パチパチと火の粉が爆ぜる。
ぼんやりとした光の中で、自分からも同じように淡い光が消えていきあちこちから天命が減少していくのがわかる。
―身体が重くて仕方ない。
でも…まだ、まだ倒れるわけには行かないんだ。
もうすぐ出口だから…そうすれば、ロニエは助かる…キリト先輩とアスナ様のところに、早く…!
ゆっくりと踏みしめる床に散らばった燃えカスは、さっきまで親友が乱発した熱素の残骸だ。
ティーゼは大量の出血で気を失った親友を背負って折れた脚を引き摺った。
騎士見習いのころから続いた黒皇帝一味との最後の戦いの最中、他の騎士たちから分断された二人を待ち受けていたのはミニオンの軍団だった。
ミニオンの血には毒性がある…圧倒的な数を相手に解毒を後回しにして、漸く記憶解放術で全て凍らせきったところに、クルーガ皇帝―前にもいた、モドキだが―が姿を現し、数分前まで戦いを繰り広げた。
戦いの果てに勝利を収めたものの、大きな解放術を使ったティーゼとそれらを回復し続けたロニエ―しかも彼女は途中自分を庇って倒れてしまった―には、既に騎士団を探し出して合流するだけの力は残っていなかった。
「大丈夫…大丈夫だからね…!ロニエだけでも…あたしが、かな…らず……!」
ガシャ、ガシャ、と最早形をあまり保っていない白銀の鎧を鳴らしながら一歩一歩を進んでいく。
背負っている親友の黒い鎧はぱっくりと割れてしまっているし、きっとボロボロに切れた自分の青い外套も赤く染まってしまっているはずだ。
そう長い時間は保たないだろう。
たった100メルの距離を歩くだけでも悠久の時が流れるような錯覚に陥る。早く。早くこの子を回復しないと。
二人が戦っていたのは黒皇帝の城の一室だった。
分隊になってはいるがキリトやアスナだけでなく、騎士長ファナティオや雙翼刄レンリ、そして暗黒界からは無音のシェータとイスカーン夫妻なども駆けつけている。
コの字形の城の左右から攻め込んで来たものの、暗黒術ですべからく引き離されてしまい、この部屋を角に、中から通過すれば反対側の騎士達と合流できる手筈だったが、流石においそれと通してはくれなかった。
――これだけ血が出てればいつ追手が来るかわからない…後ろに戻ってる暇はない…この外は崖だけど、霜咲を待機させてあるから、窓から霜咲にロニエを乗せて脱出を…
漸く窓辺に辿り着けば呼び笛で相棒の飛竜が駆けつけてくれる。
霜咲の背中に乗せようと慎重に身体を離せば、親友が小さく呻いた。
「っ…ぅ……てぃー…ぜ…?わたし…。」
「…!ロニエ、気がついたのね…大丈夫、すぐ助かるから。外にはフレニーカが居るから、あの子の治癒術で…」
意識を取り戻したロニエを再び霜咲に預けようとしたティーゼの言葉を止めたのは小さな羽音だった。
ゆっくりと振り返った瞳が捉えたのは、つい先程懸念したはずの追手…ミニオンに似た黒くてウネウネとした、なにか…。
咄嗟に風素の刃を飛ばすも分裂してこちらに迫ってきている。
―まさか…そんなはずは。アレはいったい…。
―いや。そんなことよりも今はロニエだけでも逃さなきゃ…!
「ごめんね、ロニエ。あんただけでも必ず助けてみせるから…!」
「ティーゼ…!まって、ティーゼも…!」
「お願い…霜咲ッ!!」
グッ、と掴んで身体を放り投げればすぐに窓に背を向ける。
傷だらけで疲弊した腕に大した力はなく、悲鳴とともに親友が落下していくが、相棒はきちんと助けてくれたようだ。
主人想いの良い子だったが、今回ばかりはきちんと仕事をこなしてくれなければ困る。
投げてしまったあの子が自分を呼ぶ声が聞こえるが、もう間に合わないだろう。
―第一、折れた脚では窓枠を跨げないし…なにより、コイツを止めるにはコレしかない…!
