ゼルダの伝説~アルファの軌跡~ (サイスー)
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プロローグ

ゼルダが好きすぎて、新作発売を待ちきれずに思わず書いてしまいました。見切り発進ですが、お付き合いいただけると嬉しいです。


 ――急いで。急いで、リンク

 

 ――早く目を覚まして。残された時間はとても少ないのです

 

 ――手遅れになる前に、早く

 

 ――私も、貴方の幼馴染も……

 

 

 

 未だ息吹の勇者は、深い眠りの中にいる。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 濃密な緑の香り。樹齢何千年にもなる大樹が連なるコログの森は、デクの樹より生まれし精霊コログの住まう秘された森だ。伝説の退魔の剣マスターソードが眠ると噂されるその森は、結界により守られている。迷いの森に只人が入り込もうとも、森を抜けることは叶わない。深く白い霧に包まれ、無邪気な笑い声が響いたかと思えば、瞬くあいだに森の外へと連れ出されているのだ。

 

 精霊の導きを得るのは、心の澄んだ子どもであったり、姫巫女であったり、鋭き眼をもつ勇者であったりと、選ばれし者のみが迷いの森を抜け、コログの森へたどり着くことが叶う。

 

 コログたちの軽やかな笑い声が響く深い深い森のなかには、デクの樹が植わっている。その巨木の眼前には神々しい台座があり、一筋の剣が突き刺さっている。100年前の厄災との戦いで傷つき、眠りについたマスターソードだ。剣に光はなく、ところどころが刃こぼれして、青い柄には無数の切り傷がついている。伝説の武器には自動修復機能がついていると謂われている。現代のハイラルではその技術は失われたものであるが、ロストテクノロジーを以てしてもマスターソードは未だ傷ついたままだった。それほどまでに聖剣の直近最後の戦い――厄災ガノンとの戦いは激しかった。

 

 ふ、と空から鱗粉のごとき光がマスターソードの傍らへと差し込む。雲の合間から差し込む一筋の陽光の如きその光は淡く人の形を浮びあがらせてゆき、蒼、白、赤、と光が分岐してゆき、やがて明瞭に人の形を為した。背ほどまでの長い深青の髪を高い位置で一つに結わえているすらりとした体躯の人間。

 

 髪だけでなく、睫毛や透き通った瞳、服や耳飾りまですべてが青い。淡く光を発しているかと思われるほどの白さの手が、マスターソードの柄にかかる。整った爪先もまた、青色だ。しげしげと自らの爪を興味深そうに眺めたその者は、そろりと目を転じてじっとマスターソードを眺めた。一息おき、細い指先を伸ばしてゆくと、おもむろに柄に手をかざす。すると、マスターソードのこぼれた刃先が聖なる輝きを放ちだした。歓喜の声をあげるがごとく、脈打ちながら輝き、こぼれた刃先がみるみるうちに修復してゆく。わずかに眉をひそめたその者は、しかしながらマスターソードへ力を注ぐことをやめない。一層集中した面持ちで柄へと手を触れ続ける。

 

 その様子を眺めていたデクの樹は、感嘆の声すら出ず、ただその不思議な光景を眺めていた。大樹の幹に刻み込まれたように浮かぶ老爺の顔が、唖然とした表情に変ずる。

 

 長い時を生きるデクの樹には、女神ハイリアと関わることさえあった。人々が知り得ぬ神話も、伝説も、すべてを知っていた。

 

 だからこそ、目の前に立つ者が只人ではなく、あまりにも不可思議に過ぎる存在であると断ずることができた。

 

 聖なる白い光を刀身から放つマスターソードは、すっかり傷がなくなり、力に満ち満ちていた。そして、碧い光が刀身からあふれだす。碧い光はそのままの色で少女の形をとった。つるりとしたボディは頭頂部から足先まですっかり青で、ショートカットの無表情のように見えるその少女は、地面に片膝をついて男へと向かい合う。

 

『力は満ち、傷は癒えました、アルファ様。まさか再びこうして自我を持つことが叶うとは』

 

 少女を見下ろす青年は、人間的な見た目でありながら、湛える表情はあまりにも無機質。瞳の奥に色はなく、左右両対象に整った容貌は人形のよう。

 

「マスターソードも人の形をとるのか」

 

 淡々とした声色ながら、わずかに目を見開く美貌の男は呟くように低い声を響かせた。

 

『不可思議なことを仰います。ファイは女神の剣ですので、遠回しな表現は理解できません』

 

 不思議な声色で話す青い少女は、無表情のままに言う。その物言いは解せないものであったが、アルファと呼ばれた青年は軽く頷くにとどめた。

 

 デクの樹は長らくハイリアの地で生きており、その知識は膨大なものであったが、それでも伝説の剣が人の形をとることは知らなかった。

 

「なんとも稀有な……マスターソードを治癒したか」

 

 アルファはデクの樹を見あげ、優雅に騎士の礼をしてみせた。

 

「初めまして、俺はアルファ。会うのは初めてだが、デクの樹サマだろう?」

 

 いっそ女性と見まがうばかりの美貌だが、喉仏といい、低い声といい、男であることを感じさせる。黙っていれば美貌の女性とも見えるが、すらりとした体格に凹凸はない。

 

「おぬしは、治療の力を持つのか」

 

「ミファーみたいな癒しの力じゃない。女神ハイリアより授かった力を分け与えただけだ」

 

「ミファー……確か、ゾーラの英傑であったか。ガノンとの戦いで死したと聞いたが、知り合いであったか」

 

 己の考えを纏めるようにデクの樹は言い、さらにつづけた。

 

「おぬしから女神ハイリアの力が感じられる……勇者でもなく、姫巫女でもなく……英傑か?」

 

 先ほど彼が口にした、ゾーラ族の英傑ミファー。そのほかにはゲルド族の英傑ウルボザ。ゴロン族の英傑ダルケル。リト族の英傑リーバル。デクの樹が知っている英傑はそれだけだ。神獣を操る彼ら以外にも英傑たる人物がいたのか。

 

 半ば確信染みたその問いかけに、無表情ながらも瞳の奥に複雑な色を覗かせる。デクの樹の想像とは裏腹に、青年は静かに首を横に振った。

 

「どういうつもりで女神ハイリアが俺を生かしたのかはわからないが……俺は英傑ではないし、英傑は死に絶えた。4人の英傑は間違いなく死んでしまった。そして、女神ハイリアの手の届かぬところに魂が囚われているという」

 

「ならばその身からあふれる女神の力はなんとする」

 

「さあ。俺は英傑じゃない。厄災ガノンの力に負け、死んだ身だ」

 

 だがしかし、彼が死人ではない。確かに彼からは女神ハイリアの力が感じられるのだ。何者だというのだろうか。煙に包まれるような答えは実に不明瞭で、しかしながら追及することを許さぬ雰囲気を男からデクの樹は感じ取った。

