宇宙海賊春雨。
それは天人によって構成される銀河系最大のネットワークを持つと言われている犯罪組織。
麻薬の売買や取引斡旋、人身売買などなんでもござれ。
実働部隊は十二の師団で構成されており、その中でも第七師団は最強部隊と呼ばれている。
そんな第七師団を率いるのは……
「はあ、暇だなあ」
ソファに寝転がりだらだらと過ごしているこの男、神威だ。別名「春雨の雷槍」とも呼ばれている……はずなのだが、だらけているせいか全くそんな風には見えない。
テーブルの上に広げたパーティー用のお菓子に手を伸ばし、それをぼりぼりと頬張る。
そして次に喉を潤そうとコップに目をやった。
「あー」
コップの中は空っぽだった。先ほどまで甘ったるいジュースが入っていたはずなのに。気がついたら飲みほしていたらしい。
気だるげな声をあげたあと、神威はなにか考えているらしく黙りこんだ。かと思えばすぐに口を開き、ある人物の名前を口にする。
「阿伏兎ー。おーい、阿伏兎ー」
阿伏兎。それは第七師団のメンバーでもあり、 副団長でもある男の名前。
神威は空になったコップを掲げながら、阿伏兎の名前を連呼する。
しばらくして奥の部屋から一人の男が出てきた。この男が阿伏兎だ。
「ったく、さっきからなんだってんだ」
ぶつぶつと文句を言いながら神威のそばまでやってきた阿伏兎は「どうした」と声をかける。
神威は阿伏兎に目をやることもなく、ただただ黙ってコップを掲げたまま。
ここからなにかアクションを起こすのかと思い待ちつづけてみたが、そんな様子はない。
薄々気づいてはいたが、認めたくなかった。阿伏兎は重たく閉じていた口を開けて、こう問いかける。
「まさか、おかわりか?」
「うん、そう」
「はああ……」
わざわざ呼びだした理由がそれだと。
「早くして」と言わんばかりに空のコップをふりふりと振る神威。
言うかどうか迷ったが、溜めこむのはよくないと思い阿伏兎はしっかり話をすることにした。
「あのな、団長。俺今仕事中なんだよ」
「へえ、なんの?」
「どっかの団長さんが船内で暴れまわったから、副団長の俺が始末書を書く羽目になったのをもうお忘れですか?」
嫌味っぽく敬語を使ってみるが、そんなもの神威には通用しない。なんなら船内で暴れまわったことすら忘れている。
神威は阿伏兎の言葉に対してなにも返さず、ただひとつため息をついた。
「な、なんだよ」
嫌な感じのため息だ。空気が一気にどんよりとし始める。今日はいつも以上に機嫌が悪いらしい。
癪ではあるがおとなしく言うことを聞いておいたほうがいいのかもしれない。
「俺はさあ、阿伏兎。退屈なんだよね」
「そうかい。なら仕事を手伝ってくれてもいいんだぞ」
「退屈なんだよねぇ」
ああ、仕事については聞く耳を持たないようだ。
体を動かす仕事じゃないとやる気が出ないのだろう。神威らしいといえばらしいが、正直困る。めちゃくちゃ困る。
今度は阿伏兎がため息をつく番だった。
「人が話してるのにため息つくって失礼だよ」
「その言葉そのまま打ちかえすわ」
「もういいや。阿伏兎、あいつ呼んできて」
ここでようやく体を起こし、だんっとテーブルを叩いて「あいつ」と強調する。
それが誰を指しているのか、阿伏兎は瞬時に察した。こういうときに神威が言う「あいつ」は一人しかいない。
「あいつなら昼間出ていったきり帰ってきてねえよ」
「どこ行ったの?」
「俺が知るかよ」
阿伏兎が面倒くさそうに返したあと、狙ったかのようなタイミングで部屋の扉が開いた。二人は開いた扉のほうに目を向ける。
そこには大量の菓子パンを抱えた少女が一人。二人の視線が突きささり、少女は不思議がるように首を傾げた。少女の腰まで伸びた長い花萌葱の髪が揺れる。赤い大きな目が、二人の姿をとらえた。
少女の名前は白兎(はくと)。真っ白な肌に桃色のチャイナ服を着用している。白兎もまた、夜兎族の生きのこりで第七師団のメンバーだった。
「やあ、ちょうどお前の話をしてたんだよ」
「いやいや団長、まずは菓子パンについて触れるべきだ」
二人の言葉を聞きながら、白兎は持っていた菓子パンをテーブルの上に置いた。神威が貪っていたお菓子の山が下敷きになる。「あーあー」と神威は声にならない声をあげた。
「こんなにどうしたんだ?」
「購買でタイムセールやってたんですよ! 菓子パンの!」
春雨戦艦内に購買があるなんて……と思われるかもしれないが、ここでは当たり前のことなので触れないでおく。
白兎は菓子パンの山の中からメロンパンを手にとって、びりっと袋を破き一口食べた。
「おいしー!」
「あんぱんは?」
「やっぱりメロンパンが一番おいしいですよね!」
「ねえ、あんぱんは?」
神威のあんぱんコールを無視して、幸せそうにメロンパンを口いっぱい頬張っている白兎。
不満なのか神威はじとっと白兎を睨みつけ、頬を膨らませた。
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1-2
「もういいからさ、もういいよ。あんぱんはもういいんだよ」
「なあ、白兎も来たことだし俺もう仕事戻っていいか?」
「だめに決まってるだろ。殺しちゃうぞ」
だめだった。神威のことだから殺すと言ったらまじでやりかねない。
神威の性格をよく知る阿伏兎は、向かい側のソファにどかっと腰かけた。頭の中は仕事のことでいっぱいだったけれど。
立ちっぱなしの白兎に「早くお前も座れ 」と、目で促す。それに気づいた白兎は、阿伏兎の隣に腰を下ろした。
「よし、みんな揃ったね」
「ん? 第七師団は俺たち三人だけじゃないだろ」
「いいんだよ、あいつら全員モブキャラだから」
「部下の扱いひどくない?」
今に始まったことじゃないけど。とは言わなかった。言ったらきっと辺り一面血に染まってしまう。それだけは免れたかった。
「俺はさ、退屈してるんだ。なにか楽しいことがしたいんだよね」
「楽しいことってなんだよ」
「それをこれから三人で考えたいと思います!」
眉毛をきりっとあげて、蒼い瞳を見せる神威。すでにキャラが崩壊してしまいそうな勢いだ。
阿伏兎は「落ちつけよ」と声をかけるが、神威には届いていない。
「白兎、なにかいい案ない?」
「げっ、私ですかー? そんな急に言われても……」
「いいからひねり出しなよ。この中じゃ一番若いんだから」
「年齢関係ないですよね!?」
なんていうツッコミを入れたあと、メロンパンを咀嚼しながらうーんと唸る白兎。一応ひねり出す努力はしているみたいだ。
神威は腕を組み、じろりとした視線を白兎に送っている。お世辞にも人の話を聞く態度とは言えない。
「あ! それじゃあ今からみんなでババ抜きでもしませんか?」
「はああああ……これだから若いやつはよぉ」
「だから年齢関係ないですよね!? せっかく考えたのにひどくないですか?」
と、ここで阿伏兎に同意を求める白兎。たしかに神威の対応はよろしくないが、ババ抜きという案もどうかと思った。
白兎には悪いが、ババ抜きが決定したらなにがなんでも仕事に戻ってやる。そう心に誓いを立てる。
「白兎、俺は刺激を求めてるんだ。ふざけてたら殺しちゃうぞ」
「殺しちゃうぞの安売りはやめてください! ていうかふざけてませんし!」
「白兎に聞いた俺が馬鹿だったよ」
「そうだよ、あんたが馬鹿なんだよ。腹立つなドチキショー」
ついに白兎は暴言を吐いてしまった。この短時間の会話でストレスのパラメーターがいっぱいになってしまったようだ。いっぱいどころか爆発したんじゃないかと思うほど、殺気のこもった目で神威を睨みつけている。
「え? なに、やるの? 俺とやる気なの?」
「売られた喧嘩は買いますよ?」
「待て待て待て待て」
互いに睨みあい火花を散らしている二人の間に、阿伏兎は割って入った。このままじゃ喧嘩勃発。船内で暴れられたらまた書かなきゃならない始末書が増えてしまうではないか。
それだけはなんとしても避けたい阿伏兎。
「一旦落ちつけ。団長も、白兎なりに考えてんだから煽るような言い方はしてやるな」
「阿伏兎って白兎には激甘だよね、ロリコンなの?」
「誰がロリコンだ!」
ほんの少し庇っただけでロリコン扱いとは、世知辛い人生である。
