きさつのけんし (サイコロステーキ)
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1話



流行りにのって思いついたものを適当に書き留めました。
続くかは不明。





 

 

 

人里から多少離れた山の中。

 

この山はある程度人の手で整備され、ある一点、空気が山の下より極々薄いということを除けば人間でも生活しやすくなっている。

 

「イヤぁぁぁぁぁぁぁぁああ!!」

 

そんな山中で汚い悲鳴が響く。

 

「くんなよ!くんなよ!俺はもう沢山だ!!こんな修行いつまでもやってられるかァ!!!」

 

「いい加減にせんか、馬鹿弟子!大人しく修行場に戻るんじゃ!!」

 

山の斜面を疾走し、逃げる少年を義足の老人が追いかけていた。

 

まるで瞬間移動のようなデタラメな速さで踏み込み、少年を追う老人。なんの躊躇いもなく手にした杖で少年をぶん殴ろうとするが、彼は振るわれる度にひらりとそれを躱していた。杖を振り上げる度にチラリと老人に視線を向けるとまるで何処に打ち込まれるのかが分かるかのように躱していくのだ。

 

「ヒエッ!?おい、今頭狙ったな!?あんたの馬鹿みたいな速さでぶん殴られたら頭蓋が割れるわ!!!死ぬわ!!!」

 

「軽々躱しておいてよく言うわ、戯け者!!」

 

老人の名を桑島慈悟郎と言った。

 

彼は鬼殺隊と呼ばれるとある組織で最高位の剣士、鳴柱にまで登り詰めた人物である。多くの鬼を殺し、人を助け、その足を失くしてからは育手として弟子を育て上げてきた。それはそれは優秀で誉れある剣士である。

 

そんな彼は今とある少年を弟子に取り、鬼殺の剣士にせんと育てていた。些か、否。かなりやる気や性格に問題があるどうしようもない弟子ではあるものの、その能力は非常に優れたものであると慈悟郎は確信していた。ゆえに厳しくも愛深く弟子に稽古をつけていた。

 

その愛が弟子に伝わっているかは別にして。

 

「いい加減にしろよクソ爺!俺は鬼狩りなんかにゃ絶対ならねぇからな!!」

 

「ならんというのならそれでも構わん!とにかく修行を放り出すことは許さん!!」

 

「剣士にならねぇのになんで修行がいるんだよ!?大体なぁ、このご時世に刀振り回してるのなんかイカれとヤクザぐらいだってわかんねぇのか!?」

 

今が下剋上上等、刀一本でどこまでのし上がれる戦国の世ならいざ知らず。太平の世となって久しく、文明開化も遂げ、近代国家へと進むこの明治の世でのし上がるのに必要なのは知力であって武力ではない。

 

今も振られ続ける杖を躱しながら少年、鏡壱は慈悟郎に文句を叩きつける。

 

「この馬鹿弟子が!世の為、人の為に戦う鬼殺隊の役目をイカれなどと一緒にするでない!」

 

そう言った慈悟郎は異様に低く腰を落とした前傾姿勢をとった。鏡壱はやべと、慌てて回避しようとするが一歩遅い。

 

独特の呼吸、その音と共に稲妻が迸り、バリリリという空気を引き裂くような轟音が響く。

 

「霹靂一閃 神速」

 

まさしく雷電。先程までの瞬間移動地味た踏み込みとは比べるのもおこがましいほどの速さで慈悟郎が鏡壱に迫る。音すら置き去りにした杖は強かに鏡壱の胴を打ち抜き、悲鳴を上げることすら許さず彼の意識を奪った。

 

「全く、手のかかる弟子じゃ。逃げ出す弟子を止めるのに神速まで使わんといかんとは。儂が老いたか、それともこやつが天の寵児か」

 

手間をかけさせおって、そう漏らし疲れた様子を見せる。倒れた鏡壱の襟を掴み、ずるずると引きずりながら今まで爆走してきた道を慈悟郎は戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

普段鏡壱と二人で暮らす小さな山小屋まで戻ってきた慈悟郎は未だ意識の戻らない鏡壱を布団に寝かせると自分も囲炉裏の前に腰を落とした。鉄瓶で湯を沸かし、茶を淹れる。ずずっと一口啜り、阿呆面で眠る弟子を眺めた。

 

 

 

この少年は数年前に自分が引き取り鬼殺の剣士としての修行をつけている。名を鏡壱、名字はない。そもそも鏡壱という名も自分がつけたモノで、親が与えたモノではない。

 

ある時少しばかりの用事を済ませるために慈悟郎は普段住まう山を離れ、遠くの町へと出掛けた。その際に町の外れで物乞いをしていたのが鏡壱だ。

 

 

その様子を慈悟郎は今でもよく覚えている。

雪もちらつく寒空の下、襤褸に身を包み地べたに座りひたすらにニコニコと笑みを浮かべていた。その姿ははっきり言って異様だった。

 

燃えるような緋色の髪を持ち、瞳が蒼い。黒髪黒目が基本の日本人からは浮いた容姿。それに加え顔の左側、額から頬にそして首元の鎖骨あたりにかけて焔のような奇妙な痣がある。

 

あまりに気になるもので声をかけると、その笑みのまま自分に眼を合わせたのだ。その時の感覚と言えば筆舌に尽くし難いものだった。まるでこちらの全てを見透かすかのような無機質で熱のない視線。ぞわりと身の毛がよだった。得体の知れないものと出会ってしまった。そんな言い表せぬ感覚。元はその名を轟かせた鳴柱ともあろうものがまだ歳も1桁だろう少年に怯むとは。そんな驚愕と混乱の中、当の少年が口を開いた。

 

「お金がないのです。もう4日も食ってはいません。どうか少しばかりの銭を恵んではくれませんか」

 

汚い身なりに、いやそれ以上にその小さな身体に見合わぬ丁寧な口調で穏やかに語りかけてきたのだ。

 

「……お主、名は?」

 

「ありません。私の両親は私に名前というものを与えてはくれませんでした」

 

「ならば親はどうした」

 

「母は私のような得体の知れない者を産んで精神を患い、いつしか何処かへ消えました。父は私を穢れの子と呼び、ここから暫くの場所にあった小さな寺へ捨て、やはり何処かへ消えました」

 

自分のことなのに他人事のように淡々と話すその姿はやはり異様としか言いようがなく。それもこんな幼い少年がそう話すものだからやはり気味が悪い。

 

「しかし寺はなくなってしまいました。ある晩悍しい怪物がやってきたのです。私の他にも居た子供たちを喰い殺してしまいました」

 

鬼が出たか。

慈悟郎はその怪物というものに心当たりしかなかった。だがよく生き残ったものだ。話を聞く限りでは他の生存者はいないようにも思える。おそらくは自力で逃げてきたのだろう。もしも鬼殺の剣士がその場へとやってきたのであれば行き場もない少年を独り放り出しはしないだろう。

 

「よくも鬼から逃げ切ったものじゃな。まだまだ死ぬ定めではないと見える」

 

「逃げる?逃げてなどいません。私達の面倒を見てくれていたお坊さんが怪物を殴り倒しました」

 

またも慈悟郎は驚愕した。

殴り倒した?鬼を?寺の坊主が?日輪刀も持たない一般人が鬼を殺したなど到底信じられなかった。

 

「信じられん。どういうことじゃ、何があった?」

 

彼は数瞬の逡巡のうち口を開いた。

 

「正しくはお坊さんが殴り倒し、彼が怪物を抑えつけている間、私が寺にあった鉈で刻みました。首を切ろうと、心の臓をえぐりだそうと、頭蓋を割ろうと死なぬのです。ですが夜が明け、日が差すと怪物は灰になってしまいました」

 

「結局残ったのは私とお坊さん、そして彼が守った少女が1人。あとは皆死にました。そのあと町の人達がやってきてお坊さんが子供たちを殺したのだと言って彼を連れて行ってしまいました。残った少女も何処かへ去ってしまいました。私は行く宛もなく、ここで慈悲を乞うているのです」

 

「父の言っていたとおりは私は穢れの子。よろしくないものを引き寄せて不幸を齎すのでしょう。だから首でも切ろうかと思いましたが、怖くなってしまいました。まだ死にたくないと思ってしまいました。両親にも、寺の皆にも災いを齎したあとでなんと都合が良く、醜いものだとは分かっておりますが……」

