藤の花の導き (ライライ3)
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第一話 始まりの日

鬼滅の刃に嵌ったので投稿してみます。



「じゃあ行ってくるぞ、小町」

「あれ、もう行くの?ちょっと早すぎない、お兄ちゃん?」

 

比企谷小町は時計を確認し、兄である比企谷八幡に問う。

出掛けるにしてはまだ早すぎる時間だったからだ。

 

「今日は入学式だ。偶には早く行こうと思ってな」

「そっか。高校初日だもんね……頑張ってね、お兄ちゃん」

「……おう。行ってくる」

「行ってらっしゃい」

 

応援する妹に見送られ、比企谷八幡は家を後にした。

 

今日は高校生活最初の日。総武高校入学式だ。

 

 

 

 

 

 

 

自転車に乗りながら総武高校へ向かう八幡。向かう最中ふと少し前のことを思い出す。

思えば中学生活は碌なことがなかったと。一人でいるのは当たり前。少し優しくされたのを勘違いし、告白した翌日に晒されたのは黒歴史の中でもNO.1を記録した。

あんな日々はもう繰り返したくない。そんな思いで必死に勉強し、知り合いが誰もいない総武高校を受験し、見事に合格したのだ。

 

これから起こる高校生活に少しだけ期待を馳せる。中学の時よりはマシな生活が送れることを願って。

そう思いながら自転車を走らせると、前方の信号が赤へと変わった。信号前で自転車を停止し止まった。

 

そしてそのまま止まっていると―――声が聞こえてきた。

 

「待って~サブレ~」

「ワン!ワン!」

 

女の子の声。そちらへ視線を送ると、犬が猛スピードでこちらに近付いて来ている。犬の首輪は外れ、飼い主の少女が犬を必死に追いかけている。だがスピード差は歴然。ドンドン引き離されていく。

 

そして犬はそのままのスピードで道路へと侵入し―――そしてまた声が響いた。

 

「止まって~サブレ~」

 

飼い主の少女の声に反応したのか、犬がその走りを止めて飼い主の方へと振り返る。それに安堵する少女。しかし状況は最悪だった。

 

犬が止まったのが道路のど真ん中であり―――直ぐ傍まで車が一台近付いて来ていた。

 

「くそっ!!」

 

声を荒げ自転車から降りて走り出す。後先など考えない無意識の行動だった。

 

そこから先の記憶は断片的だ。

 

―――瞬時の差で犬を庇ったこと。

―――衝突の間際に、走馬灯の様なものが脳裏をよぎったこと。

―――車に弾き飛ばされ、とてつもない衝撃と共に意識が薄れていくのを感じたこと。

 

そして―――

 

 

最後に何故か―――何かの花の香りを嗅いだような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――知らない天井だ」

 

某有名アニメの主人公の台詞をそのまま喋る。だが無理もない。自分は車にぶつかったはずなのに、気付けば全く知らない場所にいたからだ。

 

「……いや、マジで何処だ、此処?何で和室に寝かされているんだ、俺」

 

車に轢かれたのなら、被害者が行くのは病院のはずだ。むしろそれ以外に行く場所はない。

 

「落ち着け、落ち着け、俺。慌てても碌なことはないぞ」

 

自分の現状を整理する。寝かされているのは畳のある部屋の布団の中。周りには机やタンスなどの家具が置かれているが、やけに古めかしい物ばかりだ。時代的には昭和かそれ以前の時代のようにも見える。

 

それを見て―――何か嫌な予感がした。

自身の状態が、考えているより遥かに異常な事態ではないのかと。

その予感を見過ごせず、布団から上半身を起こし―――そこで自分の違和感に気付いた。

 

―――怪我をしてない?馬鹿な!車に跳ね飛ばされたんだぞ!?無傷のわけない!

 

自身の身体に痛みをまったく感じない。あの時確かに車に轢かれた。

犬を庇い轢かれた瞬間に激しい痛みも感じた。だが今は何の痛みもない。

 

「あっ!よかった。気が付いたのね」

「っ!」

 

思考に耽っていると急に横から声が掛かった。そちらへ振り向くと、いつの間にか襖から一人の少女が部屋へと入ってきていた。その姿を見て八幡を驚く。今日では珍しく、少女が着物を着ていたからだ。

 

「気分はどう?どこか痛いところはあるかしら?」

「い、いや。特に問題ないです」

「そう?十日も眠ったままだったから心配したわ。顔色は……う~ん。どうかしら?」

「っ!?」

 

少女が近付き、こちらの顔を覗き込んでくる。少女の容姿を間近で見た八幡は思わず後ずさる。

 

――――近い近い近い。何かいい匂いするし、嬉しそうな笑顔してるし、着物着てるしすごい美少女だ。今まででこんな美少女見たことない。何なら一目惚れして告白してすぐ振られるまである、って振られるのかよ!

 

混乱の窮地に立たされる八幡。美少女に間近で観察され目は挙動不審になり、視線を逸らしてしまう。

しかし少女は気にすることなく、八幡の顔色を観察する。

 

「……うん。顔色も良さそうだし問題なさそうね。お医者様に見てもらっても原因が分からなくて心配したけど、気が付いて本当に良かったわ」

「っ!あ、ああ。た、助けてくれてありがとう。この恩は必ず返します」

「気にしないで。困ったときはお互い様よ」

 

少女の言葉と笑みに顔が赤くなる。少女の笑みは優しく、まるで太陽の光に当てられたように感じられた。暖かく、何の悪意もなく、純粋にこちらを心配する笑み。

 

他人からそんな笑みを向けられるのは初めてだった。

 

「あ、折角目を覚ましたのだから、空気の入れ替えをしましょうか。窓を開けてもいい?」

「あ、ああ。頼みます」

「うん。任せて」

 

少女は嬉しそうな返事をして窓へ近づき、これを開けた。八幡も起き上がり、開いた窓から外を見渡し―――その光景に絶句した。

 

「――――――」

「どうかしたの?」

 

八幡の様子を不思議がる少女。だが少女に気をかける余裕は八幡にはなかった。

 

アスファルトで舗装されていない道路。まばらに走っている古臭い車。通りを歩く人の服装は殆どが和服で統一されている。見れば見るほど現代の風景とは異なっていた。

その見たままの光景は、予感を確信へと変化させる。

 

「………一つ聞いてもいいですか?」

「うん。いいわよ……あ、自己紹介してなかったわね。私の名前は胡蝶カナエ。カナエでいいわ」

「……比企谷八幡です」

「比企谷八幡……じゃあハチくんだね。で、聞きたいことって何?」

 

聞かなければいけない。だが聞けば取り返しが付かない。震える唇を噛みしめ、比企谷八幡は胡蝶カナエに問う。

 

「妙なことを聞いているのを承知で聞くんですが―――今の年号を教えてください?」

「えーと、今は大正だけど。それがどうかしたの?」

 

その答えは驚きではあったが、するりと自らの心は納得した。此処までくれば状況から理性は警告していたからだ。

 

つまり自分は―――

 

「タイムスリップ……まじかよ」

 

現代から大正時代へのタイムスリップ。それが答えだった。

 

 




とりあえずの投稿です。評判が良ければ続きます。


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第二話 胡蝶家との花見

とりあえず続けます。


 風が吹く―――

 その度に桜の花が舞い踊る。

 ゆっくりと歩きながら、桜の散るさまを眺めていく。

 

「…………綺麗だな」

 

 散る桜を見てそう思う。だがそれは八幡だけではないようだ。

 周囲には昼間にも関わらず大勢の人で賑わっている。少し離れた場所では、ゴザに座った人たちが酒を飲んだり、料理を食べながら八幡と同様に桜を楽しんでいる。

 

 花見を楽しむのは、現代も大正時代も変わりないようだ。

 

「―――ハチくん」

「胡蝶姉、か」

 

 己の名を呼ばれそちらへと振り向く。するとそこには、艶やかな着物を着た二人の少女がこちらに近付いてきた。

 一人はこの時代に来て初めて会った少女である胡蝶カナエ。

 

 そしてもう一人は―――

 

「……準備出来たみたい。行くわよ」

 

 若干ぶっきらぼうに話してくるのはカナエよりも小さな少女。

 彼女の名前は胡蝶しのぶ。胡蝶カナエの四歳年下の妹である。

 

 八幡がこの時代に来てから一週間が過ぎた本日。八幡は胡蝶家の一家総出で花見に来ているのだ。

 

「うふふ、空いてる場所が見つかったわ。行きましょ、ハチくん」

「ああ……って、その手は何だ?」

 

 目の前にカナエの手が差し出された。

 

「もちろん手を繋ぐためよ?」

「いや、そんな当たり前のように言われても……子供じゃないんだから一人で歩けるぞ」

「いいから、いいから。しのぶ、反対側をお願い」

「……ええ。分かったわ。姉さん」

 

 左手をカナエが握り、そして右手をしのぶが握る。柔らかく、温かな二人の手の感触が八幡に伝わる。

 

 ―――二人がここに存在している。それを確かに実感できた。

 

「……行きましょうか」

 

 二人に手を引かれ、八幡は歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「へー。じゃあ、ハチくんの時代でも花見は行われてるんだ」

「まあ、な。桜の名所なんかは全国からだけじゃなく、海外からも花見に来る人が大勢来てる。色んな国から人種を問わずにな」

「それは凄いわ。皆仲良く出来るなんて素晴らしいことだと思うわ」

「……少し信じがたいわね」

 

 二人と手を繋ぎながら己の時代の花見について語る。

 その八幡の説明にカナエは素直に感動しているが、しのぶは若干疑わしそうにしている。

 

「あら、しのぶはハチくんの言うことは信じられない?」

「そうは言わないけど……今の時代からは想像できないわ」

「私は信じるわよ。だってその方が素敵じゃない」

「……姉さんは人を簡単に信用しすぎよ」

 

 カナエの言にしのぶは呆れる。

 異なる反応の二人だが、一般的にはしのぶの方が正しい反応だ。

 八幡がいた現代とは異なり今は大正時代。欧米によって白人以外の人種は植民地化されている時代なのだ。

 

 この時代の価値観に照らし合わせれば、八幡の言うことの方がおかしいのだ。

 

「……何でそんな簡単に信じるんだ?」

「え?」

「…………」

 

 八幡がポツリと呟くと二人が足を止める。二人と手を繋いだ八幡も必然的に一緒に足を止めた。

 

「俺が最初に説明した時もそうだ。未来から来たなんて普通は信じない。ましてや、こんな腐った目の男のことなんて信じる方が頭がおかしい。なのにどうして……」

 

 最後の方は言葉にならなかった。

 胡蝶カナエと初めて話したあの後。妹の胡蝶しのぶと二人の両親が部屋に来て、八幡の回復を祝ってくれた。

 

 そして何処から来たのか事情を聞かれた。混乱し、動揺している八幡は己の素性を素直に話してしまったのだ。話した直後に己の失策を自覚する。未来から来たなんて妄言を誰が信じるのだろうか、と。

 

 ―――だが胡蝶家の人たちはそれを信じ、八幡の保護をしてくれたのだ。

 

「―――ハチくん」

 

 胡蝶カナエが比企谷八幡を呼ぶ。そして少し怒った顔で見つめる。

 

「自分をそんなに卑下しちゃ駄目よ。私たちはハチくんの言うことを信じてるんだから」

「……どうしてだ?」

「分かるわよ。だって」

 

 カナエの空いている左手が八幡の頬に添えられる。

 

「―――こんなにも泣きそうな顔をしてるんだもの」

「っ!?」

「ずっと悲しい顔してる。怖くて、寂しくて、自分の居場所なんか何処にもない。そんな風に感じるわ」

「…………」

 

 否定できなかった。

 

「その人が本当のことを言ってるかどうかは、その人を見れば分かるわ。ハチくんは本当のことを言っている。私たちはハチくんの味方よ。ねぇ、しのぶ」

「まぁ、正直信じきれない所もあるけどね。でも、アンタが嘘を言っていないのは分かるわ……だから元気だしなさい」

「そう、か」

 

 二人の優しが心に染みる。ずっと不安だったのだ。訳の分からぬままこの時代へやってきた。見るもの全てが昔のもの。価値観を共有できる人は誰もいない。

 

 ―――そう思っていた。

 

 自身の心が落ち着いてきたのを自覚する。そこで自身の状態に気付く。

 胡蝶カナエが己の頬に手を当て、至近距離でこちらを見つめているのだ。まるで、男女の逢瀬のように。

 その事実に八幡の顔が真っ赤に染まる。

 

「わ、分かった。分かったから! は、離してくだしゃい。ち、ちかい。近いから!」

「どうしたの、ハチくん?」

 

 カナエは自身の状態を何とも思ってないようだ。しかし八幡に拒絶されたと思ったのか頬から手を放す。そして悲しそうな顔を八幡へと向ける。

 

「もしかして、ハチくんは私に触れられるのは嫌?」

「そ、そうじゃない。そうじゃないんだが。おい、胡蝶妹。何とか言ってくれ」

「……無駄よ。姉さんのコレは天然だから」

「まあ、酷いわ、しのぶ。私は天然なんかじゃないわ」

 

 頬を膨らませたカナエがしのぶに反論するも、「いや、天然だよ」と八幡としのぶの心は一致する。

 

「まあ、言っても無駄なのは分かってるけどね。それよりアンタ! 私の名前はしのぶよ。いい加減ちゃんと呼びなさいよね」

「そうね。私も胡蝶姉じゃなくてカナエってちゃんと呼んでほしいわ」

 

 二人は八幡に対し呼び方の変更を求める。しかし八幡は譲らない。

 

「いや、それはだな……! 胡蝶妹。お前だって俺のことアンタとかしか呼ばない「八幡」……」

「八幡。そう呼べばちゃんと呼ぶのよね?」

 

 ニヤリとしのぶが八幡に対して笑った。

 

「…………はぁ。分かったよ、カナエ、しのぶ。これでいいか?」

「そう。それでいいのよ」

「ええ、その方が私も嬉しいわ」

 

 そんなやり取りをしながら、三人は目的地へと足を運んで行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ、おかえり三人とも。準備は出来てるよ」

「おかえりなさい。あら、随分仲良くなったのね。いいことだわ」

 

 胡蝶姉妹の両親が三人を出迎える。

 三人が手を繋いでいるのを見た胡蝶母は笑みを浮かべる。その指摘に恥ずかしくなったのか、しのぶは慌てて手を放す。

 

「そ、そんなんじゃないわ。八幡が迷子になりそうだから、仕方なく手を繋いだだけよ」

「あら、そうだったかしら? それにしては嬉しそうに手を繋いでいたと思うけど」

「あらあら、そうなのね。しのぶが男の子と仲良くなって母さん嬉しいわ。いつの間にか八幡くんのこと名前で呼んでるし」

「母さん! 姉さん!」

 

 母と姉の揶揄い、いや二人の天然攻撃に押された妹は思わず声を荒げる。

 

 取り残された八幡は、胡蝶父がこちらに手招きしているに気付く。その誘いに従い、草履を脱いでゴザの上に乗り、胡蝶父の隣へと座る。ゴザの上には、お酒やお茶などの飲み物。他には幾つもの重箱に入った料理の数々が並んでいた。

 

「失礼します」

「うん、いらっしゃい。桜は楽しめたかい」

「はい。とても綺麗で……俺の時代と一緒でした」

「そうかい。それはよかった」

 

 胡蝶父が笑みを浮かべる。優しい人柄がそのまま表現されたような温かな笑みだった。八幡から視線を外すと、胡蝶父は手のひらをパンパンと叩く。すると女性陣の注目が彼に集まる。

 

「さて皆。そろそろ頂こうか。僕はもう腹が空いちゃったよ」

 

 その言葉を切っ掛けに女性陣もゴザの上へと座り準備が始まった。大人の二人はお酒の入った器を、姉妹と八幡はお茶の入った器を手に持つ。

 

「さて、皆器を持ったね。では、乾杯」

『乾杯!』

 

 そして胡蝶父の音頭により胡蝶家の花見が始まった。

 

 

 その後は楽しい時間が過ぎていった。

 

 カナエがあーんと八幡に料理を食べさせようとすると、妹ははしたないと声を荒げる。その後、料理は強引に食べさせられた。

 また姉妹揃って水と酒を間違って飲んでしまい、酔った二人の処置は特に大変だった。甘え上戸と化した二人は、八幡に抱き着いてきたのだ。抱き着かれた八幡はおろおろと狼狽え、姉妹はそんな八幡を見て笑いながら、八幡の世話をする。そんな微笑ましい展開が繰り広げられた。

 

 そんな三人の姿を、両親は微笑ましく見守ったという。

 

 

 この時は平和だった。

 胡蝶家の人々との交流は八幡の心を癒していった。元の時代には帰れないかもしれない。そんな思いが脳裏をよぎったが、この優しい人たちと一緒なら悪くない。そう思えたのだから。

 

 あの日が来るまでは―――

 

 八幡は知らなかった。胡蝶家の面々も知らなかった。

 平和というのは当たり前にあるが―――突如として消え去ることを。

 

幸せが壊れるときには、いつも血の匂いがするということを。

 

 ―――この時はまだ誰も知らなかった。

 




大正コソコソ噂話

いきなり一緒に住むことになった男の存在に、しのぶは最初凄く警戒していました。しかし心根はとても優しい彼女。目を離せば消えそうな様子の八幡を見ているうちに、ツンケンしながらも世話を焼くようになっていた。若干、ツンデレの気がある胡蝶しのぶさんです。



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第三話 鬼の襲撃

鬼滅の刃コミックス、全巻揃えたので続きます。



 胡蝶家と花見に行ってから二週間の時が過ぎた。

 その間、比企谷八幡は胡蝶家の家の手伝いをしながらある事に没頭していた。

 

 そう。文字の勉強である。

 勿論、現代の義務教育を受けてきた比企谷八幡が、文字を書けないなんてことはない。しかし今いる場所は大正時代。現代とは書式等が微妙に異るため、この時代ではそのまま使用できないことが多いのだ。その為、この時代で使用できる文字を勉強しなおしていた。

 幸いにも、比企谷八幡の元の時代での国語の成績は良いほうだった。下地はあるため、文字の勉強にそこまで苦労はせず、急速に大正時代の文字を覚えることができた。

 因みに教育係は主に胡蝶しのぶである。彼女の熱の入れようが半端ではなく、朝、女学校に行く前に大量の宿題を渡される。

 

 ―――終わらなかったら分かってるでしょうね? 

 

 にっこりと笑いながら大量の宿題を渡してくるその姿に若干の恐怖を覚えた。

 あの花見以降、こちらに対して遠慮というものが感じられない。年下に教えを乞うのは情けない気がしないでもないが、胡蝶家では彼女が一番頭がいいので仕方なしといった感じだ。本人も結構ノリノリで教育しているというのは、胡蝶カナエの言である。

 

 例えばこんなエピソードがある。胡蝶家の人々に現代で使用している文字を見せた所、胡蝶家の面々はとても興味深く見ていた。そんな中、胡蝶しのぶは言った。

 

 ―――もっと詳しく教えなさい。

 

 教えても今は使えないぞと警告したが、それでも教えろと言ったのでとりあえず教えてみた。結果、一度教えれば完璧に使いこなしてしまった。年上の面目丸つぶれである。

 

 因みに、胡蝶しのぶ以外にも胡蝶カナエからも教えてもらっている。内容としては、この時代の常識、文化、礼儀作法等だ。これらも現代とは異なる点が多い。知識としては多少知っていることもあるが、やはり実際に教えてもらうのはとても重要なことだと実感した。

 

 教えてもらってばかりなのは気が引けるので、お礼に何か出来ないかと聞いてみると。

 

 ―――じゃあ、ハチくんの時代のことを教えてほしいな。

 ―――そうね。私も興味があるわ。

 

 と、二人には現代の話をせがまれた。

 胡蝶カナエは平和な話を好む。普段の家での様子や、学校帰りに行く本屋やスーパー、コンビニなどに寄る。そんな何気のない日常の話でも目を輝かせて聞いている。一度、現代の映画館や遊園地の話をした時は興奮しすぎて手を焼いたほどだ。

 逆に胡蝶しのぶの好みは広い。日常生活だけでなく、様々な分野に興味を持っている彼女は、八幡が知りうる限りの知識を要求してくる。特に現代における科学の進化には目を見張っていた。携帯電話や新幹線などの存在はこの時代では想像も出来ないだろう。目の輝き方は姉と一緒であった。さすが姉妹である。

 

 ちなみに二人の共通の好みとして現代の食べ物やファッションがある。大正でも現代でも食べ物や服装に興味が沸くのは女の子らしいと言えるだろう。

 

「こんなものか……」

 

 現代に比べて少し薄暗い明りの中、鉛筆を机の上に下ろす。そのまま右肩を回し、肩の筋肉をほぐす。

 

「ふぅー。とりあえず文字に関しては大丈夫かな」

 

 この時代で暮らしていくにしても文字の習得は必須である。外国語ではなく昔の日本語なので習得に時間がかからなかったのは幸いだ。

 

「今の時代、本は数少ない娯楽だからな。それに大正時代といえば文豪が沢山生まれた時代だ。その人達の作品をリアルタイムで読めるっていうのはある意味凄い贅沢な話だ」

 

 谷崎潤一郎や芥川龍之介、さらには森鴎外や夏目漱石といった、現代でも知られる文豪が誕生したのが大正時代である。この時代で既に頭角を現している人もいれば、まだ無名の人物もいる。もしこの先暇が出来たのなら、直接会いに行ってもいいだろう。もしかしたらサインを貰えるかもしれない。

 

「皆には感謝しかないな、ホントに」

 

 胡蝶家の人達には本当に足を向けて寝られない。文字を完全に覚えたら、胡蝶父の仕事の手伝いをする約束をしているので、少しは恩を返したいところだ。

 

「……さて、もう寝るか」

 

 明りを消し布団に入る。目をつむれば直ぐに眠気が襲ってきた。

 最近は何故か生活が充実している気がする。だらだらと過ごした学生時代より一生懸命生きてるからだろうか。

 

 だが悪くない。そんな自分らしくない考えが浮かびながら、意識がなくなっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「きゃぁぁぁぁっ!!」

 

 突然の悲鳴で目が覚め、起き上がる。人の叫び声が聞こえた。声から察するに女の人の声。場所はすぐ近くな気がした。

 

 ―――まさか! 

 

 飛び起きて廊下に出る。すると同じように悲鳴で目覚めたのか、カナエが廊下に顔を出していた。

 

「―――ハチくん!」

「強盗かもしれない。しのぶと一緒に部屋にいろ!」

「で、でも」

「いいな!」

 

 相手が強盗なら女性陣は危ない。カナエに念押しして声の方へと走る。

 目的地はすぐに見つかった。部屋の襖が開いていたからだ。その場所は―――胡蝶夫妻の部屋だ。

 そして入る前から血の匂いが漂ってきた。

 

「おじさん! おばさん!」

 

 八幡が叫びながら部屋に駆け込む。

 そこには―――信じられない光景が広がっていた。

 

 血の匂いが充満している。一人の大男が腕を突き出し、その腕の先は赤く染まり何かを貫いていた。

 ―――それは妻を庇った夫の姿であった。

 

「お、おじさん……」

 

 声が震える。目の前の光景が信じられない。腕が人の身体を貫通していたからだ。そんな事、普通の人間に出来るわけがない。

 八幡の声に反応したのか犯人である大男がこちらに首だけ振り向く。

 

「あぁ、何だ。餌が起きてきたか」

 

 それは異形な存在だった。顔にある無数の血管が異常に膨れ上がっており、額には二本の角らしきものが存在している。そして二つの目玉はとても巨大だった。その血走った目玉でギロリと睨みつけられると、八幡の身体は震え始めた。

 

 相手が人間ではないと―――本能が理解してしまったからだ。

 

「八幡くん! 逃げなさ「黙れ!」ぅぁぁ……」

「おばさん!」

 

 こちらに逃げろと言おうとしたのだろう。だがその言葉を最後まで言えないまま胡蝶母は息絶えた。

 震えが止まらない八幡に、異形の者は聞き捨てならない言葉を放つ。

 

「お前を除いて後二人。この家にはいるみたいだなぁ」

「!?」

 

 カナエとしのぶの事が把握されている! 

 

「はぁぁぁぁ、ふぅぅぅぅ……お前は一体何なんだ。人間じゃないな」

「何だ、餓鬼。俺様の正体が知りたいかぁ」

「…………あぁ」

 

 頷くと異形の者がこちらに振り向く。ニヤリと笑いながらこちらをターゲットにしているのが分かった。

 無理やり息を整え、腰を少しだけ落として動ける準備をする

 

「なら教えてやる―――人食い鬼だよぉ!!」

 

 叫ぶと同時にこちらに加速する鬼。そして上から振り下ろすように爪の一撃を放ってきた。

 

 正面から来るのは分かっていた。そしてそれが驚異的な速さだというのも予測した。だから言葉を発したと同時に横に飛んで避けた。

 

「っ! ぐぁぁっ!?」

 

 だがそれでも避けきれらなかった。鋭い爪の一撃は肩をかすめて鮮血が舞う。

 そして空中で体勢を崩された八幡は、そのまま部屋にある何かの家具にぶつかり、そのまま一緒に倒れこんだ。

 

「はぁっはぁっはぁっ? ……何だ?」

 

 しかし鬼の追撃がすぐに来なかった。今の状態なら直ぐに殺せるはずなのに。

 疑問に思い顔を上げると、鬼が驚いた顔でこちらを見ていた。

 

「妙な気配を感じると思ったら、そうか小僧! お前稀血だなぁ!!」

「……マレチ?」

「なるほどなるほど! これは運がいい! まさか稀血に巡り合えるとはなぁ!」

 

 鬼の言葉の意味は分からない。だがマレチという単語が自分を指していることだけは分かった。

 

「ようし。こいつらから食べようかと思ったが、稀血がいるなら話は別だ。先にお前から喰ってやる!」

「…………」

 

 ゆっくりと近付いてくる鬼。この状態では逃げられない。逃げようとした瞬間、すぐに殺されてしまうだろう。

 しかも状況は更に悪化する。

 

「ハチくん! ……あぁぁ、お父さん! お母さん!」

「お、お父さん。お母さん! いやぁぁぁぁ!!」

 

 八幡が心配になったのだろう。後を追って胡蝶姉妹が部屋に来てしまった。しかも両親の姿を見てしまった二人は

 泣き叫び、そのまま腰を落としてしまう。

 

 ―――状況は最悪だ。

 

「あぁぁ、残り二人はお前らか。女とはこれまた運がいい。そこで大人しくしてろ!」

「っ!?」

「ひっ!?」

 

 鬼に睨まれた二人は震えて動けなくなった。これでは逃げることすらできない! 

 

「さて待たせたな、餓鬼。まずはお前からだ」

「………………」

 

 鬼が近づき八幡の頭を片手で掴む。そして片手でそのまま持ち上げる。そして鬼が八幡に話しかける。

 

「くっくっくっ、なぁ稀血の餓鬼。俺様は今非常に気分がいい。後ろの二人に言い残すことはあるなら聞いてやるぞ?」

「……ぅ……ぁ……」

「何だ、聞こえねぇなぁ。何て言った?」

 

 上機嫌な鬼は八幡の言葉を聞こうと耳を近づける。

 

 ―――次の瞬間、鬼の右目に鋭い物が突き刺さった。

 

「ぐぁぁぁぁぁ!!」

「くぅぅぅ!」

 

 鬼の目に突き刺さったのは簪だった。先程倒れこんだ八幡は傍に合った簪を拾い、鬼の隙を付いて右目に突き刺したのだ。鬼の身体は強靭だ。だが生き物である以上、眼球なら攻撃が効くと八幡は予想したのだ。

 

 必死に力を入れながら八幡は叫ぶ。

 

「カナエ! しのぶ! 逃げろ!」

『!?』

 

 二人が驚いた表情でこちらを見る。

 

「長くは持たない! 走って逃げろ!」

「で、でも……」

「は、はちまん」

 

 だが二人は動かない。この二人に八幡を見捨て逃げるという選択は出来なかった。

 

「離せぇ! このクソ餓鬼がぁぁぁ!」

「ぐぁぁぁぁ! ……は、はやく……」

 

 鬼は自身の身体を振りながらこちらを引き離そうとする。それに対して八幡は鬼にしがみ付き、一秒でも時間を稼ごうと必死に右手に力を込める。

 

 ―――だがそれも大した時間稼ぎにはならなかった。

 

「クソがぁぁ!」

「!?」

 

 鬼と人ではパワーが違いすぎる。ほどなくして右手を掴まれ、そのまま八幡は投げ飛ばされる。

 そして襖をぶち破り、廊下の壁へと激突した。

 

「がはっ!」

「は、ハチくん!」

「八幡!」

 

 二人が八幡に駆け寄った。

 

「ハチくん! しっかりしてハチくん!」

「八幡! 八幡!」

「にげ……ろ……」

 

 倒れこむ八幡。カナエとしのぶが必死に呼びかけるも反応が薄い。意識はあるようだが、起き上がることはもう出来ない。

 そんな三人に鬼がすぐ傍まで近付く。

 

「やってくれたな、クソ餓鬼―――だが無意味だったなぁ」

『!?』

 

 三人は見た。鬼が右目に突き刺さった簪を抜くと、瞬く間に目が再生していく姿を。

 

「これで終わりだ! クソ餓鬼!!」

 

 鬼が自身の右手を振りかざす。数瞬後にはその一撃が直撃し、八幡の命は尽きてしまうだろう。

 そこでカナエが動く。八幡に覆いかぶさり自ら盾になったのだ。

 

 驚く八幡としのぶ。八幡がカナエをどかそうとするも身体が動かない。

 間に合わない。誰もがそう思った―――次の瞬間。

 

 ―――鬼の首が宙を舞っていた。

 

『!!』

 

 鬼の首が飛び床へと落ちる。すると首と身体が徐々に崩れ去っていく。

 そして―――鬼の存在はなかったかのように消滅した。

 

 そして三人は見た。鬼を消滅させた人物を。

 黒の学ランのような服を上下に着ており、背中には何か文字が書かれた羽織を背負っている男だった。

 左手には武器である斧を持ち、それが鎖で繋がれている。そして鎖の先にはトゲ付きの鉄球が括り付けられていた。鉄球の一撃で鬼の首を飛ばしたようだ。

 

 どうやら味方のようだ。

 

「……助かった」

 

 八幡は呟くと、己の意識が急速に薄れていくのを感じた。薄れゆく意識の中、カナエとしのぶがこちらに必死に叫んでいるのが分かった。そんな二人を安心させるかのように、薄っすらと笑みを浮かべ、比企谷八幡は意識を失った。

 




大正コソコソ噂話

胡蝶夫婦はとてもいい人です。突如現れた八幡に対しても下手な同情はせず、優しく見守ることに出来る人物でした。
接した時間は短くても、八幡の中では二人は家族のような存在でした。


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第四話 その決意は誰にも覆せず

続きを希望されたので投稿します。


「……それは本気か?」

「ええ。本気よ」

「私もよ。二人で話し合って決めたの」

 

 比企谷八幡は目の前の二人、胡蝶カナエと胡蝶しのぶを睨みつける。

 彼女たちの言ったことが正気とは思えなかったからだ。

 

「――――あの二人はそんな事を望んでいないぞ」

「……ええ、きっとそうね。もし居たら全力で反対したでしょうね」

「だったら「嫌よ!」」

 

 寂しそうに笑うカナエ。八幡は何とか説得しようと口を開くが、しのぶが声を荒げる。

 

「父さんと母さんが殺されたのよ!? それで、何もなかったように生きられると思う!? そんなの………そんなのできるわけないじゃない!?」

「――――しのぶ」

「………それでも俺は反対だ」

 

 声を荒げ泣き叫ぶしのぶをカナエはそっと抱き寄せる。

 そんなしのぶを見て八幡は悲しむも、彼女たちの選択を認めない。否、認めるわけにはいかない。

 何故なら――――

 

「ねぇ、ハチくん。私たちは決めたの。二人で【鬼殺隊】に入るって」

 

 誰が好き好んで、少女二人が修羅の道に進むことを許容できるというのか? 