 

「デクの樹サマ、どうしたノ?」

 

 常に泰然としたデクの樹が悩むそぶりを見せると、眷属であるコログたちは鋭敏に気づく。

 

 葉っぱで作った仮面で顔を隠す小柄なコログは、愛らしい高い声で心配そうに問いかけてくる。

 

「デクの樹サマが驚いてるなんテ」

 

「とっても珍しいワ!」

 

 そうか、この複雑な感情のなかには驚きも混じっているのか、とコログたちに気づかされる。運命に従い、転生を続ける魂が共鳴して世は時を刻むものだと思っていた。だが、彼のように何の運命の糸もないままに、女神の力を抱く者もあるのか、と驚いたのだ。

 

 ある意味では彼も、選ばれし者なのだろう。

 

「キミは、他の人間とは少し違うノネ」

 

 ぴょこぴょことアルファのまわりで跳ねながらコログが言う。

 

「そうだな。少し違うかもしれない。普通のハイリア人は爪が青くないだろうし」

 

 コログたちに語り掛ける声色は至極穏やかなものであるが、人形のような無表情が不気味にも映る。

 

「爪どころか、髪も瞳も青いぞ。生来のものではなかったか」

 

「そうなのか。以前はほかのハイリア人と何ら変わらない金髪碧眼だったのだけれどな。まあ、見た目なんてどうだっていいさ。

 ところでデクの樹サマ、勇者は回生の祠で眠っているのか?」

 

「未だ傷つき、眠っておる。祠は彼の者が治癒せぬ限り、開かぬじゃろう」

 

「……1万年も前に作られた治癒システムが今も稼働するだなんてな。当時のプルア様の興奮が目に見えるようだよ。ところで今は戦いからどれほど経つんだ?」

 

「100年じゃ。常人では、あの戦いのなかでは興奮を覚えるどころではなかっただろうが」

 

「は……? 100、年? それは、まあ。相変わらず寝坊助だこと」

 

 明確に、彼は表情を変えた。それでも数秒ほど軽く目を瞠っただけだった。それから目を細めるアルファは、どこか寂しそうにも見えた。

 

『マスターが不在のため、ファイはしばらく眠ります。アルファ様、どうかマスターをこの地へお導きください』

 

 物置のように片膝をついて黙っていたマスターソードの精霊が、くるりと宙を舞って姿を消す。

 

 マスターソード――ファイの言うマスターとは、勇者のことに間違いない。デクの樹とアルファは二人してマスターソードを暫く眺めていたが、アルファが口を開いたことで沈黙が解ける。

 

「プルア様やインパ様、ロベリー様はご存命だろうか」

 

「皆、地方を跨いで点在し、勇者の訪れを待っておる。インパは西ハテール、プルアは東ハテール、ロベリーはアッカレ地方にてな」

 

「そうか。あえて一箇所に固まらないようにしたんだな。ご無事で何よりだ。

 質問ばかりになってしまうが、ここはどこだ?」

 

 結界に何の反応もなく現れたのは、彼自身の能力ではないらしい。女神ハイリアが手ずから力を授けた人間だ、悪しき者でないことは確実だとデクの樹は素直に口を開く。

 

「迷いの森を抜けた先、コログの森じゃよ」

 

「ほう……それは、どこなんだ?」

 

 デクの樹が結界を張る迷いの森は、普通の人間であれば森の奥へたどり着けないようにしているため、意図せず人族のなかで有名になっていた。と、思っていたのだが。まるで知らない様子のアルファに、はて、と内心で小首をかしげる。

 

「ハイラル城の北の名もなき森は知っておるかのう?」

 

「あー……よく人が迷って、いつの間にか出口にたどり着いてるとかって噂の。だから迷いの森か」

 

 アルファは抑揚のない、いまひとつ驚きを感じられない平坦な声で言う。

 

「そこらへんなんだったら、とりあえずインパ様に会いに行くのが近いか。回生の祠に行って、無駄足になる可能性は高いし」

 

 デクの樹は、勇者が記憶をなくしているかもしれない、と己の推測を語ろうとしたのだが、不思議と言葉にはならなかった。無表情のままに傷つく彼の様子が大いに想像できて、気が引けたのだ。もしかしたら記憶をなくさずにいる可能性だってあるのだ。などと、可能性が低いほうに縋ってしまう。なんともらしくないことだ。

 

 彼がなまじ女神の如く整った容姿をしているため、デクの樹でさえも気が引けてしまう。美は力だ、というのは真実、こういう意味なのかもしれない。

 

 女神ハイリアに生き写しの美貌であった。女神の血を引く姫巫女ゼルダよりもずっと、似ているというのは失礼な考えかもしれぬ。

 

 唯一良かったのは、彼が男性で、しかも容姿にまるで頓着しない性格であることか。

 

「迷いの森ってところにいけば、勝手に出口に出られるのかな」

 

「案内をつける故、心配いらぬよ。コログよ、外へ案内してやりなさい」

 

「はい、デクの樹サマ。女神の御使いサマ、こっちだヨ~」

 

 その呼び名に一瞬複雑な顔をしたアルファであったが、すぐに持ち直す。

 

「ありがとう、デクの樹サマ。じゃ、俺は行くよ」

 

「未だ厄災の影響は色濃く残る。くれぐれも気をつけてな。おぬしの旅路に幸多からんことを」

 

 律儀に一礼をしてから、青い髪を揺らして歩き出したアルファの背を眺めつつ、未だ眠りに就いているという勇者のことを想う。

 

 人間は100年も経てば老いるものだ。どうして彼の者は、年を重ねていないのだろうか。回生の祠に眠っていた勇者とはわけが違う。この100年のあいだ、何をしていたのか。彼の身に何があったのか。時間が許すならば訊ねたかった。

 

 人の一生はとても短い。デクの樹からすれば、ゴロン族やゾーラ族でさえ短命に感じる。精霊種の永劫の如き時間の前からすると、人族の一生など余りにも儚いものだった。儚く、そして苛烈に生きる。選ばれし運命をもつ勇者であればなおのこと。だからこそ愛おしかった。眷属であるコログたちをかわいがるのと同様に、勇者や姫巫女や英傑たちに心遣った。

 

 シーカー族の技術により、回生の祠で眠りに就かされた勇者は、どのような気持ちで目覚めるのだろうか。王国の騎士として生まれ、厄災と化したガノンと戦い、四人の英傑は皆死んだ。勇者自身も死の淵へ足を突っ込んだ。王国の民も血の海へと沈んでいった。ただ一人だけ仲間に、時に取り残された青年のその心を慮って女神ハイリアはかの青年を残したのかもしれない。

 

 死した者を蘇らせる力など、聞いたこともない。勇者でさえ死にかけの状態から回生の祠で100年ものあいだ眠っているというのに。

 