 

「もうよい」

 

慈悟郎は聞いて後悔した。

鬼に人が殺される。それはどれだけ惨たらしいことかをよく知っている。知っていたはずなのに彼の異様な雰囲気に飲まれ喋らせてしまった。喋るということはまず間違いなく彼はその時のことを思い出している。

 

「……まだ話し終えてはいませんが?」

 

聞くべきではなかった。

思い出させるべきではなかった。

表情こそ変わらなかったものの先の逡巡は思い出すことを拒もうとしたのではないか。

 

「もうよいのじゃ」

 

話を遮られて不思議に思ったのだろう、首を傾げる彼。その顔は最初と変わらずニコニコとした笑みを浮かべたまま。だが先程の話を聞いたからだろうか。それは異様なイカれの雰囲気ではないように思える。どんな苦しみも押し殺してなお必死に笑顔でいようとする、そんな歪な姿に見えた。

 

「なぜ笑うのじゃ。辛かったのだろう、苦しかったのだろう、悲しかったのだろう。なのにどうしてお主は笑う」

 

「私のような気味の悪い子供は泣いていたとして、きっと誰も手を差し伸べはくれないでしょう。なので笑っています。そうしたら少しでも他人様に良い印象を持って貰えるかもしれません」

 

そうしたら誰か助けてくれるかも。言外にそう言ってるのだろうか。

 

「違う。そうではない。子供は泣いて良いのじゃ。そうやって素直に心のままに行動出来る無垢こそが子供なのじゃ」

 

親に捨てられ、仲間は殺され、独りぼっちで、何処へも行けずにこんな雪の舞う露頭に取り残されている。

本当は泣きたいはずだ。叫び出したいのだろう。助けて欲しいのだろう。

でも、分からないのだろう。知らないのだろう。誰も教えてはくれなかったのだろう。

どうすれば胸の中で渦巻く感情を処理できるのか。どうすればこの現状を変えられるのか。どうすれば誰かに助けを求められるのか。

 

分からないから笑って誰かの慈悲に縋っている。

 

「泣いていても何か変わるわけではありません。無意味です。そのような暇があるなら別のことに時間を……」

 

「馬鹿者が!!」

 

思わず慈悟郎は怒鳴る。

 

すると彼は酷く驚いたように身体をビクリと震わせて、視線を逸らした。そしておずおずとこちらの様子を伺うようになる。ようやく無機質だった視線に感情というものが宿ったように見えた。

 

「その可愛げのない態度がいかんのじゃ!子供は子供らしく無意味なことをして、無意味な時間を過ごせば良い!!」

 

「ですが……」

 

「それじゃ!先程から儂が喋れば間髪入れずに反論してきおって!お主のようないけ好かない餓鬼は初めてじゃ!!」

 

慈悟郎は背こそ縮んで小さいが、声はデカイし、顔立ちは険しいしで子供から見れば結構恐ろしげな雷親父である。本人もその自覚はあって普段暮らす山の麓の町にで歩くときなど子供達は自分の顔を見ると瞬く間に逃げ出す。

だというのに目の前のクソ餓鬼はどうだ。逃げ出すどころか、こちらの言う事に一々文句をつけて反論してくる。全く持って可愛げがない。

 

「お主のようなクソ餓鬼は嫌われて当然じゃ!出逢って間も無い儂でもお主が可愛くないと思うのじゃからな!!」

 

「……そうですか。やはり私は産まれるべきではなかったのですね。見ず知らずのお方さえ不快にさせる。ここに在ること自体が…」

 

「何度も言わせるな、馬鹿者!!」

 

持っていた杖で少年の頭を叩く。

するとやはり酷く驚いた様子の彼は口をパクパクと動かし、何かを口にしようとする。

 

「まだ反抗する気じゃな!?もうその減らず口は叩かせんぞ!」

 

それより先に少年の口無理やり閉じる。

そして座ったままの彼の手を掴み、立ち上がらせる。

 

「儂と来い!そのひね曲がった性根を叩き直してやる!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなことから数年。

 

未だ眼を覚まさぬ弟子を見遣る。

生意気だったクソ餓鬼はさらに生意気なクソ餓鬼へと成長していた。その成長はどうにかしてもっと真面目な人間に育てられなかったものかと考えることもあるが、概ね慈悟郎にとって嬉しいものである。

あのときのただ無機質に笑うだけの少年が今や叫び声を上げながら百面相をして走り回っている。確かにひねた性格は治らなかったかもしれないが確かに人間として健全な成長を遂げたハズだ。

 

「……ん…ここは…?」

 

「ようやく目覚めたか。馬鹿弟子」

 

「……ジジイ」

 

まだ意識がはっきりしないのだろう。

ぼんやりとしたまま上体を起こした。だが、うぐっと何か堪えるような声を出し、そして叫んだ。

 

「いってええええええええええええ!!!??」

 

「やかましいのう。起きたそばからそれか」

 

「痛い痛い痛い痛い痛い痛ぁぁぁぁぁぁぁぁい!?!?」

 

ごろごろと床をのたうち回り苦しむ彼を余所に慈悟郎は過去を懐かしむ間に冷めてしまったお茶を啜る。

 

「思い出したぞ!てめぇよくも手加減もなしに霹靂一閃決めやがったな!?防具もない生身の人間にあんなインチキ剣術叩き込むやつがどこにいる!?」

 

「ここにおるぞ」

 

「そういうこといってんじゃねぇよ!!」

 

うがああとのたうち回ることは辞めずに騒ぐ鏡壱。

 

 

 

 

 

 

 

今日も師弟は平和だった。

 

 

 

 

 

 



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2話




とりあえずカッコつけて名前をつけた立志編なるものまでは練れたので頑張って書こうと思います。






 

 

 

 

 

ビュンと木刀が風を斬る音がした。

 

先日の脱走の罰として通常の鍛錬に加え、地獄の素振り1万回を慈悟郎に課された鏡壱は黙々と木刀を振っていた。

 

呼吸を整え、正眼に構えた刀を振り上げ、振り下ろす。そして残心。この一連の動作を淀みなく行ってようやく1回。

 

元々この修行は刀の正しい振り方を覚えるためのもの。ゆえに鍛錬の中にはじめから組み込まれており、刀を握らされた頃は1日に百回と非常に可愛げのある数字だったのだが、鏡壱が脱走を繰り返す度に増えていき、今では1万回となった。

 

終わるまでは家の中に入れてもらえないし、飯も食わせてはもらえない。当然途中で逃げだせばさらにキツイ仕置が待っているし、こっそり手を抜いて休んでいると慈悟郎にぶっ叩かれる。

 

どうしたって逃げられない。

それを自らの体験をもってよく理解している鏡壱はいつからかこの鍛錬に真面目に取り組むようになった。当然だが剣士の道に目覚めたとかそういうことではない。逃げられないのなら早く終わらせよう。ある意味当然の答えを導き出し、彼は精力的にこの鍛錬に取り組むようになったのだ。

 

 

 

 

最初の一回目、脱走の罰として増え続けた素振りの1万回を終えるのは1日かがりであった。日が昇りきる前に振り始めても、終わるのは日が沈んで随分と経ってからである。

ちなみに当然放り出して遊びだすと考えていた慈悟郎は真面目に剣を振る弟子を二度見した。というか、1日でしっかり終わらせたことに仰天した。ハッキリ言って今の鏡壱には無理だと慈悟郎は考えていた。体力的に1万回はどうあっても無茶であり、こなせなくとも少しは真面目に剣を振ることを覚えさせねばと思い、課した鍛錬であったのだ。それを大真面目にこなしてしまったものだからやはりと弟子の才能を再確認し、翌日からの鍛錬に気合が入った。鏡壱は死んだ。

 

 

 

 

次に課された時はずっとかかる時間が短くなった。日の出前に始めれば正午を過ぎ、陽が傾き始めた頃には終わったのである。

 

あまりに早く終えるもので驚いた慈悟郎は何があったのだと鏡壱を問詰めた。

 

真面目に剣士としての鍛錬をしない彼は刀の振り方こそ覚えど初心者に毛が生えた程度の腕しかない。ゆえに達人である慈悟郎から見れば無駄まみれの動きでぎこちなく刀を振っていた。