きっと仲間想いのとびきり優しいあの子は、今頃ぐしゃぐしゃの顔で泣きじゃくって怒っているのだろう。
それとも、霜咲の手綱を握ろうとするだろうか…何れにせよ、フレニーカの元まで辿り着ければあの子は助かるはずだ。
自分一人で回復してやれないことが―そして別れの挨拶も、日頃の感謝すら伝えられないことも―悔やまれたが、そこは許してもらいたい。
思えば彼女には沢山謝らなければならない事があった。
初等練士としてあの人たちに師事していたときから、数え切れない程の迷惑をかけ…そして怖い思いをさせた。
あの子は優しいから、言えばきっと「ティーゼのせいじゃないよ。これは私の選んだことでもあるんだよ。」なんて言ってくれるのだろうけれど…ああ、だめだ。
これ以上は決意が鈍る…。
目を瞑れば涙が浮かぶ前に緩みだした決意を固めて、そっと腰に挿した精緻な薔薇の意匠を施された青い剣を引き抜く。
これはティーゼが自分の命よりも大切にしていたあの人の形見…正確には預かりものでもあったものだが。
「先輩……力を貸してください。」
柄の青薔薇を撫でて軽く口付け…そして勢い良く床に突き刺す。
至るところが燃えていたがこの程度、この剣と解放術の前には関係ない。
預けられたこの剣を返す前に天命がつきてしまうだろうことは申し訳ないが、彼の傍付きを守ったことは褒めてくれるだろうか。
あるいはあの人のように自分を犠牲にするなと怒ってもらえるのだろうか…なんて。
考えたところで詮無いことだ。
ティーゼは大きく深呼吸をしてからゆっくりと目を開く。
はっきりと術式を口にすれば、もうすぐそこまで黒い何かは迫ってきていた。
恐怖に足が竦むが、ここで引くわけには行かない。
もっと…もっと引き付けて…自分ごと閉じ込めなければ…もっとだ……。
………今ッ!
――ああ…、叶うのならば、最後にもういちど…もういちどだけでいいの。
ただあの人に会いたい…。
触れられなくても。言葉を交わせなくても。…後ろからほんの少し、姿がみれれば…それだけでいいの。
それとも…このまま目を瞑れば迎えに来てくれますか?
「――リリースリコレクション。」
――ねぇ、☓☓☓☓先輩…。
「―――咲いて……青薔薇ッ!!!!」
――――――――――――――――――
チュンチュンと小鳥のさえずりが聴こえる。
うららかな陽射しが瞼をくすぐるが…もう少し寝ていたい。
「ティーゼ、朝だよ。稽古の時間だ……早く起きなさい。」
だからあともう少し…とこぼしそうになるのをぐっと我慢する。
ふかふかのお布団から出てしまうのは遠慮したいのだけれど、お父様の言葉に逆らうわけには行かない。
昔からどうも逆らいにくいし、そもそもお父様に会うのなんて騎士団にはいってからはなかなかなく………
――…お父様?
「うわわッ!?……おっ…おと、お父様…!?」
「…寝ぼけてるのか?それ以外に誰がいるというのだ。稽古の時間だぞ、ティーゼ。今日からは木剣を使って剣術を学ぼうな。」
「ご……ごめんなさい。すぐに準備します…。」
「庭で待っている。早く準備してきなさい。」
――何故ここにお父様が…?そもそもここは家…?どうしてあたし、ここに…あたし、生きてるの…?
頭の中をグルグルと思考が駆け回る。
知りたいことが多すぎて頭が痛くなってくるが、考えることだけは止めない。
あの子の指導生にいつか言われたものだ。「考えることは人間の一番強い力」だって…だから。
―どうしてここにいるのかはわからないけど……さっきお父様は今日から剣術を、って言ってた。
あたしが剣術を学び始めたのは3歳から…それならいまこの身体は3歳ってこと?
燃える様な赤毛は変わらず、ぽってりとした小さな手をまじまじと見つめては恐る恐る腕を触ってステイシアの窓を開く。
―天命は260…装備権限が……4……
…まさしく、一般的な幼い子供のそれだった。
―ということは…時間が巻き戻ったの…?馬鹿な…そんなことあるはず…でも。でも……もし、もし本当にそうなのだとしたら…
―…もういちど、あの人に……ユージオ先輩に、会えるの…?
途端、無性に涙がこみ上げてきた。
これはきっと、夢なんだ。だってこんなにすごいこと、できるのならばとっくにみんなしてるから。
…だけど。
だけど……夢ならば…夢の中ならば、もういちど会えるかもしれない。
いや、会えるどころか…今度は助けられるかもしれない。
愚かで未熟は自分が犯してしまった、取り返しのつかない罪を……償い、もういちど4人で…。
…本当にそんなこと、できるだろうか。
「…やっても無いのに諦めない!今から動けばできるかもしれない!