 考えれば考えるほど、その謎は深まるばかりだった。

 

 だから今は思考をあえて放棄して、女神ハイリアに祈った。

 

 ハイリアの地に、安寧を――と。

 



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第1章 導者と勇者の本意ない再会
ベーレ谷の旅人1


 一筋の白い狼煙が天へ向けてもうもうとあがっている。人がいる。背格好からして男だ。気力の要りそうな高台の上はボコブリンなどに襲われる心配はなかろうが、かなり目立つ。

 

 アルファが道中出会った旅人たちの多くは、見るからに戦い慣れた男で馬に乗った一人旅であった。丸腰のアルファをボコブリンから庇い、しばらく一緒に歩いて護衛をしてくれた者すらいる。饒舌に語っていた男がどうにもアルファのことを女だと勘違いしているようだったので、きっぱりと訂正すると「じゃあ、元気でな」と華麗に去っていった。下心100%の手助けであったらしい。

 

 ボコブリンは頭の良い魔物ではないため、逃げれば追いつかれることもないのだが、以前よりもずっと魔物の数が増えているため、逃げるのさえ億劫になってきた。

 

 夕闇に染まりつつある茜色の空と、空に紛れる狼煙を漠然と見あげながらアルファは早足に街道を歩み続ける。

 

(旅人が多い)

 

 昔よりも危険な世の中になったというのに、だ。

 

 100年も経ったなどまるで信じられないが、確かに争いの後は風化し、血で染まった大地は雪がれている。

 

 ハイラルの全盛期、街道は整備され、魔物が跋扈する土地には王軍の討伐隊が士気高く赴き、ハイラル全土の安寧を保っていたものだった。訓練された王国軍の兵士たちは、古代武器であるガーディアンにこそ戦闘力は劣るが、下等兵とて10人も集まればライネルは無理でもヒノックスを討伐できるだけの力はあった。

 

 話し相手に飢える老人の付き合いをよくするアルファは、嘘か真か分からぬ老人の語り部を聞く機会が多く、ハイラルの歴史はそれなりに詳しい。おそらくはその老人たちはすっかり亡くなっているのだろう。

 

 たった100年ぽっち過ぎただけでこの国の民は赤いボコブリン程度の雑魚にさえ好き放題にやられ、追い詰められるようになった。そのさまを旅すがら見かけると、なんとも言い難い心境になる。

 騎士家系の子どもが危うげなく討伐できたボコブリン如きに、だ。物心ついたころにはボコブリンの集団を撃破していた者をアルファはよく知っていたが、あれは例外としても。

 

(これもデクの樹サマが言ってた厄災の影響か?)

 

 女神ハイリアは今、どんな心境であろうか。

 

 彼女はアルファに自我を与えてくれた存在だ。かつて、好きも嫌いもなくただ日々を浪費していたアルファに、女神の神託がおりた。

 彼女はアルファのことを心の底から気の毒がっていた。これほど美しいハイリアの地で、愛するハイリアの民が無為に生き、死に急ぐ姿が見ていられなかったのだという。

 

 ごめんなさい、とも言っていた。

 何に対する謝罪なのかはついぞわからなかったが、悲し気に落とされた視線から追及することはしなかった。

 

 女神は仰った。その身に宿る聖なる力を高めなさい、と。それを為すためにも、心の成長をなさい、と。

 

 首をかしげるアルファに、彼女は端的に申し付けた。

 

 好きなものを見つけなさい。

 

 快、不快こそ感じることはあっても、感情に欠けるアルファは真剣に困った。すると女神はそんなアルファを見通したようにさらに言葉を重ねた。

 

 周囲を見なさい、変化を見つけなさい。貴方の心が動く瞬間に気づきなさい。

 

 澄んだ鈴の音のようなその声は、命じるよりもやわらかな声色でそう告げた。

 それからアルファは生真面目に周りを観察するようになったのだ。空が朝と昼と夜とで少しずつ色を変えてゆくことに気づいたのもその頃だった。

 

 アルファは生まれたとき、泣かなかったと聞く。死産か、と乳母が何度も何度も尻を叩き、逆さ吊りにしようが泣かなかった。息があると気づいた母親が半狂乱に乳母から我が子を奪いとり、乳を与えた。乳を吸うこともなく、ぼんやりと虚空を見つめるだけのアルファは障害をもっていると認識されていたらしい。

 

 だから、どうにも解せない。普通の人は、おぎゃあと生まれたときから泣きわめき、やれ腹が減っただの、やれ眠いだの、やれつまらないだのと、根本として欲望を芯に生きるのだ。生きていくためにぼんやりと食事を流し込み、意識が途切れるように眠っては規則正しい時間に起きるアルファとは大違いである。なにか人として大切なものが欠落しているような気がして仕方がない。騎士家系に生まれた幼馴染の少年は、アルファとは対照的に寝坊助で、幼年学校時代毎日のように彼を起こしていたものだ、と思い出す。家系的なものか、才能か、驚異の身体能力と剣技をもつ彼のことを人は、さすがは選ばれし勇者だ、と事あるごとに言っていたものだった。

 

 たき火の前で三角座りをし、背中を丸めて夜を過ごす旅人を遠目に眺めていたアルファは、いつのまにか足を止めていたことに気づく。自分の身体は、どうにも危うげなあの旅人を放っておけないようだ。

 

 ブーツ越しの赤岩はとても硬い。ごつごつと切り立った崖の多いベーレ谷は、ハイラル方面へ街道沿いに北上すれば森の馬宿があるし、オルディン地方へ北上すれば山麓の馬宿があったと記憶している。1時間や2時間ではたどり着かないことは間違いない。夜になればスタル系の魔物が地面から飛び出てくることを考えると、あそこで夜を過ごすほうが安全なのかもしれない。

 

 一息ついて、アルファは崖を登り始めた。指を引っ掛けられる岩場があるくらいで、つま先のかかる足場もない直角な岩場を軽々と淀みなく登ってゆく。驚異の身体能力とバランス感覚とが垣間見えるが、これくらいなら身体能力と気力の揃った人間なら誰でもできる。

 

 崖を汗ひとつかかずに登り切ると、たき火をかこう旅人がひゃぁっと弱々しい悲鳴をあげて身を仰け反った。まだ幼さの残る若い男の人間だ。茶髪に濃茶の瞳をした15ばかりの人間。そばかすの散った小麦色の肌が若々しい。

 

「ま、まさかこんなところに人が来るなんて……!」

 

 後ろ手に地をつかみ、転倒を免れる少年。少し離れた場所で止まったのは、旅人に対する配慮だ。人間というのはある一定以上の距離を詰めると緊張するものらしい、とは経験則である。

 

「貴女も旅の途中ですか? 女性おひとりでの旅だなんて、珍しいですね」

 

「旅の途中ではあるが、俺は男だ」

 

