■■士郎のシンフォギア (トマトルテ)
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1話:救われぬ少年

 

「聖遺物の反応を確認して来てみれば……こんなことが起きているなんて予想外だわ」

 

 炎の赤と灰の黒だけが瓦礫の山を彩る世界。

 それは人を炭素に変えて殺すためだけに存在する災厄、“ノイズ”が生み出した世界。

 

 その中に異物と感じる程に、神聖さを漂わせる黄金が踏み入って来る。

 人間離れした美貌。長く伸ばされたクリーム色の髪。

 そして何より、知性の中に狂気を漂わせる黄金の瞳が特徴的な女だ。

 

「どうして()()()がこんな所に在って、()()()の中に入っているのかは……今はどうでもいいことね」

 

 女、フィーネは黄金の瞳でそれを見る。

 無数の人の形を残した炭ではなく、それを庇ったかのように崩れ落ちている炭でもなく。

 燃えカスのように残る、小学生ぐらいの赤銅の少年を見ていた。

 

「今日の私は幸運だった。二課は司令交代のゴタゴタで素早く動けず、櫻井(さくらい)了子(りょうこ)は偶然の休み。おまけに聖遺物は半覚醒状態で、現段階の技術では私以外に気付ける人間が居ない」

 

 終わりを意味する名を持つ者、Fine(フィーネ)は自らの幸運に嗤う。

 特異災害として認定された未知の存在、“ノイズ”に対処する『特異災害対策機動部二課』も、今は聖遺物のイチイバルの紛失の煽りを受けた司令交代の真っただ中で、通常の対応速度よりも数段落ちている。そして何より、フィーネの仮の姿であり二課の技術主任たる了子が居ない今は、目の前の聖遺物に気づける者はいない。

 

「聖遺物との融合なのか、それとも元々こういった使い方があったのか。フフフ、何にせよ、私にとってはタダも同然で腑分け(ふわけ)の検体と聖遺物が手に入るのだから。感謝の1つもしないといけないわね」

 

 フィーネは妖艶な笑みを浮かべ、赤銅の少年を抱え上げる。

 そして、名前の部分だけが残った少年の最後の名残りである名札を読み上げるのだった。

 

 

「―――士郎君?」

 

 

 こうして、少年の運命は狂うこととなる。

 正義の味方に救われず、恋に狂った魔女に拾われた少年の――

 

 ―――歪んだ運命が始まるのだった。

 

 

 

 

 

 少年、士郎がフィーネに拾われてからおおよそ10年が経った時、彼は。

 

「士郎ー! 飯まだなのかー!?」

「後、もう少しだから大人しく座っててくれよな、クリス」

 

 料理を作っていた。

 

「早くしてくれ、背中と腹がくっつきそうだ」

「はいはい。もう少しだから皿でも並べてといてくれ」

 

 テーブルに豊かな胸を押し付けてぐてーと寝そべる銀髪の美少女、雪音(ゆきね)クリス。

 そんなサービスショットに特に気づいた様子もなく、士郎は調理を続ける。

 

(豚汁は後はネギを入れて温めなおせば完成。サケのホイル焼きはさっき蒸し始めたから、後10分ぐらいだな。その間に野菜炒めの方をするか)

 

 豚汁に使う際に一緒に切って置いた豚肉を冷たいフライパンに入れ、弱火で炒め始める。

 それに並行し、軽く茹でておいた人参に加えて、キャベツやピーマン、もやしなどを別のフライパンに入れ、そこにサラダ油を適量入れて炒めていく。

 

(強火で一気にって出来たらいいけど、普通の家のコンロじゃ火力が足りない。だから逆に弱火で時間をかけて炒めることで、野菜を固くしてシャキッとさせる)

 

 2,3分おきに野菜をひっくり返すように混ぜて、全体に熱を行きわたらせる。

 その間に片手間で豚汁にネギを入れて温めなおしていく。

 そうした作業の中、野菜がしんなりとしてきたところで豚肉を加え、日本酒・塩・胡椒・醤油などで味付けしていく。

 

(最後に香ばしさが出る様に30秒ぐらい強火で炒める。で、仕上げにゴマ油をフライパンの中央に加えて香りづけをしたら……よし、完成だ)

 

 ふうっと、満足げな息を吐き士郎は火を止める。

 一口味見をしてみるが、クリスの口にも合うだろうと満足げに頷く。

 

「クリスー、出来たから取りに来てくれ」

「待ってました! よし早くつげ!」

「分かったから、そんなに慌てるなって」

 

 寝そべっていた状態からガバッと起き上がり、キッチンに突撃してくるクリスに苦笑しつつ、士郎は料理を皿によそっていく。取りあえず、お腹が空いてそうなのでクリスのは多めにつぎつつ、彼は流し台にあるまな板と包丁に目をやる。

 

(クリスに急かされたから、片付けるの忘れてたな。こいつらだけでも先に洗っておくか)

 

 料理も掃除もきちんと順序立ててやれば、手間は少なくて済む。

 そんな信念がある士郎は、主に食後の自分のために片づけを先に済まそうとする。が。

 

「おーい、士郎。早く飯食おうぜ」

「別に先に食べてていいぞ、クリス」

「片付けなんて後で良いだろ。ほら、飯が冷めるぞ」

「……普通それは料理を作った側が言うもんじゃないのか? 後、後片付けも基本俺がやるし」

「飯が冷めるのは事実だろ? ほら、食おうぜ」

 

 アメジスト色の瞳にジーッと見つめられれば諦めるしかない。

 士郎はしょうがないなと言った表情で、エプロンを取って食卓につく。

 向かい合うように座る2人は恋人……というよりも、どこか家族のような自然な空気を醸しだしている。

 

「じゃ、食うか」

「ああ」

「「いただきます」」

 

 2人揃って手を合わせる。

 しかし、その後の行動は対照的だった。

 

 豚汁をすすり、良い味だと1人頷く士郎。

 危なっかしい箸の握り方で、野菜炒めを頬張り、ご飯をかっこんでいくクリス。

 

「うまい」

「うめえ」

 

 士郎は上品とは言えずとも、特に目につくような点の無い食べ方をする。

 一方のクリスは、年頃の少女がそれでいいのかという豪快な食べ方だ。

 箸の握り方はダメで、ポロポロと食べかすが落ちていく。

 端的に言えば、小さな子供の食べ方だ。

 スパゲッティを食べた日には口元が真っ赤に染まっていることは間違いない。

 

「また腕を上げたんじゃねぇか、士郎?」

「喜んでもらえて何よりだな」

 

 そんな人によっては百年の恋も冷めるような食べ方だが、士郎はそれが好きだった。

 クリスの食べ方はハッキリ言って汚い。だが、それを帳消しにする程美味しそうに食べる。

 料理人冥利に尽きる顔なのだ。

 だから、士郎はクリスの食べ方を注意したことも無ければ、気にしたことも無い。

 クリスの顔は本当に美味しそうに見えるから、彼は。

 

(俺、ちゃんと()()()()()()生きられてるな)

 

 自分が他人に貢献できていると、実感することが出来る。

 何より、他人のために何かをしているという事実だけが。

 

「士郎、おかわり!」

「はいはい、ちょっと待ってくれよ」

 

 士郎にとって、自分が生きることを許していい理由になるのだから。

 

 

 

 

 

 雪音クリスと士郎の初めての出会いは、今から2年前のことだった。

 

「えー…と、俺は士郎。よろしくな」

「……雪音クリス」

 

 とある研究所の生活スペースの一角。

 そこでの困ったような士郎の笑いと、心を固く閉ざしたクリスの無愛想な挨拶。

 それが2人の最初の出会いだった。

 

「それじゃあ、士郎。私が見ていない間のこの子の世話は頼んだわよ」

「ああ、分かったよ。フィーネさん」

 

『聖遺物』、世界各地の伝説に登場する、超古代のオーバーテクノロジーの産物である異端技術(ブラックアート)の結晶。

 フィーネはある目的のためにそれを集めており、()()()そのうちの1つである。

 では、クリスもまた聖遺物を身に宿した存在なのかというと違う。

 

 彼女は身に宿す者ではなく、聖遺物を目覚めさせるものだ。

 聖遺物は人知を超えた力を持つ。だが、古代技術であるが故に経年劣化などで多くの場合、その力は眠っている。

 そこで必要なのがクリスのような適合者の(うた)なのだ。

 

 歌は『フォニックゲイン』と呼ばれるエネルギーの源になり、それが聖遺物の起動の鍵となる。

 しかし、誰の歌でも良いという訳ではなく、それが可能な人間は限られている。

 確率にして1000万分の1と言っても過言ではない。

 そして、クリスはその選ばれた人間であったために、フィーネに連れてこられたのだ。

 

「じゃあ、まずは部屋から案内するけどいいか?」

「…………」

 

 話をする気はないとばかりに口を閉ざすクリス。

 ここだけ見ると、フィーネが無理やり連れて来たのかと思うかもしれないが、そうではない。

 彼女は自分の意志でフィーネからの提案を受け入れたのだ。

 

「荷物はこの部屋に置けばいい。トイレはあっちで、向こう側にはキッチンがある」

 

 無言で士郎の後ろについていく、彼女の瞳には怒りの炎が宿っている。

 それは前を歩く少年に向いているのではない。世界への怒りであり、暴力への憤りである。

 

 彼女は6年前に音楽家である両親のボランティア活動で、紛争地帯に連れられていった際にテロに巻き込まれた過去を持つ。そして、その後は捕虜としての生活を余儀なくされ、理不尽に振るわれる暴力と戦争に晒され続けてきた。

 

 その過去が救出されて日本に戻ってきた後にも、彼女に暗い影を残していた。

 そして、その戦争と暴力がない世界を望む心がフィーネに付け込まれる原因になる。

 

 ―――力を持つ者を全てこの世界から消せば、世界は平和になると思わない?

 

 クリスはフィーネのこの言葉を信じ、自ら茨の道に身を落としたのである。

 

「大体これぐらい知ってたら問題はないな。それじゃあ、今日は移動で疲れただろうし、ゆっくり休んでくれ」

「…………」

 

 クリスは返事を返すことなく、もう用はないとばかりに部屋の扉を閉める。

 こんな対応をされれば、普通はムッとするだろうが、士郎は気にせず苦笑いをするだけである。

 それどころか、さらに善意を向けてくるのだった。

 

「そうだ、何か食べられないものはあるか? 無いなら無言で良い」

「…………」

「そっか、じゃあ軽く摘まめるものでも作って来る」

「……頼んでねえよ」

 

 相も変わらぬ態度で接してくる士郎に、クリスは壁を作るように吐き捨てる。

 

「俺が作りたいんだ。扉の横に置いておくから、要らないならそのままにしておいてくれ」

 

 だが、暖簾に腕押しとばかりに士郎は譲らない。

 クリスの反論を待つことも無く、士郎はキッチンへと向かっていく。

 そのことにクリスは軽い苛立ちを覚えるものの、すぐに思考を切り替え、荷物の中から何やら錆びた杖らしきものを取り出す。

 

「『ソロモンの杖』……これが争いのない世界を創るために必要なものなんだよな」

 

 ソロモンの杖。

 それは自由にノイズを呼び出し、自在に操ることが出来る聖遺物。

 クリスはこの聖遺物の起動をフィーネから任されていた。

 

「あたし1人じゃ一発で起動なんて出来ない。とにかく時間を費やしてフォニックゲインを溜めなきゃだめだ。だから、休んでる暇なんてねえ」

 

 適合者は聖遺物を目覚めさせる資格を持つ。

 しかし、だからといって1人で一発で出来るというわけではない。

 欠片しか残っていないような聖遺物であれば可能だろう。

 

 だが、完全なる状態で保存されていた『完全聖遺物』相手では出力不足だ。

 適合者単体では、規格外のフォニックゲインでも持たない限り難しい。

 それを補うためには純粋に数を揃えるか、時間をかけるかの二択しかない。

 そして、クリスは後者の方法を選んだ。

 

「もう誰も暴力に怯えなくて済むように……もう二度と戦争が起きないように……恒久的に平和な世界をあたしが創るんだ…!」

 

 純粋でどこか歪んだ理想がクリスを突き動かす。

 彼女はこれから半年間は朝と昼はフィーネの監視下で、データを取りつつ歌を歌い。

 夜は自室でソロモンの杖の起動のために歌うだろう。

 世界の平和のためにと、争いのない世界のためにと。命と心を賭して。

 

 その方法が間違っていることに気づくこともなく。

 

 彼女は1人歌い続けるのだった。

 

 

 

「……んあ? もう、こんな時間かよ」

 

 一心不乱に歌い続けていたクリスが、ふと我に返り時計を見てみると既に日付が変わっていた。

 流石にもう寝ないと明日に響くだろう。

 そんなことを漠然と考えながら、彼女は歌い続けて酷使した喉を労わろうと水を飲みに部屋の外へ出る。

 

「ん? ……あいつ本当に作っていったのかよ」

 

 そこで視界の隅に映る、お盆と皿を見つけるのだった。

 お盆の中身はお茶と、ラップをかけられたサンドイッチ。

 一瞬無視をしておこうかと思ったクリスだったが、そこで自身が空腹であることに気づく。

 

「まあ……料理に罪はねぇよな」

 

 士郎から施しを受け入れるのではなく、ただ食べ物を粗末にしないため。

 そう、心の中で意味のない言い訳をしながら、クリスはお盆を持って部屋に戻る。

 

「サンドイッチねぇ……ま、軽く食えるもんで良かったな」

 

 食べ物を粗末にするのは気に入らない。

 さっさと腹に詰め込んで寝よう。

 そんなことを考えながらクリスはラップを剥がす。

 

(いただきます)

 

 口に出すと何かに負けたような気分になるので、クリスは無言でサンドイッチを掴む。

 具自体はハム、卵、レタスにトマトと至って普通のものだ。

 なんとなしに眺めた後にクリスは一口口にする。

 

(……うまい)

 

 素材は普通の物。しかし、相手のことを想い丁寧に調理されたそれは普通の味ではない。

 

 冷めても美味しいような具材を選び、パンは野菜とソースの水分でベチョっとならないように厚めのものが使われている。クリスには分からないが、ソースをかける順番も時間経過で野菜から水分が染み出てこないようにハムと卵の間にかけてあり、それが味に統一感を生み出している。

 

(小さめに切られてるから食いやすいな)

 

 サンドイッチは、少女のクリスが食べやすいような大きさに切り分けられている。

 さらに言えば切る前にラップを巻いて冷蔵庫で30分ほど寝かしたことで、しっとりとした触感が今でも続いている。

 

 そうした細やかな技術と気遣いのおかげか、クリスは夢中で口に運んでいき、ほんの数分で全てを食べつくす。

 

「ごちそうさま……あ」

 

 腹を満たされたことで気が緩んでいたのか、つい食後の挨拶を口に出してしまう。

 そのことに何故だか恥ずかしくなってあたりを見まわすが、当然部屋には彼女しかいない。

 

「はぁ……取りあえず、置いてあった場所に置いとけばいいのか?」

 

 恥ずかしがったことに、また恥ずかしくなり、クリスは溜息を1つ吐いて立ち上がる。

 お盆の上に感謝のメッセージカードでも置いておこうかと、一瞬思うがすぐに首を振る。

 

(どうせ今日一日だけだろうし、別に礼は言わなくても…言わなくても……問題…ないだろ)

 

 特に相手と親しくするつもりもないし、関わりを続ける気もない。

 礼も無しに放置しておけば、相手の方から勝手に離れていくはずだ。

 無償で誰かのために動き続ける奴なんて居るわけがない。

 そんな奴はただの異常者だ。だから、こちらが何も返さなければ自分は1人になれる。

 クリスはそんなことを頭で考えて、チクリと痛む胸を抑える。

 

「ああ、クソ……もう寝よ」

 

 相手の善意をないがしろにしたことに、感謝の言葉1つ言えない自分に。

 そして、こんな態度だから嫌われるであろう未来に。

 

 クリスは目を背けて眠りにつくのだった。

 

 

 

 きっと嫌われるだろう。クリスはそう思っていたし、士郎の前ではそういう風に振る舞った。

 

 挨拶をされても無視をする。

 料理のお礼を言うことも無い。

 基本的に目も合わせない。

 

 面と向かって暴言を吐くのは、士郎へのヘイトが足りないためになかったが、普通の人間なら怒ってもおかしくない。というか、クリス本人がやられたら絶対にキレている。

 

 だというのに、士郎という少年は態度も行動もまったく変えなかった。

 

「……あいつまた作ってるのかよ。もう、一週間目だぞ?」

 

 一週間経っても料理を作って来る士郎にクリスは呆れた。

 とんだお人好しも居たもんだと、皮肉気に笑う。

 だが、それでももう少ししたらやめるだろうと高をくくっていた。

 

「今日で一か月目か……一日も欠かさないとかどうなってんだよ」

 

 しかしながらクリスの予想は裏切られ続ける。

 士郎は毎日毎日、一日たりとも欠かすことなくクリスのために料理を作り続けた。

 この頃になると、クリスが部屋から出てくる時間を把握したのか、温かいものが出てくるようになる。

 その事実にクリスは思わずストーカーかと思ってしまったが、不思議と嫌な気分ではなかった。

 

 誰かが自分を見てくれている。

 そんな事実に、少しだけ胸が温かくなり、同時にそんな相手を蔑ろにする自分に胸が痛んだ。

 

「三か月…三か月…おかしいだろ、あいつ。いや、おかしいのはあたしの方なのか?」

 

 士郎の献身的な行為が三か月を超えたあたりで、クリスは自分の常識を疑った。

 だって、彼女は出会ってから士郎への態度を変えてない。

 まともに話したこともまだないのだ。

 だというのに、士郎は料理を運び続ける。何の見返りもないというのに。

 

 ひょっとして、普通の人間にとってこれが正常な行動なのかとクリスは思ってしまう。

 しかし、その度に捕虜時代の記憶などからあり得ないと首を振る。

 おかしいのは士郎だ。何の見返りもないのに、親しくもない人間に善意を振りまいている。

 

「何なんだよ、あいつ……本当に何なんだよ…ッ」

 

 グシャグシャになった思考で考えても答えは出てこない。

 そもそもこの答えを持つのは士郎本人だけだろう。

 ならば、答えを知るには直接会話をするしかない。

 だとしても、一方的に士郎を遠ざけようとした罪悪感のある彼女には、気軽に話しかけるなんてことは出来なかった。

 

「……ソロモンの杖が起動に成功したら聞こう。だから……頑張るか」

 

 だから、勇気が自信が必要だった。

 故に彼女は誓いだてる。ソロモンの杖の起動が成功したら士郎に理由を聞こうと。

 まるで恋する男への告白を決意する乙女のように、心に決めるのだった。

 

 

 

 そして、クリスと士郎が出会ってから半年後。

 ソロモンの杖は起動に成功した。

 珍しく褒めてくれたフィーネの言葉を思い出すと頬が緩むが、この後のことを思うとそれもすぐに引っ込む。

 

 クリスはこれから士郎に尋ねるつもりだ。

 半年間、毎日、何の見返りもなしにクリスへ料理を作り続けた真意を。

 他ならぬ士郎の口から聞くつもりだ。

 

「なあ……今、いいか?」

「どうしたんだクリス? そんなに改まって」

 

 神妙な顔で話しかけてくるクリスに、士郎は掃除の手を止めて普通の態度で返す。

 そう、普通にだ。半年間、挨拶をしても無視されていたクリスに対して、怒ることも、驚くことも無く、至って普通に言葉を返したのだ。

 この時点でクリスの頭の中では、訳が分からないという言葉が渦巻く。

 しかし、悩むだけでは今までと同じだ。会話をしなければ答えは得られない。

 

「お前さ……なんであたしに料理を作り続けたんだ?」

「何でって、飯食わないと腹が減るだろ?」

「そういうことじゃねえよ!」

 

 全く見当違いな台詞を吐く士郎に苛立ち、睨むような視線を向けるクリス。

 だというのに、士郎の方は困惑するだけで怒りや侮辱の表情を見せない。

 まるで、クリスの感情に気づいていないかのように。

 

「なんでお前は、何の見返りもないのに半年もあたしに料理を作り続けたんだよ! 自分で言うのもなんだけど、あたしは今までお前とまともに口もきいてねえんだぞ?」

 

 勢いに任せて言った後に、クリスは強烈な罪悪感に顔を歪める。

 違う。本当はお礼を言わないといけないのだ。

 相手の理由が何であれ、自分が助けてもらったのならお礼を言わなければならない。

 そうした常識と優しさを持ち合わせているのに、クリスはその素直でない性格から口にすることが出来ない。

 

 情けない。惨めだ。そんな想いが心を蝕み、彼女は士郎から目を逸らす様に(うつむ)く。

 だというのに。

 

「見返りをもらってない? 何言ってるんだ、クリス」

「は?」

「俺だって()()()()()()()、何の見返りもなく行動する程お人好しじゃないぞ」

 

 クリスは思わず顔を上げて、まじまじと士郎の顔を見つめる。

 自分が何かを彼にしてあげた記憶などない。

 ひょっとすると、気づかないうちに実験のモルモットにでもされていたのだろうか。

 そうだとしたら、やっぱり世の中には善人なんて居ない。

 と、若干スレ気味な思考で考えていたが、次の彼の言葉でまたも驚かされることになる。

 

「クリスは俺の料理を食べてくれただろ? それも毎日残さずにさ」

「え…? それだけ?」

 

 一切の虚飾もなく言い切る士郎に、クリスはポカンと口を開ける。

 

「それだけって、作った料理を食べてもらえないって結構きついんだぞ? 残されるのだって嫌だしさ。その点、クリスは好き嫌いが無くて助かったよ」

 

 真顔で言ってのける士郎にクリスは否応なしに理解させられる。

 こいつは本気で言っているのだと。

 ただ、作ってもらった料理を食べてもらえる。それだけで対価は十分だと言っているのだ。

 

 どれだけ相手に邪険にされても。例え、報われない日が永遠に続いたとしても。

 彼はそれで十分だと言ってのけたのだ。

 

「だからさ、クリス。―――ありがとう」

 

 ニコリと、どこか人形と人間の中間のようなアンバランスな笑顔を士郎が浮かべる。

 

「あ、ありがとう…って、何を…?」

「俺の作った料理を食べてくれてありがとう。毎日欠かさずに完食してくれてありがとう。俺の努力を無意味にしないでくれてありがとう」

 

 言葉が出なかった。

 たったそれだけのことで満足だと。

 お腹がいっぱいになったのは自分の方だとばかりに笑う彼に。

 雪音クリスは言葉にできない感情を抱いてしまった。

 

「そうだ。クリスとちゃんと話せるようになったら、聞きたいことがあったんだ」

「……なんだよ?」

「そう構えなくてもいいって。ホントに大したことじゃないからさ」

 

 だからこそ、思ってしまう。

 こいつなら、士郎なら信頼しても大丈夫なんじゃないかと。

 甘えても良いんじゃないかと、独りぼっちじゃなくしてくれるんじゃないかと。

 自分勝手に、身勝手にクリスは思ってしまった。

 

 

「クリス。今晩、なに食べたい?」

 

 

 思えば、これが雪音クリスと士郎が本当の意味で向き合った瞬間だったのだろう。

 

「……サンドイッチが良い」

「サンドイッチ? 遠慮するなって。もっとちゃんとしたものでも良いんだぞ?」

「今日はそれが良いんだよ!」

「そっか……わかった。じゃあ、腕によりをかけて作るからな」

 

 ニカッと笑い腕まくりをする士郎と目が合わせられなくなり、クリスは逃げるように自室へと駆けこんでいく。そして、数十分後に届けられたそれを、いつものように自室に持って入る。

 

 あの日のように、丁寧に作られただけの普通のサンドイッチ。

 ただ、そこには()()()()までの思いやりがあった。

 相手のためになるようにと食べやすくされ、健康を意識してか、野菜が少し多めの料理。

 例え、理由が何であれ、その思いやりだけは誰も否定できないだろう。

 少なくともクリスはそう思っている。

 

「いただきます」

 

 しっかりと手を合わせて、料理を作ってくれた人への感謝を告げる。

 そして、彼女には珍しく丁寧に掴み口に運ぶ。

 

「…………」

 

 ゆっくりと、味わうように咀嚼する。

 いつものように美味しいと思う。

 いつもと変わらない味。だというのに、クリスの頬には熱い涙が流れていた。

 それを拭うこともせず、サンドイッチを口に運び続け、クリスはいつものように完食する。

 ただ、いつもと違うのは、食後に手を合わせて。

 

「……ありがとう」

 

 ごちそうさまではないが同じように、否、それ以上に感謝の籠った言葉を告げることだった。

 それは素直でない彼女が絞り出した精一杯の言葉。

 今はまだ面と向かって言えない気持ち。

 

 でも、いつかはちゃんと伝えよう。

 そんなクリスの気持ちが籠った感謝の言葉。

 

「本当に…ありがとな……士郎」

 

 最後に一粒温かな涙を流し、彼女は飛び切りの感謝の気持ちを吐き出すのだった。

 

 

 

 

 

 そして時は2年後に戻る。

 

「じゃあ、皿は流しに置いといてくれ。俺はフィーネさんに料理を持っていくから」

「あいつにー? そんな気遣い必要ないだろ。(かすみ)でも食ってりゃいいんだよ」

「そんな酷いこと言うなよな、クリス。誰だってお腹は空くし、腹が減ったら元気がでない」

「あー、はいはい。お前の勝手だ。好きにしろよ」

 

 食事を終えるとすぐにフィーネの下に行こうとする士郎に。クリスは拗ねたような台詞を吐く。

 2人きりの食後の団欒(だんらん)を邪魔されたことに怒っているのだが、生憎、人の感情の機敏に疎い士郎は、いつもの素直じゃない態度が出たと思っているだけだ。

 

「じゃ、行ってくる」

「……変なことされそうになったら言えよ?」

 

 素直でないクリスからでる珍しい本気の心配。

 それに気づいているのか、気づいていないのか士郎は朗らかに笑う。

 

「大丈夫だって。フィーネさんが()()()()ことするわけないだろ」

「お人好しもここまで行くと害だな」

「? とにかく皿は水につけといてくれよな。こびりつくと後が大変だし」

「うるせえな。分かってるよ、そんぐらい」

 

 少しムスッとした表情で見送るクリスに、士郎は疑問符を浮かべるがすぐに気を取り直して、料理の乗ったお盆を手にフィーネが居るであろう研究室に向かう。

 

 今士郎達が住んでいる家は日本にあるフィーネの隠れ家の1つだ。

 もしクリスとフィーネだけが住んでいたのならば、もっと温かみの無い家になっていただろう。

 しかし、士郎たっての希望でキッチンやその他の生活スペースが整えられ、外観はともかく、内装は普通の家庭のようになっているのだ。

 

 もっとも、それも生活スペースだけであり、士郎が歩いていく先にある研究スペースは非日常的な空気を醸し出している。

 

「フィーネさん。晩御飯を持ってきたぞ」

「あら、ありがとうね士郎。そこに置いておいて、後で食べるから」

 

 薄暗く、時折、生物の肉体の一部が培養液に浸かっている光景が目に入るが、士郎は気にも留めない。それが、彼にとっての日常が非日常であることを暗に示している。

 

「本当はクリスとフィーネさん、3人で食べたいんだけどな」

「フフ、ごめんなさいね。最近は忙しくて中々時間が取れないのよ」

「体には気をつけてくれよな。……そうだ」

「あら、どうしたの?」

 

 嘘か真か分からぬ笑みを浮かべるフィーネに対し、士郎は心配する表情を見せる。

 彼女は士郎にとっては母親みたいなものである。

 ただ、面と向かって母と呼ぶのは気恥ずかしいため、いつも名前で呼んでいるのだが。

 

「疲労回復用のドリンクでも作って来るよ。あれも良い感じにできてる頃だろうし」

「あれ? とにかく別に無理して用意しなくても良いのよ。あなただって忙しいでしょう」

「フィーネさんやクリスに比べたら暇だよ、俺は。それにこれは俺が作りたいんだしな。それじゃあ、ご飯を食べてくれよ。多分、食べ終わったぐらいに完成するから」

 

 フィーネにそう告げて士郎は元来た道を戻っていく。

 そんな後ろ姿を無機質でいて、どこか憂いのある瞳で見つめながら彼女は思い出す。

 壊れた少年を拾ってからの日々のことを。

 

 

 

 

 

「なるほど、鞘との融合で死にかけのこの子の命を救ったのね。どこかの正義の味方さんは」

 

 グチュリ、グチュリと新鮮な血にまみれた内臓が掻きだされていく音がする。

 クチュクチュと脂肪で出来た弾力のある脳みそが弄られる音がする。

 それはフィーネが拾った少年を解剖する際に出る音だった。

 

「確かにこの聖遺物の力をもってすれば、それが不完全な覚醒であっても死の淵から呼び戻すことが出来る。もっとも、それがこの子にとっての幸につながるかは分からないがな」

 

 クツクツと魔女のように嗤いながら、フィーネは少年の解剖を進めて行く。

 手術ではない。ものとして調べるための解剖だ。

 当たり前だが、死なないようにするための生命維持装置など少年にはつけられていない。

 それもそうだろう。フィーネにとって、少年の生き死になどどうでもいいことなのだから。

 

「本来なら、鞘だけ取り出してもよかったのだが……これほど結びつきが強いとそれも難しいな。まったく、()()()()()()話は早かったのだが」

 

 だというのにフィーネは殺せないと溜息を吐く。

 明らかに死から逃れえない状態にした少年を殺せるとは、欠片も思っていないのだ。

 

「ん? ああ、今度は出血多量で―――()()()()()

 

 突如として少年から不自然な青色の閃光が放たれる。

 その不自然な光こそが、フィーネが少年を殺せないと言った理由だ。

 

 青色の光は鞘の持ち主である少年を包み込み、その力の一端を発揮する。

 この鞘を身に着けている限り、持ち主が死ぬことはない。

 その伝承が示すとおりに死にかけの少年の傷を、否。

 

 死に伏した少年の肉体を現世へと呼び戻す。

 

「……切開した傷どころか、取り出した内臓、失った血液まで元通りになってるとは……もはや反則だな。だというのに、これは完全起動した状態でない。恐らく、完全起動すれば伝承通りに『持ち主からは一滴の血も流れず、重傷を負うこともなく、不老不死となる』効果が発揮されるだろうな」

 

 フィーネは大きく息を吐き、椅子にどっかりと座りこむ。

 気疲れしているように見えるが、それは子供を解剖するという罪悪感から来たものではない。

 何度も死んでは蘇る光景を見て、どことなく自分の半生を思い出してしまったからだ。

 

「不完全な起動故に、その力が発動するのは本人が死んだ時のみ。要するに今のこいつは不老不死ではなく不死身。普通の人間のように老いて成長して傷つくが、死ぬことだけはできない。いや……死ぬ度に生き返らせられているだけか」

 

 フィーネはある目的を果たすために、古代より転生を繰り返している存在だ。

 方法は自分の遺伝子を引く者を、意識ごと器として乗っ取るというものであるため、本人が生き続けていると言ってもおかしくはない。

 

 だが、そんな彼女にも死の瞬間は幾度となく訪れている。

 もちろん、意識の終わりがないという確証があるので、常人よりは死に耐性がある。

 しかし、それでもあの体が死んでいく感覚というものは、慣れたいものではない。

 

 老いであれ、外的要因であれ、死という感覚に向き合い続けるのは辛いものがある。

 

 ふとした瞬間に思うのだ。

 この人生で自分は本当に終わってしまうのではないかと。

 

 繰り返すたびに心が軋むのだ。

 本当の自分を知る者が誰も居ないという孤独感に。

 

 その度に、彼女は自らの創造主への恋心を奮い立たせて恐怖心を乗り越えてきた。

 故に、彼女の執念は強く硬い。

 だが、如何に強く硬いものであっても、無敵という訳ではなく、弱音を零すこともある。

 

「後何度……死ぬことに耐えられるかしらね」

 

 表情を見なければ、それは少年を嘲る言葉に聞こえただろう。

 だが、もしその表情を見た者が居ればきっと。

 

 どこまでもか弱い少女の姿に見えたことだろう。

 

「……ねえ、お姉さん」

「…ッ。まさか目を覚ますなんて……鞘の力を見誤ってたわ」

 

 そんな弱い一面を覗かせていた時に、少年が意識を取り戻したものだからフィーネは思わず声を上げてしまいそうになるが、長年に渡り作り続けてきた笑顔の仮面を張り付けることでしのぐ。

 

「どうしたの? 何か言いたいことでもあるのかしら?」

「お姉さんはどうして―――」

 

 普通に考えれば今の状況について聞きたいのだろうと察せる。

 しかし、彼女はあくまでも会話の主導権を握るためにあえて尋ねる。

 それが、自身にとっての失策になるとも気づかずに。

 

 

「―――俺を()()()()()()()()()?」

 

 

 余りにも簡単に笑顔の仮面が剥がれ落ちる。

 ロボットのように何の感情も映していない、少年の顔があまりにも衝撃的だったから。

 

「なにを……言ってるの?」

「鞘とかせいいぶつ? っていうのは良く分かんないけど、それが俺だけが生きてる理由なんだろ?」

「まさか、解剖中も意識が…?」

 

 衝撃で思わず言葉が零れてしまう。

 だってそうだろう。普通なら意識のある状態で解剖なんてされたら悲鳴を上げる。

 最低でも、声が出なくとも体は暴れまわるはずだ。

 だというのに、少年は身じろぎ1つしなかったと言えば、それがどれだけ異常なことかが分かるだろう。

 だから、フィーネも思わずと言った感じで聞いてしまう。

 

「どうして何も言わなかったの? 痛かったでしょうに」

「うん、痛かった。でも、しょうがないよ。俺が悪いんだから。悪いことをしてるんだから、お仕置きを受けないと」

「悪い…こと?」

 

 フィーネは話しているうちに気づいてしまう。

 少年の心のうちに占めているものの正体を。

 

 

「だって…俺―――()()()()

 

 

 何も言えなかった。

 こうなる人間が居ることぐらい知識の上では知っている。

 だが、それでも。目の前で実際に、ここまで壊れた人間を見るのは中々に来るものがあった。

 

「父さんも、母さんも、みんな死んだのに……生きてる。俺だけが生きてる…ッ。だから、いけないんだ。仲間外れなんて嫌だ。みんなが死んだのなら俺も……でも、俺は……生きてる…生きてる! 生きてるッ! 生きてるッ!! ねえ、お姉さん……お願いだから、何でもするからさ、俺を――」

 

 簡潔に言えばサバイバーズギルト。

 災害に遭遇した人間が、自分だけが生き残ったことに罪悪感を抱く精神疾患の名前だ。

 言葉にすればそれだけ。

 だが、実際に目にしたそれは、余りにも、余りにも。

 

「―――殺してくれ」

 

 (むご)かった。

 

「そう……死にたいのね」

 

 だから、フィーネの心にはこの少年を利用するという思考の他に、同情という感情が芽生えた。

 きっと、それは後に最大の失敗だったと振り返るもので、全く合理的なものではないだろう。

 

 だとしても、恋に狂っただけで、生まれながらに狂っていたわけでない彼女には相手の心を思いやる機能が存在した。手を繋ぐことよりも、相手を殺すことを選んだ人間を愚かだと断じられる程度には、善というものを尊べた女は壊れた人形に手を差し伸べてしまった。

 

「でも、残念ね。あなたは死ねないわ。下手をしたら星が滅びるまで生き続けないといけない」

「…………」

「……私と同じようにね」

「え…?」

 

 フィーネは少年の頭を優しく撫でる。

 それは少年を利用するための打算だ。

 だが、打算だけでなく、1人の大人として幼子を慰める心もある。

 

「あなたと同じで、私も永遠を生き続ける存在。もっとも、私の場合は生まれ変わりながらだから、顔も性別も変わったりするのだけど……それを除けば同じようなものよ」

「同じ…お姉さんも…」

「そう、同じ。でもね、私は自分の意志で生きたいと思って生きてる」

 

 生きたい。その言葉に初めて何も映さなかった少年の瞳が揺れる。

 何故なら、その感情だけは今の少年には決して理解できないものだったから。

 

「なんで…なんで生きたいって思えるんだ…? 息をするのも苦しいのに、ただ生きているだけで辛いのに…なんで生きたいなんて思えるんだ?」

 

 だから、少年は縋りつくように問いかける。

 まるで、溺れる者が藁でもつかむように。

 否、実際に彼は絶望という名の海に溺れているのだろう。

 だからこそわからないのだ。知りたいのだ。

 永遠の刹那を生き続けることができる原動力を。

 

 フィーネという女の根幹に根差すものの正体を。

 

「―――恋をしているからよ」

「恋…?」

 

 ポカンとした表情を浮かべる少年に、素の微笑みを浮かべながらフィーネは語る。

 

「あなた恋をしたことはある?」

「……母さんや父さんを好きって思うこと?」

「いいえ、もっと特別な感情よ。たった1人にしか向かなくて、胸が苦しくって、呼吸をするのも辛くなったりするのよ」

 

 それだけ聞けば、どこが楽しいのかと言いたくなる言い草に少年は首を傾げる。

 しかし、そんなことはフィーネも分かっているため、気にせず話を続けていく。

 

「でもね、辛いことだけじゃないの。恋した人の声が聞こえるだけで嬉しくなって、顔を見たら胸が高鳴ってしょうがなくなる。明日にどんな辛いことが待っていたって、その人に会えると思えば力が溢れ出てくる。どんなにくすんだ世界だって、恋をしたその日から薔薇色に見えるようになるのよ」

 

 そこには悠久の時を生きる魔女は居なかった。

 ただ、少年の前には、想い人の姿を夢見て笑う恋する少女だけが居るのだった。

 その姿があまりにも楽しそうで、あまりにも美しく見えたからつい少年は聞いてしまう。

 

「なあ……恋って楽しいのか?」

「あなたも生きて、恋をすれば分かるわ」

「そっか……」

 

 一切の戸惑いも見せることなく言い切るフィーネの笑顔に、少年は思わずと言った感じで呟く。

 

「俺も、そんな風になれたらいいな」

 

 なりたいとは言わない。

 それは1人生き残ったという罪悪感からだ。

 

 もしも、これが誰かを救うという自傷行為なら受け入れたかもしれない。

 だが、恋は楽しいものだと少年は理解してしまった。

 

 故に、自分は恋をしてはいけないと漠然と思いこむ。

 1人生き残った自分に何かを楽しむ権利などない。

 あんなにも美しいものを手に入れていいなんて思えない。

 

 そう、どこまでも自罰的な思考に囚われている限り、少年が恋をすることはできないだろう。

 もし仮に、そんな美しい恋に、自分というガラクタが関わることを許せるのだとしたら。

 

「なあ、お姉さん。お姉さんの恋が叶うように、俺に手伝わせてくれよ」

 

 誰かに尽くす、償いという形だけだろう。

 

「……そう…ね。手伝ってもらえるかしら。さっきも言ったけど、私は死ぬことなく生まれ変わる。だから、同じように死なないあなたには、その度に私を見つけて手伝って欲しいのよ。可能なら、私が居ない間にやっておいて欲しいこともあるし」

 

 少年の言葉にフィーネは曖昧に笑う。

 元々の計画は今の言葉で達成された。彼女は少年を自分の駒として利用するつもりだった。

 フィーネは永劫の時を生き続けることが可能だ。

 しかし、それは永遠の刹那を繰り返しているだけに過ぎない。

 

 自分の意識が覚醒していない状況では、器も思うようには動かせない。

 計画を立てても寿命で一々途切れていれば、遅延も齟齬(そご)も生じる。

 今はアメリカのある組織で、自分の遺伝子を引く子供を集めて、その中の誰かに転生できる確率を高めることで、タイムロスを減らす工夫もしている。

 

 だが、所詮は気休めだ。確かにそこに転生する確率は高い。

 しかし、100%ではないのだ。まったく別の国で生まれる可能性だってある。

 そうすればまた時間を無駄にすることになるだろう。

 だからこそ、彼女は求めたのだ。

 

 自らと同じ永遠を生きる従者を。

 

 機械のように忠実で、自分を裏切ることのない人間を。

 いつの時代に生まれても、自分の存在を覚えてくれる存在を。

 彼女は求めていたのだ。

 

 故に、この展開に困ることは何一つとしてない。

 

 少年は自発的に彼女の手伝いをするようになった。

 殺せないと分かった時点で、方針を転換した作戦は成功した。

 しかも恐怖よりも、もっと強い恩という鎖で縛られた状態で。

 

 理想の展開だ。ほんの数時間前の彼女なら内心で嗤っていただろう。

 だというのに、今の彼女の心には笑みはなく。

 

「……救えない子」

 

 どこか寒々しい風が吹き抜けているように感じられるのだった。

 

 

 

 

 

「……さん。フィーネさん、フィーネさん!」

「…! あら、士郎、どうしたのかしら?」

「どうしたも何も、フィーネさんが呼んでも反応しないからだろ? 料理もまだ食べてないし」

 

 時計が10年程進んだ現在。かつての少年、士郎に声をかけられてフィーネは意識を取り戻す。

 どうやら考え事に没頭し過ぎていたようだ。

 

「ごめんなさいね。少しボーっとしてたみたい」

「疲れてるんだったら無理しないで休んでくれよな。ほら、ジュースを作ったから飲んでくれ。疲れにも効くだろうからさ」

 

 軽く頭を振って意識を覚醒させていると、士郎がマグカップに入った飲み物を差し出してくる。

 何かと思って受け取ってみると、ポッカリと浮かぶレモンが目に入る。

 

「あら、ハチミツレモン?」

「ああ。最近、フィーネさんやクリスが疲れてることが多いからさ。レモンの蜂蜜漬けを作ってみたんだ。で、それをジュースにしたのがこれ。本体は瓶詰めして冷蔵庫に入れてるから、食べたかったら好きに食べてくれ」

 

 そう言って笑顔で告げる士郎にフィーネは曖昧な笑みを返す。

 それは、またこの子女子力が上がってないかしらという苦笑であると共に、昔から変わっていない士郎への憐れみだった。

 

(本当に……いつまで経っても自然な笑みが浮かべられない子ね)

 

 一見すれば普通に笑っているように見える士郎の笑顔。

 しかし、見る者が見ればロボットが必死に人間のふりをして笑っているのだと分かる。

 どこか歪で、苦し気で、気を抜けば表情が抜け落ちてしまいそうな顔。

 フィーネはその顔に感じた苦々し気な気分を押し隠す様に、マグカップに口をつける。

 

「あら、美味しい。それにこの味……もしかしてお酢も入ってる?」

「ああ、少しリンゴ酢を加えてみたんだ。ちょっとしたアクセントにもなるし、何よりお酢は体にいいからな」

「そ、ありがとうね」

 

 士郎は相手の体を思いやる料理を作る。

 それ自体は素晴らしいことだ。

 しかしながら、その裏に隠された心の大部分は、この身は誰かのためにならねばならぬという強迫観念である。

 

 きっと、それはいつも士郎の料理を食べているクリスも、薄々感じていることだろう。

 親しい者だからこそ気づくことが出来る、士郎の料理に隠れる影。

 だからこそ彼女は、料理を食べる際に、度々士郎へあることを問いかける。

 

「ねえ、士郎。好きな子は出来たかしら?」

「……また、その話か。フィーネさんも好きだな」

「諦めなさい。女性の話題の大半は、恋話と美味しいものと決まってるのよ」

 

 好きな子は出来たのかと。

 誰かのためにならねばならぬという強迫観念ではなく、誰かのためになりたいという自らの意思を手に入れることは出来たのかと聞いているのだ。

 

「はあ…()()()()()()()()()。そんな簡単にさ」

 

 呆れたように答える士郎は気づかない。

 否、自分ではそれが正常だと思っているが故に異常だと思わないのだ。

 誰かを好きになるのに、(ゆる)しが必要であると思っている異常性を。

 

「本当? クリスとは何か進展したりしてないの?」

「クリスに()()()()。俺みたいな奴が相手とかさ」

 

 冗談のように言う士郎だが、その心は真剣だ。

 どこまでも真摯に本気で、自分のような奴が好かれるはずがないと思っている。

 

「そう……」

「とにかく、疲れてるんなら今日は飯を食べて早く寝てくれ」

「はいはい、そうするわよ。あなたも夜更かしするんじゃないわよ」

「分かってるよ。それじゃあ、おやすみ」

「ええ、おやすみ」

 

 最後まで相手の心配だけをして帰っていく士郎の背が消えるまで見送り、フィーネは1つ溜め息を吐くのだった。

 

「本当に……救えない子」

 

 どこまでも歪んだ運命を嘆くように。

 

 




士郎の原作との違い
①切嗣に拾われてないので正義の味方を目指してない。
②正義の味方ならこうするという思考がないので、悪を受け入れやすくなっている。
③魔術がないので投影が出来ない。魔術の副産物の弓の腕が落ちる。
④投影がない分、鞘を強化というかセイバーが居なくても動く状態に。
⑤鞘が死なせないので原作以上に自分を大切にしない。ここら辺は次回以降。
⑥育ての親が親なので、桜√か美遊兄√が近くなる。
⑦コンセプトが衛宮に拾われなかった士郎なので、エミヤにはなれない。
⑧敵側に居る。

以上、無理やり士郎をクロスオーバーさせた影響による変更点でした。
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2話:歪んだ鏡

 雪音クリスは士郎がフィーネの下に行くと不機嫌になる。

 

「なあ、またフィーネのとこに行くのかよ?」

「またって、いつものことだろ? なんでそんな嫌味な言い方なんだ?」

 

 ブスーッとした表情を隠そうとしない、というより隠せないクリスに士郎は首を傾げる。

 この部分だけ見ると、マザコンの彼氏に焼きもちを焼く彼女に見えるが、クリスの抱く感情はそんな単純なものではない。

 

「なんでって、お前がやらされてることって世間一般的に言う()()()()()だぞ? すすんで行くとか頭おかしいぞ」

 

 モルモット。その言葉が示す様に士郎はフィーネ下で、実験に付き合わされている。

 しかも非人道的な実験だ。クリスでなくとも一言もの申したくなるだろう。

 

「人聞きの悪いこと言うなよな。これは俺は望んでやってもらってることなんだ。むしろ、フィーネさんには感謝してるぐらいだ」

「感謝ってお前…! 毎回毎回死にかけてるんだぞ!?」

 

 自分の扱いにも何の疑いを抱くことなく笑う士郎に、クリスは食って掛かる。

 士郎がやっている行為は自傷行為で自殺行為だ。

 少しでも士郎という人間に好意を持っている人間からすれば、到底許せるものではない。

 

「俺は別に死なないから大丈夫だろ。()()()()()()()()みんなが幸せになれるなら、それが一番じゃないか?」

 

 だというのに、当の本人はクリスが怒る理由がまるで分からないと首を傾げる。

 その余りにも、自分を度外視した態度に、クリスは怒りも忘れ呆然と立ち尽くす。

 

「それじゃあ、俺は行くからな。あ、冷蔵庫に昨日の残りが入ってるから。小腹が空いたらそれでも食べてくれ。じゃあな」

 

 そんな彼女の愕然とした表情にも、士郎は不思議な顔をするだけでいつも通りに歩いていく。

 自分を大切に想っている人間の心につく傷の重さに気づくことなく。

 クリスはそんな壊れた後ろ姿を呆然と見つめながら、心底悔しそうに呟く。

 

「誰も傷つかないって……なんで()()()()()()お前も入ってないんだよ…ッ」

 

 そして、痛い程に手を握り締めながら、士郎が受けている実験の光景を思い出すのだった。

 

 

 

 

 

 それを見つけたのは本当に偶然だったとクリスは思い出す。

 今より一年前に士郎を探して、フィーネの実験室に訪れた時だった。

 

「―――ッ!!」

 

 痛みを押し殺すような悲鳴が聞こえてきて、視線を向けた先に士郎は居た。

 ベッドの上でまるで猛獣を縛るかのように鎖に縛り付けられた状態で。

 フィーネから何かしらの薬物を投与されながら。

 

「お、お前何してんだよ!?」

「クリス、実験の邪魔よ」

「実験!? どうみても士郎を()()()()だけじゃねえか!!」

 

 冷静に返事するフィーネとは反対に、クリスはすぐに士郎の下へ駆け寄る。

 だってそうだろう。士郎の様子はそれはもう酷かった。

 

 体中の血管は破裂せんとばかりに青黒く浮かび上がり、目と耳からは夥しい血が流れだしている。おまけに口と鼻からは、嘔吐物と血が混ざった見るに堪えない物質が吐き出されており、それがまた士郎の呼吸を遮ることで彼を苦しめていた。

 

「いいからその薬を入れんのをやめろよ! 本当に士郎が死んじまう!?」

「ああ…あなたはまだ知らなかったのね。この子は死なないのよ」

「死なない…?」

 

 何を言ってるんだこの女は、と思うと同時に士郎の体に()()()()がほとばしる。

 そして、それが消えた時には見た目は酷い有様ながら、内部は綺麗になっている士郎だけが残っていた。

 

「この子はある聖遺物との融合体で、死にかける度に生き返る能力を持っているのよ」

「聖遺物との融合体…?」

「そう。おとぎ話の騎士の頂点が身に着けたとされる鞘。その能力の一端が士郎にはある」

 

 クリスに対して軽く説明をしながら、フィーネは先程の薬の結果をメモに書き込んでいく。

 その姿からは士郎を労わる様子など欠片も見えてこず、それがクリスの怒りをさらに煽る。

 

「少し効果が強すぎるわね。次は少し弱めたものを投与してみましょうか」

「――て、やめろよ! 死ななくても痛えもんは痛えだろ!?」

「そうは言ってもねぇ。この子が自分でやりたいって言ったことだし」

「士郎が…自分で…?」

 

 冗談だろと、言葉にせずとも分かる目で士郎を見つめるクリス。

 それに対して、士郎は鎖に縛られた状態で、器用に喉に張り付いた血と吐瀉物の複合体を吐き出しながら質問に答える。

 

「悪いな、クリス。心配させて。でも、俺は大丈夫だ。これは試作品の薬みたいなものらしくてさ。その臨床試験を俺がやらせてもらっているんだ。こんなのでも立派な人助けになるしさ」

 

 士郎は痛みなど感じさせない顔で、むしろクリスに申し訳なさそうに話す。

 

 彼はフィーネが作った薬や、その裏の世界の人間が作るような、生化学の危険度の高い試薬品を率先して投与している。フィーネに対しては恩返しとして、その他の薬に対してはこれを使われる人達の危険性を少しでも下げるために。

 

 士郎は薬ではなく、毒の段階であるそれを自らの体に受け入れている。

 

「臨床試験って……普通は動物実験をしてからじゃねえのか?」

 

 クリスの意見はもっともだ。

 薬はまず、動物で実験を行いある程度の安全性が確認され次第に人体実験に入る。

 故に、まず血反吐を吐き散らすようなことにはならない。

 つまり、士郎は動物実験の段階で薬を投与されている。

 

「動物実験をしてたら時間がかかる。それじゃあ、今困ってる誰かを救えない」

 

 士郎の言っていることは間違っていない。

 人体実験は非人道的行為として禁止されているが、その有効性は誰も否定できない。

 かつてナチスがユダヤ人を用いて、医学レベルを急上昇させたなどの例は幾らでもある。

 だから、死なない士郎が犠牲になることの有効性は確かにあるのだ。

 

「こんな俺でも誰かのためになれるなら、こんなに嬉しいことはないよ」

「だとしても…! だとしても! それじゃあ、てめえは体の良いモルモットじゃねえかよ!?」

 

 まっすぐな瞳で誰かの助けになれるんだと笑う士郎に、クリスは悲鳴を上げる。

 だって、そうだろう。どんな高尚な理由があろうと士郎のやってる行為は自殺行為だ。

 そんなものを見せつけられて冷静でいられる方がおかしい。

 だというのに、士郎は本当に不思議そうな顔で疑問を口にする。

 

 

「…? それの何が問題なんだ?」

 

 

 絶句した。

 叫びたいのに喉が渇ききって声が出てこない。

 クリスは捕虜時代にも味わったことのない恐怖を、目の前の少年に抱いた。

 

「俺は死なない。そりゃ、ちょっとは苦しいけどさ? そのちょっとの苦しみで、病気に困ってる人達が救われるなら俺は嬉しい。()()()()()()()()()困ってる人が救われるなら、それが一番じゃないか」

 