 

 

 

 

 

 

 

 

【鬼殺隊】

 それは人間に仇なす鬼を日夜狩り続ける人達が所属する組織。

 隊員はおよそ数百名。

 千年以上前の古の時代に発足し、大正時代の今もなお活動し続ける、政府非公認組織だ。

 

 あの晩、鬼殺隊の隊員に助けられた三人は、後からやって来た鬼殺隊の一員である【隠】と呼ばれる人達に保護され、彼らから鬼殺隊や鬼に関する詳しい説明を受けた。

 

 そしてそれから三週間の時が過ぎた。あの晩に傷を負った八幡は怪我の治療に専念し、胡蝶姉妹は事後処理に追われることになった。両親が亡くなったので、葬儀を執り行わなければならなかったのだ。

 あの晩から三週間が経った本日の昼に八幡は退院した。そして胡蝶姉妹の案内で胡蝶夫婦のお参りに行ってきたところだ。

 

 ――――そして話は冒頭へと戻る。その日の晩に、胡蝶姉妹から鬼殺隊への入隊希望を聞かされたのだ。

 

「しのぶはもう寝たのか?」

「ええ。泣き疲れちゃったみたい」

「……すまん。俺のせいだな」

「ううん。ハチくんのせいじゃないよ……心配してくれてるんだよね?」

「………………」

 

 返事はしない。だが顔を赤くしてそっぽを向いていればその本音は丸わかりである。

 カナエは八幡の横に座った。そして布団に置かれた八幡の手に自身の手をそっと重ねる。

 

「ありがとう、ハチくん」

「………まあ、その……おじさんとおばさんなら絶対に止めるからな。俺はその代わりに止めただけだ。だから礼を言われることじゃない」

「ハチくんは素直じゃないな~」

 

 カナエは苦笑しながら八幡の手を握る。

 

「どうしても鬼殺隊に入るという決心は変わらないのか?」

「――――ええ」

「此処で引き返せば普通の生活に戻れる。一度鬼殺隊に入ればもう日常には戻れないぞ」

「分かってるわ。でも、もう決めたの」

「………鬼に喰われてもか?」

「っ!」

 

 その言葉にカナエの身体は震え。繋がれた手から彼女の恐怖が伝わってくる。

 

「千年以上続いてる戦いだ。例え二人が鬼殺隊に入ってとしても、戦いが終わるとは思えない」

「………うん」

「何もせず死ぬかもしれないんだぞ。誰にも看取られず、無様に喰い殺されるかもしれない」

「…………うん」

「それでも―――止まる気はないんだな?」

「―――――ねぇ、ハチくん」

 

 カナエは告げる。自身の想いを。

 

「私はね、救いたいんだ。人も――――そして鬼も」

「鬼を……救う?」

「うん。隠の人が言ってたでしょ。鬼は元々私たちと同じ人だって」

「それは、確かに言っていたが」

 

 カナエは八幡を見つめる。

 

「鬼は悲しい生き物よ。人でありながら、人を喰らい、美しいはずの朝日を忘れる。鬼を一体倒せば、その鬼がこの先殺すはずだった人を守ることができる。そして、その鬼自身もそんな哀れな因果から解放してあげられるわ」

「それは―――おじさんやおばさんを殺した鬼でも、か?」

「―――――ええ」

 

 力強くカナエは頷いた。

 

「正気の沙汰じゃないぞ。その考えは」

「うん。自覚してる」

 

 カナエの考えはあまりにも愚かだ。日夜鬼を殺し続ける鬼殺隊。恐らく隊員は、鬼に身内を殺された人たちが大半と聞く。彼らの原動力は復讐心で間違いないだろう。

 だがそれは当たり前の感情だ。親が殺された。子供が殺された。恋人が殺された。しかし犯人は人外のため、警察で手に負える相手ではない。なら被害者が自分で復讐に走るのは当然の感情だ。

 でなければ鬼殺隊などという組織が千年以上続いているわけがない。

 

 八幡はカナエの顔を見る。その美しい顔立ちで真っすぐこちらを見つめてくる。その瞳は決して揺らがず、固い意志を感じさせる。

 

「………最後に一つ聞かせてくれ」

「うん。なに?」

 

 今から聞くのはとても卑怯な問いだ。だが言わなければならない。

 

「――――しのぶが死んでもいいんだな?」

「………っ―――」

 

 カナエの瞳が揺れる。自身の死は許容できても、妹の死はまた別問題だろう。

 

「覚悟の上よ」

 

 カナエは震える声で言う。

 

「しのぶと約束したの『私たちと同じ思いを、他の人にはさせない』って」

「そう、か………」

 

 カナエの悲壮な決意を八幡は感じる。同時に説得は不可能だと悟った。

 なら八幡がするべきことは一つだ。

 

「分かった。ところで、鬼殺隊に入ると言ったが宛てはあるのか?」

「うん。私たちを助けてくれた、悲鳴嶼さんを訪ねてみようと思うの。隠の人に居場所は聞いたわ」

「出発はいつだ?」

「えーと、早くて明後日かな」

「分かった。じゃあ、俺も準備するわ」

「――――え?」

 

 カナエがキョトンとした顔をする。

 

「出発は明後日だな。だったら食料と水。後は服もいくつか用意しなきゃいけないな」

「な、なに言ってるの、ハチくん。それだとまるで私たちと一緒に行くような――――」

「何を言ってるんだ? 俺も一緒に行くに決まってるだろう。まさか俺だけ置いていく気か?」

「で、でも」

 

 カナエは戸惑う。まさか八幡が付いてくるとは思ってなかったのだ。

 

「あのな。俺だけ置いてかれてもどうしようもないぞ。なにしろ金もなし、職もなし、頼れる親戚もなし。知り合いなんて他に誰もいないんだ。だったら付いて行くしかないだろう?」

「そ、それでもハチくんが付き合う理由がないわ」

「理由、ね」

 

 八幡は隣のカナエに向かって手を伸ばす。そして頭に手をのせてポンポンと軽く撫でる。

 

「ハ、ハチくん?」

「……女の子を二人だけ行かせるわけにはいかないだろう。俺なんかが役に立つかは分からんが、まあ付き合うさ」

「…………いいの?」

 

 縋るようにカナエが八幡を見る。

 

「このまま一人で野垂れ死にするよりましだ」

「ハチくんも殺されちゃうかもしれないんだよ?」

「危なくなったら逃げるさ。こう見えても危機管理能力は高いほうだ」

「でも、でも、でも「―――カナエ」」

 

 それでも拒絶しようとするカナエの言葉を遮る。頭にのせた手を動かし黒髪をゆっくりと撫でる。サラサラの髪はとても撫でがいがある。

 

「―――俺にももうお前たちしかいないんだ。手伝わせてくれ、頼む」

「――――――うん」

 

 返事をするとカナエは八幡の胸に飛び込む。そして両腕を背中に回し思いっきり抱き着いた。その行動に八幡は思いっきり慌てた。

 

「か、カナエしゃん。な、なにをするんでしゅか」

「―――ハチくん。ありがとう、ありがとう、ありがとう」

「……………」

 

 カナエは泣いていた。胸に縋りついた彼女からは溢れんばかりの涙が零れ、八幡にお礼を言い続ける。

 八幡はそんな彼女を慰め、落ち着かせるように―――その頭をずっと撫で続けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして二日後の明朝。

 

「さて、準備はいいか?」

「ええ、準備出来てるわ。しのぶはどう?」

「大丈夫。いつでも行けるわ、姉さん」

 

 大荷物の準備を整えた三人は出発の最終確認をしていた。

 

「悲鳴嶼さんの所に到着したら鬼殺隊への入隊希望を話す。だが最初は確実に拒否されるぞ」

「やっぱりそうなるかしら」

「………まあ、そうなるわよね」

 

 今後の展開を三人で話し合う。鬼殺隊への入隊は恐らく簡単にはいかない。

 

「普通の人なら拒否する。特にカナエとしのぶは女の子だからな。余計にだ」

「うん。でも大丈夫」

「それでも押しとおるわ。だって決めたんだもの」

 

 二人の決意も固い。

 

「行くか」

「ええ」

「うん」

 

 三人は歩き始めた。だが三人の表情はかたいままだ。

 

「大丈夫よ。ハチくん、しのぶ」

「――――カナエ?」

「――――姉さん?」

 

 カナエは笑った。無理にでも笑った。

 

「一人で無理だったとしても三人いれば何とかなるわ。だから頑張りましょう!」

「………ふぅ、そうだな。まあ適当に頑張るとするか」

「何言ってるの、八幡。適当なんて私が許さないわ。やるなら徹底的によ」

「いや、常に全力なんて疲れるだけだ。物事は適度にサボりながらやる方がいい。疲労が溜まりすぎると翌日に疲れが残る。結果、疲れが作業を遅らせ最終的に作業が終わらなくなる。つまりサボるのが一番ということだ」

「そんな屁理屈認めないわ!」

 

 自然と言い合うを始める二人。カナエは思わず微笑んだ。ずっと緊張のままよりはこの方がずっといい。

 カナエは二人を置いて走り始めた。

 

「ほら、置いてっちゃうわよ、二人とも!」

「ああ、もう。八幡のせいよ。待って、姉さん!」

「俺のせいにするのは酷くないですかね?」

 

 二人もカナエの後を追って走り始めた。

 

 付き添い、願望、復讐。それぞれの目的を携え、三人は修羅の道へと自ら赴く。

 その旅立ちは決して明るいものではない。

 

 だけど三人は笑いあった。その未来が少しでも明るいことを願って。

 




大正コソコソ噂話

鬼殺隊入隊の話をした晩。あの後、カナエは八幡にずっとくっついたままだったので、結局一緒の布団で寝ることになりました。しのぶさんも隣に寝ていたので、翌朝大騒ぎになったのは言うまでもありません。
しかし彼はまだ知らない。今後も頻繁に一緒に寝ることを要求されることを。


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第五話 ひとときの別れ

次号のジャンプが気になりすぎるので投稿します。


「育手の下へは、それぞれ別々に行ってもらう」

「え…………」

 

 目の前の大男、悲鳴嶼行冥は感情を押し殺し淡々と告げた。

 その言葉に、胡蝶しのぶは戸惑いと怯えといった反応を見せるも、すぐに気丈さを取り戻す。

 

「姉さん、八幡――――」

「構いません」

「ああ」

 

 しのぶが二人問いかけると、胡蝶カナエと比企谷八幡は頷く。

 

「”最終選別”を生き残り、必ず再会して見せます」

 

 カナエは力強く断言し悲鳴嶼へと告げる。すると彼は瞑目したまま、隣の岩に片手を置く。

 

「試練は簡単。この岩を動かしなさい。この岩を動かすことが出来れば、私は君たちを認めよう」

 

 その条件に絶句するカナエ。隣のしのぶは悲鳴嶼へと噛みつく。

 

「バカじゃないの? そんなこと出来るわけないでしょう? 誰が出来るのよ? そんなこと!」

「私はこれを一町、押して歩くことができる」

「そりゃ、悲鳴嶼さんはいいわよ! 熊みたいに大きいんだから! でも、私たちは「―――しのぶ」何よ、八幡!」

 

 八幡はしのぶの台詞を途中で遮る。

 

「―――悲鳴嶼さん。一つ聞いてもいいですか?」

「何だ?」

「その岩を三人で動かす。他に条件はありませんか?」

「……ない」

 

 八幡の問いに答えると、悲鳴嶼はしのぶへと顔を向ける。

 

「な、なによ」

「先程君は出来ないと言った。だが、出来なければ誰かが死ぬ。守るべき者が殺される。そんな状況で生温い言い訳は許されぬ」

 

 辛辣な言葉に押され、しのぶは気圧される。

 

「出来る出来ないではない。出来なくても、やらなければならない。力が及ばずとも、何を犠牲にしようとも、己のすべてを賭してやり遂げろ」

 

 悲鳴嶼の声に厳しさが孕む。

 

「鬼狩りになるというのは、人の命を背負うというのはそういうことだ―――それが出来ないのであれば、今度こそ家に帰れ」

 

 悲鳴嶼はそれ以上何も言わず、三人の傍から離れていった。

 

 

 

 

 

 

 

 八幡、カナエ、しのぶの三人が悲鳴嶼の住居に押しかけて三日が過ぎた。その三日間、三人の要求である鬼殺隊入隊への希望に、悲鳴嶼は決して首を縦にふることはなかった。

 だが四日目の朝、彼は突如として口を開き試練を出すと言ってきたのだ。

 

『大岩を動かせ』それが出来れば鬼殺隊員候補として育手を紹介すると。

 

「なによ! なによ! こんなの動かせるわけないじゃない!」

「しのぶ。落ち着いて」

「だって姉さん。こんな大岩、三人がかりでも動かせないわよ。端から合格させる気がないのと一緒じゃない!」

「…………」

 

 しのぶの指摘にカナエは沈黙する。

 

「……まあ、素直に合格できるとは思ってなかったがな」

「そうね。さすがにこれは……」

 

 八幡とカナエは岩に手を触れる。八幡の身体よりも大きな岩は、少人数ではとても動かせそうにない。

 

「とりあえずやってみるか? このままじっとしててもしょうがない」

「そうね。やってみましょう」

「分かったわ。やってやろうじゃない!」

 

 そして太陽が真上に近付いてきたころ、三人の前に悲鳴嶼が再びやって来た。彼は先程と違い己の武器―――日輪刀を持っていた。

 

 悲鳴嶼が岩の様子を確認するがやはり動いてはいない。当たり前だ。元々無茶な条件と理解しながら条件を出したのだから。

 悲鳴嶼は今から任務に行くと三人へ告げる。

 

「どうか、お気をつけて。必ず、無事にお戻りください」

 

 カナエは悲鳴嶼に静かに頭を下げる。

 

「…………もし此処で一夜を過ごすつもりなら、藤の花の香は必ず焚くように。いいな」

「―――はい。分かりました」

 

 カナエが悲鳴嶼に強張った声で返事をする。姉の横でしのぶはうらめしそうに悲鳴嶼を睨みつけている。

 

 そして八幡は―――

 

「―――お気をつけて」

「………………」

 

 八幡は悲鳴嶼に対して短く言葉を告げる。そして悲鳴嶼は無言でその場を立ち去ろうとする。背中に様々な視線を感じながら、悲鳴嶼は少し気になることがあった。

 

 ―――あの比企谷という少年。なにを考えている? 

 

 悲鳴嶼行冥は目が見えない。だがその代わりに、彼は視覚以外の感覚が非常に優れており、ある事実に気付いていた。

 

 大岩を動かすという条件。実際に大岩を目にした三人の反応は各々異なった。胡蝶カナエは戸惑いと困惑。胡蝶しのぶは怒りと絶望。二人の反応は予想通りといったところだ。

 だが比企谷八幡は違う。大岩を前にしても彼の感情の揺らぎは殆ど感じられなかったのだ。

 

 ―――そういえば彼はあの晩、鬼に一矢報いていたな。あの武器のない状況下で冷静に判断を下して。

 

 彼に強靭的な強さはない。しかし武器も何もない中、簪を目に突き刺し僅かながら時間を稼いだ。

 

 ―――彼だけは鬼殺隊に向いてるかもしれないな……否、例え向いていようが、進んで修羅の道へなど落ちるべきではない。

 

 よぎった考えを否定する。己に降りかかった不幸を忘れることは難しいだろう。復讐したい気持ちは十分にわかる。だが生き残った者には平和な日常を歩んでほしいのだ。

 

 三人が鬼殺の道を諦め、平和な日常へ帰ることを望みつつ、悲鳴嶼行冥は自らの任務へと足を進めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あーもう! 全然だめ! まったく動かない!」

「そうね。このままじゃどうしようもないわ……」

 

 胡蝶姉妹は座り込みながら悲観に暮れる。三人で大岩に挑戦するも、岩が動く様子は微塵もなかった。

 

「……悲鳴嶼さんは行ったな」

「ハチくん?」

 

 八幡が悲鳴嶼が去った方を見て、完全に見えなくなったのを確認する。

 そして言った。

 

「―――よし。今からこの岩を動かすぞ」

 

 胡蝶姉妹が驚いた表情を浮かべた。

 

「はぁ? なに言ってるのよ八幡。それが出来ないから困ってるんじゃない……」

「……何か考えがあるのね、ハチくん」

「え!? そ、そうなの!?」

 

 しのぶは拗ねた目をする。だがカナエの言葉を聞き目を丸くさせる。

 

「ああ。とりあえずは準備するものが二つある」

「二つ?」

「何かしら?」

 

 考える姉妹に八幡は告げた。

 

「――――長い棒と丸太だ」

 

 そして三時間後―――三人は岩を動かすことに成功した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ、八幡。あれでよかったのかな?」

「うん? なにがだ?」

 

 三人で夕食を食べている最中、しのぶは八幡に話しかけた。

 

「あの岩のことよ。確かに動かせはしたけど……大丈夫かしら?」

「問題ない。悲鳴嶼さんが出した条件は岩を動かすこと。ただそれだけだ。道具を使っちゃいけないなんて一言も言ってないからな」

「それは、そうだけど……」

 

 それでもしのぶは納得してないようだ。

 

「ハチくん。貸して」

「……すまん、頼む」

 

 茶碗に盛られたご飯が空になった。するとカナエに茶碗を渡すように言われたので、手に持った茶碗を渡した。

 

「―――はい。どうぞ」

「……ありがとう」

「ううん、どういたしまして」

 

 カナエは嬉しそうに笑った。

 

「でもハチくん。悲鳴嶼さんが納得してくれるかしら? もし駄目だと言われたら……」

「……姉さん」

 

 だがカナエもしのぶと同じく不安に思っているようだ。そんな姉の様子を見て、しのぶも再度不安を募らせる。

 そんな二人を見て八幡は溜息を付き、手を動かした。

 

「はぁ、そんなに不安そうにするな」

 

 落ち込んだ様子のしのぶの頭に手をのせ、その髪を少し強めに搔き乱す。

 

「ちょっ、ちょっと! 何するのよ、八幡!」

「安心しろ。悲鳴嶼さんが何か言ってきても言いくるめばいいんだ。その辺は結構得意だぞ、俺は」

「……言いくるめっていうか。八幡のはただの屁理屈でしょうが」

「屁理屈も理屈の一種だ。それで押し通せばいい」

「…………もうっ! 髪が乱れちゃうじゃない」

 

 しのぶは声に呆れが混じる。だが少しは不安が解消されたようだ。

 その様子を見た八幡は、しのぶの頭から手を放す。

 

「あっ……」

「どうした?」

「な、なんでもないわ!」

 

 慌てるしのぶ。八幡が声をかけるも要領を得ない。そんな妹を見てカナエはくすりと笑った。

 

「―――ハチくん。しのぶはもっと頭を撫でてほしいのよ」

「そうなのか?」

「ち、違うわ! そんなんじゃないんだから! 姉さんも変なこと言わないで!」

「ふむ……」

 

 物は試しとばかりに、しのぶの黒髪に手を伸ばす。そして先程とは違い、髪をゆっくりと撫でまわす。

 

「………………」

「………………」

 

 姉と同じくサラサラの髪は非常にいい手触りだ。俯いて顔の表情は見えないが、八幡の手を大人しく受け入れている。拒絶されていないことから見るに、少なくとも嫌ではないのだろう。

 

「―――よかったわね、しのぶ」

「っ! よ、よくなんかないわ!」

 

 しのぶは声を荒げるも、説得力はなかった。

 

「これでいいのか?」

「うん―――もっと撫でてあげて」

「―――分かった」

「…………なによ、もう」

 

 カナエに言われるまま撫でるのを続ける。しのぶは拗ねながらも特に文句を言わなかった。

 そこで八幡はしのぶの顔を見る。嬉しそうな、悲しそうな、そして何かを思い出すような複雑な表情をしていた。

 

「―――父さん」

 

 しのぶが無意識に呟いた言葉を―――二人は聞こえないふりをした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとう―――ハチくん」

「なんだ、急に?」

「しのぶのこと。ハチくんが居てくれて本当によかった」

 

 月明かりが僅かに室内を照らす真夜中の時間。並べられた布団に入ったカナエと八幡。二人は未だ眠らぬ時を過ごしている。

 それは二人の間で寝ている少女が原因であった。

 

「すぅ、すぅ……父さん……母さん」

 

 二人の間で胡蝶しのぶが寝言を呟く。彼女は今、八幡の胸にしがみついていた。

 

 そうなったのには理由がある。起きている間は問題ないのだが、彼女はひとたび眠ると悪夢に苛まれる。毎夜眠るたびにあの夜の記憶を思い出しているのだ。

 

 ―――父さんっ! 母さんっ! いやぁぁぁぁぁ!! 

 

 しのぶが飛び起き大きな声で泣き叫ぶ。その度にカナエは必死に抱きしめ、妹を宥める。それがあの晩以降に繰り返された出来事だ。

 

 だが今日は少しだけ違った。八幡がカナエに変わってしのぶを宥めると、不思議と彼女は大人しくなった。そして今は、八幡の胸に抱き着き眠りについている。

 

 眠ったしのぶを左右に挟んで、八幡とカナエは会話を続ける。

 

「何でこうなったのやら……」

「ハチくんのこと。お父さんだと思ったんじゃないかしら?」

「……俺、そんな年じゃないんだが」

「うふふ、冗談よ。でも、頼れるお兄さんとは思ってるわよ、きっと」

「そうなのかね?」

 

 カナエの発言を聞き、少し考える。

 毎朝大量の課題を笑顔で渡され、その量に顔が引き攣った。必死に問題を終わらせ、夕方に帰宅した彼女に問題の答えを渡す。だが答えが一問でも間違っていると、とてもいい笑顔で楽しそうにこちらを追い詰めてくるのだ。

 

 ―――絶対頼れるお兄さんに対する態度じゃねぇ。アレは将来絶対ドSになる。俺には見えるぞ。将来の旦那を尻に敷いている姿が。

 

「……うん、違うな。俺に対する態度がアレだぞ。しのぶの将来の旦那は大変だぞ、カナエ」

「えーと、ハチくんが何を想像したかは分からないけど、ハチくんと一緒にいるときのしのぶは本当に楽しそうよ」

「それはあれか。俺という存在はその辺にある玩具と一緒だという意味か?」

 

 八幡の言葉に、カナエは首を横に振って苦笑する。

 

「違うわよ……しのぶはね。お父さん以外の男の人が苦手みたいなの。だけど、ハチくんと話しているしのぶはとても生き生きしてるわ」

「そうなのか? とても想像がつかん」

「うん、間違いないわ。お父さん以外の男の人に懐くしのぶは初めて見るもの。ハチくんがあやすのが上手なのもあると思うけど」

 

 カナエは八幡の胸で眠るしのぶを、とても愛おしそうに見つめる。

 

「あーそれはあれだな。俺にも妹がいるからだな」

「妹さん? ……ああ、小町ちゃんだっけ?」

 

 以前に聞いた、八幡の妹の名前を思い出す。

 

「ああ、そうだ。世界一可愛い妹だ」

「あら、それは凄いわね。でも、しのぶだって負けてないと思うわよ」

 

 お互いに妹を想い笑顔を浮かべた。

 八幡は胸にしがみ付くしのぶを見てみる。普段のツンケンした態度は鳴りを潜め、素直に甘えてくるその姿には、何かこみ上げてくるものがあった。

 

「……確かに可愛らしいな」

「でしょ♪」

 

 結論、妹は皆可愛らしいということになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして翌日―――

 

「梃子か……」

「ええ、そうよ!」

 

 帰宅した悲鳴嶼が岩が動いているのを確認した。岩の下に棒を差し込み、丸太を差し入れて動かす。俗にいう、梃子の原理だ。

 

 悲鳴嶼の呟きをしのぶは力強く肯定した。誰がこれを考えたのか。心当たりがある悲鳴嶼は八幡へと顔を向ける。

 

「これは……君が考えたのか?」

「思いついたのは俺です。でも、時間を掛ければ二人も思いつきましたよ。俺より頭がいいですから」

「そうか……」

 

 二人と違うのは、あの時は八幡の方が冷静だったから。その違いだけだ。

 

「悲鳴嶼さん。これでいいわよね? あなたの出した条件は岩を動かすということだけ。道具を使っちゃ駄目なんて一言も言ってないわ!」

「悲鳴嶼さん。どうでしょうか?」

 

 胡蝶しのぶと胡蝶カナエは見る。真っすぐに、力強く、断られることなんて微塵も考えてない瞳で。

 

「―――ああ、その通りだ」

 

 悲鳴嶼は頬を緩ませる。

 

「私は君たちを認める。カナエ、しのぶ、八幡―――よくぞ、やり遂げた」

 

 その言葉に喜びの声が上がった。初めて名前を呼ばれたしのぶはくすぐったそうに、カナエは穏やかに微笑み、そして八幡はそっと胸をなでおろしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして―――

 

「じゃあ、ここからは三人とも別々の道だな」

「ええ、そうね」

「……うん」

 

 翌朝、三人は十字路の真ん中に佇んでいた。

 此処からは三人が別々の道を行き、それぞれの育手の場所へ向かうのだ。

 

「とりあえず無茶はするなよ、二人とも。いいな」

「それはハチくんにも言えることだよ」

「何を言う。俺は無茶なんかしない。むしろ積極的に逃げるまである」

「……何でそんなに自慢げなのよ、アンタは」

 

 その発言に脱力するしのぶ。だが彼女は知っている。言葉とは裏腹に彼がいざという時に無茶をするということを。だからこそ、カナエも八幡に注意しているのだろう。

 

「今度会えるのは鬼殺隊員になってからかな……結構かかりそうだね」

「悲鳴嶼さん曰く、修業期間は長ければ数年。そしてその後に最終選別があるが、合格率はかなり低いらしい」

「でも、やるしかないわ」

 

 決意を新たにするしのぶ。

 そんな妹を見てカナエはしのぶと八幡、二人を一緒に抱きしめた。

 

「カナエ?」

「姉さん?」

 

 いきなりの行動に二人は戸惑う。

 

「―――生きて、生きてまた会おうね、二人とも。死んじゃいやだよ」

 

 カナエの声は震えていた。それが分かった二人は元気づけるように答える。

 

「―――当たり前よ。絶対に鬼殺隊員になるんだから」

「―――ああ。絶対に死なない。約束する」

 

 二人はカナエへと誓った。その言葉を聞き、カナエは抱きしめる力をさらに強めた。

 そして暫く抱きしめた後、カナエは二人を離す。

 

「―――ありがとう。じゃあ、行くね」

「―――ああ」

「―――ええ」

 

 そうして三人は別れて進む。目的を果たすために、再会への道を果たすために。

 

 ―――それぞれの道を進んでいった。

 




大正コソコソ噂話

八幡に胸に抱き着いたしのぶ。夜明けに目が覚めた彼女の最初の行動は、真っ赤になりながら悲鳴を上げ、目の前の男の頬にビンタをくらわすことだった。
その様子を、カナエさんはあらあらと微笑ましそうに見守っていました。


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第六話 育手と二年間の成果

何とか書けているので投稿します。


 比企谷八幡は森を駆ける。

 無造作に生えている草木を掻き分け、足音を出さずに走り抜ける。

 そして巨大な木の裏に回り、しゃがんで身を潜め隠れた。

 

「―――さて、どうしたものか?」

 

 ぽつりと呟く。

 今のところ近辺に気配は感じられない。だがそれも当てにならない。なにしろ相手は格上だ。こちらの場所などすぐに見抜いてしまうだろう。

 

 呼吸を整える。全集中の呼吸は、どの様な状況でも正しい呼吸してこそ効力を発揮する。戦闘中のダメージは勿論のこと、集中力の欠如や焦りなど、自らの状態が変化すればそれだけ効力が失われしまうのだ。

 

「あの師匠。容赦ねえからなぁ」

 

 思わず愚痴る。今の育手。比企谷八幡にとって、三人目の師匠のことを考える。一人目の師匠は厳しくも優しい女性だった。二人目の師匠は寡黙で厳しい男性だった。そして三人目は―――ひたすら超絶に厳しい女性だった。

 

 ―――やだ。考えてみれば全員厳しいじゃねぇか。

 

 今更の事実に驚愕する。だが鬼と戦うのなら厳しいのは当たり前だ。敗北=死がこの世界の基本なのだから。しかしそれでも今の師匠のシゴキは度が過ぎていると心の底から思う。

 

 ―――黙ってれば美人なんだけどなーあの人。言動が残念というか、行動も残念というか、だから嫁の貰い手が「―――見つけたぞ、比企谷」

「っ!?」

 

 ―――全集中 風の呼吸

 

 余計なことを考えていたら見つかった。

 声が聞こえると同時に風の呼吸を発動。型の使用ではなく、聴覚を強化して相手の位置を探る。

 

 ―――視覚では追いきれない。いったい何処からっ! 上か!! 