もうさっさと自室に戻って仕事に取りかかりたい……。額に手を当ててため息をついていると、また扉が開いた。一旦会話を中断して三人は部屋に入ってきた男、云業に注目する。
云業の顔色はどこか暗く感じた。寂しいという感情がぴったり合う表情。そして、わかりやすく深い深いため息をつく。
云業の登場したことにより、どんよりとした重たい空気になってしまった。
「云業さん、なにかあったんですか?」
気まずい雰囲気を打破するため、白兎はそう問いかけた。云業は白兎たちを一瞥したあと……
「はあああああ」
神威や阿伏兎とは比べものにならないほどの長いため息を吐いた。そんな云業の反応に対し、白兎はささっと身を縮めて阿伏兎に耳打ちする。
「ちょっとなんなんですか、あれ。やばくないですか」
「俺に言われても……」
「かなり落ちこんでますよ。阿伏兎さんの相棒ですよね、ちゃんとなにがあったのか聞きだしてくださいよ」
「いやいやいや」
今の云業の反応、見ただろ? と目で訴える。
あの様子だとなにを言っても無駄な気がする。きっと今はそっとしておくべきなのだ。
自己解決した阿伏兎は「うんうん」と一人で頷いた。もちろん、白兎からは冷ややかな視線を送られている。
「ああああああ」
驚いたことにまだため息はつづいている。あれから一呼吸もついていない。このまま死んでしまうのではないか、白兎はちらりと云業を見る。
……心なしか先ほどよりも生気が失われているように見えた。白兎は「ひっ」と小さく悲鳴をあげる。
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1-3
「めちゃくちゃ怖いんですけど……団長、自分の部下ですよね? 話聞いてきてくださいよ」
阿伏兎が無理だとわかった今、今度は神威に願いを託す。しかし、阿伏兎よりも望みは薄い。
思っていたとおり神威は面倒くさそうに頭をぽりぽりってかいている。
「どうせ自分の死期が近いことに気づいて落ちこんでるんだろ」
「ええ!? 云業さん死んじゃ──」
慌てて白兎の口を塞いだのは阿伏兎だった。手のひらで口を押さえつけられ、「んんんー!」と白兎は息苦しそうに呻きにも似た声をあげている。
「縁起でもないこと言うんじゃありません!」
「ぷはっ! い、今のは団長のせいですよ!」
解放された白兎は、びしっと神威を指差す。神威はその人さし指を手に取り、迷わずぽきんと心地いい音を立てて折った。
「ぎゃああああ!」
唐突に襲ってくる激痛に耐えきれず、白兎は床をのたうちまわる。しばらく転げまわっていたが、どこかに頭をぶつけたらしく一瞬にして大人しくなった。すすり泣くような声だけが聞こえてくる。
「俺に指をさすからそうなるんだよ」
「指さしの代償でかすぎない!? 大人げないですよ団長!」
「俺まだ子供だもーん」
「そうやって都合が悪いときだけ子どもぶりやがって!」
云業のことなどすっかり忘れて、言いあらそいを始める二人。これはどこかで止めないと、そのうちどちらかが手を出すだろう。神威に至ってはすでに白兎の指の骨を折っているが。
仲裁に入るのも億劫だなあ、なんて思い現実から目を背けるように云業の様子を伺う阿伏兎。やはり元気がないし、ため息もつづいている。
馬鹿二人の相手をするよりはましかもしれない。喧嘩を止めるよりも先に、云業に話しかけることにした。
「云業、なんかあったんなら聞くぜ」
「阿伏兎……」
「だから今にも死にそうな面すんじゃねえよ」
聞いてやるからこっち来い、と云業を手招きする。神威の隣が空いているのでそこに座ってもらうのだ。……と、その前に。
「おいコラ、いい加減喧嘩はやめろ」
いつのまにか胸ぐらを掴みあうところまで来ていた二人を止める。回復力が凄まじいのか折れたことを忘れているのかはわからないが、白兎の涙はすっかり乾いていた。
阿伏兎に止められ、白兎は不満そうな顔を見せるも神威から離れる。神威は手をひらひらとさせたあとに、ソファに座りなおした。
その隣に云業も座る。三人は云業が話しはじめるのを待ったが、云業は俯きがちになり口を重たく閉ざしてたまま。
云業がこんな風になるなんて……。
阿伏兎は自身の腕を組み「どうしたものか」と悩んだ。
「まったく、いらいらするなあ。なに? かまってちゃんなの? メンヘラは白兎だけでお腹いっぱいなんだけど」
「誰がメンヘラ!?」
ちょっとでも隙があるとすぐ喧嘩に走ってしまうのは、お互いまだまだ子どもだからだろうか。
これじゃあ云業だってさらに話しづらくなるだろうに。そう阿伏兎は思っていたが、意外にもこのタイミングで云業は口を開いた。
「猫がよぉ……」
「え、猫?」
「飼ってた猫がよ、朝起きたらいなくなってたんだ」
「……云業さん猫飼ってたんですか!」
動物が好きなのか、白兎は猫という言葉に食いついた。云業は一度だけ小さく頷く。
云業と長年共にしている阿伏兎も、猫を飼っていたなんて知らなかった。
「あれ? でも春雨ってペット飼うの禁止してるよね」
思いだしたかのように神威が言う。それを聞いた白兎も「そういえばそうでしたね」と一言。
云業の話によると以前仕事で降りた星で拾ってきて、ずっと隠れて世話をしていたらしい。
話をしながら、云業は何度か泣きそうになっていた。
「どこ行っちゃったんですかね、猫」
「他のやつらに見つかったらきっと処分されちまう」
「そ、そんな。処分って……ねえ?」
たしかにペット禁止ではあるが、果たして処分までするだろうか? 元いた場所に返すとかではだめなのか。そんな意味を込めて、白兎は阿伏兎と神威を交互に見やる。
二人は無言で首を横に振った。
第三者に見つかり元老に話がいけば、必ず処分されるに違いない。そういう男なのだ。
「そんなの絶対だめですよ!」
「だよな! 白兎もそう思うよな!」
「当たり前です! 団長が処分されようが知ったこっちゃないですが、かわいい動物だけは守らなきゃ──」
言いおわる前に、白兎は顔をテーブルに埋められてしまった。もちろん神威の手によって。
今さらだが女の子に暴力を振るうのはいかがなものか。今のは白兎が悪かったけども……。
いろいろ思うところはあったが、阿伏兎たちは口には出さない。
「決めた」
「ん?」
なにを? と三人は神威に注目する。白兎の顔面は血だらけだった。
「猫、捜してあげるよ」
「ええええ!?」
神威の発言に驚いたのは、阿伏兎でも云業でもなく白兎だった。あの神威の口からあんな言葉が出るとは思わなかったようだ。口をぱくぱくさせている。
阿伏兎も阿伏兎で驚いてはいるが、白兎のリアクションはややオーバーに見える。これはまた煽っているんだろうなあ、と阿伏兎は呆れた。
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1-4
「団長が人のために動くなんて……」
「なんなの? 白兎は俺に殺されたいの?」
「まあまあまあまあ」
こんな調子だといつまで経っても話が進まないので、そうなる前に阿伏兎が間に入る。神威は納得がいかないと言わんばかりの顔をしているが、自分を落ちつかせるためかふうっと息を吐いた。
「俺だって白兎が処分されるならなんとも思わないけど、猫に罪はないからね。人って言うより猫のために動くんだよ、俺は」
「ふーん?」
「あと暇だし」
「それが一番の理由ですよね」
懲りずに煽ってくる白兎に対し、「だったらなに?」と神威は開きなおった。
「だ、団長。本当に捜してくれるのか?」
「いいよ。そのかわり報酬はたっぷりいただくけどね」
にやりと悪い笑みを浮かべる神威。
やはりタダでは動かないか。阿伏兎と白兎はそんな気がしていたので、あまり反応を示さなかった。
云業は「もちろん!」と元気よく返事をしている。
話はまとまったようだ。
「よし、俺は仕事に戻るとするか。頑張れよ、団長」
「は? 殺しちゃうぞ」
「なんで!?」
「誰が仕事に戻っていいなんて言ったの」
「いやいや……」
まずい、この流れは非常にまずい。このままでは巻きこまれてしまう。
いやいや、あれだけ仕事仕事と言ってアピールしていたのだからこちらの気持ちを汲みとってくれてもいいのでは?