 眩暈がした。この少年は本気で言っているのだ。まるで気づいていないのだ。

 みんなの中にまるで自分が入っていないことに。

 目の前で自分が傷つくことで傷ついている少女の存在に。

 何より、自分が誰かから心配されるわけがないと、疑いもしないのだ。

 

「…ッ!」

「あ、クリス! ……まいったな。やっぱり、女の子に会う時にこんな汚い格好じゃダメか」

「そう…ね。今日の実験はもう終わっていいから、クリスの機嫌でもとってきなさい」

「悪いな、フィーネさん。後で、何か甘いものでも作って来るよ。クリスも好きだし」

 

 それが余りにも悲しくて恐ろしくて、クリスは逃げるようにその場を離れてしまった。

 だというのに、士郎は見当違いな勘違いをして、フィーネからフォローを受けている始末だ。

 

「さて、今日は腕によりをかけて作らないとな」

 

 いつも通りに立ち上がり、何でもないように今日の献立を考える彼は気づかない。

 自分が愛されていることに。

 クリスが士郎を救えぬという絶望から逃げ出したことを。

 痛みとは肉体的なものだけではなく、精神的なものもあるのだと。

 

「……て、まずはシャワーを浴びないとダメか」

 

 人間のふりをしているロボットは気づかない。

 だから、クリスは士郎がフィーネの下に行くのが嫌いだ。

 

 

 

 

 

「さて、今日の実験はお終いでいいかしらね」

「もうなのか? 最近は随分と楽になってないか」

「そう感じるのは、あなたが精神的にも肉体的にも()()()()()せいよ」

 

 口元についた血を、ただの汚れのように手で拭いながら士郎は言うが、対するフィーネの方はそんな様子に呆れた表情を隠さない。何度も言うが、死ぬほどの苦しみを受ける実験に対してケロッとしてる士郎がおかしいのだ。

 

「慣れてきた?」

「ええ、薬だって何度も使っていたら徐々に効きが悪くなっていくでしょ? 毒だって同じ。何度も何度も投与されることで、免疫を獲得したのよ。……まあ、普通はその前に死ぬのだけど」

 

 なるほどと言った様子で頷く士郎に誤魔化す様に笑みを向けつつ、フィーネは心の中で呟く。

 

(その特性を利用して、自白剤や催眠剤、精神に異常をきたすような、ありとあらゆる薬の耐性もつけさせてもらったけど、言わなくても良いわよね)

 

 士郎には人の治療に使う薬の実験と言っているが、中にはこっそりと私情を混ぜたものもある。主に士郎が捕らえられた時に、こちらの情報を吐き出さないための配慮だが、若干やり過ぎたような気もしなくはない。

 

「もっとも、今となってはその心配も薄いでしょうけどね」

「なにか言ったか、フィーネさん?」

「いいえ、何でもないわよ、士郎」

 

 誤魔化しの笑みを浮かべながら、フィーネはそれも杞憂だったなと思う。

 何故なら、彼女の計画は既に最終段階に突入しており、後はほんの数パーツで全てがそろうのだ。わざわざ、味方が捕らえられるなど考える必要もない。全てが順調だった。

 

「そっか。じゃあ、俺は買い出しに行ってくるけど、何か食べたいものはあるか?」

「食べたいもの……そうね、じゃあハンバーグで」

「……フィーネさん、俺が聞くといつも同じ答えを返してないか?」

 

 ジトーッと真面目に答えてくれという視線を向けてくる士郎。

 それに対して、フィーネは心外だと言わんばかりに大げさに肩を下げてみせる。

 

「あなたが初めて作ってくれた料理で、私の好物になったものだからいいでしょ? ……懐かしいわね。まだ、ちっちゃかったあなたが一生懸命に作ってくれる姿は可愛かったわよ」

「う…思い出させないでくれよ。あの時のはとてもじゃないけど綺麗とも、美味しいとも言えないものだっただろ」

「大丈夫よ。足らない部分は愛情でカバーしてたから」

「愛情って……それで美味しくなるなら苦労はしないんだけどな」

 

 はぁ、と溜息を吐いて首を振る士郎。

 彼は料理は愛情よりも技術で決まると思っている。

 それは、彼が心のどこかで自分には、愛なんて抱く資格がないと思っているからだ。

 

 愛で料理の味が決まるのなら、自分の料理はきっと酷く味気の無いものになるだろう。

 だが、幸か不幸か彼の料理は、誰からも美味しいという評価を得ている。

 だから士郎は、料理は技術の方が重要だと思っている。

 

「美味しくなってるわよ、十分ね」

 

 それが全くの見当違いだとも気づかずに。

 

「ま、そう言ってもらえるなら嬉しいよ。それじゃあ、行ってくる」

「ええ、いってらっしゃい」

 

 フィーネの言葉もお世辞だと思い、士郎は曖昧な笑顔と共に背を向ける。

 そんな少年の背中を見つめながらフィーネは思い出す。

 初めて料理を作った時の士郎の姿を。

 

「……たとえ義務だとしても、そこに愛情は生まれるものなのよ」

 

 火傷と切り傷で手が傷だらけなのに、それでも笑顔で皿を差し出してきた姿を。

 美味しいと言うと、珍しく自分の意志で次はもっと上手く作ると宣言した光景を。

 フィーネはきっと忘れないだろう。

 

「本当に、バカな子」

 

 例え、何度生まれ変わっても。

 

 

 

 

 

「あれ? またあの人が居る」

 

 明るい茶色の髪をボブカットにした少女が、丸い黄色の瞳をパチクリとさせる。

 少女、立花(たちばな)(ひびき)は、最近街で良く見かける少年が気になっている。

 それは別に彼女が一目惚れをしたという訳でも、懸想している相手に出会ったという訳でもない。

 

 ただ、本当に目が離せないのだ。

 理由など分からないし、そもそも相手とは接点などないはずである。

 だというのに、よく見かけるし何故か視線で追ってしまう。

 

 もし、彼女が恋愛脳かつ1人で行動していたら、恋をしてしまったと思ったかもしれない。

 

 だが、そうはならない。彼女にはストッパーが居た。

 

「あの人って赤毛の人? 見かける度に人助けをしてる人だよね」

「あ……そう言えば」

 

 どうりでと、響は黒髪青眼で白のリボンがチャーミングな友人、小日向(こひなた)未来(みく)の言葉に頷く。

 

「お婆さんが重いものを持っていたら、代わりに持ってあげて。ゴミが捨ててあったらゴミ箱に入れ、落とし物があったらすぐに届けてあげて、迷子の子と一緒にお母さんを探して……あ、これ響だ」

「え? 私っていつもそんな感じなの」

「そうそう。どこか危なっかしそうな感じがするのも響だよ」

 

 親友からの余りにもあんまりな物言いに、響は反論したくなるが、同時にどこか納得のいくものがあった。

 

 少年はきっと鏡を通して見た自分なのだ。

 いつも少年を見かける気がするのは、困っている人が居ないか探していたから。

 きっと、相手の方も自分が人助けをしている時は自分の方を見ているのだろう。

 目が離せないのも、それと同じ理由のはず。

 

「んー……」

「どうしたの、響?」

「あの人が私だとしたら……なんだか違和感を感じる」

「私も冗談で言ったみたいなものだから、そこまで考えなくても良いと思うよ?」

 

 自分と同じだから目が離せないのだと思った。

 でも違う。自分と同じだと思うとどこかに違和感を覚えるのだ。

 そう、それは同じ鏡であっても、歪んだ鏡を覗き込むかのように。

 

「……ああ、そっか。あの人―――全然嬉しそうじゃないんだ」

 

 言葉にしたそれは酷くすんなりと心に落ちた。

 隣の未来も、納得したのか響と少年を見比べつつ頷いている。

 

「よく見たらお礼の言葉も受け取る前から背中を向けてるし、本当に人助けをしてるだけなんだ。なんでなんだろう?」

「男の人だし、ただ単にお礼を言われるのが気恥ずかしいとか?」

「うーん……そうなのかなぁ」

 

 確かに女性と違って男性は、何事も黙って実行することに美を感じることが多い。

 しかしながら、響の勘はそうではないのだと警鐘を鳴らす。

 まるで、それはあり得るかもしれない未来(みらい)の姿を映すかのように。

 

「て、あ! 話してたらどっかに行っちゃった」

「そうね……と、私達もそろそろ帰らないと」

「……うん。そうだね」

 

 未来に急かされながら、響はどこか名残惜しそうに少年が居た場所を見る。

 もし、次に出会えたら、今度はちゃんと向き合って話してみようと。

 そう、決心するのだった。

 

 

 

 そして、その時は意外と早くやってきた。

 珍しく未来とは別々に学校から帰っていた日だった。

 

「あの子何してるんだろう?」

 

 響は小学生くらいの女の子が、橋から身を乗り出す様に川を覗き込んでいる様子を見かけた。初めは魚でも見ているのだろうかと思った響だったが、すぐに違うと気づく。何故なら女の子達の目がとても悲しそうだったから。

 

「どうしたの? 何かあったの?」

「えっと…実は……」

 

 初めは見知らぬ響の姿に警戒していた女の子だったが、響の持ち前の笑顔に触れてポツリポツリと語り始める。

 

「ビー玉を川に落としちゃったの?」

「うん……」

 

 女の子の話によると、学校の体験学習の一環で作ったビー玉を、お手玉のようにしながら帰っていたら、誤って落としてそのまま転がって川に入ってしまったらしい。普通のビー玉なら女の子も諦めただろうが、自分で作ったものなので諦めるに諦められないのだろう。

 

「ビー玉かぁ」

 

 それを聞いた響は困り顔で考え込む。

 これが他のものであれば、川に浮いていたかもしれないし、大きさ的にも見つけやすかっただろう。

 

 だが、ビー玉だ。それこそ川に投げ入れられた小石と変わらない。

 浮くはずもないし、色がついていても見つけやすいものではない。

 例えるなら、(わら)の束の中から針を一本見つけ出すようなものだ。

 

「うーん……どうしよう」

 

 頭の良い大人なら諦める様に諭すだろう。

 厳しい大人なら、ものを大切にすることの大切さをここぞとばかりに説くだろう。

 しかし、頭がよくとも大人でもない響はどうにかしようと、女の子と一緒に考え込む。

 

 彼女にとって女の子は初対面だ。

 そこまでしてあげる義理も無ければ義務もない。

 だというのに、諦めないのは女の子が助けを求めているからであり、響が助けたいからだ。

 

 その在り方は、最近よく見かけるようになった少年に似ているようで。

 致命的なまでに違うものである。

 

「もしかして、何か困ってるのか?」

「え…あ、あなたは!」

 

 解決策を求め、唸っていた響達の下に救いの手が差し伸べられる。

 マイバックを片手に、いかにもこれから買い出しですといった感じの赤銅の少年。

 士郎が立花響と対面する。

 

「? どこかで会ったことがあったか?」

「あ! ううん、よく人助けをしてるのを見たことがあったから、それで」

「そうか……俺は士郎。それで、何に困ってるんだ?」

「私は立花響、響って呼んで。えっと、実はね……」

 

 苗字を名乗らなかった士郎に、一瞬だけ疑問に思う響だったが、すぐに気安く呼んでくれという意味だろうと受け取り、状況の説明を始める。士郎はそれを黙って聞き、ほんの少し何かを考えたかと思うと、すぐに身を乗り出して川の様子を見る。

 

「川の流れは穏やかだな。これなら、遠くまで流れて行ってるって線はないな。それにあっちから川に降りられそうだ……よし!」

「何か手があるの?」

「何ってそりゃあ…」

 

 何か気合を入れる様に声を出したかと思うと、川に続く階段に歩いていく士郎。

 それに対して、響と女の子は名案があるのかと期待した声で問いかける。

 士郎は彼女達に対し、自信満々に頷き、言葉を返す。

 

「潜って探してくるだけだろ?」

「「え?」」

 

 思わず声をハモらせる少女達に士郎は不思議そうな顔を返す。

 脳筋戦法にも程があるが、そもそもこれぐらいしか取れる手段がないのだ。

 しかし、だからといって、いきなり川に潜ると言われて戸惑わない人間は居ない。

 特に、ある程度危険というものを認識できる年齢の響はすぐさまストップをかける。

 

「待って! 川に潜るって危ないと思うんだけど?」

「心配するなって、流れは酷くないし、濁りも少ない。それに深さだって俺1人分が沈むぐらいだからそこまで大変じゃないと思う」

「いや大変だよ!? 私聞いたことがあるけど、川で溺れるのって深さは関係ないんだよ!」

 

 何食わぬ顔で上着を脱ぎだす士郎に、思わず赤面しながらも響は必死に制止する。

 だが、士郎はまるで意に介さない。

 それどころか、女子小学生の前でパンイチになるという、軽く通報ものの行動を終え、ためらうことなく川の中に入っていく。

 

「俺は()()()()()。じゃあ、荷物を見ててくれよな。ちょっと時間がかかるかもしれないから」

「いや。だから待ってって!?」

「ちゃんと見つけてやるから心配するなって」

 

 ザブザブとまるで温泉に入るかのような仕草で川底に沈んでいく士郎。

 その余りにも命知らずの行動に響は、呆然とした表情で見送ることしかできなかった。

 

「お兄ちゃん大丈夫かな?」

「じ、人工呼吸と心臓マッサージのやり方を調べておかないと…! 後は救急車とレスキュー隊をいつでも呼べるようにしないと」

 

 しばらく呆然としていた響だったが、女の子の言葉にハッとなり、すぐに携帯端末で色々と準備を始める。もう、彼女は士郎が止められないと悟ったので、溺れた後の対処を全力で行うことに決めたのだった。

 

 

 

 そして、1時間後。

 

「おーい、これでいいのか?」

「ッ! それ! それだよ! お兄ちゃん!」

 

 海坊主よろしくヌッと川から這い出てきた士郎は、手に小さなビー玉を持っていた。

 それを見て、純粋に喜びをあらわにする女の子。

 心底ホッとした様子で、今にも救急車を呼ぼうとしていた携帯端末から手を放す響。

 

「はぁー……何度溺れたと思ったことか。かなり長いこと顔を出さなかったり、何か青色の変な光が見えたりして心配したんだからね?」

「心配させて悪いな。でも、ほら? ちゃんと()()()()だろ?」

 

 響と女の子を安心させるために、士郎は精一杯の笑顔を張り付ける。

 長時間水に潜るためだけに、意図的に何度か溺死(できし)を繰り返した事実を隠す様に。

 

「それにしても、ビー玉、見つかって本当に良かったな」

「…? なんでお兄ちゃんが見つけてくれのに、そんな言い方するの?」

「何でって、君と響がどうにかしようとしたから、俺がそれを助けることが出来たんだろ? お礼を言いたいのは俺の方だよ」

 

 自分の功績だというのに、士郎はまるで赤の他人のおかげだといった感じで話す。

 女の子の方はそういうものなのかなと、首をひねっているが、響は違った。

 あの日抱いた違和感を、今もまた強く感じている。

 

「さてと、それじゃあ俺はもう行くよ。食材を買わないといけないしな」

「えっと、お礼してないよ?」

「気にするなって。俺が好きでやったことなんだ。どうしても、お礼がしたいならビー玉をもう無くさないように大切にしてくれたらいい」

 

 ああ、これだ。だから、この鏡は(いびつ)なのだ。

 何かが決定的に欠けている。その何かは分からないが、響はそれが許せなかった。

 だから、響は礼を受けることから逃げようとしている士郎の手を掴む。

 

「えーと、響さん?」

「響で良いよ、士郎君」

「それで、いきなりどうしたんだ?」

「何って、士郎君ずぶ濡れだよね? そのままじゃ、風邪ひくよ。だから、これ」

 

 そう言って、響は偶々持っていた自分のタオルを差し出す。

 

「いや、汚れるだろ。いいよ、俺は。しばらくこうしてたら勝手に乾くだろうし」

 

 だが、予想通りに士郎は断る。

 迷惑はかけられない。自分には誰かに施しを受ける権利などないと。

 

「タオルが汚れるぐらい、へいきへっちゃらだよ。それより、ほら。頑張ったお兄ちゃんに感謝のゴシゴシの時間だよ!」

「わかった!」

「感謝のゴシゴシ…?」

 

 響からタオルを受け取った女の子に無理やり髪を拭かれながら、士郎は困惑の表情を浮かべる。それは響のとった強引な行動に対してのものと、自分が誰かからのお礼を受け取っているということへの忌避感からだった。

 

「いや、自分で拭けるから別にやってもらわなくてもな……」

「ダメでーす。人助けはありがとうを受け取るまでが、人助けです」

「そうだよ。助けてくれてありがとうね、お兄ちゃん!」

「ッ! そう…言われてもな」

 

 なおも抵抗しようとするが、頑な響の態度に押されて士郎は黙り込み顔を背ける。

 

「俺は……」

 

 2人から背けた顔を、自らが死ぬ時よりもなお激しく苦痛に歪めながら。

 士郎は心を締め付ける罪の意識に必死で耐えるのだった。

 

 

 

「それじゃあ、気をつけて帰ってね」

「うん! ありがとうね、お姉ちゃん! お兄ちゃん!」

「だから、もうお礼は言わなくていいって……」

 

 辺りが暗くなっていたので、女の子を家の近くまで送っていった響と士郎。

 そんな2人は今、夕闇の中で2人きりで向かい合っていた。

 

「悪いな響。こんな時間まで付き合って貰って」

「いいよ、別に。私が好きでやってることなんだし」

「そっか……」

 

 言葉自体は士郎がいつも言うものと変わらない。

 だが、その中身は全くの別物だ。

 それが士郎自身にも分かるからか、どこか眩しそうな顔をして目を細める。

 

「ねえ、士郎君」

「なんだ、響?」

 

 響はその表情が無性に悲しく思えた。

 だから、問いかけてみようと思った。

 どうして彼が、人助けをしているのか、その理由を。

 

「士郎君は――」

 

 だが、その言葉は響自身の口によって閉じ込められた。

 

(傷なんて……誰にだってあるものだよね)

 

 歪んだ鏡であったとしても、それは自分の姿を映すものだ。

 故に、響は士郎の根底にあるものが何となく察せた。

 だからこそ、その心を無暗に暴いてはいけないのだ。

 

 きっと、士郎は聞けば隠さずに答えてくれるだろう。

 ただ、人から請われたという理由だけで。

 響はそれは嫌だなと思った。だから、口をつぐんだのだ。

 

「…? どうしたんだ?」

「あ、ううん。士郎君は何か好きなことってある?」

 

 疑問符を浮かべる士郎を誤魔化す様に、響は適当な言葉を続ける。

 だが、すぐに言葉の選択を誤ったと気づく。

 

「好きな…こと?」

 

 士郎の表情が消える。

 まるでプログラムに規定されていないことを聞かれたロボットのように。

 1人だけ生き残った自分が、何かを好きになるなんて許されないとばかりに。

 

「な、何でもいいんだよ? 特技って言ってもいいかもしれないし」

「特技か……それなら家事と料理が得意かな、一応」

「主婦?」

 

 先程までの焦りはどこに行ったのか、士郎の特技を聞いた瞬間に思わずツッコミを入れる響。

 

「……母親みたいな人からもどこにでも嫁に出せるって言われてるよ」

「ほ、褒められてるんだから、そんなに複雑な表情をしないでも……」

 

 どこか疲れたような目をする士郎に、さしもの響もどう反応すればいいか分からなくなるのだった。しかし、同時にそこまで太鼓判を押される程の腕前が気になりもする。

 

「でも、料理上手なんだ。ちょっと食べてみたいかも」

「機会があったら作ろうか? 因みに好きなものはなんだ?」

「本当!? だったら、ごはん&ごはんでお願いします!」

「そうか。じゃあ、丼物でも作ってみるか」

 

 キラキラと目を輝かせる響の姿に、苦笑しながらも士郎は頭の中でレシピを描く。

 そんなようやくといっていい程の和やかな空気が流れ始めたところで、響に電話がかかってくる。

 

「未来? どうしたの? ……ああ、うん。大丈夫だよ、私はいつも通り人助けをした帰りだから。うん。すぐに帰るから、待ってて。じゃあ、後で」

 

 電話を切り、響は士郎に申し訳なさそうな顔を向ける。

 それだけで士郎は大体の事情を察して、小さく笑う。

 

「もう暗いし送って行こうか?」

「大丈夫。ここからそんなに遠くないし。それに士郎君は買い物しないといけないんでしょ?」

「あー…まずいな。タイムセールももう終わってるだろうなぁ」

「本当に主婦みたいなこと言うんだね……」

 

 ぬかった、という表情でタイムセールに遅れたことを悔しがる士郎に、響は苦笑いを浮かべる。

 

「ま、終わったものは気にしてもしょうがないか。それじゃあな、響」

「うん、またね」

「ああ……またな」

 

 夕焼けがその姿を照らす中、互いに背を向け合って離れていく2人。

 まるで、それは今後の2人の関係を表すようで。

 

 運命は2人の出会いをきっかけに、急激に動き始めるのだった。

 

 

 

 

 

「クリス。あなたにはこれからソロモンの杖を使って、特異災害対策機動部二課周辺にノイズを呼び出してもらうわ。それが人為的に行われたと分かるように、かつ複数回に渡ってね」

「分かった……けど、なんで分かるようにやるんだ?」

 

 士郎が買い出しに行っている間。

 フィーネの研究所ではそんな会話が行われていた。

 

「穴の奥に隠されたお宝を、相手自身に外に出させるためよ。あなただって、隠し場所がバレている場所にへそくりを隠さないでしょう?」

「隠したこともねえよ。まあ、意味は何となく分かったけど」

「それでいいわ。それと、ノイズを討伐に出てくるシンフォギア装者のうち、聖遺物との融合症例の方を可能なら捕まえなさい。まあ、士郎が居るから無理する必要はないわ。検体は多い方がデータが正確になるというだけだから、無理なら殺しなさい」

「…! とっ捕まえて来てやるよ。そうすりゃ、あいつが苦しむ必要もなくなるだろ?」

 

 士郎の代わりになる。

 その可能性にクリスは食いつく。

 今から捕まえる相手には悪いが、人間赤の他人より家族の方が大切だ。

 クリスは今士郎に行われている実験を、そいつが少しでも肩代わりしてくれると思った。

 

「……かもしれないわね」

 

 だが、フィーネはそんなクリスの内心を嘲り笑う。

 

 お前はあの子のことを何も分かっていないと。

 士郎が、あの壊れた人形が、自分以外の誰かが傷つくことを許容するわけがないだろうと。

 むしろ、連れてきた人間の分だけ自分が肩代わりしようとするはずだと。

 

 フィーネは誰よりも彼を理解するからこそ、クリスの想いに嗤いを零す。

 

「まあ、そいつに罪はねえが関係ねぇな……好きなだけあたしを恨んでくれよ。確か――」

 

 そんなフィーネの内心にも気づくことなく、クリスは1人謝罪する。

 これから平和な世界のために、生贄にしてしまうだろう少女へ。

 そして。

 

 

「―――立花響だったか?」

 

 

 少女を愛する人々に。

 

 




因みに士郎君はノーパンで帰りました。


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3話:伽藍洞の心

士郎が絡まない戦闘はカットしていく方針です。



 

 雪音クリスは最近不機嫌だった。

 理由はいくつかある。

 1つはフィーネの命令である、融合症例の少女、立花響を捕らえられなかったこと。

 2つ目は、その際に戦いを優位に進めながらも、風鳴(かざなり)(つばさ)から手痛い反撃を受けてしまったこと。

 

 これらに関してはフィーネからのお咎めは一切ない。

 というよりも、この結果を予想していたような節すら感じられた。

 故に、クリスは自分が信頼されていないのだと、酷くプライドを傷つけられた。

 

 だがまあ、これらの不機嫌ならば、次は絶対に許さないという負けん気で打ち消せただろう。

 しかし、もう1つの理由が彼女の苛立ちを長引かせていた。

 

「どうしたんだ、クリス? 腹減ってないのか?」

「……いや、減ってるけどよ」

 

 訝し気な視線を送って来る士郎と、目の前の親子丼に視線を向けるクリス。

 

 ホカホカのごはんの上に、だしと絡んで黄金色に輝くとろりとした卵。

 素材本来の甘みが卵との相乗効果で引き上がっていそうな玉ねぎ。

 そして、何より一口口に入れれば、ジュワッと旨味が溢れ出てくること間違いない鶏肉。

 

 文句なしで美味しそうに見えたし、お腹も良い感じに空いている。

 だというのに、クリスは何故かこの親子丼から嫌なものを感じ取っていた。

 それは俗に言う女の勘というものだった。

 

「なんか最近丼物が多くねえか?」

「そうか?」

「そうだよ。前はかつ丼、その前は天丼。美味かったけど、なんか偏ってるぞ最近」

 

 クリスの言う通り、士郎は最近丼物を多く作っていた。

 普通に考えれば、士郎が丼にはまったと思うだろうが、クリスはその考えを一蹴する。

 士郎には嫌いなものはあるが、これといって好きなものも無ければ、何かに夢中になることもない。

 

 どちらかというと、栄養バランスを意識して作るので被ることは少ないのだ。

 つまり、何か理由があるに違いないと彼女は睨んでいた。

 

「……言われてみるとそうだな」

「何か理由があるんじゃないのか?」

 

 確かにそうだなと頷く士郎に対し、クリスはちょっとキツめの目で睨む。

 士郎は相も変わらずその感情に気づくことなく、堂々と地雷を踏みぬく。

 

「ああ、この前俺の料理が食べてみたいって言われてな。それで、()()()が好きなご飯系の料理を練習してたんだ」

「ほーん……()()()ねぇ」

 

 そいつでもその人でもない。つまりは、女子供の可能性が高い。

 そのことを言葉の裏から理解し、クリスの声の温度が一気に低くなる。

 もし、士郎が人の感情に機敏な人間だったら、そこで話題の矛先を変えただろう。

 しかし、悲しいかな。士郎にはそのような便利な機能はついていない。

 

「確か、クリスと同じぐらいの女の子だったな」

 

 もしも、この場にフィーネが居たのなら、思わず顔を手で覆っていたことだろう。

 それ程までに士郎は的確に地雷を踏みぬいていた。

 

「なるほどなるほど……そうかそうか。お前は私が命懸けで戦ってる間、ナンパに勤しんでたわけか」

「ク、クリス?」

 

 部屋の温度が下がる。

 もちろんこれは比喩表現なのだが、クリスの発する圧はそれほどまでに凄まじかった。

 その凄さは、人間の感情の機微に疎い士郎ですら、一発で彼女が怒ってることに気づくほどである。

 

「お、怒ってるのか?」

「べっつにー? 士郎があたしが戦ってる間に手当たり次第に女に粉かけてるとしても、あたしには関係ないからなー」

 

 言葉にトゲがあるという表現すら生ぬるい。

 もはや言葉は剣で出来ているレベルだ。

 故に士郎は直感する。これはヤバい。

 すぐにでも弁明をしなければ、死ぬより辛いことが待っているに違いないと。

 

「誤解だ、クリス。俺はただ人助けをしてただけで、ナンパなんてしてない。料理だって、趣味の話題で料理が得意だって言ったら、食べてみたいって言われたから作る約束をしただけだ」

「しっかり次回フラグ建ててんじゃねえか!」

 

 だから、士郎は急いで弁明を始める。

 だが悲しいかな。機械に人の心は分からぬ。

 クリスが何故ヘソを曲げているかの根本的原因が分からない。

 女心が分からないというレベルではない。

 きっと今の士郎は、お気に入りのおもちゃを取られた子供の気持ちすら分からないだろう。

 

 下手をすると自分がやられても、誰かのためになれたなんて言い出し始めかねない。

 それほどまでに、彼の心は人間味を失っていた。

 

「そう言われてもな……頼まれたんだからしょうがないだろ?」

「ふーん。じゃあ、お前そいつとあたしに同時に反対の頼み事をされたらどうすんだ?」

「どういうことだ?」

 

 クリスの抱いている感情は単純な独占欲。

 誰もが持っているもので、ただ単に自分を優先して欲しいというだけのもの。

 難しいことなど何もない。だが、公私の公に傾きすぎた士郎という存在が相手では。

 

「例えばの話。あたしがそいつを殺せっていう。で、相手は助けてくれっていう。こんなとき、お前はあたしの方を選ぶって言いきれんのか?」

 

 それは理解できない難問となる。

 

「それは……どっちも間違ってないなら選べないだろ?」

「違う。お前はどっちが正しいか分からないから、選べないんじゃない。

 士郎、お前は人を助けられるなら―――()()()()()()()()()?」

 

 図星だった。

 士郎はふと、酷く喉が渇いていることに気づく。

 顔からは血の気が引き、真っ青になっている。

 これではいけないと必死に口を動かそうとするが、掠れた音しか出てこない。

 

「人助けになるならどっちだって構わない。どっちも同じだからな。お前にとっちゃ、初対面の人間もあたしも同じ価値しかねぇんだろ! 誰かを助けられるなら、あたしである必要なんてこれっぽっちもないんだッ! 助ける人間が誰かなんてどうだっていいんだろ!? だからどっちかを選べねぇんだッ!!」

 

 浴びせられる悲しみと怒りの籠った糾弾の声。

 

 1人の家族と見知らぬ人間。

 人の情というものがある人間ならば、良いか悪いかは別にしても家族の方が価値が重い。

 だが、“私”というものがなく“公”がほぼ全てを占める士郎という存在にとっては。

 

「俺…は……」

 

 どちらも等価だと判断してしまった。

 本来傾くはずの天秤は2つのものを乗せたまま、ピクリとも動かない。

 どこまでも正確に、歪んでいる部分など欠片もなく、天秤は冷たく佇む。

 歪みのないことこそが最大の歪みだと気づくことも無く。

 それが正しさだと愚かにも信じ切っている。

 

「士郎、お前は……あたしを選んでくれないんだな…?」

 

 それが分かったからクリスは先程とは違い、怒りではなく悲しみで瞳を震わせる。

 その瞳に士郎の心に言いようのない痛みが走るが、またしても彼は何も言えなかった。

 

「ああ…クソ……飯の時にこんな話なんてするんじゃなかった」

「クリス……そのだな」

「ああもう! 今の話は忘れろ! あたしも忘れる。それでこの話は終わりだ」

 

 何かを言おうとする士郎の口を、クリスの言葉が塞ぐ。

 先程まで彼女の胸の中にあった、嫉妬や怒りは綺麗さっぱりと消えた。

 無論、悲しみと寂しさに追い出されるという形でだが。

 

「結局……独りぼっちか」

 

 2人で食べる食事なのに何故だか1人きりのような気がして、クリスは泣きそうな顔でポツリと零すのだった。

 

 

 

 

 

「響ちゃん、最近頑張ってるみたいだけど疲れてないー?」

「へいきへっちゃらですよ! 弦十郎さん…師匠の修行は大変でも楽しいですから!」

 

 特異災害対策機動部二課本部、医務室で2人の女性が談笑していた。

 1人は立花響。貴重な聖遺物との融合症例()()()として、二課に保護されて以来、シンフォギア装者としてノイズとの戦いに赴いている。

 対する1人は響よりも一回り程年上に見える女性だ。

 身にする白衣にアップにまとめたマルーン色の長髪が非常に映えており、そこにどこか知的な印象を持つ丸い眼鏡が合わさり、まさにできる女といった女性である。

 

「そこは心配してないわよ。弦十郎君は大人なんだからちゃんと加減はしてるし」

「そう言えば……師匠って本気を出したらどれぐらい強いんですか?」

「日本は核兵器は持たないって話じゃないのかって、大真面目に他の国に言われる程度よー」

「核…兵器?」

 

 2人の話題は二課の司令である、風鳴(かざなり)弦十郎(げんじゅうろう)についてである。

 獅子のような赤髪に、熊のような体躯。強き意志を示す瞳は龍のよう。

 その強さはまさに一騎当千。相手がノイズという人類の天敵でなければ彼1人で十分と、大真面目に言われる男である。

 

「私も師匠みたいに強くなれますかね?」

「私としては響ちゃんには、あくまでも人間の範疇で強くなって欲しいわ」

「あはは。そんな師匠が化け物みたいな……」

「生身でシンフォギアの攻撃を受け止めるどころか、間違いなく圧倒できる存在を人間って呼べるのかしら?」

「あ、あはは……」

 

 否定したいが否定できない事実に、思わず苦笑いを零す響。

 シンフォギアとは人知を超えた力を発揮する聖遺物の欠片を、装者が歌の力で鎧や武器に変える対ノイズへの切り札といえる存在である。要するに人間を超えた力を与える武器だ。

 だというのに、それを生身で軽く一蹴できる存在を人間と言えるだろうか? 

 少なくとも、万人が同じ答えになることはないだろう。

 

「まあ、今は弦十郎君のことは良いのよ。それより、響ちゃんが翼ちゃんのことを気にして、オーバーワークをしてないかが心配なのよ」

「翼さん……」

 

 それまで笑顔だった響の顔が若干曇る。

 翼、風鳴翼は響の先輩にあたる存在であり、今は集中治療室で生死の境を彷徨っている。

 

「ネフシュタンの鎧を纏った()()()を撤退させるのに、翼ちゃんは絶唱を使った。今はその反動で治療中……もし、響ちゃんがそれを責任に感じているんだったら、()()()みたいに…」

 

 重々しい声が女性の口から吐き出される。

 絶唱とは、まさにその命が絶えるまで(うた)うことを意味する装者の奥の手。

 シンフォギアの力を限界以上に引き出す自爆技。

 その反動は下手をすれば遺体すら残らない。

 

 そのような技を風鳴翼は使った。

 ネフシュタンの鎧の少女を倒すために。

 何より、彼女に狙われていた響を守るために。

 

「ねえ、響ちゃん? 助けられたことを重荷に感じたりしていない?」

 

 だから女性は問いかける。

 守られたことを罪に感じていないかと。

 

「……正直な話、私がもっと強ければ翼さんがこうなることも無かったんじゃないかなって、思うこともあります」

「響ちゃん……」

「でも――」

 

 この子も罪の意識に呑まれてしまうのかと、女性は瞳を暗くする。

 しかし、続く力強い言葉によって、それはすぐに打ち消されることとなる。

 

「私は助けられたことを負い目に感じたくなんてありません。翼さんは私のことが好きじゃなかったかもしれません。でも、助けてくれました。それはとっても凄いことだと思うんです。私はそんな凄い意志を負い目になんて感じたくない。だから今は、自分の意志で誰かを助けたいって思うんです」

 

 少し照れ臭そうに、それでも強い意志で告げて見せた響。

 その姿に女性は思わず眩しそうに目を細める。

 

「……強いわね、響ちゃんは」

「そんなことないですよ、私なんてまだまだ弱っちくて」

「いいえ、あなたは強いわ」

 

 助けられたことを負い目に感じ続けるあの子と比べて。

 そんな言葉を櫻井了子、否、フィーネは心の中で呟くのだった。

 

「さーて、それだけ聞けたら十分ね。今日はもう帰っていいわよ。花の女子高生が休日に修行漬けなんてあんまりだものねー。友達と街に遊びにでも行ったら?」

「そうですね。最近はあんまり一緒に居られてないし……」

 

 二課に来るようになってから、親友の未来との時間をあまりとれていない。

 そのことに若干の寂しさを覚えていた響は、了子の意見を聞き、今日は2人で遊びに行こうと考えるのだった。

 

 

 

 

 

「あー、いっぱい遊んだらお腹空いたねー」

「響はいつもお腹減らしてるじゃない」

「あ! 未来ひっどーい!」

 

 ほんのりと空が茜色に染まって来る時間。

 そんなどこかノスタルジックな風景の中に、仲が良さそうにじゃれあう2人の少女がいる。

 立花響とその親友、小日向未来だ。

 

「でも、私もお腹が減ったのは一緒かな」

「だよねー、今日のご飯は何にしようかー」

 

 2人の話題は今日のご飯のこと。

 故郷から離れ、新天地でリディアン音楽院に通う2人は共に学生寮で暮らしている。

 学生寮と言えば、風呂やトイレが共用や、規律に厳しいのようなイメージがあるが2人の通うリディアンは違う。

 

 豪華とは言えずとも、立派な住居である。

 風呂とトイレとキッチンは各部屋に付いているし、お風呂に関しては2人で入ってもなお、余裕があるほどだ。

 規律も大して厳しくはなく、ずる休みしても教師の方に連絡が行ったりすることもない自由性である。

 しかも学費が安い。

 学生寮と言うよりも、マンションという意識の方が分かりやすいだろう。

 

「うーん、お肉を食べた方が良いのかなぁ」

「お肉…? 響、筋肉でもつけたいの?」

「え! い、いや、ただ単にお肉を食べたいなぁって思っただけだよ」

「そう……じゃあ、お肉でも食べようか」

 

 何やら様子がおかしい響に、怪しげな目を向ける未来だったが、まあいいかと流す。

 その様子に響は胸を撫で下ろす。

 

(最近、師匠に勧められて見た映画に肉を食べて強くなるトレーニングがあったけど、やっぱり隠れてやるのは難しいなぁ)

 

 響は現在二課に所属している。

 だが、この二課は秘密組織みたいなものだ。

 当然、そこに所属しているとは言えない。

 おまけに響はシンフォギア装者。彼女自身が言うどころか、他人がそれを言うだけで不味いことになる。

 

 そのため、親友である未来にすら今自分が何をしているかを伝えることが出来ないのだ。因みに学校側は二課の隠れ蓑のような存在なので、響が不自然に授業を抜けたり休んだりしても、誤魔化すことが出来る。と、言っても休んだ分は方の生徒と同じように課題が課せられるので、響を大いに苦しめている。

 

「お肉か……ステーキはちょっと高いし、それに響のことだからご飯もたくさん食べたいだろうし……」

「さっすが未来! 私の好みを分かってるぅ!」

「響程単純な人も少ないと思うけどね」

「せめて分かりやすいって言って!?」

 

 親友らしい遠慮のない軽口を叩きながら、2人はブラブラと街中を歩いていく。

 と、そんなところで、響が何かを見つけたように足を止める。

 

「あれは……」

「響?」

「士郎君かな。おーい、士郎くーん!」

「士郎…君?」

 

 友人を見つけたらしく、元気な声を出す響に未来は困惑した表情を浮かべる。

 彼女は響の親友だ。お風呂もベッドも共にする程の親友だ。

 それなのに、響に新しく出来た友人を知らなかった。しかも男。

 それらの事実が未来に大きな動揺をもたらす。

 

「……ん? ああ、響か。こんなとこでどうしたんだ?」

「未来と遊びに来てたんだよ。士郎君は……スーパーの袋があるから買い物帰り? あ、未来。この人は最近、よく見かけてたあの人だよ」

「ああ……響によく似てる」

「似てる? そうか?」

 

 響からの紹介に未来は自分も知っている人で良かったと、何となく安堵する。

 対する士郎は、響と自分を見比べてどこが似ているのかと首を捻っている。

 外面ではなく、内面が似ていると言われていることに気づけないのだ。

 

「とにかく、俺は士郎。よろしくな」

「あ、小日向未来です。うちの響がご迷惑をおかけしたみたいで……」

「ちょっと未来!? 私、何も言ってないよね!」

「だって、響のことだから何かしら迷惑をかけてそうだし」

「うわーん! グレてやるぅー!!」

 

 冗談めかしながらわちゃわちゃと絡み合う響と未来。

 そんな気心の知れた様子に士郎は、思わずといった様子で零す。

 

「仲が良いんだな」

「当然!」

「幼馴染みだから…ね」

 

 2人は故郷に居た頃からずっと一緒だった。

 楽しい時も、()()()()()()()()()一緒だった。

 故に、2人の絆はとても強い。一種の依存と言い換えても良い程に。

 

「……羨ましいな」

 

 だからこそ、士郎はそんな感想を抱く。

 自分には決してそのような存在が出来ることはないだろうと。

 否、彼の幼馴染みや友達は皆、あの日に炭となって消えていったのだから。

 あの日から彼の中の時計は止まったままだ。

 

「あれ? 士郎君何か困ったことがあるの?」

「ッ! い、いや、別にないぞ?」

 

 そんなどこか複雑な想いを抱いていたからか、響にそんなことを聞かれてしまう。

 当然、士郎はそんなことはないと否定するのだが。

 

「本当? なんだか、声をかけた時から元気がないような気がするよ」

「仲が良いことが羨ましい……もしかして友達と喧嘩してる?」

「いや、()()友達なんかじゃ――」

「はい、誰かと喧嘩してるのは確定だね」

 

 友達ではない。そう言おうとした士郎に響がチョップを入れる。

 そのことに目を白黒させる士郎に、響が諭すように語りかける。

 

「それとね、友達なんかじゃないなんて悲しいこと言わないで」

「でも、俺なんかが友達だと……」

「もし、私が未来に同じことを言われたら、泣く自信があるよ」

「もう、響ったら。まあ、私も同じだけど」

 

 2人の少女から寄ってたかって責められて、士郎はあたふたとする。

 女性には優しくしろとフィーネから教わっているのに、これではいけない。

 士郎は急いで弁明を始めることにした。

 

「そうは言ってもだな。俺みたいな奴が友人だったら、きっと迷惑がかかる。この前のだって、俺じゃなかったらこんなことには……」

 

 そして、あっさりと墓穴を掘ることに成功する。

 

「……ねえ、それを本人から聞いたことがあるの?」

「本人から…?」

 

 どこか底冷えするような声を出す未来に、士郎は怯えながら聞き返す。

 隣の響も未来の言葉に頷いているが、その迫力に若干引いている。

 

「ねえ、士郎さんは相手の気持ちを聞いたことがある?」

「相手の気持ち? でも、俺なんか――」

「だ・か・ら! ちゃんと本人から聞いたことがあるの!?」

 

 小さな少女から出たとは思えない声が辺りに響き渡る。

 士郎はその時点でこの少女には逆らってはいけないと理解し、縮こまる。

 

「相手の気持ちを聞きもしないのに、勝手に決めつけるなんて自分勝手だよ! 相手はどんな辛いことがあっても傍に居たいって思ってるかもしれないんだよ!!」

 

 怒声は留まることを知らない。

 士郎は、何故相手が怒っているかを理解できないが平伏するしかない。

 放っておけばこのまま一晩中でも説教が続くだろう。

 しかし、そこへ助けの手が差し伸べられる。

 

「み、未来、ちょっと抑えて。周りの人達が見てるよ」

「え? あ、うん。確かにここじゃマズいよね」

 

 響が恐る恐るといった感じで、未来の袖を引き注意を促す。

 確かに、辺りの人々は未来の怒声に何事かと目を向けている。

 それに気づいた未来は、少し頬を染めながら喉を鳴らす。

 

(助かったか…?)

 

 その様子に士郎は、この場を乗り切れるかもしれないと一縷の望みを見出だす。

 だが、現実とはそう甘いものではない。

 

「という訳で、私達の家で続きをしよっか」

 

 地獄への道は善意で出来ている。

 士郎はそのことを響の笑顔を見ながら理解するのだった。

 

 

 

 

 

「よし……完成だ」

「待ってましたぁ! すっごく美味しそうな牛丼だよ、未来!」

「本当に料理が得意なんだね、士郎さん」

「まあ、これだけは昔からやってきたからな」

 

 響達に連行されて一時間後。

 士郎はどういうわけか2人の部屋で牛丼を作っていた。

 なぜ、女子高生の家に訪れてこのような展開になっているのかを知るには、時間を少し遡る必要がある。

 

 

 

「じゃーん! ここが私と未来の家でーす!」

「い、今更だけど男の子を家に招くのって初めてかも……」

「ここって女子寮なんだよな…? 俺って入っていいのか?」

 

 何が楽しいのか、自宅を前にしてやけにハイテンションな響。

 冷静になった結果、部屋の中に男性を上げていいものかと悩む未来。

 純粋に男性が入って問題はないのだろうかと疑問に思う士郎。

 

「いいからいいから。ほら、いらっしゃい、士郎君」

「あ、響! 待って! せ、せめて上げる前に部屋の片づけだけでも!」

「掃除なら手伝うぞ?」

「余計にダメ!!」

 

 玄関を開け放ち、士郎を招き入れる響に未来が最後の抵抗を見せるが、肝心の士郎は乙女の家に上がるというのに緊張した様子を見せない。

 

「うーん。うら若き乙女の部屋に上がるのにこの平常心……士郎君って女慣れしてるの?」

「なんだか女慣れしてるって言われると、嫌な意味に聞こえるな……。ただ単に家に住んでるのが俺以外は女性だってだけだよ」

 

 ジトーとからかうような視線を向けてくる響に、士郎は苦笑いを返す。

 因みに未来は現在、部屋の片づけで大忙しである。

 

「へー、そうなんだ」

「ああ、だから変な勘違いはよしてくれよな」

 

 因みに士郎は、仮に2人の下着が無造作に置いてあっても気にも止めない。

 何故なら士郎にとっての女性の下着は、脱ぎ捨てられてそこら辺に放置されているものという認識なのだ。もちろん、その下着は生粋の裸族であるフィーネのものである。

 

 彼女は家に帰るとまるで靴でも脱ぐように全裸になるので、その脱ぎ散らかしたものを洗濯機に入れるのが士郎の仕事だ。もちろん、その後に乾かして畳んでタンスに入れるまでやる。

 

 因みにクリスの下着もかつては同じようにしていたが、顔を真っ赤にした彼女に殴り飛ばされて以来やっていない。無論、士郎は未だにその理由が分かっていない。

 

「響、士郎さん、もう上がっていいよ」

「よし。それじゃあ今度こそ、ようこそ我が家にいらっしゃいました」

「ああ、お邪魔します」

 

 全力運動したために軽く肩で息をしながら2人を呼ぶ未来に対して、士郎達は全くもって普通である。その姿に、思わず理不尽なものを感じてしまった未来を責められる者はいないだろう。

 

「……キリキリ吐いてもらおう」

「み、未来? なんだかやけに気合が入ってない…?」

「大丈夫。これは人助けだから。ちょっとぐらいやりすぎても平気だから」

「お、お手柔らかに」

 

 これも全部相手の気持ちを考えようともしない士郎のせいだ。

 故に少々、強気で言っても許されるはずだ。

 未来はそんな理論武装を終え、ジトッとした目で士郎を睨む。

 さあ、いざ裁判の開始――

 

 ―――グギュー。

 

「響……そう言えば、お腹空いてたっけ」

「……あ、あはは。ご、ごめん」

 

 とはいかず。気の抜けるような音で遮られるのだった。

 未来と士郎の視線が集まる中、響は自分のお腹を押さえて恥ずかしそうに頬を赤らめる。

 流石の響も、異性にお腹の音を聞かれるのは恥ずかしかったらしい。

 

「響、腹が減ったのか?」

「そ、それほどでも……ごめん、ペコペコです」

 

 士郎にちょっと呆れたような視線を向けられて、一瞬見栄を張ろうとする響だったが、すぐに自身の体がそれを否定するかのように音が鳴る。穴があったら入りたいとは、まさにこのような気分の時に使うのだろうと、響は現実逃避気味に考える。

 

「そっか……よし! キッチンを借りていいか?」

「え? な、なんで?」

「この前、俺の料理が食べてみたいって言っただろ? ちょうどいい機会だし作ってやるよ」

 

 ガサガサと買い物袋の中を漁り、使えそうなものがあるかを確認していく士郎。

 

「牛のバラ肉と玉ねぎ、後は生姜にネギ……よし、未来さん。キッチンを見ても良いか?」

「あ、うん。いいよ」

 

 意図的に響ではなく未来から許可を取り、士郎はキッチンを拝見する。

 取りあえずといった感じで、一通り揃っている使いかけの調味料。

 これだけはある程度の頻度で使われていると思われる炊飯器と米。

 そして、やけに綺麗なコンロ周り。

 

「………綺麗なキッチンだな」

「その……最初は自炊もやってみようって意気込んで色々買ったんだけど」

「学食に行ったり、買う方が楽だって気づいちゃったの……炊飯器はよく使うんだけどね?」

 

 バツが悪そうに目を逸らす2人に、士郎は何とも言えぬ表情を浮かべる。

 基本的に料理というものは手間がかかる。作るだけなら楽しくても、後片付けはつまらない。

 おまけに学生であれば、学食などが安く手に入る。

 そんな新生活あるあるのおかげで、2人の家には中途半端な感じの調理道具が揃っているのだ。

 

「まあ、取りあえずこれだけあれば問題ないな。ちょっと使わせてもらうぞ」

「それはいいけど、何を作るの?」

「響のリクエストと今ある材料から考えて、牛丼と軽くスープでも作ろうと思ってる」

 

 エプロンがないので、取りあえず腕まくりをしつつ士郎が答える。

 返事は響のお腹の音からしてOKだろう。

 

「えっと、何か手伝おうか?」

「いや、2人は座ってていい――」

「響、私達はお米でも炊いておこう」

「そうだね」

 

 手伝いを申し出た響に対し、士郎は当然のように断ろうとするが未来が強引に話を進める。

 そのことに対して、士郎はどこか苦々し気な表情を浮かべるが、それも一瞬で消え、後は目の前の料理に集中するのみだった。

 

 

 

 

 

「「いただきます!」」

「どうぞ、召し上がれ」

 

 そして、数十分後。

 ホカホカの牛丼と熱々の生姜スープを前に手を合わせる2人の姿があった。

 

「おいひい!」

「もう、響ったらそんなに勢いよく食べたらのどに詰まるよ?」

 

 甘辛い汁がたっぷりとしみ込んだ柔らかい牛肉とあめ色に染まった玉ねぎを、純白の白米を箸で絡めて勢いよく頬張る。すると、口の中で旨味と甘みが染み出していき、同時にアクセントの生姜の風味が飲み込む際に体を吹き抜けていく。

 

「スープも美味しいね。なんだかホッとする」

「生姜とネギぐらいしか具を使えなかったのが不満だけど、気に入ってくれたんなら嬉しいよ」

 

 牛丼に使った生姜とネギ、それと使いかけで放置されていたスープの素を使った生姜スープ。

 それはどこかホッとする味わいで、飲むと生姜の効果も合わさり体がポカポカとしていく。

 もっとも、士郎としてはもっと野菜を使って栄養バランスを整えたかったようだが。

 

「いやぁ、士郎君の料理って本当に美味しいね」

「まあ、今回は色々と丼系の練習をしたからな……練習をな」

 

 機嫌よく美味しい美味しいと言う響に、誰かのためになれたと喜ぶ士郎だったが、それも途中までだ。自分で練習をしたと言って、それに付随してクリスとの記憶を思い出してしまったのだ。

 

「……それじゃあ、そろそろ話してもらおうか。誰と喧嘩したのか」

「そうだね。お悩み相談の時間だよ!」

 

 そんな士郎の感情を読み取ったのか、未来は箸を置いて士郎を見つめる。

 響の方も旺盛な食欲を抑えて、今は士郎に集中している。

 

「お悩み相談って……いいよ、2人の手を煩わせたくない」

 

 だが、士郎は伸ばされた手を掴もうとはしない。

 自分にはそんな価値はないと。

 無償で助けられることを拒む。

 

「ここまで来て逃げられるとでも?」

「そうそう。それにこれは、私達からの料理に対する代金みたいなものだから」

 

 しかしながら、2人の少女は凄みのある笑顔で否定する。

 士郎が人からの好意を受け取ろうとしないのは何となく分かっていた。

 だから、屁理屈をつけて無理にでも助けるつもりでいるのだ。

 

「代金? いいよ、別に。俺が好きでやったことだし」

「もともとは私が食べたいって言ったからだよね? だったら、私は代金を払うべきじゃないかな」

「いや、だから俺は…」

 

 響からの言葉にも渋面で断り続ける士郎。

 そんな彼に対して、響で対処法を知っている未来が声をかける。

 自分でもずるいなと思ってしまう方法だが、背に腹は代えられない。

 

「逆に代金を受け取ってもらえないと、食い逃げをしたみたいで嫌な気分になるよ。だから、これも()()()と思って…ね?」

「ッ! 人助けか……まあ、それが誰かのためになるなら」

 

 人助けになる。その言葉に士郎が反応する。

 ちょっと考えれば今の話は未来の屁理屈と分かるだろう。

 いや、普通の人間なら誰だって気づく。

 だが、士郎は気づかない。

 

 この身は誰かのためにならねばならぬという強迫観念に憑りつかれている少年は。

 

「実はさ……」

 

 人助けになるならば()()()()()()のだ。

 

 

 

 

 

(なんであたしは、あんなこと言ったんだよぉおおッ!?)