 

 僅かな風の揺らぎを直上から感じた。

 

 ―――雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃 六連

 ―――雷の呼吸 神速

 

 雷が落ちる音と共に、周囲の木を足場を蹴り文字通り加速した人物が直上から襲い掛かってきた。しかし瞬時に発動した神速により辛うじて回避。文字通り紙一重で回避できた。技を繰り出した本人は地面に着地し、土煙が辺りに吹き荒れる。

 

 足が重い。神速の発動はかなり負担が大きいのだ。しかしあれでなければ回避出来なかった。

 

「―――よく躱したな」

 

 土煙の中心から出てきた師匠がこちらに語り掛けてきた。その言葉には僅かながらの感嘆が込められていたが、素直に喜ぶことはできない。

 

「今のを躱せるなら、もう少し早くしてもいいな」

「それは勘弁してください、師匠」

 

 師匠の提案を瞬時に断る。相手の技は全力ではないのに、こちらは神速で躱すのがギリギリだったのだ。これ以上のスピードなど絶対に対応できない。

 

「しかし比企谷。先程の奇襲を見事に回避したではないか。ならきっと大丈夫だ。私が保証する」

「いや、そんな保証いりませんから。さっきのはマグレです、マグレ」

「ふむ、そうか?」

 

 必死に説得する。これ以上は拙いと己の勘が警鐘を鳴らしているのだ。この一年間、己の身体で体得したその勘は決して外れない。

 

 ―――興が乗るとこの人は絶対に本気を出す。この一年でどれだけボコられてきたか。

 

 冷汗を流し、この一年の記憶を思い出そうとして―――瞬時にその記憶に蓋をした。

 

 ―――技は身体で体得するものだと初日から全部の型でボコられたし、便利だからと覚えろと全集中・常中の体得の時は毎晩鳩尾に拳の一撃をくらった。あれで何回骨折したことか。それに雷の呼吸で一日中鬼ごっことか意味が分からねぇよ。頭おかしいんじゃねぇか、この人。

 

 前の二人の師匠より遥かに酷い修行、いやシゴキを受けた。他の雷の呼吸の育手は知らないが、絶対に他の方がまだマシだと断言できる。

 

 ―――まあ、それでも多少強くなれた。出来損ないの俺に根気よく教えてくれたおかげで、幾つかの型を習得できたのは事実。ついでに回復系の呼吸も覚えることが出来た。それは感謝してる。だけどそれとこれとは別問題だ! 

 

 この師匠。熱血と根性を併せ持った、元の時代でいう所の体育会系の教師のような性格をしているのだ。これが男性ならまだ需要はあろうが―――残念なことに女性であった。

 

 考え込む師匠の前で判決の沙汰を待つ。裁判所で死刑判決を待つ被告人とはこのような気持ちなのだろう。

 今の自分は彼らの気持ちがよく分かる。

 

 ―――いや、ぜってぇ駄目だろう。なにあの顔? ニヤリと笑ってる顔が滅茶苦茶怖すぎる。なにあれ? まるで処刑人だよ。まあ鬼殺隊員なんて鬼に対する処刑人みたいなものか。しかしあんな表情を見たら百年の恋だって「フンッ!」ぐほっ!」

 

 鳩尾にボディーブローが炸裂した。

 

「―――聞こえたぞ、比企谷」

 

 どうやら心の声が漏れていたようだ。しかし後悔してももう遅い。こちらが反応できない一撃を喰らい、意識の混濁に襲われた。

 

「いかん。やりすぎたか」

 

 瞼が重い。薄れゆく意識の中、最後に見たのは師匠の姿であった。

 

 この時代の女性にしては長い身長。そして腰まで届くほどの長い黒髪を紐で一つにまとめている。年齢は聞いたことはない。以前聞こうとした所、恐ろしい笑顔を返されたので聞くのを止めた。その容姿は大概の人が見れば美人と答えるだろうが、八幡から見ればただの残念美人だ。

 

 長刀である日輪刀の色は黄色。雷の呼吸の使い手である彼女は、現役時代は圧倒的なスピードで数多の鬼を狩っていたという。

 

 彼女の名前は『平塚 咲』

 比企谷八幡の三人目の育手である。

 

 

 

 

 

 

 

「いいか比企谷。私は怒っているわけではないんだ」

「はい……」

 

 意識を失った八幡が目覚めると、いつの間にか山の中腹にある母屋に戻ってきていた。そして八幡が目覚めると、平塚は説教を開始した。八幡は正座しながらそれを聞いている。

 

「君は頭がいい。しかし人の心を配慮しない言動が目立つのが欠点だ。分かるか?」

「まぁ、それは、はい」

 

 生返事を返す。この状態できちんと返事をしないのは、普段なら拙いが今は問題ない。

 何故なら―――

 

「平塚師匠、追加の酒をどうぞ」

「お! すまないな……かぁぁー、美味い!」

 

 晩酌の真っ最中だからだ。

 

「いやー今日も酒が美味い! それにこの料理もだ! 比企谷も料理が大分上手くなったな!」

「……まあ、一年間ずっとやってれば多少は上手くなりますよ」

「謙遜することはないぞ。どうだ? 私専属の料理人として雇われる気はないか?」

「いや。俺、鬼殺隊に入るために此処にいるんですけど」

 

 平塚の提案に思わず突っ込みをいれる。しかし平塚の口は止まらない。

 

「はっ! 鬼殺隊、ね。あんな所、君みたいな若者が入るところじゃない」

「……またその話ですか。何度言われても、俺は鬼殺隊に入るのを諦めませんよ」

「鬼狩りなんて碌な仕事じゃないぞ。きついし、辛いし、常に死と隣り合わせだ。一般には認知されていないから、刀を持ったヤクザまがいの連中と見られることもある。悪いことは言わない。普通の職に就け、比企谷」

「―――それは俺に才能がないからですか?」

 

 平塚咲と共に過ごして約一年。この師匠は酒を飲むと、毎回八幡に対して鬼殺の道を諦めろと進めてくる。それを八幡は自身の才能がないからだと思っている。

 

 だが八幡の言に平塚は苦笑し、首を横に振った。

 

「違う。君には才能があるよ、比企谷。鬼殺の才能がね」

「……とてもそうは思えません。現に此処で一年間修行してきましたが、雷の呼吸も参ノ型までしか俺は使えません」

「それだけ使えれば十分だよ。君の呼吸の使い方は独特だから、それは大きな武器になる。それに他の呼吸だって使えるじゃないか」

「他の呼吸もすべての型は使えませんけどね」

 

 そういって溜め息をつく。自身の半端な才能を嘆いたからだ。

 目の前の師匠のように、一つの型を極めることができればそれがよかった。しかし水の呼吸、風の呼吸、雷の呼吸と三つの呼吸を習得したものの、どれも極めることはできなかった。

 

「―――はぁ、なにを言っても無駄か。君の自己評価の低さは相変わらずだな」

「……自分の分はわきまえているつもりです」

「そういう所が子供らしくない。君ぐらいの年齢だったら、もう少し自信過剰でもおかしくないぞ」

「子供って。そりゃ師匠に比べたら俺なんか半分以下の年齢「―――比企谷?」」

 

 師匠の地雷を踏みぬいた。

 

「―――私はまだ三十になっていない!」

 

 酔ったまま放たれた一撃は、今まで喰らったどの一撃よりも速かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「いててっ、師匠め。思いっきりやりやがって」

 

 痛む腹をさすりながら、思わず愚痴る。自身の失言が原因ではあるが、痛いのだからしょうがない。

 

「それに今から酒買ってこいって。もう夜だぞ。本当にこの時間に売ってくれるのか?」

 

 時刻は夜中の七時頃。元の時代ならどの店もやっているだろうが、今は大正時代だ。八幡が疑問に思うのも当然である。

 

「それに今日に限って、麓の村じゃなくて一つ山を越えた先の村で買ってこいとか。条件つけすぎだろ」

 

 愚痴りながら師匠の言葉を思い出す。

 

 ―――比企谷、私は今非常に傷ついている。女性の年齢を間違えるなんて極刑ものの重罪だ。いいか。許してほしければ酒を買ってこい。買ってくる場所は麓ではなく一つ山を越えた所の村でだ。制限時間は三時間。ああ、刀は持っていけよ。

 

 判決の沙汰が下された八幡は、師匠の言いつけ通りに酒を買いに出かけている。

 しかしタイムリミットがあればのんびりする時間はない。雷の呼吸で加速し、山をひたすら走る。

 

 しかしその道中には―――

 

「ちっ、また罠か。いつもより数が多い!」

 

 地面には落とし穴が掘られ、細い糸に引っかかれば竹槍が飛んでくる。

 それを躱し移動するも、その数が尋常じゃない。地上は危ないと判断し木の上へ跳躍。木に登り、枝つたいに移動する。地上よりは安全と踏んだからだ。

 

「ここなら少しは安全か。さすがに此処まで罠をしかけっ!?」

 

 太い枝を選び移動していたところ、踏んだ枝が折れ―――否、踏むと同時に下に落下した。

 

「マジかっ!? 上まで対策済みかよ!」

 

 落下する身体を回転させ何とか地面に着地する。しかしそれでは終わらない。

 着地した場所に向かって四方から巨木が倒れてきたのだ。

 

 ―――雷の呼吸 弐ノ型 稲魂

 

 移動した先に罠があるのを恐れ迎撃を選択。雷の呼吸 弐ノ型を放った。瞬時に放たれた四連撃は、巨木を見事切り裂いた。

 危機は乗り越えた。しかしその心中は穏やかではない。

 

「……アカン。本気でやばいぞ、これは」

 

 罠の鬼畜具合に師匠の本気が感じられた。こちらも本気でいかなければ怪我では済まない。

 

「これで制限時間に間に合わなかったら……」

 

 考えるだけでも身震いがした。どんな罰を受けるかわかったものじゃない。しかし逃げることは許されない。

 

「ああ、もう! やってやる! やってやるよ!」

 

 やけくそに叫びながら、比企谷八幡は再び走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ただいま戻りました」

「おお、帰ったか―――無事に酒は買えたようだな」

「ええ、もの凄く大変でしたよ。何ですか、あの罠は。俺を殺す気満々ですか」

 

 嫌味をいいながら平塚に酒を渡す。だがそれも無理はない。数々のトラップを制限時間付きで越えるのはものすごく大変だったからだ。その壮絶具合を物語っているように、八幡の服はボロボロになっていた。

 平塚の満面の笑みが非常に憎たらしい。

 

「くくくっ、それでも間に合ったからいいではないか。ああ、そうだ。比企谷。例の鎹鴉が来てるぞ。行ってくるといい」

「……はぁ、分かりました。部屋に戻ります」

 

 納得は出来ないものの、それより重要な用事が出来た。愚痴を言うのを止めて部屋に戻ることにする。

 

「―――比企谷」

 

 部屋に戻る直前、平塚が声を掛けてきた。その優しい声に思わず足を止める。

 

「―――よくやった。お休み」

「は、はぁ。お休みなさい」

 

 いつもとノリが違うことに疑問を覚えながら、八幡は部屋へと戻っていった。

 

 

 

「―――はぁ。間に合ってしまったか……仕方がないな」

 

 八幡が去った後、平塚は寂しそうにそう笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 部屋に戻った八幡は明りを付ける。すると窓枠に一匹の鴉がいるのを発見した。八幡の存在に気付くと、その鴉はこちらに向かって飛んで肩に着地する。

 

「八幡! 手紙ダ! 手紙ダ!」

「ああ、待たせてすまんな」

「カァー、カァー。気ニスルナ!」

「読んだらすぐに返事を書く。少し待ってくれ」

「分カッタ、分カッタ」

 

 この喋る鴉は鎹鴉。鬼殺隊で飼われている連絡用の鳥である。鬼殺隊員には必ず一匹、連絡用の鎹鴉が付くことになっている。

 足に結ばれた紙を外して机に広げる。肩に乗った鴉の頭をそっと撫でると、鴉は机の上に乗る。そして足を下ろして休憩の体勢に入った。返事を書くまで此処で待ってくれるようだ。

 

 相棒に似て礼儀正しい鴉だ。そう思いながら手紙を読み始めた。

 この鴉の相棒は―――胡蝶カナエである。

 

「………特に変わりはなし、か。怪我もなくてなによりだ。なに! 浅草のあんみつが美味かった、だと。俺も食いにいきてぇ。甘い物なんて久しく食ってねぇぞ。他には………しのぶの方も頑張ってるか。せめてアイツには負けたくねぇな」

 

 胡蝶カナエ、胡蝶しのぶと別れてもう二年の時が過ぎている。

 二人と別れて一年と少し過ぎ、平塚の所で修業を初めて間もない頃。一匹の鴉が八幡を訪れた。

 

 ―――胡蝶カナエからの手紙を携えて。

 

 手紙には最終選別を無事に突破したこと。花の呼吸という独自の呼吸を編み出したこと。大変だけど任務をこなしていること。鬼と仲良くしようとしたが、それが上手くいかないこと。今後はカナエ経由でしのぶとも連絡を取り合おう。そんなことが書かれていた。

 

 ―――この時は才能の違いというのを思いしったな。

 

 懐かしさを覚えながら手紙を読み終えると筆を取る。何を書こうか考え、今日の師匠の鬼畜具合を書けばいいと思いつき、それらを紙にしたためていく。

 少し時が過ぎた後、手紙は完成した。小さく折りたたみ準備が整う。その様子を見ていた鴉は起き上がってこちらに近付いてきた。

 

「……これでよし。じゃあ頼んだぞ」

「マカセロ! マカセロ!」

 

 足にしっかりと手紙を結び付けると、鎹鴉は真夜中の空を元気よく飛び立っていった。

 そして八幡は、鴉が見えなくなるまでその様子を見守っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 そして一週間後が経ち―――八幡は平塚に呼び出される。両者ともに刀を持ち小さな広場へと足を運んだ。

 

「平塚師匠。どうしたんですか、急に。俺、昼飯の支度があるんですけど」

「それはいい―――構えろ、比企谷」

 

 そう言い放つと、平塚は刀を構える。姿勢はやや前傾ぎみに、腰に納刀された刀に手をやる。

 その真剣な表情に八幡の表情も引き締まった。

 

「本気、ですね―――分かりました」

 

 八幡も平塚と同じ姿勢で構えた。

 

「―――壱ノ型だ」

「―――はい」

 

 辺りの空気に緊張が走る。この一撃に全てを賭けろ。言葉はなくても、平塚の態度がそう言っているようだった。

 

 これまでの鍛錬を思い出し―――今できる最高の技を繰り出す。

 

 ―――雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃

 

 技が放たれたのは同時。瞬時にお互いの位置が入れ替わった。

 その後、平塚は特に気にすることなく刀を納刀する。だが八幡はそうはいかない。その手は震えて、刀を落とさないのがやっとだ。

 

 だが平塚はその様子を見て満足した。

 

「うん。合格だ、比企谷」

「合格、ですか?」

「ああ―――」

 

 平塚は穏やかに笑った。

 

「雷の呼吸にとって壱ノ型は全ての基本だ。後は実戦で仕上げていけばいい」

「手が震えて、納刀できない状態でもですか?」

「馬鹿者。君は刀を持ってまだ二年の素人だ。私とは年季が違う」

 

 そう言うと、平塚は懐から煙草を取り出し火を付ける。煙を吐いて彼女は続ける。

 

「なぁ、比企谷。今の私が鬼の頸を切れないのは以前話したな?」

「……はい」

 

 若くして現役を引退した平塚咲。それは鬼の頸が切れなくなった。それが原因だと本人は八幡に語った。だがその理由までは聞いていない。

 

「私にもね、昔許嫁がいたんだよ。幼いころに将来を誓い合った大切な許嫁が。最も、私が十五の時に鬼に殺されてしまったがね」

 

 遠い目をしながら平塚は語る。

 

「その後、私は鬼殺隊に入って鬼を殺し続けた。来る日も来る日も鬼の頸を飛ばし、殺し、それだけを考えて生きてきた。そんな時にアイツに出会った」

 

 懐かしむようにその目を細める。

 

「そいつは私の先輩だった。私よりも弱くて、臆病で、鬼殺隊に居るのが不思議なほどやさしい奴だった。何かと無茶をする私が放っておけなかったんだろうな。よく世話を焼かれたよ」

 

 うっとうしいほどにな、と平塚は言った。

 

「いつしか私たちは恋人になったが、それも長くは続かなかった―――アイツは鬼になってしまったからな」

「……鬼に、ですか」

「ああ。鬼になったアイツは泣きながら私に言ったよ―――俺の頸を切ってくれと」

「それで……どうしたんですか?」

 

 答えは聞かずとも、平塚の表情を見ればすぐに分かった。

 

「もちろん切ったさ。鬼殺隊員から鬼が出るなど許されない。私自らこの手で頸を切った―――そして私は鬼の頸を切れなくなった。それだけの話だ」

「……なぜ、その話を俺に?」

「そうだな……どこか君に似ていた。だからかな」

 

 平塚が八幡を見る。

 

「比企谷。よく私の修行に付いてきた。これまで何人か鬼殺隊員候補を育てたが、全員耐え切れずに逃げ出した。君が初めての合格者だ」

「今までで一番キツイ師匠でしたよ」

「ははっ、だろうな。だが君には私の全てを叩き込んだ。そう易々と死ぬことはあるまい―――本当によくやった」

「―――ありがとうございます」

 

 そして平塚は八幡の肩をポンと叩いて、歩き出した。

 

「よし、比企谷! 今日の晩飯は作らなくていい。豪華な飯を食べに麓の村まで行くぞ!」

「いったい何を食べるんですか?」

「ふふふっ、聞いて驚け。すき焼きだ!」

「おおーマジですか!」

「合格者には豪華な飯を食べさせるのが、育手の決まりだ。私も師匠にそうしてもらった」

「うす。ありがとうございます」

 

 二人はその晩、豪華な食事を食べお祝いをした。

 それは夜遅くまで続き、八幡は酔いつぶれた平塚を家まで背負って連れ帰ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして翌日。

 

「では、そろそろ行きます」

「ああ……頭が痛い」

 

 見送りに来てくれた平塚。しかし飲みすぎで二日酔いの状態だ。

 

「飲みすぎですよ、平塚師匠」

「しょうがなかろう。昨日の酒は美味かった。あんなに美味い酒を飲めたのは、本当に久しぶりだったからな」

 

 楽しそうに平塚は笑う。

 

「あまり深酒はしないでください。それにタバコも。身体が悪くなりますよ」

「分かった、分かった。そういう所がアイツにそっくりだよ、お前は」

「俺が居ないときでもキチンと家事をしてくださいよ」

「分かってる。分かってる。問題ないよ」

「はぁー」

 

 不安には思うが大丈夫だと信じることにする。

 

「―――比企谷。最後に一つ言っておく」

「何でしょうか?」

 

 平塚は八幡の肩に両手を置く。そして真剣な目で語り掛ける。

 

「危なくなったら逃げろ。決して無茶はするな―――人は死んでしまったら、それでおしまいだからな」

「うす、肝に銘じておきます」

 

 その返事に満足した平塚は、肩から手を外す。そして八幡の背を叩いた。

 

「よし! 行ってこい!」

「では、行ってきます」

 

 平塚に見送られ八幡は歩み始めた。

 目的地は鬼殺隊入隊の最終選別の舞台―――藤襲山だ。

 




育手について悩みました。
原作で判明してる育手の数は少なく、先駆者の方々と同じになってしまうのも面白くない。なればどうすればいいか?

考えた結果、原作キャラの先祖的な立場の人を師匠にしてみました。
折角のクロスオーバーですから、こういうのもいいかなと思ったので。


大正コソコソ噂話

平塚咲さんの師匠は、善逸と一緒で桑島慈悟郎さんです。
雷の呼吸を全て使える彼女は、次期鳴柱候補でした。
しかし頸を切れなくなった彼女は現役を引退。育手の道を選びました。

育成方針は超スパルタです。
それに耐えきれず、今までの候補は全員逃げ出しました。
しかしそれは鬼と戦っても死んでほしくないという、彼女の想いから来ています。
よって、今後も方針を変える予定はありません。


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第七話 最終選別の開始

明日のジャンプを楽しみにしつつ更新します。


 藤襲山

 

 それは鬼殺隊へ入隊を希望する者が訪れる最終選別が行われる山である。その山の特徴は一目見れば一目瞭然だ。

 それは山の麓から中腹にかけて一面に藤の花が咲いていることだ。しかも藤の花は狂い咲きの影響で、一年中枯れることなく咲き続ける、鬼にとっては鬼門の場所である。

 

 そして季節が初夏に差し掛かる頃、毎年この山で鬼殺隊の最終選別が行われている。

 

「皆さま。今宵は最終選別にお集まりくださり、ありがとうございます」

 

 最終選別は、藤の花の柄の着物を着た白髪の少女の説明から始まった。

 隣には同じ柄の着物を着た、同じく白髪の少女が並ぶ。似た顔立ちから察するに恐らく姉妹だろう。

 

「この藤襲山には鬼殺の剣士様方が生け捕りにした鬼が閉じ込めてあり、外に出ることはできません」

 

 少女たちの顔は一見区別がつかない。左側頭と右側頭にそれぞれ紐の髪飾りがあるので、それで区別をつけるしかないだろう。

 

 今度は隣の少女が口を開く。

 

「山の麓から中腹にかけて、鬼共の嫌う藤の花が一年中狂い咲いているからでございます」

 

 二人の少女から少し離れた場所では、最終選別の参加者が真剣な表情でこの話を聞いている。

 参加者はおよそ二十名。年齢は殆どが十代だと思われる。

 

 ―――あんな小さな女の子までいるのか。それにあっちの男は他の参加者と目つきが違うな。

 

 八幡は説明を聞きながらチラリと他の参加者を見渡す。特に印象に残ったのは二人だ。

 一人目は今回唯一の女性の参加者である黒髪の少女。顔に横に狐の顔が彫られた白い面を被っている。そしてもう一人は白い髪の少年だ。その目は血走り、周囲すべてに敵意を向けている。

 

「しかしこれから先には、藤の花が咲いておりませんから鬼共がおります。この七日間を生き抜く――」

 

 少女の説明が終盤に向かうのが分かる。七日間という単語を聞き、持久戦になるなと今回の試験の意図を感じた。

 

「それが最終選別の合格条件でございます。では、行ってらっしゃいませ」

 

 そして最終選別が開始された―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 木々が立ち並ぶ森の中をゆっくりと歩く。周囲に人はいない。開始の合図があると同時に、他の参加者は全員走って散らばってしまったからだ。

 

「複数で協力するのもありだと思ったが、この様子だと無理だな」

 

 八幡は最初に考えた案を否定した。

 七日間生き抜くと聞かされ、初めに思ったのが多人数での協力だ。この山にどれだけの鬼がいるかは分からない。しかし仲間がいれば、いざという時に協力することも可能だと思ったのだが―――

 

「……駄目だな。初対面の、しかも相手の力量も分からないのに協力などできないか。信頼関係などないに等しい……いや、そもそもボッチの俺に協力プレイなんて不可能だわ。そんな事出来たら元の時代でも苦労しなかった」

 

 そもそも自分に協力プレイが無理なことを忘れていた。

 軽く落ち込みながらゆっくりと歩を進める。

 

 ―――まず探すのは水場だな。人は水なしでは七日も生きていけない。試験という名目上、水場は複数用意されているだろう。そこまで鬼畜ではないはずだ……平塚師匠なら水場なしの試験も用意しそうだけどな。

 

 ゆっくりと、ゆっくりと、音を立てずに歩き続ける。

 

 ―――しかし鬼共も水場付近で待機している可能性が高い。鬼だって元は人だ。こっちの弱点も知り尽くしている。

 

 何より地の利は相手にある。こちらは初見の場所だが、相手はそうではないのだ。この差は大きい。

 

「ふぅぅ。風が気持ちいいな……」

 

 そよ風がふわりと流れる。夜に吹く風は、昼と違い気持ちがいい。

 その風に身を任せ―――刀に手を置いた。

 

「獲物が来やがった!」

「久しぶりの人肉だぜ!!」

 

 前後にある茂みから鬼が飛び出してきた。鬼も何も考えず、こちらに突撃してきて―――次の瞬間に一匹の鬼の頸が宙に舞った。

 

 ―――雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃

 

 正面から馬鹿正直に突撃してきた鬼の頸を一瞬で切る。何が起こったかも分からず、鬼の頸が地面に落ちた。後方の鬼が驚愕し、動きが止まったのが気配で分かった。

 

 戦場で足を止める愚か者を見過ごすほど、八幡は甘くない。

 

 ―――雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃 二連

 

 距離があるため、通常の霹靂一閃では届かない。その為、二連を使用し一気に加速して鬼の頸を断ち切った。平塚師匠なら通常の霹靂一閃で届いただろうが、この身は未熟。今はこれが限界である。

 

 地面に落ちた鬼の頸は身体と共に間もなく灰となった。それを確認してから、八幡は森の中へと足を進めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 八幡が森の中に去っていく様子を、反対側の木の上にいる鬼は目撃した。その鬼は一瞬の惨事に恐怖で震えが止まらなかった。

 

「何だ、アイツ。やべぇ、やべぇよ。あんな奴相手にしたら殺される。鬼狩りの受験者にあんな強い奴がいるなんて反則じゃねぇか」

 

 その鬼は冷静だった。鬼が人よりも強いことを理解しつつ、鬼狩りと真正面から戦うのは不利だと考えれるほどには冷静だった。

 

「一刻も早く奴から離れるんだ。いや、待て。奴は強い。今動けば察知されるかもしれない。幸い奴は反対側に行った。ここにいればやり過ごせる」

 

 だからここに残る選択をした。動けば音で察知されるかもしれない。それが正しい判断だと鬼はほくそ笑んだ。

 

 ―――次の瞬間、自身の視覚が回転していた。

 

「だ、だれだ!」

 

 頸を切られた。なぜ切られたのか分からなかった。近くに鬼狩りはもういなかったはずだ。

 宙に回転しながら落下していく自身の視覚が、その下手人を捉えた。

 

「なんで……」

 

 それは先程と同じ鬼狩りだった。無表情でこちら見つめる姿に油断は一切感じられない。地面に落ちた自身の頸が上を見上げ、月明かりに照らされた鬼狩りの顔を見た。

 

 鬼は最後に、あの腐った目はなんなんだ、と思いながら消滅していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――終わりか」

 

 三匹目の鬼が消滅したことを確認して一息つく。二匹目の鬼を片付けた時点で、もう一匹の鬼が潜んでいたことは気付いていた。背中を見せて誘ってみたが、襲い掛かってこなかったので、隠れながら奇襲を試みたのだ。

 

 そして見事に成功した。

 

「鬼といっても色んな奴がいるな。まあ当たり前か。元は人間だしな」

 

 鬼になった者の特徴として、性格が凶暴になるのは間違いない。しかしそれだけではないようだ。

 

「風下から回れば奇襲も可能。肉体的に、それに五感が優れていても、それを活用させなければ倒すのも容易、か。色々勉強になるな」

 

 刀を納刀し地面に音を立てずに着地する。この間にも周囲の索敵を忘れない。風の呼吸で感じ取られる範囲に敵はいない。しかし油断は禁物だ。鬼の中には血鬼術なるチートを使う鬼もいるらしい。この試験にその鬼がいるかは分からないが、気を抜くことは許されない。

 

 何はともあれ

 

「―――倒せたか」

 

 鬼を倒せた。あの日、なにも出来ずなすすべもなかった鬼を倒せた。自身の中で達成感と高揚感が高まっていくのを感じる。このまま勢いに任せ鬼を倒せば―――

 

「……馬鹿か、俺は」

 

 瞬時にその考えを捨て去った。自身の熱くなった心に落ち着かせ、冷静な思考を取り戻す。

 

「なるほど。だから七日間なのか、この試験は。意地が悪いな」

 

 この試験の意図が少し見えた。この試験の参加者の殆どが、鬼に身内を殺された人達だ。彼らはこの試験で初めて鬼を殺し、その高揚感に胸を打たれて自信をつける。そしてその勢いにのって戦うのだろう。

 

 しかし自信は過信へと繋がる。勢いのまま鬼を殺し続けるのはいい。しかし、七日間の試験期間中ずっとその考えを続けるのは危険だ。でなければ、疲れ切った後半、鬼に殺されてしまう結果になりかねない。

 

 体力の消耗を出来るだけ抑え、精神力と気力を平常のまま維持するのがベストだろう。

 

「となると、やはり攻勢に出るのは危険だな。なるべく隠れてやり過ごす。又は見つけた鬼だけ殺すのが無難か」

 

 試験の目的は七日間生き残る事。その条件に鬼を倒すことは含まれていない。

 鬼に一匹も遭遇しないでクリアすることも理論上可能ではあるが、限定されたフィールドの中でそれを達成するのは難しいだろう。

 

「―――久しぶりのステルスヒッキーの出番だ」

 

 意識を抑えて気配を殺す。自身の感覚を周囲と同化するような感覚だ。平塚師匠には通用しなかったが、弱い鬼相手なら通用するだろうというお墨付きだ。

 

「まずは、水。次に食料だ―――行くぞ」

 

 比企谷八幡は、生き残るために行動を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜が明け朝日が昇る。そして眩い光が周囲を照らるのを確認し、隠れていた木の上から飛び降りる。あの後、何匹かの鬼を発見して、気付かれることなくすべて奇襲で片付けることができた。

 

 地面に降り立った八幡は、夜の間に見つけた場所へと急いで走る。

 そこにあったのは―――山から出ている湧き水であった。

 

 辺りには特に気配もなく、人がいる形跡もない。どうやら近くには誰もいないようだ。最も、この時間に鬼の心配をする必要はない。日光を浴びると消滅する鬼は、昼間は暗闇に隠れているのだ。

 

「……鬼が隠れている洞窟が複数ありそうだな、この感じだと」

 

 この山を遠くから見た限りでは、建造物は存在しなかった。となると、鬼が隠れているのは洞窟の奥が一番可能性が高いだろう。そこなら完全な暗闇だ。

 

「入口爆破して閉じ込めるとか出来ないかね。爆発物ないけど」

 

 そもそも鬼が酸欠で死ぬとも思えない。生き埋めにしても、その内脱出しそうだ。

 

 馬鹿なことを考えるのを止めて、目の前の湧き水を見る。勢いよく流れているその水は、澄んでいてとても美味しそうだ。手ですくって一口飲んでみる。

 

「……美味いな。これなら飲める」

 

 水の確保は出来た。手ですくいながら水を飲み、懐に入れた竹筒に水を補給する。

 此処を拠点にすれば水の問題は解決だ。

 

 最も腹を下しても問題ない。全集中の呼吸を使用すれば腹下しも回復できるからだ。平塚師匠に飲まされた水が中り、それが原因で習得したのは苦い思い出だ。

 

「食料はこれでいいか。量も足りないし一週間これだと飽きそうだが、しょうがないな」

 

 食料は自生していた山ぶどうである。此処から離れた場所で群生地を発見し、そこから拝借してきた。

 恐らく鬼殺隊が用意した食料だろう。他の場所にも群生地が存在している可能性が高い。

 

「……渋いし、甘みがまったくないな。だがないよりましだ。貴重な食料だ」

 

 腹が少しでも膨れれば問題ない。そもそも、水さえあれば一週間何もなくても戦えないこともない。だが、進んで試したいとも思わないから却下だ。

 

「さて、そろそろ休むか」

 

 湧き水の近くにある木に移動し、木を背もたれにして腰を下ろす。

 早めに休んで出来るだけ体力を回復させたい。

 

「……残り六日か。先は長いな」

 

 瞼を閉じ身体の力を抜く。するとすぐに睡魔が襲ってくる。どうやら初の実戦で予想以上に疲れが生じているようだ。

 

 やがて比企谷八幡の意識は完全に落ち、一時の休息へと入った。

 




最終選別の時って、水は何とかなるでしょうけど、食料はどうしてるんだろうと、ふと思いました。
多少食料を持っていたとしても、一週間はもたないはずですし。

それとも、全集中の呼吸を習得すれば一週間ぶっ続けで戦えるのかな?
少し気になる所です。


大正コソコソ噂話

今回の最終選別で案内を務めているのは、産屋敷 にちかと産屋敷 ひなきの二人です。
この二人の名前を知ってる方は、かなりの鬼滅ファンと思われます。


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第八話 狐の面の少女

今日は休みなので、この時間に投稿します。


 最終選別の七日目。最終日の夜。

 比企谷八幡は見事に生き残っていた。

 

 夜は水場を中心として、決められた範囲を行動し、木の上や茂みなどに隠れる。そして近付いてきた鬼の背後に回り込み、瞬時に頸を刈り取る。もしくは雷の呼吸で一気に近付き、一閃して頸を切る。

 そんな暗殺者のような戦い方が、今の比企谷八幡の戦闘スタイルである。

 

 ―――そんな彼の才能が今、花開こうとしていた

 

「ぎゃぁぁっ!」

 

 刀を一振りするごとに鬼の頸が飛ぶ。

 感覚が研ぎ澄まされ、さらに精度が増していく。

 

「な、なんで背後に!」

 

 溶ける、溶ける、溶ける。自身の身体が溶けるような感覚で、周囲に自分の身体が溶け込んでいく。

 

「ば、化け物!」

 

 動きを最適化し、最小の軌道をもって鬼の頸を狩る。

 川に流れる水のように、空に吹く風のように、自然と一体化し、そのすべてを身に任せ―――

 

 

 ―――息をしろ!! 

