キョン「戦車道?」 (Seika283)
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キョン「戦車道?」1

 歴史ってのが人間の紡ぐものであることに間違いはないと理解したのは、俺が中学に上がる頃だ。だが、後だしジャンケンで本物のハサミを突き出し相手のグーを傷付けるように弄くり回せちまう存在がいるのを理解したのは、高校に上がってからだ。甚だ不本意且つ、知りたくなかったがな。

 そうだ。ハルヒだ。県立北高に入学してから俺がたった一年の間でアイツに巻き込まれ続けた結果得た経験値は、それだけならRPGで言えばレベル三桁を突破するくらいの量だ。ステータスが相応に引き上げられている実感は悲しいかな微塵もないが、せめて知能と特に殺意を受信するアンテナは僅かでも上昇していると信じたい――。

「っぐ!?」

 不意に俺の背中一面に衝撃が広がった。一瞬止まった息を吹き返し瞼を開けると、俺は天井を仰いでいた。俺は確か明日から新学期が始まるのを憂鬱に思いながら眠りに就いたはずで、目の前の光景は懐かし――

「ふぇ!? え!?」

――くはなかった。天井の電灯が、馴染みの俺の部屋の物と違う。

「だ、誰なんですか!? どうして私の部屋にいるんですかあ!?」

 文面だけ読めば朝比奈さんだ。普段俺を起こすのは小学生の妹なので、俺が朝比奈さんに添い寝されている時点で異常ではあるがともかく。

「……アンタ、誰だ?」

 薄く朝日差し込む部屋の真ん中で起き上がり、俺でも英訳できる短文を声の主に投げた。ベッドの上では女の子が枕を抱き締め、壁際で小さく蹲り、俺を怯えた顔で見下ろしている。

「わっ私は、って、言わないですよ!? あなたこそ誰なんですか! どうやってここに入ったんですか!」

 あまりの気迫で咄嗟に見回して、やっとここは俺の知る部屋ではないと察した。一言で表せば女の子の部屋で、継ぎ接ぎな熊のぬいぐるみが並んでいるのを除けば奇しくも朝比奈さんを連想する部屋だ。

 その子が人差し指を突き付けて俺を見る目は明らかに暴漢へ向けるそれだと、初対面相手でも分かる。無論俺は釈明した。怠惰な現状を打ち破るためだけに殺人未遂を犯す急進派宇宙人とは違う。

「ま、待ってくれ! 俺は怪しいもんじゃない。本当だ。俺も訳が分からないが気づいたらここにいて……」

 だめだ。往生際の悪い空き巣の科白にしかならない。案の定、部屋の主と思われるその子の顔から険しさは引くどころか、追加で恐怖感も添加されていくのが分かる。ちくしょう、この状況を説明してくれるピンチヒッターはいないのか?

「出てって……!」

「頼む、聞いてくれ……!」

「出てってくださいいい!!」

 知らない部屋だがワンルームのようで、俺は目に付いた玄関からすぐに飛び出した。案の定外は表だ、一階へ降りる廊下なんかじゃない。周囲にはいくつも同じ扉が並んでいるからここは共用部のようだ。マンションかアパートか?

 洒落にならねえ、と今の俺の恰好を確認する。グレーのスウェットを上下に纏った紛うことなき寝間着、足はコンクリートの冷たさを直に味わっている。こんな恰好の空き巣がいるかよ。

 とポケットを探ると、携帯があった。寝る時に携帯を肌身離さない習慣も記憶も俺にはないが、とにかく起動してみる。無事だ。ならば連絡先。これも無事だ。

 俺は藁にも縋る想いでプッシュした。

「長門、俺だ!」

『……』

 この三点リーダが、さっきの部屋の子以上におどおどする異世界の長門ではないことを証明してくれた。俺は一息吐いてから改めて、

「長門。今の状況が分かるか?」

『この世界は、我々が元居た世界と乖離している』

 乖離しているってのをもっと具体的に表現してくれ。作り変えられてんのか、異世界に来ちまったのか。時間遡行の可能性は?

『世界そのものが改変されている。情報統合思念体とコンタクトを試みたが、彼らは存在しないと思われる』

「なに? っつうことは何か、今長門は何の力も持ってないってのか」

『ない。ごめんなさい』

「あ、いや、長門に謝られる謂れはないんだ。悪かったよ」

 寧ろ普段おんぶに抱っこしてもらってるんだから、こっちがジャンピング土下座の一つでもかまして謝意を伝える立場なんだ。しかし参ったな。今度の厄介ごとも一筋縄では行きそうにない。初めてではないがこんなとき長門がただの寡黙な女子高生になっちまってるのはデカいハンデだ。

 それよりまず今一番深刻なのは、自分の拠点が分からないということだ。これまで厄介ごとで機能していた初期スポーン地点はどうなったんだ。俺の家は。北高は。文芸部室は。

『あなたはまず学校へ行くべき』

「北高はあるのか。ただ、今俺が知らない場所にいるから真っ直ぐ行けるか、」

『あなたの通う学校は北高ではない』

 なんですと? 俺はスピーカーに耳を押し当てその続きを待つと同時、かちゃりと傍の扉が開いた。

「あっ、あの……」

 件の女の子が控えめに、扉から俺を覗き込んでいた。

 スピーカーから聞こえたその名前は、さっき俺が大急ぎで長門を探し出すべく開いた連絡先の二番目にあったような気がした。

 

 

 大洗学園。それが俺の通う高校らしい。そこへの通学路は西住から聞く限り、この一年間ずっと恨み節を吐き続けたハイキングコースが存在しないらしいのに、俺の心境はブルー一色で塗り固められたままだ。

 女子と一緒に登校しているってのにな。

「……」

 長門のとは違い、なんて落ち着かない三点リーダだ。何故俺は強盗未遂犯に認定されたであろう件の女子高生と、通学路らしい平地を歩いてんのかというと、事の発端はこうだ。

 通話越しの長門が学校の名前を教えてくれたあの時俺は、扉から顔を出した寝間着の女子高生に部屋へ連れ込まれた。するとリビングでは見覚えのある北高の男子制服と俺の鞄が出迎えてくれた。

 どうにか平静を取り戻したらしい彼女に促された俺は、彼女とテーブルを挟んでお見合いの態勢になると、彼女はええと、とか、なんていうか、とか目をマグロのようにたっぷり泳がせた末に、

「あなたは、私の兄なんですか?」

 と切り出された。俺が口をぽっかり開けて間抜け面を晒してしまったのは言うまでもない。そう来たかハルヒ。俺の家族に見ず知らずの異世界人が加わったのは初めてだ。俺の妹枠は小学校高学年とは思えない小学生のあいつで売約済みのはずなのに。

 今はまだ見ぬ団長へ心中で恨み節を並べていると彼女は俺の無言に慌て、

「へ、変なこと言ってごめんなさい! あの、さっきお姉ちゃんに電話したんですけど、私とあなたは兄妹で、これからこの学生寮で一緒に生活するんだろ、って……。わ、私がおかしいのかな?」

 えへへ、などと困ったように作り笑いする彼女へどう説明すべきか、俺の心中の恨み節はそっちの製造へすり替わった。って、ねーちゃん? 彼女には姉がいるらしい。ということは俺の姉? まさか妹ではあるまいな。今は何人兄妹になってんだうちは。

「あー……」

 俺は床に叩き付けられてから何も口にしないまま乾ききった喉を一拍震わせて、

「俺はあんたの兄、ではないはずだ。俺も今記憶がしっちゃかめっちゃかなんだが……。名前は、なんて言うんだ?」

「西住みほです」

 さっきは名乗るのを拒んだのに西住は即答してくれた。姉ちゃんとやらと電話しただけで警戒心を解いちまったのか、この子は。それにしても、西住だって? 俺の苗字の頭はサ行だし、西住という苗字を冠した知り合いも覚えがない。

 その時俺は、テーブルの脇に生徒手帳が置いてあるのを発見し、中身を確認した。写り悪く冴えない顔写真の横にあるのは俺の記憶と相違ない苗字。よかった。家族構成を改竄されても個人情報にまで魔の手は及ばなかったようだ。周囲が俺をあだ名で呼びまくる余り、アイツが俺の本名を忘れている為だとは思いたかないが、今それはどうでもいいな。

 話してみると彼女は既に俺の生徒手帳に目を通していたらしく、義理の兄妹なのかという疑問を呈した。苗字が違うならそこに辿り着くのは俺も同じだが、それまでだ。ここにはアイテム以上のヒントをくれるNPCがいない。

「なあ、そのお姉さんに電話させてもらえないか? 俺も色々聞きたいことがある」

「それはいいんですけど……。そろそろ登校しないと、遅刻しちゃう」

 

 彼女の鶴の一声で俺たちは共に制服へ着替え――釈明するまでもないが俺は適当に洗面所を使った――、自転車も無しに通学路を歩いている。案の定俺の知らない道だったので俺は道順を教えてくれる以外に三点リーダを貼り付ける彼女へ、金魚の糞の如く付いて行った。

「ところで、お姉さんに繋いでもらっていいか」

「ぇ、あ、そうでしたね、ちょっと待っててください」

 彼女は携帯を取り出し三コールほど待たされてから、

「あ、お姉ちゃん? 今いい? あのね、今、お、お兄ちゃんが、お姉ちゃんと話がしたいって言ってて」

 俺への呼び方に迷いを見せた末のお兄ちゃん呼びに、俺は場違いにも安堵を覚えた。いや兄をあだ名で呼ぶ妹の方が普通ではないのだが、反動でな?

「あ、そ、そう、だね? とにかく替わるよ?」

 はい、と差し出す携帯を受け取ると今度は俺が迷う番だ。

「あ、あー、姉、さんか?」

 うわ、慣れねえ。だが俺と西住が同い年というのはさっき知ったから、俺の姉でもあるのは間違いないはずだ。

『キョンか? 今朝のみほは一体なんだったんだ?』

 妹と比べると声は低く、言葉遣いも女子に不相応だった。ところが俺はそのギャップで驚く以前に、味わっていた安堵を取り落とした挙句その場でずっこけるところだった。仮にも身内をあだ名で呼ぶ奴があるか? 本当に身内か? 内心半信半疑だったのが疑心暗鬼にランクアップを果たしちまったぞ。妹を見習え。

「それがその、実は俺も頭がどうにかしちまったみたいでな? 俺も教えてほしいことがあるんだ」

『……大丈夫か? 二人とも。まあ聞いてくれれば答える』

「SOS団って、知ってるか?」

『知らない。レスキュー隊か何かか?』

「いや、知らないならいい。……俺たちは義理の兄妹、ってことでいいんだよな?」

『義理なのはお前だけだが』

「姉さんが始めで俺が二番目で、に……、ええと、みほ、が末っ子だよな」

『……本当に、大丈夫か……?』

 え、なんだよまだ増えるのか? と俺が言葉に詰まるのも束の間、

『まさか家族構成も分からなくなっているとは……。合ってはいるが』

「気にしないでくれ」

『いや気にするぞ。お前たち、頭でも打ったのか?』

「いいから。で、姉さんも大洗学園なのか? 放課後とか会えそうか?」

『私は黒森峰女学園だ。会うのは無理だ』

「いつなら会える?」

『分からないな。次の寄港は来週だし、会うなら私かお前のどっちか新幹線のチケットを取らないと』

 きこう? なんだそりゃ、奇行? 寄稿? 帰港? それに新幹線だって?

「い、今どこにいるんだ?」

『黒森峰の学園艦』

 また分からない単語が出てきた。黒森峰とかいう名詞は別にいいとして、後半のは広辞苑に載ってんのか?

「つまりどこだ」

『熊本の沖合だが……』

「……すまん。ちょっと、待っててくれ」

 俺はここで現在地すら把握していないことに気付いた。手で通話口に蓋をし、

「なあ、ここはどこなんだ」

「ふぇ? えと、学校まであと十分のところです、よ?」

「そうじゃなくて。ここは何県だ?」

「何県というか、茨城県の沖、だと思います」

 全然分からん。互いに呆けた顔を突き合わせただけだ。地球は温暖化が進む余り北極を溶かし尽くすのを通り越して海水が干上がっちまったってのか? そうでないなら足下のアスファルトは、目の前に広がる小売店やら住宅やらは、遠方に見える小山はなんなんだ。

 とりあえずここは関東で、姉(仮)のいるところは九州らしい。

「あー姉さん。悪い、学校も近いんで、一旦切る」

『いや、今日は休んで医者にかかるのを勧める。本当に。あとお前、携帯に私の番号も登録してないのか?』

「大丈夫だから。少ししたら良くなるから。携帯は後で見直す。じゃ切るぞ」

『おいキョン――』

 姉(仮)には悪いが嘘を無理やり通して赤いボタンを押した。何気なく妹(仮)の携帯の待ち受けに目を留めると、四月七日と日付が示されていた。エイプリルフールは過ぎちまってるみたいだな。

 

 願望実現能力を持たない俺がこの世界よ元に戻れなどと念じてもペガサスかアルタイルに通ずるはずもなく、いきなり体育館へ誘導されたかと思ったら今日は始業式だったらしい。そこだけは俺の記憶と相違ないのかよ。ともかく校長の長ったらしい挨拶を終え、クラス替えをしたらしい二年の教室へ戻ると、俺はソイツを見つけた。

「……」

 我らがSOS団団長、涼宮ハルヒである。

 だが俺は、出席番号順で俺の後ろに座ったそいつに声を掛けあぐねていた。このクラスの生徒が教室に入ってから、ハンドボール馬鹿の岡部ではない初見の担任の指定で席に着いた今まで、ハルヒは人を寄せ付けない仏頂面を張り付けっぱなしだし、頭こそ見慣れた黄色のカチューシャだが髪は背中まで伸びている光陽園学院スタイル。ああ、これは、あれだ。懐かしい。

 今日、本当に始業式なんだよな? 入学式じゃないよな?

 などと俺が頬杖を突いて知恵熱を出そうとしている間に自己紹介が始まり、俺は頭の片隅から入学式の時の科白を引っ張り出し少し添削もした上で、自分の番を終えた。一年前より緊張はしなかったが、問題は次だ。

 椅子に腰を落ち着かせた俺の背後からはがたりと立ち上がる音が聞こえ、

「東中出身、涼宮ハルヒ」

 俺は机の天板を穴が開く程見つめて次の言葉を待った。

「ただの人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい。以上」

 空虚感を抱いた俺は奇しくもあの時と同じように振り返らざるを得なかったね。えらい美人が、そこにいた。ってか? 知ってるわンなこと。

 ハルヒは唖然とする周囲を見回し、最後に俺にも同じ目を向けてから着席した。なあハルヒ。お前は一体何がしたくてこの世界を望んだんだ? SOS団は飽きちまったのか? 第一容疑者として疑っちゃあいるが、俺だってお前の仕業だとは思いたくないぜ。



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キョン「戦車道?」2

 ハルヒの姿を見つけるより前に気付いていたことだが、同じクラスに谷口と国木田はいた。それ以外にも顔見知りの男子は何人もいたが、女子はハルヒを除いてがらりと変わっていた。朝倉や――いたら自己紹介が始まった途端に教室を飛び出す自信があったが――阪中も始め、ごっそりとな。自己紹介が終わったらあとは、担任の話と学級委員を決めて正午に解散と相成った。それに至るまでに、今聞いてもみょうちきりんな宇宙人云々の自己紹介をハルヒに聞けるような自由時間はなかった。そして全クラスに帰宅命令が出されているはずの今、ハルヒは後回しだ。

「おいキョーン――」

 早速谷口が国木田も連れて話しかけてくる。俺のことを悪友としてちゃんと認知しているのはいいが、今お前らはハルヒより優先順位が下なんだ。

「ああお前ら。悪いが今日すぐ帰らなきゃならないから、じゃな!」

「キョン!? あ、おい!」

 妹(仮)は隣のクラスに入ったと聞いてある。隣の教室ではちょうど入口の扉が開いたところで、間を置かずそこの女子に詰め寄った。

「わ! なに?」

「西住はいるか?」

「西住さん? あそこ」

 女子の指差した先では、緩くも着席したまま何かノートを鞄へしまう西住の姿。

「西住ちょっと来てくれっ」

「ふぇ!? なに? なに!?」

 俺は第二の懸案事項である、妹(仮)設定を持たされている西住みほを鞄もひったくって教室から連れ出していた。

「手、手っ……、というかどこ行くの!?」

「今朝のごたごたの件で、会わせたい奴がいる」

「分かったから、手ぇ離してぇ!?」

「あ、悪い」

 廊下を少し早歩きしたところで俺は自分の所業に気付き言う通りにした。まさか初対面の女子の手をいきなり掴んで連れ出すなんて、俺もハルヒに毒されきったな。それから一分も経たず、探し人はまるで待ち受けていたかのように棒立ちしているのが見つかった。

 SOS団の宇宙人枠、長門有希。こいつも俺や西住とはまた別のクラスだった。

「よう、今朝方ぶりだな」

「…………」

 何事もなければ春休みぶりになるはずだったヒューマノイドは最初俺に向けた目をパチリと瞬かせ後ろの妹(仮)へ移動した。

「今から、話せるか? ああ、訳あって、この子も同席させたいんだが」

「に、西住みほですっ」

「長門有希」

 教室での自己紹介と同じたどたどしさながら頭を下げる妹(仮)と対照的に長門は唇を二mm動かすだけに留まり、

「こっち」

 俺たちの来た方と逆の方へ歩いて行くのを付いて行く。

 歩くカーナビと化した長門の足は、日陰差す校舎裏の休憩スペースで止まった。新入生なら絶対知らなさそうな場所だが、長門ならこの世界が出来たと直後頭の中に3Dマップが構築されていても俺はさっぱり疑わない。ってあれ、今朝の話が本当なら長門は今単なる人造人間なんだよな?

 桜の花弁が散るベンチに長門・俺・西住が並んで座るとまず俺は、この場においての最大の懸案事項を長門へ開示した。俺には見ず知らずの姉妹がいて、そこの妹(仮)と同居している。妹(仮)と俺は互いのことを全く知らないのに、姉(仮)は俺たちに医者を勧めてきた。これだけなんだがな。

「現時刻から九時間二十三分五秒前に超大規模の情報改変が発生した。涼宮ハルヒの認知する中で一部の人物が既知時空からこの時空へ転送された」

 ハルヒの認知する奴のみ、ってことはやはり、これもハルヒの仕業か。

「そう」

 転送ってのはどういうことだ。俺たちはあっちの世界からこっちの世界へコピー&ペーストされたのか?

「断片的ながら解析した改変プロセスによると、転送された人物は例外なく既知時空から消滅されることになっている。この世界に情報生命体は存在せず、わたしも情報統合思念体とコンタクトを取ることができない」

 補習ラインすれすれをハンググライダーで万年低空飛行している俺に全ては理解できないが、消滅という単語でどことなく察した。長門が言うなら俺が曲解しない限り間違いはないだろう、SOS団創設以来きっての優良常識枠を死守し続けた俺もついに踏み外しちまったらしい。過去にコイツが消えた世界に放り込まれた時は一応元の世界と似てはいたからギリセーフと自分に言い聞かせたが、もう今回は言い逃れできない。俺はマジモンの異世界人になっちまった。

「プロセスには不整合発生抑止のため我々周囲の人物の情報と記憶の置換情報も含まれていた」

 そりゃなんだ。

「改竄コード。あなたが西住家の養子になっていること。西住まほの弟であり、西住みほの兄であること。それが四年前からであること」

 俺の元の家族はどうなったんだ。

「あなた以外の家族は四年前に交通事故で死亡したことになっている。あなたは西住家に引き取られた」

「な……」

 天涯孤独ってわけか。親父とお袋と妹を消す意味はなんなんだ。不思議現象に肉親が関わったことは一秒たりともないのに。

「わたしは情報改変に干渉しあなた自身の情報と記憶の置換情報を優先的に削除した。あなたが転送前の情報と記憶を保っているのはこのため。しかし西住みほが同様に情報と記憶を保っている理由は分からない。わたしは関与していない」

 そうか。西住のことは分からず仕舞いだが、ハルヒにカット&ペースト&上書き保存される極限状態でも長門は俺の傘になってくれたのか。ジャンピング土下座より感謝の念を示せる行為はなんだ? 大気圏からの飛び降り土下座くらいは考えとくか?

 それはいいとして、考えなきゃならないのはここが単に書き替えられた世界ではなく、全く別の世界だってことか。もしハルヒが長門の親玉のことを認知していれば、とここで俺は浅はかな現実逃避未遂を犯しかけた。認知していたならここに飛ばされる以前に元の世界で俺たちは心身共に原型を保っちゃいない。

「あ、あの……、お二人とも、何の話をしてるんですか……?」

 隣に座る西住がキャッシュカードとクレジットと携帯を一斉にドラ猫に持って行かれた時くらいには顰めた顔で俺たちを覗き込んでいた。こいつポーカーとかではボロ負けしそうだな。

「西住。今朝のことの前にまず俺たちの素性を話さなくちゃならないんだが、これから話すことがどんなにぶっ飛んでても、最後まで聞いた上で信じてほしい。俺たちは……、この世界の人間じゃない」

「……ふぁい?」

 俺は普通の人間だが長門は宇宙人で、ほかに非常識な存在は何人もいて、その頂点にいるのが俺のクラスメイトの涼宮ハルヒという奴で、そいつが無自覚無意識に俺たちを昨日ここへ飛ばしたのだと。俺たちは今帰る方法も分からない状態なのだと。

 ちょくちょく長門も交えて宗教勧誘も逃げ出すセミナーを垂れる間、西住は間の抜けた表情から始まってしばらく硬直させていたが、終わりが近付くにつれ次第に引き締まっていった。思えば俺が最初に長門から銀河の統括だの有機端末だのいう宇宙人流自己紹介を聞いた時は最初から最後まで口が開きっぱなしでいたはずだが、俺と違い西住は頭が回るらしい。

「……」

 視線を下へやる西住は今、脳をフル回転させて一字一句吸収しようとしているのか、それともその先まで行って考察でもしているのか。

 まさか信じたのか? 今の話を?

「いえ……。まだ信じられるわけではないんですが、私も今朝からおかしいと思っていたことがあって」

 ……俺は本当に空き巣でもなんでもないんだ。それだけは信じてもらいたい。

「あ、いやっ、それは信じます、お姉ちゃんも言ってたから。そうじゃなくて、私の記憶ではこの学校は、女子高だったはずなんです」

 そうなのか? 男女比率は半々にしか見えなかったし、最近まで女子高だったって感じは全くないな。強いて言えば校長の後に挨拶した生徒会を名乗る三人全員が女子だったことくらいか。

 西住の記憶では、春休みまでは女子高だったとか?

「それが、私、転校生なんです。この学期から。なので、私は転校前にここのパンフレットの中で女子高と書いてあるのを見ただけで」

 はあ、境遇は俺と似たもんか。転校生……、あっ。

「西住。お前、超能力を使えるか」

「えぇ!? 私そんなの持ってないよぉ!?」

 何か感じたことはないか? 例えば誰かのイライラを察知したとか、突然灰色の空間に入り込んじまったとか。

「私は普通の人間です!」

「涼宮ハルヒの改変プロセスに西住みほへの置換情報は皆無」

 本人のみならず長門のお墨付きとあっちゃ心配はなさそうだな。ついでに俺は携帯を取り出し、連絡データを見直す。大洗学園、国木田、谷口、長門有希、西住しほ、西住常夫、西住まほ、西住みほ、……マジか。

「長門。ハルヒと古泉と朝比奈さんの番号が消えてる。履歴にもない」

「古泉一樹の在籍は確認できなかったが朝比奈みくるは確認済み。しかし改変プロセスの範囲内であることから、彼らが自衛できなかった場合は同様に書き替えられる」

 長門の言動鑑定士を自負する俺はさっきから長門が、衛星から今の地球を見渡しているような口ぶりではなく、解析したらしいハルヒの改変プロセスとかいうのを基準に説明しているところに違和感を覚えていた。これも多分、今の長門が超越能力を持っていないからだろう。現実の重みを感じる。

 とうとう俺たちは三人揃って口を噤んだ。長門も漏れなく、というのが俺の絶望感に拍車を掛けている。何すりゃいいんだこれから。

「あのっ。わ、私も協力しますっ。私に何ができるか分からないけど……」

 唐突に、西住が丸っこい目を精一杯吊り上げて俺を見上げていた。協力って、それさっきの話を信じたって言ってるようなもんだぞ。

「でも、困ってるんですよね? 困っている人がいたら助けるのは当然ですし、それに」

 妹とはどの世界でも同じ波長でも持つのか、事故で成仏した設定の妹といやに似ていて、俺は密かに奥歯で舌を噛んだ。

「キョン君は仮でも、一応、私のお兄ちゃんだから」

 

 

 



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キョン「戦車道?」3

 いつまでもそこでうんうん唸っていても何も進まないと考えた俺たちは解散した。長門も家無しということはなく、俺の、というか西住のとはまた別の寮に住んでいるらしい。元の世界と同じく一人暮らしだって? てっきりこの世界の学生寮は男女二人で住む取り決めでもあるのかと思ったぜ。

「あ、キョン君。買い物終わったんだ」

 西住を連れて入った途中のコンビニで買い物を済ませる間、西住はカゴも持たず弁当コーナーを物色していた。俺は袋から今買ったミルクティーのボトルを差し出した。

「? なにそれ」

「買い物ついでに俺の奢りだ。面倒な事に巻き込んじまったからな」

「ええ? いいよ!? 私なんてそんな、全然そういうつもりで言ったんじゃないし」

「西住が協力しようがしまいが奢るのは確定してるんだよ、しばらく世話にもなるだろうしな。俺の自己満足だから貰ってくれ」

「あ、……うん、そうだね。ありがとう、キョン君。行こ?」

 物色していた割に買う物は何もないらしい。朝は考え事ばかりで道順を覚える余裕もなかったから、西住無しでは俺は路頭に迷っちまう。優しい奴で助かった。俺は建前で買い物ついでと言ったが、俺の持つ袋の残りの中身は別に食べなくてもいいスナック一つだけだ。ハルヒが生み出したのか元から存在していたのか知らないが、部外者を巻き込んだだけでなく、事実上俺の居候の家主でもある人間相手に何もしないほど無礼じゃないんだ。

 というか、西住も俺をその名で呼ぶのか……。

「はい。でも、私にお兄ちゃんがいた記憶はないし……」

 生徒手帳も見たというから俺はあだ名じゃなくて本名の苗字で呼ばれるのを想定したんだが、そっちか。確かに俺も朝お前のねーちゃんと電話する時に名前を使うのは違和感が半端なかったが。

「キョン君が私と同い年だからっていうのもあるけど、っふふ、お姉ちゃんがキョン君って言ってたから。面白いあだ名だよね?」

 断じて面白くはない。まあただ、呼び方に注文を付ける立場にはいないさ。気に入ったんならそう呼んでくれていい。

「うん。キョン君も私のこと、名前で呼んでくれてもいいよ?」

 少し融解しすぎじゃないか? こいつの警戒心。俺たちは顔を合わせて一日も経ってないんだぞ。今は姉(仮)との電話の時みたいに必要じゃなかったら苗字呼びにしようと定着しかけているところだ。

「お姉ちゃんがキョン君って言ってるのを聞いて、この人は大丈夫なんだろうな、って思ったの。キョン君は知らないと思うけど、お姉ちゃんが人をあだ名で呼ぶところなんて聞いたことないんだよ?」

 お前のいないところで呼んでるかもしれないじゃねえか。兄妹姉妹だろうと、四六時中一緒にいるわけじゃないだろ? 俺はそうだった。

「ううん。私、転校するまではお姉ちゃんの学校にいたから、ほとんど一緒だった」

 周りにあだ名持ちの奴がいなかっただけかもしれないだろ。

「それは合ってるけど、普通は弟をあだ名で呼ばないよ? あと、状況で使い分けるよりは統一したほうが簡単でしょ?」

 一度鏡を見せるべきか? 惜しくも俺は持ち歩いてないな。だが後半は同感だ。お前がいいなら名前で呼ぶよ。

「うん。呼んでみて?」

「みほ」

「うん。キョン君、キョン君……。ふふふふふ」

 そんなに面白いか。天に召されたお父様、お母様。妹の兄呼びも数時間でお陀仏になりました。南無。ハルヒの奴、こんなところまで改変プロセスに含んでねえよな?

 そういや、黒……なんとかからこの大洗へ転校したとか言ってたよな。寮で暮らしてるなら親の転勤とかでもなさそうだし、みほはなんで西日本縦断してまでここに来たんだ?

 するとみほは、俺のあだ名なんかで一人揺らしていた肩を落とした。

「う、ん……。ちょっと、ね? 色々、あって」

「……そうか」

 元々歯切れが良いとは思っていなかったが今は、確実に悪い。あれだ、ここで詮索すんのはアホの谷口か酔っ払いのオヤジでもない限りない。俺が兄であろうとな。

「話すのが面倒だったらいい。なら、学園艦ってのはなんなんだ?」

「あぁ、船のことだよ。船の上に町を作って、人が住むの。ここがその中」

 What? 見回しても海なんか見えない。というか川とか山とかはどうしたんだ、まさか陸から持ってきたとは言わないよな。日本の造船技術がそんなもんを乗っけられる域にまで達したなんてのは初耳だが、なんでそんなことを?

「ええっと? 確か、国際社会の進出も視野に入れて、高度な教育のために学生は海へ出るべき、って昔の人が言ったのが始まり――じゃなかったっけ?」

「はい?」

 聞いているこっちに同意を求められても困るんだけどな。例えば長門の説明は難しい単語を多用するせいで理解しづらいが、今のは単に飛躍していて分からん。高度な教育がどう海に繋がるんだよ。

「そこを掘り下げられると困っちゃうんだけど……。学生はみんな中学から学園艦で生活するのが当たり前だったから」

 どういう世界だここは。俺の知識が確かなら町を置けるような船の造れる国なんかないし、学生だろうと大人だろうと住むのは古今東西陸の上だ。この世界の日本領土は俺の知ってるのと同じ版図か? 沈んでなくなってたりしてねえよな?

 寄港。来週。そういうことか。科学技術がどう跳躍してるのか知らんが、そんなぶっ飛んだもんを作れるなら多分補給もしなくて済んでるんだろう。ちっとも理解できないが、そう思っておこう。

「男女二人で生活するのも、か?」

「そっそれは! 普通じゃない、と思う……」

「ねーちゃんは一緒に住む理由とか言ってたか? 朝はうっかり聞き忘れたんだが」

「あ、それ私も聞いてない」

 さすがにそこはぶっ飛んじゃいなかったか。そういやさっき長門は、改竄コードにみほを弄る部分はなかった、みたいなことを言ってた気がするぞ。俺を肉親と切り離して、記憶を保っているコイツとわざわざ一緒に住まわせる。アイツが何をしたいのかさっぱりだが、何か意味があるはずだ。

「生活費はどこから来てるんだ。バイトでもしてんのか」

「私はバイトしてないよ、親からの仕送り。……あ、でも、これからどうなるんだろ……」

 なんだって? 仕送りの後、何か言ったか?

「うっううん! なんでもない。仕送りも少しずつ貯金してるから、しばらくは困らないはず」

「悪いな。本当に」

 とはいえ長引かせるわけにはいかないな。少しでも早く帰れるように動かないと。

「あ、飯、どうすっかな。俺料理できないぞ……」

「私も、得意じゃない」

「……どこか、寄ってくか?」

「うん」

 

 

 翌日から、通常授業は始まった。

 昨日のみほとの話で予想はしていたが、理数系の授業で舟を漕ぐことの多かった俺でも、内容が違っていた。レベルも、北高よりは上がっているんじゃねえか? と思う。多分。この世界脱出の手がかりがもう少し富んでいたら俺は、ちょっとしたらどうせいなくなるんだから別に赤点取ってもいいだろと考えただろう。

「キョン。お前、なんか変な物でも食ったか?」

「え? 何かあったの?」

 昼休み。北高では弁当持参だったが、ここは学食があった。弁当を作ってくれる親がいないからこれは助かったが、谷口と国木田でテーブルを囲って適当に飯を突き始めた途端、アホがアホなことを聞いてきた。どういう意味だよそりゃあ。

「お前、授業ずっと起きてたじゃねえか。昨日どんだけ寝たんだよ?」

「そういうお前こそ、ずっと起きてたみたいに言うじゃねえか」

「それはうんとは言わねえけどさ、俺が起きてた時でお前が寝てるところ見たことねえぞ」

「そうなの? キョンにしては珍しいね」

 国木田も国木田で童顔の割に容赦ないな。いや事実だし、中学以来の友人に遠慮されても困るから構わないんだが。進級してみたら思いのほか授業のレベルが上がったように見えたから、補習は受けるまいと必死になっちまったんだよ。

「ふーん。いい傾向じゃない? キョンは去年も危なかったしさ」

「それだけじゃねえ。昨日はお前妹連れてあの長門有希の後付けてただろ。こっちはゲーセンにでも誘うつもりだったのに、お前ときたら新学期初日からAマイナーとAランク+で両手に花ときた」

 くそ、見られてたらしいな。つーか人聞きの悪い言い方をやめろ。妹と一緒に帰ったのは否定しないが、長門は単に方向が一緒だっただけだ。あとお前はもし妹がいたら付き合ってるのかもしれないがな、俺にそんなアブノーマル嗜好はないんだ。

「ばーか。俺もねえっての」

「そうだよ谷口。キョンが好きなのは変な女なんだから」

 国木田も否定に加担してくれるのはいいが、方向が違うぞこら。

「まっそーだよな。誰とも接点を持ちたがらないあの長門有希が、お前と一緒に帰りたがるわけもねえ」

 長門が俺と帰りたがっていた事実が間違いでも、長門は少しずつ変わってきているんだがな。コイツには知る由もないか。

「そういや、谷口は東中出身だったよな。涼宮のあの自己紹介はなんなんだ」

「あーあれか。あいつは稀代の変人だ。俺は中学の時ずっと同じクラスだったんだが――」

 今まだ中身の分からないハルヒと軽々しく接触して警戒されても面倒なので、ここは情報収集だ。他愛もない雑談を食いながら話半分で聞くように見せて、谷口の一字一句を俺の記憶と照らし合わせていく。

 ところが――、

「――だから、お前が変な気を起こす前に言っといてやる。やめとけ」

「……それで終わりか?」

「はあ? これ以上何があんだよ」

 おかしい! あの話が出てないぞ!? 俺は身を乗り出し、対面する谷口に詰め寄った。

「七夕のとき、校庭にナスカの地上絵の出来損ないを描いたことはないのか!?」

「何言ってんだお前? もしかして、キョンもそっち側だったのか……?」

「七夕のときそいつは何もしてなかったのか!?」

「キョン、落ち着きなよ……!?」

「知らねえって! あいつのことだからどうせ月の兎と一緒に餅つきしたいとか短冊に書いたんだろ!」

 なんてこった。アイツが校庭に何もしなかったということは、学校に侵入しなかったということで、それすなわち……。

 頭の中が真っ白になっていくのを感じる。足の力が抜け、どさりと乱暴に座り込んだ。

「……キョン、ホントに大丈夫?」

「そ、そうだよ。やっぱり何か変だぞ、お前」

「……いや……、悪い、忘れてくれ……」



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キョン「戦車道?」4

 がむしゃらに板書をノートへ複写していた午前中とは打って変わり、昼休みの後の授業に俺は全く身が入らなくなっていた。かと言って居眠りするほど暢気ってワケでもない。

 あのときの中学生ハルヒが俺を使って校庭に落書きさせた事件は、ハルヒに北高への興味を抱かせる布石だったはずだ。アイツは文武両道で、その気になれば東大に飛び級することだって不可能じゃないだろう。あの出来事がなかったらアイツは、進学校でも奇天烈校でもなんでもない北高に入学するなんてのは、宝くじ二枚を買って両方とも一等当選するよりあり得ない。いやここは北高じゃなく大洗とかいう謎の学園だが、俺や谷口が入学した挙句二年に進級できている以上、普遍的な学校のはずなんだ。

 アイツは、何をしにこんなところに入学してきたんだ? 分からん。

 もしも繋がっていたら俺の正体を明かすことでハルヒに自身のトンデモパワーと超常現象を認識させ、前の世界に戻りたいと願わせれば――いや本当にそのまま行くとは思わないが、俺が補習ラインに墜落しちまおうがどーでもいいくらいには楽観的になれたはずなんだ。

 ここにいる俺は、今のアイツの中身を何も知らない。この発端は本当にハルヒなのか? 古泉が言ったような他の派閥とか藤原みたいな別の未来人が実は裏で糸を引いていて、ハルヒに濡れ衣を着せたっつう線はないのか?

 そうして俺の懸案事項も授業の内容も、何一つ得るものがないまま、この日は放課後を迎えてしまった。仮面兄妹を演じている俺の相方と昨日は眠りに就くまで、協議の末こっちの世界のどーでもいい話まで語り尽くしちまったが、この分じゃ今日も同じ末路になりそうだ――。

 と俺がその相方を迎えに席を立った途端、天井のスピーカーは音割れ気味のメロディを鳴らした。生徒会による生徒の呼び出しらしい――指名を受けたのは、俺。

「キョ~ン……。お前今度は何やらかしたんだよ」

「今度ってなんだ。俺は昔から今まで慎ましく生きてんだ、何もしてない」

 谷口がちょっかいをかけてくる。よりにもよって普段俺が谷口に向けるような、ムカつくくらい呆れ切った顔だ。

「よく言うぜ。なんだかんだ涼宮はまだ呼び出しを受けてないみたいだが、お前が先に問題行動を起こすとはなぁ。あんまり近付かないでくれ」

「問題行動を起こしたら呼び出すのは教師だろ。どのみち用件は知らないがな」

「はあ? なんで教師が生徒を放送で呼ぶんだ? 逆ならそれなりにあるけどよ」

 どうもこっちに来てからというもの、谷口とは噛み合わない。よく分からんが、地下鉄の野ネズミみたいに異世界から迷い込んできたことを除外すれば俺が一切悪行を働いていないのは事実なのだ。めんどくさくなってきたので俺は呼び出されているのをダシに会話をぶち切って――、待てよ。生徒会長室? どこだ?

「キョン君!」

 廊下で立ち尽くした俺に救いの手を差し伸べたのは、迎えに行こうと思っていた妹だった。鞄片手にぱたぱたと走って来るその姿は動きこそ朝比奈さん並みの運動音痴でもなさそうなのに、ともすれば床と顔面で会合を果たしてしまいそうな雰囲気が危なっかしい。

「今放送で呼ばれてたよね? 何かあったの?」

 分からん。行ったこともない。

「あ、てことは場所分からないよね」

 お前は分かるのか?

「あは、私も、分からないや」

 まあそうだろうな。転校生なんだし。

 肩を縮こませて後頭部に手をやるあたり、すぐ表に出る奴だ。Aランク+だったか? 妹ながら、谷口がそう評価するのも分からんでもない気がする。

「一緒に探そっか。その方が見つかるよ」

 そっか。悪いな、頼む。

 長門に頼めばまた昨日みたいに一歩も迷わず見つかったのだろうが、こんなちゃちな用件で呼び出すのを考える挙句に申し出てくれたみほの協力まで棒に振る程、俺は無礼な奴じゃない。

 階段を昇ったり降りたりちらほら歩き回るうち、俺はあるところの廊下で女子三人組が壁になるように立っているのが目についた。

「あ! ほらあの人たちだよ」

 みほは他人を覚えるのが得意らしい。俺と同様に接点はなさそうなのに、顔を見ただけで分かるのか。単に始業式で挨拶したのを覚えていただけかもしれないが、俺はすっかり忘れていた。

「じゃあ、私先に帰るね」

 おう。ありがとよ。

 みほと別れ、俺は一人彼女たちの元へ歩いて行った。寂しいところだな。他に誰もいない。

「遅い!」

 いきなりだな。不思議探索の朝の集合で俺がビリになる時同様、遅刻でもなんでもないのになんで毎度言われなきゃならないんだ。

 しかしそいつは当たり前だがハルヒではない。短い黒髪で、ハルヒには敵わないが目を鋭くさせたなんてことのない女子だ。チョーカーと、眼鏡を真っ二つにしたものを掛けているのを除けば。アレなんていうんだっけ、モノクル? 使ってる奴を見るのは初めてだ。

 そいつは俺の名前の確認を取ると、各々名乗った。モノクルが広報河嶋桃、おっとりしているがドジっ子の匂いはなさそうなのが副会長小山柚子、俺の元妹を一、二年成長させたくらいの背丈してんのが会長角谷杏……。前二人が三年なのは分かるが、こいつが会長でしかも同じ三年だって? 見えん。

 それより生徒会長が古泉の組織とも繋がっている例のヤニ吸う不良男子でないってことは、あの会長はハルヒの改変の範囲外ってことか? 長門と同じ宇宙人の喜緑さんは普通に生徒やってんのか?

