天海 Remake (ちゃちゃ2580)
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Chapter1 若葉散りて、鈴が鳴る。
Prologue.


 二つの鈴が鳴る。

 

 澄んだ音色は遥か天の頂へ。遥か海の底へ。

 海の音色は蒼穹をも黒く染め。

 天の音色は蒼海をも白く染め。

 黒と白は交わらず。

 天と海の神は、決して交わらず。

 

 何故、鳴らしてしまった。

 何故、争わせてしまった。

 

 二柱の神を止める筈の聖獣は、何処へ。

 いいや、もう、居ない。

 死んでしまったから、もう、居ない。

 

 白き羽根と、虹の羽根が、交差する。

 散りゆく羽根を、誰ぞ止めねば。

 どちらの神も、世界が尊ぶ。

 故に、新たな神が産声を上げた。

 しかし、それは終幕の合図とも同義。

 三つ目の音色は、世界を灰色に染めた。

 

 破滅の道を忌避しなさい。

 

 泣きじゃくる英雄に、そう告げて。

 

 

 ジョウト地方最東端にある小さな町、ワカバタウン。

 数ある町の中でもとびきりの田舎町で、その認知度もほんの一昔前までは圧倒的な低さだった。

 都会でワカバの名が囁かれはじめたのは、一組の少年少女が長らく人々の往来を止めていたポケモンを追い払った頃からだろうか。その頃はまだ、『ワカバという町のトレーナーが』という具合。町の詳細を聞かれた物知りも、あまり詳しくないと首を振っていた。しかし、その二人の躍進は留まる事を知らず、大都会コガネのラジオ塔が解散した筈のマフィアの集団によって占拠されてしまった際、手をこまぬいていた警察機関を他所に、たった二人でこれを打破し、解決してしまったのである。その頃には、二人の愛称と共に、田舎町の名前が至るところで挙がっていた。

 気が付けば時の人。メディアの誘いの多くは断られたが、ジョウトで二人の愛称を知らない者はいないと言える程、有名なトレーナーになっていた。本名や姿形が噂についてこなかったのは、彼等が愛されていた証拠かもしれない。ポケモンとの旅を愛する二人の歩みに支障が出ぬようにと、関わった多くの人々が、彼等の情報に口を噤んだという。

 そんな二人が全国的に有名になったのは、セキエイリーグの一位と二位を飾った時だろう。

 ジョウト地方、ワカバタウンの新星。ついに全国最難関リーグを制覇する。

 その報せは多くの人々を沸き立たせ、喜ばせた。後日放送された一般放送の視聴率も、過去最強と謳われた伝説のトレーナーが出した数値を塗り替え、二人の愛称と出身地は、ついに誰しもに知られるようになった。何より彼等の人気を後押ししたのは、二人がまだうら若い少年少女だった事だろう。『将来』という言葉と共に、その後の躍進へと更なる期待がかかった。故に、二人揃ってセキエイリーグチャンピオンの座を辞退した際にも、誰もその決断を咎めなかった。

 それから数年。

 二人はカントー地方のジムを制覇し、更に前人未到であるシロガネヤマの登頂を成し遂げる。

 長らく空白だったジョウトの最後の地図を、この二人が埋めたのだ。

 その功績は真に評価され、年に一度選出される『最も優れたトレーナー』に異例の二人一組で選ばれ、大々的に表彰が行われた。二人は名実共に、ポケモンマスターになったのだ。

 

 そんな伝説から数年。

 数々の逸話が、人々の記憶の中で確かに存在し、しかし暫く聞かぬ名として、薄れだした頃。

 春の訪れに喜ぶ虫達も寝静まった夜半。月は傾き、もう数時間待てば日も昇ろうかという頃合いだった。

 未だ煌々とした光が窓から漏れるウツギ研究所。その扉を一人の青年が、コンコンとノックした。

 青年はまだ二十代半ばというところ。

 スラっとした体型であり、長身でも単身でもない。顔立ちも平凡であり、服装も薄手のパーカーとジーンズ。特出すべき点は、男性にしては少しばかり後ろ髪が長い事ぐらい。それも短い尻尾のように雑に纏められているので、女性的という印象は薄い。

 彼の表情は少しばかり強張っていた。

 決して何かに怒っている様子ではなく、何処か心配事があるという雰囲気。焦っているのか、暫く待って返事がないと、濁った溜め息と共に二度目のノックをした。

 それが奏功したのか、建物の中からごそごそと物音が聞こえる。

 青年がふうと息をつくのを見計らったように、ガチャリと音を立てて扉が開いた。

 中から出てきたのは、何とも眠たげに目尻をこする丸眼鏡を掛けた男。不健康に痩せこけた顔をしており、少しばかり髪も薄い。白髪交じりの髪には艶が無く、数日風呂に入っていないのではと思わせた。

 

「夜分遅くにすみません。博士」

「うん? ヒビキくん。どうしたんだい?」

 

 長身痩躯の男をやや見上げて、ヒビキと呼ばれた青年は改めてお辞儀をする。

 その畏まった様子に、男は眼鏡のつるをつまんで、目を瞬かせた。

 こんな夜中の来訪に加え、青年の格好は余所行きだった。それに気が付けないようでは、『博士』という肩書きの名折れだろう。

 

「仕事かい?」

「ええ、まあ。詳しくは話せないんですが、コトネも一緒に行かないといけなくて」

「ああ、そういう事」

 

 短い会話で、男、ウツギはヒビキがここに来た理由を察した。

 何せ、長い付き合いである。

 今やポケモンマスターと呼ばれる彼、ヒビキ。

 その旅はこのウツギ研究所から始まった。ポケモンに関する交流は勿論の事、ヒビキが幼馴染のコトネと共にセキエイの頂点に立った時、二人がめでたく結ばれた時、ヒビキの母が亡くなった時、二人に新しい家族が増えた時、彼等の重要な時は常に寄り添ってきた友人でもあった。

 ヒビキと、その妻であり、相棒であるコトネは、今や多忙な存在だ。

 この田舎町に帰ってきてからは少しばかり落ち着いた生活を送っていたようだが、急な要請があればすぐにでもワカバを発たなければいけない。五年程前にアサギで大規模な災害があった際にも、二人は夜のうちにワカバを発っていた。

 

「とりあえず入りなよ。コトネちゃんは支度しているんだろう?」

「ええ。ありがとうございます」

 

 落ち着いた様子で、ヒビキは素直に中へ入ってくる。

 助手の綺麗好きが発揮された所内は、入り口脇の応接間こそ綺麗だ。奥は自分が散らかしてしまっているので、入ってすぐのソファーを促した。

 素直に腰かけるヒビキは、まだ眠たいのか座るなり手を組んで俯いてしまった。

 眠気覚ましのコーヒーぐらいは、時間も許すだろうか。

 無糖か加糖かを問いかければ、彼は「ブラックで」と言った。

 そんな短いやり取り。

 しかし、そこに小さな違和感を覚えながら、ウツギはインスタントのコーヒーを用意する。程なくして仕上がったそれを持って、再び彼のもとへ。

 俯いたヒビキは、組んだ手を微かに震わせていた。

 

「どうしたんだい。らしくないじゃないか」

 

 コーヒーをガラステーブルに置き、彼に促す。

 素直に一口飲んだ彼は、ふうと息をついてから、面を上げた。

 

「今回の件、ちょっと、不安で……」

 

 それは本当にらしくない言葉だった。

 『ちょっと』なんてアバウトな言い方も、困難を前にして『不安』と口にする事も、いつものヒビキには見られないもの。どんな困難な壁を前にしても『絶対に大丈夫』と言って、ぶち破って来たのが、彼の軌跡だった。

 その様子に、聞いてはいけないとは知りつつも、一体何があったのかと問い掛けたい衝動に駆られる。

 逡巡の末に、それを口にしようとした時、研究所の扉が勢い良く開いた。

 

「あー、もう! サクラ重い! 寝てる子って何でこんな重たいのよ」

 

 不躾も不躾、遠慮もへったくれもない様子で入ってきたのは、ヒビキの妻、コトネだった。

 彼女は赤いシャツにオーバーオールという何処か懐かしい恰好をしていて、脇に大きく膨らんだバッグと、胸にまだ幼い女の子を抱えていた。

 ヒビキは年相応に落ち着いた男性の容姿に変わっていったが、その女性には殆んど変化がない。目は大きくパッチリとしたままだし、深い皺の類も見られない。お肌の曲がり角も近いだろうに、ぱっと見た限りは胸の幼子と何ら変わりない。おまけに短身痩躯であるのだから、二十代に見えるかどうかすら怪しい。一応、髪は長く伸びていて、昔のチャームポイントだったおさげはやめているのだが、それでもとてもじゃないが一児の子持ちとは思えない。

 彼女はげっそりとした顔付きで入ってきたかと思うと、脇で落ち着いている二人を見やるなり、正反対の表情にパッと変化した。

 

「あ、博士。チャオ! すまんけど、暫くサクラ預かって」

「しーっ。サクラちゃん起きる!」

「大丈夫。うちの子一回寝たら朝まで絶対起きないから。カビゴンもびっくりってなもんよー」

 

 ウツギが小声で彼女を戒めようとするも、コトネはけらけらと笑って娘の背中をパンパンと叩く。暴力と呼べる程の力ではないものの、良い音が鳴ったというのに、確かに娘は全くと言って良い程の無反応。未だ深い夢の中に居た。

 サクラ。

 そう名付けられた二人の娘は、顔立ちこそヒビキ譲りの穏やかなもので、髪色がコトネ譲り。性格は二人の丁度中間をとったようで、好奇心よりも先に触れて良いかを確認するような慎重な性格に加え、一度寝たら起きないというような豪胆さまであるようだ。

 ヒビキやコトネが目に入れて痛くない程に可愛がっていれば、ウツギからしても実の娘と同じように可愛がっている相手。それこそ孫のようなものだった。

 そんな可愛い娘だからこそ、危険な場所には連れては行けない。故に、二人に緊急の呼び出しがかかると、ウツギ研究所はサクラ専用の託児所になる。今では彼女用のベッドや玩具まである好待遇っぷりだ。

 

「コトネ、Lと鈴は?」

「ちゃんと持ってきたって」

 

 サクラを応接間の端にあるベッドに寝かせると、コトネはバッグの中をごそごそと漁った。

 やがて取り出したのは、透き通った水色の鈴と、自身のベルトに付けていた紫色のボール。それらは何の説明もなく、ウツギの手に渡された。

 促されるまま受け取ったウツギだが、その二つを改めるなり、二人へ向けて小首を傾げた。

 

「これ、ボクに渡すって事はそういう事? 良いの?」

 

 何をとは言わず問いかける。

 二人は一度ばかり目配せしあって、やがてこくりと頷く。

 コトネは少し残念そうに俯いて、薄く微笑んだ。

 

「出来る限り自由な世界を見せてやりたかったけど、ちぃとばかし相手が悪そうで。わたし等に何かあったら、サクラのお守りにしてやってよ」

「そんな馬鹿な。縁起でもない」

 

 いつもの冗談だと思って、ウツギはやや強い口調で彼女を戒める。

 しかし、いつもなら『なんてね』と返ってくる場面で、彼女は嘘のように静かな表情のまま。隣に立つヒビキの袖をくいと引っ張って、彼を促した。ウツギが視線をやれば、彼は黙ってこくりと頷く。上げられた面には、やはり何処か影を落としたように、らしくない表情が映った。

 

「もしもの時は、サクラをお願いします」

 

 冗談はよせ。

 なんて言える雰囲気ではなかった。

 揃って頭を垂れる夫婦は、誰がどう見ても娘を愛している。それをよく知る自分だからこそ、二人の言葉と覚悟は、あまりに重たい。子供を犠牲にするかもしれないと知って尚、行かなければならないとは、下手を打てば世界の終わりがやってくるような一大事のようにも感じる。

 逡巡の末、ウツギは何があったと問いかけたい自分を殺した。

 ふうと深呼吸をすれば、「わかった」と快諾する言葉は思った以上にすんなりと出た。

 

「まだ四歳。これからが一番可愛い時期だ。なるべく早く帰っておいで」

 

 続いた言葉は、何とか二人の重荷にならないよう精一杯配慮した言葉だった。

 暫くして、二人を外へ見送る。

 ゴールドという愛称に見合った金色の霊鳥に跨るヒビキと、同じくクリスという愛称に見合った澄んだ湖を司る獣に跨るコトネ。二人はウツギの前でパンと手を叩き合うと、こちらの事なんて目に入っていないように前を向いた。

 

「じゃあ、行ってきます」

「サクラ。良い子でね」

 

 各々の言葉を残し、深夜、二人はワカバを発った。

 ウツギは二人を黙って見送った。

 二人が戻れない事を覚悟するのは、これが初めてではなかった。

 コガネの占拠されたラジオ塔へ向かった時、シロガネヤマを攻略しに行った時、アサギの大災害へ向かった時、どれも命懸けの戦いだったに違いない。だけどその全てを乗り越えてきた二人だ。

 子供という待つ者が増えた今、きっとその力は最大限に発揮される。

 大丈夫。

 あの二人なら大丈夫。

 ウツギは遠くなる二人の影を、信じて見送った。

 

 それから一〇年。

 ウツギとサクラのもとへ、二人の英雄は未だ帰らない。




あらすじにある通り、リメイク作品です。
元は『天を渡るは海の音』で、略して天海。

色んなもの書いてますけど、長編で完結してるのって天海だけです。だけどその文章力、構成力の拙さから、凄く心残りでして……。練習がてら書いてみたら、自分で書いたものながらやっぱ面白かったんですよね。それをTwitterでぼやいてたら、読みたいって仰ってくれる方がおりまして。
金銀発売から今日で20周年らしいので、公開するなら今日かなって。

一応、前作で心残りだったところはガンガン変えていきます。
なのでもう、If世界とでも思って下さい。先が気になって前作読んでも、第一章の時点で大きく逸脱してますので、ご注意を。
前作で好評だった(?)ミニコーナーは気が向いた時、活動報告にでも。

では。



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Section1

 春のそよ風が草木を撫でる。

 爽やかな若葉の香りは、いつもいつでも変わらないまま。今日も今日とて、変わらぬ朝が来たと、ワカバタウンへ緑の香りを運んでくる。空も晴れ渡り、小鳥のさえずりがなんとも心地よい朝だ。

 一人、また一人と、家から出てくれば、そこは田舎町。町人全員が顔見知りであり、気さくな朝の挨拶が飛び交う。

 とはいえ、ワカバの人口はここ二〇年でぐっと増えた。相手の名前を知らずに挨拶を交わす者も多い。

 かつて、この村から誕生した伝説のトレーナー。その存在が、この町を少しだけ発展させた。伝説にあやかりたいトレーナー家系の者が十数家移住してくれば、彼等の為にポケモンセンターが建設された。最近ではフレンドリィショップの建設も予定されているとか、何とか。しかしながら、ワカバのあまりの田舎っぷりに、移住を取りやめた者も多く、その多くは隣のヨシノシティに移住している。代わり映えしたと言えば、やはりそちらの方が大きいだろうか。発展したと言っても、ワカバタウンは田舎のまま。昔ながらの風習が先立っている風景が、実にそう思わせる。

 相も変わらず背の高い建物はないし、コンクリート製の建物だって、研究所とポケモンセンターくらい。

 子供をポケモントレーナーにしてやりたいと言ってやって来た者達も、その多くは親子揃って田畑を耕している。確かに、何人かの子供はトレーナーになったそうだが、彼等の功績を称えた祝いが開かれた例もない。

 では、由緒ある伝説の一家はどうなのかと言えば……。

 

『ポルッポー。ポルッポー』

 

 響くポッポの鳴き声。

 若く、凛々しく、張りがあり、それでいて朝の清涼感をこれっぽっちも濁さない透き通った声。しかし、その音量だけはそこそこに大きく、朝の静けさをぶち壊すには十二分だった。

 何も本物のポッポが騒いでいる訳ではない。

 ベッドの傍らに設置されたサイドテーブルの上、ポッポのイラストが描かれた丸い置時計が、その犯人だ。つまるところ、ボタンを押さない限りは延々と鳴き続ける。もとい、鳴り続ける。

 短い針は八、長い針は六を差す。

 これを設定した筈の主人は、しかし未だ夢の中。

 就寝当時は頭の下にあっただろう枕を抱き枕にして、沢山のプリンがプリントされたパジャマも乱れに乱れ。傍らでポッポが鳴いているにも限らず、微塵も乱された様子なく眠るのは、果たしてどういう了見か。掛け布団も床に落っこちてしまっているので、少しでも微睡みを抜けていれば、肌寒いと感じるだろうに。

 

『ポルッポー。ポルッポー』

 

 それでも少女は起きない。

 肩まで伸びた栗色の髪があらぬ方向へ向いていようと、綺麗に整えられた眉はピクリとも動かない。小さな唇から零れた唾液が白い枕に染みを作っていても、その瞼は開かない。ポッポが延々と鳴いていようと、白い素肌が特徴的な身体は、呼吸以外の動作をしない。

 その少女、筋金入りの寝坊助だった。

 しかし、暫くして、ベッドの下から苦し気な声があがる。

 瞬く間に困惑するような声色へ変わったかと思えば、少女が蹴落としたらしい掛け布団が、もぞもぞと動く。右へ、左へ、やっぱり右へ。くぐもった声が鮮明になれば、中から「ぷはぁ」という感じで、白いポケモンが顔を出した。

 全長の三分の一はあろうかという大きな耳と、全長よりも長く伸びた四本の尾が特徴的なポケモンだった。

 寝起き良好、しかし寝覚めは最悪。

 就寝用の籠に布団が振ってきた所為か、白と灰色の毛並みは乱れてしまっている。それが鏡要らずで分かるのか、そのポケモンは現状確認をそこそこに、「チィ……」と不機嫌そうな溜め息を一つ。取り急ぎ一番長い尾を首元にスカーフのようにして巻き、籠からベッドへと飛び上がった。

 未だ煩く鳴っている置時計の元へ、横向きで壁になっている寝坊助を飛び越し、向かう。

 時計のボタンを憎々し気にバチンと叩いて止めれば、そのポケモン、チラチーノは、目の前で未だ深い夢の中にいるであろう主人を見て、とても深い溜め息をついた。

 掛け布団の下敷きになっていた自分でも煩くて起きたというのに、どうして彼女は未だ眠りこけているのか。そんな疑問が零れ出そうな表情を浮かべて、しかし「ふふふっ」なんて、幸せな夢からくるだろう呑気な笑い声が聞こえてくれば、呆れも程々、妙な怒りがこみ上げてくる。

 夜中に掛け布団を蹴落としてくるわ。

 自分で仕掛けた目覚まし時計でびくともしないわ。

 彼の怒りも当然だろう。

 すっと小さな右手を構えて、彼はサイドテーブルから少女の顔面へ跳んだ。

 

――バチーン!

「いったぁぁーい!!」

 

 洗練された目覚ましビンタ。

 その一撃はとても良い音を奏で、寝坊助少女を微睡みから覚醒へと一気に持っていく。

 通りすがったチラチーノは、勢い良く飛び起きる少女を後目に、ぷいと顔を反らしてご立腹だった。

 突如叩き起こされた少女は、青い目を宿す双眸をパチパチ。ヒリヒリとする右の頬っぺたをさすって、間抜けにも口をぽかんと開けたまま小さく俯いて「いったぁー……」と、暫し悶絶。

 

「チィ! チーノ!」

 

 そこへ容赦のない怒声が飛んできた。

 痛みに悶えているだけで、すでに覚醒しきっている少女は、涙目で声の主を探す。するとベッドから数歩離れた所で、自分の後ろを指して、丸い目を鋭くしているチラチーノの姿。

 ちらと振り返れば、既に止められている目覚まし時計。視線を戻せば、ベッドの下でぐしゃぐしゃになった掛け布団も見せつけられた。

 ああ、成る程。

 手加減抜きの目覚ましビンタの理由を察して、少女は頬をさすっていた手を止める。ぷんすか怒っている相棒に、「ごめんね?」と、苦笑いをしながら軽く詫びた。

 するとチラチーノは小さく溜め息。

 つぶらな所為でそうは見えないが、ジトーという言葉が似合いそうな雰囲気で、少女を睨んできた。

 

「ごめんねってば。レオン」

 

 もう痛みも無いのか、苦笑を浮かべながら少女はベッドを抜ける。

 そのまま小さな相棒を抱き留めて、「おはよー」なんて言いながら、柔らかな毛に顔を埋めた。

 こうなってはチラチーノ、もといレオンとしては、起き抜けのそれより一大事だ。自慢の綺麗な体毛を更に乱されては敵わないと、小さな手で少女の顔をがしっとホールド。「チィ」と小さく鳴いて、その顔を寝床の方へ強引に向ける。自由な尻尾で時計を指す事も忘れない。

 カッチ、コッチ。

 今や小さな音を立てるだけになった置時計は、八時四〇分を示していた。

 

「あ、やば……」

 

 少女、サクラはレオンをぽいと放り投げた。

 くるくるくる、シュタッ!

 と、レオンは見事な着地を決める。

 その間に、サクラはパジャマの上着を素早く脱ぎ捨てていた。ぽいと放り投げれば、溜め息交じりに跳んだレオンが空中でナイスキャッチ。ズボンも同じようにして掴み取れば、レオンはもう一度ジャンプして、部屋の扉を開ける。

 

「ごめん! 洗濯機に入れといて。帰ったら回すから」

「チィーノ」

 

 言われなくても分かってるって。

 そんな雰囲気の声が返ってくれば、サクラは既に白いニットから頭を出そうかというところ。素早くぷはっと顔を出せば、袖に手を通すだけで、裾は何もつっかえる事なく自然と降りた。箪笥の引き出しを変え、迷う事なく黒い長ズボンをチョイス。こちらは身長が高い所為か、ゆったりとしたものなのに、ややつっかえながら穿く。最後に靴下を履いて、姿見の前へ。

 前後を軽くチェックして、「よし」と頷いた。

 

「いっそげ。いっそげー」

 

 なんて零しながら、自室を出る。

 自室が二階にある為、そのまま階段を駆け下りて、そこで洗濯機のある洗面所から戻ってきたレオンと再会した。

 

「ごめん。ルーちゃん起こしてくれる?」

「チィ」

 

 了解したレオンは、リビングと直接繋がっている玄関へ。

 戸の横にある窓から射し込む日差しが、丁度良くあたる位置。そこに大きな鉢植えの入れ物があり、緑色の塊が入っていた。サクラがバタバタと音を立てて降りて来た所為か、ほんの僅かに身動ぎをしているようにも見える。

 レオンは鉢植えに飛び乗ると、緑色の塊を優しく叩く。

 サクラを起こした時とは、比べ物にならない程優しい目覚ましビンタだった。

 

「チィ、チーノ」

「ルー……?」

 

 鉢植えの中から、ゆっくりとした動作で緑色の塊が花開く。

 両手に当たる葉っぱを大きく伸ばしてみれば、頭部の小さな王冠のような花が揺れる。背伸びのような震えが収まれば、緋色がかった瞳がぱっちりと開いた。

 イッシュ地方で一際美しいと評されるチラチーノに、負けず劣らず評される草タイプのポケモン。ドレディアだ。『ルー』は愛称で、名前はルーシーと名付けられている。

 と、鉢植えがレオンの重みでぐらりと傾く。

 ハッとしたレオンは機敏な動作で飛び退いたが、鉢植えの中に居たルーシーは『あわわ』と両手の葉っぱを振るばかり。そのまま成す術なく、「ルッ!!」と声を上げて、鉢植えと一緒に転んでしまった。

 中に土が入ってないのが幸いではあれ、彼女にとっては最悪の目覚めである。

 転んだままの体勢で、ルーシーは無事に着地したレオンを睨む。

 

「ルゥー……」

「チ、チィ……」

 

 低い鳴き声に気圧されて、レオンは明後日の方向へ視線を逸らした。

 と、そこへ短い足音がやってくる。

 

「ルーちゃん、おはよ……って、どしたの?」

 

 両手にポケモンフードを入れた皿を持ち、現れたサクラが、小首を傾げる。

 とすれば、ルーシーが鉢植えから出て、サクラの傍らに駆け寄ってきた。そのまま半身をサクラで隠して、左手となる葉っぱでレオンと、倒れた鉢植えを交互に指して、「ルー! ルー!」と訴えた。

 彼女が何を言っているかは分からなかったが、この二匹とサクラの付き合いは、三、四年にもなる。声色と動作だけで、ある程度の内容は伝わった。

 サクラはリビングの中央にあるテーブルへ皿を置くと、罰の悪そうな顔で固まっているレオンを振り返り、くすりと笑う。

 

「レオン。ちゃんと謝った?」

「ルー! ルー!」

 

 サクラの足元で、ルーシーが『そうよ。そうよ』という風な声を上げた。

 言われてハッとしたのか、レオンは短く鳴いて、ルーシーの前へ。彼がぺこりと頭を下げれば、彼女はムスッとした風ながらも、こくりこくりと頷いた。

 レオンは意地っ張りっぽさがあるものの、悪い事はきちんと謝れる。ルーシーも本来は温厚で、脅かさない限りはとても穏やかな性格だ。それを知るサクラは、二匹の様子を見るなり良しと頷いて、「はい。仲直り」と、腰を屈めて双方の手を取った。

 

「ふたり共、おはよう。ご飯食べよっか」

「チィ」

「ルー」

 

 サクラが笑えば、先程までの些細な諍いなんて何の事やら。レオンとルーシーも朗らかに笑う。

 サクラが自分の分のパンを用意し、朝食の挨拶を交わせば、食べているものこそ違うのに、浮かぶ表情は一人と二匹、皆同じ。それは普通の家族が、普通に築いてこられるような、当たり前の風景だろう。そこに一風変わった習慣や、決まり事なんて無く。当たり前な絆が、当たり前のようにあるだけ。しかし、ここでサクラが二匹を『ふたり』と呼び、ポケモンフードを『餌』でなく『ご飯』と言うのは、彼女なりの矜持なのだろうか。はたまた、意識さえしていない当たり前な事なのだろうか。

 ポケモンは大事なパートナーだ。

 そんな月並みな教えは、幼児向けの本にだって書いてある。しかし、徹底して己の行動を気を付けたとしても、極々自然なものとして振る舞うのは、何とも難しい事。

 伝説のトレーナーの一人娘は、立派にトレーナーをやっていた。

 

 食事が終われば、レオン、ルーシーの順で、自ずからモンスターボールへと入っていく。

 最後のパンを飲み込んだサクラは、二匹が入ったボールに一言礼を述べると、それを手に近場のソファーへと向かう。雑に置かれた大きなバッグの上から、専用のベルトを取り上げると、ニットの上から腰に巻いた。二匹のボールを取り付ければ、どこからどう見てもポケモントレーナーだ。

 

「今日はお使いを頼みたいって言ってたっけ……」

 

 バッグのべろを捲りながら、独り言をぼやく。

 紐で纏められた手の平大のメモ用紙を取り出すと、それはソファーの脇に。辞書のような太さをした本も、用紙の上に置いた。『フィールドワークの心得』とあるあたり、今日の要件には不要な荷物と判断したのだろう。下敷きになったメモ用紙も、昨日のオタチやコラッタの確認数等が書かれたものだった。

 財布。トレーナーカード。PSS。お薬。非常食。念の為の着替え。

 指で一つ一つ確認を取りながら、忘れ物が無いかをチェック。全てが確認出来て、サクラはうんと頷いた。

 ちらりと時計を見れば、時刻は九時を過ぎようかというところ。

 

「やば、急がないと!」

 

 そう言って、鞄を肩に掛ける。

 そして彼女は、『急ぐ』と言ったにも拘らず、玄関に背を向ける。そこから数歩歩いて、ソファーの横にある腰の高さの棚の前へ。

 色んな冊子が収められたガラス扉の本棚だった。

 しかし、サクラの用事はそちらにはない。

 棚の上、小綺麗なクロスを下敷きにして、一つのフォトスタンドと、小さな鈴があった。

 写真には、二匹のポケモンと、三人の親子が映る。

 男にしては少しばかり長めの黒髪を短く縛り、優し気な笑顔を浮かべている男性。腰まである栗色の髪を靡かせながら、小さくピースサインをしている女性。その間で、女性の片手に抱かれた栗色の髪をした小さな女の子。その後ろには、大胆不敵ににやりと笑うバクフーンと、一家を微笑まし気な笑顔で見守るメガニウム。

 言うまでもないかもしれないが、ヒビキとコトネ、サクラの家族写真だ。後ろに立つ二匹は、二人が最も信頼を寄せた相棒だったらしい。

 両親は偉大な人だったと、多くの人から聞かされてきた。

 子供を置いてどっかに行っちゃって、何が偉大なのかと反発した事もあったが、微かな記憶に残る両親は、確かに自分を愛してくれていた。残していったアルバムにも、四歳の頃に別れたとは思えない程、幸せそうな家族の写真が沢山あった。

 フォトスタンドに飾られた写真は、サクラの三歳の誕生日に撮られた写真らしい。背景に写る家の前の桜の木が何とも綺麗で、サクラはこれが特別お気に入りの一枚だった。

 写真を手に取って、優しく微笑みかける。

 

「行ってきます。お父さん、お母さん」

 

 そう告げて、写真を元の位置へ。

 そのまま隣に飾られた鈴を手に取った。

 

「お守り、持って行くね。多分、今日中には帰って来れないと思うから」

 

 そう言って、鈴をバッグの中に。

 それはウツギ博士に渡されたものだが、両親がもしもの時は自分のお守りにするよう預けていたそうだ。

 大変貴重な骨董品らしく、絶対に失くさないようにと言われている。壊さないようにと言われなかったのは、鈴が半透明な色をしているくせに、物凄く硬いからだろう。しかしながら、その鈴は一度も鳴った例がない。形と、ウツギ博士が鈴だと言っていたから、サクラは勝手に鈴だと思っているが、振っても音は出ない。中に音を出す為の玉が入っていない事も、半透明な水色をしている為に、一目で分かる。

 じゃあ何なのかと疑問に思うが、ウツギ博士が教えてくれない以上、調べる事はしなかった。

 両親が残していった大切なもの。

 ただそれだけで、十分だったからだ。

 今度こそ支度は整ったと、サクラは玄関へ向かった。

 白いスニーカーを履いて、扉を開ければ、ふっと射し込んでくる真白の光の何と眩いことか。

 

「んーっ! 良い天気」

 

 背伸びをしながら、清々しい朝に満面の笑みを浮かべる。

 よしと頷いて気を引き締めたら、鍵を掛けて、少しだけ早足で歩き始めた。

 春の陽光に、桃色の花弁が舞う。

 ちらりと視線を横に流せば、自宅の隣で大きな桜の木が、満開になっていた。

 両親がポケモンリーグを制覇した時のお祝いに植えられたんだとか。写真に残っているより、もう少し大きくなっている。

 去年はウツギ博士の一家と共に、あの木で花見を楽しんだ。今年はコガネに住む友人も来ると言っているし、少しばかり賑やかになりそうだ。あとでPSSで連絡をしておこう。もう満開だから、少し時期を早めようって。

 そんな事を考えながら、視線を前に戻す。

 徒歩一分と掛からない場所。間に何も建っていないので、サクラの自宅から『お隣さん』と呼べる場所に、平屋造りの大きな建物があった。

 ワカバでは珍しいコンクリート製の建物。

 ウツギ研究所だ。

 とはいえ築三〇年は経っているそうだし、改築もしていないので、近代的な建物ではあるものの、様相は古ぼけて映る。主人であるウツギ博士が研究以外に対して酷く物臭なので、外壁は本来の色合いをしていない。裏手なんて地面から一メートルは苔が生えている。

 助手のカンザキさんが居た頃は、もう少しマシだったんだけど……。

 清々しい朝をぶち壊しにしてしまう汚らしい装いに、サクラは数年前にワカバを去って行った一人の男を思い浮かべる。

 一見すると厳格そうで。だけど凄く優しい人だった。

 ウツギ博士の専門である『交配』を、未来を紡ぐ事だと言っていて、この世の絶滅危惧種とされるポケモン達の交配を専門的に研究していた。その成果が『メタモン交配』として、世に出回ってから暫く。ウツギ博士からの勧めもあって、拠点をコガネに移し、独立したのだ。とはいえ、彼が掲げた看板は『カンザキ研究所』ではなく、『ウツギ第二研究所』だったりするのだけども。

 昔は良く遊んで貰ったっけ。

 まめな性格で、綺麗好きな人だったので、彼が居た時のウツギ研究所は割と綺麗だった。少なくとも、人々の目に留まりやすい研究所の前面は、綺麗な白壁だった気がする。

 外観がそんな風なら、中も分かりきったもの。

 サクラは二回のノックの後、ウツギ研究所の扉を開けた。

 鍵は掛かっていない。

 田舎で『町人皆知り合い』といったものなので、防犯意識は低い。外出するのに鍵を掛けない家だって珍しくないし、他人の家だろうとノックのついでに客が戸口を開くところまでが普通だったりする。サクラが自宅に鍵を掛けるのは、以前、キキョウシティに住んでいた時期があるからだ。

 

「博士ー。おはようございますー」

 

 勝手知ったるウツギ研究所。

 客が玄関口まで上がるのなら、家族と言える程に親しいサクラは、何の断りもなく土足で入り込むし、勝手に電気も点けてしまう。むわっとした空気を感じたので、玄関横の窓も全開にしておいた。

 返事が無い事に小さく溜め息をついて、やおら振り返る。

 電気を点けたというのに、ウツギ研究所は薄暗い。背の高い可動式の棚が所狭しと並んでいるからだ。これまたカンザキが居た頃は、まだマシだった。ウツギ博士は断捨離さえも面倒臭がる。いや、むしろ棚に入れて整理しているだけでも、随分とまともになったのだ。サクラがキキョウからワカバに帰ってきて、手伝いを申し出た頃、書類は山積み、ファイルは開かれたままその辺に散らばっているのが、当たり前の光景だった。

 見かねて口酸っぱく注意して、漸く棚に整理するようになったのだ。

 まあ、棚を買いすぎだとは思うけれども……。

 

「博士ってばー」

 

 棚と棚が入口から一本道を作っている。

 それを辿れば、ほんのちょっとだけ開けたスペースへ出られた。

 古く大きなメディカルマシンが一台。その隣に卓上ライトが点けっぱなしになっているデスク。すぐ使うからと雑に山積みにされた資料の山を挟んで、サクラにはよく分からない大きな機械。更に隣の本棚の方は、汚いので見るのを止そう。

 サクラと九時に待ち合わせていた筈の男は、デスクに突っ伏して眠っていた。何時から着替えていないのか、白衣は薄汚れているし、伏せた顔の下にはノート、手にはペンを持ったまま。俗に言う、寝落ちの末路だった。

 あまり若くないのに、一度研究に火がつけば、家にも帰らず缶詰になる。自分の身なりや環境なんて二の次で、兎に角頭に浮かんだ事を、ノートに記し続けている人。ウツギ博士とは、そんな人だった。まあ、研究者なんて奇人変人の集いだと言うし、それくらい没頭出来ないと、結果を残せない界隈でもあるのだろう。研究とは早い者勝ちだと、彼自身が良く言っている。

 そんな風に理解しているからこそ、サクラからすればウツギはずっとここに居る人物な訳で。声が返ってこないのに、自宅に帰っている事より、ここで寝落ちしている事を当然と思うのは、仕方ない事なのだろう。

 

「博士。朝ですよー。起きてー」

 

 抑揚の無い声を出しながら、サクラは唯一辿り着けそうな窓を開きに行く。玄関横を除けば、メディカルマシンの横にしか手の届く窓が無い。他は手前に棚があったり、書類が山積みで足の踏み場が無かったり。カンザキ博士が見たら、発狂してしまいそうだ。

 ガラッと音を立てて窓を開けば、まだ少し冷たい風が入ってくる。暖房でむんとしている所内には、刺さるような空気だった。

 それを感じてか、伏せた男が苦悶の声をあげる。

 

「おはようございます」

「ん……ああ、サクラちゃん。おはよぉ」

 

 目を覚ましたらしい男は、大きな欠伸と共に、凝り固まった身体を解すように伸びを一回。

 寝ている間にずれてしまった眼鏡を外して、手の平で顔全体をごしごしと拭く。その最中、我慢出来なかったらしい二度目の欠伸。

 

「まーた夜更かししたんですね?」

 

 聞かずもがなとは知りつつも、サクラは溜め息交じりに問いかける。

 眼鏡を掛け直しながら、ウツギは「ポケモンの色彩遺伝子の突然変異と、地方外交配との関連を、論文に起こしてたら……ふわぁ……」と、饒舌にもゆっくりと答えてくれた。

 難しい言葉が混じっているが、要するに『ゲームをしていたら、セーブポイントが遠くて』という事だと、サクラは思った。ウツギ博士の博士号は、カンザキ博士が『ウツギ第二研究所』を掲げている以上、剥奪される心配がない。もしも仮に博士個人の成果を求められれば、サクラが手伝っているフィールドワークのデータを提出すれば良い。ウツギ博士の研究は、半ば余生を楽しんでいるものだ。サクラの感想はあながち間違っていないだろう。

 

「もう。またおば様に叱られますよ?」

「うっ……朝から虐めないでおくれよ」

 

 虐めるも何も、帰宅すれば叱られるのは、もう目に見えている。

 一体、何日帰ってないのやら。

 サクラは薄汚れた白衣を見やって、『そろそろだろうな』なんて思う。堪忍袋の緒が切れたウツギの妻がやって来て、彼の耳を引きちぎらん勢いで引っ張っていくのは、この研究所に居れば自然と見られる光景の一つだ。

 溜め息一つ。

 まあいいや。なんて心地で、サクラは改まった。

 

「今日って、お使いだよね?」

 

 軽口のように問いかける。

 キキョウで学生寮に入っていた時、年上には敬語を使うよう刷り込まれてしまった所為で、サクラのウツギに対する口調は安定しない。家族に近い存在ではあるものの、礼儀礼節を弁える為、普段は敬語だが、ふとした瞬間に子供時分の調子で話しかけてしまうのだ。

 しかしながら、それも日常の光景。

 ウツギは気にした様子なく、うんと頷いて、ゆっくりと立ち上がった。

 

「ヨシノシティの先にポケモンじいさんが住んでた家って、覚えてるかい?」

 

 漸く目が覚めてきたのか、はっきりとした口調で問いかけてくる。

 サクラは少しだけ自分の記憶を辿って、「ああ」と、すぐに思い出した。

 

「五年ぐらい前に亡くなった方ですよね」

「そうそう」

 

 凝り固まった腰を回して解しつつ、ウツギはこくりと頷いた。

 ポケモンじいさんはサクラも何度か面識のある老人だった。

 ウツギ博士と親交が深く、研究を助け合う事も多かったそうな。サクラの両親とも面識があったそうで、色違いのギャラドスの鱗を譲って貰ったと、見せてくれた事もあった。しかしながら、高齢故に五年程前に亡くなり、離れて暮らしていた息子さんがその荷物を引き上げていった筈だ。

 元は研究用に建てられた家屋らしく、専用の機材を置く為の間取りをしていれば、所在も30番道路のど真ん中という辺鄙な場所にある。だから、長らく空き家として放置されていて、ヨシノ辺りでは『幽霊屋敷』なんて呼ばれもある。

 芋ずる式に出てきた記憶を口から零していけば、ウツギはうんうんと頷いて、感心した風だった。

 

「やっぱり、サクラちゃんの記憶力は大したものだね」

「そんなそんな。聞いた事をそのまま覚えているだけですって」

 

 サクラはそう言って謙遜をするが、実際、学校の成績でも『覚える分野』は学年でトップだった。その代わりという訳ではないが、『計算』だとか、『応用』だとかはからっきしで、学年でドベだとはっきり言われたが。

 気恥ずかしくなったサクラは、「それより」と、話を戻す。

 

「ポケモンじいさんがどうしたんですか?」

 

 問いかければ、ウツギは「いや、重要なのは本人じゃなくて家だよ」と注釈を入れつつ、デスクの端っこからパソコンのマウスを取り上げる。立ったまま前屈みになって、点けっぱなしだったパソコンを操作し始めた。

 カチ、カチ、という無機質な音が数度。

 暫くして、デスク下に追いやられているプリンターが、大きな駆動音をあげた。

 

「最近、あの家に越して来た人が居てね。僕の友人なんだけど」

「あー……まあ、引っ越しの時期だもんね」

 

 春と言えば、年度の始まりだ。

 引っ越す予定があれば、それに合わせる家庭は多いだろう。

 サクラがそう言えば、ウツギは「だね」と頷いた。

 プリンターが吐き出した紙をチェックして、大きめの封筒に収めるウツギ。そんな彼を観察しながら、サクラはふと抱いた疑問をそのまま呟いた。

 

「博士の友達かぁ……どんな人なんだろ」

 

 二五年前、ウツギ博士は『世の多くのポケモンは、例え哺乳類と同じ形をしていても、卵から生まれる』という世紀の大発見をした。以来、社交界に顔を出す事も多かったそうで、上流階級の人々にも顔が利く。しかしながら本人がこんな感じで世捨て人なので、大事な用事でも無い限りはこちらから連絡を取る事さえ無く、『友人』と呼べる関係に発展した人物は殆んどいなかったそうな。

 サクラが知る限り、彼の友人はサクラの両親と、カンザキ博士、オーキド博士ぐらいしか浮かばなかった。カンザキ博士がコガネを出たなんて話は聞かないし、オーキド博士がマサラから引っ越そうものなら、それこそ大ニュースだ。

 まさかサクラの両親が帰ってきて、サプライズをしようなんて話でもあるまい。

 となると、サクラが知らない人物だろうか。

 

「んーとね。僕の友人でもあるけど、実際に親しかったのは、僕じゃなくてキミの両親だよ」

「お父さん達?」

「そう。良いライバル関係だったと聞いているよ」

「ライバル……ライバル……」

 

 実際に両親と話す機会があれば、耳にする話かもしれない。しかし、サクラに物心がついた時には、両親はいなかった。聞けた話と言えば、ウツギをはじめとする他人からの評価や、二人が残した数々の偉業を記録した文献くらい。後者に関して言えば、当時社会的な成人を迎えていなかった両親の記録は、殆んどがプライバシーの保護で隠されていた。交友関係なんて載っている筈が無い。

 しかし、どこかで耳にした覚えがあったような……。

 サクラは「うーん」と言って、視線を天井へ流す。

 両親に関する話で聞いたなら、間違いなく覚えている筈。一言一句と言って過言ではない程、色んな話を鮮明に思い出す事が出来る。しかし、そのどれを思い起こしても、両親の交友関係に纏わる話はなかった。

 暫く悩んでいると、思い出すのを待ってくれていたらしいウツギが、くすりと笑った。

 

「まあ、彼はあまりメディアに出たがらないからね。多分、彼とヒビキくん達の関係を知っているのも、僕を含め数人の筈さ」

「うーん。降参。思い出せない」

 

 別に勝負をしていた訳ではないが、サクラは両手を挙げて、思い出すのを止めた。

 自分が思い出せないという事は、何かしらの話とごっちゃになって勘違いしているか、全く別の関係で記憶した話なのだろう。それぐらいサクラは自分の記憶力に自信があるし、逆に推理して答えを導き出せる程賢くない事も自覚していた。

 ウツギは柔和な笑顔を浮かべて、肩を竦める。

 仕方ないなという風にも見える仕草で、しかし嫌味たらしくは感じない落ち着いた声色で続けた。

 

「ポケモンリーグ制覇者で、ポケモンマスター。今はポケモン協会の会長をやっているね」

「ん? 協会の会長って……」

 

 ポケモン協会と言えば、ポケモンに纏わる仕事、制度の元締めだ。

 サクラも持っているトレーナーカードといった免許の発行をしていれば、ポケモンリーグを管理しているのも協会。ポケモンセンターやフレンドリィショップもそこに含まれる。もっと言えば、このウツギ研究所だって協会の支援を受けており、博士の博士号だって協会から与えられたものだ。

 ポケモンに関する事の国家機関と言えば良いだろうか。

 ポケモンセンターやポケモンジムが無償で利用出来るのは、全部この機関のおかげと言える。勿論、民間組織なんてものも存在はする――この研究所だって厳密にはそう――が、非合法組織でもない限り、基本的にはこちらも協会からの支援を受けている。

 何せ、ポケモンに纏わる事なら、切っても切れない関係なのだ。

 そして、現在の会長と言えば、当然だが一人しかいない。

 まめにニュースをチェックしているサクラにとっては、結構な頻度で耳にする名前だった。

 

「えっと、シルバーさん。ですよね」

「そう。シルバーくん」

 

 しかし、博士の言う通り、有名なのは名ばかりで、メディアへの露出が極端に少ない人物だった。

 ポケモンリーグを制覇し、レジェンドホルダーと呼ばれるようになった時。幾つかの功績からポケモンマスターと呼ばれるようになって、オーキド博士と記念対談をしていた時。はたまた協会の会長に就任した時。

 思い出せるメディアの記録が、片手で足りる程だ。

 協会の会長になってからはコマーシャル等で見かけるようにはなったが、それでもあまり頻繁に見られる顔ではなかった。特に、バラエティー番組への出演は殆んど無い筈だ。

 と、そこで不意に。

 

『確か、キミはジョウトの英雄とも仲が良いんじゃったな』

『ええ。けれど、若い頃のわたしが一方的にライバル視していた所為もあって、距離感に悩む間柄ですけどね』

 

 どこかで見たシルバーとオーキドの対談を思い出した。

 ジョウトの英雄なんて呼ばれの所為で、両親のものとは考えていなかったが、シルバーにもそういう存在がいた事は知っていた。その英雄がサクラの両親であるのなら、話は合点がいく。

 シルバーとサクラの両親は同じくらいの年頃だし、旅をしていたのも同じジョウト、カントーの地。

 思い至れば、「ああ!」と言って手を叩きたくなるような覚えが色々とあった。

 対談の中で、手持ちのオーダイルについて『彼等とは丁度良いバランスでした』と言っていたり、『今はどこで何をしているのやら』なんて、ライバルの行方が分からないと言っていたり。話が繋がっていくにつれ、何で両親の事だと分からなかったのかと、過去の自分の馬鹿さ加減に開いた口が塞がらなかった。

 確かに、そんな有名人であれば、30番道路なんて辺鄙な場所に引っ越す理由も納得がいく。

 

「今回、極秘に頼まれ事をしてね。本当なら僕が直接行きたいところなんだけど、腰が痛んでねぇ……」

 