 

 

「っ!? はぁっはぁっはぁっはぁっ……なんだ、今の感覚は?」

 

 何かの警告に従い意識を取り戻す。呼吸をするのを忘れ、妙な感覚に引っ張られ続けた。このままでは恐らく命が危なかった。調子に乗った自分を叱責し、慌てて息を吸って呼吸を整える。

 

 気付けば周囲に鬼の死体が三つ転がっている。だがもう消滅寸前だ。しかしこの鬼たちの頸を切った記憶が曖昧だ。意識がはっきりしてなかったのか? 。

 

 鬼の身体が灰になるのを見届け、自身の異常事態について考える。

 

「調子はいい。今までで一番といっていい」

 

 最終選別が始まり、日が経つほどに調子が上がっていく。最初は実戦に慣れてきた。そう感じていたのだが、それだけでは済まないと、直感が働いた。

 

 全集中・常中のおかげで体力に余裕がある。睡眠もそれなりにとっているし、気力・精神力共に問題はない。何も問題はない―――はずだ。

 

「だったら、なぜ……」

 

 考えろ。考えろ。この問題は絶対に考えなければいけない。そう、本能が告げている。

 

 考えに考え―――平塚師匠に言われたことを思い出す。

 

 ―――比企谷。私は君の本来の呼吸が派生系ではないかと睨んでいる。なに、理由だと? 勘だよ、勘。数多の隊士を見てきた先任者としての勘だ。

 

 ―――まあ、今は気にしなくていい。実戦に出れば嫌でも自らの呼吸とは向き合うことになるからな。その前に雷の呼吸を覚えておけ。他の呼吸を使うにしても機動力はあった方が便利だぞ。

 

 確かにそう言っていた。修行開始直後のことだったので、すっかり忘れていた。

 

「さっきのがそれか? ……平塚師匠の言うとおりかよ」

 

 お釈迦の手のひらで転がされた気分だ。しかし確かに今までとは異なる感覚だった。

 

「いかんいかん。そんな事は今考えることじゃない。今は試験中だぞ」

 

 首を左右に振って気持ちを切り替える。この奇妙な感覚は一先ず忘れる。仮に派生呼吸だとしても、不確かな戦力など当てにするものじゃない。

 

 気持ちを落ち着け、改めて周りを見る。周囲に敵影なし。安全は確保できた。

 何も問題は―――

 

「げっ、雨か」

 

 空から雨がぽつりぽつりと降り始めた。上空を見ればいつの間にか黒雲が広がっている。

 とりあえず再び隠れようと木の上に登ると―――遠くに人影が見えた。

 

 遠くから見るに黒髪の若い少年だ。試験開始から今まで他の参加者をまったく見なかった。もしかしたら全滅した可能性も考えたが、考えすぎだったようだ。

 

 しかしその少年は蹲ったまま動かない。心配になり少年の方へ走っていく。何かトラブルがあったかもしれない。

 少年の傍まで来たが、なぜかその少年は木を背にしてうずくまり、そして震えていた。

 

「おい。どうした? 大丈夫か?」

「……ば、ばけもの。化け物がいた」

「化け物? どういう事だ?」

 

 少年の返答は要領を得ず、八幡は聞き返す。

 

「なんであんな化け物がこの最終選別にいるんだよ! ここにいるのは人間を二・三人喰った鬼しか入れてないんだ。その筈なのに……」

「その化け物はどこにいる? お前はどっちから来た?」

「あ、あっちだ。今、俺の代わりに女の子が戦って―――」

 

 ―――全集中 雷の呼吸 神速

 

 少年の言葉を最後まで聞かず、八幡は高速で移動を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは正しく異形の鬼であった。

 身体の色は緑色で、その姿は人の形を保っていない。四本の手足以外にも何本もの手が存在しており、それらを胴体に巻き付けている。

 

 その異形の鬼は、一人の少女を狙っていた。

 鬼の身体から何本もの腕が飛び出す。その腕は少女を捕らえんと、様々な方向から襲い掛かる。

 

 ―――水の呼吸 参ノ型 流流舞い

 

 襲い掛かる腕に向かい少女は動く。水流が流れるように素早く動き、腕の軌道から逃れていく。そして同時に腕に斬りつけ幾つもの傷を残していく。そして水流が回転する動きで鬼の攻撃をしのぎきった。

 

「すばしっこいなァ、鱗滝のガキ」

「あなた誰? どうして鱗滝さんのことを知ってるの?」

 

 自身の育手の親のことを知っている。それが気になった少女―――真菰は鬼に問いかける。

 

「そりゃ知ってるさ。アイツが俺をこんな所に閉じ込めやがったからなァ!」

「そう―――それはお気の毒」

 

 育手の親が捕まえた鬼。その事については興味はなかった。

 しかし鬼の強さには注意を払う。その見た目から人間を何十人か喰っている。真菰はそう判断した。

 

 ―――頸が硬そう。どうしよう……逃げようかな? 

 

 冷静に考える真菰。自身の腕では頸が切れないと判断する。しかし真菰が行動を起こす前に、鬼の口が再び開いた。

 

「十一……十二。で、お前で十三だ」

「何の話?」

 

 鬼はニヤリと笑った。

 

「俺が喰った鱗滝の弟子の数だよ。アイツの弟子はみんな殺してやるって決めてるんだ」

「――――――」

 

 真菰の動きが止まった。

 

「そうだなァ。特に印象に残っているのはアイツだな。珍しい毛色のガキ。宍色の髪をしてた口に傷がある奴だった」

「―――さ、びと」

 

 真菰は呟く。自身の兄弟子の名を。その様子を見た鬼はさらに続ける。

 

「その狐の面。厄除の面と言ったか? それは目印なんだよ。それをつけてるせいでみんな喰われた」

「――――――おまえが」

 

 真菰の身体は震え始まる。恐怖ではない。自身でも抑えきれない怒りによってだ。

 

「みんな俺の腹の中だ。鱗滝が殺したようなもんだ。フフフッ、見せてやりたかったなァ。俺の頸を斬れなかったときのアイツの絶望の表情を」

「お前が錆兎を!!」

 

 真菰が激怒し、叫びながら正面から突っ込む。そして助走をつけてジャンプし、一気に頸を狙った。

 

 ―――それが鬼の狙いと気付かずに。

 

「―――バカめ!!」

「―――!?」

 

 鬼に手が四方から伸び、真菰の手足を捕らえる。手首足首を抑えられ真菰は拘束された。

 

「捕まえたぞ」

「―――っ」

 

 真菰は身体を捻って逃れようとする。しかし彼女の力では振りほどくことはできない。

 

「お前らガキはいつもそうだ。他のガキの話をすると、いつも怒って真正面から斬りかかってくる。それを捕まえればいいんだから楽なもんだ」

「――――く、そぉ」

 

 そこで漸く真菰は自身の失策を悟った。鬼がわざとこちらを挑発し、こちらの動きを誘導したことに。

 その挑発にまんまと乗ってしまい、全集中の呼吸すら乱れていた。すべて鬼の狙い通りであった。

 

「さて、どう遊んでやろうか。右手か、左手か、それとも足の方がいいか?」

「っ!」

 

 鬼は真菰に問いかける。直ぐには殺さない。たっぷりと恐怖を味合わせてから殺すつもりだ。

 

「よし決めた! まずは右足からだ」

「くぅぅぅ!!」

 

 右足の手が動く。徐々に、徐々に、弄びながら力を入れる。耐え切れずに真菰が悲鳴を上げた。

 

「ハハハハッ、いい悲鳴だ! このまま手足を一本一本引きちぎって―――!」

 

 ―――雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃 神速

 

 八幡の一撃が鬼の頸を半ば断ち切る。そしてその影響で鬼の手の力が弱まった。

 

「チッ! 浅かったか」

「―――え?」

 

 少女の耳に男の声が聞こえた。

 

「だ、誰だ!?」

 

 鬼の後方に着地。鬼の言葉を無視し、振り返りながら前傾姿勢を取り、再び技を放つ。

 

 ―――雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃

 

 再び頸狙い。しかしその狙いを悟った鬼は、自身の頸の前に真菰を動かし盾にする。

 

「このガキがどうなっても!?」

 

 ―――雷の呼吸 弐ノ型 稲魂

 

 鬼の狙いを察知した八幡は、移動途中で技をキャンセル。稲魂を放ち真菰の四肢を拘束していた手を断ち切る。

 そして落ちてくる真菰をキャッチ。鬼の身体を蹴ってジャンプし、距離を取った。

 

「ふぅ、遅くなってすまない」

「えーと、誰?」

「通りすがりの者だ。少し待っててくれ」

 

 真菰をそっと地面に下ろして前へ出る。

 その八幡の姿は―――異形の鬼にとって死神に見えた。

 

 ―――なんだ、なんだ、アイツは! いきなりやって来て俺の頸を! 頸を! アイツは俺の頸が斬れる! 斬れてしまう! このままじゃ死ぬ! 死ぬ? この俺が? いやだ! いやだ! 死ぬのは嫌だ! 死にたくない!! 

 

 再び技を放とうとする八幡。それに対し異形の鬼は―――いきなり逃げ出した。

 

「来るなァァァ!! 俺に近付くんじゃねェェェ!!」

 

 鬼は叫ぶ。そして全速力で逃げ出した。しかもそれだけではない。複数の手を伸ばし、周辺の木をなぎ倒す。そして、倒れた木をこちらに投げつけてきたのだ。

 

「くそっ!!」

 

 これには八幡もたまったものではない。自分だけならいい。だが後ろの少女はそうはいかない。慌てて少女を抱いて、その場所から離脱した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……逃げられたか」

 

 鬼がいた場所へ戻ってみたが、改めて逃げられたことを実感した。自身の詰めの甘さに後悔する。初撃で決められなかったのは痛恨の極みだ。

 長時間の神速の使用。雨の影響による踏み込みの甘さ。原因は幾つかあるが、取り逃がしたことに変わりはない。

 

 ―――追うか? いや、この少女がいる以上、無理は禁物だ。窮鼠猫を噛むというしな。

 

 あの逃げっぷりなら、もうこちらを襲うことはないだろう。もう一度来たら今度こそ仕留める。

 決意を固める八幡。すると腕に抱えた真菰が口を開いた。

 

「あのー」

「ああ、すまん。大丈夫か?」

「えーと。うん、大丈夫」

「いや、助けるのが遅れてすまない」

 

 真菰の右足を見て八幡は謝る。右の足首が変色している。かなり重そうな怪我だ。

 

「足はどうだ。痛むか?」

「うーん。ちょっと立てないかな」

「分かった。このまま移動するぞ。ちょっと我慢してくれ」

「うん。分かった」

「君の刀は―――ああ、あれか。鞘も転がってるな」

「私が持つよ。貸して」

「よし。行くぞ」

 

 幸いにも真菰の刀と鞘は木の下敷きにもなっておらず、直ぐに見つかった。それらを拾い真菰に自身の刀を渡す。その刀を少女は抱きかかえ、八幡はその場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――これでよし、と」

「うん、大分楽になった」

「とりあえず、あて木をしただけだ。動かしちゃ駄目だぞ」

「はーい」

 

 元気よく返事をする真菰。

 彼女の右足首は変色しており、軽い怪我には見えなかった。軽く触ってみたが、骨折していなかったのが不幸中の幸いだ。念のために、加工した木で作ったあて木と持っていた包帯で簡単な治療を終えた。

 

「ごめんね。迷惑かけちゃって」

「気にするな。困ったときはお互い様だ。今度俺が困ったら助けてくれ」

「うん。分かった」

 

 真菰は小さく笑った。やはり女の子は笑っていた方がいい。

 

「ところで八幡。一つ聞きたいんだけどいいかな?」

「―――なんだ?」

「なんで西側に来たの? 東側の方が早く日が昇るよ」

 

 現在二人は、山の西側にある洞窟で腰掛けている。先程から雨が本降りになり、外で過ごすのは危険になったのだ。因みに、此処に来る途中に少年と出会った場所にも寄ったが、既に姿を消していた。彼は彼でどこかに逃げたと思われる。

 

「今はその方がいいと思ったからだ」

「え、でも」

「確かに日が昇るのが早いのは東側の方だ。それは鬼も知っている」

「―――あ」

「だから、逆に西側の方が鬼に見つかりにくいと思った。まあ、気休めかもしれんがな」

「そっか。そういう考え方もあるんだ」

 

 自身とまるで逆の考えに感心する真菰。

 夜明けまではまだ数時間あるが、運が良ければ此処でやり過ごせるだろう。

 

 そしてそのまま三十分が過ぎた。ふと八幡が隣を見る。すると真菰が船をこぎ、眠そうにしていた。

 

「―――眠いのか?」

「え? あ、ううん。ごめん。ちょっと寝てた」

 

 慌てて目を開く真菰。

 

「……よかったら横になっていいぞ」

「え、だ、駄目だよ。いつ鬼が来るか分からないし」

「俺が見張ってるから大丈夫だ。いざとなったら起こしてやる」

 

 真菰は少しだけ考え、そして了承する。

 

「うん……じゃあ、少しだけ……」

「―――ああ。此処に頭をのせろ」

「うん……」

 

 八幡に言われるがまま、真菰は己の頭を彼の膝の上にのせた。

 

「そのまま寝ていいぞ」

「……わかった……おやすみ……なさい」

「―――ああ、お休み」

 

 もう限界だったのだろう。恐ろしいほどに寝つきが速かった。

 そんな真菰を見て呟く。

 

「―――強い子だ。足の怪我だって痛いだろうに」

 

 足の怪我は決しく軽くない。それでも真菰は一言も弱音を吐かず、むしろ笑顔で話していた。

 

「しのぶと同じぐらいの年頃か―――いや、どちらかというと似てるのは」

 

 ――――――小町の方だな。

 

 ぽつりと最愛の妹の名を口にした。

 

「元気にしてるかね、小町は。いや、この時代だとまだ生まれもしてないか」

 

 己の膝で寝ている少女と、最愛の妹の姿がかぶって見えた。まだ小学校低学年のとき、家出をしたときの妹の姿にだ。

 

 先程遭遇した大型の鬼。どうやら真菰とはなにか因縁があるようだ。しかし八幡と話しているときはそんなそぶりを微塵もみせない。自身の本心を隠す姿がそっくりに感じた。

 

「こんな少女が鬼狩りか―――出来る限りは守ってやらねぇとな」

 

 しのぶと同じ年ごろの子供が健気に頑張っている。だったら守ってやるのが年長者の役目だろう。

 膝に眠る少女の頭をそっと撫でながら、八幡はそう思うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「う、ん……あれ? ここは?」

「―――起きたか?」

 

 眩い光に照らされて真菰の目が覚める。目覚めと同時に聞こえてきた声に、彼女は聞き覚えがあった。

 

「……はち、まん?」

「おう。比企谷八幡だぞ」

 

 比企谷八幡。自身を助けてくれた男の名前だ。

 自分の状態を確認すると、八幡の背中におぶられている状態だった。

 

「えーと、ここは?」

「試験会場の入り口だ。俺たちが一番乗りのようだぞ」

「―――え?」

 

 辺りを見渡すと確かに試験開始の広場だった。説明役の少女二人も近くにいる。

 

「………私たち二人だけ?」

「今の所は―――いや、三人のようだ」

「え? ……あ、ほんとだ」

 

 森の方を見ると一人の少年がこちらに向かっているのが見えた。白い髪をした少年だ。

 

 結局その少年が来たのが最後で―――他の参加者は現れなかった。

 

「お帰りなさいませ」

「おめでとうございます。ご無事でなによりです」

 

 二人の少女が淡々と説明を始める。

 

「まずは隊服を支給させていただきます。体の寸法を測り、その後は階級を刻ませていただきます」

「階級は十段階ございます。甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸。今現在の皆様は、一番下の癸でございます」

 

 途中で聞き捨てならないことを言った気がする。

 

「え、階級を刻むって入れ墨でもすんのか?」

「えー、痛いのはやだなー」

「……いや、そうとは限らんか。後であの二人に聞いてみよう」

「うん」

 

 分からないことは後で聞くことにした。

 

「これから皆様には鎹鴉をつけさせていただきます」

 

 少女が手を叩くと、上空から三匹の鴉が下りてくる。そして八幡たち三人の肩に降り立った。

 

「鎹鴉は主に連絡用の鴉でございます。任務の際はその鴉がご連絡いたします」

 

 この鴉がこれから先の相棒となるわけだ。

 

「……よろしくな」

「よろしくねー」

 

 二人で鴉に挨拶をした。鴉はカァーと二人に返事を返した。

 

「では、皆さま。こちらをご覧ください」

 

 少女は置いてある机へと視線を向ける。木の机にはいくつかの鉱石らしき物が置かれている。

 

「では、あちらから刀を造る玉鋼を選んでくださいませ。刀が出来上がるまで十日から十五日かかりますので「―――おい」なんでございましょうか?」

 

 ずっと沈黙を保っていた白髪の少年が初めて口を開いた。少年は少女に近付くと、その胸倉を掴む。

 

「十日から十五日だぁ? それじゃ遅ぇ。今すぐ刀をよこしやがれ」

「それは出来ません。規則ですので」

「関係ねぇ! 今すぐ刀をよこせ!」

 

 涼しい顔で反応する少女。その反応が気に入らず少年は激高する。

 そして少女を殴るべくその手を上げ―――止められた。

 

「―――そこら辺で止めておけ」

「あぁ。なんだお前は。関係ねぇ奴は引っ込んでろ」

 

 八幡が少年の手を押さえた。少年が八幡を睨みつける。

 

「せっかく合格したのに、失格になりたいのか?」

「―――何?」

「分からないか? その子たちはこの試験の監督役だ。つまり、俺たちを不合格にする権限をもってる……せっかく合格したのに、失格にはなりたくないだろう?」

「………チッ」

 

 八幡の言葉に、少年は少女を掴んでいた手を離した。

 

「―――お話はすみましたか?」

 

 胸倉を掴まれていた少女は、何も気にせず説明を続ける。

 

「では、鋼をお選びください―――鬼を滅殺し、己の身を守る刀の鋼はご自身で選ぶのです」

 

 そう少女は締めくくった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここでいいのか?」

「うん。この山が狭霧山だよ」

 

 全ての手続きは終了し解散となった。階級の問題に関しては入れ墨ではなく、特殊な方法で階級が浮かび上がるという代物だった。現代でも見たことのない技術にとても感心した。

 

 しかし足に怪我を負った真菰は歩くのが困難のため、八幡が彼女を送ることになり、彼女の育手がいる狭霧山へと足を運んでいた。

 

「よし、行くぞ」

「うん。お願い」

 

 真菰を背負いながら八幡は狭霧山を登る。

 

 幸いにも藤襲山から狭霧山まではそこまで遠くなく、半日ほどで到着した。その間の道中は二人でお喋りしながら―――主に真菰が喋りながらだが、此処までやって来た。

 

 ―――で、その日は鱗滝さんが私を褒めてくれたの! 

 ―――私が寂しいとき、鱗滝さんがたまに頭を撫でてくれるの。

 ―――鱗滝さんはすっごい厳しいけど、でも優しいときもあるんだよ。

 

 真菰の話題の大半は、育手である鱗滝左近次のものであった。その話を聞いていると、彼女が鱗滝のことを慕っているのが、八幡にもよく理解できた。

 

「それにしても、真菰は鱗滝さんのことが本当に好きなんだな」

「うん。私は鱗滝さんが大好き―――私以外にも鱗滝さんに育てられた子は沢山いるけど、皆、鱗滝さんのことが大好きだよ」

「他の子は此処にいるのか?」

「―――ううん。今はもういない。けど、偶に近くに来てくれるからよく知ってるよ」

「………そうか」

 

 要領を得ない話だが、何やら複雑な事情があるようだ。

 

「……ねぇ八幡。私、鬼殺隊に合格したけど、鱗滝さん褒めてくれるかな?」

「どうしたんだ、急に?」

「私が最終選別を受けること自体、鱗滝さんはあまりいい顔しなかったんだ。どうしてだろう?」

「……なるほどな」

 

 真菰は不安そうな顔をする。

 

「鱗滝さんは真菰を育ててくれた。親代わりみたいな人なんだろう?」

「親? 鱗滝さんが?」

「違うのか? 真菰の話を聞いていたらそんな風に思ったんだが」

「………そんなこと考えたことなかった」

 

 真菰はぽつりと呟いた。

 

「きっと真菰のことが心配だったんだろう。だからいい顔をしなかったんじゃないか」

「じゃあ、褒めてくれないのかな?」

「いや、褒めてくれると思うぞ。もしかしたら泣いて喜んでくれるかもしれないぞ」

「ほんと! だったら嬉しいなぁ」

 

 真菰はニコニコしながらほほ笑んだ。きっと鱗滝に褒められている自分を想像をしているのだろう。

 そんな真菰を微笑ましく見ていた八幡だが―――ふと、あることを思いついた。

 

「なぁ、真菰。せっかく最終選別に合格したんだから、鱗滝さんにご褒美を貰ったらどうだ?」

「―――ご褒美?」

「ああ。合格祝いというやつだ。試しに頼んでみたらどうだ?」

「それは、貰えたら嬉しいけど……どんなこと頼んでいいか分かんないなぁ」

「そうだな――――――」

 

 八幡はある提案を真菰に伝えた。

 

「――――――え?」

「どうだ? これなら真菰も嬉しいんじゃないか?」

「で、でも! そんなこと頼めないよ! 鱗滝さんに迷惑かけたくない……」

「迷惑かどうかは聞いてみないと分からないぞ。それとも真菰は嫌か?」

 

 真菰は首を横にブンブンと降った。それはもうすごい勢いで。

 

「そ、そんなことない! それが叶ったら私、嬉しすぎて泣いちゃうよ」

「だったら試しに頼んでみろ。俺の予想なら大丈夫だと思うぞ」

「……ほんと?」

「ああ。真菰みたいに可愛い子の頼みを断る奴はいない。そうだな。不安なら相手の顔の下から上目遣いで頼むといい。少し涙を浮かべれば完璧だ」

 

 少なくとも八幡はこれに抗う術をしらない。

 

「……じゃあ、頼んでみようかな」

「ああ、きっと上手くいくさ」

 

 真菰は不安に思いながらも、八幡の提案を受け入れることにした。

 

「あ、あそこだよ。八幡」

「ああ、分かった」

 

 それから程なくして一つの小屋が見えてきた。どうやら目的地に着いたようだ。

 小屋の前へと到着し、ノックをしようと手をかざしたところ―――いきなり戸が開いた。

 

 そして中から現れたのは―――赤色の天狗の面を被った男だった。

 

「あ、鱗滝さん。ただいま!」

「…………」

 

 どうやらこの天狗の男が鱗滝のようだ。予想とは違うその姿に八幡は言葉が出ない。

 鱗滝は二人を見て口を開く。

 

「―――よくぞ生きて戻った、真菰。お客人も一緒か。二人とも中に入るといい」

「はーい。行こっ八幡」

「えーと、じゃあ、お邪魔します」

「ああ―――ゆっくりしていくといい」

 

 鱗滝の誘われ、二人は小屋の中へと入っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうか。そんなことが―――比企谷八幡。真菰を助けてくれたこと、礼を言うぞ」

「いえ、頭を上げて下さい。少し遅れて怪我をさせてしまいました。こちらこそ申し訳ありません」

 

 最終選別の話を聞き、鱗滝は八幡に向かって頭を下げた。しかし間に合ったと思っていない八幡も、鱗滝に向かって頭を下げる。

 

「いや、命があっただけでも有難いことだ―――怪我は直せばいいが、死んでしまったらそれで終わりだ」

「……そうですね」

 

 実感の籠った言葉に八幡も思わず同意する。

 

「……うろこだきさ~ん」

 

 話題の張本人、真菰は鱗滝の膝の上で眠りに付いている。その満喫した笑みはとても幸せそうだ。

 

「―――お前たちが会った異形の鬼。あれは儂が捕まえた鬼だ」

「あなたが?」

 

 膝の上の真菰をひと撫でして、鱗滝は八幡へ説明を始めた。異形の鬼は鱗滝を恨み、数十年間生き残っていること。そして鱗滝を恨んでいる鬼は、彼が育てた弟子を優先的に狙っていることを。

 

「なるほど―――すみません、俺の詰めが甘いばかりに。あの鬼を仕留めきることが出来ませんでした」

「いや、それを責めているわけではない。儂の弟子が無事に帰ってきてくれたのだから―――それ以上は贅沢というものだ」

「それは……いえ、何でもありません」

 

 八幡は口を開こうとしたが途中で止める。そして鱗滝は真菰を抱えて立ち上がった。

 

「……今日はもう遅い。ゆっくり休むといい」

「―――分かりました」

 

 鱗滝の厚意により、この日は小屋で一泊することになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「では、そろそろ帰ります。泊めていただきありがとうございました」

「えーもういっちゃうの、八幡。もう少しゆっくりしていけばいいのに」

 

 翌日の朝。鱗滝と真菰に見送られ、八幡は出発の挨拶をしていた。真菰は一人で立てないので、鱗滝が支えている状態だ。

 八幡のことを真菰は呼び止めるが、彼には帰らなければいけない理由があった。

 

「いや、あんまり遅くなると師匠が怖い。これ以上は危険だ」

「危険って。八幡の師匠ってどんな人なの?」

「……色んな意味で厳しい人だ」

 

 修行の数々を思い出し、八幡の身体が震え始めた。

 

「―――まさかあの平塚の弟子とはな。儂の名前を出すといい。無下にはしないはずだ」

「分かりました。遠慮なく使わせてもらいます」

 

 間髪入れずに返事をした。シゴキを回避できるならどんな手でも使用する所存だ。

 八幡が真菰を見ると、彼女はまだ不満そうな顔をしていた。

 

「そろそろ行くぞ。またな、真菰」

「うん……でも、今度はいつ会えるか分かんないよ」

「確かにそうだな……」

 

 二人が困っていると鱗滝が声を掛ける。

 

「同期なら合同任務で会うこともある。それまでは鎹鴉で文のやり取りをすればいいだろう」

「あ、そっか。さすが鱗滝さんだね。じゃあ八幡、そういう事で」

「ああ、分かった。では失礼します」

 

 そして八幡は歩き始めた。離れていく八幡に真菰は声を上げた。

 

「はちまーん! またねー!」

 

 振り返った八幡は、手を振ってそれに返した。そして八幡の姿が遠ざかり―――やがて見えなくなった。

 

「……いっちゃったね」

「―――ああ。あの男のことを随分と気に入ったようだな」

「そうかな? ……うん、そうかも。八幡に撫でられると、鱗滝さんと同じ位気持ちいいんだよ」

「そうか―――よかったな、真菰」

「うん!」

「さて、家に戻るとしよう。まだ怪我は治ってないからな」

「あ! 待って、鱗滝さん」

 

 戻ろうとする鱗滝を真菰が呼び止める。

 

「―――どうした?」

「えーと、あのね……私、ご褒美が欲しいの」

「ご褒美?」

「うん。最終選別に合格したご褒美……駄目かな?」

 

 不安気に真菰は言った。

 

「……珍しいな。構わん、言ってみろ」

 

 真菰が何かをねだるなど初めてのことだったが、鱗滝はそれを許可した。

 

「……………」

 

 そして決意を固めた真菰が動く。

 鱗滝の顔の下から見上げるように自分の顔を上向きにし、少し涙ぐみながら―――彼女は一生のお願いをした。

 

「……鱗滝さん……私の、私のお父さんになってください!」

「……………」

 

 予想外の要求に鱗滝の思考は停止した。

 

 

 そしてそこから先は―――色々と大変だった。

 真菰の要求を渋る鱗滝。しかし彼女も諦めない。諦めず、諦めず、何度でも自らの要求を通そうとする。

 

 それでも粘る鱗滝だが、元々子供への愛情は深い彼だ。負けるのは時間の問題だったのかもしれない。

 私のこと嫌いなんだ、という真菰の台詞と涙には勝てなかったのだから―――

 

 そして今日この時をもって―――鱗滝 真菰が誕生した。

 




錆兎と真菰が生き残った場合、二人は鱗滝の姓を名乗ることを希望する。
そんなことを考えながら、この話を書きました。

残念ながらこの話では錆兎は既に亡くなっていますが、真菰には幸せになってほしいところです。


大正コソコソ噂話。
最終選別で現れた異形の鬼。通称手鬼。
八幡の不意打ちで八割がた頸を斬られた手鬼ですが、何とか逃げ延びました。
しかしこの一件がトラウマになったので、この後数年間は引きこもりになります。


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第九話 日輪刀と刀鍛冶師

少し遅くなりましたが投稿します。


「どうした比企谷! こんなものかっ!」

「―――くっ!」

 

 平塚咲の斬撃を受け止めながら、比企谷八幡は焦りの呻きを上げる。

 

 ―――相変わらず速すぎる! まったく隙が見当たらないっ! 

