反対も聞かず平然と遂行した。

 

それはただ単に本当に正体の露見を防ぐためでもあったが、それだけではない。

 

喪ってしまった大切な人々には及ばないまでもリューは自分自身に彼女たちが味わってしまったであろう痛みをその身に刻み込むためであった。

 

そしてその痛みを朝起きて眼帯をするたびに思い出し、覚悟を新たにするため。

 

そんな考えからリューは左目を抉り捨てた。

 

その時の決意と覚悟がリューの正体が露見するのを防いでくれた。

 

リューはそう言いたいのだ。

 

だがシルはそれだけではないことをすでに見抜いていた。

 

「でもリュー?リューは本当に良かったって思ってる?」

 

「…はい?」

 

シルの問いにリューはびくりと背を跳ね上げる。その動揺はあからさま過ぎた。

 

「リューは本当にベルさんに正体を気付かれなくてよかったのかって聞いてるの。眼帯を外したってことはベルさんにリューの事を気付いてほしかったんじゃないの?」

 

その問いにリューは言葉が出なかった。

 

なぜなら自分でもなぜ眼帯を外したかよく分かっていないからである。

 

ベルにリューの正体を知って欲しかったのだろうか?

 

それ自体自分自身の事なのにリューは分からない。

 

だが結局はどう思っていようと意味などない。

 

ベルはリューの正体に気付かなかったのである。

 

ベルはただリューの左目にできた深淵を覗き、一度目を閉じると小さな声で礼だけ言って目を背けた。

 

ベルはそれを見て何を思ったのだろうか?

 

それがリューには全く分からない。

 

少なくともベルはリューの正体に気付かなかった。

 

それ以上もそれ以下もない。

 

それに何を感じているのかリュー自身には分からない。

 

ただリューを帰り際から見続けているシルからすれば、リューがショックを受けているのはあからさまだった。

 

そう分かっているシルはリューに畳みかけるように詰問する。

 

「そもそも、だよ。リューはどうしてヘスティア様の提案を受け入れたの?確かにヘスティア様の提案はすっごく魅力的で炊き出しの実現に必要不可欠だった。でもヘスティア様を引き入れれば、ベルさんが関与しかねないのは分かりきってたよね?もしかしなくてもリュー?リューはベルさんに会いたくて炊き出しの実行に踏み切ったんじゃないの?」

 

「違い…ます。そんなこと…あり得ません…」

 

「それはそうだよね。あれだけ見栄を張ったんだから。でもこの大事な時にベルさんに正体を曝す危険を冒す理由が全く説明できないよね。本当のところはどうなの?やっぱりあの場で語ってた正義よりもベルさんの方が大切?前みたいにベルさんに全てを任せる方が楽だもんね。やっぱりベルさんのもとに戻りたいの?」

 

「…っ!」

 

シルの詰問は激しさを増す。

 

だがそれにリューは言い返すことができない。

 

だがその事実を認めるわけにもいかない。

 

「ねぇ…リュー?何か答えたら…ってリュー!?」

 

だからリューはその場から逃げ出した。

 

シルの責めを聞きたくないがために何も言い訳をすることもなく部屋を飛び出してしまった。

 

一人残されたシルは深々と溜息を吐くと座っていたソファーに深々と身を沈め、ポツリと呟く。

 

「…今度は間違えちゃダメなんだからね?リュー…」

 

 

 

 

 

 

分からなった。

 

私がベルとの再会に何を感じ、何を思い、何をしたいのかも。

 

今だって私の正義は変わらない。

 

困っている人々を助けることにある。

 

だから私の宣言した覚悟も言葉も一切嘘偽りではない。

 

私の為すべきことは今も変わらない。

 

なのになぜだろう?

 

なぜかベルとの再会以来ベルのことが頭から離れないのだ。

 

最後に会ったのは結婚式の日。

 

あの日から五年が経っていたが、ベルを見間違うことはなかった。

 

以前のような幼さを感じる表情は消え、青年らしい精悍さが感じられた。

 

私がいない間にベルもベルなりに時を過ごしたことだろう。

 

ほんの数分の邂逅だったはずなのに私はあの時のベルの一挙一動をつい思い返してしまうのだ。

 

そして私が私であることに気付いてくれなかったことに苦しさを感じずにはいられない。

 

シルの言う通り正体を知られるわけにはいかないのに、である。

 

ただでさえベルは副ギルド長エイナ・チュールと旧知の仲。

 

さらにそもそもベルが私達を嵌めた謀略に関わっていたのかさえ分からないのである。

 

シルの言う通り眼帯を外したのはあまりに危険な行為だったのだ。

 

私はベルと再会した瞬間頭がおかしくでもなってしまったのだろうか?

 

なぜベルのことがこんなにも気になってしまうのだろうか?

 

私には為すべきことがある。

 

だからベルのことは二の次としなければならないはずなのに。

 

それに私はもう数多くのものを背負っているのだ。

 

それはきっと過去のベルのそばにいた時以上のもの。

 

私の行動に期待してくれている人々がいる。

 

私のせいで命を喪ってしまった大切な人々がいる。

 

私を支えてくれようと協力してくれる人々がいる。

 

私には数えきれない思いが集っている。

 

だから私は強く心に言い聞かせた。

 

 

私一人楽になろうとしてはならない。

 

私は私自身の正義のために生きなければならない。

 

私には為すべきことがある。為さなければならないことがある。

 

だから白髪の青年のことなど忘れなければならない、と。

 

 

だが心の中の弱い私は大きく首を振って、抵抗する。

 

ベルに救いを求めるべきだ。

 

正義よりもベルにあの幸せだった一時のように愛された方がよほど報われるのだ。

 

もうあえて茨の道を進もうとするのはやめるべきだ、と。

 

どうやら私はまた振出しに戻ってしまったらしい。

 

私が再び決意を固めるにはもうしばらくの時が必要そうだった。



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その想いの道しるべ

ノック音がリューの耳に響く。その音が妙にリューにはぼんやりと聞こえた。

 

それもそのはずで昨夜シルの詰問から逃げて部屋に駆け戻って以来リューは一睡もせずに思考に没頭していたのだから。

 

それほどベルとの邂逅はリューに重大な影響を与えたということをリュー自身否応がなく認めざるを得なくなった。

 

そのお陰でリューは睡眠不足で反応を返すのにさえ気が進まなかった。

 

だが重くなった身体を一晩中座り込んでいたベッドから奮い起こして、ノック音のした先に向かった。

 

「…何でしょうか?」

 

リューがドアを開けて、僅かに顔を出すとそこにはアンナがいた。

 

「あっ…おはようございます。昨夜は夕食の際にも顔をお出しにならなくて心配していました。体調は大丈夫ですか?」

 

「ええ…大丈夫です。」

 

「…その疲れ果てた表情で仰られても信憑性がないのですが…」

 

アンナの心配げな問いにいつも通りを心掛けて答えたリューだったが、どうやら意味はなかったよう。

 

アンナの心配そうな表情を崩すことはなかった。

 

「えっと…お疲れのようですから…今日の所はお引き取り願った方がいいですかね?」

 

「…誰か来ているのですか?」

 

「はい。そばで一応お待ちいただいています。ですがお疲れなら今日はお引き取り頂いた方が…」

 

リューはアンナの言葉を最後まで聞くことなくドアをもう少し開き、アンナの後ろを見渡す。

 

するとリューの目にある人物の姿が飛び込んできた。

 

「…っ!あなたは…!」

 

 

「…お久しぶり…と言うべきかな?マクシミリアン伯爵…いや。リオン。」

 

 

リューが驚きと共に上げた声にその人物は表情を崩さずリューの真名を口にする。

 

そこにいたのは、かつてアリュード・マクシミリアンとしてカジノに潜入した際遭遇していた人物。

 

つまりはリューの変装を確実に見破ることができる人物。

 

リューのかつての戦友、【ガネーシャ・ファミリア】団長シャクティ・ヴァルマがそこにいたのである。

 

 

 

 

 

 

「…それで?私を連行しに来たのですか?」

 

リューが部屋に戻り、身なりを整えた上でシャクティを部屋に招いてからしばらく。

 

沈黙を先に破ったのはリューの方であった。

 

ただその問いはシャクティの溜息によってリューのある意味的外れな懸念と共にあっさり粉砕された。

 

「…連行するつもりなら、お前が身なりを整えるのを待つこともたった一人で乗り込んでくることもない。まして最初から捕えるつもりなら入国した直後にでも取り押さえている。我々もそんなに甘くないからな。」

 

「…っ!」

 

「アリュード・マクシミリアンとシレーネ・マクシミリアンと言う伯爵夫妻がオラリオに入国したことは先刻承知済みだ。団員から報告を受けているし、さらに副ギルド長エイナ・チュールからも素性を尋ねられている。」

 

「…ならもうギルドは私達の正体を把握済み…ということですか?」

 

「いいや。していない。お前達のことをギルドは未だにフェルナスの酔狂な伯爵夫妻としか認識していない。…まぁ本来のお前並みに警戒はされているのは事実かもしれないが。」

 

「…なぜ私達の正体をギルドに報告しないのです?私達は泳がされている…ということですか?シャクティ…あなたは何がしたいのです?」

 

リューはシャクティの説明に耳を疑った。

 

なぜなら【ガネーシャ・ファミリア】はリューの投獄にもミア達の殺害にも関与しているのはギルドとの親密さから分かりきっているからだ。リュー達を野放しにするというのは理解しがたい。

 

リューはその理解のし難さから尋ねたのだが、シャクティはなぜか訝しむような表情を浮かべた。

 

「…それは私の質問だ。リオン。…お前は何がしたいのだ?」

 

「…何のことです?」

 

質問に質問を返されたことに思わず聞き返すリュー。

 

それにシャクティは自身の持つ大きな疑問をリューにぶつけた。

 

「…私が来たのは他でもない。お前が何をしようとしているのか単刀直入に聞き出すためだ。…お前は昨日ダイダロス通りで炊き出しをした。…あれは何が狙いだ?単にギルドの政策への批判か?それともダイダロス通りの住民を糾合して、オラリオを転覆させようとでも企んでいるのか?」

 

「糾合…転覆?一体何のことです?私はただあのダイダロス通りで貧窮に喘ぐ人々を助けるべく炊き出しを行っただけですが…」

 

「…そんな言葉信じられると思うか?お前が受けた仕打ちを考えれば復讐に走っても…」

 

シャクティは苦虫を噛み潰したような表情でそう呟く。

 

だがリューはシャクティが何を言いたいのかさっぱりわからなかった。

 

確かにリューとしてはギルドのやり方には大きな不満を抱いているが、人々を助けるためにはギルドの協力が不可欠であることはあの広場での演説で述べた通り理解しているつもりだ。

 

そして炊き出しには困った人々を助けるという以上の目的を考えたこともなく、オラリオ転覆など何を言っているのか見当もつかないというのが正直な感想。

 

よってリューはシャクティとの間に事実認識の錯誤があると察した。

 

 

つまりシャクティはリューの投獄された真実を知っている。

 

 

そう考えたリューはシャクティと同じように単刀直入に尋ねた。

 

「シャクティ。正直あなたが何を言おうとしているのか分かりません。それは恐らく私があのような目に遭った本当の理由を知らないからでしょう。あなたはそれを知っているが故に私が復讐に走るのが必至だと考えている。教えてくださいませんか?一体誰がなぜ私達を嵌めたのか…私達は一体どのような罪を犯したというのでしょうか?私にはそれを知る権利があります。」

 

「…それをお前に話せると思うか?仮に本当に知らないとして、私が真実を話しお前がそれを知れば復讐に走らない可能性がどこにある?オラリオの治安を預かる者としてそんな浅はかな判断できるわけがない。過去に前科があるお前なら尚更だ。そして今のお前は今現在治安を乱す行為をしていないが故に見逃されていることを忘れるな。」

 

リューは真実を話すようシャクティに求める。

 

だがシャクティは表情を厳しくして拒絶する。

 

その言葉からリューは過去のリューの行動がシャクティが真実を話すことへの障害になっていることを察しながらも求め続けた。

 

「その恐れは理解せざるを得ません。私は【アストレア・ファミリア】の仲間達を失った時…見境のない復讐へ走りました。…ですが今の私はあの時とは違います。ご存じでしょう?私はアリュード・マクシミリアン伯。ダイダロス通りの方々の期待と希望を背負う者です。今の立場で浅はかなことなどできるはずもありません。」

 

「…過去のお前とは違う…そうとでも言いたいのか?」

 

リューの弁明にシャクティは疑いの目を向ける。リューはそれに頷いて応えつつ、説得を続けた。

 

「ええ。たかが五年で何が変われると言われましょうが、私はかつてのリュー・リオンから変わろうと心掛けています。それは私自身の正義のために戦っていることが何よりの証明だと信じます。私の思い、正義はただ一つ。困っている方々を助けること。そのためには復讐など邪魔でしかないと同時に私には知らなければならないことがあります。それはギルドと【ガネーシャ・ファミリア】が信用に足るか。少なくとも私の認識では冤罪で私を嵌めたあなた方が私の正義の手助けになり得るか判断しなければなりません。それが私が今真実を知ることを欲する唯一の理由。」

 

「…リオン。」

 

リューはシャクティに語るうちにこのようにさらさらと言葉を紡ぎだせていることに若干の驚きを覚えていた。

 

一晩中再び宿ってしまった想いに悩み続けたリュー。

 

だが今紡ぎ出すことができた言葉達こそがその想いよりも正義の方が大切だということを自身が強く思っていることの証明。

 

リューはもう迷うことはない。

 

昨夜悩み続けたことは決して無駄ではなかった。

 

それによって正義への思いがより強まっている。

 

そのことにリューは強く自信を持つことができた。

 

 

リューはリュー自身の正義のために生きる。

 

 

そうシャクティに語る中で決心がついたのである。

 

だからリューは最後の一押しをシャクティに告げる。

 

「シャクティ?私達はかつて同志でした。そして今も同志に成れることを固く信じています。あなたの思いは私と同じではないのですか?そうでなければ、治安維持と言う苦難の多い道をあなたが選ぶはずがありません。教えてください。シャクティ。私はあなた達と共により良き未来を得るための一助を為したい。そのためには共通の事実認識が不可欠。私がこれから同じ過ちを繰り返さないためにもどうか真実をお教えください。お願いします。」

 

リューはそう締めると、頭を下げてシャクティに懇願する。シャクティは一瞬唸ったが、大きな溜息を吐いて応えた。

 

「…分かった。そこまで言うなら話そう。どちらにせよ話そうと話すまいと私達の立場は変わらないからな。お前が治安を乱すなら躊躇なく処断するし、治安を守ることに貢献するならいかなる障害があろうと協力する。どうなるかはお前次第だ。」

 

「理解しています。そしてあなたに処断されずに済むような真実であることを切に願います。」

 

「そうか…では話そう。五年前の真実を。」

 

 

そこからシャクティは淡々と当時のことを話していった。

 

それにリューは時折質問を挟む以外はただ頷き、シャクティの話に耳を傾けるだけに留めた。

 

シャクティが話したのは、実際のところはリュー達の認識とそう違ってはいなかった。

 

だが認識していなかった事実も多い。

 

まずリューがリヴィラの冒険者たちを殺害したというのは紛れもない冤罪。

 

その冤罪を生み出したのが【厄災】ジャガーノートだというのも想定内。

 

そしてギルド長ロイマンが自身の罪の隠ぺいを狙っていたのも本人の口から聞いたとおりだった。

 

そして『豊穣の女主人』の面々が巻き込まれた理由にはリューも心外ではあったが、納得せざるを得なかった。

 

なぜならミアが匿っていた者の一部には紛れもない犯罪者がいたからだ。

 

リューは過去の功績で一応は黙認されていたからまだ良かったとシャクティは言う。

 

だがクロエとルノアのような紛れもない暗殺者を匿っているのはギルドだけでなく【ガネーシャ・ファミリア】としても許しがたいことだった。

 

特にクロエは一件の直前まで活動を密かに続けていたとも言い、それは流石にリューにも怒りを覚えさせた。

 

シャクティとしてはリューの冤罪の一助を為したのは、『豊穣の女主人』にいる危険分子を排除するためだったとはっきり言った。

 

そしてリューを嵌めたことは謝罪するが、危険分子を残すわけにはいかないという観点から『豊穣の女主人』の粛清には謝罪はできない、それどころか少なくない団員を殺されたことには未だに怒りを覚えている。

 

そうシャクティは言い切った。

 

それにリューは反論することなく頷いてその言い分を認めた。

 

ただその後が問題であった。

 

 

「それでお前を誰が嵌めたかだが…私も逮捕などでは中核にいたが、指揮関連では中核にいたわけではなかったから詳しくは知らない。だがあれはギルドの総意…つまり神ウラノスの意志で物事が進んでいたというより何か別の意志が働いていた。」

 

「別の意志…それは今副ギルド長になっているエイナ・チュールや【剣姫】の意志が働いていた…ということですか?」

 

「…お前はまさかそれに気付いていたのに副ギルド長と接触したのか?いや…待て。お前、【剣姫】とまで接触済みなのか?」

 

リューの問いにシャクティは呆れと驚きの入り混じった表情で反応し、それにリューは頷いて応えた。

 

「…本当に相変わらず無謀なことをする。お前も察しているのだろうが、副ギルド長が恐らくあの事の首謀者だ。そしてその当時ギルドへの出入りが異様に多かったのが【剣姫】と【ヘスティア・ファミリア】のリリルカ・アーデだった。副ギルド長はギルドの悪事の隠ぺいと言う意味で首謀した理由は分かる。…私達もギルドがなくなれば、オラリオが立ち行かなくなる以上それは黙認するしかないからな。」

 

「…シャクティのお立場は察します。それも是正しなくてはいけない点でしょう。ただ私はそれを力で成し遂げようとは思ってはいません。共に協力し、少しずつ変えていきましょう。」

 

シャクティの苦しそうな呟きにリューは妥協した優しい言葉を告げる。その過去のリューなら言いそうにもない言葉にシャクティは驚くが、すぐに笑みを浮かべてポツリと呟いた。

 

「…お前は本当に変わろうとしているのだな。…リオン。」

 

その呟くはリューの耳には届かず、リューはシャクティの突然の微笑みに首を傾げるばかり。

 

そんなリューの様子につい笑みをこぼしてしまいそうになりながらもシャクティは話の続きを述べた。

 

「それで…恐らくはこの五年間の力関係などからも察するに恐らくその三人が首謀者だ。だが…その動機と共通点が分からない。なぜ彼女たちはあそこ迄執拗にリオンを排除するのにこだわっていたのか…リオン?お前なら何か分かるのではないか?」

 

シャクティの問いにリューは考える。

 

エイナ・チュール。

 

アイズ・ヴァレンシュタイン。

 

リリルカ・アーデ。

 

彼女達の共通点は何だろうか?