 本題に戻って、サクラは驚くでもなく、うんと頷いて返した。

 腰が痛いのは今朝のような寝方をしている所為だろうが、それはさておく。

 ポケモンマスターのシルバーと言えば、知る人ぞ知る素晴らしい制度を作った人。偉大なトレーナー一〇〇選にもノミネートされた伝説の人だ。おまけに両親の友人であるとするなら、今から会いに行くのなんて夢みたいだった。

 サクラはそれより早く本題を進めてと、期待感に満ちた目で、うんうんと頷いた。

 そんな心情が伝わったのか、博士は呆れたように笑って、手に持った封筒を差し出して来た。

 

「じゃあ、これを渡してね」

「うん!」

「中身は覗いちゃダメだからね?」

「わかった!」

「気を付けて行くんだよ?」

「気を付ける!」

 

 子供みたいな返事だった。

 本当に大丈夫なのかと疑いたくなるだろうが、そこは長年の間柄。ウツギは可笑しそうに笑うだけで、サクラが封筒をしかと仕舞うのを見届けた。

 30番道路の中程までとなれば、日帰りとはいかない。しかしながら、サクラの手持ちはそこそこ鍛えられており、ここいらでは相手になるトレーナーがいない程だし、フィールドワークで日を跨いで出かける事も多い。ちょっとくらい調子に乗っていようと、別段問題は無いだろう。

 忘れ物がないかを確認して、ウツギはにっこり笑顔で見送った。

 

「行ってらっしゃい。シルバーくんによろしくね」

「はい。行ってきまーす」

 

 春の木漏れ日の中、少女は笑顔で、ワカバを後にした。



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Section2

 ワカバタウンとヨシノシティを繋ぐ道、『29番道路』。

 ジョウト地方では最も穏やかなポケモンの生息地とされ、昼はオタチが、夜はホーホーが目立つ。昨今のテレビ番組でよく取り上げられる『外来種』も、ここにおいては少ない。極々稀に見かけるぐらいで、分布情報にも載せられない程。それらを定期的に調査し、もしも生態系を破壊してしまうようなポケモンがいれば、自身で捕獲するなり、専門の部署へ報告をする。それがウツギ博士の手伝いとして、サクラが担当していた事だった。

 そんな風に足しげく通った道路だから、サクラはこの道で野生を相手にしなくても良い場所が大体分かる。

 急な外来種が飛び出して来れば話は別だが、経験上、今の時期はこちらから刺激しなければ、襲われる事は殆んど無いと言える。春はオタチもホーホーも繁殖期ではないので、臆病な彼等の方から逃げていくだろう。

 時期的なものではあるが、ワカバタウンからの空気に感化されてか、そうでないのか、比較的穏やかな筈の道程だった。『穏やかな筈』と言うのは、それが野生のポケモンに限った話だからである。

 

「あ、サクラじゃん。バトルしようぜ。バトル!」

 

 ワカバタウンを出て、歩くこと三〇分。

 短パンにキャップ帽といった、如何にもな恰好をした幼い少年に、そう声を掛けられた。

 トレーナー同士が目を合わせると、それは勝負の合図。

 その格言は、こんなド田舎でも適用される。相手の手持ちが瀕死寸前でもない限り、遠慮もへったくれもなく、力試しのバトルは日常的に盛んに行われていた。昔はトレーナーの数自体が、田舎町のそれだったそうだが、サクラの両親にあやかってトレーナー家系の者が移住してきてからこちら、この29番道路も中々の賑わいだ。特にサクラはこの辺りでは随分な名うて。フィールドワーク等の作業中でなければ、色んなトレーナーから声を掛けられる。

 意気揚々と飛び出して来た少年もまた、一流のトレーナーを夢見る駆け出しのトレーナー。同じワカバの出身である彼の名前を、サクラが知らない筈もなかった。

 

「おはよう。ケンタくん。コラッタの調子はどう?」

「バトルして確かめてみてよ! いくよ!」

 

 最早サクラの是非なんて聞いてはいない。

 少年は無邪気な笑顔と共に、ボールを投げていた。

 綺麗な放物線を描いたボールは、空中でぴたりと静止。そして開く。すると強い光と共に、中から真っ白なシルエットが飛び出してきた。それはすぐに実体化して、中に収められていたポケモンが現れる。

 尾と前歯の長いポケモン、コラッタだった。

 この29番道路において、サクラが手持ちのポケモンを傷付けている事は滅多にない。作業中でなければいつでもバトルは出来るし、何連戦だって平気だろう。それが知れてしまっているからこそ、少年の誘いは断りようがなかった。

 サクラはケンタの強引さに少しだけ苦笑しつつも、一番手前のボールを取り上げた。

 

「今日は用事があるから、終わったらそのまま行っちゃうね」

「うん。オッケー」

 

 赤と白のボールの境目にあるボタンを一回だけノック。

 安全装置を解除して、前方へ優しく投げた。

 

「レオン。よろしく!」

「チィ!」

 

 白いシルエットが纏まると、そこには艶やかな長毛を綺麗に整えたチラチーノの姿。

 ボールの中で整えたのだろうか。今朝方は乱れていた毛並みが、きちんと繕われていた。だからという訳ではないが、やはりこの29番道路には少々似つかわしくない手練れの風格があった。

 戻ってきたボールを手に、反対側の手でコラッタを指さす。

 

(はた)いて」

「コラッタ。体当たりだ!」

 

 レオンが鋭く鳴いて、首元巻いた尾を解き、駆け出す。

 対するコラッタは初速から全力か。気合いを込めた顔付きでレオンを正面に捉えて、真っ直ぐ突っ込んできた。

 そのままぶつかろうかという時、レオンは小さく跳躍。コラッタを飛び越えた。

 目標を失ったコラッタはハッとした様子でたたらを踏むが、その制動が完遂するより早く、レオンは着地。背後を取っていた。そのまま薙ぎ払うようにして胴をパンと叩けば、コラッタは短い声をあげて、一、二メートル程転がった。

 そのままコラッタはぐてっと四肢を投げ出し、ノックダウン。

 たった一発で、見るも明らかに勝負はついた。

 それを『どうだ』と言わんばかりに、悠々と尾を首元へ巻き直して、小さな鳴き声を上げるレオン。

 お見事。

 ちゃんと加減もしていたし、バッチリだ。

 振り返ってくる小さな相棒に、サクラはにっこり笑顔で音の無い拍手を送った。

 

「あちゃー。やっぱ強いなぁ」

「コラッタも随分と体当たりが様になってたよ。レオンが躱したのも、正面から受けるのを嫌がったんだと思う」

 

 躱した本当の理由は毛並みが乱れるのを嫌ったのだと思ったが、サクラはそう言ってケンタのコラッタに賛辞を贈った。お世辞はあまり良くないかもしれないが、意気揚々と挑んできた相手をたった一発で沈めて、そのまま「はい。さようなら」と言うのは気が引ける。世間体を気にしないのであれば、そもそもバトルを受ける必要だってないのだから。

 再戦の約束をしてケンタと別れると、サクラは周囲にトレーナーがいない事を確認して、鞄から茶色いキャスケット帽を取り出して被った。別に日差しを気にした訳ではない。「おいで」と言えば、レオンは尻尾を解くと、地面を蹴る。そのままよじ登るようにしてサクラの頭上に乗った。少々重たいけれど、チラチーノはとても耳が良い。野生のポケモンや、トレーナーの接近に気付いてくれるだろう。

 サクラがこの辺りでバトルをすると『実力』よりも『加減』を求められてしまう。

 進化まで終えてしまったレオンとルーシーは、当然、先程のコラッタとは比べ物にならない程の強さをしている。しかし、それに驕って強力なわざをぶちかましでもしたら、あのコラッタには一生癒えない傷を負わせたり、最悪、死なせてしまう事だってあるだろう。それは野生のポケモンにも言える事だった。

 自分と相手の実力をきちんと見極めて、適格な判断を下すこと。

 それはウツギ博士からきつく言いつけられている大事な事だった。サクラとしても、無意味にポケモンを傷付けたい筈がないので、バトルをする時に一番気を付けている事だ。となると当然、サクラがポケモンバトルを好きだとしても、ここいらでしたいとは思わない。

 教えを乞われれば拒否する理由もないが、自分が上からものを教えるのも、何と言うかむず痒いのだ。

 以前、そんな話をウツギ博士に相談したら、旅を勧められた事があった。

 勿論、両親が居ないサクラだから、その選択はこれっぽっちも強制的ではなく、単純に『強いトレーナーに出会いたければ、旅が一番手っ取り早い』という話だった。しかしながら、旅をするなら目的があって然るべし。そう考えて、セキエイリーグに挑戦する事も思案したが……結果は現在の姿が示している通り。

 サクラは今の生活にある程度満足している。

 仮に『両親が生きている』とか、『セキエイリーグで見かけた』とか、そういう噂があれば話は別だが、今のところサクラにとって旅をするメリットがデメリットを上回っていないのだ。お金もかかるし。研究所の手伝いでウツギ博士がくれるお小遣いで何とかなっている現状をひっくり返す程の欲求は、どこにもなかった。

 

「チィ」

 

 ぺしぺしと額を前足で叩かれる。

 レオンに促されて視線をやれば、遠目に小さな人影が見えた。

 進路を変更。少しだけ迂回する。

 レオンやルーシーも、不要な争いは求めちゃいない。

 サクラの親友が遊びに来た時ばかりは、普段発散出来ない力を存分に発揮したがるが、それは偶に強者と出会うから嬉しいのだろう。こうしてお使いに出るくらいが、丁度良いのだと思った。

 何度か迂回しつつ、サクラはヨシノシティへ向かう。

 日が空の頂点に達する頃合いになれば、一度昼食の為に休憩を挟んだ。二匹の毛繕いをしてあげながら、小一時間程休んで、行程を再開。

 道程の中程までくれば、トレーナーはめっきり見かけなくなった。

 再度トレーナーを見かけだしたのは、ヨシノシティも間近に迫った頃。日は少し深めに傾いていた。

 ヨシノシティでも顔が知られているサクラは、やはり周囲のトレーナーを避けて進む。この頃にはレオンからルーシーへ役割を交代しており、彼女は周囲の木々を通じて索敵を行っていた。それが奏功したのか、賑わいを見せるヨシノシティに入るまで、サクラはバトルをせずに済んだ。

 

「ふぅ。着いたね。ルーちゃんありがと」

「ルー」

 

 言葉を掛ければ、ルーシーは『いえいえ』なんて返してきそうな笑顔で応えてくれる。

 柔らかい頬っぺたを優しく撫でてあげてから、モンスターボールに戻した。

 空は茜色。

 手を伸ばして深呼吸をすれば、ワカバよりも空気が湿気ているように感じる。ふうと息を吐けば、一日の疲れがやんわりとした倦怠感となって襲ってきた。酷い疲れではないが、明日の行程を考えるなら早目に休むべきだろうか。

 

 ワカバタウンと比べると、ヨシノシティは少しばかり都会の雰囲気が漂う。

 リーグ認定のポケモンジムは無く、都会の代名詞たるビル群こそ無いが、ワカバと違ってドが付く程の田舎という訳ではない。街の南西に大きな港があり、ジョウトで最も栄えているコガネシティまで定期船が出ているからだ。ここ二〇年で人口がグッと増えたと言うし、栄えない理由がないだろう。

 一目に数十人の人々が行き交う光景は、実に活気が溢れて映る。がやがやと声が飛び交っているのも、ワカバの隣町とは思えない光景だ。

 ウツギ博士曰く、昔はそこまで栄えていた訳ではないそうだが、今では所狭しと住宅が並び、それに伴って色んな施設が建っている。数年前にはポケモントレーナーの旅の手引きをしてくれる大きな施設だって出来た。通えば平均一ヶ月でトレーナーライセンスを取れる他、旅に必要な荷物の殆んどを販売してくれるそうで、トレーナーズスクールより授業料が少なく、通う期間も短い。実戦が周囲の道路で出来る為、座学メインの施設という話だが、この街に住むトレーナーの多くは世話になっている施設だろう。

 かくいうサクラも、そこには度々訪れている。

 とはいえその理由はウツギ博士の代理が殆んどで、トレーナーとして授業を受けに行った事はない。行って預かった書類を読み上げるだけだ。ただ、それを月に一回のペースでやっているものだから、ヨシノシティで彼女の顔が知れ渡っているのだ。

 この日も、ポケモンセンターに入るなり、気付いたジョーイが満面の笑みで迎えてくれた。

 

「あら、サクラちゃん。いらっしゃい」

 

 どこのジョーイも変わらない笑顔をくれるが、親しみ深く名前で呼ばれるトレーナーはあまり多くないだろう。

 サクラはぺこりとお辞儀して、微笑んで返した。

 

「こんばんは。まだお部屋って空いてますか?」

「ええ。大丈夫よ。今日は静かに過ごせると思うわ」

 

 サクラはホッと胸を撫で下ろした。

 ポケモンセンターには、トレーナーやブリーダー等、ポケモンを連れている人間が宿泊出来る施設が常設されている。旅のトレーナーは大抵路銀が乏しいので、ポケモン協会が強く推奨している宿泊施設だった。一泊二食付きで、一月に一〇日間まで無償な上、その食事はポケモンの個体に見合ったもので提供される。勿論、ポケモンセンターの役割であるコンディションチェックもちゃんと行ってくれる。至れり尽くせりだ。

 ただし、宿泊施設は早い者勝ちだ。埋まってしまうと民間の宿に泊まるか、野宿をするしかない。このお使い中の路銀はウツギ博士が持ってくれるだろうが、使わないに越したことはないだろう。

 サクラは素直に安堵して、一部屋予約した。

 宿泊する部屋の鍵を預かり、レオンとルーシーのコンディションチェックをお願いする。その手続きも、トレーナーカードを提示するだけなのだから、便利な世の中だ。

 一度部屋に寄って、荷物を置く。その後受付へと戻れば、二匹のコンディションチェックは既に完了していた。チェックがすんなり済むのは、健康な証。異常が無ければ機材に乗せて三分もかからずに終わる。

 再度確認の為にトレーナーカードを渡して、一言お礼を言ってから二匹を預かる。そのまま散歩に出ようと思った為、受付に鍵を預けて外へ出た。

 言わずもがなだが、今晩はここで一泊するつもりだ。

 明日の早朝に発てば、昼過ぎには目的地へ着くだろう。

 深夜に30番道路を踏破するという選択肢は端からなかった。

 

「わー。綺麗な夕焼け」

 

 茜色の日差しに、サクラはそんな感想を零す。

 ワカバからではただ山に沈んでいくだけのお日様だが、ヨシノでは山の手前に海がある。丁度ヒワダタウンとコガネシティの間、アサギシティの方角へ沈んでいく夕日は、手前にある海にキラキラとした橙を落としていた。

 初めて見る景色ではなかったが、サクラはこうした幻想的にも映る景色がとても好きだった。『ジョウト名鑑』に載っている数々の秘境にも、いずれ足を運んでみたいと思う程だ。その為なら、旅をしてみるのも良いかもしれない。

 綺麗な景色を一人で楽しむのは些か寂しい。

 今日は十分歩いた二匹だが、少しの散歩なら付き合ってくれるだろうか。

 ボールを取り出せば、赤い透過部分から二匹の様子が薄っすらと見える。サクラが手に持っている事を分かっているのか、二匹共彼女を見上げて、にっこりと笑っていた。どうやら出しても怒らなさそうだ。

 二匹のボールを手の中で優しく開けば、シルエットは地面に落ちる。

 

「お疲れ様。ふたり共、今日はありがとね」

 

 ボールをベルトにつけながら、二匹を労う。

 短い声で返して来た二匹は、まだまだ元気そうだった。コンディションチェックを通しても見抜けない精神状態についても、特に問題は無さそうだ。

 

「チィノ」

 

 とすれば、レオンがぴょんと跳ねて、サクラの肩へしがみついてくる。そこからよじ登るようにして、「わ、ちょっと待って」と、そこでサクラが抗議する。

 29番道路で見張りをルーシーに交代した時、サクラは帽子を脱いでいた。

 レオンことチラチーノは、尻尾の毛に化粧油を含ませている。肌触りはとても良く、人体に悪影響はないどころか、肌の手入れにもなるのだが、人間の髪は乾燥しがちで、それを多く吸い過ぎる。ふと気が付けばつやっつやになってしまうのだ。もうそれはものの見事に。見事過ぎて栗色に見えなくなる程に。酷い時は光っていたらしい。

 だから普段は帽子を被ってから、彼を頭に乗っけるようにしていた。

 しかし、サクラの抗議を受けたレオンは、きょとんとした様子。

 

「チィーノ。チィ、チーノ」

 

 肩口でしがみついている彼は、尻尾で地面をさして、『何言ってんの? お前』みたいな顔をした。

 促されて地面へ視線を落とせば、そこに映るのはアスファルトではない。浜辺の街に相応しい粒の細かい砂地だった。確かに、綺麗好きのチラチーノにとっては酷な地面だろう。

 逡巡して、「はあ……」と溜め息。

 出してしまったのは自分だし、仕方がない。

 

「分かった。いいよ」

「チーノ」

 

 『分かれば良いんだよ』なんて、聞こえてきそうだった。

 抱っこという選択肢がないのが悲しいかな。サクラの抱き方が悪いのか、抱っこをすると毛並みが乱れ、レオンの機嫌は最悪になる。だから、胸に抱けるのは就寝前後だけなのだ。

 とはいえレオン自身、尻尾がサクラの髪につかないようにはしてくれる。それは何も今回だけじゃなく、頭に乗る時は必ずそうしてくれる。でないと、サクラの首が嫌な音を立ててしまうのだ。そりゃあそうだろう。チラチーノの総重量は平均して七・五キロ。その内、太い四本の尻尾が大半を占めている。胴体の体重は、おそらく三キロぐらい。身体だけなら、頭に乗っけても問題はない。まあ、残りの四・五キロ分、後ろに引っ張るような力が働いている訳だが、それは慣れた。

 レオンがそんな風なら、ルーシーは砂地が大好きなご様子。

 草タイプの彼女は本来、湿気を好む。直接塩水に触れるのは好きじゃないようだが、砂浜の土は好きなようだ。潮風を受けても気にした様子を見せない。

 

「ルーちゃん。はい」

「ルー」

 

 手を差し出せば、左の葉っぱが返ってくる。

 触れればひんやりと瑞々しい感触だった。

 ドレディアの花は手入れを怠るとすぐに枯れてしまうという。だからサクラは、彼女が望む限りの環境を与えるようにしていた。

 普段、鉢植えで寝かしているのも、彼女がそれを望むからだ。今日みたいに外泊をする日は、皿に土を盛って、彼女のお気に召すように湿らせてあげるようにしている。サクラが直接行う手入れなんて、半日に一回、霧吹きで水を掛けてあげるぐらいなものか。

 これ程手のかからないドレディアは珍しいらしいが、サクラのルーシーは、それでいて綺麗な花を咲かせている。コンテストに出せば、ハイパーランクくらいまではぶっちぎりで優勝してくるだろうと、サクラの親友が言っていた。まあ、本人に聞いてみたら、『見世物になるのは嫌だ』というような反応が返って、諦める事にしたのだが。

 と、浜辺への道すがら、そんな過去話を思い出していれば、ふと思い出す事があった。

 

「そうだ。アキラに連絡しておかないと」

 

 ポケットから貴重品と一緒に持ってきたPSSを取り出す。

 まだ春先の所為か浜辺は閑散としていた。居るのは何人かのサーファーと、サクラのように散歩をしている人達が数人。ここなら誰の迷惑にもならないだろう。と、呼び出した連絡先の『通話』ボタンを押してみた。

 近場の防波堤へ腰を下ろし、コンクリートの上だから良いだろうとレオンも隣へ。反対側にルーシーも腰を下ろした。膝の上にPSSを置けば、暫く接続中だったそれが、漸く『プルルルル』と、音を鳴らしはじめた。

 一度、二度、と同じ音が鳴って、暫くして音が途切れる。

 

『お掛けになった電話番号を、お呼び出ししましたが、現在、繋がりにくいようです』

 

 と、女性の声のアナウンス。

 画面へ目を落とせば、勝手に終話されてしまった。

 それを見て、サクラは小さく溜め息を一つ。

 ワカバタウン近郊は、PSSの電波が入りづらい。流石に町中はある程度支障無く繋がるが、それでもホロキャスターは起動出来ないし、電話も音が途切れてしまう事がしばしばある。メールぐらいしか満足に使えない。

 

「偶には声聞こうと思ったんだけどな」

 

 繋がらないものは仕方がない。

 向こうもそんなに暇な身の上ではない筈だ。

 30番道路に入れば再び繋がりにくくなってしまうだろうし、仕方なくメールを起動した。そこに今朝考えていた花見の件を短く纏めて記入し、送信。これで必要な事は伝わるだろう。

 視線を上げれば、夕日は山の峰に半分程沈んでいる。

 ザザァ、ザザァと、繰り返し聞こえてくる波音が風情を感じさせた。

 

「シルバーさん……どんな人なんだろう」

 

 傍らのレオンを撫でてやりながら、ぽつりと零す。

 自分が知る知識では、とても偉大な人だと思う。

 彼が行った『ポケモン保護案』は素晴らしいものだ。

 トレーナーの中には、ポケモンを手に余してしまう人もいる。その理由は一流のトレーナーが行う戦闘に特化したポケモンを探す『厳選』であったり、つがいで飼っていたら不意に卵を持ってしまった等、様々。そうした時、人は余ったポケモンを野に返して来たが、必ずしもそれが正しいとは限らない。人の手が触れたポケモンの多くは、野生に馴染めない事が多いと言う。そんなポケモン達の為に、のびのびと暮らせるサファリパークや、ポケモンの種に合った就労を用意する専門の部署を作ったのだ。

 はじめこそ人間の失業者が増える等、色々と問題はあったが、近年問題視されていた『外来種による生態系の崩壊』等が大きく改善され、都会の路地裏で薄汚れた野良になっているポケモンも随分と減ったそうだ。

 

「大変な政策だったって言うもんね。きっとポケモンが凄く好きな人なんだろうなぁ」

 

 独り言をぼやいていれば、隣でくすくすと笑う声が聞こえる。

 ふと視線を落とせば、ルーシーが『変なの』とでも言いたげに、やけにお上品な笑い方をしていた。「うん?」と零して彼女に小首を傾げて見せれば、ちらりとサクラの後ろを見やって、更にくすくすと笑う。

 促された気がして振り返れば、レオンが両手を合わせて、あらぬ方向を向いている。やけに目がキラキラしていて、扇情的に見えなくもない表情をしていた。まるで顔だけ少女漫画のようだ。

 まさか。

 と、思って、サクラはにっこりと笑いかける。

 

「レオン? もしかしなくてもそれ、わたしの真似?」

 

 問いかければ、レオンはサクラの顔を指さして、短く鳴く。

 再度海の方を見やって、うるうるとした目で扇情的な顔をしていた。まるで背後にロズレイドの大群を背負っているようだった。

 

「…………」

 

 ばしん。

 サクラは無言でレオンの背中を軽く叩き、砂浜に突き落とした。

 レオンはこの世の終わりのような悲鳴をあげた。

 

 翌朝。

 まだ日も浅く、空が薄暗い時間帯。

 サクラは支度を終えて、ヨシノシティのポケモンセンターを後にした。

 今日も快晴。降水確率も〇パーセントとのことだ。

 ヨシノシティと30番道路の境で、組んだ両手を天に向けて思い切り伸ばす。

 

「んんーっ」

 

 時刻はまだ六時前。人気も薄い時間帯だ。

 昨日、サクラはPSSのアラームを五時にセットした。それから五分程過ぎて、レオンの目覚ましビンタによって目を覚まし、食事もとらないまま支度を終え、ここに居る。

 そして、待っている。

 態々早朝に起き、ここで時間を余しているのには理由があった。

 

「そろそろかな」

 

 PSSで時刻を確認。

 六時まであと三分。

 サクラは手持ちの二匹を展開した。

 

「おはよう。ふたり共」

 

 声を掛ければ、レオンは元気な声で返してくる。

 ルーシーはまだ眠り足りないのか、明後日の方向を向いて大きな欠伸をしていた。

 長い付き合いなので、サクラが急ぐ理由を、二匹共が知っていた。だからレオンはしかと目を覚ましているし、ルーシーはサクラと同じ寝坊助であるにも拘わらず、頑張って起きている。そんな二匹へ、謝意をそこそこに、サクラはよろしく頼むと改めてお願いした。

 何が何でも計画通りに。

 必ず、一八時にはヨシノへ戻ってこよう。

 サクラはそう言った。

 レオンは深く頷き、ルーシーは片手の葉っぱを軽く挙げる。

 サクラは続ける。

 

「もしも居たら……絶対にイトマルだけは見つけて。そしてそれは報告しないで。わたしをあのポケモンだけには何があっても近づけないで。いい? お願いね? 本当に本当に、お願いね?」

 

 それはそれは鬼気迫る表情だった。

 そして捲し立てるような早口だった。

 人間、誰しも苦手なものの一つや二つある。

 ポケモンが好きだと公言するサクラにだって、苦手なポケモンの一匹や二匹はいる。

 それがイトマル。

 この30番道路で、夜の間だけ出現するポケモン。

 過去に嫌な出来事があったサクラは、あのポケモンの背中の模様だけは絶対に好きになれないと思っていた。いや、今も思っている。それを見ないで済むのなら、朝ご飯は手持ちの携帯食料で我慢するし、自ら進んでレオンにぶん殴ってでも起こしてくれと頼みこむ。何があっても遭遇したくない。その為に、彼等が寝静まる早朝から出発するのだ。それに、この時間帯から出ればトレーナーもおらず、道程は順調な筈。昨日みたいな迂回をしないで済むのだから、四時間もあれば目的地に着くだろう。

 六時になった瞬間を見計らって、サクラ達はヨシノシティを出た。

 

 人間、嫌なものから逃げる時ばかりは、普段の何倍も優秀になる。だけどその代わり、身近な者には酷く滑稽に映るものだ。

 朝に強いレオンならまだしも、まだ眠り足りないルーシーは、主人の我儘に些か呆れたような顔をしていた。勿論、目の前の脅威を避けるのに必死な主人は、これっぽっちも気付きやしないのだが。これで信頼感を失う訳ではないが、そんなに嫌なら飛行タイプのポケモンでも育てて、空を飛んでいけばいいのに。と、思う。

 ふと、近くの茂みから何かの気配を感じる。

 視線をやるでもなく、その茂みに何がいるのかと問いかければ、どうやらそこに居るべきではないポケモンが居るらしい。もう日も昇ろうとしているのに、タイミングを逃してしまったのだろうか。街道沿いの少し先にはポッポの姿も確認出来た為、彼が動くに動けない様子なのは察した。

 あまり気配りが上手と言えないレオンに見つかれば、あのポケモンは天敵の前に出ざるを得なくなってしまうだろう。

 ルーシーは小さな溜め息をついて、主人と繋いでいた手を放す。

 

「ルー」

 

 ちょっと行ってくる。

 と告げて、サクラ達の前を先行した。

 普段なら疑問の声を投げられそうなものだが、今日は自分に悟らせずに対処しろと言われているので、目の届く範囲なら何も言われない。

 目標は数羽のポッポの群れだった。

 ルーシーの見た目は他者の目に愛らしく映るそうだが、野生で生きる者達は、目で見るより早く気配を悟る。明確な敵意を持って近付けば、彼等はそれと、こちらの力量を素早く察知し、その場を去るかどうかを決める。

 見たところ卵を抱えている訳でもなさそうだし、さっさと逃げてくれるだろうか。

 二、三枚のマジカルリーフを展開し、態とポッポ達の群れから少し外した位置へ打つ。命中精度の高い葉の刃は、狙い通り彼等にひゅんという音を知らせ、その羽を羽ばたかせるに至った。

 これであのイトマルは無事、巣へ帰る事が出来るだろう。

 サクラに見つかって謂れのない誹謗中傷を浴びせられる事もない筈だ。

 

「チィ?」

 

 小さく息をつけば、追いついてきたらしいレオンが疑問の声を投げかけてくる。

 何か居たのかという問いに、ルーシーは首を横に。

 何でもない。ポッポの群れが居ただけだと答えておいた。

 人の目に触れないだけで、イトマルは朝だろうが昼だろうが、この道路の至る所に居る。サクラが知ったら発狂してしまいそうだが、彼等は活動しない時に隠れるのが上手なだけだ。それはホーホーにも言える事だろう。ルーシーの経験上、特定の時間帯にしか見られないと言うのは、人の目につかないよう隠れているだけで、人の手の届かない所に居る訳ではない。

 とはいえ、その気配を辿る事は、音に敏感なレオンでも難しい事だろう。人の目で見ると、彼の方が索敵範囲が広そうに映るようだが、こういった草むらでは、草木と意思疎通が出来る草タイプのルーシーに軍配が挙がる。草木から情報を得れば、目に見えず、音も聞こえない遠くでさえ、簡単に察知出来るのだから。

 つまるところ、本来なら、街道沿いに居るイトマルを刺激しないようにさえすれば、それだけで解決する話。サクラがレオンに出した指示は、むしろ逆効果と言える。まあ、それが指摘出来る程に意思疎通が完全なものであれば、サクラはイトマルを嫌っちゃいないと思うが。彼女は情に絆されやすいので、種でなく個を見れば、あっという間に打ち解けてしまうだろうから。

 そんな事を考えながら、ルーシーは顔に笑顔の仮面を張り付けて、一行の少し前を歩いた。

 時に敵意をピンポイントに向けて、道を塞ぐ野生のポケモンを散らす。それが必要なければ、誰も彼もを魅了するらしい便利な表情で、周囲から向けられる敵意を静めながら歩を進める。

 レオンとは生まれた時からの付き合いだ。

 何を説明しなくても、ルーシーのやっている事は分かってくれているだろう。

 伝わっていないのはサクラばかりで、彼女も野生のポケモンと同じく、ルーシーの笑顔の仮面で勝手に安全な道だと思っているに違いない。時折先行しすぎた自分を呼び止めてくるが、にっこり笑顔で「ルー」と言えば、呆れたような笑みが返ってくる。

 それで良い。

 自分は呑気に散歩を楽しんでいて、勝手に先へ先へ進んでしまっているポケモンで良い。

 サクラに絶対的な安心感を与える――それが自分のポリシーなのだから。

 

「ルーちゃん。そこ右ね」

「ルー」

 

 大きな分かれ道で、サクラの声で進路を定める。

 街道はここで終わり。キキョウシティに繋がる道は左の道なので、右の道は人の手が加えられていない田舎道。背の高い樹木が光を遮り、ルーシーの首元にまで届きそうな草が生えていた。

 先行するから、道を踏み外さずついて来て。

 レオンにそう言えば、短く了解の旨が返ってきた。

 長く伸びた葉っぱを、小さく謝意を示しながら踏み折っていく。彼等は痛みを感じず、ルーシーが同胞である事を知っているからか、文句一つ零さずに『どうぞ』と言ってくれた。

 そんな調子で道のようで道でない道を行くと、ふとした気配を感じる。

 ルーシーは近場の木の陰をジロリと睨んだ。

 出てくるな。来ようものなら痛い目を見てもらう。

 冷やかな殺気をぶつければ、小さな敵意はより大きく。しかし気配は徐々に後退っていくように感じた。そのまま動かずに待っていれば、やがて気配はさっと姿を眩ませる。

 この辺りの主だろうか。

 気配はあまり相対した事が無い一本角の虫ポケモンだった。名前は確か、ヘラクロス。

 一行が街道から逸れているものだから、新たな道を開拓しに来た闖入者だと思ったのか。どうやら誤解は解けたようだが、不用意に未開拓の地へ入ろうものなら、手痛い洗礼が待っているのだろう。

 人と野生のポケモンの溝は、あまりに深い。

 

「ルーちゃん。どうしたの?」

「ルーゥ」

 

 足を止めていた事に疑問の声を寄越す主人へ、首を振って応える。

 野生のポケモンがたった今、自分の命を狙っていただなんて、サクラは知る由もないだろう。

 だけど、それでいい。

 知って欲しくないのだ。彼女には。

 ポケモンがどれ程簡単に人の命を奪えるかだなんて、ずっと言葉だけの知識で良い。それを味合わせない為に、自分もレオンも強くなってきたのだから。



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Section3

 暫く歩くと、特徴的な赤い屋根が見えてきた。

 木の間から見えた景色に、思わず近道をしそうになるサクラだが、その様子を見たルーシーが短く鳴いた。頭に乗せたレオンも髪をくいくいと引っ張って、『ちゃんとルーシーの後をついていけ』と言うものだから、仕方ないと近道を諦める。

 未開拓の地に踏み入れるのは、たとえ僅かな距離でも危険だ。

 軽率だったと詫びて、改めて遠回りをする。

 その道すがら、目的地の装いがはっきりしてきた。

 元ポケモンじいさんの家は、外観こそあまり変化がないようだった。しかし、サクラが知る光景と変わりないというのは、外壁の白いペンキは塗り直したという事だろうし、屋根も張り直したのではないかと推測出来る。以前は幽霊屋敷とさえ呼ばれていたのだから、それぐらいの手入れをしないと住むに住めないだろう。

 中はどうなっているのだろう。

 覗くのは失礼だからあまり見ないようにはするが、気にはなる。しかし、不意に目に留まった端っこの窓は、しっかりとカーテンが閉められていた。時刻はお昼前なので、少しばかり無精のようにも感じるが、それこそ失礼な話か。まあ、仮に開いていたとしても、手前の広場が広く、家までは距離がある為、きっと中の様子は見えなかっただろうが。

 

「ルー」

 

 迂回して暫く。

 ルーシーが声を上げて立ち止まった。

 こちらを振り返ってくる彼女は、いつものようににこやかな様子で、家の前の広場まで続く田舎道を片手でさしている。どうやらそこからなら行っても安全らしい。

 サクラは微笑み返して、短くお礼を言った。

 ルーシーが均してくれた草むらを辿る。漸く青々と茂った林を出て、サクラはふうと息をついた。もう警戒する必要もないだろうと、頭の上のレオンも地面へ下ろす。

 と、そんな折だった。

 

「おい。ここは私有地だぞ」

 

 そんな声がした。

 一聞きしただけでは性別が分からない声だった。男にしては高いし、女性にしては言葉が荒い。以前テレビで聞いたシルバーの声ではなかった。

 誰かと思って、声の方向を見たサクラは、その姿を見るなり「ああ」と納得する。

 怪訝な様子でサクラを見てくる姿は、その昔に見たシルバーのポケモンリーグ制覇インタビューの記録で、記者にうんざりしていた時の様子とどこか被る。

 いいや、それも仕方ない。

 そこにいるのは、若き日のシルバーを、もう少し若返らせたような姿をした少年なのだから。

 長い赤髪と切れ長の目は、父親譲りだろうか。違うのは、映像で見た紺のジャージではなく、黒いジャケットとジーンズを着ている事。髪の毛をポニーテールに纏めている事。それと、目鼻立ちも父親より少し柔らかで、威圧感より『生意気そう』と感じるぐらいの軟化した雰囲気を覚える事。

 間違いないだろう。

 彼はシルバーの一人息子だ。

 オーキド博士との対談の時、息子が一人いると言っていたし、姿形も自分とそっくりだと言っていた。

 年の頃はサクラと同い年か、少し下だろうか。声変わりをしていないあたり、後者が正解のように感じる。

 

「あの、わたし、ウツギ博士のお使いで来ました」

「お使い? あぁ、そういや親父、何か言ってたっけ」

 

 少年は怪訝な表情を変えないまま、思案顔でふと目を逸らす。

 と、その視線が落ちた先に、小さなポケモンの姿を見た。

 少年のズボンを小さな手でちょこんと摘み、彼の背後に半身を隠している青色のポケモン。ふと目に留めた瞬間、サクラは「あ、ワニノコ」と言って、思わず微笑んだ。ワニのように発達した顎が特徴的で、動くものにはとりあえず噛み付くそうだが……サクラと目が合うと、キラキラとした目でこちらを見やり、しかしサクラの隣を見て、ひゅっと少年の陰へ戻る。

 何を見たのかと傍らに視線を落とせば、そこには笑顔ではないルーシーの姿。彼女は何故か冷やかな顔付きで、少年をじっと見つめていた。その様子をどうかしたのかと口にしようとして、そこで「あんたさ」と、彼の声がかかる。ハッとして前へ向き直った。

 

「ここに住んでるのが要人って分かってんなら、身分くらい明かすのが礼儀じゃねえの? それとも、まさかその形で、親父に襲撃仕掛けて来たド阿呆なのか?」

 

 少年の目は、サクラの傍らで敵意剥き出しの顔をしたルーシーへと向いていた。

 サクラはハッとして、彼女の手を引く。

 

「ごめんなさい。えっと、今トレーナーカードを……」

 

 としたところで、ルーシーがサクラの手をばっと振り払った。

 余った手で今にバッグを開こうとしていたサクラは、温厚なルーシーの突然の反抗に「えっ」と言って固まる。間髪入れずにどうしたのかと腰を下ろせば、ルーシーは一歩前へ。彼女が小さく鳴くと、隣に立つレオンが、サクラのバッグを引っ張ってきた。

 正面の少年は、ルーシーの様子に目をすっと細める。

 ルーシーのそれは明らかに失礼な態度だった。慌てて謝ろうとするサクラだが、身動きをとろうとすると後ろでレオンが「チィッ!」と鋭く鳴く。まるで『動くな』とでも言いたげだ。

 暫し静寂。

 ルーシーは変わらずのまま、微動だにしない。しかし、何かあろうものなら、一拍も置かず反撃すると言いたげに、サクラでも分かる程殺気だっていた。失礼どころか、これじゃ少年の言う通り、襲撃を仕掛けてきたド阿呆じゃないか。確かに自分は阿呆だけど。いいや、そんな事を考えている場合じゃない。

 

「へえ。良いポケモン育ててんじゃん。あんた」

 

 と、サクラが今に混乱しそうになっていると、少年がやんわりと表情を緩めた。

 

「もう良いよ。シャノン、こいつ等は敵じゃない」

 

 そう言って彼が片手を上げれば、その傍らにひゅんと着地する一つの影。

 どこから現れたのか、まるでテレポートをしてきたかのようだった。

 着地の体勢から、ゆっくりと面を上げるそのポケモン。やおら腕組みをしてこちらを睨んでくるその風貌は、まるでこちらを挑発するかのよう。実物はサクラが初めて目にするポケモンだった。

 鋭い目つきと長い爪が特徴的な二足歩行の猫型ポケモン。

 ニューラだ。

 そのニューラの頭を少年がゆっくりと撫でれば、嬉しそうに目を細め、主人の愛撫を堪能するかのように「にゃあ」と鳴いた。

 それにつられるように、ルーシーは小さく息をつく。サクラでも分かる程だった殺気が、ふっと消えた。彼女が落ち着けば、レオンも胸を撫でおろしている。

 そこで漸く、何があったのかを察した。

 あのニューラは、ずっとこちらへ攻撃する機会を窺っていたのだ。

 ルーシーはそれを察知し、警戒を緩めなかった。来るなら来いと殺気を強め、挑発していたのだろう。もしも攻撃されようものなら、おそらく彼女は全力で迎撃していたに違いない。

 

「ごめんね。ルーちゃん。ありがと」

「ルー」

 

 誤解していた事を素直に謝った。

 彼女の事は信頼しているので、何か理由があるのは分かったが、意図を汲んであげられなかったのは自分の未熟さだ。立ち上がるついでに頬っぺたを撫でてやれば、彼女は愛しそうにサクラの手を両手で包み、首を横に振る。『気にしないで良いのよ』なんて、聞こえてきそうだった。

 改めて柔らかな笑みを浮かべる彼女は、何故かとても幸せそうに見えた。

 さて。と、サクラは今度こそ立ち上がる。

 再度疑われないうちに、さっさと身分を明かしてしまわないと。

 鞄からカードケースを取り出して、一番手前にあるトレーナーカードを取り上げた。

 名前と顔写真がしっかり載っているので、サクラが持つ身分証明書の中でもピカ一の効力を持っている。これで身分が証明出来ない筈がないだろう。

 サクラは改めて断りを入れると、二匹のポケモンをボールに戻している少年の元へ、ゆっくりと歩み寄った。

 

「はじめまして。サクラと言います」

「さっきはわりぃな。俺はサキ……って、ちょい待ち!」

 

 少年はふと何かに気が付いた様子で、サクラのトレーナーカードをひったくるようにして受け取った。

 それを穴でも空けようかと言わんばかりにじっくりと見つめ、やがてその目を、口を、丸く見開いていく。

 

「ちょ、え、マジ?」

 

 何がと言うまでもない。

 サクラが今までこれと同じような反応を何度見てきた事か。

 多分、おそらく、きっと、少年はサクラが二人のポケモンマスターの娘だという事に気が付いている。

 それは、あまり嬉しくない反応だった。

 だって、サクラは両親の事をあまりに知らない。

 知っているのは誰でも知っているような事だけ。今や声と姿も朧気で、二人がどんな性格をしていたかも、知っているだけで覚えちゃいない。期待の眼差しで『どんな人だった?』と聞いてきて、知らない、分からないと言うサクラの返答で、その色を落胆に染める――そんな人間を、何人も見てきた。中にはサクラを『使えない』と罵倒してきた恥知らずだっている。

 そんな気配を感じ、少しばかり俯けば。

 

「やべえ」

 

 少年は、ぽつりと一言。

 それは歓喜や期待感からくる『ヤバい』ではなく、少年自身が失態を犯したと言う雰囲気のもの。

 ふと顔を上げれば、彼は顔を真っ青に染めていた。

 

「大丈夫? 顔色、悪いけど」

「や、うん。あの、あんた……じゃなくて、サクラ。この事、お前の両親には……」

「へ?」

「ヒビキさんと、特に、コトネさんには、内緒で……」

「二人の事、知ってるの?」

 

 ゴールドやクリスタルといった愛称は有名だが、二人の本名はあまり有名ではない。

 知っているのは熱狂的なファンを除けば、二人と直接関わり合いがあった人物達。その内にシルバーも含まれるのだろうから、その息子っぽい少年が知らない理由はない。ただ、サクラが引っ掛かったのは彼の反応の仕方だ。

 知っているの? と聞いたが、本当に聞きたいのは『会った事があるのか』という点。

 だってそうだろう。

 二人はサクラが四歳の頃にいなくなってしまった。

 なのに少年の反応は、まるで二人が生きていて、サクラと一緒に暮らしているかのようにも聞こえるもの。いいや、それ以前に、サクラより年下に見えるのに、二人の性格を知っていそうな物言いが可笑しい。まるでつい最近会った事があるようではないか。

 そこまで思い至ったサクラは、ハッとして少年の身体を強く掴んだ。

 

「ねえ! 二人と会った事あるの!?」

「ん? どういう事だ?」

 

 少年の困惑は当然だろう。

 だけど、サクラは彼の事情を汲む余裕がなかった。

 

「どこで会ったの? いつ!?」

 

 だって、口にこそ出さないけれど、二人は死んでしまったのだと思っていたのだから。

 そんなサクラの心情を、少年はどういう訳か的確に汲んでくれたらしい。

 少しばかり顔をしかめると、「待て、落ち着け」と、サクラの手を剥がしてから、両手を挙げて「別に逃げないから、ゆっくり話せば良いだろ」と提案してくれた。

 そこで自分が掴みかかるような勢いで、彼に詰め寄っていた事を自覚したサクラは、ハッとして謝意を示す。

 事情があるのは分かってくれたのか、彼は首を横に。呆れるでもなく真剣な表情で「もしかして」と、話を続けてくれた。

 

「あの二人、家に帰ってないのか?」

 

 その言葉だけでも、両親が生きている証明になる。

 サクラは胸の奥がカッと燃え上がりそうな感覚を覚え、話を強引に進めたい気持ちでいっぱいだった。しかし、不意に後ろから引っ張られて、再度ハッとする。振り向けば、レオンが「チィ」と鳴く。真剣な表情を浮かべた彼もまた、『落ち着け』と言いたげだ。その隣に居るルーシーも、サクラを落ち着かせるように、ゆっくりと頷く。

 ふとすれば、手が震えていた。

 二匹と少年に止められた衝動は、今に爆発してしまいそうな程、身体を熱くしている。

 小さな謝罪を入れてから、サクラは膝を折って、ルーシーを抱きしめた。

 

「ごめん。ちょっと冷静にならせて」

 

 意図を察してか、ルーシーはサクラの背を優しく撫でてくれる。

 同時に、スッと通るような清涼感のある香りが、彼女から漂ってきた。

 一度、二度、深く深呼吸をすれば、眠気が飛んだ時のような、目を開き直す感覚。襟足のあたりに未だ強い熱気を覚えるが、三度目の深呼吸を終えれば、焦燥感は消えたように感じた。

 ルーシーお得意のアロマセラピーだ。

 彼女のそれはどんな薬よりも効く。

 ふうと息をつけば、落ち着きを取り戻していた。

 

「良いポケモンじゃん」

「うん。ありがとう。名前、もう一度聞いていい?」

 

 そう言って薄く微笑みながら、少年を見上げる。

 すると、何故か顔を赤くしながら、彼はこくりと一回頷いて、サクラに手を差し伸べてきた。

 

「サキ。多分分かってると思うけど、シルバーの息子だよ」

 

 その手をとって、サクラは分かったと頷き返す。

 ゆっくりと立ち上がって、先程の非礼を深く詫びた。

 と、そんな折、キィと扉の開く音を聞く。

 二人して手を握り合ったまま、そちらを見やれば、扉に肩を預け、腕を組んでいる男性の姿。

 

「そろそろ良いか?」

 

 彼はまるで待ちくたびれたと言わんばかりに、挑発的な笑みを浮かべていた。

 黒い薄手のシャツに、ジーンズというラフな格好だが、肩まである赤髪の下には、キリッとした鋭い双眸が窺えて、どこか厳格そうに見える。スッと通った鼻筋も特徴的で、口角までもがつり上がっているので、一見すると柔和そうには見えない。しかし、何故かその表情は高圧的には映らなかった。

 背は随分と高く、女性の中でも身長が高いサクラとて、見上げねばならないだろう。身体つきはがっちりしているようで、長身痩躯ではあるが、ウツギ博士と違って不養生も堕落もしていないと言ったところ。

 決して弱々しくは見えないのだが、パッと見た厳格さよりも、温厚そうな表情が醸し出す雰囲気が強く印象付けられるような、不思議な人物だった。

 彼がシルバーだろう。

 記憶に残る姿と合致する姿に、サクラはそう思った。

 と、そこで。

 

「み、見てたのか!?」

 

 サキ少年が慌てた様子でそうぼやく。

 声に振り向けば、彼の頬は先程より濃い朱がさしていた。

 一体どうしたのだろう。と、彼を窺っていれば、視界の端に映ったのかこちらを素早く振り返って、その視線を下へ。サクラも促されて視線を下ろせば、先程握った手がそのままの形で残っている。それに疑問や恥ずかしさを覚えるより早く、少年がばっと手を解いて、自分の背中に隠してしまった。

 ふとすれば彼の初々しい動作こそが、サクラに恥ずかしい事をしていたと自覚させた。

 思わずサクラも手を胸の前に寄せて、視線を明後日の方へ逸らしてしまう。

 

「ご、ごめんね。離すタイミングを逃しちゃって。その、立つの助けてくれてありがとう」

「お、おう。俺も、なんか、ごめんな」

 

 あまり女性慣れしていないのだろうか。

 そういえば先程も顔を赤くしていたが、あれはサクラが彼の腕を掴んだのが原因かもしれない。

 そんな事を考えていると、ザッザッという足音が近付いてくる。

 そこでサキに囚われていた思考が、先程目に留めた男を思い出す。

 サクラは慌てて振り返った。

 

「すみません。挨拶が遅れました。初めまして、サクラと言います。ウツギ博士から大事な書類を預かって来ました」

 

 慌てて頭を垂れれば、間髪いれずに頭の上に何かごつごつとしたものが乗った。

 それにびっくりして、不意に閉じていた目を開けば、足許に落ちている影が随分と大きい。視線を上げてみれば、そこで被りっぱなしだった帽子の上から、頭をわしゃわしゃと撫でられた。

 

「実を言うと初めましてじゃねえんだ。そんなに畏まらなくても良い。昔もこうして頭を撫でたんだが、覚えてないか?」

「え? えっと……」

 

 記憶力には自信があるが、覚えは無い。

 シルバーのような特徴的な髪色なら、覚えていても不思議じゃないのだが……。

 いや、しかし、頭を撫でられる感覚は、どこか懐かしさがある。きちんと覚えている訳ではないものの、大きくて硬いのに、恐怖心を抱かせない優しい撫で方は、物心がつくより前の記憶にあるような気がした。

 本当は失礼な人だと思うところだろうに、どういう訳かこれっぽっちも嫌じゃない。むしろ心境が荒れていた事もあって、暫くこのままでいたいとさえ思ってしまう。

 

「お前の前から、あいつ等が姿を消す……ちょっと前だったか」

 

 懐かしそうに零された言葉は、先程サキから聞いた話とは少し食い違っていた。

 どういう事かと、撫でられている頭を強引に上げて、ずれてしまった帽子を取った。その帽子をぎゅっと胸に抱き、サクラは小首を傾げた。

 

「知ってるんですか?」

 

 何をと言った訳じゃないのに、シルバーはこくりと頷いた。

 

「あいつ等が家に帰っていないのを知ったのはつい最近だ。だけどほんの数年前まで、二人とは連絡を取っていた。最後に会ったのは……」

 

 ちらりと、彼はサキを見る。

 するとサキはこくりと頷いて、「三年前だよ」と言った。

 三年前。

 つまり、両親は最低でも七年間、サクラを放置していた事になる。生きているのは嬉しかったが、思考は『生きているのに』と傾いて、心のどこかで、嫌な声がよみがえる。

 その昔、誰かに言われた――捨てられっ子。

 あの時は違うと否定したが、今、同じ事が言えるのか?

