俺のあずささんが可愛すぎて死にそうなんだが (慧鶴)
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1章. あずささん日記 (日常ほのぼの回)
俺のあずささんが可愛すぎて死にそうなんだが


アイドルマスターのあずささんとPとの交流を、日記で書いていこうと思います。

タイトルに不快感を覚えた方、本当に申し訳ないです。このタイトルが頭に浮かび、どうしても離れなかったので採用させていただきました。
あずささん、ほんと可愛いですよね。

気楽に更新しますので、よろしくお願いします。



訳あって、これから日記をつけようと思う。

 

まあ、結論から言うと俺の彼女である「あずささん」が可愛すぎて死にそうなので、決して忘れないように記録として残したいってだけだ。

 

まずいな、初めから惚気てしまっているぞ。

 

……うん、まあ、いいか。

 

あずささんとは、765プロのみんなで行った夏の海で付き合い始めた。

 

もちろん、アイドルと付き合うのはご法度だが、お互いに好意が隠せなかったので、どうしようもなかった。気づいたら「俺が運命の人になります」って言ってました。

 

ファンのみんな、すまん。

 

「プロデューサーさん、道に迷ってしまいました~」

 

「またですか、あずささん」

 

「ここはどこなんでしょう?」

 

「新手のクイズですか」

 

「事務所をでて、家に帰っていて、途中でワンちゃんにあって〜」

 

「ちょっと待って、ワンちゃんとは?」

 

「コーギーかわいいですよ」

 

うん、ウェルシュコーギーはどうでもいいんだけど。

 

あ、でもコーギーと戯れているあずささんの図。うん、いいな。

 

周囲が癒しで包まれる。可愛いさを振りまいているな。

 

その場でカメラ回して、永久保存版のAVを作りたい。

 

あ、アニマルビデオです。決していかがわしい事はないので、安心してください。

 

そんなことより。

 

「建物は何が見えますか?」

 

「お相撲さんの絵が描かれてます」

 

「チラシですか」

 

「大きな建物ですね〜」

 

「分かりました、では、その場から動かないで待っててください」

 

「お願いします〜」

 

両国だ。国技館だ。間違いない。

 

そう思い、事務所の車で迎えに行く。

 

こんな、いつものやりとりですら、くり返すほどに愛しさが増してしまう。どうしよう。かわいい。

 

……

 

さ、日記を書きますか。

 

 

 

今日の仕事はスペシャルドラマのお姉さんBという役だった。

 

演じるシーンは町のレストランで食事をしているというだけの簡潔なものだ。

 

だが、いかん。

 

可愛すぎる。チョコレートパフェを食べて破顔するところ、まぶしいっすわ。

 

主役をくっちゃいますよ、これ。

 

監督、大丈夫なの、問題ない?

 

「あ、あずささん、ほっぺに生クリームついてる」

 

「え、どこかしら」

 

「取ってあげますね」

 

「ありがとう。真ちゃん」

 

「いえいえ」

 

おい、真。そこちょっと代われ。

 

俺がやるから。ほら、ADの女性が目かがやかせてるから。

 

この絡みは眼福すぎるが、あずささんは俺の彼女だ。

 

それにあずささん、そのドジっ子はお茶目かわいすぎますよ。

 

 

 

そして、仕事を終え、俺の方に駆け寄ってきたあずささんとの会話の中でのこと。

 

「どうでしたか~」

 

「はい、すこぶる可愛いです」

 

「恥ずかしいですよ〜」

 

「本当のことなので、隠せません」

 

「あらあら~」

 

そう言って頰に手を当てながらはにかんだあずささんが、きょうの俺のベスト・オブ・あずささんだ。

 

あと真。パフェのかわいい食べ方の研究に、将来性はあまり感じられない。やめとけ。

 

今のままで十分魅力的だ。

 

 

 

一日目終わり。




「プロデューサーさん!初投稿ですよ、初投稿!」

「どうした、春香」

「いや、ついに閣下のすばらしき活躍が描かれるのかと!」ワクワク

「お前、本文でてないじゃん」

のワの「 」

「まっこまっこりーん」

「真うるさい」

「ごめん、春香」


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うまい棒はコンポタージュ派らしいです

ども、二回目の投稿です。慧鶴(けいかく)です。
みなさんはうまい棒は何味が好きですか? いろんな味を試してみたいですね。
今回は竜宮小町がうまい棒について語ります。
伊織はそもそもうまい棒を食べるのでしょうか、銀座千疋屋のオレンジゼリーとか食べてそうですよね。

ちなみにコンポタにしたのは自分が好きな味だからです。

(タイトルに不快感を覚えられた方、本当にすみません。この言葉がどうしても頭から離れなかったので採用させていただきました。ご容赦いただけますと幸いです)


今日、現場で亜美が食べていたうまい棒から、その話は始まったのだ。

 

一本のうまい棒に、俺とあずささんは振り回されるのである。

 

 

 

……いや、うまい棒は何味が好きですか? と、真剣な顔をしたあずささんに迫られただけだ。

 

営業終わりに事務所で仕事を片付けているときにだ。

 

あと顔ちかいです、あずささん。少し離れてください、そのご尊顔でせまられるとドキドキで身が持ちません。

 

生きていないと、この日記が書けなくなりますから。

 

はーアブないわ。可愛さって凶器ですね☆

 

 

 

話を戻そう。

 

うまい棒の味の好みは、それぞれに良さがあり、消費者たちの間で論争がたびたび勃発している。

 

すでに第何次うまい棒大戦が起きたのか、数える気もない。

 

それぐらいの良さが、うまい棒にはある。

 

そして、あずささんはどうやら自分の味の好みが竜宮小町の二人からすこし変わっていると言われて気になったのだそうだ。

 

「で、伊織と亜美は何味が好きだって?」

 

「亜美ちゃんはタラコですって~。伊織ちゃんはチーズ一択らしくて」

 

ほう、だいたい想像はできる。

 

「やっぱうまい棒はタラコっしょー。あのタラコらしさが感じられない風味に、子供たちへの配慮と会社の愛を感じるんだYO!そこに、亜美はシビレたね」

 

「意味不明な話してんじゃないわよ。そんなことより、やっぱりチーズ味が間違いないわ、クセになる香り、味、パッケージデザイン。すべてがパーフェクトよ!」

 

「えー、でもいおりん。デザインと味は関係ないっしょ」

 

「う、うるさいわね。あんたもほとんど似たようなモンじゃない!会社の愛って。ちょっと、あずさ。何笑ってんのよ」

 

「うふふ」

 

おお、微笑ましい。脳内再生ヨユウですね。みんな楽しそうで何より。

 

「そうですか。それで、あずささんは何が好きなんですか」

 

「え、その〜」

 

「どうしたんですか」

 

「その、笑いませんか?」

 

「笑いませんよ、安心してください」

 

「えっと、その。……こん、ぽたーじゅ、です」

 

なに、この照れ顔。

 

余裕のあるあずささんが赤面しているのは、非常にイイッ……!

 

コンポタージュという言葉が、これほどの破壊力を持つとは。

 

とりあえず亜美、伊織、ぐっじょぶ。この会話のキッカケをありがとう。

 

「わたし、変でしょうか」

 

「そんなことないですよ、好みは人それぞれです」

 

よかったです〜、と笑うあずささん。

 

「ところで、Pさんは何味がお好きなんですか?」

 

「ああ、おれはテリヤキバーガーですね」

 

うふふ、今度わたしも食べてみます。と言ったあずささんは、俺の手に一本のうまい棒をそっと置くと、そのまま家に帰っていった。

 

コンポタージュ味。うす黄色の包装に、なにか書いてある。

 

「おみやげです(は~と)」

 

はい、かわいい。俺のあずささんイジらしすぎますね。

 

というわけで、今日のベスト・オブ・あずささんは決まってしまった。

 

ところで、律子は何味のうまい棒が好きと言ったんだろうか?

 

 

 

 

二日目終わり。




「天海春香です!プロデューサーさん。わたし、うまい棒はエビマヨが好きです!エビマヨですよ、エビマヨ!」

「そうか、春香。ところで律子は?」

「わたしはてりやきバーガーですねー」

「お、一緒じゃないか!」

「へー、プロデューサー殿もですか」

Pと律子「あーでこーで」ワイワイ

のワの「」

「春香、わたしもエビマヨ好きよ」

「千早ちゃん、おせっかいはやめて」

「はい」


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限りなく可愛さときれいさとを同居したブルー

先日、オリ主というタグの意味について初めて知りました。ども、慧鶴です。
教えて下さってありがとうございます。
三回目の投稿です。
今回はストリートファイター回です。(唐突)
タイトルのブルーはあるキャラクターの衣装の色からとりました。
あずささんはどちらかといえばダークブルーのイメージですね。
書きながら毎度のこと思いますが、あずささん、ほんと可愛いです。


今日は(リアル)ストリートファイターをしている亜美と真美が律子に叱られていた。

 

リュウとケンのコスプレもして、気合いの入れ具合が半端ない。

 

そのまま律子に昇竜拳を打ち込めれば良いが、鬼の形相の律子にはさすがの亜美真美も手が出ない。

 

「りっちゃ~ん。ほら、いつだって、妄信を忘れちゃいけないっていうっしょ~。亜美は竜宮小町のイチインとして、フレッシュさを守ってんの」

 

妄信って、13歳が口にする言葉じゃない。ほら、三分の一の慎ましさを持て。残りの三分の二は夢ですね。将来性に期待だ。

 

「そうだYO! 真美も亜美に負けないように、思いっきり浄心に帰ってるんだYO!」

 

浄心とは清く明るき心、無私の心のこと。……うん、13歳で帰ってたらそいつもう中学生じゃない。悟り開けるぜ。自信もてよ。

 

あと亜美、真美。今更だが、それを言うなら童心だ。

 

「どっちも違う!そもそも、事務所で空中竜巻旋風脚は無理でしょうが!」

 

怒る所そこか、律子。必殺技の問題じゃねえだろ。

 

「すみませ~ん。着替え終わりました~」

 

「あ、あずささん。ちょっ……」

 

「おー!あずさおねーちゃんチョー似合ってる~」

 

「亜美の目に狂いはなかったね!」

 

「あらあら~」

 

そう、今日の前置きはやけに長い。それほどの衝撃だった。

 

あの時の気持ちを一言で表すとなると、いろいろ悩んだものだ。

 

 

 

 

おう……。ナイスルック。

 

春麗コスのあずささん、たまらないです。

 

そのチャイナスーツは反則でしょ。いかん、目を離せん。

 

からだのラインが出るのはライブ衣装と変わらないはずなのに、どうして。

 

「どうでしょうか、プロデューサーさん」

 

「似合っています」

 

「それだけ?」

 

言葉が出ねえよ!

 

ちょ、あずささん、かがみながら近づいてきた。なに、新手のプレイですか。もちろん、グッドカミングです。

 

普段ならば、スイスイと可愛いと言ってしまえるのに、なぜ言えない。

 

「あ~、にーちゃん完全に照れてるYO。ね、真美」

 

「んっふふ~。これは面白くなりそうですな~、亜美」

 

セッティングは完璧なそこの中学一年生たち。あとでしこたまダンスレッスンぶち込んでやる。

 

「ほら。プロデューサー殿を困らせないの。あずささんも、早く着替えて下さい」

 

「へーい」

 

亜美真美の気の抜けた返事。

 

それなのに、なおもあずささんは俺をずっと上目遣いで見つめてくる。

 

「プロデューサーさん……」

 

「あの、その」

 

なにか言おうぜ、俺の口! 機能不全おこすにはまだ早い。

 

なにか言わねば。どうして言えない。その二つの文言が頭の中を渦巻いていた。その時、

 

「うっうー、みなさん、こんにちはです!」

 

やよいが事務所にやってきた。

 

「あ、やよいっちー。みてみて、このコスプレ!」

 

「あ~、亜美も真美もかっこいい~!」

 

「んっふふ~。そうっしょ~、さらに! 向こうには、チョーやばいあずさおねーちゃんがいるYO。悩殺間違いなしっしょ!」

 

「え、あ、ほんとだ。うわ~、あずささん、すっごくきれいです!」

 

「あらあら~」

 

そうか。

 

腑に落ちた。

 

これは、可愛いのではない。美しいのだ。やよいの言葉で気付いちまった。そうだ、きれいなんだ、とても。

 

「きれいです、あずささん」

 

「プロデューサーさん……」

 

「すいません、上手く言えなくて」

 

こういうのを、大人の女性というのだろう。あずささんの魅力にまた一つ気づいてしまった。

 

「いえ、ありがとうございます。嬉しいです。それに、いくらプロデューサーに見てもらいたくても、やっぱり、ちょっと恥ずかしいですね〜」

 

苦笑しながら、あずささんはそれだけ言うと、着替えに戻ってしまった……。

 

 

 

 

不意打ちだ。まさか、このタイミングで。

 

恥ずかしいのに着てくるとか。おれの感想が欲しくて? なに、それ。

 

かっわいー。可愛いよー。

 

というわけで、今日のベスト・オブ・あずささんは決まったのだ。

 

あと、やっぱりやよいは天使だな。今度、ありったけのもやし、持っていくからな。待っててくれ。

 

 

 

 

 

三日目終わり。




「こんにちは、天海春香です!」

俺ら「イエーーーーイ‼︎‼︎」

(そう、こういうのを求めていたの!閣下にふさわしいこの反応。これぞアイドル……!)

「後ろの人も、ちゃーんと見えてるからねー」

「イエーーーーイ‼︎‼︎」

ガチャ

「はい、春香ファン役の皆さん、お疲れ様でした」

「あ、プロデューサーさん、ちわっす」

「これ、サクラの料金です」

「あざーす!」カイサンダー、カイサンダー

のワの「」

「やよいー、次スタンバイしとけー」

「うっうー」

(おいP。やよいじゃ文句言えねえじゃねえか)

「春香さんとってもかわいいです!うっうー、わたしもがんばるぞー!」


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スモックの中毒性は危険域ギリギリ上

「あなたの友達は、わたしの友達~」を最近になって直に体験しました。ちわっす。慧鶴です。
今回は生っすか!? サンデー回です。アニマス15話ですね。
アニマス準拠であることを今更設定に反映させました。しかし出てくるキャラクターはあまり変わっていない……。なんとかして765プロのみんなを出したいのですが。少しずつでも他のアイドルたちを登場させますので、気長に待ってて下さい。

(協力)タケノコ幼稚園のみなさん、かもしれない。


余は果てしない悲しみに打ち震え、歯を噛み、号哭した。

 

激怒したのだ。

 

ここまで765プロがコケにされるとは。あの時の余は憤怒の化身そのものであり、身から迸る波動、烈火の如く、その双眸は剣呑な光をたたえていた。

 

あれほど憤慨していた伊織にまで引かれた余の有様は相当なものであったろう……。

 

 

 

ごめん、この書き方やっぱり大変だわ。いつものに戻す。

 

961プロめ。『ザ・テレビチャン』の表紙を差し替えるとは。

 

ちょっと許せないかな~って。

 

というか、あずささんのグレープフルーツ姿、超見たかった! なんなら、写真現像してもらっておけばよかった。

 

こっちは撮影の時、可愛いと大声で叫びたいのを抑えていたんだぞ。ああ、あそこで叫んでたら変態じゃねえか。

 

「変態じゃないよ。仮に変態だとしても、変態という名の紳士だよ」

 

幻聴が聞こえる。やばいな。放っておこう。

 

あの衣装はまだあっただろうか? あったら今度、事務所で着てもらおう。

 

 

 

まあ、おフザケは程々にして、少し思うこともある。

 

みんなの活躍の場を、不当な手段で奪うとは許せん。紳士じゃない。変態は関係ないが。

 

俺は、俺の出来ることで、プロデューサーとして、何とかしたい。

 

これからの彼女たちの、未来のためにも。

 

 

 

 

さ、今日の日記だ。

 

きょうは、『生っすか!? サンデー』の収録日だった。

 

収録はトラブルも続いたが、まあ上手くいった方だろう。

 

だが、問題はそこではない。緊急事態だ。

 

あずささんのスモック姿が犯罪レベルに可愛いということだ。

 

実際、あの衣装を21歳のあずささんが着るのは犯罪臭がプンプンするぜえ! 視聴者共、鼻の下を伸ばすな。伸ばしていいのは俺だけだ。

 

あずささんも、そんな格好で回転しないで。スカート短いっすよ。それもう危険域見えちゃうから!

 

その大人びた女性らしさに、幼さのマジックが化学反応を起こしている。なんだ、あの奇跡的バランスは。

 

スモック中毒者続出の恐れありだぞ。政府が即急、スモック警戒網を敷くかもしれん。

 

「あの格好はやばいな」

 

「プロデューサー殿もそう思いますか」

 

HEY 律子、あずささんはお前の担当アイドルだろ。どうにかしろ。こっちの身がもたん。

 

「スモックはあずささんには着せられませんね」

 

着せた後にいうな。まあ見られて良かったとは思うが。あ、あずささんが手を振ってる。

 

「かわかわ」

 

「かわかわ?」

 

いや、何でもありません。律子、その目はなんだ、よせ。ただ本心が隠せないだけだ。

 

おい、美希。こっちに投げキッスをするな。仕事中だぞ。

 

始めから終わりまで、本当にグダグダだ。

 

だが、今回の生っすか!? は永久保存版だな。

 

収録終わり、あずささんがスモックの感想を聞いてきた。

 

あー、もう着替えちゃってるのか。でも普段着もイイ……。

 

あ、感想ですか。はい、もちろん可愛いです。出来れば実物をこの二つの眼で拝みたかったです。

 

「幼稚園のみんな、ほんとうに可愛かったです♪」

 

「あずささん、子ども好きなんですね」

 

「可愛らしいですよね~」

 

ええ、子どもを愛でるあずささんも可愛い。

 

「あずささんは良いお母さんになりそうですね」

 

「うふふっ。ありがとうございます」

 

まあ、幼稚園への送り迎えは無理だな。逆に子どもに手を引かれるのではなかろうか。いや、むしろ双方そろって方向音痴か。

 

「きっとあずささんの子どもは可愛いですよ」

 

「プロデューサーさんに似て、少し変わった子どもかもしれないですよ~」

 

満面の笑みでその言葉はいかん。幸せオーラに当てられちゃう人が出ちまう。

 

どこに? ああココか。

 

「……楽しみですね」

 

「はい~」

 

甘酸っぺえ。こういう未来を語るのは。もうね。凄まじく胸を締め付けられるんだ。あずささんの嬉しそうな顔がたまらなく可愛いんだ。

 

そんなこんなで、今日のベスト・オブ・あずささんは決まった。

 

あ、小鳥さんから電話だ。え、生っすか!? の録画テープあるってマジですか。もちろん見せてもらいます! ありがとうございます!

 

 

 

 

 

 

四日目終わり。




「ラーメン二十郎プリンの箱、許すまじ」

「春香、なにを怒ってるんだ?」

「あの醜態が全国放送でさらされたら、もう、春香さんは……」

「ああ、あの衝撃映像か。あれはあれで十分かわいらしかったがな」

のワの「」

「どうした、春香?」

「いや、いつもならココでキツい一撃があると思ってたので」

「一生懸命な春香を、悪く言うわけないだろ」

「///////」

「たくっ、これだからプロデューサーさんは。天然ジゴロは女の敵ですピヨ」

「小鳥さん、今回はわたしも同意します」

「春香ちゃん……!」


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髪が長いのは、それはそれで乙なり

あずささん大好きな皆さま、これからそうなる皆さま、そしてこの創作を読んでくれている全ての皆さま。感謝です。こんにちは。慧鶴です。
さて、今回は美希が登場しました。美希という女の子はとても難しいキャラクターですね。Pへの純粋な好意がどう傾くのか。こちらも予測できません。それは、キャラクターの持つ魅力が凄まじいから勝手に動いちゃうんですよね。その明るさと一生懸命さは見ていて微笑ましいです。
あ、決して浮気というわけではありませんよ(笑)

あずささんの魅力をもっと書けるようになりたい……。


(先日、pixivであげていた同名小説をすべて削除いたしました。これからは、こちらのサイトのみでの投稿にシフトします。ご迷惑をおかけいたします。今後もよろしくお願いいたします。)


あずささんの髪がまだ長かった頃を、ふと思い出した。

 

今のあずささんも好きだが、あの頃のあずささんも好きだ。

 

夜の海で、月明かりのもと風になびく長髪。潮の引く音。

 

俺の目の前に舞い降りたエェンジュェルッ。

 

そりゃね、もう見とれちゃって。

 

その場で告白をし、俺とあずささんはお付き合いを始めたのだ。

 

……まさか一週間も経たぬうちに、その天使がイメージチェンジをされるとは思わなかったが。

 

事務所でその姿を初めて見たとき、俺の胸はずきゅんと打たれ、おもわずサムズアップをした。うん、これもアリだな。 

 

顔も知らぬ美容師さん、本当にありがとうございます。

 

おい、亜美と真美。髪を切ったばかりのあずささんを撮った写真、家宝にするんで後でくれ。

 

 

 

 

髪型の話をしたのは、美希との会話が理由だ。

 

「この髪型、すっごく可愛いの!」

 

「どれだ、美希。ああ、たしかに」

 

「やっぱりハニーもそう思う? ミキね、今度の撮影、この髪型にしてみたいの」

 

ウキウキとした様子で写真集に映る、ブロンドヘアーの外国人を俺に見せる美希。とりあえず、いったん落ち着け。

 

最近、接触が多くないか。俺のことハニーとかいうし、もう少し控えめにならないと、勘違いする男が出てきちまうじゃないか。

 

前はこんなにフレンドリーではなかったはずなのに。謎だ。

 

それはそれとして、この髪型は、……あちゃ~。くせっ毛の美希にストレートは難しいですね。どちらかというと千早や響、それに昔のあずささんの髪質に近いな。

 

う~む、美希の新たな魅力、発掘ならず。無念。

 

「そっか~、ちょっと残念なの」

 

「でも、美希には美希の魅力があるからな。それをしかっり磨いていこう」

 

「分かったの! ハニー、ミキがんばるねっ☆」

 

うん、イイ笑顔だ。最近、仕事も増えてきたし、美希自身がやる気を出している。

 

俺もしっかりプロデュースしないとな。

 

「こんにちは~」

 

「あ、あずさ。こんにちはなのー」

 

「あずささん、今日は現場直行だったでしょ。あれから迷わないで来られたんですね」

 

「ええ、タクシーって便利ですね~。現場から、まっすぐ事務所に着きました~」

 

ん。ちょっと聞き捨てならない言葉が。

 

「タクシーですか」

 

「ええ♪」

 

ホワィ? ユージングタクシー? あれ、きょうの現場、千葉県だったはずじゃ。

 

うん。アウトだわ、これ。金額考えるのももう止めよう。

 

「り、律子は?」

 

「伊織ちゃんと亜美ちゃんを別の現場に連れて行くっていってました~」

 

そういえば、今日は『ちびっ子たちあつまれ!』の収録日だ。伊織はどうしてこのスーパーアイドルの伊織ちゃんが、って最期まで抵抗していたな。まあ、プロ根性を刺激したらすぐにオチたが。

 

伊織、チョロいっすわ。素直でいい子ですね。

 

「でも、律子当たりは心配したんじゃないですか?」

 

「はい、大丈夫ですかって聞かれました。でも、春香ちゃんにタクシーの乗り方を教えてもらったんです~。だから自信があったんです!」

 

「おう……」

 

春香~、あいつは後でシメる。とんでもない爆弾セッティングしやがって。

 

やばいよ、あずささん。タクシー代、経費になるのか。

 

胃が痛いよお。あずささん、めっ、ですよ。

 

それから、すっかり落ち込んでしまったあずささんに今後はタクシーではなく、誰かの車に乗せてもらうようお願いした。

 

「じゃあ、今後はプロデューサーさんにお願いしますね」

 

「あ、あずさズルいの! ミキも迷子になるからハニーに送ってもらうの!」

 

「またいつかな」

 

「むう~。ハニー、あずさには甘いって思うな」

 

「あらあら~」

 

「ほら、美希。もうそろそろボイトレに行かないと、時間がないぞ」

 

「わ、ホントなの」

 

バタバタと準備をしている美希を見ながら、俺はあずささんと少しだけお話しした。

 

「美希ちゃん、なにを見てたんですか~?」

 

「ああ、写真集ですよ。ほら、これです」

 

「きれいな人ですねえ」

 

「あずささんの方が俺はきれいだと思いますよ」

 

「あらあら~」

 

照れてるあずささん、マジ可愛いなあ。素直な賛辞にあずささんは弱いみたいだぜ☆

 

「そういえば気になったんですけど。あずささん、どうして髪を切ったんですか?」

 

「ええと、美容師さんにこの方が若く見えるっていわれて……」

 

「ああ、そうでしたね。すみません、同じ事を何度も。もちろん、俺は前のあずささんも好きですよ」

 

「ありがとうございます。でも、やっぱり女の子は、好きな人にもっと可愛く見てもらいたいものなんですっ!」

 

……なんでしょうか。

 

つまり、あずささんは俺のために、さらに可愛くなったということでしょうか。

 

そうですか。はい。

 

それ以上可愛くなってどうするんですか。可愛さが天元突破しちゃいますよ。あ、既にしてましたね。

 

結論。可愛くなろうとするあずささん、めっちゃ可愛い。

 

てなわけで、ベスト・オブ・あずささん、本日も決まりました~。

 

ところで、美希。早くボイトレに行きなさい。そんな目をしても、車で送ったりはしないからな。

 

 

 

 

 

 

五日目終わり。




「プロデューサーさん、おっはようございまーす!」

「おう、春香ぁ。ちょおっと面かせやぁ」

「あれ、なんでアウトレイジっぽいんですか?」

「春香ぁ。我ぇ、あずささんに何を教えとんのじゃあ。タクシーの件、忘れたとは言わせんけえのぉ」

のワの「」

「そこ座れぇや、正座せられえ」

「はい」

「なにか言うことは」

「すみませんでした」ガバッ!

「あれ、春香。どうして土下座なんてしてるの?」

「ミキ。よく見ておきなさい。これを世間では見せしめというんだ」

「分かったの、ハニー。ミキ、しっかり春香を見ておくの、あはっ☆」

(いつまで土下座してなくちゃいけないの……、足痛いよぉ)


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いちばん大切なことは(1)

吾輩は慧鶴である。名前は先に述べたとおり。
どこで生まれたとか、そんなことはどうでも良い。何でも検索! のネット環境でヒャッハー叫んでいた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて「あずささん」という者を見た。しかもあとで聞くとそれは「アイドル兼彼女」という人間の中で一番可愛い種族であったそうだ。それよりも、あずささんがすこぶる可愛い。ああ、ありがたい。

というわけで、少し遅いですが『読書の秋』回、はじまり、はじまり。


もうすっかり秋も深まってきた。お茶がうまい。飯がすすむ。そして身体は重たい。ダルい。布団の中で一日を過ごしたい。切実に。

 

「このまま眠っちまうか」

 

「そうはいきませんよ、プロデューサー殿」

 

「なんだよ、律子」

 

「今はまさに読書の秋。それで、事務所に来てるんですよ。読書関係の仕事が」

 

あー。そうだ、いましがた秋は終わった。二度と来ない。冬の時代の到来だ。

 

「何言ってるんですか、とりあえず、目を通しておいて下さい」

 

律子に手渡された資料を読み込む。ほう、アイドルが読む小説特集。むかしは書店に並んだその案内を見て追いかけたものだった。

 

「では、よろしくお願いしますね。一応、対談形式なので明日は参加者が全員事務所に来ます」

 

そんなことを昨日言われて、俺は今朝、久しぶりに読むことを辞めていた文庫本を開いたのだ。

 

 

 

「てなわけで、みんなはどんな本が好きなのか。ここに事前にとったアンケートがあるので、ひとりずつ発表していきます」

 

はい、みなさん。席について。こら、響、やよいに抱きつくのをやめろ。話が進まん。

 

ではっ、発表をはっじめまーす! 先ず一人目、高槻やよい。『泣いた赤鬼』

 

「高槻さんらしい本ね」

 

「はいっ、とーっても感動するんですよー!」

 

「うふふっ、たのしみねえ」

 

やよい楽しそうだなあ。やっぱり最初はやよいで良かった。場が和むわ。

 

事務所に集まったのは、春香、千早、響の同学年組3人。そして最年長のあずささんと、やよいの5人。

 

本当は最年少の亜美と真美が参加する予定だったが、「小説なんて読まないっしょ~、あ、漫画なら読むYO!」とふたり口を揃えるので、急遽やよいに参加してもらった。

 

「赤鬼さんの人間と友達になりたいってお願いのために、青鬼さんがずーっと協力するのが、やさしいかなぁって。少しさびしい終わり方ですけど、きっとあの後、赤鬼さんは青鬼さんをさがして、皆で一緒に仲良くなったと思いますー!」

 

「そうねえ、最後はハッピーエンドの方がいいわよね」

 

お、あずささん。ハッピーエンド厨ですか。平和的なあずささんにはピッタリですね。

 

「そうだぞ、やよいは優しいからな」

 

なに、この全包囲べた褒め。ほら、やよい照れちゃってるじゃないか。あたまポリポリ掻いてるし。ほっぺた真っ赤ですね。はい、これはまごう事なき天使です。

 

「ありがとうやよい、良い本だったよ」

 

「えへへ、プロデューサー、ありがとうございます! ハイ、ターッチ!」

 

イエイ。ハモっちゃった。やばいな。このままだと癒やしから抜け出せない。よし、切り替えよう。

 

つぎ、天海春香。『ズッコケ3人組』

 

……うん。まあ、なんだ。

 

「春香。まさか読み始めのきっかけ、自分がよく転ぶからか?」

 

「はい! さすがプロデューサーさんっ! やっぱり分かりますかね。このタイトルになんだか親近感湧いちゃって~」

 

……うん、ごめん。それだけでもう取材は終わりです。会話が広がらない。名作と呼ばれる児童小説に申し訳ない。

 

うわー。窓の外に、季節外れの木枯らしが吹いてるぞ。イチョウがゆらゆら、枝から地面に降っている。おっかしいなあ。すげえ寒いわ。

 

「春香、もうちょっとひねった方が良いと思うぞ」

 

「響ちゃん!?」

 

「はい、つぎに進むぞー」

 

「プロデューサーさんまで!?」

 

意気消沈している春香はほっといて、つぎに進むぞ。如月千早。『小倉百人一首』だ。

 

千早さん、渋いっす。まさか現役高校生が平安時代の文化に親しんでいるとは。千早、おそろしい子。

 

「千早ちゃん、かっこいい!」春香、立ち直り早いな。

 

「そうかしら」

 

「百人一首って、これまたどうしてだ? 自分、そういうの読んでると眠くなるぞ」

 

「おい響、自重しろ」

 

「プ、プロデューサー……」

 

あらあら、まあ。と笑っているあずささん。この意外すぎる選出に全く動じないとは。大人の余裕って奴でしょうか、さすがあずささん。ええ、髪をかきおろす仕草がいちいち色っぽぉい。いかん、鼻血が。

 

あ、あずささん。ティッシュですか? ありがとうございます。

 

即、鼻の穴に詰めた。さすが鼻セレブ、素晴らしい使い心地っすよ。

 

『百人一首』は歌の中に出てくる叙情性とか、いいところ沢山あるのにな。響みたいに、古典はやはり現代では親しみが薄いのだろうか。

 

「千早はどんなふうにこの本を読んでいるんだ?」

 

「歌詞のイメージに役立てたりしていますね。短い文の中に、たくさんの想いが詰め込まれている気がします」

 

「へ~、なんだかむずかしそうですー」

 

「うふふっ、やよいちゃんにも分かる素敵な歌があるわよ~」

 

「そうなんですかっ、うっうー! 千早さん、あずささん、今度たーっくさん教えてくださいですー!」

 

つぎ行こう。えっと、我那覇響……。おい、響。これはなんだ。小説じゃねえぞ。

 

「プロデューサー、自分のは? ねえ早く早く」

 

まったく、この子には企画の意味が通じていないのか。まあ、響らしい本といわれればそうだが。

 

「響、お前のはすこし基準に引っかかるか怪しい。だから、保留だ」

 

「うがー! なんでだー」

 

「あとで会議するから、残っておけよ」

 

「ほら、響ちゃん、元気出して~」

 

「うぅ、ひっぐ、あずさ~」

 

あずささん、母性が溢れんばかりです。俺もその胸の中で泣いてイイですか? あ、でもどっちかというと抱きつかれたい方が勝ちますね。どっちにしても、あずささんは最高だ。

 

「さいごは私ですね~」

 

はい、ではあずささんの本を発表します。『星の王子さま』ですね。

 

「あ、それ私知ってます! 王子様がいろんな星に行くんですよね」

 

「春香、確かにそうだが、それは前半だ」

 

「え、プロデューサーさんも読んだことあるんですかー?」

 

「高槻さん、その本はすごく有名で、とても人気があるのよ」

 

おお、さすが千早は物知りさんだ。そのまま、俺たちは千早による本の解説を聞いていた。

 

「千早ちゃん、とっても詳しいのね~」

 

「ありがとうございます。少し前に、読む機会があったので」

 

「ところであずささん、どうしてこの本が好きなんですか?」

 

「わたし、普段はあまり本を読まないんですけど、この本だけはなんだか胸に残るものがあったんです~。だから、短大生のときから、ず~っと愛読書と言えばこれですね。プロデューサーさんも、読まれたんですよね」

 

「ええ、ずいぶん昔に、中学生ぐらいの頃ですかね」

 

「私もそれぐらいの時に読みました。……あずささんの言ってることは、すこし分かる気がします」

 

 

 

以上で、この企画は終了した。 

 

千早がここまで『星の王子さま』に食いつくとは意外だったが、それぞれの好きな本はやっぱり性格が表れていて面白いと思った。それよりも、今日はとっても優良な情報があった。そっちの方が重要だ。

 

そう、あずささんの短大生時代。まだ大人の女性になりっきていない彼女の持つ、一瞬の煌めきにも似た可愛さを想像するという仕事が残っている。イエス。これなら何時間でも残業します。

 

緑萌ゆるキャンパスの陽が当たるベンチで、『星の王子さま』を片手に読書にふけるその姿。露出の控えめな服からのぞく白い手が書籍を持ち、そのほっそりとした指が、パラリとページをめくる瞬間。

 

いや、可愛すぎでしょ。道行く学生ぜったい三度見するレベルですよ。なんて口惜しい、あの頃のあずささんが見られないなんて。どうにかして、あずささんに写真見せてもらえないかなあ。

 

ああ、昔のあずささん。めっちゃ可愛いわ。想像の中でこれだけ可愛いのだから、現実はそのさらに上って事か。もう、可愛さが留まるところを知らないっすね。

 

畢竟、いつもより長くなったが、今日も無事、ベスト・オブ・あずささんは決まったのだ。

 

よっしゃ、あずささんをそろそろデートにお誘いする準備をするか。あまり時間もないしな。急がなければ。

 

 

 

 

 

 

六日目終わり。




「ついにっ、ついに本文デビュー、デビューですよ! プロデューサーさん!」

シュウゥゥ……ワアァァ……!

「ああ、おめでとう!」

「おめでとう、春香」

「おめでとうだぞ」

「うっうー! 春香さん、おめでとうございますぅー」

「ヂュイッ、ヂュイッ」

「おめでとう。よかったわね、春香」

「うふふっ、おめでとう春香ちゃん」

のワの「」

「なんか言えよ」

「プロデューサーさん、これ、楽しいですか?」

「超おもろい」

「その感想に春香さん泣いちゃいそう」


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いちばん大切なことは(2)

みんなサンキュー! 突然の感謝宣言をかまします、慧鶴です。
今回は前回の「いちばん大切なことは(1)」からの続きです。よろしければ前回の投稿作から続けて読んでいただけると嬉しいです。また、この小説にお付き合い下さる皆様方に深謝いたします。これからも楽しんでいただけますよう精進いたします。

ちなみに前回、響が提出した本は『アンジュール』という絵本にしています。名作なので、是非読んでみてください。


以下、参考出典
浜田廣介,『泣いた赤鬼』
那須正幹,『ズッコケ三人組シリーズ』
藤原定家編,『小倉百人一首』
A=サンテグジュペリ,『星の王子さま』
ガブリエル バンサン,『アンジュール―ある犬の物語』


先日、あずささんが好きな小説についての情報を得たが、まったくピンポイントだった。これ以上ないタイミングだ。

 

今週から二ヶ月、かの有名な大劇団「エツル」の公演が行われる。なんとその題材が『星の王子さま』だったのだ。

 

すぐさまチケットを取った俺は、今日あずささんとその公演を見てきたのだ。この二日間、まともに日記も書けなかったが、すぐ側であずささんの可愛さを見られればそんな不満も吹っ飛んだ。

 

端的に言えばデートです。ヒャッホウッ! 

普段は信仰もしていないけど、神様サンキュー!

 

 

では、日記を書きますかあ。

 

劇の内容は最高の一言だった。

 

あずささん、感動しすぎて最後は涙ぐんでいたし。あの雫、世界一きれいな水ですよね。

 

観客は幕引きの時、真に迫った演者たちをスタンディングオベーションで讃えた。熱狂の渦巻く劇場では、いやがおうにも興奮してしまう。

 

そうして劇に満足した俺たちはふたり揃って、あずささんの家に帰ってコーヒーを啜っていた。

 

「いやー、ダレー・ワカランナの王子さまの演技は素晴らしかったですね。あれは泣けますよ」

 

「そうですね~。ひつじをねだるシーンはとっても愛らしかったです」

 

あの爽やかさと、わずかな切なさに胸をぐいっと掴まれますね。

 

あれ、あずささんコーヒー変えました? やっぱりそうですか。すこしだけ渋みを感じましたから。

 

あずささんにこっちの方が好きなのかと聞いてみたら、プロデューサーさんはこっちの方が好きだと思ったので。と言われた日には、もう天にも昇る気分ですよ。

 

今日言われたんですけどね。ふう、あずささんて、なんでこんなに可愛いんでしょう。

 

あ、もちろん天にはまだ昇りませんよ。もっとあずささんの可愛いさをこころに留めないと。

 

「でも、あずささん。やっぱり『星の王子さま』がすごく好きなんですね。鑑賞しているとき、すごく笑顔でしたよ。目がキラキラしてました」

 

「ええっ、そうだったんですか。はずかしいわ~」

 

「また新しいあずささんが見られて良かったです」

 

「もお~、プロデューサーさんっ!」

 

やっべえ。あずささんを愛でまくるの楽しい。普段大人びているあずささんのちょっと子どもっぽいところは、やはり大きな魅力だと思う。

 

リラックスしてるときに見せるこの顔がたまらないな~。

 

プロデュースに活かされたら、きっと凄まじい人気を博すのだろうが、なんだかな。誰にも見せたくない、こんな可愛い姿。

 

「すみません。あんまり可愛いので、つい」

 

あれ、頬を両手で包んでしまって。なんですか、その流し目は。大歓迎ですよ。

めっちゃドキドキします。

 

二人きりって、なんだか緊張しますよね。理由は分かってるんです。

 

ええ、あずささんが可愛すぎるからです。それ以外に何かありますか?

 

落ち着いてコーヒーを啜ると、なぜか少しだけ自分が大人になれた気がした。俺は平然とした顔で、内心のドキドキをごまかす。

 

室内は程よく暖房が効いている。いかんな、眠くなってきた。

 

「あずささん、少しだけお願いしても良いですか」

 

「大丈夫です……」

 

「では、ヒザまくらなるものをしていただきたいです」

 

YO! 言ってしまったぜ。きっと律子にバレたらきっついお叱りを受けそうだが。

 

相変わらずモジモジしていらっしゃるあずささん。はい、自分もここまで積極的になれるとは思いませんでした。

 

「恥ずかしいですけど……、プロデューサーさんが喜んでくれるなら」

 

「喜びすぎて、一生忘れられません」

 

「あらあら、まぁ」

 

はい、寝転びます。黒のプリーツスカートを正したあずささんの太ももに、ゆっくりと頭を乗せるのです。感想なんて、出てこないっすね。この至福のひとときを言語化するのは野暮ってものです。

 

言えるのであれば、なんでしょうか、ここは地上の天国ですか? ぐらいですね。

 

「どうですか〜」

 

「このまま眠ってしまいそうです」

 

「なんだか甘えるプロデューサーさん、可愛いです~」

 

聞き慣れた深く包まれるような声。頭上から微妙にかかる吐息。下からの柔らかな弾力。すべてが素晴らしい。

 

こんな姿、事務所のみんなには死んでも見せられないな。

 

しばらくの間、互いに無言でそうしていた。

 

「あずささんは『星の王子さま』のどんなところに、魅力を感じましたか」

 

ふと気になって、訊いてみた。もちろん、ヒザまくらは継続中だ。

 

「そうですね~」

 

めちゃくちゃ考えてる。ん〜、と声を出して悩ましい顔をしてる。かわっ。

 

「……よく分かりません♪」

 

ありゃりゃ。

 

「でも、好きな言葉はありますよ~。いちばん大切なことは、目に見えない、って。この言葉、とっても素敵ですよね」

 

「ああ、たしか、沢山あるバラの中で、ただ一輪だけ、王子さまが自ら育てたバラは特別だっていう」

 

「そうです」

 

「あずささんらしくて、いいですね。」

 

「うふふ。それで、プロデューサーさんは、わたしにとってただ一輪のバラなんですよ~」

 

そう笑顔で語りかけてくるあずささん。

 

……泣きそうだわ。あずささん、その言葉はズルいです。

 

ここまで言われたら、なんだか可愛いを通り越しますね。もう愛っすね。「可」と「い」も取っちゃっていいっすね。

 

ということで、今日のベスト・オブ・あずささんは決まった。

 

さて、自宅の枕であずささんのヒザまくらを再現してみましょう。……無理でした。なんか違う。

 

 

 

 

九日目終わり。




「ついに、自分も本文から消されたぞ」

「響、メタ発言はやめろ」

「わたしはいつもメタ発言してますよ。プロデューサーさん、メタメタな春香さんですよ!」

「春香、お前なんでここにいるの?」

「いや、ここは春香さんにとって死守せねばならない場所なので」

「春香、黙ってて欲しいぞ。今日は自分が呼ばれたんだぞ」

のワの「」

「でだ、響の提出してくれた本だがな、採用しても大丈夫だそうだ」

「ほ、ほんとかっ?」

「ああ、やっぱり響がいちばん好きな本を、っていう気持ちが届いたよ」

「プ、プロデューサー……、ありがどうだぞっ」グスッ

「いいんだよ。俺が無理して、響が喜んでくれるなら」

「プロデュ~サ~」

「なんでやねん。春香さんと差がありすぎやろ」


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とっとこ響ちゃん、企画化はしません

はいさーい! 自分、慧鶴だぞ!
今回は我那覇響が出てくるさー。うちなーんちゅも、やまとんちゅーも、みんなが大好きな765のアイドル、我那覇響さー。快活ながら、ちょっぴり泣き虫な彼女は絶妙な立ち位置にいるんさ。それが我那覇響さー。ふぎゃー。サーダアンダギーが食べたいぞ。響、作ってくれー。

……では、はじめます。

(タイトルはアニメでのハム蔵を見て決めました。あれ、とっとこ○ム太郎にしか見えなかったです)


今日は、また961プロの妨害を受けてしまった。

 

まさかアイドルを危険にさらすような真似をするとは、迂闊だった。黒い社長め、あなたに良心の呵責というものはないのか? あったら俺たちに下さい。お願いします。

 

はじめて会ったが、なんだよあの黒ずくめの服。グラサンまで持ち出して。あの人、絶対所属する組織を間違えたクチだわ。このままだと帝丹小学校のメガネかけた一年生探偵に追いかけられるぞ。

 

まあ、響の『飛び出せ動物ワールド』の収録も上手くいったから良かったものの、一歩間違えれば犯罪っすよ。あれれ~。まちがえちゃった~。で済まされねえからな。山に人間放置とか。そこのところ、自覚があるのかどうか疑問ですね。

 

ジュピターの三人も、なぜだか俺を目の敵にしてるっぽいし……。

 

どちらにしても、今後はもっと気を引き締めて行かねばならないな。

 

ところで収録を終わらせて事務所に帰ってからずっとなんだが。あずささん、イヌ美と戯れすぎじゃないか?

 

 

 

 

あずささんの右手に、薫り高い、艶めく色をした一本のビーフジャーキーがあります。犬用なので安心して下さい。はい。あのビーフジャーキーです。しかし、それはスーパーで売っているような安っぽいものであるにもかかわらず、一流のシェフによって調理されたソレと同等の価値があるものなのです。

 

いや、考えてみて下さい。

 

たとえ、それがスーパーの店頭、レジ横の陳列棚でひっそりとたたずんでいる630円(税抜き)のビーフジャーキーだとしてもです。それを口に運んでくれるのが、あの三浦あずささんなのですよ。ホスピタリティーは文句なしの星三つです。当然です。

 

「はぁい、イヌ美ちゃん、ア~ン」

 

ちくせう。あの犬。俺がイヌ恐怖症じゃなかったら張り倒しているところだぜ。

 

もちろん、最低限のラインを越えれば実力行使に動きます。その際、俺は怖くて近づけないので765プロのアイドルを代表させて天海春香にやらせます。

 

そうです。たとえ殺し合いに発展し、イヌ美をヤった春香が響に命を狙われようとも、それはしょうがないことなのです。春香は犠牲になったのです。

 

「うわ~、いぬ美ちゃんかわいい! ほら、春香さんですよ~、こっちにおいで」

 

「イヌ美、春香とあずささんだぞ。仲良くしてもらえてよかったな」

 

ドちくせう。ダメだ、完全に手なづけられている。あいつらは後でシメる。

 

「プ、プロデューサー……、さっきから目がヤバいですぅ」

 

「ああ、雪歩。ごめんごめん。ちょっとな」

 

「やっぱりプロデューサーもまだ犬が怖いんですね」

 

「そういう雪歩もな」

 

そうなのである。俺はこうして雪歩といっしょにあずささんがイヌ美に餌をあげるところを指をくわえて見ているのだ。激しく遺憾である。

 

「そういえば、プロデューサーの後輩さんも犬が苦手なんですよね」

 

「……あいつか。うん、高校のときから、おたがい犬が無理でな」

 

へえ。と声をあげる雪歩。最近ようやく俺ともしっかり話せるようになった。だが、本人に自覚はないのだろうが妄想の世界での真との「あんなこと」や「こんなこと」はあまり口にしない方がイイと思うぞ。

 

このままだと、あそこでしょうゆ煎餅かじってる事務員の小鳥さんと同じ道を辿ることになるぞ。

 

「ああっ、がなはるは至高だわっ!イヌ美ちゃんからこんな、あ、あ――!!」

 

おい、いい加減にしろ。そこの鳥。焼き鳥にすんぞ。

 

「いまは連絡とってるんですか? その後輩さんと」

 

「そういえば、エルダーレコード社に勤めてからは連絡取ってないな」

 

久しぶりに連絡してみるか。頼まないといけないことも、これから先でてくるはずだ。

 

「今度電話してみるよ」

 

「プロデューサーさんの後輩さん、私も会ってみたいですぅ」

 

「はは、そのうちな」

 

そういって笑っていた雪歩の顔が、みるみる引きつっていった。ん、どうしたんだ。と後ろを向くと目の前にイヌ美の顔がビッグサイズで迫っていた。ギャー、怪獣だー! 俺は目の前が真っ暗になった。

 

 

 

目を覚ますと別室で響と一緒にいた。蛍光灯まぶしいわ。

 

大丈夫だ。そう伝えると心配そうに俺の顔をのぞきこんでいた響の顔にパアッと笑顔が浮かんだ。

 

「よかった~。自分、プロデューサーが目を覚まさなかったらどうしようって」

 

「大げさだなあ、ほら、ピンピンしてる」

 

あはは、ほんとさー。笑っている響の顔はやはりイイ。今日、あんな怖い目にあったのにすぐに立ち直っている。まるで沈んでは昇る太陽のようだなと思った。

 

そう伝えると響は首を横に振った。

 

「……自分、きょうホントは仕事なくしてもしょうがなかったんだぞ。イヌ美たちのことも、しっかり世話できてると思ったのに。全部ダメだったんだ。それに、ジュピターの奴が言ってたことも正しいし。本当に、みんなに迷惑を掛けてしまったんだぞ」

 

おどろいた。響がこんなに悩んで、悔いていたとは。さっきの自分の発言がすごく陳腐なものに思えた。なんとかせねば。

 

「響、あのな。確かにそうかもしれないけど、でも」

 

「でも自分、完璧になるから。そしたら今日の失敗で心配させた人も少しは安心してくれると思うんだ」

 

立ち上がって、俺を見下ろす形になった響がこちらをまっすぐな目で見つめてきた。

 

「だからさ、プロデューサー。なんくるないさーって、安心して見てもらえるように自分がんばるぞ!」

 

そう指切りしながら宣言して、響は部屋を出ていった。足もとでハム蔵がVサインをする。なにを言ってるのかはさっぱり分からん。ほら、はやくご主人のあとを追いかけなさい。

 

「あらまぁ、プロデューサーさん、もう大丈夫なんですか?」

 

声のした方を向くと、そこにはあずささんが立っていた。……いつまでジャーキー握ってるんですか。ギャグですか。だとしたら最高です。どんな時でも、あずささんは可愛い。自明ですね☆

 

「プロデューサーさんが目を覚ましたらと思って、生姜湯を作ってきたんですけど」

 

あ、あ、あずささんの手作りですか!?

 

やっほい。おいイヌ美、あずささんに感謝しろ。この生姜湯のおかげだぞ。いままでの分は全部チャラにしてやる。

 

ところであずささん、生姜湯は風邪の時に飲むものですよ。そういうお茶目なミスするところ、めっさ萌えっすね。まあ、あずささんが作ってくれるだけで、ほとんどの病気なんて即なおるレベルの薬ですが。

 

「ありがとうございます。いただたきます」

 

すこしづつ口に含んでいく。身体がポカポカしますね。

 

「うふふ。よかったです、喜んでいただけて」

 

女神の微笑みですね。慈愛に満ちてます。はい、気も効かせられるおっとりお姉さんのあずささんは最高だ。

 

「……あずささん。おれ今日、アイドルのみんなってすごいなと響やあずささんのこと見てて改めて思いました。あいつ、あれだけ辛い目に遭ったのに、それでもすぐに立ち直って周りの人たちを笑顔にするんです。あずささんも、いつでも側にいて、こうやって俺のことすごく心配してくれて元気にしてくれる。それって、すごいなって」

 

「ええ、そういうものがアイドルなのかもしれないって、わたしも最近思うようになりました」

 

「あずささん、いつも、本当にありがとうございます」

 

「こちらこそ。わたしが笑顔を届けられるのはプロデューサーさんがいるからです。だから、ありがとうございます♪」そういって、あずささんは微笑んでいた。

 

というわけで、今日の俺とあずささんは互いの想いを確かめ合い、さらにつよくすることが出来たのだ。えっへん。

 

だが最後に、とんでもないことが起きてしまった。

 

「わたしはプロデューサーさんのことを、世界でいちばん元気にしたいです」

 

耳もとでフッと囁かれたその言葉に一瞬硬直した。直後、感動した。いかんわ。俺のあずささん、献身的すぎる。その純粋な言葉はどこから出てくるんですか? ああ、あずささんの口からですよね。すみません。

 

可愛い。この少し大人っぽい艶麗な行為と、あまりにも少女然としたまっすぐな好意の掛け合わせ。これほど可愛い事が出来るのは、きっとあずささんだからでしょう。

 

それはつまり、あずささんが可愛いことと同意ですね。ふぅ、今日のベスト・オブ・あずささんも凄まじかった。

 

あ、もちろんあの後、春香には腕ひしぎ十字固めをしっかりキメました。タップしても五秒は継続しておきました。(ルールをしっかり守ってください。非常に危険です)もちろん響は対象外です。

 

 

 

 

 

 

十日目終わり。




「イヌ美ちゃんをプロデューサーさんに嗾けます。本文の恨みをココで晴らします!」

「何をする!? やめろ、春香!」

「畏れ、平伏し、崇め奉りなさい!」

「春香、いぬ美になにをしてるのさー」

「あ、響ちゃん」

「おーい、いぬ美。今日はスペシャルなご飯にするぞー。早く帰ってくるんだぞー」

「バウ」トテトテ

「あ、待って! いぬ美ちゃん、行かないで! プロデューサーさんを脅せないよ!」

「おう、春香。形勢逆転だな」

のワの「」


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日本茶って一時期ヤバいくらいハマりますよね

慧鶴です。
今回はシャベルの似合う、清楚なあの女の子が登場します。
ふと読み直すとものすごい語感ですね。清楚でシャベルって。

もし叶うなら、自分はあずささんの淹れてくれるお茶を飲みながら、二人でまったりテレビを見る日曜日の朝を過ごしたいです。



茶の道は一日にして成らず。誰が言ったかは知らん。ごめん。

 

達人だとかが苦行の末に会得する絶対的な技術と自負をもってして、味覚の底深くまで浸透する茶を点てる。

 

そこには、長年の研鑽を積んできた者たちから脈々と受け継いできた伝統と歴史の重さが宿る。

 

気の遠くなるほどの道程を辿り、やっとの思いで到る果て、茶の極地。

 

人はそれを、神の一杯と呼んだ。

 

 

 

今日、俺は神の一杯に出会った。冗談ではない。マジである。

 

事務所にて昼休憩をとっているとき、デスクの上にいつのまにか置かれていた一杯に、神を見た。透きとおる様なライトグリーンの水面に、一本の茶柱が悠然とたたずんでいる。ゴクリとつばを飲み、一口、含む。

 

……なんだこの味はぁ!? 美味すぎる。これはもう、人の手を超えた一杯だ。

 

ドスドスドス。給湯室へ急ぐ。一刻も早く誰の所業かを確認せねば。

 

「この日本茶を淹れたのは誰だあ!」

 

「わ、わたしですぅ」

 

「やっぱ雪歩じゃん」

 

はい、そうです。雪歩です。今にも穴掘って埋まりそうな雪歩です。やめろ。シャベル下ろせ。

 

「お口に合いませんでしたか、プロデューサー?」

 

「雪歩、お前の一杯には神が宿っている」

 

え、何そのヤバい奴を見る目は。俺はいたってマトモだ。

せっかく男性恐怖症も少しだけ克服したのに、そんな怖がらないでくれよ。

 

「雪歩、つぎの仕事を決めたぞ、ファン感謝イベントだ。掘削組の人を、雪歩の神の一杯でもてなすんだ」

 

「で、でも自分なんて。ただ趣味で始めただけのお茶ですぅ。神の一杯にはとてもじゃないけど」

 

「そんなことはない。ほら、よく見ろ」

 

そう言って俺は雪歩に事務所の現状を眺めさせた。雪歩が淹れたお茶によって、この765プロがどうなったのかを……。

 

「こ、これ。全部わたしがやったんですか?」

 

「ああ、とんでもない奴だよ。雪歩、これで分かっただろう。紛れもなく神の一杯を、雪歩は淹れたんだ」

 

眼下に広がる光景に雪歩は絶句していた。ま、当然であろう。誰が見たって、平静を保っていられるはずがない。俺もあと一滴でも多くくちに含んでいたら、ああなっていただろう。惨状と言っても差し支えない。

 

みんな、トリップしていた。

小鳥さんは妄想を声に出して、念仏のように息つく間もなく唱えている。そのさまは妄想公害スピーカーだ。春香はトレードマークのリボンをはずし、表情が液状化したかのように崩れている。辛うじて春香だと認識できた。真はさっきから流れるような華麗さで一心不乱に空手の型をしている。端的に言って危険だ。そして社長は開いた口から次々と白ハトを出している。すごいを通り越して怖い。というかどうやってんの、それ。人間やめちゃってるでしょ。

 

「大変ですぅ! みんなが、まことちゃんがぁ!」

 

「いや、大丈夫だ。雪歩、みんなはあのお茶が美味しすぎてこうなったんだ」

 

まあ、つまりは一種の興奮状態って事だな~って、おい、雪歩。真に抱きつくな。吹っ飛ばされるぞ。愛の為せるわざですぅ、て何言ってんだ。ほら、その手を離しなさい。

 

ガチャ、と扉の開く音がした。竜宮小町が事務所に帰ってきたみたいだ。その惨状を見た律子がひっくり返ってアワを吹いたので、とりあえず会議室に運んだ。

 

「ちょっと! なによこれぇ」

 

そうだよな、本当になんなんだって言いたくなる気持ちはよく分かるぞ、伊織。でも、これは現実なんだよ。なにも言わずに受け入れてくれ。

 

「やっばいね、りっちゃんもぶっ倒れちゃったし。亜美、今日は仕事もう無いし帰るねーってことで、後のことはヨロヨロ→☆」

 

「ちょ、わたしも帰るわよ。待ちなさいよ、亜美!」

 

こいつら、逃走しやがった。半泣きだったし、まあ子どもには刺激が強すぎたな。

 

「あらあら~、大変ねえ」

 

それにしても、あずささん。こんな時でさえ平静を保っていられるとは、さすがです。

 

今日もまた一段と可愛い……! その薄紫色のセーター、とってもお似合いですよ。ゆったりとした服装からあずささんの穏やかさがにじみ出ているようです。

 

「知らぬが~仏、ほっとけない♪」

 

あずささんが突然うたい出した。どうツッコめばいいのやら。とりあえず、微笑ましいっすね。

 

「ふふっ」

 

「く、くちびるポーカーフェイスですぅ」

 

お、真を引きずって雪歩が帰ってきた。おかえり。ところで真はピクリとも動かないんだが大丈夫か?

そんでもって雪歩も、わざわざ合わせなくても良いから。それにあずささんも、乗っかってポーカーフェイスしなくていいですよ。あ、崩れた。

 

ヘニャって笑うあずささんは見ていて安心します。そして、すごい魅力的です。まるでラファエロの描いた聖母のようだ。いつだって落ち着いていてマイペースなのは見ているこちらも癒やされますね。

 

「Yo 灯台、もと暗し Do you ……」

 

それから、ふたりの『スモーキースリル』のアカペラを聴き終えた俺は話を本題に戻した。

 

 

 

「……つまり、雪歩ちゃんの淹れてくれたお茶を飲んで、皆こうなったんですか?」

 

「ええ、その通りです、あずささん」

 

「すみませんですぅ、わたしのせいで」

 

そんな事はないとさっきから言っている。俺は雪歩に向き合い、説得を始めた。なぜ、みんながあんなクレイジーになったのかを。そして、雪歩が淹れたお茶、その本当の味わい方を。

 

つまりは、雪歩の淹れてくれたお茶にある劇薬にも似た性質が問題なのだ。

 

そもそも基準となる量を守って飲みさえすれば、その味、国に双つとして並ぶもの無きものになる。まさに比すべくもなき神の一杯といえる。だが、その量を超えて飲んだ場合、目の前に広がる地獄絵図をそのまま再現することにもなる。ゆえに神の一杯は人っこひとりが愉しむにはあまりにも過ぎた代物なのだ。

 

「じゃあ、やっぱり飲んじゃダメじゃないですかぁ」

 

「いっただろ、基準値さえ守れば大丈夫なんだ」

 

「でもどうやって、そんなことが分かるんですか?」

 

「あずささん、俺はあのお茶を飲んで、生き残っているんですよ」

 

あ、と二人とも声をあげた。そう。すなわち、俺の飲んだ量こそが基準値だったということだ。

俺たちは遂に神の一杯を掘削組の皆さまにお届けすることが出来るようになったのだ。

 

「うふふ。じゃあ、わたしも雪歩ちゃんの淹れてくれたお茶をいただきまぁす」

 

あ、待って下さい。あずささん、その量はヤバいっ!

 

間に合うはずもなく。あずささんはそのお茶を、神の一杯を基準値を超えて飲んでしまった……。

 

というわけで、今あずささんは半ば強制的に侵入した俺の家で絶賛酔っ払ってらっしゃるのである。めっちゃ笑い上戸で、そのうえ甘えてくる。ニャンニャンニャンである。お酒を飲むよりも破壊力が強いとは、恐るべし神の一杯。

 

それに、あずささんが甘えてくるのである。冷静でいられるのかって? 無理だ。普段は絶対に見られないあずささんの可愛さに打ちのめされている。ノックアウト寸前である。だが、一線だけは越えねえぞっ!

 

その覚悟を胸に秘めながら、今日のベスト・オブ・あずささんは、雪歩の淹れた神の一杯によって決まってしまった。

 

あ、雪歩から聞いた話だと、三〇分後、意識の戻った律子の一喝により、無事にみんな正気に戻ったそうです。

律子があずささんを回収に来た頃には宴もたけなわだった。

 

 

 

 

12日目終わり。




「あれ、今日は春香いないのか」

「プロデューサーさん! わたし、ここにいますよ!」

「お~い。春香ぁ、どこだぁ」

「どこって、目の前にいるじゃないですか~」

「春香ぁ。出てこいよー」

「え、もしかして本当に見えてないんですか?」

「春香、どこに行ったんだよ」

「そんな、春香さん、この後書きから消えちゃったってこと?」

「春香ー! 消えないでくれー!」

「プロデューサーさんっ! わたしはここですよ! ここです!」

「春香、もう、いないのか……」

「うっ。ひっぐえ、えっぐ。やだぁ、消えたくないよ~」ガチナキ

「春香ごめん、やり過ぎた」

のワの「」


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坂路調教の申し子と呼ばれた男だ

慧鶴です。寒くなりましたね。皆さまもご自愛下さいませ。


今日は久しぶりにあずささんと二人きりでの仕事だった。

 

律子が亜美と伊織の現場に同行しなければならず、手が空いていなかったので、代役に俺が抜擢されたわけだ。

 

一日あずささんを独り占めできるとは、これ以上ないご褒美です。

 

 

 

今日は『まったりあずさんぽ』の収録日だった。この番組、当初は決まったコースをレポートしていくものだったのだが、あずささんが迷わないというのは無理な話だった。コースは在って無いようなものであった。

だからこそ、時間内にあずささんが町を自由に散歩する今のスタイルに変更となったのだ。ええ、この番組のディレクターは相当お悩みになったでしょう。しかし、それしか選択肢はなかったのです。

 

かなしきかな。あずささんが道に迷わないことは、まずあり得ません。絶対にです。南無三。

 

そんなわけで、いま俺はあずささんをその現場へと連れて行っている所です。

 

「プロデューサーさん、今日はなんだか楽しそうですね~」

 

「ええ、あずささんをこうして車で連れて行くのは久しぶりですから。おれ、楽しみだったんですよ」

 

「うふふ。私もですっ」

 

左座席にあずささんがいるこの状況に泣きそうです。律子には申し訳ないが、俺だってあずささんの送り迎えがしたかったんだ。いやぁ、なつかしいわ。

 

「あずささん、今日の散歩する町はなかなか面白いですよ」

 

「そうなんですか?」

 

「はい」

 

「それは楽しみですね~」

 

車中、会話は弾んだ。目的地までは結構遠かったから余裕を持って早朝に出発したこともあり、あずささんには朝ご飯も移動中に食べてもらっている。簡単なピザトーストだ。チーズをたっぷりとのせてあるので、味は濃厚だ。

 

あ、食べてるあずささんを横目で見るの面白い。チーズがみょ~んと口もとから伸びているのを、悪戦苦闘しながら口に収めようとしてる。伸びていた細いチーズをすべて食べきったあずささんは「フンス」とでも言いそうに、満足した顔になった。

……うん、可愛い。

 

まだ食べるんですね。もう四枚目ですよ。え、俺が作ってくれたものだからたくさん味わいたいんですって、そんな一生懸命なあずささんベリーキュート過ぎて大変ですよ。この車の中の空気だけ、外に比べて甘ったるいです。

 

「プロデューサーさんも、お一ついかがですか?」

 

「すみません、運転中は手が離せなくて」

 

「そうですかぁ」

 

ちょっとションボリしたあずささんは少し考えたあとパチンと手を叩き、おもむろにピザトーストを取って俺の方に差し出してきた。

 

プロデューサーさん、はい、ア~ン。

 

思考停止しかけた。運転が乱れちゃいました。いや、はじめてのあずささんからのア~ンですよ。興奮しないわけないじゃないですか。時々とんでもないジャブを打ち込んできますよね。ジャブといっても、その一撃は世界が取れるレベルですね。分かっています。全てあずささんの善意です。もちろんいただきますよ。

 

むしゃり。一口かじる。

 

なんですかコレ、ホントにピザトーストなのか? ア~ンされながら見るあずささんが可愛すぎて、味なんてちっとも分かりませんでした。ただこの状況は非常にオイシイですね。ふぅ。新婚さんがどうしてあんなに幸せそうに見えるのか分かりました。オイシイんですよ、コレ。

 

「美味しいですか~」

 

「オイシイです」

 

「良かったです♪」

 

車の中という空間は、時に人を大胆にしますね。

 

 

 

目的地に到着した時には、時計は午前十時過ぎを指していた。

 

「ここって……」

 

「降郷村です」

 

「やっぱり~。なんだか懐かしいですねぇ」

 

そう、今回散歩する町は765プロにとっての思い出の場所ともいえる降郷村だった。町といえるのか? なんてこと聞く奴は野暮だぜ。

 

「でも、まだ撮影スタッフの方がいないようですが」

 

「すみません、少し早く着いたみたいですね。」

 

嘘である。そもそも、今日の収録現場には午前11時に到着の予定だったのだ。しかしスピードを出して、少しでも早く到着しておきたかった。

 

なぜって、あずささんと二人きりで散歩したいからに決まっている。それ以外に何があるのでしょうか、いや、あるはずがない。

 

そうして俺はあずささんと一緒にこの村の散策を始めた。

 

久しぶりに会う村人の方たちは相変わらず性格のいい人間ばかりだ。

 

子どもたちはあずささんのある部分に目を釘付けにしていた。分かるぞ、少年たち。君たちは大人の階段をまた一段上っていたんだな。だが、それ以上はまだ君たちには早かろう。目を反らしなさい。あと、真と雪歩は元気にお仕事がんばっているぞ。応援ありがとうな。ああ、春香さん? ちょっとよく分からないですね……。

 

若衆の男たちは見ていてこちらが気持ちよくなるような爽やかな笑顔で挨拶してくる。う、まぶしい。これが若さか。今の俺には、もうない。

 

「何言ってるんですかぁ、プロデューサーさん」

 

「いや、みんな若くて輝いているなと」

 

「ふふ、プロデューサーさんもまだまだ若いですよ」

 

「あずささんはいつでも可愛いです」

 

「あらあら~」

 

おい、若衆。何を見ている。羨ましいだろ。あずささんは可愛いのだ。

 

そして更に歩くと、渋メンコンテストであずささんにちょっかいを出してた親父さんにあった。また、息子の嫁に来ないかとかぬかしてるし、いっぺん埋まりますか? やだなあ、ジョークですよ。

 

「プロデューサーさん、顔が笑ってないですよぉ」

 

あずささんを嫁にもらいたいなら、この俺を倒してからにするんだなっ!

 

あ、ビワ漬けですか。ありがとうございます。大好きです。これ美味しいですよね。じいさん、あんたはいい人だ。許そう。

 

「皆さん、元気そうでしたね~」

 

「はい。収録の時も、きっと笑顔で対応してくれると思います」

 

ゆっくりと散歩しながら、懐かしい気分に浸っていた。あずささんの散歩でも、道は俺が決めているから迷うことはなかった。そろそろ収録現場に向かわないといけない。行きましょうか、とあずささんに声をかけ、車をとめている場所に向かい始めた。

 

 

 

途中で、長いのぼり坂に遭遇した。行きは下りだが、帰りはなんとやらだ。

 

ふと、むかし自分が陸上部に入っていた頃を思い出した。後輩のあいつも一緒に、こんな坂を全力で走っていたな。そんなたわいないことを話した。

 

「プロデューサーさんは陸上をされていたんですね」

 

「高校生の時ですけどね」

 

「わたし見てみたいです、プロデューサーさんが走っているところ」

 

「……いいですよ」

 

「やったぁ♪」

 

そんな顔でお願いされて断れるわけがないでしょう。

 

位置について。

クラウチングポーズを取る。道の真ん中で。ねえ、これメチャクチャ恥ずかしくないか。いまさら止めるともいえないし、クッ、やるしかないのか。

 

地を蹴り、走り出す。坂の途中までスピードに乗れたが、途端からだが重くなった。動悸が速まり、足が止まる。その場でへたり込んでしまった。

 

「やっぱり、走ってないので体力落ちてますね」

 

「あらあら」

 

「すみません。かっこいいところ見せられなくて」

 

「かっこよかったですよ。走ってるときのプロデューサーさん、見ていてドキドキしちゃいました~」

 

おぅ。なんだか恥ずかしさが増しました。好きな人から褒められるのは、からだの奥が爆発してしまいそうな感じです。

 

「坂道は大変ですね」

 

「ええ、でもわたしは皆でいっしょに上れば、苦しくないと思います」

 

「そうですね」

 

「プロデューサーさんとも、ずっと上っていきたいですねぇ」

 

そう言ったあずささんはしばらくの間、いつものニコニコ顔をしていたが、そのうち顔を赤くしていった。あらあら、とか言いながらテれてるあずささん、ほんま可愛い。自分の発言に今更はずかしくなってるとか、天然ですか。はい、天然ですね。天然であずささんは可愛い。天然バンザイ。

 

「も~、はずかしいわぁ」

 

「可愛いですよ」

 

「もぉ~」

 

「ははっ。あずささん、行きますか」

 

「うふふ、はい!」

 

その時のあずささんの笑顔は、今まで見たことないぐらい輝いて見えた。

 

俺は、またあずささんに恋をしてしまったようだ。

 

今日のベスト・オブ・あずささんは、この笑顔以外ありえないと思った。

 

……小鳥さん、ビワ漬け食べるかな。酒のアテにしてみんなで食べれば良いかな。よし、そうと決めれば帰ったら飲み会でも開こう。

あいつも呼んでな。

 

 

 

 

 

13日目終わり。




「呼ばれた気がしたので、天海春香です!」

「呼んでません」

「またまた~」

「……」

「何か言って下さい」

「こんにちは! プロデューサーです!」

のワの「」

「……ないな」

「ないですね」


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飲み会では何を頼むかでいちいち気を遣う

慧鶴です。今回、ついに765プロのあのお方が登場します。やっとあのお方を出すことができました……。

そろそろストーリーを動かそうと思います。11話にして、やっとです。


今日のお食事処たるき亭は、ひと味違う。

 

何が違うのか? 簡単なことだ。お昼はサバの味噌煮定食が美味しいこの店も、今日は我々765プロアダルティーズの飲みの席になっているのである。いつものことじゃあないかって? いいや、全く違う。

 

今日の飲みの席には、酔っ払って妄想を吐きちらす小鳥さんと笑い上戸のあずささん、そしてその二人を抑えつけようともがく律子が暴れていた。

 

店追い出されるぞ、と思ったがそんなことはなく放任されたため、代わりに他の客がいなくなった。

 

たるき亭のみなさん、利用者の方々。本当にごめんちゃい。

 

「プロデューサーさん、ほら、社長ときゃっきゃして下さいよ〜」

 

小鳥じゃなく、これではただの害鳥ですよ。すみません、社長。おいスモールバードその口縫い付けるぞ。分かったら自重しろ。

 

「律子さ〜ん。はぁい、かんぱ〜い♪」

 

「ちょ、あずささんどれだけ飲むんですか。小鳥さんも、いい加減静かにしてください」

 

すまない律子。俺じゃあ、あの人たちを止められない。それにしても、はしゃいでいるあずささんかっわいい。

 

「はっはっは。いい飲みっぷりだね。……では、私はそろそろ」

 

あ、社長! くそ、逃げやがった。待てや、おい。この無法地帯で闘う兵士を残して去って行くとは、あなたはいつぞやの十五代目将軍か。

 

その場を去ろうとする社長を、俺は後ろから羽交い締めにした。その瞬間、ガラッと扉の開いた音が鳴ると同時に、社長の驚く声と聞き慣れたあいつの声が交互に聞こえた。

 

「すみません。先輩、遅くなりました」

 

「ああ、こっちだ赤羽根」

 

ほら、社長も席に戻ってください。嫌な顔してもダメです。律子を見習って下さい。赤羽根は俺の隣に座ればいい。

 

そうして、飲みの席に今夜のメンバーが集まった。よし、これで全員揃ったな。では飲み会二回戦を始めますか。

 

 

 

程々に自己紹介を終え、俺たちは飲みを再開した。

 

さあ、ここからが本番だ。何を飲むか、という究極の問いがまっ先に頭に浮かぶ。生ビール、ハイボール、それともレモンチューハイか? だが、誰かと被らないというのは非常にまずい。なぜか。ここで被らなければ一人だけ味の好みが違う奴として、飲みの席でハブかれる。それは、さびしい。

 

独立した事のある奴なら、この選択は地獄か天国かの終電片道直通列車であることを知っているはずだ。

 

だからこそ、この一杯の注文は失敗できないっ!

 

「みなさん、つぎは何いきますか?」

ここで牽制する。まずは場の支配権を握ることが先決。

「わたしはウーロン茶を」

律子の一手。未成年の彼女だからこそ出来る無難な選択だろう。

「では、私はこのジンジャーハイってやつで」

小鳥さんは新規開拓に打って出た。そこに赤羽根も便乗した。おい、後輩がなに先に頼んでるんだ。縦社会は古いって、お前それでも体育会系かよ。

「わたしはナマをもらおうかね」

社長は定番コースの生ビールを選んだ。これが年長者ゆえの余裕か。

 

そして、あずささんの注文。

「あずささんはもうアルコール禁止です」

 

「え~、そんなぁ。律子さんヒドいですよぉ」

 

残念、律子の厳命によりあずささんは禁酒状態となった。ここは無難にウーロン茶だろう。安パイを取るのは決して悪いことではない。むしろ戦略的撤退といえる。さすがあずささん。

 

「じゃあ、ラムネにします♪」

 

……衝撃だ。どういうことだ。同じメニューを頼まないだとぉッ!

 

被らない事による悲惨な事態をあずささんは分かっていないのではないのか。ここは、彼氏として自分があずささんをフォローすべきなのか? だが、それでは律子はどうなる。あの常識人を放っておけるほど、俺は冷たくはない。社長のことは知らん、ほっとけ。あいつはもはや慶喜だ。

 

ああ、究極の問いだ。この状況では、取れる選択は一つしかないじゃないか。

 

「俺はスピリタスを、ロックで」

 

この注文に突如、場は静まりかえる。みんなの目線が物語っている。こいつ大丈夫か、と。大丈夫だ、俺はいたって正常だ。俺にこんな物を頼ませたのは、外部にいるどこぞの神のおちゃらけであろう。いつものことだ。気にするのは止そう。

 

ああ、あずささんまで心配そうな顔してるし。でも、心配そうに見つめるあずささんは魅力的ですね。ええ、その顔で女医さんの衣装を着ながら、は~い、お口を開けてぇ、とか言ってもらいたいです。すこぶる楽しい遊びに思えます。……今度頼むか。

 

だが、どうしてだ。なぜそんな目を向けられなければならない。俺はなにかを間違えたのか? 一人が斃れて場が持ち直せば良いじゃないか。これもまた戦略的撤退の一つではないか。

 

「間違えだらけですよ、先輩。その飲み方まだ続けてたんですね、疲れるしもうやめたらどうですか」

 

「おい、赤羽根。これは俺なりの気遣いってやつで」

 

「それでゲテモノ頼んでたら世話ないですよ」

 

どうしてこいつ、こんなに辛辣なの。解せんわ。もう俺、泣きそうや。

 

それから、赤羽根によって俺のこの「飲みの流儀」を765プロアダルティーズに語られ、俺は律子と小鳥さんから厳しい指導を受けることになった。一体なにが間違っていたのか。

 

「初めからですかね」

 

その言葉にとどめを刺されて、結局おれは生ビールを頼んだ。

 

だって、美味しいじゃん。自分の飲みたいものをのむのが一番良いということを、この年になって初めて知った。

 

まあ、スピリタスはやっぱり飲めんわ。

 

 

 

「でも後輩さん、どうして今日はここに?」律子がウーロン茶をあおりながら訊いた。

 

「先輩がどうしても俺を皆さんに会わせておきたいからって」

 

おい、赤羽根。酒が入ってからお前めっちゃ口が軽くなってるぞ。俺の秘密裏に行ったセッティングが2秒でバレてるし。どうしてくれるんだ。俺をあんまり困らせるな。

 

「お前はいつもそうやって俺を困らせる」

「でも、先輩も嬉しいんですよね」

「おい、やめろよ」

「今日はしっかりと可愛いがってあげますよ」

「あ、赤羽根ぇ」

ピヨ〜〜ッ。

 

おい、そこの事務員。さっきから人の後輩使ってナニ妄想してやがる。というか声に出すな。そろそろ埋めるぞ。もちろんその時は雪歩を召喚します。

 

「お、音無さん。どうされたんですか」

お、赤羽根突っ込んでったな。お前は勇者だよ。まさかこの猥談インコに話しかけるとは。俺にはとてもじゃないけど出来ねえことを、平然とやってのける。

そこに痺れる、憧れるぅぅ!……ごめんなさい。

 

「はっ。ダ、ダメよ小鳥〜」

 

去っていく小鳥さんの後を、社長が荷物を持って追いかけていく。これは戻って来ないな。はあ、結局いつものドタバタですか。とりあえず、明日あいつらに飲み代を払ってもらわねば。

 

「さあ、俺たちは続けて飲みましょうか」

「そうですね~」

「え、社長と音無さんどっか行っちゃいましたけど」

「ほっとけばいいのよ」

「律子、飲みの肴にこの前買ってきたビワ漬けがあるんだが、どうだ、食うか?」

「いいですね、いただきます」

 

こうやって切り返しの早さが身についたのはこの事務所ゆえだったろう。店員さんにビワ漬けを渡して、皿に盛り付けてもらう。なぜだか、それだけで美味そうに見えるから不思議だ。やっぱり料理っていいですね。

たるき亭のサービス良すぎるわ。

 

それから、俺たちは夜が深まるまで飲み続けた。

 

ちなみに勘定は俺が済ませました。さすがにこの状況では俺も出しますよね。

 

 

 

店前で解散して、酔いどれあずささんは律子が送っていった。べ、べつに羨ましいだなんて思ってないんだからね。テンプレートを使っただけなんだから。勘違いしないでよね。

 

嘘です。本当はメッチャ羨ましいです。血涙が出そうなくらいです。律子、マジでそのポジション譲ってくれ。

 

「さあ、先輩帰りますよ」

 

赤羽根が急かすのを無視してあずささんを追いかけたかったが、さすがにそこは自重した。控えるべき所はわきまえてるつもりだ。俺と赤羽根は駅に向かって歩き出した。

 

「先輩、やっぱりあのあずささんって人が恋人さんですか」

 

おい、公道で言うな。ただでさえアイドルの恋愛は御法度なのに聞かれたらどうするんだ。自分から告白したとはいっても、世間一般でのあずささんのイメージが損なわれるのはヤバい。それにあれだ、面と向かって言われるのは恥ずかしい。てか、なんで分かった。

 

「分かりやす過ぎるぐらいですね」

 

「それ、なにを根拠に言ってんだ」

 

「あずささん、ずっと先輩のこと見てましたよ」

 

「え、いつ?」

 

なにそれ、俺、全然分かんなかったのに。気付かなかったとか、本当に俺の間抜け。あずささんがずっと俺を見つめてるとか、なんですか、ご褒美ですか。ご褒美です。

 

「だからぁ、先輩の方に目線向けて、たまに凄く優しい顔してるんですよ。でもって、律子に送られる時、一瞬だけ先輩の手をつなごうとしてましたよ、あずささん」

 

うん、こいつ、よく見すぎ。赤羽根はやっぱり人を見ることに長けてるわ。今日、事務所のみんなに紹介しておいて良かったと思う。これなら、これからも仲良くやっていけるだろう。我が後輩ながら頼れる奴だ。

 

それと、あずささん、手をつなごうとしてくれたとか。しかも、俺の気付かないところで、見つめてくれてるとか。

 

秘するけど溢れ出てしまう愛って、最高に可愛い。最高を通り越してる。もう、これこそベスト・オブ・あずささんでしょう。

 

……というわけだ。

 

簡単です。もう決まっちゃったという事です。なにが? ベスト・オブ・あずささん以外になにがありましょうか、いや、ないですね。

 

そうして、あずささんのいじらしい可愛さに酔いしれる俺と、ウイスキーをコンビニで買って興奮している変態さんの赤羽根は、家に帰ってからも更に二人で飲んだ。だからなのか、いま吐きそう。飲むんじゃなかった。しくった。というか赤羽根、吐くならトイレにしろ。床を汚すな。クリーニング代、お前にツケとくからな。

 