 

 放たれる斬撃は鋭く、そして速い。隙を狙おうにもその隙が見つからない。

 その為、先程から押されっぱなしで反撃の目途がまったくたたないままだ。

 八幡の焦りを読むかのように平塚が動く。

 

「ふっ!」

「―――っ!」

 

 上段からの一撃。それを刀で防くとそのまま力で押し込まれ―――動きが止められる。

 そして止まった隙を付かれ、腹に蹴りを叩き込まれる。

 

「―――そらっ!」

「ぐぉっ!」

 

 強烈な一撃。後ろに蹴り飛ばされ呼吸が乱れる。何とか着地し前を見ると、平塚は既に追撃の構えを取っていた。

 

 ―――雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃

 

 前傾姿勢からの神速の一閃。普通なら此処で終わる。

 

「まだっ!」

 

 ―――雷の呼吸 神速

 

 八幡は神速のスピードで回避し飛び上がる。すると一瞬後に霹靂一閃が通り過ぎる。

 霹靂一閃は強力な技だが、撃ち終われば一瞬だけ動きが止まる。空中で体勢を取り、落下のスピードを利用して技を放つ。

 

「これで!」

「甘いっ!」

 

 ―――風の呼吸 伍ノ型 木枯らし颪

 ―――雷の呼吸 伍ノ型 熱界雷

 

 螺旋状の風と上昇する雷が激突。風と雷が辺りに衝撃を走らせ、砂ぼこりが舞う。

 そして技の衝撃に耐えきれず、片方が吹きとばされ地面に倒れる。そして一人が瞬時に移動し、首元に刃を突き付けた。

 

 勝ったのは―――

 

「―――私の勝ちだな」

「―――参りました」

 

 比企谷八幡の師匠、平塚咲であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「うむ。予想通り強くなっている。やはり、百の稽古より一の実戦の方が効果的だな」

「そうですか? あまり変わってない気がするんですが」

「こういうものは本人には実感がわかないものだ。心配せずとも君は着実に強くなってるよ」

「……だといいんですが」

 

 小屋の中で首を傾げる八幡。やられっぱなしなので、自分がどの位強いか分からないのだ。

 

「君なら血鬼術さえ気を付ければ大抵の相手は何とかなる。例外はあるけどな」

「血鬼術、ですか。鬼ごとに違うんですよね?」

「ああ、そうだ。身体強化や遠距離攻撃、はたまた精神攻撃するなんてものもある。血鬼術に関しては同じものを使用する鬼はいないと言っていいだろう」

「……反則ですね。こっちは呼吸技しか使えないってのに」

 

 聞けば聞くほどチートもいい所だと八幡は思う。こちらの手札は基本的に接近戦主体なのだから、理不尽もいい所である。

 

「まあ、そういうな。君が雷の呼吸を習ったのは、その対策でもあるんだろう?」

「………さぁ、どうでしょうか?」

「くくくっ、君の選択は間違っていない。そういう所を含めて、私は君を気に入ってるぞ」

「……はぁ」

 

 平塚は上機嫌に笑う。

 誰にも言っていないのに、こちらの考えは読まれているようだ。

 

 そんな風に話をしている―――その時だった。

 

「―――来たようだな」

「どうかしましたか?」

 

 平塚がぽつりと呟いた。

 

「お待ちかねの客が来たようだ。茶の用意をしてくれ、比企谷」

「―――分かりました」

 

 こちらにはまだ分からないが、どうやら誰か来たようだ。自身の未熟さを再認識しながら、八幡は茶の準備を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「初めまして。私、鍛冶師の鉄穴森と申します」

 

 ひょっとこのお面を被った男性は、こちらに向かって頭を下げる。

 

「……久しぶりだな、鉄穴森」

「お久しぶりです、咲さん。まさか、あなたがいらっしゃるとは思いませんでしたよ」

 

 どうやらこの二人は知り合いのようだ。

 

「そうか。比企谷の刀はお前が担当か」

「いえ、私ではありません」

「―――なに?」

 

 平塚の眉がぴくりと上がる。そして鉄穴森の隣へと視線を移す。

 

「となると、そっちの彼が担当か」

「はい。こちらの「ふはははっ! お初にお目にかかるな、諸君」」

 

 鉄穴森の隣にいるもう一人の男が口を開く。灰色の髪をして、かなりぽっちゃりな体型をした男だ。

 

「我が名は義輝! 剣豪将軍 足利義輝! 以後、お見知りおき願おう!」

 

 男は高らかに自身の名を宣言した。しかし鉄穴森は即座にそれを訂正する。

 

「えー、彼が比企谷くんの担当である材木座 権兵衛くんです」

「ち、違うぞ。鉄穴森殿。その名は既に捨て去りし名。我が真の名は足利義輝である」

「駄目ですよ、権兵衛くん。自分の担当の方にはきちんと自己紹介をしないと」

「ぐぬぬっ、しかしこれを譲るわけには!」

 

 八幡と平塚を置き去りに、二人は言い争いを始めた。

 

「また変わった奴が来たもんだ。なぁ、比企谷」

「…………」

「どうした比企谷。大丈夫か?」

 

 八幡は自らの胸を押さえる。まるで古傷が痛み出したかのように。

 平塚はそんな八幡に声を掛けるも反応がない。

 

「むっ、どうした。我が魂の契約者よ。元気がないようではないか!」

「……ぐぅぅ」

 

 胸の傷がさらに痛む。それを何とか抑え込もうとするも、追撃は加速する。

 

「ふはははっ! 我が来たからには安心せよ! 我が腕より生み出されし不滅の刃。その刃は必ずや汝の役に立つことを宣言するぞ!」

「ぐほぉぉ!」

「し、しっかりしろ比企谷!」

 

 八幡は耐え切れなかった。彼を見ると思い出してしまうからだ。

 数年前に己に掛かっていた黒歴史―――中二病という病が。

 

「………ろ」

「む、どうした我が契約者よ?」

 

 八幡は何かを呟く。それが気になったのか材木座は八幡へと近付く。

 

「……め……ろ」

「む、聞こえんぞ。何と言っているのだ?」

 

 八幡の呟きを聞こうと材木座は耳を近づける。

 そして―――

 

「その中二病の言い方はやめろ!!」

「ぐぇぇっ」

 

 八幡の腹パン一発で地に沈んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、これは本当に大丈夫なのか。鉄穴森」

「ええ、まあ。言動はアレですが腕はいいですよ。そこは保証します」

「こいつがねぇ」

 

 地に沈んだ材木座を平塚は見る。

 

「……うぅぅ、何故我がこのような目に」

「…………」

「そ、そのような目で見るな。こ、怖いではないか!」

 

 涙目になりながら八幡を見る材木座。しかし八幡は反応しない。虚ろな目で材木座を見つめている。

 心なしか、彼の目はいつもより腐って見えた。

 

「はぁー、材木座だったか。私が現役の時は里で見なかったな。いつ入ったんだ?」

「……四年前です」

「なに!?」

 

 その年数に平塚は驚く。

 

「おいおい。冗談だろう鉄穴森。鍛冶師として一人前として認められるのには十年は掛かる。そう言っていたのはお前だぞ」

「ええ、確かに言いましたね。しかし長は彼を認めました」

「はー、あの長がねぇ」

 

 鉄穴森の肯定に再度驚く。女にだらしない欠点があるものの、長の目利きは確かだ。その彼が認めたのなら立派な鍛冶師なのだろう。

 

「ふっふっふっふっふ。そう! 我こそ鍛冶の里随一の鍛冶師。足利義輝である!」

 

 材木座が復活した。

 

「我の武勇伝を聞かせてやろう! そう! あれは忘れもしない四年前。突如現れた鬼が、無辜な民を襲おうとするのをこの眼で確認した。あれは運命であった!」

「……知らない人を襲おうとした鬼を偶然目撃したんだな」

「はい。正解です」

 

 材木座の言葉を八幡は翻訳し始めた。

 

「しかし我に眠りしその力、覚醒すること敵わず。惜しくも鬼狩りにその手柄を横取りされてしまったのだ!」

「……鬼に全く歯が立たず、鬼殺隊の人の活躍を見ていただけだな」

「はい。これまた正解です」

 

 八幡は中二病を正確に翻訳していく。

 

「そ、そして我は自らの力を覚醒すべく修行の場へと赴いた。しかし、我の才能に嫉妬した輩により追放されてしまったのだ!」

「……育手の所で修業をしたものの、育手に見限られたんだな」

「はい。その通りです。因みに修業期間は三日だったそうです」

「よ、よく今のが理解できるな、君たち」

 

 平塚は二人に感心する。

 

「し、しかし此処からが本番だ! 長に才能を認められた我は、鍛冶師の道へと歩み今に至ったのだ!」

「つまり、最終的には鍛冶師の里へ押し入ったわけだ」

「はい。長の所に無理やり押しかけたそうです。そこで長が認めて鍛冶師見習いになりました。ただ鍛冶師としての腕は長が認めているので、そこはご安心を」

「……そうですか」

 

 漸く話が終わった。とりあえず言動に問題はあるが、鍛冶師としては問題ないようだ。

 

「おい、材木座」

「ち、違う。我の名は足利「―――材木座」は、はい。材木座です」

 

 八幡が凄むと素直に自分の名を認めた。

 

「はぁ、とりあえず刀を出してくれ」

「う、うむ。分かった」

 

 そして一本の刀が八幡の前に出された。八幡はその刀を手に取る。

 

「……これが俺の刀か」

「その通り! 持ち主によって色が変化することから、日輪刀は色変わりの刀と言われている。さあ、八幡よ。その封印を解くがよい!」

「だからその言い方は―――はぁ、まあいい」

 

 八幡は柄を手に持ち、ゆっくりと刀を鞘から抜く。

 刀身が完全に抜かれると徐々に色が変化していく。

 

 そして―――刀身部分が徐々に透明となっていく。

 

「こ、これはどういうことだ!」

「これは一体……」

「刀身部分だけ消えた? いや、これは」

 

 驚く三人を他所に、八幡は刀身部分に手で触れる。

 

「……消えてない。透明で見にくいですが、刀身部分はちゃんと存在しています」

「なるほど。色変わりによって透明色へと変化したということか」

「はい。その通りです」

 

 八幡と平塚は状況を把握する。残る二人は真剣な目で刀身を見つめる。

 

「鉄穴森殿。我が記憶が確かなら、このような色は今まで無かったのでは?」

「はい、権兵衛くん。鬼殺隊の長い歴史の中でも透明の刀は存在していない。これが初の事例です」

「くっくっく、なるほどなるほど」

 

 その言葉に材木座が歓喜する。

 

「素晴らしい! 素晴らしいではないか! 比企谷八幡よ! それでこそ、我が相棒としてふさわしい男だ!」

 

 材木座は八幡に向かって称賛の声を上げる。

 しかし―――

 

「比企谷。やはり君の適正呼吸は派生系だ。間違いないだろう」

「まあ、これを見れば納得できますが……はぁ、生身だけじゃなくて刀すら存在感ねぇのかよ、俺は」

「そう言うな。口で言うほど、この刀を嫌ってはいないように見えるぞ」

 

 平塚の言う通り八幡は一目見てこの刀を気に入っていた。

 理由は一つ。某王様の宝具に似ているからだ。

 

「まあ、有用ですからね。色々と有利に働くでしょう。透明ってのは」

「違いない。いい刀じゃないか。私も気に入ったよ」

 

 二人は全く聞いていなかった。

 

「あの、二人とも。我の話を聞いてもらえると「カァーカァー。任務デス! 任務デス!」

 

 材木座の台詞を遮り、別の声が遠くから聞こえた。そして一匹の鴉が部屋の外から侵入し、八幡の肩へと止まった。

 

 ―――八幡の鎹鴉だ。

 

「北北東ニ鬼ガ出マシタ。比企谷八幡ハソチラニ向カッテクダサイ。繰リ返シマス―――」

 

 鎹鴉が任務を知らせてきた。

 

「―――比企谷。これを」

「これは―――服ですか」

「鬼殺隊の隊服だ。着替えてこい」

「分かりました」

 

 平塚から隊服を受け取り、隣の部屋へと行く。

 そして隊服に着替えて再び戻る。

 

「うん。似合ってるぞ、比企谷」

「……どうも」

 

 平塚のお褒めの言葉に頭を軽く下げる。

 鬼殺隊の隊服は元の時代で言えば学生服によく似ている。しかし見た目通りではない。隊服は特別な繊維でできており、通気性もよく濡れにくくて燃えにくい。雑魚鬼の爪や牙では隊服を傷つけることすら出来ない性能があるのだ。

 

「では、行ってきます。平塚師匠」

「ああ、比企谷。分かっているとは思うが、決して油断はするなよ」

「大丈夫ですよ。逃げるのは得意ですから」

 

 自信満々に八幡は言う。

 

「うん、ならいい。気をつけてな」

「―――はい」

 

 八幡は平塚と別れの挨拶を交わした。

 

「では、比企谷殿。ご武運をお祈りしていますよ」

「はい。鉄穴森さん。ありがとうございます」

 

 鉄穴森とも挨拶を交わす。

 そして残りは―――

 

「ぐすん。やはり我は忘れされる運命なのだな。昔からそうだ。我の言うことなど誰も聞いてはくれないのだ……」

 

 俯きながら、一人悲しむ材木座権兵衛の姿があった。

 

「……はぁ。おい、材木座」

「な、何だ。我のことなど忘れて、他の輩と話しておればいいではないか」

 

 拗ねる材木座。面倒くさいと思いながらも話を進める。

 

「あーーその、だな……お前の打った刀は凄いと思った」

「!」

 

 材木座が顔を上げる。

 

「……だから、今後もよろしく頼む」

 

 八幡は右手を差し出す。その手をじっと見つめていた材木座は―――両手で右手を思いっきり掴んだ。

 

「うむ! うむ! 任せよ! 我が契約者、八幡よ。我が力を其方に為に存分に揮うことを約束するぞ!」

「……まあ、ほどほどにな」

 

 それが比企谷八幡の刀鍛冶師、材木座権兵衛との出会いであった。

 




私生活が少しゴタゴタしているので、今後の投稿は少し遅れ気味になりそうです。


大正コソコソ噂話

材木座くんは剣士としての才能は皆無でしたが、鍛冶師としての才能はずば抜けており、僅か四年で鍛冶師として認められました。実は今回が初めて隊士に刀を打ちました。
因みに、現代で言うところの中二病患者です。その言動故に、彼のいう事を理解できる人は少なく、鉄穴森は数少ない理解者です。




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第十話 任務の日々

少しだけ状況が落ち着いたので投稿します。


 走る、走る、走る。

 月明かりのみが照らす夜道を、その足をもって駆け抜ける。

 それは比企谷八幡にとってありふれた光景になりつつあった。

 

「小雪。鬼の場所は何処だ?」

「南南東。南南東。接敵マデ約一里。鬼殺隊員ガ一人、交戦中。交戦中」

「了解。なるべく急ぐ。状況に変化があったら報告だ」

「分カッタ。分カッタ」

 

 小雪と呼ばれた一匹の鴉が夜空へと上がっていく。比企谷八幡が名付けた鎹鴉だ。メスだったので何となくこの名前に決めた。

 最初は任務の内容を伝えるだけだった小雪だが、こちらに懐いてからは積極的に手伝ってくれるようになった。主に、索敵がメインだ。

 

「……しかし鬼殺隊は相変わらずブラック企業なことで」

 

 近くの村へ向かってひたすら走る。

 鬼殺隊に入隊してから幾らかの時が過ぎた。碌に休みも取れない中、ひたすら鬼狩りの任務をこなしている。

 軽い怪我を負うことはあれど、幸いなことに大怪我は負っていない。

 

 ―――俺にこんなに社畜の才能があるとは思わなんだ。それに鬼殺隊は一般の職種に比べて給料が多いのがいい。いや、自分の命をチップにしてるんだから給料高いのは当たり前か。むしろそれしか取り柄がないまである。

 

 鬼殺隊の待遇に不満を抱き内心愚痴る。

 

 ―――まああれだ。俺みたいなボッチには、人との接触も最低限ですむ鬼殺隊はある意味天職だ。それは否定できない……いや違う。最近は何故か合同任務が結構ある。一人の方が気楽でいいんだが。知らない隊員に会うと必ず驚かれるし。それはあれか。俺の影が薄いからか? それとも俺の目が腐ってるからか? 

 

 自身の近況を考えそして落ち込む。初めて会う隊員に驚かれるのは日常茶飯事だ。それをマイナスイメージで考えてしまうのは元の時代の影響といえよう。

 

 ―――しかしカナエとしのぶもどうしてるかねぇ。文は定期的に届いてるから元気なのは確かだが、偶には会いてぇなぁ………こんな風に考えるなんて俺も変わったもんだ。

 

 育手に向かう途中に別れたのを最後に、二人には会っていない。

 この時代の家族と言うべき二人のことを思い出し、そして自身の心の変化に苦笑する。

 

 ―――次の任務が終わったら、また文を出すか……以前のようなことは御免だ。

 

 以前、面倒くさくなって文を送らない時期があったのだが、その結果送られてくる文が激増した。やれ、体調は大丈夫なのか? 怪我が酷くて文が書けないのか? などと、こちらを心配するような文だらけになった。二人を心配させてしまったことを反省し、即座に文を返した。

 

 反省と謝罪の文を見て二人の反応はそれぞれ違った。胡蝶カナエからは元気でよかったと安堵の返事が届いた。そして胡蝶しのぶは元気ならちゃんと返事しなさいよ! と、こちらを叱咤するような内容だった。

 

 だが二人の返事は八幡の身を案じてのことだ。八幡はそれを自覚した時、くすぐったいような、だけど何処かむず痒い気持ちになり、大いに反省した。それからはきちんと文の返事を返している。

 

 上空から小雪が再度八幡に近付く。

 

「報告! 報告! 方角コノママ、コノママ。接敵マデ約一分、一分」

「了解。報告ご苦労。この任務終わったら何か奢ってやるぞ。何がいい?」

「オハギ! オハギ!」

「好きだな、お前も。俺も好きだけどさ」

 

 欲望に忠実な小雪に同意する。甘い物が少ないこの時代において、おはぎは手頃に食べられる数少ない甘味だ。しかも値段もそこまで高くないのだから、好きになるのもしょうがない。

 

 ―――村の中に入った。目的地はもうすぐだ。

 

「飛ばすぞ。状況に変化があったら報告だ」

「分カッタ。分カッタ」

 

 相棒に声を掛け更にスピードを上げる。小雪も再度夜空へと舞い上がる。

 

 比企谷八幡―――階級 庚。

 鬼殺隊に入隊して約半年―――着実に社畜の道を進んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「こ、来ないでぇ!」

「はははっ! どうした鬼狩りぃ! 早く逃げないと捕まるぞ!」

 

 一人の少女が細道を逃げ惑う。そしてそれを一匹の鬼が追い回す。鬼の口調は楽しそうに、ゆっくりと女を追い詰めていく。

 

「あっ、嘘! 行き止まり」

「なんだ。鬼ごっこはもう終わりか」

 

 少女の顔色が真っ青に彩られる。自身の終末を理解してしまったからだ。

 それを見た鬼は満面の笑みに彩られる。

 

「い、いや! こ、来ないで!」

「おいおい。鬼狩り様よ。俺を殺すのが鬼殺隊の役目だろ。逃げちゃ駄目じゃないか」

 

 少女は鬼から距離を取ろうと後ずさる。しかし後ろは壁だ。これ以上逃げ場はない。

 涙目で震えることしか彼女にはできなかった。

 

「いいね。俺は女の浮かべるその表情が好きだ。絶望の表情を浮かべた相手を捕食する。それに勝る食事はない」

「ひっ! いやっ! いやぁぁ!!」

 

 鬼の声を聴き少女は泣き叫ぶ。もうそれしか出来なかった。自身の刀は取り上げられ対抗手段はない。いや、そもそも壬の自分はこの鬼には勝てない。それを先程の戦闘で理解させられた。

 

「さぁて。食事の時間だ。何処から喰うかね。手か、足か、それとも頭からかねぇ」

「い……いや……喰べないでぇ」

「はははっ、いい顔だ。じゃあ最初はその右手から「―――胸糞悪いな」」

 

 ―――雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃

 

 その時、少女は見た。

 屋根の上から雷の落ちるような音が聞こえ、次の瞬間には鬼の頸が飛んだこと。

 そして倒れる鬼の背後に鬼殺隊員が立っていたことに。

 

「―――な、なにぃ!?」

「とりあえず死んどけ。このクソ鬼」

 

 鬼は自身の状態を理解できないまま灰となっていく。

 少女自身はその状況を分からないまま―――だがやがて一つだけ理解した。

 

 ―――ああ、わたし。助かったんだ。

 

 絶望からの生還。その状況の変化は少女の気を張った心を溶かす。そして少女は心の中で安堵しつつ気を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほれ、小雪。食べていいぞ」

「ウン。美味シイ! 美味シイ!」

 

 翌日の昼。大きな巨木を背に座った八幡は、笹の葉に包まれたおはぎを地面に置き、笹の葉を開いた。合図とともに小雪はそれに食らいつき美味しそうに食していく。

 

 八幡も自身のおはぎを口にする。

 

「む、此処のおはぎは当たりだな。またこの辺来たら買うとするか」

「ウン。食ベル! 食ベル!」

 

 すっかりその気になった小雪の頭をそっと撫でる。撫でられた小雪は気持ちよさそうにその目を細める。

 そして十分後、小雪が食べ終わったのを確認してから、立ち上がる。

 

「八幡! 次ハ東! 東!」

「……また任務か。最近働き過ぎじゃね、俺」

 

 入隊当初から約半年。任務はこなせど休暇はほぼない。愚痴るのもしょうがないだろう。

 

「頑張ル! 頑張ル! 小雪、応援スル!」

「はぁー、あいよ。まあ給料分は働くとしますか」

 

 そう言いつつ立ち上がる。相棒の小雪に応援されるとつい頑張ってしまう。

 相棒として選ばれたこの鎹鴉は、自分と違って素直な性格だ。もし自身の性格まで考慮され選ばれたのなら、鬼殺隊という組織は中々に侮れない。ふと、そんな考えが浮かぶ。

 

「……さて、行くぞ。小雪」

「ウン! 行コウ! 行コウ!」

 

 相棒を肩にのせ、比企谷八幡は歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「大体だな。鬼殺隊はブラックにもほどがある」

「ブラック? ブラック? ナニソレ? ナニソレ?」

 

 舗装されていない田舎道をゆっくりと歩く。周辺に人の姿がないため、鎹鴉と話しながらだ。

 

「鬼殺隊は労働基準が真っ黒って意味だ」

「黒! 黒! 鬼殺隊! 隊服ノ色ハ黒! 黒!」

「あー確かに隊服は黒いけどそういう意味じゃないぞ……現代だと労働基準法で訴えられるレベルなんだよな、鬼殺隊。と言っても、この時代じゃそんな法律ないけど」

「鬼殺隊、ブラック! ブラック!」

 

 語呂が気に入ったのかブラックを連呼する小雪。

 この時代にブラックと言っても分かる人はいないので、敢えて訂正はしない。

 

「はぁー。でも、考えてみても問題山積みだよな、鬼殺隊って組織は」

 

 鬼殺隊に入隊して約半年。その短期間でさえいくつもの問題を発見した。

 考えうる中で大きな問題は二つ。一つは鬼と戦える人数が少ないこと。そしてもう一つは、敵の重要な情報がまったく掴めていないことだ。特に後者は致命的だ。

 

「……彼を知り己を知れば百戦殆うからず、か」

 

 何となく『孫子』の言葉を呟く。敵のボスは鬼舞辻無惨。そのボスだけが鬼を増やせる唯一の存在だ。だが分かっているのはこれだけ。その姿、能力、潜伏場所、重要な情報はすべて不明だ。これでは勝てるはずもない。

 

「ボスだけじゃないな。幹部級ですら情報がまったくない。これじゃ勝てるわけがない」

 

 鬼舞辻無惨直属の部下。幹部級と思われる十二体の鬼。特に上位六名で構成される現在の上弦に関しても、情報が全くない。遭遇した例はあるのだが、出会った隊員は全員死亡しているらしい。

 

 ―――いいか、比企谷。上弦に会ったらすぐに逃げろ。間違っても一人で戦おうとは思うなよ。私の予測では柱が数名が同時に戦わなければ対抗できない。それが上弦という存在だ。

 

「……まあ、やれることをやる。それしかないよな」

 

 色々考えた所で自分に出来ることは少ない。今出来ることは出現した鬼を始末すること。それだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 二日後の早朝に次の目的地へと到着した。前回の村より大きく発展している町だ。早朝に到着したためか、まだ人の姿はない。

 

「……この町から鬼を探すのか。広すぎだろ。人手が欲しい」

「大丈夫! 大丈夫! 今回ハ合同任務。残リ二人ノ隊員ト合流! 合流!」

「え? マジで?」

「マジ! マジ!」

 

 八幡の問いに小雪は首を縦に何度も振る。

 

「コノ町、複数ノ鬼ガ潜伏! 潜伏! 既ニ鬼殺隊員二名殉職! 殉職!」

「なるほど。だから三人での合同任務か……しかし鬼は群れないと聞いていたが、そうでもないのか?」

「八幡! 頑張レ! 頑張レ!」

「あいよ。じゃあ、町の中を歩いて他の隊員を探すか。ついでに地理も確認できるし」

 

 そして八幡は町へと歩き出す。そして二時間後、他の隊員を見つけ合流することができた。

 その二人なのだが―――八幡と縁がある二人だった。

 

「あぁっ! 八幡だぁ!!」

 

 こちらに無邪気に駆け寄る少女、鱗滝真菰と。

 

「……チッ、てめぇか」

 

 何故かこちらに舌打ちをする白い髪の少年だ。

 

 そして此処に、最終選別で生き残った三名の同期が揃った。

 比企谷八幡、鱗滝真菰、そして不死川 実弥。

 

 鬼殺隊の中でも有数の実力者として名を馳せることになる三名の、初の合同任務が始まる。




大正コソコソ噂話

比企谷八幡の鎹鴉である小雪ちゃん。
性格は好奇心旺盛で人懐っこく、そして末っ子である。

基本鎹鴉は任務の通達以外では隊士の傍にいないのだが、まだ幼い彼女は八幡に結構べったり。人と喋るのが大好きな小雪ちゃんです。

戦闘においては遠方からの索敵・偵察などで地味に役に立ちます。


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第十一話 合同任務

誤字報告に感謝しつつ更新します。


「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまー」

「ありがとうございましたー」

 

 店員に挨拶をし二人揃って店を出る。

 

「美味しかったねぇ」

「ああ、中々の味だった」

 

 比企谷八幡と鱗滝真菰。昼餉を取り終えた二人は辺りをふらついていた。

 

「実弥も一緒に来ればよかったのに」

「きっぱりと断られたらな。あれはどうしようもない」

「それはそうだけどさー。折角一緒の任務になったんだから色々お話がしたかったよ」

 

 真菰が不満げに話す。昼餉の前、真菰が三人一緒に食べないか誘ってみたのだが

 

 ―――てめぇらとつるむ気はねェ。勝手にしろォ。

 

 そう言い残し、彼は一人で何処かへと行ってしまったのだ。

 

「むぅ、同期が揃うなんて滅多にないのに、実弥の馬鹿」

「そう剥れるな……ほれ、食後の甘味でも何か食べよう。甘い物を食べれば気が紛れるぞ」

「……そうだね。じゃあ、実弥にもお土産として持って行ってあげよう!」

 

 どうやら真菰の機嫌も直ったようだ。

 

「でも、何の甘味がいいだろう?」

「とりあえず歩いて探してみるか? この町は結構大きいし、探せば色々あるだろう」

「うん、分かった。じゃあ、行こう八幡!」

「―――ああ」

 

 二人は甘味を求め町を歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして十分後、八幡と真菰は物陰に隠れていた。

