マーリンは精霊になったようです(仮) (ややややよ)
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プロローグ
4月10日①


2019/12/09
矛盾している点があり修正したいのと、十香の話を掘り下げるため、1~2話を削除しました。
大変申し訳ありませんが、ご理解の程宜しくお願いします。






 背中に強い衝撃が走る。

 彼は痛みに耐えかねて「いったぁ!」と叫ぼうとしたが、そうは問屋が卸さないと開いた口目掛けて水が浸入してくる。彼はここが水の中であることが分かり、口を閉じつつ辺りを見回そうとするが、視界の全てが闇に包まれていて何も見えなかった。そもそも、首自体動かせない為、見回すもクソもないのだが。

 とりあえず起き上がろうと下半身と腹に力を入れるが、起き上がることが一切出来ない。というか重い。いや重ッ!全身満遍なく重ッ!これ重力か何か?彼は少し混乱していた。

 

 暗い、水の中だというのに暗い。プールとかだと陽の光が水を透き通って綺麗なのに、何で目の前闇しか広がっていないのだろうか。あとこの重さは一体何なのだろうが?暗いし重いし動けないしで、こんな三重苦嫌よッ!とか頭の中で妄想している辺りで思い出す。あれはN○Kのほにゃららが出たとかいう動物番組で聴いたものだった。

 ―――深海は太陽の光を一切通さない、闇の世界―――

 ああ、ここ深海かぁ。心の中の一人の彼はなるほどと理解して、もう一人の彼がいや可笑しいだろとハリセンで叩く。

 深海ならば暗いことも重いのも分かるが、こんな息の出来ない場所でどうして生きているのか。それが分からない。

 

 悩みに悩んだ末、一つの可能性に思い至る。

 

 ……あぁ、もしかして夢なのかな?

 

 彼がその考えに行きつくのは普通だろう。何せ、ここが深海だと言うのであれば常人であれば水の圧力で即圧死だ。それが無いということは、普通ではない状況。まぁ、夢ぐらいしか思い当たる状況は無い。

 

 そうなれば話は簡単だ、と。初めての明晰夢に子供のようなワクワクとした感情を抑えつつ、彼は心の中で念じた。

 

 

 ……ルー○ス(光よ)

 

 

 お前は何処の魔法界育ちだ。

 でもそんな戯言に反応して、彼の目の前には桃色に紫を足したような、マゼンタの淡い光を放つ光の玉が現れた。これには感嘆をあげずにはいられない彼は、また口を開けてしまい溺れかけた。

 

 

 身動きできるように祈ると、何やら透明な壁っぽいのが展開され、彼の周りの水をはじいていった。その壁はドーム状にぐんぐんと大きく膨らみ、マンション一つなら軽く入りそうな所で膨張は止まる。少々大きくし過ぎたかと顎に手を当てて悩むそぶりをするが、彼の心情は「まあいいか」という適当なものだった。

 

 ルーモスと何度か唱えて光球を生み出し、辺りを見渡そうとしたところで、二の腕にマシュマロのようにフワフワでありながら、確かな弾力性が存在した何か男を興奮させそうなものがあることに気付く。バッと下を向き、それが何なのかを確認する。

 

 

 そこには桃源郷が広がっていた。

 

 

 

 

 

 彼……。いや、彼女?あー……。

 彼が自身の胸を揉み始めてから十数分が過ぎようとしていた。

 自身の胸を揉む理由としては、まぁ夢だから覚める前に堪能するとか色々あるが、纏めると彼が男だからである。

 据え膳食わぬは男の恥。いや身体は女性なのだが、これは精神的なことなので今は考えないこととする。彼は異性と付き合った経験はあるが、こんなにも執拗に胸を揉んだ経験は無い。

 彼は大きな胸が好きだ。貧乳だからと貶すつもりはないし、女の子は無条件で好きだが、特に大きな胸が好きだった。

 手を大きく広げて掴んでも溢れてしまう、そんな胸が好きだ。

 そんな自分好みの胸が目の前にあり、それが自分のものだと分かればどうするか?無論、揉む。そして色々見る。ここでは詳しく言えないが、もう色々と見た。

 

 すごく気持ちが良かった。性的に気持ちよかったという訳ではないが、心が満たされていく感覚を彼は噛み締めていた。おっぱい揉んでいればこの世から戦争とか無くなるのでは?

 心が満たされたところで、彼はハッと正気に戻る。

 

 ……あれ?もしかしてボクって女体化願望でもあったのかな?

 

 ここは夢の世界。夢の中と言えば自分の本当にやりたいことが表われるとか聞くが、もしそうだとしたら中々に煩悩に塗れた願望を持っているなぁ。と、他人事のように考えながら、自身の姿を確認する。

 前髪の毛先を摘まんで観察してみると、透き通る様に綺麗な白髪(はくはつ)が伺えた。髪は思っていたよりも長く、膝下どころか地面に付きそうな程の長さがあった。

 服飾に関しては白を基調とした、日常ではあまり見ないような、強いて言うならば2次元のキャラクタ―が着るような服装で、大きなフード付きのマントを羽織っていおり、そのマントから飛び出す布面積の少ない豊満な胸が主張している。スカートも短く、大事な所を隠すどころか曝け出しているようにも思える、刺激的な服装であった。

 

 ……あれ、こんな感じのキャラクターを見たことがあるような?

 

 見た目を確認していた彼は、どこかで見覚えがあると頭の隅で引っ掛かった。それが何か思い出そうとして頭を悩ませて数刻、彼は唯一の女友達であり、幼馴染である彼女との会話を思い出した。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 学校の授業も滞りなく終わり、夕焼けの赤が教室内を染める放課後。彼女は鞄から林檎の絵が描かれたカードを取り出し、おもむろにスマホに入力を始めながら、彼に語り掛けた。

 

『―――。今からガチャを引くからそこで私の死にざまを見てて……』

 

 握りしめていたのは2万円の魔法のカード。学生にとっては大金である2万を捧げて獲得したその魔法のカードを強く握っていた。

 彼は彼女の覚悟を感じ取っていた。彼はあまりゲームをせず、ガチャという文化は知っているが、それに命を懸ける彼女の心境を察することが出来なかった。しかし――

 

『いいだろう、面白そうだし……ン゛ン゛!!……キミの死にざまを見届けようじゃないか!』

 

 面白そうなので見ていくことにした。彼の口から紡がれた「死にざま」という言葉で彼女は精神的ダメ―ジを受けていた。自分で言ったことだろうに。

 

 彼女はアプリを立ち上げガチャ画面に移動すると、息を呑んでスマホのタップを始める。彼はその彼女の真剣な表情に笑いを堪えつつ、若干抑えきれず微笑みを浮かべながら見守る。

 祈りながら画面を見守る彼女の顔は、画面のアニメーションが進むごとに影が差していく。

 

『ああ、そういえばキミは何のキャラクターが欲しいんだっけ?』

 

 無事最初の爆死を遂げた彼女に、彼は質問をする。すると、ガチャ画面に映し出された一人の男キャラを連打して、『こいつ』と短く答えた。画面に記載されているキャラクターの名前を覗うと、そこには「マーリン」と書いてあった。

 彼はこのキャラクターは知らないが、この名前の存在については知っていた。

 

 ブリタニア列王史、アーサー王伝説にて登場する、夢魔と人間の間に産まれた予言の子にして、アーサー王伝説にてアーサーに仕えた魔術師だ。

 

 和訳されたアーサー王伝説を流し読みしたことのある彼はマーリンについて知っていたが、マーリンってこんな感じだったっけ?と首を傾げていた。

 悩む彼を余所に彼女は、死んだ目をして10連と書かれたボタンをタップし続けていた。

 