 そう思うと目頭が熱くなってきて、喉の奥が震えはじめた。

 

「チィノ」

「ルー」

 

 そんなサクラの足を小突く、二匹の家族。

 ふと視線を下ろせば、二匹は真剣な顔で、何かを訴えていた。

 

『確かめもしないで、何言ってんだよ』

『そうよ。決めつけは良くないわ』

 

 言葉を交わせない筈の二匹の声を、聞いた気がした。

 まさか本当にそう言っているとは思えなかったが、二匹の表情が、そう言っているようにも見えた。ふとすれば、嫌な記憶は、どこかに消えた。

 サクラはふうと息をついて、自分に落ち着けと言い聞かせる。

 改めて顔を上げ、待ってくれていたシルバーに向き直った。

 

「二人は……わたしを捨てるような人でしたか?」

「違う。俺が保証する」

「何か事情があるんだろ。だってコトネさん、お前の事大好きだって言ってたし」

 

 シルバーの隣で、サキも一緒になって励ましてくれた。

 なら、何で二人は帰って来ないのか。とは思ったが、それを彼に聞いてもしょうがないだろう。

 サクラは断言してくれたシルバーと、優しい言葉をくれたサキに、ぺこりとお辞儀してお礼を言った。

 話に一区切りがついたと判断したのか、シルバーは小さく柏手を打つ。「さて」と短い言葉で注目を集めると、サクラに向けて微笑みかけてくる。怖そうな顔付きなのに、その笑顔はとんでもなく優しそうに見えた。

 

「二人の話は後でもう一度してやろう。博士から預かった書類をくれ。先に目だけ通してくる」

「あ、はい。分かりました」

 

 サクラは預かった書類をバッグから取り出して手渡す。

 書類の内容は一切知らないが、中身は四、五枚の紙である事は知っている。それは手に受け取ったシルバーも同じなのか、彼はぽつりと「少し時間がかかりそうだな」なんて、如何にも態とらしく言った。

 サクラがその意を取りあぐねていると、彼は振り返り様ににやりと笑う。

 

「丁度良いから、さっきの続きでもして頭を冷やすと良い」

 

 そう言って、ゆっくりと家へ戻って行った。

 さっきの続き?

 疑問に思って隣を見てみれば、サキが少しばかり気恥ずかしそうに頬を掻いていた。

 

「多分、初めっから見られてたんじゃね。ほら、一触即発だったじゃん」

「あ、そっか。わたしてっきり、手を握り直せって事かと」

「流石にそれはねえだろ……」

 

 思った通りに返せば、サキは呆れ顔だった。

 しかし、やはり初心なのか、サクラの発言で先の一件を思い起こしたようで、頬が真っ赤になっている。

 思わずサクラは、先の戸惑いを忘れる心地でふっと笑ってしまった。

 男の子に言うと怒られそうだが、『可愛いなあ』なんて思ったのだ。

 

「な、何だよ」

「いやぁ、サキくん、幾つなのかなって」

「年の話か? 一二だけど」

「じゃあ、わたしの方が二個上だね」

「何だよ。先輩風吹かせようってか? さっきまで泣きべそかいてたくせに」

「な、泣いてないもん」

「いや、泣いてた。涙の跡がある」

「嘘っ!?」

「うっそだー」

 

 こ、このクソガキ……。

 すっかりペースを持って行かれて弄ばれたサクラは、折角笑顔を取り戻そうとしていたのに、すっかり通り越してブチギレていた。

 別に先輩風を吹かすつもりはなかったけれど、こうも生意気に挑発されてしまうと、年長者らしい洗礼をくれてやろうと思う。丁度よく、シルバーに言われているんだし。

 

 バトルはサクラの手持ちを考慮して、二対二のバトルになった。

 勝っても負けても入れ替え。

 引き分けありの二回勝負だ。

 広場は実に丁度良い広さ。

 レオンが走り回ったとしても窮屈には感じないだろう。

 その片側の端っこへ向かいながら、サクラは先程一触即だった時を思い起こす。

 彼がシャノンと呼んだニューラは、レオンより速いように見えた。ルーシーがあれ程殺気だって警戒していたのも、初めての経験だ。あのシャノンというポケモンに限っては、サクラの手持ちより鍛えられているだろう。逆に、サキの傍らでこちらを興味津々に見ていたワニノコは、力量的には少し下。相性の問題もあるだろうが、ルーシーに怯えて、主人を盾にしていた様子から、おそらく間違いない。

 サキが持っているボールは三つのようだった。

 だが、少し関わっただけでも分かるあの挑戦的な感じは、フェアなバトルを心がけるように見える。となると、多少不利だと思っても、出してくるのはお互いが目で見て確認したポケモンだろう。そして、シャノンはきっと二番手。それは何となく、ただの勘でそう思った。

 やるからには勝ちたい。

 全力でバトル出来る時なんて限られているのだから、昂っているだろう二匹の足を、トレーナーである自分が引っ張りたくはない。

 良し。両親(ふたり)の事は一旦忘れて、集中しよう。

 大雑把に定めたバトルフィールドの端で、気持ちを改めたサクラがゆっくりと振り返る。

 五〇メートルは離れたところで、サキもこちらを振り返っていた。サクラの予想を肯定するように、彼はワニノコとニューラを既に出している。腰を屈めて、何かを話しているあたり、あちらにも作戦はありそうだ。

 

「ふたり共、最近暴れてなかった分、思う存分暴れて良いよ」

 

 サクラはサキを見つめながら、傍らで控えている二匹へ声を落とす。

 返ってくる声はなかったが、視界の端っこで両者共に頷いたのが、しっかりと見えていた。

 

「サポートはするから、適時対応で。ルーちゃんが先発、レオンが戦いやすいように整えて」

「ルー」

 

 それまでの喧騒なんて嘘のように、サクラは笑みも涙もない真剣な顔付きで、静かな言葉を落とす。

 向こうも、こちらも、耳が良いポケモンがいるから、あまり作戦を立てても意味が無い。後発するだろう二匹は、お互いの主人が伝えた作戦を踏まえて、バトルプランを練るだろう。

 だから、ここで立てる作戦は殆んど無意味。

 先発で勝負が決まる。

 サクラはそう思っていた。

 

「レオンはいつも通り。翻弄されないようにね」

「チィ」

 

 視線の先で、少年が立ち上がった。

 準備は良いかという声に、いつでもどうぞと答える。

 お互いに視線を合わせ、こくりと頷く。

 そして、どちらからともなく、手を振り上げた。

 

「ルーちゃん! 行って」

「行くぞ。ノア」

 

 ノア。そう呼ばれて勇み出たのは、やはりワニノコだった。しかし、その様子を一目見たサクラは、ハッとする。

 勇猛果敢、怖れなど何処にもない様子で走ってくる姿は、先程のワニノコと同じポケモンには見えない。相性の悪い草タイプを相手にしていると言うのに、その目はまるで期待感に満ちているようにさえ見えた。

 そこで悟った。

 力量を計り間違えた。

 と。

 お互いが中央に向けて走り合う中、先に動いたのはサキ。

 

「冷凍ビーム。ぶちかませ!」

 

 スッと息を吸い込んだワニノコは、大きく右手側へ振りかぶる。

 その予備動作の長さから、回避は簡単だ。しかし、態々大きく振りかぶった理由は、言わずと察せる。

 

「ルーちゃん。防いで!」

 

 サクラの端的な指示を、ルーシーは正確に理解した。

 きっと、目の前のワニノコは、自分と同じ指示を受けているのだろう。

 そう思い至る程、あまりにあからさまだった。

 自身のエネルギーを手の前に集束。短いチャージを終えて、ぶっ放す。それは小さな弾となって、ワニノコ目掛けて一直線に飛んで行った。しかし、あちらもまた、既にチャージを終えていた。

 キィィンという甲高い音が響く。

 瞬く間にルーシーの左手に小さな氷山が一つ出来上がった。それは冷凍ビームの光線と共に、彼女目掛けて急速に侵略してきていた。

 そこでエナジーボールが着弾。

 ズドンという音と共に、ワニノコの冷凍ビームが止まる。

 氷山はサクラ側のテリトリーを三分の一、侵したに留まった。

 間髪いれずに、ルーシーは寄生木の種を展開。まるでドレスの裾を靡かせるように、ぶわりと一回転すれば、辺り一面に種が散っていく。

 と、そこで幾筋かの水鉄砲が、種を撃ち落とした。

 ルーシーが素早く向き直れば、エナジーボールを身体で受け止めたと言わんばかりに、薄っすら肌を焦がしたワニノコの姿。彼は効果抜群の技を受けて尚、好戦的に映る表情を維持したままだった。

 

「堅いなぁ。あの子……」

 

 サクラは思わずぼやいた。

 即打ちしたとはいえ、ルーシーのエナジーボールはかなりの威力をしている。まだ完全に習得しきっているとは言えないものの、以前訪れたコガネの自然公園で、野生のポケモンを一発で追い払った実績があった。

 それを受けて尚、あの表情とは。

 低く見積もっても、コガネジムでも通用する力量だろうか。

 やはり、見誤っていたのは否めない。

 だが、サクラは指示を変えなかった。

 

「ルーちゃん。まだまだ寄生木の種!」

「させるな。ノア!」

 

 ルーシーが寄生木の種をばら撒けば、ワニノコがそれを水鉄砲で撃ち抜いていく。その精度こそは見事の一言だったが、しかし数はこちらに分があった。

 撃墜が間に合わなかった寄生木の種が、地面に根を張る。それは急速に成長し、小さな蔦を伸ばす。

 ただそれだけなら何の効果もない。

 だが、この後出てくるレオンと相対するポケモンには、戦局を大きく動かす要因になる。

 おそらくサキも、ワニノコに冷凍ビームを撃たせたい。それで地面を凍らせられれば、そこはノーマルタイプのレオンにとって不利な地で、氷タイプを複合するシャノンにとっては有利な地になる。

 要は、この戦い、陣取り合戦なのだ。

 サクラはそれをしっかりと理解していた。

 そしてこの状況は、サクラにとって有利だった。

 あのワニノコの力量は未だ分からない。だが、寄生木の種に対処しようとすれば、必ず後手に回る。純粋な水タイプのワニノコからすれば、氷タイプの技は長いチャージ時間が必要で、一発の冷凍ビームを撃つ間に数十個の種がばら撒かれてしまうからだ。

 だけど、サクラと同じ作戦を立てるあの少年が、いつまでも後手に回っているようには思えない。寄生木の種を完全に対処しきれていない以上、どこかを起点にして、挽回してくる筈だ。

 そのタイミングを見逃してはならない。

 サクラは戦況を見守り続けた。

 その時、サキが小さく唇を開いた。

 

「…………」

 

 しかし、ワニノコの水鉄砲の音が重なって、こちらまでは聞こえない。

 ただ、あのワニノコにはしっかり聞こえていたようで、挙動が明らかに変化した。

 降ってくる寄生木の種を気にする事無く、片手を地面についた。それが見えたかと思えば、次の瞬間にはその姿が消える。サクラの目に留まったのは、跳ねた水しぶきだけだった。

 

「ルーシー!」

 

 ハッとして名を呼ぶ。

 視線を彼女にやれば、あろうことかワニノコとルーシーは既に肉薄している。

 彼女は襲い来る牙を間一髪、片手の葉で顔ごと押さえ込んでいたが、サクラの目にはワニノコの次の攻撃が見えていた。

 

「退いて!」

 

 声にハッとして、ルーシーが身を躱す。

 真白の礫を纏ったワニノコのパンチが、空を突いた。

 だが、攻撃はそれで止まない。

 逆の手が、裏拳の要領でルーシーの身体を捉えていた。

 

「ルッ!」

 

 吹っ飛ばされたルーシーは、サキの陣地へ転がっていく。

 どうだ見たかと言わんばかりに、ワニノコが冷凍ビームをサクラの陣地にぶちまけた。

 サキの一転攻勢。形勢逆転。

 そう言わんばかりの状況。

 しかし、サクラも、向かい立つサキも、表情を一切緩めなかった。

 エナジーボールを受け切ったワニノコのように、ルーシーもまた、冷凍パンチ一発で沈むとは、どちらも思っていなかったのだ。

 倒れていたルーシーが、ゆらりゆらりと幽鬼のように立ち上がる。そして自身の陣地が蹂躙されている様を見ると、普段は絶対に聞かないような低い声で唸った。

 その様子を見たサクラは、ふうと溜め息を一つ。

 首を縦に振って、小さな声で告げた。

 

「ルーちゃん。もういいよ。暴れても」

「ルゥ……」

 

 待ってましたと言うには、些か静か過ぎるその声。

 ドレディアというポケモンは、はなかざりポケモンの名に相応しい冠のような花を持つ。その花はとても咲かせる事が難しく、手入れも大変だ。だからサクラは、彼女の『花』だけには絶対に触らない。それは彼女の心であり、尊厳の象徴であると知っているから。撫でて労う時も、絶対に頬を撫でるようにしている。

 今、静かな様子で立っているルーシーの花に、少しの泥がついていた。

 ほんの少し。

 だけど確かな汚れ。

 それは、彼女の入れてはいけないスイッチをオンにしてしまった。

 

「ノア! 避けろ!」

 

 未だ冷凍ビームを撃っているワニノコに、サキが忠告する。

 その声がしたすぐ後、緑の光弾が爆ぜた。

 しかし、浅い。

 サキの声を聞いてすぐに撃ったのか、やはりチャージ不足。ダメージは少ないように見えた。

 すかさずルーシーが動く。

 その速さは、先程フィールドの半ばまで進んだ時とは比べ物にならない。ふとすればレオンにも匹敵するような速度で、彼女は距離を詰めた。

 気配を感じたのか、サクラの目前で、ワニノコが先程と同じ冷凍パンチを構える。

 が、最高速に至ったルーシーが現れたのは、その背後だった。

 無言のまま、彼女は右手の葉を払う。

 それによってワニノコの顔は地面に叩き伏せられた。

 その接合部が、緑色に発光する。

 バチチチ。と、およそ自然界では聞かないような音を立てた。

 が、エナジーボールで沈まないワニノコが、メガドレインで沈む理由もない。いいや、そのメガドレインは、蝶の舞によって威力を引き上げられていたのだが、それでも彼は倒れなかった。

 ぐわんと無理矢理口を開いたかと思えば、ワニノコの腹がぐっと膨れ上がる。

 それを見たルーシーは、サッと飛び退いた。

 直上に放たれる冷凍ビーム。

 大気を凍らせる音の、何と甲高いことか。普段目に見えない塵芥が凍りついて、きらきらと舞っていた。

 

「ノア。ダメだ。起き上がるな!」

 

 そこへ割って入るようなサキの指示。

 しかし、もう遅い。

 距離を置いたルーシーは、今度こそと言わんばかりにきちんとチャージしたエナジーボールを用意していた。

 起き上がろうが、伏せていようが、蝶の舞で威力を増した光弾は、先程よりずっと大きい。

 そして何より、それが狙うのは、ワニノコじゃないのだから。

 

「ルーちゃん。お見事」

 

 サクラは勝利を確信した。

 ワニノコが蹂躙したこちらの陣地へ撃ち込まれた光弾は、氷の壁を突き破り、大地へ潜る。そのエネルギーは土を通じ、豊かな栄養となって、種へ。

 ふとすればバキバキと音を立てて、数多の蔦が氷の大地を割り、伸びてくる。

 先程ばら撒いた寄生木の種が、立派に育っていた。

 その最中、ワニノコも蔦に捕まる。

 初めこそサキの指示もあって、的確に躱そうとしていたが、あちらの陣地こそ穏やかながら、こちら側は撃ち落とせなかった種でいっぱいだ。蔦の数は数えることすら出来ない程で、あっという間に身動きが出来なくなっていた。

 その光景を静観し、決着がついた事を悟ったルーシーは、フィールドの片隅で小さく息をついていた。

 勝利を喜ぶより早く、自分の花についた泥を一生懸命落とそうとしているのが、何ともドレディアらしいと言えるだろう。

 サキがノアをボールに戻しているのを見届け、サクラも戻ってきたルーシーを柔らかな笑顔でお迎えする。

 

「後でお風呂入ろうね」

「ルー」

 

 怒ってこそいたものの、久々の全力バトルですっきりしたのか、ルーシーはにっこり笑顔だった。



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Section4

 戦い終えたルーシーをボールに戻す。

 サキのノアは中々な強敵だった。きっと凄く疲れた事だろう。

 力量を見誤ったとはいえ、その実力はおそらくルーシーには一歩届かない。そう分かっていたから、負ける事こそないと思ったが、アクアジェットを絡めた奇襲にはサクラも驚いた。あれを受けて尚、陣取り合戦に固執していたなら、おそらく結果は違っただろう。

 改めてフィールドを見てみると、サクラ側の陣地はもう滅茶苦茶だった。高さ一メートル程の蔦が生い茂っていれば、その被害が無い地面は氷漬け。あの蔦は三〇分もあれば枯れてしまう程脆いので、乗って戦う事は出来ない。とすると、やはりレオンは氷の上を走るしかないのだが、ちょっとでも足を滑らせてしまうと、あのワニノコと同じ憂き目に合うだろう。

 先発の役目で言えば、ルーシーはあのワニノコに敗北している。

 だったら……。

 サクラは考えを巡らせながら、手を前へ。

 

「レオン。行こう」

「チィ」

 

 勇み出たレオンの向かい側で、サキもシャノンを送り出している。

 気合に満ちた表情を浮かべるチラチーノと、物静かな動作で腕組みをするニューラ。二匹が自陣の中央で止まると、サクラとサキ、両者が頷き合って――試合開始。

 すぐさまサクラは手を振った。

 

「レオン、ロックブラスト!」

「シャノン、電光石火!」

 

 主人の指示に、両者が動く。

 レオンは凍り付いた地面を尻尾でぶち割り、その氷塊を石の代わりにして、手で投げる。その動作を高速かつ、四本の尻尾と二本の手で絶え間なく行い、徐々に移動を試みる。

 対するシャノンは、やはり物凄く速い。

 ロックブラストの射線を紙一重で躱し続け、レオンへの肉薄を狙っているようだった。

 距離はあっという間に半分以下へ。

 最小限の回避で殆んど真っ直ぐに突っ込んできているシャノンが、氷と草原の境界線を越えた。

 

「来るよ。種マシンガンに切り替えて!」

 

 サクラの指示で、レオンが技を切り替える。

 石を手で投げるではなく、草タイプの小さなエネルギー弾を口腔から吐き出す技だ。数多の技を使いこなすノーマルタイプの特徴として、タイプの違う技を使っているにも拘わらず、そのロスは非常に短い。どんなタイプの技にも適用するよう進化してきたタイプの真骨頂だ。

 そしてその種マシンガンが狙うのも、シャノンではない。

 命中精度が高い筈の技は、多くがその手前の地面に着弾した。

 

「シャノン。蔦が伸びるぞ!」

 

 サキの警告。

 やはり、彼にはお見通しだった。

 種マシンガンのエネルギーを受け、一メートル程まで育った蔦が、更に成長する。ぐわんとうねったかと思えば、幾つかの蔦が自重に耐え切れず、シャノンの侵攻を妨げるようにして倒れた。

 レオンの種マシンガンはそれでも止まらない。

 明らかに不必要な範囲まで、蔦を大きく、太く、成長させていく。

 あっという間に、そこいら中で蔦の倒れる音が響き渡った。

 

「派手な戦い方するじゃねえか」

 

 その狙いすらお見通し。

 そう言わんばかりに、遠目でサキがそんな声を上げていた。

 構う事はない。

 こうでもしないと、レオンはあのニューラに嬲られるだけだ。

 改めて見たその速さは、明らかにレオンより速い。正面からの無数の攻撃を避けながらでそう思わせるのだから、一度後手に回れば後は防戦一方のまま押し切られる。

 何とかバトルの流れを掴まないといけなかった。

 無数の蔦が、フィールド上に横たわる。

 先程まで乗ればへし折れそうだったそれが、今や氷を覆い隠すような高台になっていた。

 仕込みは上々。

 あとはこれをどこまで活かして戦えるかだ。

 

「ちょっとタイム。サクラ、こっち来いよ」

「へ?」

 

 そんな折、蔦で見えなくなったサキ少年から、可笑しなお誘いを貰った。

 どういう事かと聞けば、「そっちじゃよく見えないだろ?」という声が返ってくる。

 確かに。

 元々茂っていた蔦は、一メートル程の高さがあった。

 今やそれが倒れたり、更に伸びたりして、身長が高いサクラでも背伸びしてやっと見られるかというところ。

 しかし、普通、バトル中にトレーナーが自陣のトレーナーフィールドを出る事は禁止されている。今回、大雑把に定めたフィールドだから、その境界線こそ定かではないが、サクラは出来る限り動かないようにして、それを遵守していた。

 

「良いの? これもサキくんの戦略になると思うんだけど」

「良いって良いって。別に公式のバトルでもねーんだしさ」

 

 サキはそんな風に言って、こっちへ来いと言う。

 そこまで言われたら、受け入れない理由もない。

 サクラはふうと息をついて、身体の昂ぶりを一度解放した。いつの間にか凝り固まってしまった身体をほぐしながら、フィールドを迂回して、彼の元へ向かう。

 迎えてくれた少年は、サクラを認めるなりけらけらと笑い始めた。

 

「いやあ、良く育てたよな。あの蔦」

「三〇分もあれば枯れるよ。地均しを使えるポケモンが欲しいとこだけど」

「ああ、なら大丈夫。親父が適当に均すだろうし。バトルしろつったの親父だから、そんぐらい気にしねえと思うよ」

 

 サキの言葉に、サクラは素直に安堵した。

 彼の隣でバッグを下ろし、ふうと息をつけば、悪戯っ子のような笑みを向ける。

 

「ちょっとやり過ぎたなって、思ってたの」

「だろうな」

 

 サキもまた、苦笑していた。

 と、そんな会話をしていれば、レオンが間延びしたような鳴き声を寄越す。

 ちらりと見やれば、彼はシャノンと肩を並べて、蔦の高台の端からこちらを窺っていた。

 どうやら再開はまだかと問い掛けてきているようだ。

 

「レオン。再開する前に、さっきの場所に戻ってね」

「シャノン。お前もな」

 

 指示を出せば、二匹は了解して、足早に戻っていく。

 その折でレオンが何かをシャノンに言ったようで、彼女がくすくすと愉快そうに笑っていた。健闘を称え合うにはまだ早いだろうが、どうやらタイプではない相性は中々良いらしい。

 そんな事を思っていれば、「ネズミと猫なのにな」なんて、サキが屈託の無い笑顔を浮かべている。

 どうやら彼と自分も仲良くなれそうだ。なんて思いながら、「そうだね」と、サクラは返した。

 暫くすると、レオンとシャノン、両者の声が上がる。

 配置に戻ったらしい。

 再開の挨拶はサキに一任し、サクラは様子を見守る事にした。

 確かに、ここからなら良く見える。

 頑張れ。レオン。

 サクラは胸の内で小さな声援を送った。

 

 別れ際に自分より優れた速さと、正々堂々とした戦いを心がける彼女と主人を称賛すれば、シャノンというニューラは、照れたような笑顔で『ありがと』と返して来た。その笑顔は何とも可愛らしくって、昔どこかで覚えた残虐なポケモンというイメージを払拭するには、十分過ぎるものだった。

 蔦に囲われた地面に戻る。

 足下はひんやりと凍り付いていた。

 戦いが中断された時、レオンはどうして蔦の上に登ったものかと考えている最中だった。その答えは少々ずるいながらも、休戦中に分かってしまったが、まあ、こうして不利な地へ戻ってきているから、大目に見てくれるだろうか。きっとシャノンは蔦の上だ。ひょっこり顔を出したタイミングでぶん殴られたって不思議じゃない。

 どうしたものか。

 と、レオンは思う。

 出会った時、ルーシーは彼女の気配を察知していたようだが、自分にはこれっぽっちも分からなかった。静か過ぎる敵意は、相方の反応を見てから漸く悟ったものだ。正直なところ、勝てる気がしない。ルーシーにしろ、シャノンにしろ、自分より僅かながら格上だ。あのふたりがぶつかり合うのは、相性的に選択肢として無かったようだが、少しばかり主人の采配を恨まざるを得ない。

 自分もサクラもまだまだ発展途上だと知っているから、どうしようもないとは思うのだが、ここまで善戦しているだけでも褒めて欲しい。取っ組み合いにでもなれば自分に分があるが、スピードタイプの彼女が素直に捕まってくれるとは思えなかった。どうしたって後々ルーシーに『勝てなかったねー。残念だねー』なんてゲスな笑い方をされる未来から、抜け出せないでいる。

 とすれば、シャノンが猫っぽい鳴き声を上げていた。

 どうやら配置に戻ったらしい。

 

「チィーノ」

 

 シャノンの声がしたのは、やはり蔦の上。そちらを見上げながら、レオンは自分も戻ったと報せた。

 いよいよやり辛い。

 色々と器用な事が自分の強みではあるものの、地面は凍り付いていて走る事も出来ないし、蔦の上は耳の良いシャノンが居る。下から蔦を崩す事も出来なければ、彼女の目を盗んで蔦の上に出るのも難しいだろう。せめて自力で負けていなければ、視界が通らないのを良いことに、凍り付いていない敵陣へとフィールドを移すのだが……いいや、やはり彼女の耳の良さが怖い。

 うん?

 耳が良い?

 って事は……。

 

「んじゃ、バトル再開!」

 

 奇策を思い付いたところで、サキの声でバトルが再開された。

 しかし、頭上に広がる蔦のフィールドの上で、シャノンが動く気配はない。やはり、こちらの動きを逃すまいと耳を澄ませているのだ。

 じゃあ、これならどうだ。

 レオンはにやりと笑って、静かに息を吸った。

 

「チィーノ、チィチィーノ」

 

 そして、ゆったりとしたメロディーを奏ではじめた。

 それは歌っている自分には全く効果がないが、静聴しようものならあっという間に眠気に誘われるもの。ルーシーがより確実な眠り粉を使えるので、バトルにおいては滅多に使わないが、その効力はお墨付き。サクラの寝付きが悪い時に、彼女を眠らせるのによく使っている。

 耳を澄ませているのなら、耳に攻撃すれば良い。

 サクラを平均して一〇秒で眠りに落とす歌だ。まともに聴けばただじゃすまない。

 だが、極めて効果的な戦略に思えたそれは、頭上からのドンという音で遮られる。どうやら歌声を聴かない為に、蔦を壊し始めたようだ。その崩落音があれば、確かに歌うは効力を発揮しきれない。

 それこそ、狙い目。

 レオンは近場の蔦へ足を掛け、そのまま跳ねるようにして蔦の上へ登って行った。

 

「シャアッ!」

 

 と、頭を出したその時。

 重たい衝撃が頬に響いた。

 堅い金属で殴られたような衝撃。身体が軽い事もあって、すくい上げるような衝撃のまま、蔦の上を通り越して空中へ投げ出されてしまう。懸念していた筈の、手痛い一撃だった。

 (いって)ぇ……。

 レオンは苦悶に呻きながらも、必死に身体を丸めた。

 まさかスピードタイプの彼女が、一発くれてそのまま終わる訳が無い。

 警戒した二発目は、背中の方向から。しかしそれは尻尾の油分が滑らせ、衝撃を明後日の方向へ逃がす。三発目は再度顔を狙ってきた。これはそのまま受ける。四発目で地面へ着きそうだったところを、再度かちあげられて、五発目は痛みに薄ら目を開けたレオンの正面。

 自分より高く跳躍した彼女は、鬼気迫る表情で片手を引いていた。

 両手を交差し、衝撃に備える。

 ズドン。

 彼女の袋叩きの締めは、地面へ叩きつけるような一撃。

 

「レオン!」

 

 心配そうなサクラの声を聞く。

 傍目から見ても、殆んど完璧な連続攻撃だったのだろう。だけど、狙いが完璧過ぎるのは、玉に瑕というやつ。完璧だからこそ、二発は防御が間に合った。

 レオンはカッと目を開くと、着地の衝撃から抜け出せない彼女に手を伸ばす。その手は咄嗟に彼女が身を反らし、空を掴んだが、確かな感触を覚えたのは尻尾。

 

「ニャッ!?」

 

 驚いて目を見張るシャノン。

 その足に、レオンの尻尾の一本がしかと巻き付いていた。

 貰った!!

 そう思って、片手を引く。

 純粋な攻防の強さでは、進化している自分の方が強い。

 袋叩きを耐えたレオンには、その確信があった。

 今度はこっちの番だと言わんばかりに、余った尻尾と拳を振り上げた。

 と、その時。

 

「ニャ、ニャァン……」

 

 甘ったるい声が聞こえたかと思えば、シャノンの目がうるうると潤んでいた。弱々しいとさえ感じる程に殺気が消え、か弱い女の子がそうするように、膝を崩して両の爪で身体を庇っている。ふとすれば戦闘続行の意思が無いようにさえ見えた。

 その詳細な言葉は、ポケモン同士、確かに伝わってくる。

 

『殴っちゃ、ヤダ』

 

 なんて、可愛らしい声で。

 弱々しく。負けを認めるように。

 ふとすれば、自分が今からしようとしている反撃が、とんでもない弱い者虐めに思えた。

 このか弱いニューラを殴って、果たしてどうする? 勝利して喜んで、サクラはそれを称えてくれるのか?

 あからさまに動揺した。

 今にスイープビンタを仕掛けようとしていた手を、尻尾を、動かせなくなった。

 と、その時。

 

『ごめんね?』

 

 そう聞こえたかと思ったら、どてっぱらに物凄く重たい一撃を貰った。

 そのまま空中へ放り出されたかと思うと、来る筈の追撃は来ないまま、蔦の上を通り越して、敵陣の地面へ落っこちる。

 え? どゆこと?

 自分の身に何が起こったのか理解出来ずに、痛みよりも先に来る動揺に囚われたまま、レオンは地面へ。

 それが騙し討ちであった事を察し、『ああ!! ちくしょう!!』と立ち上がってみれば、後ろからひんやりとしたものを首筋に添えられた。

 嫌な気配がしてちらりと振り返れば、先程の弱々しい姿は一体何だったのかと言いたくなる程、満面の笑みでこちらによく研がれた爪をあてがっているシャノンの姿。その笑顔ばかりは、ルーシーのそれより腹黒く映る。

 

「勝負あり。だな」

「レオン……ダメだよ。あれは」

 

 近くでサキがにやりと笑って、サクラが額を押さえて溜め息をついていた。

 あ、負けたのか。ぼく。

 敗北を察知したのも、そこで漸くの事だった。

 

 レオンが歌うを使った時、サクラは彼が勝てそうだと思った。

 それをまさかシャノンが根性で耐えて、出て来たところを袋叩きで迎え撃つとは思わなかったが、それでも尚、彼女の移動を封じた時点で、勝利を確信する事が出来た。彼女がレオンを誘惑するまでは。あんな分かりやすい騙し討ちなんて無いだろうに、レオンはあの手の攻撃にとても弱い。

 コガネの友人とバトルをした時も、不意打ちや騙し討ちだけでこてんぱんにされた事がある。傍目から見ているサクラでも分かるようなあざとい罠に、ものの見事まんまと引っかかるのだ。見ていた友人も、レオンが人間なら詐欺に合いそうだと苦笑していた。

 そのうち矯正しないとダメだろうか。

 でも、愚直な部分が転じて頼りになる時もあるので、難しい問題だ。

 何せレオンは負けてしまった。

 一勝一敗で、サキとは引き分けた事になる。

 最後の大ポカが無ければ……とは思ってしまうものの、総じて頑張ってくれたと思う。ルーシーはひっくり返された勢いをしっかり取り戻してくれたし、レオンも格上相手にあと一歩まで追い詰めていた。それらはサクラが育ててきた身体の事より、二匹が自ずと育ててきた心の影響がずっと大きいだろう。

 だからサクラは、罰の悪そうな顔をして戻ってきたレオンを、優しく抱き上げる。もう毛並みもぐちゃぐちゃだし、今なら怒らないだろうと思って、これ以上ないくらいに思いっきり撫でた。

 

「良く頑張った。最後のポカも、もう赦した。だから胸を張って、僕は頑張ったんだって言いなさい」

「チィ……」

 

 なされるがまま。

 俯きがちに答えるのは、主人のサクラから大いに労われても、最後のミスが自分で赦せないからだろうか。

 レオンは不貞腐れたような顔をして、だけど少しするとサクラの愛撫を面倒臭そうに、ゆっくりと払い除けた。

 偶には大人しく撫でさせてくれても良いのに。

 なんて思いながらも、サクラは苦笑を浮かべつつ、彼を地面に下ろして、ボールを差し出した。

 と、そこで。

 

「ニャア」

 

 今にボールへ戻ろうとしていたレオンを呼び止める声。

 サクラとふたり、声へ振り返れば、サキの足許でにっこりと笑っているシャノン。彼女は主人をちらりと振り返ってから、再度レオンを見やり、ゆっくりと近付いてきた。

 そして、一歩半分の距離を開けて、彼女はかぎ爪が光る右手を差し出して来た。

 ハッとしたレオンは、彼女とその手を見比べるように、二度、三度と視線を動かして、やがてその爪にそっと触れる。

 

「ニャア」

「チィノ」

 

 優しく微笑むシャノンと、少し照れたようなレオン。

 暫くしてサクラへ向き直ってくるその顔は、吹っ切れたような笑みを浮かべていた。

 良かったね。レオン。

 どんな言葉が交わされたかは分からなかったが、きっとサキが育てたシャノンは、とても優しい子なのだろう。レオンの朗らかな顔を見ると、サクラは心からそう思った。

 レオンをボールに戻して、ゆっくりと立ち上がる。

 サキもシャノンを戻し終えたようだ。

 

「ありがと。シャノンちゃんに伝えて」

「おう。まあ、あれは殆んど負けてたようなもんだしな」

 

 サキから見た試合の結果は、サクラと異なるようだった。

 彼はどこか悔し気に、それでも自分のポケモン達を誇るように、薄く笑っていた。

 と、したところで、サキは「うん?」と、小首を傾げる。

 

「そういやシャノンの性別って言ってたっけ?」

「ううん」

 

 聞いていない。

 もしかして間違えただろうか。

 そう思って問い直せば、彼は首を横に。間違いなくシャノンは雌だと教えてくれた。そこでサクラは安堵したが、腑に落ちないらしいサキに、逆に雌だと思った理由を教えてくれと言われて、僅かに狼狽する。ただ何となくそう感じた事を、説明しろと言われても困る。

 

「いや、うん。鳴き方とか、物腰とか?」

「でも、サクラが見たのって、今の一戦と腕組んで立ってるとこだけじゃん」

「そうだけど、やっぱ女の子だなって感じるよ。サキくんだって、レオンの性別分かるでしょ?」

「まあ、うん。そんなもん?」

「うん。むしろサキくん、シャノンちゃんに凄く失礼だよ」

 

 サクラは淡々とした調子で毒づいた。

 シャノンが普段、どんな風に暮らしているかは分からないが、物腰は凄く柔らかいし、レオンを労ってくれたのはとても素敵な気遣いだろう。どうもレオンやルーシーより少しばかり年上にも見えるし、だとすると凄く格好いい姉御肌じゃないか。

 その彼女を女の子に見えないと懸念するサキは、とてもデリカシーがない男の子に見えた。

 

「いや、違うって。そうじゃなくて。俺は純粋にどうして性別を断言出来たのかが気になって……ああもう、そんな目で見ないでくれよ!」

「ジトー」

効果音(おまけ)も要らねえって!」

 

 サクラの怖い顔だ。

 サキの素早さがガクッと下がったに違いない。

 ほんの少しの会話と、たった一戦交えただけの二人だったが、互いを遮る壁は大きく崩れていた。冗談混じりに笑い合えるのは、きっと二人がお互いを友達だと思い始めている証だろう。

 そんな感じで戯れながら、シルバーのお誘い通り、彼の家へとお邪魔する事になった。

 

 一歩入って、息を呑む。

 ありふれた外観からは想像も出来ない程、お洒落な内装だった。

 間取りはかつてのままに近いが、大きな機材があったスペースは完全に仕切られており、二枚の扉が用意されている。サキの名札と、シルバーの名札がかかっているあたり、個室なのだろう。

 しかし、かつての名残はそれぐらい。

 壁紙は黒地にシルエット調のポケモンの絵が描かれたもので、それに合わせたのか家具の全てが黒か白で統一されている。意匠が凝ったデザインも多く、机に掛かっているクロスや、備え付けの椅子だって、どこぞのお城にありそうなものだった。簡単な言葉に表すのなら、イッシュのゴシック調に、カロスのゴージャス感が加わったような感じだ。

 

「凄い。綺麗なお家だね」

 

 サクラはリビングと直結した玄関口で、靴を脱ぐ事すら忘れて素直な感想を述べた。

 しかし、先に慣れた様子で部屋に上がったサキは、「うん。まあ……」と、どこか濁す調子。その返答を訝しんで彼を見やっても、別に照れた様子はない。ただ、最近引っ越して来たにしては随分と慣れた様子で、リビングの脇にある装置を起動していた。

 

「サクラもボール置きな。一緒に治療すっから」

 

 そう言って促されたのは、メディカルマシンだった。

 ウツギ研究所にあるものよりは小振りな機械で、おそらく治療だけを専門的に行うものだろう。ボールをセットする台には、幾つかのスイッチと小さなモニターがついているだけ。隣にパソコンのような機械はついていない。とはいえ、安く見積もっても二〇万円はするだろうか。

 自宅に用意しているのは余程名うてのトレーナーやブリーダー等のポケモンマニアである証に近い。シルバーの肩書きを考えてみれば当然ではあれ、サクラは思わず目を丸くしたものだ。

 因みに、ウツギ研究所にあるメディカルマシンは、これよりも性能が良い。一台一〇〇万円は下らない。違いは治療の他、『レントゲン』等の検査機能が備わっているか否かなので、トレーナーであれば、ここに用意されたもので十分な性能と言える。

 ポケモンセンターにあるメディカルマシンはそれより更に優れていると言われ、最早一般人に使いこなす事は不可能だ。

 驚きながらも、特に言及はしないまま、お礼を述べる。靴を脱いで「お邪魔します」と断ると、彼に指示された場所へボールを置きに行った。スイッチは既に入っており、見計らったようにブゥンと音を立てて起動した。

 その間、サキはキッチンへと向かっていた。

 

「お茶かジュース、どっちがいい?」

「あ、ありがとう。お茶、貰っていいかな」

「はいよ。適当な椅子に座ってて」

 

 どうやらリビングとダイニングは兼用らしい。

 サキが向かったのもダイニングキッチンで、冷蔵庫からポットを取り出す少年が、背の低い壁越しに簡単に見る事が出来る。

 サクラは彼の指示通り、お洒落な椅子の一つを借りた。

 暫くして戻ってきたサキが、麦茶の入ったグラスを丁寧に置いてくれる。

 いただきますと断って、麦茶を一口頂く。

 よく冷えた麦茶が、喉の奥へ落ちていく感覚に、思わず飲み干してすぐに「ふぅ」と息をついてしまう。

 

「親父、まだみてえだな」

「うん」

 

 はす向かいの席に腰かけたサキの視線に倣って、シルバーの自室に続く扉を見やる。

 そこでふと、あの部屋に掛かっている看板が気になった。

 『シルバー』と掛けられている以上、あそこはシルバーの部屋。その隣はサキ。だけど、部屋はそれだけ。もう一つあるべき部屋が、見当たらない。

 そんな風にサクラが視線を泳がしていると、前でギィと椅子を引く音がした。

 

「母さんならいないぞ。随分前に死んだ」

「あ……うん。ごめん」

「いや、謝らなくていいって。ただ、そんな事を考えてるように見えたから」

 

 お見通しか。

 サクラはサキへ向けた視線を、自分に宛てられたグラスに落とす。

 まだ半分程麦茶が残っているグラスは、やはり意匠が凝っていた。綺麗な花柄が掘られたグラスは、もしかすると、亡くなった彼の母の趣味なのかもしれない。何となく、そう感じた。

 サクラも両親が死んだものだと思っていた。そう思わないよう努力をしてきて、つい先程、それが報われたような気がしたものだが、果たして彼のように『死んだ』と断言出来る状況と、過去の自分の状況、そのどちらがより不幸でないのかは分からなかった。

 とすると、そんなサクラの心境を見越したように、サキは「サクラの両親さ」と、口火を切った。

 ハッとして顔を上げると、彼は明後日の方向を見ながら、片手でグラスを弄んでいる。余った手で机に肘をついて、それで顎を支えていた。薄く開いたままの唇は、ゆっくりと言葉を吐き出した。

 

「家に、帰ってなかったんだな」

「うん」

 

 それは先程、シルバーの話と食い違っていた点の確認だろう。

 彼の視線だけがスッとこちらを向く。

 その目は決して冷やかなものではなく、かといって憐れむようでもない。何気ない様子と言えばその通りで、それはサクラが心のどこかで嫌だと思っていた反応ではなく、唯一この場で安心出来るように感じるものだった。

 

「そうは見えなかったよ。特にコトネさんなんて、サクラの話ばっかでさ」

「どんな話?」

 

 サクラが問いかける。

 サキは再び明後日の方向へ視線をやって、数秒目を瞑ると、小さな溜め息を零した。

 

「あんま詳しくは覚えてないかな。コトネさんって、俺の事玩具みたいにするから……嫌いじゃないけど、ちょっとばかり怖くてさ」

「あー……確かにお母さんって、そんな性格だったかもしんない」

 

 記憶からくる言葉ではなかった。

 ウツギ博士から聞かされた話や、家に残る母の僅かな痕跡から、そう思った。

 悪戯が好きだったのか、アルバムには女性の文字で落書きがいっぱいされていて、母が映っていない写真は可笑しな瞬間を切り取ったものが多かった。幼いサクラが膨れっ面をしているところへ、矢印で『ケンタロスなの? ミルタンクなの?』と書いてあった事については、未だ赦せない。再会出来たら一発ぶん殴ってやりたいと思う。

 そんな記憶を思い起こし、だけど『死んでたら』と思って、枕を濡らした事があるのも確かだ。

 生きていると分かって、嬉しいは嬉しい。

 だけど、一〇年分の寂しさは、どうやったって埋まらない。

 その全てが成り代わってしまったと思う程、サクラの懐疑心は大きかった。

 生きていたなら、何故逢いに来てくれなかったのか。サクラは二人がいない間に、虐められた事もあったし、学校で問題を起こした事もある。何かあった時は全て、お父さんでも、お母さんでもなく、ウツギ博士が呼び出されていた。その孤独感は筆舌に尽くし難い程、サクラを苦しめてきた。それでも、二人は帰って来なかった。

 そんな二人の事を、母親を喪ったというサキに聞いてまで、知りたいとは思えない。

 本当に知りたい『理由』というものだけは、絶対に知る事が出来ないと、二人の口振りから分かってしまっていたから。それ以外の話なんて、この虚無感を増やすだけとしか思えなかった。