 何故そうなっていたかというと―――

 

「ねぇ、あれって実弥だよね?」

「……多分そうだと思うが」

「いや、絶対そうだって! あの顔の傷。間違いなく本人だよ」

「そう、だよな……」

 

 目の前の光景を疑った二人は、思わずお互いを見る。

 それほどに前方に広がる光景が信じられなかったのだ。

 

 その光景というのは―――

 

「よォ、ばあちゃん。おはぎ五個追加だ」

「こしあんとつぶあん。どっちがいい?」

「……こしあんで頼む」

「あいよ。少し待ってな」

「ああ……」

 

 おはぎを頼む不死川実弥の姿があった。しかもその顔は穏やかで、微かにだが微笑を浮かべている。

 

「凄く意外な光景を見た気がする」

「しかもアレは相当おはぎが好きだね。見てよ八幡」

 

 真菰が指さす方を見る。

 

「既に使われた皿……ちょっと待て。アイツさっきおはぎ注文してなかったか?」

「してたね。多分追加だよ。さっきの注文は」

「マジかよ。どんだけ好きなんだよ」

 

 外に置かれた長椅子には皿が何枚か載っていた。どうやら不死川実弥は極度のおはぎ好きのようだ。

 

「ふっふっふー」

「おい、真菰。何でそんな悪い顔してるんだ、お前」

「えー決まってるじゃん……ねぇ、八幡。私おはぎが食べたくなってきちゃった♪ 八幡はどう?」

「なるほど―――俺もちょうどおはぎが食べたかったところだ」

「でしょでしょ! なら行こうか」

「いや、こういうのは機を見計らうのが重要だ。少し待て」

「分かった。もう少し待ってからだね」

 

 二人は揃って悪い笑顔を浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「待たせたねぇ。おはぎ五個だよ」

「あァ。気にすんな」

 

 追加のおはぎが到着した。実弥はおはぎを手に取り口の中へと運ぶ。

 

「うめェ「何が美味しいの?」!?」

 

 漏れた呟きを被せるように少女の声が聞こえてきた。それが誰かは実弥には心当たりがあった。

 

「やっほー実弥ー」

「美味しそうなおはぎだな、不死川」

「て、てめぇら」

 

 同期である比企谷八幡と鱗滝真菰が現れた。実弥は己の顔が引き攣るのが分かった。

 

「チッ、何の用だ」

 

 不貞腐れるように要件を問いただす。しかしそれで誤魔化せはしない。二人はいい笑顔で実弥に近付く。

 

「えー食後の甘味を探してただけだよ。ねぇ、八幡」

「ああ。そしたらおはぎを発見してな。ちょうどいいと思って立ち寄ったわけだ」

「そうだよー。決して同期の一人が、笑顔でおはぎを食べてるのを見たから来たわけじゃないよー」

「こ、こいつら」

 

 実弥の顔が更に引き攣る。

 

「まあ、実弥を揶揄うのはこの辺にして。おはぎを食べに来たのは本当だよ。あ、ここ失礼するね」

「甘味が欲しかったのは事実だからな」

 

 二人はそれぞれ席に座る。実弥を挟んで両サイドにだ。

 

「……おい。何でそこに座る」

「え、一緒に食べるからだよ。あ、一個貰うね。う~ん、おいしい~」

「ふむ、これは絶品だな」

「おい! それは俺んだぞ! 取るんじゃねェ!」

 

 二人におはぎを取られた実弥が思わず叫ぶ。

 

「ごめんごめん。私たちも注文するから実弥も食べていいよ。おばあちゃーん。こしあん六個追加ー」

「じゃあ、俺はつぶあん十個追加で」

「あいよ~少し待ってねぇ」

 

 二人の注文に老婆は返事を返した。

 

「あれ? 八幡。つぶあんにするんだ?」

「ああ。こしあんよりつぶあん派だからな、俺は」

 

 ぴくりと実弥の眉が動く。

 

「そうなんだ。私はどっちも好きだけどなぁ。後で少しちょうだい」

「いいぞ。というより、それ前提で注文したからな」

「そっか。ありがとう」

「別にいい。こしあんよりつぶあんの方が美味しいと証明できればいいからな」

 

 ぴくりぴくりと実弥の眉が動き、実弥が口を開く。

 

「おィ、ちょっと待てェ」

「うん、なんだ?」

 

 実弥が八幡は睨みつける。

 

「さっきから聞いてりゃ好き放題言ってくれてんなァ」

「なんのことだ?」

 

 心当たりがない八幡は首を傾げる。

 

「―――おはぎはこしあんが至高に決まってんだろうがァ!」

 

 実弥が叫んだ。

 

「ほう。その根拠は一体なんだ? 俺に教えてくれ」

「いいだろォ。こしあんはまず舌触りが違げェ。豆が残ってねぇから滑らかで余韻が残らねェ。それはつぶあんにはない長所だァ」

「ほうほう。それからそれから」

「後は甘さの違いだァ。つぶあんよりこしあんの方が甘みが少ねェ。だが、甘さが少ない分食べやすく、大量に食べられるからなァ。それも長所だァ」

「へーそうなんだぁ」

 

 おはぎの解説に一生懸命な実弥。そんな彼は二人の様子に気付かない。

 

 ―――微笑ましい笑顔で二人が実弥を見つめていることに。

 

「だからこしあんの方が―――おい、何だその顔は?」

 

 実弥が二人の様子に気付いた。

 

「いやーそんなに熱心に語られると。ねぇ、八幡」

「ああ、よっぱど好きなんだな、おはぎが。いや、感心した」

 

 二人がニヤニヤしながら実弥を見る。その顔を見て実弥は気付く。

 自身が何をしていたことに。

 

「……………!?」

 

 実弥の顔が真っ赤に染まる。

 

「いや、俺もおはぎは好きな方だが不死川には勝てないな」

「うん、私も。さっきだって凄い美味しそうに食べてたもん。思わず別人かと思っちゃった」

「…………ら」

 

 実弥が真っ赤になって俯く。己の所業に羞恥したためだ。

 その結果―――

 

「テメェラァァ!!」

「―――逃げるぞ、真菰」

「分かった!」

 

 実弥が激怒し、八幡と真菰は逃げ出した。

 

「待ちやがれェ!!」

「うーん。此処まで怒るとは予想外だな」

「はははっ。鬼さんこちら。手のなる方へ」

 

 追いかける実弥に対し、逃げる二人。そしてその追いかけっこは暫くの間続くのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 日が落ちて夜の時間がやってきた。昼の喧騒とは打って変わり、静寂が辺りを包み込む。

 そう。これからが鬼殺隊の仕事の時間だ。

 

「さて、夜になったがどの辺を探せばいいやら」

「鬼は基本潜伏してるからね。簡単には見つからないと思うよ」

「…………」

 

 八幡と真菰は辺りを探るも、鬼の姿は見当たらない。昼に街の住人に確認はしたが、あまり有益な情報は見つからなかったのだ。

 そして二人が話し合う中、一人押し黙る人物がいた。

 

「もう。ごめんって実弥。おはぎの件は謝るからさ」

「俺も興がのってからかいすぎた。すまん」

「………チッ。二度はねぇぞ」

 

 実弥は舌打ち一つして、仕事モードに入った。

 

「鬼を探すのは簡単だ。俺が奴らをおびき寄せる。で、それを仕留めればいい話だァ」

「え? おびき寄せるってどうやって?」

「―――こうするんだよ」

 

 実弥は刀を抜いて自身の腕へと当てる。そして思いっきり刀を引いた。

 

 ―――実弥の腕から鮮血が飛び散った。

 

「ちょ、何やってんのさ、実弥!」

「何で腕を……血か?」

 

 突然の凶行に焦る真菰。八幡はその行動を分析し―――その血に原因があると睨んだ。

 実弥がニヤリと笑う。

 

「正解だ。俺の血は稀血でなァ。それを使えば鬼なんて直ぐにおびき寄せられる」

「あぁ、もう! いいから治療しないと。ほら、腕出して実弥!」

「……その暇はなさそうだぞ、真菰」

「―――え?」

 

 八幡は感じていた。こちらに急接近する何かに。

 

「―――二人とも構えろ。鬼が来る」

 

 その言葉と同時に鬼が上空から降ってきた。三人はそれぞれ距離を取り、降ってきた鬼へと構える。

 

「来やがったかァ。おい! てめぇらは見てるだけでいい。俺が仕留めてやる」

「はぁ、とりあえず治療はアイツを片付けてからだね」

「仕方ない。情報では鬼は複数のはずだ。油断するなよ、二人とも」

「関係ねェ。出てきた鬼は全て片付ける。それで文句はねぇだろォ!」

 

 叫びながら鬼へと突っ込む実弥。だが実弥が鬼へ到着する前に鬼が叫んだ。

 

「―――稀血ぃぃぃ!!」

 

 その叫びと同時に変化が起こる。周囲を霧のようなものが覆っていった。

 

「っ!?」

「なにこれ!?」

「っ! 血鬼術か!」

 

 鬼の血鬼術が発動した。霧のようなものが周辺を覆いつくし視界が遮られる。例えるなら濃霧に覆われた朝のようだ。

 

「ケケケ! 稀血は殺す!」

 

 一瞬の動揺の隙を付き、鬼が実弥から距離を取る。濃霧に遮られ鬼の姿は見えなくなった。

 

「二人とも何処にいる!」

「此処だよ、八幡!」

「こっちだァ!」

 

 八幡の呼びかけに二人が答える。

 

「この霧だと各個撃破される可能性がある。合流して不意打ちを防ぐぞ!」

「分かった!」

「仕方ねェ!」

 

 声の出所を頼りに三人は合流する。それぞれが向かい合わせになり、鬼の奇襲に備える。

 しかし視界が悪く、一メートル先すらおぼつかない。

 

 三人が緊張する中、真菰の正面に鬼が突っ込んできた。

 

「! そこっ!」

 

 ―――水の呼吸 壱ノ型 水面切り

 

 振り払われた刀が鬼の頸を切り払う。その一撃は見事直撃し、鬼の頸が宙に舞いそして消滅する。

 だが―――霧は消えなかった。鬼を斬った真菰は叫ぶ。

 

「何か変だよ、この鬼! 手ごたえが妙だった!」

「霧が消えてねェ。じゃあ今の鬼は何だ!」

「厄介だな……来るぞ、二人とも!」

『!』

 

 動揺が収まらない内に鬼が動く。三人の知らないうちに、周囲を多数の鬼が取り囲んでいた。

 その数―――ざっと二十。

 

「ちぃ、何だこいつら! いつの間に現れやがった!」

「直前まで気配はなかった。それは間違いないよ」

 

 確かに直前まで気配はなかった。それは他の二人も確信している。

 だとしたら答えは一つだ。

 

「これも血鬼術か―――迎撃する! あまり離れるなよ、二人とも!」

「分かったよ!」

「テメェに言われるまでもねェ!」

 

 八幡の叫びに二人は答える。

 

『ケケケケッ!!』

 

 取り囲んだ鬼が一斉に襲い掛かってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 取り囲んだ鬼が同時に襲いかかってくる。一人に対して複数の鬼。普通の隊員なら対処は出来ない。

 だが―――此処にいる三人は普通ではなかった。

 

 ―――水の呼吸 参ノ型 流流舞い

 ―――風の呼吸 弐ノ型 爪々・科戸風

 

 真菰と実弥の技が複数の鬼を同時に仕留める。だが技を出した隙を狙って他の鬼が二人に襲い掛かる。

 

 ―――雷の呼吸 弐ノ型 稲魂

 

 しかし八幡がそれをフォローし、襲い掛かった鬼を逆に撃退した。

 三人は再び背中合わせになり、状況を確認する。

 

「こいつら手応えがまるでねェ。全部偽物だ」

「今まで切り捨てた鬼たち。全部同じ顔してるよ。これが血鬼術なら分身かな? まるで忍者だよ」

「そして切った鬼の数が全然減っていない。血鬼術で減らした分を増やしてるぞ、これは」

 

 三人は着実に情報を収集する。だが取り囲む鬼の数はまるで減らない。時間を掛ければこちらが確実に不利になる。だが、一つ妙なことがあることに八幡は気付いた。

 

「しかし妙だな。攻撃がやけに単調だ。数に物をいわせた突撃ばかりで芸がない。どういうことだ?」

 

 その疑問に答えたのは実弥であった。

 

「あァ。それを俺の稀血の影響だろう。俺の稀血は鬼を酔わせる効果がある。その影響だろうなァ」

「へーそれは凄いね」

「そうか。俺も稀血だがそんな効果はない。なるほど、酔っぱらいがいい気になってるだけか」

「……てめぇもか」

 

 軽口を言い合う三人。もし一人なら危ない状況であったが、三人とも実力者だ。連携が取れさえすれば切り抜けられる。三人は無意識にそう感じていた。

 

「二人とも聞いてくれ。俺の勘だが、今相手している鬼とは別に近くに他の鬼がいるはずだ」

「その根拠は?」

「血鬼術を複数使用する鬼がいるのは知ってるが、目の前の鬼は多分違う。弱すぎるからだ。恐らく分身する鬼と霧を出している鬼。それぞれが役割を分担しているはずだ」

「なるほど。じゃあ、最初に仕留めるのは霧の方だね。何処にいると思う?」

 

 真菰は優先的に狙う方の居場所を問う。八幡の考えが正しいと思ったからだ。

 

「恐らく霧の中にはいない。だが近くにいるはずだ。この手の血鬼術は発動する場所を視界に収める必要がある」

「なるほどなァ。じゃあ高い所だ。馬鹿と何とやらは高い所が好きって言うからなァ」

「この辺で高い所だと屋根の上かな。周囲には建物がいっぱいだし」

 

 街中だけあって周囲には建物が多い。そこからならこちらを見渡すのは十分だ。

 状況確認は終わった。後は行動するだけだ。

 

「―――俺が囮になってやらァ。奴らは俺の稀血に引き寄せられるから時間は稼げる」

「じゃあ、私が援護するよ。実弥はすっごい無茶しそうだから」

「けっ、言ってろォ」

 

 どうやら二人が時間を稼ぐことで決定したようだ。

 

「雷の呼吸のてめぇが一番速えェ。しくじるんじゃねぇぞ―――比企谷」

「分かった。後は頼むぞ。不死川、真菰」

「任された! いくよ、実弥!」

「俺に指示すんじゃねぇ、鱗滝!」

 

 八幡を置いて二人が駆け出した。二人は同方向に駆け出し進行方向の鬼をなぎ倒していく。そして二人が開いた道を―――八幡が飛び出した。

 

 ―――まずは霧を抜ける。鬼を探すのはそれからだ! 

 

 雷の呼吸で速度を上げつつ、霧の中を走る。一直線に駆け抜け霧の外へと向かっていく。

 そして二十秒後――――霧の外へと辿り着いた。

 

「―――抜けた!」

 

 霧を抜けると同時にジャンプ。二階建ての屋根の上に登り、周囲を見渡す。だが鬼は見つからない。

 焦る八幡。だがそこに相棒から声がかかった。

 

「八幡! 八幡!」

「小雪か!」

「鬼発見! 案内スル! 案内スル!」

「! 頼む!」

 

 小雪が飛び立ち八幡を先導する。八幡はそれを追いかけ周囲の屋根を飛び移っていく。

 

 そして程なくして―――隠れている鬼を発見した。

 

「―――そこかぁ!」

 

 ―――雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃

 

 神速の一撃が鬼の頸を断ち切った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「おいおい! それで終わりかァ。大した事ねぇなァ。くそ鬼共!」

「ああ、もう! 無茶は禁物だよ、実弥!」

 

 実弥が突っ込み、真菰がフォローする。役割を分けた二人の動きは強引ではあったが、見事に機能していた。だが所詮は多勢に無勢。三人では持ちこたえていた戦線を二人ではカバーしきれない。徐々に押し込まれていく。

 

「くっ! ちょっと厳しいね」

「これくらい大した事ねェ!」

 

 二人の動きは止まり、周囲を完全に包囲されていた。次に一斉に襲い掛かられて防げるか分からない。二人がそう思った―――その時だった。

 

 ―――周囲を覆っていた濃霧が突如としてその姿を消した。

 

「―――霧が消えた!」

「本体は何処だァ!」

 

 周囲の視界が晴れ鬼の姿が鮮明に見える。二人は辺りを見渡し―――少し離れた場所に一匹だけいる鬼を見つけた。二人はその鬼が目標と確信し駆け出すも、本体を庇うかのように鬼たちが立ちはだかった。

 

 ―――風の呼吸 壱ノ型 塵旋風・削ぎ

 

 実弥が繰り出した技が竜巻状の旋風を起こし、前方にいる複数の鬼たちをなぎ倒す。

 そして―――目標への道が開いた。

 

「―――鱗滝ィ!」

「―――分かってる!」

 

 実弥の影から飛び出した真菰が目標へと迫る。その素早い動きをもって急接近した真菰は最後の技を放つ。

 

「これで―――終わりだよ!」

 

 ―――水の呼吸 肆ノ型 打ち潮

 

 波打つ斬撃が鬼の頸を切り裂いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ、何とか終わったな」

「そうだねぇ。一人だとちょっと危なかったかな。今回の任務は」

「どうってことねぇよ。俺一人でも十分だった」

 

 任務をこなし夜が明けた。三人は街外れで今回の任務について話していた。

 

「もう、そんなこと言って。実弥は無茶しすぎ! だからそんなに怪我ばっかりなんだよ」

「確かに。任務の度に自分を傷つけたらきりがないぞ、不死川」

「……チッ。これが一番早いんだよ」

 

 二人が心配しながら実弥を見る。それに対し実弥は舌打ちしながら視線を逸らした。

 だが反省してる様子はない。恐らく誰が言っても無駄だろうと二人は思った。

 

「……そろそろ次の任務へ向かおうかな」

「そうだな。面倒くさいが仕方がない。俺も次に向かうとしよう」

 

 任務が終わって早々だが、三人にはすぐに別の任務が入っていた。

 

「―――じゃあ二人とも、またね!」

 

 真菰が手を振り元気よく駆け出す。

 

「おう、またな」

 

 八幡も真菰に向かって手を振り、そして歩き出す。

 そして最後の一人は―――

 

「比企谷! 鱗滝!」

 

 実弥が二人の名を呼ぶ。呼ばれた二人は実弥を見る。

 

「………死ぬんじゃねぇぞ」

 

 それだけ言って実弥も歩き出した。二人が実弥を見ていると、彼はそっと右手を掲げ歩いていった。

 それは不死川実弥の―――別れの挨拶だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして三人が別れて二日後。任務の報告に向かった小雪が八幡の下へと戻ってきた。

 そして戻ってきた小雪は―――ある知らせを届けに来た。

 

「―――全隊員ニ通達! 通達!」

「うん? なんだ?」

 

 一風変わった出だしに興味を惹かれる八幡。重要なことだと思い小雪に耳を傾ける。

 

「コノ度、新タナ柱ガ就任! 就任!」

「……新しい柱か」

 

 鬼殺隊の最高位の隊士である柱。その新しい人物が決定したとの連絡だった。

 

 そこまでは落ち着いて聞いていた八幡だが―――次の小雪の台詞に驚愕することになった。

 

「新タナ柱ハ花柱! 胡蝶カナエ! 胡蝶カナエ!」

 

「…………は?」

 

 それはこの世界で大事な身内の一人。胡蝶カナエの名前であった。




大正コソコソ噂話

今回登場した鬼は双子の兄弟です。その為、二人で行動していました。
片方が霧を出現させ、片方が分身を生み出す。組み合わせると中々強力な血鬼術です。

だがそれぞれに弱点があります。
霧は発生できる範囲が狭い。分身は数を増やすと、力がその数だけ分散される。

何事も一長一短って感じです。


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第十二話 胡蝶姉妹との再会

年末に間に合ったので投稿します。


『柱』

 それは鬼殺隊最強の称号を得た隊員のことである。

 基本的に、柱より下の階級の者たちは恐ろしい早さで殺されてゆくことが多い。従って、鬼殺隊を支えているのは柱たちと言っても過言ではない。

 因みに、柱命名の仕組みは、柱になった人の流派(呼吸)に合わせて呼ばれている。

 

 そして一か月前、新たな柱が就任した。

 

 ―――花の呼吸の使い手『花柱 胡蝶カナエ』である。

 

「……多分この辺りだと思うんだが」

 

 手に持った文をちらりと見て、記された場所を確認する。

 周りを見渡して現在位置を確認しつつ、再び歩き出す。

 

「あそこかな? 随分と大きいな」

 

 暫く道を歩いていると大きな建物が見えてきた。塀に近付いて中の様子を見る。

 そこには大きな建屋に広い庭。そして隣には建造中の建物が幾つか並んでいる。文に書かれた特徴と一致していた。

 

「……うん、間違いないな。よし、玄関の方に回るか」

 

 塀に沿って玄関の方へと回っていく。

 そして入口の方へと近付いていくと、二人の人物が門前に待ち構えていた。

 

 それが誰かは一目見れば分かった。ゆっくりと二人へ近づいていく。

 そして近距離まで近付くと―――その内の一人がこちらに飛び込んできた。

 

「ハチくーん!」

「ちょっ!? か、カナエ!?」

 

 飛び込んできたのは胡蝶カナエであった。急な出来事に驚きつつ、八幡は彼女の身体を受け止める。

 八幡の胸に飛び込んだカナエは、目の前の彼を抱きしめたまま顔を上げる。

 

 そして八幡と目が合うと、満面の笑みを浮かべた。

 

「―――ハチくん。おかえりなさい」

「た、ただいま」

 

 何とか挨拶を交わす。だが心中はそれどころではなかった。

 

 ―――ち、ちかいちかい! 近すぎる! いい香りだ。この匂いは花の香り? このままずっと嗅いでいたいような、って変態じゃねぇか、俺ぇ!! それに最後に会った時よりも成長してるせいか、む、む、む、胸の感触がぁぁぁ!? 

 

 最後に共にいたのは二年以上前のことだ。その時でさえ魅力的だった少女は、更に魅力的になっていた。

 身長は大きく伸びて八幡とそれほど変わらない。そして少女のあどけなさを残した風貌は消え去り、女性らしい美しさと可愛さが共同している。そして同時にその胸囲も大きく成長し、今まさに八幡を困惑させていた。

 

 ―――少女は女へと変貌を遂げていた。

 

「か、かなえ。あ、あのな」

「うん。なぁに、ハチくん?」

 

 カナエは久方ぶりの八幡を堪能する。返事はするものの抱き着いたまま離す気はなさそうだ。

 その事を嬉しく思うが、このままでは話が出来ない。断腸の思いをもってカナエに言う。

 

「あ、あのな。す、少し離してもらえると、その、た、助かる」

「―――あ! ご、ごめんなさい。私ったら、つい嬉しくなっちゃって」

 

 自身の状態に気付いたのだろう。頬を赤く染め、カナエが八幡から離れる。だが大きく離れはしない。両者の距離は以前近いままだ。

 

 八幡はコホンと咳ばらいをし、気持ちを引き締めて口を開く。

 

「花柱 胡蝶カナエ様。階級 己、比企谷八幡。お呼びにより参上しました」

「はい。よく来てくれました」

「火急の用件とお伺いしましたが、どのようなご用件でしょうか?」

 

 八幡の疑問にカナエは答える。隣にいるしのぶにちらりと視線を送りながら。

 

「では、こちらの要求を伝えます。比企谷八幡、あなたにはこちらの胡蝶しのぶと共に、私の継子となってもらいます」

「継子、ですか?」

「はい。以後、この屋敷で私たちと共に生活をしてもらいます。継子に関してはご存じですか?」

「ええ、ある程度は」

 

 継子。

 それは柱が育てる鬼殺隊士のことである。基本的には才能があり優秀な者が選ばれる。

 選出方法は柱自身が声をかけるか、もしくは隊士が柱に申請をして柱がそれを承認するか。そのどちらかである。

 

 因みに継子の仕事は柱の補佐である。柱になると屋敷が用意されるので、一緒に住み込み生活の手助けをする。掃除、洗濯、食事。多忙な柱に代わり、それらを準備するのも継子の仕事である。

 

 カナエに返事する答えは決まっている。そもそも相手が柱であり、上司なのだから断るという選択肢はないのだが―――少しだけ遊んでみたくなった。

 

「なら結構です。そちらからは何か質問はありますか?」

「はい。継子の件ですが―――断ることは出来ますか?」

「―――え?」

 

 カナエの動きが止まる。まさか断られるとは思っていなかったのだろう。

 

「いえ、不満があるという訳ではありません。ただ、お二方は女性です。それが男性の私と共に生活をするなど、あらぬ噂を立てられる可能性があります。是非、ご再考いただけないかと」

「そ、そんなことを気にする必要はありません。優秀な隊員を育てるのが柱の仕事。性別の違いなど些細なことです」

「些細なこと、ですか?」

「ええ、些細なことです。他ならぬあなただからこそ、私は継子にしたいと思いました。受けてもらえませんか?」

 

 カナエは真っすぐな瞳で八幡を見る。見方を変えれば口説き文句とも思えるその言い方に、八幡は自身の頬が熱くなるのを感じた。

 

「―――分かりました。継子の件お受けします。以後よろしくお願いします」

「はい、任されました―――よろしくね、ハチくん」

「ああ。よろしく頼む、カナエ」

 

 唐突に始まった茶番は此処で終わりとなった。シリアスモードを解除し、カナエと八幡はお互いにクスリと笑う。

 

「もう、ハチくんったら。断られたと思ってびっくりしちゃったわ、私」

「あーすまん。だが確認はしておかないとな。俺はいいんだが、そちらは本当にいいのか? 実際の話、噂になってもおかしくないぞ?」

「大丈夫よ。柱と継子の性別が違うというのはよくあることだし。それに噂になっても私は気にしないわ」

「そう、か? それならいいんだが」

 

 本人が気にしないというなら問題はないと思っておこう。八幡としても二人と一緒なのは嬉しいからだ。

 

「二人とも。話は終わったかしら?」

 

 と、そこに別の人物から声が掛かる。この場にいる人物は後一人しかいない。

 胡蝶カナエの妹、胡蝶しのぶだ。

 

「ああ。待たせてしまって悪かったな、しのぶ」

「本当にね。あんな茶番を繰り広げるなんてびっくりしたわ」

「そう言うな。建前というのはそれなりに重要だ。特にカナエは柱だからな。立場というものがある」

「それは分かるけど……私たちと一緒に住むのが嫌だと思ったわ」

 

 拗ねたようにしのぶがそっぽを向く。

 

「嫌なわけないだろう。むしろこっちが聞かなきゃいけないくらいだ。しのぶは俺と一緒に住んでも大丈夫なのか?」

「何言ってんのよ。昔一緒に住んでたんだから今更じゃない。むしろ避けられる方が嫌よ、私は」

「そうか……なら、これからよろしく頼む、しのぶ」

「ええ、分かったわ………に、兄さん」

 

 しのぶの言葉に八幡は衝撃を受け、その動きが止まる。そして動揺しながらしのぶに話しかけた。

 

「ど、どうしたんだ。しのぶ?」

「な、何よ……そんなに嫌だった?」

「そ、そうじゃないが……そんな呼び方してなかっただろ。以前は」

「それはそうなんだけど……」

 

 以前は八幡と呼び捨てだったのだ。それが兄さん呼びに変化したとなれば驚くのは当然だ。

 困ったように押し黙るしのぶ。それに助け船を出したのは姉のカナエであった。

 

「ハチくんが嫌じゃないなら許してもらえないかしら。ハチくんの方が年上で、鬼殺隊の先輩だから呼び捨てはよくないって、本人が悩んじゃって。それで相談に乗った私がそう呼ぶように勧めたの」

「そ、そうか。分かった。お前が嫌じゃないならそれでいいぞ」

「あ、ありがとう……兄さん」

 

 嬉しそうにしのぶが笑った。それを見た八幡は何かの衝動に駆られる。

 そして衝動の赴くまま―――しのぶに抱き着いた。

 

「し、しのぶー!」

「ちょ、何するのよ! 兄さん!?」

「しのぶは可愛いな~! ああ、今日からお前は俺の妹だ。世間が認めなくても俺は認めるぞ!」

「あぁぁ、うぅぅ~た、助けてよ姉さ~ん!」

 

 八幡に抱き着かれしのぶは困惑する。嬉しさ半分、羞恥さ半分といった所だ。嫌な気持ちではないが、力強く抱きしめられ思わず姉に助けを求める。

 

「あらあら。仲がいいわね二人とも……えいっ!」

 

 抱き合う二人を目にしたカナエは、自身も二人に抱き着いた。

 

「ちょ!? 姉さんまでどうして抱き着くのよ!!」

「だって、二人ばっかりずるいじゃない。姉さんも仲間にいれて」

「そういう問題じゃないわ! いいから離れてよ、二人とも!」

 

 二人に抱き着かれ恥ずかしさが限界を超えるしのぶ。しかし二人は離れない。むしろさらに力を込めた。

 

「しのぶが可愛いからな。抱き着くのはしょうがない」

「ええ、しのぶは可愛いもの。しょうがないわ」

「―――もうっ! いい加減にして~~!!」

 

 しのぶの絶叫が辺りに響く。そんなしのぶを見て笑う八幡とカナエ。

 比企谷八幡と胡蝶姉妹。離れていた家族の再会は、そんな感じで過ぎていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「そんなわけで、この屋敷で負傷者の受け入れをしようと思っているの。藤の花の家でもお医者様を呼んで治療は受けられるけど、一般のお医者様では対処できないことも多いわ。特に鬼の毒や血鬼術に掛かった場合は猶更ね」

「なるほど。しかし誰が診るんだ? そこまで専門的な話となると、生半可な人物じゃ無理だろう」

「その辺は大丈夫よ。しのぶが診てくれるわ。しのぶは凄いのよ。昔から薬学に精通してて、両親にも習っていたんだから」

「そうなのか、しのぶ?」

 

 八幡の問いにしのぶは頷く。勉強が出来るのは知っていたが、そこまで凄いとは知らなかった。

 今後この屋敷では、傷付いた隊員の受け所として機能する予定だそうだ。

 