「よろしくぅ。じゃ、あと付いてきて」

 とチビッ子会長はその場で九十度転回した。壁に何かあんのかと思ったら、エレベータだ。しかも三基。その一つがまるで示し合わせたように口を開ける。もういちいち突っ込んだりしないぞ。

 どうやら向かったのは上の階らしい。ドアが開くとそこは、職員室っぽいところだった。仕切りや柱のない大空間で、机とパソコンがいくつも並び教本らしきもので溢れている。ぽつぽつと席に付いているのが生徒じゃなくて教員だったら、ぽいはつけなかったがな。

 生徒会三人衆はそこを突っ切っていき奥の尊大そうな二枚扉を開けると、今度は校長室っぽいところだ。どーんといかにもな机があり、脇には応接スペース。突き当りになっていることから、どうもここが生徒会長室のようだ。俺が入ったあと副会長によって扉は閉め切られた。一方こっちではチビッ子会長が絵に描いた組長が使うような椅子にすっぽり座って、ハルヒに勝るとも劣らない程度にふんぞり返っている。似合わねえ。

「……で、用件は何です?」

「うんうん。よく聞いてくれたよ。キミ、一年のときから部活に入ってないよねえ?」

「そうなんじゃないですかね」

 俺はSOS団にしか興味がないんだがな。

「自動車部に入ってくんない?」

 自動車部だぁ? 自動車って、あの自動車か?

「お前、知らないのか? 車の点検や改造、乗用が趣旨の部活だ」

 会長の予期しない要請に、広報が補足を付けてくる。

 そんなことは分かってる、別にそれはいい。そうじゃなくて。

「ちょっと待ってください。高校生が車に乗るとでも?」

「そうだけど?」

「免許は十八歳以上じゃないと取れないでしょう」

「何の話? 免許は年齢不問で誰でも取れるじゃん」

 ……なるほど。この世界ではそうなんだな。もう一々考え込んでたら話が進まねえ。

「俺は免許を持ってませんよ」

「乗らなくてもいいよ別に。学園艦の中なら免許は関係ないけどね?」

「……特に車に明るくもありませんが?」

「これから興味持ってくれればいいからさ」

 話をするうちに、会長のこちらを見透かすようなニヤけ顔が気に食わなくなってきた。チビのくせにといういつの間にか張り付いている先入観が余計に俺を苛立たせる。これなら古泉のほうが百万倍マシだ。

「つまり何がしてほしいんです?」

「入ってほしいの」

「入って何をするかを聞いてるんです」

「入ってくれるだけでいいよ。暇なのが嫌なら車弄ったりしてればいいし」

「誰が何の部活に入って何しようが勝手でしょう」

「普通はね。でも今回はアタシがキミに入ってほしいから特別」

 そんな特別はいらねえ。俺がそんな部活に入って何になるんだ。

「人が必要とかなら車に興味がある奴でも入れたらいい」

「まぁそうなんだけどさ。ウチらはキミを入れるのがいいと思ったからキミに声かけたの」

 こいつらが俺に何かを求めているのは確かなのだろうが、腹の内を見せないんじゃどこまで話を突き合わそうが平行線だ。付き合いきれん。

「ぐずぐず言ってないで素直に頷いてくんないかなぁ? 停学させちゃうよ?」

 俺はさっさと切り捨てて帰路へ向こうとしたが、足はこの言葉で凍り付いた。断っておくが断じて恐れをなしたからじゃない。俺が固まったのはそこのチビが、尊大なことを、しかも軽々しく突拍子なしに言ってのけた馬鹿馬鹿しさにだ。

「退学でもいいかもね」

「……アンタ、何言ってんだ? ただの一生徒が」

「お前! それが会長にする口の利き方か!」

 すかさず広報が横槍を入れてくる。顔付きだけなら元の世界の生徒会長に一番近いが、こいつはただの腰巾着か。逆に副会長の方は最初からじっと俺を品定めするように観察するだけで、いい気はしない。

 この会長も、妹に毛が生えた程度のチビとか侮っていたが全然違う。俺はなんでか見透かされているような気分になっていたが、こっちからは何を考えているのか、長門と敵対する宇宙人とまた別のベクトルで読めん。

「教頭でもないくせにンなことできるもんか」

「小学校にいるみたいなこと言うねぇ? この学園で一番偉いのは生徒会だよ? どう考えたらウチらに雇われてる教頭教師にそんな権限があると思うかな?」

 何を言ってるんだ。何様のつもりだ。法螺を吹いてるだけだ。あり得ない。普通なら。

 しかし俺の耳は会長の一字一句を残さず拾いつくし、脳裏ではここに来る前の谷口との会話がチラついていた。あの時はあのアホの言ってることが一句たりとも分からなかったが、その意味が解かれていく。この学園にいる記憶を数日分しか持っていない俺の自論と、そうじゃない谷口や生徒会長の話。天秤に掛けたくねえ。

 俺自身がこの学園に含むところは何もない。むしろトップにこんな暴利を働くのがいる学園なんかこっちから願い下げだが、そうはいかないんだ。俺がこの学園を追放されたら、本当に終わりだ。元の世界に帰る手がかりは分かっちゃいないが、俺があのボケちまった団長と永久に接触できなくなれば、帰る糸口は確実に失う。

 

 俺は校庭の脇にある赤レンガ倉庫を訪れていた。本当は来たくなかったがな。そこへ何かのオレンジの作業服を纏う女子が入っていくのが見えて、俺は彼女の元へ駆け寄った。前に立ってみるとさっきのチビ会長と同じかちょっと高い程度の背丈だ。

「え? 自動車部? ここだよ」

「もしかして、自動車部の部員ですか」

「そうだよ、私は部長。何か用かな?」

 この学校では背の低い奴が偉くなるのか? だがそれ以外は正反対で、跳ね気味の髪と意外に包容力のありそうな顔が俺のむかっ腹を和らげる。

 部長氏とはこれ幸いと俺の素性を名乗ってから、

「俺は自動車部に入るつもりはないんですが、さっき会長から無理矢理入部させられたんです」

「そうなんだ? 私は三年のナカジマ。災難だったね」

 また上級生か。どうも見た目と中身の一致しない奴が多いが、それはいい。ナカジマさんが苦笑いして続けた言葉に、俺は小学生のキャッチボールに三振空振りをかましたような気分になった。もっと他に何か言うことがあるんじゃないのか?

「それで、君はどうしたいの?」

「いや……。俺が言うのもなんですが、自動車部は会長の意味不明な我が侭で車に興味のない奴を入れようとしてるんですよ?」

「会長がそう言ったんならそうなるんじゃない?」

 俺は絶句した。会長の暴挙を挫く術を失った俺は、被害者である自動車部に賭けたのだ。ハルヒだろうがコンピ研部長だろうが、誰だってそんな奴を入れられちゃ困るはずなのに。

「会長がそう言ったなら誰が言っても聞かないだろうしね。あとうちは私含めて部員が女子四人だけでそのうち三人は三年だから、部員が増えてほしいとは思ってたし、私たちの邪魔でもしない限りは入ってもいいよ。あとは君がどうしたいかだけ」

 女子四人とか、なおさら入りたくない。自分以外女だけの空間は谷口なら喜ぶんだろうが、俺にとっちゃ精神の重荷でしかない。だがどうしたいかと言われても、俺の退路は塞がれてる。つまり……。

「よろしくね。ま、放課後の暇つぶしとでも思ってくれていいよ。気楽気楽にさ。付いてきて」

 努力の甲斐無く自動車部の黒一点にされちまったらしい俺は、倉庫の中へ連れ込まれた。そこではナカジマさんの言う部員四人が車のパーツらしきものに囲まれて床に座り込み、何かデカい紙を囲んで議論を交わしている。

「やーみんな! 新入部員を紹介するよー!」

 部長氏の呼び掛けで俺と対面した彼女らに俺は学年と名前だけ名乗った。彼女らは褐色肌で俺と大して目線が変わらないスズキさん、暑いのか作業服は腰に巻いて上はタンクトップだけのホシノさん、あとのツチヤが俺と同じ二年という。俺のクラスにはいなかったな。

「この子は会長の推薦で入ったんだよ。車には全然興味ないらしいから、これから興味を持たせよう!」

 俺はぎょっとした。ナカジマさんはナチュラルに勝手なこと言い出すし、部員も皆呼応して「おー!」とか、こいつらなんでこんな楽観的でいられるんだ?

「よーし! じゃまずは見学してってよ。今は皆で新しい車の勉強をしてたところだったんだ」

 部員は床に広げていたデカい紙の元へ戻り、俺もナカジマさんに腕を引かれて付いて行く。

 そこには、戦車の設計図が描かれていた。



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キョン「戦車道、始めるのか」

原作突入。


 自動車は分類を上へ遡れば車だろう。で、車から掘り下げた分類の中には戦車も入っているだろう。だから会長やナカジマさんの言葉に間違いはないんだろうがそれでも、俺が何故戦車の勉強に付き合わされているのかは終ぞ理解できないでいた。昨日はエンジンや原動機とかの普遍的な乗用車にも入ってるパーツの講義から始まり、履帯、砲塔と言った戦車ならではの機構にまで及んだが、俺が明るくないのは自動車だけでなく戦車も無論で、設計図を見せられようが根本の原理や構造の資料論文やらを読まされようがピンとこなかった。ま、会長も部長氏もああ言ったんだから、こっちは言った通り放課後の暇潰し程度にしてやるだけだ。時間を無駄にしてる感じは気に食わないが。

 そんなこんなで、午後のチャイムが鳴った。今日の授業もHRも終わりだ。

 と、元帰宅部仲間の国木田と谷口が寄ってくる。

「キョン、一緒に帰る?」

 あー、すまん。部活があるんだ。

「あ? キョンがか? 何部だよ」

 自動車部。

「へぇ~? キョン、自動車に興味とかあったっけ?」

 知らん。生徒会に聞いてくれ。昨日の呼び出しで強制されただけで、俺が自動車部で何をやっているのか、この俺自身が一番知りたい。

「はあ~。お前ホントに何やったんだよ? ま、あの生徒会が言うんじゃしょうがねーな。じゃ俺たちだけで帰ろうぜ」

 おい谷口、俺が何かの罰則で自動車部に入れられてるとか考えてないか? 何度も言うが俺は無実だ。そのとき天井スピーカーが、俺を呼び出したのとは違うサイレン音をがなり立てた。一瞬悪寒を覚える。

『全校、女子生徒に告ぐ。体育館へ集合せよ。体育館へ集合せよ』

 良かった。俺に関係のない呼び出しだ。連日呼び出されていたら俺はきっと周囲から奇異の目で見られただろう。鞄片手に帰ろうとしていたクラス中の女子はこれを受けて、鞄を置いて行って心当たりないような文句を言いながら教室を出ていく。

「……なんだ? 授業終わったのに、保健の授業か?」

「谷口、そういうこと言わない。じゃ、またねキョン」

 おう。やれやれ、行くか。

 ……待て。自動車部、俺以外女子だぞ。今日活動あるのか?

 

 さて、自動車部はコンビニエンスストアのように二十四時間三百六十五日とは行かなくても、平日は毎日活動しているときた。というかSOS団と同じだ。そんなわけで、入部二日目。

 一応倉庫へ行ってみると、部員は勢揃いしていた。

「さっき女子は呼び出しがありましたけど行かなくていいんですか?」

「あぁ、大丈夫。会長が、自動車部は来なくていいって言ってたから」

 なんだそりゃ。自動車部にいる女子は女子じゃないってか? まあ男のイメージではあるがともかく、部長のナカジマさんがそう言うなら、今日も活動するってこった。

 で初っ端からこの人たちは、戦車のことで明らかに昨日より掘り下げた議論を交わしていた。俺がよく分からない顔をしていると、すかさず部員の誰かが復習がてら補足説明を入れてくれたりする。この部活はミリタリー研究も兼ねてんのか?

 それでも俺が昨日も今日も、日暮れ間際にナカジマさんの口から本日の活動終了宣言が出る最後まで水を差すことができないでいたのは、あれだ、部員は上級生ばっかりだし全員マシンガントークを繰り広げる顔が実に楽しそうだからだ。SOS団で俺がハルヒに横槍を入れ続けられたのはアイツが常識に囚われないで一人で好き勝手に旋風を巻き起こしていたからであって、この人たちはあくまでも常識的に楽しんでいるだけだ。しかもそれが俺以外全員なんだから、ええと、ザ・イエスマン・古泉みたいにならざるを得ないのも無理ないってもんだろ? つか誰に言い訳してんだ俺は。

 二日目も登場した俺は自動車部に認められちまったのか何なのか、部員たちの「自動車部では作業服が制服」という理論の下、俺の体の採寸をされることと相成った。

「肩幅……四十五」

「肩幅四十五、と」

 メジャーをあてがうのがホシノさんで、メモを取るのはツチヤだ。メモ係は別にいいんだが、採寸がよりにもよって何故この人なんだ。上がタンクトップ一枚のこの人が。

「やっぱ男だなー、あんたが女だったら予備の作業服をやれたんだが。次ウエストな」

 ホシノさんは特に何も考えてないんだろうが、そうやって俺の正面から測ることはないだろう。あ、この人の肌色、遺伝とかサウナとかじゃなくて、ただの日焼けなんだな。タンクトップに覆われた肩紐の下がよくある肌色をしてる。それよか薄着越しに主張する男子の夢の閉鎖空間が見え、見えっ……。

「七十一」

「はいウエスト七十一」

 いかんいかん。この人が無防備でもツチヤの目もあるんだ。何より自動車部から逃れられない俺が今後卒業まで軽蔑の眼差しを受け続ける地獄に身を投じたくはない。

「意外ですね。今まで男子部員がいたことはなかったんですか?」

「そうだなー。私たちが入学する前にいた形跡はなくもなかったが、それからはなかったぞ――あれツチヤ。腕長さ計るんだっけ?」

「一応ね。――パーツ運んだりとか力仕事も多いから、男子が来てくれたのは助かるね~」

 やはり、予想してはいたが今後俺はそういう役目を担う羽目になりそうだ。ナカジマさんなんてあんな体格だし、あれで車弄ったりできるのか? 力仕事云々抜きにしたって、メカに夢中になるのは巨漢とまでは言わなくとも男のイメージだし、ましてや戦車なんてな。

「そういや、あんなもんの設計図なんてよく手に入れられましたね。軍事機密なんじゃないんですか?」

「あれ、言ってなかったっけか? あれは第二次大戦の戦車だからさ。腕、七十三」

「腕七十三、と」

 言ったか言ってないかも覚えてない。消防車の放水みたいに講義されて、色々なもんが右から左に通過していったからな。

「皆、戦車が好きなんですね」

「あーどうかな。嫌いではないけど、生徒会が頼んできたからな。車つながりで」

 趣味かと思ったら、またあの人たちか。それより頼んできたって? なんでまた。

「よく分からんけど、近々戦車を弄ってもらうかもしんないから予習しとけ、って頼まれたんだよ」

 どういうことだか全然分からん。原寸大のプラモの話か? 実はあのチビッ子はそういう趣味があって、この人たちに作らせようって魂胆か?

「なんで、自動車部は生徒会の言いなりになんかなるんです?」

「言いなりじゃないぞ? 近いうちから放課後だけじゃなくて、生徒会の指定する時間も活動してもらう代わり授業は免除する、って言われて、それで了承したんだ。この部はみんな、自動車じゃなくて戦車だったとしても、普通の授業よりこういう時間の方が好きだからな」

「……マジでですか?」

「マジマジ」

 重大なことをさらりと明かされた。マジでヤバいんじゃないかあの生徒会。私利私欲のために権力を使って周りを巻き込む辺り、ハルヒより質が悪いだろ。ただまあ自動車部がそれでいいなら、こっちから突っ込むことは何もない。

「そういうのもしてるとか宣伝すれば、男子も集まりそうなもんですが」

「なんでだ? 自動車はよくても、そんなこと広めちゃったら絶対来ないだろ」

「え?」

「ん?」

 ホシノさんの言ってることが分からず、屈んで俺の股下を測っている彼女と目が合う。メモを取るツチヤへ向けてみるが、そっちも小首を傾げただけだ。なんだ、俺がおかしいのか。

「……あんた、変わってるな? 戦車に興味がないこと自体はそこら歩いてる男と一緒だが。あ、股下七十八な」

「股下七十八ね。オッケィ終わりっ」

 いい加減これからは、俺の常識は何のアテにもならないと念頭に置いて行動した方が無難らしい。俺はせめてガワだけでも一般人でありたいのだ。

 

 さて、なんとか今日は真っ直ぐ帰ってこれたな。昨日はなかなか寮に辿り着けなくて少し迷いもしたが、もう明日からは大丈夫だろう。なんせ、道の途中にあったコンビニで地図を買っておいたからな。それを見る限りここ学園艦とやらは名前の割には思った以上に町やってる船で、教育のためにここまでやるかという印象だ。

 ついでに、今晩の二人分の弁当と朝用に食パンも買ってある。今ほど料理の経験がないのを悔やんだことはない。俺よりできるといえ得意じゃないと申告してくれたみほに毎日台所に立ってもらうのは俺自身心臓を取り出して五寸釘を打ち付けたい気分だし、かと言って女子に毎日コンビニ弁当を食わせるというのも中々できない。

 明日は頑張って寄り道して、スーパーにでも行ってみるかね。俺が足を引っ張らずに手伝えるかはともかく……。

「ふう、ただいま帰ったぞ、っと……ん?」

 昨日帰ったときは明かりの点いたリビングでみほが迎えてくれたが、今は点いてないな。まあ女子でも寄り道くらいするだろうし、とパチリと点すと、ベッドがこんもり盛り上がっていた。

「みほ? 帰ってたのか」

「……キョン、君?」

 まだ十八時なのに頭も見せないですっぽり被った布団から、くぐもった声が聞こえる。

「あぁ。なんだ、体調、良くないのか?」

「う、ん……、ほんの、ちょっとだけ。心配しなくていいよ、風邪とかじゃないから……」

 聞き取るのも大変なくらいの声量だ。特にガラガラしてたりはしないからそれは嘘じゃないんだろうが、布団の膨らみは寒気で小さく丸くなる元妹とそう変わらないのだから心配するなというのも無理がある。ある程度打ち解けてから一緒の登校が続く今朝までは明るかったのにどうしたもんかね。メールで連絡でもくれたらレトルト粥の一つも買ったんだが。

「コンビニで飯、買ってきたんだけど、食うか?」

「……先、食べてていいから。私のことは気にしないで」

「……そうか」

 二度も釘を刺されて、このとき俺は引き下がることにしておいた。やれやれ、少し様子を見よう。鞄を床に置き、テーブルにはがさりとぶら下げてきたコンビニ袋を置く。

「ん?」

 テーブルには一枚の紙があった。よくある再生紙で作った安っぽい紙で、それは必修選択科目を選んで提出する紙だ。科目とはいうが紙とペンの授業じゃなくて、茶道とか合気道とかの実習的な科目が十個くらい並んでいるやつだ。仙道とか忍道とかの意味不明な物も混ざっていたが、とりあえず俺は適当に書道に丸つけて提出しようかとか考えていたところだ。そういやこれ、なんでか今日のHRで男女別で配られたよな。理由が分かった。

「戦車道?」

 その選択欄だけが、男子の提出用にも書かれてた他の科目を下に押し退けるように四倍の大きさででかでかと印字されている。しかもその下には、それを選んだら食券百枚だの、通常授業の三倍の単位だの、特典が必死なくらいにつらつらと並べられている。

 なんなんだこれ? あからさま過ぎるだろ。戦車道とかいう得体のしれない科目にそしてその特典、俺が女だったら逆に何か裏があるんじゃないかと恐れて絶対に選ばなかった。

 俺が普遍的な一男子生徒だったら興味を抱くくらいでそれ以上気に留めなかったのだが、俺はじっとその明朝体を凝視していた。自動車部が生徒会の我が侭によって戦車の勉強をさせられているのを俺は知っているのだ。明らかに生徒会は、何かをやろうとしている。原寸大のプラモ作り程度の話じゃなさそうだ。そんなのはいくらなんでも学校の生徒半分へ履修を呼び掛ける程のことじゃない。

 ただこれの持ち主に違いないみほは今、そういう他愛もない話を触れる雰囲気じゃない。仕方なく俺はその場に置いて洗面所で着替えてから、買ってきた弁当で晩飯を済ませた。

 それから何をするでもなく十九時、二十時を回った頃。もぞりと布団が動いた。

「ん、……ぁ。キョン君」

 おう。って、お前まだ制服じゃねえか。着替えてなかったのか。

 起き上がった妹は目を擦ったり伸びをするのでもなく、ただ暗い顔をもたげていた。

「ごめんね。心配させて」

 別にいい。それより冷蔵庫に弁当しまってあるから、温めて食えよ。俺は風呂でも沸かしとくから。

「うん。ごめんね、本当に」

 そう何度も謝られてはこっちも良い心地じゃないんだけどな。

 俺は後ろ髪引かれる思いで浴室へ向かった。つっても蛇口捻って操作パネルをポチポチやるだけだし、みほは一人になりたいのかもしれないがこの寮はワンルームだから無理だ。

 戻るとみほは制服のままテーブルで俺の買ってきた蕎麦をつるつる啜っている。俺はというと対面に座るのは互いに気まずいだろうと、少し離れた壁際に座り込んで買ってきた学園艦マップを眺める。ちらりとさっきの紙を見ると、裏返しにされていた。

「……ごちそうさまです」

「……あぁ」

 最後までうまいともまずいとも、俺のセンスがないとも言わないで残った容器を捨てるとみほは、

「着替えてくるね」

 と着替えをもってとぼとぼと便所へ消えていった。まだ風呂も沸いてないんだけどな。その間に紙を裏返してみるが、紙は丸どころか名前も書かれずそのまま。でまた裏へ返しておく。

 パジャマに衣替えしたみほも戻ってくると俺とは全く目を合わせないで、定位置に座り込んだ。それから少し流れる沈黙で、みほが何も言いだしそうにないのを確認した俺は。

「……ふぅ。悩んでるんだろ。選択科目に」

「ふぇ……?」

 やっと目を合わせてくれた妹は、お袋に無言で予防注射へ連れて行かれる元妹よりずっと深刻な顔付きをしていた。

「みほ。確かに俺たちは元々赤の他人かもしれんがな、それでも今は兄妹だ。俺はお前の兄貴やるつもりだから、何かあったんなら相談してほしいと思う。まあみほからすれば急に出てきた訳分からん男相手にこう言われても困るかもしれんが……」

「そっそんなことないよ! 会って数日しか経ってないけどキョン君のことは優しい男の子だと思ってるしっ、お姉ちゃんと電話しなくたって私は絶対そう感じたと思うし! あ、お姉ちゃんに電話しなかったら私はずっと気付かないままだったかもしれないけど……」

 慌てすぎだ。そこで何の話? とか、ぽっと出のくせに兄面しないで、とか言っていれば俺も勝手な妄言だったと詫びて取り下げたんだけどな。こいつは見た目通り嘘を吐くのが得意じゃなさそうだ。

「困ってる人がいたら助けるのが当たり前、だっけか? そう言ってくれたよな。なら恩を返すのも当たり前だし、そうでなくともお前は俺の妹なんだから、悩みがあるんなら俺もそれを聞くくらいのことはしたい」

「う、うぅ……」

「あの長門って奴と一緒に話したとき聞いてたか分からんけどな、俺は元の世界でも妹がいたんだ。こういうのは慣れてる」

「……あ、あのねっ……」

 重い口をついに開いたみほの話は、転校してきた経緯から始まった。

 こいつの実家の西住とは、戦車道なる戦車を使った女子の競技で幅を利かせる流派の家元なのだと。前にいた黒森峰女学園は学校丸ごとその門下生で、大会で十連覇にリーチしていたと。ところが試合中川に転落したクラスメイトを助けに行った結果九連覇止まりを招いて居場所をなくし、戦車道のないこの学園に来たのだと。しかし生徒会が今期からこの学園の戦車道を復活させると言い出し、今日はみほにその履修を迫ったのだと。

「それを断ったら……どうなるんだ?」

「分かんないよ、とにかくやってねとしか言われなかったから」

「一応聞くが、みほは単位が足りてないわけじゃないよな」

「それはないよ。生徒会は単に、経験者の私にやってほしいだけだと思う」

 これは絶対、何か繋がっている。みほと俺。共通のキーワードは戦車。

「で、みほは戦車道? とかいうのをやりたくないんだろ?」

「うん……」

 正直、何に悩んでるのか分からない。

「今日ね、私、最初のお友達ができたの。私なんか比べ物にならないくらいの素敵な人たちで、その人たちが戦車道を選ぼうとして、私も一緒に、って言ってるの。それで……」

「……」

 俺は腕を組んで頭を思わず壁に預けた。

 戦車道というのがいまいちなんなのか分からん俺だが、予想以上に話が重すぎる。この世界は元の世界と比べて色々普通じゃないが、こいつの歩いてきた道はこの世界でも普通の女子高生じゃないんだろう。小学生の十五センチ定規で電波塔の高さを測れと命じられたような気分だ。

 さっきはあんな大口を叩いたが、こんな世界に放り込まれちまったら普通というよりゾウリムシ程度の人生価値しかない俺は、さも普通らしいことを背伸びして言うしかできん。

「まあ、転校したてで友達を作ろうと焦るのは分からなくもないが……。そんな苦しい思いしなくたって友達は作れるんじゃねえか?」

「……」

「それに、それだけ素敵な人ってんなら、お前が何の科目を選んだってその友達は別に絶交したりもしないだろ。そんなんで絶交宣言しちまうようなら、そいつは薄情な奴だったってことさ」

「そう、なのかな……?」

「あぁ。俺だったらそんなやつは歯牙にもかけない」

 こればかりは一万歩譲ろうが間違いないと言える俺の経験則だ。ここに飛ばされるまで俺はハルヒの暴虐に耐え続けるばかりでなく、何度も衝突した。アイツだって団の中で唯一正面から反発する俺の態度に何度も腸を煮えさせまくったが、それでもアイツは俺を団員その一から外すとは一度も言わなかった。アイツは唯我独尊で傍若無人かつ猪突猛進だが、そんなことがどうでもよくなるくらいに友達思いな奴だ。

 それは長門がバグでおかしくしちまった世界から帰ってきて、俺が階段から落ちたことにされて数日病院で寝ていた間、寝袋を持ち込んでまでベッドの隣に張り付いていたことが証明しているし、他にも色々ある。

 アイツに素敵という言葉はこれっぽっちたりとも似合わんしみほに紹介してやりたいとも思わんが、そういう奴こそみほに言わせれば素敵な人に違いないのだ。

「あとはまあ、もしかしたら生徒会が何か言ってくるかもしれんが、そのときは俺も付いて行って抗議してやるさ」

「ほ、ほんと!? じゃあ、その……、えへへ、お願いしてもいいかな?」

「うむ。お願いされよう」

「ふふ。ありがとね、キョン君」

 照れ臭そうにやっと笑顔を見せたみほはテーブルにあった紙とペンを取ると、香道に丸をした。香道も何をする授業なのか知らんが、ここはどうにかなったし、俺は書道を選ぶからどうでもいいな。

 

 

 変わって翌日の昼。今日は俺から国木田と谷口を誘って食堂を訪れていた。見回してみて、あるテーブルにみほが俺たちと同じように女子二人と一緒で飯を食っている。女子二人は背を向けているが、みほはこっちに向けて座っていて、ちらりと目も合った。ほんの一瞬だ。

「ここでいいか?」

「うん」

「おう」

 さり気なく、互いを確認できる程度離れた空きテーブルへ誘導した。きっとみほはもう紙を提出しただろうし、生徒会は絶対何かを仕掛けてくる。

 それからしばらくして、三分の二ほど食い尽くしたところで、例のサイレンが鳴る。どうでもいいが男子の呼び出しは下手なメロディで、女子の呼び出しはサイレンを使うことにでもなってんのか?

『緊急呼出・二年A組西住みほ・生徒会』

 食堂に吊られてるテレビ全部にまでビカビカと出ている。スピーカーからはまたも広報の声。

「あれ、西住さんってキョンの妹さんだよね?」

「だな。お前ら、兄妹揃って生徒会に何を……、キョン?」

 俺はがたりと席を立った。

 お前ら。悪いが俺は席を外すから、残りのは嫌じゃなければ食っちまってくれ。残さずな。

「え? まさか、キョン? いくら妹さんが呼ばれたからって……?」

 二人を無視し、俺は明らかに俯いている妹のテーブルへ向かった。

「ぁ……」

 よう。また湿気た面に戻っちまったな、我が妹よ。

「……だれ?」

「あの、あなたはいったい……?」

 みほのクラスメイトらしき二人もこっちを見上げる。

 一人はみほと似た暖色系の髪にウェーブが掛かった女子で、もう一人は黒髪を長く垂らした古風な女子だ。って、黒髪の方はやけに食器が多いな……。

「B組の、こいつの義理の兄だ」

「え、お兄さん!?」

「まあ、みほさんの」

 なるほど、少なくとも悪い印象はしない。というか戦車道を選んだらしいのがこの二人だとして、今でもこう一緒に飯を食ってるってんならやはり俺の言った通りだったってことだろうし、それなら多分今後も何度か顔は合わすんだろう。しかし自己紹介は後だ。

 みほ。行くんだろ? 俺も行くぞ。

「……うん」

 みほが重い腰を上げたそのとき、オレンジの髪の子は俺たちにシュバッと挙手してきた。

「あの! 私たちも一緒していいですか!?」

 

「これはどういうことだ?」

 総勢四人で生徒会長室に訪れるなり、前置きもなしに広報が選択科目の回答用紙を突き付けてきた。俺が昨日寮で見たみほの紙そのままの物だ。

「なんで選択しないかなぁ……」

「我が校、他に戦車経験者は皆無です」

「終了です……我が校は終了です!」

 会長も広報も副会長も、こっちの事情などハエ程度にも考えていないように勝手に喚いている。一生徒が戦車道を取らなかっただけで何故そこまで慌てるんだ。何かあるのか。

 だがまあコイツらはコイツらで腹を割ろうとしないからな。みほの友達二人も考えていることは同じだったようで、構わず反発する。

「勝手なこと言わないでよ!」

「そうです。やりたくないと言っているのに、無理にやらせる気なのですか」

「みほは戦車やらないから!」

「西住さんのことは諦めてください」

 二人ともみほを挟むように並んで、よく見ると手も握り合っている。生徒会の無理難題にじっと耐えるみほは俯いて何も言わない。

「うちらは西住ちゃんだけ呼んだのに、友達ならともかく、お兄さんまで連れてくるとはねぇ。んなこと言ってるとアンタたち、この学校にいられなくしちゃうよ?」

 俺の素性も知ってるらしいな。まあ隠してるわけでもないしそれはいい。

 しかし俺に使った脅迫文句をみほにも使うか。コイツらのやることはワンパターンか?

「ぇ……!?」

「脅すなんて卑怯です!」

「脅しじゃない。会長はいつだって本気だ」

「そうそう」

「今のうちに謝ったほうがいいと思うわよ? ね? ね?」

 副会長までそんなことを言っている。見た目だけは常識を持っていそうな人だと思ったのだが、所詮生徒会の一員でありこのチビッ子の一つ下の椅子に座る奴、ってことか。

「ひどい!」

「横暴すぎます!」

「横暴は生徒会に与えられた特権だ。何も問題ない」

「そうそう。特権特権~」

 誰が与えた特権だそれは。教育委員会かどこなのか知らんが、乗り込んで一発ぶん殴ってくるから教えやがれってんだ。それまで俺は一歩離れたところから動向を観察していたが、我慢の限界だ。

 俺は三人より一歩前に出て、

「もういい」

「ん~?」

「この間からアンタらが何をしたいのかまるで分からんがどうでもいい。俺一人退学でもなんでもなってやろうじゃねえか。それでみほに戦車道とやらを強制するのをやめろ」

 それまで一貫して冷たい表情を張り付けていた会長は、十人中十五人の神経を逆撫でさせるくらいニヤニヤ歪めさせていった。

「へえ~? ずいぶん入れ込むねえ? どしちゃったのさ。こないだ自動車部に入れさせるときは、退学チラつかせたらすぐ折れてくれたのに」

「え……?」

「……」

 何も言わず会長を睨みつける。この野郎、今ここでそんな話を持ち出すことに何の意味があるんだ。あの話にみほは全くの無関係だから俺が話していないのは言うまでもない。コイツの魂胆は大方、人質である俺の退学の妄言に現実味を持たせてみほの意思を揺るがそうってトコだろ。

「ひょっとして西住ちゃんがアンタの寮に居候してるのも、妹ちゃんを守るためだったのかな?」

「……は?」

 せっかく結んでいた俺の口が、簡単に開いちまったぞ。今、会長は何て言った?

 俺の寮? みほが居候? 逆だろ?

「聞いてるよ? 空きはなかったのに、どっかの誰かさんが無理やりアンタの寮にねじ込んだ、って。普通ないよね~。一応了承したのはウチらだけどさぁ。で、もっぺん言うよ? アンタたち全員、学校にいられなくしちゃうよ?」

 一世一代の俺の決断は無視かよ。

 このチビがマジで実行しちまえば、俺が元の世界へ帰還できる可能性は完膚なきまでに叩きのめされるだろう。同級生でもなんでもない、どこの馬の骨か分からん俺がハルヒに、正当な理由で接触できる場面がなくなっちまう。

「みほを戦車道に引き入れたいっつーことは、アンタらはみほを必要としてるわけだ」

「ん、まあそー言えるかもね」

「一回脅し文句を見直してみろっての。みほがもし退学覚悟で拒否したらアンタらも困るんじゃねえのか」

「お兄さんさぁアタシの話ちゃんと聞いてた? あたしは西住ちゃんだけじゃなくてアンタたち全員いられなくしちゃうよって言ったの。――」

 それでも今ばかりは、みほの擁護を選んだ。高校中退のニートになっちまおうが俺は、無理にでも下校中のハルヒに接触するだろう。最悪警察の世話になるリスクもあるが、そうなったときは長門を弁護人に立ててやる。俺が無害な人物であることを弁護するのに宇宙人パワーなんかいらない。

 いや、すまん、柄にもなく御託なんて並べちまったな、そういうのは古泉の領分だ。別に俺の事情を全部ドブに捨てるつもりは毛頭ないがそうじゃなくて、単純に、護りたいと思っちまった。

「――つまりお兄さんも、そこのお友達二人も入ってるわけ」

「そんな脅しには屈しません!」

「みほはやりませんから!」

「……二人もこう言ってるが?」

 この世界が実は全てハルヒが作った空想なのだとしても、俺は。

「あたしは西住ちゃんに聞いてるんだよ。それ以外の人の答えは――」

「――あの! 私っ!!」

 

 突然、みほが聞いたことのない大声を上げた。

 何事かと振り返ると、少し頬も色付いている。がしかしそれもすぐに引っ込め、長門と会合したあの時以上に凛とした表情を湛えた。

 そんな百面相をしてまで生徒会に叩き付ける、みほの答えは。

 

「――戦車道、やります!」

 

「ええ~っ!?」

 お友達二名、驚愕。

「みほ……!?」

 俺、唖然。

「よかった!」

「ふ……」

 後ろで生徒会が何か言っているが、俺は全く聞き取れなかった。

 

 

 さて、その後の話をしよう。

 みほがあの紙の丸印を訂正してから再提出した後、俺たちは解散となった。結果はともかく俺の役目は終わったので、午後の授業も経たあとは自動車部に出ようと思ったのだが、倉庫に着くより先に携帯にメールが入った。みほが言うには、例の友達二人が寄り道に誘ってくれたのだがそこに俺も呼んでほしい、とのこと。

 ナカジマさんに今日の不参加を申し出ると快諾してくれたので、俺は彼女らと合流し、どこかのアイスクリーム屋で興奮を落ち着かせていた。オレンジの髪のお友達の提案らしい。ちなみに入口から中の様子を見た限り客は女子生徒ばかりで、正直俺は百八十度転回したかったがその子によってそれは頓挫し、長テーブルで彼女たちの端っこに鎮座している。

 ここで出た話題は、やはり昼頃のだ。

「本当に、良かったんですの?」

「うん」

「無理することないんだからね」

「大丈夫」

 そうだぞ。転校しちまうくらいやりたくなかったんだから。

 しかしみほは自分のアイスを見つめて首を振り、

「ううん。私……嬉しかった。三人とも、私のために一生懸命……。えへ、私、そんなの、初めてだった」

 昨日からの憑き物が取れた微笑みを浮かべる口から出たのは、初めて聞く愚痴だった。

「ずっと私の気持ちなんて、誰も考えてくれてなくて! お母さんもお姉ちゃんも、家元だから戦車やるのが当然! みたいな感じで。まああの二人は才能あるからいいけど、でも……だめな私は、いつも……」

 設定上の兄でしかない俺は、転校する前のこいつのことは何も知らない。どうもこいつの友達二人も転校生ではないようで、一瞬沈黙に支配されかかった。

「――私のサツマイモアイス、チョコチップ入り~」

「私のは、ミント入りです」

 唐突に友達二人はみほの口へ自分のアイスを運んでいた。みほは慌てて口を開け両方とも受け入れる。

「ふわぁ~おいしい! どっちも!」

「みほのも食べさせて~」

「あーそんなにっ、なくなっちゃう!」

 こういうのは同性でないとな。男の俺がそんなきゃぴきゃぴさせて同じ真似をしたところで気味悪がられるだけだ。みほはみほで昼までの出来事が嘘だったみたいに頬っぺたを落っことしそうなくらい緩めているし、それまで観察役だった俺は笑みを漏らさずにはいられなかった。三人一斉にこっちを注視してくる。

「あれ、お兄さん?」

「なんだ、想像以上にいい友達作っちまったんじゃないか。俺のクラスメイトでもこんな奴中々いないぜ?」

 我が妹はどことなく、自分に過小評価をする癖があるように感じていた。太陽みたいなハルヒとは正反対だと思っていた。

 でもそれは単に、こいつが塞ぎこんでしまう状況に置かれてただけなんだ。周りの環境がどうであれみほ自身は普通の女子で、無邪気で明るい奴で、こんなにいい友達を見つけちまう奴だったんだ。

 そんな奴が俺の妹だなんて、もう笑うしかないだろ?

「あんたら、もしかしてクラスはみほと同じか? もしそうだったら、たまにでも気に掛けてやってくれよ。まあ俺が言うまでもないだろうが、俺はクラスが違うからさ」

「うん!」

「もちろんです」

 

「あ、そうだ。私C組の武部沙織!」

「C組の五十鈴華と申します。お兄さんは?」

 そういや自己紹介がまだだった。俺は、

「キョン君って言うんだよ! 面白いあだ名なの!」

 だから言わせてくれって……。

「え、なにそれ? 変なの! キョン君ね? よろしくね!」

「ユニークなお名前ですね。よろしくお願いします」

 また失敗したか。なんでこうなる……。

 みほの戦車道履修阻止のほうも失敗しちまったが、本人がいいって言ったんならいいか。だけどこれからこいつが行く道は茨かもな。仮面兄妹だろうが戦車道が男子禁制だろうが、厄介ごとへ自分で首突っ込んじまった。もう俺は部外者とは言えなくなっちまった。面倒なことこの上ないな。

 

 やれやれ。



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キョン「戦車、乗るんだな」

 武部・五十鈴と別れてからの俺たちは、帰路を外れて魚介多めの食料宝庫へ品定めに来ていた。いや、ただの買い物だけどな。無論カゴ持ちは俺で、我が妹の選別した食材を後ろで回収していくだけの簡単なお仕事である。適材適所って奴だな。力仕事どうこうの話じゃない。だって男と違って女子ってのは食材にこだわるところがあるからな、キャベツなら巻きの良し悪しとか、サバなら黄金色に輝いてるかとかだろ? 聞いたことはあるぜ。

 そういう偏見を明かした俺だが意外に妹は、

「それ、女子っていうか主婦だよ」

 と二割の呆れを乗せた苦笑いを返した。

 聞いてみると戦車道なる競技の二大流派の一つである西住流を掲げる西住家は屋敷じみた家で、奉公人を雇い、庭には私有戦車も置いてあるらしい。お嬢様ってわけかい。全然見えねえな。お嬢様といえば朝比奈さんの級友だった鶴屋さんもそうだったよな。鶴屋邸は重要文化財に指定されていそうな築三世紀の見た目だったが、西住邸もあんな感じなんだろうか。

 この学校に、鶴屋さんはいるんだろうか。ある意味謎染みた人物だし、案外ハルヒの改変を逃れてたりしてそうだ。

「どしたの? 欲しいのそれ?」

 ハッと意識を眼球へ戻すと俺は死んだ魚の目をした秋刀魚と見つめていた。

「別に。今の季節が春だったはずなのを再確認していただけだ」

「あぁ。珍しいよね?」

 やっぱりずっと海にいるから魚も捕ってるのか。

「どうだろ。ここのことはまだあんまり知らないから」

 などと言いながらみほは適当な魚の切り身の一番手前にあるパックをカゴに入れつつ奥へ進む。奉公人か。女子といえどもそんなのが家にいたら台所に立つ機会も多くはないんだろう。

「そういえばキョン君! さっきの話、本当なの!?」

 唐突だな。三歩前を歩きながら、女友達と出かけるのを聞きつけて怒り出す幼馴染みたいな顔で振り返るみほ。前見ないと危ねえぞ。

 さっきの話って何のことだ? 武部や五十鈴に何を聞いたんだよ。

「そっちじゃなくて生徒会! 自動車部に入るよう脅されてたなんて聞いてないよ!? 最近帰ってくるのが遅いと思ったら」

 みほの言う「さっき」の範囲はざっと四時間前まで含むらしい。

 言ってなかったからな、そりゃあ。

「なんで?」

 なんでと言われても、みほには爪先ほどの関係もない話だったからだ。あと脅されたその場で呑んだ、終わった話だったからってのもある。

「それ言ったら私のだってキョン君には関係ない話だったんだよ? 私にはあんなこと言っておいて自分のことは隠しちゃうなんて」

 そこまで言われると俺の良心がちくちく痛む。でもしょうがなかったんだよ。一緒に暮らしてるっていうのに、一日前まで明るかった奴が急に世界に絶望したような顔になっちまったら落ち着けなくなる。

「う……。そんなにひどかったの?」

 学生生活のリタイアを覚悟しちまうくらいにはな。

「むぅぅ……。私だって、キョン君の妹なのに」

 悪かったな。世の兄は妹にかっこ悪いところは見せたくないもんさ。

「でも私と同い年だよぅ」

 何が言いたいんだよ……? 同い年の癖に兄面するなってか?