 

その答えが出るのにあまり時間は必要ではなかった。

 

 

「【ヘスティア・ファミリア】…」

 

 

リューの呟きは的を得ていた。

 

だがシャクティは今一歩理解が及ばずリューに尋ねる。

 

「確かに【ヘスティア・ファミリア】に三人とも関与している。…となると神ヘスティアが全てを操っていたとでも言うのか?かの女神は神格者として有名でお前の炊き出しにも貢献した神だぞ?」

 

「…違います。神ヘスティアではありません。ベル…ベル・クラネルこそ彼女達の共通点です。」

 

リューはシャクティの問いに明確な理由も添えずにヘスティアが黒幕ではないことを告げる。

 

代わって告げたのは、三人の共通点。

 

 

ベル・クラネルとの親密さ。

 

 

シャクティはようやく気付いたかのようにハッと目を見開いた。

 

「ベル・クラネル…【ヘスティア・ファミリア】の団長の青年だったが…そういえばリオン。あの青年と…」

 

「…ええ。結婚しようとしていました。」

 

「それで結婚式当日に私の部下は『豊穣の女主人』に踏み込んだ…偶然…なわけないな。まさか彼女達はあの青年をリオンに奪われたくがないためにこのような企てを…」

 

シャクティの絶句しながら漏らされた呟きにリューをただ聞き流す。

 

リューもまたその事実を認識し絶句したからである。

 

「なら…そんな痴話喧嘩が如き出来事であれだけの血が流された…そうとでも言うのか?馬鹿な…あまりに…馬鹿げている…」

 

シャクティと同じ感慨をリューもまた抱いた。

 

要はリューの周囲の人々はどんな名分を立てようと実質ただ彼女達のリューへの嫉妬によって殺されたということになってしまうからである。それは正直考えたくもない事実であった。

 

だがリューには彼女達の感じたであろう恐怖や絶望が分かる気がした。だからシャクティほどの絶句もすることはなかった。

 

だから代わりにリューは尋ねてしまったのだ。

 

 

「あの…この五年間ベルは何をしていたのですか?」

 

 

リューは尋ねてしまったのである。

 

興味を打ち消すことがついにできていなかったベルの言動を。

 

それはある意味先ほどまでの決意と覚悟を吹き飛ばしかねない危険な問いだったかもしれない。

 

ただシャクティはしばらく考え込んだ後呟いた。

 

「…何も変わったことはしていない。」

 

「…は?」

 

「本当に何も変わっていない。あえて言うならお前が投獄されてからの二か月ダンジョンに通い詰めていたのが話題になったくらい…後の間は本当にそれ以前と何一つ変わっていない。」

 

「…ギルドとの接触が増えたとかそういうこともなく?」

 

「あぁ…それどころかダンジョン以外での目撃情報も減ったくらいだ。…リオンに今言われるまであの青年が関わっているということが思い浮かばないくらいにその名を正直忘れていた。あの三人があれ以来知名度をさらに上げていた分尚更。」

 

その答えはリューとしては以外でもあった。ベルがリューの投獄に関与していた可能性も考えていたからである。

 

だがシャクティの目からはベルは関与している可能性が考えられないという。それどころか関与が確定している三人と違い、ベルはあまり利益を得ていなかったように感じられる。

 

それはリューがリューが消えることがベルの利益になるとは信じたくないという心境があるとしても、知名度がただでさえ高かったはずのベルの知名度がシャクティに忘れられるほどになるとは考えにくいからである。

 

だからリューはベルがリューを嵌めるのには関わっていない。そう判断した。

 

リューにはそれ以上のことは知る必要がないように思われた。

 

そしてそうと分かれば、もうリューの判断は揺らぐことはないのである。

 

「シャクティ…お話しいただきありがとうございました。あなたがお話しくださったお陰でようやく私の中にあった小さな憂いさえも消えました。これで私は私の正義のみに意識を注ぐことができます。」

 

「…リオン?お前はその…あの青年を…」

 

「先ほど言った通り私はかつてのリュー・リオンではありません。今は純粋に正義のためのに生きる…それのみを希求しています。故に過去には関心を払いません。私の関心は未来にのみ向きます。」

 

「…そうか。」

 

シャクティの呟き賭けた言葉をリューはきっぱりと切り捨てる。それにシャクティは複雑な表情を見せつつも頷いた。

 

「シャクティ。私はそのより良き未来を掴み取るため、あらゆる努力を惜しむつもりはありません。故に改めてですが、これからダイダロス通りの数えきれない問題を解決するためどうかご協力を。あなた方【ガネーシャ・ファミリア】の力を貸していただきたい。ただオラリオの治安を守るという正義をつき窮し続ける崇高なあなた方の力を。お願いします。」

 

「…当然だ。お前達がオラリオの治安を乱さないなら幾らでも力を貸そう。それが私達の役割だからな。」

 

「ありがとうございます。その言葉が聞けて大変嬉しいです。」

 

ここにシャクティとリューの共闘関係は復活した。そう言っても過言ではない。

 

それが成し遂げられたのは、リューが真実を知ってもなおその正義と覚悟を揺るがさなかったからと言ってもいいかもしれない。

 

もうそこには復讐に身を焦がしてしまうような未熟なリュー・リオンはいない。

 

そこにいたのは、かつてのリュー以上に自身の正義に身を捧げる一人の麗人であった。

 

リューはもう小さな幸せや欲に囚われないどこか違う次元に至ろうとしている。そうとも言うことができるのかもしれない。



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想いを越えた後の再会

「あっ…!あれはマクシミリアン様!」

 

「マクシミリアン様!今日はどうなさったのですか?」

 

「こんにちは。マクシミリアン様!実は不躾ですが、ご相談がありまして…」

 

場所はダイダロス通りの広場。

 

数日前にリューが主催して炊き出しを行ったまさにその場所である。

 

リューは再びそこにいた。

 

ただし今日の場合はリューただ一人しかいなかった。

 

それもそこに準備したのは椅子と机と小さなテントだけ。

 

リューはそれだけの設備で何をしようのかと言うと所謂陳情受けである。

 

リューは自らの耳とダイダロス通りに住む人々の言葉から優先して解決すべき問題を探ろうと考えたのである。

 

当然シルは安全面を考えて一人で行うのには反対した、とは言っても最初から説得はあきらめ気味だったが。

 

ただリューにも一人でしたいという意図にはきちんと理由があって、護衛を付けないという無条件の信頼を示すことがリューへの信頼を高めることができると考えたが故である。

 

そしてリューがどうしても自ら雑用だろうとこなさなければならないという伯爵のような高貴な身分の者らしからぬ意識が抜けきらないから、というのも理由であった。ただリューのこの身分差を感じさせない意識と行動こそが人々の好感と信頼を呼び寄せていたのは言うまでもない。

 

ただしこれはまたもやギルドの無許可。

 

ギルドと一悶着起こした炊き出しから数日が経過していたが、ギルドからは何の音沙汰も無い。

 

ギルドに間者として送り込まれたはずだったのにリューに付き従っているアンナにさえもお咎め一つない状況。

 

ギルドの反応がない以上下手な動きは見せない方が身のためだったかもしれなかった。

 

が、リューがそんな時を待つようなことはできるはずもなくまた無許可で前と同じように前日に立札を出してこの陳情受けを敢行してしまったわけである。

 

そうして早朝から開始してリューは休憩もせずにリューの前にできた行列に並ぶ一人一人の話を聞いてはメモを取りを繰り返していった。

 

そんな慇懃なリューの態度を見てかは分からないが、広場に集まった人々も大きな騒ぎを起こすこともなく粛々と時間は進んでいった。

 

それから正午を過ぎた頃。

 

一人の訪問者が現れた。

 

「あの…」

 

そう遠慮がちに呟きながら入ってきたのは白髪の青年。

 

その姿にリューは思わず怪訝な視線を向ける。

 

「…この場はダイダロス通りに住む方々の暮らしにおいて困っていることを聞き、対策を準備するための場…そう皆さんにはお伝えしたと思ったのですが?…クラネルさん?」

 

リューの前にいたのは本来ダイダロス通りとは関係のない。だがリューとの関係は決して薄くなかった者。

 

ベル・クラネルがそこにいたのである。

 

リューは冷淡にそう告げたが、その冷淡さが何によるものかはリュー自身も断言できない。

 

ただ予告した内容を無視して現れたことへの呆れと怒りか。

 

それとも今このタイミングでベルと会ってしまうことへの危機感からか。

 

ただそれは今この瞬間はどうでもよかったかもしれない。

 

今のリューには優先すべきことがある。

 

その義務感がリューを突き動かした。

 

「お引き取りを。あなたはこの場には相応しくないお方です。」

 

「…」

 

リューは淡々とベルにそう宣告する。

 

そんなリューの対応にベルは遠慮がちの態度をさらに委縮させて何も言おうとしない。とは言ってもその場を立ち退こうともしないのでリューも対応に困る。

 

そして沈黙がしばらく続いた末に。ベルはようやくポツリと呟いた。

 

「その…すみません…でもあなたとお話しする機会がどうしても欲しくて…でもあなたが住んでるっていう屋敷には最近人目がついちゃってどうにも行けなくて…」

 

ぼそぼそとそう目を伏せて呟くベルにリューは心を痛める。

 

リューの知るベルはこんなにも弱弱しくなかった。ついそう思ってしまったからである。

 

炊き出しの帰りに出会った時もそうだった。

 

ベルはリューの知るベルから何かが変わった。そう思えてならなかったのだ。

 

そんなリューの思いを知りもしないベルはリューの言葉を待つことなく続けるかと思えば、唐突に深々と頭を下げた。

 

「気が進まないのは、重々理解しています!ですがどうか…僕にお話しする機会をくださいませんか!!どうかお願いします!」

 

ただでさえ唐突に頭を下げ始めたのにも驚いたのに今度は声を大にしてリューに必死さを見せつつ懇願してくるベル。

 

そんなベルの態度に困惑するリュー。

 

周囲もまたベルの違和感のある言動にざわめきが生じる。

 

リューは反応に窮したが、観念したかのように小さく息を吐く。そうして席を立つと辺りを見回して言った。

 

「すみません。皆さん。少々疲れてしまいました。一度是非休憩する時間と場所が頂きたいです。お願いできないでしょうか?」

 

 

 

 

 

 

リューの願いはあっさりと通った。

 

周囲の人々がリューに恩を売ろうと思ったのか、我先に場所を提供しようと申し出る中、リューは一番近場の宿の一室を一時借り受けることにした。

 

当然ベルも連れて、である。

 

そしてベルとリューは再びたった二人で向き合うことになった。

 

「…ありがとうございます。わざわざお時間を頂いてしまって…その…僕は…」

 

ソファーに腰を下ろしてリューと向き合うベル。ベルはすごく何かを言いたげな気がリューにはした。それも人目を気にしなければならないことを。

 

その発想はある意味当然だった。

 

なぜならベルに『アリュード・マクシミリアン』と話すことなどないはず。

 

『アリュード・マクシミリアン』との面識はたった一度しかないのだから。そして人目など気にせず公式に会えばいい。

 

 

あるとすれば、『リュー・リオン』に対してだ。

 

 

そうだとほぼ確信できる。

 

あの炊き出しの時のベルの違和感のある反応。

 

それがリューの正体を気付いていて、あえてあのような態度を取ったと考えれば納得ができる。

 

眼帯を外させたのもその正体への疑いを確信へと導くためだったに違いない。

 

自身の正体に気付かれている。そう確信したリューは先手を打った。

 

「先に言わせていただきます。私はアリュード・マクシミリアンです。今からあなたがお話になろうとすることは私には関係のないことでしょう。その点を忘れないでください。」

 

リューはベルの前で言い切ったのだ。

 

自分は過去の自分を捨てた、と。

 

ベルの知るリュー・リオンはもういない、と。

 

それはいくら先日シャクティに言いきったとはいえ、そうはっきりと告げるには覚悟のいることであった。

 

なぜならその言葉はベルとの過去を否定し、断絶させようとするものとも取ることができたからである。

 

それと同時にそもそもベルが仮にリューの正体に疑いを持っているだけだったとすれば、かなり危険な発言をしたことになりかねない言葉でもあった。

 

そんなリューの宣言にベルはどう反応したかと言えば、大きく一度目を見開いて驚きを見せた。だが大きく深呼吸をすると静かに告げる。

 

「…分かってます。アリュードさん。あなたの仰る通りあなたには関係のない、僕の愚かな過ちに関するお話です。そしてあなたに関係がない…そう分かっていてもあなたの口からお言葉を頂きたい…そう思ってしまったんです。」

 

ベルは粛々とリューの言葉を受け入れた。

 

そしてこの反応がリューにベルが自身の正体に気付いているということへの確信を与えた。

 

そうしてリューとベルのお互いに何も気付いていないふりをする嘘で塗り固められた対話は始まった。

 

「…ええ。私ごときでよいのであれば、お話を伺いましょう。」

 

「…そう仰っていただけるならお話しさせていただきます。これは僕ととある方との話です。…僕には結婚を誓い合う大好きな女性がいました。」

 

言われるまでもない。その女性がリューであることは。

 

「…その女性を僕はあの頃はずっと守りたいと思っていました。…ですが僕にはできなかった。…できなかったんです。…僕は何もできなかった…」

 

「…なぜかお聞きしても大丈夫ですか?」

 

ベルの苦しそうにそう呟く。

 

リューはその呟きを聞き流すべきだったかもしれない。

 

リューは知っているのだから。

 

シャクティの口からベルが何もしなかった。

 

そう聞いていたのだから。

 

だからそれ以上は知る必要はなかったはず。

 

理由なんて聞いても意味はない。

 

聞いても二人がただ傷つくだけ。

 

聞く価値なんてないはずなのに。

 

それでもリューは興味の方が勝ってしまったのだ。

 

ベルはリューの問いに目を背けつつ言う。

 

「…それを知ったら何かが変わってしまいますか?…誰かが傷つくことに繋がりませんか…?僕は…誰かが傷つくのを見られない…誰にも傷ついて欲しくないんです…」

 

「…何も変わりませんよ。私が知ったところで私のすることは変わりません。私自身の正義を遂行するだけ。私の正義に関わらないなら、何もしません。復讐だろうと何だろうと。」

 

リューはまた淡々と答える。

 

リューには何となく分かってしまったのだ。

 

ベルが不安視したのは、きっとリューを嵌めるのに関わったベルの周囲の人々の事だろう。

 

ベルは優しい。

 

だからベルは今から話すことでリューが誰かを傷つける行動を起こしてしまうことを危険視しているのだろう。

 

そんなベルの変わらない性格にリューは懐かしさを覚える。

 

一方のベルはリューの答えに驚きを隠せないような表情を一瞬は見せるが、すぐに表情を緩めて呟いた。

 

「…やっぱりあなたは凄いですよ。どこまでも真っすぐで正しくて美しい…僕には眩しすぎます…」

 