 暫く、静寂がその場を制した。

 時折グラスの中で氷が割れる音だけが、それを乱す。

 別に重苦しい雰囲気ではない。

 ただ、父や母の話を聞くのが、少しだけ怖く感じた。

 さっきはあんなに、教えてって言ったんだけどな……。

 捨てられたのかもしれない。そう思うと、やりきれなかった。

 

「映画……」

 

 ふと、サキがぽつりと零す。

 何だろうと思って、逸れていた視線を彼に向ければ、彼は薄い笑みを浮かべて、サクラを見ていた。

 

「映画に行ったって、言ってたよ。何度も何度も聞かされて、うんざりしてたんだ。俺」

 

 それは、詳しく覚えていないと言った母の娘自慢だろう。

 内容は何だっけとごちる彼から、サクラはそっと視線を逸らす。

 切っ掛けを貰えれば、その記憶がよみがえってくる。思い出したくなくても、思い出してしまう。

 

「レオンの冒険。ヒロインはルーシー。帰り際に、わたしがレオンのキーホルダーが欲しいって、凄くごねたの。そしたらお母さん、『本物のピカチュウを捕まえてやるから我慢しなさい』って。そこでお父さんが、『その方がよっぽどお金がかかるよ』って。馬鹿みたいに、笑って……」

 

 こみ上げてくる熱は、怒りじゃなかった。

 かつて枕を濡らした時と同じ。

 強い孤独感からくる寂しさ。悲しみ。

 ふとすれば、視界はあっという間に滲んで、溢れ出た。

 

「ずっと観たかったの。だから何度もお願いした。それで漸く連れてってくれたのに、何で形に残るものを買ってくれないのって、わたし、凄く泣いた……我儘言った。だけど、だけどお母さんがどうしても許してくれなくって……結局、買って貰えないままで。だけど……その日の夜に、誕生日の、プレゼントで……」

「キーホルダー、貰えたのか?」

 

 サクラは首を横に振る。

 ふと気が付けば、泣きながら笑っている自分がいた。

 声を上ずらせて、嗚咽混じりなのに、思い出したエピソードが、可笑しくて、可笑しくて。

 

「パパとママ、二人そろって、ピカチュウとプリンのコスプレして、『パパがレオンだ』『ママがルーシーだ』って……」

「うわぁ……」

「酷いでしょ? 馬鹿みたいよね! わたし、泣きながら二人に『大っ嫌い』って言って、部屋に閉じ籠っちゃったもん」

 

 そんな、何でもない風景が、一度蓋を開ければ溢れ返らん勢いで飛び出してくる。

 ケンタロスかミルタンクだと書かれたのも、写真を撮られた記憶はなかったが、落書きしている母を自分が見ていた。止めろよって言いたいけれど、それも記憶の一つ。

 家族写真を撮った時だって、『サクラの名前は、この樹からのプレゼントだよ』と、父が言った。写真を撮ってくれたのがウツギ博士だという事さえ、思い出せる。

 忘れる訳がなかった。

 忘れようとしていただけなんだ。

 そう突きつけるように、溢れて溢れて止まらない。

 

「逢いたい……逢いたいよぉ」

 

 ふとすれば、サキの身の上なんて頭から消えてしまって、サクラは駄々を捏ねるように泣いた。サキは隣に座り直して、俯き、すすり泣く、サクラの背を黙って撫でてくれていた。

 優しいお父さんの姿。

 面白いお母さんの姿。

 脳裏によみがえった二人の姿は、今や霞みようがない程鮮明だった。

 もう忘れようがない。

 もう忘れられる気がしない。

 だって、二人は生きているのだから。

 どれだけ意地を張って、目を背けても、二人に逢いたい気持ちは隠しようがない。

 口や思考は嘘をついても、心は嘘をつけない。

 サクラは欲しがった。

 二人の温もりを。

 二人との新しい思い出を。

 キーホルダーを欲しがる子供のように。



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Section5

 溢れ出た感情に飲まれ、サクラはむせび泣く。

 口にした『逢いたい』という言葉が全てで、それ以外の感情は失せていた。だからもう言葉は要らず、記憶の底からよみがえってくる自分が目を背け続けた優しい景色と声に、ただただ涙するばかり。

 五分、一〇分と時間が経っていき、しかし隣の少年は、初対面であるにも拘わらず、サクラの心情を分かったかのように何も言わず背を撫でてくれた。

 そんな彼の手が止まったのは、サクラの嗚咽が枯れ始めた頃だった。

 促されるように、記憶に浸っていた心が、ゆっくりと現実に引き戻される。

 泣きすぎてぐしゃぐしゃになっているだろう顔を上げてみれば、隣の少年は既に立ち上がっていた。そのままダイニングキッチンへと向かって、お茶が入ったポットを持ってくる。戻ってくれば同じ隣の席に座り、半分程減っていたサクラのグラスへお茶を注ぎ足してくれた。

 

「俺も泣いたよ。ずっと、日が明けるまで、一晩中」

 

 不意に零された言葉に、お茶の返礼を忘れる。

 どういう事だろうと、鼻をすすりながら見やれば、彼は左手で頬杖をついて、隣に座るサクラを何処か懐かし気な目で見て来ていた。余った手でお茶を勧められて、サクラは黙って従う。

 冷たいお茶が、サクラの熱気を冷ますようだった。

 

「だけど、サクラの場合は生きてるんだ。もしかしたら、会えるかもしれない。一晩も泣いてちゃ、時間が勿体ねえもんな」

 

 そこで彼の言葉が、彼自身の経験を以って、励ましてくれているのだと分かる。

 その経験とは、言わずもがなだが、母を亡くした時の話だろう。

 今更彼には酷な姿を見せたかもしれないと思ったが、そんなサクラの心境を見越したように「気にするな」と一言。慈悲深く微笑む彼は、本当に二歳も年下の男の子とは思えなかった。

 ポケモンの命に責任を持って育てるトレーナーは、自然と同世代の子供より大人びていく風潮がある。

 不意にそんな話を思い出したが、同じ身の上のサクラよりずっと年上のようにも見える彼は、一体何がどうしてそこまで大人びた感想を持つのか。母を喪ったと言っているが、それでも説明がつかない程に落ち着いていて、且つ、サクラの心情を的確に把握し続けている。

 状況が状況なら、怖いとさえ思ってしまうだろうか。

 サクラはそんな風に思ったが、今この場における彼の姿は、擦り切れた自分の心に小さな光を灯してくれている気がした。

 サキは自分のグラスにもお茶を注ぎ足し、一口に飲み切った。

 ふうと息をついて天井を見上げた彼は、「この家な」と話を再開した。

 

「前に住んでた家と、間取りも装飾も、全部一緒なんだ。違うのは親父の部屋に、名札が一つ足りないだけ。グラスやフォークだって、全部三つずつあるんだ」

 

 サキはゆっくりと視線を下ろす。

 再度深い溜め息をつく彼の姿は、先程と少し変わって、年齢相応に幼く映る。

 

「死んだ人間を追うのは、思い出に縋るしかないんだ。俺も親父も、もう五年以上前に死んだ母さんに、ずっと縋ってる。これから先も、きっと縋ってくんだ」

 

 それは果たして、良い事なのか、悪い事なのか、サクラには分からない。判別する権利だってないだろう。

 サキはこちらへ向き直って、「けど」と続けた。

 

「サクラは違う。思い出に縋る必要なんてない」

 

 そして、そう断言した。

 鳥肌が立つとはこの事だろうか。

 サクラは信じられないものを見たような感覚を覚えて、喉を震わせた。ごくりと呑んだ生唾は、枯れた喉に少しの痛みを与える。それが妙に嫌な感覚で、胸の温もりとは対照的に、身体中から冷や汗が染み出てくるような気配がした。

 サキの言わんとする事が、分からない訳がない。

 故人を偲ぶには縋るしかないが、生きている人間を偲ぶくらいなら、逢いに行けば良い。

 ただそれだけの事を言っているのだから。

 だけど、それは高いリスクを孕んでいる選択でもあった。

 両親は生きている。

 少なくとも三年前、サキは二人に会っている。

 ただ、その二人は『帰らない』という選択をしているのだ。

 その理由が分からない以上、邪険に扱われる可能性があるし、二人の迷惑になるだけの可能性もある。もしかしたら、この三年で死んでしまっているかもしれない。

 だから怖い。ただ怖い。

 二人が帰らなかった『理由』を知るまで、この安穏とした生活にしがみ付いていたい気持ちだってある。

 サクラは少年から目を背ける。

 彼なら捜しに行くのだろうか……。

 そう思うと、返ってきそうな即答が、怖くて仕方なかった。

 

「俺なら、捜しに行く」

 

 と、思った瞬間には、肯定された。

 サクラの背中がゾクッとした。

 今しがた考えていた理由を、「だけど」の言葉で並べようとしたら、サキはサクラの言葉を止めるように、「だってさ!」と強い語気で零す。

 

「愛されてたんだぜ? なのに帰ってこねえなんて、理由があるのは分かりきった事じゃねえか。だけど、そんなもん勝手な『親の都合』だ。知るかよ。こっちは逢いてえんだ。当たり前だろ! 親子なんだから。何で来たんだとか言うんなら、俺がぶっ飛ばしてやる!」

 

 途端に目を血走らせて激昂するサキは、ここに居ないサクラの両親に向かって、怒っていた。怒ってくれていた。

 それが分かったら、今しがた言おうとした言葉は、ただの言い訳に思えて、喉の奥からそのままぐっと戻っていく。

 決して感化された訳じゃない。

 それは、サクラの中でも既にあった回答の一つだ。そして、良い子供を演じ、与えられた安穏とした生活を享受するだけの大人になろうとした自分が、殺していた感情でもあった。

 サキはそんな感情を肯定してくれていた。

 我儘で良い。

 向こう見ずで良い。

 望むのなら、手を伸ばして良い。

 だってサクラは、あの二人の子供なんだから。

 

「俺も同意だ。少々あいつらは、手前勝手過ぎる」

 

 そんな折、低い落ち着いた声がした。

 ハッとして視線を向ければ、丁度部屋から出てくるシルバーの姿が目に留まる。

 滲む視界が、近付いてくる彼の表情を濁らせた。

 だけど、まるでサクラの勝手を許可してくれるように、優しい笑顔を浮かべているように見えた。

 

「赦す必要なんてない。見付けるなりぶん殴ってやれ。何ならそのままふん縛って俺んとこに連れてこい。バンギラスの餌にしてやる」

「いや、餌にしちゃダメだろ」

「そんぐらいじゃ死なねえよ。コトネはな。ヒビキは知らん」

 

 冗談交じりにそう言って、シルバーはサクラの前で腰を屈めた。

 薄く微笑む彼は、何も言わずにサクラが欲するまま抱き留めてくれる。

 優しく撫でてくれる手は、本来、サクラが虐められた時に両親へ求めたもの。そんな気がして、サクラはわっと声を上げて泣いた。既に流れ過ぎたと思っていた涙は、それでも尚、自分が考えている以上に溢れ出てきた。

 

「悪かったな。あいつ等の勝手で、長い事苦しめた」

「本当だ。全く。もう親父がサクラ引き取っちまえよ」

「はは。それも悪くねえな。コトネが知ったら白目むいて倒れそうだ」

 

 ああ、なんて心強い味方を得たのか。

 サクラの代わりに怒ってくれるサキも、シルバーも、何だってここまでしてくれるのか。

 結構な泣き虫だと言われた事はあったけれど、ここまで泣いたのは久しぶりだ。だけど不思議と、居心地は悪くない。虐められて泣いてた時より、ずっと良い。

 そのまま暫く泣き続けた。

 漸く涙が止まった頃には、「二人共、バンギラスの餌にしちゃって下さい」と笑ってしまえる程、サクラの心のしこりは取れていた。

 サクラが泣いていた時、二人が打ち合わせするように目配せしあっていただなんて、知る由もなかった。

 

 それから、シルバーは小一時間程かけて、昔の話をしてくれた。

 ヨシノシティの外れで初めてヒビキと出会った時、相性の良いワニノコを持っていたにも拘わらず敗北した。その後別な場所でコトネともバトルをしたが、あっさり負けただけでなく、屈辱的な言葉を投げかけられたりもした。それがシルバーに火をつけて、ヒワダではヒビキにこそ勝てなかったが、コトネを倒し、彼女に屈辱的な罵りの仕返しを言ってやった。

 エンジュ、アサギ、チョウジ、コガネ、フスベと邂逅は続き、時間がある時は必ず難癖付けてバトルを仕掛けた。コトネとは一進一退の攻防が続いたが、ヒビキにはどうしても勝てなかった。

 当時、最強のトレーナーを目指していたシルバーは、このままでは終われないとフスベのジムリーダーに下げたくない頭を下げ、最後のジムバッジと共に、八つのバッジを集めたに相応しいとされる暫定的なバッジを発行して貰った。それを持って、セキエイリーグに向かった二人の背中を追いかけた。見失うまいと、必死に追いかけた。

 しかし、その結果はついてこなかった。

 実力が拮抗していたと思っていたコトネさえ突破したリーグの予選で、シルバーはあっさりと敗退した。二人が優勝、準優勝に並び、四天王への挑戦権を得る姿を、指を咥えて見ている事しか出来なかった。

 それでも、諦めきれない夢だった。

 最強のトレーナーになって、幼い頃に決別した父を見返してやりたい。

 その一心で、シルバーはジョウトのジムを改めて制覇し、二人が四天王戦を突破した頃を見計らって、カントーへ渡った。しかし、それはあくまでも単なる張り合いに過ぎず、もう二人の背中を追いかけている訳ではなかった。だから修行中も二人と邂逅したのはたったの一回であり、そのバトルに負けた時も、修行中心に育っていた答えを確かなものにしたに過ぎなかった。

 ポケモンへの信頼と愛情。

 そんな月並みなものを、数年かけて、漸く得た。

 

「シルバー。君はまだ、最強に固執するのかい?」

 

 カントーのお月見山で邂逅した時、バトルに負けたシルバーへ掛けられたヒビキの言葉は、質問のようで質問ではなかった。それは、単なる確認だ。

 負けたというのに、妙に清々しい。

 ヒビキの隣で変な顔をして挑発してくるコトネも、全く気にならなかった。

 

「ああ。それは俺の夢だ」

「そっか」

「ハッハーン。ではこのコトネ様は、シルバーの夢を永遠に阻み続ける存在という訳だ」

「うるせえ。黙れ。メスカイリキー」

「ああん? やんのかコラ!」

 

 コトネの挑発は全く気にならなかった。それは本当だ。

 シルバーのコトネの扱いは、毎度こんな感じだった。それはコトネの日頃の行いというものの結果だ。

 改めて、シルバーは永遠のライバルと定めた男に、長年控えていた表情を向ける。ジョウト、カントーを巡るうち、手持ちのポケモンと交わし、育ててきた心が、それを自然と促した。負けた者が浮かべるには些か不似合いなものだが、二人は少しだけ驚いたものの、茶化してばかりのコトネさえ安らかな顔で、「良い顔するようになったじゃん」なんて、言ってくれる。

 シルバーはふんと鼻で笑い飛ばして、明後日の方向を見やった。

 今からでも、もう一度。

 あの聖地へ行こう。

 きっと今なら、前とは違う結果を残せるだろう。

 

「これからニビとトキワを回ったら、セキエイリーグに行く。最強ではない……最高のトレーナーになる為に。お前らみたいにな」

 

 少し恥ずかしかったが、そう言って認めてやれば、二人共揃って鼻をつままれたような顔をして、暫くすると途端にけらけらと笑い始めた。

 何だよ。悪いか。

 なんて言えば、二人共が馬鹿にしている訳じゃないと弁明する。

 じゃあどういう事かと聞けば、二人は「似たような事考えるんだね」と、笑っていた。

 

「ぼくらはニビとトキワジムを終えたら、一度ワカバに帰ってから、シロガネヤマに行くつもりだよ」

「ほら、あれよ。最強のトレーナーのレッドが帰って来なかったって言われてる場所」

「てめえ等……よっぽど人の夢を踏みにじるのが好きらしいな?」

「ち、違うよ。シルバー。世界地図の完成に協力してくれって言われて、それで……」

「冗談だ。間抜けめ」

 

 そう言ってやったヒビキは「酷いよ!」と言って怒ったが、その反応に満足したシルバーが含むように笑えば、二人も倣ったように笑ってくれた。

 そこにもうしこりは無く。

 互いを友人と呼び合えるような関係だけがあった。

 決して短くはない年月がかかったが、それが今のシルバーを支える信念を作り、ポケモン協会の会長という高みへ至らせた経緯でもあった。

 

「それから、俺が四天王戦を突破した頃になって、丁度あいつ等が帰ってきた」

 

 シルバーは棚から持ってきたアルバムを広げ、一番最初のページを開く。

 そこには荘厳な建物の前で、綺麗な衣服に身を包んだシルバーと、ボロ雑巾のような恰好をしたヒビキとコトネが並んで映った写真。帰ってきた二人がポケモンリーグに直行してきて、その報せを受けたシルバーが、二人を記念写真に誘ったのだとか。

 その写真を大事そうに撫でて、彼はくすりと笑う。

 

「あの時のあいつ等、一月以上風呂に入ってなかったもんだからな。すげえ臭くて、周りの人間、皆ドン引きだったぞ。本来ならポケモン達を出して撮るところなのに、あいつ等のポケモンですら嫌がっててな」

 

 せめてお風呂ぐらい入ってから行けば良いものを……。

 サクラは苦笑して、「すみません」と零した。

 全くだ。と、シルバーも苦笑する。

 

「間に合わないかと思ってってのは分かるが、先に風呂入れつったら、熱が冷めるとか訳の分からん事言い出してな……一応、その後、小綺麗にした写真は撮ったんだが、面白かったからこれが俺の記念写真だ」

 

 両親への強い渇望と憤りを自覚させられ、号泣したサクラだったが、その後聞かされたのはまるで映画のような素敵なお話。それは絶妙な加減でサクラの心を癒し、両親を憎む事も無ければ、情に絆されて赦してしまう必要も無いと教えてくれるようだった。

 若かりし頃の父はとても優しい人物で、シルバーという人間に大きな影響を与えたという。心の底からポケモンを愛し、大切にする姿に、当時ポケモンを勝負に勝つ為の道具としか考えていなかった彼は強い腹立たしさを覚えたそうだが、それがもたらす絆という不確かなものの強さを目の当たりにし、徐々に考えを改めていった。

 対して、母はどんな時でもふざけた調子であり、会う度にシルバーをからかっていたそうだ。だけど、そんな彼女とのやり取りが、他人との関わり合いをただ群れているだけだと思っていた彼に、違うと教えた。友情という言葉で、三人の仲を繋いでくれたのは、間違いなく彼女だった。

 今の自分があるのはヒビキとコトネのおかげだと言う彼は、確かに話の中で挙がったシルバーという少年とは、まるで別人のような人柄だ。長い年月を掛けて培われた彼の人格は、サクラの感想だけでなく、社会的にも評価されている。

 身内を称賛される事に少しばかりむず痒さを覚えながらも、両親が偉大な人だったという事は、しっかりと認めた。それを免罪符にして赦す事はないが、そんな二人が連絡一つ寄越さない理由は、きっと自分が考えるよりも複雑なものなのだろうと考えた。

 とはいえ、サクラの心は決まっている。

 二人との思い出話を語ってくれたシルバーに一言礼を述べると、サクラは改めて顔を上げた。

 対面の席に腰掛けるシルバーに、泣き目腫らした顔に似合わない程の、すっきりとした笑顔を向ける。

 

「わたし、二人を捜しに行きます。どれだけ時間が掛かっても良い。見付けて、ぶん殴って、ふん縛って、連れて帰って来たいんです」

 

 物騒な事を言うものの、シルバーは『それで良い』と言うように、優し気な顔でこくりと頷いた。

 と、したところで、暫く黙っていたサキが、スッと挙手をする。

 何だと思って見やれば、彼は挑発的な笑顔で父親を真っ直ぐに見ていた。

 

「俺も行く。何で来たんだつったら、ぶっ飛ばすって言ったしな」

 

 そう言って、こちらにしてやったり顔を向けてくる少年。

 一緒に来てくれるという事だろう。

 申し出は嬉しいが、それは果たして、父親的にはどうなのだろう? サクラは驚きよりも、シルバーの反応の方がずっと気になった。目をパチパチと瞬かせて、対面へ視線を向ける。

 するとシルバーは、半ば呆れたような顔をしていた。

 

「ハッ。この色ボケが……」

 

 そして、そんな風に毒づく。

 色ボケ? どゆこと?

 サクラは怪訝な顔をして視線を隣へ。

 するとサキは顔を耳まで赤く染めていて、「ちげえよ!」と、大きな声で叫んだ。

 その様子に、サクラは少しばかり納得がいく。

 まさか出会ってすぐの自分に恋慕しているとは思わないが、彼のサクラへの態度を見るに、どうも女性に免疫がないように感じる。母を亡くしたのが五年以上前だと言っているし、重役の一人息子である以上、あまり同世代の女子と関わり合いも無かったのだろう。もしかしたら家庭教師とかがいて、学校に通っていないのかもしれない。そう思わせるぐらい彼は初心だった。

 まあ、サクラからすれば、一人旅は寂しいので、もしもシルバーが許してくれるのであれば、嬉しい提案だったりするのだが……。少なくとも、サキは信頼出来ないタイプの相手ではない。それだけはこの僅かな関わりでも断言出来る。

 叫び声からこちら、サキの言い訳がましい屁理屈を受けていたシルバーは、そんなサクラの心境を察したように、彼を無視してこちらへ改まる。

 

「サクラ、お前はどうだ? こんなんだが、一応料理担当や荷物持ちぐらいにはなるぞ」

 

 組んだ腕から、親指を立てて少年を指し、シルバーは淡々と零す。

 唐突に振られて、サクラは「へ?」と声を出したが、隣を見れば途端にぴたりと口を止めたサキ少年が、仲間になりたそうにこちらを見ていた。

 

「以前はシロガネヤマの麓に住んでいたから、ちぃとばかし常識には疎いが、基本的な教育は受けてる」

 

 シロガネヤマの麓と言えば、かなりの練度のポケモン達が住む場所だ。

 成る程。確かに常識に疎いと思わせる節もあったが、それ以上に、手持ちポケモンがかなりの練度をしている事に納得がいく。どういう経緯で済ませたかは分からないが、最低限の教育課程が住んでいるのであれば、旅をする上で問題はないだろう。

 

「親の俺が言うのも難だが、一応思い遣りはあるし、気配りも出来る。見てくれはこんなんだが、中身は母親似だから、昔の俺みたいに捻くれてもいない……何だ。案外お前、良物件じゃねえか」

「お、おう? そうなのか」

 

 まるで未知のポケモンでも見つけたように、怪訝な顔をサキへ向けるシルバー。サキはサキで、何処か間の抜けた顔をして、小首を傾げていた。

 シルバーの物言いからして、別に息子自慢をしたかった訳ではないのだろう。しかし美点と欠点を挙げようとしてみれば、取り上げる程の欠点が『常識に疎い』という事ぐらいだっただけ。それを『いや、そんな筈はねえ』と顎に手を当てて捻り出そうとするあたり、やはりシルバーは相当な捻くれ者だ。敏感に察知したサキが「別にあら探ししなくていいって」と嘆願する様子は、そこらの漫才師のコントより何倍も良く出来た茶番だった。

 ふとすればサクラはふっと笑って、そのまま導かれるようにくすくすと音を立てた。

 

「分かりました……分かりましたから、それ以上捻り出さなくても」

「いや、俺の子供だからな。絶対に何かある」

「何もねえよ! 品行方正に育てたのは何処の誰だ」

「自分で言う奴があるか。お、これはお前の欠点じゃないか? やったな。見つかったぞ」

「そ、そうですね。あはは」

「弄ぶな! サクラも笑ってんじぇねえ!」

 

 ついにサキが怒ったような顔をして、席を立つ。

 彼はさぞ憤慨そうに、しかし怒りにやり場がないといった様子で「あー、もう!」と地団駄を一回。身を翻すようにサクラを振り向いて、真剣な眼差しで訴えた。

 

「サクラはどうなんだよ。俺が一緒に行っても良いのか、悪いのか」

「え? 勿論、大歓迎だよ」

「親父はこう言ってるけど、俺は我儘だし、女々しいし、偶に変なドジ踏むし」

「だから、大歓迎だよって」

「だけど滅多な事じゃ挫けねえし……って、え?」

 

 きょとんとした様子で、固まるサキ。

 サクラはくすりと笑って、もう一度告げた。

 

「大歓迎だよ。すっごく心強い」

 

 先程の反応を見るに、シルバーは別に反対していない様子だった。現にサクラへ話が振られると、彼はピタリと口を噤み、温かい目で成り行きを見守ってくれている。なら、後はサクラの意思だけだ。

 拒否する理由が何処にある?

 サキはバトルの時でさえ紳士的で、初対面のサクラの気持ちを汲んでくれるような優しい男の子だ。少しばかり気が利きすぎるとも思うが、その殆んどが彼の経験則や、顔に出やすいサクラの表情から悟ったのだろう。そう思わせる程、彼はサクラに好感を与える人柄をしていた。

 確かに、年頃の男女が一緒に旅をするというのは、それだけでリスクがあるという者もいるが、サキはこの短時間でそのリスクを超える程の信用を勝ち取ったと言って良い。

 未だ口をぽかんと開けて固まっている少年へ、サクラはにっこりと笑って手を差し伸べた。

 

「これからよろしくね。サキくん」

「あ、ああ。つか、名前呼び捨てで良いよ。俺も勝手に呼び捨ててるし」

「うん。分かった」

 

 改めて交わされた握手。

 初めて握ったサキの手は、緊張していたのかしっとりと汗が滲んでいた。その温もりは熱い程で、そう見えないだけで、随分緊張していたのだと知らしめるようだった。

 サクラがふっと笑えば、サキは悟ったかのように頬を赤らめて、ぷいとそっぽを向く。それは果たして、彼が女性慣れしていないからか、照れ屋だからか、はたまたそのどちらもなのか、サクラにはまだ分からなかった。

 

「まあ、旅に出ると言っても、一日や二日では準備出来ないだろう。サクラは一度ワカバに帰って、ウツギ博士に挨拶しねえとな。サキもトレーナーカードの更新、済んでねえだろ」

 

 二人の初々しい挨拶を茶化すでもなく、シルバーはそう言って視線を促す。

 ゆっくりと立ち上がった彼は、キッチンへと足を向けた。

 

「何にせよ、話が纏まったところで飯にしよう。サクラも食っていくと良い。帰りは送ってやる」

 

 突然の有難い申し出に、サクラは少しばかり驚いた。

 そろそろお暇しようと考えていたが、言われてみればお腹は減ったし、時間も結構押している。今から徒歩で帰ろうものなら、イトマルとの遭遇は免れない。

 ただ、送ってやると言っても、シルバーは目立つ。彼の立場からして、それはあまり好ましくない事だろう。

 

「良いんですか?」

「飛んでいけば二時間も掛からないさ。まあ、29番道路の外れまでだがな」

 

 成る程。

 それなら確かに問題は無さそうだ。

 サクラは素直に厚意を受ける事にした。

 

「分かりました。お世話になります」

「おう。さて、サキ、手伝え」

「はーい」

 

 そうしてシルバーはサキを連れて、キッチンへ。

 人並みに自炊しているサクラも手伝いを申し出たが、勝手が違うからとやんわりと断られてしまった。

 本でも読んでおけと言われて、已む無く促された本棚へ向かう事に。

 トットットット。

 と、まな板を叩く音が聞こえる。

 リビングの脇にある本棚の前からちらりと見れば、食材を刻んでいるのはサキだった。その手際の良さと言えば、まるでレストランの調理場にいるコックのようなもの。一目見ただけで自分より優れているように感じてしまう。先程シルバーが『料理担当くらいにはなる』と言っていたが、確かにあれは特技として挙げられる程の腕前だろう。

 手伝わなくて良かったかもしれない。

 更に加速した包丁の音を聞いて、サクラは自分の女子力の低さからそっと目を背けた。

 

「んーと……」

 

 改めて、本棚を物色する事にした。

 何か面白い本でもあるだろうか……。

 そう思って言われた棚の観音扉を開く。

 中はきちんと整理された背表紙が並ぶ。しかしそのタイトルを一瞥して、サクラは「え?」と小さな声を出して、目を瞬かせた。

 確かに、普通の本は何冊かある。

 そのどれもがポケモントレーナーであるサクラの興味を惹くタイトルだ。しかし、何より好奇心がそそられたのは、きちんと製本された本ではなかった。

 ラベリングだけがしっかりされたプラスチック製のファイルを取り上げる。

 背表紙には、『マニューラ』と書かれていた。

 サクラの手では分厚過ぎる程に膨れ上がったファイルで、一冊に収まりきらないのか、同じタイトルのものが複数並んでいる。実際に手に取ったのは、一番最後のように感じる右端のものだった。

 一ページ目を捲ってみれば、そこにはマニューラの写真。数年前の日付があり、その個体の生まれ、性格、育成方針、進化したタイミング等が書いてあった。

 何を検証しているのかとページを捲れば、数ページ先に、丁寧な字で検証結果が書き記されていた。

 

『氷の礫を使用する為の組織は発見されず。好戦的な性格が影響したのか、爪の長さは平均値より一・七センチ長い。その分、体重は最も軽い個体より二・八キロ重い。二七匹目までの検証結果を裏付ける結果となった。これらより、最もマニューラの個性を活かした育成は、先天的な技の取得が見込まれる個体のうち、陽気な性格である事が求められる。尚、性別は問わないようだ』

 

 先程聞いた話で、シルバーは最強のトレーナーを目指していると言っていた。

 これはその証明だろうか。

 一流のトレーナーがやっていると聞く『厳選』という作業。サクラが目にしたファイルは、その過程を記したものだった。

 その記録の凄い事。

 おそらくマニューラの生態を記したどんな学術書よりも精細且つ、戦闘にフォーカスされている。驚くべきはその妥協を許さない精神で、全てのマニューラがシロガネヤマで通用する練度まで鍛え上げられており、納得がいかなければ新しい卵を孵化させるところから始めている。そうして三〇体目を目前にして、最強と呼ぶに相応しいニューラが二体生まれたとあった。

 そのうちの一匹が、なんとあのシャノンであるらしい。

 記録によれば、彼女はマニューラが覚え得る全ての技を習得出来るとされ、他のどのマニューラより速さに優れた個体へ成長するよう調整も終えているそうだ。通りでレオンが追い付けない訳である。

 また、ファイルへの記録は戦闘だけでなく、厳選で御眼鏡に叶わなかった個体が、何処でどう暮らしているかも記されていた。その多くは優秀なジュンサーへ引き取られ、警ら隊の第一線で活躍しているそうだ。中には彼等が得た勲章の写真が記録されており、そこにはシルバーと一緒に撮った写真も重ねてあった。

 最強のトレーナーを目指すという言葉は、言葉だけではなかった。同時に、最高のトレーナーである事にも、妥協を許していない。そんな彼の信念が伝わってくるようで、サクラは胸が熱くなるような気分だった。

 なんて凄い人なんだろう……。

 棚にはマニューラの他、オーダイルやバンギラス、オンバーン等、様々なポケモンの名前が並ぶ。

 一匹、一匹に愛情と信頼を持って接し、その強さを最大限に引き出してあげる為の調整をする。役目を終えたポケモン達は主に警察関連や土地開発の施設へ従事して貰い、時折その様子を見にも行っているようだ。中にはオーキド博士からの打診があって、彼に引き取られたというポケモンもいた。それはきっと、大変名誉な事なのだろう。

 幾つかの育成記録にサッと目を通し、サクラはふうと息をつく。

 自分が『厳選』をするかと言われれば、答えはノーだ。

 サクラはレオンやルーシーを手放すつもりはない。二匹を育てているのは最強のトレーナーになりたいからではなく、家族として大切だからである。たとえこの先どんな強いポケモンと出会ったとしても、この二匹を外してまで捕まえる事はないだろう。それは両親を捜す過程でポケモンリーグを目指すかもしれないと思った今でも、同じ気持ちである。難なら、ポケモンリーグの方を諦めるだろう。

 そんなサクラだからこそ、『厳選』という作業にはあまり良い印象がなかった。ポケモンを使い捨てているというイメージが強く、どうしても道具として扱っているように感じていた。だけど、実際は違った。両親がシルバーに教えたように、ポケモンの強さを真に引き出すには『絆』が必要なのだろう。それは不要になったポケモンを無情な形で切り捨てるような人物が築けるものではない。シルバーはそれを実践するかのように、手元を離れたポケモン達のその後まで気に掛けていた。

 簡単な道程ではなかっただろう。

 もしやすると、彼が協会の会長になったのは、これが原因だったのではないかとさえ思わせる。

 それ程までの記録だった。

 きっとこれを見たトレーナーは、最強で最高のトレーナーを聞かれたら、間違いなくシルバーの名前を挙げることだろう。

 サクラはそう思った。

 一頻り満足して、ちらりとキッチンを見やる。

 するとまだ火を使っているようで、もう少し時間が掛かるように見えた。

 もうちょっと、いいかな。

 別のファイルを探してみる。

 研究所で色んな学術書を読み漁っていたサクラにとって、シルバーの育成記録はとても良い読み物だった。

 と、そんな折。

 

――リィーン。

 

 何処からか、澄んだ鈴の音が聞こえた気がした。

 ほんの微かな音。

 ふと振り返ってみるも、辺りにそれっぽいものはない。

 シルバー達を見やっても、変わらずの様子で料理をしている。

 気のせいかな。

 なんて思って、サクラは別のファイルに手を掛けた。



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Section6

 シルバーとサキが作ってくれた食事は、何とも具沢山なパスタだった。

 湯気に乗って香るバターの匂いがたまらない。

 淵に綺麗な花柄が描かれた丸皿に、彩り豊かなパスタ。これがレストランで注文したものなら、きっと一〇〇〇円は下らない。きちんと腹を満たせる量が盛られているのも、家庭料理だからこそ。

 もう見ただけで分かる。

 これはとっても美味しいものだ。

 しかし二人のもてなしはそれだけに留まらず、レオンとルーシーの分のポケモンフードまで手作りで用意してくれた。こちらはサキが自分のポケモンの食事と一緒に用意してくれたらしい。野菜と木の実のペーストを焼いたものらしく、どんなポケモンに与えても大丈夫なレシピだそうだ。

 まさかそんなものまで用意してくれるとは。

 二匹にと受け取った皿には、これまた見事なクッキーが六つ乗せられていた。

 治療が完了していたメディカルマシンからボールを引き取り、二匹を出して見せてあげる。すると両者共に、とても美味しそうだと目を輝かせた。バトルのすぐ後なので食欲が無い可能性もあったが、どうやら杞憂だったようだ。いや、サキが用意してくれたフードが、それ程までに美味しそうに映っている可能性もあるかもしれない。

 サキもシャノンとノア、それからキバゴという小さなドラゴンタイプのポケモンを出して、九つのクッキーが乗った皿を与えていた。シルバーのポケモンは総じて大きいらしく、後で個別に与えるそうだ。

 

「待たせたな。だが、味は保証しよう」

「俺も保証しとく。レオンとルーシーは病みつきになる事間違いなしだな」

「あはは。本当に美味しそう」

 

 一同が食事を前にして、短い合掌。

 いただきますの、挨拶。

 用意されたフォークで丁寧にパスタを巻き取り、口へ運ぶ。

 サクラが「んー!」と、声にならない歓喜の声を上げたのは、レオンとルーシーが短い声を上げたのと同時。二匹を見やれば、二匹共が首を引きちぎらん勢いで何度も頷いている。

 しっかり飲み込んだサクラは、感想を声に出した。

 

「美味しい! 何これ、見た目とか、想像の何倍も美味しい! こんな美味しいパスタ、生まれて初めて食べた」

 

 聞き様によっては、『そんな悲しいことを言うな』と言われてしまいそうだが、本当に今まで食べたものの中で一番なのだから仕方ない。

 一見すると少しお洒落なバター醤油のパスタなのだが、その味付け加減が絶妙だ。

 口に入れるとキノコとベーコンの豊かな味わいが焦がしバターの香りと共にやってきて、醤油の奥深い味わいと共に口内を満たす。パスタを噛めば噛む程、香りが強くなり、そこへ焼いた玉ねぎの甘味がやってくる。口内で花が開くように咲いた味わいは、しかし一度飲み込めばすっと抜けていくようにあっさりとしている。バター特有のしつこさがどこにもなかった。

 この料理が盾に取られたら、たとえ一人旅を希望していても、サキの同行を許しただろう。と言うか、サキが嫌がっても、連れて行きたいと思っているに違いない。

 

「若い頃は食事なんて二の次でな」

 

 パスタを巻きながら、シルバーが零す。

 夢中になっていたサクラは、その手を少しばかり休め、彼の話に耳を傾けた。

 口に運んだパスタを咀嚼し、飲み込む。美味である事を確認するように、シルバーはこくりと頷いた。

 

「だけど、携帯食料のあり得ない不味さに嫌気がさしててな。自分の納得がいく味を求めていたら、こうなった」

 

 ふっと笑うシルバー。

 サクラはそっと目を逸らして、「そ、そうですか……あはは」と、濁した。

 言うまでも無く、携帯食料の常連であるサクラにとっては、耳の痛い話である。確かに、これと比べたら、朝方食べたものは栄養のあるごみだ。そう思ってしまう。

 そんなサクラの様子に気が付いたのか、サキが「あ、お前」と言って、睨みつけてきた。

 

「さてはポケモンにも市販のかってえフード食わせてんな?」

「な、なんのことでしょ……」

「歯があるチラチーノはまだしも、ドレディアは口の中で溶かすんだぞ? 止めてやれよ。可哀想だろ」

「ルー! ルー!!」

 

 足許で『そうよ! そうよ!!』なんて声が上がっている。

 否定する事なく誤魔化そうとしたが、身内の暴露によって露呈してしまった。

 べ、別に悪い事じゃない。ポケモンフード自体は栄養満点で、どのポケモンでも食べられるってのが売りなんだ。ドレディアに与えても全然問題ない。それが硬すぎるのだって、わたしにも分かってる。分かってるけど、作れないんだから、仕方ないじゃない!

 とは、言えなかった。

 その理由まで辿ると、サクラの女子力の無さがこれ以上ないくらいまで露呈してしまうので、とてもじゃないが口に出来なかった。

 

「すみません。頑張ります……」

 

 結果、小声でルーシーに謝意を示すことになった。

 もしも不味くて文句を言われたら、その時はサキを差し出そう。

 と、その時。

 

――リィーン。

 

 先程耳にした鈴の音が、再度響き渡る。

 より大きく、より鮮明に。

 ハッとして聞こえた方向である後ろを振り返るが、そちらには玄関横の窓があるだけ。でも、外から聞こえたような感じではない。

 

「どうした?」

「あ、いえ……今、鈴の音が聞こえませんでしたか?」

「いや、聞こえなかったが」

「俺も聞いてない。幻聴じゃね?」

 

 シルバーに続いて、サキもそう言った。

 幻聴ではないと思うんだけど……。

 と、思うものの、食事を再開してしまった二人を見る限り、聞こえたのは確かに自分だけで、鈴の音が響くような異常事態がある様子でもない。ちらりと視線を横に落としてみても、レオンとルーシーは何も気にした様子なく、美味しそうにクッキーを頬張っていた。

 おっかしいなぁ。

 首を傾げて、食事を再開する。

 すぐに美味しいパスタの虜になって、サクラは鈴の音の事なんてすぐに忘れてしまうのだった。

 

 食事が終わると、その片付けを程々に、サクラとサキの旅の予定が組まれた。

 ワカバタウンに帰ったサクラは、簡単な支度や近親者への挨拶を済ませ、三日後に出発。サキはその間、ヨシノシティでトレーナーカードの住所変更届を出して、サクラの分も含めた旅の用意を買ってくる。五日後までに再度シルバー宅へ集合し、改めて出発。

 旅の支度金はシルバーが持ってくれると言った。

 それは流石に悪いとサクラは断ったが、旅にお金は必要不可欠である。どの道蓄えが多くないサクラは、両親が残していった貯金を切り崩さないといけない。今こそ使う時だと思っていたものの、それこそ本当に困った時の為にとっておけと諭された。

 

「旅ってのはお前らが考える程単純じゃない。まあ、スポンサーが見つかるまでは、俺の世話になっておけ」

「スポンサー……ですか」

 

 知らない訳がない。

 優秀なトレーナーの多くは、大小様々な企業がスポンサーとなって、旅に掛かる費用等を支援されている。老若男女問わず人気のあるポケモンバトルで、その選手を広告塔にしない理由がないのだ。と言っても、精々バトルフィールドの端っこに看板が用意される程度のものだが、テレビのコマーシャルでは、登場選手のスポンサーが優先されたりもするとか。

 実際に、シルバーもスポンサーの支援を受けていた事があるそうだ。

 

「つっても、俺のは企業じゃなかったけどな。フスベに物好きな爺さんがいてな。その爺さんの世話になった。まあ、今じゃ仕送りの方が多いが……」

 

 と、いう例もある。

 大成したら返しておくれという、要するに投資だ。

 とはいえ、シルバーのそれは滅多にない事だろう。実際に彼自身、フスベに行くまではその日暮らしで過ごしていたという。むしろそこまでそんな生活でやっていけたのが奇跡に近い。

 何にせよ、そこまで言われては、サクラも断るに断れなかった。

 それこそ返せるまで頑張るという目標の一つにだってなるだろう。

 というサキの提案で、サクラはシルバーにぺこりと頭を下げる事になった。

 話が纏まると、シルバーはゆっくりと席を立つ。

 

「そろそろ送っていこう。あんまりのんびりすると、日が暮れそうだ」

 

 言われて時計を見てみれば、もう二時を過ぎている。

 楽しい時間はあっという間というが、到着してから既に四時間以上が経過していた。徒歩で帰ろうものなら、きっと自分は絶望しているに違いない。行きしなは四時間かけずに到着したが、今からだとトレーナーに絡まれたりして夜になるのは目に見えている。

 本当に有難い申し出だ。

 先に出ていると言って玄関を出ていくシルバーに、サクラは再三に渡るお礼を言った。

 

「まあ、地均しでもしておくから、ゆっくり支度すると良い」

 

 肩越しに優しい笑みを寄越す彼の様子は、本当に頼りになる大人だった。

 両親に対する恩もあるだろうが、それにしても貰いすぎだと感じてしまう。一体何度感謝すれば良いのか分からなかった。

 と、頭を下げていれば、肩をちょんちょんと指で叩かれる。

 振り返ってみれば、サキが紙切れをこちらに差し出してきていた。

 

「はい。俺のPSSのコード。何かあったら連絡して」

「あ、うん。ありがとう」

 

 紙を借りて、サクラも自分のPSSのコードを伝えておく。

 これで離れていても連絡が出来る。

 バッグに端末をしまうと、ふうと息をついてから、バッグを肩に掛ける。

 よしと頷いて、サキに片手を差し出した。

 それに気が付いたサキは、やはり何処か照れた様子で、ゆっくりと手を取ってくれる。この姿も、一緒に旅をすれば少しは変わるのだろうか。そう思いながら、彼の温かい手をしっかりと握った。

 

「今日はありがとう。これからよろしくね」

「おう。こっちこそよろしく」

 

 柔らかい笑顔で挨拶を交わし、やがて手を放す。

 目の前の少年が、五日後には大事なパートナーだ。

 その実感こそまだあまり無かったが、それはきっともう一度ここに訪れた時、強く感じる事になるだろう。

 じゃあと言って、サクラは踵を返す。

 靴を履いて、もう一度だけ振り返って、「またね」と手を振った。

 サキも優しい笑顔と共に、「またな」と手を振り返してくれる。

 さあ、帰ろう。

 サクラはドアに手を掛けた。

 少し重たい扉を開ければ、翼竜のようなポケモンを従えたシルバーが待ってくれていた。

 扉を抜けて、外へ。

 清々しい春の昼下がり。

 サクラの決意を後押ししてくれるように、空は天気予報通り晴れ渡っていた。

 きっとウツギ博士は驚くだろう。

 だけど驚いた後に、必ず応援してくれる。

 強く背中を叩いて、祝福してくれるに決まっている。

 

――リィーン。

 

 バッグの中で鳴り響く、鈴の音には、未だ気付かない。

 そこから漏れ出す真白の光は、青空の下、あまりに静かな警告だった。

 

 シルバーの隣に佇むのは、巨大な耳と羽を持ったポケモンだった。

 蝙蝠と竜がハイブリッドになったような体つき。焦げ茶色を基調にして、くるくると喉を鳴らしている。オンバーンというカロス地方で稀に見られる珍しい種だった。その身の丈は普通、一五〇センチ程と言われているが、パッと見ただけでもサクラより大きく映る。サクラの身長から考えて、一七〇センチはありそうだ。随分と大きい。

 そんな稀有なポケモンの背を撫でて、シルバーはサクラに向けて質問を寄越した。

 

「空を飛ぶの経験は?」

「いえ、ありません」

「じゃあ、気を付ける事は知ってるか?」

「ええっと、あまり心配し過ぎないようにって事ぐらいしか……」

「そうだ。それが重要だ」

 

 シルバーは満足気に頷いた。

 ポケモンの背に乗って空を飛ぶ時、絶対に怯えてはいけない。人の心を敏感に察知するポケモンに、その恐怖心が伝染し、彼等のパニックを引き起こす原因になるからだ。叫び声を上げるのは言語道断。兎に角、ポケモンを信用する事。多少荒っぽい飛び方をしても、それは本来彼等がやっている飛行方法。飛べない訳が無いのだから。

 とはいえ、そのオンバーンはシルバーが育てたポケモンだ。

 彼はサクラが注意事項を了解した後、悪戯っぽくネタバレをした。

 

「まだ成長過程を抜けていないが、実のところサクラがどれ程怖がっても、こいつはビクともしないがな。例え振り落とされようと、しっかり拾ってやる。難なら飛行中飛び降りたっていいぞ」

 

 自信満々に言うシルバーだが、勿論サクラは飛び降りたりしない。しろと言われてもやりたくない。

 苦笑いで誤魔化すサクラに、シルバーも「冗談だ」と言って、含むように笑っていた。

 

「まあ、ゆっくりと空の旅を楽しむがいい」

「はい。分かりました」

 