 

~~~

 

「ところで先輩、あずささんにはもう話したんですか」

 

「あのことか」

 

「そうです。俺を呼んだのも、それが理由でしょ」

 

「いや、まだ話していない。それに、話すつもりもない」

 

「……べつにそこは先輩の勝手ですけど、知っているこちらの気分は決していいものじゃないですよ。あずささんが、かわいそうです」

 

言えるはずがない。あのことは、隠し続けなくちゃならない。それが、この日記を書き始めた理由でもあるのだから。あの日、飲み会を終えてから行った夏夜の海で告白した時。俺は、あずささんの運命の人になると約束したのだから。だから、最後まで俺は運命の人であり続ける。

 

「まあ、互いに傷ついて初めて分かるんでしょうね」

 

赤羽根のその言葉が、耳にこびりついて離れなかった。

 

 

 

 

15日目終わり。




「プロデューサーさん! スピリタスですよ、スピリタス!」

「なんだ春香」

「飲んでください」

「なんで」

「問答無用です」ロック

「いや、これ飲んだら死ぬって。本文中でも言ったじゃん」

「じゃあ水とお酒とで、ロシアンルーレットにしましょう」

「い~や~だ~」

「はい! 飲みますよ! いっせーのーでで飲みますよ!」

「もう、わかったよ。飲めばいいんだろ、はぁ」

「「いっせーのーでっ!」」

のワの「」

P「」

「どっちもスピリタスですピヨ」

※未成年の飲酒はきわめて危険です。絶対に真似しないで下さい。


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おたふく風邪とバネPの参入により765は複雑怪奇也

あずささんがドタプーンなのは、今の日本が辛うじて平和だからですね。栄養ある食事、健康維持の医療、まともな住居。
この平和が続くこと、そしてあずささんを愛で続けられることに感謝。


まあ、最近忙しくて日記が書けなかったっていうのはある。いや、結構大変だったんだ。

 

三日前。あずささんが、おたふく風邪になった。

竜宮小町のシークレットライブの前に、だ。

 

その情報を聞いただけで、今日まで発狂してました。熱っぽいとは言ってたけど、まさかこんな事態になるなんて。生涯で最大の失態だ! 信じられん、もう気が狂っちまうぜ! こんなことを言ってたらしい。

 

そして今日やっとこさ落ち着いたので、俺は日記をこうして書いている。

 

最大の原因はあずささんのお見舞いに行こうとしたときに、律子が凄まじい剣幕で俺をどやしつけたことだ。まさに鬼軍曹だ。どうしてあずささんに会いに行っちゃいけないんだ!

 

「そんなの、あずささんが可哀想だからに決まってんでしょうが! おたふく風邪の女の子が、人前に出たい訳ないでしょう。そんな事も分かんないんですか、鈍感バカの変態プロデューサー!」

 

「な、なにもそこまで言わなくても……」

 

「うるさぁーい! と・に・か・く! あずささんのお見舞いには私が行きますから、プロデューサー殿は仕事してて下さい!」

 

俺はその言葉に何も言えず、おとなしく事務所で待機してました。もちろん仕事には影響出まくりでした。みんな、すまなかった。ダブルブッキングしまくってたな。あと奇声発してたのは本当に悪かったと思ってる。

 

だが、そんな俺がようやく普通に戻ったのには理由がある。

 

それは、律子の竜宮小町への臨時参加と赤羽根の臨時プロデューサー化だ。

 

 

 

今日の仕事は赤羽根のことを事務所のみんなに紹介するところから始まった。

 

「765プロのみんな、おはよう。赤羽根だ。先輩に代わって、臨時でみんなのプロデューサーをするから宜しくな!」

 

みんなそれぞれ違う反応をしていたなぁ。しかし、その様子を見ていると俺が初めて765プロに入社した時のことを思い出した。

 

まあ、本音を言えばあの時からあずささんのこと可愛いなって思ってました。いわゆる一目惚れって奴です。その後どんどん魅了されて、いまでは立派にあずささんの彼氏になってるんですよ。ひゃっほぅ!

 

……立派な彼氏か。会いに行くことも出来ず、メールでしか励ませないこんな無力な俺がか。溜め息交じりにうなだれる。

 

そんな時でもあずささんは俺を勇気づけてくれます。昨日とか、プロデューサーさんの顔が見たいですってハートマーク付きで送られてきました。

 

ん~、なんで俺の彼女こんなに可愛いんでしょうか。ケータイの画面越しに可愛いあずささんが見えます。それだけで呼吸困難に陥りそうで。あかんわ、本格的に末期や。このまま死んじゃう。

 

まあ、そんな直ぐに死んでられないですね。もっとあずささんとメールとかして、イチャつきたいです。

 

話を戻そう。赤羽根が臨時でプロデューサーになったのだ。

 

「え~、にいちゃんの後輩さんなんだ、亜美真美ちゃんどぅえ~す、ヨロヨロ→☆」「自分、我那覇響だぞ、よろしくな!」「お兄さん、ハニーについてもっと教えてなの!」「こ、こわいですぅ、プロデューサーさんの後輩さん、男の人だなんて聞いてなかったですぅ」「なに、あんたがこの変態の後輩なの、そんなのでプロデューサーが務まるだなんて思わないでよねっ!」「菊地真です、宜しくお願いします!」「うっうー! わたしも後輩さんと仲良くなります!」「面妖な」

 

各々が勝手に自己紹介を始めやがった。ところで、春香はさっきから何照れてんだ。千早は興味なさげに音楽聴いてるし。こいつらフリーダムすぎだろ。……うん、貴音、らぁめんは一度食べるのを止めようか。

 

「麺が伸びてしまいます」

 

あ、はい。分かりました。二十郎ラーメン、美味しいみたいで何よりです。

 

「俺のことは気軽にプロデューサーって呼んでくれていいからな」

 

最初の対面にしては上々だろう。

あと、赤羽根に「アイドルにハニーとか、にいちゃんとか変態とか、一体何してるんですか先輩」と疑いの眼差しを向けられた。ちがうっ、それは俺のせいじゃない! 彼奴らが勝手に呼んでるだけで……

だからお前もそんな犯罪者を見るみたいな目をするな。

 

それよりも、俺にはするべき事がある。律子の参加にともなった、竜宮小町の仮プロデュースをしなければ。

 

「律子、最初の曲だけど『いっぱいいっぱい』でいくからな。練習しかっりやろう」

 

「わ、分かってますよ」

 

そう言ってまた浮かない顔をしている。やはり、緊張しているのだろうか、それとも何か他に危惧していることでもあるのだろうか。

 

聞くべきかどうか、というのは実際はかなり慎重に判断しなければならない。それが毒にも薬にもならなければ時間が過ぎるだけだ。そして過度に強い薬はもはや毒だ。

 

分かりやすく例えよう。あずささんは存在自体が癒やしで、その上かわいい。だが、その魅力は時に俺を萌え殺す勢いで迫ってくるのだ。それで死んでも本望だが。……この例えはやっぱダメですね。死んだらあずささんを愛でることが出来ません。

 

端的に言えば雪歩の「神の一杯」です(9話.「日本茶って一時期ヤバいくらいハマりますよね」を参照)。あれこそが具体例と言えるでしょう。

そうそう。あのお茶ですが実際に掘削組の方々に振る舞ったところ大変好評でした。それはもう雪歩もお喜びで。まあ、何人かは発狂していましたが。コレは雪歩には「見せられないよ!」状態だったので、兆候が現れた瞬間にバックヤードに連れて行って鎮静剤を打ってました。

 

つまり俺が言いたいことは、不用意な一言は律子のプレッシャーになるということだ。

 

う~ん。それでもこの状態では最高のライブは成り立たないのは目に見えているし。

 

こりゃあ、やっぱり伊織と亜美の言ってたとおりプチピーマンさんを呼んだ方がいいかもしれない。彼らがいれば、きっと律子も勇気が出るだろう。

 

結論を出した俺は、プチピーマンさんとその仲間たち御一行へのチケットの準備に取りかかった。

 

 

 

仕事帰りに公園で律子が練習している姿を発見した。

 

先にあがりますとか電話してきて、実際はこうやって影で努力してるんだから。

 

ほんと律子はすげえよ。多分、亜美や伊織が見たら更にやる気を出すだろうな。そう思った俺はおもむろに茂みに身を隠すとケータイのカメラを律子に向けて録画を回した。

 

決して隠し撮りとか、変態要素とかを極めたいと思ってやっている訳ではない。脳内でヘヴィメタルを再生し、気を落ち着かせる。どっちかっていうと落ち着くより興奮します。性的な意味ではありません。

 

それにしても、しっかり踊れているじゃないか。リズムも取れているし、さすがとしか言えないな。

 

あ、右肘が痛くなってきた。ケータイ固定して持つのって結構しんどいんだな。あ、そこステップ違う、あ~。

 

そうして五分ほど撮影をした俺は図らずも律子に見つかってしまった。近所の坊主ども、俺のことをストーカだなんて言うな。声出すからバレちまっただろ。

 

「プロデューサー殿、何してるんですか」

 

う、そんなジト目で睨まないで。隠れていたのは悪かったよ。

 

幸いにも? 律子を撮っていたことはバレませんでした。急いでケータイしまっておいて良かったわ。盗撮魔、なんて不名誉な冤罪を被るところだった。死んでも死に切れん。間抜けすぎる。

 

「見てたんですね、練習」

 

「ああ、よく踊れていると思うぞ」

 

俺の言葉に「たはは」と苦笑いする律子はまたステップを踏み始めた。俺はただその様子を黙って見ていた。

それで、十五分ぐらい経った時だったと思う。ふいに律子が動きを止めた。

 

「……いつまで見てるんですか」

 

「いつまでも、どこまでも」

 

「ストーカーですね」

 

ははは。乾いた俺の笑い声が公園に響いた。

 

「律子、お前がいないと竜宮小町は成り立たないよ」

 

「……不安、なんですよ。私が、あの三人の代わりに立てるステージなんかじゃないんじゃないって。ここでずっと練習をくり返しても、この前の通しリハで自覚しちゃってから、そればっかり」

 

律子の弱々しい様子にすこしだけ戸惑う。けれど俺が言えることは、ひどく当たり前なことぐらいだ。

 

「それでも、四人で竜宮小町なんだ。伊織、亜美、そしてあずささんと、律子の四人なんだよ」

 

俺はそれだけ言い残し、自販機で買ったスポーツウォーターを律子に渡して事務所に帰った。

 

 

 

事務所に戻ってから、俺は亜美と伊織にさきほど撮った映像を見せた。

 

「これ、律子じゃないの。あんた遂に犯罪者になったのね」

 

「にいちゃ~ん、エチエチなのはまずいっしょ~。たぎってる牧場を抑えられないからって盗撮は」

 

だから、なんでこいつらも人をストーカー扱いすんの。流行ってんの? その言葉。

あと亜美、牧場じゃなくて欲情な。欲情もしていないし、ミルクを飲みに行く予定もないです。

あ~、小岩井農場に行きてえ。遠すぎてあずささん誘ってのデートは無理だが。それなら却下だ。無念。

 

伊織も亜美もそんな風にいつもの軽口を叩いていたが、本気で律子のことを心配しているんだろう。映像を見終わったら、公園の場所を俺に聞いてすぐに出て行ってしまった。

まだやってる保証なんてないのに、それでも動かずにいられない。きっとそんなところだろう。

 

その光景にほっこりする。

 

「プロデューサーさんも、律子さんの練習見たんですね」

 

「ええ、小鳥さんも見られたんですか」

 

「はい。律子さん、自信がないって。私なにも言えなかったんですけど」

 

「やっぱりそうですか。まあ、俺もたいしたこと言えてないですし」

 

そうだ。俺たちは竜宮小町にとっての障害を退かすサポートは出来るけれど、最後に立ち上がれるのはあの四人でしかない。そのためには、メンバーの気持ちが揃っていないと難しいのだ。

 

「上手くいくといいですね」

 

「ええ」

 

小鳥さんの言葉に頷いたとき、ケータイが鳴った。開くと液晶画面には「あずささん」の五文字が映されている。先ほど送った律子の練習映像に、もしかしたら何かを感じたのかもしれない。そう思ってボタンを押し、メールを開くと「家に来て下さい」とだけ書いてあった。一瞬の思考停止。

 

「……俺、もうあがりますね」

 

「ええ~、今日も飲み会していきましょうよぉ」

 

「酔って勘定せずに逃げられると困るので、無しです」

 

そんなぁ~、と小鳥さんは残念そうにデスクに突っ伏した。もういいです、赤羽根さんと飲みに行きますって、人の後輩をあなたの悪酒に巻き込むのは止せ。そろそろたるき亭を出禁にされるぞ。

 

「じゃあ、俺帰りますから」

 

「はぁい、あずささんにお大事にって伝えて下さ~い」

 

……ちょっと待て、なんで小鳥さん、俺があずささんのところに行くって分かった。妄想がエスパーに進化したのか? それとも、俺がバレバレ過ぎるのか?

 

「あまり大人の女性をナメないで下さい。見ていれば分かりますよ、お互いに好意を持っていることぐらい」

 

「まじかあ、そんなに判りやすいですか?」

 

「多分わたしと社長ぐらいしか気付いてないと思います。でもプロデューサーさん、アイドルが公私混同をしているとまで言いませんけど、やっぱりこういう関係には相応の覚悟が必要ですよ。あなたにも、あずささんにも」

 

「……老婆心ありがとうございます」

 

「ろ、まだ老婆なんて歳じゃないです!」

 

「知ってます、小鳥さんは十分お若いですよ。それに、あずささんとの事も、分かっているつもりです」

 

そうですか。と小鳥さんは言うと、また仕事に手を戻した。事務所を後にするとき、すこしだけ胸が痛んだ。赤羽根の、小鳥さんの言葉が重くのしかかった。

 

 

 

あずささんの家の前に着いたとき、俺は緊張してインターホンを初っ端ソフトタッチしてしまった。あずささんはいつもの声で出迎えてくれた。その穏やかな声が無性に嬉しかった。でも、彼女はずっとブランケットを羽織っていた。

 

「すみません。わたしの我が侭に」

 

「いえ、あずささんも、いてもたってもいられなかったんですよね」

 

「うふふ。わたしにも出来ることがあるなら、やっておきたいんです」

 

部屋に通された俺はあずささんの頼みに沿って、ライブ用の映像を録画した。ファンに向けての謝罪と、律子へのエールがそこにはあった。月並みだが、優しさというのは目にすると泣きそうになってしまうな。

 

こうやって、少しでも何かをしようと頑張る姿は魅力的だ。それに、実をいうとあずささんは俺にも気を遣っているのは見ていて分かる。今なら、律子の言っていたことが理解できる。やはり女の子は自分の可愛いすがたを見ていて欲しいのだ。病気の状態などではなく。

 

「よし、撮れました。じゃあ、コレをライブで流しますね」

 

「ありがとうございます、プロデューサーさん」

 

あずささんの寂しげな笑顔に見送られて、俺は彼女の家から帰った。そして、家について少ししてから、あずささんからメールが来た。さあ、これが問題だった。俺、これは永久保存しますわ。

 

『プロデューサーさん、今日はありがとうございました。本当はもっと一緒に過ごしかったんですけど、感染したらいけないので帰ってもらいました。でも、来てくれて、うれしかったです。わたしプロデューサーさんに会えなくてやっぱり寂しいので。はやく、会いたいです。それで元気になったら、恥ずかしいですけど一番にギュッと抱きしめて欲しいです』

 

……可愛すぎるだろおぉぉ!

 

なんだよ。遂には行動だけでなく言葉でまで可愛さを放出し始めた。あずささんは俺の身まで案じてくれて、しかも突然の好意全開フルスロットルだと。抱きしめてなんて、あずささんの口から聞ける日が来るなんて(メールだが)マジかよ。Oh、マジだよ。

 

素晴らしいわ。全男子のたぶん理想だ、あずささん。このメールを見て数分、可愛さと切なさと恥ずかしさとで布団の上でもんどり打ってました。

 

もうベスト・オブ・あずささんが貯まってきて結構経つが、なんでこんなに容易く決まってしまうんでしょうか。もう自然の摂理ですか。それぐらいしか言いようがないです。あずささんの可愛さに枯渇はないのです。とりあえず、あずささんメッチャ好き。いますぐ抱きしめたい。

 

まあ、今の気持ちを一言で言うのなら。

 

マジかわ。

 

 

 

 

19日目終わり




「前回から突然シリアス度が増しましたね」

「春香は相変わらず本文のセリフ無いけどな」

「分かってますよぉ」

「でも、もうすぐ」

「あるんですか⁉︎ プロデューサーさん!」

「いや、無いよ」

のワの「」

「無いんだよ」

「春香、私はいつだって春香の見方よ」

「千早ちゃん。千早ちゃんだってセリフ無いんだよ、セリフ!」

「春香……」


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ピーマンの肉詰めはプチサイズに限る

年内になんとか1章を完結できる目処が立ちました。あずささんの可愛さを愛でるこの話もようやく、次のステージへと進みそうです。




結論から言おう。今日のシークレットライブは大成功と言える。

まさにグレートサクセスゥ!といった感じである。

 

律子は自分のことを応援してくれる仲間とファンのおかげで、アイドルとしてまた輝けた。長い期間アイドル活動から離れていたにも関わらず、本番では観客の胸を打つすばらしいパフォーマンスを披露してみせたのだ。

 

ファンに支えられ、自身もまた最高の「アイドルの在り方」を目指す。アイドルとしての「秋月律子」の再復活が一瞬 、俺の頭によぎった程だ。

 

その姿に伊織や亜美も驚いていた。そして律子を褒めちぎりまくった。その様子はまるで姉に懐く妹みたいだった。見ていて和む。だが、ここがライブ会場だってことを忘れんなよ。さっさと着替えろ。

 

「止めなさい! ふたりとも。暑苦しいわよ」

 

「りっちゃあ~ん、さすがは鬼軍曹だYO! まさかここまで盛り上げるなんて。亜美、ちょービックリした!」

 

「にひひっ、まあ当然よね。私たちが協力したらこんなもんよ」

 

「ああ、本当に良かったぞ。プチピーマンさんからもほら、ファンレターとプチピーマンの箱詰め貰ってるぞ」

 

「みんなぁ、ありがとう」

 

そんな照れんなよ、律子。

ところでプチピーマンて何だ。新手の品種改良か。バイオテクノロジーの申し子か何かか?

……いまはどうでもいいっすね。

 

「いや、声が上ずってほんと大変だったんですよ、もぉ~、恥ずかしいですよ。プロデューサーも早く行きますよ、事務所に仕事溜めてるんですから」

 

「はいはい」

 

会場に渦巻いていた熱狂の名残りを噛みしめながら、俺たちは事務所に帰っていった。

 

その後事務所での仕事を片付けて帰る時、どこかに寄ろうかという話になった俺たちは高木社長のすすめで隠れ家的なジャズバーに連れて行かれた。

 

ところで社長、まだこの前の立て替えた勘定、返して貰っていないんですよ。そんなことをゴチていると、まさかの社長の奢りコースとなった。やったぜ。

 

てな訳で俺、律子、小鳥さん、社長そしてなぜか事務所に残っていた赤羽根と一緒に夜の街に繰り出した。

 

つーか赤羽根、ここ数日で何があったんだ。お前さん、ちょっと目を離した隙にどんだけアイドル達に懐かれてんだよ。春香とか、好意バリバリに出してるし。春香、俺のまえでそんなトけた顔したことないだろうが。それに真や貴音、響まで。すでに陥落済みかよ。

 

赤羽根、ここでやよいに手を出してみろ。本格的にお前を消さねばならんぞ。やよいはみんなの天使です。あずささんは俺だけの彼女です。揺るがない真理です。そこを崩壊させる者に、俺は消して容赦はしない。

 

まあ、アイドルと仲が良いことは別に問題ないんですけどね。今後のことを考えても。

 

まあ色々あったが、濃い一日を過ごした俺たちはライブ成功の祝杯を(社長の奢りで)掲げることになったのだ。

 

 

 

どうして、こんな事態になっとんねん。驚きすぎて関西弁でてもうたやん。

 

……そこに、黒井社長がいることに気付くのは、バーに入店して直ぐだった。

 

高木社長、これを仕組んだのは貴様か、表出ろ。とっちめてやる。

 

そもそも、黒井プロは敵対関係にあるんだぞ。なんでこのタイミングでマッチングしてるん? 社長出会い系アプリだれかインストールしたのか、それとも黒井のおっさんと社長、やっぱり出来てるのか?

 

もし本当にそうだとしたら、小鳥さんがハッスルを超えて御昇天なされます。その時には、小鳥さんを預けて我々は即刻帰宅しますので後はお二人で宜しくヤッちゃってください。

 

俺たちは黒井社長から離れた席を選んで陣取る。戦において、重要な要素のひとつだ。おけはざま然り、せきがはら然り。全ての戦争はいかにも陣取りによってその結果をおおきく左右されたのだ。ゆえに今取るべきは遠方からの監視体制だ。

 

黒井崇男、その背中には哀愁の色香が漂っている。べつに可哀想なんていっさい思いません。俺、あいつの事情知らんし、そもそもあいつ人のアイドルの邪魔ばっかするし。

 

「ド畜生どもが」

「先輩、なんか口悪いですね」

「気のせいだ」

「そうですか」

 

気のせいなわけないだろう。こちとら日中からずっと、あずささんと連絡取ってねえんだよ。あずささんの可愛さと癒やしが不足して、そろそろ限界なんだ。麻薬とは違う、しかしそれ程の感覚だ。

 

渇望してんだよぉ~。あずささんに「あらあら~」とかいってもらって、側で笑って貰いたいんだよぉ~。

 

そこに、どこにも需要が無いあのオッサンズの絡みが来るんだぞ。この疲弊したマイハートに追い打ちのブローかけてどうすんだ。

 

「プロデューサーさん、そんな親の仇見るみたいな目をしなくても」

「律子、だがあいつらは実際はそんなところだ」

「黒井社長はともかく、高木社長もですか?」

「ああ、むしろ仇以上と言えるな」

「あなたにとって社長ズはなんなんですか」

 

ライブの成功お祝いパーティーは始まった。いつものように各々が酒を頼む。「今日もスピリタスをロックで」とか、そんなつまらないことを言う社長は放って置いて俺はマティーニを所望した。あ、律子はいつもどおりノットアルコールオンリーです。

 

「ハッ、765プロの人間は満足に酒の一つも頼めないのか」

「う゛ぁ?」

 

おーい。律子さ~ん。気持ちは分かるけど、あんたまでそんな目をしちゃマズいでしょ。それ、軽く仇通り越してますよ。今にも殺しに行くぜ、レッツパーリーの様相ですよ。

 

「鬼軍曹りっちゃんですねぇ」

 

あ、いま隣でさえずった事務員は死んだな。酔っ払ってもその言葉は吐くべきではなかった。さよならバイバイ♪

 

「小鳥さぁ~ン」

「ピヨッ!」

「自業自得ですよ、音無さん」

「赤羽根さんまで!」

 

まあまあ、黒井社長がヤジを飛ばしてくるのは可愛いアピールですよ。ツンデレってヤツですね。

 

いや、年端のいってるオッサンのアぴは醜いわ。やっぱり無しで。俺は早々にフォローをやめた。

 

なんでこいつらと飲んでると場が混沌とするんだ。ここはバーなんだぞ、もう少し慎みを持て。殺伐とした雰囲気の中での飲みは、なんか……うん。まあ察しろ。

 

いい加減、害鳥と手品師のおもりは疲れた。律子も暴れるともう地獄だ。だれも抑える役の奴がいねえ。つーかいつものことだが、マスターや店長なんでキレねえんだよ。この辺の店の人、みんな懐深すぎ。

 

「ああ、俺は甘いヤツね」

「なんだ黒井、また甘いのか。ほんと子ども舌だなぁ」

「ふん、いいだろうが! 俺の勝手だ!」

 

黒井お前、ほんとに常連かよ。注文の仕方が小学生じゃねえか。甘いヤツって、漠然としているにも程があるぞ。あと高木社長、いつのまにスピリタス飲み干してんの。しかも平然としとるし。凄いを通り越してそろそろ真剣に人間かどうかを疑いだすぞ。

 

「マティーニでございます」

「ありがとうマスター」

 

「オラァ! 音無ぃ、その口閉じろぉ! この妄想の権化がぁ!」

「『ほら、黒井。俺の甘い液を啜れよ』『た、高木ぃ! 俺はお前のなんて』『可愛い奴め(グイッ)』あーー! もう、最高ピヨ……」

「音無ぃ!」「ピヨーー!」

「音無さんも、律子も落ち着いて。先輩、助けてくださ〜い」

「夜はこれからだろう、黒井」

「フン、仕方ないから構ってやる」

 

その後も酒飲みどもの絡みはヒートアップを続けた。穏やかなジャズの調べはとうの昔にかき消えて、そこには各々のバカ声が鳴り響く。俺は静かにマティーニを口に含んだ。

 

切実に帰りたい。

 

 

 

動物園と化したバーで2時間ほど過ごした俺は、逃げるようにその場を後にした。

 

なんで騒ぐことしかできないの? それにあずささんも居ないし。良いところ一個も無いぞ。あの飲みの席には。

最後は赤羽根もヘベレケになって、どんちゃん騒ぎは収拾が付かなくなったし。

 

とにかく、癒しが必要だった。癒してくれるものが。この荒んだ心を優しく包み込む、「あずささん」の存在が。

 

すこぶる可愛いあずささんを愛でなくては、と本気で思っていた。希求するものはそれだけであります。

 

というわけで今、俺は右手に携帯電話を握っている。番号はすでに押している。誰の? あずささんのに決まってるでしょう。無粋な質問は止し給え。

 

俺はコールボタンを一秒間に60回の勢いで連打した。親指が痺れた……。

 

プルル、と音が耳を抜けていく。機械の発する無味乾燥とした響きにやきもきする。

 

『もしもし~、プロデューサーさん?』

「あずささん、チョー可愛いよ~」

『あらあら、恥ずかしいですね』

「大好きなのでモーマンタイだぁ」

 

やばいわ。飲みのテンションをそのまま引きずっているので、本音がポンポン出ていきます。でも、しょうが無いですよね。だってあずささん可愛いんだから。

 

電話越しに聞くその声を、脳内のメモリーに永久保存だ。少しだけ籠もっている、吐息さえ届いてきそうな音声がくすぐったい。

 

「ライブ、無事に成功しましたよ」

『はい、律子さんから聞きました。プロデューサーさんも手伝って下さって、本当にありがとうございます』

「いえいえ」

 

あの映像は確かに律子の勇気を奮い立たせた。その映像だって、撮ろうと言ったのはあずささんだ。

 

まさに勝利の女神です。存在が周りを幸せにするというアイドルってのを見事に体現しているんだから、あずささんはやはり最高だ。

 

『私もがんばります~』

「はい、つぎはみんなで出たいですね」

『その時は、プロデューサーさんに頑張っていただかないと』

「ええ、頑張りましょう!」

 

次は大きな会場で、765プロみんなでのライブを……。

 

楽しみです。フリフリの衣装をまとってレッツダンス。練習でヘロヘロになったあずささんを俺が優しく抱きしめる。右手にはスポーツドリンク500㎖。手渡す二人の手に熱が籠もる。

「プ、プロデューサーさん。わたし、少し疲れました」と、

甘えたような声をこぼすあずささんに俺はゆっくりと微笑みかける……

 

という妄想を一通り愉しんだ。

これは空しいですね。なにより、していることが事務員そのものだ。酔っているにしても、アカン。

 

『どうかしましたか? プロデューサーさん』

 

やばい、妄想が捗りすぎて電話のことを忘れていた。あずささんが可愛いのにかまけて墓穴を掘りかけるとは大変だ。でも、それはそれで良い。愛でている状況に変わりはない。

 

「大丈夫です。何でも無いです」

『何か隠してませんか~』

「そ、そんなことないですよ」

 

なにか話題を、このままはマズい。

 

あわてて周りを見渡したが、何も見つからない。時間帯のせいだろうが、道には嘔いてる高木社長しかいないし。

……いつからそこに居た。結局吐いてるし。

 

もう放っておこう。関わるのは嫌だ。いまはあずささんだけを愛でたい。

 

空を見上げると仄青い月が暈をかけていた。

まんまるのお月様が浮かぶ空は、曇りもなく美しい絵をしていて。

 

「あずささん、月がきれいですよ」

 

ふと受話器にこぼした。そうして、すぐにその言葉の意味を思い出してしまった。恥ずかしすぎてやばい。話題にしてもこれは意味がストレートすぎる。ええ、遠回しにカーブの軌道を描きながらその実、一周してきてそれしか意味しないスーパーストレートワードだ。顔から火が出そう。

 

『ちょっと待って下さいねぇ、え~と、月つき……』

「あ、あのあずささん。これはその」

『あ、見えました、プロデューサーさん!』

「あわわ」

『ほんと、とっても綺麗ですね♪』

 

あれ。

あずささん、これ意味分かってないのでは。

 

『同じ月を二人見上げているのって、なんだかロマンチックです~。とっても嬉しいですねぇ』

「俺とあずささんだけですね」

『うふふ、二人だけの秘密です!』

 

ああ、携帯越しに目を輝かせているあずささんを想うと微笑ましい。

純粋なあずささんはそのままでも可愛いです。笑っている横顔が少女のようになると、それこそ女神そのものです。これだからあずささんの魅力は手がつけられない。

 

ピュアネスでよかった。そんなあずささんが俺は好きだ!

 

以上で今日のベスト・オブ・あずささんを決めた。

 

 

 

でも、死んでもいいわなんて言われたら、俺はどう答えればいいのだろう。分からない。いまの俺はその一言を聞ける状態ではないのだから。

 

俺はあずささんの柔らかな声が薄れるのを待って、通話を切った。

 

ところで社長、はやく帰って下さい。隣で嘔きながら孫を見るような目をされても困ります。

 

「君が、決めたことならいいんだ」

「社長……」

「だから、はやく家まで送っておくれ」

「いやです」

 

俺は家路を急いだ。さらば社長。

 

 

 

 

22日目終わり。




「プロデューサーさん! ポッキーですよ、ポッキー!」

「ああ、懐かしいネタだな」

「いや~、この甘みが堪らないですね。プロデューサーさんも、一本どうですか?」

「お、ありがとう。ところで春香、コレはなんだ」

「ふぇ?」

バサッ
つミ ゴシップ誌『765プロ、天海春香まさかの喫煙!? 未成年の清純派アイドルの闇に迫る!』

のワの「」

「ちょっと署までご同行願おうか」

「そんな、私タバコなんて吸ってません!」

「みんな最初はそう言うんだ」

「プロデューサーさん! 信じて下さい、プロデューサーさん!」

続く……


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もやし祭じゃぁあああ!

頭悪そうなタイトリングですみません。慧鶴です。
もやしは非常に安い、食卓における庶民の味方です。
これは、そんな庶民の味方が真の英雄になるまでの長い闘いの歴史を描いた超常譚です(大嘘)。


大事件です。緊急会議です。

 

まさか貴音が、ゴシップに引き抜かれるとは。さらにはエルダーレコード社が引き抜きに関わっているなんて。

なんでいっつもこの事務所はゴタつくのか。もはや体質なのか。

 

まあ、そのことはいい。いま最も重要なことはそこではない。それは、

 

「おい、赤羽根。覚悟はできてるな。まさかお前がウチの事務所から貴音を引き抜こうとするとはな」

「だから、俺は知らないんですよ。信じて下さい」

「犯人はいつもそう言うんだ」

「クッ、一体俺が何したって言うんですかっ!」

 

この後輩、あくまでもシラを切るつもりらしい。それならばかまわん。コンクリート詰めにしてエルダーレコード社に送ってやる。猟奇的すぎると隣で伊織がツッコむが気にしない。もし出たければ、泣いて詫びた後に雪歩を派遣してやる。え、俺ですか。無理ですよ。コンクリから人間掘り出すとか。

 

「じゃあそんな真似しないで下さい」

「赤羽根、いまのお前に人権はない」

「正気かよこの男」

「ああ、もし良ければコンクリをお口に流し込んであげるね」

「あ~もうっ! 分かりました、俺がエルダーレコードのオーナーに確認取ってくるんで、先輩は待ってて下さい!」

 

そうして、赤羽根をヤる機会を先延ばしにされた俺は、速やかに貴音を765プロにつなぎ止める方策を考えることにした。そこで、妙案が浮かんだのだ。ああ、こんなにも完璧な作戦を思いつくとは、自分がとても恐ろしい。

 

つまりだ、この作戦の要は「やよい」と「もやし」だ。この二つで、俺たちは貴音の胃袋を完全にホールドしてみせる。美希が、ハニーはパないの! とか褒めていた。いいぞ、もっと讃えたまえ。

 

てな訳で、今日の午後の仕事はすべてキャンセルで765プロオールスターズが参加の大仕事となった。

その名も、第一回、もやし祭じゃぁあああ!

 

「はあ、シフト調整とか絶対に無茶ですよぉ。頭イタい……」

「律子、ごめんちゃい」

「ぶちのめしますよ」

 

最近の律子は、なんだか口調がとっても荒れています♪

 

 

 

萌やし、と漢字では書くそうだ。つまり、萌えを基調とするアイドルにとって、もやしは必需品と言えるのです。

こんな腐った理屈を並べて、俺はもやし祭のセッティングを完了した。

社長の目が痛かった。でもな、思い出せ。あんたも口からハト出したりゲロ出したり、大概マトモなことはしてねえからな。

 

もやしを大量に仕入れてから、やよい監修のもとで高槻家特性のもやし祭765コースを整えた。いい香りだ。ホットプレート2台で炒められるこの料理は間違いなく貴音の胃袋を掴めるはずだ。

 

さらに、今この事務所にはアイドル全員と社長、小鳥さんも揃っている。つまり、俺たちはこの場で貴音を全員で監視することを可能にしているのだ! うっうー! なんだかイケそうな気がしてきたぜ。

 

……フラグではありません。マジなのです。

 

「もし、この料理はやよいが作ったのですか?」

「うっうー! はい、事務所のみんなで作ったんですよ! とーっても美味しいので、貴音さんも気に入ってくれると思います」

「うんうん、やよいのもやしは絶品なんだぞ」

「それは楽しみです」

 

炒められていくもやしからは特製ソースの濃厚な香りが立ちのぼる。雪歩が淹れてくれた柿の葉茶を飲みながら完成を待っている。早く食べたい。

はやくはやく。

 

「できました!」

「……いただきましょう」

「お姫チン、よだれが抑え切れてないYO!」

「にひひっ、早く食べましょ!」

 

それじゃ、完成したようなので。おい春香、食事を始める際の常套句を言ってくれ。

「分かりました。ではでは! 765プロ~」ちょっと待って下さいね。何しとるんだ。それはライブ用の挨拶だろ。本文でやっと出番が貰えたからって、ここぞとばかりにハッチャケてんじゃねえ。

 

仕方ない。千早、春香をおさえててくれ。

 

「やめて千早ちゃん! 本文で通用するって事をここで示すの、少しでも長く本文に居たいの!」

「春香、メタい発言はNGよ!」

「嫌だぁ、出番欲しいぃ! あぁああああッ!」

 

その断末魔は遠く彼方に消えていく。あと千早、メタいなんて言っちゃダメです。

 

よし、では気を取り直して。

 

「手をあわせて、いただきます!」

続けて響く、いただきます、の大合唱が心地いい。よっしゃ食おうか。事務所の中に笑顔が溢れる。美味しい食事はそれだけで気分を明るくさせる。アイドル達の輝くような表情。もう、このままパーティーを楽しんでいいんじゃないだろうか、とも思う。

 

だが、この食事会の本来の目的を忘れてはならない。そうだ、貴音の監視だ。それにこそ専心するのだ。

 

「プロデューサーさんは、食べないんですか」

「ああ、あずささん。俺はもやしの火加減を見ないといけないので、手が離せないんですよ」

「うふふ、じゃあプロデューサーさん、はいア~ン」

 

前言撤回。あずささんからのア~ンを堪能することが最も重要だ。はい、いただきます。

 

「あ、あ~ん」

「美希がもらうの!」

 

一瞬にして、もやしが美希の口にかっさらわれた。

 

……な、なにをするんじゃー! あずささんからのア~ンが、目の前で奪われるとは。もうダメだ。ツーアウトから逆転サヨナラホームランコースの長打をフェンスぎりぎりでキャッチされゲームセットした気分だ。

 

「あずさズルいの! ハニーには美希がア~ンしてあげるの」

「あらあら~」

「しゅ、修羅場です~」

「雪歩、その表現は危険だよ」

 

真、そんなことを言う暇があるのなら、もっと早くに美希を押さえつけてくれ。それにあずささんのア~ンを逃した以上に、次に迫る美希からのア~ンを受け取るか否かで俺は今、最大の決断を迫られているんだよ。

 

この状況、どっちを選んでも地獄じゃないか。なんなんだ、この鬼のようなラッシュは。なぜ俺はこの期に及んで、身に詰まされる想いをしてるんだよ。

 

殺気が可視化されたようではないか。

 

「早く、ハニーもア~ンしてなの!」

 

あずささん、無言の笑顔を向けないで! このままフリーズしていれば、俺はどちらをも傷つけることになる。でも、食えないよ! そんな顔を見せられたら、仮に演技でも超えちゃいけない一線だと俺でも分かる。

 

「ハニー!」

「うふふ♪」

「あ、あ、あ……」

 

言葉が欲しい。この状況を打破するパワーワードが。

 

「あそこだけ、なんだか空気が重いです~」

「やよい、見ちゃダメだぞ」

「良いわねえ、若さが溢れてるわぁ」

「音無くん、何をニヤニヤしてるんだい?」

 

こいつら完全に愉しんでやがる。なんだ、愉悦部なのか。

ていうか、さっさと助けろよ。人ごとだと思って遊んでんじゃねえよ。もう、どうしたらコイツらを絞められるとかいうのも考えるのを後回しにした。もちろん、後で必ず痛い目にはあってもらう。

特にあの事務員にはそろそろお灸を据えなければならない。

 

眼前にはもう数センチほどで美希のもやしが届きそうだ。後ろで笑うあずささんを見つめながら「ええいママよっ!」と半ば諦めた俺は、最終手段を執ることにした。

 

「貴音!」

「かしこまりました」

 

次の瞬間、とんでもないスピードで動いた貴音の口に、もやしが吸いこまれた。……俺は危機を脱したのだ。

 

「ああ~」

「大変美味です」

「貴音ひどいの!」

 

もう何も望むまい。苦しい状況は終わりを迎えた。ふとあずささんの方を向くと相変わらずニコニコしておられた。その笑顔は合格と受け取ってよろしいのでしょうか。

 

「プロデューサーさん」

「はいっ、あずささん」

「今度はちゃんと、食べて下さいね」

 

すみません。まだ微妙に危機的状況です。ここは大人しく本来の目的である「貴音の監視」に戻ろう。

おい、春香。そろそろ帰ってきてもいいぞ。押さえつけている千早の方が既にしんどそうだし。春香はやよいの料理を手伝ってくれ。第2ラウンドとしゃれ込もう。

 

「で、出番だ。春香さん、戻ってこれたぁあああ!」

 

春香は、号泣していた。

 

 

 

「はー、食べた食べた。もう亜美お腹いっぱいだYO~」

「おひめチンはいつまで食べるんだろう」

 

もやしパーティーは続いたが、すでに食える人間は貴音以外にいなかった。しかし、本当によく食べるな。

 

「あの、プロデューサー」

「なんだ貴音」

「どうして今日はこのような催しを?」

 

なぜだろうか。その理由を原因である貴音本人に伝えたらこのパーティー自体が本末転倒。「監視」というのを対象者に教えるなんてバカな真似、いったいどうしてするだろう。いや、するはずがない。

 

「ほらぁ、貴音~。デザートのサーターアンダギーあげるぞ」

「まあ、響。よいのですか」

「もちろんさー!」

 

ナイスだ響。いざとなったらやはり頼れる。貴音はすでにサーターアンダギーにメロメロだ。このまま話を逸らしきり、目的を達成するぞ。

 

「帰りましたー」

「お、赤羽根。おかえり」

事務所の扉が開くとともに、赤羽根の快活な声が届いた。

うわ、何してるんですか。と訊く後輩に、もやしを差し出してやる。

 

「……毒とか入ってないですよね」

「自分、冗談も大概にせえよ」

「先輩の場合、冗談じゃないから言ってるんですよ」

 

恐る恐る赤羽根はもやしを食べながら本題に入った。

 

「ところで、エルダーレコード側の回答なんですけど」

「それだ。で、どうだったんだ」

 

緊張した面持ちで俺は赤羽根の答えを待った。もきゅもきゅと効果音が立ちそうな様子でデザートを食べる貴音は果たして、移籍するのか、しないのか。

耳もとでヒソヒソと、誰にも聞こえない程度の声でその答えは語られた。

 

「まったくのデタラメだそうです。オーナーもそんな話は一度もしていないと」

 

……ふ、ふぁ~~~~。

マジで良かった。焦ったわ。

何はともあれ、これで貴音が白だと言うことが証明された。裏を取れたので、監視はそろそろ止めてもいいだろう。

 

俺はアイコンタクトでアイドル達に、監視終了の事実を伝える。本当に、長い闘いだった。やよいはすでにもやしを炒めてほぼ丸一日。その気迫は鬼気迫るものだった。

 

「律子、今夜は枕を高くして眠れるな」

「はい、プロデューサーもお疲れ様でした」

 

こうして、「765プロ内、貴音監視作戦」あらため「第一回、もやし祭」は幕を下ろした。

 

「ところで貴音。つまらないことを聞くが、どうしてあの日、エルダーレコードのオーナーと一緒に居たんだ?」

「それはプロデューサーと一緒に食事をする予定を逃し、ひとりで帰ることになったからです」

 

そっか~。俺のミスだったか。まあ、急な仕事が入ってしまったとはいえ、やっぱり貴音を独りで帰らせるべきではなかったかな。今後は気をつけよう。あと、あの時の埋め合わせをしないとな。

 

さあ、お開きと行こうか。なんて爽やかな気分なのだ。

 

よし。そうと決まったら、俺にはしなくてはならない事がある。はいはい、そこの道をあけて~。

こんちは。小鳥さん、少しだけ席を外していただきましょうか。うん、お察しの通りです。お仕置きですね。

 

「プ、プロデューサーさん。せめて優しく……」

「妄想インカム。覚悟せられよ」

 

給湯室に掘られた、雪歩の特性落とし穴。そこに緑色をたたき込んでやる。大丈夫。コンクリを詰めれば跡形もなく元の給湯室になります。平らにならすのは得意です。

 

「それは殺人なの」

「ただのお灸です」

 

事務員を引きずって歩く俺には、すでに覚悟ができている。

しちゃあいけない覚悟だって? そんな事は知らん。状況証拠さえ消してしまえば問題ない。

よし、事務員。ここでお別れだ。

 

「ピヨ~~~~」

 

いつか地熱で温められて、大きい親鳥になることを願う。

 

「ねえ、ちょっとアンタ」

「なんだよ、伊織」

「あずさがさっきからずっとアンタのこと見て笑ってるのよ。また何かしたの?」

 

ぬ? そう言われてあずささんの方に視線を向けると、あの笑顔がまた浮かんでいた。あの、選択をしくじった時の危機的状況の笑顔が。

 

なんだ、何をしてしまったんだ俺は! WHAT? あ、もしかしてアレですか。あの、その、貴音と一緒に食事に行こうとした事が原因なのか? もしそうだとしたら、俺はとんでもない過ちを犯してしまったのではないか。

 

オワタ。なんて言ってる場合じゃない!

 

事務員などその辺のハム蔵にでも食わしておけば良い。俺は急いであずささんに釈明を始めた。

 

「……た、助かったピヨ」

 

 

 

事務所からの帰り道が非常に辛い。なんでなんだ。あずささんと一緒に帰ることが出来て幸せなはずなのに、どうしてこんなに空気が重いの。

 

「あの、あ、あずささん」

「あらあら~、どうしたんですかプロデューサーさん」

「そのですね、心配させてごめんなさい」

 

ニコニコしているあずささんの顔がピクリと動いた。そのまま、面白い表情の変遷が続いた。しかし、あずささんはチョー美人ですね。怒っておられる姿もイイ。

 

その後、貴音との食事の件について、いろいろ聞かれたが、俺は誠意を持って答えた。

 

そうして、話も佳境に差し掛かったところで、あずささんはぽつりと呟いた。

 

「……少しだけ羨ましかったんです」

 

ぷくー、と頬を膨らませるあずささん。

あれ、これって、もしかして拗ねてるんですか。

え、あの大人っぽいあずささんが子どものように拗ねてるの? なんだか、可愛い。

すっごく可愛い。ヤバいぐらい可愛い。たぶんこの表情を見ることができるのは今の時点で俺と、彼女の親だけだろう。

 

「あの、本当に俺はあずささん以外にお付き合いをしている人はいないので」

「むぅ」

「安心して下さい」

 

膨らんだほっぺたに人指し指をツンツンさせる。この可愛い生き物はなんですか。あずささんです。まごう事なきあずささんですね。

 

ぷにぷにしていて柔らかい。

 

ぷにぷにぷにぷにぷにぷに……

 

「――ッ! もうっ、反省してるんですか!」

「してますが、今は可愛いあずささんを愛でる方が重要です」

「プ、プロデューサーさんッ///」

 

そうして、俺はひたすらあずささんのほっぺたをつついた。

つつきながらも、今日のベスト・オブ・あずささんが決まったことに酔いしれていた。胸にズキュンときました。

 

 

~~~~~~

 

 

「貴音、じゃあ本当にエルダーレコードとは何の関係もないんだな」

「ええ」

「だけどな、これからはしっかりと報連相をしような。事務所のみんなを信じてくれ」

「わかりました」

 

貴音に報連相の重要性を説いた俺は満足しながら、会議室を出ようとした。その時だ。

 

「ところでプロデューサー、あずさと海で話していた事は皆に報告しなくてもよろしいのでしょうか」

「……みてたの?」

「はい、潮風に当たっていたときに偶然」

 

なんと言うことでしょう。不敵な笑みを浮かべる貴音に、俺とあずささんとのお付き合いがバレているとは。しかもサラッと、メガネを取り出してるし。持ってたのか、メガネ……。

なんでだ。あまりにも事務所内で知ってるヤツが多過ぎだ。それ以上に、貴音にこの状況での報告は、ほとんど逃げ場がないじゃねえか。

 

「そのことは、誰にも言わないでもらえるか」

「とっぷしぃくれっと、ということですね」

「ああ、そうなる」

「お約束いたします」

 

ありがとう。今度はちゃんとらぁめんのお店に連れてってあげるからな。貴音に感謝。

 

 

 

 

 

27日目終わり。




「おう、春香」

「プロデューサーさん……」

「あのゴシップだけどな、コラ画像だって解ったぞ」

「ほ、ホントですか!?」

「ああ、よかったな」

「でも、どうして解ったんですか?」

「もやしだ」

「もやし……」

「もやし」

「そ、そうですか」

「よって春香。ついに無罪放免だ!」

「バンザーイ! バンザーイ!」

「ほんと、俺は春香はそんなことしないって始めから信じてたぜッ!」

のワの「」


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日記のゴールこそが本当の始まりなんだよ。

てなわけで。やっと1章が終わりました(ギリギリ)。
慧鶴です。次回に向けて、今までの話が盛大な序章になっていたことにほとんどの方が気付かれているでしょう。

今後ともよろしくお願いします。


目を覚ますと自分は毒虫になっていた……訳がなかった。

 

あまりにもカフカ的すぎる展開を望んでいる。そんな非現実、起きるはずもないのにだ。

しかし、いつもと明らかに違う点が一つあることも事実だ。天井が見たことのない色をしていた。というか、ほとんど初見に近い。

 

目を覚ました時、俺は病院のベッドに横たわっていたのだ。

 

 

 

冷静に状況を振り返ってみると、原因がはっきりとしてきた。たしか、俺は貴音の一日署長の仕事に付き添っていて、悪質パパラッチの撃退をしたのだ。したはずだ。

 

えっと、すみません。嘘みたいです。あの時、俺はパパラッチに背負い投げをされて強烈に背中を打ったのだ。

 

「悪いな、柔道黒帯なんだ」

「なんでドヤ顔」

 

思い出すだけでも忌々しい。良識を持たない大人の恥さらしめ。そんな真似をするから貴音に組み伏せられるのだ。地に伏しながら、あの男が投げ飛ばされる様子を見るのは痛快だった。まあ、俺も投げ飛ばされたんだが。

 

ふ、ザマァ。

 

なんて言ってたら、その後に仕事を終え、家に帰ってからの記憶が一切無かった。うーむ。思い出せるのはここまでか、どうやら厄介な事態に陥ってるらしい。それだけは直感でわかった。

 

ところで、今日は何日の何時何分なんだ。そう思い、手元に置いてあったケータイを取り上げて画面を見る。待て、なぜ手元にケータイが?ありえんだろ。

 

「目が覚めたみたいですね」

「ん、赤羽根か。いつからそこにいたんだ」

「正確には今朝の9時からなので、既に4時間はいることになりますね」

 

側にある椅子に腰を下ろした赤羽根がりんごの皮を剥いて笑っていた。お前は某学園ドラマ&セカイ系ライトノベルにでてくる超能力者かなんかか?憂鬱なのか?

 

まあ、今はそんなことは放っておいて。

 

ケータイの画面には多数の不在着信と13時という時間が映されていた。ほぼ半日近く眠っていたという計算になるが、それにしてもあの時の俺はどうやって病院まで自分を連れてきたのだろうか?

全くと言ってよいほど、その前後の記憶がない。抜け落ちた、という感じではない。

初めから存在するはずのない、言うならば空虚な記憶だ。

 

「赤羽根、ひょっすると俺は何かに目覚めたのかもしれない」

「バカなこと言わないで下さい」

「なんで〜、アタリが厳しい」

 

律子もそうだが、だんだんとうちの事務所に所属するプロデューサーは口が悪くなるようだ。トレンドなのでしょう。

 

「俺が先輩を救急車に乗せたんです。電話しても出ないから」

「なるほど」

「以外に驚かないんですね」

「自分の体調がどうなのかは、自分がよく知ってる」

 

なら倒れないようにして欲しいです。と言う赤羽根に何も言い返せず、俺は赤羽根が向いてくれていたリンゴを食べた。うむ、上手い。これはサンふじですね。

話を逸らすなと目線で訴える後輩を無視して、俺はリンゴを食べ続けた。

 

ふと、ノックする音が響いた。後輩が扉を開けに席を立つ。

 

そして、部屋に入ってきたのはマイスーパーアイドル、絶賛カワカワなあずささんだった。

 

起き上がっている俺を見たあずささんは、つっと表情を崩すと走り寄って俺をぎゅっと抱きしめてきた。人肌ってめっちゃあったかい。なんかいい匂いするし。でも、床に花を放り投げるのはどうなんでしょうか?

 

……特に問題ないでしょう。些細なことです。

 

つーか、胸圧が強すぎて意識が持っていかれる!理性が働きを失いかける。あれ、理性とはそもそもなんでしたっけ。おちつけ、弾力は何も悪くない。

 

「プロデューサーさん、心配したんですよ!」

「あずささんから抱きしめられる事になるなんて、驚きですね」

「もぉ、冗談言わないで下さい」

「すみません」

 

怒られちゃいました。

 

そのまま、あずささんを胸に抱きながら俺はしばらくジッとしていた。動けないという方が正しいのだが、その理由はいまは割愛しよう。

 

ところで赤羽根、お前さっきから部屋の入り口でなにニヤニヤこちらを見てんだ。はっ倒すぞコノヤロウ。

 

 

 

あずささんとの蜜時を過ごしてから、俺はとりあえず事務所へと連絡を入れた。

 

あずささんと離れるのは名残惜しかったけどね、けどね!しょうがないじゃないか。密着してるのを事務所のアイドル達に見せる訳にはいかないですから。

 

でも、離れる時のあのあずささんの瞳が俺を捉えた瞬間、あれはもうグッときました。可愛いっすよ。特有の引力が働いていますよ。

 

765プロアイドルのみんなは、すぐに病院へと駆けつけてくれたみたいだ。居ても立ってもられなかったらしい。心配をかけてしまったことは申し訳ないと思う。

 

あと、差し入れに持ってきてくれたお菓子の山はなんだ。亜美真美にいたってはカラムーチョ10袋だ。いじめてんのか。病人の胃袋をなんだと思ってやがる。

 

「「にっしっし。ガツンとくるもの食べて、にーちゃんも早く元気になってよね!」」

 

方向性は少しばかりオカシイが、なんだか健気で嬉しかったので許す。だが、それぞれ2袋ずつ持って帰れ。いくらなんでも多過ぎるわ。

 

貴音や響はマトモにフルーツだった。らぁめんを持って来られると思って心配していたが、そんな事は無かったぜ。

 

「響、この様子ならそぉきそばも持ってきて良かったのでは?」

「そうだな貴音、それじゃあ今からでも作って自分が持ってくるぞ!」

 

やめなさい。

 

社長と小鳥さんは手が離せないので、お手紙とヨーグルトだけ届けてくれた。有り難い。こういう時は変に気がきくのに、どうして飲み会ではクレイジーになるのか。

 

そして、やよいと伊織、美希はおにぎりを握ってきてくれたらしい。なんだか嬉しい。でも、検査が終わるまで食べられないのが残念だ。

 

「ミキね、ハニーのために一生懸命つくったの!」

「はい!美希さん、とーってもおにぎり握るの上手なんですよ〜」

「あんたがどうしても食べたいって言うから!」

 

伊織はまた端っこでツンデレ発揮してるし。どうしても作って欲しいとか、自分一言もいってません。

ただ、素直に言葉に出来ないのはもう伊織の特性ですので、好意の裏返しだと思っておきましょう。

 

なにはともあれ、みんなからのお見舞いは嬉しいものです。

 

少し遅れて、律子に伴われて入ってきた春香、真、雪歩の4人からは真っ先に囲まれてしまった。おお、テンション高ぇな。

 

お見舞いも常識人の律子のお陰で「野菜ジュース」という健康促進アイテムであった。しかも、飲み物系は一つもない中でのこのチョイス。流石です。りっちゃんは出来る子ですね。

 

こうやってギャーギャー騒いでいると案の定、律子のうるさぁーい!が轟いた。だが律子、ここは病室だ。

 

「律子…さんの方がうるさいの」

「美希、いっぺん絞めるわよ」

「ごめんなさいなの」

 

全員うるさいよ。間違いなく。

 

あずささんと赤羽根がいちばん静かです。あ、赤羽根が相部屋の人たちに頭下げとるわ。おつ〜♪

 

 

 

そんなこんなで賑やかな(本当はダメです)お見舞いをしていた俺たちだが、少しだけ引っかかることがあった。千早がいないのだ。

 

「今日は千早はどうしたんだ? 仕事か?」

 

俺が質問したとき、ふと隣に座っていた春香が顔を歪ませた。

事務所のみんなの雰囲気も暗くなった。一体どうした。もしかして、俺は地雷を踏み抜いたのか?

 

「その、プロデューサーさん。千早ちゃんはさっき……」

「春香、ダメだよ。プロデューサーに心配かけちゃ」

「でも、真」

 

なんだ、本当にただ事ではない感じだぞ。プロデューサーに話せないってどんだけヤバイんだよ。

 

「はぁーい、そろそろお暇しましょうね。長居は迷惑になるから」

 

律子が慌てた素振りを見せて、みんなに退室を促す。春香や伊織が納得いかないって顔を最後までしていたが、渋々みんな帰っていった。

部屋には、赤羽根だけが残っていた。

 

「ーーーーで、どうしたんだ。良くない状況ってのは分かるが」

「ええ、俺も律子からの連絡で知ったんですけど」

「なんだよ、早く言え」

「歌えなく、なったみたいなんです。千早」

 

なん、だと……ッ⁉︎

 

「チャドの霊圧が消えた!」

「ふざけないで貰っていいですか」

「分かってる。続けてくれ」

 

オサレに関して現在は卍解しない方向でいきます。

 

そして、俺は赤羽根から黒井プロの悪質な嫌がらせ記事の話を聞いた。実の弟、かぞく、歌。そして、それにつながる哀しい過去。

 

とてもではないが、読んでいて気分のいいものではない。余りにも相手への配慮に欠ける。ゴシップ記事だからって、何でも書いていい筈はないのに!

 

それに、こんな御墓参りでの写真を隠れて撮るとか、どんな神経してるんだ。失礼だよ。まったく。

 

「その写真、撮ったのは昨日の悪質なパパラッチみたいですね」

 

奴め、ここまで手を出していたとは。もう我慢の限界だ。激おこのプンプンが丸を通り越してオラオラになっちまった。時を止めちまうぞ。

今度見かけたら必ず粛清してやる。

 

え、何をするのかって?決まっている。コンクリの刑だ。今回は雪歩も派遣しない。東京湾に秘密裏に沈めてやる。

 

だがな、こんなこと言ってても意味はないだろう。千早の歌がうたえない、というのはかなりマズイのだ。彼女にとって、きっと歌うことはアイドル「如月千早」のすべてだったはずだから。

 

それを失うことは、千早のアイデンティティの喪失に他ならぬぞ。

くそ。俺が動ければいいのだが、この体たらくではどうにも出来ん。

こうなったら、最終手段を取るしかないな。

 

「赤羽根、頼みがある」

「なんですか」

 

「正式に765プロのプロデューサーになってくれ。いま、この事務所にはお前の力が必要なんだ」

 

いつもより真剣なトーンで話す。千早を助けるには本腰を入れなければならない。赤羽根にも、手伝って貰わなければダメなのだ。でないと、千早を見てやる大人が居なくなるし、律子の負担が大きすぎる。

 

少しの間、俺たちは無言でにらみ合った。

赤羽根はスーツの胸ポケットから退職願と書かれてある封筒を取り出し、俺の目の前に見せつけた。

さらにもう一枚、履歴書を取り出して手渡してきた。

 

「覚悟なら、とっくの昔に決まってましたから」

「赤羽根、お前」

「まったく、遅いんですよ。先輩」

 

俺の後輩、こんなにイケメンだったか?完全に物語の主人公が吐くセリフだよ、これ。

 

もしかしたら千早がお前に惚れちゃうって事になったりするだろ。

イケメン度合いを下げねば危険だ。だが、正式なプロデューサーになってくれるのだから、そこは素直に喜ぶべきだ。

 

これからも大変な事が起き続けると思われるうちの事務所には、赤羽根の存在が必要だろうし。

 

「でも、俺はあくまで千早や皆んなにとっては代理のプロデューサーに過ぎません。先輩が帰ってきて初めて、765プロになるんだってことを、絶対に忘れないで下さい」

 

 

 

赤羽根の加入が正式に決まってから少しして、あいつは事務所に戻っていった。その背後に投げキッスをしたら、めちゃくちゃ嫌な顔をされた。

 

でもな、赤羽根。俺もするならあずささんがいい(真顔)。

 

それから数分後して、あずささんが帰ってきたので、そりゃあもう驚いた。神が投げキッスを望む俺のために幻覚を見せたのだろうか。

投げキッスをすると、あらあら〜と照れていた。

 

かわいい。

 

緩いセーターを着てふにゃり、と笑うあずささんに俺も慌てて席を用意する。ゆっくりと腰を置いたあずささん。佇まいが落ち着いている。あずささんはかわいいとして、この可愛いを超える表現に値する状態を表す言葉が無いことが悔しい。

 

しからばニューワードとして可愛いの上位表現を作ろうではないだろうか。えーーーー

 

「あの〜、プロデューサーさん」

 

少し伺うような感じであずささんが俺のことを呼んだ。

 

「なんでしょう」

「体調はいかがですか?」

「そうですね。まあ、倒れてしまったので……良くはないです」

 

本当だ。体調はもともと悪い。自分の身体についても、ちゃんと理解している。

 

あずささんが暗い顔をしている。だめだ。悲しそうな顔なんかより、朗らかに慈しむ笑顔の方があずささんには似合うのに。

 

でも、あずささんは直ぐにいつもの優しい顔に戻ると、俺の手を握りしめてくれた。ぎゅっと握るその手は震えているけれど、どうしようもないぐらい必死に掴もうとしてくれているのが伝わってくる。

 

つかの間、握り合った手に少し力が入った。それが、どちらのものかは分からない。

 

「プロデューサーさん。私と、ある約束をして欲しいんです」

「約束、ですか」

「はい。元気になって、もう一度みんなで一緒にライブをしたいんです。全員が揃って、最高のステージを」

 

あずささんが言ったその約束は、確かあのロケで、降郷村のあの長いのぼり坂で口にした「みんなでいっしょなら」と同じ言葉だった。

 

「そこには、プロデューサーさん。あなたがいないとダメなんです」

 

みんなで一緒にの、本当の意味。

これが、あずささんの約束……。

 

前を向くと、初めてあずささんの泣きそうな顔を見た。

いつも何気ない会話でトキめいたり、笑ったり、少しガッカリして、それ以上に喜んだ。

その中で悲しみだけは一度だって無かったのに。

 

今日、俺はこの優しい女性を傷付けた。

 

これから先、間違いなく俺はあずささんを傷つける。いまの、この泣きそうな顔を、さらに歪めてしまう。

 

でも、俺はあの夏の海で誓った。

 

俺はあずささんの運命の人になると。

 

だから、だからこそ。

 

「約束します。俺はみんなの、あずささんの側にいます」

 

 

 

声のしない深夜の病室で独りノートを見直すと、色々な想いが甦ってきた。

あずささんや事務所の仲間たち、みんなとの日々を書いている。そんなノートは、すでに半分が埋まった。

 

あとどれぐらい、このノートにあずささんの可愛さを書き残せるのだろうか。そんなこと、分かりはしない。

 

今日のベスト・オブ・あずささん、と何度も書いている。でも、振り返るといつだって、あずささんはベストだった。最高に可愛かった。

 

どれだけの言葉を尽くしたって、あずささんへの感情のすべてを言えはしない。そんなことも分かっている。

 

いまは自分がしなくてはならないことを、守るべき約束だけを考えたい。

 

 

 

 

30日目終わり。




「みなさん、こんにちは! 天海春香です、ひらがな6つであまみはるかです!」

「長いよ、自己紹介」

「プロデューサーさん、ついに物語の向こう側へ行くんですね、向こう側!シリアスシーズンの開始です!」

「でも、大変なんだぞ。これから」

「どうしてですか?」

「この後書きコーナー、ついに終わるんだよ」

のワの「」

「てなわけで、みなさん、本当にありがとうございました!」

「プ、プロデューサーさん、ちょっと待って下さい! このコーナー終わったら私の生命線が無くなっちゃいます!」

「次話からは別のコーナーになるかもなので、よろしくお願いします」

「出番がぁああああああああ!」

第一章 完


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2章. ハルチハの季節(春香と千早はシリアスする)
ウタゴエ


大変長らくお待たせいたしました。すみません、慧鶴です。
ここからはアニマス本編でも重たい話なので、気を引き締めて書いていこうと思います。みなさま、今後ともよろしくお願いいたします。

ではでは、これよりシリアス回、始まります!(フフッヒ♪)

* 一応アニマス準拠のストーリーですが、オリジナルの描写多めです。ご了承下さい。


side.如月千早

 

一羽の鳥が蒼い空に溶けて見えなくなる、そんな夢を見た。

 

その鳥は天の高さを知らない。

幼くして傷ついた羽を動かし、いつか来ると信じる蒼の果てをただひたすら目指していた。

果てにのみ、自分の望むものが在るのだと。

 

水面に浮かぶ氷塊のように鳥が空の中へと溶けていく様子を見ながら、その姿に取り返しようの無い寂しさを、地上に佇んでいる自分は感じたのだ。

 

……。

 

目を覚まして、辺りを見回す。眠りの余韻で判然としない景色。

荷ほどきのされていないダンボール箱の山、一人暮らしには少し広い部屋、普段使わないキッチン、簡潔なインテリア……。

毎日眺めているけれど、そのひとつひとつに愛着が湧いたことはない。

 

起き抜けに声を少しだけ出すと、それはちゃんと音として聞き取れた。普段、人と話すときの私の声音。

だからなのだろうか?

ほんの僅かな期待を込めて私は、自分の声帯を震わせて「ウタゴエ」を作ろうとした。

 

けれど、歌おうとして発したその声は掠れていて、ひゅーひゅーと乾いた呼気だけが、唇から零れ出てくるだけ。

 

わたし、……如月千早は、歌をうたえなくなった。

その事実がふたたび自分に、喪うということの意味を思い出させた。

 

   ◇

 

side.天海春香

 

おはようございます、天海春香です!

 

今朝、いつもより遅く私は事務所に到着してしまいました。昨夜はなかなか眠れませんでしたから。

 

ビルの中は薄暗くて、宙に舞う埃は光に晒されチラチラと視界に入ります。

階段をのぼる時に危うく転けそうになったけど、もうすっかり慣れたので手すりをすんでの所でつかみます。

ギリギリセーフです。転けたら大怪我しちゃうところでした。

 

幸先がいいので決めポーズでもしてみます。マイケルジャクソンのポウッ!をしてみました。シャキン!

こんな姿、誰かに見られたら恥ずかしすぎて余裕で死んじゃいます。

 

――――あっ。

 

……うん、早く事務所行こう。

 

ガチャ、と扉の開く音が耳に響いた。足を踏み入れる。

 

「あら、真ちゃん、春香ちゃん」

「小鳥さん、おはようございます!」

「おはよう。今日は遅いのね、ってどうしたの春香ちゃん、顔色が悪いわよ?」

「今なら、わたし屋上からダイブできます」

「なにがあったの!?」

 

立ち聞きしていた雪歩が心配してお茶を出してくれたので、私はありがたくいただいて、静かに事務所の隅で待機しました。

 

「春香、階段の踊り場でマイケルジャクソンのポウッ! をしてたんですけど、それを僕に見られちゃって」

「何それメッチャ見たい」

「写真あります」

「さすが真くん」

「ふ、ふたりとも、あんまりイジっちゃ可哀想だよぉ」

 

人をオモチャにして遊ぶ二人はほっといて、しばらくの間隠れて泣きました(クスン)

ああ、雪歩しか良心がいないよ。

 

「は~るるん、落ち込むことないって」

「そうだYO ところで、舞妓ジャッキーて何? すっごくファンキーだよね」

イエロータイツの上に着物を着飾った、顔面いっぱい白化粧のジャッキーチェンとか、恐怖映像過ぎる。

「違うぞ亜美、真美。舞妓ジャッキーじゃなくて、マイケルジャクソンだぞ」

そう言って、響ちゃんはキレッキレのポーズを決める。おい、やめろ。

「響さん、と~ってもカッコいいです!」

「春香、気落ちしてはなりませんよ。誰にでも、失敗はあります、次になにをするのかが大切なのです」

「貴音の言う通りよ、春香。ほら、元気出しなさい」

「り、律子さん」

 

ああ律子さん、なんで今まで静観してたんですか、見てたならさっさと助けて下さい。

 

「春香、顔をあげなさい」

「伊織~」

「はあ、まったく。情けないわよ、この伊織ちゃんが自分の仕事以外じゃ、茶番を見てるしかないんだから」

 

……伊織の言うとおり、こんな茶番をしないといけないほど、ここ二、三日の事務所の空気は重かった。思い詰めると、どんどん嫌なイメージばかりがつのってしまう。

 

ゴシップ記事に書かれた千早ちゃんの暗い過去は、だれよりも千早ちゃん自身を深く傷つけた。765プロに対して、千早ちゃんがなにかヒドいことをした訳でもないのに、どうしてこんなに追い詰められなければならなかったのだろう。

大切な歌声をも失ってしまうぐらいに。

 

「この憤りをぶつける先がたとえ在ったとしても、それは千早の歌声を取り戻すことにつながらない」とプロデューサーさんは言っていた。今は自分達ができることをしなさい、と。だからでしょうか、今の自分にできるのは茶番の一つ二つ程度です。

 

千早ちゃんのために何かをしたくても何もできないことが、一番つらい。しかもその事実を目の前で突きつけられました。だから、余計に自分の無力さを感じたんです。昨日の医師の言葉を思い出すと、その気持ちはさらに強くなりました。

 

「喉に異常はありません。発声にも無理はありませんし、歌おうとすると声が出なくなる、と言うことでしたら、恐らく精神的なこと原因でしょう。時間とともに治るケースもありますが、なんとも……」

 

診察室の扉越しに聞こえる、医師の冷めた説明が耳に痛かった。

私や赤羽根さんが思うよりも、千早ちゃんの状態は悪かった。

「こころの問題」と簡単に結論づけられてしまうけれど、あまりにも辛い過去のトラウマが、そんな軽々しく要約されていいなんて思えなかった。

だって、千早ちゃんにとって、歌は全てだと、千早ちゃん自身が言っていたんだから。

千早ちゃんがこのまま歌を取り戻せないのなら、千早ちゃんにとって、それは全てを失うようなことと同じなんじゃないかとわたしは思う。

 

「歌わなきゃいけない、優のために歌い続けないと、そう思って。でも、もう歌ってあげられない。失格です、アイドルとしても、姉としても」

「千早、歌の仕事はしばらく休もう、まずは身体をしっかり休めて……あっ」赤羽根Pさんが声を出した。けど、千早ちゃんは。

「歌えなくなった以上、この仕事を続けていく気はありません」

「千早、また歌えるようになるかも知れないだろう、いや、きっと」

「色々とお騒がせしました」

「千早ちゃん……待って!」

「春香、もう、いいの」

 

昨日、公園でそう言い残した千早ちゃんの後ろ姿を、わたしは追いかけることができなかった。

私はどうにかして、千早ちゃんを元気づけたかった。それでも、あの場で動けなかったのは、きっとわたしには何も言うことができなかったからだと思う。

 

でも、ほんとうは……

 

「ボクは千早が心配だよ、ここ数日、家から出てないって」真が心配そうに言う。

「そうね。千早ちゃん、きっとご飯もあんまり食べてないだろうし、今ごろ塞ぎ込んでいるわ」

「自分、何かごはん作ってあげたいぞ」

「わたしも千早さんに会いたいですぅ」

「うんうん、なんか寂しいしね。ね、はるるんもそう思うっしょ」

 

真美がわたしに声をかける。

そうだ。私は、いま、とにかく千早ちゃんに会いたいんだ。

千早ちゃんに、歌を歌って欲しいんだ。

 

意を決して、私は以前訪ねた千早ちゃんのマンションに行くことにした。

その時、皆が千早ちゃんへのお土産に、喉にやさしいお茶や飴を持たせてくれた。

やっぱり皆、すっごく心配してるんだ。そう思った。

 

「千早に……みんな待ってるからって」真が声をこぼした。

「うん、わかった!」

 

できるだけ笑顔で、私は頷いた。

 

   ◇

 

side.プロデューサー

 

「それで、玉砕してきたという訳か」

「はい……」

 

泣きそうな顔をして、病室に入ってきた春香に話をきくと、千早に拒絶されてしまったらしかった。

暗い顔の春香を見て、何事かと思ったが、そういうことらしい。

はあ、あの春香がここまでヘコんでいるとはな。いつも色々イジっていたが、ここまでなることはなかった。千早の「お節介はやめて!」がかなり効いたらしい。

え、春香をイジってたのではなくイジメてたんじゃないかって? いや、あれはイジメではありません。愛情表現の一種です。ディス・イズ・ザ・コミュニケーション。

 

「いつか訴えてやる……」

「ハルカサンカワイイ」(ハナホジ)

「ありがとうございます、プロデューサーさん! わたし、かわいいですね、わた春香サンはかわいいですね!」

「やかましいわ」

 

ほら、決めポーズしなくたっていいから、なんだよ、そのポウッ! は。早くそこのイスに座りなさい。ふう、まったく。まともに話もできないのか。

春香の明るさの魅力はよく知ってるから、さっさと話を進めよう。

 

「ひとまず春香、よく行ってくれた……ありがとう。赤羽根には、このこと報告したんだろう?」

「はい、病院に来る前に。それで、プロデューサーさんにも伝えてきたらどうだって、言ってくれて」

「ああ、あいつなんて言ってた?」

「やっぱり親御さんの協力は無理そうで、自分達でやるしか無いって。あ、それと、私のこと褒めてくれたんです。前向きだって、励ますのに遠慮はいらないって――――――」

 

春香と赤羽根の話は聞いていて、溜め息しか無かった。俺の後輩、優秀すぎる。

ああ、そうかそうか、ナイスアドバイスだ、我が後輩。俺、ほとんど言うこと無いぞ。

しかしな、赤羽根おまえ、いつからそんな女たらしになったんだ。春香、完全に懐いてるやん。それに俺、春香からキャラメルなんてもらったことないぞ、どないなっとんねん。ちっ、俺が竜宮の臨時プロデューサーしてるときに。

いいなあ、いいなあ。

春香ぁ、俺、仲間だよね。ねえ。

 

「どうなんでしょう、えへへ?」

「帰れ」

「ご、ごめんなさい、ごめんなさい! 仲間ですよ、仲間!」

 

ふう、調子に乗るな。ちょっと出番が増えたらこれだ、降板させようかな。

冗談だ。そんな慌てんな。

まあ、話を聞いた感じだと、赤羽根がしっかりと春香の精神的なサポートをしてくれてるようなので、俺はむしろ千早について、参考になる助言をしようか。

 

「また一緒に歌えたら、私たちも、天国にいる弟さんも嬉しいって言ったら……って。これは、春香の言い方が少しな。千早にとって、弟さんとの過去は辛いことだ。それと同時に、弟のために歌い続けるって言うぐらい、弟さんは千早にとって途方も無く大切な人なんだよ。だから、容易には触れて欲しくないんだろうな。まあ、俺の推測に過ぎないが。でもな、春香。俺はな、春香が言ったことだって、正しいと思うんだ」

 

春香がよく分からない、という顔をする。もう少しかみ砕いて説明するか。

 

「千早は今、いや今まで、弟さんのことが大切だった。それはこれからも変わらない。けど、千早が真剣に向き合ってきた歌を通じて、弟さんと同じぐらい大切な仲間が自分にできたと、千早は気付いてるはずだってことだ」

「それって、千早ちゃんが私たちに心を開いているってことですか」

「そうだ。だから春香も、春香が信じる仲間の千早に自分のできることを、感じたことをすればいい」

 

春香を正面から見据えて、俺はそう言った。

迷いもするし、自信も無くす。無力さをきっと感じたはずだ。でも結局、俺はアイドルのみんなを信じられる。それしか、プロデューサーの俺にはできないからな。

 

春香はよしっ、と言って立ち上がった。お、復活したっぽい。春香の前向きさはこういう逆境では、何よりもつよい輝きをもって、周りを引っ張ってくれる。ありがたい。

春香は病室を後にしていった。って待て。俺へのキャラメルは?

無いのか、お~い。

ぐすん、仲間じゃないのかしら。

……退院したら真っ先に春香をシメよう。

 

   ◇

 

side.天ヶ瀬冬馬

 

目の前に映る765プロのニュースに目を向けながら、どうしようもなく苛ついた。画面には765プロへの誹謗中傷や、心配の声が映される。

すべては、あの記事から始まったことだ。

黒井のおっさんのしたことが、もし本当だったら。あの記事も、それから、いままでの765プロのトラブルも、黒井のおっさんの妨害によるものなのだとしたら。それなら、俺は765プロにすげえ失礼なことをしていたんじゃないか? 

そう思うと、特製のカレーもあんまり美味しく感じられない。

 

「冬馬くん、食べるの遅くない~」

「そうだな、冬馬はテレビの前のエンジェルちゃんに心奪われちゃってるからな」

「おい待てよ、北斗。どうしてそうなるんだ。俺はただ」

 

自分の知らないところで、ズルをしていることが我慢ならないだけだ。ちっとも正々堂々としていない。なんだか、自分が言っていた理想から一番かけ離れたところにいる気がした。だから。

 

「お前らは、納得できるのかよ。おっさんのやり方」

 

口をついて出ていた。向かい側に座る北斗を見た。困ったような顔で北斗は微笑む。

サラダを食べていた翔太が、口をもごもごと動かしながら、飲みこんで言う。

 

「黒ちゃんのはね~、やっぱりやり過ぎだと思うよ、僕も」

「まあな」

「実際、僕らに嘘ついて妨害してたんでしょ」

「そうなんだよな」

「なんだよ北斗、さっきから歯切れの悪い返事ばっかりしてよお」

 

北斗は髪をかき上げながら、う~んと唸っている。ピアスを指で弄びながら俺の方に、じゃあさ、と声を投げてきた。さっきから誰もカレーを口にしていない。

 

「どうして俺たちはこうして、アイドルをできてるんだろうな」

「もしかして、おっさんの肩を持つのか」

「違うさ。ただ、あの人も必死で俺たちを売ってくれてるんだ、やり方はどうであれね。だから、もう少しだけ社長のことを見てみるべきかと思ってさ」

「また汚い真似するかもしれないぞ」

「それでも……それでも、社長もきっと俺たち三人を大切に想ってくれてるかもしれないだろ。そうじゃなければ、俺だってとてもじゃないけどついていけないよ」

 

北斗の言葉に、どう答えればいいのか分からなかった。

北斗は俺より大人だ。多分これまでのモデルの仕事や昔聞かせてくれたピアノ……いろんな事を自分で決断して、やり遂げて、そして諦めてきたはずだ。それは、北斗の強さだ。俺には無い、北斗だけの。

 

だから、俺には見えないものが、北斗には見えているのだろう。

 

「分かったよ、俺も熱くなりすぎた。受けた恩を考えてってことだな、仕方ねえ。でも許したわけじゃないぜ」

「ああ」

「ふう、冬馬くんは優しいねえ。黒ちゃんが聞いたら、大興奮だね、惚れちゃうね」

「翔太、茶化すなよ!」

「アハハー!」

 

ひとしきり翔太を小突いた後、また食べ始めた。すっかり冷めていた。温め直そう。

テレビ番組は音楽コーナーに変わっていた。画面には765プロのアイドルが踊る姿が映っている。センターにはあの時関係者通路でぶつかったリボンの女が、笑顔で歌っている。あいつ、名前なんて言ったっけ。

 

食べ終えてからテキパキと片付けを済ませる。おい翔太、一人だけサボってんじゃねえ。早く手伝え。

 

それから今度のアイドルジャムのステージについて三人で打ち合わせをした。

このステージで、今度こそ正々堂々とあいつら、765プロと勝負して、そして勝ってみせる。

 

   ◇

 

side.プロデューサー

 

面会時間終了の30分前、晩ご飯を食べ終えた頃にあずささんが病室を訪ねてきた。

おう、なんて新鮮で可憐なんだ。今日はベージュのチュニックワンピースを着ている。神域から伸びるジーパンを履いたあずささんのお御足がなんとも美しい。ほらぁ、またこっちに小さく手を振ってるよ。

アカーーーーン。久しぶりだからか顔が緩んでしまう。

味のうっすい病院食で溜まったイライラも吹っ飛ぶぜ。

 

「こんばんは、プロデューサーさん」

「あずささん、今日も綺麗だ」

「あらあら~」

 

照れ笑いをしながらイスに腰かけたあずささんは、今日の仕事について話してくれた。驚いたのは、あずささんが主演の映画が決まったことだ。なんとあの「西映」が制作するらしい。是が非でも見に行きたい。

 

しかし、その気持ちもストーリーを聞いて吹っ飛んだ。

恋愛? ホワイ? 嘘だ、俺のあずささんが他の男に……。役とは言えそんなこと、俺の精神が耐えられるだろうか、いや、無理だ。上映中、あずささんとその何処のウマの骨とも分からぬ輩のロマンスシーンかつエフェクトが映されたとしよう。

 

――絶命するぞ、俺。

 

あわあわ言ってるとあずささんが、こちらを見て微笑んでくれる。

その様子はまるで女神だ。

 

「私はプロデューサーさん以外、好きにはならないです」

「お、俺もです!」

 

コンマ一秒で返答した。

 

「ありがとうございます。……あの~、やっぱり面と向かって言うのは恥ずかしいですねぇ」///

 

あずささんが照れとる。なんかクネクネ動いてる。かわいい。

もうダメだ。俺はここまでだ。胸が苦しい。きっと死因には「萌え死」とだけ記されるだろう。

おっと、まだまだ。大事な話が残ってるじゃないか。

いそいで話を戻した。

 

「あずささん、ひとつお願いできますか」

「なんですか?」

「春香が今日ここに来たんですけど、相当落ち込んでたみたいなので。もしあいつが何か千早のためにしようとしたとき、それを後押ししてやってくれませんか」

「もちろんです、プロデューサーさん」

 

いつもの笑顔であずささんは肯いた。

765プロのアイドルはそれぞれの魅力を持っている。それらが絶妙に作用し、こうしてなんとか活動して来れた。

その中でも、大人の包容力でいつも俺たちを癒やしてくれる彼女の存在が、周りにとってどれほど力になっているのだろう。

気持ちばかりが先行しがちなウチの今の事務所のアイドル達を、落ち着かせてくれる。だからこそ、冷静な判断ができ、対策を打つことができる。本当に、助かる。

 

あずささんの背中を見送りながら、面会の終わりを感じ、すこしだけ寂しくなった。

けど、そんな暇は自分には無いと言い聞かせ、俺は赤羽根に隠れて持ってきてもらったパソコンでメールを打ち始めた。まずはじめに、宛先のところに「如月千種」と入力した。




「後書きまで進出したよ! 生っすか!? ラジオ」 take.1

ハルカ「さあ、はじまりました、生っすか!? ラジオ! 司会はわたし、天海春香と」
ミキ「ミキがするの! 千早さんは、ちょっと今は出られないの、ごめんね」
ハルカ「今日のゲストは、真と雪歩です、どうぞー」パチパチ
マコト「どうも、菊地真です」
ユキホ「萩原雪歩ですぅ」
ハルカ「このコーナーでは、本文での振る舞いについて、色々ツッコんでいきます!」
ミキ「それじゃあ始めるの!」

議題・マイケルジャクソンのポウッ!

のワの「」
ミキ「あはっ☆ ミキ、このポウッ! 見てないから今ここで春香にやってほしいの」
ユキホ「だ、だめですぅ。そんなの春香ちゃんが羞恥心で液状化しちゃいますぅ」
マコト「そうだよ! ボクが写真持ってるし、春香がここでしなくたって、大丈夫だよ!」
ミキ「あ、ほんと?」
マコト「うん、ケータイに送っといたから、後で見るといいよ」
ミキ「ありがとうなの、真くん!」
ハルカ「真ぉ、調子に乗りすぎだよ~」ゴゴゴゴ……!!
ユキホ「ひぅっ」(ガチブル)
ミキ「あ、春香」
ハルカ「息の根を止めてくれるわ!!」
ユキホ「は、春香ちゃん、これ生放送……」
ハルカ「関係ないよ、全部、灰にもどるんだから」
ユキホ「あ、あぅ~~」
ハルカ「さあ、覚悟はいい、真?」
マコト「別にいいけど、それより春香、こっちにはまだデータがあるんだよ」
ハルカ「へ」
マコト「デバッグもとってる。どうしようかな~、このポウッ!、各方面にリークしようかな」
ハルカ「ぐ、ぐぅう」
ミキ「真くん、かっこいいの!」
マコト「ははっ! ありがとうミキ」
ハルカ「ふ、ふえ~~ん」
ユキホ「春香ちゃん元気出して、はい、お茶飲む?」
ハルカ「……飲む」グスン


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ユウ

どもです。慧鶴です。
近頃更新をまったくできておらず、内心ヒヤヒヤしてました。しかし、どうにか進められそうですので、これからも書いていきます! 頑張ります!
それにしても、鬱展開はつらいよ……。



side.双海真美

 

「ねーねー、やよいっちー」

「なあに、真美」

「千早ねーちゃんにとって弟さんって、どんな子だったんだろーね」

「う~、そうだね~」

 

いま事務所には、真美とやよいっちの二人しかアイドルがいない。残るは絶賛パソコンとにらめっこをしているピヨちゃんだけ。亜美がいないから、イタズラもレベル半分になっちゃった。

なんか、つまんない。

 

……千早ねーちゃんがいない。一週間も前から。

原因は分かってる、あの961プロのおっちゃんのせいだ。

はーーー、つまんない! と言うわけで、今日はもうやよいっちとお喋りすることにしたYO!

 

「ちょっとまって、私とは?」

「ピヨちゃんは仕事があるっしょ」

「うう……」

 

実際ピヨちゃんは忙しいっぽい。千早ねーちゃんの抜けた穴を埋めるためにスケジュール調整にてんやわんやしている。イタズラするのは止めた方がいい。ここはさすがに大人な真美も空気を読んだね。

へっへっへ。

 

「さっきから一人で何いってるの、真美」

「状況証拠から推理を組み立てるのは基本だよ、アキチくん」

「わたし、アキチなんて名前じゃ無いよ」

「も~、そこは明智くんでしょ、やよいっち~」 

 

自分でツッコまなくちゃいけないじゃん。ちょー疲れるっしょ。

 

「真美ちゃん、千早さんの話はいいの?」

「おーそーだった!」

 

忘れるとこだった。自分から話をふったのに、ピヨちゃんに気を取られてしまったぜ。

時を戻すっしょ。

 

「ねーねー、やよいっちー」

「なに、真美」

「千早ねーちゃんにとって弟さんって、どんな子だったんだろーね」

「それさっきも言ったよ~」

 

うん。もう掘り返すのは大変だからショーリャクするね。

真美だってこんなこと普通はあんまり聞かない。でも気になっちゃったんだから、しょーがないよね。それに、なんだかんだいってこんなこと聞けるの、同じお姉ちゃんで年の近いやよいっちしかいないもんね。

だから、真美もちょー真剣に聞いてるんだYO!

 

だって、もし亜美が同じ目に遭ったら、そう思うと不安なんだもん……。

 

「真美ね、千早ねーちゃんの気持ちが知りたいんだ」

 

自分でもびっくりするぐらい小さな声が出た。

 

「やよいっちはお姉さんっしょ、だから千早ねーちゃんの気持ちが分かるんじゃないかな~って」

「う~ん、でも千早さんの弟さんのことは、私にはわかんないかも」

「え~なんで?」 

 

やよいっちなら分かると思ったのに、まさかダメだったとは。

も~、どーしろってゆーの、このモヤモヤした気持ちは。

う~ん、と頭を抱えていると、やよいっちがゆっくりと話し出した。ベロチョロをむにむにしながら、一言一言を区切るように。

 

「千早さんにとっての弟さんは、わたしには分からないけど。

 もしわたしの弟や妹たちがいなくなったら、すっごく淋しいよ。ご飯の時、聞こえるはずの「いただきます」が聞こえないし。一緒に寝るとき、布団が一枚だけ余っちゃう。それで、お姉ちゃんて、二度と、呼んでくれないもん。長助も……かすみぃ、こうたろう、こうじ……うぅ」

 

やよいっちは今にも泣きそうになってる。そんなの見たら、真美も泣きそうになっちゃうじゃん。亜美がいないと、楽しさもいつもの半分だし、つらいことはいつもの二倍や、それ以上になるんだもん。

そして、気付いた。

 

――だから、不安なんだ。

 

きっと千早ねーちゃんはずっとかなしい、不安なままなのかも知れない。弟さんが亡くなっちゃってからずっと。

 

「はい、沈むのはそこまでよ二人とも」ピヨちゃんが給湯室から出てきた。

「お、音無さ~ん」

「ほら、やよいちゃん泣かないで」

 

ピヨちゃんがいつの間にかクッキーを持ってきてくれていた。一口かじると、サクッとした音とともに甘さが口の中に広がった。その風味になんだか、胸の真ん中からキュウッとした。

目許が熱い。するとピヨちゃんがふわふわのタオルを渡してくれる。可愛い顔なのに泣いたらもったいないわ、ほら笑って。ピヨちゃんはそう言って、真美とやよいっちをギュウっとハグしてくれる。

温かくて、安心する、なんだかお姉ちゃんみたい。年の離れた、一番上の……。

ホロッと涙が流れた。それから、泣くのを我慢できなかった。

 

「あー! ピヨちゃんに泣かされたー!」

「ふふ、私の胸で泣いてもいいのよ。遠慮しないで」

「年齢=彼氏のいない歴のピヨちゃんにー!!」

「ちょっと真美ちゃん、何言ってるの!? ふ、う、うぅ……」ウルウル

 

ありゃ、ピヨちゃんが泣き出しちゃった。もう落ち着いたやよいっちが、今度はピヨちゃんの頭を撫でてヨシヨシしてる。

もしかしたら、本当の一番上のお姉ちゃんはやよいっちなのかも。

 

「だれか私をもらって下さい……」

 

ピヨちゃんは肩を震わせて、静かに声を漏らした。

 

……ピヨちゃんの切実な願いが、いつか叶いますように。

 

   ◇

 

side.プロデューサー

 

赤羽根に来てもらったのは、ちょうど昼ご飯を食べている時だった。

病院食のメニューは、内臓に負担をかけないことを念頭に置いたものだった。味が薄い。醤油をかけてズズッといきたいところだが、それは今はダメらしい。

 

「先輩。頼まれていたこと、やってきましたよ」

「おお、ありがとう。ささ、腰を掛けてくれたまえ、女たらしの我が後輩」

「どんな言われようですか、俺」

 

憤慨しているところ悪いが、こっちは春香から全部聞いているんだ。貴様のやったことはな。

 

「で、先輩。早く要件を済ませますよ」

「あら、スルーですか。りょ~かいで~す」

 

ああ全く、と難しい顔をしながら赤羽根は話し始めた。

バッグから分厚い資料を持ち出すと、俺の前にドカッと置いた。

その幅タテ10センチほどのA4用紙。これに目を通すのは大変だ。しかし、これを今日一日で済ませることが俺の仕事だ。赤羽根は30分ぐらいしか時間がとれないし、早くせねば。

 

「要点から簡潔に話してくれ」

「そのつもりですよ。急ぎますね。

 まず、内容に関してはふたつ。こちらが千早への報道について、961プロの圧力がかかっていると思われる人物のリストと番組、出版社です。そしてもう一つは、千早の家族に関する情報を。こちらはあまりしっかりとは調べられていないですが」

「おう、それで?」

「リストの方は後でしっかり目を通してもらえればいいです。それよりも、千早の家族について話しましょう」

 

赤羽根はそのまま、千早の家族についての書類を残し、リストの方は引き出しにしまった。ってリスト多過ぎだろ。一気に4分の1ぐらいまで減ったぞ。

どれだけ千早は圧力かけられてんだ。見るのがちょっと怖いわ。

 

仕事の割り振りが難しいなあ。う~む。

 

そうして、俺たちは千早に関して話し合った。

病室なので極力声を下げた。

 

赤羽根には以前から母親についての情報を集めてもらっていた。母親の連絡先は分かっていたが、なぜか連絡を入れても、いつまで経っても返信が来ないのだ。

そこで、動けない俺に変わって赤羽根に調べてもらっていたのだ。が……

 

「まさか春香に会いに来るとはなあ」

「ええ、俺も衝撃でした」

「昨日なんだろ、来たの。お前は会ってはいないのか?」

「残念ながら。聞いたところ母親自身、千早に会う気がないようですし。これはちょっと厳しいですね」

「ああ、また昨日もメールを送ったが、返信が来なかった」

「そうですか……どうにか連絡が取れるといいんですが」

 

赤羽根はこの二日間寝ていないらしい。やはり疲れが出ているみたいだが、そこにこのバッドニュースはきついな。

 

父親について調べたことを聞いても、千早の親は、自分は娘に会ってはいけないんです、の一点張りらしい。

 

もともと、温かくて安らかな家庭だったのが、弟さんの不慮の事故から性急に崩壊していった。あの時、千早自身も傷付いていたにも関わらず、両親はお互いに不和を起こし幼い娘にまで意識が向いていなかった。

弟の死という重くつらい現実に、追い打ちをかけるような淋しさが千早と両親との間に、深い深い溝を作ってしまったのだ。

 

冷え切った家庭に、幼い千早は孤独を感じていただろう。

そのために、千早はいつも居場所を求めていたのかもしれない。歌という、弟さんが大好きだった唯一の居場所を。

 

接触が取れたのは父親だけで、母親については無反応。肝心の父親も娘に会うつもりがない。

 

ほぼ手詰まり状態だった。

 

「どうする、赤羽根。もうここまで来たら、俺たちで何とかするしかないぞ」

「閉じきった千早の心を開く……難しいですよ。そのための両親への接触だったのに、収穫と呼べる物なしですからね」

「うん、ぽい物と言えば、千早の弟さんのスケッチブックくらいだろう。アレ、今は春香が持ってるのか?」

「ええ」

 

あの中にヒントがあればいいのだが、それを期待するのは酷な話だ。変に希望を持つのは危険だ。

最悪このまま千早が本当に帰ってくることができなかったら。一番いやなイメージだが、現状は限りなくそれに近づいている。それは、765プロにかつてない喪失と、それ以上に暗い失望が生まれる。

 

アイドルや俺たちにも、千早の復活をねがうファンの人達にも。

 

お互いに同じ事を考えたのか、俺も赤羽根もしばらく無言のままでいた。

どうした物かと思案したが、俺は病院から動けない分、今後も千早の母親にメールを送るくらいしかできない。やはり、赤羽根が頼みの綱だった。どうにかして、千早を活動の場に、歌える場に直接復活させる事のサポートができるのは。

 

「今後も動いてみます。なんとか千早を……」

「ああ、すまないが頼む。この通りこちらは使い物にならないからな」

「先輩は先輩のするべき事をしてください」

「わかってる。お前は千早の帰ってこれるチャンスをできるだけ作ってくれ」

「そうですね。……ひとつ在るとしたら、定例ライブとか。あれなら周りはファンの方々だけだし、順番をずらしてやれば、それまで時間もギリギリまで稼げるでしょう」

「もし失敗したら、二度ともどって来れないかもしれん。そこは慎重にな」

 

ええ、と肯いた赤羽根はそのまま病室を後にした。

 

――――ライブはいいが、やはりそのためには千早を外に連れ出す必要がある。そうでなくては、ライブの意味はない。

千早の孤独を埋めて、前を向かせること。その方法は、何処にあるのか。

 

悩みは尽きなかった、俺は引き出しの中にしまわれていたリストに目を通し始めた。

必ずみんなが……そう信じるしかなかった。

 

   ◇

 

side.三浦あずさ

 

少し冷えてきました。髪をバッサリ切ったので首筋がスースーしますね。

仕事終わり、事務所に立ち寄ったところ。わたしは小鳥さんにお酒に誘われました。

 

「あずささん、今夜はサシでいきましょう」

「え、でも、いまはみんな大変で。千早ちゃんだってあんなことになってるのに、お酒なんて」

「だからですよ。年長者同士、大事な話をするべきかと」

 

いつものような落ち着きはらった様子で小鳥さんはそう言った。

大事な話、というのは何だろう。それに、律子さんを呼ばないのはいったい。

 

「そりゃあ、律子さんとは話せないことですよぉ」

「事務所のことですか?」

「ええ、確かにそうですね。えっと、事務所の一大事なので。いまこそ話し合うべきかと」

「……分かりました。じゃあすぐに準備しますので、待ってて下さい」

 

それからすぐに支度して、九時過ぎの夜の町に二人で繰り出しました。

5分ほど歩いたところにひっそりと佇む居酒屋があったので、そこに入ることにしました。

お酒とおつまみを頼む。と、小鳥さんが「あずささんは今日はお酒禁止です」といって私はウーロン茶に変更されました。……何故お酒の場に私を誘ったのでしょうか? わたし、飲んじゃいけないみたいなのに。

小鳥さんは持ってこられたビールを喉を鳴らして飲んでいます。

 

「ピヨ~! キ、キンキンに冷えてやがる! 涙が出るっ! 犯罪的だっ! 美味すぎる! しみ込んできやがる体に!」

 

あらあら~、豪快な飲みっぷりですね。

 

「ツッコミは無しですか」

「あの〜、何か間違えましたか」

「いえ、大丈夫です。賭博録なだけですピヨ。」

「? えっと、わたしは飲まない方がいいですか?」

「ええ、笑い上戸では真剣な話にならないですから」

「わかりました」

 

その後、運ばれてきた料理を食べながら少しずつ話をしました。

竜宮小町のこと。千早ちゃんのこと。アイドル活動そのものについて。もしかしたら、小鳥さんとこんなに沢山話したのは初めてかも知れないです。

夜も深まってきて、お客さんも減り始めた頃にわたしと小鳥さんは勘定を済ませてお店をでました。

そのまま、小鳥さんに誘われるままにお家にお邪魔することになりました。

 

小鳥さんの部屋は私たちの活動に関する記録のDVDや、雑誌などで一杯で、なんだか少し嬉しくなりました。ここまで私たちの為に行動して下さっているとは、目に見えて分かるとやっぱり感動します。

 

「ささ、あずささん腰かけて」お茶を持ってきてくれた小鳥さんに促される。

「それじゃあ、うふふ、失礼しますね」

「本当にすみません、こんな時間に」

「いえいえ、小鳥さんのお家に上がれて嬉しいです。いろいろ気付くこともありましたから」

 

私たちはしばらくの間談笑していました。小鳥さんもお酒が入っているからなのか、結構フランクに話してくれます。そうして盛り上がっていたところで、小鳥さんは声のトーンを一段落とし、私の方を向いて予想だにしてなかった質問をしてきました。

 

「プロデューサーさんとのお付き合い、どうお考えですか?」

 

え、としか声が出ませんでした。

どうして小鳥さんは、私たち二人が付き合っていることを知っているんでしょうか?

わたしは誰かに話した覚えはないし、プロデューサーさんもきっと違うでしょうし。

 

「いやいや、お二人とも見てたら恥ずかしくなるぐらい惚気てるじゃないですか」

「そうなんですか!?」

「無自覚ですか」

「ええ……」 

 

はあ、とため息をこぼす小鳥さんはその後、今までの私たちがどういう風に見えていたのかを詳細に説明してくれました。聞いていて、正直顔から火が出そうなくらい恥ずかしかったです。あんなことや、こんなことまで。

小鳥さんの言うことが本当なら、私どれだけ隠すの下手なのかしら。

 

「ですが、他のアイドルの子達の前ではしていないので、そこは感心してます」

「ちなみに小鳥さんのほかに知っている人はいるんでしょうか?」

「そうですねぇ、社長と赤羽根さんはたぶん気づいてます。律子さんは微妙なところですね」

 

まさかそこまでバレていたなんて。

わたしたちが付き合いだしてから、もう半年近く経っている。その間に、これほどの人が知っていたのだと思うと、焦りました。

ただ、この話を聞いてもプロデューサーさんと別れようとは、まったく思いません。

 

「もちろん、中途半端な気持ちでないことは分かっているつもりです。でも、あずささんもいずれ何かしらの決断をする時が来るでしょうし、何よりアイドルの恋愛は一般的にはご法度です」

「はい……」

「だからこそ、あずささんの気持ちをこの場で聞いておこうかと思いまして。プロデューサーさんのことをどう思っているのかを」

 

ちょうど深夜だったのもあって、辺りはシンとしていました。音が立たないので、私と小鳥さんの呼吸の音もはっきり聞こえました。プロデューサーさんのことをどう思っているのかを人に話すのは初めてだったので、自分でも驚くぐらい緊張しました。小鳥さんは、一瞬も視線をそらさずに私を見つめていて。

想いを言いかけて、そのたびに少しためらうを続けてました。それでも、小鳥さんはずっと待っててくれました。そうして、途切れ途切れに私は声を出した。

 

「あの人は、プロデューサーさんは、私の運命の人だと、思っているんです……」

 

言い終えて、しばらく沈黙していました。

小鳥さんは静かに「そうですか」と言うと、グイっとお茶を飲み干しました。

そして、私たちの関係は洩らさないと約束してくれました。女子会だけのことに留めますと。

そのまま小鳥さんはウットリとするような声で運命の人かぁ、とだけ呟くとまたお茶を入れに席を立っていきました。

小鳥さんが席を離れてからも、しばらくお茶が喉を通りませんでした。

私は、さっきからずっとドキドキしっぱなしです。

 

   ◇

 

side.如月千早

 

優の写真に、幼いころのわたしが並んで写っている。

屈託のない笑みを浮かべて、姉弟なかよく立っている。

 

この写真を撮ってから4ヵ月後に、弟はトラックに轢かれて亡くなった。優の体は中で骨という骨がバラバラに飛び散ってしまったように、ぐにゃりと関節が変な方向に曲がってしまっていた。

顔はドロドロに汚れて、擦りむいた皮膚や内出血で、白い肌は赤茶けていた。

 

――お姉ちゃん。

 

それが、優の最後の言葉。私に駆け寄ろうとして、道路に飛び出した私の弟の。

わたしは目の前で自分の弟の亡くなる姿を見た。いや、見殺しにしてしまった。

 

それから、父さんも母さんも喧嘩ばかりするようになって。全部、私があの時、優を助けなかったから。

 

家の中では怒鳴り声と悲鳴ばかりが聞こえた。嫌だった。

あの頃逃げるように和室の隅で膝をかかえて座っていると、仏間に飾ってあった優の遺影が見えた。

あの時、撮った写真だ。

ふと見てみると、そこには優がいる。でも、優は笑ったまま、表情を変えない。轢かれてしまったから。わたしがあの時あの場にいたから。

 

しばらくして両親は離婚した。

 

優がいたころの、あの幸せだった日々も、もう戻らない。すると、悔しくて、むなしくて。

それからだった。私が優への償いを誓ったのは。だから、償いである優への歌に私の全てを捧げるために、努力を続けた。それ以外、なにもかも捨てて。ひたすら練習した。優がわたしに望んだ、歌うことだけを考えて。

 

あの頃、母とは喧嘩ばかりしていた。もうずっとそうだ。

アイドルになれてからは、一人暮らしを始めた。母とは顔も合わせたくなかった。家を出る時も、一人で準備して、あの人に何も言わずに玄関を出たっけ。

 

アイドルになって、歌を歌えるようになった。これで、やっと償えると思ったのに。

それなのに、もう歌えない。

 

「こわいよ……優」

 

あの頃、優がいなくなった家での生活は、震えるぐらいさびしかった。

それに、今はもう優とのさいごの繋がりだった歌さえもない。

 

「――ッ。 どうして、どうして歌えないの。優に、届けたいのに」

 

喉を痛めるような、かすれた声を絞り出す。でも、ちいさな声は何事もなかったかのように霞んで消えた。

 

ここしばらく自分の声以外、もうほとんど聞いていない。携帯電話は放置していた。

春香の声ぐらいだろう。

あのとき持ってきてくれたお見舞いも、とりあえず持って入るだけした。その辺に放ってある。あの時、春香の言葉に、優のことを言われたとき、なにも考えられなかった。

思わず、酷いことを言っていた。本当に、最悪だ。

 

こんな情けない、歌えない、何も残ってない。

 

……もう、全部どうでもいい。悲しくなるのも、悔しくなるのも疲れてしまった。

 

優と一緒に撮った写真にうつる自分の笑顔をもう一度見てみた。

こんなに笑っている。優と一緒なら。

もうずいぶん前から、心の底から笑っていない。私はどうやって笑ってたんだろう……。

わたしはそっと、写真立てを伏せた。

 

私はひとりで、優の願いも叶えられない。

アイドルとしても、姉としても失格な自分。

 

   ◇

 

side.天海春香

 

千早ちゃんのお母さんから預かった、弟さんのスケッチブックには絵が描いてあった。

クレヨンでカラフルに彩られた絵は、うたっている女の子と小さい男の子。

やさしい色使いは、つたないけれど、見ていてとても心が温かくなる。

 

私は千早ちゃんに何か言いたいのに、何も言えない。

なんだかモヤがかかっているみたいに、気持ちにひっかかることがあったから。

どうやって、なにを伝えたら良いんだろう……。

 

「歌、かぁ。千早ちゃん、可愛いね」

「でもいままでこんなふうに歌う千早さん、見たことないの」

「ミキもそう思う?」

 

ミキと二人で見てたけど、やっぱり気になるのはそこだった。

弟さんのスケッチブックに描かれた千早ちゃんと、実際の千早ちゃんにはズレが感じられた。

口を大きく開けて、にっこりと目を細めながらマイクを持って歌う千早ちゃんを、弟さんはどんな想いで描いたんだろう。

 

そうして、また絵を二人で眺めた。クレヨンで描かれた千早ちゃんを。

 

「ミキね、千早さんの歌うところ、すっごくカッコイイと思うの。だから、もっともっと見たいなあって」

 

ミキがぽつりとそう言った。

それを聞いて、私は驚いた。ミキがこんなにもストレートに敬意を表すのを初めて見たからだ。

普段ミキは誰に対しても、対等に、変わらない態度で接していた。ミキらしさ、みたいな自由さだ。

そんなミキの尊敬の言葉は、何よりも胸に響いた。

 

「あ、でも、ミキも負けないからね」

「ふふっ。そうだね」

「ねえ、春香はどうしたいの?」

 

ふと、ミキにそう聞かれて、瞬間、言葉に詰まった。

自分の気持ちはずっと変わっていない。千早ちゃんに歌って欲しい。それだけだ。

 

「私は……千早ちゃんにもう一度、歌って欲しい」

 

でも、千早ちゃんは傷ついていて。

どうにかして千早ちゃんの歌を取り戻したいと思った。

そして、また一緒にアイドルを続けて、歌を歌いたい。

 

「そっかあ」

「千早ちゃんがまた歌うところが見たいんだ」

「ミキもね、今までの千早さんも好きだけど、この絵みたいに歌う千早さんも見てみたいって思うな」

 

スケッチのブックに語りかけるように、ミキがそう言った。

 

「だって、千早さんの笑うところ見たいもん」

 

千早ちゃんの笑うところ……。

 

――――頭の片隅に、一瞬、光が浮かんだ。

 

頭の中のモヤモヤがフッと晴れた気がした。

千早ちゃんは、いままで弟さんの為に歌ってきた。千早ちゃんの、亡くなった弟さんへの誓いだからだと、そう言っていた。

でも、この絵を描いた弟さんの想いはもしかしたら……。

 

確証もないけど。また私の勝手な想いでしかないかもしれないけど。

千早ちゃんが応えてくれるかも分からないけど。

千早ちゃんにこの想いを届けることが、いまの私にできることじゃないのかな。まっすぐ、千早ちゃんに伝えられる方法で。

 

ミキに私の考えを言ってみると、それ、すっごく良い感じなの! と賛成してくれた。

早くプロデューサーさんのところに行こうと、この考えを聞いてもらおうと言ってくれた。

 

「うん、行こうっ、ミキ!」

 

私も強く肯いて、律子さんと打ち合わせをしている赤羽根Pさんのところに向かった。

スケッチブックを胸に抱えて。

 




「後書きまで進出したよ! 生っすか!? ラジオ」 take.2

ハルカ「生っすか!? ラジオ! こんにちは、司会の天海春香です!」
ミキ「ミキなの~。千早さんは、またまた休養中なの、あふぅ」
ハルカ「寝ちゃダメだよ、ミキ~。ああぁ! ゲストはやよいと真美です、どうぞー」パチパチ
ヤヨイ「うっうー! 頑張りますぅ!」
マミ「真美だYO! ヨロヨロ→☆」
ハルカ「このコーナーは、本文での振る舞いについて、色々ツッコんでいくものです」
ミキ「それじゃあ始めるの~」

議題・小鳥さんの婚期

ハルカ「……これはまた思い切った議題を」
ミキ「もう過ぎてるから終わりじゃダメなの?」
ハルカ「ミキ、さすがにそんな言い方はだめだよぉ。あ、二人はどう思うの?」
マミ「う~ん、真美はどうにかピヨちゃんをお嫁さんにもらって欲しいYO!」
ヤヨイ「音無さん、きっと綺麗な花嫁さんになると思いますぅ!」
ミキ「え~、そ~かなぁ?」
ヤヨイ「そーですよ! あ、それに、ミキさんもウエディングドレス似合うと思います」
マミ「うんうん、ミキミキは似合うよね。悩殺という意味で」クックック
ミキ「ほんと! 二人ともありがとうなの!」
ハルカ「あの~、みんな。なんだか話が脱線してない?」
マミ「あ、そーだ。ピヨちゃんの婚期の話だ、これ」
ヤヨイ「あうぅう、でも婚期っていつまでなのか、私よく分かんないです」
ハルカ「今はおおむね30歳までかなぁ」
ヤヨイ「うっうー! じゃあ小鳥さんなら、あと〇年は大丈夫ですね!」
ハルカ「うん、でも、〇年てあっという間だから気をつけないとね」
マミ「そうだね、真美達もウカウカしてらんないっしょ!」
ミキ「ミキはハニーがいるから大丈夫なの~」
ハルカ「ファッ! あ、あ、えっえっと……ハニー、何のことだろうな~、ミキまだ寝ぼけてるのかも」アセアセ
マミ「きっとそうだYO! ほら、蜂蜜と結婚なんてあり得ないっしょ→☆」アセアセ
ヤヨイ(ど~して真美と春香さん、あんなに焦ってるんだろ?)
ミキ「え~。でも~どっちかって言うと、ミキは小鳥よりも、春香の方が婚期逃しそうな気がするな~」
のワの「」
ミキ「もしかしたら、春香のご祝儀はこの先ずっと包まないかもしれないの!」
ハルカ「……」ゴゴゴゴ……!!
マミ「もう、真美はどーなっても知らないかんね……。さ、やよいっち、行こう」
ヤヨイ「?」


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ヤクソク

慧鶴です。
さあ、やって参りました。ロリ千早、登場の回です。

コロナで世界中大混乱です。
書くという行為は、慈善には為らないし、生産的活動にも為らない。それをこの期間に痛感しました……が、それでも書いてしまうのは吾性なのか。まあ、こんな酷い時だからこそ、アイドル達が皆さまの癒やしになると信じています。(私的愚考)


side.我那覇響

 

昨夜は貴音が家に泊まったから、今朝は朝ご飯をつくるのが大変だったぞ。

 

自分、家族の動物たちのごはんも作らないとだから、今日はいつもより30分もはやく起きたんだ。

テーブルの上には、これでもかと言うぐらいに作った料理が並べてある。ゴーヤチャンプル、ジューシー、ニンジンシリシリ、ポーク卵。たぶん五人前は作ってるぞ。張り切り過ぎちゃったけど、貴音ほんとにこんなにいっぱい食べきれるのかなあ。

そんなことを考えながら、自分は貴音と動物たちを起こして食事の席に着いた。

 

……で、いま目の前に座ってる貴音がおそろしい勢いで朝食を平らげたんだけど……。

 

「まこと美味でした」

「ほんとに一人で全部食べたぞ」

「出された食べ物は残さず食べる、基本です。」

「それにしても貴音の食べ物への執着はすごいな」

「そんなことはありません。それに、手の込んだ、細部にまで到る丁寧で柔らかな味わい。響自身をつよく感じました」

 

そう言いながら、貴音は手巾で口元を拭く。ツヤツヤな唇が布とこすれるのを見ると、なんだか恥ずかしくなったぞ。自分、この前から一体どうしたんだろう? 貴音のいい匂いや、しなやかな手の平を感じてドキドキするなんて。緊張してるのかな……?

 

「ですがすこし、物足りないです……」ポソッと言った貴音は、ゆらりと自分の方に寄ってきた。

「ふえ?」

「響、もっと。もっと……」

「ちょっと貴音ぇ、は、恥ずかしいぞ」まさか、貴音は自分のことが。でも、そんな。

「もっと、響の」

「じ、自分っ! 貴音のこと好きだけどそういうのは早いというか、もっとお互いのことを知ってから。そ、それに女の子同士でなんて」

 

ダメだぞ。このままじゃ自分、貴音と!