「私はキョン君に相談したんだからっ、キョン君も何かあったら相談してよ?」

 うーん、そうだな。もし元の世界に帰る術がないと悪魔の証明でもされちまったら泣きついちまうかもしれん。

「そういうのじゃなくても相談するのっ。で、自動車部は何やってるの?」

 訳も分からないまま戦車の勉強に付き合わされてる。図面読んだり論文読んだり大変だ。

「……それ、関係なくないよね?」

 どうだろうな? 生徒会は入れ以外何も言わなかったが、自動車部のほうは俺が入る前に近々戦車を弄る機会を示唆されていたらしい。あの会長は原寸大の戦車プラモを作って献上させたいのかもな? 性別に目を瞑れば見た目相応で微笑ましいじゃないか。はっはっは。

「そんな訳ないよう! なにプラモって!? 戦車の修理させる気満々だよ! 関係大ありだよ! だから言ってって言ったのに!」

 本人は思い切り憤激しているつもりなんだろうが、俺の目にはこっそり無人島旅行へ駆り出るのを発見して一緒に連れて行くよう駄々を捏ねた元妹の姿と重なった。

 無茶言うな、言ったの今さっきだろうが。それに俺が自動車部の連中と一緒に修理か何かに参加すると決まったわけでもない。一介の普通科高校生にメカを弄る機会なんて来ないんだから、今の俺は打音検査程度もできないんだ。

 第一、戦車道は男子禁制なんだろ?

「禁制っていうか、それは単なる暗黙の了解でしかないと思うけど……。陸の修理工場なら男の人の修理工だっているし、戦車を診ることだってあるよ?」

 ふうん、となるとやはり俺も参加するのだろうか。依然、会長が俺を指名した意味は見えてこないが。

 そうして若干騒然としつつも飯の材料を会計し、俺たちは買い物袋をぶら下げて寮に帰ってきた。何気なく玄関の上のちっさい表札を見ると、書かれていたのは確かに、遺憾にも全く定着してくれない俺の本名だった。

 

 

 次の日の昼休み。

 俺が飯を食い終わってから国木田あたりと貴重な平和ボケの談話に現を抜かしていると、やけに通る声が教室の雑音を中断させた。

「お兄さーん!」

 暗躍する生徒会一味が悠然と教室へ侵入し、国木田や谷口などには目も暮れず椅子に座る俺を見下ろす。全校生徒に俺の謂れなき悪評が轟くリスクは校内放送より相対的に低いが、クラスメイトが「とうとう乗り込んできた」とか言いふらさないかが心配だ。

「昼休みが終わるまでに倉庫前来てね。午後の授業は免除したげるから。よろしくぅ」

 ていうか近い。ええい肩に手を回してくるなうっとうしい。

 そして去っていった。副会長と広報は一切口を開かないまま。どうでもいいが、あのチビいつも取り巻き連れてんな。俺がもし会社経営者だったらただ人を呼ぶために幹部の人件費二人分を費やそうなんて馬鹿げた考えは絶対起こさないぜ。

「キョン……。いや、もう何も言わねえ」

「キョン、最近は変な女の方からも好かれるんだね?」

 国木田お前、そんなに俺を陥れるの好きか?

 

 午後の授業に出なくていいならまあよかろう、と生徒会長様のお達しに従って訪れた倉庫には、既に自動車部の面子が集結していた。午後の授業時間を丸々使って何か始めること以外何も知らない俺を待っていたのは、ナカジマさん配給の作業服だった。届くの早いですねという俺の疑問に対する回答はナカジマさん曰く「被服科に作ってもらったからね」らしい。この学園はいくつの科があるんだ?

「とりあえずそこの物陰にでも行って着替えてきて」と指差された方へ向かった。油塗れの汚いシートを被った、トラック程度の大きさの何かが置いてある。俺一人どころか横綱の三、四人隠すには十分だが、こんな目立つ物、俺が前回来た時はあったか?

「ナカジマさん、着替えましたよ」

「おっけい。おー意外に様になってるよ。あ、あとそれシート取っちゃってくれる?」

 この塊のか? ばっさあ、と純白には程遠いオイルの染みたベールを脱がしてやった。

 中身は、油塗れの錆だらけだが確かに鋼鉄の塊だった。

「これ、戦車ですか?」

「うん。見るのは初めてかな?」

「まあ」

 俺の世界で見物しようと思ったら博物館に行くか自衛隊のパレードに行くくらいしかないからな。そして俺は今まで見に行こうと思ったことがなかった。

 それでも、いざお目に掛ればさすがに視線は釘付けになる。窓ガラスなんてないし、プラモとは見ただけで質量が違うと分かる装甲の塊。イメージと違って短いながらも確かに砲塔から飛び出た主砲。所狭しと並ぶ転輪。そこらで見る自動車とは明らかに違う。これが、戦車。

「ってこれ、履帯切れてませんか」

「そうだよ。直さなきゃね」

「そういやこれ、例の設計図の奴ですね」

「そ。ドイツのⅣ号ね」

「俺、まだよく分かっていませんが」

「大丈夫。これくらい私たちにかかればすぐ直せるから。それよりキミはあの子たちに付いてってあげてよ」

「あの子たち? って……」

 ナカジマさんが指差した倉庫の扉。

 そのときちょうど指で魔法でも送ったみたいに、車が悠々と出入りできるデカい鋼鉄の門がぎりぎりと開く。ぞろぞろと入ってきたのは、何十人もの制服の女子だった。いや制服じゃない奴もいる。知らない顔もいるし知ってる顔もいるが、バレーの選手っぽい奴と校則ガン無視で変なコスプレをしている連中はまず俺の知り合いじゃない。いや異世界人の知り合いなんて本来俺にはいないのだが。

 俺を翻弄し続ける生徒会一味とそれから、結局戦車道を履修することになった我が妹みほ。武部と五十鈴もそれにハッと気づいた。俺へ手を軽く振ってくる三人へ、俺もすっと片手を上げて返す。

 もしかしてこれ、戦車道の授業が始まったのか?

「なにこれ……」「ボロボロ……」「あり得な~い……」なんて知らない顔の女子が引き気味に言っているのが聞こえる。

「侘び寂びでよろしいんじゃ?」と五十鈴。「これはただの鉄錆」と武部。まあそんなもんだろう。ところがそんな女子たちを尻目にみほだけは抵抗なく戦車へと前進し、俺でも触れなかったスクラップ寸前の戦車に、目の前で触れていた。

 そして呟く。

「装甲も転輪も大丈夫そう。これでいけるかも」

 その言葉に、引き気味だった女子たちの中でも小さくどよめきが起こった。みほからそっちへ目を流転させ、改めて面子を見回して――俺は一人目を皿にした。

「わぁ~……」

 ここからは聞こえないが口の動きから多分そう漏らしている、俺が崇拝するマイエンジェルにして未来人枠、朝比奈さん。今やうろ覚えだが、貴女は元の世界ではハルヒに拉致られるまで書道部に入っていませんでしたか? 選択科目にも書道があったはずだが、戦車に興味でも抱いたのだろうか?

 ってしかも、横にはSOS団名誉顧問の鶴屋さんまでいて、会長のニヒル顔とは似て非なる輝きを浮かべていた。SOS団はこの人にもずいぶん世話になってんだ、ハルヒが鶴屋さんを忘却の彼方に葬るはずはないよな。

「…………」

 別のところでは俺限定で安心感を齎してくれる無表情で、それぞれ確認するように戦車と、ある人物と、俺を見つめる長門有希もその中に溶け込んでいた。

 して、長門がわざわざ目で確認した人物、ソイツはたった数十人の女子どころかスタジアムの観客席にいたって反対側から見つけられるほどの存在感を放つ我がSOS団団長、涼宮ハルヒ。

 俺は息を呑んだ。いやハルヒとはまだ言葉こそ交わしてはいないが学園生活が始まってからずっと俺の席の後ろに確かに座り続けていたので久しぶりではないとはいえ、思ってもみなかった再会だ。後ろの席で自己紹介した顔と全く変わっていない、人を寄せ付けない仮面を張り付けてやがる。何しに来たんだ、お前は。みほから聞いた話では、近頃衰退気味らしいものの戦車道っつーのはこの世界ならそれなりにメジャーな競技らしいぞ。お前なら絶対仙道か忍道を選ぶと思ってたぜ。

 

 超能力者を除くかつてのSOS団団員が、朽ちた戦車の前に集結していた。



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キョン「戦車、乗るんだよな?」

 それを武部は鉄屑と切り捨てた。五十鈴は侘び寂びと形容した。

「こんなボロボロでなんとかなんの?」

「多分」

「男と戦車は新しい方がいいと思うよ?」

「それを言うなら、女房と畳では……」

「同じようなもんよ」

 武部はイマドキのコミュニケーション製造機、五十鈴は亭主関白の旦那の女房。それが俺の二人へ抱くイメージだが、今二人が親しげな応酬を交わしているのを外野から観察する俺は二人の更なる一面を捉えていた。武部は修学旅行の晩に布団の中でクラスメイトがする恋愛話に激しく食い付くタイプだ。五十鈴は立ち振る舞いがみほ以上にお嬢様だが、言いたいことは構わず言うところもみほ以上ってところか。

 いやそんなことよりも。

「それにさ、一両しかないじゃん?」

 武部の言葉以上に今の状況を簡潔にまとめられる表現はない。受講生徒と思しき女子は、ひい、ふう、みい……。仮で生徒会も入れて二十五人か。いくら疎い俺でも、戦車一両にそれだけの人間が入るとは思わんぞ。

「えっと、この人数だったら」

「全部で六両必要です」

 副会長の疑問にすかさず広報が答えた。つまり一両に乗れるのは原則四人と考えとけばいいのか? 戦車ってのがどこの自動車メーカーから売られてるのか知らんが、今から取り寄せるしかないだろう。

「んじゃ~みんなで戦車探そっか」

「え~っ?」

 ところが俺の普遍的な常識は、道端で行方をくらました鉛筆を探し出す小学生みたいな調子の会長にまたも翻されたのだった。女子連中も疲れ混じりの驚愕の声を上げている。俺の常識がこの世界の非常識なのは痛烈しているが、会長の場合はこの世界の中でも非常識な部類らしい。俺と同じ異世界人だったりしないよな?

「探すって」

「どういうことですかぁ?」

「我が校においては、何年も前に戦車道は廃止になっている。だが、当時使用していた戦車がどこかにあるはずだ。いや、必ずある。三日後、戦車道の教官がお見えになるので、残り五両を見つけ出すこと」

 広報の面構えは一見オツムがよさそうに見えるが、非常識さは会長に負けず劣らずだ。

「して、一体どこに?」

「いやぁ、それが分かんないから探すの」

「何にも手がかりないんですか?」

「ない!」

 憎たらしいほど輝かしい笑顔で何人もの女子の追及をぶった切るこのチビ、実はハルヒが乗り移ってたりしないだろうな。女子連中の中で佇むハルヒ本人が対照的に無言を貫いているのが無害な女子高生を演じているためなのは分かるが、この光景はちょっと不気味だぞ。

「では、捜索開始!」

 今から戦車を探せとの命令に俺は静かに呆れ返ったが、女子の連中はともかく生徒会の面々は大マジらしい。広報の開始令で連中はうだうだ言いながらあてのない旅へとぼとぼ出ていく。生徒会一味が動かないままのところを見ると、探しに行く気はないらしいな、そりゃあの態度でああいうことが言えるわけだ。やれやれ、教師がいない、教材すらないとはぐだぐだにもほどがあるだろ。

 ところで、今俺は岐路に立たされている。そもそも俺は外野のはずだが今はナカジマさんの命令により、彼女たちを手伝うことになっている。とどのつまり、目の前には三つの選択肢が横たわっているということだ。

 その一、朝比奈鶴屋コンビと接触する。

 彼女たちが俺のことを覚えていたとして得られる情報は決して多くはないだろう、忘れられていた場合俺はまた鶴屋さんに投げ飛ばされる。却下だ。

 その二、長門と行動を共にする。

 悪くはない案だ。内緒話なら長門とするのが最も安心安全だろう。長門が一人であるならばの前提だが、近況の共有と引き続き今後の協議を交わし気長路線を行くか。

 その三、ハルヒと接触する。

 やはりこれだろう。悪党退治を大義名分に財宝略奪の使命を帯びた赤ん坊入り桃が流れてきてるというのに、じゃぶじゃぶ洗濯なんかしている場合じゃない。虎穴入らずんば虎児を得ず。これだな。

 すまん長門。お前とは今後いつでも話せるが、こっちはチャンスが今しかないと俺の第六感が警鐘を鳴らしているんだ。朝比奈さんのお茶を再び飲めるようになる切っ掛けも更に先だろう。

 案の定真っ先に輪を外れて一人で旅立とうとする背中へ「おい涼宮!」と張り上げると、

「なに、あんた? なんであたしの名前知ってんのよ」

 ああ、やっぱりボケてやがったか、この団長様は。雑用を使うだけ使っていらなくなったらポイかよ。

 第一、お前の席の前に座ってただろ?

「……あぁ、なんかアホにあだ名で呼ばれてた奴ね。確か、ション?」

「キョンな……」

 自己紹介での俺の本名が覚えられていなかったのは悲しいかな半分想像通りだったが、そんな、アホ(その二)みたいな覚え方をされていたのは、あだ名も含めて心外だ。そのどことなく下世話な雰囲気の名前で呼ばれるくらいなら前の方が三倍いい。つまりはマシレベルでしかないのだが。

 贅沢を言うと、頭文字が濁音だったら俺は有頂天になってハルヒに掴みかかっていた。

「あっそ。で何?」

 一緒に探そうぜ。

「はあ? あたしはあんたみたいな普通の人間と一緒に行動する気はないの。てかその変な恰好なに?」

 自動車部の正装だ。部員四人と被服科生徒に謝れ。

「ふん」

 それより一人で探すよりは、二人の方が見つかる確率も高いんじゃないか?

「何言ってんの? 探し物するならとにかくばらけた方が見つかるに決まってるでしょうが」

 しまった! 確かにコイツらしいストレートな理屈だ。だがここで折れるわけにはいかない。俺は足りない脳みそを遠心分離機にかけるくらい回転させ、

「あー俺はお前ら女子と違って戦車に疎いんだ。一人で動き回るよりは誰かに付いて捜索の手伝いをするのが身の丈に合ってる」

「付いて行くならあたし以外にいっぱいいるでしょ」

「なんとなくお前に付けば見つかりそうな気がするから勝手に付いて行く」

「めんどくさ……。勝手にすれば?」

「望むところだ」

 よし。所々筋を通しきれていなかった感じもしたが、第一関門突破だ。では、ここからはどう繋げていくか。もう少し武部と早くに知り合っていれば思考回路をトレースできるまで研究を重ねたりとか考えなくもなかったのにな。

 口を閉ざすハルヒは他に生徒が見えない、というより生徒の行かなさそうなルートを淡々と進み、斜め後ろから付いて行く俺はというと戦車なんかよりきっかけになる言葉を探していた。

 いっそ俺の知り合いに宇宙人がいるんだが、とか言っちまうか? いやいや、変なところで常識を持ち出すコイツにそんな直球をぶん投げても躱されるだけだ。しかも今のコイツの中での俺はそこらの土手カボチャ程度の他人でしかないのだから、頭のイった危険人物と見なされて元の世界へ帰還できなくなりましたエンド一直線だろ。

「……ところでこの間の自己紹介、どこまで本気だったんだ?」

 俺は考えあぐねて結局小手調べに、入学当時の記憶をなぞってみることにした。前例があるとこういうとき安牌として活用できるってなもんさ。

「なにが?」

「宇宙人がどうこうってやつ」

「あんた、宇宙人なの?」

「違うけどよ。曜日で髪型を変えてるのを見て冗談でもなさそうだなと思っただけで」

「……あんた気付いてたの?」

 食い付いてきた。それでも顔は笑っていないままだが、今の俺には強烈な違和感があるだけで怖くもなんともない。コイツは俺の記憶通り、この学園生活が始まってからも毎日、髪型を変えてきていた。俺の知らない一年の間もずっと続けていたんだろうな。未確認生命体と遊ぶためならコイツはその程度、面倒臭いとは一マイクログラムほども思わないのだ。

「俺のすぐ後ろだしな。登校して自分の席に着くときなんか嫌でも目に付く」

「ふーん。あたし思うんだけど、その日感じるイメージって曜日によって異なる気がするのよね。色で言うと月曜は黄色、火曜が赤で水曜が青で木曜が緑、金曜は金色で土曜は茶色、日曜は白よね」

 ついでにロングヘアーで登校してくる月曜が〇、ポニーテールの火曜が一、ツインテールの水曜が二……と結ぶ箇所が増える法則があることも知っている。ちなみに今日のコイツは、適当な場所で四箇所適当にリボンでまとめただけの奇妙奇天烈な頭になっている。

 つまり金曜日。なんとこの世界に来てからまだ一週間も経っていないのだ。色々ありすぎて、俺の席の後ろがハルヒじゃなかったら半月は消費した気になってただろう。そういや結ぶ数が六つになっているかもしれない日曜のコイツの頭は拝せず仕舞いだったな。

 そんな法則も言い当ててやるとハルヒはやはり

「そう」

 と答える。「俺なら〇は日曜で月曜は一のイメージだけどな」なんて互いにどうでもいい意見は頭の中で切り捨て、少しずつ余裕を取り戻してきていた俺は何気なく核心を突っついていた。

「じゃ、戦車道を取ったのは未来人対策か? それとも超能力者?」

「まあ、そんなとこね」

「ん……?」

 俺は首を傾いだ。コイツにしては歯切れ悪いな。髪型論よりもどれくらい斜め上の自論を並べ立てるのか興味があったのだが、それだけか? でも戦車道は俺の世界で言えばサッカーには敵わないにしても、柔道と肩を並べるくらいには王道の競技っぽいしな……。

「……あんた、どこかで会ったことある?」

 俺の心臓は跳ねた。元の世界の記憶について俺はもう諦めていたのだが、いちいち人の死角から不意を打つ奴だぜ。

「……登下校で見かけるくらいならあったんじゃねえのか」

「あっそ」

 ここで会話は終わった。俺は内心、少しくらい捏造を混ぜ込んでみてもよかったんじゃなかろうかと考えていた。

 結論から言って、俺はともかくハルヒは意外なことに戦車を見つけられなかった。チャイムもとうに過ぎた夜、ハルヒの携帯へ会長の帰還命令の電話が入ってようやく俺たちは学校へ戻る憂き目になったのである。

 ところで何の因果か、唯一俺たちとほぼ同時に戻ってきたらしいチームがいた。奇しくも俺は、捜索開始したときに思い浮かんだ選択肢の二つを今日だけで達成しちまったらしい。

「え? お二人も見つけられなかったんですか? あたしたちもなんですぅ」

 初コンタクトの朝比奈さんが、精一杯の笑顔をできる限り浮かべながら肩を竦めていた。やっぱりこの人は俺のことを覚えていないらしい。この人がハルヒの魔の手から逃れられないのは世界が変わっても同じのようだ。

 ちなみにこの人の言った「お二人」のうちのもう一人は誰とも顔を合わせたり口を交わすこともなく、鞄を取りに教室へ消えていった。負けず嫌いのアイツからすれば敗者同士の慰め合いすら屈辱なんだろう。別に戦車道関係者は何の勝負もしていないのだが。

「俺が言うのも変ですが、ずいぶん遅かったですね?」

「んやーみくるが途中でくたびれちゃってねっ。あたしたちも頑張ったんだけどなー?」

 世間話の体で声を掛けると、なにか俺に頼み事をしたいときに谷口がしてくるのと同じように、鶴屋さんが朝比奈さんの肩を抱いて答えてくれた。本当にどうしたことだろう? ハルヒも鶴屋さんもオーパーツ戦車の一両見つけてくる方が驚かないのだが、俺や朝比奈さんが彼らの気を吸い取ってしまうほど凡人とでもいうことだろうか。

 俺たちも教室へ鞄の回収に向かおうとすると、校庭の朝礼台に生徒会一味の姿がある。何か話し合いをしているようだ。

「あっ! やっほう杏っち!」

 ぶっ! 杏っちって。ああそういえば、この人たちは生徒会と同じ三年だったか。クラスメイトの可能性もある。生徒会に対する印象はこの人たちと俺でギャップがあるらしい。

 ってなんでそこへ近付く二人に俺までホイホイ付いて行ってんだ。俺は鞄を回収するだけじゃなく恰好も制服に戻らないといけないのに。

「三人とも残念だったねぇ? 結局、どれくらい揃ったんだっけ」

「自動車部が引っ張ってきたⅣ号D型を入れて五両ですね」

「あと一両、どうしましょう……」

 生徒会は三人の顔で喜怒哀楽を使い分けてそんなことを言っている。多分ずっとここにいたに違いない割に生徒会の必ず見つけろ命令はマジだったんだろうが、このだだっ広い町全体の中で何の手がかりもないのに半日でリーチまで来れただけ中々の収穫だろ?

 どこからか調達できるまで、戦車に乗れない奴は座学をやってもらうとかできることはあるんじゃないのか、と俺が口を開きかけたところ、

「そうだっ、あたしの実家から持ってこよっか?」

 鶴屋さんが現実離れなことを言いだした。「あるんですかぁ!?」と朝比奈さんと副会長のユニゾンが響く。なんだ持ってくるって? 何を? 日用品みたいに言うがまさか戦車とか言わないよな?

「そのまさかだよっ!」

「おぉーそういや鶴ちゃん家も戦車道家元の実家だったねー」

「ふっふっふーん杏っち? 別に今知ったみたいに言わなくてもいいにょろよ?」

「別に今思い出しただけにょろよ~?」

 二人揃ってにょろにょろ言うな。

 それより微妙に驚愕の事実である。まさかまさかの鶴屋さん家に新設定かよ。家元、つまりその道の先生が商売道具を個人所有していること自体は不思議じゃないが、そんな数学のノートみたいに持ってこれるもんなのかよ。

「鶴屋さんの実家ってのは、この近くなんですか」

「滋賀っ!」

 遠いわ。みほの実家ほどじゃないが。

 持ってくるったってどうやって。

「とりあえず、飛行機でも使って持ってこさせるっさ! 元々あたしのオモチャだったし誰も使わないと思うけど、あたし勘当されてっからなーっ。あの家の使用人ならあたしのお願いは聞いてくれるはずだけど、もし売られちゃったりしてたらごめんねっ」

「ふわあーすごいですぅ」

 聞いているほうが脱力する朝比奈さんのリアクションも今の俺なら心情抑揚そっくり声帯模写できそうだ。情報量が多過ぎて俺の脳が追っ付かない。あっけらかんにカミングアウトする様は俺の記憶と相違ないが、何があったんだこの人は。

 

「……疲れた」

 文字に起こすなら「はぁ」というより「ぜぇ」が的確な溜息も出る。上司の居酒屋通いに付き合わされるしがないリーマンみたく寮に帰ってくると、玄関には靴が何足も並んでいた。

「あ。おかえりキョン君」

「突然すみません、お邪魔させていただいてます」

「お邪魔しちゃってまーす!」

 狭いワンルームには姦しくも女子三人プラスアルファが、夕飯の並んだテーブルを取り囲んでいた。みほ武部五十鈴は分かるが、そちらの毛髪量豊富な女子はどちらさんだ?

「西住殿のお兄さんですよね? A組の秋山優花里と申します!」

 A組というと、俺のクラスの隣か。確か長門のいるクラスだっけ。

「あぁ、よろしく。秋山もみほの友達か?」

「うん。このみんなで戦車を探して、そのお疲れ会、って感じかな」

 となると、俺が帰宅するまでに俺の話はしてあったんだろう。みほのことだから俺のことを、一緒のベッドで寝るふりして妹を襲おうとした兄がいるんだけどそれでも来る? なんてことは言っていないと考えて問題ないはずだ。あとこれは別にどっちでもいいが、みほはここに住んでるんだからこいつらと同じ制服のままじゃなくてもよくないか?

 で、この状況なら俺が秋山も含めこの面子に言う科白は一言である。役者を取り違えている気もするが、この世界ではなぜか俺が家主ということになっているらしいからな。

「そっか。まあ好きにくつろいでくれ」

「ありがとうございます!」

「ねえキョン君。夕食まだじゃない? ここにある分一緒に食べていいよ? お味噌汁は台所ね」

 え、いいのか? 悪いな。意図せず気を遣わせたみたいだが、ここはお言葉に甘えたいと思う。男の人生の中で一番燃費の悪い時期だろう高校生ってのは食ってから六時間も経つと腹の虫がクーデターを起こして暴食になりかねんからな。

 着替えてくると一言断ってから洗面所で装いを崩すのもそこそこに、俺は台所から自分の米飯と汁物を取って戻るとみほが、

「あっ、ごめんね、場所が……。ここ座る?」

 とか言いながら少し腰を横移動させて開けた絨毯をぽんぽん叩くのだが、周囲はやや色めき立っていた。

「みぽりんそこ座らせちゃうの!? ひゃあー……」と武部。

「お兄さん、私たちと同学年でしたよね……」と五十鈴。

「しかも義理なんですよね?」と秋山。

 みほは表情から読み取るにほんの親切心だったんだろうが、なにぶんその一辺に二人座るにはそのテーブルは小さすぎた。

「みみっみんな何言ってるの!? 一緒に住んでるんだから別に変じゃないでしょぉ!?」

「寮で一緒に住む時点で、義理関係なく普通ではないと思いますが」

 みほの慌てぶりと冷静さを崩さない五十鈴の対称さは見ていてちょっと面白いのだが、黒一点の当事者としては反応に困る。

 大丈夫だから、俺はそこの勉強机で食うさ。おかずも小皿持ってきて欲しい分を先にとっときゃいい。

「うん、ごめんね。ところで、名前は知らないんだけどあの子と一緒に探しに行ってたよね? 戦車は見つかった?」

 遅刻の晩飯に入った俺は箸で小皿におかずを取りつつ肩を竦めて、

「だめだったよ。何キロか分からんが歩き回って足もガタガタなのに徒労にしかならなかった。ちなみにあいつは俺のクラスにいる涼宮ハルヒって奴だ」

「え、そうだったの? あの人が……」

「ん? みぽりんの知ってる子?」

「うっううん! なんでもない」

 ハルヒの改変を無償免除されたみほだけは俺の足跡を知ってもらったが、そうでない面子にあんな酔狂な話をしたところで初日の電話の姉と同じようなことになるだけだろう。と同じように考えているかは知らないが、抜けている印象のみほも想像力か危機感のどっちかはちゃんと備わっているようで一安心だ。

 俺はそれ以上何も言わず、勉強机の席について箸を突き始めた。

「どうキョン君! 上手にできてるでしょ?」

 口に運んだ瞬間に食い気味の武部が同意を求めてくるが、正直言ってこれはすごい。

「あぁ、誇っていいぞ。お袋の味だ」

「ぉっ――」

 武部がガチリと固まったような気がした。

「ふふっ……」

「今笑った!? 華笑ったよね!?」

 よく考えたら女子高生相手にお袋の味って、失礼じゃねえかこれ? 俺としては料理の上手い母親と味が似てるくらいの出来だという意味で出ただけなんだけどな。

「キョン殿に聞きたいのですが、男子って肉じゃが好きなんですか?」

 なんだよキョン殿って。秋山はハルヒとは別の意味で変わってるな。

「え、それ男子に聞いちゃう……?」

「聞かないと分からないままですよ」

「んん、まあ……」

「で、どうなんですキョン殿?」

 好きな奴もいるんじゃないのか。

「ということは、キョン殿は好きではないと」

 嫌いじゃないが、惣菜売り場に並んでいても真っ先に取るほどでもない。

「そうなの? なぁんだ、雑誌のアンケート嘘だったんだ……」

 雑誌と聞くだけで胡散臭さを覚える程度に偏見を抱いている俺はその手の物はあいにくと読まないんだが、まさかそれ、他の回答はオムライスとか、あとは鯖の味噌煮だったりしないか?

「すごい! なんで分かっちゃうの? もしかして読んでる?」

 おいその推察は些か短絡的だ。なんで男の俺が男の好きな料理を調べなきゃならん。ラインナップでなんとなく分からんでもないだけだ。大方それ、「(女子のイメージする)男の好きな料理」なんじゃねえのか。

「あー、どうだったっけ……。そこまでよく見てなかった……」

 それより俺は武部の下心を察した上で、内心複雑な気分にもなっていた。言い出しっぺは秋山といえ、さほど抵抗もなくこの話を続けられているのが遠回しに、あなたは私にとって異性の範疇の外なんですと宣告されているようで悲哀だ。いやいや、普通の男ならそんなもんだろ。良くも悪くも。

「ぷふ……沙織さん、肉じゃがだって――んふっ間違いではありませんよ? 『お袋』もれっきとした、ふふっ女性ですし」

「誰がお母さんになりたいなんて言ったのよっ華笑い過ぎ!」

 なんだか武部が一人で空回りしまくっているのを前に俺はフォローに入った。

「まっまあ、料理が上手いというだけでもステータスの一つにはなり得るだろ。少なくともみほなんか――」

「私なんかが――なんなのかな?」

 怖っ! なんだこの気迫!? 部屋の明かりは落ちたりもしてないのに、しかもこっちへ見上げているにも関わらずみほの目元は陰鬱した影に覆われたように見える。表情筋だけ見れば今日一番の笑顔のはずなのに、薄く笑う目の奥が俺の眉間に一粒の汗を滲ませる。

 かつての朝倉はダガーナイフで俺の恐怖心を掻き立てたが、目だけで威圧してみせた我が妹はこのときだけ朝倉を超えていた。

「お兄さん?」

 みほはこっちへ振り返っているため、五十鈴を始め女子三人にみほの表情は分からない。つーか普段晩飯をみほに作ってもらってるのを忘れてんじゃねえ俺。

 気圧された俺の唇は釘抜きで力任せに引っ張ってひん曲がった釘みたいに歪んだ。

「――も、できなくはないが、このレベルなら優に超えてるぜ?」

「え? うん、ありがと、う?」

「……うふ」

 怖っ。



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キョン「試合、やるんだろ?」

 忌々しいことにこの学園は、午前だけとはいえ土曜授業があるという。

 この日は選択科目の授業だけということで、俺は他の履修生が既に始めている書道の教室で転校生みたいな扱いに晒された。自分でも選択したのが書道なのか戦車道なのか分からなくなっていたところだが、饒舌しがたいほど不本意だ。相変わらず眠気はあるが、椅子に拘束されて呪文じみた話を延々と聞かされるより眠らなくて済んでいた。

 充てられた片隅の窓際席で半紙に墨を塗りたくる作業を進めていたが、落ち着いた午前の静寂を打ち破る存在が襲来した。

 世紀初頭のテロをも彷彿させるくらいの轟音だった。教室中がどよめく中窓の外では航空会社が持つには小ぶりなジェット機が肉薄していて、思わず仰け反ったときには後部の口が開いてなにかを投下し、窓の上からフェードアウトしていった。直後に床は揺れた。

 日曜になって、俺はその正体を知った。

 なんなんだこれは。

「カヴェナンター巡航戦車だよ」

 とナカジマさんの回答。言うまでもなく俺は例によって作業服を纏い、黄土色をした新たな戦車を前にしていた。つまるところ、自動車部のサビ残である。

 へえ、そうなんですか。そんなことはいい。

「こいつもこの間の捜索で見つかったクチですか」

「違うよ。履修生に三年の鶴屋って子がいるんだけど、その子が持ってこさせたものなんだ。子供のとき自分で乗ってたらしいよ」

 冗談じゃなかったのかよ。しかもこんなもんが個人のオモチャだったという話が信じられないくらいに状態も良いのが素人目で分かるが、初めに見た戦車があのⅣ号だし新品に見えるぜ。考えてみれば、あの人は変な語尾をつけたりジョークをかましたりはしても、嘘を吐いてるのは聞いたことがなかった気がする。

 で、これをどうするんです?

「うん。この子は君の練習相手になってもらうんだ。君はこの子の点検をしてみて、悪いところがないか調べてね。色々考える前にまずやってみよう、ってことでスズキー!」

 結局俺もやるんじゃないか、戦車弄り。

 スズキさんも三年だったか。何気に女子として背が高く、肌の色はホシノさんより濃い。

「じゃあとりあえず、打音やってみましょうか」

 ハンマーを渡され、言われたところをくまなく叩く俺。走り装置から主砲から装甲までありとあらゆるところを叩いて変な音がしないか聞く、という一般知識レベルしかない俺にはどこを叩いたところで、変な音とやらが分からない。

「あ。今の音。もう一度聞いてみて。……どう? 他と違くない?」

 どうやらこんな新品でも砲塔の装甲になにかあるらしい。指差す部分とすぐ隣の装甲板を叩き比べてみると、確かに音が注意しないと分からない程度に揺れているように聞こえなくもないが、これがなんだっていうんです?

「鋼板がちゃんと固定されてないってこと。これは締め直すだけだね」

 なるほどね、と俺はスペアと工具を渡されおっかなびっくり手を動かす。こなクソ、こんなもの一本締めるだけでも意外に力いるなこれ。

 とカヴェナンターは他の部分でも、説明されながらだが自分で修復できる程度の劣化しかなかった。ふうと溜息を付き改めて車体を眺めるが、

「終わりだね。じゃあ、こっちのも手伝ってくれる?」

 と笑顔を浮かべるスズキさんの後ろには、比べるのもおこがましいほど朽ち果て、部員一人ずつが付いている戦車三両と放置同然の一両の姿があった。これ、明日は代休だよな?

 

 ならなかった。そんなもんはなかった。月曜の朝にみほの携帯に会長からメールが入っていると聞いて布団をかぶり直したが、「今日は朝から戦車乗るからお兄さんも呼んどいてね~」という内容だと言われて苛立ち気味に俺は布団を剥がされたのだった。労働基準監督署は学園活動の告発も受け付けてないだろうか。

「もーっ。遅刻したらキョン君のせいだからね?」

「俺が全部悪いってのか」

「だってキョン君が起きたの私が起こしてから五分あとだったもん!」

「お前の準備ができたのだって俺の着替えた五分あとだったろ」

「それもキョン君がトイレ占領したせいだよう」

「洗面所使うと思ったからトイレ使ったんだよ」

 通学路、俺はかけっこで妹と不毛の争いを繰り広げていた。

 二人揃って目覚ましの悲鳴を完全に無視したのは事実だが、一応みほが数十秒前でも俺より早く目覚めたのも事実だから俺が不利なのは否定できない。

「はぁ、はぁ――、あれ?」

「うわっ、なんだよもう」

 先導するみほが信号のないところで足を止めるので、俺もブレーキを利かせ追突を免れた。俺たちの行く道を、三日徹夜した上に酒のチャンポンもかっ食らって朦朧としたくらいの足取りの女子の姿。

 千鳥足の予測不能な踏み地に目を取られている間、みほはそいつに声をかけていた。

「大丈夫ですか!」

「……辛い」

「え?」

「生きているのが、辛い……。これが夢の中なら、いいのに……」

 電話で聞いた俺の姉(仮)が二日酔いを起こしたらこんな感じだろうか、ってくらいに死んだ声をしていた。未成年飲酒で前科を持つような姉とは別に思っちゃいないが今そんなことはいい。

「あっあの! しっかりしてください」

「だが、行く。行かねば……寝坊……寝坊……」

 寝坊って、俺たちと同じか。切れそうだった息が回復できるので俺は暫し観察していたが、今にも崩れ落ちそうなそいつの肩をみほが持ったのでさすがに横槍を入れた。

 おい。助けるのかそいつ。ホントに遅刻するぞ。

「ええ? でも、あ! キョン君この人負ぶってあげて行こ?」

 みほは若干わたわたしてから俺の静止に応じるどころか助長することを言い出した。そんなにフラフラじゃそいつの遅刻はもう確定してる。逆に俺たちはここから駆け込み登校すりゃギリギリ間に合うだろうが、そいつを助けたら三人仲良く遅刻だぞ。俺は文系であって体育系じゃないし、まさか負ぶって走れなどとは言わないよな?

 とは言ったものの、我が妹の懇願は折れず結局負ぶっていくことにした。

「冷泉さん! これで連続二百四十五日の遅刻よ」

 人もまばらになっている校門前で遅刻確定の俺たちを待っていたのはおかっぱの女子生徒。目も吊り上げてとっつきにくそうな奴だ。

 呼応するように俺の背中に乗っている奴がぶつぶつ言い始めたから、冷泉ってのはこいつのことだろう。

「朝は何故来るのだろう」

「朝は必ず来るものなの。成績がいいからってこんなに遅刻ばかりして、留年しても知らないよ」

 食えない優等生以外の人間なら誰しも考えたことがあるだろう哲学を言っている。俺もどっちかと言われりゃ朝は弱い部類と自覚しているので非常によく分かる。成績がいいという部分が謎だが。

 そしておかっぱの方は全く絵に書いたような優等生、というか腕に「風紀」と書いた腕章が見えるな。これほどイメージと言動が一致している奴も逆にいないぞ。

「えっと、西住さん? それとお兄さんも。もし途中で冷泉さんを見かけても、今度からは先に登校するように」

「あ、はい」とみほ。

 言えよ名前。俺のこと知ってるなら。俺は異世界人属性を持っているだけの凡キャラで、空気系じゃないはずだぞ。

「……そど子」

「なにか言った」

「別に」

 このやり取りの末に検問を通過できた俺たちは、どうせ遅刻だからとそのまま校舎へ向かう。まずこいつは俺のクラスではないが、俺はどこまでこのダウナーのタクシーやればいいんだよ。

「悪かった」

 それはどっちに言ってんだ?

「両方だ。いつか借りは返す」

 意外に義理堅いらしい。

 そんなこんなで送り届けたあと、俺は今日何をするかも知らないまま倉庫で作業服に着替えたのだが、グラウンドへ出た俺の目にちょっと意外な光景が飛び込んできた。女子連中が暇そうに倉庫前で駄弁っていることではない。

「ひゃああああっ!」

「デカすぎでしょこれいったい今までなに食べてきたらこんなんなんのよ、Dは絶対あるわよね絶対これ……」

「あははははははっ!」

 ストレートヘアーハルヒが後ろから朝比奈さんの禁断の果実を揉みまくり、隣で笑い転げる鶴屋さんの姿があった。なにしてんだお前朝っぱらから。

「あんたこないだの! ってか何見てんの? ヘンタイ?」

「見ないでくださいー! 助けてええええ!」

 お前が言うな、お前が。見てるってかお前がその場で朝比奈さんごと回ったんだろうが。朝比奈さんも注文はどっちかにしてください、その両立は無理です。

 声を掛けた俺に鶴屋さんも気付くと笑いどころの分からない笑いも止んだかと思うと、

「やあ作業着くんおはよっ! ひょっとしてキミも戦車に乗るのかいっ? チャレンジャーだねえ。あ! そういや名前言ってなかったね。あたしのことは鶴屋さんとでも呼んでればいいにょろ!」

 こっちも朝からハルヒとタメを張れるほどの弾丸トークだし。

「俺は、」

「そいつはキョンね! あたしの下僕その一!」

「キョン君だね! 了解っ!」

 言わせろよ名前。この人はハルヒじゃなくて俺に聞いてきてたのに。あといつお前の下僕になった。こいつにペケをつけていたら日が暮れちまうので無視して鶴屋さんに向き直る。

「俺は自動車部の人間で、理由もなく会長から招集を食らっただけです。それよりなんですかこの状況?」

「んー土曜に全員で戦車の洗車したんだけどさっ、」

 ここ笑うとこ?