「失礼! とてもお綺麗だったものですから。……おや、珍しい衣ですね。それにしても、武器のお一つも持たれていないとは、本当に珍しい」

 

 しげしげと観察する旅人は、アルファが怜悧な美貌を崩さぬ姿に負い目を感じたように視線を惑わせた。

 

「不躾に眺めてしまい失礼しました。もしよかったら貴方もここで夜を過ごしませんか? 僕も一人旅ですし、不寝番くらいは任せてください」

 

 アルファが一言も話していないにも関わらず、次から次へと言葉を発する少年は、どうやら相当会話に飢えていたらしい。

 

「僕はジーク。ウオトリー村出身で、行商人の真似事をしながら中央ハイラルへ向けて旅をしているんです」

 

「ルファと呼んでくれ」

 

 咄嗟に愛称が口からでたのは、先ほどまで思い出していた幼馴染がアルファのことをそう呼んだからだ。

 

 なんとなく、人からそう呼ばれたい心持ちになった。

 そのなんとなく、という気持ちが大切なのだと思う。欲の薄いアルファであるから、些細な願望でも丁寧に拾うよう努めていた。己の声を無視し続けていれば、いずれ己の本心が聞こえなくなってしまうから。

 

「ルファさん、と言うんですね。素敵なお名前だ」

 

「ありがとう」

 

「ウオトリー村、ご存知です?」

 

「ああ。ハテール地方の南にある漁村だったか」

 

「そうです! かなり辺境だし、ハテール海にあるハテノコ島のほうが有名なくらい小さな村なんですけど、新鮮な魚は本当に美味しいんですよ。ウオトリー村で獲れる魚ほどではないですけれど、もしよかったらどうぞ」

 

 皿に盛られた赤いカニ。全体的に赤い見た目をしており、ゴロンの香辛料が効かせてあるようでスパイシーな香りが鼻を突き刺す。

 

「ありがとう、しかし食事はもう済ませたんだ」

 

「そうなんですか。結構な自信作だったんですけど……毒なんて入っていませんよ? ほら」

 

 そう言ってジークは皿のなかのスープをひとすくいし、自身の口にいれる。満足気に微笑み、鍋から皿に新たによそってアルファへ差し出してきた。

 

「ね、よかったら」

 

 押しの強い少年である。思わず手に取ってしまったはいいが、あまり食事は好きではない。今晩分の栄養はすでにとったし。

 

 無碍に断るのも憚られて、アルファは重い腕でスプーンをとった。

 

 舌がピリピリと痺れる。ゴロンの香辛料が使われているらしい。鼻をカニの香りが抜けてゆく。口のなかには香辛料を和らげるまろやかなスープが広がり、喉の奥からさらに奥へ、自然とスープは嚥下された。温められたスープが身体を通っていくのがわかる。

 

「どうですか?」

 

「うん、初めて食べた」

 

 無表情ながらも、凪いだ海のような瞳がきらきらと輝いていた。目敏くそれに気づいたジークは嬉しそうに顔を綻ばせる。

 

「自分で言うのもなんですけれど、美味しいでしょう? 赤い月(ブラッディムーン)の夜に料理をしたんですけれど、大成功したんです」

 

 たしかに、美味いと思った。王宮で出される騎士用のレーションとは比べものにならないほど。

 

「ツルギガニも食べてくださいね」

 

 そう言われ、ハサミの部分を手づかみする。

 

「殻はここに放ってください」

 

 指し示されたのは若干掘られた地面だ。

 

 細い指先がめきょりとカニの殻に突き刺さり、豪快に殻がめくられる。ぷるんとまろびでた白い身にかじりつくと、やわらかくも弾力のある身に先ほどのスープが染み込んだ独特の風味が口のなかいっぱいに広がった。

 

「美味しいですか?」

 

 ひとつ頷いたアルファを見て、ジークは嬉しそうに笑った。先ほどまで、時折警戒するような目を見せていたジークが、どうしてだろうか。すっかり心を許したように笑っている。

 

「遠慮しないで食べてくださいね。僕の分はまだありますから」

 

 そう言って新しい皿に炒めガニを注ぐ。

 

「一人で食べるのじゃ味気なくって、ずっとケモノ肉をつまんでたんです」

 

 なるほど、たしかに誰かとともにとる食事のほうがずっと美味い。

 

 

 

 

 



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ベーレ谷の旅人2

 

 ジークは目の前の麗人の扱いに困っていた。護衛と逸れた貴族かなにかだろう、と検討付けていたのだが、彼は鼻持ちならない貴族と違って、擦れた対応はしなかった。

 邪気を知らない幼子のような素直な返答ばかりが返ってくるものだから、こちらの方が罪悪感を覚えてしまったほどだ。ジークは弁が立つほうであるため、警戒心の強い者でもするりと懐内に入り込むのは得意だった。そうやって懐内に入り、情報を手に入れて暮らしてきたというのに、今日はいまいち調子が悪い。

 

 ルファ、と名乗ったその人は、女性と見紛うほどに美しい男だった。おそらくは偽名であろうが、そんなことは気にならない。

 

 艶やかな青い髪に、深い青の瞳と初めて見る色合いの持ち主だ。衣はトライフォースのあしらわれた仕立てのよいものであったし、その端麗な容姿から高貴な身分であることは間違いないだろう。ハイリア人の如く端麗な容姿をしているが、金髪碧眼ではない。耳こそハイリア人と同じように尖っているものだから、もしも彼が金髪碧眼であれば女神ハイリアの生まれ変わりだと騒ぎ立てられたに違いない。……男、らしいが。

 

 食事をともに取れば不思議と警戒心は薄れるものだし、見返りがあるかもしれない、と若干の下心を持ちつつ炒めガニを振る舞ったのはいつもの流れだった。

 

 鍛え抜かれた騎士のごとくポーカーフェイスは崩れないものの、瞳が歓喜に震えているのを見て、ジークはわずかばかり動揺した。自分の作った料理を、まるで初めて食べるものかのように感動しながら食べられたのだ。高貴な身分であるだろうし、きっと美味いものなど食べ飽きるほどに食べているだろうに。

 

 随分と綺麗な所作をする男であった。貴族というのは間違いないだろう。ひとつひとつの何気ない仕草から、高貴さが感じられて、わけもなく後ろめたい。

 

 それにしても美しい人だ、と感嘆する。シミひとつない真っ白な肌と均整のとれた身体。艶やかな青い髪は乱れることを知らず、ポニーテールで纏められている。知性の感じられる青い瞳は、吸い込まれそうなほどに美しい。伏せた睫毛は長く、深い深い青色であることが見て取れる。通った鼻筋の下には形の良い唇。前髪は輪郭に沿うように一筋だけ零れ落ちている以外、すべて纏めて結っているため、細い輪郭や小さな顔貌が優れているのがどの角度からもわかる。先ほどまではフードを被っていたが、目深に下ろしたフードを取った瞬間、あまりの美貌にジークは心の底から驚いた。本当に、生まれてくる性別を間違えていると思う。女性の一人旅は危険だし、男だと偽っている可能性は捨てきれない。女だったらいいな。いや、そうなると緊張して話せなくなるし、男でよかったか。