 

――――ぐ~~。

 

「もっと響の作った料理が食べたいのですが」

「え」

 

頬を紅潮させて、恥ずかしそうに貴音は……おかわりを求めた。

ふ、ふぎゃ~~! 自分完全に勘違いしてたぞ、うああ、どうしようスゴイ事考えてたぁ……。

どうしたのですか、響? と貴音はキラキラと澄んだ瞳で見つめてくる。

やめてぇ、そんな目をしないでくれぇ。うぅ……。

 

「……デザート食べる?」

「もしや、さぁたあんだぎぃですか?」

「うん」

「なんと! それは重畳」

 

チョウジョウ? う~ん、難しいことばだ。意味はよく分かんないけど貴音の顔から察するに、喜んでるっぽいからまあいいか。

台所からサータアンダギーを持ってきて、テーブルに置いた。貴音は優美な、それでいて流れるような手つきで茶色いボールをひとつ手に取ると、一口頬張った。サクリ、と音を立ててかじられたお菓子の断面から、しっとりと砂糖の甘い香りがたちまち漂ってくる。じっくりと咀嚼し、貴音はコクンと喉を鳴らして飲みこんだ。

 

「いつもの事ながら、響の作るさぁたあんだぎぃは格別に美味です」

 

はじけるような笑顔。美味しそうに食べてくれるのは、作った自分としても嬉しいぞ。

 

「……一人暮らしを始めてから、こうして家庭の味を愉しむことが減りました。ですがやはり、こうして親しい者との食事というのは、心の底の方を温かく満たしてくれるものですね」

「うん、自分もにぃにや動物たちと一緒に食べるご飯の時間は大好きだぞ」

 

そうなんだ。家族が揃って食べるご飯の時間は、とんでもなくあたたかい時間なんだ。

嬉しいことがあって走り回りたいときも、嫌なことがあってイライラしてる時も、辛いことがあって泣きそうな時も。どんな時も変わらずに、美味しい食事とみんなの笑顔や話し声があって、こころを温かくしてくれる……。

 

「海で事務所の皆としたばぁべきゅうも、同じように楽しかったですね」

「うん。春香、焼けたお肉の乗ったお皿をひっくり返しそうになってさ、それを貴音が見事にキャッチしたんだよな。あの時は笑ったなあ。貴音、5秒で全部食べたんだもん」

「ええ、牛ろぉすは定番ですから」

そう言って貴音は、ひたすらサータアンダギーを食べる。これももうすぐ貴音の胃袋の中にすべて消えちゃうなあ。

 

「本当に楽しかったなあ、ねえ、また事務所の皆で行きたいね。今度はさ、社長やピヨこも誘ってさ。それでまた夜に海に行って、皆でバーベキューするんだ。」

「ええ、是非とも」

「その時はさ、自分、千早も一緒に来て欲しいな」

 

歌を歌えなくなって、いまは傷ついていしまっている千早も一緒に、皆と食卓を囲んで。

当たり前にあったからこそ、今度もまた。

 

そのためにも、自分も千早のために何かしたいな。

でも、ほんとうに自分、そんなことできるのかなとも思う。ふぎゃぁ……。

 

「響、不安にならないで」

貴音はサータアンダギーの最後のひとかけらを飲みこむとそう言った。

「もうすぐ何かが動き始める気がするのです。私たちが前に進むための何かが……」

 

それから、食器を洗って支度をした自分たちは、事務所に向かうために家を出た。鍵をかけて、エレベータを使って一回まで降りた。そのときだった。

自分と貴音のケータイ電話が同時に震えた。メールを通知するメロディを奏でる。

慌ててポケットから取り出し、液晶画面に視線を落とす。

 

――――差出人・春香

 

   ◇

 

side.プロデューサー

 

「ずいぶん顔色が良くなりましたね、プロデューサーさん」

 

お見舞いに来てくれたあずささんは、俺の顔を覗きこんで微笑んだ。アホ毛がピョンピョンしとる。

……かわいい。

白のロングワンピースと首下から出ている紺色のタートルネックとのコントラストが素晴らしい。落ち着いた佇まいは、自然と周りの人を癒やしてくれる。

 

「しっかり休めていますし、俺だけ何もせずにはいられないですから。すぐに現場復帰しますよ~」

「はい。でももう少しの間、安静にしていてほしいです。お医者さんの言葉をしっかり守って下さいね」

「あーい」

 

あずささんの言葉だと、なぜか肩肘を張らずに素直になれるから不思議だ。

いままでこんなにも素の自分を出すことはなかった。それなのに、あずささんの前ではどうしようもない程自分自身は漏れ出てしまう。それを受け止めてくれる彼女がいて、自分の知らなかった己自身をまた気付かせてくれる。これも、俺があずささんに惹かれた理由のひとつだが。

 

あずささんは俺が横になっているベッドの側にある椅子に静かに腰を下ろした。

 

「そういえば、千早への歌、作るんですよね」

「ええ、歌詞は一昨日にみんなと事務所に集まって完成させました。赤羽根Pさんが忙しそうだったので、できることは自分達で先にしようって伊織ちゃんが」

「伊織がそんなことを……あいつも、事務所のことを心配してくれているんですね」

「うふふ、伊織ちゃん、頼りになるんですよ」あずささんは嬉しそうに笑った。

「それで、作曲の方はどうなりました?」

「明後日にはデモテープが届くそうです」

 

着々と、千早への歌は作られていたみたいだ。もうすぐ完成だというのだから、是非とも千早本人に聞かせ届けてやりたいものだ。

歌詞について話を聞くと、タイトルは「約束」という曲になったらしい。千早自身の弟さんへの約束と、765プロの仲間たちが千早とともに歩む未来への想いについて、みんなで考えて作詞したものだそうだ。

 

「約束ですか、思い出しますね。あずささんとの約束」

不意に口をついて出ていた。

「みんなで最高のライブをもう一度……ですね」

「あの時、そう言ってもらえて嬉しかったです。俺にも目標ができましたから」

 

あずささんとの煌めくような思い出を、限界まで作っていくこと。それだけでいい。

そう思っていた自分にも欲が出てきたのだ。あずささんと、みんなと一緒にさらに先の方へ、そのライブの終わりまでいきたいと。

 

「前へ進むためには、過去の約束や思い出もそうですけど、いま周りで勇気をくれる存在が必要なんでしょうね」

「そうですね。私にとってプロデューサーさんと過ごす時間はすべて、今のわたしに力をくれますから」

「俺もそう思います。照れてるあずささんや子どもっぽいあずささん、それにやきもち妬いてるあずささんも全部いい思い出です」

「あらあら……もう、口に出されると恥ずかしいですよ」

また照れとる。かわいい。

 

上目遣いにこちらを見ているあずささんを、ゆっくりと抱きしめる。布団からあまり動けないから、肩を少し触る程度しかできない。けれどそうして、あずささんの柔らかさが、質感が、ぬくもりが、また新しい思い出が俺の中に刻まれる。

 

「プ、プロデューサーさん……」

「こうして一緒にいる今も、俺はあずささんから勇気を貰えます。でも、思い出は遠く離れていても勇気を俺に与えてくれる」

「ええ」

「同じなんです。きっと千早にも届きます、みんなからの気持ちや思い出が、いまの俺と同じように」

 

そう信じているから。千早はかならずまた歌声を響かせてくれると。

 

「……千早ちゃんが戻ってきたらきっと、またみんなで」

あずささんは聞き取れるか微妙な小さい声でそう言った。

「その時はあなたに、ちゃんと伝えますから」

 

あずささんのその言葉に、俺は無言を貫いた。

 

~~~~~~

 

失う恐怖というのは案外自覚しにくいもので。

失ったときに初めて堪えきれぬほどの痛みを自覚することがほとんどだろう。

そこから独りで立ち上がる人もいる。でも、それと同時に周りの人の助けがあってようやく立ち上がれる人もいる。

周りの大切な人たちの思い出が救ってくれる。

 

だが、思い出は時として人を傷つけてゆく。

傷付いてしまったことも、認められないことも、弱いことも、全部。

 

それは恥ずべき事じゃないはずだ。

 

……愛していたことに、違いは無いのだから。

 

   ◇

 

side.如月千早

 

「ほっとかないよ!」

春香の声に、前にある扉を思わずわたしは見ていた……。

 

春香が帰ってから、私はゆっくりとダルい身体を揺すりながら、扉の前に立った。さっきまで、この向こう側に春香がいた……。

ポストに投函されていた春香から届いた手紙には、みんなからの気持ちが歌になって込められていた。

その言葉たちが淡く光って見えた気がした。

 

それから優の、弟のことについても書いてあった。

優がわたしの歌を聴きたがった理由。あの時も、その時も優はわたしに「歌って」と言った。その本当の理由。

 

――――笑って。

 

もし、優の心の底からの願いがそうだったのだとしたら。

 

あの日は……そうだ、祭の人混みの中で水風船を落として割ってしまった優のために、私は歌を歌った。それで優は笑ってくれた。私も、笑った。そうして、私が持っていたもうひとつの水風船を二人で遊びながら持って帰った。

そんな水風船が萎んでいくのを見て、私が悲しくなったとき、優は私に「歌って」と言った。

あどけない私はしょうがないな、と思いながら歌を歌った……優も、私もそれから笑った。 

 

布団の中で……暗いのが怖くて眠れなかった。でも優の前でそんなことはとても言えなかった。可愛らしい意地だったのだと思う。そんな時も、優がわたしに歌ってと言って、しょうがないなと私もそれに応えた。

歌を歌えば、怖いのもどこかに行って、楽しくなって。お母さんに早く寝なさいとちょっとだけ注意されたけど、それも可笑しくって。いつのまにか二人で笑っていた。そして、眠りに落ちた……。

 

 

思い出せば、優に歌ってあげた時は、何度か私自身に悲しいことがあったときだった。それでも、歌は私たちを、私を笑顔にしてくれていたのだ。わたしは、純粋に歌う事そのものが好きだった。歌っていると、どうしようもなく笑顔になってしまうのだ。

 

それを765プロにいて、みんなと歌っているときに、水底からフッと沸く泡のように思い出した。

同時に、優への誓いを思い出した。この居心地の良さに沈んで、初めの誓いが薄れてしまうのが怖くもなった。

居心地の良い、ありのまま、歌うことを好きだと屈託なく言えてしまう自分に為ることが。

 

だって、それはこのスケッチブックに描かれている幼い頃の私そのものだ。

 

この姿こそが、優が好きだった私なのだとしたら……。わたしは、そこに戻れるのだろうか、いや、前に進めるのだろうか。

 

いま、私は何をすれば良いだろう? 歌を歌えない私が、この歌を届けてくれたみんなに。それに、優との約束を果たすために。

 

分からない。ただ、このままは絶対に嫌だと思った。

わたしは、この歌を歌いたい。歌えるのか、笑えるのか分からないけれど、それでももう一度、やってみよう。

 

私はデモテープを、段ボール箱から引っ張り出した再生機器にセットした。

そして、決意を固めて、ボタンを押した。

 

――――再生・開始

 

  ◇

 

side.ある一人のアイドルファン

 

今日のことを忘れることは一生ない。

アイドルのファンをしていて、こんなに心が動いたのは初めてだった。いま世間で話題になっている765プロの如月千早ちゃん、そのファンになってほんとうに良かったと思う。

 

そう、今日の定例ライブは、僕にとって感動ものだった。

そりゃあ、千早ちゃんがゲロゲロキッチンに出てる頃、まだ765プロそのものの知名度もあまりない時からファンだったんだ。

料理の後にある歌唱のステージで懸命に歌う千早ちゃんの姿は、鋭利なつららの切っ先に溜まった光のように、僕には美しく輝いて見えた。そんな、歌に真摯に向き合っている彼女に、僕は一発でファンになってしまったんだ。

 

そんなたかだか1ファンだけど、それでも今回の定例ライブのチケットは取れて良かった。最前列のしかもセンター寄り。まさに特等席だ。

 

ああ、もう日付も変わっちゃうけど、それでも千早ちゃんが出てきたあの瞬間から最後まで、その感動を鮮明に覚えている……。

 

 

千早ちゃんの登場にみんな驚いていた。

いままで、沈黙を貫き、表に出なかった彼女が、予想してなかったとはいえ突然僕らの前に立ったからだ。

会場の浅いざわめきが、ピアノが流れ出したのと同時に静まった。

ステージに独り立った千早ちゃんは、イントロが流れ初めてもなかなか歌い始めなかった。

 

むしろ歌わないと言うより、歌えないという様子だった。

口をひらき声を出そうとした途端、そこだけ景色や音が切り取られたように千早ちゃんの動きが止まった。そのまま、僕らのほうを向く彼女は右手を喉元に持っていく。そして、もう一度声を出そうと前を一瞬向いた。しかし彼女は歌い出さない。

 

マイクからは声になっていない呼気が、すこしづつ途切れ途切れの音となって会場のスピーカーから聞こえた。

やがて、うなだれた千早ちゃんは辛そうに目を閉じるとそのままステージの中央に立ちすくみ、肩を落とした。

音楽は歌詞を乗せることなく、ピアノで奏でられるゆったりとしたメロディーを僕らに聞かせる。

千早ちゃんはいよいよ諦めた感じになって、眉根を苦しげに寄せる。

 

その様子を見ながら、僕は或る噂を思い出していた。一部のファンの間で囁かれていた、千早ちゃんが歌を歌えなくなってしまった、というものだ。

たしかにあれ程こころない中傷的な記事を見たことは、まだ思春期まっ最中の彼女にとって、途轍もない精神的な苦痛だっただろう。それなのに、連日連夜千早ちゃんへの懐疑と批判の声はニュースやワイドショー、ゴシップでますます増していった。

もしかしたら、千早ちゃんは本当に歌えないんじゃ……。

 

心配しながら、それでも仕切り枠に遮られている僕には、観客席からの応援しかできない。歯がゆさを覚えながら、千早ちゃんを喰い入るように見つめた。

がんばれ、がんばれ千早ちゃん、と。

 

「ねえ いま 見つめているよ 離れていても」

 

声が聞こえた、そう思ったとき、舞台袖から出てきた天海春香ちゃんが歌っていた。

それから千早ちゃんの隣に立った。気付いた千早ちゃんは、春香ちゃんを見る。

 

そのまま次々と765プロのアイドル達が、千早ちゃんの隣に横並びに登場し始める。みんなは詩を歌いながら、千早ちゃんに笑顔を向ける。彼女たちは声の出ない様子の千早ちゃんの代わりに、仲間として、友達としてステージに立ったみたいに見えた。

 

 

「悲しみを 越える ちから」

 

そのフレーズと共にバックが暗転し、蒼いライトが足下からステージ全体を沸き立つ泉の水面のように光らせる。それから鉄組の後部照明の一つ一つがすべて、もう一度まばゆいブルーを灯す。いや、それは極白だ。荒ぶるような蒼と白が、濃く溶けあった世界は、前に立っているアイドルたち皆を逆光の中に閉じ込める。

 

そして、ステージの真上から天使の階段が、千早ちゃんを包むように降りてきた。

一面が淡いブルーに染まったステージで、歌のサビを千早ちゃん以外のアイドル皆が歌いだす。

僕らは、ただこの状況に流されるように蒼のペンライトを準備した。

 

その最中、僅かに見えた。千早ちゃんが彼女のすぐ左隣に、視線を落とすのを。そこに誰かがいるかのように。

僕には見えない、千早ちゃんにだけ見えている誰かを。

 

千早ちゃんは自然で穏やかな笑顔をのぞかせ、決意したように肯いた。

 

「歩こう 果てない道」

 

――――声が、出た。

「やった!」と思わず言ってしまった。慌てて口を閉じた。

 

他のアイドルたち皆がバックコーラスをし、僕らファンは一斉にペンライト振った。

 

千早ちゃんが歌っている。その時僕は初めて見た。彼女が笑いながら歌う姿を。

これ以上無いってぐらいに弾けている、少女のような満面の笑みをして、千早ちゃんは歌っている。

その独唱はこれまでの、どのステージよりも輝いて見えた。

 

「Thank you for smile」

 

泣きながら歌い終えた千早ちゃん。その側に駆け寄る仲間たち。

彼女はほんの少しだけこちらを見ると、あふれ出した涙を頬に伝わせて、また笑った……。

 

 

あのライブを見られて、本当に良かった。

その後、ぼくらのアンコールに応えて出てきた千早ちゃんは恥ずかしそうに、泣いてしまったこと、いままで心配をかけたことを謝り、また笑顔で歌い始めた。

 

そのたどたどしくも誠意ある姿と、元気に歌う姿に僕らファンも心からの応援を送った。

 

僕はこうして、今日さらに千早ちゃんのことが好きになった。

これからも、千早ちゃんひと筋の1ファンとして頑張るぞ!

 

今夜は興奮と感動で寝られないかも……。

 

   ◇

 

side.如月千早

 

談笑しながら、皆で事務所に帰っている。こんな時間も、家に閉じこもっていたから、ずいぶん久しぶりに感じた。

 

信号が赤から青に変わったのを確認して、横断歩道を進み始めた。

 

その時ふと私のすぐ横を、幼い頃の私と、元気な笑顔を見せて姉に着いていく優が歩いていた。

分かってる。実際にはそんな光景、無かったんだって事は。

 

それでも。

それでも一緒に手をつないで道路を渡りきってふたり笑うあの姉弟を見ると、胸の内にぽっかりと空いてしまっていた穴が、ゆっくりと充たされてゆく気がした。

重く、冷たい色をした想いに囚われることなく、前を向くことができる。

 

「春香」

「なに、千早ちゃん?」

「あのね……ありがとう」

「うん」

 

春香は朗らかに肯いた。

どうしてだろう。今こんなにも誰かに「ありがとう」を伝えたいって思うのは。

 

「何してるの、春香ぁ、千早さん。早くしないと置いて行っちゃうの~」

「っわ、待ってよミキ~」

 

……それはきっと。

 

「千早ちゃん、行こっ!」

 

春香がわたしに差し出してきた手を、払うことなく握りしめられる。私たちは手のひらを重ね合わせた。

 

「ええ、春香」

 

…………沢山の人から、愛を与えて貰ったからだ。

 

 

私はまた歩き始める。前へ、皆の待っている場所へ。




「後書きまで進出したよ! 生っすか!? ラジオ」 take.3

ハルカ「生っすか!? ラジオ! 司会はおなじみ、わたし、天海春香と」
ミキ「ミキなの! 千早さんは、もうすぐ戻ってくるから、待ってて欲しいの」
ハルカ「今日のゲストは、響ちゃんと貴音さんです、どうぞー」パチパチ
ヒビキ「はいさーい! 我那覇響だぞ」
タカネ「四条貴音と申します」
ハルカ「このコーナーでは、本文での振る舞いについて……以下割愛。跪いて聞きなさい!」
ミキ「春香、閣下の方がもう出ちゃってるの」

議題・タカヒビについて

ハルカ「お、これは小鳥さんの管轄ですね」
ミキ「カップリング……って言うものらしいの」
ヒビキ「う~、なんだか身に覚えがあってドキドキするぞ」
ミキ「例えばどんなこと?」
ヒビキ「色々あるぞ。一緒にお風呂入ったり料理したり……貴音と一緒だと恥ずかしくて、なんだか緊張しちゃうんだ」
タカネ「まあ、響にそんな想いをさせていたとは……」
ヒビキ「いやっ、貴音は悪くないぞ! 自分がひとりで勝手に……」
ハルカ「というか、さっきから平気で話してるけどこの手の話題、大丈夫なのかなぁ」
ミキ「大丈夫なの! 一部に需要が凄くあるらしいの!」
ハルカ「そ、そうなの? それならいいけど」
ミキ「それにコレ生放送だから、もう録り直しが効かないの!」
ハルカ「なにげに現実的だねぇ」アハハ
タカネ「響がこのような私で良いのであれば、いつでも側で、あなたと愛情を深めたいと思っております」
ヒビキ「そ、そんな! 貴音はすっごく素敵さ、自分にはもったいないぐらい!」
タカネ「……嬉しいです、響」///
ヒビキ「あ、そ、そのぉ。ふ、ふぎゃ~、もうっ貴音ぇ!」///
ハルカ「何だろう、見てると無性にムラムラするよ。あ~なんだか私もカップリングしてキュンキュンしたいな」
ミキ「春香のもあるの」
ハルカ「え、ほんと!」
ミキ「なの。大半がネタ枠で、恋愛系はほぼ皆無なの」
のワの「」
ミキ「春香にそういう出番は今後も無いって、ミキ思うな!」
ヒビキ「た、貴音。今度またウチ来て。一緒にご飯食べようよ……」///
タカネ「ええ、ありがとうございます。私も響に何か作りたいです……」///
ハルカ「……千早ちゃん、早く来てよ。ラブ成分強いのは嫌だよ」グスン


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チハヤ

お元気ですか、慧鶴です。

この暗いニュースばかりの中、元気を出すために何かアニメをイッキ見しようかと思い、先日から『坂道のアポロン(ノイタミナ系)』を見てきました。感想としては、泣きます。超泣きます。尊い、佐世保の1966年の夏。むず痒くなるほどの眩しさです。
こう年をとると、ああいった高校生の青春は胸にキますね。何より音楽(ジャズ)が良い。
てなわけで、オススメなので是非。

もちろん、本作の更新も頑張ります! 頑張れるといいな……


side.黒井社長

 

「ふんっ、『如月千早、感動の復活』、『如月千早沈黙を破る、真相激白』だとぉ……! クソゥ! 高木の奴め、よくもこの俺にィィ!」

 

周到にした根回しもお釈迦になって、これで全てオジャンだ。

……この私が、あの三流プロダクションに敗北しただと? 断じて認めないぞ、そのようなことあってはならん。

 

腹立たしい。なんだこの見出しは、誰がつけて良いと許可した? あれほど広範囲にわたってかけた圧力が、まるで機能していない。どいつもこいつも、美味いネタが入ったと見るや鞍替えしおって。

 

あんな、お遊戯会をアイドルだと。笑わせるな。

アイドルとは、正しく認められた才能! 素質! カリスマ! インパクト! 全てにおいて圧倒的な、選ばれた一流の者たちのみのことを言うのだ。

決してあのような、突飛なキャラ付けなどをした連中を言うのでは無い。

 

それを、個性だの魅力だのと持て囃しおっていたから、アイドル産業が一時、あれほど落ち込んだというのに、それでも奴らは同じ間違いを懲りずにするのだ。

市場飽和は当然の報いだろう。

そんなアイドルなど、容易く消費されて終わる使い捨ての「単3電池」と同じだ。

真のアイドルとは、立っているだけでオーラを放つ存在。まさしく「永久機関」!

 

私がするのは、そんなアイドルの原石を一際輝かせることなのだ。

それを。それおそれおそれおぉ!

 

あの高木でさへ、ダメだったのだ。奴は零細三流プロダクションの社長になり、俺は芸能界を牛耳る大手一流プロダクションのトップになった。どちらが正しかったかなど、明白ではないか。

だからこそ、もう私しかいない。このアイドル業界に「一流」を排出できる者は。

 

それなのに……どいつもこいつも、私の邪魔をしおって!

 

苛立って雑誌をデスクに叩きつけた。それでも怒りは収らない。

どうにか手はないものか? あの三流プロダクションを徹底的に立ち直れなくする方法は。

 

しばらく思案した。いままで手を尽くしたからか、余程のことでないと無意味になってしまう計略ばかりが頭に浮かんだ。そうして、どうにもならず、席を立ちウロウロと社長室を歩き回ること数分。

 

打ってつけの場所があるではないか!

そう思い至り、すぐにテレフォンに手を伸ばし、番号をプッシュした。

 

「……ああ、黒井だが。そうだ、765プロが次のアイドルジャムでどこの業者に依頼しているのか、至急調べろ。メイク、衣装、音楽、何でも良い、とにかくしらみつぶしにな。なに、期限だと……そんなもの今日中に決まっているだろっ! さっさとかかれ!」

 

受話器を置いて私はすぐさま次の仕事に取りかかった。

765プロに、今度こそ高木に、私のやり方が正しいと証明してやる……。

 

   ◇

 

side.如月千早

 

大事なステージの日に、ヘアメイクさんの不在や音響トラブル。

律子の話だと、また黒井プロからの妨害らしい。

 

本当にいつも辛いことばかりだ。

それでも、前みたいに歌がうたえなくなったわけじゃない。どん底じゃない。

そう思っても、やっぱり小さな不安はある。

私は長い間、暗闇に囚われて迷っていたから。そうそうあの恐怖を忘れられるはずがない。今だって、本当は怖くて逃げ出しそうになってる。

 

でも。それでも強くいられるのは。

 

「うん……」

 

優しく背中を押してくれる、私を最後までほっとかなかった親友のうなずく姿。

目の前には、思いやりと勇気をくれた大切な仲間たちの笑顔。

わたしには春香が、頼りになるみんながいる。

 

だから私は一人でだって飛んでみせる。もう眠り続けることは止めたから。

毎日夢見ていた、あの蒼い鳥のように消えてしまうのではなく、今度はあの空を越えて、私たちの未来にまで届くような確かな色を持って、歌いきってみせるから。

 

――――声。

 

律子、水瀬さん、四条さん、美希、我那覇さん、真、あずささんや事務所のみんなの声が、耳もとで力強くリフレインする。何度も、何度も。

 

だから私は、歌える。音が流れなくたって。

誰の助けもなく独りで、今度こそみんなの隣を並んで歩いて行けると。

 

証明してみせる。

 

いま、私は一歩を踏み出す。アイドルジャムの、あの大きなステージに。

待っている、本当にたくさんの方たちに、みんなが取り戻してくれた私のウタゴエを聴いてもらうために。

 

   ◇

 

side.プロデューサー

 

はじめ、音響が入っていないまま、音楽無しで千早は独り歌い出した。

演出か? そう思ったが、赤羽根からも律子からもそんな話は聞いていない。

まさか、と思った。また、黒井社長が……。

 

どうにかプロデューサーとして助けてやりたかったが、今は何もできなかった。ただ遠くで事の成り行きを見ていることしか。

 

張り詰めた緊張感の中で、千早のアカペラはつづく。

半信半疑、ゴシップで話題となった歌姫を揶揄していた観衆も、いまは息を呑んで、つららのように玲瓏なその歌声を聞き入っている。

ケータイ電話を握っている自分の右手にも、思わずちからが入る。

 

「最後のページ めくったら」

 

サビ前、Aメロから競り上がり続けた音程は、ここに来て一気に高まった。

 

「眠り姫 目覚める 私はいま 誰の助けも借りず」

 

前半の静寂が爆発したかのように絶妙のタイミングで大音響の音楽が流れはじめた。ステージから蒼いレイが会場に向けて放たれる。

観衆はパニックでも起こしたように、歓声を上げに上げた。

 

オーケストラのサウンドが意識された、最高のバラード。緩やかに、時に烈しく、優しく。

千早の凍りきった心のつららが溶けた、清冽な水のように澄んだ声の流れにあわせた歌は、眠っていた自分達の感受性の限界をも引っぱり出して、彼女の歌声を直に聞いてしまう。

 

曇りなく、どこまでもクリアな音だ。

 

「涙は拭い去り あの空 見上げて」

 

最後のサビ。最高潮に盛り上がった観衆をグイグイと引っ張って、さらに千早の声は空高く舞い上がる。

伸びのあるビブラートを響かせて。はるか、はるか高みへ。

 

観衆はサイリウムを振りながら、賞賛をステージ上に立っているひとりの歌姫に送る。

ジュピターを見に来ていたらしい女の子2人も、となりで歓声を上げている。その目には涙が溜まっており、自分達もどうして泣いているのか分からない、と言った具合だ。

 

それでも、俺も、隣の彼女たちも、ここにいる人達はみんな同じ想いを味わった。

どこまでも美しい千早の声に、言いようのない感動を。

 

それは、このケータイ電話の通話画面に表示されたあの人も、きっと。

 

「どうでしたか、千種さん」

『……』

「これが765プロの、あなたの娘の、如月千早の歌ですよ」

『……ブツッ、……ツーツー』

 

通話を切られたみたいだ。俺は大人しくケータイをしまった。

赤羽根に調べてもらってようやく突き止めた会社用ではない、個人用の電話番号。そこに掛けて、あの母親に千早の歌を聴かせるために、ここまで来たのだ。

それなのに、結局言葉にした感想はなかった。まあ、それでも。

受話器越しに聞こえてきたあの小さな嗚咽だけは、嘘じゃないと信じよう。

 

   ~~~

 

「おい、貴様こんなところで何をしている」

 

帰ろうと駐車場に来たとき、後ろからそう呼び止められて、振り向くとそこには黒井社長がいた。

 

「何って、ライブ鑑賞ですよ」

「ふん、あの三流アイドルのか」

「またそんなことを言って。ウチのアイドルたちはみんな、それぞれ素晴らしい最高のアイドルですよ」

「何をもって、そう言える。まさか、貴様も高木のように『信じる』などと言うのでは無いだろうな」

「ええ、信じるだけです」

 

即答でそう言うと、黒井社長は嘲りの様子を引っ込めて、すこし不満げにこちらを見た。

俺も見返す。いつもの酒の席での、高木社長とのバカがらみのイメージが強かったが、やはりこの人も社長なのだと、そう思った。

 

迫ってくるプレッシャーが尋常ではない。

一歩でも退けば、いや、目を反らせば、もう二度とこの男に逆らえないと直感させる圧があった。

俺たちは無言で向かい合っていた。

 

「……ほう、そうかそうか」一転して、愉快そうに黒井社長が笑った。

「なにがおかしい?」

「いや、お前もアイツと同じ目をするのだな、と。そう思っただけだ」

 

意味が解らない。黒井の奴、少年漫画のラスボスが本当は良い奴だったエンドの感じを醸し出しているし。

俺はだまされないぞ。そもそも、お前が今までウチにしてきたこと許してないからな。

 

「若造、後学のためにひとつ教えておいてやろう。アイドルを信じるとか言ったが、あまり彼奴らと深く関わると、いつか必ず大ケガをするぞ。実際、信じすぎて裏切られた奴を俺は知っている。それから奴は死んだように覇気が消え、どこまでも墜ちていった。反面その時から俺はさらに高みに行った」

「あなたのことも、その裏切られた人のことも知らないが、ウチの事務所のアイドルたちが裏切るはずがないでしょう」

「ああ、そうだな。だがな、それはアイドルに限ったことじゃない。

――――お前だ、裏切るのは。

善意や思いやりも信頼も、それが全て完璧に果たされて上手くいくほど、この世の中は甘くない」

 

……何も言い返せない。なぜならこの男の言葉には、嘘が一つも感じられないからだ。

本当にそれを体験して、痛感して、ようやく吐き出された言葉のように男の言うことには重みがあった。

 

「だからこそ、我々は公私を抜きにしてプロに徹し、アイドルとともに活動するべきなのだ。それこそが一流のプロデューサーだ」

「それでも、いままでの高木社長や俺や、律子、それに赤羽根の信じるというやり方が、間違っていたなんて思いません」

苦し紛れに言い放った。今の言葉の何処にも、その信じるという行為を正しいと証明するものはない。黒井社長の言葉が、鉛の弾丸のように鈍く俺のこころを打ち、戸惑わせた。

 

「その高木が、裏切られた奴だとしてもか」

「なっ……」

 

一瞬、意味が解らなかった。

黒井社長の声は、はっきりと聞こえたのだ。それなのに、どこか他人事のように冷たく、到底自分の理解からは外れた、信じられない真実だった。

 

「後は奴の口から直接聞け」

 

そう言い残して、黒井社長は駐車してあったブラックカラーのベンツに乗り込み、どこかへ行ってしまった。

俺はしばらくの間、呆然としていた。

 

この後、みんなが待っているバーに向かう予定が入っていた。楽しみにしていたが、今はそれどころではなかった。明らかに動揺しているのが、自分でも分かる。

 

だが、ここでスッぽかすような真似はできない。

バーに行くまで、あと2時間はある。

それまでに。

きっと酷い表情であろう今の自分の顔を、どうにか元に戻さなくてはいけなかった。

 

心はドロドロの鉛に覆われているように、いやに熱くて、同時に吐き気がするほど冷えていた。

 

   ◇

 

side.天ヶ瀬冬馬

 

黒井のオッサンとの口論で、結果俺たちジュピターは961プロを辞めることにした。

オッサンも好きにしろって言ってたから、問題はない。

 

あんな、音響のスタッフに圧力をかけて邪魔をするなんて、まったく正々堂々としていない。

俺たちの力を信じていない、だからあんな真似ができるんだ。

 

「ああ~! ムシャクシャするぜ。何だよ、駒って、俺たちは俺たちだ!」

「冬馬くん、そんなカッカしないでさ」

「ああ、これで踏ん切りがつくじゃないか」

 

控えのテントに戻っても、苛立っていた。

いままでズルい手を使っていたのに、それを知らなかったとはいえ765プロの奴らには失礼な態度をとってしまったし。そんなことを知らず、純粋に俺たちのステージを待ってくれているファンのみんなにも、影でこんな裏切りをしていたんだ。

 

「北斗は良かったのか? オッサンと別れるの、反対だったんだろ」

「う~ん、でも、駒なんて言われたら俺もさすがに信用できないよ。冬馬の言うとおり、潮時だったんだと思うよ」

「そうか……翔太は?」

「ん、ぼく? ぼくは二人についていくよ。一蓮托生でしょ!」

 

ニヒヒ、と笑いながら、翔太はこちらを向く。北斗も片付けをしながら、ウインクを決める……やめろ、前々から思ってたけど、男からのウインクなんて貰っても嬉しくねえ。

 

は~。溜め息をこぼした。

黒井のオッサンのことはどうにもならねえし、残っているステージがあるしと思って、二人の言うとおり怒るのはこれまでにした。

 

ふとTVに目を向けると、765プロの奴らのステージが映っていた。

さっき一人で歌ってた青髪の奴と、金髪の奴、そして、あいつは……以前、関係者通路でぶつかった奴……

 

前も確か家のTVで見た。名前、なんだったっけ。思い出せない。

そう思いながら見ていると、気付くことがあった。

いつの間にか、良くなっている。たしかに、前は俺たちの方がダンスも、歌も、アピールだって上だった。

今も、それは殆ど変わっていない。

 

だが、たしかにあいつらの方が楽しそうで、輝いて見える。

パフォーマンスに、違いが表れている。今と前とを比べてみたが、驚くほどに違った。

あいつらは、自分達の力で逆境に立ち向かって、こんなにも輝くようになったのか。

 

「……おもしれえ!」

「あれれ、冬馬くん、もしかして765プロのファンになっちゃった?」

「ち、ちげえよ!」

「おい、冬馬、どこ行くんだよ!」

「トイレ!」

 

慌ててテントから出てきた。たくっ、翔太の奴テキトー言いやがって。

俺はただ、あいつらの成長を素直に感心してだな……って、ここ何処だ。

クソッ、道に迷っちまった。会場が広すぎて、トイレの場所分かんねえし。

 

つくづくツイてない、と思いながら歩いていると、曲がり角から飛び出してきた奴にぶつかった。

 

「ツ~、ああもう、なんだよ」

「わわわっ、す、すみません。あ、ジュピターの」

「お前、765プロのとこの……」

 

そう言いながら、そいつの手を引っ張りあげた。ミ二スカートの後ろについた砂埃をはたいて、そいつは俺にぺこりと頭を下げた。「ありがとうございます」なんて、律儀に言って。

そういえばこの衣装、さっきTVで見たやつじゃねえか。もしかして、着替えずにそのまま移動してたのか?

まったく、おっちょこちょいな奴だ。

 

「気をつけろよな」

「は、はい!」

「それとさ」

 

そう言って、俺はどうしてだか言いあぐねてしまう。言うつもりの言葉は決まっているんだ。

これまでの謝罪をして、キチッと男のケジメをつけるんだ。

そう思っても、なかなか、こうして迷惑掛けた相手を前にするとうまくしゃべれねえ。

 

ああ、こいつも何だか困ったような顔してるし。そりゃあ、衣装のまま歩きまわってるんだ。

何か大事な用事があるんだろう。

 

……ちゃんと、俺から言わなくちゃな。

「悪かったな、いままで。知らなかったとは言え、迷惑かけたことに変わりはねえからよ」

「え、あの……そのことは、私なんかよりもプロデューサーさんに、あ、男のプロデューサーさんに言ってあげて下さい。私、こういうの苦手で……」

「そ、そうか……」

 

気まずい。くそ、謝った気がしねえ。

こいつの言うとおり、そのプロデューサーに話をつけに行かねえとダメみてえだな、これは。

 

それに、なんだかこいつ更に困ってるぞ。どうなってるんだ。

謝られた方が困るのって。

こいつ、不思議って言うか、変な奴だ。

 

「あ、あの!」

その時突然、ウンウン困ったように唸っていた目の前の765プロの奴が叫んだ。

耳もとですごい大声出したらビックリするだろうが、って出してる本人が一番驚いてどうするんだよ。

 

「ご、ごめんなさい。あの、お名前聞いてもいいですか?」

「あ、俺か? 天ヶ瀬冬馬だ、知らねえのかよ、俺のこと」

「えへへ、お恥ずかしながら。わ、私、天海春香です!」

「天海春香、か……覚えたぜ、お前の名前」

「って、冬馬さんも覚えてないんじゃないですか! もう!」

「ははっ、そういえばそうだな」

 

なんて遅い自己紹介だろう。

初めて会ってから、もう半年も過ぎてるってのに今更か。

お互い芸能界で活動しているのに名前も知らないなんて、あいつも変だけど、俺の方も大概だな。

 

ひとしきり笑った後、そいつはそろそろ戻ります、と言って駆け足で去っていった。

その後ろ背中に、俺は一言いってやりたくなって、声を出した。

 

「天海! お前らのステージ、文句のつけようがなかったぜ!」

 

そう言ったら、天海は走るのをやめてこちらに振り向くとお辞儀をした。

そして、顔を上げたとき、ステージの上で見せるような、あの輝く笑顔を俺に向けた。

 

「冬馬さん、私もがんばります!」

 

そのまま、今度こそ天海は走り去っていった。

俺は無言で、ただ自分ひとりに言い聞かせるように、強く想った。

1からやり直して、天海たちに負けない最高のアイドルになってやる、と。

 

   ◇

 

side.プロデューサー

 

「ではでは、音無くんのステージも終わったことだし、ここでスペシャルゲストを呼ぼうとするかね」

 

高木社長のその言葉を合図に、俺は所定の位置にスタンバイした。

大丈夫だ。何度も説明は受けたし、練習だって(脳内イメトレで)いっぱいしたんだ。

自分を信じろ。ここで、華々しく俺は戻ってくるんだ。

 

「それではぁ、あ、1・2・3!」

 

3のかけ声と共に、ケースが上にせり上がる。

かかってくるGを心地よく感じる。飛ぶというのは、こういった感じなのだろう。

そうして、大きな箱の中からハイジャンプしたのと同時に足下から炎が噴き上がり、俺の登場を華々しく飾った。

俺はジャンプの勢いのまま、箱から床に目掛けて一回転をする。

そして、

 

「エクセレントッ!」

 

着地と同時に、決めポーズをする。マイケル・ジャクソンのポウッ! をした。

どうだ、完璧だろう。

驚きすぎて事務所のみんな、声が出てこないらしい。他の客はいつものマジックか、と言った具合に眺めている。

このマジックいつもやってるとか、社長やっぱりすげえわ。これなら、口から白ハトを出しても驚かないわ。

 

「……ハ、ハニーなの!」

 

はじめに声をあげたのは美希だった。

さすが美希だ。状況を飲みこむのが早いな。

そろそろみんなからも歓声が上がってもいい頃なんだが。

 

「「「プロデューサーさっ――――」」」

「何やってるんですかー! このバカプロデューサーは!」

 

みんなからの歓声は、いつもの如く鬼軍曹りっちゃんの怒号によって、遮られたのだったぁ……

 

「もう、なんだよ律子。みんなからのお帰りコールを待ってたのに」

「待ってたのにじゃないっ! まったく、病人がなんでこんなところにいるのか、それにどうして、そんなバカみたいな登場してるんですか。死に急いでるんですか!」

「あの~、律子くん? バカみたいって言うのは聞き捨てならないねえ……アレは私渾身の提案……」

「アンタは帰れっ!」

 

あ、社長が泣きながらバーカウンターに戻った。テキーラのロックをあおっている。

哀れ、その後ろ姿はただただ哀れだ。

 

「高木社長、俺も付き合いますよ」

「あ、赤羽根くん……っ」

 

赤羽根がフォローに入った……特に何も思わない。

 

「酷くないですか先輩! 自分の後輩に!」

「だってお前とは病室で、飽きるほど会ってるからな」

「自分で呼びつけてたくせに」

 

まあ、そんな彼らは放っておいて。

「とにもかくにも、帰って来ました」

「「「プロデューサーさん、お帰りなさい!」」」

 

いやぁ、戻ってきたって感じがしますね。

このワチャワチャした雰囲気。なつかしいー!

あの病院の閑散とした部屋よりコッチのほうがやっぱり良いですな。

 

そうして、俺の退院祝いは始まった。

 

…………

 

あそこでボサノバを掛けて狂喜乱舞している亜美真美と響、やよいへの挨拶は後でいいか。

「イエーイ! ベリーストロングヘアー!」(やったー! めっちゃ強い髪の毛だ!)

「フーフー! エビバディアースメーン!」(あーあー! みんな地球人なんだぜ!)

意味不明なこと言ってる二人は、もう無視します。

あ、でもやよいは直ぐに甘々なぐらい、ナッデナデしてあげねば。天使の成分はやはり必要でしょう。

つーかお前ら、ボサノバどこから持ち出した。

 

「亜美と真美に決まっております」

「ああ、そうだな貴音。ところで、さっきからお前は何をしているんだ?」

「ええ、気分を変えようかと。以前、響の好きだという音楽を教えてもらったので」

 

そう言って貴音は、バーのレコードを別の盤に入れ替える。

そうして「カチャーシーカチャーシー!」と場違いな歌が、爆音とともに流れ出した。

 

「良きものです♪」

「うがー。自分のうちなんちゅーの血が騒ぐさ! 踊るぞぉ!」

「うっうー! バイブス上げていきますぅ!」

ちょっと待って下さいね。

おい誰だ! やよいに変な言葉を教えたのは! ……春香だな、春香だ。そうに決まっている!

 

「ちょっ、コレわたし完全に八つ当たりじゃ」

「絞め落としてやるぜ」

「いやあー!」

 

どんちゃん騒ぎは続きます。はい、そこに気を失った春香がいますが、そんなことは今は関係ありません。最近、千早との絡みが増えて増長していた罰です。猛省してもらいましょう。

 

「あのぉ、プロデューサー。それくらいにしてあげた方が……」

「そうですよ。無理をしたらプロデューサーの身体に障りますよ」

「真、そっちの心配なの!?」お、春香もう復活したのか、相変わらず早いな。

 

席の近かった雪歩と真が心配して駆け寄ってくれた。

おお、すまないな。二人にはまだ挨拶できてなかったよ。

二人とも元気そうで何よりだ。雪歩は前よりも男性を怖がらなくなったし、真はすこし髪を伸ばしたんだな、似合ってるぞ。コッチは大丈夫だから、二人とも、向こうで「カチャーシー」騒いでる5人組の面倒を頼むな。

 

それから席を外して、俺は美希のところに行った。

「ハニーお帰りなの!」

「美希、いつも通り、いや、いつも以上に元気そうだな」

「当たり前なの。ミキね、ずぅーっと待ってたの。キラキラしながら!」

「そうか。じゃあ、今度は更にスゴイ美希のステージが見られるんだな」

「――ッ!! もちろんなの!!」

 

ひとしきり喋った後、お土産のおにぎり10個を渡しておいた。

よし、これで美希はもうしばらくの間そこから動けない。さすがおにぎり封じだ。生タラコは買っておくものだ。

 

さて、そちらで謝罪に奔走している律子と伊織には後で挨拶するとして。

「も~! どうしてこの伊織ちゃんが、弁明して回らなきゃならないのよ!」

「グチグチ言わない、さっさと着いてくる!」

「あ~! うるさいうるさいうるさい!」

「アンタの方がうるさい!」

 

……うん。多分あとでめっちゃ叱られるから、一番最後に挨拶しよう。

向こうのステージで楽しそうに歌っている千早とヒナ鳥は、こちらが見ていることに気付いたのか笑いかけてくる。千早の照れた横顔と、小鳥さんのお姉さんスマイル。

 

本当に、うたえるようになって良かったな、千早。

まさかこうして、千早が屈託なく微笑んでいる姿を見られる日が来るなんて。

本当に、みんなには感謝してもしきれないな。

 

「そうです! この春香さんにも、しっかりと感謝を――」

「春香・ビークアイエット・オケ?」

「イエス・マイP」

「お帰りなさい……プロデューサーさん。あの、わたし……」

「おめでとう、千早。よく、頑張ったな」

「――ッ。ありがとうございます///」

「あー、プロデューサーさん、千早ちゃんを泣かせましたねぇ」www

「アンタは変わんねえな、小鳥さん。その内かならず照り焼きチキンにしてやんよ」

「ピヨッ!」

 

こうして、しっかりと挨拶をして回った俺には、最後にもう一人、待っている人がいる。

 

「わたしは一番最後なんですね、プロデューサーさん」

「拗ねてます、あずささん?」

「……すこし」

 

そして。

 

「ごめんなさい。誰にも邪魔されず、しっかりただいまを言おうと思ったので」

「どうして、何も言ってくれなかったんですか」

「ビックリさせようかと思って」

「プロデューサーさん。ビックリはしましたけど、今度からは連絡を下さいね」

「すみません」

「うふふ。もう大丈夫です、プロデューサーさん」

 

そして最後に、一番大切なひとに長い時間をかけて、しっかりと挨拶をしよう。

それこそが、一番しあわせな時間なんだから。

 

「でも、あずささんとの時間を邪魔されたくないっていうのは、本当ですよ」

「あらあら、うふふ。それは……嬉しいですねぇ♪」

ふんにゃり相好を崩すあずささん。

 

かわいいよー。めちゃくちゃかわいいよー。

 

俺たち二人の距離は、肩が触れるか触れないか程度に近づいていた。

それでも、こんなふうに765プロのいつもの騒がしさの中に、二人でいられれば、距離なんて関係なかった。

心に実体があれば、きっと俺とあずささんはピッタリとひっつき合っていると思うんだ。

 

病院を退院して、また一緒に、しばらくこうして二人笑って話し合える。

限られた時間を慈しみながら、二人で一緒にいられるから。

 

「おかえりなさい、プロデューサーさん」

「ただいま、あずささん」

 

俺の彼女であり、天使であり、女神であるあずささんの「おかえりなさい」は、何よりも嬉しかった。

黒井社長の言った言葉は、まだ自分の頭の中をぐるぐると回って、胸を締めつけた。

でも、あずささんの声を、笑顔を感じることができれば、そんなことも忘れられた。

 

このときがずっと、永遠に続けばいい。

そう思った。

 

「よくない! あんたたちは本当にもう! いい加減、騒ぐのを止めなさい!」

 

その後もちろん、帰り道にみんなで律子に叱られました。

なぜか一緒に叱られている伊織がちょっぴり可哀想でした。

 

「どうなってんのよ! まったく、もう!」




「後書きまで進出したよ! 生っすか!? ラジオ」 take.4

ハルカ「さあ、今夜もやって来ました、生っすか!? ラジオ! 司会はわたし、天海春香と」
ミキ「ミキがするの! あれ、なんだか一人足りないの」
ハルカ「それもそのはず、今日のゲストは、千早ちゃんと小鳥さんです、どうぞー」パチパチ
チハヤ「皆さん、ご心配をおかけしました、如月千早です」
コトリ「こんにちは、音無小鳥です」
ハルカ「このコーナーでは、本文での振る舞いについて、色々ツッコんでいきます!」
ミキ「それじゃあ今日もいってみるの!」

議題・春香イジリについて

のワの「」
ミキ「あはっ☆ ミキ、コレ知ってるの!」
チハヤ「もはやアレも定番になったわね」
コトリ「何時からなのかってかんがえると、初めからだった気がするわね」
ミキ「え、そうなの?」
コトリ「もう出会った瞬間によ。きっとお互い動物的な勘だったんでしょうけど」
チハヤ「それでも、このお家芸はいまや完全に春香とPでなくてはできないですね」
ハルカ「そんなお家芸いらない」
チハヤ「あ、意識戻ったのね」
ミキ「おかえりなの!」
コトリ「春香ちゃんも大変ねぇ」www
ハルカ「ふっ、小鳥さん。今のうちに笑ってるがいいわ」
コトリ「ッ!? は、春香ちゃんが閣下状態に!?」
チハヤ「こうなると、春香はおそろしく強いですよ……」ダテメガネ キラリ!
ミキ「千早さん、どうしてそんなことが分かるの?」
チハヤ「わたしは永世春香マイスターなのよっ!」
ミキ「もらっても全く嬉しくない称号なの……」
チハヤ「世界中で持ってるのは、わたし一人ですっ!」
ミキ「話を『小鳥VS春香』に戻すの」
チハヤ「765プロ、世紀のタイトルマッチね」
ミキ「何のタイトルなの……あ、永世春香マイスターなの……」
チハヤ「さすが美希、理解が早くて助かるわ」
ハルカ「最近Pさんはイジリの標的を小鳥さんに移しつつあります。それに、そうやって高笑いしている間に、わたしは早々に花嫁としてゴールインしてみせますよ」(先行のジャブ)
コトリ「春香ちゃん、ねえ何言ってんの、ねえ止めて!」ナミダメ(効いているようだ!)
ハルカ「小鳥さんが切ることのできなかった、結婚というゴールテープを! 小鳥さんの目の前でっ!」(追い打ち)
コトリ「ピヨオォォッォ!」血涙号泣(ダウン)
チハヤ「見事なボディーブローね」
ミキ「ボディーというか、ハートなの。ハートブレイクショットなのっ☆」
ハルカ「あれ、わたし、さっきまで何言ってたんだろ。あれれ~」
コトリ「……二度としない、春香ちゃんを怒らせることはもうしない」ガチブル


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クリスM@S!

「こんにちは」に変わる新しい挨拶を作りたい。どうも、慧鶴です。

前回やっとのことで千早回が終わりました。ああ、長かった。
それでは、ここからは本作最大のネタヒロイン、天海春香さんの回になります。
 
その前に小休憩、クリスマスの765プロの様子を覗いてみましょう。
(あまりにも季節外れなネタ……(汗))


side.ハム蔵

 

オイラはハム蔵である。愛くるしい我がマスター響の、最高にして最小の相棒だ。

 

広大な碧い海の広がる島でオイラは生れた。薄暗く蒸し蒸しとしたウージの森でチーチー泣いていた事を記憶している。オイラはこの島で始めて、人間というものを見た。そう、天真爛漫な女の子、我那覇響だ。

 

この響というのは時々オイラたちのご飯を食うという悪癖の持ち主だ。しかしオイラは、そこで甘やかすことはしない。厳しくも紳士的な考えと態度で、響にオイラたちの意志を届ける。

 

そいつがオイラのやり方だ。

 

響の肩にのせられ、船や飛行機で生まれた島を離れたオイラは内地の大都会「トーキョー」に移り住んだ。

妙なものだと思った感じが今でも残っている。響の周りにはオイラたち相棒のほかに、響と同じぐらい可愛い女の子達が大勢いた。彼女たちが響と同じ、アイドルという者であることをようやくこの時オイラは知った。

 

少し前まで日柄一日中、響は暇だと言っていた。

しかし、何もない時間があのライブの成功から一転してしまった。響と同じアイドルの可愛い少女達も、最近は忙しくてなかなかみんなで集まれていないようだった。

 

それが今日、12月24日に久しぶりにアイドル全員が事務所に集まった。

これは、そんなクリスマスの一日の、オイラのある思い出である。

 

「「「誕生日おめでとう、雪歩!」」」

 

「あ、ありがとう~、みんなぁ」

 

そう言って少女達は次々と、白百合が似合いそうな萩原雪歩のもとに駆け寄る。雪歩は目尻にふるふると涙を浮かべて、みんなにお礼を言い続けている。律儀なものだ。

 

それはそうと、ひまわりの種が美味い。

 

「雪ぴょん、はやく上着脱いで、パーッとパーティーの準備をすませちゃおうYO!」

「といっても、もうほとんど終わってるけどね」

 

そんな双海真美と菊地真の掛け合いの中、ひとり向こうでツリーの飾り付けを黙々と続ける音無小鳥さんがいる。

みんな、いいから手伝ってやれよ。

さすがに可哀想だろ。ひとりぼっちで準備とか見ていて泣けてくる。

 

「ピヨ~、屈みながらの態勢はさすがに腰にきます~」

 

……マジで誰か手伝ってやれよ。

 

 

各自で持参してきた雪歩へのプレゼントは、アイドルみんなが集合してから渡すのだそうだ。

いまは事務所の奥に移動してみんなの荷物と一緒に置いてある。

それにしたって、みんなケーキ持ってきすぎだ。

 

プレゼントはさっき見てきたが、とくに菊地真のものは大きかった。新しい服でも一着買ったのかも知れない。さすが、音無小鳥さんにユキマコを妄想されるだけはある。愛が大きい。

 

その隣に置いてあるこれまた大きい紙袋にはラーメン二十郎と、でかでかとプリントしてある。誰のものか、明白だ、四条貴音様しかいない。

 

もしかしたらラーメンプリンを持ってきたのかも知れない。

……貰って嬉しいのか、あれ? 特殊な嗜好だと思われるが。

今度食べてみたい、美味いのかは知らないが。

 

それにしても、ひまわりの種は美味い。相変わらず美味い。いつ食べても美味い。

 

「雪歩、もうすぐみんなも到着するって!」

「うん、春香ちゃん達も間に合ったんだね」

「ええ、みんなのスケジュールをプロデューサーたちが調整してくれたみたい。ね、高槻さん」

「はい、そーなんです雪歩さん! さすがプロデューサーです!」

「そんな風に素直な高槻さん、かわいい!」

「千早ちゃん、本音がダダ漏れ……」

 

そんなことを話しながらみんなで和気藹々としている様子を見ていると、オイラはたまに自分が人間だったらなあ、と思うことがある。

オイラもみんなと一緒にお喋りしてえ。

 

アイドルになるのも良いな。そしたら、あのジュピターとか言う小僧達にオイラのかっこよさを見せてやる。

 

でも、いざなってみたらきっと緊張して、疲れてしまうな。目線は変るし、二足歩行だし。響の肩に乗れないし。

なにより、ひまわりの種が食べられない。それは嫌だ。

 

人間とは、その点においては可哀想な奴らだ。

ほら、ひまわりの種はこんなに美味い。いいのか、オイラが独り占めするぞ。ああ、ひまわりの種は美味い。

 

「ところで貴音、その手に持ってるのは何なんだ?」

「響、これは特大の靴下です。この中に、さんた殿からのお土産を賜るのですよ」

「また、仕事の道具もらってきたんだな」

「……響、それは、とっぷしぃくれっとです♪」

「もはや秘密にもなってないぞ……」

 

我がマスター、響のツッコミを華麗にいなしながら、四条貴音様は神々しく笑っていた。なんと貴いオーラだろうか、目が潰れらぁ。

ところで、オイラの食べてるひまわりの種をその靴下の中に入れたら、あなた様は喜んでくれますか?

これが、オイラができる最大限のプレゼントです。

嫌がらせ? それは個人の尺度の問題だ。(オイラは人ですらねえが)

 

でもやっぱり、オイラは貴音様にもひまわりの種だけはあげられない。だって美味いんだ。

うう、なんてオイラは強欲なハムスターなんだろう、とか思うけど、結局食べるぞ。

 

ひまわりの種うめえ。メッチャうめえ。

 

こんな感じでいつもの茶番をしている内に、竜宮小町のみんなや、新入りプロデューサーの赤羽根のにいちゃん。そして、星井美希とプロデューサーが事務所に到着した。

 

それからのことは余り覚えていない。

え、なぜか? そいつはオイラにも分からない。

ただ、いつまでもお腹の中にひまわりの種がたまっていたことは分かるぞ。

 

つまり、ひまわりの種が美味しすぎたってことだ、それだけのことだ。

食べ過ぎて寝てしまったとか、そんなことはないはずだ……。

 

   ◇

 

side.星井美希

 

クリスマスパーティーに向かいながら、ミキは内心ドキドキしてたの。

だって、すぐ隣の運転席にハニーがいるんだよ、二人きりで、これってなんだかデートみたいなの!

 

「送り迎えしてもらえてミキ嬉しいの! ハニーも嬉しい?」

「ああ、最近は病院にずっといたから、こうして美希と仕事できるのは嬉しいよ」

「フフッ、やっぱりなの!」

 

ミキがトップアイドルを真剣に目指すようになってから、もう半年近く経ってる。その間、何度も何度もハニーにアプローチをしてるんだけど、これがなかなか上手くいってないの。

ハニーが鈍感すぎるのか、それともミキが子どもっぽいのかなぁ。

 

……ミキ的には、けっこう大胆に迫ってるんだけどな~。

 

「でも、今年の美希は本当に凄かったよ。特にあの1stライブ以降、あきらかに美希の中で何かが変ったっていうのか、なんというか仕事にギラついているように見えたよ」

「むぅ、それ、ハニー褒めてるの?」

「もちろんさ」

 

ギラついてるなんて、女の子にいうのはどーかと思うの。でも、ハニーはこういう人だって、美希ももう分かってきたの。悪気はないんだけど、想いを言葉にするのが下手っぴなんだよね。

そこも含めて、ハニーの魅力なんだけど。

 

「ミキね、あの瞬間から本気でトップアイドルを目指すことにしたの。あの時、橋の上でハニーが言ったから」

「ああ、懐かしいなぁ」

「だから一生懸命キラキラしようって、ハニーの思うトップアイドルを目指そうって決めたの」

 

ラク~な感じで良かったのに、誰かさんがミキを焚きつけちゃったから、いまこうしてミキは全力でアイドルをしてる。そう、竜宮小町に入れないって分かって、あの時はすごく悲しかったけれど、でも今はもっとやりたいことが出来たの。

 

だからミキはもっと頑張るの。ハニーとの約束を果たすために。

 

「タハハ、あー、その節はほんとうにゴメンナサイ」

「ふっふー、ミキはまさかハニーが嘘つきさんだったとは思わなかったの。ミキ、すっごく傷ついたんだよ」

「ご勘弁ください~!」

「アハハッ☆ もう良いの、ハニーは約束してくれたの。ミキをもっとドキドキワクワクさせてくれるって」

 

あの時、橋の上で言ってくれた言葉。聞いているコッチが恥ずかしくなるような夢を、前を向いて語ってくれたその横顔が、ミキにはなによりもキラキラ輝いて見えたんだよ。

その夢は、いまもまだ叶えていく途中だけどね。

 

「それより美希、今日は言い知らせがあるぞ」

「なになに?」

「舞台だよ、新春特別公演のミュージカルだけどな。それになんと、美希と春香が主役で選ばれたんだ!」

「ぶ、舞台……スゴイの! 美希と春香が主役なの?」

「ああ、練習次第でどちらかが主役をするんだ。そして、もう一人が準主役だ」

 

そう言って、ハニーは一冊の台本を渡してくれた。

『春の嵐』ってタイトル。

ドキドキするの、ハニーの取ってきてくれた仕事、久しぶりだからぜったいに主役したいの!

 

最近は赤羽根Pとの仕事ばっかりだったから、嬉しいな。

あの人もスゴくいい人だけど、でもミキにとっては、やっぱりハニーは特別なの。

ハニーはミキのことを誰よりも、一番信じてくれてるから。だから、その信頼に応えたいな。

 

「ハニー大好きなの!」

「こらこら、あんまり車内で抱きつくな。はあ、それより頑張れよ、美希。いい仕事にしような」

「もちろんなの、絶対に主役になって、成功させるの!」

「……ああ。ほら、はやくパーティーに行かなくちゃな」

「うん、みんなが待ってるの!」

 

そうなの! ハニーとのドライブデートも楽しいけど、みんなを待たせちゃいけないの。

今日のお仕事も終わったし、楽しいパーティーはこれからなの。

 

ミキとハニーを乗せた車は、事務所に向けてスピードを上げるの。

みんなが待っている、765プロへレッツゴーなの!

 

   ◇

 

side.高木社長

 

扉の向こうでは、我が事務所のアイドル諸君が楽しそうにパーティーの準備に励んでいるようだった。

先ほど到着した萩原くんへの、お誕生日をお祝いする声が聞こえた。実にほほえましい。

 

『おい、聞いているのか高木! 返事をしろ!』

「ああすまない、それで黒井、用事とはなんだい?」

『まったく、相変わらずマイペースな奴だ』

 

受話器越しに聞こえる黒井にわたしは応えた。

そう何度も言われずとも聞こえているのだが……。こちらの反応が薄いのがお気に召さないらしい。相変わらずな奴だ。

 

室内は照明を落としてあった。机の上に置いてあるキャンドルの火が、私のまわりをゆらめきながら照らした。

手には古びた一枚の写真。クリスマスパーティーをしている高校生の少女と男性が二人写っている。

全身を黒色のスーツで固めた男と、茶色のダブルスーツをはだけさせている男。二人とも酔っていて、普段はなかなか見せないほど破顔している。そんな二人の間に挟まれて、少女は嬉しそうにピースサインを作っている。

 

灯火では、朧気にしかその顔は写されない。

 

「それで、私への用事とは?」

『ぐう、こちらが待っている立場というのに、まったく貴様は』

「はっはっは。まあ、そうカリカリするな」

『付き合い切れん、手短に伝えるからな。私の事務所に所属していた元アイドルのジュピター所属「天ヶ瀬冬馬」と、そちらの765プロ所属の「星井美希」の両名が、今年のシャイニングアイドル賞『新人部門』に選ばれたそうだ』

「ほう~、それはそれは。嬉しい限りだねえ、若者達がそれぞれ活躍してくれるのは」

『フンッ、貴様の事務所のアイドルは知らんが、天ヶ瀬冬馬のほうは受賞を辞退するそうだ』

「それは、またどうして?」

『まったく、奴めアイドルとして今年の天ヶ瀬冬馬が受賞するわけにはいかないだと。誰がお膳立てまでして今年の活躍を実現させたと思っているのだ……奴も今ごろ後悔しているだろうな、フハハ……』

 

黒井はそう言って、高笑いを受話器越しにこちらに聞かせる。

……皮肉ってはいるが、きっと黒井の奴もほんとうは彼に受賞して欲しかったのかもしれん。奴自身が久しぶりに目を掛けて育てた、お気に入りのアイドルだったからなぁ。

しかし、まっすぐで汚れを嫌う若い彼らにも、彼らなりの想いがあるのだろう。

 

想いがつよいだけでは、上手くいかない。

本当にアイドルプロデュースというのは難しいものだ。

 

それからしばらくの間、他愛もない雑談をした。

黒井の奴はなんと、961事務所の代表を今年限りで辞任し、これからは医療や不動産関係の事業に着手するそうだ。あのアイドルプロデュースに燃えていた奴が、遂に身を引くのか……。

そう思うと不思議な感慨があった。

 

数十年に亘るプロデュース業を労おうと、わたしは口を開きかけた。

しかしその前に、二言目には黒井は「すぐに代表の座に返り咲いてやる!」と息巻いていた。

 

やはり、アイドルプロデュース馬鹿だったか。まあ、その方が黒井らしいが。

 

昔話に花を咲かせていたところで、ふと黒井が気になることを言った。

 

『貴様のところのプロデューサーだがな、あいつが危ういことを言っていたぞ』

「……危ういとは? 彼は確かに体調は崩していたが、」

『そんなことではない。貴様、まだアイドルを信じる、などと言うぬるい思想で接しているそうだな。あの若造が言っていたぞ』

「ああ、そのことかね。若い彼らにはとことん自由に楽しく活動して欲しいからね」

『それは殊勝なことだな。だがな、貴様も忘れたわけではあるまい、音無琴美のことを!』

 

どうしてそこで、彼女の名前が出てくるのか、一瞬分からなかった。

 

その少女の名前を、黒井の口から聞いたのはもう何年も前のことだ。

 

たしかにあの少女はわたしに忘れられない痛みと悲しみを与えた。

だがしかし、それだけではなく喜びや優しさももらったのだ。

いま手に持っている写真の、あの笑顔こそがその証拠だ。

 

『彼奴のことは、あの若造にも言ってある。貴様の受けた裏切りについてな』

「それは彼には関係のないことではないかい?」

『いや、ある。その内、奴も知ることになる。それならば貴様の口から先に話してやるべきだ』

「…………彼が尋ねて来たときに話そう」

『フンッ、あきれた奴だ。そんなことを言っていては、手遅れになるやもしれんぞ』

 

その言葉を最後に、黒井からの通話が切れた。

 

…………。

どうしたものか。私としては、あの話を彼にする必要があるのか、判断に迷うのだが。

 

また、彼女……音無琴美については裏切りそのものはもう過ぎた話なのだ。

第一あれは、まだ高校生の彼女に我々おとなの社会の汚れや欲望を背負わせたことにも責任がある。

だからこそ、語ろうとは思わなかった。

なにより私にとって、彼女、音無琴美は忘れられない大切なひとだ。

 

一方で、彼にも大切にする人がいることは事実だ。

彼と、その人が、私と琴美のようになってしまうことはどうしても避けねばならない

 

その為には、やはり話すべきなのかも知れない。

…………。

 

扉の向こうから、星井くんとプロデューサーの到着した声が聞こえてきた。

そろそろ私もパーティーに向かうとするか。みんなが待っているからな。

 

握っていた写真を机の引き出しにしまい、キャンドルの火を消してから、私は席を立った。

 

   ◇

 

side.天海春香

 

「じゃあ、また明日。春香、身体を冷やさないようにね」

「うん、ありがとう。千早ちゃんも気をつけてね」

 

そう言って、私は千早ちゃんと別れて家路を急いだ。終電の乗り換えまで、もう時間もあまりなかったから。

 

パーティーの最中、真とこれからのことを話しているとき、伊織の言った言葉が私の胸を突いたのを、歩きながら思い出した。

 

(忙しくなるのはいいことよ。ファンのみんなと過ごすクリスマスの方が、アイドルらしいじゃない)

 

帰り道ではすこしだけ、その意味を考えてみた。

みんなが揃って、こうして楽しく笑い合える時間は、今日が最後かも知れない。これからは、こういう時間よりも、アイドルとして過ごしていく時間に向き合わなければいけない。

そう思うと、なぜだか胸の内がざわめいて不安になった。

 

アイドルとして、プロに徹すること、ファンを大切にすることを優先する。

それは必然的に、事務所のみんなと過ごせる時間が減るってこと。

 

アイドルとして成功するのは、良いことのはずなのに。

みんなといっしょに居られない、その一点にどうしようもなく寂しさが募ってしまいます。

あの夏の海では、あんなに楽しみだった未来がいま現実になっているはずなのに、変だなぁ。

 

……。

 

でも、もうすぐニューイヤーライブがあるんだもん。

そうだよ、みんなで夏合宿みたいにとまでは行かなくても、集まって練習することは出来るよね。

最近、あまり皆で集まれてないけど、その分ライブの練習では会えるんだもん。また、おしゃべりして練習して。

 

そう考えれば、すこしだけ気分が明るくなりました。

 

「よ~し! ニューイヤーライブ、絶対に成功させるぞー! おー!」

 

ファイトだよ、わたし。大声でそう言って、手を夜空に突き上げた。

 

「うわぁ、わたたっ」

 

あやうく転けそうになりました……。

でも、転けませんでした! これは幸先が良いのではないでしょうか!?

 

そう思いながら、目の前の点滅する信号に気付き、慌てて横断歩道を渡った私なのでした。

 

 

 

……みんなでいっしょに。

 

   ◇

 

side.プロデューサー

 

春香企画のクリスマスパーティーも無事に終わり、それぞれ帰途についた。

だが、忘れてはいけない。

クリスマスとは恋人の季節でもあるのだ。

 

……そう! まだやることが残ってるじゃないか!

あずささんとの、二人っきりのクリスマスパーティーが!

 

「今日はなんだか、とても張り切ってますねぇ、プロデューサーさん」

「ええ、そりゃあもう! あずささんと一緒に過ごすクリスマスなんてこれで……いや、初めてでしょう? 恋人として過ごすのは」

「うふふ、そうですねえ。私も初めてです、好きな人と一緒に過ごすイヴの夜は」

 

そう言って朗らかに笑うあずささんは、徐ろに自分のそばにすり寄ってきた。

……ち、近いです! 可愛いあずささんが俺のすぐ隣に。あ、何かメッチャ良い匂いするし……。

イカン、理性的になれ、俺。

 

俺は自室の台所にしまってあったシャンメリーを取りに、一時離脱を図る。

はあ、落ち着け。冷静になるんだ。

確かに今日のあずささんはいつにも増してかわいい。ワインカラーのワンピースはあずささんの大人の女性らしさに拍車を掛けている。それにアレ、メッチャ身体のライン出るんですよ。

……うん、思い出すのはダメだ。俺の両足の間に居座るバディが昂ぶっちまう。

 

ボトルとグラスを取って戻ってくると、さっき帰りのコンビニで買ったビッグロイヤルエンジェルシュークリームをあずささんがもうテーブルの上に出していた。早く食べたい、とこちらに視線を向ける。

 

ああ、そんな欲しがりそうな顔しないで下さい。

キラキラした目で見られると、俺の中のSっ気が発動しちまう。

 

ともあれ、ボトルを開けてグラスに注いで、ようやく準備が整った。

 

「では、あずささん」

「ええ、プロデューサーさん」

「「メリークリスマス! かんぱーい!」」

 

グラスの縁同士を合わせて、高い音を鳴らした後、一息に飲み干した。

あ~~~。お酒が入るとやっぱり違うわ。

 

「うふふ。プロデューサーさん、はい、どうぞ!」

「え、あずささん、これって……」

「クリスマスプレゼント、です///」

 

さっきから後ろでモゾモゾとしていたあずささんは、両手に細長く小さな箱を持って、俺の方に差し出した。

ライムグリーンの包装に、真っ赤なリボンが結んである。

 

「あ、ありがとうございます! その、じつは俺も」

「あらあら、まあ! 嬉しいです……本当に、嬉しいです!」

 

そう言ってあずささんも俺からのクリスマスプレゼントを受け取ってくれた。

俺からは、ブローチをプレゼントした。あずささんに似合いそうな、アメジストのブローチだ。

あずささんは手に取ってみて、部屋の照明に宝石を透かした。すると、淡い紫の光がさめざめとするほど美しく広がった。

 

「きれい……」

「つけてみてもらえますか?」

「はい……どう、でしょうか///」

「とっても似合っています」

「あらあら~、ありがとうございます」

 

もう一度あずささんはブローチをワンピースから外し、しっかり見つめると嬉しそうに笑った。

 

俺のもらったプレゼントは、木製の万年筆だった。

昔見た輪島塗のような細工が施された、美しい拵えの万年筆。

どうやら、俺が昔から筆まめなのを知って、これしかないと思ったのだそうだ。

事実、面白い具合に握りやすく、滑らかに筆先が運んだ。

 

「こんなに良いもの、あずささんが俺のために……大切に使います!」

年甲斐もなくハシャいでしまった。

「うふふ、喜んでいただけて何よりです♪」

 

それから、俺とあずささんはお互いに懐かしい思い出話や、恋人らしい? こともすこしだけした。

具体的に言うのであれば、そうですね。口もとに着いた生クリームを取ってあげたりとかですね。

照れているあずささんの横顔がね、もうね、めっちゃ可愛いですよ。

この感じを言葉では伝えられないと思うが、もししようとするなら、それは初めて飲んだカルピスの味のように、まっさらで、火傷しそうなぐらい甘かった。

 

 

 

結局この日はあずささんを自分のアパートに泊めた。

変なことはしていません。神に誓います。

 

あずささんにはベッドで寝てもらい、俺は雑魚寝で済ませた。

そう、俺は紳士だから。

泊めてる時点で紳士じゃないとか、誰かが言ってるけど気にしません。

 

そうして、次の日の朝、俺はあずささんを彼女のマンションに一度送り届けてから、仕事へと向かった。

 

……それにしても、シャワーを浴びた後のあずささんに俺のダボダボトレーナーとジャージを着てもらった時。

 

あの姿は、ほんまにヤバかった。




「後書きまで進出したよ! 生っすか!? ラジオ」 take.5

ハルカ「さあ、はじまりました、生っすか!? ラジオ! 司会はわたし、天海春香と」
チハヤ「如月千早です。そして」
ミキ「ミキがするの! 遂にフルメンバーなの!」
ハルカ「今日のゲストは伊織と律子さんです、どうぞー」パチパチ
イオリ「こんにちは~、みんなのスーパーアイドル、水瀬伊織です!」
ミキ「デコちゃんなの、やっほー!」
イオリ「デコちゃん言うな!」
リツコ「またアンタ達は喧嘩しないの! たくっ……皆さんこんにちは、秋月律子です」
ハルカ「このコーナーでは、本文での振る舞いについて、色々ツッコんでいきます!」
チハヤ「それじゃあ今日の議題へ、どうぞ」

議題・買ってきたケーキについて

ハルカ「結構平和な議題だね、今回は」
チハヤ「そうね、というか……いつもどんな議題をしてたのよ」汗
ミキ「ほとんど春香フルボッコなの!」
のワの「」
リツコ「満面の笑みで言うセリフじゃないわよ」
チハヤ「春香が完全にフリーズしてるわね」
イオリ「それより、議題完全無視ですすんでるけど、いいのコレ?」
チハヤ「そうだったわ、水瀬さん。今日の議題はケーキのことよ」
ハルカ「ケーキと言えば、あの大量のケーキ最後どうしたんだっけ?」
リツコ「貴音が凄まじい勢いで食べてたわよ……あの子の胃袋はどうなってるのかしら」
ミキ「胃袋の中にちいさな貴音が沢山いるの」
イオリ「何よそれ、軽くホラーじゃない」
ハルカ「でも、想像してみるとちょっと可愛くないかな。ほら、プ○マス的な」
リツコ「あ~……って、絵面の問題じゃないでしょーが」
チハヤ「どちらかと言えば、私はあれだけ食べて体型の崩れや肌荒れもないところの方が不思議ですね」
リツコ「貴音はたしかに変らないわね。そもそもラーメンあれだけ食べてるのに、全くどうやってケアしてるのかしら」
ミキ「貴音に常識は当てはまらないの」
イオリ「何だか人外の存在みたいになってきてるわね」
ハルカ「あはは……」
ミキ「でも、765プロのメンバーなら間違いなく春香が一番ヤバい奴なの!」
ハルカ「へ」
ミキ「溶けたり、発狂したり、それにいっつも顔芸してるの!」コンナノ→のワの
チハヤ「春香マイスターの私から見れば、春香は既に人間をやめてるわ」
リツコ「もはやブランドー一家ね、突然キスをかましてくるわ」
チハヤ「さすが春香ぁ! 私たちに出来ないことを平然とやってのけるぅ! そこにシビれる憧れるぅ!」
イオリ「ド変態ね……」
ハルカ「なんつー言われよう……」


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イッショニ

やって参りました……慧鶴です。

この辺はアニメ視聴時にだいぶ精神的にキました。今もう一度書くに辺り、再視聴しておりますが新たな発見が度々あって面白いのと、辛いのとで精神グッチャーになってます(笑)

そんなわけで、ハルチハの片割れ、春香さんの回、ハジマリハジマリ。


side.プロデューサー

 

今日は久しぶりにあずささんと、一緒にお仕事をすることになった。

 

撮影も佳境に入った映画、『隣に』の現場に立ち会うことになったのだ。

もともと律子が付き添いのはずだったが、どうしても予定が合わないので急遽俺が代わりに着くことになった。

 

最近はこういったことが増えた。それぞれの活躍の場が増えたことで、みんなが揃って仕事をすることが減り、俺たちプロデューサーも日々対応に追われていた。

なにせ仕事のスケジュールに空きがほとんどないぐらい、みんな引っ張りだこだ。

いいことだけど、ここまで忙しいと事務所に立ち寄る時間もありゃしない。

ニューイヤーライブのことも律子に任せているけど、あまり集まれていないみたいだったからなぁ。

 

この前も、俺が赤羽根のヘルプに急遽入ったりすることがあったし。

それぐらい忙しかったから、まあ今回のこともよくあることだと思った。

 

と言うわけで今日、春香と美希の舞台稽古への陣中見舞いは赤羽根に頼んである。

あいつもそろそろ、プロデューサー業が板についてきたからな。今度何かお祝いしてやらねば。

 

その時は小鳥さんの奢りです。当然です。

いつも無理やり飲みに付き合わされてるのだから、これぐらいしてもらわくては。

ゆえに奴への褒賞はすべてあの事務員のポケットマネーから出させます。

でなければ、その身、焼き鳥タレ串へとまっしぐらです。

 

ん、電話だ。

 

『せめて優しく……』

「若鶏の肉質は柔らかいそうですよ、良かったですね、大人から子どもまで大人気じゃないですか」

『そろそろ生命の危機を感じるピヨ』

「つーか働け」

 

なに電話してきてるんでしょうか、仕事中なのに。

あの事務員にも、一社員としての正しい行動を心がけてほしいものです。

 

「どうかされましたか? プロデューサーさん」

「大丈夫ですよ、あずささん。ただの世間話です」

「そうですか~」

「撮影の方ですが、調子はどうですか?」

「うふふ、今日はいつにも増して絶好調ですっ。さっき監督さんにも褒めていただきました!」

「それは良いですね! じゃあ、このまま今日も頑張りましょう!」

 

はい! と笑顔で返事したあずささんは、そのまま撮影へと戻ってしまった。

 

あずささんは役のため、短かった髪の上にウィッグを被せている。

以前のロングヘアーのあずささんみたいで、見とれてしまった。

やはり似合うな、すこぶるかっわいい。

 

弾けるような楽しさ、そんなオーラが全身から溢れているみたいに、今日のあずささんは特にキラキラして見える。あずささん、演技することが楽しい、ってたしか前も言ってたなぁ。

 

実際、あずささんの演技は自然でいて、その中にも各個とした「一人の女性」としてのあずささんの魅力がある気がする。(素人目だが)それは、あずささんの秘めている「ブレない強さ」のようなものだと思う。

 

……懐かしいなあ。

たしかあずささんが初めて演技の仕事をしたときも、こんな感じがした。

 

あれは、あずささんがスペシャルドラマのお姉さんBという役をした時のこと。

演じるシーンは町のレストランで食事をしているというだけの簡潔なものだった。

チョコレートパフェを食べて破顔する、ただそれだけの、言われてみれば何てことないハシ役。

それでも、演技をしているあの頃のあずささんが、いまこの映画で主演を務めているのかと思うと、感慨深いものがあったし、はじめて見た日の自分の直感も嘘ではなかったと思った。

 

あずささんは向こうで、病床に伏す主演の男性の手を握りしめているシーンの撮影に入っている……が、おいちょっと待て。

なんだこれは。

 

主演やってんの、北斗だし。

 

ていうか、北斗とあずささん、距離近くない?

 

……あずささんの、その手を握っておいて生きて帰れると思うな。

てめえがいま繋がれている点滴の管に思いっきり空気を流し込んでやるぞ。そのまま完全犯罪だ。

撮影中の不慮の事故だ、だれも悪くない。問題はない。

 

「あの~、三浦さん?」

「はい、どうかしましたか、伊集院さん?」

「向こうにいるお連れの方から、凄まじい殺意を感じるんですけど……」

「あらあら、それは大変ですねぇ」

 

あ、あずささんが笑ってる。かわいいなぁ。

こっちに手を振ってきてる。も~演技中なのに何してんだか、ほら~カットかかっちゃったじゃないですか。

だが、ほんまに俺の彼女ってば天然で可愛い。

ポラロイドがあったら激写するレベルですよ。永久保存版ですよ。

 

大丈夫、すぐ側にいる伊ナントカさんはコラっておいて、デリートしておきます。

全場面俺に差し替えましょう。ああ、それがいい。

道を空けろ、ジュピターのチャオ☆担当、金髪くん。そこはお前にふさわしくない。

 

「はは、さっきよりも殺意が増してるような気がするんですが」

「そんなはずありません、プロデューサーさんはとっても優しい方です」

「とてもそうは見えませんよ」

「うふふ、いつか伊集院さんにも分かります♪」

「それは、どうでしょうねえ」

 

……そんなに顔を近づけて、耳もとで話すな。

 

あかん、もう我慢の限界だ。

俺の怒りの沸点はついに限界突破した。これより実力行使に移る。

思い至ったら即行動だ。

 

早まらないで! という俺の中にある善性の声が一瞬あたまの中で聞こえた。

あのチャオ☆もあずささんもただ役者として演技しているだけなのよ! と。

それでも、俺のこの胸の中に湧き上がる想いを止めることは誰にも出来ないぜ。

 

俺は、一歩踏み出した。

 

 

 

……その後のことはあまり言いたくない。

点滴のチューブにポンプで空気を入れようとしたところを、うしろから若い男のスタッフに身柄を抑えられ、そのまま椅子にロープでくくりつけられたのだ。俺が何をしたって言うんだ!

 

「いや、アンタ何言ってんの。バリバリアウトでしょう」

「でもあの金髪は危険だ、彼女のプロデューサーとして認可できん!」

「アンタの方がよっぽど危険だよ」

 

そうして、俺を拘束したスタッフはそのまま俺のことを監視してきた。

あずささんの前で何て失態だ、クソッ、責任者を呼べ。こんなスタッフに抑えられてたまるか!

 

「出禁にしますよ」

「ゴメンナサイモウシマセン」

「静かにして下さいね」

 

そんなこんなで、今日の分の撮影が終ったのと同時にようやく俺も解放された。

 

「あずささん、お疲れ様です」

「はぁ~い、プロデューサーさんも今日は大変でしたねぇ」

「すみません、お見苦しいところを」

「あらあら~、でも、今日のプロデューサーさん、なんだか子どもみたいで可愛かったですよ~」

「なっ……」

 

あずささんに可愛いって言われた。可愛いって。

う~ん、なんとも複雑な気分だ。

今日の俺は可愛いといわれるには、あまりにも嫉妬に燃えていたのだが。

 

「うふふっ、私はじめて見ました、プロデューサーさんの妬いてるところ」

「……やきもち、と?」

「はい♪」

 

ん・ん・ん・ん・ん?

 

え~と、つまり?

 

つまり今日、あれだけチャオ☆に嫉妬、もとい殺害未遂していた姿もあずささんにはやきもちを妬いているように見えた訳か?

たしかに言われてみれば、あずささんの前でこれほどストレートに他の男へ妬いている姿を見せたことはなかったが。まあ、そんな状況にならなかったってのもあるのだが。

それで、今回俺のレアな瞬間が見れて、あずささんは嬉しかったということか。

 

ちょっとまあズレてるとは思うが、やっぱりあずささんは可愛いなぁ。

もうすこし俺も大人の余裕をもって、あずささんと接していけるようにならないとな。

 

「俺も、あずささんのことが大切ですから、そりゃあ妬きますよ」

「あらあら~」

「ぐう、こう言ってみると、メッチャ恥ずかしい……」

「ふふ。私も好きです、プロデューサーさんのこと」

「あ、あずささん」 さすが、俺のエンジェル。

「でも。今日のはやり過ぎですよ、反省して下さい!」

「あーい」 ごめんちゃい。

 

そんなわけで、無事? 今日の仕事を終えた俺とあずささんは帰りに食事でもして帰ろうということになった。

何を食べようかと、二人でウキウキ相談していた。

 

イタリアン? 中華? それともやっぱり割烹日本食か?

俺はあずささんと一緒に食事できるなら、どこだって嬉しいです。

そんなことを思っていたら。

 

突然、電話が鳴った。

 

……また事務員か? まったく、どんだけ掛けるんだ、通信料がヤバいっての。

ほんとうに焼き鳥にしちまうぞ。

 

「はい、もしもし……」

 

しかし、それは全く予期していなかった人物からの電話だった。

その後、通話しながら、自分の気分が急速に悪くなって行くのを感じた。

 

「え、いまなんて、え、あいつが。ええ……はい……はい、分かりました、すぐ行きます」

 

電話を切っても、早鐘を打つ心臓が痛かった。気持ち悪い汗を掻いていた。

嫌なイメージばかりが浮かんでしまって、余裕が一気になくなった。

 

「プロデューサーさん、どうしたんですか、なんだか怖い顔をしてます」

「あずささん、すみません。食事は無しです」

「えっ」

「緊急事態です、あずささんも一緒に来て下さい」

 

それだけ言って、俺はあずささんを車に乗せるとキーを差し込み無造作に回した。

アクセルを踏み込み、急いで車を出した。

 

病院まで、一秒でも惜しかった。

 

   ◇

 

side.天海春香

 

……どうしよう。

劇の練習、しっかりやらなくちゃいけないのに。セ、セリフ言わなくちゃ!

 

「私はうたう、誇りたかき、夢のため」

 

全然集中できてないよ、声もブレちゃってる、頭のかたすみでライブの練習のことばかり考えちゃってる。

 

「ストップ! もういいっ、天海下がってろ。交代だ! おい星井、舞台に上がれ!」

「ハイなの!」

 

あぁ、また止められた。これで三回目だ。

こんなんじゃ、全てを出し切ることなんてできっこない。

 

私が舞台の後方に退がるのと同じタイミングで、美希とすれ違った。

美希はそのまま舞台の奥へと見えなくなった。

私は恥ずかしさや寂しさで崩れてしまいそうな心を、強引にタオルで顔を拭いてかき消した。

 

舞台のセリが上がるのと一緒に、美希の姿が見えてきた。

ライトを浴びながら、引き絞られた弓のような迫力を感じさせる目もとには、圧倒されてしまう。

本当に彼女自身がみずから輝いているんじゃないかってぐらい、舞台に立つ美希の存在感は凄い。

 

短いセリフの後、後部へと振り返りそのまま大道具の高台へと続く階段を、美希は駆け上っていく。

 

さっき、私が演じた、同じ場面。

でも、その後ろ姿はとても力強い。

 

「私は謳うッ、……誇り高き、夢のため!」

 

美希の演じる姿は、近寄りがたいぐらいにヒリついていて。

 

恐ろしいほど美しかった。

 

 

 

演技指導が終って休憩に入ってる間、まえに美希が言った言葉が頭の中に甦った。

 

(一緒に頑張るって言うのは、ちょっと違うって思う)

「……みんなで一緒に、……はぁ」

 

どうすれば良いんだろう。

ライブの練習も、一緒にがんばるのも、やっぱり諦めたほうが良いのかな……。

 

「どうしたんだ、暗い顔して」

 

ふと声のした方を向くと、赤羽根Pさんが立っていた。

 

「プ、プロデューサーさん」

「はい、陣中見舞いのどらやき、おひとつどーぞ」

「ありがとうございます」

「舞台のほうはどうだ?」

「はい、演技指導は厳しいですけれど、学ぶことが沢山ありますし、なんとか」

「そうか……」

 

どうしてだか、プロデューサーさんの顔をまっすぐ見て話せなかった。

 

「きのう、事務所に来てくれたって。社長から聞いたよ、俺に話があるのかな?」

 

プロデューサーさんは急かすのでもなく、ただ側にいて私が話すのを待ってくれているみたいだった。

しばらくそのままでいると、何だかプロデューサーさんの声や体温で安心してきたみたいだった。

いまなら、こんな私の想いも口にしても良いのかな。

それなら、すこしだけ……。

 

「あの…………わたしっ――、

「プロデューサー!」

「美希……」

「プロデューサー、美希頑張ってるから、ハニーにもちゃ〜んと伝えてね、あ、どら焼きなの!」

 

美希と赤羽根Pさんが話しているのを横で聞いていたら、恐ろしいほどの冷たさが胸を襲った。

この二人のそばにいる私は、いったいどうして、こんなにも異物のようなんだろう。

 

そこにいること自体が間違っているような、在ってはならない間違いのように感じられた。二人の話を聞いていられなかった。

こんな私の想いを、話すべき場所じゃなかった。

 

わたしは一緒には、とてもじゃないけどいられない。

この想いは、余計だ。

 

「……ごめん、春香。もう大丈夫」

赤羽根Pさんは、美希との話が終ったのか私の方を向いた。

「それで、さっきの続きだけど」

「いいんです」

 

そう言って、私はプロデューサーさんから距離を置いた。

いつものように、辛くったって、頭をすこし叩けば、リセットできる。こう、コツンって。

……うん、大丈夫。

 

「なんでもありません、いいんです」

「いいっておまえ……そんな」

 

プロデューサーさんが私に近づこうとする。そのたび、私は一歩下がる。

距離は埋まらない。離れていくだけ。

 

「いいんです、ほんとに――――」

 

そして、また一歩。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――退げた足が、かかとが、

 

                             空を切った。

 

 

 

 

 

 

「う、うわ、ああ、ぁ」

「ッ! 春香っ!」

 

すんでの所で舞台の柱に指を引っかけてつかまった、けど、左腕の指先はゆっくりと、いえ、あまりにも恐ろしいスピードで引き剥がされていく、指の力が抜けていく、怖い、落ちちゃう、床に残ったもう片方の足に神経を張り詰める、でも、指が、力を入れても感触が、ない、コワイ、落ちちゃう!

落ちる!

 

その瞬間、私の左腕をビックリするぐらいの力が掴んだ。

痛いけど、ゴツゴツした手だった。

 

「クッ……」

 

そして、私は引っ張り上げられた。

その手で掴んでくれた人が落ちていく、そのスーツの切れを、視界の端に僅かに捉えた。

そのまま私は床に放り投げられた。うずくまっていた。

 

数秒もしないうちに、底の方から太い打撲音が響いた。

 

閉じていた目を開いてみると、だれも、いなかった。

 

……

誰か落ちたぞ、おいどうした、おい、早く救急車を! なんでセリが開いてんだよ、わかんねえよ、おい大丈夫か! すぐに確認しろ! なにがどうなってるの!? 立てるか、君、あ、あ、不用意にセリを上げるな、巻き込まれるぞ! ダメだ、返事がない! ねえどうなってるの!? やばいよ、救急車いつ到着する? 確認取れました!

周りの人、みんなが騒いでた。

 

プロデューサーさんが、落ちた。

 

私の代わりに。

 

   ◇

 

side.プロデューサー

 

映画の撮影現場から病院に着いたとき、入り口のほうで、響と貴音、亜美に真美、伊織が揃っていた。そこであずささんを俺は車から降ろした。すでに院内では高木社長と小鳥さん、律子、それに美希と春香が到着していた。

 

急患の、救急治療室の重たい扉を隔てて、その向こう側に赤羽根がいるのかと思うと堪らなかった。

点灯している手術中の標示の赤色が、すごく嫌な色に思えた。

 

何より、扉の前で微動だにせず唇をきつく横に結んだ美希と。

そのすこし奥のベンチで、うなだれながら、声も出さずひたすら涙を流す、苦しげな春香を見たことが。

 

俺に、否応なく最悪の事態を想像させた。

 

「……あ、……ハニー……」

 

美希が気付いたのか、こちらに振り向いた。

その途端、こらえていたものが溢れだしたように美希は顔をゆがめた。

俺の胸に顔をうずめ、すすり泣いた。

 

「ミキ……気づけなかった。プロデューサーが落ちちゃうの、分かんなくて」

「だいじょうぶ。だいじょうぶだ」

「プロデューサー大丈夫だよね、ねえ、ハニー」

「大丈夫だから、アイツはきっと大丈夫だから」

 

それでも、ミキは泣いていた。

緊張が解けたのか、もう抑えが効かない様子で。

不安だったに違いない、目の前で突然起きた事故に。それでもこれまで我慢していたんだろうな。

俺はそれ以上美希になにも言えず、美希のケアを律子に頼んだ。

 

……春香。

これほど憔悴しきった春香を見るのははじめてだ。

いつもイジリ倒しているけれど、いまはそんな場合じゃない。

どう声をかけていいかも分からず、俺は春香の隣に座ってやるしか出来なかった。

 

「隣、座るな」

「うっ、ひっぐ、えぐ」

「……」

 

しばらくして、CM撮影スタジオからかけつけた雪歩、真、やよいが到着した。

話はすでに伝わっているようで、みんな少しだけ冷静になっていた。

俺は三人の方へ行った。

 

「プロデューサー、春香は?」

真の第一声に、「側にいてやって欲しい」とだけ伝えて、俺は外から院内に入ってきた亜美と真美、伊織にも声をかけた。三人とも事態についてはしっかり飲み込めているようだ。

亜美と真美もあまり口を開かない。伊織はじっと手術室の方を見つめている。

そうして、何時間にも感じられる中、俺と社長、小鳥さんを残してアイドルのみんなは待合所に移動した。

『手術中』の標示を見続けているのは、彼女たちにとって精神的にも辛いだろうとの律子の配慮だった。

 

「社長と小鳥さんは移動しないんですか?」

「わたしはここにいる。彼はわたしの部下だ。責任がある」

 

小鳥さんは曖昧に首を振り「離れる方が不安になります」とだけ言った。

 

俺は、自分の後輩がこんなことになると、つゆほども思っていなかった。だから、怖くてたまらなかった。

かろうじて心の整理をしつつ、事態をどうにか受け入れようとした。

 

それから、何分経っただろう。

手術が終った。

社長が出てきた医師と話しているのを横目に、俺は不安を募らせた。

 

その後、社長がみんなを呼び集めた。そこには千早もいた。空港から直接来たらしい。

 

「手術はひとまず成功した。

 脳波に異常はなく今後は快復に向かうだろうとのことだ。ただ当面は絶対安静、みんなも面会は控えるようにと。心配だろうが、今はひとまず各々の仕事に集中して取り組んでくれたまえ」

 

それだけ言ってから、「後は任せるよ」と俺たちに言い残し、社長は今後の入院の手続きに向かった。

 

   ~~~

 

雪歩ややよい、響、真が春香に声をかけるが、春香はうつむいて「うん……」としか言わなかった。

それでも、千早の声にだけは顔をあげた。

 

「春香……自分を、責めないで」

「千早ちゃん」

 

その様子を見て、言いようのない感情がこみ上げた。

 

 

 

みんなを病院からタクシーで自宅に送り届けた。

それぞれ、思うことがあるのだろう。

 

それでも明日からまた、いつもどおりの生活を彼女たちは送らなければならない。

仕事をして、ファンに笑顔を届ける、心の中は不安でいっぱいだろうと。

 

彼女たちはアイドルだから。

 

……春香の泣き顔がふたたび脳裏によぎった。

 

あれほど泣いていた春香は、本当に笑顔で仕事をできるのか?

このままで本当にいいのか?

 

心配が尽きないまま、俺は夜の中に車を走らせ続けた。




「後書きまで進出したよ! 生っすか!? ラジオ」 take.6

ハルカ「はじまりました、生っすか!? ラジオ! 司会はわたし、天海春香と」
ミキ「ミキがするの! 千早さんは、海外レコーディング中で欠席なの」
ハルカ「そんなこんなで今日も始めます! ゲストは、亜美とあずささんです、どうぞー」パチパチ
アミ「うっふ~ん♡ 亜美だYO~」
アズサ「三浦あずさです~」
ハルカ「このコーナーでは、本文での振る舞いについて、色々ツッコんでいきます!」
ミキ「それじゃあ始めるの!」

議題・あずささんの映画について

アズサ「あらあら~、恥ずかしいわねえ」
ハルカ「撮影は順調に進んでるみたいですね」
ミキ「あずさの初主演だよね、ミキすっごく楽しみなの!」
アミ「亜美も映画見に行くかんね!」
アズサ「うふふ、ありがとう。良い映画に出来るよう頑張るわね」
ハルカ「そういえば、765プロのみんなで撮った『無尽合体キサラギ』のDVDが出てたね」
ミキ「あ、それミキもう買ったの!」
アミ「あれは良かったですなぁ、なんてったって、亜美と真美が主役だもんね」
ハルカ「え、千早ちゃんが主役じゃないの、アレは」
アズサ「声だけの出演は主役なのかしら?」
ミキ「でもロボットは千早さんを完全再現していたし、ミキ的にはいいんじゃないかなって思うの」
ハルカ「それは、ある場所のことじゃないの」www
アミ「はるるん、本人いないのにグイグイ攻めてるね」www
ハルカ「しかもゲストのタイミングだよ、完璧すぎる」www
アズサ「? どういうことかしら、よく分からないわ~」
ミキ「……ねえ春香、この放送間違いなく千早さん聞いてるけど、そんなこと言って大丈夫なの?」
のワの「」
ミキ「千早さん、春香マイスターを自称してるし、当然聞いてるって思うの」
アミ「アー、亜美、はるるんのいってることムツカシクテわかんない」ボウヨミ
アズサ「そうねえ、春香ちゃんにもっと詳しく意味を聞いたら分かるかも知れないわね」
ハルカ「へ」
ミキ「あずさ、それは追い打ちなの」www
ハルカ「あ、あ~」ワタワタ
アズサ「ねえ、教えて? ね、春香ちゃん」ズズイッ
ハルカ「……ペ、ペ、ペッターーーーン! ってことです!」
ミキ「――――!!」WWW
アミ「言った、言ったよ、はるるん!」WWW
アズサ「あらあら♪」
ハルカ「灰になりたい……」


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ハルカ

こんにちは、慧鶴です。

ツラい展開がつづくこの回(アニメ24話)、765プロのアイドルたちそれぞれの想いが垣間見られて、みんないい子だなぁ、と癒やされておりました。

*2章ももうすぐ終ります。



side.天海春香

 

「私の夢は、どこ……?」

  これは、夢。

「つかみかけた夢が、こぼれ落ちていく……」

  あの日、舞台の主役の座をつかんだ。他の、大切だったはずの夢を守れずに。

「さらさらと、音を立てて……」

  離れ、流されてゆく想いに、締めつけられる胸を必死で抑えて、本当の声を絞り出す。

「夢だったの? あの、楽しかった日々は」

  みんな、プロデューサーさん……。私を、置き去りにして。

「どこへ?」

  落ちないで! 行かないで! 一人にしないで!

「――私はいったい、どうすれば!?」

  みんなが私の側からいなくなる。私は泣きじゃくって、だけど何も出来ない。

「わからない……私には、わからない……っ」

  そのまま、ずっと独りになる。

  それでも、わかりたいよ。

 

……

夢から覚めるたびに、涙が流れている気がする。

けど、頬や目の縁に手を添えても濡れていない。乾いていて、何もない。

 

あれから感情を抑え込んでいるのかな? 凍りつかせた心で、笑顔を、演技を、歌を……仕事をしていた。

赤羽根Pさんが目を覚ましたと聞いたときだけは、安心して泣いちゃったけど。

 

「起きなきゃ……」

カーテン越しに温度のない光が差し込んできた。

ベッドから起き上がり、部屋の壁をしばらくの間ながめる。

一分、二分、三分、、、どれぐらい? 曖昧な意識のなかで、朝の支度を済ましていく。

 

なにが大事なのか、仕事に取り組みながら、ずっと考えてた。

舞台で稽古に打ち込んで、誰もいないレッスンスタジオでひとり練習して、いつまで……。

プロデューサーさんの「頑張れ」っていう言づてに対しても、何に向けて頑張るのかを考えてた。

私はただ、、、

 

「がんばらなきゃ……ね」

 

家を出て、事務所へと行く電車の中でも考えてた。

全員で一つのことに全力で取り組む、それが765プロ……ニューイヤーライブを前に、こんなにバラバラで良いのかなぁ……。

このまま、本当に夢の内容みたいに、バラバラになっちゃうのだとしたら。

 

今日、事務所に行くときに律子さんにお願いしてみよう。

離ればなれにならないために。

当面はライブに集中して、他の仕事はなるべく休んで……

 

 

みんなで、いっしょに、がんばらないとね。

 

   ◇

 

side.星井美希

 

あの日から春香が来なくなって、もう三日経つの。

 

―――――いつからなんだろう、変だね……でも、、、

春香の声は震えてた。

 

ーーーーーただ、私、みんなと……

「あれ……」

悲しさがこみ上げるようなか細い言葉といっしょに、春香の不自然に固まった笑顔に、涙が。

涙がこぼれていたの。

 

――――どうしたかったのかな……? ……もう、わかんないよ

ミキ、あの春香に何も言えなかった。苦しそうで、言葉も出なかった。どうして春香がこんなに苦しそうなのか分からなかったの。

 

今日だって仕事が入ってる。休んでる暇なんてないの。

仕事をしてるとツラくてもキラキラ輝けるから、それが、アイドルが楽しいってことだから。

それなのに春香、休みたいって言ったの。

 

春香はどうして休もうって言ったんだろう。ライブばかりに力を入れて、他の仕事をおざなりにするなんて……。

舞台の主役になって、ドラマや歌の仕事にもいっぱい出てるのに。

ミキには、分かんなかった。

 

でも、あんな春香を見るのは初めてで、嫌だな~って思ったの。

 

「美希ちゃん、次の写真の衣装、もう準備オッケー?」

「ハ、ハイなの! オッケーなの!」

 

ボーッとしてたらダメなの。

ミキはアイドルだから、どんな時だってキラキラ輝くの。

ハニーに褒めてもらえるように。

 

怪我をしちゃってプロデューサーがいないから、律子もハニーもすごく忙しそうなの。

そんな時だからこそ、ミキは一人でも大丈夫だよって、しっかり仕事するの。

 

「いいね~! 次はちょっと小悪魔チックに」

「分かったの、こんな感じ?」

「おお~、いいねいいねぇ!」

 

パシャパシャ~って撮ってる間、ミキはアイドルだから。

春香もプロデューサーも心配だけど、それを飲みこんで頑張るの。

っと、力んじゃったらダメなの。笑顔を意識して……。

 

   ~~~

 

今日の撮影が全部おわって控え室に戻ると、律子がいたの。

律子はちょうど今来たばかりみたいな様子だった。

 

「美希、もう終ったの?」

「うん」

「早いわね~、まあ、時間もないし良いことか」

 

そう言って律子はスケジュール帳とにらめっこをし始めた。

次のスタジオまでの移動時間や、ほかのみんなの仕事のこと、調整について考えているみたいだった。

竜宮小町のプロデューサーもしてるから、とっても負担がかかっているってハニーも言ってたの。

 

「ねえねえ、律子」

「さん、は?」

「……さん」

「なに?」

「ミキ、次の仕事まで何かしたほうがいいかな」

「そうねえ、とりあえず着替えと片付け、それからお昼ご飯食べておいて、これ、おにぎりとお茶」

「わかったの〜、あ、辛子明太子! ありがとうなの!」

 