 

 クリスは自室のベッドの上でゴロゴロとのたうち回っていた。

 理由はもちろん、士郎との口喧嘩である。

 

(確かにあいつの八方美人っぷりはムカつく! でも、それを差し引いても士郎はあたしを助けてくれた。誰でもよかったかもしれないけど、それでも救われたんだ)

 

 あんなことを言わなければよかったと、自己嫌悪で心が重くなる。

 彼女は粗野な言動を取ることが多いが、根っこは優しく常識的だ。

 だからこそ、自分の行動が許せない。

 

(まだちゃんとした礼も出来てないのに……あたしは自分勝手にあいつを傷つけた。助けてもらったのに傷つけた…!)

 

 クリスはあの時の士郎の顔が忘れられない。

 誰だっていいんだろ、と言った時のクリスの心は傷ついていた。

 だが、それ以上にあの時の士郎の表情は酷かった。

 

(あいつもきっと分かってるんだ。無差別に人を助けることのおかしさを。でも……あいつは、そうしてないと息が出来ない。他人を全部救わないと自分が救われないって心を保ってる。そんなところにあんなことを言ったら……あぁあああッ!!)

 

 ボフンボフンと華奢な手で枕を叩く。

 士郎は歪んでいるし、狂っている。

 言葉にすればそれだけだが、それは立派な病気だ。

 要は精神に多大な傷を負った患者だ。

 

 そんな人間が必死に殻を作って心を守っている所に、クリスは殴り込みをかけた。

 医学的な知識などなくとも、それがどれだけリスクの高いことか分かるだろう。

 

 クリスは何も士郎が嫌いなわけでも、嫌いになったわけでもない。

 むしろ、初めて純粋な善意を向けてくれた相手として好意を向けている。

 だが、そんな相手を傷つけてしまった。

 

 その罪の意識が今彼女を苦しめている。

 

「クリス、居るか?」

「うわぁあああッ!?」

「うおっ! 何かあったのか、クリス!?」

 

 そしてそんなところへ、件の張本人である士郎がドアの向こうから声をかけてくる。

 控えめに言って心臓が飛び出るかと思ったとは、クリスの弁だ。

 

「い、いきなり声かけてくるなよな」

「わ、悪い。ノックしても返事がなかったから、つい」

 

 士郎の謝罪を聞きながら、クリスはまたやってしまったと悔やむ。

 悪いのは自分なのに、また素直でない口で相手を責めてしまった。

 なんて最低な女なんだろうと、クリスは内心で自分に唾を吐く。

 

「……それで何なんだ?」

「クリスに伝えたいことがあるんだ」

 

 きっと、自分が今思い悩んでいる出来事のことだろう。

 聡い彼女はすぐに気づき、グッと奥歯を噛みしめる。

 何を言われてもしょうがない。嫌われたって文句は言えない。

 だというのに、どうしようもなく心は怯えて耳を塞ぎたくなってしまう。

 そんなか弱い少女に向けて士郎が口を開く。

 

「誰でも良いんだろって言われたとき……正直、悲しかった」

「…ッ」

 

 ああ、やっぱり。自分は彼を傷つけてしまっていた。

 先程までよりも強く大きな罪悪感が、彼女の心を押し潰してくる。

 

「クリスに嫌われたと思ったから」

「え…?」

「クリスを傷つけたと思って辛かったし、色々考えた。クリスに言われたみたいに、クリスをどうでもいいと思ってるのかって悩んだ」

 

 だというのに、士郎は自分を一切非難することなくクリスを思いやる言葉を出す。

 違う。謝るべきは自分の方だと、クリスは口を開こうとする。

 だが、士郎の言葉の方が早かった。

 

「で、その時にさ。相談に乗ってもらった人に言われたんだ。

 ―――どうでもいい人間に対して、そんなに悩むわけないだろって」

 

 言葉にならない音がクリスの口から零れる。

 確かに士郎はクリスの言葉に傷ついた。

 そう。人の感情に鈍く、悪意を向けられても笑顔で返せるような少年がだ。

 

 どうでもいい人間に嫌われてもさほど傷つかないし、悩むことも無い。

 つまり逆に言えば、士郎は悲しみを感じられる程に彼女に心を許していたのだ。

 

「クリスに言われたから傷ついたんだ。クリスに嫌われたから悲しかったんだ。クリスを悲しませたから悩んだんだ」

 

 言葉だけ見れば責められているように見えるだろう。

 だが、実際にその声を聞いているクリスは、まるで愛の言葉を囁かれているかのように顔を真っ赤に染め上げていく。

 

「クリスが特別な存在だから、クリスが大切だから、嫌われたくないし、悲しませたくない」

 

 要は、あなたは大切な人ですと延々と語られているようなものなのだ。

 これが普通の少年であれば気恥ずかしさを覚えて、途中でやめているだろう。

 しかしながら、士郎は人の感情に鈍い。故にこっぱずかしい台詞も何食わぬ顔で言えるのだ。

 

「きっと…そうなんだ。どっちを救うか選べって言われたら、両方救えないかって悩むかもしれない。でも、クリスがどうでもいい存在だなんてことはあり得ない。これだけは自信を持って言える。―――クリスは俺の大切な人だ」

 

 まるで告白のような台詞回しだが、本人には欠片もそんなつもりはない。

 部屋の中でクリスがリンゴのような顔で、プルプルと震えていてもお構いなしだ。

 

「それじゃあ、ダメか…?」

「分かった! 分かったから、一回黙れ!!」

 

 恥ずかしさのあまり、ドアに向けて枕を投げつけつつクリスは叫ぶ。

 彼女とて士郎がそういう意味で言ったわけではないと、理解している。

 だが、恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。

 故に彼女はスーハースーハーと大きく深呼吸を繰り返して、心を落ち着かせる。

 

「うん……この前のはあたしも悪かった。だから()()

「……(ゆる)してくれるのか?」

「だから、そう言ってんだろ。そもそもあの時に終わらせたんだから気にしてねえよ」

「そっか……ありがとうな」

 

 何とか、気にしていないという意思表示だけを伝えて、話を切り上げようとするクリス。

 しかし、若干緩んだ頬はすぐには収まりそうにない。

 恥ずかしかったが、なんだかんだ言って天涯孤独の彼女にとって大切に想われているという言葉は嬉しかったのだ。

 

(たく、こっぱずかしい台詞言いやがって……まあ、仲直りできてよかったな。どこのどいつか知らねえけど、士郎の相談に乗った奴にも感謝しないと……ん?)

 

 上機嫌に鼻歌でも歌いそうだったクリスの表情が若干曇る。

 まさかとは思うが、聞いてみないと分からない。

 

「なあ、士郎……相談した奴ってどんな奴だ?」

 

 きっとフィーネ辺りに相談したのだろう。

 そうだ、きっとそうに違いない。

 そう、彼女は内心で祈って、下降しつつある心を落ち着かせようとするが。

 

「ああ、この前話した料理を作ってやるって言った女の子とその友達だ」

「今すぐ、アンパン買ってこい! このナンパ野郎が!!」

「なんでさ」

 

 唐変木の一言のせいで、一気に不機嫌になるのだった。

 




今回は徐々に人形に心を入れていく第一段階。
しかし、中々翼さんと絡めない……。

士郎「体は剣で出来ている」
翼「こいつ……できる…!」(センスが)

こんな感じのやり取りをしたいのに(真顔)


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4話:過去の牢獄

 

「ふふふ……ネフシュタンの鎧の主ごと浸食していく再生能力は使えそうね」

 

 フィーネの研究室にあるどこか拷問室を連想させる一角。

 磔台のようなものから、鞭のような拷問道具が無造作に置かれる部屋。

 そこで、フィーネはクリスが戦闘を行った際のデータを見てほくそ笑んでいた。

 

「聖遺物と人間は同居することが出来る。ネフシュタンであり、人間でもある存在になれば浸食のリスクを回避しつつ、無限の再生能力を得ることが出来る。これもクリスのおかげね」

 

 フィーネはネフシュタンの鎧という聖遺物を武装として、クリスに貸し与えている。

 それは、二課周辺を襲わせるためであると共に、データを取る為でもあった。

 

(クリスにソロモンの杖でノイズに二課周辺を繰り返し襲わせることで、二課と政府はそこに保管されている“デュランダル”が狙いだと気づく。当然、奴らにも面子がある。ただ逃げるなどと言うことはない。賊を討つべくシンフォギア装者をクリスに差し向ける。そして、戦闘になれば融合症例である立花響が現れ、上手くいけばネフシュタンの鎧を破壊してくれる。ふふふ……融合症例のデータと、ネフシュタンの再生能力のデータが同時に得られるなんて、濡れ手で粟ね)

 

 クリスが勝てば融合症例の戦闘データが手に入る。

 逆にクリスが負ければ、ネフシュタンがどのように主を侵食するかのデータも手に入る。

 それどころか、適度に介入すれば労せずに一挙両得することができるのだ。

 フィーネでなくとも思わず笑ってしまう順調っぷりだ。

 

(私にとってはクリスが勝とうが負けようが関係ない。仮にクリスが捕縛されたとしても、風鳴弦十郎の性格からして自白の強要はない。時間をかけて情報を得ようとするはずだ。そうなれば救出でも口封じでもどうとでもできる。デュランダルも狙われていたという事実さえあれば、移動の提案をするのは何もおかしくない。そうなれば私自身で奪うぐらいは簡単だ)

 

 フィーネはある目的のために、二課に保管されている不朽不滅の宝剣“デュランダル”を、正確にはそれが生み出す無尽蔵のエネルギーを求めている。デュランダルを手に入れることさえできれば、彼女の計画は実行に移せる段階へと移る。故に彼女は上機嫌であった。

 

(そして、後は私自身が融合症例になれば……私の邪魔をできる者は誰も居なくなる)

 

 クツクツと魔女のようにフィーネは嗤う。

 彼女は士郎と違い、脳みそを吹き飛ばされれば死ぬ。

 故に、無限再生の能力を持つネフシュタンを取り込み、不死身になるつもりなのだ。

 因みにクリスはそのための試金石なので、無傷の勝利よりも傷だらけの勝利を望まれている。

 もちろん、これはクリスにも士郎にも伝えていない。

 

(そして、あの忌々しい月を砕き去り、人類の為に共通言語を取り戻す)

 

 フィーネはドロリと濁った瞳で、窓からのぞく空を見上げる。

 昼間である故にそこに月は見えない。

 だが、彼女は見上げることをやめなかった。

 まるで、今ではなく過去の記憶を睨むかのように。

 

「おい、フィーネ。そんなところで何してんだ?」

「あら、クリス。別に、ただ空を見てただけよ」

「ふーん」

 

 そんな感傷に浸っていたところで、暇を持て余してそうなクリスが現れる。

 何か用かと思って、フィーネは視線を向けるがクリスはフィーネの方を見ていなかった。

 キョロキョロと周囲を見回して、誰かを探している。

 それを見れば、誰だってクリスが何をしに来たのかを理解できるだろう。

 

「士郎なら今日は出かけてるわよ」

「……また買い物か?」

 

 クスクスと微笑ましそうに笑いながら答えると、何故かクリスは半目になる。

 その様子にフィーネはどういうことかと疑問を覚えるが、スルーすることにした。

 因みに、クリスの半目の原因は『また、女を引っかけてくるのか』という思いからである。

 

「今日は違うわよ。いつもより、少し遠出よ」

「遠出? 何しに行ったんだ?」

「そうね……他に適切な言葉が見つからないから、言うとしたら…」

 

 僅かに言葉を詰まらせてフィーネは考える。

 あの行為は果たしてなんと言うべきだろうかと。

 家に帰ると言えばただの帰宅だろう。墓に参るのは墓参りだろう。

 だが、しかし。かつて家のあった場所で“家族ごっこ”をすることを、なんと言えばいいのだろうか。

 

「……里帰りよ」

 

 だから、フィーネは曖昧な言葉でそう返すことしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 ■■士郎の瞳には故郷にあるもの全てが墓標に見える。

 思い出に残る建物も、変わった風景も、見知らぬ人でさえ、全てが煤に塗れた墓標だ。

 

「……久しぶりに()()()()()()。クリスが家に来る前以来か」

 

 電車に揺られて数十分。

 今住んでいる場所から近くもなく、遠くもない場所が■■士郎の生まれ落ちた地だった。

 

「この場所も随分と変わったな」

 

 段々と記憶に残る部分が減っている故郷を歩きながら士郎は呟く。

 昔は災害の爪痕が随所に見受けられたが、今は再開発の影響でそれもなくなっている。

 喜ばしいことだ。人間はどんな苦難も乗り越えて行けると、この場所の人々は示して見せた。

 士郎だって、人の活気が戻りつつある町の方が好ましい。

 

「……変わってないのは俺だけか」

 

 だというのに、そのことに無性に寂しさを覚えてしまうのは何故だろうか。

 記憶にある悲惨な光景が消える度に、この町に痛みを知らぬ笑顔が増える度に。

 ■■士郎は1人過去の牢獄に取り残されていく。

 

「……はぁ、またか」

 

 ふと、足を止める。

 そして溜息を吐く。

 今日は町に立てられた慰霊碑に行く予定だけだった。

 だというのに、この町に、故郷に来るたびに。

 

「もう、家のあった面影すらないのにな」

 

 ■■士郎はかつての自分の家に赴いてしまう。

 

「…………」

 

 ただ黙って、今は空き地になってしまった()()()を見つめる。

 もう、その家の詳細は覚えていない。

 屋根が何色だったのか、窓はどこら辺にあったのか、内装はどうだったか。

 全てが朧気だ。思い出は時間の流れと共に、どこかに流れ去っていってしまったらしい。

 

「ただいま……親父、お袋」

 

 かつて玄関があったと思う場所から空き地に踏み入る。

 おかえりの言葉は当たり前だが帰って来ない。

 分かっている。この場所には何もない。幼い頃に訪れていた時はまだ思い出が残っていた。

 でも、今は何も残っていない。それを示す様に士郎の顔には悲しみすら浮かんでいない。

 

「……なんで墓を作らなかったんだっけな」

 

 ポツリと声を零しながら考える。

 そして、すぐに思い出す。何のことはない。

 自分は両親の死を受け入れられなかっただけだ。

 墓とは死者のためにあるのではなく、生者が死を受け入れるためにある。

 

「昔はここで()()()()()をしてたもんな。フィーネさんが迎えに来てくれるまでずっと」

 

 故に、両親の死を受け入れることが出来なかった士郎は墓を作れなかった。

 それを示す様に、拾われてすぐの頃はこの場所に頻繁に訪れては、“家族ごっこ”をしていた。

 記憶の中の、いつも一緒に遊んでくれた父と追いかけっこをし。

 誰よりも自分を愛し、優しくしてくれた妄想の母に笑いかけた。

 

 フィーネがその手を優しく握って、連れ帰ってくれるまでずっと。

 

「親父…お袋……」

 

 静かに目を瞑り、死んだ両親を思い出そうとする。

 もう、顔も思い出せない父の大きな背中を。

 声すら忘れた誰よりも優しかった母の温もりを。

 

「……なんで俺が…ッ。俺だけが…!」

 

 自分と母親を守るために、ノイズに立ち向かい炭となった父の背中を。

 息子を守るためにノイズの攻撃を受け止め、自分を抱きしめたまま灰と消えた母の温もりを。

 

「―――生きてるんだ…ッ」

 

 苦しみながら思い出す。

 2人の愛ではなく、あの時に感じた痛みと苦しみだけを思い出す。

 そして、その思い出が彼をこの場所に束縛し続ける。

 

 2人の想いとは裏腹に、士郎はあの時から欠片も成長していない。

 彼の中の時計はあの日から止まったまま。

 新たなる地へと旅立つ足をここに戻らせる。新たな家族を受け入れることを拒み続ける。

 

「親父、お袋……ごめん。2人がこんな俺のために命を懸けてくれたのに…俺は…俺は…ッ」

 

 吐き出してしまいそうになる言葉を何とか飲み込む。

 頭では分かっているのだ。生かされた自分がこのような言葉を言ってはならないのだと。

 

 死にたいなどと、生きるのが辛いなどと。

 

 1人だけのうのうと生き残っている、自分が言ってはならぬのだと理解している。

 本当は息をするだけで死にたくなるのに、生きなきゃいけないと自分を騙し続けていく。

 

「もう……行くよ。慰霊碑に供える花を買わないといけないし」

 

 ゆっくりと、自らが掴んだ亡者の腕を名残惜しむように放して、士郎は背を向ける。

 

「……ああ、今日も世界は……灰に塗れたままだな」

 

 早く自分もそっちに連れて逝ってくれと願いながら。

 

 

 

 

 

「たく、信号はちゃんと確認するんだぞ、少年」

「す、すみません」

「今回は怪我がなくて良かったが、次は大怪我するかもしれんぞ」

 

 その30分後。士郎は大柄な大人の男性に叱られていた。

 理由は士郎がボーっとしていたせいで、信号を見るのを忘れ車に轢かれかけたからだ。

 つまり、完全に士郎の自業自得である。

 

「はい……おっしゃる通りです」

「とにかく、怪我がなくて良かった」

「はい、おかげさまで」

 

 なので、士郎もこれ以上ないぐらいに反省している。

 幾ら、大人な男性が()()()な動きで救い出したとはいえ、男性が犠牲になる可能性もあったのだ。

 自らのせいで誰かが犠牲になる。それだけは士郎は絶対に許せない。

 

 いくら、車に轢かれると理解しても別にいいかと思い、運転手に迷惑をかけたくないという理由以外に避ける気がなかったとはいえ、これは失態だ。今度からは他人に迷惑をかけないように細心の注意を払おうと士郎は心に決める。

 

「大変、御迷惑をおかけしました」

「人として当然のことをしたまでだ。ああ、そうだ。荷物の方は大丈夫か? 見たところ花束だったからな。移動の衝撃で傷ついていないと良いんだが」

「いえ、荷物の方も大丈夫です」

 

 取りあえず、男性を心配させないために無事なことをアピールしようと士郎は花束を掲げる。

 花束は男性の完璧な衝撃吸収の技術故に、皴1つついていない。

 だが、男性はそれを見ると同時に顔をしかめる。

 その花束の意味を理解し、士郎が非常に危うい状態にあると察したために。

 

「白いカーネーションか……少年、今からどこに行くつもりか聞いてもいいか?」

「町の中央の公園にある慰霊碑ですけど…?」

 

 白いカーネーション。それは亡くなった母親に贈るもの。

 それをボーっとして車に轢かれかけた少年が持っていた。

 正直に言って男性には士郎が自殺志願者にしか見えなかった。

 

「なるほど……ちょうどいい、俺もそこに向かう予定だったんだ。これも何かの縁だ。道中の話し相手になってくれないか?」

「はぁ……別に()()()()()()()ですけど」

 

 一転して、子供を安心させるような笑みを浮かべる男性に、首を傾げながらも士郎は頷く。

 男性に助けられた以上、士郎に断るという選択肢はない。

 何でもいいから恩を返して、自らの罪と相殺しようと躍起になっているのだ。

 

「よし! そうと決まったら早速行くか」

「分かりました」

 

 そんな内心を男性に感づかれていることに気づきもせず。

 自分を心配してくれているのだと夢にも思わずに。

 

「む、そうだ。自己紹介がまだだったな」

 

 だが、男性はそれを一切気取らせることなく士郎の前で明るく振舞う。

 それは目の前のいつ爆発するか分からない爆弾への警戒からではなく、純粋に大人としての善意から。

 そんな男の正体は。

 

「俺は風鳴(かざなり)弦十郎(げんじゅうろう)だ。よろしく頼む」

 

 風鳴弦十郎、『特異災害対策機動部二課』の司令その人だ。

 

 

 

「弦十郎さんはなんでここに?」

「自分の未熟さを忘れないためにだ」

 

 慰霊碑に花と黙祷を捧げた後の沈黙に耐えきれなくなり、先に声をかけたのは士郎だった。

 それに対して、弦十郎は重々しくもどこか割り切った様子で答える。

 だから、士郎はここに来るまでに抱いていた疑問を聞く。

 

「……あなたもノイズで家族を失ったんですか?」

 

 彼もまた、自分と同じようにかつての災害で大切なものを失ったのではないか。

 士郎の予想は至って普通のものだった。

 だが、弦十郎はハッキリとした口調でそれを否定する。

 

「いいや、俺は逆だ。俺は()()()救えなかった男だ」

 

 その言葉に士郎は息をのむ。

 弦十郎がそうした立場に居る人間だったことではなく。

 それを明確に被害者である士郎に明かしたことにだ。

 

「ノイズが出現すると警報が鳴るだろう? その後に避難誘導やノイズの対処を行う部隊がある。俺は……詳しく言えんがそこのお偉いさんでな。災害が起きたあの日に指揮を執るべき立場だった」

 

 被害者に対して自分が救えなかったと語る姿は、懺悔と言えるだろう。

 しかし、何故か士郎は弦十郎から、自分の中にあるようなドス黒い罪悪感を感じられなかった。

 何故だと思った。だが、その疑問を解消するよりも先に、士郎にはやることがあった。

 

「……ノイズは災害みたいなものだろう? 仮に救えない人間が居たとしてもそれは弦十郎さん達のせいじゃないだろ」

 

 だから、士郎はあなた達は悪くないと告げる。

 悪いのはあくまでも、あの地獄の中で1人だけ生き残ってしまった自分だ。

 そんな自分が謝罪を受ける筋合いなどないと。

 だが。

 

「俺の部隊の動きが遅かったのが原因で、被害が拡大していたとしてもか?」

「ッ!」

 

 次の言葉は無視できなかった。

 弦十郎はハッキリと言ったのだ。士郎の父と母が助かる可能性はあったのだと。

 そして、その可能性は目の前の男が潰したのだと言ったのだ。

 

「遅れた原因は完全にこちらの落ち度だ。全ては救えずとも、1人でも多くの手を掴むことは出来たはずだ……それは決して覆せない事実なんだよ」

 

 弦十郎は苦々しい顔で思い出す。

 父、訃堂(ふどう)が現在フィーネの下にある聖遺物“イチイバル”紛失の責任を取り二課の司令を辞任し、その後を引き継いだ直後だった。まだ完全に部隊を掌握できていない状況で、発生したノイズ災害。おまけにその日は、頼みの綱である櫻井了子が居なかった。それが彼にとっての()()だった。

 

 就任直後としては異例の速さだったと言えるだろう。

 だが、救いを待つ者達にとってそれはあまりにも遅すぎた。

 弦十郎は今でも覚えている。炎と炭の景色の中で己の無力を噛みしめたあの日を。

 だから、彼は初心を思い出すために定期的にこの町に訪れているのだ。

 

「……そうか」

 

 それは立派な志だろう。

 無関係な者ならば弦十郎の行動を称賛すらするだろう。

 だが、しかし。

 

「それで……()()()は何が言いたいんだ?」

 

 そんな覚悟が、被害者の前で何になるだろうか?

 救いになるか? 赦しになるか? 償いになるのか? 

 

 答えは簡単。

 

 何にもならない。失ったものは決して帰っては来ないのだから。

 謝罪になど意味はない。

 だから、士郎に心にあるのはどうでも良いという、どこか寒々しい感情だけだった。

 しかしながら。

 

「―――君には俺を恨む権利がある」

 

 続く言葉には目を見開かずにはいられなかった。

 

「侮辱の言葉を吐きかけていい。人殺しと罵ってくれればいい。殴りたいのなら好きなだけ殴ればいい。理不尽にどこまでも身勝手に呪ってくれて構わない」

「なん…で…」

 

 理解できずに士郎は弦十郎の瞳を見つめる。

 きっとそこには自分と同じように罪悪感があるはずだと思った。

 だから、罰を受けようとしているのだと。

 生きるのが辛いから誰かに終わらせて欲しいのだと思った。

 

 だというのに、男の瞳は。

 

「君が自分を責める必要など、どこにもないんだよ、少年」

 

 どこまでも真っすぐに士郎を救うことだけを考えていた。

 

「何を言ってるん…だ?」

「君と出会った時から思っていた。死人のような目をしているとな。罪悪感に押し潰されて、自分には生きている資格なんてないという目をな」

 

 思わず一歩後退ってしまう。

 この大人は士郎の心に潜む闇を的確に見抜いていた。

 まるで、身近で何度もその目を見てきたとでも言うように。

 

「君はどこまでも純粋に被害者なんだ。世界に憎しみをぶつけていい。理不尽に対し涙を流していい。全ては俺の不手際のせいだと押し付けろ。そうして、全部忘れて自分勝手に幸せになる権利がある。だから、もう、自分を責めるな。君は―――誰かを恨んでいいんだ」

「―――ふざけるなッ!!」

 

 怒声が響き渡る。

 恐らく今までの人生で、これ以上の声は出したことがないだろうという音量で士郎は叫ぶ。

 どこか痛々しい程の鬼気迫る表情であるが、弦十郎は真正面からその瞳を受け止める。

 

「幸せになっていい…? 忘れていい? 自分だけ生き残っておいて、そんな都合の良いことが言えるか。まさか、死んだ人間がそれを望んでいるって言うつもりかよ?」

「望んではいないだろうな。人間は汚い面もある。生き残った人間に対して恨む気持ちもあるだろう」

「だったら…」

「だからこそ、こう考えろ。先に死んでいった者達が気兼ねなく恨めるように、幸せにならないといけないのだと」

 

 恨まれるために幸せになれ。

 その理解できない言葉に、士郎は思わず怒りも忘れて弦十郎を見つめる。

 

「少年、映画は見るか?」

「は?」

「映画に登場する悪役にも色々と種類があってな。一切の情けも起きんほどのクズも居れば、同情するような境遇の奴も居る」

 

 突如として始まった映画弁論に、士郎は困惑の表情を浮かべる。

 しかし、弦十郎の方はこちらの様子を気にすることも無く話を続けていく。

 

「前者であればぶっ飛ばすのに何の躊躇いもいらん。だが、後者になれば話は別だ。手が緩むかもしれなければ、同情して救おうとする者が現れるかもしれん」

「……何が言いたいんだ?」

「少年、君は自らの幸せを拒むことが死したものへの償いと思っているようだが、それは違う。死んだ者の中には、自罰的に生きるものを責められぬ優しい者達も居るのだよ」

 

 今度こそ士郎は本当に声を失う。

 自分が苦しんでいれば、それが償いに繋がると思っていた。

 だが、そんな自分を責めることが出来ない死人が居る。

 そんなことは考えたことも無かった。

 

「だから、少なくとも俺は死ぬまではがむしゃらに幸せを目指すつもりだ。自分の罪を忘れたかのように幸せを求めて邁進する。そんなクズみたいな悪役となるんだ。そうすれば、先に死んでいった者達が何の気兼ねなく俺を恨めるからな」

 

 考えたことがなかったからこそ、その言葉は士郎の脳髄を直接殴りつける。

 

「だから君は()()()()()誰かを恨んでいい、全てを忘れて幸せになって構わない。……もう、自分を赦していいんだよ、少年」

 

 気兼ねなく恨めるように幸せになるなど、馬鹿げていると思った。

 だが、どこか心にしっくりと来てしまうような言葉に士郎は戸惑う。

 否定しなければならない。

 しかし、先程のように怒声は湧き上がってこない。

 だから、顔を背けその場から歩き去る他なかった。

 

「……だとしても、俺は恨まないし、忘れない。絶対に…()()恨まないからな…ッ」

「誰も…か……少年、その誰もの中に――」

 

 士郎という存在は幸せになる(誰かを恨む)ということが出来ない。

 例え、助けた人間に処刑台に送られたとしても、一切の恨みを抱くことなく受け入れるだろう。

 当然の帰結だと。苛立ちの1つもなく、むしろ安らぎをもって受け入れる。

 だから士郎は誰も恨まない。恨めない。

 そう、ただ1人。

 

 

「君は入っているのか?」

 

 

 自分という存在を除いては。

 

 

 

 

 

 気づいた時には、士郎はかつて自分の家があった空き地に来ていた。

 どうやら帰巣本能と言う奴は馬鹿にならないらしいと、士郎はぎこちない笑みを浮かべる。

 次いで、後ろを振り返ってみるが流石に弦十郎は追ってこなかったらしい。

 その事実にホッと息を吐き、士郎はボーっと立ち尽くす。

 今は何も考えたくなかった。何かを考えてしまえば、誰かを恨んでしまいそうだったから。

 

「帰りが遅いから来てみれば……やっぱりここに居たのね」

「フィーネさん……」

「さ、帰るわよ。これ以上長くここに居るとクリスが拗ねるわよ?」

 

 そんな士郎の所に、()()()()()()()フィーネが現れる。

 その姿は今は表向きの櫻井了子になっているが、士郎にとってはフィーネでしかない。

 

「帰る…か」

「そ、私達の家に帰るわよ。もう、ここにはあなたの家はないのよ」

 

 ここにお前の居場所はない。

 一見厳しいようで、どこまでも優しい言葉が士郎にかけられる。

 いつも言っている言葉だが、今の士郎に対してそれは普段よりも重くのしかかった。

 

「……フィーネさんはさ、昔のことを覚えてるか?」

「昔…?」

 

 だから、いつもは話さないようなことを聞いてしまう。

 

「フィーネさんは家族のことを覚えているか? 名前を覚えているか? 顔は? 声は? どんな風にお互いに過ごしていたかは? 俺は忘れちゃいけないのに……段々忘れていっているんだ」

 

 家族のことを忘れていっている。

 時間の流れと言ってしまえばそれだけだが、士郎にとってはそれはとても罪深いことに思えた。

 死んでいった人達のことを生き残った自分が忘れてしまえば、一体誰が彼らを弔ってやれるのだろうと。

 

「……そうね」

 

 そんな罪の意識に苛まれる士郎に対して、フィーネはどうしたものかと頭を悩ませる。

 普通の人間である以上は忘れるのは当然だ。むしろ、生きるという行為に必要不可欠だ。

 逆説的に言えば、忘却の拒絶は生の拒絶とも言えるだろう。

 だから、フィーネは慎重に言葉を選ぶ。

 

「まず始めに私の記憶方法は他人とは違うわ」

「遺伝子に意識や記憶を埋め込んでるってやつか?」

「そ、埋め込んである以上は、それを掘り起こせば理論上は忘却はない。……すぐに思い出せるかどうかは別だけど」

 

 そもそもの話、フィーネが普通の人間と同じように忘れることが出来るのなら、疾うの昔にボケている。妄執や信念の重さ云々の前に、人間が記憶できる限界を超えているのだ。

 

「私は既に人間と呼べる存在じゃないのよ。だから、忘れない手段がある」

 

 だから、彼女は自分は人間ではないと告げる。

 それに対して、士郎は無言で自分にも出来ないのかと目で問う。

 

「私と同じ方法はお勧めしないわよ。今から自分の遺伝子を持つ人間を増やすなんて100や200年じゃ足りないもの。それに……あなたの場合はその聖遺物を()()()()()()()()可能かもしれないわよ?」

「俺の中にある鞘がか?」

 

 自分の心臓部分に手を当て、士郎はまじまじと聞き返す。

 それに対して、フィーネはどこか軽い口調で説明を行う。

 

「その鞘が持ち主に与える恩恵は“不老不死”。純粋に老いないならボケとはおさらばだし、死なないのなら脳細胞が変わることも無いから、忘れることがないかもしれない。まあ、所詮は仮説よ? それこそ人間でない物質に()()()記録の保存なんてお手の物よ」

 

 別に記憶を残す方法なら、紙に残すことやデータに残す方が手っ取り早い。

 そうした選択肢を示すフィーネだったが、不幸なことに士郎はまるで聞いてなかった。

 というより、不幸なことに斜め上の受け取り方をしてしまった。

 

「なるほど……俺が人間でない聖遺物(ぶっしつ)になったら、忘れないかもな」

「士郎?」

「何でもないよ、フィーネさん。わざわざ説明してくれてありがとう」

 

 悩みが晴れたと、士郎は清々しい笑顔を張り付けてフィーネに礼を言う。

 

「……いいえ、構わないわよ」

 

 だというのに、フィーネはその笑顔に、何か取り返しのつかないことをしてしまったかのような不安感に襲われるのだった。そして、事実。その不安は当たっていた。

 

 (つるぎ)はなにも忘れない。剣は幸せなんて求めない。剣は誰も恨まない。

 だって、剣には人間の心などないのだから。

 

「じゃあ、戻ろうかフィーネさん」

「ええ、クリスもお腹を空かしているでしょうしね」

 

 人と聖遺物の中間だった存在の均衡が少しずつ崩れていく。

 人間ではなく、ただの物質になりたいと思ったが故に天秤は傾く。

 ふいにギチギチと、耳障りな音がフィーネの耳に届き、思わず足を止めてしまう。

 

「どうしたんだ?」

「いえ……気のせいね。さ、行きましょ」

 

 士郎は何かを聞いた様子には見えない。

 ならば、自分の空耳だろうと考えフィーネは歩を進める。

 

(昔の話をして思い出したのかしら。馬鹿ね、風鳴翼も居ないのにこんな普通の町中で――)

 

 そして、自分の空耳が何だったかを記憶から引っ張り出し、顔を顰めるのだった。

 

 

(―――剣がひしめき合う音がするわけないじゃない)

 

 




次回は翼さんを出したいです。

花言葉:カーネーション(白)
「純潔の愛」「私の愛は生きている」「愛の拒絶」


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5話:聖剣

明けましておめでとうございます。
今年も一年、拙作をよろしくお願いいたします。


「翼さんの意識が戻ったって本当ですか!?」

 

 喜色満面。今にも踊りだしてしまいそうな顔で響が弦十郎に詰め寄る。

 それを隣に立つ了子が、どうどうと犬のしつけをするように宥める。

 そして、弦十郎はその様子と姪の無事に、軽く笑いを零しながら話し始めるのだった。

 

「ああ、以前のネフシュタンの少女との一戦で、絶唱を使ってのダメージが全て抜けたわけではないがな。意識は確かに戻っている。後遺症も特にない。後は検査で問題が無ければ一先ずの退院は可能だな。ま、戦闘は当分の間禁止だけどな」

 

 以前、クリスとの戦闘で負傷した風鳴翼の復帰。

 それが事実だと分かり、響は大きく息を吐く。

 響は翼に守られた。それこそ命を懸けるような形で。

 負い目に感じたくないと思ってはいるが、やはり心に重くのしかかるものではあった。

 だが、翼は無事に復活しようとしている。

 幾らか気分が楽になるのも無理のないことであろう。

 

「大丈夫ですよ! 翼さんが休んでいる間でも誰かを守れるように、師匠に修行をつけてもらったんですから! 翼さんが帰ってくるまでの留守は私が守ります!」

「ああ、響君はそれだけの努力をしてきた。自信を持っていいだろう」

 

 グッと拳を握り締めてやる気を見せる響に弦十郎は満足げに頷く。

 そんなところへ、了子がからかうように声をかけてくる。

 

「あら、弦十郎君。私も褒めてくれないの? 翼ちゃんのために、私も頑張って新しい薬を作ったのに」

「もちろん、感謝している」

「新しい薬? 了子さんってそんなこともできるんですか!」

「とーぜんよ。天才に不可能なんてないんだから」

 

 パチッとウィンクをかまして、了子は白衣のポケットからガラスケースに入った薬を取り出す。

 青白い、いつかどこかで見た気がするような色の薬に響は首を傾げる。

 

「『model_S』。体の細胞を活性化させて、怪我を早く治す薬よ。これのおかげで翼ちゃんの肉体的なダメージは通常よりも早く回復しているわ」

「へー、便利なお薬ですね。私も怪我とかした時に使ってみたいです」

「お褒めに預かり光栄ね。でも、よっぽどの大怪我じゃない限りはお勧めはしないわ」

「へ?」

 

 呑気に自分も使ってみたいなと言う響に、了子は苦笑を返す。

 

「この薬は大怪我を負った人間を治すもの。変な言い方をすれば、死にかけの状態から()()()()()ものなのよ」

「し、死にかけ……」

 

 物騒な物言いに顔を引きつらせる響。

 それに対して、了子はどこか達観したように頷きながら、手の平で薬を転がす。

 

「それに細胞の活性化って言い方を変えれば、古い細胞が死んで新しい細胞が生まれるってことだからお肌年齢が下がるわ。まあ、私のお肌はまだピチピチのピッチピチだけど!」

「あの…何も言ってませんよ?」

「コホン。後は細胞の死亡と再生にエネルギーが大量にいるから、当然この薬にはエネルギーが大量にあるんだけどね? これも死にかけぐらいの状態じゃないと有り余るぐらいのエネルギーなの。だから、普通の状態ならオーバーフロー……端的に言うと太るわ」

「すいません、翼さんがすごく心配になってきたんですけど」

 

 思わず、悲惨な姿になった翼を想像してしまい、響は顔を青ざめさせる。

 肌年齢が低下して、太った翼など見たくない。

 もっとも、今の話は若干冗談で、本当は平常状態で使うとその膨大なエネルギーに、肉体と言う器が耐えきれずに破裂するだけなのだが。

 

「大丈夫よ。ちゃーんと()()はして安全を確保してあるから」

「それならいいんですけど……」

「まあ、薬なんて本来は毒と変わらないものだから、可能なら使わない方が良いと思ってればいいわ」

 

 良く分からないものの頷く響。

 薬は毒と変わらないという言葉に、ある人物を思い出して渋い顔をする弦十郎。

『model_S』の下となった存在に思いを馳せ、一瞬だけ暗い顔をする了子。

 

「とにかく、翼ちゃんに害はないわ。この薬も翼ちゃんを救えて本望でしょう」

「薬がですか? 了子さんじゃなくて?」

「もちろん、私“も”よ。それより、弦十郎君。響ちゃんにあの話をしなくていいの?」

「今からするつもりだ」

 

 “も”という部分を強調したものの、それを気取らせることも無く了子は話題を変える。

 ただ、弦十郎はそこに違和感のようなものを感じ取るが、話さなければならないことがあるのは事実なので、その感覚を振り払う。

 

「……響くん、君にはある護衛任務についてもらうことになった」

 

 そして語り始める。響が初めて挑む単独任務と言っても差し支えない計画。

 

「護衛? 誰かを守る仕事ですか?」

「いや、人ではないな。簡単に言えば―――(つるぎ)だ」

 

 聖遺物サクリストD、聖剣デュランダルの移送計画の護衛を。

 

 

 

「二課周辺へのノイズの度重なる襲撃。まるで何かを探しているかのようなネフシュタンの少女の行動。何より、ソロモンの杖という完全聖遺物を担う点から考え、政府は少女の目的をデュランダルだと判断した。故にデュランダルは二課本部から、永田町深部電算室に移動することになった」

「……つまり、ネフシュタンの女の子がデュランダルを狙っている可能性が高いから、盗まれる前に別の場所に移そうってことですか?」

「そうだ」

 

 ざっとした説明を行い、今回の作戦の目的を話す弦十郎。

 しかし、話しながらも彼は内心での違和感を拭えないでいた。

 ネフシュタンの少女は翼を圧倒する程の強さを見せた。

 

 だというのに、本気で二課を襲撃してくることはしない。

 無論、二課は秘密の存在だ。正確な場所がバレてないと考えるのが普通である。

 しかし、大まかな位置は把握されている。

 

 二課に直接襲撃をかけないのが、単純に場所が分からないのならいい。

 だが、戦力的に無理だと冷静に判断を下されているとすれば。

 

(当然、移送の隙を狙う。もっと言えば、こちらの戦力、内部情報を知っているということだ)

 

 こちらの情報を筒抜けにできる程の情報力を持っている可能性がある。

 さらに最悪な状況があるとすれば、内通者が存在する可能性すらあるのだ。

 

「そんなに緊張しなくても大丈夫よ、響ちゃん。パパッと行って渡してくればいいだけなんだから」

「でも、襲撃される可能性があるから護衛につくんじゃ?」

「大丈夫。相手はこっちがいつ運ぶかも分からない上に、どの道を通るかも分からないのよ? 途中で気づいても万全な状態で来るなんて無理よ。だから、響ちゃんも()()()()()()()で平気よ」

 

 弦十郎が少し考え込んでいると、了子が響の緊張をほぐそうとする楽観的な声が聞こえてくる。

 確かに言っていることは間違いではない。

 しかし、それも内通者が居なければという前提だ。

 自分達の情報が筒抜けになった状態で勝てる戦いは多くない。

 

「確かに気負う必要はないが、了子君。油断するのはダメだろう」

「分かってるわよ。軽いジョークよ、ジョーク。出来る女は場を和ませるものよ?」

「まったく……とにかく、気負う必要ないが気合は入れて行けよ、響君」

「はい!」

 

 大げさに肩をすくめてみせる了子と元気に返事をする響の姿に、軽く息を吐きながら弦十郎は内心で呟くのだった。

 

(願うなら、今回の作戦が身内を疑う俺の愚かさを証明してくれるといいんだがな……)

 

 

 

 

 

 計画実行は静かな夜、静かな道路で行われた。

 これは比喩表現ではない。

 いくら夜だと言っても、少しは通ってても良い車がまるでないのだ。

 

 その理由は各所に検問を配備することで、一切の交通を無くしているからだ。

 ただ、デュランダルを乗せた車を誰にも邪魔されずに運ぶためだけに。

 そして、その車の中には護衛の響と現場責任者として了子が乗っていた。

 

「ふふふ、誰も居ない道路をかっ飛ばしていくなんて、なんか贅沢ねー」

「了子さん、全然緊張してないですね……」

「当然よ。緊張なんてしてもパフォーマンスが下がるだけよ。だから、響ちゃんも安心して、この天才のドライブテクニックに酔いしれてなさいな」

「あはは……車酔いはしたくないです」

 

 一台の車の四方を黒塗りの護衛車が囲むという、物々しい光景のまったただ中に居るものの、2人の雰囲気は和やかなものだった。それは了子が率先して響の緊張感を無くさせているからだ。緊張とはストレス、ストレスが高い状態では生物は己の能力を十全に発揮させることが出来ない。故に了子が響に対してやっていることは正しい。

 

「まだまだ、表情が硬いわねー。それならとっておきの話をしちゃおうかしら」

「とっておき?」

「ふっふっふ……それはね」

 

 しかしながら、ストレスが全くない状態というのも生物のコンディションには悪いのだ。

 ストレスフリーの環境では逆に能力が低下したり、寿命が縮んだりする。

 そのことを自称天才科学者である彼女が、知らないはずもないのだが。

 

「翼ちゃんの小さい頃の話……聞きたくない?」

「聞きたいです!」

 

 彼女はあえて一切の緊張を無くすかのように、響に話し続けるのだった。

 

 

 

「よし、今のところは順調だな」

 

 二課本部にて響達の乗る車が順調に走っている姿を、モニターで見ながら弦十郎は頷く。

 ネフシュタンの少女が来ると考えていたが、今の所その気配はない。

 他の隊員達も今回は襲撃はないのではと、どこか気の緩みを見せ始めている。

 

(本当に俺の杞憂だったか? それはそれで問題はないんだが……なんだこの嫌な感覚は?)

 

 だが、司令である弦十郎だけは警戒を緩めていなかった。

 内通者の存在も、情報が筒抜けになっているという危惧も、全ては考え過ぎだった。

 そういった結果になろうとしているのに、どうしても落ち着かない。

 

「まあいい。何はともあれ、今はデュランダルの移送に集中だ」

 

 そう、自分に言い聞かせて時だった。

 弦十郎の嫌な感覚が当たってしまったのは。

 

「司令! 緊急事態です! ノイズが発生しました!」

「落ち着け。相手がノイズを使って襲撃してくるのは予想の範囲内だ。すぐに響君に戦闘の準備を…」

 

 そこまで言って弦十郎は自分の間違いに気づく。

 目の前に映る画面にはノイズどころか、敵影すら映っていない。

 だとすれば、ノイズはどこに出現したのか?

 

「そちらではありません! 永田町とは真逆の方面にです!」

「このタイミングで、響君の進行方向とは真逆に……」

 

 別の画面に映し出されるのはホテル街に浮かぶ大量のノイズの姿。

 それだけならば、なんてタイミングの悪いと悪態をつけばよかっただろう。

 だが、そのノイズ達が、完璧に操られて軍隊のように整列していれば話は別だ。

 

「この状態は普通のノイズでは考えられん。十中八九、ソロモンの杖が使用されている」

 

 人為的にノイズが操られた状態。

 即ち、それはソロモンの杖を扱うものがその場にいると言うことだ。

 

「まさか、ネフシュタンの少女が別方面に現れるとはな。だが、それなら好都合だ。すぐに響君にそちらに向かい、少女を止める様に指示を出すぞ」

 

 最大の懸念材料は今取り除かれた。

 後は、響が足止めをしている間にデュランダルの移送を完了させれば、戦略的勝利である。

 そう、考え弦十郎はすぐさま響に連絡を入れる。

 

「響君、緊急事態だ。今から指示する場所に向かい、ネフシュタンの少女を止めて欲しい」

【はい、分かってます。()()()()()()あの子を止めればいいんですね】

「……何?」

 

 響の言葉に弦十郎は慌てて、響達を映す方の画面に視線を戻す。

 ホテル街の方に居ると思われた、全身をネフシュタンの鎧で覆った少女。

 それが今、道路を粉砕した状態で響達の前に仁王立ちしていた。

 

「大人しく、デュランダルを寄越しな。そうすりゃ、命は保証してやるよ」

 

 ソロモンの杖をその手に持つことなく。

 

 

 

「ねえ、どうしてこんなことをするの? 戦いなんかより、まずはお話しようよ!」

「ちょ! 響ちゃん、勝手に車の外に出ないで! 危ないわ!」

「了子さんは隠れていてください! 私が頑張ります!」

 

 ネフシュタンの少女、クリスが登場したことで了子の静止も聞かずに車から飛び出していく響。しかし、それは戦うためではなく会話を行うため。本来であれば、クリスに鼻で笑われて終わる話だっただろう。

 

「話ね……いいぜ。こっちの()()()()()先に聞くんならな。そうすりゃ、戦う必要もない」

「本当!? 分かった!」

 

 だが、驚くべきことにクリスは了承の意思を示して見せた。

 そのことに響は驚きと嬉しさから目を輝かせる。

 もし、尻尾がついていたらブンブンと回転していることだろう。

 そんな姿にクリスは若干の罪悪感を覚えるが、それを飲み込み悪役らしく話し出す。

 

「デュランダルを渡せ」

「ごめん、それは無理」

「……結構ハッキリ言うな、お前」

 

 要求に対してスパッと断る響に、クリスはバイザー越しに呆れた視線を送る。

 と、言っても、そこであっけなくいいよと言われても困っていたので、すぐに表情を戻す。

 

「まあ、護衛が簡単に荷物を渡すわけにはいかねえよな。だから、お前に渡せとはもう言わねえよ。お前はただ別の場所に行ってりゃいい」

「……逃げる気はないよ」

「ハ、違うな。お前は別の相手と戦いに行くのさ。おい、説明してやれよ、お偉いさん」

 

 そう、嘲るように笑いクリスは響が持つ携帯端末に声を吐く。

 どういうことだろうと、響は端末の先に居る弦十郎に問いかける。

 

【……簡潔に言えば、こことは別の場所にノイズが発生した。それもソロモンの杖で使役された奴がな】

「それって…!」

「そうだよ。あたしの()()がこことは逆方向のホテル街でノイズを操ってる。今はまだ人は襲わせてないけど、お前がそっちに向かわなかったら……分かるな?」

 

 ニヤリと兜の下の唇を歪ませるクリス。

 因みに、彼女自身はそういった表情はあまりできないのでフィーネの物まねである。

 

【通常のノイズなら消えるまでの間、二課の面々で対処することは可能だ。だが、ソロモンの杖が無尽蔵にノイズを呼び出せるのなら……シンフォギア装者の力が必要だ】

 

 現在の確認されているシンフォギア装者は2人だけ。

 響と翼の2人だけで、うち1人の翼は現在病室に居る。

 つまり、動かせるシンフォギア装者は響だけなのだ。

 故に、ノイズに対処するためには、響がこの場から離れて行く他に道がない。

 

「ああ、そうだ。これは人質だよ。お前が行かなきゃ人がたくさん死ぬ。そいつは嫌だろう?」

 

 動揺する響に対してクリスは更なる追い打ちをかける。

 人が死ぬのは間違っている。理不尽な痛みを見るのは嫌だという人間に特に効くような。

 クリス自身が嫌がることに共感できる人間に対しての脅しを。

 

「でも……そうしたらデュランダルが」

「ああん? 気にすんなよ。たかが一本の剣と大勢の命。どっちが大切かぐらい分かるだろ」

「分かってる…分かってるよ! そんなことぐらい…ッ」

 

 響の中の天秤は明確に人の命の方に傾いている。

 しかし、これは任務であり何よりデュランダルを渡してしまえば、それ以上の被害が出る恐れもある。故に、響は義務と意思の板挟みに合っているのだ。

 

「ほら、早く選べよ。さっさとしねーと、あいつに人を()()()()()()()()()()()()だろ?」

 

 そんな揺れる響の心をクリスはさらに責めたてる。

 しかしながら、煽っているように見えるクリスの内心は焦っていた。

 そもそも、クリスだって無駄に人を殺したくないのだ。

 しかも、今生殺与奪の権利を握っているのは自分ではなく“彼”。

 自分の大切な家族に人殺しなどさせたくない。

 

(あいつの手はあたしと違って汚れてない……上手い料理を作るためにあんだ。こんな下らないことで汚させてたまるかよ)

 

 故に彼女は祈る。

 どうか、相手が人命を優先する心優しい人間であって欲しいと。

 

【……仕方ないか】

 

 そんなクリスの祈りはどうやら通じたらしい。

 端末の向こうで弦十郎が諦めたように呟くのが聞こえる。

 デュランダルを放棄して、ノイズの方へ向かう。

 

 人道的に見れば正しい選択だが、まず間違いなく責任の追及は免れない。

 加えて、そうまでしてデュランダルを欲する相手に、それを与えてしまう危険性は計り知れない。

 だとしても、弦十郎には人を見捨てるという選択は取れなかった。

 そして、まだ幼い少女にそんな重い選択を選ばせることも。

 

【特異災害対策機動部二課司令が、立花響へ命令する。繰り返す、これは命令だ。逆らうことは許されん。今より、立花響はデュランダルを放棄し――】

 

 だから、全ての罪は自分が負う。

 そんな覚悟と共に重々しい言葉を吐きだそうとして。

 

 

【叔父様、いえ、風鳴司令。少しお待ちを。ノイズの対応には―――私が行きます】

 

 

 鋭さを取り戻した剣に止められるのだった。

 

「つ、翼さん!?」

「はぁ? 風鳴翼だと!?」

 

 凛とした声に響のみならずクリスも驚愕の表情を浮かべる。

 響はもう退院して大丈夫なのかという心配から。

 クリスは情報と違うという驚きから。

 

「待ちなさい、翼ちゃん! 幾ら動けるようになったとはいえ、戦闘をするのは無茶よ!」

【大丈夫ですよ、了子さん。常在戦場。私はどういった状態でも戦えるように鍛えています】

 

 クリスと響から離れた場所で様子を見守っていた了子が、耐えきれずといった感じで割り込んでくるが、それでも翼の意思は変わらない。一見すれば、以前のように自殺志願者のように見えるかもしれない。だが、今の彼女の声は芯の通った一本の鋭い剣であった。

 

【立花】

「は、はい」

 

 そんな声で話しかけられたものだから、響は思わずビクリと震えてしまう。

 2人の間にはちょっとした確執があったのだが、それも響の動揺に手を貸していた。

 何か文句を言われるのかもしれない。そう、身構える響だったが。

 

【あなたはあなたの戦場(いくさば)に集中しなさい。背中は私が守ってあげるから】

「ッ! はい!!」

 

 逆に勇気づけられて、大きな声を出すのだった。

 

「……ちっ、これじゃあ人質が意味ねえな。まあいいぜ、どっちにしろデュランダルを奪うことに変わりはねえからなぁ!」

「え? 話を聞いてくれるって約束は?」

「こっちの()()()()()聞いたらって言っただろ?」

「そんなぁー!?」

 

 こうして、響とクリスのデュランダルを賭けた戦いは始まるのだった。

 

 

 

 

 

 ホテル街にあるホテルの1つ『ホテルハイアット』の屋上。

 そこで仮面の奥に隠れた瞳で自らが操るノイズを見る黒いコートを着た少年が居る。

 軍隊のように整列したそれからは、まるで脅威を感じない。

 不思議な気分だった。親の仇であるそれを自分が操るというのは。

 

「……もし、あの日この杖があれば……いや、終わったことだな」

 

 ソロモンの杖があればノイズを操り、多くの者を救えたのではという妄想に士郎は首を振る。

 過去は変えられない。否、変えてはならないのだ。

 そうでなければあの日の悲しみが、怒りが、絶望が全て無意味になってしまう。

 もちろん、その後に悲しみを乗り越えて進んだ者達の努力も含めて。

 

「俺とは違って、未来に歩き出した人達が居る。その人達の歩みは否定しちゃいけない……それだけは否定したらいけないんだ」

 

 あの町は過去を乗り越え未来へと進んだ。

 ならば、過去の遺物である自分はその背中を押してやらねばならない。

 それが、罪深い自分にできる唯一のことだ。

 だから――

 

 

 ―――死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね。

 

 

 脳髄を抉り出すこの声にだって耐えることができる。

 

「自分の家族を殺した奴らを使って、今度は自分が誰かの家族を奪うのか……皮肉だな」

 

 自分が幸福を感じる瞬間にいつも脳裏に過る声。

 士郎はその声を死んでいった者達の声だと思っていた。

 だが、最近になってそれは間違いだと気づいた。

 声の主は、士郎自身に他ならない。

 

 幸せを感じる度に、お前にはそんな資格はないと叫びを上げ糾弾する。

 苦しめと、痛みを味わえと、慟哭の声が心と体を蝕む。

 

(響……来てくれ。俺はクリスの努力の結晶であるソロモンの杖で、人殺しなんてしたくない)

 

 表情を欠片も動かさずに辺りを探りながら士郎は響を待つ。

 作戦が成功すれば、シンフォギア装者である響はこちらに来る。

 その後に適度に時間を稼いで、クリスがデュランダルを確保しだい撤退する。

 それが彼らの作戦だった。

 

()()傷つかないならそれが一番だ。でも、フィーネさんの願いのためには犠牲が必要だ。なら、せめて……俺の目に入る人達だけは…ッ)

 

 そこまで言って士郎はフィーネに似た嗤いを零す。

 どの面を下げて、自分の視界だけは平和であって欲しいと言っているのだろうか。

 大罪人が、大悪党が、大量殺人者が、自分の()()だけは助けてくれと泣きついているのだ。

 

 今まさに他人の家族を奪おうとしているくせにだ。

 反吐が出る。吐き気を催す邪悪とは、まさに今の自分のことを言うのだろう。

 

「なんて無様……」

 

 正義の機械にもなれず、家族を愛する人間にもなれず。

 一体、自分は何のために存在しているのだろう。

 悩んでみるが自身の心から答えは返って来ない。

 返ってくるのは、人間もどきは身の程を知れと言う罵倒だけ。

 

「やっぱり俺は人より、物の方がお似合いだな」

 

 自嘲気味に零し、士郎は耳を澄ます。

 声が聞こえてくる。否、それは歌だった。

 どこまでも強く美しい、研ぎ澄まされ洗練された刃の如き歌声。

 

 それはクリスと士郎の作戦の成功を知らせるはずの声であり。

 士郎が()()()な目的から聞きたかった歌声だ。

 彼はその素晴らしさに思わず惚れる様に目を閉じていたが、話しかけられたことで目を開ける。

 

「ソロモンの杖を持っているということは、ネフシュタンの少女の仲間だな?」

「さあ? どうだろうな。自分でも分からないんだ」

「とぼけても無駄よ。今すぐその杖を渡して投降しなさい。悪いようにはしないから」

「悪いけどそれは出来ないよ、風鳴翼さん」

 

 士郎とそれを囲うノイズの前に立ち塞がる蒼銀。

 背中までかかる清廉な青い髪を一つに束ね、刃を構える姿は現代の侍。

 この日ノ本を守り続けてきた防人の末裔。

 シンフォギア天羽々斬(あめのはばきり)の装者、風鳴翼である。

 

「ところで、こっちにはもう1人の方が来るはずだったんだけどな?」

「護国の剣は一振りだけにあらず。それだけのことだ」

「なるほど、なら俺がこっちに居る意味はもうないな」

 

 軽く肩を落として作戦の失敗を呟く士郎。

 響がこっちに来ていれば、クリスは労せずにデュランダルを手に入れられた。

 しかし、こちらに翼が来たということは今クリスは響と交戦中と言うことだ。

 ならば、こっちで囮役を務める意味もない。

 速やかに撤退するのが定石だ。もっとも。

 

「逃がすとでも?」

「死んでも逃げるさ」

 

 目の前の蒼き瞳が士郎を逃がすわけなどないのだが。

 

「いけ! ノイズ!!」

 

 ソロモンの杖を操り、あらかじめ出しておいたノイズ達を翼に襲い掛からせる。

 その様はさながら絶望の津波。常人であればその時点で死を覚悟しているだろう。

 だが、しかし。

 

「その程度で…! この剣を鈍らせられると思うな!!」

 

 絶望の津波は希望の刃により一閃される。

 思わず目を見開く士郎をよそに、翼の動きは止まらない。

 一方的にノイズの群れを切り裂いたかと思えば、宙高くまで飛び上がる。

 

「剣を生み出して戦うのは知っていたけど…すごいなこれは…!」

「まずは邪魔なノイズ達から消させてもらおう!」

 

 ―――千ノ落涙!!