 

 たっぷりの時間をかけて始終興味深そうにルファが炒めガニを完食するのを見届け、問いかける。

 

「これ、俺の住んでた家の近くでよくとれるんです。マックスサザエ。よかったら、貰ってください」

 

「ああ……いいのか?」

 

 はい! 貴方に食べられた方がきっとマックスサザエも喜びます! とはジークの心の声だ。

 

「どこからいらっしゃったんですか?」

 

 ジークにしては珍しい、打算のない素直な問いかけであった。

 

 食事をして心を許してもらうはずが、彼の素直な食べっぷりに心を許したのはジークのほうであった。警戒心を抱かせない人形のような印象を受ける彼のもつ雰囲気も、ジークが心を許す理由のひとつだった。ジークのように打算などなく、素直にこのハイラルの地を生きている。

 

 貧弱なジークは、筋肉隆々の漁船の男たちからはつまはじき者にされ、中途半端に外の知識があるせいで、田舎村を疎んで生きていた。外では、外ではと何かとウオトリー村と違う村とを比較対象にしていたのが、村の連中からは相当にやかましかったに違いない。

 挙句、博打に精を出しすぎて、すっかり貯蓄がなくなった。そうなると、脛をかじり続けた親に見放され、ウオトリー村から逃げるように出奔するしかなかった。それからは特殊な効果を持つ魚や貝などを手に入れては馬宿や村で売買をして食いつないでいた。

 

 商売をするなかで、あらゆる人と関わり、騙されることもあったし、騙すこともした。所詮心から信頼できる人など存在しないと早々に悟り、それからは表面上の愛想の良さで世を渡ってきた。護衛を雇ってボコブリンの大軍に遭遇し、置いてけぼりにされたこともある。命からがら逃げ延びてからは、人に興味を覚えることすらなくなった。一人でいるのが一番心が安らぐ、と根無し草に、なんとはなしに中央ハイラルを目指していた。

 

 崇高な目的なんて、ありはしない。ただ死ぬのは嫌で、生きていくために適当な目的を定めただけだ。

 

 火を焚いていると、時間が過ぎるのが早い気がする。だから、夜はたき火の前で時間を過ごすようにしている。不思議と、たき火をすると魔物が寄ってくることが少ないのだ。

 

 筋肉のつきづらい身軽な身体のおかげで高台に登るのは得意だった。地面から湧き出てくるスタルボコブリンやスタルリザルフォスから逃れるには、狭い高台はいい場所であった。いつものごとく汗をかきかき高台へ登り、薪に火打ち石で火を灯してぼうっと眺めていた。そこに音もなく現れたのが彼だった。

 

 よくよく考えてみれば、高貴なだけの貴族男性が軽い足取りで崖を登れるはずがない。手ぶらで旅をして、汚れも傷もないはずがない。

 

「コログの森だ」

 

「は?」

 

「どこから来たか、と訊ねなかったか?」

 

 大真面目に返され、それもそうなのだがずれている、と突っ込む勇気もなく、苦笑しながらジークは答える。

 

「あ……いや、その。コログの森というのが、聞き覚えがなくて」

 

「だろうな。俺も知らなかった。迷いの森の奥にある」

 

「あの迷いの……?」

 

「あの迷いの、だ」

 

 世迷いごとを、と一蹴することすらできる内容でありながら、どうしても彼が嘘を言っているようには見えなかった。

 

 浮世離れした彼の雰囲気は、冗談など言いそうにもない。

 というか、彼自身が精霊だと言われても冗談に思えない。

 

「ほう……! コログの森とは、どんなところなのですか? 貴方はコログが見えるのですか?」

 

 矢継ぎ早に質問する。興味が先立って、はやる気もちを抑えられなかった。

 

「ああ。コログは森の精霊だし、そういえば見える人間は少なかったな。ハイリア人にはまだ見える人間が残っていると思うが、お前には見えないのだな」

 

 邪気もなく、ただ不思議そうにジークを見つめていた。精霊の見えることが当たり前のようだ。ジークにとって見えないことが当たり前のように。

 

「あいにくと、生まれてこのかた見たことはないですね。子どもの笑い声のようなのが聞こえる場所には行ったことがあるけれど、どれだけ探しても姿は見えないんですよね」

 

「そうか。コログはデクの樹サマより生まれた精霊で、コログの森にはたくさんのコログがいる。あんなにたくさんのコログがいるのを、俺も初めて見た。コログはとても小柄な種族で、皆葉っぱで作った面をつけている。植物の精霊で、ハイリアの植物を育んでくれているんだ。

 あと、コログの森は、退魔の剣が眠る場所でもある。これは、もしも金髪碧眼のハイリア人の青年に会ったら、教えてやってくれ」

 

 律儀にも、ジークの最初の問いかけに答えてくれているらしかった。ジークがコログが見えないことを知って、どんな姿のかも教えてくれたのだろう。生真面目な人だ、と感嘆しつつ、退魔の剣という言葉に引っかかる。

 

「最近はゾーラ族の王子もハイリア人を探してるって噂ですね。

 退魔の剣って、噂のミツバちゃんで読んだことがあります。本当に存在するんですね」

 

 噂のミツバちゃんとは、そこらじゅうの宿屋にちらほらと置かれているコラムのようなものだ。人目につく場所に押されているが、誰が書いているのやら。

 

 運命的な愛が芽生えるラブポンドなる場所のことも書かれていて、女性陣が色めき立っていたことを思い出す。ジーク自身も機会があれば行ってみようと思った場所だ。もしもラブポンドで彼に出会っていたならば、性別は女だと思い込んで一目ぼれをしていたことは間違いない。出会ったのがここでよかった。本当によかった。

 

「退魔の剣は100年前の厄災ガノンとの戦いで傷つき、眠りに就いていたが、壊れてはいない。熾烈な戦いだったし、勇者の傷もかなり深かっただろう。マスターソードと魂で繋がっていたから助かったのかもしれないな」

 

 浮世離れしたその人は、語る内容までも浮世離れしていた。吟遊詩人や老人以外にはハイラルの歴史になど興味を示さないもので、ジークも学校で習った内容くらいしかハイラルの歴史は知らない。まるでこれまでの戦いを見てきたかのような深い響きの声に魅せられた。

 

 嘘だ、と断じてしまえばただそれまでの話だ。だが、どうしてこうも話に惹きつけられるのだろうか。

 

「助かった……? 100年前に現れた勇者は、未だ生きているのですか?」

 