そんな淡い期待を持ったが……
「阿伏兎も一緒に捜すんだよ」
「やっぱりか! 仕事あるっつってんだろ!」
「仕事と俺どっちが大事なの!?」
「悪いが今は仕事だ」
変な口調で絡まれても惑わされず、阿伏兎はきっぱりと言いきった。ものすごく殺気が込められた目で睨まれてしまう。
「そんな目で見られても困るんだが。つーか白兎連れていきゃいいだろ」
「ちょいちょいちょい! なに勝手なこと言ってるんですか、絶対嫌ですよ団長と行動するなんて」
「またお前さんはそういうこと言う……」
ああ、言わんこっちゃない。
光の速さで掴みあいになった二人を見て、頭が痛くなるのを感じた。ちらりと云業を見てみれば、なにやらそわそわしている。
早く捜してほしいのだろう。気持ちが痛いほど伝わってきた。
「あー、もう。わかったわかった。云業のためだ、つきあうよ」
「まじで?」
白兎に馬乗りになって拳を振りおろそうとしていた神威だったが、阿伏兎の返答に満足いったのかぴたりと手を止める。
阿伏兎は諦めたように数回頷いた。
「阿伏兎さんが行くなら私行かなくていいですよね」
「白兎も行くんだよ」
「どええ……なんでですか」
「なに、文句あるの」
なんだかんだで白兎のこと好きなんだよなあ、団長。喧嘩するほど仲が良いってこういうことを言うのかね。
そんなことを口にしたら、神威はどんな反応を見せるのだろう。きっと重たいパンチが阿伏兎の顔に落とされる。それはごめんだった。
「白兎、俺からも頼むよ」
「云業さん……」
云業の悲しそうな顔。そんな目で見られたら断れない、白兎は困ったように眉を下げる。
猫を助けたい気持ちは山々だが、あの神威と一緒に行動するというのがどうも……。
神威のことは嫌いではない。ただなぜか毎回喧嘩になるので、少し疲れてしまうのだ。
「そんなに嫌か?」
「え? ……いや、大丈夫です。行きますよ」
嫌だと言いづらい空気だったので、仕方なく了承した。白兎の暗い表情を前にして、神威はなにか言いたげに目を細める。
視線に気づいた白兎が顔をあげるが、それと同時に目をそらす。眉をひそめている白兎に構わず「早く行こう」と指揮をとった。
****
神威、阿伏兎、白兎の三人は部屋を出て廊下を歩く。云業はあまりにも元気がなさすぎるので、猫の特徴だけを聞いて置いてきた。
「黒猫かぁ」
「そう簡単に見つかりますかね」
「ていうかどこ捜したらいいの?」
「いや私に聞かないでくださいよ。自分から言いだしといてノープランですか……」
こればかりは阿伏兎も同じ気持ちだ。言いだしっぺなのだから、なにかひとつでも案があるのかと思っていたのだが……期待するだけ無駄だったらしい。
神威はアホ毛をぴょこぴょこと揺らしながら、にこにこ微笑んでいる。
「俺は早く済まして仕事に戻りたいんだがな」
「さっきから仕事仕事って……ノイローゼになるよ?」
「誰のせいだ、誰の」
「あ、そうだ!」
神威と阿伏兎が話をしていると、一歩前を先に歩いていた白兎が立ちどまった。急に止まるものだから、阿伏兎は軽くだが白兎にぶつかってしまう。
「悪い、大丈夫か?」
「は、はい。私も急に止まっちゃってすみません」
「気にするな。それよりなにか思いついたんだな?」
阿伏兎と話すときは普通だ……。
神威はじーっと白兎を見つめる。それに気づいているのかいないのかわからないが、白兎は話をつづけた。
「食べものでおびき寄せませんか?」
「ああ、なるほどな。いい案じゃねえか」
「やったー、褒められ──いたたたた」
なぜか神威に両頬を引っぱられてしまう白兎。頬はびよんと伸びて餅みたいになっている。
限界まで伸ばしたあと手を離せば、びたんっと音を立て元ある場所に戻っていった。白兎の白い肌が、引っぱられたことにより赤くなってしまった。
「な、なにするんですか! 地味に痛かったんですけど!」
「なんかむかついたんだよね」
「そんな理由で!?」
「で、なにで釣るわけ?」
白兎の案に反対するわけではないようで、神威はそう問いかけた。猫がなにを好むのかよくわかっていない白兎は、「うーん」と首を傾げている。
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1-5
「え、えーっと……これなんてどうでしょう」
考えたはいいが答えが見つからなかった白兎は、どこから取りだしたのかわからない菓子パンをちらりと見せた。
これには先ほど褒めた阿伏兎も困惑。
「いや、だめだろ」
「ですよね! そうですよね! すみません」
パン案を却下された白兎は、自分で処理をしようと包装を破いて食べようとした──ところを、「待って」と神威に止められる。
あーんと口を開けていた白兎は、まぬけな表情を神威に向けた。
「ワンチャンあるよ」
「わん……なんですか?」
聞きなれない言葉を耳にした白兎は、困ったように首を傾げる。そんな白兎から、神威はパンを取りあげた。
それをやりとりを見ていた阿伏兎は、なにやら慌てた様子を見せる。
「ワンチャンねーよ!」
「あ、あのー、わんちゃんってなんですか? 私たちが捜してるのって猫ですよね」
「ワンチャンであってわんちゃんではない」
「わー、全然わからなーい」
白兎は考えることを放棄した。白兎に構うことなく阿伏兎は話を続行する。
「団長、猫にパンはだめだ。食物アレルギーを起こす可能性があるぞ」
「それくらい知ってるさ。べつに食べさせようってわけじゃないよ。においで寄ってくることだってあるだろう?」
「ま、まあそうだが……って団長にしてはまともな考──」
阿伏兎は最後まで言いきることができなかった。
言葉にするのも恐ろしいやり方で、神威に言葉を遮られたからだ。
危うく命を落としそうになった阿伏兎は、今は神威を刺激するようなことを言うのはやめた。
「でもクリームパンか。あんぱんないの?」
「そのあんぱんに対する執念はなんなんですか……ないですよ。あとはジャムパンとチーズ蒸しパンの盛りあわせくらいです」
「だからどこから出してんの、それ」
いつのまにか両手いっぱいに菓子パンを抱えていた白兎に、神威は冷静にツッコミを入れる。
「まあいいか」と気持ちを切りかえて、神威は歩きはじめた。どこに向かうのかはわからないが、二人は互いにアイコンタクトを取ったあとその後ろをついていくことに。
やってきたのは甲板だった。ここは見通しがよく、今の時間帯は人も少ない。そう考えると捕獲には最適な場所なのかもしれない、と神威以外の二人は納得した。
それにしても、仕事もこれくらい真面目に取りくんでくれたらいいのに。
それが阿伏兎の本心だった。命が惜しいので絶対に口にはしないけれど。
「とりあえず三つくらい置いときましょう」
袋を開封して、そっと地面にパンをセッティングする。袋を開けるたびに香ばしいにおいが辺りに広がっていく。
「はあ……お腹減ってきました」
「さっき食ってたろ」
その小さい体になぜあれだけのパンが収まるのか……答えは簡単。夜兎族は基本、大食いなのだ。その中でも神威と白兎はやたらと食べる。
しかし、白兎が食すものはパンばかり。正直どうかと思う。
「さて、俺たちは身を隠すとしようか」
「なんかわくわくしてきましたね!」
いつのまにかノリノリになっている白兎。さっきまで不機嫌だったのが嘘のようだ。
いろいろ言いたいことはあったが、阿伏兎は二人につづき近くの柱に身を隠すことにした。
****
それから約三十分。ただひたすらパンを置いた場所を監視しているが、特に変化はない。たまに通りかかる団員が不思議そうにパンを見るくらい。
「飽きたなー」
「早いなおい」
もう少し粘れるだろ、と阿伏兎は一言つけ足す。
自分で言いだしたことだ。さすがに三十分で飽きるのは早すぎる。
「だってさあ」なんて神威は眠そうに言いわけをしようとしている。これはちゃんと聞かなくてもいいだろう。
「ん? そういや白兎のやつどこ行った?」
ずっと自分の後ろにいるものだと思っていた白兎がいなくなっていた。神威も今の今まで気がつかなかったらしく、二人してきょろきょろと辺りを見回して──見つけた。
「いやなんでお前がパン食ってんだ!!」
白兎の姿を視界にとらえた瞬間、阿伏兎は大きな声でつっこんだ。そう、いなくなったと思っていた白兎はパンをセッティング場所にいて、さらにそのパンを食していた。
もぐもぐと頬張っているその顔はとても幸せそうだ。
「あーあーあー、全部食っちまってるじゃねえか! アホか、お前さんアホなのか。こっち戻ってこい!」
阿伏兎にアホと言われても、平然とした様子で戻ってくる白兎。口のまわりがクリームやらなにやらで汚れている。
「すみません、パンのにおい嗅いでたら我慢できなくなって」
「お前さんが考えた作戦だろうが、真面目にやれよ」
「私はいつでも真面目ですよ?」
だとしたら大問題だぞ。
阿伏兎はため息をついたあと、パンもなくなったし神威にこれからどうするかと聞いてみた。あまり期待はできないが、自分一人で考えるのは面倒だった。
「そんなこともあろうかと思って、実は俺もお菓子持ってきてたんだよね」
「パーティー用の馬鹿でかい菓子をどこに隠しもってたんだ」
白兎と言い神威と言い、四次元ポケットでもついているんじゃないかと疑ってしまう。
しかしお菓子で猫を釣るなんて……。
「次はこれを──」
「まあなにもないよりはましか」
「食べます」
「いやなんでだ!!」
猫をおびき寄せるための道具にするかと思いきや、ばりばりと咀嚼音を立ててお菓子を食べだした神威に清々しいほどのツッコミが入った。
悲しいことに白兎も一緒になって食べはじめたではないか。
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1-6
「お前らまじでいい加減にしろよ! 俺はな、仕事ほっぽり出してここにいんだ! わかってんのか、このすっとこどっこい!」
「あ、阿伏兎さんが切れた……」
白兎の記憶が正しければ、阿伏兎は普段温厚なはず。そんな阿伏兎が切れた。これは一大事だ。
白兎はどうしたものかと頭を悩ませたが、神威が視界に入ったので全てなすりつけることにした。
「団長がふざけるからですよ」
「は? 先にふざけたのはお前だろ」
「だから私は至って真面目ですってば!」
このまま放置していたら言いあらそいが間違いなくヒートアップするだろう。だが阿伏兎はそれを止める気にもならなかった。どうせ止めてもまたすぐに喧嘩するし、正直疲れてしまったのだ。
若者にはついていけん。これが今の気持ち。
しかし……そんな気持ちは一瞬にして吹きとんでしまった。
阿伏兎は二人の後ろにいるものを目の当たりして、言葉が出ないのか口をぱくぱくとさせている。
「阿伏兎さん? どうしたんですか、いきなり金魚の真似なんかして」
「そんな真似しなくても食べたいならあげるよ」
なにもお菓子が食べたくて口をぱくぱくさせているわけではない。
そうツッコミを入れてやりたくなったが、それどころではなかった。
「い、いいか。二人とも……振りかえらずゆっくりこっちに来い。いいな、走るなよ」
「もう、一体なんなんです──」
ここでようやく白兎たちも気づく。後ろに気配を感じる、と。神威と白兎は互いに視線を合わせた。そしてゆっくり、恐るおそると後ろを振りかえる。
真後ろに巨大な黒猫……のようなものがいた。神威たちよりも背が高く、こちらを見おろしている。
猫はしばらく神威たちを見ているだけだったが──なにを思ったのかぐわりと大きく口を開けた。動物のつんとしたにおいが広がる。
むき出しになった牙がぎらっと光ったように見えた。
「ぎっ、ぎゃああ!!」
白兎が叫ぶのとほぼ同時、猫は神威たちに向かって突っこんできたかと思えば勢いよく口を閉じた。二人はぎりぎりのところでその攻撃をかわす。
勘違いじゃなければ、この猫は今神威たちを食べようとした。
神威たちは素早く阿伏兎の後ろに避難する。
「──っておい! なに人を盾にしてんだ!」
「阿伏兎さんは猛獣の扱い慣れてるでしょ!?」
「俺にどんなイメージ持ってんだよ! 猛獣なんて飼ったこともねーわ!」
「団長なんて猛獣そのものじゃないですか! 大差ないですよ!」
「頼むからこんなときまで喧嘩しようとすんな、頼むから!!」
後ろで不穏な空気が漂いはじめているが、目の前もやばい。よだれを垂らした猫がじりじりと距離を詰めてきている。猫というより、虎に近いような。
これが云業の言っていた猫だと言うのならあいつと話しあうことになるぞ!