 

 

 空に紫が滲み始めた頃、暗くなり始めた教室を明るくするために彼は蛍光灯の明かりを点けた。彼女は依然変わりなく、ガチャを回していた。彼女の隣には3枚の2万円の魔法カードが散らばっていた。

 彼は冷や汗を垂らす。ガチャとはここまで恐ろしいものなのか、と。先程浮かべていた微笑みも、この惨状を見た後では笑顔にはなれなかった。

 彼女の瞳には光は無く、そこには酷く淀んだ闇があった。

 

『今日はもう諦めて、一旦帰らないかい?』

 

 彼は提案をする。部活に入っていない生徒が、ただガチャをするために教室に残るのは多少問題があると思っての発言だ。彼の提案に、彼女は小さく答える。

 

『多分……次こそは……、次回したら、出ると思うんだ……この最後の10連を回せば……きっと……恐らく、……本当に?』

 

 最後自問自答している所を見ると、ずいぶんと精神的にやられているようだ。まぁ、仕方のないことだろう。たったの数刻で6万円が盆から落ちた水のように、消えてなくなったのだから。

 彼は溜息を吐くと、画面のボタンをタップする。召喚画面が展開され、彼女が「あ゛あ゛!!??」と悲鳴を上げるが、お構いなしにタップ連打する。すると途中で、タップによるスキップが止まり、虹色に輝く演出が現れた。隣で騒ぐ彼女を横目に画面の光を眺めていると、先ほど見たキャラクターの絵が出てきた。

 

『……ホ?』

『おや、お望みのマーリンとやらが出たみたいだね?爆死はしたけど、その果てに得るものはあったようだ。おめでとう。じゃあボクは帰るから――』

 

 お望みのキャラクターが出て彼女も満足だろう。そう考えてまとめ終えていた荷物を持ち席を立つが、彼女が動きを止めていたことに気付き、声を掛ける。

 

『……おーい、気は確かかい?』

『おぎゃあぁあああああああああああ!!!!?????』

『うーん、気は確かではないみたいだ。赤ちゃんかな?』

 

 その後、職員室から飛んできた担任の教師にこっぴどく怒られた。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 ああ、マーリンってキャラクターに似ているんだ。

 彼は思い出して「なるほどね」と、服装に対しての既視感の原因が分かりスッキリとしていた。

 それと同時に相違点にも気づく。確かそのマーリンってキャラクター、男だったような?と再度首を傾げるように考え込む。

 服装や雰囲気はあのマーリンなのだが、女性の象徴である胸をこれでもかと強調する服装は男のキャラクターではありえない。では何なのだろうか?彼は少し考えこみ、一つの解答に至る。

 

 女体化。

 

 らんま1/2。女体化漫画の代表と言えばこれが思い浮かぶが、今の状況ではその"女体化"なるものが、今の状況を説明するに一番適しているのではないだろうか。

 彼は胸を揉む。うん、女体化最高。豊満な胸が何の苦労もなしに揉めるとは。サイコー。でも生理痛は痛そうなので勘弁願いたい。

 彼の思考は、常人とは少々違っていた。

 

 

 

 自身のことを女体化マーリンと理解した彼は、この夢の世界を楽しむことに決めた。

 とは言っても今いる場所は海底。今は自分の用意した明かりで近場なら目視が出来るが、光の届かない数メートル先は何も見えない状態で、言ってしまえば風情の欠片もないのが感想だった。

 せっかくの明晰夢なのだから何か楽しみたいと思っていた彼は、どうにかこの海底から脱出して地上を垣間見たいと目を閉じて考えた。

 

 途端に、視界に地上が映し出された。

 

 彼は驚いて瞼を開ける。目の前には先ほどまで視界に映っていた寂しい海底だった。

 再度、恐る恐ると瞼を閉じる。

 

 すると、彼の狙い通り、視界には地上が映し出されていた。

 

 おお、と彼は喜んだように声を上げた。

 この発見はまぐれだったが、いやこれは良いな。と周りを見渡す。

 

 自身の視界は上空に位置しているようで、高層ビルなどの科学的な建造物や山などの自然的な地表が、視界いっぱいに広がっていた。

 高度を上昇してその大地の形を見ると、彼がよく見る日本の形がそこにあった。

 

 そして、その隣にある大陸。ユーラシア大陸にまるで巨大な隕石が落ちたかのように、抉られた大地があった。

 

 特に、何か感情が起伏するようなことは起きなかった。

 それもそうだ。彼はこの世界を夢と認識しているのだ。彼にとってはそういう系の映像を見ているのと同じような感覚だ。「文字通り隕石でも落ちた設定なのかな?」と思考しつつ、自分が暮らしていた住居へと降り立とうと、視界を降下するところで、動きが止まる。

 

 ――あれ、ボクの住んでいた場所は何処だった?

 

 この夢を見始めて、初めての動揺。

 日本に住んでいたことは覚えている。友達であるあの娘とは日本語で話していた。

 ……あの娘の名前は何だっけ。

 

 焦る。動揺がさらにひどくなる。

 自分の名前は?……駄目だ、思い出せない。家族構成は?何も思い浮かばない。

 住んでいた場所は?

 小学校は何処に通っていた?

 そもそも学校は通っていたのか?

 何歳?

 自分の夢はなんだったのか?

 自分は。

 

 ボクは……

 

 

 

 

 ……何も思い出せなかった。

 

 

 途方もない現実が、彼の鼓動を速くする。

 苦しくなって、苦しくて。瞼を開ける。

 

 そこに広がるのは、自分以外一人もいない。

 孤独な深海(ひとりぽっちの世界)だった。

 

 

 

 

 深呼吸。

 

 息を肺がいっぱいになるまで、ゆっくりと吸い込み。

 いったん止めて、

 ゆっくり、ゆっくりと吐いていく。

 

 

 

 

 すごく落ち着いた。

 

 どうして落ち着けたのか不思議に思うが、落ち着けたのならいいことだ。彼は特に気にせず、再度深呼吸をした。

 

 ……気にしないようにした、というのが正しい。彼は勘が良い。

 どうして、どうして自分と言う存在を完全に忘れている事実を目の前にして落ち着けているのかの理由に、彼は薄々感づいていた。

 

 

………

 

 

 瞼を閉じれば、自分の思い描いた場所に視界が広がる。まぁ、便宜上"千里眼"でいいだろう。彼女はこの能力を用いて、この世界の情報収集を始めた。

 その結果、彼女が元々いた世界とは違う点を見つけ、ここが自分が暮らしていた世界とは違う世界――異世界――であることを確信し、項垂れていた。

 

 

 

 空間震。原因不明の災害。ユーラシア大陸のド真ん中をたったの一夜で壊滅させたユーラシア大空災。これを機に各地で小規模ながらも空間震が発生するようになり、最近ではその空間震の頻度も増えていっている模様。

 

 そして、その空間震の原因である精霊と呼ばれる存在。

 市民にひた隠しにされているが、精霊という存在が顕現すると同時に、この空間震が発生するらしい。その規模は個体によって変わり、例えば『ハーミット』と呼ばれる精霊の空間震の規模は街の設備にほとんど影響が無いのに対し、今朝顕現した()()()()による空間震は、初めて観測された精霊の空間震程ではないが、もし大陸に発生すれば国一つは確実に機能を停止する規模だったようだ。

 ……幸い、その空間震は太平洋のド真ん中に落ち、それによる津波の影響も何故か発生しなかったとか。

 

 ……辺りを見渡してみる。

 胸に視線が行っていたことと、空間震による影響が大きかったことに気がつかなかったが、なるほど。確かにクレーターのような窪みがあることを見て取れた。

 