「あたしたちがあたしの持ってきたオモチャに乗ることになっちゃってね? で、一緒に洗ってたらこうなったにょろ!」

 全く分からん。というかあたしたち、って……。

「あたしとみくるとハルにゃんに、そっちにいる有希っ子!」

 よく見ると、俺たちを遠巻きで眺めている長門の姿もあった。最近話す機会もなかったな、と俺はそっちへ歩いていった。液体酸素みたいな目が、俺を見上げていた。

「よう」

「…………」

「元気か?」

「元気」

「お前も試合、やるんだろ?」

「そう」

 これはなにかの偶然か?

「分からない」

 戦車、乗ったことあんのか?

「ない」

「そうか、まあ怪我しないようにな」

 勝手にべらべら喋っているが一番驚いているのは俺だ。俺は今異質な立場でここにいるのだという現実を唯一突き付けてくれる存在である長門を前にして、よくここまで余裕でいられるもんだ。バックに累積経験値があるったってこれはノーテンキすぎないか。

「……自動車部?」

「ん? あぁそうだけど。暇だったら遊びに来いよ」

「行く」

 俺は十中八九これから忙しくなるんだろうからな、長門と話ができる貴重な機会だ。贅沢言うなら宇宙人パワー抜きでも人間離れした知能を持つ長門には入部してほしいくらいだが、長門は長門の好きにやればいいさ。

 てかここにいる人たち誰も止めそうにないぞ、ならばとハルヒ側のよしみで俺が二人の間に入り、朝比奈さんの公開セクハラ刑を中断させたところで、次の刺客が現れた。

 それは、前に見たジェット機より明らかにゴツい奴だった。やはり口を開けて、今度はグラウンドでなく隣の駐車場になにかを落としていったのだが、それが派手に敷地内を滑ったかと思うと下手すりゃ数千万は下らないかもしれないフェラーリを蹴っ飛ばした。

「学園長の車が!」

 副会長の声がしたと振り返る間もなく、動くそれは何故かわざわざ後退して腹を見せるスポーツカーを踏み潰している。それから前進し俺たちに姿を見せたのはここにあるのとは明らかに違う真新しい戦車で、

「こんにちは!」

 中から顔を出したのは、どこからどう見ても若い女性だった。どうすんださっきのアレ。

 

 よく分からんがその人は自衛官で、ざっくり言うと戦車道の教官らしい。その人の前に女子が整列して挨拶と今日の概要の説明。説明とも言えない大雑把すぎる説明だが、今日は終日、教官指導の練習試合とのこと。それを俺含めた自動車部は集団の端っこで聞いていた。

「それじゃ、それぞれのスタート地点に向かってね」

 と教官が各チーム――土曜に全部決めたようだ――に地図を配布する中、ナカジマさんは、

「じゃ、私たちも行こうか」

 なに? どこへ?

「あそこ」

 指差した先には、倉庫のそばに立つ火の見やぐらみたいなものがある。俺は自動車部総員で向かい、やぐらの鉄階段を上りながらナカジマさんへ今日の俺たちの趣旨の説明を煽った。

「まずは観戦だよ」

 なんのために?

「会長に提案しといたんだ。戦車がどういう風に戦ってどこが壊されるのか、知っておいたらキミも今後の修理のためになると思ってさ」

 はぁ。しかしあのチビっ子はどうもナカジマさんや他の部員にはちゃんと説明付きの連絡を心掛けているらしい。この差はなんなんだ? 俺はいつどこに来いとしか言われないのに。

「私は会長とはクラスが一緒だからね。そこはしょうがないよ」

 意外と単純な理由だった。ところで俺のことを考えてもらってるところすみませんが、その提案に授業をサボる下心は含んだりしてませんか?

「あ、バレた? でも観戦はちゃんと見るからね? はいこれ、双眼鏡。あと行動不能になった戦車の回収と整備もやるからさ」

 それから俺はとても展望台とは言えない、狭く風吹き付けるやぐらから双眼鏡に映る戦況に舌を巻いていた。そもそも戦車道は何年も前に廃止になっている、という広報の発言とは裏腹に、全ての戦車が広大な未開拓地を縦横無尽に駆けているのだ。遅れてやぐらに上がってきた蝶野さんがマイクに試合開始を吹き込んでからしばらくして始まった砲撃戦で、頭の僅かに残っていたプラモやラジコンだという意識はとうとう消し飛んだ。弾が当たった戦車は大概炎上するか煙を出すし、俺たちが文化祭で作った映画もどきがホームビデオ以下に思えちまうくらい映画やってるじゃないか。

 あいつらみんな本当に初めてなのかよ?

「私もびっくりだわ。初めての割には確かに、そうとしか思えない走りね」と蝶野さん。乗ったことないと主張する生徒にいきなり試合を命じた人間の言葉ではないと思うが。

「君、試合を見るのも初めて? 整備をするなら戦闘している戦車は特に見ておくべきよ」

「見てます」

 言われんでもそうするさ。初めてなのは間違いないが、俺が正真正銘ただの観客だったとしても単に走ってるやつとドンパチやってるやつがあったら後者を見る。なるほど、戦車は互いに正面装甲に弾をもらうことが多いのか。考えてみれば当たり前のことなのだが。あとは履帯かね。

 やがて戦局は一つの転換点を迎える。橋の上で立ち往生した妹の乗るⅣ号は一見絶体絶命だったと思えばいつの間にか周囲の戦車はチープな白旗を上げていたことから、みほ以外に経験者がいないのは本当らしい。

 さて鶴屋さんが持ってきたらしいカヴェ……なんとかという戦車はというと、他の戦車の走行の後に見るせいかマッスルカーに見える速度を出しているが、泥酔しているとしか思えない蛇行だ。多分目指しているのはⅣ号のいる橋なんだろうけど。

「ちょっとあれ川に落ちませんか」

「落ちるね。あのまま行くと」とナカジマさん。

「ヤバくないですか」

「特殊カーボンが護ってくれるから大丈夫よ」と蝶野さんも補足。読んでいた論文の中にも何度か出てきたような気がするが、内容は不思議なバリアとしか分からない。どっちかが慌てていたら俺は取り乱してやぐらの柵をも越えちまってたかもしれん。

 突如ダン! と砲撃が響き、砲弾はまるで砲塔がどっちを向いているか分からせない攪乱だったと思わせる精度で命中したが、正面から迎え撃ったⅣ号からのカウンターが側面にクリティカルヒットしカヴェなんとかは失速、ハンドルも利かなくなったように大きく百八十度転回して停止した。

「Dチーム・M3、Eチーム・38t、Cチーム・Ⅲ号突撃砲、Bチーム・八九式、Fチーム・カヴェナンター、いずれも行動不能。よって、AチームⅣ号の勝利!」

「みんな回収行くよー」

 

 この世界から言わせると一応普通の女子が戦車を操れるのだから、俺以外の部員が重機で損壊戦車を重連トラックに乗せ倉庫へ持ち帰っていくことなど驚きでもなんでもない。

 無論俺はその部類ではないので倉庫で待ちぼうけを始めてからしばらくあと、女子連中が戻ってきた。生徒によっては煤が付いていたりするのは分かるが、ハルヒのチームだけは猛暑の中こたつで我慢大会をしていたみたいに汗だくだったのが異様だ。

「ったくなんなのあの戦車は!」

 自分が負けたことに率直に悔しがると思ったが、意外にもハルヒはここにない鉄塊に当たり散らしていたらしい。

「なにが気に入らなかったんだ」

「気に入らないなんてもんじゃないっての! エンジンかけてからちょっとするとどんどん熱がこもってくるし、みくるちゃんは力加減考えないでアクセル踏むからどんどん熱くなってくし、もうサウナよサウナ!」

 なんと、朝比奈さんはスピード狂だったのか。ドリフのカトちゃんなんかもそうだったし、童顔の人間にはそういう素質でもあるんだろうか。

 ところがハルヒのあとに続いてきた足音へ向くと、ナメクジと化した朝比奈さんを背負う鶴屋さんの姿。こっちも両方汗だくだ。

「あっはっはー……。やっぱりハルにゃんにはお気に召さなかったみたいだねー」

「サウナがどうとか言ってましたが」

「そうだよ? あれはそういう欠陥車だからねっ。あんなの欲しがるのスクラップ業者くらいなもんだよっ。子供のあたしに与えて、あたしが破門になってからもずーっと放置されてて当然ってもんさっ」

 そういうことか。鶴屋邸は草刈りだけで一日を潰せるほどの庭園を抱えていたからな。まず間違いなく溶かして業者に売れる鉄塊がずっと鶴屋邸に残っていた理由の一つだろう。鶴屋家が金に興味がないかどうかまでは知らんが。

「で、そちらのみくるさんとやらの方は?」

「みくるは暑すぎてダウンしたのと、操縦にテンパりまくって腰抜かしちゃった!」

「あのぅ、朝比奈みくるですぅ。汗臭いので、なるべく寄らないでくださいぃ……」

 未来に自動車はないのだろうか。そもそも俺はこの人の実年齢も知らないし未来人かどうかも分からないのだが。

「これからずっとアレに乗るなんてそのうち熱中症で死ぬわよ。鶴屋さーん他に持ってたりしてないのぉ……?」

 振り向くとハルヒは鉄門に背中を預けて座り込んでいた。朝比奈さんの出す熱湯のお茶を一息で飲む割には弱り切っているな。鶴屋さんが持ってきてくれたにも関わらず図々しいのは相変わらずだが。

「ごめんねえ? まともな戦車だったとしても絶対門下生の子に持ってかれてたと思うにょろ~」

「はあーもー! ズビャーって速くてドガーンって強い戦車落ちてないのかしらねぇ……」

 少なくともスピードはすごかっただろ。ズビャーは分からんが。

「持ってきてくれただけでも鶴屋さんに感謝すべきだろ。どれだけ暑いのか知らんが、氷を持ち込むとか薄着になるとかの対策はできないのか?」

「……水着が必須ね……」

「ふぇ……?」

「かもねっ」

「…………」

 最後に現れた長門も表情は変わらないが、顔面だけ雨に晒されたようにびっしょりだった。



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キョン「試合、やれるのか?」1

 どんな事象にもきっかけとは本当にあるものだろうか?

 俺は哲学的疑念を抱いていた。元の世界で俺が入学後のハルヒに髪型の話をした直後に登場したハルヒは長かった髪をばっさり切ってしまったのは承知の通りだが、脳の足りないなりに俺が導き出した結論は、「月曜をゼロと考えるハルヒと違い、俺なら日曜がゼロだと考える」と真っ向から相違意見をぶつけたのが理由、ってものだ。言うまでもなくこれは、どんな事象にもきっかけは必ずあると仮定して、俺が無理やり消去法で炙り出しただけの吹けば飛ぶような詭弁である。俺が口出ししたからハルヒが髪を切ったという方程式は俺自身の中では未だに内包する理屈がない。

 そもそもなぜ俺の思考がそんなことに囚われたかと言えば、ハルヒはこの世界でも結局バッサリ髪を切ってきたからだ。しかもその姿の初登場が火曜日なのが解せない。今日はポニーテールの日のはずが、なぜよりにもよって昨日。カヴェなんとかの走るサウナがそんなに気に入らなかったのか。

 俺は朝のHRまでの空き時間に後ろの席へそのことを聞いてみたら、

「あたしの浅知恵だったわ。髪型なんて誰しも好き勝手にやってるんだし、宇宙人からしてみればあたしが変えてた髪型もその意味も多分どうでもいいのよ」

 俺は内心、とてつもなく戦慄していた。表情こそ俺の知るハルヒの無愛想面だが、気付くのが今更といえ発言が常識的すぎる。

 待て。これは本当に常識的な発言なのか? 聞きようによってはその努力が何の実りにもならないとこれまでの一年に見切りを付けつつも拗ねているようにも聞こえる。どっちにしろ太陽が地球の周りを公転し始めるくらい信じられない話だ。

「で、髪型サイクルはやめちまったのか」

「そう。それよりもっと目立つことをするのよ!」

「例えば?」

「そうね。ちょうど戦車があるし、火炎弾も使ってミステリーサークルを作るとかがいいわね!」

「やめろ」

 ハルヒだ。拗ねるというのも俺の想像できる姿じゃないのでそれは俺の気のせいの可能性大だ。ハルヒはきっと自分なりに成長しているのだ。直球しか投げなかったやつが変化球も覚え始めたんだろ。

 こんな具合で、この世界でも俺は教室の空き時間でハルヒと会話する機会ができていた。言っていることもお馴染みの突拍子もないことばかりだ。

 それだけでなくハルヒは、少しの日も経つと自分たちの乗る戦車を整備するだけの自動車部にも顔を出すようになった。やることといえば、他の女子部員に教わりながら戦車の整備に四苦八苦する俺へあれこれ無理難題を突き付けることだ。

 例えば俺が一番最初に受けたのは、まあ予想は付くだろうがこれだ。

「カヴェナンターの蒸し風呂なんとかしなさいよ」

 で疎い俺はというと、あながち非現実的でもなさそうな難題は女子部員に聞きに行ったりとハルヒの使い魔みたくなる始末。

 ちなみに問題のカヴェナンターについてナカジマさんが言うには、

「ざっくり言うと、戦車は普通エンジンとかの機器類が一つの機械室にまとまってるんだよ。でもあの子の場合は操縦室の前後に分けられてて、操縦室の中をくぐるように通ってるパイプの放熱が原因だからその配置を変えれば解決するけど、そうするとカヴェナンターじゃなくなるしそこまでやるのは無理」

 と突っ返された。

 俺が報告しに戻るとハルヒは、ナカジマさんの回答ではなく俺の要領の悪さにへそを曲げる理不尽さ。

「あんた、いちいち他の子に聞かないと分かんないわけ?」

「俺は数日前まで戦車のせの字も知らない身だったんだ。不満なら自分で聞いてくるか勉強してくれ」

 とまあこんなふうに、スパナ片手にたまたま一人でせっせと戦車を直す俺の言葉に対し、ハルヒは腕組みアンドアヒル口を張り付けた顔で見下ろすだけである。

「まさかもうみんな、水着で乗ってんのか?」

「制服の下に着てるわ。制服のまま乗るよりマシってところね」

「だったらいいじゃねえか」

「乗るたびにいちいち制服脱ぐのがめんどいの」

 だったらそうしなくてもいいような戦車をどこからか見つけてこい。こいつの中のなにが妨げているか知らないが、なりふり構わず願えば一両くらい空から降ってくるはずだ。

 しかもやるせないことに、ここから少し離れたところではチームメイトである長門・朝比奈さん・鶴屋さんもいて、長門は立ったまま読書し、あとの二人は俺たちの動向を保育園の保母みたいに見守っている。俺たちは他愛なくじゃれあっている幼児じゃないぞ。

「おーいきみたちー? 今日はこれで授業終了だから解散ねー。明日もよろしく~」

 と、門から倉庫を覗きに来た会長の一声でハルヒは「じゃあねっ」とそのままチームメイトを横切っていった。長門と鶴屋さんもそれを見届けてから門を出ていくってことは、この人たちは解散までの暇潰しか。

 思わぬことだが、朝比奈さんだけは俺に歩み寄ってきた。このとき他の部員はそれぞれ離れたところで俺の弄るやつよりぶっ壊れた戦車に付きっ切りであり、俺に注意を向ける気配がこの場からいなくなっている。

「今日、一緒に帰ることはできますか?」

 この耳打ち。朝比奈さんじきじきの呼び出しだ。こんな普遍的青春的イベントは中学以来だと俺の心は一瞬躍った。

 一瞬だけだ。なぜかって? 相手が朝比奈さんだからだ。不満というわけではなく、ハルヒと会話を交わすようになった直後の朝比奈さんの呼び出しが、夕暮れの下校を気になっている後輩男子と二人きりで過ごしたいという乙女チックな心情から来るものではないと察知しているからだ。

「えーと、今の状況ではちょっと」

「あんれぇ~? キョン君、もしかして青春しちゃってるー?」

「ぃひぇっ」

 いつの間にか、戦車の陰からツチヤが顔を窺わせていた。小さく悲鳴を上げる朝比奈さんの詰めの甘さは定評あるままだが、果たして。

 ちなみにツチヤもハルヒがその名で俺を呼ぶのを小耳に挟んで使い始めたクチだ。数年越しと異世界越しの強烈なデジャヴだ。こいつに元妹の情報の残滓が飛び散ってたりとかはしてないだろうな?

「あぁ、いいですよ朝比奈さん。キョン君くらいいなくても次回までに整備は終わりますからどうぞお持ち帰りください。にひひ~」

「ぃ、いえっ、そういうんじゃないんですけど、そのぅ」

 ほんとに持ち帰りってなら俺はその報酬目当てだけで士気を青天井にし自分の仕事を数分で終わらせてやるのにな。それよりツチヤお前、俺を貶す必要はあったのか。

「ごめんごめん。キョン君もいて助かってるよ。でもせっかく先輩が誘ってくれてるんだし、断っちゃもったいないよ?」

 意地悪い笑みを浮かべるツチヤと縮こまって建前を探す朝比奈さん。なにも知らないやつが見たらこの二人の学年は逆と認識するんだろうな。

「ということらしいんで、一緒しますか?」

「は、はい。ありがとう……」

 ツチヤをちらちら気にしながらも朝比奈さんは了承した。

 

 

 そこら辺の物陰でそそくさと作業服から着替えた俺は朝比奈さんと帰路を共にすることになった。俺の住む寮の方角へ向かっているが、朝比奈さんも同じなのだろうか。

「わたし、こんなふうに出歩くの初めてなんです」

 塀に囲まれた閑静な住宅街の道路に通行人がいないか気にしながら朝比奈さんが呟く。俺たちが恋人に見られないか心配なのかね。俺は一向に構わない。元の世界と同じくときおり肩が触れ合いそうになったのを、びっくりしてちょっと離れたりする初々しさはいつ見てもいい。

 この人に言わせれば「規定事項」であろう科白を軽いジョブで選ぶ。

「こんなふうにとは?」

「……男の人と、二人で……」

「はなはだしく意外ですけど、誰かと付き合ったりとかなかったんですか?」

「ないんです」

 逆にありますとか答えられちまったら、俺はいつの時代の人間とですかと口走っただろう。

「でも朝比奈さんなら、言い寄ってくる男の一人や二人いるでしょう?」

「うん……」

 そこは否定しないんだよな。

「ダメなんです。わたし、誰とも付き合うわけにはいかないの。少なくともこの……」

 そこで朝比奈さんは黙り込んでしまうので、俺は横のコンクリート塀の縦方向の目地を何本通り過ぎたか数えていたが、

「キョンくん、お話ししたいことがあります」

 小鹿のような瞳に決意を浮かべる、朝比奈さんが見つめていた。

 

 俺は朝比奈さんに近くの公園のベンチへ連れて来られた。遊具で遊ぶガキの喧噪を前奏に切り出した朝比奈さんの序章はこうだ。

「わたしはこの時代の人間ではありません。もっと、未来から来ました」

 

 実のところ俺は、一緒に帰りたいと倉庫で言われた時点でこの人の素性が元の世界と変わっていないのを察していた。想像通り、そのあとに続くこの人の言葉は時間平面がどうのとか四年前がどうとか、パラパラマンガの絵とかの未来座学初級編だ。

 俺はいつどこでこの人の言葉を先読みして混乱の極みの顔を拝もうか探求心に焦らされていたが、結局は口を結ぶのに一徹した。ここは俺の知らない世界なのだ。情報を得るなら勝手に喋ってくれる相手はとにかく喋らせとくのがいい。

「四年前。大きな時間振動が検出されたの。キョンくんや涼宮さんが中学生になった頃の時代ね? 調査するために過去に飛んだ我々は驚いた。どうやってもそれ以上の過去に遡ることが出来なかったから。でも原因が分かったのはつい最近。……んん、これはわたしのいた未来での最近のことだけど」

「……何だったんです?」

「涼宮さん」

 つまりはこの辺の科白に集約されるが、ハルヒは相変わらずトンデモパワーを持ってきていることがまずはっきりと裏付けられたわけだ。

 朝比奈さんは遊んでいたガキが飽きて公園を去っていくのを桜の花が散ってきたような目で見つめながらつらつら話を続けて最後に、

「……信じてもらえないでしょうね。こんなこと」

「……何で俺にそんな話を?」

「あなたが涼宮さんに選ばれた人だから」

 朝比奈さんは上半身ごと俺へ捻って、

「詳しくは言えない。禁則にかかるから。でもこれだけは言えるのは、あなたが涼宮さんにとって大事な人であるということ」

「長門や鶴屋さんは……」

「長門さんはわたしと極めて近い存在です。鶴屋さん自身には何の特殊性もありませんが」

 俺は鶴屋さんの部分に着目した。俺は未だあの人の素性をよく知らないが、朝比奈さんの言葉はなにやら含みある言い方だ。

「朝比奈さんはあいつらが何者か知ってるんですか」

「禁則事項です」

「ハルヒのすることを放っておいたらどうなるんですか?」

「禁則事項です」

「…………」

 まあ、端から望み薄ではあったのだが。

「ごめんなさい。言えないんです。特に今のわたしにはそんな権限がないの。信じなくてもいい。ただ知っておいてほしかったんです。キョンくんには」

 申し訳なさそうに顔を曇らせたところで朝比奈さんのターンが終了したと思った俺は顔を少し得意げにしてネタ晴らしに口を開きかけ、硬直した。

――我々――調査――権限――

 朝比奈さんの発した単語が、俺の頭の中で不快なハウリングを始めたのだ。

「キョンくん?」

「いえ……」

 閉口した俺は朝比奈さんから視線を戻し、表情を見られないようこめかみを押さえる振りをした。ここにいるのは「時をかける少女・朝比奈さん」じゃない。「未来の組織から派遣された研修調査員・朝比奈みくる」だ。鍛え上げられながらも気まぐれな俺の危機察知能力が、なぜかは分からんが、俺の重大な秘密を特にこの人に喋ってはいけないと引き留めている。隠し事は朝比奈さん自身に対して良心が痛むが、この人にはバックがあるのだ。

「朝比奈さん。保留ってことでいいですか」

「はい……?」

「信じる信じないは保留ってことで、とりあえず覚えてはおきますから」

「はい」

 朝比奈さんは微笑んだ。やはり貴女にはそのお顔がお似合いです。驚愕顔なんて普段から見られるしな。

「ただ、一個だけ訊いていいですか?」

「なんでしょう?」

 俺が気になったのは、この人の本当の歳ではない。いや気にならないわけでもないがどうせ禁則なんだし、今はそれよりこっちだ。

「あなたはなぜ戦車道を選んだんですか」

「戦車道……」

「俺の勝手なイメージですが、あなたは戦車そのものに興味があるようには見えない。どんな理由でここに入ったんですか。まさか単位が足りていないとか……」

「いえっそんなことはありません。単位はちゃんと取れていますよ」

 SOS団では、ハルヒが朝比奈さんを拉致ってきてぶち込んだ。あのときの朝比奈さんも、SOS団に入る前から時間振動とやらの中心に立っているのがハルヒだと認識してこの時代にやってきていると言った。要するに未来人は、別にSOS団に入らなくともハルヒの監視はできていたわけだ。

 だがここはどうだ、ハルヒは作る気があるかも分からない不思議を探す団を作るより先にばったり朝比奈さんと出会い、仲良くなっちまってる。これはつまり、朝比奈さんの方からハルヒに接触してきたと言えるんじゃないのか?

「そうですね、わたしは戦車そのものに思うところはありません。でも近くにいたほうが、涼宮さんを監視しやすいでしょう? ――と、わたしも上の人からそう説明されてここにいるだけなんだけどね?」

 朝比奈さんはまた申し訳なさそうな顔を浮かべながら指で頬を掻くだけだった。ハルヒと俺の接触イベントが、ハルヒに近付けと未来組織を朝比奈さんに吹き込ませるほどの重大なフラグを立てたとでもいうのか? 俺の心当たりと言えば、俺が接触したとほぼ同時にハルヒが無害な女子高生というサナギから羽化したことくらいなのだが、それがなんだっていうんだ?

 結局のところ、それっぽっちの成果があるだけで俺は朝比奈さんと別れて帰路に復帰することとなった。だが彼女は別れ際に優雅な照れ笑いを飾り、

「今日は話を聞いてくれてありがとう。わたしたちの戦車の整備も大変だと思うけど、がんばってね?」

 と可愛く労わってくれたのは、悪い気はしなかったね。

 

 

 それからも授業というより訓練に明け暮れる戦車道女子と、点検整備に勤しむ自動車部との二人三脚が続いてある日の朝のことである。

 待望の転校生がやって来た。

 ……待て、誰の待望だ? そういやハルヒは謎の転校生が来てほしいなんて言ってたっけ? おかしいな。あいつなら絶対言うという俺の読みが、俺の記憶メモリに固定観念のフィルタをかけている気がする。そういうときってあるだろ? 言ったっけな、言ってなかったかな。

 朝のホームルーム前のわずかな時間に、俺はメールで長門から受けていた報告をハルヒに聞かせてみた。

「ほんと!? なんですぐ教えてくれなかったのよ!」

 だからこうやって今教えてるだろうが。俺は生徒会じゃないんだぞ。

 ハルヒは俺の知らせに目を百万ワットくらい輝かせたので、一応待望だったんだろう。俺が忘れているだけで、こいつはどこかで言ってたかもしれないな。

「またとないチャンスね。同じクラスじゃないのは残念だけど謎の転校生よ。間違いない」

 具体的にどこら辺が謎だって言うんだ。

「今四月半ばよ? そんな半端な時期に転校してくる生徒は、もう高確率で謎の転校生なのよ!」

 親の転勤とか、あるいは新学期に合わせて転校のつもりが何らかのトラブルで遅れたとかあるだろうが。例えばそいつの個人情報があまりに胡散臭すぎて、わざわざ真偽の照会をしていたとか。

 しかし独自の涼宮ハルヒ理論はそんな普遍的な常識論の追随を許可したりはしないのである。一限が終了すると同時にハルヒはすっ飛んで行った。謎の転校生にお目通りしにJ組へと向かったのだろう。

 果たしてチャイムギリギリ、ハルヒは何やら複雑な顔つきで戻ってきた。

「謎っぽかったか?」

「うーん……あんまり謎な感じはしなかったなあ」

 当たり前だ。胡散臭い感じはあるんだろうが、果たしてこいつの嗅覚がそれを拾えているかは分からない。

 一応聞いておこう。

「男? 女?」

「変装してる可能性もあるけど、一応、男ってことにしとくわ」

 どういう意味だよそりゃ。まさかニューハーフとかじゃないよな?

「あんたのいる自動車部ってさ、男も入れるのよね?」

「は? まぁ、俺が紛うことなき男子だからな」

「あんたそいつも入部させなさいよ」

 Why? 何故? なにゆえ?

 寝耳にヒ素を垂らされた気分だ。なんでそんなことを俺がやらなきゃいかんのだ? そこはハルヒが謎の転校生を引き入れるべくSOS団という器を設立し、そこに長門・朝比奈さんも含めてそいつを幽閉するところじゃないのか?

 俺が元の世界に帰る目的にSOS団が必要なのかは分からないが、一方でそもそも俺たちとは微塵も接点がなく車に夢中な自動車部を、非常識な人間の託児所にされていいわけがない。

 俺が主犯になるべきではない、なりたくない、そういうスタンスだった俺もとうとう我慢ならなくなって、

「なんでそうなるんだよ。そいつを仲間にしたいんだったら、お前がなにかクラブでも作ってそこに勧誘すればいいだろ」

「いやよめんどくさい」

 俺は耳を疑った。

 こいつ、異世界の自分がまい進してしでかしたことを適当に切り捨てやがった。

「それに、不思議を探すクラブを作るってのも考えたことがないわけではないわ。でもね、大々的にそんなのを作っちゃったら、奴らは恐らく警戒して近づいてこないわ。ここは自動車部を隠れ蓑に偵察するのが得策なのよ」

 ヘイ髪型論には当てはめないのかユー。どっちみち俺からしてみればこいつの口から出る理論に頷けるものは何一つないが、一応こいつの中では筋が通っているんだろう。ハルヒが何の自論も持っていないつまらない人間になったわけではないならそれでいいと、溜息を吐いたところでやっと二限のチャイムが鳴り論議は幕を閉じた。

 

 その日の午後からの選択授業のことである。俺は生徒会指示で書道の途中からフェードアウトし、自動車部員として倉庫を訪れたのだが。

「……ふわぁ」

 今みほが口にしたのは「ふわぁ」なのかそれとも「うわぁ」なのか?

 少なくとも俺の口から出るなら後者である。立ち尽くしてアホみたいに口を開け放つ俺とみほの前には、六両の戦車が並んでいた。

 国鉄のストライキみたいな白文字で「バレー部復活!」と書き殴られた八九式。

 赤を基調にどこの国のか分からない国旗や字をペイントしつつ戦国時代っぽい幟もぶっ刺したⅢ突。

 M3にピンク、38tに銀、カヴェナンターに金と、全身を一色に染め上げた戦車三両。

「……戦車道ってのは、迷彩に囚われちゃいけない風潮でもあんのか?」

「……それはここの人たちだけだと思う」

 突っ込みどころが多過ぎるが、こいつらはあれか、運動部でよくある「純粋に楽しめれば良くて勝敗はどうでもいい」ってスタンスなのか? これは授業のはずだが。

「かっこいいぜよ」「支配者の風格だな」

「これで自分たちの戦車がすぐに分かるようになった!」

「やっぱピンクだよね!」「かっわいー」

「金はウチらがよかったんだけどなー」

「この中で頂点に立つべきチームはあたしたちしかいないのよ!」

 自分たちの戦車に各々抱く感嘆のどれがどのチームの誰のなのかなんてのはどうでもいいのでいちいち紹介しない。俺からすりゃ例外なく奇怪なセンスであることに変わりはないからだ。

 なにも変わっていないⅣ号に乗るみほのチームだけがまともかと思っていると後ろでは、

「私たちも色塗り替えればよかったじゃんー!」と武部。

「あぁー! 38tが! Ⅲ突が! M3・八九式・カヴェナンターがなんか別の物にぃー! あんまりですよねぇー!」

 秋山は模様替えしたかった武部とまた違う熱を持っているような絶叫で、みほに同意まで求めだしている。

「んふふっ、ふふっ、ふふふふ……っ」

 当の本人は突然笑い出しただけで、秋山が恐る恐る顔を窺いに前へ出てくる。

「に、西住殿……?」

「戦車をこんなふうにしちゃうなんてっ。考えられないけど……なんか楽しいね。戦車で楽しいなんて思ったの初めて」

 このときのみほは全然曇りがなくて写真に収めてしまいたいほどの笑顔だったが、こいつのこれまでの道を思うとそれは当たり前のことではなかったのだ。しかしこれからは、きっと当たり前になっていく。なんだ、俺如きが気に掛けるまでもなさそうじゃないか。

 事情を知るらしい武部・五十鈴と俺は頬を緩ませた。

 

 そんな一幕もあったが、訓練は通常通り行われた。日も落ちそうになるころ解散令が出された。俺たち自動車部も情報共有のため生徒会一味の脇で眺めているが、女子一同、一部を除いてくたくたで崩れ落ちそうになっている。

 そこに、広報から発表。

「急ではあるが、今度の日曜日、練習試合を行うことになった。相手は、聖グロリアーナ女学院」

「えー!」と女子一同。

 みほ率いるチームのうち秋山が深刻そうな顔で、

「聖グロリアーナ女学院は、全国大会で準優勝したこともある強豪です」

 そんなところと対戦するのか。一応こっちはまだ初心者なんだよな? いきなりそんなところと対戦して参考になるのか? Lv1の勇者がLv80の中ボスに乗り込むようなもんだろ。女子連中もみな似たようなことを考えていそうな顔をしている。

 ところが、そうは思わないやつもいた。

「素っ晴らしいわ!」

 みほ率いるチームの隣、生徒会の眼前に並んでいた涼宮ハルヒチームである。

「ここんところ練習ばっかで退屈に感じてたところだったのよ! ここは一発ぶちかまして、あたしたちの名を世界に轟かせる絶好の機会だわ! もちろん、生き残るのはこのあたしのチーム! 敵チーム全員には敗残刑として、あんこう踊りしながら街中を百周! しかも素っ裸で!! やるわよみんなー!!」

「どうしたみんな! やる気のない顔をしてないで涼宮を見習え!」

 たった一人で戦意高揚どころか勝った気になっており、総員の注目の的である。広報もハルヒを量産させるような馬鹿げた発言はやめてほしい。できないだろうがな。

 さてハルヒ傘下のメンバーはというと、案の定付いてこれていない。

「……」

「わ、わぁー。勝てるといいですねぇー」

「ハルにゃん? あの踊りはさすがにかわいそうじゃないかなあ……?」

 意外なことに鶴屋さんまで引き気味だ。生き残るチームに味方も勘定されてないとか素っ裸とか、そもそも勝ち目があるかではなくそこに食い付くのか。

 どうでもいいがあんこう踊りって何? と俺がピントのずれた疑問を抱いたと同時会長が、好物の干し芋をつまみながらいつもの思い付きを言い出した。

「あんこう踊りかー……。いいねそれ! じゃもしウチらが負けたら全員であんこう踊りしよっか!」

「ええええええ!?」

 女子一同、さっきとは比べ物にならない絶叫である。各々なにか言っているが、みほのチームは。

「あんなの躍っちゃったらお嫁にいけないよー!」

「ネットにUPされて、全国的な晒し者になってしまいます!」

「一生言われますよね……」

「……そんなにあんまりな踊りなの……?」

 みほは転校生という立場からして知らないのだろうが、それ以外は散々な言いようだった。

 一応ハルヒチームも例外ではない。

「…………」

「いっいやですぅ! わたしあんなのやりたくありませんっ!」

「あっははー……。もしあんなのが中継されたりしたらいくら破門されてても、あたしも実家になんか言われちゃうっかなー……」

「大丈夫よみくるちゃん! あなたさえ頑張れば辱めを受けるのは敵チームなんだからね!」

 おい元凶が一番気の弱い人にプレス機かけるようなことすんな。鶴屋さんも完全に形無しである。どんななんだ、あんこう踊り。警察の世話になるストリップショーとかじゃないよな?

 そのあとも広報の「日曜は学校へ朝六時集合」命令でまたダメ押しとばかりに士気の低下が見られ、特に朝に弱い冷泉――初日の練習のときに急遽参加したらしい――とみほたちチームメイトとの間でやめるやめないの一悶着もあった。全く見た目も中身も何一つ団結しない連中である。

「試合、やれるのか? こんなんで……」

 オブラートもへったくれもない俺の呟きは、すかさず吹いた風が桜の花弁より簡単に巻いていった。

 

 

 ようやく解散となれば、あとは俺たち自動車部の出番である。女子部員たちは整備に必要な図面を取ってくるということで別の倉庫を経由、俺一人だけで持ち場まで一直線に結ぶことになったのだが、そこで俺は白昼夢を疑った。

 食えないイケメンが門の外をうろついている。

「なにか用か?」

「あぁ」

 そいつは接近した男子の姿で少し安堵した顔を振り返り、

「すみません。自動車部に入部したいのですが、あなたは部員の方ですか?」

 俺は目眩がした。

「……足下がおぼつかないようですが、大丈夫ですか?」

「なんでもない……。ああ確かにそうだ。自動車部も毎日ここで活動してるぜ? 部長さんも部員は歓迎してる。ただあんたは……」

 もう俺はとっとと過程をすっ飛ばしたい気分になって、こう告げた。

「まず俺に、話したいことがあって来たんだろ? 涼宮絡みで」

 イケメンは物珍しくも少々面食らったがすぐに営業スマイルを取り戻し、

「……その様子だとやはり、既にお二方からアプローチは受けているようですね。さすがは、涼宮さんに選ばれしお方です」

「キョーン!!」

 男二人でむさ苦しい腹の探り合いが始まろうとしたのを、駆け寄ってくるハルヒが破った。おまけにチームメイト三名も引っ張ってきている。

「って! あなた転校生じゃない! うまくいったのねキョン、少し見直したわ!」

「わーお! ハルにゃんの言ってた通りのイケメンっさねー!」

 このメンバーならテンションを上げるのは大概ハルヒと鶴屋さんの二人である。話をややこしくしないでほしい。まさかこいつら、ハルヒが朝に俺へ一方的に下した命令をちゃんと遂行してるか確認しに来た野次馬か?

「ずいぶん賑やかなようですが、うまくいった、とは?」

 舌打ちしたくなるくらいにサマな首の傾げ方をするイケメンを無視して俺は、

「なにもしちゃいない。だが自分の意思で入るみたいだぜ?」

「そうなの? やっぱり一味違うわね! あたしは未来の智将戦車乗り・涼宮ハルヒ! そいつはあたしの専属整備士のキョン! そっちのかわいい子がみくるちゃんで、無口キャラが有希で、テンション高いのが鶴屋さんね!」

 はい、お前が言うな。

 さりげに下僕から格上げされたらしい俺なのであった。

「古泉一樹です。転校してきたばかりで、部活以外に至らぬ点もありましょうが、よろしくご教示願います」

 SOS団団員、名誉顧問も含めて一堂に集結だが、いつしかの長門産異世界のときみたいな脱出プログラムが現れる気配は、なかった。本当に、なにがしたいんだろうなこいつは。

 やれやれ。



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キョン「試合、やれるのか?」2

 古泉も早速、自動車部の散弾じみた戦車講座と体の採寸という洗礼を受けることになった。古泉のイエスマンぶりも相変わらずで、全ての場面において分かったようなリアクションを取り続けるのだから、部員たちが車の熱弁を緩める理由もない。

「いやはやすごいですね、あの方たちは」

 確かにあいつらの車の知識は並大抵のものじゃない。今すぐ自分たちで修理工場を開いても一生食っていけるだろうよ。

「そうではありません。僕が彼女たちに感銘を受けたのは、一つのことにあそこまで熱く夢中になれることにです」

 俺が古泉に付いて行った先はいつぞやの校舎脇のベンチだった。夕暮れのここはともすれば放課後の男女の告白にうってつけなスポットなのに、そんなところで野郎二人とはな。ただ朝比奈さんのときみたいに下校を共にする上、ここよりは目に付くだろう公園のベンチに付くよりマシではある。

「さて、どこからお話しましょうか。あなたがどこまでご存知か分かりませんが」

「涼宮がただ者ではないってところくらいだ」

「それなら話は簡単です。その通りなのでね」

 これに関わらず、俺たちがここに飛ばされたときからの全てが冗談だったらよかった。地球温暖化のせいで熱気にあてられてる俺の幻覚だと、俺が思ってしまいたいくらいなのに。

「まずお前の正体から聞こうか」

 未来人には心当たりがあるが宇宙人はないので、あえて俺は答えを出さないでおいた。

「お察しの通り、超能力者です。そう呼んだほうがいいでしょう」

 俺は肩に舞い降りてきた桜の花弁を取ると、何気なく指の腹でその感触を弄んだ。

「本当はこんな早くに転校してくるつもりはなかったんですが、状況が変わりましてね。よもやあの二人がこうも簡単に涼宮ハルヒと結託するとは予定外でした。それまでは外部から観察しているだけだったんですけど」

 ハルヒを珍しい昆虫か何かみたいに続ける古泉へ、俺は待ったをかけた。こいつと初顔合わせしたときはハルヒが飛んできたから黙っていたが、小さく引っかかっていたことだ。

「お前、『二人』って言ったよな。この際言っちまうが、俺は朝比奈さんとしか話をしちゃいない。もう一人は誰のことだ」

「おや、そうだったんですか? これは口を滑らせてしまったようですねぇ」

 俺たち二人しかいないのに無駄に芝居じみた態度で俺の眉が寄ったのを見てとったか、

「すみません。鶴屋さんのことです」

 またか。朝比奈さんも名前を出していた。お前まさか、あの人は実は宇宙人で、あの人がよく言っている『にょろーん』とか『めがっさ』ってのも実は宇宙言語、などと抜かすつもりじゃないよな?