確かにそんな様であった以前の鏡壱とは比べものにならないほど構えは洗練されており、刀を振る姿に無駄はなかった。お手本通りの完璧に型に則った剣閃では済まない。さらにその先の領域にまで到達している。彼は自らの肉体に最も適した形で刀を振っているのであろう。剣の振り方を正しく覚え、そのうえで自らの技術として完璧に習得しているのだ。

 

ただ惑うばかりの慈悟郎に鏡壱は自分なりに導き出した最適解へ刀の振り方を矯正したのだと、簡潔に答えた。

 

だが慈悟郎が聞きたかったのはそういうことではない。どうすればそんなことが出来るのかということを聞きたいのだ。

武術とは剣術に限らず地道な鍛錬を積み重ね、その道の果てを目指すものである。自らの剣の腕も長い研鑽の果てに得たものだ。そんな自分からしても唸るほどの技術を弟子が一朝一夕で覚えてきた。その衝撃は計り知れないものである。

 

「別になんでもないだろ。前回は1日ずっと剣を振り続けた。そんだけ振れば刀を振るのに必要な筋肉も、躰の動きも理解できる。ジジイが剣を振るのもずっと見てきたからな。必要以外の無駄を判別するのは簡単だった。あとはそれを削れば良いだけじゃねぇか」

 

さも当然のように言ってのけた弟子に戦慄したのは記憶に新しい。

そんな簡単な訳がない。お主のように一瞬で出来る者だらけならば世の中怪物ばかりじゃ。そんなツッコミも出るほどに慈悟郎は衝撃を受け、同時に自らが拾った童の才覚は途轍もないものということを三度思い知らされた。この子はまさしく天に愛された子。きっと誰にも勝る剣士になる、そう確信出来た。当然鍛錬に注がれる熱量も跳ね上がる。鏡壱はもっと死んだ。

 

 

3度目、4度目と課される度に鏡壱は最高に嫌そうな顔をしながらもいち早く終えるために鍛錬に励んでいく。慈悟郎の期待など知らぬが鏡壱は真面目に剣を振り続けた。

 

 

 

 

 

 

 

そんな地獄の素振り1万回も今回でもう10回目を超えていた。

もはや鏡壱は1日中刀を振るようなことはない。本人曰く血の滲むような努力…余所から見れば難なくこなしているように見えた…の果てに半刻もあれば終えてしまうようになった。

 

「おーい、終わったぞジジイ」

 

「むぅ。この馬鹿弟子め、もはや罰にもならんな」

 

鏡壱自身も苦に感じない程に簡単にこなしてしまうようになった。どうにかこの馬鹿弟子を苦しめるための新たな罰を考えねばと思う慈悟郎。だが困ったことにこれだけ手早くこなせるのだからもはや刀を振るということは極めているということでもある。回数を増やせば良いという次元は当の昔に過ぎてしまった。

 

他に何をさせるかとなれば単純な筋力強化などの他には自らの扱う呼吸、その技を本格的に教えるくらいしか思いつかない。

 

全集中の呼吸、5つに分かれた基本の流派。

 

流麗にして華美、変幻自在の足運びを主軸とし、習得も比較的容易い水の呼吸。

足を止め、練り上げた技の威力をもって鬼を殺すことを主とした炎の呼吸。

まさしく岩のように硬い防御と単純な身体強化による力押しを行う脳筋の岩の呼吸。

暴風が如き荒々しい剣技をもって鎌鼬を生み出し鬼を切り刻む風の呼吸。

そしてなにより速さを求め、一瞬の間に鬼の頸を切り落とす事を考えた雷の呼吸。

 

当然、元鳴柱たる桑島慈悟郎が教えるのは雷の呼吸だ。

 

雷の呼吸は繰り返すが何より速さを求める。単純な剣の腕以上にどれだけの踏み込みを行えるかが全てを決める。どれほどの剣術の達人であろうと雷が如きその踏み込みが習得出来無ければ雷の呼吸とは言えず、逆にどれほど巧く踏み込める者であろうとその速さを活かして刀を振れぬのなら意味はないのだ。

ゆえに生まれついての才能や肉体的な条件に左右されやすく、習得や練磨が難しい。霹靂一閃を始めとした鬼の知覚すら置き去りにする速さでの一撃必殺の技は鬼殺を行う上で非常に有効ではあるのだが習得が難しいという欠点がやはり大きく、使い手も必然的に少なくなってしまった。

 

 

慈悟郎は鏡壱が雷の呼吸を覚えられないとは全く考えていない。それでも未だに教えていないのには理由がいくつかあった。歳の頃を考えれば彼の躰はまだまだ未完成だ。その上既に栄養状態は改善されたとはいえ鏡壱は欠食児であったために身体が小さい。

雷の呼吸の技は全身への負荷は勿論だが特に足腰への負担が大きく、未熟な躰で無理をさせればこれからの成長に悪影響を及ぼすかもしれない。

 

当然そんなことは慈悟郎の望むところではない。本格的な修行を施すのはまだ先にとすると、である。取り敢えずは全集中の呼吸だけでも覚えさせ、心肺機能を強化するのが妥当だろうか。

 

「のう、鏡壱。儂は最近お主に何を教えるかずっと悩んでいての」

 

「教えなくていいわ!剣士になんかならないって言ってるだろ!」

 

「それで今日は全集中の呼吸を教えようと思ってな」

 

「人の話を聞いてたか?」

 

鏡壱は自分の拒絶の意思に全く耳を貸さない師に文句をつけるが取り合ってはくれないらしい。

 

「全集中の呼吸というのはな…」

 

「ジジイがいつもしてる変な呼吸のことだろ」

 

「人の話を遮るでない!まぁ、それであっておる。儂の呼吸が普通のものではないとよく分かったな」

 

やはり目の付け所の良さは生来の才によるものか。

確かに通常の呼吸とは異なる独特の呼吸音など差は多くあるが、見かけの差はないも同然だし、しっかりと意識せねば同じ呼吸の使い手であっても気づかないだろう。もちろん何も知らぬ者が判別出来るようなものではないハズだ。

 

「他の人と比べて息を吸ったときずっと肺が大きく膨らんでるし、血の流れも勢い良くて全身に行き渡ってる感じだからな。見比べりゃすぐ気づく」

 

「そうじゃ。全集中の呼吸は通常の呼吸よりもより多くの酸素を肺に取り込み、血流に乗せて全身の隅々まで浸透させる技術……」

 

どうやら思いの外深い理解があるらしい弟子の言葉に同調するように説明をして、ふと気づく。

 

「ん?待て。鏡壱なぜそこまで知っておる?詳しく教えたことなどないじゃろう」

 

「そりゃ教えられたことはないけど、見てれば分かるわい」

 

「そ、そうか」

 

見てれば分かる。

果たして全集中の呼吸とはそういうものだっただろうか。身体能力の強化と言った分かりやすい効果ならともかく肺が膨らむだとか血流だとか見て分かるものか?という疑問が慈悟郎の中に溢れたが、他とは大きく異なる弟子のことだ。きっと彼だけに理解できる何かがあるのだろうと納得することにした。

 

「まぁ、理解してるのなら話が速い。今日からはお主も全集中の呼吸が使えるように修行をつけてやる」

 

「もう使えるぞ」

 

「いいか、とにかく肺に沢山の……なんじゃと?」

 

「もう使えるぞ」

 

習得のための説明をしようとするもう覚えていると平然と宣う弟子。耳が遠くなったかと聞き返すが返ってくるのは同じ言葉。

 

「いや、言っただろ。見てれば分かるって。真似するのなんて簡単だし、そもそも呼吸も習得してないのに素振り1万回とか出来るわけないだろ。俺は呼吸を覚えるのも併せて素振りの修行かと思ってたわ。え?なに?別の修行だったの?ふざけんな、呼吸もなしに1万回とか死ぬに決まってんだろクソ爺!」

 

なるほど、道理である。普通に考えてみれば呼吸の技も使わずに1日中剣を振るとかまともではない。どうやら弟子は呼吸を覚えた上で剣を振れと言われたと思っていたらしい。まぁ、普通ではない元鳴柱は呼吸なしで剣を振れと言っていたのだが。しかし何も教えてないのに呼吸を見て覚えたとかいう弟子は自分が最も普通ではないと気づくべきである。

 

慈悟郎が唖然としているとさらに彼は口を開いた。

 