それで、ミキが着替えてるうちに律子は撮影スタッフのひと達に今後のスケジュールについて聞いてくるって言って、部屋を出ていったの。

ミキ、あっという間に片付け終らせて、それからご飯を食べたんだ。

~~~! おにぎり美味しいの~!

 

さいごの一口を食べて、お茶を飲んでるときにちょうど律子が戻ってきたの。

頭をガリガリ~ってしてて、大変そうだった。きっと、また何か困ったことになったんだろうな。

 

こんなことになったのも、あの日、赤羽根Pが怪我をして……ううん、それから春香が休業し始めてからなの。

だとしたら、春香を泣かせたミキが、今こうやってみんなを困らせてるのかも知れない。

 

「……ミキのせいだったのかな」

「どうしたの、美希?」

「あの時ね、ミキの言葉が春香を傷つけたのかな~、って」

「それは違うわ」

「……ゴメンなさい。いまの言い方は、良くないの」

「ミキ……」

「ミキね、春香の言ってること、ちっとも正しいって思わなかったんだよ。だけどね、今たしかに事務所は大変だし、みんなとだってなかなか会えてないないの」

 

ミキには、春香がどうしたいかが分からなかった。

いっぱいお仕事が出来るのに、全然楽しくなさそうだった。

だって、楽しかったらそんな顔しないの。

そう思ったから、言っただけだった、それが、春香を強く傷つけた……どうして泣いてしまうのかも分からないほどに。

 

あのとき初めて、ミキは春香が追い詰められてるって気づいたの。

 

「だから、あんなこと言わなきゃ良かったかな~って」

 

律子は少しのあいだ考え込んでたみたい。

急にこんなこと言われてビックリした、って笑ってから、ミキの隣の椅子に座った。

何をするでもなく、ただ座っていたと思ったら、急にミキの方を向いて話し出した。

 

「たとえそうだとしても、気づけなかった私に問題があるわ、

 それにね、ミキが春香に言ったことが間違っているとも思わないわ。あれは一つの回答としては正しいのかも知れないし。ただ、それでも……あれほどまでに春香が追い詰められるのは、防げたかも知れない」

 

はあ……と言って、律子は席を立った。

そろそろ行かなくちゃね、そう言って次の現場へ向かうために部屋をふたり一緒に出る。忘れ物はなかった。

それから車を駐めてある駐車場に着くまで、いそいで移動したの。

 

「そういえば美希だって、練習に出なくなったことあったじゃない」

そして車に乗って移動しながら、さっきの話の続きを喋っていた。

「あ~、うん。でも、春香とミキのは違うんじゃないのかな」

「……たしかに、二人とも違いはあるけど根本的なものは一緒じゃないのかしら」

 

律子の言ってることは難しくてよく分かんない。

もっと分かるように言って欲しいの。

 

「じゃあ、律子…さんは春香がやめちゃった理由が分かるの?」

「は~。……分からないわ、あくまでもあなた達を見てきた上で、そうじゃないかって思ったのよ」

「見てきたって、どういうところを?」

「それは……ほら、みんな最初は前へ前へがむしゃらに藻掻いたじゃない、あのとき、美希は『竜宮小町になりたい、キラキラしたい』っいう気持ちが報われなくて辞めるって言ったでしょう?」

 

そう。ミキはかわいい服を着て、ダンスをして輝きたかった。

でも、それが叶わないと分かって。

 

「いまの春香も、『ライブの合同練習をもっと皆としっかりしたい』っていう気持ちが普段の仕事の忙しさが重なってしまって報われてないから……精神的にまいっちゃってるんじゃないかなってね」

 

……そう、なのかな?

律子から聞いた春香の想いは、やっぱりミキにはよく分からなかった。

ハニーに相談したら、もっと分かるようになるかな。今度してみよう。

 

ただ、律子が話してくれたことで、すっごく印象的で覚えてることが一つある。

 

練習をやめて、途中で逃げ出した美希をまた仲間に迎えてくれたのは、765プロのみんなだった。

あの時は本当に嬉しかったな。がむしゃらに藻掻いて成功させた1stライブの時、ミキが限界を超えてキラキラ輝けたのも、やっぱり皆がいたからだと思う。

 

だから、みんながいるから、ミキはもっともっと輝けるんだ。

アイドルとして、さらに強く。遠くに広がるミキの目指すトップアイドルの姿まで行くことができる……。

 

曖昧にだけど、そんなことを考えた。

それで次の仕事も、ミキは全力でキラキラするだけなの。

 

そんなことを考えてたら、眠くなって来ちゃったの。あふぅ、おやすみなさいなの~。

 

   ◇

 

side.水瀬伊織

 

今日の「ドッキュン生ラジオ」の収録も無事に終った。

 

リスナーのみんなも、この私とあずさの掛け合いを聞いてしっかり笑ってくれたはずだわ。

あずさがいると話が勝手にポンポン飛ぶからほんとに退屈しないし。

 

「伊織ちゃん、お疲れさま~、はい、お水」

「ありがとう、あずさ」

 

あずさが差し出してきたモンブランの天然水を受け取る。

……どこから取り出したのよ。さっきまで何も持ってなかったじゃない。

それに、モンブランの天然水って。どこのメーカーよ。

 

「うふふ、社長直伝のマジックよ」

 

嬉しそうに成功した事を社長にメールしてるあずさを見てると、まったくこの人は、とちょっと呆れちゃったわ。まあ、事務所がどんなに大変な時でも、ブレることのない強さと穏やかさがあずさのいいところだもんね。

 

私はあずさから受け取ったお水を飲んだ。

ひんやりと冷たい水は、さっきまで喋り通しだった喉を潤してくれる。美味しいわね、さすが名峰モンブラン。

 

「お疲れ様です、ふたりとも」

「あ、ディレクターさん、お疲れです〜。今日もとっても楽しくお話出来ました♪」

「はい!あずさも私もやりやすかったです!」

「いや〜それは何よりだねぇ。今や二人とも、押しも押されぬ、765プロの売れっ子アイドル、出てもらえてこちらとしても嬉しいよ」

 

このディレクターさんは、とってもいい人なのよ。

初めて一緒にお仕事をした時も親切にしてくれて、亜美の放送事故(というには余りにも無茶苦茶なラジオ私的な使用)についても、厳しい注意と適切なリカバリーの両方をしてくれて、その後も私たちに積極的に仕事を振ってくれている。

 

そう、あの竜宮小町の3人が揃って撮影した30分のミニドラマの時だ。

やっぱりプロ意識を持って仕事をしている人は凄い、って私も思ったもの。私は笑顔でディレクターさんに答える。

 

「そう言ってもらえて嬉しいです!これからも頑張ります!」

「はっはっは、うん、頑張って。三浦さんもね」

「はい、わたしも頑張ります〜」

「あ、そーだ。そう言えばさ、天海春香ちゃん、体調不良で休んでるって聞いたけど、大丈夫なの?」

 

ディレクターさんの質問にわたしは次の言葉に詰まってしまった。あずさも言いよどんでるみたい。

 

春香が来なくなって、いや、連絡が取れなくなってもう5日も経ってた。

 

詳しい事情は私も知らないけれど、律子によると相当疲れてる様子だったから休ませている、とのことだった。

 

今は春香もそうだけど、赤羽根Pの怪我の事もあるし。

 

「詳しいことは……あまり」

「あの〜、春香ちゃんについては、私も伊織ちゃんも分からないんです」

「そうかあ、これだけ個人が売れ出したら、周りのことが見えなくなるのはあるからなぁ。まあでも、個人で活躍できてるのは事実だし、あまり765プロにこだわらなくてもね」

 

ディレクターさんのその一言に、おもわず反応してしまった。

 

「そ、そんなこと!…」

「そんなことは……でも」

 

私も、あずさも、それ以上何も言えなかった。

ディレクターさんの言う通り、わたしには、周りが見えてない。

それは分かってるけど。

765プロだって、私にとっては大切な……。

 

「ああ、ゴメンね。困らせるつもりじゃないんだ、ただ、一つの例としてね。勿論、それが正しいとは限らないから。

……人との関わり方は、その人それぞれだから」

 

柔和な表情でそう言ったディレクターさんは、頑張ってねとサムズアップしてから別の収録場所へと向かって行った。

 

あずさも浮かない顔をしている。きっと、私もそうだ。

 

胸の底のほうに沈鬱な想いが溜まっていってる。いざ口にしようとすると出来ない、このよく分からないもどかしさ。

 

それでも今は踏ん張りどころなのだから。

私が事務所を引っ張っていくの。

 

だから、早く二人とも戻って来なさいよね。

戻ってきて、またあの笑顔を見せて欲しいのよ。

 

その想いを口にはせず、私は律子の迎えを待つために駐車場へと歩き出した。

 

「いくわよ、あずさ」

「ええ、伊織ちゃん」

 

そして、収録室を私たちは出て行く。

 

   ◇

 

side.プロデューサー

 

「小鳥さん、赤羽根の様子はどうですか?」

「ええ、いまは落ち着いていますよ。まだ痛み止めがないと、厳しいですが」

 

小鳥さんの言葉に俺は肯くと、部屋の奥にあるベッドで横になっている赤羽根の方へと歩いて行った。

 

カーテンの白い布越しに、包帯とギブスでガチガチに身体全体を固定されたアイツの顔が見えた。

たしかに表情はいくらか穏やかで、ボロボロの状態である外見の印象をすこしだけ和らげている。

その矛盾に、痛み止めの効用のすごさとその怖さも感じた。

 

丸い座椅子に腰かけて、俺はおもむろに手を布団に添えた。

フカフカの毛布を被っている赤羽根の胸の部分が、呼吸に合わせて上下に揺れる。

その様子を見ていると、

 

「……いつまで見てるんですか、先輩」

 

目を覚ましていたのか、赤羽根がゆっくりと声を出した。

いつもの、すこし呆れた口ぶりに思わず両頬が緩む。

 

「ははっ、赤羽根、そりゃあ面会終わりまでに決まってるだろ?」

「最後までいる気ですか? はあ、だからって、こうジロジロ見られてたら寝られないですよ」

「胸フェチなんだ」

「変態ですね」

 

いつもの赤羽根だな、と思った。

容赦のない、それでいてこれ以上ないキレのあるツッコミ。さすが俺の後輩だ。

 

ただ、もうそろそろ先輩としての威厳は消滅している気がする。

せめてもう少しの間だけ、俺に先輩としての気高さを求む……。

 

「それなら、せめて変態から紳士になって下さいよ」

「それなら大丈夫だ。既に俺は、変態という名の紳士だから。これ、万国共通の理念ね」

「ダメだこの人」

「おい」

 

そんな下らないいつものやり取りをしながら、なんとか俺と赤羽根は調子を取りもどいていった。

病室に入ったときの気まずい空気も幾分かは和らいだし。

向こうで小鳥さんはクスクス笑いながら、ココアを淹れている。こちらまで甘い匂いが届いてきた。

 

「それで、アイドルのみんなは大丈夫ですか、先輩?」

 

小鳥さんの運んでくれたココアを俺がひとしきり啜った後、赤羽根はそう言って、俺のほうに目だけまっすぐ見つめた。

 

「小鳥さんから、大まかな説明は聞きました。どうやら春香が……」

「ああ、その件な。俺としても、どうにか出来ないのか、考えてはいるんだが」

 

春香の突然の活動休止から、すでに一週間が過ぎていた。

事務所内をいつも明るく照らしてくれていた、太陽のような少女はいま全く連絡が取れないでいる。

かろうじて、春香の仕事の調整は出来たが、それもいつまで続けられるか分からない。

保って、たぶんあと三日程度だ。

 

その場にいた律子の話によると、春香は精神的に相当参っていたみたいで、ニューイヤーライブのためにその他の仕事をオールストップにしてくれと頼んできたらしい。

あの春香にしてはかなり思い切った、いや度が過ぎている懇願と、その後の美希とのとある会話でみせた涙で、はじめて事態を掴めた。それは、余りにも遅かったが。

 

「わからないって、春香……なにが分からないんだろう? ニューイヤーライブは余り進捗が良いとは言えなかったが、それでも」

「先輩、俺、少し前から気になっていて」

「なんだよ」

「春香の分からないを、もしかしたら、俺や先輩、律子も含めてみんな勘違いしてるんじゃないかって」

 

赤羽根は真剣な表情でそう言った。

少々力を入れすぎたのか、いたた、と少し呻いていたが。

だが、なおも赤羽根は喋る。

 

「春香のSOSのサインは、もしかしたら俺が舞台から転落したとき……ううん、違う、もっと前のクリスマス会を開きたいってところから、すでに始まっていたのかも知れません」

「そんなに前から?」

「ええ。俺も先輩も、ニューイヤーライブの事ばかりを、原因と考えてますけど、それだけじゃない気がするんです。春香にはむしろ、もっと根本的な要求が在ったはずで、それを――」

 

赤羽根の言葉を聞きながら、俺は不思議な感覚に浸っていた。

 

どうしてだか、目の前で横たわっている満身創痍のこの男の方が、自分よりもはるかにアイドル、そして一人の少女としての天海春香を見れている気がしたからだ。

俺もたしかに、春香をイジリ倒していた。だが、それもお互いコミュニケーションの取り方のひとつとして理解していたし、事実これまでも765プロのピンチをいつも影で見つめながら、アイドルたちと一緒に乗り越えてきた。

けれど、いま多忙を極める事務所のメンバーのことを、ここまで認識できている人間はきっと赤羽根ぐらいしかいない。少なくとも、俺は出来ていない。

 

同じプロデューサー、しかも、同じアイドルを担当している……

そこに明確に生まれていた事態に対する俺とアイツの認識の差に、違和感を感じた。

 

「――だからきっと、春香に必要なのは……先輩?」

「……ああ、どうした?」

「いや、なんだかボーッとしているようだったので。年ですか?」

「ケガ人が何言ってんだ。それより、そんなに喋って平気なのか?」

「安心して下さい、と言いたいですが、さすがに疲れますね」

「無茶しすぎだ」

 

赤羽根は苦笑いをするとそのまま、とにかく、と言ってもう一度俺の方を向いた。

 

「皆のこと、頼みます」

 

おう、とだけ答えて、俺は席を立った。小鳥さんの淹れてくれたお茶もすっかり冷めてしまっていた。

帰り支度を済ませながら、そういえば、と思ってあずささんに一応、赤羽根の状態だけメールで伝える。

同時に、今朝事務所を出る前にふと気付いた、あずささんの喉の僅かな不調、違和感(風邪かな?)に効くお茶や薬を小鳥さんに教えてもらった。

 

「え、わたし全然気付きませんでしたよ、プロデューサーさん」

「そうですか? 結構分かりやすいと思ったんだけど」

「うふふ、本当にプロデューサーさんは、あずささんのことよく見てますよね」

 

そう流し目で見られたので、その視線に含まれているであろう事務員の邪推を感知し、すぐに話を切り上げた。

 

そのまま病室の扉を開き、出ようとした。

 

その瞬間、目の前に見たことのあるシルエットが近づいてきた。

そして、俺の胸元にその人の顔がぶつかった。

 

「きゃっ、す、すみません……あ、プロデューサー」

 

そう言って顔を上げた千早に、大丈夫か、と俺は声をかける。

 

「大丈夫です、あの~赤羽根Pは?」

「ああ、中にいるよ。何か話すことがあるのか?」

「……はい、ちょっと相談があって」

 

そう言って千早は、視線を扉の向こう側へと送る。

その様子を見ながら、これは赤羽根に任せたほうが良いと思った俺は千早を中に案内し、小鳥さんに預けた。

それが終わると、今度こそ俺は病室を出ていった。

 

千早の後ろ姿を見たとき、少しだけ胸の奥がチクリとした。

その痛みに目を背けて、俺は仕事を続けるために事務所に向かった。

 

   ◇

 

side.天海春香

 

「どうしたかったのかな……」

 

あの時、美希の前で自分が口にした言葉をわたしは呟いた。

声は天上に反響し、そのまま部屋の隅の方へと消えていった。

 

ベッドの上でパジャマのまま寝転がり、なにもしなくなってからもう一週間も経つ。

 

ひたすら泣いて、尽き果てた涙をそれでも絞り出すように、この一週間泣き続けていた。

どうしてだか、泣いてしまうのだ。

 

いまごろ天海春香がいなくても、きっと皆には関係ないだろうな、とか。

事務所のみんなも、それぞれの仕事に打ち込んでるのかな、とか。

とりとめのない想いが浮かんでは消えた。その度、目尻が潤んだ。

 

結局、律子さんへのお願いも叶わず、わたしは家に帰って来てしまった。

 

わたしはどうして。

どうして、アイドルになりたかったのだろう。

こんなにも曇りきった心で、いったい何を願っていたのだろう?

 

分からない、もう、どこに向かえば良いのか分からない。

 

そうして、窓から差し込む夕焼けのオレンジに肌を染めさせたまま、目的もない心を抱えて、真っ暗な眠りに落ちた。




「後書きまで進出したよ! 生っすか!? ラジオ」 take.7

ミキ「はじまったの、生っすか!? ラジオ! 司会はミキと」
チハヤ「如月千早です。春香は体調不良なので代わりに」
マコト「菊地真です! 今日はボクが司会に入ります!」
ミキ「ヨロシクなの、真くん!」
チハヤ「今日のゲストは、高木社長とあずささんです」パチパチ
社長「HEY! 事務所の顔、タカギっちだYO! そしてぇ!」
アズサ「前回に続いて登場しました~、三浦あずさです~」
ミキ「社長、クセがスゴいの……いつもこうなの?」
社長「ウオッホン、まあ程々にね」
マコト「このコーナーでは、本文での振る舞いについて、色々ツッコんでいきます!」
チハヤ(春香とおなじ言い回し……研究してるわね、マコト……!)
ミキ「それじゃあ始めるの!」

議題・モンブランの天然水と、マジックと

ミキ「あはっ☆ ミキ、このマジック知ってるの!」
チハヤ「そうなの? 美希」
ミキ「うん、前に社長に見せてもらったの!」
社長「そういえば、星井くんには以前披露したことがあったかな」
マコト「えー! 初耳ですよボク!」
アズサ「あらあら、じゃあ、今回のわたしのマジックがはじめてだったのね」
チハヤ「ほとんどの人がそうでしょうね」
社長「では、今回特別にご覧に入れようかね」
ミキ「やったの!」
マコト「へへっ! やーっりー!」
チハヤ「ちなみにこれラジオですから、完全に内輪ネタですけどね」
アズサ「たしかに、リスナーの皆さんには見えないですね~」
ミキ「細かいことは気にしないの! いってみるYO!」
マコト「もはやどんなキャラなのか、最近分からなくなってきてるよ、ミキのそれ」
ミキ「真くんの『まこまこりん♡』よりは全然マシなの」
マコト「のワの」
チハヤ「38点、春香には程遠いわね、真」
マコト「ぐ、ぐぅう。よりにもよって赤点、悔しいよ!」
ミキ「真くん、ドンマイなの!」
マコト「うう~、じゃあ、千早はどうなのさ、見せてみてよ!」
チハヤ「フッ、造作もないわ、なぜなら私は、春香マイスターなのよ!!」
ミキ「いいから早く早く!」
チハヤ「しょうがないわね、もう……「のワの」!」
アズサ「……72点♪」
のワの「」←(注・表情を失ったチハヤです)
マコト「……」
ミキ「……あずさは、ほんの一言が爆弾なの」
社長「結局、君たちモンブランの天然水にはノータッチなのか……」


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これからが彼と彼女のはじまり。

~Beginning to ture love~

慧鶴です。

やっとここまで来ました。
ロリ春香さんの登場回、その水面下で進展のなかったニューイヤーライブへの準備に変化が、またPが依頼された作戦などと、ワクワク要素目白押しです。
鬱回を抜けて、ついに、ついに!

……そして、Pとあずささんの物語も一気に加速を始める。


side.プロデューサー

 

瀟洒な外観のカフェテラスで、俺は千早に相談を持ちかけられていた。

だが、千早の相談内容は決して褒められたことではない。社会の一般的な考え方ではまちがいなく、犯罪者予備軍にカテゴライズされるものだからだ。

 

「プロデューサー、春香を今日一日、ストーキングして下さい」

「正気か?」

「いたって正気です」

「赤羽根、マジで千早に何を言ったんだ……ブッ飛んでんぞ、この子」

 

どうなってんだよ、なんでこの前病院で赤羽根と相談したっぽい流れから、このパスが来るの?

普通じゃねえよ、泥沼だよ。

 

どうしてこんな真っ昼間にカフェオレを飲みながら、自分の担当する未成年のアイドル(765プロの歌姫)に、同じく自分の担当する未成年のアイドル(765プロのネタ王)を終日でストーキングするよう持ちかけられねばならんのだ。

新手のモニタリングか? スタジオで俺の反応を笑っているのか?

くっ、なんたる屈辱、それ以上に千早のおつむを本気で心配するぞ。

 

目の前に座ってる本人メッチャ真面目な顔だし。コーヒーはブラック飲んでるし。

多分ライブの時よりも緊張感もってる……それはそれでどうなんだ。

 

「とにかく、春香を今日一日だけストーキングして欲しいんです」

「それはそうと、その言い方どうにかならない?」

「……プロデューサーには、青少年保護育成条例および迷惑防止条例、ストーカー規制法の抵触者さんになってほしいで――」

「オーケーストップ千早ちゃん、完全に理解した。それで、どうしてこんな話を?」

 

千早ちゃん、ちょっと見ないうちにかなり過激な言葉を覚えたようなので、ここは大人しく従いましょう。

すでに相談から恐喝になってはいるが。

なにより、留置場からの裁判所はシャレにならん。あずささんに顔向けできん。

 

「今日の午後、事務所のアイドル皆をなんとか集めていただけるように、昨日社長にかけ合いました」

「ほお、それはスゴイな」

「その時に、私は春香が戻ってくることができるように、そのための場所を取り戻したいんです。だから、プロデューサーには、春香をいざとなったら導いて欲しいんです」

 

千早からの切実な話を聞き終えた俺は、すこしの間考えた。

たしかに千早の話は、聞いていて筋が通っていたし、俺たちプロデューサーでは気付くことの出来なかった、親友だからこその春香の悩みへの理解があったと思う。

 

だからなのか、千早がこれだけ気付いていてどうして俺をストー○ーに仕立て上げる必要があるのかに戸惑った。

千早なら、自力できっと春香を引っ張り上げられるのではないか……?

 

「それは、多分できません。プロデューサーも知ってるかもしれないですけど、やはり傷ついた人が立ち上がるためには、手を差し伸べてくれる人が、きっと必要なんです。私にとって、それが春香とみんなだったように、春香にもあるはずなんです」

 

千早はあの日の復活ライブを思い出しているのか、頬を上気させていた。

 

「それを見つけられるのは、春香自身か、もしくは一番側でプロデュースをしてきたプロデューサーしかいないと思ったからです」

「もし出来なかったら?」」

「いえ、それはありえません」

 

間髪を入れず、千早は言葉を返した。

 

「私はプロデューサーを、春香を信じていますから」

 

あの病院で見た時とは違う、一切の迷いがない千早の強い意志の籠もった瞳を向けられる。

その余りにも真っ直ぐな言葉に、俺は結局肯いた。

 

……まあ、そうだな、と。

千早の頼みだし、事実、もうコレしか春香を引っぱり出す手段がないだろう。

春香の活動休止は今日で9日目、そろそろ仕事の穴埋めも限界だったからな。

 

そんなわけで、俺の春香一日ストーキングライフが幕を開けた!

……早く降りないかな、幕。

 

   〜〜〜

 

――――! 扉の開く音がしたと同時に、目標が玄関から出てきた。

目標、天海春香が家を出た模様。赤いダッフルコートに、グレーのミニスカート、帽子……格好から推察するに、散歩に出かけたところだと考えられる。

引き続き、ストーキングを続行する。

……ストーキングって言いたくない。くっ、続けるぞ。

 

目標は前方10メートルを歩行中。

こちらには気付いていない、警戒心は低いと考えられる。というか低すぎる。変装もいつもより何だか雑だ。帽子だけで隠しきれるとか思ってるところは、春香らしいですが。

 

それから、春香はトボトボといった具合にずっと歩いていく。

途中、ポストに何やら手紙らしき封筒を入れていった。くそ、こちらからでは宛名が確認できないではないか! まったく……

なんだか、マジでストーカーみたいなこと言ってるな。さっきもバス停のベンチに座っている女子高生から変な目で見られたし、どうしよう。

 

……いや、今は春香の方に集中だ。ほら、もうずいぶん先の方まで行ってしまってる。

急いで追いつかなくては。

 

春香は終始浮かない顔をしている。コンビニの前を通り過ぎ、ATMに並ぶ長蛇の列に目もくれず、ただまっすぐ、歩き続けていた。ただ、フラフラとした足取りだったのでなんだか、途中から目的地があるかも怪しくなってきたぞ。

 

「わっ」

 

と、そんな中春香が、目の前の道角から飛び出してきた何者かにぶつかったようだ。

さいわいにも、どちらも転けたりせずその場でよろけただけに止まった。

 

「悪いっ」

「いえ、こちらこそ」

そう言って、相手への謝罪のために 春香は頭を下げる。

「って、天海じゃねえか」

「……冬馬さん」

 

なんと、そこにいたのは天ヶ瀬冬馬だった。

その後ろには御手洗翔太と、伊集院北斗……。

ふっ、ここで会ったが百年目、チャオ☆ よ、いまここでケリをつけてやる。この前みたいな邪魔も入りはしない。俺のあずささんに近づいたことを、まだ俺は許したわけではないぜ。

 

「う、、な、なんだ?」

「どーしたの? 北斗」

「ああ、なんだか悪寒がしてね、少しバックに控えておくよ」

「ボクもついてくよ!」

「ありがとう、しょーた。そうしてくれると嬉しいよ」

 

そのままチャオ☆ は姿を隠した。ふう、命拾いしたようだな。

だが、次こそは必ず……いや、そんなことより。

今は春香のほうだ。自分のミッションを思い出すんだ。

 

「どうしたんだよ、こんなところで」

「あ、あの……私の家、この近所で。今日はお休みだから」

「休み? 売り出し中のアイドルが休みとるとは、765プロはずいぶん余裕なんだな」

「……」

 

おい、天ヶ瀬。てめえ春香に何言ってんだ。

春香黙っちまったじゃねえか。せっかく外に出て気分転換してた(出来てるかは微妙だが)ところなのに、水さすようなこと言ってんじゃねえぞ。

 

「――! へぇ、まあいいや。休みって事なら、ヒマって事だよな」

そう言った天ヶ瀬は、ごそごそとジャンパーのポケットをまさぐり始めた。そして、一枚のチラシを取り出した。

 

「だったら、俺らのライブ、見に来いよ」

「ライブ、ここで?」

 

どうやらジュピターのライブのチラシらしい。961プロを辞めたと聞いたからどうなってるか気になっていたが、彼らもまた一からアイドルとしてスタートしているらしい。

 

「そうだよ、事務所は移ったはいいけど、ウチの事務所じゃまだデカいハコ抑えるのは無理なんだ。地道にスタジオ作りからさ。でも、結構良いぜ。961プロにいた頃はスタッフや仲間の顔もあんまり知らなかったからな……そんなんじゃ、信頼も何もないよな。だから、なんつーかお前らを少しは見習ってさ」

「え?」

「団結力っていうか、仲間の絆が、お前らのパワーの源だろ。だからさ、うんと、まあ……」

 

何を言いあぐねているんだ、天ヶ瀬は?

 

「おーい天ヶ瀬くん、コッチ手伝ってくれ!」

 

そんな風にうだうだしている内に、設営スタッフの一人が天ヶ瀬を呼んだ。

鉄パイプの固定に人手がいるらしいみたいだった。

 

「ああ、分かった! ……天海!」

 

その途端、天ヶ瀬は春香の耳もとに顔を急接近させる。そうして、ほんの数瞬のあいだその体勢でいると、徐ろに顔を離した。

「じゃあな、すぐに追いついてやるぜ!」

天ヶ瀬はそれだけ言い残すと、春香のもとから離れていった。

 

……なんやコレ。完全にどっかの恋愛ドラマのワンシーンやないか。どないなっとんねん。

いやはや、驚きすぎて関西弁がでてしまった。それにしても、天ヶ瀬はどういうつもりであんなことを。

それに、声が小さくて聞き取れなかったし。一番大事なところなのに、ああ、気になる。

 

そんな風に悶々としている俺を余所に、春香は結局ボーッとしたままだった。目をパチクリさせ、思案するといった様子はない。

浮かない顔で、そのまま歩きだしたし。

もしかして、天ヶ瀬のやつ春香に異性として意識されてないのでは。まあ、春香は今それどころじゃないってのもあるかもしれないが。それにしても、ちょっと天ヶ瀬が可哀想だ。

 

って、また置いてけぼりになってる。

早く春香を追いかけないといけない。

 

俺はストーキングを続行した。

 

……ストーキングにも違和感がなくなってきたな。

 

   ◇

 

side.如月千早

 

こうして皆が集まって、ライブの練習が出来るのは久しぶりだった。

この場にいない春香と、遅れている美希を除いて。

 

遅かったのかもしれない、そんなことはもう何度も考えた。

でも、それでも動かずにはいられなかった。

 

赤羽根Pに相談して、社長や律子に時間を作ってもらえるように頼んで、そうして集まれたこの貴重な時間。

春香はプロデューサーに任せているからきっと大丈夫だし、美希ももうすぐ来る。

だからこそ、わたしも、もう一度みんなに伝えたいことがある。

 

「ねえ、今日千早が私たちを集めた理由って」

水瀬さんの質問に、深く息を吸って、私は答える。皆を信じているから、その言葉に嘘偽りはひとつもない。

「話したい事があったの……春香のこと、それから、私たちのこと」

「はるるんと、」

「私たちのこと?」

「ええ」

 

そうして、私はこれまで思っていたことを話し始めた。

それは、私たち765プロという「ある家族」のいままでと、これからのために。

一緒にいたはずの私たちが、前に進んできたはずの仲間が、それぞれの進む道が広がり始めるのと同時に、すこしずつ距離が生まれてしまっていたことを。

 

春香は、ずっと悩んでいるみたいだった。

前に進むことがすれ違いを生み、一緒にいられなくなること。

同時に、一人一人のステップアップが当然良いことで、大切なこと。

 

だから、何よりも「みんなが一緒にいること」を大切にした春香も、その両方が分かってしまうことで言えなかったんだと思う。

変らなきゃ、という想いと。変りたくない、という想いを抱えて。

 

「それって」我那覇さんも。

「それは、たんに練習のためだけでなく、共にいたいという心の表れだと」四条さんも。

「それじゃあ、春香ちゃんが休んでいるのはそのせいで」あずささんも。

「なんで言ってくれなかったのよ……話してくれたって、話してくれたっていいじゃない」水瀬さんも。

「いや、ぼくたちが気付くべきだったんだ」真も。

「千早ちゃんが言ってくれなかったら、わたし……」萩原さんも。 

みんな、それぞれ思うところがあって、口々に想いを溢していく。

でも、わたしが本当に願っているのは、それだけじゃない。

 

その願いは、私にとっての新しい家族である765プロのみんなといる時間を諦めたくない、ということ。

仕事を第一に考えるのも私たちアイドルにとっては使命なのかもしれない。

それでも願うのは、かけがえのないものだから。

 

だから、皆に力を貸して欲しい。

 

   ~~~

 

その後、遅れて到着した美希と律子にも、同じ事を話そうとした。

でも、美希はもう自分自身で答えを見つけていたみたい。美希自身のここにいる理由。

 

「このまま進んじゃったら、迷子になっちゃうかも……って。どこへでも行けるのは、ただいまーって帰れる場所があって、そこで笑ってくれる人がいるからかな……って」

 

ダンス用の全体鏡に映る美希を、美希自身が手のひらでなぞった。

 

「そこにいる人が笑ってくれるからかな……って」

 

その美希の言葉は、痛いほどにいまの私たちに響く。その一言一言に気付くまで、たくさんの時間がかかったけど、それでも大切なものはやっぱり変わらないんだ。

そう思った。

 

美希のはなしを聞いた後、みんなで一緒にどうやって春香に私たちの気持ちを届けるかを話し合った。

でも、みんな考えてたことは一緒だったみたい。

それは、メッセージ。

私たちから春香への、いつもの765プロの事務所にみんなでいるよ、って。

 

急遽スタジオから事務所でのライブ告知に変わったので、高木社長も律子さんも重要な書類の片付けにてんやわんやしていた。

 

だけど、ここでなければ伝えられないから。

みんなと一緒に過ごした、この765プロの事務所が私たちの場所だと、きっと春香に届かせるから。

 

「千早、早く早く!」

「ええ、今行くわ」

 

カメラが回り出すまで、あと少し。

 

   ◇

 

side.プロデューサー

 

前略、千早へ。

ごめんなさい、ストーキングしてるの、春香にバレちゃいました(笑)

 

……うん、分かってる。でもな、仕方がなかったんだ。

公園で集まっている園児たちと春香が一緒に歌っているとき、園児のひとりに見つかっちまったんだよ。

何だか妙に伊織に似てたが。

 

「きゃー! この変態、ド変態、der変態、変態たーれん!」

 

最初の二単語はともかく、あとのはどこで習ったんだ。

現代の園児は中国語もつかえるのか?

いやはや、国際的になったものだ。

 

「ちがう、俺は変態ではない! 変態という名の紳士だよ!」

「やっぱり変態じゃないのよ!」

「あの~プロデューサーさん?」

「あ、やべ……よう、春香。奇遇だな」

「は、はい……プロデューサーさんはどうしてここに?」

 

そのことは聞いてくれるな。

まさか自分の親友が、ストーカーを依頼してきたなんて知ったら、今後の友情にヒビが入りかねない。

 

「ところで、この子達は?」話題を逸らそう、それしかない。

「近くの保育園の園児さんたちみたいです、歌をうたってほしいってお願いされちゃったから」

「そうか。それなら、もう少しゆっくりしていくと良いよ」

「……怒らないんですか?」

「どうして? こんなに楽しそうなのに、怒る理由なんてどこにも無いだろう」

 

不安げな表情の春香に、俺は極力やさしく接してみた。

多分いままでで一番、春香とまともな会話をしている気がする。それはそれで物足りない気もするが。

 

なおも迷っていたみたいだが、子ども達に手を引かれて春香は歌の輪に入っていった。

楽しそうに『自分REST@RT』を合唱する子ども達を見ながら、その側で様子を見守っている春香がしっかりとお姉さんに見えた。園児たちが喧嘩をしそうになったら、優しくいさめている。

みんなでたのしく、と言っている。

 

その時、ハッとした表情で春香が周りを見渡した。

そして、何かを言いながら左足の辺りに視線を落とした。その瞬間、驚いた様子になった春香は少しのあいだ硬直していた。そこにだれか、もうひとり子どもがいるかのように、春香の視線は動いている。

 

春香には、なにが見えているのだろうか? 残念なことに俺には見えない。

けれど、なぜだか春香の表情がほんの僅かだが、明るくなっているように見えた。

と、思ったら。

 

春香が突然走り出した。

おい、ちょ待てよっ。俺も慌てて後を追った。

春香はどこに向かっているのか、電車に飛び乗るとそのまま或る駅まで行った。

 

車両の中は夕焼けの灯りで美しい。春香の座席の右隣に腰を下ろした。

春香は窓の向こうを見ていた。それを止めたとき、思い切ってどうしたんだ? と聞いたら、「私にもよく分かんないです」と困ったような笑顔で答えてくれた。

 

そのまま、電車を降り、しばらく歩いた頃、ようやく春香がどこに向かっていたのか分かった。

1stライブの会場、東京エキサイトシティーホール。

 

俺はただ黙って、春香の様子を眺めていた。春香は、自問しているようだった。

春香に何が見えているのか、それは相変わらず分からない。

ただ、気のせいなのか、「わたしは、みんなを信じてるもん!」という春香の声が聞こえた気がした。もしかしたら、空耳かも。

 

それからだった。

春香は、その見えない誰かに納得したような素振りを見せた後、こちらへと歩いてきた。

その顔はサッパリとした、明るい顔だ。

いつもの、笑顔の春香だ。

 

「もういいのか?」

「はい。プロデューサーさん、お待たせしました」

 

その言葉には、もう何の迷いも感じられない、強い意志が感じられる。

もう、大丈夫みたいだな、そう思った俺は、千早に連絡をしようとケータイを取りだした。

すでに夜だったので、みんな心配しているかもしれない。

 

画面を開くと、未開封の通知が一通はいっていた。

それを開くと 『18時テレビチェック!』との短い文章が書かれていた。

時計を確認すると、もう18時まで10分と僅かだった。

春香にもケータイの画面を見せる。

 

「春香、この辺りで大きな液晶画面のある建物はないか?」

「う~ん……」

「近所で考えたらあの辺りだな。交差点のところにたしか一棟、めちゃくちゃ大きなテレビ画面がついてるビルがあったはずだ。そうだな、ここからなら走って10分、ギリギリだな」

「プロデューサーさん、走れますか?」

「ははっ、俺も元陸上部だぞ、間に合わせるさ、絶対にな」

「――はい!」

 

じゃあ、行こう。俺も春香も考えていることは一緒だった。

 

 

 

ひたすら走って、その目的のビルまで辿り着いた。

さすが現役アイドル、春香のスピードに初めこそついて行けたが、最後はもうヘトヘトだった。

 

それでもなんとか、間に合った。

そしてすぐ、巨大な液晶画面に765プロのアイドルみんなが映された。

……え、なにしてんの。これ事務所だろ、うわぁ、ダイレクトだ。

ダイナミック業務連絡だ。公共の電波なのに、大丈夫なの、コレ?

 

コンプライアンスに真っ向から喧嘩売ってるんだよなぁ。

まあ、もういいや、後のことは全て高木社長に任せよう。なるようになるさ。

 

それに今はそんな事よりも、もっと感情的な昂ぶりがあるからな。

 

「「「春香ー!!」」」

 

ライブの告知の後、アイドルのみんなから一言一言、メッセージが春香に向けて伝えられた。

みんな春香を待っていると、

 

春香は感極まったのか、泣いていた。

でも、この涙は見れば分かる。うれし涙、ってやつだ。

 

「――――! まってて!」

「おい春香、置いてくなよ!」

「プロデューサーさん、頑張って下さい!」

「ああー! もう、こうなったら最後まで走ってやる!」

 

俺と春香は、事務所へと全力疾走した。冷たい町の中を、熱い身体と感情を乗せて。

 

   〜〜〜

「ただいま!」

「おかえり!」

 

走り抜けて春香は、たるき亭の前で待っていたアイドルのみんなの中に飛び込んだ。

それを後ろからヒーヒー言って追いかけてきた俺は見ていた。

ああ、よかった。本当によかった。

 

ワチャワチャと集まって抱き合って、思い思いの言葉を春香に投げかける。

それは事務所の中に入ってからも続いた。沢山用意されたお茶とお菓子を囲んで、みんなで和気藹々と会話を楽しんでいるようだ。

こんな光景も久しぶりだ。少し前まではいつもの光景だったそれが、いまこんなにもキラキラして見える。

 

何より春香の笑顔が見られたのが、本当に嬉しい。

 

……そう、嬉しいんだけど。

さすがに今日は疲れた。ストーキングに全力ダッシュ、今の俺にはあまりにもキツい。

事務所に戻ってから、猛烈な疲れが押し寄せたのだ。

 

千早からはお礼の言葉をもらったが、いかんせん答える気力も残ってなかった。

かなり心配そうにしてくれたが、でも今、千早は春香といっぱい話したいはずだろうからな。厚意だけ受け取っておくことにした。

そんなわけで、俺はみんなの集まりを眺めた後、少し休もうと思い屋上へと席を外した。

 

部屋を出るとき、閉まってゆく扉のすき間から、ワイワイと漏れてくる皆の喜びの声が心地よかった。

それを聞いてから、俺は屋上へと続く階段を登り始めた。

 

   ◇

 

side.プロデューサー

 

屋上で夜空を眺めていた。足をのばし、ラクな姿勢で座って。

 

星はあまり見えない。飲みこむような濃紺の空だけが、延々と続いている。

猛烈な眠気は、1月の程よい肌寒さで幾分か和らいだ。

そうして、しばらく星を見ていた時だ。

 

ガチャ、という音がして扉が開くのを確認する。

そこから、あずささんが出てきた。

 

「あずささん、どうしたんですか?」

「プロデューサーさんがどこかへ行かれたので、気になって」

 

そう言いながら、あずささんはすすっと俺の隣へと腰を下ろそうとした。

それを少しだけ待ってもらって、俺は自分の上着をあずささんの座る場所へと絨毯のように広げた。

あずささんは申し訳なさそうだったが、それでも俺が「暑かったので」という言い訳をするとようやく座ってくれた。

 

「ごめんなさい、プロデューサーさん」

「いえいえ、大丈夫ですよ」

「ん~……。じゃあ、こうしましょう」

 

あずささんはそう言っておもむろに上着のコートを脱いで広げると、俺とあずささん、二人の両肩が入るようにそれを被せた。

二人の間の距離がゼロになる。コートは俺たち二人をつつむ。

 

「こうすれば、二人とも温かいですね♪」

「……すみません、格好つかないですね」

「いいえ、とっても嬉しかったです。プロデューサーさんの心遣い」

 

あずささんはやっぱり優しい。この拙くとも愛溢れる行為が、どれにも代え難い可愛さを放っている。

コートからはあずささんの温かさを感じる。

二人ピッタリと肩を合わせて座っているので、お互いの熱や感触が直に感じられて。

ドキドキして、安心した。

 

「あずささん、ドキドキしてますね」

「うふふ、プロデューサーさんも」

 

ゆったりと流れてゆく二人きりの時間は、どんなことより心地よかった。

そして、二人で同じ空を見上げている。それだけが、こんなにも。

 

「あの、プロデューサーさん」

「何でしょう?」

「私は……い……いつも、本当にありがとうございます。プロデューサーさんさえいれば、私はどこまでだって頑張れます。プロデューサーさんと一緒に、これから先も進んでいきたいです」

 

あずささんは上を向いたままそう言った。

街の明かりに照らされ、あずささんの顔が限りなく美しい白を浮かべていた。

けれどその頬と、髪からわずかにのぞく耳はことさら朱に染まっている。

 

肩から、柔らかな震えが伝わってきた。

 

「ええ、一緒に。たどり着ける場所まで、最後まで頑張りましょう」

「プロデューサーさん」

「あずささん?」

「わたしは……」

 

あずささんは目を伏せて、それからこちらを上目遣いに見つめる。

 

「わたしは……プロデューサーさん、あなたが私の運命の人だと思ってます」

 

あずささんが目を閉じて言った、その掠れた声を、俺は聞いた。

それから俺はあずささんに、以前、あの夏の海で言ったことばをもう一度口にしようとした。

けど、どうしてだかその言葉がでない。

喉元でつっかえてしまう。その言葉を吐き出すことを、理性が固く禁じているように。

 

あの時から、あの話を聞いてから、いつもそうだ。

なおも見つめるあずささんに、俺は本当に伝えたいことが言えない。

言えない中、言葉を探している。

俺はあずささんに、どうにか答えたかった。

 

「あずささん、俺は……あなたを大切にします、絶対に」

 

本心とは乖離した、今言える言葉を並べただけの意思表示は、あずささんへの答えには到底なっていない……

自分のその囁きは闇へと溶けていった。

 

「あずささんが幸せになれるように」

 

俺はあずささんにそれだけ伝えると、借りていたコートの半分を彼女に返して、立ち上がった。

そして、あずささんの手を取り、引っ張り上げる。

その時の微笑むような、切なげな彼女の表情をあえて気にせずに振る舞うと、そのままみんなの待つ事務所へと戻るため、屋上を後にした。

 

寒さが次第に強くなっていることに、また一方で、体内が燃えたように熱くなっていることに、俺はもう気づいていた。




「後書きまで進出したよ! 生っすか!? ラジオ」 take.8

ミキ「はじまったの、生っすか!? ラジオ! 司会はミキと!」
チハヤ「如月千早です。そして!」
ミキ「今日のゲストは、春香とハn、プ、プロデューサーなの!」パチパチ
ハルカ「ただいま戻りました! 天海春香です!」
P「プロデューサーです……コレ、俺が出てもいいの?」
ミキ「細かいことは気にしないの!」
チハヤ「このコーナーでは本文での……ふ、振る舞いについて、色々ツッ……フフッ、ツッコんでいきます、フフフッ」www
ミキ「千早さんの笑いのツボはよく分からないの……」
ハルカ「いってみるYO‼︎」

議題・天ヶ瀬冬馬からの耳もと台詞は?

のワの「」
P「あ~それな、俺も気になってたんだよ」
チハヤ「ちょっと待って下さい、プロデューサー。耳もとセリフって何ですか」ゴゴゴゴ……!!
ミキ「あはっ☆ ミキ、この話聞いた時から、千早さんが暴走するって分かってたの!」
チハヤ「天ヶ瀬がもし春香に手を出してたら、私は奴を○す」(自主規制)
P「それで、結局天ヶ瀬はなんて言ってたんだ」
ハルカ「……その……『なみだ、大丈夫か』……って」///
ミキ「WooooooO!!」(恋バナに興奮)
チハヤ「天ヶ瀬ぇえ! 私の春香に何してんだぁあ!」
P「いつから春香は千早のものになったんだ?」
ミキ「結構前からなの、千早さん、もう手遅れなの」
P「あ、美希テンション戻ったんだな」
ミキ「うん、ちょっとだけ取り乱しちゃった。でも、もう大丈夫なの」
ハルカ「メッチャ恥ずかしい……埋まりたい……」
P「春香、それじゃあまるで雪歩だぞ」
ハルカ「復活した途端、こうやってまたイジられるんですね」
ミキ「しょーがないって思うな! 春香は生粋のイジられなの!」
ハルカ「世界一嬉しくない褒め言葉だね」
チハヤ「アマガセ、○ス。○ス。……ブッ○ス。ワタシノハルカ、ワタサナイ」(自主規制)
P「千早、もうそろそろ戻っておいで」
ハルカ「ろくな人がいないですね、ウチの事務所」
ミキ「春香もその一人だけどね」
ハルカ「それを言わないで……」
チハヤ「はっ、わたしはいったい何を……」
P「よし、千早が落ち着いている今の内に! 美希、春香!」
ミキ「ハイなの! ――みんな、これにてラジオはオシマイなの、いままでありがとう!」
ハルカ「新コーナーになっても、わた春香さんの華麗な活躍に乞うご期待を! ほら、千早ちゃんも挨拶しなくちゃ」
チハヤ「……765プロはこれからも前に進んでいきますので、応援よろしくお願いします!」
ハルカ・ミキ・チハヤ「「「それでは、せーの」」」

ハルカ・ミキ・チハヤ「「「またね!」」」
第2章・完


ーーーーNext to the stage of New Year Live...


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3章. トゥルーエンドの隣に (春、この坂道・編)
" 全体練習 "をはじめた彼と彼女。


~Back to normaly days~

ご時世いかがなものか、慧鶴です。
第3章の始まりです。
ここからは完全にあずささんとPとの話になります。もっと言うと、二人の本当の恋愛の始まりです。ラブストーリーです。いちゃいちゃ(?)です。
そんなわけで、今後ともよろしくお願いします。

(これからはP主観の文章に戻ります)


先日から765プロのアイドルたちは、ニューイヤーライブに向けての本格的な練習に入った。

 

待ちわびていた皆でのライブ練習ということで、春香もひときわ練習に身が入っているように見える。そのためか、他のみんなも自分の限界まで集中を張りつめて練習に取り組んでいた。

 

うん、良い感じだ。雰囲気でいえば、以前の1stライブの全体練習に引けを取らない。

俺が担当したあの時は、まだ雪歩ややよいも練習についていけないみたいだったけど、今では率先して動きをさらに良くしようとしている。その成長にただただ感心するばかりだ。

 

それにだ、今回の全体練習はこの前のものと決定的に違うところが一つある。

――――竜宮小町、すなわちあずささんも全体練習に参加しているということだ!!

ああ、素晴らしい。これはオアシスか。

何度夢想(という名の妄想)したか分からない、夢にまで見たあずささんがいる練習風景!

 

「何ブツブツ言ってるんですか、プロデューサー」

「律子、ニューイヤーライブまでの三週間、毎日全体練習があると良いな」

「ええ……って、それはさすがに無理ですよ。みんなそれぞれの仕事があるんですから」

「まあ、そうだよな」

 

ああ無念。しかし、こうして律子もいるし、あずささんと仕事ができるのはやはり嬉しい。

はじめは俺が担当だったけど、竜宮の結成と同時に律子が担当Pに変わったから、ここ半年ぐらいは一緒に仕事することが極端に減った。それを思うと、ほぼ毎日あずささんと一緒に仕事が出来るこの現状は最高だ。

 

なによりあずささんを含め、これだけ全員が時間を調整して集まれるというのは感慨深い。

765プロの全員が集まれば、それだけでレッスンスタジオは盛況になる。明るい照明の中で、汗を流しながらステップを踏み、歌をうたう。彼女たちのライブに対する熱意は、見ているこちら側にもビシビシとつたわってくるのだ。だから、こっちも真剣に取り組みたくなる。

 

「ねえミキミキ~、ここのステップがビミョーなんだけど教えてYO!」

「ミキミキせんせ~、真美にも教えて~」

「分かったの! じゃあ、一回踊ってみてくれる?」

 

美希が亜美と真美にダンスのアドバイスをしているようだ。

美希の前で二人ともステップを踏む。タタンタタタタン、と足を複雑に動かしているが、わずかに美希の手拍子に遅れているのがこちらから見ていても分かる。ステップを踏み終えた後、美希は二人にアドバイスをし始める。

するのだが……美希の指示はあまりにも感覚的すぎるようだ。

 

だから――――

「こうしてグッとひいてから、ガーッと回して、バチィ! と決めるの!」

「「……」」

「さあ、やってみてなの!」

「「アリガトウゴザイマシタ」」

 

どうやら二人とも撃沈したようだ。

前から思っていたが、美希はことアイドルという仕事において天才肌な奴なんだろう。センスやカリスマ、そのすべてが頭ひとつ抜けている。美希自身には感覚的に理解できてしまうのだ。だがしかし、それも教えるという面について活かすには、もう一歩届いていないらしい。

美希の説明では要領を得なかったらしく、亜美も真美も諦めて、真と響に説明を聞きに行った。

 

見ていて真は予想通りだが、意外にも響も教えるのが上手い。二人とも理論派らしく、的確にステップ移動のコツを二人にレクチャーしている。

手本を見せ、口頭で動きの解説とアドバイスをしている。

それを見て、雪歩や春香、美希、やよいも集まってきた。……なんだか子犬たちが飼い主にわらわらと群がっているみたいで、ちょっとかわいい。

 

「伊織は聞きに行かなくていいのか?」横で水分補給をしていた伊織に聞いた。

「ええ、わたしは大丈夫よ。ほら、この通り」

そういって、華麗にステップを決める。

「おおー!」

「にひひっ、どうよ。この伊織ちゃんはなんでもソツなくこなすのよ」

 

嬉しそうに決めポーズをしてはしゃいでる。こういうところは年相応の女の子だなぁ、と思う。

そうやって見ていると、律子がこそっと耳打ちで「伊織、陰で相当練習してるみたいですよ」といった。

それを聞いて、二人で顔を見合わせて笑った。

 

「なによ、二人して」

「いや、伊織は努力家だなあと」

「なっ……」///

 

素直に感心した、と伝えると伊織は照れたのか肩をバシバシ叩いてきた。そして「フンッ」とそっぽを向いた。それを見ながら千早と貴音が、相変わらずだね、といった様子でお互いに笑っているのが見えた。

ここで俺が悪ノリしていつも春香にしているように伊織をイジると、多分さらに叩かれるので今回はやめておいた。……あとで春香イジろっと。

 

「あずささん、お疲れ様です」

「プロデューサーさん」

 

練習を終え、休憩中のあずささんにそう言って俺はスポドリを渡す。受け取ったあずささんは、おいしそうにコクコクと喉を鳴らして飲んだ。

……妄想が現実になった。わっほい。これは至高ですよ。

 

「お疲れ様です、今日はいつもに増して、練習に力が入ってますね。動きがとても良いですよ」

「あらあら、律子さん、私そんなに頑張っていましたか?」

「はい、それはもう。何かあったんですか?」

 

律子の質問にうふふ、と微笑みながら、あずささんはチラリとこちらを見た。

「実は……今日は朝の占いで、恋愛運が高かったんです~」

幸せオーラ全開のあずささんに、律子は苦笑いを浮かべる。きっと「アイドル」と「恋愛」と、二つの言葉が結びついたイメージに対して素直に喜べないのだろう。彼女の担当プロデューサーとしては当然の反応と言える。

……うん、まあ既に俺とあずささん、付き合ってるんですけどね。

それを思うと律子に何だか申し訳なかった。いらぬ心配をかけてるなぁ。

 

「あずささん、それなら今日はきっと良いことがあると思いますよ」

「――――! はいっ、プロデューサーさん。 わたし、今から楽しみです!」

「ちょっとプロデューサー? それはどーいう意味ですか?」

 

俺のその言葉に、律子が敏感に反応したようだ。

メガネの奥にある瞳をギラリと光らせて、こちらを睨みつける。

 

しまった。失言だったか。律子が食いついてきた。

もしかして、俺とあずささんが付き合ってるのがバレたんじゃ……

 

「私の担当アイドル、ゴシップにでも抜かれたらどーするんですか!」

「いや、そのなぁ」

「本当に占い通り、この後あずささんが道に迷ってるところを通りすがりの男性に助けられて、そのまま恋に落ちる可能性もあるにはあるんですから! どこの誰だか分からないそんな人、私は認めませんよ!」

 

――――

これって。

あ、バレてないようです。律子の奴、もう少し前の段階の話をしていたらしいです。

あずささんに恋人がいるとは、まだ露ほども思ってないみたいです。現状認識はカレカノ未然形です。

りっちゃんの鈍感さにサンクス。

 

「律子さん、応援してくれないんですか……」

「うっ、あ、あずささん。そんな泣きそうな顔しないで下さいよぉ……あああ、すみません」

「なあ律子ぉ、人の恋路を邪魔するのはいけねえなあ。ほら、謝ってごらん、ホレホレ」www

「プロデューサー殿、あなたはどうやら、自分の立場が分かってないようですね」

「――ごめんちゃい」

「プロデューサー殿、後でツラ貸してください」

 

律子、どこでそんな物騒なセリフ覚えたのかしら。

そのうちアウトレ○ジにご出演なさるのですか? ドタマかち割るのかしら?

俺の頭ぱっかーんしちゃうのか。

 

その時はあずささん、俺のためにあなたは泣いてくれますか?

抗争に走っちゃってくれますか? いや、抗争はだめです。

殺伐としたこの場において、あずささんだけは癒やしに徹して欲しい……

そんな事を考えて、あずささんの方を向いてみると、潤む目を横に細めて、柔和な笑みを俺に見せてくれた。

 

「……なあ律子、君は女神を見たことあるか。俺はあるぞ、今、目の前にいるよ」

「茶番はいいので……はあ、まったく」

「あらあらまあ……ふふっ。プロデューサーさん、ありがとうございます」

 

あずささん、モジモジしてる。もう、ほんっと可愛いわ。マジで恋する2秒前だわ。いや、もう落ちてるね。

そうして、休憩が終わるまでの間俺はあずささんにキュンキュンしてました。

律子に十字固めをかけ続けられながら……いい加減、意識トぶわ。

 

そんなこんなで、全体練習はつつがなく進んだ。

ともかくね、一日で僅かでもこうして皆がいるというのは嬉しいものだ。

それに、あずささんともいつもに比べていっぱいお喋りができるので、ついつい頬が緩んでしまう。

 

ーーーーあーたのしい。ずっとこのままが良いな。

 

そう思いながらも、そろそろ各自の現場に向かうための準備をしてもらう。今日の練習はここまでで、この後もみんな収録が控えているのだ。

俺も次の現場に向かうための準備を済ませ、一足先にスタジオを出てから、表に車をまわしておいた。

さあ、気を引き締めないとな。

 

   ◇

 

現場から事務所へ帰る途中、俺は病院に赤羽根を訪ねた。

ずいぶん身体も回復してきたようで、首をガチガチに固めていた厳めしいギプスも取れたためか幾分穏やかに見える。

 

病室には赤羽根の他には誰もいなかった。小鳥さんが今日も午前中だけお見舞いに来てくれたらしく、後はひとりで本を読んでいたらしい。

 

「何読んでたんだ?」

「これですよ、今年の直森賞に選ばれた『隣に』ですよ。ほら、あずささんがヒロイン役の映画の原作です」

「え、あれ直森賞とってたの、いつの間に?」

「先週発表されてたじゃないですか」

 

ああ~そういえば。

先週は激務激務の、地獄でさえまだ優しく感じられる程の気の狂ったスケジュールだったからな。

すっかり確認するのを忘れていた。まさか、あの小説が選ばれるとは。

 

「あずささんの撮影の方は?」

「もう終盤らしい。律子によると、あとは原作のあの桜吹雪の散る丘の上のシーンだけだそうだ」

「ってことは、クランクアップは桜の咲くのを待つから春頃ですか?」

「いや、桜の方は先に撮ってあるの物を合成するらしい。むしろ、撮影に合うぴったりな丘が見つからないんだそうだ」

「へえ~、詳しいですねえ……彼氏だからですか?」

「チョーシのんな」

 

おちょくってきた赤羽根の肩を軽く小突く。

痛いじゃないですか! と言いつつも笑っていて全くそうは見えない。いっそ反省の色が見えない奴に苛立っていいのか、それとも快復に向かっていることを喜ぶべきなのか。

そんなことを思いながら、それでもあれほどの重傷からここまで元気になったことをやはり嬉しく思う気持ちの方が強かった。

 

舞台の開いていた奈落に落ち、血塗れでのたうちまわりながら病院に担ぎ込まれた話を聞いていたから、かもしれない。

もしも重大な障害が残ったら、そう考えると赤羽根や今後の765プロのことがひどく不安になったのだ。

それを考えれば、いまのコイツのチャチャも多少は可愛く見えてくる。

 

「いつぐらいには、事務所に戻って来られそうだ?」

「そうですね。おそらく春頃じゃないでしょうか」

「春か……それまでは、ゆっくり休めよ」

 

赤羽根の復帰はそう遠くない。それまで、俺が果たして保つのかどうかだけだが。

そんなことを思っていると、赤羽根が変なものでも見たかのように、俺に奇異な視線を向けた。

 

「どうした?」

「いや、どういえばいいんですかね……先輩、優しくなりました?」

「元から優しいよ」

「……」

「何か言えよ」

「気持ち悪いなぁと」

 

こいつマジで退院したらまっ先に絞めてやる。

 

「冗談です。でも、本当に先輩あの頃より優しくなってますよ。いつも、誰彼かまわずに嫌って、敵対してるような人だったのに……久しぶりに会ったらトゲが取れたというか、」

「恥ずかしいからヤメロ」

 

顔から火が出そうだ。

人に褒められることに慣れてないから……って自分で言っててツラくなるな、これ。

なおも赤羽根は喋ろうとする。それを無視しながら、俺はいそいそと退室の支度を始めた。

まったく、似合わないことされるとテンポが狂ってしまう。

 

「じゃあな、赤羽根。また来るよ」

「待ってくださいよ、まだ話は」

「これ以上聞いたら、恥ずかしさで卒倒する」

 

そのまま、俺は病室を出た。

恥ずかしくて聞いていられない。そうなのだが、ちがう。

 

俺が聞きたくなかったのは、今じゃない。過去の話が出たからだ。

 

 

――赤羽根のいったことは、後半はともあれ前半は正しい。

昔、まだ765プロに入る前までの俺は誰にも素直になれず、周りにいる人すべてを嫌っていた。

誰かを理解しようなんて思ってなかった。そんな人間が、誰かから理解されるはずないのに。

認めてもらうことを欲していたなんて、今思えばお笑いぐさにもならない。

 

実力や能力がなく、また自分自身の怠慢に道を閉ざされていた。

あの頃は、なにもかもに卑屈になっていた。仕事もなく、お金もなく……友人もいない。

誰に対しても劣等感を抱き、それを隠そうとして、けれど隠せなくて、そのうち人と関わるのをやめていった。

そうして、暗い時間を過ごしていた。高木社長に拾われる24歳の春まで。

 

社長にプロデューサーとしてスカウトされても、俺の様な人間が変わるとは俺自身思っていなかった。

 

それなのに、あの日から。

初めてあずささんと出会って彼女のプロデュースをしはじめてから、少しずつではあるが自分の中で人に対する気持ちが変わるのを少しずつ感じた。彼女に対して、特別な想いを抱くようになるのも感じていた。

 

それから、もっと人と、あの人と関わりたいと思うようになった。

だから、

 

「聞いてられねえよな、嫌な奴(あの頃)の話なんて」

 

あずささんがいなくちゃ、いまの俺はなかったんだと思う。

だから俺は、あずささんを幸せにしたい。




次回のアイドルマスター『俺あず』は!

うっうー! 高槻やよいです~!
えっと、あの、次回のお話なんですけど、う~ん、長介やかすみが最近、なんだか私に隠れて夜の街に交互に繰り出してるみたいなんです……
新宿の歌舞伎町にいって、クラブで飲み騒いでるんじゃないかって噂で聞いて!
わたし、ちょっと心配なんです……
え、違うんですか、捨て犬をお寺で二人一緒に匿ってる~?
うっうー! 悪いことしてないって分かって安心しましたー!
でも、うちの家計じゃ犬は飼えないから、犬ちゃんのお世話は響さんに今度頼んでみます!
あの、皆さんも高槻家とアイドルマスター『俺あず』を!

――――お楽しみに!

次回「すべては一つの真実から。 ~Morning glow, golden sun~ 」


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すべては一つの真実から。

~Morning glow, golden sun~

ようやく折り返し。慧鶴です。
先日、知り合いから頂いたプチトマト(段ボール1/2箱分)が2時間で自分の胃袋の中に消えました。TVを見ながら食べていたら、あっという間です。
ひぇっ、てなりました。…食べてばかりです。



今日は久しぶりにあずささんと事務所で会ったので、ゆっくりお煎餅を齧りながら雑談を楽しんだ。

ダイエット中なんですけど、一枚ぐらい良いですよね、と言ってお茶目に笑うあずささんは可愛い。

 

体重を気にしているみたいだけど、そんなこと必要ないと思えるほどにあずささんは十分魅力的だ。

適度に引き締まった身体は健康そのものといえる。

 

子どもっぽいように見えて、実際は事務所に所属しているアイドルの中の年長者としてみんなの見本になるように努める、そんな責任感の強い一面は、彼女と一緒にいるようになってから気付いた。

だからこそ、こうして気を楽にして美味しそうにお菓子を頬張っているあずささんを見ることが出来るのは素直に嬉しい。

 

「あずささんは醤油派ですか、塩派ですか?」

「ん~、醤油のほうが好きですね」

「俺は塩ですね」

「あらあら~、じゃあお塩も食べてみようかしら」

 

そう言って、あずささんはもう一枚お煎餅を取ろうと手を伸ばす。

ダイエットはどこに行ったのか、なんて聞くの野暮だぜ。

いまはただ、目の前にいるあずささんをひたすら愛でたい気分なのだ。

 

パリパリポリポリと、あずささんはお煎餅をかじっている。

 

「うふふ、お塩も美味しいですね」

「うん、醤油もなかなか」俺もパリッと一枚食べる。

「プロデューサーさん、ほっぺについてますよ」

「え」

「取ってあげます」

 

そう言ったあずささんは俺の頬に手を添えると、しなやかな指でふわりと肌をさらった。

と、あずささんは親指と人指し指で俺の頬についていたであろうお煎餅のちいさなカスをつまんでいる。

それを、パクンと食べた。

 

「~~♪」

 

あまりにも自然な流れだったので、後になってからトンデモナイことをしてもらったのだと気付く。

全身が恥ずかしさで熱くなる。

 

「……心臓が持たないですよ」

「私もけっこう、恥ずかしいんです」///

 

……うん。そこで照れるのは反則ではないですか。

俺の感想をよそに、あずささんはお茶を飲んで落ち着こうと努めている。

ただ、そう必死になって照れ隠しをしている姿がまた俺を困らせる。

どうして俺の彼女さん、こんなにも可愛いのか、と。一緒にいるとドキドキしっぱなしだ。

なんてったって、あずささんはこんなにも女の子らしい……。

 

何だか最近のあずささんは俺に甘える度合いが強いと思う。

二人きりになった途端、俺のすぐ隣に来て、ずっと一緒にいようとしてくれる、会えない日も一度はメールを送ってくれる。少しでも側にいようと。小さな事かもしれないけれどそんな行為の一つ一つから、あずささんが俺を思ってくれているというのがよく分かる。

 

「あずささん、このお煎餅も美味しいですよ」

そんなことを考えていると、事務仕事が一段落ついたのか小鳥さんが新しいお菓子を持ってきてくれた。

「小鳥さん、それは?」

「お取引き先の方からのいただき物です。あ、あとプロデューサーさん、今夜高木社長OKみたいです」

「わかりました。ありがとうございます」

「いえいえ。では、ご賞味あれ!」

 

そう言って小鳥さんは嬉々としてお煎餅の入った箱を机の上にドォオン! と置いた。

なあ、勢い強いよ、もうちょい加減してみてほしいものだ。

 

ここで、ひとつ気になることがあった。お煎餅の包装紙にはいかめしい字で『ざらめ』と書かれている。

そう、『()()()』と書かれているのだ。

……メッチャ砂糖じゃないか、醤油じゃないか。甘じょっぱの黄金比じゃないか。

このお菓子はダイエット女子にはまさに天敵と言えるでしょう。いまのあずささんには、たとえ善意であっても気持ち的にいいのだろうか? 敬遠しちゃったりしない?

 

「まあ~、あらあら」

 

恐る恐るあずささん見たら、もうすでに食べてた。

美味しそうに食べてた。あずささん、もう破顔してるわ。

色素の薄いくちびるの端にザラメの粒がくっついている。子どもっぽくて微笑ましいですね。

その砂糖粒がついているのをおしえてあげると、恥ずかしそうに、けれど楽しげに指でつまんでそのまま頬張る。

うん、少し色っぽいのも、また良いものだな。ひとりで納得した。

 

そんなことより、見たところあずささん、ダイエットの五文字は既にはるか彼方です。でも美味しいから大丈夫だよ。美味しいものはカロリーゼロだね。ゼロ理論だね。

 

「って、そんなわけがないでしょう」

「小鳥さんからのツッコミ、大分久しぶりですね」

「最近は天の意志かなにかで、完全にネタキャラにされていましたから。これを機に真面目キャラに返り咲きですピヨ」

「それは無理かなぁ」

「ピヨオォ……」

 

切ない。この無情な現実に打ちひしがれる2X(ピー)歳独身の事務員さん。

たしかに最初は真面目キャラだったはずなのに、いつからこの人はこんな風になっちゃったんでしょうか。

ま、そんな話はいまはどうでもいい。

「どうでもよくないです!」と隣でピーピー鳴いてるけど、この際気にしません。

 

「あ"ずざさ~ん"」

「小鳥さん、わたしは、きっと大丈夫だと思いますよ」

「エグッエグ、――どうしてそう思ってくれるんですか?」

「あ、あの~その~」

「察してください、小鳥さん。もう、行くところまで行きましたって」

「ピヨオォォッォ!」

 

断末魔にも似た、盛大な叫びを上げた小鳥さんは、しくしくとデスクに戻っていった。

その淋しげな後ろ姿を見ながら「ザラメ、ありがとね~」とだけ言っておいた。

さらば。

 

さすがに気の毒みたいで、あずささんからも「どう答えたら良かったのかしら」とか聞かれたが、何も答えないでおいた。

あずささんはその後も気にした様子だったけど、ほっときゃいつも通りその内復活しますよ、とだけ言っておいた。

なおもあずささんは気にしたようだったが。

 

それから二分ぐらい経って、小鳥さんはいつものように妄想にログインし始めた。そしてもはや鉄板ともいえる一連のくだりの後で、「ダメよ小鳥〜」と言って事務所を出て行く様子を、俺とあずささんは一緒に見送った。

あずささんがポカーンとしているのを尻目に、俺はざらめ煎餅を食べた。

 

……うん、うまい。あまじょっぱい。

 

 

高木社長と小鳥さん、俺の三人はいつもの社長御用達のバーに入った。

店内の照明は控えめで、レコードからは懐かしさを感じさせるジャズのメロディーが奏でられている。

客足はなく、店内には俺たち三人だけがいた。

 

時刻は21時を回っている。ちょうど世のサラリーマンの方々も二件目に入る頃だろう。

それ故におかしいな、と思っていると、カウンターの上に「本日貸し切り」の札が置いてあるのを確認する。

そうか、と一人納得した。

入り口のライトがついてなかったのも変だと感じていたが、こういう理由だった訳か……

 

カウンターに着くとおしぼりといっしょに、真珠のような薄白い粒が5、6個ほど乗ったお皿をマスターが置いてくれる。「チョコレートです」と穏やかに言うと、マスターは静かになった。

 

「どうだい、珍しいだろう?このお店でしか食べられないからね」

「わぁ〜、変わった形に色です」

「初めて見ました」

 

社長に勧められて、俺と小鳥さんは一口食べてみる。コクのある甘さの後にほのかな酸味が広がるその味は、いままで食べたことがない美味しさだった。

 

「これ、いいですね」

「だろう?」

「クセになる味ですねぇ」

 

それから、3人でお酒を飲みながら事務所のことについて話したり、最近のマイブーム(主に小鳥さんの妄想カップリング)やら、色々話した。

最近は"ひびたか"と"はるちは"が熱いッ、とか、やはり鉄板の"ゆきまこ"は外せないですよね、とか……

いや、同意を求められても困るわ。社長もなに便乗して、「私は"いおまこ"がいいねぇ」とか言ってるんだよ。

どうしてそんな風にしか物事を捉えられないのか。

まったく、二人とも何も分かっていない。

 

「そんなもの、やよいおりに決まってるでしょう!」

「君も大概だな」「プロデューサーさんも大概ですよ」

 

そんな風に、ほろ酔い気分のまま他愛もない話をしていた。心地良い音楽も流れていたし、いつもの飲みの席みたいに暴れる人間もいなかった。水割りが程よく身に入ってくる。

落ち着いた、バーでの時間だった。

気持ち悪いほどの静けさだった。

 

多分その理由を、俺も、高木社長も、そして小鳥さんも分かっていたと思う。

今日、聞こうとしていた本来の目的に即した話題に触れることを、無意識に嫌ったのだろう。

 

―アイドルを信じるとか言ったが、あまり彼奴らと深く関わると、いつか必ず大ケガをするぞ。

 

――実際、信じすぎて裏切られた奴を俺は知っている。

 

――――その高木が、裏切られた奴だとしてもか。

 

―――――後は奴の口から直接聞け。

 

以前、黒井社長の言い放ったこの言葉の意味を社長から聞くために、俺たち三人は今日バーにいるのだ。

 

 

 

「高木社長、そろそろ話してもらっても、いいでしょうか」

「プロデューサーさん……」

「……そうだな、うん。君には、知る権利がある」

 

心配げな小鳥さんのその声が消えるか消えないかの所で、高木社長は圧し殺した声をだした。

 

「いや、知らなければならないだろうね」

 

バーのマスターは相変わらず寡黙にタンブラーを磨いている。その所作には無駄がない。

重苦しい雰囲気は、店内に響きわたるジャズのスイングするメロディーとの差で一層重く感じられた。

社長は壁に整然と並ぶ、黄金色に光るガラスボトルの方へと目を向けた。

 

「どこから話すべきか……うん、そうだね。彼女はたしか、ライブでのサイリウムの輝きを、朝焼けの黄金色、と言っていたな」

 

高木社長は、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。

小鳥さんが一口、グラスを傾けて飲む。

二人の様子を見つめて、話を聞きながら、この二人から滲み出す空気に息が詰まりそうになった。

 

「彼女、音無くんの母親にあたる音無琴美は、私が見つけ出し、黒井の奴とともに担当したアイドルだった」

「音無、琴美……」

 

初めて聞いた名前だった。小鳥さんの母親、ということは、いまは一緒に生活しているのだろうか、それとも彼女の実家にいるのか? そんなことを聞いてみると「母は私が小さい頃に病死しました」と小鳥さんは言った。

なにも言えないでいると、いつから居たのか、バーのマスターが写真立てを俺に見えるように渡してくれた。

 

見てみると、そこには小鳥さんに似た女の子がピンク色の衣装を着て、大人の男性4人に囲まれて写っていた。

だが、その女の子にあるのは艶ぼくろではなく、泣きぼくろ。

 

「これは、琴美さん?」

「ああ、周りにいるのはコッチから私、黒井、吉澤くん、そして君の目の前にいるこのバーのマスターだ。4人とも、大手アイドルプロダクションにいてね、私が彼女のメインプロデューサーで、黒井がサブプロデューサー。まあ、肩書きに意味はないが。それと吉澤くんは専属記者、マスターは音楽プロデューサーだった。彼女のプロデュースは楽しかったよ」

 

懐かしそうに語る社長の目尻の皺が深い。

 

「だがね、私には同時に辛い出来事だったよ。いまだから言えるが、あの時私は、琴美を本気でトップアイドルにしたかった。黒井も色々言ってはいたが、それでもやる気に満ちていた。若さゆえの勢いと言うのは簡単だな、本当に私に必要だったのは事態を推し量る冷静さだったよ。

……琴美は、病気だった。――肺動脈性肺高血圧症。激しい運動は勿論出来ない、アイドル活動をし続ければ命すら危ぶまれる危険な重病だ。そのためかは分からないが、琴美は病気がちで身体が弱かった。」

 

一転して辛そうに眉根を寄せる高木社長。さっきから小鳥さんは黙って話を聞いている。

亡き母親のアイドル時代の話を、きっと彼女はもう知っているのかもしれない。

 

「自らの病気を隠して、アイドル活動を続けていた琴美が倒れたのは必然だったと言える。それでも、私たちには彼女に対して監督責任があった。知っておくべきだったんだ。それを知らず、無茶をさせてしまった。だから、琴美に大きな舞台(ステージ)が決まったちょうどその時、その事実を知った私たちも迷ったよ。いまここで止めるべきか、彼女を舞台に立たせるかね……

結局、元からのプランでライブの準備を進めることになった。琴美は舞台に立つはずだった。莫大なお金が動いていたから、上層部の意向も変わらなくて。病身をおして歌うアイドル、という箔をつけるという策に舵を切った」

 

聞いていくほど、過去の話には不穏な気配が漂いはじめた。

業界の腐敗や、舞台裏で這い巡る思惑、生々しい出資の話。

自分も知ってはいたが、高木社長たちがいた事務所は765プロとちがい大手だ。スケールが全く違う。

 

「遂にその舞台の当日……琴美は失踪した。ライブは当然失敗し、大損害がでた」

声が震えていた。

「それから、琴美には二度と会えなかった」

 

その後も高木社長は話し続けた。琴美さんが失踪した後、周りや自身の変化があったこと。自分がまだ独立して社長になっていないとき、抜け殻のようになっていたこと。黒井社長との確執。

そして。

小鳥さんと出会った後のこと。

 

すべてを話し終えた社長は、グラスを呷ってマスターに追加のオン・ザ・ロックを注文した。

俺はなにも言えなかった。ただあの日、黒井社長の言っていた裏切りの意味が解った気がした。

 

 

――――お前だ、裏切るのは。善意や思いやりも信頼も、それが全て完璧に果たされて上手くいくほど、この世の中は甘くない……

 

 

黒井社長の声が、頭の中でこだましている。

この言葉を否定したくて、今日俺は高木社長に真相を聞いたはずなのに、いまはもうこびり付いて離れない。

裏切るのは、裏切ったのは誰だったのだろうか。

 

そう思っていると、いままで黙っていた小鳥さんが突然口を開いた。

 

「……いつの間にか、自分が間違いを犯している事ってありませんか?」

「それは、まあ、分かりますね」

「気付いた時にはいつも手遅れになってしまっていて。これを後悔というなら、もう取り返しようのないものこそを、自分自身の手で壊したと気づけてしまうからじゃないかな、と。本当に何よりも大切なものだったから感じる想いだと思うんです。高木社長も、母も……

 結果がどうあれ、母はアイドルに成れて幸せだったと思います。それに、私が高木社長と出会えたのも母のおかげですから、母には感謝しています」

「その……琴美さんは、病気を隠していたことを、後悔してないのでしょうか?」

「……それはプロデューサーさん、あなたは今、後悔してるってことですか?」

 

小鳥さんはいままで聞いたことないような低い声で、そう言った。

俺はただ黙って、目をそらした。

 

「君、すまないが私は席を外させてもらうよ。そろそろ戻らないとね」

お酒を一息に飲んだ高木社長が、席を立った。かなり酔いが回っているのか、顔が赤かった。

「今日はありがとうございました。送りますよ」

「いや、その必要はない。もうタクシーを表に呼んでもらっているからね。君たちはふたりでもう少しゆっくりしていくと良い。音無くんも、今日は付き合ってもらってすまなかったね」

「いえ、誘っていただいてこちらこそありがとうございました」

 

そうして、高木社長を見送った後、俺と小鳥さんは30分ほど飲み続けた。

あずささん以外の女性と二人きりで飲むのは、ずいぶんと久しぶりだった。

 

「さっきはすみません、失礼な聞き方をして。でも、聞いておかなくちゃ、あずささんが可哀想で」

「小鳥さんは、俺の身体のこと、気付いてたんですね」

「……ええ。以前プロデューサーさんが入院したときに、お医者さまの話を聞いて」

「そうなんですか」

 

たいして驚きはしなかった。

これで、俺の身体のことを知っているのは高木社長と赤羽根、そして小鳥さんだということが分かっただけだ。

三人とも、俺があずささんとお付き合いしていることを知っているんだな、と思った。

そして、アイドルたちの中では貴音がお付き合いの事実を知っている。勘の良い貴音のことだ。もしかしたら、俺の身体のこともすでに気付いているかもしれないな。

 

「多分、小鳥さんの聞いたとおりですよ。俺の身体はギリギリです。もう長くはないです」

「あの、プロデューサーさん。さっきの質問、やっぱり答えてはもらえませんか?」

小鳥さんの再びの質問に、俺はしばらくのあいだ考えた。

なにを言うべきなのか、どう答えるべきなのかを。

 

「……後悔しそうです。いや、してます」

溜め息のように、ようやく声を出した。

 

日に日に不調をきたしていく自分の身体。限界を告げる足音が、音高く近づいてくる。

それを自覚するほどに、自分の残された時間への恐怖と愛着が、際立って感じられた。

 

「どうすれば良かったのか、もう分からないんです」

 

あの夏、あずささんに「運命の人になります」と俺は言った。

あれから、何もかも変わってしまった。

だからこそ、俺はいまあずささんにどう接すれば良いのか、どう接することが正解なのか分からないでいた。

 

バーのマスターが琴美さんの写っている写真立てを磨いている。

ジャズが流れている。

外国の男が歌っている英語の歌詞が聞こえる。なにも告げずに去るのか、それとも伝えてから去るのか……

小鳥さんは「出来ることがあったら言ってください」と言ってくれた。そしてグラスをゆっくりと傾けてウイスキーをまた飲んだ。

俺は「間もなく、その内……」と答えた。

 

今日、高木社長の、琴美さんの話を聞いて、一つだけ分かったことがある。

すべてを分かっている上でか、なにも知らない上でか、その些細だが大きな違いによって、相手にとって別れの意味は変わってくるのだ。

 

心に決めていた誓いは、いったい誰のためのものなのか。

琴美さんの話が、胸に重くのしかかるのだ。




次回のアイドルマスター『俺あず』は!

四条貴音です。
皆さま、この次はかぶり物の厳選をしておくことを私はここで宣言いたします。
なぜなら、戦において甲冑を身にまとうことは自分自身の士気を高めてくれるのです。そう、アイドルとは正に戦のなかで咲く気高き姫武者なのです!
ならば私はその名に恥じぬよう、最善で最良の甲冑(かぶり物)を揃えておきましょう。
それでは皆さま、次回また美しい装束に身を包んでお会いしましょう。

――――お楽しみに!

次回「決意を変えるということ。 ~The end comes suddenly~ 」


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決意を変えるということ。

~The end comes suddenly~

スパシーバ。お久しぶりです。慧鶴です。
皆さま気付いてらっしゃるかもしれませんが、補足で書き足させていただきます。
英語の副題ですが、デレマスのアニメを意識しております。
あれも大変感動しました。

…自分はアーニャちゃん推しです。ダヴァイダヴァイ♪


今日は美希、春香、千早の三人の現場に同行した。

『おしゃれ番長決定戦』という番組の特別枠で、普段オシャレにそこまで頓着していない千早を、美希と春香のふたりがかりで変身させよう! という趣旨の企画だった。

 

お題は『ガーリーな感じ』ということで、いかにも「千早の着なさそう……」を狙ってきたといえる。

落ち着いた雰囲気の、大人っぽい私服をよく着ている千早のイメージを崩さずに、どこまで女の子らしく出来るかが肝だ。また、ブルー系のファッションアイテムをよく使っている千早のことだ、おそらく二人ともその手のアイテムを使うはずだ。

 

今回のコーディネート勝負、一見すると少し色っぽい服も着ている美希よりも春香の方が有利だと思われる。だが、美希の卓越したファッションセンスを考慮すれば結果は分からない。

事前予想ではまったくの五分、はたしてどちらが……

 

「も~、どうしてボクが担当じゃないんですか!」

さっきからゲストとして呼ばれた真がプンスカとしている。女の子らしい服、ということで自分も千早のコーディネートに参加したかったのだろう。

「ボクが千早の代わりにフリフリのスカート履きたかった!」

 

前言撤回。まこまこりーん、をしたかったそうです。

憤慨している真の隣で「ちがうよ真ちゃん!」と声を張り上げている雪歩も特別ゲストとしての参加だ。

 

「そんなの誰も求めてないよ!」

「雪歩、辛辣すぎない?」

(真、雪歩。そろそろ自重しろ、さっきから二人しか喋ってないぞ)

「「す、すみません……」」

 

と、そんな二人を小型イヤホンを通じて注意している間に、千早のコーディネートが無事完了したようだ。

さて、いったい二人はどんな風に千早をオシャレにかわいらしく変身させるのか。

注目だ。

 

 

――天海春香の場合。

 

……うん。ガーリーですよ、ガーリー!

いたってシンプル。されど、だからこその良さ。

春香のコーディネートは王道のザ・清純派だ。

 

淡いペールピンクのブラウスの両袖をあそばせて、ゆるふわな女の子らしさを演出している。

裾はスカートの中にしまってある。それが千早のスタイルの良さをさらに引き出している。

細い腰のラインを強調しながらも、スカートは短すぎない、膝を多少かくす低度の長さだ。

 

濃紺のスカートは足下を引き締めて見せてくれる。

それが、バランス良く配置されたためか、淡さと濃さが反発し合わずまとまりをもって目に映るのだ。

光沢のあるパンプスを履き揃えた足下は、千早の普段の大人っぽいファッションの名残りを上手く伝えている。

そして、胸元に添えられた青い薔薇のブローチがアクセントとして千早のかわいらしさを控えめに、しかし目も覚めるほどハッキリと引き立てる。

 

髪型はストレートの長髪を一本に束ね、サイドアップにしている。

肩口から下ろして流す、というのは千早のツヤのある髪を前からも後ろからも見えるようにしているのだ。

メイクはナチュラルに、血色のよい感じに仕上げた。

 

総じて隙のない、親友ならではの見事なコーディネートと言える。

千早もまんざらでもないといった表情だ。というか、ハフハフしてる。

春香に着付けてもらえるというのが、本人いたく気に入ったらしい。完全に春香マイスターモードを隠せていないのは、言わないでおこう。

 

「こんなの、ふぁ…ああっ! イイ……」

 

一歩間違えればただの変態としてテレビに流されるところだが、そこはご愛敬。

なんとか落ち着きを取り戻した千早はいつもの凛とした表情でポーズを決めた。バチギメだ。

いや〜凛々しいですね。

 

 

――星井美希の場合。

 

まさにオシャレ番長はわたしなの! と言わんばかりの迸るセンス。

千早のイメージからはおよそ見当のつかない服を選んでいる。それでも、似合ってしまうのだから、しょうがない。ガーリーと小悪魔な要素をミックスした高度なコーディネートだ。

 

両肩を大胆にさらしている、フリル付きのトップスはブルー。

ゆったりとした上半身をもとに、フリルの縦ラインが衆目を自然な流れで下へと向ける。

すると、黒色のホットパンツを履いた下半身が現れる。引き締まった千早の肢体にはベストチョイス。そして、スレンダーな白い足のラインは最後に、レディースの厚底サンダルへと向かう。総じて、身体のラインがハッキリと出る服と言える。

 

髪型は毛先をカールで遊ばせて、巻き髪のふんわりとやさしい女の子らしさを感じさせる。そして、暗めの前髪をホワイトの花がかたどられたヘアピンでとめ、顔全体を明るく見せている。アクセサリーの白が全体の青い調和にいい差し色となって機能しているようだ。

目と口元にのみ僅かなメイクをし、千早自身の肌つやもばっちりアピール。

まさに、清楚な乙女を演出しながら、随所に男心をくすぐる小悪魔テクを入れたコーディネートだろう。

 

「どやあ」

 

千早、ご満悦のようです。胸を張ってます。まあ、フリルのせいかもしれないですが。

女の子らしくも、普段千早自身あまり着ないタイプの服みたいですから、テンションが上がってるみたいです。

隣で美希もふんぞり返ってますね……あなたはまだステージに上がっちゃダメでしょ。

 

「フリフリ~! あ~ボクも着たいよ!」

「真ちゃん、需要と供給がミスマッチすぎるよ……」

 

真と雪歩の漫才にも似た会話でスタジオが笑いに包まれる。コメントを言いながら、的確にボケとツッコミをこなす二人はまさに夫婦漫才師の風格を漂わせている。

 

「いや、雪歩も真くんも、どっちも女なの」

「ジェンダーレス社会への道はまだまだね」

「千早ちゃん、真面目な受け答えをありがとう」

「春香に褒められた!」ルンルン♪

 

そんな5人の会話で盛り上がる中、ついに審査が終わった。

結果発表の瞬間、ゴクリと生唾を飲みこんだ。

 

審査員は著名なアパレルブランドの社長たち3人。

3人ともその界隈では名の通った一流のデザイナー兼経営者でもある。

いったいどっちが、オシャレ番長に選ばれるのか……!

 

   ~~~

 

仕事終わり、俺は車で5人を事務所に送っていた。

車中での会話は今日の撮影の感想で持ちきりだ。

各々の意見は違っているが、聞いていて一貫しているのは千早ちゃんかわいいので、何でも似合うということだった。側にいる千早は既にゆでだこみたいに真っ赤だけど。

 

「そういえば春香ちゃん、あの青い薔薇のブローチはどうして選んだの?」

「それはね、前にあずささんが着けてたブローチあったじゃない」

「ああ、あの紫色のキラキラしたヤツなの」

「あれからインスピレーションをもらったんだ」

 

雪歩の質問に春香が笑顔で答えている。

アレ着けてるあずさ、すっごくキレイだったの! と美希も興奮気味だ。

言われてみれば、今日千早が企画でつけていたあのブローチ、あれはあずささんを意識してのものだったのか。

 

「あずささん、あのブローチのことを話してるとき、すっごく嬉しそうだったなあ」

「いいなあ、あずささん。ボクもあんなふうに素敵なアクセサリーを着けてみたいよ」

「真にもきっと似合うものが見つかるわ」

「千早……!」

「フリフリでキャピキャピじゃないけどね」

「千早……」

 

二人の様子に春香や美希が笑いを必死にこらえている。なぜか雪歩は千早にそうだよね、と激しく肯いているし。もう、ほとんどヘッドバッド状態だが。

 

「ねえねえハニー、美希もあーいう可愛いの着けたいな♡ そーだ! 今度ミキにプレゼントしてよ」

「ああ、美希だけズルい! ボクも欲しいよ、ねえプロデューサー!」

「ハニーは美希のハニーなの~、いくら真くんでもダメなの」

「そんなぁ」

 

後部座席に座っている春香たちの会話を聞きながら、俺は微笑ましくなった。

美希も真も、雪歩や千早、春香が楽しそうにしているだけで、車内が明るい雰囲気に満たされた気がした。

 

それに、春香の言葉を聞いて俺は嬉しかった。

自分の知らないところで、あずささんが幸せそうにしている。

俺のプレゼントしたあのアメジストのブローチを、大切にしてくれている……

その言葉が聞けて。

 

――プロデューサーさん、あなたは今、後悔しているんですか?

 

ふと、小鳥さんの言葉を思い出す。たしかに体調は良くない。いつかは自分の病気について、あずささんに伝えるときが来る。

だが、俺がしてきたことも決して無駄ではない。

俺のしたことが今のあずささんを笑顔にしているのだとしたら、それでもいいんじゃないかと思えた。

せめて、倒れてしまうその時までは。

 

 

   ◇

 

 

ニューイヤーライブ前日、まだ日も空の真上にのぼっている昼頃。

765プロのレッスンスタジオでは最後の全体練習と調整をしていた。

通しであたまから全体の動きを追っていき、確認する。律子がダンスと歌唱をコーチ達と一緒に見て、指示を出す。俺はそのすぐ近くでみんなの動きを見ながら当日のスケジュールや関係スタッフの名簿を読んでいるところだ。

 

この約三週間のあいだ、きびしいスケジュールと折り合いをつけながら、なんとか彼女たちアイドルはその一つ一つの練習と課題をクリアしてきた。

新曲の仕上がりもこれ以上無いほど良い。

 

フォーメーションの確認からはじまり、ステージを想定した大きな動きを続ける。

場所の移動から指先にいたるまで、意識を向ける。

ダンスをしながら歌うのは、制止状態とは発声方法が全く違う。それでも、全員の声がそれぞれ聞き取れるほど、しっかりと声を出せていた。なにより、相当しんどいはずなのに誰もが興奮を表情に表しているのだ。

 

そんなみんなの姿を眺めていたら、俺が初めて彼女たちに出会った日の、あのミニライブを思い出した。

区立運動公園のほんの一角に、本当に小さなステージを設けて、デビュー前の彼女たちがライブをしていたあの日を……

 

50人ほどの観客に囲まれて(それでもほとんどは公園にいた人達だ)、4人のアイドル候補生が歌っていた。

あの日、たまたまその場に居合わせた俺は、そんな彼女たちを情けない奴らだな、と思った。

 

春香は明るさで突っ走れって感じだったが、途中で転けたりしていて散々だった。曲調の明るさと相まって、膝をついてもえへへ、と笑う姿は空元気だと思った。

その次に出てきた千早は一転して重苦しいバラードを歌い上げた。最初の春香の曲とのギャップに、聞いていてどう反応すればいいんだと観客も困惑してしまう始末だ。

 

あずささんは歌っている時間よりもトークの時間が長すぎた。あらあら~と困っている。いや、困ってるのはこっちだ。結局歌わないのかよ、と。

そうして4人目の真はステージに立った途端、切れの良いダンスをするが、一方で歌の方は疎かになってしまい、こちらまで全く声が届いていない。そのせいか、いまいち盛り上がりに欠けるのだ。

 

とにかく、それはまとまりのない、お世辞にも褒められるステージではなかった。

あの頃は俺もまだ腐ってたから、彼女たちへの同情よりも先にこれより自分はマシだ、と意味もない優越感に浸っていた。あのアイドル候補生に比べれば自分は全然いいほうだ、と。

 

だが、そう思っていた矢先、最後に4人全員がいっしょにステージでダンスと歌を披露したとき。

俺の優越感は吹き飛んでいってしまった。

それぞれがお互いに高め合い、声を出し、観客を盛り上げる。決して多い人数じゃない。地下アイドルにも劣る声援の数だった。けれど、彼女らのステージに俺は釘付けになった。

 

あんなにも楽しそうに、嬉しそうに、ステージで輝いている。

弱い光だけど、それは自分なんかよりもよっぽど生き生きとして見えた。観客全員を笑顔にしていたのだから。

 

『気持ち一つあれば出来ることを忘れないで!』

 

俺はその歌に何故だかひさしぶりに、目もとから熱い水が溢れるのを感じた。

 

「あれ……俺なんで泣いて?」

「涙は相手への心の底からの賛辞だからだよ、君」

 

ふと声をかけられた。そこにはスーツを着た壮齢の男が立っていた。俺がどうして泣いているのかを、見ず知らずのその人は教えてくれた。

 

「君、ちょいとそこの居酒屋で飲もうじゃないか」

「でも、俺お金持ってないですし……」

「そんなの気にしなくて良いから、さあ、いっしょに行こうじゃないか」

 

そう言って強引に俺を引っ張っていったその男、今の俺の勤め先である765プロの社長、高木順次郎は俺と一夜を飲んで話して過ごし、それからこう切り出したんだった。

「ティンときた。君、我が765プロのプロデューサーになってくれないかね?」

そうして、俺はこの765プロに入社した……

 

 

あの時のステージは、本当に心動かされた。それから、なんども彼女たちアイドルの信じる力と勇気、困難を乗り越える姿にまた俺の感情は昂ぶった。

長い間忘れていた、あの熱い想いが彼女たちといっしょに活動する中で甦ったのだ。

 

俺は思った。いま目の前でニューイヤーライブに向けて練習する彼女たち、1stライブでの彼女たち、そしてあのミニライブでの彼女たちにどうしてあんなにも心動かされたのかを。

 

それはきっと彼女たち自身が「心動かされていた」からだ。

 

ステップを交互に踏み、キレをなくすことなく長い時間動き続ける。ソロパートについても、各自で練習しており、誰ひとりとしてミスはない。自信に溢れている……。

 

全体練習の、最後の曲が終わった。汗をかいて、深呼吸をしながら息を整えて、みんなで最後まで練習できたことを労っている。それぞれが思い思いに雑談をし、感想を言い合っていた。

その光景には、あの日のミニライブで見た確かな熱が籠もっている気がした。

 

   ~~~

 

練習の最後に、律子から締めの言葉をお願いされた。こういうのは苦手なんだが、まあやってみようと思う。

アイドルたちの視線を感じながら、ひとりひとりの顔を見て行く。

 

ひとりひとりに思い入れがあった。担当した全員が俺のことを765プロのプロデューサーにしてくれた。

最高に嬉しかったことも、苦しかったことも共に経験した本当の仲間。

みんなからの眼差しを俺もまっすぐに見つめ、言葉を口にした。

 

「……今日まで本当に長かった。色んな事があった。でも、やり切ったんだよな」

「にいちゃんにいちゃん、まだ明日のニューイヤーライブがあるっしょ」

 

真美からのツッコミに場が和んだ。笑い声がスタジオに響いた。

 

「ああ、そうだな。明日のニューイヤーライブは、これまでの全部が詰まってるんだ。

はじめてみんなを担当してここまで、俺は何度も勇気を与えてもらったよ。だからさ、765プロは明日も、これからもファンのみんなに勇気を届けるぞ!」

一呼吸するたび、なにもかもが懐かしく感じられる。その思い出も全部、明日のステージへ。

「春香、最後に頼む」

「はい! プロデューサーさん!」

 

満面の笑みで応える春香をきっかけに、アイドルたちみんなで円になる。

そうだ。いつもの765プロだ。いつもこうやって、彼女たちは前を向いてきた。

春香も。真も。真美も。雪歩も。千早も。伊織も。亜美も。やよいも。貴音も。あずささんも。響も。美希も。

それに、社長や律子、赤羽根に小鳥さん。みんながこの765プロに関わって、今こうして輝いている。

 

「いい、みんな。明日のライブ、絶対に成功させようね!」

「当然だよ、春香!」

「モチのロンっしょ!」

「私たちがみんなに勇気を」

「ええ、届けるわ」

「にひひ、全力でね!」

「おやおやぁ、いおりんもやる気マックスだね~」

「うっうー、みんなで頑張ります!」

「人事を尽くして天命を待つのみです」

「うふふ。明日が楽しみね」

「自分たちなら完璧さ!」

「うん! ……春香、ありがとうなの」

「美希……わたしこそ、ありがとう! いくよぉ、765プロ~ファイトー!!!」

 

「「「「オー!!!!」」」」

 

その盛大なかけ声ととも、重ねあわせた手を彼女たちは頭上高くへと掲げた!

いつまでも、どこまでも届きそうな、ひときわ大きなかけ声だった!

 

……そして、その声を聞きながら、感慨に耽っていた時。

突如、後頭部を金属バットで殴られたような激痛が襲った。痛みはひたすら増してゆく。頭の内側が熱い。それに、身震いするほどの寒気も感じる。立っていられない。

そして、俺は床に倒れた。

 

「プ、プロデューサー!」

「大丈夫ですか!」

「にいちゃん!?」

 

みんなの呼ぶ声が聞こえるけれど、うまく返事が出来ない。口が動かないまま、目だけが微かに開いている。

グワアンとゆがんでいく視界に、駆け寄るみんなが見えた。

ああ、やっちゃったな。最後の最後で、また俺は失敗したみたいだ。

意識が段々遠くなるよ。

 

「プロデューサーさん!」

 

あずささんの悲鳴にも近いその声を聞き終わらないうちに、俺は意識を失った。

 

 

 

 

 

……目が覚めたとき、病院のベッドの上にいた。小鳥さんが付き添いで部屋にいてくれたらしく、目を覚ました俺を確認するとすぐに医者を呼びに外へ出ていった。

診察のあとで小鳥さんに聞くと、どうやら俺は事務所で意識を失ったあと、この病院に救急搬送されたようだった。アイドルのみんなの前で倒れてしまったから、もう俺の身体のことは隠せないと判断し、高木社長から病気のことを全員に話したと、小鳥さんは教えてくれた。

話を聞いて、みんなはひどく不安になったようだが、律子のおかげで何とか持ち直したらしい。ライブで気の抜けたことをしたら、それこそ俺が納得しないだろうと。

それを聞いていて、本当に申し訳ないと思った。

それに。

 

……あずささんは、泣いていたそうだ。




次回のアイドルマスター『俺あず』は!

如月千早です。
みなさん、ある資格の取得のための勉強をしてみませんか。
え? 突然なにを言いだしてるのかって?
あの、わたし以前あずささんと行った占いの館で言われたんです。あなたにはいま大切な人がいるから、その人のことをより深く知れば良いことがあります、って。その話を聞いてから、私はすぐに永世春香マイスターの資格を取ったんです!
それからというもの、喉の調子は良いし、肌つやも良いし、春香は以前にも増して可愛くなってるし、わたしの胸は、……ック!
あの、だから、私の体験している幸福を皆さんにも味わって欲しいんです!
さあ、みなさんも春香マイスターを目指して、次回の春香もしっかり堪能して勉強しましょう!

――――お楽しみに!

次回「みんなとすごした夏休み。 ~Star and star, the night~ 」


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みんなとすごした夏休み。

~Star and star, the night~

……かき氷たべたい(シロップ一杯かかったヤツ)。
慧鶴です。
会いたい人、あなたはいますか? もしその人に会える夢を見たら、それは願望の表れだそうです。


あの日のことは、今も鮮明に覚えている。それは、寝静まった夜の、夏の海でのことだった。

潮の流れが夜と溶けあって、月の光に照らされていた。

浜辺を行く独りの女性。あずささん。

着流した浴衣の袖から、白くて細い指が見えた。先ほどまでの酔いは覚めたようで、気持ちよさげに歩いていた。

夜風に長い髪をたなびかせて、ゆっくりと水ぎわの砂地に足跡を刻むあずささんは、くるりとこちらに振り向いてフニャリと笑った。

 

「プロデューサーさん。ほら、風が気持ちよくて……それに水が冷たいですよ」

「そうですね。夜の海は昼とはまた一味違いますね」

「きゃっ!」

波に足を取られ、あずささんがその場にペタンと崩れる。

「あずささん!?」

「うふふ、だーいじょーぶです♪ あ、でも服が濡れちゃいました」

 

波がこちらへとまた寄っていた。

俺は急いであずささんを背負って、その場から数歩離れる。その時ふと、背中に柔らかい感触が――

いや、こんな時に何を想像してヤワラカイ、理性を持ってヤワラカ、ヤワ……落ち着けぃ俺!

背中の全神経から意識を逸らして、鼻から溢れそうなものを慌てて止めた。

 

「危ない危ない、鼻血でるとこだった……」

「どうしたんですか?」

「なんでもないです、あずささん」

「プロデューサーさん?」

「ナンデモナイデス、アズササン」

 

それからしばらく、あずささんを背負って浜辺を歩いた。

あずささんは頭上に広がる空を指差し、きれいですと笑った。見上げると確かに、噴きこぼれそうな程の輝く星がそこにあった。二人でこの空を見ているこの瞬間が、なんだかロマンチックに思えて、俺はとても昂揚した。

灌木のそばで、あずささんを背中から下ろした。そのまま俺はあずささんを見つめる。

 

「俺、あずささんに大事な話があるんです」

意を決して切り出した。喉もとが熱かった。緊張していた。

「あずささんと俺、かなり良い関係だと思うんですよね」

「それって……?」

あずささんが小首をかしげる。何その仕草、めっちゃ可愛いです……って違う。

どうやら伝わっていないみたいだ。やはりちゃんと言葉にしないといけないらしい。

拳を強く握りしめる。腹の底から熱が一気に押し寄せた。それを耐え、俺は想いを言葉にした。

「俺があずささんの運命の人になります……ならせてください」

発した声が夏の空気へと吸いこまれた。俺はもう一度あずささんを見た。

あずささんは、目尻に涙を浮かべて両手を祈るように胸元で組んだ。

そして、俺と顔を向き合わせて、柔らかく微笑んだ。

 

「はい。こちらこそ、お願いします」

 

そうして、俺とあずささんはお付き合いを始めた。

出会ってから半年ほど経っていた。

エアコンの故障を理由に事務所のアイドルみんなで行った海で、俺たちは恋人同士になった。

 

 

   ~~~

 

「余命半年。俺が、ですか?」

「ええ、残念ながら日本の医療技術では治療が出来ないのです。あなたのご病気を直せる方は、世界中でも僅かでしょう。そして、日本には私の知る限りそのような医者はいないのですよ」

 

ちょうど一週間後だった。

 

淡々と話す医師を前に、俺は内面の動揺を隠せなかった。

発端は春先の健康診断で、ある数値に異常があったことだと記憶している。最初の検診では、問題は見つからなかった。だから俺自身、それならそれで良いと思ってあまり気にしていなかった。けれど、次の異変はすぐ後に起きた。

 

時々、めまいを起こすようになった。倦怠感もあった。

そして先日だった。遂に俺は猛烈な吐き気と手のしびれを同時に感じた。

さすがにおかしい。そう思い、それから急いで専門の医師に診てもらった。その結果がどうやら脳の病気に罹っていたという事実で、もう先は長くないという現状だった。

 

どうして自分が?

つい一週間前、あの浜辺でやっと想いを伝えて、俺はあずささんとお付き合いできるようになったのに。

それなのに、もうあと一年も待たず、俺は死ぬのか?

診断結果を聞いて、やり場のない疑問が頭の中を駆け巡った。

 

わけが解らない。でも、現実感として受け止めることしかできない。

証拠とともに自分の病状がはっきりと提示されるので、これはどうやら本当に死ぬらしいと思った。だが、受け入れることと納得できることとは、全く違った。

医師の説明を聞きながら、どうしても助からない見込みが強くなったので、あとの話は右から左だった。

 

「この病気で、そのうち俺は……」

自宅に帰ってから、自覚はさらに強まった。

 

死ぬということを常に忘れるな、とはたしか「メメント・モリ」と言った。むかし何かの本で読んだな、とボンヤリ思い出していた。

いま実際に眼前の「死」を意識した途端、そういった言葉を思い出すことに、意味はないとこの時に分かった。

むしろ、生きている瞬間ばかりが思い出されて、その中で幸せな思い出がどうしようもないぐらい懐かしく感じられた。一方で、あの心地良いまどろみの瞬間をふりかえると、胸先を冷たい針で刺される気がした。

 

俺を慕ってくれた後輩や、引っ張り上げてくれた両親に社長、あたたかく見守ってくれた人達。ファンの方々。

765プロのアイドルたちみんな。

 

――――あずささん。

 

 

季節は夏だった。盛況な雑踏の響いている外と比べて、室内は静かだった。

清冷な海の広がるあの場所で、いままで出会った誰よりも心から好きになった人と一緒になれた。

あの夢のような瞬間が、覚めてしまうまでもう僅か半年ほど。

わかりきった事実に、夢からの目覚めをこの静寂の中で知る。

 

俺は死んでしまう、あずささん(あの人)をひとり残して。

これだけが分かった。恋人でいられる、あずささんの運命のひとでいられる期限。

もうすぐだ、もう俺は彼女の前からいなくなる。

 

ならばせめて、俺は残りの人生すべてを賭けてでも、あずささんを幸せにしたいと思った。

 

   ◇

 

脳に病気があると分かって、そこから色々調べてみた。すると、沢山の症例を目にした。

その中で特に怖かったのは、突然の意識消失と、記憶の欠損だった。

もし自分も同じような症状を発した場合、それは事実上、俺の異常が目に見える形で第三者にも伝わってしまうことを意味した。

 

次の日。

俺はまず、病状について話せる限りのことを、社長に伝えた。

突然の意識消失の際、冷静に対処してもらえるように頼んだのだ。

俺の請願に社長は見たこともないほどの険しい顔をして、仕事を続ける理由を聞いてきた。俺と社長、二人きりの室内は重々しい空気が充満していた。

 

「俺はこの場所で貢献したいんです、最期まで」

「それは君の勝手に過ぎない。もっと厳しく言えば、ただのエゴイズムだ。病人が事務所にいて、もし取り返しようのないトラブルを起こしたら、それはマイナスになるんだよ」

「……そうですね、たしかに俺自身のエゴです。けど、どうしても765プロで働きたいんです」

社長の気遣いを含んだ言葉にうなづいた。俺はそれでもこの事務所に居たい理由を伝えた。死を自覚した途端、こんなにもはっきりと意見を言えるようになったのは自分でも不思議だった。

「社長に拾われて、最低な自分を受け入れてくれた765プロのみんなに俺はまだ何も恩返しできていないんです。せめて俺はみんなを、いや誰かたった一人でもトップアイドルにしたい……! そして、彼女たちにアイドルなって良かったと思ってもらいたい!」

 

言い終えた時、社長は黙って、俺の目を見据えた。

逃れようのない、真正面からの覇気に自分は圧されていた。でも、それさえ俺は真っ直ぐに向かい合った。そうしなければ、社長に俺の想いは届かない気がしたから。

 

やがて長い、途轍もなく長い溜め息を吐いて、

「君の熱意には負けたよ」と社長は言った。

高木社長は本当に大変な状況になったら、無理せずにわたしに言ってくれたまえ、と俺の肩をポンポンと叩いた。そして、宜しく頼む、と握手を求めた。

「……ありがとう、ござい”まず」

どうしても、声が震えて、感謝しても、し足りないと思った。

握りしめる手に力が入った。

茜差す部屋で、俺はまた決意を固めた。

 

 

その日、事務所からの帰り道にある文具店で日記帳を買った。ただのノートだけど、そのほうが都合が良かった。

「あれ、プロデューサーさん、お買い物ですか?」

その時、ばったり小鳥さんに会った。

 

小鳥さんは買い物カゴいっぱいにペンやコピー用紙を買っているようだ。

さすが事務員さんだ。俺たちの見ていないところでもこうして事務所のために働いているのだろう。本当に頭が上がらない。

 

「ええ、ちょっとノートを切らしてしまって」

「へえ、そうなんですか。何に使うんです?」

「そうですね、企画のアイデアだったり、プロデュース方針のメモとか。創作活動で言えばプロットみたいなものです」

「わあ~。それじゃあ私と一緒ですね!」

 

「……え?」

「え?」

 

……何を言っているのでしょうか、この事務員さんは。

いま確かに「私と一緒ですね!」と言ったような。

あれ、もしかしてこの人、仕事じゃなくて別件の、きわめて私用な……

 

「小鳥さん、その大量のコピー用紙にいったい何を書くんですか?」

「ええ~、ただの事務仕事に係る事ですよぅ」

「本当は?」

「マコユキ・ユキマコ・ヤヨイオリ。タカヒビ・ミキマコ・アズタカ也」

「せっせと妄想ですか」

「イエス、同人活動です……ピヨォ」

 

どうやらこの事務員、完全に私事に走っていたようです。妄想エクスプレスです。

ダメよ小鳥~はさせません。逃げる隙を与えないのです。

そのまま、俺は小鳥さんの同人活動の糧になるであろう大量のコピー用紙がレジに通されるのを、なんとも言えない気持ちで眺めた。

 

この頃から、俺は小鳥さんのザンネンな面を沢山知ることになった……

 

   ~~~

 

日記を書こうと思ったのは、いつ自分が記憶欠損を起こしても思い出せるようにするためだった。

けれど、目的はそれだけではなかった。

 

なにより、これから先のあずささんと過ごす時間をどんな形であれ、残しておきたかったからだ。

いずれ消えてゆく人間のことを、置いてゆく彼女に忘れて欲しくなかった。

そして、どんな瞬間も思い出せるように、留めておきたかった。

 

俺の居たことを、俺があずささんを好きだったことを、日記帳に書き残し始めた。

それからの時間は本当に幸せだった。

あの日記に書かれてある日々の全てが輝いている。

 

書き記すたび書き残すたび、まどろみのようなあの感情がどんどん沸いてきた。

生きていることがこんなにも幸せだと思ったのは、生まれて初めてだったかもしれない。最良の時だった。

毎日のように、あずささんの素敵なところを見つけてゆく。その度に、愛しさが増す。

苦しい時間をともに乗り越える、皆とバカ騒ぎをして笑う。その度に、生へ執着する。

 

だからこそ。

この行いこそが最大の過ちだったのかもしれない。

あの日記を書き続けてゆくほど、俺はしだいに矛盾していった。

 

「死にたくない! 生きていたい! 俺はみんなといっしょに! あずささんの隣にいたい! こんなに愛しているのに!」

 

死を受け入れたはずだったのに、いつの間にか、俺は生きたくて仕方なかった。

 

……どうして、俺はこんなことを思い出しているんだろう。

ふと、違和感を覚えた。そもそも、いま俺は何処に居るんだ?