「あなたは常識的でありながら想像力も豊かな方のようですね。ですが特にそのような情報は入っていません。鶴屋さんのことも構いませんが、まず超能力者のお話から聞いていただけますか」

 俺はどうやらこいつの話の腰を折ったようだが、元の世界で最後に会ったときと違い胡散臭さで塗り固めた顔色は崩さず話を始めた。ハルヒによって力を与えられた超能力者とその秘密結社『機関』。長門は宇宙人をやめさせられたのに朝比奈さんとこいつだけが前の肩書きから変わっていない謎は、一通りこいつに喋らせてなお晴れなかった。

「そして鶴屋さんですが、鶴屋家は『機関』の貴重なスポンサーであり、鶴屋さんはその一人娘というわけです」

 スポンサーってのを俺は出資してくれる奴のことを指すTV業界用語としか理解していないが、お前らと鶴屋家は協力関係なのか?

「金銭的なつながり以外、特には」

 それが鶴屋さんとどう繋がるっていうんだ。あの人は実家から勘当されてると言ってたぞ。

「はい。なので『機関』はあらかじめ鶴屋家に断った上で鶴屋さんとも接触して話を通してあるのです」

 質問に答えているようなそうでもないような古泉の曖昧模糊な態度に、俺は膝に肘を立て顔を手で覆ってほんの少し前の二月に元の世界で得た記憶を回想していた。

 曰く、『機関』と鶴屋家とは相互不可侵の関係を結んでいる。それに鶴屋さん自身の口から『機関』の機の字も出たことはない。

 俺の記憶からどんどんズレている。それを言うならそもそも鶴屋さんが実家から勘当されているってところからそうだ。その発端をあの人は戦車がどうのこうの言っていた気がする。そっちの方は超能力者とは関係なさそうだが、ええと、結局なんでなんだ。

「まあいい。で、お前らはハルヒや鶴屋さんをどうしようってんだ」

「この世界が神の不興を買って、あっさり破壊され、作り直されるのを防ごうというわけです。僕はこの世界に、それなりの愛着を抱いているのでね。早い話が、涼宮さんを極力刺激せず、影ながら彼女を護るのが使命です」

 つい最近にも似たような趣旨を聞いたぞ。俺は保険会社のセールストークを訳も分からず聞いてやっている一般人みたいな態度で聞き流しながら、実は一つの結論を見出そうとしていた。

 未来人も、超能力者も、共通している行動方針がある。

 元の世界でもそうだった、実に簡単なことだ。今は亡き宇宙情報生命体の言葉を借りるなら『情報爆発』とかそういう類の現象を、こいつらは良しとしない。ありていにハルヒが能力を発動させちまうのをこいつらは防ごうとする。

 それはつまり、俺からすると。

「機関の中には例外も存在しますが、大勢は軽々しく手を出すべきではないという意見で占められています。自分の本来の力に気付いていない彼女にはそのまま、生涯を平穏に送ってもらうのがベターだと考えているわけですが……聞いてますか?」

 古泉が俺の顔を覗き込んでくるのを「顔が近い」と突っぱねることでうやむやにさせ、

「それは鶴屋さん個人まで巻き込まないとできないことなのか。お前らの金の使い道に興味はないが金を持ってるのは鶴屋家であって、鶴屋さんじゃないだろ」

「鶴屋さん個人にも話を通してあるのは金銭的な理由からではありませんが……。いえ、この話はまだやめておきましょう、我々の中でも確信が付いていないものでして、機会があればお話することもあるかもしれません」

 なんなんだこいつは。思わせぶりなことを言っておいて、俺が鶴屋さんのことを知らないと分かるや否や手の平を返すのか。俺は業を煮やすのを自分で抑えつける代わり意地を悪くして、

「なら試しに、超能力者とか言ったな。なにか力を使って見せてくれよ。そうしたらお前の言うことに納得もしやすい。例えば、あの倉庫に置いてある修理中の戦車を一瞬で元の状態に直すとか」

「そういう分かりやすい能力とはちょっと違うんです。第一、今の僕には何の力もありません」

 古泉は俺の想像通り、微笑みながら困るという器用な顔を作って閉鎖空間と神人の存在を示唆しながら語り終え、やっと席を立った。

「そうそう、一番の謎はあなたです。失礼ながら色々調べさせてもらいましたが……保証します。あなたは、普通の人間です」

 信用ならん保証だな。

 

 

 情勢が不穏な臭いを発しているのに、俺は自動車部へ足繁く通っていた。なぜだろう、などと禅問答するつもりはない。実のところメカを弄りまわし続けて、俺は少し楽しく思えてきていた。これが男の習性ってものなのか、はたまた。

「あーお兄さんや? これから車長みんなで作戦会議なんだけど、一緒に来てくんない?」

 ある日、倉庫に向かっていた俺は珍しくソロ行動の会長氏に呼び止められた。

 人を食ったような笑みを張り付けるくせに、面倒臭いような下手に出るような複雑な表情が滲んでいる。思えばこのチビとは最悪の初対面を経たというのに、こいつでも人間臭い表情はするんだなと俺は思った。

「俺も戦車に乗れとでも?」

「そんなんじゃないよ。たださ、涼宮ちゃんってクイーンをいきなりキングの前に置いちゃうタイプでしょ?」

 違う切り口から言えば、その一手でキングの前に並ぶポーンにやられに行くタイプとも評せられる。脳裏へ映し出されたコンピ研とのゲーム対決の記憶も明々白々だ。

「でお兄さん、涼宮ちゃんとよく話してるみたいだからさ。頼むよ」

「……やれやれ」

 全てを察した俺はいつぞやの生徒会長室まで付いて行った。古泉? 知らん。どうせ女子部員たちが相手してくれる。大体あの野郎はあんなでも勉強は俺よりできるのだからなおのこと俺が気にかける道理はない。そうでなくてもゲームでは毎度俺に惨敗を期するあいつまで会議に呼ばれちゃ足を引っ張るに違いないだろ。

 会議は既に始まっているようで、恰幅のいいおっさんが並ぶようなソファに付いているのが華奢な女子たちという光景は違和感バリバリだ。立ってホワイトボードに色々描きこんでいる広報がこっちに気付いて、

「戻られましたか、会長」

「やぁやぁ戻ったよ。唐突だけどキョン君も見学させてあげてね。さ、西住ちゃんの隣にでも座ればいいよ。みんなは気にしないで、続けてちょーだいね」

 俺のニックネームは完全に定着した。好きにしろよ、もう。ついでに会議のほうもな。

 壁際のソファに並ぶ副会長・みほの隣に俺が座るや否や、テーブルを挟んだ向こうのハルヒがこっちへ不敵な笑みを浮かべてくる。なんのアイコンタクトだ。

 会長氏が一人用のソファにぽすんと収まったのを合図に会議は再開した。ところでこれは何の作戦会議だっけか、と俺の頭は天然ボケ気味だったが、立案を主導しているらしい広報の言葉で立ち直った。

「――いいか。相手の聖グロリアーナ女学院は強固な装甲と連携力を生かした浸透強襲戦術を得意としている。とにかく相手の戦車は固い。我々の戦車では百メートル以内でないと通用しないと思え。そこで、一両が囮となって、こちらが有利になるキルゾーンに敵を引きずり込み、高低差を利用して、残りがこれを叩く」

「おぉ……」

「よしっ」

 立案、終わりかよ。広報は参謀に向いてそうな面構えなのに、いや、俺が来るまでにそれ以外にも考えてあったんだよな? そうだよな?

「中々の戦術ね。ちょっと敵を釣らないといけないのが面倒だけど、まあ火力が低いならしょうがないわ。それなら、当然その役はあたしのチームね!」

「機動性なら我々の中で涼宮のところのカヴェナンターが断トツだから、必然的にそうなる」

「もちろん、隊長もあたし!」

「へっ? ま、待てっ! なんでそうなる!」

 ハルヒはなんでか他の女子車長たちと一緒になって同調しちまってるし、広報はそのまま話を進めようとするかと思えば急にペースを乱されてるし、戦車道ってのはままごとみたいな競技なのか? 強豪校相手だってんだから、最初に来てくれた自衛官を呼んだっていいんじゃないのか。

 こんな捻りらしい捻りもない作戦、さすがの古泉でも考え付くぜ。ハルヒはそもそも素のパラメータが半端に高いせいで、工夫ってもんを知らないからな。参謀に向いていないのは当然だし、そんなハルヒがこんな作戦に同調しちまうのも無理ないってもんだ。

 戦車には乗らないし実情も知らない俺は口を挟んでいいものか悩んでいたが、ふと隣で経験者が俺と似たような顔を浮かべているのに気付いた。

「……」

 西住。どうかしたか。

「ぁ、いえ……」

「言ってみ~西住ちゃん?」

 と会長も後押しの末。

「……聖グロリアーナは、当然こちらが囮を使ってくることは想定すると思います。裏をかかれて逆包囲される可能性もあるので」

 そりゃそうだ。よかった。俺だけがおかしいわけじゃなかった。この様子だと、作戦は本当に俺が来てから広報が一人で言っていた分の案しかなかったようだな。

 と乗る人間から異論が出たまではいいが、無論そのまた異論を唱える者もいた。誰かって決まってる。

「だったら逆包囲される前に包囲しちゃえば何の問題もないわ!」

「でも私たちのは、全車両が聖グロリアーナより機動性が優れているわけでもないですし」

「あたしが相手の動きを先に読んで、アンタたちは隊長のあたしについてくればいいじゃないの! 人間たまには清水の舞台から飛び降りるくらいじゃないといけないわよ」

「えぇ? すみません……」

 ハルヒは過程の式をすっ飛ばして机上の答えだけ言い放つが、みほはそれに辿り着くための過程が必要だと考えている。この対比を前にして俺が選ぶのは、わざわざ会長に頼まれるまでもなかった。

「まぁ待て」

 ハルヒが天才肌なのは俺も認めるところだが、チーム戦となっては一人だけスペックが高くても他が付いてこれなきゃ勝ち目がないのはどんなスポーツだってそうだ。

「この中で経験者は西住だけなんだろ。お前の実力は未知数だ。今はみほに任せておいて、後からお前がはっきり抜いたとき隊長になればいい」

「……分かったわよ」

 こっちとしては助かるのでいいんだが、やけに素直だなコイツ。実は俺たち異世界人になっちまってるんだとぶっちゃけても、今のコイツなら案外信じるんじゃないか。

「ちょちょっ、キョン君! 私が隊長なのは決まりなの!?」

 せっかく隊長の話はキリよく着地できたと思ったが、今度はみほが口をあんぐり開け放って慌てふためている。同じ世界の人間同士、そっちの方は会長氏以下女子連中が担当だ。

「そりゃあねえ、やっぱ隊長は西住ちゃんがいいかもね」

「はいぃ?」

「西住ちゃんがうちのチームの指揮執って」

「はぇ……!?」

 みほが目を白黒させるのも構わず、部屋は両手で数えられる人間の推薦拍手に包まれていった。俺はというとみほだけでなく、唯一ぶすっとした顔でそっぽ向きながらもおいちょかぶみたいな拍手を贈るハルヒにも向けて手を叩き合わせていた。

「がんばってよー。負けたらあんこう踊りだけど、勝ったら素晴らしい商品あげるから」

「え? なんですか?」

「干し芋三日分!!」

 三ヶ月分でも三年分でもいらん。

 その後も何悶着かあるたびに俺と意外にも会長が中心となって軌道修正を繰り返し、一通りまとまったところで各自解散となった。ハルヒはというとぶすっとした顔を張り付けて別方向の帰路へ行っちまったが、隊長がみほに落ち着いたあとも会議には参加し続けていたから古泉の電話は鳴ってはいない、と思う。古泉の電話が鳴り出すとそのツケは回りまわって俺に来るからな。

 その後はみほと二人での帰路という、長門相手の次に落ち着ける状況ながらアンニュイ気味になっていた妹を前に俺は詫びを告げておいた。

「あー、悪かったな」

「え、なにが……?」

 面倒臭かっただろ、ハルヒの奴。

「あぁ、ん……、すごいんだね。涼宮さんって」

 文句を言うどころか、ほめ言葉か。まあこの妹のことが少しは分かるようになってきた俺としては、人の陰口を言うみほのイメージというのもできないのだが。

「あんなに自信家で、太陽みたいで、周りを引っ張っていけて。私とは真逆だなって思った。私はああいう人こそ隊長にぴったりだって思ったのに」

 引っ張ってるというよりは巻き込んでいるタイフーンだけどな。

 前の学校の隊長もそういう人がやってたのか?

「ううん、お姉ちゃん。自信は持ってると思うけど、涼宮さんとはまた正反対」

 なら、別にみほが隊長でもいいじゃないか。大体あの会長は、こうすることまで考えた上でみほに戦車道を履修させたんだろう。曲がりなりにも学園のトップ直々の指名だぜ? みほも自信を持っていいと思う。

「あ、ありがとう……。ほんとは不安だけど、でも、キョン君もいるんだもんね」

「え、いや。俺は戦車には乗らんぞ」

「そうじゃないよ。気にしなくていい。私の、独り言だから。ふふ」

 確かに俺は設定上でも兄である以上妹を支えてやるつもりだとは言ったが、存外に嬉しそうだ。世間の兄妹ってのはこれくらいの歳になると関係も淡泊になっていくらしい中で、関係が良好に保てるに越したことはない。微笑んで見上げてくるみほに俺も少し頬が緩んだ。

「そ、それにしてもキョン君もすごいよね? あんなに気合入ってた涼宮さんを一言でなだめちゃうなんて。もしかして、元の世界だと付き合ったりとか……、してた?」

「それはない」

 この手の質問は元の世界でハルヒとつるむようになってからよく飛んできたし噂されたが、世界を超えてもそれは同じか。どいつもこいつも短絡的過ぎる。

「あいつは気付いちゃいないがな、何人もの人間を異世界から飛ばすくらいの芸当ができちまうのはあいつくらいなもんだ。しかも勝手な思い付きで周りも巻き込んでだぞ。俺は元の世界での高校一年の間、ずっと振り回されっぱなしだった。そんなのを彼女なんかにしちまったらホントに体が持たん」

 思いのほか自分でも長い愚痴だ。これでも結構まとめられたほうだと思うんだが。

「じゃあ、一緒にいて落ち着ける人がいいってこと?」

 そうなる、のかもな。逆を言えば。

「長門さんとか」

 長門は、考えたこともなかったな。あいつはSOS団で一番頼りになる仲間だ。

「でもすごい物静かだよね? お姉ちゃん以上に」

 電話で話しただけのねーちゃんの無口キャラ度数は未だ分からんが、実際長門に敵うやつはいないだろう。

 けどな、長門もちゃんと感情はあるんだぜ? と言っても俺やハルヒとつるみ始めるまではそれも希薄だったが、少しずつ豊かになってきてて、俺はそれを仲間という今の距離感から見守れるのがいいんだ。

「長門さんの彼氏やるより、お父さんやるのがいいんだ?」

「ぁが……」

 思いがけない表現に俺は反論しかけたが詰まった。違う、俺はそんなつもりじゃない。ないが、男子高校生が同学年の女子の親になりたいと思ってる、なんて文章にしてみると盛大な立場錯誤が痛々しいし気持ち悪いこと極まれりだぞ。

「……忘れてくれ。もう閉店だ」

「えぇー? 私はもっと聞きたいのに」

「俺にこれ以上墓穴を掘らせないでくれって言ってるんだ」

「やーだ。ね、聞かせて? キョン君のお話」

 俺は専用器具さえ持っていれば道端のマンホールを開けて即刻中に飛び込みたい気分だったが、あかね色を浴びる我が妹の顔が、ハルヒとは別ベクトルであってもシンメトリーなのが保証できるくらい輝いていたのは確かで。

「ああもう、一切合切話してやるよ。俺のいたSOS団の話をな」

「うん!」




ガールズ&パンツァーと涼宮ハルヒの憂鬱、次回『隊長、頑張ってこい』(予告CV:杉〇)


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キョン「隊長、頑張ってこい」1

 聖グロリアーナ女学院との練習試合を明日に控えた土曜日。

 生徒会によって発表されるこの日の訓練趣旨はと言うと、女子連中は砲撃や運転中心の訓練、自動車部は付き添う形で都度戦車のコンディションを整えるミッションである。

 今朝は校舎隣の倉庫前ではなく、倉庫へ集合するなり連れてこられた戦車競技のためのどこかの平野で行われた朝礼の時点で、自動車部の付き添いも始まっていた。

 俺たち自動車部が少し後ろから見届ける中で、履修生一同の朝礼が淡々と終わろうとしたところ。

「――今日の方針は以上だ。それでは、」

「ハイッ!」

「なんだ武部」

 広報に待ったをかけたのは、定価百倍の金額で出品されてる激レアブロマイドを偶然発見したような顔だ。

「キョン君の隣の男の人は誰ですか!」

「……ん? あぁ、では紹介しておこうか」

 いつものことなんだろう、特に変わりない様子の広報が女どもの視線を集めてそばに立つ。

「今後も顔は合わすだろうしな。自動車部新人の、二年の古泉だ」

「古泉一樹です。今後ともよろしく」

「あーちなみにその隣、最初からいるから知ってる子もいると思うけど同じ二年のキョン君ね。みんな仲良くしたげてー」

 紹介今やることかよ。授業が始まった頃は戦車探しにばかり意識が向いて機会がなかったのは否めないが、よりにもよってイケメンが入ったタイミングなのが複雑だ。会長の雑なフォロー虚しく、女の半数は「わあぁー」ってなぐらいにそっちへ熱い視線を注いでいる。クソ、これが顔面偏差値の差って奴か。

 いたずらに俺の劣等感を刺激するという明らかに余計な一幕を挟んでから女どもは蜘蛛の子が散るように戦車に乗り込んでいったのだが、古泉のことを最後まで気にする女子が少なからずいるのが癪に障る。

「みなさんお麗しいですね。あんな方たちが戦車道を履修しているというのもまた」

 ああそうかい。

 選り取り見取りの主人公みたいなことをのたまいやがって。

「あなたには敵いませんよ。涼宮さんに選ばれた、あなたにはね」

 意味が全く違うだろ。そんなんで羨まれても嬉しかねーよ。

「いいではないですか。あなたもあなたで、既に自動車部の方や他の何人かとも親交はあるのでしょう?」

 お前は知らないだろうが、自動車部には会長に無理やり在籍させられただけだ。俺はなにもしちゃいない。

「事のきっかけなんて些細なものです。あなただって、最初涼宮さんに話しかけたのはなんでもないことなのでしょう?」

 あのときは課外活動の最中だったが、他のエージェントとやらも抜け出してまで監視しているのか。ご苦労なこった。

 悪態をつく俺に古泉は肯定も否定も示さず、動き出す戦車へゆるりと目を向けて、

「ところで僕は戦車は見るのも初めてなんですが、あなたはどうですか? もし精通しているならご指導願いたいところですが」

 俺はお前と同じでせいぜい一週間くらいの差があるだけだ。俺なんかに頼ろうとしないで素直に女子部員に聞いてくれ。合間に論文とかも読まされるかもしれないが、お前のいるJ組は進級クラスだったよな。それならすぐ理解も及ぶだろ。

「それでも、考えるのと手を動かすのとは違いますからね。ただ本当のことを言うと、女子部員の方に聞くよりは同性のあなたのほうが色々聞きやすいと思って聞いてみたまでです」

 こいつの言う『本当』のうちの五割は逆だったりもするからな。第一にこの世界の古泉が何を企んでいるかも分からないから油断はできん。

 お前、この間俺に正体を明かした別れ際に『百聞は一見に如かず、見せたいものもある』と言ったよな。俺の話も百回聞くよりまずは自分の目で見ろ。今から始まる訓練も含めてな。

「あはは、これは一本取られましたね。ならばご先輩の言う通り、見物と甘えさせていただきましょう」

 大袈裟に両手を広げて竦めてみせる古泉を無視し、俺は平野へ駆け出して行った戦車の動向を注視する。各々走らせたり設置してある的へ砲撃したりしてみてカラーコーンをイマイチ避けられなかったり命中率が芳しくなかった車体を、俺たち部員がメンバーの使い癖になるべく合わせてやるという仕事でこれが意外に大変なのだが、それに見合った報酬もあるぞ。

「にゅうぅ……、涼宮さん、氷くださあい……」

「もうダレちゃったの? だらしないわねみくるちゃんは。じゃあちょっと休憩しましょ」

 操縦と射撃を一通りして所定位置に戻ってきたカヴェナンターから出てくるハルヒチーム。特筆すべき点は水着だ。朝比奈さん! こっち向いて! あと回って!

「キョン君~? 鼻の下めがっさ伸びてるねぇ? みくるの砲塔ばっかり見てたら自動車部に言い付けちゃうよっ」

「……」

 すいません鶴屋さん、スレンダーモデルの貴女もとても素敵ですからチクるのは勘弁してください。あと長門も青春やってる男子高校生をそんな熱帯魚観察の小学生みたいな目で見ないでくれるか。

「あ、ゴメン間違えたっ。言い付けるならキョン君の妹ちゃんのほうがいいよねっ」

 いったいどういうところがゴメンなのか、『渚のビーナス』とか見出し付きで写真集表紙を飾ってもいいくらいの鶴屋さんが笑顔で地獄の訂正を差し込んでくる。

「妹ちゃん? へぇ~アンタ妹いるの?」

「ありゃ、ハルにゃん知らない? 西住隊長のことだよっ!」

「は?」

 ハルヒ、般若の面に変貌。それがぎゅりっとこっちへ向いた。

「……そういうプレイ? そういえば名前で呼んでたわね? アンタなんか弱みでも握ってるわけ?」

 戦車の上のハルヒと地面に立つ俺とで距離があるのに反射的に仰け反った。泣く子も黙るってのはこの顔だ。

 古泉の転校も俺が教えるまで知らなかったみたいだし、こいつの地獄耳はどうやら寝ぼけているらしい。俺とみほが義理の兄妹だと知っている女子は周囲に何人かいるのにまさか知らなかったとは。あと名前呼びで疑いが強まるのはどういうわけだ。

「馬鹿なことを言うな。義理だが兄妹だ、疑うなら本人にも聞いてみりゃいい」

「……ふーん。ま、あたしにはどうでもいいことね」

 と言う割に俺を射抜くまま逸らさないハルヒの目は二百度ほど温度が下がった気がする。なんでサウナ戦車に乗ってもいない俺がハルヒたちより脂汗を分泌しなきゃならん。

 適当な話題に変えようとして俺は、ハルヒから渡された氷のうを額に当てる朝比奈さんが目に付いた。

「サウナなのに氷持ってこれてるのか?」

「あんたが言ったんじゃない。クーラーボックスに入れてあるのよ」

 戦車の上で仁王立ちするハルヒはスポーツドリンクを傾けながら返した。

 そうだっけな。もう忘れた。このカヴェナンターとやら、地味に大洗戦車の中でⅢ突に次いで車高が低いのだが、確かになんとか持ち込める程度のスペースはあった気がしないでもない。

「そういや朝比奈さん、蛇行運転もいつの間にか克服したみたいですね」

「ふぇ? わたしは今は砲手やってますよ?」

 え? じゃあ今の操縦手は?

 俺が誰に向けたらいいかも分かっていない質問をすると、メンバー全員の視線は一点に注がれた。

「……」

 長門か。

「そのぅ、わたしは運転が苦手みたいでして」

 ってなると、今カヴェナンターの乗員の振り分けはどうなってるんだ?

 俺の疑問に答えたハルヒが言うにはこうである。

 

 車長(兼通信):ハルヒ

 砲 手:朝比奈さん

 装填手:鶴屋さん

 操縦手:長門

 

「最初の練習試合からこないだまではみくるちゃんにやらせてたけどね。みくるちゃんたら自分で酔っちゃうもんだから練習にならなくて、有希と交代してもらったわ」

 なるほどね。

 朝比奈さんには悪いが、俺はハルヒの呆れ顔を俺への反発面に変貌させてやれる程の材料を持っていなかった。ゲーセンとかで戦車の運転シミュレータみたいなもんでも置いてないかな。見つけたら教えてあげようか。彼女が3D酔いしなければの話だが。

 それにしても、砲手ねえ。見た感じ命中率は十発中四発といった感じだった。

「朝比奈さん。例えば弾道が右寄りとか左寄りになっちゃうとか、そういうのでも感じていたら調整してみますよ?」

「うーん。わたしも全然上手にできなかったんだけど、そういうのも感じたかなあ? お願いしてもいい?」

「了解っす」

 潜り込んだカヴェナンターはイグニッションを落とされていたが、それでも熱は梅雨終盤の夜の布団みたいにむわりと残っていた。こりゃ夏は大変だぞ、砲塔を取っ払って露天にして作業したいぜ。

 数学的なことはよく分からんので感覚でだが、回転砲塔と繋がっている砲手のハンドルを、朝比奈さんのこれまたぽわぽわした注文に従って中央よりちょい回した初期位置で固定し直してみる。

 そのとき視線を感じるので振り返ると、いつの間にかハルヒ特等席に居座る競泳水着の長門がいそいそ手を動かす俺を見つめていた。ところで他人の服装に口出しするファッション気取りのつもりはないが、上半身のほとんどを覆うタイプの水着でこいつは暑くないんだろうか。

「お前もなにか注文か?」

「あなたは、楽しい?」

 なんらかの感情を携えて揺れているように見える目に俺は、嘘を言うべきか逡巡してから、

「……楽しいさ。今の環境にどんどん慣れちまってるくらいにはな」

「そう」

 

 

 これまで放課後や休日にも活動を厳命してきた会長氏は驚くべきことに、自動車部も含めた全員への解散令を正午に出してしまった。今日チーム同士でドンパチしなかったのもこれを見据えてのことだったんだろう。

 女子部員連中も学園の鍵を会長から奪って籠城、という俺の予想を裏切って帰路へ付くようだが、聞き耳を立ててみるとどこかにあるパーツショップへ寄り道するらしい。安定してるというかなんというか。

「よう。お前らは今日一緒に帰らないのか?」

「キョン君」

 俺は作業着のままで、倉庫に置いていた鞄を回収する我が妹とその一座に声を掛けた。いや、一座って言うとこいつのチームメイトまで俺の妹みたいだから訂正しておこう。

 集まっているみほチーム一味は好意的にも各々俺の質問に返してくれた。

「大変申し上げづらいのですが、毎週土曜日はお花の稽古なんです」

「花……?」

「私の実家、華道の家元なんです」

 もう一人いたのか、家元の娘。

 そういや選択科目にもあったよな、華道。五十鈴はなぜここにいるんだろうか。こいつも訳ありか?

「私はちょっと、古泉君へアタックに……。えへへ」

 えへへというよりも古典的にデヘヘと表現する方が似合う武部。超能力者に恋しようが勝手だが、不審な秘密結社に利用されないか心配する必要が生じるかもしれない。みほに伝えておくべきか。ああ、あいつがハルヒに気がある可能性はわざわざ言わなくてもいいだろう。馬からバックキックを貰う趣味もない。

 そんな武部に引き気味な秋山は。

「私は装填のために体力トレーニングを。弾を込められなくなるなんて下らない負け方はしたくないですからね」

 秋山は装填手か。気合の方は装填済みのようだ。戦車の装填経験はないが、整備のよしみで触れた弾丸が水筒みたいな物ではないことは体感済みだ。俺が言うことでもないが、筋肉痛を起こさない程度にしとけよ。

 で、冷泉はというと……。

「……やっぱり回ってくるのか」

 この中じゃ俺が最も知らないのはこいつだしな。風紀委員によればこいつは学年主席らしいが、それは例えば帰宅してから夜遅くまで勉強漬けになることで保っているとか。

 それくらいしか思いつかないだけだが。

「お前も予定あるのか」

「なかったら何かあるのか」

 まあ、別に何でもないんだけどな。

「帰って読書したりして英気を養う予定がある」

 秀才なのに不思議と親近感を覚えるやつだ。というより鏡でも見てるみたいで少し落ち着かない気分だぜ。

「あの、私もね、この後は町の散策に行くつもりなの。明日の試合のために視察しておかないといけなくて」

 ああ、みほは学園艦をよく知らないしな。

「ううん。学園艦じゃないよ。陸の大洗町。試合はそっちで行われるから」

 陸だと? 今日は特に寄港の知らせは聞いてないぞ。いくら俺でも朝のHRくらいはちゃんと起きてるんだが。

「キョン殿、知らないのでありますか? 陸とは学園艦から出ている小型の定期便でいつでも行き来できますよ」

 船から出る船とは馴染みない交通機関だ。救命ボートじゃないよな?

「大丈夫だよ。百人も乗れないくらいの船だけど、三十分に一本の頻度で往復してるんだって」

 百人も乗れないとは逆を言えば百人までなら収容できるということだ。確認しに行くまでもなく普通の船なんだろう。

 ふむ、などと考え込むまでもない。

「俺は今からの時間の扱いに困ってるところでさ、構わなければ付いて行きたい」

「でも、退屈しちゃうかもしれないよ?」

「心配すんな。一人でいるよりは何百倍も退屈しないから」

「……じゃあ、行こっか。私はここで待ってるから」

 みほはふわりと微笑んでから視線を、つつ、と恰好へ目を移した。言われるまでもなく俺は自動車部ご用達の制服姿だ。あのままの恰好で帰っていた女子部員は趣味の一環なんだろうが、彼女たちには敵わない俺としては理由なしに学園制服の重量を鞄に加算させる気はなかった。

 俺は倉庫へ引き返し、整備も済ませて並べてある戦車の陰に入ると先客がいた。

「おっと、空いてますからどうぞ」

 古泉か。一足先に着替えの途中だ。俺もある程度の距離を置いてそそくさと始める。

 あらかじめ断っておくがな、俺はこの後用事があるんだ。お前やハルヒ連中とつるむ時間はないぜ。

「ご安心を。思いのほか涼宮さんに協力的なようで我々も助かりますが、こちらもあなたを彼女の執事に仕立てる魂胆などはありません。遠慮しないで、ご自身の人生を謳歌なさってください」

 本当にそんなことを考えているのかお前らは? 俺には自分の正体と能力者集団の存在を最初から語るつもりでいたように見えたぜ。あいつのクラスメイトの中ではちょっぴりは喋る相手になっただけの俺に、そんなことを易々と明かすと思うかよ。

「『機関』としては、涼宮ハルヒと長く関わることになりそうな人物に、涼宮さんの周囲で起こる現象を目の当たりにしても取り乱したりしないよう予告をしているまでです。詳しいことはあなたも機会が訪れたとき身を以て知ると思いますが、それに遭遇した者がなにかの間違いを起こして涼宮さんに能力を自覚させてしまわないよう、用心のためにね」

 言っていることそのものは俺が異質の存在であることを妹に打ち明けた俺の動機と紙一重なのだが、言っている人間が誰なのかってのは与える影響も大きいもんだ。

 そういうことにしておいてやるが、言われるまでもなく俺の人生は俺の思うままに謳歌させてもらうさ。

「是非そうしてください。女性とデートできる機会があるのに、そんな理由で青春の一ページの賠償を機関に訴えられても困りますのでね」

 俺は般若ハルヒに負けないくらいの顔と反応速度を作った。古泉はもう着替え終わっているのに帰る素振りもなく、俺を二割増しのゼロ円スマイルで眺めているのが気持ち悪い。

 なんのことを言っているのか分からんな。古泉よ。

「同級の異性と肩を並べて歩く……、僕にそういう相手はいませんからね。あなたも隅に置けないものですよ」

 てめえ、趣味が悪いぞ。こいつは俺のことを調べたと言ってのけるのだからその相手が妹であることも知っているに決まってる。盗み聞きして素知らぬ顔を続けていれば俺も気付かないままだったのに。しかもその気になれば俺よりはそういう選択肢にも恵まれる可能性濃厚なお前がそんな嫌味を言うか。

「お前もそういうところをなくせば、選択肢は向こうからやってくるだろうよ」

「手厳しいお言葉、痛み入ります」

 転校当初の古泉と話して疲れるのは世界がどこであっても一緒だ。俺は皮肉のドッジボールを断ち切ってすぐにその場から立ち去る。

 倉庫前のみほの元へ戻ると、視界の端ではちょうどチームメイトたちが校門から姿を消すところだった。

「悪い、待たせたな」

「はうっ!? きょ、キョン君……!」

 振り返ったみほは何故か紅潮した顔で目を白黒させていた。数分前と違って明らかにテンパっている。

「何かあったか?」

「う、っううん! なんでもないから。早く行こう」

「走った方がいいのか」

「ぇう? ……あ、やっぱりダメ。ゆっくり行こうよ、時間はあるんだもん」

 どっちだよ。

「ゆっくり。歩いてこ?」

 こいつは今さっき何に気付いたんだ。ほんの一瞬校門へ目を向けた気がしたが、生徒会は生徒全員の帰宅を確認する前に門を閉めることもないみたいだし。まぁあのチームメイトたちの中に非現実的存在の香りはしないし変に勘繰る必要もないか、と俺は割かし引きずらず、肩を並べて学園を後にした。

 みほがいてくれてよかった。俺はかねてからこの学園艦のどこかへ遊びに行こうにもこの艦のことをよく知らないし、かと言って一人であてのないまま歩き回るというのも腰が重くてできていなかったから、今日の放課後は何をすればいいのか途方に暮れていたところだ。単身赴任先で労働に身を削るリーマンの暮らしは多分こんな感じなんだろう。

 俺たちはバスを乗り継ぎ通学路を逸れて学園艦の端まで来ると、エレベータで学園艦地下内部の連絡口に入った。中だけ見ればちょっとしたバスのターミナルだ。

「あ、ほら。今だと船で四十分くらいって掲示板に出てるよ」

「運賃表はどこだ?」

「無料なんだって」

 学生の身で特に収入先の分かっていない今の俺にはありがたい話だ。

 

 港周辺のショップや喫茶を尻目に、到着早々みほはメモ帳片手で散策を開始した。

 茨城県の大洗町、だったか。学園艦なんてものを持っている割に迎撃用の高層ビル型銃器格納庫が並んでいることもなく、学園艦の上となんら変わりないここは今のところのどかな一地方の町という印象しかない。学園艦で買い物していた限りでは消費税はスウェーデン並みの水準でもないのは知っていたし、だとするとあんなものを動かす金はどこから捻出してるんだろうな。

 日頃なにかあるたび一喜一憂し引っ込み思案気味のところもあるみほにしては、今こうして散策する最中は横から見て引き締まった顔で一貫している。視野の限られる人間なりに最大限の景色を焼き付けようと集中しているんだろうが、内心俺はこういう奴でもこんな顔もできるんだなと一挙一動を観察していた。

「なあ。散策って具体的にどんなことを考えてやってるんだ?」

「まずはどんな地形なのかを確認して、次に戦車の走れるエリアのチェックかな。町全体が競技場だから、都会なのか田舎なのかを知ってるだけでも影響は大きいの」

「そういうのって、地図で見ただけじゃ分からないのか」

「通れるところと通れないところの区別って、実際に見るまで分からないことも多いんだよ? 道じゃないところだって走るし」

 まあ確かに。

 そういえばこれまでの練習で、居住区が舞台になった記憶はない。

「戦争映画だとどの映画でも、参謀たちが群がって地図を指差すシーンが多い気がする」

「それは映画だからだよ。敵国にスパイを入れたりして調査もするはずだけど、そんなのまでシーンに入れてたら間延びしちゃうんじゃないかな」

 戦争の合間のシーンも、軍人の主人公が行く末に憂う民間人の女とシリアスな会話を広げるのが鉄板だしな。それでも大体二時間前後の容量になってんのに、今の俺たちみたいなシーンまで逐一込めていたら進む話も進まなくなるだろう。

「って言っても、私はちょっと戦車道の知識があるだけで、戦争の知識はないから詳しくは分かんないなぁ。そういうのは優花里さんの方が詳しいよ」

 秋山が? 奴はもしかして、ミリタリーファンって奴か?

「筋金入り」

 明日のことで気合入ってたしな、道理で。

 そういう奴こそ自動車部に入りたがるはずだし生徒会も目を付けそうなもんだが、生徒会は興味はないのだろうか。

「あ! そういえば結局、自動車部は戦車道と全然無関係じゃなかったよねぇ……」

 なんで俺今、メモを中断までしたみほに遠回しに責められてんだ。秋山の話からそっちへ飛び火するのは、俺の記憶のファールラインをも盛大に飛び越えている。

「俺だってもしお前が戦車に乗るつもりで、自動車部も授業と関わるのを知っていたら話くらいはしただろうさ」

「本当? 入ったってことだけ言って脅されたのは隠さない?」

 言うわけねえだろ。

「ほらっ!」

 人を指差すんじゃありません。

 謎の不満で頬を膨らます妹へ俺は喉を鳴らすような溜息一つして、

「みほ。あのな、俺が今自動車部にいること自体はもう悲観してないんだ」

「どうして? いやだったんじゃないの」

「あの生徒会のやり方は気に入らないままだが、あのハルヒがこの授業を取ってる以上、俺にとっては帰り道を見つけるチャンスなんだよ」

 これは団員でないと分からないことだろう。俺たち団員の遭遇する不思議はいつだって団長から始まり団長に終わっていたのだ。自分の尻は他人に拭かせず自分で拭けという言い方も変だが、宇宙勢力が蒸発した今本当に世界を弄れるのはハルヒしかいないんだ。

「ふーん」

「……なんだよ?」

「ううん。ずいぶん、涼宮さんのこと高く買ってるんだね、って思って」

 そりゃそういう芸当ができるのはハルヒの他にいないからなんだが。

 俺がそう補足するより先にみほは、ここで微笑むという不可解な表情を選択した。

「そういえば、涼宮さん以外とも仲いいよね? カヴェナンターの」

 この世界では顔見知り程度だぞ。ただ、あいつら全員俺と同じ住人でな。前に話したがSOS団ってのはあのカヴェナンターの連中と、入部したばかりの古泉って奴で構成されてた。

「あの人たちはみんな普通の人じゃないの?」

 長門以外はな。

「水着に見惚れてたわけじゃないんだね?」

「ミッ――」

 思わず変な声が出た。甘ったるいショートケーキを食べたときみたいな顔でなんてこと言いやがるんだこいつ。

「あのかわいかった人とか特に見てたよね。ねえキョン君。自分のお兄ちゃんが公衆の面前で女の人のおっぱい凝視しちゃう人なんて、私、いやだよ?」

「断言する。そりゃお前の勘違いだ」

「えぇー……。本当かなぁ」

 言いがかりは勘弁してくれ。

「あー、あそこに喫茶店。ねえ見てキョン君、パフェ七百円だって」

 客を寄り付かせない価格設定だが、交渉はそれを決定打にしようじゃないか。ちくしょう、異世界に飛んでも俺は奢る人間になるのかよ。兄ってのは妹に格好付けるだなんて大言をこの間は抜かしたが、こういうときの兄は妹に弱い。兄としても、公衆の面前で女の胸を凝視するような男だと妹に認識されたくはないからな。

「わあぁ~。おいしそうだよキョン君。いただきまーす」

 その喜びよう、俺がシャミセンを我が家に迎え入れたときの元妹の顔によく似ている。最初渋ったが、たかが七百円が兄の威厳の保持と妹のご機嫌取りで一石二鳥になるなら安いもんさ、このご時世に自営業の喫茶店ならその価格設定も仕方ないしな。それに色々歩き回って一休みしたかったので、午後のおやつにちょうどいい頃合いだ。

 みほはカットフルーツの盛られたパフェを、垂らした横髪をゆらゆらさせる犬っころみたいな顔で崩しながら、

「そういえば私ね、みんなのチームに動物から取ってチーム名を付けてあげてたんだけど」

 ほう。俺は各々の戦車で覚えていたが、どんな名前になってんだ。

「私のチームはあんこうチームで、生徒会がカメさんチームで、バレー部の人たちがアヒルさん、一年生チームがウサギさん、面白い恰好の人たちがカバさん」

 面白い恰好ね。そういう認識しかできないよな。アレが何の集まりなのか俺はまだ分かっていない。

「でもね、涼宮さんだけ自分でSOSチームって名乗って聞かなかったの」

「……そりゃいったい何の略だ?」

 今このとき、届けられていたキリマンジャロが熱湯じゃなかったら口を付けて噴き出していたこと請け負いだった。

「略? それは聞いてないけど、略なの?」

「これは言ってなかったっけか。SOS団ってのは『世界を大いに盛り上げるための涼宮ハルヒの団』だ」

「……そ、そうなんだ。すごいね」

 パフェで作られた満面の笑みも苦笑いに変わってしまうその気持ちはよく分かる。こんな事実を聞いてもあくまで苦笑いで留められるみほはお人好しなほうだぜ。

 そういや俺が休憩したかったのは確かだが、なんで喫茶店にいるんだっけ。みほが機嫌を損ねて、この店を強請って、その理由は俺が朝比奈さんの砲塔を眺めていたせいで、……。

「俺が自動車部にいるって話だけどな」

「んむ?」

 ロングスプーンを口に差し込んだまま小首を垂れるみほ。

「みほも戦車道やるってんなら、俺は戦車道を通して陰ながらみほの支えになれると思ってたんだ。そういうわけで俺が自動車部にいるのは悪く思っちゃいないから、そのことで心配はしなくていいんだ。ただ勘違いしてほしくないのは、俺がなにも元の世界に帰ることしか考えてない薄情者のつもりはないってことで……」

 なんだこれ、自分で言ってて少し恥ずかしい。俺は情けなくも保身のためにわざわざ言っておきたかっただけなのだが、まさかそんな俺の動機まで包み隠さず言ってしまうほどの恥知らずでもない。

 頬をぽりぽり掻きながら言う俺を見つめる我が妹。

 口はぽっかり。人形みたいに見開いた目。

「まあ、これが言いたかっただけなんだけどよ」

「……キョン君」

 なんだ。笑いたきゃ笑っていい。

「ありがとう」

 その礼には、笑顔には、どういう意味が込められていたのだろう。

 

 みほは時間をかけてパフェをただのガラス瓶に退化させたあと、それまでペン入れしてきたメモ帳を見返した結果、もう少しみていきたいと言い出し散策を再開した。

 正直な感想としては、SOS団の不思議探索なんかよりずっと真面目だ。みほ自身は戦車には金輪際乗りたくないくらいの気概を持ってる物だと思ってたが、そんな自分も押さえ付けられちまうくらいにはストイック、ということなんだろうか。

 野次馬の俺はというと、邪魔はしないつもりで来たのは確かだが、局所的なショッピングモールや住宅街、神社に田畑に緑と普遍的な景色をもう充分なくらい流したところで、みほに声をかけた。

「お前、戦車自体には詳しいのか?」

「機構、ってこと?」

「そうだな」

「私なんて全然。動かし方を知ってるだけだもん」

「経験者なのにか?」

「だっ、だってキョン君だって携帯の使い方は知ってても、構造は知らないでしょ?」

 なるほど納得した。俺が知ってることと言えば電気で動いていることくらいだ。

 いやなに、これから部活で周りの足を引っ張りたくなくて、自分の妹が経験者ならあわよくば教えを乞えないかと見込んでな?