 いや待て。なぜ100年も前のことを当たり前のように語るのか。男の姿かたちはとても年齢を重ねたものとは思えない。

 

「貴方は、一体」

 

 何者なのか、と問いかけようとしたときだ。つ、と彼が視線だけを空へ向けた。

 

 いつの間にやら夜はすっかり更け込み、暗幕たれ込める夜闇に包まれている。空に星々はなく、静かに鳴き声をあげる虫の声だけが静まり返った高地に反響する。

 

 月明かりに照らされた青い瞳が、ただ一点を見つめている。声をかけることすら憚られる固い面持ちに自然とジークの肩も強張った。

 

「どうかしましたか?」

 

「そうだな。お前、戦うことはできるか?」

 

「多少の護身術程度ですが」

 

 弱々しく腰に帯びた旅人の剣に手をかける。見せかけくらいのもので、実際に使ったことは数度だ。手入れもまともにしていないため、すっかり刃こぼれしてしまっている。それでも強がってみせたのは、彼が武器のひとつも持ち得ない細身の身体をしていたからだった。ウオトリー村で筋肉隆々の力自慢の男たちを山ほど見てきたジークは、美麗な青年が戦えるとは露とも思わなかった。

 

 しばらくして、羽音が聞こえてきた。ひとつふたつどころではない。無数の羽音だ。

 

「ふん、キースか」

 

 ぽつりと吐きこぼした彼は、つまらなそうに空を睨んでいるが、その数の多いこと!

 

 黄色い目玉が黒い空を覆うようにひしめき合っている。自然、肩が恐怖で竦んだ。キースは、一匹であれば、剣を二度三度あてさえすれば倒すことのできる弱い魔物だ。だが、大軍となるとそうはいかない。キースの大群が通ったあとは骨しか残らないと言われてるほど。雑食性の生き物で、人間すらも餌にする。夜に子連れの人間がいないのはそのためだ。

 

 遠ざかれ、頼むから、と願うも虚しく、未だパチパチ燃え上がる炎めがけて、キースの大群はどんどんと明瞭になってゆく。耳障りな羽音が大きくなってゆく。

 

「う……ぁ、こっちに、来てる……!」

 

 ジークはかたかたと震えながらも立ち上がり、剣を鞘から抜いて構えた。アルファを背に隠し、空へ向かって吠える。

 

「に、逃げてください! 俺が、囮になりますから!」

 

 ああ、まさかこんな最期になろうとは。今までの旅路は楽なものだとは到底言えないものだが、これほど命の危機を感じたことはない。ボコブリンの大群に襲われたときだって、逃げる一縷の希望はあったし、ヒノックスを起こしてしまったときだって、死の危機と隣り合わせではあったが、逃げれる可能性はあった。だが今は、キースの大群に肉を食い千切られる未来しか見えない。この高台だ。慌てて逃げれば転落し、最悪死ぬだろう。もしくは骨折したとして、キースから逃れられるはずもない。もしかしたらスタルボコブリンにやられるかもしれない。

 

 自分が骨だけを残してここで死んで、誰が弔ってくれるだろうか。最期に麗しの男(やっぱり女性でないのが悔やまれる)を守って死んだと、ウオトリー村の人々は知る由もないだろう。

 

「早く、逃げて!」

 

「そうしたいのは山々だが、お前はどうするんだ」

 

「戦います! せめてもの、貴方が逃げる時間稼ぎくらいにはなるはずです!」

 

 声を張り上げねば、震えて喉に張り付いてしまう。淡々と話す彼のほうがよっぽど落ち着いていた。いっそ腹立たしいほどの落ち着きっぷりだ。こっちは死の覚悟をしているというのに!

 

 キースの大群は、まず間違いなくジークたちのほうへ向かってきていた。黄色い瞳の大群にロックオンされている。

 

 嫌だ、死にたくない。まだ親孝行だって出来ていない。まだやりたいことがある。死にたくない、死にたくない! あぁ、女神様、助けてください!

 

 焦燥感が烈火のごとく胸を焼き、脚がガクガク震えた。だけど、丸腰の男を囮に逃げることなんてできない。そんな腐った人間に落ちぶれたくはなかった。

 

 バサバサバサバサ羽音が煩わしい。黄色い瞳が攻撃性のある赤い瞳へと変じる。

 ジークはぎゅっと目を瞑った。首筋をひんやりとした冷気が通り抜け、全身が冷たくなった。まるで外気が一気に下がったような。これが死ぬ前の感覚なのか。

 

 しかしいつまで経っても痛みはこない。いや、目を開ければキースの目玉が飛び込んでくるに違いない。

 

 ……あれ? それどころか、羽音さえも聞こえないぞ。目の前は暗闇で、そこでジークは己が固く固く必要以上に強く目を瞑っていたことを思い出した。

 

 こわばった瞼を少しずつ持ち上げてゆくと、朧がかった視界に何百もいるキースが上空で氷となり、固まっている光景が映し出された。

 

「え……?」

 

 振り返ると、ルファが白い指先をパチン、と弾くところであった。その手にアイスロッドなどない。どうやってこの大群を凍らせたのだろうか。

 

 それに、何故だろう。彼の青い爪色が淡く輝いているように見える。青い光の残像が燐光をまとって消え流れる。

 

 いっそ幻想的なまでの光景だった。無数の氷の粉と化してゆくキースの大群。虫の声さえしない、完璧な静寂。

 

 命の危機は、もう、ないのだ。

 

 いつのまにか手に持っていた剣がすとんと抜け落ちる。

 首筋から意識が抜けるように、すとんと暗闇のなかへと落ちた。ジークの緊張の糸が切れた瞬間であった。

 

 

 

 

 

 固い岩肌に転がった剣を見下ろす。剣を見ると、どうしても嫌な感情がこみあげてくる。

 

 アルファは昔、騎士団に属していた。そして、自らの意志で辞めた。仲間を仲間と思えぬ騎士など必要ない、と放り出されたというのが正しい表現か。

 

 苦い思い出がよみがえる。記憶の蓋が開き、こぼれ出てくる光景をアルファは見て見ぬふりをする。

 

 倒れた旅人の背を片手で支えたアルファは、そのままたき火の横に誘導して寝かせてやった。

 

 雷を操るゲルド族の首領が如く、突如として癒しの力に芽生えたミファーの如く、強固な護りの力を持つダルケルの如く、アルファもまた氷の力を生来持っていた。指先に魔力を乗せてやればキースの大群が簡単に凍る。今ではキースの大群とて一撃で倒せるだけの力があるが、100年前はせいぜい凍らせることができるだけで、攻撃力はその後の打撃に頼るしかなかった。

 

 力を強めるために、アルファは心の成長をせねばならなかった。サイレンと呼ばれる精神世界で、ただの一撃で心を砕く守護者と対峙し、何度心を粉々に砕かれたか。肉体を持たず、精神だけの気が狂うような空間のなか、武器さえもてずにサイレンのなかを彷徨った。守護者の大剣が我が身を貫くあの衝撃は、思い出すだけで身震いがする。痛い、なんてものではなかった。