…やるんだ…あたしが……あたしが先輩たちを助けるんだ。」
そうと決まればこんなところで寝ている場合ではない。まずは強くならなねば…。
ティーゼが布団から抜け出して庭へ向かうと、既に父が木剣を用意して待っていた。
慌てて駆け寄り騎士礼をする。
「お、お待たせしましたお父様!本日の稽古、よろしくお願いいたします!」
「う…うむ。やる気があるのはいいことだが…妙に礼が様になってるな。少し驚いた。」
「へ?あっ……ああ、ええと…やる気が有り余ってしまって…。」
「…まあいい。なんだかこれだけですごく成長したように感じてしまったが…稽古を始める。
この木剣をかそう。構えてみなさい。」
「…はい。」
手に取ればずっしりと重みを感じる。
おそらく優先度は5くらいだろうが、3歳の身体にはいささか大きい。
前世―と呼んでいいのかわからないが―では最終的に神器だって振り回せるようになったし、そんじょそこらの大剣なら小指一本でも扱えた分、少し懐かしい感覚だ。
手に馴染ませてから言われたとおりに構えを取る。
…が、父親からは困惑の表情が見て取れる。
「…そんな構え、見たこともないぞ。型や構えは昨日まで勉強しただろう?なんだそれは。」
「あっ……ご、ごめんなさい。この方が身体が動きやすいっていうか馴染んでるっていうか…いえなんでも…。」
「何を言ってるんだお前は…。」
「…ごめんなさい…。」
「……いや、それでも良い。はじめるぞ。」
―そういえばそうだった…。アインクラッド流はキリト先輩たちの独占流派だから…。
ついつい身体が慣れている構えを取ってしまったが、この時代には異質だ。
まして剣を触るのが初めて―という設定―の幼女ができるものではない…のだが、許してくれたのならそのまま使わせてもらおう。
この身体でどこまでできるのか確かめるべきだ。
「まずは1の型からだ。やってみなさい。」
「はい。参ります!」
すぅ…と息を吸い込んで呼吸を整える。
前々から剣舞のほうが得意だったし、型がきれいだきれいだといろんな人に褒められた―もちろん一番嬉しかったのは指導生に褒められたときだった―ものだ。
普段と同じような脚運びを心がけて剣を振る。
けれど身体がぐらりと傾けば慌てて両足で立ち直らせる。
―流石にいつもの体捌きというわけには行かないよね…。この頃はまだ身体もきちんと作れてないし…終わったら特訓ね。
順番に型をこなしていけば静止がかかる。
十分だな、と褒められれば―ある種当然だが―自然と頬が緩む。
その後も繰り返し細かい技を見てもらえば、すぐにお昼の時間になっていた。
「今日はここまでにしよう。
…おもっていたよりも、お前には大分素質があるようだな。」
「ありがとうございます、お父様。」
「うむ。明日からも精進するように。」
「はいっ。」
ペコリと礼をして剣を腰に挿す。
父親にはそんなに気に入ったのか、と笑われてしまったがなんとなくこれが無いと落ち着かないのだ。
そそくさと別れて部屋に籠もる。
前のときのようにノートとペンがないのは少し不便だが…代りにアオバハスを使ってこれからの予定を組み立てることにした。
「さて…とりあえず、まず早急にすることはやっぱり修練ね。
身体を鍛えておかないとどうにもならないし…先輩たちは学院の時点で神器を扱えたんだから、あたしだってそれくらいはやらないと…。」
しかしどうやって権限を上げるのか。
通常、生き物を斬り倒して経験を積んだり修練をすれば権限値は上げられる。
けれど猟師でないと他の生物の天命を奪うことはできないし、普通に修練していただけじゃ対した値にはならない―実際前世では学院に入ったばかりのときでは優先度15の木剣を持て余してあの人に相談したくらいだ―し、なにより周りにバレないようにというのは難しいだろう。
―とりあえず、午後の時間も修練に充てよう。
外に出て、人目につかないところでいろいろ試してみないと…神聖力もある森がいいわね。
足を伸ばしてみよう。
「さあ……もういちど、鍛え直しよ。
もういちど鍛えて……必ずあの人を助けてみせるから…!」
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2.転機
「せいっ!やぁ…ったあ!」
カコッ!と子気味の良い音が響き渡る。
小一時間ほどで手に馴染んできた木剣を握り直して、ティーゼは小さな体の汗を拭った。