 ……まさか、このドーム状に広がっているこの空間よりも大きいとは思っていなかったが。

 

 彼女は溜息をついた。

 先の通り薄々は気づいていたが、今朝発生した空間震が太平洋であることと、自身が現在いる場所を繋げて考えれば、必然と分ってしまった。

 

 ――ボク、精霊になってるね。

 

 ぽてっ、と身体を横にして仰向けになり、真っ暗な海を見上げながら声を張り上げた。

 

 

「ふざけるなぁああ!!」

 

 

 顔を真っ赤にさせて、じたばたしながら喚く様は、さながら癇癪を起した幼児のそれだった。




次回まで、暫しお待ちを…。


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4月10日②

後書きに現在の観測精霊データを載せました
 


 小鳥たちの囀る朝。

 天宮市上空一万五〇〇〇メートルにて滞空している、ラタトスクが保有する空中艦フラクシナスの内部では、慌ただしく動く人物が数名いた。

 

「太平洋に顕現した精霊の霊波パターン解析まだなの!?」

「わっかんね!というか見つからなぁーい!!顕現数分後に観測機に障害が発生、現在修理中ですが直らなぁーい!ナンダコレ」

美空(びゅあっぷる)ごめんなぁ!お父さん入学式行けなくなっちゃったぁ!お仕事なのぉ!!ごめんなぁ!!アッハハハハ!!」

「幹本に鎮静剤打ちこめぇ!!こいつ泣きながら笑って作業してるぞ!」

「おち、落ちつ、おちち、おちけつ」

「椎崎それ鎮静剤やない!藁人形や!」

「皆さん落ち着いてください!とりあえず司令に踏まれているところを想像して気分を落ち着かせましょう!」

「「「「「すごく落ち着いた^^」」」」」

「……ふむ。大体の解析は終了したかな」

「「「「「「マジっすか村雨解析官さすがっス!!」」」」」

 

 ……大丈夫か?この組織。

 

 そんな和気藹々とした船内だが、意外にも新しくこの世界に顕現した精霊の解析をどの組織よりも早く完了していた。

 

 

 四時十一分。

 太平洋の中心に、空間震と共に突如として現れた未確認の精霊。

 過去の事例で海洋に精霊が顕現した前例はあるものの、此度の精霊に関しては、前例があるからと解析を疎かにすることは出来なかった。

 

 空間震のその規模、雑に例えるなら"世界地図から日本とその周辺が消える"程度の衝撃力。

 

 現状、ユーラシア大陸の大部分を抉った〈始原の精霊〉を抜けば、一番の規模を有している。

 国家の機能が停止するどころか、国そのものが消滅するレベルの空間震。太平洋に落ちたのは運が良かったが、もしこの精霊が地上に現われでもしたら、悲惨なことになるなど火を見るよりも明らかである。

 この空間震の規模には、ラタトスクやASTなどの精霊に関係する組織だけでなく、精霊を知らない世間一般にも恐怖が広がっていた。

 空間震が精霊の意思に関係ないとしても、この規模だと早期対応を考えなくてはならない。

 

 だからこそ、フラクシナスのクルー達は断腸の思いで朝から解析作業をしているのである。そして、ほぼ村雨令音解析官の手腕によるものだが、精霊確認から2時間足らずでその精霊の解析を完了させたのだから、その腕には流石としか言いようがない。

 

「よし、では美空(びゅあっぷる)の入学式のため一足先に帰らせて頂きます」

「待つんだぞ。解析したデータを資料にまとめる作業があるぞ。逃げるなぞ」

「ぬわぁああああん!!今日だけは!正午までには戻るんで帰してぇええええ!!!」

「逃がすなー!この楽しい楽しい地獄に引きずり落とせ―!」

「藁人形使ってでも止めろぉ!仕事を放り投げようとするこいつを逃すな!」

「4人に勝てるはずないだろ!」

「バカ野郎お前俺は逃げるぞお前!」

 

 ……とても賑やかだな。

 令音はクルー達の喧騒を眺めながら、甘い味のする睡眠導入剤を一瓶丸々飲み干し、口の中に広がる薬臭い甘みを味わいつつ視線を"太平洋で発生した空間震の映像資料"へと移す。

 

「……それにしても、これはどういうことなのか」

 

 令音が映像を再生すると、その映像には何の変哲もない海が映し出された。

 ……が、次の瞬間。

 空間が破裂したような轟音と共に、カメラが大きく揺れる。それと同時に、今まで平穏な海を映し出していた映像には、全てを飲み込むかのような大穴がぽっかりと空いていた。

 衝撃により、大穴の円周を囲むように水柱が立ち、それに撮影機器が巻き込まれたのか映像が乱れる。

 

 ……映像が復帰したと同時に、大きな穴など無かったのだと、狐に化かされたかのように元の海に戻っていた(・・・・・・・・・)

 

 令音は砂糖の大量に入ったコーヒーを口につけながら、その映像を何度も見返す。何か違和感はないか探していた。

 令音は、海が元に戻ったと同時に解析された霊波と微弱ながらも同じものが、太平洋全域に広がっていたことが解析の結果から分かっていた。その霊波が何なのか、映像で分かることはないかと令音は探す。

 幾度か映像を見返しているうちに、ふと海では見ない色を令音は見つけた。映像を途中で停止させ、画面を操作してその箇所を拡大する。

 

「……これは、花弁(はなびら)……かな」

 

 画面に映し出された桃色の花弁は、映像を再生すると風に舞って幻のように消えていった。

 

「……!海底で動かずにいた精霊、消失(ロスト)しました!」

 

 令音の思考は、その精霊が消失(ロスト)したという伝えで中断された。

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 平均深度四〇〇〇m、海淵は一万九百二十mと言われている太平洋。そんな太平洋のド真ん中、それも深度九〇〇〇mの超深海層とよばれる場所に彼女はいた。

 普通の人間ならば生存は不可能、例え潜水艇があったとしてもそう易々とは行けないし、人の足では立つことのできない人類未踏の地で、彼女はいとも容易く海底に二本の足で立ち、深海にいること自体が問題であるかのように頭を抱えていた。

 

 彼女はマーリン……っぽい何か。姿形は旧マーリンと言われれば、Fateをやっている方から見れば成程と頷くだろう。だが、彼女の正体は旧マーリンの見た目と能力を備わされた元一般人男性の精霊だ。とは言っても、彼女は一般人男性だった頃の記憶を失っており、男性的思考を持った記憶喪失の旧マーリンと言った方が正しいのか。

 記憶喪失のため死んだ記憶が一切ないが、男の身体ではなく、しかも深海の圧力にも耐えて魔法っぽいことを使える身体を持っていれば、転生、もしくはその類の現象と考えに至るのは、ライトノベルやアニメを少し齧っていれば難しくは無いだろう。

 ……彼女はあまり詳しくなかったため、千里眼で調べて、やっと転生したことに気付いたが。

 

 彼女は転生を望んでもいないし、そもそも調べて初めて知った転生とやらに巻き込まれて、しかも千里眼で調べた限りでは一番生き辛い精霊になるとは、彼女にとっては一番辛かった。

 彼女には記憶はないが、だからこそ『普通の日常』を味わいたかった彼女には、その『普通の日常』を謳歌することのできないこの身体には辟易としていた。

 

 ……だが、それよりも大きな壁を彼女は抱えていた。

 

 ――どうやって外に出ようかなぁ。

 

 先の通り、彼女が現在いるのは深海九〇〇〇m。深海の圧力には耐えることができても、動くことは出来ない。動けないということは上へと泳ぐことも出来ない。現状、彼女はこの深海から脱出することが出来ずにいた。

