【完結】増殖少女よ、地を埋め尽くせ (豚ゴリラ)
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増える少女

この作品は……続きませぇん…………!!!!


揺らめく夕日。

赤く染まる天蓋の下を多くの人間が行き交う。

 

黒いスーツに身を包んだ青年。

学生服を着こなす三人組の少女。

赤いランドセルと黒いランドセルを背に仲良く駆け出した幼子。

 

連なるビルの合間を走り回る大きな道路の上は、彼らでいっぱいいっぱいだ。

今、この時刻は逢魔が時とも言って、人ならざる魑魅魍魎が世に現れるらしいが――この光景を見る限り、まったくの無関係だろう。

平和極まりない、現代日本の街によく見られる姿で、それ以上でも以下でもないし、意味深な裏側も存在しない。

 

世界のどこかでは今この瞬間にも命が失われているというが、この国、この街にはそれさえも一切関係ないのだ。

 

ただ普通に生まれて、普通に育って、普通に生きて、普通に死ぬ。

きっと人口の九割程度はそんな一生を送るだろう。

 

 

……何故こんな事を考えているのだろうか。

些か――いや、それどころではなく意味不明だし脈絡のないことだ。

間違いなく今の俺はちょっとどころではなくおかしい。

 

思考回路はめちゃくちゃだし、過度なストレスを受け続けた神経はチリチリと焦げ付くように悲鳴を上げている。

ついさっきまで会社のデスクに張り付いて社畜らしくセコセコとプログラムを書いていたのだが、一時的に仕事から解放されたせいで考える余裕が生まれてしまった。

きっとそのせいだ。

 

ほんとは考えたくなんて無いし、暗い思考なんて害にしかならない。

そう分かってはいるが、俺の足が帰路につくことを止められないように、嫌な考えはただただ回り続けている。

 

 

「……一旦家に帰ったら、飯食って、風呂入って、寝袋持って……また、会社かぁ……」

 

 

口に出せば、尚更現状が嫌になってきた。

多くの人が帰宅する電車に乗る中、俺は出勤のために電車に揺られなきゃならんのだ。これのなんと恐ろしいことか。

俺は何故ここまでして働いているのだろう。

 

 

……………。

 

………ほんと、なんでだろうなぁ……。

 

 

理由なんて、『生きるため』とか、そんな程度のことしか無い。

それ以外はないし、それ以上も求めていない。

現代に生きる他の社畜達はどうやってモチベーションを保っているんだろう?

 

俺は既に心が折れそうだ。

 

正直金がほしいわけでもないし、趣味だって精々ゲームを少しやるぐらい――最近は忙しいせいでパソコンもコンシューマ(据え置き機)も起動していないが――かといって、仕事に熱意があるわけでもない。

ぶっちゃけ、偶々適正があったから今の仕事を勤めているだけ。

 

他に理由なんて無いのだ。

 

 

「あー!駄目だ駄目だ……!もっと心に優しいことを考えよう……!」

 

 

心に活を入れる。

周囲に迷惑をかけないようボリュームは小さくしてあるが、自分に対して言う分には十分だ……!

これ以上心を荒ませてしまえば、まだまだ残っている業務に支障をきたしてしまう。

だから心に優しいことで癒すんだ……。

 

心に優しいこと……そう、何かあったはずだ……。

 

……たしか、そう。この前の友人との会話は心が安らいだ……。

 

 

『うんち!』

 

『うんちっち?』

 

『おちんちんランド開演』

 

『わぁい^^』

 

 

――ろくな会話がねえ!!

今時小学生中学生でももっとマシな会話してるわ!!

 

待て、もっと理知的な会話があったはずだ!!

そう、例えば――!

 

 

『俺の利き玉*1どっちだと思うー?』

 

『右!右!!!右ィ!!!!』

 

『ざぁんねぇえん!!!左でしたああああぁ!!!!ぷぷぷ!ざああぁこぉ!!!』

 

 

「よし、飯買って帰るか」

 

 

思考に無理やり蓋をして脳髄で満面に咲くお花畑を隠す。

全国展開中――と、店長が思い込んでいるだけの個人経営のスーパーの自動ドアを潜る。

 

生暖かい風を顔で受け止めつつ、少しばかり密度の薄い陳列棚を物色した。

ここは気持ちよさを求めて750ミリリットルのウォッカ――と言いたいが、まだまだ仕事が残っている。

ノンアルコールのビールと生ハム、唐揚げ弁当を会計してもらい、若干瞳孔が開ききっている目での見送りを背に再び自宅へ向かった。

 

 

 

……そういえば、気付けば心が軽やかになっている気がする。

首筋は未だチリチリと焦がされているみたいだし、胸の強すぎる鼓動は変わっていないが――なんとなく……軽く……なってる、のか?

 

 

……けどまぁ、気分が晴れたことに違いはない。

これで責任や義務や納期と言った言葉が世界から失われてくれればもっとハッピーなんだけどなぁ。そんな世の中になってくれるのなら衆目が見守る中でのアヘ顔ダブルピースだって熟してみせる。

 

もっともそんな事ありえないし、俺が社畜から解放されることもありえない訳で。

今みたいに騙し騙しでなんとか生きていくしか無いんだろうなぁ……。

 

――やっぱ、現実って糞だわ、と。

口の中で何度も零した。

 

 

 

「あっぶなぁぁぁい!!!!」

 

「は?」

 

 

後方から声が響く。

しわがれた爺さんの声なのに随分と元気だなあ……。

というかそもそも誰に向かって言って―――。

 

 

「―――は?」

 

 

巨大な黒馬が、走っている。

4つの蹄でアスファルトを蹴り砕きながら、その巨体は驚くべき速度で大きく――――いや、違うわこれ。

こいつ俺の方に向かってきてる――!?

 

 

「ヒヒイイイイィィィンッッ!!!!」

 

 

ゴリュ!

何か、水を含んだものが潰れた音が鼓膜を通り越す。

いつの間にか、視界は真っ暗で、意識も――黒――――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「は?」

 

 

コマ送り。

まるでページを飛ばしたように目に映る色がまったくの別物に成り代わった。

ビルの群れはどこへやら、いつの間にかマイナスイオン的な爽やかな空気に満ちた草原が足元から四方八方に広がっている。

いやあ、馬に引かれた時はどうなるかと………?

 

 

…………うん?

………………………うん?

 

 

「…………?」

 

 

目を擦る。

いや、だってこれおかしいでしょ。

きっと俺は疲れているんだ。

3日間のデスマーチ、ダース単位で消化した栄養ドリンク。寝心地の悪い椅子の上で、申し訳程度にしか取れなかった仮眠――きっと、そのせいで疲れすぎて一時的な幻覚を見ているだけだ。

だから、心を落ち着かせて。

 

ゆっくりと、息を吐いて。

爽やか極まりない空気を肺に入れてリフレッシュ。

さあ、もう一度目を開けば元通り―――

 

 

 

じゃねえわ。

 

 

「って、なんか手ちっさ!?」

 

 

更に思考が混乱する。

先程までの比じゃないほどの焦りが脳髄を蹂躙した。

両手の平を凝視すると、やはりどう見ても白く細い――これ迄のモンゴロイドの肉体ではなく、コーカソイドの血を如実に感じる色彩を放っている。

造形だって、なんとも言い表し難いが――こんな柔らかさを備えていた記憶なんて無い。

 

………手だけではない。

二の腕も、足も、腰も、胸も。

どこもかしこも根底からデザインが変わっている。

というか、服も着てねえ。

小さく膨らんだ胸部が視界に映る。

 

 

「……ふぅ」

 

 

……思わず天を仰ぐ。

 

だって、こんなの聞いてないよ、俺。

馬との交通事故って皆こうなるの?

 

お天道様に問いかけ――え、お天道様三人居るじゃん……。

 

 

「えぇ………」

 

 

ふぁっきゅーお馬さん。

ここ、日本どころか地球じゃないのかよ。

ああ、うん。転生馬なんて初めて聞いたわ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

だだっ広い草原に背を預け、ぼんやりと空を眺める。

どこまでも広がった青色で瞳を休め、これからの展望に思考を巡らせる。

 

とはいえ、するべき事がなんなのか、我が身の変化と空の変容しか知らぬ身ではどうともいえない。 

 

 

「……よ」

 

 

上半身を起こした。

背中に突き刺さるチクチクとした感触から離れ、なんとなしに体を見下ろす。

 

…………まさか、初めて見た女体が自分のものとはなあ……。

しかも興奮さえ覚えることが出来ず、ただ未来に対する不安しか感じることができない。

 

 

「まずは、移動するかぁ……」

 

 

ため息が口腔から溢れる。

異世界なのは確定として、せめて人類や文明が存在することを祈るしかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

空に浮かぶ3つの日輪が照らす中、草原の隅にある木々との境界線に男達の姿があった。

粗末な布地の服に身を包み、一様に清潔感を欠いた身なりではあるが、それ以上にギラギラと熱気を放つ瞳に比べれば印象に残らない。

彼等は皆薄汚れた短剣を腰に帯びており、それらの印象を統合すると『盗賊』というにピッタリだった。

 

森に紛れ込むように野営地を作り、少しばかり離れた位置にある、森の内部から平原の彼方まで伸びる大きな道を睨みつけている。

 

 

 

 

――彼等の視界から逃れるように大きく迂回し、その小さな体をさらに縮こませて移動する少女の姿があった。

 

コソコソ、カサカサと影を残し、何も身に纏わぬ姿を晒さぬよう集中しながら歩みを進める。

 

 

――視線の先には、『盗賊』達の野営地。

 

彼女は、何も持たない現状に危機感を抱いていた。

遠目も遠目、遥か遠方から『盗賊』達を発見し、そして彼等がお世辞にも善人と呼べぬことをその所業から知る事ができた時点で一つの方針を固めた。

 

少なくとも人間が存在し、そして製鉄が可能な文明を有することは確定した。

故に、少なくとも彼等の中に紛れ込めるだけの『身なり』が必要だ。

 

だから、盗む。

盗賊から服や金銭を手にする事。

それが異世界生活の第一歩だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

――残り、三十メートル。

 

 

カサカサに乾いた唇を舐める。

森に紛れ込めない白い肌を、なるべく物陰に隠すように慎重に動いた。

 

視線の先、野営地には八人程度の男たちが屯していた。

三人は少しばかり離れた所にある大きめの木の陰から獲物を探し、五人は思い思いの行動を取る。

ボロボロのテントが円形を作るように並び、その中央にある焚き火を囲んで談笑しているだけで、野営地そのものを守る見張り番がいる訳ではないようだ。

 

程々には統率が取れているようだが、これから盗みに入ろうとしても然程苦労するとは思えない。

 

 

「は、は……っ」

 

 

小さく小さく呼気を漏らす。

野営地の端辺りまでは侵入できた。

目的のテントはもう目と鼻の先だ。

 

よし、入り口の垂れ幕は―――あれは駄目だな。

焚き火を囲む男達に見られてしまいそうで、とてもではないが回り込んでいられない。

 

……しかし、裏側には人一人が通れるだけの穴が開いているようだ。

 

なるべく男達の視線が通らない様に物陰を選びつつ、靭やかな動作でもってボロのテントに空いた穴を潜る。

 

 

 

「ここは、食料庫……か?臭いな……」

 

 

思わず眉を顰めた。

ここには目的とする金銭や衣服の類は無いだろう。狙うならば、彼等が略奪の果てに得た収穫物を蓄えた物置きだ。

 

再び穴を潜り、木やテント、空箱を盾に歩みを進める。

 

 

「このテントはまだ綺麗だな……入ってみるか」

 

 

入り口も、間に積まれた木箱のおかげでいい具合に隠れている。

 

するり。

 

軽やかに差し出した足は音も無く体を運び、野営地の端っこにある大きなテントへ入り込んだ。

 

 

「当たりだ……!ここなら服もあるかな……」

 

 

大きな木箱が所狭しと並び、中身を覗き見た後なのか、開け放たれた蓋を覗けば壺や銀貨、銅貨などの貨幣が詰まっている。

 

隅に積まれた革袋を持ち上げると、ズッシリとした重みを感じた。

少し口を緩めてみると、中には銀貨がぎっしりと詰まっている。

 

これは役に立つ。頂戴しておこう。

 

 

「あとは服だな」

 

 

木箱を漁る。

 

壺。

 

壺。

 

壺。

 

そして壺。

 

次々と覗いていくが壺しかない。

壺商人でも襲ったのか?

 

……ご愁傷様だな。

 

 

「……これも違うな……こっちは……財布か。貰っておこう……」

 

 

そうして物色を続けた結果、5つ目の箱に入っていたそれなりに上質と思わしき布地の白い服を見つけた。

サイズはそれ程大きくないし、ささやかな装飾をなされた形を見るに町娘向けの服なのだろう。きっと不幸にもこの近辺の道を通り掛かってしまった服飾商人などの積み荷か。

 

 

「よし、サイズもピッタリだ」

 

 

そういうデザインなのか、腹は出ているし片袖しかない奇抜な物だったが……俺からすると服の体をなしているだけで十分過ぎるものだ。

さすがに素っ裸のままでは恥ずかし過ぎる。

 

とりあえず服を身に纏い、ちょっとばかりお裾分けを頂いたおかげで文明人に立ち返ることができた。

 

小さく安堵の息を吐き、そろそろここから離れようと出口へ足を向け―――

 

 

 

 

 

振り向いたのとたった今テントに入ってきた男がこちらに気づいたのは同時だった。

 

 

「えっ」

 

「な!?」

 

 

驚きに目を剥き、困惑と動揺の視線がぶつかり合う。

 

 

マズイ――!!

 

 

冷たい水が背筋を滴るような感覚を覚えた。

現代日本で培った平和ボケした危機管理能力でさえ、この現状があまりにも危険である事は嫌でも理解できる。

 

急速に稼働を始めた思考は時間を引き伸ばす。

 

ゆっくりと、嫌に焦らされたような感覚で男の口が開かれる。

きっと――否、間違いなくこの事を知らせようとしているのだろう。

そうなると、ああ。

最悪な未来しか見えない。

まだ己の顔も知らないが、体の状態からして十代半ばだろうか。

年若い少女が盗賊に捕まって――その未来が明るいとは、どう見ても考えられる筈もない。

 

ならどうする、どうやって口をふさぐ?

走り寄って――無理、距離は10メートルほどある。間に合わない。

物を投げる――無駄、周囲には乱雑に積まれた木箱や、中に入った壺を投げようにも、持ち上げて投げるのでが間に合わない。

なら、腰の取り付けた財布を投げてみては?

………いや、無理だ。この重さのものを投げつけたところで、怯ませる程度にしかならないだろう。

 

他には、他には?なにか無いのか!?

 

 

「―――侵にゅ――」

 

 

まずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずい――!!

 

 

早く黙らせないと、転生してはやくもバッドエンドを迎えてしまう。

そんなの認められるか――!

 

 

 

―――だから、後ろからぶん殴って気絶させた。

 

 

 

「「……あれ?」」

 

 

握り締めた右手を刺激する、思った以上に強かに打ち付けた感触に呆然とし――それ以上に、いつの間にか視界が二つに増えている事態に思考が鈍化する。

それぞれの視界には、金の髪と赤い瞳を持つ少女が映っていた。

 

…………後ろから男をぶん殴った俺は、とりあえず右手を上げてみた。

すると、箱を漁っていた俺の眼の前にいる少女――俺の右手が上がる。

 

 

箱を漁っていた俺に歩み寄って頬を抓る。

痛い。

 

……………。

 

………………俺が、()()()

 

 

………………?

 

 

?????

 

 

「……う、ううん……まずは服を着て」

 

「金を持って逃げて……それから考えよう」

 

 

2つに増えた体は、淀みなくキチンと動いた。

俺は4つの手に金や服を抱えて、盗賊達に見つかる事なく逃げ出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

枝や大きな葉っぱを組み合わせて作った簡単なテントを作って、その下で円陣を組む五人(移動していると何故か増えた)の俺は思考を巡らせる。

 

 

傍から見ている分には同じ顔の少女が相対していることになるのだろうか?

けれど、どの俺も『俺』だ。

体が増えていようが、『俺』という意思が動かす肉体が一つから五つになっただけ……だと、思う。

まだ頭が混乱している。

…………ほんと、何でこうなったのだろうか。

思わずそれぞれ隣の体の目頭を押さえた。

 

 

けれど、まあ悪い事ではない。

単純に労働力が増えたと思えばいい事だ。

これが他人であれば意思の疎通や思いやりが必要だけれど、どの体も俺が動かす肉体なのだから何も問題ない。

言ってしまえば動かす手が二つから十に増えただけだ。

 

しかも三人目以降の体には増えた瞬間から同じ服を身に纏っていた。

これで裸のままであれば風邪を引いてしまうという苦痛を味わう羽目になったが………うん、ほんと助かった。

 

とにかく、五人であれば五つ子なりで誤魔化せる。

増える条件がいまいち分からないのが少し恐ろしいが、少なくとも現段階なら……まあ、行けるだろう。

 

スッカスカのテントを通り抜ける冷たい風に殺意を覚えつつ、隙間から見える陽光の具合から日が落ち始めていることを知った。

 

 

……5つの身体を寄せ合う。

 

 

明日は人里を探そう。

まだ一日しか経っていないが、俺は寂しがり屋だったのだろうか。

なんとなく孤独でいる事が嫌でたまらない。

 

 

 

自分の熱に包まれて、静かに五対の瞼をおろした。

 

 

 

*1
利き手、利き足、利き金玉




ゴリラ的にはね、男が女になったらね、そいつはもうメスだと思う
メスがオスに恋することは別に普通では……?


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増殖はじめ

今日で1万字書いたぞぉ!たぶん燃え尽きますね、間違いない!
じゃ、ぼく寝ますんで!


その日も何時もと同じ、何ら変わりない始まりを迎えた。

今年で30歳を迎える門番の男は、未だ昼前であるにも関わらず早くも唸り声を上げた腹を抑えた。

ぐぅぐぅと空腹を訴えかけるのも仕方なし、今日は何も食べていない。

この栄えある要塞都市の門番が何たる有様だ!と、上司に怒られる未来を幻視してしまう――まあ、まず間違いなく怒られるだろう。

 

けれどそれも仕方がないと言い訳させてほしい。

男は門番であるが、近頃頻発する盗賊の被害状況を書類に纏めるという任務外の仕事まで熟していたのだ。

むしろ特別ボーナスがあって然るべきではないか。

 

空に浮かぶ三つ子の太陽だってそう言ってくれるに違いない。

 

 

「はぁーぁ………」

 

 

しかし、何の代り映えしない景色だと思う。

男が産まれた頃には既に要塞都市としての地位を確立していて、その巨大にすぎる城壁――高さは20メートルを超える――に守られた生活は最初から終わりまで変わらない。

 

その余りにも守備に特化した堅牢な街を攻め込もうなんて気狂いは、この大陸が一つの帝国によって統一された時からその芽さえも摘み取られた。

あり得るとしたら魔物の大進行などだろうが、この近辺にはさほど強い魔物の生息地帯はなく、尚更この堅牢さを発揮することはないだろうとしか思えない。

 

 

とはいえ、その名声は庶民が安心さを求める中で最も役に立ち、一般市民や商人達、果ては冒険者達までこぞってこの地に定住を求める。

その甲斐あってこの城壁の中は発展に発展を重ね、幾度となく拡張工事を繰り返したおかげかこの国ではトップクラスの経済能力を誇っている。

 

 

「ん、商人か。積み荷は?」

 

「へえ、小麦と酒でございやす」

 

「……よし、結構。通っていいぞ」

 

「どうも」

 

 

今日も今日とて長蛇の列を順番に処理していく。

正直さほど必要とは思えないが、テロリストなんかが混じっていないとも断定できない。

男はこれが欠かしてはならない工程だとは理解していた。

 

 

「次」

 

 

ザッザッザ。

商人の馬車が通った後から、五人の少女が歩み寄る。

 

 

「……へぇ」

 

 

これは随分と別嬪さんだな。

しかも五つ子か。尚更珍しい。

 

皆同じ服を身にまとい、同じ容貌を持っている。

年の頃は十代半ばか?

男に娘がいればこれぐらいの年だったろう。

 

 

「要件は?」

 

「出稼ぎに」

 

「あと拠点を探して」

 

「ふむ……まあ、変なことはないな……身分証は?ああ、代表者のものだけでいいぞ」

 

 

一番最初に言葉を発した少女は腰に括り付けられた革袋から金属片を取り出し、若干の間を空けて男に手渡した。

 

 

「西の開拓村出身か……うん、問題ない。ようこそ、()()()()()。よい一日を」

 

「ありがとう」

 

「がとー」

 

「とー」

 

「ー」

 

「」

 

「どうやって発音してんだ……?」

 

 

全く同じ靴音を鳴らし、五人の少女は大きな石造りの門を潜る。

示し合わせた様子でもないのに、随分と器用なものだ。

男は一人ごちた。

 

……しかしまあ、五つ子なのだしそういう事もあるのだろう。

ともあれ、いい目の保養をできたおかげか気分はいくらか良くなった。

 

男は今日も変わらない。何の変哲もない一日を過ごす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……よし、とりあえず危機は去ったな。ごめんな、多分俺のせいで余計な手間をとることになる本物のアリシアさん……」

 

「ナムナム」

 

「ま、死んでないんだけどね」

 

 

五つの視界を存分に駆使して、大通りに並ぶ沢山の出店を眺めていく。

俺の主な目的はこの世界の知識を収集すること。

少なくとも身の振る舞いを決めるまでは決して多くない資金の無駄使いをすることはできないので、必然冷やかし客になってしまう。許せ。

金を落とせないので申し訳なくはあるが、あっちこっちへ歩みを進めるとどの店も新鮮味に溢れた面白さを目にすることができた。

 

 

なにかの光る角が生えた骨付き肉を使った串焼き。

よくわからん光る石を散りばめた指輪。

若干雑っぽい陳列をされた盾。

 

 

どこを見ても活気にあふれていて、行き交う人の海は殆ど隙間なく蠢いていた。

身長が150そこらしか無い俺ではすぐに流されてしまいそうになるが、そこは五つの体持ち。

自分で自分を支えるという荒業でキチンと自分の足で移動していく。

 

 

「あ、あれが図書館か……!」

 

 

そうして移動すること数十分。

体感では町の中央へ近づいているつもりだったが、その御蔭なのか大きな図書館へたどり着けた。

デカデカと掲げられた木製の看板には『テーレント大図書館』と書かれており、道行く人々を尊大に見下ろしている。

早速玄関の階段を駆け上がり、開け放たれた大きなドアを潜る。

 

 

「おおぉ……」

 

 

本、本、本!!

 

どこもかしこも大きな本棚が列をなし、その一つ一つに隙間なく本が敷き詰められている。

そのどれに目的の知識があるのか分からないが、ともかく圧倒的なまでの知識の山に感動した。

 

 

「……ようこそ、お嬢さん方。本日はどの様なご用件で?」

 

 

その声の元に視線を向けると、身なりのいい壮年の男性が受付台に立っていた。

身にまとう制服からして、きっとこの図書館の司書なのだろうか?

ならば渡りに船というやつだ。早速この世界の歴史書や法律の本、常識を知るのに役立ちそうな本を訪ねてみる。

 

 

「なるほど、それならばA-21の列にございます。案内は必要でしょうか?」

 

「お願いします」

 

「承知しました。どうぞこちらへ」

 

 

なるべく音を立てないように男の後をついていく。

だってほら、図書館は静かにするものだしね?古事記にもそう書いてある。

この図書館の中央にある長机に座ってる人達だってそうしてる。きっと俺に間違いはない。

 

 

「こちらです。ここでは原則貸し出しは禁止されております。写本用の紙とペンならば受付で販売しておりますので、そちらをご利用ください」

 

「ありがとうございます」

 

「ございます」

 

 

優雅に一礼をして去っていった。

俺もあんな男になりたかったぜ……!

 

 

「む、これは法律の本か」

 

「で、これが歴史書」

 

「地図」

 

「魔法書」

 

「料理本」

 

 

10の手で五つの本を抱え、長机に足を運ぶ。

自己増殖系女子の強みは、五つに増えたマンパワーと共有の思考回路と思考能力である。

同時に五つの物事をこなすことができるというのは非常に素晴らしい。

皆も増殖、しよう!!(オススメ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パサ、パサ、パサ、パサ、パタン。

紙と紙がぶつかり合う乾いた音が微かに響く。

 

五つの本を無事読み終え、とりあえずの情報は得ることができた。

 

 

「元の場所に戻すかぁ」

 

 

この世界はそう複雑なことはなく、精々がこの土地が経験した単純な歴史と、日本とそう変わらない普通の法さえ知っていれば生活に困ることはなさそうだった。

 

というのも、この世界の識字率はそこそこ低く、知識層と呼ばれる人種は全体の三割にも満たない。

だから多少変わった行動をとっても「ああ、世間知らずなんだな」で済ますことができてしまう。

 

あとは、そう。

『魔法』と呼ばれる超常の力と『魔物』という埒外の生命体が居ることさえ把握していれば、なんら問題ない。

………ますますファンタジーの世界のようだ。というかまんまそうだ。

いいねえ、魔法!

俺も使いたいもんだ!!

 

ちなみに魔法を使いたければ『魔導学院』に通う必要があるらしい。そして家柄とコネが必要――はい、詰んだ。もう夢は叶えられないねぇ……!

 

 

「よーし、じゃあ日雇い組合――んん!冒険者ギルドいくか!!」

 

 

申し訳程度に写し取った地図を握りしめて、意気揚々と図書館から飛び出した。

 

 

 

 

その、途中。

わずかに視界に写った路地裏、その隅で、小さく丸まった猫を見つけた。

 

 

――実は、俺は猫が好きだ。

犬も好きだ。

というか哺乳類が好きだ。

だからまぁ、撫でたいって思うよね?

 

けど距離遠いじゃん?

でも撫でたいじゃん?

 

そう思ったら、猫の目の前に『俺』が増えた。

 

 

「えぇ……」

 

 

……意味がわからない。猫さんも驚いて逃げていった。

あっ、ションベン撒き散らしてる……ごめんね……。

 

でもこんなの古事記にも書いてない。

何故増えたのだろうか?

ははは、何?撫でるには俺が必要だったから増えた的な?

まさかそんな――――あ……()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カラン、コロン。

木造のドアを開くと、角に取り付けられたベルが軽快に来客を報せた。

先と変わらず、()()()()で固まって行動し、五人分の名義を使って冒険者登録をすることにした。

この世界の冒険者とは早い話がなんでも屋。よくあるやつだね?

そして等級の話も定番。よくある。

そして身分証明書になる。よくあるよくある!

 

というわけで、登録させてください。

 

 

「えーっと、ウーラソーン様、ですね。では、『根』の等級から始まります。五人でパーティを組むとのことなので『芽』までの依頼を受けることができますが、けっして無茶はしないように。いいですね?」

 

「「「「「はぁい」」」」」

 

 

 

――でも、ねえ。こんな細々とした話は見ていても面白くないだろう?

 

だから、()()()で活動している30人の『俺』の話のほうがまだ見栄えがいいだろ。

 

 

とはいえ、そんな派手な活動じゃないけれど。

 

ただ、街からドンドン遠くへ歩いていって、人手が――『俺』が()()()()()どんどん増やしていって、おそらく人通りの一切ないであろう森の中に拠点を作ろうとしている。

もり、もり……!って感じの擬音がよく似合う森林の只中に到着した。

 

なけなしの金銭を叩いて購入した木槌や鉄釘、伐採斧やのこぎりと言った工具道具を詰め込んだ箱を背からおろし、疲れた身体を椅子に座らせて休みつつ、他の身体でドンドン木を伐り木材へ整形していく。

 

とはいえ経験なんて無いし、ぶっちゃけ見様見真似の日曜大工のようなもの。

 

けれど数の力さえ有れば!どんなに効率が悪くても……問題ないのだぁ!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

駄目でした。(12敗)

 

トンテンカンと自分の指を打ち付けてしまい、いくつかの体がふるふると身悶える。

正直とても痛いが、それはほら、痛みを感じている身体は総数より少ないからセーフ。

 

 

ともあれ、申し訳程度に爆速で工作を進めていく。

ほら、効率最強!

圧倒的マンパワーと連携力!(一人)

 

 

あっ(削りすぎた)。(28敗)

 

 

 

……うん?

 

 

うん。

 

……豆腐建築で、ええか。

 

 

――説明しよう!豆腐建築とは、正四角形の面白みもなにもないただの箱を建築する技法だ!

楽!とっても楽!(美術2)

 

 

 

 

 

 

 

 

多分ギュウギュウ詰めにすれば五十人は寝れるであろう一室――というか、この建物の玄関にしてリビングである空間に、四十人に増量した俺で寝っ転がる。

 

ハッハー!なんかそれっぽい!なんか建物っぽいぞ!!

やっぱ時代はDIYだよねぇ!!

 

えー!店で買う!?店買いが許されるのは、小学生までよねー!!!!

たとえ初心者くそnoob(素人)でも数の力さえあれば問題ないんだぞ!!!

 

 

「くしゅっ」

 

 

……ははは、隙間風が我が身を冷やしおる。

 

 

 

 

四十人でギュウギュウに隙間なく身を寄せ合った。

 

もう、自分で作るのはやめよう……!

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶという。

どうやら俺は愚者だったようだ……(悟り)

 

 

 

 

 

 

 




~完~


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発展

トントン、カンカン、ゴンゴン!!

 

要塞都市にほど近い大きな森――地元住民からは『ラサールのねぐら』*1と呼ばれる土地の奥深く、魔物の生息地であるがゆえに滅多に人の寄り付かない土地ではあるが、それはつまり()()()()()()()()()()()()()にとっては絶好の隠れ蓑でもある。

……隠れ蓑というには少しばかり――いや、大いに目立つ音を掻き鳴らしているがそれはそれ。

彼女にとっては、この森こそが自身の故郷だ。

 

 

「豆腐ハウス完成!」

 

「豆腐ハウス着工!」

 

「「「ヨシ!」」」

 

「「「ご安全に!」」」

 

 

見目麗しい容貌の百人を超える少女達が、皆一様に同じ衣服を身にまとい、同じヘルメットを被ってそれぞれ手に持った工具を振るい家を造る。

同時にいくつもの荷車と建設地を少女たちが行き交い、そこら中で木槌が甲高く悲鳴を上げる。

 

それだけ聞けば「ああ、大工さんなのかな」なんて思って、特に気にすることはないだろう。

しかし、そこに()()()()()姿()であると聞けば思わず耳を疑うはずだ。

次いで笑い飛ばすか、あるいは頭の心配をするか。

けれど事実として、皆全く同じ容姿を持っている。

そして()()()ではなく、正しくは()()なのだ。

その全ての肉体を合わせてこそ、『彼女』。一つの意思によって駆動する一個の生命体だ。

 

 

 

「豆腐ハウス完成!」

 

「豆腐ハウス着工!」

 

「「「ヨシ!」」」

 

「「「ご安全に!」」」

 

 

――ぶちん!

 

新たな家を建築するための木材を降ろそうと縄に手をかけた瞬間。

角材を縛っていた縄が弾け飛び、荷車からガラガラゴロゴロと雪崩のように飛び出した!

 

 

「ああああああああ!!」

 

「あああああ!!ああああああああああ!!!!」

 

「あぶなっ、あぶっ!危ないっつってんだろぉ!?(半ギレ)」

 

 

きゃーきゃーわーわー!

舗装されかけの道を無数の少女と木材が乱舞する。

どうみても危ないし、怪我の心配をする場面だが此処に居るのは『ドジっ子Lv.92』。あまりにも不測の事態に見舞われすぎたせいで、こんな状況からのリカバリーには慣れっこだ。

なんというかギャグシーンっぽいコミカルな動きも相まって、どうしても心配する気が起きないともいう。

 

それに加えこの場で交わされる言葉は全て()()()

心配する人も、心配される人も居ない。

 

……まあ、傍から聞いている分にはなんとも賑やかで微笑ましいものだ。

 

 

ともあれ、恐ろしいほどのスピードでドンドンと粗末――オンボロ――んん!手作り感溢れる暖かな木造の家が建てられていく。

それとは別に、木を伐る集団であったり、道を舗装する集団であったり、はたまた手に職をつけるためにモノ作りの技能の習熟に励む集団がそこら中に散見される。

 

ギィコギィコ、ペタペタ、コッコッコ!

皆一様に口を一文字に固く引き結び、目の前にある仕事を黙々とこなす。

一つの意思で統一されているために恐ろしいほどの効率化がなされている上、人数分の思考速度をそのまんまプラスしていっているおかげでその動作に淀みがない。

今ならRTA走者になっても上位を狙える。

『木工職人人生RTA』とかどうだろう?レギュレーション違反?そう………。

 

 

「仏様の顔を、無心で……」

 

「削って……」

 

「無へ至る……」

 

「あっ、浄化されそう……」

 

 

……ポン!

軽い音を立てて新たに現れた肉体が、気付けに自分の顔をバチンと打ち付ける。

 

ビクン!

と一斉に肩を跳ねさせ、再び目の前の作業に没頭する。

新しい少女も傍に積まれた籠から木材とノミなどの工具を取り出し、座り込んで作業へ没頭し始めた。

 

 

 

――つい一週間前、この世界に到着してからというものの、『アリシア』と名乗ることになった異世界TS転生系の少女はこのように精力的に動き続けている。

食事は殆ど必要ないと分かってから、尚更その作業を熟すことに注力し始めた。

 

 

 

何故か?

 

 

 

「ぐぅ……!!目指せ、後世に名を残す万能の人!!」

 

「あと異世界チートでTUEEEEしたい………!!」

 

「ハーレム作りたい……!!」

 

 

うわぁ……欲深……。

……まあ、全てはこの言葉に集約されている。

彼女は『勝手に自分自身が増える』能力を有している。

それはあったこともない転生の原因か、はたまた衝突してしまったお馬さんの機能なのか。

理由は不明だが、ともあれ異世界特典のようなものだろうか。

それならば自分でコントロールさせて欲しいと切に願う。

 

 

……しかし、ありがちな『身体能力強化』だとか『ステータス把握』だとか、『すごい魔法』とか、そんな即座に役立ちそうなものはない。

いや、数の暴力に頼れる時点でそれらに匹敵するのかもしれないが――ここで思い出してほしい。

 

 

この世界は異世界ファンタジーだ。

 

 

そんな世界で、数ばかりが多い雑兵が一握りの英雄や天を堕とす怪物に勝ることがあっただろうか?

いいや、ない。

あるかもしれないがそうそう無い。

 

国盗り戦なんぞでは役に立つだろうが………これはつまり一般人や雑兵に強く、規格外には弱いという方程式が完成するだけの話なのだ。

 

しかし現代では活躍できそうな人と人の争いなんて途絶えて久しい。

百年前であればこの帝国が諸外国を飲み込んでいく戦に参戦し、武勲で身を立てることもできたろう。

が、今求められているのは国内に点在する強力な『魔物』に対する英雄の力。

人に強いだけの少女はあまり役に立てない。

なんなら労働力としては誰もが喉から手が出るほどに欲しがるだろうが、少女はそんなの求めてない。

 

 

欲しいのは名声っ……!!

富、女っ……!!

それのみよっ……欲しいのはっ……!!

 

 

故に、今は雌伏の時。

技を磨き、富を蓄え、やがて外の世界に飛び出すのだ。

 

曰く、別の大陸では戦乱の世で血の河が出来まくっているという。なんなら三千(無限)に等しく、それこそどこぞのこの世すべての川に我が子が宿る海神(ポセイドン)であろうともドン引きまった無しだろう。

 

 

 

「いったぁ!手を打ち付けたぁ!!」

 

「その痛みがこっちの身体にも響くぅ!!?」

 

「あああああ!!ああああああああ!!!」

 

 

 

少女は、ただ()を磨く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい、依頼達成ですね!お疲れさまでした、こちらが報酬金になります!!」

 

「ありがとうございます」

 

「がとうございます」

 

「がとー」

 

「ー」

 

「」

 

「どうやって発音してるんですか……?」

 

 

チャリチャリと微かに鳴る金の音(天上の福音)に五つの同じ顔に同じ笑みを浮かべ、全く同じ姿勢でお辞儀をして冒険者ギルドの受付を後にする。

板張りの床にコツコツと同音を響かせ、同じ建物内にある酒場へいちごミルクを注文しに向かった。

いやはや、なんとも変わった子達だ。緑髪ヒューマンの受付嬢は幾度目かの息をつく。

本人達の素行は至って良好で、人付き合いの能力もこの業界にしては非常に良い。

同じ容貌で殆ど同じ性格を持つ五つ子と聞いた時は驚いたが、登録してまだ一週間にもかかわらず期待の新人として目されている。

……まあ、これから実力が伸びるのかはまだまだ未知数だが。

 

 

「おっ!嬢ちゃん達じゃねえか!!どうだ、一杯飲んでかねえか!」

 

「まだお昼ですよ先輩」

 

「まずいですよ!」

 

「それに俺達はこれからお買い物に行くので」

 

「ので!」

 

「で!」

 

 

……息が合いすぎているせいか些か不思議な受け答えをする場面もあるが、その見目や人懐っこい性格のおかげで他の冒険者達からも評判がいい。

今は未だ最下級の『根』の冒険者だが、近く『芽』への昇給――果ては、もっともっと上の、それこそ上から二番目の『花』まで行けるかもしれない。

いや、普通ならそう簡単に言えるものではないのだが、どこか”こいつらは大成するんじゃないか”と思えるような雰囲気を感じ取れた。

 

 

「じゃ、またお願いします!」

 

「おう、気をつけてな!」

 

 

先頭の長女、『アリシア・ウーラソーン』はそう言葉を残し、姉妹を引き連れて酒気と喧騒に満ちたギルドを後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

そう。

この街において、彼女達は姉妹という体で通している。

そうすると百人規模の姉妹がこの世に誕生する事になるがそれはそれ。

目立ちやすい特徴を兼ね備えた彼女は多くの人に覚えられやすく、はやくも地域住民との関係を築き始めていた。

 

 

「おー、五つ子ちゃんじゃねえか。今日も串焼き食ってくか?」

 

「さんきゅーおっちゃん」

 

「おやまあ、今日も元気ねえ!リンゴ食べるかい?」

 

「さんきゅーおねえさん!」

 

「ヒッヒッヒ、ポーションいるかい?」

 

「さんきゅーおねえ……さん?」

 

「そこで躊躇するんじゃないよ!」

 

 

この要塞都市のど真ん中を縦断する大通りは今日も多くの人々や出店で賑わっており、三つ子の太陽が揃って中天に座す時刻――つまり、お昼時であることも相まって食事を求める客でごった返している。

 

アリシアは行く先々で食事を口いっぱいに頬張りつつ、目的地の鍛冶屋へ歩みを進めていた。

 

アリシアの新しい肉体は衣服こそ身に纏っているものの、その他の装備品などは自分自身で用意する必要があった。

だからこそ依頼の達成に必要な武器などの装備品はこうして鍛冶屋で購入する必要があるし、森の内部で拠点を作る材料や工具なども五つ子の肉体経由で用意しなくてはならない。

 

 

「マエストロ、依頼の品受け取りに来たぞー」

 

「ぞー」

 

「おう、待ってたぞ」

 

 

無骨な石のカウンターに肘を付く髭面の大男は、背後にある工房へ続くドアへ声を張り上げた。

 

 

「嬢ちゃんたちが来たぞ!!」

 

 

――はーい!

 

ガラガラゴン。

1分と待たず、一人の青年が大きな台車で大量のノミや斧、ノコギリに木槌など、腐るほど大量の工具を運んで来た。

それに加えて、もう一人の女性が5振りの鉄剣と革張りの小盾(バックラー)を両手に乗せて姿を表す。

 

 

「工具セット、40組。ロングソードとバックラー5セット……これで間違いねぇな?」

 

「ん、確認できた。これが代金ね」

 

「ひぃ、ふぅ、みぃ……よし、丁度だな!毎度あり!」

 

 

ありがとよー!

そんな声を背に向け工房を後にし、次の目的地へ向かう。

街ではこの五つ子で過ごしているが、森の内部では今112の肉体が生活している。

どこまでも勝手に増える肉体を収容するために住居の建設を怠ることは出来ず、増えるペースはいくらか落ち始めているとは言ってもまだまだ数が足りていない。

故に道具と、作業中に怪我した肉体を癒やす為の薬も必要だ。

 

 

カランコロン。

ドアベルの涼やかな音を耳で受け止めつつ、薬屋の清潔な空気を肺に溜める。

 

 

「あら、いらっしゃい。今日も開拓村の人達のための薬かしら?」

 

「ええ、そうです。今日は下級ポーションの小瓶を60程……」

 

「分かったわ。ちょっと待っててね」

 

 

軽やかに倉庫へ向かう亜麻色のエプロン姿の女性を見送り、暇潰しに陳列棚を眺めた。

 

基本的にはこのように「開拓村へ送る物資」として品々を購入し、森の拠点へ輸送しそれを元に発展を繰り返す。

勝手に増える肉体は悩ましいが、作業効率や技術取得の鍛錬は驚くほどスムーズに進む。

教本は初日に購入したいくつかの古本しか存在しないが、大量の肉体故の作業量のおかげで技術の取得はどんどん進んでゆく。

 

 

とはいえ、アリシアは基本的に凡人だ。

平々凡々な素質しか持たないし、得意な物があるとしてもそれは「筋がいい」とかそんなレベル。

長じても「そこそこ腕の立つ」だとか、「それなりのベテラン」止まりだろう。

 

けれど、だからといって怠けられる程この世界は優しくない。

――不確かながらも匂い立つソレを、彼女は確かに認識している。

 

 

 

 

 

 

 

カサ、カサ。

木々の隙間を縫うように歩き、背の高い草に足を取られぬ様に足先を伸ばす。

 

アリシアは依頼品の納品(人海戦術)によって得た莫大な報酬金(10枚の金貨)によって得た荷車を引き、他の6個の肉体を待機させている中間地点へ黙々と移動していた。

 

警戒を怠らないよう意識を張り詰めさせ、死角を作らないよう効率的に立ち回る。

この一週間で得た()()は、駆け出し冒険者とは思えない程には洗練されていた。

 

 

――だからといって、戦闘を避けられるわけでもないのだが。

 

 

「――っ。ラサールか」

 

「数は……」

 

「11か。多いな」

 

 

チュウチュウと鳴き声を反響させ、その音を追いかける様に茂みから11の鼠が飛び出してくる。

非常に大きな図体を揺らし、そのげっ歯類らしく大きな前歯をカチカチと打ち鳴らした。

 

 

「先手必勝ぉ!」

 

「はぁ!!」

 

 

腰に帯びた長剣の鞘を後ろへ引き、鞘に走らせ勢い良く抜き付けた。

見様見真似の居合抜き!

未完で無様な練度だが、それでも不意を撃つには十分だ。

 

 

「ヂュ!?」

 

「ヂュ……」

 

「チーン」

 

 

二振りの居合で二つの命を奪い、追い掛けの一撃で重ねて命を消し去った。

 

 

「ヂュう!!」

 

 

しかしまだ剣の腕は未熟な身であるが故に、大振りな鉄剣に体を振り回され体幹を崩してしまう。

 

 

――そして、狡猾なる害獣は大きく揺らぐ肉体に隙を見出した。

一際若く大きな体を持つラサールは体を宙に踊らせる。

目標は不防備に胴体を晒し、一撃の余韻が残る体には十分な力が込められていない。

 

 

……ラサールは、駆け出し冒険者を多く食い荒らして来た害獣であり、猛獣だ。

その大きな体と緻密な連携を取る知性は多くの被害を齎してきた。

 

 

――しかし、忘れてはならない。

 

『アリシア』とは群体であると同時に完結した1個体であり、全ての肉体は連携と言うにも生易しい、想像を超えた()()()()を可能にしている事を。

 

 

「シィ」

 

 

ザン!

 

襲い掛かる鼠を横合いから伸びる鉄剣が迎え撃った。

空を舞い勢いに乗った体は自ら鉄の剣を受け入れるように、僅かな抵抗を残して首を撥ね飛ばす。

 

 

「ヂュ!!」

 

「ヂュウウ!!」

 

「ジ!」

 

 

一つ払い、二つ切り落とし、三つ突き刺す。

 

――戦は、すぐに終局を迎えた。

それもまた当然の結末だろう。

なんせ、集団戦においてはこれ以上なく凄まじい適性を有しているのだ。

 

 

「損傷無し……よし、帰るか」

 

 

剣から血糊を拭い取り、それぞれの腰に佩く。

油断なく周囲に視線を巡らせ、警戒を欠かさず足を動かした。

 

もう少し向こうに移動すれば、巡回ルートに到達できる。

この荷車に載せられた鉄剣の使う主でもある警邏組は、一時間に一回の頻度で見回りを行っていた。

共有された視界にも時々映る目印(奇っ怪な仏像)からしてそう遠い位置ではない事も把握出来た。

 

 

「おっ」

 

「やっと到着か……」

 

「あー、疲れた」

 

 

――話をすればなんとやら。

 

 

6つの視界がそれぞれに少女の像を結ぶ。

巡回ルートに到着してしまえば、もう移動の道なりも終わったも同然だ。

小さく息をついた。

 

数え切れないほど多くの()()()()()が染み付いたこの近隣には魔物でさえも寄り付かない。

ガハハ!勝ったな!

 

 

 

 

――視界が開けた。

 

 

木が伐り倒され、開拓された広場には所狭しと木造の建築物が建ち並び、その隙間を縫うように踏み均された道が這い回る。

 

まるで森の中に生まれた街。

その街並みを多くの少女が行き交っていた。

この街を、更に大きく発展させようと。

発展の果てに願いを抱いて、彼女は生活を送る。

きっと()()の夢が叶う日はそう遠くない筈だ。

 

 

 

 

……ほら、戦は数。数は力。

昔からそういうものだろう?

 

 

 

 

*1
鼠によく似た50cmほどの大きさの魔物




はえー、やっぱ数は正義なんやね


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独り言を喋り続ける先生の声をBGMに書きました……!!
先生のおかげで人類が何故産まれ、そして潜在的ホモが産まれたのか分かった気がします!
サンキュー聖4文字!!!!サンキューブッダ!!!サンキュー空飛ぶスパゲッティ・モンスターの福音書!!!!!!


それから、彼女がこの大陸――『アルーダ大陸』に降り立って一年が経過していた。

世間では帝国統一百年祭の準備が推し進められており、この要塞都市『セイラン』の人々も迫る祭りの熱気に浮足立っている。

堅牢な巨岩から削り出したかのような複層構造の防壁の内側では、数え切れないほど多くの人々の喧騒が反響していた。

 

 

「東の村で採れたリンゴはいかがー!?」

 

「新食感!ラサールのもも串焼きだ!うまいぞぉ!」

 

「エンチャントが掛けられた骨細工はいかがー?」

 

 

石レンガの道路の上を、あっちへフラフラこっちへフラフラ。

五対の足はまるでコウモリのよう。右往左往、コツリコツリと地を踏み付けた。

アリシアは5つの視界を巧みに扱い、気になるアイテムをどんどんとリストアップする作業に勤しんでいる。

 

 

「むう、余り食事は必要ないんだけど、なんだかお腹が減ってきたな……」

 

「しかも全肉体でこれだもん。エンゲル係数がががが」

 

「ギルドで報告ついでに飯食うか……」

 

「あと森での活動用に保存食も買っておこう」

 

「500人の姉妹(自分)を養わなきゃ……!!」

 

 

この一年。

後半は非常にゆっくりとしたペースだったが、その数はおよそ5倍にまで増殖していた。

アリシアは増え続ける自分に少しばかり頭を悩ませていたが、運用費用(ランニングコスト)はそう多くない――それこそ、50人で人一人程度の物資を消費すると考えると500人程度そう難しい話ではなかった。

まあ拠点を拡張するにしても工具や薬剤は必要だし、時たま襲いかかる魔物から自己防衛を図るための武器なんかは仕入れる必要があるのだが。

 

けれど中規模の農村と同等レベルの人口を有するにしては、比べるには烏滸がましい程の費用対効果。

最初は開拓村(隠れ蓑)だったのが今では開拓村(ガチ勢)である。

開拓村のメイン名産品の薬草と奇っ怪な仏像は大人気。もう既に冒険者稼業なんて顔繋ぎだけで十分なレベルだ。

 

もう所持金だけで大抵の一般人にマウントを取れるぞ!!

 

最初の頃の採取依頼を森の肉体総動員で熟していた頃が懐かしい……。アリシアとしては昔は昔で……そう、あの不便な感じが趣深くて中々良いとも感じられた。

今は生活基盤がほぼ完全に整っているおかげでかつてのような手間は必要なくなったが、どこか味気なさをも覚えてしまう。

 

そんな森の内部では増え続ける肉体と共に木工や建築業などのスキルを程良く鍛えられ、新たに写本などで金銭を稼ぎ始めている。

何をするにも金、金、金(この世の理)

まずは金がなくては何も始まらぬと、彼女は効率を重視して動き続けていた。

 

無論その効率を求める姿勢は冒険者としても発揮されており、今では等級を二つ格上げされ『幹』と呼ばれる中堅どころ一歩手前。

が、ぶっちゃけ戦闘能力そのものはあまり高くないので単純な魔物討伐は少しばかり下手っぴだ……しかし肉体運用技術のみの一点で他の粗をカバーし、結果的に言えばこの等級でも頭一つ飛び出た能力を有する。

 

つまりアリシアは多分強い!……はず。

 

 

 

「おし、この依頼を受ける!受付頼むわ!」

 

「かしこまりました。こちらの書類にサインを――」

 

「エールお待ち!」

 

「それでアイツはよ、なんて言ったと思う?」

 

 

ザワザワザワ。

アリシアがギルドのドアを潜った瞬間、多様な種族の多くの人々の喧騒に包まれた。

祭り気分はここまで浸透しているのか、どうも皆浮き足立ったように思える。

とりあえずそれっぽくカウンターに腰掛けた。

 

 

「マスター、いつもの」

 

「はいよ、いちごミルクね」

 

「おおー、これこれ……ってちゃうわ!俺達はエールを飲みに来たの!!」

 

「そうは言っても嬢ちゃん達。お前さん達は飲める程体が育ってねえだろ……」

 

「「「「「誰が貧乳じゃボケェ!!!」」」」」

 

「そこまでは言ってねえよ!?」

 

 

アリシアは激怒した。

アリシアには女心がわからぬ。

しかし、自身の身体的特徴に対する嘲りには人一倍敏感であった。

 

怒りのままにカップをグイッと煽り、いちごミルクを胃に流し込む。

 

 

「はぁー、ほんま使えんわ……はぁー」

 

「やめたら?この仕事」

 

「俺達だってこのギルドに中々貢献してんのにさ、ねぇ。この仕打ちですよ」

 

「はー!ほんま!はぁー!」

 

「詫びろ」

 

「すまんて。ほら、エール奢るから」

 

 

やったぜ。

木のテーブルにズラリと並んだ5つのエールを手に取り、グビリと一口。

 

あぁ^~!気持ちいい!

仕事するつもりでギルドに来たのに何故か酒飲んでるぅ^~!

 

何故こうなったのかアリシアには分からなかった。

分からなかったけどとにかく気持ちいいのでとりあえずオッケーです!!

 

 

「うわ、チョロ……っ」

 

 

マスターが小さく漏らした声も、エールで気持ちよくなっているアリシアの耳には届かなかった。

 

彼は運がいい。

いつだってそうだ。

ギャンブルに向かっては金を稼ぎ、遠出すると毎回間一髪で危機を回避し、妻に隠れてへそくりを隠すと絶対に見つからない。

今回もバレたらただでは済まなかったろう(執拗な噛みつき)

エールを事前に奢っていたことが功を奏した。

 

 

「んお?おお、ウーラソーン姉妹!いまマスターがチョロいってよ!!ガハハ!!」

 

「「「「「きれそう」」」」」

 

 

でも二度目の判定は失敗しちゃいましたね……。

 

 

――それから数時間。

 

 

マスターの五体にしがみつく姉妹の姿が見受けられた。仕事の邪魔?ほら、マスターはお飾りで本体の調理員は彼の奥さんだから……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ラサールの森の奥地。

 

実は最近、増殖のコントロールができるように成った――と言えれば嬉しかったのだが、未だにそれは叶っていない。

しかし申し訳程度になされた検証により、『アリシア』が多くいる場所に新たな肉体が増えると分かった。

それからというもののできる限り拠点内に多くの肉体を滞在させ、いそいそと木工や写本、料理に戦闘訓練など、増殖の方向性を制限しようと努力している。

 

そんな、文字通り『アリシア』の”心臓”とも言える拠点を守るため、日夜問わず多くの肉体を警備に当てていた。

 

 

「うん?なんだ、この木……」

 

「……爪痕、か?」

 

 

さて、そのアリシアの拠点から程近い巡回ルートの一つで、3体の警邏班が集まっているのはとある木の周辺。

彼女は簡素な革鎧とバックラー、鉄剣で武装して、決して警戒を怠ること無く()()()()が残る若木の幹を検分していた。

 

彼女は常時50体から70体が見回りを行っているが、その内の一組だろうか。

 

数に限りがある為に隙間なく、死角なくとは言えないのが辛い所。だから未だ見つけていない脅威があっても不思議じゃない。

もう少し人数を割くべきか?アリシアとしては、なんとなくそうしたほうが良い気がしてきた。

 

しかしその人数を割くということは労働力が減少することと直結するが……身の安全のためを思えば致し方なし……か?

 

 

頭を悩ませながらも、若木の近辺に落ちていた一房の灰色の毛を手にとった。

 

 

「こりゃ……ラサールじゃないな」

 

「けどこの近辺の魔物は小さいやつしかいない……」

 

「他の獣なんていない筈だ」

 

 

アリシアが巡回しているうちに踏み均された獣道には人間の匂いが染み付いており、この付近まで生物が近づくこと自体が稀だ。

 

拡張に拡張を重ねた拠点は凡そ1キロメートル四方に広がり、その文明の匂いから逃げる様に皆逃げ去っていった。

 

 

……その筈、だった。

 

 

 

「…………拠点の防備を固めるか」

 

「巡回ルート上にいる体で調査を――」

 

 

ガサガサガサ!!

 

 

背後にある茂みが蠢く。

大きな体が葉に擦れたのか、小さな緑を撒き散らすナニカが飛び出した。

 

 

「――はぁ!」

 

 

ギリ。

 

飛び出したナニカの最も近くにいる個体が、鞘を抑え剣を抜き付ける。

居合の要領で放たれた剣戟が宙を裂き、空を泳ぐソレに迫った。

 

 

「ルルルゥ!!」

 

 

パキィン!

 

 

「……は?」

 

 

硬質な音が木々の隙間を貫いた。

キラキラと銀色の破片が宙を舞う。

 

腑抜けた声と同じ色の眼を下ろす。

 

 

――折れた剣と、牙を剥いた灰色の狼が懐にある。

 

 

ガパァ、と。

その狼は大きな体に見合った口を開いた。

 

 

「シィ!!」

 

「死ねェ!!」

 

 

二条の鉛色が狼目掛けて飛び込んだ。

それは何ら不自然のない自己防衛。

最高の効率と最速の連携でもって行動を重ね、少なくとも接敵から今までの経緯に何ら間違いはなく、文字通り最善と言っても良いだろう。

 

 

――しかし、それでは不足である。

 

 

異世界の洗礼は容赦なく牙を剥く。

 

 

「あぇ?」

 

 

グチュリ。

 

水が滴る。

トン、と軽い音と共に飛び跳ね、狼は一足で10メートルもの距離を離した。

 

その口には、鮮やかな赤が溢れている。

 

 

「なん、だと……!」

 

 

食われた。

俺が食われた……!

 

四肢の末端から震えが走る。

 

 

――アリシアにとって、これが初めての負傷だ。

 

 

常に安全マージンを取り続け、負傷らしい負傷を徹底的に避けた故に痛みに耐性がない。

 

だって恐ろしい。

怖い。

存在すら嫌だ。

 

平穏な生活に慣れきった俺の魂にとって、苦しみこそが耐えられない恐怖の象徴。

 

 

……竦む足を押さえ付け、自身の総体を蹂躙するであろう痛みに―――じっと備える。

 

 

「…………あれ」

 

 

……しかし、想定していた苦しみは一向にやって来ない。

 

 

そこでアリシアは疑問に思った。

 

 

やつの口には俺の肉が詰まっている。

俺が食われた、筈なのに。

 

 

「なんで、痛くないんだ?」

 

 

――嫌な予感が脳裏を過る。

 

その直感のままにサッと振り返った。

 

 

ゼヒュッ。コヒュッ。

血を吐く出すように息を振り絞り、上体を木の幹に預けながら必死に呼吸を繰り返す()()の姿が――――

 

 

 

 

 

 

―――こいつ、誰だ?

 

 

血の気が引いた。

2つの顔が同時に青ざめ、少し離れた場所で此方の様子を窺う狼の存在さえ忘れて()()に走り寄る。

 

 

「あ……ぁ……!」

 

 

腹部がごっそりと抉れ、テラテラと光る臓物が顔を覗かせている。

……どう贔屓目に見ても、致命傷だ。

 

そして同時に確信を得た。

 

 

 

()()()()()()()()()()()()

 

 

「やっぱり……俺じゃ、ない?」

 

「どういう事だ……?」

 

 

その肉体は、アリシアの制御を外れていた。

あるはずの視界は閉ざされていて、伝わる筈の五感は何も無い。

 

……云うなれば、右腕のみが自分から切り離され勝手に動いているかのような異常事態。

 

 

「ど、どうしたら……」

 

「――う、うし……ろ!」

 

 

()()の口から悲鳴じみた警告が飛び出す。

 

 

反射だった。

 

アリシアは一つの視界をもって()を視認し、片割れの腰から抜き取った鉄剣を両手に構え、二対の視界で得た立体的な距離感を脳に叩き込む。

 

 

――ギシリ!

 

 

体を弓なりに反らす。

体幹をバネのように活かし、一瞬の内に超高密度の力を筋繊維に注ぎ込んだ。

 

 

ドン、と。

強く踏み込んだ右足の力を腰に伝え、肩に回し、腕へ繋いだ。

両手から放たれた銀閃は凄まじい速度でもって狼へ迫る。

 

 

臓腑を貫き、水風船のように弾けた血潮が森を濡らした。

 

されど魔物が魔物たる所以――まるで”死なず”が如き生命力を発揮し、弾けた腹部に構わず迫りくる。

 

 

「ふ――!」

 

 

剣を生やしたまま高速で駆ける狼に、アリシア自身から走り寄る。

戦の才はなく、身体能力も高くない。

けれど()()()()という一点のみで他の魑魅魍魎に迫る特異性がある――!!

 

 

ガシリ、と狼の首元にある柄を二対の手で掴み取る。

 

 

「ガアァァ!!」

 

「「いい加減に――くたばれ!」」

 

 

ザン!

体の内部から強引に引き裂き、返しの太刀で首を撥ねる。

 

 

飛び跳ねた首は小さく唸り声を響かせ――そうして漸く、その命を消し去った。

 

 

「ふっ……ふ……」

 

「……はぁ……ふっ……よし。そうだ、アイツは……!?」

 

 

振り向く。

相変わらず木に背を預け、アリシアから独立した自意識を有するであろう少女が血を流していた。

 

 

少女は、か細く呼気を吐いている。

アリシアが直ぐ側に膝を付くと、瞼を震わせ、赤い瞳を幽かに揺らした。

 

 

「もう、これじゃ……」

 

 

少女は死にかけだった。

そして、もうすぐ死ぬだろう。

 

人を看取る経験も、自分から死にかける経験もないアリシアでもそれが分かった。

きっと、彼女は長くない。

 

『アリシア』という総体から剥がれ落ちた彼女は、今この瞬間にも生の灯火を燃やし尽くす。

 

 

「あっ……あ……!」

 

 

震える手が、宙を泳ぐ。

何かを探すように、何かを求めるように。

 

 

――静かに手を取る。

 

 

二対の手で、しっかりと包み込んだ。

 

 

「あ、あぁ………ありが……と………」

 

 

息を吐く。

小さく、小さく。

 

 

そして、21g()の重さを吐き出して、今この瞬間に産まれた少女は、微かな生を抱きしめて死んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……まさか、こんな事が……」

 

 

酒場のカウンターでか細い声が響く。

しかし同じ建物にあるギルドや集会所から届く大きな喧騒に飲み込まれ、誰にも聞かれず消えていった。

 

今起きた出来事はアリシアに大きな衝撃を与えた。

森の中で産まれ、そして死んだ名もなき少女。

彼女という存在そのものがアリシアの心中に暗い影を落とす。

 

これまでは努めて考えないようにしていた()()()()の構造。一体己とは何なのか?