やけに鮮明だった。臭い、音、質感、温度、なにもかもが。

そして、俺は気付いた。

これは夢だ。記憶を遡っているのだ。いままでの思い出を振り返っていたのだ。

俺は思った。

初めから間違っていたのは俺ならば、それは彼女に自分の存在を覚えていて欲しいという願いそのものだったのだと。

つまり、あずささんが自分のことなど忘れてくれた方が、俺も生にしがみつくことなどないのだと。

そのほうが、彼女も幸せになれるんじゃないか……

 

 

 

――――

目が覚めた。

夢は終わった。

 

透きとおるような脳内のすべてに、意識の覚醒を実感した。次第に音も光も温度も戻ってくる。

「プロデューサーさん、目が覚めたんですね」

小鳥さんの声だった。お医者様を呼んできますね、と言って席を外した彼女の後ろ姿を見ながら、直前までの記憶を思い出してみた。そうだ、確か自分は事務所で倒れて、そのまま意識を失ったんだ。

 

その内、小鳥さんが呼んだ医師の診察を終え、状況の確認をすませた。

事務所のことについては小鳥さんから聞いた。

 

とくに、自分が二日間にわたって目を覚まさなかったことについては驚いた。

ニューイヤーライブはもう終わっていた。俺はあずささんとの約束を、「全員でのライブ、その場所に俺がいる」というその約束を破ったのだ。最低な形で。

 

あずささんが泣いていたことを聞いたとき、俺は胸元を万力で締めつけられるような感触を覚えた。

 

その時、唐突にあの言葉を思い出した。

以前のアイドルジャムで黒井社長が口にした、アイドルとプロデューサーという両者の関係について。そのニヒルな口ぶりを。

 

――――お前だ、裏切るのは。

善意や思いやりも信頼も、それが全て完璧に果たされて上手くいくほど、この世の中は甘くない。

 

まったくその通りだった。俺はあずささんの心を裏切った。

いつでも、自分の状況について伝えるチャンスはあったはずだ。けれど俺はそれを拒んだ。

だから、いつも彼女と接しながらも、どこか後ろめたさを感じていたのだ。

その結果が、今回の事態を招いた。

 

琴美さんと社長たち、彼らも同じように苦悩して傷つけ合ったのかもしれない。

そして今度は、俺が同じように、あずささんのことを傷つける。

あのバーで聞いた話を思い出した。悔しそうに過去を語る社長と、切なそうに佇んでいた小鳥さんを。

 

――――お前だ、裏切るのは。

 

病室のベッドの上で眠りながら、俺はいままで夢を見返していた。

その夢もいまは跡形もない。

その事実に気付いて、このベッドに横たわりながら、これから自分がすべきことを一日中考えていた。

 

明日から、面会の許可が出る。

そうなればきっと、あずささんも来るかもしれない。

怒ってお見舞いに来ない可能性も考えられるけど、それは多分ない。だって、そういう優しくて、どうしようもなく愛情深い人だからこそ、俺はあずささんを好きになったのだ。

だから、彼女にすべき接し方を考えた。

 

……考えて出した答えが、たとえまた間違いだったとしても。

今度こそ俺はあの人を幸せにしてみせる。

それだけが俺のすべて。




次回のアイドルマスター『俺あず』は!

亜美だYO!
あのね、好きな飲み物のことなんだけど~ペプシーとコーラ、どっちがイカすと思う?
って、近所に住んでる留学生のアパパウミッチさん(アメリカ人)に聞いたんだ!
そしたら、
「ヘイベイビー、キメてる野郎ってのはほとんどが生粋のコーラジャンキーなんだぜ!」
って、教えてくれたんだ!
亜美ね、最初はそれを聞いてコーラばっかり飲んだんだけど、何か違うな~ってことでペプシもいちおう飲んでみることにしたんだ!
その感想なんだけど……ってわあ、そんな話より次回の予告だよね!
次回もメッチャ面白いから、全国のコーラとペプシ大好きなにいちゃんねえちゃん!

――――お楽しみに!

次回「終わらせるという選択。 ~Twilight days to the end~ 」


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終わらせるという選択。

~Twilight days to the end~

その優しさは果たして誰のためであったか。
どうも、慧鶴です。
優しさという曖昧なものを理由に行動を決めているとき、その優しさすらも運命の轍を象る一部に過ぎないのかもしれない。書きながらそう思うようになりますね笑(←なんだコイツ)。


ライブ会場に集まった人間は、総勢1万5千人。

765プロのライブでは、過去最高の人数だ。それに、デビューからおよそ一年でここまでの動員数を達成したのは、女性アイドル業界の歴史の中では「日高舞」に次いで765プロオールスターズが二番目だった。そのためか、各ニュース番組や新聞、週刊誌でも話題になっている。

 

それが、いままで自分が見てきたアイドルであれば感動も一潮である。

けれど俺は、その場にいなかった。彼女たちの笑顔を最期まで見届けることができなかった。

俺が病院で意識を失っている間に、ライブは終わってしまったのだ。

 

「そんなプロデューサーもちゃんと見られるように、私と小鳥さんがビデオカメラで撮っておきましたから。はい、接続しますよ。ほらヘコんでないで」

「ありがとう律子、何から何まで」

「気にしないでください、好きでやったことですから」

 

そう言いながら、カメラの各種ケーブルをテレビと接続させて、テキパキと上映の準備を律子は済ませてしまった。病院側に許可をもらって、再生機器を拝借してきたのだそうだが、えらく準備がいい。

 

目覚めてから2日。

面会が許可されて一番目に来たのは律子だった。

ライブの事について各メディアで語られた世評は知っていたが、実際に生で見ていないため情報も信用には足らない。

そんなことを思っていた時、お見舞いに来ると言っていた律子が、そのライブの映像を持ってきてくれたことは本当にありがたいと思った。

りっちゃんにマジ感謝。

 

「相変わらずの軽い口ぶりですね」

「ああ、これは俺の心からの言葉だよ、りっちゃん。俺はすこぶる嬉しいのさ、りっちゃん。だってりっちゃんがわざわざ俺のためにりっちゃんのビデオカメラで撮影した映像をりっちゃんの手で上映してりっちゃんと一緒にそれを見ることが出来るんだからな!」

「わたし、帰りますね」

「ごめん、静かにします」

「よろしい」

 

これ以上フザケると、律子からのきついお仕置きが待ってそうなので自重することにした。

「はぁ、まったく……フフ」と律子は言いながら、再生ボタンを押した。

途端に、テレビの液晶に華麗な音声とともに、キラキラと光輝くステージと、素敵な衣装を身にまとうアイドルたちが映し出された。

アイドルたちは皆、最高の笑顔で歌い、踊っている。

あの日公園の小さなステージで実際に見た彼女たちの笑顔はたしかに魅力的だった。

それがいまは50人でなく数万人へと届く笑顔となって、その魅力を多くの人へと伝えている。

 

それは、きっと誰もが自分自身と向き合い、アイドルとして自らを高め続けたからだ。

 

恥ずかしがり屋の男性恐怖症で歌えなかった雪歩。彼女はいま、大勢の人達の前で歌っている。

体力が足りず、皆に追いつけないと泣いたやよい。彼女はいま、ステージで弾けるように踊る。

お互いに離れられない、二人で一つの亜美と真美。彼女たちはいま、それぞれが強い個性を放つ。

我が儘で、プライドが先行して、独りだった伊織。彼女は今、誇りを胸にファンと仲間に心尽くす。

最初はアイドル活動にやる気を見せなかった美希。彼女はいま、鮮烈にキラキラしている。

完璧を求め、慣れない土地で躓きつつ挑戦した響。彼女はいま、のびのびと楽しげに踊っている。

コンプレックスを長い間受け入れられなかった真。彼女はいま、誰よりもカッコいい女性アイドルだ。

アイドルとプロデューサーの間で悩んでいた律子。彼女はいま、確固たる存在としてステージに立つ。

己に厳しく孤高を目指し、近寄りがたかった貴音。彼女はいま、多くの仲間とともに頂を目指す。

歌を歌えなくなって、笑顔を失い、傷ついた千早。彼女はいま、心からの笑顔とともに歌声を響かす。

自身と周り、活動の中ですれ違いに苦しんだ春香。彼女はいま、みんなといっしょに、この一瞬を輝いている。

 

――――誰よりも見続けた、大切なひと。

彼女はいま、俺だけじゃない、大勢のファンに迎えられている。

 

それぞれのアイドルたちの成長が、ステージでいくつも見られた。彼女たちは皆、いつの間にか素敵な女性になっていた。

もうきっと俺がいなくとも、彼女たちは見ている人の心を動かし、笑顔を届けることのできる存在だろう。

感極まって、目尻から少しだけ涙がこぼれてしまた。

 

『私らしい私でもっともっと DREAM COMES TRUE』

これまでの積み重ねが肥やしとなって、

『一歩一歩 出逢いや別れが愛になる AMUSMENT』

大輪の花を咲かせた。いま、ステージにいる彼女たちの積み重ねの全てが結実した。

言葉の、記憶のひとつひとつが、こんなにも……

 

映像は律子の編集のもと、見やすくまとめられていた。それでもライブの熱狂は冷めやらず、映像から洪水のように流れ出ていた。

無言で見つめた数十分、見終わった時に俺はまっ先に律子と握手した。

それだけで律子には、俺の言いたいことが届いていたと思う。律子も手をスーツの裾で拭いて、握手に応じてくれた。

 

「プロデューサーさん、本当はあなたにこそ、この瞬間をその場で見て欲しかったです」

「うん。それでも、律子がいたから俺がこんなでも、アイドルたちは精一杯輝けた。本当にありがとう」

「いえ、そんな……」

 

病室のベッドの上では、握手が精一杯だった。それでも最大限のねぎらいが、この時二人の間で交されたのだと俺は思う。

映像機器の接続を外して、律子は撤収の準備を始めた。俺はそれを眺めていた。その時、

 

「それとプロデューサーさん」

「なんだ?」

「あずささんのことを、竜宮小町のプロデューサーとして、そして一人の友人として、あなたにお願いしますね」

 

こちらを向いた律子は、凛とした眼差しでそう言った。

向けられた言葉がどういう意味なのか、それは瞬時に理解できた。

でも、俺はそれに対して曖昧にうなづくだけだった。

 

「こちらこそ。なあ律子、あずささんのこと、よろしく頼むな」

「頼まれなくても、当然です! ……では、プロデューサーさん、私は事務所に戻ります」

 

律子は最後にまた、フフっと笑い、あと病院食は残さないように、と言って部屋を後にした。

俺は律子に手を振った。閉じた扉に手を振り続けた。

見舞い者の帰って行った病室ほど、淋しげな場所はないと、この時思った。

 

   ◇

 

黒井社長の突然の来訪には驚いた。

昼過ぎ頃、お手洗いから戻ってきたときにベッドの側で黒井社長が待っていたのだ。

……ゲームをしながら。

 

「何、してるんですか」

「ゲームだ、こんなことも見て分からないのか、貴様は」

「分かります……ちなみに何のゲームをしてるんですか?」

「ラブ○ラスだ」

「先輩ですか」

「リンちゃんに決まっておるだろうがっ!」

 

彼女について熱弁をふるうオジサンを放っておいて、俺はベッドに潜り込んだ。

それを見るや音量設定を上げてきたので、大音量で惚気ボイスが室内に響きわたる。……うるさい、すげえ迷惑行為だ。

いったい何をしに、この男はやって来たのか。

 

「――――よし、ここまでで一度終了だ。それで、貴様今までどこに行っていた?」

 

しばらくしてゲームを終えたのか、本体を片付けた黒井社長は俺の布団を剥ぎ取ってきた。

まったく何を考えているんだ、いい加減にして欲しい。掛け布団を奪われながらそんなことを独りごちる。

はあ、これではお見舞いでもなんでも無い、ただ安眠妨害をしにきただけじゃないか。

寝転んでいても仕方ないので、俺は座り直して黒井社長の方を向いた。サングラスの底にある彼の目を見ながら尋ねた。

 

「トイレですよ。そんなことより、行方を眩ませていた961プロの社長がどうして此処に?」

 

ジュピターの電撃退所から数ヶ月、この男はどのメディアにもその姿を現さなかった。

もしかしたら、それは765プロとの数々の諍いが間接的にしろ直接的にしろ、その原因にあるのかもしれない。

それに、去り方もあっという間だった。自ら立ち上げたプロダクションの代表の座を退き、芸能界から完全に消え去ったことから、それ以降はどの媒体でもその状況について語られなかったのだ。

 

だからこそ、そんなヤツがどうして俺の入院先の病室にいて、ラブ○ラスに熱中しているのか疑問だった。

 

「ふっ、それは貴様が一番分かっているのではないか」

「俺は別にラブ○ラスやってませんよ」

「違うわい!」

「それじゃあ、どういう意味ですか」

「ああ、ったく。貴様、脳の病気を患っているそうだな。それに、ひどくタチが悪いのを。発症からも手を施せず、お手上げ状態らしいが」

 

突如、男から吐かれた予想もしていない言葉に息をのんだ。どうして、そんなに詳しく知っているのだろうか。

俺の病状について、しっかりとした説明をしたのは高木社長しかいないはずだ。もしかしたら、あの人から黒井社長に連絡を……? でも、それはまたなぜ?

 

疑念を口に出さず、俺は黒井社長に「ええ、そうです」とだけ肯いた。

自分の身体のことを知られたところで、どうということは無い。もうこの人には765プロに妨害をするだけの余力は残っていないのだから。

警戒の意識を切らさずに、俺は男のつぎの言葉を待った。

 

「……気にするな。私はこの病院の経営に少なからず噛んでいてな。その膨大な入院患者の中の情報における些事がたまたま耳に届いたから、顔を見に来ただけだ」

「それは、初耳ですね。アイドル業界はもう完全に辞められるんですか」

「たわけ。これは布石に過ぎない、私はいずれまた我が古巣へと代表として戻るのだ」

「……まさか、また妨害するんですか」

「フンッ、そんなことをせずとも、貴様のようなスクラップを抱えている三流プロダクション、放っておいてもいずれ潰れる」

 

黒井社長はそれが当然の帰結であるように、平然として喋っている。

手を出さない、とは言っているが油断は出来ない。初めはそう思ったが、どうやらこの男の話を聞いていると嘘ではないような気がした。

そうだ、と。俺は思った。

ずっとここに来てからの黒井社長に覚えていた違和感、それはこの男から一切の邪な気が感じられないことだった。以前のような棘ついたオーラがなかったのだ。

 

それゆえ、俺はこの男がなぜ此処にいるのかいっそう気になった。

 

「それなら、どうしていま医療関係の事業に手を出すんです?」

「…………音無琴美のことは、私の中でまだ何も解決してはいない」

 

しゃがれた声で、しかし芯を持ってその言葉を男は口にした。

そして、その言葉に俺は打ちのめされた。

音無琴美、と。それはかつて、若い頃の高木社長と黒井社長、音無琴美のあいだで起きた悲劇のことだった。

彼女の抱えていた難病について、彼らは最期まで手を尽くすことはできなかった。

それを高木社長は後悔していた。あの夜、バーで聞いた過去の重たい破片。

そしてそれはきっと、黒井社長にも抜くことの出来ない楔のように突き刺さって、いまも彼は問い続けているのだろう。

 

「貴様も、あの時のアイツと同じ状況に置かれているな。今、まさに」

「そうですね。彼女と俺は同じです」

「『お前だ、裏切るのは。善意や思いやりも信頼も、それが全て完璧に果たされて上手くいくほど、この世の中は甘くない――――』どうだ、私の言ったとおりになっただろう。これでも、貴様はまだ『信じる』とぬかすのか?」

 

高らかにそう言った黒井社長は、サングラス越しに好戦的な眼差しで俺の方を見下ろした。

俺はベッドの上で膝をつき、この男から以前言われたその言葉について、もう一度その意味を咀嚼した。

以前は分からなかった。分かろうとしなかった。どこかで気付いてはいたのかもしれない。けれど、それを認めてしまえば今迄の決断すべてが無駄だったと認めるのと同じだった。だから……

 

だが、今はもう違う。

俺自身の意志は固まっていたのだ。この男が病室に来る前に、自らを振り返って決断していたから。

律子が持ってきてくれたライブの映像、頼りになる後輩、かけがいのないアイドルたち。大勢のファン。

心の底から好きな人。

ゆえに。

 

「信じることは、裏切らない、必ずです。でも、――――そこに、俺はいらない」

 

俺の答えは、もう決まっていたのだ。

 

「……つまらないな、貴様は」

 

俺の言葉を聞いた後、黒井社長はそう言って興趣の失せたような様子で病室を出て行った。

俺の答えが気に入らなかったのだろう。しかし、あの男が気に入ろうが気にいらまいが、関係なかった。

この決断をさせる唯一の理念は、あずささんを幸せにするためにあるのだから。

 

   ◇

 

夜半、面会終了も間近なときに、その人は訪ねてきた。

ワインレッドのロングコートを羽織り、いつものような慈愛の笑みを向けながら。

俺がプレゼントして喜んでいた、あのアメジストのブローチを着けていた。それを見て、胸が少し……

あずささんは静かに病室へと入り、ベッドの横の椅子に腰を下ろした。

 

はじめ、お互いに無言だった。いつものようなじゃれ合いはなかった。

いつもしていた愛情の表現も、俺からすることは決して無いのだ。

 

あずささんが花瓶に花を添える。いい匂いですね、とこちらに微笑む。

俺はちょっとキツいです、と苦情を返す。それを聞いて慌てて彼女は花を花瓶から抜いてよけた。

「ごめんなさい」

 

あずささんはお見舞いに持ってきてくれたりんごの皮を剥こうとする。

それを、勝手な飲食は控えたいと伝え、すんでの所でやめてもらった。彼女は申し訳なさそうに、りんごを他の見舞い品と一緒に机の上に置いた。ナイフを引き出しへと片付けた。

「ごめんなさい」

 

ライブの映像、律子さんに見せてもらったんですよね。

あずささんは明るい声音でそう言うと、どうでしたか、と俺に尋ねた。

俺は良かったと思います、とだけ伝えた。ソロの部分については、あずささんのパートだけ言及しなかった。私はどうでしたか? とあずささんがこちらに目線を流す。

見られなかったものの話は、あまり……。俺は冷たい口調で答えた。

そうですよね、その。

あずささんは気の抜けた風船のように、途中で声を出すのをやめた。

「ごめんなさい」

 

何度も、何度も。

あずささんからの接触を俺は躱した。

相手にしないように振る舞う、いつもとは全く違う俺の姿に、あずささんはどんどん不安げな表情を浮かべていく。眉根をよせて、瞳が揺れている。

その顔をチラリと見て、胸が少し……

 

カシャン、トポトポ。

気が抜けたのか、手に持っていたコップを落としてしまった。ベッドシーツにお茶が溢れて染みをつくり出す。

お茶は足下を冷やした。ズボンも濡れた。

それに気付いたあずささんが、仕事で使ったのであろうタオルを取り出して、濡れた部分を拭こうとする。

 

「どうしたんですか、プロデューサーさん。ほら、溢れちゃってますよ。すぐに拭きますね」

「すみません」

「あらあら、まあ。プロデューサーさん、ホントにおっちょこちょいなんですから、って私もそうですよね」

「もう、大丈夫ですよ。あずささん」

「いえいえ、させてください。これぐらいしか出来ないみたいですから」

「あずささん」

「うふふ。なんですか?」

「別れよう」

 

 

ピタリと、彼女の手が止まった。

それから、もう一度シーツを拭き始める。無言でごしごしと擦る。

俺はその手を掴み、ひきはがした。あずささんは「あら、あら」と震えた声でいいながら、タオルをしまおうか、また拭こうか、どうすれば良いのか分からないといった様子で数秒黙った。そして、所在なげに両手が宙で静止した。彼女の動揺が顔に出ていた。瞳が揺れて、定まっていなかった。

 

窓の向こうの日が完全に落ちてから、随分と時間が経っていた。

あずささんはタオルをもう一度丁寧に四つ折りにして、シーツを拭きはじめる。その表情は見えない。

手が小刻みに震えている。タオル押し当てながら、こぼれたお茶を拭く。けれど拭いた側から雫がポツポツとシーツに落ちた。

 

「別れよう」

「……そんな。そんなの、嫌です。プロデューサーさん、言ってくださいました、運命の人になるって。私は嬉しくて、私もあなたが運命の人だって……」

「あずささん」

「嫌です! わたしは……あなたがいないと。たとえプロデューサーさんが病気でも、わたしはあなたを隣で支えて生きていきます。だから……」

「あずささん、別れよう」

 

あずささんはもう言葉をそれ以上言わなかった。流れ落ちる涙を止めようともせず、子どものように泣いていた。

タオルを握りしめながら、うつむいたままシーツに顔を押し当てて泣いていた。

 

数分後、面会終了のアナウンスが鳴った。院内に残っている方は速やかに出られるようにと、無機質な声がスピーカーから流される。あずささんは動かない。それでも、巡回の看護師が来て、あずささんを病室の外へ連れて行こうとした。

 

「プロデューサーさん!」

「ほら、あずささん。もう終了の時間ですよ」

 

彼女が顔を上げた時、幾筋も涙の伝った跡を頬に残すあずささんに、俺はそう言った。

あずささんは最後までこちらを見ていた。扉が閉まるその瞬間まで。

俺は目を離せなかった。そして、あずささんの姿が視界から消えた瞬間、胸が激しく痛んだ。

声が滲んだ。夜の病室に、ひとり呟いた。

 

「ごめんなさい、あずささん……」

 

彼女の幸せのために俺が出来ることは何なのか、目覚めてからずっと考え続けていた。

そして。

その答えは、自分が彼女の心の中から消え去ることだった。一刻も早く、塵も残さないぐらいに。

 

今日、俺はあずささんとのお付き合いを終わらせる選択をした。




次回のアイドルマスター『俺あず』は!

ヤッホー! 自分、我那覇響だぞ。
ところで、世界中に動物っていったいいくらいるのかってみんな知ってる?
自分この間からすっごく気になって、夜も眠れない日がずっと続いてるんだ、ってことで、自分これから生き物図鑑で一体いくらいるのか調べるぞ!
えへへ、えーと
ダックスフンド、フレンチブルドッグ、ウェルシュコーギー!
チワワ、トイプードル……
……あれ、ふがぁ! 数えてる間に眠ちゃってたぞ!
それに次回予告もまだしてないし。うが~、エラい人におこられる~
自分、サータアンダギー持って謝りに行くぞ。うん、それしかないな!
てことで、次回のアイドルマスター『俺あず』も、

――――お楽しみに!

次回「大好きなひと、大切なひと。 ~You're my only shining star~ 」


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大好きなひと、大切なひと。

~You're my only shining star~

慧鶴です。
前回、まさかのラストになりましたが、安心してください。
計画通り(ニヤリ)ですから。それに、これは「はっぴぃえんど」までの物語です。

※今回より数話あずささん視点で物語が進みます。
(それにしても女性の一人称は難しい……)


――ニューイヤーライブ前日・765プロダクション

 

高木社長の呼びかけのもと、私たちアイドルと律子さん、小鳥さんが集められた。

赤羽根Pさんは入院中のため、この場にはいなかった。

そして、プロデューサーさんは。

「彼は今年の7月からすでに、病気を患っていた。とても重い病気を」

集まった私たちに高木社長から、ついさっき倒れて病院に救急搬送されたプロデューサーさんについて、説明がされた。脳器官に重篤な病気を患っていたプロデューサーさんが、それを押し隠して今まで仕事を続けてこられたことについて。それは、あまりにも突然で、衝撃的な告白で、容易には受けいれられませんでした。

 

訥々と語る社長は、プロデューサーさんが一応の生命的危機は脱したことを、そして、いまは安静にしていることを私たちに伝えた。それでも、自分達が知らなかったプロデューサーさんの病状は、かなり深刻だった。

私たちが、さっきまでライブにむけて練習をしているときも、これまでも、プロデューサーさんはその辛い身体をおして働いて、みんなに心配をかけまいと笑顔でいた。私たちに黙って。

その事が、わたしは……

 

「非常に残念だが、明日のニューイヤーライブに彼は参加できない」

「そんな! そんなのって……」

「自分、プロデューサーに助けてもらってきたのに。それじゃあ、あんまりだぞ!」

「すまない、君たちに伝えていなかった私の責任だ」

 

雪歩ちゃんや響ちゃん、他のみんなが口々に想いを溢す。それに対して、社長は悔しそうに声を出した。

突然のことに誰もが動揺していた。

誰を責めることも出来なかった。ここにあの人がいないことが、これ程辛いのに何もできない。それに、あの人の命がもう長くないなんて、そんな話を聞かされて、冷静でいられるはず無かった。

わたしは、どうしたらいいの? ねえ、プロデューサーさん……

 

「落ち着きなさい、みんな」

伊織ちゃんがふと、声を発した。

「アイツがいないからって、それでダメになるほど、私たちとアイツのしてきたことは軟弱(ヤワ)なものなの?」

「伊織……でも、ボクらはプロデューサーのことが心配で」

「いえ、伊織の言う通りよ」

 

そう言った律子さんは私たちを一瞥し、それからホワイトボードを持ち出して、ある場所を指さした。

そこには、水性マジックである言葉が書かれていた。

『めざせ! トップアイドル!』

そう、それはたしか、あの日、1stライブ前日、みんなで書いた私たちの夢。

それを見たプロデューサーさんは確か、こういった。

 

「いい夢だ。絶対に叶えよう……」

律子さんが以前あの人の言ったことと、一字一句同じ言葉を口にする。

「気の抜けたようなステージをしたら、それこそプロデューサーの期待を裏切ることになる。それに、あなた達は多くのファンからの期待も背負ってる。それすら投げ出したら、もうアイドルじゃいられないわ」

「「「「……」」」

「あなた達はアイドルである前に、ひとりの女の子でもある。だから、こんな厳しいこと、本当は言っちゃダメなのかもしれない。でも、」

「大丈夫なの、律子……さん。ミキね、ハニーと約束したんだよ、キラキラするって。だから、きっとハニーの好きなミキは、ステージにいなくちゃダメなの」

 

美希ちゃんは律子さんの言葉にしっかりと肯いた。そして、涙ぐみながらも、ライブへの覚悟を宣言した。

その凜々しさに呼応するように、みんなも少しずつ、ライブへと意識を向け始めた。

亜美ちゃんや、やよいちゃんも、泣きながら、ライブを頑張ろう、と言っている。

誰もが、プロデューサーさんにいままで与えてもらった言葉や約束を胸に、明日のライブに向けて立ち上がろうとしていた。悲しみながらも、前を向いていた。

でも、わたしは……

 

「あずささん、大丈夫ですか?」

「え……」

 

小鳥さんが私の肩に手を添える。心配そうにこちらを見ている。

わたしは手を振りながら、大丈夫ですと答えた。それでも小鳥さんは優しく肩をさすり続けてくれた。

やわらかく、温かい手のひらが、固まった心をほぐすように。

 

「泣いたっていいんですよ」

「そんな、泣くなんて、わたし本当に……」

 

言い終えないうちに、どうしようもなく喉奥から嗚咽が溢れてきて。

わたしは、か細い声を出してようやく涙を流した。

 

「あずささん、プロデューサーさんのために頑張りましょう、ね?」

律子さんがこちらに駆け寄って、優しく抱きすくめてくれた。励ましの言葉を与えてくれる。

……でも。

「あの人がいないと、わたしは……」

「――――! あずささん、もしかしてプロデューサーさんと」

 

律子さんはそう言うと、複雑な様子で黙り込み、やがてわたしをまた抱きしめて慰めてくれた。

わたしは、その慰めの温もりにしばらくの間からだを預けていた。

泣いて疲れ果てて、結局その日は律子さんに自宅へ送ってもらうことになった……

 

次の日は不思議とはっきり目が覚めた。いっぱい泣いたからかもしれない。

その日のライブには、やっぱりプロデューサーさんの姿はなかった。今もまだ、病院のベッドの上で眠っているのだろう。

以前した、あの約束は果たされないんだわ。そう思うと、とても悲しくなる。

 

それでも、昨日の覚悟は私たちの背中を押した。

ライブでは笑顔を絶やすことなく、最高のパフォーマンスをファンの皆さんへ届けることが出来たと思う。

誰もが不安だったけど、それを飲みこんで、ライブを最期までやり遂げた。

 

そう、プロデューサーさんがいなくても。私たちはアイドルなのだから。

でも、本当は。

わたしの心はライブが終わってもざわめいていた。不安と悲痛を胸の奥底に抱えて。

 

   ~~~

 

プロデューサーさんが目を覚ましたと聞いて、わたしはすぐにでもお見舞いに行きたかった。

でも、同時に不安だった。

病気について知った今、もうこれまでのようにプロデューサーさんとは接することが出来なくなっているような気がしてしまって。

それでも勇気を出して、わたしはあの人に会いに行くことを決めた。

だってプロデューサーさん、どうしてもあなたに会いたかったから。

 

   ◇

 

「カットッ! う~ん、あずさちゃん、何か違うんだよねぇ。こう以前のグワ~って感じがないんだよ」

「すみません……」

「うん、今日はここまでにしよう。明日またラストシーンの撮影をしようか」

 

監督さんの話を聞きながら、申し訳ないと思っていても、どうしても映画の撮影に身が入らなかった。

昨日、プロデューサーさんに別れを告げられた。

病室へお見舞いに行ったその場で、プロデューサーさんは「別れよう」とわたしに言った。

わたしは別れたくなかった。だから、はじめてプロデューサーさんに「嫌です」とはっきり答えた。

それでも、プロデューサーさんは、「別れよう」と言って、それ以外はなにも言ってくれなかった。

 

(……どうして?)

あの後、面会時間が終わってからもあの人に電話やメールを何度もした。

でも、プロデューサーさんは電話に出てくれないし、メールも返信してくれなかった。

完全に拒絶されてしまったのだと、まっくらな液晶画面越しに伝わる。

 

そう思うと胸が苦しくて、泣きそうになって、演技に集中できなかった。

こんなにも好きなのに、好きで堪らないのに、もうあの人は何も言ってくれない。

それなら、今日またお見舞いに行って、プロデューサーさんに会ってどうにか話をしたい。そう思っているのに、足がすくんでしまって、会いに行けなかった。

あれから数日、心が置いてけぼりになったように感じた。

 

「あずささん、だいじょうぶですか? どこか悪くして……」

「いいえ、律子さん。大丈夫です、心配をおかけしてごめんなさい」

「私のことは気にしないでください、あずささん」

撮影後、律子さんがわたしの不調を心配して話しかけてくれた。

 

このままじゃダメだわ。

沈みきっている想いを、無理やりにでも引き上げなくちゃ。これ以上は私だけじゃない、大勢のスタッフさんにまで迷惑をかけてしまう。

そうして焦る心とは裏腹に、焦がれるような想いはプロデューサーさんから離れなかった。

 

今日のすべての撮影が終了して、休憩をとっている時、ふと北斗さんが声をかけてきた。

北斗さんはジュピターが961プロを脱退してから、映画の撮影もあってとても厚意にしてもらっていた。

手渡されたアイスカフェオレを受け取り、お礼を述べると、美しい女性には甘いものが似合いますから、と彼に冗談を言われた。あらあら。

それから、少しのあいだ他愛もないお話をしているとき、ふと今日の演技での不調について訊かれた。

 

「最近はとても調子よかったのに、今日は一転して……どうかされたんですか? 体調を崩してるとか、何か悩みでも?」

「いえ、そんなことはないんですけど……、わたし……」

「もしかして、あのプロデューサーさんのことですか?」

「ど、どうして分かるんですか!?」

「へぇ、やっぱり」

 

北斗さんは目を細める。自分の読みが当ったことが嬉しそうに。

でも、どうして分かったのだろう。わたしがプロデューサーさんのことで悩んでいるなんて。

プロデューサーさんのこと、わたし一度も北斗さんにお話ししてないはずなのに。

 

「簡単です。女性が悩んでいる時と言うのは、恋の悩みですから」

「まあ」

「あはは、冗談ですよ。それでも、見ていれば分かりますよ。あんなにもあなたを大切にしてくれる人なら、彼を好きになってしまうか、それとも両想いかの二択です。……勿論この話は口外しません、レディーの恋は秘められていてこそ、ですから」

そう言って、北斗さんは微笑む。

 

彼の言った言葉に、心が揺さぶられてしまう。「あなたを大切にしてくれる人なら、彼を好きになってしまうか、それとも両想いかの二択です」と。

両想い……そのはずだったのに。

どうしてプロデューサーさんは、私に別れようなんて言ったのかしら。

また泣きそうになってしまった。溢れ落ちそうな涙を、急いでハンカチで拭う。

 

「す、すみません」

「……どうやら、僕が想像していたような嬉しい悩みではなさそうですね。彼と何かあったんですか?」

 

心配そうに北斗さんは私に尋ねる。

私の泣き顔をほかのスタッフに見られないように、自分の身体で覆いかばってくれた。そして、私が落ち着くまでそのままでいてくれた。

「ありがとうございます。うふふ、北斗さんって、お優しいんですね」

「美しい女性には当然のことですよ。……彼とのこと、話したくなったら声をかけて下さい」

 

そう言い残して、北斗さんはわたしの側から離れていった。

それから彼は撤収の手伝いに率先して加わり、仕材などを運んでいた。

 

向こうで律子さんと監督がわたしを呼んでいる。今後の撮影について、監督と相談することがあるらしい。

私は残っていたカフェオレを飲み干した。

駆け足で皆さんのもとへ行き、これからの撮影についての打ち合わせに加わった。

 

   ◇

 

翌日、映画の撮影でまた北斗さんと会った。

昨日はどうも、ありがとうございます。そう言うと、北斗さんは全然大丈夫ですよ、と言って、またあの爽やかな笑顔を向けてこられた。その笑顔に、こちらも自然と口角が上がってしまう。

 

「昨日の件なんですけど、相談させていただいていいですか?」

「――――! ええ、僕で良ければ喜んで」

 

それから、撮影が始まるまでの30分ほど、テーブルに掛けて、わたしは最近のことについて彼に話した。

北斗さんは親身になって、相談に乗ってくれた。

わたしがプロデューサーさんと付き合っていたことを打ち明けたときは、さすがにビックリしていて、いつものスマートな姿からは想像できないほど驚いた顔をしていたけど。

絶対に他言しません、と言ってくれたのでお話しした。それでも律子さんにこのことがバレたら、きっととっても叱られるだろうな。そう考えると、胸がチクリと痛んだ。

 

つい先日プロデューサーさんが病気で倒れたことと、私に別れようと言ったことについて、北斗さんは黙ってわたしの語る言葉を聞いていてくれた。

 

「……さすがの内容に、僕も驚きましたよ」

「ごめんなさい、こんなこと相談してしまって。北斗さんなら男性の気持ち、分かるかしらって思って」

「彼自身の考えは僕にも分かりかねますが」

「そう……ですか」

 

やっぱり、ダメなのかしら。

きのう一日考えて、プロデューサーさんの気持ちを知りたいけど、それが出来ない現状をどうにか打開するために、こうしてあの人と同じ男性の目線で話してもらえる北斗さんに相談した。

なのに……

 

「でも、内心を想像するぐらいならできるかもしれません」

そう考えていたら、北斗さんがにっこりと笑って、

「もしかしたらですけど。特に、今回の映画の内容とかなり似ている状況みたいなので」と言った。

 

似ている状況……? わたしとプロデューサーさんが?

 

「三浦さん、今回の映画の原作、読まれたことはあります?」

「ええ、上巻だけ。下巻はまだですが」

「実はこの映画の原作、僕らの撮っている台本とは後半のストーリーが大きく違うんですよ」

「そうなんですか?」

「はい。亡くなってしまう婚約者と、残された女性、その彼らの行動がね」

 

それから、北斗さんは映画の原作になった『隣に』の後半の内容について話し始めた。

 

映画では、主人公の女性とその婚約者の男性は幸せな時間を過ごしていた。けれど、彼の病の進行とともに一時は別れ、その後想いを伝え合って再び結ばれるもののやがて永遠の別れを迎える。その過去の悲しみを負いながら、新しい男性と恋に落ちた主人公は彼の死を乗り越えて、結婚をし、新たな人生のスタートを切るというもの。

 

切なくも、生きる勇気を与えてくれる物語だと台本を読みながら思っていた。

わたし自身演技を通して、主人公の女性の強い生き方にとても感心した。けれど、恋人を失うことが私にはどういうものなのか、漠然としか分かっていなかった。

いま読み直すと、この主人公の覚悟にただただ打ちひしがれてしまうのだ……。

 

それに対して、北斗さんの語ってくれた原作の方はとても苦しい展開の連続だった。

 

婚約者の男性は病身のために満足に話すことも出来ず、その辛い姿を主人公の女性に見せまいとして突き放し、別れを告げる。やがて女性は彼を忘れて、その後新たな恋人と出会い、結婚の約束をする。

そんな時、彼との思い出の場所である桜の咲く丘で、彼が残したタイムカプセルの中に手紙と指輪を見つける。

その手紙には、彼女に隠していた病の真実と、愛を伝える言葉があった。

女性はそれを読んで、互いに距離を取って別れ、死に目にも会えなかったことを深く後悔する。

結婚式の次の日、ようやく見つけた彼の墓前で、主人公の女性は後悔と惜愛の叫びを上げるというもの。

 

聞いていて、胸の中央を鉄の棒で穿たれるような気持ちになった。

わたしとプロデューサーさんの関係が、これに近いものになっている。北斗さんはそう言った。

そのことが凄く怖かった。このまま、プロデューサーさんと別れて、二度と会えなくなるなんて。

 

会いたいと思った。プロデューサーさんに。

 

「実際に話を聞いていて、プロデューサーさんの行動は婚約者の男性とよく似ています。つまり、彼は大好きで、大切なあなたに病気の負い目を見せたくないから、別れを切り出したのではないか、と予想するわけです」

北斗さんは私の目を見ながら、ゆっくりと話す。

「彼はきっとまだあなたを好きですよ、好きで堪らないんですよ」

 

そう言われて、もう一度わたしは思い出してみる。

プロデューサーさんの病院での行動を。他人行儀なあの言動が、ほんとうにこの小説の主人公の行動原理に近いものなんだろうか? 確証は持てなかった。それでも、わたしはプロデューサーさんを信じたいと思った。

だって、あなたからまだ、わたしは嫌いだとは言われていないから。

 

「北斗さん。恋って、不思議ですね」

「ええ。不条理で不合理な決断を時にさせる、好きな人のために。そうして傷つけ合うこともあれば、愛を深めることもある。プロデューサーさんもあなたのことを」

「でも、わたし、やっぱりまだ不安です。いくらプロデューサーさんのことを信じていても」

「あなたの運命のひとなんでしょう。なら、大丈夫ですよ」

 

北斗さんはそう言うと、読み込まれて表紙のすり減った『隣に』の原作小説を置いて、時間がある時にでも読んでね、と笑った。それから、そろそろだと席を立った。

もうすぐ撮影ですよ、と。

わたしも撮影現場に向かった。もう決意はできていた。

プロデューサーさん、私はあなたを諦められない、だから。

 

「あずささん、伊集院さんと何を話してたんですか?」

「うふふ、男の人について沢山教えてもらってました♪」

「ひゃあっ」///

 

質問に答えると、律子さんは顔を真っ赤にして、もう、恥ずかしいこと言わないでください! と私の肩を叩いた。なんだかこんな風に冗談を言って笑うのは、随分久しぶりな気がして、嬉しかった。

今日の撮影も演技はまだ中途半端で、褒められるような出来ではなかったけど、昨日よりは少しだけ良くなっている気がした。

 

北斗さんの話を思い出してみる。

私がプロデューサーさんを信じる理由。

それは大好きな、大切な人だから。

それ以外に、理由は必要なかったの。

そう思って、じゃあ私はいつからプロデューサーさんのことを好きになったんだろうと思った。

わたしとプロデューサーさんが初めて出会った日の記憶……

 

――――追想。

 




次回のアイドルマスター『俺あず』は!

秋月律子です!
みなさん、いままでに出会ったアイドルの人数を覚えていますか?
え、覚えていない?
いったいこの世の中に、いくらのアイドルがいると思ってるんですか!
……3×億。(デデデッデデッデデ、デデデッデデッデデ♪)
すみません嘘です、私にもすべては把握できていません。
で、でも! 我が765プロにいるアイドルたちはみんな魅力的な子達なんですよ!
そんな彼女たちにあなたもきっと出会えるアイドルマスター『俺あず』を、

――――お楽しみに!

次回「しあわせへの切符はいままでに。 ~LOST~」


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しあわせへの切符はいままでに。

  ~LOST~

こんにちは。慧鶴です。
あずささん視点での物語が続きます。ご了承くださいませ。

馴れ初めって言葉にドキドキします。



プロデューサーさん、初めてあなたに出会った日のこと、いまでも憶えています。

あなたは私に最初、とってもひどい言葉をいったんですよ。わたし、すっごく怒っちゃったけど。

それでも、今はこう思うんです。

あなただったから、わたしは自分に素直になれたって。

 

本当に出会えてよかった、あなたで――――。

 

   ~~~

 

「初めまして、三浦あずさです~」

「こんにちは。俺がこれから、あなたの担当プロデューサーになります」

「担当プロデューサー? それって、え~と。……あ、分かりました~。担当のプロデューサーさん、と言うことですね!」

「そのままですね。あの、ちゃんと理解されてます?」

「はい。わたしを担当してくださる方がいるということは、え、わたし遂にアイドルとして正式にデビューするんですか? やった~!」

「ハハハ……。何か目標とか、ありますか?」

「そうですね。ん~、トップアイドルになって、運命のひとに見つけてもらう、かしら」

 

プロデューサーさん、あなたがあの日着ていたスーツはおろし立てのように綺麗にクリーニングされた跡が見えたのに、どこか色褪せていて、本当に初めてこのスーツに袖を通したのかしらって、少し不思議でした。

短く刈り上げた髪をかきながら、あなたは「そうですか」と。

 

もしかしたら、たまたま事務所に荷物を取りに来ていた私があなたと出会ったことに、何か特別な意味があるのかしら? なんて、ロマンチックなことも考えていたんです。

これからようやく、アイドルとして私もしっかり活躍できるんだなって。それで、いっぱい頑張って、運命のひとに見つけてもらえるようになろうって。

そしたら、あなたは。

「まあ無理だと思いますが」って。

 

「あらあら、えっと……どういう意味なんでしょう?」

「いや、だってこんな気の抜けたような人、厳しいアイドルの世界ではやっていけないでしょう。それに、資料見せてもらいましたが、包容力と物腰の良さが魅力って、ただ誰にでも愛想がいいだけじゃないんですか?」

「……」

「それに、映像資料も確認しましたが歌唱はともかくダンスはいただけません。仮にトップアイドルを目指すとしても、現状では100パーセント無理ですね」

怒濤の言葉責めに、最初は驚いてしまいました。だって、初対面の人にそんな失礼なこと言われたの生まれて初めてだったんですもの。さすがにわたしも我慢できなくて、少しだけ抗議しましたよね。

 

「いくらなんでも、あんまりです。撤回してください」

「事実だから仕方ないでしょう。もしトップアイドルを目指すのであれば、相応の覚悟はしてくださいね」

「あなたは本当にわたしをトップアイドルにしてくれるんですか?」

「当たり前です、俺に出来ないはずがない」

 

そう自信満々に語るあなたに対して抱くわたしの感情は、はじめのロマンチックな印象から、「失礼」で「皮肉屋」の「軽薄」なひとへとあっという間に変わってしまいました。そうです、あの時わたし、プロデューサーさんのこと不良さんだと思ったんですから。だって、あんな言われ方をしたら誰でもそう思っちゃいますよ。

ムムム、なんてね。それでも、あなたのことが好きになってしまったんだから、恋というのは本当に不思議で素敵なものですよね。

 

不意に訪れた一足早いお互いのはじめての自己紹介は、和気藹々とした雰囲気から一転して、一触即発のような険しい雰囲気へと変わっちゃったんです。それで、帰る前にお互いよろしくということで握手をしたんですよね。

 

「……どうかね三浦くん、そして新米プロデューサー君。お互いに支え合って、上手く活動していけそうかね?」

「ええ、何とか俺が彼女を立派なアイドルにしてみせます。あずささん、よろしくお願いします」

「プロデューサーさんがもう少し優しい方だったら、わたしも上手くいくと思います♪ ええ、こちらこそ」

 

高木社長からの言葉に対して、わたしのあの時の気持ちとしては、「この人と一緒に頑張る自信はまったくなかった」です。

 

そうして、わたしとプロデューサーさんとのアイドル活動の日々は始まりましたね。

最初はオーディションも中々通らなくて、仕事も取れないし、レッスンは候補生の頃よりもさらにハードになるし、それは大変でした。それに、どことなく最初のあの自己紹介が尾を引きずって、険悪な雰囲気になっちゃうんです。

 

「なんで一本道のど真ん中で迷子になるんですか! あずささん!」

「そんな~。わたし、迷子になんてなってないです!」

「じゃあ今どこにいるんですか!」

「……わかりません」

「世間はそれを迷子と言うんです! 分かったら俺の携帯にその場の特徴のメールか電話してください、必ず見つけますから! ああ、まったく。これじゃ気の抜けた人じゃなくて、ただのヤバい人ですよ」

「ヤバッ……って! どういう意味ですか、プロデューサーさん!」

「そのままの意味です」

「~! でも、この前のウエディングドレスの撮影では、私ちゃんと合流できたじゃないですか!」

「あれはただの奇跡です!」

 

道に迷ったわたしをいつもプロデューサーさんは齷齪(あくせく)しながら探してくれましたね。

わたしが伝える特徴がアバウトすぎて、全く分からないっていつも怒られたっけ。

 

「お、あの女の子かわいいな、ちょっとスカウトしてみよっと」

「プロデューサーさん、なんでいつもあなたはそうやって、目に入った女性にちょっかいを掛けるんですか!」

「そこに逸材がいたから」

「もうっ、プロデューサーさん!」

「なんですか、別にいいでしょうスカウトしても」

「ダメです! プロデューサーさんは私のプロデューサーさんなんです!」

「ヤバい! このままじゃ収録時間に遅刻だ!」

「キャー! 何してるんですか、もう!」

 

いま思えば、相当にプロデューサーさん、あなたはハチャメチャな人でした。ふつう担当アイドルがいる目の前でスカウトなんてしないでしょう、あれはいまでも怒ってるんですからね!……うふふ♪

そんなプロデューサーさんとの活動も、日を追うごとに言い合うことが多くなって、事務所のみんなからもプロデューサーさんと一緒だとあずささんは荒ぶる、なんて言われたりしてました。

みんなは私達のこと、おもしろ半分で言っていたんでしょうけど、律子さんや雪歩ちゃんは途中まで本気でわたしたちの関係を心配していたんですよ。大丈夫なの、って。私が代わりにプロデューサーしましょうか、って。

 

でもね、不思議なんです。あんなに言い合っているのに、段々その時間が当たり前になってきて、いつのまにか少し楽しんでいる自分がいたんです。あんなにも自分が人と言い合えるなんて、いままで私も想像してませんでした。

あ、でもプロデューサーさんのことは相変わらず苦手でしたけど。

 

そうして、二ヶ月ぐらい経ったある日。確か五月だったかしら。

その日、わたしとプロデューサーさんは撮影のためにスタジオに向かっていたんですよね。それで、途中の東京駅でわたしが迷子になっちゃって、沢山の人の中で居場所が分からなくて、心細くなってました。それに撮影まで時間も無かったですから、このままだと撮影をすっぽかすと思ったら、どんどん怖くなってしまって。

 

電話もつながらないし、特徴を書いたメールの返信もない。このまま一生見つけてもらえなかったらどうしようって、本当に不安でした。

プロデューサーさんが必死でとってくれた仕事を無駄にしてしまう。このままじゃ本当に、ただの迷惑な人になっちゃう。プロデューサーさんの言う通り、こんな気の抜けたわたしに、やっぱりアイドルなんて。愛想を尽かされて、見捨てられるんじゃないかって。

 

不安は募りました。雑踏の行き交うどこかわからない駅の中で、約束の撮影時刻を過ぎてしまいました。やってしまった。そう思うと悲しくて、わたしは遂に泣いちゃいました。

あの時、この大勢の人波の中で息をするのも苦しくて、うつむいて、涙をこぼしました。

 

「見つけた!」

そんな時でした。プロデューサーさん、あなたが私の目の前に立っていたんです。

「どうして…」

「約束したでしょ、必ず見つけ出すって。トップアイドルにするって」

「でも、わたし。ぷ、プロデューサーさん、あなたに迷惑を……」

「そんなことはどうだっていい。仕事はまた見つければいい。でもあずささんは今じゃないとダメなんです。あなたの人を笑顔にする力を引き出す、そのためなら、どんなことがあっても、あなたが道に迷っていても俺が見つけ出します。一緒に迷い抜いて、それでも必ずあなたを目的地へ連れて行きます」

 

そうまくし立てて、プロデューサーさんはわたしの手を引いて走り出していきました。

その背中がとっても大きく見えたのを今でもはっきりと憶えています。

それから、撮影現場に大遅刻して到着した私とプロデューサーさんはスタッフの方達にたくさん謝りました。プロデューサーさん、あなたは何も悪くないのに、必死でわたしのかわりに矢面に立って皆さんに謝罪してくれました。

 

その時だったと思います。

私の中で、あなたへの見方が変わったのは。

一見「失礼」で「皮肉屋」で「軽薄」な人だったあなたは、本当はとっても情熱的で、思いやりがあって、責任感のある人だと。

そう思ったんです。

特に、私を見つけてくれたこと、本当に嬉しかったんですよ。一瞬、王子さまが現れたのかと思いました。

いえ、本当にあなたは……。

 

   ◇

 

それからの日々は言い合いが減って、むしろ沢山お喋りするようになりましたよね。

好きなお菓子、本、映画、音楽、あなたが好きなものすべて。あなたについてもっと知りたい。

その頃からそう思うようになりました。

 

事務所のみんなからも一体なにがあって、こんなに仲良くなったんだと、とても驚かれていました。

でも、雪歩ちゃんもわかります、プロデューサーさんはいい人です、って言ってくれて。

あの頃から、765プロであなたは誰にとっても必要な存在になっていったんですよね。

 

みんなからいっぱい聞かれたんですよ、あのプロデューサーさんがどうして今頃あずささんと仲良くなったの? って。

でも、みんなちょっと勘違いしていたと思うわ。だって、あの時本当は私からあなたへ積極的にアピールしていたんですもの。

それなのにプロデューサーさん、最初はまったく相手にしてくれなくて。

 

「今日は迷子にならなくてエラいですね~」なんて冗談言うんですから。

わたしだって子供じゃないんですよ、もう。

そんなふうに、私は一生懸命にあなたのプロデュースのもとトップアイドルを目指しました。運命の人に出会うために、そう言って。でもそれ以上に本当は、あなたの期待に応えたかった。

 

ある日、仕事帰りにあなたはわたしに自分の過去について話してくれましたよね。

あれ、すっごく嬉しかったんですよ。プロデューサーさんが私のことを信用してくれてるんだって、すごく舞い上がっちゃったんですから。

 

プロデューサーさんは大学4年生のとき、ご両親を飛行機事故で亡くされた。

それから、すっかり塞ぎ込むようになって。就職活動も上手くいかず、結局内定を貰えないまま卒業して、アルバイトで食いつないでいたそうです。それを聞いて、私からは何も言ってあげることが出来ませんでした。

あの日、駅で迷子になった時、プロデューサーさんが私にしてくれたようには、私には出来なかった。それが歯がゆくて、聞いていて切なくなりました。

 

人の幸せばかりを妬んで、自分の不幸を誰かのせいにして日々をやり過ごしていた。

そんなことを語るプロデューサーさんはいつもの明るい様子には程遠い、まるでかつての過去を悔いるような表情をしていました。

 

「でも、ある日ちかくの公園であるアイドル候補生のミニライブを見たんです。ひどいステージでした。それでも、あの姿を見たとき、俺は確かに救われたんですよね。

――――それがあずささん、あなたです」

「まあ! でも、そんな私なんて」

「いえ、間違いないです。それに765プロに入ってからもあずささんにはいつも支えてもらってました。俺が失敗しても、皮肉を言っても、あなたは怒りながらもいつも必ず側で支えてくれた。……ありがとう」

「あ、あらあら。そんなに褒められたら恥ずかしいです……あれ、でも、ん~。プロデューサーさん、事務所で会う前に私を見てるんですよね、じゃあ、なんであんなに厳しいことをあの日いったんですか?」

「それは、え~と……あなたの目標のためにはストイックにならざるを得なかったからです。恩人とはいえ、それに甘えていたら、お互いに良い影響はなくなると思ったので。あの日きたスーツも親父のもので、気合い入れようと思って借りてたんです、あずささんと向き合うために」

「そうだったんですか」

「ええ、でも、やっぱりあれは良くないですよね。あずささん、ごめんなさい」

「いいえ、もう大丈夫です」

 

プロデューサーさんは申し訳なさそうに髪の毛をかきながら、わたしに謝った。

たしかにあの第一印象は、良かったとは言えないかもしれない。けれど、いまこうして信じ合える仲になれたのであれば、あのやり取りも必要だったのかもって思います。

 

とにもかくにも、それからプロデューサーさんは私に少しずつ心を開いていってくれました。

そうしてあなたのことを深く知るたびに、胸がキュウって切なくなって、いつも気がついたらあなたのことを考えて、目で追ってしまうようになったんです。

 

そう、その時ようやく私は気付いたんです。

プロデューサーさん、わたしはあなたのことが好きなんだって。

あの日、偶然出会った時に感じた想いは間違いじゃなかった。

あなたが運命の人だったらいいのに、いつしか私はそう思うようになったわ。

 

   ◇

 

それから。

プロデューサーさんといる時間はわたしにとって、本当に代えがたい幸せな時間になりました。

あなたの側にいられるだけで、ただ心が温かくて、ドキドキしました。

 

「俺が運命の人になります……ならせてください」

 

そして、あの夏の海で告白してくれた言葉は忘れられないほどの喜びです。

あの時、両想いだったと分かって、爆発しちゃいそうなくらい嬉しかったんですよ。

竜宮小町に入って、担当から外れたのはすごく悲しかったけど、それでもあなたとの初めての約束である「トップアイドル」になるために必要なことだって、あなたが背中を押してくれたから私は……。

 

お付き合いをする中で、あなたについて、さらに沢山知っていきました。

筆まめなところ、以外と甘えん坊なところ……

いっぱいいっぱい知るたび、想いは強くなっていって、ああこの人と同じ時を過ごせて幸せだな、って思いました。

 

だからプロデューサーさん、今あなたがわたしを突き放しても、わたしはあなたを諦めないです。

どうしようもないぐらい、ずっとずっと好きなの。




次回のアイドルマスター『俺あず』は!

こんにちは〜! みんなのスーパーアイドル、水瀬伊織ちゃんでぇす♡
わたし、ファンの方達からの応援のおかげで活躍できているので、紅茶を飲んだり、詩情に浸ったり、そんないつもの生活の中でもみんなのことを大切に想っています!
……え、違うだろって?
ホントはオレンジジュースばっかり飲んで、コミックス読んで、それにファンのみんなは可愛い伊織ちゃんのしもべ、ですって!
きいぃー! 何よ、変なこと言わないでよ!
み、みんな~違うからね。さっきのは全部ウソだからね!(汗)
そんなわけで、予告をご覧の皆さん、可愛くて心優しいアイドル伊織ちゃんの大活躍を!


――――お楽しみに!

次回「彼と彼女だからできること。 ~Light and shadow I know is too sad~」


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彼と彼女だからできること。

~Light and shadow I know is too sad~

ダイアリー……日記。約束などをメモすること。雑記帳。
こんにちは、慧鶴です。
前回に続いてあずささん主観で話が進みます。ご了承ください。



「ピヨの字、例のブツが手に入ったって?」

「へい、律子の姐御。火の中水の中のりこえて、何とかヤツの自宅から入手しましたぜ」

「ーーーーって、なんで私が姐御なのよ! 私まだそんな年いってないし、第一未成年ですよ。それを……あ」

「ぴ、ぴよぉ~」

 

北斗さんに改めて相談をした翌日、事務所に呼ばれて顔を出したときのことです。

事務所の片隅で、律子さんと小鳥さんがお話をされてました。聞いている限り、時代劇……みたいな事をしてます。でも、どうして?

それに、小鳥さんがもうノックダウン寸前みたいです。

 

「あの~、律子さん、小鳥さん。これは一体?」

「ああ、あずささん。気にしないでください、いつもの寸劇です、もう少しで終わりますので」

 

そう言って、律子さんは小鳥さんを捕まえて、手に持っていた使い込まれている一冊のノートを取り上げました。

「あぎゃ!」小鳥さんは律子さんにヘッドロックをされながら、ひたすらタップしています。

……大丈夫なのかしら、心配だわ。

そう思っていると、律子さんがノートをわたしに手渡しました。

 

「り、律子さん!? これ、ドロボウになるのでは」

「いや、大丈夫もなにも、今日はこれをあずささんへ読んでもらうために事務所に来てもらったんですから」

「はあ~、そうなんですか……それでこちらは何なんでしょうか?」

「それはプロデューサーさんの日記ですよ、あずささん。これを今から読んで下さい」

 

その言葉に身を固くしてしまう。プロデューサーさんが日記をつけていたことは知っていました。でも、それが今目の前にあって、それを読むのだと。

勝手にひとの物を読むなんて、ほんとうは絶対ダメですけど。

プロデューサーさん、あなたの想いについて、考えていることについて知りたい。

そう思ってしまうと、もう気持ちは止まらない。

 

「プロデューサーには、秘密ですよ」

「わかりました。あの、律子さん、もしかして私たちのこと知ってるんですか?」

「……ええ。担当アイドルとしては複雑ではありますが、あずささんの幸せのためです」

「……ありがとうございます」

怒られるのかと思ったら全然そんなことはなくて、なんだか不思議な気分でした。これは、交際を認めてもらえるのかしら?

律子さん、わたしの事を後押ししてくださってるんでしょうか、そうなら、すごく嬉しいです。素敵です。でも、今は……

「何があったかは分からないですけど、きっとプロデューサーのことであずささんは悩んでいるのかと思ったので。それ読んで、早くプロデューサーに会いに行ってください!」

 

律子さんは笑って、大丈夫ですから、と背中を押してくれた。

そうして、わたしはその日記を読んでみることにしました。

 

「私を忘れないでください……ピヨピヨヨォ」

 

あ、小鳥さん。

すっかり忘れてました、すみません……

 

   ~~~

 

初めのページを開くと、そこには丁寧な字で日記を書くことにした経緯が書いてあった。

日付は夏。みんなで海に行った後、私とプロデューサーさんがお付き合いを始めてからのことです。

 

お付き合いを始めてから一週間後。

自分は脳の病気になって、この先もう長くない。だから、せめて記憶として存在を残したいと。

残されてしまうあずささんに、俺がいたことを伝えられるように。

 

プロデューサーさん、そんな風に思ってらしたんですね。

私に告白してくれたのに、その後すぐに自分が死んでしまいますよ、と言われる。

どれほど、辛かったのかしら。あなたはそんな様子少しも見せずに、いつもわたしの側で明るく振る舞っていたんですね……

 

ページをめくる。すると、その日あった出来事について、プロデューサーさんらしいユーモラスな筆致で詳細な内容が書かれていました。

ぱらり、ぱらり。1ページずつ読んでいきます。

 

告白の場面、あのロマンチックな夜の海辺でのふたり。

迷子になった私を探している。似た状況がいっぱい書かれていて、自分でもこんなに迷子になったんだなって驚きます。

はじめてのドラマ撮影、「お姉さんB」という役。わたしの初演技。

 

事務所のみんなとの他愛もない時間。

好きなお菓子の味は? なんて、何でもあなたのことなら気になるんですよ。

たまにはオシャレをしてみたり、でもチャイナドレスは過激すぎたかしら。

あれは私も恥ずかしかったけど、プロデューサーさん、喜んでくれていたんですね。なら、着てよかったです。

 

園児の格好。まあ! そんな風に見えていたのね。……どうしましょう、そんな事ちっとも考えてなかったわ。

将来、子供ができたらあなたに似ていたりして、それともわたし似の子かしら。

あの言葉、実はすごくドキドキして言ったんですよ。プロデューサーさんも同じ想いだったんだなぁ。

 

髪が長い頃のわたし、そういえば切ってしまってから、随分経つわね。少しは伸びてるかしら。

タクシー使用禁止。あの時はプロデューサーさん、すっごく慌ててたわね。ふふふ♪ もう乗りませんよ。

 

ページをめくると、いつもそこには私がいて、みんながいて、それを楽しそうに、そして嬉しそうに眺めるプロデューサーさん、あなたがいた。

懐かしくなる。今まであったことの一つ一つが、つぶらな宝石のように丁寧にこの日記には閉じ込められているんです。それを読むたび、思い出がいくつも美しく甦って、心の内をちいさな灯りで照らしてくれました。

 

あなたが愛しく思っていた日々の中で、必ずわたしのことを見つめている。

それに気付くと声にならない喜びが、わたしの全身を包み込んでくれるようでした。

ページをまためくる。何度も、何度も。

 

……

好きな本の話、ええ!? 大学生のわたしが見たい、ですか? う~ん、恥ずかしいので見せられないです。

デート。観劇をして、お家でくつろいで、ヒザ枕をしたり。

イヌ美ちゃんと遊ぶわたしにヤキモチですか。見ず知らずの女の子を目の前でスカウトされる気持ち、少しは分かったんじゃないですか? なんて♪

 

酔ってしまって、介抱してもらう。うう~、情けないのに、ちょっと嬉しい。

降郷村での散歩。初めてのア~ン、プロデューサーさんの喜ぶ顔が嬉しかったです。坂道は大変でしたね。

赤羽根さん、高木社長、わたし達の交際のことやっぱりバレてたんですね。プロデューサーさんのこと好きだけど、ここまでバレてるのは私がやっぱり分かりやすいのかしら? 律子さんや北斗さん、小鳥さんにも言い当てられちゃったし。

 

おたふく風邪、そんなに私のこと心配してくださったんですね。自分の方が大変なのに。

月がきれい、わたし、本当は意味知ってたんですよ。でも、恥ずかしくて。……あの時のあなたに死んでもいいわ、って答えなくてよかった。

もやし祭、そうですね、あれは私のヤキモチです。貴音ちゃんにもバレてる……筒抜けですね。

 

千早ちゃんのこと、あの時は大変でした。

クリスマス、二人きりの時間は忘れられません。

春香ちゃんの時も、あなたは必死で私たちのために動いていてくれたんですね。

そして、ニューイヤーライブ。

本番前、前日で日付は止まっている。

 

ページの最後に書かれた文字。

アメジストのブローチを喜んで使っているわたしを知ることが出来てよかった。自分のしたことが無駄じゃないと分かって嬉しい。

 

その文字を指でなぞる。ペンで書かれた文字に切なくなる。

あなたがくれたブローチ、いまでも持ってます。あれは私にとって、一生の宝物ですから。

 

読み進むと、次第に病気への苦悩をこぼす事が増えていくのが分かりました。

あなたがどうして、そう思うようになったのかも。

私が知らなかったことが沢山書いてある。琴美さん、社長達、意識喪失、寿命。

初めに書いた、残す為という目的がいつの間にか、残す事への後悔と悲しみに彩られていっている。

読むたびに痛感させられるあなたの重い覚悟が、今この日記を読んでいるわたしのこころを強く締めつけている。

 

プロデューサーさん、あなたが死に向かって進んでいることが、読んでいて分かります。

治療する術がないことが、有無を言わせずにあなたを深く深く傷つけていくんですね。

わたしはあまりに知らなすぎた。あなたの抱える苦悩について。

今こうして知るほどに、途方もない恐怖を背負いながら深く強くわたしを愛してくれたあなたに、止めどない愛慕が湧いています。注ぎ込まれた愛情が全身の細胞を満たすように、あなたの愛にわたしは守られていました。

それを知るほど、あなたが愛おしくなるんです。

 

 

日記を読むことが、あなたを知ることになった。

あなたを知ることは、あなたの抱えている光と影を同時に見つめることでした。いまは影が濃いです。

そして同時に、求めずにただ与えてくれたあなたからの愛、その光は悲しいほどに大きすぎて。

鮮明に見えるのです。

 

 

日記はいつの間にか、日々を大切に見つめ続けて書いた物から、間近に迫ってくる死の恐怖への逃れがたい叫びを込めるようにびっしりと書かれていました。

気付いていなかったんです、私は。

プロデューサーさん、あなたがきっと日記(ここ)でのみ自分の弱さをさらして、私たちの前ではつよく、いつものままの自分でいようと努めて下さったことを。

それは嬉しい反面、とても辛いです。

 

もし望めるのなら、あなたの苦しみの全ては無理でも、ほんの一部でもいいから背負いたかった。

背負って、あなたの見ているもの、景色をもっと知りたかった。

そうすれば、わたしは前よりももっとあなたを愛せるから……

 

読み終えてからしばらく経って、私は律子さんにプロデューサーさんの日記をお返しした。

なんだか、今なら色んなことが鮮明に見える気がした。

あの日から心を覆っていた靄は晴れて、まっすぐにわたしの気持ちを光輝かせた。

 

   ◇

 

次の日。

 

今日は映画の撮影でした。

いままで中々うまくいかなかったラストカットへ向けて、今日はしっかりと意識を整えてました。

この主役の女性の気持ちが、今なら、よりリアルに感じられる気がするんです。

恋を経験して、原作と台本のふたつの物語を読んで、あの人の日記を読んで。

色んな人に後押ししてもらって、相談に乗ってもらって。

そういったこと全てが、この役を演じることに繋がっている気がしました。

 

撮影位置に着く。皆さんが私を見ています。

緊張と興奮、不安、期待、いろんな想いを感じます。

「――――アクション!!」

その声を聞いて、わたしは「三浦あずさ」から「役」へと意識を切り替えた。

 

ゆっくりと長い坂道をのぼる。空は晴天模様。

心から、あなたとの出来事すべてを思い出している。

今、そこにいないあなたへ、息を深く吸い込んで告げる。

 

『 わたし…………結婚します 』

 

ほんの数秒、言い終えて、少しの静寂。余韻。

遠くを見つめると、彼方には雄大な山々が広がっていました。

私の両目に、この景色が映っている。美しい世界そのものが。

 

「カット! う~ん、いいねぇ、最高だよぉ!」

 

監督さんの合図が響きわたる。意識がまた、三浦あずさに戻ってゆく。

上映時には、このシーンも合成された物になっている。今は目の前にない桜が咲き誇っていて、音楽が流れているのかしら。

そんなことを考えました。

 

「お疲れ様でした、あずさちゃん」

「監督さん、ありがとうございます! お疲れ様でした!」

 

撮影は無事に終わりました。

この後は細かい編集と調整作業なので、私に出来ることは何もありません。

あとは完成を待つだけです。

 

「あずさちゃん、ちょっといいかい?」

「なんでしょう~?」

「あずささん、もし良かったら映画の主題歌の作詞やってみませんかって、監督が」

律子さんが興奮気味にわたしに話す。監督さんもすごく好意的でした。

映画の主題歌を、主演であるわたしが作詞して歌うというのはどうか、と監督さんは言ってました。

以前聴いた君の歌声が、わたしのイメージにぴったりなんだよ、と。

わたしでも、まだお役に立てるんだ。それなら。私はそう思って、

「ぜひ、やらせてください」と答えた。

「おお、ありがとう! それじゃあ、これが音源だから。一ヶ月以内に頼むよ~、その内にお披露目があるからね」

監督さんはそう言って、打ち合わせをしに行かれました。

隣で律子さんも嬉しそうに、今後のスケジュールをメモに取っています。その様子を見ながら、「そうだわ」と思い出してある人の場所へと向かいました。

 

「ちょっと、あずささん!?」

「うふふ、すぐ戻ります」

 

わたしはそのまま、ある人のもとへ歩きました。

その人は撮影現場の片付けを手伝いをしていました。

こちらに気付いた途端、あの爽やかな笑顔を溢してくれます。

 

「やあ、撮影お疲れ様でした。すごくキレイでしたよ」

「北斗さん、私、あなたにお礼を伝えなくちゃって思って」

 

そう言って、私は手に持っていた『隣に』の下巻を北斗さんに手渡す。

 

「ありがとうございました。北斗さんに相談に乗って頂けて、ほんとうによかったです」

「それほどでもないです。でも、すこしでもお役に立てたなら、よかったですよ」

 

「北斗さん、わたし、プロデューサーさんに会いに行きます」

 

「……そうですか。ついに、ですね。ええ、あなたなら、きっと大丈夫です」

微笑みかけながら、北斗さんはわたしに手を差し出す。

その手をにぎり、握手を交しました。

この人には、本当にたくさん教えていただいた。演技も、恋も。

 

わたしは深く頭を下げて、お礼を述べてから、もう一度挨拶をして律子さんのもとへと向かいました。

 

   ◇

 

あれから、プロデューサーさんに別れを告げられてから1週間が経ちました。

その間、あの人からの連絡はまったくありません。

 

はじめて、切なさをも超えた狂おしいほどの想いを、この1週間で知りました。

誰かを想うことが、幸せなだけではない。それが分かった今でも。

わたしはあなたが好きです。

 

プロデューサーさん、わたしは今、あなたにきちんと向き合う覚悟が出来ました。

だから、これから先どんなに苦しくて悲しいことが待っていても、もう逃げも迷いもしません。

あなたへの想いを私は信じて、信じ抜きます。

 

――――

意を決して、玄関の扉をひらく。

言葉にならないほど美しい光が部屋の中に差し込み、すべてを照らし出す。

一歩、外へ踏み出す。

この足は病院へ、あなたの待つ場所へと向かっているんです。




次回のアイドルマスター『俺あず』は!

真美だよ!
この前ね、チョ→長い行列に並んでまでメッチャおいしいって有名な限定ラーメンを食べに亜美といっしょに行ったんだ! そしたら、あともうちょっとの所で売り切れちゃってさ、オウ、ジーザス! って、叫んだYO!
でね、このショックは当分ひきずりそうだから、ああ、明日は「にいちゃん」か「りっちゃん」にイタズラでもしようって思ってたんだ。
でもなんと次の日、テレビのロケでそのラーメン屋にお姫チンと行ったんだよ! いや~ツイてるね、ほんと!
そんなわけで! 見るとハッピーになってついでにラーメンも食べたくなっちゃうアイドルマスター『俺あず』を、


――――お楽しみに!

次回「みんなで、夢を思い出せる方へ。 ~"@" is a nice meaning like crystal~」


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みんなで、夢を思い出せる方へ。

~"@" is a nice meaning like crystal~

どうもです。慧鶴です。
今回からPに視点が戻ります。
動き出すあずささんと時を同じくして、765メンバーズも各々がPと向き合いはじめます。



あずささんと別れてから、数日経った。

彼女からの連絡に対して、俺はいっさい無視をしていた。突き放すのなら、とことんしなければならない。そうでないと、切り裂かれるような想いでした覚悟も、たやすく揺らいでしまいそうだったから。

 

病室はかわらず、静けさと無機質さ、その奥底に横たわる生々しい人間臭さを感じさせた。

時間が過ぎてゆくのを早く感じる。

与えられたものを享受して、なにも生み出さない、

空っぽのような日々が続いた。

 

仕事はできず、他にすることもないので取り留めのない物思いばかりに耽る。

時間が空いたときにお見舞いに来てくれるアイドルたち、事務所のみんながいなければ此処で俺は一人だった。

過ぎ去った出来事ばかりが、いつも。

 

   ~~~

 

その日は珍しく、赤羽根がお見舞いに来た。

ずいぶんと久しぶりな気がして、なんだか懐かしくなる。

いっしょに来た小鳥さんも、ご健在のようだ。

 

「先輩、ボロボロじゃないですか」

「お前こそ、ようやく首のギブスがとれただけで、まだボロボロだろ」

 

……ぷ、アハハ。二人同時に見合わせて笑った。

こんなふうにコイツと軽口を叩くのは、やはりいい。日常を会話の端々から感じるのだ。

まあ、お互いボロボロの病人だから日常も何もないと思うが。

 

「まったくもう。病院抜け出してくるの、大変だったんですからね」

「すみません、音無さん。ありがとうございます」

 

小鳥さんがスネた振りをしている。それに赤羽根が慌てて謝る。そんな一連のやり取りの後、お茶をお淹れしてきますね、といって休憩室に飲み物を取りに行った。その後ろ背中を見送りながら、俺は赤羽根と会話を続けた。

赤羽根はもう少しで車椅子から松葉杖に移行できるようだ。順調に回復しているみたいで良かった。

そう言うと、まあ先輩のいない中、律子に負担がかかってますので俺も急いで復帰しなくちゃと、と言った。

 

頼もしい後輩をもてて俺はすこぶる嬉しいぞ。そういうと、また心にも思ってないことをペラペラと、と言いたげな視線をこちらに向ける。

なんだ、文句でもあるのか。

別に。

なんだよ、急にツンデレを発揮すんなよ、困惑するだろ。

 

そんなことを言い合っている内に、小鳥さんが給湯室から戻ってきた。

温かいお茶を飲んで一服。はあ、美味いわ。こういう時、雪歩が淹れてくれた、事務所で飲むお茶を思い出す。すると、このお茶が少し物寂しげな味に感じられた。

 

「ところで小鳥さん、頼んでたモノ、持ってきてくれましたか?」

「ああ~はい! 持ってきましたよ~、じゃららじゃ~ん、プロデューサーさんの日記帳~!」

「なぜにドラ○もん風に?」

「ノリで?」

 

……この事務員、相変わらずトバしてんなぁ。律子も大変だろうな、アイドルのプロデュースしながらこの荒ぶる緑色の鳥をいつも粛正してるんだから。

リミッターが外れたように、小鳥さんはそれはもう活き活きとしている。

いつか、律子に本気でシメられそうだな……。

 

そんなことを想像しながら、持ってきてもらった日記を受け取る。

そして、パラパラとページをめくってゆく。あの日、病院で余命宣告を受けてから毎日、俺が一日見て、感じ、そして思ったことを書き留め続けたものが、目の前にある。

このノートには、いままでの出来事がほぼすべて書いてあった。

そうして、ページをめくっていくと、あるページではたと止まる。

 

「小鳥さん、質問なんですけど」

「は、はい! なんでしょう?」

「これ、誰かに見せたりしました?」

 

途端、小鳥さんは汗をダラダラ流して、目線を必死に横にそらす。つーか、真横だ。横に車椅子を駐めている赤羽根と見つめ合ってる。

目が語っている。プリーズヘルプミー、と。まさに哀願である。

赤羽根はそれを見て、顔をキリリと引き締めると透きとおるようなイケメンボイスで、

「見せたらしいです、先輩」(キリッ!)と言った。

 

そして次の瞬間、小鳥さんは猛烈なスピードをもって床に座し、流れるような動きで三つ指をつくと深く頭を垂れた。

――――土下座だった。それはもう見事な。

 

「すみません! 実は律子さんとあずささんに中身を見せてしまいやした!」

「……それは何故?」

「へ、へい! あずささんとプロデューサーが別れたと聞きまして、こうしちゃいられねえぜと、不肖このわたくしめ『事務員筆頭役・小鳥の助』が独断専行のもと復縁の手立てをしました……出過ぎた真似でした、でも!」

「小鳥さん、覚悟はできてますか?」

「お、お許しくだせえ、旦那ぁ!」

「誰が旦那だ」

「ピヨォ……」

小鳥の助は、その言葉をさいごに病室から去って行った。ダメだったよ〜、小鳥……と言いながら。

「うわ、あのひと車椅子に乗ってる病人放置して行きやがった」

赤羽根が独りごちた。南無三。

 

……うん、そんなコントは放っておいて。

まさかここまで周りが動いているとは思わなかった。

俺があずささんに別れを告げたことで、この事実を知っていた人達が動いたのか?

あずささんは自分からこんなことを事務所の人に頼んだりはしないだろう。ということは小鳥さんの言っいてる独断専行についてはどうやらホントなんだろうな。

そんなことを考えていると、

 

「先輩はバカですね」

 

ふと、赤羽根がそう言った。

突然のことに驚きながら、俺は赤羽根を見た。

 

「あんな素敵な人をフるなんて。まったく贅沢な人ですよ」

「どういう意味だ、赤羽根」

「先輩、どうしてあずささんに別れようなんて言ったんですか。あの人が病気ぐらいで先輩のこと嫌いになるわけがないでしょう」

 

赤羽根はつよく俺を睨む。こんな目を向けられたのは久しぶりだった。

赤羽根が言いたいことは分かっている。あずささんと別れると言ったのは俺の勝手な決断だ。それを責めているのだ。

でも、それがあずささんの幸せのためになるなら、そう思って俺は決断したのでもある。考えた末の決断だ。

 

俺も赤羽根をにらみ返す。

「そんなこと言われなくても知っている。でも俺はあずささんに悲しんで欲しくない、俺が死んでからも思い悩んで欲しくない。だから別れたんだ」

「それは詭弁ですよ」

「なんだと」

「先輩は傷つけることを怖がっているんじゃない。あなたは傷つけられるのを恐れているだけです」

 

……赤羽根は主張を曲げなかった。

俺はその言い分にカッとなった。そして自覚する。

図星なのだと。

俺はあずささんのためじゃなく、我が身かわいさのために、彼女を振ったのだと。

 

だが、そんなこと、今さら言われてもどうしようもない。もう動き出してしまったものを止めることは出来ないのだから。あずささんを傷つける覚悟も、傷つけられる覚悟もないのは、誰かを好きになった人間全員そうではないのか? ならば、俺の決断もあり得たはずだ。

俺は虚勢を張り続けた。

 

「いや、この決断は俺自身で出したものだ。赤羽根には俺の気持ちは分からないよ」

「分かってないのは先輩です」

 

そう赤羽根が言い返してから、互いに沈黙した。

重たい空気が室内を満たしていた。

 

俺はお茶をすすった。

いくぶん昂ぶっていた気が和らいでいく。

あずささんについて話し合うことはない、落ち着いた後そう言って、俺は赤羽根に背を向けた。

 

「……先輩、自分に素直になってください」

 

背後から赤羽根の声が聞こえた。俺はそれに答えない。

すると、少しして車椅子を動かしたときのフローリングとタイヤの擦れる音がした。

そして、扉が開いて、閉じられる音が病室に響いた。

 

「わかってるよ、あずささんが、そんな人じゃないってことは」

 

俺は日記をまた開いた。

最後のページ、事務所で倒れてから書けていなかった文章の続きに、女性特有の柔らかい字体でこう書かれていた。

 

何があっても、あなたを愛してる。あずさより

 

どうして、諦めてくれないんだろう。

あずささんからのまっすぐな好意が嬉しくて、その反面苦しかった。

こんなに想ってくれている人を傷つけている自分。

そして、この人に傷つけられるかもしれないと、恐れている自分がいる。

 

こんな汚れた想い、気付きたくなかったよ。

 

日記を持つ手が震えた。

お茶は冷めていて、香りがしなかった。

 

   ◇

 

夕方、春香がお見舞いに来てくれた。

扉をコンコンとノックして、静かに部屋に入ってくる。そして、盛大にコケる。

――平らなところでコケるとは、さすが芸人だ。

いつものようにえへへ、と笑顔で起き上がった春香は俺の側に来て小さな紙袋を手渡してきた。

 

「プロデューサーさん、どうぞ!」

俺はそれを受け取りながら、いままでのように春香をイジる。

 

「なあ春香、ニューイヤーライブ、すっごく良かったぞ。みんな笑顔だったな」

「プロデューサーさん……はい! わたしも頑張れたと思います! 沢山の人に来ていただいて」

「天ヶ瀬はなんて?」

「ふぇ! な、なんで冬馬さんの名前が出てくるんですか!?」

「いや春香、あいつと仲良いじゃないか」

 

そ、そうですよね、と春香は動揺しながら、仲は良いですねと言った。

平静を取り繕うとしているのだろうが、いかんせん分かりやすすぎる。これはホの字ですね。

春香はきっとアイツに惹かれているんだろうな。

 

「まあ、俺はいいと思うぞ、天ヶ瀬のこと」

「え、プロデューサーさんもそう思いますか、わたしと一緒ですね……えへへ。でも、私も冬馬さんもアイドルだしそういうのは」

「俺、べつに天ヶ瀬とのこと、そういう意味で言ってないぞ」

「あ。――――! もう、プロデューサーさん!」

「ソウカーハルカハアマガセガー」

「のワの」

 

嵌めましたね! とプンプンしながら春香は俺の肩をぺちぺちと叩く。全然痛くないその手に春香からの気遣いを感じる。前みたいにイジっているこの関係に、すごく落ち着いた。

春香は取り乱しながら、なんでそうやってイジるかな、と唇をとがらせている。

まあ許してくれ、ほとんど条件反射みたいなものだからさ。

 

「まあ春香、天ヶ瀬とのこと、本気なら諦めるなよ」

「プロデューサーさん。ーーはい、わたし、諦めないです、冬馬さんのこと」

そう言って春香はにっこりと笑った。そして、真面目な顔をすると「プロデューサーさんのことも諦めないです」と言った。

春香が口にした言葉に、思わず反応した。

春香は病気について、心配そうに尋ねる。痛くないですか、辛くないですか、ご飯は食べれてますか、ちゃんと寝られてますかと。

俺は問題ないよ、と答える。もう先が長くないだけだと、それだけだと伝える。

 

「わたし、みんなと一緒がいいです。プロデューサーさんの病気のことも、最後まで希望を捨てないで、信じたいんです。なんとかなるって」

「はは、ならないよ。だからもう事務所からは離れようと思うよ」

「じゃあ、どうしてプロデューサーさんはみんなのプロデューサーを今まで続けたんですか? もっと早くに離れられたのに、プロデューサーさんはみんなと一緒にいました。何か理由が……」

「どうしてか、か。そうだな、俺はみんなを見てプロデューサーになったんだ。春香達アイドルに勇気をもらったんだよ。だからプロデューサーとしてみんなをトップアイドルにするまでは続けようと思ったんだ。勇気をもらった恩返しにさ」

 

真摯な答えだと、自分は胸を張れるわけではないが、この想いは本当だった。

春香達のことは、この病室にいる間もずっと気にしている。みんなの活躍を願っている。

きっと誰もが辿り着けるわけではない正解なき目標を目指す彼女たちの諦めない姿に、俺は勇気をもらったんだから。

 

「いいえ、諦めるなって、教えてくれたのはプロデューサーさんです。私のことも、千早ちゃんのことも、みんなそうです」

「俺はそんな大層なことしてないよ」

「きっとみんな言います、プロデューサーさんから諦めないことの大切さを教えてもらったって。だからプロデューサーさんも、諦めないで下さい。最後までみんなで幸せになれる未来を」

 

春香の懇願に近い言葉を聞きながら、それは無理だよと答えた。

どうしようもないのだと、「この世界は善意や思いやりも信頼も、それが全て完璧に果たされて上手くいくほど、甘くはない」と俺は黒井社長から言われた言葉を春香に伝えた。信じ抜くことが出来るのは、未来ある人だけだろうからな。そこに俺はいない。

治療する術が無いって言うのは、そういうことだ。

どうしようもない現実というのは、絶対にあるのだ、避けようのないものとしての死がそれだ。

 

「ハッピーエンドは来ないよ、春香」

「そんなことないです、きっと。ハッピーエンドを待っているだけじゃなくて、みもふたもない努力を重ねたその向こう側に、やっと幸せを掴むためのチケットが手に入るんだと思います」

 

春香は声高くそう言うと、まだ誰も諦めてないです、と俺を見た。

一緒にいることを願い続けるその姿勢こそが春香の魅力なんだろうけど、それは今の俺には眩しすぎる。願おうと求めようと、叶わない事があると知っている今の俺には。

だから、春香の言葉に肯いてやることは出来なかった。

 

その内、「春香はそろそろ仕事に行かないと」と言って、それじゃあプロデューサーさん、また、と言い残して病室を出て行った。華やいでいた部屋が急にさめざめとしてゆくようだった。

春香が出て行ってから、思い出したように受け取った紙袋の中身を見てみた。

中には、キャラメルの箱が入っていた。

そうだ、たしか以前、春香にキャラメルをもらった赤羽根を揶揄して、キャラメルもらえる人は仲間だって俺は言ったんだよな。俺にはくれないのか、って。

そんな、些細なイジリ。

春香はそれを憶えていて。

 

四角いキャラメルを一つ手に取ってみる。頬張るとコクのある甘さが口いっぱいに広がっていく。

仲間か……。

春香からの心遣いに嬉しくなった。春香の諦めないで下さいという言葉が、もう一度リフレインする。

 

助かる方法があるなら、俺だって生きたい。

そして、みんなといっしょに。

 

ふと叶いそうにない夢を思う。けれど分かってる。

夢はすでに覚めたんだ。

助かって、また春香やみんなとの時間を過ごすことなど考えない方がいい。考えたって辛くなるだけだ。

 

 

   ◇

 

夜だった。あずささんが病室にやって来たのは。

あずささんは静かに部屋へと入り、俺の寝ているベッドの横まで来ると、そっと一言呟いた。

「会いたかった」と。

 

ドクン、と。

その一言に心臓が暴れるような痛みを覚えた。

その心の内を見せないように、俺は顔をそむけて、黙っていた。

 

椅子に座る音がした。ゆっくりと腰を引いて座ったのだろう。音は小さい。

そうして、しばらくの間ふたりとも無言でいた。

何も語らず、すぐそばであずささんがいることを敏感に感じていた。

俺は寝返りを打つ。天井を見上げる。そうしていると、視界の端にあずささんが入る。

 

その姿のわずかな影さえ、俺の心を乱した。

俺は何かから逃げるように、こころで思うあれこれをすべて無視し、無感覚になろうと努めた。

 

「プロデューサーさん」

 

張りのある声で、あずささんが俺を呼んだ。

 

「あなたが好きです。だから、待ちます。振り向いてくれるまで」

「――――また来るとはさすがに思ってなかったですよ」

かなり遅れて俺は声を出した。

「プロデューサーさん、わたし」

「ほら、振り向いたじゃないですか。……もう帰って下さい」

 

吐き捨てるよう口にした言葉に、自分があずささんをまた傷つけていることを自覚する。

彼女の想いを踏みにじる行為を続け、そうしてもっと自分を彼女の中から消し去りたかった。

なのに、あずささんは引き下がらない。

俺は驚いた、ここまではっきりと嫌われるような態度を取っているのに何故と。

 

あずささんは俺の顔を見つめ、毅然とした態度で声を出した。

「いいえ、帰らないです。わたしはあなたをぜったいに一人にはしません」

「なんですか。もしかして俺の日記を読んで、それで俺のこと全部解った気になってるんですか? それは、傲慢ですよ。分かるはずがないじゃないですか、これから死ぬ人間の考えてること」

「……確かにあなたのこと、なんでも知っているようなつもりでした。でも、本当につもりだった。わからないです、プロデューサーさんのこと、いまも」

「じゃあ、もう良いじゃないですか」

「でも、わかり合いたい。話をして、一緒に泣いて、わらって、あなたのもっとそばにいたい。だから」

 

いつのまにか、自分もすっかりあずささんと会話をしていた。

そして、話をしている自分もそうだが、特にあずささんの姿に俺は動揺していた。

以前、自分が別れを切り出したときのあの泣いていた様子からは想像できないぐらい、彼女はつよくなっていた。

どんなに無視し、傷つけようと、彼女は変わらずに側にいた。

 

「いい加減にしてくれ。俺はあなたとは生きていけない、一緒にいる意味はないんだよ」

「あります。わたしはあなたに好きになって貰えて、あなたを好きになれて、本当に幸せなんです。それを無意味とは思わないです」

「帰ってくれ」

「いいえ、帰らないです」

「……なら、そこでずっと座っていればいい」

「分かりました。待ちます、ずっと、あなたが振り向いてくれるまで」

 

あずささんは結局、面会終了の時間までずっと病室のベッド脇にある椅子に座っていた。

凛とした、まっすぐな瞳でこちらを見つめながら。

俺のことを離さないと、その視線が静かに宣言していた。

面会終わり、また来ますと、あずささんは告げて看護師に連れられて部屋を出た。

 

これ以上、俺のこころに近づかないで。

あずささんが帰ってから、俺は心揺さぶられた。

怖かった。

また自分がした決断を後悔してしまいそうで。

 

あずささんの優しさに心惹かれていて、でも、それを受け入れてはならない。

そう、固く閉ざすんだ。

あずささんとはもうその内、一緒にはいられなくなるのだから。

分かっているからこそ、突き放したのだから。




次回のアイドルマスター『俺あず』は!

おはようございま~す!
菊地真です、今日はボクの好きなテディベアについて紹介します!
……えへへ、どうですか? フリフリでキャピキャピなんですよ~、目なんかすごくパッチリで、見ているだけで癒やされて。
ね、かわいいでしょう!
ええ!? テディベアを愛でてるボクの方がかわいいって、そんな恥ずかしいですよ。
でも、これって女の子らしさをアピールするチャンスですよね。よ~し、可愛さ120パーセントで予告するぞ~!
きゃっぴぴぴぴ~ん! まこまこりん! みんな~次回もアイドルマスター『俺あず』を見てくれなきゃ、メッですよ♡ 
……フフッ(///)


――――お楽しみに!

次回「希望、約束、そして決断。 ~Why is only time of not comes back so shining?~」


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【番外編】 エピソード0. 君の生まれた日。

『あずささん生誕祭』企画。
どうも、慧鶴です。
唐突な番外編は、あずささんのお誕生日の出来事です。
今回は久しぶりに初期の日記みたいな作風に戻しました。

   ◇

遅ればせながら。
あずささん、誕生日おめでとう!