 

 ――この力が勇者の支えとなるでしょう

 

 永劫にも思える試練の後、どこか寂しさと空恐ろしさを感じさせる空間で、女神は光の塊(思えば、あれが女神ハイリアの力だったのかもしれない)をアルファに与えた。それはアルファの胸へと吸い込まれてゆき、それから爪が(たぶん髪と目も)青く染まった。

 

「勇者のごとき高潔な精神を見せてもらったよ。……しかし手入れしてやらないと剣が可哀想だ」

 

 刃こぼれだらけの剣を手に取り、鞘のなかへしまってやる。己のかつての愛剣と比べて、その剣のなんと軽いことだろう。

 

 ふと、脳裏に青い英雄の服を着た青年が思い浮かぶ。

 

 色々なところに勇者はいるのだな、とアルファは思った。騎士の家系に生まれ、傑出した能力に恵まれ、人格者である幼馴染は女神ハイリアに選ばれた勇者となったが、通りすがりの旅人も人を守ろうとする高潔な魂を持っている。これが、女神の愛する民。なるほど、その気持ちはわからないでもなかった。

 

 夜明けまでたき火を守り、時々薪を足してやる。淡々と火をつつく作業を繰り返し、日が昇ってきたところで立ち上がった。ジークは未だ深い眠りについている。

 

「日が出ているなら、もうキースが来ることはないし、この高台だ。魔物に襲われることもないだろう」

 

 眠るジークに言い訳がましく話しかけ、普通の人間ならば墜落死は免れない高い崖を、なんの気負いもなく飛び降りた。ところどころに氷で足場を作り、衝撃を殺しつつ崖を下る、その足取りは軽い。

 

 地面に降り立ち振り返ると、弱々しくなった狼煙が至極薄く朝陽に照らされているのが見えた。

 

「予想外に美味かったぞ」

 

 炒めガニといったか。

 

 ルファと呼ばれるのも心地よかった。そして、懐かしかった。

 

 改めて、あの寝坊助と早く会いたいと心の底から思った。

 

 



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湿原の馬宿

 太陽も上空に差し掛かり穏やかな暖気に包まれてきた頃、ゴングル山に差し掛かった。ようやくラネール地方である。近くのゴングルの丘では、巨岩になりすましたイワロックが生息していることが噂されていて、腕の立つ者ならともかく、旅人はみなゴングル山沿いの街道を進む。そこは、赤土の広がるベーレ谷とは違って、白い石灰岩が目に眩しい岩山だ。若干もろいところもある地形ではあるが、ヒノックスほどの巨体でもなければ地崩れの心配はない。

 

 東方向のラネール湿原へ向かえばゾーラの里へと続き、さらに南下を続ければ目的の西ハテール地方というわけだ。

 ちなみに西には中央ハイラルの中枢であるハイラル城がある。怨念渦巻く厄災ガノンが廃れた城をぐるぐると大蛇のように渦巻き、呪いを吐き散らしているのが遠目からでも確認できる。禍々しいその気配は、厄災の姿が見えない常人であろうとなにか感じるところはあるようだ。

 胸騒ぎというかたちで現れることが多いらしく、馬を早足で動かし、嫌な気分だ、やら胸騒ぎがする……と独り言をつぶやき旅する者が多かった。アルファはというと、特に歩調を変えるでもなく、ただガノンの気配やそれを封じる聖なる力の気配を感じながら歩みを進めるのみだった。

 

 無駄な戦闘の一切を避けてカカリコ村への旅路を行くアルファだが、未だ行程は半分地点といったところ。

 

 街道沿いを進む今も、馬に荷をくくりつけ並足でかっぽかっぽと北上する旅人とすれ違う。こんにちは~と馬上から挨拶され、アルファは生真面目にそれを返す。

 

 こう見ると、金髪碧眼のハイリア人は減ったのだなと感じる。赤毛や栗毛の人族ばかり。100年前の戦いで女神ハイリアの血を引く生粋のハイリア人はすっかり死に絶えたのだろうか。

 

 一人旅を続けていると、自然と物思いに耽る時間が増えた。

 

 お転婆で悲観的な、だけど女神ハイリアの血を引くゼルダ姫。彼女は今もハイラル城で厄災ガノンを封印しているのだろう。封印の力に目覚めぬと泣き言をこぼしながらも己にできることを懸命に探していた彼女。

 よく姫様付騎士である幼馴染には嫉妬染みた視線を向けられたが、ゼルダ姫はなぜかアルファに心を許し、いろいろなことを語ってくれた。立場上、会う機会は少ないはずなのに名指しで護衛に指名してくることもあって、周りの目が痛かった。うっかり式典のときまで城下へおりてシーカーストーンの研究をしていた彼女。そのせいで線の細いアルファが影武者となった黒歴史の恨みは忘れない。閑話休題。

 

 彼女はきっと、ずっとずっと待ち続けているのだろう。100年なんて途方もない期間、必ず勇者が目覚めると信じて厄災ガノンを封印し続けているのだ。芯の強い姫である。

 

 よくよく勇者には嫉妬染みた視線を向けられていたが、表面には出ないが羨ましいのはこちらのほうだった。

 

 だが。羨ましいと感情を吐露するには、リンクの姿は痛々しすぎた。いつだって彼は寂しそうだった。

 才気を羨まれ、妬まれ、守るべき姫にさえコンプレックスを感じられて。騎士とは頼られる存在だとばかり思っていたが、よもや姫君からコンプレックスを感じられるとは、出来すぎる人間も辛いものなのだと知った。

 

 アルファが騎士を辞めてから、さらに無口になった幼馴染だが、縁は切れなかった。こちらから王宮へ訪れることはない、となると彼のほうからアルファのもとへ訪れるしかない。

 

 幼少のみぎりより騎士として鍛えられたアルファは、勇者にこそ劣るが腕っぷしだけは確かであった。プルア様のもとで雑用として働いていたアルファのもとを、近衛騎士となった彼はよく訪れてくれた。幼い頃、無邪気な笑顔でよくアルファの手を引いてくれた彼は、成長するとアルファのようにポーカーフェイスばかり浮かべる青年になった。お前も勇者も、愛想笑いの一つでも覚えればいいのに、とはプルア様の言葉である。インパ様は深くそれに頷いていた。

 

 休日になると当たり前のようにアルファのもとに来る彼は、変わらぬアルファを見てとても安堵している様子だったから、アルファは何も言わずにただ昔のように接した。そして、誰にも弱みを見せられない彼にひとつだけ約束をした。それが、友として彼にできるただひとつのことだったから。

 