 

 

 何も無い海の底で、何もすることの無い彼女は、長く垂れ下がる白髪を弄って遊んでいた。三つに分けた髪をうにうにと交差させていき三つ編みにし、余った毛先をまとめて、【道具作成】で作っておいたヘアゴムで縛り完成させる。

 

「……フム、初めてにしては上出来じゃないかな?」

 

 三つ編みされた髪を持ちあげてプラプラと振りながら、ドームの天井を見上げる。深海九〇〇〇の海底から見上げる海というのは、只々闇がどこまでも広がっているだけで、面白みがない。

 現状、何か良い策が思いつくまでは何もやることの無い彼女は、無駄に長く伸びた髪の毛で遊ぶくらいしかやることは無かった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 だらける二時間前、精霊になった事実を受け止めた彼女がまず始めたのは、自身に関する情報収集だった。

 

 彼女の持つ千里眼というのは思っていた以上に使い勝手が良く、自身の望んだもの、例えば「猫が見たい」と思いながら発動すれば、千里眼はその意図を汲み取り、世界にいる猫の中から今一番見たい猫を選別し、視界に映す。座標を指定する必要も、細かな設定も必要としない、そのオートパイロットのような性能のおかげで、情報収集は滞りなく終了していた。

 

 情報収集としては、AST(アンチスピリットチーム)やラタトスクから……ではなく、千里眼の性能を乱用して大雑把に「自分の能力が分かるもの」で発動してみたところ、とある男子高校生の痛い資料集がヒットした。覗き見てみたところ、前世で見たゲームアプリの設定と似たような世界観で、聖杯戦争があーだこーだしている小説の裏設定のようだった。

 その設定資料集にマーリンという文字。スキル等が書かれており、そのスキルの説明も事細かに書かれていた。宝具という必殺技みたいなものは設定が出来ていなかったみたいだが、スキルがあるだけでも十分だった。

 他人に使わないと分からないスキルや、説明が書かれていなかったスキルは試せていないが、その資料集に書かれていたスキルのほとんどが使えることが分かり、彼女は勝手にその設定資料集を覗き見してしまったことへの少しの罪悪感と、自身の能力が理解できたことへの嬉しさで感情がせめぎ合うこともなく、喜んでいた。

 人の黒歴史を勝手に見られるとか、憤死ものである。

 

 

 一人の男子高校生の尊い犠牲により能力の把握を終えた彼女は、ASTやラタトスクなどの情報収集も程々に、いざ深海から脱出を試みた。

 

 ……が、駄目。

 

 いざ新しく使えるようになったスキルとやらを使ってみても、精神世界に干渉がどうちゃらとか虚像をどうちゃらで、物理に干渉出来るようなスキルが無く、海底脱出は出来なかった。

 ASTなどを欺くには良いが、有効的な物理手段がないのは彼女にとって痛手であった。

 

 ならばと魔術を用いて聖剣を生み出し、えいやと壁に向けて斬ってみると、壁が切れて、その隙間からウォーターカッターより勢いも切れ味も増した水が彼女に向かって噴出し、それを真正面から受けた彼女は吹っ飛ばされて気絶した。

 聖剣を試す前に服に強化の魔術を掛けていなかったら、彼女は真っ二つになっていたかもしれない。

 

 こういう経緯があった結果、彼女の能力を以てしても海底から出れずにいた。

 ハァ、と溜め息一つ。どうせなら瞬間移動のようなスキルでもあればいいのにと、口には出さずに、その代わりに溜め息をもう一度吐いた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 三つ編みも終えて暇となっていた彼女は、暇つぶしの一つである『千里眼』を用いてラタトスクを覗いてみると、どうやら解析を終えたらしい船員達が騒いでいる様子だった。というか先ほど司令に踏まれたいとかそんな言葉が聞こえたんだけど……。容姿を見てから参戦するかどうか決めても良いのだろうか?

 彼女の思考が一瞬ピンク色になりかけたが、頭を振り回して千里眼での覗き行為を再開する。

 報告書はまだ作られていないようだが、設定集だけではなく精霊に詳しい人達の観点から見た情報も知りたいので、これは後で確認するとして、大きな画面に映し出されている太平洋の映像と、その画面端に映る謎のゲージやらグラフが忙しそうに値を変えているところを見て、彼女は自身が姿は見られていないながらも、存在を現在も確認されていることが分かった。

 

 ――なんだかなぁ。ボクが見るのは良いんだけど、見られるのはちょっと嫌だよね。

 

 清々しいクソである。

 彼女は立ち上がり、横に寝かせていた杖を持つと、この見られている状況をどうにかするために歩き出した。

 

 

 

 

 大きな杖を片手に、海底の底を歩く。

 歩くと、その足跡から花が咲いては散るを繰り返した。

 この花は良く分からないが綺麗なのでそのまま放置している。

 杖に関しては設定資料集を基に『道具作成』で作ってみたものだ。途中から作るのが飽きて、後半から雑になったような気もしないではないが、まあいいかの精神で少し不細工な杖が完成した。

 

 歩いてから数分、壁に辿り着くと魔術の術式を展開させて、『幻術』を併用しつつ認識不可の概念を壁に刷り込ませていった。

 瞼を閉じて、ラタトスクの状況を見て、認識されないように出来るかどうか眺める。

 

 始めてから数分程で、映像で忙しく動いていた値が静まっていくのと、それと反比例して消失(ロスト)したことに慌てふためく艦内に、成功したようだと千里眼をやめて一息つく。

 初めから『幻術』のスキルでASTを騙せるか確認しておきたかったため、そのASTより技術を遥かに凌ぐラタトスクを騙せたのは彼女にとって大きな収穫だった。

 

 

 『幻術』が有効であることを確かめることができ満足げな彼女は、ドームの真ん中あたりに戻り腰を下ろす。

 とりあえずすることもないので、ラタトスクが滞空している都市、天宮市に千里眼を飛ばして何か面白いものがないか探す。

 現在の時刻は六時三十分のため通勤途中のサラリーマンは見かけるが、学生らしき姿は見当たらない。

 彼女は「見るなら若い子だよね」と、中々に最低なことを呟きながら千里眼の条件を『女の子の和気藹々とした朝』に設定し直した。彼女は段々と千里眼の扱いに慣れてきているようだ。最低な方向に。

 

 視界は外の風景から、何処かの家宅の室内へと移動した。彼女はワクワクとした気持ちでそれらを見る。

 

 

 

 メカメカしい青髪ポニーテールの女の子と、赤と黒が特徴的なツインテールの女の子が殺し合いしていた。

 

 

 

「……この世界の和気藹々って、殺し合いのことを言うのかな」

 

 彼女は瞼を開けると、遠くの虚空を見つめながら独り言ちた。

 




和気藹々(血みどろ)

【現ラタトスクの観測精霊データ】
識別名:なし(現在検討中)
総合危険度:SS
空間震規模:SS
霊装:?
天使:?
STR:?
CON:?
SPI:300~400
AGI:?
INT:?
霊装:?
天使:?