「…そんなことありません。私は何度も何度も過ちを繰り返してきました。それが自業自得となったり、周囲に危険を及ぼすことなんて度々です…だから私はあなたに褒められる資格などありません。」

 

「…そんな…!…言い訳みたいですけど…あなたがそう仰ってくれるなら話させてください…僕はその女性がギルドに連行されて罪を問われた時…彼女が冤罪であることを知っていたんです。だから必ず冤罪を晴らそうと心に決めました。…でもその証拠が見つからなかったんです…ダンジョンには…何も残っていなかった…何より…それだけじゃ…なかったんです…」

 

ベルの告白はリューの想定範囲内のものと言えた。

 

だがベルの『それだけじゃない』と言う言葉は何かがあることを予感させた。

 

「…彼女はリヴィラの人達かギルドに嵌められた…最初はずっとそう思ってたんです。…でも気付いてしまったんです…そのギルドと急に仲良くなってる僕の周りの人達が…彼女を嵌めた原因が僕にあると…気付いてしまったんです。そして僕は…周りのみんなを傷つけられなかった…僕は彼女を優先することができなかったんです…」

 

ベルは今にも泣きそうな表情でそう告げた。

 

吐露されたのはベルの優しさ。

 

リューにもようやくベルが無行動だった理由が理解できる。

 

ベルはリューと彼女達を選べなかったのだ。

 

リューを助けようと動くことで彼女達を傷つけることができなかったのだ。

 

それはリューにとっては不本意な事実だった。

 

言うまでもなく愛し守ると誓ってくれたベルがリューを優先しなかったのだから。

 

だがそんな優しさを持つベルをリューは愛していた。それが分かっているリューは首を振って言った。

 

「…あなたの判断はきっと正しかったんだと思います。その判断のお陰で多くの人が不幸にならずに済んだのでしょう。そしてその優しさこそあなたの尊敬に値する点です。彼女もそう聞けば、一度は憤りを覚えるでしょうが…きっとあなたを許してくれるはずです。」

 

リューはそう笑顔で告げると、ベルは首を何度も振る。

 

「…許されるはずが…ないです。許してもらっていいはずがありません。僕は…彼女にずっと守ると約束したのに…それを破って…勝手に彼女が亡くなってしまった…そんな嘘を信じてしまったんです。僕はそんな嘘信じずに最後まで足掻き続けるべきだったんです…なのにできませんんでした…僕は償いたいんです。あの時犯してしまった罪を…」

 

「クラネル…さん…」

 

「どうすればいいでしょうか?どうやったら償えるでしょうか?どうやったら彼女の痛みを肩代わりできるでしょうか?みんな悪いのは僕なんです…僕の周りの人達の罪を背負うのも僕なんです…だから…僕はどうすべきだと思いますか?この五年間ずっとそれに頭を悩ませてきました。だから教えてください…僕は何をすればこの罪を償えますか?」

 

矢継ぎ早にベルが告げたのは、ベルが五年間抱き続けた罪悪感。

 

リューには分かってしまった。

 

ベルがリューに罰を与えてもらいたいのだと。

 

ベルがリューに抱き続けた罪悪感と後悔を打ち消すために。

 

それはかつてリューがアリーゼ達に抱いた思いと一緒だ。

 

そうリューは気付いてしまった。

 

ベルは現世に絶望し、罰せられて楽になることのみを望んでいる、と。

 

それがベルがこの五年間その名声を潜めてしまった大きな理由なのかもしれないとリューは感じ取ってしまった。

 

リューが無自覚にベルを苦しめ続けてしまった。

 

ベルの無行動がリューを苦しめたのと同じように。

 

ただリューはベルの無行動の理由を知り、楽になることができた。

 

ならリューもその想いを話すことでベルを楽にしてあげるのが道理ではないか。

 

そうゆっくりと時間をかけて考えたリューは沈黙を一時保った後静かに告げた。

 

「それは…過去に囚われずに今を生きることのみによって償うことができるのではないですか?」

 

「…いったいどういう意味ですか?」

 

「そのままの意味ですよ。…あなたがそうやって悩み続けるのを…彼女は望むでしょうか?彼女があなたの償いを本当に求めているのでしょうか?あなたが彼女の愛した優しさを貫いたと言うのならば…彼女はあなたのことを愛し続けています。そしてあなたがあなたらしさのある道を歩み続けてくれることを願っているはずです。迷ってはいけません。あなたはあなたの道を進み続けるべきです。」

 

「…でも…僕は…!」

 

 

「ベル。」

 

 

その時リューは初めてベルの名を呼んだ。

 

それも衝動的に漏らしてしまったもではなく、である。

 

それは今も迷い続けるベルを偽りではなく本物の言葉で助けたい。

 

そんな想いが抑えきれなくなったがために紡ぎ出した言葉であった。

 

リューは今だけは…ベルのために『リュー・リオン』として語らないといけない。そう思ったのだ。

 

そしてその呼びかけにベルは言葉を失ってしまった。

 

リューに初めて自分の名を呼んでもらえた。

 

その感慨がベルを飲み込んでしまったからである。

 

それでいながらベルは茫然とリューを見て彼女の告げようとする言葉を待った。

 

「ベル。あなたは以前私のしたいことをすべきだと言いました。そして今していることは私のしたいことで私の正義のための行いです。私は為すべきこと、為したいことに取り組んでいます。なのにあなたが過去や償いに縛られる…そんなことはあってはなりません。あなたもまたあなたのしたいことを為すべきです。仮に道を違え、環境が整わないとしても…あなたは為すべきです。それが私の願いです。」

 

「リュー…さん…」

 

「私には為すべきことがあります。私は『アリュード・マクシミリアン』です。…私はその為したいことの手助けはできません。…それをしようとすれば私は私の正義を貫くことができなくなってしまいます。…だから…」

 

「…分かりました。『アリュード』さん。」

 

ベルはリューの言葉を遮った。

 

リューがベルの表情を見ると、もうその表情からは憂いが消えている。

 

そんな風に見えてしまうくらいベルの表情は変わっていた。そして覚悟が垣間見えた。

 

ベルの心がリューの言葉によって動いてくれた。リューはそう判断した。

 

「ありがとうございます。あなたの言葉を聞けて本当によかったです。」

 

「…ベル。」

 

「あなたの言う通り僕には為すべきことがあります。ずっと怠ってきた為すべきことが。だから僕はそれから始めてみようと思います。そしてそれが彼女の望みだとすれば…僕は絶対にやり遂げます。僕も彼女と同じように為すべきこと、為したいことに取り組みます。」

 

「そう…ですか。」

 

ベルはそう決意を込めた表情で言いきる。

 

その時リューはベルの顔を見るうちに小さな痛みを感じてしまった。

 

何かを失ってしまったかのような…小さな痛みを。

 

「お時間頂き本当にありがとうございました。先程あなたにお話ししに来た方々と同じように僕も救われたかのような心地です。えっと…このくらいで失礼させて頂きますね。他の方もあなたをお待ちでしょうから、みんながあなたを必要としていますから…」

 

「あっ…」

 

「本当に…ありがとうございました。これからは過去は忘れて、あなたの正義が成就できるように頑張ってください。…ずっとずっと心で応援してますから。」

 

ベルはそう言って席を立ちリューの返事も待たずに出て行ってしまう。

 

それはまるでベルがリューから逃げようとしているかのよう。

 

そしてリューにベルが分かれを告げているかのよう。

 

一人その部屋に残されたリューは思わず感じ取ってしまう。

 

だがベルを拒絶したのはリューだ。

 

『リュー・リオン』はもういないと告げたのはリューだ。

 

ベルに自らの道を進むように告げたのもリューだ。

 

そして何よりリューには為さなければならないことがある。今この瞬間にも。

 

そしてリューを必要としている人々がいる。それはベルに限った話ではない。

 

仮にまだリューとベルの間に何かが残されているとしても…それは大事の前の小事に過ぎない。

 

だからベルに言われ、自分自身で言った通り過去に構っている暇などないとリューは自身に言い聞かせた。

 

リューはベルがいない場所であろうとその正義を貫き続ける以外に道などなかった。

 

だからリューは再びベルの存在を意識の外へと追いやった。



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青年を巡る火種を消し去る刻

リューが過去を、ベルの存在を自身から消し去ってから数日。

 

リューに迷いを与えた一大事を過ぎても尚時は何事もなく進んでいく。

 

そうしてリューは周囲の協力と自身が積極的に取り組む情報収集を通じて黙々と自らの正義に基づいた行動への準備を進める中、一応はギルドからリュー達の元に送り込まれたアンナにギルドから連絡が届いた。

 

 

エイナ・チュールが炊き出しの一件にてリューが提案した対談を受け入れるという通達が届いたのである。

 

 

ただし条件としてエイナに幾人かの同伴者を付けたいという旨が伝えられた。

 

その同伴者の名が明かされぬことは不安要素とも言えた。

 

ただ真正面からの交渉とギルドの意向を知ることができる絶好の機会をリューは逃すことなど考えられない。

 

リューは対談日として設定された日にオラリオに帰還して最初にエイナと出会った面談用の個室へと赴いた。

 

「ようこそお越しくださいました。アリュード伯爵。」

 

リューがノックして、その部屋に入る。

 

するとそこにいた三人の女性はリューを出迎えるように立ち上がる。

 

リューの偽りの名を呼んだのは今回の対談の相手であるエイナ・チュール。

 

そしてエイナを挟むように立っていたのは、リューに浅からぬ因縁がある女性達であった。

 

「また…お会いしましたね…アリュードさん。」

 

一人は【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタイン。

 

「初めまして。…アリュード・マクシミリアン様。副ギルド長様からお招きいただきましたリリルカ・アーデと申します。私は…所謂ギルドの顧問のような役割を頂いています。以後お見知りおきを。」

 

もう一人は【ヘスティア・ファミリア】のリリルカ・アーデ。

 

この居並びを見て、リューは瞬時に察する。

 

 

彼女達は本腰を入れて、リューと交渉しようとしている。そして…彼女達が全員揃ったということは…彼女達はリューの何かを知った、もしくは察した。

 

 

その原因が何かなど考える意義などない。リューはそう冷静に考える。

 

如何なる経緯、原因があろうと、リューの為すべきことは一つ。

 

 

自身の正義を貫徹すること。

 

 

今まさに苦しんでいる人々のためにギルドの協力を引き出すこと。それ以外にない。

 

リューは彼女達に向けて作り笑顔で応じる。

 

「副ギルド長。【剣姫】。アーデさん。今日はよくぞ私との交渉の場を設けてくださいました。その配慮に感謝いたします。そして…有意義な交渉となることを切に願います。」

 

「もちろんです。アリュード伯爵。それは私も願うところです。さっ。どうぞお席に。」

 

リューの言葉にエイナも笑みで応じる。

 

ただその笑みは明らかに不自然。さらにアイズもリリルカも表情は厳しさが段々と増しているようにまで見える。

 

その厳しい表情たちと応対しつつリューはエイナに促された通り対座に腰を下ろした。

 

するとエイナはまるで何か急いでいるかのように口を開いた。

 

「さてアリュード伯爵。此度のお話は、ダイダロス通りの援助諸々に関するご相談ということでしたが、その点に関してより前にお聞きしなければならないことがあります。」

 

「何でしょう?」

 

エイナの厳しさを含んだ物言いにリューは淡々と問い返す。

 

そうすると今度は隣に座るリリルカが身を乗り出しそうな勢いで問いかけてくる。

 

「アリュード・マクシミリアン様。あなたはオラリオ随一のカジノであるエルドラド・リゾートを訪れたことがある。そう仰ったそうですね?」

 

「ええ。少し前に一度楽しませて頂きました。」

 

「そのアリュード・マクシミリアン様の名はきちんとそのカジノの記録に残されていました。確かに一度そのカジノを訪れられています。ただ一つ気になることがあったのです。まさにその日カジノにエルフとヒューマンの男女の賊が現れる事件があったということです。」

 

「なるほど。それが如何しました?」

 

リリルカは厳しい視線と共にリューに追及するように尋ねてくる。だがそれにリューは受け流すように淡々と答えた。

 

そんなリューにさらに憤りを覚えたのかリリルカは酷く表情を歪めると、さらに言葉を重ねた。

 

「…そしてその二人の賊はその事件で正義の使者の復活などともてはやされ…事件は未解決に終わりました。ですがとあるその事件に関わった者から聞いたのです。その者は、『疾風のリオン』であった、と。」

 

リリルカが厳然と事実を告げる中、リューはその事実をリューがその正体を暴きギルドに逮捕されたテッドなりあの戦闘を起こした部屋にいた者から聞き出しでもしたのだろうと、表情も変えず平然と分析する。

 

一方のリリルカは段々と余裕のある表情に表情を緩めながらさらにリューに追及する。

 

「アリュード・マクシミリアンという名でカジノに入り込んだ者は、フェルナスの伯爵様であるあなた様ではなかった。つまりあなた様はその時カジノに来ていた可能性は低いのです。『疾風のリオン』があなたの名前でカジノに入り込んでいたと当時の調査で分かっているからです。この点に関して何か言い訳はありますか?」

 

「リリルカさん。言い訳も何もあなた方は何かしらの証拠と疑いを私に抱いている…違いますか?」

 

リリルカの追及をリューは表情を変えず問い返す。その問いに三人とも厳しい視線をリューに向けたまま。

 

リューは確信した。

 

 

「あなたはフェルナスの伯爵ではなく『疾風のリオン』…リュー・リオン…ですよね?」

 

 

エイナが代表するように険しい表情を浮かべてそう告げる。

 

案の定リューの確信した通り正体はバレていたようだった。

 

だがリューは全く動じなかった。

 

「はぁ…その方のことはよく知りませんが…そう思われる理由をお聞きしてもよろしいですか?」

 

リューはここにきてとぼけて見せた。

 

別にリューもしらを切ろうとは今更思ってはいない。

 

リューを周到な策で嵌めた彼女達のことだ。もう裏は取ったのであろう。

 

そしてこうしたことに大した理由もない。

 

ただリュー達が彼女達になぜ嵌められなければならなかったのか。

 

それを彼女達本人の口から聞いても差し支えないと思ったからだった。

 

「根拠は先程申したものだけではありません。あなたの容姿、正義に生きているように気取った姿、無駄に目立つことを平気でする無謀さ…どれもあの女に似ています。」

 

「…私はあなたに会った時から何か違和感を感じていました。どこかで会ったことがある気がする、と。長らくあの憎い顔を見ていませんでしたが、もしあなたがあの女だったというなら…私の違和感は説明できます。」

 

「えっと…アーデさんが疑わしいって言ってたから…?でももしそうなら…私は見過ごせない。仮に今恩恵が無いとしても…あなたは絶対に危険。」

 

リリルカは憎悪を剥き出しにしてリューの問いに答える。

 

エイナは鋭い視線でリューを睨みつける。

 

アイズは一瞬は一人一人が物申すかのような流れに戸惑ったようだったが、すぐにリューへの視線に殺気を込めた。

 

三者三様とは言え憎悪のこもった反応を受け止めたリューは小さく息を吐いた。

 

「…あなた達の言い分は分かりました。私をあなた方はアリュード・マクシミリアンではなくリュー・リオンであると思っている、と。」

 

リューは淡々とそう復唱する。

 

だがその復唱の後リューはカっと目を見開いて決然と告げた。

 

 

「だったら何だと言うのです?」

 

 

リューの口から飛び出したのは、大胆不敵な回答。

 

その回答に向き合う三人の表情は唖然となった。

 

「…は?認めるのですか?またあなたは逃げも隠れもせず堂々とリリ達に宣戦布告するとでも言うのですか?そういう…そういう態度が一番忌々しいんです!」

 

「…あなたが無謀で愚かなのは知っていましたが、ここまで愚かだとは…少しは言い逃れをしてもいいものを…」

 

リリルカは激昂する一方エイナは呆れるように呟く。

 

そんな二人にリューは淡々と返す。

 

「すみません。まず今その話が関係ありますか?私はダイダロス通りに住む方々の窮状の改善のための交渉を行うために参ったはずです。ならば早々に本題に…」

 

「関係ない?何を言ってるんですか!?大ありですよ!あなたの要請なんかにリリ達がどうして応える必要があるんですか?今すぐにでも【剣姫】様に切り刻んで…!」

 

リューの言葉をリリルカは激高したまま愚弄するかのような口調で遮る。

 

だがその遮った言葉はリューの逆鱗に触れるものであった。

 

 

「ふざけるな!」

 

 

「ひっ…」

 

リューの一喝が部屋中に響き渡る。

 

お陰で今度はリリルカの言葉が打ち止めにさせられるどころか、情けなく小さな悲鳴まで上げさせられた。

 

そうして静寂に戻る中でリューはようやく冷静さを崩し怒気の混じった口調で糾弾を始めた。

 