病院にいる時間が長くなるほど、今までの日々を思い出す。

身体にはわずかな倦怠感だけを感じる。目覚めたてのような、けだるい感覚。

これだけなら、病気を患っているようには思えない。けれど、自分の頭の中に爆弾のような枷を負っているから、ベッドから出ることはほとんどない。

 

そんな時だからこそ、想うのだろう。

新鮮な体験がないからこそ、懐かしいことを。

 

   ◇

 

「あずささん、7月19日、お祭りに行きませんか?」

ふいに声をかけられてビックリしたのか、あずささんは目を点にしていた。

よく考えれば、突然のお誘いだ。それに年頃の男性と女性がふたりきりで特定の場所に行き、いっしょに遊ぶ。そんなこと、もうそれはつまり――――

 

「デート、ですか? プロデューサーさん」

 

あずささんがモジモジしながら、上目遣いにそう問いかける。

あざといわ~、こんなの分かっていてもドキッとしますわ。

俺はゴクリとつばを飲みこんで「直接的にいえば、そうかもしれなくもないと思わないですね」といっていた。

何言ってんだ、俺。テンパるにしても、これはヒドいだろ。

 

「なくもないということは、デートじゃないのかしら。でも、思わないって言ってるから、つまりさっきの意味が逆になって……」

ほら、あずささんもこんがらがってる。

う~んとか、む~んとか唸って、考えている。

「――――あ、やっぱりデートなんですね。う、うわぁ~」(///)

ほっぺを両手で抱えながら照れてるあずささんは、「あらあらまあ~」と左右にフラフラ揺れている。

なんだろう、この可愛い生き物は。あずささんである。俺が担当しているアイドルのあずささんである。紛うことなき三浦あずささん。

俺がプロデューサーになるキッカケをくれたあずささんである。

 

「とにかく、どうですか? お祭り行けそうでしょうか?」

「うふふ、はい! 是非いっしょに!」

「よかった、じゃあ当日はたるき亭の前で待ち合わせしましょう」

「分かりました。じゃあ……楽しみにしてますね」

 

あずささんは嬉しそうに、約束ですと右手の小指を俺の前にさしだす。

その意図を察して、俺は恥ずかしくなりつつも同じように右手の小指を差し出した。

 

「指切りです♪」

「ええ」

 

細く柔らかい指の感触から、ヤケドしてしまいそうな熱を含めた、いろんなものが俺たち二人の指を通して流れていた。その流れに緊張して、心臓がオーバーヒートしてしまいそうなほどバクバクと、鼓動をつよく打ち続けていた。

でも、俺はどうにか冷静でいられた。

自分でも不思議なくらいだ。

 

それは、

「ところで、あずささん」

「はい?」

「俺たちは今、どこにいるんでしょうか?」

「クイズですか? 私こういうのは苦手です~」

「惚けないでください」

「あらあら~」

 

そう、俺とあずささんはいま完全に、迷っていたのだ。

道というレベルではない。本当に未知のレベルに達していた。

なぜって、迷子になったあずささんを偶然発見したものの、いつのまにか俺まで迷って、二人とも自分が今どこにいるのか皆目見当がつかない状況だったからだ。

 

さて、どうしようか。この後のこと。

仕事がなかったのが救いだけど、このまま事務所に戻れないのはマズい。

 

「『迷ってもいいじゃないか、一度きりの人生だもの』ですね」

「あずささん。スケールは壮大ですが、断言します。それは、ただの迷子です、迷子が壮大になっただけです」

 

一体どうすれば帰れるのだろうか……

もうこの際、律子に電話して来てもらうか? きっとアイツなら見つけてくれるはずだ。

なんてったって、りっちゃん。頼れるみんなのアイドル兼プロデューサーの秋月律子さんだぞ。

それでもな、きっとアレが待ってるよな。

 

俺は律子に電話してみた。

プルルル、ガチャ。

『はい、律子です。プロデューサー殿、あずささん見つかりましたか? 帰りが遅いので心配してたんですけど』

「律子、落ち着いて聞いてくれ。緊急事態なんだっ!」

『ど、どうしたんですか! 改まって、まさか事故にでもあったんじゃ』

「ああ、とんでもねえ事故だ。迷った。とんでもなく迷った。もう自力じゃ帰れないから、プリーズ・ファインド・ミー」

『……』

「律子さ~ん、あずさで~す♪ 二人で道に迷っちゃいました~」

「道じゃないですよ、あずささん。人生だもの、ですよ」

「うふふ、そうですね」

『……とにかく二人とも』

「「はい」」

『帰ったらお説教ですからね』

そう、きっと叱られるんだろうなって。

 

その後、律子に見つけてもらった俺とあずささんは事務所に帰ってから、二人で正座をしながら律子の説教を三時間にわたって聞いていた。足がシビれた。

 

   ~~~

 

これが初めて、俺があずささんをデートに誘った瞬間だった。

二人して迷子になって、そんな状況で誘ったのが、俺とあずささんらしいな、と思い出して、つい笑ってしまう。

それでも、デートに誘うのはやっぱり緊張したし、了解をもらえたときは嬉しかった。

そんなデート当日は、本当に大変だったな。

 

   ◇

 

お祭りの縁日の明るい照明や、夏の熱気、沸き立つような熱狂よりも。

目の前に立っているあずささんの藍色地の布に花模様が入った大人っぽい浴衣姿の方が、俺には魅力的に見えた。

何千倍も、何万倍も。

 

……。

こんな飾り立てた言葉じゃダメだな、伝わらない。うん、言い直そう。

 

――――あずささんの浴衣姿、マジで可愛い。

 

とにかく、こんなに綺麗なあずささんと一緒に縁日を歩けることが嬉しかった。

夢みたいで信じられない。

……。

そう、夢であったら良かったのに。

あずささんと俺、二人きりなら最高だったな……

 

「にいちゃんにいちゃん! にいちゃーん!」

「あずさお姉ちゃんとデートかい? うっふっふ~ん、スミスに置けないねえ、にいちゃんも男だね!」

「真美、それを言うならスミに置けないでしょ。それより何より、二人して抜け駆けでお祭りになんて行かせないわよ! どうせならみんなで行くわよ、ゴーゴーよ!」

「うっうー! 伊織ちゃん、私もいっしょに行きたいですー!」

 

そう、たるき亭で待ち合わせをしたのが、やはり失敗だった。

すぐ上に事務所があるのに、どうやってバレずに合流するんだよ。なにより、あずささんが浴衣で事務所に来たら、誰だって注目するだろう。

お祭りだって分かるだろう。

 

「美希~、フラフラしちゃダメだよぉ」

「春香、千早さん、遅いの~! 早くしないと縁日のごはん全部食べきれないの~」

「そもそも、全部食べれるのかしら。炭水化物だらけなのに」

 

冷静なツッコミをしながらも二人についていく千早と、どんどん先に進んで屋台のご飯を食べ続ける美希。そして、それに振り回される春香が前方に。

 

「やりますね、星井美希。ならば私も」

「うわぁ! 貴音食べ過ぎだぞ、そんなに食べたらお店の人も困っちゃうじゃん! なあ、ハム蔵」

「ヂュイ!」

 

美希に次いで縁日のご飯を食べ回る、もとい荒らしまくる貴音を響が呆れ顔で見つめている。

ところで、ハム蔵は何言ってるんだ。しきりにウンウンうなづいているけど。

右側にいる彼女たちと一匹も、見ていて前方の三人組とたいして変わらない。

 

「雪歩、向こうで射的やってるよ」

「ホントだぁ。あ、あの炭鉱員のお人形さん、かわいいですぅ」

「取ってあげるよ!」

そう言って、真は見事な腕前で景品をすぐに落とした。銃を構える真さん、まじで似合いますね。ところで、炭鉱員の人形はそんなにかわいいか?

「ほら、どうぞ」

「ありがとう、真ちゃん!」

 

その様子を見ながら、ああ、もしかしたらこれが正しいデートなのかもしれないと思った。どちらもお似合いのカップルみたいだ。

「フォ―――! マコユキ最高―――――!」

あそこで猛り狂っている事務員さんは放置の方向で。

左側にいるあの集団が、見ていて一番安心しますね(一部例外を除く)。

 

そして、後ろにいる亜美真美、伊織、やよいたちのキッズ達4人組を律子がしっかり保護者として見張っていた。

高木社長はいつものように会社でお留守番です。

 

とにかく、まったくもって二人きりのデートには程遠い、四方を完全に囲まれた状態で縁日を回るのは最高に憂鬱だった。なんでやねん。

せっかくの二人きりのデートが、完全に賑やかしによって台無しになってしまった。

 

「うふふ、とっても賑やかで楽しいですね、プロデューサーさん♪」

「イエス、全員一緒で良かったですね、あずささん」

 

前言撤回。あずささんが楽しそうなら何でもウェルカムです。

それよりあずささん、かき氷のイチゴ味、おいしそうですね。

ん~! と頭を押さえているあずささん。どうやら頭がキーンとしているらしい。テンプレですが、少しだけ心配になる。

でも、すぐ後においしいと微笑むあずささんを見れば、心配はすぐに吹き飛ぶ。

 

「真っ赤になっちゃいました」

そう言って、舌をぺろっと見せる。たしかに赤い。それ以上に、あざとい。

天然だと分かっていても、思わずドキッとした。

 

そんな風に、あずささんと一緒に俺は歩いた。

まわりのアイドルたちも楽しそうにお祭りを満喫しているようだった。

そんな時、またあずささんが迷子になった。

あの状況でどうやって迷子になるのか、もはや才能ではなかろうか。

 

俺は慌てて探しはじめる。メールはない。

電話をかけてみる。数コールした後で出た。

「あずささん、いったい何処にいるんですか?」

『ごめんなさい、プロデューサーさん。ちょっと色々あって、いまは桟橋のすぐ側の~、土手? にいると思います』

「大体わかりました、そこから動かないでくださいね」

そう言って、俺は急いであずささんがいると思われる場所に向かった。

 

十数分後、俺はどうにかあずささんを発見した。

彼女は青草が生えている土手の斜面に腰かけて、たゆたう川面を見つめている。

あずささんに声をかけると彼女は申し訳なさそうに、けれど嬉しそうにこちらを向いた。

 

それから、迷子になった経緯を聞いた。

聞くとあずささん、迷子になっていた子供の親御さんを探してあげていたらしい。なんて優しいんだろう、と言いたいところだが、それで今度は自分が迷ってしまうあずささんも大概である。

まあ、あずさしんらしいっちゃ、らしいよな。

そう言って、二人で顔を見合わせて笑った。

 

その後、俺たちは縁日には戻らずに、ふたりでいっしょに残って土手の斜面に座り続けた。

そうしていた理由は。

パーンと。

瞬間、辺り全体を光の花が照らした。夜の空に大輪の火がその花びらを開いた。

 

次々と打ち上がるその光に、あずささんは見とれていた。

そして、俺はそんなあずささんに見とれていた。

 

「あずささん、誕生日おめでとうございます」

「……プロデューサーさん、やっぱり知ってたんですね」

「ええ、もちろん。担当アイドルの誕生日を知っているのがプロデューサーというものです」

 

そんな軽口を叩きながら、俺はあずささんにプレゼントの人気カフェのクッキーを渡した。彼女が以前、おいしいと言って気に入っていたものだ。

誕生日プレゼントには、ちょっとばかし子供ぽかったかなと思う。

それでも、あずささんは嬉しいですと、おいしそうに食べてくれた。

そうして、二人でゆっくりと花火の光景を見続けていた。

 

ふと。

高校生だろうか、若いカップルが川辺でイチャつき合っていた。

まったく、近頃の若者は積極的だ。

 

……羨ましい。

 

 

 

「俺も……」

「私もプロデューサーさんと同じ年齢だったら、同じ学校で出会って、あんなふうに……」

「え、あずささん。それって」

 

そう聞くと、ボンッと茹でダコのようになって、あずささんはアタフタしていた。

あの、えっと――――と、理由を探して慌ててる。

やっぱりかわいい。

 

そう思いながら、俺はあずささんに伝えた。

「慌てないでください。どうしたんですか、いったい」

「あの、わたしもプロデューサーさんと同い年だったらって、いつも思ってるんです。そうしたら私も、同じ目線に立って、沢山のことを分かり合えるのかしらって。だから」

「大丈夫ですよ、きっと。そんな気がします」

「理由は?」

「ありません」

「……も~! プロデューサーさん、からかわないでください!」

 

プンスカとあずささんは俺の肩をポコポコ叩いた。

まったく痛くない、むしろその姿に萌えるわ。

そう思いながら、しばらくそうして二人きりの時間を楽しんでいた。

 

その後、律子たち事務所のみんなと無事に合流した俺とあずささんは、また全員でいっしょに縁日を最後まで楽しんだ。

そうして、大切な一夏の思い出を残した。

 

そうそう、高木社長には帰りにベビーカステラをみんなで買って帰りました。

大容量、250個です(5組×50個入り一袋)。

 

   ~~~

 

お祭りの終わり、あずささんが嬉しそうに微笑み、今日はありがとうございましたと、ぺこりと頭を下げたのを、俺は笑いながら見送ったんだよな。

また、いっしょにどこか行きましょう。

その一言を残して。

 

それから、みんなで海に行って、あずささんに告白して。

ふたりで沢山、色んな場所に行った。

そうして、彼女の笑顔を見るたびに、これから先もずっとこの笑顔を隣で見守り続けたいなんて、夢ばかりを思い願っていた。

 

あずささんの誕生日。

君の生まれた日に、二人で交わした確かな想いを忘れられない。

愛しく懐かしいことから、俺は目を背けられない。

 

   ◇

 

過去ばかりを想っていて。

あずささんのことをどうしようもなく好きなんだと突きつけられる。

 

病室では、出来ることは限られる。

その結果が、自己嫌悪と他者への愛慕となるのは、本質的にここで生きている者たちが、人間が最後はひとりでいることは出来ないと、一人きりで気付かせられるからかもしれない。

 

あずささん、ついこの前ここで別れてから、君をいつも想ってしまう。

俺が一人きりじゃいられないと、君への愛慕が証明している。

俺はこの「愛」という感情のせいで君が傷つくことを恐れたから、「別れよう」と突き放した。

君へ残すすべての想いで、あずささんを壊さないよう、君からも、君の好意からも離れた。

そのつもりだった。

 

でも。

未練を断ち切ることが、そのままあずささんとの別れなら。

形だけは出来ても、自らの心から完全に消し去るなんてことはもう出来ないぐらいに、あずささんへの愛しさを俺は募らせてしまっていたのだろう。これから何が起きても、俺はあずささんへの想いを消すことはない、出来ない。

 

もしも。

もしも、あずささんも俺と同じなら。

彼女の言うとおり、どんなことがあっても好きでいられるなんて、夢物語のような愛情があるとしたら。

あずささんから俺への気持ちを消し去ることは……。

 

先輩は傷つけることを怖がっているんじゃない。あなたは傷つけられるのを恐れているだけです。

 

そう言った赤羽根は、正しいのかもしれない。

俺のしたことがただの自己満足であり偽善であったなら、本当にあずささんの為になることは何だろうと思った。

それは、一緒にいることだったのかな。

 

……こんな考えに意味はない。

あったとしても、そこに手を届かせる。その勇気が出ない。

俺は目を閉じて、また眠った。




最近になって、しっかりと投稿をすることが出来て嬉しいです。
不定期だろうと、なんだろうと、絶対に完結させたい。
いまはそれだけを目標にゴールへ向けて書いていきます。
なにげに後書きでフザけていないのは初めてだったり(笑)
何だかむず痒いですね。
そんなわけで!
今後もつづくアイドルマスター『俺あず』を、お楽しみ頂けるよう頑張ります。

でも、やっぱりフザけずにはいられません。
と言うわけで。

ハルカ「長いです、『どこの誰だか分からない』さん」
???「春香さん、あなたは思い違いをしている」
ハルカ「ふえ?」
???「俺はこの世界の神です。つまり君をどうするのかは、私の両手に備わっている10本の指にかかっているんだよ」
のワの「」
???「分かったかい?」
ハルカ「はい! 『どこの誰だか分からない』さん! わたし一生ついていきます、一生です!」
765プロのみんな「春香ぇ……」


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希望、約束、そして決断。

~Why is only time of not comes back so shining?~

投稿が遅くなりました。すみません。慧鶴です。

さて、Pの想いとは反対に、積極的に近づいてくるあずささん、765プロの仲間たち。
それは徐々にPの考え方を変えていく……。
そしてもう一人、Pへの好意を示していた女の子が。

(今回かなりシリアス成分がつよいです)



あずささんは仕事の合間に時間をみつけては、いつも俺のもとへお見舞いに来た。

訪ねてくるたび二言三言、仕事や自分のことについてあずささんは俺に声をかける。

けれど俺は絶対になにも言わなかった。

 

「プロデューサーさん」

そう彼女に呼ばれるたびに、全身を優しい熱と突き刺すような冷たさが同時に満たす。

ここで何か言えば、俺はまた彼女といつのまにか会話することになると分かっている。無意識にでも、引き寄せられるように。どうしようもなく。

それを避けようとして、口を閉ざす。

なのに、あずささんが言いたいことも、自分の言いたいことも。

お互いに筒抜けになっているのではないか? そう思えるほど、そばにいるだけで勝手に想像してしまう。

もう手遅れなのだろうというぐらいに、彼女が側にいてくれることが自然に感じられる……。

 

 

 

俺は口をきかない。

あずささんは側にいる。

病室の中、言葉はないはずなのに、大声で自分たちの想いをぶつけ合っているような状況が何日も続いた。

その最中、思うことは隣に座る彼女の幸せだけだった。

 

   ◇

 

ハニー、今日も来たよ。

美希の声が聞こえた。俺は美希のいる方を向いた。

美希がゆっくりと歩み寄ってくる。そして、布団に腰かけて、俺を見つめてくる。

 

「ハニー。ミキのことを見てよ」

「美希、何度来たって同じだよ、俺は美希とは付き合えない」

「や~ん、ハニーの意地悪♪」

 

俺は美希に好きなようにさせていた。でも、俺に触れることと、美希自身を汚す好意は絶対に許さないと伝えた。

美希はそれを律儀に守り、俺の病室に来ては「付き合ってほしい」と口にした。

俺はそれに答えない。そんな時間が何日も続いた。

 

「今日も仕事とかであったこと、いっぱいハニーに話すね」

そう言って、美希は話し始める。せいいっぱいの言葉を尽くして、俺を笑わせようとしているのだろう。

美希の瞳は俺をまっすぐに見る。

そこから、彼女の好意の深さを読み取ることは容易なことだ。

だから、俺はそれとなく無難な相槌を打って、仕事のことについてはアドバイスをしていた。

 

しかし、美希の好意が以前と違っているのは、明確な彼氏彼女の関係性を俺に求めているということから見ても、明らかなことだった。

その要求に応えられないことは、自分がいま病室にいるこの状況によってはっきり証明されている。

それでも、美希がこうして一気に好意を迫ったのには、ある理由があった。

 

「あずさじゃなくて、ミキを見て欲しいの」

 

その小さな掠れ声が俺の耳にこびりつく。

俺はその言葉だけには、身体中の神経を締め上げられたように反応した。

美希が変わった理由である、その人の名前に。

 

   ~~~

 

美希がはじめて病室に来たのは、俺が目覚めてから三日後だった。

イチゴババロアを二つ買ってきていて、それを二人で食べた。

甘さの中にほのかな酸味が混じっている。その味が舌に長く残った。

 

美希はいつものように盛大に甘えてきた。いや、いつもよりも甘える度合いは強かったと思う。

きっと自分が倒れ、病気のことを伝えたことで、不安にさせたに違いなかったから。

俺はそう思って、美希が甘えるのを許していた。

 

「ねえねえハニー、律子にライブ見せてもらったんでしょ。ミキ、どうだった?」

「ああ、キラキラしてた。よくやったな、美希」

「うん!! ミキ頑張ったの、いっぱいいっぱい、ハニーとの約束を守るために我慢したの。だから、ちょっとぐらい甘えてもいいよね」

「……仕方ないな」

「やったの!」

 

そうして、しばらく美希から犬のように甘えられていた間、俺は別のことを考えていた。

先日、自分が別れを告げたあずささんのことだった。

あずささんの泣き顔、その表情が俺に罪悪感を抱かせて、この胸を締めつける。

突き放すことが俺に出来る、彼女を幸せにするための方法であったと信じていても、好きで堪らない人にツラい言葉をぶつけるのは、自分の身を鈍器で殴ることのようだった。

もう二度と、あんな想いはしたくないと思う。でも、最期まで続けなくてはならない。

 

美希が楽しそうに話す側で、俺はそんなことを考えていた。

ボンヤリと現実の中をいて、内省に深く身を委ねていた。

そんな時だった。

 

「ねえハニー、病気、治らないの?」

美希がふと、俺にそう聞いた。躊躇う様子を見せながら、それでも聞かずにはいられなかったように。

「ああ、仕方ないけどな。治せるお医者さんが日本にはいないってさ」

「じゃあ、海外の病院の先生に診てもらえば、ハニーは治るの?」

「ううん、そうじゃないんだ。海外のお医者さんでも治せる人は僅かなんだよ、それにその人達に依頼しても、診てもらうまでに何年もかかる、医療制度も日本のものじゃなく海外のものになるからな、俺の身体はそれに対応して待っていられるほど、保たないんだ」

「ん~、つまり、ハニーは治してもらいたくても、方法がないってこと?」

 

難しいと表情に出しながら、美希はそう聞く。俺がうなづくと、「そうなんだ」と言って、悔しそうな顔を見せた。もしかしたら、医療が万能でないことにショックを受けているのかもしれない。

美希ぐらいの年なら、自分も身の回りの人も健康体であれば、医療について深く知ることはないから仕方ないだろう。

 

「病気のせいで、ハニーとはもう会えないの?」

「そうだな、いずれ。

実際に会ったりはできないだろうな、思い出とかそういう過去の面影でしか、もう会えないかも」

 

病室では声を抑えて話すから、一見すると自分のいる此処が死に絶えた場所のように思える。

でもあまりに清潔で、その中でうごめくように闘病する患者がいることを感じられるから、自然な流れのように生と死について思うようになる。そんな気がする。

 

それを通じて、俺が思い出したのは両親の突然の事故死。あれは飛行機の墜落だった。

その時に覚えた強烈な淋しさと切なさが、残されることへの猛烈な恐怖を俺に植え付けた。

だから俺は、自分が死んでしまうのであれば、自分の一番大切なひとにはそんな想いをして欲しくなかった。

 

「死んで、面影で会っても辛いだけだ、それなら完全に忘れてしまった方がいいんじゃないかな」

「違うの! ミキはハニーを絶対に忘れたくないの!」

「そうか……でも、辛いぞ」

「ううん、会えないことよりも忘れてしまうことの方が、ミキには辛いの」

 

微笑みながら、美希はそう言った。

俺はそうだろうか、と思った。けれど、美希のくれたその言葉は嬉しかった。

あずささん以外が、そうであるならばいい。

俺はそう考えることにした。

彼女にだけは自分を忘れてもらわないと、それが彼女が傷つかないための方法だから。

俺は美希に、ありがとう、と伝えた。すると、美希はとびきりの笑顔で「当たり前なの!」と胸を張った。

 

「じゃあ、俺のこと憶えていてくれるか」

「もちろん大丈夫なの、ハニー。…………だから、あのね……いつまでも憶えてられるように、ハニーから特別なもの、もらいたいな」

「え……」

「好きだよ、ハニー」

 

次の瞬間、顔を真っ赤にして美希がくちびるを差し出した。

目をつむって、口を横に結んでいる。俺のすぐ目の前に美希がいる。

そのまま少しでも、俺が顔を前に出せばお互いの唇が触れあうほどの距離だ。

「ん……」

美希は顔を向けて待っている。緊張と期待が入り交じったような表情で。

 

俺はひどく動揺した。心の底のおどろきを、思わず声に出した。

でも。

 

俺は美希の肩をゆっくり押し離して、顔を背けた。

ぐいっと身体をのけぞらせ、美希と距離を取る。

俺のその行動に美希は、はじめ呆然とした表情を見せた後、顔を伏せた。

 

「美希、ごめん。こういうことは……しちゃいけないと思うんだ。年頃の女の子がさ」

 

精一杯の弁解をしようとして声を出す。しかし、その言葉を聞いた美希はぽそりと呟いた。

「ハニーは、美希のこと好きじゃないの?」

「なあ、美希」

「あずさとは、しなかったの?」

突然出てきたその人の名前に、思わず反応してしまう。

「……何を言ってるんだ」

「トボケないでほしいの! 美希、知ってるんだよ、ハニーがあずさと付き合ってること」

美希は喰うように俺にすがる。その目は涙で揺れている。ポロポロと頬を伝う雫。

俺の目をまっすぐに見つめ、その視線が「どうなの?」と問いかける。逃れようのない言葉に、もう隠し切れないと観念した。美希の叫びに、俺は首を横に振った。

「していないよ、あずささんとも。それより……知ってたのか」

「あの時、ハニーが倒れた時。あずさを見て、そーなのかもって思ってたけど……ホントなんだね、ハニーとあずさは、恋人同士なんだ」

 

顔を覆って、涙を隠そうとするけど、すすり泣きながら辛そうな美希のその様子に、あの人が重なって見える。病室で別れを告げたとき、縋りながら俺を見つめた、あの愛しい人に。

そうして、気付いた。

美希は本当に、ひとりの異性として俺を意識しているということに。

どうして、死ぬ直前になって気付いてしまったんだろうな……。そう思いながら、顔を伏せている美希を見やる。

 

「でも、別れたよ。昨日さ」

「……なんでなの?」

「もう一緒にはいられないから。忘れてもらいたかったんだ、俺のことを」

美希は俺の言葉を聞いて、神妙な顔つきになった。

そして、一呼吸を置いたあと、ゆっくり声を出した。

「――――そっか、じゃあミキにもチャンス、まだあるんだ」

それは、噛みしめられるように、一言一言を出した声だった。

「美希ね、ハニーのこと好きだよ。ハニーと恋人になりたい」

子供だと思っていたのに、いつからそうなったのか。俺があずささんを好きだったこと、それに感づいて、それでも俺を想ってくれるということ。いま、目の前で好意をぶつけていること。

それは、紛れもなく美希自身から俺に向けられた「愛」だと思った。

「ハニーはミキとあずさ、今どっちが好き?」

「……ごめんな、美希。俺は付き合う気はないんだ、もう誰とも」

「いいの、謝んないで。ミキね、これからいっぱいハニーのお見舞いに来るから、ハニーを振り向かせてみせるから。あずさには負けないの、絶対に」

 

そう宣言して、美希はその日、病室を後にしていった。

 

   ~~~

 

俺は結局、あれから美希の告白を何度も断っていた。

あずささんと別れても、誰かと付き合うつもりなんてなかった。

それから、美希が来たときに俺は話しこそすれども、その好意に応えることは決してしなかった。

1日が経って、2日が過ぎて、そうして何日も何日も、会いに来るたび、美希をフリ続けた。

 

1週間が過ぎた頃、病室にあずささんが来た。

彼女からの再びの告白も、俺は相手にしなかった。また突き放した。けれど、あずささんは折れなかった。

そこに彼女自身の変化を垣間見た気がした。

 

その後、美希とあずささんの両方が、頻繁に病室を訪ねてくるようになった。

そして、彼女たちは話をしようとする。俺はその言葉を曖昧な返事で流し、無視した。必要以上に近づけないよう頑なな姿勢で。

 

ただ不思議だったのは。

彼女たち二人が同じタイミングで、俺の入院している病室に来ることはなかったということだ。

あれだけお見舞いによく訪ねる二人が……。

 

   ◇

 

その日は騒がしい来訪者、もといお見舞いの訪問者が来た。

そう、765プロちびっ子軍団。『輝くおデコのIori! トッリクスターMami! 癒やしのエンジェルYayoi! 七色の手練手管Ami!』の合計四人だ。

 

「どこのバンドメンバーの紹介なのよ、それ。第一、誰がデコですってぇ!」

「ツッコミをありがとう伊織、やっぱり伊織がいるとトークが安定するなあ」

「ふ、ふんっ、勘違いしないでよね。別にアンタのためじゃないんだから!」

「いおり~ん、それじゃあプロテン過ぎて空気が甘いYO!」

「きー! なんなのよ、もう!」

「そもそもプロテンじゃくね、テンプレっしょ→!」

「プロテンって、ところてんみたいでなんだか美味しそうですぅ!」

 

そう茶化しながら、訪ねてきた4人が座れるようにベッドのスペースを空けた。

やよいの持ってきてくれたお見舞い品(オレンジジュース)をみんなで飲みながら、たくさんお喋りをした。

相変わらず元気そうな4人を見ていると、口元もほころんだ。

一部、タバスコでイタズラを決行しようとしている双子を除いて。

 

「亜美真美。それはなんだい?」

「も~、にいちゃ~ん、いま言ったら」

「いおりんのジュースに投下できないっしょ!」

「つーかバレてんのよ、アンタ達」

「にょえ~」

 

完膚なきまでに伊織によってシメられている双子を放置して、というか病室で暴れんな、出禁をくらうぞお前ら。そう思いつつ、俺はやよいとお見舞い品のオレンジジュースを飲んでいた。はあ、コクコク喉を鳴らして飲んでるやよいは天使のようです。

ふと気がついたら滅茶苦茶あたまをなで回してました。やよい照れてるし。まあ可愛いからいっか。

 

そうして、伊織の見事なコブラツイストを眺めている内に、4人も次の仕事に向かう時間が来たようだ。

ああ口惜しい、やよいが行っちゃうよぉ。

 

「プロデューサー、またすぐに、いーっぱい一緒にお仕事しましょう!」

「にいちゃんなら、余命宣告なんてヨユーで吹っ飛ばせるYO!」

「戻ってきてよね。真美、まだにいちゃんと遊び足んないんだもん」

 

三人がそう言って病室を出た後、伊織がそうそう、と思い出したように口を開いた。

「あずさ、作詞のお仕事で悩んでるみたいなのよ。相談しても答えてくれないし」

困ったわよね、頑固になっちゃって、と半ば呆れたような様子で首を振っている伊織に俺も苦笑した。

だが、その口から出てきた女性の名前を聞いて、冷静でいられるはずはなかった。

 

「伊織ちゃ~ん、早くしないと遅れちゃいますぅ」とドアのすき間からやよいが顔を覗かせる。

……天使のひょっこりと飛び出る顔、頂きました。

「分かってるわ、やよい。すぐ行くわよ。……ねぇあんた、あずさと付き合ってるんでしょ」

「知ってたのか?」

「まあね、この伊織ちゃんだもの、って言いたいけど違うわ、あずさの持ってるブローチの話を最近聞いて、ピンときただけよ」

「そうか。でも、もう別れたよ、俺とあずささんは」

そう言うと、ハア!? と驚いた様子で俺の顔を伊織が凝視した。

「あんた……筋金入りのバカだったのね、まったく。まあアイドルが恋愛してるのもどうかとは思うけど」

やれやれといった様子で、伊織は頭を抱えている。

「まあ、そんなことはこの際いいわ。――――体は良くないんでしょ、あんた」

「ああ、でもそれがどうした?」

「ホントに鈍いんだから。あずさのこと、責任持って最期まで決着つけなさいよねってこと」

 

……。

俺の決断に、そしてあずささんの行動、その両方に対して理解に苦しむと、伊織は苦言を呈した。

そして、あずささんについて、彼女なりの意見を俺に突きつけた。

ひどく真っ直ぐなその一言は、無造作に俺の心の中に踏み入ってきて、はげしく暴れ回った。

 

出て行った伊織の後ろ姿に、決着のつけ方について聞いてみたかった。

でも、きっと無意味な行為に思えるから止めておいた。

伊織にはたぶん、そんなの自分と相手で納得させるしかないってことでしょ、ぐらいのことか、もしくは自分で考えることね、と言われるのだと思ったからだ。

 

「決着か」

 

誰に対しての決着なんだろうな。

事務所のみんなからの言葉には、糾弾や救済の意志がそれぞれに感じ取れた。

ある人にはそれが黒であり、またある人には白である。

答えなど永久に出せないような問いが、あずささんとの別れを決断してからずっと続いている。

つのってゆく感情に折り合いをつけることが、果たして俺は本当に出来るのだろうかと不安になった。

 

   ◇

 

午後に真と雪歩、それに千早が一緒にお見舞いに来てくれたのは意外だった。

千早がこんなにも事務所のみんなと打ち解けているのは、見ていて素直に嬉しい。

いままで、千早が必要以上に人と関わろうとしなかった所から変わっているのは、この765プロで過ごした時間が影響しているのだろうな。

 

「プロデューサー、体調はどうですか?」

真が心配げに俺を覗きこむ。俺は両腕に力こぶをつくり、とっても元気ですとアピールする。

それが空元気だとしても、彼女たちを少しでも安心させてやれるなら、いくらでも俺は。

「プロデューサー、ティーパックで淹れたんですけど、おいしい緑茶ですぅ。はい、どうぞ」

雪歩が病室いる人数分のお茶を淹れてきてくれた。

一口すすると、温かな味わいが溶けて口内を刺激した。久しぶりに雪歩の淹れてくれたお茶を飲んだが、やっぱりこれが落ち着くな。

「ああ、おいしいよ。ありがとう雪歩」

「えへへ」

雪歩は嬉しそうに微笑む。男性が苦手だった彼女が俺の前で自然な笑顔を見せてくれる姿には、雪歩自身の成長とお互いのあいだに出来た信頼が感じられた。

これだけ彼ら自身が変わっていった、その過程の中に自分が少しでも携われていたのなら、それは意味があったのだと言えるかもしれない。そう思った。

 

「三人とも、来てくれてありがとうな」

「そんな、ありがとうなんて! いつもプロデューサーにお世話になってるんだから、当たり前のことですよ!」

 

真の快活な声に、思わず熱が胸元までこみ上げた。

いままで、当たり前のようにそこにあると思っていたものが、いざ久しぶりにこうしてハッキリと確認できたことに切なくなった。いよいよ、自分は765プロから離れていっているのだと、自覚させられた。

そういった感傷に目を向けず、俺はこの先を考える必要があったから、表向きは冷静でいられた。

 

三人とはそれから、事務所の様子やお仕事について、色々話した。

たまに話が脱線して、あらぬギャグを暴発していたが、まあいつもの765プロの雰囲気に似ているので、それはそれでよかった。

また、話の中で全員が次のステージに向かって進み出したことを、ニューイヤーライブを終えて益々忙しくなった事務所がこれからどうなるのかを、三人が気にしているようにも見えた。

それはきっと、三人とも口には出さないだけで、俺がいなくなった後のことを気にしているのかもしれない。

新しいプロデューサーを雇う話は聞いていないし、このままでは事務所の業務が回らない可能性も考えられるからな。

 

「プロデューサー、ボクたちはどうなるんでしょうか」

「毎日、仕事は増えていくけど、このままでいいのかなって思っちゃって……」

「……なあ、みんな、俺がいなくなっても、みんながいれば765プロは大丈夫だろ。今のみんなはちょっとやそっとじゃ崩れたりしないさ、俺が保証するよ」

「プロデューサー、いなくなるなんて、そんなこと言わないで下さいぃ……」

「真、雪歩、千早。765プロを頼むぞ」

「そんなの、あんまりですよ!」

 

俺が三人に向けてそう言った途端、張り裂けるような声が病室に響いた。立ち上がった真が肩を振るわせて、さっき彼女自身が吐き出した言葉の続きを話す。

納得なんて、してないですよ。

俺がいなくなることを認めたくないと、その両目に堪っている雫が語っていた。

いったい、もう何人のこの表情を見たんだろうと思った。あずささん、美希、真……。

傷つけて、傷つけて、切りがないんだ。

 

「ボクはこれから先もプロデューサーといっしょにっ!――――ッ」

そう言って、つづく言葉を嗚咽に詰まらせた真は、そのまま振り向くと病室を出て行ってしまった。扉の向こうから走る音が聞こえる。靴が床を叩く音。ナースの注意の声の後も、その音は止まずに続いた。出て行った真を心配そうに見つめる雪歩も俺に泣きそうな声を出して……

 

「プロデューサー、いま事務所のみんなで色んなお医者さんに連絡を取ってるんです。わたしたちも出来ることがあるなら最後の最後まで頑張ります。だから、プロデューサーさんも諦めないでください」

 

そう言って、真の後を雪歩は追いけた。

残されたのは、俺と千早だけだった。千早も心配そうに二人の出て行った方を見た後、また元のように俺の方を向いた。追いかけなくていいのか、そう聞くと、わたしもプロデューサーと話があったので、と千早は答えた。

やがて大きく息を吸って、落ち着いた様子を見せた千早は俺に問いかけた。

 

「本当のことを言えないでしょうか?」

 

   ~~~

 

病室にひとり残った千早は俺を見て、一言つぶやいた。

「今なら、本当のことを言えないでしょうか?」と。

本当のこと。

それは一体、何を指しているのか、そう聞き返すと「美希のことです」と千早は言った。

 

「美希がたびたび、この病室に来てプロデューサーと逢っているのは、もうみんな知っています」

「……ああ、そうだな。美希はよく来るよ、仕事の相談や話をしに」

「でも、それだけじゃないですよね」

 

千早の強い語気を感じながら、俺はうなづいた。

そして、千早もやっぱりそうなのか、といった様子で俺を見た。

美希が以前から好意を示しているのは、事務所内でもよくあったことだ。だから、それが意味するところを気付かないはずはなかった。まして、これまで以上に積極的に病室に訪ねる美希のすることは――

 

「美希からの告白、プロデューサーはどうして受け入れないんですか。あんなの、美希が可哀想です」

「美希が決めたことだよ、それに、受け入れられると思うか? もうすぐ死んでしまう人間が」

「でも……」

 

千早の困ったような顔。どうしても、俺の態度が許せないみたいだ。

当然だろう。女の子の純粋な好意に対して俺は応えるわけでもなく、ただ放置しているようなものだから。

それでも決めたことを、決めたこととして遂行するしか出来ない。だから、近づいてきても、一定のラインからその内側へは絶対に踏み込ませることはできないのだ。踏み込ませないように、突き放したのだ。

美希の好意は、届くはずがないものだった。

 

……。

俺も自分の言っている態度の意味が、答えなんて誰にも出せないものであると分かっていた。

人をどうしようもなく想ってしまうのは、仕方がないことだ。自身でも抑えきれない、この恐ろしく生々しい感情を、いやと言うほど狭い病室のベッドの上で経験しているんだ。

離れてしまうとか、いなくなるとか、そんなことは関係なく、誰かを強く想い始めたその瞬間から、もう雁字搦めにされてしまっているのが、この感情の本質だ。

もっとも遠い位置にある無関心に、今さら戻れるものではないのだ。

 

「千早、美希が俺にいくら好意を示してくれていても、俺は怖くて堪らないんだよ」

千早の座っている方を向き、ゆっくりと口を開く。

その言葉を、千早は無言で聞いている。

「大切な人間がいなくなること、それが与える恐怖。一緒に居続ける中でその人を大切に思っても、いずれ離れなければならない恐怖。全部、怖いんだ、分かるだろう?」

弟さんを目の前で失った千早に、こんなことを言うべきではないかもしれない。いや、千早だからこそ、きっと言えたのだとも思う。俺と近しい立場にいた彼女だから。

死という永遠の別れが与える「苦しさ」、「切なさ」、「痛み」と、彼女が向きあい続けたこれまでの人生に、どこか共感を覚えたんだろう。

「千早、俺って奴はこんなに弱いんだ。美希のことも、結局俺の弱さが原因だよ」

 

そう言った瞬間、自分は、あずささんのことを思った。

あずささんを突き放したのは、とどのつまり、俺の弱さが原因だったのか、と。それは、すごく嫌だ。

 

……分かっていたけれど、蓋をしたんだ。見ていると、辛くてどうにかなってしまいそうで。

弱さという言葉より優しさのほうが、あずささんを傷つける自分を慰められたから。

あの別れは、自分の弱さを受け入れることを拒否した、俺の独善的な態度のなれの果ての決断だったのか?

 

俺は冷めたお茶を飲みながら、千早にそれがすべてさ、と伝えた。俺が話していることは、千早にも分かっているはずだと思った。死に別れることが、半身をもがれるように苦しいことを。

 

「プロデューサー、わたし、人はもともと弱いんじゃないかって、今は思います」

そう考えていたら、いままで黙って聞いていた千早が声を出した。

「別れるのは、辛くて怖いです。……わたしもプロデューサーからその言葉が聞けて、少し安心しました、プロデューサーも私たちと同じなんですね」

千早は俺を真っ直ぐに見据え、優しい目をした。

 

ある日をさかいに、突然離ればなれになることの辛さを受け止められない。そう言って、何度も何度もこころに蓋をしていた。

それでも、弱くとも前に進めるのは側にいる人が笑ってくれるから。

それは、綺麗事にすぎない。

今そう思っている俺の前で、千早は真っ向からそれを否定したのだ。

 

「立ち上がる勇気を示したのは、プロデューサーです」

「それは、立ち上がるための時間があるからさ。もう無いんだよ、俺にはさ。本当は、もう放っておいてもらった方がいいのかもな。そしたら、誰も」

「ほっとかないです! ……みんな言ってるように、まだ誰も諦めてないです」

 

千早は大きな声を出した。俺が呟いた言葉に被せるように、強く。

その声に驚いて、俺は話すことを一瞬ためらった。

意志の籠もった眼差しに圧倒された。

驚いていた俺に謝った後、千早はまた優しげな声を出し始める。

 

「生きることの勇気は、希望や未来そのものだと思うんです」

「……それが傷つくことでもか、終わってしまうと、未来への希望が無いと分かっていてもか?」

「終わることが分かっているからこそ、大切に出来るんじゃないでしょうか。……あの日、夢を語っていたプロデューサーは、勇気をみんなにくれたんです、夢を目指すための。プロデューサーは、765プロにいなくてはならない人なんです」

「たいそうな褒め言葉だな」

「ええ、尊敬してますので」

 

千早からの素直な言葉と微笑に俺は、それ以上何も言えなくなった。

たしかに、765プロに入った頃はいつもデカい目標ばかりを口にした。引っ張っていくことが、自分の一番の仕事だと信じて。諦めるな、前を向けと。

それが、ここ数日に亘って彼女たちアイドルの口から表現は違えど同じように俺へと返されている。それぞれの答えを持って。

 

諦めない勇気。それこそが765プロにおいて、俺が伝えたこと。

でも、それは昔の自分が言ったもので、今とは違う。諦めざるを得ない状況下に俺はいる。

それでも、彼女たちはいまでも諦めない勇気を信じている。

その期待に応えたくても、もう応えられない自分の身の上が歯がゆい。

板挟みだった。過去と今は違うのに、どうして。

 

「プロデューサー、美希のこと、しっかり決着をつけてください。そうすれば、前に進めるかもしれません」

「……」

 

千早はそう言い残して、それじゃあ、と病室を後にした。

扉のすき間から、俺の方をちらりと見ている千早に、無言で手だけ振った。

千早がペコッと頭を下げた。そして、静かに扉は閉められた。

 

 

……。

765プロのみんなが来るたび、すこしづつ固い決意の底盤が揺らいでいること。それは分かっている。

いま、心の中はぐちゃぐちゃになっていて、沸き立つ感情の整理に自分でも戸惑った。

生きるのを諦めていた自分と、生きるのを諦めたくない自分が、せめぎ合っているこの現状に。

 

生きられるなら、助かる方法があるなら、縋りついてでも試したい、大切な人とまた一緒に生きるために。

喉元まで出かかった、深く深く沈めて、重い鎖をかけて隠し続けていたその最大の願望を、すんでのところで飲みこんだ。

 

でも、本当にあるなら。生きられるという希望が僅かでもあるなら。

この脳にある枷を外す方法が……欲しい。

千早の話を聞いて、そう思わずにはいられない自分が、この病室のベッドの上にいる。それら全てを、否定してやる。

 

   ◇

 

その日の夜。

美希が病室に来た時、俺は浮かない態度を示した。

たしかに体調が優れないという点はあったが、それ以上に先日の千早との会話を引きずっていた。

未練を刺激するようなあの言葉は、いまだ胸の底で息づいている。

 

それに、最後に言い放たれたあの一言が、美希を前にして俺の行動を制限した。

言うべきなのか、言ってどうするのか、それが定まらないからハッキリとした態度が取れず、こうして暗澹とした空気を出していたのだ。

 

「ハニー、なんだか元気がないの」

「あのな、美希。俺は病人だぞ、元気がないのは元々そうじゃないか」

「ちがうの。何て言うか、今日のハニーは迷ってるみたいだな~って感じ」

「……」

 

俺は黙った。病院の外に広がっている市街地の夜景を眺めている美希のその言葉が、そのまま俺の精神状態を表していると思った。

よく見ているんだな、そう感心させられる。自分が曖昧に認識していたものが、ある人にとっては鮮明に見えるのには、対象への想いがある気がした。それは、以前小鳥さんが言った……

 

美希の言葉を聞いて、俺はやっと決断することにした。

いままで閉じ込めてきた想いを、初めて吐露することになる。そう思うと、猛烈な緊張感が身体を襲った。両肩はこわばり、唾をゆっくりと飲みこむ。動悸が速くなる。声先が嗄れる。

けれど、今ここで吐き出さなければ俺は多分、一生この気持ちを口には出せなくなると思い、躊躇いをふりきって声を出した。

俺の迷いの根源を。

 

「――――美希、いま俺がもし、生きたいと思ったら、どう思う?」

俺は美希の答えを待った。答え合わせを避けていた自分に対して、美希が答えてくれるかは分からなかった。

それでも。

「それ、すっごくイイの! ハニーの病気がもし治ったら、病院だけじゃない、もっと色んな場所で会えるの!」

美希は弾けるような笑顔でそう言うと、窓辺から素早い動きで俺が寝ているベッドの隣の椅子に座り、次々と話し出した。あまりに透明な情景のさまざまを。

未来について、したいことについて、それはアイドルではなく一人の少女の、等身大の願いそのものだった。俺はそれを一つ一つ聞きながら、思った。

 

きっと違う。それはあくまで病気からの全快を前提としている。

俺がいったのは、死ぬまでのほんの僅かな時間。爆弾が起爆する瞬間までの短い生き方に関する話だった。

 

「ハニーの助かる方法はどこあるの?」

無邪気な声でそう話しかける美希に、俺は冷たい声で「ちがうよ」と答えた。

「死ぬ瞬間までの生き方さ。目をそらしてきた自分から逃げずに生きるのか、それとも蓋をした自分を貫いて生きるのか。そのどちらを選ぶべきかを悩んでいるんだ」

そう伝えた俺の気持ちに、美希は小首をかしげながら「ん~」と唸る。

「ハニーのいってること、ムズカシくてよく分かんないの」

「そうだよな、うん。俺、何言ってるんだろうな」

「でもね、美希ね。逃げるよりは立ち向かう方がカッコいいと思うな。だって、それがキラキラするってことでしょ」

 

キラキラする。美希がトップアイドルを目指す理由が、そこには示された。

つまりは、彼女の言い放った生き方に対する答えは、夢そのもののことだったのだ。

俺とあの桟橋の上でした約束を、彼女は夢にし、それを指針として生きているんだと思った。

 

夢……。

それはあの日、事務所で倒れるまで見ていた瞬間で、今は覚めたもの。

いつもこの病室でそう思っていた。

だから結局、迷い自体は解決しなかった。

 

「もう少し考えてみるよ」

「うん、ハニーの答え、待ってるからね」

 

そうして、美希が笑う。俺の答えを待つのは、そのまま告白の答えだ。まだ、美希は諦めないのだろう。

いや、元々諦められないから、こうしてお見舞いに何度も顔を見せるのだ。

 

ふと、思った。

いつのまにか、美希と自然に話している。千早の時も、そうだ。

765プロのみんなの前で、奥底に閉ざしていたものが引っ張り上げられていく。

そのほんの僅かな違和感に、頑なだった自分の決意が壊れかけていることを、俺は肌でかすかに感じた。

 

   ◇

 

二日後、あずささんがお見舞いに来たとき、いつものように俺は黙っていた。

あずささんはまた、いつものように話し出す。

そして、俺はまた無視すればいい。そう考えていた。

 

――――あずさ、作詞のお仕事で悩んでるみたいなのよ。相談しても答えてくれないし。

 

ふと、以前病室で伊織の口にした言葉が頭によぎった。

 

「作詞の仕事、難航してるんですか」

そう思った途端、思わず口にしていた。

あずささんは一瞬本当に驚いたような表情を見せた。

そして、恥ずかしそうに俺の顔を見た後に、口もとをゆるめて話し始めた。ええ、歌詞をどうやって考えればいいか悩んでます、と。

彼女はゆっくりと口にした。

あの日、別れてから再び病室に現れて以来、弱い姿を一度たりとも見せなかったあずささんが悩みを打ち明けた。

 

「プロデューサーさん、心配して、下さってるんですか?」

「……仕事の進行を気にしているだけです。迷惑かけるのは良くないですから。別に、あずささんの為ではありません」

「そう、ですか。……手伝っていただけますか?」

 

あずささんは何か言いかけて、すぐ口を閉じて困ったように、同時に嬉しそうに俺を見つめた。

俺はその視線から顔をそらして、とにかく早く歌詞について相談しましょう、と急いで言った。

腹の底の方でふつふつと温かいものが全身に行き渡っている。その理由を知っていても、これは仕事のためだと言い聞かせて、あえて意識しないようにした。

ああ、また同じ。決意が揺らいでいる。そう知っていても、言葉は自然とこぼれてしまうのだから。本当に、厄介だ。

 

「歌詞作りは、大きく分けて2つ。ストーリーに沿って進めるか、自分の感情や想いを言葉にするかです」

あずささんはメモを熱心にとって、俺の話を聞いている。

その実直な行為に、あずささんらしいなと思わず微笑ましくなった。

その緩んだ気持ちをすぐに引き締めて、仕事に関する話だけを進めた。

「何よりも聴いてくれる人に届く言葉であることが大事です、それは――――」

 

それから、俺はあずささんと歌詞について面会の終わる時間まで話した。

仕事だけの話だったとしても、あずささんと会話していることに変わりはなかった。

その事実を知っていてなお、彼女と会話を続けていたことに罪悪感はつのる。

突き放すはずなのに、何故と。

 

けれど、あずささんと久しぶりに口をきけたことが、こんなにも嬉しいと全身が叫んでいるようだった。

そこから目をそらしたくても、どうしても出来なかった。

何にも代えがたい優しい時間を、今だけはあずささんと一緒に過ごすことを、許してほしい。この幸せな瞬間を。

 

 

 

ふと思った。

 

どうして、もう戻ることのない時間だけが、あんなにも輝いているのだろうと。

事務所のみんなやファンの方々、同業界にいる友人でありライバルの人達。彼らと過ごしてきた時間が、いまの自分を慰めている。あずささんとの日々が、いや、先ほどの一瞬の会話でさえ、愛おしい。

なのにどうして、これからやって来る時間には、刺すような残酷さと曖昧な温もりしかないのだろうか?




次回のアイドルマスター『俺あず』は!

萩原雪歩ですぅ。
あの、わたし最近あるシリーズの映画鑑賞にハマっていて、その映画は見ていてとても胸が切なくなって、キラキラした登場人物に感情移入するたびドキドキして、鑑賞後に優しい気持ちになれるっていうか、そんな素敵な映画なんです。
皆さんも是非、見てみてください……って、そういえば映画のタイトルもまだ言ってなかったですよね! ご、ごめんなさい~!
あ、あの、その映画の題名は『仁義なき○○(自主規制)』ですぅ!
え、映画の宣伝じゃなくて、予告をしなさい? ……んああ!
やってしまいました~、こんな私、もう穴掘って埋まっておきますから! みなさん、次回のアイドルマスター『俺あず』も、


――――お楽しみに!

次回「フラジャイルな愛の終着点。 ~Not to reach no matter how much you reach~」


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フラジャイルな愛の終着点。

~Not to reach no matter how much you reach~

――――4年後のある日。

あるトップアイドルの独り言

昔ね、あなたのことを狂おしいほどに想ったの。
その時、わたしはキラキラすることしかその想いを伝える方法を持ってなかった。
届くはずのない想いを自覚したのは、いつだったのか。
今でも、ハッキリと憶えてるよ。







響と貴音が来たのは、あずささんの作詞を手伝った次の日だった。

貴音はいつにも増して肌がツヤツヤしている。一方で響は今にもダウン寸前のボクサーみたいにフラフラしている。

端から見ると、どっちが病人で見舞い客か間違えられそうだ。

 

「響、どうしたんだ。元気がないな」

「なんくるなくなかったさ、プロデューサー。貴音の言ってたマウンテンラーメン、メッチャ多くてさ……うぷ」

「マウンテンラーメン?」

「はい、響と先ほど、プロデューサーのお見舞いに訪ねる前に寄ってきたらぁめん屋でのこと。それは見事な深底20センチの器に溢れんばかりの太麺と具材がこれでもかと乗っており、すぅぷはこってり濃厚ながら爽やかな後味を感じさせる……。久方ぶりにあれ程のらぁめんを食しました」

「器ってただのバケツだぞ、あんなの! ……うっぷぅ!」

 

そろそろ響がヤバいな。顔面蒼白を通り越して泣きっ面になってるわ。

俺は響にトイレの場所を教えて、すぐに行かせる。

とりあえず、響がお見舞いに持ってきてくれたサータアンダギーを食べながら、貴音と二人で待つことにした。

そして、目の前にはものすごい勢いで消えてゆくサータアンダギーの山。30個ぐらいあったのに、もう5個しか残ってねえ。俺まだ一個も食べてないぞ。

「ふう、美味でした」

そう言って、優雅に口元を拭う貴音。

……貴音の胃袋がどうなっているのか、本当に心配になってきた。

今度大食い選手権にでも出してみようぜ、日本記録を樹立するかもしれん。

そんなことを考えていたら、

 

「ところでプロデューサー、お話があります」

貴音が真剣なトーンで声を出した。

「あずさとは、この先どうするのですか」

「まったく……貴音、お前もか」

「はい、すでに別れたことが事実になったとは言え、わたしはその事について今一度プロデューサーのお考えを聞きたいと思っておりましたので」

 

貴音は落ち着きはらっている。

俺はもう聞き飽きたというように、大きな溜め息を吐いた。

 

「貴音は今、どこまで知ってるんだ?」

「プロデューサーが別れを切り出した、というのは。そしてあずさが、あなたと復縁したい、と申していることも。それに、美希のことも」

「ほぼ全部じゃねえか、で、ソースは?」

「それは、とっぷしぃくれっと、です」

「あのなぁ」

 

クスクスと笑いながら、人差し指を立てて唇に当てている貴音を見て、気を張っているのが情けなくなってきた。

貴音はどうしても踏み込めない心の領域が人にはそれぞれあることを知っている。それでも直球で俺に問い尋ねてきたということは、彼女にとっても踏み込まざるをえないことだったのだろう。

第一、俺があずささんに告白した場面を、貴音は見ている。

だからこそ、この現状での俺の行動の真意を読み取ろうとしているのかもしれない。

 

貴音はコホン、と咳払いを一つすると、にこやかな顔をもう一度引き締め、俺に向き直った。

俺は頭の後ろをボリボリと軽く掻いて、気持ちを整えた。

 

「あずささんに悲しんで欲しくない、それで……俺自身、耐えられそうにない」

「それが、別れた目的ですか」

「ああ」

「では、プロデューサーはこの先もあずさを突き放し、美希からの好意にあぐらをかき続けるのですね」

「そうは言っていないさ、ただ……」

「ただ……?」

 

俺は――

口を開き、それを言うことに心臓が痛くなる。

一度口にしてしまえば、二度と消えることはない。ようやく己自身の弱さを認めたと言っても、それが自分の下した決断を覆す理由にはならない。全部分かっていて、それでも俺がいま、目の前の貴音に言ってしまえば、もう取り消すことは出来ない。

 

「ただ俺は――――」

「もどったぞー! いや~、自分ホントにもうダメかもと思ったぞ。でも何とか耐えたぞ!

……どしたのさ、貴音、プロデューサー。なんで自分の顔ばっかり見てるんだ?」

 

言いかけたその瞬間、お手洗いから戻ってきた響が、さっきまでの蒼白な顔から元気いっぱいの表情になって病室に入ってきた。この、お互いに緊張しているときにだ。なんの前触れもなく、唐突に。

もうなんというか、ここまで来ると。

 

「響、空気を読めよ」

「なっ、なにさプロデューサー! 自分急いで戻ってきたのに、ねえ貴音も何か言ってよ!」

「すみません、プロデューサー。響はこの通り、少々子供らしい所がありますので」

「た、貴音!? ふ、ふぐぅ……」

 

あ、響がうなだれている。ノックアウトされたようです。

ほら、俺のサーダアンダギーあげるから泣くなって。そう言って、残っていたサーダアンダギーを響に渡す。

貴音も言い過ぎだったと反省している様子で、帰りに美味しいケーキバイキングのお店に連れて行ってあげると言っている。

 

「うがー! 食べ物で懐柔されるか!」

 

と言いつつも、響、口元がにやけてるぞ。

いや、いまさら隠しても遅いんだが。

あら、また拗ねてるわ。本当にイジリ易すぎてビックリするぜ。

 

「……で、結局何だったのさ。自分に内緒でふたりだけで話しちゃってさ」

 

ようやく、いつもの状態に戻ったところで、俺と貴音に響がそう訊ねた。

 

「そうです、プロデューサー。さあ、話の続きを」

「……」

「プロデューサー、ここで口にしたことがあなたを縛るわけではありません。あなたは、あなた自身をもう一度問い直す、そのために、言葉にする。それでいいのではないでしょうか?」

 

俺が閉口していると、貴音がまた声を出す。

事態があまり飲み込めていない響も、張りつめた空気を読み取ったのか、真剣な眼差しでこちらを見つめている。

向けられたその瞳を見ながら、またいつもの、765プロのみんなといるときに沸き立つ違和感を覚えた。

 

違う、ひとりそう思った。そうじゃないはずだ。

ただ俺は、ふたりからも、誰からも離れただけだ。

行動をした。ただ、それだけ。

俺は何を言えばいいのかが、自分自身よく分かっていないのだ。

 

……奥深く、自らの感情に対して、すでに名前を、言葉を当てはめられなくなっていた。

この数週間、病院に担ぎ込まれてからの期間、なんども問い直していた。その決断を後悔しないために。

その過程で、自分自身もまた、混沌とした想いを抱えることになった。

 

「ただ、俺は何も選べないんだ。ぜんぶ、本当は望むもの全部欲しいんだと思うよ、でも無理だ。それは諦めるしかなくて、どちらかを選べば、ふたりとも傷つけるから、だから俺は……」

 

独白はそこで止まった。つぎの言葉が出てこなかった。

長い沈黙が続いた。貴音は目をつむり、何か考え込んでいるようだった。

そして、

「自分が、綺麗なままでいたい、と」

一言、彼女はそう呟いた。

 

その瞬間、顔から火が出たような猛烈な恥ずかしさといたたまれなさが俺を襲った。

突きつけられたのだ、恥ずかしくなってしまうような、隠し、目をそらし続けた自分自身の真実が。

いま、まさに目の前の銀色の髪を揺らす彼女に、名をつけることを躊躇ってきた俺の感情の正体を教えられたのだ。

責任感の欠片もない、逃避を選んだこの決断、いままでの行為の真の目的を。

それは、自己の正当化。

 

「……そうだ、そうだよな、初めから全部、そうだったんだろう」

俺は自分が情けなくなった。どうしようもなかった。

「あなたのその気持ちは誰もが持っているもの、否定する必要も、落胆する必要もありません。正しさは実に曖昧な物なのですから。ただプロデューサー、生き方を定めたとしても、その目的を認識しているかいないかでは、この先のあなたの行動も大きく違うものになるでしょう」

見かねた貴音は、淡々とそう言い連ねる。

「あなたは、あなた自身で選び取る必要があるのです。あなた自身が本当に果たしたい目的のために、いままでの選択でいいのか、それとも……」

 

最後の言葉を言い残して、貴音はすっと俺の手を取る。そして、微笑みを向ける。

俺はその表情を見ながら、貴音の言葉を反芻してみた。

その時、ふと横から響が俺の肩を叩いた。そちらを向くと、ニッと笑って俺を呼んだ。

 

「ねえプロデューサー、765プロのみんなは好き?」

「ああ、もちろん」

「そっか、へへへ、自分もみんな大好きだぞ。事務所のみんなも、応援してくれるファンも、家族のペットたちや島のみんなも、みーんな好きだぞ」

 

屈託のない笑みで、そう響は告げる。

 

「でもね、好きにもきっと色々あってさ、これだけは譲れないっていう、根っこの部分があるんだよね」

「根っこ、か」

「そうさ。だからプロデューサー、根っこを見つけ出せ! ってことだよ、きっと」

 

響の言葉にうなづく。そうすると、納得した様子で響と貴音は病室を後にした。

最後に、またね! と手を大きく振って。

 

 

 

……根っこ。譲れないもの。俺の本当に果たしたい目的。

状況も、病気も、肩書きも、なにもかも。全て関係なく、俺という人間が一番望んでいること。

 

多くの中から選び取っていく。選ばないことは、うち捨てることで、それは傷つけること。

それでも、分かっていても譲れない目的のために、俺は選び取らなくてはならない。

そうして、何度も何度も問いかけを繰り返す。その内、本当の声のようなものは、ようやく溢れ落ちた。

 

「そうか」

 

俺が初めから最後まで、奥底で蓋をして閉ざしてきた願い。病を理由に拒絶を繰り返してきたそれは、確かにずっと在った。

紛れもない、一つの想い。あの人と出会ったその日、その時から在ったもの……。否定しても、後から後から押し寄せる想い。

 

……結局、俺の望みは初めからそうだったということだ。

 

――生きたい。

 

ただそれだけだ。みんなとまだ、やりたいことが沢山あるのだと心から叫んでいたんだ。

だから逃げずに、最期まで自分の運命に立ち向かってみるべき。

決着をつけるべき。

あずささんと美希、どちらかを俺はきちんと選ぶべきで……それは、もう決まっている。

 

そのためには、諦めないでいるしかなかった。

生きることを諦めない。それは、いままでの決断から180度ひっくりかえる行為だ。

そのための勇気が、ずっと俺には無かった。そうして、あずささんを遠ざけ、現状から逃げだし、ここに至る。

 

ーーーー逃げるよりも、立ち向かう方がいい。

 

「……」

 

重い腰を上げた。

俺はどうしようもない程に無様だ。初めから今まで、ずっと。

それなら無様なりに、足掻き切ってみせよう。

 

響と貴音が出て行った扉の向こうは、沢山の曲がり角や坂道があって、その果てに、765プロの事務所へと繋がっている。

俺はそこで待っている彼女たちに、真正面から向き合いたい。

それは生きることによって果たされるもので。

そのために、もう嘘はつかない。

 

次の日も気持ちは変わらなかった。

まずネットや文献をあさってみた。手当たり次第に情報を求めた。

俺は探し続けた。俺の病気をどうにかする方法を。見つからなくても続けた。足掻くことに意味がある、そう信じて。

 

たまに小鳥さんが顔を見せてくる。アイドルたちはお仕事が立て込んでいるようだった。

ほとんど誰も見舞いに来られない。ただ一人きりの病室で、俺は生きるためのあらゆる手段を探していた。そうすると答えが一向に見つからなくても、不思議に目的がさらに鮮明になっていくようだった。

塞ぎ込み、逃げ回っていた今迄よりも、ずっと。

 

晴れた日だった。穏やかな朝だった。

あれから2日。

その日、久しぶりに美希が病室に来た。

 

   ◇

 

美希はいつものように楽しそうに会話をする。

俺に対する好意を微塵も隠そうとはしない。

俺はこれ以上無いほど優しく、美希の言葉に応えていた。

穏やかな時間はこれまで以上に、生きようという自分の根っこの部分にあたる感情を刺激した。でも、それを自分は否定しない。

 

美希は本当によく笑った。

見惚れる。きっとどんな人間もこの満面の笑みとその表情を見たら、心奪われてしまうに違いないと思える。

魅力的になった少女に、俺も笑顔を向けた。

 

その時、不意に扉をノックする音が聞こえた。

ふたり一緒に視線を扉の方に向けた。やがて、ゆっくりと扉が開いた。

 

   ~~~

 

入ってきたのは高木社長と黒井社長だった。久しぶりに見たふたり一緒の姿に、ひどく驚いた。

黒井社長がそこの間抜けヅラ、はやくお茶菓子を出さないかと、俺を見ていつもの調子で言う。

……相変わらず不遜な態度してるな、この人。まあそういう人だってもう分かってるけどさ。

 

とりあえずお見舞いでもらったモナカを渡すと、なんだかんだ言いつつ食べたようだ。ツンデレかよ。

そう思いながら、どうして今日突然ここに来たのかを二人に聞いた。

すると、黒井社長がやおら立ち上がって、貴様の話だ、といった後、美希を指差した。

 

「……そこの星井美希というアイドルはこの話に余計だ、出て行ってもらおうか」

「な、なんなのなの! 余計って、ミキはハニーのお見舞いで、」

「まあまあ星井君、ここは済まないが席を外してもらえるかい。後でちゃんと説明するから、ね、頼むよ」

 

高木社長が申し訳なさそうにお願いすると、美希は仕方ないなといった様子で、渋々ながら部屋を出ていった。

扉の前で俺に投げキッスをしながら。

またすぐに来るね、と。

 

美希が出ていったのを確認して黒井社長は、蔑むような目を俺に向ける。おい、そんな目を向けられる覚えは無えぞ。

「貴様、あの星井美希に浮気したのか?」

「なにバカなこと言ってるんですか。ったく、それで俺への話というのは?」

「ああ、君の病気に関することなんだがね、我々が方々を駆け回って医者を探し――」

「何を言ってる高木、結局見つからないから、貴様が俺に頼み込んだのだろうが!」

「あっはっは、そうだったな。それで君の病気のことなんだがね、もしかしたら治せるかもしれないんだ」

 

いつもの挨拶を交わすような調子で、高木社長はそう言い放った。

時間が止まった。そう思ってしまったほど、ひどく驚いた。

探しても探しても手掛かりひとつ無かった答えをさらりと提示されたら、驚くのも無理はないだろう。

 

「ほ、本当ですか!?」

「嘘をついてどうする。貴様、信用してないのか」

「いや、でも、俺なりに調べましたが、国内でこの病気を治せる医師はひとりもいなかった。あり得ないですよ……」

「フンッ、だから貴様は三流なのだ。いいか? 千葉の総合病院に研修でアメリカから来たドクターがいるのだ」

「アメリカ、ですか」

「黒井社長からの紹介でね、彼ならもしかしたらと」

 

高木社長は黒井社長の後を引き継ぐかたちで会話を続けた。医療機関連盟に所属している黒井社長の人脈によって得たその情報は、あくまでも非公式のためインターネットには公開されていない。そのアメリカの医師は、スヴェト・サングリアという人で脳外科医のスペシャリストらしい。過去にしたオペはそのほとんどが難病指定であり、驚異的な成功率からゴッドハンドの異名を持つ。

まるで漫画や小説のような話に、俺は聞いていて溜め息が出た。だが、ひとつ引っかかることがあった。

 

「アメリカの医師なら、日本でのオペは医師免許の関係から不可能じゃないんですか?」

 

俺は黒井社長にそう言った。

熱を込めた視線を向ける。曖昧な答えで納得できるほど、俺はすぐに喜んだりは出来なかった。

本当に生きられるのなら。そう思って真剣に聞いていた。

「死人のような、何もかも諦めた気に食わん笑いは無くなったか…」

黒井社長はポツリと声をこぼした。

俺は何のことです? と尋ねる。しかし、済んだ事はどうでもいいと、俺の質問を黒井社長はね除けた。

それから、冷静に先ほどのオペの不都合について答えた。

 

「奴は研修で日本に来ている。名目上、オペは可能だ」

 

その確信に満ちた声に、高木社長が声を挟む。リスクについて、僕に伝えていないと。それが、最も重要な論点になる。

俺の病気に係る手術は、スヴェト氏でも困難を極めるらしく、成功率も30パーセント以上は保証できない。加えて、非公式でのオペになるため、失敗に関わるどのような責任も当方(つまり総合病院側とスヴェト氏)は負わないというものだ。

 

「危険すぎるだろう。君が生きられたはずの残りの時間を賭けてまで、望む価値があると思うかい?」

「高木、それは貴様が決めることではない。病人の奴自身が選ぶことだ」

「しかしだね……」

「しかしもヘチマもない! 奴自身の答えで俺が判断する、そういう約束だったから紹介したのだ。第一、琴美のことも完全に和解したわけではない。貴様がどうしてもと言うから、一肌脱いだに過ぎん!」

 

黒井社長は不満そうに声を漏らす。そして、キッとこちらに視線を向けて、問いかける。

それでどうなんだ、貴様の答えは。

その眼力に押される形になる。だが、唯一絶対の目的がはっきりしているからか、俺は即答できた。

 

「手術、受けたいです。

信じる人と、俺はもう一度生きたい。そのために是非、お願いします」

 

深くお辞儀をし、黒井社長に頼み込んだ。

俺は頭を下げ続けていた。

本当に長い沈黙だった。

やがて、語気の強い言葉が耳に届いた。

 

「1週間で用意してやる。それまで、せいぜい生きていろ」

 

フンと顔を逸らし、それだけ聞ければ充分だと言わんばかりに黒井社長は最後のモナカを食べきると、病室を出ようと席を立った。

 

「勝手に決めてすみません、社長。でも、俺は」

俺は高木社長に謝った。

「……それでこそ、我が765プロのプロデューサーだよ」

振り返った高木社長が俺に手を差し出す。そして、優しく握手を交わし、みんなには私から伝えると言った。

大きくどっしりと落ち着いたその声は、俺をとても安心させてくれる。

高木社長はやれやれと肩をすくませて、黒井社長を追いかけようと席を立つ。

 

病室の扉を引いた時、すぐ正面に美希が立っていた。壁に耳を押し当てるような形になっている。その様子を見るに、きっと立ち聞きしていたのだろう。扉を開けた黒井社長が、舌打ちをする。

黒井社長は美希を見下ろす。美希も黒井社長から目を離さない。

そうして、二人とも睨み合っている。

 

「大人しく待っていろ、星井美希。すぐにケリはつく」

「ヤ、なの」

美希はべー! と舌を出す。

わなわなと肩を怒らせる黒井社長を高木社長がなだめながら、それじゃあねと、俺に手を振った。

俺は会釈だけした。

 

   ◇

 

おずおずと病室に入った美希は、俺の座っているベッドの側へ近づき、上目遣いに尋ねる。

先ほどまで社長たちと議論していたこと。

俺の手術の可能性について。

 

不安げな眼差しを向ける彼女に、何も心配いらないよ、と平坦な声で答える。

それに美希は、ますます疑念を込めた瞳を光らせる。その言葉は本当なのか、と訊いている。

俺の伝えた言葉は、手術における危険性を前に霞んでしまうのだろう。

 

「ハニー、手術受けるの? ミキ知ってるんだよ、この手術が大変だってこと、社長の話聞いてたもん」

「ああ、危険だ。失敗したら次はない、それで終わりだ」

「じゃあ、やっぱり」

「それでも受けるよ、手術」

 

俺の意志はもう決まってしまった。いまさら止めようもない、生きること、未来への渇望が危険性を上回った。

ただそれだけの事実を伝えて、俺は目の前の美希に手術を受けることを明言した。

 

けれど、やはり美希は不安みたいだった。仮に失敗したとき、それは即、死を意味しているから。

過ごせたはずの残り僅かな時間の可能性を捨ててまで受ける価値があるのか、その現実を聞いてしまったことに苦悩しているようだった。

 

無理もない。成功率は30パーセント未満。半分もないのだ。

それに、美希という女の子は、ほんとうに途方もなく心根の優しい少女だから。

止めるべきか、応援すべきか、その判断に迷っているのだろう……

 

「美希、本当にありがとうな」

俺は口を開いた。美希がこちらを向く。

「どうしたの、急に」

「急じゃないさ、いつも思ってる。美希に背中を押してもらっているって」

俺の言葉をただ黙って、美希は聞いている。俺は想いを溢し始める。

「美希に教えてもらったんだ、逃げないで立ち向かうことの方がキラキラ出来るって。だから俺は、逃げない方を選ぶよ、美希の期待を裏切らないために。美希、ありがとうな」

 

伝えられた決意を、美希がどのように受け取ってくれたかは俺には分からない。

だが、逃げないことを決めて、何のために生きるのかを考え直す勇気をくれた美希本人には、この言葉はしっかりと伝わってくれるはずだ。そう信じて、俺は目を伏せる美希を見た。

 

「……ハニーはズルいの」

やがて、美希がゆっくりと、笑いながら言った。

「そんなことを言われたら、止められるはずないの……うん、ミキ祈ってるからね、ハニーの手術が成功すること」

そう言って、美希はクタッと微笑んだ。言いたい心配を飲みこむ、そんな表情で。

「ありがとう美希、頑張るよ」

俺はミキの手を強く握りしめた。固い握手を交わし、約束だ、と言った。

「もちろんなの!」と美希もいつもの屈託のない表情で応えた。

向き合って、自分達の決意に満ちた微笑を見つめ合った。

その時間、俺はあの日の、桟橋の上で美希をトップアイドルにする約束をした瞬間を思い出した。あの時とそっくりな今この瞬間が、鮮明にきらめいて見えるのだ。

 

――――それは、最高に気持ちのいい時間だ。

 

そのまま、おたがいに笑い合っていられたら、どれほどよかったのだろうか。

そう思う笑顔の下で、ふと現状をこのままにしてはいけないことを自分は知っているのだ。

俺は美希に対して、まだ一つやり残したことがある。

それも、今この歓びの最中でしなくてはならない。すべては曖昧なままの状態を認めて、逃げ出してしまった自分の弱さが原因のこと。それに決着をつけねば、俺は本当の意味で目の前の少女と向き合ったことにはならないから。

 

美希に答えを伝えることが、彼女へ最後にすべきことだった。

「美希」

何度も呼んだ、その名前を口にする。静かな寂しさと、自分の非情さを噛みしめて。

 

「ん、なあに、ハニー?」

笑顔でこちらを向く美希の屈託のなさに、罪悪感がつのる。

「俺はあずささんが好きだ。だから……美希とは付き合えない。恋人には、なれない」

淡々と声を出す。一度でも言い淀んでしまっては、次の言葉が吐き出せなくなりそうで。

「ごめんな、美希」

「……なんで、ミキじゃダメなの」

俺の答えに、声尻を細くして美希が言う。先ほどまでの笑顔から一転して、真剣な顔と、辛そうに眉根を寄せる表情。その顔に、胸が痛くなる。けれど、俺はいまそれ以上に美希を傷つけているんだ。

「ミキね、ハニーのこといっぱい知ってるんだよ。あずさと違って、いつでもハニーの側にいられるよ。だって、ハニーはミキのプロデューサーだもん」

「そうだな。でも、ごめん」

「ミキ、ハニーの好きな自分になれるように頑張ったの、たくさん仕事してオシャレして、好きって伝えてたの」

「ありがとな、でも、ごめん」

「ハニーはズルいの! ミキが、ミキの方があずさよりもハニーのこと好きだもん!」

 

必死で想いを訴えている目の前の少女に、「ごめん」としか言えなかった。

傷つけることが分かっていたのに、その居心地の良さと美希からの好意、その優しさに甘えていた自分の愚かさ、惰性のせいだった。

だのに。俺は彼女ではなく、あずささんを好きだと伝えた。

俺のやっていることは、彼女に対する最低の裏切り行為に他ならなかった。

 

「ミキね、ハニーの喜ぶことなら何でもする。約束も守るし、お仕事も頑張る。良い子になって、料理も上手にできるようになるの。だから、ミキを好きって言ってよ、ねえハニー!」

「ごめん」

「ハニーの側にいて、ミキはキラキラできるの。ハニーがいないと、ミキ、キラキラ出来ないよ……」

聴いている人の胸を内側から張り裂きそうな、悲痛な声をこぼす美希の小さな肩が震えている。

どれだけ傷つけても、まだ自分はその失敗を繰り返している。こんな、たった一人の俺を慕ってくれる女の子に傷を負わせている。

だけど、もう綺麗なまではいられなかった。傷つける現実が避けられないところまで来ていた。

「……俺がキラキラ出来るのはさ、隣に……あずささんがいる。そういう瞬間だって気付いたんだ。だから、ごめん」

追い打ちをかけるような言葉を、へばりついてくるような躊躇いさえ無視して吐いた。

美希は、一瞬言葉を止めた。瞳が左右に揺れている。

溢れるように声を出した。

「あずさがいなかったら、ミキのこと見てくれると思って、いつも二人きりになれるように来てた。でも、とっくにハニーは、あずさのことが好き、だったの」

「ああ、そうだ」

「――――敵わないの。ハハ、ハハハ、ハ……ふ、う、ううぅ!」

 

ポロポロと。

それまでこらえていたものが、後から後から噴き出すように彼女の目を濡らした。

こぼれ落ちてゆく涙を、美希は隠さなかった。

俺は美希の涙を拭わないで、黙って彼女を見つめた。

 

その日、最後までミキは泣いていた。

面会終了のアナウンスが鳴るまで、俺はミキの側にいた。本当はいるべきではなかったかもしれない。

だけど、これが俺に出来るほんの少しの罪滅ぼしだった。

 

あずささんと、美希は重ならない。

地球がひっくり返っても、俺はあずささんが一番大切で、それが真実だった。

今日、ひとつの決着をつけた。それは痛くてたまらない行為だった。

美希が帰るその時まで、いっしょにいた。美希を迎えに来た律子にはとても睨まれた。けれど、それだけだった。

 

「殴らないのか」

「してほしいんですか」

「いや、そういう訳じゃないんだが」

「……明日、あずささんが来ます。今度こそ、しっかりしてくださいよ、プロデューサー」

「ああ、分かった。……律子、本当に迷惑かけたな」

「ホントですよ。……はあ、やっと、ですね」

 

それだけ言い残して、律子は病室を出て行った。

 

病室を出るとき、美希が一度だけ俺の方を向いてこう言った。

涙に濡れた双眸で。切なげな笑みで。口を動かし、クセのある聞き慣れたあの甘い声を出して。

 

 

 

 

 

 

「またね、プロデューサー。

バイバイ…………ハニー」

 

 

 

   ◇

 

夜の暗い世界。

月明かりの中、病室の一角、ベッドの上で幾度もした問いかけ。

今日は、それがない。ただ一つ、打ち出した結果がある。

今日、俺は美希を選ばなかった。傷つけた。

 

暗闇に包まれた病室で、息も密かに俺はそう思った。

俺の本当に果たしたい唯一の目的が分かったから、俺はいま迷いなく選択を果たしている。この現状に辿り着いたのは、みんなの存在があったからだ。

 

怖い。それに、辛い。結局俺は死ぬかもしれない。いま抱いている己の感情は、子供のようにビクついている。

それは真実だ。でも、「生」を諦める理由にはならない。

いつもそうだった。俺は弱い人間だ。今度も途中でくじけるかも知れない。でも、挫けない。

果たしたい約束も、願いもここにはある。

生きている意味は、それだけで良い。

 

やれるだけのことをしようと思った。

過去を超えてやる。現状をひっくり返してやる。俺は逃げないぞ、精いっぱい足掻いて、決着をつけるんだ。

暗がりのよく見えない中で、あの時から止まっていた日記に続きを書き残した。

「ありがとう」と。

 

 

 

俺が幸せにしたい人はただ一人。

 

その人の、思い出の中の笑顔がこんなにも愛おしいから。

 

この先何が待ってても、精一杯生きていける気がする。

 

   ◇

 

次の日の夕方だった。

病室に来たあずささんを俺は迎え入れた。

いつもどうやって挨拶していたのか、避けてきたためか思い出せない。うまく彼女と話せない。

そんな動揺を、ゆったりとしたあずささんの口調が吹き飛ばした。

 

「プロデューサーさん、こんばんは」

「……うん。こんばんは、あずささん」

 

俺が笑顔でそう応えると、あずささんは少しだけ驚いた表情を見せる。しかし、すぐに元の表情に戻ると、俺の側に椅子を置いて、腰を下ろした。

 

「手術のこと、聞きました」

少しの息を吐き、俺にそう告げる彼女をまっすぐ見つめた。

「大変な手術になるって、社長さんが」

「すいません、勝手に決めてしまって」

「そんな、プロデューサーさんも色々悩んで決められたんだと思うので……私はただ、あなたの無事を」

「……他のみんなは?」

「みんな、心配してました。でも、プロデューサーさんが決めたことだから、全力で応援しようって」

「そうですか…みんな、ですか」

「はい」

 

固く自分を縛っていた太い縄が解けていくように、思いは自然と言葉になって出て行く。

手術のことはすでにアイドルみんなに知られていた。

包み隠すことなく、ありのままの事実をだ。

だからこそ、きっと美希のように不安にさせるかもしれないと思っていた。でも、やはり彼女たちは強いのだ。

 

踏み出すための勇気を、力強く与えてくれる。

それはいま目の前にいるあずささんも同じだ。

止めることはない。ただ側で支えて、信じて見守る。その凄まじく難しいことを、彼女は毅然としていながらも落ち着いた態度でしていた。

 

「すごいですよ、本当に」

思わず溢した俺の言葉に、あずささんは首をかしげる。

キョトンとした目をこちらに向ける。

「俺、自分が思うよりもみんなのこと分かってませんでした。みんな本当に強い心を持ってる。それは、すごく背中を押してくれるんですね」

「ええ。……でもきっとそれは、私たちとプロデューサーさんが今まで重ねてきたモノがあったからですよね」

 

あずささんの言葉が俺は嬉しくて、思わず笑ってしまった。

諦めた俺を二度も立ち上がらせてくれた彼女たちの存在が、本当に嬉しいのだ。

 

俺はあずささんの顔を見つめた。どこまでも済んだ瞳。優しげな眉。

あの日、たくさん泣かせた彼女の顔を思い出す。なんて、痛いのだろう。痛めつけていたのだろう。

これでもう、自分は彼女から嫌われると疑わなかった。

だけど、あずささんはそれでも俺から離れていかなかった。

 

……決断はした。

生きたいと願うのは、ただ唯一この人の側にいて、悲しみも喜びも分かち合いたいと思ったから。本当の自分の声、それは明確で。

俺は吐き出した息を吸い込み、長く、肺が空になるほど吐き出して言葉を言い始めた。自分がしなくてはいけないことをした。

 

「あずささん、すみませんでした」

「……」

「俺、ずっと酷いことばかりしてました。諦めて、自暴自棄になって、一方的に別れて、それであずささんを傷つけた。何度も、何度も」

 

震えながらも声が出ていた。

 

「……そうですよ。わたしも、すごく悲しかったんですから」

 

あずささんが俺を見つめる。唇を尖らせる。

彼女からのどのような糾弾も、非難も、そのすべて受けても、俺はあずささんにした事を許してもらえるはずがない。

 

「本当にごめん。謝ったって済む事じゃない。でも……やっぱり俺は。あずささん、あなたが好きだ」

想いは止めどなく溢れた。

「もう一度、あなたの運命の人に、俺はなりたい」

強く、語尾まで。一言一言を噛み締めていた。

 

俺の言葉に目を伏せたあずささんは、顔をそらした。

黙り込み、ぎゅっと膝の上で手を握る。

そして、一言。

ごめんなさいと、そう震える声で言った。

 

告白は、断られた。彼女の言葉にそう思った。

鼻の奥が染みた。でも、なんとか耐えた。

俺は無理もないと思った。肩を落として、自業自得だと思った。

悲しいけど、今さら虫の良いことを言っているのは俺だ。振られても仕方がない。辛いけど、自分の責任だ。

 

だが、ここで諦めるのは絶対に嫌だ。

 

俺はこの声がもう二度と出なくてなっても、それでもあずささんに「好きだ」と叫び続ける。そんな想いだった。

情けなくても、男らしくなくても、それでも届けずにはいられなかった。だから、何度でも何度でも何度でも、ずっと。

 

「好きなんだ、誰よりも、あずささんが」

「……」

「これから先、あなたを俺の全てを懸けて幸せにする、いや、したい、必ずしてみせる」

「……」

「もう一度、側にいさせて欲しい」

 

あずささんは表情を見せない。

一言も声を発しない。

窓向こうには夜景が広がっていて、暗闇を湛えるガラスに彼女の背中が映っている。

その背中は、震えている。

 

「ごめんなさい……絶対泣かないって、決めてたのに」

押し黙っていたあずささんは、ようやく口を開いた。

その声は湿っていた。

「私の運命の人は、私自身で決めます」

「あずささん……」

「辛かったけれど、私にあなたがくれた優しさが嘘じゃないって、分かってましたから。だから、あなたを」

「……二度と、一人にしたりしません」

「……プロデューサーさん、私と、約束して下さい。生きて、二人でいっしょに……幸せになるって」

あずささんは、目尻に小さな涙の粒をフルフルと溜めながら、途切れ途切れにそう言った。

 

「……約束します」

 

 

その瞬間だった。

 

俺が力強くうなずいた瞬間、あずささんは我慢していた涙をもう止められないと、堰を切ったようにその目からあふれさせる。

顔をくしゃくしゃに歪めて、唇を震わせる。

そして、イスから立ち上がり、俺の肩へと細い両腕を回した。

わんわんと涙を流すあずささんは、俺の首元に顔を埋める。

俺も彼女を受け止めた。涙も、熱も、声も。

二人で抱きしめ合って、伝えあった。

耐えきれず、俺も泣いてしまう。

そうして、あずささんとともに長い間そのまま泣いた。

 

外で看護師がワゴン車を押す音。空調の回る低いうなり。夜の町の静寂。

周りに広がる音の渦に、俺とあずささんの濡れた声も溶けていた。

 

 

 

「ありがとう、あずささん」

 

昨夜、日記に書き残したものと同じ言葉が、自然と口から出ていた。

赤くなった目元を潤ませる彼女が、ふわりと微笑みを俺に向けてくれる。何か言いたそうで、でも言葉にならない。そのもどかしさに、少し照れるように。

その笑顔がたまらなく可愛くて、ガラス細工に触れるように、もう一度ゆっくり抱きしめた。

 

もう決して離れないように、ゆっくりと、深く根を張るように。

寄りかかることなく、互いに支え合うために。

 

俺とあずささんは、ふたたび彼氏と彼女になった。

 

   ◇

 

手術当日の午前7時。

すがすがしい朝焼けは、胸に巣くっている一抹の不安を優しく包みこんで、落ち着かせてくれた。

顔を洗い、意識をはっきりとさせる。

うん、体調は問題ない、倦怠感もいつもよりはマシだ。

 

あと6時間で麻酔を打たれたら、もう次は手術が終わるまで目は覚めない……。

大丈夫、あずささんも、みんなも待っている。これからの結果に俺は後悔はないはずだから。

長い間抱えていた枷を今日これから外して、次の朝日をもう一度俺は浴びてみせる。

今度こそは、大切なひとの隣から離れることなく。

 

ふと、あずささんに電話してみる。

午前8時、もう起きているかな。

 

……。

『もしもし、プロデューサーさん』

「あずささん、おはようございます」

『おはようございます。あの、今日は13時から手術ですよね』

「ええ、もうあと数時間で」

『遠くから成功を信じています。また笑顔で、あなたに逢うために』

あずささんの慈しみに満ちた声が聞こえる。また、逢うために、か。

とても、あずささんらしいな……迷わないように気をつけないと。

永久に、隣にいるために。

 

「あずささん……この手術が終わったら、結婚しよう」

俺の言葉に彼女は数秒のあいだ沈黙した。

やがて、穏やかな声を届かせてくれる。

『……はい』

「いいんですか、俺で」

『私も、プロデューサーさんが運命の人だと思ってました。いいえ、運命でもない。私の選んだ、運命をともに切り開いていきたいと願う人です。あなたは、私が誰よりも愛している人です』

その言葉に、優しくて温かい何かが満ちるのを感じる。

「……ありがとうございます」

『うふふ♪ こちらこそ』

「じゃあ、行ってきます」

『待っています、ずっと』

 

イヤホン越しに掠れた通話終了の音が響く。俺はケータイ電話をしまう。

もう少しで、手術だ。

可能性は決して高くはない。けど、待っている人がいれば、勇気が出てくるのだ。

 

 ― ― ― ―

 

「準備が出来ました、こちらに来てください。」

 

手術の時間が来たようだ。

手術衣に着替えて、移動ベッドに寝転ぶ。照明や医師の顔が見える。

付き添いに来てくれた高木社長と小鳥さんが、心配そうにこちらを見ている。俺は大丈夫ですよ、と口だけ動かした。そして、手術室へと運ばれた。ドラマで見たような医療器具の数々が置かれている。

執刀医のスヴェト医師が「OK?」とハンドシグナルをするので、ゆっくりとうなずいた。

そして、麻酔を吸引し……意識は薄くなって。

 

1・2・3・4・5・6……

 




次回のアイドルマスター『俺あず』は!

あふぅ、ミキなの。
この前ね、テレビショッピングで絶対にモテまくる魔法のネックレスを売ってたの。それ見ててね、なんか違うな〜って思ったの。
ミキ的には、モテるのも大事だと思うけど、自分の好きなたった一人から「好きだよ」って言ってもらう方が、いいな〜って感じなの。
振り向いてもらえなくても、ずっと、ずっと一番大好きな人を想い続けてる方が恋は素敵で、キラキラするんじゃないかな?
……って、
あれれ、なんだかスタジオのオジサン達みんなが泣いてる。どうしてだろ、よく分からないの。
……まあいっか。
それじゃあ、次回のアイドルマスター『俺あず』も……


――――お楽しみに! 

ミキ、もう眠いから寝るの、おやすみなさい~、あふぅ。

次回「そして、彼女はきらめく坂道へ。 ~On the slope, where you had gone~」


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そして、彼女はきらめく坂道へ。

~On the slope, where you had gone~

隣に…



病室の扉の前、薄暗い明かりが点いた通路で、ひとりの女性がベンチに座っている。

その顔は浮かない様子で。

顔にかかる艶めいた髪に隠れてしまって、その女性の瞳は見えない。

女性――三浦あずさは病室の前に掛かっている名前の表札に目を向けると、またいつものように顔を歪めさせた。

 

あの日、朝方にあの人が電話をくれた日。

プロデューサーの手術は成功した、後は麻酔が切れて目を覚ますのを待つのみ。

そのはずだったのに。

 

「なんで……プロデューサーさん。嘘だよって、言って……」

 

震える声を絞り出すあずささんを、彼女の所属するアイドルユニット『竜宮小町』のプロデューサーである秋月律子は少し離れた場所から、何も言わずにただ見守っていた。

いや、なんと声をかければいいのか分からなかったのだ。

 

――――プロデューサーは手術が終わってから8時間後、突発の痙攣、および発作を起こした。

予想されなかった事態だった。手術の成功を伝えた後で、誰もが安堵し肩を抱いていた、まさにその時だったから。突然の異変に、その場は凍りついていた。

慌ただしく、彼の周りは悲鳴や医師の声であふれていた。

病院側は救急の医療行為に及んだ。彼の身体は集中治療室に担ぎ込まれた。

だが、必死の処置もむなしくその後も意識は回復せず、個室の病室に移動して、そのまま三日が過ぎていた。

 

そこには、結果だけが残っていた。

手術の成功と引き換えに残った現実、『遷延性意識障害』という病名にあたる、重度の昏睡状態。

いまだに目を覚まさないプロデューサーの身体が。

 

あずささんはこの三日間、いつもプロデューサーのいる病室を訪ねた。

仕事も手につかないまま、うなだれる日々を続けていた。

 

家に帰っても、あずささんは虚ろな目をしていた。

そうして数日、病院と自宅のマンションを行き来する生活をしていた。

今日も病院から帰ってきて、呆然と部屋のベッドに横になる。ふとテーブルの側に置いてあった鞄の中から、仕事に関するクリアファイルがはみ出していたのを見つける。

 

緩慢な動きで拾いあげ、取り出す。

『映画用』と書かれた作詞に関する紙だった。

プロデューサーさんと一緒にした、仕事。

あずささんは思い出す。

 

何よりも聴いてくれる人に届く言葉であることが大事です、それは――

――愛する人への言葉です。誰にでも愛する人は、いますから。

 

その不器用で優しい声を想う。途端に鈍く胸が締めつけられる。

プロデューサーに会いたい。目を覚まして欲しい。もしも神様がいるのなら、あの人を返してほしい。

そう願いながら、ゆっくりとこぼれ落ちた涙が紙を濡らすのを彼女はただ見つめている。

 

それはプロデューサーが昏睡状態に陥ってから、初めて流した涙だった。

 

私にはプロデューサーを信じ、愛した日々がある。苦しくて、泣いた日もあったけれど、何もかもを受け入れて、いまはあの人の隣にいる未来を心の底から望む。永遠に、果たされる可能性がゼロであろうとも。

彼女の決意は今、確定された。

 

あずささんは顔を上げた。

そして彼女は、震える手のひらで涙を拭って、作詞のためにテーブルに座って、一心不乱に書き始めた。

 

感情の吐露と、物語に沿うこと。

 

あの人――プロデューサーの教えを頭に浮かべる。次に映画の主役の感情を考える。自分の感情を筆先に託す。

いま好きとは言えなくても、この言葉が届かないとしても、ただあなたに逢いたくて堪らない。そう思いながら、紙とそこに紡がれる言葉を見つめる。

 

流れ出す願いを頼りにあずささんは、ペンを振るい進めた。

 

そして、夜明けとともに作詞した歌は完成した。

カーテン越しのやわらかな朝日に照らされる室内で。

 

『隣に…』

 

それが、歌の題名だった。

 

   ◇

 

3月を迎えた頃だった。

映画『隣に』の公開が始まった。観客の数は日を追うごとに凄まじい勢いで増えていく。

ひとりの女性の、ひたむきな純愛の物語。そう銘打たれた映画は、奇をてらうことなく人間の「強さ」と「弱さ」を真正面から描ききったとして、各所で絶賛を呼んでいた。

主演男優と主演女優の二人、伊集院北斗と三浦あずさは連日、テレビやイベントに引っ張りだことなった。

 

そして、一ヶ月が過ぎた時に彼らは、最大のチャンスを掴んだ。

今日は由緒ある音楽番組、日本で最も栄誉があるとまで言われる「ミュージックホール」に二人で出演することになっていたのだ。

アイドルの二人がどうして? そう聞かれることは、さほど不思議ではないだろう。それほどの衝撃。

しかし、この番組に出られるほどの条件が、映画『隣に』にはあったのだ。

 

何よりも主演女優の三浦あずさが歌う映画の主題歌、『隣に…』が圧倒的感動を映画に生んだ。

彼女自身が作詞し、歌唱したその歌は、その年の音楽シーンの中でもトップレベルの完成度かつ人気を誇ることになるだろう。誰もが聴いた瞬間にそう予感し、それは現実となった。

それは、この歌がオリコンチャートで1位となり、シングルCDの売上枚数が1週目で30万枚を突破したことにより明らかであった。アイドルソングとして異例のモンスター記録を打ち立てたこのヒットソングは、ここにラブバラードの完成形の一つを見る、とまで言われたのだ。

その実績もあり、このたび彼女は主演兼ピアニストの伊集院北斗とともに「ミュージックホール」へと呼ばれたのである。

 