阿伏兎は云業の顔を思いだし、怒りを募らせた。
「ていうか団長。団長ならあの猫、簡単に仕留められるんじゃないですか?」
「冗談やめてよ。俺、動物愛好家だよ?」
「え、初耳なんですけど……。なにその取ってつけたような設定」
なんていうやりとりをしながら、足音を立てずにそろりと後ずさる二人。阿伏兎もそれにつづいた。
なるべく刺激しないようにと頑張ったつもりだったが、無意味だったらしい。猫はものすごい勢いで突進してきたかと思えば──地面を蹴ってジャンプした。
阿伏兎の上を綺麗に飛んだ猫の瞳に移りこんだのは、神威だった。
がぶり。
ごくん。
「だっ、だだだ、団長ぉぉ!!」
「団長が食べられたぁ!」
阿伏兎と白兎がそれぞれ騒ぐ。
そう、神威は猫に丸のみされてしまった。あまりにも早すぎて二人は見ていることしかできなかったのだ。
「わあああ! 団長を出せ! 吐きだせー!」
「待て白兎! 気持ちはわかるが動物に暴力を振るうのは絵面的にまずい!」
「文章だからセーフですよ!」
「そういう問題じゃない! 人としてやばいんだって!」
猫に飛びかかろうとしている白兎を、羽交いじめで止める阿伏兎。
しかしどうしたものか。咀嚼したように見えないから、神威は無傷のはず。ただどうやって吐きださせるべきか。
悩んでいると、猫の様子がおかしいことに気づく。
ぷるぷると震えている。
しばらくして、猫はぺっと口から神威を吐きだした。見たところ怪我をしている様子はない。周りには神威が忍ばせていたお菓子も転がっている。
「団長、大丈夫ですか!? 生きてます!?」
「……なんとかね」
「ちっ」
「おいなんで今舌打ちした」
猫の唾液まみれの神威が、駆けよってきた白兎に掴みかかる。「くさいですー」と白兎は神威を煽るだけ。
「無事でよかったが、なんで吐きだしたんだ?」
「ああ、それだけど……多分目当てはあれだね」
あれ、と神威が指さした先には一緒に吐きだされたお菓子。猫はそれに興味を示しているのか、鼻でつついている。
神威はそれをひとつ手にとって袋を開けた。ぴくりと猫の鼻が反応する。「やっぱりね」と神威は呟いたあと、袋を逆さにしてお菓子を床にぶちまけた。
猫はそれに飛びついて、今このときが幸せと言わんばかりの顔でがっつきはじめた。
「俺が持ってたお菓子に反応してたみたい」
「いいのか? 猫にあげて」
「見るからにただの猫じゃないし大丈夫でしょ」
たしかに普通の猫とかなり違うので、大丈夫な気がする。
こんなに大きいのになぜ今まで見つからなかったのか、不思議ではあるがとりあえず今は云業を呼びだすことにした。
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1-7
****視点変更。
「ケルベロスゥウ!!」
数分後。云業は涙を流しながら、そう叫んで猫に飛びついた。顔を見たら真っ先に一発殴ってやろうかと思っていたのだが……そんな気も失せてしまった。感動の再会を邪魔するわけにはいかないからな。
「いやいやいやいや」
云業たちの再会に涙ぐんでいると、白兎が納得いかないといった感じで俺の隣に立った。
なにか言いたいことがあるらしい。いや、わかるけども。ここは目をつぶってだな……。
「猫なのになんでケルベロス? 意味わかってんですか、あの人」
たしかケルベロスはギリシア神話に登場する冥府の犬だ。猫ではない。さすがに意味はわかっているはずだが、云業はどこか抜けてる部分があるからなあ。なんとも言えん。
そう思っていると未だに唾液まみれの団長が云業に近づいていく。いや、もう戻ってシャワー浴びたほうがいいんじゃないか。
「ねえ、それ本当に猫なの?」
「なに言ってんだ団長! 誰がどう見ても猫じゃねーか」
「じゃあなんでケルベロスなんだよ」
「ケルベロスのように立派な番犬になってほしいからさ」
「番犬って言っちゃってるからね、もう。犬って言っちゃってるから」
団長から的確なツッコミを受けても、こいつは猫だの一点張り。もうどっちでもいい。見つかったんならいいじゃねえか。
だからもう部屋戻っていい?
「思ったんですけどこんな猫なら元老も喜んでここに置いてくれそうですよね」
「ん? ……ああ。たしかにそうかもな」
「阿伏兎さん、元老にお願いしにいってあげたらどうですか?」
「なんで俺? 仕事残ってるっつってんだろ、そんな暇はねえよ」
云業には悪いがな。
──いや、もう遅かったらしい。云業の野郎、期待の眼差しをこっちに向けてきやがった。なんなら横にいる団長もだ。なんでお前が期待してんだ!
「いやいや、こういうのは団長が行くべきだろ」
「無理だね。俺あのおっさんと馬が合わないんだ。おっさん同士なんとかしてよ」
「誰がおっさんだ!」
おじさんと言え、おじさんと。そのほうがまだ許せる。
ちくしょう、どうやらまだ仕事に戻ることができないらしい。なんでこいつらはみんな人使いが荒いんだろうなあ。夜兎か、夜兎族だからなのか。おじさん夜兎族だけどそんなことしないよ?
そんな思いも虚しく、俺は元老に直接話をしにいくことにした。
****
「いやー、めでたいね」
あれから数日。云業の飼い猫のケルベロスは正式に春雨団員として迎えられた。ただの猫じゃないということで元老に気に入られたようだ。
最近では云業が堂々とケルベロスを散歩に連れている光景を見かけるようになった。
テーブルいっぱいに広げられた豪勢な料理を頬張りながら、団長は「めでたい」と一言。
「報酬がお金じゃないのは残念だけど、云業の料理はうまいからこれはこれでアリだよね」
そう。この料理はみんな云業が手づくりで用意してくれたもの。たしかにうまいが、量が多すぎる気がするぞ。
まあ団長と白兎の手にかかれば一瞬か。云業もそれを考えてこの量にしたのだろう。
「云業さん、幸せそうでしたね」
「だな」
たまには人助けもいいもんだな。宇宙海賊春雨が人助けなんて、笑ってしまうが。
「考えたんだけど」
食事をする手を止めて、団長が口を開く。団長がろくなこと考えないからな、あんまり聞きたくないんだが……そういうわけにもいかねえか。
白兎とアイコンタクトを取ったあと、団長に目を向ける。
「万事屋やらない?」
「……は?」
万事屋っていうと、なんでも屋みたいなもんか?
なんでまた急に……。ああ、そういや暇だとか言ってたなあ、この団長さまは。
今でこそ仕事も落ちついたが、俺は暇じゃないぞ。
「人のために働き報酬を得る。どう? 楽しそうだろ。ていうか今日楽しかったし」
「うっわ、あまりにも団長らしくない発言すぎてうっわ」
「うるさいなあ、噛むよ」
「ぎゃあ! やめてください!」
腕を噛まれそうになった白兎が、慌てて引っこめる。白兎よ、団長がなにがきっかけで怒るのかそろそろ学んでくれ。
「団長、言っとくが春雨は遊びじゃないんだぞ」
「わかってるさ。遊びじゃないからこそ息抜きが必要なんだよ。これ以上文句があるなら阿伏兎の仕事増やすよ?」
「だー! 待った待った! べつに文句なんざ言ってねえよ。やりたきゃやれ、勝手にな」
団長の言いたいことはわからなくはないが、いちいちこんなのにつき合ってられん。
云業の手料理も十分味わったし、さっさと自室に戻ろう。重たい腰をあげると、団長と目が合った。
なんだよ、なんなんだよ……。
「言っとくけど阿伏兎と白兎は強制参加だからね」
「はあ!?」
俺と白兎の声が見事にかぶる。
そんな気はしていたが、まじで言いだすとはな。頼む、団長。俺はあんたの尻拭いでいっぱいいっぱいなんだ。これ以上面倒ごとに巻きこむのはやめてくれ。やるならひとりでやるこった。
──とは言えなかった。言える空気じゃなかった。
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1-8
「な、なんで私たちまで?」
そうだ、白兎。言ってやれ。俺がこれ以上言うと大変なことになりそうだからな。主に仕事の面で。
「さすがにひとりじゃ万事屋は務まらないよ。いいかい? 万事屋には主人公、ヒロイン、ツッコミ役がいなくちゃいけないんだ」
「その流れだと俺がツッコミになるじゃねーか!」
「なんだよ、阿伏兎。随分ノリノリじゃないか」
「ぐっ」
ついツッコミをいれてしまった。慌てて口を塞いで余計なことを言わないようにする。
おいおい、白兎。「ヒロインかぁ」なんてまんざらでもなさそうな顔しやがって。
「人助けをして報酬をもらうんだよ? 悪い話じゃないだろう」
「まあ、たしかにそうですね。団長と一緒っていうのがあれですけど」
「あれってなんだよ、沈めちゃうぞ」
「殺しちゃうぞの応用編はやめてください!」
と、ここで二人の掴みあいが始まる。そのあいだに逃げるっていう手もあるが、すぐに捕まりそうだな。
いきなり猫を捜すとか言いだしたかと思えば……団長が人助けねえ。なんだって急にそんな風になったんだよ。悪いことじゃないとは思うが、巻きこまれる身にもなれって話だ。
ま、こっちに拒否権はないんだろ。
「わかった」
「阿伏兎?」
「やってやろうじゃねえか、万事屋」
俺がそう言うと、団長の頭のアンテナがぴょこんと反応した。なんだそれは。喜んでんのか?