 

 空一面に広がる剣軍。

 その異様な光景に士郎は思わず感嘆の声を零し、翼は容赦なくそれを振り下ろす。

 千ノ落涙と名付けられたそれは、無数の剣を涙のように雨のように地上に降らすものだ。

 

 構造自体は実にシンプル。

 しかし、シンプル故に効果は絶大。

 あらかじめ士郎が作り出しておいたノイズは、あっという間に消滅してしまった。

 

「これがシンフォギア……ああ、やっぱり凄いな」

「随分と余裕のようだが、これで分かったはずだ。ただのノイズでは私は折れない」

 

 鋭い視線を向けられながらも、士郎はどこか呆けたように称賛を贈るだけだ。

 しかも、翼以上にシンフォギアを制作した櫻井了子に向けて。

 

「悪いけど、俺にはこれぐらいしか出来ないんだ。だから、もう少しだけ付き合ってくれ」

「何度やっても無駄よ」

 

 ソロモンの杖を振り、ノイズを翼へと差し向けるが結果は先程と同じ。

 ズンバらりと切断されて、どこかへと消え去って行く。

 勝てない。最初から分かっていたことを士郎は改めて理解させられる。

 

「さあ、怪我をしたくないなら大人しく降伏しなさい」

「どっちもしたくないな」

「そう。なら―――なるべく痛くないように終わらせてあげるわ」

 

 シンフォギア装者と聖遺物との融合したとはいえただの人間。

 おまけに幼い頃より戦闘の術を学んだ者と、付け焼刃しかしらない者。

 どう考えても勝ち目がない。そもそも、勝つ方法を探すことが難しい。

 

(流石にこれだけ時間が経てば、ホテルの人はみんな逃げ出せただろうな……後はタイミングだ)

 

 そう。だから、こういった状況になることは初めから分かっていた。

 響だろうが翼だろうが、初めから士郎がやることは変わっていない。

 

「これで、終わりだ!」

「ぐっ、守れ!」

 

 苦し紛れに出した最後のノイズの防壁を切り裂いていき、翼が士郎の目の前に向かってくる。

 士郎はノイズを盾にして自分を隠す様にするが、そんな小細工で翼は止まらない。

 そして、最後の一体に突きの構えを取り、その胴体を串刺しにせんとする。

 

「無駄だッ! はぁあああッ!!」

 

 まるで光の如き突きが最後のノイズを貫通する。

 後は士郎を捕縛するだけと、翼はノイズから剣を引き抜く。

 

「む? なぜ、抜けな――」

 

 が、それはある抵抗から出来ずに翼は何事かと眉をひそめ、塵となって消えていくノイズの陰から現れたものを見て、絶句してしまうのだった。

 

「はは……やっぱ痛いなこれ」

 

 自らの剣を士郎が心臓を貫かれた状態で握っている光景を見て。

 

「そ、そんな…!? 届くわけがないのにどうして!?」

 

 想定外の事態に動揺して、翼は声を荒げてしまう。

 彼女は戦闘のプロだ。斬りたいものと、そうでないものぐらい分けることが出来る。

 彼女は士郎を生け捕りにするつもりで、斬るつもりはなかった。

 だから、彼女の剣が士郎を傷つけることなどありえない。

 

 彼が自分からその剣に飛び込まない限りは。

 

「あなた何を考えているの!? 自分から刃に飛び込むなんて!」

「……悪いな。綺麗な剣なのに俺なんかの血で汚して」

「何を意味の分からないことを…! と、とにかく急いで治療しないと…ッ」

「ああ、それともう1つ、謝らないといけないことが…」

 

 全くもって想定していなかった事態に、珍しく動揺を見せる翼。

 もう、戦闘どころではない。シンフォギアは纏ったままだが、彼女に戦闘意志はない。

 戦いは終わった。今は士郎の治療をしなければと()()している。

 

「―――このホテル爆発するぞ?」

 

 だから、何も察知することが出来なかった。

 瞬間、耳をつんざくような爆発音が響き渡り、ホテルが土台から崩れ去って行く。

 もちろん、彼らが居る屋上であろうとも例外ではない。

 足元から大地が崩れていき、胃に重く重力がのしかかる。

 

 当然、翼はそのままでは不味いと判断し、士郎を連れて逃げ出そうとする。

 だが。

 

「じゃあな、翼さん。翼さんの()()()()()よかったよ」

 

 逆に士郎に突き飛ばされて1人だけ、ホテルの崩壊に巻き込まれることなく脱出に成功する。

 崩壊に巻き込まれて1人消えていく士郎と。

 動揺していなければ、迅速に2人で逃げられたかもしれないという後悔を残して。

 

「……なにがどうなっているの?」

 

 瓦礫の山と化したホテルハイアットの前で、翼は呆然と立ち尽くすのだった。

 士郎が握っていた部分に、一切の血がついていない自らの剣に気づくことなく。

 

 

 

 

 

「よし、ここまで来たら大丈夫か。クリスの方は……まあ、フィーネさんが居るから捕まることはないか」

 

 その数十分後、士郎は何食わぬ顔で街中を歩いていた。

 どういうことかを簡単に言うとすれば。

 

 あらかじめ脱出ルートをノイズに地下を掘らせて作っていた。

 そして、翼の動揺を誘うため()()に、わざと刃を受けて自殺した。

 最後は仕込んでおいた爆弾でホテルを爆破し、崩壊の混乱と共に脱出した。

 

 以上の3行で説明できる。

 

「流石はフィーネさんが作ったシンフォギアとその装者だ。聖遺物のなりそこないの俺じゃ勝てないか。……まあ、最初から分かってたからあんなことしたんだけど」

 

 ポリポリと頭を掻きながら士郎は歩いていく。

 その手には先程まで持っていたソロモンの杖はない。

 あんなものを持って動けば怪しいから隠しているのだ。

 自分の()()()()

 

「一か八かだったけど、上手くいったな。翼さんの歌を聞いたおかげか?」

 

 そう言って士郎は自分の胸を擦る。

 士郎の宿す聖遺物は“鞘”。すなわち、剣を()()()()()である。

 その特性を利用して、現在はソロモンの杖を体内に収めているのだ。

 因みに当初は、麻薬の密輸のように物理的に体内にぶち込む予定であった。

 死なないせいで、この馬鹿はやりたい放題である。

 

「……でも、剣じゃないせいか胃がむかむかするな。多分、時間制限付きだな、これ」

 

 と言っても、永遠に収められるわけではない。

 鞘に入れるものは剣だ。他のものを無理やり入れても、しっくりくるはずがない。

 だから、士郎は食べ過ぎた後のような胃の不快感と戦う羽目になっている。

 

「やっぱり、剣。できるなら()()が一番いいんだろうな」

 

 エクスカリバーは湖の乙女に返却されているので無理だとしても、デュランダルクラスであれば鞘も満足してくれるかもしれない。そんな冗談のようなことを真面目に考えながら、士郎は歩いていき、誰も居ない公園に差し掛かったところでベンチに座り込む。

 

「…………」

 

 そして、自身の手をマジマジと見つめた後に、軽くベンチの金属の手すりを握り締める。

 

 ――ギチリ。

 

「うん、良い調子だ。流石のフォニックゲインの量だな。これを繰り返していけば俺は…」

 

 確かめたのは、士郎が()()()()シンフォギア装者の歌を聞きたかった理由。

 彼女達が生み出すフォニックゲインを集めた先にある結果。

 

 

「人間でない聖遺物(ぶっしつ)になれる」

 

 

 完全聖遺物の起動だ。

 

 




士郎の服装はスラッシュ&コネクトです。
仮面はサンタの奴。


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6話:歪んだ願望器

 

「痛ッ!?」

「あ! 暴れるなってクリス。暴れると逆にもっと痛むぞ」

「も、もうちょっと優しくできねえのかよ?」

「わ、悪い。そうは言ってもな……」

 

 綺麗に整えられたベッド、清潔なシーツ。

 クリスはその上で士郎に手を抑えられた状態で、痛みにもがいていた。

 痛みからアメジスト色の瞳を涙に潤ませるクリスに、申し訳なさそうに眉を寄せる士郎。

 そう、2人はベッドの上で。

 

「でも、ちゃんと消毒しないと痕が残って大変だぞ?」

「分かってるけどよー……()みるんだよ」

 

 傷ついたクリスの看病を行っていた。

 腕についた傷の消毒を行っていたのだが、消毒液とは沁みるものだ。

 思わず暴れそうになったクリスを責めることは出来ないだろう。

 

「我慢しろって。クリスは女の子なんだから傷跡が残ったら大変だろ?」

 

 しかし、ちゃんと手当てをしないと後で困るのも事実。

 ネフシュタンの鎧を纏ってはいてもなお、響から受けた()()()()()()の一撃は重いものだった。

 

「それにしても、まさか戦闘中にデュランダルが起動して、その一撃をくらうなんて不幸だったな」

「ふん。それがなきゃあたしが勝ってたさ」

 

 響とクリスの戦いは当初はクリスの方が有利だった。

 しかし、響が偶発的にデュランダルを規格外のフォニックゲインで目覚めさせてからは、状況は打って変わった。

 

 どういうわけか、デュランダルを手にした響は暴走状態になり、その無限のエネルギーをクリスに容赦なくブチ当てたのだ。これには、さしものネフシュタンの鎧も無事とはいかず、半壊状態になり中のクリスにも少なくないダメージを与えることになる。

 

 それ故に、クリスは状況不利と判断して撤退したのだ。

 因みにネフシュタンの鎧自体は、無限再生の能力で既に完全に直っている。

 

(クリスのシンフォギア、“イチイバル”は戦闘で使われてない。つまり、響はデュランダルを自分の歌声だけで完全起動まで持って行った……戦闘の間の数分だけで)

 

 クリスの腕に包帯を巻きながら、士郎は響について考えを巡らせる。

 融合症例である彼女は、ある意味で士郎の後輩に当たる。

 今回の規格外のフォニックゲインを生み出した歌も、体内の聖遺物と無関係ではないだろう。

 

(響と戦える状況を整えれば……いや、俺のことは響にはバレていないんだ。それこそ、歌ってくれと頼めば、それだけで鞘の起動は可能かもしれない)

 

 故に士郎は考える。

 より確実に己の目的を達成させるにはどうしたらいいかを。

 

「響……やっぱりあいつが鍵になってくるな」

 

 だから、ポツリとその名前を口にしてしまう。

 響に負けたクリスの目の前で、看病中の女の子の前で他の女の名前を。

 この鈍感野郎は何の考えもなく口にする。

 

「……なんだよ、あの女のことが気になるのかよ?」

 

 故にクリスは面白くなさそうに唇を尖らせる。

 自分の前で他の女の話をするなと。

 しかしながら、そんな秘めた心に士郎が気づけるわけもなく。

 

「ああ、気になるな」

「……ッ」

 

 最悪の言葉を返してしまう。

 もちろん、異性的な意味で気になると言ったわけではないのは、クリスも分かる。

 だとしても、士郎の視界に映るのが自分でないという事実は重かった。

 

「どうした、クリス? どっか痛むのか」

 

 士郎の言葉にギュッと手を握り締めるクリス。

 それに対して、士郎は傷が痛んだのかと心配そうな顔を近づけてくる。

 クリスを異性とは欠片も認識していない、純粋な心配だけで。

 きっと、万人に向けるものと全く同じ瞳で。

 雪音クリスを見つめる。

 

「別に……どこも痛くなんてねぇよ」

 

 だから、クリスはぶっきらぼうに嘘をつく。

 胸に走ったチクリとした痛みを押し隠す様に。

 

「そうか? キツかったらちゃんと言えよ」

「分かってるよ……」

 

 手を伸ばせば手を握り合える距離。

 ほんの少し、顔を寄せれば唇が触れ合う程の近さ。

 だというのに。

 

(なんで…なんで…こんなに遠くに感じるんだよ…?)

 

 2人の心の距離はどこまでも離れたまま。

 そもそもの話、自爆した人間が人の看病をしているという事実自体がおかしい。

 人の痛みを気にする少年は、簡単に自分の命を投げ捨てる。

 目の前でその事実に心を痛める少女に気づかぬまま。

 愚かなロボットは、今日も偽りの人助けを続ける。

 

「そうだ。食欲はあるか? お粥でも作って来るよ」

「ああ……」

「じゃあ、待っててくれ」

 

 いつもより少し、しおらしいクリスに士郎は内心で首を傾げるもののそれだけだ。

 怪我をしているのだから当然だろうと、勘違いをしたままキッチンへと向かう。

 ただ、彼に傍に居て欲しいと言い出せない、意地っ張りで寂しがりやの少女を一人残して。

 だが。

 

「? どうしたんだクリス? 俺の服なんか掴んで」

「あ、いや……べ、別に何でも……」

 

 意地っ張りな少女は勇気を振り絞った。

 いや、どちらかと言えば勝手に体が動いたというべきだろうか。

 無意識のうちに、クリスは士郎の服の端をつまんでいた。

 

 自分でも予想外のことに、クリスは恥ずかしさや気まずさから目を落とす。

 相も変わらず素直な言葉は出てこない。

 それでも、彼女の細い指先は独りぼっちになることを恐れたまま。

 ギュッといじらしい強さで握られている。

 

「……寂しいのか?」

「はぁ!? そ、そんなこと一言も言ってないだろ! なんでそう思うんだよ!?」

 

 そこへ、普段は鈍感なくせに士郎が本心を言い当ててくる。

 クリスはなんでこういう時だけ鋭いんだよと、内心で叫びながら必死に否定しようとする。

 しかしながら。

 

「いや、俺も小さい時に、お袋に似たようなことをした記憶があるからさ」

 

 続く言葉には叫び声を飲み込まざるを得なかった。

 

「お袋って……士郎のママのことか?」

「ああ……世界で一番、俺を愛してくれていた人だ」

「そっか……」

 

 目を閉じて、その温もりを思い出そうとする士郎に、クリスは何とも言えない目を向ける。

 彼女は士郎の両親のことを聞いたことはない。

 彼もクリスの両親のことを聞いたことはない。

 

 それはどちらも失ったものであり、とても大切なものだったと理解しているから。

 簡単に話していいものではなく、出来ることなら思い出したくないという想いすらあるものだから。

 

 故にこの話が交わされるのは、2人の間では初めてのことだった。

 

「なあ、士郎のパパとママは……どんな人だったんだ?」

 

 それは小さいようで大きな一歩。

 今まで縮めたくても縮められなかった2人の距離。

 それが今、ゆっくりと無くなろうとしている。

 

「そうだな……親父は俺と一緒によく遊んでくれる人だったな。お袋には偶にだらしないって言われてたけど、休みの日でも俺の相手は必ずしてくれた。お袋の方は優しい人だった。滅多なことじゃ怒らないし、俺が泣いたらいつも優しく抱きしめてくれた。でも、その反面怒ったら凄かった。親父が顔を真っ青にして土下座してたのを見たことがある」

 

 珍しく楽しそうに語る士郎の姿に、クリスも心を揺り動かされる。

 彼女にとって両親は愛する人であると共に、自分を紛争地帯に置き去りにして死んでいった戦犯でもある。だから、いつもなら苦々しい思い出と共に毛嫌いする存在だ。

 

「思い出せるのはそのぐらいだな。そうだ、クリスの両親はどんな人だったんだ?」

「あたしのパパとママは……」

 

 でも、楽しそうに語る士郎に感化されて、彼女は思い出した。

 両親に関わる苦々しい思い出ではなく。

 

「音楽家だったんだ。ママのピアノの伴奏に合わせて、よくパパと歌ったな。そんでパパは色んな音楽を教えてくれた。『やっさいもっさい』って知ってるか? 確か、千葉の祭りの踊りだったな? とにかく、そんな感じでパパとママとあたしの3人で良く歌ったっけな」

 

 一緒に過ごした楽しい思い出を。

 確かに自分は愛されていたのだという記憶を。

 図らずも思い出せていた。

 

「ああ、クリスって歌上手いもんな」

「……聞かせたことあったか?」

「いや、ソロモンの杖を起動させようとしてた時に、飯をクリスの部屋まで運んでただろ? その時に耳に入ってさ」

「こ、この変態が!!」

「歌を聞いただけで!?」

 

 しかし、嫌な思い出が全て吹っ切れるわけでもない。

 クリスは自分の両親を嫌っている。同時に、両親を強く思い出す音楽も。

 そして何より、兵器を呼び覚ましたり何かを壊すことしか出来ない自分の歌を。

 

「忘れろ! 今すぐそんなもん忘れろ!!」

「何でだよ? 上手いんだから別に恥ずかしくないだろ」

「あたしが嫌いなんだよ……自分の歌が」

 

 だから、士郎には聞いて欲しくなかった。

 自分の最も嫌悪すべき部分を見られるなど、到底許せなかった。

 だというのに。

 

「そうか? 俺は好きだぞ、クリスの歌」

 

 彼は好きだという。自分の嫌いな歌を。

 

「何でだよ! あたしの歌なんて壊すことしか出来ねえんだぞ!?」

 

 だから、彼女はカッとなって食いかかる。

 こんな私を見ないでくれと、聞かないでくれと。

 己の汚い部分を必死に覆い隠そうとする。

 

「例えそれが事実だとしても……俺はクリスの歌が好きだよ」

「訳わかんねえよ!」

「理由は俺にも分からない。でも、好きだ。それだけは嘘じゃない」

 

 否定してくれ。私の歌は聞くに堪えぬ醜いものだと。

 そう嘲り笑ってくれた方が楽だというのに、士郎は譲らない。

 あくまでも、その歌が好きだと言い続ける。

 

「……耳が壊れてるぜ」

「まあ、ガラクタの耳だからな」

 

 この頑固者は譲らないと悟り、クリスは吐き捨てる。

 その様子に士郎は満足げに笑い、皮肉にも聞こえる返事を返す。

 

「それにクリスは世界平和のために歌ってるんだろ? 何も恥ずかしがることなんてない。立派な夢だ」

「そりゃ、言葉にすりゃあ立派かもしれないけどよ……」

 

 クリスは自身の夢に対して否定的な言葉を零す。

 彼女は争いのない世界を、恒久的に平和な世界を望んでいる。

 しかしながら、やってることと言えばテロ行為で誰かを傷つけることばかり。

 こんなことで本当に願いが叶うのかと疑うのも道理だろう。

 

「あたしは……本当は()()()()()()()()()()()

 

 ポツリと弱音を吐く。

 粗雑な口調で覆い隠されているが、クリスの本質は優しさである。

 世界平和なんて夢を抱いているのも、他人が傷つくのを見るのが嫌だからだ。

 誰も涙することのない優しい世界。

 それが欲しいから、みっともなく足掻いているだけだ。

 

「でも、戦うこと以外に知らないから……力で争う奴らを抑えつける以外に争いを無くす方法なんて思いつかないから…!」

 

 心の中でいつも涙を流しながら引き金を引き続ける。

 平和が欲しいのに、他人の平穏を奪っていく矛盾に気づかないようにしながら。

 彼女は争いのない世界を創るために、自ら争いを生み出していく。

 

「あたしは…あたしは…ッ」

「クリス……」

 

 手を痛い程に握りしめ、クリスは己の不甲斐なさに下を向く。

 情けない。どうして自分には誰かを傷つけることしか出来ないのだろうか。

 どうして、自分は正義の味方になれないのかと。

 1人自責の念に苛まれる。

 

「心配するなって」

 

 そんなとき、不意に大きなものに包まれる感覚に見舞われ、クリスは目を見開く。

 

「士郎…?」

「大丈夫だ。クリスの願いは間違ってなんかない。俺が保証する」

 

 目を開いた先には、士郎が自分の抱きしめる姿があった。

 平時であれば、恥ずかしさから容赦なく彼を殴り飛ばして突き放していただろう。

 

 しかし、弱り切った少女でしかない今のクリスにはそれができなかった。

 何かに縋っていたい。全部放り投げてしまいたい。

 子供のように、この胸の温もりの中で微睡んでいたい。そう思ってしまった。

 

「俺には願いなんてないけど、それでもクリスの願いが綺麗なものだってわかる」

「……本当に?」

「ああ、だからさ。クリスの夢が叶うように、俺にも手伝わせてくれ」

 

 そう言って、士郎はあの日フィーネの恋の手伝いをすると言った時のように、壊れた笑みを浮かべる。彼女達の願いの本質を理解せぬままに。

 

「……いいのか?」

「俺が良いって言ってるのに、他に誰が否定するんだ?」

「いや、でも……」

「心配するなって。フィーネさんも、女の子には優しくしろって言ってるし」

 

 士郎の言葉に嘘はない。

 クリスの願いを叶えるために、どのような犠牲を払ってでも戦い続けるだろう。

 ただし。彼女が一体なぜ苦しんでいるかを、理解しないまま。

 

「大丈夫だよ。クリスが辛い時は()()()()()()()()()()()からさ」

 

 ()()()()()()()()()という言葉を、クリスがその手で人を傷つけたくないだけだと思っているのだ。彼女の誰にも傷ついて欲しくないという優しさを誤解したまま。

 

「約束するよ。俺はクリスの願いを叶える手助けをする。絶対にな」

 

 歪んだ願望の器は綺麗な夢を歪んだ形で叶える。

 彼女が出来ないのなら、自分がやれば良いだけだと。

 誰も望まぬ結末になることに気づくことすらなく。

 

「士郎……ありがとうな」

「ああ」

 

 その事実にクリスは気づけない。

 誰かを傷つけることに弱り果ててしまった心は、楽な道へと無意識に流れてしまう。

 何より。

 

「そ、それと……いつまで抱きしめてんだ!? このすっとこどっこい!!」

「のわぁッ!?」

 

 意識している異性に抱きしめられたという事実に、茹で上がっている頭では気づけない。

 今の今になって恥ずかしさが湧き上がって来たのか、タコのようになった顔で士郎を突き飛ばすクリス。

 ただ、離れた瞬間にちょっと名残惜しそうな顔をしてしまったのは内緒だ。

 

「だ、第一、なんで抱きしめてんだよ! 女にいきなり抱き着くとか、あたしじゃなきゃ通報ものだぞ!!」

「い、いや、無意識のうちにというか、クリスを抱きしめたくなったというか……何言ってるんだ、俺」

 

 クリスの一部の隙も無い正論に、士郎は何とか弁明を図ろうとするが墓穴を掘る。

 自分で言っておいて、ただの変態ではないかという結論に至り1人愕然としてしまう。

 しかし、これが意外と効果的だった。

 

「ふ、ふーん、そうか。いや、まあ、無意識だっていうんなら、ゆ、許してやるよ」

「え、なんでだ?」

「い、いいから許してやるって言ってるんだよ! ただし、あたし以外の女には絶対にするんじゃねえぞ! 分かったな?」

「あ、ああ。俺も通報はされたくないからな」

「よし! 分かったなら、さっさと部屋から出てけ!!」

 

 顔紅くしてプルプルと震えながら許すというクリス。

 その姿に、士郎は必死に怒りを抑えているのだろうと解釈し、素直に部屋から出て行く。

 クリスは思わずその背中に『この唐変木!』と枕を投げつけてやりたかったが、精神的にそんな余裕がなかったので、代わりに枕に顔を埋める。

 

(ああ! クソッ!! か、顔が緩んだまま元に戻らねぇ!?)

 

 そして、枕の下でニヘラとだらしない顔を浮かべるのだった。

 

(む、無意識ってことは少しはあたしのことを意識してんだよな…? い、いや、別に意識してたら、どうってわけでもなねぇけどさ)

 

 自分の抱きしめていた胸元の感触や温もりを思い出しながら、クリスはゴロゴロとのた打ち回る。これを士郎がやっていたら変態認定を受けても仕方がないが、美少女であるクリスがやれば様になるので世の中とは不平等である。

 

(と、とにかく忘れろ! 筋肉の硬さとか、匂いとか、温かさとか…それから、それから……て、あたしは何を考えてんだ!? 忘れろ! 忘れろ!!)

 

 ボフンと枕を叩きつけ、ウガーッと無音で暴れまわるクリス。

 しかし、悲しいかな。人間、忘れようとすればするほど、忘れられないものである。

 

(そういや、鼓動は普通だったな……あたしを抱きしめてるくせに。それに手も何だか冷たかったような…いや、ありゃ間違いなく冷たかったな)

 

 そうして、詳細に思い出していく士郎の体の感触。

 その中で、クリスはときめきと不満と、ある1つの違和感を覚えていた。

 彼女を抱きしめた士郎の手の温度が。

 

(まるで―――鉄みたいな感触だった)

 

 (てつ)のように冷たかったことに。

 

 

 

 

 

 フィーネのアジトにあるバルコニー。

 そこで、この家の主は月を肴に、上機嫌にワインを傾けていた。

 実に開放感のある全裸で。

 

(デュランダルの確保には至らなかったが、立花響のおかげで起動に至ったそれが二課にある。そう、“カ・ディンギル”として作られた二課本部に)

 

 デュランダルは意図せぬ起動の危険性を考え、移送は中止となり現在は二課本部に以前と同じように保管されている。そして、フィーネはカ・ディンギルという月を破壊するための砲台を二課本部そのものとして制作していた。つまり、カ・ディンギルにデュランダルという無限のエネルギーを持つ銃弾が、これで装填されたのだ。

 

 後は引き金を引くだけで悲願は達成される。

 これで、上機嫌にならない方がおかしいというものだろう。

 

(やっと…やっと…あのお方と再会できる。この胸に秘め続けた愛をぶつけられる…!)

 

 だから、彼女は珍しく酔っていた。

 酒による偽りの多幸感を噛みしめられていた。

 そんな所に、幸福とは最もかけ離れた少年が近づいてくる。

 

「フィーネさん、また服を脱ぎ散らかしただろ。ちゃんと洗濯機に入れてくれって、いつも言ってるだろ」

「いいじゃない、そのぐらい。ほら、そんなことよりお酌しなさい」

「……大分酔ってるな」

 

 脱ぎ散らかした服、もちろん下着も含むものを持ちながら苦言を呈する士郎。

 しかし、フィーネは酔っているためかクスクスとおかしそうに笑うだけだ。

 そんな様子に士郎はこりゃダメだと溜息を吐いて、言われた通りに彼女の下に向かう。

 

「ほら、お酌してやるから何か羽織るぐらいしろって。風邪ひくぞ?」

「その時はクリスみたいに看病してもらうから大丈夫よ。そうそう、クリスと言えば押し倒すぐらいはした?」

「……お酒って怖いな」

 

 普段は凛々しさすら漂わせる美しさだというのに、今のフィーネは完全に酔ったおっさんである。士郎は、そんな困った保護者の姿に軽く頭痛を覚えつつ彼女の肩に上着を被せる。逆にそれが全裸よりもなお扇情的な色気を醸し出すが、士郎は欠片も劣情を起こさない。

 

 それは彼に人間味が薄いからではなく。

 

「あんまり飲み過ぎると二日酔いになるぞ」

「その時はクリスみたいに看病してもらうから大丈夫よ。そうそう、クリスと言えば押し倒すぐらいはした?」

「酔うと会話がループするって言うのは本当なんだな……」

 

 フィーネのことを母親だと思っているからだ。

 無論、このことは一度たりとも面と向かって口に出したことはない。

 

 それは、自分にはそんな資格はないという想いと。

 死んだ実の母への裏切りになるような後ろめたさ。

 そして、若干の気恥ずかしさからだ。

 

「そうだ、士郎。あなたも呑みなさいよ。計画成功の前祝よ」

「……ああ、デュランダルもカ・ディンギルの中にあるんだったな」

「ほら、一気にグイッと呑みなさい」

「いや、今の『ああ』は了承の意味じゃないって」

「いけずねー」

 

 グイグイとグラスを押し付けてくるフィーネに抵抗しながら、士郎は考える。

 フィーネの計画にはあと1つ残されているものがあったはずと。

 

「それより、計画ってネフシュタンと融合するっていうのもあったよな? もう、それはいいのか?」

「やるわよ。そうしないと普通に殺されるもの。人類を管理する以上、反乱は必須だから戦力は多いに越したことはないわ」

「人類を管理…?」

 

 聞きなれない言葉にピクリと士郎の眉が動く。

 言っておくが、それは士郎がフィーネの行動に義憤を抱いたからではない。

 それが引き起こす負の産物を思い浮かべたからだ。

 

「あら? 言ってなかったかしら。月を壊せば、当然今の重力環境は壊れるわ。そうなれば人類は滅びかねない。流石の私もそれは困るから“フロンティア”に人間を移住させてそこで管理するのよ」

「フロンティア……前に言ってた海に沈んでる島の形をした星間航行船だったか?」

「そ。そこで移住した人間を力と恐怖で支配して、永遠に争いのない世界を創り上げるのよ? クリスの願いもこれで叶うわ」

 

 クツクツと嘲りを隠すことなくフィーネは笑う。

 彼女は分かっている。いや、彼女でなくとも普通の人間なら分かるだろう。力と恐怖で支配された世界など、クリスの願う優しい世界とは程遠いことを。フィーネが幼い少女を騙している大悪党だということを。

 

 ただ1つ。

 

「……そっか。それでクリスの願いが」

 

 人間ではなく物であろうとする異常者を除いて。

 

「人類を管理・支配するには力が居るわ。いえ、力だけじゃダメね。どんなに強くても()()()()()()()()死ぬ可能性があるわ。そもそも、寿命があるのだし。だから、不滅の再生能力を持つネフシュタンの鎧と融合して、永遠の支配を可能にする必要があるのよ」

 

 軽蔑されるようなことを話しているが、フィーネの口は軽い。

 それは酒の魔力がそうさせているのもあるだろう。

 だが、根本にあるのは信頼だ。

 

「そのためにはあなたのデータが欠かせないのよ。ありがとうね、士郎」

 

 士郎(この子)は絶対に自分を裏切らないだろうという信頼。

 フィーネが何千年も前から見せることがなくなった、身内への甘さだ。

 その人間としてのありきたりな感情が、彼女の計画を狂わせるとも知らずに。

 

「……フィーネさんはさ。恋が叶ったら、最初に何がしたい?」

「あら? あなたからそんな話題を振るなんて意外ね。これは誰か気になる子でも出来たのかしら」

「からかわないでくれよ……」

「ふふふ、冗談よ。でも、そうねぇ……やりたいことは山のようにあるけど、まずはあの方と」

 

 フッと息を吐き、魔女ではなくただの恋する乙女の顔をしたフィーネが呟く。

 本当にささやかな願いを。

 

 

「―――手を繋ぎたいわね」

 

 

 士郎の覚悟を決めさせる言葉を。

 

「手を握り合って温もりを確かめ合いたい。そこに確かに居るんだって体で、心で、知りたい……何だか、言ってて恥ずかしくなってきたわ」

「いや、素敵なことじゃないか?」

「フフ、ありがと」

 

 普段は見せることのない優しい表情を浮かべ、フィーネは士郎にしなだれかかる。

 それを士郎は仕方がないなと言った表情で受け止める。

 

「フィーネさん、飲み過ぎだって。もう、寝た方が良いんじゃないか?」

「そうね、良い気分のまま眠るのも悪くないわね。今なら、幸せな夢が見れそうだもの」

「部屋まで送って行こうか?」

「1人で歩けるわ」

 

 親の心配をする息子のように。

 息子には心配はかけれないと思う親のように。

 2人は言葉を交わし合う。

 

「あなたも早く部屋に戻って温かくして寝るのよ」

「そんな子供みたいに……」

「手が氷みたいに()()()()()()()()()()()? 気を抜いていると、この季節でも風邪をひくわよ」

 

 手が冷たい。その言葉に士郎は僅かに表情を引きつらせる。

 だが、幸か不幸かフィーネは酔いのために、その変化に気づくことはなかった。

 士郎の手は、明らかに人間の体温ではなくなっていたというのに。

 

「それじゃあ、おやすみなさい」

「……ああ、お休み」

 

 ヒラヒラと手を振り、上機嫌そうに歩き去っていくフィーネを見送った後に、士郎は小さく溜息を吐く。

 

「……そうか、冷たいんだな。俺の手は」

 

 目についた硝子(ガラス)に指を触れさせてみる。

 夜風に晒されたそれは、きっと冷たいのだろう。

 今までだったら、士郎だってそれを感じ取れた。

 

「何も……感じないな」

 

 だが、(つるぎ)となって行く体はその温度を感じない。

 何かに触れているという感覚はある。

 だが、温度を感じることが出来ない。

 これが進んで行けば、いずれは何も感じなくなるだろう。

 当然だ。物質に、感覚など不必要なのだから。

 

「よし、起動は順調に進んでいるな」

 

 だから、士郎は上機嫌そうに微笑む。

 自分の目的は一歩ずつ確実に近づいているのだと。

 

「でも、これだとフィーネさんに聖遺物との融合は勧められないな」

 

 しかし、懸念事項もある。

 フィーネは手を握り合って温もりを感じたいと言っていた。

 だが、現実の融合体の末路はこれだ。

 

「握った手の温もりを感じられなくなるなら、本末転倒だ」

 

 何も感じない。

 人間ではなく、ただの聖遺物(ぶっしつ)になり果てた先には温もりなどない。

 あるのは無機質の冷たさだけ。

 

 故にフィーネの計画の先に彼女の願いが叶うことはない。

 むしろ、絶望が待ち受けているだろう。

 そして、それを士郎は許せなかった。

 

(それにフィーネさんの計画は、どう考えても最後は恨まれるものだ。クリスの願いだって残った人類全部を敵に回すようなものだ。それじゃあ、2人が幸せになれない)

 

 士郎という存在は現実離れした思考をするが、現実が分からないわけではない。

 仮に正義の味方という夢を持っていた場合は、それが難しいものだと理解した上で目指す。

 1人と2人、両方は救えないと分かった上でどちらも救う方法を探すのだ。

 自分を犠牲にするという行為を前提にして。

 

(2人の願いは()()()()()()()()()()()、実現させれば2人は大悪党になる。……それはおかしい)

 

 士郎は盲目的に2人の願いを肯定しているわけではない。

 それが他人からすれば悪だというのを理解した上で、肯定している。

 誰からも非難されると認めたうえで、2人に幸せになって欲しいと思っている。

 

「争いのない世界が欲しいと思うことも、愛する人と結ばれたいと願うことも、決して……間違いなんかじゃないんだから」

 

 だから、2人の大切な家族の願いを叶えながら、幸せになれる方法を考える。

 

(フィーネさんの願いは月の破壊。これは別にフィーネさんの仕業だと分からなければ、どうにでもなる。別に俺がやってもいいしな。問題は、月の崩壊の後で人類を支配することだ。これはどうやっても、フィーネさんが恨まれる。しかも、1人で永遠に支配を続けないといけない)

 

 士郎は知っている。生き続けることはとても辛いことだと。

 だから、永遠の命を得たフィーネが苦しみ続けるのは許せないと思った。

 

(クリスの願いだってそうだ。誰かが力で争いが起こらないように抑え続けないといけない。恒久的に平和な世界を目指すなら、狂うことのない絶対的な独裁者が必要だ。優しいクリスにそんなことをさせるわけにはいかない)

 

 士郎は知っている。クリスは本当は誰も傷つけたくないのだと。

 だから、クリスが泣きながら、他の誰かを傷つけて争いを無くすのは嫌だなと思った。

 

「必要なものは永遠に争いが起きないように統治する存在。絶対に死なないで、圧倒的な力で全ての争いを消し去る存在」

 

 2人の願いを叶えるのにいるのは、機械のように永久の支配を行える世界の歯車。

 歯向かう者達を、月すら砕く絶対的な力で抑えつけ争いを無くす抑止の守護者。

 そんな都合の良いものがこの世にあるはずもない。

 

 常人ならそう考えるだろう。

 

「なんだ、()()()()()()()()()()

 

 だが、士郎は常人ではない。

 むしろ、人の思考を逸脱している。

 

「俺は死なない。永遠に壊れない。力は弱いけど、それも他所から持ってくればいいだけだ」

 

 壊れたような嗤いが月下に映し出される。

 みんなを幸せにできるのだと、愚かにも勘違いした道化が嗤う。

 ようやく死に場所を得たと、歓喜に心を打ち震わせる。

 

「そうだ。(これ)を使えば誰も傷つかない。誰も悲しまない。みんなが幸せになれる」

 

 空っぽの願望器に今、願いが満たされる。

 その願いは決して間違いではないだろう。

 しかしながら、願いが間違いではないと言えども。

 願いの叶え方が正しいということにはならない。

 

 世界から争いを無くすにはどうすればいい?

 この問いに、人類を皆殺しにすればいいと答える可能性すらあるのだ。

 

「うん。これなら、フィーネさんもクリスも悪者にならずにすむ。まあ、怒られるかもしれないけど大したことじゃないな……任せろって。2人の夢は――」

 

 上機嫌そうに独り言を呟きながら士郎は月を見上げる。

 これは誓いだ。誰と交わすわけでもなく、誰かに託されるわけでもなく。

 自身の胸の内に生まれた小さな想いを形にするためだけの誓いだ。

 そして、その誓いは彼を大切にする者達にとっての。

 

「―――俺がちゃんと形にしてやるから」

 

 呪いだ。

 




この小説のラスボスは士郎君です(真顔)


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7話:終わりを目指す者

 夢を見た。

 それを夢と理解できたのは、あの子の姿がまだ小さかったからだ。

 

「フィーネさん、何か手伝うことはないのか?」

「今は何もないわ。あなたは好きなことをしてていいわよ」

「分かった。じゃあ、掃除してくる」

「…………」

 

 休むことも、遊ぶことも、まるで脳裏にないとばかりにあの子は働き続ける。

 まだ、小学生低学年ぐらいの子供がだ。

 ただ単に、()()()では説明がつかない。

 誰かに奉仕していなければ呼吸が出来ない。そんな罪悪感に塗れた生き方。

 

「もう少し子供らしい方が、面白いのだけどね」

 

 それに気づきながらも私は治そうとはしなかった。

 単純にその方が都合がよかったからだ。

 士郎は罪の意識を抱え続ける限り、自分を裏切ることはない。

 

 そして、その罪悪感を刺激してやれば様々なことに利用できる。

 そのための努力は惜しまなかった。

 

 悪夢にうなされながら、ごめんなさいと謝り続けるあの子に子守唄を歌ってやり、自分の傍に居れば許されると植え付けた。両親の幻影に微笑みかけるあの子に、今は自分が居ることを教え、依存させた。

 

 これで都合の良い駒が出来ると。努めて、そう思いながら接していた。

 だが、それも長くは続かなかった。

 

「また、こんなに散らかして。ものはちゃんとしまわないとダメだろ?」

 

「机の上で寝てたら風邪ひくぞ? ただでさえ、裸なんだから」

 

「うわ、この部屋埃だらけじゃないか。ほら、掃除するから、フィーネさんも要るものと要らないものを分けてくれ」

 

 元々素質があったのか、家事レベルがメキメキと上昇していき私の世話を焼き始めたのだ。

 正直、大人としての威厳がガリガリと削られていく気がしたが、邪魔だとは思わなかった。

 櫻井了子としてならともかく、フィーネとして誰かに世話をされるのはいつぶりだろうか。

 

 そんなことを考えていたからだろう。

 素直にあの子の奉仕を受け続けた。

 情が芽生えてしまうかもしれないと思いながらも。

 

 一生懸命に伸ばされる、小さな手を振り払うことが出来なかった。

 

「お帰り、フィーネさん。ハンバーグを作ってみたんだけど…食べてみてくれないか?」

「士郎が作ったの? 凄いじゃない」

「いや、まあ……ちょっと失敗したんだけどさ」

 

 駒としての認識が完全に崩れたのは、きっとあの子が初めて料理を作った時だろう。

 仕事から帰ってきた私を、エプロン姿の士郎が緊張した面持ちで待っていたのだ。

 

「ところどころ焦げてるし、綺麗に空気が抜けなくて崩れたりしてるからさ。……無理して食べないでもいいよ」

 

 恥ずかしそうに頬を掻く士郎。

 確かに、本人が言うように、そのハンバーグは綺麗な見た目ではなかった。

 今のあの子が作るものとは雲泥の差だ。

 だとしても、私に断るという選択肢はなかった。

 

「もちろん、食べるわ。あなたが一生懸命作ってくれたんですもの」

 

 それはあの子の手を見たから。

 小さな手を火傷や切り傷で痛々しくしながらも、私のために作ってくれた料理。

 そんな優しさを無下にできるわけなどなかった。

 

「本当か!?」

「こんなことで嘘をつくわけないでしょ」

 

 珍しく子供らしい表情を見せる士郎の頭を撫でてから、私達は一緒の食卓に座った。

 まるで本当の親子のように。

 

「「いただきます」」

 

 一口、私の方をジッと見つめる士郎に苦笑しながら、ハンバーグを食べる。

 静かに咀嚼をする。味はそこまでではない。少し焦げの味がする。見栄えも微妙だ。

 だというのに、私は無言でもう一欠けら口に運んでいた。

 

「ど、どうだ?」

 

 不安そうにあの子が見つめてくる。

 何か言ってやらないとと思うが、上手く口が回らない。

 それでも何とか絞り出した言葉は、自分でも何を言っているのかと思うものだった。

 

「士郎は……どうして私に料理を作ってくれたのかしら?」

 

 驚いたように士郎が目をパチクリとさせる。

 まるで考えたことも無かったという仕草に、私は自分の発言を後悔する。

 普通に美味しいと言っておけばよかった。

 これでは変な空気になってしまう。

 だから、今のは忘れて頂戴と言おうとしたところで、士郎が口を開く。

 

「そんなの、フィーネさんに喜んで欲しいからに決まってるだろ?」

「私に喜んで欲しい…?」

 

 言葉に詰まってしまう。

 士郎の顔に虚飾の色は見られない。

 それでも、信じられなかった。自分をモルモット扱いする人間に喜んで欲しいなど。

 普通の人間の思考ではない。

 

「俺、フィーネさんのことが好きだからさ。フィーネさんに笑って欲しいから、料理を作ってみたんだ」

「……そう、だからこの料理は」

 

 だというのに、この子は無邪気に私のことが好きだとのたまう。

 喜んで欲しいと、笑って欲しいと、料理に愛情を込める。

 

「―――こんなにも温かいのね」

 

 もう一口ハンバーグを口に運ぶ。

 味は良い方ではない。だとしても、最高のスパイスがそれを補う。

 相手のことを思いやり、笑って欲しいと喜んで欲しいと作られた料理。

 それはとても、温かいものだった。

 

「美味しいわよ、士郎。また、作ってくれるかしら?」

「ああ、もちろんだ!」

 

 だから私は、本当にいつぶりかの穏やかな微笑みを浮かべて見せる。

 それに安心したように、パァッと顔を輝かせるあの子の表情は。

 

「今度はもっと上手く作ってみせるからな!」

 

 張り付けたものではなく、子供らしい自然な笑顔だった。

 

「ふふふ、それじゃあ色々とリクエストしちゃおうかしら」

「ああ、遠慮なく言ってくれ。すぐに何でも作れるようになってみせるから」

 

 それを見た時、私はふと想像してしまったのだ。

 あのお方と私、そして士郎の3人で食卓を囲められれば、それはどれだけ。

 

「ええ、期待しているわ」

 

 幸せなことなのだろうと。

 

 

 

 

 

 フィーネが異常に気付いたのは、目が覚めた時間を見た時だった。

 

「……ちょっと寝すぎたわね。休みだからよかったけど。でも、おかしいわね。いつもなら、あの子が起こしに来るのに」

 

 自分が起きなかった場合はこの家で一番の早起きである士郎が、彼女を起こしに来る。

 だが、今日は来なかった。そこに違和感を覚えるものの、昨日の呑み過ぎを見られていたために、気を使ってくれただけかと思う。

 

 しかし、部屋を出たところで違和感は確信へと変わる。

 

「手紙…?」

 

 扉の前に綺麗に置かれていた手紙。

 嫌な汗が背中を伝うのを感じながら、フィーネは手紙を拾う。

 そして、『フィーネさんへ』という文字を見て差出人が誰かを悟る。

 

「士郎…あの子一体何を…?」

 

 恐る恐る封筒を開け、中身を取り出し目を通す。

 

「え…?」

 

 フィーネの顔が青ざめるのは一瞬だった。

 次に指に力が入り、手紙に小さくない皴を作る。

 だが、それも途中までだ。

 

 読み進めて行けば行くたびに、彼女の手からは力が抜け落ちていく。

 まるで、自分はとんでもないことをしでかしてしまったとでも言うように。

 何より、その内容に素直に反発することが出来ない自分に絶望するように。

 

「おいフィーネ、そんな所で何してんだ?」

「……クリス。今すぐに士郎を探しに行きなさい」

「はぁ?」

 

 そんな明らかに様子のおかしいフィーネを見つけたクリスが、心配から声をかけてくる。

 それに対して、フィーネは努めて動揺を隠そうとして、逆におかしくなった声で指示を出す。

 

「ど、どうしたんだよ、いきなり」

「落ち着いて聞きなさい。士郎が――」

 

 困惑するクリスをよそに、フィーネはクリスには手紙の内容の真実を悟らせないように。

 しかし、手紙に書いていた願いを叶えるために言葉を紡ぐ。

 

「―――裏切ったわ」

 

 

 

 

 

「あ、士郎君からメールだ」

「珍しいね。何が書いてるの?」

 

 その頃、響の携帯端末に一件のメールが届いていた。

 連絡先自体は交換していた3人だが、特に連絡を取り合うことは今までしてこなかった。

 故に、響と未来は珍しいなと思いながらメールの文を覗き込む。

 

「えーと…『2人きりで伝えたいことがあるから、18時に初めて出会った橋に来てくれ』だって。……何だろ?」

「え…? 2人きりで伝えたいこと? それも初めて出会った場所で? ……まさか」

 

 一体何を伝えたいのだろうと、のほほんとした表情で考える響。

 逆に未来の方は何かを察したのか、顔を赤らめさせる。

 

「未来は分かるの?」

「え? う、ううん。私も単なる予想だから分からないよ」

「そっかー、未来でも分からないなら会うまで分からないなぁ」

 

 少しどもりながら答えるも、響は全幅の信頼を置く未来の言葉のため疑わない。

 そのことに内心嬉しさを感じながら、未来は複雑な表情を浮かべる。

 

(これ、響は気づいてないけど告白だよね…? いや、私の勘違いの可能性もあるし。それに士郎さんって若干天然っぽいし、何も考えずにこの文を書いた可能性も……いや、でも、もしかしたら本当に……)

 

 未来は疑っていた。

 士郎が告白のために響を呼び出したのではないかと。

 もちろん、そんなことはないのだが、士郎を詳しく知らない未来から疑念は消えない。

 まあ、ある意味で士郎は告白をするつもりなので、全くの勘違いというわけでもないのだが。

 

「まあ、行けば分かるよね」

「……そうだね」

 

 普通に友人と出会うような空気の響に、未来は万が一告白されても受けないだろうと考える。

 しかし、響の性格からしてバッサリ断るとも考えられない。

 むしろ、予想外であるからこそ考えさせて欲しいと、返事を保留にする可能性が高い。

 

(そこから2人の仲を深めていって、最後には正式なカップルに……い、いや、マンガじゃないんだから)

 

 確かそんな設定の恋愛漫画があったなと、未来は思い出してしまい首を振る。

 所詮はそれは漫画での話だ。

 しかし、それでもなお否定しきれない何かを未来は2人に感じていた。

 

(士郎さんと響は似ている。どこかがズレているけど、それでも似てる……)

 

 似た者同士。

 それは価値観が近いということであり、共に過ごすには重要な部分だ。

 2人は根幹にあるものが近い。

 それが逆に同族嫌悪に繋がる場合もあるが、2人とも穏やかな性格なために明確な決裂に繋がる可能性は低いだろう。

 

(響を止める? でも、それはやり過ぎだよね?)