「ごめんね。そういうのも私より優花里さんが……。あ! そこ、戦車の部品を売ってるお店だよ。行ってみよっか?」

 みほが指差した先にあったのは、レンガ倉庫でも地下へ繋がる石段でもないごく普通のビル。だが中へ入ると、転輪とか砲身とかから、戦車内に置ける胡散臭い便利グッズ的な物、関連書籍も豊富で狭い店内に所狭しと押し込められていた。

 部品は倉庫で生々しく触れられるからどうでもいいとして、戦車の図鑑やら解体新書に近い本を見開いたりしてみたのだが。

「どう? 意味分かる?」

「全然分からん。お前はどうだ」

「わ、私? えと……。キョン君は部活ではどうしてるの?」

 俺も理数的なことは全く分かっていないのだが、最近は理屈基準でどうにか分かった気になってるところさ。この部品があるからそっちの部品もちゃんと動けるとか、この戦車の場合は構造上こういう部品じゃないとうまく動いてくれない、とかな。

「そっか。難しいよね、私もさっぱり」

 客の少ない店内をそんなことを言いながら歩き回っていると、店内の奥地でまさかのカーレースじみたハンドル付きゲーム筐体を発見した。こりゃなんだ。

「あぁそれ、戦車のシミュレーションゲームだよ。操縦も砲撃も全部ひとりでやるんだけど」

 なんだ、やっぱりあるんじゃないか。と言いたいところだが、プレイヤーのいない画面に流れているプロモ映像はこの時代に似合わないワイヤーフレーム主体の映像で、実写でもアニメでもない。何十年物だよ。

「お前はやったことあるのか?」

「ううん。私は実家で本当の戦車で練習してたから」

 あぁ……。家元の娘だけが受けられる特典だろう。こいつにとっても特典だったのかは分からんがそれは兎も角、むしろシミュレーションがリアリティ皆無のこれなら朝比奈さんがゲーム酔いする心配はないだろう。

「誰かやりたい人でもいた?」

「お前が言ってたカヴェナンターのかわいい人ってのが朝比奈さんという人で、その人は車酔い? のせいで操縦手から砲手に交代させられたって聞いたから、そういうゲームがあればと考えてたんだけどな……」

 黒背景にワイヤーフレームの線だけで的を描画し、SEも数世代は前のハードゲームからサルベージしてきたみたいな代物だが、練習になるんだろうか。でもあの人はゲームをよく知らないと自己申告してたよな、それなら逆にこれくらい単純なほうが好ましいのか。

「一応、リズムとか判断力の練習にはなるんじゃないかな? これ、学園艦の方にも置いてる店があったから今度紹介してあげるといいよ」

 俺の頭ン中のノルマ帳~日常編~をいくらか潰せたことに満足したので後はぶらぶらしてから店を出ようと思ったところ、店の天井にテレビが吊ってあるのが気づいて足を止めた。

 流れているのは夕方のニュース番組らしい。テーブル席に横並びになったキャスターやゲストが、なにやら気になる議論をしている。

『ところで今戦車道と言えば、今年度のプロリーグ設立も現実味を帯びてきていますね。次期家元の西住師範としまして――』

 西住師範とやらのテロップを映し出されたのは、黒スーツに黒ロングヘア、冷徹な目付きをした大人の、厳かな女。

 戦車道と西住というキーワードが並んだなら俺は疑念を抱く。

「アレ、お前のねーちゃんか?」

「……お母さん」

「はっ?」

 わ、若っ……。

 俺はテレビを二度見した。母親ってつまり、義理の俺は除くとして少なくとも二児の母ってことだよな。俺の記憶のお袋より十は下に見えるんだが、戦車ってのは代謝抑止の効能でもあんのか?

 それにしても全く似ない親子だ。箸の使い方を間違えただけで醤油樽に一晩閉じ込める罰を実行しそうな母親がこんなシャボン玉みたいな娘を生んじまうなんて。

『――プロリーグ選手とはどのような方がふさわしいか、率直にお聞かせ願えますか』

『私がそれらの計画に携わっていたらの話ですが……。どんなことがあっても背を向けず、己の意思を徹頭徹尾貫ける方こそ、私の望む選手です』

「ぁ、……」

 ときたま他人の機敏に疎いと批判される俺でも、今このとき母親の言葉でしょぼくれる声を漏らしたみほの心情くらいはちょっとでも分かるつもりだぞ。

『なるほど。今日は家元はご不在なんですが、これは家元も同じように考えておられるんでしょうか?』

『はい。西住流はそういった方を門下生として迎えておりますから』

『だそうでございます。西住流門下生の方そうでない方いずれにせよ、入団を目指す皆さんには頑張っていただきたいですね。さて肝心のプロリーグについてなんですが……』

「……行こう?」

 みほは逃げるように俺もろとも店を出た。もう日も暮れてくる、若干憂鬱な頃合いだ。

 鞄からメモ帳を取り出すこともすっかり忘れているみほは喫茶店に入るまで俺を好き放題イジっていたのと打って変わって、港へ向かう足取りは重苦しい。

 みほ。お前とお袋の間にどれだけの確執があったかは知らんけどな、明日試合だってのに今そんなことを気にしても、何もいいことなんてないと思うぞ。

「……私ね、今まで、なんにも持ってなかった」

 数メートル先のアスファルトを見つめて歩くみほ。

「この前も優花里さんたちと、学園艦にあるこういうお店に行ったことがあって、テレビもあったの。同じようにニュースが流れて、そのときはお姉ちゃんがインタビューに答えてた。『勝利の秘訣は、諦めないことと、どんなことがあっても逃げ出さないこと』」

「あぁ」

 ちょうどこのとき俺たちは一本の線路を跨ぐ踏切に差し掛かっていた。踏切は遮断機が下りていて、こっそり目を動かすと遠くから列車が空気を読んでいるかのように低速で差し迫ってきている。

「で、お母さんもさっきああやって答えてたでしょ。……私、なんにもないんだなぁ、って、気付いちゃった。子供のときから西住家の女は戦車に乗るんだって教えられて、その通りにしてきただけ。もし私があんな感じの質問をされても、答えはなにも持ってない」

「……」

「私、やっぱり隊長なんて無理だよ。それよりも明確な意思を持ってる涼宮さんの方がいい。隊長って、そういう人がしたほうがいいと思うの」

 遮断機の前で立ち止まり自嘲するみほを、やっとこさ列車はゆっくり通り過ぎていた。列車は短くて通れば遮断機はすぐに上がってしまったものの、俺がみほに伝えたいことを言葉にまとめるには十分な時間だった。

「過去のことなんかどうでもいい」

「……え?」

 この親子間に果たして今の俺とハルヒくらいの溝が生じているのか、下手すりゃそれ以上なのか、実際どうなっているかは分からない。

 だが、今にも泣き崩れそうな顔で見上げてくる妹を放っておく奴は、兄貴として失格だ。俺とみほが仮でも今家族なのは姉の保証付きで間違いのないことなのだから責務を果たすのは当然なんだが、そもそも俺はそんなみほの顔を見つめて、無性に苛々していた。

「過去のことなんかどうでもいいって言ったんだ。それより今みほは、『親の敷いたレールを行くのに嫌気が差した』って意思が生まれたからこの学園にいるんだろ。だったらもう気にすることはないんじゃねえか?」

 捨てられた意味の分かっていない子犬みたいな目をする妹。これが箱入りお嬢様ってやつなのかね。俺自身はここに飛ばされるまで一貫して実家暮らしだったが、親なんて四六時中そばにいるわけでもない。それは別に俺に限った話じゃない。

 みほはそれをまず一際強く自覚すべきだ。

「親のレールから脱線したんなら、残った選択肢なんて一つしかないだろ。……これまでの試合は西住流に縛られてたのかもしれないけどさ、明日の試合からはもうそんなもんもない。全部お前の意思だ。明日お前はどういう練習をするビジョンを想像してんだ?」

「!」

 ハッと気付いた顔をするみほ。そうだ、みほはああ言ったが、俺はみほが本当に脳みそ空っぽな植物人間だとは俺は思っちゃいない。何の意思も持っていない人間が家出したり、兄貴の不埒を掘り起こそうとしたりからかったりなんてしないだろ?

 あとはそのベクトルを少し戦車道の方に向けてやるだけでもいいんだ。

「明日のことは俺個人として、みほがなにか意思を持って押し通せたらそれでいいと思うぜ?」

「キョン君は、私たちに、勝ってほしくないの?」

 何気なく妹の零したこの言葉こそ、こいつの抱えている諸悪の根源の全てを端的に表しているのではないかと、俺は思った。

「勝ち負けは二の次だ。それよりも明日は練習試合なんだし、それこそみほが本当にしたいことを探してみる絶好のチャンスだろ」

「……そ、っか」

「ま、気楽にさ。隊長、頑張ってこい」

「――うん。隊長、がんばります!」

 我が妹、敬礼。

 なのにその顔は、メモを持って散策していた最中の顔に勝るほどのものでもなく、ふにゃりとすぐに緩み切ったのだった。



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キョン「隊長、頑張ってこい」2

大洗VS聖グロ


 とうとうやってきた試合当日。

 みほが書き置きと共に残していったブレックファストを一人済ませた俺は、学校に寄っておかっぱの風紀委員に臨時授業の出席を取ってもらっていた。

「自動車部の出欠確認はあなたで最後よ。急いだほうがいいと思うわ」

「ああ。にしてもあんたも大変だな。これだけのために顔を出してくるなんて」

「これも私たちのできる活動だからそれはなんとも思ってないけど……。それよりあなた、年上に対する言葉遣いがなってないわよ。上級生相手には丁寧語くらい使うこと」

 え……。三年だったんですか。

「どういう意味よ……?」

 いや……。なんでもないです、すいませんホント。

 ついでで作業着も回収してからバスを乗り継ぎ、二度目の陸に降り立った。今日の臨時授業とは言うまでもなく戦車道練習試合の観戦とその後の戦車自主回収の活動である。それだけで単位が取れるというのだから落第を避けたい俺にとっては一種のドーピングだ。

 で、話によると試合会場である大洗町に観客席は様々あるんだが、自動車部は中継モニタの置かれているショッピングモールに居座るらしい。

 敷地の芝生に出ると、レジャーシートを敷く何組もの集団の中にこっちへ手を振る男が見えた。別にそんなことしなくても、私服パンピーの中から浮いてるオレンジの作業着集団なんてすぐ見つかるのだが。

「おはよう。やっと来たねキョン君」

「どうも、おはようございます」

「ども。みんな来るの早いっすね」

 胡坐で俺を見上げる部長氏と古泉。

 ホシノさんもそんな俺の呟きにカラカラ笑う。

「キョンが遅いんだろー?」

「はは、すいません」

 各々水筒やらペットボトルも置いていてスタンバイ完了状態だ。最後に付いても全員に奢りという名の罰金を科せられないのはいいな。

 空いている古泉の隣に腰を下ろしながら野球ドームに置いてあるのよりデカい露天モニタの端っこを見ると、試合開始目前を示す『7:55』の文字。

「両校のみなさん既に挨拶に入っていますよ。相手チームは統率を感じさせるビジュアルですね」

 映るのはちょうど野球の開幕よろしく、一列に向かい合って頭を下げる大洗チームと聖グロリアーナチーム。こっちの戦車が色も形もバラバラなのに対し、相手チームは隊長車がチャーチル・残り五両全てマチルダⅡ。作戦会議時に聞いてはいたが、実際こう比べて見るだけでも経験の差を感じさせる統一感だ。

 その後は各自戦車に乗り込み、所定の開始位置へとそれぞれ鏡のように離れていく。

「練習試合といえ、大洗に勝ち目はあんのかね」

「一枚岩ではないでしょう。学園艦の大きさ一つ取っても経済力の差が表れており、これはひとえに、戦車にかけられるお金も段違いと言えるのではないかと思います」

 古泉の言葉で港の方角へ振り返ってみれば、言う通りここまでにいくつか区画ブロックを挟んでいるにも関わらず聖グロ学園艦の上っ面だけは見えるのだ。大洗の学園艦内でハルヒと戦車捜索の遠征をした時でさえ艦首から艦尾までは歩けていないというのにだ。

 瞬殺されて観客総勢からつまらない時間を取られたブーイングを受けなければいいのだが。

「どう立ち回るのでしょうね。涼宮さんのチームは」

 古泉は各チームよりもSOSチームの動向が気になるらしい。

 あいつのチームは陽動・攪乱担当らしいぞ。

「ほう。なぜあなたがそれを?」

 ハルヒの暴走を先読みした会長の懸念で俺も作戦会議に招集されたからな。その読みも案の定当たっていた。

「となると、あなたは涼宮さんのストッパー役を果たされたのですね。先日涼宮さんが隊長の座に就いたのを否定されて意外に思ったのですが、そういうことですか」

 隊長には俺の妹を据えておきたい生徒会の要望だったが、あいつがあっさり引いてくれたのは俺にとっても意外だった。あいつは前々から人の話を聞く奴だったのか?

「少なくとも肯定はできませんね。あなたと出会い戦車道でチームメイトもできるまで、彼女に交友関係は皆無のようでしたから」

 古泉が転校してくる事象とはイマイチつながらないのだが、こいつらからすれば事態は急な変化を見たに違いない。

 元の世界の古泉が言うには、ハルヒが望んだから奇特な人間が集まりSOS団ができた。同様にあのSOSチームができた理由を聞けば多分この古泉も同じことを言うだろう。

 だが、ズレがあるんだ。俺はこの世界のハルヒが集めたようには見えず逆に周りのほうから集ってきたように見える。俺は過去のハルヒに何も吹き込んじゃいないのにチーム名のSOSはどこから出てきたのか。そもそもあいつの言ったらしいSOSってのはなんなのか。

『試合開始!』

 火蓋を切る審判の声がモニタ据え付けの特大スピーカーから響いて一帯が二十年ぶりの試合開幕に歓喜を上げる中、俺は隊列の端っこに甘んじる俊足サウナ戦車を注視していた。

 見せてもらうぜ、ハルヒ。お前がこの世界に求めているのがなんなのかをな。

 

 ある程度の距離を置いて動き出した大洗と聖グロ。

 モニタ左半分に映されているのは固まって前進する聖グロ六両に反して、右半分が聖グロへ忍び寄る大洗のカヴェナンター一両のみ。右上の小マップではカヴェナンターから離れた丘陵で陣地を完成させている残りの五つのマーク。

 試合開始から十分ほど経過しただろうか。

「動き出しましたね」と古泉。

 カヴェナンターが火を噴くと一瞬遅れて、聖グロ隊列に至近弾。背を向ける金将の光沢戦車にまさか相手チームが気付かないはずもなく、前進方角の転換が始まった。いかにも私たちは囮ですと主張しているようなSOSチームだが、聖グロはその誘いに乗るようだ。

 カヴェナンターは崖が迫る切り通しに逃げ込み、追ってくる聖グロの猛攻を一身に受ける。

「長門さん、でしたか? 操縦の腕は精練されているようですね」

「ああ。あいつ、全力疾走しないで付かず離れずの距離を上手く保ってる」

 操縦手が朝比奈さんだった頃の自主練習で何度も目の当たりにしている俺には分かるが、カヴェナンターの全速はあんなもんじゃない。エンジンに本気を出させればいかにも戦車らしい鈍重な聖グロなど簡単に撒けるだろう。

「しかも全ての砲撃を回避していますよ」

 上空から映し出されたカヴェナンターは、三人称視点の俺たちがラジコン操作してるんじゃないかと思いこんじまうタイミングで車体を左右に揺らしていた。今の長門は正真正銘ただの女子高生だが、奇才の、が付くからかもな。

 そうこうしているうち、カヴェナンターはついに切り通しを抜けた。

 目の前の高台に待ち伏せしているのは大洗五両。

 広報の考え出した作戦通り砲撃戦が始まったのだが、それまで敵を上手く釣ってきたカヴェナンターは急加速し、左右に繋がっている低地と高地を駆け登ったり駆け下りたりぐるぐると円を描き始めた。

「うわーはっやー!」

「私たちの整備、ちゃんとできてたみたいね」

 沸き立つツチヤとスズキさん。車好きってのはそれがレーシングカーだろうが戦車だろうが、早い車を見ればドーパミンを湧出させるもんなのかね。とはいえ、俺も関わっている以上性能を引き出せているようなら安堵の想いである。

 聖グロチームは二手に分かれて砲撃しながらじりじり挟み撃ちするのだが、ざっと十メートル前進するごとにカヴェナンターは一周していた。

「面白いですね」

「派手にやるな、長門……」

「涼宮さんの指示ではないでしょうか。隊長の指示を遵守しているようですね」

 あいつはそれよりもいち早く肉薄してとっちめたいのと、目立ちたい気持ちでやってるんだろうがな。もちろん聖グロチームと何度も身を掠めるのだが、不思議と双方に当たらない。

「行進間射撃と言うらしいですね。互いに走りながらの撃ち合いは、互いの回避率も高いとされるようです」

 古泉は古泉なりに自習してきたらしい。俺たち自動車部に戦法知識を付ける必要はあるのか疑問だが、大方解説欲が原動力なんだろう。

 モニタでは激しい砲撃戦が繰り広げられるが、次第に大洗チームが追い詰められていた。カヴェナンターはともかくそれ以外の大洗車の弾も当たっていない。せっかく構築した陣形もどんどん乱れていく。

「――って、あいつら危ねえ!」

 突如一年のM3が硬直したと思ったら米粒が列を作って脱兎するのが見えた。単なる的と化したM3はすぐに着弾の煙に包まれた。

 戦車道ってのは戦車の中にいるから安全なんだ。人間に特殊カーボンなんかない。

「……やられてしまったようですが、乗員の方たちは無事離れましたね」

 俺は腰を上げかけたが結局、一年の面子は画面からフェードアウトした。画面際にバッテンがつけられるM3の文字。これで五対六。

「まずいな、押されてるぞ」

 すぐあと、今度は銀将の38tが履帯と泣き別れに。

 完全に待ち伏せ作戦は崩壊している。陽動に馬鹿正直に付いて行ったのは釣られても問題ない程度の自信と実力あってのことか。これが、強豪校。

「おや? 戦線離脱ですか」

 みほは痺れを切らしたのか、Ⅳ号を先頭に八九式、Ⅲ突、カヴェナンターが続いて舞台袖から撤退していく。しんがりを買って出るらしいカヴェナンターは朝比奈さん並みの蛇行操縦。使いこなしているな、長門は。

 膠着した鬼ごっこはしばらく続いて荒野を抜け、次第にスピーカーからではなくやまびこの砲撃音が俺たちの耳にも届いてくる。モニタに映る俯瞰風景は港町に変わっていた。

 市街地を縦横無尽に走り回り、散り散りになった大洗は聖グロを撒ききった。

 モニタには追従して分散し捜索する聖グロ戦車。

「……」

 観客席を、しばし息を呑んだ沈黙が支配する。

 彼女たちからは分からないだろうが、モニタマップでは上空からでも見づらい路地に潜んだⅢ突にマチルダが接近している。戦車にGPSでも乗せているためか、上空カメラは的確にそのマチルダを映し出していた。

 Ⅲ突の前を忍び足のマチルダが横切ろうとしたところ。

「よっしゃ!」

 ナカジマさんから歓喜の声が上がった。Ⅲ突は厚くないらしい側面装甲から一撃でマチルダを沈黙させるに至った。古泉も「初戦果ですよ」と声を弾ませる。

 直後カメラは切り替わった。

 場所はどこかの小さな立体駐車場。なにやら建物車庫へ砲を向けているマチルダだが、背後で上がるエレベータから火が噴きマチルダ炎上。

 車体は見えないが、テロップに八九式の文字。

 だが相手チームの名前のペケが増えない。撃破できてねえのかあれは?

「八九式だからなぁ」

「どういうことですか? ナカジマさん」

 古泉に問われたナカジマさんは作業着越しでも分かる華奢な肩を竦め、

「日本の戦前の戦車だからね。この試合に出てるのはあれ以外みんな欧州の戦車だし、どうしても火力は劣っちゃうよ」

「なるほど。これはまさしく、当時の列強対日本の構図なんですね」

 とその時、映っていない大洗Ⅲ突の名前にペケが付いた。

 判定ミスかと思う間もなく、急遽切り替わった画面には場所変わって大穴の開いた木の塀と、掲げているずたずたな幟に白旗も増えたⅢ突。

 目まぐるしくもまた画面が立体駐車場に戻る。マチルダの反転させた砲塔の先、昇降機から上がる煙。

 八九式は返り討ちにされ、三対五。

 町を拡大した右上マップの中に、丘陵で履帯の外れた38tのマークはなく、町にいる大洗は単独で動くⅣ号とカヴェナンターの二両。

 

 ピリリリリ。

 

 突如鳴った携帯の電子音が俺には、不穏な序曲に感じられた。

「……すみません、ちょっと失礼」

「はーい、……」

 モニタに食い入るナカジマさんから生返事を貰い、笑顔に曇りを浮かべ立ち去る古泉。

 モニタではⅣ号に各方面から聖グロ戦車が迫りつつある。ついに位置を察知されたらしい。カメラが映し出したそっちは、Ⅳ号が速度を出して追手のマチルダからの逃走劇を始めていた。

「あぁあぁああ……!」

 これがどういう意味を示すのか、試合に参加していない女子部員からも心配する声が駄々洩れだ。チームってのは得てして、司令塔がやられちまえば敗色濃厚である。

「あの、すみません」

「あん?」

 モニタに食い入り掛けていた俺に声を掛けたのは、見下ろす古泉。

「こちらへ付いてきていただけますか」

「……ああ」

 俺はちらちらモニタ越しの戦況変化を気にしつつ女子部員から離れていく。

 古泉は観客席の中に穴のある場所で立ち止まるとこう切り出した。

「まずいことになりました」

「聞きたくもないが言ってみろ」

 遠目に見るモニタの方では、自動車がギリギリすれ違える狭い道路を奔走していた。

「もっと早くにお伝えしたかったのですが、我々は涼宮さんの機嫌が悪くなるのを良しとしません。『閉鎖空間』と言うのですが、端的に言うと彼女は異空間を発生させ、どんどん拡大させていき、終いにはこの現実世界と入れ替えてしまうことができるのです」

「……それで?」

「『機関』にいる仲間から、今それが発生しているとの知らせが入ってきました。ものすごい速度で拡大中のようです」

 始まっちまったわけか。ハルヒの能力発動の第一報がこれとはな。

 俺の記憶は一年弱前、元の世界で出場した草野球大会が蘇っていた。いや今はあのときより状況が悪い。

「で、それは阻止できるのか?」

「……僕の仲間が対処しに行っていますが、とても追いついていません。涼宮さんの不機嫌は恐らく、戦況の悪化によるものです。それがひっくり返らない限り、最悪の結末は避けられないでしょう……」

 ズガァァァ! とスピーカーから轟音。

 Ⅳ号を追うマチルダの一両がカーブを曲がり切れず、なにかの店にダイナミック入店をキメていた。

「うちの店がぁああ! ――これで新築できる!」

「縁起いいなァ」

「うちにも突っ込まねえかなあ」

 近くでオヤジが何故か局地的に歓喜しているが、こっちからすりゃ縁起でもねえ。

 一番最初の練習試合でハルヒチームがみほチームに敗北を喫しても何も起こらなかったのは、ただの幸運だったのだろうか。おかげでまんまと油断しちまった。

 多分、気付きたくはなかったのだろう。この世界のハルヒはまだ他人との交友も覚えたてで精神的な成長を踏み出したばかりだが、草野球大会みたいな苦境に陥ったとして、あのとき窮地を救った長門は今ただの秀でた操縦手でしかない。ましてやトランプの大富豪で例えると3のカードでしかない俺が、男子禁制の戦車道試合中にいったいなにができるっていうんだ。

 と、モニタを見ると更にマチルダ二両とチャーチルが追い抜いていたが、最後にどこから現れたのかハルヒの乗るカヴェナンターが三両目のマチルダと車体をぶつけたりする小競り合いを交わしている。

 ハルヒか長門が読んだのか、マチルダが砲撃する直前カヴェナンターは急加速。

 全速力でカーブへ進入、盛大にスリップ。

 

 ガン! ――ドッガァァァ!!

 

「……おいおい」

 そのまま店に突っ込んでいるマチルダへ追突、車重の差があるのか脇の駐車場に吹っ飛ばされたと思った次の瞬間、マチルダが大爆発を起こし建物はたちまち崩れていった。地震のような波の伝わった方へ向くと遠いが黒煙が昇っているのも見える。

「ィやっ――たァァァ! っしゃハハァ!!」

「ああ~、お前んち全額補填だなァ」

 どうやら店の主らしいオヤジの歓喜はもはや奇声と化していた。理由は会話の内容から何となく察したが、建物一軒の崩壊など世界崩壊の危機と比べればチリ紙に包んでゴミ箱にぶち込むくらいどうでもいいことである。これは何の演出なんだ長門よ。

 カヴェナンターに喧嘩を売られていたマチルダは構わずみほの乗るⅣ号へ。

「俺たちにできるのは、戦車に乗る女子総勢へ祈りを捧げるだけなのか……?」

「……そういうことです」

 あっさり匙を投げるのかと胸倉の一つも掴みたい気分だが、下唇を噛むしかなかった。その後の沈黙からもう話すことはないのを察した俺が女子部員の元へ戻ると、古泉も付いてくる。

 さて、さっきので爆発したマチルダは白旗を上げ、三体四。映像のⅣ号は行き止まりにぶち当たり聖グロ四両と対峙していた。場所は大通りから脇に入る一車線道路で細かな建物に挟まれ、路地もない。いやⅣ号のすぐそばに一本あるが、壁のように並ぶ聖グロはその動きを確実に捕らえるだろう。

 ハルヒはなにやってんだ。

 聖グロ四両からの集中砲火、五秒前。

 相手のみならずみほにも負けたくないんだろうが。

 スズキさんなんて手まで合わせちまってる。

 負けたくないなら、お前もなんとかしてみせろ。

「さっ38tだ!」とツチヤの声。

 救いの女神はカヴェナンターではなく、隅の路地から割ってきた銀将軽戦車。

 番狂わせのチャンス――と思いきや、相手戦車隊ゼロ距離で外し即リタイア。

「えぇ……」

 銀将にしてはあっけなさすぎる脱落にツチヤは意気消沈。

 その黒煙に包まれる一隙を見てⅣ号が急発進し、砲を逸らしたマチルダ一両に痛恨の一発を食らわせる。二対三。

 Ⅳ号は38tの入ってきた路地から戦略的撤退に成功すると、聖グロは回り込むのか後退していく。

「来た……!」

 がその背後から、やっと金将の快速戦車登場だ。奴はⅣ号とであいつらを挟み撃ちしようと考えたのかもしれんが、少し遅かったな。

 さっきの追突できっとダメージもあるだろうが、ハルヒもさすがにその状態で聖グロ三両に立ち向かうのは38tの二の舞を踏むと考えた――かは分からないがUターン。ついでで金の卵を片付けようとする聖グロの攻撃も蛇行で凌いで逃走し……。

 突如膨らんだ路地に逃げ込んだ。

「……ぁあ?」

 俺の口は顎がマヌケに変形しないと出ない声を漏らした。

 大通りに至るまであの通りに横道はなかったはずだ。俺は目を擦って再度凝らしたがカヴェナンターは路地を猛進し、路地から右折したⅣ号と同じ方向へ進む。

 そこからカメラは、猛反撃を始めるⅣ号を映していた。

 大通りで直進したカヴェナンターと分離して右折し壁に沿う。

 交差点で急停止すると、居合わせたマチルダ一両の横っ面を撃破。その交差点ですぐさま大回りし、今度は反対側からまた出てくるマチルダもう一両も撃破。

 これで二対二。モニタ向こうの戦車乗りも観客にも瞬きしてる暇すら与えない。

 そのあとで相手のクイーン、チャーチルがゴロゴロと進入してきたところをⅣ号の素早い次弾が捕らえるが、チャーチルの砲塔は旋回を始める。

 Ⅳ号はその場で後退し、チャーチルの反撃を回避――

 ズガン!

「Ⅳ号の履帯が!!」

 ホシノさんが叫び終える前に身の毛もよだつ俺。

 確かにチャーチルの弾は避けたが、後から出てきた最後のマチルダが弾着観測でもしていたようにⅣ号の足を射抜いた。

 糸が切れたように動きをなくすⅣ号。

 万事休す。ハルヒ一両になってしまったらどうなる。正直俺には、カヴェナンター一両であの二両を撃破するイメージが、思い、浮かばない――。

 モニタから伝わる聖グロ二両の次弾のオーラが俺の背筋をぞわりと逆撫でした、そのとき。

 

 ドガズガン――!!

 

「は?」

 

 ドゴォォォン!!

 

「…………。……?」

 みな何が起こったか理解が追い付いてないこの空気は、世界破滅の瞬間にもあながちミスマッチではなさそうだと、俺は思った。

『……せ、聖グロリアーナ女学院チーム、全車両、走行不能。よって、大洗学園の勝利!』

 

 

 自動車部総勢でフィールド内に立ち入り、女子部員が輸送トラックの荷台に乗せた戦車を古泉と共に固定する雑務をしながら俺は、ついさっきに見た映像を脳裏で無限にリピート再生していた。

 隊長車Ⅳ号の蝋燭の火はここで吹き消されたと思われた瞬間、迂回して聖グロ進行方向から突入してきたカヴェナンター一発の砲弾がまず奥のマチルダ砲塔に命中、それはなぜか跳ね返って前のチャーチルにも命中、それすら同様に跳ね返った挙句、すぐそばの建物に飛び火。

 文字通りぶっ飛んだ流れ弾のクリーンヒットを食らった建物はまるで焼き豆腐でできていたかのように倒壊。がれきの粉塵と硝煙が晴れたとき、聖グロは二両とも白旗を上げていた……。

 とこういう幕引きだった……ようにしか見えなかったが、それは俺だけではなく会場にいる全ての人間にも同じように映ったのだろう。試合はあの後なんの滞りもなく、大洗が初白星を飾ったという結果で処理が進められているようだからな。

 これは映画の撮影ではなかったはずだが、朝比奈さん、今度はハルヒからどんなビーム弾を託されたんですか――。

 と尋問したい気概でトラック荷台に乗った俺と古泉は、会場本部近くで立ち尽くすあんこうチームを発見し途中下車したも、SOSチームの姿はない。

「……隊長さんよ」

「……はい」

「一応聞いとくが、最後のアレも、お前の指示なのか」

「……知りません」

 魂が抜けたみたいになっちまってるのは、ここにいる俺・古泉・あんこうチーム全員そうだ。勝ったのに歓喜の声を上げる場面が見つからない。

「……マイナーと言われている割に、奥深い競技なんですね? 戦車道というのは。物理法則をも無視した技術を総動員しているとは、戦車道への認識を改めたほうが良さそうです」

「……古泉君。私も戦車道はトーシローのはずだけど、それは絶対違うと思う」

 武部。せっかく古泉がいるんだぞ。ここは大逆転劇を見せた大洗チームの一員として淑女力か何かをアピールする絶好の機会だろ。

「……キョン君それ、本人の前で言うことじゃないから」

 そんな俺たちへ、三人の女が寄ってきていた。

 こいつら確か、聖グロの生徒か。二人が金髪で一人が明るい茶髪、碧眼の瞳と日本人離れした風貌をしている。

「あなたが隊長さんですわね? お名前は?」

「え……えと、はい」

 聞きなれた母国語が、金髪を後ろ頭で結んだ方の女の口から発せられる。

 西洋人ではないらしいことが幸いしたのかは知らんが我が妹はどうにか我を取り戻し、

「西住、みほです」

「西住……西住流の? ずいぶん、まほさんとは違うのね。あのチームを育てたのもあなたなのかしら?」

「あのチーム?」

「カヴェナンターのチームです。まるで魔法のようでしたわ」

 魔法、ね。俺の推察はステッキやら古文書の呪文やらを必要とするまだるっこしいそれよりずっと直観的で簡単な手法に目星を付けているんだがな。

「そ、そんな全然っ。あれは偶然でした」

「ならば……そちらは整備士の方々ね。あなた方、なにか特別な砲弾でも開発しまして?」

 京言葉でもなさそうな出自不明のお嬢様言葉と碧眼が俺に向いた。

「砲弾も砲身も砲塔も、普通なものしか使っちゃいない。なんなら本部まで来て戦車を隅々まで確認してもらったって構わないぜ?」

「いえ、あなた方の言葉を疑りはしませんわ。それではみほさん。あなたとあのチームの車長さんにこんな格言を贈ります。『チャンスではなく、チョイスが運命を決める』」

「バルタザール・グラシアンですね」

 茶髪の小柄な少女が補足になっていない補足を挟む。

「あなた方のチョイスはどこから始まったのかしらね? ではまた、機会がありましたら」

 似非西洋人トリオは、敗者であることが微塵も感じさせないくらい優雅な背中を見せて立ち去って行った。チャンスがどうとか……ええと、なんつったっけ。結局なにを言いに来たんだあの女。

 三つの背中が聖グロ学園艦へ消えてったあとに俺の耳をつんざく馴染みの声。

「ギョーン!!」

 雄たけびのあまり音を濁らせながら走り寄ってくるSOSチーム四人の姿があった。引っ張り回されてやっと解放されるや否や膝を付きぜいぜい言い始める朝比奈さんを無視し、六百万ワットのハルヒの目が俺を覗き込む。

「聖グロの奴らはどこ!?」

 もう帰ったぞ。

「はあー!? あんの奴らと来たら! 最終通告通り敗残兵総員であんこう踊りをさせようと思ったのにっ!」

 勝手に通告した気になりその場で地団太を踏むハルヒ。

「みくるちゃんはおっぱいばかり付けてないで少しはその脂肪を体力に回しなさい!」

「ふへっ、ひいっ……、そ、そう言われてもぉ」

 いえいえ、俺は今のままの朝比奈さんが大好きですので是非ともそのままでいてください。

「……キョン君~?」

 ハッ――。なんだみほその目は。俺はこの場から一歩も動いてすらいないぞ。

「それよりキョンも古泉くんも! あんたたちあんこうも見たでしょ!? 類稀な大・逆転劇! 我がSOSチーム及び、涼宮ハルヒ智将の名を轟かせるに充分な緒戦だったわ! あーっはっはっは!!」

 よくもまあここまで自分を持ち上げられるもんだ。

「さぁこれで分かったわね西住ちゃん? どっちが隊長にふさわしいか! 今すぐ隊長権限をこのあたしに譲渡しなさい!」

「え、えっと……」

 断ると頭突きを食らわしそうなくらいに接近するハルヒのアイビームを直視できずおろおろし、終いに救援要請の目を向けてきた。

 落ち着けハルヒ。会長に任命されてやってただけのみほに迫るのはお門違いだ。直談判するなら会長のところへ行ってこい。

「それより、そのSOSチームってのはなんなんだ」

「ああ、それ。そういえばまだ正式名称は発表してなかったわね」

 実のところ俺は結構場当たり的に言ったのだが、うまく話を逸らせたみたいだな。

 さて皆の衆お知らせしよう。カヴェナンター車長・涼宮ハルヒ閣下命名のチーム名由緒は、たった今ここに明かされた。

 

「――世界一お淑やかで強かな戦車乗りの涼宮ハルヒのチーム。SOSチーム!!」

 

 全世界が、停止したかと思われた。

 っていうのは嘘ぴょんで、俺は新学期のハルヒの第一声を思い出していたんだがな。

 意外や意外、驚天動地にもハルヒは裏を返すと、ここ戦車道授業に宇宙人や未来人どうこうの理念は持ち込まないと宣言しているっぽく聞こえる。こいつの言うその『お淑やか』の意味が、俺の辞書の中にある解説文と一字一句同じであることが前提だが。

「はあ、なるほど。そういうことだったんですね。さすがは涼宮さんです」

 全自動ハルヒ相槌機――型番:KOIZUMI-129――もかくや、予想外でしたと言わんばかりの生返事に甘んじるしかなかったらしい。

 こうして世界崩壊の第一報は誤報にリテイクできたようだが、この試合がなにを意味するのか、結局俺は分からないままだった。

 

 好きにしろよ、もう。



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キョン「隊長、頑張ってこい」3

 練習試合の翌日、登校途中に寄ったコンビニで目にした地元新聞の一面には大洗学園の名が躍っていた。

 大洗学園並びに大洗町自体は普遍的かつ平穏な地域で、元々はこの町と何ら縁のなかった俺の目を惹くような町内ニュースが毎日浮上するところではない。だから、いきなり白星をもぎ取った大洗女子の活躍ぶりを紙上にあるだけ並べる記者の気持ちも分からんでもないし、それにしたって生後数時間後の雑種犬レベルの大洗戦車チームが強豪聖グロを破ってしまったのはすごいことなんだろうとは思う。

 その話題で履修女子ではなく下っ端の俺を突っついてきたのは級友谷口である。授業の合間、遠いところへ行っちまった友人に語り掛ける口振りだ。

「キョンよぉ。お前もとうとう涼宮と愉快な仲間たちの一員になっちまったんだな」

「なっていない。俺はチビッ子トップの動機不詳の命令で自動車部の部員として戦車チームに働きかけているだけで、涼宮もチームの中にいるだけだろ」

「それにしたって今や注目の的だぜ。お前ら」

 注目の的になっているのは戦車女子であって、縁の下の力持ちはそこからあぶれているのが相場のはずだが。

 国木田も寄ってくる。

「ほんとに昨日はびっくりしたよ。テレビつけたら中継で、チームのみんなであんこう踊りしてるんだから。あれ、三年の朝比奈さんと鶴屋さんもいたよね」

 あの踊りを上級生がしちゃいけないのか否かは知らんが、少なくともあれに俺の感性の理解力が遠く及ばなかったのは確かだ。

 

 

 後で知ったことだが、俺やあんこうチームに顔見せしてきた似非西洋人トリオは、聖グロチームの隊長とそのチームメイトだったらしい。俺たち弱小チームに負けたにしては優美な姿勢を崩さなかったあの連中だが、もしハルヒと顔を合わせていたらどうなっていただろう、と少しだけ俺の好奇心を燻ぶったのは余談だ。