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4月10日③

お待たせしました。
例のウイルスにより、半ばニートみたいな状況に陥ってしまいましたので、少しずつ話しを進めていこうと思います(希望的観測)




 

 

 旧マーリンみたいな姿の彼女は、現在、現実逃避をしていた。

 この世界、思ったよりも物騒だなぁ。

 

 和気藹々()な現場を見た彼女は、調査を始めてしばらく後、吐き気を覚えて我慢できずに嘔吐。自分が吐いてしまった事実を受け止め切れず、吐瀉物で汚れた地面をマゼンタ色のビーム、略してマゼンタビームで消し、そのまま白い目をしながら膝を抱きかかえるようにして座って、遠くを眺めていた。

 

 青いポニーテールの近未来な感じの子は名前を『崇宮 真那』というらしいことは千里眼を通して調べはついた。

 彼女がDEM社という裏で怪しそうなことしてそうな所の隊員であることも、千里眼によって個人情報を盗み見ることで分かった。本当に千里眼には頼らせてもらっている。ありがとう千里眼。

 他にも調べてみたりしたが彼女、なんか経歴が色々とおかしいなとか、普通の人間には無理な体の動きしているなと思うだけで、戦闘力だけでみれば幻術でどうにでもなりそうだという考えに至った。多分無問題と、ガバガバな思考で結論付けた。

 正直、問題なのは崇宮真那が相対していた方のが危険性が高いと彼女は確信していた。

 

 『時崎 狂三』、〈ナイトメア〉と呼ばれ、最悪の精霊と巷では呼ばれているらしい。何か目的があって人を襲っているみたいだが、それよりも問題なのは彼女が分身のようなことが出来ることだ。

 千里眼でナイトメアに関して調べようとした瞬間に、視界が一瞬にして大きく乱れ、幾つもの風景が目まぐるしく変わり、その風景に必ず映り込む黒髪ツインテール姿の女の子に驚愕しながらも、数瞬で幾度も移り変わる視界に酔い、吐いたのだ。許すまじ分身能力。千里眼で勝手に調べようとした自分も悪いかもしれないが、千里眼で吐き気を催させた時崎狂三に恨みが沸々と湧いていた。

 本体の時崎狂三を指定して視れば、分身に引っかかることもなく視ることはできたが、時間を掛けて調べても大まかな情報しか掴めず、掴んだ情報も少し憂鬱なものしかなかった。

 

 時崎狂三という少女は、どうやら影に関係した能力を持っている。あと分身する。

 これくらいしか判らなかった。なんてこったい。お前の調査ガバガバじゃねーか。

 とは言っても、本体を見ても影から分身が出入りしている所と、古めかしい銃を武器にしていることくらいしか見ることが出来ず、しつこく時崎狂三を追っているようである崇宮真那の本元のDEM社を調べても特に情報は出てこなかった。『殺してもまた出てくる』ということくらいしか判っていないみたいで、逆に自分の方が詳しくなってしまった結果に終わった。

 彼女は「むぅ」と唸り、仕方がないと肩を落とした。

 とりあえず現状としては、時崎狂三はヤバいから、もし出会ったら仲良くなるか全力で逃げる方向性で考えよう。

 彼女は何処までも楽観的だった。

 

 

 そういうことで、「精霊ってヤバいんだ―」という認識から「精霊って本当にヤバいんだね」という認識に変わった彼女は、そのヤバい精霊に僕カテゴライズしてるじゃん!と今更ながらに実感し、海底脱出という目標を一旦横に置いて、安全確保を第一に準備出来ることから手をつけることにした。

 

 遠くなっていた意識を頭を振ることで正気に戻し、頬をパチンと叩くと、安全第一いのちだいじにとこれからを考えることにした。

 

 とは言っても、何から手をつければいいかは分からない。このドーム状に広がっている空間を要塞化して、仮にバレたとしても迎撃出来るようにするとかどうだろうか。いや深海の時点でそう簡単には来られはしないだろうし要塞化は後だろう。

 魔術を応用してあの娘のように分身が出来ないだろうか?……どうやってやるか分からない。無理だな。

 そういえばASTやDEM社の子が使っていた装備、何と言ったか、顕現装置(リアライザ)だっただろうか。科学技術で魔法みたいなことを再現しているようだが、あれを『道具作成』で作れば外出時の安全も確保できるのではないだろうか?あっ、この案は良さそう。

 

 善は急げと千里眼を発動し日本のASTを見てみたところ、何やら忙しそうに例の顕現装置を装着して出撃準備をしているAST隊員を彼女は確認した。

 何だろうかと近くの天宮市を見てみたところ、地下シェルターへの入り口や駐車場、新幹線が地下へと収納されていく様が見て取れた。彼女は元の世界では考えられない技術力に舌を巻いたが、「これって空間震警報か」と警告を今も行う標識を視ながらすごいなーと感嘆していた。

 

 

 顕現装置のことを忘れて街を見渡していると、彼女の視界に人影が映る。

 男の子だ。制服と成長具合から男子高校生だろうか?おいおい空間震警報出ているんだぞ大丈夫かなぁ、と心配になりその男子高校生を千里眼で追い始めた。

 男子高校生が全力で走る様にハラハラしながらも追っていると、少年が十字路に差し掛かった辺りで、異変が起きた。

 

 轟音。

 衝撃。

 

 宇宙から色がそのまま地上に落ちたかのような、黒い球状のエネルギー体が唐突に発生し、周囲の建物はエネルギー体による衝撃波で崩壊していく。

 彼女はこれが空間震というものであることを理解した瞬間に、素早く少年に強化魔術と保護魔術を掛け、その衝撃に耐えうるようにした。

 

 見つけてしまったからには、助けてあげるのも仕方ない。魔術を掛けた彼女は少年が無事であることを確認した後、エネルギー体が収束し、煙が晴れるのを待った。

 

 空間震によって地表が抉れ、そのクレーターの中心に少女が鎮座していた。

 

「ああ、あの娘が〈プリンセス〉か」

 

 精霊の情報を集める際に、無論〈プリンセス〉に関しても調べはついていた。

 膝まで伸びた結われた黒髪に、不思議な輝きを放つ紫の双眸。

 それだけでも奇異に見えるが、彼女を異色足らしめるのは、その装いだ。

 妖しげな光沢を放つ金属と、しなやかな繊維であると思える布が合わさった、〈プリンセス〉の名に恥じない、お姫様のようなアーマードレスを身に着けていた。

 その彼女の隣には、黄金に光る玉座と、その玉座に収められた大剣からは、千里眼越しでも昂然たるオーラが発せられていた。

 

 だが、重要なのはそこじゃない。

 千里眼を用いて覗いていた旧マーリンっぽい精霊は、玉座から剣を引き抜こうとしている様を無視して、彼女のある一部分(・・・・・)を凝視していた。

 

 ――それにしても大きいなぁ!あの胸部装甲!

 

 昔、とあるエロい人は言いました。

 『男は大きな胸を前に、まるで重力のように惹かれてしまう。万乳引力に抵抗するなど普通の男には不可能である』

 精霊になって一日も経っていない彼女にとって、心は未だ男。ならばそのたわわに実った大きな二つのメロンに視線が行くのも仕方の無いことなのである。

 

 顔を緩めて〈プリンセス〉の胸を凝視していた彼女は、異変に気付く。嫌な予感のした彼女は視界を後方へと下げて〈プリンセス〉を見やると、何故か彼女と目が合った。

 訝し気にこちらと視線を合わせる〈プリンセス〉に動揺しつつも、『千里眼』はあちら側から干渉されることは無いはず――と、思っていた次の瞬間。

 

 光波。

 

 紫色に光を放つ剣戟の波動が見えたのを最後に、彼女の視界はブツリと途絶えた。

 

 

 

 

 …………

 ………

 ……

 

 

 

 ――……すっっっっっごくビックリした。まさか千里眼の視界を切り裂くとは思わなんだ。

 

 無論、深海に住んでいる精霊は特に外傷もなく、無事である。

 少し股辺りが濡れてしまったが、魔術で無かったことにした後、肺の空気を全て吐き出しながら、倒れ込む。

 

 ――あの娘、勘が良すぎじゃないか?