「ええ、任せて。ただ、私も勉強中だから対処できないこともあるかもしれないけど」

「その辺りは私が手助けするわ。しのぶほどじゃないけれど、簡単な治療なら私でも出来るし。それに、しのぶが分からないことは他の柱の方々に質問することだって出来る。もしかしたら対処法を知っているかもしれないわ」

「なるほど。俺も力を貸すぞ、しのぶ。知識面ではあれだが、力仕事なら役に立てそうだ」

「うん。ありがとう、二人とも」

 

 しのぶは二人に礼を言う。そして他の意見も話し始めた。

 

「治療だけじゃなく他にもすることがあるわ」

「何をするんだ?」

「寝たきりの人がいきなり任務に行くのは危険でしょ。だから、身体の機能を回復させるための訓練を取り入れようとおもうの」

「ほう。どんな訓練なんだ?」

「その辺はまだ具体的に決まってないけど、そうね……主に、凝り固まった身体の柔軟をほぐしたり、身体の反射神経を研ぎ澄ませる。そんな感じかしら」

 

 しのぶの提案に八幡は感心する。

 

「うん、いいんじゃないか。それなら俺にも手伝えそうだ……本当にしのぶは凄いな。なあカナエ」

「ええ、しのぶは本当に凄いんだから。私の自慢の妹よ」

「こらこら。私のじゃなく、私たちの、だろ?」

「あらあら、そうだったわね。しのぶは私たちの自慢の妹よ」

 

 二人でしのぶを褒めたたえる。褒められたしのぶは再び頬を赤く染める。

 

「そ、そんなに褒められることじゃないわ。私はいいと思った考えを述べただけよ」

「いや、そんなに具体的に意見を言うのは中々出来ることじゃない。それに訓練の内容もその方向性でいいと思う。どんな内容にするかは今後詰めていけばいいしな」

 

 八幡の意見にカナエは頷く。

 

「そうね。建物はまだ母屋の部分しか完成していないから、他の場所は完成するまで待つことになるわ。実際に治療院として始動するのはまだ大分先ね。その間に不足しそうなものを揃えていけばいいと思うわ」

「ふむ、となるとまだ時間に余裕があるな。注文しなければいけないものを紙に纏めておこう。そうすれば忘れる心配はないからな」

「ええ、そうね。ゆっくりいきましょう」

 

 とりあえず話は纏まった。するとカナエが両手をパンと叩き二人に提案する。

 

「じゃあ二人とも。食事にしましょうか。今日の夕餉は折角だから外食にしましょう」

「ほう、いいな。何を食べに行く?」

「うーん、そうね。鰻なんていいんじゃないかしら。しのぶはどう思う?」

「いいと思うわ。偶には贅沢してもバチは当たらないし」

「うふふ、そうね。じゃあ出かけましょう二人とも」

 

 そうして三人は出かけることになった。三人で並びながらゆっくりと歩きながら。

 そして鰻屋に到着した三人は、美味しい鰻に舌鼓を打ち、楽しい時間を過ごすことができた。

 

 これは余談だが、偶々鰻屋にいた他の鬼滅隊員が八幡たち三人を偶然目撃した。

 三人の仲のいい様子を見た隊員は、後日他の隊員にその光景を話すことになる。

 

 その話を聞いた他の隊員は詳しく話せと目撃した隊員を問い詰め―――結果、花柱 胡蝶カナエに男の影ありとの結論に至る。

 そんな話が鬼滅隊員の間で噂されることになるのだが―――それはまた別の話だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「か、勘弁してくれカナエ」

「どうしてハチくん。前まで一緒だったじゃない?」

「た、確かにそうなんだが。今と昔では色々と違うだろう」

「色々? 何が違うの、ハチくん?」

「そ、それは……」

 

 カナエの質問に答えられず言葉を濁す。男の立場としてははっきりと言いにくいことだ。

 何故なら―――

 

「その、不味いだろう? この歳で一緒に男と女が一緒に寝るというのは」

「布団は別々なのだから問題ないわ。前は一緒に寝てたじゃない」

「それはそうなんだが……」

 

 いつになく粘るカナエ。だが八幡とてそう簡単に譲るわけにはいかない。

 以前ならまだしも、現在だと色んな意味で不味い。胡蝶カナエの魅力に理性が負けてしまう可能性が出てくる。

 

「―――私はハチくんと一緒に寝たいな。駄目? ハチくん?」

「ぐ、そ、それは」

 

 理性が瞬く間に削り取られる。一瞬、それでいいんじゃないかと考えがよぎるが、何とか踏ん張る。

 そんな八幡の心の葛藤を見かねて胡蝶しのぶで口を挟む。

 

「はぁ、私も一緒に寝るわ。それでいいかしら、姉さん?」

「ええ、もちろんよ。三人で一緒に寝ましょう」

 

 しのぶの提案に喜ぶカナエ。溜息を付く八幡に、しのぶが小声で話しかける。

 

「兄さん。姉さんも甘えたいのよ。一緒に寝てあげて。三人なら大丈夫でしょ」

「……いや、それでもダメだろう。常識的に考えて」

「ごめんね。姉さんも柱として色々重圧があるみたいなの。でも、姉さんが甘えるのなんて兄さんしかいないから」

「しのぶにも甘えてるんじゃないのか?」

「……私は妹だから。姉さんが本当の意味で甘えられるのは兄さんだけよ。お願い」

「……………分かった」

「ありがとう、兄さん」

 

 葛藤の末に肯定の返事を返した。否、そう答えることしか出来なかった。

 三人なら大丈夫。しのぶがいるのだから余計なことは考える必要はない。そう自分に言い聞かせながら。

 

 そして寝る時間がやって来る。だがその前に試練が待っていた。それは風呂に入った後のことだ。風呂上がりのカナエの寝間着姿を見た途端、八幡の決意は挫けそうになった。彼女の色気が半端なかったのだ。何とか耐えた八幡は己を褒めた。

 

 そして三人で川の字で布団に入り―――すぐに眠ることはなかった。

 最後の別れから今日まで約二年半。話す話題は幾らでもあった。修行の事、育手の事、任務の事、他にも様々だ。しのぶはまだ鬼殺隊員ではないが、任務の内容は興味津々でよく質問をしてきた。

 

 離れ離れの時間を埋めるかのように、三人は色んなことを話しあった。

 

 ―――そしてそれは夜中遅くまで続いたのだった。

 

 

 そして翌日。

 胡蝶カナエが比企谷八幡に抱き着いて眠っていた。嬉しそうに、幸せそうに、しっかりと抱き着いて眠っていた。そんな彼女を発見した妹は―――笑ってそれを見逃した。

 

 八幡が起きたときに驚愕の声を上げたのは言うまでもない。




何とか年末に間に合いました。多分、今年最後の更新ですね。
間に合えば明日も更新するかもしれませんが、あまり期待はしないで下さい。

それでは皆さん、よいお年を。

大正コソコソ噂話

実は結構甘えんぼのカナエさん。妹のしのぶには姉の威厳もあって甘えられませんが、八幡に対してはかなり甘えるようになってしまいました。甘えるお姉さんキャラ。有りだと思いませんか?


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第十三話 胡蝶しのぶの悩み

何故か間に合ったので投稿します。


 微睡みに揺れる中、何かの温もりに包まれている。

 それが何かは分からないがとても気持ちがよく、いつまでもこうしていたいと思った。

 

 無意識にそれを求め顔を動かす。すると、何か柔らかい感触が顔を包み込む。

 

 ―――とても幸せだと感じる。そして何かの危機感を感じた。

 

 その危機感を感じとった瞬間、目の前の光景が変化する。意識が急激に覚醒していったのだ。

 そして次の瞬間には―――目の前には肌色が広がっていた。

 

「……またかよ」

 

 急いで顔を動かし離れようとする。しかし背中に回された腕がそれを許してくれない。

 ぎゅっと抱きしめて離してくれないのだ。

 

 ―――胡蝶カナエが比企谷八幡を抱きしめていた。

 

 最もこれは初めての出来事ではない。三人で一緒に眠る際には毎回起こっている出来事だ。

 カナエが八幡の胸に抱き着くか、もしくは八幡を胸に抱きしめるかの二者択一である。本日はどうやら後者のようだ。

 

「もう、勘弁してくれ……」

 

 己の現状に思わず溜息する。もし他の男から見れば幸せな悩みだろう。だが当人としては深刻な問題だ。

 

「……ハチ……くん」

 

 無意識に名前を呼ばれ思わず前を見る。カナエは寝間着を着ているのだが、片側の襟の部分が少し横にずれてしまっている。結果、彼女の豊満の胸の谷間が八幡の視界一杯に広がっている。もし、寝間着がもう少しずれれば大事な部分まで見えてしまうだろう。

 

「っ―――!」

 

 先程までこれに顔を押し付けていたかと思うと、羞恥で顔全体が赤くなる。一瞬、据え膳食わぬは男の恥の考えが脳裏をよぎる。そんな考えをしてしまう八幡を責めるのは酷というものだろう。

 

「………これでよし、と」

 

 理性を総動員し欲望を押さえつける。そして震える手で襟をずらし胸元を隠した。これが二日に一回は起こるのだからたまったものではない。

 

 ―――勘違いするな! 勘違いするな! カナエは寂しいだけだ。だからそんな目で見ちゃいけない! いけないったらいけないんだ!! あぁ、でも柔らかかったなぁ……って、いかん! いかん! いかん! 

 

 首をブンブン振って余計な考えを追い出す。

 

「はぁぁぁ……でも、本当に綺麗になったな、カナエは」

 

 本人には照れくさくて言えはしないが、素直にそう思う。彼女を一言で表せば大和撫子。それが一番適切な表現だろう。

 再会してからというもの、彼女の一挙一動には振り回されてばかりだ。

 優しい笑顔、穏やかな物腰、誰にでも等しく接する態度、それは鬼ですら例外ではない。

 

 ―――優しい女の子は嫌いだったはずなんだけどなぁ。

 

 過去の自分を思い出す。中学時代に少し優しくされただけで勘違いして告白をした。しかしこっぴどく振られ、学年中に広がったのは体感的にもうかなり昔の話だ。その時は優しい女の子などもうコリゴリだと思ったものだ。

 

 だが今は違う。胡蝶カナエと胡蝶しのぶ。この二人は彼女とは違うと確信している。

 八幡にとって二人はかけがいのない、本当に大切な家族だ。

 

 ―――だからその信頼を裏切ってはいけないのだ。

 

「―――カナエ、カナエ」

 

 優しくカナエの肩を揺さぶる。すると彼女はゆっくりとその瞳を開ける。そして八幡の姿を確認すると、花のように華やかな笑顔を浮かべるのだ。

 

「―――おはよう、ハチくん」

「あぁ、おはよう。カナエ」

 

 朝の挨拶を交わす。カナエの嬉しそうな笑顔を見るだけで心臓がドキリとする。

 

「今日もいい天気だぞ」

「ほんと? なら洗濯物がよく乾きそうね。しのぶは……まだ眠ってるわね」

「―――ああ」

 

 二人でしのぶを見るが、彼女はまだ夢の中のようだ。

 

「どうする? しのぶも起こすか?」

「うーん。もう少し寝かせておきましょうか。昨日は夜遅くまで起きてたみたいだから」

「……大丈夫なのか? 最近夜更かしが増えてないか?」

「そうね……」

 

 カナエは八幡の言葉を聞き、何か考え込む。二人は気付いていた。

 ここ最近、胡蝶しのぶは夜遅くまで起きており、何かの作業に没頭していることを。そして、恐らく何かの悩みを抱えていることに。

 

「ねぇ、ハチくん」

「うん、何だ?」

「もし、しのぶが何か相談してきたら聞いてあげてほしいの」

「それはいいが。まずお前の方が先だろう。こういう場合、姉に相談するのが普通じゃないか?」

「もちろん、私の方に来たら相談に乗るつもりだけど……多分ハチくんの方に行くと思うわ」

 

 カナエには何処か確信めいたものがあるようだ。

 

「……分かった。相談に乗ればいいんだな」

「うん、ありがとう。ハチくん」

 

 しのぶが何を悩んでいるかは分からない。だが妹が悩んでいるのなら相談に乗るのが兄の役目だろう。

 八幡はカナエの頼みを快く引き受けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 胡蝶カナエの継子となって一ヶ月。八幡の生活は今までとは一変していた。

 幾つか例をあげてみよう。継子として柱の任務の同行。巡回範囲で起こった任務の報告書作成の手伝い。他にも、治療院開業に必要な物資のリストアップ。その治療に使用する薬の仕入れ先の確保等、やる事は多岐に渡る。

 因みに、炊事、掃除、洗濯などは胡蝶しのぶがメインで行っている。彼女の家事スキルは三人の中でずば抜けているからだ。

 

 そして最後に行うのは―――柱との稽古である。

 

「―――っ!」

「―――はぁっ!」

 

 二つの木刀が幾度となくぶつかり合う。上段、中段、下段、お互いの隙を狙い木刀が鋭く襲う。

 

「そこっ!」

「甘いわっ!」

 

 八幡の突きをカナエの木刀が受ける。受けたカナエは木刀をそのまま前に走らせ、八幡に接近する。

 自身の木刀が使えないと判断した八幡は、カナエの隊服を捕まえようと左手を前に突き出す。

 

 しかしその狙いを察したカナエは、八幡の左手を自身の左手で振り払い、後方に距離を取った。

 

「やるわね、ハチくん!」

「あっさり躱しておいてよく言う!」

 

 両者の距離が空き、二人揃って一息つく。

 稽古が始まって一時間。対戦成績は二十戦全敗。比企谷八幡は胡蝶カナエの、柱としての強さを身に染みて味わっていた。

 

 ―――軽やかな動きに舞うような回避。蝶のように舞い蜂のように刺すとはこのことか。花の呼吸恐るべしと言った所だな……仕方ない。やってみるか! 

 

 せめて一矢報いたい。八幡は動きを止め、大きく息を吸う。カナエはその動きを警戒して視線を鋭くする。

 

「―――いくぞ」

「―――ええ」

 

 カナエの目の前にいた八幡の姿が徐々にブレる。目の錯覚かと思ったが次の瞬間―――カナエは驚愕する。八幡の姿がカナエの視界から消え去った。

 

「―――っ!?」

 

 カナエは八幡の姿を見失う。その隙に八幡は横手に回り込み―――カナエの視線に捉えらえれた。

 

「―――そこよっ!」

「―――ぐぁぁ!?」

 

 カナエの鋭い一撃を喰らって吹き飛ばされる。そこで勝負はついた。

 胡蝶カナエの勝ちである。

 

「いつつつ。やっぱり駄目かぁ」

「大丈夫? ハチくん?」

 

 八幡はカナエの一撃が直撃した右手を何度も振る。そんな八幡を心配し、カナエが八幡の傍に駆け寄る。

 

「ごめんね、ハチくん。思いっきりやっちゃった」

「大丈夫だ。この程度大したことない」

 

 軽い負傷だ。少し時間が経てば完治する。

 

「ならいいけど……ところでハチくん。最後のアレなんだけど」

「? ああ、アレか。一応俺の新しい呼吸になるんだが、やっぱり無理だったか」

 

 分かっていたことだがまだ未完成の呼吸だ。予想通り一瞬しか発動しなかった。

 

「凄いわね。目の前にいたはずなのに見失っちゃった」

「それが俺の呼吸の真髄だな。相手から消え去り、悟られることなく敵を討つ。それが目的の呼吸なんだが……はぁ、やっぱりまだ駄目だな」

 

 頭をボリボリと掻きながら自身の失敗を嘆く。

 自身の刀が透明だと判明した瞬間、新たな呼吸の形は朧げに掴めていた。自身の性質である影の薄さが関係していると狙いを付け、その性質を利用した呼吸だ。その考えは間違っていないと思う。

 

 ―――だが、まだまだ完成にはほど遠いのが現状だ。

 

「―――もう一本頼めるか?」

「―――分かったわ。やりましょう」

 

 怪我の程度は軽い。それよりもカナエとの稽古を優先したい。そして八幡の要求に応え、二人の稽古は続いていった。

 

 ―――その様子を胡蝶しのぶは悔しそうに見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ、水が美味いな」

 

 冷たい水が身体に染みわたる。稽古が終了したので水分補給に来たのだ。次いでお風呂に入りたい所だが、カナエが先に入っている。レディーファーストは女性と一緒に暮らす上で基本中の基本である。その辺りは元の時代の妹にたっぷりと仕込まれている。

 

「さて、カナエが上がるまで休憩するか」

 

 休憩がてら縁側に移動することにした。手拭いで汗を拭きながら歩いていく。

 縁側に到着すると―――胡蝶しのぶが座っていた。

 

「どうした、しのぶ?」

「あ、兄さん」

「座ってもいいか?」

「―――うん。どうぞ」

 

 許可が出たのでしのぶの隣に座る。

 

「どうした? 疲れたか?」

「ううん。私はそんなに疲れてないから」

「……そうか」

 

 先ほどの稽古では、八幡とカナエだけではなくしのぶも参加していた。最も、しのぶが参加したのは最初の方だけで、後は見学していただけなのだが。そんなしのぶは何か考え込んでいるようだった。

 

「……………」

「……………」

 

 お互いに何も喋らない。暫く沈黙していると、しのぶが先に口を開いた。

 

「―――兄さんと姉さんは凄いわね」

「……どうした? いきなり?」

「姉さんは一年ちょっとで柱になって、兄さんも鬼殺隊員になって活躍してるのに……私だけ何の成長もしていない」

 

 しのぶが吐き捨てるように己の現状を口に出す。

 

「そんなことないだろう? しのぶだって成長してるじゃないか。しのぶの突き技は俺より上だと思うぞ」

「でも! 私には鬼の頸が斬れない!!」

 

 しのぶが突然叫んだ。誰よりも鬼を倒したいのに己にはその手段がない。それが悔しいからだ。

 

「私もね兄さん。育手の所で頑張ったんだよ。来る日も来る日も訓練に明け暮れて。でも育手の人に言われたわ。私には鬼の頸が斬れないから鬼殺の道を諦めろって……」

「………」

「私の身長はこれ以上伸びない。手だって大きくならない。それさえあれば私にだって鬼の頸が斬れるのに」

 

 しのぶが両手を合わせ悔しそうに握りしめる。

 今朝カナエが言っていたことはこの事だったのだろう。

 

「―――なら、諦めるのか?」

「―――っ!?」

「鬼の頸が斬れない。確かにそれは鬼殺隊員としては致命的だ。鬼を倒すには頸を斬るしかないからな」

「そう、だよね」

 

 八幡の言葉にしのぶは顔を俯かせる。そんなしのぶの頭を八幡はそっと撫でる。

 

「―――だからと言って諦める必要はない」

「―――え?」

 

 しのぶが顔を上げて八幡を見る。

 

「これは俺の友達の友達の話になるんだがな。そいつは最初の水の呼吸の育手の場所で才能がないとはっきりと言われた。一応呼吸を使うことは出来るが、極めることは出来ないとな」

「―――うん」

「そいつは次にどうしたと思う?」

「えーと、水の呼吸を諦めた、かな?」

 

 しのぶの答えに八幡は頷く。

 

「その通り。水を諦め次は風の呼吸を習いに行った。その風が駄目なら次は雷。そして雷がある程度使えると分かり、限界まで鍛えてもらった結果、見事育手の合格を得ることが出来たんだ」

「―――うん。凄いね、その人。私はその人を尊敬する」

 

 しのぶはそれが誰のことか直ぐに分かった。それが隣にいる兄のことだと。

 

「これは一つの例だ。一つの手段が駄目なら別の手段を探す。鬼の頸が斬れないなら別の手段を模索すればいい……しのぶは最近それを探してるんじゃないのか?」

「な、なんのこと?」

「最近夜更かしをしているのはその関係だと思ったんだが、違ったか?」

「…………どうして分かったの?」

 

 しのぶが不思議そうに八幡を見る。

 

「分かったのは今の話を聞いたからだ。鬼の頸が斬れない。だけどしのぶが諦めるとも思えない。お前は負けず嫌いだから、別の手段を探すんじゃないか。何となくそう思ったんだ」

「―――そっか」

 

 八幡は再びしのぶの頭を撫でる。今度はゆっくりと時間を掛けながらだ。しのぶは気持ちよさそうにそれを受け入れる。自身のことを理解してくれる兄にくすぐったさを覚えながら。

 

「私ね、兄さん。藤の花を研究してるの」

「藤の花を?」

「ええ。藤の花は日輪刀を除けば鬼が苦手としている唯一の物。それを研究して毒を作り、鬼に通用するものが出来れば、鬼を殺せるんじゃないか。そう思ったの」

「―――凄いじゃないか。それが出来れば大きな武器になるぞ」

 

 八幡は目を丸くする。それが出来れば本当に凄いことだ。

 

「……それを育手の人に言ったら否定されたわ。そんな物出来るわけないって。他の人にも話してみたけど、結果は一緒だったわ」

「なるほど、な」

 

 八幡は立ち上がり、庭先へ数歩歩く。そして上を見ながら口を開いた。

 

「―――月」

「え?」

「今から大分先の未来の話だがな―――人類は月に行くことが出来た」

「え? 月に? 嘘でしょう!?」

「信じられないか?」

「あ、当たり前でしょう! だって月よ。お月様よ。あんな場所にどうやって行くっていうのよ?」

 

 しのぶは混乱する。それは彼女の理解を超えていたからだ。だが無理もない。この時代で月に行けるなんて信じる人がいるわけがない。

 

「だが人類の科学はそれを成した。なあしのぶ。先駆者っていうのは誰からも否定されるもんだ。天才の意見は凡人に否定され、拒絶され、理解もされない。それが世の常で当たり前のことだ」

「―――うん」

「だからそれを覆すには証明すればいいんだ。しのぶ、俺はお前が天才だと思っている。お前が藤の花で毒を作れると思ったのなら、俺はそれを絶対に信じる。だから―――凡人にそれを証明して見せろ」

「にい、さん」

 

 しのぶが信じられないような目で八幡を見る。

 

「生憎、学のない俺じゃ毒を造ることは出来ないが、協力は出来る。藤重山には一年中藤の花が狂い咲いているから、そこから藤の花を仕入ればいい。俺の権限で出来るかは分からないが、カナエの柱としての権限なら可能だろう」

「でも、そんな事二人に迷惑じゃ」

「迷惑なもんか。俺もカナエも大切な妹の頼みを聞かないほど、狭量じゃないぞ。カナエだって絶対に協力する」

 

 八幡はしのぶの瞳を見つめ、力強く断言した。

 

「―――兄さん」

 

 しのぶが八幡を見つめ返す。そんな彼女の瞳は今までにないほどの力強さが宿っていた。

 

「私やるわ。絶対に藤の花の毒を完成させてみせる」

「ああ、信じてる―――俺たちの妹は凄いってことをな」

「―――うん!!」

 

 しのぶは力強く頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして胡蝶しのぶの挑戦が始まった。

 一ヶ月、二ヶ月、三ヶ月、忙しい日々を送る中、胡蝶しのぶは研究を続けた。

 

 比企谷八幡と胡蝶カナエの二人も、胡蝶しのぶに協力を欠かさず、そして応援し続けた。胡蝶しのぶは二人に感謝しつつ研究を続け―――ある程度の成果を出すことに成功する。

 

 そして季節は廻り―――再び最終選別の時期がやって来た。

 完成した屋敷―――蝶屋敷の入口にて、胡蝶しのぶを見送ろうとしていた。

 

「そろそろ時間ね」

「もうそんな時間? 忘れ物はない、しのぶ?」

「くれぐれも無茶はするな。危なくなったら逃げるんだぞ」

 

 カナエと八幡がしのぶの心配をする。心配性の二人、特に兄の心配にしのぶはクスリと笑いを溢す。

 

「もう、兄さんは心配性ね。分かってます。無茶はしません」

「……なら、いいんだが」

「心配しないで。どんな試験だろうと必ず突破して見せるわ」

 

 胡蝶しのぶは自信に溢れていた。それだけではない。以前までの危うい雰囲気はなく、特に焦りのようなものも感じられない。理想的な精神状態と言えるだろう。

 

「じゃあ、そろそろ行くわ。二人とも」

「ええ、行ってらっしゃい、しのぶ」

「―――気をつけてな」

「―――うん」

 

 そして胡蝶しのぶは最終選別へと出発した。

 

 

 

 

 

 

 

 残された二人は、胡蝶しのぶが向かった先を眺めていた。

 

「行っちゃったな」

「ええ。そうね」

「大丈夫、だよな?」

「ええ、大丈夫よ。私たちの妹だもの。信じましょう、ハチくん」

「ああ、そうだな。その通りだ」

「うん、お茶にしましょうか。用意してくるわ」

 

 カナエが先に屋敷の中に入っていった。

 一人残された八幡も屋敷の中に入ろうとし―――ある事実に気付いた。

 

「あれ? そういえばしのぶがいない間、カナエと二人っきりって事になるのか?」

 

 この屋敷に居を構えてから、胡蝶カナエと二人きりになることはなかった。

 

「……………やばくね?」

 

 比企谷八幡はポツリと呟いた。




今回、八幡の新たな呼吸が少しだけ登場しました。予想できた方はいたでしょうか?
と言ってもまだ未完成。名前すらまだ決まっていません(作者も決めていません)
候補はあるのですけど、何かいい案がある方は教えてください。

何とか一日で完成しました。今度こそ今年最後の更新です。
それでは皆さん、よいお年を。

大正コソコソ噂話

原作と比べて、胡蝶しのぶの性格が少しだけ素直になっています。
基本ツンデレなのはあまり変わりません。ですが、八幡の影響で少し優しくなりました。



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第十四話 二人の関係は変化を始める

明けましておめでとうございます。今年初投稿です。


 胡蝶しのぶが最終選別に出発して一週間の時が過ぎた。

 

 当初、比企谷八幡は胡蝶カナエと二人きりになることに懸念を覚えたが、それに関しては特に問題はなかった。

 何故かというと、二人とも任務が入ったからだ。

 

 カナエと八幡にはそれぞれ任務が入り、一緒にいるどころではなくなった。任務の場所も別々。そうなれば二人で過ごすことなど出来ない。その事に八幡は密かに胸を撫で下ろした。

 

 だが、一週間が過ぎて状況は変わった。二人の任務も落ち着いて、胡蝶しのぶも近日中に帰還予定。そうなれば、二人が蝶屋敷で待つのは必然だった。

 

 つまり―――今日の夜、二人は初めて一緒の夜を過ごすことになった。

 

「はい、ハチくん。麦茶をどうぞ」

「ああ、ありがとう」

 

 湯呑に注がれた麦茶をカナエから受け取る。それを一口飲めば冷たくさっぱりとした味わいが喉越しに感じられる。

 

「―――美味いな、この麦茶。いつもよりさっぱりしてる」

「でしょ。煮出しじゃなくて、水出しにしてみたのよ。ちょっと時間が掛かるけど、その分さっぱりするんだから」

 

 八幡に自慢しつつ、カナエも自身の麦茶を飲んでいく。

 

「……もう一週間だな。しのぶが出発して」

 

 唐突に八幡が口に出した。

 

「ええ、そうね……やっぱり心配?」

「……まあな。あの試験の場合、何が起こるか分からんからな」

 

 最終選別は一週間の生き残りだ。合格するには大量の鬼が潜伏する山を生き残らなければならない。いくら実力があっても不覚を取る可能性は十分にある。

 

「大丈夫よ。しのぶも今回のためにしっかりと準備してきたんですから。もっと信じてあげないと」

「……分かってる。分かってはいるんだが……アイツの毒もまだ未完成だしな。現状では鬼を痺れさせるのが限界だ。心配したくもなる」

 

 しのぶの心配をする八幡。カナエはそんな八幡の隣に座り、そっと手のひらを重ねる。

 

「ハチくんは案外心配性ね。大丈夫よ。あの子は強いもの。きっと無事に帰ってきてくれるわ」

「そう、だな。すまん。俺が心配してもしょうがないことだよな。もっとアイツを信じてやらんと……」

「そうよ。しのぶが聞いたら怒るわよ。『兄さんは私のこと信じてなかったのか?』ってね」

「確かにいいそうだな、それは」

 

 そう言って二人でクスリと笑う。確かに胡蝶しのぶはそう言いそうだからだ。

 

「さて、そろそろ風呂にしましょうか。ハチくん。先に入っちゃって」

「分かった。じゃあお先に入らせてもらうぞ」

「―――ええ」

 

 カナエに断り八幡は先にお風呂に入ることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、ここまでは問題ない」

 

 風呂から上がり部屋に戻ったところでぽつりと呟く。

 

「いつも通り隣で寝るだけだ。今日はしのぶがいないだけ。違うのはそれだけだ」

 

 部屋の中には二つに並べられた布団。いつもは三つなのだが今日は二つだけ。その事実に動揺しながらも現状を確認する。

 

「大丈夫大丈夫。俺が間違えなければ何も問題は「何か問題なの?」うぉぉっ!」

 

 突如横から声を掛けられ、驚きのあまり絶叫する。

 慌てて横を見れば、風呂上がりの胡蝶カナエがいた。

 

「どうしたのハチくん? そんなに慌てちゃって」

「い、いや。急に声を掛けられたからびっくりしただけだぞ。何も問題はない。ないったらない」

「? なら、いいんだけど」

 

 八幡の慌てた様子にも特に気にはしてないようだ。深く突っ込まれると困るので、その辺はとても助かる。

 胸を撫で下ろし隣に座ったカナエをチラリと見る。

 

 ―――相変わらず色気が凄まじい。風呂上がりの所為か余計にそう感じる。火照った肌に、チラリと見えるうなじ。それが寝間着と合わさって凄まじい色気を発生させている。ハッキリ言って目の毒だ。

 

 花柱 胡蝶カナエ。柱になる前から彼女の人気は凄かったそうだが、柱になってからは更に人気が上がったらしい。

 

 ―――カナエに人気があるのはよく分かる。これだけの美人で、しかも誰にでも気安く嬉しそうに笑顔で接している。そりゃ男だったら夢中になるだろうさ。

 

 だが不思議と彼女が告白されたという話は聞かない。その事を不思議に思い、胡蝶しのぶに尋ねたことがあるのだが、彼女は呆れた顔になっていた。

 

 ―――姉さんの人気があるのは知ってるわよ。でも、告白はされないと思うわ。理由? うーん、兄さんは気にしなくていいと思うわ。こういうのは自覚しないと駄目だと思うから。