 ここから回想するのは結果としてハルヒの足が間一髪間に合わず、ニアミスだったのを悔しがり試合の健闘も一通り自画自賛、チーム名SOSの由来も発表した後のことになる。

「お腹が空いたわ! 本日はこれにて解散!」

 ハルヒはすぐ隣の隊長も周囲の隊員も置き去りで、言いたいだけ言ってその場を勝手に締め括ろうとしたのだが、そんな俺たちに更なる刺客がやってきたのである。

「――といきたいところだけど、ちょっと待ってくんないかな?」

 みほはカメさん、とか言ったっけな。Ⅳ号の盾となって脱落した38t操る生徒会チーム、そのボスたる会長の笑みは、勝てると信じていたのか予想外の勝利で愉快になっちまったのか出所の曖昧なものを象っている。

 その顔は突然伏せられパンと手を合掌された。

「ごめん! やっぱりやってほしいんだ。あんこう踊り」

「えっ?」

「ちょっとちょっと、それは負けたらの話でしょうが! 約束はちゃんと守りなさい!」

 背後からナイフで襲われたような声でどんぐり眼を作るみほ。

 水を差されたハルヒの憤慨も分かるが、俺が何ら異論の意を抱かないハルヒの発言とは異質で、俺は地球の地軸がひっくり返ったのを疑った。

 会長はそれに対し素直な苦笑いへ変えつつも、

「そう言われるとキツイけどねえ……。正直言うともう、町に試合後の演目の説明と舞台の用意もお願いしちゃっててね? ドタキャンしちゃうとここの人たちにも悪いしさ。お詫びにあたしたちも参加するから、お願い!」

「え!?」

「私たちもなんですか!?」

 発言を会長に丸投げして傍観に決め込んでいた取り巻き二人もこれには反応せざるを得なかったらしい。この様子を見る限り罰ゲームは正真正銘このチビッ子の思い付きだったとしか思えないが、取り巻きにまで黙るほどひどいのかそれ。

 ちょっと気になってきたぞ。

「ハルヒもやりたくないのか、あんこう踊り」

「それが不思議を呼び寄せるんだったら喜んでやるけど、時間の無駄でしかないのよ! それよりもあたしはこれで終わったと思ってこの後のこと考えてたのに!」

 そんなに腹が減ってたのかこいつ。戦車は燃料不足という空腹にはなっても、乗ってる人間はそこまででもなさそうなものだが。

「って会長どういうことそれ! 私たちが聖グロになんか絶対勝てないと思ってたってことだよねぇ!」

 武部が悲痛な叫びで訴えだした。俺は外野だからそれが耳に入るまで思い至らなかったが確かに、さっきの会長の発言はこいつらからしてみれば聞き捨てならない。負けたら罰ゲーム、言外に負けるなと取れる表明をしているから死に物狂いで勝ち取ったのに、結局罰ゲームとはあんまりだろう。

「ウチらって初心者じゃん? でこれ練習だから勝ち負けよりも効率よくお勉強しようと思ったら、やっぱべらぼうに強いとこと練習したほうが色々学べると思ってさ。それで聖グロを選んだわけで、うん、ぶっちゃけ、勝てると思ってなかった」

 会長はさも説明らしさを出しているつもりのようで全然出せていない言い訳を垂れ流し、最後に自分の額を小さな拳で小突いた。

 早い話がそれは詰め込み教育というやつである。筆記試験の点さえろくに取れない俺が言える立場じゃないが、学んだあとの定着するかどうかを考えてんのかこいつは。

「や、ほんとすごいよみんな。あたしの想定外。このままいけば日本一取れちゃうんじゃない? 武部ちゃんも全国の男という男から声かけられちゃうかもね」

「そ、そう? にへへ~……、古泉君はどう思う?」

「誠に良いことかと」

 おざなりが過ぎる古泉の返事で、武部のプッシュも実りがないのを確実視。そんなに乗せられやすいと、マジで悪い秘密結社に引っ掛かっちまうぞ。

「あ。ほらあれ、見えるでしょ、移動舞台用のトラック。交通規制も引き続き敷いてもらってるし、もうあとはウチらが出るだけなんだよ~。報酬の干し芋も一ヶ月分に増やしたっていいから、みんなお願い!」

 一光年分だろうといらん。

 

 学園外野の人間を引き合いに出されては、あれだけ嫌がっていた女全員も渋々承諾し、会長に連行されるしかなかったようである。

 各自専用の衣装まで用意がとのことで、連中はどこかで着替えを挟み、貨物室を撤去しただけのようなトラックの荷台に登壇してそれは幕を開けたのだが……。

『アアアンアンアンアンアン、……』

 爆音で流れ出した曲は一瞬、正義のヒーローに目覚めた菓子パンアニメのオープニングかとも思うが違った。歌詞の内容はともかく笛や太鼓とかの音がかろうじて盆踊りの雰囲気を演出していなくもない。

「大洗は町おこしで必死のようですね」

「南無三……」

 意味不明な解釈をする古泉と手を合わせるナカジマさん。

 衣装というか身体のラインを裸同然に主張するほどぴっちりしたスーツで全身を覆う大洗戦車女子が、かなりのテンポでぴょこぴょこ舞う。どうにも形容しがたい俺はというと、もう俺の感性では果たして芸術性があるのか計れず、理解できたのはあの女連中が嫌がっていた理由だけ。

 なぜって、なにがとは言わんがその、とにかく揺れる。

「もうお嫁にいけないぃいい!」

 女子の過半数の心境は多分、この武部の泣き言に代弁されているだろう。生徒会とハルヒ、長門はその顔色を見る限り少数派だ。

「キョン君見ちゃだめえぇえぇぇぇ!!」

 半べそで舞踊を続ける我が妹の絶叫へ、俺、合掌を贈呈。あの踊りの芸術的価値を汲み取るには俺では役不足で、低速で目の前を横切っていくトラックを見送るしかなかった。

「さて……ナカジマさん。我々も解散ということでよろしいのですか?」

「うん。こっちも学園に戦車を輸送しないといけないから」

「あ、そうでしたね。なら僕たちは――」

「あぁいいよいいよ。荷台しか乗せてあげるスペースないからさ。道路も混んでるだろうし、学園に付くまでずっと荷台に乗れなんてひどいことは言わないよ」

「ありがとうございます」

 とまあこういうわけで、俺と古泉は演目の途中だが抜け出すことになった。女子連中は例外となってしまったが、本来は試合が終われば学園艦が夕方に港を出るまでは自由時間というスケジュールだ。

 俺は件のショッピングモールの中の喫茶店へ移動し、古泉の奢りでコーヒーを頼んだ。今日の俺たちの観戦もナカジマさん発案の『戦車がどのように使われてどのような壊れ方をするのか学習するため』という趣旨で、俺たちが何の変哲もない普通の部員だったならそのことで議論を交わすべきなのかもしれないが、この男と二人になったときに出る話題と言ったら一つしかない。

「古泉。一応聞くがお前の『機関』とかいう組織、どういう技術力を持ってやがる?」

「疑いすぎです。我々は彼女の生み出す異空間でのみ力を発揮できる人間の集まりなだけですよ。……まあ、お気持ちはお察しできますが」

 ハルヒがあんな跳弾現象を何百何千の人間の目に晒しちまってるのに、ここはなんの異常もない空間だと?

「涼宮さんがほんの少しのバグを混ぜてしまっただけで、ここは紛れもない現実世界です。あなたの考えている通り、あの場面は鋭い入射角でもないはずだったのに跳弾などあり得ないことです」

 あと突然路地が戦車を通せるくらいに広がったこともな。

「……ああ、そういえばそんなこともありましたね」

 なんだその反応は、こいつちゃんと試合見てたのか? ドンパチだからって戦車と弾ばかりに目が行ってたのかもしれんが、もっと視野を広げたらどうなんだ。

 とりあえずお前らは、なにも関わっていないってことでいいんだな。

「はい。前にもお話した通り、あれこそが涼宮さんの全知全能の力です。最後に建物まで破壊してしまったのが、減衰も皆無な動かぬ証拠ですね。そういった定数法則、この世のルールの何もかもを無視して願望を実現させてしまえるのは、彼女のほかにいません。実はあれも、久しぶりのことだったんですよ」

 なにがだ。閉鎖空間を生み出したことか、それとも超常現象をお披露目しちまったことか。

「後者です。閉鎖空間の方はごく最近まで小規模ながら定期的に発生していたのですが」

 どういうことだ? あいつは出てきて欲しいものがあったら出して、気に食わないことがあればさっきみたいに打ち消しちまえる願望実現機なんだろ。あいつがそもそも願望しなくなったっていうのか?

「あなたは涼宮さんを過小評価しているのではないですか? 涼宮さんは言動こそ確かにエキセントリックな方です。ですがその内側は至極真っ当、常識的な思考を秘めています」

 常識的な奴はクラスの自己紹介で超人的存在の求人を声高らかに告知したりしない。

「それはごもっともです。ところであなたもお分かりだと思いますが、涼宮さんはあれだけの力を持ってしかも目の前に生み出していながら、自分がそうさせたのだと自覚する気配は全くありませんね。なぜだと思いますか?」

 自分にそんな神様じみた力があるとは毛ほども思ってないからだろ。

「大正解です。そういう風に涼宮さんはこれまで、心で想う願望と脳で考える理性のせめぎ合いが続いていました。……ただ、ここからは我々なりの仮説ですが、今彼女は内外共に常識的な人間へ向かいつつあるのです」

「はっ?」

 俺は古泉の言葉で、目の前にコーヒーが置いてあるのも忘れて身を乗り出してしまう。運よくカップは俺の腕が少し小突いただけに留まり転倒の危機を回避したが……。

 ハルヒが言動ですら常識的になりつつある?

「……そんなに驚くことですか? 確かにあなたにも喜ばしいことなのかもしれませんが」

「……ハルヒに、なにがあったんだ?」

「いえ。彼女の身の周りは特になにも起きていませんが、……むしろ、なにも起こらなかったし彼女もなんら気付く素振りがなかったから、と言えましょうか」

 古泉は説明が回りくど過ぎたのを自覚するように一旦コーヒーを口にした。

「彼女は時間と共に徐々に、能力の行使も鳴りを潜めてきています。閉鎖空間も発生こそ続いていますが、規模は確実に小さくなってきているのですよ。でありながら、彼女の情緒の上下も以前ほど鏡に写すほど連動したものではなくなってきている、これはつまり、涼宮さんの能力が収束へ向かっている……とね。観察を続けて久しい我々は、そう唱えました」

 古泉、お前はいったいなにをカミングアウトしてるんだ? 誰がそんなことを言ったんだ。

 どうにかなりそうだった。古泉がコーヒーに口を付けたということは俺のも同じくらい熱が引いてるだろうが、俺は血の気が引いていてそれどころじゃなかった。

「あいつの力、消えるのか……?」

「最近になって、そう主張する者も無視できない程度に増えてきているということです」

「さっきお前が言ったのだって、決定的な裏付けはないじゃねえか」

「言ったでしょう? これはあくまで仮説であり、結論ではありません」

「あいつだってなにもかもが常識的になってるようには見えん」

「あなたが顔を出した作戦会議も、隊長を志願した彼女を抑え込むことに成功したのでしょう? さっき言ったチーム名の意味も、感服するほど真っ直ぐで常識的じゃないですか」

「でもハルヒは試合でインチキ技を使っただろうが」

 俺の突っ込みがよほど鋭利だったのか、古泉はそれまで口元に湛えていた笑みを減らした。

「……そういう意味で、今日の彼女の能力行使は久しぶりのことでした。実はあの決着が付いた少しあと、仲間から閉鎖空間が消滅した知らせも届いたのです。彼女の負けず嫌いな一面が今日の試合の雲行きで機嫌を損ね、土壇場で彼女自身がそれをひっくり返してしまった。と言えるでしょうね」

 なにが言いたいんだよお前は。

 自分たちの推察は穴だらけでした、ってか。言え。正直に。

「それでも、あの力は以前と比較して勢いがありません。彼女が戦況の悪化を察知してから力を行使するまでかなりのタイムラグがありましたし、こう言っては何ですが彼女の力で発現する現象にしては派手さに欠けます。いずれにせよ、我々は観察を続けるのみです」

 ああそうかよ。お前らがハルヒの作る閉鎖空間にうんざりしちまってるのは分かった。

「幸いあなたは涼宮さんへの理解と寛容があるようですし、僕からのささやかなお願いです。これからも彼女のことを、気に掛けてもらえませんか」

 言われなくともそうするさ。なにしろそうしなきゃいけない理由を、こいつには死んでも言えないくらいの重大な理由を俺は抱えているんだからな。

 衝撃的なニュースをこう長話の最中で聞いちまうとこれだから嫌だ。冷めきったコーヒーは酸味が強すぎて味覚に堪える。

 

 しばらくしてから俺たち二人も解散となって、解放された俺は口直しってわけでもないが長門を、あんこう踊りが終わったら同じ場所に来るようメールを送った。

 一旦出たのにまた店に舞い戻ってきて店員に変な顔をされたのは言うまでもない。場所を変えるのが面倒臭かったし、古泉の話でうんざりやら懐疑心やら失望やらでごちゃまぜになってた俺の気に留めることじゃない。

 いやすまん、明らかに口直しだなこれは。

 古泉と違い長門は無難にオレンジジュースを頼み、触発された俺も二杯目のコーヒーをアイスで頼んで、俺は今しがた古泉の言ったことを脚色なく長門に伝えたのだが。

「そう」

 長門の第一声はこの二文字だけだった。

 同じ戦車に乗ってたんだろ? なにか気付いたことはあったか?

「涼宮ハルヒは試合中盤から心象を悪化させ、戦局の回復を望んだ。終盤に至るまで彼女はⅣ号と別行動を貫き、常に独自の戦法で戦果を挙げることを軸に指示を続けていた」

 そう、か。

 俺が聞きたかったのはそういうことじゃなかったのだが、ああしろこうしろと言われて無垢なりに答える長門の目を前に、俺もそれ以上追究できることはなかった。獅子奮迅の活躍をした長門は操縦で忙しかっただろうし、車長席だって操縦席の背後にあるもんな。

 はは、どうすっかなぁ。これから。

「私という個体も今後の彼女の動向を憂慮している。情報統合思念体が存在しない今、彼女の情報変化に対抗できる手段がない。今後も同様の事態が発生する可能性に注意しなければならない」

 戦車に乗ってるときのあいつに対して俺は何のカードも切れないってのもな。未来人になるのはさすがに御免被りたいが、この俺が実は予知能力くらい持っててほしいなどとあいつに願わせるようなことを吹き込むべきか?

 一度こいつが処分されかかったとき、俺は宇宙勢力のない世界をハルヒに作らせてやるぞと脅迫の念を親玉に伝えるよう言ったが、なにもこんな緊急事態に蒸発しなくたっていいだろうに。

「彼女が無意識に彼女自身とその周囲の人間を転移することを願った結果、人間の範疇である朝比奈みくると古泉一樹はそのまま転移され、有機生命体ではない情報生命体はそこから漏れたと考えられる」

 そういうことだったのか。普段理解に苦労するこいつの話も理解できれば古泉の勿体ぶった長話なんかよりずっと腹に落ち着く。あいつが長門自身は粉飾もせず普通の人間だと認識してくれていることだけは幸いだ。

「ところで、カーブで聖グロのケツに突っ込んで炎上させたよな。ハルヒの指示か?」

「彼女は体当たりも駆使してダメージを蓄積させることを思案した。爆発は彼女の想定外」

 戦果だけを見れば想定以上の結果になったのかもしれないがな。

「そんな愚直にハルヒの命令を守ろうとすんなよ? 今のお前はただの人間でしかないんだから、マジで無茶はするな」

 特殊カーボンとやらの中にいようとも所詮は人間だし、シートベルトみたいなもんもなかったんだから過信はできねえ。俺はSOS団全員無事な状態で元の世界に帰ることを目指して動いてるんだからな? てか、自分で言った手前、今の俺が果たして動いていると言っていいのか微妙に違和感を覚えたぞ。

 長門は二ミリほど顎を引いたのを見て、俺も背もたれに身を預け溜息を吐いた。

 そうだ、一応これも聞いておこう。

「長門。お前は、元の世界が恋しいか?」

「……あなたの選択に委ねる」

 アメジストは確かに、はっきりと俺を見つめていた。



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ハルヒ「戦車探索をするの!」1

 出席番号順で並んでいた俺のクラスでも席替えイベントが執り行われた。単なる普通のクラスメイトでしかない女子委員長が、ハトサブレの缶に四つ折りにした紙片のクジを入れて回してきた。

 俺は中庭に面した窓際後方二番目というなかなかに既視感のあるポジションを射止めたのだが、最後尾はというと、涼宮ハルヒの席となった。最早呪いの域だが、ここは悲嘆に暮れるべきか溜飲を下げるべきか。

 休み時間、ハルヒは虫歯をこらえるような顔で外を眺めながら言い始めた。

「政府の人間の暗躍で生徒が続けざまに停学にされたりとか、廃艦に追い込むべく生徒が不祥事を起こすような謀略を実行するとか起きないのかしらね」

「不祥事を起こすだけならいくらでも考え付くな」

 誰かさんが手本を見せ続けたおかげでな。

「あたし不思議に思うのよね。戦車はあるのに戦争は起きないなんて」

「まあそうだな」

「特殊カーボンがあるったって、建物に当たったら普通に木っ端みじんなのよ?」

「それは練習試合で見た」

「この学園って全国規模だと貧乏な方なのよ? うちよりすごい戦車持ってるところなんていっぱいあるのに、そういう気を起こすやつが一人も現れないのは理解に苦しむわ」

「まずお前がその気にならない理由を自分の胸に聞いてみろ」

「戦車って元々は戦争兵器なのよ? なのにうちのとこなんて、どのチームも戦車より三輪車乗り回してる方が似合う顔ばっかでしょ。どう思う?」

「どうも思わん」

「あー、もう、つまんない! どうしてこの学園には面白い事件の一つも起きないの!」

 田丸さん兄の殺人舞台に放り込まれた時は深刻な顔こそすれど面白がってはないようだったが――仮に面白がっていたら今後の付き合い方を考えねばなるまい――、こいつにとっての面白い事件というと、部活の部長が消息を絶ってその彼女が相談を持ち掛けるくらいしか思い当たらない。

 そういや部活。

 喚き散らすハルヒへ、俺は蜘蛛にコーヒーを飲ませてみたいような好奇心をぶつけた。

「なにかの部活に入ってみようとは思わなかったのか?」

「キョン。ただひたすら金管楽器吹いたりとか、本の世界に取り込まれたりするだけの単調な活動を面白いと思うなら理由を原稿用紙四百枚分で提出してみなさい。もしあんたの文才がスニーカー大賞ものだったらあたしが説得されるのもやぶさかじゃないわ」

 長門に謝ってこい。今すぐ。

「それより、戦車に乗ってる方がずっとマシね」

 ハルヒはそう締め括ると、あらぬ方角を向いた。

 練習とはいえ初試合で華々しい勝利を飾ったばかりというのに、実に機嫌が悪そうだ。まあ、そんな結果になったといっても会長氏が干し芋を押し付けに来た以外になにもなく、また練習の毎日に戻っただけだしな。

 

 永らく封印されていた珍獣はついに目覚めたと言っていいだろう。一足遅れて目覚めた俺の第六感も、ハルヒが次のアクションを起こすと告げている。

 聖グロとの練習試合が終わって以来、戦車、パーツ類、工具くらいしかなかった倉庫にやたらと物が増え始めたのも遠因だ。まず移動式のハンガーラックはサウナ戦車に乗るSOSチームの必需品と認めてもいいが、それだけじゃない。

 長テーブルにパイプ椅子、給湯ポットと急須、どういう因果か元SOS団五人分の湯飲みを常備。他に手頃な大きさの空の本棚、CDラジカセや一層だけの冷蔵庫、カセットコンロ、土鍋、ヤカン、数々の食器。おまけに電化製品についてはわざわざ自分の戦車から電気を供給できるケーブルまで調達してくるという隙の無さ。

 こういうのはデジャヴと言わない。度を越して俺の記憶そのままだ。いったい何がきっかけだったんだろうな、今度の俺は本当になにも吹き込んじゃいないぞ。

「ここで暮らすつもりかよ」

「そんなつもりはないわよ? SOSチームの活動拠点ならこれくらいは整えないとね」

 何の活動を始める気だ。こんなに備品を取り揃えたところで不思議を探すSOS団ならまだしも、……いや、SOS団でも別に必要じゃないものばかりだこれ。

 ハルヒはどっかの教室からガメてきた勉強机の上で、あぐらをかいて腕を組んでいる。しかも机には「車長」とマジックで書かれた三角錐の出で立ち。はたしてその文字が「隊長」に変わる日は来るのか。

 それを、訓練が終わって一服とばかりに椅子に着いて取り巻くSOSチームの面々。読書中の長門と、朝比奈さんに鶴屋さん。戻ってきた戦車の整備を中断させ話を聞いている俺と古泉の席も用意されている。

「お前、実は知っててやってるんじゃないだろうな?」

「なにが?」

 実は少し期待もかけていた俺だが、さしものハルヒも偽りない疑問符を張り付ける顔面を前に散った。

 そりゃそうか。俺とハルヒは新学期初めから黒い糸で結ばれていたように同じ教室にいるが、こいつが記憶を持っていたなら顔を合わせた瞬間に俺のネクタイが引っ張られるのがしかるべきあらすじなのだ。

「で、なんだよ活動ってのは。これまでもこれからも戦車に乗り回すだけだろ」

「戦車探索をするの!」

 秒コンマ抜きのハルヒの即答だった。

 対策もして長い試乗だったようだが、気に入らなかったのかアレは。

「あんたも乗ってみれば分かるわよ。一度温度計と湿度計をメーカー別に三組は置いて練習した後で見せたいくらいだわ」

 強調しておくが、ここにはSOSチーム総勢同席している。

 つまり、鶴屋さんの前である。飛行機まで使って手配してくれた恩人の前で、常人ならあり得ない言葉だ。

「つってもな。最初夜まで探して結局見つからなかったじゃねえか」

「いーや、まだ探しきったとは言えないわ、今度からはあたしたちでもっと虱潰しに探すの。みんなカヴェナンターには辟易してるんだから。これから夏なんだし、死人が出てあんた責任取れんの?」

 失礼極まりない奴だが当の鶴屋さんはというと、不快な表情を浮かべたりせずむしろハルヒの口からなにが飛び出るのか待ちわびる眼差しを向けていた。確かに鶴屋さんも、今隣で発電機と化している移動式サウナを持ってきた頃に客観的な悪評は下していたが、実際そこまで思っているのだろうか。

 そういうことなら頑張れ。もし見つかったらこっちの予習のためにも、何の戦車なのかは教えといてほしいところだ。

「何言ってんの? あんたも行くのよ」

 俺は目をひん剥いた。

 これ……まさかとは思うが。

「誰が行くって?」

「SOSチームと、あんたと、古泉くん」

「おや、僕たちもですか。構いませんが、それは何ゆえに?」

 意外だ。古泉がハルヒの思考トレースより素直に質問するのを選ぶなんて。

「キョンはあたしの下僕だから。古泉くんは謎の転校生で、ゲン担ぎのためにね」

「なるほど。では僕も一つ、頑張らせていただきましょう」

 爽やかな笑みで返すがこいつ、思考トレースしないってより思考を放棄してるだけだ。

 俺のくだりはこの際考えないとして、謎の転校生と戦車の繋がりが普通人の俺には理解できん。聞いたよな古泉。こんな発言を前にしてなおハルヒの常識人云々の妄言は撤回しないつもりか?

「次の金曜日! つまり明日! 朝九時に学園前に集合ね! 来ないと、死刑だから!」

「……分かったよ」

 そういえば明日から、ゴールデンウィークか。この時期になると俺の家系は田舎のバーさん家に親戚・従姉妹で集合する恒例行事があるが、確実的なまでにないな。集まる家が。

 だが俺の口から溜息は出なかった。

 こっちのほうが断然いい。大型連休の一日が潰されるのは同じだし、むしろ膠着していた非日常がやっとこさ動き出すかもしれないってとこなんだぞ。俺を刺した朝倉もこんなような気持ちだったんかね。

 

「キョン君」

「あぁ、ナカジマさん。すいませんね、あのバカが倉庫をあんな……。迷惑は掛けないよう言っときますから」

「いや……。私らの席も、作っちゃっていいかな? って思ってさ。邪魔はしないようにするから」

 冥王星から電波を受信するラジオの横で茶会でも開く気ですか貴女たちは。

 

 

 画して、SOSチーム+αによる第一回戦車探索ツアーは敢行と相成ったのである。

 朝九時ってだけでも面倒臭いのに、この世界の俺はなぜか自転車を所持していないんだから拍車が掛かっている。

 しかし寮から学園までの距離は元の世界より短いので買うべきか悩ましい。世界の異物たる俺が、たかだか利便性を期間限定で若干向上させるためだけに貴重な金を使っていいものか、とな。

 校門の閉まった学園の前に徒歩で俺が到着したのが九時五分前。頭数はすでに揃っていた。

「遅い。罰金」

 顔を合わせるやハルヒは言った。

「間に合ってるっつーのに」

「遅れなくとも一番最後に来た奴は罰金なの。あたしたちのルールは覚えときなさい」

「へいへい……」

「はいは一回!」

 ハルヒにどやされながら、俺の中でのチャリンコ必要度数が一上がった瞬間である。

 

 すぐ近くにあった手狭な喫茶店に潜り込むとハルヒは提案した。

 これから三組に分かれて学園艦をうろつく。戦車、あるいは戦車のあった形跡を発見したら携帯電話で連絡を取り合い、もし戦車を発見した場合は俺経由で自動車部女子部員に知らせて運んでもらう。

 以上……ちょい待ち。

「女子部員に話はしてあんのか?」

「あ、忘れてた。それもついでにあんたがやっておくこと。じゃあクジ引きね」

 倉庫一角を団室のモデルルームに仕立て上げちまうくせに、自分の興味から外れてることにはとことん目をつけないんだからなこいつは。自動車部のことを全自動トラクター程度にしか思っていないに違いない。

 ハルヒは卓上の容器から爪楊枝を六本取り出すと、自前のマジックペンで二本ずつに色の違う印を付けて握り込んだ。頭が飛び出た爪楊枝を全員が引いた結果はこうだ。

 赤が俺・鶴屋さん。

 青がハルヒ・長門。

 無印が朝比奈さん・古泉。

「ふむ、この組み合わせね……」

 なぜかハルヒは俺と鶴屋さんを交互に眺めて鼻を鳴らし、

「キョン、解ってる? これデートじゃないのよ。真面目にやりなさいよ。いい?」

「わあってるよ」

 我ながらやに下がった顔になっていたんじゃないだろうか。元の世界でのこの時のことは鮮明に覚えているが、今この時のお相手が朝比奈さんでないにしろ鶴屋さんってのもこれまたラッキーだ。

 そうと決まれば早速喫茶店を発ったがハルヒは、

「マジ、デートじゃないのよ、遊んでたら殺すわよ」

 ふんっ、と捨て台詞を決め、ハルヒチームと朝比奈さんチームは遠のいて行った。あいつの頭の辞書に「クジ引き」はあるのに「どう転んでも恨みっこなし」という常套句は存在しないのだ。

 ハルヒが艦首方面、朝比奈さんが艦尾方面へ向かったが、三組とはおさまりが悪い。

 でこっぱちと共に引き込まれるくらいの笑みを浮かべた今日の鶴屋さんは、上は白Tシャツにレンガ色のベストで小振りのショルダーバッグを回し、下はジーパンと、実にこの人らしい様相だ。この人の私服姿はこれからレアじゃなくなっていくんだろうな。

「キョン君キョン君っ。残った二方面、どっちにしよっか?」

「うーん。学園の裏の方だと山しかないんで、こっちのほうが楽そうじゃないですか」

 これがハルヒ相手なら何かしらの文句が十倍になって返ってくるのを予想して建前を用意するところだが、この人の前だとそういう防衛思考も麻痺してしまうのが地味に恐ろしいところだ。

「あははっ、キョン君らしいや。じゃー行こかっ」

 決まるや否や学園を離れ始めた先輩へ俺は付いて行った。

 学園艦の雰囲気は陸の大洗町と共通しているといえ港にあったショッピングモールのような大型建築なんてないが、鶴屋さんは自分の興味を惹くものならそれがちょっと造形が変わっているだけの民家だろうといちいち食い付いている。てか、この人戦車探索じゃなくてここのツアーをやってるって意識だぞ。

 GW初日らしく若者の姿は見えないですれ違う人は年寄りの比率が多い印象だが、俺たちはどう見えてんのかね。仲の良い先輩と後輩か、奇をてらって性格正反対の従姉弟とかかな。

 街中に転がっている前提で野良戦車を探すという、頭のネジが足りない二人組だと気付かれなければいいのだが。

「こんなふうに出歩くなんて、初めてにょろ」

 わざとシナリオをなぞっているかのような発言だが、一息落ち着いて今の状況をしんみりと噛み締めるような鶴屋さんの顔を目に収めれば、俺の疑念もヘリウムみたいに浮遊していくってもんだ。

「こんなふうにってのは?」

「男の子と二人で戦車を探すふうにだよっ」

「でしょうね。戦車道は男子禁制なわけだし」

「そゆこと」

 この人に似つかわしいストレートの長い髪の尾でそよ風が遊んでいる。にかっと白い歯を見せる上目遣いを俺は見つめた。

「でも男と二人で出歩くこと自体はあるんですね」

「まーね。陸にいるときに親戚の子と遊んだりとかしょっちゅうだったよっ」

「そいつは鶴屋さんを見て、戦車に憧れたりとかないんですか」

「あるよ? でもきっとその子も、成長するにつれて興味は薄れていくものなのさ」

 極端な話だが俺は、戦車は女が乗って男は乗らないという風潮について、この世界では男女の価値観やら立場が逆転しちまってるのではないかと常識メーターを振り切る早とちりをしかかったこともなくはない。

 将来の夢に野球選手を挙げた少年が、青年になると観戦だけに落ち着くようなもんかな。

「あ。そういやあの戦車のこと、実のところ鶴屋さんも疎んでたりします?」

「ハルにゃんの言ってたことかいっ? そうさね、下手したらホントに熱中症でコロッと逝っちゃう可能性もなくはないけど。端的に言って住めば都って奴にょろ」

 恐ろしいことを簡単に言ってのけるな。

 そんな危険なところでも都になり得ると言ってしまえるところもまた。

「でもあの子も、使えばあれはあれで楽しい子だよっ」

 あいつ……。

 ああも毎日SOSチームだけ汗を流して練習を終えるところを見ている俺も無理してまで乗れと言う気は無いが、あの代弁はただの独りよがりなんじゃないか。

「てことは鶴屋さん、今の授業は純粋に戦車に乗るのが好きで取ったんですね?」

「選択科目はそういう趣旨だよ少年っ。なにか気になることでもあったにょろ?」

 残念なことに俺の脳裏にはそうではない動機で履修した女子の面子を浮かべられるんだけども。そして、この人の場合はどっちに分類すべきなのか判断しかねていたんだ。

「鶴屋さん。少し話があるんです」

 

 海沿い、と言っていいのだろうか。

 ちょうどそこは学園艦の端っこだった。百八十度海を一望できるそこは学園艦の甲板外周をぐるりと沿う遊歩道として整備されていて、おあつらえ向きに屋根付きベンチも所々設置されている。

 俺は鶴屋さんとその一セットを貸し切り、素人探偵の気分で切り出した。

「鶴屋さんは、古泉となにかの繋がりがあると聞いたんですが本当ですか?」

「……あぁ、そゆこと。そだよ」

 切り出したササミを洗うだけ洗ってお湯で湯掻いただけのようにあっさりした肯定だった。

 俺たちの良き先輩は古泉と違って、人懐っこいというよりこっちが懐いてしまいそうな微笑を浮かべてはいるが、普段のより液体窒素を三ミリグラム混ぜ込んだような清涼感も感じる。

「キョン君はなにを聞きたいのかな?」

「古泉と、チームメイトのこと、どこまで知ってるんですか」

「古泉君が『機関』ってとこのエージェントで、ハルにゃんが神様ったっけ?」

 当たり、か。

 しかし朝比奈さんのことは聞かされていないらしい。鶴屋さんの口から未来人の「み」の字が出る気配のないまま話は始まった

「ものごっついびっくりしたんだよ。春休み満喫してたら突然、知らないおじさんたちがうちんとこ訪ねてきてね?」

「追い返したんですか」

「ちょー不気味だったからそうしようと思ったんだけど、あたしのプライバシーを住民票どころじゃないくらい言い当ててきて、実家にも話してあるからってさ」

 今のところ古泉の説明と相違はない。知らないおじさん達とやらが田丸兄弟か誰だか知らんが、『機関』がタッチしたのは間違いないとみていいだろう。朝比奈さんから聞いたなら、あいつの敬称は少なくともそれではないだろうからな。

「ハルにゃんが神様で、古泉君とこの組織は世界をしっちゃかめっちゃかにされないように動いてて、あたしの実家は昔から資金面でそれに協力してたって言うんだよ。でもあたしもう実家出入りしてないから、それがなんなのさーって聞いたら、あたしには別の仕事を頼みたいって言うんだ」

 海を眺める鶴屋さんの、パッチリ眼を瞼が倦怠感に取り憑かれて重くなったように若干隠すというセンチな横顔はおよそ似つかわしいものではなく、俺は見たことがなかった。

 まさか、あの戦車を献上したのも?

「あれをハルにゃんにあげたのはあたしの実家も古泉君の組織も黙認だけど、そういうのがなかったとしてもあたしは提案してたよ。アレよりいい戦車が最初に見つかってたら、さすがに言わなかったんだけどさっ」

 なら、鶴屋さんは今なにを押し付けられてるんですか。

 俺がそう聞くと、鶴屋さんは船の喫水からわずかに聞こえる波しぶきの音をひとつ聞くのを待って答えた。

「涼宮ハルヒと、親密な間柄になること」

「え?」

「ハルにゃんと友達になれってことだね、早い話。おじさんたちからお願いされたのは、それ一つ」

 俺は絞るように指を目頭にやった。

 なにを考えてんだあいつらは。幼稚園のガキンチョに縄跳びさせたりピクニックに連れて行く話じゃないだろこれは。いやそれよりも、つーことは。

 俺が鶴屋さんに向ける目に初めて疑惑がこもるのを、目敏く感じ取ったのかこっちへ向き、

「いやいやっ! ちょっと待ってほしいなキョン君。そう言われたってもそれで戦車道取ったわけじゃないんだよ!?」

 両手を振り乱し朝比奈さんみたいに狼狽えて否定されても、申し訳ないがこの先輩のことを上辺しか知らない俺の疑念は晴れない。

 現に鶴屋さんは言い付け通り、戦車道でハルヒと組んで友達みたくなってる。

「あたしは戦車道が復活するって聞いて、また乗りたくて入っただけっさ。そしたらハルにゃんもいて内心ドキーン! て、ひっくり返りそうになるのを我慢してなんにも喋らないようにしてたくらいなんだよ」

 そのあと、同じグループになったのは。

「それは杏っちの指示。戦車探すってときみんな友達同士で組んで、あたしたち以外はみんな見つけてきて、杏っちが「見つけた戦車に乗ればいいじゃん?」って言ったから。思い出してみればあたしたちって、見つけられなかったチームの寄せ集めなんだよね」

「なるほど」

 ん? ということは、あのとき長門は結局一人で行動していたことになるのか。SOSチームの前身の捜索チームがハルヒと俺、朝比奈さんと鶴屋さん、となると長門が残る。今あいつはただの女子高生だし、そんな長門にとっても戦車道なんてけったいな競技がある世界は初めてだっただろうし。

 私の役目は観測だからとかなんとか言って本屋に入り浸っていたのも考えられるが、今はそんなことは問題じゃないな。

「ハルヒと友達になれってのはどういうことなんですか。それがいったい何になるんです」

「古泉君とこが言ってたんだけどさ。ハルにゃんの力、弱まってってるらしいんだよね」

 その話に繋がるのか。

 古泉は言っていた。これは仮説なのだと。くどいくらいにそれを強調していた割に、俺のみならず鶴屋さんにまで言っちまうのかあいつは。

「練習試合の最後のアレもハルにゃんが起こしたらしいじゃん? あたしはそれまで見たことないからよく分かんないけども、やっぱキョン君もハルにゃんの力は弱まって見える?」

 超能力者でもない俺に分かるはずがない。

「キョン君も分かんないっか、あたしと一緒だね」

 俺に聞く意図が不明だが、連中はこの人には俺のことをどう説明していたんだろうか。俺を『機関』の連中と同じ目で見ないでほしい。

「んでね、あっこの人たちはこう考えてるんだって。『ハルにゃんにそういう人ができたら、その人と遊ぶことに夢中になって、不思議を求める気持ちを無くしていくんじゃないか』」

「……なんで連中はそれを、鶴屋さんにやらせたんでしょうか」

「そりゃあ、都合が良かったからじゃないっかなー? この学園にいて、しかも『機関』と契約してる鶴屋の子だよ?」

 モルモットの実験計画を聞かされているようで俺は段々と気分が悪くなってきた。

 古泉の野郎はこの学園に姿を現したとき歯切れが悪かったが、鶴屋さんの事情を聞き出そうとする俺を煙に巻いた「確証がないから」ってのは多分、ハルヒのことだろう。

 なにが「我々は観察を続けるのみ」だ。あいつら、お試し感覚でハルヒに手を出してるんじゃねえか。その上に世界の安泰のためだかなんだか知らんが、俺という前例があるといえ、間違いなく青春真っ盛りの普通の女子高生だった鶴屋さんまで刷り込み、巻き込むなんて。

「……キョン君の言いたいこと、分かるよ。でもあたし、今は思うんさ。そういう話がなくたって、あたしは多分ハルにゃんとはどこかで友達になってたって。一緒にいてあそこまで楽しい子ってそういないよ。古泉君とこに言われたからじゃない、あたしはあたしの勝手でハルにゃんの近くにいるつもりっさ」

 鶴屋さんはかつての世界での野球大会でも見たことない凛とした表情を湛えて、俺はこの先輩に叱られているような感慨に囚われるが、反面綱渡りを終えて息を安らげたような気分でもいた。

 鶴屋さんは『機関』のお願いを了承したのかもしれないが、お願いするまでもなく『機関』の第一の思惑は成功したと言っていいのだろう。今連中は多分、今後どう転ぶかで観察の目を一点にハルヒに注いでいるはずだ。今の鶴屋さんはちっとばかし俺たちの内情を知ってしまったカヴェナンター砲手でしかない。

 しかし俺は、綱渡りを終えたと思ったら今度は火の輪くぐりが行く手を阻みそうな予感もしていた。ここで重要なのは、鶴屋さんが一度『機関』に協力姿勢を見せたっつーことだ。この先俺の味方どころか邪魔者、最悪敵に回る可能性もある『機関』に、もし今後鶴屋さんが取り込まれでもしたら単純に俺が困るような気がする。

「鶴屋さん。あんまりそいつらの言うこと、信用しないほうがいいですよ。古泉や連中の言ってることは色々と普通じゃない」

「大丈夫っさ。古泉君とは今後も付き合いあるんだろうけど、あの人たちのことは今後会う機会もないと思ってるから」

 鶴屋さんがキラリと八重歯を覗かせるのを見て、俺はそれ以上の追及をやめた。サバけた笑顔の似合うこの先輩とこんな非常識極まりない話なんか、背中に節足動物のうごめく感覚に捕まって落ち着けやしない。

 願わくば、ハルヒが内外共に常識的な人間に向かっちまってるということの全てが連中の妄言であってほしい。ハルヒの力が依然猛威を奮っていたなら連中はうかつに手を出したりしないはずだし、俺がこうも悩む必要もないはずなんだから。

 

 しばらくしてベンチを立った俺たちはというと、座る前と変わらずまるで男友達といるかのように町をぶらつくしかなかった。ここが陸だったらまだアウトレットで冷やかししたり最近の流行ファッションにドン引いたりもできようものだが、如何せん垢抜けない町だ。

 ハルヒがこの学園のことを貧乏と切り捨てたのはあながち間違いではないのだろうか。

「キョン君?」

 不服なニックネームを呼ぶ声が隣の先輩から発せられたものでなく、俺は身動ぎした。

「あ、やっぱりキョン君だ。……つ、鶴屋先輩!?」

「おやおや可愛い後輩ちゃんたち! みんな揃ってお出かけかいっ?」

 人の輪をこれでもかと広げにかかるのがデフォルト設定の鶴屋さんがいては、知り合いに鉢合わせない確率のほうが低いってことかね。

 犯人は別クラスのコミュニケイト製造機、武部沙織。

 のみならず、姦しく四人の女も連れていた。Ⅳ号チーム改めあんこうチーム。知り合いどころか身内までいやがる。くそ、あんまり見られたくなかったのに。

「あんれ?」

 鶴屋さんが目をぱちくりするのに合わせて眉をひそめる俺。あんこうチーム五人が俺たちの姿を確認するや否や、何かに気付いた表情になるとその場で井戸端会議を始める。

「……い、いやあ、奇遇ですね先輩。キョン君も邪魔しちゃってごめんね?」

「すまんな、デ――むぐ」

「だめでしょ言っちゃっ」

 気だるげになにかを言いかける冷泉の口を武部の手が塞ぎ、それごと残りの女も連れて立ち去ろうとする。

「あたしたち行くから――」

「待て、誤解だ」

 

 断じて不本意だと断っておくが、数分後の俺は女六人を引き連れていた。クジの結果鶴屋さんと二人で出歩ける今日の運勢に浮き足立たんこともなかったが、俺の気のせいだったんだろう。

 俺は小心的な一般ピープルで、その後ろを背後霊のように女が六人もゾロゾロという状況はいただけない。これじゃあまるで俺が誑かしてるみたいじゃないか。戦車乙女の熱視線を集める古泉を妬んだ俺だが、いきなり神様に応じられたって俺自身が適応できない。

 それから小一時間後経った昼飯時、携帯に呼び出しの入った俺は学園前で仁王立ちするそいつへ全国指名手配犯のような心地で出頭したのだが。

「キョン、なにそれ」

 同じ学園の生徒複数人をそれ呼ばわりするハルヒだった。

 俺はハルヒの殺人光線から解放されたい一心で、回答をとにかく簡潔にまとめた。

「遭遇した」

「はあ?」

 ハルヒの眉間に皺が寄るのを見て、西住みほと武部沙織からもフォローが入る。

「ご、ごめんね涼宮さん。私たちが勝手に付いてきちゃったの」

「SOSチームのみんな、新しい戦車を探してるんでしょ? あたしたちも町を散策してたところだったし、面白そうだから手伝おうかなーって」

 つまりはこういうことだ。

 俺は肩を竦めて主張したがハルヒは納得せず、あんこうチームでも鶴屋さんでもなくなぜか俺だけに指差して糾弾してくる。後ろでは古泉が清涼感溢れる顔で頭をかき、長門はぼんやりと突っ立っていた。

「あんた、あたしは戦車を見つけてこいと言ったの。人間を見つけてこいなんていつ言ったのかしら」

「お前こそなにか見つけたのかよ。人間は人間でも、戦車を探してくれる人間だぞ」

「こんなに人増やしてどうすんのよアホキョン! この人数で行ったら探す場所が被るチームが出てくるでしょうが!」

「お前、この間は探し物はとにかくバラけたほうが見つかるって言ってたのに」

 別チームも見ている前だと言うのに唾を飛ばすハルヒへ反論をしたのだが、どうも引っ掛かるなにかがあったらしい。俺の言葉でハルヒは一瞬真顔に冷めて瞬きをすると、口許をニヤリと歪め顎に手を添えた。

「そうね……、分かった。喜びなさいあんこうチーム! 協力するという貴女たちの申し出を私は受け入れるわ! そうと決まれば地上だろうと地下だろうと、必ず戦力に足る戦車を見つけ出すわよ!」

「はい……?」と態度を反転させたハルヒに呆気に取られるみほ。地下ってなんだ?