 改めて掛けられた優しい言葉に、サクラは元気良く返事をした。

 ぺしんと音を立てて、シルバーがオンバーンの背を叩く。

 それを合図にして、オンバーンは恭しく頭を垂れ、翼を横に寝かせて、背を低く保った。

 先にシルバーが跨り、前にサクラを招待する。

 鞄を前に来るよう抱き込んで、シルバーの手を借りて、オンバーンの首根っこに跨った。

 よしと頷いたシルバーが、オンバーンの背をもう一度叩く。

 オンバーンがぐっと首を持ち上げると、サクラの足が地面から離れ、重心が後ろへぐらりと傾いた。その背を受け止めてくれるシルバーと、サクラを持ち上げるオンバーンの何と力強いことか。

 驚いて息を呑むサクラは、頭上でふっと笑うような音を聞いた。

 

「怖いか?」

 

 サクラは首を横に振る。

 胸の鼓動は煩いぐらいに跳ねていたが、それは恐怖心からくるものではない。

 

「いえ、ワクワクしてます」

「そうか。そりゃあ良い。舌を噛まないように口を閉じてろ」

 

 サクラの返答に、シルバーは嬉しそうな声を上げた。

 彼はサクラの横からオンバーンの首に手を突き、「行くぞ」と、短く零す。

 三度目の合図。

 

「飛べ、オンバーン!」

 

 翼がぶわりと広がり、地面を叩くように下へ。

 そこでぐんと下へ引っ張られるような圧と、ぐわんと視界が上へ跳ねて、思わず目を瞑る。

 身体の中身が下へ、下へと引っ張られる。ふとすれば誰かに押さえつけられているような錯覚を覚えたが、しかしそれが錯覚である事は分かっていた。風と重力の抵抗。人やポケモンを大地に繋ぎ止める力は、それ程までに強い。

 パニックに陥ってはいけない。

 忠告通り、声だけは出すまいと、ぐっと堪えた。

 ぐわんぐわんと波打つように、身体へかかる重力が変化する。ふとすれば酔ってしまいそうな程、その変化は著しい。ふっと上に抜けるタイミングは、正しく無重力のように感じたものだ。

 が、それも数秒の事。

 身体への負荷が和らぎ、恐る恐る目を開けば、大地は既に遠く。

 下を見ていたサクラの目には、緑の海に、ポツンと赤い屋根の家。隣にあるキキョウシティへ続く道が、くっきりと見えた。

 が、そんな感動も束の間。

 

「何だ。あれは……」

 

 シルバーの低い声が聞こえた。

 ちらりと振り返ってみれば、彼は呆然と前を見つめていた。

 その視線を追って、サクラは目を丸くする。

 瞳孔が開いていくような感覚を覚えた。

 

「うそ……なに、あれ」

「笑えねえぞ。オンバーン。急げ!」

 

 視界の果て、丁度ワカバタウンのある方角に、一筋の黒煙が認められた。しかしそれは、一筋と言い切るにはあまり鮮明。この距離でも視界に映る事が、そもそも異常だ。

 一体どれ程の規模なのか、それは遠目故に分からなかったが、黒煙の根本には緋色も認められる。疑いようもない程確かに、何かが燃えていた。いいや、少なくとも『何かが』という規模ではないだろう。

 その昔イッシュへ旅行に行った時、飛行機の中から見た景色は、まるでミニチュアの玩具のように感じたものだ。

 なのに、その煙ばかりは、何故あんなにも太く、くっきりと見えるのか。

 ワカバ全体に広がる火災だと、そう言うのか。

 ぐんと後ろへ引っ張られる感覚を感じる。後ろから押さえつけられるように、サクラはオンバーンの背へ押し倒された。

 

「サクラ。気をしっかり持て。ただの火事なら、俺が行けば何とかなる」

 

 恐怖してはいけない。

 そんな教えを忘れてしまいそうになる。

 それ程までに、サクラが目にした光景は、ショッキングなものだった。

 だってそうだろう。

 あそこはサクラが住んでいた場所で、サクラが育った場所で、サクラが帰る場所だ。

 ふとすれば身体からふっと力が抜けてしまいそうになる。

 

――リィーン。

 

 そんな折、再三に渡る鈴の音を聞く。

 そこでふと鞄に目をやって、漸く気が付いた。

 風ではためく鞄のべろの脇から、そこにあるべき暗闇を照らす光。何かが、鞄の中で光っていた。

 

「なに、これ」

 

 殆んど無意識に、そちらへ手を伸ばす。

 そこでハッとしたシルバーが、その手を止めると同時に、オンバーンに止まるよう指示を出した。

 

「何してんだ! 振り落とされたいのか!?」

「鞄が……何か、光ってて……」

 

 サクラがそう言えば、シルバーが掴んできていた手を緩める。

 上下に揺れる中、何とか鞄を開いてみれば、中から眩いばかりの光。その中央には、今まで鳴る事のなかった鳴る筈のない透き通った鈴が一つ。

 

――リィーン。

 

 再度、音が響く。

 サクラはその光と音色に魅了されたように、瞬間的に故郷の火事を忘れた。

 

「来るな?」

 

 サクラは聞こえた声を、無意識のまま反芻する。

 その言葉はサクラ自身の疑念へと繋がり、「何処へ?」と、続けて言った。

 誰の声かは分からない。

 聞き覚えも無かった。

 成熟した男性の声である事は確かだったが、人の声にしては随分と違和感があった。というのも、その声は、サクラの頭の中で響いたのだ。とても美しい音色のように、鈴の音と合わさって聞こえた。しかし、そのどちらもが互いを邪魔する事なく、強いて言うなれば鼓膜を揺らす音の方が邪魔で。

 まるで音色にルビを振ったかのように、その鈴は、人の声でサクラに『来るな』と言った。

 

「サクラ?」

「鈴が、来るなって言ってる。ワカバに……帰ってくるな。危ないって」

 

 ぼやくように零す。

 ハッとして振り返れば、シルバーは信じられないものを見るように、サクラと鞄の中を交互に見ていた。

 ややあって、彼は震えたような溜め息をついた。

 

「Lが覚醒している……」

「L?」

 

 問い返すと、彼は何処か焦燥感が感じられる表情のまま、首を横に。

 改まった様子で、サクラの頭を撫でてきた。

 

「サクラ。お前がその鈴を持っていて良かった」

「鈴? やっぱり、これが?」

「ああ」

 

 どう見ても、どう聞いても、それが原因。

 ただ、どうしてそれを断言出来るのかは分からず、追及するつもりもなかった。

 シルバーはこの鈴が何たるかを知っている。

 それだけは分かった。

 

「ワカバで、何が起きてるんですか?」

 

 サクラは問う。

 先程、シルバーは『ただの火事なら』と言った。

 だけど、今の彼は、それを『ただの火事』だと思っていないだろう。

 鈴がワカバに来るなと言っている理由を、彼は知っている。

 そんな気がした。

 シルバーは今一度視線を前へやる。

 

「さあな。ただ、その鈴の本体に被害が出ているのは確かだ。最悪、ただの救助活動に行く訳じゃなくなる。ワカバは、何者かの強襲に合っている可能性もある」

 

 そう言って、今一度サクラへ視線を寄越す。

 その目は、何処か躊躇いが感じられるものだった。

 ごくり。

 生唾を呑む。

 未だ鳴り響く鈴は、シルバーの懸念を肯定しているようだ。本当に何となくだが、そう感じた。

 つまり、シルバーが悩む理由は、サクラの存在だ。

 仮にワカバタウンが何者かの手によって燃やされているのであれば、サクラがついていくのは間違いかもしれない。そこにはきっと敵が居て、サクラの命も脅かされるかもしれないからだ。

 現に鈴は『来るな』と言っている。

 これが何なのかは分からないが、その真意はサクラの身を案じているように感じられた。

 だが、燃えているのは、故郷なのだ。

 そこには、ウツギ博士をはじめとするサクラの大切な人々が居る。サクラの大切な家がある。

 それらを見捨てて、自分だけ逃げようだなんて、出来る訳がなかった。

 

「連れてって。お願いします」

 

 シルバーの腕を掴み、嘆願する。

 元より、自分を下ろしている時間さえ惜しい筈だ。

 逡巡の後、シルバーは舌打ちを一つ零した。

 

「飛ばすぞ。掴まってろ!」

 

 低い声で警告の後、オンバーンは先程よりも速いペースで空を飛んだ。

 

 ワカバタウン近郊まで、一時間も掛からず、オンバーンは一息に飛びきった。

 ポケモン協会が定めている安全飛行速度はゆうに超えていただろう。サクラが振り落とされなかったのは、シルバーがしかと抱き留めてくれていたからだ。

 耳元で暴れる風の音があまりに乱暴で、怖くて目を開けていられなかった。ワカバタウンから上がる火の手と、不可思議な鈴の警告に頭がいっぱいで、空を飛ぶ前に教えて貰った注意事項なんてすっかり忘れてしまっていた。

 漸く目を開くことが出来たのは、身体に掛かる重力がぐんと上に引っ張られた時。

 ふと気が付けば、周囲が熱い。

 鍋を酷く焦がしたような匂いが鼻をついた。

 

「29番道路に着陸する。舌が千切れるから口を開くな」

 

 黒煙に近いからか、森の緑が夜の色合いのように感じられる。

 ちらりと前方へ視線を向けてみれば、ワカバタウンの方は黒煙の所為で全くと言って良い程視界が通らない。町へ直接着陸するのは不可能だろう。襲撃の可能性を考慮するなら尚の事だ。

 サクラは言葉を返さないままに、オンバーンの首に回した手へ、力を籠める。右手で握りしめた左の手首が、軋むような痛みを覚えたが、気にしていられない。地面は瞬く間に近付いてきていた。

 怖いのに、目が閉じられない。

 風圧の所為じゃない。

 目を閉じる事にさえ鈍感になってしまう程、サクラの頭は呆然としていた。

 故郷を覆いつくす黒煙は、まるでテレビの中の出来事のよう。その根元にある炎の大きさを知った時、サクラの心にまでぼうっと火を点けられたような気がした。

 思い出が燃えている。

 正しくそんな感想が頭の中に浮かんだ時、ぐわんとサクラの身体が引っ張られた。

 殆んど真下へ落ちるような急降下の後、一度の大きな羽ばたきで、オンバーンは体勢を変える。ゴシャッと音を立てて地面を引っかき、前方へ二歩、三歩たたらを踏んで、漸く静止。

 その衝撃は、シルバーが言った通り、舌を出していたら噛み千切っていたと思わせる。

 

「サクラ、降りるぞ」

 

 シルバーに言われて、促されるまま地面に足をつく。

 彼の手を借りてオンバーンから離れてみれば、何度かの慣れない重力の所為か、はたまた傷心の所為か、不意に膝が笑ってそのまま地面へ転んだ。あまりに無様な転倒だったが、ふとすれば視界までもがぐらぐらと揺れる。立ち上がれない。

 

「…………」

 

 隣で腰を折るシルバーが、サクラの身を案じたように、肩に手を置いてくるが、その口は動いているのに言葉が聞こえない。

 バチバチと音を立てて、砕け、飛び散っていく思い出の欠片たちの悲鳴ばかりが、鮮明だった。

 促されるように視線を上げて、目に映る景色に喉が震えた。

 

「なんで、どうして……」

 

 胸がキリキリと痛む。

 揺れる視界が捉えた緋色は、町の南側を根こそぎ飲み込んでいる。一体何時から燃え出したのか、幾つかの建物は既に既に原型さえ留めておらず、残っている建物もそのシルエットだけが緋色の中に存在しているだけ。

 のどかなワカバタウンの景色は、何処にもなかった。

 胸を押さえて蹲ったサクラの脳裏に、先程の平穏な時間がよみがえってくる。それら全てが、『お前が笑っていた間に、故郷は燃えた』と、ありもしない罪を突き付けてくるようだった。だけど、それが痛い。鋭利なナイフで胸を掻っ捌かれているようだ。

 涙が溢れて止まらない。

 こんな事をしている場合じゃない。もしかしたら、誰かが助けを求めているかもしれない。そう思って連れて行ってとお願いしたのに、何だこの体たらくは。だけど、痛くて痛くて動けない。何もかもが悲しくて、切なくて、口は絶叫するばかり。耳は思い出の悲鳴しか拾わない。

 膝は心を表すように、折れたまま動かない。

 

『出せ。僕をここから出せ!』

 

 そんな折、ふと耳をつく幼い男の子の声。

 まるで助けを求めるような字面だが、いいや、違う。閉鎖された空間に、憤慨しているような声色だった。

 その声は聞き覚えが無くとも、知っている声。

 サクラの頭の中にしか、存在しない声。

 声の導くままに、右手が勝手に動く。胸から腹へ。腹から腰へ。ゆっくりと震えた手が進んでいき、ベルトの一番前にあるボールを力無く取り上げた。

 

「レオン。おねがい……」

 

 セーフティロックを解除。

 もう一度ボタンを押せば、ボールは跳ねるように勝手に開いた。

 

『何やってんだよ! 泣いてる場合じゃねえだろ!!』

 

 そんな声が聞こえた気がする。

 次の瞬間には、シルバーに支えられて俯くサクラの顔面へ、とても痛い一打が飛んできた。

 バチン。

 となれば、あまりの痛みに思考が吹き飛ぶ。

 悶絶する痛みは、眠気さえ根こそぎ消し去ってしまう一撃。毎朝、自宅でサクラを目覚めさせていたレオンの十八番――目覚ましビンタ。

 打たれたサクラは、シルバーの手から零れて、再び無様に地べたへ転がった。だけど、『再び』なんて言葉はここでおしまい。サクラの思考は、一転した。

 

「っつぅ……」

 

 そうだ。泣いている場合じゃない。

 痛みに堪えながら、ゆっくりと身体を起こす。

 シルバーが助けを寄越そうとしていたが、手を差し出して必要ないと示した。

 大丈夫、立ち上がれる。

 こんな胸の痛み、レオンの目覚ましビンタより痛くない。

 涙を拭う事もせず、面を上げる。

 ゆっくりと立ち上がれば、その途中でレオンがサクラの肩へ飛び乗ってくる。ちらりと目を向ければ、彼は黙ってワカバタウンの惨状を見つめていた。つぶらな眼に映る緋色はしかし、彼の闘志を映すようで。それが伝染するように、サクラの心にも先程とは違う火が灯った。

 

「大丈夫か? サクラ」

 

 ふうと息をついたところに、シルバーの声がかかる。

 サクラの心が平静を取り戻したのを見越したように、真剣な表情での問いかけ。いいや、確認だろう。

 サクラはこくりと頷いて返した。

 

「わたしに出来る事をやります。一人でも多くの人を、助けます。指示を下さい」

「冷静な判断だ。助かる」

 

 満足気に頷いたシルバーは、ベルトから一つのボールを外す。

 それをそのまま、サクラに差し出して来た。

 黒地に黄色くHの烙印が押されたボール。

 ハイパーボール。

 

「持っていけ。バンギラスのボールだ。火には強いし、力もある。チラチーノの耳があれば、助けを求める声にも気が付けるだろう」

 

 余った手で出しっぱなしのオンバーンをボールに戻し、そう述べるシルバー。

 自分のポケモンを他者に預けるなんて、易々と出来る事ではない。それ程必要とされているのだろう。

 

「襲われたらこいつに対処させろ。並みのポケモンなら何の指示も必要ない。絶対に自分のポケモンで対処するな。良いな?」

 

 その理由は深く語られない。

 だが、聞かずとも分かった。

 これ程までの火事が、もしも人為的に引き起こされたのだとしたら、そのトレーナーが持つポケモンはかなりの力量をしているだろう。サクラのレオンやルーシーでは相手にならない。下手をすれば殺されてしまう。

 サクラは深く頷いて、ボールを預かった。

 一先ずベルトの三つ目につけておく。

 

「取り急ぎ研究所に向かうぞ。博士の安否が最優先だ」

 

 命に貴賤はない。

 29番道路から一番近い施設がウツギ研究所だからだろう。

 サクラはそう思う事にした。

 シルバーの判断に自分がホッとしている事は、今この場において、考えるべきではない。忘れておこう。

 先行したシルバーの後を追う形で、ワカバタウンへ入った。

 



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Section 7

 ワカバタウンの惨状は、外で見るよりずっと凄惨だった。

 殆んど全ての建物が火に包まれており、空は快晴の日中にも拘わらずどす黒い曇天。なのに舞い上がった火の粉が照らし、空は明るい。天へ昇っていく煙が、まるで何匹かの蛇が蠢いているかのように、鮮明な様子で映る。

 ハンカチで口元を押さえているのに、焦げ臭い匂いが離れない。纏わりつくような熱気と共に、自分を灰色に染めていくような気がした。

 酷い。

 サクラは端的にそう思った。

 ワカバの慣れ親しんだ景色とは似ても似つかない光景に、ふとすれば再度心が折れてしまいそうになる。何とか堪えていられるのは、肩に乗ったレオンが時折頭をポンポンと叩いてくれるからだ。それは目覚ましビンタではなかったが、サクラの心をか細い力で支えてくれていた。

 町に入ってすぐ。

 ウツギ研究所も燃えている事が分かった。

 施設の前には倒れた人影。その人物が白衣を着ている事を確認すれば、サクラは思わず「博士!」と声を上げた。

 シルバーと共に駆け寄って、倒れ伏している痩せこけた身体をサクラが抱き起こす。仰向けにすれば顔はすっかり煤まみれで、瞼は力なく閉じられていた。嫌な予感がして口元に耳を当てれば、呼吸が薄い。胸に手を当ててみれば、その心音もとても弱々しく感じる。

 

「博士! 博士!!」

 

 強く呼びかける。

 しかし、返事はない。

 完全に意識がなかった。

 外傷はあらず、火傷をしている様子もない。ただ、有毒な煙を強く吸ってしまったようだ。研究所から脱出こそしているが、それで精一杯だったのだろうか。

 何で……?

 ふと疑問に思って、研究所を見やる。

 その大半は火に包まれているが、まだ外壁の白さが分かる程だった。

 町の外れにあるからか、他の建物よりは火の浸食が遅い。だと言うのに、逃げ遅れたというのか?

 

「博士はやるべき事を全うしたようだ……」

 

 そう言って、隣で腰を下ろすシルバー。

 自分の思考に直接回答したような言葉に、彼へ目をやれば、その手がウツギ博士の手元へ向かう。力無く握られていた手を解けば、中から小さな球体が転がり落ちた。地面へ落ちて、その拍子にボタンが押されて、セーフティロックが解除される。ヒュオンと音を立てて大きくなれば、それはサクラが文献の中でしか見た事がないモンスターボールだった。

 紫を基調とし、Mの烙印が押された最高峰のボール。

 マスターボール。

 サクラが初めて見たと思う通り、こんなものがウツギ博士の手元にある事は今、初めて知った事だった。

 両親が博士から受け取ったという話を、随分前にウツギ本人から聞かされた覚えがあるが、何を捕獲したかは聞いていない。果たしてそれが両親のボールなのかも分からない。

 そもそも、何か捕獲されているのだろうか?

 ふと手を伸ばそうとして、しかしサクラより早く、シルバーがそれをさらった。

 

「これがL。ウツギ博士が保管していたコトネのポケモンだ」

「お母さん……の?」

「ああ。詳しくは後日聞く予定だった。最近、これの反応が大きくなりつつある。覚醒が近いのではないかと言っていた」

 

 ふとすれば、嫌な考えが脳裏に過ぎる。

 サクラはそのまま、それを口にした。

 

「もしかして、そのポケモンが、これを?」

 

 しかし、シルバーは首を横に。

 あり得ないと言った。

 

「このポケモンはまだここに入っている。タイプも炎じゃない。エスパーと飛行だ。親和性があるのも水タイプで、海の神と呼ばれている」

 

 海の神。

 と聞いて、サクラの記憶がふっとよみがえる。

 その昔、何処かで聞いて、興味があった為にほんの少しだけ調べた事。

 

「それって、わたしが生まれる前にアサギを襲った……」

「良く知っているな。そうだ。『うずまき島の大沈没』その時、コトネがこいつを捕獲した」

 

 記憶がそのまま肯定される。

 一五年前。

 突如うずまき島の一つが内側から爆発した。それは連なるように、二つ目、三つ目と伝染し、ついには四つ全てのうずまき列島が四散する事になった。直接的な原因は分からず。ただ、その被害だけはとても大きかった。うずまき列島が沈んだ事により、アサギシティとタンバシティは大きな津波に襲われたのだ。タンバは元来、そういう被害が多く、島民の多くがホウエン地方へ避難し、事なきを得た。しかし、水害に慣れていなかったアサギの住人は、その多くが犠牲になってしまった。犠牲者の数は、人とポケモンを合わせて一万を超えたという。

 母がその事件に関わっていたのは初耳で、元凶と言われるポケモンがまさかウツギ博士の手元に居るとは思いもしなかったが……成る程。確かに、海の神であれば、火を起こして暴れ狂うなんて事は無いだろう。その気になればワカバの東には、大海へ繋がる川がある。ワカバが津波や浸水被害ではなく、火災に包まれている時点で、そのポケモンの関与の線は薄いだろう。

 なんて考えている場合ではないか。

 サクラは首を横に振って、今しがた考えていた事を一旦脇に置く。

 ウツギ博士を空気の良い場所へ。29番道路へ避難させてあげたいと思った。

 しかし、そんなサクラをよそに、シルバーはマスターボールをじっと見つめたまま動かない。博士の肩を担いだところで、サクラは彼の様子に疑問を持った。

 

「シルバーさん?」

 

 声を掛けてみるものの、シルバーは静かにボールを見つめている。

 何か重要な事を考えている様子で、ピクリとも動かない。

 そんな事をしている場合じゃないのに。

 そう思って、再度声を掛けようとしたところで、「サクラ」彼がこちらを向いた。そして、ゆっくりとした動作で、マスターボールを差し出してくる。

 

「これは……お前のポケモンだ」

「はい?」

 

 まさかこんな時に冗談を言う筈もない。

 シルバーの表情も、真面目そのものだった。

 だがしかし、マスターボールなんて貴重なものに保管されたポケモンを、易々と受け取れる訳がない。サクラの記憶が正しければ、そこに入っている『うずまき島の大沈没』の元凶は、伝説のポケモンだった筈。幾ら母のポケモンと言えど、自分には扱えないポケモンだろう。

 そんな疑惑の視線を向ければ、シルバーの視線はサクラの目から逸れ、肩から掛けている鞄へと落ちる。

 

「海鳴りの鈴。お前が持っている鈴は、このポケモンの主が持つべき証だ。その鈴がお前に警告を送った以上、お前はこのポケモンを持つ資格がある……いや、違うな。お前以外に、持つ資格のある奴がいない」

 

 ハッとして、サクラも鞄を見る。

 その中からは、未だ真白の光が漏れ出しているようだ。

 どういう事だとシルバーを見やれば、彼は少し考えた後、今一度口を開いた。

 

「このポケモンを鎮める為の鈴が、お前の持つ鈴なんだ。それが無いと、うずまき島のような災害が、再び起こる可能性がある。今、この一瞬の後にも、怒れ狂うLがこの地を水底に沈めようとするかもしれない。ウツギ博士は強力な麻酔を与える装置に保管していたようだが、研究所があれでは使い物にならないだろう。鈴に認められたお前が持つべきポケモンなんだ」

 

 ふと、研究所にあった使い道の分からない大きな機械を思い出す。

 以前、それが何なのかとウツギに聞いてみたら、確かに重要なポケモンを保管する機械だと言っていた。それがその時も起動していたとは思わなかったが、サクラはマスターボールが何処にあったのかと言われても思い浮かばない。何度か大掃除をした時も、その機材は触らなかったし、他にそれっぽいボールを見た覚えもなかった。

 今思い返せば、納得がいく。

 サクラはちらりとバッグを見やる。

 注視すれば僅かに漏れ出している真白の光と共に、静かな音色が聞こえていた。

 しかし、その音色はシルバーはおろか、サクラの手持ちにだって聞こえた様子はない。言葉を理解出来たのも、おそらく自分だけだろう。認められたとは、そういう事なのだろうか。

 

「何もしなくて良い。ボールを開ける必要もない。兎に角、この急場をしのぐまで、サクラが持っていてくれ。今この状況でこいつが暴れたら、この町が地図から消える事になる」

 

 そう言って、再度マスターボールが差し出された。

 シルバーの顔付きは険しい。

 その表情を見るに、単なる方便や脅し文句ではないようだ。

 逡巡の末、サクラは余った手でボールを受け取った。

 高性能なボールらしく、レオンやルーシーのそれより、僅かに大きく、重たい。

 初めて握る感触に何か大事な決断をさせられた気になって、サクラはゆっくりと息を吐く。暫くして自動のセーフティロックが働き、ボールが縮小した。それをゆっくりと六番目のアタッチメントへ装着し、見届けたシルバーに頷いて見せる。

 四番目や五番目ではなく六番目に装着した意図は、語らずとも伝わったようだ。

 シルバーはそれ以上そのポケモンに対する忠告をする事なく、町の東側へ目を向けた。

 

「サクラは博士を29番道路へ。安全が確保出来たら、人命救助に当たってくれ」

「分かりました」

「俺も要救助者を見つけたら対処はするが……期待はするな。それはお前に任せる」

「分かり……ました」

 

 東を見やるシルバーの顔付きは険しい。

 ちらりと視線を追ってみるが、サクラには燃えた故郷の景色が映るだけ。

 自宅の隣に咲いている筈の自分と同じ名前の樹が、音を立てて崩れていった。

 目を背けるように、シルバーに背を向ける。

 地面に降りていたレオンに手伝ってもらって、今度こそウツギ博士の肩を担ぎ上げた。女子の膂力でも、彼の不健康な身体は軽く上がり、そのまま引きずる形で29番道路へ向かった。

 敵が居る。

 ワカバタウンは、誰かの手によって燃やされた。

 暗にそう語るシルバーは、果たして何処に敵を見つけたのか。

 しかし、サクラが深く追求しなかったのは、自分が邪魔になるだけだと分かっていたからだ。ここは冷静に、素直に指示を聞く良い子である事だけが望ましい。いち早くウツギ博士の避難を済ませる事だけが、サクラに出来る最善だった。

 ワカバを出ようかという時、振り返ってみると、シルバーの姿は既に無かった。

 誰も居なくなったワカバタウン。

 緋色に照らされている姿は、散りゆく紅葉のよう。残酷過ぎる程に、綺麗だった。こんな幻想的な景色は、きっと二度と見る事が無い。締め付けられるような苦しみ、悲しみは、この画の価値を訴え続ける。失われていく戻らない日常を、何と尊いものだったかと、知らしめるようだった。

 ふとすれば膝からガクッと崩れ落ちそうになる。

 まだダメ。挫けちゃダメ。

 何とか気丈に振る舞って、29番道路へ向き直る。

 まだ日暮れ前なのに薄暗い道路は、しかしホーホーの鳴き声が聞こえる訳でもない。オタチやコラッタも逃げ出してしまったのだろう。少し行けば、もう安全だと思えた。

 まだワカバから程近い。

 だけど、熱気は少しばかりマシになった。

 なら、空気は変える事も出来る。

 博士を湿気た林の上に寝かせて、二つ目のボールを取り上げた。

 

「ルーちゃん。お願い」

 

 そう言ってボールを開けば、草むらにシルエットが落ちる。

 ルーシーは普段の温かい表情を失ってしまったかのように、悲し気な顔をしていた。

 長い言葉は不要だったのか、彼女は博士の脇で膝を折り、彼の額に手を当てる。柔らかな緑の光が彼女の手から広がれば、辺りの空気が少しばかり爽やかになった。

 彼女の光合成があれば、ウツギ博士の中毒症状は和らぐだろう。

 鞄から上着を取り出して、煤まみれの白衣の上から掛ける。

 

「じゃあ、戻ろうか」

 

 サクラはレオンにそう声を掛けた。

 彼はこくりと頷いて返してくれる。

 しかし、その時だった。

 ドン。という爆発音が響く。

 思わず地面に転んだサクラが、耳を押さえながら忌々し気に振り返ると、故郷の中心で高々と上る火柱が目に留まった。

 ごうごうと音を立てる様子は、まるで生き物のよう。

 周囲に飛び散った大きな火の粉が更なる火災を呼び、火の手が更に激しくなる。あっという間に町の入り口まで大きな火の玉が飛んできて、そこに大きな火の壁が広がった。

 どう見ても、もう戻れない。

 

「そんな……」

 

 無意識に立ち上がったサクラは、口に手を当て、絶句する。

 あれじゃ、中に居るみんなは……。

 シルバーさんは……。

 猛る炎は、人の身体などあっという間に焼き尽くすだろう。

 先程のウツギ博士のように、外へ脱出した人が居たとしても、もう……。

 助けに戻りたいのに、サクラには水タイプのポケモンがいない。シルバーから預かったバンギラスも、いくら火に強いとはいえ、この規模の火災に巻き込まれたら命の保証が出来ない。

 そもそも、今から戻ろうものなら自分の命さえ危うかった。

 もう、見ているだけしか出来ない。

 そう突き付けられて、心の中の何かが音を立てて折れた気がした。

 がくりと膝を崩す。

 

「やだ。やだよぉ……」

 

 顔に手を当てて、蹲る。

 先程は励ましてくれたレオンも、あまりの光景に、茫然自失だった。

 ウツギ博士を庇うルーシーも、泣きながら光合成を続ける事しか出来ない。

 無力だった。

 あまりに無力だった。

 サクラ達にはもう何も出来る事がなかった。

 

「あらあら、泣いちゃって。可哀想に」

 

 そんな折、若い女性の声が聞こえた。

 聞き馴染みの無い声に、ふと顔を上げる。

 先程通ってきた道。

 ワカバタウンへ戻る道。

 大きな火の壁が遮った筈のその道を、静かに歩いてくる影が一人分。

 炎の中を歩いているというのに、その身体にはこれっぽっちも引火しない。黒いコートの裾もはためいているのに、火に触れて尚、柔らかな布のまま、更にはためき続けている。

 一目に異様な光景。

 こつり、こつりと地面を踏み均す音が、轟音の中でも鮮明に聞こえた。

 

「初めまして。サクラ」

 

 その影は、やはり女性の声を吐き出す。

 しかし、あまりに強い火の手を背後に、逆光でまともに顔が見えない。目を凝らして漸く、その顔には仮面のようなものが付けられていると分かった。

 誰だろう。この人。

 サクラは見知らぬ影に対して、擦り切れた心でほんの小さな疑問を持った。

 その疑問は『こんな時に』という言葉の付与で、少しだけ大きくなる。更に『こんな場所で』と続いて、もう少しだけ大きく育つ。そして、『わたしの事を知っている?』と至って、漸く疑問の大きさが心のダメージを超えた。

 

「あなた、だれ?」

 

 しかし、ようやっとそう零したのは、能面の仮面を被った女が、目と鼻の先へやって来てからの事だった。

 サクラの言葉に呼応したように、女の手が伸びる。

 次の瞬間には、レオンのハッとしたような鋭い鳴き声と、サクラの首への衝撃が、同時にやってきた。

 

「ぐ、ぁっ」

「さあね? 誰でしょうね?」

 

 小首を傾げる女。

 その力はサクラより強く、身長もサクラより高い。

 首を掴まれ、持ち上げられてしまえば、あっという間に呼吸が詰まった。

 そこで視界の端に居たレオンが飛びあがる。

 今に女の顔面へ手痛い一撃をくれようとした彼だったが、明後日の方向からやってきたらしい衝撃で、サクラが聞いた事のないような悲鳴を上げて吹っ飛んだ。

 きつく締め上げられて、振り返る事も出来ない。

 助けを求めるかのように視線を流せば、ウツギ博士の傍らにいた筈のルーシーがいない。いや、彼が寝ているその更に奥手で、四足歩行のポケモンの口に咥えられていた。既に意識がないのか、腹を咥えられたままピクリともしない。彼女は吐き捨てられるように、転がされた。

 

「ぐる、しっ……」

 

 首を締め上げる手を、両手で掴んで何とか抵抗しようとする。

 だけど、その手はビクともしない。

 ぎりぎりと音を立てて、サクラの首を圧迫する。

 

「呑気なものよねえ。あんたの所為で、こんなにいっぱい、殺さなくちゃいけなくなったのに」

 

 どういう事?

 鈍っていく思考の中、浮かんだ疑問は警鐘を鳴らす。

 『殺す』という単語に導かれるように、視線は今しがた助けた筈の人へと向いた。

 するとそこには、四足歩行のポケモンが居る。

 血液が回らなくて歪んだ視界は、そのポケモンが何かとは判別出来なかったが、ウツギ博士の首に前足を置いているのだけは分かった。

 嫌だ。嫌だ。嫌だ。

 サクラは背筋が凍るような気がして、思い切りジタバタともがいた。

 

「や、めて……やめ、てよっ!!」

 

 それが奏功して、偶々女性の腹を強い力で蹴り上げた。

 動脈の圧迫から解放され、サクラは「はあっ」と息を吸い込む。だけど火事の所為で酸素が足りなさすぎて、吸い込んだ苦い空気にむせる。口を押えた手を離せない程、咳き込んでしまった。

 視界は歪んだまま。

 だけど、女が忌々し気に呻けば、今にウツギ博士を殺めようとしていたらしいポケモンは、姿を消す。

 ふと、頭を強い力で殴られた。

 側頭部からの衝撃は、咳を沈めようとしていたサクラをあっさりと横倒しにする。

 そのまま訳が分からなくなって、サクラの思考が停止した。

 頭に、何かが乗っている。

 鋭くて、冷たいもの。

 爪?

 視線をやれば、ぶれた視界の中、黄色と紫の斑模様を認めた。

 猫の顔。鋭い眼。狡猾そうな牙。

 そのポケモンの名前は、確か、レパルダス。

 だけど、サクラの記憶にあるそれと、何処か違和感がある。

 目。

 目が、片方、無い。

 眼帯で隠されている。

 隻眼のレパルダス。

 

「あなた、だれ?」

 

 見覚えがない。

 だけど、何故だろう。

 サクラはそのポケモンを知っているような、不思議な感覚を覚えた。

 いいや、知る訳がない。レオンとルーシーを一撃でぶちのめすようなポケモン、サクラは知らない。

 自分を殺そうとするポケモンなんて。

 人を殺そうとするポケモンなんて。

 知らない。

 知っている訳がない。

 だけど、何で……何でこんなに、懐かしい?

 

「しに、たく……ない」

 

 そうぼやく。

 そう訴える。

 何故かは分からないが、そのレパルダスは、自分の頼みを聞いてくれるような気がした。

 自分を見下ろす左の瞳に、ほんの僅かな哀愁と、躊躇い。まるで我が子を手に掛けなければいけないような、そんな深い悲しみが感じられる。

 ふとすれば、サクラの頭から、重みが消えた。

 

「何やってるの?」

 

 そこへ聞こえてくる低い声。

 歪んだ視界に、幽鬼のように立ち上がる女の姿が映った。

 

『イヤよ。わたしにさせるつもり?』

 

 レパルダスから、そんな声が聞こえる。

 ポケモンの声が聞こえる筈もないのに、サクラはそれを、レパルダスの声だと認識した。

 

「そうよ。あなたがしなさい」

『イヤだと言ってるの』

 

 女とレパルダスは、どういう訳か会話をしている。

 だけど、サクラはそれに疑問を持つ余裕はなかった。

 今しかない。

 今しか、この窮地を脱する隙はない。

 そう感じて、力が入らない手をベルトに掛ける。

 

「やって」

『イヤ』

「そう。じゃあもういい」

 

 女は呆れたように、舌打ちを一つ。

 こちらへゆっくりと近付いてきた。

 もう少し。

 もう少し待って……。

 そんなサクラの願いが通じたのか、そうでないのか。

 レパルダスが『そういえば』なんて言葉で、女の注意を引いた。

 足を止めた女が、レパルダスを振り返る。

 

『あっちはそろそろ、佳境かしらね? あなた、随分と意地悪だわ』

「知らない。どうでもいい」

 

 そのほんの僅かなやり取りが、サクラの手に、ボールを握る力をよみがえらせた。

 アタッチメントから外して、セーフティロックを解除。

 ボールを、手の中で開く。

 おねがい。

 たすけて……。

 バシュンという音と共に、閃光が広がる。

 ふとすれば意識を失ってしまいそうな倦怠感の中、その光がサクラの目を焼く。反射的にきつく閉じた瞼が切っ掛けとなって、心と身体に僅かな活力が戻ってくる。

 聳えるようにさえ感じる巨躯は、サクラが今まで見てきたどのポケモンよりも巨大。隆々とした強靭な肉体は、山を崩し、地図をも書き換えると謳われる。戦いの為に生き、戦いの為に死ぬと言われたジョウト最強と名高いポケモン。

 バンギラス。

 

「グォォオオオオッ!!」

 

 その猛りが、大地を震わせる。

 彼の咆哮で、サクラの身体が後ろへ吹っ飛ばされた。

 未だ痛む頭を押さえながら、ゆっくりと起き上がれば、雄々しく吼えるバンギラスの後姿は、あまりに凶悪に映る。

 そのポケモンに、指示は不要だ。

 シルバーの言葉の意味を、サクラは瞬時に理解した。

 指示が要らないんじゃない。

 サクラの指示なんて、絶対に聞いてくれない。

 こちらに配慮してくれるかさえ分からない。

 そんな荒々しい風格を、肌でびりびりと感じる。

 しかし、それは杞憂。

 咆哮を終えると、バンギラスは両手を広げて立ち塞がった。

 肩越しにサクラを振り返り、短く鳴く。

 その言葉は分からなかったが、『逃げろ』と言っているように感じられた。

 ハッとして、サクラは振り返る。

 ウツギ博士は変わらずの位置で未だ横たわったまま。しかし、サクラのポケモン達が見当たらない。

 立ち上がり、ルーシーを探す。

 確か、ウツギ博士よりも奥手で吐き捨てられていた。

 目を凝らしてよく捜せば、草むらの中で横たわっている緑色の塊を見つける。

 

「ルーちゃんっ!」

 

 急いで二番目のボールを取り出し、彼女に向ける。

 ボールの中に収納する赤い光線は、その姿をきちんと捉えた。

 続いてレオンを……。

 と、したところで、背後の状況が動いた。

 ドンと音が鳴ったかと思うと、地面が強く揺れる。

 身体を突き上げるような衝撃に、サクラはその場で膝を崩した。

 ちらりと背後を確認すれば、バンギラスの顔面が隻眼のレパルダスに強打されている。地震を躱され、その反撃を喰らったようだった。しかし、そこは『よろいポケモン』の名に相応しい耐久力。バンギラスはレパルダスへ振り向くと、開いた口腔から真白の光線をぶっ放した。

 キュィイイイン。

 と、甲高い音が響く。

 しかし、その破壊光線が終息すれば、そこに居た筈のレパルダスはバンギラスの頭上。前足を高々と振り上げると、穿つように脳天を打った。

 ドゴォ。

 およそあのしなやかな体躯から発せられるとは思えない鈍い音が響く。

 バンギラスはふらついて、それでも倒れない。

 煩い羽虫を払うように、手を振った。が、レパルダスは既に地面に着地していた。

 

「シルバーさんのバンギラス。強いんだけどねえ。指示がないと無理。この子には勝てない」

 

 何処からか聞こえてくる女の声に、サクラはゾッとした。

 あれ程研究して、育て上げられたバンギラスを前に、余裕の声色。

 いいや、見た目にも分かる。

 バンギラスはあの隻眼のレパルダスに勝てない。

 サクラは腰が抜けたまま、じりと後退った。

 そこでふと、手が柔らかい何かに触れる。

 視線をゆっくりとやってみれば、白い体毛が目に入った。

 

「レオン?」

 

 ハッとしてその身を抱き起こす。

 しかし、つぶらな瞳は瞼が閉じられたまま。ピクリとも動かない。

 ふと、相棒の背を支えた手がぬるりとした何かに触れる。

 僅かな疑問に促されて、その手を改めれば、そこには赤黒い液体。ハッとしてその背中を改めれば、真白の体毛が真っ赤に染まっていた。

 

「ひっ……」

 

 傷の深さも確かめないままに、サクラは顔を引きつらせる。

 大事な相棒をぎゅっと抱きしめれば、いつもは嫌だと言って抵抗するのに、こんな時ばかり素直に抱かれている。何の抗議が無ければ、抵抗もない。糸の切れた人形のように、まるで力が入っていない。

 

「こんな、こんなのって」

 

 耐え切れなくって、サクラは蹲った。

 死というものに初めて触れた気がした。

 先程からそれを直視するような出来事があったが、冷静でいられた自分は、きっと何一つ分かっちゃいなかったのだ。愛しい家族の血を目にしただけで、こんなにも恐ろしい。指一本動かせなくなってしまう程、思考は後悔と絶望に囚われてしまう。

 ダメだ。ダメだ。

 僅かに残ったまともな思考が警鐘を鳴らす。

 今は嘆いている場合ではない。

 早く逃げないと、本当にみんな殺されてしまう。

 分かっているのに、思考が回らない。片隅で鳴っている警鐘は、あまりに非力だった。

 ズン。

 と、響く地鳴りの音がして、警鐘の音が増す。

 何を警戒する訳でもなく、確認の為でもなく、臆病風に吹かれたサクラは、ゆっくりと視界を上げる。恐ろしいものが近付いてくる気配がして、それを少しでも和らげようと、本能的に目視した。

 バンギラスが倒れていた。

 無双を謳う筈の猛者が、あっさりと地に伏していた。

 その奥に、能面の仮面を被った女。脇に行儀よく佇むレパルダス。

 それは明確な死の気配。

 いとも容易く自分や自分の大切な者の命を奪う存在。

 恐怖が心の容量を超えて、全てが停止した。

 指は愚か、視界さえも動かせない。呼吸も上手く出来ずに、心臓さえ止まってしまったのではないかと思える。立ち上がる事なんて出来る筈が無いし、泣いて命乞いをする事だって出来ない。サクラはもう、ここで死を待つだけの存在に成り果てた。

 怖い。

 ただ怖い。

 だけどもう、それさえ苦痛ではない。

 恐怖が普遍的なものであったかのように、心が麻痺する。怖い筈なのに、怖くない。怖くて当たり前過ぎて、恐怖という感情が失われていく。ふとすれば、今の自分があまりに無様に思えて、笑ってしまう事だって出来ると思えた。

 いいや、そんな訳ない。

 笑える訳、ないじゃない。

 だって、今からだったのに。

 サキと一緒に旅をして、両親を捜そうって約束したのに。彼との旅は、楽しいだろうなって、そう思っていたのに。

 死にたくない。

 死にたくない。

 まだ始まってもいないのに、こんなところで終わりたくない。

 ドクン、ドクン。

 胸が強く鼓動を打つ。

 頭にまで響いてくる激しい音は、今、サクラが生きている証の音。生きる為に鳴っている音。

 数多の鼓動が頭の中で満ち溢れ。加速する。

 早鐘を打つ音は、波紋のように頭の中で広がった。

 

――リィーン。

 

 そこに、聞こえる鈴の音。

 それは真っ暗な中、波紋だけを映す視界に、真白の光を与えるよう。

 清涼感のある音が、意識を引き戻す。

 生きる為に抗え。

 死を享受するな。

 繰り返される鼓動がサクラに力を取り戻させた。

 鈴から聞こえる音色と声が、自分のやるべき事を明確にする。

 そう、サクラはまだ、抗える。

 サクラにはまだ、戦えるポケモンがいる。

 

 さあ、呼べ。

 わたしの名を。

 永き眠りより、今度こそ解き放て。

 

 サクラは導かれるように、六つ目のボールを取り上げる。頭に響くその声を信じ、ボールを天へ向けて掲げた。

 わたしは、このポケモンの主だ。

 あなたが、わたしの主だ。

 サクラの思考と、この時を待っていたポケモンの声。その二つが、頭の中で重なった。

 

「目覚めて……ルギア!!」

 

 開いたマスターボールが、強く光りを放った。

 それを見やる襲撃者の女は、「ふふっ」上出来だと言わんばかりに笑っていた。



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Section end.