 

 親友が自分の手の届かない場所に行ってしまいそうな気がして、未来は悩む。

 しかし、士郎が本当に告白をしようとしているのなら、それを止める権利など誰にもない。

 それを理解しているからこそ、未来は響を止めない。

 だが、何もせずにただ待っているということも出来なかった。

 

「あ、そろそろ出ないと。それじゃあ、行ってくるね、未来」

「うん……気をつけてね」

 

 故に響を見送りながら未来は決意する。

 

(コッソリ、ついていこう。べ、別に邪魔しなければいいよね?)

 

 士郎の伝えたいことの内容を確認しようと。

 

 

 

 士郎が裏切った。

 クリスはその言葉を信じなかった。

 ただ、どうしようもなく動揺し、町の中を走り回っている。

 

(嘘だ…嘘だ! 士郎があたしを裏切るわけがない! きっとなんかの間違いだ!!)

 

 故に、フィーネから聞いた情報の違和感にも気づけなかった。

 普通に考えればおかしいことだらけであるのに。

 

(フィーネは士郎がソロモンの杖を盗んだとかなんだとか言ってたけど、そんなことはどうでもいいんだよ! あんなものあたしは要らない。でも、あいつが居なくなるのは嫌だ!)

 

 まず、第一にだ。本当に裏切る人間が、律義に手紙など残すだろうか?

 答えは否だ。裏切りはバレないからこそ意味があるのだ。

 仮にバレるにしても、それは遅ければ遅い程に良い。

 それに、フィーネはクリスに探しに行けと命令した。

 普通に考えれば、どこかに隠れているであろう相手を、街に行けば必ず見つかると分かっているかのように。

 

(どこだ…? どこに居んだよ? あたしを独りぼっちにしないでくれよ!!)

 

 そしてあの時のフィーネは寝起きだった。

 つまり、事実確認など碌にできていない。

 さらに言えば、ソロモンの杖が盗まれたかどうかも確認できるわけがない。

 だが、フィーネは言い切った。

 手紙に書いてあったことを鵜呑みにして。

 

 その手紙が、言葉通りならば裏切り者が残したものだというのにだ。

 

「うわッ!?」

「キャッ!?」

 

 そんな単純なことに気づけないクリスの動揺は、行動にももろに出ていた。

 故に、曲がり角を曲がったところで、白いリボンが特徴的な黒髪の少女にぶつかったのもその動揺が原因だろう。

 

「わ、悪い。急いでんだ……」

「う、ううん。私もあんまり前を見てなかったから」

 

 内心で自分の馬鹿さ加減に罵倒を吐きながらも、クリスはぶつかった少女に謝る。

 それに対して、黒髪の少女も挙動不審気味に謝り返す。

 そのことに若干の恥ずかしさを感じたクリスは、誤魔化す様に独り言を呟く。

 

「本当に悪いな。たく、これも全部士郎の奴のせいだ」

 

 クリスのその言葉は特に何かを狙ったわけではない。

 本当に気恥ずかしさを誤魔化すために愚痴を口に出しただけだ。

 

「士郎? もしかして士郎さんのこと?」

「知ってるのかッ!?」

 

 だが、それが彼女にとっての蜘蛛の糸(きぼう)となった。

 

「え、えっと、間違いじゃないなら、同じぐらいの年の赤髪で料理が得意な人のことで合ってる…?」

「おう! それに加えて鈍感で女に対してデリカシーがない奴だ!」

「あ、うん。確かに」

 

 クリスは黒髪の少女、未来の肩をガシッと掴みながら叫び声をあげる。

 それに対して、未来は困惑しながらも女性の自宅の掃除を買って出た士郎を思い出して、納得するような表情を見せる。

 

「な、なあ、今あいつがどこに居るか分かるか?」

「その……響と、私の友達と会うために、この橋で待ってるらしいんだけど」

(響…? まさか、立花響か? だとしたらあいつ本当に…ッ)

 

 ストーキングしていたことに若干の後ろめたさを残すような表情で、携帯端末の地図を示す未来。だが、クリスの方は未来の口にした響という名前に意識を取られ、そこに気づくことはなかった。

 

「えっと……それであなたは? 士郎さんとはどういう関係なの?」

「ああ、悪いな。あたしは雪音クリス。あいつとはその……」

 

 そんな所へ、未来が至って当然の質問をぶつけてくる。

 質問に対して、クリスは困ったように口を塞ぐ。

 それは一般人である未来にどう説明すればいいのかという悩みと、自分は一体彼にとっての何なのかとという悩みからであった。

 

 だが、そんな悩みは裏の事情を知らない未来にはわからない。

 だから、未来は自分の想像である、士郎が告白しようとしているという考えから結論を導き出す。

 

「もしかして……士郎さんのこと好きなの?」

「はあッ!? な、ななななに言ってんだよ!? べ、別に私はあいつのことなんて!!」

 

 直球で来た質問にクリスは何も隠すことが出来ずに、思わず吹き出してしまう。

 もう、答えは聞かなくても分かったと、未来は思わず内心で笑ってしまう。

 

「……クリス、士郎さんが取られてもいいの?」

「…!」

 

 取られても良いのか。

 この言葉に対して、クリスは敵に取られていいのかという意味に捉えた。

 もちろん、未来は恋愛的な意味で盗られても良いのかという意味で言っている。

 

「今その言葉を伝えないと、一生伝えられないかもしれないよ? それでいいの?」

「……嫌だ。それだけは嫌だ」

「だったら、伝えに行こう。今ならきっと間に合うから」

 

 未来は色々と勘違いしているが、士郎を取り戻そうとするクリスの目的だけは、完璧に把握したために誤解が解けることはない。クリスの方も平時ならともかく、動揺が激しい現状では違和感に気づけない。

 

「……お前、名前は? なんであたしを助けるんだ?」

「小日向未来。クリスを助ける理由は……私も大切な人に置いて行かれたくないからかな」

「…? とにかくありがとうな」

 

 何故、士郎が裏切ることが、未来が大切な人に置いて行かれることになるのか。

 その理由が良く分からなかったクリスだが、今はそんな場合ではないと割り切る。

 そんな、平時なら笑い話になるであろう勘違いは、もしかすれば2人がさらに話せば解けたかもしれない。

 

 だが、そんな未来は甲高い警報音によって打ち切られる。

 

「なんだ? この音?」

「なんだっ…て、ノイズ出現の警戒警報だよ!? 急いで避難しないと!!」

「ノイズだって!?」

 

 今までノイズを出現させる側だったために、警報の意味を知らないクリスに未来が叫ぶように伝えると、クリスは一瞬で顔を強張らせる。

 

(この状況でノイズが出現するなんて、士郎以外に考えられねぇ! ノイズの居る場所に行けば士郎が居るはずだけど……)

 

 強張った表情のまま、チラリと未来を見る。

 見ず知らずの自分を助けてくれた、自分とは違う優しい少女。

 クリスにはとてもではないが、見捨てるということは出来なかった。

 だから、まずは未来を安全な所まで避難させてから士郎の下に向かおうと考える。だが。

 

「……ねえ、クリス」

「なんだ? 急いで逃げるんじゃないのか」

「人があっちの方向から逃げて来てるってことは……あっちに、橋の方にノイズが現れたってことだよね?」

 

 未来は運悪く気づいてしまった。

 自らの親友がノイズの出現地に居る可能性を。

 

「…ッ。大丈夫だろ、きっとその響って奴もすぐにこっちに逃げてくるって」

 

 言いながら、それはないだろうとクリスは冷静に考える。

 未来の友人が立花響その人なら、ノイズから逃げるわけがない。

 むしろ、立ち向かう役目の人間だ。

 

「でも……それに士郎さんもいるんだよね?」

 

 しかし、今の様子を見るに、未来は響の裏の正体を知っている様子ではない。

 だから、友人を守ろうと未来は自ら死地に飛び込もうとしている。

 

(そうだ。士郎が本当に裏切ってんなら、戦いにならずに終わる。そうなったら、もう間に合わないかもしれねぇ…!)

 

 そして、クリスの中にも今を逃せば、もう二度と士郎に手が届かないではないかという不安があった。だから、クリスはもう一度未来を見る。1人で行かせたら死んでしまうかもしれない人間。そして、自分の掌を見る。この手にはノイズを屠るだけの力がある。

 

「ああ、クソ! いいか、絶対にあたしから離れんじゃねえぞ!!」

「え?」

 

 だからこそ、クリスは決断を下す。

 いざとなれば、自分が未来を守りながら親友の下に送り届けると。

 初めて、その力を壊すことではなく守るために使う。

 

「助けに行くんだろ!? 他の奴らと逆方向に進むんだから、急がねえと間に合わねえぞ!!」

「クリス……ごめん。ううん、ありがとう」

「礼は要らねえよ……」

 

 未来のお礼から逃げるように背中を向けながら、クリスは複雑な表情のまま走り出す。

 辿り着いた先にある、残酷な結末から目を背けるように。

 

 

 

 

 

「悪いな、響。急に呼び出して」

「ううん、別に私は良いよ」

 

 夕焼けが川と橋を照らし出す中、2人は鏡合わせのように向き合った。

 誰かを救いたいと、自らの意思で思った正義の味方と。

 誰かを救わねばならぬと、ただの義務感しか抱けぬロボットが。

 今、その違いを明らかにするように向かい合っている。

 

「それで、伝えたいことってなに?」

「……響に歌って欲しいんだ」

「歌?」

 

 キョトンとした表情で首を傾げる響。

 それもそうだろう。彼女からすれば、いきなり呼び出されて歌ってくれだ。

 わざわざ呼び出してまでやることかと思う。

 しかし、それも士郎を一般人と考えているが故の思考でしかない。

 

「シンフォギア、ガングニールの装者としてな」

「……え! な、なんでそれを…?」

 

 紡がれた言葉に、響は大きな動揺を見せる。

 何故士郎がそれを知っているのか。

 そして、それを知った上で歌って欲しいということは、シンフォギアを纏えということだ。

 何より。

 

「ここにソロモンの杖がある。これで俺が誰かの証明にならないか?」

 

 戦えという意思表示である。

 

「ソロモンの杖!? もしかして士郎君は……ネフシュタンの鎧の子の協力者?」

「ああ、風鳴翼さんと戦った男の正体だよ」

 

 ノイズを呼び出すことで、その力が本物であることを示す士郎。

 響の方は突然の事態に対応できず、未だにシンフォギアを纏うことが出来ていない。

 どう見ても、ノイズの良い餌である。

 しかし、士郎の方はまるで、何かを待つかのようにノイズを待機させたままだ。

 

「なんで…なんで…士郎君が…?」

「騙してたみたいで悪いけど、俺は最初から響の敵だったんだ。まあ、最初に出会ったときは俺も知らなかったけどな」

「違う! 私が聞きたいのは、どうして士郎君がこんなことをするのかの理由だよ!!」

 

 目の前に命の危機が迫っているというのに、未だに響はシンフォギアを纏わない。

 その行動が、彼女が争いよりも対話を望んでいることを如実に表していた。

 

「理由? 理由か……簡単に言えば()()()()()()()だな」

「夢…? 誰かを傷つけることが士郎君の夢なの!?」

「どう…だろうな。願いを叶える過程で犠牲は出るかもしれない。でも、願いそのものは誰かを傷つけるものじゃないんだ。うん。そこに間違いなんてないはずだ」

 

 同時に、士郎はそんな響の願いを無意識のうちに汲み取り、対話に応じていた。

 だが、彼の口調はどこか上の空のようなもので、己の内から零れ落ちたものが無い。

 言うなれば、ラジオがどこかから受信した放送を垂れ流しているようなもの。

 そこには己の夢と呼べる熱意など欠片も無かった。

 

「願いって……何なの?」

「そうだな……詳しく話すと長くなるから簡潔に言うと、世界平和だな」

「世界平和…?」

 

 借り物の理想を淡々と語る士郎に、響は困惑した表情を浮かべる。

 それもそうだろう。平和を望みながら、やることは平和を壊すテロ。

 だというのに、士郎は矛盾していることなどどうでも良いと思っている。

 葛藤も無ければ、意志もない。

 

 夢と語りながら、その夢に対する執着というものが無いのだ。

 何かがおかしい。響は頭と心でそれを理解し、士郎へ疑惑の視線を向ける。

 

「……士郎君」

「なんだ? やっと歌う気になってくれたか?」

「ううん。もっと聞きたいことが出来た。その夢は、本当に士郎君のものなの?」

 

 士郎の顔から表情が抜け落ちる。

 それに響は、ああやっぱりと思う。

 自分の願いでないから、彼はああもどうでもよさそうに語ることが出来たのだ。

 

「きっと、それは士郎君の夢じゃないんだよね?」

「……どうしてそう思うんだ?」

「夢を語るときに、そんなどうでもいいような表情をする人なんていないよ」

 

 苦笑する響に、士郎はどこかバツが悪そうに顔を背ける。

 その仕草に、響はこっちの方が士郎らしいと笑みを深める。

 

「ねえ、士郎君の本当の願いを聞かせてくれない?」

「……()()()()()

「そっか、ちゃんとあるんだね」

 

 言えないということは、すなわち胸に秘める夢は存在するということだ。

 彼は空っぽの人形ではない。それだけで、そう理解することが出来た。

 

「どうしても聞かせてくれないの?」

「無理だ……言えない」

「私は聞きたいな。だから――」

 

 明るい歌声が響き渡る。

 それは闇を晴らす鮮烈な光のようでいて、安らぎを感じさせる陽だまりのようでもある。

 

「―――私の歌の代わりに聞かせてくれないかな?」

 

 シンフォギアを纏い、響は笑顔で手を差し出す。

 本来であれば、その手にはガングニールの名の通り槍が握られているべきなのだろう。

 だが、彼女の手には武器は握られていない。

 それは彼女の、この手は誰かと繋ぎ合うためにあるという信念からだ。

 

 武器を握ることで誰かと手を取り合えないのなら、武器を捨ててしまえという思い切った精神がシンフォギアに反映されているのだ。そんな輝きを見せられてしまった士郎は眩しそうに目を細め、自嘲するように笑う。

 

「響は凄いな。俺には誰かと手を握り合うなんて出来ない」

「出来るよ。ほら、士郎君が手を伸ばさないなら、私が伸ばすから」

「……やめといた方が良い。俺の手は冷たいぞ」

「? 平気だよ。繋いだ手は温かいんだから」

「いいや、無駄だ。だって俺の手は」

 

 士郎の手を取るために、響は一歩近づく。

 それに対して、士郎は拒む様子も見せずにただ立ち続ける。

 その姿に響は受け入れてくれるかもしれないと、淡い希望を覗かせる。

 だが、その希望は。

 

「もう……何も感じないからな」

 

 士郎の体から無数に生えてきた剣によって切り裂かれる。

 

「え? な、なにこれ…? 大丈夫なの、士郎君!?」

 

 ギチギチと不愉快な金属音がけたたましく鳴り響く。

 服を、皮膚を突き破り、頭と心臓以外の体のあらゆる場所を無数の剣が食い破る。

 その悍ましい光景に響は初め、士郎が誰かに串刺しにされたのだと思った。

 だが、すぐにそれは違うと気づく。

 

 何故なら、士郎の体からは伝承の鞘の持ち主のように、一滴の血も流れていない。

 そして、体を突き破る刃は全て切っ先が外に向いている。

 まるで、その全てが士郎の内側から生えてきたかのように。

 

「ああ、大丈夫さ。これが俺のあるべき姿。()()()()の行きつく果てだ」

「融合症例…!? 士郎君が私と同じ…?」

「どっちかというと、響が俺と同じって言うべきだな。俺は響の先輩だからな」

 

 自らの体に起きた変化など些細なことだと言わんばかりに、士郎は穏やかな口調で話す。

 そのことがより一層不気味さを際立てていることに気づくことも無く。

 

「先輩…? それに私に歌えって言ってた理由って」

「10年前、俺の体にある聖遺物が埋め込まれた。ただ、その聖遺物は半起動状態でな? 響の歌で完全起動させて欲しいんだ」

「起動させて欲しいって……その状態からもっと先に進んだら士郎君は…!」

 

 人間じゃなくなっちゃうよ。

 思わず喉から出かけた言葉を響はすんでのところで飲み込む。

 それは、その言葉には余りにも救いがなかったから。

 だというのに。

 

「ああ、それが俺の()()だ」

 

 士郎はそれを理解した上で朗らかに笑う。

 人間を捨てることが目的だと、嬉しそうにのたまうのだ。

 既にその行動自体が、人間のやる行動ではないと気づかぬままに。

 

「だからさ、響。もっと歌ってくれ、俺のために」

 

 できるだけ友好的にと、化け物が人間のまねをして笑うように士郎は表情を歪める。

 それに対して、響がとった行動は。

 

「絶対に嫌だ!!」

 

 シンフォギアを解除するという行為だった。

 敵の目の前での武装解除。

 その余りにも愚かな行為に思わず士郎は目を見開く。

 

「……分かってるのか? 俺はノイズを操れる。響が戦わないと色んな人が犠牲になるぞ」

「でも、私が歌ったら士郎君が犠牲になる。だったら私は歌わない」

「ふざけてるのか?」

「大真面目だよ!! だって私は、みんなに幸せになって欲しいんだからッ!!」

 

 みんなを幸せにしたい。

 そんなどこまでも真っすぐな言葉に、士郎は絶句するしかなかった。

 

 なんだこれは?

 誰だ2人が似ているなんて世迷言を言った奴は。

 月と鼈という言葉ですらおこがましい。

 ロボットでは決して生み出せない、人間の輝きがそこにはあった。

 

「困っている人が居るなら、私は誰だって救いたい。例え不可能だとしても、私は目の前の人を救うことを諦めたくない。あの日、私を救ってくれた人と同じようになりたいから」

「……ただの罪悪感から来る感情だろ、それは。自分だけが生き残ったから、誰かを救わないといけないっていう義務感以外の何物でもない」

 

 その輝きから目を逸らす様に、士郎は響に対し、否自分に対して吐き捨てる。

 だが、そんな空虚な言葉では本物の正義の味方は止まらない。

 

「そうかもしれない。だとしても私は……誰かに守られたことを、いつまでも負い目に感じたくないから。自分の手で大切なものを守れるようになりたいの」

 

 負けた。

 誰にでもなく士郎は、自らの胸の内に敗北感を抱く。

 認めた。認めてしまったのだ。その願いが美しいと。

 響という女の子の想いは本物なのだと。

 戦う前から敗北感と共に認めてしまったのだ。

 

「……そっか。なあ、響」

「なに? 士郎君」

 

 だから、士郎は本当に珍しく感情を顔に宿し、泣きそうになりながら言う。

 

 

「―――俺、響のこと嫌いだ」

 

 

 どうして俺はお前のようになれなかったのかと。

 情けなく、みっともなく、憤りを込めて歪んだ鏡に敵意を向ける。

 

「私は士郎君のこと好きだよ?」

「……ああ、今やっとクリスの気持ちが分かったよ」

 

 響に好きだと言われた士郎は、何とも言えぬ表情を見せる。

 自分が嫌いな自分のことを肯定されるというのは。

 

「自分の嫌いなものを好きだって言われるのは……腹が立つんだな」

 

 こうも気に食わないのかと。

 

「行け、ノイズ。さあ、響! シンフォギアを纏わないと消し炭だぞ!?」

「…ッ!」

 

 今の今まで殺したくないとばかりに、動かさなかったノイズを一斉に動かす。

 それに対して、響はグッと歯を食いしばるが、決して歌わない。

 歌ってしまえば、士郎が人間に戻れなくなることを理解しているから。

 十字に架けられた聖者のように、ただ襲い掛かる運命を受け止めようとする。

 

「響ッ! だめぇえええッ!!」

「未来…!?」

 

 だが、その献身は別の者の献身によって代えられる。

 訳が分からないままでも、響の危機と見るや何も考えずに自ら盾となり飛び出る未来。

 その行動には響はおろか、ノイズを動かす士郎ですら反応することが出来ない。

 故に、ノイズは何の障害もなく未来へ迫り。

 

「この身を(よろ)えッ! ネフシュタン!!」

 

 文字通り間一髪のところで、ネフシュタンの鎧を纏ったクリスに消し飛ばされる。

 

「……クリス?」

「たく、離れるなって言っただろ? まあいい……お前は、その馬鹿の所に居ろ」

 

 突如として変身したクリスの姿に、未来は訳が分からずに呆然とする。

 そんな未来をこちらも訳が分からないまでも、優しく抱きしめながら響がクリスに声をかける。

 

「あなたは……私達を守ってくれたの?」

「お前は守ってねえよ。あたしが守ったのは未来だけだ」

「そっか、ありがとう。未来を守ってくれて」

「チッ……」

 

 つっけんどんな態度で言葉を返すも、響は笑顔でお礼を返すばかりだ。

 その事実に、心を荒ませながらもクリスは今は士郎だと、響から目を背ける。

 

「士郎、色々言いたいことはあるけどさ。取りあえず、あいつと戦ってたってことは裏切ってないんだよな?」

「……クリス、詳しく話すからこっちに来てくれないか?」

「ああ。そのヤバそうな体のことも含めて、洗いざらい吐いてもらうからな」

 

 士郎の言葉に対して、クリスは疑うことすらなく無防備に近づいていく。

 響と士郎は戦っていた。その事実が、彼女に士郎は自分を裏切っていないと思わせた。

 だから、親を信じる無邪気な子供のように士郎の傍により。

 

「騙して悪いな、クリス」

「え…?」

 

 (はがね)の拳で腹部の鎧を砕かれるのだった。

 

「し…ろう…?」

「ネフシュタンの鎧、返してもらうぞ」

「なに…を……」

 

 信じられないと、嘘だろと、縋りつくように崩れ落ちるクリス。

 それを抱き留める様に受け止め、士郎は響達には決して聞こえぬように、クリスの耳元で小さく呟く。

 

「心配するなって。クリスの夢は、俺がちゃんと叶えてやるから」

「――え?」

 

 どういうことだと、何とか聞き返そうとするクリスだったが腹部への衝撃で、上手く声を出すことが出来ない。何より、士郎に攻撃されたという事実が心に修復できぬほどの傷を与えていたために、彼女はそのまま地面に倒れることしか出来なかった。

 

「クリス!? 士郎さん、何やってるの!? クリスは士郎さんのことが…ッ!」

「何をやってるかと聞かれたら、世界平和のために必要なこととしか答えられないな」

 

 そんな光景を見たものだから、クリスと短いながらも親交のあった未来は激昂する。

 だが、士郎の方はその怒りの理由が分からないとばかりに、首を傾げるだけだ。

 その姿に未来は悍ましさを感じてしまい、思わずといった風に問いかけてしまう。

 

「世界平和…? 士郎さん、あなたは何者なの…?」

「何者か……俺は」

 

 そんな問いに対して、士郎は砕いたネフシュタンの鎧の欠片を眺めながら答える。

 まるで、その黄金の輝きに誰かを思い出すかのように。

 

 

Fine(フィーネ)、終わりを目指す者だよ」

 

 

 恋の成就を願う者。

 争いの終焉を求める者。

 自らの終わりを求める者。

 故にフィーネ。

 

「フィーネ…? 終わりを目指す?」

「争いばかりの人類に終止符を打つ。数千年の悲願に終わりを告げる。だから、そのために」

 

 断片的な情報では分かることが出来ずに、混乱する響と未来。

 そんな2人を気にすることなく、士郎はネフシュタンの欠片を持った手を。

 

「―――力が要るんだ」

 

 僅かに肉として残った、自らの心臓に突き刺すのだった。

 

「何してるの、士郎君!?」

「心配するなって、俺は死なない。死にかけたら再生する。……今埋め込んだネフシュタンの鎧と融合してな」

 

 青白い光が迸り、同時にネフシュタンの黄金が稲妻のように体の周りを走り抜ける。

 ネフシュタンの鎧は今、クリスが身に纏っている。

 しかし、ネフシュタンにはその破片が体内に入った場合には、鎧の主ごと再生するという特性がある。そして、分裂すら可能としながらも、意思が共有されるという特性も。

 

 そんなネフシュタンの再生力が、鞘の不死の能力と混ざったらどうなるだろうか?

 心臓部に埋め込まれたものが欠片だとしても、その能力を最大限に発揮するのではないか?

 

「鎧と剣が融合している…?」

「いや、()()()剣じゃない。鞘だ」

 

 ネフシュタンの鎧は分裂することが出来るが、その状態では再生力が落ちる。

 逆説的に言えば、再生力が最も高い状態こそが本体である。

 故に、例え大部分がクリスが身に着けた鎧の状態であったとしても。

 

「クリスから鎧が士郎さんに移って行く…!?」

「来い、ネフシュタン。お前の真の力を俺に寄越せ」

 

 より再生力の高い士郎の、本体の意思で再結合が可能ということだ。

 

 不老不死の鞘と不滅の鎧。

 人類が夢見た決して壊れぬ永遠と、決して滅びぬ永遠。

 その2つの幻想が合わさる時。

 

 

「―――■は■で出来ている」

 

 

 (はがね)の怪物は生まれ落ちる。

 




士郎君がフィーネを名乗る展開になったので

マリア「私が転生したフィーネよ」
士郎君「本物のフィーネさんは裸族だ。最低でも一日10時間は裸じゃない限り俺は信じない」
マリア「 」

マリアさんに全力でセクハラを働く展開はなくなりました。
後、マリアさんが嘘を貫き通すために裸族になるべきか葛藤する展開も。


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8話:■■■■(無銘の怪物)

 

 (つるぎ)の唸り声が辺り一帯に響き渡る。

 それは無限の剣が体内でぶつかり、削れ、再生を繰り返す音。

 そんなこの世のものとは思えぬ音を聞きながら、雪音クリスは倒れていた。

 

(なんでだ…なんでだ…士郎)

 

 声を出すことが出来ず、立ち上がることも出来ない。

 だから、彼女は倒れたまま必死に考えを、逃避を巡らせていた。

 

(あたしが何かしたんなら謝るから…だから……見捨てないでくれ)

 

 優しい士郎が自分を裏切るはずがない。見捨てるわけがない。

 そう、藁にすがるように、自分が見捨てられていないという証拠をかき集める。

 そんな哀れでみっともない足掻き。

 

(理由があるんなら話してくれ……あたしも手伝うから)

 

 普通ならそれは報われることのない行為だろう。

 だが、しかし。それは報われる。報われてしまった。

 さらなる絶望と引き換えに。

 

「士郎君! もうやめて!! それ以上は体が…ッ」

 

 士郎を止めようとする響の声を聞きながら、クリスは考える。

 まず、士郎がフィーネを名乗ったことがおかしい。

 クリスは当然だが、本物のフィーネの存在を知っている。

 故に、士郎が嘘を言ったことが分かった。

 

「なにも…ッ。問題ない…! 俺は…俺はッ!!」

 

 士郎の声が聞こえる。まるで、今にも崩れ落ちそうな自我を縫い付けるような声が。

 どうして、士郎がフィーネと名乗ったのか。

 そもそも、ネフシュタンが必要なら、どうしてソロモンの杖と一緒に持ち出さなかったのか。

 何より、本物のフィーネがそれを知りながら動かない理由は何なのか。

 その答えは。

 

「争いのない世界を…! 数千年の恋を…! もう…誰も涙を流さないように…! 俺は――」

 

 自分の家族を庇うためだ。

 2人が誰からも恨まれる結末が許容できないから、自分が代わりの人柱となる。

 そのために、自らがフィーネとなり、わざとらしく響の前でクリスを裏切った。

 ■■士郎が全ての黒幕であり、雪音クリスはただの被害者だとするべく。

 

(そうだ……士郎はあたしを裏切ってなんかいないんだ…ただ――)

 

 自分は裏切られてなかった。

 その事実は普通であれば希望となっただろう。

 しかし、希望とは蜘蛛の糸よりもなお脆いものだ。

 

「―――2人の願いを叶えるんだ…ッ」

(―――あたしのせいで、ああなったんだッ!!)

 

 理解した。理解してしまった。

 目の前の怪物は自分が生み出してしまったのだと。

 大好きな人を化け物に変えてしまったのは。

 

(あたしが争いのない世界なんて望んだから!!)

 

 自分の愚かな願いのせいだという真実に気づいてしまった。

 自分は裏切られたのだと優しい嘘に酔いしれられていれば、どれだけよかっただろうか。

 全ては自分のせいだと知った少女の心は、とてもではないが耐えきれなかった。

 

(―――士郎を人間じゃ無くしちまったんだ)

 

 故に、か弱い少女は悲鳴を上げることも出来ずに、ただ意識を落とすことしか出来なかった。

 アメジスト色の瞳から零れる涙を拭うことも出来ずに。

 

 

 

 

 

 それを表すには、言葉は余りにも貧弱に過ぎた。

 

「士郎…君…?」

「……■のこ■だ?」

 

 だが、あえて何かに形容するとすれば、それは剣の丘だった。

 丘に剣が突き立つのではなく、剣そのものが丘を構成する異様。

 2本の足で立つことだけが、それが元は人間だったことの名残りを残す。

 それこそが(はがね)の怪物だ。

 

「大丈夫なの……士郎さん?」

「だから……■だ?」

 

 あまりの変化に戸惑いながらも、響と未来は士郎を心配する声をかける。

 しかし、帰って来るのはよく聞き取れない、壊れたラジオが流すような音ばかり。

 それもそうだろう。彼女達は人間に声をかけているつもりだが、目の前にいる存在は。

 

 

「士郎って……誰のことだ?」

 

 

 名前のない怪物なのだから。

 

「き、記憶喪失になってるの…?」

「士郎君! しっかりして!! 私のことは分かる!? 立花響ッ!!」

 

 自分の名前すら忘れたのか、混乱する無銘(むめい)の怪物に響は必死に声をかける。

 それに対して怪物は、腕らしきものを頭付近に当て、人間のような仕草を取る。

 

「響…立花……そうか。ああ、悪いなボーっとしてたみたいだ」

「よかった……記憶はちゃんとあるんだね」

 

 ようやく記憶が定まって来たのか、怪物は響に対して焦点を合わせる。

 そして、緩慢な動作で腕をゆっくりと振り上げ。

 

「そうだ。立花響は俺の―――俺の敵だ」

 

 何のためらいもなく、巨大な剣と化した()()投げ飛ばすのだった。

 

「え?」

「未来!!」

 

 殺気も嫌悪も悪意もなく、ただ義務感から放たれた攻撃は無防備な少女二人へ襲い掛かる。

 その自分が知る人物とは余りにも違い過ぎる行動に、未来は声を上げることしか出来ず、響はシンフォギアを纏えず、未来を守るように抱きしめることしか出来ない。

 

「何をしてるの!? 死ぬわよ!」

「つ、翼さん!?」

「翼さん…? ど、どういうこと?」

 

 そんな死の運命を待つだけだった2人を救ったのもまた、剣であった。

 2人を襲った攻撃を弾き飛ばし、怪物を油断なく見据えるのは風鳴翼である。

 

「貴様……何者だ?」

「俺は…オレは…? ……フィーネ、終わりを目指す者だ。あんたは……誰だったっけな? 頭がうまく働かないな……」

 

 翼からの詰問に対して、無銘の怪物は己の名前が思い出せないように唸りながら答える。

 その姿に翼は一目で目の前の存在は異常だと判断し、響に指示を出す。

 

「立花、あなたはその子を連れて離脱しなさい。あれの相手は私がする」

 

 響に話しかけながらも、目は油断なく剣の怪物を睨みつけ無言の牽制を行う翼。

 それに対して、怪物の方はまだ意識がはっきりとしないのか、ボンヤリと立ち尽くしている。

 良く分からないが、攻め時だ。

 そう判断し、翼が一歩踏み出そうとしたところで響からの静止が入る。

 

「ま、待ってください。歌ったらダメなんです!」

「……どういうこと?」

「士郎君…フィーネを名乗った人は、私と同じで体に聖遺物…多分何かの鞘を埋め込んでいて、私達が歌うとその聖遺物が起動しちゃうんです!」

 

 響からの説明に、翼は驚いたような表情を見せるがすぐにそれを引き締める。

 そして、響とは反対にシンフォギアを解除することはなく、逆に集中力を高めるのだった。

 

「立花、あなたが歌わなかった理由は分かったわ。でも、戦う以外に道はないわよ」

「ど、どうしてですか?」

「ネフシュタンの鎧を纏う相手を、シンフォギア抜きで倒すことは出来ない。なら、完全起動する前にケリをつけるしかない。それに、ここで止めないとさらに不味いことになる可能性が高い。違う?」

「確かにそうですけど……それだと士郎君が人間じゃなくなっちゃいそうで」

 

 翼からの言葉に、理解は見せるものの納得は出来ない響。

 そんな響の姿に、どういったものかと若干の戸惑いを見せた後に翼は口を開く。

 優しい響では決して言えない、残酷な事実を。

 

「立花……私は今から人として最低のことを言う」

「翼さん…?」

「相手のことをよく知らない私から見れば、目の前のあれはすでに―――化け物だ」

 

 その言葉と共に、怪物が腕を再生させる。

 肉の代わりに剣を体内から生やしながら。

 響もそんな光景を見てしまえば、何も反論することが出来なかった。

 目の前にいるあれは、既に人の在り方を忘れていると。

 

「どうして…どうして…こんなことになっちゃったんだろう……」

「下がりなさい。戦場(いくさば)では迷いは命取りよ」

 

 厳しいようでどこか優しさの籠った言葉をかける翼。

 それに対して、響は言われた通りに逃げ出してしまいたいという思いが湧き起って来るが、それをグッと抑えて首を横に振る。

 

「ううん……私も…戦います。士郎君を怪物にしないために。例え、もう手遅れなんだとしても、人間に戻すために……歌います!」

「……そう。なら、ついてきなさい!」

「はい…!」

 

 戦う覚悟は出来た。

 平時であれば、それだけで問題は解決していただろう。

 しかし、今回ばかりはそういう訳にもいかなかった。

 

「響…どういう…ことなの…?」

「未来……ごめんね。私、未来に隠し事してた」

 

 理解を超えた事態の連続に、涙目になる未来に響は重い口を開く。

 本当なら、土下座でもして謝らないといけないのかもしれない。

 だが、そんな時間は彼女達には残されていない。

 故に、響もまた泣きそうな顔で未来に告げる。

 

「帰ったらいっぱい謝るから…ッ。たくさん怒られるから…! だから、今は人助けに行かせて!」

「響…どうして……」

 

 座り込んだまま動けない未来。

 涙を歯を食いしばって堪え、立ち上がる響。

 それは2人の今後の明暗を暗示しているかのようで、とても物悲しい光景であった。

 

「すいません、翼さん。……行きましょう」

「……二課に民間人の救助要請は出しておいた。直に保護に来るはずだ」

「ありがとう…ございます」

 

 翼もその光景に対して思う所があったようだが、口には出さずただ刀を構えるに止める。

 

「待たせて悪かったな」

「思い出した……あんたは風鳴翼さん。俺の敵だ」

「……容赦はせんぞ」

 

 記憶の欠片を見つけ出したのか、ようやく視線を翼と響に戻す怪物。

 その人としての姿も過去も忘れた存在に、翼は一瞬憐れみを覚えるが表情には出さない。

 ただ、チラリと響を励ますような視線を送り、足に力を籠める。

 

「行くぞ、立花」

「はいッ!」

 

 そうして、2人の少女の怪物退治が始まるのだった。

 

 

 

 

 

 剣舞い、風踊る。

 鳴り響く音は鋼の咆哮。

 少女達が行うは化け物退治。

 遥か昔より連綿と続く、英雄の所業。

 

「士郎君! 目を覚まして!!」

「逆羅刹ッ!」

 

 剣すらへし折る威力で繰り出される八極拳をベースにした鉄の拳。

 カポエラの蹴りに似た、逆立ちの状態で繰り出される脚部ブレードによる切り払い。

 それを前後から挟み込むように同時に叩き込む。

 逃げ場などない。怪物に許されるのは死地の中でもがくことのみ。

 そして、そんな足掻きも何の意味はなく、無慈悲に2人の攻撃は怪物に当たる。

 

「無駄だ」

 

 だが、しかし。

 それだけで死ぬのなら化け物は化け物と言われない。

 人間では死ぬようなことでも平然と乗り越えるからこそ、怪物なのだ。

 

「胴体を切り裂かれてなお、動くか…ッ」

「本気でやったのに…効いてない…!」

 

 結論から言えば2人の攻撃は完璧に怪物を捉えた。

 そして、生物ならば致命傷となるであろう傷も与えた。

 だが、それだけだった。

 

「前に言っただろ、響。俺は()()()()ってな」

 

 剣の怪物は死なない。

 切り裂かれ、砕かれた体が瞬く間に再生していく。

 ギチギチと血の代わりに不快な音を垂れ流しながら。

 

「お返しだ」

(傷口から剣を飛ばすかッ!?)

 

 そして、余ったから要らないとばかりに、自らの細胞(つるぎ)を飛ばしてくる。

 怪物の体は剣で出来ている。そして、ネフシュタンの力で無限に再生することが出来る。

 その特性を利用して、無銘の怪物は自らの肉体を真の意味で武器としているのだ。

 この予備動作のない攻撃には、さしもの翼も回避に徹することしか出来ず、大きく後退る。

 

「どうした? そんなんじゃあ、俺は()()()()()

「最初から殺す気なんてないよ! でも、気絶くらいはして!!」

「無茶苦茶だな」

 

 怪物は不死身だ。

 されど、不死身だからといって攻略法がないわけではない。

 古来から現代に渡るまで、人類は不死殺しの方法を追求してきた。

 不死を奪うことや、神に与えられた力で殺す。

 はたまた、海底に封印するなど死なないのなら動けないようにするなど。

 

「眠ってッ!」

 

 その中の1つ。不死身の怪物の意識を奪うという手段を響は取る。

 八極拳の歩方を用い、一瞬で怪物の懐に潜り込む。

 そして、脳を揺らして気絶させるべく、怪物の顎らしき部分に鉄腕を叩き込む。

 

 その威力は常人ならば、気絶どころか永眠する程のものであるが、怪物相手には丁度いい。

 無防備な所に脳みそを揺らがされる強力無比な一撃。

 クマやライオンだってこれを食らえばひとたまりもない。

 ただし。

 

「無駄だ。殺す気で来い、それでやっと同じ土俵に上がれる」

「なんで…なんで…効いてないの?」

「10分前なら効いてただろうな。でもな今の俺は」

 

 化け物は別だ。

 いや、化け物であってもそれが生物であれば効いただろう。

 脳を揺らす攻撃が欠片も効かない理由は実にシンプルだ。

 

 

「全部、(てつ)で出来てる、ただの―――聖遺物(ぶっしつ)だ」

 

 

 怪物が生物ではなく物質だからだ。

 

「うそ…そんな……」

「ありがとうな、響。響のおかげで、俺は人間をやめれた」

「私のせいで…?」

「ああ、響のおかげで鞘と鎧は手に入った。後は剣だな」

 

 怪物が嗤う。

 本人は感謝を示しているというのに、少女を絶望に叩き落しているだけだ。

 だが、気づかない。怪物はもはや疑問を感じることすらない。

 何故なら全ては無銘の剣となり果ててしまったのだから。

 

「ぼーっとするな、立花!!」

「翼さん……て、え!?」

 

 その事実に、響は膝を折ってしまいそうになるが、翼が叱咤するように剣の雨を降らしてくる。

 慌てて、千ノ落涙の範囲から逃げたところで、翼が近寄って声をかける。

 

「立花、私の一撃にお前の一撃を合わせろ!」

「合わせるって、どうやってですか!?」

「ガングニールの装者ならできるはずだ! それに私達1人ずつの攻撃が効かないのなら、2人の力を合わせるしかないだろう?」

「それは……そうですけど…」

 

 翼の言葉にチラリと怪物の方を見る響。

 怪物は剣の雨をまるでただの小雨であるかのように、その体で弾いてこちらへと向かっている。もう、響の目から見てもあれは人間には見えなかった。そして、その事実に自分のせいだと響は思わず俯いてしまう。

 

「立花。奴を化け物にしたというのなら、それは私のせいでもある」

「翼さん……」

 

 そこへ、翼から声がかけられるが、未だに響は前を向くことが出来ないでいた。

 しかし、続く言葉にハッとして顔を上げるのだった。

 

「だからこそ、私達が奴を人間に戻す責任がある。違うか?」

「私達が士郎君を……」

「了子さんや二課のみんななら、きっと何か方法を見つけてくれるわ。だから、今の私達は目の前の彼を止めることに集中しないと」

 

 そう言って、翼は真っすぐに前を向く。

 振り返っていては、いつまでも前に進めないと背中で示す様に。

 その姿に、響もグッと歯を食いしばり前を見つめる。

 自分が救いたいと願う少年を。

 

「はい…! 翼さん行きましょう!!」

「その意気よ。隙は私が作る。だから、あなたはとにかく私に合わせて! 合わせ方は心に聞いて!!」

「はいッ! 全然分かりませんけど分かりました!!」

 

 2人の英雄が今一度立ち上がる。

 目の前の化け物を人間に戻すために。

 

「何をする気か知らないけど、俺には効かないぞ」

「それはどうかな?」

 

 翼の千ノ落涙の趣返しとばかりに、怪物は自らの肉体を千切り剣軍を襲い掛からせる。

 それに対し、翼と響は弾き、落とし、避けながら真っすぐに怪物のもとへと進んで行く。

 

「これを食らえ!」

 

 その中で翼は自らが生み出した剣を怪物に投げつけていく。

 しかしながら、それは全て怪物の体に当たって弾かれるだけだ。

 何の意味もない行為。そう決めつけて怪物は一歩踏み込もうとして。

 

「今更剣を投げたところで、俺に効くわけが――なんだ、体が…?」

 

 自らの体が動かないことに気づく。

 まるで金縛りにあったかのような現象に混乱し、反射的に自らの足元、月の光で出来た影を見る。

 すると、そこには先程の無意味に見えた攻撃に紛れさせて投げた小刀があった。

 

「影縫い。忍法を私なりに剣術に取り込んだものよ」

「……動けないな」

 

 自らの体が動かない理由を理解した怪物は、何とも言えぬ表情を浮かべる。

 影縫いは対人間の用の技である。さらに言えば、影の薄い夜では効果が出ずらい。

 故に、怪物を縛り続けられる時間は僅かだ。

 しかし、真っすぐに怪物へと歩を進めている英雄には、その僅かで十分だった。

 

「行くぞ、立花ぁッ!!」

「気持ちッ、重なればきっとぉおおッ!!」

 

 ガングニールが火を噴き、天羽々斬が嵐を巻き起こす。

 かつて、どこまでも高く羽ばたいていた2枚の翼が生み出した最強の技が、今ここに蘇る。

 

 

「「双星ノ鉄槌(DIASTER BLAST)ッ!!」」

 

 

 それは創星のビッグバン。

 生まれ出ずる星が発する炎の如き熱と、それを加速させる疾風の息吹きが組み合わさった一撃。

 これを受ければ不死身の怪物といえど、ひとたまりもない。

 

「まさか…これだけの――グッ!?」

 

 鋼の体がまるで紙切れの如く斬り刻まれていく。

 そして、切り刻まれた破片ごと炎の鉄槌は打ち砕く。

 化け物の体が崩れ去って消えるのに時間は要らなかった。

 

「……強敵だった」

「あ、あの、翼さん?」

「どうした立花? 敵は消えたのにまだ何かあるのか?」

 

 残心を行いながら、戦いの反省を行う翼に響が汗をダラダラと流しながら声をかける。

 それに対して、翼は一体何事かと跡形もなく消し飛んだ怪物の居た場所から目を離し、響に目を向ける。

 

「士郎君が消し飛んでいったんですけど……」

「そうだな。跡形もないな……ん?」

 

 怪物は跡形もなく消えていった。

 名残りといえば、合体技を放つ前に小競り合いを繰り広げた剣が地面に刺さっている程度だ。

 

「もしかしなくても、わ、私達……士郎君を殺しちゃったんですか…?」

「…………あ」

「あ、じゃないですよぉおおお!! 士郎くぅううんッ!?」

 

 つまりは2人は怪物を殺してしまったというわけだ。

 殺意など欠片も持ってなかった。それは事実だ。だが、手は抜けなかった。

 ぶっちゃけ全力以上で技を放った自信がある。

 やり過ぎてしまったのかもしれないと、2人の顔が凍り付くのも無理はない。

 

「お、落ち着け立花。まずは深呼吸をするんだ」

「は、はい」

「そして、その後は死者が安らかに眠れるように黙祷を捧げよう。奴もまた強者だったと」

「分かりまし―――翼さん、なんかいい感じの空気にして終わらせようとしてません!?」

「仕方ないだろ! 大体、立花の加減が下手だったのが悪いのではないか!?」

「た、確かに全力全開でやりましたけど、そもそも翼さんの方こそ滅多切りにしてましたよね!?」

「……峰打ちよ」

「騙されませんよ!? 大体豆腐みたいにスパスパ斬れる峰ってなんですか! 逆刃刀!?」

 

 ギャーギャーと予想外過ぎる展開への焦りから、叫び合う少女二人。

 しばらくすれば、罪悪感から勝手に鎮静化するだろうが、流石に忍びない。

 そう思ったのか、第三者が落ち着かせるように声をかける。

 

「2人とも落ち着けって。俺は生きてるからさ」

「え? なんだぁ、良かった」

「まったく、慌てさせないで」

 

 本人からの大丈夫だという申告を受け、2人は揃って胸を撫で下ろす。

 そして、違和感に気づき弾かれたように振り返る。

 

「「え?」」

「悪いけど、不意打ちだ」

 

 2人の首筋に容赦なく峰打ちが叩き込まれる。

 翼の方は絶え間ない訓練で鍛えた反射神経で、間一髪のところで避ける。

 だが、響の方はそうはいかずに、容赦なく剣を打ち付けられ気を失ってしまう。

 そして、人質に取るかのように怪物に優しく抱き留められるのだった。

 

「立花ッ!? 貴様どうやってあの技から逃れた!!」

「逃れたわけじゃない。ただ、先に飛ばしておいた剣から再生しただけだ」

 

 剣の怪物がその名の通りに、地面に刺さっていた剣より胴体の再生を始める。

 怪物は死なない。例え、細胞の一欠けらとなろうともそこから蘇る。

 

「体が一欠けらでもあるのなら、俺は再生可能だ……こんな風にな」

「しま――ッ」

 

 そして、今度は翼の足元に微かに残っていた破片から剣を生やし、襲い掛からせる。

 これには流石の翼も対応することが出来ずに、右足に浅くない傷を入れられてしまう。

 

「戦いは終わりだ。早く帰って治療するんだな」

「何を……勝負は始まったばかりだ」

 

 血が滲む足に無理やり力を籠め、翼はしっかりとした構えを取る。

 虚勢だ。例え万全でも、細胞の1つから復活するような怪物をどう倒すというのだ。

 思わず、そんな弱気が彼女の脳内で囁かれるが、それを押し殺す様に翼はさらに強気な発言をする。

 

「先程の技で倒せないのなら、別方法で倒すまでのこと」

「そうか、参考までに言っておくとな。斬殺、撲殺、絞殺、刺殺、殴殺、毒殺、薬殺、扼殺、轢殺、爆殺、圧殺、焼殺、抉殺、溺殺、射殺は効かないぞ。全部()()()試したけど死ねなかったからな」

「……化け物め」

 

 完全なる善意から、真顔で恐ろしい経歴を吐く怪物に、翼は思わず嘔吐しそうになるがグッと堪える。

 今は響を救出をしなければならないと歯を食い締め、絶唱の使用すら視野に入れる。

 だが、その考えは他ならぬ怪物自身に否定されるのだった。

 

「絶唱はやめておいた方が良い。クリスですら倒しきれなかったのに、俺が倒せるわけがないからな」

「……立花を救うだけなら、貴様を倒す必要は無いぞ」

 

 士郎からの言葉に、内心で苦虫を噛みつぶしたような顔になる翼だが、それを表に出すことはない。ただ、堂々とこちらはいつでも行けるぞという虚勢を張る。だが、それは人の心が分からない。ある意味で誤魔化しが効かない士郎には通用しない。

 

「響なら絶対に傷つけない。ただ、響と交換であるものが欲しいんだ」

「あるものだと…?」

「ああ。戦っている最中は、記憶があやふやだったから忘れてたんだけどさ。そもそも、俺は翼さんや響と戦う必要は無いんだよ。あるものさえ手に入ればそれでいい」

 

 気を失った響の容態を確認しながら怪物は話す。

 そもそも、ここで翼と戦う理由はないのだ。

 既にクリスが哀れにも裏切られたという事実は作り上げた。

 後は、フィーネが口添えしてやれば、風鳴弦十郎が確実に保護してくれるだろう。

 だから後は、無銘の怪物が最終進化を迎えるための物質を求めるだけでいい。

 

「……何を求める?」

「―――デュランダルが欲しい。デュランダルと響の身柄を交換しよう」

 

 それだけ告げると、怪物は響をお姫様抱っこして逃走の準備を始める。

 翼の方はそれをさせるかと刀を抜き放つが、怪物の手元の響に目をやり足を止める。

 怪物がその気になれば響は一秒もかからずに、その首を胴体から斬り落とされるだろう。

 

「待て! 立花をどうするつもりだ?」

「俺に響を傷つける気はないよ。まあ、そっちが俺の言葉を信じられるとは思えないけどな」

 

 翼側は敵である怪物のことなど信用できない。

 だから、響の安全を考えた行動をとらざるを得ない。

 例え、怪物が本心から響を傷つけないと言っているのだとしても。

 

「明後日……いや、3日後の深夜零時に俺が指定した場所にデュランダルを持ってきてくれ。そこで響との交換をしよう。場所はこっちから指示を出す」

 

 チラリと気づかれないように、クリスの方を見てから日時を指定する()()

 計画が成功すれば、世界は大きな変革を迎える。

 その時までに起きて、事情を理解する時間が要るだろうと判断したが故だ。

 

「それじゃあ、明後日に会おう」

「……貴様は何故、そうまでしてデュランダルを求める?」

 

 これ見よがしに響を抱きかかえながら撤退を開始する怪物に、翼は問いかける。

 そうまでして何故聖剣を求めるのだと。

 

「そうだな……簡単に言えば」

 

 怪物はどう答えたものかと、いつの間にか上っていた月を見上げながら考える。

 素直に月を壊すためと言えば、何かしら対策を取られてしまうかもしれない。

 だとすれば、相手には決して分からない。否、分かってもどうしようもないものを答えるべきだろう。

 

 

「―――赤い竜になるためだな」

 

 

 だから、それだけでは何のことか分からぬことを答える。

 当然、翼の方はどういうことだという表情を浮かべるが、気にしない。

 

「赤い竜…?」

「今言えることはそれだけだ。じゃあな」

 

 困惑する翼を残し、最後に一瞬だけクリスを見つめてから、()()は闇の中へ消えていくのだった。

 

 

 

 

 

「以上が、私が()()()()を名乗る人物と交戦した際の情報です」

「聖遺物をその身に取り込んだ、響君に続く融合症例……そしてデュランダル。何が目的なんだ? 攫われた響君の行方もそうだが、分からないことだらけだな」

 

 二課本部。応急処置を受けただけで、後は気合で復活した翼が映像と共に説明を終えた。

 それに対して、弦十郎は顎髭に手を置きながら難しい顔をする。

 因みに、弦十郎は姿が余りにも変わり過ぎていたために、フィーネを名乗る人物が以前に出会った少年だとは気づいていない。

 

「立花が攫われたのは私の至らなさが原因です。処罰は如何様にでも」

「馬鹿言うな。お前に止められなかったのなら、誰にも止められんかったさ」

「……申し訳ありません」

 

 翼の後悔を滲ませる謝罪にも、弦十郎は信頼しているとフォローをするだけだ。

 しかし、当の翼本人が弦十郎ならもっと上手くやれたのではないかと、思っているために、表情は暗いままである。

 

「はいはい、一度や二度の失敗でへこまない。失敗は成功のマザーよ? それより、保護した女の子の処遇はどうするつもり? まさか、うら若い乙女を監禁し続けるなんてことはしないわよね」

 

 そんな重い空気を払拭するかのように了子が話題の先を変える。

 もっとも、逸らした先も中々に重く重要な話なのだが。

 

「もちろんだ、()()()。事情を聞き終えたら家まで送り届ける……予定だったのだが」

「だが?」

「小日向未来君は、ネフシュタンの少女……雪音クリスのことを気にかけていてな。彼女が起きるまではここに居たいと言われてな」

「彼女はまだ起きていないんですね?」

「ああ。傷は酷くないことから、恐らくは大きな精神的ダメージを受けたせいだろうと聞いている。未来君もルームメイトの響君が攫われたショックを考えれば、1人にしないのは理に適っていると言えば適っているんだが……」

 

 そう言って、弦十郎は重い息を吐く。

 また守れなかった。

 翼には気にするなと言った手前だが、その気持ちはむしろ彼の方が強く持っていた。

 

「雪音クリス……数年前に南米でのテロに巻き込まれ行方不明。俺が捜索に向かったが当初は見つからず断念。その後、救出され日本に帰ってきたが――」

「帰国後、すぐに行方不明になった。前後関係から言って()()()()に攫われたと見て間違いないわね」

 

 弦十郎の言葉を引き継ぎ、了子がハッキリとした口調で告げる。

 その言葉に異を唱える者はいない。

 ただ1人、それを口にした了子の心以外は。

 

「未来ちゃんの証言。響ちゃんの直前までの戦闘記録から見て、まず間違いなく、クリスちゃんはフィーネを名乗る人物に利用されていたみたいね」

「だろうな。起きたらある程度の事情聴取は行うが、こちらで保護できるように何とかしよう」

「さっすが、弦十郎君! 話が分かるわね」

 

 利用され、裏切られた。

 そんな不幸な境遇を考慮すれば、無罪と言わずとも保護観察までは持っていけるかもしれない。

 そんな弦十郎の言葉に了子は大げさに喜んでみせる。

 内心ではそんな自分の汚らしさに吐き気を催しながら。

 

「まあ、2人への対応は後回しで良いだろう。今は今後の対応を考える方が先だ。()()()、君はフィーネを名乗る人物の狙いは何だと考える?」

 

 弦十郎は全幅の信頼を寄せて櫻井了子に問いかける。

 彼女こそが本物のフィーネだと思いもせずに。

 

「そう…ね……」

 

 その問いを受けて、了子は先程の様子から一転し、深く考え込むように下を向く。

 実際には答えなどとうの昔から知っているのだが、怪しまれないようにするには必要な動作だ。

 もっとも、その動作の中には自らの苦悩を隠す面もあるのだが。

 

「ネフシュタンの鎧と融合したこと、そして執拗なまでデュランダルを求めることから考えて、デュランダルを使っての大規模な破壊を企んでるんじゃないかしら?」

「大規模な破壊?」

 

 源十郎からの鋭い視線を受けて、重く深く頷く了子。

 それは翼達から見れば、ことの重大性を指しているのだと思えた。

 だが、実際は違う。1つ1つの思い出を噛みしめているからだ。

 

「ええ。デュランダルは知っての通り、無限のエネルギーを生み出す聖剣。その力を振るえば月ですら壊せるでしょうね」

「確かにそうですが、そうなると何故ネフシュタンの鎧を?」

 

 淡々と、どこか上の空のように了子は語っていく。

 頭の中に流れるのは、あの子との思い出の日々。

 

「簡単な話よ。強力な銃を撃つ際に大きな反動が出て撃ち手にダメージが行くように、デュランダルを本当に無限のエネルギーを引き出した状態で振るいたいなら、それに耐え得る頑丈な肉体が居る」

「つまり……デュランダルを最大限に使うためにネフシュタンの無限再生に目をつけたと?」

「花マルよ、翼ちゃん。響ちゃんが言っていた鞘の聖遺物も、同じ目的で肉体の強化のためでしょうね」

「そう言えば、デュランダルの本来の使い手、ローランには足の裏以外傷がつかないという伝承がありましたね。そう考えると、辻褄は合う……」

 

 一緒に食事をとった思い出。

 自分のことに無頓着な彼の服を一緒に買いに行った思い出。

 廃墟の中で家族ごっこをする彼の手を引いて帰った日。

 ごめんなさいと、夢の中で謝り続けるあの子に子守唄を歌ってやった記憶。

 数千年の間に色あせていた世界が、あの子を拾ってから少しだけ色づいた。

 

「そうなると、デュランダルは何があっても渡してはダメですね」

「だが、響君の身柄と引き換えとなると無視することも出来ん」

「う…すみません」

 

 だとしても、全ては自らの悲願の為。

 そして、計画は彼が引き継いだ。自分はただ座して待っていればいい。

 そうすれば、世界も愛する人も全てが手に入る。

 だというのに。

 

「それなんだけど、私に提案があるのよね」

「提案? 了子君、言ってみてくれ」

 

 どうして心はこうも寒々しいのだろう。

 ただの道具を失うだけで、こんなにも胸が痛むのは何故だろうか?