「阿伏兎ならそう言ってくれると思ったよ」なんて言ってるがな、団長。気づけ、あんたが言わせてんだよ。
「あんま目立つことはするなよ。なにかあってどやされるのは俺なんでな」
「もちろんわかってるさ」
本当かね。どうにも信用できないが、今はなにを言っても無駄だろうな。
俺はあげていた腰をおろし、また料理に手をつけた。もういいや、今日はゆっくりしよう。
どうせ明日からまた団長たちに振りまわされるんだろうし。休めるうちに休んどかないとな。
「万事屋やるなら宣伝用のポスターがいりますよね! 作りますよ、私!」
団長と一緒なのは嫌とか言うわりには、楽しそうだな。仲が良いのか悪いのか、よくわからない二人だ。
……まさかとは思うが団長。いや、やめとくか。これ以上触れるのは野暮ってもんだろ。
「名前はどうしますか? そのまま万事屋にしときます?」
「うーん、そうだなあ……」
自身の腕を組み天井を見あげて考えこむ団長。
万事屋の名前を真剣に考えているようだ。だからさ、その熱意を仕事にも向けてくれないかねって思うわけだよ。こっちは。
「決まった」
「おう」
「今日から俺たちは──」
****
春雨戦艦の数カ所に設けられている掲示板。
今月の連絡事項やその他のお知らせ用紙が貼られているその隅っこに、一枚。
『万事屋神威くん なんでも解決します!』
そう書かれたポスターが貼られていた。
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2-1
薄汚れた榛摺の上から、鮮やかな煉瓦色をかぶせていく。手を上下に動かして、白兎はその色の変化を楽しんでいるように見えた。
白兎の横には塗料の入ったバケツ。先ほどから動かしている手には塗料用の刷毛が握られている。
かく言う俺も、全くと言っていいほど同じ状況なのだが。
まさかこの歳にしてこんなところで、床の塗りかえすることになるとはなあ。春雨戦艦内の甲板を「こんなところ」なんて言うのは失礼か?
「白兎はこういう仕事が向いてるのかもな」
「え? そうですかね」
「ああ。楽しそうだし、綺麗に塗れてる」
「ありがとうございます!」
はにかんだ笑顔を見せる白兎。ここだけ見りゃ普通の女の子なんだがな。根っからの夜兎族だし団長が絡んでくると、なかなかに癖が強くなる。
さて、そんな団長はというと……絶賛さぼり中だ。
刷毛を持っているが、かれこれ一時間は微動だにしていない。うん、始まって三十分もしないうちにああなったね。予想はしてたさ。
「団長、いい加減働いてくださいよ!」
「えー、飽きた」
「早すぎ!」
ほぼ俺と白兎が塗ってるからな。団長なんてどこ塗ったんだ? なんなら塗ってるとこすら見てないぞ、団長よ。
俺たちは白い作業着を着てやっている。白兎と俺は塗料が付着して汚れているが、団長の作業着は真っ白なままだ。これが全てを物語ってるよなあ。
「ていうかなんで俺たちがこんなことしなきゃいけないの?」
「万事屋だからでしょ……。なんかよくわかんない人が、あのポスター見て依頼してくれたんですよ」
「誰だよ、ポスターになんでも解決しますとか書いたやつ」
「あんたが書けって言ったんでしょーが!」
それまで地道に塗っていた白兎だったが、団長に嫌気がさしたのか顔をばっとあげて大きな声を出した。
気持ちはわかるぞ、白兎。ただ今は落ちついてくれ。お前さんたちが騒ぐとよくない方向に進んじまう気がするんだよ。今はとにかくこの仕事を終わらせないと。
「思ったんだけどこの色がさあ、創作意欲を掻きたてないんだよ」
「ついに色にまで文句言いはじめましたよ、この人。あと創作意欲ってなんですか」
「この色、地味じゃない?」
「しかたないですよ、依頼人の指示なんですから。それに綺麗じゃないですか。ね、阿伏兎さん」
まあ、たしかに華やかでいいんじゃないか。俺たち春雨には不釣合いな気がするけどな。
団長も地味とか言っているが、本当は俺みたいにそう思ってるんじゃないのか?
ちらりと団長を見てみる。なんと団長はおとなしく塗料を塗りはじめていた。白兎の気持ちが届いたのかもしれない。
思ったのもつかの間。団長が持っているバケツに入っているのは真っ赤な塗料だった。
「──ってオイィ! なにしてんだ!」
「なに? 殺しちゃうぞ」
「急に殺しちゃうな! って団長、どっからそんな塗料持ってきやがった!」
「あそこからだけど」
そうやって団長が指さした先には、小さな倉庫があった。俺たちが持っている塗料もあの倉庫から引っぱりだしてきたものだ。
他の色が置いてあるなんて知らなかったぞ……。
「ぎゃあああ! 団長! なにしてくれてんですか!」
時すでに遅かったらしい。煉瓦色の上から赤い塗料が塗られている。
そりゃ叫びたくもなるよな。団長は反省した様子もなく、口笛吹いていやがるし。
「なんですかこれ! 真っ赤な甲板とか不吉すぎるでしょ!」
「春雨にぴったりだよ?」
「春雨が殺伐としているからこそ! 甲板くらいは穏やかにしたいんです!」
「これだから夢見がちガールは」
けっ、と団長は吐きすてる。唾ではなく赤い塗料を。
「むきー!」と白兎の怒りが頂点に到達した。我を忘れて団長に掴みかかる。それはもうものすごい勢いで。その姿からはさっきまでのかわいさは微塵も感じられない。
「おいおい、落ちつけ! 仮にも仕事中だぞ」
「団長が、団長がぁぁ……!」
「団長も真面目にやれよ。万事屋はあんたが言いだしたことだろ」
あの団長に注意したところで、聞いてくれるわけがないよな。期待はしていないさ。
いや、でもな、団長? いきなり体に塗料塗りたくるのはさすがにおじさん理解できねえわ。
「団長なにやってんですか……全身真っ赤じゃないですか」
「かっこいいだろう」
「馬鹿なんですか? ──きゃあ!?」
ちょっとした遊び心か、はたまたただの嫌がらせなのか。団長は白兎に向かって真っ赤な塗料をぶちまけた。白兎は頭から塗料をかぶってしまい、見るも無残な姿となった。
「あ、似合うね。キャラデザそっちのほうがいいんじゃない?」
「な、な……なにしとんじゃコラァ!!」
あれは女の子が出してはいけない声だ……。
塗料まみれの二人が掴みあいになる。お互い一歩も譲らない状態だ。
あーあ、団長のせいで床がほぼ赤色になっちまった。どうすんだ、これ。
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2-2
「うーん、バケツでぶっかけるのも物足りないなぁ」
「なんで塗料ぶっかける前提で話してんだよ」
「あ、そういえばいいの持ってたんだ」
なんて言いながら自分の懐をがさがさと漁りだす。見るからになにも入ってなさそうだが……いやいやいや。
「じゃーん」
そんな言葉とともに団長が取りだしたのは、馬鹿でかい水鉄砲だった。
待て待て、どこにそんなもん隠しもってたんだ。絶対今まで服の中に入ってなかっただろうが!
「え? 阿伏兎、俺が懐から取りだすとこ見てないの?」
「いや見てたけども! つーか心の中を読むな!」
「阿伏兎はだだ漏れなんだよ」
まじか。だから口に出さなくても団長にしばかれたりすることがあるのか。なに素直に納得してんだよ、俺。
それより水鉄砲を見た白兎が顔を引きつらせているではないか。わかる、わかるぞ。もう嫌な予感しかしないもんな。
「まさかとは思いますけど、団長……」
「うん。ナワバリバトルだよ」
「団長ぉぉ……!」
白兎は頭を抱えている。嫌な予感が的中したと言わんばかりの顔だ。正直塗料のせいで表情がよくわからないが、まあいいだろう。
しかしな、団長。あんまり際どい発言は控えてもらわないと困るぞ。
「心配しなくても二人の分もあるさ。はい」
「いやなんで私たちだけ百円ショップで売ってるような水鉄砲!? 不公平にもほどがありません!?」
プラスチック製の薄っぺらい水鉄砲片手に、白兎が叫ぶ。
団長はというと、馬鹿でかいだけじゃなくちゃんとタンクもついている。不公平と言われてもしかたない差だ。
「これくらいのハンデがないとね」
「ハンデの意味わかってないですよね、絶対わかってないですよね」
「ははは」
「笑ってごまかそうとしてる! ……もういいです。やってやりますよ」
はあ、やっぱりこうなるか。白兎は流されやすいからこうなることは予想していたさ。
ただ本来の目的をだな……という俺の言葉も虚しく、二人は戦闘態勢に入ってしまった。
おじさんも参加すんのか、これ。
****
数時間後。
辺り一面、綺麗だった。表現をさぼっているわけではない。ただただ綺麗だと思ったのだ。
そう、赤だけでなくオレンジ色や青、色とりどりの塗料がまるで花を咲かせているようだった。
「──ってなんで他の色も混ざってんだぁあ!!」
「阿伏兎さんが打ってるそれ紫色ぉ!!」
などとツッコミを入れてくる白兎が打っているのはピンクの塗料。団長は黄緑色だ。ナワバリバトルならそれぞれ決まった色に統一するべきなのに、なぜころころ変えていくのか。
答えは簡単である。そのほうが楽しいからだ。
「うおおお! くらえ団長! 死にさらせぇぇ!!」
「口悪いなオイ」
コンビネーションは最悪だが、白兎と手を組んで二人がかりで団長を狙っている。
あの団長が簡単にやられるわけもなく、ひょいひょい避けられてしまう。
つーかこれ、なにで勝敗決めんだよ、
「ふはは、甘いわ!」
あ、また団長がキャラ崩壊。
団長がなにかを白兎目掛けて投げつけた。そのなにかは白兎に当たるとぱんっと音を立てて割れ、白兎を黄緑色に染めあげた。
「あ、あれは……水風船に塗料を!」
「クイッ◯ボムだよ」
「なんかかっこよく言ってる!」
それリアルで言うとめちゃくちゃかっこ悪いやつだからな、団長!