「…アーデさん?そのお言葉はまさか私情を交えてでもいるのですか?ならもう一度言いましょう。ふざけるな。あなた方は私との交渉の場に責任のある立場としてここにいる。今まさに困窮する方々を助けるか否か、という重大な議案を離すためにです。にも関わらずあなたはこの場に私情を持ち込むのですか?それが責任ある立場の者がすることですか?もう少し物を考えて話した方がいい。」

 

「ぐぅぅ…!」

 

リューの正論にリリルカは言葉が出ない。そのため続きをエイナが引き継ぐ。

 

「…どうしてあなたがリュー・リオンであることとあなたの要請を支援することに関りがないのか全く理解できませんが、あなたの行為は危険と見なさざるを得ません。どうせあなたはそうやって困窮する人々の支持を得て、その人々の力を用いて私達に復讐しようとでも考えているのでしょう?闇派閥(イヴィルス)相手にあれだけの暴走を引き起こしたにも関わらず民衆は未だにあなたを密かに慕っている。あの時あれだけの罪を着せたのに、です。あなたは何をどう取り繕おうとオラリオにとって危険です。私達は困窮する人々を言い訳に騙そうとするそんな浅知恵には騙されませんよ?」

 

「…仰る意味は分かります。私のかつての行動は暴走と言っても過言ではなかった。武力のみでは何も解決できない。そう今の私は理解しています。だから私は今の困窮する方々を無視し続けるギルドを無理矢理崩壊させるのではなく、共に手を携え共によりよいオラリオを築いていきたいと思うのです。それは炊き出しの際に広場で言ったことと同じです。私は決して偽りを申しません。」

 

「…あんたは確かにあの広場でそう宣言しました…あなたが嘘をつく…そんな器用なことができたら私達の策に嵌まることもここに来ることもなかったでしょう…だからあなたの言葉を信じる余地はあります。私の心もあの時少なからず揺らぎました…ですがどうして私達があなたを信頼できると思うのですか?そもそも私達にどうして助けなど求めることができるのですか?…それが全く理解できません。あなたは…あなたは…」

 

エイナは当初は厳しい口調でリューに言い返したものの、リューがすぐに怒りを抑えて協力を改めて申し出たことで、流石のエイナも動揺を見せ始める。

 

「私がなぜ信頼できるか…それは今の私はダイダロス通りに住む方々の希望を背負うアリュード・マクシミリアンであって、リュー・リオンではないからです。私はあなた方との過去の因縁…そのすべてを水に流してあなた方と手を携えて協力したい。それをする責務が私にはあります。それを成すのが私の正義です。故に私はあなた方と交渉をしています。あなた方に復讐をしようなどとは考えていません。そう思ってなければ、私はあなた方に正々堂々と姿を現したりはしません。もしするなら闇派閥(イヴィルス)相手の時のように闇討ちも策略も辞さないやり方であなた方を嵌め殺していた…そう思います。」

 

そう述べつつもし復讐を選んでいたら、とリューは想起する。

 

きっとその復讐は一時の満足を与えても最終的にはリューを苦しめるだけに終わった。

 

かつて闇派閥(イヴィルス)を殲滅した時のように。

 

だから今のリューは今ここでリリルカやエイナ、アイズと言った仇と言える者達と向き合い、共に手を携えようとすることは良い方向に進んでいると言える。今のリューならそう考えることができる。

 

だがリューがそう過去のリューの一辺倒とは比べ物にならない考えで過去を昇華する一方で三人はリューのように過去を昇華するのは難しいようだった。

 

それはその過去の中心には一人の青年の存在があったからだった。

 

 

「…ベル様は…ベル様のことはどうなんです?あなたが生きて戻りベル様と接触した今…あなたはベル様の隣に戻るのでしょう?それをリリ達にまた見ろ、と?それをリリ達が許せるとでも?」

 

 

三人の思いを代表するように告げたのはリリルカであった。

 

その反応もまたリューの予想の範疇でありつつ、リューの一応は知っておきたい事柄であった。

 

それを聞けた今リューは複雑な感情を抱きつつも、シャクティやベル本人に告げたように同じ言葉を繰り返した。

 

「先ほど言った通り私はもうリュー・リオンではありません。だから私はベル…クラネルさんの妻ではない。もうその過去の想いは…私の正義の邪魔でしかない。あなた方が彼と接触することが支援の妨げになると仰るならば、接触を断つことにも躊躇はありません。私はアリュード・マクシミリアンです。妻もいて、そもそも男性なのですから。」

 

「…真面目に言ってるのですか?本当にリリ達との因縁を断ち切る、そうとでも言うんですか?」

 

「それで困窮してくださってる方が救われるならば。それが今の私の正義で責務ですから。」

 

リューは彼女達の前でもそう言い切った。

 

ベルの事をもうリューは忘れる、と。

 

リューの確固たる決意の籠った宣言に三人とも言葉を失う。

 

言うまでもなくリューの言うことがとてもではないが信じることができないからである。

 

言葉を失う三人を前にリューはしばらくの考える時間がなければ交渉が成立しない。そう直感で判断すると、三人に告げた。

 

「アーデさん。副ギルド長。【剣姫】。一度熟考していただきたい。私の要請を受け入れるか否か。ただ私が最優先とするのは、困窮している方々をお救いしたいという願いのみ。なので困窮する人々への対策を講じることだけは約束して頂きたい。もしあなた方が私を信じられれないと仰るならば、私をどうしても殺したいと思うならば、この命潔く捧げましょう。私は逃げも隠れもしません。私の命一つで彼らが救われるというのなら安いものです。なのでどうかよりよい未来に繋がる選択を。あなた方の力で困窮する方々を救うことができるのです。その点をどうかお忘れなきように。私はあなた方の英断を信じています。」

 

リューはそうとだけ言って、一礼すると席を立った。

 

そんなリューを三人とも引き留めることはなかった。

 

そのためリューは迷わずその部屋を出ていく。

 

あとは三人の判断が今困窮している人々にとってより良い物であり、さらに欲を言えばリューにとっても良い物であればいい。そう願いながら。

 

そして部屋から出て、そのドアを静かに閉じた時近くに人の存在を感じ取ってリューはその人のいる方向に振り返る。

 

 

そこにいたのは白髪の青年、ベルであった。

 

 

まさか今の話を全て聞いていたのか?

 

そうリューは瞬時に考えたためその場につい立ち尽くしてしまう。

 

そんなリューにベルは声を掛けなかった。

 

ただリューに小さく笑みを浮かべると、一礼してリューと入れ替わるように部屋へと入っていった。

 

そんなベルが何を話そうとしているのか。

 

それにリューはついつい関心を抱いてしまう。

 

だがリューはベルを忘れる、ベルの事を気にしない。

 

そうベル自身の前でも彼女達の前でも話したはずだ。

 

ならリューはベルに関心を抱く必要はない。

 

ならリューはベルが今から彼女達に話そうとすることを知る必要はない。

 

盗み聞きするなんて言う野暮な真似をせずに早々に立ち去るべきだ。

 

そう判断したリューはその場をすぐさま立ち去った。

 

ベルの話すことへの関心で未練をその部屋に残しながら。

 

ただその決意と正義がが揺らがぬように。



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青年の想い

その瞬間その場の時間は止まったかのようであった。

 

その硬直を引き起こしたのは一人の青年。

 

金縛りにあったかのように凍りつく三人の女性はその青年に驚愕の視線を釘付けにした。

 

その視線を何も言わずに青年が受け止めると、音もない時間はしばらく続く。

 

そしてその静寂を破ったのは他のでもない彼女達であった。

 

「…ベル…様…」

 

「ベル…君…」

 

「…ベル…」

 

三者三様の青年を呼ぶ声が小さく響く。

 

そのか細い声に青年は寂しげな笑みを浮かべて答えた。

 

 

「リリ…エイナさん…アイズさん…みんなにお話があってこの機会に来ました。…お時間を…頂けませんか?」

 

 

その言葉は彼女達にとって死刑宣告に近い感覚を覚えさせる冷たい言葉のように聞こえた。

 

 

 

 

 

 

「…ベル様はなぜここへ…?」

 

リリルカは諦めたような表情でベルに尋ねる。

 

彼女達はベルがすでにリューと接触していたことを知っている。

 

そこで何が話されたか明確に知らないとしても察しぐらいはつく。

 

 

ベルは全てを知ったのだと。

 

 

彼女達がリューにどのようなことを成したのか知っているのだ。

 

それならば彼女達のこれまで抱いてきた想いも終わり。諦めるしかない。何もかも終わり。

 

仮にリューを今この瞬間に葬り去れたとしても、もうベルに知られている以上終わりなのだ。

 

そう悟る彼女達の表情は一様に絶望に塗りつぶされていた。

 

そんな彼女達の絶望をベルは肌で感じつつリリルカの問いに答えた。

 

「…ごめん。リリ。本拠でリリとエイナさんがアリュードさんと会う日を決めてるのを盗み聞きしたんだ。…僕が普段部屋からほとんど出ないとリリ達が思い込んでるの利用して。それは許されないことだと思う。…でも僕はその日を知らないといけない。何が何でもリリやエイナさん、アイズさんに伝えないといけないことがある。…そう思ったから。」

 

「…っ!」

 

リリルカはいつの間にベルに盗み聞かれていたのか見当もつかない。ベルが白状した通りベルに騙された。

 

彼女達の知るこの五年のベルはダンジョン探索以外には外出どころかほとんど人とも会わない。

 

そんな内向的になっていたから。そのせいで彼女達はすっかり油断していた。そうも言えるかもしれない。

 

自身の注意不足を後悔して表情を歪めるリリルカ。

 

代わってベルに自暴自棄な怒りをぶつけたのはエイナであった。

 

「…アリュードさん?ベル君?今更そんな気を使ったこと言わなくてもいいよ?ベル君はあの伯爵の正体を知ってる。あれの正体が誰なのか…」

 

「ええ。確かに知ってます。」

 

「…っなら!」

 

「でも先程みんなが話していたのはアリュードさんです。それ以外の何物でもない。彼女はアリュードさんであって、僕たちの知る誰かじゃない。」

 

「…は?ベル君。そんな意味の分からない謎かけみたいなこと言ってないで言いたいことがあるなら早く…!」

 

「すみません!!」

 

エイナがベルの意味の取り難い文句を並び立てたことに怒りをぶつけ続けたところ、エイナの言葉を遮ってまでしてベルが返してきたのは苦しさで歪んだ表情で告げられた謝罪。

 

想定外の反応にエイナはポカンとしてしまった。

 

そうして再び生まれた静寂の中ベルは過去の懺悔を始めた。

 

「…僕はかなり前から…みんながしたことを知ってました。…彼女を…リューさんを…嵌めたことを知ってました。」

 

「…それを知っててリリ達がそばにいるのを許したとでも?ベル様?そんな嘘リリ達には通じませんよ?ダンジョンに二カ月も証拠を探しにこもり続けるほどあの女の事を愛していたベル様がそこまでのお人好しなはずがありません!」

 

「そうだよ…ベル君なら私達を説得しようとしたはず。私達がこんな悪いことをするのを見過ごすはずがない。」

 

「…そう…だよ。ベルなら…何が何でもあの女を助けようとした…気付いてなかったのに…嘘はダメ…私達が…泳がされてたみたいで…惨め…」

 

ベルの告白に彼女達は反論を重ねる。ベルはその反論に思いのたけをそのままぶつけた。

 

 

「だってみんなのことも大切だったから!!」

 

 

「「「…っっ!!」」」

 

それはベルの本心。

 

この誰もが完璧な幸福を手にできなかった元凶を作り出した甘えであった。

 

「…リューさんのことは結婚したいと思うくらい好きで…守りたくて…そばにいたくて…でもリリは僕のことを何よりも優先して考えてくれて妹みたいに…大切で。エイナさんもいろいろな知識を僕にくれて何度も助けてくれたお姉さんみたいに…大切で。アイズさんも何度も僕に訓練に付き合ってくれて何度も助けてくれた大切な…師匠で。誰かの方が大切だなんて…僕には考えられなかった。みんなが笑顔になれるのが何よりも僕の望みだった…」

 

「「「…」」」

 

「でも…そんな考えは甘えで…リューさんは死んでしまった…そう知らされて、僕はみんなを恨んでふさぎ込んだ。…でもそんな僕をみんなは見捨てなかった…リリもエイナさんもアイズさんも僕のことをずっと心配してくれた…だからどうしても恨めなかった…」

 

ベルの優しすぎる言葉に彼女達は動揺を隠せない。

 

何年もベルのそばにいて、ベルを知っているからとは言え想定をはるかに上回るお人好しっぷりは流石に受け入れがたい。

 

それでベルの言葉を受け入れられなくなる中彼女達全員が受け入れられない中最初に理解のし難さを言葉にしたのはアイズであった。

 

「…何言ってるの?恨めなかった…?私達がベルに優しくしたのは、あの女に代わってベルの大切な人になろうって思ったからで…あの女を嵌めた私達を恨まない理由とは全く関係ない…」

 

「僕にとってはそんなことないんです…みんな僕が悪いんです。僕がいたから…僕はリューさんのことが好きになって…リリの想いもエイナさんの想いもアイズさんの想いも何となく分かってしまったから…だから僕は何もできなかった。リューさんを見捨ててみんなとこれまで通り過ごすことも命懸けでみんなを止めてリューさんを守ることも…何も決められなかったのがいけなかったんです…」

 

ベルの悲痛な懺悔に彼女達も言葉が出なくなる。それを見て、ベルは続けた。

 

「…僕はずっと伝えられませんでした。みんなのことを抑えきれないぐらいに恨んでることを。その恨みはきっと忘れるのは難しいと思う。ごめんなさい。でもそれと同時に僕をずっと見捨てないでいてくれたことをすっごく感謝してる。ありがとうございました。みんな。」

 

「ほんと…ベル様は何を言ってるんですか…?意味が分かりません…」

 

「そうだよ…私達が何をしたのか…分かっててそんなこと言ってるの?」

 

「そう…私達は…」

 

ベルの憎しみと感謝を両立させた言葉に彼女達は受け入れられず、口々に不満を漏らす。

 

そんな彼女達にベルは思わぬことを告げた。

 

 

「でももうそれらすべて全部なしです。もう過去に囚われるのは終わりにしましょう。リリ。エイナさん。アイズさん。」

 

 

その時ベルが告げたのは他でもない。数日前にリューに贈られた言葉であった。

 

「…だって他でもない被害者のリューさん…アリュードさんが復讐など考えていないって言ってくださったんです。彼女のことを見捨てた僕のことも…みんなのことも。みんな許すって…そう言ってくださったんです。そして過去に囚われるよりも未来のためになることを考えるべきだって。だからアリュードさんはここで協力を求めに来たんですよね?」

 

「確かに…そうです。あの女は確かにそう言いました。」

 

「ならその思いに僕達も応えましょう。…アリュードさんはもうリューさんじゃありません。彼女が成そうとしていることは困っている人を助ける。そんな当たり前のことです。戸惑う理由なんてどこにもありません。彼女が言わなくても行う力のある僕たちが努力すべきことです。神様も身をもって示してくれました。それを行う意志さえあれば、困ってる人を助けることぐらいできるって。是非彼女の提案を引き受けましょう。」

 

「…それは…あの女を手助けするためにってことですか?ベル様?」

 

ベルの提案にリリルカは問い返す。想像力を働かせるまでもなくベルがこんな提案をするのはリューのためとしか考えられなかったから。

 

ただベルにとってはリリルカの考え通りでもあり、そうでなくもあった。

 

「…手助けというよりは見返す…かな?」

 

「…見返す…?ベル様?あの女は何を言ったのですか?」

 

ベルの本人にしか分からない独白にリリルカが思わず質問する。その質問にベルは寂しげに答えた。

 

「…僕のことも忘れると…そうはっきり仰りました。彼女の正義を貫く邪魔になる…そうです。」

 

「ベル…様…」

 

「だから僕の後悔ももう終わりにしないといけません。…僕も過去に囚われてばだっかりじゃいけませんから。いつまでも行動できなかったことを後悔していても始まりませんから。僕は彼女を見返すために努力しないといけない。ずっと怠ってた鍛錬もダンジョン探索にも精を出さないといけない。だから僕がみんなに彼女を助けようって言うのは、彼女を助けたいっていう気持ちよりも単純に困ってる人たちを助けたい。そしてその考えに賛同した神様やタケミカヅチ様、ミアハ様の考えに共感するからです。もう僕もいつまでも彼女に囚われず前に進んでいかないといけませんから…」

 

「…つまりベルはあの女に振られたからあの女のことを忘れる…ということ?」

 

ベルの独白に今度はアイズが直球の質問をぶつける。それにはさすがにベルは苦笑いして答えた。

 