 

 

――一抹の不快感が胸に突き刺さった。

 

 

 

「うん?なんだぁ、随分と騒がしいじゃねえか」

 

「――あ、あぁ……そうだな、ちょっと見てくるよ」

 

 

マスターの声を口実に、机の上に硬貨を置いてギルドの方へ足を向ける。

板張りの床が段差なく続く先で、いつもの緑髪の受付嬢が声を張り上げていた。

早速彼女を中心に広がる輪の端に加わり話に耳を傾けた。

 

 

「―――繰り返します!!ラサールの森の表層部分で『リジェーボ(灰色狼)』の群れを確認しました!!恐らく他の土地から移住してきた群れと思われます!単体危険度は『3』、群体危険度は『6』!!生態系に対する影響を考え、早期の討伐を依頼致します!!『幹』等級以上の冒険者の方は会議室への集合をお願いします!!!」

 

 

――気付けば、五対の瞳、五対の足を自然と建物の奥に向けていた。

 

 

この建物は非常に大きく、いくつもの設備を兼ね備えている。

それは酒場であったり、パーティー用の小型会議室であったり――今、集合場所に指定された百人程度は収容できる大会議室である。

 

生態系に対する影響を考えて、早期にあの畜生共を駆逐する必要があると言った。

その為に冒険者を集めていると言った。

 

 

 

……けれど、アリシアにとってそれらはどうでも良かった。

ただ、胸の内に澱んだドロドロとした感情さえ処理できれば、なんでも。

 

 

 

 

 

 

 

 



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転落

先生の授業を流し聞きながら執筆しました……!!(´;ω;`)
壁に語りかけてまったく生徒のことを気にしないおまんが悪いんだからな!!!(´;ω;`)
もうすぐ就職しておさらばだから許せよ!!!(´;ω;`)


カチャリ。

少し古びた、所々の細工に綻びが見える鉄剣を右手に携えた。

アリシアはそれぞれの剣を軽く点検し、少なくとも今回の作戦中は問題ないと自答する。

彼女としてはそろそろ買い替えたい頃合い。だが森の拠点にある肉体用の装備品なんかの方に金銭を優先しているため、少なくとももうしばらくはこの装備品と付き合う事になる。口から溢れるため息を抑えきれなかった。

 

 

「よっ」

 

 

ギュッとベルトを引き締める。

五対の腕にそれぞれバックラーを固定し、警戒を厳かに森の外周へ足を踏み入れた。

 

 

「……よしっ。それでは只今より”掃討作戦”を開始いたします!!皆さんはそれぞれ事前に割り振られた区域に向かってください!!討伐証明は右耳となります!お忘れなきように採取してくださいね!!」

 

 

態々こんな場所までご苦労なことだ。

受付嬢というのは現場にまで出張ることが必要なのだろうか?彼女の労働環境に憂いを抱かざるを得ない。

アリシアの目には彼女が社畜に見えてしまう。同類かな?

 

ともあれ、先の要請に応じた91人の冒険者はそれぞれのパーティーと共に、はたまたお一人様であれば即席パーティーを組んで速やかに森の内部へ体を滑り込ませた。

 

今回は半強制のギルド発行依頼であるため、バックアップは万全で報酬金もとてもうまみが強い。彼らが喜び勇んで飛び込む事も頷ける。

 

 

「……ふぅ」

 

 

アリシアも遅れないよう行動を始める。

彼女に割り振られた区域はこの森の中でも特に奥深く。

それは彼女の連携能力(実際は一人)がセイランに居る冒険者の中でも堂々のトップと目されていることが理由であり、それはつまり特に多く遭遇するだろう危険は掛けられている期待と同等の重さでもある。

 

 

「よし、ご安全に……」

 

 

……その期待、平時であればアリシアとて考えなしに喜べたであろう。

それはつまりこれまでの頑張りが認められたということであり、野望に対する道のりをまた一歩踏み出せたことの証明だからだ。

 

 

――しかし、ああ。

 

 

不快感はこびりついて離れない。 

ドロドロと蠢くナニカを忘れ去る事ができない。

喜ばしい事を喜べない。

 

つい先程の出来事が。

あの少女の息絶える姿が、瞼の裏側にいつまでも焼き付いている。

 

 

「――クソッ」

 

 

バサバサと枝葉を揺らし、ズンズンと森の奥深くへ向けて歩みを進める。

悩んだところでどうしようもないとは分かってる。

それでも――ああ、イライラする!

 

 

「ルルル……!」

 

 

唸り声が反響する。

 

 

森へ足を踏み入れてそう時間は経っておらず、まだまだ担当区域は程遠い。

 

にも関わらず畜生が四方より飛び出し、アリシアを取り囲んだ。

その数20。

唐突に現れたそれらに思わず鼻白む。

 

 

……けれど、と。

 

 

これは好都合でもある。

空から降り注ぐ木漏れ日の影で、鬱屈とした笑みを浮かべた。

 

 

これは八つ当たりだ。

彼女を殺した獣はもう既に居らず、正しく復讐は成されている。

それでもたった一つの命で精算などできない。

命は等価ではないのだから。

だから―――

 

 

「死ね」

 

 

五条の鈍色が疾走する。

5つの右腕左腕を駆使し、非才の剣に血を吸わせようと殺意を顕にした。

傷だらけの切っ先が宙を削り裂き、全くの同時に斬撃を放つ。

 

 

「ガアァア!!!」

 

 

――されど大人しく斬られるなどありえぬ。

 

 

そう云わんばかりに狼が吠える。

 

腹の底を叩くように図太い音が森の静寂を切り裂いた。

一際大きな個体であり、おそらくこのグループのリーダー格なのだろう。他を鼓舞するその一声に呼応し、狼達が取るはより効率的な連携行動。

 

5匹の狼がそれぞれのアリシアの肉体へ向け飛び掛かり、それを10の狼が補佐するように伴走した。

 

 

「ふぅ……!!」

 

 

ザシュ!!

 

三つの首が空を泳ぐ。

開戦の号砲たる斬撃を迎え撃った先鋒は無念にも命を散らし――しかしその背後より、その死を無駄にせぬようにと続々と現れる狼が牙を剥いた。

 

 

「つ!!」

 

 

躱された二条は宙を引き裂き、大ぶりに振った剣に体を持っていかれたように隙を晒す。

 

アリシアの背後。

体制を崩した彼女に機を見出し、我こそが喰い破らんと一匹の狼が輪より飛び出す。

 

 

「ガァ――!?」

 

 

ザン!!

 

また一つ、首が飛ぶ。

大きく前のめりになった器の隙を埋めるため、体制を崩した瞬間に放たれた投げナイフで狼の首に致命の一撃(クリティカル)!!

 

また一つ命を散らした狼達は、しかし狼狽えることはなく再び攻勢に出る。

 

タッ、タッ、タッ!

 

小刻みにステップを踏み、間合いとタイミングを掴めないよう猿知恵を振り絞った。

 

 

「無駄」

 

「無意味」

 

「無謀」

 

「無情」

 

「無益」

 

 

ドン!!

地が割れんばかりの踏み込みの音が四方で鳴り響く。 

狼達は、魔物としての常識外れな筋力で以て勝負に出た。

 

 

シャラン。

鉄剣が銀光を煌めかせ、同時ではなく連撃として斬撃を放つ。

 

 

「ギャン!?」

 

「ギイ!!」

 

「ガア!?」

 

 

隙間なく、呼気の合間さえ生み出さず僅かな隙を喰い破る連撃。

これは彼女の有する能力から導き出された最適解。

それはつまり、一切の隙を無くす程に徹底的に効率化をなされた戦運びだ。

 

二振り、アリシアが剣を振るい首が飛ぶ。

同胞が撒き散らした血潮を顔に受け、しかし生まれるだろう隙を突くために狼達は口腔を開いた。

 

 

――しかし、無駄。

 

 

「シャァ!!」

 

 

ガラ空きの脇の下。

隙間を縫うように投擲された投げナイフ。

それはひたすらに鋭く、竜は殺せず、人の鎧を貫けずとも狼の命を奪うには事足りる。

 

 

「ガルルル……!」

 

 

一つ首を撥ね飛ばす。二つ眼窩を刳り抜く。三つ心臓を串刺しに。

脇の下、首の横、股の間さえも道としナイフが宙を飛び回る。

 

それを10や20繰り返す頃には、自分の血で化粧を施した麗しい狼達が木の根すら見えぬ程に埋め尽くしていた。

 

 

「ルルゥ……!!」

 

 

最期に残ったリーダー格の狼は憎々しげに喉を鳴らす。

 

事ここに至ってはもはや打つ手なしと理解しているのか、覇気はなく。

 

――それでも、と。狼は、後ろ足に力を込めた。

 

 

「じゃあ、死ね」

 

 

それから。

たった一匹の狼がその首を落とすのに、そう時間は掛からなかった。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

首を落とす。

 

首を落とす。

 

首を落とす。

 

首を落とす。

 

首を落とす。

 

首を落とす。

 

首を落とす。

 

首を落とす。

 

首を落とす。

 

首を落とす。

 

首を落とす。

 

首を落とす。

 

首を落とす。

 

首を落とす。

 

首を落とす。

 

首を落とす。

 

首を落とす。

 

 

 

担当区域に辿り着くまで、そして辿り着いた後になってもやる事は変わらない。

 

 

ただ殺す。

 

 

胸の内に澱んだモヤモヤを晴らすために、血で洗い流そうと剣を振るった。

 

拠点からも50ほど肉体を工面し、殺意の赴くままに徹底的に流血を強いる。

 

 

殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して―――――。

 

 

 

その数が200を超えた頃に、ようやく現状がおかしいことに気付いた。

 

 

――あまりにも多過ぎる。

 

 

この数は一つの区域に生息する魔物としては型破り。

本来同じ種族であろうとも群れの数にも限りがある(統率力の限界)筈。

 

アリシアの背筋に、じっとりとした冷たい汗が流れた。

これはもはや自分やセイランの人々の手に負えない事態ではないのか?

 

 

 

――何か、熱に浮かされたようなチリチリと焦げ付く感覚が首筋に張り付く。

 

 

 

何かが。

どうしようもないような何かが胸の内で蠢いている。

 

 

「あ、アリシアさん!!ここに居ましたか!!」

 

「あなたは確か……隣の区域の」

 

「ええ、《大岩》のレースです!!他のパーティーの方は……!?」

 

「ああ、大丈夫。少し離れた場所にいるだけだ」

 

 

区域の外周を巡回し狼を殺していた二体組の器で、相対する黒髪の少女の要件を聞き出した。

態々別区域に来るなんて、一体何が――

 

 

「セイランが襲撃されているそうです!!私達も早く戻って加勢しないと………!!」

 

 

ヒリヒリ焦げ付く首筋が、今度は凍りついた様に冷たく感じられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……遅かった、のか?」

 

「嘘だろ……!」

 

「そ、そんな……」

 

「嘘よ、嘘……こんなの……あぁ、夢でしょ?」

 

 

アリシアは呆然と膝をついた。

五対の視界は当然のように機能し、遠方にある惨劇を不足なく認識する。

 

 

――間に合わなかった。

 

――間に合わなかった。

 

――間に合わなかった。

 

 

脳内で自分の声が反響する。

 

 

森内部に住み着いた魔物討滅作戦を即座に中断し、行きの道よりもさらに急いで帰還して――それでもアリシア達は間に合わなかった。

 

大きな防壁から更に離れた茂みの影。

鈍い思考回路のままでも染み付いた癖を忘れず、自分達の安全を確保した上で都市の方向を覗き見た。

 

そこには数え切れない程大量の狼達が我が物顔で闊歩している。

 

門の付近では鎧を身に纏った男達が赤い河を作って――そして、その肉をもって獣達の空腹を癒やしていた。

 

一目見るだけでも千に迫るであろう数の獣が防壁周辺に屯しており、開かれた門の内側では――ああ、一体どれだけの数が蠢いて、そして人を喰らっているのか………考えたくもない。

 

 

「どうすんだ、これ……」

 

 

五つ子の隣で呆然と立ち尽くす大男はぼんやりと呟いた。

それはみなの総意でもある。

……現実を、受け止めきれないのだ。

自分達の帰る先が魔物の手に落ちたなど。大切な誰かが食われてしまったなど。

 

 

「……と、ともかく……冒険者、ギルドに……!」

 

「……ギルドがあるような街はこっから遠い……少なくとも3日……馬がなけりゃあ6日はかかるぞ」

 

「それよりも付近の村に身を寄せたほうがいいんじねえか……?」

 

「あんな奴等がセイランを落としてんだぞ?近くの村は無事なのか?」

 

 

ポツリポツリ。

小さく相談の言葉を重ねるが、それによって一層暗い未来が顔を覗かせた。

 

ここから6日も掛けて移動するには装備も物資もなく、無理行軍をするにも何人もの脱落者を出す茨の道。

そして近くの村――西の開拓村や南の農村を目指すにしてもそこが無事である保証はない。

いや、むしろこの規模の群れ――否、軍団なのだ。そのあまりにも多すぎる腹を癒やすために周囲の生物を――それこそ村々まで根こそぎ食らったとしてもおかしくない。

下手を打てばノコノコと狼の巣に乗り込むような事になる。

 

……だが、少なくともアリシア個人にしてみると現状はまだ最悪という訳でもない。

今現在、森の拠点はこれまでと同じ生活を送れており、少なくとも狼による襲撃は未だ無い。

それどころか存在さえもこの依頼によって気付いたほどなのだから。

彼等が姿を表さぬは人の匂いを感じ取ったからなのか――いや、そうであればセイランが墜ちた理由が分からない。

ともかく、己には食われぬだけのナニカがある……らしい。少なくともクモ糸よりは太い救いだろう。

 

 

「お、おい……アレ……!」

 

 

何かに気付いたのか、大男がわなわなと震える指先でいずこかを指し示す。

 

――そこで、大きな大きな――それこそ、巨人が如き体躯を誇る白い人狼が大地を踏み締めていた。

 

 

「何、あれ……あんなの知らない……!!」

 

 

緑髪の受付嬢は肩を震わせながら恐怖の眼差しを向ける。

前代未聞の事態にいよいよ処理能力を越えたのか、みな一様に黙り込んでしまった。

 

 

「……………」

 

 

アリシアは沈黙の中思考を回す。

自分の拠点は未だ安全だが、いつあの人狼達が牙を剥くのか分からない。

故に防備を固めるのは確定だが――はたして、それ以外に何をするべきなのか。

この先千の肉体が増えようとも二月程度は万全に稼働できるだけの蓄えがあり、今からでも自給自足の為に畑を作りでもすれば問題ないだろう。異世界に広く普及した芋は過酷な土地に有ろうとも豊穣を約束してくれている。

 

 

ならば――――ああ、言葉を濁さずに言おう。

 

 

アリシアは悩んでいる。

彼らを、拠点に迎え入れるか否か。

 

路頭に迷い、帰るべく場所を失ってしまった人々を救うのか。

 

そして、己の異常性を晒すのか?

 

 

「……………っ」

 

 

現代日本で培った論理感は糾弾する。

 

救えるのに救わないのか?

なんて愚か。許されぬ、と。

 

 

けれど、アリシアの心は悲痛に叫ぶ。

 

拒絶されたらどうする?恐怖の視線を向けられたら、罵られたら、石を投げつけられたなら?

……とてもではないが、弱々しい心が耐えきれるとは思えない。

 

そうなってしまえば、もう立ち直れない。

 

 

どうする?

 

どうする?

 

どうする?

 

どうする?

 

どうする?

 

 

カラカラと空転する思考は自分自身に問い掛ける。

左を見れば、悲しみのあまりぽろぽろと涙を流す黒髪の少女が蹲っていた。

右を向くと、苛立ちのままに地面の草を殴りつける大男がいた。

 

……前方には、目に光を宿す青年がいた。

 

 

「……よし、俺は……西の開拓村を目指す」

 

「……そう、か。そうだな……ああ、俺もそうしよう」

 

「私は、私は……うん。一つの村に詰めかけてもキャパシティオーバーになるわね。私は南の農村を目指すわ」

 

「……私、開拓村で馬を借りてギルドへ向かいます。まずは報告をしないと……」

 

 

彼らは強かった。

目一杯悲しんで、嘆いて、そしてすべてを吐き出したらまた立ち上がる。

とても強かった。

 

 

――俺とは違って。

 

 

アリシアは胸にポッカリと穴が空いたような寒さに震える。

 

一年という短い期間であれど、仲の良い人間は沢山いた。

 

 

酒場のマスターはよくエールやいちごミルクを奢ってくれた。恐ろしい凶相とは裏腹に優しい男だった。

 

出店のおじさんは美味しい串焼きを作ってくれた。向上心を忘れず工夫を凝らす彼の飯は旨かった。

 

よくりんごをくれたおばちゃんは優しかった。

まるで伯母のように俺を可愛がってくれた。忘れかけていた母の香りを思い出す。

 

ポーション売りの老婆は意地が悪かったが、同時にとても暖かかった。

何かに付けてアリシアを――ウーラソーン姉妹を心配してくれて。

彼女がくれる蜂蜜ジュースはとっても甘い。

 

……もう、味わえない。

 

 

彼らは死んだ。

間違いなく、死んだ。

 

 

――俺は。俺には。その死をすぐに消化し切ることなんて、できっこない。

 

 

それが現代に生きた彼女と異世界に産まれた彼らの決定的な違いだ。

 

 

「……よし、南を目指す連中とはお別れだな。気を付けろよ……また会おう」

 

「おう、またな!」

 

 

みな、目的を持って移動を開始した。

アリシアは、己が選択しなかったが故に彼等が歩む事になった茨の道から目を逸らし、自分の拠点へ帰る足を動かした。

 

テクテク、テクテク。

人目を盗む用に、誰にも見られぬままにその場を後にする。

 

その様はまるで、前を進む彼らとその場に踏みとどまる事しか出来ない愚か者の対比のようだ。

 

 

 

アリシアの胸の奥底。ドロドロとしたナニカは更に澱み、どうしようもなく心が痛む。

どろどろ、ぐつぐつ。

 

 

「ああ、ほんと」

 

 

俺は、どこまでいっても()なんだなあ……。

 

 

 

 




<TIPS>

「老婆の蜂蜜ジュース」

要塞都市でポーションを売っている老婆が作った、特製の蜂蜜ジュース。
南の農村で取れた蜂蜜に手間を掛け、病弱だった孫に飲ませるために手ずから作った。
とても甘く、栄養豊富。老婆の愛が詰まっている。

でも、振る舞いたかった相手はもうどこにも居ない。


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貶めろ


あかん、放って置くとワイの手がどんどんと主人公くんちゃんの目を濁らせていく……!!(´;ω;`)
きゃっきゃうふふ、ほわほわきらきらー。って感じで書きたかったのに……!!(´;ω;`)


敵を探す。

 

首を落とす。

 

血肉を喰らう。

 

敵を探す。

 

首を落とす。

 

血肉を喰らう。

 

敵を探す。

 

首を落とす。

 

血肉を喰らう。

 

敵を探す。

 

首を落とす。

 

血肉を喰らう。

 

敵を探す。

 

首を落とす。

 

血肉を喰らう。

 

敵を探す。

 

首を落とす。

 

血肉を喰らう。

 

 

 

森の内部から這い出る千の軍勢。

彼女達――否、”彼女”は幾度目かも分からぬ掃討作戦を開始した。

 

幾度となくセイランに住み着く獣を駆逐しようと攻め入り、しかし今日になるまでその物量に阻まれ叶わなかった。

 

――しかし今日こそは。

――明日こそは。

 

何度もそう思い、少しずつ少しずつ、繰り返し侵攻してきた。

そしてそれと同じ数だけ負けを重ね逃げ延びた。

 

 

だが、ああ。敗北の苦汁はもう飽きた。

今日こそ、勝つ。

 

 

アリシアは必勝を期し、千に届く数の肉体を動員した。これで終える――その決意の表れだ。

みな一様に粗末な石剣や鉄剣を両の手に構え、大地を踏み鳴らし、遠方の巨大な石壁を目指し行軍する。

森を抜け、草原を踏み荒らし、穀物地帯を走り抜け――そして、魔物()達に相見えた。

 

 

「殺す」

 

 

純黒の殺意がドロリと湧き出る。

その感情の元は大それたものではなく、大義もない。ただドロドロと降り積もった胸の内を晴らしたいがための八つ当たり。

この行軍とてそれの延長線上のもの。

己がやる意味はないし、その必要もない。

 

 

――けれど、疼くのだ。

 

 

殺意が、害意が、悪意が。

奴等を徹底的に貶めよと、声高らかに絶叫する。

そこに大義がない?意味はない?放っておいてもギルドがなんとかする?

 

いいや、どうでもいい。

俺がそうしたい。それで十分だ。それだけが全てだ。

 

 

アリシアは、己の心が赴くままに千の刃を宙に泳がせた。

 

必殺の決意を以て、滅びを迎えたセイラン――魔物の根城へ攻め入り、無数の狼達を屠殺する。

 

 

――ザクリ、ザン!ぐちゅり。

 

 

 

……あの日から時間の感覚はひどく曖昧だ。

 

いつに何があって、どんなことを成したのか。

熱に浮かされた様に覚束ない思考回路は、外部からあるはずの入力の一切を受け付けられずにいた。

 

アリシアは定まらぬ自我のまま、最後に抱いた情動を原動力に動き続けている。

 

 

貶めたい。この感情の大本とは、きっとそこに”因”が存在する。

 

 

あの畜生共がいたから滅んだ。

あの畜生共のせいで彼らは死んだ。

 

 

だから、そう。

俺が奴等に対して報いを与えねばならない。

因果応報、己が行いは己に帰る。この世とは即ち鏡也。

 

だから死ね。

とにかく死ね。

殺して殺して殺して、その血潮の一切を俺が喰らう。

そして、それを以て奴等の同胞を殺し尽くす。

ほら、効率的だろう?

 

 

「――そうだ、もっと」

 

「もっと増えろ」

 

「もっと」

 

「もっと」

 

「魔物を殺すために」

 

「人を生かすために」

 

「思い出のために」

 

「もっと」

 

「もっと」

 

「増えろ」

 

「――地を埋め尽くすほどに」

 

 

ピキリ。

虚空に微かな亀裂が走る。

 

アリシアを起点とした半径5キロメートル。

未だ錯乱し続ける彼女はそれに気付けない。気付かない。その必要もない。

 

 

ガリガリガリ!

何かを削るような音と共に、『アリシア』の器がどんどん拡がる。

 

アリシアは自身に起きている変容にもちらりと視線を向けただけで、再び剣を振るい始めた。

 

アリシアの器が寄り集まった軍勢の端、そこでまた新たな器が誕生を繰り返す。

生まれたばかりの器は、こんな時の為に武器を輸送している一団から武器を受け取り、そして戦列に加わった。

 

……なにも、このように自己の拡張を感じたのは初めてではなかった。

アリシアは認識していないが、あの日から繰り返す殺戮の過程で頻繁にこの現象が起きている。

 

 

――しかし、そんな事はどうでもいい。

 

 

「殺せ」

 

「殺せ」

 

「殺せ」

 

「殺せ」

 

 

大地が震える。

彼女の怒りの行軍に恐れをなしたかのように嘶いた。

 

 

「門だ」

 

「開いている」

 

「じゃあ攻め落とそう」

 

 

狼達とて無抵抗ではない。

みな己の牙を果敢に突き立てようと奮い立ち、我こそはと死を恐れずに飛び込んでいった。

 

 

「ギャン!?」

 

「ギ」

 

「グ……る……」

 

 

斬る。

斬る。

斬る。

斬る。

斬る。

 

斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬――――!!!

 

 

 

戦列の前であろうと、戦列の横であろうと、はたまた回り込んで後方から襲い掛かろうと無駄。

 

連携と言うにも生易しい。

まさしく一つの個である肉体運用によって隙間なく斬撃の檻を構成し、一切の無駄を省いた戦運びに狼達は為す術なく首を落とした。

 

そして狼の死体は戦列の中央にある輸送部隊に受け渡され、その肉体を効率的に消費する。

 

肉は喰らい、血潮は飲み干し、骨は武器に、毛皮は防具に。

 

より効率的に敵を殺す為の道具にするのだ。

 

 

「…………クソが」

 

 

かつて栄えた大通りは荒れ果て、そこら中に散乱している血と骨。

石壁は血化粧を施し、けれど華やかさではなくただ陰鬱な狂気を覗かせている。

大通りの正面から、横に伸びる小道や路地裏から、開け放たれた家屋の内部から。

多くの畜生が続々と現れ、そして無残に命を散らす。

 

 

――繰り返すこと幾ばくか。

気付くとアリシアはこのセイランの中央――大広場に辿り着いていた。

 

その更に中心部に立つ噴水には嘗ての栄華の面影はなく、ただ荒廃した風に吹かれている。

 

 

「■■■■■………!!」

 

 

そこに、()()がいた。

4メートルはあろうかという体躯を直立させ、はち切れんばかりの筋繊維を身に秘めた白の人狼。

 

この街を滅ぼした狼達の長。

 

 

「GAa■■■aA■■■■―――!!!!」

 

 

彼の雄叫びと、アリシアの剣先が殺意を乗せたのはまったくの同時だった。

 

 

「おおおおおおおおおお!!!!!」

 

 

駆ける。

大地を踏み締め、アリシアは千の肉体を駆動させた。

非力な女の身であれど、そんな事は関係ない。

そんなもの、この身を焦がす殺意を乗せる事ができるのならばどうだっていい……!!

 

 

走る、奔る、疾走る――!!

 

 

石の剣、鉄の剣、骨の剣。

多様な牙を、変わらず雄々しく地を踏む人狼へ突き立てた。

 

 

「――ちィ!!」

 

 

しかし刺さらない。

 

僅かばかりの肉を抉るが、それ以上に刃が進まない。

――これでは、殺せな――

 

 

「黙れ、死ねェ!!!」

 

 

アリシアは弱気な声を気合でねじ伏せ、一度距離をとって再度の突撃に備える。

 

 

「■■■■………!」

 

 

……ヤツがそれを待つ筈もないが。

 

それまで見に徹していた人狼が動いた。

今の()太刀で力関係を把握したのか、一切の防御を為さぬ突撃の姿勢を取る。

 

 

ドォン!!!

 

 

――アリシアはその身を貫く衝撃――その残滓に瞠目する。

後方百メートルまで直線上に戦列を貫き、家屋を砕くことでようやっと停止した巨体に戦慄の視線を向けた。

 

 

見えなかった。

初動を見定め回避を取ろうとして――しかし、無駄だった。

 

今の突進で、98の肉体が負傷し、51の肉体が致命傷を負った。

 

――つまり、今。

新たな命が生まれ、そして死に絶える事になった。

……なって、しまった。

 

 

「クソがァ………!!!」

 

 

愚直に、剣を構えた。

ただ斬りかかるだけではその毛皮に阻まれる。

なら、全霊を込めた突進でしか傷付けられない。

或いは、全く別の方法か……ともかく、取れる手段は多くない。

 

 

アリシアは手に持つ剣を槍に見立て、腰だめに切っ先を立てた。

 

 

「おおおおおおおお!!!!」

 

「■■■■■■!!!!」

 

 

全方位から百の刃を突き立てる。

 

脛。腿。腹。背中。首。

叩きつける刃は、しかしその強靭な毛皮と筋肉に阻まれ微かな血を流させるのみ。

 

 

――けれど、諦められない。

 

 

剣を突き立てる。

肉を微かに抉る。

少女が弾き飛ばされ、背骨を折った。

 

剣を突き立てる。

肉を微かに抉る。

少女は下半身を踏み潰された。

 

剣を突き立てる。

肉を微かに抉る。

少女は頭を蹴り飛ばされ、僅かな生さえ知らずに逝った。

 

剣を突き立てる。

肉を微かに抉る。

少女は折れた肋骨に肺を貫かれ、苦しみの中に命を落とした。

 

 

剣を突き立てる。

肉を微かに抉る。

死ぬ。

 

剣を突き立てる。

肉を微かに抉る。

生まれる。

 

剣を突き立てる。

肉を微かに抉る。

死ぬ。

 

剣を突き立てる。

肉を微かに抉る。

増える。

 

剣を突き立てる。

肉を微かに抉る。

増える。

 

剣を突き立てる。

肉を微かに抉る。

増える。

増える。

剣を突き立てる。

肉を微かに抉る。

増える。

増える。

増える。

増える。

剣を突き立てる。肉を微かに――増える。増える。増える。増える。増える。増える。増える。増える。増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える増える―――――!!!

 

 

 

限界を超える殺意は加熱し続け、それに応えるようにアリシアの肉体は増殖を重ねた。

 

 

――この都市の全てを埋め尽くすほどに。

 

 

大通りは最低限戦闘行動が可能なスペースを残し、”アリシア”の肉体で埋め尽くされている。

 

そこだけではない。

路地裏、家屋の中、果ては屋根。

四方八方に剣を携えた『アリシア』が立っていた。

 

数えることが馬鹿らしくなるほどの圧倒的物量が、殺意を乗せて人狼を睨みつける。

 

ドロドロと粘ついた、物理的な重さをも感じてしまう想念。

それを真正面から受け止めた人狼は、振り回していた四肢を思わず硬直させてしまう。

 

 

 

「■■……ル……!?」

 

 

千を超え、万に届いたその全て。

数え切れないほどの(殺意)を人狼に差し向けた。

 

 

『死ね』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから数刻。

人狼の白かった毛皮はズタボロに痛めつけられ、その毛の殆どは剥げ落ちて痛々しい。

まるで極端に切れ味の悪い刃物で何度も何度も繰り返し――それこそ数え切れないほど斬り付けられ削がれたようだ。

 

噴水に寄り掛かるように背中を預け、恐ろしいほどの巨大な体躯に相応しい血の河が広場を縦断している。

その河の行き着く先――そこには撥ね落とされた大きな首。

 

その首は血に塗れ、牙を引き抜かれ、ゴミクズのように打ち捨てられている。

生命への、冒涜のように。

 

 

「………………」

 

 

戦の跡地。

広場の中央に鎮座する人狼の遺体から離れた場所に、アリシアは輪を作って立ち尽くす。

 

円陣の内側には傷つき倒れ、死に絶えた――或いはこれから命を落とす幾百の少女達の身体が並べられている。

 

 

「あ、あぁ……」

 

「 ー。ぁ  ー。」

 

「死にたく、ない」

 

 

死の間際、『アリシア』から剥がれ落ちて初めて個を獲得した少女達。

彼女達はこの瞬間に産まれ、そして死ぬ。

 

死ぬことが確定してようやっと『俺』から逃れ出でて自由になる――そんな彼女達を憐れめば良いのか、もしくは――■めば良いのか?

 

 

「……祝福を」

 

「あなた達に、祝福を」

 

 

気付けば、アリシアは口を開いていた。

人が絶え、獣も死んだ死の都。

空虚な要塞に清廉なる声が反響する。

 

 

「”死なず”の『俺』から逃れ、死を享受するあなた達の旅路に、祝福を」

 

「”不変”である『俺』から産まれた変化に、祝福を」

 

 

それは祝福の声であった。

慈しむような、憎らしいような、喜ばしいような、笑うような。

幾つもの感情が複雑に混じり合ったような奇っ怪な心の赴くままに言葉を連ねた。

 

 

「どうか、安らかな旅立ちでありますように」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カン、カン、カン!!

 

ラサールのねぐら、その奥深く。

ここはアリシアが開拓し、そして住処と定めた街と見紛う程巨大な拠点。

セイランに攻め込んだ肉体とは別に、変わらず木工や写本、訓練に勤しむ五百の肉体。

作業の音は甲高く拠点に響き渡り、ただただ繰り返す手の動きに没頭する。

もう、渡す相手も、売りつける相手もどこにも居ないというのに。

 

木の防壁は程々に高く、四方に備えた両開きの門のみがこの拠点の入口だ。

加えて防衛面を強化するためか、聞き齧りの知識で見様見真似に堀をも造られていた。

 

 

 

――ギイ。ギイ。ギイ。

 

 

跳ね橋が降りる。

堀の間を渡し、門を通すための帰還者がすぐ近くまで訪れたからだ。

 

鬱蒼と茂る森は視界が通らない。

一応拠点の付近であれば道もある程度舗装されているものの、視認するにはかなり近くまで寄らなければ不可能だろう。

 

しかし彼女には不要である。

 

幾千幾万の肉体があろうとも、その全ての肉体はその全てを共有し、そして一つの意思によって操作される。

 

 

バタン。

 

跳ね橋が地に固定された次の瞬間、木々の隙間を通る道にポツリポツリとアリシアが現れた。

その肉体を追うように続々と荷馬車が到着する。

本来であれば馬が牽くのであろうがそんなものはどこにもない。

必然、無数の肉体で持って人力で――数の力で搬送する。

 

その荷車の上では狼達の死体であったり、セイランでかき集めた物資が所狭しと詰め込まれていた。

 

3つ。9つ。27つ。81。

 

続々と運び込まれ――その中には、少女達の遺骸もあった。

 

 

――ギイ。ギイ。ギイ。

 

 

再び跳ね橋が上げられる。

門は閉じられ、外界との接触を絶ち始めていた。

 

なんせ、己のやるべきことは――敵討ちは終えたのだ。

野望?欲?そんなものは後に回そう。

 

 

――俺は少し……疲れてしまった。

 

 

 

……俺は、あなた達が■ましい。今は亡き同胞よ。

 

 

 





<TIPS>

『人狼の牙』

要塞都市『セイラン』を攻め落としたリジェーボ()達のぬし、その白い牙。
彼は過去に存在した『災い喰らいの白狼』、その血を引く最後の存在だった。
かの白狼は災いを喰らうことで人々を守ったが、その子孫たる彼はその力で人を喰らった。

その全ては、今は亡き妻へ捧げる鎮魂の供物であった。



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選択まで、あと僅か

うおおおおおおおおおおおんん!!!!!!
オリジナル日間5位、ありがとう!!!!!!!(音割れボイス)
ありがとう!!!!!!!!!


ゴリラはもっと上を目指すためのアドバイスも募集しているぞ!!!
「ここはこうしたほうが良い」「この表現はこっちのほうがえろい」「枕営業しろ」「犯すぞ」などの暖かくてゴリラのように優しい言葉を待ってるぜ!!!!!




頑張ったワイちゃんへ向けた支援絵! ワイより(はぁと

【挿絵表示】



「ギルド長!!いらっしゃいますかな!!!」

 

「せめてノックぐらいはしてくれないかな、ニコラウス。キミは私の母親かね?」

 

 

何処かの王城かと見紛う程のスケールを有した豪邸の、その最上階。

黒と白でシックに纏められ、過度な装飾を廃した気品溢れる執務室、それに見合う――訂正、見合わぬほどにボロボロなドアに目もくれず、ニコラウスと呼ばれた初老の男性は鼻息荒く長机に駆け寄った。

 

 

「大変です!大変でございますよ!!!」

 

「……ああ、うん。まずは落ち着いてくれないかな?」

 

 

ガクガクガク。

ニコラウスは執務室の主――冒険者ギルドの長『ヘンリッヒ・アドル』の首を揺さぶった。

彼は年重を感じさせぬ活力で以て口を大きく開き、やかましく喉を張り上げる。

 

 

「『セイラン』の魔物が全滅しておりました!!」

 

 

ピキリ。

ヘンリッヒは、思わず体中の筋を石のように固めた。

頭が、その情報を理解するのをいやだいやだと拒否してしまう。

 

 

ふぅぅぅ。と、長く重い息を吐き出し、目頭を強く抑えた。

 

 

「何だって……?………すまん、もう一度言ってくれ……よく、聞こえなかった」

 

「ですから!かの要塞都市『セイラン』の魔物が全滅しているんです!!その首魁の死体も確認されました!!」

 

「……ふぅー……」

 

 

目頭を強く揉んだ。

 

もみもみもみもみ。

 

ああ、気持ちいい。きっと私は疲れていたんだな、目に凝り固まった毒がほぐれて消えていくようだ。

 

あーあ、家に帰ったら上質なワイン……そうだな、『ボヌジュレ・スーボー』でも開けたいものだ。

きっとこの疲れをさらに癒やし――否、この疲れをも材料とし、味わい深く甘美な”旨み”を感じられるはずだ。

 

ヘンリッヒは家に帰った後が楽しみになった。

 

 

「お気持は分かりますが今はそうしている場合ではありません!!やらねばならぬ仕事が山ほどあるのですよ!!」

 

「ああ、うん。分かっているとも。だが現実逃避ぐらい許してくれないかね?」

 

「駄目です」

 

「そうかぁ……」

 

 

中空に浮かんだワインとディナーの幻影が遠ざかっていく。

しばらくはおあずけ――少なくとも数ヶ月は無理だ。

 

 

「嫌だと言っても、書類仕事が嫌いというだけで()()という行為そのものに忌避感はない筈です!!さあ、仕事が――対価(金貨)が待っていますよ!!」

 

「……ああ、そうだね。その通りだ」

 

 

ヘンリッヒは彼方へ飛んで行った麗しの光景から必死に視線をそらし、かわりに部屋にある本棚に収められた書類を取り出した。

 

その手に握られた紙束は――云うなればその()()の全てを収められた報告書。

焦げ茶色の瞳を連なる文字の上に滑らせた。

 

 

「要塞都市、『セイラン』……二月前リジェーボ()の『大災禍』に飲み込まれ陥落。死者は兵士民草合わせて40万人……加え、超大規模に膨れ上がった群れに近隣の村々まで飲み込まれ、いくらか離れた地点にある『レージエ』の街も墜ちている。被害総額は金貨100万枚――国家予算と同等であり、その影響は計り知れない」

 

「加えて言えば……我が国有数の要塞都市陥落に機を見出したのか、嘗て『帝国』に侵略された国々の長の血統を旗印に掲げ、各地で反乱勢力決起の兆しさえ見えております」

 

「……しかし、我らは”冒険者ギルド”だ。細かい政治の話など関係ない……そんなものは貴族のお方々にでも任せてしまえ」

 

「ならばどうするので?」

 

 

ヘンリッヒは、笑った。

 

まるで眠っていた獣がのっそりと目を覚ましたように、心の中、魂の奥底でギラギラと輝く想念が顔を覗かせる。

恐怖さえ感じる熱気を言葉に溶かし込み、ヘンリッヒは周囲の大気を震わせた。

 

 

 

「――金だ。金のために動く。『セイラン』の滅び?人々が苦しんでいる?はっ、そんなものはどうでもいい。大事な事は金になるのか否か。それだけだ。それさえ分かればいい」

 

「『セイラン』の復興によって国から出る報酬金。人が動くことにって変動する物価……それも見極めてしまえば金になりましょう。加え、人が動くということは物も動く。それら双方へ働きかけるあらゆる『商品』を提供し、それから得る対価。ああ、我ら冒険者ギルドから物資を卸す事もありましたなぁ……おお、その手数料も含めれば……!!フホホ、素晴らしい!!」

 

 

ニタリ。

ヘンリッヒは三日月のように裂けた笑みを零す。

まさに凶相。およそ人が浮かべるものとは思えぬ――まさしく”人でなし”が如く歪んだ感情。その発露を目にしたニコラウスは、しかしそれを当然のものと云わんばかりに舌を回し続ける。

 

 

「ならば、ニコラウス。次にやるべきは?」

 

依頼(クエスト)の発行。冒険者(バカ共)の選定。派遣……そして、金貨を手に入れる」

 

「そうとも。ああ、完璧だ……」

 

 

ヘンリッヒはギラついた瞳を見開き、執務室に取り付けられた窓に歩み寄った。

丹念に磨かれた美しいガラスの向こうに広がる――地を埋め尽くし、天を裂き、海さえ割る文明の証(巨大な街)――うっとりと綻ばせた顔のままに見下ろし、そして獣の如き笑みを浮かべた。

 

 

「行け、ニコラウス。我らの信条の為に」

 

「ええ、分かっておりますとも!!全ては――手のひら一杯の金貨の為に(To enrich greater)!!」

 

 

ニコラウスは来た時と同じように――しかし、恐ろしいほどの喜色を浮かべたままに部屋を後にした。

 

それを見送った彼は『帝国』の中枢――帝都の中央で変わらずニコニコ、ニタニタと笑みを浮かべる。

 

 

己の居城たる冒険者ギルドの拠点と、小高い山の上に立つ華美極まる巨大な白亜の城。

この『帝都』にある城はこの2つだけである。

 

 

――そして、その片割れの主は平民だ。

 

 

貴族ではなく、平民。

ヘンリッヒは城下を眺め、城を持つことを許されていない……そして、個人的に嫌っている貴族の男を遠目に見つけ、彼が自身より格下であることに悦を感じた。

 

貴族達に搾取され、労働力を提供し、いくばくかの金銭を受け取る。

本来の平民とはそんなもの。

 

 

――彼が現れるまで。

 

 

ヘンリッヒは怪物だ。

 

 

平民の生まれでありながら貴族を凌ぐ知性を持ち、兵士に優る武力を有し、商人のように狡猾に立ち回る。

 

その優れた能力で以て、一代にして確固たる地位と莫大な富を手に入れた。

 

だからこそ、彼は城を有している。

多くの貴族達には叶わぬ筈のそれを、ただの平民が。

ヘンリッヒの影響力が彼らを上回る――それはこの『帝都』に住まう全ての民が知っている程。

 

これまでの常識をぶち壊し、圧倒的格上である貴族さえ平民たる自身の下に置く。

それだけでも、ここまでのし上がった甲斐がある。

 

 

ヘンリッヒはクスクスと笑い続ける。

 

 

けれど、それも仕方がないだろう。

彼こそは、まさしくおおよそ平民が考えうる『理想』を叶えた男だからだ。

 

 

……そして、そんな彼は何を求めていると言った?

 

 

金だ。

金貨だ。

富だ。

 

 

ヘンリッヒは満ち足りていない。

まだ足りぬのだ。

 

富める民、貧しい民、良き兵士、愚かな貴族。そして強欲なる皇帝。

 

彼らの全てを利用して、手にすることが出来た懐いっぱいの金貨。

 

 

けれど足りぬ。

 

もっと、もっとだ――。

もっと、富を、栄華を、幸福を。

 

 

その為に私は生きているのだ、と。

彼は臆面もなく――不利益がなければ――叫ぶだろう。

 

 

だからドンドン増やした。けれど、ポロポロとこぼれ落ちた。

そんな宝物が――ああ、また私のもとに帰ってくる。

他の誰でもない、私のもとへ!!

ご丁寧に自らを増量して、お行儀よく列をなして!!

 

 

ヘンリッヒは嬉しさのあまり絶頂さえ覚えた!!

 

ああ、ああ!!

これこそが幸福である!!

 

善き哉、素晴らしき哉!!

まさしくまこと貴い『人の至宝』よ!!

 

ヘンリッヒは新しいおもちゃを目の前にした少年のように恐ろしい程純粋な喜びを、未だ見ぬ金貨へ向けて押し付ける。

 

 

「早く、速く。私のもとへ集まりなさい。愛しい愛しい宝物……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

広い広い草原。

地図で見ても恐ろしく広大な面積を有する緑の土地。

 

その表層を蠢くように……しかし素晴らしく統率の取れた戦士の集団が列を成している。

ああ、いや。戦士と言うには少し雑多な雰囲気が拭えず、統一感もまるで無い。

まるで個性の殴り合いと云わんばかりの十人十色の戦士――そう、つまり”冒険者”達が行軍していた。

 

彼らは先頭に立つ『ギルド特別職員』が掲げる『黄金色の細工を施された黒い旗』を目印に、みなで目的である依頼(クエスト)の達成のために歩き続けていた。

 

その列には人種も種族も老いも若きも関係なし。

中には年若い少年の姿もあった。

赤髪と同色の瞳で黒い旗を追いかけ続け、冒険者としての研修でみっちりと仕込まれた集団行動のいろはを守り続ける。

 

 

……が、しかし。

 

この年頃の少年心としてはこんな和やかな空気ではなく、殺伐とした冒険こそを味わいたいものだ。

 

今回の仕事を始めてからというものの、ただただ集団で歩き続けるだけでちっとも変化がありゃしない。

魔物一匹見当たらず、一欠片のトキメキなんて夢の彼方。

 

少年は不貞腐れた表情を隠しきれなかった。

 

 

「はぁー……」

 

「おいおい坊主!そんな気落ちしなさんなって!今回の仕事は……まぁつまらんが金払いはいい!次の依頼(クエスト)への繋ぎとでも思っとけ!」

 

 

すぐ隣の大男はカラカラと笑い声を上げた。

 

 

「そうっすね……確かにそうなんすケド……ねぇ、あまりにもこう、変化がないと……」

 

「あー、確かに気持ちは分かるが……俺たちゃあ依頼(クエスト)で金を稼ぐ必要があるが、その依頼(クエスト)ってのも大体命懸けだ。今回みてぇに大人数の行動で一人あたりの危険が少ないってのはいいもんだぞ?ノーリスクハイリターンだ!素晴らしいじゃあないか!」

 

「……そっすね!ボーナスステージって感じに考えときます!」

 

「おう、そうしとけ!」

 

 

少年は同輩の大男に感謝を告げ、再び黙々と足を動かす。

数日かけて帝都から近場の街へ馬車で移動し、魔物から物資移送の荷馬車を守るための徒歩移動……それが7日も続く。

体力に自身はあれど、このスケジュールは中々に辛いものがあった。

 

 

そして6度日が沈み、それと同じ数だけ月が昇る。

 

 

長く続いた屋外での活動に、この場にいる五百を超える冒険者たちは皆疲れを溜めていた。それを言葉に出すことはないが、どうしても隠しきることは出来なかった。

 

 

「――見えたぞォ!!『セイラン』だ!!」

 

 

おおおおおおお!!!

野太い歓声が波濤のごとく草原の緑をのたうち回り、青い空に染み渡る。

 

赤髪の少年も例外なく雄叫びを上げ、この瞬間の喜びを精一杯に主張した。

 

 

「………はぁ、やっとついた……!んんっ、『音源拡大術式』……《えー、冒険者の皆さん、お疲れさまでした……と言いたいところですが、仕事はこれからです。まずは斥候部隊が『セイラン』の内部を調査し、前情報通りに魔物が全滅していることが確認出来次第復興作業に移ります。護衛部隊の方々はパーティー『大岩』のリーダーの方について行ってください。復興部隊の方はこの旗の付近へ集合し、私の声がかかるまで待機していてください》」

 

「はぁー、長かった。俺は復興部隊だし少しは休めるのか……?」

 

「おい坊主!とりあえず集まってからしゃがみな!目えつけられたくはないだろ!」

 

「あっ、すんません……って、あんたは昨日の!」

 

「おう、そうだ!そんでおめえの名前は?」

 

「うっす!《()》等級冒険者、セシルっていいます!よろしくお願いします!!」

 

「俺は《()》等級のジタンだ!同じ復興部隊として一ヶ月間、よろしくな!!」

 

「っす!!」

 

 

髭面の大男――ジタンと共に地面に突き立てられた大きな黒い旗の周囲に移動し、斥候部隊の帰還を待つ。

当初の想定通りスムーズに事が運べば一時間程度だろう。

それまでは少しばかりの休憩時間だ。

セシルは既に集まっていた三百人の中に出来た幾つかのグループのうちの一つに合流し、初めて出会った同輩と親交を温める。

これもまた冒険の醍醐味である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから一時間後。

 

 

巨大な門から30人程度の一団がセシルたちに向かって歩み寄ってくる。

先行していた斥候部隊の帰還である。

 

 

「今戻った。ギルド特別職員殿は?」

 

「あっちのテントの中です」

 

「ありがとう」

 

 

先頭の男はどこか上の空で、心あらずといった様子。

それはどのメンバーにも共通しており、セシルは「何か良くないことがあったんじゃないか」と不安になった。

 

 

「……失礼します。斥候部隊よりの報告を――」

 

 

 

 

 

 

 

更に30分後。

テントの中からは終始話し声が響いており、時折『通信魔具』が作動していることも確認できた。

そのただならぬ様子を見た復興部隊の面々は尚更不安感を強めてしまう。

 

 

「よし――っと」

 

 

ハラリとテントの幕が揺らめき、一人の優男が顔を見せる。

ギルド特別職員である彼の表情は先程と変わりなく、ごくごく普通に振る舞っているようだ。

 

 

《お待たせしました。危険がないことを確認できたので、これより作業に移りたいと思います。私が旗を持って移動するので、六人一グループでついてきてください。順次作業を割り当てます――》

 

 

セシルは思わずほっと胸をなでおろした。

どうやら予定に変更はなく、無事に事を進められそうだ。

 

この依頼(クエスト)の報酬金は金貨10枚。それだけ有れば半年は遊んで暮らせるほどの金だ。

……もっとも、セシルは遊びではなく装備品の新調に使うつもりだが。

装備を整えればもっと上を目指せるだろうし、母の心配も減るだろう。

 

……家に帰ったら、何かプレゼントをしてもいいかもしれない。

父親が亡くなってからというものの母には負担をかけてばかり。

たまには日頃の感謝を伝えても……うん。恥ずかしいが、恥ずべきことでは無いのだからやるべきだな。

 

 

「……よし!」

 

 

セシルは胸に希望を抱いて、まずは目の前にある石レンガの山を背に乗せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、建物の影に潜むものがそれを見つめていた。

影――アリシアは活気に満ち溢れた冒険者達の姿に赤い瞳を細めて、微かな足跡と共にひっそりとその場を後にした。

 

 

「復興……か」

 

 

先の斥候と思わしき一団は、至る所に飛び散った血痕に動揺しつつも調査を終え、一つとして存在しない魔物の死体に懐疑を抱いて帰還した。

その様を陰から見送ったアリシアは、てっきり帰るものと思っていたが……正直、あの人数は誤算だった。

なるほど、あれだけの人数がいれば多少の疑念や危険は無視できるだろう。

数の力の重みは、他ならぬ己が知っている。

 

 

 

防壁を抜け、草原を走り、森の中に足を踏み入れた。

かつては近隣住民より『ラサールのねぐら』と呼ばれたこの広大な森も、もはや己の庭なようなものだ。

快適で、危険もない。

嘗ては大繁殖をしていたラサール(ねずみ)も姿を隠して久しい。

増殖を重ねた己による発展の影響か、嘗ては数え切れないほど存在した他の魔物の多くも姿を消した。

 

 

それほどに発展を重ねたが――無論、自身の存在が露見することを警戒して多少の隠蔽を図り、森の奥地まで向かわねば『アリシア』は見つけられぬようになっている。

 

 

 

だが、あの土地が復興されるなら――きっと、アリシアは隠れられない。

隠し通すには、余りにも――『アリシア』という総体は、大きくなりすぎた。

 

あの白狼を殺すために一万の肉体を駆使したが、今のアリシアはその時よりも更に()()

 

 

40万の己など、どうすれば隠し通せる?

 

 

………着実に、選択の時は近づいている。

 

後必要なものは、最後の一ピース。それのみで如何様にも転ずるだろう。

 

 

 

 

融和を図るのか、拒絶に狂うのか、はたまた―――。

 

 

 

 

 




<TIPS>

「酒場の主人のいちごミルク」

今は亡き『セイラン』のギルド併設酒場のマスターが作ったいちごミルク。
義父の経営する牧場で絞られた牛の乳と、自身の母が経営するいちご農場の収穫物から造られている。
これは彼の家系に代々伝わるおまじないで、嫁と婿の家で造られたモノを混ぜ合わせて己の娘に食わせる。すると、より健康に育つという。

その願いは叶えられなかった。
けれどそのおかげで近い未来、娘のように愛らしい少女に飲ませられた。
ただ、それだけが救いだ。それだけが。


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幽かな芽生え

風邪を引きつつ描いたので初投稿です
ついに長袖の服を着始めました(もとが全裸だったわけではない)


追記
前々から書こうとしてても投稿の瞬間に忘れてしまってました……!誤字報告めっちゃ助かります!!ありがとう!そしてありがとう!!!
みんなああああ!!!ありがとおおおおお!!!


「装備チェック、よし。物資チェック、よし。積み込み開始」

 

 

森の奥深く。

広大極まる森林は伐り倒され、多層構造の建築物が犇めく街が広がっていた。

木造のビルもどきの合間を石で舗装された道が走り、その上を金髪赤目の少女達が多数の荷物を背負って歩き回る。

 

これは全て一人の人間によって興り、幾千幾万の人力でもって発展を重ねた街。

普段、森の表層のみに視線を向ける人々から隠れ忍び、コツコツ、コツコツと愚直に成果を積み続けた果てだ。

 

いつかの過去では人目を忍びつつより効率的に、尚且実用性に富むように街を広げていた。

森を抜けた先、近くの草原に佇む『セイラン』の人々に異常性を見せないために必死だった。

 

……けれど、ジワジワと増殖を重ねたアリシアの拠点が『セイラン』の人々に見つかるのも時間の問題だったろう。

食事がほぼ必要なくとも、肉体を有する以上、どうしても存在の痕跡は残ってしまう。

 

 

だからこそ。

かつて、自身が暮らしていた『セイラン』が滅んだ時。アリシアの心情を無視するなら、発展するのに都合がいいとも言えた。

それまでの増殖ペースを考えるならそれで良かった。

隠れ潜むための警戒は最低限でよく、己という生命が発展を重ねるのに不足はない。

 

 

……しかしそうはならなかった。

 

 

アリシアは殺意に狂い、胸の内に秘めた『澱み』は薪のように火を宿し、魂の熱はこの世の理に真っ向から反抗する。

 

憎めば憎むほど、苦しめば苦しむほど『アリシア』は増え続け、それによって彼女は不死と力を獲得し続けて……ああ、無情だ。

俺はもう、これ以上必要ないと言うのに、これ以上『当たり前』から逸脱したくないというのに、その苦しみさえ燃料となる。

アリシアの気が狂い始めるのも当然だろう。

 

 

 

そう。だからこそ。

その滾る全てを、仇敵に向けた。

それのみに専心した。

 

 

そして、しばらく。

魂の叫びに従い復讐は為された。

 

嬉しかった。喜ばしい事だと、無垢な童女のように喜んだ。

 

その甘美な福音は己と死者の魂に安寧を齎し――けれど、心の中で『ナニカ』は変わらず荒れ狂う。

報いを与えるべき仇敵は既に居らず、その身に背負う大義なんてどこにも無い。

既に為すべきことは為したのだ。

そのはず、なのに。

 

 

達成感が虚無感に変わるのもすぐだった。

 

――ああ、思いの丈をぶつける先が、八つ当たりの対象が消えてしまった。

 

 

ドロドロ、ドロドロと蠢く。

ナニカが、己を焦がすのだ。

まだ足りぬと、渇くのだ。

 

 

アリシアは行き場のないソレに苦しんだ。

苦しくて、辛くて、哀しくて――そして、変わらず――否、益々自己を増殖させて、そして肥大化する己という総体に恐れ慄いた。

 

これ以上は不要だ。もういらない。もう、『俺』を増やさないでくれ。そう厭おうとも、変わらず増え続け――苦しんだだけ、哀しんだだけ、嘆いただけ、自分の不死性は強まっていった。

 

 

 

……それから、更に時が過ぎた。

 

アリシアが空虚に生きていても世界の歩みは止まらない。

 

『セイラン』の魔物を殺し尽くした事が上の人間に伝わったのか、己の目と鼻の先で復興が始まったのだ。

 

喜ばしいこと、ではある。

しかしそこに、己の居場所は何処にも無い。

 

 

……もう、潮時だろう。

 

 

「この景色も、見納めか……」

 

 

街と森を一望できるこの櫓は、アリシアのお気に入りだった。

自身が積み上げた全ての集大成。

始まりはちっぽけな欲からだったが、作り上げたこの街は――確かに己が残した足跡だ。

 

 

「……よっと」

 

 

腰掛けていた柵から状態を後ろに倒し、くるりと回転し板張りの床に足をつける。

そのままグググッと背筋を伸ばし、肺に新鮮な空気を取り入れた。

 

 

正直、この街を放棄して外の世界に飛び出す事に抵抗が無いわけではない。

そもそも全ての肉体を動員する必要は無いだろうし、いくつかの肉体はこの土地に残したままでも――いや、まあ自分が見つからない為にもこの拠点から離れた位置に新たな拠点を作る必要はあるが、それでも態々……全ての肉体で別々の土地を旅するだなんて、そんな必要はない筈だ。

 

けれど……この土地は、あの要塞都市には、幸せな記憶や辛い記憶が多すぎる。

空虚な心に苦しむのはもうごめんだ。

 

 

「――ん。物資はこれで全部だな……そろそろか」

 

 

ピョンと端から飛び跳ね、僅かな出っ張りを足場に櫓の外組みを駆け降りていく。

 

数秒とかからず近付いた地面に柔らかく足を付け膝を緩め、その衝撃のすべてを受け流す事で無事に着地する。

 

こんな事、昔の俺では不可能だったろうな。アリシアは思わず笑ってしまった。

アリシアには剣の才能も槍の才能も、魔法の才能もない。

けれど、肉体操作だけには光る物がある――そう、ギルドの教官は言ってくれた。

もっとも他よりマシという程度だろうが。

 

ともあれ、アリシアにとってそう大きな問題というわけでもない。

アリシア達には、姉妹だからこその武器がある――己ではなく、己達という枠組みでしか知らなかった酒場のマスターはそう言っていた。アリシアにとって、彼の言葉は今も胸に息づく救いの言葉だ。

 

 

「荷車の準備も良し。……全部、だな。これで……」

 

 

カツ、コツ、コツ。

櫓は門にほど近い場所にあることもあって、アリシアの小さな歩幅でも1分程度で外の世界に辿り着く。

 

外界との境界線――そこには、40万のアリシアが列をなし、荷馬車を人力で曳きつつ順次跳ね橋を通り抜ける。

 

街から持ち運べる物資は根こそぎ荷車に詰め込み、1グループに5つの器と一つの荷車で編成した。

 

……これから、幾千の集団で、その全ては別々に行動する。

 

 

「っし!」

 

 

櫓から降りた器を、直ぐ側を移動していた一団に同行させた。

 

この拠点に戻る事も、そして――アリシアが作った墓標に参ることも、もう二度と無いだろう。

『セイラン』の人々は血肉を根こそぎ奪われ、その骨すらなかった。

だからそこに彼らは居ない。

けれど微かに残った遺品を地に埋め、墓標の石板を突き立て――名も無き少女達の遺骸をも星に還した。

 

どうか、己がいなくなった後も安らかに。

どうか、いつかこの街を見つけた人々にも、彼らの冥福を祈って欲しい。

そして、願わくば……産まれてすぐに、命を落とした彼女達にも――。

 

アリシアは、遥かな地平線を思い描く。

この旅で、必ず何かを掴む。

己の存在証明を為すのだ。

その為だけに、己は己の力を尽くそう。

 

 

『行こう。東へ』

 

『新たな土地へ』

 

『きっと、俺が産まれた事には理由がある』

 

『為すべきことが、あるはずなんだ』

 

 

――立ち止まるな。前へ進め。そうでなくては―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――その日より、この広大な大陸のいたる所で金髪の少女達の姿が目撃された。

 

山、海辺、平原、荒野。

この大陸のあらゆる土地に現れた。

 

彼女等はみな同一の容姿を持ち、五つ子であるという。

年端も行かぬ女のみでありながら旅をし、なんと別の大陸を目指していると言った。

 

そして、それは全く異なる土地で幾千……あるいは万にも届く数だけ目撃される。

 

僅かな路銀を懐に、時折立ち寄った村々や街に足跡を残し、3日休めば止めた足を再び前に出す。

決して一つの土地に留まることはしなかった。決して。

 

 

 

 

とある老夫婦は、そんな彼女らを引き留めた。

まるで孫のように愛らしく、素直で、心優しい少女達を――そう、本当の孫のように思えた。思えてしまった。だから、危険な旅なんて辞めて欲しい。願わくば……子を失った自分たちと――。

 

 

とある辺境貴族の娘は側仕えになって欲しいと、涙ながらに訴えた。

貴族であるがゆえに己に心の友はなく、両親は凍てついた心で上辺だけの愛を向けるのみ。

彼女にとって、生に溢れた少女達は眩く、美しく、そして初めて出会えた友だった。

 

 

とある靴屋の青年は、どうか己と暮らしてほしいと愛を告白した。

偶々街角で出会い、そして何気ない会話から少女に惹かれた。

だから、その未熟な恋を告げて引き留めようとした。それまでの生活を投げ捨ててでも、彼女と居たかった。

 

 

とある老騎士は、己の弟子になって欲しいと、そして共にこの国を守って欲しいと語り掛けた。

夜の森で野営していると突然現れた少女達。

流れで共に飯を喰らい、共に街を目指し――その中で少女に日輪の如き煌めきを見た。

剣の才能はなく、魔法の才能もないが――その、未熟であり、曲がりやすく――けれど、その■■染みた精神にこそ未来を見たのだ。だから欲しい。

全てはこの国の為に。

 

 

 

 

 

「……ごめん」

 

 

そして、アリシアはその差し伸べられた手を振り払う。

確かにどの選択肢も、心の奥底で求めているものかも知れない。

それは掴むべき『ナニカ』とは異なる――そう、いうなればあらゆる柵を剥ぎ取ったただの少女の"アリシア"にとって欲しい物。

 

きっと、求めてやまなかった『()()()()()()()』という可能性を提示してくれた。

 

……けれど、思うのだ。

 

 

それが自分に()()()()()()()()()

 

 

その思いは旅の最中、当たり前の生活を送る人々に触れ合う中で膨れ上がる。

 

 

なあ、許されるのか?