団長の色に染められてしまった白兎を見ると、苦しそうに膝をついていた。
な、なんだなんだ?
「くっ、まさか、こんなところでぇ……!」
「あ、そんな感じなの? 相手の色にやられたらそうなるの?」
「あ、阿伏兎さん……あとは、頼みました……よ」
「いや頼まれても!」
俺の言葉が届いていないのか、白兎はがくっと倒れこんでしまった。嘘だろ。俺一人で団長と戦えというのか。二人でも当たらなかったというのに。
いや、そりゃあ百円ショップの水鉄砲だし勝てないわな。
「さあ阿伏兎、かかってきなよ」
「しかたねえな。さっさと終わらせて仕事に戻るとするか」
「阿伏兎と二人で殺りあうなんて何年振りだろうね、オラわくわくすっぞ」
「すまん、どこからつっこむべきだ?」
今のどこに合図があったのか、団長は地面を蹴って駆けだしたかと思えば急に距離を詰めてきた。
待て待て団長、これって塗料を使ったナワバリバトルなんだよな!? 肉弾戦じゃないよな!?
「うおおおお阿伏兎ぉぉ! 歯ぁ食いしばれ!!」
「殴る気満々じゃねーか!!」
団長の振りあげた拳は俺へと落とされたが、なんとか避けることができた。俺の代わりとなった床が一部破壊され、ぷすぷすと煙を立てている。
甲板の床の塗りかえ頼まれたのになんで壊しちゃってんの?
「ちっ、避けるなよ」
「いや避けるわ! なんでいきなり拳のぶつかり合いになってんだ!」
「阿伏兎見てたらメラメラしてきちゃって」
「こえーよ!」
にこりと微笑んでから拳を前に持ってくる団長。
まじで殺ろうとしてるときの顔じゃねーか。やめろよ、俺がなにしたってんだよ。
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2-3
「隙あり!」
また殴ってくるのかと思ったが、先ほどの水風船をいくつか投げつけてきた。なんて汚い男なんだ……。もう面倒くさいしやられちまおうかなあ。そう思いながらも体が勝手に避けてしまう。
これが戦闘民族の性(さが)ってやつかね。
「なにかっこつけてるんだよ、阿伏兎」
「心の中を読むな」
「阿伏兎のくせに生意気だぞ」
「くせに」って、ひどい言いかたをするもんだ。
大きくため息をついたあと、俺は白兎が手放した水鉄砲を拾いあげる。もともと持っていたものと合わせて、銃口を団長に向けた。
「まるで二丁拳銃だね」
「ちょいと自信が出てきたぞ」
「ふーん? お手並み拝見だ、ね」
「ね」と同時にこちらに向かって突進してくる。今度は逃げも隠れもしないぞ。しっかりと狙いを定めて、迎えうつ!
****
気がついたら俺は宇宙を見あげていた。いいや、俺たちと言うべきか。俺と団長は大の字になって、仰向けに寝転がっている状況だ。
団長は紫色、俺は黄緑色に染まっていた。
互いに息を切らしながら、小さく笑う。
「はは、やるじゃないか。阿伏兎」
「お前さんもな」
「青春ごっこしてる場合か!!」
団長相手に一芝居打っていると、さっきまで倒れていた白兎ががばっと起きあがる。
全くもってその通りです、はい。改めて見るとひどい有様だな。
煉瓦色が見えかくれする赤。その上からさらに様々な色が咲いている。見方によればアートな気がしないでもないが……どう説明するかなあ。
「な、なんじゃこれはぁぁ!」
突然目の前に現れたのは今にも倒れてしまいそうなおじいさん一人。そう、こいつが今回の依頼人。おじいさんよ、衝撃のあまりぽっくり逝ってしまいそうだな。
「これは、こんな……これはぁ!」
おじいさんは頭を抱えてしまった。いや、わかる。言いたいことはわかるけれど、あんまり怒らないで!
頭の中で言いわけを考えているあいだに、いつのまにか団長がおじいさんの背後に回りこんでいた。まさかおじいさんを気絶させるつもりじゃ? と思ったが違った。
おじいさんの耳元でなにかを囁いているようだ。
「これはアートだ、これはアートなんだ」
まるで呪文なように何度も繰りかえしている。まさかとは思うが洗脳しようって魂胆じゃねーよなあ。さすがに無理があると思うぞ。
「これはアート、アートだ」
「あ、あーと……」
「そう、アート」
しばらくして、おじいさんの目から生気が失われる。
おい、まさか、嘘だろ?
「なんと素晴らしい! わしは今までこんなアートを見たことがないぞ!」
洗脳された! あんなので簡単に洗脳された!
これには白兎も驚きを隠せていない。開いた口が塞がらず、今にも顎が外れそうだ。
俺だって外れそうだよ、コンチキショー。
「おじいさんならそう言ってくれると思ってました」
「まさか第七師団の皆様方にこのような才能があるとは思いもしませんでした」
二人は熱い握手を交わしている。
ねーよ、才能なんて毛ほどもねーよ。団長はある意味才能の持ち主ではあるが、これは決して褒め言葉ではないぞ。
まあ問題にならないのなら俺はどうだっていい。ここは団長に任せておくとしますかね。
****
「まじで?」
札束片手に白兎が声をもらす。
この金は今回の依頼の報酬金だ。予想以上の大金に驚いているらしい。あれだけふざけてたのにこんだけ貰っちまったら、ちょっとなあ……。
「い、今からでも返したほうがいいんじゃ……」
白兎には良心が残っているようだ。俺も同じ気持ちだよ。ただな、うちの団長が「はい、そうですね」と首を縦に振ると思うか? 思わんだろ。
今だって満足げに札束を抱えてやがるし。
「なんかもともと渡す予定だったお金の倍らしいよ」
「アートか、アートのせいか!」
「ま、いくら出すかは向こうが決めることだしね。ありがたく受けとっとこうよ」
言いたいことはわかるがな。
しかしこんな大金、ここにいてたら使い道もないだろうに。あるとしたら飯か。
「阿伏兎さん、こうなったら老後のために貯金しましょう!」
「う……」
まだそんな歳じゃないぞ、と言ってやりたかったが白兎の目がきらきらと輝いていたので、それに負けてなにも言えなくなってしまった。
老後なんて一瞬だよな、そうだよな。白兎からすりゃ俺もおじいちゃんなのかね。
「阿伏兎おじいちゃんだ」
「団長、地味に傷つくからやめてくれ」
そんなこんなで、二回目の依頼も無事終了。無事かどうかは微妙なところではあるが、依頼人が満足しているからいいってことで。
さて、こんな感じでだらだらやっていくつもりなのかね団長は。このままじゃ平和ボケしちまいそうだ。
「阿伏兎さんのモノローグって日記みたいですね」
「うるせえやい」
****
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3-1
****
まただ。また団長と白兎が騒いでやがる。
俺の部屋からでも声がよく聞こえてくる。まったく、毎日毎日飽きないもんだな。
前回、出来こそは褒められたものの、甲板の一部を破壊してしまったので俺はその始末書を書いていた。本来なら団長の仕事のはずだろ? ひどい話だぜ。
ま、ほぼ完成したしとりあえず仲裁に入るとしますかね。
二人がいる部屋に向かうと、こちらに気づいた白兎が「阿伏兎さん!」と駆けよってきた。
「見てください阿伏兎さん! 団長にまた骨を折られたんですよ!」
「もう治ってるじゃねーか」
白兎に見せられた左手の薬指。たしかに赤くなって痛々しい痕は残っているが……見たところ完治しているようだ。握ったり開いたり動かせているし。
白兎の傷や骨折の治りは異様に早い。通常の夜兎族なら一日で完治するような傷が、白兎だと半日。かすり傷なんかは一瞬だ。
他の夜兎よりも回復力が凄まじい。その代わりと言ってはなんだが、強さは団長や俺よりも劣る。
そう考えると、白兎を殺さないあたり団長も優し……くはないか。優しいやつが骨を折ったりしないよな。
「今日の喧嘩の原因はなんだ?」
「白兎が俺のプリンを食べたんだよ」
白兎の代わりに後ろにいた団長が答える。
またそんなくだらんことで……。
「団長のだって知らなかったんですー! 食べられたくなかったら名前でも書きゃいいんですよ!」
「素直に謝ればいいものを。この態度だからね」
「謝ったって怒るじゃないですか」
ぷいっとそっぽを向く白兎。
まあその通りだな。謝ったところで団長が許してくれるとは思えん。だからと言って謝らないのもなあ。
「白兎、食べちまったのは事実だし。な?」
「……まあ、そうですけど」
白兎は目を伏せて口を尖らせている。なんで団長の前じゃこうなるかね。
ちらりと団長の様子を見ると、なにやら不穏な空気を醸しだしていた。待て、なぜ俺が睨まれているのか。
「すみませんでした」
少しの間はあったが、白兎は団長に頭を下げてそう言った。団長は「ん」とだけ。
もっと他になんかあるだろ、団長。謝ってる女の子をフォローしてこそ男ってもんだぞ。
「で、でも! 次からちゃんと名前書いといてくださいね!」
それだけ言いのこして、白兎は部屋を出ていってしまった。あいつは一言つけ足さないと死ぬ病気かなんかなのか。
俺には若いやつの気持ちがさっぱりわからんね。
「なあ、もうちょい仲良くできないのか?」
いつのまにかソファに座ってくつろいでいる団長に、言葉を投げかける。俺の声聞こえてんのか?