 分かっている。この痛みの正体は何千年も前に味わった痛みだ。

 家族を失うという別離の痛みである。

 

「響ちゃんの安全のために、デュランダルを渡す。そして、響ちゃんを取り戻すと同時に、こっちの最大戦力で敵を叩くの」

「最大戦力となると私と……」

 

 チラリと翼が弦十郎の方を見る。

 普段は司令という総責任者であるため現場に出られないが、二課の中で誰が最強かと言われれば誰もが彼だと口を揃えるだろう。

 

「ええ、弦十郎君、翼ちゃん。そしてあわよくば取り戻した響ちゃん。この戦力で一気に潰す。というか、翼ちゃんと響ちゃんの2人がかりで敗北した以上、勝つにはこちらの全てを出すしかないわ」

「それは……確かにそうですが、相手に目的のデュランダルを与えるのは危険では? いっそのこと、偽物でも作って渡すべきでは?」

「相手は聖遺物の反応を知る術を持っている可能性が高いわ。贋作はすぐに見抜かれる。それなら、初めから本物を持って行って安心させる方がお得よ。何より、この計画の肝は、使わせる前に叩き潰すことなんだから」

 

 翼からの反論にも了子は理路整然と返す。

 そのため、翼や弦十郎もその通りかと納得することしか出来ない。

 全てが筋書き通りだということにも気づくことなく。

 

「留守の間は()や他の人達に任せなさい。大丈夫よ、()()()()襲撃なんてないから」

 

 これは次善の策だ。

 あの子が失敗した時に、誰にも邪魔されずに計画を実行するために二課の戦力を全て外に出す。

 そうすれば、聖遺物がなくともフィーネの力をもってすれば、制圧は簡単だ。

 何より、あの子が翼達を始末すれば、今後の支配に邪魔な勢力を一掃できる。

 始末が無理でも手傷を負わせられれば、それだけで今後の支配が楽になるだろう。

 あの子が残した手紙での打ち合わせ通りだ。

 

「……分かった、俺も出よう。どの道、相手の出方を窺うしかない状況だ。なら、戦力的に少しでも有利な状況を作っておくべきだろう」

「ええ、留守は任せて」

 

 そう、どう転ぼうともフィーネの悲願は達成される。

 どう転ぼうとも、1人の少年が犠牲になることは確定しているが。

 

 ピシリ、と心に罅が入る音が聞こえた。

 

「……ッ」

「了子さん、どうしたんですか?」

「! な、何でもないわ。ちょっと目にゴミが入ったからこすってただけよ」

 

 心配そうにこちらを見る翼に曖昧に笑みを返しながら、了子は見えないように手を握り締める。正気になれと、自分は何のために数千年も生きながらえて来たのかと。必死に自分を奮い立たせる。握りしめた手に、あの子の温もりを思い出せないことに動揺しながら。

 

「それより、他に何か気になった点はない? どんなに小さなことでも良いのよ」

 

 自らの動揺を悟らせないように、了子は翼に問いかける。

 その様子を弦十郎だけは、訝しむように見ていたがすぐに翼の方に視線を移す。

 

「デュランダルを求めるのが、何かの破壊のためというのは分かりました。ただ、彼は私の問いに対して『赤い竜になるため』と答えてました。赤い竜とは何なのでしょう?」

「赤い竜……色々と伝説はあるけど一番有名なのは黙示録の赤い竜でしょうね」

「黙示録?」

 

 翼の疑問にコクリと頷いて了子は説明を始める。

 

「正式名称はヨハネの黙示録。聖書の1つよ。そこに記された人類をエデンから追い出す原因を作った蛇…サタンの化身のことね。まあ、実際はローマ帝国の暗喩なんだけど、詳しいことは良いわ」

 

 赤い竜はキリスト教徒を迫害した、ローマ帝国の暗喩である黙示録の獣に権威を与える。

 そうしたことから、黙示録はヨハネが表立ってローマ帝国を非難することが出来ないので、例え話を用いて非難したものとされている。

 

「サタンというと、魔王ですか。では、彼は()()()()()()()魔王になると言っていたのでしょうか?」

「どうでしょうね。そもそも黙示録では、赤い竜は敗北して業火の中で()()()()()()運命になっているもの。縁起が悪いわ」

 

 人類を地球というエデンから、フロンティアという地獄に追い出す。

 その後、支配者として永遠に君臨を続け、自らは罪の業火の塗れ永劫に苦しみ続ける。

 魔王とは言い得て妙かもしれないと、了子は擦れた思考で考えて、同時に思ってしまう。

 自分で育てた子供を、そんな魔王に堕とそうとしている自分は。

 

「それにさっきも言ったけど、赤い竜って色んな伝説にあるのよ。マヤの神話にも居るし、漢の劉邦なんかも赤い竜の子だっていう伝説があるわ。他に赤い竜にまつわる人物として、一番有名なのはあれね」

「あれ?」

「今でもウェールズの旗に使われている、ブリテンの赤い竜の象徴――」

 

 地獄に落ちることすら許されない。

 

 

「―――アーサー王よ」

 

 

 魔女だと。

 




今回、士郎君は剣から生えて復活するか、1800の肉片に散らばって逃げるか悩みましたが、後者だと翼さんが覚醒して、一瞬で1500と少しを切り裂きそうだったので前者になりました(縁壱感)


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9話:生き恥

 

 この身は鞘である。

 鞘であるならば剣を収めなければならない。

 心を薪に炎を、血肉を材に鉄と為し、虚空を剣で埋め立てる。

 ただ一振りも鈍らはなく、ただ一度も失敗はない。

 

 されども。

 築き上げた剣の丘は全て贋作。

 曲がり、折れ、砕ける。ただの一振りも真に及ばず。

 

 この身は勝利を約束された聖剣の鞘。

 それ以外に我が身を捧げることは許されず。

 故に剣を鍛える。

 

 罪という海に溺れ、理想という太陽に瞳を焼かれようとも、星へ手を伸ばし続ける。

 いつの日にか、真に我を治めるべき(つるぎ)が現れるその日まで。

 

 例えこの身が――

 

 

 ―――無限の剣と朽ち果てようとも。

 

 

 

 

 

「……ふわぁ、良く寝たー。……て、あれ? ここどこだろう?」

 

 窓から差し込む、気持ちのいい日差しが目覚ましとなり響は目を覚ます。

 明るさから考えて、もうお昼頃だろう。

 そんなことを考え、目をゴシゴシとこすりながら辺りを見渡してみるが、記憶にない部屋である。

 はて、自分は一体どうして見知らぬ場所に居るのか。

 響が、そんなふうに寝起きで働かない頭を、ノロノロと回転させていると部屋の扉が開く。

 

「ああ、やっと起きたのか、響。まあ、昨日は無理をさせたからな」

「え? なんで士郎君が!? というかここどこ!?」

「ここはフィーネのアジトの1つだよ。なんで俺が居るかは…覚えてないのか? 昨日のことだぞ」

 

 仮にも寝起きの美少女が居るというのに、戸惑う様子もなく部屋に入ってきた少年に響は反射的に声を上げるが、当の本人と言えば不思議そうに首を捻るだけだ。故に、響は自分で思い出すしかないと理解し、さらに脳味噌を働かせる。

 

「あ、そうだ!」

 

 そして、合点したように声を上げ、バッと起き上がる。

 少年はその行動に逃げようとしているのだと思い、響を抑えつけようとする。

 だが。

 

「士郎君、体は大丈夫なの!? 翼さんと一緒に吹き飛ばしちゃったけど、ちゃんと生きてる?」

「は?」

 

 悪意など欠片もない、100%の善意を向けられて戸惑ってしまう。

 攫われたことにまだ気づいていないにしても、敵対する者に対しての第一声がそれである。

 少年は自分のことを棚に上げて、気味が悪いと思ってしまった。

 

「いや、まあ、見ての通り俺は生きてるけど……」

「よかったぁ。死なせちゃったかもしれないって、すごく心配だったんだから。それに体の方も普通に戻ってるのかな?」

 

 戸惑いながら答える少年に、響は嬉しそうに笑いながら語りかける。

 あなたが無事で良かったと心の底から喜びながら。

 

「……俺は死ねないよ。後、体の方は形を変えてるだけで、中身は(てつ)だよ」

「あ、ホントだ。手が冷たいや……」

 

 そんな姿に少年は動揺してしまい、響に手を触れさせることを許してしまった。

 攻撃をされて、逃げられるかもしれない。

 とっさにそんなことを考えるが、少女にそんな素振りは欠片もない。

 ただただ、温もりを失った手を寂しそうに握りしめるだけだ。

 

「……響、状況が分かってないようだから言うけどな。俺は響を、デュランダルと交換するための人質として攫ってきたんだ」

「そうだったんだ。それでよく知らない場所に居たんだ私」

「だから、その…だな。響が俺の心配をするのはおかしい」

 

 故に少年はそれはおかしいことだと指摘をする。

 自分だって同じ立場なら、自分より相手の方が価値があるとして同じ行為をするくせに。

 

「そう?」

「そう? て、なぁ……俺は響の敵だ。現在進行形で響の生命を脅かしている。そんな奴を心配する必要なんてないし、むしろ俺を攻撃するべきだ」

「……確かに。敵を心配するのはおかしいかもしれない」

 

 少年からの言葉にちょっとだけ考え込む響。

 その様子に理解できたようだと判断し、少年は突き放すべくキツイ言葉を投げかけようとする。

 だが、その一瞬前に満面の笑みの少女に言われてしまう。

 

「でも、友達を心配するのは普通のことでしょ?」

 

 友達だと。

 自らの信頼を裏切った少年のことを、簡単に赦してしまう。

 

「とも…だち…?」

「あ、ひっどーい! 友達じゃないって言われたら私泣くよ! 女泣かせってあることないことを広めるよ!」

「やめてくれ……」

 

 彼女は純粋に少年を心配している。

 純粋に少年を救いたいと思っている。

 それに比べて自分はどうであろうか?

 

 贖罪のために苦しんでいる人間を探す、まるで死肉をあさる獣のような存在。

 救いたいなんてこれっぽっちも思ってないのに、強迫観念から人を救う偽善者。

 酷くちっぽけで、惨めで浅ましい愚物。

 

 生き恥(いきはじ)

 

「……やっぱ、響のこと嫌いだ、俺」

「いやいや、実際にはやらないって! 泣くのは本当だけど」

 

 慌てた様子でブンブンと手を振る響の姿に、少年は嫉妬心を抱く。

 だがすぐに、そんな感情は、ただの物質である自分が持つものではないと首を振る。

 

「……まあいいさ。それより響、何か食べたいものはあるか?」

「え? うーん……結構お腹が空いてるから、美味しければ何でもいける気がするけど…あ、そうだ」

 

 元々、それを聞きに来たことを思い出し、少年は何とも言えぬ表情のまま話題を変える。

 それに対して響はお腹を擦りながら、あれも良いなこれも良いなと美味しい妄想を広げる。

 そして、自らの置かれた状況を(かんが)みてハッとする。

 

「士郎君、私って今士郎君に捕まってるんだよね?」

「だから、そう言ってるだろ。まあ、酷いことをする気はないけどな」

「だったら、私……」

 

 捕まった状態の人間が出される食事。

 日本人として連想される料理は1つしかなかった。

 

「―――かつ丼が食べたいです!!」

 

 そう、かつ丼である。

 

 

 

「俺は時々、響はひょっとして凄い馬鹿じゃないのかって思う時がある」

「前向きって言って欲しいかな!」

 

 呆れた表情を見せる少年に対し、響はキメ顔で箸を握り締める。

 まるでホカホカのかつ丼が目の前にあるのだから、そうしなければ失礼だとでも言うように。

 

「まあ、いいけどな……それより早く食べないのか? 冷めるぞ」

「? でも、士郎君の分がないよ」

「……警察側がかつ丼を食べてるシーンを見たことあるか?」

「え? 意外とシチュエーションに厳密なんだね」

「ほら、いいから食べろって」

 

 少し目を逸らしながら話す少年に、違和感を覚えながらも響は手を合わせる。

 今は、この腹の虫を治める方が先だ。

 

「いただきます!」

「ああ、どうぞ」

 

 いつか食べた牛丼と同じように、そのかつ丼は美味なものだった。

 そのため、響はジッと見つめられながら食べることに感じていた羞恥心も忘れ、箸を進めて行く。

 

「美味いか?」

「うん、美味しいよ」

「本当にか? 味が変だったりはしないか?」

「変?」

 

 何故か、味はちゃんとしているかどうかということに食い下がる少年。

 その様子に少し失敗したのだろうかと、疑問を抱き響は今度はゆっくりと噛んでみる。

 卵の甘味と、肉の旨味。そして、白米が生み出すハーモニーは筆舌にしがたい美味さを持つ。

 しかし、よくよく味わってみると、そこには以前料理を食べた時に感じた丁寧さが欠けていた。

 

「うーん……美味しいんだけど、味が少し大ざっぱ? に感じる部分もあるかな」

「そうか…やっぱりな」

 

 響からの感想にどこか納得した表情で頷く少年。

 まるで、失敗したのが分かっていても、それを正す手段がなかったかのように。

 

「ありがとうな、響。俺だと()()分からないからさ」

「もう…? 分からない?」

 

 どこか自嘲したように笑う少年に、響は途轍もなく嫌な予感を感じる。

 

「なんで分からないの? 私料理はあんまりしないけど、味見したら分かるよね?」

「ん? あ、いや、何でもない。何でもないんだ」

「……あやしい」

 

 響の指摘に対して、しまったという表情を浮かべて誤魔化そうと口を動かす少年。

 しかしながら、そのような行動を取れば何かあると言っているようなものだ。

 ジトッとした目で響が見つめるのも致し方ない。

 

「士郎君」

「なんだ、響?」

「はい、あーん」

 

 突如として、とんかつを差し出してきた響に一瞬固まる少年。

 しかし、すぐに再起動して溜息を吐く。

 

「響……行儀が悪いぞ」

「仮にも女の子にあーんされておいて、その言い草はどうなの?」

「あー…じゃあ、別に腹減ってないから俺は要らないよ」

「ほら! いいから食べる!!」

「もごッ!?」

 

 若干恥ずかしかったのか、ほんのり頬を染めた響に無理やりカツを口に入れられる少年。

 その行動に少年は目を白黒させていたが、やがて諦めたのか口を動かし始める。

 

「美少女からのアーンのお味はどう?」

「どうって言われてもな……」

 

 おどけた様子で美少女と言ってみるが、恥ずかしさから目線は逸らす響。

 対する少年の方は、驚きはあれど気恥ずかしさはないのか、神妙な顔で咀嚼を続ける。

 まるで、少しでも味を感じようとするかのように。

 

「ちょっと味が濃いでしょ?」

「………そうだな。確かに濃いかもしれない」

 

 何の確信もないままに相槌を打つ少年。

 そんな彼に対して、響は悪戯に成功したように笑う。

 

「嘘です。実は薄いって思いました」

「ッ! い、言われると、そうかもしれないな」

「……嘘。本当はちょっと味が濃いよ」

 

 そして、その笑顔をクシャリと歪めて悲しげな表情をする。

 

「ねえ、士郎君。もしかしなくてもなんだけど……味覚が無くなったんじゃないの?」

 

 響の問いかけに、少年は何とか誤魔化そうと口を開き、誤魔化せぬと悟り口を閉じる。

 

「何食べても……砂を噛んでるようにしか感じないんだ」

「そっか……」

 

 少年の告白に響は納得したとばかりに頷く。

 それに対して、少年はバツの悪そうな顔はするが、悲壮感の類はない。

 心配をかけさせたことに思うことはあっても、味覚が消えたこと自体には何も思っていないのだ。

 だから、響は口を真一文字に結び吐き捨てる。

 

「士郎君の……馬鹿ッ!!」

「へ?」

 

 本人視点では意味も分からぬままに罵倒されたことに驚く少年。

 だが、それ以上に彼を慌てさせたのは。

 

「ひ、響、なんで泣いてるんだ…?」

 

 響の瞳から溢れ出る涙だった。

 

「士郎君が傷ついてるからだよ!」

「…? 俺が傷ついて、響が泣く必要なんて別にないだろ。俺の体のことを心配してるんなら、大丈夫だぞ。この体になってから、食事も睡眠も要らないんだ。怪我をしても痛くも痒くもないしな。料理を作るのにはちょっと不都合かもしれないけど、基本的に便利な体だぞ」

 

 人間ではなくなった体を動かしながら、少年は便利だと笑顔を顔面に張り付ける。

 それが余計に少女の神経を逆撫でする行為だとも気づかずに。

 

「だから馬鹿って言ってるんだよ!! どうして、自分が誰かに大切に想われてるって分からないの!?」

「俺が…? 大切に想われる…?」

 

 響からの叱責に訳が分からないという表情を浮かべる少年。

 理解が出来ない。自分が大切に想われることなど、あり得ない。

 ひょっとして、響は頭を打ったのではないかという表情だ。

 

「あり得ないな。俺が大切に想われるなんて……あったらいけないんだ」

「どうして、そんなに悲しいことを言うの!? 少なくとも私は士郎君のことを大切に想ってるよ! 友達が酷い目に合うなんて耐えられないよ!!」

「……例え、俺の未来が地獄だったとしても構わない。いや、それが俺の望む道だ」

 

 話は終わりだとばかりに、席から立ち上がり背を向ける少年。

 その背中は一切の感情を無くした、どこまでも冷たいものだ。

 何を言っても切り捨てる。そんな容赦の無さを表した背中。

 だが、続く響の言葉はそんな少年をも振り返られさせた。

 

「あの子…クリスちゃんも泣いてた!!」

「……クリスが…?」

 

 士郎はゆっくりと振り向き、初めて響と本当の意味で目を合わせる。

 

「それは……俺に裏切られたからだろ」

「違う。私見たんだよ? あの子が士郎君が変わっていくのを見て泣いてたのを」

 

 響は見ていた。

 士郎が化け物へと変貌を遂げる中で、クリスが1人涙を流している姿を。

 だから、確信していた。士郎は確かに誰かに大切に想われているのだと。

 

「それに、もし士郎君の言う通り裏切られたから泣いてたとしても、それは大好きな人に裏切られたから。あの子が士郎君のことを大切に想ってる事実は変わらないよ」

「やめろ…!」

「もうやめよう? こんなことしても誰も笑顔にならないよ。二課のみんなには私も一緒に謝ってあげるから。士郎君の体だって、()()さんなら元に戻せるよ、きっと」

「やめてくれッ!?」

 

 機械の体が人間の体に戻っていく。

 とうの昔に捨てたはずの心が軋む音が聞こえ、士郎は悲鳴を上げる。

 痛みなどとは無縁の肉体になったはずなのに、激痛が毒のように体を駆け巡っていく。

 それに耐えられずに、痛みから逃げるように士郎は響に背を向ける。

 

「……2日後に響とデュランダルを交換する。それまでは大人しくしておいてくれ」

「士郎君!!」

 

 呼び止める響の声を無視して士郎は部屋を出て行く。

 

「もし本当に…俺が誰かに大切に想われているんだったら、俺は……」

 

 誰にも、死者にも聞こえないように、小さな声でうわ言を呟きながら。

 

 

「―――死ねないじゃないか」

 

 

 

 

 

 二課本部のメディカルルーム。

 そこで1人の少女が目を覚まそうとしていた。

 

「おはよう、クリス」

「……フィーネ!」

「ここでは櫻井了子と呼びなさい。()()()()頑張りを無にしたくないのならね」

 

 目を開けた雪音クリスの視界にまず入ってきたのは、自分を覗き込む妖しげな瞳だ。

 瞳の主はフィーネ。今の姿は櫻井了子だが、偽装に気づかぬクリスではない。

 だから、目が覚めたばかりとは思えぬ速さで起き上がり、フィーネに問い詰める。

 

「どういうことなんだよ!? なんで士郎が――」

「はい。監視カメラは切ってあるけど、大声を出したら気づかれるわ。説明してあげるから静かにしなさい」

 

 しかし、食って掛かろうとした口をフィーネの指で抑えられ、すぐに黙り込まされる。

 きっと、これ以上叫ぶようであればフィーネは容赦なく、クリスの意識を刈り取るだろう。

 そのことを雰囲気から察したクリスは苦虫を噛みしめたような顔で頷く。

 

「良い子ね。話が早くて助かるわ」

「……ッ」

 

 そう言って、優しくクリスの頭を撫でるフィーネ。

 クリスはその普段では考えられぬ行動に、ゾッとした表情を浮かべるが声には出さない。

 何故なら、彼女の視界に映るフィーネの姿には、どこか吹けば消えてしまうような脆さがあったからだ。

 

「さて、まずはあなたを安心させないといけないわね。士郎はあなたのことを裏切ってないわ。むしろ、大切に想っているから今回の行動をとったのよ」

「……分かってる」

「あら? あの子が言った……わけじゃなさそうね。自分で気づいたのかしら」

 

 フィーネの問いかけに無言で頷くクリス。

 その姿に、少しだけ憂いのある瞳を覘かせるフィーネだったが、すぐにそれを仮面の下に隠す。

 

「まあ、いいわ。今の士郎は私の代わりに計画を実行して、私達に罪が行かないようにしている。私の願いも、あなたの夢もあの子が叶えてくれるわ。だから、あなたはここでジッとしていなさい。大丈夫よ。世界がどうなろうとも、あなたは助けてあげるから」

 

 これから世界は変革の時を迎える。

 その時にフィーネはフロンティアを起動し、人類の救世主となる。

 誰からも称えられ、称賛される。そんな偽りのメシアに。

 本人の意思とは関係なく。

 

「なぁ……あたしを助けるってのはあんたの意思か?」

「……どういう意味かしら?」

「あんたには感謝してる。あたしを駒だとしても、大切にしてくれた。でも、所詮は駒だ。目的を果たすためなら平気で犠牲にする」

「そう…ね」

「でも、今のあんたはあたしを助けるって言い切った。そいつは要するにあんたの意思じゃなくて――」

 

 フィーネのクリスを助けるという言葉には、強い想いが感じられた。

 だが、本来のフィーネにはそんなことをする理由はない。

 やるとしても、ついでの領域を出ないはずだ。

 

 だというのに、これだけの強い言葉を言うのは。

 

「―――士郎に頼まれたからだろう?」

 

 今から人柱となる少年の願いを叶えるためだ。

 

「……正解よ」

「そっか……」

 

 それっきり、何も言わなくなる2人。

 思えば、2人が曲がりなりにも家族のような関係で居られたのは、彼が居たからだ。

 しかし、今2人の間に少年は居ない。

 家族の夢を叶えようとしている少年は、皮肉にも自分の欠如を以て家族という枠組みを壊そうとしている。

 

「……あまり時間をかけ過ぎると怪しまれるわ。私はあなたが起きたことを伝えて来るわ」

「ああ……」

「私の正体と、士郎が偽物だってことを言わないのなら、後は自由にしていいわ。あなたが士郎に庇われていることも、言って構わないわ。どうせ罰を与える法も、すぐに意味をなさなくなるんだから」

 

 スッと音もなく立ち上がり、フィーネはメディカルルームから出て行く。

 クリスには月を破壊することも、その後に統一言語を取り戻すことも伝えていない。

 最低限のことさえ黙っていれば、計画の大筋には影響を与えない。

 クリスが士郎を()()()()()()()二課の戦力になるかもしれないが、彼女に止める気はない。

 というか、言っても無駄だと思っている。

 

 だって、自分も同じ立場なら、絶対に恋する人を諦めないだろうから。

 

「なあ」

「なに?」

 

 扉まであと一歩というところで、クリスが声をかけてくる。

 フィーネからすれば、聞こえないフリをして無視をしてもよかったのだが、律義に立ち止まる。

 まるで、胸に積もる罪悪感を少しでも軽くするかのように。

 

「……あんたにとって士郎は何なんだ?」

「私にとっての…あの子?」

「そんでもって、士郎にとってあんたは何なんだ?」

 

 だが、問いかけられた内容は罪悪感を軽くするどころか、むしろ重くするものだった。

 自分はあの子にとって何者なのか。

 あの子は自分にとって何者なのか?

 

「………分からない」

「は?」

「分からないのよ…ッ。そんなこと私にも…!」

 

 答えを自身の胸に問うが、何も返って来ない。

 だから、怒りと、憤りと、悲しみを込めた声を零すことしか出来ない。

 

「私の心も、あの子の心も、あの方の心も……私には! 何も…ッ! 分からないのよ……」

 

 そんないつもの魔女らしい姿ではなく、ただの少女のようなフィーネの姿にクリスは何も言えなかった。だが、何かを言わなければならない。そんな想いから、再び歩き出した彼女の背に投げかけるようにクリスは声を出す。

 

「少なくとも、あたしはあんたのことを……士郎のママだと思ってるよ」

 

 その声が聞こえたのか、聞こえなかったのか、フィーネはただ逃げるように部屋から出て行くのだった。

 

 

 

 コンコンと小さく控えめなノックが聞こえてくる。

 最初は、どうせ無視をしても入ってくるだろうと思っていたクリスだったが、扉は開かれることなく、戸惑うような気配が壁の向こう側から感じられる。

 そんな余りにも普通の気配にもしやと思い、クリスは声を出す。

 

「……入っていいぞ」

「あ、うん。ありがとうね、クリス」

 

 はたして、クリスの予想通りに扉の向こう側から顔を出したのは、一般人である未来であった。それは弦十郎なりの思いやりである。しかし、そんなことは伝わるはずもなく、二課の大人が尋問にでも来ると思っていたクリスは、疑問を抱く。

 

 だが、すぐにその疑問も失せる。それは疑問が解決したからではない。どうでも良いと、思ってしまったからだ。だから、彼女の未来に向けられた一声は、普段とは違って素直なものだった。

 

「悪かったな。こんなことに巻き込んじまって」

「え? いや、もとはと言えば私が無理に連れてって頼んだせいだし」

「だとしても、あたしのせいだろ……()()さ」

 

 全部自分が悪い。まるで、彼女の想い人に似たかのようにクリスは皮肉気に笑う。

 そう、彼女は素直になったのではない。ただ、どうでもよくなったのだ。

 自暴自棄とも言えず、ただ流されるままで良い。

 そんな人形のような心が、今のクリスだった。

 

「ねぇ、クリス……クリスは士郎さんが何であんな事をしたのか知ってるの?」

「……あいつ世界平和なんて馬鹿なこと言ってただろ?」

「うん……」

「あれ、あたしの()()()()んだ」

 

 夢だった。

 過去形になったその言葉には、言い知れぬ重みがあった。

 へし折れ、砕かれ、擦りつぶされてしまった夢。

 残ったのは粘りつくような静寂だけ。

 絶望と囃し立てることも出来ぬほどに醜いもの。

 

「え? じゃあ、士郎さんは――」

「あたしのためにあたしを捨てた。あたしの夢を叶えるために人間をやめた。あたしのせいで、どっかに行っちまった」

 

 愛する者のためと言えば、聞こえはいいだろう。

 だが、実際はただのエゴイストだ。

 自分のためにという祝福は、自分のせいでという呪いに変わる。

 

「クリス……」

 

 何かを、慰めの言葉をかけなければと未来は思うが言葉が出ない。

 それは彼女もまた、心の奥底でクリスに共感していたからだ。

 自分のせいで、響が捕まってしまったのではないか。

 自分が居なければ、響はもっと上手く戦えていたのではないか。

 そんな根拠のない不安が、真綿のように彼女の心を締め付けていた。

 

「馬鹿みたいだろ? 誰よりも強くなって、争う奴ら全部ぶっ飛ばせば平和になるなんて本気で考えてた。力こそが全てだなんて、弱い奴らを見下して調子に乗ってた」

 

 未来が何も言わないせいか、クリスは1人懺悔するように、芝居ががかった口調で口を回し続ける。そうでもしなければ、壊れてしまうとでも言うように。

 

「音楽で世界を平和にするなんて、大真面目に言ってたパパとママを馬鹿だと思ってた。結局は暴力で解決するしかないんだって信じてた。でもさ、本当に馬鹿なのはあたしの方だ」

 

 両親の夢をクリスは嫌っていた。

 夢見物語は叶うはずがなく、願望は鉄と血が叶えるものだと信じていた。

 

「今の士郎があたしの夢だ。何もかんも壊して、傷つけて、泣かせて、そのくせ自分は正しいことをやってるって思いこんでる」

 

 だが、夢を見ていたのは自分の方だった。

 暴力が生み出すものは、新たな暴力で、悲しみの連鎖はいつまで経っても途切れない。

 当たり前だ。自分自身が泣き続けているのに、一体誰を笑顔にできるというのだろうか。

 

「パパとママは笑ってた。音楽を聴いた人も笑ってた。みんなが笑ってた。でも、あたしの夢は誰も笑顔にできない。誰かを泣かせて、自分も傷ついて、結局は誰も救えない」

 

 積み上げた全人類の死体の上で辺りを見渡して、争いの無い世界が出来たと言っているようなものだ。

 

 それでも構わないという人間も居るかもしれない。

 だが、クリスはそんなことは望んでいない。

 彼女が望むのはみんなが笑い、誰もが涙を流さない優しい世界。

 ずっと侮辱してきた両親の夢の形こそが、彼女の本当に欲しい世界だったのだ。

 だからこそ、彼女は自らの描いた夢物語を呪う。

 

「こんなことなら―――夢なんて見なけりゃよかった」

 

 馬鹿な夢さえ見なければ、きっと彼は今も自分の隣に居てくれたはずだから。

 そんなあり得たかもしれない現在を妄想し、彼女は皮肉気に笑う。

 

「……確かに、クリスのやり方は間違ってる」

「…………」

「でも、世界を平和にしたいっていう夢は間違いじゃないと思うよ」

「……あ?」

 

 語り切った後に黙り込んだクリスに対し、未来は静かに語りかける。

 それに対して、クリスは敵意にも似た眼差しを向けるが、未来は気にも止めない。

 

「だって、誰かを助けたいって気持ちはきっと……間違いなんかじゃないんだから」

「でも、あたしのせいで士郎は――」

「うん。クリスのせいで士郎さんはおかしくなって、響は攫われちゃった。全部、クリスのせいかもしれない。それなのにクリスはここで寝ているだけなの?」

 

 お前のせいだ。

 未来の言うそれは非難ではなく、叱咤の言葉だった。

 何もかもが自分せいだというのなら、何故なにもしないのかと問うている。

 

「それは……」

「間違いなんて誰でもするもの。でも、間違いを改めないことこそが本当に悪いこと。クリスが自分のせいだって思うなら、暴力で何かを解決することを間違いだと気づけたなら、やらないといけないことがあるんじゃないかな?」

 

 それは正論だった。非の打ち所がない、正しすぎる意見。

 しかし、正論がいつも人の心に火を灯すかと言えば、それは違う。

 感情というものを持つ人間にとっては、どれだけ正しくともやりたいと思えなければ行動に移せない。

 

「でも……あたしなんかじゃ」

「それに、クリスは言いたくないの?」

「言いたい? 何をだ?」

 

 だから、未来はクリスがやりたいと思えること。

 否、どっちかというと未来が言ってやりたいことがあった。

 

「自分勝手なことばかりしてるんじゃないわよ、この馬鹿!! ……て、こととか」

「お、おう」

 

 色々と悩み、悲しみ、苦しんだ果てに至った未来の感情は怒りだった。

 士郎に対しては、なんで相手に何も伝えずにやったのかとか。

 女の子を泣かせるのは最低だとか。

 私の響に何か変なことしてないでしょうね、等々ふつふつと怒りが湧いていた。

 

「クリスだって士郎さんに言いたいことがあるでしょ? 私も響に対して、なんで黙ってたのか、どうして手伝わせてくれなかったのとか、嘘つきとか、次やったら絶交とか、言いたいこといっぱいあるよ!」

「あー、その……あたし達が悪い面もあるから、手心を加えてやってくれないか…?」

 

 般若の如き顔で怒りをあらわにする未来に、クリスは思わず敵である響を思いやってしまう。

 しかし、逆にその行動が火に油を注ぐ結果になってしまった。

 

「そうよ。大体、クリスもなんでこんな物騒なことしてるのよ! もっと違うやり方はなかったの!?」

「ご、ごめんなさい」

 

 前までのクリスなら、それしか知らないと返したかもしれないが、今はもうひたすら謝るだけだ。仕方ないとは思う。でも、どこか理不尽のようなものを感じてしまうのは、人としての(さが)だろう。

 

「……ふぅ、怒鳴ったらちょっとスッキリした」

「そ、そうか」

「クリスもさ。こんな風に士郎さんに言いたいことないの?」

 

 心なしか明るくなった顔で、クリスに微笑みかける未来。

 普段であれば、可愛い少女らしい顔に見えるだろうが、今のクリスにはどこか威圧感を感じられるものでしかない。故に、クリスは取り繕うことも出来ずに言葉を零す。

 

「……あたしは……士郎の自分は死んでた方がよかったって感じの態度が嫌いだ」

「うん」

「それで、あたしのことを全然見ない自分勝手な所も嫌いだ」

「分かる分かる」

 

 まるで、女子会のようなノリで相槌を打つ未来。

 それに乗せられてか、単に自暴自棄になっただけかクリスは言葉を吐き続ける。

 

「何でもかんでも自分を犠牲にしようとするとこが嫌いだ。こっちが礼を言っても受け取らないとこが嫌いだ。自分を好きな人間が居るわけがないって思ってるところが嫌いだ。幸せになろうとしない所が大嫌いだ。後、女タラシな上に唐変木なとこも大嫌いだよ!!」

「そうそう、その意気その意気」

「そんでもって、あたしはそんな士郎のことが――」

 

 段々と遠慮が無くなり、本人が聞いたらへこみそうなことを叫び始めるクリス。

 そして、最後の最後に一際大きく。

 彼女が本当に彼に伝えたい言葉を絞り出す。

 

 

「―――大好きなんだッ!!」

 

 

 自然と涙が零れ落ちる。

 しかし、それは悲しみの冷たい涙ではなく、とても温かいものだった。

 それを安心したように見ながら、未来はハンカチで涙を拭ってあげる。

 

「私もね……いっぱい怒った後に、響に大好きだよって言ってあげたいんだ」

「未来、お前……」

「だからね。クリスも一緒に士郎君と響を連れ戻そう?」

「ああ…ああッ!」

 

 優しい声で、2人を連れ戻そうと言う未来にクリスは延々と頷き続ける。

 何かを壊すためでなく、大好きな人を守るために歌おうと。

 首筋にかかったペンダント、イチイバルを握り締めながら。

 

「あたしはもう―――歌うことを迷わない!」

 

 そう、誓いを立てるのだった。

 

 

 

 

 

「ねえ、士郎君……何してるの?」

「何だ響? こんな時間に」

「それはこっちの台詞だよ。もう夜中なのに寝ないの?」

「言っただろ。この体に睡眠は必要ないって」

 

 響からの問いかけに、少年は背中を向けたまま答える。

 どうやら、机に向かって何か作業をしているようで、意識の大部分がそちらを向いている。

 

「本当? 子守唄とか歌ったらコロッと寝たりしない?」

「俺は子どもか」

「何なら歌ってあげようか?」

「寝ないから大丈夫だ。それに子守唄は()()()歌うものだろ」

 

 軽く溜息を吐きながら、少年は目の前の作業を中断する。

 宛名をどうするかで、小一時間程悩んでいたが、どうせ相手の反応を見ることはないのだ。

 書きたい方で良いだろうと、判断を下したのだ。

 

「つまり、私が歌うと士郎君の母親になる…?」

「勘弁してくれ。俺の母親は2人だけだよ」

「え、2人?」

「……いや、忘れてくれ」

 

 天然気味な響の発言に、ツッコミを入れた後にしまったという顔をする。

 響もそのことについて、追及したそうな顔をしていたが、空気を読み黙り込む。

 重々しい沈黙が辺りを支配するが、それを破るように少年が声を出す。

 

「……響、頼みがあるんだ」

「なに?」

 

 頼みがある。そう言って少年は響の前で封筒の中に2()()の手紙を入れる。

 

「響を二課に引き渡した後に、これをクリスに渡して欲しいんだ」

「……自分で渡さないの?」

「必要なことは全部中に書いてある。直接会う必要もない」

 

 そう言って、少年は響から逃げるように立ち上がる。

 これはどれだけ言っても、会いに行く気はないなと悟った響は軽く息を吐く。

 

「いいけど、クリスちゃんに渡すだけでいいの? 2つ入れたように見えたけど」

「ああ、クリスに渡せば分かってくれるはずだ」

 

 分かってくれるはずだ。

 その言葉から、クリスに対して2通出したのではないと理解する響。

 しかし、もう1人が誰かを問うことはしない。

 きっと答えてくれないだろうから。

 

(私が最後に手紙を残すとしたら。しかも2つしか残せないなら、1つは未来。それで、もう1つはきっと――)

 

 だから、自分を参考にして考える。

 士郎という人間が最後の最後にその想いを伝えたい人物を。

 

 

(―――お母さんに残すだろうな)

 

 

 そして、その考えはくしくも当たっているのだった。

 

 




この作品の士郎君は拾った人でヒロインが変わるという設定。

〇原作通りに切嗣が拾った場合
:響がヒロイン。きっかけとしては響がいじめを受けてる時に、正義の味方になるにはどうしたらいいのかと迷走している士郎が発見。正義の味方なら守らないといけないという理由で響を助ける。なお、未来さんには響の味方ではないと見抜かれ、微妙な反応をされる。二課には鞘バレして連れて来られる。最終的には正義の味方を張り続けるか、響だけの正義の味方になる。

〇フィーネではなく弦十郎が拾う場合
:翼さんがヒロイン。お互いの足りない所を補うデコボコ姉弟みたいな感じになる。でも、奏さんが死んだら「士郎、お前は死なないよな…?」と死なない士郎に翼さんが依存しまくる。士郎も士郎で翼のために生きなきゃいけないとドロドロの共依存関係に。最終的には「士郎、お前が私の鞘だったんだな」√になる。

完結したら番外編で書いてみたいです。


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10話:赤き竜

 ―――少なくとも、あたしはあんたのことを……士郎のママだと思ってるよ。

 

 頭の中に響くクリスの声を否定しようと、フィーネはシャワーを浴び続ける。

 だが、幾ら水で流そうとしたところで、その言葉は耳にこびり付いたまま。

 むしろ、忘れようとすればするほどに克明に心に刻まれていく。

 

「違う……私はそんな上等なものではない…ッ。私は…恋のために全てを捨てた……魔女」

 

 母親ではない。そう口にしても、心の中には小さくないしこりが残る。

 それは他ならぬ彼女の心が覚えているからだ。

 一度だけ、士郎から“お母さん”と呼ばれた時のことを。

 

「何人もの人間を犠牲にしてきた……あの方に再び出会うためなら…どんなことでも…!」

 

 それは悪夢にうなされ続ける士郎を、いつものようにあやしていた時だった。

 子守唄を歌いながら彼の頭を撫でていた時、寝ぼけ眼で彼が自分を見つめてきたのを覚えている。

 そして、士郎はただ一言“お母さん”と呟いて再び眠りに落ちたのだった。

 

 きっと、無意識のうちに言ったのだろう。

 何故なら、士郎がフィーネを母と呼んだのはその時だけなのだから。

 だから、士郎は寝ぼけて実の母親とフィーネを、間違えただけだと思うことも出来る。

 

「例え…アブラハムのように……息子を神へ捧げることになろうとも…ッ」

 

 だが、フィーネはそれはできなかったし、忘れることもしなかった。

 その日を境に、士郎が悪夢を見なくなったという状況証拠もあるが、本質は別のものだ。

 

 理由は至極単純。

 母と呼ばれた時、いけないと分かっていても嬉しいと思ってしまったのだ。

 その瞳から悲しみではない涙が溢れてしまったのだ。

 このような日が、いつか来ることも分かっていたというのに。

 

「私は…! 私は…ッ」

 

 自分は一体何者なのかという答えを見出すことが出来ずに、フィーネは乱暴に鏡を叩く。

 頬を伝う水滴がまるで涙のように見える、鏡の中の自分を否定するように。

 

 

 

 

 

 広がる湖畔に月が浮かび、黒々とした緑がそれを囲う。

 だが、中でも一際に目を引くのは、岸辺に立つ城のような外観の建物。

 そう、かつてフィーネのアジトとして、3人が暮らしていた家だ。

 彼がそこを指定した理由は簡単。

 フィーネの証拠(家族との思い出)を消し去るためだ。

 

「約束通りにデュランダルを持ってきたぞ……少年」

「ああ、ありがとうな。弦十郎さん」

 

 そんな場所に2人の男が向かい合うように立っていた。

 1人は風鳴弦十郎。

 もう1人は聖遺物の集合体となった少年。

 

 少年はかつての自分達の家を、デュランダルの引き渡し場所に選んだのだ。

 

「少年。色々と言いたいことはあるが、まずは響君の安否の確認が先だ。響君はどこにいる?」

「そろそろ二課の方についてるんじゃないか?」

「なに?」

 

 訝し気に弦十郎が眉をひそめたところで、彼の携帯端末に連絡が入る。

 無言で出ても良いと告げる少年から、目を離さずに弦十郎は電話に出る。

 

「もしもし、俺だ」

【弦十郎君、今響ちゃんが二課に戻って来たわ】

 

 了子の言葉に、弦十郎は思わず疑いの視線をもって少年を見る。

 本来人質は、目的のものを手に入れた後に返すか、同時に交換するものだ。

 先に返すなど、自ら約束を反故にしてくれと言っているようなものである。

 だから、弦十郎は疑いを持って響本人に確認を取る。

 

「響君、無事なのか?」

【はい! へいきへっちゃらです!!】

【私の見立てでもパッと見た感じは健康そのものよ。ただ、安心できるかというとね】

「……どういうことだ?」

 

 電話の先に居る了子の説明に、深刻そうな顔をする弦十郎。

 その疑問対して、了子が何かを言う前に少年が口を挟む。

 

「響は誓って傷つけてない。ただ、見張りをつけさせてもらっているだけだ」

「見張りだと?」

 

 どういうことだと鋭い視線を向ける弦十郎に、少年は軽く肩をすくめてみせる。

 そして、自身のポケットから小さな刃の破片を取り出す。

 

「俺が細胞の1つでもあれば再生できるのは聞いているな?」

「……ああ、翼からな」

「それでな、ネフシュタンの再生能力っていうのはこういうことも出来るんだ」

 

 少年はそう言うと、地面に向けて破片を投げ捨てる。

 すると、そこからまるで植物のようにもう1人の少年が生えてくるのだった。

 思わずその光景に目を見開く弦十郎だったが、すぐに少年が言わんとしていることに気づく。

 

細胞(つるぎ)の破片があれば、いくらでも分身体が作れる。まあ、再生力は弱まるけどな」

「まさか…! 響君にその破片を持たせているのか!?」

 

 弦十郎の問いに頷き、再結合しながら少年は答える。

 

「正解だ。響が二課の本部に入ることは、俺を二課に入れるってことだ。仮に響がまだ外に居るとしても、響の危険は変わらない」

 

 要するに少年は、響に爆弾を持たせているようなものだ。

 しかも、いつでも爆発させることが出来るものを。

 悪辣とは、こういった者のためにある言葉なのだろう。

 

「俺は響も二課の人も傷つけたくない。素直にデュランダルを渡してくれると助かるよ」

「……良いだろう。だが、響君の安全を確保するための方法を聞いてからだ」

「響の服のポケットに破片を入れてある。それを捨てればいい。方法は()()()()に任せればいい」

 

 了子さん。そう、どこか親しみのある声で告げたことに弦十郎は眉をひそめる。

 同時に電話越しに僅かに了子が動揺する気配が伝わり、さらに疑問を深めるのだった。

 

「少年、君は了子君の知り合いなのか?」

「まさか。櫻井了子さん()()俺は関係ないよ。そんなことよりも、デュランダルだ。時間を稼いでる間に、響から破片を取られたら人質の意味がないからな」

 

 櫻井了子とは関係がない。

 そう言い切った少年の言葉に嘘はなかった。

 それもそうだろう。彼にとっての家族は櫻井了子ではなく、フィーネなのだから。

 

「……良いだろう。デュランダルはこのケースに入っている」

「そこに置いてくれ。回収はノイズにやらせる」

 

 弦十郎がケースを置くのを確認すると、少年はソロモンの杖を一振りし、無数のノイズを召喚する。現れた無数のノイズは、弦十郎に身動きをさせないように彼を囲う。それは明確な警戒の証だ。

 

「あんたは俺なんか足元にも及ばないぐらい強い。でも、ノイズには勝てない。悪いけど、そこでジッとしておいてくれ」

「徹底的だな。そこまでして、何を望む?」

「恒久的に平和な世界を創ること、それだけだ」

「それは雪音クリスの夢だからか?」

 

 ピタリと、ケースに向けて歩いていた足を止める士郎。

 そして、睨むような視線を弦十郎に向けた後、取り繕うように笑う。

 

「……何の話だ? 俺は俺の目的のために動いているだけだ。クリスはそのために利用しただけだ」

「隠さなくていい。雪音クリスは二課と俺の全権限を使ってでも守ってみせる。だから、君は本音で喋っていい」

「……時間の無駄だな」

 

 クリスの安全は保障するという弦十郎の言葉に、士郎はどこか安堵したような表情を見せるがそれだけだ。決して本音は言わない。まるで、今から消える自分が何かを残すべきではないとでも言うように。

 

「仕方ないな……少年」

「何だ?」

「君は以前、誰も恨まないと言ったな?」

「そんなことも……あったな」

 

 被害者だというのに、生き残った自分こそが加害者であり、生きる価値などないと思っていた少年。死ぬべきは、罰を受けるべきは自分だと勝手に思い込んでいる異常者。誰かが傷つくぐらいなら、自分が盾になるべきだという自罰的思考の塊。

 

「批判はあるだろうが、その意志自体は立派なものだ。とても優しい。誰にでも出来ることじゃない」

「買い被りだ。俺はそんな出来た人間じゃない。いや、もう人間ですらない」

「いいや、大人である俺から言ってやる。君は優しい子だ」

 

 それを覚えていたからこそ、弦十郎は足に力を籠める。

 そして、その背を人質になっている電話越しの響が押す。

 

【師匠! 士郎君を信じてください!!】

「だからこそ少年。俺は―――君の優しさを信じよう」

 

 彼は決して響を傷つけない。

 そんな普通であれば、敵には抱かない信頼を抱き、弦十郎は大地を蹴る。

 

 ―――活歩。

 

 中国拳法における特殊な歩方により、一気に相手との距離を詰める弦十郎。

 だが当然、士郎との間にはノイズが居る。

 シンフォギア装者とは違い、弦十郎は生身だ。

 当然、ノイズに触れてしまえば消し炭となる。

 

 だから、ノイズとノイズの僅かな隙間を薄皮一枚で躱して進む。

 文字通り目にも止まらぬ速さで。

 そして、唖然とする少年の前に悠然と立ち、構えを取る。

 

「な――ッ!?」

「クリス君からは許可をもらっている。キツイのを一発くれてやれとな」

 

 慌てて、体を剣の鎧で覆う少年だったが、遅い。

 否、そんなもの自体が無意味だった。

 

 ―――金剛八式・衝捶。

 

 金属を叩く鈍い音が響き渡る。

 それは剣で出来た肉が、骨が、砕き折れていく音。

 防御など意味をなさない、鋼の心臓を叩き潰す一撃。

 

「グウゥッ!?」

 

 余りの衝撃に、意識を持っていかれかけ、ソロモンの杖を手放してしまう少年。

 しかし、絶対に引いてなるものかと、吹き飛ばされた体を支える様に足から剣を出して、スパイクのように地面に突き立てる。

 だが、それが間違いだったと気づいたのはすぐ後だった。

 

「それは失策だぞ」

 

 下腹部に叩き込まれる、えぐりこむ様なアッパー。

 その威力の前には剣のスパイクなど意味をなさず、少年は無残に上空へと打ち上げられる。

 

(なんて力だ。痛みなんて感じないはずなのに、意識が吹き飛びそうだ。でも、上空に上がったことで距離が空いた。それに、地上にはさっき出したノイズが居る。ソロモンの杖が無くても、勝手に弦十郎さんを襲うはずだ。そうすれば態勢を立て直せる)

 

 幾ら強いと言っても弦十郎は生身の人間だ。

 ビル群ならともかく、辺りに何もないこの場所なら空までは追ってこれないはず。

 そう、少年が楽観視したところで。

 

 聞きなれた歌が聞こえてきた。

 

 ―――MEGA DETH PARTY!!