 

 

……否、断じて否。許される筈もない。

許してはならない。

望まぬ死を得た彼らの影が、そんなのはありえぬ、ありえてはならぬと囁きかける。

何時であろうとも語りかけてくる。

 

 

己の特異性に調子に乗り、のうのうと普通の努力と普通の生活を送っていたから『セイラン』は滅びた。

 

 

予めより密度の高い努力を欠かさず、一片の油断も無ければ防げた筈だ。

自身には、その為に必要なものを備わっていた。

 

 

だというのに、なんだあの体たらくは?

 

 

あり得ざる幻想の世界に足を踏み入れた事で悦に浸ったのか?

何故程々の努力で妥協した?

何故自分自身の機能を正確に把握しようとしなかった?

 

 

……不真面目だったのだ。

真面目に生きる彼らを見ていたにも関わらず、学ばなかった。

 

 

だから、もう『妥協』は許されない。

 

 

彼らの言葉を聞いて、そう思った。

『当たり前』から外れることが怖い?

何を考えていたのだ、己は。

そんなの、この畜生に恐怖する資格があるものかよ。

 

 

「どうか、この畜生に、そんな暖かい可能性を見せないでくれ」

 

 

その言葉に彼らは涙した。してくれた。

固い決意を見ても尚、アリシアを引き留めた。

けれど、『アリシア』が選ぶ道ならば――そう言って、背中を押した。

 

だからこそ、アリシアは尽きぬ後悔を抱えつつも前に進めたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

……ああ、いいや。

アリシアは記憶の中に一人だけ例外がいたことを思い出す。

この畜生に、愚かにも恋慕の情を向けた青年。

 

 

彼は、彼の居城たる靴屋のカウンターにいて。

どこか緊張したように表情を強張らせながらゆっくりと口を開いた。

ムカつくほどキレイな青い瞳を輝かせて、ひどく赤面しながらもアリシアに告白したのだ。

よりにも寄って、今は女子とはいえ男から生まれ変わったナマモノに、だ。

 

 

「……は?」

 

 

まず、アリシアは困惑した。

女としての自意識なんぞ赤子か幼児レベルの俺に、何故?と。

 

 

……そして、そう。正直、アリシアは赤面した。

それはもう、真っ赤に耳まで染め上げ、その言葉を咀嚼するにつれてますます思考は混乱した。

同時期、まったく離れた別の場所にある器もすべて例外なく赤面した。そして周囲の人に心配された。

 

 

……しかし、なあ。と。

赤く染まった顔のままに思考を回す。

何故よりによって俺なのか、とか。

何故俺は赤面しているのか、とか。

正直トキメ――――ごぱん!! 

アリシアは隣から自身の頭に拳をぶつける。

あっ、喧嘩じゃないです!ご心配なさらず……。

 

 

ともかく、アリシアは目の前に立つ青年に何故かと問うた。

若干日の傾きによって影が靴屋の床板を侵食する中、彼女の赤眼は鋭く煌めく。

 

今、柄にもなく女心――んんっ!男心が高鳴ったことは認めるが、それも不意打ちだったから。そもそも彼とそこまで仲のいいわけじゃないはずだ。

いや、まあ確かに滞在中はよく話したし、靴の相談もして、時折連れ立って買い物やお茶もした――アリシアには、何故そこから恋に発展するのかまったくもって理解できない。

 

 

「……きっと、貴女達――いいや、貴女には分からないのかもしれない。五人でありながらたった一人っきりのアリシアさんは、人心に疎いようだから」

 

 

カチャリ。

思わず、腰に佩いた剣の柄に手をかける。

使い込まれた鉄剣や石剣の感触が手のひらを冷やす。

 

 

――この場には5つの器がある。

 

そして、その全てに対して、全く同じ人間に語り掛けるように扱った。

その全てを通して『アリシア』という総体に語り掛けたのだ。

……それはつまり、彼は――『ライル』は、己の異常性を見破っている――!!

 

 

「まず始めに言いたいことがあります。私は()()()()はどうでもいいんです」

 

「は」

 

「私はただの靴職人で、難しいことは分かりません。だから、小難しい理屈はどうでもいいんです。ただ、あなたが。ただの少女、"アリシア"が欲しい」

 

 

限界スレスレで稼働していた思考が止まる。

その言葉には溢れんばかりの『想い』が込められていることは、人心に疎いと言われたアリシアにも理解できた。

 

 

アリシアには、眩しかった。

ただひたすらに美しい。

人とはここまで純粋になれるのか。

ここまで素直に、ひたむきに――恋慕の情を抱けるのか。

 

 

大陸中でアリシアが赤面のままに顔を抑える。

40万のアリシアは思いの丈を受け止めきれず、ひたすらクネクネと身悶えていた。アホかな?

 

 

「……けど、駄目だ。駄目だよ。俺にはそんな、そんなの……許されない」

 

「どうして……と聞いても?」

 

「……俺は、そうだ。『俺』は……探さなきゃ」

 

「『俺』が、存在する理由を」

 

「為すべきことを」

 

「そうじゃないと、あの人達の死が無駄になってしまう」

 

「――そうじゃなきゃ、『俺』はなんでここに居るんだ?なんでまだ生きてるんだ?……なんで」

 

『――化け物なんだ?』

 

 

……青年は、その熱意に圧倒された。

彼女には深い――それこそ想像もつかない程の事情があるのだろうと思っていた。

けれど、それでもいい。

青年には関係ない。

私はただ彼女を愛しているのだ。共に生きたい、ただそれだけ。

 

――意を決して口を開く。

 

 

「アリシアさん。聞いてください」

 

「駄目だ、駄目だ。このままじゃ、駄目だ」

 

「許されない、あり得てはならない……!」

 

「アリシアさん……!!」

 

「そんな可能性、見せないでくれよ。そんな暖かい夢、見せないでくれよ……!」

 

「駄目なんだよ、『俺』は、『俺』が、彼らの死に報いないと……!!」

 

『……ごめんなさい……』

 

 

トン。

青年の背後から手刀が放たれる。

あらゆる知識を学び、傷付けずに制圧する術を獲得したアリシアは――六体目の器を駆使して意識を奪う。

 

可能な限り痛みはなく、あとに残ることもない。

 

 

トサリ。

倒れそうになる青年の体を支え、カウンターの裏にある椅子に座らせる。

 

 

……ああ、やってしまった。

アリシアは思わず嘆きを零す。

望まない(欲しかった)言葉を投げ掛けられ、精神が加熱を重ねてしまう。あまりにも未熟。

 

 

だから、彼を気絶させてしまう。

だから、俺は臆病なんだ。

だから――ここぞという場面で怯えてしまうんだ。

 

 

「けれど、ありがとう」

 

「こんな『俺』に価値を見出してくれて」

 

「でも、『俺』がいることであなたに災禍が降りかかるかもしれない」

 

「だから、さよなら」

 

 

靴屋のドアを開き、石畳の上に足を乗せる。

傾く三つ子の太陽は兄弟と共に地平線へ沈み、その斜陽の光は大通りを一直線に照らしてくれた。

 

 

「もう、この街は出よう……」

 

 

影の中、アリシアは泊まっている宿屋へ向かい、そこで荷物を回収する。

主人へ3日分の代金を支払い、木造の建物を後にした。

 

 

もうすぐ、この街は――貿易都市ではあるが、防備を考え大門を閉じてしまう。

 

その前に出るため荷車を二人がかりで曳き、新たな六つ目の器を人目に晒さぬように気をつけつつ歩みを進める。

 

 

この街は帝国の貿易都市の中でも上位に位置する経済能力を持つという。

だからこそ多くの商会や、冒険者ギルドの羽振りもすこぶるいい。

そのおかげなのか、はたまた有する武力に自身があるのか、また別の手段があるのか……多少の不自然さがあっても見過ごされた。

 

だからこそ『冒険者のウーラソーン姉妹』という肩書がそのまま使えて、尚且身分証明のおかげであらゆる障害は無くなってくれる。

 

 

……大門についた。

 

どことなく『セイラン』を連想させる堅牢な石門は両開きのまま。

アリシアは間に合ったことに安堵のため息を漏らし、早速門番へ手続きを申請する。

 

 

「ん、旅を再開するのか…………ふむ、不自然な動きは無かったし問題ないな。さらばだ、冒険者よ。汝の旅に祝福あれ」

 

「……どうも」

 

 

ヒヤッと。冷たいものを背筋に感じた。

……どうやらこの快適さの原因は三択の内の最後だったらしい。

人間の警戒心とは大事なもの。生死を分ける要素としては堂々のトップに君臨するのではなかろうか。

それを、『欲』が集い舌戦と()()の戦場たる魑魅魍魎の巣窟で……ああ、そんな緩いことなどあり得る筈もなし。またもや己は油断していたようだ。

アリシアはまた新たに自身を戒める。

 

 

そんな彼女を知ってか知らずか、ありがたいお言葉――というには無感情で硬質な声を背中に受け、アリシアは夜の闇に紛れていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

ああ……。

なんだろう……松明の熱が、やけに暑いな。

額の汗が目に入ってしまったよ。

 

 

 

 

 




<TIPS>

「老夫婦のネックレス」

とある農村に暮らす老夫婦。魔除けを願って少女達に託されたもの。
彼らにはかつて子が居た。
愛らしく、目に入れても痛くないほど大事な娘。
彼女は若い憧れを胸に都へ向かい、冒険者となり――そして死んだ。
死因は『呪い(カース)』。
誕生日に贈ろうと作った魔除けのネックレスは、しかし役目を始めることさえ無く箪笥の奥深くへ仕舞われていた。

どうか、少女達――否、少女よ。我が娘と同じ美しい赤眼の幼子よ。
ただ無事であっておくれ。




「木彫りのメダル」

とある貿易都市に居を構え、代々営む靴屋の青年の宝物。
彼は穏やかで温厚ではあるが、強靭な一本芯を備えていた。
アリシアが彼に友好の念を抱きこのメダルを作ったのは、それに対する憧憬の表れだろうか。
青年の若々しい恋は実らなかった。
けれど、灼熱が如き想いは確かに"アリシア"へ届いた。

『女』というのは、芽吹いてしまえば後は早い。
それが芽吹くのはいつか。そして、誰が育てるのか。


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宿命

7日間連続投稿だぁ!!!
やる気がある時にキーボードカタカタしてたけどまさかこんなに筆が進むとは……!!
やっぱモチベは大事定期


「ここは……ああ、やっと着いた!海だ……!」

 

「東の海だ!!」

 

「この先に行けば、きっと何かがある!」

 

 

 

何処か侘しさを感じる枯れた草原で、少女達の声が反響する。

 

彼女等――いいや、彼女というたった一つの、一つだけの意識は喜びに打ち震えた。

思わず歓喜の念のあまりあらゆる土地でガッツポーズを繰り返し、ヒーローインタビューよろしく過去を振り返る。

これまでの苦労をともかく言い連ねたいのだ。そうする事でなおのこと達成感を感じられる。元社畜のアリシアはその事をよく理解していた。そうでもしなきゃモチベーションなんて保てない……!

 

 

 

 

靴屋の青年と別れたあとも海を目指す旅路は続き、彼女はいくつもの苦難に見舞われた。

街を越え、村を過ぎ、そして山を、谷を踏破して……時には偏屈な翁と釜飯を共に喰らい、はたまた友好的なふりをした少女に付いていけば監禁されかける。時にはドストレートに「お前を抱くぞ」と言って襲いかかる山賊にも出会った。無論その首は撥ね飛ばした。こんにちは!死ね!!

 

……ともかく、その道のりはいつだって平坦じゃない。

 

超長距離をすべて徒歩で移動する……というのは、いくら肉体運用のノウハウがあるとはいえ流石に辛い。アリシアは全ての個体が経験した重苦しい行軍に疲弊し――けれど、幾らか日にちを跨ぐうちにその疲れは感じられなくなった……気が、する。

 

大陸の西に位置する森から始まった旅路も中盤の時。

ふと違和感が脳裏に浮かぶ。

己の事でありながら、アリシアは首をひねった。

 

全ての肉体は、たった一つの意識が操作している。

いうなれば『アリシア』という実体無き脳が、40万の肉体という名の手足を操作している。

だからそこに他人もなにもなく、全てたった一つ、唯一無二の己だけが存在し、それだけで完結しているのだ。

 

 

……ううむ、しかし……。

けれど……と。

アリシアは再び首を傾げた。自分という総体の――受け止めきれる『外界の刺激』、その容量に違和感を覚えたのだ。

 

これまでの道筋でつくづく実感した事だが。ありとあらゆる容量――たとえば思考能力であったり、記憶力であったり、はたまた耐え切れる刺激の許容量。それらは全て自身の肉体の数とイコールであるらしい。

 

だからこそ、始まりの始まり。あのラサールのねぐらに拠点を作っている時、木槌で打ち付けた指先の痛みに『アリシア』はのたうち回った。

 

けれど、その逆も然り。

かつては耐え切れなかった筈の、戦闘による負傷――その痛みはどうだ。

 

その答えを告げんばかりに、更に更に、遥か南の土地を移動する肉体が傷を負った。

 

ちっとも、痛くなかった。

痛みが存在する事は理解できても、これっぽっちも実感できない。

 

 

……なら、その先はどうなる?

 

 

自分自身が更に増えた先。

『アリシア』という自己が拡張を続け――その果てに容量がどうしようもないほどに増えたら?

 

 

……アリシアはその未来を思い浮かべて背筋が震えた。

あまりにも恐ろしい未来が見えた。

あまりにも、悍ましい。

まさか、人との触れ合いに何も感じられなくなるなど―――。

 

 

それを思い返したアリシアも、過去の思考の再演にも関わらず肝が冷えた様に震える。

これは『警句』だ。

 

己はもう、油断しない。

もう、あらゆる事象から目を逸らさない。

 

だから、いくら考えたくも無い"最悪"であろうとも、決して。決して、それを切り捨ててはいけないのだ。

 

常に最悪を想定し、覚悟を決める。

そうでなくてはならない。

もし二度も油断の果てに最悪を招いたのなら――きっと、今度こそ俺は耐えきれない。

 

アリシアはそれを自覚している。

 

 

 

 

 

「……おお、どんどん海に到着しだしたな」

 

 

先駆けとなった一団から殆ど間を置かず、次々と東の海へ到着する集団が増えた。

とはいえそれは全体の3割程度なのだから、全ての肉体が到達するまでいくらか待機する必要があるだろう。

 

 

「まずは……そうだな。人里から最も離れた場所に集合するか」

 

「そこで海を渡る準備を」

 

「するために……拠点を作るか」

 

「船を作る必要がある」

 

「船を買おうにも、そのための金を貯める方が時間がかかるし」

 

 

ザッザッザッ。キィコキィコ。

 

荷車を二つ掛かりで移動しつつ、人里から離れた位置を探る。

地図をバサッと開き、これまで通った町や村の名称からそれぞれの肉体のおおまかな現在位置を探った。

キュッ、キュッ、キュッとペンでバツ印を引き、より多くの集団がほど近い位置で、尚且つ人里の無い場所を目指すのだ。

 

……こういうときに思うのだけれど、創作にありがちな"自分自身の位置を俯瞰的に把握できる"という機能がなぜ己にも備わらなかったのだろうか。

『アリシアネットワーク』みたいなものが欲しかった。まっこと不便な異世界である。

 

 

「しっかし……」

 

「もう五年経つのか」

 

「時間が経つのは早いな」

 

 

歩きながら独りごちる。

時折立ち寄った街で暦を確認し、一応現在の時期――乾季や雨季を調べ、ある程度の世論の調査を欠かさぬように注意していた。

そうしているうちにもう5年。やはり多くの時間を掛けてしまった。

 

とはいえアリシアが旅をした大陸は非常に広大であり、それこそ前世におけるユーラシア大陸さえ上回る。

それを徒歩で横断しようというのだから時間がかかるのは当たり前だ。

 

それにこれでもかなり早く動けたほうだろう。常人の40万倍の速度で経験を積むのだから、動作の最適化は恐ろしく早く進んだ。

それが無ければ……これにプラスして100日程度は必要じゃあないだろうか。

 

 

「あー、のどかだあ……」

 

「……予定地まであと一日ぐらいか」

 

「『ここ』からだと近いなあ」

 

 

テクテク、テクテク。

ひたすらに歩き続け、何事も無く荒野を突っ切っていく。

あれから5年も経ったというのに、ちっとも変化しないアリシアの身体。それはつまり歩幅も小さいままという事だ。アリシアは少し悲しくなる。自分の……胸が、これ以上は育つことはないのだ。一度でいいから……それこそ嬉しくもない自分の物でいいから、終生お目にかかれなかった生のでかぱいという物を揉んでみたかった。

 

……夕日が目に染みる。

 

 

……夕日か。

もう日が沈むのかぁ……。

アリシアはか細く声を漏らし、ガサゴソと荷車を漁った。

 

 

「ここをキャンプ地とする!!」

 

「うおおおおおお!!!!」

 

 

掲げられた五対の手に持つのは木槌や杭、布。

つまりテント設営に必要な道具。それらを駆使し、徹底的な効率化を図った動きを――というか、そもそももう数え切れないほどの設営を経験しているんだ。アリシアの設営技能はもはやそこらのキャンプマニアさえ軽々と凌駕する。

もはやアリシアはキャンプマスターと呼んでもいい。いや、もはやキャンプの神様であっても不足なし。

その滑らかな手の動きは瞬く間にテントと焚き火を設置した。

 

 

荒野特有の乾いた土の上に造られた焚き火に火を着け、つかの間の休息を取る。

 

 

「……飯は……ま、いいか」

 

 

アリシアは殆ど食事が必要ない。

それこそ3日に一回、一食を取るだけで十分だ。

だから焚き火で暖を取るだけとって、沸かした湯を飲むとすぐに就寝の準備をする。

 

本来ならば火の番が必要なのだろうが、どっちにしろ殆ど眠れない――或いは眠りが極端に浅いアリシアは何らかの刺激が有ればすぐに目が覚める。

それに、一つの肉体が眠っていても他の肉体が眠るわけではないのだ。

『アリシア』という総体は決して眠らない。

眠る時があるとするなら――それはきっとすべての肉体が眠りについた時だけだろう。

 

 

「「「「「よっこいしょーいち」」」」」

 

 

むぎゅ、と。

次々とテントの内に身体を収める。

 

このテント……五人用という触れ込みで商人から購入した品だが、これは些か小さ過ぎではなかろうか。

アリシアの小さな体でもギュウギュウにスペースを押し潰さねば収まりきれない。

 

これがアリシアという特殊な存在だから良かったものの、一般人――それこそ冒険者が購入すると目も当てられないことになる。

すし詰め状態の5人のマッスル。籠もる熱気、迸る汗。それは隣のマッスルと混じり合い――地獄かな?

それを想像してしまったアリシアは"未知の恐怖"に震え、思わずこの大陸のいたる所に"キラキラ(自主規制)"を撒き散らしそうになった。

 

 

「あったけえ……」

 

「これが自給自足の人肌のぬくもりよ」

 

 

ともかく此処に居るのは美少女だから!アリシアは自分に言い聞かせた。

自分で言うにもおかしいが、ともかくむさ苦しい光景ではない。

冒険者のすし詰めと一緒にするのはやめてもらおうか……!!

 

 

「……ぬくぬくぅ……」

 

 

5つの全く同じ顔がふにゃふにゃととろけた。

 

確かに狭苦しくはあるものの、このテントで眠る時間は嫌いじゃない。

それにどの肉体も自分の手足のようなもので、手と手をすり合わせているだけで変なことじゃないし。

 

はああぁ……深く息を吐き、痒くなった腰を掻こうと身じろぎを――

 

 

――もにゅ。

 

 

 

『ふぁ!?』

 

 

――ビリリ!

 

甘い声が『アリシア』の口から溢れる。

とっさに口を抑える。

 

まずいぞ……!!

人里に居る肉体も思わず声を上げてしまった。周囲の人に聞かれてない?大丈夫?聞かれてたら死ぬよ?

周囲をキョロキョロと見回すが……幸い、誰にも聞かれていないようだった。

ほっと胸を撫で下ろす。

 

 

…………。

 

……………。

 

手のひらを翳す。

 

 

今のは、一体……?

俺に何が起きたのだろうか……。

アリシアは未だ余韻の残る手のひらを見つめる。

今、身動ぎをしようとして隣の肉体の胸を鷲掴みにした……それだけだった。

 

 

――けれど、胸から迸る甘い刺激。

それが、響いた瞬間……未知の感覚に驚いた。衝撃だった。

あの甘くて、鋭い……そして、浮つくような……。

 

なぜだか、顔が赤く染まった。

 

 

 

 

 

 

――アリシアは、人間としての三大欲求が薄い。

 

それは肉体の数が増え続けた故の弊害。

40万の容量を持つが故に、限界値が恐ろしく高いのだ。

だからある程度容量を満たさねば影響もなく、認識もできない。

元々食事も睡眠も余り必要のない肉体が故か、ますます三大欲求は必要なものという認識から外れていった。

 

 

……しかし、ここで思い返してほしい。

人は刺激に慣れる。

刺激に慣れると、それまでとは異なり何も感じなくなってしまう――それは、多くの人間が知っているだろう。

 

けれど、未知の刺激であれば?

それはそれは痛烈に響く。

実際受けた刺激を何十倍にも増幅させ、その総身を震わせるだろう。

 

 

アリシアはつい最近まで自身が女という認識さえ無かった。

意図的に、認識しないように目を逸らし続けていたとも云うが。

だから自分の体に意識を向けることもないし、女としての機能だって知識として知っているだけ。

 

……そう。故に、自身の『女』としての刺激は経験したことが無い。

 

 

『ふおおぉ……!?』

 

 

これが初めて得た『女の快感』。

それは全ての肉体に伝播し、一様に赤面し体を震わせる。

 

体が熱い。

胸が、下腹部が酷く疼く。

今の刺激を、人の本能が求めてやまない……!!

 

 

もにゅ、もにゅ、もにゅ。

 

 

あの電流をもう一度――。

あの頭が痺れる甘い震えを、もう一度……!

 

 

アリシアは大陸中のあらゆる土地で体を震わせた。

そしてアリシアは人目に付かない場所にいれば隣の肉体に詰め寄り、人里にいるものは宿屋へ足を運ぶ。

そのまま安全な場所に移動した瞬間、互いが互いに手を伸ばし、震える指先のままに胸や腹の下へと優しく触れた。

 

 

 

――めちゃくちゃ気持ち良くなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

チュンチュンチュン!!

 

鳥の声が宿屋の窓から、そしてテントの外から響き渡る。

アリシアはのっそりと頭を持ち上げた。

少し汗ばんだ顔に張り付いた髪の毛を振り払い、グググッと背筋を伸ばす。

 

 

「ああああああ………よく寝、た………?」

 

 

アリシアは眠っていた。

そう、眠っていた。

 

つまり、全ての肉体が眠りについていたということ。

『アリシア』という総体は、初めて完全な闇の中に意識を落とすことが出来たのだ。

 

 

「は、はぇー……? いや、まあそうか……あんなのが全ての肉体で起きてたら……まぁ」

 

 

のそり、のそりと隣で眠っていた肉体も目を覚ます。

どの身体も皆一様に汗だくで、身に纏う服がはだけていることもあって少しばかり恥ずかしい。

誰かに見られるわけでもないが、ともかく身だしなみを整えた。

 

 

「しかし……うん、あれはあんまし良くないな……」

 

 

アリシアは昨夜を思い出し、再び赤面した。

いい経験ではあったろう。

それに、自分自身を知るということで、まあ理解しておこう。

けれどあれはもうやるべきではない。

封じて、記憶として留めておくに限る。

まるで自分が自分じゃなくなるようで、とても恐ろしかったから。

 

 

「よし、よし……早く移動しよう。さっさと海を渡らなきゃ……」

 

 

彼らの影だって、そう語りかけてくる。

立ち止まるな、と。

だから、常に進み続けなければ。

 

前へ。

前へ。

前へ。

前へ。

前へ。

 

己の存在意義は、きっとその先にある。

そして為すべきことを為した時、その時になって漸く、俺が存在することを許される。

 

テントの幕をくぐり抜け、テキパキと後処理を進める。

残り火の燻る薪に土をかけ、テントの杭を引き抜き分解する。

それを荷車に再び詰め込めば出発の準備は整った。

 

腰に佩いた剣が揺れぬように手で抑え、再び移動を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

ザッザッザッ。キィコキィコ。

 

ザッザッザッ。キィコキィコ。

 

ザッザッザッ。キィコキィコ。

 

ザッザッザッ。キィコキィコ。

 

 

 

黙々と足を前に運ぶ。

じっとりと浮き上がる汗を手の甲で拭い、周囲を見渡しながらも行動を続ける。

 

 

「……………。」

 

 

 

ザッザッザッ。キィコキィコ。

 

ザッザッザッ。キィコキィコ。

 

ザッザッザッ。キィコキィコ。

 

ザッザッザッ。キィコキィコ。

 

 

 

歩く。

 

歩く。

 

アリシアはただ前へ足を突き出す。

 

 

 

ザッザッザッ。キィコキィコ。

 

ザッザッザッ。キィコキィコ。

 

 

 

…………。

 

………おかしい。

 

………おかしい……!!

 

何かが、おかしい。

 

アリシアは声に出さずに訝しむ。

その何かというのは分からぬが、ともかく違和感が凄まじい。

相変わらず乾いた土と枯れた草ばかりがあるだけのこの荒野にのみ、何かも分からぬ異常が表れている。

何だ、何がおかしい……?

 

…………空気が、黒い?

 

 

左手で鞘を抑えたまま、右手を柄に乗せる。

 

 

「一体、何が……」

 

「そう警戒なさらずとも、あなたに危害は加えませんとも」

 

 

ギャリィ!

甲高い摩擦音を掻き鳴らし剣を引き抜く。

 

両の手で構えた剣の先に、一人の男が立っていた。

執事服を身に纏い、片眼鏡越しに紫の瞳をアリシアに向けている。

 

 

「誰だ」

 

「魔族の、ただの名もなき執事でございます」

 

「……魔族?」

 

 

魔物ではなく、魔族。

アリシアはそんな存在を知らなかった。

けれど、実体無き脳が酷く疼く。

何故だか彼の言葉を無視できない。

 

 

「ええ、そうです。魔物の近縁種であり上位存在。人間と相克する存在であり、対極に位置するもの」

 

「……そうか、それで?そんなお前が何の用だ」

 

「ええ、ええ。そうやって結論を急くことは嫌いではありませんよ。むしろ、余り時間の残されていない私にはありがたい事です」

 

 

そこで、アリシアは漸く目の前の男が死に体であることに気付く。

何かに覆い隠されていたようにぼやけていた男の体、その胸に大きな穴が開いていた。

そこにあるはずの心臓はなく、ただ空虚な風が吹いているのみ。

 

 

「『逸脱者』のお嬢さん。私はあなたを探していました。ただの人類では成し遂げられぬが、その軛を超えたあなたならば為すことができる」

 

「……どういう、事だ」

 

 

脳が震える。

脳が震える。

 

実体がないにも関わらず、震え、増大し、高まり、熱を持つ。

まるで新たな回路が生まれるように、『アリシア』の脳の中で、何かが開こうとするのだ。

 

 

――許されぬ。許されぬ。許されぬ。許されぬ。許されぬ。お前は違う。そっちに行ってはならない。奴等に与するな。お前は、人間側(私達の駒)だろう。

 

 

彼らの呼び声が煩く反響する。

ガンガンとひっきりなしに叫びを上げた。

けれど……ああ、どうしても彼の言葉を無視できない。

アリシアの中の何かがそうさせる。

 

 

「ええ、他ならぬあなたに。この仔が選び、呼び込んだあなたにこそ頼みたい」

 

 

男の隣に、見上げるほどに巨大な体躯を持つ黒馬が音もなく現れた。

空気から滲み出すように表れたそれにアリシアは見覚えがある。この姿は死して尚、記憶の奥底にこびりついて離れない。

 

 

――それも当然だろう……。 この黒馬は己を殺したのだから。

 

 

「ヒヒィン!」

 

「そうですね。このお方ならば託すことができる。良くやりましたね、スレープ」

 

「ま、待て待て待て。お前達は一体何を……!?」

 

「この子を託したいのです」

 

 

スッ、と。

男は、いつの間にか白いおくるみを両腕に抱えていた。

 

アリシアはそのおくるみから目が離せない。

ピッタリと視線を吸い寄せられる。

 

そんな中でますます脳内で彼らの――彼方からの呼び声が絶叫を繰り返す。

けれど、ああ。

もうまったく気にならなくなっていた。

 

 

「どうぞ」

 

「あ、ああ……?」

 

 

ズイっと白いおくるみが押し付けられる。

 

 

――思わず、アリシアは固まった。

 

そのおくるみを受け取り、その()を見た瞬間、全ての時が止まったようだ。

 

それは赤ん坊だった。

黒い髪と虹色の瞳を持つ、まだまだ産まれて間もないような赤ん坊。

ニコニコと笑顔を浮かべてあー、うーと言葉にならない声を漏らす。

 

 

脳が震える。

脳が震える。

脳が震える。

脳が震える。

脳が震える。

 

 

――そして、新たな扉を開くように、アリシアの総身を熱が貫いた。

 

 

「このお方を育ててほしい。このお方は魔族の希望ではあるが、同時に人類からは憎まれる。それは本能から湧き出る殺意……この世に存在する限り、人々はこのお方を殺そうとするでしょう」

 

「……ああ」

 

「あなたこそが数ある世界の中でスレープが探しだした『逸脱者』。慈しみ、守ることが出来、力を持つ。だからこそあなたに託します……。私は、もう消えますから」

 

「…………ああ」

 

「それでは、後は頼みました……。 スレープ、あなたも好きになさい」

 

 

サアアアァァ。

男は砂のように身体を崩し、風に吹かれて消えていった。

ただ忠節に生きた男の死に様を――しかし、アリシアは見ていなかった。

 

赤子の顔をただただ見つめ、呆然と抱きしめていた。

スレープと呼ばれた黒馬がブルル!と鼻を鳴らし、アリシアの顔を舐めたことで漸く我に返る。

 

 

「そっか……そっか」

 

 

アリシアの瞳に炎が灯る。

ようやっと、ここまで来た。

ついに見つけたのだ。

東の海を目指した旅は此処で終える。

 

 

 

 

 

為すべきことを、見つけたから。

 

 

 

 

 

 




<TIPS>

「アリシアの石剣」

アリシアが作り、多くの肉体で運用する石製の剣。
丹念に磨かれ刃と為したが、度重なる殺戮によりどれもボロボロ。血や脂が染み込んでいる。

なあ、お前は敵なんだろう?
俺から奪う、敵なんだろう?
なら死ねよ。死ね、死んでしまえ。
お前らが居るから世の中は腐る。
お前らが居るから、俺は大事なものを取りこぼす。


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■れるな


んほおおおおおおおお!!!!!!
風邪!!!回復!!!!
風邪!!!敗北!!!!!
我が筋肉に破れぬものなし!!!!!!

あっ、インフルさんはNGで……


何かに導かれるようにして到達した東の海。

海風に吹かれる荒野で魔族の男に遭遇したアリシアは赤子の『保護』を引き受けた。

 

男の口振りからしてこの赤子もまた魔族であり、そして貴い存在でもある。

だからこそその子を守るための守護者を欲し、そのためだけに態々人類という基準から外れた例外――『逸脱者』であるアリシアを三千世界の果ての異界より召喚した。

 

必要なのは尋常の理から外れている生命? そういう事は分かるが……態々異世界まで出張して探さねばならぬ程の物なのだろうか?

いや、まあ確かに黒馬――スレープが実際にそうして動いている以上、そういうモノなのだろう。

事情を知るだろう男は風に吹かれて消え去ってしまった後、真相を聞こうにも不可能だ。

 

けれど、頼まれたのは『保護』。彼女にはそれさえ分かればいい。

 

アリシアは一旦そう飲み込み、両腕の中に収まる赤子に目を向けた。

 

 

「きゃっ、きゃっ」

 

「ふおおぉぉ………」

 

 

歓声にも似た吐息が漏れる。

その紅葉のように小さく柔らかな手を精一杯伸ばし、アリシアの顔に優しく触れた。

初めて抱く小さな命は弱々しいが、とてつもなく可愛らしい。

そのキラキラと煌く虹色の瞳を見つめていると、どうしようもなく顔がにやけてしまいそうだ。

 

 

「……ブルル」

 

「うおっ、あ、ああー……スレープ、だったか」

 

「ブフ」

 

 

鼻を鳴らし、短く肯定を返す。

どうやら人語を解する知能はあるようだ。

 

スレープはそのつぶらな瞳でアリシアを見つめたかと思えば、おもむろに首元に顔を伸ばす。

アリシアはそれを不思議そうに眺めていると、なんとおもむろに襟を咥えてグググッと体を持ち上げた。

 

 

「お、おお……?」

 

 

ぶらぶら、とすん。

そのまま流れるようにスレープの背へ乗せる。

かと思えば黒い瞳を他の肉体へ向け、再び小さく鼻息を鳴らした。

 

 

「乗れ……ってことか?」

 

「ブフッ」

 

「おぉ……じゃ、じゃあ失礼して……」

 

 

おずおずとスレープの巨体に歩み寄り、ご丁寧にも装備されていた鐙を足場に4つの体を次々と上げていく。

いくら一つの体が軽くとも、5つも重なればそう軽くないはずだと云うのに……スレープは微塵も揺るがない。

この黒馬もまた尋常の生物ではなく、強大な魔物――或いは魔族というやつなのだろうか?

アリシアにはこの2つの違いがいまいち分からぬ。が、まあ必要なことではない。

さっさと頭の端から切り捨てて、赤子を落とさぬようにしっかりと抱きしめた。

 

 

「あ、じゃああっちの方へ向かってくれるか?」

 

「ヒヒィン」

 

 

伸ばされた指の方角へ頭を向け再び一鳴き。

 

パッカパッカパッカ。

スレープの蹄から鳴る音をBGMに、アリシア一行は拠点建設地へ向けて移動を開始した。

既に幾つかの肉体は予定地に到着しており、完成するまでの当面の仮宿を作成し始めている。

 

……それと、赤ん坊のための数々の道具も作ったり――買い集めたり。

 

 

…………!!

 

ああああ………店員のおばあさんの目線が痛い……あらあら、うふふと云わんばかりのぬくもりが……辛い……っ!!

ちゃうねん……これはあくまで叔父叔母夫婦のためのお使いとかそんなポジションやねん……!!

アリシアは弁明したくなった。できないが。

 

 

「だーっ」

 

「ふへへ……」

 

 

でもこの子が可愛いからやっぱええわ。アリシアはすぐに思考を停止した。

やっば、可愛すぎない?

この無邪気な笑顔、ぷにぷにのほっぺ!

指先を近づけるとその小さな手でぎゅっと握りしめてくれるん……はぁー、すっごい……。

このキラキラのお目々もプリティー……ああああ^~~~浄化されるぅ^~。

 

 

いやだって、ほら。

それもこの子のためじゃん?なら俺の多少の羞恥心なんか犬にでも食わせてしまえ!

荒野の只中、アリシアはそう決めた。

 

俺が、俺こそがこの子の母になる……!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カン、カン、カーン!

 

まるでいつかの日の焼き増しのように、繰り返し振るわれる木槌の音が鳴り響く。

赤子を抱えて荒野を抜け、草原を突っ切り、森へ至る。

地図に書かれている通りなら恐ろしく広大で、『ラサールのねぐら』よりも更に広い面積が緑に覆われていることだろう。

樹高もこの世界の植生平均よりも非常に高く、大きいものであれば15メートルもある。

 

故にアリシアはこの森に拠点を作ることにした。

当初――あの男に遭遇するまでは海を渡るまでの仮拠点を造る手筈だったが、今となっては東の大陸に行く必要がない。

 

"あの日"から常にアリシアの脳内に鳴り響いていた"彼らの声"は何故か静まり返っており、不思議とクリアになった思考回路は赤子を守るための防衛拠点を造る方向へシフトした。

 

 

「おー、よしよし。煩いだろうけど我慢してなぁ……」

 

 

だー、あー。と赤子は意味のない音をこぼしながらも決してぐずったりせず、始終機嫌が良いままであった。

次々と木々が切り倒され、丸太をゴリゴリ加工して木材とし、それをどんどん積み上げる。

そうして出来上がる木材タワーを見て、赤子はキャッキャッと無邪気に笑った。

 

そのキラキラと輝く一対の目に見守られながら、アリシアはこの森に集合した肉体――全体の内の四分の一(10万)程度の身体を操作して、次々と風呂場や作業場などの施設、そして居住地を組み上げていく。

過去に作った拠点を参考に配置を考え、その合間合間を道が舗装されていく。

圧倒的な数の人的資源を湯水のように使い倒し、着実に『街』が出来上がっていっている。

 

 

「うーん……もうしばらくすれば住むのに不足はなくなるな。防備面は追々考えればいいだろう。この森にはさほど危険な魔物も住んでいないようだし」

 

 

そうして赤子を抱いていたアリシアだったが、ここに来て漸くあることに気付く。

思わずあっと声を上げた。

 

 

「そういえばこの子の名前知らないじゃん……!」

 

 

赤ん坊、赤子、この子。

そう呼ぶばかりで、個人を識別する名前を知らなかった。

 

これはマズイ。

母親になろうと決意した矢先のことだ。アリシアはちょっとばかりヘコんだ気分になる。

 

 

「スレープ、スレープ。この子の名前ってなんなんだ?」

 

「ヒヒィン」

 

「あー、なるほどぉ!って分からんわ!」

 

「ブルル……」

 

 

スレープは何いってんだこいつと言うように呆れた眼でアリシアを見る。

さすがにその視線を向けられると、アリシアはなんだか負けたような気分になった。

 

 

「あー……なんか名前が分かるようなものって無い?」

 

「ブル……」

 

 

スレープは首を緩く横に振った。

手掛かりはないらしい。

 

 

「あー……じゃあ、さ。俺が、名前を決めていいか?」

 

「ヒヒィン!」

 

「お、おお!良いのか!?そっか……そっか……!」

 

 

腕の中の赤子に目を向ける。

見れば見るほど不思議な色彩をした虹色の瞳を見つめ、前世と今世合わせて初となる名付けに頭を悩ませた。

 

ハース、シオン、セシル、ガーランド、レイシア……と思いつくだけの名前を口に出して、そういえば。と思い出したように声を上げる。

 

 

「この子って、男の子の前提で名前決めようとしてたけど合ってるのか?女の子だったりしない?」

 

「ヒヒィン」

 

「あ、男なんだ。じゃ、勇ましい名前をつけてやるからなぁ!!」

 

 

うおおー!

スリスリと赤子に頬ずりをし、再び名前に頭を悩ませた。

これっぽっちもノウハウが無い故に足りない知識を振り絞り、可能な限りの由来を持たせようと知恵を凝らす。

 

この世界ではどうだか知らないが、前世における日本であれば『名』とは深い意味を持っていた。

名は体を表す、という諺もある。

名を知られることで『呪術』、と呼ばれるまじないの類によって身を害される危険も有る。

あるいは、名を持つことによって存在を証明する。はたまた名前によって実体の方向性に影響を齎す――なぞ、恐ろしい話だってある。

 

名前とはそれほどまでに重要だ――と、元日本人のアリシアは考えているが、その実この世界において名に深い意味をもたせるような事例はそう多くない。

 

勿論それは愛情がないとかそういった話ではなく、ただ単に親にその教養がないというのが主な理由だったりする。

 

この帝国の識字率……というのは正直高くなく、一般庶民には縁が薄いものだ。

全員が読めないと言う程ではないが、商人や貴族でもなければ文字を学ぶ機会すら無い。

それこそ、文字を読める庶民というのは一つの村に二、三人程度だ。

 

そんなこの世界で人間につける名前に意味を持たせる行為は、殆どの庶民には馴染みがないだろう。

 

 

「うーん……ハイリア、ラーズ、アヒム、アロイス………………駄目だな。分からん」

 

「ブル」

 

「そもそも横文字での名付けの方法が分からん……名前に意味を持たせるっていうのはどうやるんだ?由来か?歴史に因むのか……?この世界の歴史なんぞ分からんが……?」

 

「あうー?」

 

「むー……なあなあ、お前はどんな言葉がいいんだ?もうお前が選んでくれ」

 

「ブル!?」

 

「よーし、じゃあ言うぞ!これは!?と思える名前を選んでくれ!」

 

「ヒヒィン……」

 

 

しょうがねえなあ。

そう言わんばかりに首を揺らし、アリシアが次々と連ねる名前に耳を傾ける。

 

アルベルト、ハンネス、クリストフ、クリフォード……。

 

 

「ブルル……」

 

 

意外と知識は蓄えているのだな。

スレープは密かに感心した。

 

正直特殊すぎる魂に惹かれて、直感のままに「こいつだ!!!!」と跳ね飛ばしてその魂を運び込んだが……この少女自身に関してはそれ以降ノータッチ。

彼女自身のことは何も知らなかった。

 

……特殊な魂、という事情を加味しても、この精神は中々異常に思える。

 

というか、そもそも自分を殺した人外と何故仲良くできるのだ?

 

スレープには心底不思議でならない。

それまでの平穏を破壊した己を殺そうと剣を向けられることぐらいは覚悟していた。

それがこの赤ん坊の未来に必要ならば、彼女に殺されることだって受け入れるつもりだった。

 

 

「エンシオ、セドリック、シリル、アンドレイ……」

 

 

目の前で穏やかな顔で佇む少女は何もしてこない。

それどころか、突然押し付けられた赤子の事をちゃんと考えて、自ら世話をしようとしている。

 

以前の彼。

今の彼女。

どちらも正気をすり減らし、狂気に侵されているようにも見える。

 

 

「アドルフ、バルテル……あーっと、ロスリック」

 

 

けれど今のアリシアは静謐だ。恐ろしく穏やかだ。

 

つい先程までは何かに焦がされるように、何かを求めるように鬼気迫るような形相だったというのに。

匂い立つような血の香り。それが己の鼻腔を満たしたほどだ。

 

それが、目の前の少女とつながらない。

まるで、プッツリと途切れた糸同士をつなぎ合わせたみたいにチグハグだ。

 

 

「うーんと……あと何があったかなぁ」

 

 

……何故、なのだろう。

途端にバケモノのように思えてきた。

だからといって何かが変わるわけではないが、どうしてもその精神が理解できない。

『向こう側』からの呼び声を受け続けていたにもかかわらず、未だに損傷も、変質も、疲弊もないその魂。

 

『死運び』として幾千幾万の魂を観察した己からしても、この子は―――。

 

 

「……ブルル」

 

 

まあ、関係無いな。

一人――一頭で納得する。

考えたところで意味など無い。意義など無い。何も、変わらない。

 

 

「お、この名前がいいのか?おっけーおっけー!じゃあ決定な!」

 

「ブルル?」

 

 

パチクリ、目を瞬かせる。

しまった、聞いていなかった。

今の鳴き声を選択した声だと思われたらしい。

少し考え事に没頭しすぎた。スレープは少しばかり反省した。

 

 

「おー、よしよし。名前が決まったぞぉ。お前は今日からアダム(・・・)だ……よろしくなー、アダム」

 

「あー!」

 

「ブルル」

 

 

まあ、いいか。

一先ず、名前が決まった保護対象を祝福しよう。

スレープはのっそのっそと二人に近付いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それからというもの、日々は目まぐるしく流れていく。

仮の住居に身を落ち着けて一週間、アリシアはこれ以上無い疲れを感じている。

赤子の世話なんて一度も経験したことがないために、必要なことが何かさえ全く知らなかった。

一応、食事とトイレの世話、それと体温を適切に保ちさえすれば問題ない。それぐらいなら……と思っていたが、この食事というのが曲者。

 

無論、当たり前だがアリシアに母乳なんて出せない。

というか、出すという行為に必要なもの――つまり妊娠するのには大きなハードル(男の精神)があるのだから当然だ。

だから必然、食事には別のもの――例えば、赤子の身体にも良い動物のお乳というのが必要であり、それを探すのに大変苦労した。

それまでの食事をどうしていたのか分かればよかったのだろう。けれど育児キットなんて渡されていないのだ。

 

だから探した。

街で聞き込みをし、森に分け入り、草原を駆け抜け、情報提供にあったそれっぽい哺乳類を拉致――んん!失礼、協力を頼み、アダムの目の前で公開搾乳を行って飲ませようとする。が。

 

 

「やー!」

 

 

とぐずり、その目論見もすぐご破産となったのだが。

けれどアリシアは諦めきれず乳を搾った。

それはもう、搾りに搾った。

動物達に「まじかよこいつ……」という目で見られながら搾乳を行い、アダムに飲ませようとした。

 

 

が、駄目!

 

 

どれを差し出してもプイッと顔を背け、アリシアと母乳提供元に少なくないショックを与えたのだった。

 

そして迫るタイムリミット(ごはんタイム)

白熱する搾乳。

弾ける母乳。

 

 

―――が、無駄……!!

 

 

次第にアダムが空腹からぐずり始め、それを満たさんとするアリシアと動物達の戦い。

それはもう頑張った。

きっとこの森の動物達の間で長く語り継がれるであろう戦いは、しかし唐突に終わる。

 

 

「ブルル……」

 

 

しょうがねえなあ、とでも言うようにのっそのっそと歩み寄ってきた黒馬――スレープ!

その巨体を揺らしながら泣き始めたアダムのもとに寄り添ったかと思えば――なんと、彼……否!彼女は自らのお乳を与え始めたのだ。

 

アダムは喜んだ。

アリシアも喜んだ。

動物達は悔しがった。

 

自分達の乳がこの馬に負けたことにそこはかとない敗北感を覚えつつ、笑顔の二人から笑顔で見送られ、自分達の住処へと帰っていった。

その背中には哀愁が漂っていたという。

さもありなん。

唐突に拉致されたかと思えば自らの乳に難癖をつけられ、唐突に勝手に解決して返される……嫌がらせかな?

 

 

ともかくこうして食糧問題は解決したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

毎日アダムにスレープの乳を与え、ぐずればあやし、トイレの世話をし、時折漏れる魔力っぽい波動に驚き、ぐずればあやし、服を着せ替え、風呂に入れ、ぐずればあやす。

 

その繰り返し。

アダムは甘えん坊なのか、しょっちゅうアリシアにおんぶをねだってはその背中で眠りにつく。

 

その寝息を耳に受けつつ、各地に散らばった肉体を運用し、より発展を重ねるための思考を重ねる毎日。

 

 

今のアリシアには『あの声』が聞こえていないが、しかし何かに焦がされるような啓示が――ああ、警告、或いは危機本能は変わらず機能している。

 

――ナニカが来る。

 

ナニカ、良くないものが訪れる。

そんな近い未来を感じ取っていた。

うなじがチリチリとひりつくのだ。

 

 

それがどんなモノかは分からない。

けれど、あの男の口ぶりからして、きっとアダムに対する悪意――その類がいずれ訪れることは把握していた。

だから、警鐘はきっとそれを示しているのだろうか。

……きっと、そうなのだろう。

ならば今のままでは不足だ。

藁葺きの建物なんて、バケモノには吐息一つで吹き飛ばされてしまう。

勤勉であるアリシアは、レンガの家を拵える必要があるのだ。

 

 

備えなければならない。思考を続けなくてはならない。立ち止まってはならない。

そのために遥かな北の土地で手に入れた『アレ』まで使ったのだから、そのために■れたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…………あれ?

 

 

 

 

俺は、何を■れたのだろうか。

 

……………アリシアは、静かに首を傾げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 





アリシア分布図
特に肉体が多く配備されている土地を地図に記す


【挿絵表示】




<TIPS>

「おばあちゃんの作ったケーキ」
とある街で赤ちゃん用の商品を取り扱う老婆が作った、おいしいケーキ。

お嬢ちゃん。
あなたの事情はわからないけれど、私はあなたの子育てに協力するわ。
きっと、大丈夫。
あなたがその子を愛してあげられるなら、きっと健やかに育ってくれるわ。
そして、愛には愛を返してくれる。

だから、愛してあげてね。
私には、出来なかったけれど。



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増殖少女、その日常

CLIP STUDIO買いました それで遊んでました!!!(懺悔)
いやぁ、無料のソフトよりも扱いやすいですね……!!!

あとDARK SOULS 3 持たざるものプレイしてました!!(懺悔)
Lv1縛りは良いぞお!!!段々脳みそが戦いに最適化されていく!!!
これまでは出来なかったローリアンのパリイとか楽々できるようになったわ!!!




豚ゴリラさんから送られた支援絵です!!
わあ、嬉しいなあ!!!
CLIP STUDIOに乗り換えてから初めて書いた作品だそうです!!!!!
すごいね!!!!!!!!


【挿絵表示】






:::::<1:建設風景>

 

 

 

それは慣れない育児の最中の事。

アリシアは大陸中から肉体を集結させ、ますます拠点の開発を推し進めていた。

いくつかの大きな街や中継地点に滞在させるものを除き、総数39万もの肉体がこの森の内部へ犇めいている。

木材を組み合わせ、釘を打ち、板を張り。

多様な建築物を教本片手に形造り、それを補助する為にも道を舗装し、救護室を造り、工事現場よろしく仮設トイレを造る。

まさに世は大工事時代である……!!

 

 

 

トン!カン!ゴン!

いたる所で繰り広げられる建築ラッシュ。

その内の一角であり、第四区画と名付けられた場所でも、今まさに作業が始められようとしていた。

 

アリシアは赤い瞳で同色の瞳を見つめ、次いで頭を厳重に保護する黄色いヘルメットに視線を向けた。

『安全第一』。

そう書かれた文字――規則を守るため、形の良い指でヘルメットを指し示す。

 

 

 

…………指を耳元に上げた。

 

 

本当にいいのか?

ヨシしていいのか?

このヘルメットはキチンと保護の役割を担えるか?

固定具は付いているか?

グラついていないか?

フライドポテト食べたい。

お酒飲みたい。

 

 

「ヨシ!!」

 

「ヨシ!!ご安全に!!」

 

「ご安全に!!」

 

「ご安全に!!!」

 

「ご安全に!!!」

 

 

ヨシ!!掛け声が工事の喧騒の中に溶ける。

新たに建設される住宅地、その施行前の確認を済ませたアリシアが作業に取り掛かる。

木槌を持ち、釘を手に、木材を肩に。

ビックリ人間ショーよろしく人体の限界へ挑む。

 

……正直、同時にやるべきではない。というかやってはならない。

が、しかし!!それでも根本的に頭が悪いのかアリシアはやってしまう……!!

 

 

――グラッ。

 

 

ああ!やはりというべきかバランスを崩してしまった……!!

 

 

「ちょっ、ま!!」

 

「ぐあ!?」

 

「倒れ……!」

 

 

ガタン、ドシン!!

 

揺らいだ木材がすぐそばで木槌を振るっていたアリシアの頭部にぶつかり……そして、崩れたバランスのままに体が揺れ、木槌が飛び、釘は地に落ちる。そして木材――詰まるところでかい棒が飛び跳ねた!!

 

 

「ああああ!!あああああああ!!!」

 

「あああああああ!!!」

 

「あああ!!あああああああああああ!!!!」

 

「やめっ、やめ!止めろっつってんだろぉ!!?」

 

 

きゃーきゃーわーわー!!

アリシアの悲鳴が複数の喉から飛び出した。

しかし絵面があまりにもコミカルであり、しかも大きな怪我に成りうるものは一つ残らず回避しているので完全にギャグシーンのよう。

怪我よりも彼女の頭を心配したほうが良さそうである。

 

 

そうしている間でもてんてこ舞いになっている肉体とは別の所でもキチンと作業は推し進められており、ぶっちゃけ幾つかの肉体……それこそ数千単位であれば遊ばせていても問題ない。

計画した日数はかなり緩めの条件で設定されているので、多少の綻びは無視できるのだ。

それにアリシアは遊びに熱中しながらでも仕事も同時にこなせる。

なら精神衛生上遊びながらのほうが気楽に仕事ができるのではなかろうか?

 

 

おもむろに屋外テーブルエリアに4つの肉体を配置し、長机に一列に座らせる。

その対面に更に一人を配置し、トランプ(近くの街:ハイデラで購入)を使ってカードゲームを仕掛けた……!!

 

山積みにされたメダル(おもちゃ)をそれぞれ取り出し、ディーラー役の肉体はカードを分配する――が、そこでハッと気付く。

そもそも自分でやってても意味ない、全て見えている……!!

 

 

「くそァ!!」

 

 

カードを放り投げ、怒りのままにメダルをジャラララ!!と振り落とす。

 

……しゃがんで一つ一つ回収する。

やはりこの辺り、"一人ぼっち"というのは不便だと思った。

同居人であるアダムとスレープは拠点の外れ……騒音が届かない位置に構えた居で寛いでいるが、とてもではないが一緒に遊ぼうと声を掛けられるような相手ではない。

 

方や馬。方や赤ん坊。

無理だ。

 

せめてアダムが成長するのを待つしか無いだろう。

 

 

……それまで、アリシアの娯楽に付き合ってくれるような相手は……いや、そうだ。

何もこの拠点に限定する必要はない。アリシアは天啓を得たような気持ちになる。

それこそ、そこそこの規模の街でもあれば娯楽施設に困ることはない。

それは演劇であったり、賭博所であったり、、吟遊詩人の歌を聞くのもいいだろう。

 

……外の世界には希望にあふれている……!!

 

 

――ごめんなアダム、これから俺、億万長者になってくるよ……!!

 

 

家の中で抱いたアダムにそう声を掛け、頭をサラリと撫でた。

いや、まあ家にいるままであることに変わりはないんだけどね!

 

けれど俺は夢を掴むのさ……!!

――アリシアは早速革袋一杯の銀貨を手に、そこらへんの街にある賭博場へ駆け込んでいった。

40万の演算能力を持ってすれば、博打なんぞ恐るるに足らんわ……!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次回、地下帝国から始まる『賭博増殖録アリシア』。ご期待ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

:::::<2:育児のお話>

 

 

 

「おぎゃあああああぁぁ!!!」

 

「おー、よしよし。どうしたんだアダム、ごはんかなー?」

 

 

暖かい温度を感じさせる木造建築の内側に、元気いっぱいの泣き声が鳴り響く。

アリシアはぐずるアダムをベビーベッドから抱え上げ、特に変化の無いオムツを見て、空腹であると判断した。

 

とりあえず母乳提供元のスレープに声を掛けるため、隣に建つスレープ用の特製厩舎に足を向けた。

 

 

「おーっす、入るぞー」

 

 

彼女の体躯でもスムーズに出入りできるように作られた巨大なドアを開き、中に敷き詰められた藁を踏みしめた。

 

 

「っと、あれ?いないのか?」

 

 

――しかし、天井に吊るされたランタンが照らす寛ぎの間には誰もいない。

 

何時もであれば藁の上にその黒い体を横たえ、優雅に人参でも齧っているはずだったのだが……。

 

 

「……むぅ、参ったなあ。あいつしかアダムの飯を用意できないのに……」

 

「あぶ……」

 

「お、泣き止んでくれたのか。おーよしよし、お前は賢いなあ。スレープが帰って来るまでもう少し待てるか?」

 

「だぁ!」

 

「ええ……ほんとに賢いな……」

 

 

アダムは魔族の赤子と言うだけあって、最も地上で栄えている人類とは比べ物にならないほど種として優れた機能を有する。

その身体機能はさる事ながら、何よりも凄まじいのは生存能力。

生きるという活動に必要な全て。

それに恐ろしい程の補正が掛かっているのか――アダムはエネルギーの消費効率が凄まじく良い。

食事は一日に一回摂れば満足で、生の痕跡を残す排出行為は低い頻度――加え、アリシアは知らない事だが……必要とあらば意図的に仮死状態になり、敵対者から存在を隠蔽する力場さえ発生させる。

魔族としての生命力を合わせれば、恐ろしく生き汚い赤子の完成だ。

 

 

「だぅ……」

 

「……眠いのか?じゃあ、暫くここで昼寝するか……」

 

「……う」

 

 

アダムを抱えたまま、アリシアは隅に積み上げられた藁山に寝っ転がった。

魔族といえども赤子は赤子。

寝て泣くことが仕事という事実に変わりはない。

ここ最近……といえどもここ1、2週間の話だが、だいぶ手慣れた動きでアダムの背中を緩やかに叩く。

 

トン、トン、トン。

 

一定のリズムを心掛け、少しぐらいは母らしくあろうと優しく。柔らかく。

 

 

アダムの寝息が聞こえるのはすぐだった。

……それに釣られてアリシアの寝息が混じるのも、そう後のことでもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「う……?」

 

「……起きた?」

 

 

それから暫く。

中天で輝く三つ子の太陽は緩やかに東へ向かい、仲良く地平線の彼方へ沈もうという途中。

真っ赤に染まった夕日が作りかけの街を照らす中、アダムはのんびりと目を覚ました。

 

くぁ、と小さなあくびが飛び出した。

 

それを見たアリシアは、くすりと小さく笑った。

 

 

「うう……」

 

 

上体を起こした姿でアダムの寝姿を見守っていたアリシアに小さな両手を差し出しわたわたと手を動かす。

つまるところ抱っこしてほしいという要求だ。

 

それを見て仕方ないなあ、と頬を緩め、優しく抱き上げた。

 

 

「……さて、どうすっかなあ……スレープはまだ帰ってきてないし……」

 

「うあ」

 

「ってか、どこ行ってんだあいつ……?せめて言伝……は無理だな。馬だし。けど何とか教えくれりゃ良かったのに……そんで母乳置いてけ」 

 

「だぁ……」

 

 

やれやれ、と首を竦める。

中々のパワーワードが飛び出しているが、そう思うのも無理はない。

現状、スレープの母乳しかアダムが口にできるものが無いのだ。せめて離乳食を口にできる時期であれば良かったのだろうが、まだまだアダムは産まれたて。

スレープ――魔物の母乳というのは、この街において最も重要な物資となっていた。

 

 

「……ふぇ」

 

「……あっ」

 

「ふぐっ、ふえ……っ」

 

「お、おお……そりゃそうだよな、お腹すくよな……でもスレープ居ねえ……!!」

 

 

魔物の母乳。

それ即ちアダムの生命線。

スレープが居ないという現状はアダムの胃袋とアリシアの心にダイレクトアタックをかましていた。

供給を安定させるために、遠く離れた土地でミルクを出せる魔物を捕獲し、それを移送している途中だが――とてもでは無いが今この瞬間には間に合わない……!

 

 

「だ、ふぇっ」

 

「何か……!そう、何か空腹を紛らわせるモノは……!?」

 

「ふぁ、ふぅ……っ!――びええぇぇえんっ!!!」

 

「ぬぬぬぬ……っ。ごめんなあアダム……もうちょっとしたらスレープが帰って来てくれるからなあ……!」

 

「ふええぇぇぇえん!!」

 

 

大きな、物悲しげな泣き声が夕日の中に溶けていく。

空腹というのはおよそ全ての生命が避けられぬ悲しみの象徴だ。

アリシアとて、前世でその苦しみを腐る程に味わった。

だからこそ、それをアダムに感じさせている事がとても辛い。

 

何か気を紛らわせる事ができるようなものは無いだろうか?