 

 彼女が持つ『千里眼』は、本来なら何者にも感知されることの無い力だ。

 だがしかし、あるゆる物事というのは例外がある。

 

 恐らくだが、〈プリンセス〉は誰かに見られているということに気づき、良く分からないけど斬ってみるかと大剣を振り下ろしたのだろう。

 ……まさか『千里眼』の能力ごと叩き切ることが出来るとは予想外だったが。

 視界が光でいっぱいになったと同時に一瞬にして暗闇になるのは、中々に恐ろしいものだ。

 次からは遠くから眺めることにしよう。

 

 本来の目的である顕現装置を視ることなど忘れ、彼女は『精霊でも時崎狂三はヤバい』から『精霊は全個体が大体ヤバい』という認識に変えた後、バクバクと鳴り響く鼓動が収まるのを待った。

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

「――状況は?」

 

 真紅の軍服をシャツの上から肩掛けにした少女、五河琴里は、中央にある一番大きな艦橋の大モニターを凝視しつつ言った。

 

「はっ。精霊出現と同時に攻撃が開始されました」

「AST?」

「そのようです」

 

 村雨解析官と話をしていたラタトスクの副司令である神無月は、艦長席に座った司令を確認するや否や、村雨令音との会話をやめ、今朝からまとめていた資料を手に隣へと移動する。

 普段、ドが付くほどの変態が、精霊一体の出現でここまで正しくしている理由に、今朝の太平洋で起きた空間震と関連しているのだろうかと推測しながらも、そのまま状況説明を聞くことにした。

 

「現在確認されているのは一〇名。一名追撃し交戦しているようですが、〈プリンセス〉が現状有利です」

「映像は――、後で確認するわ。それよりも何か問題があったんでしょ?説明して」

「はい」

 

 環境のモニターに、太平洋で発生した大規模空間震の映像が映し出される。

 白波の立つ海原が、突如として発生した空間震によって大きな口でも開いたかのように海面から海底までポッカリと穴が開いたかと思うと――、その数瞬のあと、画像が乱れ海面は元の状態へと戻り、何も無かったかのような平和な海を映し出していた。

 

「四時十一頃、太平洋にて今までにない大規模空間震が発生しました」

「それはこの映像みればわかるわよ。……アレは、一体何か判明してるの?」

 

 琴里は太平洋で起きた空間震については既に知っていた。

 国が地図から消えるほどの空間震をメディアが取り上げないはずがない。朝のテレビ速報でこのことに関しては報道されていたため、空間震については知っている。知っているが……

 

「全くもって不明です。あのような事態が起きれば津波による影響が確実に置きるはずです。……ですが、津波の影響は見られず、海面水位にも特に変化はなく、形容するならばまるで時間が巻き戻った(・・・・・・・・・・・)、でしょうか」

 

 モニターにもその数値やグラフが映し出されるが、別段昨日の数値と変わらず、空間震による影響が一切ないことを示していた。

 琴里は棒付きの丸いキャンディーを口に放り込み、まじまじとモニターを睨み付けた後に、口を開いた。

 

「霊波パターンの解析は?」

「既に。朝の眠気を司令を思うことで跳ね除け、跳ね除けている間に村雨解析官が解析を終了しました」

「…………」

 

 脛めがけて蹴りを放つ。艦橋内に汚い声が漏れたが、その声の出である本人は恍惚の笑みを浮かべてから、直ぐに顔を真剣なときの顔に戻した。

 

「……その後の精霊の動向は?豚」

「ヒン!……失礼、その後海底に出現した精霊は動きを見せず、そのまま約二時間後、六時二二分に消失(ロスト)しました。――ですが」

「まだ何かあるって訳?」

「はい、先程報告に挙げました〈プリンセス〉に関係してきます」

 

 神無月の言葉を受け、モニターの映像が変わり、繁華街から二つ程通りを隔てた十字交差点が映し出される。暫く交差点に異常は見られなかったが、そこに一つの影が映りこむ。

 

「……は?なんであそこに秘密兵器がいるわけ?」

 

 その影は琴里の兄である五河士道の姿だった。

 

「理由はわかりませんが、……この後です」

 

 神無月にモニターを促され、不思議な顔をしたままモニターを眺める。

 何処かへ目掛けて走る士道が交差点へと差し掛かろうとしたその時、〈プリンセス〉による空間震が発生する。

 琴里はその映像を見て一瞬取り乱したが、周りのクルーが特に驚いていない様子から大丈夫なのだろうと平静を取り戻した。

 空間震が落ち着き、土煙が晴れると、空間震によってできたクレーターの中央に鎮座する精霊と、そのクレーターのすぐ横で尻もちをついている士道の姿が見えた。

 

「……で、これの何が問題だったの」

 

 キャンディーを口の中で転がしながら、神無月を睨み付ける。さっさと説明しろよ豚野郎と軽蔑した視線に神無月は歓喜に震えながらも答えた。

 

「問題なのは、――五河士道が生きていることです」

「……は?」

 

 神無月の口から出た言葉に呆気にとられる。しかし、神無月はそのまま言葉を続ける。

 

「あんな近くで空間震に遭えば、その衝撃波により良くて重傷、普通であれば生死の危険に立たされるはずです。ですが――」

 

 神無月はモニターを操作して五河士道にズームをする。

 

「――傷どころか、制服にすら汚れが付いておりません」

 

 また――と神無月は言葉を続ける。

 

「この空間震の発生直後、海洋に出現した精霊と同じ霊波パターンが確認されました。――恐らくですが、その精霊が五河士道に対して何かしらの方法で空間震の衝撃波を無効化したのではと考えております」

 

 琴里は神無月の言葉を噛み砕き、理解する。

 

「それは詰る所、その精霊が私たちフラクシナスの観測から逃れて、挙句の果てに遠距離からの干渉をした――ってこと?」

「その後、全力を以って天宮市近辺の精霊の捜索を行いましたが、精霊の姿が見つからなかったことから、その可能性が考えられます」

 

 琴里はその可能性に驚愕した後、モニターを今一度眺める。

 

 海洋に突如として現れた精霊。一切その姿を見せることなく姿を消したと思ったら、何故か空間震の脅威に晒されようとした士道を守った。

 

 ――これは、警戒しないといけないわね。

 

 琴里は心の中で呟いたあと、そういえばと神無月に口を開く。

 

「そういえば、あの死にそうになった最終兵器は今どうなってるのかしら」

「ああ、彼ならそのあと気絶しましたので隙を見て回収しました。今は令音村雨解析官が診ております」

「そう、それじゃあ起きたらここに来るように言っといて」

「了解しました」

 

 琴里は神無月に命令をすると、そのままキャンディーをまた舐め始めた。

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

 旧マーリンっぽい精霊である彼女は困惑していた。

 

 彼女はそういえば昼過ぎたのに何故かお腹すかないなーとか、眠たくないけど惰眠貪りたいなーと考えながら地面に寝そべり、地面から花を生やして簡易的すぎる寝床を作って寝始めた。特に何かしようとか思ってもいなかったし、強いて言うのであれば仰向けになって寝ると胸が重く感じる……えっちだぁ、としか考えていなかった。

 

 寝転がってそのまま寝たこと、そこまでは覚えている。ならば今の状況は一体何なのか。

 

 

 辺り一面闇の世界だった。

 

 

 光があることの方が罪であると言っているかのような何処までも続く闇の中に彼女はポツンと座っていた。

 

 ぐるりと周囲を見渡してみる。

 前方、特になし。

 右方、特になし。

 左方、特になし。

 後方、特にな――

 

 カチャリ。

 

 彼女は本能的に両手を上げた。

 