 

 よく分からないが無理やり納得させられた。そしてその返事に何処か自身の心が安堵したのを覚えている。

 八幡とて男だ。綺麗な女性と一緒に暮らして嬉しくないわけがない。もし八幡がこの家から離れると言っても二人は反対するだろうし、八幡も離れたいとは思わない。

 

「―――どうしたの、ハチくん? ぼうっとしちゃって。熱でもあるの?」

 

 カナエはそう言うと八幡のオデコに手を当てる。

 

「っ!? い、いや大丈夫だ」

「うーん。確かに熱はなさそうね。ならよかった」

 

 至近距離でカナエは微笑む。その笑みに八幡は動揺する。いい意味でも悪い意味でもだ。

 

 ―――そういう何気ない行動が男を勘違いさせるんだよ。ホントに。俺じゃなきゃ襲ってるぞ、絶対。

 

 その何気ない行動に八幡は心が乱される。躊躇なくこちらに触れてくる柔らかな手に。こちらに語り掛けてくるときに浮かべる花のように優しい笑顔に。男として振り回されっぱなしだ。

 

 いい加減、我慢するのも限界である。

 

「……少し早いがそろそろ寝るか」

「ええ、そうね。多分、しのぶは明日戻ってくると思うわ」

「そうか。幸い任務は入ってないから、この家で迎えられるな」

「うん。二人で出迎えてあげましょう」

 

 二人で明日の予定を立てつつ、早めの就寝を取ることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハチくん、ハチくん」

「……う、うーん」

 

 翌朝。聞き覚えのある声に促され、比企谷八幡は目を開けた。

 

「おはよう、ハチくん」

「……ああ、おはよう。早いな、カナエ」

 

 今日は珍しくカナエの方が先に目覚めていた。

 

「今日はしのぶの為に早起きしたの。あの子がいつ帰ってくるか分からないから」

「なるほど。そういうことか」

 

 いつもならまだ寝ている時間だが、妹のために早起きしたようだ。

 

「それにあの子の好きな物を作ってあげようと思って」

「しのぶの好きな物って言うと……ああ、生姜の佃煮か」

「ええ。合格祝いにあの子の大好物を作って待ってようかなって思ったの」

「そうか。それはアイツも喜びそうだ」

 

 そこでふとした考えが浮かぶ。

 

「じゃあ、俺も一緒に手伝うから、しのぶの好物の作り方を教えてくれ」

「―――いいの?」

「ああ、しのぶの喜ぶ姿は俺も見たいからな」

 

 八幡がそう言うとカナエは感激したのか、八幡に抱き着いてきた。

 

「ありがとう! ハチくん」

「お、おお……こ、このぐらいなら問題ないぞ」

 

 内心で動揺しつつカナエを受け止める。花の香りが八幡の理性を揺らがせる。

 揺らぐ理性の中、八幡はある考えに至る。カナエのこの癖を何とかしなければ、と。

 胸の中にいるカナエを離しつつ、彼女に話しかける。

 

「なあ、カナエ。一ついいか」

「うん。なぁに?」

 

 コホンと咳ばらいをしつつ忠告をする。

 

「その、だな。むやみやたらに男に抱き着かない方がいい。男というのは勘違いしやすい生き物だ。もし、外で他の男にこんな事したら、襲われたって文句は言えないぞ」

「それって―――ハチくんは私が男の人なら誰にでもこういうことするって思ってるの?」

「そ、そうじゃない! そうじゃないが!」

 

 狼狽える八幡。そんな彼に対しカナエは動く。八幡の胸元にぽすんと抱き着き、上目遣いで彼女は言った。

 

「―――しないよ。私がこんなことするの。ハチくん以外にいないんだから」

 

 その必殺の台詞に八幡の理性が消し飛ばされた。

 次の瞬間、八幡はカナエの身体を抱きしめていた。彼女の背に両手を回し、他の誰にも渡さないとばかりに、力強く抱きしめていた。

 

「―――ハチくん?」

「――――――――っ!?」

 

 自身の行動に自身が一番驚く。正に本能の赴くままに行動していた。思わず動揺し、固まったまま動けなくなってしまう。

 花のいい香りが鼻孔を擽る。身体全体で感じるカナエの身体の柔らかさに、ずっとこのまま抱きしめていたいと思ってしまう。

 

「ごめん、ハチくん。ちょっと、痛いかな?」

「! す、すまん!」

 

 慌てて両手を離し、カナエを離す。

 

「ほ、本当にすまん! なにやってんだ、俺! ちょ、ちょっと頭冷やしてくる!」

「あ、うん」

 

 カナエを残して逃げ去るように八幡はその場を後にした。

 

「―――なんだろう? いつもと違う感じがする……」

 

 残されたカナエは、自身の状態がいつもと異なると感じていた。

 初めて八幡から抱きしめられた。自身から抱き着くことはあれど、彼から抱きしめられるのは初めてだった。

 頬を紅く染めた彼女は、自身の胸に手を添え、そして言った。

 

「――――――胸がドキドキする」

 

 

 

 

 

 

 

 

「……なにやってんだよ、俺ぇ」

 

 先程の行動を悔いるように、水を頭からぶっかける。かけられた水の冷たさが、理性を取り戻していく。と、同時に自身の行動の迂闊さに反吐が出た。

 

「俺は何であんなこと。あぁぁ、この後カナエにどんな顔して会えばいいってんだ」

 

 どうしてあんな行動をしたか。それは考えれば直ぐにでも分かった。

 

 ―――しないよ。私がこんなことするの。ハチくん以外にいないんだから。

 

「っ!? ……あんな事言われて我慢できるわけねぇだろぉ」

 

 もう一杯水を頭からぶっかける。

 あの言葉に。あの表情に。理性が一瞬で溶かされた。自覚してなかった。否、奥底に封じていた想いを強制的に吐き出させられたのだ。

 

 こと此処に至っては認めざるを得なかった。

 

 ―――ああ、そうだ。認めたくなくても認めざるを得ない。比企谷八幡は胡蝶カナエに惚れている。それはもうべらぼうにだ。

 

 一度自覚すれば己の心は誤魔化せない。だがそれが事実だとしても伝えるわけにはいかない。

 

「例え俺が惚れててもカナエには言わない。アイツが俺にあんな態度を取ってくるのは家族としてだ。決して男だからじゃない。だから駄目だぞ、比企谷八幡」

 

 胡蝶カナエには、胡蝶しのぶには、そして二人の両親には多大な恩がある。それも一生かけても返しきれないほどの恩だ。

 

 その恩を裏切るようなことはしてはいけない。それが人としての最低限の礼儀だと比企谷八幡は思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 水浴びを終え部屋に戻る。そっと部屋を覗くと、胡蝶カナエが布団の上に座っていた。だが様子が変だ。彼女は着替えもせず、寝間着姿のままぼうっとしているのだ。違和感を覚えつつ部屋に入る。

 

「……あの、カナエ、さん?」

「………」

 

 問いかけるも返事がない。無視しているというわけではない。しいて言えば心ここにあらずといった状態だ。どうするか悩んでいた八幡だが、とりあえず自分の布団を畳もうと布団の傍に移動し―――カナエが気付いた。

 

「…………! は、ハチくん!? い、いつからそこに!?」

「えーと、ついさっきだが」

 

 カナエの様子がとてつもなく変だった。八幡の姿を確認した途端、慌てふためきキョロキョロしているのだ。明らかに挙動不審だ。顔色が紅く見えるのは八幡の気のせいだろうか? 

 

 それがさっきの行動の所為だと思い八幡は行動に移す。畳の上に座り正座をする。そして両手を床に付け―――土下座の姿勢を取ったのだ。

 

「! ハチくん。何を!」

「……さっきはすまん。俺が突然あんなことしたから驚いたよな。今後は二度とあんなことは「違うの!!」

 

 カナエが叫ぶ。八幡が先程の行動を否定しようと分かったからだ。

 驚いた八幡が顔を上げる。カナエは八幡の両手を掴み、彼に訴える。

 

「そ、その、さっきのは少し痛かっただけで。嫌だとか、そんなんじゃないよ!」

「そ、そうなのか?」

「う、うん。むしろ、その……嬉しかったよ。ハチくんから抱きしめてくれて」

「! お、おう。そ、それなら、その、よ、よかったです」

「うん。だから……」

 

 カナエが自らの両手を広げて八幡を見る。それが何を意味するかは、直ぐに分かった。

 

「か、カナエ?」

「―――もう一回抱きしめてほしいな」

 

 カナエは上目遣いでそう頼んできた。

 

「い、いや、それは。そもそもさっきのは衝動的なものであって、今の俺にその気は」

「………駄目?」

「……………俺は」

 

 カナエの懇願には勝てなかった。花の蜜に群がる蝶のように吸い寄せられる。そしてカナエの肩に手を置き再びその身体を抱きしめようと―――

 

「―――ただいま~!」

『!?』

 

 愛しの妹の声がした。

 

「し、しのぶが帰って来たな」

「……うん」

 

 声に反応し八幡はカナエの身体を離す。危なかった。後一秒でも遅かったら、再びその身体を抱きしめていたところだ。

 

「お、俺は先に迎えに行く。カナエは着替えてから来てくれ」

「…………分かった」

 

 そう言い残して八幡は玄関へと急いで走る。残されたカナエは少しだけ頬を膨らませ、そして言った。

 

「――――ハチくんの馬鹿」

 

 少しだけ愚痴を溢し寝間着を着替える。

 そしてカナエも愛しの妹を迎えに行くのであった。




年始早々熱が出て寝込んでました。そのせいで正月休みを殆ど寝て過ごしました。
人生で最悪の正月でした。

呼吸の命名の件ですが、幾つかの案をいただきありがとうございます。
まだ決定はしていませんが、参考にさせていただきます。

大正コソコソ噂話

しのぶさんですが、最終選別は特に問題ありませんでした。
彼女自身に鬼の頸は斬れませんが、他の参加者を巻き込んで見事に合格することが出来ました。


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第十五話 蝶屋敷での出来事

何か早く出来たので投稿します。


 胡蝶しのぶが最終選別を突破し鬼殺隊員となった。

 その後、胡蝶しのぶも任務に当たることになったのだが―――彼女が単独で任務に当たることはなかった。

 

 理由は三つある。

 まず一つは、彼女が単独で鬼の頸が斬れないということだ。新入隊員は合格した時点で、その者が単独で任務を請け負うことが出来るか、上層部が判断を下す。折角の新入隊員を無駄死にさせないという上層部の心意気だ。

 もし、本人が任務に耐えられないと判断した場合、複数人数で任務を請け負わせたり、隠などのサポート部隊に配属されることもある。

 

 二つ目は彼女が継子という点だ。継子は柱が育てる鬼殺隊員。よって柱の任務に同行することで、その実力を伸ばしていくのだ。

 

 そして最後の三つ目だが、これを少々特殊な事情になる。

 蝶屋敷が完成し、本格的に治療院として活動を開始したのだ。鬼殺隊員に怪我は付きもの。活動直後は隊員全体に蝶屋敷が認知されておらず、怪我人が訪れることも少なかった。だが、時間が経つにつれ蝶屋敷を訪れる隊員が徐々に増えていった。

 

 以上三つが原因により、胡蝶しのぶが単独任務を請け負うことはなかった。

 そして彼女の医療の技術の高さが認められ、蝶屋敷で腕を振るう機会が増えていった。だが、本人はそれを悪いこととは思わなかった。

 

 胡蝶しのぶは毒の研究をしている。よって蝶屋敷にいれば研究に時間を割ける為、本人にとってはむしろ大歓迎だったのだ。そして研究の成果は、同居している他二人の任務に同行した時に確認していく。それが胡蝶しのぶの日常になりつつあった。

 

 そんな日が数ヶ月続いたある日。とある人物が蝶屋敷を訪れてきた。

 

「ごめんくださ~い」

「は~い」

 

 玄関の方から誰かの声が聞こえる。その声に反応し胡蝶カナエが玄関へと向かう。すると玄関には一人の少女が立っていた。少女はカナエの姿を見て驚く。カナエの容姿に聞き覚えがあったからだ。

 

「もしかして花柱様ですか?」

「はい。花柱 胡蝶カナエです。どのようなご用件かしら?」

「え~と、私は鱗滝真菰といいます。あの、こちらに比企谷八幡がいると聞いてきたんですが、いらっしゃいますか?」

「あら、真菰ちゃんはハチくんの知り合い?」

「はい。その、同期です」

「あらあら! ハチくんの同期なのね。ちょっと待っててね」

 

 カナエは真菰の言葉を聞き屋敷の奥へと走っていく。そして三分後、八幡が玄関へとやって来た。

 

「何処かで聞いたことのある声だと思ったら、お前か真菰」

「八幡! やっほ~」

 

 真菰が八幡に手を振る。

 

「久しぶりだな。どうした急に? いや、蝶屋敷に来たってことは怪我……ではないな。見た感じ無傷だし」

「う~ん。当たらずも遠からずと言った所かな。私は八幡が此処にいるって噂があったから寄ってみたんだよ」

「俺の噂? 何だそりゃ? 噂になりそうなことなんてした覚えがないぞ」

「ふふ~ん。ま、噂と言っても色々あるんだけどね」

 

 そう言うと、真菰は並んで立つ八幡とカナエを見てニヤリと笑う。

 

「なるほどなるほど。少なくともあの噂は本当っぽいね」

「……どんな噂だよ。めっちゃ気になるんだが」

「気にしない気にしない。悪い噂じゃないから」

 

 とても気になるがどうやら話す気はないようだ。諦めて要件を聞く。

 

「はぁ、それでその噂とやらを確かめるためだけに此処に来たのか?」

「ううん。それはあくまでもついでだよ。ほら義勇。入って」

 

 真菰が外に向かって呼びかける。すると外から一人の男性が玄関へ入ってくる。

 

「こちらは私の兄弟子。冨岡義勇だよ」

「――――――」

 

 冨岡と呼ばれた男は軽く頭を下げる。しかし八幡とカナエはそれどころではなかった。

 

「って、おい! そいつ怪我だらけじゃないか!」

「大変! 早く治療しないと! 上がって! しのぶの所に連れて行かないと」

 

 義勇の身体は傷だらけであった。顔、首、腕。素肌が見える範囲全てに傷を負っていた。深手の箇所は包帯により自分で応急処置してあるようだが、そのまま放置されている箇所も多い。直ぐに治療が必要だ。

 

 しかし義勇は動かない。眉をひそめながらめんどくさそうにしている。真菰はそんな義勇を睨みつける。

 

「義勇。分かった? あなたには休息が必要なの。大人しく治療を受けなさい」

 

 しかし義勇はぷいっと真菰から視線を逸らす。

 

 ――――だが断る。この程度の怪我に治療は無用だ。それに自分で包帯を巻いたから特に問題はないし、休息など取らずとも任務に支障はでない。だから治療は「―――必要ない」

 

 冨岡は一言だけ話す。だがそれは真菰に一蹴される。

 

「―――駄目だよ。強引にでも連れていくから。もし断るとかいうんだったら―――お父さんに言いつけるよ?」

「―――っ!?」

 

 お父さん。その単語を聞いた途端、義勇の表情に変化が起きる。無表情からバツの悪そうな顔へとだ。と言っても、僅かな変化だけなので彼の表情を見分けられる人は少ないだろう。

 

 しかし八幡とカナエには見分けがついた。二人とも他者の表情を見分けるのは得意だからだ。

 

「話は付いたようね。しのぶは奥の部屋よ。ハチくん、お願いできるかしら」

「分かった。薬の準備を頼む、カナエ」

「―――分かったわ」

「行くぞ。真菰、冨岡」

「―――うん! じゃあ、おじゃまします」

 

 二人はすぐに動く。カナエが一足先に奥へと走っていく。八幡は怪我人を先導するために先頭を歩き、その後に真菰が冨岡の手を引っ張って後に続く。

 

 目的地の場所は直ぐだった。奥の部屋に入ると、しのぶが机に置かれた本を読んでいた。慌てた様子で部屋に入る八幡に彼女は気付く。

 

「―――どうしたの、兄さん?」

「怪我人だ。至急治療を頼む」

「いったい誰が……! はぁ、分かりました。任せてください」

 

 八幡の言葉を聞くと、彼女の視線は八幡の奥へと移る。すると怪我だらけの男性を一人発見し、すぐさま治療に取り掛かることにした。

 

 義勇を椅子へと座らせると、しのぶは彼を睨みつける。

 

「―――さて、今から治療を行いますが、その怪我について、じっくりと聞かせてもらいますよ」

「――――――っ!?」

 

 胡蝶しのぶから放たれるプレッシャーに、冨岡義勇は気圧された。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あなたは馬鹿ですか、冨岡さん。こんなになるまで怪我を放置するなんて、いったい何を考えてるんですか?」

「そうだよ、義勇。私が見つけなかったら、このまま次の任務に向かうつもりだったんでしょ。分かるんだからね」

「―――そんなことは、ない」

 

 義勇は真菰の言葉を否定する。しかしその怪我では説得力に欠ける。明らかに応急処置しかしてないのだ。彼の言葉に説得力はない。

 

「そうなんですか、真菰さん? 信じられませんね、この人」

「まったくだよ! しのぶちゃん! もっと言ってあげて!」

「…………」

 

 分が悪いと思ったのか押し黙る義勇。しかし二人の少女がそれを許せない。

 

「聞いているんですか、冨岡さん?」

「聞いてるの、義勇?」

「………………」

 

 医者の卵として、妹弟子として、二人は冨岡にきつく当たる。それに耐えられなかったのか、同じ男である八幡に義勇は助けを求める。と言っても彼に視線を送るだけだ。しかし当の本人はカナエと話をしていてそれに気付いていない。

 

「あらあら。冨岡くんも大変ね」

「まあ、あれは庇いようがない。怪我を放置するなんて悪化させるだけだからな」

「そうね。しょうがないわよね」

 

 しのぶと真菰の説教はなおも続く。義勇が碌に話を聞いていないと分かると、徐々に口調が荒くなっていく。義勇の顔色も段々と悪くなっていった。

 

「しのぶ。とりあえず治療を終わらせろ。話はその後でいいだろう?」

「それは……そうね。確かに兄さんの言う通りだわ」

 

 治療の途中だったので、一先ず説教はそこで終わった。助かったとばかりに義勇が八幡を見る。

 

「義勇。治療が終わったらお説教の続きだからね」

「―――!?」

 

 いや、助かってはいないようだ。

 

「―――はい、しのぶ。頼まれた薬よ」

「ありがとう、姉さん」

 

 治療に使用する薬をカナエがしのぶに渡す。準備が終わるとしのぶは義勇に向き直る。

 カナエに持ってきたもらった物は怪我によく効く特別な薬だ。

 

「さて、冨岡さん。今から治療を始めます」

 

 ―――ああ。それはいいが、それより気になることがある。あの男とお前たち姉妹はどういう関係なんだ? お前たち三人の噂は鬼殺隊でもかなり広まっている。兄妹、親子、恋人、酷い噂だと二人とも嫁などという噂もあった。流石に二人が嫁でないのは見れば分かる。俺の見た感じだとあの二人が恋人の可能性が一番高いと思う。その辺はどうなんだ? やはり「―――恋人なのか?」

「はい? いきなり何を言い出すんですか、この人は?」

 

 いきなり訳の分からないことを言う義勇に、しのぶは混乱する。だが無理もない。治療を始めようと思ったら、男が恋人なのかと言い出したのだ。混乱する彼女を救ったのは、隣にいる真菰だった。

 

「―――ああ、しのぶちゃん。気にしないで。ウチの義勇は言葉足らずで、いきなり突拍子もない事を言い始めるから」

「はぁ、そうなんですか? ……真菰さんも大変ですね」

「慣れれば多少は分かるようになるんだけどね」

 

 真菰は義勇にそっと耳打ちする。

 

「こら、義勇、いきなり何を聞いているの」

「……噂が本当かどうか気になった」

「はぁ、そんな事だろうと思ったよ。いい? そういう事は気になっても聞いちゃいけないの。分かった?」

「……ああ、分かった」

「―――よろしい」

 

 真菰は義勇から離れる。その様子を見ていたしのぶは二人に言う。

 

「……何というか。お二人の様子を見ていて思ったんですが、見た目は真菰さんの方が年下なのに、実際は立場が逆に見えますね。冨岡さんの方が弟に見えます」

「戦闘では頼りになるんだよ、義勇は。実生活だとこんな感じだけど」

「……本当に大変ですね、真菰さん。冨岡さん、真菰さんに迷惑をかけては駄目よ」

 

 しのぶの言葉に義勇はムッとする。

 

「―――俺は迷惑など掛けていない」

「そうですか。なら大人しく治療を受けますね。間違ってもごねたり、逃げようなどとは思いませんよね?」

「………当たり前だ」

 

 しのぶの挑発に義勇はのってしまった。

 

「そうですか。では改めて治療を始めます。今から塗る薬は私の特別製ですからよく効きますよ。その代わり通常の薬より染みますけど―――覚悟してくださいね♪」

「――――――あぁ」

 

 胡蝶しのぶのいい笑顔を見て、冨岡義勇は鬼殺の任務以上の覚悟を決めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「待たせたな、不死川」

「あァ、気にするな」

 

 義勇の治療をしのぶに任せて道場へと戻る。するとそこには、もう一人の同期 不死川実弥が座っていた。彼は義勇が来る少し前に蝶屋敷へと訪れていたのだ。

 

「で、誰が来てたんだァ?」

「あ~真菰とその兄弟子が来た。真菰はその兄弟子の付き添いだそうだ」

「鱗滝ィ? アイツが来やがったのか」

「ああ。暫くしたらこっちに来るかもな」

「まあ、どうでもいい。続きやるぜェ、比企谷ァ!」

 

 実弥は八幡へ続きを行うように促す。八幡は実弥と対面になるように座る。二人の間には机があり、互いに机を挟んで向き合う。そして机の上には幾つもの湯呑が置かれていた。

 

「―――いくぜェ」

「―――ああ」

 

 二人の腕が動く。片方が湯呑を取ろうとし、それを相手が阻止せんと片手で押さえる。その隙に反対の手が別の湯呑を狙おうとするも相手はそれを許さない。

 

 そんな攻防が幾度も繰り返される。ある時は一直線に、またある時はフェイントをかける。腕だけではなく視線も駆使して、相手を誘導するように攻撃を仕掛ける。しかし相手も手強い。そんな思惑を本能で見分け、隙あらば湯呑を奪わんと攻撃を仕掛けてくる。

 

 そして決着が付く。片方の腕が瞬時に加速する。そのスピードの速さは今までと段違いだった。スピードの落差により、相手の反応が一瞬遅れる。

 

 置かれた湯呑を見事に奪取。高々と湯呑を持ち上げ―――その中身を相手にぶちまけた。

 

「―――俺の勝ちだな」

「ちっくしょー! また俺の負けかよォ!」

 

 比企谷八幡の勝利だった。水をぶっかけられた実弥は敗北を悔しがる。八幡はそんな実弥に手拭いを渡す。

 

「ふぅ、危なかったな」

「よく言うぜェ。まだ余裕ありそうじゃねぇかァ」

「言うほど余裕はないぞ。お前の反応が段々と速くなってきてるからな」

「へっ! もう直ぐてめぇを負かせてやるよォ」

 

 八幡の言う通り、実弥の反応は段々と速くなってきている。その内負けてしまうだろう。

 

「で、どうだ? この訓練は。機能回復訓練として取り入れようと考えてるんだが」

「……そうだなァ。悪くはねぇと思う。だが比企谷ァ。テメェが相手だと病み上がりの隊士だと勝てねぇぞォ。その辺はどうすんだァ」

「その辺は適当に手を抜くさ。何も本気を出さなくてもいいからな。あくまでも反射神経を戻すのが目的だ」

「なるほどなァ。ならいいんじゃねぇかァ」

 

 実弥はその目的に同意する。今までの鬼殺隊には治療施設は合っても、このような訓練を行うことはなかったからだ。これで隊員の負傷が少しでも減ればいいと思う。

 

「不死川。今日は無理そうだが、今度しのぶの相手でもしてやってくれ」

「胡蝶妹だァ? 強いのか、アイツ?」

「この訓練ではかなり強いぞ。雷の呼吸を使わなかったら俺でも負け越す」

「へっ! 面白いじゃねぇかァ。いいぜ、今度相手してやらァ」

「ああ、頼む」

 

 思わぬ強敵に実弥は笑みをこぼす。但し、その笑みは微笑ましいものではなく、凶悪といっていいだろう。しのぶにとっては災難だろうが、強くなるためだ。我慢してもらおう。

 

「あぁ! 実弥に八幡。見つけたぁ!」

 

 二人の下に鱗滝真菰がやって来た。

 

「やっほー実弥。こんにちは!」

「―――おう」

 

 実弥と真菰が挨拶を交わす。

 

「真菰。冨岡の治療は終わったのか?」

「うん。一応ね。今はしのぶちゃんがお説教中だよ」

「あぁ? そいつ何かやりやがったのかァ?」

 

 実弥の疑問を八幡が答える。

 

「怪我を医者に見せず、適当に自分で治療。しかも軽い傷は放置でそのまま任務に行こうとしてたな。しのぶがカンカンだったぞ」

「そいつはおっかねぇなァ。胡蝶妹を怒らせると怖えぇからなァ」

「あれ? もしかして実弥も怒られたの?」

「こいつは常習犯だ。任務の度に自分で腕を傷つけてる」

「もう! まだそんなことしてるの!」

「……うるせェ」

 

 実弥がそっぽを向く。

 

「それで二人は何してたの? 何か変わったことしてるみたいだけど」

「この屋敷で取り入れようとしている訓練だ。不死川に感想を聞いていた」

「へ~面白そう。私もやっていい?」

「いいぞ。折角だからもう一つの方をやるか」

 

 八幡は立ち上がり、机を隅に片付ける。真菰は八幡へと近付く。

 

「で、どうすればいいの?」

「なに、簡単だ。俺が逃げるから真菰はそれを捕まえればいい」

「え、それって」

「そう。単なる鬼ごっこだ。身体の何処でもいいから触れればいい。範囲はこの道場内。俺が逃げるから真菰が鬼だな」

「うん、分かった。よーし捕まえるぞ~」

 

 張り切る真菰。そんな彼女に八幡は言う。

 

「真菰が相手なら手は抜けないな」

「へへーん。すぐに捕まえてあげるよ」

 

 真菰のスピードは速い。普通に逃げていたらすぐ捕まってしまうだろう。

 だが―――

 

「なら、こちらも本気でいくぞ」

 

 八幡の呼吸が変化する。それと同時に八幡の周囲に幾つもの雷の光が流れ始める。彼も本気だ。

 

「俺も全力でいく。捕まえてみせろ」

「―――上等! いくよ!」

 

 真菰は笑みを浮かべ八幡へと飛び掛かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「そんなこんなで今日はもの凄く疲れた」

「ご苦労様、ハチくん。それで勝敗はどうだったの?」

「短期間なら俺が一番。だけど長時間なら真菰が一番だったな。不死川は終始安定した成績だった。やっぱり時間が長引くと駄目だな、俺は」

「なるほどね。雷の呼吸は直線的な動きが多いから、道場のように限定された空間だと少し不利じゃないかしら?」

「……その通りだ。結局は疲れが生じて、後半は二人に負けっぱなしだったな」

「ふふふ、まだまだ修行不足ね、ハチくん」

「―――そうだな」

 

 八幡とカナエは二人で買い出しに出かけていた。目的は食材の買い出しだ。

 

「それで冨岡だったか。彼の容体はどうだったんだ?」

「数日は屋敷で治療に専念。それがしのぶの診断よ。私も同じ意見ね」

 

 二人の見立てなら間違いないだろう。

 

「なるほど。夕餉は一緒に食べれそうか?」

「大丈夫よ。今日は真菰ちゃんも一緒だから大所帯ね―――因みに今日の夕餉は鮭大根になります」

「なぜ鮭大根なんだ? 別に嫌いじゃないが」

 

 普段あまり食べない献立に疑問が出る。苦笑しながらカナエが答える。

 

「真菰ちゃんから聞いたんだけどね。冨岡くんの大好物なんですって。それで折角だから作ってみようって、しのぶと話したの」

「優しいな、しのぶは」

「ええ、自慢の妹ですから」

 

 二人でクスリと笑いあう。

 

「さて、急がないとお店が閉まっちゃうわ。急ぎましょう」

「ああ、そうだな」

 

 八幡が速度を上げようとすると、カナエが自身の手を差し出した。彼女の望みを理解すると少しだけ躊躇う。

 だが覚悟を決めて、自身の手と繋げる。

 

「これで、いいか?」

「―――うん。行きましょう」

「―――ああ」

 

 カナエが満足そうに微笑むのを見て、自身の判断が間違ってなかったとほっとする。

 そして二人は歩き始めた。

 

 お互いに手を繋いで歩を進める。

 手を繋いで歩くことは今まで何度もあったけれど、今の時の気分は以前とは異なっている。

 少し前までは、手を繋ぐだけでこんなにも緊張することはなかった。相手の温もりが伝わると心臓が高鳴り、もっと強く手を繋ぎたくなる。

 

 ―――それは八幡とカナエ、両者共に感じていた。

 

 手を繋ぐだけで緊張する。繋いだ手を意識して頬が紅くなる。だけど離れたくない。そんな気持ちが、無意識に手を繋ぐ力を強くした。すると相手も同じだけ力を強くし、両者の手はさらにしっかりと繋がれた。

 

 急がなくてはいけない。だけど一緒にいたい。二人の気持ちは一緒だった。

 

 二人が蝶屋敷に帰宅したのは、予定よりかなり長い時間が経過した後になった。だがそんな二人を、胡蝶しのぶと鱗滝真菰は責めることはなく、生温かく出迎えたという。

 

 八幡とカナエが二人に謝り倒したのはいうまでもない。




義勇さんの圧縮言語が難しい。それらしくなっていればいいんですけど。

大正コソコソ噂話

比企谷八幡と胡蝶カナエ。二人が胡蝶カナエと一緒に買い出しに行くことは多く、買い物先の店員からは完全に若夫婦と見られています。しかし二人はそんな事情は知らないままです。


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