   ~~~

 

あずささんの気持ちは、煌びやかになっていく自分の周りとは正反対に沈んでいく一方だった。

テレビやイベントで向ける笑顔は、心からの笑顔ではある。しかし、唯一欲しいものだけが彼女の側には無かった。

だが、彼女はそれを微塵も感じさせない。アイドルでいることに全身全霊を注いでいる。

なぜか?

それは三浦あずさにとってアイドルを続けていく原動力、その望みを向ける人、ただひとりと交わした、あの初めての約束を果たしたいが為だった。

 

「プロデューサーさん、ここまで来ました。あなたのおかげで、トップアイドルにまた近づいています」

 

ひとり控え室でこぼした呟きを自分の耳で聞いて、気持ちを落ち着かせる。

胸元にゆっくりと手を当てる。トクン、トクン。

青のゆらめき。それは、ちょうど3日前に見たあの光景。

俯いて、目を閉じながら意識を自分の望む方向へ無理やり導く。

湧き上がる悲痛な想いから目を逸らす。

 

意識不明になって早二ヶ月、未だに目を覚まさないプロデューサーのために、彼女は歌っていた。

自分が運命の人だと信じた彼は、いまや俗に「植物人間」と言われる状態だ。

もし、三浦あずさが仮にトップアイドルの高みに到達したとしても、彼女が本来目指した「運命の人に見つけてもらえる程のトップアイドル」という実像に、いまの状況は限りなく遠い。

プロデューサーが目を覚まさない限り、彼女の夢は否応なく空虚感に満ちてしまう。

彼女にとって、プロデューサーこそがその人なのだから。

 

「三浦さん、スタンバイお願いしまーす」

 

物思いに耽る彼女を、番組スタッフの間延びした呼びかけが引き戻す。

顔を上げたあずささんはスタッフの方を向き、笑顔でうなずいた。

その憂いを帯びた微笑にスタッフはドキッとした。思わず頬が赤くなった。

 

「ス、スススタジオで伊集院さんが待ってます、そちらへ行ってくださいっ!」

「まあ、もうそんな時間なんですね。……はい、分かりました、すぐに行きます」

 

彼女は立ち上がる。

控え室を出て、スタジオへと足を運ぶ。

すぐ前方に伊集院北斗が待っている。いつものような笑顔で彼女を迎え入れる。

 

「どうです、落ち着きました?」

「ええ、しっかり。北斗さん、今日はお願いします」

「もちろん☆」

 

彼ら二人はついに舞台に立つ。

主演俳優であるピアニストは、居住まい正した黒いダブルのスーツを。

主演女優であるボーカリストは、紫色のIラインシルエットのドレス。すっきりとした立ち姿は、夜の撮影ホールにおいて一層彼女の存在を引き立たせている。

そして、胸元に添えられたブローチ。それは透きとおる輝きを放つアメジスト。

 

「では、行きましょう」

「はい」

 

ステージ開始まで、あと僅か。

 

   ◇

 

名前を呼ばれ、あずささんと伊集院北斗は番組に登場した。

 

番組の司会進行役を務める、芸能界の大御所と挨拶を交わしている。

この光景を先輩が見たら、きっと泣きそうになるに違いない。

病室のテレビをつけながら、赤羽根Pはそんなことを考えていた。

 

先輩から預かった一本のDVDのディスク。

右手に握ったそれに視線を向ける。白い盤面に油性マジックで『もしもの時のために』と書いてある。

赤羽根Pはそれを辛そうに見つめる。

もう後悔をしないために、そう言って手術前日に渡されたこのディスクの中身を彼はすでに知っている。

 

「俺に何かあったら、お前の判断で事務所のみんなに見せてやってくれ」

「先輩、縁起でも無いこと言わないでくださいよ」

「ははっ、ビビってんのか」

「数週間前まで、ビビってたのは先輩でしょーが」

「やかましいわ!」

 

手渡される際に、先輩の手のひらが震えている事に彼は気付いた。だが、気付いていないフリをした。

思い出すと、なぜという言葉が浮かんできてしまう。あの軽口を叩いていた先輩が、もう二度と目を覚まさないかも知れない。その事実が容易には受け入れられなかった。

 

ちょうど去年の夏だった。

赤羽根Pにとって、先輩である件の男がプロデューサーを始めたと、あの日初めて聞いたときは耳を疑った。しかし同時に、彼は嬉しかった。

やっと自分の憧れの先輩が、進むべき道を見つけたのだから。

さらには、大切な存在である女性が側にいると、とても幸せそうだったから。

 

三浦あずささんは、先輩には勿体ないぐらい素敵な女性だ。

その彼女たちが壁にぶつかったとき、自分が何もできなかったことが赤羽根Pは悔しかった。

病院でめったに動けない自分が情けなく思えて、同時にあずささんとの繋がりを絶とうとした先輩に対し、怒りにも似た悲しみを抱いた。また、あの頃に戻ってしまうのか、と。

人との繋がりを絶ち、他人を憎み、蔑んで、無為に過ごしていたあの頃に……。

 

懸念は、日を追うごとに膨らんでいった。

もうどうにも出来ないのだろうか。

ほとんど赤羽根Pは諦めかけていた。

 

だが。

彼ら二人は自力で、その壁を乗り越えた。

二人は愛を確かめ合い、再び結ばれた。

だから、それが彼は本当に嬉しかった。

 

なのに。

 

もう一度、画面の向こうで笑顔を向けるあずささんを赤羽根Pは見る。

同じだ、あの時の顔と。赤羽根Pはそう心の中で呟く。

 

3日前、自分の判断で事務所のみんなに、預かっていたDVDを見せた。

事務所に車で送迎してもらい松葉杖で向かった彼は、意を決してその映像をプレイヤーで流し始める。椅子に座りながら、アイドルたちの様子に気を配っていた。

それぞれ、思うところがあるのか感想は多種多様だった。

だが。

 

いま、赤羽根Pの脳裏には、あずささんの顔が蘇っている。

 

彼は口を噤む。

その時の、彼女の表情が忘れられない、と。

 

――――大丈夫です。何があっても、私はプロデューサーとの約束を果たします。それだけが、私とあの人をいま、唯一繋いでくれるものだから……。

 

そう呟いたあずささんの表情は、まったくの「無」だった。

笑っていた、しかし何処かぎこちなかった。

顔の筋肉が硬直してしまったように、ピクリとも動かずただ宙の一点を見つめていた。

赤羽根Pはその表情を見た瞬間、猛烈な不安に襲われた。

 

このままでは、いつか三浦あずさという女性は儚く壊れてしまうのではないか、と。

 

見ていられなかった。

あの時、赤羽根Pは唇を噛んだ。

それは今も同じだ。

 

先輩、あなたの最愛の人がこれから歌います。でも、彼女は今にもポッキリ折れてしまいそうだ。先輩なら、何て彼女に声をかけますか? 画面の向こうにいる、あの、一人のアイドルに。

 

司会とのトークを終えたあずさささんは、ついにステージに向かう。

彼女を伊集院北斗がエスコートしていく。

そして、次の瞬間にスポンサーのCMが流れて彼女の姿がTV画面から消えた。

このCMが開けたら、彼女は歌いはじめるのだろう。

 

赤羽根Pは息をついた。

無事に歌いきって欲しい。

それだけを願い、別の病院で今もなお眠り続けている自分の先輩のことを考えた。

 

   ◇

 

765プロの事務所で、固唾を飲んでテレビを囲んでいる一団がある。

春香、千早、雪歩、美希、真、貴音の合計6人のアイドルたち。その彼らの後ろで、事務員の音無小鳥と社長の高木順二郎がワーキングデスクに座りながらテレビの画面を見つめている。

 

番組がCMに入った瞬間、ソファにドサッと体重を預けて真が呻いた。

「あ~、見ているこっちが緊張するよ~。あずささん、大丈夫かなぁ」

「き、きっと大丈夫だよ。あずささんは歌うのすごく上手だし、それに……」

「ええ、雪歩の言う通りです。あずさには、己が運命を切り開ける確かな力があります」

 

声を詰まらせた雪歩の後を継ぐように、貴音は整然と佇んで答える。

その言葉に、誰ひとり返事をせずに頷く。分かっているからだ。貴音の言ったことは、彼女たち全員が思っていることだ。プロデューサーが意識を失ってから二ヶ月、彼女たちは目の前であずさが歌い続ける姿を見てきている。

 

本当は泣き伏したいはずなのに。

三浦あずさという女性は一度も涙を見せなかった。

彼女は765プロの人気アイドルの一人として、精いっぱい仕事に打ち込んでいた。

それが彼女たち他のアイドルにとって与えた影響は大きかったのだ。

 

いま、ここにいないアイドルたちもそうだ。

伊織と亜美は街角ロケの合間を縫って、ワンセグであずささんの出演する「ミュージックホール」を視聴している。

やよい、真美、響の三人は雑誌の巻頭に使う撮影の休憩に入り、控え室にて真美のゲーム機で「ミュージックホール」を見ている。

彼女たちも目を凝らし、あずささんの晴れ舞台を今か今かと待っている。

 

765プロの事務所内で3日前、彼女たち12人のアイドルが見たDVD。

プロデューサーが残したその映像には、それぞれへのエールが、そして彼からの一人一人に向けた願いが流れていた。

全員、見終わってから数分は何も言わなかった。

息を吐くのも苦しい、そう思わせるほど事務所内は重く沈んでいた。

 

長い沈黙の果て。

ようやく口を開いたのは、美希だった。

 

「これ、嘘なの。ハ、……プロデューサーは、死んでないの、絶対に目を覚ますの。

こんなもの、絶対ヤダ!」

 

そう言って、事務所を飛び出した美希は屋上への階段を駆け上がった。

風を一身に浴びた、こぼれそうになる涙を必死でこらえていた。ハニーは、プロデューサーは目を覚ますの。噛み締める声。

そうして、屋上で一人言葉をこぼす彼女。

後から追いかけたアイドルたちと律子、小鳥、高木社長と彼の肩に腕を回して支えてもらう赤羽根P。

彼らは立ち止まって、美希の後ろ背中を見つめた。

 

その時、最初に美希に駆け寄ったのはあずささんだった。

彼女は美希を後ろから抱きしめ、そのまま身体を密着させた。

そして、緩やかに声を出した。

 

「美希ちゃん、私も信じてるわ。あの人が、プロデューサーが目を覚ましてくれることを」

 

あずさ、あの時そう言ってたの。

CMの途中、出し抜けにそう呟いた美希に、いま現在765プロにいた6人と事務員、社長が顔を向ける。

TVを囲んでいる全員は、唐突で脈絡のない美希の声に反応する。

もうすぐ始まる「ミュージックホール」でのあずさの歌唱を前に出てきた、美希の意味深な言葉だ。

 

「びっくりしたぁ。美希、急にどうしたの?」

春香が胸をなで下ろしながら、美希に声をかける。

「全然急じゃないの。……ねえ春香、あずさはきっと最高の歌を歌うよ。間違いないの」

「……そうだね」

 

美希の穏やかな笑みに、春香は頷く。

その二人のやり取りを聞いて、TVを見ていた全員がそれぞれに思いをはせる。きっと、あずささんなら大丈夫だと。

ただ一人、千早を除いて。

 

彼女は幼いときに弟を亡くしたことで、心に深い傷を負った。

それは容易には癒えず、乗り越えた今もまだ胸に切なさを運んで来ているのを千早は自覚していた。

まして、プロデューサーの件からまだ少ししか経ってない。

悲しみは、あずささんにもあるはずだろう。

だから、千早は僅かな不安を拭いきれなかった。

 

もうすぐCMが終わる頃だ。

次の瞬間には、あずさが歌唱するためにタイトルコールがされて、歌が流れ出す。

そう、自然な流れだ。

 

しかし――――

 

「あっ」

 

予感が的中したことに、千早が思わず声を出す。

数秒遅れて、事務所にいた全員の顔に焦りと動揺の表情が浮かび始める。

事務所にいない、各々の現場にいる他のアイドルたちも、慌てて視聴画面に見入っている。

 

ネットのリアルタイムコメントは騒然としていた。

TVで「ミュージックホール」を見ていた日本中の人が、目の前の画面の異常に困惑した。

同番組に一般応募で参加した、スタジオにいる聴衆はどよめいていた。

スタジオの関係者、TV会社社員は対応に追われていた。

司会者が急遽、話を繋いだ。

 

「え~、ちょっとトラブルみたいですねぇ。え~、そうですねぇ、何が起きたのでしょうか」

 

TV画面にテロップが差し込まれる。

”出演者に原因不明の問題が発生したため、少々お待ちください。”

 

女性の側で、グランドピアノの鍵盤に向けて正対し、椅子に腰を下ろしている伊集院北斗は、何と声をかけていいのか分からず、ただ彼女を見つめているだけだった。

 

三浦あずさは、歌えない。

 

舞台の上、ステージの中央、スタンドマイクの正面で座り込んでしまっている。

両の手のひらで顔を覆う。

 

彼女は泣いていた。

 

   ◇

 

いま、秋月律子は舞台袖で、三浦あずさが歌えなくなっている姿を見ている。

 

CM開け5秒前。そう告げる声と同時だった。あずささんは一筋、頬に涙をすぅと溢した。

真顔のまま、大きく見開いた目から、雫が次々に溢れだしていた。だが、あずささんはそれを拭うのでもなく、ストンとその場に座り込んだ。顔を伏せ、その全体を両手で包む。

もはや、映像を止める手立てはなかった。

 

次、

「あ、待っ――」

声は空しく消えた。あずささんの姿はTVに流れた。

 

いま、彼女は歌えなくなっている。

その現実に一瞬のあいだ思考が追いつかなかった律子は10秒ほどかかって、ようやく僅かな冷静さを取り戻した。

そして、すぐさま後悔した。

 

もうすでに、あずささんは精神的に限界だったんだわ。

それでも、必死でアイドルとして歌い、仕事に出ていた。

抱えて、抱えて、抱え込んで遂に決壊してしまうほどに。

うずくまるあずささんは、いつもの落ち着いた大人の女性のような雰囲気から一変し、まるで泣きじゃくる少女みたいに肩を震わせている……。

 

番組スタッフが声を荒げる。

何をしてるんだ、早く三浦さんに歌わせて下さい!

苛々と膝を揺すり、番組の進行を気にする。生放送のためトラブルは露呈してしまい、埋め合わせに奔走する。

何人ものスタッフが裏方で忙しなく動き回る。

「あなたプロデューサーでしょ、何とかしてくれよ!」

その声を聞いても、律子は呆然とステージを見ているしかない。

 

私のミスだ。

プロデューサー、失格だ。

律子はふがいなさに爪を噛んだ。

 

駆けつけて、声をかけたかった。

でも、無理なのだろう。あずささんを立ち上がらせるために、ステージには行けないのだ。

プロデューサーはあそこには立ち入れないのだから。

 

弱り切ったあずささんを見て、律子はたまらなかった。

可哀想でならなかった。

自分の責任、過ちだ。そう思って、息が詰まった。

 

律子は黙って、事態の成り行きを見守るしかなかった。

動き回るスタッフ達の只中で。

狭く、薄暗い、舞台袖で。

 

   ◇

 

北斗は目の前でへたり込む女性アイドルに困惑していた。

さっきまで、普通に挨拶を交わし合っていた人が突然その場に崩れ落ちてしまったのだから。

 

彼はつい先日、彼女の恋人である765プロのプロデューサーが意識不明になったのを、同じアイドルグループ「ジュピター」所属のリーダー天ヶ瀬冬馬から聞いていた。冬馬は、765プロの天海から聞いたと口にした。

 

そう、知っていた。

あずささんに以前、恋愛相談を持ちかけられた彼は真摯に対応して、彼女に僅かばかりの道しるべを見せた。

そして、無事にプロデューサーと復縁できたと嬉しそうに報告してきたあずささんに、北斗は笑って答えた。

 

「良かったですね、本当に」

「うふふ♪ 私いま、と~っても幸せですっ」

 

相好を崩し、そう語った彼女の顔を今も思い出せる。北斗は思った。

そんな彼女のプロデューサーが、最愛の人が倒れたんだ。もう目覚めるかどうかも分からない。それはとてつもなく辛いことのはず。

それでも、彼女は辛そうな態度を一切見せることなく、笑っていた。

 

――――平気なはず、ないじゃないか。

 

北斗は右拳を握った。膝を強く叩いた。

自分のいたらなさが悔しいと。眉をひそめていた。それから沈鬱そうに目を閉じ、痺れの残る右手で無造作に髪をかき上げた。

整えられていたヘアーは、あっという間に崩れて前髪が彼の顔の上にかかった。

 

彼はあずささんに対して、それなりの好意はあった。だが、それは他の女性に向けるものと同じで、何か差をつけてまで向き合うものではなかった。女性はみな慈しみ、愛でるべきエンジェル。彼はいつもそう振る舞っていたし、事実そう考えていた。

しかし、いま彼が三浦あずさという女性に向けるものは決定的に違った。

 

それは、無二の尊敬だった。

彼女の途方もない精神の強さに、彼は感服していた……。

 

 

過去、伊集院北斗には、挫折があった。

ピアノの練習に明け暮れた日々。才能を認められ、練習はさらに過酷さを増した。

そうして、いつかは立派な演奏者になれると。

目指し、信じた目標があった。

 

しかし、目標は眼前で砕け散った。

彼は腕の腱を痛めた。ピアニストを目指すには、致命傷となった。

 

その後、何に対してもあの頃のような激しい熱中はなく、日々を送った。諦めで空いた情熱を埋めるものを探した。

それは、どこにあるのか。いつしか問うことも少なくなった。

ピアノも趣味程度で弾く。今回のピアノ伴奏の件も、話題性を重視した取り計らいだった。それは分かっている。

そんな風に生活は続いていた。

 

だけど。

 

目の前にいるこの女性は乗り越えた。

自分がかつて諦めてしまったものを、この三浦あずさという女性は一つも手放すことなく突き進み、乗り越えた。

それは、伊集院北斗にもう一度、全身全霊でピアノに向き合う時間と機会を与えてくれた。

 

恩があった。

765プロに、何より三浦あずさという女性に。

乗り越えて、乗り越えて、いまこうして彼女はついに進めなくなってしまったみたいだ。

今度は、自分が彼女の背中を押す番だろう。

 

北斗は決意を固め、ゴクリと喉を鳴らした。

ピアノの黒と白の鍵盤に、指をそっと這わせる。

硬くて、それでいて滑らかに温かい感触に、気を引き締める。

 

……傷を乗り越え、自分に出来るベストを、彼女に捧げよう。

 

ポーン。

一音。高く響く。

あずささんは一瞬、ピクリと反応した。北斗はそれを見逃さなかった。

すぐに視線を撮影スタッフに送り、撮ってくれと合図を出す。

困惑するカメラマン達に、それでも視線を飛ばし続ける。

すると、意を決した彼らは撮影用のカメラをステージに向けた。

 

北斗が引いているのは、ある曲の伴奏だった。

一番の歌詞。

目覚めるたび変わらない日々に きみの抜けがら探している。

 

弾いた。ただ、ひたすらに想いを込めて。

北斗の視線に、女性達は目を奪われた。

男性達も、その姿にゾクリとした。

 

彼のいつもの和やかな笑みは消え失せて、髪のすき間から覗く鋭いガラスを想起させる瞳は剣呑な光を湛えている。荒ぶる眼光と対照的に、彼の演奏は弾き進めるごとにどんどん正確無比になってゆく。

まさに、鬼気迫る勢いだった。

北斗は弾く。そのメロディーを。あずささんへと向けた伴奏を。

 

その音が少しずつ、本当にゆっくりと水滴が穴を穿つように、あずささんの体の中へと染み入っていく。

あずささん、歌ってくれ。

祈るように弾き奏でられたピアノは、彼女に届き始める。

 

そして遂に、ゆっくりとあずささんは立ち上がった。

 

   ◇

 

ステージの上で泣いていたあずささんは、その事に気付くまでに時間がかかった。なぜなら、彼女の心ではなく、身体が突然反応したからだ。

突然、自分の身体が座り込んでいて、泣いていたのだ。

 

耐えられない。涙を止められない。

無自覚になろうと努めた感情に、肉体が先に押し潰される。

顔を手のひらで覆った時に、あずささんには暗闇だけが見える。

 

その闇の中央で、少女がある男性の手を握っている。

その男性は眠ったまま目を覚さない。

 

そうして、彼女の瞳は静かにその光景を捉えていた。

番組が始まっても、立ち上がらずにその闇の中にいた。

モノクロームのように、彼女の感情は色褪せていった。

もう、このままで。

そうあずささんが考えた時。

 

ポーン。

ピアノの音が、その闇を温かい光の粒へと変えていく。

驚き、耳を澄ませてみる。

そのピアノは、あの歌を流していた。

 

隣に…

 

聞こえてくる北斗の伴奏に、彼女は気持ちを落ち着かせた。

そして、芽生える想い。

 

歌うんだ。あの人のために。たとえ今、身体が声なき悲鳴をあげて歌うのを拒絶していても、私は力の限りその歌を歌うんだ。

あの約束のために。

あずささんは決意する。

 

肉体を、精神が凌駕した。

彼女は立ち上がる。衆目がいっせいに彼女へと向けられる。

それら全てを知りながら、心はただ一点を捉えているのだ。

 

プロデューサー、私は歌います。

だって、私はアイドルだから。

あずささんはその一言目を発した。

 

『近づいてく冬の足音に 時の早さを感じている』

 

2番から歌は始まった。

スタッフや番組制作側の事前打ち合わせとは、全く違った。だが、誰も気に留めなかった。彼女の歌のみを聴いていた。

 

『嘘だよと笑ってほしい 優しくキスをして』

 

穏やかな曲調は、ぐいぐいとその勢いを高める。

サビに入る前、盛り上がりのための、僅かな静寂にも北斗のピアノが華麗に味を加える。

 

あずさは思った。

プロデューサーさん、最後までキスしてくれなかったな。

切なげな笑みを浮かべ、彼女は大きく息を吸い込む。

そして、歌う。夜空に差す一条の光のように。

 

『遠い彼方へ旅立った 私を一人を置き去りにして』

歌声は高らかに。

その悲しみに満ちたフレーズを、胸に深く突き立てるように。

『そばにいると約束をしたあなたは 嘘つきね』

分かってる。プロデューサーさんは本気でそう信じて、側にいると言ってくれた。だから、この歌の通りにはならない。

それは、願望に過ぎない。

たとえ結果、目を覚まさなくともあの人の愛を憶えてるから。

彼女の澄み渡る歌声は、歌詞の口振りと反対に、ただ愛することの意味を信じていた。

 

ピアノの鍵盤を強く叩く音。

北斗は汗をかきながら壮大なバラードの伴奏を、オーケストラにも負けない迫力で奏でる。

 

『もし神様がいるとしたら あの人を返して』

切に、願う。

『生まれ変わっても君を見つける わずかな願い込めて』

心から、願う。

 

Cメロの独白にも似た歌詞は、あずささん自身の本心だった。

それは彼女の歌に表れた。

聴く人の感情を有無を言わさず激しく揺さぶった。

聴衆は、涙を目尻に溜めていた。

 

あずささんは願った。

 

I wanna see you

会いたい、もう一度だけ……

 

彼女は痛切に、それ以外の望みはないと叫んだ。心の中で歌詞に込めた。それは歌そのものを変質させる。

ついにこのバラードは、絶唱となる。

 

『この坂道をのぼるたびに あなたがすぐ側にいるように』

この長い長いアイドルという夢の旅路の途上。

そこで感じてしまうのは、あなたの存在、温もり。

そして。

あなたへの想い。

わたしの隣にいて。そして、その手で触れてほしい、と。

あずささんは最後のサビに入る。

観衆は涙を耐え切れていない。声にならぬ嗚咽をこぼして、ボロボロと泣いているのみ。号泣する者までいる。

それを冷静に見ながら、北斗は伴奏を続けている。

 

彼の腕はすでに限界だった。

感覚が無くなっていた。だが、彼は気にせずに引いた。

いま、歌い続ける彼女に最後まで、自分の最高の演奏でエールを届けるがため。それだけを頼りに。

 

あずささんは、神がかったパフォーマンスを見せた。

赤羽根は感極まって、病室の布団に顔を埋めていた。

律子は彼女の歌う姿を目に焼き付けようと、舞台袖から視線を向けていた。

響にやよい、真美の3人は食い入るように無言でその映像を見つめる。

伊織と亜美も、声を失って圧巻の歌唱に目を奪われた。

765プロでTVを囲むアイドルたちも、事務員に社長もみな一様に聞き入った。その中で、ポツリと声を出す女の子が一人。

 

「やっぱり、あずさには敵わないの」

 

苦笑して、美希は抑えきれない想いから静かに泣いた。

三浦あずさというアイドルの歌は、聴く者すべてを巻き込み、等しく圧倒的な感動を与えた。

最上級の感動を。

 

『そばにいると約束をしたあなたは――――』

最後のフレーズ。音程は上がりに上がり、急な坂道を聴く者にイメージさせる。その急坂を、魂にまで刻まれる愛を込めて、語尾は突き抜ける。まるで目の前に、美しい桜の咲く丘の景色が浮かぶように。

広がるブルーに、散り散りに降る桜の花弁が色を添えて、その穏やかな朝と昼の境界の光に満ち溢れた風景を。

二人並び歩き続けるあの坂道を。

その記憶を声に託して。

 

まさに、すべてを捧げるような歌唱だ。

目尻に溢れる雫。

いつまでも。

本当にいつまでも聞いていたい。そう思わせる。

けれどそれは、終わってしまう。

 

――――嘘つきだね。

 

その言葉だけ。

優しく慈愛を込めて。

囁きかけるように。

最後の言葉を、あずささんは濡れた声にして紡ぎ出した。

 

……プロデューサーさん、あの誓いを。

あずささんは声に出さず、アウトロの最中で思い浸る。

……嘘になんか、しないですよね。

彼女の涙は照明の輝きに当たって、頬に残る涙の跡筋はキラキラと光っている。

その姿は、言葉を失うほどの美しさだ。

 

名残惜しげに、ピアノのアウトロも終わる。

ピンッと、最後の高い一音がステージに響き、それから静謐が満ちた。

 

北斗はフラフラと立ち上がる。そして、あずささんの横に立つ。

二人は何も言わず、ただ一礼した。

頭を下げた。

瞬間。

割れんばかりの拍手だった。頭上から聞こえてくる盛大な拍手に、あずささんは耳を傾けた。そして、胸元に着けていたアメジストのブローチを強く握りしめた。

確かめるように。

最愛の人、いまこの瞬間を自分に与えてくれた運命の人に感謝と願いを。

その想いをブローチに刻み込むように……。

 

   ◇

 

後に。

この日の「ミュージックホール」で行われたステージについて。

三浦あずさの歌唱と、伊集院北斗の演奏。

二人のアイドルのたった一夜限りのパフォーマンス。

それは音楽・芸能界における一つの伝説となった。

 

   ◇

 

その日、ひとりの女性アイドルの、ひたむきな愛を願う歌声とその姿は、日本中を駆け巡った。

トップアイドルへの長く熾烈な研鑽の道のりの、その最前線に、その一団へと彼女はついに辿り着いた。その足を踏み入れた。

 

トップアイドルになる。

その資格を得たのだ。

 




次回のアイドルマスター『俺あず』は!

ハルカ「天海春香です!
幾多の日々を乗り越えて私たち765プロは、ついに新たなるステージへ行きます。ほらほら、何ゆっくりしてるんですか!
次のステージにも、もちろんあなたの力が必要なんですから。
私たちの活躍、見逃さないでくださいね!」
作者「春香、次はお前の出番ないぞ」
ハルカ「……またまた〜、もうその手は効かないですよ(笑)」アハハ
作者「ギャグじゃねえよ。本当に無いんだってば」 
ハルカ「……マジですか」
作者「うん」
ハルカ「ななななんでですか! 私だって本編のシリアス具合に合わせて空気を読んで、ギャグを極力抑えて予告に来たのに、どうしてそんな風にいじめるんですか! 横暴だ! 圧迫面接だ!」
作者「春香のくせに空気を読むなよ、調子狂うわ」
のワの「」
作者「お疲れ様です」
ハルカ「……ソンナバカナ」
作者「それじゃあ、次回のアイドルマスター『俺あず』を」


――――お楽しみに!

ハルカ「春香さんのこともよろしく!」


                 第3章(完)


次回「変わってしまった世界。 ~The greatest time was here, and gone~」


※本作品はフィクションの都合により、一部事実を大きく変更した点があります。ご了承下さいませ。


***********************


Next Time ; THE IDOL M@STAR "Ore *Azu"

――――this story goes to the final stage......


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終章.俺のあずささんが可愛すぎて死にそうなんだが(四年後にして君を愛して。)
変わってしまった世界。


~The greatest time was here, and gone~

お久しぶりです。慧鶴です。
本当にお待たせしました。ようやく終章です。
リアルに忙殺されてなかなか執筆できなかったのですが、最近時間ができたので投稿再開です。読んでくださる皆さまに感謝。


- - リスタート - -

 

『RRRRRRRR』

「お待たせいたしました。こちら765プロダクションになります」

 

昼間の765プロの事務所。たるき亭のあるビル、その二階フロアの一室。

書類の山と、ひっきりなしにかかってくる電話対応に追われる一人の女性の姿がそこにある。

彼女がいましていることは、アイドルの仕事の調整や取り付けに関わる業務。

いわば、プロデューサーの仕事だ。

その女性は、栗色の長い髪を後ろで束ねている。先程かかってきた電話に出て、通話の内容を手もとのメモ帳に速記している。

 

「はい、分かりました。企画、および取材の件についてはうちの高木と相談のうえで、あらためてご報告差し上げますので。はい、ではよろしくお願いいたします。失礼いたします」

 

通話を終えた彼女は、受話器をもとに戻した。

かしこまっていた身体の力を抜き、一度おおきく伸びをする。

 

「ん~~」

 

後ろへと反り返り、カチコチになった背中を解す。

その顔を上から覗きこむように、声を出す人がひとり。

「おつかれさま。いつも悪いわね、伊織」

「いいのよ、律子。人手なんて、いくらあっても足りないんだから」

「そうね、忙しさは日に日に増してくし」

 

差し出されたオレンジジュースを飲みながら、こっくりとその女性、伊織はうなずく。

そして、机の上に置いてあった一枚の書類を持ち上げて律子に手渡した。さっきまで電話対応をしながら書き付けていたものだ。

メガネをクイと持ち上げ、受け取った書類に律子は目を通す。

左から右へ、上から下へ。順序よく整理されたメモの内容を読み取りながら、律子の目は少しずつどこか遠くを見つめるような、懐かしむような色になっていった。

 

「そうだったわね。……あれからもう4年、経ってるんだものね」

「あの年のニューイヤーライブの成功から4年、いまだ快進撃をつづける765プロの全貌に迫る。――なんて、TV局主催の振り返り企画なんだけど。ねえ、律子。この仕事、受けるの?」

「それは、最終的なところは社長にきいてみないと分からないけど」

「4年で振り返るなんて、オリンピックかなにかかしら?」

「はいはい、そんなこと言ってないで。ほら、ひさしぶりの全員が参加できる企画なんだし。なんだかんだ言っても、みんなが揃うっていうのは嬉しくない?」

 

律子の言葉に伊織はそうね、と微笑んだ。気を許した、穏やかな笑みで。

 

「みんなが集まるのなんて、ほんとに1年ぶりぐらいじゃないの」

「ええ、もし実現したら、すごく楽しみだわ」

「実際のところ律子はともかく、いま何をしているのかはっきりしてるのは9人しかいないけど」

「だいじょうぶ、その辺は追々わたしが連絡取るから」

 

慣れた手つきで高木社長へ向けた報告書をまとめつつ、律子は伊織と雑談を続ける。

雑談にしては声の調子がいくぶん朗らかだ。いつものアイドル業務に関わる連絡や世間話以上に、そこには個人的な感情が含まれている気がしてならない。

 

今回の仕事、『765プロALL STARSの軌跡(仮称)』とはそういうものなのだろう。

 

そもそもの企画はTV局のものだが、彼ら二人にとって、それ以上に765プロを大切に想う人たちにとって、その歩みを振り返っていくこの企画は、特別にならざるをえない。

 

それは、765プロにいた一人の男がいなくなったから。

 

――4年だ。

プロデューサーの意識がなくなってから、もう4年が過ぎた。

いまもまだ、彼はあずささんとの約束を果たさず、病院の一室で眠り続けている。

たくさんの人を待たせながら。

 

     ◇

 

side. 水瀬伊織

 

わたしにしては、今日はいつにも増して話し込んでしまったわ。

まったく、律子もあんなに懐かしそうな顔をしてたし……。

あれからもう4年、仕方ないと言えばそうかもしれないわね。

 

「恐れ入りますが伊織お嬢様、本日はなにか良いことでもございましたか」

帰りしな、送迎の車中で執事の新堂に尋ねられた言葉に、わたしは笑って答えた。

「ええ、新堂。すごくいいことがあったわ」

「それは喜ばしいことです。ここ数日、お忙しいご様子でしたので。お嬢様のご気分が優れたのは何よりでございます」

運転席で穏やかな声を出す彼の後ろ姿を見ながら、「ええ、そうね」と呟いた。

 

 

帰宅してから夕食を済ませ、明日の仕事の準備をしながら新堂がさっき口にした言葉を思い出した。

ふっと、ほぐれ落ちたような笑みがこぼれてしまった。

明日はユニット「竜宮小町」でのアイドル活動なのよ。1週間ぶりに三人そろっての仕事だから、しっかりと用意をしておかないと。4年を経て、ますますイタズラに磨きがかかった亜美を止めるのも、あずさの天然ポワポワなトークを活かすのも、リーダである私の能力次第。

そのためにも、労を惜しまないわ。だって、すっごく楽しみなんだから。

 

でも、きっとこの湧き出すような嬉しさの理由は、それだけじゃないわね。

明日の準備をしながら、これ以上ないほどウキウキしている自分がいることにわたしは驚いていた。

 

……律子のせいね。

 

思わず、ひとりごちる。

 

……だって、あんな話題を出されたら、アイツを思い出さずにはいられないもの。わたしたちがまだ右も左も分からなくて、がむしゃらにアイドルの仕事をしていた頃の、あまりにも懐かしい記憶を呼び起こさせる。

 

その理由は、アイツに他ならない。

 

……きっと、わたしは思ってる以上にアイツのことが気に入っていて。

 

……この4年、アイツがいない時間を過ごしながら、それをもっと強く感じたんだろう。

 

テーブルに備え付けられた小さい本棚から、ピンク色の装丁が施されたノートを一冊ひっぱり出す。

表紙には「日記帳」と書いてある。今日の日付の部分をあたらしく書き上げ、もう一度ゆっくり読み直すと元に戻す。その時、戻したノートから左向きに数えて四冊目にあたるものを入れ違いに取り出した。

 

四年前の日記帳。

アイツが765プロにいた最後の年のもの。

ある日にちについて書いてあるページを開いた。

 

季節は春。

ちょうど、あずさが主演で参加した映画が公開されていた頃だ。

あれから今は髪を背にかかるまで伸ばした、かつてボブカットだったあずさが。

 

あの時、わたしにとっては毎日が台風の中のような忙しさで、それでもアイツの、プロデューサーが倒れたことによるショックもあって。

そんな中で、アイツが私たち765プロのアイドルひとりひとりに向けて残したビデオメッセージを見たんだから、それはもう動揺してた。

納得がいかない、それ以上に自分がどうしたら良かったんだろうという想いに苛まれた。

 

 

アイツが私に向けて言ったことは、あの日から一度も忘れてない。

 

再生された彼のメッセージは、液晶画面越しに見えるやつれた顔からはおよそ想像がつかないぐらい、覇気に満ちたものだった。だから、あのとき病室で目を覚まさないアイツのことを想って、余計に辛くなった。

 

『決断力と実行力のある伊織なら、なにがあってもいつか必ず自分の目標を達成できる。周りを見て、自分がいま何をすべきかを考えられる伊織は、みんなを引っ張っていけるはずだ』

 

あのとき聞いた、アイツの最後の言葉。

その言葉が正しいのかは分からなくて。でも、信じるしかなかった。

だから、いまも目標に向けて進もうとしている。

 

事務仕事を、プロデューサーの代理を引き受けるようになったのはその一貫だった。

アイツが見ているものを、もっとはっきり見たかったから。

ちょうど事務所も忙しくなってたし、赤羽根Pが一年間アメリカに研修を受けに行ってたし。

2年前に赤羽根Pが帰って来てからは、こうして今日みたいにわたしがたまに事務所での仕事を担当するようになった。そうして、いままで過ごしてきた。

 

アイドルとプロデューサー、律子がかつてしていた二足のわらじ。

それをわたしも経験した。

 

もちろん、プロデューサーの代理をしてても、自分の目標は何一つ変わってない。

 

トップアイドルになる。

スーパーアイドル水瀬伊織を多くの人に知ってもらって、そして笑顔になってもらうことだ。

だから、ぜんぶつながってる。

わたしが竜宮小町で頑張るのも、ソロで頑張るのも、それにプロデューサーの代理をしていても、それは自分の理想のトップアイドルを目指している最中に必要なことなんだから。

 

本当にいま読み直しても、あの頃のわたしには余裕なんてなかったんだと分かる。

いまはもう4年が過ぎて、それぞれが自分の道を探し始めている。

わたしにも、ようやく見えてきた景色がある。いまはそこに向かって行る真っただ中。

 

 

アイツが目覚めるかは分からない。

でも、期待を裏切るのは釈然としないのよ。どうせならずっと先に行ってしまって、驚いているアイツに、

「なにモタモタしてるの、アンタも早く追いつきなさいよね」

と言ってやりたい。

 

それなら、やることは簡単だわ。

 

わたしは日記帳を本棚にしまうと、大きなあくびをした。

明日も朝の早い時間からの仕事だ。

歯磨きをして、部屋の電気を消すとベッドに入った。程よい眠気に誘われるように目を閉じると、間もなくわたしは眠った。

 

その日は夢を見た。

わたしがアイツと765プロの事務所でした、何気ない穏やかな会話。

その内容は思い出せないけど、すごく幸せな気分だったわ。

にひひっ。

 

     ◇

 

 

side. 秋月律子

 

事務の残業を終えて、デスクの上に溜まった処理済みの書類に目を向けた。

こんもり。

はあ、と思わず溜息をこぼす。過密だわ、まったく。

そんなふうに頭を抱えていると、向かいのデスクに座る赤羽根Pがこちらを覗きこんでいるのが分かった。

 

「律子、仕事終わったのか」

「ええ、ほんとについさっきですけど」

「そっか、もし時間があるなら、この後夕食でもどうだ。音無さんも誘ってさ」

「いいですね」

 

彼の提案に肯く。隣を向くと、猛烈な勢いで事務仕事を進めている小鳥さんがいる。

トランザムッ、とか叫んでる。

 

「小鳥さ~ん、その仕事終わったら、いっしょに食事でもどうですか~?」

「行きたいです! でも、この仕事がまだ……」

「それなら私も手伝いますよ」

そう言って、小鳥さんの処理している仕事関連の書類を手に取り、わたしは作業を始めた。

「俺もやりますよ。音無さん、そこの書類貸してください」

赤羽根Pも仕事を引き受け、小鳥さんのデスクに仕事の書類はもうあと僅かしか残っていない。

 

「あ、ありがとうございます~!」

「さ、チャキチャキ終わらせますよ」

「律子さん、その言い方はなんだかオジサンっぽいですよ(笑)」

私の気合いを入れる一言に、隣から笑い声が返って来たようだ。

……この事務員は、どうしてこうも一言余計なのかしらねえ。

 

「おっと、手が滑りました」

一瞬の動きで、先ほど手もとに取って置いた仕事の書類を小鳥さんのデスクに強制送還した。

ドサドサーっと。

「小鳥さん、返却します」

「……」

今さら涙目になってももう遅いです。

「ピヨオォォッォ!」

叫ぶな。

「赤羽根Pさん、助けてください……」

次いで事務員はもう一人のプロデューサーに助けを求めた。その彼と言えば、一度わたしの方を向いて「どうする?」といった顔を向ける。

わたしは最大限の笑顔を彼に返した。

 

「音無さん、ダメみたいです」

「なんでですか!? 彼女を、婚約者を助けてくれないんですか!?」

「はあ、あのですね、音無さん」

「はい!」

「自業自得です」

「ピヨォォ……」

 

そんなこんなで、結局すべての仕事が終わるのを待って、わたしと赤羽根P、小鳥さんは事務所の下にあるたるき亭へと向かった。

 

     ~~~

 

たるき亭に入ったわたしたちは一通りの注文をし、乾杯を済ませてから卓上に並んだ食事に手を付けつつ近況報告を行った。

最近の仕事のことや、アイドルのみんなについてとか。

そのなか、今日かかってきたTV局の話題になったときはすごい盛り上がりを見せた。

 

「その企画、もし通ったら765プロのアイドルが全員集合するんですよね」

「なんだかドリフみたいですね(笑) 全員集合!! な~んちって」キャッキャッキャ

「小鳥さん、もう酔っ払ってるんですか」

「酔ってませ~ん」

「赤羽根P、おたくの彼女、すっごくメンドくさい」

「まあ、許してあげてください。婚約してから、もう酔っ払うと手が付けられなくて」

「わが世の春だわ~!」www

 

もう事務員は放っておこう。そう思って、わたしは話を本筋に戻した。

 

確かに全員が揃うなんてことは本当に久しぶりだった。実現したら、それはもう本当に嬉しい。

でも、彼女たちがそれを望んでいるかまでは、わたしには分からない。

少なくとも、何人かはそうでない子がいるのだから。

 

「貴音や響なんかは、このこと教えたら喜ぶんじゃないですか」

「そうですね。響はいま沖縄にいるし、貴音は世界中を飛び回ってるから中々連絡がつかないですけど」

「それを言ったら千早もでしょう、歌手デビューしてすぐに渡米した後、二年間なんの連絡もないですからね」

「そこだけ聞くと、うちの事務所のアイドルって相当アグレッシブですよね」

 

千早の歌手デビューは特に印象的だった。

わたしは随分前に一度だけ彼女から相談を受けてたけど、それでも決めてからの千早の行動は迅速だった。

わずか半年で渡米の段取りを終えた後、すぐさま海を渡って結果を出した。

その歌声を今は世界中のファンに聴かせている。

 

赤羽根Pも思い出しながら、そんなこともあったなあと笑った。

 

「まあ、他の子たちもそれぞれに進みたい方向を徐々に見つけてきてますからね」

「あ、そういえば亜美が言ってたんですけど。真美、本気で高校辞めるか悩んでるって」

わたしの発言に、彼は目を点にした。

あらら、まだ聞いてなかったのかしら。

「あはは、そんな馬鹿な。……マジですか?」

「マジみたいですよ。やよいや伊織にも相談していたらしいので」

「明日呼び出して、何とか事情を聞かないと」

 

急にソワソワしはじめた赤羽根Pを慰めるように、わたしも協力しますよとだけ言っておく。

実際、真美が学校を辞めるのはどう考えても得策じゃないし。

まあ、アイドル活動に専念したいって気持ちを言われると、分からなくもないんだけどね。

 

「おい、律子まで擁護派に回るのか。勘弁してくれよ」

「あはは、大丈夫ですよ。きっとなんとかしますから」

「頼むぞ、ほんとに」

 

そうやって話ながらグダグダと食事を続けていた。

その後も話題は尽きず、真や雪歩、それに春香のことを話し込んでいると、すっかり良い頃合いとなってしまった。お酒を飲むと、時間の経過がものすごく早く感じられるのよね。

わたしもいまでは23歳。お酒を飲めるようになってから、この大人二人組の呑みの席にすっかり巻き込まれるようになってしまった。まあ、それで飲んでしまう自分も大概だと思う。

さすがに、スピリタスを飲もうとは思わないけどね。

 

「もう~、律子さ~ん。私を忘れないでくださいよ~」エグエグ

「はいはい、音無さん。そろそろ帰りますよ~」

「い~や~で~す~」

「赤羽根P、いい加減なんとかしてください」

「りょーかいだ」

 

そう言った彼は、ぐでんぐでんに酔っ払った婚約者の介抱を手早く始めた。

「むにゃむにゃ、……えへへ〜、早くみんなで、もういちど集まりたいなあ……」

酩酊している小鳥さんが、赤羽根Pに肩を貸してもらいながらポツリと声を漏らした。

わたしも彼も、その言葉には二の句を継げられない。

不意に放たれた言葉の意味を痛いほど噛みしめているから。

 

……ほんとに、こんな姿は事務所のみんなには見せられないわね。

いつにも増して悪酔いしている小鳥さんを赤羽根Pにまかせて、わたしは先にお会計を済ませた。

 

 

お店の外に出たら、もうまっくら。

春になり始めたとはいえ、夜はまだ肌寒さが残っている。

お店の前から最寄り駅に向けて歩きだす。気持ちよさそうに眠っている小鳥さんを背負った赤羽根Pと二人並んで、夜の道をぼんやり歩いた。

 

「ところで律子」

道すがら、思い出したように彼が口を開いた。

「あずささんの件、どうなったんだ?」

 

その質問に、わたしはゆっくりと言葉を選んで答えた。

 

「ご両親は早く身を固めてほしいみたいですよ。あずささんは今回も受け入れなかったみたいですけど」

「そうか」

 

赤羽根Pはわたしの答えに一言だけ返し、また先の方へと歩き始める。

わたしもそれについていく。

それから、少しのあいだ無言で進んでいく。

彼がぽろっと言葉をこぼした時は、駅までもうすぐの所まで来ていた。

 

「先輩がはやく目を覚ますといいですね、あずささんのためにも」

「……」

 

何も言わず、わたしはそのまま先を行くことにした。

明日も、相変わらず仕事は続いていくのだから。




Another Side in 765プロ

ハルカ  「前線を死守しました」
赤羽根P「春香も大変だな、こんな所まで」
ハルカ  「始まったらいきなり四年後ですよ、四年後! 急展開過ぎます、ついて行くのがやっとですよ」
赤羽根P「ほら、あのお方の都合ってやつだろ」
ハルカ  「バーロー探偵が出そうな響きですね」
赤羽根P「その辺は気にするな」
ハルカ  「というか、あのお方の手で私の本作唯一の見せ場を消されかけました」
赤羽根P「春香も大変だな、こんな所まで」
ハルカ  「それはさっき聞きましたよ、赤羽根Pさん」
赤羽根P「とにかく、よかったじゃないか。また戻って来られて」
ハルカ  「そうですねっ! だって私も、四年の歳月を経てNEW春香さんとなったいま、更に――」
――――
(自主規制)

……
赤羽根P「どうやら、春香は盛大なネタバレをしかけたので消されたようだ。春香、君のことは忘れないよ……」


ハルカ「勝手に消すな!!!」


次回「みんな揃って、一人いなくて ~On the road walked with U, keeps shining even now~」


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みんな揃って、一人いなくて。

~On the road walked with U, keeps shining even now~

こんにちは。慧鶴です。
前回から唐突に時間が四年後へと動いてますが、お付き合いください。



side. 高木順ニ郎

 

某日、765プロ社長室。

 

「先日、律子くんから報告の上がっていた765プロALL STARSの企画だけどね」

 

あの時、その一言を出した途端、目の前にいる律子くんの表情がにわかに強張った。

それを確認しながら、わたしはいつも通りの平常心をたもって、二の句を口にした。

ほら、社長たる者、常に余裕やユーモアを持ってないとね。

だから、こう言ってやったのだよ。

 

「おっけーだよ~ん」ドンドンパフパフ♪

「……ふざけないでください、社長。こっちは真面目に仕事してるんです」

 

返答がお気に召さなかったらしい。

年頃の女性の気持ちというのは、なるほど難しいものだ。

 

ともあれ。

 

「この企画、いいんじゃないかね。赤羽根Pくんもいることだし、今回は君と彼との二人で対応してはどうだろう」

「分かりました」

「もし私、高木順次郎にできることがあれば何でも言ってくれたまえ。働くぞ~」ワクワク

「では社長、早速ですが明日のTV局の取材、ご同席ください」

 

……え~。

 

有無を言わさぬその様相を全身から滲ませて、律子くんはわたしに言い放った。

あの時のわたしに、拒否権はなかったのだよ。

だって、次の日すぐに取材とかふつう思わないじゃん、ねえ。

社長の話を聞くまえに、すでに調整が終わってるって。

どんな即落ち2コマだよ、とどこかからツッコミが飛んできそうだったよ、アッハッハ。

 

『いい加減にしろ、高木! 貴様、わたしに急遽電話を寄こしたと思えばそんなクダらんことで呼び出しおって。第一ッ、今は職務中だ、はたらけッ! この三流プロダクション!』

 

そう言って、受話器の向こう側からは直後にツーツーと、通話終了のアナウンスが流れた。

 

黒井の奴、相変わらず短気だなあ。

まあ、色々文句言っても、電話には必ず出てくれるんだけどね。

ほんと、ツンデレだなあ。

 

……いい年したおじさんのツンデレに需要は無いな。

わたしは受話器をそっと元に戻した。

 

さあ、そろそろ仕事だ。

 

その後、わたしは取材の現場へと向かった。

現場でTV局のスタッフがセッティングを進める最中、わたしと律子くんは直前の打ち合わせを済ませた。

今日の取材の段取りから話す内容にいたるまで、入念な調整が行われている。話の内容がかなり濃くて長いため、段取りが必要なのだ。

それも、我が765プロの所属のアイドルたちみんなの長きにわたる頑張りあってのもの。

しっかりと彼女たちの魅力について、わたしも話せるようにせねば。

 

意気込んだ。

やる気は十分だ。

そして、遂に名前が呼ばれる。私のすぐ後ろに控えている律子くんと目を合わせた。

彼女も気合いが入った面持ちをしている。

それぞれ案内された通りに着席した。そして、番組スタッフの方がこちらを窺いながら声を出す。

 

「では、本番組の制作における打ち合わせを始めさせていただきます。本日はよろしくお願いします」

 

その声とともに、緊張感がいっそう増した。

かくして、取材は始められた。

 

   ~~~

 

打ち合わせを兼ねた取材は順調に進んだ。

765プロの発足の経緯からアイドル候補生を見つけるところまでは実にスムーズなものだった。

律子くんのアイドル活動について話が及んだときは、彼女も顔を真っ赤にして受け答えをしていた。

 

「律子くんのファンも多くてね、引退した後も毎月応援の手紙が届くんだよ」

「へえー、それは熱心な方たちですね!」

「もうっ、社長! 私のことはいいですから、みんなの事をしっかり話してくださいよ!」

 

律子くんは照れ隠しなのか、しきりに話を変えようとする。

って、痛い痛いよ。そんな強く肩を叩かないでもいいじゃないか。

律子くんには社長が悪いと、すごい剣幕で睨まれた。

ハナシヲモドソウ。

 

「そーしてください」

律子くんはなおもご立腹のようだった。

 

そんなこんなで話を戻そう。

やがて、アイドル候補生が10人集まった。経緯はそれぞれだが、みな光るものを感じさせた。

まだあどけなさの残る彼女たちのエピソードは盛り上がった。日々レッスンを続け、ようやく小さな公園での路上ライブを行えるようになった事などは、話していて思わず目頭が熱くなった。

そして、律子くんのプロデューサー業専念、それに次ぐアイドル活動の引退。

我が765プロが初めて担当し、輩出したアイドルがその活動を終える。

それは、正式なプロデューサー第1号の決定を意味していた。

 

時を同じくして、新たに3人のアイドル候補生が入ってきた。

事務所はますます騒がしくなった。12人のアイドル候補生たちは日夜レッスンを続けた。

そして、遂にアイドルデビューの日を迎えた。

 

「ざっとこんな感じだったかな」

「そうですね、この後はアイドルみんなの活躍の場を広げるため動き回ってました。オーディションを申し込んで落ちてを繰り返したり、宣材写真を撮り直したり、遠方へ営業に行ったり、色々しましたね」

 

最初はそんなに大変だったのかと、驚きながらTV局のスタッフが訊ねた。

それに対し、わたしも律子くんもそれはもう、と首を大きく縦に振る。

 

真っ白なホワイトボード、埋まらないスケジュール。

それを春から夏まで延々と続けていた頃がある。いまの状況からは想像できないほど仕事がなかった。それも少しずつ好転していき、初めての大規模ライブでついに花開いたのだ。

 

「小さな仕事をこつこつと積み重ねる。それが財産となり、こうして今もお仕事をいただけるのですよ」

「ズバリ、765プロの躍進は地道な努力がその裏にはあるんですね」

「そうなんですっ、だから是非この番組もいい仕事にしましょう!」

 

   〜〜〜

 

……。

取材打ち合わせは終盤に差し掛かり、それぞれのアイドルたちの現況やいままでの活動を総括したところで打ち合わせは終了した。

かなり密な打ち合わせになり、出せる情報はほとんど話した。

わたしも、そして律子くんも、訊かれたことについて包み隠さずに話していた。来た球をすべて弾き返すレベルである。

 

しかし一つだけ、TV局のスタッフからのある質問については口を閉ざした。

 

「そういえば、765プロの躍進の影には必ずある人物が関わっていると業界ではもっぱらの噂なんですけど。実際のところ、その人物って誰なんですか? 調べても情報がないのですが、もしよろしければ教えていただけないでしょうか?」

 

悪気のない、純粋な興味からくる問いかけだと分かる。彼の表情からはこの企画をより良くしたい、そのための質問だという熱意が見てとれた。

 

だが、こればっかりは話せないのだ。

押し黙る律子くんを制し、わたしは短く彼に伝えた。

 

「その人物はあくまで噂の存在だよ。少なくとも、今のわたしたちにとってはね」

 

     ◇

 

side. 菊地真

 

商店街の一角、晴れ空の下で相手に向き合っていた。

 

上段蹴りを軽やかな身のこなしで躱す。

息つく間もなく、相手のふところへと身体を旋回しながら滑り込ませると、そのまま勢いを利用して突きをくりだす。

回避行動が予備動作そのものとなるのだ。

 

「ハッ‼︎」

 

喝声。

気合いのこもった一撃を目の前に放つ。

それを、みぞおちに突きささる直前で静止させた。

 

「カーット! いいわ真ちゃん、いまの突きはシビれたわぁ〜」

「ホントですか! へへっ、やーっり!」

「北斗くんも良かったわよぉ。こんな豪華なアクションシーンを撮れるなんて、ホント監督冥利に尽きるわねぇ〜」

「ありがとうございます」

 

監督さんにねぎらいの言葉もらったボクたちは口々にお礼を言った。

これで今日の撮影は終了だった。

 

この撮影は連続ドラマのワンシーン、恋敵との真昼の決闘だ。

敵役を北斗さんが、そしてボクが主人公を務めている。

決闘の演技とはいえ、こんなにもヒリついた緊張感のあるアクションは滅多にない。北斗さん、本当に演技上手いんだなぁ。

 

そう思って、ボクのすぐ横に立っている北斗さんを見る。

すると、彼もボクに視線を向けていたのかまた目があった。

なんとも言えない気恥ずかしさに、ボクはタハハと笑みをこぼしてしまう。北斗さんも笑った。

 

「「「「キャワー‼︎」」」」

 

その時だった。撮影を見学に来たファンのみなさんから、ものすごい量の歓声が上がった。

……もちろん、女の子の。

 

北斗さんへの声だったり、ボクへの声だったりと。

それはもう物凄い量の声援で。

四年経っても少しも慣れないその熱を帯びた声は、ファンの女の子達からの好意そのものなのだ。

 

その好意はボクが彼女たちの王子さまだから向けられるもの?

でも、ボクは本当は。

一瞬あたまの中に浮かんだ言葉を振り払った。

 

ボクと北斗さんはもう一度見つめ合うとお互いに苦笑して、それぞれファンのもとへと駆け寄った。

そして、鳴り止まない歓声の中で手を振り、その好意に応えていた。

 

ボクはアイドルなんだから。

アイドルとして、正しくなくちゃダメなんだ。

 

   〜〜〜

 

「は〜、なんでもっと女の子らしくなれないんだろう」

 

控え室扱いとなっている車に戻り、お茶をひと口だけ飲んでから呟いた。

思わず吐露してしまう本音。

というか、かれこれもう4年、ずっとだ。

むかし、いまこの場所にはいないあの人に諭されて、ボクは王子さまも悪くないんじゃないかと思った。

 

だけど、ボクだってふつうの女の子なんだから。

もっと女の子らしい可愛いことをしたい。

その意味は、つまりファンの期待を裏切ってしまうこと。

いまの「菊地真」というアイドルは、女の子らしさとは真逆なんだ。

分かってるんだよな、だからおんなじ所でグルグルしてるんだもん。

 

悶々と考え込んでいると、ほっぺたにピタッと冷たい感触がした。

思わずヒヤァ! と声を出すと、隣で北斗さんがペットボトルをボクのほっぺたに当てて遊んでいた。

 

「チャオ☆ 真ちゃん、お疲れさま」

「な,何するんですか北斗さん! ビックリしたじゃないですか」

「ゴメンゴメン。でも、うわの空のようだったから思わずね。隙だらけな君は珍しいからさ」

 

北斗さんはニコリと微笑むと、ボクの隣へと腰を下ろした。

……こういう少しイジワルなところがあるのに、どうしてだか強く言え返せない。あの笑顔を見ると、ついこの人に甘くなってしまうんだ。

撮影を始めてからいつもこうだ。彼のペースにはまってしまってる。

 

「それで、何か考え込んでるみたいだけど。どうかしたのかい?」

 

気遣わしげな視線を送るその態度に、またタイミングが狂わされてしまう。

どうして、この人は誰もに対して平等に接することができるんだろう。目の前にいる女の子すべてにかける北斗さんの言葉も態度も、これ以上無いってぐらいに優しくて。最初は軽薄な態度だと思ってたのに、実は全然そんなことはなくて。

それがボクには……。

 

「――っ」

 

ジッと見つめ返してみる。すると、彼はキョトンとした顔になった。

目を逸らさないんだな、と思った。

 

「……僕の顔に、なにか付いてる?」

「別にっ、なんでもありません。ただちょっと」

「ただちょっと?」

「……ド、ドラマですっ。あの撮影で、どうすればもっと良くなるのかなって、ちょっと考えてただけです!」

 

思わず大きな声が出てしまった。

とっさに他の話題を考えたから、変な受け答えになってしまったんじゃないかな。そう考えると、ますます自分の至らなさに不甲斐なくなった。

 

「……そっか。ドラマ、ね。うん、あの撮影をさらに良くするっていうのは僕も賛成だ。せっかくだから、一緒に考えてもいいかな」

「そ、そうですね」

「よし、じゃあそうだな~」

 

まただ。そうやって自然とボクとの会話を広げてしまう。

北斗さんは朗らかな様子でさっき撮影した格闘シーンの話を始める。ボクもそれに合わせて、話を進める。身が入っていない会話だからか盛り上がりに欠けていた。

そのうち、話題はドラマそのものの話題に及んだ。

ボクと北斗さんは、一人の女性を巡って対立している役だ。いわば、恋敵。

でも。

 

「そもそもボク、恋とか愛とかよく分からないんですよね」

「真ちゃんはそういうことに興味が無いのかな」

「そんなっ、ボ、ボクだって少女漫画とか大好きだし、それに……女の子らしいことにだって興味あります!」

 

強い語気でそう答えると、北斗さんはすこし遅れて「そうなんだ」と言った。

そして。

 

「じゃあ、どうして分からないんだろうね」

意味深な目線をこちらに送ってきた。

 

「……ボクって、こんなじゃないですか」

「こんなって?」

「だから、こう男みたいというか。知ってます? ボク、デビューしてから最近になって男性ファンが前より増えたんです。でもそれ以上に女性ファンがさらに激増して……」

「……」

「こんなボクじゃ、あこがれの女の子みたいになれないかもしれないから」

 

吐露した心情を、北斗さんは黙って聞いてくれていた。

言葉はポトリポトリと落ちてきた。だから、止まることなくボクは話し続けてた。

 

ボクの憧れ。少女漫画に出てくるような、王子さまと素敵な恋をして結ばれるかわいい女の子。

そんな、自分の目指している理想。

 

目指すもの。

たしか、あの人も同じ言葉を言って、ボクを応援してくれた。

その言葉は、あれから四年が経ったいまでもよく憶えている。

 

『素直で前向きな真の姿に、本当に何度も助けられた。その強さを大切にしてくれ。目指す行き先を見失わない、前へと進める真自身の強さを』

 

 

その言葉だけが、いまのボクに残されたもの。

テレビから贈られた、あの日以降プロデューサーが僕にくれた最後の言葉だ。

 

僕の目指す先はあれからさらに遠くなってる気がしてならない。

王子さまでいいけれど、たった一人の前でだけはお姫様でいたい。

それが、四年前のボクの本心だった。

 

でも、そのたった一人である“あなた"はもういない。

結局、ボクは最後までその想いを伝えることだってできなかったのに。

 

「どうしろっていうんですか、恋なんて……分からない。本当のボクを、誰も望んでいないのに。ボク自身、分かってないのに」

「……真ちゃん、君は」

「――あ。す、すいません! こんな暗い話しちゃって。へへっ、ボクって元気が一番の取り柄なのに。ハハハ、そうですよ、沈んでちゃダメですよね」

「でも、君はまだ本当は」

「そうだ! 北斗さんは、何か気になることないですか? ボクに答えられることなら何でもきいて下さい!」

 

そう笑って、ボクはこの話を無理やり切り上げた。

これ以上喋ってたら、もうどこまでも出てきてしまいそうだった。

そんなのは嫌だから。

 

北斗さんは深追いすることなく、ボクの振った話題について思案し始めた。

やがて、ちょっとのあいだ静かに考え込んでいた北斗さんはボクに語りかけてきた。

 

「ずっと以前、僕に恋の相談をしてきた女性がいたんだ。その人は、とても幸せそうに好きな人の話をするんだよ」

 

君も知ってる人だよと。

ニコッと微笑み、そう言った彼はまた続けて声を出した。

 

「でもね、その人の好きな人は目をずっと覚まさないで、今も病室のベッドの上にいるんだよ。それからだね、たまに会ってもその女性は恋人の話をしなくなった」

 

そこまで聞いて、ボクも誰のことを話しているのか理解した。

この話は、あずささんのことを言っているんだ、と。

 

「彼女を見ていると、愛ってなんだろうってよく考えるんだよ」

「そう、なんですか」

「真ちゃんはその人の姿を見て、何を思うのかな?」

まじめな表情をこちらに向けて、

「僕はそれが知りたいな」

そう言い終わるや、北斗さんは真剣な眼差しでボクを見つめた。

 

ボクは考えた。日頃見てきた、あずささんの姿を。

プロデューサーが目を覚まさなくなってから、四年もの期間をあずささんは時間があれば必ずその病室へとお見舞いに行って、眠っているプロデューサーの隣で765プロの状況を語りかけていた。

 

相変わらず道に迷ったり、天然で変なことをしたりするけど。

でも、その時のあずささんは。

プロデューサーの側にいるときのあずささんは。

 

「あんなにも誰かを好きになれるっていうのは、素敵だと思います」

 

ようやくついて出た言葉は、なんだかありきたりなものだった。

それでも、北斗さんはそっか、と満足そうな表情を浮かべてくれていた。

それを見ると、ボクもちゃんと答えられたような気がして安心した。

 

 

 

その後、赤羽根Pが迎えに来てくれるまでボクと北斗さんは撮影スタッフと一緒にドラマの打ち合わせやセットの片付けをしていた。

からだを動かしていると、先程までの悩みも洗い流されたように自分の思考から離れていった。

 

だけどその最中、ボクはあらたな、自分の中に生まれた本当にちいさなひっかかりを感じていた。

 

それは、北斗さんとの会話の終わり頃。

車を降りる直前にした彼との僅かな会話が理由だった。

 

座っていたシーツから立ち上がり、ボクに手を差し伸べながら。

ボクの目を見て言ったんだ。

 

「君にも、素敵な王子さまがいつかきっと表れるよ」

「そんな、ボクなんて」

「だいじょうぶ。真ちゃんはとても魅力的な女の子だよ。まぶしくて、たまらないぐらいに」

 

その時、北斗さんが言ってくれた言葉。

ボクにはなんだか分からないけれど、胸の奥がムズムズするような高まりがあれからずっと。

そう、ずっと。

その言葉を聞いてから続いているんだ。

 




Another Side in 765プロ

ユキホ  「――――!」
赤羽根P「どうかしたのか、雪歩?」
ユキホ  「危険な信号をキャッチしました! わたしの真ちゃんが大変なんですっ!」
赤羽根P「なにっ、どういうことだ!?」
ユキホ  「ひどいラブコメ臭がしますぅ!」
赤羽根P「……」
ユキホ  「ひど(ry」
赤羽根P「……」
ハルカ  「元気出してください、赤羽根Pさん」
赤羽根P「もう、俺の知ってる雪歩はいないんだな……もう、どこにも」
ハルカ  「なみだ拭いて下さい。ほら、ハンカチですよ、ハンカチ!」
ユキホ  「真ちゃーんっ!!! アイラb(ry」


次回「ひとりぼっちの二人。 ~Want to be next to you, but it's cruel~」


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ひとりぼっちの二人。

~Want to be next to you, but it's cruel~

慧鶴です。
動き出す765プロのメンバーたちは、4年の年月を経て成長してるんですけども。それぞれ大人っぽくなったり、考え方が変わったりして、言葉遣いにも変化があるのではないかと書きながら思いました。
ただ一点、さらに魅力的になってることは確信できます。


side. 我那覇響

 

燦々と照りつける太陽の光、故郷の海をどこまでも輝かせる光。

まるで、アンマーが包みこんでくれてるような安心感を自分に与えてくれるその景色。

それは見ているだけで、今日という一日を過ごすための気力が湧いてきて、何だってできそうな気がするんだ。

 

「おーい、響~。今日もやるんかぁ~」

公道をトラクターで通行しながら、オジイが手を振ってくれる。

「うんっ! 自分、止まってなんていられないぞー!」

「はっはっは。頼もしいなぁ、そらぁ。うんじゃあ今日も後でミミガー持ってくねぇ、ちゃんと食べろよぅ」

 

ありがとー! と、そう大声で伝える。

オジイはカラカラと笑うとそのまま行ってしまった。

 

……。

潮の満ち引きで砂浜がゆっくりサラサラと流れる音、それに風が草木や波を揺らす響きが辺りに残っている。

五月も終わり頃になる沖縄の気候は、もうほとんど本土の初夏と同じくらいだ。

とても過ごしやすい、穏やかな朝の空気だ。

 

その穏やかさを感じながら、また今日もやるぞーと、手を高く空に突き上げて叫んだ。

 

「んあー、がんばるぞー!」

「ヂュイー! ヂュ、ヂュイッ!」

 

足下で、ぼくを忘れるな〜ってハム蔵も自分といっしょに伸びをしている。

ずいぶん大人びた表情になってて、四年前と比べると今はまるで「ゴルゴ××(ピー)」みたいな眉毛が出来てた。

う〜ん、ハム蔵めっちゃシブイぞ。

まあ相変わらず、ヒマワリの種が大好物なんだけどな。ハム蔵はカワイイぞ。

そんなことを考えていると、不意に思い出す。

 

……四年。もうそんなに経ったんだよね。

 

 

四年前、プロデューサーが765プロからいなくなってしばらくの間、仕事に追われながら、ポッカリと空いてしまったような心の穴をもてあましていた。

事務所のみんな目に見えて落ち込んでたんだけど、アイドルとして笑顔で活動しないといけなかったから、そのやるせなさを吐き出す場所なんてどこにも無かったさ。

いつ限界が来てポッキリ折れちゃうかも分からない、いま思い出せばきっと誰もがそんな感じだった。

 

だから、あの時みんなで観たプロデューサーのDVDメッセージはほんとに心に沁みたなぁ。

ひさしぶりに聞いたその声に安心して、でもプロデューサーは植物状態のままで。

とても辛かった。ぐっちゃぐっちゃな気持ちで一杯だったさ。

でも、あの言葉があったから、立ち止まらずにあれから今までずっと進んでこれたんだとも思うんだ。

 

潮風を顔いっぱいに浴びながら、あの時プロデューサーが自分に残してくれた言葉を心の中で読んでみる。

 

『寂しくて苦しいときほど、自分のまわりにある大好きな人たちや家族に目を向けるんだ。俺がそうしてもらったように、きっと響を助けてくれるはずだから』

 

自分、いまもちゃんと出来てるよね。ね、プロデューサー。

確かめるように、そう口にする。

目を覚まさず、病院でいまも眠っているプロデューサーに。

 

自分が765プロでのアイドル活動の場を東京から沖縄へと移したのは、ちょうど3年くらい前のことだぞ。

海岸に打ち上がったままのゴミが美ら海を汚してる。その映像を見たとき、故郷の海や家族のすがたをすぐに思い浮かべた。

自分はどうにかして、その問題を解決したいって強く思ったんだ。だから765プロの、みんなのいるあの場所を離れるのはすっごく寂しかったけど、沖縄に一度戻るって強く決めたんだ。

 

それから高木社長の計らいもあって、いま自分は沖縄でのアイドル活動を中心に行っている。

レッスンや定期ライブはもちろん、TVで沖縄が企画になっている番組に出演したり、リポーターとして活躍したりしてる。それに、美ら海の清掃活動は地元の子供たちと協力して行なっているから、みんなともすぐに仲良くなれたさ。

今じゃ、響ねぇねって後ろからついて来るその子たちも、自分のアイドル活動を応援してくれてるファンの一員さ!

 

それにさ、他の家族のみんなも一緒に沖縄に来たから、それはもう賑やかなんだよな。ハム蔵もみんながいるから寂しくないってさ。

民泊をしてる自分の家もいろんな動物が観れるからって、旅行中の人たちに大人気なんだぞ。

 

 

……ぜんぶ、あの日プロデューサーが言ってくれた言葉のおかげだよ。

大好きな人や場所を守るために戻ってきたら、逆に自分が救われたんだから、ほんと不思議だな。

沈んで真っ暗だった心に太陽が昇ったみたいで、沖縄での暮らしは間違いなく自分をゆっくりと癒してくれてたんだ。

 

プロデューサーが倒れてから、バラバラな道へと何人もが進み始めた765プロのみんな。そうして離れていくたび、気づかないフリをし続けてた痛みがきっとあった。

その弱ってしまった心に、少しずつ光が差し込んだ。

 

だから、今ならもう大丈夫。

今度は自分が大好きなみんなにたくさん笑顔を届けられると思うんだ。

 

 

春は始まりの季節。

沖縄はこれから、もっと暑くなってゆく。

自分も負けないぐらい、熱くなりたいぞ。

 

さあ、行くぞー!

 

ハム蔵を肩に乗せて、砂浜を駆け出す。

今日もしっかり美ら海を綺麗にしよう。それが終わったら、めいいっぱいダンスのレッスンをしよう。

疲れ果てるまで踊りたい。そんな気分さ。

 

   〜〜〜

 

数日後、いつものようにアイドルとしての仕事や清掃活動を終えて家に帰ると、ケータイに不在着信が入ってた。

電話相手は律子だった。

 

どうしたんだろう、また沖縄での取材か企画が入ったのかな。

そう思いながら、自分はコールバックしてみた。

少し待つと、律子が出た。

ハキハキとした小気味のいい声が受話器を通して聞こえてくる。

 

『久しぶり、響、元気にしてる?』

「律子! うんッ、自分めちゃくちゃ元気だぞ。今日もカンペキさ」

『ふふ。相変わらずみたいね、響の声を聞くとわたしも安心するわ』

「自分も律子からの電話嬉しいぞ」

『そっちは最近どうなの?』

 

そうして、ほんの少しのあいだ律子と近況報告を行っていた。

プロデューサーは相変わらずで、暇さえあればあずさがお見舞いに行ってるみたい。それに、他の765プロのみんなもそれぞれ頑張ってるって。

……美希だけ、まだあの頃のままらしい。四年前のあの日から、今もずっと。それだけがやっぱり心配だぞ。

 

「美希のことは私も考えてるんだけどね。本人が一番一生懸命だから、なかなか口を出しずらいのよ」

「あー、きっと大丈夫だぞ。律子の気持ち、美希に届いてるよ」

「はー、そう言ってもらえると嬉しいわ」

 

律子も大変そうだな。

耳元で聞こえる彼女のため息からそう思った。

ところで、さっきからずっと気になってるんだけど。

 

「それで律子、今日の話は何?」

そう尋ねると、思い出したように律子が本題を話し始めた。

「あのね、つい先日なんだけど事務所に全員参加の仕事が入ったの。撮影が東京になるから、一度響にもこっちに来て欲しくて」

「何それ! すっごくおもしろそうだぞ!」

「TV局の企画でね、765プロの特集みたいことをするのよ」

 

それから律子が話す番組の概要を聞いていると、俄然やる気がみなぎってきた。

そっか、またみんなで集まれるんだと。そう思うだけで自然と心がはずんだ。

詳しいことはまた追って連絡するから。

そう言って、律子は一応の予定だけ教えてくれた。

 

戻るんだ、あの場所に。

懐かしさが込み上げてくる。もうずいぶん長い間離れていたから仕方がないぞ。

通話終わりには、もういてもたってもいられないぐらいになってた。

 

「じゃあ響、また連絡するわね」

「わかったぞ!」

「あ、それから」

 

最後に思い出したような声で、律子が短くこう告げた。

 

「小鳥さん、今年の6月結婚するって、赤羽根Pと」

 

そうして、通話終了のガチャッという音が耳にこだました。

……

 

「ピヨ子⁉︎ ふぁ、え、どういうこと⁉︎」

何も返事はない、当たり前だぞ、通話終わってるし。

「ふがー! 6月なんてもうすぐだぞ、自分、お祝いに行かなくちゃ!」

 

それからすぐ。

1週間もかからずに荷造りを済ませ、家族の動物たちの世話をじぃじとにぃにに頼んだ自分は飛行機に乗って、765プロへと直行したぞ。

 

出迎えてくれた律子は、事務所前でそれはものすごく驚いてた。

 

「なっ、響。あんたどうしてここに」

「どういう事さ、説明して!」

「???」

 

ホント、あの時の律子の慌てっぷりは凄かったぞ。

 

   ◇

 

side. 双海亜美

 

今日はみんなで一緒にとある映画を観に行った。

いおりんは前から予定を知ってたけど、やよいっちと真美のスケジュールがたまたま同じ日に休みだったからね。

だから4人でいっしょに映画館に行ったんだ。

4人並んで観る大画面のスクリーンは、チョーど迫力だね!

 

ポップコーンを大量に買ってこようとして、いおりんのゲンコツを食らったときは痛かったよ……。まるで律っちゃん軍曹みたい。

そう言うと、さらにプンスカ怒っちゃって。

ホント、いおりんは忙しいなぁ。

 

「誰のせいよ、だれの!」

「伊織ちゃん、そんなに大声出したらみんなに迷惑だよ」

とやよいっちが映画館内でいおりんに注意する。

「わ、わかってるわよ。……ゴメンね、やよい」

「ううん、だいじょーぶ! 映画が始まる前だったし」

「そうね、始まったら一大事だったわ。ありがと、やよい!」

そう言って、いおりんは穏やかな笑みを向ける。

 

うーむ、いおりんはやよいっち大好きさんだなぁ。

もーすこし、亜美にも今みたいな笑顔を向けてほしいよ!

 

「ねー亜美、いおりんのぷりちースマイル、真美たちも欲しいと思わない?」

「んっふっふ〜、それじゃあ亜美たちもこうすればいいんだよ。いい? こうやって、両腕を左右に伸ばしてと……」

「ーーー!」キュピーン

 

真美も意図が分かったみたい。さすが双子だよね、ウルトラな以心伝心っぷり。そうして同じように両腕を広げると、そのままいおりんの前に並んで立って、

 

「「うっうー! おはようございますっ、伊織ちゃん。今日もいーっぱい頑張ろうね、ハイターッチ、イェイ!」」

 

2人同時、まさに息ぴったりにそう言った。

やよいっちのモノマネは会心の出来映え!

さあ、反応はどうかな……

「アンタたちねぇ」ゴゴゴ

おっとー、お気に召さなかったご様子で。

これは大変な事態になりそうだぁ!(ア、アミシラナイモンネ)

もうダメだぁ、おしまいだぁと思ったその時、

 

「もー二人とも! 映画館では静かに、だよっ!」

 

いおりん噴火寸前のところで、やよいっちが亜美と真美を注意した。

そのおかげで、どうにかいおりんのゲンコツはまぬがれたよ。

なんだかんだ、この4人の中だとやよいっちが一番お姉さんみたいな所があるね。

 

とにかくそうして、いよいよ劇場の中も暗くなって映画が始まる準備が進む。しだいに口数も減って、それぞれ目の前の画面に集中していた。

時折、ポップコーンを食べる音が聞こえるくらい。

それぐらい、周りが静まり返ってる。

 

そしてついに、何本かの新作予告が終わって、今日これから観る映画の配給元の「西映」というロゴが画面いっぱいに映し出された。

 

今日はみんなで一緒にある映画を観に行った。

その映画のタイトルは、

『隣に』。

あずさおねーちゃんが4年前に出演した、あの映画のリバイバル上映だった。

 

   〜〜〜

 

「いや〜、最後は泣いたねー。あずさおねーちゃんの演技で、亜美はもうハンカチが濡れまくって大変だったよ」

 

映画が終わって、亜美たちは近くのカフェに入った。

それぞれオレンジジュース、ココア、コーラ、コーラと頼んだ。

レシートを見せたら誰が頼んだか、たぶん律っちゃんに一目で見抜かれるに違いないね。

 

ウエイトレスさんが持ってきてくれた飲み物を各自で受け取り、さっそく映画の感想を交わしはじめる。

演技はもちろん、ストーリーもピカイチだよね、とか。このシーンがお気に入りなんだよね、とかエンディングでもう号泣だったよって口々に話してみると、いろんな視点から映画を改めて考えることができるんだ。

 

時折、感想に交えてギャグを飛ばしつつ4人でトークをつづける。

そこにはいくらかのオフザケもあるけど、それだけじゃないことはみんな多分もう分かってるんだ。

分かっていて、明るく振る舞うことにつとめている。

しめっぽい映画を見た後だし、なにより映画の内容からあずさおねーちゃんと今も病院にいるにいちゃんとの関係を意識せずにはいられないんだもん。

 

少なくとも、亜美にとってはそうだ。

 

4年経って、あずさおねーちゃんはますますキレイになった。

竜宮小町としていっしょに活動をしていると、それを強く実感する。実際、テレビとか出演したときには男女問わずすごい人気で、「理想のお嫁さん」とかよく言われてる。

そのたびに、ハイパー迷子になるあずさおねーちゃんのオトボケ話を出して、スタジオを大爆笑にしてるけど。

そんな話にあずさおねーちゃんも「あらあら」って困ったようによく笑う。

 

でも。

一緒にいたら分かるんだよね。

あずさおねーちゃんは今でもにいちゃんが大好きで、誰かがその恋心に入りこむ隙間なんて全然ないってこと。

 

だから、巷ではあれだけ美人で人気で性格もいいのに浮いた話がひとつもないって、そう言われて不思議がられている。

そんな状況をアイドルだからって言う理由でみんな片付けてるけど、亜美たちは本当の理由を知ってるから案外フクザツな感じだよ……。

 

そうして、会話を続けていると不意にやよいっちが思い出したようにポツリと口にした。

「でも、あずささん、あのミュージックホールから一度も『隣に…』を歌ってないよね」

「……そうね、あずさの曲では凄い人気なのに」

そう言って、いおりんはオレンジジュースを口に運ぶ。

 

「今日、映画でひさしぶりに聞いたけど、本当にすっごくいい歌だよね」

「うんうん、真美の涙腺をプルンプルンにしただけはあるよね」

「なによプルンプルンって」

 

真美たち3人が話している内容を横で聞きながら、少ししんみりした気分になった。

亜美、なんだか色々考えこんでるね。

自分でも不思議だよ。

 

――――あずさおねーちゃんは、一度もあの歌を歌ってない。

 

『隣に…』を歌ってほしい、っていう仕事はこの4年間でいっぱいあったらしい。でも、それらを全部断ってるんだって。

そして、いつからかあの歌はファンの間でも幻の曲って言われるようになったみたい。

 

いろんな憶測があったけど、実際はただただ悲しい理由なんだと亜美は思う。

 

亜美はね、どうしても『隣に…』を歌わない理由が気になって、前に1回だけあずさおねーちゃんに訊いたことがあるんだよ。

なんで『隣に…』を歌わないのって。

そしたら、あずさおねーちゃんは寂しそうな顔で言ったんだ。

 

「この曲を歌い続けたら、歌詞の通りこのままプロデューサーさんが目を覚まさなくなるかもしれないって思っちゃって。そう考えたら、どうしても歌うのが怖くなってしまうの……」って。

 

しまった……って思った。

こんな質問しなかったら良かったって、その時つよく思った。

あんなにツラそうな顔を、亜美があずさおねーちゃんにさせてしまったんだと考えたら、途端に胸のあたりがモヤモヤ~ってする苦しさを覚えた。

だから、あの時から『隣に…』が亜美にとっては悲しい曲になった……。

 

ーーーー。

「どうしたのよ、亜美。さっきから黙りこくっちゃって」

物思いに沈んでいると、いおりんが怪訝な顔をしてこちらを覗きこんでいる。

「ーーっな、なんでもないよ! あ、そそ、それよりいおりん聞いてってば~。真美ってば、このまえ赤羽根兄ちゃんと、学校を辞める辞めないで大喧嘩したんだって~」

ビックリして、思わず大げさな身振りで誤魔化した。

口からついて出た言葉に、あれ、これ言っちゃダメなんだっけと思い出す。けど、もう遅い。

 

「うあうあ~、亜美ってばヒドいっしょ! その話は内緒だって言ったのに~」

「真美、まだ高校辞めるつもりなの? 勉強は頑張らないとダメだよ」

「やよいっちまで兄ちゃんみたいな事言わないでよ~」

 

アワワワ……と真美は慌てまくってる。

あ〜ゴメンね、真美。話を逸らそうとして、飛び火させちゃったみたい。

だからそんなコワい目で睨まないでよ、ほら、コーラあげるから許して。

亜美のコーラをあげると、今度ケーキ奢りねと言いつつ真美もようやく落ち着いてくれた。

 

「それにしたって、どうしてそんなに高校を辞めたいの?」

少し間が空いたところで、いおりんが真美に訊ねた。

「前も聞いたけど、アイドル活動に専念したいって言うの、私は違うと思うわ。私も竜宮小町のリーダーや自分自身のアイドル活動に専念したいと思うけど、それを何かを投げ出してまでするのは間違ってるわよ」

 

整然とした口ぶりで真美に語るいおりんに、やよいっちもうんうん、と頷いている。

二人から言われて、さすがに真美も困り果てているみたいだった。

でも、真美もゆずれない想いがあるみたい。

力の籠もった瞳を向けると、意を決したふうに口を開いた。

 

「ねえ、今日の映画見てさ、ふたりはあずさおねーちゃんスゴいって思った?」

 

その質問に、いおりんもやよいっちもモチロンと言った表情で応える。

 

「……真美ね、あずさおねーちゃんとにいちゃんを見てて思ったんだ。本当にやりたいことをしたくても、突然できなくなっちゃうことがあるんだって。だから、、、」

強い意志で真美が説明を続ける。

「だからさ、真美は後悔しないために真剣にアイドルやりたいって、そう思ったんだよ」

「……」

 

すこしのあいだ、ビックリしていた。

だって、亜美もはじめて聞いたんだもん。真美の真剣な想い。

そんな風に考えているなんて知らなかった。

なにより、ここでまさか“にいちゃん”が出てくるとは思ってもなかったから。

いおりんもハトが機関銃? を喰らったみたいな顔をしてる。

 

「やよいっち、にいちゃんからの言葉、あれ憶えてる?」

次いで、やよいっちの方を向いて真美が訊く。

忘れられるはずがないよと言って、やよいっちはウルウルした目で真美を見ている。

心なしか声も震えてた。

 

「だって、プロデューサーが言っていたから、私これまで頑張ってこれたんだよ。あの言葉、私の大切な宝物だもん」

「それは真美もだよ。……いおりんは?」

「バカ、分かりきったことでしょ」

そう言っていおりんは頬を赤くした。

 

……亜美ももちろん憶えてる。

にいちゃんからのDVDレターは、いまも765プロの事務所に置いてある。

今もたまに亜美一人で観ているんだよね。

 

事務所のテレビで再生すると、あの日のことを鮮明に思い出せる。

画面の向こうにいるにいちゃんの声を聞いて、また頑張ろうって思えること。

それが寂しくなったときや、悲しくなったときに立ち直るための亜美なりの方法だった。

 

画面に映るにいちゃんは穏やかな顔つきで話してる。

 

『ひたむきに努力できることがやよいのいいところだよ。優しさの中に秘めた諦めないその明るい姿勢をみんな見ているから、その人たちはいつもやよい応援してくれるよ』

『真美はイタズラばっかりに見えて、実はすごく大人っぽいよな。これからきっと、少し考えて立ち止まってしまうことも増えるだろうが、そんな真美が情熱を向けられる、そんな唯一の場所を見つけてほしいよ』

『亜美の悪だくみにはいつも大変な目に遭ったなあ。でも、物怖じしない度胸といつでも楽しく振る舞おうとするその姿は本当に素敵だ。これからも亜美だけの道を、自信を持って進んで行ってくれ』

 

『それに、』

にいちゃんは亜美と真美の二人にはこんなメッセージも残してくれた。

『亜美と真美には、一緒にいてこそさらに何倍も輝ける最高の相棒が側にいるんだ。その絆を大切にな』

 

その言葉を聞くたびに、本当に元気が出てくる。

その代わりに、すこし切なくもなる。

一番にいちゃんに近くて、一番にいちゃんに遠い瞬間が、その画面を観ている時だから。

 

 

 

いままさに、目の前に座っている真美は、にいちゃんに言われたことを果たそうとしている。

グラスにかける指をグッと強めて、真美が力説する。

「真美はもう、これだって思うもの見つけたから。今すぐにでも全力で頑張りたいの」

そう言って、目をキラキラさせてる。

「真美……」

「亜美なら分かるっしょ、ねえ」

 

――――。

真美の想いを聞いちゃうと、どうしても高校を辞めることを否定できなかった。

真美なりの気づきや決意があって、言った想いなんだろうし。

「……」

アイドルがチョー楽しいっていうその感情は、亜美にもよく分かるし。

 

「でも、それでもわたしは言うわよ」

 

瞬間、静かになったカフェテーブルの空気を切り裂くように、いおりんがはっきりとした声を出した。

「あんたがこの先何を目指すにしても、みすみす成長の場を投げ出すのには反対よ。そんなのもったいないじゃない」

「いおりん……」

「まあ、それでも真美のやる気があるなら言いなさい。赤羽根Pに私からも言ってあげるわ。にひひっ」

 

……それはズルいよ、いおりんめっちゃカッコいいよ。

うちのリーダーはなんでこんなにイケメンなの?

亜美、いおりんがもし男の子だったら惚れちゃうかもしれないよ!

それぐらいヤバいよ、いまの笑顔は!

すでに隣でやよいっちの目が憧れのソレになってるもん! キラッキラしてるもん!

 

「い、いおり~ん」

涙声になって、真美がいおりんに抱きつく。

それを面倒そうに、だけど仕方ないわねといった様子でいおりんはされるがままを許してる。

そんな二人を微笑みながらやよいっちが見つめてる。

なんだか柄にもなく、亜美たち4人がこうして集まれる時間がとても幸せに思えた。

 

「……んあ~。 ねえねえいおり~ん、亜美も混ぜてよ~」

「ちょ、亜美アンタまでっ。きゃー!」

「うっうー! わたしも伊織ちゃんに抱きついちゃいます!」

 

席を立って、三人でいおりんの背中に抱きついた。

ぎゅーってすると、いおりんもよっぽど嬉しいのか手まで叩いてる。

 

「タップしてんのよ、もう!」

 

いおりんの怒号が響いた。

 

その後、亜美たち4人はそのカフェを出禁になりました、まる。

 

 




Another Side in 765プロ

イオリ「それにしても、本当に懐かしい映画だったわね。公開からもう4年が経ってるなんて、不思議な気分だわ」
マミ「いおりんも鬼軍曹りっちゃんにクリソツになるわけっしょ」
イオリ「真美、そろそろ東京湾に沈めるわよ」
ヤヨイ「伊織ちゃん、それはさすがにダメだよ」
アミ「すかさず真美に助け船を出すとは、イイゾーやよいっち~!」^ ^ )
ヤヨイ「海に沈めたらお魚さんに迷惑だよ」
アミ「どこか間違ってるよ〜、やよいっち~」・ ・lll)
イオリ「まあ、本当にそんなことはしないけど。とにかく私たちもそれぞれ成長したってことね」
マミ「さすがいおりん、話が分かるね♪」
アミ「いおりん! 君の大人な対応、亜美は敬意を表するッ!」
イオリ「はいはい」
ヤヨイ「ちなみに、沈めるよりも埋める方が確実みたいだよ」
アミ「やよいっちはどうしちゃったの……」
ヤヨイ「雪歩さんに教えてもらったの!」
ヤヨイ ζ*'ヮ')ζ つミ『スコップやってみよう!』
マミ「ゆきぴょーーーん!!!」


次回「群像、ガラス色な彼女たち。 ~The summer days, the eternal sea~ 」


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群像、ガラス色な彼女たち。

~The summer days, the eternal sea~

慧鶴です。
ガラスみたいに透明な、向こう側に広がる景色で目に映る色彩を幾度となく変える。
そんな765プロの彼らたちが交錯しあい、まだ見たこともない新たな色彩が映り始めます。


side. 萩原雪歩

 

5月末、某日。

今わたしはTV局にいます。

わたしの隣にはもう一人、同じ事務所のアイドル。4年前から髪を伸ばした……いまでは、竜宮小町に入る前くらいの背中に届く長髪に戻ったその人と。

わたしは緊張しつつも一緒に、はっきりと挨拶をします。

 

「萩原雪歩です、今日はよろしくお願いしますぅ」

「三浦あずさです。よろしくお願いします」

「よろしくな! いや~二人とも、ホントいつ見ても可愛いねえ」

「ふにゅ!」

「ふふ、ありがとうございます」

 

ドラマ撮影のスタッフさんたちに挨拶を終えて、控え室に戻ったわたしたちはさっそくお茶を飲んでいます。

今日のお仕事に向けて英気を養うのもありますけど、それ以上にとても落ち着くことができるこの一時がわたしは好きなんです。あずささんとの撮影が始まってからは、こうしてよくふたり一緒にお茶をしてるんです。

 

「今日もとっても美味しいわ~。ありがとう、雪歩ちゃん」

「あずささんに喜んでもらえて良かったですぅ」

 

ズズズ……とゆっくり啜りながら、思い浮かぶことをゆっくりと話し合う。

すると、あずささんについて新たな発見が日々つねづねある今日この頃。

例えば最近だと、あずささんが実はとても体型に気を遣っていて、でもお菓子が我慢できなくてやっぱり食べちゃうことがあるって、照れ笑いしながら教えてくれました。

こんなちんちくりんな私からすると、あんなに大人っぽいあずささんに、ちょっと可愛らしい悩みがあるのは微笑ましいなと思いました。

この撮影前のお茶の時間を通じて、あずささんともっと仲良くなれた気がしますぅ。

 

「雪歩ちゃん、この前の撮影でもそうだったけどすごく演技が魅力的になってるわね」

「そうですか?」

「ええ、本当に。あの熱演っぷりには、鳥肌が立っちゃったわ、うふふ」

「そんな、えへへ」///

「それに、男の人とも1mまでなら近づいて演技できてるものね、ホントにすごいわ~」

 

あずささんがそう言って褒めちぎってくれると、なんだかこんなダメダメな私でも不思議と自信が出てきます。

たしかに、事務所のみんなも同じように雪歩は良い意味で変わったって言ってくれてました。

 

そうなんです、萩原雪歩はちょっとだけだけど変わりました。

男の人は相変わらず苦手だけど、何とか1メートルまでなら近づいてお話ししたりできるようになりました。

それに、最近は演技にとても面白さを感じていて、こうしてあずささんや春香ちゃん、真ちゃんともよくいっしょに撮影するようになりました。なにより、引っ込み思案なわたしも演技をしているときは別人みたいに成れて、それがとっても楽しいんです!

 

「まだちょっと怖いけど、男の人にもいい人がいるって、分かってきたので……」

「うふふ、そうね」

「それに、わたしはもっともっと強くなって、守らなくちゃいけない人がいるんですぅ!」

 

強く意気込んでそう言うと、雪歩ちゃんに守ってもらえるなんてその人は幸せね、なんて言われちゃいました。

えへへへ、幸せかあ。

うん、そうだよね、わたしもその子も相思相愛なんだもんっ。

 

「それで、雪歩ちゃんが守りたい人っていうのは誰なの?」

「ま、真ちゃんですぅッ!」

「あらぁ……」

 

そう、私が守りたいのは真ちゃんですっ。

なんだか最近、ジュピターの北斗さんとかいう何処ぞのチャラ男さんに影響を受けてか、真ちゃんがふわふわしちゃってるんです!

ボーってしてると思ったら、急に顔を真っ赤にして、「ボク、ちょっとその辺走ってきます!」なんて言い残して事務所出て行っちゃうんですよ! 

……わたしには分かります、あれは恋する乙女の挙動ですぅ!

 

つい先日も、甘い言葉をかけられたのか北斗さんの話を出すと、2秒でアワアワしてました。

「べ、べつに北斗さんのことなんて知らないよっ、あの人はただの共演者で……ちょっと優しいところもあるけど。へ、べつにそんなんじゃないよ!」

そう言って、目の前で話を聞いている私に不自然なくらい熱弁してきて。

 

まちがいなく、クロォ!

 

そう、真ちゃんの今まで可愛いと、面と向かって言われたことがないための免疫力の無さが露呈しちゃったんですぅ。

あんなラブコメ臭が漂う真ちゃんを見ているとき、たぶんわたしの心はダークサイドまっしぐらでした。

 

……真ちゃんはカッコいい。それに、たまに見せる的外れでトボけた可愛らしさが魅力なんですっ。

そんな真ちゃんがあのチャラい金髪さんに誑かされるのを、親友として見過ごせるわけがないから。

だから、わたしは決めたんです。真ちゃんを守ると!

 

「あらあら、雪歩ちゃん。さっきから鼻息がすごく荒くなってるけど大丈夫?」

「ファッ! あ、すみませんあずささん。わたし思わず頭に血が上っちゃって……」

 

あずささんが心配そうにこちらを窺っているのに気付いて、我を取り戻しました。

あまりに興奮してしまいました、反省しなくちゃ。

フンスフンスしてる場合じゃなかったです。

 

「ほんとにもう平気?」

「はいっ、平気ですぅ! すみません、心配かけちゃって」

「ふふ、それなら安心ね。でも、あまり相手を好きだからって気がはやっちゃうとお互いに疲れちゃうからホドホドにね」

「――――!」

 

あずささんは落ち着いた声音でそう言った。

経験豊富な年上の女性からの含蓄あるお言葉です。

これはつまり、押してダメなら引いてみろってことですねっ!

 

……なんだか、目の前に座ってるあずささんが困ったような顔でこちらを見てます。

どうしてなんでしょう?

 

「……雪歩ちゃんはいつからこうなったのかしら」

「何の話ですか?」

「うふふ、ナイショのお話よ」

 

そう言って、あずささんはまたいつもの笑顔でコクコクとお茶を飲んでいる。

それから撮影が始まるまで、また他愛ないお話を二人で続けてました。

 

   ~~~

 

「そういえば、あずささん。この前響ちゃん帰ってきましたね」

撮影の休憩中、思い出したようにわたしは呟いた。

「ええ、ほんとビックリしたわね……」

「もうすぐ765プロでの特番があるから、沖縄から急いで帰ってきたみたいですぅ」

 

響ちゃんが突然765プロの事務所の前に現れたときは大変だったみたい。

なにしろ急だったこともあって、いまは律子さんの家に寝泊まりしているって言ってました。

律子さん、最近は響ちゃんのご飯が美味しいらしくて「1家に1我那覇は必須ね」と笑いながら話してくれます。

そのことを響ちゃんに伝えたら、

「うがー! 自分は白物家電じゃないぞ!」ってプンプンしてました。

 

「そういえば響ちゃん、小鳥さんのことで何か言っていたような~?」

「あ、きっと結婚式のことですぅ。式当日までもうすぐだから」

「そうだわ、結婚式。小鳥さんの花嫁姿、雪歩ちゃんも楽しみよね♪」

「はいっ」

 

あずささんはニコニコしながら、当日はたくさんお酒を持っていこうかしらって。

今からすっごく楽しみにしてるみたいです。

 

「響ちゃんもこの際オールスター企画が終わるまでこっちにいなさいって、律子さんが言ってましたっ」

「まあっ! それなら響ちゃんともたくさんお話しできるわね!」

「そうですねっ!」

「TV局の企画、みんなが集まれるなんて久しぶりだから、いまからドキドキしちゃうわ〜」

「……でも、わたしは期待もあるけど不安も感じますぅ」

 

思わずこぼれ落ちた本音に、あずささんが心配げに訊ねる。

どうして? ときかれても簡単には言い表せない。

ただ、この4年間でわたしたちの周りは大きく変わってしまったから、楽しいことと同じようにツラいことだってあるかもしれませんと。

再会は予期せぬことが多々あって、きっとそれがコワいのかもと。

 

しどろもどろになりながら、あずささんに話を聞いてもらう。

すると、あずささんも同じことを思っていたのか「そうねぇ」と神妙な面持ちで呟いた。

 

――――この4年間で765プロは様変わりしてしまった。

 

あの日、プロデューサーが激しい痙攣の後から今日までずっと続いている植物状態になったその時、もう戻れないような場所にわたしたちは立っていたんだと思います。

みんな苦しんでいて、わたしもひどく落ち込んでいました。

 

そんなある日、赤羽根PさんがあのDVDレターをわたしたちに見させてくれました。

透明な液晶の向こう側で、プロデューサーさんが喋ってました。

 

『雪歩にしかないものがあるよ。自分なんか、なんてことはない。追い詰められても決して逃げずに立ち向かえる尊い勇気を雪歩はちゃんと持ってるから。雪歩のペースでいい、大切なものを無くさないよう進んでくれ』

 

与えてくれた言葉に、気がついた時にはわたしも思わず泣いちゃってました。

 

それ以降、みんなもそれぞれ別の道へと進んだり、疎遠になったり、前とは人間性から変わっちゃったような子もいて。

そんな風景を見続けていて。

わたしは特に、もう突然大切なひとが離れて行ってしまうのが本当に怖くて堪らなかったから。

プロデューサーの言葉や、側にいてくれるみんながいなかったら、きっと今ごろアイドルをやめてたかもしれない。わたしはみんながもういなくならないことだけ、それだけを願ってました。

 

そこに、今回の企画。

もしかしたら、これを機にまた前みたいに笑い合えるかもと。

そう思う反面、決定的な別れが待っているかもとも。

そんな怖さが、企画の話を聞いてからずっとありました。

 

だからこそ、怖いんです。

 

あずささんはわたしの話を聞いて、少しのあいだ考え込んでいました。

わたしに自分なりの考えがあるように、きっとあずささんにも思うところがあるのかも。

 

しばらく待ってると、撮影をそろそろ再開しますとスタッフさんに呼ばれました。

すぐに行きますと応えて、準備をする。

と、

「雪歩ちゃん」

そうあずささんに呼び止められた。

 

「あずささん?」

「いまの雪歩ちゃんの悩みに、わたしは何を言えばいいのか分からないわ。……ごめんなさいね」

 

あずささんがこちらに近づいて、私の手のひらをあたたかな両手で包みこんでくれる。

 

「でも、雪歩ちゃんが気にしているように、みんなもきっと同じことを思っているわ。だから、雪歩ちゃんから歩み寄ってみてほしいの。きっと相手も心を開いてくれるはずだから。……それに、せっかく会えるんだもの。笑顔でいたいじゃない」

 

にこやかな表情でそう言い切ったあずささんが、撮影に戻りましょう♪ とわたしの手を引っ張る。

 

歩み寄れるかな、わたしにできるかな?

 

頭の中に浮かんだ疑問、それに蓋をする。

わたしは、あずささんに引っ張られるままその場を離れる。

ドラマの撮影に戻り、またいつものように全力で演技をしました。

 

   ~~~

 

今日の分すべての撮影を終え、次の仕事場に向かう準備を控え室で進めていると、赤羽根Pさんから連絡が入りました。

「もうすぐつくから、それまで待たせてもらっておいてくれ」と、もらったメールには書いてあります。

「分かりました」という返信メールを送ってから、また準備に戻りました。

 

あずささんはこの後竜宮小町でのお仕事が入っているから、この撮影からは別々の現場になる。

あずささんは今も身支度を進めている。

その様子を見ながら、ふと思う。

きっと、今日も。

 

「あの、あずささん」

あずささんに話しかける。と、朗らかな表情で振り向いてくれる。

 

「どうしたの、雪歩ちゃん?」

「今日も、また行くんですか……」

 

わたしのその言葉に、ええと頷いてまた笑う。だけど、それは少し寂しげな笑顔に見えました。

 

「すこしの時間でも、あの人と一緒にいたいから」

「……あずささん、あの」

「?」

「な、何でもありません。いってらっしゃいですぅ」

 

わたしはあずささんにそれだけしか言えなかった。

あずささんが穏やかに頷くのを見て、何と声をかければいいのか分からなかったから。

 

それから律子さんが迎えに来て、伊織ちゃんと亜美ちゃんに引っ張られていくあずささんを見送りながら、この後病院でどんなことを話すんだろうと思いました。

 

 

その後。

赤羽根Pさんが迎えに来てくれたので、わたしは撮影スタッフの方に挨拶してその場を後にしました。

TV局を出るとき、いつものようにこの後のスケジュールの確認を済ませます。

だいぶ時間が押していて、すぐ後にラジオ収録がはいっているから急がないといけないらしいです!

 

「お昼ごはんは車の中になるが、大丈夫か?」

「はいっ」

「よし、じゃあ早く行こうか。のんびりしてると監督さんがカンカンになっちゃうからな」

「ふふ、そうですね」

 

それから、社用車が駐めてある駐車場へと向かう。

その時、ふと後ろで変な物音が聞こえました。

ガサガサッ、というかピピピっみたいな……。

気になって後ろを見てみたけど、何にもありませんでした。

 

……なんだろう?