「まぁ…そういうことです。はは…情けない僕は婚約者に振られたってことです。はは…ほんと情けない…だから…もう過去は振り返りません。僕は…もうみんなを心配させてしまうような情けない真似を続けるわけにはいけません。彼女が変わったように僕も変わらないと。」

 

そうベルは言い切ると息を吐いて、表情を引き締めると彼女達に重ねて告げた。

 

「だからお願いします。アリュードさんのお話を聞き入れて、彼女と協力して困っている方々を助けましょう。もし過去に引きずられているならもう忘れましょう。僕も忘れます。みんながしたことも僕がずっと思ってきた色んなことも。みんな忘れて、未来に繋がる選択を僕たちは選び取るべきです。彼女はその機会をくださったんです。僕たちはその与えられた機会を無駄にすべきじゃありません。過去を水に流してアリュードさんと協力すべきです。」

 

ベルは決意を込めた目つきでそう語る。

 

そんなベルを彼女達は複雑な表情で見つめたまま何も言わず、時だけが過ぎていく。

 

すると糸が切れたようにエイナが大きな溜息を吐くと、色々な逡巡が吹っ切れたかのような諦めと安堵が入り混じった複雑な表情でベルの求めに応えた。

 

「…分かったよ。ベル君。君がそう言うなら、ギルドもダイダロス通りの方々を助けるために動くように方針を転換するように手を回してみる。…元々オラリオとしても問題の材料だったから、手つかずと言うのは不本意だったから。でも私は決してあの女のために協力なんかはしない。私は私なりにオラリオを良くするために動く。それが偶然あの女の考えと一致しただけなんだから。もしあの女がオラリオのためにならないようなことをするなら…『豊穣の女主人』の店員達のように躊躇なく排除する。」

 

「…彼女はそんな事絶対しないと思いますけど…自分の考えを曲げない誰よりも冒険者の事を考えてくださるエイナさんらしいお言葉だと思います。そして考えを改めてくださってありがとうございます。」

 

「別に…正直私はあの女がベル君に纏わりつかずに以前のようにオラリオやギルドに害をもたらさないと言うなら、何も文句はないから…」

 

ベルの礼にエイナは苦笑いしながらリューへの印象を暗に語る。

 

結局エイナにとってのリューへの敵意や憎悪は、ベルへの急接近とかつての暴走が生んだもの。もしリューがそれらを今後行わないと言うならば、エイナがリューを無理に排除しようとする理由などないのだから。

 

そう締めくくったエイナに代わって口を開いたのは、リリルカ。

 

彼女もまた先程のような憎悪や絶望は表情に現れていなかったが、不満は消えていないような様子で呟く。

 

「ま…ギルドの対応はお任せします。リリの興味があるのは、ベル様の事だけです。もしあの女がベル様に近づかず、ベル様があの女の事を忘れると言うならば何も文句はありません。…何よりよかったです。…リリが言っていいこととは決して思いませんが…ベル様が元気を取り戻してくれて本当に良かったです。」

 

「…うん。またダンジョン探索を本格的に再開したいから。リリ。これからまたパートナーとしてよろしくね。…その…これまで冷たく当たっちゃってごめん。」

 

「…いえ。謝らないでください。リリが身勝手にしたことせいですから。でもリリは後悔はしてるとは言いません。ベル様があの女のそばにいると暴走癖が絶対に移ってました。今でもあの女にベル様が似るなんて考えられません!」

 

「は…ははは…」

 

リリルカが忌憚なくリューへの悪口を吐くものだから、ベルは苦笑いで返す。

 

ただベルはリリの言葉に文句を言わない。

 

なぜならその言葉があくまでベルの身を案じての言葉であることが分かっているからでもあるし、もうリューへの想いを忘れないといけないベルはリューを庇う道理もないと思ったからである。

 

そしてリリルカの言葉は言うまでもなく今までもこれからもく変わらずベルの身を案じて発せられるものである。もしリューがベルに近づかず危険をもたらす可能性がないのならば、リリルカはリューを憎悪し続けてもリューを消すことにこだわる理由はない。

 

「…私もそれでいいと…思う。あの女にもう私達に危険を及ぼしたり、前のような暴走を起こす力はない…もうギルドが管理できてない危険な力を持つ人はもういない…だから問題ないと思う。…私もベルとこれからダンジョンに行ったり訓練ができるならそれが一番いい…から…その…ごめんなさい。ベル…」

 

「…僕もアイズさんの気持ちとかをきちんと考えられてなかったり心配ばかりかけたと思うので謝らないでください。それよりアイズさんもこれからまた訓練して下さると嬉しいです。」

 

「…うん…!」

 

リリルカに代わって呟いたのはアイズであった。

 

アイズが気にするのは案の定アイズを倒せるだけの力がある人物がいるかいないかだけで『豊穣の女主人』のメンバーが消え、リューも恩恵を失った今特に気にするようなこともない。

 

そしてベルが再び訓練をしたいと言ってくれたことにアイズはベルとの距離がなかった少し昔に戻ったかのような心地がして素直に笑みで返した。

 

そんなアイズに他の二人は溜息と愚痴をこぼす。

 

「…ほんと【剣姫】様は相変わらずと言うか、能天気と言うか…」

 

「…全くです。ベル君が底抜けのお人好しだからとは言え、ベル君の言葉をあっさり信じたり、あの女が危険でないとあっさり捉えられるのは何と言うか…羨ましいです。」

 

「…何のこと?」

 

リリルカとエイナの呆れたような呟きにアイズは首を傾げる。

 

そうしていつの間にやら張りつめた空気はどこかに消え、和やかさを少しだけ醸し出す雰囲気が落ち着く中、リリルカは天井を見上げてポツリと呟いた。

 

「…結局あの女の思うがままにしかベル様は動かない…ということですか…全く忌々しいものです…それでもベル様がベル様自身もリリ達もあの女も笑顔でいることを望むなら…仕方ないです…でもやっぱり…悔しいですね…本当に…悔しいです…」

 

リリルカの呟きは誰の答えも得ずに虚空へと消えていく。

 

実際にリリルカの言葉は的を得ていた。

 

結局はリューの言葉がベルを動かし、ベルを一番に大切に思う彼女達がベルの言葉に動かされた。

 

全てはリューの思うがままに進まざるを得なかった。

 

ただそんな簡単に進んだのもリューが正義を優先してベルから身を引くことに決めたからに他ならない。もしリューがベルの隣と言う立場を譲らなければ、こうも簡単に話は進まなかっただろう。

 

リューが今を尊重し、過去を押し付けようとしなかったからこのように平穏に物事は進んだ。

 

要は三人のベルに対する立場はリューのお陰で守られたと言っても語弊はあまりない。だからそんな事実がリリルカ含めて彼女達には忌々しいことであった。

 

だがベルもそれを受け入れてリューの事を忘れ、停滞させてきた歩みを再び進めていくことに決めた。そして過去に囚われず未来をより良くするため、周囲に笑顔でいて欲しいと願った。

 

それはリュー言葉のお陰であるとしてもあくまでベル自身の決断である。

 

ならベルの事を想う彼女達がベルの思いを受け入れないわけにはいかない。

 

そのベルの決断と願いを受けて、リリルカもエイナもアイズも過去を振り払うことに決められた。

 

それと同時にこれまでのように、いや、これまで以上にベルに尽くすことを決心ができたかもしれない。

 

これは困窮している人々を思うリュー一人の決断のお陰ではない。

 

リューの言葉を受けて周囲の思いを考え未来を考えることを思い返したベルの決断のお陰でもある。

 

ベルの決断を受けて過去に囚われず自分達の思いの本当に為したいことを見つめなおした彼女達の決断のお陰でもある。

 

多くの人の誰かを思う気持ちがまた誰かの気持ちを変えることに繋がったのである。

 

この日一人の青年の言葉が三人の少女の凍りついた心を溶かした。

 

これにより幾人かには笑顔が戻り始めると同時に、さらに多くの人々が笑顔になるための糸口がこの時掴まれたのであった。

 

それと同時にリューの進む道もおのずと固定化されていくことになる。

 

 

リューがベルの事を忘れ、ベルがリューの事を忘れるということが関わる人々の中で共通認識となったのだから。

 

 

それはリューにとって決して不本意なことではないし、今のリューが望むことである。

 

だがリューは途方もなく大きな何かを失うことになる。

 

その覚悟ができているかは、いくらリューが繰り返し言葉にしようとも分かることはない。

 

それをこれからのリューは試されながら、自らの道を進んでいくことになる。

 

そんなことが決められた日であるとも言うことができた。



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定まるは麗人の道

「…どうぞ。これがこちらの提示する条件です。」

 

「…読ませていただきましょう。」

 

そこはリュー達が拠点として滞在している屋敷の応接間。

 

そこで厳粛に書類の受け渡しが執り行われた。

 

その当事者であったのは、一方はリリルカ・アーデ。ギルド側の使者としてある取り決めを記した書類を渡しにここを訪れていた。

 

そしてもう一方は言うまでもなくこの屋敷の今の主でギルドに協力の提案を持ちかけていた張本人であるリュー・リオン改めアリュード・マクシミリアン。

 

ギルドはついにリューの提案を受け入れる方向に舵を切ったのである。

 

そして今まさにその協力の提案を受け入れる条件をリューに提示しに来たのであった。

 

「…なぜ今日はアーデさんがここにいらしたので?ギルドが提案を飲む気になったのなら、副ギルド長がここを訪れるかと思っていましたが…」

 

リリルカから書類を受け取ったリューは書類を開く傍ら、さり気なく気になったことを聞いてみる。

 

実際のところは、リューに書類を渡す間もリューが書類を読んでいる間もずっと不機嫌なままで向かい合っていそうな表情を崩さないリリルカとの会話の糸口を掴んでおきたいと思っただけではあったが。

 

「…それはあなたのせいで今ギルドの根回しで忙しすぎて、手が離せないからですよ。予算を引き出したり人員を確保したり色々大変なんですから。あなたみたいに一声かければ、善意で数えきれない人が集まってくる…なんてことはないですから。」

 

「…そうですか。」

 

「ええ。そうです。」

 

リリルカの憤然とした回答にリューは苦笑いで応じるしかない。

 

そうしてリューが掴みかけた糸口はあっさりと消えていった。

 

ただそれにはさすがにリューに思うところを隠す気もないリリルカも気に病んだようで、リューが書類に記された条項に黙々と目を通す間にポツリと呟いた。

 

「…こちら側から提示した条件に何か疑問点があれば、お答えはします。」

 

「…ならば確認を兼ねて条項を読み上げさせて頂きます。まずダイダロス通りの方々への支援の形は私とギルドとの今後の交渉を通して決める…つまりは支援自体はお聞き入れいただけたということですね?」

 

「そうです。資金援助や人員提供等、あなたに不穏な動きやギルドと冒険者に不利益がない範囲ならば、検討するとのことです。」

 

「その対価として私自身への支援は一切打ち切り、この屋敷からも退去せよ…と。」

 

「その通りです。何かご不満でもありましたか?」

 

リューの呟きにリリルカはわざとらしく嘲りつつ尋ねる。

 

対価として記されていたのは、リューの言葉通りこれまで生活費としてこの屋敷に送られていた資金を今後は打ち切り、さらに生活場所として提供していた迎賓館である今いる屋敷からも退去することを定めたもの。

 

リューにとって本来は不利な条件と言えたが、そんなことはリューにとってはどうでもいいことであった。

 

「まさか。困窮する方々のそばで生活し、その苦しみを分かち合う…それは私自身の望むところです。すぐにでも退去しましょう。私自身への生活費の援助などもきちんと困窮している方々の元に支援が行き届くならば何ら問題ありません。」

 

「…やはりあなたならそう言うと思いましたよ。こんなちっぽけな脅しじみた条項であなたの覚悟が揺らぐだなんてこちらも思ってませんから。」

 

「当然です。」

 

「ギルドが生活費や娯楽費として渡した資金をあんな風に勝手に使われては困りますから。これからはギルドが把握する予算内でギルドにきちんとどのような政策を行うのか報告したうえで実行してください。それがダイダロス通りに住む方々の意見を代表して交渉相手とあなたを認めたことと支援をすることに決定したことへの対価でもあります。」

 

「分かりました。その点は重々心得ておきます。…ただ彼らのためにならない判断をするならば、私にも考えがあるのでその点はお忘れなく。」

 

「そういうことをリリの前で普通言いますかね…そんな不穏な言葉を聞いたら支援する気も失せる気がしますが…まぁギルドもそこら辺は善処してくれると思いますよ。あなたと同じ憂いを持った方はギルドにもいたようですから。」

 

「…そうですか。それは何よりです。」

 

リューはギルドが良からぬことを考えぬよう釘を刺すのを忘れない。ただそれはリューらしい愚直さのある発言ではあったがある意味交渉相手の反応を考えていない無思慮とも言え、リリルカは率直に苦言を漏らす。

 

その苦言にリューは複雑な表情で返しつつその続きに触れた。

 

「…それで私を嵌めたことに関しては一切の責任追及は禁じる…これは致し方ないことです。これは私自身目をつぶるべき点だと思ったところです。」

 

「…そこにはそうは記しましたが、ギルド自体の綱紀粛正もあり闇派閥(イヴィルス)と繋がり不正を働いていたギルド長ロイマンなどはきちんと処罰することにするそうです。言い訳がましいですが忘れて頂きたくないのは、副ギルド長もリリ達も名目上は悪事を働いていないという点です。あなたも『豊穣の女主人』の面々の仲にもお尋ね者が混ざっていました。やり方の悪さは認めても、その行いが間違っていたとはリリ達もギルドも認めることはありません。ギルドはあくまでオラリオのために動き、私怨を含んでいたとしてもあなたを過度に痛みつけた以上の悪事をリリ達は働いた覚えはありません。故にそのような条項を記させて頂きました。」

 

リリルカが述べたのはリューからすれば開き直りに等しい物言い。

 

だがリューや『豊穣の女主人』の面々の立場というものは、シャクティの話を聞いていることもあり、リューはすんなり受け入れることができるため書類から目を離すこともなく淡々と答えた。

 

「その点はシャクティからも聞いています。ギルドの不正が正され、私自身の過ちを償う機会が頂けるだけでも私は嬉しいです。それに過去は水に流す。そう決めてありますから。」

 

「…あなたは本気でそんなこと考えてるんですか?」

 

「…え?」

 

リリルカの不快感を含まない今日初めての静かな呟きにリューは思わず書類から目を離してリリルカの表情を見る。

 

リリルカは信じられないと言わんばかりの表情でリューを見つめつつ呟いた。

 

「…本当にリリ達を恨まず、リリ達やギルドと手を携えていこう…なんて考えているのですか?」

 

「当然です。それが困窮している方々のためになり、私の正義を貫くことに繋がるのならば、私は躊躇なくあなた方と手を携えます。そもそもあなた方の力を借りなければ、多くを成すことができないというのもありますが、正義を成すためにはできる限り多くの方々と協力すべきだと思いますので。」

 

「…あなたの正義のためならば、復讐さえも考えない、と?」

 

「往々にして復讐は正義にはなりえない。特に単なる私怨に基づいて動くのは決して正義ではない。復讐が正義になるとしてもその本質は私怨ではなく一つの信念に基づくべきだと今の私は思います。よって私はあなた方に私怨で復讐したりはしません。ただだからと言って今後困窮する方々への支援を怠るならあなた方を断罪することも辞さない…そういう立場であると考えてください。」

 

「…それ復讐って言わないと思いますよ?…裁かれないことがリリ達への復讐…そうとも言えますかね…まぁこの女には正義しか頭になくてそういう意識とかもないんでしょうけど…」

 

「…あの最後の方がよく聞こえなかったのですが、アーデさん。今何と仰いました?」

 

リューの復讐への見解に漏らしたリリルカの呟きは、リューの耳には届かずリューは首を傾げてリリルカに尋ねる。

 

その問いに答えるつもりもないリリルカは小さく咳ばらいをすると、リューの問いを無視して問いかけた。

 

「それで?あなたの正義のためならベル様との関係も断ち切る…そういうことですよね?まだお触れになってないですけど、そこには確かに書いておいたはずです。屋敷を退去後はダイダロス通りから一切出ないようにすること。ギルドとの交渉等もギルド側の者がダイダロス通りに交渉の場を設けるだけであなたは外部に出ることは一切禁止。そしてベル様との接触は特に禁止。…そうそこに記しておいたはずです。その点はどのようにお考えで?」

 

「…っ!」

 

この時リューはこれまでずっと即座に淡々と言葉にしていた答えを詰まらせた。

 

それはやはりベルの事を綺麗さっぱりリューの心から消し去ると言うのが厳しいことであったからに他ならない。

 

 

この条項を飲むということは、ベルと今後一切接触できない。もう二度と会うことができない。

 

 

 

そう宣告しているのだから。

 

リューはそう簡単には飲むということができない。

 