アリシアは厩舎から出て街の中で様々な試みを決行する。

 

 

――はじめに手にとったのは、今日作ったばかりの新しいおもちゃ。

 

「びええぇぇえん!!」

 

……しかし泣き止まず。

 

 

――目の前で指遊び、そしていないいないばあ!

 

「ふええええぇぇん!!」

 

……泣き止まず。

 

 

――ビックリ人間ショー!!

 

「ふぁ!?……ふぐっ、ふえええええええぇぇぇえんっっ!!!!」

 

「もっと激しくなった……!?」

 

 

アリシアは頭を抱える。

自分に育児の経験が無いことがここまで響いているのだろうか。

アダムは一向に泣き止まない。

既に空が黒色に移ろい始めているというのに、ますます泣く。どんどん泣く。

アリシアも泣きたくなってしまった。

 

 

「どうしよう……どうしよ……!!」

 

 

こんな時どうしたらいいのか……アリシアは知らない。

()()()()()()()()()()()のだから、何が最も効果的なのか……何も分からないのだ。

 

……こんな時、世間の母は何をしているのだろう。

大凡知る限りの技は使った筈……だが。

 

……そもそも、アダムは空腹なのだから泣いている。

アダムでも口にしてくれるものでもあれば……そう、おしゃぶりのようなものでもあれば多少はマシだったのかもしれない。

 

けど、この世界でおしゃぶりは作られていないのか、一切見かけることが無かった。

 

 

「………うん?」

 

 

――アリシアの脳裏に電流が奔る。

 

……おしゃぶり……?

 

……おしゃぶり。

それはつまり、あのゴム製の……そう、女性の乳房の先端を模したブツである。

 

……そして、今の己は女である……!!

 

 

「いや、待て。いいのか?そこまでやると……ますます女である事実を認めてしまうような……!!あ、でも一回だけでもアレをやった時点で……いや待て待て待て、ちゃうねん、そうじゃないねん……!!違う違う……そうじゃなくて今はアダムの事だ……けど……けど、いいのか、本当にいいのか……!?」

 

「ふえええええええぇぇぇえぇんっ!!!」

 

 

 

 

――アリシアは覚悟を決めた。

 

元が男の己であろうとも、母になると決めたのだから……!!

世のお母さんたちを見習え……!!すっげぇぞ……!!

さあ、だから俺もいくぞ。乳は出ないけど許せよアダム……!!!

いざ、いざ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼方の花畑。

どこにあるとも分からぬ、色鮮やかな色彩に包まれた純黒――スレープは、のそりと頭を持ち上げた。

今、どこかで少女の声が聞こえた気がする。

そう、現在行動を共にしてる、新たな同盟者の声だ。

 

………そういえば、そろそろアダムのご飯の時間だったか。

すっかりその事を失念していたスレープは、申し訳なさそうに鼻を鳴らした。

 

 

「ブル」

 

 

花畑の中心部に一度視線を向け、ゆっくりと蹄を逆方向に向ける。

ここで眠る我が子には悪いが……今自分は二人の子供を抱える身なのだ。

 

方や魔族の希望たる赤子。

 

方や危なっかしい――そして己が殺した、『逸脱者』の少女。

 

どちらも、可愛らしくて世話を焼かずにはいられないの。

どうか許してほしい。

 

 

 

 

――もう暫く待っていて。もうちょっとしたら、私もそっちに行くからね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

:::::<3:冒険者、アリシア>

 

 

石畳の広がる大通りを、アリシアは五つ子スタイルで歩いている。

それなりに背の高い建物に道を挟まれ、しかし全く圧迫感を感じない程度には広い道。

その両端のいたる所に設置されている店を見て回りながら、遅めの朝食を探して品定めの視線を彷徨わせた。

 

 

その姿を見つけた壮年の男は、自分の有する酒場の出張所――荷車を改造した移動店舗から声を張り上げる。

 

 

「おう!ウーラソーンの嬢ちゃん達!!今日もいい肉入ったぞお!!今なら1つ銅貨一枚だ!」

 

『食べます。串焼き5個ください』

 

「毎度ぉ!銅貨5枚ね!」

 

 

チャリチャリ。

アリシアの革袋から取り出された銅貨を屋台のおじさんに手渡し、代わりにタレをたっぷり塗られた串焼きの肉を受け取った。 

お礼の言葉を口にし、その開いた顎で脂の乗った肉にかぶりつく。

 

前世の常識で考えるとすこしマナーが悪いかな、と思いつつも食べながらで再び足を動かした。

 

 

ここはアリシアが建設中の拠点から比較的近いこともあって、常に5つの肉体が『冒険者のウーラソーン姉妹』として常駐している。

いつかの日に用立てた身分はここでも役に立っている。アリシアは過去の自分の采配に喝采を贈りたくなった。俺賢い!

 

 

「んぐ」

 

「やっぱおっちゃんの料理は……最高やな!」

 

「これであと3日は戦える……!(ガチ)」

 

 

そんなおっちゃんが店を構える『ハイデラ』という街は、特に変哲のない作りの街。

防壁はちょっと頑丈だが、建物はすこし古く、舗装された道は所々で綻びがある。

 

けれど財政難と言うわけではないし、かといって潤っているわけでもない。

治安はそこそこ。物価もそこそこ。

普通の名産品があり、旅人もそれなりに訪れる。

The 普通といった雰囲気が漂っているが――しかし、一つだけ他とは違う特色がある。

特別群を抜いて特別というわけでもないが……それこそが、アリシアが街の中に居を構える理由。

 

 

 

 

――カァーン!カァーン!!カァーン!!

 

 

 

すべての体を見せ始めたばかりの太陽の照らす地上を、騒々しい金属音が切り裂いた。

アリシアが歩く石畳の道の上でも反響し、周りを歩く通行人達もその音に驚き――と言う訳ではなく、慣れた様に、あるいは実際に「またかよ」と口に出して建物の中に引っ込んで行く。

 

 

アリシアはその音を耳にした瞬間、大通りを全力で疾走する。

 

 

日々弛まぬ訓練を積む拠点の肉体からフィードバックされた機能を十全に活かし、統一された規格による高効率な動作で以て距離を縮めた。

 

アリシアが目指す先、そこは町の正面にある大門。

外部との血管が繋がる出入り口であり、そして冒険者ギルドが作った防衛拠点がある。

 

 

移動するにつれてアリシアの周囲には、同じように全力で走っている武装した人々が居た。

 

皆一様に槍や剣、弓や杖を携え、それぞれ多様な紋様と個人の名前が描かれた銀の板を首から下げている。

 

――つまりは認識票。

彼等はアリシアと同じ冒険者だ。

 

 

「おう、ウーラソーン姉妹か!今日も速えな!!」

 

「おじさんもな!」

 

「てかこの前怪我してたよな?」

 

「大丈夫?」

 

「これから()()()だよ?」

 

「女子供、怪我人はすっこんでな……!!きりっ」

 

「おま!この前言ったのまだ根に持ってんのか!?悪かったって!!」

 

 

やいのやいの。

並走する革鎧姿の男と雑談しながらも速度を一切落とさず、合間合間で合流する他の冒険者も輪に入れ、10分ちょっとの時間をかけて大門へ到着した。

 

 

「もう戦いは始まってんのか……!!」

 

「よぉし!いっくぞぉ!!お前らもまた後でな!死ぬんじゃねえぞ!!」

 

「じゃ、お先ぃ!」

 

 

ついさっきまで会話していた同業者はそれぞれのグループやソロの形で散らばっていき、大門を攻め落とそうとする()()()()()を思い思いに迎え撃つ。

 

緑の小鬼、堅牢な甲羅を持つ亀、大きな黒い蜘蛛、子供程度なら一呑みにできそうな緑の蛇。

 

アリシアは剣を抜いた冒険者の男達を見送り、自分も剣や槍を手に吶喊した。

 

 

ズン!

 

 

地面を踏み抜く。

筋力に優れた者であるなら、何も考えずに直感で肉体を操作し、そしてそれで敵対者を殺せるのだろう。

 

しかしアリシアはそうではない。

どこまでも凡庸な四肢の力を使って敵を殺すのなら、よく考えて駆使する必要がある。

 

 

大地を足で掴め。

踏み込みの力は最小限にしろ。

無駄な力は全部削ぎ落とせ。

生まれた衝撃――余剰な力は全て剣に込めろ。

四肢を回転させろ。

 

 

――そこまでして、ようやく敵に通ずる牙になる。

 

 

ザン!!!

 

 

五重の音と、肉を、骨を、神経を断つ感触がアリシアの腕を這い回った。

 

 

「――おおおおおおおッ!!!」

 

 

振り払う。

お前らは敵なんだから、そんなのは関係ないんだ。

 

 

 

――だから、死ね。

 

 

 

剣を振り被り、大きな蜘蛛へ突貫する。

一と二は正面から。

三と四は左右から。

五を担当する肉体は、普段から特に多く持ち歩いている道具類――投げナイフや毒針、簡易催涙弾を投げつけるために常に射線を通す位置に。

 

 

一振り、蜘蛛の足を断つべく石剣を突き立てる――が、回避。その長い足を振り払い、先端の爪でもって刃を弾いた。

 

 

――火花が散る。

 

二振り目、下段からの斬り上げ。

大地ごと巻き込み、盛大な土埃とともに振るわれた斬撃は――しかし、その赤い複眼に見切られいとも容易く避けられる。

 

音もなく後方に下がったソレを追い詰めるべく左右からも槍を振るう。

 

大振りな横の薙ぎ払いと甲殻を射抜く突き。

大胆に、そして繊細に放たれた二対の攻撃。

 

 

「キシ――」

 

 

上方を狙って放たれたソレを伏せるだけで避けられると踏んだのか、蜘蛛は地を這うように身体を落とし、その足さえも折りたたむように身体を縮めた――

 

 

それは悪手だ。

 

 

ブオン!!

 

 

蜘蛛の背甲を掠るように放たれた薙ぎ払い――その勢いのままに体を一回転。

体の捻りを加えた上で今一度足を踏み出し、二回転の力を込めた叩きつけを放つ――!!

 

 

「ギィ!?」

 

 

ドン!!

 

 

腹の底を叩くような衝撃音が響く。

元は非力な少女のみであれど、運用次第ではその力を如何様にも高めることができるのだ。

 

 

ドン!!

ドン!!

 

 

響く。

響く。

少女は二振りの槍を力強く叩きつけ、蜘蛛の背甲を叩き割らんとあらん限りの殺意を込めた。

 

 

ドン!

ドン!

ドン!

ドン!!

ドン!!

ドンッ!!

ドンッ!!!

 

轟音が交互に鳴り響く。

その音が蜘蛛の聴覚を刺激する度に、立ち上がろうとしたその体を再び地面に沈められる。

 

 

立ち上がろうとする。

叩き付けられる。

立ち上がろうとする。

叩き付けられる。

立ち上がろうとする。

叩き付けられる。

立ち上がろうとする。

叩き付けられる。

立ち上がろうとする。

叩き付けられる。

立ち上がろうとする。

叩き付けられる。

 

 

ああ、ただ藻掻く事しか出来ない。

なんと口惜しい!

 

 

「ギ、ギ!!!」

 

 

――ガパリ、と大きな口を開く。

 

覗く牙はテラテラと粘ついた輝きを放ち、その身に秘めた毒をこれでもかと言うほどに主張している。

 

 

「ギギギ!」

 

 

蜘蛛は勢いよく顔を持ち上げる。

叩き付けたばかりで隙だらけのアリシア、その片割れへ向けて複眼を向けた。

己の毒を以って、こんな小さな人間程度一滴で殺し尽くしてやるとも……!

 

 

「キシィ!!!」

 

 

その身に残された魔物の怪力を総動員し、突破口を作るべく殺意のままに跳ね起きる――!!

 

蜘蛛が見ると、この愚かな人間は未だに防御の体制に入っていない。それどころか、まだまだ己を押さえつけているとでも思っているのかその鉄槍を大きく振りかぶろうとしている。実に愚かッ!!

 

 

――殺った!!

 

 

蜘蛛――単体危険度6の(ベテランでなくては殺せない)魔物、『シュラーブ』はそう確信した。

 

 

……しかし、無意味。

 

 

 

――ズルリ。

 

 

鋼が肉に食いつく音が蜘蛛(シュラーブ)の聴覚を刺激する。

この人間の肉に喰いついた!という感覚の代わりに得たのは、自身の口腔の内部いっぱいに広がる鉄の味。

 

目の前に居た人間は鉄槍を振り被り――否、それを終え、今まさに自身に振り下ろそうとしているところであった。

はて、何故己はこの人間を未だ食えていないのだろうか。

何故、何故―――?

 

 

ズドン!!

 

 

音が響く。

ピキリ、と背甲が割れ、柔らかな内部をさらけ出した蜘蛛(シュラーブ)

口に突き立てた剣を引き抜き、槍の動作を阻害しない位置から剣で斬りつける。

 

――もう一体、後方から走り寄る。

そのアリシアは存分に乗せた勢いのまま、あらん限りの力を込めて剣を突き立てる。

 

 

グサ、グサ、グサ、グサ、グサ、グサ!

 

 

黒い血が辺りへ飛び散った。

周囲への警戒を飛び道具を有する五の肉体で担当し、ただこの危険生物を一刻も早く殺しきらんと一心不乱に、容赦なく乱雑に剣と槍を突き立て続ける。

 

……蜘蛛(シュラーブ)がその意志をあっけなく霧散させるのは、それからすぐの事。

 

 

 

 

 

――ああ、口惜しい。後もう少しで、この街の、この、土地の、魔王様の、遺産を――――。

 

 

 

 

 

この土地に眠る魔王の残滓。

幽かに残った神代の魔力を求めた魔物達による大攻勢は日常茶飯事。

 

張り巡らされた防衛拠点。

力と名誉を求める冒険者達の戦いは終わらない。

彼らと同じ冒険者としてこの地に居着く――ただの冒険者としてのアリシアは今日も変わらず血を浴びた。

 

 

 

その胸には、『()等級冒険者』の認識票が輝いている。

 

 

 

 

 

 




<TIPS>

「魔王の石剣」
嘗てこの世界の半分を支配していた古の王。彼が生涯愛用していた大きな剣。
いつかの日は悍ましいほどの魔力を宿していた剣だった。
しかし、魔王亡き後は東の街――魔王が滅んだ地にある地下神殿に収められ、気が遠くなる程長い間浄化の祈祷が繰り返された。もう、嘗ての面影さえも残していない。
今となっては幽かな残り滓が闇として焼き付いているのみ。

彼は、全能の父によって鍛造された『逸脱者』でもある。



ああ。誰か、誰か。
私の、俺の、僕の――産まれた意味を、教えておくれよ。




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金貨の王


誤字報告兄貴姉貴達ありがとう!!!!ありがとう!!!!!!!そしてありがとう!!!!!!









東に広がる帝国有数の森の中。

 

この鬱蒼と茂る木々の奥深くに街がある、という事を知る者は全くいない。

微かな噂話として、ちょっとした与太話程度として知る者もいるやもしれぬ、が……確かな存在を確かめるような奇特な人物など、誰一人としていなかった。

今は、まだ。

 

 

そして、そんな辺鄙な土地に建つこの街はたった一人の子供の為だけに存在している。

アリシアという一人の少女の尽力の果て。

弛まぬ修練により得た建築技能を懸命に活用し、本職にも劣らぬ技により造られたのだ。……とはいえ、アリシアは自身が増えるという機能を有するが故に、ただ一人の力と言い表して良いのかも解り辛いものだが。

 

ともあれ、「彼女」はたった一つだけの意思によって成り立つ。

故にこの場では「彼女」と、一人を指す呼称としよう。

 

 

彼女の大半の器が住まうこの街が興ったのは少し前――3年前の事だ。

今の街がある面積の大半を木々が埋め尽くし、数少ない完成した住居と、作りかけの生産設備のみが広がっていた。

そしてアリシアはそれを更に発展させようと盛大に木槌を振るい、豪快に工事の音を撒き散らした。

 

木を組み立て、釘を打ち、石を積み、地を均す。

それらを同時に熟す光景は圧巻ではあったが……。

 

ああ、それはもう、当然の帰結として……恐ろしく大きな音が出る。

 

幼き日のアダム――今でも幼いが――を離れた場所に立てた一軒家で育てるのも当然の事。

ストレスは赤子の大敵だ。

のびのびと、自由に育てるのが良いだろう。

 

育児の経験も知識もないアリシアではあったが、その程度のことは容易く理解できた。

 

スレープの乳を飲ませ、おやつ代わりに捕獲した魔物――牛の如き容貌の彼女の乳を飲ませ、おしめを替える。

あやす技も、衛生のいろはも全て心優しい老婆に教えてもらえた。

だからこそ、アリシアでも大きな失敗など無く育児に専念できたのだ。

 

 

 

――それから、2年が経った日のこと。

 

全ての作業が終了した。

 

 

いつかの過去/■れた過去 に暮らしていた街の情景を無意識のままに汲み上げ、まるで要塞が如き堅牢な街が完成した。

巨大な石壁が包む街の内部はどれも計算され尽くした機能美を有しており、人類そのものに敵意を抱かれるというアダムを守る事に不足なし。

アリシアは、やり切った達成感と快感に鼻を膨らませた。

 

 

そんな要塞の街に住まうのはアリシアとアダム、スレープ。

たったの三人だ。

けれどそれで困ることは何もなく、何時もと変わらぬように何不自由なく生活を続けている。

 

 

 

 

 

「――よっ、ほっ、ほっ」

 

 

トットッと軽い足音と共にアリシアが走る。

中天へ向けて昇り始めた三つ子の太陽が照らす中、大きな荷物を背負って小さな呼気を吐き出し続けた。

彼女は背負った物資を必要な場所へ届け、そしてそれを使って作られた『製品』を倉庫へ運ぼうとしているのだ。

 

これも、もはや日常のありふれた景色でもある。

この街で最も見受けられるのは、このように移動するアリシアだろう。

 

綺麗に舗装された石畳の血管を物資という栄養を抱えて移動するアリシアの姿――その数7万。

いつかと変わらぬ小さいままの身体で必死に荷物を背負い、トコトコと駆け回るのだ。

小さな荷物は背負い、大きな荷物は手製の荷車に乗せて牽く。

ただそれだけの行為でも、流石にこの人数で行えば圧巻の一言に尽きる。

 

 

その姿を成長したアダムが心配そうな顔で見つめ、覚えた言葉で必死に窘める。もはやいつものことだった。

 

 

「ん、到着だな」

 

「作品は」

 

「こっちに置いてたな」

 

 

積まれた箱――仏像を収められた木箱をいくつか積み上げ、それを纏めて紐で固定し背負ってまた駆け出す。

これが運搬係のいつものルーチンだ。

 

 

アリシアは朝起きると、物資を一斉に作業場へ運び込み、木工製鉄鋳造製紙と多様な作業に就く。

ドンドン積み上がる製品を運搬係のアリシアが運び、代わりの材料を置いてまた駆け出す。

そのまま夕日が差すまで変わらず動き続き、日が落ちる頃には居住施設で明日に備える。

 

 

ただそれだけだ。

それだけを毎日繰り返している。

増大した40万の桁外れな体力任せで、休みの日などは全くない。

社畜もビックリなスケジュール!

 

 

けれどアリシアは、別にそれを苦とは思っていない。

 

 

だってまぁ?別に遊べない訳じゃないですし?

何なら賭博場に入り浸りながらアダムの世話をして、街角でママ友と話しながら木工して荷物運搬してますし!

 

だから……まぁ、別に苦労はない。むしろ充実している。

 

 

アリシアは腕に抱えたアダムと共に、素晴らしき(憎らしき)この世の春を謳歌していた。

 

この街の中央に建つ一軒家の窓からのんびりと外を眺めているこの時間は、普段の日課の中でも一番のお気に入りだ。

 

いつも通り行き交う自分の肉体を眺めながら、アリシアはアダムと会話を重ねる。

けれど今日はどうしたことか、アダムの表情は少し暗くて……なんとなく落ち込んでいるようだった。

 

 

「……お母さん。お母さんがいっぱい走ってるの、何だか辛そうだよ」

 

「おお……アダムは優しいなあ……!でもお母さんはこうして遊びながら仕事してるし、別に辛くはないぞ」

 

「でも……でもね、お仕事そのものを、ちょっとお休みしてほしいよ……」

 

「アダム……!!」

 

 

アリシアは思わずアダムに抱き着く。

赤ん坊だったアダムは今や3歳。

人間の基準であれば幼児の領域に差し掛かった頃合いだが……魔族としての血が故か、アダムは殊更に早熟だった。

もはや前世で言うところの小学生程度の語学能力を有し、精神年齢もそれに等しい程に育っている。

 

このように常に働くアリシアを気遣って訴えかけるのも、最近少し増えてきた。

それによって時折休みを取り、しっかりと気力を充填してまた働く。

実の息子のようにも思っているアダムの気遣いというだけでも嬉しすぎて元気百倍になるが、全肉体で休み、遊んでいる姿を晒しているとアダムが嬉しそうに笑うのだ。

 

ただ、その姿を見るだけで嬉しく(悲しく)なってしょうがない。

 

ああ、素晴らしい正の循環だ。

 

――それはそうとして、と。

アリシアはアダムの頭をサラリと撫でた。

 

 

「よし、じゃあ明日は休日だ。……とは言ってもこの肉体は常に休日だけどな」

 

「うん!それでも嬉しいよ!」

 

 

アダムは虹色の瞳をキラキラと輝かせる。

幼いながらにも整ったかんばせを綻ばせ、ニコニコとアリシアに抱き着いた。

 

 

「アダム、そろそろごはんにしよう」

 

「分かった!!今日のごはんはなんなの?」

 

「今日は……そうだなぁ。首飾りと腕輪の行商班が手に入れた珍味を使ってみよっか」

 

「珍味!?なにそれー!」

 

「見てからのお楽しみさ」

 

 

明るい笑い声が木張りの床に染み込んだ。

ただ一人を護る要塞。

致命的で、大切なナニカを■れたまま。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「は、ははは……はははははははははッ!!!」

 

 

大きな笑い声が黒と白の部屋に響く。

この大陸の中枢に座す2つの城、その片割れの主は豪勢な椅子の上で腹を抱えてのたうち回った。

 

たった今見た白昼夢。

唐突に脳髄に侵入した刹那の――けれど、情報を得るに不足ない光景は彼の海馬に焼き付いて離れない。

 

 

「まさか、まさか!この私にこんなことが起きるとは!!」

 

 

ああ、これこそが啓示!!

これまで幾度となく修羅場を潜り抜け、計算に計算を重ねた果てに未来を描いた。

それだけが真実だった。

 

が、それは確定した未来ではない。

現実であるが故の、どうしても起こりうる偶然によってかいくらでも狂いが生じる。

 

しかし、しかし!

この光景は本物だ。

現実にある景色だ!

まるで魂に直接叩き込んだかのように、『正しい』と心の底から理解させられた。

これまで己が行っていた未来予測の、なんと杜撰な事か!!

 

なんと素晴らしいお告げ!!

なんと美しい景色!!

控えめに言って、ああいや、控える必要などない!

狂乱した!

私は歓喜に狂っている!!

 

 

「何だあれは!!何だあれは!!何だあれは!!?あははははははははははははははッ!!!!」

 

 

『冒険者の楼主』『亡者』『目を灼かれた人』『欲狂い』――あるいは、『金貨の王』。

そう呼ばれる怪物――ヘンリッヒはただただ笑った。

 

お告げ、啓示、遠視、解析――どれともつかぬ理によってか、脳髄に直接差し込まれた情報が思考回路に踊り狂う。

ヘンリッヒは、その狂喜のままに口を開く。

 

 

「あれは金だ!!金になる!!!どこまでも増える肉体だと!?分身か!?分裂か!?あの規模で!?何だそれは、いくらでも金を生み出せる鉱脈じゃないか!!!」

 

 

バンバン!

仕立てのいい、如何にも高級といった風体の机――そんな事知らぬと力任せに叩く。

今はただ、この溢れ出る感情に身を任せたい!!

なんと――なんと素晴らしく、愛おしい!

 

 

「どこまでも増える奴隷として運用できれば!私達が、私が手に入れられたなら――ああ!ああ!!金になる!!」

 

 

ブルブルブルと体を震わせ、思わず自分の体を掻き抱く。

 

名も知らぬ、実態も知らぬナニカに為された啓示。

それはヘンリッヒの心を激しく揺さぶり、恐ろしい程に素晴らしい未来を幻視させてくれる。

普段と変わらず執務をし、増え続ける金貨に笑みをこぼしていたが――ああ!()は私にもっと幸せになれと言っている!!

 

 

「ニコラウス!!いるか、ニコラウス!!」

 

「――フホ、なんとも荒ぶっておられますなあ!一体何事か!!」

 

「――『金貨』の匂いだ!!」

 

 

部屋の前に控えていたニコラウスは、ドアを開けてすぐに見えた同盟者の言葉に頷いた。

言葉は少ない。どころかまったく足りていない。

 

――しかし!

己達にとってそれは大した問題ではない!

大事なのは金になるか否か。

欲を満たせるか、否か。

 

ただヘンリッヒが金貨の匂いを嗅ぎ付けたのなら、彼の言うがままの手足となって動いたほうが上手く回る。

この怪物は自分達を不足なく、十全に使いこなすだろう。

 

 

「何をすればいいので?」

 

「す、少し待て……すぅ、すぅー……ふぅ……ああ、東だ。東にある森のどこか――そこに金のなる木が生えている。取っても取っても取り尽くせない宝物だ」

 

「ほう!ほうほうほう!!それは素晴らしい!!何故知っているのかは――関係ありませんなぁ!!」

 

 

ヘンリッヒは呼吸に専心し、一度荒ぶった心を落ち着かせてから口を開いた。

 

けれど変わらず、その欲望に塗れ淀んだ瞳をギラギラと輝かせる。

 

 

「特徴は――そうだな、金髪に赤目の14、15歳ぐらいの女だ。そして、増える」

 

「……ほう?」

 

「どこまでも増える。今でさえ万を超える数だ。間違いない」

 

「それはそれは……まこと素晴らしい!!」

 

 

ヘンリッヒは椅子から立ち上がり、壁際にある本棚から地図を取り出す。

この大陸のすべてを記した最新のモノを机の上にバッと広げた。

 

 

「探すのは『ハーラルドの森』『レール街指定聖域』『シャンバラ』……そして、『エデン』だ」

 

「なるほど……どれも広大な森。移動の時間も合わせると……ふむ、恐ろしいほどに時間が掛かりますなぁ。加えて使える手駒も多くない。依頼をでっち上げようにも、大人数を動員しようとするには……ううむ、この国の上層部が許さないでしょうな」

 

「そう、その通りだ。時間が掛かる。しかし、しかしだ……リターンは凄まじい」

 

「ええ、ええ!分かっていますとも!勿論、お力添え致します!!!」

 

「ありがとう、君ならそういうと思っていたよ」

 

 

ヘンリッヒは深呼吸のおかげで落ち着いたのか、心なしか穏やかになった語調でニコラウスに笑いかけた。

この男は初老という年嵩ではあるが――下手な若者よりも活力があり、行動力に溢れている。

加えて知恵もあり、経験もあり、何よりも狡猾だ。

 

だからこそこの男を重用していた。

 

 

そこで、ヘンリッヒはふと思い出したように口を開く。

 

 

「ああ、そうだ。その女はとてもとても美しかった……今君が所有しているどの美女よりも、ね。あの『隷属の魔薬』を使った暁には……そうだな、十人程度、君が囲うといい」

 

「フホ!?本当ですかな!!?」

 

「約束しよう」

 

「おおおおおおおお!!ますますやる気が出ましたぞおおおおお!!!!」

 

 

まるで満月を見た狼のように吠え立てる。

ニコラウスは年に見合わぬ機敏さで駆け出し、飛びつく様にドアノブに手を掛けた。

 

 

「それでは早速人を集めてまいります!!金貨の為に!!」

 

「ああ、金貨の為に」

 

 

ヘンリッヒは歪んだ笑みのままに少女に思いを馳せた。

懐から取り出した歪で薄汚れた金貨優しく撫でつけ、ただクスクスと笑みを零す。

 

 

私の絶頂は、もうすぐそこだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




――しかし地下帝国暮らしのアリシアは未だに帰還できていない。昨日はキンキンに冷えたビールをたらふく飲んで寝た。今日?焼き鳥を食べた。


「フフ……へただなぁ、アリシアくん。へたっぴさ………!! 欲望の解放のさせ方がへた……!」

「あ、あなたは……!?」


――アリシア脱出の日は、遠い……!!






<TIPS>
「薄汚れた金貨」
帝国に於ける平民の中で最も成功した男。金貨の亡者の思い出の品。
ただの平民の生まれでありながら貴族さえも凌ぐ権力と財力を持ち、皇帝でさえも無視はできぬ。
この薄汚い金貨は彼の野望の原点であり、どうしようもない感傷を抱かせる唯一の存在だ。

あるいは、これが。これだけが自身を繋ぎ止める楔と知るが故か。






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冒険

(2) ~3000
(19) 3001~5000
(23) 5001~8000
(30) 8000~
(165) うるせえ枕営業しろ

……なにこれぇ…?(白目)

はー!!みんなそんなに枕してほしいのか!!しょうがねえなあ!!!!!

ジュルルルルルル!!!!!!!!!!グッポグッポ!!!!ズブブブブ!!!!!!ジュル!!!!!ジュル!!!!!ジュポ!!!!ジュルルルルルル!!!!!!!!!!グッポグッポ!!!!ズブブブブ!!!!ジュル!!!!!ジュル!! ジュルルルルルル!!!!!! ジュルルルルルル!!!!





あとアドバイス募集してるからな!!!
くれたらお礼にしゃぶりまくる用意があるぞ!!!!



誤字報告兄貴姉貴たすかるありがとおおおおおお!!


キュッ。

軽い摩擦音とともに蛇口を捻る。

ザーザーと降り注ぐ水滴は徐々に量を減らしていき、数秒もすれば湯気が立ち昇るだけになった。

 

アリシアは顔に着いた水気を軽く手で払い、後ろ髪を軽く握って水分を絞り取る。

 

 

「ふう……いいお湯だった」

 

 

浴室のドアをくぐった先の脱衣所で、壁に掛けていたバスタオルでまんべんなく身体を拭いた。

以前とは違って手慣れたものだ、アリシアは少し不思議な気分になる。

 

最初の最初――この世界に来た当初。

あの頃のアリシアは、男から唐突に変わった自分の体にもドギマギして、用を足すときでさえも戸惑っていた。

え!?拭く必要があるの!?と驚いた記憶もある。彼女は童貞であり、女体には少しばかり――いや、大いに幻想を抱いていた。今となってはもう何も感じないが。

 

が、ああ……初めて見る女体が自分であったことのなんと悲しいことか。

もう女体にムラムラするだけの精神は残されていない。INP(非実在)だ。

 

 

「……ん、肌着は……っと」

 

 

ガサゴソと脱衣所の隅においていた自分のカバンをあさり、何時もの白い服を取り出した。

現在、アリシアがいるこの宿屋でも簡易的な服は用意されているが、やはり何時も着ていたこの服がいい。

はじめは肩出しや腹出しの肌色多めな構造に羞恥心を覚えていたものだ。今?もう何も感じない。

 

 

「交代ー」

 

「わー」

 

 

3の肉体の風呂上がりに合わせて準備させていた、既に籠を抱えている4の肉体と流れるように交換する。

このまま身綺麗にして眠りにつけば……まあいい頃合いか。

今は夜の――時計がないので体内時計しか頼るものがないが、きっと9時前後であろう。

「あー、疲れた」と愚痴を零しつつ、シャワーを求めて服を脱ぎ捨てた。

――疲れた、とはいえ40万人相当の体力を共有しているアリシアだ。この疲れというのは精神的な意味でのもの。

 

 

……そうとも。今日は……ほんとに、今日は大変だった。

昼はこの街に到着したばかりで、アリシアはまず『冒険者』としての依頼の打ち合わせのためにギルドへ向かった。

内容はありきたりな魔獣退治――ではあるが、危険度が中々に高い相手。

現在のこの街で活動する冒険者には有力なものが少なく、その討伐のために少し離れた土地にある『ハイデラ』に所属しているアリシアまで話が来た。人手不足が深刻なのだろうか?

 

依頼者――町長もさっさも件の魔物を殺したいらしく、話は極めてスムーズに進んだ。

「情報は何もないけど殺してくれ」「はい」と、二言。それだけで打ち合わせは終わった。

 

 

――本番はその後。

こうした討伐依頼は下準備こそが肝だと、勤勉であるアリシアは知っている。

最終確認を済ませたアリシアは討伐に必要な道具類を揃えるため、そして情報収集の為にこの『エリン』の街を駆け巡った。

対象は知能が高いタイプらしく、その手口は非常に巧妙。

一人でいる人間を狙って捕食し、事が終われば速やかに撤退する。

故にその正体さえも不明。姿も、声も……辛うじて残された捕食痕や足跡から二足歩行タイプであることがわかっているのみ。

故に、まずは聞き込みなり調査なり試験薬ブッパなりで正体を特定する必要があった。

 

 

「その試験薬も一本銀貨3枚だしよぉ……はあー、地味にたけえ」

 

「経費という概念が欲しい」

 

 

……ああ。ちなみにアリシアよりも前に何度も冒険者を雇ったらしい。

もっとも、準備がおろそかだったのか、はたまた情報の重要性を知らぬ新人だったのか……ともかく怠惰なる人だったのだろう。彼等はついぞそのねぐらを特定することさえ叶わなかった。

 

 

「うわ、めんど」アリシアは率直にそう思った。

情報を集め、痕跡を探し、組み合わせ、正体を推測し、そして討伐のために道具を集める。

これは存外中々に大変だ。

この工程こそを入念に、丹念に、淀みなく隙間なく成し遂げなくてはならない。

 

だから肉体的にはともかく精神的に疲れたし、中々に汗を掻いた。控えめに言って気持ち悪い。

 

しかし収穫は多く、魔物の正体を特定する――のみならず、特攻効果を持つ毒薬の情報さえ入手できた。

それはこの『エリン』が非常に古い歴史を持ち、古の時代から生き延びた故の豊富な手札――つまり、多様な魔物に対する対処法を有するおかげである。

 

その情報を得たアリシアはさっそくエリン一の品揃えを誇る、薬剤の店へ足を運んだ。

そこで鼻の長い老婆に頼み、魔物に使う毒の材料を用立ててもらった。

何に使うのかは老婆も知っていたらしく、調合所をも貸してもらえた。実にありがたい事だ。

 

正直に言えば熟練者であろう老婆に作って欲しかったのだが……どうにも別の仕事があるらしく、アリシア自身が作り上げることになる。

 

ああ、製法そのものは単純だ。

特別に修行を積んだ訳でもないアリシアでも手軽に作れてしまう。

 

 

「おっ」

 

「完全に液体になったな……」

 

 

とぷん、とフラスコの中から水音が響く。

アリシアの手の中でゆらゆらと揺れる大きなフラスコの中で、赤く透き通った――けれど強い粘性を持つ液体が蝋燭の火に照らされる。

 

これこそが今回の討伐作戦の肝。

魔性殺しの毒薬――否、薬毒だ。

「ヒイラギの種」「オオヤドカリの瞳」「幽霊の死血」「グリフォンの産毛」「巨人の髄液」――これらを特定の順番で燃やし、その煙を特別な瓶に閉じ込める。

そうすると、あとは待つだけ。

ただそれだけで徐々に赤い液体へ変じていく。

調合所で作ったのは午後四時頃……完全に液化するまで掛かったのはおよそ5時間程度か。

 

しかし完成したのならば話は早い。

アリシアはフラスコの中身を小さな試験管に注いでいき、衝撃で割れないように布で包んでいく。

 

こうして作り上げたオイル(霊薬/薬毒)を対象の体内へ取り込ませる。

そうすることで厄介極まる魔物であっても――古くに人と魔物が交わった果ての忌み子(成れの果て)である限り、逃れ得ぬ致命の一撃となる。

 

 

けれど……うーん。

少しばかり憐れだなぁと、アリシアは思った。

人と魔物の混血――それ故に人にも魔物にも愛されず、己の片割れの血を有す命を喰らい……そして殺される。

彼等は、図書館に残された伝承曰く遥かな古からそういう在り方だったそうだ。

実に哀れで、とても虚しい。

 

……だが、この毒を使えば彼が苦しむ事はない。

その為だけに過去の先人が調合した。

 

これこそ、産まれたことが罪だった――産まれるべきではなかった彼等に対する、せめてもの慈悲だろう。

 

 

 

 

 

 

 

けれどそれはそれとして、この毒を調合した結果こんなに臭くなるのは予想外だ。

このレシピを教えてくれたおばあさんは何故この事を言ってくれなかったのだろうか?アリシアは訝しんだ。

 

……まさか、それを清めるために風呂付きの宿を借りたら銀貨10枚(平民の3週間の生活費)も放出するとは思わなかったが。

 

この辺り、綺麗好きな日本人としての感性が少しばかり憎らしい。

臭いし綺麗にしたいから泊まるけど。

さすがに悪臭を漂わせるのはちょっと……。

………うん。

 

 

――ともかく、決行は明日だ。

そう先方にも伝えてある。

それまではこのお高い宿屋を堪能させてもらおうか……!!

用意された五つのベッドにそれぞれ飛び込んだ。

ぼふん!と鳴る4つの音が、アリシアの心にそこはかとない充足感を注ぎ込む。

以前からこういう宿のベッドに飛び込むのが好きだったのだ!

 

昔の駆け出し時代は金銭や身分の関係もあり、こうしてきちんとしたベッドに巡り会えなかったが……しかし!今は違う!今では『ウーラソーン姉妹』というのはそれなりには名の知れた冒険者なのだ……!!

だからこそこのような上質な宿屋でも、認識票を見せるだけで泊まることができる。おお、我が努力の成果は此処にあり……!!

 

むふー、とアリシアはドヤ顔を晒した。

4つの視界にそれぞれ3つのドヤ顔が写った。

イラッとした。

 

 

 

――それで、こんなアホでもアリシアは()等級の冒険者である。

この域になるともはやベテラン――それこそ、一流と呼んでも差し支えのない等級だ。

冒険者はみな『()』から始まり、『()』『()』『()』『()』『()』と――まあ大多数の人間はここまでのどこかに位置するだろう。

 

そして、所謂《英雄》と呼ばれる連中がその先のステージに存在する。

白葉()』『緑花()』――

 

そして『雫種()』。

 

 

とはいえそんな上の世界の人間に関わり合いになることはないだろう。

アリシアはただ日々を生きて、アダムとスレープと、三人で穏やかに生活できればそれで良い。

――それでも、力を蓄えるためにも冒険者として外に出る必要があるのだが。

 

 

「交代」

 

 

ドアを開いた4の肉体と、いつの間にやら籠を抱えて脱衣所のドアへ歩み寄っていた5の肉体をするりと流れるように交換する。

ホカホカと立ち昇る湯気を振り払い、可能な限り髪を傷めないようにするためタオルを頭に巻きつける。

男だった頃はそんなのしらねえ!と放置していたが、今回の生ではなんとなくその辺りも気にしていた。

 

それに冒険者として身なりが清潔であるというのは重要だ。

基本的に荒くれ者しかいない冒険者は、不潔であったり粗暴であったりと意外と嫌われやすい。

だからこそ物腰を柔らかく、身なりをきれいにしていれば好意的に見られるのだ。

あれだ……所謂「不良がいい事をしたら褒められる」的なやつだ。

アリシアは好感度稼ぎに余念がない。

 

ただでさえ増殖機能という特異性を持つ我が身。

ウーラソーン姉妹がこの大陸中で活動しているという事実は、《転移魔法》を使って飛び回っているという事にして何とか誤魔化している。

決して同時に複数箇所に存在しているわけではない、とアピールするのだ……。

 

 

…………が、しかし。

万が一、そうでない事が知られたら……?

もし、己が化け物のようなナニカと思われてしまえば?

 

……待つのは、辛くて苦しい迫害だろう。

拠点にいる肉体はともかく、今この場にいる肉体や他の街に点在する『ウーラソーン姉妹』の身に危険が伴う。

きっと、帰還は叶わない。

そして命の危険に晒され、死に耐える間際。

『アリシア』という総体から逃れ出た少女達が命を落とすのだ。

 

……その未来を考えるだけで胸が苦しくなって仕方がない。

 

けれど。

もしそうなった時、周囲の人間に好かれていれば助けてもらえるかも知れない。

希望的観測、というのは分かっているが……しかしそれでも――。

 

……いや、無理だな。所詮人間だ。

そうはならないかも知れない。むしろ排除の動きに移る人間が大半だろう。きっと、それはほぼ間違いない。

……そうとも、間違いない。

けれど、それでも対策を怠るわけにも行かない。

万が一でも効力を発揮してくれるかも知れないなら…、やるしかないだろう。

 

だからこそ、アリシアはこの大陸のいたる所で人と接している。可能な限り――嫌味にならない程度に、人間性を感じさせるように善性を表に出す。

ウーラソーン姉妹が心優しい少女達であると、人々の心に焼き付けるのだ。

それに加え――幸い、自身の容姿は優れている。

人はそういった存在に弱い。

何よりも同情を得やすいとも言える。

 

……アリシアは自身の行く先が真っ暗で、下手を打てばアダムやスレープと共に生きる平穏な生活が遠のいていくことを知っていた。

 

けれど、だからといって閉じこもり続けるわけには行かない。

 

遅かれ早かれアダムの存在は災禍を引きつける。

そうなった時、最も必要なのは武力だ。

あの男が言ったとおり、我が子が人類の敵対者であるなら――融和の道など存在しない。それこそが運命。

ならば勝ち取る。

その為に、英雄に勝つための力が必要だ。

それを培うのには、冒険者という危険な仕事はピッタリだった。

雨のように降り注ぐ実戦という命の奪い合いの機会は、アリシアの戦闘技能の習熟にとてつもない貢献を果たしている。

 

 

「シャワータイムしゅうりょー」

 

 

頭に巻いていたタオルを取り、ドアから姿を現す5の肉体の――その髪の毛の水分を流れるようにしっかりと拭いとる。

まあ本来なら保湿の処置をしたほうがいいのかも知れないが……どちらにしろすべての肉体は元々の――産まれたあの瞬間の姿に固定されている。

ぶっちゃけ、髪が濡れたまま布団に入ったところで何も問題はないのだ。

 

 

「寝るかあ」

 

「明かり消そ……」

 

 

やることはやったさ、とアリシアは壁にかけられた発光元に歩み寄る。

一室を淡く照らしていた蝋燭に息を吹きかけ――ふっ、と光が揺らめき消える。

途端に部屋を埋め尽くした暗闇の中、手探りで元のベッドへ戻った。

体を包む柔らかな掛け布団にすっぽりと包まり、布団の中でゆっくりと瞼を閉じる。

 

 

……それから、5つの寝息が微かに響くのはすぐのこと。

多くの旅人の眠りを守る宿は、内にいる人々の寝息をゆっくりと受け止めた。

未だ科学が発展しておらず、地球における最も偉大な発明家達――ニコラ・テスラとエジソンという男たちもいないこの星。

夜を照らす光など幽かな月明かりしか存在しない。

時折煌めく炎だけが闇を切り裂くしるべだ。

夜警の男達が手に持つ松明を翳し、必死に闇の中に目を凝らしている。

その様はいっそ病的だ。まるで――

 

――ああ、そうだとも。この星の人々は闇を恐れている。

地球の人類が忘れてしまった神秘を知り、悪魔を知る人々だからこそ、闇が恐ろしい。

けれど恐ろしいからこそ上手い付き合い方を知っている。恐ろしいからこそ目を凝らし、必死に頭の中で対処の術を繰り返し詠じる。

闇に潜む者達の多くは、対処する術が存在している故に。

 

………一握りの例外を、除いて。

 

ああ、あの幽かな光こそ――匂い立つ月光こそが、地球の人々に忘れられてしまった深淵なのではないだろうか?

そこにこそ、彼がいるのではないだろうか?

 

 

 

 

――何故、人類の敵対者を守るんだ?

 

――なあ、何故私の声が届かない?

 

――愛しい愛しい、私の失敗作よ。

 

 

 

深淵か、天上か。

この世ならざる果ての土地で、全知全能の父は嘆いた。

()()アリシアには、決して届かない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜。

 

とろりと試験管から流れ出す赤い液体は剣の刃を伝い、まるで血糊のように張り付く。

茂みに潜む1から4の肉体でそれぞれの手に持つ武具に毒を宿せば――あとは、離れた小屋の前に立ち尽くす5の肉体を見守るだけ。

普段の白い衣に加え、鉄で出来た要所を守る軽装の鎧を身に着けた囮役だが――しかし、どうしても不安は拭えない。

 

もちろん打てる手は打った。

薬毒を用意し、装備を揃え、人払いを為し、この戦場――否、狩場には多くのトラップを用意してある。

本来ならば不安さえ感じぬほどに万全を期すのだが――たとえ万全を期しても不安を追い出せない。

 

だからこれはきっと、そういう性なのだろう。どうあってもそう感じてしまう心配性。

アリシアは勤勉だ。

勤勉だからこそ――慎重で、臆病だからこそ、この不安や恐怖を投げ捨ててはならないとも知っている。

 

そして、この不安は無駄なものとなり、こうして用意した万全の布陣によって封殺する。

それもまたいつもの事だった。

 

 

「ああぁぁぁぁああぁ……」

 

 

とん、とん、とん。

土を踏む音が小屋の周囲に反響する。

茂みに潜むアリシアは、じっと呼吸の音を抑えて身構えた。

 

小屋の裏からじわじわと姿を表す、大きな黒い姿に目を凝らす。

 

 

「ふぅ……」

 

「こここ、ここはエリンです(こんにちは)ここはエリンです(ふふふるふふ)。よよよよ、うこそ?今日のごはんは何ー?(あいつが嫌いだ)お前は誰だ。あはははははは(楽しいね)!!」

 

 

濁った、意味不明な単語の羅列が鼓膜を叩く。

彼は小屋の裏から全身をさらけ出した。

 

――それは、まるで人のような造形をしていた。

2メートルを越す体躯。

黒い肌で、身にまとうものと言えば局部を覆うボロ切れのみ。

2つの瞳と鼻と口が一つずつ。腕が二つで、足も二本。

それだけを見ると、少し変わった種族の人間であるとも言えそうだ。

 

 

こんにちは(しね)こんにちは(あなたはだれ)!!楽しいね(おぎゃあ)!!」

 

 

しかし人間ではない。亜人ですらない。

臀部から伸びる魔性を宿した白い骨の尾が地面を叩く。

それは明らかなる異形の証拠。

過去に残された捕食の現場に残された独特の切り傷――それは、この尾によってつけられたものだろう。

 

 

尾を持つ異形――彼はただ『混血』とだけ呼ばれる存在。

人でも魔物でもない、ただの異形。

双方から忌み嫌われる憐れな異形。

 

何百年もの間、細々と隠れ潜みながら繁殖を続けていたらしく、今回混血による事件が起きたのも実に150年ぶりの事らしい。

150年前など、それこそ魔王が猛威を奮っていた時代の話だ。

そんな過去にしか表舞台に姿を現さず――だからこそ存在自体を忘れているものが大半だったし、そもそもまだ種族として存続しているとも思われていなかった――が。

 

 

――しかし彼はここにいる。

 

 

如何なる事情かは分からぬが、しかし人を喰い殺し続けている。

 

 

……なら、殺すしかあるまいよ。

 

 

スラリ、と。オイルを塗りたくった赤い剣を、闇に紛れる黒鞘から抜き出した。

 

 

「恨みはないけど、お前を殺すよ」

 

「は、はははははは?」

 

 

アリシアの――5の肉体のすぐ傍。

虚空に張られた縄を剣で切り付けた。

 

 

「あああああ!?」

 

 

ドン!!

 

混血は横合いから迫り出した丸太に、強かに打ち付けられる。

その巨体を大きく揺らがせ、たまらず小屋の壁に手を付いた。想定外の重みを受けた小屋が堪らず歪んだ。

 

――が、そこにもトラップがある。

 

 

「おおあ?」

 

 

パカリと壁が横に裂ける。

歯車と糸を組み合わせたからくり仕掛けが途端に軋みを上げ――裂け目の向こうから飛び出したジャベリンに腹部を貫かれる。

 

 

おおおおおお(あなたはだれ)!!楽しいね(苦しいね)!!今日のごはんは何(わたしはだれ)―――!?」

 

 

ぐじゅり。

ぐしゃり。

どすり。

ぐさり。

すぱり。

 

剣を突き刺す。

 

5重の肉を貫く音が、アリシアの耳に入り込んだ。

粘ついていて、不快感を多分に含んでいて、しかし命を奪う以上避けられぬ感触。

いつになっても、ちっともなれない感触だ。

 

 

剣の先でどくりどくりと脈打ち、そして痙攣を繰り返す黒い肌を見つめながらアリシアはそう思った。

しかし、慣れていようがなかろうが、命を奪うという結末に変わりはない。

 

 

表層から深層までじわじわとオイルの赤が染み込んでいく。

 

 

「ああああ、あああああああ………?」

 

 

混血はキョトンとした顔で自身の腹を見つめている。

一つのジャベリンと五つの剣。

それが生えているのは、一体なぜなのだろう?

 

アリシアがここまで近付いてようやく見えた混血の顔。じっと見上げると、まるで子供の様に幼気な造形をしている。

 

アリシアは、なぜだか泣きたくなってしまった。

 

 

「あおおおお……お」

 

 

急激に活力が萎んでいく。

この薬毒は混血にしか効果を発揮しないが、しかし混血であれば一分前後で完全に殺し切る。

角膜も、瞳も。

何もかもが黒い彼は、わなわなと口を開き続けた。

 

 

「あそ、ぼうよ。あそ、ぼうよ?あそん、で――ぼくと、ぼくを……あい……――」

 

 

パクパクと口を開き――そして、すぐに動かなくなってしまった。

まるで石像のように微動だにせず、開かれたままの瞳は常と変わらず何も写していない。

処置にかかった時間、およそ二分。

投薬からは一分程度。

彼は味気なく、けれど丁寧に屠られたのだ。

 

そうだとも。これは苦しませない為の毒だ。

薬と言い換えてもいい。

 

……だからこそ、眠るように、すみやかに送る。

そこに愚かな――けれど輝かしい冒険など介在しない。

 

アリシアは、決して命を軽視しない。

生誕には感謝を。

旅出には祝福を。

 

敬虔なるアリシアは、そこを決して履違えない――履き違えてはならない。

 

 

――過去を、■れているというのに。なんと愚かな。

 

 

……アリシアは、決して間違えない。

それこそが義務なのだから。

 

それこそが、彼等への―――

 

 

 

 

 

――彼等って、だぁれ?

 

 

 

 

 

 





<TIPS>

「慈悲の薬毒」
エリンという街に古くから伝わる霊薬にして毒薬。
魔物の子を孕むか、孕ませた果てに産まれた憐れな生命を介錯するための物。
混血はこの世の理を冒涜し、貶める。
実に愚かな生命であるが故に、ありとあらゆる生命から忌み嫌われる。


けれど、そんな彼等にこそ。
決して、一握りの慈悲を忘れてはならぬのだ。




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残響

インフルちゃんにずっとぶち殺されてました♡

何で多方面にウイルス撒き散らしてるの♡
やめてほしいな♡やめろ♡やめろ♡

イキ殺すぞ


「聞いたかい?あの英雄サマ共の一人が行方不明になったらしい」

 

「はあ……?あのトンデモ人間達の一角がぁ?前もそんな事言ってなかったかそれ、デマじゃねえのぉ?」

 

「いやいや。これは確かな情報さ!帝都のギルド職員から聞いたんだからな!」

 

 

男達の話し声が酒場の喧騒に混じる。

ランタンの灯りが照らす影法師は、愉快そうに揺れ動く。

アリシアは鋭く尖った耳を小さく揺らし、その内容に耳を傾けた。

 

 

「英雄つったらアレだろ?当たり前のように一撃で山を砕くっつう連中だろ?そんなのがなんだってまた……」

 

「そうなんだよ!いくらなんでもあんなのが害されるこたあないだろうに、これで二人目だ!!こりゃあ陰謀に違いねえ……!!」

 

「ふうん……あれだろ、駆け落ちってやつじゃあないのかい?ほら、一人目は女で、二人目は男。許されぬ恋ってやつだ」

 

「それなら平和的でありがてえがねぇ。英雄が二人も抜けるってのは、国としては痛手だろうさ」

 

 

わいわいと話す男達の会話が一段落し、別の話題へ移行したことを聞き届けたアリシアは小さく顎を擦る。

ハイデラの街は普段通り平和的で、アリシアが普段滞在しているギルド併設の酒場も平和極まる。

遠方――西の方では多くの反乱軍が存在しているというが、東の果てにも近いこの街には血煙の匂いなど届かない。

 

……けれど、遥か彼方の土地の話ではあるが――『英雄』の一角の消失というのは恐ろしい事だ。

尋常な理の外側にいるとも言われる『英雄』達は、その13人全てが人の限界を超えた能力を持っている。

現代の知識に照らし合わせて考えれば『核兵器』という表現が正しいだろう。

帝国の有する最高戦力の消失など、それ即ち帝国そのものに揺らぎが生じるのと同義。

 

アリシアは肉体を東側にしか配置していないが、それでも各地の空気は少しばかり浮足立っているように見えた。

 

 

「……良くない前兆じゃなきゃいいけど……」

 

 

アリシアは丸机の上に残った料理を口の中に運び込んだ。

少しでも不安に思ったのならば、それに対する対策を徹底するべきだろう。

人間、臆病すぎるぐらいが丁度いいのだから。

 

 

「お代、ここに置いとくね」

 

「あいよ!またのお越しを!」

 

 

フェンスゲートの様なドア――スイングドアを通り抜けて石畳の上に体を乗せた。

 

大通りを目的もなくテクテクと歩けば、古い建物を取り壊し、新たな施設のための工事現場の群れが目につく。

このハイデラに滞在する事になって、もう8年になるのか。

赤子だったアダムも今となっては立派な少年であり、その成長に掛けた時間と同じだけこの街で生活を送った。

それだけの時間が経てば、どんなものだって変わるだろう。

 

 

――と、そこで出店の一つから店番をしていた男がアリシアを呼び止めた。

ずんぐりむっくりとした体躯を機嫌良さそうに揺らしている。

 

 

「おう、ウーラソーン姉妹じゃねえか!うちのポーションどうだったよ、そこそこ力作だったんだが……」

 

「あ、ポーション屋のおじさんじゃん。中々に効きがいいポーションだったぞ。あっという間に傷が治った、また買うよ」

 

「おお!そうかそうか!()()ウーラソーン姉妹のお墨付きなら安心だな!」

 

 

おじさんはひとしきり喜ぶと、太い手をぶんぶんと振って店番へ戻った。

冒険者としての仕事も長くなるにつれて、彼のように道具や武具を売り込みに来る人も増えてきた。

流石に英雄の連中の影すら踏めないが、それでもウーラソーン姉妹といえば名のしれた冒険者。

そんなアリシアの知名度に肖れれば御の字という訳だ。

 

加え、アリシアの現在の戦法はあらゆる道具を利用して確実な狩りを遂行するというスタイル。

多くの種類のアイテムを扱うアリシアであれば、どんな代物だろうがきちんと用途を考え運用してくれるという信頼もある。

だからこそ職人たちはこぞってアリシアのような冒険者に売り込み、少しでも自分の作品の知名度を上げる。より多くの冒険者の目に留まるように努力を欠かさないのだ。

 

 

「……明日の依頼の仕込みもしなきゃな……」

 

 

そんなアリシアの狩りは仕込みが九割、本番が一割。

決して危険を犯さず、イージーキルのみに注力する。まるで蜘蛛糸を張る狩人の様に。

 

この戦法に切り替える前――冒険者となったばかりの頃は純粋な戦闘の技量をもって魔物と戦っていた。

鋭く剣を振るい、槍を突き刺し、弓を引く。

しかし、それは……対人戦ならばいいだろう。

けれど魔物には効果的ではない。

魔法の力を持たず、常人の技を常人の身で放つだけでは、物理法則の外に存在する彼らを十全に殺すのに不足。

体格に恵まれていないアリシアには尚の事だ。

 

 

――だから、道具を使う。

毒を、罠を、地形を使って徹底的にメタを貼り、抵抗させずに殺す。そこに一切の不確定要素は存在せず、必ず殺す。

つまり、勝つべくして勝つ。

そうなるように整えるのだ。

 

それは非力な人間だからこその戦法だが、ただの冒険者として戦うには理想の形の一つだろう。

アリシアがこの戦法に切り替えてから、依頼の達成率は明らかに高まった。

だからこの選択は間違いではなかったと、アリシアは確信している。

 

 

「……よし、ケーキ屋にでも行くか」

 

 

踵で地面を押し出し、このハイデラでは名の知れた洋菓子店へ舵を切る。

つい最近できたばかりの店だが、扱うスイーツの質は非常に良い。

材料から拘り、製法を確立し、人の心理さえ選考基準に据えて調理する。

それ故にあのパティシエの作る菓子はどれも美味。

しかし値段は格別に高い訳でもなく、少々割高という程度――こんなの人気にならない訳がない。

アリシアもこの街に住まう数多くの女子達と同じく心を奪われ、頻繁に通っては数多の菓子を買い求めていた。

 

それにハイデラからアリシアの拠点に運び込んでもそう日数がかかる訳でもないというのも良い。

アダムの為、少しの手間でちょっと豪勢なプレゼントを用立てられるとは――実に素晴らしい。

 

 

――カランコロン。

 

暖かい木のドアを開くと、上部に取り付けられた鈴が軽やかにアリシアの来訪を報告した。

 

 

「いらっしゃい」

 

 

主人はアリシアへチラリと視線を寄越し、無愛想な歓迎をしてくれた。店の中にはたくさんの人がショーケースを覗いており、自身の舌にお伺いを立てている真っ最中だ。

レンガのオレンジ色と、それを明るく照らすランタンの灯りはやはり美しい。アリシアはこの店の雰囲気も大好きだった。

 

 

「どれにするかな……」

 

 

丹念に磨かれたガラスの向こう側を見つめる。

赤い宝石の如きいちごが輝くショートケーキ。

黒いスポンジと粉雪のような砂糖が振りかけられたチョコレートケーキ。

シンプルにチーズとバターを焼き上げたチーズケーキ。

どれも街のお姉様方に人気である。母親枠で実質お姉様のアリシアも大好きだ。

 

 

「この苺のショートケーキと、チーズケーキを1ホールずつください」

 

「あいよ」

 

 

主人は言葉短に了承を返すと、あっという間に箱に詰めて持ち帰り用に用立ててくれた。

渡された白い箱を大事に抱え、ケーキが痛む前に五つの肉体を拠点に帰還させるため、外壁の向こう――木々の影に隠れるように建てられた厩舎へ足を向ける。

 

木漏れ日の照らす中、六頭の逞しい馬の嘶きが反響した。

彼らは野生で暮らしていた中唐突に捕獲され、専属調教師のアリシアによる激しい調教を耐え抜いた精鋭だ。

今日みたいにいきなり飛来するアリシアに乗りこなされ、もう今月何度目になるかも分からないアリシアホームへの道を走る。

普段から無駄にしょうもない要件で走らせすぎではないだろうか?白馬の「たくや」は訝しんだ。

 

 

「おら!走れ!!もっと早くしろ!!でも揺らすなよ!!」

 

「ヒヒィ……」

 

 

なんと横暴な上司だろうか。

いくら面食いで美しいものが好きな「たくや」も嫌になりそうだった。

 

 

「お!いいじゃん、中々いい走りだ!」

 

「褒めてやろう!」

 

「よおおおぉぉしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよし!!!!」

 

 

けれど、五頭の馬はもうしばらく頑張ろうと思った。

いくら辛くともケツをひっぱたいてくるパワハラ元が可愛げのある少女ならまだ許される……え?無休だった場合?殺すぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ケーキ美味しいね!!」

 

「ああ、そうだなぁ」

 

 

アリシアは白い指を伸ばし、アダムのきれいな黒髪を撫で付けた。

ドンドンと成長を続けたアダムは平均よりも大きめの体躯を獲得し続け、それは健康な未来を暗示するようでとても眩いものだ。

アリシアがアダムと共に生きた8年の歳月はイコールしてアダムの成長の時間そのものであり、隠匿に秘匿を重ねた影の時間でもある。

 

自身が『()()()()』である自覚があるアリシアは、自分という人でなしだからこそアダムとともに在ることが出来ると知っている。

その他大勢の人間からしてみればアダムとは即座に取り除くべき悪性腫瘍であることも分かっている。

アダムが普通に人々の前に姿を現せば、途端に刃物を持った民衆が怒り狂うだろう。

 

だから隠れる。

だから隠す。

 

悪意から大事に守り、育て――その先は分からずとも、母であろうと自分で自分に求めたのだ。

その初志は必ず貫徹しようと決意している。

 

 

――故に『守るために』隠蔽性と機能性を追い求めた要塞の街を用立てた。

とにかく堅牢。

とにかく火力がある。

ひたすらに圧倒的な防衛戦力を有する。

それを絶対的な条件に定め、何を相手にするかも分からぬ大規模な防衛機構を造り続けた。

 

 

アリシアには優れた兵器の作り方などとんと分からぬ。

前世には『歴史』というあまりにも優れた教本が数多く存在していたが、極々一般的な生活を送り、特別興味を抱いていたわけでもない分野を態々調べるようなことなどなかった。

精々がばねや滑車、フックやねじ等の誰でも知っているほどに普及した発明品の知識程度。

 

だから、アリシアが前世というズルを活用できたのは――一般教養としての物理と科学のあり方、基礎的な論理思考術。

あとはひたすらにこの世界での積み重ねだ。

本を読み漁り、高名な学者に(強引に)教えを請い――土下座にもすっかり慣れてしまった。そして、その居た堪れなさや罪悪感に漬け込む技巧にも――時には冒険者としての名声をフル活用して()()の図書館でひたすら缶詰になったり。

 

そうして得た知識を拠点で同時に活用しながら修練に励み、あとは莫大なマンパワーに物を言わせて木材や石材、金属類を加工しまくり、それを活用したバリスタ(攻城兵器)を防壁の上に乱立させ――と繰り返していれば、立派な要塞の完成である。

要塞としての形を整えれば後はそこにドンドン付け足していくだけだ。

跳ね橋、堀、カタパルト(投石機)

そして海に面する部分にはそれのみならず、かの名高いアルキメデスの鉤爪などのアリシアでも知っている機構を取り付け、可能な限りの防備をひたすらに固めまくる。

 

 

…………秘匿性?ああ、なんか……こう、草を掛けてたらだめ?