「さて、別の私が少し眠っている(死んでいる)間に、どうやってここに来たのかご教授願えませんか?大洋の精霊さん?」

 

 銃口をしっかりと後頭部に付けながら、耳元できひひと可笑しく笑う精霊――識別名〈ナイトメア〉、時崎狂三は話しかけてきた。

 後頭部から感じる金属の重みを感じて、マーリンは苦笑いをした。

 

 




正直、神無月が書いてて一番楽しいです。


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十束三エンカウント
序章 美少女転校生①


ウマ娘に嵌っていたので初投稿です。

大変長らくお待たせしてしまい申し訳ございません。
色々理由があったのですが、一番の原因はプロトマーリン実装された結果、考えていたプロットが白紙に戻りやる気が遠くへと旅立って行ったのが理由です。
長い間放置していたにも関わらず、感想にて次回の更新を待ち望んでくれている方々がいたおかげで、また執筆を再開することに相成りました。
プロットを探り探りしながら同時進行で小説を書いていくつもりなので、更新は遅いかもしれませんが、よろしくお願い致します。

では、短いですが、どうぞ。




 

「やはり南の海というのは綺麗だね」

 

 七月十七日、月曜日。士道たち来禅高校二年生一行は、現在進行形で飛行機に揺られていた。

 三つ並ぶ席の真ん中に座る士道は、隣の窓側の席に座る美少女にばれない様に視線だけを隣に動かして観察をする。

 隣に座る美少女は確かに目が自然と追ってしまうほどの美貌を兼ね備えているが、士道の目付きはそんな浮かれたようなものではなく、険しいものだった。

 その視線に気づかない訳もなく、隣の美少女は士道の様子にクスリと笑うと、顔を窓へと向け、独り言ちる。

 

「私がいたのは光が届かない真っ黒な海の底だったからね。同じ海でも色が変われば見方も感じ方も変わる。ファウンテンブルーというのかな?こんなに綺麗だと、私も期待に胸が高鳴るというものだ」

 

 士道もドキドキしていた。しかしそのドキドキは胸の高鳴りからではなく、恐怖とすら呼べる緊張によるものだが。

 

「君はどうだい?五河士道くん。やはり修学旅行というのはドキドキするのかな?」

「ア、アハハ……。そうだな、ドキドキする、かな……」

 

 士道は心の中で絶叫した。隣に総合危険度Sを上回る危険度SSの精霊がいなければ、こんなに動悸も激しくは無かったと。

 

 

 話の始まりは期末試験の前日にまで遡る。

 

 

◆◆◆

 

 

「では出席を、――の前にぃ、皆さんにサプライズがありまーす!」

 

 教卓の前に立った小柄な眼鏡の教師、岡峰珠恵教諭・通称タマちゃんの一声に、暮らすが騒めきだした。勿論、その騒めきの中に士道と十香も属していた。

 

「なあなあシドー、サプライズとは一体なんなのだ?」

「あー、多分転校生じゃないか?ホームルーム中にサプライズなんてそれくらいしか思いつかないけど……」

「転校生か!苦楽を共にする仲間が増えるのは良いことだ!で、その転校生とやらは誰なのだ?」

「いやいや、知ってたらサプライズじゃなくなるだろ」

 

 それにしてもこの時期、それも期末試験前日に転校生とは本当に珍しいなと、士道は自然と教卓横の扉に注目する。今回はラタトスクから精霊の情報も貰っていないため、本当に普通の一般人だろうと考え――そういえば精霊が転校生として来たことあったわ。というか最近あったわ、と考えを改めた。

 クラスは新しい転校生に沸き立つなか、嫌な予感がして止まない士道は顔を青く染めながら、その転校生が入ってくるであろう扉を凝視していた。

 

「では、入ってきてくださーい」

 

 タマちゃん教諭が扉の方へと声を掛けると、それに応じてスーッと扉が開かれ、転校生が教室へと入ってくる。

 

 入ってきた人物を見て、クラスの皆が一斉にポカンと口を大きく開けて呆けてしまった。

 余りにも美しかったのだ。

 透き通るような素肌に、ふわりと揺蕩う長く白い髪。心の奥底を覗きこまれてしまいそうなほど深い菖蒲(あやめ)色の瞳。スラリとしたその体型は黄金比と言える。美少女と言って差し支えない程の彼女がクラス全員の視線を独り占めするのは容易いことだった。

 カツカツと教卓の前まで歩く彼女は、フワリと揺れ動く髪と一緒に花の香りを部屋一面に漂わせる。

 

「では、自己紹介お願いします」

 

 タマちゃんが促すと小さく頷く。チョークを手に取り、黒板に『十束三茉鈴』と名を記すと視線をクラスの皆へ向けた。

 薄い唇を開き、ついぞ彼女が言葉を口にする。

 

「私の名前は十束三(とつかみ)茉鈴(まりん)。仲良くしてくれると嬉しいな」

 

 言い終えると、にこりと微笑みを浮かべる彼女に皆一様に息を呑んだ。

 そこには、華麗な花のような女性が佇んでいた。

 

 

 

 ホームルームが終わった後の、授業が始まる少しの時間。教室の一画が生徒たちでごった返しとなっていた。勿論、その一画の中心にいるのはホームルームで自己紹介をしていた十束三茉鈴だ。

 

「ねえねえ、茉鈴ちゃんってどこから来たのー?」

「えっ、茉鈴ちゃんの髪すごい綺麗なんだけど。ね、ね、少し触ってみていい?」

「まじひくわー」

「ご趣味はなんでしょうか!好きなタイプとか聞いてみてもよろしいでしょうか!」

「可愛い―!ねね、お肌綺麗だけど何か特別なことでもしちゃってたりー?」

「期末試験日前に転校とかツイてないね~。勉強とか平気~?」

 

 茉鈴は大勢による質問攻めを受けていた。ホームルームにて見せた微笑みとは違う、苦笑いといった感じで笑う。

 

「うーん、私は聖徳太子じゃないから皆の質問を一斉に聞いて、それに答えることは少し難しいかな」

「あー、それもそっか。ごめんね?」

「うん、理解してくれて有難う──」

「はい!という訳だから質問したい方は一列に並んで―!早い者勝ちだよー!さぁ並んだ並んだ!」

「あ、そういう感じに対応するんだね?私もそれには少し驚きを禁じ得ないかな」

 

 どうやら縦に並ぶ質問者達に慄いているようだ。士道はそれを確認してから教室から離れ、前回と同じようにポケットから携帯電話を取り出し、妹でもあり司令官でもある琴里に電話を掛けた。

 

『もしもしー、なにおにーちゃん?』

 

 司令官モードではない、天真爛漫ないつもの琴里が電話に出る。

 

「琴里、あのー……ですね」

『もー、どーしたのこんな時間に。あと一〇秒早く携帯が鳴ってたら、先生に没収されるところだったぞー、……って、なんか前にもこんなことあったようなー?』

 

 あれー、と琴里が不思議そうにクエスチョンマークを浮かべている姿を士道は想像しつつ、言い辛そうに口を開く。

 

「あー、いや。確認なんだけどな? 今日うちのクラスに転校生が来たんだけど……」

『…………』

「もしかして、精霊だったりとかは──、ないよな?」

 

 士道がそう言うと、電話口から大きな溜め息のあと、衣擦れのような音が聞こえてきた。電話越しからこの音を聞くのは既に二回目だ。

 琴里は髪を括っているリボンを付け替えると、改めるかのように息を吸ってから言葉を続ける。

 

『士道、あんたのクラスには精霊が寄ってくるような蜜でもあるわけ?』

 

 呆れたような声が電話越しから聞こえてきた。

 

 

 