前話で章末と書いたのですが、構成上次のページをここに入れた方がスッキリする為、追加する事にしました。詳しくはあとがきにて。


 遥か天高く。

 真白の竜が大きな翼を開いた。

 白銀にも負けじと輝く体躯に、鮮やかな蒼の模様を宿すその身体。肉質はとても柔らかそうだった。唯一硬そうに見える背中のヒレらしき藍色の突起は、暗い空の下、さながら黒曜石の如く輝いており、翼に合わせて動いているよう。大きな翼は鳥のような風切羽ではなく、大きな五本指の骨格に、肉と毛がついているように見える。しかし、ゆったりとした羽ばたきに合わせてキラキラと舞い散るのは、鮮やかな銀色を放つ羽根。体毛がそのまま羽根の形状を持っているようだった。

 骨格は翼竜そのもの。リザードンのように首が長く、もたげる首の先には小さな頭部。口元も嘴ではなくシンプルな口腔だが、目元にはヒレと同じ色合いの大きなフレームがついていた。しかしそれも人為的な装飾ではなく、あくまでも生物的な顔のパーツのように映る。

 綺麗な竜だった。

 ふとすれば自分が置かれている状況を忘れ、魅入ってしまいそうになる程、神々しいばかりの存在感だった。

 そんな没入感が拭われたのは、かの竜がサクラの方を向いて、口腔を大きく開いた時。次の瞬間には、眩いばかりの光線がぶっ放されていた。

 ズドン。

 と、大きな音と共に地面が揺れる。

 自分へ向いていたと思った光線は、しかし、少し離れた場所へ着弾した。

 それは先程、サクラを痛めつけた仮面の女が居た場所。ふとすればサクラ自身も余波で吹っ飛ばされる距離だったが、どういう訳かこれっぽっちも被害がない。

 

『主。その場から動くな』

 

 そのポケモンから、凛とした男性の声を聞く。

 それはサクラが鈴から感じていた声と、全く同じものだった。

 白き竜、ルギア。

 長らくうずまき島の最深部で眠りにつき、目覚めた際には列島周辺に甚大な被害をもたらした海の神様。その竜が猛き声を轟かせると、煙に覆われていた空が、何処からともなく現れたどす黒い雲に覆われていく。更にその身体からほのかな紫色の光が漏れ出したかと思えば、程なくして分厚い雲に幾つかの小さな稲光が煌めいた。

 やがて、轟音。

 激しい雷が大地を穿ち、途端にザァという音が響く。

 音に遅れて、町の方から滝のような雨が押し寄せてきた。

 空から地上へ、目線を下ろしたサクラは、ふと先程光に飲まれた場所の先に、女が平然と立っている姿を認めた。彼女は脇にレパルダスを従え、こちらをじっと見つめている。未だ鎮火していない炎の逆光で、その顔はまともに見れなかったが、仮面の下半分が割れているように感じられた。

 唇が動く。

 ザァと降りしきる雨音の所為で、耳ではまともに聞き取れなかったが、大きく動いた彼女の唇は、鮮明な言葉を残していった。

 

――ごめんね。

 

 そこで、彼女の直上から極太の光が降り注ぐ。

 ごうと音を立てて、極太の破壊光線が大地を抉った。

 眩いばかりの光。風圧こそ感じなかったが、視界には明らかな凄まじい衝撃。それらに思わず目を閉じてしまえば、キィィンという甲高い音はやがて消え、瞼の裏を焼くような強い光も程なくして消え去った。

 おそるおそる目を開けば、そこには大きな風穴が空いているだけ。

 ハッとして空を見上げると、ルギアが口から僅かな煙を零しつつ、忌々し気に目を細めていた。

 

『逃がしたか……』

 

 果たしてあの破壊光線でどうするつもりだったのか。

 サクラには恐ろしくて、とてもじゃないが言及出来なかった。

 だが、やはりサクラに対して敵意はないらしい。何をと言わずに雨乞いを使ってくれたあたり、サクラが尊ぶものも分かってくれている様子。仮面の女を攻撃したのも、おそらくサクラを守る為だろう。それだけは分かった。

 ルギアは暫く上空の高いところで周囲一帯を見渡すと、やがてゆっくりと大地へ降りてきた。

 その身体は近付けば近づく程、サクラを圧倒するような大きさをしていた。しかしどういう訳か、大きな翼が羽ばたいても、風圧はこれっぽっちも感じられない。彼はサクラの背後にあった広場へ着地すると、大きく開いていた翼をすっと畳んで、ゆっくりと頭をこちらへ寄せてきた。

 頭部の大きさだけでも、サクラの身長を超えている。

 彼の優し気な目は、へたり込んでしまったサクラが見上げなければいけない。

 

『幾久しく。主、サクラ』

 

 低い男性の声。

 優しさや温かみが滲み出るような声は、その目に宿す赤みがかった黒と共に、サクラの心を癒すかのよう。

 降りしきる雨でびしょびしょになってしまった身体が、ほのかな温かみを覚えた気がした。

 どうしてだろう。

 上手く言葉が出ない。

 未だ緊張感が残っているのか、頭は五感が感じ取るものを正確に把握するだけで、そこから先の思考が回らない。何か言葉を掛けてあげないとと思っても、唇がピクリとも動かなかった。

 ルギアはそんなサクラの心境が理解出来るのか、一度ばかり浅く頷くと、大きな目を他所へ向けた。

 

『助けは来るのだろうか。皆傷が深い。わたしに癒しの力は無い故、精々雨に濡らさぬ事しか出来ぬ』

 

 促されたような気がして、サクラはルギアの視線を追った。

 視界の果てに横たわるウツギ博士を認めれば、その身体がふわりと宙に浮く。そのままサクラの方へゆっくりと浮遊してきたかと思うと、手が届く距離で地面へそっと下ろされた。

 サイコキネシスだろうか。

 力無く目を閉じているウツギ博士の顔にそっと触れてみると、どういう訳か彼の身体はちっとも濡れていない。よくよく見てみれば、淡い紫色の光がその身体を覆っている。ふと疑問に思って、胸に抱きしめたままのレオンに目を落とせば、彼もまた不思議な光に覆われて、身体を濡らさずに済んでいる。

 どういう力かは分かりかねたが、ルギアがやってくれたのだろう。

 そう思うと、半ば反射的に、漸く唇が動いた。

 

「ありがとう」

『気にするな。主が守りたいと願うが故だ……しかし、その白きポケモンは傷が深い。急ぎ治療せねばなるまい。あまり呆けてはおれぬぞ』

 

 言葉を発した事で、加速度的に思考が回る。

 ハッとするような心地で、サクラは状況を改めて確認した。

 レオンの背中の傷は深い。出血の量も多く、顔が青ざめているようにも見えた。ルーシーもボールから出して確認してみれば、こちらはぐったりしてこそいるものの、大きな外傷はない。咥え、投げられた時に出来た擦り傷こそあったが、軽傷のようだ。

 ウツギ博士も重体だろうが、一番大きな傷を負っているのはレオンのようだ。

 一度ばかりワカバを振り返ってみれば、既に火の勢いは衰え始めている。あの女以外に敵の確認は出来なかったし、増援の気配もない。

 レオンの手当てを行っても問題は無さそうだ。

 サクラは一通り確認を終えると、未だ首をもたげている竜へ振り向いた。

 

「ルギア。使ってごめんね。少し照らせる?」

『造作もない』

 

 ルギアは片翼を広げて、サクラの頭上に広げてくれる。その羽がほのかな白い光を放っていた。

 あまり明るいとは言えなかったが、十分だ。

 鞄から着替えを取り出して、広げる。その上にレオンを寝かせると、サクラは今着ているニットの裾をぐっと引っ張った。あまり新しい服でなかった事が奏功して、暫く力を籠めていれば、やがてビリッという音と共に裂けた。深く裂いた切り口から、更に裾を一周分切り取る形で引き裂く。

 鞄をひっくり返して、ポケモン用の傷薬を漁る。

 取り上げてニットの切れ端に十分染みこませたら、レオンの傷口をたすき掛けの形できつく縛った。激痛が走ったのか、レオンは短い悲鳴をあげたが、「我慢して」と、サクラが言えば、再度意識を無くしたかのように眠りに落ちる。

 丁度、その頃だった。

 

「サクラ!」

 

 後ろから声がして、サクラは振り返った。

 煤が雨で流されたのだろう。顔を汚したシルバーが、先程火の壁が遮っていたところから、急ぎ足にこちらへ向かって来ていた。何があったのか、その顔はサクラでも分かるような悲痛の面持ちで、声色も何処か強張っているように感じる。

 彼は横たわるバンギラスを一瞥すると、周囲を警戒。

 敵が居ない事を確認して、サクラの許へ。

 ルギアの姿を一度改めると、しかし彼はその存在に言及せず、傍らで腰を下ろした。

 サクラの肩を抱き寄せて、頭をぽんぽんと叩いてくれる。濡れた手は決して温かいとは言えなかったが、その大雑把な労いは、何よりもサクラの心を温めてくれるようだった。

 

「すまない。時間がかかった」

 

 シルバーの目は、サクラからレオンやルーシー、ウツギ博士へと移る。

 既に巻いたニットの切れ端から血を滲ませているレオンを見やり、一度、二度と、浅く頷いた。

 

「怪我が酷いな。サクラは急ぎヨシノに向かえ。ルギアは……使えるのか?」

 

 ちらりと頭上を見上げるシルバー。

 サクラも倣ってルギアを見やれば、彼は浅く頷き、『尽力しよう』と返してくる。

 その声はサクラにとって明らかなものだったが、しかしシルバーは怪訝な顔でこちらを振り向いてくる。そこで漸く彼に聞こえていない事を悟って、大丈夫だと回答した。

 

「空を飛んでいけ。有事だからライセンスは気にしなくて良い。ルギアを人の目に留めたくなかったが……そうは言っていられないだろう」

 

 シルバーの言葉に、サクラはこくりと頷いた。

 何故人の目に留めたくないかは、言わずと知れる。それをおして尚、許可をくれるのは、シルバーがここに留まらなければいけないからだろう。彼の立場上、こんな未曾有の被害を放ったらかして避難が出来る筈もない。

 ふとすればどっと疲れたように身体が軋んだものの、何とか堪えて立ち上がる。

 その様子を見たシルバーは、よしと頷いた。

 

「ヨシノに着いたら、ポケセンに行って、ワカバが壊滅的な被害を負ったと伝えてくれ。ただ、町人に被害はない。避難用のポケモンを寄越すだけで構わないと」

 

 そこでサクラは驚いて、目を丸くした。

 

「皆……無事、なんですか?」

「ああ。ワカバに居たのは、ウツギ博士だけだったらしい」

 

 あの勢いで燃えていたのにも拘わらず、避難が完了していたのか。

 いいや、そんな事ある訳ない。だったら消火が間に合っている筈だ。

 あの仮面の女だって殺したと言っていた。

 そこまで思い至って、それを口にしようかと逡巡する。今はそんな事を話している暇は無いし、仮に気休めだったとしたら、真実を暴くのは自分の心に手痛いダメージを負うだけだ。だけど、到底信じられない事を気休めで言う程、シルバーは馬鹿ではないようにも思う。

 そんなサクラの考えはお見通しだったのか、シルバーはちらりとワカバを振り返り、「大丈夫。嘘じゃない」と、小さな声で零した。

 

「その証拠……にはならねえが、ほら」

 

 そう言って、彼は上着のポケットから、板のようなものを寄越した。

 促されるままそれを受け取ったサクラは、胸がぎゅっと締め付けられるような心地になった。

 両親と、幼いサクラが共に映るフォトスタンド。

 誰が疑っても、誰が馬鹿にしても、サクラの両親がヒビキとコトネであったと示す家族の証。

 受け取ったサクラは、余った手で震える唇を覆う。ふとすれば、何時の間にか止まっていた涙が、ドッと溢れてきた。確かに町の皆が無事である証にはならないが、サクラの一番大事なものが救われていた事は、何より嬉しい報せだった。果たして、何でシルバーがこの写真を持ってきたのかは分からない。偶然、燃え落ちる家から見付けてくれたのだとしたら、何という奇跡か。

 

「あり、がとう……ございます」

「気にするな。何があったかは落ち着いたら話そう。だから今は、大事な家族を守れ」

 

 背中を軽く叩かれて、サクラは深く頷く。

 折角両親との絆の証を守って貰ったのに、大事なポケモン達やウツギ博士を喪ってはたまらない。

 溢れ出る涙を手で拭う。

 フォトスタンドを鞄にしまうと、自分の頬を両手で張った。

 散らかした荷物を纏め、レオンとルーシーをボールに戻す。傷付いたバンギラスについては、後でシルバーが自分の手で連れて行くらしい。気にするなと言われた。

 ルギアに向き直り、背を貸して欲しいと頼む。『喜んで』と、快諾してくれた彼は、サイコキネシスでサクラやウツギをふわりと浮かせ、その長い首元へと誘ってくれた。

 

『わたしが主を落とす事は無い。その老人も背中で寝かしたままにしておくと良い』

「分かった。ありがとう」

 

 飛翔する前に、シルバーを振り返る。

 彼はサクラを見て、力強く頷いてくれた。

 

「バンギラス……傷付けちゃってごめんなさい。だけど、その子のおかげで、わたし、助かりました」

「ああ。分かった。後で労っておく。後で連絡する。サクラの身に起きたことも、その時に聞かせてくれ」

「はい。分かりました」

 

 ルギアが外に出ている事。

 バンギラスが倒されている事。

 聞きたい事は山程あるだろうに、それらを全て忘れたように見送ってくれるのは果たして何故か。それは彼の優しさなのだろうか。分からない。ただ、それがサクラにとって一番望ましい事なだけが、確かだった。

 飛翔する。

 空へ上がれば、ルギアの乗り心地はオンバーンと比べ物にならない程、快適なものだった。

 

 白銀に輝く伝説のポケモンが、空へ舞い上がる。

 重苦しい曇天を抜けて、やがてその影が西の快晴の空へ小さくなっていけば、見送るシルバーの後ろから、小さな足音。ルギアが去った事により、雨乞いの影響が薄らいだのだろうか。ぬかるんだ大地を抉る足音は、雨音より鮮明だった。

 その気配を確かに感じ取り、しかしシルバーは振り返る事はせず、ゆっくりと唇を開く。

 

「これで良かったのかよ。ヒビキ」

 

 すると、足音がピタリと止んだ。

 やおら振り返れば、黒いコートに身を包む男が一人。深くフードを被っており、前のボタンも一番高いところまでしっかり閉じられているので、目元しか確認出来ない。先程まで火に包まれていたワカバから出てきたというのに、服が焼かれた様子も、灰を被った様子も無かった。

 その澄んだ黒い眼は、西の空を焦がれるように見ていた。

 

「ああ、ありがとう」

 

 小さく零された声は、分厚いコートを通して、くぐもって聞こえる。

 その素直な言葉に、シルバーは「ふん」と嘲笑を一つ。身体ごと町へ振り返ると、上着を捲ってハイパーボールを取り出す。歩きながら倒れ伏したバンギラスを回収し、男に目もくれずワカバタウンへ入っていく。

 

「さっさと避難させた奴等のとこに案内しろ。ぶん殴るのはその後だ」

「はは。それは怖いね」

 

 男の飄々とした声は、しかし今に泣きそうな程、弱々しく聞こえた。

 シルバーは舌打ちを一つ。

 そんなに逢いたきゃ、逢えば良いものを。

 そうは思ったが、それを口にする事は無かった。

 あの大火が嘘のように鎮火したワカバを行く。

 真っ黒な消し炭が雨に打たれ、大地には黒い水溜まりが幾つも広がっていた。吹き抜けていく風も相応の臭気を纏っていて、実にほろ苦い。

 それはふと、隣の男が泣いているようにも感じられた。

 




前書きの通り、この話をこの章に引っ付けた方が分かり易かったので、少しばかり調整しました。自らの構成力の無さを露呈させる事になるなと迷っていたのですが、実際無いのだからしょうがない。

プチコーナーについても気が向いた時に活動報告でやろうかなと。
茶番は長々と書きたいものの、あとがきでやるとなんか見栄え悪いですので……。


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Chapter2 真実は暴力。屈する勿れ。
Section1


 がやがやと騒がしい音が、ロリータチックな部屋を世俗に染める。

 『ええ加減にせえよ!』というわざとらしいコガネ弁と共に、男が傍らのリザードンの尻を蹴った。とすれば、怒ったリザードンは彼に向けて口腔を開き、ぼうっと炎を吐く。髪を燃やされて、彼はぎゃあと悲鳴を上げた。

 くだらない。

 実にくだらない。

 テレビの中で繰り広げられる三文芝居を見て、少女は大きな欠伸をした。身を呈した男の芸を、つまらないと一蹴。落語家は欠伸をされて首を吊るものだが、芸人は今正に、画面の向こうで大炎上していた。それはもう無惨な姿である。髪が燃え尽きても、少女の表情は冷ややかなまま。この寒暖差が電波を隔てている事が、彼にとって唯一の救いだろう。事実、テレビの向こうでは割りとうけている。

 少女は溜め息を一つ。

 緩いウェーブがかかった桃色の長髪を揺らし、ソファーに深く掛けていた身体をゆっくりと起こした。「ふああ」と、小さな欠伸をすれば、首を左右に傾けてぽきりぽきりと音を鳴らす。大して肩が凝るような体型でもないのに、大袈裟に肩を回して身体を解した。

 小さな掛け声と共に、身体を前屈させ、ソファーの前のガラステーブルへと手を伸ばす。そこにあるリモコンを取り上げて、テレビに向けた。

 少女の前では哀れでしかない芸人は姿を消し、別の画面に切り替わる。次の画面では、男が数枚の紙を手に、こちらへ向けて極々真面目な顔をしていた。しかし『続いてのニュースです』という言葉は、最後まで聞かれなかった。続いて映ったのは、『カントー地方のヤマブキシティから』と言う女性レポーターの姿。これまた少女の御眼鏡には適わない。次も、その次も、彼女の好奇心を(くすぐ)る番組は無かった。

 やがて音も無く、テレビは消灯。

 ぷつんという音が聞こえた気になるのは、気のせいだ。ブラウン管テレビの時代はとおの昔に終わった。

 リモコンをテーブルの上に戻し、少女は小さな手を組んで、頭上へ。彼女が小さくあえげば、傍らでぴくりと動く一匹のポケモン。少女の身動(みじろ)ぎか、あえぎによって、眠りから覚めたらしい。一度瞼が開けば、まどろみをすっ飛ばしたかのように、ぱちりぱちりと瞬きをした。その身体がゆっくりと起き上がれば、少女も気が付く。

 

「あら。ごめんなさい。起こしてしまいましたか?」

 

 少女は文字通り子供のような高いソプラノで問い掛けた。

 詫びる言葉こそあるものの、その表情は何でもない事を話しかけるかのような様子。問われたポケモンは、頭部の後ろに伸びる顎のような角と、顔にある本物の小さな口で同時に欠伸。「チィ」と短く鳴いて返事を寄越す。

 主人である少女と同じように、華奢な身体をしたポケモンだった。彼女の不躾けな謝罪を全く気に留めていない様子で、小さな手足を目一杯に伸ばし、やがて一息。何気ない様子で主人の方へ向き直ると、彼女の細い腕をお店の暖簾のように捲り上げて、膝の上へ登った。

 向かい合う形が少女が抱き留めると、そのポケモン、クチートははにかむように笑った。

 

「チィ」

「全く。長いお昼寝ねぇ」

 

 呆れたように、少女は苦笑する。

 口ではそう言いながらも、彼女はクチートの頭を優しく撫でた。気持ちよさそうに目を瞑る相棒の様子に、彼女はくすりと笑って、「お散歩でもします?」と、優し気な声で提案。クチートは「チィ」と鳴いて、片手を挙げた。

 少女がちらりと視線をやれば、その先に綺麗な花柄の遮光カーテンがきちんと脇に纏められた大きな窓。外は鮮やかな茜色をしており、西の空は綺麗な快晴だった。

 クチートを脇に下ろして、部屋の入口脇にある姿見の前へ。

 見慣れた自分の姿は、何とも子供っぽい。

 鮮やかな桃色の髪は綺麗だと褒められるが、身の丈一三〇センチに及ばない小柄な体格と合わされば、まるで幼子が抱く人形のよう。精悍な顔立ちをした両親の素質をこれっぽっちも受け継がなかった顔は、正しく無垢な童顔。大きな目に、小振りな鼻と唇。友人から『ロリコンホイホイ』と言われるのも仕方がない。

 毎朝モーモーミルクを欠かさないのに、縦にも横にも伸びない身体。まな板と言う他ない胸囲も最早そうある事が当然のようだった。

 とはいえ、自分の体型なんて見慣れたもの。一四歳の今日に至るまで向き合い続けたコンプレックスの果ては、最早自分はロリであるべきだという開き直りまでみせ、この日もイッシュやカロスにありがちなロリータの服を着ていた。一応、余所行きでも通用するように、ドレスとまではいかないワンピース。白いフリルがふんだんにあしらわれた桃色が基調のもので、春の季節にも、自分の髪色にも、ばっちり合った代物だ。

 少女は服に可笑しな皺が寄っていない事を確認すると、腰まで伸びた柔らかな髪を襟足から強引に掻き上げる。そのまま手首についていた黒いシュシュで纏めてしまえば、顔周りの印象がすっきりして、春らしい爽やかな雰囲気になった。

 

「まあ、良いでしょう」

 

 身体を左右に捻って、最終確認を終え、少女は小さく頷いた。

 足許で彼女と同じように見た目を気にした風にしているクチートをちらりと見ると、鏡越しに察したのかこちらを振り向いてくる。

 と、そんな折だった。

 コンコン。

 と、部屋を叩く音。

 

『アキラお嬢様! よろしいですか?』

 

 扉の向こうから聞こえてきたのは、聞き慣れた侍女の声だった。

 アキラと呼ばれた少女は、短い返事と共に、すぐ近くにあるドアノブをその手で握り、扉を開けた。するとそこには、この家に仕えて一五年にもなる見慣れた侍女の姿。

 よくあるメイド服を着ているが、それはこの家に仕える五人の侍女が皆着る制服だ。その女性の特徴と言えば、顔に若い頃のそばかすが残ってしまっている事と、婚期を逃している事。如何にもそれっぽく、休憩時間はニュース番組を見ながら、支給品の煎餅をかじっているような人物だ。一応、アキラの世話が担当なのだが、彼女が手のかからない子供になってから随分と経つ。今ではアキラの部屋の掃除等、身の回りの世話ばかりで、勤務時間の多くを給仕室で過ごしていたりする。

 そんな彼女だからこそ、アキラが呼ぶでもなく、決まった時間以外で、彼女の許を訪ねてくるのは割と珍しい事だった。とはいえ、この辺りでは有名な名家でこそあれ、アキラの家は決して貴族の類ではない。カロスで見られるような侍女のマナーも無いので、不躾な訪問を別に咎めやしなかったが、怪訝にこそ思う。

 顔を青ざめさせていたので『何かやらかしたのか』と、思ってしまったのだ。

 

「た、大変なんです」

 

 とすれば、侍女は大層な前置きを用意した。

 この前、同じようにして訪れて来た時は、アキラが演技が上手いと絶賛していたポケウッドのアイドルが結婚したという事だったか。演技を褒めていただけなのに、勝手に彼女の中でアキラはそのアイドルの熱狂的なファンだと思われていて、『おいたわしゅうございます』なんて言われた。

 その前も、そのまた前も、似たような事案だった。

 ややげんなりする心地でどうしたのかと問えば、彼女は唇をわなわなと震わせながら、報告した。

 

「わ、ワカバタウンが……火事で、全焼って……」

「はい? 今、なんて?」

「だ、だから、お嬢様のお友達の居られるワカバタウンが、火事で無くなっちゃったんです!」

 

 まさかまさかの本当の大事件だった。

 アキラは目を見開いたまま、顎に手を当てて俯く。

 今しがた聞かされた話を、今一度反芻する。侍女が何か言いたそうにしているが、手を差し出して制止した。

 火事で全焼。ワカバタウンが無くなった。

 アキラはやや面を上げて、指を一本だけ差し出した。

 それは一つ一つ確認を取るから、ゆっくり答えるようにという二人の決まったやり取りだった。

 

「町人の被害は?」

「まだ、分からないと」

「何処で知りました?」

「テレビのニュースです」

「あの子の家も燃えてるの?」

「ニュースの映像だと、無事な建物はありませんでした」

「そう……」

 

 決まり事が功を奏して、情報がきちんと整理された。

 長年アキラの身の回りの世話をしてくれているその侍女は、あわてんぼうではあれ、決して無能ではない。必要な情報はきちんと押さえた上で、報告してくれる。その真偽は疑うまでもない。

 無事な建物が無いという事は、おそらくアキラの親友の家は燃えてしまっている。

 安否確認が取れていないのは、火事だからか。

 何にせよ、テレビの情報では時間が掛かり過ぎる。無事でいてくれる事は願うしかないが、無事なら無事で、帰る場所がなくて困っているかもしれない。

 考えを纏めると、アキラは毅然とした顔付きで、面をしっかりと上げた。

 

「確認を取るから、下がって結構よ。このまま出掛けるかもしれないから、お母様とお姉様によろしく伝えて」

「畏まりました」

 

 ここに至って食い下がるような侍女ではない。

 まだ焦燥感を残す顔付きをしていたが、アキラの指示を受けるとぺこりとお辞儀して、丁寧な動作で扉を閉めた。

 アキラはふうと息をついて、足許に視線を落とす。

 黙ってやり取りを見ていたクチートは、長く飼われていた事もあって、会話の内容を察した様子。その顔に先程までの柔らかな表情は無い。

 

「ごめんなさい。ウィル。散歩は暫く出来そうにないわ」

「チィ」

 

 クチート、もといウィルの短い返事を聞きながら、ベッドへと向かう。

 枕元で充電器に繋がれたままのPSSを取り上げた。

 もしも本当に、親友が火事にあっている確証があれば、アキラは今頃大慌てで支度して飛び出している。取り乱していない理由は、そのPSSに残っていた。

 メールを開き、文章を一瞥する。

 それは親友の家で毎年行われている花見への招待状。去年、一昨年と時間がとれず、今年は久しぶりに参加する事にしたのだが、その日程を少し早めたいという提案だった。その文末に、今はヨシノシティに居るという近況報告があり、その翌日である今日、ヨシノ近郊に引っ越してきたらしいポケモン協会の会長に会いに行くという話があった。

 つまるところ、何等かのアクシデントが起こっていない限り、彼女はヨシノシティ近郊に居る筈。火事には合っていないだろう。まあ、そうであったとしても、故郷の火事とは気が気でない筈だ。あそこには親友にとって何に代えがたいものや、家族のような人達がいる。

 取り乱しているかもしれないから、こちらが落ち着いておかないと。

 アキラは小さな深呼吸を挟んで、PSSの通話ボタンを押した。

 呼び出し音が一度、二度。

 建物を燃やし尽くす程の火事だとするのなら、今のワカバタウンは圏外の可能性が高いだろう。きちんと呼び出すあたり、ワカバ近郊にはいないようだ。一先ずそれに安堵して、応答を待つ。

 程なくして音が途切れた。

 

「もしもし」

『もしもし……』

 

 返ってきたのは、間違いなく親友、サクラの声だった。

 やはり酷く気落ちしているようで、声色は低く、聞き取り辛い程。しかし、それも仕方ない事。

 何だかんだ少しばかり緊張していたアキラは、彼女にそれを伝えないようゆっくりと息をついてから、改めて唇を開いた。

 

「突然ごめんなさいね。今、ワカバの事を耳にしたもので」

『うん』

 

 明るすぎず、暗すぎず。

 そんな風に気遣ってみるものの、サクラの声はやはり暗い。

 とはいえ、励ましなんてものは気休めにしかならない。するつもりもなかった。

 アキラはベッドに腰を下ろして、先に腰掛けていたウィルを撫でた。

 

「その様子だと、知っているのね」

 

 視線を適当な場所へ向け、思考回路を会話だけに専念させる。

 自分はよく物言いがきついと言われるので、不意の一言で親友の傷を抉らないように、ゆっくりと言葉を選んだ。

 とすれば、電話の向こうでも、同じように言葉を選ぶような声が聞こえてくる。

 

『んー……知ってるっていうか、見てきたと言うか』

 

 見てきた? ワカバを?

 ヨシノ近郊からワカバまで徒歩で一日は掛かる。空を飛ぶでも使えるポケモンがいれば話は別だが……。

 と、そんな事を考えていれば、『えっと』という言葉が続いてやって来る。一先ず疑問は後回しにした。

 

『今ね。ヨシノのポケモンセンターなの。レオンとルーちゃんに無理させちゃって。ジョーイさんの見立てだと、レオンは一週間は入院だって』

「一週間!? 重症じゃない。何があったのですか」

 

 軽傷ならあっという間に治してくれるポケモンセンターで、入院が必要な事自体が稀な事。ポケモンの治癒能力の一任しなければならない病気ならまだしも、彼女の口ぶりからしておそらく外傷だろう。

 あまり治療の仕組みに関して詳しくはないが、余程致命的でない限り、皮膚の治癒能力を活性化させる装置で事が足りる筈。それが出来ないとすれば、あまりの深手で手術が必要な場合や、体内に何かしらの異物が入ってしまった事だろうか。どちらにせよ、彼女よりずっと長くポケモンと暮らしているアキラですら、経験がなかった。

 サクラはふうと息をついて続けた。

 

『それが……ね』

 

 ぽつりぽつりと、事情を話してくれた。

 ポケモン協会の会長であるシルバー宅を訪れたサクラは、彼のオンバーンに乗って帰る事になり、その最中でワカバの火災に気が付き、彼と共にワカバへ向かった。

 しかし、ウツギ博士を避難させる為にシルバーと別れた後、怪しい女に襲われ、サクラとウツギを庇った二匹と、シルバーから預かったバンギラスが負傷した。そのまま殺されるかと思った時、一〇年前に彼女の母が残して行ったマスターボールから、『ルギア』というポケモンが覚醒。サクラの窮地を救ってくれただけでなく、雨乞いによってワカバの火を消してくれた。

 それからルギアに乗ってヨシノへ避難したが、その際ちょっとした騒ぎになった為、これの対処に追われてしまい、今しがた漸く落ち着いたところだったそうだ。

 アキラが電話をしたタイミングは、良くも悪くも彼女の疲れがドッと出てきた頃だったらしく、元気が無いのは主にそのせいだとか。驚く事に、シルバーの話では、ワカバの住人は皆避難出来ていたらしい。ウツギ博士もヨシノの病院に搬送され、意識不明で面会謝絶の重症ではあるが、命に別状はないそうだ。

 説明を聞き終えたアキラは、少しだけ俯いた。

 

「それは大変でしたね。正直なところ、無事ではあると思っていたので、まさかそんな事態になっているとは……ごめんなさい」

 

 謝るのも違う気がするが、そうとしか言えなかった。

 とすれば、電話口の向こうから、ごそごそと物音が聞こえる。

 

『ううん。こうして電話掛けてくれただけでも、嬉しいよ』

 

 どうやら首を横に振っているらしい。

 疲れ果てたような声色だが、その表情はきっと薄い苦笑を浮かべているのだろう。

 見えずとも分かってしまう事が可笑しくて、アキラもふっと苦笑した。

 しかしながら、無事な事を確認すれば、新たな問題が挙がる。元よりそれを確認しようと思っていたアキラは、やや沈んだ気持ちを切り替えるように息をつくと、「それはそうと」と話を変えた。

 

「コトネ様のポケモンがどうこうというのはさて置いて。貴女(あなた)、これからどうするつもりですか?」

 

 本当なら彼女に実家の事を思い出させてしまうのは避けたかったが、こればかりは仕方がない。生きている彼女にとって、生活スペースは必ず必要になる。

 肝心な部分を端折った言葉だったが、意図は伝わったらしい。

 すぐにサクラは答えてくれた。

 

『うん。えっと、本当はワカバに戻ったら支度してお父さんとお母さんを捜す旅に出ようかなって思ってたんだけど……どうしようかな。あはは』

 

 乾いた笑い声が痛々しい。

 そして、答えてはくれたものの、結局何も浮かんでいない様子だった。

 

『帰る場所は無いし。ただ、ヨシノって旅支度を整えるには丁度良いんだけど……うーん……』

 

 まあ、そりゃあそうだろう。

 旅に出たいというのは、きっと今日の今日思いついた事だと、話の流れで何となく察せる。支度の為にゆっくり落ち着く場所が無いという点で困っているのも、すぐに分かった。

 ならば簡単だ。

 アキラは事も無げに提案する。

 

「必要なら迎えに行きますわよ? わたくしの家なら、遠慮もいらないでしょう」

『ありがとう。でもね、実は旅に一緒に出ようって言ってくれた子がいて。その子が近くに住んでるから、ヨシノを離れるのもちょっと考えもので。どの道レオンが入院してるし』

「あら、そう……」

 

 振られてしまった……。

 まあ、本当に今日の今日考えた事だろうし、親友である自分に相談が無かったのは仕方がない。先程の事情の説明にも、シルバーとサクラの両親がライバルだったという話があった。それを考慮すれば、彼の話を聞いて心が決まったのだと思うし、それから今初めて連絡を取っているので、今が正にその相談である事は確かだ。

 ただ、何だろう。

 ちょっとばかり寂しく思う。

 でもまあ、いじめられっ子だった彼女に、旅を共にしても良いと思うような友達が出来た事は、純粋に嬉しい事。イトマルを持ったクラスメイトに追い掛け回されていた頃からすると、人間不信もよくぞここまで治ったものだと思える。

 あくまでも、親友が泊まりに来るチャンスを逸して、残念なだけだ。

 

「では、必要なのは日用品ってところですね」

『うん?』

「顔を見たいので、一度そっちに行きますわ」

 

 だったらもう、逢いに行けば良いだけ。

 どの道花見に行くつもりで予定は空けていたし、その予算を彼女に援助したって構わない。こんな時に助けてあげないで、何が親友か。

 とすれば、彼女は遠慮したような言葉を吐いたが、それこそ言語道断。逆にアキラが同じ立場なら、遠慮なく助けて貰うし、助けて欲しい。それは親友だから言える事だ。

 

「あまり心配させると、次に会った時ぶっ飛ばしますけど、それでも良いの?」

『そ、それはヤダ……』

「なら、大人しく助けられなさいな」

『うん……』

 

 それから必要なものを聞くと、早く休むよう忠告してから電話を切った。

 必要なものは主に衣類。選ぶセンスは一任してくれた。

 ヨシノへ向かう前に、コガネのブティックで揃えて行ってあげれば、良いものを用意出来るだろう。

 よしと頷いて、アキラは立ち上がった。

 

「善は急げ。すぐに出ますわよ。ウィル」

「チィ」



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Section2

 ワカバタウンの大火事から三日が経った。

 一つの町が丸ごと燃え落ちるという衝撃的なニュースは、今もトップニュースとして世間を騒がしている。シルバーがサクラに言った通り、ウツギ博士を除いた住人は皆無事のようだが、それを含め実に不可解な点が多い事件だった。

 町一つを半日で焼き払った大火にしろ、そしてそれをものの数時間で消火した大雨にしろ、人為的に引き起こす事は不可能に近く、誰がどう見ても並みのポケモンの仕業ではなかった。おまけにトージョーの滝の近くで倒れているところを発見された住人達が、全員揃って火事の記憶がなかったというのだから、余計に質が悪い。

 現在、ワカバタウンは立ち入り禁止になり、未だ賢明な調査が行われている。

 警察機関やポケモン協会が総出で出火原因を突き止めようとしているらしいが、おそらく判明は出来ないだろう。原因になるようなポケモンは限られており、それらのポケモンに対する調査が、そもそも完了していないからだ。照合するものがないのだから、特定も出来る筈がない。一部のニュースでは、伝説級のポケモンの仕業ではと憶測で論を交わしていたようだが、具体的な名前は何一つ挙がらなかったそうだ。

 『そうだ』というのも、サクラは火事からこちら、ニュースを殆んど見ていなかった。それらの多くは、サキがメールで教えてくれた内容だ。

 燃え落ちたワカバの様子を見たいとも思わなかったし、見知った顔が皆無事であると分かれば、他に得たい情報も無い。重要な事が分かったらシルバーが連絡をくれると言っていたし、何より他人事なコメンテーター達の発言に腹を立ててしまう自分が情けなかった。一度だけヨシノのポケモンセンターにあるテレビで見た後は、なるべく避けるようにしていた。

 いいや、何もそれだけが理由ではない。

 あくまでも状況的に、仮に火事の原因が伝説級のポケモンであるとするなら、誰が疑われるのかは考えるまでもないだろう。コメンテーター達が伏せた名前が、伏せられなくなってしまう事が、何より怖かった。

 

『幸い、サクラの存在はあまり広くは周知されていない。お前がワカバの件に関わらなければ、報道陣に追い回される事にはならないだろう。ルギアの件もある。酷な言い方だが、お前はワカバの件に首を突っ込むな。名前を出すなと圧力はかけたが、それも何時までもつか分からん』

「わかりました……」

 

 電話口の向こうから聞こえてくるのは、低い男性の声。

 多忙な中で時間を見付けてくれたのか、要件だけ話すと『また連絡する』と言って、向こうから切られてしまった。

 虚しい終話音を聞きながら、サクラはゆっくりとPSSを耳から離す。

 借りた個室のベッドに腰掛けたまま、ふうと息をついて膝の上に下ろした端末をぎゅっと握りしめた。

 ポケモンセンターの貸し部屋は、ベッドとサイドテーブルがあるだけ。四畳半という狭いスペースには、何の生活音も無い。終話音がほんの少しだけ響いて、やがて消えた。

 人間、誰しも、やり場の無い憤り程、苦しいものはない。

 ワカバタウンが失われた事に対する憤りは、犯人が判明しない限り、矛先が政府や警察機関へと向いてしまう。それとなく人柱を立てて、やり過ごすのが、社会の仕組みなのだろう。それに最も近いのが、サクラの父であるというだけ。

 学生時代に受けた虐めもそうだった。

 自分が標的になりたくないから、少しだけ普通と違う身の上のサクラが標的にされたのだ。その殆んどは親友が解決してくれたが、そうしたら今度は別な誰かが標的になっていた。それを教師が解決すれば、また別な誰かが虐められる。まるでいたちごっこのように、虐めは無くならなかった。

 人間という生き物は、そういう風に出来ている。

 ヒトとは四角よりも丸が好きな生き物。だから四角から角を取れば丸くなるように、色んなものを追い出して、角を取り、究極の丸を目指す。一つの教室に何十人もの子供が押し込められれば、自然とその中で中心に立つ子供がおり、その子を中心とした人間関係の四角が出来上がる。それの整形が虐めや迫害という形で行われているだけだ。

 虐めの原理について、ウツギ博士はそう言っていた。

 その話は少しだけ続き、『丸は色んな方向に分け隔てなく愛を与えられる関係だが、大人になるにつれ丸の形は崩れてしまう。結婚したり、子供が出来たり、ね』として、『だから、丸に疑問を持つのは、少しだけ大人になれた証拠じゃないのかな』なんて、サクラを撫でてくれた。

 その話はサクラの心に大事なものを育て、自分の生まれ育ちを恥じない人間へと変えたものだが、果たして今のサクラの立場をウツギ博士が見たら、どんなアドバイスをくれるのか。未だ面会謝絶の彼が、脳裏に浮かぶ。

 両親の事を関係ないとは言わないだろう。

 だけど、泣き寝入りしろとも言わない筈だ。

 だとするなら、サクラが今抱えるこの憤りは、一体何処へ向ければ良いのか……。

 思考がどん底に落ちていく感覚を覚えた。

 あの日、より酷い心境の中、出会った能面の仮面を被った女を思い出す。

 まさかサクラを襲ったあの女の存在を口にしたところで、誰が信じてくれる訳でもない。一応、シルバーには報告したものの、その存在が未だニュースに挙げられていない以上、あの女の正体は殆んど分かっていないのだろう。そもそも、サクラを襲いこそしたが、あの女が火を放った犯人とも限らない。結果だけ見れば、あの女に抗ったサクラがルギアを覚醒させ、町の火を消した。もしもそれが狙いだったとするなら、あの女は敵に見えて、敵ではなかったのかもしれない。

 よくよく考えれば、あの女の言動は腑に落ちない点が多かった。

 まるで自分がワカバの人間を手に掛けたような物言いで脅しかけてきたが、結果的に誰も死んではいない。あのレパルダスの練度を考えれば、殺されていて不思議じゃないサクラのポケモン達も、重症だったレオンですら後遺症の心配が無かった。考えれば考える程、あの仮面の女から悪意というものが感じられなかった。

 そんな風に考え込んでいれば、『リィーン』と、鈴が鳴る。

 ハッとしたサクラは、地べたに置いた鞄を見やる。すると閉じられたべろの内側から、仄かな白い光が漏れ出ていた。

 

『主、あの女は決して良いものではない。次に現れたとしても、気を許すな』

 

 サクラの思考を読んだような言葉に、目をぱちぱちと瞬かせる。

 小首を傾げて、サクラは疑問を口にした。

 

「あれ? わたし、声に出してた?」

『否、主の心が弱っているのだろう。どうも薄く聞こえてくるのだ』

 

 一応、テレパシーと呼ばれる能力は持っているが、ボールの中では上手く使えない。本来なら、鈴を通して見聞きするのがやっとだ。

 ルギアはそう補足した。

 成る程。

 原理は分からないし、聞くつもりもなかったが、確かに、今のサクラは心が弱っているのかもしれない。

 故郷が燃えただけでも辛いのに、その犯人が自分の父親である可能性を吹聴されて、悲しくない筈がなかった。どちらかというと、後者の方がよっぽど堪えている。

 気力が湧かないとは、きっと今のサクラの状態を表すのだろう。

 昼過ぎにアキラと合流する予定なので、小一時間したら部屋を出ねばならないのだが、出来れば貸りた部屋でじっと引き籠っていたいとさえ思っている。あまり人に会いたい気分でもなかった。

 そう考えると、今は丁度良いかもしれない。心を読まれるのは恥ずかしいが、少しでも気が紛れれば、父や故郷の事を考えずに済む。

 個室の壁は薄いし、廊下は定期的にジョーイが巡回している。独り言をぼやいていると思われたくなくて、今まで彼とゆっくり話す機会が無かったが、声を出さなくて済むならば実に良い機会だろう。

 サクラは心の中で『続けて』と念じた。

 呼応するように、鞄の光が少しだけ強くなった。

 

『あの日、あの時、わたしは長く封印されていた所為か、本調子ではなかった。だが、それでも分かる程、あの女の殺気は明確だった。故に、わたしはあれを排そうとしたのだ』

 

 確かに、ルギアは誰の指示もなく、破壊光線をぶちかましていた。

 あの時のサクラは彼に指示を出すという事さえ頭に無かったが、その後の言動を見る限り、彼はサクラの意思を尊重してくれている。仮にあの女から敵意が感じられなければ、攻撃をせずに状況を見守っていたかもしれない。その方が情報を得られる可能性もあるし、有益だろう。

 一先ず、仮面の女に対する事は了解した。

 あの日の事を精査するのは大事だが、それより優先したい事があった。

 ふうと息をついて彼女に関する事を一度、思考の端っこへ寄せてしまうと、「それはそうと」と口にして、改めて別な事を考えた。

 ルギアは一体どんなポケモンなのか。

 と、そこまで考えて、ハッとして言葉を書き換える。

 自己紹介するなら自分から。

 しかし、今度はその言葉に対して、彼が自己紹介もなく自分を『主』と呼んでいて、やたらと慣れた調子である事が気にかかる。そういえば、彼とは初対面だった筈なのだが……と、今更ながらにあの時の不思議な出会いを思い起こした。

 

『うむ。確かに。主からすれば当然の疑問か。初対面でいきなり幾久しく等と言うのだから、まるでストーカーであるな』

 

 仰々しい言葉遣いではあれ、えらく世俗染みた事を言う神様だった。

 そんな感想を持てば、ルギアは満足気に『うむ』と零す。きっとマスターボールの中で頷いていると思えるような、やけに親近感を覚える抑揚だった。

 鞄の中で鈴が光を強めていた。

 それは彼の感情の昂りを表しているように感じた。

 

『多く勉強した故に。テレビというものは、何とも知識の宝庫よ。今の主には腹立たしいかもしれぬが』

 

 思わぬ単語が出てきて、サクラは目をぱちぱちと瞬かせる。

 テレビ? この神様はテレビを見ていたのか?

 いいや、そんな訳ない。シルバーの話によると、彼はウツギ研究所でずっと封印されていた筈なのだ。テレビを見られるような状況なんて何処にあるのか。そもそも研究所にはテレビが無かった。

 そう思えば、ルギアはくすりと笑ったような声を返してきた。

 

『主よ。貴女は勘違いしている。わたしがテレビを見ていたのは、貴女の家での話。わたしは鈴を通して、貴女をずっと見ていた』

「…………」

 

 マジか。

 いや、マジか。

 つまり、サクラが博士から鈴を預かった一〇歳の頃からこちら、彼はサクラの生活をずっと見ていたのか。

 卵焼きを作ろうとして消し炭を作った事も、不意にテレビでイトマルの特集を見てしまって声を上げて家から飛び出した事も、田舎宜しく勝手に入ろうとしてきたお向かいさんをフライパンで迎撃した事も、全部知っているのか。

 

『うむ。一番最後のものはとても良い音がしたな』

「あぁぁぁ……」

 

 思わず小さな声をあげて、顔を覆いながら俯いてしまう。

 思い返せる恥ずかしい出来事の数々が、暴力のように襲い掛かってきた。

 辛い。恥ずかしい。ほんと、無理。

 

『そう言うな。人間、誰しも、寝小便くらいはするものだ』

「うぅぅーっ!」

 

 思い返せる内で最も恥ずかしい事を言われて、サクラは歯噛みしたまま変な声をあげて唸った。

 だってしょうがないじゃない。

 夢にアリアドスの大群が出てきたんだもの。

 お漏らしくらいするよ!

 っていうか、立派なストーカーじゃん!