 

「クリス…?」

 

 士郎が目を見開いた時、彼の視界には無数の大小のミサイルが広がっていた。

 

「めちゃくちゃ言いたいことがあるけどな―――その前に一発食らっとけッ!!」

 

 弦十郎が空中に士郎を打ち上げたのは、これが狙いだった。

 遮蔽物の無い空間で、クリスに思う存分に銃を打たせるためだ。

 

 魔弓イチイバル。

 本来であれば弓の聖遺物であるそれは、クリスの深層心理にある兵器への嫌悪からその姿を、銃やミサイルという近代兵器へと変えている。

 

(なんでここにクリスが…!? いや、それよりも今の状況は不味い)

 

 そんな爆撃の連打にはさしもの士郎も焦る。

 傷を受けるわけではないが、こうも連打を受けていては身動きが出来ない。

 死ぬわけではないが、時間を稼がれれば何をされるか分からない。

 

(幸い、破片はそこら中に散らばっている。こいつらを使ってクリスを止めさせれば…!)

 

 故に士郎は、先程の攻撃から削れ続けている自らの破片を基に分身体を形成する。

 その数は優に100は超える。

 それは士郎が傷ついたことを示す証明であると同時に、どれだけ傷つけても士郎が死なぬという証明でもある。

 故に、状況は未だに自分に有利であると士郎は思おうとした。

 だが。

 

 ―――蒼ノ一閃。

 

 分身体達は蒼き大剣によりバッサリと断ち切られていく。

 その事実に、士郎は下手人が誰かを見る前にその歌で誰かを理解する。

 

(風鳴翼さんもいるよな…ッ。これじゃあ、倒すのはキツイな)

 

 如何に不死身で、なおかつ分身出来ると言えども純粋な戦力は士郎1人分でしかない。

 2人のシンフォギア装者と、英雄染みた男を同時に相手に勝つのは難しい。

 しかし、現状を理解した士郎は逆に冷静さを取り戻した。

 

「……クリス」

「…! な、なんだ士郎?」

 

 いざ話すとなると、勇気が湧いて来ずに言いたいことが言えなくなるクリス。

 そんな、可愛らしい乙女の姿にも何の感傷を抱くことも無く、士郎は吐き捨てる。

 

「無駄なことはやめろ。俺はこのまま星が終わるまで付き合えるけど、クリス達は違うだろ?」

 

 そう、それだけしても、この身に死が訪れることはないのだ。

 勝つのは難しくても負けることはあり得ない。

 極論を言えば、相手が寿命で死ぬまで粘ってやってもいいのである。

 

「翼さんもだ。分身を切ったところで新たな分身が生まれるだけ。何をやっても俺は倒せない。諦めろ、無意味だ」

 

 無限に湧き出る不死身の兵士。

 それらを従え、怪物は弱き人間達を嘲り笑う。

 諦めろと、全ての行動は無意味であり、時間の無駄だと。

 

「人が海の水をすくって干上がらせることが出来るか? 不可能なんだよ。俺は殺せない。あんた達はそこで、新しい世界が生み出されるのを黙って見守っていればいい。そうすれば、俺も危害を加えないし、死ぬことも無い。だから、これ以上俺の邪魔をしないでくれ」

 

 自分の視界に入らない場所に消えてくれ。

 そうすれば、誰も傷つかないですむ。

 士郎はどこか気遣うような声色で弦十郎に告げる。

 

「……そうだな。確かに君の言うとおりだ」

「叔父様!?」

 

 その言葉に弦十郎は静かに頷き返す。

 当然、翼は驚きと非難の目をもって弦十郎を見る。

 

「俺達では力で君を倒すことは出来ない。それはどうしようもない事実だろう」

「そうだ。戦いなんて無意味だ」

「ああ。だからこそ、君自身に止まってもらう以外にない」

 

 そう言って、弦十郎はどっしりと地面に座り込む。

 その予想だにしない行動に、士郎は動きを止めて考え込んでしまう。

 罠か? 諦めか? それとも強者の余裕か。

 様々な考えが頭の中を駆け巡り、それらが絡まって思考を鈍らせる。

 

「……どういうつもりだ?」

「話し合いをしないか、少年?」

「先に仕掛けてきたのはそっちだろう。何をいまさら……」

 

 何を都合の良いことをと、若干呆れた表情を見せる士郎。

 翼やクリスも弦十郎に対して困惑した顔をしていることから、彼がおかしいのは間違いない。

 しかし、弦十郎は真面目な顔で、彼女達に黙ってみていてくれと目配せをするだけだ。

 

「そう、今更だ。だというのに君は未だに反撃1つしていない」

「それがどうしたっていうんだ?」

「響君を人質にしているというのに、未だに響君の身は傷1つついていない」

「だからそれが――」

 

 あれだけ攻撃を食らったというのに、士郎は反撃1つしていない。

 それは一見すると圧倒的強者故の余裕に見えるだろう。

 だが、本当は違う。

 

 

「なあ、少年。君は本当は―――誰も傷つけたくないんだろう?」

 

 

 怪物から呼吸が消える。

 それが答えだった。

 

「なにを…言って……る。俺は今までだって翼さんや響、それにクリスすら傷つけてるんだぞ?」

「翼は前の戦闘の際に完全に殺すことも出来たはずだ。響君も最初から首元に刃を突き付けていれば良かった。そうすれば、俺が攻撃に出ることは出来なかったからな。クリス君もそうだ。本当に駒として扱うのなら、こうして情報と戦力を敵に渡す前に殺すのが正解だ」

 

 弦十郎は士郎が本来取るべきだった最適解を述べていく。

 残酷極まりない内容だが、それを実行していれば少なくとも相手の戦力は激減していた。

 むしろ、本気で目的を達成したかったのなら、やっていなければおかしい。

 だが、士郎は逆の不適解を選び続けた。

 

「それは……俺が馬鹿だから。ただ単に思いつかなかっただけだ」

「そうか。なら、君はなぜ今に至るまで反撃1つしない? いきなり攻撃するような男だ。遠慮などする必要もないだろう」

 

 弦十郎が話している間に士郎は、誰1人として攻撃していない。

 そこかしこに破片や分身体は散らばっているのだ。

 不意打ちなど、それこそ目を瞑っても出来るというのに。

 

「攻撃をしない理由は1つ。君が優しいからだ」

「違う! 俺はそんな上等な存在じゃない!! 俺はただ…ッ」

 

 士郎の瞳に苦悩が浮かび上がる。

 優しいと、自分が上等なものとして扱われるのが耐えられない。

 そんな自己嫌悪の塊が生み出す痛み。

 

「自分が嫌いなだけか?」

「…!?」

 

 それを大人としての直感から言い当て、弦十郎は悲しげに眉を下げる。

 

「以前言ったな。誰も恨まないの“誰も”の中に、君は入っているのかと」

 

 人を憎まず、罪を憎む。

 それだけ見れば、まさに聖人のようなメンタルだろう。

 だが、■■士郎の内面はそのように美しいものではない。

 

「恨むべきは自分1人で、罰を受けるべきも自分1人。分かるぞ。君は痛みを感じる度に、傷つけられる度に……自分は罰せられていると安堵する。そんな自罰的な人間だ」

「黙れ……」

 

 人は憎まない。だが、その人とは他人であり自分は含まない。

 自らを憎み、呪い、嫌悪する。そうすることで、心の平衡保っている弱い人間。

 

「こちらからの攻撃に反撃しなかったのもそれが理由だろう? 本当の君は目的などどうでもいいと思っている。いや、どちらに転んでも良いと思っているか」

「やめろ…ッ」

 

 そんな自分が大嫌いなだけのエゴイストが望むことが、誰かのためであるわけがない。

 本当は自分を救うことしか考えていない、薄汚い贋作。

 それが自分でも分かっているからこそ、少年は望む。望み続けてきた。

 

「成功するならそれで良し。失敗しても罰を受けられるので良し。いや、今までの行動から考えて、失敗したいとすら思っている節があるな。分かるぞ、君は本当は――」

「やめろ! てめえぇえええッ!!」

 

 あの日、魔女に拾われた時から望み続けてきた歪んだ願望。

 

 

 

「―――死にたいだけなんだろう?」

 

 

 

 惨たらしく殺されて、楽になってしまいたいという死への逃避。

 自己犠牲という綺麗な言葉に隠した醜い願い。

 それが■■士郎の原点だ。

 

「俺の心に触れるなぁあああッ!!」

 

 癇癪を起こした子供のように、士郎は雄たけびを上げる。

 それに呼応するように分身体や破片達が剣となって、彼の体に戻り剣山と化す。

 まるで、自らに触れようとする者全てを拒絶するかのように。

 

「そうやって、他人を拒絶するばかりでは何も変えられないぞ、少年!」

「いいや! 変えられるさ!! 確かに、今の俺は人を傷つけたくないのかもしれない。だけどな! そんなもの、心を…魂を捨ててしまえばどうとでもなるッ!!」

 

 支離滅裂な言葉を吐きながら、士郎はなおも剣をその身に収めていく。

 弦十郎達から見れば、それは何の意味もない行為。

 ただ、再結合していくだけの行動に見えた。

 しかし、最初に翼がある違和感に気づく。

 

「なんだ…これは? 天羽々斬が引っ張られている…?」

 

 まるで、磁石に引き寄せられているかのような気味の悪い浮遊感。

 突如として訪れたそれに、疑問符を浮かべる翼だったが、ある光景を見て目を見開く。

 

「デュランダルが奴の下に向かっている…!?」

 

 確かにケースにしまっていたはずのデュランダルが、独りでに士郎の下へと向かっていたのだ。そのあり得ない光景に、一瞬呆然とする翼だったが、自らの体に起こった異変と結び付けて、その現象の正体に思い至る。

 

「まさか…! 剣であるもの全てを引き寄せているのか!?」

「剣は鞘に収まるものだろう?」

 

 それは士郎の体に宿る鞘の能力。

 ありとあらゆる剣をその身に収める究極の鞘。

 剣を支える者(Stay knight)

 

「デュランダルさえ取り込めば俺は…! 心などない…ただ一振りの、剣になれる…!」

 

 デュランダルに向けて、士郎は手を伸ばす。

 ネフシュタンを取り込んだ時、士郎は記憶と心を失いかけた。

 今では落ち着いているが、聖遺物を複数取り込むというのはそれだけ無茶な行為なのだ。

 それなのに今、士郎は3つ目の聖遺物を取り込もうとしている。

 素人目に見ても、不味い行為だ。

 

「させるかよ!!」

 

 だから、クリスは捨て身の特攻でデュランダルを掴み取る。

 同じように引き寄せられる他の剣が、雪のような肌に当たり切り裂いていくが、そんなことは気にもしない。

 今の彼女の目に映るのは、思いの丈を伝えたい愛しい人だけなのだから。

 

「士郎! もういいんだ! あたしが間違ってたんだ。暴力じゃ誰も笑顔にできない。別の方法を探さなきゃいけない! だからさ……一緒に考えてくれよ。世界を平和にする、ちゃんとした方法をさ」

 

 必死に踏ん張るが、徐々にデュランダルと共に士郎に引き寄せられる中、クリスは語る。

 もうやめてくれと。悪いのは私だったから、自分の下に戻ってきてくれと。

 精一杯の笑顔と涙を浮かべながら。

 

「クリス……ありがとうな」

「士郎…!」

 

 そんな彼女に対して、士郎は柔らかい表情を浮かべてみせる。

 クリスはその表情に、納得してくれたのかと希望に顔を輝かせる。

 だが。

 

「最後にクリスに会えてよかった」

 

 そんな希望はいとも簡単に砕かれる。

 

「なん…だよ…最後って…! なんだよ…!?」

「本当は手紙を響に渡してたんだけど……ついでだから今言うよ」

 

 まるで、余命一日の病人のように、自殺する瞬間の人間のように。

 士郎はどこか解放されたような笑みを浮かべながら語る。

 

「俺、クリスと出会えてよかった。

 一緒に過ごせて、死にたくなるぐらい幸せだった。

 でもさ、俺は幸せになんてなったらいけないんだよ。

 それは俺の代わりに死んでいった人達が、得るべきはずだったものだから。

 だからさ―――捨てなきゃいけない」

 

 ゆっくりと、自らの心臓を捧げる様にデュランダルに近づきながら士郎は笑う。

 不相応に得てしまった幸福は、残らず捨てなきゃダメだと。

 

「幸福を、幸せな時間を。俺を幸せにしてくれるもの全てを」

「……なに…言ってんだよ…お前…」

「だからさ、クリス。俺は―――君を忘れる」

 

 恐怖で顔を歪めるクリスに、場違いな笑顔を向け続けながら士郎はデュランダルに触れる。

 鞘が歓喜に打ち震える。ようやっと、自分が収めるに相応しい聖剣が来たと。

 

「俺は消えるからさ。クリスは俺のことなんか忘れて、幸せになってくれ」

「おい! ふざけるなよ!! 自分勝手なことばかり言ってんじゃねぇよッ!!」

 

 幸せになってくれ。

 どこまでも身勝手な台詞を言い終え、士郎はデュランダルを握り締める。

 それは自殺の準備。

 

「士郎ッ! あたしはお前のことが――」

 

 滅びぬ肉体を持つが故に死ねぬ少年が至った答え。

 この肉が滅びぬというのなら。

 魂を別の存在で、塗り潰せば死ねるという暴論。

 

 

「―――体は剣で出来ている」

 

 

 その破綻した思考の末に少年は、赤き竜にその身を捧ぐ。

 

 

 

 

 輝ける黄金の剣と鞘。

 清流のように澄んだ瞳。

 荒々しい赤とは正反対に映る蒼銀の鎧。

 それまでの化け物のような姿とは違う、どこまでも英雄らしい姿。

 不死の鞘、不滅の鎧、不壊の剣が合わさった究極の一の姿。

 

 ブリテンの赤き竜の化身。

 かの者以降の全ての騎士達が憧れ、誉とした騎士達の王。

 その王の名は。

 

 

 ―――アーサー・ペンドラゴン。

 

 

「士郎…?」

 

 もはや、少年の原型を留めていない姿に戸惑いながらクリスは声をかける。

 赤銅色の髪は今は、剣と同じ黄金となり、琥珀色の瞳はエメラルドになった。

 どうみても別人だ。それでも、一縷の望みをかけて少女は少年の名前を呼ぶ。

 だが、それは。

 

「■■■■■■ッ!!」

 

 荒ぶる竜の耳には届かない。

 見た目とは正反対に、その竜が示すものは純然たる暴力。

 嵐であり、雷であり、厄災である。

 人が神代の時より、敵わぬものとして恐れ崇め奉ってきた存在。

 それこそが、竜である。

 

「……■■■ッ!」

 

 竜は天へと向け、咆哮を上げると自らの牙である聖剣を構える。

 瞬間。暴力的なエネルギーの渦が竜を中心に生み出されていく。

 それは真なる竜巻。

 

「なんて力…! デュランダルの無限のエネルギーを惜しみなく使ってる」

「しかし、どういうことだ? 何故、空に向かって剣を……」

 

 デュランダルの無限のエネルギーを、どこまでも増幅させる赤き竜。

 本来ならば、肉体が耐えられぬそれも、鞘と鎧の能力によって不死不滅となったことによって耐えることが出来る。

 しかし、竜はそのエネルギーを地上ではなく空に向かって放とうとしている。

 その意図が分からずに、翼と弦十郎はただ見つめることしか出来ない。

 

「……月だ」

「なに?」

「あいつ、月に向かってあれをぶっ放す気だ!!」

 

 だが、クリスは理解できた。

 いつも、想い人が何を見ているかを目で追っていたから気づくことが出来た。

 竜の瞳は、こちらを欠片も見ずに月しか映していない。

 

「月だと? まさか月を壊すつもりだというのか!?」

「一体何のためにだ?」

「知らねえよ! でも、本気で月を壊されたら、どう考えてもヤバい!!」

 

 何故月を壊すのかという疑問に、フィーネの願望を知らないクリスは答えられない。

 しかし、月が壊れるということが、どれだけ地球に悪影響を与えるかぐらいかは分かる。

 

「止めねえとダメだ! 士郎! 馬鹿なことしてねえで、正気に戻れ!!」

「自意識が残っているか分からない相手に話しかけても無駄だ! 実力で止めるしかない!」

 

 必死に士郎と名前を呼びかけるクリス。

 実力行使で止めようと動き出す翼と弦十郎。

 竜はその行動を脇目に見ながら思案する。

 一度、手を止めて敵を排除するか。それとも気にせずに月を破壊するか。

 一瞬の思考の末に竜が選んだのは、後者だった。

 

永久に遥か黄金の剣(■■■■■■■・■■■■■)ッ!!」

 

 偽りの聖剣から黄金の光が放たれる。

 それは如何に真に近づこうとも、永久に辿り着くことはない贋作。

 されども、その贋作は真をも超えていかんとする贋作だ。

 

 故に、破壊力は折り紙付き。

 ただ放っただけだというのに、衝撃波で木々がへし折れ、城は崩れ落ちる。

 湖は嵐のように荒れ狂い、塵のように飛んだ瓦礫や杖を(・・)飲み込んでいく。

 黄金の光はまさに竜のように瞬く間に天へと舞い上がり、宇宙へと顔を出す。

 そして、剥き出しの牙を月の喉元へと伸ばし――。

 

「月が……抉れた?」

 

 その端を食いちぎった。

 

「■■■ッ…」

 

 結果だけ見れば背筋が凍り付くほどの成果だ。

 だが、竜は満足などしない。むしろ、不満げに唸り声をあげる。

 それも当然だろう。竜の目的は月の完全なる破壊。

 今のは威力、狙い共に中途半端であった。

 もう一撃を放つ必要がある。そう判断し、今一度剣を構えなおそうとしたところで。

 

「もうやめろォオオッ!! そんなことしたら人がいっぱい死んじまう!!」

 

 クリスからミサイルの雨を貰い、手を止める。

 しかしながら、それはダメージを負ったからでも、情に流されたわけでもない。

 

「■■■■■■■ッ!!」

「士郎……お前、あたしを殺したいのか?」

 

 狙いをずらされる可能性がある。

 ただそれだけの理由で目の前の存在を敵だと判断した竜は、一刀のもとにそれを叩き切ろうとする。感情など欠片もない。ただ、目的の達成に邪魔だから。

 それだけの理由で、竜はかつて家族と呼んだ少女を切り伏せる。

 

「させん!」

「ボーっとするな、雪音!!」

 

 だが、その剣は済んでの所で食い止められる。

 翼が二刀の刀で聖剣を受け止め、弦十郎がそのタイミングで顔面にカウンターを叩き込む。

 完璧なるコンビネーション。先程までの状態であれば、間違いなく士郎は吹き飛んでいる。

 

「叔父様の攻撃にビクともしてない…!?」

「マズい! 翼、避けろ!!」

 

 だが、今の彼は人ではなく竜。

 全世界の伝承に置いて、悪魔として、神として、扱われる力の象徴。

 今の彼は英雄の一撃を食らおうともかすり傷1つ追わない。

 その鞘の伝承通りに。

 

「■■■■!」

「ぬぅッ!?」

「叔父様!!」

 

 まるで何もなかったとでも言うように、再び剣を構え翼に振り下ろす竜。

 それは技術など知ったことかと言わんばかりの、荒々しい天災のような一撃。

 来ると分かっていたところで、避けることなど叶わない死の宣告。

 それを弦十郎は自分が代わりに受けることで、何とか翼を守る。

 

「よくも叔父様を…!」

 

 だが、翼の代わりに攻撃を受けた代償は大きかった。

 腹を裂かれ、まるで噴水のように血を流す弦十郎に翼は怒りの声を上げる。

 そして、すぐさま仇討とばかりにその手の刀を全力で竜に叩きつける。

 

 甲高い金属音が辺りに響き渡り、翼は衝撃に目を見開く。

 

「天羽々斬が折れた…だと?」

 

 先程までは真っ二つに怪物を切り裂いていた天羽々斬は、今となっては龍の鱗1つ傷つけられない。遥か昔、八岐大蛇という神の竜を切り裂いた伝説の剣がだ。それは本来であれば、道理に合わないこと。天羽々斬は日本最強のドラゴンスレイヤーだ。如何なる竜であろうとも特攻となるはずだ。

 

 だが、しかし。ここに例外が存在する。

 

「その身が天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)だとでも言うつもりか!?」

 

 天羽々斬は欠けるのだ。

 天叢雲剣という神剣を断ち切ることが出来ずに。

 そう、天羽々斬は竜の首は切れても、剣は切ることは出来ないのだ。

 

「■■■…ッ」

 

 三種の神器の1つという最高峰の()()の前では、天羽々斬は無力となる。

 故に、竜であり一振りの聖剣である目の前の存在は断ち切ることができない。

 

 天災。そうとしか言いようがない脅威。

 竜の前では人間はみな等しく贄だ。

 赤き竜は大きく剣を掲げ(顎を開き)、翼を見据える。

 

 勿論、翼は本能的恐怖からすぐに逃げ出すが、そんな行為は無駄だった。

 

「■■■■■■!」

「速――ッ!?」

 

 竜の飛翔に人間が勝てる道理などないのだ。

 一歩、ただの一歩の踏み込みだけで、翼の懐に容易く踏み込み、容赦なくその()を突き立てる。

 青い髪が赤く染まり、声を上げることすらできずに、翼は血だまりの中に膝から崩れ落ちていく。

 

「■■■■……」

「士郎……」

 

 そして竜の眼光は捉える。

 最後の贄を。

 

「■■■…ッ」

「お前が……あたしの理想の成れの果てか」

 

 決して逃がさない。

 そんな意思を示すかのように、竜はゆっくりとクリスに近づく。

 彼女はそれを逃げることなく見つめながら、どこか疲れたように声を零す。

 それは罪悪感からだ。

 

「誰1人救えない。家族も、友達も、好きな人も、みんな救えずに壊すだけの存在。理想を抱きしめるのに一生懸命で、溺れてもその手を誰にも伸ばさなかった大馬鹿野郎」

 

 竜が剣を振り上げ、獲物の首を両断せんと唸り声をあげる。

 それでも、クリスはどこにも行こうとせずに、ただ竜を見つめる。

 それは全ては自分のせいだと、罪を自覚した善良な罪人が断頭台を上がるようなもの。

 

 自らの足で。されど、そこに意思はない。

 あるのは、もう全てを終わらせたいという疲労感のみ。

 

「ああ……そんな大馬鹿があたしだ」

「■■■■…!」

「いいぜ。お前があたしの理想だってんなら―――一緒に溺死してやるよ」

 

 お前になら殺されたっていい。

 そう言って、クリスは完全に抵抗をやめる。

 その行動に、竜はどこか訝し気な視線を彼女に向けるが、牙を収めはしない。

 聖剣を大きく振り上げ、頭から真っ二つに叩き割ろうと構えを取る。

 

「じゃあな、先に地獄で待ってるぜ。あんたが来たら、そんときは……」

 

 まるで眠るように目を瞑りながら、クリスは呟く。

 そこへ、何の戸惑いもなく竜は剣を振り下ろす。

 かつて、その少女の願いを叶えようとしていたことすら、思い出せずに。

 

「……ちゃんと―――好きだって伝えたいな」

 

 ―――雪原のような髪が赤く染まる。

 

 

 

 

 

「……るな」

 

 白い髪が赤く染まる。

 正義の味方の熱き血で、燃える様に染め上がる。

 

「……諦めるな」

 

 神の槍を宿した籠手で、竜の剣を掴みながら正義の味方は口を開く。

 その手から涙のように血を滴り落としながら。

 

 

「―――生きるのを…諦めるなぁあああッ!!」

 

 

 正義の味方(立花響)は魂の限りに勇気を歌うのだった。

 

 




ソロモンの杖+ネフシュタンの鎧+デュランダル=黙示録の赤き竜
が原作なので
エクスカリバーの鞘+ネフシュタンの鎧+デュランダル=ブリテンの赤き竜
にしてみました。

因みにソロモンの杖も加えたら、下も巨大化できるようになります。
その代わり月の破壊という目的すら忘れて、ただの厄災と化します。


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11話:I love you

「お前……なんで?」

 

 目の前で自らの盾となり、血を流す響の姿をクリスは呆然と見上げる。

 もういい、やめてくれ。それ以上はお前が耐えられない。

 私なんかのために誰かが傷つく必要は無いんだ。

 そんなどこかの誰かにすっかり似通ってしまった思考。

 

 それを実際に口にする前に、響は分かっているとでも言うように呟く。

 

「私がクリスちゃんと士郎君に生きていて欲しいから……」

「そんなの……あたしの勝手だろ。お前が止める必要なんてこれっぽっちも――」

「ううん、ある。あるよ! だって、誰かが泣いている姿を見ると私も胸が苦しくなるから!」

 

 クリスの言葉に響は苦しそうに叫び返す。

 それは、竜の剣を受け止め続ける痛みからではなく、胸に走る悲しい痛みからだ。

 

「自分が泣いてるわけでもないのに、胸が痛くて苦しくて切なくなる。それを無くしたいから、泣いている誰かに笑って欲しい。傷つけあっている人達に手を取り合って欲しい」

 

 他人のためではなく、自分がそうあって欲しいと願うから。

 きっとそれは、酷く自分勝手で傲慢な偽善なのだろう。

 悲しみの中で生きてきた者には唾棄すべき言葉かもしれない。

 

「……全部、お前のためじゃねえかよ」

「自分でも勝手だと思うよ。でも、神様にだって私が手を伸ばすことを止める権利はないんだよ」

 

 一度、勢いをつけねばこの少女は断ち切れぬ。

 そう判断した竜が一度剣を引き、距離を取る。

 今が体勢を立て直すチャンスである。だというのに、響は戦闘態勢を取らない。

 常日頃と変わらぬ顔で竜に微笑みかける。

 

「例え、何度否定されても、私は手を伸ばし続ける。あの時どうして手を伸ばさなかったんだろうって後悔をしたくないから。手を払われたって関係ない。相手が嫌がったって掴んであげる。だって」

 

 血が流れ落ちる手を気にすることも無く、響は竜に手を差し伸べる。

 

 

「つながった手の温もりだけは―――決して間違いなんかじゃないんだから」

 

 

 帰っておいで。

 みんなには一緒に謝ってあげるから。

 そう言って、響は屈託なく笑う。

 

 その笑顔が。

 

「■■■■■■■ッ!!」

 

 竜にはとつもなく気に入らないものだった。

 心も魂も塗りつぶしたというのに、不快感と嫌悪感がヘドロのようにまとわりつく。

 それはさながら逆鱗に触れられたかのよう。

 竜は目の前の存在だけは、決して許さないとばかりに咆哮を上げる。

 

「おい馬鹿! さっさと逃げろ!!」

「大丈夫。私は信じてるから」

「信じるどうこうの問題じゃねえだろ!?」

 

 贋作のエクスカリバーが黄金の光を放つ。

 それは希望の光ではなく殺意の煌めき。

 その剣を振り切れば、響の体など豆腐よりも簡単に切り落とされるだろう。

 だというのに、響は逃げ出さない。柔らかい表情でクリスに大丈夫と告げるだけだ。

 

永久に遥か(■■■■■■■)―――」

 

 逆さ鱗を撫でられた怒れる竜が大顎を開く。

 その口から放たれるは滅びの一撃。

 月すら消し去るそれが地上で放たれれば、直撃などしなくとも死は免れない。

 故に響とクリスの死は必然。

 

 の、はずだった。

 

「―――?」

 

 ふと、竜が動きを止める。

 そして、怒りが失せたかのように固まり、何かに耳を傾けている。

 

「なんだこれ…? 歌か? でも、この感じはシンフォギアじゃない。ただの歌だ」

「うん、ただの歌だよ。でも、大切なのは歌の内容じゃなくて、歌ってる人だよ」

 

 どこかから近づいてくる歌声。

 優しく温かい、まるで子守唄だとクリスは思った。

 だが、不思議に歌の内容は全く聞き取れなかった。

 

 それも当然だろう。その言葉は遥か太古に失われた言語だ。

 今では喋れる人間も、理解できる人間も1人しかいない。

 

「にしても、この声……まさか」

 

 しかし、クリスはその声には聞き覚えがあった。

 言葉は分からずとも、その声はよく聞いたことのある声だ。

 

「言ったでしょ、クリスちゃん。信じてるって。どんなに姿が変わって成長したって」

 

 それは竜も同じであるのか、怒りを収め剣を降ろす。

 ただの歌で赤き竜から戦意を奪う。

 これだけ聞けば途轍もないことをしているように感じるだろう。

 だが、これは実は必然のことなのだ。

 

 なぜなら、古来より竜の怒りを鎮めるのは。

 

「お母さんのことは忘れないって」

 

 ()()の歌と相場が決まっているのだから。

 

 

 

 

「ちょっと、おいたが過ぎるわよ。この―――()()()()

 

 

 

 

 時は遡り、弦十郎が士郎に攻撃を仕掛けた時に戻る。

 

「師匠、頑張ってください! 私もすぐにそっちに行きます!」

「ちょっと、響ちゃん。何勝手に動こうとしてるの」

 

 弦十郎との通信を切り、すぐに現場へと向かおうとする響。

 それを少し呆れた様子で了子は止めている。

 

「え、ダメなんですか?」

「当たり前よ。あなたは人質として3日も捕まっていたのよ? メディカルチェックもしないとダメだし、何か仕掛けられてないかも確認しないと」

 

 そんな馬鹿なという表情で固まる響のおでこを小突き、了子はため息をつく。

 他の二課の面子も同じような表情で頷いているので、響は何だか恥ずかしくなって頬を染めてしまう。

 

「そもそも、まず無事を伝えないといけない人がいるでしょ?」

「え? でも、ここは二課本部なんだから居るはずが――」

「……響」

 

 そして、聞きなれ過ぎた声で名前を呼ばれたことで一転、顔を青ざめさせる。

 ギギギと首がさび付いたように振り返ると、そこには無表情の未来が居た。

 そう、無表情だ。喜怒哀楽の全てが抜け落ちたような顔である。

 もう、それは響にとっては鬼に睨まれるよりも恐ろしく感じられた。

 

「み、未来……えっと、その……」

「…………」

 

 無言でこちらを見る未来に何と言えばいいのか分からずに、響は口をパクパクとさせる。

 それを未来は何も言わずにジッと見つめる。

 その威圧感と言えば、二課の面々が思わず仕事を忘れて固まってしまう程のものだ。

 恐らく、このまま響が何も言わなければ、二課の機能は物理的に停止してしまうことだろう。

 しかし、流石にそうなることにはならずに、響が凍り切った時を動かす。

 

「……ごめん。黙ってて…嘘ついて…心配かけて……ごめんなさい」

「………響」

 

 謝罪。心からの、聞いている方が申し訳なくなるほどの感情。

 それを聞いて、未来はようやく口を開く。

 

「これから一週間、響は私の言うことを何でも聞くこと」

「え?」

「掃除や洗濯、料理も全部響がやること。おやつは抜き。破ったら一食抜きだから」

「未来……許してくれるの?」

 

 淡々と、罰則を言い渡す未来に響はおずおずと尋ねる。

 未来はそれに対して、口に出すことはなくただ勇気づけるように笑う。

 

「それと、最初の命令は……クリスや翼さん達を助けに行くことよ」

「ッ! 分かった!!」

 

 そして、未来は優しく響の背中を押し出す。

 行ってらっしゃいと。

 彼女の帰るべき温かい陽だまりとして。

 

「後、帰ったら説教だから。一時間や二時間じゃ終わらないから覚悟しててよね」

「許してくれたんじゃ!?」

「それとこれは別」

 

 だが、彼女の怒りはまだ晴れていない。

 後でこってりと絞るつもりだ。

 

「ちょっと、ちょっと。仲直りしたのは良いことだけど、勝手に出て行ったらダメよ。未来ちゃんも冷静になって」

「ごめんなさい、了子さん。でも、私思うんです。このままじゃ、手遅れになりそうだって」

「……不安になるのは分かるけど、私達を信じて」

 

 なんだか、良い空気で響の出撃が決定してしまいそうだったので、慌ててストップをかける了子。あまり、計画に対して不確定要素を出したくない。それだけだと、自分の心に言い聞かせながら。

 

「了子さんのことは信じてます。でも、私も感じてるんです。手も声も届かない所に行ったら、もう士郎君は救えないって。だから、手の届くうちに、その手を握ってあげないと」

 

 だが、続く響の言葉は容易く了子(フィーネ)の心を抉る。

 手の届くうちに、声の届くうちに恋を伝えられなかった。

 それが今の自分が醜く生きている理由なのだから。

 

「……()()()を救いたいの?」

「はい。だって、こんな結末誰も幸せになりませんから」

「いやに、あの子の肩を持つわね? 本当に洗脳とか受けてないでしょうね」

 

 自分でも酷いことを言っていると思いながら、了子は響を戦場から遠ざけようとする。

 しかし、響はゆるゆると首を振り、ニコリと笑みを浮かべる。

 

「知ってますか、了子さん? 士郎君ってすっごく料理が上手なんですよ」

 

 知っている。

 そう、声にしたいのを我慢する。

 

「私も料理をしたことあるんですけど、結構大変ですよね。でも、士郎君は人質の私に3食プラスおやつを欠かさず作ってくれたんです」

 

 知っている!

 あの子が女性に粗末な扱いをするわけがない。

 そう、教えたのだから。

 

「それも、食べやすいように、大きさや匂いや味も工夫してくれるんです。もう、自分は味も匂いも分からないくせに」

 

 知っているッ!

 あの子はそういったことで手を抜いたことはない。

 

「それで、そんなことを嫌な顔一つせずにできる士郎君は絶対―――優しい人だと思うんです」

「………知っているわ」

 

 ポツリと無意識のうちに零した言葉に気づくのに、時間がかかった。

 さらに、それが失態だと気づくのにはもっと時間がかかった。

 幸い、響以外の人間には聞こえていないようだが、手遅れだろう。

 

「そんな優しい人を助けたいんです。だから力を貸してください―――士郎君のお母さん」

 

 立花響は間違いなく確信を得ているのだから。

 

「…え? 了子さんが士郎さんのお母さん…? 響どういうこと?」

 

 響の言葉に二課全体が騒めき始める。

 未来も混乱したように響に説明を求めている。

 

「……私はあの子の母親などではない」

 

 だが、了子は響が口を開くよりも前に否定を言葉を吐く。

 しかしながら、そこに誤魔化そうという意思は感じられない。

 ただの否定だ。自分のような存在が、母親であってはならないという嫌悪感からの。

 

「ううん。今ので確信しました。了子さんはやっぱり士郎君のお母さんです」

「何を根拠にそんなことを言っているの?」

「簡単ですよ。だって―――嘘つくときの表情がそっくりなんだもの」

 

 思わず、息をのむ了子。

 それが正解だと告げているようなものだった。

 

「それに、私が士郎君の話をしている時、すごく優しくて悲しい顔をしてましたよ? あんな表情、お母さんにしか出来ない」

 

 もう、否定など出来ない。

 隠すことなどできないだろう。

 それが分かったからこそ、了子(フィーネ)は響を睨みつける。

 

「例え…! そうだとして、私に何を望む!? 私に何が出来る!!」

「手紙を読んでください」

 

 激昂するフィーネに対し、響は封筒を差し出す。

 

「……これは?」

「この中には士郎君が書いた手紙が2通入ってます。開けてください」

 

 フィーネは、封筒と響を巡視した後に恐る恐るそれを受け取る。

 無視をすることも出来た。叩き落すことも出来た。

 だとしても、もうそれをするだけの勇気は湧いて来なかった。

 

「1通はクリスちゃんにあてたものです。もう1通はきっと……」

 

 震える手で封を開ける。

 中から1通が出てくる。宛先には“クリスへ”と書かれていた。

 そして、奥の方からもったいぶるように残りの1通が落ちてくる。

 宛先には。

 

 

「了子さんにあてたものだと思うんです」

 

 

 “母さんへ”

 と、狂おしい程の愛情を込めて記入されていた。

 

「―――あ」

 

 見慣れた字で、見慣れぬ言葉。

 だというのに、ずっと待ち望んでいたその言葉にフィーネは目が離せなくなる。

 ポツリと手紙に水滴が落ちていく。

 それが自分の涙だということに気づくことも無く、フィーネは指が震えるままに手紙を開く。

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

“母さんへ”

 

まず、こんな呼び方で読んでごめん。きっと、気味が悪いと思うし、俺なんかに呼ばれたくもないと思う。でも、最後だからどうしても言っておきたかったんだ。俺、フィーネさんのことを2人目の母親だと思ってます。

 

ありがとう。あの日から俺を育ててくれて。あの日母さんに拾われたことは、きっと俺の人生の中で一番の幸運だと思います。手を握ってくれたこと、頭を撫でてくれたこと、抱きしめてくれたこと、歌を歌ってくれたこと。全部、全部、俺にはかけがえのない宝物です。

 

幸せでした。

死にたくなる程に。

 

幸福でした。

自分が生きていることに違和感を覚える程に。

 

そんな母さんに、少しでも恩返しをしたいんです。こんな出来損ないで、死に損ないの俺だけど。母さんの幸せのために死ねるんなら、ちょっとは生き恥を晒してきた意味があると思うんだ。

 

だから、俺は死にます。

母さんの夢のために、クリスの夢のために。

この薄汚れた魂を捧げさせてください。

 

そうして、俺の居なくなった世界で母さんは笑ってください。

俺のことなんか忘れて、幸せになってください。

そうしてくれれば、生まれてこなかった方がよかった俺でも、きっと。

 

生まれた意味が少しはあったんだって思えるから。

 

“士郎より”

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 ポツリポツリと雨のように涙が手紙に降り落ち、文字が滲んでいく。

 それは喜びの涙であり、哀しみの涙。

 そして何より。

 

「あの―――バカ息子がッ!!」

 

 怒りの味がした。

 

 

 

 

 

「自分の居ない世界で笑え? 息子を忘れて幸せになれ? ふざけるなよ! 息子の居ない世界で笑える母親など居るものか!!」

 

 時間は戻り、1人の巫女が。否、母が息子に対峙する場面に進む。

 フィーネは今の今まで抑えていた感情を爆発させ、叫び声をあげる。

 怒鳴るように、泣くように、懺悔するように。

 

「生まれてこない方がよかった? 冗談でも母親の前でそんなことを言わないで! 他の誰が否定しようとも、母親(わたし)だけはあなたの生を肯定する!! よく聞きなさい、愛し子。私の息子」

 

 状況が分かっていないクリスも、倒れている翼達も無視だ。

 ただ、自分の息子を真っすぐに見つめ、ずっと言いたかった言葉をぶつける。

 数千年の恋と同等の、否、それ以上かもしれない感情を。

 

 

「士郎―――あなたを、愛している」

 

 

 感情の名前は愛。

 親が子に抱く、温かく真摯な祈りの歌。

 その歌は如何なる攻撃よりもなお深く。

 

「――■■■■■■■ッ!?」

 

 ■■士郎の心を抉った。

 

「■■■■…ッ」

 

 傷などつかぬはずなのに、痛みなど忘れたはずなのに。

 竜は、士郎は、激痛にその身を()じり耳を抑える。

 もうやめろ、聞きたくないと駄々をこねる子供のように。

 

「フィーネ! ……どういうことなんだ?」

「やっと気づいたのよ……あの方への恋心も大事だけど。息子(士郎)も同じぐらい大切だって」

 

 どういうことだと、詰問するクリスに対し、フィーネは吹っ切れたように答える。

 神に対する恋心が失せたわけではない。だが、士郎への愛情はもう消せぬのだ。

 例え、恋が叶おうとも士郎()を失えばもう自分は笑えない。

 それに気づいたからこそ、彼女は歌うのだ。

 

「私の数千年の宿願はここで(つい)える。私が(つい)えさす」

「……良く分かんねえけど、士郎を救うんだな?」

「当然よ、それが母の務めだから」

 

 堂々と言い切るフィーネに、クリスはここに来て初めて笑みを見せる。

 

「何を笑ってるの?」

「いや、やっぱあんたは士郎のママだなって」

「当たり前のことを言わないで。……響ちゃん! 翼ちゃんと弦十郎君は回収した?」

 

 からかうような口調に、少し頬を赤らめるフィーネ。

 だが、決して顔を逸らすことはなく、むしろ誇らしそうに胸を張るのだった。

 そして、士郎が動きを止めている間に動いていた響に問いかける。

 

「はい! 翼さんは師匠が背負っています。それにしても了子さん特製の薬って凄いですね。師匠が飲んだ瞬間に復活するんですから!」

「……それは弦十郎君がおかしいだけだと思うわ」

 

 傷は気合で塞いだ、とでも言わんばかりの復活を見せた弦十郎に、思わず白目を向けるフィーネだったがすぐに流す。こういうバグ的な存在は、そういうものだと割り切るのが一番だ。

 

「了子君なのか…? 随分とイメージチェンジしたようだが。説明はしてもらえるのか?」

「櫻井了子でも、フィーネでもどちらでも結構よ」

「フィーネ!? 了子さん、一体どういうことですか?」

 

 櫻井了子の姿から、フィーネの姿に変わった彼女に、眉をひそめる弦十郎。

 そして、翼は弦十郎の背中の上からフィーネの名乗りに食って掛かる。

 それは当然の反応なので、仕方がない。

 しかしながら、いつまた赤き竜が動き出すかが分からない状況だ。

 悠長に説明をしている暇はない。

 

「私が何者かの説明は後でするわ。とにかく時間が無いの。だから今は……」

 

 フィーネはゆっくりと口を閉じ、深々と全員に頭を下げる。

 

「―――息子を助けるのに協力してください」

 

 そして、心からの嘆願を行うのだった。

 事情を深く理解していない翼と弦十郎は、その深すぎる礼に困惑するが無理もない。

 2人はまだフィーネを知らず、櫻井了子しか知らないのだから。

 

「都合の良いことを言っているのは分かってる。それでも…! もう大切な者を失いたくない…ッ。私はどうなったっていい。だから、息子(士郎)は…! 息子(士郎)だけはッ!」

 

 懺悔をするように、縋りつくように。

 母は息子の赦しを請う。

 フィーネの事実を知っている者が聞けば、何を都合の良いことをと言うかもしれない。

 人の大切な者を奪っておいて自分だけと。

 

 ここに居るものの大半はフィーネの悪行を知らない。

 だが、しかし。その言葉に籠る重さから大体のことは感じ取った。

 その上で彼らは。

 

「分かった。それで、俺達は何をすればいい?」

 

 迷うことなく手を差し伸べる。

 

「……本当に良いの?」

「良いも悪いも、あたしは元々そのつもりでここに来てる」

「私も同じです。士郎君を助けたい気持ちは了子さんと同じです」

 

 自分で言ったにも関わらず、困惑の表情を浮かべるフィーネ。

 そんな彼女に対し、クリスと響は何を今更という表情を浮かべる。

 

「助けを求める手を振り払う趣味はないからな」

「目の前の誰かを救うことが防人の務め。異論はありません」

 

 弦十郎はフィーネを安心させるように笑みを浮かべ。

 翼は弦十郎の背中から降り、強がるように言ってみせる。

 

「……ありがとう。今はそれしか言えないわ」

 

 そんなどこまでも優しさと希望に満ちた人間の姿に、フィーネは不覚にも目じりが滲んでしまうが、そこは泣くにはまだ早いと気合で抑え込む。泣くのも礼をするのも、全ては息子を助けた後だ。

 

「で、どうやったら士郎を元に戻せんだ?」

「そうね。色々とやることはあるんだけど、まずは―――歌よ」

 

 そう、覚悟を決めてフィーネはクリスを見つめるのだった。

 

 

 

 

 

 歌が聞こえる。

 いつかどこかで聞いたような気がする、優しい歌だ。

 でも、思い出せない。思い出したくない。

 このまま何も考えずに眠っていたい。

 

 なのに、どうして?

 

「士郎―――あなたを、愛している」

 

 目の前のあの人達は俺の眠りの邪魔をするんだ?

 

「防人として、このまま負け続けるわけにはいかない。覚悟しろ!」

 

 歌が聞こえる。

 

「手を繋いでくれるまで! 私は絶対に諦めないんだから!!」

 

 歌が聞こえる…ッ。

 

「いい加減、目を覚ましやがれ!! 大馬鹿野郎!!」

 

 歌が聞こえる!!

 

「■■■■ッ!!」

 

 もういい、黙れ。

 俺はもう、何も聞きたくない。何も見たくない。何も言いたくない。

 何も―――思い出したくない。

 

 だってそれは、きっと幸せな(苦しい)ことだから。

 とても楽しい(辛い)ことだから。

 

 やめろ、やめてくれ。

 呼吸をするだけで苦しくなる。

 自分の心臓がうるさくて耳を引きちぎりたくなる。

 ただそこに俺が存在するというだけで、憎くて憎くて堪らない。

 

 死にたい(忘れたい)

 俺という存在を。辛い過去を。幸福な現在を。

 何もかも忘れてただの剣になりたい。

 それなのになんで。

 

「「―――生きろ、士郎ッ!!」」

 

 あの2人の顔だけは、色鮮やかに思い出せるんだろうか?

 

 

 

「――■■■■■ッ!!」

 

 竜が雄叫びを上げる。

 まるで、自らを狂わせようとするかのように。

 何もかもを忘れようとするかのように。

 

「来るぞ! 翼、響君、準備をしろ!」

「はい、叔父様」

「オッス! 師匠!」

 

 そんな迫る狂竜(きょうりゅう)に対しても弦十郎達は怯まない。

 真っ当に戦えば間違いなく勝てない。

 それは3人が300人になったところで同じだ。

 だというのに、何故3人の顔に不安がないのか?

 理由は簡単。

 

「さあ、クリス。あなたの胸の歌を届けなさい」

「おうッ!」

 

 彼らには勝ち筋が見えているのだ。

 

「■■■■!?」

 

 狂える竜が不意に突撃する足を止める。

 それは何も、情が目覚めたわけではない。

 純粋に自らの体に異変を感じ取ったからだ。

 

「その調子よ、クリス。まずはネフシュタンを()()()()()

「■■…ッ!? ■■■■■!!」

 

 蒼銀の鎧が黄金に変わっていく。

 進化した姿ではなく、以前の姿へと戻り、()()()()()と蠢く。

 当然、竜はそんなことは許さないとばかりに、自らの腕で鎧を叩きつける。

 それにより、鎧は蒼銀に戻るが、クリスの歌が届くと再び蠢きだす。

 こんなことを繰り返されれば、思うように動けない。

 故に竜は原因を探るべく、クリスの方を睨みつける。

 そして気づく。

 

「ネフシュタンの鎧は欠片さえあれば、何度でも再生・再結合が可能。つまり、あなたが響ちゃんに()()()破片があれば、それを基に再結合させることも可能ってこと」

 

 歌うクリスの掌の中に、自らの一部が収まっていると。

 もしも、竜に人間らしい思考があれば皮肉だと笑っていただろう。

 響を殺す爆弾として持たせたものが、今は自らを殺す爆弾と化したのだ。

 

「流石だな、了子君。聖遺物のことで右に出るものは居ない」

「当然よ。私に聖遺物の知識で勝とうなんて2000年は早いわ」

 

 得意げに語るフィーネの姿は実に頼もしい。

 因みに1000年ぐらいサバを読んでいるとかは、ツッコんではいけない。

 

「■■■■■――ッ!!」

 

 しかし、それだけで抑えつけられるならば竜は神とは呼ばれない。

 理不尽。そうとしか言いようのない力で鎧を抑え込み、一気に支配下に戻す。

 如何に鎧の一部がクリスの手にあるとはいえ、所詮は欠片だ。力も弱い。

 

 一時的に制御を乱すことは出来ても、結局はそれだけだ。

 すぐに奪い返されてしまう。。

 

「■■■■■■■ッ!!」

「つッ! おい、フィーネ! 本当にあたし達は歌うだけでいいのか!? このまま歌っても、ネフシュタンを奪えねえぞ!!」

 

 竜の咆哮が大地を揺らし、空気を弾く。

 ただの声でさえ、竜は破滅の一撃とする。

 

 このようなことで、負けるかと。

 不死の命を持つ者が、不滅の肉体を持つ己が、不壊の剣を持つ自分が負けるはずがないと。

 月すら破壊できる力が、たかが人間如きに止められるものかと誇るように唸る。

 だが。

 

「クリス、良いことを教えてあげるわ。同じ性質を持つものは、ときに反発し合うのよ?」

 

 竜の喉元に剣が突き刺され、声を阻害する。

 否、正確には体中から剣が生えてきて、竜の動きを阻害したのだ。

 

「■■…!?」

「何でって顔をしているわね。ええ、1つや2つなら問題はなかったでしょうね。いえ、私の理論でも3つまでならこう簡単には暴走しないわ。ただ、あなたの取り込んだものの相性が悪かった」

 

 人が竜を見下ろす様に声をかける。

 天と地が逆転したかのように感じられる光景。

 だが、2人の関係を思えば何ら不思議ではない。

 子が母より上に立つことなどない。

 

「不死・不滅・不壊。相性が良いように見えて、それらは同じ極の磁石のようなもの。お互いが反発し合うそれを、あなたという紐で止めていただけ。でも、クリスの歌でその紐は緩まった。後は簡単、あなたの中の聖遺物に勝手に反発し合って貰えばいい」

 

 元々が反発する属性を持っている聖遺物。

 それを士郎という紐で無理やり括り付けていたのだが、クリスによりその紐が緩められた。

 そして装者3人と了子の歌で、聖遺物の力をあえて高めることで反発し合う力をも高めた。

 後は簡単。勝手に磁石が反発し合うのに任せていればいい。

 

「それに何より、アーサー王は鞘も剣も失う運命にある。あなたがその剣を抜いた時からこの結末は決まっていたのよ?」

 

 叱るように、諭す様に、淡々と語っていくフィーネ。

 アーサー王物語は鞘と剣を手に入れることから始まり、それらを失うことで幕を閉じる。

 かの王はその運命を分かっていて剣を引き抜いた。

 だが、この少年はそんな覚悟などなく、ただの逃避のために剣を手に取った。

 ならば、この破滅は必然。

 

「今よ! 翼ちゃん、響ちゃん、弦十郎君! キツイのをお見舞いして!」

「はい。かなり痛いが悪く思うな!」

「男の子だから痛くても平気だよね!」

「……少し手心を、いや今回ばかりは自業自得か」

 

 聖遺物同士の反発により身動きが取れなくなった士郎に、3人が迫る。

 死ぬことはない。だが、この一撃を食らえば、聖遺物を繋ぎとめる紐は完全に切れるだろう。

 そうなれば、ただの■■士郎だ。

 どう足掻いても勝てない。

 

 かの王ならば剣と鞘を失っても戦えるだろう。

 だが、ここに居るのは英雄でも何でもないただの人間。

 ただの。

 

「よく覚えておきなさい、士郎。母さんは―――怒ると怖いのよ?」

 

 母親に叱られる子供だ。

 勝てる道理などどこにもない。

 

「絶刀……天羽々斬!」

「力を貸して、ガングニール!」

「歯を食いしばれよ、少年!!」

 

 刃が、槍が、拳が、身動きのできない士郎に迫りくる。

 その手に握る聖剣を撃ち落そうと迫る。

 そして。

 

「お目覚めの時間よ、バカ息子」

 

 少年は剣を失った。

 

 3人の攻撃をまともに受け、その手から宙に投げ出された黄金の剣を見ながら士郎は思う。

 やはり、あの剣を握るのに自分は相応しくなかったと。

 所詮は贋作である自分が、英雄の真似事などするべきではなかった。

 

「よっし! ネフシュタンもこっちの制御下に戻したぞ!」

「剣と鎧を失った今、士郎はただの死なないだけの人間……この戦い私達の勝利よ」

 

 奪った鎧が引き剥がされていくのを感じながら、士郎は思う。

 やはり、自分があんなに綺麗なものを身に着けるべきではなかったと。

 奪った宝石で着飾ったところで、そのものの本質は変わらない。

 

「安心しろ、峰打ちだ」

「女の子を泣かせた罪は重いんだよ!!」

「まだやるのか……」

 

 翼と響の私念に近い攻撃と弦十郎の同情に満ちた視線を受けて、湖に吹き飛ばされながら士郎は嗤う。

 

 英雄の真似事をしたって本物にはなれない。

 人間の真似事をしても贋作は人間になれない。

 ものにはあらかじめ決まった役割(うんめい)がある。

 運命を覆すことは俺にはできない。

 

「やり過ぎではないのか…?」

「構わないわよ、母である私が許すわ」

「おう。引き上げたらあたしも一発殴るからな」

「……強く生きろ、少年」

 

 冷たい湖の底に沈んで行きながら、士郎はあるものを探す。

 先程自らの攻撃の余波で()()()湖に落ちたはずだ。

 人はあり方を変えられない。運命は決して覆せない。

 だとしても。覆すことが出来ないと決まっていても。

 この身が剣ですらない、ただの化け物だとしても。

 俺は――

 

「ところで弦十郎君。ソロモンの杖はどこにあるの? 今のうちに回収しておきたいのだけど」

「む? 初撃で叩き落としたはずだが……戦闘の余波でどこかに飛んでいったのか?」

 

 絶対に諦めない。

 

 

 

【―――この体は、無限の剣で出来ていた】

 

 

 

 聞こえないはずの(うた)が聞こえた。

 だというのに、全員が鳥肌を立ててその声が聞こえた方に振り向く。

 

 湖がさざめく。

 ゆっくりと、大きく。

 湖底より這い出ていく化け物の動きに合わせて。

 

「なんだ…あれは…?」

 

 初めに見えたのは巨大な竜の前足だった。

 それだけで車一台分はあろうかという巨大な足。

 鋭利な爪は比喩ではなく、剣で出来ており触れるもの全てを引き裂く。

 

 続いて見えたのは巨大な顎だった。

 神よりも悪魔に近い風貌で、人を食らい飲み込む邪悪な剣の牙。

 

 そして、竜が湖底より這い出てくる度にその姿は露になっていく。

 天を覆いつくさんばかりの翼。一度(ひとたび)振るえばビルすら崩せる尾。

 そして何より目を引くのは。

 

 鱗の代わりに全身を覆う―――無限の剣だった。

 

「俺の邪魔をするなァアアアッ!!」

 

 (はがね)の竜は泣くように叫び声をあげる。

 

 先程とは真逆の姿。

 言葉は人間、体は竜。

 ■■士郎は意識を取り戻してなお、人間ではなく化け物であろうとした。

 

「ど、どうなってるんですか!? 了子さん説明を!!」

「……あのバカ息子。今度はソロモンの杖を取り込んだみたいね」

「またですか!? さっき苦労して引き剥がしたばっかりなのに!? ほら、士郎君! ペッして! ペッ!」

「落ち着け響君。それは子供にやることだ」

 

 そして、そんな竜の足元では混乱した響がギャーギャーとわめき、弦十郎がそれを抑えている。フィーネはと言うと恐怖よりも前に、この子の諦めの悪さは一体誰に似たのだろうかと若干呆れていた。

 因みに翼はその隣で、全身剣の竜の姿にちょっとカッコイイと思っていたりする。

 

「おい士郎! 今は喋れんだな!? だったら聞け!! もう、お前が月を破壊する理由なんてないんだよ!! フィーネもあたしも馬鹿げた夢は捨てたんだ! だから、さっさとその姿をやめて帰ってこい!!」

 

 そしてクリスはと言えば、1人真面目に士郎の説得を行おうとしている。

 声が一段と大きいのは想いの大きさと言うよりも、竜の巨体に届かせるためが大きいだろう。

 

「そうよ、士郎。私は月の破壊を諦めたのよ。それ以上にあなたの方が大切だから」

「……諦めたのか? フィーネさんは夢を、恋を、諦めたのか?」

「そう…ね。諦めたのかと言われれば、そうなるわね」

 

 天高くより竜が戸惑うように、縋るように問いかけてくる。

 それに対して、フィーネは子供を安心させるような優しい顔で答える。

 

「でも、大丈夫よ。今の私はそんなものよりも、あなたに生きて――」

「……ふざけるな…ふざけるなッ! 馬鹿野郎ッ!!」

「し、士郎?」

 

 だが、帰ってきたのは罵倒の言葉だった。

 彼を拾ってから間違いなく初めてと言える、自分に向けられた罵倒。

 その余りの衝撃にフィーネは何も返すことが出来ずに、ただ茫然と竜を見上げることしか出来ない。

 

「勝手なことを言うな! あんたが言ったんだろッ! 俺に夢を叶えるのを手伝ってくれって! あんたが言ったんだろう!? 数千年の恋を叶えたいって!! そのために()()()は俺を拾ったんだろ!?」

 

 子供が泣きわめいている。

 親として、母として泣き止ませなくてはいけない。

 そう頭の中で思うが、フィーネの体は凍り付いたように動かない。

 断罪の刃がその身を十字に磔にする。

 

「母さんが夢を諦めるんなら、俺は何のためにあの日生き残った!?