このままスルーされるかと思ったが、団長は小さく「うーん」と返してきた。それどういう感情だよ。というか返事かどうかすらも怪しいな。
「俺たちっていつからああなったと思う?」
「ん? なんだ、そりゃ」
まるで昔はそうじゃなかったみたいな言いかただ。たしか白兎が春雨に来たのは七年ぐらい前だっけか? あんまり覚えちゃいねーが。
その頃の団長と白兎はどんな感じだった? ……意識して二人のこと見てなかったからなあ、わからん。
「昔はかわいげがあったのにね、時の流れは恐ろしいよ」
「それ若いやつが言うセリフじゃないぞ」
「思春期なのかな」
「……あー」
白兎は団長よりも三つ下だった気がする。なら思春期ってのもありえなくはない。
まあなんだ、つまりは──。
「白兎が昔と違って冷たいからむかついてるんだな」
「うるさいよ」
機嫌を損ねてしまったらしい。もともと良くはなかったけれども。
団長はソファから腰をあげ、準備体操をし始めた。なに、なんで急にそんなことすんの。俺殴られんのか?
「よし、ちょっと行ってくるね」
「どこにだよ?」
「団長会議さ。阿伏兎、連絡事項読んでなかったの?」
な、なんだって!?
いや、これは団長会議があることに驚いているのではない。あの団長が会議に参加することに驚いているのだ。いつもなら「面倒だから阿伏兎行ってきてよ」って言うはずなのに。これは一体どういう──。
思いきり頭を叩かれてしまった。しかもスリッパで。うん、なんでスリッパ?
「今日の会議は面白い話が聞けそうなんだ」
「なんだよ? 面白い話って」
「それを今から聞きにいくの。じゃ、留守番よろしく」
団長はひらひらと手を振って部屋を出ていく。
一人になっちまった。今日に限ってやることがないんだよなあ。
適当にだらだら過ごすとするかね。
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3-2
どうやら俺の体は疲れていたらしい。気がつけばソファに横になり眠っていた。一体どれだけの時間眠っていたのかわからない。
ただわかるのは俺の目が覚めた原因は、白兎にあるということだ。といっても白兎が悪いわけではない。こいつは部屋に入るために扉を開けただけだからな。今帰ってきたところのようだ。
「す、すみません。起こしちゃって」
「いや、大丈夫だ。昼に寝すぎるのもよくないしな」
体を起こしてあくびをひとつ。なんだか頭がすっきりしたような気がする。
ここでようやく、白兎の右手に買い物袋が握られていることに気づく。それを見られるのがまずかったのか、白兎はびくっと肩を揺らした。
「買い物してたんだな」
「はい、購買で……」
「お前さんのことだから菓子パンなんだろうなあ」
この言葉に白兎は返事をしなかった。その代わり目を伏せて唇を尖らせ、頬をほんのり赤らめる。
なんだ、菓子パンじゃないのか。……いや、もしかしてこれはこのままいくとセクハラになるのでは。第一女の子の買い物の内容を聞くなんて俺みたいなおっさんがしていいことじゃないよな。やっちまった。なんて謝れば──
「違いますからね!?」
「うおっ」
「阿伏兎さんが思ってるようなことじゃないですから!」
「あ、はい。すんません」
だからなぜ俺の心の声はだだ漏れなんだ。
「……プリンですよ、プリン」
今にも消えいりそうな声で、白兎はそう言った。
たしかによく見れば、買い物袋からプリンが透けて見えている。三個ぐらい入ってんな。
「なんだ、白兎。団長のだけじゃ足りなかったのか?」
「んなわけないでしょ。……間違えて食べちゃったんでそのお詫びです」
団長が絡んでいるからか、白兎の口調が少しとげとげしている。
いやいやしかし、なんだ。お詫びにプリン買ってくるって……いいとこあるじゃねえか。
気づいたら立ちあがって、白兎の頭をよしよしと撫でていた。
「えらいえらい」
「こ、子ども扱いしないでください!」
「子どもだろ」
まるでゆでだこのように顔を真っ赤にしている白兎にそう返す。さすがにこの歳になると十代は子どもだよなあと思うわけだよ。悪いな、白兎。
「……あの、これ阿伏兎さんから渡しておいてもらえますか?」
「なんでだ? 自分で渡しゃいいだろ」
「そうなんですけど……」
口ごもってしまった。いい機会だし団長について聞いてみるか? 聞いたところでどうこうなるとは思わないが、いつもの喧嘩の裏になにかがあるってわかれば仲裁に入るのも苦じゃないかもしれないしな。
「なあ。白兎は団長のことどう思ってるんだ?」
「えっ」
まるで濁点がつきそうな「えっ」が出たな。どっから出したんだその声。
白兎は眉間にしわを寄せている。ただそれからは不愉快とか嫌悪感だとかは感じられなかった。ただ困っているだけのように見える。
「悪い。白兎が団長に対して冷たい気がしてな」
「わ、私冷たいですか」
「まあ、俺と話すときとは態度が違って見えるな。お前さん俺には素直に謝れるだろ」
「はい、阿伏兎さんですから」
そりゃどういう意味だ? というか白兎の言葉に意味なんてあるのだろうか。まだ子どもだし特になにも考えず口にしている可能性もある。
……それこそ、なんとなくで団長に冷たく当たっている可能性だって。
「……私もよくわからないんです」
やっぱりか。
「団長のほうから急に冷たくなったんで」
ん?
「冷たくされたら冷たく返しちゃう……みたいな感じじゃないですか? 多分」
言いながら苦笑を浮かべる白兎。それはどこか寂しげにも見え──いや待て待て。団長からきつく当たるようになったのか? 団長の話と逆じゃねーか。
「白兎。それはいつ頃の話なんだ?」
「いやー、さすがに覚えてないですね」
白兎は最後に「すみません」とつけ足して頭をかいた。
うーむ、一体どっちの言ってることが正しいんだ? どっちかが誤解してて、実は二人とも正しい説もあるが。人間関係ってなんでこうも難しいものなんだ。
「ただいまちゅぴちゅー」
団長が謎のかけ声とともに帰ってきた。
なんだ、部屋を出ていったときより上機嫌に見えるぞ。悲しいことに機嫌がいいときも悪いときも、団長と関わるとろくなことがないんだよな。
団長は白兎を視界にとらえると、「あり?」と首をかしげた。
「白兎帰ってきてたんだ」
「はい、ついさっき」
ここで白兎と目が合う。
プリンか? それは自分で渡せって。という気持ちを口には出さずに心で送ってみた。それがちゃんと届いたらしく、白兎は諦めたようにため息をつく。
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3-3
「なに?」
俺たちがアイコンタクトをとっていたのが気に食わなかったのか、それとも白兎のため息が気にいらなかったのかはわからないが、団長は声のトーンを下げて言葉を投げかけてくる。
団長、頼む。今白兎は頑張ろうとしてんだ。あんまり刺激してやるなよ。
「あの、団長」
「ん?」
やはり言葉にするのに時間がかかってしまうのか、白兎は無言でプリンが入った買い物袋を団長に差しだした。団長はそれを不思議そうにしながらも、受けとると中身を確認する。
あ。団長の頭のアンテナが動いた。
「白兎」
「な、なんですか」
「まだプリン食べたりなかったの?」
「だからなんでそうなるんですか!」
俺と同じボケをかまされた白兎は、そう怒鳴る。けど団長はけたけたと楽しそうに笑うだけ。
あれはちゃんと理解してる笑いだな。そこはもうボケずに受けとってやれよ。
「じゃあなに、これ」
「うっ……」
わかっているくせになぜ言わせようとするのか。団長の性格の悪さを痛感した白兎は、ぎゅっと下唇を噛みしめた。
わかってたさ、団長が一筋縄ではいかないことくらい。
白兎はしばらくなにも言えずにいたが、ようやく重たい口を開いた。
「……ぷ、プリン。食べちゃってすみませんでした」
「……」
「お詫びに買ってきたんで食べてください。以上です」
やっぱり団長相手だと声色に棘があるな。
団長のことだから受けとったプリンをどうこうするのでは、という不安が押しよせてきた。いや、いくら団長でもそんなことはしないよな? 大丈夫だよな?
「……い、いらないなら私が食べます!」
なにも言わない団長に耐えられなくなった白兎が、がしっと買い物袋を掴んだ。
これ放っておいたらまた殴りあいになりそうだな。どうしてそんなに不器用なんだい、二人とも。
「いらないとは言ってないだろ?」
「だったらなにか一言くださいよ!」
「……」
なるほど。白兎は「ありがとう」と言ってほしくて、団長は言うのが恥ずかしいと。そういうことか。青春してんなあ。……俺は春雨でなにを見せられてんだ。
団長は笑顔を浮かべたままだが、言葉にする様子はない。言うつもりがあるのかどうかすらわからない。
そんな団長を白兎は睨みつけている。
ここは男の団長がばしっと決めるところだとおじさんは思うけどな。
思うだけだから、思ってるだけだからこっちに殺気を向けるな団長!