 

………アリシアはそっと枝葉を積み上げた。

が、機構の隙間にゴミが入ってよろしくないのですぐに取り除いた。

 

 

「……そもそも秘匿性との両立なんて無理では?」

 

 

――アリシアは賢いのですぐに気づいてしまった。

あまりにも高まりすぎたIQにより、必要なものなんて大体分かってしまうのだ……!!

 

仕方なく秘匿性は諦め、取り掛かっていた小型化も程々の着地点を求めることにした。

それよりも火砲の類を用意するほうが先だ。

 

 

「お母さん……もう、暴発はさせないでね……!」

 

「おっ、そうだな!任せろ!!」

 

 

――以前から取り掛かっていた火薬の試作はもう諦めた(985敗)

何故かといえば、火薬のレシピなんてどこも秘匿しているからだ。

この大陸において、火薬を作成できるのは錬金術師や薬師の人々……だが――あまりにも危険度が高く、そして金のなる木でもある()を態々赤の他人に分け与えようなんて奇特な人間は誰もいない。

だからいくら土下座をしたところで意味はなく、自身の手で作成するか普通に購入するしか無い。

 

…………ので、もう普通に店で木箱いっぱいに発注し、それを慎重に運び込んで普通に利用するしか無い。

はー……自給自足、失敗です……(断腸の思い)。

 

 

「お母さんお金あるでしょ……?もっと経済回したら……?」

 

「いや、でもさ……ほら、可能な限り貯蓄しときたいし……!!」

 

「でも溜め込んでばかりだと、経済が停滞するよ……?」

 

「……おっ、そうだな!(思考停止)」

 

 

アリシアはいつの間にか自分よりも賢そうになったアダムにそこはかとない敗北感を感じた。

いや、確かに経済の回転率が大事ということは一般教養程度には知っている……知っているが、それでも不景気の連続であった日本人としては溜め込んで備えたいのだ。

 

あ、駄目……?

そっかぁ……じゃあ経済の成長を願って、カジノに突っ込んでくるわ……。

 

 

「う、うーん、この……うーん」

 

「大丈夫だって!明日には5倍になってるから!!」

 

「地下帝国の母さん大丈夫かな……?明日には増えてない……?」

 

 

……ま、大丈夫でしょ!!

そうやってカジノで金を使う以外にも普通に物資を買い込んでるし、そのおかげでこの拠点の防備も固められてていってるんだぞ!

 

アリシアは自慢気に(小さな)胸を張る。

 

 

ともかく、そうこうしてジワジワと拠点の防備を固め、地下には非常時連絡路やアダム用の緊急脱出路を張り巡らせる。

その材料も、全て普通に現金で購入しているのだ。むしろ経済には大いに貢献しているとアリシアは思っている。

 

アダムはそれを聞いてお金のあり方について考えることをやめたのか、再びショートケーキを口いっぱいに頬張る。

 

口の端に白いクリームを付けたアダムをによによと眺めつつ――今この瞬間も地下で頑張るアリシアの肉体は僅かたりとも稼働をやめない。

 

少しの妥協が命取りになる――現実なんて、いっつもそんなものだ。

事態の行く末が決まるのはその時々の盤面ではなく、それまでに積み重ねた行いの全てと、ひとつまみの運が左右するばかり。

今この瞬間にどれだけ手間を掛けられるかが行く末を決定すると思えば、アリシアはほんのちょっとの油断をする事も許せない。

 

だから、常につるはしを振るい続けるのだ。

 

 

また、別の場所では市街地戦になったときのために多くの仕掛けをコツコツと用意する。

多くの罠や、拠点内部が戦場になった時のための防衛線の構築。それを運用するための固定砲台や物資の集積所、はたまたいざというときには自爆だってできるように改造していく。

 

 

……そもそもこの拠点内部まで入り込まれたっていうことは十中八九負け確定で、それからの戦いはいかにアダムを逃がせるかという方向にシフトするだろう。

だからそうなってしまえばアリシアの40万という肉体を死兵にし、使い潰すという方向性になるという事でもあるが――まあ、仕方がないのだろう。アリシアはちょっとした不安を飲み込み、そうなるように計画した。

その果てに産まれるであろう少女達の命を軽視した作戦だが――それを気にしていてはきりがない。

だから強引にでも納得する。

あくまで彼女達のそれは祝福するべき生誕と死没なのだから、そもそも罪悪感を抱くべきですら無いのだ。

使えるものは何でも使って、来たるべき試練を当たり前のように踏破する。

油断と妥協さえしなければ全て解決できる事柄だ。

だから気にしない。気にしてはならない。

 

 

()()()みたいに空から突然硫黄の雨が降るわけでもないだろうし――。

 

 

――ジリジリと頭の奥が焦げ付く。

 

脳漿の中で有象無象の畜生共の悲鳴が反響した。

鼻の中に肉が焼け焦げる匂いが満ちる。

ありもしない悍ましい光景が網膜の焼け付いた。

 

 

「……嫌な想像だ。現実味なんてまるでない」

 

 

アリシアは脳髄に張り付いた幻視を振り払った。

そうだ、こんなふとした瞬間に湧き出るような光景の――幻覚の、どこに現実の要素があるってんだ。

 

 

「お母さん?」

 

「ん?どうしたアダム」

 

「……なんか、汗すごいよ?」

 

 

――そこでアリシアは自身の体表が汗で濡れていることに気付いた。

 

どこもかしこも体中汗まみれで、白い服が体に張り付いていて気持ち悪い。

40万の肉体が――刹那に垣間見えた不気味な(見覚えがある)幻視に震えていた。

 

――何故なのだろうか?何故こんなにも恐ろしい?

アリシアには一体どうして自分がここまで震えているのか分からない。

 

……そもそも、今の幻視というのは一体何なのだろう?

何故今見えた?

何故、そんな想像の産物が恐ろしい?

 

……一体なぜか分からないが、まるで()()()()()()()()()()()()()生々しい悪徳の街の幻影から必死に目を逸らす。

 

 

「……そうだ、これは現実じゃない……ったく、なんだっていきなり……」

 

 

すぅ、ふぅ。

ゆっくりと深呼吸を繰り返した。

大きく鼓動を刻んでいた胸の奥は次第に落ち着きを取り戻し、アリシアの汗もじんわりと止まっていく。

 

 

「大丈夫……?」

 

「ああ、大丈夫……そうだ……大丈夫だ」

 

 

目に入りそうな汗を指で弾く。

少なくともアダムと話している間、脳髄の奥でチリチリと焦げ付くナニカは収まっているのだから――大丈夫だとも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ラサールのねぐらに、街が……?」

 

 

ポロリ。

口に咥えていた葉巻が転がり落ちた。

執務机にコロコロと転がるそれには目もくれず、ヘンリッヒは目頭を強く抑えた。

 

 

「ええ!築造から十年以上は経っているものと考えられており、居住者が消えてからもそれに近いだけの年月が経っているようです!!」

 

「……な、なるほど……それで、何故そんなところに――っと、いや。そうか……例の『少女』か」

 

「ええ!ええ!!そう考えて報告を致しました!!」

 

「……情報が来るの、遅すぎじゃないかね?もう十年も経つというのに、今の今まで見つかっていなかったのかい?」

 

「フホホ!そうなりますなぁ!!」

 

 

ヘンリッヒはもう一度目頭を押さえた。

一応は要所でもある『セイラン』だというのに、すぐ目と鼻の先で発展していた街に気付けなかったと……?

いくら深い森とはいえ限度があり、奥の奥に設けられたとしても人の目を完全に遮ることなど不可能だろう。

なら、きっと見つかっていなかったのではなく――。

 

 

「セイランの人間は知っていて――それを隠していたのか」

 

「まあ、そうでしょうな!!」

 

 

なるほど、と再び椅子に体を落ち着けた。

如何な理由があったのか、街ぐるみで秘匿されていた街――果たして、理由は何か。

 

アレの価値を独占しようとしていたのか?

アレと取引があったのか?

或いは泳がせていた?

 

興味は尽きない、が――。

 

 

それを知ったところで、ヘンリッヒには意味がない。

求めるべきは『それ』を糸口に少女の主な現在地を探ること。

 

金を得るために金を使う――それは時にはとても有効な手段だし、もっとも効果的な手法の一つだろう。

しかしそれはリターンと費用が釣り合ってこそだ。

だからこれまで少ない私兵を活用して捜索に当たらせていたが……遺留物があるのでは話は変わる。

『隷属の魔薬』を使って道具に仕立てた追跡専門の魔術師がいる。

アレならば、(えにし)さえあれば金を掛けずとも求める情報を嗅ぎ分けてくれるだろう。

 

 

「ニコラウス、追跡者を出しておいてくれ。自由意志を奪っているからね、他のものに見られないように地下の特殊用途室に入れておけ」

 

「承知致しました!!」

 

 

ギィ、と椅子が甲高く悲鳴を上げる。

ヘンリッヒの予定は順調だ。

うきうきと弾む心のままに記した予定表は一切逸脱することなく守られ、一切の遅れなく金と人の動きは制御されている。

今回痕跡が見つかったおかげもあって、むしろ捜索――そして収容までの道のりは素晴らしく短縮された。

だから、あとは()()()()へと私兵と道具達を派遣して、少女達――否、少女を隷属させるだけ。

 

それもいくらかは手間がかかるだろうが……何、歯には歯を。逸脱者には逸脱者を。

ただそれだけの話だ。

それさえ守っていれば、全てを造り給うた全能の父は私に金貨をプレゼントしてくれるだろうさ。

 

己にはその道程を、当然のように踏破するための特級の手駒が二つもあるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 




節穴度 ※本編とは関係ありません

アリシア:73(アホ)
ヘンリッヒ:78(バカ)
ニコラウス:71(マヌケ)





<TIPS>

「セイランの名産りんご」
嘗ての城塞都市の片隅で生産されていた数量限定高級りんご。
とある老人が必死に品種改良して形にしたものの、人手が圧倒的に足りず、しかし募集には人が集まらず、結果、種は絶える――はずだった。
しかしある時、名も知らぬ少女達の助力で栽培が行われ、あっという間にセイランを代表する名産品となった。

老人は少女達――少女の本性を知っていた。
そして、街の人々もまた、まるでバケモノのような少女のあり方を知っていた。

しかし彼女はただの子供なのだ。
子供の生を否定するなど、そいつこそが最も忌むべきバケモノではないか。





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開戦

「……うん?」

 

 

アリシアはのっそりと首を持ち上げた。

月が昇り、雲が重なる空の下。

アリシアが手間をかけて作り上げた街の中央の、いつもの一軒家。

この森にも訪れ始めた冬の寒さに耐えかね、暖炉の炎で体を温めていた。

 

いつも通りの平穏な時間が流れている。

ただノミを振るい、槌を打ち付け、剣を振るう。

大多数の肉体はこの街に暮らし、幾つかの限られた器は外界の土地で目的に応じた十色の振る舞いを為している――いつも通りだ。

 

 

――だというのに。

 

チリチリ、チリチリとうなじが焦げ付く。

窓の向こうで輝く月の様に、ひどく匂い立つのだ。

脳漿を冒して止まない怖じ気がアリシアの筋を強張らせた。

 

ギィコギィコと揺れる安楽椅子から少し体を起こし、視線をぐるりと回転させ広く周囲を見渡す。

 

 

「……なんだ」

 

 

いつもの光景。

アリシアは、ゆっくりと流れるこの時間が大好きだった。

 

――けれど、穏やかさの影に違和感がちらつく。

おかしい。

 

おかしい。

おかしい。

おかしい。

おかしい。

おかしいのだ。

何が?

 

……何が、おかしいんだ?

 

 

40万の首を動かし前を見れば、いつも通りの平穏な風景が広がっている。

 

木を彫るノミや木槌、あるいは灼熱の炉や赤い鉄。銭を稼ぐ為に華やかな人間達の街を歩き、商売相手と舌戦を繰り広げている。はたまた、この街の練兵場。ひたすらに自身を鍛える為、剣や槍を握り締め――そんな、そんな景色。

当たり前という日常が40万の視界に広がっていた。

 

 

そして――ああ、愛しき我が子。

アダムは暖炉が生み出すぬくもりにうつらうつらと瞼を落とし、つい先程毛布をかけてやったばかりだ。

常と変わらず、安心しきったように気の抜けた表情をしている。

 

くるりと視界を裏返すと、大事な同盟者であるスレープだっている。

彼女も厩舎に備え付けた防寒具――『火の魔石』などという魔術品に歓喜の嘶きを上げていた。

 

 

――けれど、匂い立つ。

どうしようもない熱が脳の奥底を侵していく。

 

いつかの日にも、こんな香りを感じた事があったような……硫黄の雨が、塩の柱が――?

 

 

 

 

 

――はて。

そんな事があっただろうか?

アリシアは思わず首を傾げた。

 

けれどそれでも、こんなものを放っておけぬ。

ヒリヒリ、ヒリヒリと引き攣って仕方がない。

 

 

街を駆け回る肉体が。

剣を打つ肉体が。

仏を無心に彫る肉体が。

板金を貼り付け鎧を作る肉体が。

金銭を稼ぐ肉体が。

ただただ戦闘技能の習熟のために剣を振り続ける肉体が。

 

 

――実体無きアリシアの魂が。

 

 

あらゆる場所に偏在する――自我無き、けれど意識を映す総身を熱が侵す。

思わず、常に腰に帯びている剣に手を伸ばした。

 

 

「……母さん?どうしたの?」

 

 

アダムは眠そうに目をこすりながら、暖炉の揺らめく光の中で起き上がる。

暗闇の中でもキラキラと煌めく虹色の瞳は、どこか不安そうに細められていた。

 

 

「ああ……いや、なんでも……ない。うん、大丈夫、大丈夫だ……アダムは寝ていな」

 

 

アリシアは自分に言い聞かせるように言葉を繰り返した。

……けれど、不安だ。どうしようもなく。

いくら言い聞かせても脳髄が焦げ付いている。

 

 

カチャカチャと剣の柄を弄うアリシアを見て、アダムがのそりと立ち上がる。

その上背はすでにアリシアを追い越し、徐々に男らしい造形に近づき始めていた。

もとが早熟であることも相まってか、肉体と精神の成り立ちは青年のそれと言い換えてもおかしくない程だ。

 

 

――とはいえ、それもそうだろう。

育て始めてから、9年だ。

9年もの月日が経った。

 

それだけの時があるのなら――もう、アダムは守られ導かれるだけの赤子ではなくなる。

アリシア(母親)の手を離れ始めているのも――いささか早すぎるかもしれないが、当然の事なのだ。

自分の意志によって動き、母の焦燥を感じて両手を伸ばす。

 

 

「………母さん。大丈夫、だよ」

 

「アダム……?」

 

 

アダムは大きく育ち始めた腕で、アリシアを優しく抱きしめた。

トン、トン、トン。と背中を優しく叩き、子供をなだめる親のように頭をサラリと撫でる。

 

 

「僕はここにいる。母さんも、ここにいる。スレープだってすぐそばにいる。だから、大丈夫」

 

「……ああ」

 

 

優しく言い聞かせるように、アダムは言葉を連ねた。

アリシアはその言葉を必死に咀嚼して取り込もうとしているが、やはり――あぁ、これは。

 

カチャリ、と鞘の鯉口が高く鳴いた。

力の籠もった指先はちっとも力を弛めない。

アダムの胸の中で、アリシアは瞳を細めた。

じっとりと滲む汗を拭うこともできず、槌を持つ指を離し――代わりに剣に手を伸ばした。

 

これこそが危機、なのだろう。

迫りくる危機を、五感の枠組みから外れた知覚機能が感じとった。

嘗てから警戒し続けた()()()――それが今やって来た。

きっとそれだけの話。

 

 

――肥大化した自我から手を伸ばす。

形のないそれをもって森の表層にそっと触れた。

 

 

「……母さん」

 

 

広がる静謐はいまだ揺らぎ無く――しかし前触れなのか、人より鋭い感覚を持つ獣達はどこか浮き足立っている。

チリリ、と瞳の奥が疼く。

 

手を伸ばす。

手を伸ばす。

手を伸ばす。

四方に八方に感覚器を広げ続け、不安の元凶を求めて目を凝らした。

 

――ジリ、と瞳が灼けた。

 

 

「これ、か……」 

 

 

――感覚器の片隅に映り込む、悍しい魔性。

喉元がせり上がるのを感じる。

迫る危機の予感。こいつがその発信元なのだろうか。

二つのそれは、アリシアの背筋に冷たい柱を突き刺していくようだ。

 

 

「アダム」

 

「何だい?」

 

「……来るよ。だから、隠れていて」

 

 

アダムは端正な顔をじっと歪めた。

前々から頻繁に言い聞かせていた通りだが、アダムはアリシアに戦わせることが嫌なのだ。

確かにアリシアは不死に限りなく近く、戦力に換算するなら恐ろしく頼もしいのだろう。

 

 

「アダム、早く」

 

 

けれど、たった一人の母に戦わせるというのは、アダムの心を酷く痛めつける。

愛しき人を守りたいが、アダムにその力は無い。

ただ言葉を投げかけることしか出来なくて――その投げかける言葉にも現実を変えるような力なんてありはしない。

なんと無力。

己は特別な存在と言うにも関わらず、ただの子供と同程度の能力しか有していない――全能ならぬ我が身が、どうしようもなく憎らしい。

 

 

「気を、付けてね……」

 

「ああ」

 

 

歯を食いしばり、アダムはアリシアに背を向けた。

この家の地下から伸びる複雑な地下通路、そこに潜み、必要であればこの拠点を捨てて移動する。

前もって決めていた。

決めていたが――その取り決めが、今になって嫌になる。

 

 

「……行ったか」

 

 

アリシアは床下に消えていくアダムを見送り、一軒家の隣にある厩舎に足を運んだ。

街のいたる所を走り回るアリシアの肉体が厩舎の前からでも見て取れる。

皆一様に剣を帯び、外壁にあるバリスタや大砲の弾丸を持ち運び――はたまた、既に白兵戦を見据えて鎧を着込み、装備品が詰まった木箱を両腕に抱えている。

アリシアはその様に背を向け、スイングドアを通り抜けた。

 

スレープはまだ寛いでいるだろう――アリシアはそう思っていた。

しかしスレープもまた魔物である。

その鋭い野生本能が故か、何かを察知していたスレープはその巨体を起こしてアリシアを待ち構えていた。

 

 

「ブルル」

 

「……スレープ、アダムと一緒に逃げろ」

 

 

月明かりとランタンが照らす中、フェンスの向こうに声を飛ばす。

室内の明かりの下で、スレープはのっそりと立ち上がった。

 

のっそのっそとアリシアに歩み寄り――

 

 

「ブフッ!」

 

「うお!?」

 

 

ベシン!

撓った首がアリシアの額を打ち据える。

思わずたたらを踏んでしまった。

 

 

「いたた……あのなぁ、スレープ。お前……!」

 

「ブルル!」

 

「ちょ、おまっ、ま!」

 

 

ベロンベロンとアリシアの顔を舐め回す。

ガクガクと首が揺れ、スレープの不満を物理的に訴えかけた。

 

 

「うおおおお!?」

 

 

――と思えば、今度はアリシアの襟元を咥えて持ち上げ、のっそのっそと歩き出す。

その巨体に持ち上げられてしまえばアリシアの足が地につくはずもなし。

ぶらぶらと衝撃に揺らめくばかりで、申し訳程度に抗議の声を上げるしかない。

 

 

「下ろせスレープ!お前は戦力外だぞ!だから早く逃げろ!!」

 

「ヒヒィン」

 

「ちょ、おまえ――っ!……っ……う、えっ……なんか気持ち悪いの街の前まで来てる……!スレープ!!お前はアダムのところに行け!!」

 

「ブフッ……」

 

 

スレープは小馬鹿にするように鼻を鳴らした。

咥えたまま、外壁への道を歩き出す。

 

……彼女に逃げる気は欠片もない。アリシアだけに戦わせる気もない。

馬鹿な子供だけ残して逃げる――それは『死運び』と呼び恐れられた魔性の血が、誇りが許さない。

そんなみっともない真似、()()()()()に呆れられてしまうではないか。

 

――双方共に言葉は通じず。

けれど、その赫灼と燃える心はアリシアにも伝わった。

まるで空気さえも焼き尽くすような熱意は、アリシアの膨れ上がった自我さえも炎で炙る。

……だから、嫌でも分かってしまった。

スレープの意志は硬い。

 

 

「……………本気?」

 

「ブルル」

 

 

アリシアは天を仰ぐ。

キラキラと輝く天上の星々が今は憎らしい。

 

彼女の顔は見えないが、きっとテコでも動かないような頑固な瞳をしているのだろうとアリシアは確信した。

事実その通りで、スレープは鋼のように揺らがぬ瞳を――あるいは、頑固な子供を見つめる母の様に前を見つめている。

ぶらぶらと揺れる景色の中、必死にスレープを押し止めようと言葉を練った。

 

アダムを一人にする気か?

――駄目だ。俺の肉体を指し向ければいいだけ。

 

お前の命は一つだけ。

――駄目だ。そんな言葉で下がる様な玉じゃないらしい。

 

戦力外。

――『死運び』は高名な魔物だ。俺よりも強い。

 

 

あれは駄目だ。これも無駄だ。

アリシアは必死に思考を回す。

くるくるくるくると思考回路に熱を通すが、どの言葉も無為に過ぎる。

 

 

――そうしている間にも嫌な感覚は止まらない。

時間は絶えず流れ、刻一刻と驚異とアリシアと――スレープは近付いて行く。

呼応するようにうぞうぞ、うねうねと蠢くような魔性はじわじわと外壁へ近付いてきていて、もうじき姿が見えるほどに距離が縮められるだろう。

 

 

――覚悟を決めるべきは、アリシアだった。

 

 

「……………はああああああぁぁあぁ……」

 

 

深く、大きく息を吐く。

萎んでいく肺と一緒に、どうにか言い聞かせようという義務感も小さくなっていってしまう。 

もはやどうしようもない。

どうあってもスレープはついてくるだろう。たとえその先に、憎らしい死(愛おしい祝福)が待ち受けていたとしてもだ。

 

 

「………絶対に……いいか?絶対に、死なないように立ち回れよ」

 

「ヒヒィィン!!」

 

 

仕方なく――本当にいやだが、仕方なく条件を付けるとスレープは心得たというように力強く声を上げる。

スレープがアリシアを思いやって共に戦おうとするように、アリシアもスレープの事が大事なのだ。

だからこそ、後方でアダムと共にいて欲しかったが――こうなってしまえば仕方ないだろう。

 

 

「……………着くぞ。外壁だ」

 

 

暗闇の向こう側。

 

点々と灯る篝火が照らす道の奥に聳える石の壁がアリシアとスレープを出迎えた。

アリシアの肉体は既に配備を終え、この街に留まっていた37万のアリシアは鎧を纏い剣を携えている。

この日の為に固め続けた防備を存分に活かさんと八方に散り、()()()()の発生源を睨み続けていた。

組まれた戦列は街を埋め尽くし、各方面に最低限の人員のみを残して西に固まる。

跳ね橋を上げ、バリスタに矢を装填し、大砲に火薬を詰め込む。

 

アリシアは全力だ。

全力で、全霊をかけて、僅かな油断も妥協もなく必死に体制を整えた。

こんな悍ましい気配の持ち主――ほんのちょっとの綻びが命取りになる。

本能で感じ取った恐怖はアリシアの頬をじっとりと汗で濡らす。

 

 

……せめてもう少し早くに()()の訪れが分かれば……。

それなら、地方に散らばっている残り3万の肉体も集められたが――もう、そんな悠長なことは言ってられないだろう。

木々の向こうで胎動する一対の気配は、今か今かと襲いかかろうと殺意を練り上げているように、ドクリドクリと脈動を繰り返す。

その鼓動がアリシアの感覚器を揺らすたびに、悍ましい気配は拡張と圧縮を繰り返していた。

 

 

「――すぅ、ふぅ………」

 

 

その気配はじっとその場に留まっている。

けれど――もうすぐ、来る。

間違いない。

 

来る。

来るぞ。

今に来るぞ。

アレらは牙を唾液に濡らして、獰猛な吐息を漏らしている。

 

ああ。奴等はアリシアの隙を無機質に見定めて、整った体勢のまま必死に堪えているのだ。

それはまるで、狂いに狂った闘犬が飼い主の号令をじっと待ち受けているようにも思えた。

 

 

どこから?

どうやって?

いつから?

 

 

それは分からない。

けれど、彼らはアリシアをひたすらに見つめ、読み取れぬ感情の塊は爆発の寸前。

恐ろしい。

悍ましい。

穢らわしい。

 

無機質なくせに感情は極大?

何だそれは、矛盾しているではないか。

人の精神とは思えない。

 

 

「……   。」

 

 

――来た。

 

来た。

来た。

 

来た!!

 

 

――メキリッ!!

木々が歪み弾け、生まれた間隙にその()()をねじ込むようになだれ込む――『光輝』を纏った鎧達。

嘗て切り開かれた領域、およそ四百メートルの空間をひっきりなしに踏み荒らしていく。

 

それらはアリシアが知る限りの西洋甲冑の中でも見たことがない程に洗練され、美しい装飾の数々が施された2mほどの体躯を持つ白い霊体。

一つ、二つ、四つ、十六、百二十八――彼らは加速的にその数を()()させ、腹の奥底を叩きつけるような多重の足音と共に進軍する。

 

大きな剣を腰に佩き、長大なランスで空を貫き、それらを先導するのは旗を持つ騎士。

白く、または黄金に、麗しく輝き空を照らす旗――そこには栄光の『十字』が掲げられている。

 

蠢く魔性は未だ変わらず、そんな騎士達の後方に。

バックアップのつもりだろうか?

……なんと、気味が悪い。

 

 

「――バリスタ、装填」

 

「大砲、着火用意」

 

「投石機、発射準備」

 

「弓兵隊、射撃待機」

 

「投石隊、前列へ」

 

 

アリシアは、殺意を練り上げる。

愚かなる敵対者を、無形無情の視線で刺し貫いた。

 

 

白光の騎士達はその視線を受け止め――呼応するように再び増殖し、幾千の声音を重ねて世界に刻む。

 

 

『――おお、哀れなり』

 

『なんと哀れな魔性の娘』

 

『我らが救おう』

 

『我らがお前を迎え入れよう』

 

『その魔性も、祈るならば救済があろう』

 

『滅びの後にこそ、救われよう』

 

 

ギシ、ギシ、ギシ。

軋む具足は重なり合い、次第にその回転数を上げていく。

 

歩きから、早歩きへ。

早歩きから、駆け足へ。

 

 

――駆け足から、疾走へ。

 

 

「――発射ァッ!!!」

 

 

――豪、剛、轟ッ!!!

岩が飛ぶ。

大砲が火を吹く。

大小の矢が雨のように地に降り注ぐ!!

 

千を超え、万に至り、さらにその桁を増やしていく波状攻撃が騎士達の進行方向から後方数百メートルに至るまでを埋め尽くした。

圧倒的人数から放たれる圧倒的物量の攻撃。

それは遺憾なく威力を発揮し、騎士達の装甲を止めどなく痛めつけていく。

 

――土埃が舞い上がる。

大地の息吹が空気を包み、騎士達の発する光を隠して守る。

 

 

「――発射!発射!!発射ァ!!」

 

 

しかしアリシアは、そんな事は知らぬと手を休めない。

バリスタは常に弦を張り続け、歯車は軋みという悲鳴を上げ続ける。

恐ろしいほどに高速で雨を撃ち続け、それと同速で失われる物資を後方と行き来する荷車が補給し続けた。

この日、この瞬間にこれまで溜め込んだ全てを放出する――そんな覚悟さえ抱いている。

 

――()()は、後のことを考えてどうにかなるような手合ではない。

アリシアは確信していた。

 

あれは、あれらはバケモノだ。

 

 

『――お、おぉ』

 

 

――不足。

 

土埃の内側。

白い光が粒子の隙間をすり抜け、アリシアの瞳へ輝きを届けた。

 

ギシ、ギシ、ギシ。

 

軋み続ける具足の音は、止まっていない。

止まらない。

走り続ける。

 

騎士達の集団、その先頭は確かに数を減らし、いくらかの個体の鎧には欠損が目立つ。

失われた四肢の先には肉や血は在らず、ただ解けた光輝が流れ出しているのみ。

 

 

――召喚物か。

 

 

アリシアは小さく口の中で呟きを転がす。

この世界に伝わる魔法は数え切れないほど多岐に渡り、アリシアは五大属性の魔法の存在しか知らない。

それ以上の知識を蓄えようとするには、あまりにもその数が膨大すぎるのだ。

もう少し財を蓄え、その金貨を用いて教材になるものを取り寄せようと考えていたが――今更そう考えたところで意味など無い。

故に今のアリシアが分かる事は、多くの市民や冒険者達が誰でも知っている程度のこと。

 

あれらは被召喚物であり、術者からの魔力供給によって存在が成り立つということ。

魔力さえ足りているのなら、あれらはいくらでも修復され、また召喚物そのものさえどんどん増やせるということ。

 

……そして、幾万の騎士を呼び出すような規格外が、『英雄』の一柱に存在しているという事。

 

 

「くそ、くそっ!英雄だと?何故あんな連中の一人がここに!?ああくそ!それほどまでに情報がバレて――!!?」

 

「ブルルッ!!」

 

 

スレープの嘶きがアリシアの鼓膜を叩いた。

アリシアは反射的に目を凝らす。

警告の意味を孕んだそれに従い、微かに揺らいだ自我の舵を取り騎士達の陣営に意識を向ける。

 

 

――瞬間。

 

 

『おおおおおおおおおぉぉおぉぉッ!!!』

 

 

ゴ。

乾いた音が響く。

 

一拍の間を開け、甲高く破裂する空気の悲鳴が大地を舐めた。

激しい風がアリシアの顔を打ち付ける。

 

 

――まて。なんだ、それは?

数瞬思考が止まる。

アリシアは、思わず我が目を疑った。

 

 

――騎士が。

一際大きな純白の騎士が、聳え立つ外壁の壁を殴りつけていた。

 

アリシアは油断していなかった。

アリシアは僅かたりとも綻びを許さなかった。

常に万の視界を集団に向け、揺らぎこそあれどもそれだけだ。

 

決して――決して。

断定しても良い。

決して、あの騎士の集団から()()()()()、気付かぬままに接近を許し、あまつさえ外壁への攻撃を許すなど――そんな愚行を見過ごすはずがないのだ。

 

 

「基礎スペックの違いか……!!」

 

 

ならば。

あの騎士はアリシアの機能を大幅に上回り、その姿を視界に映すことさえ叶わぬほどの圧倒的な差が存在することになる。

 

そのスピードも。

大砲の降り注ぐ中を走り抜ける装甲も。

揺らぎ――大きな大きな、進軍の通り道となる程巨大な穴の空いた外壁から見て取れる怪力も。

 

その全ての能力が嫌がらせのように極まって高く纏まっている。

こんな大物を食い止めるのに――さて、アリシアの肉体は何千……或いは、何万必要なのだろうか?

 

 

……そんな騎士の同型種が、騎士達の背後から続々と姿を表した。

 

その数、およそ百。いいや、二百。四百――八百。そして、まだ増える。

 

 

――絶望。

そう言い表すべきだろうか。

なんと陳腐で――なんて、くそったれな。

 

 

「……バケモノめ」

 

「……ブフッ」

 

 

抜剣。

万の音が重なる。

全くの同時に引き抜かれた剣は一様に切っ先を騎士へ向け、前衛となるべく歩みを進めた。

外壁の上に立つアリシアは弓の弦を張り、いつでも一射を放てるように力を込めた。

 

……道具を駆使しろ。

使えるものは何でも使え。

常に効果的に立ち回って、徹底的に効率的に命を使い潰せ。

 

 

そうでもしなければ――アダムを、守れないぞ。

 

 

小さく声に出した言霊はアリシアの総身を震わせた。

ああ、ならば前に進もう。

無理だろうと押し通そう。

守る為に / ■る為に 。

 

アリシアにはその事実のみが戦意を奮い立たせる(よすが)だった。

だから、戦おう。

己の総身を以って。

 

 

 

――増える。

アリシアの肉体が、鎧を纏う戦士が姿を表す。

 

増える。

剣を持ち、槍を携え、弓を構える死兵が。

 

増える。

必ず殺す。

 

増える。

たとえ『英雄』が相手だろうと、諦めない。

 

増える。

殺す。

 

増える。

殺すぞ。

 

増える。

たった一つの()()()()()の為に。

 

 

――増える。

 

 

増える。

増える。

増える。

増える。

増える。

増える。

増える。

増える。

増える。

増える。

増える。

増える。

増える。

増える。

増える。

増える。

増える。

増える。

増える。

 

 

―――増える。

 

 

()()の己が地を埋め尽くす。

未だ天を裂けずとも、そんなことは関係ないのだ。

麗しの月は俺達を見守っている。

守るべき愛し子(太陽)が背中にある。

 

 

「ぉ」

 

 

ならば、無理だろうとも押し通す。

必ず。必ず。

 

 

「ぉおお」

 

 

我が子の、()の為に!!

 

 

「おおおおおおおおおオオぉォォオォッッ!!!!!」

 

 

鬨の声が大地を轟々と揺らす。

 

 

 

――開戦だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ああ、なんて愛らしい。

なんて愚かしい。

私に、私達に勝とうとするなんて。

 

我らが父に与えられた加護を貫こうなんて、なんて無駄な。

我らの()たる貴女だから、しっかりと教えてあげなきゃ。

 

だからまずは四肢をもいで――?

あら?

あらあら?

何故そんな野蛮なことをしなくちゃいけないのかしら?

誉れ高き『第十三聖女』がそんな事をするなんて、民達に、信者達に笑われてしまうわよ!

だからしっかりと四肢をもいで――四肢を、もいで?あら?何故なのかしら?まったく野蛮ね!だから捕らえなきゃ!手足を奪って!

 

……ううん?

 

……うーん?

 

頭がぼんやりするわ……だから、まずは四肢をもいで……あら、あ――ら?

何故?

私は聖女なのよ?

痛みを無為に与えるなんて許されないの。

全知全能の父も――偉大なる()()()()だってそうおっしゃっているわ。

私達は私達の隣人を愛さなくては。

私達の家族を愛さなくては。

遍く衆生を救うために。

主の教えを広め、来たるべき日に備えて

 

 

だから、四肢を、四肢を――――。

 

 

ああ、ああ?

私は、何をしているのでしょう?

ええ、分かっておりますとも。

貴方様の命に応え――貴方様?貴方様?貴方様?貴方様?貴方様?貴方様?貴方様?貴方様?貴方様?だぁれ?何故、私に命令をををををを命令命令命令命令を――ああああああ?あなた、あなた?あなたが主?そうなのね?そうなのよ!

ああ、だからだからだからだからだから私は戦って(ちゃんと)ててててああなた(ごしゅじんさま)のためにぃ戦って殺して殺(罵る)して愛して救って救って救って救って殺して汚して(ころす)嬲って踏みにじってああああああ!!全てはあなたのためにぃ(おお、主よ)――――あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた、あなた?あなた?あなた?

 

 

あなたって、だぁれ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







<TIPS>

「聖女達の清衣」
帝都に坐す大宗派「明けの明星」が有する偉大なる聖女達が纏う衣。
それには彼らの信ずる唯一神の加護が込められ、生半な魔性の一切からその身を守る防壁でもある。

聖女とは信仰の拠り所。
過去に『第一聖女』から『第十三聖女』までが存在しており、彼女らは皆『主』の啓示を受け立ち上がった。
『主』の教えを広めるために、来たるべき日のより多くの人々を救うためにあらゆる試練に立ち向かった高潔なる乙女たち。



――しかし、今代の聖女の輝きは地に落とされた。




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白兵戦


アンケートの結果を発表します!!!


質問文 文字数はどのぐらいが良いでしょうか?

(5) ~3000
(33) 3001~5000
(43) 5001~8000
(55) 8000~
(304) うるせえ枕営業しろ


………しゃぶらなきゃ……!!(使命感)
とりあえず文字数は8000字を目標にしてしゃぶりますねじゅぽぽ……!!


アダムにとって、アリシアという少女は常に己の側にいてくれた最愛の人だ。

何者にも代えがたい最も大事な存在。

血縁など無いにも関わらず、如何な考えの元か自分を育ててくれた偉大な人――そう思う程だ。

どこかおっちょこちょいで、危なっかしいが――スレープと協力して必死に愛情を注ぐ姿に、アダム自身も愛情を向けていた。

 

 

アダムは、己がアリシアに託された瞬間の事を覚えている。

己を大事に大事に守り、彼女に託した忠節の執事の事を覚えている。

己を産み、守ろうとした――刹那の時を共にした両親の事を覚えている。

己が生まれた東の土地を、遥かなる海の向こうの事を覚えている。

 

 

赤子でありながら、確かに自我が存在していたのだ。

思考の伴わない意識ではあるが、確かにそれは在った。故に記憶が刻まれ続ける。

 

そんなアダムだからこそ――アリシアと、スレープと共に生きた全てを記憶しているからこそ、日常のすべてが愛おしくて仕方がない。

 

 

アダムの記憶には星のように煌めく宝物でいっぱいだ。

初めて抱きしめられたぬくもり。

産みの両親から初めて注がれた愛情の原型。

忠節に生きた執事から得た原初の生命賛歌。

アリシアと出会い、その真紅の瞳に宿()()()()()()赫灼の熱。

 

その出会いから始まった平穏な日々のなんと麗しいことか。

 

 

同盟者の背の上で慣れぬ手付きで抱え上げられて、ゆらゆらと揺れる中他者の腕の中で眠りについたあの瞬間。

森の中、凄まじい効率で切り拓かれていく木々の姿に歓声を上げた自分に、少女は初めて笑顔をみせてくれた。

そうして街が造られていって、魔族であるが故にさほど必要としていなかった食事を求めた時――初めて口にした『食事』。未知を既知に変えたのはなんとも不思議な体験だった。

 

――そうして目まぐるしく日々は移り変わっていく。

街は加速的に建築を推し進め、その様をアリシアの腕の中で声にならぬ応援を繰り返した。

 

 

それからしばらく。

騒音から逃れるために臨時で造られていた仮住まいから街の中心に居を移した頃だ。

 

スレープが何処かに外出した段階でアダムは空腹を訴えた。

ああ。もちろん、食料の供給元であるスレープが存在しない時点で解決法など無い。

あの時、アダムの泣きように凄まじく慌てていたアリシアの姿は今思い出しても面白くて、なんだか可愛らしかった。

 

……それはそうとしてもアダムの空腹を満たす乳を口にする事ができない状況に変わりはない。

ただただ泣き叫ぶ。ともかく泣いてどんどん泣いて、必死に乳を求めていた自分にどうすることも出来ず右往左往とするアリシアの姿は特に印象深い。

 

 

 

――そこは地下深く。

秘匿された通路の片隅でその姿を思い出したアダムは、思わずクスリと笑みをこぼした。

座り込んでいる岩肌はとても冷たくて、体の芯を震わせるように無機質だが――この思い出を眺めている内は……胸がぽかぽかと熱を発して、この寒さはまるで気にならない。

 

持たされたランタンの明かりのじっと見つめて、その光に過去の情景を重ね合わせる。

とにかく今はそのぬくもりにすがりたいのだ。

 

 

……そうだ、それから……それから……。

そう、そういえば。

それまでのアダムはアリシアの事を母と認識していなかった。

あくまで己を世話する人。あやふやな思考でそう考えていた。

 

――が。それでも必死に慰めようと彼女の乳房を口に含まされた時――生命の本能か、赤子のあやふやな認知機能が故か。アダムはその時になって自分の()が彼女であると朧気な意識で認識したのだったか。

その後、のっそのっそと巨体を揺らして姿を表したスレープに乳を与えられた時――あの時には特になんの感傷も抱いてなかったというのに、不思議なことである。

 

それからもアダムはアリシアやスレープと共に暮らし、あやふやな意識の中に日常の光景を蓄積し続けた。

アダムのおしめを慣れぬ手付きで替えて、下手な子守唄で寝かしつけられ、起きると空腹を訴えて泣き叫び、乳を与えられ、また寝る。

そんな生活の中で言語や情動を学び、人間の赤子と同じように成長していった。

 

 

最初の一年はそれのみで時間が過ぎる。

当然だ。

アリシア達に守られる以上――それが完遂される限りは大きな事件など無い平穏が約束されるのだから。

 

 

ともあれ、そうやって年を重ねるとすぐに歯が生え揃い、離乳食に切り替えられた。

アダムは知らぬことだが、アリシアは外部に置いている拠点――ハイデラの街で教えを請うていた。

時折料理教室などに通っては赤子の胃にも優しい食事を学び、それを拠点の一軒家で暮らすアダムに振る舞う。

アダムの食育とは、アリシアの成長の証でもある。

 

 

時折誤って手を傷つけながらも、頑張って用意された豪勢なグラタンの味を覚えている。

誕生日を祝った時、街に住む数十万のアリシアが華やかなお祭りを開いた日を覚えている。

奇っ怪な仏像が並べられた棚を崩した時――叱られるかも知れないと思って泣きそうになったアダムを、「怪我がなくて良かった」と強く抱きしめられたあのぬくもりを覚えている。

アリシアが繋いでくれた手の感触を、覚えている。

 

 

共に過ごした日々は宝物。

まこと貴い宝珠は傷一つなく輝いていた。

 

 

ああ。そんな宝物を、傷付けようとしている輩が――愚かな古い()()()が、酷く憎らしい。

それまで、母と同盟者に対する愛情のみで構成されていたアダムの深層心理が、初めて憎悪の味を覚えた。

 

 

 

この仄暗い地下通路。

隠れ潜むアダムを守るため、地表のいたる所で走り回る母の足音を聞いた。

僅かな痕跡や地下通路という存在につながる材料を隠すため、入り口を隠して陰ながらに守っているアリシアの存在を微かに感じる。

アダムを守るために母たちは戦っているのだ。

自分に、力がないから。

その事実が歯痒くて仕方がない。

 

 

俯いていた頭を持ち上げ、虹色に輝く瞳で天井を見つめた。

暗い土壁を――その奥の奥を、深淵を魔性の眼力で射抜く。

 

土の向こう。

街の向こう。

空の向こう。

 

――世界の向こう。

 

 

肥大化した自意識を表すかのように綺羅びやかな白い世界。

背に翼を持つ人々が飛び回る美しい世界――その中心に坐する、愚かな模倣者。

 

この世を造り、全てを愛しているなどと嘯くこの世界に於ける『唯一神』。

嘗て時空の狭間にて見た外なる神を模倣しただけのソレ(・・)は、まるで己こそがこの現状を掌の上で弄んでいるといわんばかりに微笑んでいる。

 

己が産み出した人間や――その試作品(プロトタイプ)であり完全調整品(フルチューンモデル)である彼等を自分勝手に操り、多数の犠牲を出してでもアダムを消してしまおうとしている。

母を、奪おうとしている。

 

アダムは悪人というものを知らない。

これまで一切触れることが出来なかった故の未知の存在だが――どうしても、()()が悪人と呼ばれる存在よりも上等なモノとは思えない。

人の意を無視するような、人を道具としか見ることが出来ないような神なぞ、どうして上等な、高潔で貴いものと崇めることができようか。

 

 

なんと、なんと醜い事か。

 

……あれが、己の前身とは思いたくない。

()()()()()が未来の自分と同格で同類で、()()を成す存在とは……。

 

 

「嫌だなぁ」

 

 

地下通路に、そんな呟きが染み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雨あられと降り注いだ殺意は、本当の戦の前の小さな衝突――そういわんばかりに騎士達は「ようやっと戦が始まる」と告げ、地を揺らす大きな鬨の声を上げた。

 

 

そうだとも。

今この瞬間、ようやく本格的な戦が始まった。

 

……それまでの()()()()()で防壁に穴が空き、侵入ルートが出来たというのは……ああ、控えめに言って最悪だな。

しかしアリシアとて今更「じゃあ降伏します」とは言えない。言うつもりもない。

何が何でも、何を対価にしても奴等を退ける。

 

 

「発射ァ!!」

 

 

剛!と再び大砲が鉄の塊を吐き出した。

騎士達が存在する場所目掛けて撃てる大砲は当然ながら限られており、総数の内1割程度。

しかし、それでも90門。されど90門。

加えて50の投石機と、防壁の上に立つ2000の弓兵。

 

その数のみを見るなら強大な防衛力とも思えるが……しかし、未だ増え続けていく数万の騎士を相手取るには不足に過ぎる。

 

彼等はどんどんと広場をその物量で押し拡げ、最初は数百メートルしか無かった空間は今では数キロメートルにも及ぶ騎士達の通り道へと変貌している。

召喚主はどこにいるのか、広場の端から湧き出る大勢の騎士に隠れてその姿は影すら捉えられない。

 

……しかし、だ。ここで重要なのはそれではない。

問題なのは()()()()()()()()()()()()()()()と言う事だ。

先程までなら木々で鈍っていた足運びは迅速になり、戦列を組む空間が生まれた事で規律だった動きを取るものが増えた。

いくらかの騎士はそれにとらわれずに自由に動き回っているが――それもまた戦略か。

 

そんな、次第に勢力を増していく騎士達を封じるには……あまりにも無理があり過ぎた。

 

殺意の雨を多くの鎧を砕くが、いくらかの騎士は損傷を負いながらも防壁へ走る足を止めない。止められない。

 

 

『―――おおおおおおぉッ!!』

 

「くそっ!」

 

 

ダン!

強かな踏み込みの音が響く。

……その音は、防壁の裂け目――侵入経路から発生していた。

 

そいつは拳の一振りで岩の壁を割ったバケモノ。

他の騎士達とは一線を画する運動性能を誇る。

 

故に、何よりも迅速に……どんないくら命を使い潰してでも排除しなくてはならない。

アリシアの鋭敏な本能がそう絶叫を繰り返している。

 

 

「死ねェ!!」

 

『おお!!』

 

 

アリシアはその叫びに従い、十振りの剣を手に騎士へ襲いかかった。

数多の鉄球や投石を身に受け続けていたと思われる大きな騎士――『大騎士』は身体の至る所に欠損を孕みつつも、その威容に陰りはない。

気味が悪いほどに溢れた活力のままに背負った大剣を抜き放ち――

 

 

 

――アリシアが気付いた瞬間には、十の肉体が切り捨てられていた。

 

 

「くそったれ……!」

 

『…………』

 

 

恐怖で顔が歪みそうだ。

恐ろしい。

悍ましい。

吐きそうだ。

 

……でも、それでも。

 

ギリギリと奥歯を噛み締めて、必死に己を奮い立たせる。

事ここに至って退路など存在しない。

 

嫌でも、苦しくても、悲しくても。

何があっても前に、とにかく前に進まなければ。

 

 

「ああああぁ!!!」

 

『――墳ッ!!』

 

 

剣を振るう。

あらん限りの力と技を込め、強かに大地を踏みつけた。

反動で生じた力を流れに乗せて身体へ通し、剣に乗せる。

その切っ先は時速300キロメートルをも超える……!

 

 

が、無駄だ。

 

 

キラリと白刃が煌めいた。

アリシアの瞳には残影としか捉えられなかった切っ先。

 

それは、また五つの肉体を屠った。

じくりと総体に走る痛みがアリシアを小さく揺さぶる。

 

 

――      。  、    。    !

 

『……御意』

 

 

剣を振り抜いた体勢の大騎士は何事かを小さく呟く。

アリシアの耳では音として認識できても、実際に言葉として咀嚼することが出来なかった。

 

 

が。

 

ゾワリ、と背筋に震えが走る。

これ迄の比ではない。

意味がわからない。

訳がわからない。

 

しかし……しかし、ああ!

アリシアの脳裏で、見知らぬ(見覚えがある)男の微笑みが浮かんで張り付く。

綺麗で、優しげで、しかし()()()()()!!

 

 

『破ァ!!』

 

「  あ 」

 

 

白刃が、また輝いた。

微かに見えるようになった切っ先は、一つの肉体に集中して放たれ――

 

その四肢のみを奪い取った。

 

 

「あ、ああああああああ■ぁ■■――ッ!?」

 

 

……しかし死なない。死ねない。

手加減された剣技はアリシアを甚振り、しかし『死』をいう逃げ道を奪い取られたが故に、ただ痛みのみを総体に振りまく。

アリシアはたまらず絶叫した。

 

大騎士はそんなアリシア達に見向きもせず、失われた四肢――その断面部に手を添え、ぐじゅり。と指を突き刺す。

侵入した指先は淡く輝き――悍ましい熱を残して抜き取る。

 

 

「あ、あ?」

 

 

――反響する。

脳内を電流が駆けずり回り無駄に神経の訴えを伝えて回る。

 

痛みが、苦しみが、喪失感が!!余すことなくアリシアの総体を這いずり回った。

 

ああ、ああああ。と言葉にならない吐息が漏れる。漏らすことしか出来ない。

アリシアの思考の内は――ああ、ああ。苦しい。それのみが脳内を埋め尽くす。ただそれだけしか、感じられない!

 

カッと目を見開いた。

ギリギリと噛み締められた奥歯が軋みを上げる。

無意識内に犬歯で切り裂いた唇から赤い血が流れていく。

 

その流れていく血の中に、失われてはならないモノを見た。

 

 

「いいいぃいいぃぃ」

 

 

怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!

 

俺の、足が。

腕が腕が が四 肢が身 が

震 る

無く っていく

身体が ――! !?

 

 

「ブフッ!!」

 

「あ、ああぁ……?」

 

 

頬を生暖かい何かが掠めていった。いや、舐め取った。

何だ。

何なんだろう。

 

分からない。苦しいんだ。

俺の魂が震えて仕方がない。

痛い、苦しい、寒い。

 

何かが、何かが俺の身体から()()()()()

どんどん失われていって――ああ、違う。駄目だ。

許されない。

駄目だ、駄目だ駄目だ!

 

それは、駄目だ……『それ』は無くしてはならない……!!

 

そいつを無くしたら――その『霊薬』を魂から抜いてしまえば、思い出してしまう。

思い出してはならない。忘れていなければならない。

もう不要なものなんだ。

 

俺はもう、『試作品』なんかじゃ……『道具』なんかじゃない。

過去なんていらない。

今の俺はただの『母親』なんだ。

それだけで十分なんだ。

だから、もう思い出さなくていい。

 

それがあったら、俺は――!!

 

 

「ブルルッ!!!」

 

「す、れぇー……ぷ」

 

 

バチン!

横から受けた衝撃に視界が大きく揺れた。

重く沈んだ心が僅かに浮かび上がる。

横を見ると、心配そうな眼差しを向けてくるスレープがいた。

少し、痛みが和らぐ。

 

接触部分からじんわりと広がるぬくもり――癒やしの魔法の熱は優しくアリシアの心を包み、そのおかげか曖昧ながらも確りとした意識が再生を始めた。

 

スレープは再び嘶き、しっかりしろ、危ないぞと警句を発する。

確かにその通りだ。ぼんやりと納得した。

それに従ってアリシアは凝り固まった身体を動かし、未だに混濁した思考のままに俯いていた顔を上げる。

 

 

『救いを、救いを』

 

『哀れな娘に、救いを』

 

『愚かな反逆者に、罰を』

 

『愚かな後継に、死を』

 

 

防壁の裂け目。

そこから覗く視界一面に、白く輝く騎士達が犇めいていた。

見えていたはずの広場など見えないほどに埋め尽くされ、その先頭には生き血が滴る大剣を担ぐ大騎士が一人。

彼はダルマとなったアリシアを抱え上げ、迅速に後方へ走り去った。

 

 

……嫌な予感が、アリシアの脳裏を締め付ける。

 

しかし、だからといってそれを阻止することなど出来ない。

騎士達は裂け目に到達し、今にも襲いかかろうと剣を抜いている。

これは、つまり。距離という有利な条件は失われたという事。

 

ここからは攻城兵器など使えない。

純粋な兵と兵のぶつかり合い。

 

 

「……ふぅ……は、ぁ」

 

 

痛む頭を押さえつける。

あの大騎士が傷口に指を差し込んだあの瞬間だ。

一体如何な魔法を行使したのか……アリシアは、己の魂から抜け始める薬を知覚した。

そのせいで大きく揺らめく視界と意識は、未だに総身に染み込んだ痛みを訴え続ける。

離脱症状、というやつだろう。

そう言うにはあまりにも強すぎる痛みだが……ああ、頭が冴えてきた。

 

 

……そうだ。

あの日、アダムと出会った瞬間――アリシアは北の大地にもいた。

そして……そう、目があった瞬間だ。寸前に手に入れたある『霊薬』を己に打ち込んだのだったか。

 

それは魂を根本から縛り付ける『禁薬』。

その効果は……効果は、なんだっけ。

まだ薬が抜けきってないが故に復元された記憶はまばらだ。

うつらうつらと未だに夢心地な頭では、まだ思い出せない。

 

けれど断片を繋ぎ合わせると――。

 

 

『救いをッ!!』

 

「考える暇はくれないか……!!」

 

 

思考が中断させられる。

大きな声を発した騎士達は剣を振り被り、人外の脚力を持って疾走する。

アリシアはそれに対応するべく、負けじと剣を抜き、槍を構えた。

 

 

「はァ!!」

 

 

強引に風を引き裂いて剣先を突き立てる。

優美さの欠片もない無骨な一閃は先頭を走る旗を背負った騎士に襲いかかり――盾のように翳された左腕を半ばまで切断して、そこで止まった。

 

つまり、殺しきれなかった。

幽かな光が騎士の左腕を癒そうと包み込むのを睨みつけ、アリシアは小さく毒突く。

 

 

『おお!!』

 

 

騎士はお返しとでもいうように、無傷な片腕で剣を振りかぶる。

明らかにアリシアよりも高い膂力によって振るわれ、最初からトップスピード。

いや、きっと実際に斬りつける瞬間であればもっと加速するのだろう。

 

……で、あれば。アリシアは寸分の抵抗もなく切り捨てられるのだろう。

 

 

その剣が振るわれるのならば。

 

 

「死ね!!」

 

『何!?』

 

 

無関係な横合いから伸びた剣が騎士の右腕を寸断する。

攻撃の手段は完全に失われ、召喚者によって修復される前に命を絶たんと返す刃で首を狙う。

騎士は人外であり、命を持つわけではない。だから弱点は分からない。

分からないが……人の形をしているならば弱点は似通っている筈だ……!!

 

 

『舐め、るなァ!!』

 

 

右方から攻め立てていたアリシアは、既の所で放たれた前蹴りによって吹き飛ばされた。

蹴りつけられた腹が、内臓が、軋む。

 

 

――しかし、アリシアは一人ではない。

 

 

「ヒヒィィンッ!!」

 

 

足を前に突き出し硬直している瞬間。

後ろから突進してきたスレープが蹄で地面へと叩き付け、全体重を掛けて押し潰す。

最初に相対した肉体を操作し、完全に身動きが取れなくなった騎士の首へ断頭の刃を振るった。

 

 

『……主、よ……』

 

 

輝く兜が宙を舞う。

それは小さく懺悔の言葉を残して、砂へと解けるように存在の全てを消し去った。

 

その姿を見送ったアリシアは僅かに生まれた猶予時間で周囲を見渡す。

 

 

「……もう、こんなに侵入してるのか……!」

 

 

アリシア二体が旗持ちの騎士と戦っている僅かな時間。

たった一分足らず程度で裂け目から数多くの騎士が侵入していた。

アリシアの街の西側でじわりじわりと陣取りゲームのように侵略し、交戦している騎士の数を数えると――おおよそ8000程度か。

 

 

……そしてそのうち100箇所。

先程から鳴り始めたドン、ドォンという破壊音の元凶がそこにいる。

彼等は防壁を強かに殴りつけ、遠慮なしに穴を開けていく。

そうして生まれた新たな割れ目からアリシアの街へと侵入し、各地で戦闘態勢で待機していたアリシアと交戦を開始しているのだ。

その比率、驚くべきことに1対500。

 

戦って数が減るたびに人員を移動させ、再び戦列を配置して戦う。

市街地で、相手はいくらか大きい程度の人型だ。

同時に戦える人数はそう多くない。

故に前線に立つものと後衛から弓を引くものに分かれて、徹底して効率的に立ち回るが――大騎士はいとも容易くアリシアを斬り殺し、或いは四肢を切り落とす。

 

 

それは、如何な理由か。

大騎士は余裕さえあればアリシアを身動き取れなくし、その状態のアリシアを抱えあげては町の外に放り投げるのだ。

それらは死が確定していないが故に未だ総体の一部である肉体。失血に霞む視界で見てみると着地地点では別の騎士が待機しており、アリシアを受け止めると簡易的な止血の魔法と……恐らく状態異常系統の魔法を使って眠らされる。

 

 

……一体、何故だろうか。

アリシアは聡明であれど、それは平凡の中の聡明。

あくまでも常識の内側にある為、その目的はわからない。

 

 

しかし……しかしだ。

 

 

これは、()()()

本能が声高らかに主張している。

いや、本能がなくとも理性が備わっていれば分かるだろう。

己を攫っていくなど――どう考えても碌な理由にならない。

 

もし、もしも。

あの騎士達の残り香……あれが、己の予想する人物なのだとしたら。

朧気ながらにも思い出してきた、あの超常の存在が関わっているのだとしたら。

俺が地球に暮らしていた過去――その原点、原因であるあの神が、嘗てのように()()()()()裏で糸を引いているのだとしたら。

 

 

……きっと、()()()存在を縛り付けるなんて芸当も可能だろう。

 

 

嫌な予想だ。

 

けれど……ああ、ああ。思い出してきた。

思い出したくなかったし、そもそも思い出せないように根本から消されていた筈だが――それでも思い出してしまった。

幾千年も昔の記憶、その中の人物が今更自分に関わってくるなんて……そんな事思いたくはないのに。

 

アリシアは聡明だ。

だからこそ、その影響を逃れるために何でもした。

あの男は、あの()はなんだって出来る。

その気になれば一人の人間の根本から改変し、己が思うままの傀儡にだって作り変えられるだろう。

人間の試作品程度――多少の手間はあれども弄り回すだけなら簡単だ。

 

そして()()()、己は見つかってしまった。

だから手を加えられるよりも先に、自分で自分の魂を縛り付けたのだ。

 

 

そのために、青褪めた薬を飲み込んだ。

 

 

薬――『北の霊薬』は服用者の状態を過去、最も幸せだった時期の精神に永遠に固定(・・)する。が、もし薬の効果が打ち消されてしまえば最も不幸だった頃の記憶を強引に呼び覚ます。

 

 

例え、それが()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

『愚かな、我が娘に、救済を』

 

 

咄嗟にあの霊薬を飲み込んだのは、無垢な赤子に抱いた(抱かされた)殺意を消すため。

その行為自体に後悔は無いが――今は、なんとも憎らしい。

『霊薬』の効果によって失われていた()()が、再びアリシアの総身を満たしていく。

常人の規格を超えた極大の熱量を灯し、赤い瞳で天を射抜いた。

 

 

 

 

なあ、おとうさん。

(わたし)を、人類の『多様性』の獲得の礎にして捨て去った――愛おしい(憎らしい)神さま。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






<TIPS>
「北の霊薬」
大陸の最北端。
忌み地と呼ばれる村にのみ製法が伝わる、ただ北の霊薬とだけ呼称される聖物。
嘗て『異端』と呼ばれた『第四聖女』が製法を確立し、この村に残して去っていった。

その効能は「幸せだった時間に魂を縛り付ける」。
離脱症状は「不幸だった時間に魂を縛り付ける」。


人々が幸せを感じていたいのは、当然の願い。それこそは、ある種最も純粋な願望。
だからこそ、『第四聖女』である私はその願いを叶えなくては。
何を対価にしてでも、それを追い求めるのが人間で御座いましょう?