「よく知らないけど常中?だっけ。あれも出来るようになったぞ。ずっと全集中の呼吸するだけだしな。大したことなかった。おかげで修行をふけて逃げ回るとき楽になったから覚えて良かったわ」

 

どうやら知らぬ間に呼吸を覚えた弟子は知らぬ間に常中まで覚えたらしい。

しかし、それをさらなる高みを目指すためではなく逃げ出すために使ってるという暴挙には今は目を瞑っておくとしよう。

 

もう儂が教えることなんてないのじゃなかろうか、そんなことを慈悟郎は考えていた。だって雷の呼吸とか教えなくても、このまま放っておけば自分で我流の呼吸とか剣技を生み出しそうである。

 

「儂はもうお主を最終選別に送り出してやろうかと本気で考えたぞ」

 

ちょっと天に愛されすぎではないだろうか、この馬鹿弟子。

 

 

 

 

 

 

今日も師弟は平和であった。

 

 

 

 

 

 

 






感想を頂いたのですがとても励みになります。ありがとうございました。ぶっちゃけ何人かの方に高評価頂いて、感想貰ってなかったらこの2話は投稿されなかったかもしれない。

感想の返信に関してなんですが作者は聞かれてもいないことを答えたり、まったく関係ない話をするのが得意なので余計なことを喋らないように取り敢えずあと数話になる予定の立志編終わったらまとめて返信しようと思います。




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3話




なんかいっぱい評価ついててビビった(小並感





 

 

 

 

 

ある時、鏡壱はいつものように修行を抜け出して山の中をぶらぶらと歩き回っていた。

よく晴れ、雲も少なく、頬を撫でる風は柔らかい。思わず眠気を誘われる心地の良い陽気であった。日当たりのよい地べたに寝転べばもう意識が落ちそうである。欠伸と一緒に出てきた涙を袖で拭う。さてさてどうするか、鏡壱は考えていた。

普段ならばそろそろ煩い師匠が雷を落としにやってくる頃なのだが今日はその気配がない。非常に穏やかである。それがどうにも引っかかるが違和感は忘れ、これ幸いとサボることにしようか。

 

ごろごろと寝転がりながら空の雲を眺め、目を瞑る。

 

 

 

 

…。

……。

………。

 

「………来ないと来ないでなんか調子狂うな」

 

非常に面倒くさい弟子である。

修行をサボって叱られると鬱陶しそうに敬遠するくせに構って貰えないとそれはそれで寂しくて面白くない。なにより、いつも追いかけてくるから来ないと何かあったのではないかと心配になってくる。

あの雷親父に限ってとは思うものの、何かしら事故にあって怪我をしたのではないか。己も知らない病を実は抱えていて体調を悪くしたのではないか。もしかしたら何か厄介事に首でも突っ込んで大変なことになっているのでは。と、不安になると止まらないのである。

 

「あぁ、クソ。なんで俺がジジイの心配なんぞしなきゃならんのだ」

 

言葉とは裏腹に立ち上がった彼は普段生活を共にする山小屋へと足早にかけていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「む?なんじゃ鏡壱。今日のサボりはもう終わりかの?」

 

小屋まで戻ると何やら雑嚢に荷を詰める慈悟郎がいた。

 

「なんだよ、元気じゃねぇか」

 

どうやら自分の心配は杞憂であったらしい。無駄なことをしたと思う反面、何事もないようで良かったと安堵していたりする。

 

「??…なんの話かは知らんが、丁度良いところに戻ってきた。儂はこれから用事を済ませるためにしばらく出掛ける」

 

どうやら慈悟郎は出掛けるための荷造りをしていて自分を追いかけてこなかったらしい。

 

「ほーん。そっか、いってら」

 

「他人事ではない。お前さんにも頼み事があってな、隣町まで出掛けてもらうぞ」

 

「え゛」

 

ひらひらと手を振り、適当に見送ろうとすると慈悟郎は鏡壱の襟を掴み、捕まえた。

 

「隣町には馴染みの薬師がおっての。普段の生活や修行で使う薬を卸してもらっておる。いつもは儂が受け取りに行くのじゃが、さっきも言ったが用事を済ませねばならん。代わりにお主が行って来るのじゃ」

 

「嫌だよ、隣町遠いじゃん!面倒くさいじゃん!薬ってあれだろ、いつも薬箱目一杯詰めてくるやつだろ!?絶対重いじゃん!」

 

「甘えたことばかり抜かすな馬鹿弟子」

 

バシンと杖で叩かれ、有無を言わさずに薬箱と遠出用の荷物をまとめたであろう雑嚢を手渡し、家の外に押し出される。

 

「いってぇ!?何でもかんでも文句言うとすぐ叩きやがって!暴力反対だクソ爺!」

 

「男が情けないことを言うな!薬の代金と路銀、あとはお前さんの小遣いもこの銭袋に入れておる。とっとと行ってこんか!」

 

そう言ってジャラジャラと音をたてる銭袋を鏡壱の顔面めがけて投げつけると、慈悟郎もまとめていた荷物を持ち、家を出る。

 

「ああ、そうじゃ。忘れるところじゃった」

 

「なんだよ、まだあんのかよ…」

 

銭の塊が見事に額に命中し、痛みに耐えかねて額をさする鏡壱。そんな彼に慈悟郎は手に持っていた長細い袋を差し出した。

 

「これは?」

 

怪訝な顔で鏡壱は慈悟郎に問う。

 

「開けてみよ」

 

言われるままに口を閉じた紐を解くと中から出てきたのは一振りの刀だった。鏡壱は慈悟郎に視線をやる。彼が頷くのを見て鞘から刀身を抜いた。

 

「……これ日輪刀だろ。なんでこんなもの…」

 

色変わりの刀と呼ばれる特殊な鉄で打たれた刀。鬼を唯一殺すことの出来る武器。その刀身には雷の呼吸に適正があることを示す稲妻のような黄色の紋様が奔っていおり、おそらく慈悟郎が保管している日輪刀のうちの一振りだろう。

 

だが何故こんなものを渡すのか。

 

「隊士でもないお前さんに渡すには早いモノだが、どこで鬼が出るかは分からん。備えあれば憂いなし。身を守るための武器くらいは持っておくのじゃ」

 

「こんなもん持たされたって俺は鬼の頸なんて斬れないぞ。技なんて1個も覚えてないからな」

 

「それでも良い。持って行かず、抵抗すら出来ずに喰われるのは嫌じゃろう。それがあれば鬼を殺せる。適当に振り回したって運が良ければ頸が斬れる。ないより遥かにマシじゃ」

 

そう言った慈悟郎の顔にあるのは心配。純粋にこちらの身を案じているのであろう。

鏡壱は隣町までのお使いに何を大袈裟なと笑ったが、その好意は受け取ることにして刀を鞘に戻し、袋に仕舞った。

 

薬箱を背負い、刀の入った袋を肩にかける。銭袋は懐にしまった。準備を整えた鏡壱に同じく準備を終えた慈悟郎。

 

「さ、行くぞ、馬鹿弟子」

 

「へいへい」

 

 

 

そんなこんなで山の麓まで二人で降りたが、自分が向かう隣町と慈悟郎が用事を済ませに行くという場所はどうやら方向が異なるらしい。

分かれ道で隣町へと向かう自分の背中に慈悟郎が大声で叫んでいた。

 

「よいか、薬代に手をつけてはならんぞ!多めの小遣いじゃが無駄使いせんようにな!安全を心がけて行けよ!くだらないことで怪我せんようにな!それから…」

 

「もう餓鬼じゃねぇんだ、要らん心配だっての!!」

 

「とにかく気をつけるんじゃぞー!!」

 

どうやら心底己のことが心配らしい師匠。彼は自分のことを1人でお使いにもいけない童だとでも思っているのだろうか。

 

確かに、麓の町までは修行をサボってよく遊びに出掛けていたが、隣町まで1人で出掛けるのは初めてだ。距離もずっと遠いし、行ったこともない町だから自分が不安になっているとでも思っているのだろうか。

距離があるから日帰りでは厳しいだろうが、街道は整備されており、道に迷うようなこともない。それとも道の途中で野宿をするかもしれないからと心配しているのか。

子供の短い足とはいえど、呼吸を覚え、ちょっとやそっとでは疲れない自分の足だ。まだ太陽が中天を超えぬ今ほどから向かえば日が沈む前には少なくとも町までたどり着けるハズだ。