『とりあえずその人物、十束三茉鈴はラタトスクの方で調べるように言っておいたわ』

「おう、ありがとな」

 

 士道はラタトスクで調べてくれるという言葉を聞き、胸を撫で下ろした。

 解析結果が出れば精霊か精霊でないかが分かる。そうすれば十束三茉鈴に対してハラハラとしながら学校生活を過ごすこともなくなる。……精霊だった場合はまた別の意味でハラハラすることとなるのだが。

 士道はチラリと茉鈴の様子を窺う。縦に長く連なっていた列はいつの間にか少なくなっていた。茉鈴から少し離れたところには、先程好きな人のタイプを聞こうとしていた男子が項垂れている姿も確認した。

 ……士道は電話に戻る。

 

『士道の勘違いなら自意識過剰ってだけで終わるんだけどね。前例もある訳だし、もしかすると……あの精霊かもしれないし』

「ん?もしかしてってすると、何か心当たりあるのか?」

『あるにはあるけど、そうね。詳しいことが分かり次第こっちから連絡を入れるわ』

「おう、わかった」

 

 そう言って士道が電話を切った瞬間、一限目の授業の開始を告げるチャイムが鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 時間は進み、昼休憩の時間になる。

 連絡が来るまでの間、士道は十束三茉鈴に警戒をしつつ過ごしていた。

 その様相に士道の隣の席に座る夜刀神(やとがみ)十香(とおか)は、頬張っていた士道特製の弁当をゴキュリと飲み込むと、不思議そうに士道に声を掛けた。

 

「シドー、険しい顔をしているがどうしたのだ?」

「あー、いや。あれだ、明日の試験大丈夫かなーって」

「ぐぁあ!期末試験を思い出させるでない!シドーが作ってくれた弁当が不味くなってしまうではないか!」

 

 あの転校生が気になると素直に言うことは出来ず、士道は明日から始まる期末試験の話を振って躱すことにした。

 ぐわーと悲鳴を上げながら弁当を避けつつ机に器用に伏せる十香を見て、精神やられているなと苦笑いをする。

 

 十香の姿を見て気を持ち直し、自分も弁当を食べようと弁当箱の蓋を開けた、その時だ。

 

 ──パチンッ。

 

 教室に渇いた指の音が響いた。昼休みの喧騒を抜けて聞こえてきた音に士道は顔を上げた。

 

「い、いったい何が起きて……」

 

 教室は時が止まったような静けさに包まれていた。明らかな違和感に周りを見渡す。

 先程まで楽し気に会話していたグループは会話を止め、ボーっと虚空を見つめている様に呆けていた。

 明日の期末試験のための追い込みに勉強をしていたクラスメイトの一人は握っていたペンを動かさずに止まっている。

 横に座っていた十香を見やると、持っていた箸は、ウインナーを持った状態で静止していた。ポトリとウインナーが重力に伴って落ちていく。

 

「やっと話す機会を作れたかな」

 

 今日のホームルームで一際目立っていた声が士道の耳に届く。

 ガタリと椅子を引いて席から立つとカツカツと士道の元まで歩いてくる。

 

「君、ちょっとどいて」

 

 士道の前の席に座っていた生徒が唐突に立ち上がり、そのまま横へとずれた。

 空いた椅子を士道の方へ向けると、スッと座った。

 士道は恐る恐ると視線を前へと向ける。

 士道の目の前に座っていたのは、今日このクラスに転校生として来た十束三茉鈴だった。

 十束三茉鈴の瞳は、怪しく妖艶に微光を放っていた。

 

「うん、確信はあるんだけど。一応確認として聞いておこうかな」

「君が、五河士道くんで合ってるかな」

 

 自然と喉が鳴った。冷や汗がつぅっと頬を過ぎ去っていく。

 

「君と話がしたかったんだけど、やっぱり精霊ってワードが出るとざわつく子が隣に二人いるだろう? だから少し気を利かせてこの学校全体に幻術を掛けてみたんだ。どうだい?私にしては人に寄り添った感じの対処かと自画自賛しているんだけど」

 

 ニコニコと喋り出した彼女は、褒めてくれと言わんばかりに自信満々の表情だった。

 士道は茉鈴の声音に、謎の安心感を覚え、それ自体に恐怖を覚えた。精霊に恐怖を覚えたことはあったが、ここまで薄気味悪い恐怖感に襲われたのは初めてだった。

 自然と後ろへと引いていく士道を見て、茉鈴は「おっと、いけないいけない」と煙を払うかのように手を振ると、妖しく光っていた瞳の光がおさまった。

 

「ごめんごめん、精霊になったのは意外と最近でね。少し失敗してしまった。魔力が少し漏れ出してしまっていたとはね」

 

 ――恐らく、目の前にいる精霊は、今まで会ってきた精霊の中でも強かで人離れしている。少しだけ話を聞いただけで、士道は理解した。

 士道は恐る恐ると、喉から言葉をひねり出す。その声音は震えていた。

 

「……お前は、精霊、なのか?」

「……そうだね、あー、少し待っててくれないかい? 視てる限りではもうそろそろだから」

 

 茉鈴の発言に士道は何が何だか分からなかったが、直ぐにその意味を理解する。

 ポケットに入れていた携帯電話が鳴る。電話が来ていることに気付いた士道は茉鈴の方を見ると、彼女はニッコリと笑って電話にでるよう促した。

 士道は携帯電話の画面を確認すると、そこには妹である琴里からだった。

 電話を繋げ、琴里の声に耳を傾ける。

 

「……もしもし」

『出るのが遅い。一言二言文句言いたいところだけど、今は緊急事態だからいいわ。とりあえず今から言うことを冷静に聞きなさい、いいわね?』

『十束三茉鈴、彼女についてラタトスクで調べさせてみたわ。特に経歴に違和感は無かった』

『けど万が一を思って観測機にて調べさせてみたら、とても微量ながら霊波が観測されたわ』

『そこから考えるに、二つの可能性が考えられるわ』

『一つは最近精霊に接触した可能性。あまり考えられない可能性だけども、微量でも観測されたということだから、この可能性は充分あり得るわ』

『そして、二つめが――』

 

「精霊の、可能性か?」

 

『……? そうだけども、士道にしては中々に察しが良いじゃない』

『そう、精霊の可能性。士道にはまだ伝えていなかったけれど、霊波を隠蔽する精霊が、士道と十香が初めて会ったその日の早朝。とある精霊が確認されたわ』

 

「その日って……、確か太平洋に起きた空間震が」

 

『そう、それ。その空間震を起こした精霊には霊波を隠蔽するような能力があるとラタトスクでは確認されているわ』

『一つめの方なら警戒しなくてもいいけれど、二つめの精霊って可能性だったら注意しなさい』

 

『その精霊は霊装や天使が一切不明な状態で、ただ空間震の規模だけで『総合危険度SS(・・・・・・・)』に分類された精霊よ』

 

「……っ」

 

 生唾を飲む。冷や汗が止まらない。得体の知れない恐怖が士道にねっとりと絡みついてくる。

 

『その精霊の識別名は――

 

 ぶつり、と電話は途中で切れた。いや、切られた。茉鈴が伸ばした手が、士道の電話を切っていた。

 彼女はこほんとわざとらしくせき込むと、可憐な笑みを浮かべて唇を動かした。

 

「改めて自己紹介を。私の名は十束三茉鈴、識別名は〈キャスター〉。総合危険度SSに分類されてしまった、ただの精霊さ」

「そして話というのは、私の攻略はしないように、士道くん。君を説得しに来た、というところかな」

 

 士道と〈キャスター〉が、静寂に包まれた教室にて邂逅を果たした。



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