 

「おい、雪歩。急がないと遅れるぞ~」

「ま、待ってください、プロデューサー!」

 

前方でわたしを呼ぶ赤羽根Pさんに慌てて駆け寄った。

そのまま車に乗り込んで、わたしたちはテレビ局を後にしました。

 

   ◇

 

side. 四条貴音

 

 

「もし、大将殿。この辛味ごく厚ちゃあしゅう全部乗せ豚骨ねぎらぁめんの特盛りを一人前」

「……はいよ」

 

私の注文をとり、大将殿は即座に麺の湯通しを始めました。

次いで強面な顔つきに浮かぶ真剣な職人の眼差しが光る。自家製と思われる「ちゃあしゅう」をこれでもかと思えるほど分厚く切り出す。そして濃厚な色合いのすぅぷを器に入れ、そこに華麗な手さばきで湯切りされた麺を投入。最後に先ほどのちゃあしゅうを器からはみ出すほど満遍なく敷き詰め、その上に山盛りのねぎが巨塔の如くそびえ立ちます。もうここからでも鼻腔を強烈に刺激する香辛料と豚骨特有の香りが――――、

 

「たまりませんね」

食欲を抑えきれないためか、思わずため息がこぼれる。

ああ、待ち遠しいとはこのことを言うのでしょう。

 

そして、ついに私の席にらぁめんが運ばれてきました。

立ちのぼる湯気に、こちらも自然と興が乗ります。

 

「……お待ち」

「ありがとうございます。……では、いただきます」

 

箸とれんげで器の中をかき混ぜ、まずはすぅぷから。

啜りながら、即座に胸の高鳴りは頂上へと至る。

その頂きで休むことなく、つやしこな細麺を箸で掬い、おもむろに口へと運びます。

 

ちゅるん。

 

啜っている最中、思わず破顔。

いい、これは真、いいです。

 

一口目から、もうそれは至福を超えたらぁめんでした。

食べども食べども飽きの来ない味わい。麺に絡みつく濃いすぅぷと辛さの利いたちゃあしゅうの刺激が自然と食欲をかき立ててゆきます。

面妖な、その一言しか出てきませんね。

 

「――――ねえ貴音、そろそろいいかしら」

 

夢中で食しておりますと、席の向かい側に座っている律子がこちらに声をかけてきました。

 

「はい、律子。私はちゃんと聞いておりますので、どうぞ気にせず話してください」

「気にするなって言われても、そんな目の前でドカドカとラーメン食べられちゃねえ」

「麺が伸びてしまいます、早急に本題を」

「……もういいわ」

 

溜息をこぼしつつ、律子が鞄からなにやら資料を取り出します。

それをてーぶるの上に広げ、説明を始めました。

 

聞くと、この度TV局が主導のもと765プロの特別番組を放送する企画が入ってきたらしいです。

内容としては、各アイドルたちの活動の軌跡をたどりつつ、現在の私たちの仕事に触れていくもの。特に、この企画はオールスターとして参加してほしいらしく、番組中で全体曲を一曲と、アイドルそれぞれが持ち歌を一曲ずつ歌う催しのようです。

 

なるほどと得心いたしました。

今回、律子が私を日本に呼んだのはこのためだったのですね。

そう訊ねると、律子がその他にも理由はあるわと答えました。

 

「小鳥さんがね、今月結婚式を挙げるのよ」

「なんとっ! それは『じゅうんぶらいど』、というものですね」

「ええ、もう再来週まで迫ってるから、貴音も式に来られればと思って連絡したのよ」

「もちろん、私も参ります。小鳥嬢の晴れの日を、全身全霊で祝わせていただきましょう」

 

私の答えに、ほっと息をついた律子は、

「それじゃあ、番組の撮影と小鳥さんの挙式が終わるまではウチに来なさい。ちょうど今、響も泊まってるから」

と。

 

せっかくのお誘いです、この好意に甘えさせてもらいます。

それに、響と会うのも久方ぶりです。メールはよくしますが、やはり直接会うことの喜びが勝るでしょう。

今から響に、そして事務所の皆に会えるのが楽しみです。

 

話を聞き終えた私は律子の様子からこの場での話題は以上だと、そう悟りました。

会話をしつつ食していたため、もう器の中には表面にこってり脂を湛える豚骨すぅぷが在るのみ。

 

いざ、参りましょう。

 

最後まで気を抜かず、らぁめんのすぅぷを一滴残さずに、私は喉へとゆっくり流し込んだ。

 

「いつのまにか食べ終わってるし」

「……ごちそうさまでした」

 

はあ、至高の極み。

らぁめん。それは最早、ただの食にあらず。

日々探求、精進していく道であり、人そのもの。

らぁめんは文化。

らぁめんは進化。

らぁめんは可能性。

今日もまた新しい出会いを探して――

 

――今日のお店も、真、素晴らしいものでした。

 

はぷ。

 

では、お勘定を済ませましょう。

店内にいる従業員殿に、お声がけをします。

れじすたぁの前へと案内され、私は先ほど食したらぁめんの代金をお支払いしました。

 

さて、それではお暇いたします。

店内に充満している芳醇なにおいを吸い納めると、私は出入り口の方へと進む。

その時、後ろから大将殿が「待ちな」と私を呼びました。

振り返ると、大将殿が厨房からこちらを見つめておりました。

 

「銀色の、いや、『麺界の王女』か。……噂に違わねえ、見事な食いっぷりだな」

「とんでもありません、私はまだまだ未熟者です」

「いやいや、その二つ名は伊達じゃあ無えようだ」

「……大将殿、このお店のらぁめんは真、逸品です。無骨ながら奥深くに宿る味の豊かさと繊細さ。この四条貴音、感服いたしました」

「……光栄だな、あんたに褒められるとは」

「ふふ。では、私はこれで」

「……お粗末」

 

私は最後に、大将殿へごちそうさまの感謝を込めて「また来ます」とだけ伝え、その場を後にした。

 

   ~~~

 

お店を出て、しばらく歩くと律子が口を開きました。

「それで、あれからどうだったの? 貴音の方で調べはどこまで進んでる?」

ひそやかな声で訊かれる。その意味を即座に理解し、

「あの方の治療法は、遠い海の向こうでも見つかりませんでした」

淀みなくお答えいたしました。

「そう、外国でもダメだったのね」

「はい。私の力及ばず。……プロデューサーを助けるには、もう奇跡しか残ってないのです」

心苦しい、辛くてたまらない。

ですが、それが事実。

私がここ2年ほどアイドルとしての活動を海外に移し、その傍らで血眼になって探し求めた結果が、プロデューサーを助ける術は世界中のどこにも無いという医療現場における現実でした。

脳の治療が上手くいった奇跡と引き換えに、次は目を覚ますための奇跡を。

まさにこの世界は、残酷なつじつま合わせなのでしょう。

 

 

 

あの方が倒れてから、数日ほど放心状態に近かった私たち。

希望が一転し、絶望へと突き落とされる。特にあずさと、……美希の心中を思うと心が張り裂けそうでした。

 

しかしあの日、赤羽根Pが持ってきた一枚の『でぃーぶいでぃー』。

そこに収められていた言葉が、私たちを突き動かしました。

『理想を追い求め、奢ることなく自分を高め続けられる貴音に何度も教えてもらった気がするよ。誰にも対等に接し、本当の意味の優しさでいたわれる貴音に。いいか貴音、君自身の道を見つけ、自分が信じたその理想を、これからも迷うことなく追い求めるんだ。俺からはこれしか言えないよ』

そう微笑みかけて下さいました。

 

残された言葉に、私は決意いたしました。

アイドルとしてだけでなく、四条貴音自身が望む未来もかならずや切り拓くと。

 

それから始めの2年間、事務所が大きく変わっていきました。

活動を継続していく最中ではじめに千早が、次いで美希、響と765プロのあるこの町から離れて、遠く海外や別の町に行きました。残った者も自らの目標に向け、活動の方針を少しずつ固めていって。

そして、いつからか全員で集まることは無くなりました。

ただの、一度も。……それは今も続いています。

 

私は思ったのです。

このままだと、いずれ本当に二度と会うことも無くなると。

だからこそ、その時に私自身の望む道を明確にしました。プロデューサーを目覚めさせ、もう一度765プロに戻ってきてもらうことを。そうすればきっと、また以前と同じように――。

 

「この度のTV局の企画は、僥倖かもしれません」

「貴音?」

「やり直せずとも始めることはできます。皆が揃う今回、何かが動き始めるやも」

 

そう言いつつ、それが実現することを願うような自分の口ぶりに皮肉を感じます。

そんな私を気遣ってか、律子がそうなるといいわねと、励ましのような言葉をかけてくれました。

 

「今度こそ、みんなが笑えるような場所を取り戻したいわね」

「……ええ、真、そうですね」

 

自分に言い聞かせるように、そう言った。

あの方の、プロデューサーの顔を思い浮かべながら。

 

ずっと私の心に離れることなく貼り付いた、いっしょに過ごした時間を。

 

その時でした。

 

ふと、約束を思い出したのです。

以前、プロデューサーと私との二人で交わした、大切な約束事を。

 

――私は幸せ者ですね。頼れる人が、心の中にも、周りにも、大勢いるのですから。

 

「ただ……。律子、」

 

微笑みをしまい、私は隣を歩いている律子を呼び止めました。

声音が厳しさを増し、表情もかたくなってしまう。

 

「先日から、ひとつ気になる点がありますので報告を」

「何、どうしたの」

「この度日本に帰国してからというもの、怪しい気配を常に身近に感じているのです。」

「えっ。それ、ほ、本当なの?」

 

驚いた顔の律子に、私は頷きました。

   

「なにか邪悪なものが近くに潜んでいます。気をつけて下さい」

 

私の言葉に、律子がゴクリと喉を鳴らしました。

 

   ◇

 

 

 

【番外編】

 

その後、らぁめん屋にて。

 

 

「大将! あの『麺界の王女』がべた褒めでしたよ! やっぱりウチのラーメンは最高なんですよ!」

弟子の一人が歓喜で興奮冷めやらぬ面持ちのまま、大将へとそう言った。

「……」

「大将?」

「……とんでもねえ女だ。店に入ってから出るまでの間、こちらが微塵も気を抜けねえあの覇気。何よりラーメンへの造詣の深さと食いっぷり。ありゃあ伝説になるわけだ」

 

大将は総毛立つ身体をよじりながら、声低く呟いた。

 

 

 

そして。

翌日からそのらぁめん屋はとんでもない繁盛店となり、数年後には全国にのれん分けをした弟子が広がっていって、伝説の名店になったそうな。

しかし、それはまた別のお話……。

 




Another Side in 765プロ


リツコ「なにこれ」
ヒビキ「なにって、ハム蔵だぞ」
リツコ「は、ハム蔵!?」
ハム蔵「ヂュイっ」(よう、律子の姐御。相変わらず余裕の無いツラしてるな)
リツコ「なんでこんなハーボイルドな顔つきになってんのよ」
ヒビキ「ハムスターだもん、人間より成長は早いに決まってるさー」
リツコ「そんなレベルの問題じゃないでしょ!」
ハム蔵「ヂュヂュイ」(自らの尺度でしか物事を測れぬのは、己の無知を晒すことと同じだぞ)
リツコ「それにしても、……本当に渋い顔つきね」
ヒビキ「でも、可愛いところもあるんだぞ。相変わらずヒマワリの種大好きだし」
リツコ「そうなの?」
ハム蔵「ヂュ」(そんな昔のことは憶えていない)
リツコ「でも、もしかしたら明日にはウイスキー飲んでるかもしれないわね」
ハム蔵「ヂュっ」(そんな先のことは分からない)
ヒビキ「あはは、そんな訳ないぞ。ハム蔵はいま禁酒中だからな」
リツコ「サラッととんでも発言したわね」
ハム蔵「……」(響に頼まれちゃ、断れねえからな)
ガチャッーーーー
ハルカ「ハイサイ! この後書きの超ド本命アイドル、天海春香ですっ!」
ヒビキ「お、ハイサイ春香!」
リツコ「おはよう春香」
ハルカ「二人で何見てるの……って、えー! ハム蔵とゴルゴ××(ピー)がフュージョンしてる!」ケラケラwww
ハム蔵「ヂュヂュイっヂュイ……」(春香、後でドタマかち割ってやるからな)



次回「たくさんの、花束を君に。 ~My eyes, voice and hands to feel you~ 」


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たくさんの、花束を君に。

~My eyes, voice and hands to feel you~

慧鶴です。
ターニングポイントに差し掛かってます。


side. 赤羽根P

 

ちょうど新郎控え室で、衣装の確認をすませたところだった。

 

雨は降らなかった。

天気予報も当てにならないなと思う。

三日前から雨だって言ってたけど、今日は快晴だ。

まるで、俺と音無さん……いや、小鳥さんの門出を祝福しているみたいに。

 

まあ、こんなに晴れてると元気も有り余るんだろうな。

6月特有の梅雨で最近はずっと雨降りだったから、今日みたいな天気のいい日は気持ちも前向きになる。

だから、目の前で繰り広げられる惨状もその影響に違いない。

……そう思わないと、やってられない。

 

「HEY 亜美! どうかなこの衣装。シルヴェスター・スタローン出演作、ランボーの戦闘服!」

「いいねぇ真美〜、何も終わっちゃいませんっ、だね! 分かる、亜美にはよく分かるよ! そしてこっちはシュワちゃんだよ~、アイルビーバーック!」ダダンダンダダン

「レッツドンパチ!」

「いや真美、それはコマンドーっしょ」

「まったくもう、あんたたち、なに遊んでんのよ。……いいわ、もっと過激にやりなさい」

「「イエッサー! いおりんの仰せのままに♪」」

 

なんでだろうな。

この賑やかさが懐かしすぎて泣きそうなのか、それとも他の理由かな。

って、どう考えても後者だ。

なんだよこの状況。

人の結婚式でどれだけふざけ倒すんだよお前たちは。

第一、どうして伊織まで便乗してるんだ!

 

亜美と真美が二ヨ二ヨしながら、こちらに笑顔で駆け寄ってくる。

普段なら俺もなにも思わないで、笑顔で受け答えできるはずだろう。

だが、今は違う。

この双子、顔がニヤけているじゃあないかっ!

 

「んっふっふ~。これはこれは赤羽根兄ちゃん、本日はお日柄も良く~」

「ささやかな真美たちからのお祝いだYO! もとい、……高校辞めてやるぜぇ、赤羽根兄ちゃん!」

「高校はいま関係ないだろ!」

「「ヒャッハー! 今日は全くめでたいぜぇ!」」

「おいぃぃ!」

 

目の前で次々と放たれるイタズラに、ツッコミが追いついていなかった。

いや、別にツッコミが俺の役目とかは思っていないけど、どうして今日に限ってアイツらはあんなにも元気に……元気すぎるくらいにはしゃいでいるんだ。

 

「まったく、少しも落ち着かないわね」

「伊織も静観してないで、二人をどうにかしてくれよ」

「にひひっ。アンタもこれぐらい制御できなきゃ、これから小鳥の尻にしかれちゃうわよ」

「ぐうの音も出ないな」

 

それから少しして、騒ぎを聞きつけたやよいが亜美と真美を引っ張っていった。

いまでは765プロの中で一番お姉さんらしい。でも、

「おはようございます、赤羽根P! ご結婚、おめでとうございますぅ!」

この明るさだけは少しも変わっていない。

陽だまりのような笑顔で、今日この日を祝ってくれる。

「ありがとう。やよいもそのドレス、似合ってるぞ」

「えへへ~」

「そういう言葉は、花嫁さんにとっておくものですよ、赤羽根P」

 

ふと後ろから話しかけられ、振り向くとそこには律子が立っていた。

ライトグリーンのカクテルドレスに身を包む彼女が、クイッと眼鏡を押し上げる。

 

「タキシード、似合ってますね」

「律子もな」

「だからそういうのは、……はあ、言ってもダメですね。まあでも、あなたのそういう所が、小鳥さんも好きになったんでしょうから」

 

なかば呆れ顔でそう言いながら、新郎控え室から出ていく亜美と真美、やよい、伊織を見送っていた。

コケないようにね、とアイツらの後ろ姿に律子が声をかける。まるで保護者みたいだな。

そう言うと、いつまで経ってもあの子たちは妹みたいなものですから、と苦笑した。

 

「妹か、違いない。……それにしてもアイツら元気ですね」

「ええ、あの子たちなりの気遣いだと思います」

その言葉に思わず、え~、と声が出た。

「アイツらがですか?」

「もうすぐ赤羽根Pが誰か一人のための存在になってしまうから。きっと寂しいんだろうけど、それを見せたくないんでしょうね。誰かとの距離が遠くなるような気がする、そういう経験が、みんなにありますから」

 

しみじみとした面持ちでそう言う律子に、俺は何も答えなかった。

だが、確かにアイツらがあれだけ笑顔でいるのは久しぶりだったし、もしかしたら本当なのかもしれない。

そう考えると、途端に可笑しさと切なさが腹の底から込み上げてきた。

 

「まったく、かわいい妹分ですね」

 

そう呟いた俺の隣で、律子も笑っていた。

と、

「やっばい、さっきの部屋にモデルガン忘れてきちゃったー!」

ドタバタしながら亜美と真美が戻ってきた。

 

……。

 

「あっるぇ~、もしかしてお取り込み中?」

「ま、真美探偵っ。これはもしかして、赤羽根兄ちゃんがりっちゃんと一緒に愛の逃避行をしようとして……」

「亜美、真美。ちょっと話があるわ」

「「にょえ~」」

 

前言撤回する。

鬼の形相の律子が、亜美と真美を連れて控え室を出て行った。

 

   ・

 

それから少しして、他のアイドルのみんなも挨拶に来てくれた。

雪歩と真からのお祝いの言葉を受け取って、二人にお礼を伝える。

 

「さっき会ったんですけど小鳥さん、すっごく綺麗でした!」

「そうかぁ~」

「赤羽根P、鼻の下が伸びてますよ~」

「う、仕方ないだろ。真もからかうなよ、緊張してんだから」

「へへっ! でも赤羽根Pも、今日は誰よりも男前ですねっ」

 

そう言って、真がはにかんだ。

うん、真こそ男前だよ。

そんな中で気になったのは、真のドレス姿を終始、雪歩がまじまじと見つめていたことだな。

たしかに真にとても似合っているが、凝視するほど気にすることだろうか。

 

「ドレスもいいけど、タキシード姿の真ちゃんも見たいですぅっ!」

 

やっぱり雪歩は通常運転でした。

 

   ・

 

そのすぐ後にやって来たあずささんには思うところもあるけど、それをあまり見せずに会話した。

先輩があんなことにならなければ、きっと彼女も今ごろは結婚式を挙げていたのかもしれない。

そう思うと、自分の結婚をすなおに祝ってもらうのが心苦しかったのだ。

でも、あずささんは少しも嫌な顔は見せず、惜しみない祝福の言葉をくれた。

 

「おめでとうございます、赤羽根Pさん。あなたが幸せになってくれて、とっても嬉しいです〜。それに、きっとあの人も喜んでくれているはずです」

 

その笑みに俺も、ようやく笑って答えられた。本当に、ありがとうと。

 

   ・

 

響と貴音が来てくれて、お祝いの言葉をもらった時には、挙式までもうあと僅かだった。

二人とも765プロから長い間離れていたけど、ひさしぶりに会ってもその心根は本当に素敵なままだと思った。

一つ気になったのは貴音が海外帰りだからなのか、この二年で新しく開店したらぁめん店を近日ひたすら食べまわっていること、……によって一緒に連れまわされた響が重度の胃もたれを起こしているらしい。

 

「次は是非、よぉろっぱの美味ならぁめん屋さんを赤羽根Pにご紹介いたします」

「逃げてっ、赤羽根Pちょー逃げてっ! じゃないと、小鳥との新婚旅行が貴音のラーメンツアーになっちゃうぞ!」

 

響の目がマジだった。

 

   ・

 

最後に来てくれたのは春香と千早だった。

空港まで千早を迎えに行ってたらしい。それにしても千早、また一段ときれいになったなあ。

 

「活躍はこっちでも聞いてるよ、千早。さすがだな」

「赤羽根P……ありがとうございます。ようやく私も、みんなに顔向けできます」

「顔向けなんて、そんなこと気にせずいつでも帰っておいで。765プロは、千早の居場所なんだから」

「……はい。あの、赤羽根P。この度はご結婚、おめでとうございます」

 

穏やかな微笑を浮かべる千早に、来てもらえて嬉しいよと俺は伝えた。

あの時以降、数えて一番始めに765プロの事務所を出ていった千早のことだ。ずっと気に病んでいたんだろう。

でも。

 

『止まるなよ、千早。お前の歌声を待ってる人が、きっと世界中にまだまだ大勢いるから。苦しさや悲しみで進めなくなるかもしれないけど、歌声を取り戻した千早なら大丈夫だ。

立ち止まらずに、歌えよ。

立ち止まりそうな人に、千早の歌で勇気を届けてくれ』

 

千早が先輩の残したDVDレターに記録されてた言葉を果たそうと、遠く海外の地『アメリカ』で努力したことを、765プロのみんなは知ってるから。

それは自分を責めることでなく、誇るべきことだと俺は思う。

 

「よく、頑張ったな」

「――――っ。はいっ」

 

そうして、二人無言のなかで声なき言葉を交わしていた。

……もう一人のアイドルの目など気にもせず。

 

「春香さんを完全に無視!?」

 

ごめんな、春香。これは先輩から引き継いだ大事な俺の役目だ。

春香をイジらなければいけないと、心が叫びたがってるんだ。

 

「そんな役目いりませんっ。いますぐ小鳥さんにあげますから!」

 

そんな春香の主張を聞き流し、千早と二言三言交わしてから、俺は新郎控え室を後にした。

 

   ~~~

 

緊張を紛らわそうと、式場の外に少し出た。

相変わらず、空は雲を押しのけたのか青色に満ちている。

チャペルの周りには小さな庭園がある。

 

緑の中を少し歩きながら、今日の結婚式前の挨拶に来てくれたみんなのことを想っていた。

そして、一人だけいなかったあの子の存在が気になった。

 

やはり彼女は、まだ気にしてるからな。

俺と小鳥さんが勝手に結婚してしまうのが許せないんだろう。

そんなことを考えていると、式場の前にタクシーが一台到着したのが見えた。

 

黙って見ていると、後部座席から濃紺のドレスを身に纏った美少女が降りてきた。

さきほどまで考え事の中心にいた子、現状トップアイドルに最も近い存在と言われる女の子――――、

 

「美希……」

 

降りてきた美希は、肩にかかるまで短くカットした茶髪を手で払いながら、左手の腕時計を見やる。

それから、辺りを一度見回してから誰かに気が付いたのか、首をピタリと止めた。

ジッとその一点を見つめていると、そちらへ歩きだした。

どうしたんだ……? と後ろから追いかける。

 

というか、なんで俺、こんなことしてるんだ。これじゃまるで不審者か何かみたいだな。

「赤羽根Pさん、こんなところで何してるんですか?」

「――――!」ビクゥッ

「ふぇっ!? と、とと、キャー!」

 

ドンガラガッシャーン。

後ろから不意に声をかけられて、思わず仰け反ってしまった。

と、後ろから聞き慣れた擬音が。

後ろを確認すると、春香が尻もちをついてコケていた。

 

「春香か。はあ〜」

「ごめんなさい、あの、私」

 

謝りながらこちらを向く春香に、俺はシーッと口に人指し指を当てて、静かにと伝える。

すると春香も、すばやく口元にパッと両手のひらを交差させた。

 

ふぉふぇへはいほぉふへぅ((これでだいじょうぶです))

「よし」

 

静かになったことを確認し、もう一度美希の様子を後ろから眺めた。

と、思わぬ人が美希と一緒にいた。

 

あずささんだった。

 

あずささんと美希は正対し、お互いに見つめ合っている。

だが、二人の眼差しはまったく違う。

美希の瞳は苛烈な糾弾の意志を宿している。

一方、あずささんの瞳には戸惑いと哀しみの色が見える。

 

俺と春香が建物で身を隠しながら二人を見ていると、暗い沈黙を美希が破った。

 

「みんなハn、……プロデューサーを放っておいて、幸せになるんだね。ミキね、そういうのぜったい許せないの」

「……美希ちゃん。きっとあの人も、私たちが気を遣っているほうが嫌だと思うの。それよりも前向きに生きていることを望むはずだわ」

「あずさ、そんなのはただの言い訳なの。自分を正当化する言葉、最低なことだって思うな。……ミキは約束したの、プロデューサーを絶対に忘れない、一人きりにしないって」

「誰も忘れたりなんてしてないわ。ただ――」

「じゃあ、なんで結婚式なんてするの。プロデューサーが目を覚ましたとき、一人だけ置いてけぼりなんて、そんなヒドいこと、どうしてするの?」

 

美希の静かな、だが切りつけるような言葉に、胸が刺されたようだった。

分かっていたはずだ、でも、実際に聞くとやはり辛いな。

 

美希の言葉を聞いて、あずささんは黙っていた。だが、次の瞬間、目線をまっすぐに合わせ、

「その言葉は、結婚式に出るときは、赤羽根Pさんと小鳥さんには言わないで。……お願いします」

そう言って、深く頭を下げた。

 

「――――ッ!」

やるせない苛立ちを持て余すような表情で、美希があずささんを睨んだ。

だが、あずささんは頭を上げない。

「お願い、美希ちゃん」

「……式には、出ないの。ミキ、もう帰るから。」

 

そう言い残して、美希はあずささんから離れてしまった。

一度たりとも振り返らず、毅然とした足取りで式場を出て行った美希をあずささんは何も言わず、ただずっと見つめていた。悲しそうな、この世界のやり場無き苦悔のすべてを集めたような瞳で。

やがて、あずささんを探しに来た律子に引っ張られ、彼女は式場の中へと入っていった。

俺と春香はそれまでの様子を建物の影から、息を殺して、ずっと窺っていた。

 

「美希、やっぱり怒ってたな」

「……はい」

「……戻ろうか、春香」

 

俺と春香も式場の中へと戻る。

その途中、春香がこのことを皆には言いませんからと、そう言った。

俺はどう答えようか悩んで、結局、そうしてくれとしか言えなかった。

 

   ~~~

 

屋内に戻った俺は、最後にもう一度衣装を確認した。

真っ白なタキシードに何色もの『想い』という見えない彩りが染み込んでいるようで、まさに自分の身にはそういった過去がのしかかっている。

それを背負うことで、人は前へと進む。

先輩が俺に教えてくれたことだ。

 

「よしっ」

 

さっきまでの暗い気持ちを切り替える。

祝ってくれるみんなに、不甲斐ない姿は見せられないからな。

さっき聞いた美希の言葉は心に重しを乗せたように、深く沈み込んでくる。

でも、いつか必ず……。

 

そして、俺は一足先にホールへと向かった。

 

 

 

花嫁を待つ壇上に上がると、緊張で汗がすごかった。

亜美と真美がヒューヒュー! と煽っている声がするが、それすら気にしている余裕が無い。

心臓がバクバクと打ち続ける。

 

と、ついに、その瞬間が来た。

扉が開き、その向こう側から光が一斉に入ってくる。

その中心で、純白のウエディングドレスを着た小鳥さんが立っている。

 

息を呑んだ。

 

ゆっくりと、隣に並ぶ高木社長に手を引かれながらバージンロードを歩く。

その小鳥さんの姿を、みんなが言葉にならない嘆息で迎える。

 

やがて、その道は壇上に立つ俺の前へと至る。

小鳥さんの顔は手に持っているバラのブーケよりも真っ赤に染まっている。

ベールの向こう側の潤んだ瞳は、伏せられた長い睫毛の震えでチラチラと揺れている。

 

――世界中の誰よりも、小鳥さんが一番うつくしい。

 

柄にもなく、俺は本気で思った。

この人を幸せにしたいと、強く、強く。

 

それがどんな『想い』であれ、いま抱いているのは過去から未来へと進む意志だろう。

 

   ◇

 

side. 高木順二郎

 

暗い地下ハウスのカウンターに、私と黒井、そして吉澤くんの三人で横並びに座っている。

目の前にそびえる数百本ものボトルが並べてある壁は、照明によって黄金色に輝いている。

その光を背に、元同僚であるマスターはグラスを寡黙に磨いている。

 

三人ともウイスキーを水割りで頼んだ。

少し待つと、私たちの前にはスネアされたべっこう色の液体を注いだグラスが置かれる。

マスターも飲んでよと私が進めると、しょうがないなといった様子で彼も自分の水割りを作った。

 

「では、音無小鳥くんの新たなる門出を祝して」

 

――――乾杯。

 

私の音頭に四人とも声を合せながらグラスを少し傾け、それから口を湿らせた。

そして、見計らったようにマスターがオーディオを操作し始めると、懐かしい声音が店内に広がった。

いま私たちは音無琴美の曲をかけて、その音色と歌声に耳を傾けている。

 

私たちがともにプロデュースした彼女の、たった一人の娘が、今日、ついに結婚した。

この酒宴の席はその祝福と、琴美への報告のための場だった。

 

   ~~~

 

「いやはや、めでたいねえ」

「ハッハッハ。吉澤くん、君の取ってくれた皆の写真すばらしいよ」

 

そう言って、私は先ほど無理を言って現像してもらったばかりの一枚の写真を見つめる。

新郎新婦の周りに765プロのアイドルくんたちが立って、それぞれ笑顔で映っている。

……二人を除いて。

 

「でも、残念だったねえ。星井さんが来られなかったのは」

「う~む、星井くんは今や押しも押されぬトップアイドル、忙しいだろうから……」

「貴様、星井美希がトップアイドルというのは早計だな。なぜなら我が961プロのホープ、詩歌が」

「ハハハそうだな、お前の親バカに付き合うのは、また次回にしよう」

 

ぐぬぬ、と歯噛みしている黒井を横目に、私もふと思う。

実際、この4年間の星井くんの活躍は凄まじいものだ。寝食を削り、極限までアイドル活動に没頭しているその姿は鬼気迫るものがあった。

たしかに、その結果か今の彼女は名実ともにトップアイドルに近い存在となった。だが、代わりに以前の星井くんらしい彼女特有の雰囲気が見えなくなったような気がする。

 

と、

「だがまあ、星井美希の活躍そのものは認めよう」

黒井が口を開いた。

「今の彼奴には、僅かながら日高舞の片鱗を見ている」

「日高舞、か……」

 

しばらくの間、私は沈黙していた。

 

そのアイドルの名が星井くんの比較に出てくるとは。

伝説のアイドル、日高舞。時代を象徴するそのスターはあらゆる意味で私たちに影を落とす。

 

「……琴美くんとガムシャラにトップアイドルを目指したことが、昨日のことのように思い出せるよ」

ようやく、私は声に出せた。

「日高舞以後のアイドル業界衰退、そこに風穴を開ける。よくお前が口にしていたな」

「ふんっ。私は今でも、そのつもりだ」

「私の事務所のアイドルたちも、だな」

「ははは、黒井社長も高木社長も、思想は違うが目的地は同じなんだね」

 

吉澤くんがグラスを揺らしながら、そう呟く。

 

「日高舞が作りあげた夢を、君たち二人と琴美くんで超えようとし、その意志は今も若い世代のアイドルとプロデューサーに受け継がれている。ははっ、ロマンがあるじゃないか」

「吉澤、貴様酔っているのか」

「小鳥くんは、僕たちにとっても娘みたいなものだろう? その子が今日、結婚したんだ。酔いたくも、なるさ」

「……そうですね」

 

カウンターの奥で終始黙って耳を傾けていたマスターが、吉澤くんの言葉に首肯した。

グラスの中の氷がコトリと、音を立てて崩れる。

その音を次ぐように、彼も普段は寡黙なその口を開く。

 

「私たちにとって音無琴美という女の子が繋いだ縁が、その娘の小鳥さんによってもう一度甦った。既に奇跡みたいな話ですけど、その上、お母さんにそっくりで、歌まで上手なので最初は驚きましたよ。」

「君のバーで時折歌えること、音無くんも嬉しそうに話してくれるよ」

「こちらこそ、です」

 

そう言って、マスターは奥に立てかけてあった写真立てを取り出した。

そこには琴美と、若かった頃の私たち4人が映っている。

 

「……母と娘でよくここまで似たものだ。初めて会ったときは本当に驚いたぞ」

黒井がすこし不機嫌そうに言う。だが、その声には優しさがあるように聞こえる。

「本当に、音無小鳥は不思議な娘だった」

「いまでは我が765プロの頼れる事務員であり、赤羽根Pくんのお嫁さんだがね」

「……あの男の後輩か。まさか、アレと結婚するとは」

「幸せそうだからいいじゃないか」

と、吉澤くんが黒井をなだめる。

 

私も吉澤くんの言葉にうんうんと頷き、また水割りを呷った。

と、もう無くなったのでマスターにおかわりを頼む。

新しく出てきたお酒を飲みつつ、今日この日を迎えられたことは万感の至りだと、そう思った。

 

それから、私たちはまた静かに飲み交わす。

「これから先も小鳥くんのように結婚していく所属アイドルを、また見ることになるね」

しみじみとした面持ちで、吉澤くんが私と黒井にそう言った。

「ふんっ。そんなものは無い! 貴様のような三流プロダクションならいざ知らず、わが961プロの排出したアイドルはそう易々と――、」

「そういえば、天ヶ瀬くんたちとはどうなんだい?」

「……吉澤、貴様は俺に喧嘩売ってるんだな」

「いやいや、315プロに移籍したとはいえ、彼らも君にとっては大切な子供みたいなものだろう?」

「あんな者は知らん!」

「ああ、そういえば天海くんと天ヶ瀬くんは良い仲じゃないか」

「何だとッ!!」

私が思い出したように口にした話題に、黒井が慌てながら食いついた。

「高木貴様、酔って妄言を吐くとは大概にしろ!」

「いや、お前以外ここにいる人知ってるからさぁ」

「な、ななっ……。たっ、高木ぃ! 説明しろ!」

 

ギャースギャースと騒ぐ黒井を放っておいて、私はもう一度、今度は琴美の写真と見比べながら結婚式の写真を眺めた。

私はようやく、琴美との過去を少しだけまっすぐに向き合えるようになった気がする。

それは、写真の中のアイドルたちのお陰でもあるのだろう。

ここに映るアイドルたちも、今は映っていない者も、いつかは自らの新たな人生の門出を迎えることになるかもしれない。

それがいつなのか私には分からないが、せめて選んだその先で笑っていられることを……。

 

「……若い彼らの輝かしい未来を、我々はただ願おうではないか」

「そうだねぇ」

「貴様ら、私の話を聞けぇ!」

「まあまあ黒井先輩、抑えて下さい」

 

私たち4人の夜はまだ始まったばかりだ。

 

今夜ぐらいは、愛娘のように大切に想うひとりの女性の幸せを噛みしめつつ。

ほんの少しの寂しさを肴にし。

旧い友人であり、戦友である彼らとグラスを交わそうと思う。

 

   ~~~

 

「ところで高木、貴様の事務所のプロデューサー、あの男の様子はどうなのだ」

「変化無しだねえ。……ずっと、眠ったままだよ」

「聞いたが、来月放送の特番が入ったのだろう。貴様らの三流プロダクションの過去を振り返ると言っていたが、そうなれば当然、彼奴にも触れざるを得ないだろう」

「いや、それはできない。知ってるとおり、彼の存在を世間に出したくないと決めたのは、……三浦くんだからね」

 

不意に訪れた沈黙の時、重い声で黒井が私に訊いてきたその問いに、私は答えられる範囲で伝える。

三浦くんが私に放った言葉は、今もよく覚えている。

 

『あの人が目覚めるまで、そっとしてあげて下さい。

治療費やその他に係る必要な手続きは、私がすべて責任を持って必ず果たします。

アイドルのお仕事も、ちゃんとします。

事務所に迷惑はかけないので……だからーー

だからっ、……お願いします』

 

その言葉をあれからもう4年も、彼女はずっと果たしている。

彼女は自ら、アイドルとしての報酬のほとんどを治療費に、そして自由な時間の多くをプロデューサーの側にいることに費やしていた。

それは、献身と呼ぶにふさわしい。

 

「あの小娘は、まだ彼奴を待っているのか」

「ああ、今も休みがある度に会いに行ってるよ」

「ハッ! 殊勝なことだなっ」

 

皮肉混じりな声で、黒井がそう言い放つ。

それを隣で聞いていた吉澤くんが、そういえば、と私と黒井に向けて話しかけてきた。

 

「最近、765プロの周りをうろついている奴がいるよ」

「……ほう」

 

警戒を促す意味で言ったのだろう。

吉澤くんの目も、酔いの気配が薄れており、その状況の緊迫ぶりを私に伝える。

黒井も心当たりがあるのか、黙り込んで何か考えているようだ。

 

「……ありがとう、吉澤くん。こちらの方でも気をつけるよ」

「思い過ごしならいいんだが、もしもの場合があるのでね」

「わかっているよ。その時は、」

 

その後の言葉を口には出さずに、私は唇を固く横に引き結んだ。

 

 

 

 




Another Side in 765プロ

イオリ「あら、貴音じゃない! ひさしぶり!」
タカネ「ふふ、伊織も元気そうで何よりです」
イオリ「ところで貴音、アンタ海外での生活は大丈夫だったの?」
タカネ「はて、それはどういった意味で」
イオリ「アンタ英語苦手じゃない。外国語圏での会話、ちゃんとできたのかなって思ったから」
タカネ「なるほど、つまり伊織は私を心配してくれたのですね」
イオリ「なっ、心配なんてっ」
タカネ「私、感激いたしました。……ッポ」///
イオリ「へ、変な勘違いしないでよねっ。私は別にそんなつもりじゃーーッ」
赤羽根P「デレてますね」
リツコ「デレてるわね」
社長「いやはや、デレてるねぇ」
コトリ「『たかいお』という新たな可能性、尊いピヨオォォッォ!!!!」
ヤヨイ「二人とも仲良しです~!」
ヒビキ「デレりんだな、まったくチョロいぞ!」
マコト「響も人のこと言えないよ……。それにしても、伊織チョロいね」www
のワの「伊織ちゃんマジチョロすぎィ!!」WWW
イオリ「うるさいうるさいうるさい!」
タカネ「ちなみに会話はGoo××(バキューン)e 先生の翻訳にお願いしました」


次回「目に見えない。 ~I put it into mine, all in this passing moment~ 」


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目に見えない。

~I put it into mine, all in this passing moment~

慧鶴です。
今回から視点があずささんのみになります。
毎度視点が変わりまくる本作も、これで最後の視点変更になります。
度重なる視点変更に付き合って下さった読者の皆様、ありがとうございます。


side. 三浦あずさ

 

「このチケット、当たったから行っておいでよ! あずさ、この劇の原作好きだったでしょ!」

 

短大時代からの親友である友美にそう言われ、押しつけられるようにもらってしまったチケットを手に持ち、私は劇を観に来てます。

今日はお仕事もお休みだったので、ちょうど休日と知った友美が気を遣ってくれたのかもしれない。

 

でもほんとに当初は、もらったチケットの内容を見て、私は躊躇ってしまっていた。

観劇に行くことを、心の深い部分が拒んでいるみたいに。

 

それなのに。

本当は来るつもりなんて無かったのに、なぜだか今日行かなくちゃダメだって、もう一方で繊細な声がこだましてしまって。

仕方ないわと、そう思って私は劇場へと入りました。

 

開演前の賑やかな空気の後、席に着いてようやく暗幕が張られたら、まわりのお客さんの声のトーンも低くなってきました。

それと全く同じ瞬間を、私はいまでも鮮明に思い出せる。

始まる前から目尻が痛くて……。

 

だって、なにもかもが切ないほどに懐かしい。

あの音も、匂いも。

そして、いまは隣にいないあの人も。

 

『4年ぶりに日本へ帰ってきた! 大劇団エツルによるミュージカル、星の王子さま公演!』

 

もぎられて半分になったチケットには、その文字が印刷されている。

そのカラフルな紙面を丁寧に指でなぞった。

4年前も、プロデューサーさんと同じ劇を、ここで一緒に観たわね……。

 

……私は心だけをあの日のまま置いてけぼりにして、現実と自分との折り合いをつけるように、アイドルとしての『三浦あずさ』であることを続けてたんだ。

 

あの人の願った、トップアイドルになるという夢のために。

悲しみや後悔に負けない、強い私でいなければと、物わかりのいい大人になろうとしてた。

 

でも結局、プロデューサーさんの関わることになると、私はいつもあの頃の――――

――――4年前のままだわ。

 

だからきっと、今この席に座った途端に思い出してしまうのは、私が本当は立ち止まったままで、ちっとも前になんて進めていなくて、思い出の中のプロデューサーさんに縋っているからかもしれない。

 

そう思うと、先日行われた小鳥さんの結婚式で美希ちゃんに言われたことも、当然のような気がしました。

むしろ、美希ちゃんのように裏も表もない、プロデューサーさんへのまっすぐな想いに比べて、私のように取り繕った姿で本当の想いを隠していることは、すごくヒドいことだと……。

 

物思いに耽っている私を、開演を知らせるブザーが揺り起こす。

ざわつきもなくなり、劇場が静かになりました。

そして、舞台の幕が上がる。

 

ミュージカル『星の王子さま』が始まりました。

 

   ~~~

 

サハラ砂漠に不時着陸したフランス人の飛行士さんは、夜明けに不思議な出会いを果たした、そこから物語は始まった。

「お願い、ヒツジの絵を描いて!」

王子さまが、鈴の音のような声で話す。

少し気難しくて、でも輝くばかりに愛らしい少年が立っている。

 

その場面を眺めながら、私はまたあの懐かしい、ゆりかごの中にしまわれたような思い出を取り出しました。

王子さまがヒツジをねだるシーンを見て、私がそのあまりの愛らしさに笑っていると、隣に座っていたあの人も同じように笑ってくれていた。

その瞬間、少しの恥ずかしさと嬉しさが込み上げて、私は気を取り直すように劇に集中する。

全部、昨日のことみたいね。

もう、4年も前なのに。

 

目の前で、実際の劇はつつがなく進行する。

場面は砂漠から、小惑星B612という本当にちいさな星に変わる。

でも、番号なんて大した問題じゃない。大切なのは、王子さまが一軒の家ほどの大きさの星にいて、彼は友達がほしかったこと。

バオバブや夕焼け、王子さまが訊ねる言葉に、飛行士さんはひとつひとつ答える。

 

その言葉は、私をドキリとさせました。

小さな星で、彼は友達がほしかった……。

小さな世界でひとりぽっちの王子さまに、プロデューサーさんが重なって見えたから。あの人も、たった一人で病院のベッドの上の世界にいるんだわ。

きっと、それは私にも当てはまる。事務所のみんなも。

もしかしたら、この世界中の人たちみんな……。

劇は観ている私たちの心そのものさえ広げてしまうのね。

バオバブの傲慢な破滅も、夕焼けをみる寂しさも、忘れただけで、本来みんなが知っているものなのだと。

 

ある日、王子さまの星に一輪の、それは素敵な美しい花が咲いた。

でも花は厄介で気難しく、気まぐれで、よく嘘をついた。その言葉に王子さまは、だんだん花を信じなくなっていく。演者の表現は、すこしの残酷さも見せ始めた。

その残酷さは、大人になってしまった私に対する残酷さなんだと思いました。

 

「言葉じゃなくて、してくれたことで、あの花を見るべきだった。あれこれ言うかげには愛情があったことを、見抜くべきだった」

 

王子さまの後悔の言葉は、まさに私自身の言葉だったもの。

あの日、初めてプロデューサーさんに会ったときに、私はあの人の優しさを見抜けなかった。もし、最初から知ろうとする努力があれば、プロデューサーさんともっと早く仲良くなれた。

そしたら、きっと私は……プロデューサーさんに最初から打ち明けてもらえたかもしれない。もっと早く、あの人の背負っていた苦しみに気づけたのかもしれない。

 

どうして、今の私はプロデューサーさんのことを気にしていないと、そう振る舞うことしかできないのかしら。

美希ちゃんや、ファンのみなさんの前でだけ、どうして大人になったフリをしてしまうのでしょうか。

それが、劇を見ている私の頭の中でずっと問い続けられていました。

 

やがて、王子さまはその小さな星を旅立った。

花との別れの場面は、切なかった。

花は王子さまを愛していた。

でも、涙は見せなかった。

 

その瞬間でした。

 

『あなたとの約束を、守れなかった。本当に、ごめん。

もし今悲しんでいるなら、やめて下さい。あずささんにはこの先の人生があります。俺を思い続けてくれるのは嬉しいけど、それ以上に俺はあずささんに幸せになってほしいんだ。だから、前を向いてください。俺のことは、時間の流れの中に置いて行ってください。俺は先を行くあずささんを応援しますから。

俺とあずささんとの、……最期の約束です』

 

不意に、プロデューサーさんが残してくれたDVDレターの言葉が、鮮明に蘇りました。

4年前、ミュージックホール撮影の前日に赤羽根Pさんが見せてくれた、そのDVDを。

花が自らの心に素直になれないのは、プロデューサーさんが言ったものと一緒なのかもしれません。

テレビの画面の向こうで、悲しく笑ったあの人と……。

そして、今の私と……。

 

あの時から、プロデューサーさんの言葉が私には受け入れられなかった。

大好きなあの人の約束も願いも、私は果たしたかった。

だから。

プロデューサーさんのことを周りに隠したのは、私の涙を見せないためで。

きっと、……「もう諦めないといけない現実を否定したい」と、「あの人とした約束を嘘にはしたくない」と、そう思ったから。

私は、大人のフリをして……。

 

舞台上で劇は進んでいる。

王子さまは星々を周遊した。いろんな人に出会う。

ちっぽけな星で出会った人々は、どこかしら抜けていて、でも切実だった。

その最中で、王子さまは気付く。あの星に花を残してきた、自分の残酷さを。

 

私がプロデューサーさんを一人残しているこの現状は、王子さまの気づきを何より身近に思わせてくれました……。

 

そして、ようやく王子さまは地球に降り立った。

数えて7番目の、遠い遠い星だった。

降り立った砂漠で、王子さまは最初に蛇と出会い、ある約束をした。

それからずっと歩いて彼が出会ったのは、彼女とーー置き去ってしまった星に残る彼女のーーあの花とそっくりなバラたちだった。

王子さまは、自分の花がありふれたバラの一輪にすぎないと知って、草の上に突っ伏して泣いた。

 

その光景が、私には痛いくらいでした。

運命の人と思ったあの人が私に別れを切り出してから、幾晩も泣いた夜と同じ気持ちでした。

でも、劇中の王子さまと同じように私は気づけました。

王子さまが出会ったキツネは、私にとって北斗さんだった。

彼のおかげで、私はプロデューサーさんを運命の人ではなく、運命を一緒にしたい人と思えるようになった。

だのに。

それなのにあの人はもう二度と、目を覚まさないかもしれない。

一緒にすらいられない私たちは、王子さまがバラを取り上げられてしまったようなもので。

キツネが『絆を結ぶ』ことを王子さまに教え、そして別れるまでを見て、そう思いました。

 

劇を見つめながら、胸の内が暗く沈むのを感じました。

でも、その中で……。

劇の最中に、ふと、美しく力強い言葉に出会いました。

 

「秘密を教えてあげよう」

キツネの別れのセリフは、新しい風が身体中を吹き抜けたみたいに、私の中へと真っ直ぐストンッと入ってきました。

 

いちばん大切なことは、

 

舞台上で、キツネを演じる役者が美しい声で語る言葉。

 

目に見えない

 

その後もキツネは、王子さまを諭すように言う。

それは、不思議と劇を鑑賞している私がキツネに諭されているみたいな感覚でした。

だからこそ、その言葉が深く突き立てられたナイフのように私に刺さるのを、止めることができませんでした。

 

絆を結んだものには、永遠に責任を持つんだ

 

その一言が、劇が終わるまでの間耳もとでこだましているみたいに離れなかったもの。

 

それからずっと劇を鑑賞し続けて、最後の場面を見終えた。

瞬間に沸き起こる喝采と拍手に混じりながら、私は気付いたことをずっと確認したいと思ってました。

素晴らしい劇だったけど、それ以上に感じたことを今すぐにでも確かめたいと。

 

王子さまとバラ、キツネと、飛行士さんの……。

 

そして、私とプロデューサーさんの。

 

   ◇

 

演劇を観終え、劇場を出てから、私はプロデューサーさんのいる病院に行きました。

いつもより少し遅くなったお見舞いに、あの人の顔が1秒でも早く見たいと、私の気持ちは逸るばかりでした。

カララ……と静かに入室すると、プロデューサーさんはカーテンを通して柔らかくなった午後の日差しを浴びながら、目を閉じています。

 

その隣に、椅子を置いて、顔を覗きこむように座りました。

 

じっと見つめていると、長い月日を感じます。

すっかり痩せてしまった顔が、私とプロデューサーさんがお互いにこうして側にいながら、心に触れあえない時間を過ごした事実を、しっかりと表してるみたいです。

4年間の、長い、挫けそうで、向き合えなくなりそうになった数瞬も。

それでも隣にいたいと、変わらず願う自分の心も。

 

きっと、王子さまとバラ、キツネが、飛行士さんが育んだものは。

あのバラに捧げた王子さまのきらめくような時間と笑み、心と同じなんだわ。

そして、それこそが私とプロデューサーさんの……日々の答え。

 

……もう、この人のいない日々を想像できない。

この人がもう一度目覚めて、笑ってくれるなら、喜んでくれるなら。

いえ、そうじゃないわ。

もっと簡単なことだもの。

 

プロデューサーさんの隣にいられれば、他に何もいらない。

 

それが、私がこの4年間、隠し続けてきた本心。

大人になったフリをして、でも、忘れられなかった私にとっての、いちばん大切なことの、答え。

 

朗らかな温かさを感じさせてくれる王子さまの、あの優しい声と、かつてプロデューサーさんが私に向けてくれた声が重なって聞こえた気がしました。

それは甘やかで。

王子さまにとってのバラは、私にとっての……。

むかし自分があの人に伝えた言葉が、胸の奥を穏やかに駆け巡った。

 

――――辛く、悲しくても。信じることができる。

 

それこそ。

 

――――私はプロデューサーさんと絆を結んだ、その責任がある。

 

それこそが、嬉しかったの。

 

この気づきを大切にしないと。

そう思って、もう一度プロデューサーさんを見つめた。

いろいろな感情がわき上がってきて、それは触れられるとしたら優しいかたちに違いないわ。

気づけたことが、一歩になるはずだから……。

 

ふふっ。劇を見に行って、本当に良かった。

友美に感謝しなくちゃ。

 

フッと笑みがこぼれてしまった。

頑なに、今まで自分を守るように身につけていた固い悲しみが溶け出すように。

こんなふうに笑うのはいつ以来かしら、と思わずね。

 

だって。

『星の王子さま』が。

あの物語が、いまこんなにも胸に染みるんですもの。

 

   ~~~

 

病院を後にして、マンションに戻った私はシャワーを浴びてからしばらくの間ボンヤリとしてました。

いつものように家事を終わらせて、明日の仕事のスケジュールをチェック。

そして、ようやく落ち着いた時間になったので、友美に電話をかけた。

 

『もしもし、あずさ~。友美だよ~』

「ふふ。友美、こんばんわ~。いま大丈夫かしら?」

『ちょっと待ってね、もうすぐ寝そうなんだけど、あっ』

 

友美がそう言った途端、スピーカー越しに赤ちゃんの泣き声がこちらに聞こえてきました。

それを聞くや、友美はすぐに赤ちゃんをあやしに行きました。

待っている間、友美と彼女の旦那さんの話し声から赤ちゃんがウトウトしている様子が私にまで見えるみたいに、それは臨場感たっぷりに聞こえてきました。

受話器越しに、本当に友美は結婚したんだな~と、しみじみ思いました。

 

ようやく落ち着いたのか、

『ごめんあずさ、お待たせ~! 変なもの聞かせてゴメンね~』

と、友美が電話に戻ってきました。

「うふふ、そんなことないわ。とっても楽しそうで、聞いていて思わず想像しちゃった」

『ウチも亭主がしっかりしてくれるといいけど。子育てって夫婦で協力しないと上手くいかないわね』

「あらあら~」

『っと、そんな私の愚痴を言うより。どうしたのよ、あずさ』

 

友美が訊ねることに合わせて、私は今日『星の王子さま』の劇を観に行ったこと。そして、プロデューサーさんのお見舞いに病院に行ったことを話した。

特に、病院で気付いたことをしっかり友美に伝えた。

 

「ありがとう、友美。劇を観に行って、なんだか心に羽が生えたみたいに軽くなったの」

『そう、何か気付いたのね』

「ええ。とっても単純で、けれど複雑なこと。こころに素直になるって、大変ね」

『ははっ。あずさ、すこし変わった?』

 

友美が明るい声音で笑った。

 

この4年近く、あなたずっと何かに囚われてるみたいだったもの、と。

 

その声は本当に心配してくれていた様子だから。

言葉にはしないけれど、いつも同じ目線でいてくれて、さりげない心遣いをしてくれる。

そんな友美は私にはもったいないくらい素敵な親友だと、改めて思った。

 

「友美、本当にありがとう。あなたのお陰よ」

『水くさいこと言わないで、私たち親友じゃない』

「っ。友美~!」

『はいはい。まったくあずさは感動しいなんだから。』

友美の言葉はいつも誠実で、それは温かく思えた。

それが堪らなく感じて、ちょっとだけ泣いてしまいました。

『……それで、運命の君の様子はどうだったの? 今日も行ったんでしょ、お見舞い』

 

しばらくして。

ようやく落ち着いた私を友美が気遣うように私に訊ねた。

プロデューサーさんとのことは友美も知っている。昔、痺れを切らした友美に追求されて、あの人とのことを打ち明けた。

最初はあずさ自身の幸せも考えなさいって、すごい剣幕で叱られちゃったけどね。

でも、経緯を話すと涙声で励ましてくれた。……友美のこんな所が私は昔から大好きよ。

 

『まだ起きないなんて、よっぽど良い夢見てるのかもね』

「あらあら~、どんな夢なのかしら」

『あなた達二人とも、私には想像つかない大恋愛してるんだから、きっと夢の世界でもあずさのことばっかりでしょ』

 

やや呆れた声でそう言った友美に、私も笑って応える。

たとえ今は繋がりあえない運命になっていても、私はあの人の隣にいる努力をする。

自分ではもう抑えられないくらい、心の中であの人の存在が大きくなっているもの。

 

「運命の人をずっと探していたけど、そんな運命なんて関係なく心惹かれてしまうものなのね」

『惚気てくれちゃって。まあ、それがあずさらしいわね。……いい、あずさ?』

と、友美が強い調子で、

『その運命っていうものはあずさ自身が育てたのよ。だから、きっと運命もあなたの味方よ』

力強く言い切った。

『それに、運命が味方してくれなくても、私や周りの人たちは絶対あずさの味方なんだから』

 

胸の中が熱くなった。

あっけらかんとしていても、隠しきれない優しさのある友美の言葉に。

嬉しさがじんわりと身体中に染み込んできて、私は友美に何度もありがとうと言った。

言い足りないくらい、嬉しかったんだもの。

 

「友美が親友で、本当によかった」

『あー、ごほんっ。湿っぽいのは苦手なのよ、じゃあ、またね』

「ふふ、また電話させてね」

『モチロンよ』

 

そして、通話が終わったあとの電子音が耳に入ってきた。

 

   ◇

 

友美との電話を終えたとき、スッキリとした気持ちになってた。

私がプロデューサーさんを好きなことを、信じていてもいいんだと。

病院で思ったことを、さらに強く実感できた。

 

そして、いつの日か。

あの人が目を覚ますその時、私は。

目に見えない、いちばん大切なことを伝えられるはずだわ。

 

そう思いながら、その日は、ひさしぶりに深い眠りにつくことができました。

 

明日はまた、お仕事を頑張ろう。

 

フカフカの布団を被りながら、微睡みに沈んで。

 

その日を終えました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日、わたしは事務所に行くことができませんでした。

律子さんから自宅で待機しているようにと、電話をいただいたのは午前7時をすぎた頃でした。

 

――すぐにテレビを付けて、ニュース番組を見て下さい。

 

その言葉に従って、私は急いでテレビをつけました。

すると、そこにはいつものような穏やかな朝の始まりを告げるアナウンサーの姿は無くて。

代わりに画面いっぱいに映る私の姿が目に飛び込んできました。

 

『竜宮小町、三浦あずさ。まさかの恋人!? ファンを騙し続けた人気アイドルの衝撃的な黒い真実!!』

 

大見出しでそう書かれた言葉の内容に、一瞬あたまが真っ白になってしまって。

次々に映し出される現状が、私のこころを……プロデューサーさんへの想いを容赦なく切りつけていく。

止めたくても、画面の向こうで現実が進んでいく。

大勢の人たちが、私に敵意を向けている。

 

街頭アンケートで、騒然とするファンや世間の皆さんの顔が、言葉が。

報道スタジオで、驚きと興味が半分の、上澄みを冷たくさらうようなコメントが。

 

それら全部に、同情や、怒り、正論や、容赦の無い糾弾の意志が含まれているみたい。

 

どうして、と。

 

震える指先が冷えてて、頭の中が鈍く痺れていくような気がしました。

 

私とプロデューサーさんとのことが、と。

 

今日の朝に発売されたゴシップ誌が掲載したその記事が、瞬く間に広がっていって。

それがいま、日本中で報道されている。

説明された現実を頭で分かっていても、怖くって。

ほとんど私はパニックになっていました。

 

呆然として、胸が、息が苦しくて、辛くて。

 

そのとき、

「あずさ、いるの!? いい? 開けるわよ!」

ドアの向こうで、伊織ちゃんの声がしました。

 

瞬間、緊張で張りつめた意識が切れてしまうように、目の前の風景が歪んでいきました。

ガチャ、と乱雑に開けられたドアの音と、ドタドタ響く足音。

それから頭上に聞こえる、

 

「うわうわー! いおりん大変! あずさおねーちゃんが倒れてるよ!」

亜美ちゃんの。

「あずさっ、しっかりしなさい! 亜美、早く新堂を呼んできてっ、管理人さんのところに待たせてるから!」

伊織ちゃんと。

 

二人の声が聞こえたのを最後に、私の記憶は途切れました。

 




Another side in 765プロ

ハルカ「正統派アイドル(笑)、天海春香です!」
赤羽根P「とうとう自分で言い出したな」
ハルカ「ネタに走りたくて、アイドル始めたわけじゃありませんけどねッ!」
赤羽根P「でも、どんなにコケたり、ボケたり、イジられても、いつも明るく笑顔な春香は、本当に正統派アイドルだと思うよ」
ハルカ「ふぇ」///
赤羽根P「これからも頑張ろうな!」
ハルカ「何ですか!? 急に優しくして、どこかに隠しカメラでも仕掛けて……はっ、赤羽根Pさん変なものを食べて頭が!? もしかして小鳥さんがゲテモノを……」
赤羽根P「そういう所が、結果的に『アイドル(笑)』を生みだしてるんだろうな」
コトリ「熱い風評被害を受けてます。ピヨォ……」



次回「隣に… ~Where are you? We're waiting for you in the Promised Land~ 」



******************

引用・参照『星の王子さま』By サン=テグジュペリ.


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隣に…

~Where are you? We're waiting for you in the Promised Land~

慧鶴です。
残り3話。ラストスパートです。
スパートするまでに時間がかかるんです。
ほんとにすみません。
読んでくれる皆様ありがとう。


side. 三浦あずさ

 

私とプロデューサーさんとの関係が報道されてから、今日で2日が経ちました。

今は伊織ちゃんのお家にある客室の一室を、特別に私の寝泊まりで使わせてもらっています。

 

……あの日、強いショックと重度の緊張状態によって私は倒れてしまったのだと、目覚めてから律子さんに教えてもらいました。

今日も朝一番に顔を見せてくれて、話をしてくれてます。

 

「伊織には感謝ですね。お医者さんの手配や、マスコミの追い出し、諸々ぜんぶ手を回してくれてるみたいですから」

「そう、ですか」

「……心配しないで下さい。今も社長や私たちが動いてますから」

 

そう言って、私を安心させようとしてくれるけれど。

当の私は申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

律子さんの目の下にすごい隈ができているのを見ると、ここ2日間、ほとんど寝ないでいたことが分かります。

それに、亜美ちゃんに聞いたけど事務所はあれから連日電話も鳴りっぱなしで、ずっとその対応に追われているらしいんだもの。

 

「律子さん、ご迷惑をおかけして本当にごめんなさい」

「いえいえ、これもプロデューサーの務めですから」

「でも、私のせいで」

「そんな……、あずささんの方こそ、傷ついてるのに」

「私は、大丈夫です」

 

空元気と受け取られたのか、無理だけはしないでくださいねと、そう律子さんに言われました。

 

でも、違うんです。

 

私が蒔いた種が、こうして問題になったんだから責任は私にあるはず。いいえ、そうでありたい。

あの時は突然のことで動揺してしまったけれど、私自身のなかで、もう答えは出ています。

絆を結んだ責任。あの人との絆だけは誰にも譲れません。

だから……、答えなんて分かりきっているから。

 

「律子さん、プロデューサーさんに今、会うことはできますか?」

ゆっくり、自分の気持ちを落ち着かせながら声に出す。

「私がいま、いちばん大切なことは、あの人の隣にいることなんです」

私自身の願いを。

 

「……今は、ダメです」

その言葉を予期していたように、律子さんは重々しい口調で私に答えました。

「報道陣がいたる所に控えて、あずささんの情報を狙ってます。それはこの件の渦中にあるプロデューサー本人も例外ではありません」

「じゃあ、なおさら私はあの人の側にいないと」

「ダメですっ、危険過ぎます!」

 

私を制止するよう、今度は大声で言った。

声を張りあげた律子さんの態度は切羽詰まっていました。

 

「いまあずささんが行ったら、それこそ火に油を注ぐだけです!」

「それは私も分かってます。でも、私にとっては!」

「行動した結果、あずささんが今後のアイドル活動で致命的なダメージを受ける可能性だってあるんですよ! 竜宮小町のプロデューサーとして、そんなの見過ごせません!」

「アイドルとしてもう活動できなくても、私は――ッ」

 

――――二人とも、そこまでよ。

 

と。

入り口の方から私の次に出てくる言葉を遮るように、新しい声が入ってきました。

扉の側で、伊織ちゃんが腕を組んで立ってました。

その隣に、亜美ちゃんもいます。

 

「伊織ちゃん、亜美ちゃん」

「ふ、二人とも……」

「律子、あずさ。あんた達、頭に血が上りすぎよ」

「そうだよ~。あずさおねーちゃんもりっちゃんも、ちょっと、こわいっしょ……」

 

そう諭されて、ようやくですが落ち着きを取り戻しました。

「律子。病み上がりの人間に、そんなキツい言い方はよくないわ」

「……ごめんなさい、少し頭を冷やしてくるわ」

律子さんは立ち上がると、客室を後にしました。

その時、私に謝ったあと、もう一度だけ話し合う時間を取りましょうと言われました。

とっても疲れた顔つきで。

自分のふがいなさに、胸が痛くなりました。

「律子さん、必ず相談します。だから、もう少しだけ時間をください」

それぐらいしか、言えませんでした。

 

「それと、あずさ」

部屋を出る律子さんと入れ違いに、今度は私に向けて伊織ちゃんが話しかける。

「気持ちが抑えられないのは仕方ないわ。でも、最後の言葉だけは、そんな簡単に言ってほしくないわ」

悲しそうな、怒っているような言葉だった。

 

「ごめんなさい、私……」

「あずさ、あんたにとってアイツが大切なように、私たちにとってもあずさは大切な存在よ」

「あずさおねーちゃん、亜美たちもみんなも、ふたりを守りたいんだよ」

 

そう諭されながら、私は周りが見えてなかったことに恥ずかしくなって。

やっぱり「ごめんなさい」しか言えませんでした。

 

   ~~~

 

三人が事務所に帰ったすぐ後、友美から電話がかかってきました。

やっと繋がった~、テレビで見たよと、私のことを心配してくれたみたいです。

通話しながら、私やプロデューサーさんのことを気遣い、声をかけてくれる。外が今どんな状態で、いかに大変なのかを事細かに説明してくれた。それを聞くと、私がいまプロデューサーさんに会いに行くことがどれほど無茶だったのか、理解できました。

律子さんの言葉も受け止めることができて、改めて無理を言って迷惑をかけたことに胸が痛かったです。

 

『あずさ、今は律子さんの言うこと聞いた方がいいよ。取り返しのつかないことになるって、冗談じゃないよ、それ』

「うん……。ごめんね、友美にも心配かけちゃって」

『謝りすぎ。そんなことよりも、これから後悔しないためにどうするのか、それだけをあずさは考えるべきよ』

「ええ」

『親友として、あずさには幸せになってほしいんだからね』

友美はまだ何か言いたそうだったけど、それ以上は話さなかった。

私はその言葉に、二つだけ決めました。

 

まずは律子さんと、それから二人にきちんと謝ること。

そして、私がしなければいけないことを、今日中に決めること。

 

行動を選択するために、責任を果たす覚悟が必要でした。

そして、覚悟を後押ししてくれる存在。分かりきってます。

私にはプロデューサーさんがいるから。

 

自分がどうしたいのか、それだけは分かってるんです。

後は、納得のいく方法を見つけて、形にするだけでした。

 

   ◇

 

お昼を少しすぎた頃。

春香ちゃんと千早ちゃんがお見舞いに来てくれました。

春香ちゃんはキャラメルを持って来てくれたみたいで、三人でおやつに食べました。

 

二人とも私とプロデューサーさんの話について気にならないように、何でもない事務所の日常の話してくれます。春香ちゃんが今日も三回ころんでしまったって、ぼやいてます。

「ノルマ達成ね、さすが春香だわ」

「そんなノルマ知らないよぉ!」

「あらあら、大丈夫よ~。春香ちゃん、はいこれ絆創膏」

そう言って、伊織ちゃんの部屋に置いてあった救急箱から絆創膏を取り出して渡した。

「ありがとうございます、あずささん」

「これ水瀬さんのですよね、大丈夫なんですか?」

「うふふ、伊織ちゃんから許可は貰ってあるわ♪」

 

ぺりぺりと絆創膏の包みを剥がして、

「絆創膏って、なんだか心まで元気にしてくれますよねっ」

春香ちゃんはペタリと、ひざに絆創膏を貼り付けるとえへへ~と笑ってくれました。

よかったわね。ふふっ。

春香ちゃんはこの後の現場への移動に赤羽根Pさんが迎えに来てくれるそうで、それまでここでお話ししてくれるみたいです。

千早ちゃんはアメリカに戻るまで時間があるので春香ちゃんの側にいると、そういう経緯で最近は二人でいっしょのお仕事に急遽入ることもあるらしい。

 

「サプライズゲスト、みたいなものですけど」

「すごいんです、千早ちゃん。アメリカの音楽事務所に許可とって、7月の特別番組まで日本で自由に出演できるんですよ、自由出演!」

「まあっ! それじゃあ、どこでも千早ちゃんはサプライズできるのね、すごいわ!」

「もちろん、それなりの条件はありましたけど。でも、みんなで過ごせる時間がもらえるなら、なんだって良かったんです」

 

千早ちゃんは穏やかに笑いながら、そう言った。

 

「あずささんとも、落ち着いたら共演したいですね」

「うふふ、楽しみね……いつか、きっと」

 

私自身、そんな明るい未来の話には気持ちが晴れるようでした。

 

一人で考え込むよりも、みんなといる。

それが私には合ってました。

私は事務所の中でも一番お姉さんだったから、しっかりしないとって最初は思ってたけど。

でも、千早ちゃんも春香ちゃんも、それに他のみんなも、本当に思いやりのある優しい子たちばっかりで。

今みたいに、こうして話しているとそれがよく分かる。

 

「みんなとっても頼りになるから、ついつい甘えちゃうわね」

「そ、そんな。私たちこそ、あずささんがいるから、いつも安心していられるんです!」

 

春香ちゃんが照れつつも、私にそう言ってくれた。

不意に、その春香ちゃんのこぼれるような笑顔にプロデューサーさんが残してくれた言葉を思い出しました。

 

『春香は、きっと俺たち765プロの絆の象徴だ。

今までその力を何度も俺は目にした。夢みたいだけど本当に叶えたんだよな、春香やみんなの夢を、いっしょに。

それこそが、天海春香という女の子の魅力だと思う。だから、春香は春香のやり方を信じて、前を向いて突っ走れ』

 

4年前。

プロデューサーさんがあのDVDレターで春香ちゃんに伝えていたことは、そのまま事務所のことを表しているんだと思いました。

あの人が春香ちゃんにそれを伝えたのは、765プロにとっての春香ちゃんの存在の大きさを思ってのことだったんだと分かります。

だからこそ、今日この場にも春香ちゃんは来てくれた。

 

どんなに短い時間でも側にいて、必ず、誰も一人きりにさせない。

春香ちゃんの強さを。

 

「……ねえ、千早ちゃん」

「何ですか、あずささん」

 

私は勇気を出して、訊いてみることに決めました。

きっとみんなは私の悩みを聞いて、真摯に答えてくれるはずだから。

 

「千早ちゃんが以前バッシングを受けたとき、……どんな気持ちで、過去の話を打ち明けたのかしら」

ゆっくりと尋ねてみる。

「……それは」

「ごめんなさい、辛いことを聞いちゃって。でもね、千早ちゃんなら分かってくれる気がして」

 

すこしの間黙っていた千早ちゃんは、やがて一語一語を選びながら話してくれた。

「答えは、ーーあずささんにしか決められないです。私の話をいくら聞いても、あずささんの選択を決められるのは、あずささんしかいません。私にはどうすれば良いのか、教えることはできないです」

その瞳は、私を真っ直ぐに見据えていました。

「それでも答えられるなら、当時の私は過去を隠そうと思うばかりでした。触れられたくなくて、嫌われたくなくて、その一心だったから。

でも、私の言葉を聞いて、受け入れてくれる存在を知った。春香や、みんなを。

だから、……勇気を出そうって、決めたんです」

「でも、怖いでしょう?」 

「もちろん怖いです。けど、それ以上にありのままの真実をつたえることこそが、自分自身を前に進ませてくれる。……それだけじゃなくて、ファンや仲間たちへの誠意だと、私は思います」

 

千早ちゃんは誠実な言葉で私に答えてくれた。

 

「それに、私がこんなこと言わなくても、あずささんならきっと、大丈夫なはずです」

「?」

「あずささんは、たしかな選択をできる人ですから」

「そんな」

「いえ、そうなんです。あずささんだけじゃない、765プロのみんなはいつも、痛みを強さへと変えることができるんです。

だから、あとはそのための勇気だけです」

 

千早ちゃんは微笑んで、大丈夫ですよと頷く。

「もしそれでも大変なときは、私たちがあずささんを支えます!」

春香ちゃんも、私にできることなら何でもやります! って。

そう励ましてくれました。

 

それから、少しして。

私はようやく決意できました。

これから何をするのか。

その決意が。

 

   ◇

 

伊織ちゃん、亜美ちゃん、律子さんへの相談を翌日の夜遅くにしました。

相談と言っても、私にとってはほとんど意志は決まっていました。

ただ、きちんと話しておくことが、いまの私が竜宮小町のみんなにできることだと思ったの。

 

「みんな、先日は本当に、心配をかけてごめんなさい」

「いいんです。あずささんの気持ちは、仕方ないことですから」

「ようやく仲直りだね!」

「律子も亜美も、この伊織ちゃんがいないと点で仕事が手につかないのよ。困っちゃうわよ、まったく」

すると、律子さんのメガネがキランと光って。

「そういう伊織こそ、何回も私にあずさはあずさはって聞いてわね」

「そっ、それは……」

「やれやれ、伊織のツンデレは4年経っても相変わらずですなぁ」

「もはや伝統芸ね」

「あらあら〜♪」

「きーっ! もーうるさいうるさいうるさい!」

 

そして。

客室に集まった私たちは、夜遅くまで話し合いました。

大事なことを。覚悟を、決意を。

この先、どうするのかを。

 

「そう、ですか。……もう決められたんですよね」

律子さんは、仕方ないですねと腰に手を当てて微笑む。

「亜美たちは何があっても、あずさおねーちゃんの味方っしょ!」

亜美ちゃんが、そう優しく声をかけてくれる。

 

伊織ちゃんはずっと黙っていたけど、やがてポツリとこぼしました。

「あんたの決意は分かるけど、私はやっぱり許せない」

「伊織ちゃん……」

「だから、いつか必ず戻ってきなさい。これは竜宮小町のリーダーからの、絶対命令なのよ」

ビシッと人差し指を突き出して、いいわね、と私を見つめました。

 

「ねえ、あずさ」

それから。

「あずさが好きになったアイツは、あんたの何を見て好きって言ったのか、分かってる?」

「それは……アイドルとして、あの人の理想に近い私かしら」

「はぁ〜〜、揃いも揃って、ほんとに似たもの同士よね、アンタたち」

「?」

「あずさ、あんた自身でしょ。あんたがアイツの隣にいる。それだけで、理由は十分なのよ!」

大きな声で伊織ちゃんは言い放った後、「にひひ」といつもの可愛らしい表情で笑いました。

 

「頑張りなさいよね、あずさ」

「いざとなったら亜美が悪い奴らにシャイニングトルネード決めるかんね!」

「そうと決まれば急がないと。あずささん、忙しくなりますよ〜」

「うふふ、みんな本当にありがとう。

私、頑張るわ」

 

……。

 

 

 

それから3日後、都内某所で三浦あずさの記者会見が行われた。

 




Another side in 765プロ

アズサ「これから、いってきますね」
P「……」
アズサ「私たちふたりの、未来のために」
P「……」
アズサ「怖くて、挫けそうだけど、頑張ります」
P「……」
アズサ「だから、帰ってきたらちょっとだけ褒めてください」
P「……」

次回「まるで一輪のバラのように。 ~From that day, I found out your truth~ 」


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まるで一輪のバラのように。

~From that day, I found out your truth~

『アイドル』
それは女の子達の永遠の憧れ。
だが、その頂点に立てるのは、ほんの一握り。
これは、そんなサバイバルな世界に足を踏み入れた、
ある一人の女の子の物語。




side. 三浦あずさ

 

記者会見が行われたのは、夕方頃。

律子さんに伴われながら、私はある建物のやや北側のホールに用意された席へと座り、正面に大勢いる報道関係者の方々と向き合いました。

 

目の前でフラッシュが次々と焚かれている。

チカチカと発光する景色で、視界が時折真っ白になる。

熱さを感じるけど、それは問題じゃなくて。

一番の緊張の原因は、これから自分がしようとしていることの重圧と、記者の方達からの突き刺すような視線が集中しているからでした。

とんでもない勇気がいることを、こんな私にできるのかしら。

 

思わず、すくみそうになるけど、手をぎゅっと握って我慢した。

弱気になりそうな心を、どうにか奮い立たせます。

いま、この時こそ、やらなければならない仕事なのだから。

 

「本日はこのような場を設けていただき、まことにありがとうございます」

予定の時間になったのを確認し、律子さんが挨拶を始めました。

「それでは弊社所属のアイドル、三浦あずさ本人による、この度の騒動に対する説明を行わせていただきます」

そうして、事前の説明を進めていく。

質問・発言に対する諸注意などはもちろん、この会見がネットによってリアルタイムで配信されていることなど。

それらを終えて、ようやく記者会見が始まりました。

 

   ◇

 

目の前でパイプ椅子に腰を下ろす記者の方が、我先に手を挙げている。

それを律子さんが指名して、私が答えていく。

ひとりひとり、画面の向こうで聞いている人すべてに向けて。

震えそうな声だけど、なんとか堪えました。

そんなやり取りを続けていると、ある記者の方が勢いよく身を乗り出して質問をしてきました。

ハンチング帽に焦茶色のジャケットを着た男性でした。

 

ーー459出版の者です。三浦あずささん、今回の件についてアイドルが交際することはファンへの裏切りという意見がありますが、三浦さんはそれをご存知でしたか?

 

「はい。そういう意見があることも知っていました」

ピッという電子音とともに、後ろのプロジェクターにHPへ掲載してある、私のプロフィール画面が映されました。

「こほん。えー、三浦あずさというアイドルはそもそも『運命の人』を見つけるためにアイドルになりました。プロフィールにもそう書いてあり、ファンにとってコレは周知の事実のはずです。今回の件も、彼女のアイドルとしての動機や在り方には外れてないと考えられます」

律子さんがプロジェクターに映して、そう説明する。

 

ーーええ、ちょっとそれは公私混同ではないでしょうか? 三浦さん、あなたはプロとして職業倫理に反してますよ。相手はあなたの元プロデューサーですよ。職場の人間を恋人にしているアイドルなんて、ファンからしてみればずっと裏切られていたと感じるものでしょう。

 

「……私はアイドルとして、必死で努力してきた中で彼を信頼し、運命の人だと確信しました。もしこの判断がプロのアイドルとして間違っていたのなら、私はここまで活動しては来れなかったはずです」

 

ーーですが、ファンや世間はそうは思いませんよ。大勢の人があなたに裏切られたと感じていますし、実際悲しんでいます。

 

「悲しませてしまった方へは、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。ですがそれでも、私は彼を諦めるつもりはありません」

 

ーーフッ、なるほど。申し訳ないという罪悪感があるとは、職業倫理に反することをしていたと、そう認められるのですね?

 

「……私とあの人との交際がアイドルの在り方を損なうことは無いと私は信じてますから、その言葉は認めかねます」

 

ーー事務所は二人の関係性を知りながら、これを黙認されてたのですか?

 

「私が答えます」

律子さんがさらに前へ出て、A 4の紙を掲げる。

「これは弊社の代表取締役社長、高木順ニ郎から預かったものです。いまこの場を借りて読み上げます。

がさりと、目の高さまでその紙を持って、律子さんはその内容を読み上げ始めた。

 

「『この度、多くの関係者にご迷惑をおかけした事を初めにお詫びさせてください。申し訳ありません。

この件について、我が社所属のアイドル・三浦あずさと元社員との交際を弊社は認めており、また全面的に支援する姿勢でありました。交際の公表はプライバシーの保護という観点からも、現在意識不明である彼の了承を得るまではしない方針でありました。

どうか、若い彼らの交際について、ご理解いただけますよう宜しくお願い申し上げます』ーー以上が、会社としての回答になります」

 

会場のザワめきが大きくなる。

それを見つめながら、首をつたう冷や汗をどうにかこらえる。

先ほどから質問を続ける男性の、私に向けられた言葉に対してどうにか誠実に応えようと、それだけをいまは考えていました。

 

ーーうぅむ、なら質問を変えましょう。三浦さんはいつからお付き合いを?

 

「5年前からです」

 

ーーでは、その詳細な部分をお願いします。

 

「はい。事務所のみんなといっしょに行った海で、彼からの告白を受けて交際を始めました。

私のプロデューサーが彼から、律子さんに変わったのも、ちょうどそのすぐ後で、……本当に楽しい日々が続いてました。

でも彼の病状が悪化したとき、一度だけ交際の解消を促されて。

ですが、私からそれはしたくないと伝えて、現在も交際を継続してます」

 

ーーでは、その期間に特別な関係になられたと?

 

「特別……? すでに彼と私は恋人同士なので、特別な関係だと思うのだけれど……」

 

ーーちがいますよ、三浦さん。その、操に関することですよ。

 

男性からのジロジロと意地悪く向けられた視線に、言葉に、一瞬のあいだ窮してしまった。けど、すぐに気持ちを立て直した。

と、

「ちょっと待ってください! これは本人を侮辱する質問ですので、お答えできません!」律子さんが強い口調で制した。

あずささんも答えなくていいですよ、と私の方を向いて言う。

そして、すごい剣幕で記者の方を睨みつけます。

でも、記者の方は気にならないようで、質問を続けてました。

 

ーーただ、一部のファンはきっと気にしてますよねぇ。5年も付き合っていれば、そういった事もあるのではないかと。実際どうなんですか、ここでハッキリさせた方がお互い良いでしょう?

 

「あんたねぇ、いい加減にしないと訴えますよ!」

 

ーー三浦さん、質問に答えてくださいよぉ。

 

「……ありません」

「な、あ、あずささん⁉︎」

「彼とは、お互いにそういったことは一切していません」

「あの何を言って……」

「ごめんなさい、律子さん。でも、きちんと答えるって、決めたんです。許してください」

そう伝えると、律子さんも困ったもんだ、とため息を吐く。

納得なんてしてないけど仕方ない、そんな感じでした。

 

記者の方は一度舌打ちをして、またすぐに質問を再開した。

ーーそれをどうやって証明できるんです。言葉ならなんだって言えるんですよ。証拠が必要なんですよ。

 

「それは、だから、私が彼と」

 

ーー言えないってことは、やましいところがあるからでは? 

 

「そこの貴方! そろそろ警察を呼びますよ! まだ質問を続けられますか⁉︎ 次はもう無いですよ!」

律子さんの一言を最後に、記者の方は質問をやめられました。

でも、私だってここで引き下がるわけにはいかない。

私たちの関係を、誰かに汚されるのは許せません。

だから。

 

「……私は、まだ彼とキスしたことも、ないんです」

「二人で手をつないだり、寄り添ったりが精一杯だったから」

「ファーストキスだって、したことがありません」

 

ーーはい?

 

「だから、あなたが考えられてるような関係では、一切ないんです」

 

男性の記者は、それきり黙って、黙々とメモを取っていました。

私はまだ心臓がバクバクしてて、顔から燃えだしてしまいそうなぐらい、恥ずかしさでいっぱいだった。

 

それでも、その後も質問は関係なく続けられます。

それに私も答え続けました。

 

ーー634書房の者です。三浦さんがアイドルという仕事を今後も続ける場合、交際の事実はマイナスになりますよね。もしファンが離れていくとき、あなたはそれでも交際を解消しないのでしょうか? 究極、ファンがもし別れてほしいと言っても、その望みに対して拒否できますか?

 

「私は、彼との交際をやめることだけは、絶対に拒否します。いくら大好きなファンのみなさんのお願いでも、きけません」

 

記者の方が押し黙っている。

長い時間、次の言葉が出てこなかった。

それだけで、時間は過ぎていく。

心臓が激しく打ちつけられて、すごく痛い。

 

ーーでは、アイドルと恋愛なら、恋愛を取られると?

 

「……はい。私は、そうします」

 

すると、失望や落胆、失笑がみなさんの顔に浮かんできました。

ふざけているとか、こんなのがアイドルかよ、とか。

次から次へと、初めは小声で、次第に大声で罵倒される。

よく見ると、その中心人物は先ほどの、あのハンチング帽の男性でした。

「三浦あずさ、あんたはアイドル失格だ!」

彼はニヤニヤ笑いながら、はやしたてるようにアイドル失格だと、私を指差して叫びました。

すると周りもいっしょになって、私を見てくる。

 

その時でした。

 

「デタラメ言わないで!」

 

大声が耳に届きました。

一瞬、誰もが固まって。

気を持ち直してもう一度前を向くと、見慣れた姿の女の子がいました。

記者団の中に混じって、その子は、ひとり立ってました。

 

「おい、あれって」

「なんでこんなところにいるんだ?」

「うわ、めっちゃ近くで見たわ、きれー」

「え、星井美希じゃん」

 

美希ちゃんが、いた。

私を正面から見据えてました。

変装用のサングラスとジャケットスーツを脱ぐと、一度大きく息を吸い込み、ハンチング帽を被った記者を指差して言った。

 

「これはあずさとミキの、ハ、――ッ、ハ……、ハニーの、みんなにとって大切な話なの!

何も知らない人が勝手に、あずさの決意を踏みにじらないで!」

その記者に言い放った後、間髪入れずに私の方を向いた。

「あずさもなの! いつまでそうしてるつもりなの?

ちゃんと自分で言って! これはあずさの決めたことなんだから、最後までやり遂げなきゃダメなんだよ! はっきり言わなきゃダメなの!」

 

私は……逃げないって決めた。

美希ちゃんは、私のその覚悟をそばで支えるために、今日この場所にわざわざ来てくれたんだろう。

忙しい中、顔も見たくないはずの私のために。

そう気づくと、胸の奥が熱くなってました。

 

「何言ってんだ、2人で勝手に。まだ俺の質問に答えてないぞ!」

ハンチング帽をかぶった男性が椅子から立ち上がり、さらに強い剣幕で言い迫ってきた。

「三浦あずささん、あなたはファンの期待や信頼を裏切って、長年1人の男性と交際してたんですよね! そして、ファンより恋人を選ぶ。もうあんたはアイドルとして、その場所に立つこと自体まちがってる、おこがましいんだよ!」

「そーだ、アイドルじゃねえ!」

「調子に乗ってんじゃねえ!」

何人かの記者の方も罵倒に加わった。

その怒りは伝播して、やめろという言葉に集約し、ホール一帯に響き渡る。「やめろ」と、何度も、何度も。

 

でも、周りの空気を切り裂く一言だけがはっきり聞こえる。

どんな罵詈雑言もかき消されてしまった。

彼女の力に満ちた言葉で。

「黙ってて!」と。

美希ちゃんの強い声がこだまする。

 

「このまま終わっちゃうなんて、ミキは、そんなのヤなの!

あずさ! ねえ、分かってるんでしょ!

言わなきゃ、言葉にしなくちゃダメだよ!

ハニーのことが大好きなら! こんなところで、絶対に逃げないでほしいの!

ここで言わなかったら、ミキ、許さないから!

ハニーのこと、本当に本気であずさからとっちゃうからね!

ねえ、あずさ、どうなの!

答えてよ!

あずさにとってアイドルって、ハニーって、何なの!」

 

美希ちゃんの想いの丈がこのホール中に響き終わったとき。

シンと静まり返った会場で、記者の方も、律子さんも、美希ちゃんも、誰もが私の方を向いた。

私の言葉を、待っていました。

美希ちゃんが身体を張って、チャンスを作ってくれました。

 

……ありがとう、美希ちゃん。

 

私は、みなさんの目を見ました。

私は心の底から、今日ここに来て良かったと、そう思いました。

 

これから話すことが、みんなの望む言葉ではなかったとしても。

伝えることを、諦めてはいけない。

それが、みんなから、あの人が私に教えてくれたこと。

逃げ出しそうになる弱い心を受け入れて、震えそうな唇を精一杯うごかして、私はその一言目を口にしました。

 

 

「……運命の人に見つけてもらうために……アイドルというお仕事を始めました」

 

次の言葉を、休む間もなく続けていく。

 

「最初は大変で、でも毎日がたのしくて、仲間のみんなやスタッフさんたち、ファンの方々の温かい応援があって。

……宝物みたいな時間を過ごしました。

私にとってアイドルは、運命の人を見つけるためで、でも同じくらい、かけがえないものになりました。

本当に、みなさんのおかげです。

ありがとうございます。

運命はわたし自身によって作られたものでも、あらかじめ決められていたものだとしても、どちらも素敵なんだと、いまは思います。

わたしにとっては、みなさんに出会えたことそれ自体が嬉しくて、……奇跡みたいに、幸せ、だったから。

アイドルを続けて出会った仲間や現場のスタッフの皆さん、ファンの方々、そして……

……プロデューサーさん。

そんな、私と絆を結んでくれたすべての人が、大切な存在ですから。

だから、せめてその人たちに信じてもらえる自分自身でありたい。

常にそうありたいと努力してきました。

それなのに、こうして多くの人に不安や悲しみを与えたこと。

深く、反省しています。

すみませんでした。

でも、でも、でも……!

でも!

……私にも、譲れないものがあります!」

 

もう誰も、何も言わなかった。

私の言葉に、耳を傾けてくれてました。

自分自身でも、止められそうになかった。

最後まで話し切ろうとだけ、考えてました。

 

「私にとってプロデューサーさんは、特別な人なんです!」

嘘偽りのない、心そのものだった。

「いつも迷ってしまう私に、いっしょに迷って悩んで、ふたりでたどり着こうとあの日、言ってくれた。

だから、いまの私がいるんです!」

 

あの日、東京駅で迷子になっていた。

大勢の人混みの中で泣いていた私に、手を差し伸べてくれた。

それから、好きだと言ってくれて。

病気で死んでしまいそうな現実に怯えて。

それでも、ずっと一緒にいると、誰よりも辛いあなた自身がそう言ってくれた。

だからこそ。

 

「私が側にいたい運命の人が、プロデューサーさんでした。

私もあの人が苦しくて辛いとき、隣にいて、手を離さないでいようと。

それが、私の誓ったことなんです。

 

あの人の隣にいるために、アイドルでいられないなら、

私は、――――

 

――――アイドルを……引退します。

そして、ただの三浦あずさに戻ります。

ファンの皆さんも大好きです。

ほんとに、ほんとにとっても。

765プロのみんなも大好きです。

ずっとみんなと頑張りたいって、いつも思っているから。

 

それでも私には、人生を変えてくれた人がいて、その人といっしょに生きていきたいって、止められない気持ちがあるから。

 

私は、あの人を、プロデューサーさんを。

 

世界でたった一人しかいない、あの人を。

 

愛してるんです。

 

 

   〜〜〜

 

 

その次の日、朝刊の芸能面には大きな見出しがつけられていた。

 

『アイドルとプロデューサー、二人の選ぶ未来。

純愛と引き換えに、三浦あずさの引退宣言!』

 

朝刊は飛ぶように売れた。

世間の反応はさまざまなものだった。

悲しむもの、応援するもの、非難するもの、傍観するもの。

そんな中、時間だけは着実に進んでいた。

 

三浦あずさの活動引退が決まったのは、次の日のことだった。

 




Another side in 765プロ

ハルカ「次回で完結ですよ、完結!」
チハヤ「完結確約しておいて、終わらないとか残念すぎるものね」
マコト「なにげにヒドい言いようだね」(苦笑)
ヤヨイ「うっうー! まさに自分を追い込むための確約でした!」
イオリ「まあ、エタりそうになったけど、よく頑張ったじゃないっ」
ヒビキ「そうだぞ! 毎度毎度、投稿期間が空きすぎさー!」
アミ「途中から展開がメッチャ重々ヘビーだし、」
マミ「きっと考えるの大変だったんだYO!」
リツコ「それは作者の勝手な都合……って、美希寝ないの。ほら起きて」
ミキ「zzZZZ」(終章の後書き、ミキの出番これだけってヒドいの)
ユキホ「でも、こんなに長い間読んでくれたみんなには感謝しかないですぅ!」
タカネ「真、素晴らしい方々ですね」
赤羽根P「ああ、アイマスとハーメルンは最高だ!」
高木社長「ほんとに。2年以上かかったが、完結できるとは」
コトリ「ひとえに読者様の存在のお陰ですピヨ!」
アズサ「それでは、次回で完結です〜。せ~のっ」

みんなで「「「お楽しみに!!!」」」


次回「私の歌。 ~ The beginning of a never ending road, the running with a hope that has no name.~」


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私の歌。

~The beginning of a never ending road, the running with a hope that has no name.~

始まってゆく
果てなく続くひとつの道を
駆け出してゆく
まっさらな名もない希望を抱いて



side. 三浦あずさ

 

記者会見が終わり、わたしの周りも日ごとに慌ただしくなっています。

ネットでのリアルタイム配信を通して行われた会見の最中、わたしが言ったことが日本全国に影響を与えてるんだそうです。

あまりわたし自身に実感はないのだけれど。

でも、たしかに状況は変わり始めてるみたい。

 

1週間ほどまえに、わたしの「アイドル活動の引退」が正式に発表されました。

いまはあまりメディアに出ないようにと律子さんにも言われてるので、お家で静かに過ごしてます。

テレビをつければ、わたしの引退に関するニュースも頻繁に放送されている。

それを見ながらただ待つばかりです。

 

いまはプロデューサーさんにも会いに行けないから。

はやく会いたいけど。

それじゃ以前と同じだから、しない。

やるべき事を終えたら、ちゃんと会いに行こう。

 

と、思っていたら。

またです。

リリリ、とケータイ電話が鳴りました。

名前を見ると、ーーやっぱり。

電話をかけてきたのは、お父さんでした。

 

「もしもし、お父さん?」

『出た! やっと出た! 母さん、あずさが電話に出たぞ! はやくこっちに来なさい!』

通話口の向こうから、お父さんの明るい声と、小さな声であらあら〜とお母さんの声もする。

「お父さん、何度も電話をかけてこないでください」

『たかが88回だぞ』

「多すぎます」

『愛する娘のためだ』

「それでもこんなに電話しないで」

『なあ母さん、あずさが反抗期だよぉ。あんなに良い子だったのに、やっぱりあの会見で見たとおり、天上天下唯我独尊な娘にあずさが仕上がっちゃってるよぉ。……なあ母さん、聞いてる?』

『いま手が離せないの〜』

「反抗期じゃないし、てんじょ……っ、とにかく、わたしはわたしなの」

『ひとまずそれは置いといて。え〜おほん、それであずさ。家に帰って、お父さんたちに何か言うことがあるんじゃないのか?』

「もぉ、またなの?」

お父さんは一度、大きな咳払いをした後、

『そうだ、何度でも言う』

「わたし、いま忙しいから帰らないって、もう88回も言ってます」

『お父さんも、言うことがあるんじゃないかって88回言ってるぞ』

「どうしてもダメなの」

『なら、お父さんがそっちへ行く』

 

絶対ダメ。その言葉が出かかったところで止める。

このままだと同じことの繰り返しになるもの。

 

お父さんが納得してないのは分かる。

東京に出てアイドルになった自分の子どもがいつのまにか、大きな渦の真ん中にいる。だから心配してくれている。そんなお父さんの気持ちが分からないわけじゃない。

 

でも、やっぱり今はその時じゃないから。

 

「ごめんね、お父さん。ちゃんと行くときが来たら、家に帰るから……それまで待っててほしいの」

『だがな、あずさ。まずは帰ってきて――』

「お願い」

 

数秒のあいだお父さんは黙ったままだった。

わたしも答えを静かに待った。

 

『……いやだ』

と、『やだやだやだやだやだやだ~!』

いつものように、お父さんはまた「やだやだ」を始めました。

『あずさに会いたいんだよぉ~』

「だから、ちょっと待ってよ」

『やだやっ――ウグゥ......

……、――あ~、あずさ。お母さんよ』

いきなりお父さんの声が途切れて、代わりにお母さんの声が聞こえてきた。

なにか直前に「うぐぅ」って声が聞こえたような。

「あの、お母さん。お父さんが……」

『うふふ~。あずさったら面白いこと言うのねぇ』

「あ、あらあら~」

『お父さんのことはお母さんがなんとかしておくから、あずさはそっちですること済ませちゃいなさい』

「お母さん、わたしね」

『うん』

「自分のしたこと、間違ってたなんて思ってないわ」

『ええ、大丈夫よ。あずさだもの』

「ほんとよ。確かにいっぱい悩んだけど、いつだって考え抜いた結果だもの」

『大丈夫、ちゃんと分かってるから。お父さんもああ言ってるけど、なんだかんだ応援してるわよ』

「そうなの?」

驚きだった。

まるで聞いてないことだった。

むしろお父さんはわたしのアイドル活動に反対していて。

今回の件だって、きっと怒ってるってわたしは思ってたのに。

『そう言ってたわ。あ、でもね、あずさが取られるって、最近いつも枕が涙で濡れてるのよ。ふふ、かわいいわ』

「そ、そうだったの」

『とにかく、あずさ。あなたはもうただの女の子じゃない。アイドルの三浦あずさなの。あなただけにしか出来ない事がまだあるんだったら、それをちゃんとやり遂げて、何一つ後悔のない笑顔をして帰ってらっしゃい』

 

思わず目許が熱くなった。

二人とも私のことを想ってくれている。

765プロのみんな以外にも、わたしを大事だと言ってくれる、おかえりを言ってくれる人がいる。

それが何よりも心強かった。

 

「ありがとう、お母さん」

『うふふ、頑張りなさい』

お母さんの微笑む顔が、その声だけで思い浮かぶようでした。

『あずさ~、いつでも、帰ってきていいんだぞぉ』

 

と、細い声でお父さんの言葉も聞こえてくる。

 

『「あらあら~」』

 

お母さんと二人同時に、そう言ってました。

 

    ~~~

 

それから数日後。

アイドルとして最後のお仕事が正式に発表されました。

 

765プロのみんなが久しぶりに集まる特別番組。そのステージ。

 

みんなで歌ったあと、それぞれのソロが行われる。

そこで、私も歌う。

最後のお仕事。

 

思い返せば、たくさんのことがあった。

プロデューサーさんと出会って、喧嘩して、恋をして。

お付き合いをして、別れて、また結び合って。

4年間の昏睡。泣きそうで、叫んで、でも諦められなくて。

プロデューサーさんだけは、わたしにとって特別でした。

そして、いつも誰かがそばにいて、わたしを勇気づけてくれた。

そんな誰かがいたから、こんな気持ちを抱けた。

あの人を、プロデューサーを愛していられた。

 

愛するって、ふしぎです。

いつもいつも、迷って、悩んでばかり。

だけど、いつだって信じることができる。

そうあり続けると、頑張っていく限り、信じられる。

愛することは私にとって、信頼への挑戦でした。

 

この最後のステージは、いつもと同じ。

いつもと同じように、たった一度きりの特別なステージ。

だから、わたしはいつもと変わらず全力でお仕事をする。

 

「一緒に迷い抜いて、それでも必ずあなたを目的地へ連れて行きます」

 

懐かしいあなたの言葉が、今でも耳の奥に残っている。

忘れるはずがないもの。

……。

わたしは信じてくれたみんなへ、わたしの全てで応えよう。

そう誓いました。

 

   ◇

 

撮影当日の夕方。

律子さんが迎えに来てくれて、わたしはスタジオに行きました。

車の中で律子さんは他愛もない話を続けてる。

そんな中、出し抜けに記者会見について尋ねられた。

「あずささん、何人か覚えてます? あの時質問してた記者の顔」

「ええ、なんとなくですけど」

「じゃあ、この記事見てくれますか?」

 

そう言って、ケースから一冊の雑誌を手渡されました。

付箋の付いているページを開くと、

『お手柄! 765プロの王女と王子が悪徳記者を成敗!!!』

そんな見出しがついた記事でした。

写真の部分には、見覚えのある男性が。

そうです、あの記者会見で律子さんに注意されていた方です。

ハンチング帽の記者さん。ちょっと目が怖かったですけど……。

 

「律子さん、この人って」

「あの男、後で調べたら千早や貴音のゴシップ記事を書いた人だったんですよ。映像を見ていた貴音が気付いたらしくて」

「まあっ、そうなんですね!」

「それからもう凄くって。どうやったんだか貴音が居所を見つけて、そこを真がノックアウト! もうコテンパンにしたみたいなんです」

グッと、ハンドルを握る律子さんの手に力が入っている。

「それで、この方はどうなったんですか?」

「伊織の力で業界から完全に追放された、とまでは行かないですが、この記事を出したので暫くの間はおとなしくしてるでしょう」

律子さんはそう言って、車のスピードをさらに上げる。

わたしはまた、記事の中の男性を見ました。

たしかに怖い人でした。

でも、こういう人たちとも向き合わないと、ダメなのかもしれません。

だって、あのときの言葉も、きっと誰かが私に対して思っていたことだと思うから。

「もうこれでひと安心ですよ、あずささん」

「ありがとうございます、律子さん。……こういう人にも届くように頑張らないと、ですね」

 

車は走り続けて、スタジオに到着しました。

カメラマンが待ち構えていたので、車内で待つように言われる。

対応したって大丈夫だけど、今は違うみたい。

 

私は降りずに、ことの行方を見ていた。

と、ケータイ電話が震えました。

新着メールと、液晶に表示される。

開いたそのメールには「スタジオ屋上で待ってる」とだけ書かれてました。

差出人はーー。

 

    〜〜〜

 

「おっそいの、あずさ〜」

「ごめんなさい、美希ちゃん」

 

テレビスタジオの入っている建物。

その屋上からは都内の街並みがよく見える。

網の塀にもたれながら、こちらに向かって美希ちゃんが手を振った。

わたしも手を振りながら、そばへ歩み寄っていく。

隣に立つと美希ちゃんはいつもの魅力的な、少女のようでいて同時に大人びた女性の、彼女らしい笑顔を見せてくれました。

 

「大変だったね、下のカメラ。さっすが、あずさは人気者なの」

「なんだかウエディングドレスの撮影を思いだしたわ♪」

「あのときのあずさ、キラキラしてたの」

「ふふ、懐かしいわ」

「そうだね。もう四年も前なんだよね〜」

「……ねえ、美希ちゃん」

「ん〜、な〜に〜?」

「この前の……ううん、いつも。いつも本当に、ありがとう」

「……ミキね、まだ許せないこともあるよ。ハニーはきっと傷つくから。けど、あずさは仲間でライバルだし、助けるのは当然なの。それにね、これもハニーのお願いだから。……仕方ないの」

 

屋上では風がそよいで、夕暮れのやさしい光が注がれている。

二人でずっと話した。

たくさん、話しました。

いままで何を思いながら、アイドルとして活動してきたのかを。

4年前のあの日、何を感じたのかを。

お互いのことを。

2人とも、同じ人を……。

プロデューサーを愛したことを。

 

美希ちゃんは4年前に見た彼からのDVDレターの話を、わたしに向けて懐かしそうに喋っています。

『美希のまっすぐな気持ち、嬉しかった。俺がいなくなっても覚えていてくれるって言葉、ほんとにありがとう。いつも、美希の直向きな情熱に勇気をもらったよ。だから、これからも変わらずにキラキラする夢を追い求めてくれ。

ーートップを取れ、美希』

そんな内容の言葉で。

 

「ひどいよね、ホント。

美希、これじゃハニーのこと嫌いになれないもん。期待、裏切れるわけないの」

 

彼女が受け取った言葉は、他の誰とも違った。

でも、だからこそ美希ちゃんは私たちの誰よりも早く、そのいただきに手を伸ばした。

そんな姿を尊敬と、すこしの嫉妬をもって見ていた。

わたしが貰えなかった言葉を、彼女はあの人に言われたから……。

 

「わたしにとって、美希ちゃんは特別な女の子だった。あの人の心を動かして、あの人の願いを叶えた、唯一のアイドルだもの」

わたしには出来なかったことを成し遂げる姿に、憧れていた。

「うらやましかったの、美希ちゃんの強さが」

美希ちゃんはキョトンとした表情のあと、お腹を抱えてしゃがんだ。

それからクスクス笑って。

「あーあ」

と、空を大きく仰いだ。

ちょうど、私と目が合う。

「ほんと、お互いにないものねだりだったの」

そして、日が沈みそうな遠くの街並みを眺めながら。

「あずさは、どんなアイドルになりたかった?」

ゆっくりと、私に語りかけてくれました。

 

「ミキはね、キラキラしたかったの」

いま誰よりも輝いている彼女の言葉は、どこか泣き出しそうだった。

「みんなにとってキラキラした存在になるのも好きだよ。でも、誰か一人にとってキラキラした存在にも、なりたかったの」

「えぇ、分かるわ。とっても」

誰だって、きっとそうなんだわ。

アイドルのわたしも、普通のわたしも。

どっちもわたし自身。

「全部ほしかった。でも、なかなか上手くいかないね」

いつも選べるものは一つで、その積み重ねだけが未来になる。

諦められないけど、どこかで無理が出てしまうから。

やっぱり、選べるものはたった一つ。

美希ちゃんの言葉が、痛いくらいに分かりました。

「片方しか選べない。選びようがないぐらい、大切なのにね」

「……選ぶのは、誰だって怖いはずよ。だけど、悩んで迷ってーー」

「うん。きっと最後は、やっぱり選ぶしかないんだよね」

 

美希ちゃんは強くうなずいた。

そして勢いよく立ち上がって、グイーっと背を伸ばす。

夕日が地平と接する輝きを浴びる彼女は、どこまでも美しいから。

わたしは彼女に見惚れていました。

 

「これからはミキも、迷わないって思うな」

「そうね。私たちは怖くても、きっと進んでいけるもの」

「……あずさも、もう決めたんだね」

「ええ」

「はーあ、ようやくって感じなの」

「ここまで迷い続けちゃったから」

苦笑混じりにそう返すと、

「あずさの迷い癖はずっと治らないから、気にしなくていいの」

と言われちゃいました。

「迷ったって、もう大丈夫だもん。ね、あずさ」

 

わたしの正面に移って、妖精みたいにふわりと立っている。

美希ちゃんのクセのある声に、ほんとにこの女の子は見る人すべてを魅了してしまうと思う。

その表情は逆光でよく見えないけど、きっと笑っている。

 

「ミキ、負けないの。あずさが霞んじゃうくらいキラキラして、みーんなに見てもらうから。ハニーも起きたら、ミキのことだーい好きになっちゃうくらいに、ね」

「そうなると、私も頑張らなくっちゃダメね」

「あはっ☆ その意気なの!」

「あらあら、うふふ♪」

 

二人の笑い声がとても心地よく辺りに響きました。

日が落ちると、街はもう完全な夜になった。

「じゃあ行こっか。あずさ」

「頑張りましょう。美希ちゃん」

そろそろ撮影が始まる。

最後の撮影が。

わたしは屋上を後にしました。

 

   ◇

 

最後のお仕事から2ヶ月が過ぎた。

あれから、もうわたしはアイドルじゃなくなった。

 

ライブを終えてから、すぐお父さんとお母さんに会いに行くと、とびきりの笑顔で出迎えてくれました。

壁に貼られた私のポスターに、すこし恥ずかしくなる。

でも、朗らかなお父さんや優しいお母さんの様子に、恥ずかしさは嬉しさに変わってしまいました。

ふたりにはきちんと事の経緯をすべて説明して、これからのことも伝えてきている。どうなるかは分からないけど、プロデューサーが目を覚ますまで、わたしは待っていると。

心配されたけど、最後には認めてくれました。

 

いまはあの騒動も落ち着いて、街も穏やかな日常を取り戻しつつあります。

病院に向かう道でも、以前ほど声をかけられなくなりました。

 

街のいたるところで、アイドルの活躍が伝えられている。

街頭広告に載った765プロ以外のアイドルの姿。

ジュピターが全国周遊ライブを行ったり、346プロのシンデレラガールズプロジェクトが大成功を収めたり。

876プロのイベント開催や、W.I.N.G.決勝で283プロの櫻木真乃ちゃんたちのユニットが優勝したことも、テレビに流れている。

もちろん、765プロのみんなが載っている広告もある。

いまはシアターを建造中で、新しいアイドル募集中!

と書いてあった。

 

アイドルたちはみんな、今も忙しくその日々と情熱を、輝く夢に懸けています。

 

その中に、わたしの姿はありません。

わたしは、ただの三浦あずさだから。

 

   〜〜〜

 

病室に着くと、扉を開ける。

静かな部屋の中で、私は律子さんから受け取ってきたビデオカメラを用意する。そして、ケーブルをTVに接続して、電源を入れた。

 

画面にはあの日の映像。

最後の仕事。私がソロで歌うところ。

今日はプロデューサーさんにこれを聞いてほしかったんです。

スイッチを入れると、その録画映像が動き始めました。

 

my song

歌:三浦あずさ

 

ゆるやかなイントロを経て、歌唱が始まる。

画面の向こうの私は必死で目もとをおさえている。

胸に込み上げる感情がとめどなくて、途中から泣きそうになってしまう。でも、我慢しました。

最後まで私らしく、悔いのないステージをするために。

 

「Stay この My Love Song

 エールくれる人よ

 愛を込め贈ろう

 Shine 輝いて

 ねぇ幸せあれ

 いま明日が生まれる

 

 終らないMy Song…」

 

そうして歌いきったとき、みんなからの温かい拍手と抱擁が、私を迎えてくれました。

いろんな気持ちが溢れ、こらえてた涙になりながら頬を伝う。

最後で、最高のステージだった。

いまこの病室にいても、その心が満たされた感覚を鮮明に思い出せる。

 

映像が終わって、わたしはいつものようにあの人の手を握る。

いつ目覚めるのか分からないけれど。

届くように、この願いが届くように。

心の中で呟きながら、目を閉じる。

そうしていると、鳥のさえずりやポカポカとした日だまりに部屋が満たされて。

いつまにか眠ってしまいました。

 

夢の中で、わたしは懐かしい声を聞きました。

忘れるはずのない声です。

耳から離れないあの甘い響きです。

 

(俺が運命の人になります)

 

プロデューサーさん、私にとってあなたは最初から……。

そこで目が覚めました。

まどろみから起き抜けて、目をこすりました。

 

もう陽が傾いていて、辺りはすでに真っ暗でした。

病院ももうすぐ面接終了の時間になる。

そろそろ帰らなくちゃ。

そう思って、帰り支度を進めていると、

 

「あずささん」

 

あの人がそう言った気がして、思わず視線をそちらに向ける。

気のせいかも、でも、聞こえた気がしたの。

けたたましく鳴る胸の鼓動に息を飲みながら、振り返りました。

 

目を、奪われました。

その光景が嬉しくて、声も出せないぐらい嬉しくて。

たまらなかった。

 

意識を、取り戻していた。

目をわずかに開き、おぼつかない呼吸を繰り返している。

でも、たしかに、それは穏やかな笑顔。

いつも私やみんなに向けてくれた、あの優しい笑顔を浮かべているみたいで。

そんな姿に。

4年ぶりに見た、愛する人の目覚める姿に。

プロデューサーさんの薄く開いた瞼の奥の瞳に。

私はーー

 

「おかえり、なさい……っ」

 

涙で震える声を、もう抑えきれない。

ただひたすら、つよく、つよく、わたしは抱きしめました。

このさきもずっと側にいると、永遠の約束をするように。

愛しい人に向けて、この言葉にならない喜びを伝えて。

 




というわけで。
ひとまずアイドルマスター『俺あず』は、これにて完結です。
こんにちは、慧鶴です。
およそ2年にわたりお付き合いくださった読者のみなさま、本当にありがとうございました!
何度も投稿期間が空いてしまうなど作者の力量不足もありましたが、読んでくれる方々のおかげで完結させられました!
何度言っても足りないぐらい、ありがとうございましたー!
よろしければ感想、評価のほどよろしくお願いいたします!

※感想欄で書いていただければ幸いなのですが、ハーメルンにて公開中の、皆様のお薦め作品を教えてくださると嬉しいです。


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