 

「心配しすぎだっての。まったく呆れたもんだ」

 

普段は遠慮なく杖でボコボコにするくせにこういう時だけはまともな保護者面だ。まったく都合の良いジジイである。

 

 

 

 

それからそれから。

薬箱を背負い、とてとてと街道を鏡壱が行く。

途中で夜盗にでも出くわせば話す事もあるのだが、生憎そんなこともなく。行く道はどこまでも平和であった。たまにすれ違う人に声をかけられてもキョドって声を出せずに軽く会釈をして誤魔化す鏡壱がいたとかなんとか。

 

 

 

変わらずとてとて進めば陽が傾き、空が茜に染まる頃。

ようやく鏡壱は隣町までやってきたのだった。

 

「お、おお…」

 

鏡壱は往来を眺め、声を漏らした。

彼の住む山の麓の町よりもずっと大きい。人も多いし、建物も多いし、なにより日も沈もうというのにまだ人が出歩いている。どうやら夜も営業するらしい店には煌々とした明かりが灯っていた。

慈悟郎の話に聞いた帝都の中心街とは比べものにならぬだろうが、それでもここまで大きな賑わいのある町には初めてきた。

 

そんな町に圧倒されながらボケーッと突っ立っていたがやがて邪魔だと気づき、道の端によった。

 

「いかんいかん。あんまり呆けていると田舎者だと思われる」

 

パシパシと頬を叩き、喝を入れる。

 

「何を気後れしてるんだ、鏡壱。ビビることはなにもない。とっとと薬屋探して、薬貰って帰るぞ!」

 

よし、と改めて往来の中に身を運ぶ。

さて薬屋はどこだろう。誰かに聞くのがやはり手っ取り早いか。自分を奮い立たせて道行く人に声をかける。

 

が、

 

「あ、あの、すみません」

 

声が小さいというか、勢いがないというか、鏡壱の言葉は誰にも反応してもらえずにいた。

せっかく気づいてくれてもボソボソと下を向いて喋る彼に呆れてそのまま自分の道に戻ってしまう。

暫く続けたが結果は芳しくなく、結局また鏡壱は道の端にいた。

 

まさか自分がここまで人と話すのが苦手とは。今になってようやく気づいた自身の人見知りに多大なショックを受け、項垂れる。確かに普段まともに話すのは慈悟郎だけで、麓の町の顔見知りも元々慈悟郎に連れられ紹介してもらった人達である。自分で作った知り合いとかいない気がした。

 

どうすればいいんだ…頭を抱えていると、

 

「もし、そこの君。どうしましたか?」

 

穏やかに声がかけられた。

顔を上げるとこちらの様子を心配そうに見遣る妙齢の女性がいた。

 

「え、あ、あの…」

 

こちらが吃るとその様子が可笑しかったのだろう、女性はコロコロと優しげに笑う。

 

「ふふ、お喋りは苦手ですか?」

 

「あ、あの!俺、薬屋を探してて!それで、あの、何処にあるのかなって…」

 

意を決して勢いよく喋りだしたものの、やはり身知らぬ人と話すのが苦手らしい。最後の方はごにょごにょと喋ってしまった。

だが、ちゃんと聞こえたらしく彼女は答えてくれた。

 

「薬屋ですか?この道を進んで2つ目の角にありますが、……確かもうこの時間では閉まっていたと思いますよ」

 

「そ、そうですか」

 

ようやく掴んだ薬屋の情報。だがどうやら今日の営業は既に終えているらしい。

 

「教えてくれてありがとうございます」

 

女性に鏡壱は深々と頭を下げる。

 

「あらあら、礼儀正しいのですね。私も力になれたようで良かったです」

 

どういたしまして。そう微笑みながら女性は優しく鏡壱の頭を撫でる。慈しむように触れる手は子供扱いが過ぎると内心不満があったが不思議と嫌なものではなかった。

 

「薬屋は閉まってしまっているけれど君はどうするのですか?見たところ1人でお使いなのでしょう?家は近くなのかしら?」

 

心配するように尋ねる彼女。

 

「住んでいるのは隣町なので近くはないです。なので何処かで一晩過ごして出直してきます」

 

「まぁ、隣町から?遠いところからよく1人で来ましたね!一晩過ごすと言っても行く宛はあるのですか?」

 

「ないです…あ、でも適当に野宿でもするので心配ないですよ!」

 

どうやら心配を深めてしまったらしい。

慌てて彼女に自分は大丈夫だと伝えるが、遅かったようだ。

 

「良ければ私の家に来ませんか?大したもてなしは出来ませんが君のような子が1人で野宿というのも危ないでしょう」

 

「いや、そんなご迷惑をおかけするわけには…」

 

「良いのですよ。子供は遠慮なんてするものではありません」

 

有無を言わせない女性。さっと腕を掴まれた。

どうやら完全にロックオンされたらしい。

 

「え、いや、ちょっと」

 

「ああ、申し遅れました。私は千華(せんか)と申します」

 

「あ、鏡壱です」

 

「ふふ、いいお名前ですね。よろしくお願いします、鏡壱君」

 

穏やかな物腰とは異なり結構強引なところのらしい千華に手を引かれて鏡壱は彼女の家に向かうことになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日が沈んで、空が紫紺に染まる。

邪悪を祓う日輪は隠れ、どこまでも暗く冷たい夜の闇が広がっていく。悍ましきモノ達の時間が始まる。

 

 

 

鏡壱が訪れた隣町に隣接した農村では悲鳴が聞こえていた。

 

「はぁ、はぁッ。助けてくれぇ、誰か!誰かァ!」

 

暗くなった畦道をよたよたと歩く青年。彼には本来あるはずの左腕がなかった。夥しいほどの血を腕のあった場所から流し、けれど歯を食いしばり、どうにか生きようと逃げている。

必死に声を張り上げるがその声は夜空に吸い込まれるばかりで誰の耳にも届かない。あまりにも虚しく悲鳴は響いた。

 

「おいおい、あんまり逃げるなよ。追いかけるのが面倒だろう?」

 

「ひぁ、ぅア」

 

背後から

 

「そんなに怯えるな、傷つくじゃないか」

 

ずるずる、水っぽいような、肉が潰れるような、ぐじゃりという音をたて何かを引きずる異形の怪物がいた。

 

ぐちゃぐちゃと何かを赤く濡れた口で咀嚼しながら異形の怪物……鬼は嗤った。

 

「お前の腕は不味いなぁ。やはり男はいけない」

 

そう、喰らっているのは目の前の青年から千切り、奪った左腕であった。右手に持っていたその肉を放り捨てると、鋭く尖った爪を青年に見せつけた。

 

「でも、もったいないからなぁ。しっかり殺して美味い部分は喰わないと」

 

「い、いやだ。助けてくれ、頼む…」

 

「笑せないでくれ、この状況で命乞いが通じる相手だとでも思っているのか?」

 

鬼は醜悪に笑みを深め、その爪を迷わず青年の胸に突き立てた。そのまま心臓を引きずり出して口元へと運ぶ。

生きたまま心臓を引きずり出された青年は声にならない悲鳴を上げ、程なく絶命した。

 

「キヒヒ、いい顔だなぁ。飯が美味くなる」

 

これほどはない、そう思うほどに絶望と恐怖に染まった青年の顔を眺めながら鬼は肉を抉りだし、貪る。

だがふと周りに目をやり、己の獲物は1つではなかったことを思い出した。

 

「ああ、男も喰わなきゃならないがこっちも喰わないとなぁ」

 

今まで引きずっていたモノ……ズタボロになった女の死体に目を向けた。

 

「女は美味い…出来れば男を喰ってからが良いが、こっちは殺してから時間が経っちまったからなぁ。味が落ちちまう。さて、困った。どっちから喰おうかなぁ」

 

 

 

 

 







感想の方で質問に何故鏡壱が一時とはいえ寺で集団生活を送っていたのに名前がないのかというのがありました。一応その答えは考えております。
立志編終えたあとに番外編とか小噺的なので名無しが鏡壱になった日とかやろうと思うので詳しくはそちらでになりますかねー(書くかは未定だけど




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4話




今朝の作者
「ほーん、なんか見慣れない鬼滅SSがランキングにあるじゃん」

「これ儂書いとるやつやんけ」

皆様応援ありがとうございます。





 

 

 

 

 

 