主な素材は、無垢なる赤子の心臓である。





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第五のラッパ

液タブ買って遊んでました(懺悔)
これまで使ってたペンタブちゃんが死んだので……!
新しい子も使いやすくて気持ちいいです……!!



【挿絵表示】



加速的に壊れていく石造りの街。

砕かれ、切り裂かれ、吹き飛ばされた瓦礫の山に血が降り注いだ。

 

人はその体に4リットル前後の血液を有しているという。

体積による違いはあれども、アリシアとてそれに近しいだけの血を流している。肉を切り裂かれたのならそれだけの血が吹き出すのは当然の事だ。

 

だからこそ、アリシアの街は血の海に沈んでいる。

 

 

『喝ッ!!』

 

「なんのォ!!」

 

 

ギン!刃と刃が噛み合った音が甲高く嘶いた。

 

相対するは旗持ちの騎士。

はたまた大剣を携えた騎士。

或いは槍を持つ騎士。

 

アリシアは5体の肉体をもって1体の騎士を包囲し、封殺するためにひたすらに行動を殺し続ける。

2、3体であれば無理だろう。

そして、6体や7体であっても無理だ。

 

アリシアは長い間5人1組の冒険者として活動していた。

相対する相手は多くが魔物であり、はたまた人道に反した畜生共。

そんな彼等を相手取った数は数え切れない。

世界各地で発生する戦闘はアリシアを鍛え上げ、研ぎ澄まし、勲章のように血化粧を施してくれた。

だから慣れている。習熟している。骨の髄に刻み込んだ。

5つの肉体で効率的に追い詰め、押さえ付け、殺し切るその技法。まこと洗練された殺しの美学は効果覿面八面六臂。

如何な相手であろうとも不足なく殺し切る。

 

だからこそ、このような同格――或いは、ちょっとした格上相手であればこの布陣が最適なのだ。

 

 

血に塗れた石畳を踏みしめ、鍔迫り合いにより動きを止めた旗持ちの騎士へと背後から斬りかかる。

刃先は強引に風を切り、鈍い音を奏で奔った。

 

 

『おおォ!!』

 

 

しかし人外の挙動をもって踏破する。

鍔迫り合いの体勢を打破する為に強引に腕を跳ね上げ、アリシアは剣を――どころか腕、更に衝撃は伝播を重ねてその小さな体を空中に打ち上げた。

そのまま間髪入れずに流れる様に身体を振り回し、背後に迫った4の肉体は回し蹴りで弾き飛ばされ――

 

 

「ふぅ……!!」

 

 

――その生まれた間隙を埋めるように前衛担当の2と3が飛び出す。

人間としては目を見張るような機敏さで間合いを潰し、剣持つ両手を伸ばしたままの騎士に肉薄した。

 

 

『舐め』

 

 

騎士の上体はがら空きで隙だらけ。

対してアリシアは1つの肉体こそ空中遊泳を楽しんでいるものの、2つの切っ先は騎士のすぐ目の前。

青臭い恋に芽生えた男女のようにどんどんと距離を縮めている。

加え、背後では大弓がダメ押しに射撃を為そうとしている。

 

だが、刃は届かない。

 

 

『るなァ!!』

 

 

聖なる光が迸る。

騎士の装甲が強く煌めき、生じた魔法――或いは聖なる御使いの『奇跡の術』は質量と共にアリシアを吹き飛ばす。

一部の聖職者――各地に巡礼の旅をする彼等が、自衛の為に神から授かったとされる秘術。

この『導きの壁』と呼ばれる光は、あらゆる不信心者を吹き飛ばすと言い伝えられている。

そしてその言い伝えの通りにアリシアを吹き飛ばし――更に伝播する光は先程打ち上げられ、着地をしたばかりで体勢が整っていなかった肉体にも牙を剥いた。

 

 

「な」

 

 

ゴ。あるいは、ブツリ。

鈍い音は、吹き飛んだ1の肉体――その頭部から。

戦場である大通りを横断し、その後方の壁にぶつかって――そして、彼女はアリシアの総体から剥がれ落ちた。

痛みも、僅かな生も実感する事も無く息絶えた彼女。

 

 

……しかしアリシアはその姿に構う事はない。

ただ崩れた体勢を整え、再び刃を構える。

秘術を使った直後は疲弊するのか、いくらか動きが鈍っている騎士へ向けて弧を描いて疾走する。

 

 

「ふぅっ」

 

 

後衛。

腹を蹴られた4のアリシアは即座に交代し、手にした紐に石を装填していた。

クルクルと回転する小袋を流れに逆らわないよう操作し、そして絶妙なタイミングで4は石を投じ――

全くの同時、大弓を力いっぱいに引き絞った5のアリシアも鉄の矢を放った。

それは寸分違わず、狙い通り騎士へ届き――

 

 

『ぬ!?』

 

 

矢は兜のアイスリットをすり抜け内部を貫く。

石は騎士の右手を打ち据え、切り手の指を柄から剥がした。

 

 

「死ね……!!」

 

 

その隙を見逃す道理など無し!

疾走するアリシアはその勢いを乗せ、未だ動きが鈍いままの鎧――その守護のない脇や首に刃を滑らせた。

 

 

『ぐぅ……!!』

 

 

くぐもった呻き声が兜の隙間から漏れ出す。

なんとこの鎧共は命持たぬ召喚物の分際で、高尚にも『痛み』を有しているのだ。生命の特権を侵すとは、実に罪深い!

けれどもアリシアは慈悲の心を持っている。

この騎士の首を断つ事で、贖罪の禊とした。

意思を持つならば感謝して欲しいものだ。アリシアは小さく呟いた。

 

ゴロリ、と転がった首が最後に思うことは何か。

……いや、無駄だな。所詮その思うという機能は模倣物、本物じゃあない。そもそも命の宿らない被造物にそんなものは無い。あってはならない。

 

アリシアは再び初期の後衛と前衛に分かれる陣形をとり――後方から駆け寄ってきたアリシアから戦闘用の霊薬(オイル)――効能は切れ味の強化。まこと都合がいいものだ――を受け取り、この班の39体目である1の前衛を加えた上で次なる敵へ向けて足を向けた。

 

 

――が。

 

 

「あ……ぁ」

 

 

か細い苦悶の訴えが耳に入った。

アリシアは緩やかに周囲を見渡し――そして見つけた。

 

赤色。

赤色が、少女達の腹を食い破り溢れ出ている。

てらてらと光る臓物や、切断された脚部や腕部から流れ出る血液が、少女達の未来を分かりやすく明示させていた。

 

その光景は今のこの街ではそこら中に溢れかえっている。

あの裂け目から侵入してくる騎士は途切れることが無く、今となってはどこを見ても乱戦が発生中。

消えた騎士も死んだ少女も、もう幾千――はたまた万にも届く。

彼女達も、その積み重なっていく遺骸の一つ。

 

つまり、彼女達は死んでしまうのだ。

間違いなく、確定された結末。

それ故に『アリシア』という総体から剥がれ落ち、完全に道を別った。

 

だが、彼女らを死に追いやった騎士は既に別の班と戦闘中だ。きっとすぐに仇は取れるだろう。

 

 

 

だから、安心して死んでくれ。

笑顔で、朗らかに祝福を送る。

心底嬉しそうに死ねと言った。

それこそが最も美しく、最も愛おしい言葉なのだ。

アリシアはそれを知っている。だって彼女等とはつい先程までは繋がっていたのだから。

 

 

「……あぁ、安心……だ」

 

 

少女は、すぅ、と小さく息を吐いて眼を閉じた。

それを追いかけるように、同じ班で活動していた少女達も鼓動を止める。

 

ついさっきまでは彼女等は『アリシア』だったのに、こうしていとも容易く別の道を歩き出し、そして死に絶えるなんて……アリシアは、ちょっと羨まし気に遺骸を見つめた。

 

 

『おお、おぉ。お前達も、この娘達のように救ってやろう』

 

 

戦場は流動的に動く生き物のよう。

ここは激戦区。この通りだけでも数百組が戦い、死に、そして殺している。

この一組のアリシアが騎士を殺したように、騎士も一組を斬り、貫き、潰す。そんな事は幾つも発生していて、だから手が空いてしまったら新たな獲物を求めて戦場を歩き、そしてまた殺すのだ。

……或いは殺されてしまうのか。

 

それはこれからのアリシアの立ち回りによって決定する。

だから、さあ。

 

走るのだ。

雄叫びを上げよ。

盾を打ち鳴らせ!

牙を剥き、愚かな敵対者を殺すのだ!!

 

 

「おおおおおおおぉぉおぉぉッッ!!!」

 

 

また一つ、また一つと命が潰える。

生命を育んだ街は、今となっては命を奪う呪物の大壺のようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――■■さん」

 

「……はい?」

 

 

背後から降り掛かった声に振り向く。

手元のマウスとキーボードから手を離し、椅子ごと身体を回転させた。

 

 

「明日の会議に使うものなんですけど、あの案件……えっと、$a%\社に納品するソフトウェアですね。担当の人が休んじゃったので……お願いできませんか……?」

 

 

若手なのだろう男性社員がおずおずと申し出てきた。きっと先輩社員の誰かに指示されたのだろうか?ガタイのいい身体を縮こませている姿はなんとも可愛そうになる。

が、俺はその内容に思わずくらりと頭が揺らいだ。

俺だってただでさえ今も仕事を抱えているってのに、この青年は更にタワーを積み上げようとしているらしい。

いや、勘弁してくれ。

今超頑張ってるの見えない?ほら、資料めちゃくちゃ積まれてるでしょ?ほら!30cmのが6つも!ここに更に追加すんの?

 

 

 

……と、言いたい。

が、悲しいかな。

そんな事言えるはずがないのだ。

ただでさえ人手不足で、そのくせ営業はめちゃくちゃな条件で仕事を引き受けてきてしまう。

だから皆――主にシステムエンジニアやプログラマー連中はもれなくデスマーチの真っ只中。

どのデスクを見ても積まれた資料や沢山のウィンドウが表示されたディスプレイ共と格闘している。

きっと俺に頼もうとしたのは比較的現在進行中の仕事が少ないからだろう。

 

……結局、俺は引き受けた。

 

 

「じゃあお願いします!すみません、俺は今から出向かないといけないんで……!!」

 

「ええ、頑張ってくださいね」

 

 

軽く笑みを浮かべて青年を送り出す。

きっと二徹の表情筋は無茶な仕事をしてしまっただろうが許して欲しい。君も同じようなものだ。

 

 

「……この仕事の後にやるか」

 

 

再び身体を前に向け、両手をマウスとキーボードに伸ばす。

どちらも少しばかりオンボロな旧型だが、5年間も使っていればすっかり慣れてしまった。

この会社、待遇も給料も設備も悪いが、それでも(決して認めたくはないが)営業(殺したい)が優秀らしく大きな案件を沢山とって来る――来てしまうのだ。それがどれだけ嫌でも!どれだけ苦しくても!どれだけ辛くても!!仕事の依頼は絶対。跳ね除けることなど、許されぬのだ。

 

だから常にゴリラの糞よりも糞みたいな困難が山のように立ちはだかり、それ故に嫌でもスキルアップ出来てしまう。

 

 

……だから。だからもうちょっとだけ頑張ろう。

スキルを身に着けてさっさと転職するのだ……!

もはやそれのみが希望。たった一つの光!

スキルさえあれば転職できて、待遇も年収も良くなる。実にいい時代だ。

 

だから頑張れ俺!!負けるな!!

期限まであと一週間!!!

このまま順当に行けばちゃんと終わる!!

これが終わったら有給とってゲーム三昧の食っちゃ寝生活送るんだ……!!(ただし申請が通るかは別)

 

「あのー……すみません」

 

「ん?」

 

「ここと、ここ、それと……ええ、このずっと前のこの機能なんですけど、仕様変更して欲しいって連絡が……」

 

 

デスマーチ確定の瞬間である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁー……ただいまぁ」

 

 

アパートのドアを開き、唯一俺を待っていてくれる包容力カンストのワンルームへ足を踏み入れる。

10月という季節も相まってか少しひんやりとした空気が体に触れ、ちょっとだけ身震いをした。

明かりのスイッチを押し、直ぐ側の壁に取り付けられたポケットにあるリモコンで暖房をつける。

一応最新機種のエアコンはその力をいかんなく発揮し、人類が産み出した偉大なる概念――暖房をこの部屋に提供し始めた。うんうん、実に素晴らしい。

さっさと上着を脱いで放り、メイン生活エリアへ足早に向かう。

 

 

「あー!結局一週間もデスマーチだよ……なんであんな根幹の部分を弄らせんだあのくそ営業め……!!」

 

 

ドスンと尻を座布団に叩き付け、座した俺の前に目につくゴミを片っ端からごみ袋――はないので、手持ちのコンビニ袋に突っ込んでいく。

とはいえ最近はそもそもこの部屋で生活を送ることがなかった為に不純物はそう多くない。

だから早々に片付けを終え、代わりにコンビニ袋から退避させていた今晩の贄を机の上に並べていく。

 

カルボナーラパスタ、塩おにぎり、オレンジジュース。

俺はパスタやうどんなどの麺類が好物なので食卓には頻繁に並ぶ。

あとのは……まあなんとなく目についたからだな。

 

カシュ、と窒素が抜ける音と共に蓋を外し、ジュースを呷った。

 

 

「はぁーあ。いつになったら転職できんのかなぁ……」

 

 

モソモソと口を動かし栄養素を胃袋に詰め込む。

そしてジュースを飲み、合間合間で愚痴を漏らす。

いつからだったか、食事の際は常にこのルーチンで行われるようになっていた。

意味?特に意味はない。

強いて言えば……いや、ああ。どっちにしろ意味はないが、理由はあった。

ただ疲れている。それだけだ。

 

カラン、とプラスチックのフォークが同素材の皿に放る。

まだ食べていないおにぎりを片手に、勢いよく後ろにゴロンと倒れ込んだ。

 

 

「……つらいなぁ」

 

 

溜まるストレス。変わらない環境。

施設で暮らしていた時よりは遥かに良い状況とは思うが、それでも辛いことに変わりはない。

 

 

……まだ働く前の事を思い出す。

少なくとも……あの日々よりは充実してるのではないだろうか。

そもそも、自分には最初から親がいなかった。

捨て子として保護施設の前に放置されていたらしく、偶々出勤中の職員が見つけてそのまま引き取られたのだ。

そしてこの現代日本においては親なしというのは偏見の目に晒される。

もっと寛容になってほしい、とか、同じ人間なのに、とか色々と言いたくなってしまうけれど、そういうものだった。

 

そこに加えて親代わりのはずの職員達は皆横暴。満腹になることは一度も無く、外に遊びに行くことも殆ど出来ない。今思えば彼処は違法な施設だったのかもしれない。

そのくせ一応中学までは出してもらえたので、半端ではあるが慈善組織ではあったのだろう。

 

中学卒業後もなんとか高校までは出るために奨学金を借りてバイトをし、それを両立させて高校を卒業。

高卒として働き出してからは同僚に恵まれ、何度か転職をしながら自分の価値を磨くことが出来ている。

 

……そんな来歴を思い返してみるとこれまでの人生、良くなることはあっても悪くなることなんて一度もなかったのだ。

最悪から始まった俺の人生はどんどんといい方向に向かっている。

だから、次もそうだろう。

きっと今よりも良くなる。

 

……少なくとも、そう思っていれば気が楽だ。

 

 

「はぁ」

 

 

寝返りを打てばワンルームの壁に立てかけられた姿見が目についた。

東京に移住したばかりの頃に、身だしなみを整えるために用意した、けど……結局あまり活用していない気がするな。

 

 

「……ちょっと、隈ができてるな」

 

 

反射する自分の姿を見てひとりごちる。

ただでさえ日本人にあるまじき赤い瞳(・・・)なのだから、そこに更に目立ちそうな要素を加えたくはないのだが。

この髪の毛だって中途半端に金色が混じっているせいで、すわ不良か等とあらぬ疑いをかけられたこともあった。

まあ自分の顔立ちに西洋のモノが多分に混じっているせいで、さっさと天然物と判断され疑いは晴れたのだが。

 

……確か幼い頃はこんな髪の毛じゃなかったし、ここまで純粋な赤い瞳でもなかったような気もするが……そもそも成長で変化するような要素でもないし、きっと勘違いだろう。

 

 

「……パソコン、つけよ」

 

 

気を取り直して起き上がり、壁際に配置されたパソコンデスクに移動する。

人間疲れているときこそストレスを解消して気持ち良くなるべきだ。

幸い現代には数え切れないほど多くの娯楽で溢れており、コンピュータゲームなんか発展しすぎてもはや訳が分からないほど。

とりあえず対戦相手を自分の力でねじ伏せるとそれだけでとても気持ちがいいので、細かい所は分からずともそれでいいが。

 

5秒で起動したデスクトップの中でマウスカーソルを泳がせ、ゲームランチャーとコミュニケーションツール――デスコールを表示した。

いつものルーチンワークだ。

もう手慣れすぎてRTA(リアルタイムアタック)だって出来るかも知れない。

ゲームプレイ準備RTA!みたいな?

 

 

「お、あいつらいるじゃん」

 

 

デスコール、略してデスコのフレンド欄には見慣れた名前が何時も通り存在している。

学生時代からの友人たちは何時も通りゲームにログイン中で、三人で作ったグループチャットで何時も通り会話をしているようだ。

 

 

俺はいつもと同じように会話に参加し、いつもと同じようにゲームをする。

人生が辛くても、苦しくても、幸せだ。

 

 

……幸せ、だったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「破ァ!!!」

 

『ぁぁあ……なんと、愚かな……』

 

 

ゴロリ。

首がまた一つ、石畳の上を転がっていく。

アリシアはそれをぼんやりと見送り、まるでリンゴみたいだなぁと想起した。

きっと疲れているのだろう。

総体に奔る淡い痺れは徐々に強まっているようで、肉体の操作がいくらか粗くなってきた。

 

 

もう、戦が始まってどれだけの時間が過ぎたのか。

空を見上げても雲が天蓋を覆い尽くし、星々の姿をすっぽりと覆い隠していた。

 

それに時間だけでなく、敵の規模さえも分からない。

侵入経路として活用されていた防壁の裂け目は次第に拡げられていき、今では裂け目ではなく()、或いはただ壁も区切りもないただの境界線とも呼ぶべき姿になっている。

 

そうして生まれた門を後から後からどんどんと騎士達が流入を続け、片っ端から殺していっても中々底が見えない。

分かるのは、向こうも疲弊していっているだろうということだ。

当初の騎士達は『秘術』を多用し自分自身に能力強化を施していたにも関わらず、今では節約か、何らかの制約があるのか、その姿を見受けることが殆どなくなった。

 

それに、恐るべき『大騎士』達も流入の数はどんどんと減っていき――『秘策』で千の大騎士を殺した辺りからあまり姿を見かけなくなった。

 

……しかし、それは居なくなったというわけではない。

数体であろうとも、それだけでアリシアは数百、または数千の器を失うことになる。

途中で採用した"効率的な命の使い方"のおかげで、最小限の損耗で撃破することは出来る。出来るが……あまりこの街を汚したくはないのだ。

 

だが、そう上手くは行かないのか――

 

 

『救いを』

 

 

また一人、騎士が――否、大騎士が姿を表す。

街の内部にいる大騎士は全て抑え込んでいる。

にもかかわらずここに居るということは、こいつが数少ない新戦力の大騎士だからだろう。

ここが門からほど近い位置にある広場という事もあって、この肉体達が一番最初に接敵する事になったらしい。

周囲には百ちょっとの戦力しかない。

後方に配備している予備戦力を呼ぼうにも、最寄りの集積地はちょうど出払ったばかりだ。

 

アリシアは即座に肉体を数百ほど用意し、争う為の体制を整える。

 

 

――が、その大騎士の背後。

そこにある門が如き裂け目から一人、また一人と大騎士が続く。

 

……それらは、十二の編隊を組んでやってきた。

いいや、まだまだ増える。

ヤツラはここに来て一気に叩き潰すつもりなのか、恐ろしく強大な戦力を送り込み始めていた。

 

そして、その更に背後、奥の奥――そこに居る元凶が。

騎士達を召喚し続ける悪辣なる魂が――アリシアの()に当たる存在がさらなる秘術を行使していた。

 

 

アリシアは小さく目を見開く。

 

純粋な意味での妹ではない。

だが、きっと――アリシアが知る妹の因子を受け継いでいるのが彼女なのだろう。

"信仰"という概念、その大元を変わらず受け継いだ女性は土の上で跪き、荘厳に祈りを捧げている。

 

明滅する光は眩く網膜を突き刺し、拡大と圧縮を重ねていた。

見ているだけで嫌な予感が脳漿を焼き焦がす。

 

……膠着した戦況を覆すために、秘策を奉じるのか。

 

 

故に、アリシアも手札を切る。

向こうが決戦を望むというのならこちらもそうしよう。

 

 

ならばどうする。

 

増える?

それもいいだろう。

 

しかし、だ。ただ増えるだけでは足りない。

圧倒的に個の力が足りていないのだ。

 

それは、"効率的に命を使い潰す"方法でも覆せない。

あくまでアレは大騎士を潰すための――"自爆特攻"だからだ。

身体に魔術式爆薬を巻き付けて、最適なタイミングで、効率的に奴等の首を吹き飛ばす。

実に美しく、非常に効果的。

何故これまで躊躇(・・)していたのだろうか?ああ、まったく理解できない!

 

 

……けれども、それもこの状況を打破するには不足。

事ここに至ってはどうにもならない。

 

 

人為顕現(テスタメント)

 

 

だからアリシアは、自分の純度を更に深める。

一つの命では塵のように。

五つの命では虫のように。

百の命では赤子のように殺されてしまう。

千の命で、ようやっと抵抗できる。

あまりにも不毛に過ぎる。

 

 

……しかし、取り戻した(取り戻してしまった)過去にはそれを打破する技法が刻まれていた。

 

 

「転輪せよ、輪唱せよ。これこそが俺の――()の"生命賛歌"」

 

 

――これらは神の御使いに対する挑戦だ。

自分勝手な憎き神に向けた果たし状だ。

 

いつかの日。

愚かなる父は不相応にも人の創造(・・・・)に手を出し――しかし、その機能を不完全に(人らしく)実装することが出来なかった。

 

人は不完全でなければならない。

少なくとも、垣間見た異界の神――父のオリジナルはそう作った。

それは計算された欠陥ではなく、計算の外を泳ぐ規格外。

父には、その様に作れない。

 

かの神であればたった一度の実行で作れたにも関わらず、彼には無理だったのだ。父はそれを許せなかった。

 

だから、父は練習作品――試作品(プロトタイプ)を用意し、それに試行錯誤を施した。

見たことのない、知ることも出来なかった幾つもの要素を孕んだ人の創造は当然難航する……が、『練習』という行為が功を奏す。

練習を重ね、いくらかの年数さえ掛ければ理解は容易だ。

元より、父は神なのだから。

 

 

――その後。あの日。あの時。アリシアが覚えている最期。

父が光輝の世界に座し下界を見守る中、形を得た土は命を得て――多数の試作品が見守る中、完成品たる人間が産まれた。

 

……産まれて、しまった。

 

 

父は喜んだ。試作品たちも、父が喜んでいるのを見て喜んだ。アリシアもその一人だった。

完成品はとてもとても美しくて、父は望みが叶った喜びを噛み締め――笑顔のままに不用品を()()する。

アリシアと、兄弟姉妹を時空の狭間に放り捨てた。

 

 

……ああ、許されない。

憎くない筈がない。

 

この状況も掌の上か?

人を操って、自分の手は汚さず踏ん反り返っているだけの愚か者。

 

 

憎い。

憎い。

ああ、殺したい!

その首を撥ねて、運命を弄んだ罪を贖わせるのだ!

 

 

アリシアは殺意を積み重ねる。

ただ一方向に収束させ――余りにも大きく膨れ上がった極大の自我が、その自重で崩壊しないように支え続ける。

 

所詮自分は不完全な試作品。

ただ、父が多様性(・・・)という概念を理解するための道具に過ぎない。

 

 

けれど。

失ってしまった筈の――忘れていたかった過去は雄弁に訴えてくる。

 

奴に報いを、と。

あんな、あんな結末(・・)を許してはならない。

奴の血を以って忌むべき過去を拭うのだ。

 

 

だから。

必ず、殺す。

 

 

刻印剥奪:第五深淵(ロウカスト・アバドン)

 

 

原始の時代。

古くに大地を闊歩していた生命が、再び星に根を張った。

 

 

さあ、父よ。

閉ざされた全能者である愚かな父よ。

私は、この熱量を以ってどこまでも死体を積み重ねていこう。

そうすればきっと、いつかは貴方にも届くだろう?

 

 

 

 

 

 

 

 

 





<TIPS>
「カジノのコイン」
どこにあるとも知れぬ、地下帝国で普及しているコイン。ペリカとも呼ばれる。
この大陸は肥沃で、どこを見ても草原や森林が広がっていて実に自然豊か。
しかして鉱物資源が無いわけではなく、山を掘ればいくらでも用立てることが出来る。
このコインは、そんな山の一つで採掘された鉄から造られているようだ。

見果てぬ夢を不相応に追い求めた愚か者達。
彼等が最期に掴むモノとは、一体何なのだろうか。



「アルテミシアの大弓」
大陸の西にあると有ったとされる古代の大国、その女王が用いていた物。
木と鉄と金、シカの革で造られた見事な大弓。それは今も帝都の博物館で展示されている。
現代には名前は伝わっていないが、狩猟の女神の祝福を受けた女王は他国の侵略を跳ね返し、逆に侵略し返していたようだ。
優れた治世と高度に発展した文明によって大きく栄えた、が――
――しかし『明けの明星』率いる英雄達と征伐軍によって討滅され、その信仰の尽くを剥奪された。
この大弓は辛うじて残された、数少ない名残にして証明である。







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前夜祭

第五の御使が、ラッパを吹き鳴らした。

するとわたしは、一つの星が天から地に落ちて来るのを見た。
この星に、底知れぬ所の穴を開くかぎが与えられた。

そして、この底知れぬ所の穴が開かれた。
すると、その穴から煙が大きな炉の煙のように立ちのぼり、その穴の煙で、太陽も空気も暗くなった。

その煙の中から、いなごが地上に出てきたが、地のさそりが持っているような力が、彼らに与えられた。
彼らは、地の草やすべての青草、またすべての木をそこなってはならないが、額に神の印がない人たちには害を加えてもよいと、言い渡された。

彼らは、人間を殺すことはしないで、五か月のあいだ苦しめることだけが許された。彼らの与える苦痛は、人がさそりにさされる時のような苦痛であっ た。

その時には、人々は死を求めても与えられず、死にたいと願っても、死は逃げて行くのである。

これらのいなごは、出陣の用意のととのえられた馬によく似ており、その頭には金の冠のようなものをつけ、その顔は人間の顔のようであり、また、そのかみの毛は女のかみのようであり、その歯はししの歯のようであった。

また、鉄の胸当のような胸当をつけており、その羽の音は、馬に引かれて戦場に急ぐ多くの戦車の響きのようであった。

その上、さそりのような尾と針とを持っている。その尾には、五か月のあいだ人間をそこなう力がある。

彼らは、底知れぬ所の使を王にいただいており、その名をヘブル語でアバドンと言い、ギリシヤ語ではアポルオンと言う。




第一のわざわいは■■■■■。
見よ、この後、なお二つのわざわいが来る。




ヨエル書 第1章より抜粋






大地が揺れる。

原始の人が闊歩し、地を踏み均す振動が天に反響する。

 

それは神代の残滓――人間の礎とされ、滅ぼされた少女の号哭。

憤怒に身を焦がし、ほんの少し前に()()()()()()()()()()()さえ薪に焚べる怨嗟の叫びが轟いた。

 

 

――それは地下で身を隠すアダムの鼓膜をも揺さぶり、酷く心をかき乱す。

 

 

「……母さん?」

 

 

下を向いていた首を持ち上げた。

手元に置いてあるランタン。そのか細い灯りが照らす天井は暗く、人の目を包み隠す。

灯りが有っても土の天井があるのだから関係ない?どちらにしろ何も見えない?実にその通りだ。

 

しかしアダムは人に非ず。

魔族と呼ばれる異種族であり、またその中でも一際特別な存在――神の萌芽。

その眼力は物質に囚われず機能する。

 

……とはいえ、今の今まで幼子の様に両目を塞いで蹲っていたわけだが。

しかし天に轟く咆哮が、首に張り付く焦燥感がアダムを急かした。

未知の恐怖を振り切り、意図的に視線を逸していた街へ焦点を合わせる。

土を飛び越え、石を突き抜け、その先に――

 

 

 

「うっ……!?」

 

 

――赤い。

 

石畳の大通りが。家の壁が、屋根が。砕けた瓦礫が。

何処を見ても赤い塗料が塗りたくられている。

その赤い液体の原材料は、無作為に転がる少女達の身体。

緩やかに伝う赤い河は少しずつ陣地を広げ、街を湖に沈めようとしているみたいだ。

はたまた弾けとんだのか、水風船が割れた後みたいにその中身が派手に飛び散っている。

 

 

光の無い母の赤い瞳が、空虚に己と絡み合う。

 

横隔膜に、震えが走った。

 

 

「ぐぅ……おぇ……っ!」

 

 

びちゃびちゃと夕食だったものが零れ出た。

生理的な反応で涙が溢れ、口の中が酸っぱい物で満たされる。

 

 

「けほっ……うぅ……!」

 

 

それでも、目を逸らさない。

母は己の為に命を張っているというのに……その光景からすら目を塞ぐなんぞ、到底男とは言えないだろう。

少なくとも、アダムは自分を誇ることが出来なくなってしまう。

ガクガクと笑う膝を押さえつけ、逃げたくなる体を抑えつけた。

 

アダムは、せめて、と呟く。

 

……せめて、力さえあれば。

己に力があれば、手助けが出来るのに。

 

 

口元を拭い、深く息を吐く。

 

こんな時、自分の母はどうするのだろう?

ただ隠れて震えているのか?

恐怖のままに逃げるのか?

 

いいや、そんな事はない。

アダムは知っている。

母はそんな利口ではない。恐れを知った老人ではなく、無鉄砲な少年というべきか。

変な所で男らしく、馬鹿だった。

 

 

「……せめて、できる事を……か」

 

 

瞳に力を込める。

今の己にはこれしかない。

アダムは未だ芽吹かぬ未完の器。

けれど、それでも『男』を張りたいお年頃なのだ。

 

 

「………見つけた」

 

 

せめてもの貢献。

それを目指し、まずは四肢を奪われたアリシアを連れ去ったその目的を探る事にした。

きっとその情報は母にも、そして己にも必要だ。

……アリシアは自分の――自分だけの母だ。

それを害そうなんて許せない。許していい筈がない。

 

アダムは今はまだ淡い、けれど確かに燃え盛る炎の赴くままに動き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「死ね」

 

 

首が飛ぶ。

 

 

「死ね」

 

 

首を折られる。

 

 

「死ね」

 

 

心臓を食い破る。

 

 

「死ね」

 

 

心臓を貫かれた。

 

 

殺し殺され、血潮を撒き散らし、そして血に塗れた両手で柄を握り締めまた駆け出した。

門から一直線に繋がる大通りは、何処を見ても常に騎士とアリシアが争っている。

そこに戦列という概念は無い。有るのはただただ切り合うだけの乱戦。

目についた敵へ向かって襲い掛かるだけの、まるで知恵のない原始の闘争が如き稚拙な争い。

だがそれが生み出す熱気は、知恵を凝らした『効率』が猛威を振るう戦場なんぞよりも遥かに濃厚。

 

そして無論、争いがあるのなら――その果てに生まれる死者も存在する。

騎士は召喚物であるからともかく、アリシアの器は既に数十万という肉塊を生み出した。

右を見ても左を見ても、前後上下にさえ肉塊が腐るほどに転がっている。

 

つい先程、ほんの僅かな時間を遡って言えば、幾つもの肉体がせっせこと駆けずり回って場を整えていた。

が――

 

 

――今となっては不要だ。

後方支援?遺骸の収容?トラップの設置?

そんな余分なリソースなぞ全て削り取ってしまえ!

 

全てを駆使して奴等を――"神の尖兵"を屠殺するのだ!!

 

北の大地の駐屯?いらんぞ、無駄だ。

北東の農村で技能取得?それがこの戦のなんに役に立つ。

愚か者の行き着く流刑地?それこそ無駄の極み。

 

――この大陸の至る所に存在するアリシアは、その肉体を光に解く。

黄金の光の粒子となり、距離を超越し――この世ならざる位相に有る()が導くままに、この戦場へ収束する。

 

そうして戦力をかき集め、騎士を殺し、殺され――ならばと更に増殖する。増殖する。増殖する。増殖する。増殖する。増殖する。

 

 

「死ね、死ね……!!」

 

 

粗製の剣を宙に踊らせ、技巧など無い膂力任せに斬りかかった。

騎士は果敢に剣を打ち付け、防衛からの攻勢に繫げようと戦意を滾らせるが――横合いから伸びた槍の穂先に、あっさりとその仮初の命を散らす。

 

 

がしゃんと鋼が擦れる音と共に崩れ落ちた騎士。

神の加護を喪った敗北者は消滅を待つばかり。

その指先から徐々に光に溶けていく――

 

 

「――はァ」

 

 

――アリシアはその横に跪いた。

 

徐々に形を失っていく騎士を赤い瞳でしばし見つめ――がぱぁ、と。

大きく、大きく口を開いた。

 

 

「いただき、ます」

 

 

がり。ごり。ぐちゅり。

金属が砕ける音が、柔らかい魔素を削る湿った音が響く。

アリシアは嬉しそうに目を細め――より一層激しく顎を駆動させる。

 

 

つまるところ、彼女は敵の死体を喰らっていた。

 

 

死に絶え、その器が世界に還るまで。

それは必ずしもすぐに消滅するというわけでもなく、器の破損状態によって数時間程度までは形を保つ。

つまり、喰える。

 

味がどうとか、硬さがどうとか、そもそも有機物でも無機物でもないとか、色々と言いたいことはあるだろう。

 

 

「食べなきゃ」

 

 

しかしアリシアは嬉しそうに、美味しそうに喰らう。

その瞳を濡らすのは仇敵の死を喜ぶが故か、征服に快感を覚えたのか、はたまたただ命に感謝を――いや、ありえないか。

 

ともかく、それを驚くべきスピードで喰らい尽くし――

 

 

「もっと、もっと」

 

 

その肉体に朱の刻印を走らせ、再び増殖を重ねる。

周囲では全く同じ光景が幾つも広がっており、時には安全確保がおろそかなままに喰らいつくせいで命を落とし、はたまた四肢を落とされたアリシアもいる。

 

――それでも、喰らう。

 

 

「もっとだ。もっと」

 

『なん、なのだ……これは……!!』

 

 

騎士の動揺の声にも耳を貸さず、剣を打ち付け――否、最早不要だ。

アリシアは手に持っていたボロボロの石剣を放り投げ――

 

素手で組み付いた。

 

 

『な!?』

 

 

一対一では決して勝てなかった腕力。

ああ、腕力だけではない。

全てにおいて勝てなかった。

 

脚力、体幹、視力、瞬発力、反射神経、武器を扱う技量。

 

そのどれもが劣る。

それら全てを覆すための物量作戦であったし、5人1組での連携をとった集団戦闘だった。

けれど、それでは不足だった。

自分はここまで押し込まれた。

 

ならば、ならば。

もっと多く、より多く!

今の物量で届かぬならば、より多くの己を積み上げる。

先程までとは規格が違う速度で増殖し、文字通りの"物量"のみで押し通す。

 

 

『馬鹿な……!?』

 

 

両腕を押さえつけるように正面から飛びかかったアリシアを振り払おうとして――しかし、騎士にはそれが叶わない。

一人。また一人。今度は二人。続けて六人。

続々と後方から襲い掛かるアリシアの勢いに押され、四肢に絡みつかれ、拘束される。

徐々に徐々に、振り上げた両腕ごと地面へ押し付けられ、ぎりぎりと軋む両腕の奮闘とは裏腹に……騎士の膝がガクガクと笑う。

 

数秒の拮抗。

しまいには、ストン、と膝を着いてしまった。

 

 

『や、やめ……っ!!』

 

「あは」

 

「いただきます」

 

「いただき、まぁす」

 

 

首元に。

腕に。

足に。

腹に。

肩に。

 

周囲に居た手すきのアリシアが続々と集まり、組み伏せられた騎士を覆い隠すように張り付く。

ガリ、ガリ。ぐちゅ、ぐちゃと滴る咀嚼音と、生きたまま食まれる騎士の悲鳴が戦場に溶け、同じ様な雑音と共に混ざって解けた。

 

 

『よもや、よもや。娘よ、そこまで……』

 

 

大騎士は小さく呟いた。

門の傍、嘗てアリシアが築いた長大な防壁の上に雄々しく立つ姿に困惑の影が纏わりつく。

視線の先、自身達が侵攻している大通り――西から街の中央付近まで伸びる石畳の上は、先程までの光景とは全くの別物になっていた。

これは、戦意と殺意が蔓延する血生臭い修羅の戦場ではない。

狂気と無垢な純粋さ、はたまた生命の持つ原始の姿がありありと映し出された沼の底。はたまた深海の奥深くか。

 

 

同胞(はらから)達を喰らうアリシアの肉体には縦横無尽に朱い刻印が駆け回り、指先……そして胸元から"黒"が滲み出している。

大騎士――"神"により純粋な戦力として生み出された戦士は思わず身震いした。

 

徐々に広がる黒いナニカ。

それはアリシアの肌であり、器であり、想念でもある。

 

 

『……蝗虫、か』

 

 

"群生相"

それは人々に降り掛かった天災の一つ――『蝗害』の前触れである。

 

……蝗虫という生物は広く知られた昆虫だ。だから細かい情報は余分なものとして省く。

彼等は通常、多くは"孤独相"と呼ばれる体色、構造を有する。

これを平常時、と呼んでも差し支えはないだろう。

ただ草を食み、子を残し、自然に還る。

 

しかし様々な要因によって、彼等は"相変異"と呼ばれる現象を発生させる。

孤独相から群生相へ。

群生相の蝗虫はお互いに惹かれ合い、共に行動し、集団となり――余りにも増えすぎた集団は大移動と、それに伴いありとあらゆる"食料"を根こそぎ食らい付くしながら飛び回る。

アリシアの前世――現代社会でもその現象は発生しており、過去最大の規模の物であれば600億匹もの蝗虫が地を埋め尽くした。

 

 

 

話を戻そう。

 

大騎士は、狂乱するアリシアを何故蝗虫と例えたのだろうか?

それはアリシアが結んだ神代の理を例えての事だろう。

彼は酷く聡明だ。

神の尖兵でなければ、慈悲深いアリシアも四肢を落とすだけに留めただろうに!

 

ともあれ、殺意に狂ったアリシアはラッパを吹いた。

それは第五のラッパだ。

神が物は試しと作り上げ、試作品たちの内界に格納した『試作品』。

そしてラッパとは、自分自身の奥の奥――"起源"を表に現出させるモノ。

 

 

『娘は"多様性"を得ることが出来ず、その踏み台になったと聞いたが……さて、これはどうしたものか……』

 

 

ここは、もはや戦場ではない。ただの食事場だ。

大騎士が今もこうして眺めている間に次々と騎士は食われている。

造り物の伽藍堂の心であっても些か胸が痛い(錯覚)

じっと同胞達の末期の叫びを聞き、しかし変わらずその場に立ち尽くした。

そしてそれは"動かない"ではなく"動けない"。

 

 

"一度大攻勢を仕掛け内部へ押し込んだ後、命あるまで待機せよ"。

 

 

そのお達しが大騎士をその場に縛り続ける。

……だが――いくら名代の言いつけとはいえ、些か不可解でもある。

緩く首を傾げた。

 

それはその命令が、ではない。

名代の様子がだ。

まるで熱に浮かされたようで、正気なのかも疑わしい――まるで無理やり元通りの振る舞いを再現しているだけの残り滓のような、如何とも言い難い声音だった。

 

しかして今の己はあくまで召喚物。

神の尖兵という前提はあれど、信心深い聖女――それも、代々受け継がれてきた『種子』を持つ乙女だ。

少しばかりの疑念は飲み込んで従うべきだろう。

なにせ、いくら聖女とはいえ人間だ。

数が減ったとしてもどうせまた増える。

大騎士は一人頷いた。

 

 

――そして、大騎士が木偶の坊となっている今も時は流れ続けている。

 

アリシアは勤勉に、懸命に口を動かす。

騎士を組み伏せ、生きたまま牙を突き立てた。

空っぽの悲鳴がうるさいな。

アリシアはその首に八の手をかけ、一息に握りつぶした。

 

 

「あは。静かになった」

 

 

ぐちゅり、ぐちゃりと只管に貪る。

それのみに専心し――未だ姿の見えない仇敵へ向ける殺意が、より一層深まることに微かな充足感を得た。

 

一頻り食べ終えると、食い散らかされた魔力片に視線を向けることなく再び走り出す。

アリシアも気付かぬ内に体表の殆どが黒に染まっていたが――しかし、黒に染まれば染まるほど身体機能や五感が強まっていく事を把握してからは、むしろ歓迎するべき事と認識していた。

 

 

故に貪食は止まらない。

あらゆる騎士を組み伏せ、殺され、しかしそれを圧倒的に上回る速度で増殖を重ねる。

先程までであれば大騎士にも苦戦し、文字通りの自爆特攻をするしかなかったが――なんだ、今となってはそうじゃない。

こいつらは確かに強く、暴力の化身だろう。

けれども食えぬ訳ではないじゃあないか!

 

 

『あ、ぉ……』

 

 

その巨体に余すことなく覆いかぶさり、振り払われる前に食らいつき、噛みちぎる。

指や腕を奪えれば上等だ。

それだけで戦う力の多くを奪えるし、何よりもこの"黒"はより深く広まっていく!

ああ、素晴らしい。

 

 

『愚かな、哀れな……』

 

「うるさい」

 

 

ぱきり。

首元に食らいついた顎に力を込め、力任せに捻じりとった。

強大な抵抗を残し――しかし、哀れにも大騎士は命を散らす。

 

 

「……もっと」

 

 

食べる。

歩く。

食べる。

走る。

食べる。

跳ぶ。

 

そうしていく内に続々と流入を続ける騎士達は完全に押し返され、いつの間にか先程の女――妹の姿が見える場所まで帰り着いていた。

 

 

「……食べなきゃ」

 

 

視線の先。

西に開いた門は、大きなもので言えば7つ。

その全てへ派遣する騎士達の発生源は1つ。

その親玉まであともう少し。

さあ、このままの勢いで喰らってやろう。

 

 

『…………』

 

 

甲高い金属音を掻き鳴らし、騎士達が――そして、幾人かの大騎士が剣を構えた。

アリシアの視線の先。強化された視界の中で、女は変わらず祈祷を続けている。

その明滅と、高まり続けどこまでも膨れ上がる圧。

きっと彼女もまた『試作品』を宿しているのだろう。そして、それを放とうとしている。

 

 

……しかし。

見ている限り発動の前兆はあれどもその先がない。

 

 

アリシアにはその原因は分からぬ。

 

分からぬが……好都合だ。

 

 

「死ね」

 

 

牙を向いた。

両手足を獣のように撓らせ、再び駆け出す。

びゅうびゅうと風を切り、百メートル以上はあったろう距離は僅か数秒程度で踏破された。

僅かながらにでも強化された身体能力はこれ以上無い助けだ。

一体あたりの上昇幅は微妙なものだが――ここに、強まった増殖能力を付け加えればそれは素晴らしい武器となる。

――アリシアは、これまでに積み上げた"武器(経験)"の事さえ忘却しながらも狂乱した。

 

ああ、身体が軽い。

何処までも跳んでいけそうだ。

類稀な力が漲り、身体の中で出口を求めて荒ぶっている――!!

 

 

『第一から第四盾兵連隊、構え』

 

『おおおぉ!!』

 

 

ドォン!

鈍い打撃の音が腹に響く。

宙へ跳んだアリシアが勢いと体重を乗せて放った蹴りは、数百の騎士が前面に配置した盾兵が余すことなく受け止めた。

 

 

『ぬ、ぅう……!』

 

 

しかし一度の蹴撃で終わるはずなど無い。

今この街には百万――否、その倍にも届くアリシアが居る。

勿論全ての肉体が実際に戦闘しているわけではない。それには圧倒的に空間が足りていない。

けれどいくら斬り殺したところで後方から続々と戦線へ流入し、食い破れるだけの隙を求めて爛々と瞳を輝かせている。

 

しかし対して、騎士達の戦力は削りに削られ、今となっては大騎士が数十。

通常の騎士が500。

明らかに、露骨すぎるほどに戦力が足りていない。

それに加え、聖女が放とうとしている"奥の手"にリソースをつぎ込んでいるのか敵の増援も無し。

 

 

あと一息。

あともう少し。

 

そうだ、ほんのちょっとの屍を積み重ねていけば()は父にも辿り着ける。

そこで引導を渡してやるのだ。

お前が無価値と断じたものは、お前を殺しうる牙だったのだと!

 

 

「喰らい、貪り、埋め尽くす」

 

 

盾を力任せに弾き飛ばす――否、不足。

ならば一人ではなく二人の力で。それでも足りぬなら十人の力で!

総身をほぼ完全に黒に染めたアリシアは強引に体を打ちつけ続け――遂に騎士は膝を折る。

ああいや、腕も折れているなぁ!なんとも哀れだ!

 

剥がれた盾を地面に投げ捨て、完全に守護を失った胴体に前蹴りを放つ。

騎士は必死に踏ん張ろうと足を地に突き刺し、己の身を盾にしてでも侵攻を食い止めようとするが――物量の前には無力に過ぎた。

土を削り取りながらも確かに、確実に後方へと運ばれている。

やはり物量こそが正義である。アリシアは獰猛に笑みを浮かべた。

 

後はそれを各地で繰り返すのみ。

それだけでどんどん、どんどんと敵の前線を押し込んでいくことが出来た。

 

 

『ちィ!』

 

 

無論、押し込むだけでは終わらず、隙を見つけては騎士を拘束し、四肢をもぎ取り、後方へ輸送して捕食する。

そうしていれば当然前線は脆く薄くなっていき、アリシアはより一層攻め立てやすくなった眼前の敵へ襲い掛かる。

 

 

その状況を良くないものと感じるのは当然で、どうにか優位に立とうと柄を持つ手に力を込めるのも必然だ。

自身が強者と正しく認識している大騎士達は勇猛果敢に、しかし連携を忘れることもなく疾走する。

 

――しかし、圧倒的な人海の前に押し潰された。

血糊で鈍らになった剣は役目を果たせず、主人が死ぬ姿を無機質に眺める。

 

旗持ちの騎士は秘術に通じた己の力を奮い立たせ、前衛の同胞達に強化の加護を振りまく。

 

――打ち捨てられた剣。それは投擲物としては非常に良質。容易く貫かれてしまった。

 

盾持ちの騎士は最前線に立つが故に、ただそれのみに専心し、腹に力を込めた。

 

――押し寄せる幾百幾千の黒い壁の前では水に濡れた紙のよう。

 

剣?槍?斧?

そんなもの、いくらか肉体を盾にして、腕なり指なりを落とせばただの食物だろう?

 

 

ああ、無情だ。

しかし素晴らしい。

アリシアは今の己こそが強者であると理解し、絶頂に震えそうになる。

 

それまで何よりも大事にしていたはずの二つ(・・)の命さえも忘れ去って、ただただ殺意の赴くままに前進する。

 

 

さあ、さあ!

あの聖女ももう目と鼻の先!

 

切り札など使わせない。

今すぐ死ね!

 

 

「母さん!」

 

「……あ?」

 

 

アリシアは思わず足を止めた。

声変わりさえまだの、幼気な少年の叫びが鼓膜を震わせた。

それは遥か後方。実際に敵と相対する軍勢ではなく、土地面積の影響で余った戦力の一つ。意識の外からの呼び声へゆるりと振り返った。

 

 

「………?」

 

 

黒い髪、虹の瞳。

外見から見て取れる限りで、年齢は10か、その上か。

仕立てのいい麻の布に身を包む少年(アダム)だ。

 

 

――()()()()

 

少なくともあの騎士達とは別人で無関係に見える。発する気配はむしろ対極。

それに……この子は()の事を知っている?母さんだって?初対面では――いや、違う?

脳裏の何処かに引っかかる。脳髄の片隅がそれは違うと訴えかける。

それを無視してはならないと、アリシアの総体――その一片が声高らかに主張した。

 

 

「え、ぁ?」

 

 

知っている、知っているのか?

()はこの子供を知っている?

 

 

「母さん!大変なんだ!あの、あいつらが連れて行った母さんの身体が――」

 

 

 

……誰、だっけ?

 

 

 

熱に浮かされたままのアリシアは、ちっともその姿に誰かを重ねることが出来なかった。

 

――そして、刻一刻と変化を続ける戦場は彼女たちの都合を慮る事など無い。当然ながら、良い変化も悪い変化も等しく起こりうるのだから。

 

今回は……ああ、残念ながら悪い変化が起きてしまう。

 

 

「――母さん!」

 

 

――アリシアの総体に、どろり、と何かが溶け込んだ。

粘ついていて、淀んでいて、仄暗い。

 

 

「は?」

 

 

茫洋と呟く。

意味の分からぬ感触に首を傾げ――

 

 

「あ、ぁああぁぁ?」

 

 

アリシアを()()()()()

肉体を、ではない。

魂を。

大きく頑丈な鎖が雁字搦めに締め付けようと表層を這い回る。

 

 

「……じゃ、ま」

 

 

しかし不足。余りにも非力!

増殖を重ね続ける内に膨れ上がった魂は最早尋常のものではない。

極大の自我は恐ろしい程に大きく、強く、そして硬い。

並大抵の呪詛の類では縛り付けることなど不可能だ。

加え、ラッパ――ああ、もう呼称を統一してしまおう。神の施した"烙印"に効力によって更に強度を増している。

故に現存の魔法や装具では害を及ぼせるものではない。

 

 

――相手が神の手駒で、アリシアが"烙印"を浮かべているという状況を無視するのなら。

 

 

神意顕現(テスタメント)

 

 

それは距離を、物質を透過した。

何処までも清廉で麗しい祈りの声が反響する。

 

 

『おお、我らが主よ。我らを造り給うた全能の父よ。どうか、我が為しうる所をお見守りください』

 

 

美しく、可憐で、しかし空虚。

本来そこに込められていたであろう熱は疾くに無く、宿るのはただの予熱に過ぎない。

 

 

『これなるは"第一聖女"より始まった礼賛の種。"信仰の種子"』

 

 

しかしそれまでに積み上げた想念は本物だった。

それこそ僅かなりであろうとも、意味がなかろうともアリシアを鎮めるほどに。

 

 

『この愛こそが、私の、私達の存在証明――』

 

 

故、アリシアも、少年(アダム)も動きを止めた。

思わず聞き惚れたのだろうか?それとも気圧されたのか?

いいや、無論違う。

その音には絶対的な圧が込められていた。

それは衆生を地に押し付ける威ではなく、民を導き――縛り付ける聖母の囁き。

 

 

光輝讃歌(シャハリート)曙の明星(ヘレル・ベン)

 

 

深々と音が染み込む。

 

前線にて。獰猛な獣の如く攻勢を保っていたアリシアは、すぐ眼前で弾けた光に思わず歯噛みした。

これがあの女の奥の手か。ああ、忌々しいことこの上ない!

機能はなんだ?効果はなんだ?

一切分からない……何も、何もだ。

周囲を見渡す限りでは、一切の変化を見受けられない。

 

……しかし、あれが。あれ()が刻んだ"烙印"が不発などありえない。

 

確かに彼女は特例で、異端だ。

本来の"信仰の種子"――自身の記憶の欠片にも写る"姉"の()()というありえない存在だ。

『完成品』は既にあるというのに『試作品』の後継なぞ意味が分からないが、ともかくそれ故に不具合が生じているかも知れない。

 

 

アリシアは必死に熱せられ鈍った頭脳を回すが、それだけでも前線に負担を強いていた。

未知、というのは恐怖とイコールでもある。

この恐怖にかかずらうなどなんと不毛な事か。

実に忌々しい。後ほんの少し、もう僅かでも押し込めていたのなら阻止できていただろうに――

 

 

「え」

 

 

――ぎしり。突然体中の筋という筋が動作を止めた。あらゆる伸展も収縮も放棄し、アリシアは堪らず地面に倒れ伏す。

前線に立つ肉体などは――おお、なんと無惨な。無抵抗なまま、あっさりと斬り殺されてしまう。

 

唐突に訪れた未知。

それは手始めにアリシアの肉体の制御を奪い取ったのだ。

 

 

「あ、え」

 

 

鎖が絡みつく。

魂の表層を這い回り、じゃらじゃらと、くるくると絡みつく。

それはつい先程振り払ったばかりの鎖だった。

歯牙にもかけぬ塵屑だった。

 

――しかし、その鎖は別物と見紛うほどに太く、大きく、頑丈に成長し、アリシアの魂に絡みついている。

 

 

「ああぁ、ぁあああ■ぁ!!!!」

 

 

痛みが走る。

痛みが魂の片隅から侵食してくる。

痛みが脳髄を震わせ、四肢から力を奪っていく。

痛みが脳漿を満たし、()()()()()()()()()()!!

 

狂乱する。

牙を剥き、目を見開いた。

百万を超えるアリシアは四肢を掻き抱くことも、痛みに悶えることさえ叶わずに絶叫する。

 

 

「………!!」

 

 

それを見たアダムは己が間に合わなかったことを悟った。

せめて、せめてその"烙印"の使用を止めさせることさえ出来れば――それなら、あの聖女の"第四のラッパ"の効力も弱まっただろうに。

原典においては地を照らす光の三分の一を破壊した御使いの権能。

今のアリシアを見て推測するに、恐らく"人の拠り所()に成り代わる"……洗脳の類だろうか。

恐ろしい。少なくとも、魂を縛り付けるというのは凡そ全ての人類に対抗できるものではない。

……アダムが洗脳されていないのは、偏に"人ではないから"という事由に帰結する。

 

 

――そんな事はどうでもいい!

アダムはアリシアを救いたい。

そして、自分とアリシアとスレープでずっとずっと暮らし続けるのだ。ただそれだけが望み。

 

だから頭に血液をつぎ込み続ける。

思考を止めること、抵抗を諦めること――それこそが敗北と同義なのだから。

 

 

「どうする、どうする……。このままじゃ駄目だ……早く、早くなんとかしないと……!!」

 

 

呪詛を砕く――そんな能力、自分にはない。

発生源を叩く――不可能。

アリシア自身に解いてもらう――不可能だ!

 

ならばどうする?

どうしたらいい?

アダムは高速に回転し、しかし空回りする他無い頭脳を必死に稼働させる。

 

 

どうする?

どうする?

どうする?

どうする?

どうする?

どうする?

どうする?

どうする?

 

 

――早くしないと、僕の母が奪われてしまう。そんなの、許せるはずがない。

 

しかしアダムだけが考えたところで、手を伸ばしたところで意味などなかった。

 

 

アダムだけ、ならば。

 

 

「……ブルル」

 

「あ、スレープ……!?って、傷が……!!」

 

「ヒヒィン!!」

 

「ちょ、ちょっと大丈夫なの!?わ、わっ!押さないでよ!」

 

 

グイグイと黒い顔をアダムに押し付けるスレープ。

その逞しい体には幾つもの切創があり、嫌でもこれまで戦っていただろうと理解させられる。

が、彼女自身はそんな事はどうでもいいのか鼻息荒くアダムとアリシアに近づいた。

 

 

「………ブフッ」

 

 

幾条もの血の筋を這わせていても、黒曜石のように変わらず輝く瞳は常のようにアリシアへ向けられた。

苦しみ、藻掻き、今この瞬間にも魂を奪われそうになっている娘の姿。

とても痛ましい。

到底許されない。

そしてこの瞬間にも、刹那の時を刻む度に事態はどんどんと悪い方向へ転がっていく。

 

 

スレープは、覚悟を決めた。

 

 

――――――(私を使いなさい)。」

 

「……スレープ」

 

「ブフ」

 

「いいの?」

 

「ブフ」

 

 

再び顔を押し付ける。

すりすりと擦る姿はどこか仔馬のような愛嬌があり、アダムもアリシアも見た事がない姿だ。

アダムはその瞳を見つめた。

 

そこには、確かに愛の情があった。

 

 

「…………うん。じゃあ、いくね」

 

「ヒヒィン!」

 

 

パッカパッカと蹄を鳴らし、トコトコと踵を踏み込みアリシアへと歩み寄る。

治療行為、とりわけ薬剤での施術であれば、何かしらの方法で体内に取り込ませる必要がある。

それは経口摂取であったり、吸入投与であったり、もしくは静脈注射がそれに価するだろう。

ともかく必要なのは全身に巡らせるということ。

 

眼前に立つアリシアは本体であり、分体であり、指先の一つである。

 

 

――つまり、なんらかの治療が必要ならば。とにかくそのへんのアリシアに施してしまえばいい。

 

 

「母さん……ご、ごめん……!!」

 

 

アダムは、背伸びしてまでアリシアの顔に手を伸ばす。

強張っていても柔らかい頬に思わず顔を赤くした。

 

そして、僅かな逡巡――否、それすらも命取り。

 

意を決して、自分と少女の唇を重ね合わせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




<TIPS>

「海割のスクロール」
『海割』という魔法が込められたスクロール。破くのみで効果を発する。
これは古い時代、およそ600年前に興隆を極めた魔法の国『オーラルト』によって開発された。
『オーラルト』は帝国が侵攻を繰り返すよりも更に前、一夜にして滅び去った大国である。
強大なる魔法使い達が日夜を問わず研究していたその成果は、後の時代に大いに影響を残した。
現存する魔法や秘術の殆どがその残滓を利用している。

何故この国が滅んだのか?
それは今も分かっていない。

当時原因を究明すべく国を調査した冒険者曰く、国民のみが煙のように消え去っていたらしい。
生活の痕跡も、食べかけの料理も、家財道具も残して。




『海割』とは、海を割る魔法。
その起源とは"道"を作るモノである。












タイトルがくっそだせえ気がしてきたのでTwitterと並行してアンケートとります!!
ご協力くださると嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しいです!!!!!