 

 近くのファミレスで昼食を済ませる最中にハルヒが言い出したのはこうだった。

 学園艦は今俺たちがいる地上だけでなく、地下にも入れる。戦車は地上にあるものとは限らないのだから、頭数が増えた午後は地下も視野に入れて戦車を探し回るべし。

 行き過ぎるとそのうち海に飛び込んで探し回れと言い出しそうな、悪寒を呼ぶ理屈だ。

「じゃ、クジ引いて!」

 喫茶店で使用した+αで十一本に増殖した爪楊枝を差し出すハルヒの手元のテーブルには、新たなマジックも転がっていた。俺はそれへ視線を一瞬だけ留めてから適当な順番でクジを引いた。

 無造作に手を一閃させ、古泉が、

「今度は青ですね」

 白すぎる歯。こいつはヘラヘラしてばかりのくせに悪印象を抱く女が出ないのが不思議だ。

「わたしも」

 朝比奈さんがつまんだ楊枝は古泉のと同じ量産品だった。野郎、イカサマは許さねえぞ。

「あたし黒だね」

 鶴屋さんがつまんだ楊枝を俺に見せた。

「キョン君は?」

「残念ですが、緑です」

 ますます不機嫌な顔でハルヒは長門にも引くようにうながした。その隣のみほがなにか無味無臭の虫を噛み潰したように複雑な顔をしているのも少し気にはなる。

「……」

 長門、黒。

「私は……無印かぁ」

 どこか肩を落としたような竦めたようなみほ。

「え、青!? う、嘘……」

 武部はなぜ楊枝を下駄箱から発掘したラブレターみたいに見つめるんだろう、って、あぁ。

「ええと、私は赤でした」

 一同に見えるようにピンと立てる秋山。

「あら、赤ですわ」

 楊枝を持つだけなのに様になっている五十鈴。

「ふむ」

 と冷泉。

 えー、数が多くてややこしいがまとめるとこうか。

 緑、俺・冷泉。

 無印、ハルヒ・みほ。

 赤、秋山・五十鈴。

 黒、鶴屋さん・長門。

 青、古泉、武部、朝比奈さん。

「……」

 ハルヒの手に残った印の付いていない己の爪楊枝を親の仇敵のような目つきで眺め、それから俺と、休めていたネギトロ丼をちまちま食べ始めた冷泉を順番に見て、ハルヒはペリカンみたいな口をした。

「四時に学園前で落ち合いましょう。今度こそ何かを見つけてきてよね」

 メロンソーダをチュゴゴゴと飲み干した。

 

 俺は昼下がりの学園前で、喧噪も少ない冷泉と並んで立ち尽くしていた。

「どうする」

「……どうすればいいんだ?」

 まぁ、そうなるよな。

「……適当に行くか」

 歩き出すと自分の足でついてくる。

「今日はまともに歩けるんだな」

「私は朝に弱いだけだ」

「そりゃあよかった」

「全然よくない。低血圧はしんどいんだぞ」

「そういう意味で言ったんじゃない」

 午前とは打って変わって落ち着いた、いやローテンションな散策、いや探索だ。揃ってダウナーな閉鎖空間を形成した俺たちは、探索地帯の重複も気にしないでダラダラと道なりに進んでいった。歩幅も鶴屋さんの半分程度だ。

「お前、あんこうチームでは操縦を担当してるって聞いたんだけど」

「西住さんから聞いたのか? そうだ」

「試合は朝早かったのにちゃんと出られたんだな。素人目に見ても中々の操縦の腕前だったと思うぞ」

「朝はチームのみんなに叩き起こされたからな」

 ということは、俺が起きたときすでにいなかったみほもわざわざこいつの家を経由したんだろうな。冷泉は今俺の背を借りずにいるといえ、目は意識が今すぐノンレム睡眠に移行しても自然なくらい澱んでいる。俺はハルヒじゃないが、こんな奴が陸上兵器の象徴である戦車を動かしていると誰が想像できるだろう。

「お前も戦車に乗りたくて入ったクチなのか」

「違う。最初は書道を選択していた」

「マジか? 俺も一応書道だけど、見たことなかったような」

「戦車道に移るまで自主休講してたから」

 要はサボりだろそれ。俺でも出席数だけは一定数稼いでおくルールを課せているのに。

 俺は核心を突くが冷泉は目を逸らす素振りの一つも見せないで図太く自主休講と言い張る。

「なら、お前はもしかしてあのチビに入れられたとか」

「あのチビ?」

「会長だ」

「違うけど。……あぁ、お前は会長に入れられたのか」

「俺は自動車部の部員だ」

「自動車部に無理やり入れられたんだな。道理で」

「あん? なんだよ」

「気にするな」

 なにを手掛かりにその結論に辿り着いたんだろう。絶対口にはしないが、俺だって周囲の人間からどんなふうに見られているか気にならなくもない。最初からいる自動車部の男子部員Aとかそんなとこだろうと高をくくっていたが、ほとんど接点のない冷泉にですら権力の前に膝を折った奴に見えているのかと思うと忌々しい。

「――私は、西住さんに貸しを返すために戦車道に移った」

「あぁ。そんなことも言ってたっけな。あいつは何もしてなかったはずだが」

「そんなことはない。西住さんが声をかけなかったら、お兄さんはスルーしてただろ」

「……黙秘権を行使する」

「いいんだ。元々あの場面で私を助ける義理はないんだから」

 表情の変化が乏しいのを見ていると脳裏に長門が点滅しそうになるが、テンションの低いのが共通しているだけでクール系とダウナー系は違う。

 それでも俺は長門相手のときと同様に、しかしながら別ベクトルで楽観的でいた。俺もどっちかというとダウナー系の部類だし、この冷泉麻子には気を遣いすぎると却って疲れさせそうだ。

 とはいえ、いい加減に虚無的な行動を続けるのも俺がしんどくなってきた。適当に目星付けてどこかで潜伏したいが、肝心の俺が行きたいところもないしアテを想像するには疎い。

「で、私たちはどこに向かってるんだ」

 さあな。

「お前は戦車を探してるんじゃないのか」

 戦車に乗らない俺からすりゃどうでもいい。あいつに付き合わされてるだけだ。

「なら、私は図書館で時間を潰すのを提案したい」

 冷泉のほうこそ学園艦を散策してたんじゃないのか。

「安心してくれ。私もお前と同じだ」

 俺は冷泉に全権を譲ってついていった。

 海べりにあるのかとまた学園艦外周へ向かったところ、冷泉は甲板から突き出ているエレベータに乗り込み、地下へ運ばれていく。中は小洒落た西洋の装いながら陽の光入らず本の保存に適した、確かに本の蔵だった。

「番号、交換しないか。四時に近付いたら知らせるから」

「分かった」

 俺の提案に了承して赤外線を交わし終えると、冷泉は歩き慣れたハイキングコースを進むように階段でスキップフロアへ上がっていった。俺はというと適当なソファで休みたくテーブル席へ目を滑らせたが、俺的にハルヒとタメを張ると称賛できる短髪ポニーテールが目に留まる。

「小山さん、じゃないですか?」

「はい? ……キョン君」

「なにしてるんです?」

 椅子に着いたままでゆったりと振り向く副会長氏は、休日で単独行動だというのに制服に身を包んでいた。手にあるのは戦車の文献。テーブルで色々積み上げられて副会長を囲っている蔵書も、見た感じそんなようなものばかり。

「学園艦に戦車があった記録がないか調べてたの」

「ゴールデンウィークにですか」

「そう言うキョン君は、ゴールデンウィークに何しにここへ?」

「いやまあ……。別の戦車を探すとかゴネたSOSチームに付き合わされて休憩に来ただけなんですが」

「涼宮さん、いつも文句言ってたもんね」

 対戦練習で勝とうとも文句を一つも言わない日はなかったハルヒが戦車を探し出す思考回路に絞って見れば一般人と変わりはないが、あいつまさか生徒会にも探させるよう脅したんじゃないだろうな。もう六両あるのに。

「あは。大丈夫、そんなことはなかったから。チームはできたらもっと増えてほしいし、それに増えなくてもチームの数だけだと、もしあなたたちが修理で時間かかっちゃったりしたとき授業に参加できないチームが出てくるでしょ?」

 自動車部は俺と古泉が加わってやっと六人だし、訓練の日が連続しても訓練前の状態まで一晩のうちに戻しちまえるのは主力の女子部員四人の手柄だからな。今はなんとか保っているが、一人でも熱で寝込んだりしたらどうなるか分からない。あの人たちがメカマニアじゃなかったら暴動の一つや二つ起きてるところだ。

「手伝いますよ」

「いいの?」

「長くても四時前までですけど。俺も部員の端くれとして活動時間は縮めたいですし」

「キョン君も頑張ってるもんねぇ。じゃあお願いね」

 俺はちょうど空いてる隣の椅子を引いた。建前としてはこんなところだが、予備部員程度の実力に甘んじているため大抵夕方くらいには解放される俺にメリットは薄い。

 それよりも今ここで簡単なタスクを課しておけば、この静寂空間で寝過ごしてハルヒから怒号を浴びるリスクが潰せるのだ。こうも全然違う世界でも、前の記憶が役立つ場面があるとはな。

 副会長の積んだ未読の蔵書を山分けした俺はそれらしい記述がないか探し出す内職をしばらく続けていたが、少しもしないうちに副会長が沈黙を破った。

「キョン君。ごめんね」

「なんです? 急に」

「無理矢理私達に協力させちゃったこと」

 俺と副会長の手は止まっていた。俺の脳裏に、生徒会が俺や妹に高校中退という汚点を着せるネタで脅したダイジェストがプレビューされていく。呑んだあとで謝られてもな。

「怒ってる?」

「正直、あのときは怒りましたが。それよりも生徒会がなんで俺やみほを戦車道に巻き込んだのか、教えてくれないんですか」

「うん、言えないの。会長が魔が差したら話すこともないかもだけど、私からは言えない」

 後ろめたいあまり副会長が目を落とした先にあるのは、小さい地図やグラフも添えられたよく分からない論文の敷かれる蔵書。

「小山さんが自主的に文献を漁ってるのも関係のあることなんですか」

「……」

 そこで首を逸らしたりの反応でも見せてくれればよかったんだが、副会長はツキノワグマを前にしたように動かない。

 それも数秒するとなにか思案していたのかピンと指を立て、

「じゃあ、一つだけ。会長は誰よりも、この学園と町の人たちを愛してるがために動いているの。そして私と桃ちゃん――あ、広報の河嶋桃ちゃんね、私たちも会長と想いを同じくして行動しているだけ」

 思えば、俺が生徒会を権力に執着して好き勝手やり散らかす悪の権化だと忌避したのは最初だけだった。汚いやり口で強要したことを許したつもりはないものの、最近外野から眺めた限りで戦車道を取り仕切る生徒会の動きは俺の予想を遥かに超えて一心不乱で、あの頃より薄れてしまっているのは間違いない。

 肝心の目的は、さもすれば三年のこの人たちが卒業を前に実績を作ろうと躍起になっているだけとも考えたが、授業中は隊長のみほより一歩引いた姿勢なのが、先走ろうとする考えに待ったをかけている。

「私が言えるのはここまで。お願い、これ以上は聞かないで」

 副会長の口が貝になってしまうと、俺は口をへの字に曲げ内職に戻るほかなかった。

 

 結局のところ、肝心の戦車は成果もへったくれもなく、いたずらに時間と金を無駄にしただけでこの日の野外活動はタイムリミットを迎えた。冷泉と共に数分前で学園前に戻ると、火事でアパートから避難してきたかのような九人が群がっている。

 ハルヒは宿敵を前にするような不機嫌オーラで、

「収穫は?」

「何も」

「ちゃんと探してた? ふらふらしてたんじゃないでしょうね。冷泉さん?」

「図書館で昔の記録を探してみたが、芳しくなかった」

 ハルヒのキリングビームを向けられた冷泉が、予想外にも俺の答えを代弁してくれた。図書館では別行動だったし打ち合わせしてないが、もしや冷泉も探していたのか?

 公式回答が俺の生返事ではなく外野チームの人間から発せられればハルヒも必要以上の追及をしないのではと期待したが、

「本当? 歩き回るのが嫌でくつろいでたんじゃないの?」

 と、答えた冷泉でなくこっちへ向いて鋭い槍を投げてくる。

 動機がどうであれ午後の俺は健気にも努力を払ったのだ。

「言いがかりする前に、そっちこそなにか見つけなかったのかよ」

 うぐ、と詰まってハルヒは下唇を噛んだ。放っとくとそのまま唇を噛みやぶらんばかりである。

「ま、一日やそこらで発見できるほどその辺に転がってたら、他の人間に見つかってるだろ」

 単なる廃車よりは金になりそうだしな。

 フォローを入れる俺をジロリという感じで見て、ハルヒはつんと横を向いた。

「来週、学校で反省会だからね」

 きびすを返し、それっきり振り返ることもなくあっと言う間に人混みに紛れていく。

「これで解散だね。じゃまた、学校で」

 残された俺たちも、武部の一声で各地に散らばる。

 最後は、同じ屋根の下暮らす俺とみほ。

「お疲れさま、キョン君。帰ろうか」

 ああ、帰らせてもらおう。しかし俺は慣れてるからまだいいが、みほはハルヒチームの一員になっちまったし疲労困憊だろう。

「えへへ……。正直、すっごい疲れちゃった。涼宮さん、ものすごい早足でどんどん歩いていっちゃうから」

「あいつのオモチャにはされなかったか?」

「最初はそうだったかもだけど、一緒に商店街を回ったりしちゃった」

 連休なのに商店街開いてるのか――って、あいつの方がふらふらしてんじゃねえか。

 せめて俺からでも謝辞を告げるべきか迷っていると、みほは疲れこそ滲んでいたものの、昼に遭遇したときより明るい笑顔で俺を見上げていた。

「ついていくのは大変だったけど、すっごく楽しかった。涼宮さんも多分、休日にお友達と遊んでみたかったんだよ」

 俺は咄嗟に二の句が継げなかった。友達というワードで近頃古泉や鶴屋さんから聞かされた話のほうに意識が飛んじまったのもあるし、ハルヒと正反対のみほが機嫌を悪くするどころか楽しかったなどと言うのに面食らったのもある。

 

 途中で寄ってみた自転車屋は閉まっていた。



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ハルヒ「戦車探索をするの!」2

 つつがなく連休も明けた、平日初日。

 世界がハルヒウイルスに感染して一ヶ月経過したところでもあるのだが、幾度となくハルヒにかき回されてきた俺たちのとは違い、こっちは頑強にできているのか無意味に滅亡する気配は感じられず、俺は義妹と朝の通学路を歩んでいる。

 ところで道行く同じ生徒と思しき学生は誰も彼も徒歩だが、この学園に自転車通学という文化はないもんかな。

「ないと思うなぁ。学園艦だから」

 その心は? とみほに訊ねる。

「陸よりも敷地が限られてるでしょ? 例えば家とか職場は生活のために必要だけど、自転車はなくても移動できるから止められるところも多くないし」

 の割に道路が敷いてあって自動車も走っているがそれは?

「物資を運ぶのには必要だよ。なによりこの学園艦も創設当時から戦車道があったから、道路を作らなかったら困っちゃうと思う」

 それには一定の納得も行くとはいえ、駐車場に比べれば駐輪場の占有面積などたかが知れているとも思うんだが。船に街の機能と戦車の競技スペースを詰め込む上で取捨選択された結果なのか。

 などと束の間の平和の下に世間話を展開していたのだが、所詮それは束の間に過ぎなかったらしい。何故なら、学園の校門でビラを配るバニーガールが見えたからである。

 がちりと地面に釘打ちされた俺につられ、みほも足を止めた。

「キョン君?」

「なあ、あの学園は正門以外に入口はないのか」

「せ、正門以外? うーん、遅刻しない範囲でそんなのあったかな……。でもどうして?」

 俺の求めるままに思慮を巡らせてくれるのもいいが、急を要するんだから理由は聞かないでもらえるとなお良い。だってほら早くしないと――

「あ。キョーン! 西住ちゃーん!」

「……」

 ああ、黒いバニーガールに見つかっちまった。さすがのみほも気が付いたか、引き攣ったぎこちない笑みに歪む。同時に、俺たちに刺さる周囲の生徒の疑念の眼差し。他人のフリはもう無理だなこりゃ。てか西住ちゃんって。

 なにが誇らしいのか、仁王立ちに四百万ワットの笑みで手を振るハルヒの元へ歩いていくとそこには。

「ぁ、ぉは、おはようございます」

 おおう。

「あ、朝比奈さん……?」

「ちが、違うの、これは」

 みほの引き攣った笑みが目まぐるしくも今度は困惑の色に変わる。そう例えば、清楚と評判だった女子が路地裏で春を売っているのを目撃してしまったかのような。

 ところが俺はというと、見慣れた赤いバニーガールことマイスウィートエンジェル・朝比奈さんの縮こまりながらも懸命な挨拶を前に、別の意味で二の句が継げなかった。

 ビューディフォー。朝からこれは毒だ。

「キョン」

 二百万ワットほどの節電モードに切り替えたようなハルヒの声で俺は我に返る。

「なにしてんだ朝っぱらから朝比奈さんまで巻き込んで。戦車探しの宣伝か?」

「なんで分かったの? あんたにしては冴えてるようだけど、気味悪いわね」

 うるせえ。

「その衣装はどっから見つけてきたんだ。どうせ通販か何かなんだろうが」

「もっと経済的よ。連休中に自作したの。このチラシも、二百枚くらいね」

 そんなことしてたのかこいつは。連休初日の探索をこいつなりに振り返った答えなんだろうが、それが衣装を自作させるほど情熱に満ちたものなのはこいつだけ、というより、ハルヒ以外は目的すら忘れている可能性のほうが大きい。

 眼前の毒から逸らしておきたいのもあって、内容はもう答えが出ちまってるが渡されたビラに目を通す。

 

『SOSチーム結成に伴う所信表明。

 わがSOSチームはこの世の戦車を広く募集しています。殊に、乗った上で不思議な経験をしたことのある戦車、今現在とても不思議な境遇にある戦車、遠からず不思議な運命を辿る戦車、そういう戦車があったら我々に相談するとよいです。我々が引き取ります。この際いらないけど置き場所に困ってる普通の戦車でも構いません。メールアドレスは……』

 

 俺は額に手をやった。答え以上だ。

「ハルヒ。これで戦車がどっからか湧いて出ると本気で思ってんのか」

「あたしはできないと思ったことはやらないわ」

 つまり、どこからか湧くか降ってくると本気で思っているということだ。

「あの、涼宮さん。不思議な戦車って、どういうこと?」

「早い話が曰く付き戦車とかね。呪われてるのでも悪くはないけど、不思議な幸運をもたらす戦車が望ましいわ」

「どうして?」

「あたし考えたのよ。カヴェナンターは確かに欠陥戦車だけど、練習試合であんなことが起こって逆転勝ちできたのは、あの戦車がなにかそういうものを持ってるからなんだって。古今東西おかしなものは必ずなにかが宿っているものなのよね」

 なんたる手の平返しか。

「なら、ずっとカヴェナンターを使えばいいんじゃないのかな」

「少しは考えなさい。試合の度に毎回不思議をもたらしてくれるとは限らないわ。ひょっとしたら一回だけの使い切りかもしれないでしょう?」

 みほの押し問答がハルヒに通用するはずもなく、理解不能な超理論に絶句してしまう。

 というか、曰く付きかどうか問わず戦車がゴロゴロと出土されると多大な負担を背負うのは俺含む自動車部なわけだが、要は呪いの力で勝利を得続けるために戦車をコレクションしたいってのか。いや、一回使い切りなら使った後は鉄屑業者に引き渡すだけでいいのか?

「お前なあ。ただでさえ見つからないのにハードル上げてどうすんだよ」

「でもちゃんと、普通のでもいい、って書いてあるでしょ」

 契約書の文末に小さく載せた落とし穴みたいな妥協案にいったいどれくらいの人間が目を留めるだろうか。一般人ならこのビラを二行読んだところでチリ紙ボックスに放り込むだろう。

「こらぁー!」

 そのとき、こっちへ激を飛ばしてくる連中が現れた。生徒会雇われの教師連中かと思ったが、軽快に走ってくるのは腕に風紀委員の腕章を付けた女の三人組だ。

「なによ、あんたたち」

「見れば分かるでしょ、風紀委員よ! そのふしだらな恰好は何!」

「戦車道の活動よ。あたしたち戦車が必要だから、あったらちょうだいって宣伝してんの」

「そんな宣伝にその恰好は必要ないでしょう!」

「世間にも聞いてみるといいわ。ケーキの販促でサンタに扮する必要があるのかとか、球場に着ぐるみが必要なのかとかね。それより、この恰好イコールふしだらと見るあんたこそ風紀的問題があるんじゃないの?」

「なんですってぇ!」

 前にも会ったおかっぱの風紀女が果敢にもハルヒに噛み付くものの、本人はどこ吹く風。その傍らで朝比奈さんはおっかなびっくり三歩ほど身を引くが、一々尋問しなくとも主犯が誰なのか検討は付くらしいな。

 と俺が高みの見物に乗じていると、

「そういえば、あなたたちも同じ受講生だったわね?」

 げっ。こっち来たよ。……待て、俺は受講生じゃないぞ。毒されすぎてるかな。ハルヒの浸透戦術か。

「わわっ。私はこんな宣伝、なにも知りませんでしたし!」

「なら同級生として直ちに止めさせなさい。でないと、あなたたちを公序良俗の規則違反として戦車道の単位を止めるわ」

「ええ!」

 おいおい。いくらなんでもそれは、

「言っておくけど、あなたも入ってるからね」

 なんで俺が。授業取ってないのに。

 反論するとキッと強気の眼差しを向けてきて、

「あなたも部活から活動に関わってるから、連帯責任よ。あなたの場合は同じ選択科目の書道の単位を止めることになるわ」

 ハルヒの殺人光線には滅法敵わないにしても、この脅迫は少なくとも俺には有効だった。なんでどいつもこいつもこう簡単に人の生命線をぶち切りたがるんだ。

 しかし侮れない。彼女たち風紀委員が手にするタブレット端末は生徒の遅刻の数から単位の数まで記録ができると聞いている。そんなものを、学園艦を統括する生徒会が持たせているんだ。情けなくも俺に選択の余地はない。

「ハルヒ、頼む。即刻それを止めてくれ」

「はぁ!? あんた寝返るつもり!? プライドってもんはないの!?」

 もちろんあるとも。ダブりたくはないというプライドはな。

 それによく考えろ。お前は朝比奈さんとみほまで巻き込んじまってるんだぞ。朝比奈さんは受験生だし、みほなんか戦車道の家の子だ。なにもこの人たちの経歴に傷を付けなくたって、呪われた戦車の捜索はできるだろ。

 授業の始まる時間が近いのも相俟って早急に場を収めるべく、ハルヒの寛容さを引き出さんと熱心な説得に終始する俺をハルヒはじとっとした目でみやっていたが、波及すると考え得る限りのリスクを解説する俺の言葉をどうにか理解したのか、

「解ったわよ」

 ふてくされたように言い、ぐすぐす言う朝比奈さんも連れて校舎へ撤退していった。

 前言撤回を表明した風紀委員からも義妹共々ようやく解放され、俺はブドウ糖の消費に憂慮する間もなくどうにか更なる予防の手立てはないかと頭を巡らせるのである。

 ええと。他にやらかしてないことってなんだっけ。

 

 次の日、朝比奈さんは学校を休んだ。

 

 

 この学園には二人の有名人がいる。

 西住みほは隊長を務め、ウン十年ぶりの大洗戦車道の試合でいきなり初白星をもたらした名将と囃されているとは、休み時間に談笑していた谷口の弁だ。そっちの界隈ではそれなりの話題性があったらしい。

 ゲームで出てくるような情報屋的イメージは谷口には持っていないので戦車道に興味があるのかと思ったが、

「別にないが、俺的美的ランキングの上のほうにいる女子のことはマメに調べてるからな。女と関わりを持ちたかったら話のきっかけになりそうなもんをいくつでも持っておくもんだぜ? お前も――」

 などといつものナンパ講釈を始めかけたところで適当に話を逸らし――ておきたかったのだが、どうも今俺の頭にある他の話題のどれもが自分の墓穴を掘りかねないものばっかりで口が開かない。

「それよりも昨日はすごかったね。登校したらバニーガールに会ったときは夢でも見てると思う前に自分の正気を疑ったもんね」

 こちらは国木田。ピンチヒッターを務めてくれたのはいいが、その話題は今しがた俺が脳内で切り捨てた話題の一つだ。

「このSOSチームって、涼宮さんの戦車チームだよね? 彼女たち、既に戦車持ってたんじゃなかったの?」

 ハルヒに訊いてくれ。俺は知らん。知りたくもない。仮に知ってたとしても言いたくない。

 ハルヒのことはともかくみほについては、まあ大層なことだとは思う。女子高生らしく華々しい青春やってるって感じだ。

 問題は、そのもう一人の方である。

 俺的観測としては、校内に限れば明らかにハルヒの知名度は超越し、全校生徒の常識にまでなっていた。いやそれまでも兆候はあったのだ、ただバニー騒ぎが決定打となった。一方みほの話は、戦車道に関心のない生徒からすれば『ふーん。すごいじゃん』で終わるだろう。不思議なことに人の噂ってのは良いものより悪いもののほうが広範的かつ瞬時に広まっちまうからな。

 ハルヒの奇行が全校に知れ渡ろうがどうしようが俺の知ったことではない。元の世界と同じく周囲の奇異を見る目が、ハルヒのオプションとして朝比奈みくると俺にまで向いている気がするのも、この際目を瞑るにしたって構わない。

 だが、俺たちは世界の異物であることを忘れてはならない。この世界はハルヒが想像したと仮定するには生々しすぎる。異世界ってもんは確かに存在していて、もし俺たちが退去しても続くかもしれないこの世界の人間の将来を滅茶苦茶にして、俺は平然としていられる自信がなくなってきているのだ。

 

 昨日のバニー事件で俺の説得に折れてくれたハルヒのその後はというと、憤激しているというほどではないにせよ、終日ふてくされたような拗ねたような、面倒臭いオーラを放ち続けていた。昨日が選択科目のない曜日だったのが僅かでも俺の救いだぜ。

 その一方、ハルヒの気分屋という俺が普段振り回される原因の側面もこのときは有利に作用し、オーラは日が変わっただけで忽然と消え俺は胸を撫で下ろしたのである。

 

 

 その放課後、ハルヒと俺の会話。

「ねえキョン、あと必要なのはなんだと思う?」

「なにが」

「やっぱり、通信端末の一つは押さえておきたいところよね」

「喋り出す前に、文脈をまずはっきりさせてくれ」

「SOSチームに必要なものよ。パソコンの一つもないなんて、この情報化社会で許しがたいことだわ」

「誰が許さないってんだ」

 今日も選択科目のない曜日だ。戦車に乗ってる方が素行はまだマシなんじゃないか。

 それよりも、パソコンね。

 俺の脳裏には散々辛酸を舐めさせられた気の毒なコンピ研部長氏の顔が、浮かぶまでもなかった。この学園にコンピュータ研究部が存在しないことはあらかじめ調べてある。喜べ、コンピ研一同。あんたらはハルヒからすれば連れてくるに足らない人間だったようだぜ。朝比奈さんも偶然だろうが今日休んで正解だったな。どこの馬の骨だか知らない男に胸を揉まされる危機は潰えている。

 ならば、こいつはどうするつもりなんだ?

「じゃ、調達に行くわよ!」

「電気屋でも襲うつもりか」

 ハルヒの唇から答えが発せられる寸前、

「キョン君」

 別クラスのみほが鞄を携えて入ってきた。住居が同じなのでなんとなく登下校共にするのが日課になっているが、今は間が悪い。みほはHRが終わっても未だ椅子に張り付いている俺と次にハルヒを気まずそうに一瞥しながら、

「一緒に帰ろうと思ったんだけど……、もしかして取り込んでる?」

「まぁ。俺のことは気にしないで――」

「待った」

 突然割り込むハルヒの手。にやりと歪む口角。俺は寒気がし、いち早くみほにアイコンタクトを図った。

 帰るべきだ。今すぐに。

 目をパチパチさせている俺をみほは怪訝な顔で見下ろし、いかなる理屈か、頬を赤らめた。だめだ、やっぱり通じてない。

 

「ふわわっ。涼宮さんっ、どこ行くの」

「いいからっ」

 もうこうなってはどうしようもできん。みほはハルヒに手を引っ張られながら、俺も金魚の糞みたいに鞄を持って付いて行くこと数分。

 自分の記憶を疑ったね。倉庫に近い側の校舎の隅の部屋。表札には『コンピュータ研究部』の文字。

 俺に目を擦る暇も与えずハルヒは平気な顔でドアを開いた。

「こんちわー! パソコン一式、いただきに来ましたー!」

 懐かしい手狭な一室。何台ものタワー型パソコン。ファンで振動する空気。

 むさ苦しい男の群れが何事かと身を乗り出して入口に立ちふさがるハルヒを凝視していた。

「部長は誰?」

「僕だけど、何の用?」

 立ちふさがったのは全く知らない顔に変わっていることもなくご丁寧に俺の記憶そのままの人物だ。久方振りに見る部長氏は卒業までずっとここにいるつもりなのだろうか。

 ハルヒは笑いつつも横柄に、

「用ならさっき言ったでしょ。一台でいいから、パソコンちょうだい」

「え?」

 部外者の顔から抜けきらないみほ。

 視線が交わるのはハルヒと部長氏のタイマンだが。

「ダメダメ。ここのパソコンはね、みんな予算だけじゃなく部員の私費も積み立てて買ってるんだ」

「いいじゃないの一個くらい。こんなにあるんだし」

「あのねえ……ところでキミたち誰?」

「戦車道SOSチーム車長、涼宮ハルヒ。この子は西住流家元の娘でもある隊長の西住ちゃんと、あたしの部下その一」

 肩書きが悠長を通り越して何故か説明口調である。部下その二呼ばわりしないとは意外だがどんな心境の変化だろう。当の隊長は、説明皆無で放り込まれた状況に右往左往。

「SOSチームの名において命じます。四の五の言わずに一台よこせ」

「自分たちで買えよ。戦車道ならそっちのほうがお金はあるんだろ」

「素直じゃないわね。なら、こっちにも考えがあるわ」

 やっぱりこうなっちまうのか。すまん。後でいくらでも埋め合わせはしてやる。

 世界の法則と書いて予定調和と読む状況を前に無力な俺が合掌の念を捧げているうち、ハルヒに捕まった部長氏の手がみほの胸に押し付けられた。

「ぇ? ――ふやああ!」

「うわっ!」

 パシャリ。

 二種類の悲鳴とステレオタイプなシャッター音が響き渡った。

 続いてハルヒに部長氏がみほごと突き倒されたところで再度パシャリ。

「何をするんだぁ!」

 ハルヒは卑しくも己の携帯電話の画面にでっちあげ写真をプレビューしてみせ、ようやく起き上がったその顔面の前で優雅に指を振った。

「ちちち。あんたのセクハラ現場はバッチリ撮らせてもらったわ。この写真をネットにばらまかれたくなかったらさっさと耳揃えてパソコンよこしなさい」

「そんな馬鹿な! 君が無理やりやらせたんじゃないか、僕は無実だ!」

「写真一枚とあんたの言葉、世間はどっちに耳を貸すかしらね。あんた、分かってる? ここで頷いとかないと社会的に死ぬわよ。戦車道大御所の家元の娘にセクハラを働いたなんて広まったら、敵は校内に留まらないでしょうねえ」

「こ、っここにいる部員たちが証人になってくれる!」

「そうだぁ」

「部長は悪くないぞぉ」

 石化していた部員たちもパソコンよりは時間を要して再起動するが、気の抜けたシュプレヒコールが通用するハルヒではない。

「部員全員がこの子を強姦したんだって言いふらしてやるっ!」

 みほと部長以下多数の顔が青ざめる。

「涼宮さんそれはっ……!」

「どうなの。よこすの! よこさないの!」

 よろめきながらも小鹿のように立ち上がって懇願するみほを無視しハルヒは敢然と迫る。

 赤から青へ目まぐるしく変色していたが、元の世界でよりも割かし早かったんじゃないだろうか。

 ついに顔を土気色で覆った部長氏は崩れ落ちた。

「好きなものを持って行ってくれ……」

「部長ぉ!」

「しっかりしてください!」

「お気を確かに!」

 項垂れた部長氏へ部員が駆け寄る中、ハルヒの物色が始まる。

「最新機種はどれ?」

「なんでそんなことを教えなくちゃいけないんだよ」

 冷徹にも、無言でまだプレビュー表示してある携帯を指さしてみせる。

「くそ! それだよ!」

「昨日、ショップに寄って店員に最近の機種を一覧にしてもらったのよねえ。これは載ってないみたいだけど?」

 タワー本体のメーカー名と型番を、すかさず取り出した紙切れと見比べるハルヒ。

 昨日の不機嫌は下校時間までに快復していたようだな。そういや古泉が音沙汰ないが、神人討伐観戦はまだしなくていいのかな。

 ハルヒはテーブルをぬって確認して回り、その中の一台を指名した。

「これちょうだい」

「あぁ待ってくれ! それは先月購入したばかりの……!」

「カメラカメラ」

「……持ってけ! 泥棒!」

 こうしてまんまとせしめた後も、盗人猛々しいところは変わりない。ハルヒはいっさいがっさいを戦車倉庫まで運ばせた挙句、インターネットを使用できるよう無線LANの設定まで部員たちにやらせた。屋外を挟んでいるのを考慮してか、さすがに電源は倉庫に止めているカヴェナンターからの自前である。彼らからすれば何の譲歩にもなっていないだろうがな。

「みほ」

 出払った部室の空席を借りてテーブルに突っ伏し顔面を隠す小さな身体に、すっかり手持ち無沙汰になってしまった俺は、

「とりあえず、帰ろう」

「うう、くすん……」

 しくしく泣いているみほを介添えして立たせた。こんなけったいなチームに関わらないほうがいいと忠告してやりたいところだが、それはどちらかが戦車道を降りない限り無理な話である。なので俺は、泣きやまないみほを宥めながらこの先のあらすじを回顧して、いかにペタバイト単位のSOSロゴをハルヒに作らせないかを考えていた。

 

 予想通り後日、ハルヒは俺にホームページ作成の依頼も命じた。まず掲載する内容は、ハルヒが先んじて作っておいたメールアドレスとあのビラの全文。ハルヒ曰く、

「あたしたちの練習中はどうせヒマでしょ」

 とのこと。戦車の授業での俺たちが試合中観戦しているだけなのが搭乗員たちからはそう見えても仕方あるまい。

 まあホームページくらいならとネットから適当に素材をかき集めてまたもやホワイトバックでトップページだけのをサクッと作ってやった。問題はあのロゴマークなのだから。

 その後、俺は周囲の目を盗んで長門を倉庫内のSOSチーム区画のテーブルに呼び出した。

「……」

 長門は早速車長席に鎮座するタワー型パソコンへ視線を注いでいる。

「知らなかったら知らなかったでいいんだが、お前、この学園にコンピ研があったのは知ってるか? そいつは前と同じようにそこからの鹵獲品だ」

「以前は存在していなかった」

「ああ。なのに今じゃ部活どころか面子も元の世界のままで存在してる。なにが起きてるのか、分からないか」

 ちなみに、今学園のホームページにアクセスしてもその文字ははっきり載っている上、ご丁寧にもみほの保存してあるパンフレットにまで以前からあったように書かれていたので、俺の証言以外に示せるものはない。長門も承知してくれていたのは助かった。

 末恐ろしいことに長門はあたかも委縮しているかのような沈黙を貫いてから、

「今現在の私に涼宮ハルヒの情報改変を観測する力は皆無」

 皆無とまできたか。お前の私見でもなんでも構わない。

「情報が不足している。消去法で彼女がなんらかの改変を施したと疑うほかない」

「……あとな。ハルヒがホームページを作れと言い出した。このままだとまたあのロゴマークが産まれるかもしれんが、まさかこの世界にまでお前のパトロンの親戚の生き残りは冬眠しちゃいないよな?」

「この銀河が元の世界と根本から違った様相を呈しているものではない以上、情報生命体が発生しないとは断定できない。彼女によって作成される前に、私が作成しておく」

 やってくれるか。なら頼むぜ。もちろん、ZOZチームなるリテイク版でな。

 最早収穫が坊主なのも慣れてきた。緊張疲れもあるのか俺はグダグダになりかけて、

「あなたは」

 長門の瞼がマイクロメートル単位で上へ持ち上がった。

「あなたから、今の彼女を見て気付いたことはある?」

 分かんねえな。強いてあげるなら、ハルヒの目にも不思議と映る現象が起こってなお、ハルヒの最優先事項が戦車なのは変わっていないこと、とか。このパソコン強奪の動機だってそうだった。

「もしこの世界の彼女の目的が戦車道を通じて栄光を得ることなら、彼女はこれを進める際に障害が発生次第、その打開策として改変を行う可能性が挙げられる」

 それが良い方向か悪い方向かは、

「彼女のみぞ知る」

 俺はツナギの女子部員たちに声を掛けられるまで、長門とパイプ椅子に座り込んでいた。



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