ガヤガヤとした往来の喧騒から離れ、閑静という言葉の似合う住宅街。決して豪華ではないものの、しっかりとした造りの日本家屋が立ち並ぶ通りに千華と鏡壱は歩いていた。

 

きょろきょろと周囲を見遣る鏡壱。麓の町にはこういった雰囲気の住宅街はなく、珍しいものに感じる。質素ではあるが立派な家屋はまさしく質実剛健と言うべきものであろう。

 

「ふふ、こういった場所は珍しいですか?」

 

「は、はい。なんか他の場所と雰囲気が違って…。町に住む人は商人が多いけど、なんていうかこの辺りはそういう感じの人が住むのとは違う気がして」

 

「勘が良いのですね。ここらは元々武士の家系だった方の家ばかりでしてね。商家の方々の住む家とはまた趣が違うでしょう?」

 

千華曰く、なんでも昔にこの辺りを治めていた殿様が武士を管理しやすいようにこの区画にまとめて住まわせていたのだそうだ。

だが今はもう武士という階級自体なくなり、皆刀を捨てた。あとには立派な武家屋敷だけが残ったのだそう。

 

「へぇ。千華さんの家もここら辺にあるんですよね?ってことは武士の家系の方なんですか?」

 

「ええ。大したこともない田舎の武士だったそうですが」

 

手を繋ぎながら千華に連れられて道を進む。

しばらくすると立派な門構えの屋敷にたどり着いた。

 

「ここですか?」

 

「はい。何もない、ただ広いばかりの家ですけれど」

 

苦笑しながら門扉を開いた彼女に続き、門をくぐる。すると通りがけに眺めた屋敷と比べても随分と立派な屋敷が建っていた。

 

「お、大きい」

 

「大きいだけですよ。さ、こちらへ。どうぞあがってください」

 

前を歩き、玄関を開けた彼女に促されるまま屋敷に入る。

 

「お、お邪魔します」

 

木造建築特有の仄かに薫る木の匂い。少しひんやりと冷たいがしっかりと張られた床板。住めれば問題ないと言わんばかりにボロい普段の山小屋とは天地の差だ。

 

いくつか部屋を抜けおそらく居間と思われる部屋に通される。

 

「本当は来客用のお部屋もあるのですが、1人では大きいですし、寂しいでしょう?」

 

「あ、はい。泊めていただけるだけで十分なので全然気にしないでください」

 

「ふふ、本当は寂しいのは私の方なのです。折角ですからね、一緒にお喋りをしたいのですよ」

 

なんだか儚いような、そんな笑みを浮かべて千華は鏡壱の荷を預かってくれる。

 

「お夕飯はまだでしたよね?今仕度をしますから少し待っていただけますか?」

 

一息つくこともなく、鏡壱を座らせると炊事場の方へと彼女は向かう。

 

「手伝います。こう見えてもよく料理はするので多分大丈夫です」

 

慌てて立ち上がり彼女のあとを追うが、

 

「いけませんよ、鏡壱君。子供とはいえ貴方は男子。炊事場は女の戦場、男子は禁制です」

 

穏やかに千華は告げ、鏡壱の頭を撫でる。

妙に優しい手つきがくすぐったくて、迷惑ばかりかけているという罪悪感も何処かに行ってしまう。結局言いくるめられ、大人しく座って待つことになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごちそうさまでした」

 

手を合わせ、千華に向けて頭を下げる。

 

「お粗末さまでした」

 

千華の振る舞ってくれた飯を平らげた鏡壱。大変な御馳走なんてことはなかったが手の込んだ料理は非常に美味だった。

 

淹れてもらったお茶を啜り、ほっと一息。

 

「とっても美味しかったです。ご飯までいただいてしまって、なんてお礼を言えば…」

 

「良いのですよ。私も久々に誰かとご飯を食べられて楽しかったので。一人のご飯は味気ないですからね」

 

本当に楽しいと思ってくれたのだろう。にこやかな彼女だが、やはりどこか寂しげなモノを感じた。

 

「千華さんはやっぱり1人でこのお屋敷に住んでるんですね。あの…家族の方とかは…?」

 

カチャカチャと音をたて、食器を片付ける彼女の手が止まった。

彼女はこちらを見遣ると困ったような、悩むような顔をして、ようやく口を開いた。

 

「両親は昔、流行りの病で命を落としました」

 

妙な間で話し辛いことがあるのを察するべきだった。鏡壱は軽はずみに尋ねたことを後悔した。

 

「す、すみません!嫌な事聞いちゃって…」

 

「いえ、良いのですよ。ずっと昔のことです。とうの昔に整理はついてますから」

 

慌てたこちらを申し訳なく思ったのだろう。優しく微笑む。

 

「鏡壱君は優しいのですね。貴方は誰かのことを想いやって労る事ができる。難しいことではないのかもしれないけれど、出来ない人も沢山いますから」

 

もう手慣れたのだろうか。自然に自分の頭に手をのせ、撫でる。ジジイにこんなことされた日には子供扱いにブチ切れて木刀で襲いかかるが、不思議なことに彼女にされても不快なモノは一切ない。それどころか、なんだかほわほわとした暖かいモノを感じる。

 

「千華さんも」

 

「千華さんも良い人だ。困ってた俺を助けてくれたし、家に泊めてくれるし、ご飯も御馳走してくれた」

 

この暖かさが何なのかは分からないが、鏡壱はこの感覚をよく知っている。もう素直にはなれないから滅多なことでは覚えないが昔ジジイに拾われてしばらくの頃。何度も叱られて、何度も褒めて貰えて、そんなことをしていた時によく感じていた。とにかく暖かくて、涙が出そうなときもあって、でも決して苦しくなくて。ジジイにそれが何なのかと聞けばそれはきっと幸せの熱なのだと答えた。

 

「大したことではないですよ。貴方くらいの子供が不安そうに往来でうろうろしていたら誰でも助けたくなるものです」

 

「そんなことない!俺、色んな人に声かけたけどあんまり相手にしてもらえなかったし、いや俺が悪かったのかもしれないけど…。とにかく!助けてくれた千華さんは良い人だ」

 

やけに噛み付いた鏡壱に少し困惑気味な千華。だが、ふふっと笑みを溢すと慈しむように語る。

 

「ああ、そうなの。きっと君がそこまで言うのですからそうなのでしょうね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それからそれからお風呂までいただいた鏡壱。

夜も随分更けてきて、あとはもう寝るだけという頃。

 

押入れから取り出してきた布団を千華が敷いてくれている。本当は自分がやると言ったのだが客人にそんなことはさせられないと、彼女に止められてしまった。彼女が世話をしてくれる中、何もせずに部屋に居るのがなんとなく辛くて厠を借りることにした。

案内されたように部屋を出て、縁側を歩く。張られた木板がギシギシと音をたてる。

 

嫌に綺麗な夜だった。

やはり昼間から雲の少ない空に幽玄の月は輝き、満天の星が煌めく。

 

「明日は満月かな」

 

僅かに欠けている月を見遣り、溢す。きっと明日の晩は見事な満月に違いない。月を見上げ、感傷に浸る。我ながら似合わないな、とそんな自嘲しながら厠へ向かった。

 

だが途中、妙な匂いが鼻についた。微かな灰の匂い、燃えるような、そんな匂いだ。はて、火事でも起きたか。しかしそんな気配はない。妙に思って匂いを辿ると1つの部屋についた。

人様のお家で勝手は良くない。そうは思っても気になると止められないもの。好奇心とはかくも抑え難きものであったか。鏡壱はゆっくりと障子を開き、中を伺った。

 

居間よりも小さな部屋にあったのは仏壇であった。

どうやら匂いはあげられていた線香の香りだったようだ。気になってしまったもので、仏壇に近寄り、手を合わせてから観察する。大きな家に見合ったと言える立派な仏壇だ。手入れも行き届いており、ホコリ1つ見当たらない。

 

だが眺めていた鏡壱は首をかしげた。

仏壇には位牌が4つある。おそらくうち2つは病で亡くなられたというご両親に違いない。けれど、あとの2つは誰のものであろうか?