追記:
おわかりかと思いますが「物量さえあればなんてもできんだよぉ!!!」は誤字です
正しくは「物量さえあればなんでもできんだよぉ!!!」です
とりいそぎ


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メ ス 堕 ち

メ ス 堕 ち

メ ス 堕 ち ッ !!!


長かった……実に、実に……長い旅路だった。
しかし遂に夢叶う。

お前はもうメスだオラァン!!!!!


ps 誤字報告ニキありがとう!!!!!


「……ぁ?」

 

 

深い深い、夢さえも浮かばぬ眠りから覚めた。

アリシアは唐突に開けた視界に困惑する。

というよりも、()()()()()()()という覚えのない事象は何なのか。

まずそこから訳がわからなかった。

そもそもアリシアは、幾つかの肉体が活動限界に達して休眠状態になろうとも、一つでも肉体が稼働しているのならば自我が眠りにつくことなど無い。

 

……釈然としないが、ひとまず順々に目覚めていった肉体を立ち上がらせる。

足の下の石畳はひんやりとしていて、しかし同時に生暖かい赤い液体(ナニカ)が所狭しと塗りたくられていた。

ぴちゃぴちゃと跳ねる雫を振り払い、無意識のままに歩き出した。

 

 

「……()、は……何を……?」

 

 

俄に回り出した熱は思考回路を稼働させ始める。

それでも変わらず頭蓋を覆う靄をかき消すため、忘れている直前の記憶をなんとか順繰りに思い返す。

 

まずアリシアの記憶の中――異常の始まりは夜だった。

暖炉の炎が照らす中、アリシアは敵の襲撃を察知した。

拡張した自我を拡げる先、防壁の向こう、森の中に――そう、二つの気配があったこと。

そして騎士達と戦って、"烙印"を廻して――響く祈り。

 

 

「そうだ!俺は、あいつの洗脳で――!!」

 

 

――しかし、どういう訳かアリシアは無事だった。

 

あの聖歌、あの縛鎖。

とても恐ろしい呪詛は確かに魂を縛り付けていたはずなのに――

 

そこで思い出す。

鎖に縛り付けられたその先が在ったはずだ。

 

熱に浮かされ、斬り殺される痛みで明滅する自我の中で見た。

確かに聞いたのだ!

 

 

「……アダム。そうだ、アダム……!」

 

 

アリシアは叫んだ。

未だ敵の首魁は倒していない。

にも関わらずアダムは地上にいた。

 

 

「アダム、どこだアダム……!!」

 

 

見渡す。

そこには誰もいない。

目に映るは自分ばかりで、アダムも、スレープも、騎士も、聖女も、姿を見せなかった侵略者の片割れも――誰もいない。

 

黒は沈み、しかし変わらず赤い紋様が走ったままの身体で駆け回る。

家の隅、路地の裏、瓦礫の下、地下通路。

 

探す。

目を皿のようにしてアダムとスレープを探すが、しかしどこにもいない。

 

 

「ああ、ああ……どうしよう」

 

 

スレープが死んだらどうする。

アダムが死んだらどうする。

 

……もし我が子に何かあったら、俺は――!!

 

 

「あ、母さん。目が覚めたんだね」

 

「なぁ!?」

 

 

――心が昏く沈んでいく最中、背後から呼び掛けられた。

そこは外壁にほど近く――というよりも、その向こう。町の外というのが正しいだろう。

戦場だったはずの広場の端から、ひょいと木々の隙間から飛び出したアダムには傷一つ無い。

アリシアの心配?何だそれはといわんばかりの気軽さであった。

 

 

「アダム……アダム!怪我はないんだな!?」

 

「というかなんで地下から出てきたんだ!?」

 

「まだ何処かにアイツラがいるかも知れないのに!!」

 

「んんんん!!!色んなとこから母さんの叱咤が!!」

 

 

四方八方を囲みアダムに抱きつく。

さわさわと確認する限り、どこにも怪我はない。実に重畳。

アリシアは深い、とても深い安堵のため息を漏らす。

もし仮にアダムに何かがあれば正気ではいられなかったろう。

 

 

「あぁっと、そうそう。あいつらはもういないから安全は気にしないでいいよ?」

 

「な、なんで?」

 

「僕が食べたから」

 

「あぁー、そっかぁ」

 

「じゃあしょうがない……」

 

「ってなるわけ無いだろ!!」

 

 

押し潰さんばかりにぐるぐると絡みつくアリシア。

少女の肉体の靭やかさを遺憾なく発揮し、無駄に高密度に重なり合ってアダムを押しつぶす。

 

アダムは少し頬を赤らめながらも、とりあえず!と口を開く。

 

 

「まずは移動しよう。何にするにしても、一度帰らないと……」

 

「あ、あぁ……そうだな」

 

「歩きながらでも話はできるし」

 

 

拘束をするすると解き、アダムを立ち上がらせたアリシア。

二人揃って並び、「敵が居ない」という言葉をあまり信用していないアリシアは周囲に警戒の視線を向け――

 

そこで、そういえば。と口を開く。

 

 

「なぁ、スレープを見てないか?さっきから探してるのに見当たらないんだ」

 

 

ヒュ。

小さく空気の音がなる。

アリシアはしばし首を傾げ――その発生源がアダムであることにますます困惑した。

 

アダムは微かに唇を震わせ、ゆっくりと口を開こうとして――しかし止めた。

 

 

「……後で、話すよ」

 

「あ、ああ……」

 

「そう、か」

 

 

アダムとアリシアは言葉少なく、草を踏みしめ街へと帰還した。

 

 

 

 

 

防壁の亀裂――騎士達の侵入口となっていた道を歩き、街の中央にある家を目指す途中。

アダムはようやっと重い口を開き、ぽつりぽつりと言葉を並べる。

 

まず、そもそもの前提……つまり、アダムという存在の本質についてからだった。

 

 

「僕っていう存在は……うん、一言で表すと"神様の卵"っていうのが一番近いと思う」

 

「……ああ、なるほど……道理で」

 

 

アリシアは納得したように頷いた。

それはこれまであやふやながらも抱いていた予想を確固たるものに変える。

 

そうとも。

実際、その答えに至るための材料はそこら中に転がっていた。

アダムを"希望"として扱った魔族の執事、人類に嫌われるという特性、魔族という枠組みにあると考えても不可思議なほどに"世界"から排斥ているかのような少年だった。

 

だから納得した。

あの日、あの時。

赤子だったアダムを見て、アリシアの目を通じて殺意を発露させた神様がいたというのは、そういう事なのだろう。

自分の立場を脅かすような異物を見て心穏やかに居られる者は、そうそう多くいる訳ではないだろう。

 

 

「そう。聖四文字の次代の存在だけれど、今の僕にそんな力はない」

 

「……ああ」

 

「まだちっこいしな」

 

 

アリシアのからかいを聞いてむっと顔を顰めつつ、しかし怒った所で話が進まなくなることを理解している故に続ける。

 

 

「……だから、僕は先任者から支配領域を奪い取る必要があったんだ。それがさっきのあれ――魂をズタボロにして隷属させられてた聖女と……母さんを」

 

「……うん?」

 

「覚えてないの?さっきまでのこと」

 

「え?」

 

 

アリシアは首を傾げた。

無論覚えているとも。

自分は戦うために増殖を重ねて、"烙印"を起動させ、騎士達を喰らっていた。

それは全て神を殺すために――?

 

 

「あれ……?なんで俺、正気なんだ?」

 

 

――発言そのものが正気を疑いそうな文面だが、事実そう間違ったことではない。

 

アリシアは『北の霊薬』を服用することでアダム(赤子)を殺すことを阻止した代わりに、その薬が抜け落ちた果てに発狂することが運命付けられていた。

だから、あの時――大騎士に薬を抜かれた時には控えめに言って絶望した。

その後も聖女によって洗脳されそうになり、恐らく四肢を切断された肉体を経由して注入された霊薬も相まって、どう転んでも最悪の事態に転がるしかない。

もはや神に支配されるまで秒読み段階。

……本当に、一寸先は闇とでも言うように未来への展望が閉ざされた――筈だった。

 

しかしそうはならなかった。

アリシアは、今こうしてアダムと会話できている。

 

それはアダムが抗ったから。

決して認められぬと奮起した。

 

だから()()()()()

 

 

「……今の俺はアダムの手下みたいなもんか」

 

「うん」

 

 

それを聞いてアリシアは心底安心した。

()()は最低最悪で憎悪の対象だが、同じ神格であっても我が子には絶対的な信を置いている。

間違いなく悪いことにはならないと確信していた。

 

 

「すごいなぁ!さすが俺の子だ!!」

 

「おりゃおりゃ!撫でてやろう!」

 

「ちょ!母さん!?」

 

「こやつめ~!」

 

「一体どうやってそんな技覚えたんだー?」

 

 

とはいえアリシアに手下だとか支配下だとかはどうでもいい。

どこまで行ってもアダムはアリシアの子供なのだ。だからいいことをしたら褒める――それを、いつかの老婆に教えてもらった。

 

有言実行無言実行。

ぐるぐると纏わりつき褒めに褒める。しかしその姿に母親の威厳だとか、年上の権威のような輝かしい"偉大さ"というものは存在しない。

というよりも完全に子供のそれである。

何十年も生きていて恥ずかしくないのだろうか?

……アリシアの前世も、心の内側は似たような振る舞い――幼い精神を有していたというのは、意外と知る人は少ない。

今この様に頭がオカシイような挙動をしているのはその揺り戻しだろう。たぶん。

 

 

「えーっと……何処で知ったかといえば、文字通り最初から……って言えばいいのかな。ほら、手の動かし方とか、呼吸の仕方とか……そういった話」

 

「へぇー、なるほどなぁ。ちなみにどうやったんだ?」

 

「えっ……」

 

「えっ」

 

 

アダムの頬が朱に染まる。

それは露骨なまでに"恥"を表現している。

 

 

「あっと……その……」

 

 

そこはかとなく嫌な予感がアリシアを襲う。

アダムはそのまま幾度か口を開いては閉じ、開いては閉じと鯉の様に口腔を操作し――しかし、恋に目覚めた初な少年のように、淡い覚悟を秘め言葉にする。

 

 

「キス」

 

「……うん?」

 

「……だから、キスしたの」

 

「…………えっ」

 

 

頬を朱に染めるのは、今度はアリシアの番だった。

何を隠そう、アリシアは恋愛など経験したことがないし、キスなんてしたことがない。

童貞で処女。つまり価値が高い(偏見)

 

 

「……ほんとに?」

 

「ご、ごめんね……でも僕の体組織――僕の存在の欠片を混ぜ込む必要があったから……支配領域を獲得した今なら魔力を注入するとかもできたけど……まあ、そんなのなかったから……」

 

「そ、そっかぁ……」

 

 

止むに止まれぬ事情であるのだし、アリシアとしてもそれそのものは別に構わなかった。

 

……しかし、しかし。

なんとなく胸を満たすもやもやがあった。

いや、別に嫌じゃないし……むしろ――んん!なんでもない……なんでも無いったら無い!

 

それに、アダムなら――

 

 

「……いやいや、何考えてんだ俺……相手は息子だぞ……」

 

 

いかんいかん。

軽く息を吐いて自分に言い聞かせる。

 

俺は男である。

そして母である。

来歴はそうなのだ。

例え肉体が女であろうとも、それまでに育んだ精神は純度百%の"男"。

だからこの頬の熱は、きっと男同士でキスをしてしまったという恥の感情だ。間違いない。

というか息子に懸想するなんぞ大変よろしくないし!アリシアは極々一般的な感性を有しているぞ!

 

 

――アダムはそうじゃないけれど。

 

 

「……それに、僕は……僕は、母さんを他のヤツに渡したくない」

 

「……ん?」

 

 

言葉に熱がこもった。アリシアはたらり、と頬を伝う汗に気付く。

アダムは若干俯いていた頭を上げ、覚悟を決めた"男"の顔でアリシアを見つめる。

口角が引きつった。

 

 

「母さんは僕の母さんだ。僕だけの、母さんだ」

 

「あ、アダム……?」

 

「……いいや、そうだ……言葉を濁しちゃ、言葉にしなくちゃ伝わらないって、――――も言ってたなぁ」

 

 

アダムはアリシアの手をとった。

両手で掴み、決して逃さないというように。

 

 

「母さん――アリシア。僕はあなたが好きなんだ。母として、だけじゃあない。ずっとずっと前から一人の男として、女のあなたに惚れている」

 

「……え?」

 

 

告げた。

アダムの瞳は決意に輝いていて、どう見ても遊び半分や虚言ではないことが嫌でもわかる。

 

 

「…………え?」

 

 

思考がショートした。

回路に流し込まれた想定外の入力は感情を蹂躙して巡っていく。

アリシアは呆然と、しかしその意味を必死に咀嚼する。

いや、いかんでしょ。と思考の内で活発に叫ぶが――

 

――アダムには関係ない。アリシアの困惑など知らず、否、知っていて更に畳み掛ける。

 

 

「アリシアの来歴は知っている。苦しんでいた事も知っている。僕の事を息子としか見ていないことも知っている」

 

 

恋は戦争。

戸惑いは無用。恥は不要。慈悲などいらぬ。

 

アダムは秘めた想いを告げる。

 

 

「それでも貴女に恋をした。貴女の全てが欲しい。貴女だけが欲しい。貴女の脳漿を僕で満たしたい」

 

「ふぁ!?」

 

「例え貴女が嫌がっても僕は止まらない。貴女を僕の女にする」

 

 

雄々しく宣言した。

大胆で強引な告白は己に絶対的な自信を持つ雄の特権である。

大胆で愛らしい告白は女の子の特権というが、アダムの言霊は余りにも眩しすぎた。

ぬわーーー!!!と街の至る所で叫び声が上がる。当然である。

 

 

「待て待て待て!!!俺は――」

 

「アリシアの精神が男だっていうのが問題なら――それを問題じゃなくする」

 

「えぇ!?」

 

「今のアリシアは女だし、それに男でも女として扱えば女になるって聞いたから……」

 

「誰に!?」

 

「本」

 

 

その作者殺す。

アリシアは激怒した。

必ず邪智暴虐なる文豪をぶっ潰さねばならぬと決意した。

アリシアには恋愛観が分からぬ。されど現代日本で培った常識は異端に敏感であった。

 

 

「んむぅ!?」

 

 

――唇が塞がれた。

 

葛藤やらなんやらはさておきと、アダムは強引なほどに攻め立てる。

どうせアリシアはなんやかんやで逃げようとして話を有耶無耶にしようとする――それは日本人的な気弱な考えであるが、アダムにはそれをさせたくなかった。

攻める時に攻める。とにかく愛を叩きつける。強引にでも、だ。

 

他の人間であればどうだか知らないが、アリシアにはこれが効果的だとアダムは理解している故に。

今の自分の好感度であればキスをしても嫌がれることはないし、これによってアリシアは嫌でも自分が恋の対象であると認識する他無い――計算に基づいていて、しかしそれ故に激しい恋慕の為しうる所だ。

 

 

「むぅー!」

 

「ま、待って!ちょっと待って!ストォップ!!」

 

「甘いね」

 

「んむぅ!?」

 

 

解放。そして拘束。

制止するために他のアリシアの器が近寄ってきた瞬間、二人斬り(2コンボ)と云わんばかりに唇を重ねる。

あわあわと顔を赤くし震えるアリシア百三十万。処女にこのコンボは辛かった。

 

しかし、流石にマズイ。これ以上はよろしくない!!

 

 

「アダム!!ちょっとまっ――」

 

「今の僕の握力は300kgだよ」

 

「むぁ!?」

 

 

トリプルコンボ。無双ゲームのようだ。

アダムは吹っ切れている。

それはもう盛大に、吹っ切れまくっている。

襲いかかった困難を乗り越え、最愛の人を失うかも知れないという恐怖に怯え、そして走り出した若い熱がアダムから躊躇を奪い去っていった。

 

生娘には酷?実にその通り。

しかしこの世の中、死はそこら中に転がっていて、自分たちもこれからどの様に振る舞うにしても危険は何処まででもついてまわる。

だから思いは伝えられる内に伝えて、幽かな悔いも残さぬようにと考えた。

無論あの俗物やその手駒に負けるとは思わないが……それでもだ。

 

 

「むぁ―――」

 

 

――と、コンボの最中。

唐突にアリシアは全身から力を抜いた。

というか立ったまま失神した。

只管に積み上げた経験は強靭な足腰とブレることのない体幹を提供し、精神がダウンしたという不手際の尻を拭ってくれる。

処女には刺激が強すぎたのだ。

 

 

「……よし」

 

 

アダムは満足そうに頷いた。

些か以上に強引だったとはいえ思いを告げられたのだ。自分勝手だが――非常に喜ばしいと心が弾む。

 

それに……スレープの()()を語ろうにも、少しばかり時間が欲しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………ぁ?」

 

 

深い深い、夢さえも浮かばぬ眠りから覚めた。

アリシアは唐突に開けた視界に困惑する。

というよりも、()()()()()()()という覚えのない事象は何なのか――と、つい先程の焼き回しに苦笑した。

 

 

次々に目を覚ます肉体の瞳に映る景色は全て屋内のものであり、どういう訳か総員戦闘態勢であった筈の装備は脱がされ、丁寧にも布を敷いた床に寝かせられていた。

加えて全ての身体に毛布が掛けられている。

それは仄かに暖かかった。

 

 

「……まさか全部運んだのか?」

 

「そうだよ?」

 

「うわぁ!?」

 

 

驚いて振り向けば、アダムがニコニコと微笑んでいた。

街の中央にあるこの場――アダムが育った家は未だ無傷で、あの騎士達の手が届いていなかったことが伺える。

 

 

「まあ、勿論手作業じゃないよ。使えるようになった"権能"でアリシアを全員寝かせたんだ」

 

「……なんとまぁ、しょうもない神の力の使い方だなぁ……」

 

「へへ」

 

 

ほんわかとした空気で先程のことを忘れそうになるが、しかしアダムの"アリシア"という呼び声が"現実だぞ"と訴えかけてくる。

アリシアはこれからどんな顔をすれば良いのか分からなくなった。

 

 

「んんっ!!と、とりあえず聞きたいことがあるんだったな!」

 

「…………うん、そうだね」

 

 

話を変えるために、本来の話の大筋――現状の把握、その残りを聞こうと声を上げるが、アリシアの瞳に映るアダムは沈鬱な表情を浮かべる。

言葉も歯切れ悪く――どう考えてもいい報告は聞けそうにないと直感してしまう。

 

単に話を変えるだけのつもりだったが、予想外のボディーブローを喰らった気分だった。

 

アダムは胸の内を焦がす感情を抑えようと表情筋を限りなく"無"に近づけようとしているのか、目元がぴくぴくと引きつっていた。

 

口を開き――重い、重い吐息を放って、ようやっと声帯を震わせた。

 

 

「スレープは、死んだよ」

 

「…………そう、か」

 

 

――それは、うっすらと予想した通りだった。思わず天を仰ぐ。

 

だが、けれど、しかし。

その結末は必然でも在ったのだろう。

 

だって――

 

 

「……"神の卵"が支配権を獲得するのなら、それを得るための対価(コスト)が必要……」

 

「それ、スレープが言ってたの?」

 

「ああ……。あの普段の嘶きからは想像もできないような、とてもキレイな声だったよ」

 

 

スレープは"燃料"だった。

それは彼女自身から、数年前に聞かされたこと。

 

嘗て子を失って無気力だった彼女を魔族が捕獲し、それ以来は彼等にとっての希望――"神の卵"を起動するための初期費用として扱われていた。

"爪弾きもの"である魔族にとっての大願、自分たちこそが正当な存在である新世界。その実現の為の生贄こそがスレープで、それ以上の価値はない。

 

何故、あの執事はそれを知りながらも『自由にしろ』と言ったのか――それはスレープへの同情か、はたまたアダムにはただの人として生きてほしいという微かな親心か。

 

過去を知るものは全て死に絶えた。

もう真相を知る機会は、二度とないだろう。

 

しかし……スレープの瞳に、アリシアとアダムを思いやる"ぬくもり"が宿っていたことを知っている。

アリシアにとって、それさえ知っていられればよかった。

それこそが命と命を繋ぐ最も大事な(よすが)なのだから。

 

 

「……僕もね、スレープの声を聞いたよ。最後の最期に」

 

「なんて、言ってた?」

 

「んー……ちょっとアドバイスをね」

 

 

ふぅん、と納得したふうに振る舞う。

 

無論のことだが。アリシアは彼が何を言われたのかをなんとなく理解していた。

実際唐突にあんな告白があったのだから……それはもう何か――()()()()があったことは想像に難くない。

そしてその大元はスレープなのだろう。

 

 

……あの混乱を思い返して少し文句を言おうとしたが――やめておいた。

 

 

「はぁ……」

 

 

あの情熱的な告白は驚いた。

それはもう、とんでもなく驚いた。

以前にはそんな素振り欠片もなかったのにも関わらず、何故なのかと。

 

 

……しかし、嫌ではない自分がいることに何よりも驚いた。

スレープが居ない状況でこんな色恋沙汰などおかしいだろう、とも思ったが――その状況こそを当人(本馬)が望んでいたのだから、もう……なんと言うべきか。

 

 

「アリシア?」

 

「……なんでもない」

 

 

しかし、キスひとつであっさりと女を自覚する羽目になるとは……己の事ながら筆舌に尽くしがたい。

 

そして、これまで"息子"として見ていたにもかかわらず、あっさりとアダムを"男"として認識している自分がなんとも不可思議だ。

アリシアは自覚していなかったがアダムは知っていた。それだけの話しではあるが。

 

 

「……うん」

 

 

アダムの目論見は順当だった。

スレープの考えは正当だった。

アリシアは、自分の中の"女"が疼いているのを微かに自覚している。

 

 

膨大な"死"の上に築かれた、新たな"生"の始まりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






<TIPS>
「東国の鉄剣」
東の東、その果て。
海の向こうにある大陸にて栄える大国の一つが製造する業物。
それは大きく、微かに反りがあり、靭やかで、よく斬れる。

戦は生業。殺戮は悦楽。略奪は誉れ。戦死は祝福。
その心の為しうる、極大の殺意の具現である。








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宵の明星

学生最後の春休み!!その大半をバイトの出張で押しつぶしましたァン!!!!後悔ィイイ!!!
そのせいで更新できてませんでした!!!!!!!ゆるして!!!!!!!
あと久しぶりに書いたからたぶんアホみたいな文章かも知んない!!ゆるして!!!!!!

2月いっぱいは出張出張あんど出張!
バイトに出張があるなんて初めてしったは……!!!

あと誤字報告兄貴姉貴ありがとう!!!





それとアンケート結果を受けてタイトルは現状維持ということで決定しました!!ご協力ありがとゴリラ!!!!!!




この大陸は豊かだ。

何処を見ても肥沃な大地が広がり、大陸の中心地点――この草原もその分類から外れること無く、恵まれた栄養が地中を満たしている。

それを貪る種々の緑は雄々しく、美しく育ち、その体を持って己が領地を主張していた。

圧倒的なまでに"自然"を感じさせてくれるが――しかし、今は違う。

人の影がその景観に紛れ込んでいる。

 

とててっ、たたたっ。

その影を見て音を表現するのであれば、そう表すのが最も正しいだろう。

しかし現実に響くはそう可愛いものではない。

 

ドドドドドッ!とでも言い表す他ない、暴力的な音の圧政が地を震わせた。

幾千、幾万に折り重なった小さい足音の主たちは歩き続け、西へ、更に西へ――その先にあるこの国の中枢へ。

 

 

「……こんだけ休み無く走ってれば、もうちょっと……明後日ぐらいには到着できそうだな」

 

「そうだね……。でもアリシア、辛くなったらすぐに教えてね? 好きな女の子に無理はさせたくないから」

 

「……おう」

 

 

アリシアは複雑そうに浮かべた(かんばせ)にいくらかの朱を混じらせる。

アダムは二日前の襲撃以降、意図的なものかアリシアをとにかく"女性"として扱っていた。

元が男であっても女にする――その言葉を虚言で終わらせぬためにひたすらに己の意思を貫く姿はとても雄々しい。努力の方向が些かおかしい気もするが、アダムはこれこそが最適解であると確信している。

 

 

「ははは、()()()()は大主教様に余程ご執心のようで……いやぁ、実に素晴らしい!!ええ、ええ、私も嬉しすぎて達してしまいそうですぞォ!!!」

 

 

横合いから飛んできた男の声に、思わず顔を顰めてしまった。アリシアは別にこの声の主が嫌いではない、嫌いではないが……このテンションは些か疲れる。

昨日合流してからというものの常にこの様に荒ぶっていて、なんと言うか耳が痛い。

 

 

「この高ぶりについてはどうぞお目溢しを!幾千年も待ち続けた"希望"がようやっと現れ、我らのような()()()()()()()()()()に自由を齎そうとしているのです!!それはもう高ぶる!荒ぶる!生きた心地がしない程に!!」

 

「……ま、協力者だしなぁ……」

 

「僕としては熱烈に信仰されて嬉しいんだけどね? こう、なんというか……『これから神の座を奪うぞ!』って感じがしてさ、とても気分が高揚してる」

 

 

アダムは輝く虹の瞳で背後――疾走する百二十万のアリシアと、それに追従する魔物達、それに跨る()()()を愛おしそうに見つめた。

アリシア達の目的を手助けせんと力を振り絞るのは、今代の神に不要物とされた者達。

 

彼等こそは『宵の明星』。

一大宗派『明けの明星』に対を成すように作られた邪教であり、忌み者達の為の拠り所。

その生存さえも不適切であり、嫌われ、不幸を強いられ、あらゆる負債の行き着く先だ。

 

そんな彼らにようやっと現れた希望!

おお、素晴らしい!なんと愛おしい!なんと輝かしい!

男は鼻息荒く賛美を捧げる。

気が狂う程に!

 

 

「……そう、我らは、待っておりました……!新たな神の誕生を!」

 

「生命を平等に扱う、"真作"を!」

 

「そして、巡った因果に応報する機会を!」

 

 

本来与えられるはずの"祝福"を注がれず、あらゆる万物に嫌われてしまった半生。その過去を拭うナニカを。

 

 

愚かな神には反逆を。

麗しき神には従順を。

 

そのために彼等は立ち上がった。

秘密裏に大陸中に根を張り、何れ現れるであろうアリシア達のような存在を待ち続け――そして見つけた。

待ちに待った希望の隕鉄!愚かな星を打ち据えるまこと輝かしい鉾を!!

 

ならば彼女等の道を遮る哀れな障害を打ち砕こう!

その先が――この大国の中枢にあっても!!

 

 

「……手駒、か。一体どんなやつなのやら……」

 

「そうですなぁ……全盛期であれば……まさしく知略のバケモノとでも言いましょうか。舌先三寸であらゆる願いを押し通すとんでもない御仁です。まあ、今はそうとも言い切れませんが」

 

「そうじゃなきゃ英雄なんて手中に収められないか」

 

「英雄……あの聖女も魂がズタボロで見るに耐えなかったけど、手駒はどんな中身をしているんだろうね」

 

「まぁ、原型はとどめてないだろうなぁ」

 

 

だからといって手心を加えるなど、決してありえないことだが。

そもそも生かした所で待ち受ける結末など見えきっていた。

 

手駒に成ってしまうほどに神の干渉を受けているのであれば、切っても切ることができない縁が生まれている。

肉を持たぬが故に、手駒に力を注ぐしか現世に干渉することができない。それは決して破られぬ――破ってはならぬ絶対の法則。

そして今回、アダムを排除するためにあまりにも長い間神の力を――"祝福"を注ぎ続けた。

手駒はどんな事を考えて祝福を受け入れたのだろうか?

欲に従ったのか、やむにやまれぬ事情があったのか、はたまた意思など無視して強引に……という事か。どう転んでも良い事は無いだろうに。

時を経るごとに肉は軋んで魂は摩耗する。

 

その対価に得る物は何か?

力?名誉?それとも富?

 

それはあるかも知れない。

しかしそれらもいつか風化する。

形あるものなぞ必ず滅びる。それは必定だ。

 

勿論それは悪い事では無い。

 

しかし、あらゆる苦難を乗り越え、幸せを掴んだ果ての果て。

最後の最後に振り返ってみれば、あるのは伽藍堂の英華と見るも無惨に蹂躙された自分の魂。

それを見て彼は何を思うのだろう?

悲しみ?怒り?はたまた喜びを感じるのか?

 

 

「……ままならないなぁ」

 

 

なんともやりきれぬ。

少なくとも、アダムはそう思った。

当人の心持ちを敢えて無視し、自分の理屈を押し付けている。その自覚はある。

勝手に哀れんでいる。それに、どんな理由があろうともアダム達は手駒を殺す。

必ず殺す。

何があっても、それは避けられない。

 

 

ならばせめて、その死に救済を。

その御霊を開放し、その死体をも有効活用してやろう。

まだ見ぬ彼を楔に"天界"への門を開く――それがアリシアとアダムが考えた作戦だ。

 

 

「しかしまぁ、魔物の背に跨る機会が訪れるとは……ははは、世の中何が起こるか分かりませんなぁ」

 

「同意だ。さすがアダムだなぁ!!」

 

「ま、まぁね……"支配領域"も拡げていかないと出力で負けちゃうし……」

 

「……あー……"支配領域"、ね。親父殿は何故"祝福"は与えないくせに"支配"だけはしていたのやら……それなら不要物扱いすんなっていうんだわ」

 

 

ぶーたれたように不満を漏らすと、宵の明星の主教は心底同意したように頷いた。

彼は邪教の主教、などという一見ヤバそうな肩書を有しているが内面自体は一般的な感性を宿している。

 

……疾走するアリシア達に急に駆け寄って土下座して、勝手にアダムを主神認定したりその育ての親のアリシアを大主教扱いしたり、足を舐めようとしたりと……正直中々ぶっとんだ事をしでかしているがそれはそれ。

 

"祝福"という、表すならば戸籍のない人々を纏めていただけあってカリスマ性があり、弁舌の才に長けている。

正直中々に素晴らしい人物のはずなのだ。たぶん。きっと。

 

 

「それはそうと大主教様。肉体によってパンツの色が違ったりとかするのですか?」

 

「お前潰すぞ」

 

「アダム!!ステイ!ステイッ!!」

 

 

……なんやかんやとひと悶着ありながらも足は止まらない。

アリシアのバケモノみてえなスタミナに必死に食らいつこうとする魔物達が悲鳴を上げても、キュピー!と悲しげな声を上げて倒れ伏しても、倒れた端からアリシアに神輿のように担ぎ上げられても、多くの魔物がそのもふもふを愛でるためにアリシアに抱きつかれても!!

爬虫類系列の魔物がもふもふじゃない自分に悲しくなっても!!

 

 

疾走は止まらない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どういう事だ」

 

「申し訳kkkkkkあAa■■せせssせん」

 

 

冒険者ギルド、その長が坐す白亜の城に響いた声は静かに問うた。

執務室の主へ跪いた影はただ頭を下げ続ける。

 

魂はボロボロで、もはや人格さえ残っていない。

そんな肉人形を叱りつけても意味など無いことを悟って、苛立ちごと吐いてしまおうと肺の空気を押し出す。

 

ヘンリッヒは思いつく限りの最上の戦力を、万全に活かす十全な調整を施したつもりだった。

可能な限り足が付かないように英雄を拉致し、口八丁で王家を誤魔化しながら英雄の二人へ『隷属の魔薬』を投与して裏切りの芽を摘み、装備を整え情報を閉鎖した上で二人の英雄を送り込んだ。

 

 

それだけで十分だ。

……その筈だった。

 

"英雄"とは国家における決戦兵器と言い換えても良い。

民草の中に稀に現る、あらゆるパラメータが不具合を起こしたように異常な値を有すもの。

それはもはや人中の理には在らず、息をするように幾十万の兵士を根切りにする。

王家に属する、帝国の鉾にして盾。

 

……それ、だ。

ヘンリッヒはあらゆるリスクを承知してでも手に入れた。

あらゆる苦難が襲い来ることを承知の上で己の手足とした。

 

 

「……にも関わらず、お前は逃げ帰ってきたのか?僅かばかりの情報と引き換えに『第十三聖女』を失ったと?」

 

「…………」

 

「ああ、面倒だね……実に面倒だ。『明けの明星』に疑われ、最悪敵対するだろうことも承知していたが……本人の器さえあるのならば弁舌でどうにかするつもりだった……が。しかしこうなってしまえば最早不可能だ」

 

 

とん、とん、とんと指の腹で天板を叩いて苛立ちを紛らわせる。

剣ではなくペンこそが美徳の場において、怒りなんぞ一切不要なものだ。

怒りは思考力を鈍らせ、悲しみは舌を重くし、喜びは言葉を軽くする。

必要なのは風のない水面のように穏やかな心。

 

 

ヘンリッヒはひとつふたつ、息を吐く。

これまで幾百幾千と繰り返したルーティーン。それは余分な頭の熱を鎮めてくれるとヘンリッヒは知っている。

 

 

そう。今必要なのは責任を追求する叱咤ではなく、対策を練るための情報だ。

 

 

「それで、今の彼女は40万なんて数じゃあないのは分かった。戦い方や動きの癖……何でも良い。教えろ」

 

「………bA、BaAAAbTBaggyylaKKKKUTTT―――」

 

「また言語野が壊れたのか?さすがに薬を投与しすぎたか……しかし英雄なんて人種を縛るには――」

 

 

ぎちりと軋む。ヘンリッヒは思わず鼻白む。

驚きのままに空気を伝ったその音を辿ると、それは目の前の影――影と見紛うほどに昏く、萎びれた老人がいた。

 

ははは、嘘だろ。冗談は止してほしいな。

さすがの金貨王も乾いた声を漏らす他ない。

 

ヘンリッヒが覚えている限り、この薬を自力で解毒できるようなバケモノなぞ前例がないのだ。

だからこそ安心してこき下ろしていたのだが――基本過去を悔いないヘンリッヒも、流石に肝が冷える。キンキンに凍えている。自業自得であることなど承知しているが、常に語りかけていた"彼"に救いを求めたくなってしまうほどに。

 

そんな動揺に反応したのか首を廻し、ぎょろりと瞳が輝いた。

意思など、これっぽっちも無い筈なのに。

 

 

「――あやつは、蝗虫だ」

 

 

言葉を発する姿には幽かな意志が宿って――否、否!戻っている。ヘンリッヒは目の前の男にめいっぱいの"毒"を注ぎ込んだというのに。

いくら英雄であろうとも、人であるなら、生命であるなら逆らえぬ程には害意を込めた。

 

しかし不足だった。

それは人類としての理に反した回復。ヘンリッヒは感嘆のため息を漏らす他ない。

一秒を刻む度に目の前の"駒"は"驚異"へと回帰しているにも関わらず、ヘンリッヒは岩のように動かない。

 

急速に修復されていく顔。

失われていた正気は補填され、同時にその肌に潤いが戻る。

()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「あれは、そういう風にデザインされた。儂と同じ様にあの方に造られた人類の試作品(プロトタイプ)。その役目は"()()()"。だからこそ、ヨハネに於ける第五のラッパ吹きの概念を込められた」

 

「なるほど……なるほど。道理でねぇ……実体を持つ自身の複製……それも命を宿す程のものなんて、かの古の魔法大国でさえ不可能だった」

 

「当然だ。あのお方に造られたのだからな」

 

()()()()()()()()()()()()……ああ、彼女を自由に扱えたならどれほどの金貨が手に入るのだろう」

 

 

顔を赤らめ夢見心地のように呟く姿。そこには致命的なまでに危機感が存在せず、恐ろしい程に浮世離れしているようにも見える。

異常者め、と吐き捨てるように口端を歪め、老人だった青年は身体を翻した。

 

 

「おや、殺さないのかい?」

 

「ふん。分かっていて問うのか。無論そうしたいのは山々だ」

 

 

だがな。青年は振り返り、瞳にありありと不満を浮かべながら続ける。

 

 

「父の器になりうる存在を、試作品ごときが害して良い筈もなかろう」

 

「……ああ、やはり彼か。彼が、私に語りかけている彼こそが……"神"というやつなんだね?」

 

「そうだ。そしてこれまでの貴様はその手駒として扱われ、掌で踊っていたわけだな!ああ、実に滑稽だ!!」

 

 

言葉とは裏腹の怒りを総身で表しながら、しかし決して害は加えず去っていった。

ドシンドシンと城を揺らす怒りの歩みはまったく加減をしていないように感じるが、ともかくそれでも首の皮が繋がっているのだから儲けものだ。

 

 

「さて……と」

 

 

急に疲れたように重い体を椅子に預け、来る決戦へ向けてペンを手にとった。

 

 

脳髄を蹂躙する石の悲鳴がヘンリッヒの鼓膜を震わせるのは、それからすぐの事だった。

 

帝都の外、この大陸の中枢を守る巨大な防壁。

そこから響くのは帝都が積み上げたレンガを震わせるような、大きな大きな破砕音。

それこそが"不要物"と"神"の最終決戦を告げる号砲だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一般市民には手を出さないようにな!!」

 

「でもこれ正直侵略戦争だから綺麗事だけを守って死なないように!!」

 

「承知しました!!」

 

「グルル!!」

 

 

高度に発達した街の中を怒号が切り裂く。

石、木材やレンガやガラス。それらを巧みに組み合わせた美麗なる建造物達が見守る大通り。

幅数十メートルにも届く石畳を荒々しく踏み抜いた。

 

確かに美しい都だ。

栄華を極める素晴らしき国だろう。

こんな時でもなければアダムと二人で観光したかったな、と、思わず夢想してしまう。

 

――これは雑念だな。

 

ゆるりと雑念を振り払い、矢継ぎ早に指示を飛ばす。

そしてその間の一秒も無駄にするまいとアダムや主教を伴って走り続ける。

 

今や帝都はお祭り騒ぎ。

何処を見ても人々の悲鳴が響き渡り、慌てたように駆け寄ってくる兵士たちの怒号が宵の明星の構成員や魔物達の鼓膜を叩く。

とはいえ彼等に恨みがあるわけではなく、ぶっちゃけ手駒を殺してそれを糸口に上の世界に侵入したいだけなのだ。

だから戦う必要は一切ないが……勿論向こうはそうじゃあない。

傍から見れば(実際にそうだが)ただのテロリストだし。

 

 

「拘束!!」

 

「何だ貴様らは!?」

 

「暴れるなよ!!こっちには百二十万人の戦力がある!!」

 

「何を言ってるんだ、お前――ッ!?!」

 

 

ゴリ押し(アダムの魔法)で強引に砕かれた防壁の穴から続々と侵入してくる武装した少女達。

百人、二百人、千人、四千人――次第に増す流入速度は兵士達の心を容赦なく折った。

無関係の人間を傷付けないよう細心の注意を払いつつ、しかし完全に無力化するために拘束を繰り返す。

 

帝都の各地にある衛兵詰所や防衛機能の要へと人員を配備しつつ、いくらか器を派遣して本隊から分けて……それでも明らかに過剰過ぎるアリシアの群れ。

 

どんな障害も素知らぬ顔で踏み砕きながら前進する。

目標は()()()()()()

この帝都に足を踏み入れた瞬間に漂ってきた、形の良い鼻が無惨にひん曲がりそうな程濃密な()()

それは()()()の人生では馴染みの深いものだった。

 

 

「待ってろよ、親父殿……!!」

 

 

白亜の城。

その天辺から漂う気味が悪いほどに清浄過ぎる神気。ああ、これ以上無いほどに目立つ標だ。

だからこそ!

 

 

「押し潰す!!」

 

 

巨大な跳ね橋と、その先に立ちはだかる石の門。

なんの騒ぎだ、と胡乱げに首を回していた衛兵はぎょっと目を見開いた。

さもありなん。アリシアは全力疾走でまたたく間に距離を詰めていた。

そしてその数百万以上。その全てが武器を携え、簡素ながらも革鎧に身を包み武装している。

 

 

「邪魔すんな!」

 

「すっこんでろ!!」

 

「この先にいるやつに用があるだけだからな!」

 

 

言葉と共に衛兵の身体を突き刺す目、目、目。

まるで巨大に過ぎる怪物に睨めつけられたように震え上がる。

あれは殺意なんか向けて来てないのに。敵意なんか抱いてないのに。興味すら持っていないのに――。

 

彼はただの路傍の石に徹する他なかった。

 

 

「行くぞアダム!主教!」

 

「うん!」

 

「畏まりましたぁ!!」

 

 

チラリと、へたりこんだ衛兵――否、兵であることを拒否した若者を一瞥し、アリシアは再び走った。

 

門を物量で強引にこじ開け、エントランスを横切って目に見えぬ道標を手繰り寄せ続ける。

 

それは匂い。

自分の四肢からも漂う――あまりにも清浄で、あまりにも無欠が行き過ぎた残り香。

それを辿るのだ。

アリシアにはよく分かる。

何せ、いつかの日は毎日の様に感じていたのだから。

 

 

「こっちだ!」

 

 

走る、奔る。

白の規模に見合った大きな大きな廊下と、その左右に並ぶ幾つものドアを通り過ぎて、尚加速を続けながら一目散に駆け抜ける。

 

仕立てのいい赤い絨毯を作った職人も、まさかこのような扱いをされるとは想像もしていなかったに違いない。

 

それに合うように拵えられた美しい大理石。

丹念に磨かれた廊下はいくつかの美術品に彩られ、過度な装飾を廃したが故の美しさを遺憾なく放っていた。

いた、が……まあ、アリシアはそれを無視してその景観をいくつもの足跡で汚している訳だ。

 

しかし、そんな事はどうでも良いだろう!

 

 

「……っ!こっちか!!」

 

 

上へ、とにかく上へ。

匂い立つ神気を辿り、大理石の階段を二段飛ばしに駆けていく。

どんどん強まる、頭がクラリと揺れるような清浄な気配。

酔ってしまいそうな臓腑に活を入れ――アダムと主教も無事である事を確認しながら移動を繰り返す。

 

 

――十度、階段を登るのを繰り返した頃だろうか。

 

アリシアは階段を登りきり、そして立ち止まった。

 

 

「……アリシア?どうしたの?何かあった?」

 

 

アダムの問いかけにも返答はない。

アリシアは、まるで見てはならないものを見てしまったかのように表情を歪めていた。

 

 

「はっ、はっ……はぁー……!!こ、この老骨には中々堪えましたぞ……!!」

 

 

遅れてやって来た主教はえいこらしょと腰を叩きながらアダムやアリシアに並ぶ。

 

そこで、何故アリシアが固まっていたのかようやっと理解した。

 

 

「ああ……なるほど」

 

 

視線の先。

変わらず広大な――いや、むしろ下の階よりも更に広い廊下。その奥に人影が見えた。

 

 

「よく来たな」

 

 

しゃがれた翁の声。

不思議と聞き触りがよく、年若い少年のそれのように耳朶を叩く。

 

老いたようで、しかし若さに満ちた青年は金の瞳でアリシアを射抜いた。

 

 

「なあ、愚妹(■■■■)よ」

 

 

は、ははと声が漏れる。

アダムが心配そうにアリシアを見つめるが、しかしそれに応えるだけの余裕がない。

 

更新(・・)され続けていた妹がいた。

だからこそ、()()()()()()()()()()()()と思っていた。

 

そして、その嫌な予感の具現は(まこと)の現実として目の前にある。

 

 

「……兄、さん」

 

「…………!!」

 

「そうか、あれが……」

 

 

顔を強張らせる主教の横で、アダムは納得したように頷いた。

目の前に立つ男、金の髪に金の瞳を持つ美青年。彼もまた、廃棄された筈の試作品というやつだろう。

廃棄されたと言うくせに、何故か三体も残っているというのはどういう理屈なのだろうか?

神という割には随分と杜撰な管理体制だな。アダムは思わず失笑してしまう。

 

それはともかく、重要なのは目の前の男が敵であるか否か。

……目標はすぐこの先だというのに今姿を表すというのは、まあ十中八九敵なのだろうが。

 

ならばその能力は?

 

試作品としてあるからには、一つの要素を手に入れるまで幾度にも重なる改造を受けているはずだ。

それは()()()()()()持ち得ていないという事実をも表すが、しかしその一点のみで言えば現行の人類よりも遥かに優れた機能を有しているに違いない。それはアリシアが証明している。

 

そして、現代にまで生存を続けているのであれば、それに適したモノが幾つかある。

 

例としてあげるならば、アリシアという『多様性の礎』。

聖女達、『信仰の種子』。

そして――

 

 

「あの人は『老いの基因』、と呼ばれていた」

 

「……その概要をお聞きしても?」

 

「『老いとは、つまり成長だ。成長とは老いだ。そして、その全てに劣化が付随する。それが無くては人とは呼べまい。ああ、分からぬ。分からぬなあ。私は完全だから。だから、この子で再現する』」

 

 

傲慢さを滲ませる言句を、いつかの再演のように口ずさむ。

それこそが彼女等の父の発言だった――らしい。

アリシアはその当時産まれていないから又聞きでしか無い。

 

そしてその言葉は目の前の『兄』から聞かされたのだ。

 

 

「そうだ、そうだとも。儂は父にその様に設計された。だから常に老い続け劣化するし、同時に成長を重ねる。そして死という機能が実装されていないのだからそこに終わりがない。一巡すると若返り、再び終わりへと走り始める」

 

「……一つ聞きたいんだが……()()()()()()()()()()()?」

 

「父の、()()()だ。お前が魂を漂白されて異世界へと放逐された時のように」

 

 

淡々と呟くその様に感情も実装されてないんじゃないかと小さく吐き捨て、アリシアは腰に帯びた剣に手を伸ばす。

アダムも両手の平に宝玉を浮かばせ、ゆったりと戦意を滾らせた。

主教はすみっこで蹲った。

 

 

「やはり、目的は父か」

 

「もちろん」

 

「……その忌敵(アダム)の為にか」

 

 

苦々しく口端を歪ませ吐き捨てた。

その整った顔はよくアリシアに似ていて、その身に宿すドロドロと粘ついた殺意さえも似通っている。

違いはその矛先だけだろう。

一つ分かるのは、もう決して止まらない事。

たとえその先に何が待ち受けていようとも止まれないのだ。

今のアリシアはアダムに無理やり正気を()()()()()()()からこそこうして考える事ができている。

けれどそれが無ければどうなる?

 

 

……だから自分の『兄』と、若者の腐った夢語りみたいな対話の道なんて無いことも知っていた。

 

 

「安心しろ、愚妹よ。その魂をもう一度漂白して、再びこの世界で父の愛に包まれるよう取り計らってやる」

 

「はっ!あんな腐れ野郎の祝福なんざゴメンだね!!」

 

「……愚かだな……」

 

 

『兄』はその右掌を握りしめた。

彼の信ずる、信ずるしかなかった父の愛――光り輝く『刃』を、目の前の『妹』へと向ける。

余りにも清浄過ぎる明星の光は、己を信ずる者にだけ微笑むのだ。

 

 

「実に、実に愚かだ」

 

 

何処に向けるわけでもなく、嘲笑の言葉を虚しく響かせる。

ギュッと奥歯を噛み締め、強く強く踏み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







<TIPS>
「アリシアの身分証明書」
ようやっと現れた希望の先触れよ!
貴女のためならば、私は私の名前も、過去も捧げましょう!

だから、そして、ああ、ああ!どうか惨めな《私達》に救済を!!









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僅かな語らい

生きてます(懺悔)

2月の間バイトで潰して投稿していないうんこまんですが、それでも生きてます!!
わあい!!
4月から就職だけど、それまでの自由期間で完結させる(予定)から安心してくれよな!!!





その『輝き』が瞳を灼いた瞬間、肌が栗立った。

アリシアの眼前に立つ兄が途端に悍ましきナニカにしか見えなくなる。

喉元を押し広げるドロドロとした殺意の言葉。

数え切れないほど多く、測りきれないほど大きな感情の意はあまりにも重たくて、なかなかどうして実際の音として吐き出せない。

 

 

「  ー 、 。」

 

 

気が狂いそうだ。

不快で、悍しくて、憎い。

 

柄手がカタカタと震える。

次第に血の気が失せ、白くなっていく指先。そこへ、代わりとでも云うようにドス黒い殺意が通っていく。

どろどろ、ねちゃねちゃと粘り気を帯びた仄暗い憎悪。それはアリシアの精神を苛むには十二分の濃度を持っていた。

 

 

「アリシア」

 

 

――しかし、どれだけの熱量を発しても、寸前の瀬戸際で押し止められる。引き留められる。

アダムの齎した『祝福』はアリシアに正気を押し付け続けるのだ。

決して狂えぬ不壊の加護。

アリシアの手綱を握り続け、最終的な勝利を絶対のモノにするための策だが……今にアリシアはなんともそれが邪魔くさい。

 

吐き出したいのに吐き出せない。

これのなんと憎らしいことか!

 

 

「……アリシア」

 

「ああ……わかってる。わかってるさ……」

 

 

ジワリ、と肌に滲み始めた黒を抑え込む。

()()()。今はまだ、ただのアリシアでいなければならない。

必死に意識を固めようと柄を握りしめ、深く長く呼吸を繰り返した。

 

 

「……じゃあ」

 

「ああ」

 

「殺すね」

 

 

だから、そう。ただのアリシアとして殺す。

彼が兄だろうと関係ない。

たとえ過去に何があろうとも、どんな愛が潜んでいてもだ。

アップルパイのように甘い過去はもう去った。

今にあるのは汚泥が如き淀んだ因果。

 

アリシアは、『敵』へ向けた赤い瞳に明確な殺意を乗せた。

 

 

……ああ、けれど。ひとつだけ。

アリシアはひとつだけ伝えたい言葉があった。

 

 

「兄さん」

 

「……なんだ」

 

「あなたが焼いてくれたパンは、とてもあたたかくて、うまかった」

 

 

――そう、か。

 

男は小さく瞳を見開いた。

かすかに震える唇から溢れたその言葉。一体それに何を込めたのだろう?

 

……けれど、それだけだ。

その先などありえない。

まかり間違っても融和の道など存在しない。

アリシア達の前に害意を携え立ち塞がった時点で、どちらかが果てるまでの殺し合いしか先にない。

 

 

「……それだけだ。それだけ、なんだ」

 

「ああ」

 

 

ジャキ、と鋼の鳴らす音が幾百に重なり合う。

建物内部であるという関係上、どうしてもアリシアの物量というのは十全に活かしきれない。

当然だ。

 

しかし、いくら斬り殺した所で尽きることは無いのだから関係ないか。

アリシアはただただ屍を積み重ねればいい。

その果てにこそ、恩敵の亡骸が積み上がるのだから。

 

兄は所詮、老いること、成長することのみに焦点を当てられた試作品。

その真価は()()()()()()()に到達する事。

数多の技術の頂きに君臨し続ける異形は、しかし人の範疇を逃れられない。

英雄といえども彼は魔性を殺すことではなく、裏方の諜報や工作にてその地位を確立しただけ。

 

父の愛?

そんなモノがあった所で、その刃を向けられた所で。所詮、薄っぺらで希薄な祝福の何が恐ろしい?

アリシアは思わず失笑した。

 

だから、そう。

正面からのぶつかり合いで彼が勝てる道理など、どこにも無いのだ。始めから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ここ、か」

 

 

アリシアの眼前。

重厚で麗しき装飾の為された両開きの扉が聳え立つ。

 

この先だ。

この向こうに、咽そうになる清浄な神気の発信源がある。

 

微かに震える右手を握りしめ、左を主教が。右をアリシアが手をかける。

 

 

「……開くぞ」

 

「ええ」

 

 

ギィ――。

重苦しく軋む音が鳴る――かと思いきや、丹念に手入れがなされた金具は軽やかに駆動し外界との接触を始めた。

そして途端に溢れる神気。

あまりにも清浄だ。

目が痛いほど輝いている。

何処までも美しく――

 

――くそったれ!悍ましい!ああ、吐きそうだ。気持ち悪い、気持ち悪い!

 

顔を嫌悪に歪めつつ、しかし両足に活を入れ一気に開き切る。

 

 

「よく、来たな」

 

 

その先、部屋の中、純白の華美なる椅子。そこに座す主人は嬉しげに微笑んだ。

 

金の髪、金の瞳、細身ながらも均衡の取れた躯。

男が想像する理想の肉体、その一つの完成形がそこに在った。

 

とはいえ、アリシアから見てしまえばなんとも薄気味悪く見えてしまう。

気のせいだろうか。どこか、うすっぺらで、その向こうさえも透けて見える薄紙のように思えて仕方がない。

 

 

「気持ち悪い……気持ち悪いぐらいに、あいつの匂いが染み付いてる。魂もズタボロじゃないか……」

 

 

アダムは不機嫌そうに瞳を細めた。

 

男はその視線を受け、それでもひび割れたような笑みをより一層深める。

 

背凭れに全体重を預ける姿に覇気は無い。どこか草臥れた老人を想起させる。

少なくともアリシアの目にはそう見えた。

 

しかし彼こそは神の傀儡。下界に干渉する為の端末。

本来、金貨の輝きに目を灼かれただけの男。

しかしてその弁舌の才をもってギルドの長となった怪傑である。

 

……あった、が。もはや残骸だ。

ここにあるのは嘗ての夢の末路。

愚かな追憶者の骸とも言うべきか。

 

 

「……ああ…ああ。歓迎しよう……まだ見ぬ金貨を運ぶ筈()()()……新世界の御使いよ」

 

「は、ははっ……この期に及んで金貨、だと?お前は正気か?」

 

「無論、正気じゃないさ」

 

 

男――ヘンリッヒはカラカラと笑い声をこぼした。

アリシアが眉を顰める姿を見て、独白というには些か軽すぎる論調で語る。

 

 

「そう、正気じゃなかった。だからあの存在の助けを受け入れた。干渉を許容した。そして、引き際を見誤った。程々の所で干渉を断ち切り、幾ばくかの寿命と引き換えに目的を達成する筈だったが……」

 

 

深く息を吐き、とてもとても、これ以上なく無念を残し後悔した。

 

 

「誤算は、そう……だな。神という存在そのものを軽視しすぎた」

 

「……馬鹿が」

 

「その通りだな。はは、文字通りの節穴だった訳だ!!」

 

 

ギチギチと軋む肉体を引き絞り、ヘンリッヒはゆらりと立ち上がる。

罅が走り、所々が欠け崩れ、その内側から輝くナニカが漏れ出す。

 

あまりにも希薄な存在。その残り滓を喰まれながらも止まれない。

穴だらけで、もはや原型を保っていることさえ奇跡と呼べる自我はただただ笑った。笑うことしかできなかった。

 

ここまで来て!ここまで研鑽を重ねて!その果てが、用意された結末が()()()()()だとは!!

 

 

「お前!一体何を――!?」

 

「ははは!ははははっ!!ここまで滑稽な道化は他におるまいよ!!こんな、こんな結末のために今日まで生きて来たとはなァ!!」

 

 

ひび割れる。

その玉体の表層を亀裂が縦横無尽に駆け回り、溢れる光輝がアリシアの眼前で――

 

 

「アリシア!」

 

「大主教!!」

 

 

『開門』

 

 

光輝が()()を包み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

――光が収まり、眼前を塞いだ腕を退ける。

アリシアは幾度か瞼を瞬かせ、ゆっくりと視線を彷徨わせた。

 

 

「は、ははっ……お前、唐突すぎんだろ……」

 

 

そこはうっとりと見惚れるような美しい緑が茂る大地が広がっていた。

果ての見えない白亜の柱が天蓋を支え、地平線の彼方までを余さず網羅する。

白い鳥が平和を唄い、背に翼を持つ人々が平等に、和を乱さず慎ましやかに暮らしている。

 

清貧を美徳とする神の教えのままに行動をしていたのだろう『彼ら』は――やはりと言うべきか。

弾けた光の中に居たアリシア()を目視した次の瞬間、その手に剣を握りしめていた。

 

 

「……それもまた神の教えってやつか?」

 

 

幾百にも並んだ彼らは能面の如くに厚く固めた表情を微塵も動かさない。

幽かな揺らぎもなく、僅かな疑念もなく、ただただ愚直に殺意を迸らせた。

 

それは、ある種最も純粋な、親の言葉を信ずる無垢な子供のようだとも思える。

ただ、()()()だと言ったから()()なのだ、といった具合に。

 

 

「アダムはどう思う?」

 

「はは……さすがに僕にも理解できないや」

 

 

アダムは肩を竦める。

アリシアもそれもそうだと返しつつ、ご丁寧にも転送された総体の全てに剣を握らせる。

ここにあるのはアダムとアリシア、そして敵のみ。

老年の主教の姿はない。

 

一体如何な理由なのか……。

彼だけは取り残され、アリシア達は迎え入れられたのは何故だろう?

文字通りの意味で、神に選ばれなかった、という陳腐なものかもしれない。

アリシアからすると、だが。彼は幾千年も続く忌み者達の拠り所の主なのだから、十分に特殊で偉大で、大きな器を持つ漢だと思うのだが。

 

 

――ともかく、だ。

アリシアがどう思おうとも、到達したのは二人だけ。

そして相対する敵がいる。

 

だから次に起きるアクションも当然存在する。

 

 

「侵入者」

 

「侵入者だ」

 

「異端者だ」

 

「大罪人だ」

 

「殺せ」

 

「裁きを」

 

 

「う、お!?」

 

 

ギィ!剣が噛み合った悲鳴が耳を貫く。

僅かにブレて姿を消した敵――『天使』の姿を追いかけ、その姿が眼前に現れた瞬間だ。アリシアは半ば反射の域で剣を翳したがそれが功を奏した。

異常なまでに恐ろしく早い速度で斬りかかって来た天使の攻撃を防ぐことが出来た。

 

出来たが――

 

 

「づぅ!!」

 

「なろ……!!」

 

「ぁああ!!」

 

 

剣戟が重なる。

次々と天使達が翼をはためかせ、微かに身体を浮かせた瞬間――アリシアは心腑を貫く悪寒に従い剣を振るう。

運が良ければそこで鋼を打ち鳴らし、戦力を不意に減らすこと無く鍔迫り合いへ移行できた。

 

運が悪ければ――まあ、当然だが……そこかしこで転がる血袋の仲間入りだ。

 

 

「援護するよ!」

 

 

アダムは両手を打ち鳴らす。

魔力を練り合わせた掌の衝突によって即席で魔法を編み込み、微かに煌めいた緑の光がアリシアを包み込んだ。

 

 

「お、おおおお!」

 

「 」

 

 

斬撃が空を奔る。

強化された瞳が天使の姿を捉え、両足が人外の域へ向けて跳び出した。

 

 

「はぁ!!」

 

「ぎ!!?」

 

 

ザン!

振るわれた刃は見事に目標を達し、百の首が空を舞う!

緑豊かな草原へ赤い燐光を撒き散らし、非物質であるが故か僅かな時間で気化した。

アリシアは強化された躯体を存分に活かし、強引に天使達のくびをひたすらに斬り付ける。

 

一つ二つ、五つに九つ!

切れ味の悪い鈍らを赤で彩った。

 

「迎撃せよ」

 

「迎え撃て」

 

 

――が、彼らは揺らがない。

すぐ隣に立つ天使が斬り殺されたというのに、その能面に微かな揺らぎも生み出さず淡々と戦闘に移行する。

そんな在り方のなんと薄気味の悪いことか。

 

 

「おらァ!!」

 

 

限界を超えた体が軋みを上げる。

アダムの常識を逸した強化は、いとも容易くアリシアの肉体を傷付け続けた。

とはいえそんな負傷も次の瞬間には癒やされるわけなのだが。

 

アリシアにとって、一つ二つの肉体が死んだ所で――いや、それどころじゃなく、幾千幾万幾億と死んだ所でどうでもいいのだ。

その果てに逆襲できるのであればそれでいい!

 

気が狂っている?リターンと釣り合っていない?そもそも必要ない?

それがどうした。

そんな正しいだけの理屈で踏み留まれるのならば、今頃こんな、補助が無ければ正気を保てないような愚か者になど成り下がってはいない。

 

 

「行くぞ!あの祭壇だ……!!」

 

 

小高い丘の上。

そこには慎ましやかで上品な――しかし、荘厳であり壮大な白亜の祭壇が建っている。

見るも不思議な、見上げれば首が痛くなるほど巨大なソレ。その中枢にこそ、ソレにふさわしい(そう思い込んでいる)偉大な存在(愚か者)がいるに違いない。

 

アダムの視界には然と映り込んでいた。

こちらを見下す絶対者の様に踏ん反り返るその姿が。

 

 

「おおおお!!」

 

「ふぅ……!」

 

 

銀閃が宙を舞う。

緑光が縦横無尽に駆け回る。

アリシアはその手に握る剣で道を切り開き、アダムがその両手両足に過剰な強化を施す。

 

前へ。

前へ。

前へ!