だがリューの正義と困窮する人々を思う心はそんな身近な快楽を求める心に屈するほど軟弱ではなかった。

 

何度も繰り返す通りリューはもうかつてのリューとは違うのだから。

 

「…当然受け入れます。前も言った通りベ…クラネルさんと私の正義には一切のかかわりはありません。故にその点を気にする理由は一切ありません。もう過去に喪った立場を取り戻そうとなど当然考えることもありません。だからあなた方はどうぞご心配なく。」

 

「…それはベル様があなたのことを今でも想っている…そう言ってもということですか?」

 

「…っっ!…ふぅ。…はい。そういうことです。困窮する方々を救うためならば、甘んじて受け入れましょう。一人の私情より…多数の方々の思いの方が優先されてしかるべきです。」

 

リューは僅かに表情を歪めつつ深呼吸を挟むことで何とか淡々とリリルカの問いに答える。

 

その答えにリリルカは大きくため息を吐くとリューから目を背けて、愚痴をこぼした。

 

「…そういう正義、正義と常に純白を標榜するよな姿勢をずっとリリは忌々しく思ってたんです。いつもいつも汚いリリよりも正しいように見えてしまうのがリリはすっごく嫌いでした。…あなたに許されようともリリはあなたのことがやっぱり嫌いです。」

 

「…そうですか。」

 

「それにそうやってベル様より正義を大切にするのはやはり許せません。もしかしたらそんな姿勢がベル様は好きでリリや他の方にないベル様の思う魅力だとしても…リリは絶対に真似しません。一番大事にすべきなのはベル様です。ベル様以上に気にすべき相手なんていません。ベル様を二の次にするなんて考えられません。だからっ…!あなたは…ベル様と結婚しなくて正解だったんです。リリ達はベル様のために間違ってなかった。そうに違いありません…!」

 

リリルカがリューへの文句を並べるうちに漏らしたのは、自己肯定的な言葉の数々。リューはベルにふさわしくなかったという、今更な文句。そしてベルが未だにリューの事を想っているのではという懸念からくる文句。

 

それにリューは本来、いやベルの隣と言う立場にこだわるなら反論すべきだった。

 

だがそんな立場を今のリューは求めていないし、第一にリリルカの言い分に認めるべきところがある。そう考えもしたリューは感情を昂らせることもなく言った。

 

「…確かにその通りです。クラネルさんより私自身の正義を優先する私は彼の隣にいるのにふさわしくありません。その資格は当然にない。あなたの言う通りです。」

 

「…は?」

 

「だから彼のことを第一に考えられるあなた方が彼のそばにいるのがふさわしい。私が彼から離れるのは当然のことと言えるかもしれません。」

 

「…何を言って!?」

 

「だから私が言う立場でないのは理解していますが、言わせていただきたい。どうかクラネルさんを…ベルの事をお願いします。彼は私などの存在にとらわれることなく輝くべきお方です。」

 

「…っっ!!そんなことあなたなんかに言われずとも!」

 

「ならいいのです。私はこれ以上に彼に関して言うことはありませんから。私は私の果たすべき責務と正義のために邁進するのみです。」

 

「ぐぅぅ…!あなたのそういうところ…本当に大っ嫌いです!」

 

「…今私が何か変なことを言いましたか?」

 

リリルカはリューの言葉に激昂する。

 

他でもないベルが今でも想っているかもしれないリューにベルの事を頼まれるなど恥でしかない

 

。ベルとリューを引き裂いたのが自分達であると改めてその事実を突きつけられたかのような心地を覚えたリリルカは開き直るような怒りをぶつけずにはいられなかった。

 

とは言ってもリューはそんな気もなくただ単にベルの事を一番に想うリリルカ達にベルの事を頼んだぐらいのつもりしかない。

 

ということでリリルカの激高も馬耳東風のようでリューは首を傾げてリリルカの反応を不思議がるばかり。

 

リューが自身の思って以上に間抜けでポンコツだったことを改めて思い出したリリルカは激昂も収まらぬままため息混じりに吐き捨てる。

 

「もういいです!ベル様の事はリリ達が責任を持って支えていきますから、あなたは大人しくダイダロス通りの困ってる方々でも助けて、あなたの大事な正義でも貫いていてください!」

 

「その言葉を聞けて嬉しいです。あとアーデさん…気になる条項もこれ以上はなさそうですから、この会談はこれぐらいにして私達がこの屋敷を退去した後に追って話を詰めるという形で如何ですか?」

 

「もう!それでいいです!リリからもお話しすることはありませんから、とっととダイダロス通りにでも引きこもっててください!」

 

リリルカはそう吐き捨てるだけ吐き捨てると、リューに一礼だけして乱暴に席を立つと応接間から立ち去っていく。

 

…かとリューには見えたが、リリルカは唐突に立ち止まるとリューを振り返ることもなくポツリと呟いた。

 

「…あなたのことは大っ嫌いで正直二度と会いたくないくらいですが…ベル様が立ち直るきっかけをくださったのは感謝しています。…リリ達の身勝手でベル様を傷つけてしまい、その身勝手はあなたのせいだという考えは変わりませんが…あなたのお陰でベル様が立ち直れたのは感謝するしかありません。だから…ありがとうございます。」

 

「…リリルカさん…」

 

「なので…最後に一度だけベル様とお話する機会を差し上げます。もし何か思うところが本当はあるのなら…きっちりそこで吐き出してください。でないとあなたのことをリリ達はいつまでも完全に信じることができません。…これはベル様を立ち直らせて頂いたお礼です。そしていつまでもあなたの事を引きずらずにはいられないベル様にその未練を完全に断ち切って頂くための機会でもあります。だからあなただけのためではないことを忘れないでください。」

 

「…はい?アーデさん?一体何を話しているのです?」

 

「…リリが帰ってからしばらくしたらベル様がここに来ることになっています。これをベル様とお話しする最後の機会と思ってください。」

 

「ちょ…アーデさん!?」

 

リューがリリルカの言葉を十分に理解できず、と問い返すがリリルカはそそくさとそれだけ言い残すと立ち去ってしまう。

 

取り残されたリューは十分な理解のための情報を加えてもらえなかったため仕方なくリリルカの言い残したことを頭の中で整理を試みる羽目になる。

 

整理してみると簡単な話であった。

 

 

もうすぐリューの元を訪れるベルとの対面が一生で最後のベルとの対面になる。

 

 

そういうことだった。

 

確かにそうなることをリューはぼんやりと覚悟はしていた。

 

だがはっきりとその機会が目の前に迫っているとなると流石のリューも冷静なままとはいかない。

 

何をどう言い訳を重ねようと、リューの心のどこかはベルに縛られたままなのだから。

 

こうしてリューはベルが訪れるまでの間心をかき乱されることになる。

 

だがどれだけリューの心がかき乱されようとリューの正義と責任感が導き出す答えは一つしかない。

 

ベルのことはもう忘れるというのは規定事項なのだから。

 

だからリューに必要なのは、ベルにいかに自身の思いを伝えること。

 

そして真にその覚悟を決められるか。

 

それが問われているに過ぎないのであった。



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麗人と青年の真の別離

リューとリリルカの対談が終わってからそう時間は経たなかった。

 

リューの部屋にノックの音と共にアンナの声がリューの耳に届いた。

 

「…アリュード様。ベル・クラネルさんがお越しになりました。…如何なさいますか?」

 

「…どうぞ。彼に入って頂いてください。」

 

間を置かずアンナの問いにリューは答え、ベルの入室を許可する。

 

するとゆっくりとアンナによってドアが開かれ、ベルが気まずそうに入室する。

 

そして入って間もなくには、まるでアンナが気まずげに入りたがらないかのような素振りを見せるベルの逃げ場を塞ぐように素早いながらも音もなくドアを閉め、リューとベルだけの空間が瞬時に作り出される。

 

これはアンナのリューとベルの最後の時間を少しの邪魔もなく過ごしてもらおうという配慮からきた行いだったが、リューもベルもそれには気付かない。

 

なぜならもうこの時の二人の頭には目の前にいるかつての婚約者の事しかなかったのだから。

 

閉じられたドアの前に立ったまま気まずげに動こうともリューと視線を合わせようともしないベルに対し、リューは背筋を正したままベルをじっと見つめたまま。

 

そんな状況がしばらく続いたが、その状況に困惑したリューが先に肩をすくめてベルに声をかけた。

 

「…そこにそう立って頂いても話が進みません。どうぞお座りください。」

 

リューはそう言ってベルを向かいの席を勧める。だがベルはリューと視線を合わせず立ったまま。

 

仕方なくリューは我慢強くベルが反応してくれるのを待つことにすると、その時ベルが細々とした声で呟いた。

 

「…その…ごめんなさい。…もうあなたに会ってはならない…そう決心してたんです…でも…リリにどうしてもって言われて断れなくて…だから…その…」

 

「その点はお気になさらず。アーデさんからお話は伺っていますから。だからどうぞこちらの席に。お座りいただかないと、話を進められません。お頼みできませんか?」

 

ベルの弱弱しい物言いにリューは強い口調と依頼でベルに向かいに座るように促す。それにベルも遂に屈し、ベルはリューの向かいに腰を下ろす。

 

だがベルはリューと視線も合わせないまま何とも居心地の悪そうな様子でいる。

 

それでリューは小さくため息を吐くと、静かに語りかけた。

 

「ベル。今から私のお話を聞いて頂けませんか?私はあなたが私に一人の女性に関して話してくださったように私にもあなたに聞いて頂きたいお話があります。」

 

「…リュー…さん…?」

 

リューの語りかけにベルはようやく顔を上げて、今日初めてリューと視線を交わす。

 

そうしてリューが語り始めたのは、ベルが来るまでの間ずっと考えていたベルに話しておきたいと思ったことであった。

 

「私は今から一人の愚かな女についてお話ししたい。その愚かな女のこれまでの愚行とこれからも犯し続ける大罪を…あなたが率直に話してくださった以上私にも率直にお話しする義務がある。」

 

「…ぇ?…それは…えっと…」

 

「ええ。あなたはきっとお察しくださっているでしょう。一人の愚かな女…リュー・リオンの話を。…今だけはリュー・リオンとしてあなたに語りかけたい。…今だけです。これで最後です。…だから今だけはそれを許していただけませんか?ベル?」

 

リューはそう静かにベルに告げる。

 

そう告げながらリューは気付かないふりをしていた。

 

言葉を紡ぐ中で心に痛みを感じていることを。

 

ベルとの繋がりを終わりにしたくないと心のどこかで願っていることを。

 

だからリューは語る中でそれらを思い出すことで自身の表情が歪まぬよう強く意識しながらベルに語り掛けるしかなかった。

 

そしてそんなリューの苦しい努力の生む苦しげな表情をベルは気付かずにはいられない。

 

ベルはリューの思いをくみ取ると、これまで抱いていた戸惑いを捨てた。

 

ベルの挙動がおかしくなっていたのは、リューとベルがダイダロス通りのことがあったから。あの時ベルは過去の後悔を語り、リューはそれを許すと同時に過去を捨てるようにベルに求めた。

 

だからこれ以上ベルがリューに接触するのは、リューの意向に反する。そう強くベルは思っていたのである。ベルはリューとこれ以上話すことでリューの意志に反し、リューを傷つけるのを強く戒めていたのだ。

 

だがリューは立場を入れ替え今だけは過去の事を話すと言う。

 

それは過去をきっちりと整理し過去の遺恨をすべて吐き出すことで今を最後に過去を完全に捨て去りたいというリューの意志の現われだと読み取った。

 

ベルはそのリューの意志を読み取った以上無視などしない。最後の最後にリューの意志を踏みにじるなどベルには考えられないこと。

 

戸惑いを捨て力強く頷いたベルはリューの言葉を受け入れる決意を込めて、リューの許しに応えた。

 

「もちろんです。…これが本当に最後です。だから…リューさんの本当の思うことを教えてください。お願いします。」

 

ベルの返してくれた力強い回答。それは、ベルが自身ともう話したくないと思っているのではと危惧していたリューの懸念を取り払ってくれるものであった。

 

リューはその回答に小さく笑みを浮かべた。

 

「…ありがとうございます。ベル。…では話させて頂きましょう。一人の…愚かな女の話を。」

 

「…はい。」

 

一瞬浮かべた笑みを消して静かにそう告げたリューにベルもまた表情を引き締め、短い言葉でそれに応える。

 

リューは息を一度大きく吐くと、思いの丈を語り始めた。

 

「リュー・リオン…彼女には一人の想い人がいました。彼女の正義と命を救い、溢れんばかりの愛を注ごうと決めた一人の想い人が。彼女はその想い人と結ばれ一生幸せに生きられる。もう苦しまないで済む…そう思っていました。ですがそうはならなかった。その想い人を彼女と同じように愛する方々がいて、彼女はその方々に妬まれた結果嵌められました。」

 

「…」

 

「彼女は嵌められた事実に絶望しました。そして想い人が何時まで経っても助けに来てくれないことに怒りと絶望を覚えました。…一時は復讐も考えました。真実を知り、彼女を嵌めた人々や…想い人が彼女に仇を為し不義を働いたなら…復讐を辞すべきではない。彼女の大切な人々も命を落としていることも考えれば尚更です。」

 

「…でもなぜ彼女は復讐を選ばなかった…それはなぜです?」

 

リューの独白にベルはつい質問を挟む。

 

それはベルがどうしてもリューの事で理解がし難い点だったからである。

 

「それは彼女の大切な人々にも彼女自身にも不義があったからだと気付いてしまったからです。彼女はそれ相応の罰を受けた。彼女は消えなければならなかった。それだけ彼女は未熟だったと気付いてしまったから。そして彼女には何よりも自らの正義を見つめ直した結果それ以上に大切なものはないと再認識できたからです。」

 

「…正義。彼女にとっては正義はそれだけ大事だったのは僕も知っています。そして…その正義が正しくてカッコいいものであることを僕も知っています。だから彼女の気付いたことは正しいと僕も思います。」

 

「…そう言って頂けることをきっと彼女も喜ぶことでしょう。…ただその正義を見つめ直した時彼女は同時に気付いてしまったのです。その正義を守り抜くには大きな障害があるということを。」

 

「……大きな障害…ですか?一体何ですか?それは?」

 

リューの重々しく言う様にベルは言葉を選びながら尋ねる。それにリューは一瞬間を置いてから答えた。

 

 

「それは…想い人の存在です。」

 

 

「…っっ!!」

 

リューの暗にベルの事を指す言葉にベルは表情を歪める。

 

リューの言葉はベルがリューの正義の妨げになっている。そう宣告するに等しいものだったから。

 

だがリューの言葉の真意はそこにはなく、リューは少々慌て気味に言葉を加える。

 

「もちろんその想い人に恨みを抱いているとかそう言う訳ではありません。…むしろ彼女は今でも彼の事を愛していると言っても過言ではありません。」

 

「っ!リュ…リュー…さん?」

 

リューが口にしたのはこれまでの対応からは考えられない告白。

 

その告白にベルは驚愕で目を大きく見開き、期待の混じった表情でリューを見つめる。

 

だがリューの言葉はまだ終わっていない。本当に言おうとしているのはここからであった。

 

「…しかし…彼の事を考えるとどうにも彼女の思考は乱されてしまったのです…彼のそばにいれば幸せになれる…そんな甘えが彼女を蝕んでいると気付いてしまった…その甘えに飲まれれば、彼女は正義を貫けなくなる…それを…彼女は許せなかった…彼女は…幸せになることよりも正義に身を投じることの方が重要だと…結論を出しました。」

 

「…だか…ら…なんです…か…?」

 

「だから…彼女は自らの正義を守るために想い人を忘れることに決めました。…この判断はその想い人の想いを踏みにじる下劣で愚かなものです。…決して許されるものではない。…彼と自身の幸せの事を考えるなら、そんな判断はあり得ない。…彼女はどう考えても愚かです。…ですが彼女は愚かであろうと、自身の愚直な正義を貫くことを選んでしまった。…もう彼女は後戻りはできないですし、するつもりもない。…だからその判断を周囲に押し付ける…そんな愚かで身勝手な女なのが彼女なのです。…だから彼に愛される資格などない。彼に忘れられてしかるべき女です。」

 

「…そんなことないです。彼はそんな真っすぐな彼女を愛していたに違いありません。…だから…彼は彼女のどんな決断も背中を押すでしょうし、決して彼女の事を忘れたりはしません。…だって彼女は彼にとって唯一無二の愛する女性ですから。」

 

リューの自虐的な物言いにベルは首を振って否定し、笑顔でリューへの愛が不変であることを告げた。

 

だがその笑顔から寂しさは拭えない。

 

なぜならどう言葉を取り繕おうとも別離は確実に訪れることになるのだから。

 

「…ありがとう…ございます。…彼女もそう彼に言って頂けたらとても喜ぶでしょう。」

 

「…それなら…よかったです。」

 