 

疑問はあったが鏡壱は何を勝手に詮索しているのだと自分を叱り、部屋を出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ、待っていましたよ、鏡壱君」

 

布団の準備も終えた千華が座って帰りを待っていた。

 

「すみません、お待たせしました……ん?」

 

またも鏡壱は首をかしげた。

ここで寝るのは自分だけと思っていたが、敷かれている布団は二組あった。

そんな自分の疑問に気づいたのだろう。千華は少し恥ずかしそうにはにかみながら事情を語る。

 

「これなのですが私も一緒に寝させてもらえませんか?」

 

「えっと、…」

 

「ご、ごめんなさい。いきなりそんなこと言われたって困りますよね。ふふふ、いい歳をして情けない。人肌が恋しいのでしょうか」

 

今片付けますね。そう言って慌ててこの場を離れようとする千華。

 

「あ、いや!全然構いませんから!」

 

自分は全く気にしない。

それどころかそもそも泊めさせてもらう身なのだ。彼女が望むならなんでもしよう。

 

「本当ですか?私に気を使って無理を言ってはおりませんか?」

 

「いや、全然!本当に!千華さんならむしろこっちがお願いしたいくらいです!」

 

すみません、流石にこちらからお願いはしないと思います。そんな風に些か過ぎた言葉に申し訳なくなりながら、彼女に拒絶の意思がないことを伝える。

 

「そうですか。それならば共に寝させくださいな」

 

こちらの想いも通じたのだろう。どことなく申し訳なさそうにしながら彼女は片付けようとしていた布団を元に戻した。

 

「明日は目的通りに薬屋に向かうのでしょう?それにお家へ帰るならば体をよく休めませんと。早く寝ないといけませんね」

 

鏡壱に布団に入るように促し、もう眠るようにと優しく声をかける。

 

「もし眠れないのなら子守唄でも歌ってあげましょうか?」

 

「流石にそんな子供じゃありません!」

 

いたずらっぽく笑った千華に言葉を返す。

ちょっとからかわれたのがムカっとして彼女に背を向けて寝転んだ。

 

「あらあら。怒らせてしまったかしら」

 

ごめんなさいね、そんな声がしたと思ったら自分の体に腕が伸びてきた。どうやら抱きしめられているらしい。背中には人の温もりがあり、微かだが鼓動も伝わってきた。そのまま抱えられて頭を撫でられる。彼女の息遣いを間近に感じた。

 

千華に包まれている。鏡壱はそう感じた。

なんだかよく分からないがこの上なく心地が良い。ぬるいお湯に浸かっているような、気持ちの良さ。ずっとずっと前にこんな風にしていたような気もする。だがやはり知らない感覚だ。

 

千華に出会ったときから感じる妙な感覚。

彼女は暖かく、そして優しい。

 

そういう女性をなんというのだったか。

こんなふうに抱きしめてくれる人をなんというのだったか。

 

明確な答えが浮かばない。

 

だってきっとそれは、

 

 

 

自分が知らないものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして長らく忘れていた忌むべき過去も追い縋る。

 

穢れは周囲に澱みを生み、澱みは禍事を引き寄せる。

少年に迫る災厄を祓ってきた雷の剣士は此処に在らず。

 

 

 

いつだって。

 

幸せが壊れるときには、

 

 

 

 

血の匂いがする。

 

 

 

 

 

 







千華さん、ショタをお持ち帰りして布団に誘う危ない人になってしまった。

あと週末はちょっと忙しいので更新ないかもしれませんが悪しからず。



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5話



筆が止まって、あ、これは不味い。エタるかも、となっていたがなんとか書き上げることが出来た。長くなったので分割しましたが。

エタるときは、
兄上、私はそれ程大そうなものではない。このSSなど凌ぐモノが今この瞬間にも産声を上げている。彼らがまた同じ場所まで辿り着くだろう。
って言っとけば許して貰えるって聞いた。




 

 

 

 

 

静かな夜明け。

遠くから鳥の囀りが微かにだけ聞こえるような。しんとして、朝特有のひんやりとした空気。

 

鏡壱が目を覚ますと既に千華はおらず、どうやらもう起きているらしかった。炊事場の方から僅かに物音がして、なにやら寝起きで空っぽの空腹を刺激する良い匂い。どうやら朝餉の準備でもしているらしい。

 

毎朝修行の時間だと叩き起こしてくる雷親父と共にでなければ朝の目覚めとはこんなにも緩慢で気の抜けたものだったか。

そんなことをぼんやりと考え、鏡壱は欠伸を1つ噛み殺す。目尻の涙を拭い、眠っている間に固まった体を伸ばした。どうにも気は進まないがこのままという訳にはいかない。軽く頬を叩き、気合を入れる。覚悟を決め、温い布団から出た。

 

 

 

 

 

厠で用を足し、庭にあった水桶で顔を洗えば洗濯物を干しに来たらしい千華にあった。

 

「おはようございます、鏡壱君。随分と早いのね」

 

「おはようございます、千華さん」

 

変わらず優しげに微笑む彼女。何気ない世間話をしながらもテキパキと竿に洗濯物を干していく。

 

「手伝いますよ」

 

「いいえ。昨日も言ったでしょう?家事は女の仕事。男子の貴方が気にすることではないのですよ」

 

「昨日は炊事場に入るなって話だったかと…」

 

料理も洗濯も同じことですよ。家事は女の仕事です。あっという間に終えてしまった千華はコロコロと笑いながらよく覚えていましたね、と鏡壱の頭を撫でる。

やはりどうにも心地が良くて、目を細める。

痴呆ではないのだからと覚えていて当然。そう主張するが彼女には全く関係ないようで、むしろ難しい言葉を知っている、物知りねとさらに撫でられる始末。

 

「さて、朝ご飯にしましょうか。やはり大したものではないですが、気に入って貰えるように頑張ったのですよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

千華に出された食事に舌鼓を打った鏡壱。

やはり美味かった。

 

今は食後のお茶を啜る。

 

「もう日が昇って随分立ちましたから薬屋も開いていると思いますよ」

 

「そうですか。ならそろそろ行こうかな」

 

元々の目的は薬の買い付けである。

営業時間終了後に辿り着いてしまったので千華に出会い、その好意で一泊させてもらうことになった為、正直忘れかけていた。

 

膨れた腹が伝える充足感。どうにも動く気になれない食後の気怠さに苦しみながらも出掛ける準備を始める。

 

「1人で行けますか?この辺りの道は入り組んでいるでしょう。昨晩歩いた道はわかっていますか?」

 

「ん、ちょっと怪しいですがなんとかなると思います」

 

羽織に袖を通し、荷物に失くしたものでもないかと確認する。銭袋も、袋に納めた刀も肝心の薬箱もある。雑嚢は自分が詰めたものではないから分からないが、まあ大丈夫だろう。

 

「どうにも心配になりますね。私も付き添いましょう」

 

「いや、これ以上迷惑をかけられませんって!大丈夫、大丈夫です!これでも勘の良さには自信があります。適当に進んだって着きますよ!」

 

「それでどこが大丈夫なのでしょうか…」

 

こちらを気遣っているだろうが鏡壱の根拠のない自信に一等不安を覚えた千華。やはり自分がついて行かねばと思わせるには十分だった。

 

「たしか膏薬がもう切れかけでした。行けばなにやら目に留まるものもあるかもしれません」

 

そう言って立ち上がった彼女も出掛ける準備を始めたようだ。

 

鏡壱はもう自分が何を言っても聞いては貰えないことを理解した。世話をかけてばかりで申し訳ないが、あまり道なんて覚えてなかったので助かるのは間違いない。それにまだ千華と居られる、なんとなくそれが嬉しく思えた。

 

「あ、そうだ」

 

懐に納めた銭袋から硬貨を数枚取り出す。薬代というのが如何ほどかは分からないが普段自分が貰っている小遣いと変わらぬくらいであれば、それがジジイの言っていた多めの小遣いとやらに違いはないだろう。

 

「千華さん、千華さん」

 

「どうしました?」

 

「あの、これを」

 

普通に渡しても受け取ってくれないことはこれまでのやり取りで予想出来ていたので机の上に取り出した銭を置く。

 

「少ないですけどお礼です」

 

予想通り。受け取る気がないのだろう。一瞬驚いた顔をした彼女は次に眉間に皺を寄せ、どこか怒ったような、そんな雰囲気を醸して、机に置いた銭を手に取ることもなく口を開いた。

 

「鏡壱君、私はお金が欲しくて貴方を…」

 