 

『何を言うか。そもそも、主はドジが過ぎるのだ。何故風呂に入って着替えとバスタオルを部屋に忘れてくるのか。バスタオルは風呂場に置けば良いと、わたしは己の声が届かない事をこれ以上なく嘆いたぞ!』

「エッチ! すけべ!」

『助平も何も、主はこれっぽっちも胸囲が育っておらぬではないか』

「へ、変態! 失礼はあんたよ!」

『夜な夜な揉んでも大きくはならぬぞ!』

「うるさい! ばか!」

 

 唐突なルギアの暴露大会に、サクラは顔を真っ赤にして怒鳴りつけた。

 とすると、見計らったように部屋の扉がコンコンとノックされる。ハッとすれば『サクラちゃん。PSSの使用はもうちょっと声を抑えてね』と、外に居たらしいジョーイから注意されてしまった。

 咄嗟に膝の上にあったPSSを頬っぺたに構えて、「は、はーい。ごめんなさい」と、苦笑して返す。

 心臓がバクバクと音を立てていた。

 暫くして先程は聞き逃した足音が離れていく音を聞いて、サクラはムッとした顔を鞄に向ける。すると鈴は短く音を鳴らし、遅れてけらけらと笑う声が聞こえてきた。

 

『からかってすまぬ。しかし一つ訂正させて欲しい』

「何よ……」

 

 ジトーっと睨みつけながらも、真面目な調子に戻ったルギアの言葉を待つ。

 少し間を置いて、彼は続けた。

 

『わたしは主が一〇の頃より共に暮らしておるが、生まれてから四つまでの頃もずっと寄り添っておった。それからも研究所に主の気配がある度、わたしは密かに目覚め、貴女を見守っていた。貴女と逢える日を楽しみにしていた。本当だ』

 

 うずまき島の大沈没の際にルギアが我が家に来たとするなら、サクラが生まれたのはその後の話。両親が居なくなった後、鈴はサクラがキキョウの学校を卒業するまで、ウツギ博士が管理してくれていた。話の辻褄は合っている。

 ルギアはずっと、サクラを見守り、待っていてくれたそうだ。

 サクラにとって恥ずかしい出来事を一々覚えているのはどうかと思うが、しかし同じような愛情表現は母もやっていた事。何処か似通った雰囲気を感じてしまうのは、どうしてだろう。母が傍に居てくれたら、同じようにサクラをからかって、励ましてくれたのかもしれない。

 途端に熱くなる胸。

 ワカバが焼け落ちてからこちら、涙腺が緩くてかなわない。

 零れ出た雫を小指で拭い、「絆されないんだから。ばか」と、悪態一つ零して、少しだけ口角を上げて見せた。鞄の中からでは見えないかもしれないが、少しだけ元気が出た事は伝わっているだろう。

 

「じゃあ、少し質問していい?」

 

 もうジョーイに聞かれてしまったのだし構わない。少しばかり活力も戻ってきたので、何時ルギアがサクラの心を読めなくなるかも分からない。そう思って、敢えて口に出して問いかけた。

 ルギアが『うむ』と答えてくれると、サクラは沢山ある質問の中から、一番大事な事を選んだ。

 

「貴方は、どんなポケモンなの?」

 

 それだけでは漠然的過ぎる。

 サクラは種の事ではなく、個の事を教えて欲しいと補足した。

 するとルギアは暫く『ふむ……』と言って考えた風に黙り、やがて口火を切った。

 

『わたしは……かつて海の神と呼ばれたが、眷属の多くを守れなかった情けないポケモンだ』

 

 エンジュにある焼けた塔。かつて、それがまだ健在であった時、ルギアの祖先がそこに居た。しかし、焼けた塔が火事に見舞われ、塔を守護していたポケモンと一緒に、失われてしまった。ルギアの祖先は己の持つ力が大きすぎた故に、守護神達を死なせてしまったのだと嘆き、誰とも関わらずに済む深海へと潜った。

 祖先が永き眠りから覚めた時、多くのポケモン達が深海の神と慕ってきた。気が付けば再びそこで眷属を作り、新たな居場所を作り上げていたそうだ。

 やがてルギアが誕生した。

 祖先から伝わる教えを継ぎ、深海を己が守る場所だと信じて過ごしてきた。

 しかし、ある時。

 不埒な輩が、ルギアの眷属達を浚い始めた。

 それが食物連鎖の故であれば致し方無し。しかし、見慣れぬ恰好をした人間達は、必ず眷属を生け捕りにしていた。不審に思って未来予知で後を追ってみれば、その果ては眷属達が様々な実験の末、姿形を変えられ、酷く惨い死に方をするものだった。

 

『何と惨い事か……今思えば、あれは密猟者だったのだ。それも、大きな組織による犯行だった』

 

 ルギアは眷属を守る為、力を振るう事にした。

 己の力が強すぎる事は分かっていたが、神と慕ってきた眷属達が惨たらしく殺されるのを、ただ見ている事は出来なかった。

 一人、二人と殺す。

 深海に彼等の鮮血が漂えば、眷属はホッと安堵し、神であるルギアの慈悲に感謝してくれた。

 しかし、密猟者は後を絶たない。はじめは数人だったのが、次は戦えるポケモンを連れた人間もやってきて、一〇人、二〇人と、どんどん増えていった。その度にルギアは力を振るい、深海は鮮血に染まった。

 次第に眷属は狙われなくなり、標的はルギアへと向いていた。

 日に日に力を解放していく量が増し、気が付けば己の力の殆んどを解放する事も少なくなかった。しかし、それから暫くして襲撃は落ち着き、深海は平穏を取り戻した。

 とはいえ、眷属は皆傷付き、人の影に怯えきっていた。

 そんな彼等を守る為、襲撃が無くなった後も、人払いの為に戦う日々が続いた。

 そして、ある日のこと。

 ついにルギアと互角に戦う者がやってきた。

 それは先祖の話に出てきた七色の霊鳥。そして、失われた筈の湖の守護神。そんな稀有なポケモンを連れた二人の若いトレーナーだった。

 その者達は強く、ルギアがどれ程の力を発揮しても、挫ける様子は無かった。必死の形相でこちらへ何かを訴え、既視感のある鈴を掲げ続けていた。

 ルギアは必死に戦った。

 戦い続けた。

 しかし、その者等に敗北し、捕縛された時、己が何をやっていたかを、思い知らされた。

 

『見渡してみれば、眷属はひとりも居なかった。皆、逃げ出すか、死んでしまっていた。生まれて初めて地上へ上がった時、わたしは自らの聖域と、その周辺の町々を滅ぼしかけていたと知った』

 

 失意の底で途方に暮れた。

 祖先がようやっと見付けた安住の地。それを己の手で滅ぼし、慕ってくれた者達も、全て失った。己の罪深さと傲慢さが、身に染みて良く分かった。

 しかし、ルギア捕縛した人間の女は、そんな彼のボールを撫でてこう言った。

 

『よく頑張った。もう頑張らなくていい。あんたはもう、神様じゃなくて良い……これからは、わたし達が傍に居てあげるから』

 

 それはまるで憑き物を落とすかのように、傷だらけの心と身体に強く染みた。

 同時に、自身も血まみれ、泥まみれになっていながら、朝日を浴びて笑う女性の姿が、何と頼もしく映る事か。情けなく泣いているルギアに、大罪を犯した筈の神様に、赦しを与えた傲慢で稀有な人間。その人物こそ、サクラの母、コトネだった。

 それからルギアは、コトネと穏やかな日々を過ごした。

 コトネはルギアをバトルには出さず、何をさせる事もなかった。六番目のホルダーにぶら下げて、旅をするだけ。必要とされる事もなかった。あれ以来言葉が掛けられる事が無ければ、鈴を通して話しかけても、彼女には聞こえていない様子だった。

 しかし、それも仕方ないと、後で知る。

 

『その時、丁度母君の胎内に、主が居たのだ』

 

 やがてコトネはヒビキと二人、ワカバタウンに落ち着き、愛らしい女の子が生まれた。

 彼女はサクラと名付けられ、二人は勿論、二人のポケモンも彼女を愛した。ルギアもボールの中からだったが、彼女を目にかかる機会があった。その時、不意に生まれて来た子供へ鈴を通して挨拶をしてみれば、何と彼女はボールではなく鈴の方向を向いたのだ。まさかと思って、視線が別な場所へ移ったタイミングでもう一度話しかければ、やはり振り向いた。

 ルギアは驚いたものだ。

 コトネはルギアの声を聞く才能は無かったが、サクラにはその才能があったのだ。もしかしたら、母が持つべきだった才能が、娘に受け継がれたのかもしれない。とすると、彼女は自分の力を正しく使える可能性もある。そう思うと、それがコトネから受けた大恩を返す事になるのではと考えた。

 だが、そう上手くはいかないものだ。

 赤子から成長するにつれ、サクラに声を掛けても反応が薄くなっていった。

 多感な赤子は、生きる為に覚える事が多い。ルギアの声を聞く事は、不要な事だったのだろう。彼女が物心つく頃には、殆んど反応を見せなくなっていた。そして、ようやっと言葉を覚えた彼女が、自分に振り向いてくれる前に、彼女の両親が行方をくらまし、ルギアは休眠を強要する装置に入れられてしまった。

 

『それからというもの。わたしは途方に暮れた。しかしながら、暫く主の母君の傍に居たからだろうか……彼女の気質が移ったかのように、ならばわたしから寄り添えば良いと、様々な事を学習する事にしたのだ。そうして主が学校を卒業し、鈴が主に預けられたのだが……』

「うん。あの頃のわたし、ポケモン嫌いだったね……」

 

 サクラはそう言って、彼の言葉を引き継ぐ。

 鞄から取り出した鈴を優しく撫でてあげながら、ゆっくりと唇を開いた。

 

「そのリハビリ……じゃないけど、アキラから強引に渡されちゃったレオンとルーちゃん。ワカバに戻って、ふたりを博士から引き取ったら、生活も忙しなくなっちゃって」

『うむ。わたしが寛大でなければ、レオンもルーシーも嫉妬の炎に焼かれていただろうな』

「やめてあげて?」

『冗談だ』

 

 今はこんな風に、ポケモンに心を癒され、笑い合えるサクラだが、ほんの五年前までは『ポケモンなんて大嫌い。見たくない』と、当たり前のように言っていた。

 それもこれも、キキョウの学生寮で、起こった事件が原因だ。

 幼い頃のサクラは、ポケモンと無縁の生活を送っていた。おそらくウツギ博士が両親を思い出して寂しがらないようにと、遠ざけてくれていたのだろう。しかし、それが災いして、学校のクラスメイトにサクラの生まれがバレた際、あまりにポケモンに対して無知だったサクラは、酷くからかわれるようになった。その一環だったのか、ある日の夜中、サクラの寝室に向かって意地悪な男子生徒がイトマルを仕掛けたのだ。そして、トイレに行きたいと目覚めたサクラは、真夜中に鬼のような模様を見せつけ、威嚇するイトマルと遭遇した。

 どうなったかは、語るまでもない。

 その一件で、男子生徒は退学になったが、サクラの自尊心も酷く傷付けられた。

 晒した醜態は取り返しがつかず、主犯の男子生徒がいなくなったというのに、からかいは虐めになった。それ自体は見かねた友人が解決してくれたのだが、ほんの数か月の地獄のような時間は、サクラがポケモンという存在を恨んでしまうのに十分過ぎるものだった。やがて、またもやその友人から、恨む相手を間違えていると言われ、とある事件を切っ掛けに得た三つの卵のうち、二つを強引に押し付けられる事になったのだが……その結果、今に至る。

 友人、アキラの言う通り、恨む相手は間違えていたと思う。

 レオンとルーシーの世話に四苦八苦した日々は、捻くれていたサクラを更生し、ポケモンが大好きだと言ってしまえるトレーナーへと成長させた。それでもイトマルだけは無理と言うのは、その時の醜態がトラウマになっているからである。

 そんな回想を口にしていくと、ルギアは『うむ』と満足気な声を出した。

 虐めの話はサクラが当時の悪夢を見てしまった時など、両親の写真へ向けて愚痴っていた。それもあって、ルギアも承知の様子なのだろう。

 

『生きる者は皆、過去から何かが変えられると信じている。わたしもそうだ。主も変わった……』

 

 感慨深げに零すルギアは、そこでやや迷ったように言葉を濁す。

 どうしたのかと目を向ければ、彼は『いや』と改まる。鈴の光が少しばかり強くなった。

 

『そうは言えど、やはり変わらずあるものは、心の支えなのだろうと思えたのだ』

 

 逡巡の末、独り言のように零された言葉は、何をと言わずにワカバタウンの事だと理解出来た。

 しかし、不思議と嫌な事を思い出した気分ではない。ルギアが共に暮らしていたと話してくれたからだろうか。例え故郷を失っても、レオンやルーシー、ルギアとの縁は消えたりしない。そう認めさせられた気がして、少しばかり心の整理がついた。

 生きている。

 だったら、どうにでもなる。

 聞けば聞く程無責任に感じた言葉が、ようやっと前向きな言葉に感じられた。

 確かに故郷は形を失ってしまったが、そこで培われた事は、今、こうして、溢れんばかりに出てくるじゃないか。ルギアの言う心の支えは、サクラの胸の中、確かに残っているのだ。

 未だどうしようもない問題もあるが、少なくとも望郷の想いは彼等と共に過ごしていく日々で癒される。そんな日常をしかと守り抜けば、それがサクラにとって目に見えない故郷の在り処なのだと思えた。

 サクラは首を横に振って応えた。

 

「大丈夫。ありがとね」

 

 シルバーからの連絡を受けた時、まことしやかに囁かれている疑惑が本当の事なのか、彼に尋ねる事は出来なかった。あの日、シルバーが住人は無事だと断言した理由も、確かめられなかった。

 それはおそらく、今も変わらない。

 犯人が父だとしたら、自分は泣いて立ち止まってしまうだろうから。そうじゃないのだとしたら知りたい気持ちはあるが、未だ恐怖心との釣り合いがとれない。そういう意味でも、きっとシルバーの言う通り、知らず、関わらずでいた方が良いのだろう。

 だけど、それはそれ。これはこれ。

 サクラが元々考えていた旅をしたいと思う気持ちは、故郷が燃えてしまった事と何ら関係はない。復興を手伝いたいとは思っても、それを優先しなければならないと勝手な正義感を持つのは、新しい事を不安に思う臆病な言い訳だ。

 旅をしたい。

 そして、強くなりたい。

 次に同じような事があった時、目に見えない本当の故郷を守れるように。

 

「決めた」

 

 そう零す。

 鈴が『うん?』と、言葉を返してくる。

 いよいよサクラの心は読めなくなったらしい。

 それもその筈、サクラは今すぐにでも外へ飛び出したいと思っている程、活力に満ちていた。レオンの回復を待たなければいけない為、まだ暫くは足止めされてしまうが、その時までこの活力は何とか維持していきたい。

 だから、敢えて口に出す。

 大言壮語も吐いてやる。

 

「わたし、ポケモンマスター。目指すよ」

 

 だって、ここに居るのは、英雄の娘ではない。

 虐められて、故郷を失くして、何時だって泣いてばかりだった弱い自分。ポケモンに助けられて立ち直るばかりの、情けないサクラ。

 強くならないと、何も守れない。

 もうレオンやルーシーをあんな目に合わせない為にも、ましてやワカバタウンのように失ってしまわない為にも、泣き寝入りなんてしてやらない。絶対に絶対、強くなる。今度はあのレパルダスにだって、負けてやらない。

 ゆっくりと立ち上がったサクラは、脳裏に眠ったままの恩人を浮かべる。

 

――そうでしょ? 博士。

 

 きっと目が覚めたら、褒めてくれる。

 強くなったと喜んでくれる。

 そんな未来の為に、頑張ろう。

 サクラが決意を改めた時、見計らったようにPSSが鳴った。



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Section3

 ポケモンセンターから外へ出てみると、空は清々しい快晴だった。

 雲一つ無い空は何とも爽快。背伸びして思いっきり深呼吸してみれば、引き籠りがちだった身体から憑き物が落ちていくように軽く感じられる。

 昼を少し過ぎたヨシノシティは、人気もまばら。ご飯時なので多くの人は屋内に居るのだろう。賑やか過ぎず、静か過ぎず、そんな空気は何処か新鮮で、学生時分に学校を休んだ日の気分と良く似ていた。

 先程電話を掛けてきたアキラは、港まで迎えに来て欲しいと言っていた。到着予定はもう少し先だが、今から向かえば一〇分前ぐらいに港へ着くだろう。丁度良い時間だ。

 ザザァ、ザザァという波の音は、ここからでも良く聞こえる。土を蹴る自分の足音よりも、よっぽど確かな音だ。

 人の喧騒が薄ければ薄い程、自然の音とは良く通るもの。ワカバタウンでも森の音、風の音は、良く聞こえた。特別気に留めるようなものではなかった為か、改めて思い返してみると、記憶力に自信のある自分でも、それがどんな音だったかを言葉に纏められない。『森の音』『風の音』と言うばかりで、具体的なオノマトペでは表せられないのだった。

 人は大切なもの程、失くしてから気付くという。

 故郷の音、匂い、雰囲気。二度と味わえないと思うと、やはり猛烈な喪失感に襲われる。

 サキが言っていた故人に縋るとは、これと似た感じなのだろうか……。彼は母を亡くし、サクラは故郷を失くしてしまった。通ずるところがあるかもしれない。

 

「…………」

 

 ゆっくりと歩を進めながら、サクラは首を小さく横に振った。

 違う。

 と、そう自分に言い聞かせた。

 例え抱く喪失感が似ていたとしても、失われたものへの想いは、人それぞれ。

 サクラがワカバタウンの思い出を一度心の奥底へ仕舞って、虚勢を張ったとしても、誰に責める権利は無い筈だ。だって――と、サクラは歩きながらベルトの二番目につけたボールを取り上げる。

 赤と白のモンスターボールは、当然のように静かなまま。

 こんな清々しい快晴の下、彼女好みの浜辺を歩いているにも拘わらず……。

 いつものルーシーなら、出せと言ってボールの中で愛らしく暴れているだろうに。

 あの日から、食事さえあまり取っていない。ボールから出てきても意気消沈した顔付きで何も話してはくれず、無理矢理食事を取らせようとしても、何時もの一割に満たない食事を取れば、自ずからボールへと帰っていく。そんな様子が続いていた。主人を守れなかった事がショックだったのか、はたまた未だ入院しているレオンが心配なのか、どちらにせよ彼女の心の傷はとても深いように見えた。

 陽射しを浴びれば、少しは元気が出るだろうか。

 サクラは浜辺に程近い広場の片隅で足を止めた。

 人気はまばらだし、特に誰かの迷惑にはならないだろう。船の到着時間までもう少しある。港に到着するのは船が見えてからでも遅くはない。

 ボールのセーフティロックを外す。

 そのまま手の中で開けば、赤い閃光はサクラの少し前へと落ちた。

 程なくして光が収まれば、鮮やかな緑と赤が色付く。草の色のドレスに、赤い花の冠。まるで小さなお姫様のようにも映るドレディアの姿があった。

 

「…………」

 

 しかし、その表情はやはり消沈していた。

 いつもの愛らしい鳴き声も聞こえてこない。

 俯き、目を伏せ、静かに佇む姿は、ほんの少し前のサクラが浮かべていた表情と良く似ている。何に対しても無気力で、本当は何かを言うべきだと分かっているのに、それが出来ない。心ここにあらずで、虚無を見ているような顔付きだった。

 先程、サクラがルギアと話していた事は、聞こえているのだろうか……分からない。長年の付き合いを以ってしても読めない程、彼女の表情は暗く、虚ろだった。しかし、サクラが黙って見つめていれば、やがて赤い瞳がこちらを向く。宝石のように綺麗な瞳は、まるで濁った沼のようだった。眼に映るモノはルビーのように綺麗な筈なのに、どうしてだろう。言葉が無くても伝わってくる悲痛な心情の所為で、赤銅色に濁って見えた。

 具体的に何を悔やんでいるのかは分からなかったが、それは言わずと知れる事。それよりも、責任感が強いルーシーが、自分で自分を傷付けているように見えて、サクラは胸にちくりとした痛みを覚えた。

 だけど、何も気持ちが伝わるのは、一方通行ではない。

 サクラと目を合わせたルーシーは、徐々にその目に活力を宿し、ぽろぽろと涙を流し始めた。そのまま幼子がぐずるように、両手の葉っぱを丸めて、目を覆ってしまう。すんすんと嗚咽を漏らす彼女だが、その口元は何故か薄っすらとした笑みを浮かべていた。

 

『そっか……。頑張れるんだ。頑張れるんだね』

 

 薄っすらと聞こえる誰かの声。

 それが何故聞こえるかは分からなかったが、サクラは何となく、目の前の家族の涙の意味だと感じた。

 ゆっくりと腰を屈めて、手を広げる。

 柔らかな優しい笑顔を浮かべて、「ルーちゃん」と、呼んであげれば、彼女はこくりこくりと頷きながら、とてとてと早足でサクラの胸へ飛び込んできた。

 ひんやりとした身体を、優しく抱擁する。

 彼女の柔らかな頬っぺたに自分の頬を合わせて、ゆっくりと頬擦りした。

 

「ごめんね。心配させたね。わたしは大丈夫だから」

 

 小さく零せば、ルーシーは分かったと言うように、深く二度頷いた。

 抱き締めた彼女をやや離し、顔を向かい合わせて、改めて微笑みかける。

 言わなければいけない事は、もう一つあった。

 

「博士を助けてくれてありがと。まだ意識は戻ってないけど、ルーちゃんが手当てしてくれたから、命に別状は無いって。本当に、ありがとね。ルーちゃんがいてくれて、良かった」

「ルゥ……ルゥゥ……」

 

 短く声を漏らして、ルーシーは泣いた。

 ごめんなさい。ごめんなさい。

 そんな言葉が繰り返し聞こえてくるような気がして、サクラはその度に彼女の背を優しく叩いた。

 あの大火事の中、草タイプのルーシーに出来る事はあまりに少なくて。やっと任された事も満足に果たせず、レパルダスの手によって気絶させられた。やがて目を覚ましてみれば、ワカバタウンは燃え尽き、共に暮らしていた相方のレオンは瀕死の重傷を負っていた。

 責任感の強い彼女にとって、それがどれ程口惜しいものなのか。

 主人であるサクラまでもが意気消沈していたのだから、彼女自身の悔しさと、喪失感と、主人を心配する心と……全部が全部、一気に押し寄せてくれば、誰だって絶望してしまう。

 でも、その分、無理を強いらずに済んだとも思う。

 ほんの数時間だが、レオンより先に、お姉さんとして生まれたルーシー。その自覚があるのか、彼女はレオンと対等でありつつも、ほんの少しだけ彼より寛大に、彼を受け止める立場であろうと努めているようだった。サクラがレオンをきつく叱った時はいつも、彼女がその手を引いてやってきたものだ。

 こうして彼女が感情をあらわにして泣くのは、実に珍しい光景。ここにレオンがいれば、彼女は無理をしてでも、彼を励まそうと笑顔を浮かべている。そんな風に強がれない今の彼女の心境を心苦しく思うのと同時に、自分に対してはこうしてきちんと甘えてくれる事を、サクラは感謝する気分だった。

 こんな時ばかりは、自分が彼女の親を務められていると思える。

 いいや、そうあらなくちゃいけない。

 こんな時こそ頼れる存在でなければいけない。

 泣きたい時に、縋れる人がいない気持ちは、痛い程知っているんだから……。

 それを大事な家族に味合わせちゃいけないんだ。

 

 一〇分程経つと、ちらほらと人影が見え始めた。

 その間ずっと泣き続けたルーシーだが、偶々通りすがった人にサクラがぺこりと謝意を示したのに気が付くと、途端に深呼吸をして顔を手でぐしぐしと拭った。一度顔を横に振って、ぺちぺちと自分の頬を張れば、上気していた名残りしか残らない。

 まるで『泣いていた? 誰が?』とでも言いそうなキョトンとした顔付きで、周囲をちらりと見渡してから、再度ふうと呼吸を落ち着ける。

 元々、彼女は人目を引くのを嫌う性格だ。

 突然すまし顔になる女優っぽさはサクラも目を瞬かせたが、どうしてだろう。ルーシーっぽいと言えば、それまでな気がした。

 思わずくすりと苦笑して、サクラは首を傾げて見せる。

 

「もう大丈夫なの?」

「ルー」

 

 何処か上擦ったような声が返ってくるのは、泣いていた名残りだろう。

 頬が赤いのと、声が可笑しい事、ドレディアにしては体温が高くなっている事、それらが無ければ、今しがた泣いていたとは信じられない。それ程までに、活発な声だった。まあ、お淑やかなルーシーが活発に鳴くという点も、それはそれで珍しいのだが。

 ふうと息をついて、サクラはゆっくりと立ち上がった。

 全部吐き出せたかは分からないが、少しばかり気分は晴れただろう。あとは時間が癒してくれる筈だ。自分も、彼女も。

 サクラはルーシーの手を取って、ゆっくりと歩き出した。

 港へ目を向け見ると、何時の間に来たのか大きな客船が停泊している。

 

「ルー?」

 

 何処に行くの?

 と、言いたげな声に、サクラは客船を指差しながら、彼女を振り返った。

 

「アキラとウィルちゃんが心配してきてくれたの。そのお迎えだね」

「ル!?」

 

 説明を聞くや否や、ルーシーの目がパァッと輝いた。

 余った左手を高く掲げて振って、満面の笑みを浮かべるところを見るに、相当に嬉しいようだ。

 まあ、そりゃそうだろう。

 種族は違うものの、レオンとルーシー、そしてアキラが連れているウィルは、姉妹弟みたいなもの。と言っても、同じ人から貰った三つの卵から孵っただけで、種族的に血縁関係ではないようだが。それでも幼少期は三匹ともウツギ博士の下で暮らしていた事もあって、離れて暮らすようになった今でも、その絆はとても強い。

 ここにレオンが居たら……まあ、意地っ張りな彼らしく、苦虫を潰したような顔をしているだろうか。顔を見たら一緒になって騒いでいる癖に、素直じゃないのだ。末っ子レオンは。

 ともあれ、先に連絡をくれた友人を待たせる訳にはいかない。

 事情を話せば赦してくれるだろうが、急ぐ事に越したことはないだろう。

 

「ルーちゃん。ちょっと急ごっか。あんまり待たせると、ルーちゃんが泣いてたって話さなくちゃいけなくなる」

「ルッ!? ルー! ルー!」

 

 おまけの一言を聞いて、ルーシーは脱兎のごとく駆け出した。

 早く、早く、と言わんばかりに、サクラの手をぐいぐいと引っ張ってきた。

 そこにもう影を落としたような様子はない。

 何処か安堵する心地で、サクラは駆け出した。

 

 ヨシノシティの港は決して大きな港ではない。

 乗降口も簡素な待合室と、ゲートがあるだけのもの。船が停泊している場所も、海岸の端っこに設けられた石造りの桟橋だ。大きな客船が停まれる以上、粗末な出来ではなかったが、アサギやコガネの港と比べれば、随分とこじんまりした印象だ。

 サクラとルーシーが到着した時には、既に大半の客が降りた後のようで、桟橋では一緒に運ばれてきた積み荷が降ろされているところだった。遠目にそれを確認してみれば、足は自然と待合室へ向く。少しだけ早足になりながら、ポケモンセンターより少し大きめなガラス張りの建物へと急いだ。

 桟橋から続く舗装された道路を歩いて、少し。

 自動ドアを潜ってみれば、春先だと言うのに冷房の効いた空気が肌を撫でる。僅かに肌寒く感じるものの、港町の玄関口と言えば、海産物の出店があって然るべき。冷房はその鮮度を保つ為だろう。実際に、中の風景は五〇席程の椅子と机に対し、同じくらいの広さで様々なお店が並んでいた。

 客席と出店は中央に真っ直ぐ通った垣根で区切られているが、出店の搬入作業の時間に被ってしまったのか、色んな恰好の人々があちらこちらへ忙しなく動き回っていた。

 目に留まるだけでも座席より多い人の数だ。この中から背の低い友人を捜すなんて、割と面倒臭そうなものなのだが……いいや、こういう時彼女は、入り口から見える場所且つ、端っこの方にいる。そう思い至ってサクラがそれっぽいところへ視線を流してみれば、見覚えのある桃色の長い髪を見付けた。

 一度サクラを捜した後なのか、はたまたサクラが遅刻する事を見越していたのか、彼女は時間を持て余した様子で、入り口から見て左端の席に着席していた。そこそこな時間を待たせてしまっているのか、はたまたヨシノの景色なんて見飽きているのか、退屈そうに机に頬杖をついて、外の風景を見ている。彼女の対面に大人しく座っている桃と白色が基調のふうせんポケモン、プクリンは彼女の手持ちだ。少し変な性格をしているが、もふもふな身体を快く撫でさせてくれた覚えがあった。

 

「アキラ、お待たせ」

 

 少しばかり急ぎ足になりながら、喧騒を割る心地で声を掛ける。

 あまり特徴的な声をしている訳ではないが、近付くより早く彼女はこちらに気付いてくれた。

 振り向いてくるその顔は、まさかサクラと同い年には見えないだろう。よくいって一二、三歳。普通に見れば一〇歳前後の童顔具合だった。当然ながら、成長期が早い女子にとってその差は大きく、ふとすれば一五、六歳に見られがちなサクラと隣立つと、その差は酷く顕著だろう。

 久しぶりな邂逅とあってか、アキラはこちらを見るなり、ややげんなりしたような顔付きをした。

 

「お久しぶりです。また、えらく伸びましたのね」

 

 挨拶もそこそこ、呆れた風に零す言葉は、おそらく身長の事だろう。それはそれでサクラのコンプレックスになっている事を知っての物言いか。いいや、知らない訳がない。

 サクラはスッと目を細めて、顎を少し傾ける。僅かに見下ろしたような顔付きで、ふんと言って見せた。

 

「うん。三センチは伸びたかもしんない。アキラは何ミリ伸びたの?」

「一ミリたりと伸び縮みしちゃおりませんね。しかしながら、敢えてミリ単位で聞いてきた事に対して、わたくしは武力行使も辞さない所存ですの」

 

 にっこり笑いかけたサクラに対し、同じくにっこり笑顔で返してくれるアキラ。

 こと、身長の話においては、言うまでもない。お互いにとって禁句である。しかしながら、片方が不可侵条約を破ろうものなら、目には目を歯には歯をが成立するのがこのふたりの関係だった。とはいえまさか本気で喧嘩しようという訳ではない。互いに元気だからこそ成立する悪態の応酬だった。

 つまるところ、思う存分見下すサクラと、都会のガラの悪さ全開で睨み上げるアキラだったが、単なる茶番である。ごっきゅごっきゅと音を立ててジュースを飲んでいたプクリンが、プラスチック製のカップをテーブルに置くや否や、それがどうして何の切っ掛けになったのか、二人の少女は苦笑と共に肩を竦めて見せた。

 

「心配かけてごめんね」

「いいえ。謝罪よりお礼が欲しいところですわ」

「うん。ありがとう」

 

 一転して屈託の無い笑顔を向け合う二人。傍から見た凸凹具合なんて、まるで些事だ。

 主人がそんな感じの挨拶を交わしていれば、サクラの傍らでルーシーが辺りをちらちらと窺う素振りを見せていた。とすれば、その様子を見たプクリンが、彼女へ短い鳴き声をかけて寄越す。飲み干したカップをテーブルの上に残し、椅子からぴょんと降り立てば、片手を上げて軽い挨拶。その後プクリンはアキラのバッグを指して、両手を合わせてすやすやと眠る様子のジェスチャーをしてみせた。

 成る程。ウィルを捜している様子のルーシーへ、『まだボールの中で寝てる』と教えてくれているようだ。言葉だけでも通じるだろうに、そのジェスチャーはもしかしたらサクラから見ても分かり易いようにという配慮なのかもしれない。

 

「お姉様のジムを出てからこちら、どうも昼行灯のようになってしまって。お恥ずかしいですわ」

 

 溜め息交じりに肩を竦めるアキラ。

 ルーシーに宛てた言葉なのか、はたまたサクラに宛てた言葉なのかは分かりかねたが、内容はどう聞いても相棒というべきクチートが眠りこけている事を揶揄していた。

 いやはや、それも無理は無いだろう。と、サクラは苦笑する。

 このアキラという少女が言う『お姉様』とは、コガネシティが誇るコガネジムのリーダー『アキナ』の事。巷では訓練の鬼と言われる程の熱血漢で有名だ。コガネジムはノーマルとフェアリーを中心に扱う可愛らしい響きのジムだと言うのに、母のアカネから世代交代がされてからこちら、悲鳴と汗が飛び交う狂気のジムになってしまったとさえ言われている。

 そんなジムリーダーの下で、このアキラという少女は、三年半もジムトレーナーをやっていた。学校を卒業した一〇歳の頃から当たり前のように働いていたかと思えば、辞める一年程前からは、周囲の大人達を差し置いてサブリーダーの座に就いていた。当然、人口が多いコガネジムで齢一二歳のサブリーダーなんて、とても珍しい人選だろう。まあ、それがまわりまわって、ジムそのものを辞める原因にもなったそうだが……それはさておいて。そんな珍しい人選をして、周囲を納得させるだけのストイックさが彼女にはあった訳だ。

 当然、ジムで使われていたポケモンと同じように、アキラ自身の手持ちも相当に鍛えられている。『昼行灯』と揶揄されているウィルは、レオンとルーシーが徒党を組んで挑んでも勝てない程強かったりするのだから。

 

「まあ、そちらは思ったより元気そうで何よりですわ。空元気のように見えるのは決して先入観ではないでしょうが、そうあれるだけ良かったと言いましょうか」

 

 両手を組んで軽い背伸びと共に、淡々、飄々と述べるアキラ。

 不躾も不躾、気遣いもへったくれもないような物言いではあるが、やはり旧知の仲からくる言葉でもある。多くの寮生にお漏らし姿を見られてしまった『イトマル事件』の頃は、一ヶ月以上暗い表情をしていたもの。空元気どころか、気遣いひとつ満足に出来なかった。

 まあ、サクラがルーシーやレオンの親である以上、これぐらい出来なくてはならない事だ。

 本当のところはここへ来る少し前まで凹んでいたし、難なら守るべき家族のひとりであるルギアに助けて貰ったのだが……いいや、敢えて馬鹿正直に墓穴を掘らなくても良いだろう。

 サクラは微笑を返して、具体的な話は掘り下げないでおいた。

 その様子にアキラは何かしら気が付いたような顔をしたが、特に言及してくる事はなく。パンと柏手を打ったかと思えば、一転して無邪気な明るい表情を浮かべて見せた。

 

「そうよ。わたくし、サクラに言う事があったのです」

「ん? 言う事?」

 

 改まるアキラに、サクラは小首を傾げて返した。

 とすれば、彼女はこくりこくりと頷きながら、椅子の背もたれに掛けていた荷物を背中に担いだ。そして両肩に掛かっているショルダーをギュッと握って、愛くるしい動作でぴょんっと半回転。赤と白のギンガムチェックのリュックサックを見せびらかしているようだ。

 その動作のまま、彼女はにっこりと笑った。

 

「心配なので、今日から貴女の旅に着いて行きます」

「へ?」

 

 突拍子もない宣言に、思わずサクラは目を瞬かせた。

 え、でも。

 と、口をついて出るのも仕方ない。

 コガネジムこそ辞めたものの、彼女は色々と多忙な身だと聞いていた。元々は花見の為に空けてくれていた今回の日程だって、色んな予定を纏めに纏めてやっと作られた休日だった筈だ。コガネ近郊での警らやボランティア活動等、有償無償を問わず色んなイベントが舞い込んでくるのが、彼女の家。大都会の端から端まで知れ渡った家名の宿命と言えるだろう。

 とすれば、アキラはややげんなりした風な顔付きで、しかし予想していたと言わんばかりにあからさまな溜め息をついて見せた。

 

「お母様の許可も頂きましたし、準備は万全です。大体、可笑しな人から名指しで命を狙われた友人がこれから旅をすると言っているのに、会った事もない人と二人旅ですって? 親友としてこれを放っておくのはどうかという話です。大体、サクラはいつも肝心なところで抜けてますし……その、えっと……」

 

 捲し立てるように言葉をつらつらと並べていた少女。

 言っている事はごもっともかもしれないが、しかし裏を返せばサクラがアキラの予定を心配する事も肯定しているようなもの。それに気が付いたのか、尊大に腕を組んで宣った筈の彼女は、虚空を仰ぐように目線を宙にやって、閉口。

 ややあって首を横に振った。

 

「言い方を間違えました」

 

 再度改まったアキラは、サクラを真っ直ぐ見つめて、ゆっくりとお辞儀した。

 

「貴女が心配です。わたくしの事情なんて貴女の命に代えられるものではないので、どうか一緒に連れて行って下さいまし」

 

 饒舌なアキラという少女。

 高尚、高慢な物言いが目立つものの、背伸びをするように着飾った言葉を脱がしていけば、なんてことはない優しさだけが残る友達だった。

 勝手に決めてしまうのはサキにすまなく思うものの、断る理由がどこにあるだろうか。

 思わず緩んでくる涙腺を拭って、サクラはこくり、こくりと頷いた。



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Section4

 ワカバ大火から一週間。

 アキラがやって来てから四日。

 それまでとは打って変わって、サクラにとって少しばかり慌ただしい日々だった。

 先ず、サキへの報告。彼は本来、トレーナーカードの住所変更の手続きでヨシノシティへ来なければならなかったのだが、父、シルバーがワカバ大火の件でポケモン協会の本部基地で缶詰めになっているらしく、彼が帰宅するまでは家を空けられない状態だった。あの日の事を思い起こしてみれば分かり易いのだが、シルバーは家の鍵も持たないまま、ちょっと近所の八百屋へと言わんばかりの軽装で出てしまったそうだ。着替えやらは本部にあるらしいが、引っ越したばかりの家の鍵ばかりはどうしても持ち合わせていなかったらしい――そもそも、シロガネヤマでは鍵を掛ける文化がなかったそうだ。そりゃそうだ――。という訳で、電話で承諾こそ得たが、サキとアキラの面会は彼がヨシノシティに来られる時に、という事になった。

 となれば、サキを待つ時間が空いたように思えたのだが……。

 とある人物から預かったという伝言を、アキラから聞かされて、状況が一転した。

 伝言の主は、ウツギ博士の助手こと、コガネシティのウツギ第二研究所所長、カンザキ博士からのものだった。それ自体は『手が空いたら連絡が欲しい』との事で、特別急を要する話ではないように見えたのだが、いざ連絡してみれば、サクラの無事に安堵してくれたのも束の間、小難しい話がやってきた。

 

『サクラちゃん。キミの自宅の焼失にあたって、色々と面倒臭い手続きがあってね。それをこっちで何とかしてあげたいんだけど、キミの後見人である証明が必要でね。少し書類を用意して欲しいんだ。郵送してくれたら後はこっちで処理しておくから』

 

 という訳である。

 法的な手続きの話なんて、当然サクラには分からない。そういったややこしい話はポケモントレーナーとして大人と認められる一〇歳とは別に、二十歳(はたち)までは後見人制度が認められている。

 普通は両親がやる事であり、そういった場合は特別な許可は要らないのだが……勿論というか、サクラとカンザキ博士は親子ではない。こういった場合は、後見人を務める側が社会的に身分を保証された立場であり、逐一帳簿と報告書を役所に提出するという条件の下、双方からの合意があって成立する。

 つまるところ、サクラからすれば願ってもない話ではあるのだが、一度役所に行って面倒臭い手続きをしなければならないのである。そしてその手続きが、比喩でも何でもなく本当に面倒臭いのだから、骨が折れるというもの。公的な監視の下とはいえ、サクラの資産をカンザキ博士に一任するのだから、そりゃあ面倒臭くてもきちんと審査してくれないと困るのだが……いやはや、ヨシノの役所の窓口でマスコットのコダックくんとにらめっこしていた時間は、果たして今後の人生で役立つ事があるのだろうか。

 そんなこんなで、慌ただしい……と言うよりは、ただ拘束されて時間を浪費する数日だった。だが、それも避難から七日目の今日、終わりを迎える。

 

 清潔感がある真白の廊下が四方に伸びる玄関口。

 脇にある受付は、流行り病の注意喚起や、色んなちらしが張り付けられていて、少しごちゃごちゃとした印象だ。剥がしそびれたセロハンの跡や、茎がやや歪んだ造花等、細かなところの手入れが行き届いてないのは、おそらく忙しいからだろう。

 ワカバ大火の被害者の三分の一は、ここ、ヨシノシティの大病院に搬送されたと聞く。

 

「こんにちは。ウツギ博士のお見舞いね」

「はい」

「どうぞ。あまり長くは遠慮してね」

 

 面会謝絶から、一般の病室に移って二日。

 そもそも顔見知りが多い故郷の隣町という事もあって、ウツギ博士のお見舞いは殆んど顔パスだった。一応、避難してきて間もなく受けた精密検査を含め、これで三回目の来院なのだが、このアバウトさはキキョウシティやコガネシティでは有り得ないのだろう。一緒に着いてきたアキラが、ただの同行人である自分の身元を改められない事に、苦笑を禁じ得ない様子だった。

 

「ほんと、田舎ねぇ」

「そう? 割と都会だと思ってるんだけど」

「全然。アサギの方が栄えてるわよ」

 

 二人きりのエレベーターの中で、アキラがそんな事を言っていた。

 まあ、確かにアサギシティはジョウトでも有名な都市だ。コガネやエンジュが際立っているだけで、お洒落で有名なあの街を田舎と揶揄する人はいないだろう。対してヨシノシティはと言えば、『都会』と呼ばれる事はあっても、『田舎』と揶揄する人がいる事も事実だと思えた。

 いやはや、どだいごちてもサクラはアサギシティに行った事が無いのだから、仕方がない。難ならジョウト地方ではヨシノの他はキキョウ、コガネぐらいしか行った事がないのだから、アキラの言う都会がどれ程のものかがピンと来ない。所詮、テレビや本で得た知識だ。

 

「まあ、そのうち分かるわよ。いずれアサギにも行くのですから」

 

 サクラが考え込んでいると、不意にそんな言葉が投げかけられた。

 確かに。

 そう思えば、これから旅を始めると再認識する心地で、何処となく活力が満ちてくる。端的に言えば、わくわくしてきた。

 

「では、わたくしは廊下で待ってますから」

「うん。ありがとう。すぐに戻るから」

 

 アキラの気遣いに感謝しながら、サクラはスライド式の扉を小さく二度ノックした。

 程なくして女性の声で「どうぞ」と返って来て、静かに扉を開ける。

 ポケモン研究の権威であり、ワカバ大火の重要参考人でもあるウツギ博士の病室は、当然ながら個室だった。しかし、広々とした部屋と、ダブルベッドかと思ってしまう程の大きなベッドを除けば、お世辞にも設備が良いと言えない。医療器具が点滴だけなのは、まあ良しとして。折角の個室だと言うのに、家具は如何にもな古臭いテレビと、叩けば甲高い音が鳴りそうなキャスター付きの棚。あとは見舞い客用っぽい安物のパイプ椅子と、ハンガーラックがあるだけだった。

 『個室の入院部屋』なんて名ばかりで、テレビの医療ドラマで見られるような豪華さは全く感じられない。ここに至ってアキラが言った田舎っぽさを強く感じた。

 返事をくれた先客は、未だ目を覚まさない患者の枕元で、ゆっくりと本を閉じた。こちらを振り向く顔は、良く見知ったものだった。

 

「こんにちは。おばさま。お久しぶりです」

「久しぶりね。サクラちゃん」

 

 にっこりと笑うその女性は、ウツギ博士の妻。幼少期のサクラにご飯食べさせて、家事を教えてくれた人。もっと簡単に言えば育ての親だ。最近でこそサクラが自立し、疎遠になりつつあったが、ウツギ博士と同じくらい信用している人物だと言える。

 シルバーからの報告や、テレビのニュースで大事が無いのは知っていたが、ワカバ大火以降彼女と話すのはこれが初めてだ。近しい間柄である以上、こちらの無事を報告する為にも連絡を取るべきだとは思っていたが……世間で吹聴されている根も葉もない噂話の所為で、中々電話に手が伸びなかった。

 とはいえ、仮に世間で噂されている通り、サクラの父が犯人だったとしても、それでサクラを責めるような人ではない。だからこそ、その優しさに無遠慮な甘え方をしてしまいそうだと思ってしまった。ウツギ博士が一番大変な状況なのに、ただの噂話で落ち込んでいるわたしが甘えるなんて……等と、変な言い訳をしてしまうのだ。

 トージョーの街で発見されたワカバの住民は、その後特別な理由がない限り、色んな町に散り散りになってしまったと聞く。これから先、もしかしたらどこかの街で、ワカバの人達と出会うかもしれない。その都度、自分はこうして苛まれるのだろうか。

 

「ありがとね。サクラちゃん」

 

 思考が暗がりに滑落しそうになったところで、ふとした言葉に繋ぎ止められた。

 ハッとして俯き加減になっていた面を上げれば、女性は今に泣きそうな顔で微笑みかけてくれていた。

 

「貴女がいなかったら、この人は、今頃冷たい地面の下に居たかもしれないわ。貴女と貴女のポケモンが頑張ってくれたから、この人は今、ここに居る。そう思うの」

「でも、わたし……」

 

 優しい言葉が胸に染みる。

 だけど、何故かそれをそのまま受け取る事が罪に思えて、サクラは目を伏せてしまった。

 自分がいなければ……ワカバに自分や自分の両親が住んでいた事実が無ければ、あの大火は起こらなかったのではないか。そう思えてならない。しかし、それこそが『自分が一番、あの大火の犯人を父だと思っている』と言っているようで、続く言葉を見失う。

 ふとすれば、形容しがたい感情と、憤りと、申し訳なさが、きゅうきゅうと胸を締め付けて、息が詰まる。

 どうして良いか分からない。

 自分は果たして、本当に感謝されて良い人間なのか。

 そう考えてしまうと、自分の目指すべき場所さえおぼろげになってしまう。ウツギ博士にポケモンマスターを目指すと報告しに来たつもりが、それさえ手前勝手な現実逃避をしているように感じて、見知らぬ誰かに何様なんだと言われている気分になる。

 

『己を恥じるな。主』

 

 思考がどん底に滑り落ちていく最中。

 サクラの頭に優しい声が届いた。

 それはきっと、目の前の女性や、外で待ってくれている友人には聞こえない声。彼の主である自分にしか聞こえない声だった。

 声はゆっくりと続けた。

 

『呼吸を整えろ。肩を落とすな。胸を張れ』

 

 まるで催眠術にかけられたかのように、その声が促すまま、身体が動いた。

 堂々とした表情で顔を上げ、言葉になるような大きな深呼吸をする。

 声は続ける。

 サクラはサクラたちに出来る事をした。

 なのにそれを恥じたら、サクラの大事な家族の活躍までも無駄にしてしまう。あの時、レオンやルーシーが命懸けで頑張ってくれたのは、サクラを助けたかったからだろう。

 と、そう言った。

 

『強くあれ。ふたりの為に』

 

 なんて厳しい家族だろうか。いいや、家族だからこそ、厳しく言ってくれている。

 だけどそれ以上に、彼はサクラの心、気性を理解してくれていた。

 ここでふたりの事を出されたら、肩を落とせる筈がない。

 サクラはゆっくりと深呼吸をひとつ。胸の鼓動がやや落ち着くのを待って、唇を開いた。

 

「おばさま。わたし……旅に出ます」

 

 その声はまるで自分のものとは思えない程落ち着いていて、後で思い出した自分が自己陶酔するんだろうなと思える程、やけに大人びて聞こえた。

 

 空は快晴。

 天頂に昇ったお日様が何とも眩しい。陽射しの強さだけ見れば、もう初夏がやって来てしまったかのようだった。しかしながら、気候は程好く、やや風が強い程度。街の山側に来てみれば、浜の湿気もそこまで酷くは感じない。

 これはきっと旅立ち日和なのだ。

 サクラはそう思って、頬をほころばせながらゆっくりと伸びをした。

 朝方家を出たというサキも、きっと清々しい気分だったろう。ヨシノシティでの用事に付き合わせる時間が勿体ないと言って、用事が済んだら連絡を寄越すと言っていたが……果たして何時になるやら。先程サクラが連絡をとった際には、『先に昼飯食べててくれ』という短い返事があった。これから向かう先が30番道路である為、昼過ぎには出発したいとは伝えておいたのだが、已む無い。役所の手続きがだらだらと時間を取られてしまうのは、サクラもつい先日思い知った事だ。

 

「それにしても、良い天気。このままお日様が沈まなきゃ良いのに」

 

 ヨシノシティのポケモンセンターの前。ちょっとした広場にあったベンチに座ったまま身体を解しつつ、どだい無理な願いをぼやく。

 お昼時もあって、辺りはあまり人気が無く、それを聞くのは隣に座る桃色の髪をした少女。彼女はあからさまに肩を落として、深い溜め息を吐いた。

 

「馬鹿ですか。どうせイトマルが苦手だから、30番道路をさっさと抜けたいのでしょう?」

 

 呆れた風に首を振るアキラ。

 彼女の膝の上には、先程引き取ったばかりのレオンが大人しく座っている。

 

「えっ。アキラってエスパータイプなの?」

「あれだけ昼までに出発したいって念押ししてたら、否が応でも理由くらい考えるわよ。それに、貴女さっきから伸びをしたり、ストレッチをしたり……まるで落ち着きがありませんもの」

 

 淡々とした口調で指摘されて、今まさに肩を解そうとしていたサクラは、その動きをピタリと止める。そんな様子を見ているのか、いないのか、アキラはレオンの前足を小さな手でぎゅうぎゅうと握りしめ、軽いマッサージを施しているようだった。

 入院中、面会が可能になってから度々会っていた事もあって、レオンはルーシー程落ち込んではいなかった。それよりもサクラの隣にアキラの姿を見た彼は、情緒も感慨も無いような様子で顔を引きつらせていた。

 レオンはアキラに弱い。と言うか、アキラ一家に弱い。

 ウィルにはやんちゃが見つかってはボコボコにされているし、プクリンには何故かやたらと追いかけまわされている――レオンはこの世の終わりのような表情で逃げ惑っていた――。おまけにトレーナーのアキラはもふもふなポケモンに目が無いので、折角手入れした毛並みを乱されてしまう事もしばしばあった。流石に病み上がりの現在はどの被害からも免れているものの、彼としては後が怖いのか、大人しくアキラに抱っこされている。

 トレーナーのサクラには簡単に抱っこされてくれないのに、複雑な気分だ。

 まあ、実のところは『少しもふらせてくれたらコガネで流行の化粧油を差し上げます』と言う甘言があっての事なのだが……それはサクラに真似出来ない事だ。

 

「貴女、別にイトマルだけが苦手な訳じゃないでしょう?」

 

 死んだコイキングのような顔をしているレオンをもみもみしながら、アキラは何でもない風に聞いてくる。

 言われて考えてみれば、実際、苦手なポケモンは割と多い。

 イトマルとその進化系のアリアドスを除いても、グライガーやマッギョは見た目が怖いと思うし、フワンテやヒトモシはどれだけ仲良くなっても絶対に手持ちにいれたくないと思っている。学生時代に勤勉だったからこそ、そこで知った怖い逸話には出来る限り関わり合いになりたくないのだ。

 サクラはややぼかしながらも、アキラの質問を肯定する。

 すると彼女は、再度溜め息をひとつ。

 

「バトルの相手がそのポケモンを使ってきたらどうします? 指示を投げ出して泣きべそでもかくのかしら」

「うっ……」

 

 痛いところをついてくる。

 実際、前回30番道路を通った際、サクラはレオンとルーシーに索敵を頼み、その影に隠れて進むようなことをしていた。まさかそれを見ていた訳ではないだろうに。

 しかし、サクラ自身、アキラが言うような状況を考えてこなかった訳ではない。特にそのポケモンが生息する道路を通る時なんて、そこに居るポケモンが使われない筈がない。どういう訳か、イトマルは虫ポケモンの事が大好きな少年たちにとって、やたら人気なポケモンなのだから。

 もしも、イトマルを繰り出してくるトレーナーとバトルになった場合、それは――

 

「がんばる……」

「え? 何と言ったんですか?」

「がんばる……」

「ダンバル?」

「頑張るって言ったの!」

 

 確かに声は小さかったが、隣のアキラに聞こえない程ではない。

 ぷうと頬を膨らませたサクラが睨みつけてみれば、アキラはあからさまに溜め息をひとつ。余った手を額に当てて、首を横に振って見せた。

 

「そんな意地を張らず、素直に助けてって言えば良いものを」

 

 呆れた風に言われてしまうと、何処か馬鹿にされた気がして、サクラは更にムッとしてしまう。

 だって、助けを求めたら馬鹿にするじゃないか。

 と、そうは思うものの、逆にアキラが怯えていれば、自分もちょっとくらい意地悪しているだろうと思い直す。

 それに、本当に落ち込んだ時は必ず助け合える仲だと思っているからこそ、自分の反論は幼稚で身勝手な言い分だと理解も出来ていた。実際に目の前にイトマルが現れたら、それこそアキラは何も言わずに助けてくれるだろう。

 

「別に克服しなくても良いのよ。恐怖と言うのは、時に警戒心になるのだから。怖いものが無い方が、よっぽど危なっかしいわ」

 

 だから――と言って、アキラは改めて向き直ってくる。

 

「助けて欲しい時は、ちゃんと言えってよ」

 

 と、そこで全く別の方向から声がかかって、サクラとアキラふたりして肩を跳ねさせる。

 やけに真面目な顔で話していた所為もあって、アキラは「ひゃっ!」なんて背中に氷でも入れられたような声を出していた。声こそ出なかったが、サクラもそれぐらいびっくりした。

 声のした方を振り向けば、ポケモンセンターを背景に、赤髪の少年が不敵な笑みを浮かべている。

 大胆不敵な笑みが良く似合う切れ長の目が特徴的なその少年。同じく印象深い赤髪は後ろで縛っており、前髪の長さも相まって、まるでどこぞのミュージシャンのオフの姿だ。黒いジャケットにジーンズ姿と、軽装なのもそう見える一因か。しかしながら、足許には二人より大きなバックパックが転がっていた。

 彼はサクラに目配せすると、アキラをちらりと見て、ふっと笑う。

 

「何だよ。サクラの友達って、やっぱお前か。名前が一緒だから、もしかしてと思ってたんだよ」

「ああ、びっくりしたぁ。そんなゴーストポケモンみたいな真似しなくても良いではありませんか」

 

 両手で胸を押さえるアキラは、大袈裟な程あからさまに肩で息をしていた。彼女は怪訝な顔付きではあったのだが、少年の素性を疑っているようには見えない。むしろ彼と同じで、『予想していた』と言わんばかり。

 あれ? 知り合い?