あれから庭を伝って森に出ると、適当な切株を見つけて拠点―といってもそこに荷物をおいたり座ったりするくらいだが―にし、比較的天命の高そうな木を相手に剣を振るった。
はじめこそすぐにバテていたが、そこそこ慣れてくればどうということはない。
しかし厳しい師範―某熾焔弓とか―の修練にも耐えられていたのは、しっかりと身体と基礎が作られていたからだ。
正直なかなかにこの身体には荷重すぎるのかもしれないし、壊したら意味がない。故に方向性に悩むこともある。
「このままつづければ、きっとフラついたり重心に悩むこともなくなる…とは思うのだけれど…ここはゆっくり定着させるべきなのかしら。」
うむむ…と唸りつつ水筒をあおれば冷たいシラル水が喉に染みる。
父母にバレないよう…とやってはいるが正直な話このままでは時間の問題だろう。
どう考えても3歳ができる剣技ではないし…第一思考も3歳の幼子からはかけ離れている。
「…無理を通すのもそれこそ無理ってものだし……ここは慎重に…ゆっくりいくしかないよね。」
こく、と一人でに頷いては時間をかけて身体を作ることにした。
幸い自身が3歳ということはあの人は7歳…まだまだ時間はあるし、丁寧にしたほうが後々祟らなくて済む。
それからティーゼは決意したとおりゆっくりと力をつけていった。
朝は父と型や神聖術の稽古を。そのあとは決まって森にでかけ、アインクラッド流を練習し続けた。
そんな彼女に転機が訪れたのは、彼女が鍛え始めて2年経った頃…5歳を超えた辺りのことだった。
「ティーゼ、今日は私と一緒に7区まで出かけよう。準備をなさい。」
「は…7区。ですか、お父様?」
思わずぽろりと取り落としそうになった木剣を慌てて握りなおしたまま、首を傾げて聞き返した。
「ああ。私は最近害獣が出るらしいから農地の様子を見て、向こうにいる古い付き合いの仲間たちと集まる予定で…あまり構ってはやれないかもしれないが、お前も稽古ばかりでは息が詰まるだろう。どうだ?」
毎日でかけては逞しく帰ってくる娘を見兼ねてくれたのか、心遣いが身に沁みる。
ここに来てからずっと、剣ばかり握って暮らしてきた。
前もそうだったといえばそうなのだろうが、共に戦った親友も、相棒も、尊敬する先輩たちとも離れて一人子供を演じるのはなかなかに消耗させられる。
そんな中にこの誘いだ。
早く強くならなければ…とは思うものの、一日の贅沢くらい良いだろう。
ティーゼは大きく頷いて満面の笑みを浮かべた。
「お父様…ありがとうございます。あたしも行きたいです!」
「ああ、良かった。待っているから着替えてきなさい。この前買ってやったワンピースでも着て出かけよう。」
「えへへ……はい!」
いそいそと部屋に戻ってお気に入りのワンピースを取り出す。
5歳の誕生日に貰ったワンピースは、西帝国産の大きく動いても大丈夫な機能性重視のものだ。
もちろん見た目も女の子らしく可愛らしい―それに青色だった―ので、普段の修練に使うのはなんだかもったいなく感じて、お出かけ用に取っておいたのだ。
漸く出番が来たワンピースに着替えてくるりと回ってみる。
ひらりと膨らんだ裾ににんまりと頬を緩めて、腰にいつもの木剣を挿せば完成だ。
―うん、ばっちり。
窓にうつった自分を見て満足げに頷けば、外で待つ父親に駆け寄る。
かわいいかわいいと褒めてくれる父にてれれと礼をして出発だ。
「さて、ついたよティーゼ。父さんは害獣について聞きたいからここの人を呼んでくる。
畑でも見て少し待っていてくれ。」
「わかりました。」
麦畑の広がる7区の外れにつけば、すぐに父は姿を消してしまった。
といっても農夫を呼んでくるだけだろうから本当にすぐ戻ってきてくれるのだろう。
手持ち無沙汰になったティーゼは辺りに広がる麦の中を割って入ってみることにした。
ふわりと微かに広がる薫りに顔を綻ばせながら、ゆっくりと進んでいく。
ここ2年はせかせかと修行に明け暮れていたし、こうしてゆっくり散歩をするのは久しぶりかもしれない。
―今日はソルスさまがよく見えるから、ポカポカで気持ちいいなぁ…。
こんな陽気のときはいっつも、キリト先輩がお昼寝して先輩に怒られていたっけ。
あのねえキリト…なんて言って………
などとぼんやり愛しい日々を懐かしんでいると、麦に隠れて足元にうずくまる影に気づくのが遅れてしまった。
危うく蹴り飛ばしそうになった影にたたらを踏んで下がって見れば、これはもしや人…子供だろうか…?