「分かってます。けどそれとこれとは話が別です。ジジイ……あっ、えっと普段俺の面倒を見てくれる人が言ってました。受けた恩は必ず返せと」

 

彼女の話を遮り、強い姿勢で告げれば自分が折れることはないと悟ったのだろう。困ったような、申し訳なさそうな顔をして彼女は銭を手に取った。

 

「分かりました。本当は気持ちだけで十分ではありますがそれでは貴方の立場もないのでしょう。これはありがたく頂戴しますね」

 

こちらの想いも察してくれているのだろう。不承不承と言った感じではあるが銭を受けとってくれた千華に改めて感謝を伝え、頭を下げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、千華と共に家を出て、町の中央への道すがら。2人は他愛もない話を続けながら歩いていた。

 

「そういえば先程口にした、えっとジジイ…というのは?面倒を見てくれる方と言っていましたがお祖父様ですか?」

 

気なっていたのだろうか。

どうやら慈悟郎について知りたいらしい。

 

「違います。ジジイは昔、孤児だった俺を拾って育ててくれた人で、血縁関係はないです。ジジイって呼ぶのは単に年寄りだから」

 

こうやって口に出すと酷いものである。恩人を見てくれてでジジイ呼ばわり。とんだ恩知らずと思われても仕方ない。だが鏡壱には確かに慈悟郎に対する恩義は感じており、それが到底返しきれるようなものではないことも知っている。

 

「……孤児、だったですか…」

 

だが、どうやら千華の気を引いたのは敬う心を知らぬ不徳でなく、自分の昔の話なようだ。別に話して困るようなことはないのだしと説明することにした。

 

「昔の俺はだいぶ頭のイカれたクソ餓鬼だったので親に見放されて、捨てられてたんですよ」

 

今思い返しても昔の自分はとんでもないクソ餓鬼だったのだろう。というかジジイや麓の町の人との触れ合いを経て、覚えた普通というモノに照らし合わせて考えれば嫌でも理解出来た。目に見える感情もなく、淡々とモノを話す。何をしても無感動。そんなクソ餓鬼捨てられて当然である。

 

「可哀想に。貴方はこんなにも愛らしいのに…」

 

千華は力いっぱい鏡壱を抱き締めた。

きっと彼女は本気で自分の境遇を憐れんでいるのだろう。そんな彼女に説明を続ける。母親は心を精神を患い、父親は自分を捨てて消えた。そう告げれば、なお悲しそうに彼女の顔が歪む。

 

「ほら、俺って髪は緋いし、目は蒼いし。挙げ句の果てにこんな気味の悪い痣が顔の半分にあるから…みんな気味悪がるのは当然なんですよ」

 

慌ててフォローを入れるがどうにも上手く行ってないきがする。

 

冷静になると凄い特徴だと自分でも思う。

日本人など何処へ行ったって基本黒髪黒目である。たまに茶っぽいような髪をした人もいるが緋など他に見たことがない。蒼い目だってそうだ。

だがこの世にただ1人というわけではないらしい。麓の町の人の中に昔、日ノ本の中央で仕事をしていたという老人がいた。

彼に言わせると海の向こうからやってきた欧米という場所に住む人は己と同じように瞳が蒼いらしい。髪にしても緋い者がいるらしい。

日ノ本で異端でも海を渡ればそう珍しいものではない。もしかしたらお前の先祖の中には欧米人がいるのかもしれないな、そう老人は聞かせてくれた。きっと異様な風体に悩む自分を慰めてくれていたのだろう。

 

だが痣はどうか。

生まれついての痣は皆あるらしい。蒙古斑といい、生まれた赤子には痣がある。だがそれは歳を取るうちに消えてしまうようだ。稀に消えないこともあるらしいが、自分にあるものは明らかにソレではない。医術や人体構造に理解のある町の医者のお墨付きである。

 

顔の半分を覆うほどで首にかけてまでも不気味な痣がある。こんな自分を産んだ母親の苦痛はどれほどだったのだろうか。

出産とは女の大仕事。まさに人生をかけた一大事である。それはもう死ぬほど辛いのだと聞かされたし、実際に死ぬこともあるらしい。それほどまでの苦労で産んだ息子がこんな悍しい容貌であれば気が狂ったのも当然かもしれない。

 

母親は結局、姿を消す最後まで自分を息子と認めなかった。だが鏡壱がそれを恨んだことなど一度だってない。むしろずっとずっと申し訳なく思っていた。せっかく苦労をして産んでくれたのに、こんな自分に命をくれたのに貴方を満足させられる普通の子として生まれてこれなくてごめんなさい。それが鏡壱の思いであった。

 

「両親には悪いことをしたって思ってます。きっと2人は幸せだったのに、俺が生まれてなにもかも壊してしまった。俺さえ生まれてこなければってずっと思ってます」

 

生まれたこと自体が間違いだった。

 

小さく呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

パシン、と乾いた音がした。

 

一瞬遅れて自分がぶたれたことを理解した。叩かれた頬がヒリヒリと痛む。

 

「世には言って良いことと悪いことがあります。生まれたことが間違いだ、などと決して口にしてはなりません」

 

普段からは想像がつかないほどに語気を強めた千華に面食らい、口をパクつかせる鏡壱。温厚な彼女に問答無用でぶたれるとは考えてもみなかった。

 

「母君は命懸けで貴方を産んだのです。それを生まれた貴方が否定することだけは許されません」

 

ぴしゃりと言い放った彼女に気圧され、後退る。

 

「それに、きっと。貴方の母君は後悔をしていたのでしょう」

 

母親には後悔があったのだ、そう千華は語る。

全くの他人事のはずなのに彼女の表情は苦痛に満ちていて、どうしようもない悲しいが見えた。

 

「貴方を普通の子として産んであげられなかった、そんな後悔が」

 

普通でないことが悪いことなのだとして。普通に生まれることが出来なかったと悔いている息子がいるのだ。普通に産んでやることが出来なかったと悔いる母がいることの何がおかしい。

 

「だから心を狂わせてしまったのでしょう。本当に貴方のことを嫌い、憎んだのならば殺してしまえば良かった。違いますか?」

 

「そ、それは…」

 

狂ったあの母親も人の子。最低限の情があったからだ。そんなふうに否定するのは容易かった。けれど、千華の言うとおりに母親にそんな後悔があって自分を責めていたのだとすれば。

 

「そうしなかったのは貴方への確かな愛と、後悔があったからだと私は思うのです」

 

「―――ッ」

 

頭を鈍器で殴られたような衝撃であった。

 

無関心なのではなかった。認めていないのではなかった。

たしかに異様な息子に対する嫌悪はあったのかもしれない。それでも腹を痛めて産んだ我が子が可愛くないはずがない。そんな嫌悪に反する愛情と、普通に産んであげられなかったという後悔が母を苦しめ、狂わせたのかもしれない。

 

もし本当にそうだったなら鏡壱は動揺を抑えられなかった。

 

「だから鏡壱君。生まれた事が間違いなどと口にしてはいけません。貴方はたしかに望まれてこの世に生を受けたのです」

 

「……はい」

 

真偽は分からない。

肝心の母親は姿を消し、生きているかももう分からない。答えは闇の中に消えた。

けれど、そうだったのかもしれない。そんな可能性だけでも鏡壱にとっては大きなものだった。

 

「生まれたからには生きなさい、精一杯に。愛し、愛されること。自分の幸せを求め、誰かに幸せを与えなさい」

 

自分が満たされているのならば他はどうでも良い。そんな虚しい人間にはなるな。慈しむ心を忘れず、困る誰かに手を差し伸べられる人間になるのだ。

 

「自らの生に意味を見出し、大切なモノを積み上げ、最後は誰かに託すのです。それが生きるということです」

 

いつも通りに、いや、それ以上に優しく微笑んだ千華は鏡壱の頭を撫でる。そう語った彼女の姿がとても眩しく見えた。

 

 

 

 

 






指摘もありましたがこの立志編、作者も寒いことやってるなとは思ってますがどうかもう少しお付き合いください。なんとか楽しんでいただけるよう書いてるつもりではありますが中々難しいもので己の非才を嘆くばかりです。

話は変わりますがネタの解説はするもんじゃないと思ってます。なのでしません。が、素振りのくだりで疑問というかなんというかの声がいくらかあったので気になってます。
もうハンターハンターって皆知らないの…?

これがジェネレーションギャップか。



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