 母さんが恋を諦めるんなら、俺は何のために今まで生きてきた!?

 それだけが俺が生きても良い理由だったのにッ!

 それだけが死んじゃいけない理由だったのにッ!」

 

 士郎の糾弾にフィーネは何も言えなかった。

 そう。自分はあの日、否、今まで一度も『生きていてくれてありがとう』と言っていない。

 自分の目的を叶えるための駒として拾った。

 そのためだけに生きる様に仕向けてきた。

 

 そんな私が何を今更、母親面をしているのだろうか。

 生きていてくれてありがとうと、あの日そんなこと1つ言えなかった私が。

 今更生きていて欲しいと言った所で。

 

「それすら奪われた俺は一体―――何のために生きればいいんだッ!?」

 

 届くわけなどない。

 この子には生きる理由がない。

 だから、生きたいと思えない。

 それは全部、全部、私のせいでどうしようもない自業自得。

 

「あ……あ……士郎…」

「……俺は誰に否定されても、母さんの夢を叶える。でなきゃ、何のために生まれてきたかも分からない」

 

 竜が翼をはためかせる。

 月へと向かい飛んでいくためにだ。

 きっと、彼は死なないことを良いことに、ありとあらゆる方法を使って月を壊すだろう。

 剣も鎧も、鞘すら失っても、その手1つで月を壊すつもりだ。

 そして、その果てに考えることをやめた死骸になり果てたいのだ。

 

 それを止めたいと思う。

 止めなければと心が叫ぶ。

 でも、息子に生まれて来てくれてありがとうと、言ったことも無い母親にできるのは。

 

「ごめん…なさい…ごめんなさい……私はッ…!!」

 

 ただ、泣いて謝ることだけだった。

 

「さよなら、お母さん」

 

 (はがね)の竜が大空へと羽ばたいていく。

 目指すべくは夜空に輝くあの月。

 今度こそ、砕き去る。誰も願っていない夢だとしても。

 それが、それだけがきっと、自分の生まれた理由なのだから。

 

 誰もが彼を追っていけない。

 彼に生きる理由を与えられない者では、追った所で同じことを繰り返すだけだ。

 どんな名医も生きる意志の無い者は救えない。

 これはそれだけの話だったのだ。

 

「士郎ォオオオオオッ!!」

 

 だとしても、それを認められない人間が居る。

 自分勝手でも彼に生きて欲しいと願う人が居る。

 

「クリス…!?」

「勝手なことばっか言ってんじゃねえよ! 少しはあたしの話も聞け!!」

 

 自らが打ち出したミサイルに乗り、天を駆ける竜に追いついたクリスは真正面から竜に対峙する。その巨大な顎は彼女を一飲みにするだろう。その爪は彼女の防具など紙のように裂くだろう。だとしても、彼女は真っすぐに竜を睨みつける。

 

「どけ、クリス! もう俺は加減なんてしない。クリスでも殺せる」

「ああ勝手にしろ! 元々あたしの命は、お前にくれてやるつもりだったんだ。でもな、言うこと言わなきゃ死んでも死ねないッ!」

「何を…?」

「いいか、士郎! 耳をかっぽじって聞けッ!」

 

 ただの言葉だけで、鼓膜が破れそうなダメージを竜はクリスに与える。

 それでもクリスは引かない。これだけは言うと、これだけは死んでも伝えると。

 魂の歌を、全身全霊をもって歌い上げる。

 

 

「あたしはお前のことが―――大好きだぁあああああッ!!」

 

 

 障害物が何もない空に、彼女の思いの丈がぶちまけられる。

 その声量と言えば、士郎が思わず耳を塞ぎたくなるどころか、地上のメンバーにも驚きよりも先に、うるさいという感情を呼び起こさせたほどだ。

 

「く、クリス…?」

「何が生きる理由がねえだよ! そんなに生きる理由が欲しいなら、あたしがお前の生きる理由になってやるよ!!」

 

 普段のクリスなら絶対に言えない、恥ずかしい言葉のオンパレード。

 それでも彼女がためらうことなく言えているのは、(ひとえ)に怒りからだ。

 彼女は士郎があまりにも頑固なので怒っているのだ。

 その怒りが彼女の理性を取っ払ってしまっているのである。

 

「何のために生き残った? なもん、あたしに出会うためだ!

 何のために生きてきた? あたしに会って恋をするためだ!

 生きて良い理由は、あたしが生きていて欲しいから。

 死んだらダメな理由は、お前が死んだらあたしが泣くから。

 んでもって、何のために生きるのかなんて簡単だ。

 ―――あたしを幸せにするためだよッ!」

 

 紡がれる歌は全力全開の“I love you”。

 溢れでる乙女のパワーを振り絞った恋歌。

 それは規格外を超えた、さらにその上のフォニックゲインを生み出す。

 

「これは母さんの資料にあった……限定解除(エクスドライブ)?」

 

 光と共に白く変化を遂げたイチイバルを見て、士郎は驚きの声を上げながらも場違いなことを考えてしまう。赤色のイチイバルが、無垢なる白に染まったその姿はまるで。

 

 花嫁姿のようだと。

 

「あたしを惚れさせた責任を取れ! 一生、あたしの隣から離れるな! お前が嫌だって言ったって離しやしない!! あたしは寂しがり屋なんだ!! 1人にしたら泣くからなッ! あたしのために上手い飯を作り続けろッ!! 失敗したってちゃんと完食してやるから! だから、お前は黙ってあたしを―――世界で一番幸せにすりゃ良いんだよッ!!」

 

 それは完全に逆プロポーズだった。

 向こう百年は、年頃の乙女の告白を勇気づける代表歌になる程の。

 これには流石の鈍感士郎も、何もできずに固まることしか出来ない。

 

「生きる理由なんてさ、それだけで十分だろ…?」

「……そうだな。男が生きる理由なんて、好きな女の子を幸せにするため……それだけで十分過ぎるな」

 

 ああ、だとしても。

 もう、自分1人では到底止まれない所まで来ている。

 例え、この場で手を止めたとしても、今の自分は聖遺物、化け物だ。

 そして何より、■■士郎は究極の頑固者だ。

 だから。

 

「それでも…それでも俺は…! もう、止まれない!!」

「勝手にしろッ! あたしは何が何でもお前を止める!!」

 

 戦わなければいけない。

 鋼の怪物を人間に戻すために、残酷な運命を断ち切らねばならない。

 剣を握り続ける以上、誰かを抱きしめることは出来ない。

 だから、誰かがその剣を打ち落とさねばならないのだ。

 

「クリスちゃん! これを使って!!」

「あん? この剣は……」

「了子さんが言うには、鞘の守りを突破できる可能性があるのはそれだけだって」

「良く分かんねえけど、こいつを使えばいいんだな?」

 

 そんな今にも殺し愛を始めそうな2人の間に、響があるものを持って入ってくる。

 それは、士郎から奪い取った剣だ。

 アーサー王化した士郎が扱ったことで、デュランダルから変質したそれを受け取るクリス。

 フィーネにどんな考えがあるかは分からないが、今は信じるしかない。

 クリスはそう覚悟を決めて、真っすぐに士郎を見据える。

 

「よし……悪いけどお前は下がっててくれ――」

「うん! 私も馬に蹴られて死にたくないし!」

「馬…?」

「頑張ってクリスちゃん! 私は2人のことを応援するから!!」

 

 何故か目を輝かせながら告げる響に疑問符を浮かべるクリスだったが、今はそれどころではないと首を振る。もしも彼女が少しでも冷静だったら、自らが製造した黒歴史の数々に悶絶していたことだろう。だが、幸か不幸か今の彼女は士郎にしか目が行ってなかった。乙女パワー様々である。

 

「まあ、後で考えりゃいいか。行くぞ、士郎!!」

「来い、クリス…!」

 

 (はがね)の竜が大顎を開けて、クリスに食らいついていく。

 その見るだけで総毛立つ光景にも、クリスは怯むことなく剣を構える。

 剣の扱いなどよく知らないが、不思議とこの剣が導いてくれるかのように自然に構えを取ることが出来た。

 

「パパ、ママ……あたし好きな人が出来たんだ。だから……力を貸してくれ」

 

 静かに目を閉じ、天国に居る両親に祈る。

 母親は優し気に微笑んでクリスの背中を押し。

 父親は何とも言えぬ顔で、それでも全力で背中を押してくれる。

 

「束ねるは星の息吹、輝ける命の奔流……ぶちかますぜ!!」

「我が生涯に意味は不要ず……この体は」

 

 自然と詩が紡がれる。

 それと共に聖剣が本物の輝きを取り戻していく。

 一方の竜も何かを謳い、ブレスを吐くような構えを見せる。

 そして、同時に放たれる。

 

「―――約束された勝利の剣(エクスカリバー)ッ!!」

「―――無限の剣で出来ていたッ!!」

 

 黄金の光が、鋼の怪物の吐き出す無限の剣軍とぶつかり合う。

 例えるなら、黄金の光は究極の一。一騎当千。

 対する無限の剣は凡庸。なれど千を束ねて一となした剣戟の極致。

 

 どちらが優れているかなど、およそ判別することなど出来ない。

 状況によって変わるというのが、模範的な答えとなるだろう。

 だが、それでも。

 

「好きだぁああああッ!!」

「ぐッ…!?」

 

 今回ばかりは乙女の純情に軍配が上がった。

 

「そんな…! 体が再生しない…ッ。鞘が働いていない…!?」

「いっけぇえええッ!!」

 

 無限の再生力を持つはずの(はがね)の竜の体が崩壊していく。

 それは本来ならばあり得ぬこと。

 エクスカリバーの鞘はありとあらゆる傷を癒す。

 持ち続ける限り、如何なるものの攻撃でも滅びなど訪れるはずがないのだ。

 

 ただ1つの、例外を除いて。

 

「そうか…所詮、鞘は剣が無いと……意味の無い存在だからな」

 

 剣は鞘が無くとも剣としてあることが出来る。敵を斬ることが出来る。

 だが、鞘はどうだろうか?

 鞘は剣が無ければ鞘足りえない。ただの鈍器にも劣る。

 故に、例え魔術師が剣10本分の価値があると言った鞘であっても。

 

「あたしの―――勝ちだッ!!」

 

 エクスカリバー(あるじ)に勝てる道理などないのだ。

 

「俺の……負けか」

 

 (はがね)の怪物はここに討たれた。

 自らの体から、不死の呪いをかけ続けた鞘が消えていくのを感じながら、士郎はぼんやりと空を見上げる。欠けた月が見える。結局の所、どれだけ手を伸ばしても届くことのなかった理想だ。ああ、だがそれでも。

 

「……綺麗だ」

 

 夜空に浮かぶそれの。

 その淡い光を受けて、白銀の髪をなびかせる彼女の。

 なんと、美しいことか。

 

「なあ、クリス」

「……なんだ、士郎」

 

 ああ、だから。

 きっと、この光景だけは。

 

 

「―――月が綺麗だな」

 

 

 地獄に落ちても忘れない。

 

 

 

 

 

「サー・アーサー、王さま。あの剣はわたくしのものでございます」

 

 湖の先を指し、姫君は言いました。

 

「あの剣の名は何という?」

 

 サー・アーサーは姫君に問いました。

 

「人呼んでエクスカリバー、すなわち『(はがね)を断つ』の意でございます」

 

 

 

             ~“アーサー王物語”より~

 




「月が綺麗ですね」の返しは「死んでもいいわ」


次回はクリスちゃんが、黒歴史に悶絶する様を書きながらのエピローグです。
取りあえず、本編はいったん終了します。
それ以降は新作書きながら番外編を書く感じです。

最近、鬼滅の継国兄弟にはまってるのでそれでなんか書くかも。



『兄上でギャルゲー』
なんかのスレで兄上は鈍感系主人公というのを見て思いついたやつ。

兄上がツンデレヒロインに対して「こちらを罵倒しながら世話を焼くとは……意図が読めん…気味が悪かった」とか。暴漢をやっつけるイベントで「縁壱ならば…1撃で倒していた者に……3撃も要するとは…帰って修練を積まねば」でヒロイン無視して帰ったり。定番の女装コンテストで鏡を見て「これが侍の姿か…? 生き恥…!」とかエロ本の見せ合いとかで「こちらも……抜かねば…不作法というもの…!」とかやる話を書きたい。なんか相性の良いギャルゲーを考え中。オリジナルという手もあるけど。



『縁壱でシンフォギア』
翼さんの双子の弟という設定。

縁壱「姉上、ノイズを斬るのはそう難しいことではありません。相手がこちらに触れようとする瞬間に合わせて、刀を振れば良いだけのこと。どうやってその瞬間を見極めるのかですか? ノイズの体内の流れを見れば一目瞭然ですよ。あれは絡繰りのようなものなので存外分かりやすい。赫刀の出し方ですか? こう、ギュッと握れば自然と赫くなります。大丈夫です。道を極めた者の行きつく先はどれも同じ。姉上もすぐにできるようになります。それはそうと、この前街を歩いている時に、ガングニールの破片と思わしきものが胸に埋め込まれた少女を見かけました。ああ、誤解なきように言っておきますが、不埒な真似は一切しておりません。ただ体内を見た時に偶然発見しただけです。何か、後遺症があってはいけないので一応二課に報告だけはと。どうやって体内を見たかですか? それは普通に見ただけですが? もちろん服の上からです」
翼さん(頼むから死んでくれ)

翼さんがスレまくる話になると思ったけど、元々司令という人外が居るのであんま変わんないかも。というか、女性なので兄上と違って逃げ道がある。
後、縁壱さんはシスコン。姉上の歌が大好きでそれを聞くと、無表情で浮き立つ気持ちになる。コンサートでキレッキレのペンライトパフォーマンスを披露して、主役を食ってしまい奏に怒られた過去がある。そして、翼に庇われ、またしても姉上への好感度を上げた。


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12話:櫻井士郎

「カバーストーリーとしてはこんな感じでいいかしら?」

「どれ……」

 

 いつもより少しだけ静かな二課本部で、了子がある資料を弦十郎に差し出す。

 それに目を通し、弦十郎はふむと軽く頷く。

 

「士郎君、クリス君は共にフィーネに攫われた被害者。今までの襲撃はお互いがお互いの人質として扱われ、無理やり行わされていた。フィーネは太古から人の意識を乗っ取り生き続けた存在で、鞘の融合症例である士郎君を次の肉体とするべく利用した。今回の月の破壊は士郎君を乗っ取ったフィーネの仕業であり、最後はクリス君のデュランダルの一撃により士郎君の中から消滅した。……いいんじゃないか?」

 

 その資料は、士郎とクリスの立場を守るために作られたものだった。

 如何に事情があったとはいえ、2人がやったことは取り返しのつかないことだ。

 故に2人を守るためには、色々と手を打たねばならない。

 

「ちょっと弦十郎君、端折ったらダメよ。2人は攫われた先でお互いに意識し合っていき、口に出せないまでも互いに好意があった。でも、その想いをフィーネという魔女に利用されて、望まぬ破壊を強いられる。クリスは医療行為と称した士郎への拷問を止めるために装者を襲った。しかし、装者を捕らえることは出来ずに、今度はクリスが拷問を受ける。勿論それを許せなかった士郎は、クリスの身の安全と引き換えにフィーネに体を譲り渡す決意をした。全ては邪悪な魔女の思い通りに進んで行った……はずだった。でも、魔女ですら2人の愛は断ち切れなかった。クリスと装者達の歌が奪われた士郎の意識を呼び起こして、最後はクリスの愛の告白で魔女の呪いを断った。ここは超重要よ! むしろメイン!!」

 

 なのだが、了子はその話に色々と盛っていた。

 嘘の中に絶妙に真実を混ぜていることで、その話は妙に現実味を帯びている。

 というか、2人の好意に関してはほぼ事実である。

 

「しかしだな、了子君」

「いいのよ、こういった話は同情できる方が効くんだから。それに士郎の拷問のデータなら実際にあるもの。あれを見て、自分の意思でやっていたと思う奴なんて本人ぐらいよ」

 

 弦十郎の呆れたような視線を受け流しながら、了子は皮肉気に嗤う。

 士郎は彼女を母と慕う。だが、客観的に見ればモルモットとしてしか扱っていない。

 だからこそ、彼女は自らを悪役にして2人を救おうとする。

 それこそが自分なりのケジメだと理解して。

 

「だから、わたし(フィーネ)は邪悪な魔女として扱えばいい」

「はぁ……俺が言いたかったのは、あまり君のことを悪く言うと、あの子達が怒るということなんだがな」

「……母親のワガママよ。責任ぐらいは取らせて」

 

 そう告げる了子の言葉には、覚悟がにじみ出ていた。

 2人は被害者ということにすれば、保護観察ぐらいで済むだろう。

 仮に士郎がまだフィーネを残していると疑われれば、自分が第二のフィーネとして登場する。

 そして、今度は他ならぬ士郎がそれを討つ。

 そうすれば士郎への疑いは完全に晴れるだろう。

 

「あの子には、もう贖罪に生きて欲しくない。自分の意志をもって生きて欲しい。勝手な願いだけど、これ以上苦しそうに笑う顔は見たくないの。例え、償いを行うのだとしても、誰かに決められた理由でなく、自分で決めて欲しい……それだけよ」

 

 何かの取引で未来を決められることなど、あって欲しくはない。

 初めてあの子が本当の意味で、自分がやりたいことを見つけられる時が来たのだ。

 自分で考え、悩み、そして選び取って欲しい。

 そのために面倒な責任は自分が背負って行く。それが親としての務めだ。

 

「そうか……何か困ったことがあったら言え。俺も微力ながら力になろう」

「フフ…ありがとう」

 

 そんな覚悟を感じ取ったのか、弦十郎はそれ以上は否定せずに受け入れた。

 もちろん、手助けはすると当たり前のように言いながら。

 了子はそんな優しさに、こそばゆそうに笑いながら礼を言う。

 

「そう言えば、件の子達は今どうしているのだ?」

「士郎はどうしても()()()()()があるって、買い物に行ったわ。勿論監視付きだけど」

「ああ、そう言えば車を出していたな……それでクリス君は?」

「クリスは―――お仕置き(女子会)よ」

 

 

 

 

 

「殺せ! 殺せッ! いっそ一思いに殺してくれッ!!」

 

 白い病室に1人の乙女、雪音クリスの悲鳴が響き渡る。

 彼女は逃げられないように体を抑えられた状態で、あるものを見せられていた。

 

【何が生きる理由がねえだよ! そんなに生きる理由が欲しいなら、あたしがお前の生きる理由になってやるよ!!】

 

「やめろぉおおおおおッ!?」

 

 端末に流れる映像。またの名を自らの黒歴史を見せられながら、クリスは発狂していた。

 両手を翼と響に抑えられた状態では、映像を消すこともできないので、せめて自らの声で音をかき消そうとしている姿が何とも痛ましい。

 

「あはは、そんなに大声出したら聞こえないよ、クリス。仕方ないから音量を上げるね?  響」

「ラジャー、未来様!」

「聞こえないようにしてんだよ! 後、お前も未来に従ってんじゃねえよッ!!」

「ごめん、クリスちゃん。私、未来との約束で一週間、未来の言うことを何でも聞かないといけないんだ」

「ニヤニヤ笑いながら言われても説得力がねぇんだよ!!」

 

 そんな今にも恥ずか死をしそうになっているクリスを、笑いながら見つめるのは未来。

 自分があの場に居なかった時に、何があったのか知りたいという建前を元に、クリスの告白映像を見せてもらっているのだ。

 そして、それに悪乗りしたのが響と翼である。

 

 クリスと一緒の病室に居た2人は、アイコンタクトだけでクリスの逃亡を防ぎ、涼しい顔で茹蛸になるクリスを愛でているのだ。その連携の完成っぷりは、今ならば奏とのコンビネーションを超えたかもしれないと、翼が自画自賛する程のものだった。

 

「それと、お前もこんなことに加担してんじゃねえよ!」

「お前ではない、風鳴翼だ。それと、私が雪音を抑えているのは、以前に襲撃された時の仕返しだと思えばいい。これで帳消しにしてやる」

「ぐッ……」

 

 故に翼にも食って掛かるクリスだったが、傷つけられた仕返しと言われれば黙るしかない。

 どんな事情があったとしても、翼を傷つけた罪は消えない。

 それの報いと言われれば、誰も言い返せる訳がないのだ。

 

【何のために生き残った? なもん、あたしに出会うためだ!

 何のために生きてきた? あたしに会って恋をするためだ!

 生きて良い理由は、あたしが生きていて欲しいから。

 死んだらダメな理由は、お前が死んだらあたしが泣くから。

 んでもって、何のために生きるのかなんて簡単だ。

 ―――あたしを幸せにするためだよッ!】

 

「それにしても……聞いてる方まで恥ずかしくなるぐらい情熱的な告白ね」

「ああああああッ! 殺せ! 殺してくれぇえええッ!!」

「ダメだ、雪音。生きることを諦めるな!」

「こんなことにキメ顔してんじゃねぇよ!!」

 

 とは言っても恥ずかしいものは恥ずかしい。

 特に、自分だけでなく聞いてるだけの翼までもが、顔を赤らめているのがさらに羞恥を煽る。

 一体、あの時の自分は、なぜあんなにも恥ずかしいことを言ってしまったのだろうか。

 悔やんでも悔やみきれない。過去に戻れるならあの時の自分を殴り飛ばしたい。

 

「大体、なんでこんな映像が残ってんだよ! 嫌がらせか? 嫌がらせだな!!」

「人聞きの悪いことを言うな。限定解除(エクスドライブ)の貴重な発動データだ。残しておかない方がおかしい」

「だったら、調べ終わったら消せ! 跡形もなく消せ!」

 

 しかしながら、過去には戻れない。

 故に、クリスは今から訪れるであろう破滅的な未来を回避しようと動く。

 またの名を黒歴史の消去とも言う。

 

「それは出来ないよ、クリスちゃん」

「ああッ!? なんでだよ!」

「2人の結婚式で流すって了子さんが言ってたから」

「フィーネぇ…ッ」

 

 身内からの手痛い裏切りに、クリスはもはや叫ぶことすら出来なかった。

 もはや、顔どころか全身が赤い。

 餅のように白い肌が淡く上気する様は、非常に色っぽいがそこにあるのは羞恥だけだった。

 

「なに人の将来を勝手に決めてんだあいつ…! あたしは――」

 

【あたしを惚れさせた責任を取れ! 一生、あたしの隣から離れるな! お前が嫌だって言ったって離しやしない!! あたしは寂しがり屋なんだ!! 1人にしたら泣くからなッ! あたしのために上手い飯を作り続けろッ!! 失敗したってちゃんと完食してやるから! だから、お前は黙ってあたしを―――世界で一番幸せにすりゃ良いんだよッ!!】

 

「これだけ言っておいてプロポーズじゃないは、無理があると思うよ? クリス」

「…………」

 

 もう何も言わなかった。

 クリスはただただ、自分が今すぐ気絶しないだろうかと現実逃避を繰り返すだけだった。

 こんなことになったのは一体誰のせいだろうか?

 

 士郎だ。あの超ド級の頑固者のせいだ。

 よくよく考えなくても全部あいつのせいだ。

 だから、クリスは思わずといった感じで、ボソリと呟いてしまう。

 

「士郎のことなんて……嫌いだ」

 

 

【好きだぁああああッ!!】

 

 

「え、ごめん、クリスちゃん。何か言った? 今の台詞の声が大きすぎて聞こえなかった」

 

 舌を噛み切ろう。

 そう、決断を下したクリスが慌てた3人に止められるのは、そのすぐ後だった。

 

 

 

 

 

「おーい、差し入れにリンゴを持ってきたんだけど食べるか……て、何があったんだ?」

「あたしは貝になりたい……」

 

 数十分後、買い物が終わり、差し入れの品を入れた袋を持ってきた士郎が見たものは、布団を頭から被り、貝のように丸まるクリスの姿であった。

 

「気にするな。お前のせいだ」

「そうだよ、士郎君のせいだから、気にしなくていいよ」

「うん。士郎さんのせいだもの」

「その発言を聞いて、気にするなというのは無理があるんじゃないか?」

 

 当然、士郎はそうなった経緯を聞きたがるが、3人は答えない。

 ただ、生暖かい目を向けて士郎とクリス(の入った布団)を見つめるだけだ。

 

「おーい、クリス。リンゴだぞ? 出てこないと食べれないぞ」

「……ヤダ」

「困ったな。もう、剥いてあるから酸化する……」

 

 拗ねて若干幼児化しているクリスの態度に、眉を下げる士郎。

 それを見守る3人からすれば、リンゴが茶色くなる以上に、気にすることがあるだろと言いたいがここはグッと我慢する。

 何のことはない。これからどうなるのか、見てみたかったからだ。

 

「しょうがないな。出てきたくないというのなら、ここは天岩戸作戦だ」

「士郎さん、それは?」

「天照大神が天岩戸に隠れた時、他の神々はその周りで賑やかな祭りを行った。天照はそれが気になって岩戸から顔を出した。要するに、みんなでワイワイしてクリスが出てくるのを待つ作戦だ」

「なるほど……それなら私に任せて士郎君!」

 

 何やら作戦を立て始める外の4人に対して、クリスは布団の中で鼻を鳴らす。

 一体どこの誰が、そんなことを聞いて出て行こうとするというのか。

 天照だって相手の目的が分かっていれば、外を覗こうとはしなかった。

 そんな稚拙な手で、この雪音クリスを思い通りにできると思うな。

 そう、クリスは鼻で笑うのだったが。

 

「ねえ、士郎君。手を握っていい?」

(――ッ!!?)

 

 聞こえてきた声には思わず、布団を吹き飛ばしそうになった。

 

「何でなんだ、響?」

「前に触った時は鉄みたいに冷たかったから、ちゃんと戻ってるか確かめたいの」

「なんだ、そんなことか。ほら、いいぞ」

 

 おい、待てコラ。

 何を気軽に触ることを許してるんだ。

 あたしという存在が居ることを忘れているのか?

 

 そう、言おうとしてクリスはすんでの所で止まる。

 待て。これは罠だ。ついさっき言ってたではないか。

 これは自分の顔を出させるための計だと。

 

 だから、ここで布団から出てしまえば全ては相手の思うつぼだ。

 そう考えることで、クリスは自分を落ち着かせることに成功する。

 

「……士郎君の手はあったかいね」

「そんなに触るなよな、響。くすぐったいだろ?」

 

 そう、これは罠だ。罠なのだ。

 ここで顔を出せば、まさに飛んで火に居る夏の虫。

 相手の思うつぼだ。

 

「あ、ごめん。嫌だった?」

「いや、別に嫌じゃないぞ」

「そっか……よかった」

 

 故に我慢。我慢だ。我慢の虫だ。

 どこかから奥歯を食い締めるような音が聞こえるが、きっと幻聴だろう。

 

「あ、そうだ。リンゴがあるんだったよね。士郎君、食べさせて」

「いや、別に1人で食べられるだろ?」

「あーあ、どこかの誰かさんのせいで手を怪我しちゃったなぁ。手が痛いなぁ。誰のせいかなぁ」

「し、仕方ないな。ほら、口を開けろ。あーん」

 

 あーん?

 あろうことか、あたしにもやったことないアーンをやろうとしているのか、あの野郎は。

 あれだけ恥ずかしい告白をしたあたしよりも、その女を優先するのか?

 

「あ、あーん……」

 

 響のちょっと甘えた声を聞いた瞬間、クリスはキレた。

 布団をはねのけて、士郎と響の間に割り込み代わりに自分がアーンする形でリンゴを噛む。

 そして、若干驚いたような表情を浮かべる響を睨みつけ、ぶっきらぼうに吐き捨てる。

 

 

「……あたしのもんだ。盗んな」

 

 

 ジトッとした目を響と士郎に向けた後、フイと顔を背け口の中のリンゴを咀嚼する。

 甘酸っぱい汁が口の中いっぱいに広がっていく。

 その味はまるで、恋のようだった。

 

「なんだ、クリス。そんなに腹が減ってたんなら早く出てくればよかったのに」

 

 だというのに、この唐変木は気づきもせずに、そんなことを真顔でのたまう。

 

「鈍感」

「朴念仁」

「女の敵」

「地獄に落ちろ」

 

「なんでさ!?」

 

 当然、そんな士郎に女性陣の批判が殺到するが、本人は疑問符を浮かべるばかりである。

 これには今の今まで、クリスをからかっていた女性陣も同情するしかない。

 いや、むしろ手助けをしなくてはならないと、謎の使命感を燃やす。

 

「クリスちゃんがあれだけの愛の告白をしたのに、どうして士郎君は平然としてるの? そもそも、ちゃんと返事はしたの!?」

「え? あー……『月が綺麗ですね』じゃダメか?」

 

 響の責めるような問いかけに、士郎は若干恥ずかしそうに返す。

 だが、その程度では当然許してもらえない。

 

「クリスちゃんのあの恥ずかしい告白を聞いてそれだけ? 男の子ならもっと熱く! 情熱的に言わないと! そう、クリスちゃんみたいに!!」

「おい、バカ。お前はあたしを擁護するのか、馬鹿にするのかどっちかハッキリさせろ」

「クリスちゃんみたいな恥ずかしい告白が聞きたいッ!!」

「馬鹿にする方を優先すんじゃねえよ!? 後、それはお前の願望だろ!!」

 

 今ここで恥ずかしい告白をしろと、響は士郎をたきつける。

 ついでにクリスを煽って、彼女の頬を引きつらせているが響は気にしない。

 

「響の言葉は置いておくとして、士郎さんは女心をもっと学ぶべきだよ。恋人が居るのに、むやみやたらにボディタッチを許すのはダメだよ? まあ、する方もする方だけど」

「あの…未来? どうして、士郎君より私を睨んでるの?」

「想像して、士郎さん。クリスが他の男の人にベタベタ触られてたらどう思う?」

 

 ジト目を向けられて困惑する響を無視しつつ、未来は士郎の意識改革を促す。

 普通の男なら恋人が、いや、意中の女性が触られているのを見るだけで嫌な気分になるだろう。

 しかしながら、士郎は普通ではない。

 

「ん……分からないな」

「分からない?」

「いや、もちろんクリスが嫌がってたらムカッとするぞ? でも、クリスが笑ってたら……そいつが俺よりクリスを幸せに出来るなら……俺はそれでも構わない」

 

 いくら死ぬことのできる普通の人間になったとはいえ、その価値観は未だに歪んでいる。

 自分の命の価値などビー玉以下だという自己肯定力の低さは、今も健在だ。

 故に、やはり自分等よりも良い人が居るのではという思いを拭いきれない。

 そう言って、どこか自信なさげな顔をする士郎。そんな彼に向けて。

 

「――フン!」

 

 翼の容赦の無い平手打ちが襲った。

 

「へ…?」

「ふぅ……少しはスッキリしたわ。雪音、私達は外に出ておくから。煮るなり焼くなり好きにしなさい」

「おう!」

 

 ジンジンと痛む頬を抑えることもなく、困惑したまま固まる士郎を放置して3人は出て行く。

 後に残された2人は無言のまま見つめ合う。

 自分が何かをやったのかは分からないが、恐らくは自分が過ちを犯したのだろうと思った士郎は取りあえず謝ろうと口を開く。

 

「士郎、今の話であたしは分かったことがある」

 

 しかし、先手をクリスに取られてそのまま言葉を飲み込む。

 

「あんたはあたしが居ないとダメな奴だ」

 

 そう言ってクリスはポスリと、士郎の胸に柔らかく拳を落とす。

 

「お前馬鹿だ。鈍感だ。普通の奴なら気づけることに気づかない。一々言わねえと、すぐに自分で勝手に考えて暴走する。そんな超絶面倒な奴だ」

「う……」

 

 あまりにもあんまりな物言いだが、実績があり過ぎるために何も言い返せない士郎。

 そんなバツの悪い顔をする士郎の胸に手を這わし、クリスはその鼓動を感じ取ろうとする。

 

「そんな面倒な奴を貰おうなんて変わりもん―――あたしぐらいだよ」

「クリス……」

「なーにが、俺よりあたしを幸せにできる奴が居たらだよ。お前が嫌だって言っても離さねえって言ったのに、もう忘れちまったのかよ?」

 

 コツンと、士郎の額を小突きニヒルな笑みを浮かべるクリス。

 それに対して、士郎は覚えているなどとは言えずに、気まずそうに顔を逸らす。

 

「たく、しょうがねえ奴だな」

「悪い……」

「しょうがねえから、あんたが忘れる度に言ってやるよ」

 

 そんな士郎の逃げようとする顔を、無理やり両手で正面に向けさせてクリスは笑う。

 

「大好きだって。愛してるって。何度でも、お前の魂にこびり付いて離れないぐらいに言ってやる。だから、士郎。あんたは何も考えずにあたしを幸せにしろ。その代わり、あたしもあんたを幸せにするから」

 

 アメジストの瞳が琥珀色の瞳を捕えて離さない。

 士郎の心臓がバクバクと波打ち、胸が痛みに悲鳴を上げる。

 ただ呼吸をしているだけだというのに、息が詰まったかのように苦しい。

 だが、その感覚は決して不快なものではなかった。

 

「ああ、そっか……」

 

 そこで初めて士郎は自覚する。

 アメジストの瞳に映る己の姿を見れば、きっと母親によく似た姿が見えるだろう。

 あまりにも楽しそうで、あまりにも美しいその姿が。

 そう、きっと自分はあの日の母と同じように。

 

「―――恋って楽しいんだな」

 

 恋をしているのだ。

 世界で一番、可憐で美麗な目の前の少女に。

 それを自覚しただけで世界は一変する。

 

 ■■士郎の灰に塗れていた世界。

 それは1人の女の子への恋心により。

 今は―――薔薇色に輝いていた。

 

「クリス、手を出してくれないか?」

「ん? こうか?」

「いや、右手じゃない……左手だ」

 

 細く、触れれば折れてしまいそうな手をそっと引き寄せ、士郎はあるものを取り出す。

 そのあるものを視認したクリスは、息を呑み、喋ることも出来ずに、ただ瞳を震わせる。

 

「響にも言われたけど、クリスにあれだけ言って貰ったのに、何も返さないのはダメだと思ってさ。無理を言って外に出してもらって、これを買って来たんだ」

 

 それは彼女の髪のような銀の色をしたものだ。

 それは込められた想いに比べれば、酷く小さなものだ。

 だというのに、世の乙女達が喉から出る程に欲するもの。

 

「今の俺じゃ、こんな安物しか買えないけどさ。絶対、ちゃんとしたものを贈るから。だから…その…なんだ。これが俺の気持ちだ。受け取ってくれると嬉しい」

 

 彼にしては本当に珍しく、顔を赤らめてハッキリしない口調であるものを差し出す士郎。

 夢ではないのか。そう思いつつ、クリスは差し出された―――指輪を見る。

 幾ら紛争地帯に長らく居たからといって、その意味が分からぬわけではない。

 彼の秘められた想いぐらい、察することが出来る。

 ああ、だが、それでも。

 

「ヤダ」

「………え?」

「ちゃんと言葉にして言ってくれないと……ヤダ」

 

 声にして欲しい。目を見て愛していると告げて欲しい。

 女の子なのだから、それぐらいのワガママは許されるだろう?

 一瞬、絶望した表情になる士郎に心が苦しくなるが、杞憂なので許して欲しい。

 

「お前もあたしと同じ気持ちだって……好きだって言わないと不公平だろ?」

「クリス……」

 

 身長の関係から、潤んだ瞳で上目遣いで士郎を見上げるクリス。

 心臓が早鐘のように打ち鳴らされる。

 士郎はそれは途轍もなく、うるさいと思った。

 

 だが、それは以前のような自分が生きている証への拒否感からではない。

 ただ、彼女の声を聞いていたいと、その温もりだけに目を向けていたいと。

 身を焦がすような恋慕の炎からだった。

 

「クリス……好きだ、愛してる」

「うん……」

「俺、幸せってものが良く分からないけどさ。それでも、クリスには幸せになって欲しい。笑って欲しい。……いや、違うな。これじゃあ、ダメだな」

 

 一度言葉を切り、士郎は真正面からクリスを見つめる。

 女性らしい甘く柔らかな香り、女神ですら素足で逃げだすだろう美貌。

 本当は優しくて寂しがり屋なのに、意地っ張りな性格。

 全て、全てが―――堪らなく愛おしい。

 

「クリス、俺が君をこの世の誰よりも幸せにする。

 ずっと笑っていられるようにする。

 だから、俺の隣で一緒に生きて欲しい……ずっと」

 

 一緒に生きて欲しい。

 かつて、自らの死を願った自殺志願者からの言葉は。

 彼の心が目の前の少女により、救われたことを示していた。

 

「……はい、喜んで」

 

 その事実に思わず泣きそうになりながら、クリスは左手を差し出す。

 士郎も彼女の意を汲み、そのガラス細工のような薬指に震える手で指輪を通す。

 確かにその指輪は高くはないのだろう。

 だが、クリスにとってそれは、世界の財宝全てを合わせてもなお届かぬ程に価値あるものだった。

 

「なあ、士郎……あたし似合ってるか?」

 

 指にはまる銀のそれを見ながら、ハニかんだように笑うクリス。

 それを見た士郎の答えは決まっていた。

 

「世界で一番」

 

 この世にあなた以上に愛おしい人は居ないと。

 短い言葉に狂おしい程の想いを乗せて。

 

「士郎……」

「クリス……」

 

 2人の距離がゆっくりと縮まって行く。

 互いの上気した顔がハッキリと分かる。

 アメジストの瞳が閉じられ、長いまつげが一層際立つ。

 吐息が鼻をくすぐり、心のむずがゆさが増す。

 そして、永劫とも思われた刹那の後に、2人の距離はゼロに――

 

「待て…押すな、立花!」

「声出さないでください、翼さん。2人にバレちゃいます!」

「そういう響が一番声が大きいわよ」

「ここからだと、カメラに収まりづらいわね。もっと近づこうかしら」

 

 ならなかった。

 覗き魔共の声が聞こえてきたからだ。

 士郎とクリスはお互いに見つめ合ったまま、ゆっくりと入り口の方を向く。

 すると、外に出ておくと言った3人が、ドアの隙間からこちらを覘いていた。

 

「……おい」

「ま、待て、雪音。私は止めたのだが立花達がな」

「あ! 翼さん1人で逃げようとしてもダメですからね。そもそも、一番積極的に覗いてたのは翼さんじゃないですか!」

「そうですよ。最初は私は知らないとか言ってたのに、途中からガン見してましたよね?」

 

 ギャーギャーと自分は悪くないと口論を始める翼、響、未来。

 まさにただの女子高生といった様子に、大人なら微笑ましく見守るだろう。

 だが、見られた張本人、特にクリスはそうはいかない。

 恥ずかしさと怒りで、顔を真っ赤に染めて、ヒクヒクと顔を引きつらせている。

 

「はーい、チーズ」

 

 そんな所へ、空気を読まないシャッター音が聞こえてくる。

 下手人はニマニマと笑っている了子だ。

 

「うーん、いい写真が撮れたわね。後で現像して渡すわ、クリス」

「――殺す」

 

 そこでクリスの堪忍袋の緒が切れた。

 修羅の如き様相で、覗き魔共を始末せんと駆け出していく。

 もはや、ムードもへったくれもない。

 

「ご、ごめんなさーい!!」

「うるせえ! 死ね!」

「何をしている! 逃げるぞ2人とも!」

「うん、今のクリスは本気そうだから逃げよう」

 

 そして始まるリアル鬼ごっこ。

 捕まった奴は、間違いなく半殺しは免れないだろう。

 そんな彼女達の様子を見送りながら、士郎は困ったように笑う。

 

「せっかくのイチャイチャタイムを邪魔してごめんなさいね、士郎」

「何で母さんはクリスに追われてないんだ?」

「カメラを渡したらすぐに叩き壊して、他の子を追いに行ったわ」

 

 1人だけ残った了子がそんなことを言いながら、ツカツカと士郎に近づいてくる。

 

「フェイクだって気づかずにね?」

 

 そして、クスリと笑いながら、ビデオカメラを取り出して見せるのだった。

 

「……どこから取ってたんだそれ?」

「取りあえず、あなたのプロポーズは全部入ってるわ」

「はぁ……そっか」

「あら? クリスみたいに取り上げようとはしないの?」

「母さんがその程度で、データが無くなる様にするわけないだろ」

「正解よ」

 

 だって、バックアップは既にとってあるもの。

 と、笑いながら言って了子は士郎の隣に腰を下ろす。

 

「それに、クリスだって冷静になればこの映像を欲しがるはずよ」

「……なんでだ?」

「だって、愛しの貴方のプロポーズが何度でも見直せるのよ? 冷静に考えたら、女の子にとっては凄い価値よ、これ」

 

 カメラを掌の上で転がしながら了子は笑う。

 自分だって、同じことをされたら一頻り怒った後に、言い値で買うだろう。

 だって、一生ものの思い出なのだから。

 

「そのぐらい、頼まれたら幾らでも言うのに……」

「それとは別腹なのよ、女の子にとってはね」

「良く分からないな……」

「分からなくても、察するように努力しなさい。可愛いお嫁さんに、見捨てられたくなかったらね」

 

 からかうように了子が言うが、士郎はむしろ神妙に頷く。

 恐らくは本当にクリスから離れたくないのだろう。

 そんな姿に、了子はよくもまあ、この子を骨抜きに出来たものだと内心で呆れる。

 まあ、あれだけ言われて落ちない男が居たら、そいつは間違いなくホモだからしょうがないだろう。

 

「でも、あなた達がこんな関係になるなんてねー。あなたが“雪音士郎”になるのも、遠くないでしょうね」

「……何言ってるんだ、母さん」

 

 楽しそうに冗談を言う了子に対して、士郎は呆れたように溜息を吐く。

 その様子に、少しからかい過ぎたかと思い、了子は軽く謝罪を行う。

 

「そうよね。まだ気が早い――」

「それを言うなら、クリスが“櫻井クリス”になるだろう?」

 

 そして、帰ってきた予想外の答えに目をパチクリとさせる。

 正直に言って、彼女の頭が理解できなかった。

 なぜ、クリスが自分の姓を名乗ることになるのかの理由を。

 

「……どうしてクリスが櫻井を…?」

「いや、俺が婿入りするのが確定してるならともかく、一般的には男の俺の姓を使うんじゃないのか? それとも、俺って戸籍がない影響で婿入り以外出来ないのか?」

「い、いや、そうではなくてよ? ただ、なんで士郎が私の姓を使うのかが……」

 

 了子は混乱していた。

 士郎には姓が無い。あの日以降、使うこともせず忘れてしまったからだ。

 もちろん、調べれば分かるだろうが、士郎はそれもしなかった。

 まるで、他に使いたい名字でもあったかのように。

 

「何でって―――母さんの息子なんだから当たり前だろ?」

 

 あ、と了子の口から間の抜けた声が零れる。

 そうだ。書類上は自分が士郎の親になるのだから、何もおかしなことはない。

 だが、本当にそれでこの子は良いのだろうか。

 

「ほ、本当に私の苗字で良いの? 調べれば、あなたの本当の苗字も分かるわよ?」

「母さんの名字が良いし、親子で違うのも変だろ?」

「でも、私は……」

 

 自分は罪人だ。何より、息子を利用した罪の意識は決して消えない。

 了子はそんな意識から、逃げる様に拒否しようとする。

 だが、この男がそんなことで諦めるはずもない。

 

「大丈夫だよ、母さん。俺もこれから一緒に頑張って行くからさ」

 

 そう言って、士郎は屈託のない笑みで笑う。

 それは昔のような機械染みた笑顔ではなく、血の通った本物の笑顔。

 了子はそれを見て、自然と涙が頬を伝って行くのを感じた。

 

「誰が何と言っても、俺は胸を張って言うよ。だってこれは俺の誇りだから」

 

 あの日から止まっていたこの子の時計は。

 私が拾うことで歪ませてしまった運命は。

 

 

「―――俺は士郎、櫻井(さくらい)士郎(しろう)。母さんの息子だよ」

 

 

 今、ようやく動き始めたのだと気づいたから。

 

 

 

                  Fine(フィーネ)

 




これにて完結となります。
読者の皆様方、今まで読んでくださり真にありがとうございました!
感想・評価の程よろしくお願いいたします。

~あとがき~

〇士郎君
 元々オリ主で行く予定だったが、不死身の聖遺物という設定にした時に「あ、これ士郎やん」となり、そのまま主人公に。当初は戦闘とかやらずに日常系ヒロインとして士郎君を書くつもりだった。そのために『衛宮さん家の今日のごはん』を全巻揃え読み込んだ。クリスとの日常のネタも考えた。でも、「んほー! 悲壮感溢れる士郎たまんねぇなぁ!」という愉悦の心に突き動かされラスボス系ヒロインに。でも、後悔はない。
 これから何をするかは決まっていないが、取りあえずクリスとフィーネを笑顔にしたいので料理の腕を磨いていく。ここの士郎は2人の影響で和食よりも洋食が得意。パン作りにも興味を持つ。そのうちアンパンを携えてクリスと一緒に紛争地帯を回るようになるかもしれない。

〇クリスちゃん
 この作品は何を隠そう、可愛いクリスちゃんを書きたいという欲求から始まった。そのためのフィーネが母親になる設定。まあ、作者が士郎にドはまりして、いつの間にかヒーロー役になったけど。因みにクリスのプロポーズの台詞は、本来であれば彼女が言われる側だった。具体的には二期で裏切ったふりをした時に。でも、「大胆な告白は女の子の特権」という言葉を知って変更。何もかんも士郎にんほった作者が悪い。
 これからは平和な生活を送って行く。仲間が増える度に黒歴史(プロポーズ)映像が晒されていく残酷な運命を背負っている。リディアンに入学して初日に指輪のことを突っ込まれ大変な目に合う。でも、指輪は絶対に外さない。仕方なく外した場合は士郎につけなおしてもらってる。他に誰も居ないときに指輪を眺めて、1人でだらしなく笑ったりする(翼・響・未来・フィーネ・士郎以外のその他大勢談)。

〇フィーネさん
 この人の扱いで作品の方向性が大きく変わる大切な人。当初は普通にラスボス予定のお人。原作同様に消滅して調に転生し、士郎にバブみを感じられる可能性があった。マリアさん? 士郎に秒で見抜かれます。また、裏設定で士郎はフィーネの遺伝子を持っているので、普通に士郎に入るルートも存在した。今作では士郎がラスボス系ヒロインに昇華したため、改心ルートに。愛は偉大。
 これからは今までの償いを頑張って行く。辛い道だけど、可愛い息子と義理の娘が居るから大丈夫。因みに息子達を守るために本気を出すので、結構な割合で事件が未然に解決したりする。母は強し。数年後に想い人の真実を知り、涙と共に自分がしようとしていたことに冷や汗を流す。口癖は「孫の顔を見るまで死ねない」。



こんな感じで終わりです。後日談・別ルートは気が向いたら書きます。
先に何か新作を書きます。
取りあえず、気分転換に書いたやつを一緒に投稿してます。
【ヤンデレ・ザ・ワールド】
https://syosetu.org/?mode=ss_detail&nid=223504
一発ネタです。

それでは、またどこかの作品で会いましょう。
ご愛読真にありがとうございました!


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