「あー」
「あー?」
団長と同じような声をあげ、首をかしげる白兎。それは言葉のつづきを待っているようだった。
どうやら団長も頑張ろうとしてくれているようだ。頑張れ、頑張れ団長。あんたならやれるさ!
団長はふうっと息を吐いたあと、両手を伸ばして白兎の耳を覆った。突然耳を塞がれた白兎は困惑している様子だったが、構わず団長は呟くように一言。
「──はい、言った」
白兎からぱっと手を離し、満足げに言う。白兎は「はあ!?」と女の子らしからぬ厳つい反応を見せた。
いや、そうなっちゃうのはわかるけど。
「いやいや、私なにも聞こえなかったんですけど!」
「そりゃ耳塞いでたからね」
「それでも全く聞こえないことはないでしょ!? ほんとに言ったんですか?」
おっと、ここで俺に聞きますか。しかたねえな。団長にしては頑張ったほうだしここは味方してやるとするかね。
「ちゃんと言ってたぞ」
「ええー……まあ、阿伏兎さんが言うならそうなんですかねえ」
あまり納得いってないようだが、これ以上食いさがるつもりもないらしい。やっと落ちついてくれたか。
団長、俺は助けたはずなんだがなぜ睨まれているのでしょうか。
「ほんと、阿伏兎に対しては素直だね」
「それは……団長には関係ないです」
「ふーん」
ちょっと落ちついたかと思えばすぐこれだ。俺が悪いのか?
すぐ掴みあいになるかと思ったが……意外と今回はそうはならなかった。団長は買い物袋からプリンをふたつ取りだして、そのうちのひとつを白兎に手渡した。
「団長?」
「一緒に食べよう」
「……はい」
白兎があの団長に対して、頬をぽっと赤く染めるという反応を見せた。レアだ。つーか団長。今のセリフお礼を言うより恥ずかしくないか?
二人とも座ってプリンを食べはじめたし……とりあえずは一件落着ってことでいいんだよな。
ったく、一時はどうなることかと思ったぜ。
「そういや団長。会議はどうだった?」
解決したということは次の話題にいってもいいということだと思ったので、実は気になっていたことを聞いてみた。すると団長は「待ってました」と言わんばかりの眩しい笑みをこちらに向ける。
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3-4
「俺が期待してた話が聞けたよ」
「え? なんですか、それ」
団長の言葉に食いついたのは白兎だった。
面白い話が聞けそうとか言ってたもんな。予想通り面白かったってことか。帰ってきたとき上機嫌だったのはそれが原因だったんだな。
団長の言う面白いことなんて嫌な予感しかしないが、ぜひ聞かせてほしいもんだね。
「ま、白兎には教えてあげないけどね」
「ええ!? なんでですか!」
「俺と阿伏兎だけの秘密」
「ひどっ! 団長ひど! 阿伏兎さんもひど!」
突然仲間はずれにされた白兎は、涙目になりぎりぎりと歯を鳴らしながら俺と団長を交互に睨みつけている。
おいおい、俺はまだなにも知らねえぞ。
「阿伏兎にはあとで教えるよ。白兎が寝たあとにね」
「まじで傷つきますよ? 私」
「まあまあまあまあ、そのうちわかるから」
そのうちわかるなら今教えてやってもいいだろうに。ま、そんなこと団長に言ったところでなんの意味もないがな。白兎も不機嫌そうではあるが、諦めたのかそれ以上はなにも言わない。
俺も気になるが夜まで待つとするか。
****
時間って経つの早えなあ。
船内はすっかり静まりかえり、白兎も自室で眠りについている。そうそう、子どもは規則正しい生活を送らないとな。
どちらかといえば団長も子どもっちゃ子どもなんだが……寝る気配はなし。さっきの団長会議について俺と話をするためなんだろうけど。
「さあ、白兎も眠ったことだしお酒でも飲みながら話そうじゃないか」
「おいコラ未成年。絶対飲ませんぞ」
「父さんか」
「誰が父さんだ」
などというくだらないやりとりを交わしたあと、団長は本題に入った。
今日の会議で聞かされた話を、団長は楽しそうに頬杖をついて話している。
──全て聞きおえた俺は、正直困惑した。
「なあ、団長。それはまじか?」
「まじだよ。少し前から噂されてたしね」
「なにも知らなかったんだが……」
まさかなあ……あいつが帰ってくるなんて。想像もしてなかった。これはまた厄介なことになりそうだ。
ああ。あいつっていうのは簡単に説明すると白兎の兄貴だったりする。今は簡単に、な。
しかしそれがまじだと言うなら……。
「白兎に教えてやったほうがいいんじゃないか?」
「なんで? 黙ってたほうが楽しいじゃん」
本人は絶対楽しくないだろうな。
団長はにやにやしながら頭のアンテナを揺らしている。いつも以上に悪い顔してやがるぞ。
俺的には白兎に教えてやりたいところだが……そんなことしたらあとが怖い。
すまん、白兎。俺は生きることを選ぶ。
「で? いつ頃帰ってくるんだ?」
「予定では明後日だって」
これまた急だな。
「ってことで、当日の迎えよろしく」
「なんで俺!?」
「阿伏兎が行ったらあの人も喜ぶと思うよ」
いや、それはないだろ。
あー、もう。わかった。わかったから拳振りかざすのやめてもらっていいですか!
……あいつややこしいから苦手なんだがなあ。
「いやあ、白兎がどんな反応するか楽しみだなあ。数年ぶりにお兄さんと再会して泣いちゃうかな?」
かもな。いろんな意味の涙だとは思うが。
つーか団長。やたらとご機嫌だった理由がそれとはな。相変わらずいい性格してるぜ。
明後日、ね。心の準備くらいしとくか。それすらできない白兎には申し訳ないがな。
****
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3-5
****
白兎の兄貴は宇宙海賊春雨第五師団団長で、実働部隊の一員。しかし悲しいことに、春雨の中で第五師団は「最弱部隊」と呼ばれている。
そう、俺たち第七師団と正反対なのだ。
白兎の肉親ということは、当然夜兎族。だが、かなり弱くて戦力にならないらしい。本人曰く平和主義なんだとか。
なぜ俺が曖昧な感じで話しているのかというと、兄貴が戦っている姿を実際に見たことがないからだ。周りがそう言っていたのを聞いただけ。
三年前。兄貴は元老からとある星の調査を任され、部下を残して船を降りた。それに対し「あの男は追放されたんだ」と嘯く連中もいた。
そんな噂が立つくらい弱いのかね、あの兄貴は。
さて。迎え用の船を下っ端に操縦させてから約一時間といったところか。ようやく目的地に着いたらしい。横になっていたら下っ端に起こされた。
というか俺より兄貴の部下に行かせるのが妥当なんじゃないのか? なんてさすがに今さらすぎるか。
一度大きく伸びをして、下っ端に声をかけたあと俺は船を降りる。
土も空も植物もみんな樺色という、なんとも不思議な星だった。しかも空気が粉っぽい。なんだここは。こんなとこに長時間いたら確実に体調崩しちまうぞ。
さっさと帰りたいところだが、肝心の兄貴がいねえ。ったく、こっから捜せってか?
少し歩いた先に森がある。ここは見通しがいい。ここから見えないってことは、森の中か……。勘弁してくれよ、マスク持ってくりゃよかったぜ。
森の中に足を踏みいれてどれくらい時間が経過しただろう。三十分? いや、もしかしたらそれ以上かもしれないし未満かもしれない。ま、時間なんてどうでもいいか。
俺は他よりほんの少し背が高い一本の木を見あげた。
この上から人の気配がする。これだけ無人の星なんだ。きっと勘違いじゃないだろう。
しばらく考えた結果、俺は木の幹を軽く叩いた。
軽いつもりでいったのだが木は大きく揺れ、何枚もの葉が降ってきた。
そして──
「のわあああ!」
という叫び声とともに人も一人降ってきた。俺はそれを慌てて受けとめる。
間一髪。なんとか落下事故を防ぐことができた。
俺が落ちてきた人物をしっかり受けとめたのには、理由がある。あの兄貴だったからだ。そうじゃなかったら普通に落としてたね。
「し、死ぬかと思った……」
「アホか。夜兎が木から落ちたくらいで死ぬかよ」
「は! その声はあぶちー!?」
いや、もろ顔が見えてんだから顔で気づけよ。つーかその呼び方やめてくんない? おじさん、もういい歳なんだけど。
とりあえず受けとめたままは恥ずかしいので、兄貴を地面に降ろす。
久しぶりに見た兄貴は……うん、あんま変わってないな。背は伸びたかもしれない。といっても団長より数センチ高いだけだが。白兎と同じ色の髪も健在だな。
身につけている服がぼろぼろなのが、少し気になるところだが。
「久しぶりだな、あぶちー」
「おう、久しぶり。思ってたより元気そうだな」
「そうでもないぞ?」
そうでもないのか。たしかにこんなとこに三年もいたらエネルギー全部持っていかれそうだしな。
「つーかなんで木登りしてたんだ?」
「ああ、そろそろ迎えがくるかと思ってな。高いところに登って船を探そうとしてたんだが……」
「だが?」
「木の枝に引っかかって降りられなくなってたんだ。助かったよ」
ああ、だから服がぼろぼろでところどころ血が滲んでるのか。見たところ傷は塞がってるみたいだな。兄妹揃って回復が早いんだもんなあ、羨ましいぜ。
船探すなら見通しのいい場所があっただろう……というツッコミはやめておくか。かわいそうだし。
「……よし、それじゃあ戻りながら話すか」
「ああ、そうだな」
実はそろそろ苦しくなってきてたんだ。本当に空気悪いよな、ここ。
俺は来た道を兄貴と戻ることにした。
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