「…しかし彼女は…彼を忘れます。なぜなら彼女は数えきれない方々の願いを背負っているから。…もう彼女は彼一人のために生きることはできない。彼女のこれからの一生は彼らのために使われると…彼女はそう決めてしまいました。だから…もう彼に囚われることはありません。それでも…!…彼は彼女を愛し続けるでしょうか?」

 

「彼…は…」

 

「彼女は彼に恨まれても仕方ない大罪を犯そうとする愚かな女です。それでも彼に愛されていたいと考えてしまう身勝手な女です。…それでも…!…それでも…!彼は彼女を愛し続けるでしょうか?報われも実りもしない一方通行の愛を…貫いてくれるでしょうか?」

 

「…」

 

リューは悲痛な独白を続ける。

 

正義だけを考え続け、ベルの事を忘れる…

 

それはリューの理想だ。

 

それはリューのあらねばならぬ姿だ。

 

リューは確かにもう一線を踏み越えている。

 

もうベルの事を忘れて、正義だけの単に邁進する準備はほぼ整っている。

 

だがもう一押しだけはどうしても必要だった。

 

ベルに愛されることを望んでいた『リュー・リオン』の想いを満たすことが。

 

それが愛を欲した『リュー・リオン』という一人の少女が正義のためのみに生きる『アリュード・マクシミリアン』という一人の麗人に完全に生まれ変わるために必要な最後の一ピースだった。

 

そしてその最後の一ピースを与えるのはベルしかいない。

 

「…大丈夫です。彼は彼女に会えなくても見向きもされなくてもずっと彼女だけを愛し続けます。もう彼は彼女に心を奪われてしまっていますから。だって彼女が彼のことを愛して悩んでくれたことを知っているから。彼はいつまでもその想いに応えて彼女を愛し続けます。…それが彼の償いでもあり、望むことでもありますから。」

 

「…っベルッ…!」

 

ベルは優しい笑みでリューにもう一度不変の愛を伝える。その優しすぎる言葉にリューは感極まりそうになる。

 

だがリューは涙だけは抑える。

 

涙など流す資格はない。そもそもこれはリューの我儘が起こしたこと。

 

そう考え涙を抑えたリューは言葉を紡ぎ続けた。

 

「…なら…!彼女のっ…!私の為す正義を…私の道を…ずっと見守っていてくださいませんか?あなたの一言があれば…!私はもう二度と迷わず正義のために生きることができます…だから…!」

 

「僕は…いつまでもあなたのことを見守っていますよ。リューさん。どれだけ距離があろうとも僕はあなたのことを忘れることができませんでした。そして僕はあなたに拒絶されても尚…あなたのことが忘れることができそうにありませんでした。だからこれからも絶対に大丈夫です。僕はあなたの正義を、あなたの成し遂げる事をずっと見守り続けます。約束します。リューさん。」

 

「ベルッ!ありがとう…本当に…本当にその言葉を聞けて良かった…」

 

ベルは『リュー・リオン』の願いを快く聞き届けてくれる。

 

これで『リュー・リオン』の未練は消え、リューは『アリュード・マクシミリアン』として完全に生まれ変わることができる。

 

そう確証を得たリューは喜びと安堵の入り混じった声でベルに礼を伝える。

 

そのリューのお礼をベルは笑顔で受け取ると、遠慮がちにリューに問いかけた。

 

「だから…リューさん。僕の我儘も…聞いてくださると嬉しいです。たった一つのお願いを…前に会った時に言えなかった最後のお願いを…聞いて頂けませんか?」

 

「…っ!何ですか…?聞かせてください。ベル…私にできることなら…私の正義の妨げにならぬことなら何でもしましょう。」

 

ベルの願いにリューはすぐさま快諾する。

 

ただそこで『正義の妨げにならぬことなら』と制約を付ける辺りリューが一時の喜びに浸っていても自制心を失っていないことの表れだとベルは思った。

 

そしてその意志の固さこそリューの凄さで美点であることを知るベルはそんなリューに僅かな懐かしさ、ベルのかつて見ていたリューと今のリューがほとんど変わっていないことを再実感しながらその快諾に答える。

 

「もちろんリューさんの正義を妨げることなんてお願いしません。ただ…心のどこかで僕を応援していて欲しい…僕がこれから為すことを見守っていて欲しい…そう願っています。もう誰にも心配をかけないように僕は前に進んで行かないといけない。その覚悟を決めるために…リューさんから一言だけ頂きたいんです。お願いできませんか?」

 

ベルが伝えたのはリューがベルに頼んだことと相違はない。

 

リューの願いに応え、リューの事を忘れる…

 

それはリューの願いだ。

 

それならばその願いにベルが応えない理由はない。

 

ベルは確かに一度その覚悟を決めたはずだ。

 

もうリューの事を忘れて、自らの道を再び前に進んで行く準備はほぼ整っている。

 

だがもう一押しだけはどうしても必要だった。

 

リューに愛されることを望んでいた『ベル・クラネル』の想いを満たすことが。

 

それが愛を欲した『ベル・クラネル』という一人の少年が自らの道を周囲の力を借りながら切り開いていく『ベル・クラネル』という一人の青年に完全に生まれ変わるために必要な最後の一ピースだった。

 

そしてその最後の一ピースを与えるのはリューしかいない。

 

「当然です。…『リュー・リオン』はいつまでもあなたを見守っています。あなたを愛した『リュー・リオン』はきっと…心のどこかで生き続ける。例え私の一生を正義で染め上げたとしても…私はあなたのことをきっと忘れられない。それだけ私はあなたを愛していたのは事実です。だから私はベルを心のどこかでずっと応援し続ける。そう約束します。べル。」

 

「ありがとう…ございます。リューさん。これで僕ももう未練はありません。これからずっとあなたに応援されるに値する冒険者であれるように努力を続けられます。」

 

「…ええ。あなたはそうでなくてはなりません。…ベルは…私の英雄なのですから。」

 

「…っ!リュー…さん…!」

 

リューもまたベルの願いを快く聞き届ける。

 

そうすることがリューの存在に囚われず、ベルが前に進んで行くことに必要なことだと分かっていたから。

 

そう思ったリューはベルと同じように笑顔で答えるだけでなくベルの事を『英雄』であると評する。

 

それはベルを勇気付けるために贈った言葉。

 

そのたった一言がベルの心を奮い立たせる。

 

リューに狙い通りその言葉はベルに効果絶大だった。

 

こうしてリューの独白を終え、お互いの願いも聞き届けたリューとベルの間にようやく静寂が戻ってくる。

 

その間リューとベルはお互い見つめ合うだけ。

 

それはまるでお互いの姿を、これが最後になるであろうかつての婚約者の姿をお互いの心に焼き付けようとしているかのようだった。

 

リューもベルもかつてのように触れ合うことを求めない。

 

触れ合ってしまえば、お互いの温かい温もりのせいで覚悟が揺らいでしまうかもしれないから。相手の覚悟を揺るがしてしまうかもしれないから。

 

だから触れ合うことのできない近くも遠くもない距離が常にリューとベルの間に横たわる。

 

その距離はもどかしいものだった。

 

だがその距離は二人にとってお互いに悪影響を与えないために必要な距離だった。

 

だからこのままでいい。

 

もう触れ合わなくていい。

 

そうリューもベルも考える。

 

これが最後の邂逅であろうとも、その距離を縮めなかったことを後悔したりはしない。

 

リューとベルはそう心でそう結論付ける。

 

そうして奇しくもリューとベルが相手の姿を心に焼き付けるのに必要な時間は一緒。

 

お互いの視線を交わしてそれが分かったリューとベルは最後に告げるべきことを告げるべく声を揃えて言葉にした。

 

 

「「さようなら。ベル(リューさん)。」」

 

 

 

こうしてリューとベルの最後の邂逅は静かに幕を閉じた。

 

あとはリューとベルが各々の道を歩み続けるだけ。

 

例え別々の道であろうともお互いが見守ってくれている。

 

そんな言質があるからリューとベルはその道を邁進できる。

 

リューとベルはついに過去と今を切り離し、未来への第一歩を踏み出すことができたのであった。

 

五年前に始まろうとしていたリューとベルの物語は遂に始まることなく、リューとベルそれぞれの物語が始まっていく。



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終幕 麗人の道 青年の道
麗人の行きつくは正義


「どうしたの?あなた?何か考え事?」

 

リューの耳元に届く親友の問い。

 

それによって何気なく過去の記憶に心を浸して自分の世界にすっかり入り込んでいたリューは、ハッと意識を現実に引き戻す。

 

そして親友で今では妻という呼称に慣れ親しむようになっているシルの問いに答えた。

 

「あぁ…すみません。シレーネ。少し考え事を…」

 

「別にいいよ。今日はあなたの珍しい珍しい休日なんだから。それくらい気を抜いておいてもらわないと困るからねー」

 

「…」

 

リューの謝罪にシルが嫌味を思いっきり込めた言い方で返してきたため、リューは苦笑いを浮かべるしかない。

 

「それで?何を考えていたの?まるで昔を懐かしんでましたーっていう感じの表情をしてたけど。」

 

「…シレーネ。それはもう私が何を考えていたのか、大方予想ができている、ということではないですか?」

 

「じゃあ図星なんだね?」

 

「…ええ。」

 

苦笑いを浮かべるリューにいたずらっ子のような笑みで繰り返し尋ねたシルにリューは溜息混じりに返すが、それはシルの思うつぼ。

 

相変わらずシル相手には誘導されてばかりのリューは大人しく何を考えていたのか白状することにした。

 

「…この街に…ダイダロス通りに拠点を移す前の事を思い出していました。」

 

「あーもう15年…か。」

 

シルはそう呟きつつリューと同じように一瞬過去を思い返した。

 

 

シルの言うようにリューとシルがオラリオに帰還してから、そしてダイダロス通りに拠点を完全に映してから早15年。

 

リューとシルの身辺も多くが変わっていくと同時にリューの疲労や心労を顧みない姿勢のように変わらないものもある。

 

そんなことをリューもシルも思い返してしまう程度には長いようで短い月日は過ぎ去っていた。

 

「それだけ経ったからかもう私とリューが夫婦って言われるのも慣れちゃったもんねー」

 

「…確かにシレーネの言う通りです。もうあなたのことをシルと呼ぶよりもシレーネと呼ぶ方が慣れてきた気がするくらいです。」

 

そうニヤニヤとシルが告げ、リューがもう何の照れも示さずに受け流すくらいには月日が重ねられていた。

 

二人が『アリュード・マクシミリアン』と『シレーネ・マクシミリアン』という偽名を使ったのは、もう15年も前のことになる。

 

リューもシルもかつての名を誤って漏らすなどという失態を犯さないようにと意識を続けてその名を表向きだけでなく普段から使い続けるうちに、リューはシレーネというシルの呼び方に、シルはあなたというリューの呼び方に定着してしまっていたのだ。

 

ただリューはシレーネというシルの偽名に慣れる一方でシルは一向にリューの事をアリュードという偽名を呼ばないのには、シルなりに思う所がある。だがそれにリューは生憎気付いていないようであった。

 

「それはともかく、あれから15年も過ぎましたが、まだまだ私の理想には遠い…私の力が及んでいなさすぎる…それが悔しいと思ってしまいました。まだまだ私の精進が足りません。もっと素早く多くの方々の生活を豊かにしていければいいのですが…」

 

「…あなたがそう言うのは分かるんだけど…リューのお陰でこの15年でできたこととしては凄いことだと思うけどなー」

 

リューの悔し気な呟きにシルは呆れ半分に答える。

 

この15年間はリューにとって自らの正義、困窮している人々のために一生を捧げるという覚悟そのままに費やされた15年であった。

 

ダイダロス通り中を飛び回って、状況を住民一人一人に聞いて回り、自らの為すべきことに反映してきたリューの努力は尋常なものではなかった。それこそシルが今のように拠点でリューを半ば無理矢理に休ませなければならないと考えた程度には。

 

「私のお陰ではありません。多くの方々の協力があってのことです。私一人では何もできませんから。」

 

「…確か迷路のように入り組んでたダイダロス通りの区画整理を提唱したのはリューだったよね?」

 

「いえ。それは住民の方々のお話があったからこそです。それに資金提供をしてくださったのはギルドですし、こうして今まさに働いてくださっているのも住民の方々や【ゴブニュ・ファミリア】の方々です。私は何もできていません。」

 

「…うん。まぁ…そう…かな?」

 

神妙な表情でシルの問いに答えるリュー。

 

リューの言い分は分からないでもないが、複雑な表情で受け止めるしかないシルは適当に返事だけして次の話題に展開した。

 

「それにしてもよくギルドも協力して資金提供したりファミリアを貸してくれるよね。…正直私はそこまで協力してくれると思ってなかったなー」

 

「それもこれもエイナギルド長のご尽力のお陰です。彼女のお陰でどれだけ支援を得られたことか。」

 

「支援を引き出してくれてるのは交渉役としてあなたに無理難題を定期的に押し付けられてるアンナさんでもあるんだけどねー」

 

「…当然アンナさんにも感謝しています。…日ごろから感謝はお伝えしていますが、今度またお礼を伝えておきます。」

 

シルの指摘にリューは気まずそうにアンナへの感謝を口にする。

 

今元々ギルドとの繋がりでリューとシルと再会したアンナはダイダロス通りから出ることを禁じられている二人に代わってギルドとの交渉を一手に引き受けていたのである。

 

…それでシルの言うようにリューのお陰で無理難題を押し付けられて苦慮しているわけだが、元々リューへの心酔度が高い上にこの15年で前以上にリューの理想に染め上げられている。

 

そのためアンナはリューの無理難題を嬉々としてギルドに持ち込んで、良い条件を引き出そうとし、実際に困っているのはアンナより調整する羽目になるギルド側の代表を続け、ギルド長になっていたエイナの方だったりする。

 

エイナはリューに送った条項通り不正を働いた元ギルド長ロイマンを罷免した。ただその代わりを務める力を持つ者もおらずエイナがその座を継ぎ、自らの手で贖罪としてギルド内の綱紀粛正を敢行した。

 

それだけでなくリューとの協力もギルド側に悪影響がない限り手を回すようにしてくれている。ただ利害関係上どうしても対立に至りやすいため、リューにとってのエイナは協力相手と見なしつつもそれなりの警戒を解けないという関係性が続いていた。

 

お陰でエイナよりもアンナに信頼が向きやすく、まさかリューの要望をアンナが直球どころか盛ってエイナとの交渉に臨んでいるために対立が頻発しているとは思ってもいない。

 

相変わらず視野の狭さが見え隠れするリュー。

 

アンナに申し訳ないことをしていると礼を告げなければと心に決めるリューにシルはアンナに礼でも伝えたらさらに奮起して暴走し始めそうだ…と思ったが、エイナには特に義理もないとリューには何も言わない。

 

そのおかげでエイナがこの後リューの無理難題にさらに四苦八苦するのだがそれはシルの与り知らぬこと。

 

そんなこんなでリューとギルドはこの15年間円満な協力関係を保ち続けていた。

 

「…ただこの区画整理のお陰で悪党の拠点になることも減り、治安も改善されたと思います。それこそ20年前以上に。その点はシャクティも言っていました。」

 

「シャクティさんにはたくさん協力してもらってるよね。工事現場の警備に治安維持にリューの護衛に…シャクティさんには感謝してもしきれないよね。」

 

「…私の護衛などいらないと言っているのですが…まぁシャクティの善意です。受け取らぬわけにはいかないので…」

 

そして次に話題に上ったのは、ダイダロス通りに入る前にリューとの協力関係の再構築を取り交わしてくれた【ガネーシャ・ファミリア】団長シャクティ・ヴァルマ。

 

事前の約束通りシャクティはリューとの提携の元ダイダロス通りの治安回復に乗り出した。そしてダイダロス通りの区画整理のお陰で巡回の効率化が進んだことによって悪党の拠点にしにくくなったことと【ガネーシャ・ファミリア】の監視強化が相乗効果を生み、治安は劇的な勢いで回復が進んだ。

 

治安回復は人々の出入りの活発化にも繋がり、段々と取引も活発化し始め、ダイダロス通りは繁栄への道を歩み始めている。

 

これがリューとシャクティの長年続き、より強化された信頼関係が生んだ成果と言える。

 

そしてその信頼関係の強化にはリューが責任ある立場に立ったことで以前よりシャクティの立場を慮るようになって話がスムーズに進むようになったのも関わっていた。

 

…もちろん困窮する人々のことになるとリューが遠慮もなく意見を押し通そうとするのは相変わらずだが。ただ以前ほどの暴走は減ったと言っても差し支えはない。

 

とは言え、この状況で一つ大きな問題になっていたのは、リューが責任ある立場なのにどうにもそのことを理解していないかのような自らの身や健康を顧みない言動の数々であった。

 

シャクティがリューの安全を考慮して護衛を付けようとしても断る事に然り。

 