「ね、ねえ…キミ、なにしてるのよ…?」
恐る恐る声をかけたティーゼに、影は「ひぇっ」と情けない声を上げて―どうやら小さな男の子の声だ―これまた恐る恐る顔を上げた。
コヒル茶に少しだけミルクを混ぜたような色の髪に、健康的な小麦色の肌。そして今にも溢れんばかりの涙を溜めた空色の瞳…。
―この男の子……なんだろう、どこかで見たことあるような…守ってあげたくなる感じ…。
「ええと…ねえ、キミこんなところで何してるの?ここの子…じゃ、ないよね?」
「……おれ…6区から来てて…強そうな動物見つけたから追っかけちゃって…でもいなくなっちゃって、気づいたらねえちゃんもかあちゃんも……いな…いなくてっ…ぅぐ…ひっく……。」
「あ…あ〜…迷子なの…。ほ、ほら、泣かないで、ね?お姉ちゃんが一緒に探してあげるから…!」
溜められていた堰が決壊しそうになっては慌ててなだめる。
何故だかついつい世話を焼きたくなって、手巾を差し出せば、すがるような目で少年に見つめられた。
「ひぐ…っ…ぐす……いいの…っ?」
「あたしもこの辺詳しくはないけど…ほっとけないし。キミ名前は?」
お父様には後で伝えれば…と思いつつさっきの少年の言葉がどこか引っかかる。
とりあえず名前をたずねれば、しばしぐすぐすと嗚咽を漏らしていた少年も漸く落ち着いたようだ。
「……レイノ…。」
「レイノ…ね、わかった。あたしはティーゼよ。
さて、キミのお母様たちを探しましょうか。どっちから来たの?」
「あっちの林…。」
おずおずと指を指した方に目を向ける。
たしかに林が続いているようだし、探すのは少し難儀だろうか…それとも、最悪6区まで行けば家に送り届けるという手もありか。
頭の中であれこれと考えながら少年…レイノの手を引いてみる。
力強くぎゅっと握り返された手にくすりと笑みをこぼせば、彼に従って足を向けた。
「それじゃああっちの林から探しましょう。お母様はどんな人?」
なにか情報をもらえないかと特徴をたずねてみる。
返ってきたのはほしいものではなかったが、よほど家族が好きなのだろう。
ずっと下を向いていたレイノがきらきらと瞳を輝かせて教えてくれた。
「…かあちゃんは、怒ると怖いけど優しいよ。かあちゃんはおれとおんなじ髪色で、ねえちゃんも優しいけど、ねえちゃんはおとなしいんだ。
でも剣を習ってるんだぞ、すごいだろ!」
「ふふっ…そうね。すごいわ。
でも、これでもお姉ちゃんも剣を使えるのよ?」
―まあ、剣舞が得意なだけで試合が得意だったのはロニエだけど。
流石に学院に入ってからはあたしだって追いつけた………ハズ、よね…?
なんて思いながら林の中を進んでいく。
麗らかな陽気ではあるが人の気配は感じない。
あまり遠くに行くと父に心配をかけてしまうだろうし、ある程度したら一度引き返して大人の力を借りようか…と思っていたところ、グンッ!と急に繋がれた手が強く引かれた。
思わず素っ頓狂な悲鳴を上げて引力の主に抗議するも止まらない。
はあはあと息を荒げながら何かを追いかけているようだ。
「ほわわ!?あっ…ちょ…っ、ま、まって!どうしたの?!」
「みつけたんだ!」
「みつけた?…それって………っうわ!?」
眉をひそめながらもついていくと、やがて急に立ち止まってつんのめる。
なかなか強靭な木にぶつかりそうになったところでようやくきちんと周りを見ることができた。
「ほら、いたよ。おいかけてたつよそうなの!」
「強そうなの…って、ちょっと………これは流石に、まずいんじゃ…!?」
嬉々として指差す彼の先にいたのは、お腹をすかせ、ティーゼたちという恰好の餌を見つけてしまった…イノシシだった。
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