 と、サクラが思うのも束の間、アキラが驚いた拍子に落としてしまったらしいレオンが、まるで逃げるようにサクラの身体を這い上がってくる。「わっ、ちょっ」と、サクラの抗議の声を他所に、帽子を被っていないサクラの頭に、やけに重たい新たな帽子が出来上がってしまう。

 それを見て「あら可愛い」と溢すアキラの何と他人事か。

 重さ七キロ以上のポケモンが頭の上に乗ってみろ。そのチビな身長は一生伸びやしないぞ!

 と思うが、流石のサクラもそれは酷すぎると言葉を飲んだ。いや、それよりも――

 

「えっと、二人、知り合いだったんだ?」

 

 レオンの事は兎も角として、サクラはサキとアキラを見比べるようにして問い掛ける。

 とすれば、二人揃って「おう」「ええ」と答えてくれる。

 その返答の事故が気になったのだろうか。二人はちらちらと目線で牽制しあってから、やがてサキがおずおずといった様子で口火を切った。

 

「まあ、お互い親が親だしな」

「お母様やお姉様の会議に着いて行って、その待ち時間は他のジムトレーナーや関係者との交流の時間でしたので。協会の重鎮の息子とあれば、喋る機会もありまして」

「つっても、一年に一回会うかどうかで、幼馴染みっつうのも違うけどな」

 

 成る程。確かに、言われてみれば納得の理由だ。

 アキラはコガネジムの家系で、サキの父親はその上層組織のトップだ。何処かしらで接点があっても不思議ではない。

 もしかしたら、サクラも両親が身近にいれば、サキともっと早く出会えたのかもしれない。いやまあ、そうするとヨシノの学校には通っていないだろうし、アキラとの出会いがなかったかもしれないが。

 こうしてみると数奇な縁だ。

 サクラは感心するような心地だった。

 

「それにしても、盗み聞きに加えて不意打ちだなんて。貴方、ボンボンの癖に随分小賢しいのね?」

「はあ? 偉大なお友達様とやらが、サクラに高尚な説教垂れてるなと思ったから、ちょっとからかってやっただけだよ。小賢しいのはお前じゃねえか」

「聞き捨てなりませんわね?」

「事実だろうが」

 

 出会えた奇跡に感謝する暇もなく、何だか変なバトルが発生していた。

 アキラの言う事は正しいけれど、言い方に悪意がある。と言うか、悪意しかない。

 サキの言う事も正しいけれど、やはり言い方に悪意がある。と言うか、悪意しかない。

 とはいえ、どちらともがサクラのことを思い遣ってくれた末の発言で、妙なすれ違いから喧嘩しようとしている事は、すぐに分かった。

 

「ちょ、ちょっと、喧嘩しないでよ。此処で二人が揉めたら、それこそわたしが悲しいよ!?」

 

 色々と驚いていた最中の追い打ちという事もあって、サクラは軽くパニックになってしまう。慌ててレオンをボールに仕舞うと、バチバチと火花を散らす二人の間に割って入った。

 それが奏功してか、二人の争いはピタリと止まる。

 先程はびっくりして話を流してしまったが、アキラはサクラを心配して忠告してくれていたのだ。そして、その話が大事な事だからこそ、彼女は態とサクラを挑発するような言い方をしたのだろう。サキはサキで、サクラがアキラの加入を嬉しそうに電話で話したものだから、サクラがからかわれているように見えては、やるせなかったのだろう。

 どうしてこう、サクラなら分かる事が、二人自身には分からないのか。このロジックを口語に直せる程賢くない事が、とてももどかしい。しかしながら、言うべき事だけは、ちゃんと分かっていた。

 

「アキラもサキも、わたしの事心配してくれてるんだよね? 分かったから、喧嘩しないで。アキラも優しいし、サキも優しいって、知ってるもの」

 

 少しばかり言葉を選んだ様子のサクラに、二人はやや膨れっ面ながらも、やがて仕方ないと肩を落とす。

 年上のアキラが溜め息交じりに「失礼しました」なんて言えば、生意気なサキが「別に喧嘩するつもりはねえって」と言う。しかしながら、振り上げた拳をそのままゆっくりと下ろせる二人だからこそ、その懐の深さはお互いにとって分かり易い。

 どちらからともなく短い謝意があれば、薄く笑って簡単な握手を交わしていた。

 

「まあ、精々強がってろよ。オラオラお嬢様」

「貴方こそ、枕を濡らしても知りませんよ。七光りボンボン之介」

「誰が七光りボンボン之介だ!」

「貴方こそ何よ。オラオラお嬢様って!」

 

 懐……深い、かなぁ?

 いやまあ、流石にこれは冗談だろう。ここでサクラが「しつこい」と怒ったりすれば、この二人は揃って「冗談だ」とネタバラシして大笑いするのだ。先程は『あまり懇意な仲ではない』みたいに言ったくせに、何だかんだ息ピッタリじゃないか……。

 面倒臭いやり取りを前に、サクラはちょっとだけ、先行き不安に感じてしまった……と、『先行き不安』なんてそれっぽい言葉が浮かべば、それは今という状況を見つめ直す切っ掛けになる。そこからふと大事な事を思い出して、サクラは思わず柏手を打った。

 

「あ、ちょっと待って?」

「あん?」

「はい?」

 

 唐突な言葉に、二人が挑発をやめて、キョトンとした顔を向けてくる。

 言葉ひとつで止まるあたり、この二人の言い争いはやはりただの茶番なのだ。

 そんな感想を持ちながら、サクラは「えっと」と溢して、人差し指を立てて見せる。

 

「旅立ち。そう、今からわたし達、旅立つのよね?」

 

 そう言って確認をとれば、『何を今更』と言った表情で、サキとアキラは一度ばかり目配せしあって、こくりと頷く。「だな」「そうね」と返ってくれば、サクラも二度、三度と頷いて、くすりと笑って見せる。

 

「折角なんだし、それっぽくいこうよ。喧嘩なんてしないでさ」

「あー……」

「まあ、やぶさかではありませんわね」

 

 旅立ちなんてそう無い機会、これから先の命運を握る第一歩と取る人もいるだろう。

 それがなあなあになっていては、恰好もつかないじゃないか。

 そんなサクラの気持ちを分かってくれたのか、サキは「わりぃ」とごちて笑い、アキラはすまし顔で背を正す。かと思えば、アキラが態とらしい咳払いをひとつして、改まった様子で「では」と言って提案した。

 

「折角というなら、目標のひとつでも立てましょう?」

 

 なんて言うあたり、彼女は付き合いが良いタイプだ。そういう点で言えば、やはりサキとの争いも端からただの悪乗りなのだろうと思わせる。まあ、それは「お、いいねえ」なんて早速同調しているサキにも言えた事だが。

 しかしながら、改めて目標と言われると、何処か気恥ずかしくも感じる。きちんと言葉にしてしまうと、ただの大言壮語になってしまうような気もするが……と、そこまで考えて、サクラは人知れず首を横に振った。

 大言壮語も上等だと、ルギアの前で啖呵を切ったのは、他ならぬ自分だ。

 だから、他の二人より早く、いの一番に手を挙げて見せた。

 

「あのね。わたしは――」



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Section5

 旅立ちを祝福するような眩いお日様も、やがて西へと傾き、山の峰へ隠れてしまう。

 その瞬間の煩い事。沈まないでと嘆願したかと思えば、沈みやがったちくしょうと悪態ついて、これからどうすれば良いんだとこの世の終わりさながらに絶望する。昼から夕方まで休みなく歩き続け、夕方から更に倍の歩調でキキョウシティを目指したというのに、果たしてその底知れない体力と活力は何処から湧いてくるのか。

 すっかり闇に包まれてしまった林道の途中。街道ばかりは踏み均された茶色をしているが、人が三人分通れる歩道を外れれば、膝丈の草原が広がっている。その草原からほんの数十メートル歩けば、今度は鬱蒼と茂る樹海。勿論街灯なんてある訳がなく、各々のバッグにぶら下げた小さな懐中電灯だけが辺りを照らしていた。

 代わり映えのない30番道路の夜景色。キキョウシティの手前には洞窟や泉が見える筈なので、まだまだ道半ばといったところだ。

 あと一体どれ程歩かされるのか。

 少女のハイテンションを後ろで見守っていた少年は、げんなりした顔で深い溜め息を吐いた。

 

「なあ。流石に諦めて野宿しようぜ?」

 

 のっしのっしと歩く少女の背に向けてそう言えば、彼女はピタッと足を止めて、素早く半回転。

 勢い良く振り返ってきたその顔は、グランブルのそれに負けない怖い顔をしていた。

 

「嫌! 絶対無理!」

 

 そう言って、再度転身。歩き出してしまう。

 その様子を見送って、少年は今一度深い溜め息を吐いた。

 ちらりと隣を見れば、もう一人の旅仲間はすまし顔をしている。前を行く少女はおそらくアドレナリンがどうのこうのといった状態だと察するが、隣の彼女は自分よりも歩幅がずっと狭いくせに、飄々とした表情のまま、黙々と着いて行っている。

 華奢な身体付きの癖して、化け物染みた体力だ。

 これでは疲れたと根を上げる事すら出来やしない。

 少年、サキは、男としてのプライドが、最早棒のような足を動かしていた。考えてみれば自分だけ朝からずっと歩き詰めなのだが、それを主張したところで鬼気迫るサクラの足を止められるとは思えない。何がそうさせると言うのはアキラから聞いたものの、果たして普通の女子なら自分やアキラの後ろに隠れて震えているところだろうに……何がどうしたらああなるのだろうか。なりふり構わずの様子は、ただ必死なだけのように見えるものの、本当にそれだけなのだろうか。知り合って間もない仲ではあるのだが、何故だか違和感を拭えない。

 いや、今はそれより――

 

「あぁ、腹減ったなぁ」

「そうね。ずっと歩き詰めですものね」

 

 ふと出たぼやきに、意外にもアキラが同意してくれる。

 サクラには幼馴染みという程ではないと説明したものの、彼女の性格を知り、軽口を叩き合うくらいには、互いを知っている。それは別に関係を隠した訳ではなく、『退屈な待ち時間を潰す為だけの年の近い話し相手』以上でなければ、以下でもなかったという事。まあ、ただの知り合いと言い換えれば、分かり易いだろうか。

 つまり、この尊大な少女が、自他共に厳格な性格をしている事は知っていた。だから、あくまでも独り言のつもりだった。反応があっても貶されるとばかり思っていて、同意の言葉は予想外だったのだ。

 思わず目を丸くしていれば、それに気が付いたアキラは、睨むような細目で返してきた。

 

「何ですか、その顔は。軟弱者と罵った方が良かったのですか?」

「いや。ごめん」

 

 言葉を返したところで、都合よくサキの腹がぐうと鳴った。

 ああ、ひもじい。

 昼間、二人と合流する前につまんだ軽食からこちら、全然美味しくない携帯食料を少し齧っただけだ。食材も調理器具もあるというのに、何だって空腹に嘆かねばならないのか。こうなるなら先以って言ってくれれば、多少は荷物を減らせたのに。いいや、ポケモン達も腹を空かせているだろうし、この状況を看過してはいけないのかもしれない。

 ただ、サクラの『怖い顔』は、割とマジで怖いのだ。

 何度目か分からない溜め息を吐いて、サキは肩を落とす。

 

「はあ。今日はシチューでも作ろうと思ってたのによ」

「あら」

 

 と、何気ない愚痴に、隣からさも意外そうな声が上がる。

 おや? と思って目を向ければ、アキラは小さな手で口元を隠し、どこか期待したような眼差しを向けてきているではないか。その細指の隙間から見える口角はにやけ顔を隠せていないし、眉の角度も先程とは全然違う。難なら、黙々と歩いていた彼女の顔付きが、実を言うと生気が無かったのだと思える程、今の顔には活力があった。花が咲くとは、まるでこの様子を差すようだ。花ではなく、団子に釣られているのだが、それは兎も角として。

 サキは苦笑しながら、肩を竦めて返す。

 

「まさか、飯抜きだと思ってたのか?」

「ええ、まあ。どうするのかと思ってましたが、貴方は何気なく携帯食料を齧ってましたし、サクラもあの調子ですから……今日は欠食かと」

 

 早歩きをしながらも、まるで息を吹き返したかのような調子で、アキラはつらつらと語る。そうだ。彼女は饒舌なのだ。黙々と歩くなんて似合う人物ではなかった。

 それにしても、彼女の言葉は認識の違いを如実に表している。

 サキとサクラは、ヨシノシティを旅の始まりとして考えており、アキラも加えた三人で始めた旅だと考えていた。しかしながら、アキラはあくまでも自分を新参者だと思って振る舞っていたようだ。

 決して遠慮がちな性格ではないだろうが、彼女は礼節に厳しいきらいがある。気心知れた相手だとしても、旅の取り決めや指針には口出しし辛いと感じさせていたのかもしれない。まあ、それそのものは事前に気が付いて忠告していたとしても、時間が解決してくれるまではどうにもならない事だろう。

 しかしながら、融通が利かないとは感じる。

 いくらなんでも、晩飯抜きで一晩中歩き通すようなルールを取り決めている筈がないだろう。

 サキは肩を竦めてそう言った。

 すると、アキラはムッとしたような表情で、ぷいと顔を逸らしてしまう。

 

「では、サクラを説得するのはやめましょうか」

「え? 説得出来んの!?」

 

 あからさまな釣り針だった。

 サキが思わず食いついてしまえば、途端に「ふふん」と言って、得意げな表情が返ってくる。アキラは堪えきれない期待感をにじませながら、にんまりと笑って「夕食はシチューですよ? 絶対ですよ?」と念押ししてきた。

 と、そこでサキは気付く。

 どうやら先程の期待の眼差しは、食い意地が張っているからではなかったらしい。成る程。これから先、彼女のご機嫌とりをする方法をひとつ学んだという訳だ。割と我儘なお嬢様を相手に、これは確かな朗報だった。

 サキがシチューを約束すれば、アキラは良しと言って頷いて見せた。

 彼女は見てなさいと言って、今までの会話をまるで聞いていなさそうな先行く少女の方へ向き直る。ゆっくりと足を止めたと思えば、すうっと音を立てて息を吸い込むと、両手を顎に添えて、準備万端。

 

「サクラの恥ずかしいはなしー!」

 

 そして、よく通る甲高い大きな声でそう言った。

 先行く少女の足がピタリと止まる。

 

「サクラの胸のサイズはぁー」

 

 少女の足がぐりんと回転し、テッカニンも顔負けな高速移動でとんぼ返りをしてくる。

 鬼気迫っていた少女の顔は、今や悪鬼を宿したかのように歪み、その目は瞳孔が開いていた。

 端的に言って、超怖い。

 彼女はアキラの前までやって来ると、その頬を両手で挟んで、吐息がかかるような距離まで顔を近づけ、凄んで見せた。

 

「アキラ? 何を話すつもりなのかなぁ?」

「落ち着きなさい。貧乳」

 

 サクラのドスの利いた低い声に対し、アキラは慣れていると言わんばかりに毅然とした態度だった。パンと音を立てて、自らの頬を挟む手を払ったかと思えば、真正面から睨み返して、更に罵倒している。

 明らかに火に油を注いでいた。

 もうそれはそれは見事な煽り方だった。

 今にサクラが激昂して、とんでもない事になるのでは……と、サキは顔を引きつらせて後退る。そんな様子を知ったこっちゃないアキラは、尚もふてぶてしい態度でサクラを睨みつけていた。

 そして――

 

「今更どうあがいたところで、貴女の胸は一ミリたりと育ちやしないでしょう。しかしそれは貴女の不摂生も理由のひとつに挙げられるのは承知の上でしょうか。先ず、運動は適度に。食事と睡眠も豊かに。それが鉄則の筈です。なのに今の貴女はアスリートのように身体を虐め、恋煩いで痩せっぽちになる少女のように飲まず食わずをしています。それでは如何に育つ見込みの無い身体とはいえ、養護する建前すらどの面下げてと言われてしまうでしょう。大体、貴女はそうやって怒ってみせますが、そのどう見てもクレベースの背中宜しくな胸のサイズなんてバラすまでもありません。下着屋に行ってみなさい。測らずとも適したサイズが出てきますよ」

 

 淡々と、つらつらと、饒舌に、ひたすら罵倒を続けるアキラ。

 その言葉はひとつひとつ聞いていけばどれもこれもが腹立たしいだろうに、息もつかせぬ勢いのせいで、サクラを呆然とさせてしまっていた。正しく、圧倒的な毒舌だった。

 言葉を失った彼女の前で、アキラは深い溜め息をひとつ。

 いよいよ時が来たと言わんばかりに、両手を腰に当て、改めてサクラを見上げた。

 

「いい加減、お腹減ったのよ。休ませて下さいな」

 

 そして、実に怒る気を失くすような底抜けのにっこり笑顔を浮かべて見せたのだ。

 

「え、えぇぇ……」

 

 これにはさしものサクラとて、困惑した様子だった。

 いや、この期に及んでも、サクラはとても嫌そうな顔をしていた。

 ここまでくると、イトマル嫌いも相当だ。そんなにも嫌なものだろうか。

 と、サキですら呆れてしまう。

 やれやれ。仕方ない。と言った様子で、アキラは首を横に振る。

 

「寝る時はプクリンを貸して差し上げます。あの子の歌うなら朝までぐっすり。夜の警護も任せておきなさい。貴女のことですから、一度寝てしまえば、もうイトマルに怯える必要はなくなるでしょう」

 

 そう言って、モンスターボールを展開する。

 これまでの経緯を聞いていたのか、プクリンは胸を張るようにして、ぽんと丸いお腹を叩いて見せた。

 成る程。確かにプクリンは歌うの代名詞とも言えるプリンの進化系だ。『歌う』そのものはチラチーノも使う事が出来るが、その効果には絶対的な差があるだろう。

 

「ヨシノを発つ前に言ったわよね。助けを求めなさいって」

「うっ……」

 

 追い詰められたかのように怯むサクラ。その様子は、何やら敗北を悟ったようにも見えた。

 まあ、彼女のイトマル嫌いが相当なのは確かだが、半分くらい意地になっていた面もあるようだ。ヨシノではアキラの心配を受け取っているようにも見えたが、実際に助けてとは中々言い辛い。

 幼い頃から実の両親と離れ離れのサクラだ。血の繋がらない他人に助けられて生きてきた分、頼る事が下手くそになってしまったのだろう。彼女を上手く助けてやれるアキラが居て良かったと、そう思う。知り合って間もないサキでは、そこまで察する事は困難だ。

 しかしながら、その助けを求めさせる為の手段を目の当たりにすると、サクラが不憫でならなかった。望んで胸の無い者として生まれた訳ではないだろう。悪い事をして萎んだ訳でもない。だと言うのに、やけに気にしているらしい彼女も、自分もまな板である事実を棚上げにして弄り倒しているアキラにも、色々と突っ込んでやりたい事はあったのだが……いやはや、それら全て兎も角として、男子の自分が同行しているという事実を果たして忘れ去られているような、はたまた自分が異性であるという事を度外視されているような、そんな気がしてならなかった。

 なにより、アキラのそれは説得ではない。

 サキはそう思った。

 

 暫くして、三人は街道を少し逸れたところにちょっとした広場を見付けた。もう日も暮れてしまっているので、テントの設営は諦め、焚き火と寝袋だけを広げることになった。サキが早々に料理の支度をはじめれば、アキラはその手伝いを申し出たが、どうやら断られてしまったらしい。濡れタオルと着替えを持って、ウィルと一緒に席を外して行った。

 街道を外れて森に近付いてしまったが、焚き火の傍で膝を抱くサクラのすぐ隣には、レオンとルーシーがついている。アキラのプクリンも哨戒に当たってくれているので、野生ポケモンが襲撃してくる事はないだろう。決して確実とは言えないが、サクラの手持ちですらここら一帯のポケモンよりずっと鍛えられている。警戒心の強い野生ポケモン達が力量を見誤って襲ってくる事は、そう無い筈だ。

 時刻は二〇時を少し過ぎたところ。

 焚き火の上に仕掛けられた鍋から、ゆらゆらと湯気が立ち昇る。今はもう煮込みの行程らしく、じゃがいもとホワイトソースの優しい香りが辺りに漂っていた。それが鼻腔を擽ると、不意にサクラの腹の虫がぐうと音を立てる。

 未だ意地を張っているせいで謝罪ひとつ出来ていないというのに、なんて傲慢な奴だろうか。

 そんな自責の念に駆られて、思わず抱いた膝に顔を伏せた。耳まで真っ赤になっていると分かる程、恥ずかしくてかなわない。

 

「もうヤダァ……」

「はは。もうちょい待ってな」

 

 サキの優しい声がした後、隣に座っていたルーシーがこてんと頭を預けてくる。レオンも勝手気ままに人の身体をよじ登ったかと思えば、ぺしぺしと頭を叩いてきて、励ましてくれているようだった。

 アドレナリンが切れてしまえば、先程までの威勢の良さは何処へやら。

 身体も廃棄処分寸前のブリキみたいにギシギシいっていて、微塵の気力も湧いてこない。身体を拭きに行ったアキラが気を利かして誘ってくれても、首を横に振って返す事しか出来なかった。

 身体はとっくに疲労困憊。限界を迎えていたらしい。なのに、自分を止めてくれたアキラにすら意地を張ったまま。拗ねるばかりで、サキの料理だって手伝おうとすらしなかった。

 そんなサクラの本心を見透かしているかのように、二人にも、ポケモン達にも、優しい気遣いをされてしまっている。それが堪らなく不甲斐ない。いっそ先程のアキラのように、ぼろっかすに言ってくれれば良いのに。と、そんな事を思ってしまう。

 アキラが戻ってきたら謝ろう。

 そう思いながら、シチューを温める音に耳を委ねて、目を瞑った。

 

「まあ、美味しそう」

 

 間もなくして、ふと、そんな声を聞く。

 薄っすらと目を開けば、視界が滲んだ。目を瞑ったのはほんの一瞬だと思っていたが、やけに思考が鈍い。どうやら少し寝落ちていたようだと、そう感じる。

 くぐもった声を上げて、頭を上げてみれば……重力の方向が可笑しい。

 気が付けば、いつの間にか寝袋の上で横になっていたようだ。

 ぼやけた視界の中央で、橙色の炎がゆらりゆらりと揺れる。それ以外は墨汁でもぶちまけたかのように黒く染まっていて、決して鮮明ではない炎ばかりが、世界の全てに感じた。

 ふと、背筋をなぞられたような感覚がした。

 

『初めまして。サクラ』

 

 冷やかな女性の声がする。

 解像度の低い炎の向こう側から、能面の仮面がゆらりゆらりと揺れて、こちらへ近付いてくる。

 嫌な予感がした。

 いいや、それは既に記憶だ。

 そう思い出すや否や、首を掴まれ、地に足がつかなくなった瞬間を見てしまう。身体はその感覚を味わっていないのに、記憶がそれを今尚味わっていると錯覚させる。途端に目で見ていた筈の景色は掻き消えて、あの時助けを懇願さえした能面の仮面を強く思い出す。

 まるで雷が落ちたような衝撃。

 真白に視界が染まったかと思えば、今度は一転して何か白い物体を見下ろしている光景を見た。

 抱き上げた手が、ぬるりと嫌な感触を覚え、それを改めたサクラの目に、大切な家族の命の赤がべっとりとついていた。まるで糸の切れた人形のようにぐったりとしたその姿は――

 

「サクラ、サクラ!!」

 

 そこで、呼吸が詰まる程強く抱き締められて、ハッとする。

 何が何だか分からず、いつの間にか振り上げていた手で、放せ、放せともがく。

 強い力で押さえつけられている事が、身体中を撫でまわす感触が、堪らなく不快だった。

 

「チィ! チィノ!」

「ルー! ルー!!」

 

 しかし、ふと愛しい声を聞けば、不快感だけがスッと抜けて、身体中に感じる感触が一体誰のものなのかを唐突に理解する。息を吹き返すようにドッと溢れてくる情報量が、まるで猫騙しでも食らったかのような感覚にさせる。

 今見ていたのは……夢、だった。

 

「サクラ。サクラ? 分かりますか?」

 

 何処か必死な風の声を聞いて、目をパチパチと瞬かせた。

 ドクンドクンと強く脈打つ心臓は経験が無い程の早鐘を打っていた。何時の間にかいたのか滝のような汗が服を貼りつかせていて、それが冷えて、凍えるような寒気を感じる。

 荒れた呼吸を整えながら、周囲を改める。

 サクラの身体を抱くのは、アキラだ。泣きそうな顔で、こちらの様子を窺っている。傍らにはレオンとルーシーも居て、ふたり共すがりつくように寄り添ってくれていた。

 場所は、30番道路。

 心配そうにこちらを見ながら、鍋の番を続けているサキの様子も、辺りの景色も、つい先程の記憶と何ら変わりない。と、そこで、今しがた見ていた『嫌な記憶』を、どういう訳か思い出せない。ワカバ大火の出来事を思い出していたのは覚えているが、精細な風景が出て来なかった。

 しかしながら、うなされていた事だけは確かなようだ。

 サクラは少しばかり身体を離したアキラの肩に手を置き、ポンポンと叩く。大丈夫だと言葉なく伝えて、もう少しだけ距離を取ってもらう。

 身体を動かして初めて気付く凄まじい倦怠感と、僅かな頭痛。

 ヨシノシティではうなされた覚えなどなかったのに、何でだろうか。

 

「サクラ。本当に大丈夫ですか?」

 

 思わず頭を押さえてしまえば、再びアキラに心配そうな顔をさせてしまう。

 いいや、もう取り返しのつかない程に、心配をかけてしまっているようだ。

 頭痛を堪えながら、浅く二度頷く。

 

「大丈夫。お水あるかな?」

「すぐ用意する。ちょっと待ってろ」

 

 サキの声が返ってくる。

 うなされている間に悲鳴でもあげたのだろうか。喉が裂けたかのように痛んだ。

 その痛みに堪らない不快感を覚え、悪夢にうなされる不甲斐なさ、不条理さに、強い苛立ちを感じる。故郷を失くして尚、こんな目にあわなくちゃいけない事を、呪ってやりたい気分だった。

 程なくして、サキからアキラを経由して、お水を渡された。水筒に入れていたらしく、ひんやりとした喉ごしが、身体中の熱を奪い去ってくれるようだった。一口、二口、と喉を鳴らして、やがてふうと息をつけば、先程よりずっと視界が開けて見えた。

 ああ、何だかドッと疲れた気分だ。

 サクラはそう思った。

 

「ごめんね。そんな気にしてるつもりじゃなかったんだけど」

 

 助けを求めろと言われ、怒られて、それでこれかと自嘲する。

 頭の中で様々な感情が巡っている今、あまり考えると混乱してしまいそうだと自覚はあるものの、不条理に対する怒りと、全然吹っ切れていない不甲斐なさばかりは全く拭えない。

 

「いいえ。泣きたい時は、泣いても良いのですよ。わたくしもサキも、貴女の事を決して笑いません」

「ああ、約束する」

 

 アキラとサキの言葉に、まるで『そうだぞ』と言わんばかりに、レオンとルーシーの声が続いた。

 しかし、それこそ大泣きしてすっきりしたい気分ではあるのに、涙ばかりはちっとも出る気配が無い。難なら、ワカバ大火のあの日、サクラに癒えないトラウマを植え付けてくれたらしいあの能面の仮面の女に、胸倉掴んで詰め寄ってやりたいような気分だった。

 どうかしている。

 そんな血気盛んに育った覚えは無いし、暴力で解決する事は愚の骨頂だとウツギ博士に強く躾けられてきただろう。

 一度コップを置いて、両手で顔を覆う。

 今、本当にすべき事、考えるべき事はなんだ。

 心配をかけた仲間に今一度事情をしっかり伝えて、これからの方針を考える方がずっと有益じゃないか。あの能面の仮面の女が再びサクラの命を狙ってこないとは限らない。いざという時に慌てなくて済むよう、詳しい話を二人と共有する事がよっぽど大事じゃないか。

 サクラは両手で前髪を掻き上げると、一度天を仰いでふうと息をつく。

 

「あのね。ワカバで襲ってきた人の事を、見てたみたい。凄く、本当に凄く強くて、怖かったの。シルバーさんのバンギラスがあっという間に倒されちゃって、わたしは何も出来ないまま。気が付いたらレオンがいっぱい血を流して、ぐったりしてて。本当に、本当に……怖かった。多分、トラウマになっちゃうくらい」

 

 そう言って、改めて二人へ向き直る。

 サキもアキラも、サクラの事を真っ直ぐ見詰め返してくれていた。

 その顔は沈痛の面持ちという他ないが、決して同情心ばかりでないとも分かる。だから、もう二人の前で弱音を吐く事に、躊躇いは無かった。

 

「でも、本当にわたしが怖いのは、多分『怖いこと』なの。それこそ、イトマルが怖いとか、お化けが怖いとか……そういうなのが、全部、あの日のトラウマに見えちゃって。アキラ、さっきはごめんね。サキも、レオンとルーちゃんも、無理に引っ張っちゃってごめんなさい」

 

 ぺこりと頭を下げる。

 すると、正面に座っているアキラが、溜め息をひとつ。

 

「ねえ、サクラ」

「うん?」

 

 先程着替えたらしいパーカーが大きめだからだろうか。

 慈悲深くも見える顔付きながら、見た目相応な恰好をした彼女から、母性的なものは感じない。等身大の友達が、そこにいた。

 

「お腹空いたから、食べながらじゃダメかしら?」

 

 いいや、そもそも母性もへったくれも無かった。

 見計らったように彼女の腹がぐうと音を鳴らせば、まるで時が止まったかのように、辺りがしんと静まってしまう。

 やがて、視界の奥で膝に頬杖を突いて座っていたサキがズッコケているのが見えた。そこでハッとしたサクラも、思わず「え、今から?」と返してしまう。

 とすれば、彼女は途端に耳まで真っ赤に染めて、「だって!」と言っていきり立つ。

 

「わたし、シチュー好きなんだもの! やっと食べれると思ったらサクラは寝てるし、かと思ったら暴れ出すし、この調子じゃ何時までも食べらんないじゃない。お腹減ったの!」

「おいおい。言葉遣いどうしたよ」

「うるさい!」

 

 字面こそ標準語だが、立派なコガネ弁の抑揚で喚くアキラ。

 そういえば、彼女の何だか可笑しいお嬢様口調は、ヨシノの学校で方言をからかわれて身に付いた言葉遣いだったりする。普段からジョウト訛り自体は感じるものの、こうして露骨に出すのは珍しい。もしかすると、サクラを慮ってくれているのかもしれない。『気にしないで良い』なんて言葉は、口で言うより、態度で伝えてくれた方が、よっぽど気が楽なのは確かだ。

 

「つかさ、意外って言えば、寝間着はお嬢様してねえのな」

「はあ? それはそうでしょう。エプロンドレスで寝る馬鹿が何処にいるのよ」

「でも、アキラって自宅じゃネグリジェだよね」

「だから! 何で外で寝るのにネグリジェなのよ!」

 

 話が横道へ逸れると、途端に雰囲気が明るくなる。

 その後もアキラの髪のまとめ方がお嬢様っぽいだの、パーカーとハーフパンツを合わせるあたりあざといだの、だったら一日の汗を拭きもしないサクラの女子力はどうなのかとアキラの説教が始まり、実はサキもそう思っていたという裏切りにあったり。

 暫くして、三人と各々のポケモン達が、シチューの入った皿を手に焚き火を囲う頃には、和気あいあいとした雰囲気になっていた。しかしながら、話題は話すべき事を、きちんと話し合えていた。

 

「そういえば、どうしてルギアはサクラの手にあるままなのでしょうか?」

「あ、うん。わたしもシルバーさんに聞いたんだけど、理由は後回しにされちゃって」

 

 とくれば、二人の視線はシルバーの息子であるサキへと向く。

 気の利く彼は、それを事前に疑問視して、帰宅したシルバーに聞いていたらしい。

 和やかな雰囲気が促すまま、彼は父親の様子を真似るように、そこに無い眼鏡をくいと押し上げるような仕草をして見せた。

 

「サクラは既に『あれ』の声を聞いている。意思疎通が可能で、サクラに服従している以上、無理に引き離した際のリスクの方がずっと明確で大きなものだ。現在がただの小康状態で、再び暴走する可能性はゼロではないが、既に覚醒してしまっている以上、そのリスクは何処にいても同じ。だったら、今回の騒動の標的の一人だった可能性があるサクラの切り札として残した方が、リスクに見合う価値もある。まあ、これはルギアの覚醒を知る極少数の人間の勝手な意見だから、簡単に使われても困るが……サクラに限っては大丈夫だろう」

 

 声変わり前の少年のそれでは、決して似ている声だとは言えないものの、流石親子。癖と特徴をしかと捉えた物真似は、下手な芸人のそれよりよっぽど似ていた。

 おまけに、何やら煙草を吸うような仕草を見せたかと思うと……いいや、持ち方が変わったかと思えば、途端に齧り進めていくような様子をして見せる。はじめは何をしているのかと怪訝に思ったが、それが昔、テレビでシルバーが出演していたコマーシャルの物真似だと分かったら、サクラは堪えきれなくて汚らしく噴き出した。

 

「ちょ、ちょっと、ダメだってそれは」

「やめなさい。やめなさい。フレーズが聞こえてくるから、やめて」

 

 思わず皿を取りこぼしそうになりながら、更にこみ上げてくる笑いの衝動を堪える。

 なんだってそんな昔のネタを。『特徴的なフレーズに合わせて、シルバーがひたすら真顔で棒状のおやつを食べる』なんて、どうしてパントマイムで分かってしまうのか。いいや、顔が似ているのだ。そりゃあ当然だ。

 

「そういや、あれ、ジャガイモのお菓子だよな。芋繋がりだ」

「やめなさいってば。ほんと、もう……あはは」

「ふふ、シルバーさんに知れたら、絶対、怒られるんだから」

「いや、親父、あれで割とノリ良いから、『違う。こうだ!』とか言ってやりだすぞ」

「もうやめてってば」

 

 クールで格好いいシルバーのイメージが音を立てて崩れていくようだった。

 当時のそのコマーシャルだって、クールなイケメンが敢えてやっているからこそ、記憶から離れない根強いインパクトがあったのに。

 

「サクラ、ほ、本当にシルバー様って、そんな剽軽(ひょうきん)な方なのですか?」

「違うよ。わたしの前じゃ、かっこよかったのに」

「引っ越しなら、ゴーリキー運送。パワーが自慢です!」

「ぶふっ」

「ちょっと! もう!!」

 

 調子に乗ったサキが、また別のコマーシャルの物真似を披露していた。

 何が可笑しいって、声が似ていないのに、顔も仕草も完璧にちっちゃいシルバーなのだ。そのギャップがこれまた面白くて、サクラとアキラは食事が手に付かない程笑い転げた。

 もう、話が進まないじゃない!

 と、アキラが笑いながら文句を言えば、ようやっとサキの顔真似が解けた。本当に、下手なメタモンよりよっぽど似ている『変身』だ。

 ふうと息をついて、サキは再度口火を切った。

 

「えっと、あと親父から聞いたのは……ああ、そう。サクラの両親と連絡はとれないのかって聞いた。まあ、とれるならサクラにいの一番に教えてる訳だから、答えは言わずもがなだけど。ワカバ大火の原因についても、親父は濁してた。ただ、俺の知ってるヒビキさんは、ウツギ博士やサクラを傷付けるのは勿論、故郷に火を放つ人でもねえ。それは親父もそう思ってると思う」

 

 サキの話し方は、決してサクラへの配慮を欠いていなかったが、それだけではない確信めいたものを思わせた。

 なら、どうして。

 と、そう感じる点はあったが、笑い過ぎたせいで呼吸が整わない。

 それを見越したように、アキラが「では」と、先に質問する。

 

「シルバー様が断言出来ない理由は何でしょう?」

 

 その問いかけは、サクラが抱いた疑問と全く同じだった。

 サキは少しだけ考える仕草を見せた後、意を決したように回答する。

 

「あくまでも予想だけど……やっぱり、あの規模の火事はホウオウが噛んでると見るのが普通だ。サクラやウツギ博士の命が狙われた事も考慮すれば、どちらかが人質にとられていた可能性は否めないよな」

 

 例えサクラの父が望まなくても、サクラや父の恩人であるウツギ博士が人質にとられていては、彼にその選択を取らせかねないという訳だ。事実、サクラとウツギ博士は命の危機に瀕していたし、刺客とも対面した。

 トージョーの滝で見つかったという生存者たちが、不自然な程揃って事件の記憶がない事も、火災を合わせて考慮すれば、やはりホウオウの神通力という方が、自然と言えるだろう。

 それでもサクラは父の潔白を信じたいが……。

 と、自然と顔を伏せてしまえば、隣に座っていたアキラが背を撫でてくれた。

 

「まあ、事実は小説より奇なりと言いますし。言い換えれば、ヒビキ様が関与したという証拠も無い訳です。ヒビキ様に罪をなすりつける為、サクラを襲った仮面の女達が、あの手この手で偽装工作したとも考えられますね」

「だな。唯一、確かな事は、その女が敵だって事だ」

 

 二人の言葉に、サクラはこくりと頷いた。

 親身な励ましの言葉が、温かい。

 その温もりが、今尚眠り続けているだろう大切な人の教えを、思い出させてくれた。

 

「事実はひとつ。真実は人の数だけ」

 

 サクラがそう溢せば、アキラが小首を傾げた。

 

「哲学ですか?」

「ううん。ウツギ博士が言ってたの。事実は実際に起こった事だけど、真実はそうじゃないって」

 

 真実とは、事実に対する個々人の解釈の事。

 だから、誰かの勝手な解釈を事実だと受け取る必要は無い。如何にメディアがまことしやかにサクラの父を犯人にしたてあげたとしても、それはあくまでも真実のひとつに過ぎず、事実ではないのだ。

 サキが「成る程」と、応えた。

 

「事実と真実。確かに、そのふたつをごっちゃにして考えると、結果的に事実を蔑ろにして、物事の善悪ばかりに囚われるからな」

「それ、もっと簡単に出来ません?」

 

 小難しい解釈に、アキラが怪訝な顔をしていた。

 サキは肩を竦めてみせると、「つまり」と言った。

 

「ワカバ大火が必ずしも悪い事だとは限らないって事だ」

 

 その言葉に、話の種を投げたサクラ自身も「え?」と言って返してしまう。

 どうにも思慮深いこの少年は、あくまでも可能性のひとつとした上で、話を続けた。

 

「サクラを襲った仮面の女みたいな襲撃者から、ワカバの人達を逃がす為に、目くらましとして町を燃やした……そんな可能性だって、ある訳さ」

「それは……いくらなんでも」

 

 有り得ない。

 そう言いたげなアキラの肩を、サクラは思わず掴んでしまう。

 怪訝そうに振り向いてくる彼女に、サクラはずっと拭えなかった違和感を打ち明けた。

 

「あの女の人……ワカバの皆を『殺した』って言ってたの。間違いなく、そう言ってた」

 

 そう、あの日、シルバーが皆無事だと言っても、サクラはすぐに信じる事が出来なかった。

 それ程あの仮面の女は凶悪だったし、『殺した』との発言を疑う余地が無い程、容赦がなかった。けれど、事実はワカバの皆が無事だった。

 あの女が嘘を言ってサクラを脅していた可能性もある。

 ルギアの覚醒が狙いだった場合、それは十二分な効力を発揮している。実際、ルギアが目覚めるなり、彼女はあまりにあっさりと退いていった。

 

「まあ、どちらにせよ疑ってばかりじゃ疲れる。どうせならいくらなんでも有り得ないような事を、信じていようぜ」

 

 サキはそう言って、笑って見せた。

 彼の言葉は、確かにサクラが期待している真実だ。

 例え事実が残酷なものであったとしても、何も端から父親を疑う必要はない。もしも本当に残酷な事実が待っていたとして、いざ直面した時、サクラが挫けてしまうとしても……いいや、違う。

 その時こそ――

 

「もしも」

 

 そう言ってサクラは面を上げた。

 二人は、まるでサクラの言おうとしている言葉が分かっているかのように、優し気な顔をしていた。

 

「もしもわたしが挫けた時は……助けてくれる?」

 

 今尚、『助けて』とは言えない。

 けれど、こんな言い方でも二人は汲んでくれたらしい。

 

「当然だろ」

「勿論よ」

 

 即答で返ってきた言葉が、これ程安心出来るとは。

 アキラと親友で良かった。

 サキと出会えて良かった。

 そんな素直な気持ちが、たった一言の言葉で、サクラの口を突いて出た。

 

「ありがとう」




第二章、前編はここまで。後編はまだ書きあがってません。
バトルが無いのはどうしようもなかった。せめて後編には入れたいと思う。
因みに、シルバーが出ていたCMはじゃがりこでしょう。そんなものに出演しないと思うけど、協会の会長として已む無くだったんだと思います。


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