周囲の説得によって今は【ガネーシャ・ファミリア】の護衛が二人付いているが、リューは護衛付きで街を歩くのを好まず定期的にお忍びで一人で街を歩き回るため周囲の悩みの種になっているが、残念なことにリューはまず自分がお忍びで外出していることを知られていることに気付いていなかったりする。

 

これもまた住民の注目を常に集めてしまうリュー自身の立場をリューがイマイチ理解していない証拠とも言えた。

 

そして今二人がいる場所も新築とは言えダイダロス通りに住む住民の平均少し下程度の水準の住居。

 

シルから見ればあまりに貧相でベッドも小さく固すぎたり部屋自体狭すぎたりと、とてもきちんと休養ができるような環境が整ってるとは考えられない。そのため何かとシルはリューの健康を気にする羽目になる。…もちろん食事等の管理はシルではなくアンナの管轄だが。

 

ただリューからすると、元々街中を飛び回り工事現場で寝泊まりしたりと結局この住居を休息の場どころか拠点としても活用していないのでほとんど気にもなっていない様子。今いるのもシルにここで休息を取るように言われたから今にも何かしたいのも山々に休息を取っているだけであった。

 

そんなこんなで色々と責任ある立場としてあるまじき言動を繰り返すリューであったが、この言動のお陰で実は住民の支持を集めていた。

 

護衛もつけず、住民と同じ水準の住居に住み、汗水たらして働く現場に毎日赴くリュー。

 

そんな責任ある立場らしくないリューは住民に親近感を抱かせた。

 

それが本来余所者のはずのリューが当初から円滑に受け入れられ、住民の協力を一手に集められた要因。

 

リューは知らないが、巷ではこんな噂も流れているくらいなのだ。

 

 

『困窮する人々を救う英雄が、悪を滅ぼし弱者を守る正義の使徒がダイダロス通りに現れた。その者こそがアリュード・マクシミリアンである。』、と。、

 

 

困窮する人々の生活を救い、悪党をダイダロス通りから駆逐したリューはかつての『【疾風】のリオン』のように、いや、その時以上に正義を尊ぶ者としての名をオラリオに轟かせるようになっていたのである。

 

そんな噂も知らないリューは引き続き謙遜して言う。

 

「…それに始まりとも言える炊き出しの成功に尽力し、今もダンジョンの収益などを寄付して下さる神ヘスティアや神タケミカヅチ、神ミアハ…かの神々だけでなく多くのファミリアが協力の手を差し伸べてくださっています。それが何と尊いことか。私は全ての人に感謝してもしきれません。ダイダロス通りがよりよい街になったのは、やはり私一人のお陰ではありません。」

 

「それもそうだね。あなたが思うようにみんなが善意で動いてくれてるとはさすがに思わないけど…神格者として名高いタケミカヅチ様やミアハ様は、すっごく協力してくれるし、何よりヘスティア様は色々情報もくれるしね。」

 

「…ええ。神ヘスティアにはいろいろとお世話になっていますから。」

 

二人の会話が今度行きついたのは、リュー達に協力する神々やファミリア。それらのファミリアの協力と駆け引きの苦労がリューとシルの頭に浮かんだのは言うまでもない。

 

ただ流れで名前が出たヘスティアの名がリューとシルの脳裏から離れず、触れないわけにはいかない雰囲気になっていた。

 

それはただただリュー達に特別に協力してくれていたり、色々と相談に乗ってくれているから、と言うだけではない。

 

ヘスティアはある人物との深い関係を持ち、その人物の近況を度々伝えてくれていたから。

 

そしてリューはシルがあえてヘスティアの名を強調するかのように最後に言ったのがなぜか分かりきっていたため、小さくため息を吐くと静かに尋ねた。

 

「…私に今ベルの事をどう思っているのか…尋ねたいのですか?シレーネ?」

 

「…いいの?」

 

シルは自分から誘導したはいいものの少しだけ今更のようにリューを慮って心配げに尋ねるが、リューは表情を変えずに答える。

 

「ええ。あなたが望むならば、せっかく過去に思いを馳せていたところです。シレーネの質問にも答えしましょう。ベルの事であろうと…何であろうと。」

 

こうして話題はリューの元婚約者、ベル・クラネルの元へと移っていった。

 

 

このリューの15年を規定したリューの正義に並ぶ重大な要素であるベル・クラネルに。



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麗人と青年の行きつく先は…

「ええ。あなたが望むならば、せっかく過去に思いを馳せていたところです。シレーネの質問にも答えしましょう。ベルの事であろうと…何であろうと。」

 

「…えっと…」

 

リューの淡々としたた物言いにシルは思わず言葉を詰まらせ、リューに質問してもいいと言われたにもかかわらず質問できなかった。

 

もう15年。

 

だがたったの15年でもある。

 

ヘスティアとの会話の中で近況報告や世間話程度の扱いでこれまで幾度もリューとベル・クラネルの名を聞いてきたシル。

 

だがリューはいつもその名を聞いても相槌をして聞き流していた。だからヘスティアもそれ以上話を掘り下げず、流れるようにベルから話題は遠ざかっていた。

 

 

シルが知る限りこの15年間、リューはベルの話題を正面から触れたことはない。

 

 

だからシルはここでベルの話題に大きく踏み込むことに戸惑いを覚えてしまったのである。

 

そんな戸惑うシルにいつまでも質問をしてもらえないリューは小さくため息を吐くと、シルの質問を待たずに語り始めた。

 

「別に何も遠慮するようなことはないのではないですか?私の知っているのは、神ヘスティアからお聞きしたことと風の噂で耳にしたことくらいです。

 

「…確かにそうだね。この15年間ベルさんは…以前のような活躍を取り戻してる。」

 

「ええ。少々活力を入れ直すのに時間がかかったようですが、アーデさんや【剣姫】の支えもあり、それまで停滞していたダンジョンでの到達階層も記録的勢いで更新していき、今ではかつての【ゼウス・ファミリア】や【ヘラ・ファミリア】の到達階層を近日にはついに越えたとか。もちろん【剣姫】の【ロキ・ファミリア】との合同遠征に漕ぎつけたことも大きいでしょうが、その一端を担っていたのが彼の再起による業績と言えるでしょう。」

 

リューはそうさらさらとベルの近況を告げる。

 

その時ようやくシルは冷静そのもののリューに質問を出すことができた。

 

「ヘスティア様はどうして…私達にベルさんの話をするんだろう…?どうしてわざわざヘスティア様が会いに来るんだろう…?」

 

シルはそう言いつつヘスティアがベルの話を持ち出すときに常々抱く思いに火が灯る。

 

その思いとは、リューがベルを遠ざけているのになぜベルの話をするのか、ということ。

 

リューがベルのことを必死に忘れようとしているのに、その覚悟を乱すヘスティアにシルは常々不快感を抱いていたのだ。

 

だがリューはシルと違ってヘスティアが何を考えてベルの話をするのか薄々察していた。

 

それはリューが自分自身の思いを理解しているからであった。

 

「それは私が未だに彼の事を…気にかけていることを見抜いているからでしょう。だから神ヘスティアは一番そばにいる主神として彼の近況を教えてくださる。そしてアーデさんや【剣姫】などがきちんと彼を支えている事実を伝えることで私を安心させると同時に未練を抱かないように配慮して下さっているのでしょう。流石は神です。私などの浅はかな思いなど簡単に見抜かれてしまっているようですね。あぁ。もしかしたら神ヘスティアは私の近況を彼やその周囲に伝えるために自ら足を運んでくださるのかもしれませんね。」

 

リューはそう肩をすくめながら言う。

 

そんなリューのおどけるような様子にシルは何とも言えない気分になりながらも質問を重ねる。

 

「…そんな活躍するベルさんの話を聞けて…どう思ってるの?…ベルさんを他の女性が支えているって聞いて何も思わないの?」

 

「どうとは…彼の活躍は偉業に等しいものです。オラリオ中の人々が称賛しています。だから同じオラリオに住む住民として当然に誇らしいですし、そんなファミリアの主神である神ヘスティアに協力して頂けているのは喜ばしいことだと思っています。彼を支えている方々も彼と共に偉業を成す方々です。彼と同じように誇りに思うべき存在だと…」

 

「…ねぇ。リュー?それ本気で言ってる?」

 

「…本気ですが?何か気になる事でも?」

 

リューのベルを気にかけていると言いながらも意図的にベルを遠い存在と比定しようとするかのような言葉に違和感を覚えずにはいられなかったシル。

 

シルは何年かぶりにリューの本名を呼んでリューの本心を咎める。

 

シルの物言いにリューは目を細めて不快感を示しつつシルの言葉の意味を問い返した。

 

そんなリューの態度を開き直りだと捉えたシルは、ついに遠慮を捨ててシルの抱いていた疑問をぶつけた。

 

 

「…リュー?本当に今の状況になってよかったと思ってるの?…後悔してないって…本当に言えるの?」

 

 

それはこの15年間シルが心の底に溜めてきた疑問。

 

確かにシルはリューが自らの道を歩んでくれればいい。そう思った。

 

そしてリューはシルの願い通り自らの道を邁進した。

 

自らの身体と健康を犠牲にしつつ、リュー自身の正義のためにずっとリューは献身してきた。

 

だがその過程で犠牲になったものには、リューの幸福も入っている。そうシルには思えてならなかった。

 

それほどリューは自己を犠牲にしているように見えるのが本当にリューにとっていいとずっと思えなかったのだ。

 

だからシルはその疑問をようやくぶつけた。

 

その疑問をぶつけたシルの表情は親友への心配で歪んでいた。

 

そんな悲しげな表情をするシルにリューは困惑した表情を浮かべつつ大きく息を吐いた。

 

「…なぜシルがそのような表情をするのですか?私が問題ないと言えば、問題ないでしょうに…」

 

「…だってリューはいつも無茶するし、そもそもリューは私の親友だし。」

 

「…今は夫ではないのですね。」

 

「…リュー?今は私そんなふざけた態度取れる気分じゃないから。」

 

「…いつも夫婦だからと密着してきていたのはやはりふざけていたのですね…」

 

重苦しい会話をリューとシルは交わしていたはずが、途中で気が抜けたように脱線をした末にリューはもう一度息を吐くと、観念したようにシルの質問に答えた。

 

「よかったか悪かったか…そんなこと正直私には分かりません。そして後悔しているかという質問には、どうして後悔する必要があるのか、と聞き返させて頂きます。」

 

「…どういう意味?」

 

「私は困窮している方々を救うために命を捧げるという正義のために生きることができている。彼はダンジョンで偉業を為すことができている…これのどこに問題があるのです?」

 

「…はぁ…どうしてそう…さ。…リュー…」

 

リューの回答にシルは頭を抱えて、大きな大きな溜息を吐いた。

 

何せシルが聞きたいことはそう言うことではない。それをリューが全く理解していないのが何ともじれったかった。

 

「そういうことじゃなくてだよ…?リューの幸せとかさ…リューはベルさんのそばにいたかったんじゃないの?ということで…」

 

「…それ…は…」

 

シルの呆れかえったような口調で問われた質問にリューはようやく言葉を詰まらせた。

 

リュー自身直前に漏らしたようにやはりリューは完全に記憶から消し去れていなかった。

 

どうしてもベルといることによって得られたはずの幸福を。

 

だがその幸福を得たいという欲求を抑えるための理論をこの15年の間にリューは構築できていた。

 

「…確かにそれを考えることはあります。…しかし私と…ベルがそばにいることはあまりにも害が多すぎる。…だから今の状況が丁度いいのです。」

 

「…それは一体どういう意味?」

 

シルは含みのあるリューの言葉にその意味を問う。

 

リューは天井を見上げ、遠くを見るような表情をすると、静かに答えた。

 

「私がベルのそばにいるとベルの周囲にいる方々が不安を抱きます。…それは20年前の一件で実証されたこと。彼女達に不安を与えず、ベルを全力で支えて頂くためにも私はベルのそばにはいられません。」

 

「…っ!そんな他人を気にする必要なんて…!」

 

「それに私自身ベルのそばにいると私自身の正義のために献身できません。…ベルのそばにいると幸福すぎて、私は何もできなくなってしまう。だから私が正義を貫くためにも私はベルのそばにはいられません。」

 

「…リュー…」

 

「そしてベルも…私のことを気にすると、ベル自身の道のために全力を尽くせなくなってしまうようです。それは私がそばにいた一時期に然り。私の姿を消した時期に然り。ベルにとって私は近すぎても遠すぎてもいけない存在なのでしょう。だから…」

 

そう言いつつリューが思い浮かべるのは、ベルのこと。

 

15年前に最後に見た記憶にあるよりも凛々しくなったベル。

 

今ではもっと精悍な大人へと成長しているはずでリューのイメージした姿とはきっと変わってしまったベル。

 

「私達にはこの距離が丁度いいのです。お互いの噂や神ヘスティアを通じてお互いの事を知れ、それでいて顔を合わせることもできずお互いの事を強く意識することもできない。近すぎず遠すぎずの距離感…それが私達の為すべきことに精一杯努力することができている秘訣なのかもしれないですね。」

 

リューはそう言って笑う。

 

その笑いは自らを自嘲するもの。

 

もしリューとベルがもっと成熟していれば、何かを変えられたのではないか…そんな二人の未熟さを自嘲する笑みであった。

 

それを見抜かぬ訳のないシルはあえて質問をぶつける。

 

「…そんな距離感でしかいられなくても本当に後悔してないの?」

 

シルのリューの心を突く問い。

 

それにリューは笑顔を浮かべたまま答えることができた。

 

「ええ。当然です。だって私達は今でも想いあっていますから。」

 

リューとベルに横たわる近くも遠くもない距離。

 

それはリューにとっても途方もなくもどかしい。

 

だがそんなもどかしさを取り払ってくれるのは、お互いがお互いを想い続けると取り交わした15年前の約束であった。

 

「私はベルの活躍を願い続け、その活躍をいつまでも見守り続ける。ベルは私が正義を貫くことを願い続け、私が正義を貫く姿を見守り続けてくださる…私達はそう約束を交わしました。だからお互いの事を忘れてしまったかのように会えずとも話せずとも私達は心で繋がっている。そう信じることができます。だから…世間一般で言われるような愛の証明ができなくとも…きっと私達にとってはこれでいいのです。これが私達の最善です。だから私は決して後悔などしません。」

 

「…まぁリューがそう思うならいいのかな…?」

 

「ええ。これでいいのです。私が正義を貫き、ベルが自らの道を進むことができている…私にとってはそれだけで十分ですから。これが私なり…私達なりに15年前に選び取った関係の在り方、私達なりの幸福です。」

 

 

結局はリューの言う通りであった。

 

誰にだってどのような幸福の形が一番いいのかなど分からない。

 

大切なのは、リューとベルがその関係に満足し幸福であると感じられているか否か。

 

リューは幸福だと信じている。その信念を糧により一層の努力をダイダロス通りにおいて重ねている。

 

それに対しリューは与り知らぬことだが、ベルもまた同じように今を幸福を感じつつダンジョンにおいて努力を重ねていた。

 

こんな関係は世間一般には確かに幸福ではないのかもしれない。

 

リューもベルも周囲に翻弄され、一時は絶望に身を墜とした。

 

だがそんな中でもリューもベルも自らの正義と自らが歩む道を見出し、絶望から脱することができた。

 

そして今もまた二人は自らの在り方を追求し続けることができている。

 

その支えになっているのはリューとベルが取り交わした15年前の約束。

 

その約束が今でもリューとベルを奮い立たせ、さらなる努力に繋げている。

 

こんなリューとベルを見て、どうして二人の心が通じ合ってないと言えるだろうか?

 

どうしてリューとベルが想い合っていないと言えるだろうか?

 

リューとベルはこれまでもこれからもその大切な約束を守り続ける。

 

リューはダイダロス通りで困窮する人々を救う。

 

ベルはダンジョンで偉業を達成する。

 

そしてその努力を一つの約束が支え続ける。

 

これがリューとベルの関係の在り方

 

これがリューとベルの幸福。

 

これがリューとベルの愛の在り方。

 

それは誰であろうと否定できない。

 

もしかしたらこう言えるのかもしれない。

 

何物にも翻弄されようともお互いへの愛を愚直に守り続けたリューとベル。

 

その愛が守り抜けたという事実こそが二人でさえ気付かぬ翻弄した周囲への最大の復讐であった、と。

 

だが二人にとってそんなことはどうでもいいだろう。

 

リューとベルが求めたのは、互いが自らの意志を貫けること。

 

そしてお互いがいつまでも愛し合い続けるという事実をお互いに信じ続けることができること。

 

ただそれだけなのだから。

 

 

 

 




一時休載を挟みましたが、通算約5か月間お読みいただきありがとうございました!
途中(最後の最後まで?)迷走を繰り返していましたが、お付き合い頂きありがとうございました!


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