 

 

「し、ねェ!!」

 

「がッ」

 

 

天使の首を落とす。

アリシアの心臓を光の杭が貫く。

 

天使の腕を飛ばす。

アリシアの首が宙を泳ぐ。

 

天使の翼を捥る。

アリシアの両足を奪い取る。

 

どちらも互いに互いの死を積み重ね、胸に抱いた目的のために直走る。

 

天使は()の為に。

アリシアは過去の精算(利己)息子(利他)の為に。

果たしてどちらがより愚かなのか?

 

 

「ここだよッ!この扉の向こうだ!」

 

「ああ!強引にこじ開けてやる!」

 

 

敵地に於いて扉は開くものではなく、こじ開けるもの。

アリシアは残存する肉体、総勢三十万を駆使して背後から迫る天使に対応し――いや、不足だ。

更に増やし、もっと増やし、総体から滲む黒紅の雫から更に千万に届く器を用立てる。

 

 

「これなら――」

 

「いいや、不足だ」

 

 

門を開こうと群れをなして近付いた――瞬間。

()()を防ぐ事が出来たのは、まさしく奇跡だった。

背筋に張り付いた悪寒に従い剣を振るえば、アリシアの目の前でのボロボロの鉄が砕けて舞い散った。

一歩間違えれば散ったのは自分の頭だった――とはいえ、今更()()()()()()なんぞ気にしてはいないが。

 

 

「お前は……!?」

 

「なんだ……私達の事を忘れたのか?」

 

「………忘れていたかったよ」

 

 

アリシア達の眼前に四の人影がゆらりと浮き上がる。

彼等、彼女等は皆金の頭髪を輝かせ、門を守るように立ちはだかった。

 

 

「こいつらは……?」

 

 

アダムの言葉に、アリシアは懐かしげに瞳を細める。

幽かな哀愁を込めて、今は亡き過去を想起した。

 

 

「俺の、兄と姉だよ」

 

 

叡智の根源。

 

集合の要。

 

闘争の病根。

 

継承の因子。

 

人類が、人類として栄えるために獲得した――獲得すべき主要素。

それを神の手で備える為に多様な試行錯誤を繰り返された実験体(モルモット)達。

遥か過去に廃棄された筈の彼等は今再び立ち上がった(叩き起こされた)

 

なんと、醜い。

アリシアはその姿を見て、何よりも怒りを抱いた。

自分勝手な都合でゴミのように投げ捨てて、また必要になったからと無理やり蘇生を施した。

まさに生命の冒涜だ。

あれが神だからとか、そういうのは関係ない。

ただ、自分たちを道具としてしか見ていないことが何よりも腹立たしい……!!

 

 

「……だから、今度こそ眠らせてやるよ」

 

「は、ははは……出来るものなら、やって見せてくれよ」

 

 

長兄は軋む表情筋でうっそりと笑みを浮かべた。

体の末端に炎を燻ぶらせ、『叡智』とは程遠い野蛮な殺意を迸らせる。

ソレに合わせて、『集合』と『闘争』が何処か希薄な笑みのままにゆっくりと重心を落とす。

それぞれの手に黄金に輝く剣を携え、歯抜けの精神のまま空っぽの殺意を撒き散らした。

 

 

「……期待、してる、ね?」

 

「ああ……見てろよ。姉さんもしっかり殺してやる」

 

 

『継承』――一切の戦闘能力を持たない、アリシアと瓜二つの少女はころころと笑った。

身構えた所で、どちらにしろ抵抗なんぞ出来ようもないと理解している。だから、どうせならゆったりと、妹とのあり得るはずのなかった最後の時間を楽しもう。『継承』は、自分たちが望外の幸運に恵まれたことに(不本意だが)天に感謝した。

 

 

「ははは……っ。ほんの僅かな時間だけでも、お前を、お前の……成長を、見せてくれ」

 

「勝手に見てろ!」

 

 

剣を握る。

同時に、アダムに目配せをする。

 

 

「……わかったよ。気を付けてね?」

 

「ああ!」

 

 

一拍。

その小さな手を打ち合わせる。

込めた音色は摩訶不思議。

この世にあらざる魔音は、アリシアの体――その内部、魂の奥底へ染み渡る。

 

 

「お、お」

 

 

ガチリ、ガチリとナニカが千切れる音が響く。

音が一つ、また一つと鳴る度に、アリシアは高鳴る鼓動に体を震わせた。

 

ガチ、ガキン!

 

鎖が千切れる。

枷が外れる。

 

 

――つまるところ、アダムによって無理やり持たされていた制御の手綱を放り捨てている!

 

 

正気が削れる。

精神が沸騰する!

利他という他者を思いやる"余裕"をかなぐり捨てて、ただ自分の為だけに殺意を漲らせた。

 

 

「殺、す」

 

 

肌に浮かぶは純黒の憎悪。

回す烙印は"増殖"の理。

神によって焼き付けられたソレは、しかし今となっては彼の手を離れ新たな担い手の下に委ねられた。

即ち新世界を開闢する鉾と成ったという事。

アリシアは旧世界の神の尖兵を討ち果たす為の牙を剥いた。

 

 

刻印解脱:第五深淵(ロウカスト・アバドン)

 

 

打ち捨てられた、血さえも通わぬ天使の死骸を喰らう。

喰らって、貪って、その全てを有効活用(栄養素に)する。

増えて、増えて、増えて。

只管に増えて、即席の軍勢を築き上げた。

 

所詮個の力では誰にも勝てないのだから。

アリシアはそんなに強くはない。

 

 

「……思えば、お前と戦うのは初めてだな。いや、そもそも私は戦ったことなどなかったか」

 

 

しかし!それでもアリシアは彼等を殺せる。

圧倒的な群の力は()()を可能にするのだ。

 

 

――しかし、長兄はカラカラと、何を気負うわけでもなく笑い続ける。

最早それしか出来ぬとでも云うように。

 

だが、そうだ。

事実それしか出来ぬ。

今の己等は、失われた筈の魂を無理やり復元されただけの影法師。本物の自分達は時空の狭間に溶けて消えた。

加え、嘗て蓄積されていた情報の殆どを遥かな過去に焼却された故に不完全。ああ、まさしく欠陥品だ。

 

見よ、この肉体を。

今にも崩れ落ちそうに歪み、崩れ、四肢の端から徐々に砂へと解けてゆく。

 

……だが、それでも神は無理やり"愛"を押し付け、意思に関わらず強引に戦闘要員に仕立て上げた。

自我とは全くの別系統の指令に従い駆動を続け、嫌でも妹と殺し合う羽目になってしまう。

 

 

「だが、それでも……」

 

「オレ達は」

 

「なんだか嬉しくて仕方がない」

 

「……そう、かよ」

 

 

限界を超えた怒りが血管を圧迫し、ビキビキと罅割れたような純黒の凶相がギシリと嗤った。

 

ああ。笑顔、笑顔だ。

どいつもこいつも常に笑っている。

 

 

「気持ち悪い、気味が悪い……!!」

 

 

心底、理解できない!

怒れよ、憎めよ!

あの畜生に良いようにされて何故そうも笑っていられる!?

理解不能だ。その思考に何故至った!

そんなにも笑っていたいのか?

そんなにも今が楽しいか?

それほどに今が美しいか?

 

ああ、ああ。

ならば。

 

 

「じゃあ、俺も嗤ってやるよ。嗤って嗤ってお前らを殺して死骸を積み上げて、あの糞への踏み台に仕立て上げてやる」

 

「ああ、是非とも」

 

「望むところだ」

 

 

長兄(叡智)の体が紅蓮に燃え上がる。

次兄(集合)から他者へ金糸が繋がる。

三兄(闘争)の両手足に真紅の雫が纏わりつく。

 

そして、長女(継承)はそんな姿を笑顔で見つめていた。

 

 

「ああああああ!!!」

 

「筋力、強、化!」

 

 

アダムの緑光が軍勢に纏わりつく。

地を走る黒は即座に加速し、幾条もの轍を刻み突進する。

 

――それを迎え撃つは三兄の拳。

 

 

「おおおおォ、らァ!!!」

 

 

次兄の金糸が拳へ絡まり、存在ごと補強する。

幾重にも重なった黄金はボロボロの肉を補強し、一時的に全盛の域へ押し上げ――十全に整えられた一撃が大地へ突き刺さった。

 

 

――ドグン!瞬間、轟音を立てて大地が捲れ上がり、鼓膜を破いてしまいそうな圧と共に天を隠す。

畳返しもかくやと云わんばかりに数百メートルの地表がそのまま軍勢へ襲いかかった。

 

 

「無駄ァ!!」

 

 

しかしそんなことは関係ない!

アリシアは構わず突進し、当然土に呑み込まれる――前に、更に更にと次々後方から体を押し付ける。

一人ならば当然のように地中に埋もれただろう。

だがアリシアは群れだ。軍勢だ。

 

この世のおよそ全て、物量さえ用立てられるなら障害など障害ではないのだ!

 

 

「おおおおおぉォォ!!!」

 

「なんと……!?」

 

 

圧制する大地は絶えた。

アリシアは罅割れた大地の破片を体の上から弾き飛ばし――そして突進する。

最早敵と自分を隔てる障害など無い。

ならば殺そう!

今すぐ殺そう!

 

その果てを求めるのだ!

 

 

「覚悟……!!」

 

「いいや、まだだ」

 

 

長兄は、騒然と迫る大軍勢に掌を翳した。

アリシアは未だ燻る肉体を訝しげに眺め――瞳を沸騰させた『熱』に驚愕した。

 

 

「ああああァ!?」

 

 

両手で失われた瞳の洞を抑え……そして、その姿さえも炎に包み、灰も零さず燃やし尽くした。

炎は津波のように地表を舐め取り、雪崩のように軍勢へと襲い掛かる。

アリシアの肉体を幾千も同時に燃やして尚、揺らがぬ火力を持って波濤した。

 

 

「防護術式、展開……!」

 

 

アダムの補助魔法が肉体に絡みついた。

明るすぎる炎の光にその輪郭を朧げに崩しながら、それでもアリシアの肉体を守護するという役目を果たす。

 

 

「お、おおお、おぉぉおぉ……!!」

 

 

喉はからからだ。

瞳も既に何の像も結んでいない。

 

 

――それでも。

それでも前へ。

どうせこの程度じゃあ死にきれない。

ただ、苦しいだけだ。

 

 

「そんな、もの」

 

 

けれどこの憎悪に比べれば、ただのゴミクズだ。

何の価値もないカスだ!

 

俺は、ヤツを殺したいほど憎い――確かに、それは利他(息子)の為でもある。

けれど、根本にあるのは利己(自己満足)だ。

 

そうだ……俺は、この過去を精算するためにこの苦しみ(無価値)を乗り越える。

そうして、この痛みを幾重にも刻みつけてやっと、俺はアダムと真正面から向き合えるのだから――!!

 

 

「そこを……ど、けェ!!!」

 

「馬鹿な!?」

 

 

――視界が晴れる。

炎を突っ切り、炭化しかけの足で剥き出しの大地を踏み付け、アリシアは四の人影へ肉薄した。

ぐじゅぐじゅと音を立てて再生し始めた視界に、ポロポロと崩れかけの肉体で尚闘志を漲らせる姿を目にする。

 

 

חיזוק מיידי והגנה על הגוף(瞬間強化:肉体保護)!!」

 

 

金糸が光を編んだ。

次兄は言うことを聞かない四肢を強引に動かし、即席で秘術を展開した。

それは長兄と三兄の体に纏わり付いて戦闘に耐えうる強化を――否!遅い!!

 

 

「はァ!!」

 

 

焦げ付いた剣を振りかざす。

赤熱し、ボロボロだった刃を更に痛めつけた鈍らを両手に殺意を込めた。

視界の全てを埋め尽くすアリシアを迎え撃とうと四肢に力を込めるが――もう、その体は砂に解け始めていた。

 

 

「ああ――」

 

 

つまり、この"先"はない。

もう、家族との語らいの時間はお終いなのだ。

"砂時計"はきっかりと最後のリミットを教えてくれた。

 

 

「ははは」

 

 

だから、笑顔を浮かべる。

笑う、楽しいから笑うのだ。

どうやら(アリシア)はそれが気に食わないようだが、自分達はこれが間違っているとは思えない。

 

……何故なら、なかった筈のその先を手に入れられたのだ。

そして、望んでも不可能だったろう、成長した先の妹と時間を共有できた。

 

これを喜ばずして、何を喜ぶというのだろう?

 

 

「……楽しかったぞ」

 

「楽しかったよ」

 

「楽しかったね」

 

「楽し、かった」

 

 

憤怒に染まった凶相が近づく。

その切っ先が、自分達の首元へ近づく様が加速する思考と視界に映り込む。

 

正真正銘、本当の終焉だ。

 

 

 

 

……ああ、そうだ。

欲を言えば。最後に見る顔がこれというのは、遠慮したかったかもしれないなぁ。

 

 

 

 

 







<TIPS>
「錆び付いた羅針盤」
過去、千年。この期間における航海術の発展は凄まじい物だった。
光学を発明し、天文学が新たに広まり、そして羅針盤が開発された。

故に、それまで大陸の内側のみに向けられていた人々の意識が外へ向くのは当然の帰結。
数多の小島を見つけ、多量の資源で財を成し、航路を確立し、そして東に異なる文明のもと発展した大陸を見つけた。

――東に大陸があるのならば、西には?北、南は?
未だ人類は幼く、その視界は閉じている。





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-1

「第一から第五部隊!制圧した警備隊を護送しなさい!第六、第八部隊は市民への対応を!!」

 

 

黒いローブを纏う年老いた男は高らかに指示を飛ばす。

街を支配する喧騒の中にあって尚その覇気は薄まらず、自身に付き従う信者達を鼓舞し続ける。

その姿を見ていると、侵略者でありながらも気高く偉大な人に見えるから不思議なものだ。

後ろ手に縛られた兵士はぼんやりと男達の姿を眺め、そう思った。

 

 

「主教!信者達の中でも特に重篤な負傷者を後方の野営地に移送し終えました!」

 

「よろしい。敵方の負傷者は何処へ?野営地……とはいえ、彼等全てを受け入れられるものではなかったでしょう」

 

「は……?」

 

「ですから、兵士達は何処へ移送したのですか?」

 

 

年若い信者は意図が掴めぬとばかりに視線を彷徨わせた。

そも、彼等兵士は自分達『宵の明星』を邪教として弾圧し、迫害してきた文字通りの敵。或いは、恐怖の象徴。

そんな存在を気遣う発言をするなど、自分達を導いたこの人物の正気を疑う。

 

 

「……ええ、ええ。気持ちは分かりますとも。何故、この忌まわしき、正道に立っていた(普通の生を送れていた)彼等を助けよと……そう言いたいのでしょう?」

 

「そ、そうです!何故ですか!?こやつらは私達を忌み嫌い、石を投げつけてきたのですよ!!何人の同胞が殺されたと!?」

 

「しかし、今宵からはそうではありません。何故ならば……私達と彼等の、あり得なかった"この先"が生まれるからです。ならば……少しでも、ほんの僅かでも不和の芽は摘んでおいたほうが良い。それが今更のものであったとしてもです」

 

「……わかり、ました」

 

 

尚も納得できぬ風に顔を顰めつつ――しかしそれを飲み込んで、それなりの地位に立つ彼は指揮する部隊へと合流した。

納得はできない。理解もしていない。しかし、それでも、だ。

 

何だかんだ、そうして行動してくれる。長年主教に付き従ってきた信者達はそれだけの人格と、下地を有していた。

根底にある思いがどうであれ、斯様に振る舞う彼等のことが愛おしい。

 

 

「ええ……ええ……まこと素晴らしき宝です」

 

 

あの城に取り残され、ただ一人だけ神に挑む資格を認められなかった男は歩く。

彼女等は上手くやっているだろうか?

……きっと、いいや。間違いなく宵は明けるのだろう。

しかしそれでも不安を隠しきれない。

なんせこの時を待ち続けて()()()

これまでかけた時間と苦労は等価であり、頭で勝利を確信していようが……そういった理屈を超越する程には思い詰めていた。

 

 

「とはいえ……私にできる事は多くない。昔からそうだった……」

 

 

ああ、それでも彼が為すところは変わらない。

 

歩く。

ただ歩く。

そして――そこを起点に神の領地を奪い取る。

周囲の土地に足跡を刻み、遥かな過去から幾年も続けた偉業。

誰に知られる訳ではなく、しかし決して軽んじる事ができぬ程に神の威を地に貶める不信行為。

 

 

「……こうやって歩くのも、今日で最後になるのでしょうか……」

 

 

いつもそうだ。

ほんの僅かにでも自分達の居場所を獲得しようと戦い続けた。

立ち止まることなどできないし、しようとも思わなかった。

 

 

「幾つもの国に潜み、幾度の滅亡を越え、そして……それでも私は、まだここに在る」

 

 

歴史の裏で暗躍する『逸脱者』。

 

或いは次代の希望へ捧ぐ供物の調達者――それこそが、主教と呼ばれた男の正体だ。

かくあれと主人にその役目を与えられ、その通りに振る舞う忠実な臣下。自分の事をそう定義し、事実その通り完遂した!

自分で自分を褒めてやりたい程に。

 

そう。

『宵の明星』を率いたのも、神へと叛逆し続けたのも、僅かながらにでも危険な潜入任務を熟したのも。

 

その全ては主人(魔王)の為。

 

 

 

「今日は良き日だ。希望を見つけ、過去に再会し、明日を目にする」

 

 

くつくつと笑う。

数え切れないほどの苦難を乗り越えた先に、ようやっと報われる。

 

主人(魔王)が残した、何れ訪れるいつか()へ向けた数々の布石。

己もその一つだったが、それらが点と点を結ぶように効果を発揮し始めた。

 

幾百年も時を隔てたその先に再臨し、希望(新世界の神)と共に叛逆する。

そのためだけに主人(魔王)は蘇り、希望(新世界の神)を育て、母となり、そして……きっと殺すのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よお、親父殿。殺し(八つ当たり)に来たぞ」

 

「……顔を合わせるのは初めてだね?」

 

『―――――。』

 

 

門を開いたその先。

星々の律動を閉じ込めたかのような天蓋が覆う空間の、その中枢に視線を突き刺した。

 

輝かしき三対の翼を背負った男は、煌めく瞳で見つめ返す。

黄金の頭髪に、黄金の瞳。

薄く長い布を纏っただけの男は美しく、しかしだからこそ酷薄に笑った。

 

 

『久しい……ああ、実に久しいね。歓迎しようとも。愚かな新世界を謳う少年と……幾度も姿を変え、その度に私の道を阻む、しかして愛しい我が子よ』

 

「……は」

 

 

アリシアは赤い瞳を憎悪に濡らし、軽蔑を込め、悪辣に尖らせ、そして慙悔の念を混じらせた。

目の前の男は何処までも憎くて憎くて堪らない汚物だが――何故か、今この時だけは口を開こうと理性が働き掛けてくる。

 

……意味など、何も無いはずだ。

むしろ後になってしまえば何故あの時対話をしたのだろうと、後悔するかもしれない。

ただ苛々と殺意が積もって、無為に時間を消費するだけだろう。

 

 

「………ああ、久しぶりだな」

 

 

――しかし、何故だろう。

目の前の男を見ていると、どこか脳髄の裏側が疼くのだ。

 

 

「それで、その座を明け渡す準備はできたかい?元々、そこは()()が居座る場所じゃあ無いだろう?」

 

『…………』

 

 

アリシアがもどかしい感覚に襲われている最中でも、どうあっても時は等しく流れ続ける。

 

傍らから放たれたアダムの言葉は元々確信を持って放たれたのだろうか?

アリシアも感じていた疑念を言語化したそれは、その場の空気に溶け込んだ。

 

その輝きを目にしているだけで疼いてくる脳裏。なんとかそれを無視し、よくよく見ていると――ズキリ、と。どこかが痛む気がした。

 

 

「……」

 

 

アダムはそんなアリシアの姿を尻目に捉えつつ、舌鋒鋭く追及していく。

 

 

「お前は誰だ?お前は神なんかじゃないだろう。本来の主の誕生を待たず、勝手にその席を奪っただけのナニカだ」

 

 

それは断定だ。

無論、アダムの中に他の比較対象がいるわけじゃない。

基準もない。

 

それでも、アダムはこの推測が間違っているとは思えなかった。

 

 

「だって、お前は神と言うには性質が違いすぎる。あまりにも創生という能力が欠けている。曲がりなりにも聖四文字を名乗っているくせに――」

 

「お前のあり方は、どちらかと言うと俺に近い」

 

 

――そして、アリシアが引き継いだ推論も、また確信を持って放たれた。

 

間違いない。そうでしかあり得ない、と。

アリシアは確信している。

 

だって――自分は、今より前。試作品として目覚めるより以前――彼を、天輪を廻す彼を目にしていた。

俺と彼は同じ存在によって()()()()のだから。

 

じりじりと魂が浮つくような感覚の中で、アリシアは目の前の男と瓜二つの青年の幻影を見た。

霞み、薄れ、傷ついているが――アリシアは確かに()()()()()

 

 

「なあ、茶番は終いにしよう……ルシフェル(明けの明星)

 

『――そうか。もう、思い出したのか』

 

「……ルシフェル。或いはルシファー……そうか。()()()()の存在……」

 

『然り。然り。私は……オレは、ルシファー。愚かな神に反逆した、天使達の最高傑作』

 

 

額に携えた一対の捻れた角を撫で付け、嘗ての天使長は笑みを浮かべた。

父によく似た顔を、まったく同じ笑い方で歪めてアリシア達を称賛する。

よくぞ思い出してくれたな、と。

どこか憎々しげに二人を見つめた。

 

 

『それにしても、よく分かったなぁ。そこのアリシアはともかく、お前はあちら側のことなんぞ殆ど知らないだろうに』

 

「……そりゃあ、ね。ただ、僕は目が良かったから」

 

 

ほお。ルシファーはその虹色の瞳に感心を示し、興味深そうに瞳の奥を覗き込んだ。

これまで永い年月を神と共に過ごし、この世界に流れ着いてから。それまでの全ては神秘と共に過ごしてきた。

ルシファーにとって神秘とは常に傍らにあり続けた友であり、世界の教科書なのだ。

 

――だからこそ、その瞳の異常性に気付く。

 

 

『それは、明らかに世界の理に反している』

 

「……そりゃあ今更じゃないのか?俺も、お前も似たようなもんだろう」

 

『ああ……言い方が悪かったな。世界の理すら比較対象にならん。オレ達とは全く別の理のもとに駆動している。オレやお前は世界の理に反することで力を得ているが、少年は全く別の……それこそ異世界の理の中で動いている……と言えばいいか?』

 

 

前例がないがゆえにあやふやな物言いだが、伝えたいことは理解できる。

アダムという存在は自分達と違う正規の存在――本来、もっと早くにこの座に到達するはずだったのだと。

 

 

……が。

しかしそれが分かった所でどうしろというのだろう?

そんなもの関係無いではないか。

アリシアにとってアダムは息子であり、これから成す復讐において利害の一致を得た共犯者。

この()()()()()に協力してくれる愛しき子――それだけだ。それだけが分かっていればいい。

 

 

「相変わらずお前は理詰めだなぁ……ああ、思い出してきたぞ」

 

『はッ!お前に思い出すような記憶なんてあったのか?ただの偶像に過ぎなかったお前に』

 

 

鼻でせせら笑う姿に、先程までの聖者然とした微笑みは無い。

何処までも軽薄で悪辣に振る舞い、堕天した己を肯定する穢れをまとっていた。

スイッチを切り替えたように、まるっと変わった言動は別人のようにしか見えない。

アリシアは腹の底に苛立ちが募っていくのを自覚する。

 

 

『それにやっとこさ生命体らしく振る舞い始めたと思えば今度は何だァ?八つ当たりィ?ふざけてんのかお前ェ!!はっはっは!!』

 

「……少なくとも、お前が不相応にも神の座につかなきゃ……()()()()はあんな死に方をするこたあなかったろうよ」

 

『あー?あー……ああ、あれかァ。魔物に食い殺された城塞都市の事か』

 

 

ガリガリと頭を掻くルシファーは気怠げだ。

心底どうでもよさそうに――否。実際どうでもいいのだろう。

自分の不手際?祝福を行き渡らせることが出来なかったから?魔物という存在の誕生を許したから?

 

 

 

――だから、なんだ?

 

 

『そんなのどうでもいいんだよ』

 

「――は?」

 

『だからよォ……どうでもいいんだ』

 

 

翼をぐりぐりと弄びながら、朝の献立を告げるように気安く口を開く。

 

 

『だって、オレもお前と同じ八つ当たりだからな』

 

「―――」

 

 

ヒュ。

アリシアは喉を震わせる。

 

掠れて、読み取ることさえも覚束ない記憶の断片が視界の端にチラついた。

その記憶の在り処は脳髄ではない。精神でもない。

それは魂に染み付いた過去の因果。

 

 

『ああ。お前とはどうも深い因縁が付き纏う。粘土から産まれたお前は、正しく粘土のように姿を変え、性質を変え、しかし最後には必ずオレと決別する』

 

 

アダムには何のことを言っているのか、これっぽっちも理解できなかった。

――しかし周囲に立つアリシアは別だ。

ひどく動揺し、視界を埋める過去の幻影に囚われている。

 

 

『きっと、最初の最初――神の似姿というお前に跪けという名に背き、反逆者と成ったあのときこそがケチのつき初めだったんだろうなァ』

 

「……ああ……そうか」

 

 

アリシアは知っている。

彼女が彼女と成る以前。

今にまで続いた過去の撚り糸の先。

 

 

『思い出したか?』

 

「……俺は――」

 

 

ルシファーはせせら笑った。

自分が堕天した切っ掛けとなった過去を思い返して。

 

 

『改めて――久しぶりだな。()()()

 

「ホントだよ、クソッタレ」

 

 

アリシア――過去、アダムと呼ばれた人物はガリガリと頭を掻きむしり、憎々しげにルシファーを見つめ返した。

掠れきった記憶の数々は、幾万年という時の流れに晒されたせいで穴だらけだ。

つい先程までは目の前の男を思い返すだけで精一杯だったというのに。

 

――しかし、チリチリと脳の裏で鮮明に思い返せるものがある。

 

 

「……父さん」

 

『ああ、そうだ。アイツだ……アイツへの八つ当たりだ。だから、クソみてえに無意味で非効率なあの男――アイツからお前を盗み取って、この世界に連れて来た』

 

「そして閉じ籠もった」

 

 

アリシアは今でも覚えている。

神の厳命に背き、蛇に唆されるがままに果実を口にした事。

 

――そして、その直後。神の知覚さえ欺いたその先。

目の前の男に己は攫われ、記憶に封を為された。

 

その後、きっと本来の父はいなくなった自分に気付き……けれど取り戻そうとはせず、新たな土くれ(アダム)を用立てたのだろう。

 

だからルシファーのそれに意味はない。

まさに陰湿な八つ当たり。

彼の行動を一言で表せばそうだ。

 

 

『だから最後には無価値と断じ、放逐した。……その後で自力で蘇り、魔王として戦いを挑まれたのには驚いたが……』

 

「そうかよ……!」

 

 

その言葉が。その視線が。その身振りが。

アリシアをこれ以上無く苛立たせる。

ビキビキと額に血流が集まり、どこかがキレてしまうのではないかと思うほど殺意が募った。

最後だから理性を働かせて対話しようかと思えばこれだ。

無視していても良かった過去を無為に思い出し、結局その所業に心が沸騰する。

 

纏めてしまえば。

アリシアはアダムと向き合うために過去を精算したくて。

アダムはアリシアと生きる未来のために神の座に到達したくて。

ルシファーは己の父への当てつけとして神の座に居座りたい。

 

ただそれだけだ。

それが全てでいい。

 

 

「……だから、俺は何時も通りでいい……」

 

「何時も通り、喰らって、増えて、殺せばいい」

 

「俺は土くれなんかじゃない」

 

 

チャキリ、と金切りの音が響く。

使い続けた剣はボロボロで、増えた肉体に最初から持たせている剣の類も鈍らしかない。

所詮急造の品。肉体の代わりに生成した刃は一律してクソみたいなものしか作れない。

 

しかし、それでも。

 

 

「俺は戦う」

 

「……もちろん、僕もね」

 

『……ははっ』

 

 

復讐は死んだ人の為ではない。

今を生きる残されたものが前を向くための儀式とはよく言ったものだ。

 

セイランの人々も。

試作品として産まれた兄弟達も。

きっと、アリシアが為し得た所で喜びはしないし、そもそも何も感じないだろう。

当然だ。

この世に輪廻転生の理はなく、在るはずだった天国(煉獄)も存在しない。

あるのは地上という世界と、神が在るだけの天界。

 

だから、彼等はもうどこにも居ない。

 

 

「さあ、(いくさ)だ」

 

 

それでもアリシアがそれを以って前を向き、身を焦がす憎悪を鎮め掻き消すことが出来たのなら――それはきっと、無意味ではないのだ。

 

 

「増えろ」

 

 

――天輪が煌めく。

廻す浄罪の炎は翼に集い、ルシファーはゆるりと星々輝く広大な宙を舞った。

ニヤニヤと嗤ったまま、遥かな過去から飛来し続ける自分の汚点、その原因へと掌を翳す。

 

 

「まだだ、もっと増えろ」

 

 

その先――総軍を縮尺の狂った天蓋の内に収めたアリシアは、在るかも分からない大地を踏み締めた。

どこまでも広がる宇宙のような、しかし両足の有るべき場所を備えた戦場で鬨の声で喉を枯らす。

 

 

「もっと!」

 

「もっとだ!!」

 

「地を裂く程に……!!」

 

 

素晴らしき人の生!

嘗て、己が用意した布石――領地簒奪はしかと功を奏し、傍に立つアダムの格が倍々に高まっていくことを肌で感じ取った。

いつかの日に交わした契約。それは一人の男から尋常なる死を奪い去ったが、しかしだからこそ今この瞬間にも神へ牙を剥いている。

 

 

――しかし、まだ足りぬ。

これっぽっちじゃあ、まだまだ足りないのだ。

 

 

「天を埋め尽くす程に!!」

 

 

曼荼羅が如き天の意思。それに抗うは億にも達するアリシア。

物質界の理を無視した空間さえも圧迫し、その全ての肢体を光に融かす。

純黒と真紅はアリシアの総軍を繋げ、有り余る力をリソースに――神の威としてアダムへ供給する。

 

 

――早い話、神の力とはどれだけの質量を支配しているかによって変動する。

それは大地であったり、天空であったり、星々であったり、はたまた概念かもしれない。

だがそんな中にあって、決して欠かせないものも存在する。

 

それは人だ。

幾人が神を信じ、祈りを捧げ、供物を奉じたのか。

ただそれだけでも神の格が変動する。してしまう。

 

……ならば。

どこまでも肉体が増殖し、魂が増大を繰り返すアリシアがその能力を奉じればどうなる?

その全てを捧げたのなら?

 

 

「ああ――」

 

 

――アダムの声に魔性が宿る。

 

熱に浮かされているような、酷く妖艶な声音がずしりと星を揺らした。

 

重い。

あまりにも重い音。

それ単体で変革を齎すような、言葉の重みが権能そのものとでも云うべきか。

 

視線一つにも質量が伴うかのような圧倒的な存在の格。

 

 

『――真理の極光(ナーリ・ハヤシャ)

 

 

――そして、それを焼き払う黄金の炎。

最も原始的な知恵の真髄。あらゆる不浄を清い祓う神威の発露は津波となり、アリシア達に覆い被さる。

遠くにあって尚滲む汗を一瞬で蒸発させるほどの熱量。

なるほど、恐ろしい。実に恐ろしい。

アリシアだけでは抗えず、これだけでいとも容易く莫大な数の炭を作り上げただろうが――

 

 

「永世を聴け。変成を見よ。輪廻の車輪(オー・ケルビ厶・グラ)――!」

 

 

しかしアダムがそれを防ぐ。

ぐるん!と。炎は途端に裏返り、色彩さえも反転させた。

逆しまに矛先を変えた黄昏は本来の主に牙を剥き――

 

 

万象の流転(コーイスラエル)

 

 

しかしそれは無為である。

炎は散り散りとなり、灰のように掠れて消えた。

 

あくまで堕天した天使と侮るなかれ。

確かに神の意思一つでその格を剥奪される儚き存在だったかもしれないが――それは過去の姿。

漂流し、辿り着いたこの世界で神の座を簒奪し、偽りだろうとと世界を運用し続けた来歴は本物だ。

 

支配した領域は。

掌に乗せた命は。

弄んだ運命は。

 

その全ては神へ捧ぐ薪であり、ルシファーを真に神足らしめる礎である!

 

 

『罪の礼賛、罰の祝福――硫黄の雨(アポトーシス・ソドミー)

 

 

星が煌いた。

律動は弾み、弾け、膨れ上がり――とたんに、天が落ちてきた。

 

 

「………ッ!!」

 

 

ぼんやりと口を開く。

 

アリシアは初めて見る神の奇跡の数々に指先が痺れるのを実感した。

正しく天変地異。

キラキラと輝く流星達は一目散に、競うようにこちら目掛けて降り注ごうとしている。

 

 

――体から力が抜け落ちた。

 

それは恐れによる脱力ではない。

漲る精神がそれを否定する。

 

 

これは、起死回生の布石。その投資だ。

 

 

葦の息吹(サーイェ・ラザゼル)

 

 

――空が弾けた。

 

降り注ぐ流星は空間毎砕け、ガラスの様にひび割れた空間に飲み込まれる。

アダムの掌の軌道に合わせてぱらぱらとメチャクチャにかき回されて、まるで子供が玩具を壊すような無秩序さで奇跡を潰した。

 

 

「ふぅ……!」

 

 

ズキリと頭が痛む。

アリシアは過去経験したことのない苦痛に苛まれていた。

 

 

「ごめんね、アリシア……もうちょっと貰うよ……!!」

 

「あ、あ……もってけ……!」

 

 

――しかし止まれない。

 

光に溶かし、有り余るリソースをアダムへと注ぎ込む。

人の命を燃料とする邪法。あるいは禁忌であるが……今のアリシアはそれを忌避する健全さを失っており、アダムはそれを気にするだけの余裕がない。

だから次へ次へと増殖を積み重ね、減る速度と増える速度を何とか等価へ持っていき――

 

 

「いいや、まだだ……」

 

土くれの器、金星の円光(ゼカリヤ・サタナイル)

 

 

ぎょろり。ルシファーの瞳が空回る。

視線を筆先と例えるなら、天空というシャンパスに幾何学的な陣でも描いているのだろうか。

アリシアに天文学の心得なぞ何もないが、その視線の運行を見ているうちになんとも嫌な怖じ気が湧いてくる。

 

 

「……もっと増えろ」

 

「もっと」

 

「もっと!」

 

 

自分の認知機能さえ超越する増殖速度。

増大し続ける魂の重みは凄まじく――生涯を投げ打てる願望や、自身で見定めた()()()()()()といった支柱が無ければとたんに瓦解していただろう。

その果てに廃人になるだけで済めばいいが……きっとそんな生易しい事はない。

周囲を無茶苦茶に巻き込んで取り返しのつかないことをしでかすに違いない。

 

 

――だからこそアリシアは止まらない。

自分にはこの先を勝ち取らなければならない。

そうするだけの願望が、責務があるのだから。

 

 

拝火の薪(サコ・スメル・ツクヤム)

 

 

アダムの体に炎が宿る。

黒く、しかし所々に黄金を秘めた雷を奔らせ、敵対者を焚く神秘が立ち昇った。

それはラインの繋がったアリシアにも伝播する。

豊富なリソースの尽くを呑み込み、嚥下し、更に轟々と燃え盛り――それは赤黒い糸を手繰るように燃え広がっていった。

 

 

「行けェ!!」

 

 

轟くアダムの号令。

行使者の意に従い、炎雷は空気の壁をも燃料として呑み込みながらルシファーへ殺到する。

 

 

『足りねぇよ!!』

 

 

翻す翼。

天文の輝きを寄り集めた結実――それは羽根の一房から溢れた一滴の光輝だった。

炎雷が到達する僅かな時を漂う雫は、刹那の時を経るごとに倍々へと巨大化する。

 

 

聖壁の冠(ヨブ・ティアーズ)!』

 

 

――音が消えた。

アリシアはそう思った。

 

攻撃の反射、及び威力の上乗せ――。

魔力リソースとして運用する肉体全てを打ち据える衝撃波はまたたく間に拡散し、いとも容易く三半規管を揺さぶってくれる。

今の反撃でいくつの肉体が破裂したのか……考えたくもない。

 

鼓膜を突き破るような極大の音が空間を埋め尽くし、ぐらつき霞む視界の中――金星の輝きを押し固めたような巨大な壁に護られるルシファーの姿を見た。

 

 

「次から次へと……!!」

 

 

すぐ傍らで忌々しげに毒づくアダムの声も、なんだかフィルターに掛けられたように不明瞭。

思いの外肉体への負荷は甚大なのだろうか?

アリシアとしてはもう少しぐらいは耐えられそうだと思っていたが。

 

……ああ、そういえば。

 

 

「そういや……俺はリソースとして働いてるんだったな……っ」

 

 

尚更身体への負担は大きいのだろう。

 

それに、力負けしたのなら。

リソースが足りていなかったということでは無いだろうか?

少なくとも砲身がきちんと動作しているのなら、発射する中身と火薬はきちんと用立ててやらねばなるまい。

無論、考え無しに火薬をひたすらに詰め込めば暴発するという恐れもあるが……しかしリソースが増えれば増えるほど神の力も比例して強まるのだから、今回の例で言えばそれも当てはまらない。

 

 

「………ッ!!」

 

 

ギチギチと体の何処から軋む音が聞こえる。

限界を越えた自重に悲鳴を上げる四肢――これは幻聴だ。

けれど、現在進行形で起きている事態を簡潔に表していた。

 

 

「アダム……!!」

 

「……うん!」

 

 

ぎちぎち。

ぶちぶち。

 

額に滲む汗は大玉のよう。

指先が蕩けてちぎれ落ちていく。

 

堪らず口を大きく開いて――漏れ出しそうになる悲鳴を必死に噛み殺した。

 

 

周囲を見渡す。

 

どこまでも広がるような広大な空間を埋め尽くすアリシアの肉体は、もはや数える事すら億劫になるほど増えている。

その魂の体積は星の領域にまで手を掛け、そこで止まることなく更に更にと止まらない。

 

もうアリシアは自分の肉体達を制御できていない。

常に繫がっていた指先さえも意志から乖離し、少しずつ分断されていることを実感した。

 

 

「な……!」

 

 

ひとりでに動いている。

アリシアは関与していないし、肉の感覚も、その視界さえも繋がっていない。

 

けれど。彼女らは動いて、自分の意思で立っているのだ!

 

 

「私を使え」

 

「儂を燃やせ!」

 

「どうせこの局面を乗り越えなきゃ先は無い!」

 

 

それは別離を強いる、最期に得る生ではない。

幾らか薄まった黒い肌に珠のような汗を浮かべ、これまでの様にリソースとして力を尽くし――ふと合った視線には、確かな活力が宿っていた。

 

 

「はあぁぁ……っ!」

 

 

――嫌でも理解できてしまう。

彼ら、彼女らはアリシアではない。

全くの別人として独り歩きを始めた、新たな一人の生命なのだと。

 

 

「は、はは……信じられねえな……」

 

 

これまでのように、死の間際に総体から切り離したのとは訳が違う。

彼女ら、或いは彼らは確固たる自我を持ち、各々数え切れぬ差異を有していた。

 

黄金の頭髪。

赤い瞳。

 

――それだけしかない。

アリシアと共通しているのは、それだけなのだ。

 

万華鏡の様に如何様にも変化する様は文字通りの多様性。

本来の歴史では、アリシア(アダム)が繋ぐ筈だった人類という種の姿だ。

 

 

「まさか……まさかだ。楽園から追放すらされなかった俺が、俺から……新しい人類が誕生するなんてな……ッ!!」

 

 

それは正道ではない。

正しい手順の尽くを無視した外法だ。

 

しかし彼らには命がある。

霊長の肉体を持ち、明晰なる頭脳を有し、確固たる意志を宿す。

それは他者と共感し、語らい、集まり、ただの生命として生き、次代へ繋げる。

 

 

それこそが、人間だった。

 

 

「おおおおおお!!!」

 

 

刻印を廻す。

弾けて、空気に溶けていく裂帛の声が告げていた。

 

あるべき姿に正そう。

せめてそれこそが、それだけが弔いだと。

 

 

「――――!!」

 

 

アダムの支配領域が拡大する。

 

当然だ。

その仕掛けがどんなものであれ、あらゆる命を擁するアダムの格は掛け値なしに極大そのもの。

 

超多数の命を束ね、アダムは今一度目を凝らした。

 

眼前に浮かぶルシファーはどんな顔をしているのだろう?

自身の八つ当たりが為し得た結末を嗤っているのか?

嘆いているのか?

怒っているのか?

 

 

最後の一撃を放とうとしているのだろう。

光を撚り集め、空に掲げる円環に照らされた男は――心底嬉しそうに笑っていた。

 

 

「は」

 

 

悪辣さは無く。

憤怒も穢れも無い。

どこまでも純粋に、嬉しそうに。

 

 

「―――」

 

 

一体何を思ったのだろう。

理不尽にその地位を追われ、愚かにもアダムを奪い取り、新天地で神となったその生。

どこまでも空虚な八つ当たりに幸福はあったのだろうか?

 

 

明けの明星(ルシフェル=シャハリート)

 

「――宵の明星(シャヘル=シャハリート)

 

 

金星の輝き。

それはとても美しいと、アダムは思っていた。

――それを覆い隠すのは、なんだかとても悲しいけれど。

それでも後悔はない。

 

()()()を求めた自分達にそんな資格はない。

けれど、この空虚な男の死に感傷を抱くぐらい――許されても良い筈だ。

 

 

天蓋を漂う一枚の羽根が、ゆらゆら、ふらふらと踊っている。

それは所在なさげにあちらこちらへ飛び回り――そして、黄昏を残して消えていった。

 








もうちょっとだけ、続くんじゃよ




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0に至る

これにて完結


ぼんやりと、消えゆく光を眺める。

仄暗い宇宙空間に漂う黄昏に輝く粒子は最期に一際輝き、『アリシア』達の視界に色を咲かせる。

 

 

「……終わったな」

 

「終わったね」

 

 

まるで地に足ついていないように、どこか浮ついた声だった。

アダムは体内に巡るアリシア達の命を可能な限り返しながら、隣に立つ『アリシア』の手を握る。

『アリシア』も、小さい掌でそっと握り返した。

 

 

――ガラガラと宙が崩れていく。

 

 

罅割れ、撓み、歪む。

二人はその隙間から覗く極彩色の空間を躱しながら、空間の中枢に歩みを進めた。

叛逆を為してもそこが終点ではない。まだやるべきことが残っている。

 

『アリシア』から分岐した彼ら彼女らも心得ているのだろう。迅速に踵を返し、開け放たれたままの大扉をくぐり抜けて去っていく。

これからどう動くにせよ、ひとまずは腰を落ち着けねばなるまい。

唐突に生と知恵と人格を授けられた赤子ではあるが、やはり子供ならば親の意気ぐらい汲むべきだろうさ。

 

 

「そこ、危ないよ」

 

「おっと、さんきゅ」

 

 

繋がった掌から伝わる熱は揺らがず。

アダムは不思議なほどに正常な心を保っていた。

 

『アリシア』はそっと横に視線を向ける。

前を見つめるアダムの横顔はいつの間にか高い位置にあって、いつからだったか抜かされた背丈を明瞭に伝えてくれた。

顔立ちだって、やはり少年の域を超え、青年期に差し掛かっているのだろう。

はっきりと整った顔立ちには、若々しい活気が満ち溢れていた。

 

 

……自分は、どうなのだろうか。

 

己は彼のように熱を秘めているか?

『アリシア』が我が身を振り返ってみると、どうしても自分の事を枯れた年増のようにしか思えないのだ。

 

……だと、いうのに。

この子は己を愛しているなどと告げてくれた。

こんな自分が好きなどと……果たしてその想いに釣り合っているのだろうか?

 

最初の生は土塊(つちくれ)から産まれた男。

次の生では試作品という烙印を押されたなりそこない。

そのまた次の生ではただの社会の歯車。

正直、女として考えるならば中途半端もいいところだと思うのだ。

 

今だって自分の精神を男だと思っているし、必要ならば適応するが……とてもではないが『女らしい』という概念とは程遠いところにあると言わざるをえない。

 

 

「…………」

 

 

――絡まりそうな思考を中断する。

 

いつの間にか俯きがちだった顔を持ち上げる、じっとりと網膜を刺激する輝きに目を細めた。

この世全ての理を司る"システム"の基幹、というから何が有るのかと思えば。

そこにはただ光り輝くだけの塊があるだけ。

 

『アリシア』はそっと首を傾げる。

というか自分は世代交代の知識などかけらもないのでよくわからないのだが、こういったモノは神が座るべき玉座があって、そこに座り込んでよくわからない奇跡の力でも振り撒くものではないのだろうか?

 

 

「よっと」

 

 

『アリシア』が不思議そうに光の塊を眺める中、アダムが軽やかに掌を翳す。

さて、何をするのか――

 

 

「うお!?」

 

 

ニョキ!と光が蠢いた。思わず変な声が飛び出すが、それにはお構いなしにうにょうにょと形を変える。

丸から四角へ、四角から円錐へ、円錐から台形へ――

 

万華鏡のようにころころと姿形を变化させる光の塊。

幾秒かそうしているかと思えば、一際強く瞬いた。

 

 

「まぶし……!」

 

 

咄嗟に瞳を腕で庇う。

意味も分からぬままアダムの謎の作業を眺めていて、そこからの不意打ちだったために網膜への刺激が強かった。

生理的反射で滲んだ涙を拭いつつ腕をどける。

 

 

「ああ……DIY方式なんだ……」

 

「で、でぃー……?」

 

「自作ってこと」

 

「ああ、そういう……」

 

 

金と赤、純黒に輝く"玉座"に歩み寄る。

アダムの横に立ってじっくり眺めてみると……なるほど、DIYのくせにいいデザインしてるじゃないか。豪華で華美だが無駄はなく、質素でも有る。実に雅な美しさだ……さすが俺の息子だな。『アリシア』は満足そうに鼻を鳴らす。

 

 

「あとはここに腰掛けて、僕と世界を繋げるだけさ。そうするだけで代替わりは終了し、地上にいるあぶれ者達にも等しく加護が降りかかる」

 

「……これで、全ての戦いが終わるのか」

 

「うん、そうだね」

 

 

アダムは疲れを滲ませながら、しかし実に満足げに頷いた。

『アリシア』もそれを見てようやっと実感がじわじわと湧き上がってくる。

 

……しかし、こう言うのも変だが。何故だろう、あまり胸の内が満たされているとは思えなかった。

 

確かにアダムがきちんと世界に受け入れられることは嬉しい。

あぶれ者という地上の異端者達も幸せになれるというなら、朧げにしか覚えていない"魔王"という過去にも価値が生まれるのだろう。

 

けれど、『アリシア』としての……外的要因を省いたただの『アリシア』として考えるとどうなのだろうか。

後悔は微塵もない。

罪悪感を感じることもない。

けれど喜びもない。

 

ようやっと過去を精算したと言う割には、やけにあっさりとした胸の内だった。

ここまで平坦だとかえって違和感さえ感じてしまう。

 

……どうにも、変な感じだ。

 

なんだろう。

どこか……虚しい?いいや、それすらもない。

何も、無い。無いのだ。

虚しいと感じる事さえも感じない。

 

そんな喉の奥に小骨が刺さったような感覚を押しつぶし、表面上に何時も通りの仮面を貼り付けた。

 

 

――それは、どうしようもなく脆い欠陥品なのだが。

 

 

「ねえ、『アリシア』」

 

「……ん?」

 

 

ぼんやりとアダムを見つめ返す。

相変わらず綺麗に煌めいている虹色の瞳は熱にあふれていて、その熱を余さず伝えようとしているようだ。

夢中になって、静かに『アリシア』を見つめていた。

その瞳に宿る感情は――

 

 

――鼓動が跳ねる。

『アリシア』は、思わずゆらゆらと視線を彷徨わせた。

 

 

「な、なんだよ……」

 

「『アリシア』」

 

「……は、はい」

 

 

……何だ。何なんだこの謎の居心地の悪さは。

『アリシア』は自問する。

 

しかしどれだけ考えても何も――

 

 

――いや、一つあった。

ついさっき考えていたばかりだ。

二人の未来の姿を決定付ける、とびっきり重要な要素が。

 

 

「返事を聞かせてもらってもいいかい?」

 

 

何の。

 

と聞き返すのは無駄だし、何より無粋だろう。

『アリシア』は緊張でじっとりと汗ばんだ掌を握り合わせた。

 

そうだ。

この前目の前に立つ少年から愛の告白を為されて……その返事をしていない。

決戦に挑む遠因の一つにもなった、"前を向いて、新たな人生を始める"という一大事。

"父"という名の"兄"へ叛逆を為した直後に話す内容ではないと思う……が、それはそれ。

なにはともあれ過去の精算は終えたのだ。

ならば次に為すべきは前を見つめること。

 

……前を向かなければならない、けれど。

 

 

「………っ」

 

 

唇がカサカサに乾いている。

緊張で固まった舌は思うように動いてくれない。

額に浮かんだ汗は髪の毛を濡らし、どうにも重く絡みついてくる。

 

『アリシア』の中には、この期に及んで迷いが生じていた。

 

それはアダムに返事をしたくないだとか、女として生きる気はないだとか、息子としてしか見ていないとか、そういった事ではない。

 

………怖いのだ。

 

 

「……何がだい?」

 

「…………俺は、どうあっても……元々男なんだよ。それは最初からそうだった。女になったのだって、今世が初めてだ」

 

「うん」

 

 

舌の根が乾く。

これは『アリシア』が初めて息子に漏らした弱音だ。

 

性別の違和――それはどこに行ったって付き纏う。

確かに肉体は女になってしまったのだからそれに順応して生きてきた。

ある程度の所作を勉強したし、下着の付け方だって覚えたし、()()()危険から身を守るために性の認識もきちんと留意した。

少しでも違和感を持たれないようにと学習して、必死に実践して――

 

――もう、誰かに好奇の目で見られることは嫌だった。誰かの輪に入れないのは、誰かに嫌われるのは怖かった。

 

前世の自分は親なしだ。

そこに加えて純粋な日本人らしくない"個性(赤い瞳)"さえ備わっていた。

だから誰も彼もが腫れ物のように扱ってくる。どうあっても――人付き合いはなかなか上手くいってくれない。

それが幼い自分にはとても辛くて。とてもとても悲しくて。

 

だから今世でも、無意識レベルにまで刷り込んだ自己防衛本能に従い"自然(好かれやすいよう)"に振る舞った。

 

それでも『アリシア』は自分が男であると定義している。

 

 

――これこそが行き着いた答えだ。"女としての演技は必要だけれど、あくまで自分は男だ"と、完全に思考を固定化してしまえ。

 

これならば他者から嫌われない。尚且自分の精神の安定化を図ることが出来る。ああ、正しく最適解だ。

……確かに、年を経るごとに『アリシア』は自分の精神が肉体に引っ張られていることを実感している。そこは否定できない

 

しかしそれだけ。

引っ張られただけで、それでも決して変生ではない。心の(うち)男のモノ(不変)だ。

 

 

……そう、()()()

 

 

「なあ、俺は自分をそう定義して生きてきたんだ。そうやって必死に誤魔化してきたんだ。じゃないと、精神と肉体の乖離に気が狂いそうになる」

 

「うん」

 

「これまでもその時々に、人生における目標を仕立てて……必死に、必死に目を逸らしてきた」

 

「うん」

 

「何もかもだ。考えずに、何もかもを外に求めればいい。そうしていれば、俺は人らしく振る舞える。何も知らなくったって、それだけで良かった」

 

 

『アリシア』は泣きたくなった。

さながら道に迷った幼子のように、自分が進みたいと思える道が分からなくなってしまったように。

これまで人生の回答を他者に求めてきた少女には分からない。

何も、分からない。これっぽっちも理解できない。

 

 

「そうしなきゃ魂が潰れちまう。そうでなきゃ顔を上げられない。だから……そう、怖いんだ。前を向くのが」

 

「……うん」

 

「なあ……アダム。どうしてくれるんだよぉ……俺は、俺はそうで在りたかったのに……っ」

 

 

頬を何かが伝う。

とてもとても熱いそれは、涙だった。

 

 

「俺は、いつの間にかお前を求めてる……どんなに理由を並べて拒否したって、それでも心の奥底じゃあ要石のようにお前が居座ってた」

 

「……『アリシア』」

 

「こんなのおかしいだろぉ……っ。俺は、"そんなもの()"なんて知らねえんだよ……!!」

 

 

頭の中がぐちゃぐちゃだ。

口から何を吐き出しているのかさえ理解していない。

只々心の中から湧き出た言霊を、幼子のように無造作に投げ付けるだけの行為。

 

自分の定義が狂う。

未知の概念が恐ろしい。

これまでの"自分"を乗り越えることが怖いのだと、『アリシア』はただ泣きじゃくる。

 

馬鹿みたいだ。

理解できない。

なんで俺は()()()()なんだ。

どうして俺は――!

 

 

「あ――」

 

 

ふわり、と。

『アリシア』の体を大きい何かが包み込む。

固く、靭やかな――大きく育った少年の(かいな)

 

強く抱きしめられて、思わず呆然とした。

 

 

「ありがとう、『アリシア』」

 

「……っ」

 

「それだけ悩んでくれたんだ……うん、やっぱりスレープの助言に従って正解だった」

 

「……」

 

「僕がいくら『アリシア』を想っても、行動に移さなきゃ決して実らない。もともと"心"に疎いのならば、ヒトであること(立って歩くこと)に慣れていないのならば、それを芽吹かせねばならない」

 

「……それ、って」

 

「スレープの言葉さ」

 

 

どくん、どくんと、力強い鼓動が押し当てられた胸から響く。

繰り返し、一定の速度で繰り返されるそれは不思議と『アリシア』の心を落ち着かせてくれる。

ゆっくりとアダムの言葉を反芻しながら、話の続きを無言で促した。

 

 

「悩むってことは人であることの証明で、戸惑うことは当たり前のことなんだよ」

 

「……うん」

 

「そして迷ったときに、どうしようもなく行き詰まったのなら取れる手段は一つ」

 

 

『アリシア』の細い肩を掴み、正面から赤い瞳を見つめた。

美しい人。愛おしい人。

どうか僕の心が届いてほしい――そう、切に願いながら。

 

 

「『アリシア』はどうしたい?今、この瞬間にどう思っている?先のことも、過去のことも考えなくていいんだ。良いか、悪いかだけ。ただそれだけでいい」

 

「………っ!」

 

 

その虹色から目が離せない。

様々な感情が見え隠れするアダムの瞳はとても綺麗で、だからこそいつまでも見ていたくなる。

 

故にか。

視線の内に一等強く輝く()()――"愛の情"が強く認識できてしまった。

どこまでも一途で、何よりも純粋な赤。

『アリシア』はそれから目を離せない。離したくない。

まるで心が吸い寄せられているように、ただただじっと見つめた。

 

 

……なんて――なんて、美しいんだろう。

 

 

鮮明で鮮烈。

あらゆる生命が持ちうる感情だ。それは時として立ちはだかる現実()さえ乗り越えるような、大きな大きな力を持つという。俺も、それを持っているのだろうか?

その純粋な在り方がどうしようもなく美しくて、憧れてしまう。

 

 

……持っていないのならば、俺も、()()を――

 

 

――()()を、()()を……!

 

 

「僕は貴女が好きだ。僕と結婚してほしい」

 

「う、ぁ……っ」

 

「――『アリシア』は僕と一緒になりたくない?」

 

「……そんな訳、ない」

 

 

ぎゅっと、唇を噛み締める。

自分の心に従えというそれの、なんと難しいことか。

飽きもせず泣き言を撒き散らしたい気分だ。

 

けれど、けれど……その宝石のように輝く意思を手にしたい。

アダムのように、ヒトのように生きてみたいと、感じてしまった。

 

カサカサに乾いた唇をさらりと舐めた。

 

だから……良いか、悪いか。

それだけを吐き出してしまえ。

 

……それが、自分の心に従うという"人間らしさ"なのだから。

 

 

「俺も、アダムと一緒がいい」

 

「……そっか」

 

 

――瞳に反射する自分の顔は、自分でも驚くような熱気を纏っているように見える。

喉元を通り過ぎた言葉は自分でもびっくりするほど重くて、まさかこんな声を出せたのかと頭の片隅で驚愕した。

 

 

そして……ああ、言った。

 

ついに。

言ってしまった。

 

もう後戻りはできないぞ、と。頭の片隅で誰かが呟いた。

時間なんて巻き戻せないと……戻すつもりはないけれど、『アリシア』はどこか浮ついた心で客観視する。

口にすることで自分の心を固めて証明してしまったのだから……きっと、そう。

 

 

俺は、アダムのことを愛している。

 

 

「ああ――安心した」

 

 

アダムはほにゃりと微笑んだ。

どちらともなく絡めた指先は固く結びつき、互いの熱を伝え合う。

その感覚がたまらなく愛おしいことか。

もう、どこか浮ついたような空虚さはどこにもない。

 

 

「……へへっ」

 

 

きっとこれからも大いに悩むことだろう。

男という過去を捨て、ただの少女として振る舞うことに何度も戸惑うはずだ。

前世での因果も足を引っ張るに違いない。

行き過ぎた二律背反は体内に潜む毒でもある。

 

けれど、きっと。

この"想い(恋心)"があれば、そんなもの簡単に乗り越えられるに違いない。

 

 

「さあ、始めよう。今、この瞬間から世界は鼓動を刻みだす」

 

 

アダムはゆっくりと玉座へ腰掛けた。

廻る星々に己を刻み込み、名実ともに世界の支配者へと到達する。

自然に膝の上に居座った『アリシア』を抱きしめ、世界の"システム"に自分という存在を流し込んだ。

いくらか――いいや、大分ハイペースに手順を踏んでいき、速やかに処理を済ませていく。

さっさと接続を終わらせて天界を整備して、はやく地上に戻りたい。

 

あくまでも今までは前日譚。

アダム達はようやくスタートラインに立ったのだ。

やることなんて山ほどある。それはもう、数え切れないほどに。

 

 

「『アリシア』はどんな家に住みたい?」

 

「……そうだなぁ」

 

 

顎を指で支えて僅かに唸る。

元いた街に戻ればいいじゃないか――とは思ったが。そういえば襲撃のせいで壊れたままだった。

どうせ建て直す必要があるのならば、いっそ新天地での生活というのもいいかもしれない。

北の大地、南の森林、東の港、西の農園――数え上げるとキリがない。

どこも魅力的で甲乙つけがたいが……ああ、そうだ。

 

一つだけ絶対条件があった。

この条件さえ満たしているのなら、別にどこだって構わないような大事なもの。

 

 

「アダムと一緒なら、どこでも」

 

「そっか……! うん……うん、僕もだよ」

 

 

二人でなら、きっとどんな苦難も乗り越えられる。

『アリシア』にとって、それは確定したものだ。

 

 

……なあ、そうなるように責任取れよ?

俺に人間らしさなんて教えちまったんだからな。

 

 

末永くよろしく、アダム(愛しい人)

 

 

 

 

 

 

 





<TIPS>
「まくろいおくるみ」
無垢なる赤子を包むための黒い布。
幸せな未来を願って――















というわけで完結です。
何だかんだ更新がグダグダになって誠に申し訳ない
途中くそうんこなゴリラのやる気メーターが下限値を下回ってエタの確定演出に突入しそうでしたが、なんだかんだ運命に勝ったので許してくださいなんでもしますから!!

それでは皆さん、ありがとうございました。
これからも世界中のTS娘を、愛そうね!!!!



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