 ふ、と生臭さが鼻をつく。風上から流れてくる臭気はボコブリンのものだ。悪食のボコブリンたちは独特の酷い臭気がする。思考にたゆたう意識を引き戻し、たき火を囲んでギャオギャオと楽しげに踊る姿を捉える。ひたすら南下するアルファは足音を立てぬ歩法で息を乱すことなくボコブリンたちから離れた裾野を抜けていく。

 

 湿原近くになると、ギョロリとした目玉に成人男性よりも大きな躯体、一本角の生えた爬虫類系のリザルフォスが現れる。湿原のなかで身を横たえ、周囲の色に擬態して獲物を静かに待ち伏せているが、一定以上の距離を置いて進めば襲われることもない。無論、先じて気配を悟るアルファがリザルフォスに奇襲をかけられるはずもない。

 

 日も暮れた頃、緑むす草原に佇む湿原の馬宿にたどり着く。スタルボコブリンやスタルリザルフォスが湧き出てくる地は、骨の打ち捨てられた場所以外となるとランダムで、気配に敏感なアルファでも気づけない。せっかく馬宿についたことだし、一晩ここで過ごしてカカリコ村へ向かうのもいいだろう。

 

「やぁッ、はぁッ、てぇーい!」

 

 馬宿の敷地内で、藁仮標へ素振りを繰り返す男性の声。その腕はお粗末なものであるが、武具に対する愛着は感じられる。なにせ、藁仮標にさえ当てぬのだから。

 使わねば擦り減らぬ。果たしてそれが真に剣のためであるかは別として、愛着だけはしかと感じた。

 しげしげとその様を眺めるアルファに気づいた男性は、みなぎる自信をありありと顔に出して言う。

 

「はぁッ、とうとうッ、手に入れた! 伝説の剣を!」

 

「ほう……」

 

 思わず彼の手中に視線がいくが、どうにもただのたいまつのように見える。

 

「ほら、なんだったか! 伝説の剣! たいま つの剣!!」

 

 幼馴染のもつ退魔の剣はおかしな方向でも有名らしい。たいまつの剣だなんて、そんな喜劇寄りな方向にも発展していたとは。いや、実用的だし、いいのか。ロングスロー効果やら、雨が降ろうが消えない効果やらがついた伝説級の代物に違いない。

 

 正直見た目はただのたいまつにしか見えないけれど。

 

「俺が、貴女を、守ります!」

 

「……」

 

「お名前を、伺ってもッ?」

 

「……アルファだ。ちなみに、男だ」

 

「……下手な、冗談だ! はぁッ! あなたのように、美しい人がッ、男などとッ」

 

 とりあえず素振りはやめればいいと思う。

 

 踵を返して歩き出したアルファは、馬宿の天幕内へと入る。

 

 年若い小柄な少年がぱっと顔をあげるのが目に入る。

 

「お姉さんも、旅の人? 僕、案内できるよ!」

 

「お姉さんではないのだが」

 

 あまり人からの評価は気にしないが、こうも立て続けに性別を間違え続けられると、気になる。髪が長いのが理由だろうか。切るのが面倒で伸ばしていただけだ。いっそバッサリ切ってしまうのもいいかもしれない。

 

「え、そうなの? 嘘だぁー」

 

「本当だ。道案内は大丈夫だが、ハサミを借りれないか?」

 

「ハサミ? いいけど、どうしたの?」

 

 受付のカウンターへとてとてと小走りで向かい、ハサミを貰ってきてくれた少年。

 

「髪を切ろうと思ってな」

 

「え! 駄目だよ! 勿体ない!」

 

 差し出されたハサミはひょいと少年の背中に隠された。

 

「勿体なくない。やけに女性と間違われるし、切った方がいいだろう」

 

「大丈夫だって、声を聞いたら男の人だってわかるから。……それに、髪が長いほうが女の人っぽくて僕のやる気もあがる」

 

 後半はかなり声を潜めた独り言のようだったが、しっかり聞こえている。随分とマセた子どもである。

 

 誰かに切ってもらえるならまだしも、自分で適当にハサミをいれればとんでもないことになるか、と思い直し、少年からハサミをふんだくるのは諦める。

 

「お兄さんはどこから来たの?」

 

「北のほうだ」

 

「ああ、デスマウンテン? 僕、ここの案内ができる資格をもってるし、詳しいんだよ」

 

 小さな胸を張ってふん、と鼻を鳴らす。

 

 デスマウンテンはここからだと北東の方角だ。なるほど間違ってはいない。

 

 実際アルファはコログの森から来たが、ベーレ谷で会った旅人の話からすると、迷いの森を抜けられる人間はいないという。試したことはないが、アルファとて突然コログの森で意識が戻ったが、正規の方法でたどり着くことは不可能だったろう。馬宿で変に騒ぎを起こすのも面倒だし、少年が勘違いしているのをいいことに訂正せずにおく。

 

「そうか。詳しいんだな」

 

「まあね! どの方角について聞きたい?」

 

 アルファは、方向感覚や地形判断能力に恵まれていた。一度歩いた場所は忘れないし、おおよその場所は把握できている。わざわざ少年に聞くまでもないのだが、早く早くと目を輝かせる少年を前に、アルファは苦笑しつつ尋ねた。

 

「じゃあ、南について教えてくれるか?」

 

 ひたすら南下する旅をしているのだ。もしかしたら何かしら有益な情報が得られるかもしれない。

 

「南? 南のことはリバーサイド馬宿で聞いて。以上」

 

 すごく塩対応だった。

 

「そうか。しかしカカリコ村へ向かうつもりだから、リバーサイド馬宿は通らないな」

 

「ふぅん、詳しいんだね。案内なんていらないじゃん」

 

 少年はすっかり不貞腐れてしまった。

 

「旅をしていれば自然と覚えるものだ。気分を悪くしてしまってすまない」

 

 少年の頭を越えぬよう、律儀にひざを折ってから頭を下げたアルファに、どうやら機嫌が直ったらしく少年は仕方ないな! とふんぞりかえった。

 

「あっ、頭をあげなよ! 許してあげるからさっ!」

 

「ありがとう。女神ハイリアもお前の優しい心に喜んでいることだろう」

 

「はははっ、お兄さん、変なの! 僕ね、アミヴィって言うんだ。お兄さんは?」

 

「アルファだ」

 

「そうなんだ! なんだか名前も似てるね」

 

「そうかもしれない」

 

「今日は泊まっていくんでしょう? もう僕、眠くなってきちゃったけど、明日もいる?」

 

 きらきらと瞳を輝かせるアミヴィには悪いが、素直に答える。

 

「明日の朝に発つつもりだ」

 

「そっかぁー……。もっとお喋りしたかったな。ねえ、また来る?」

 

 旅人がすぐに消えていくことにもまた、慣れた様子である。

 

「わからないが、おそらくは」

 

「絶対! また来てよね! これあげる!」

 

 そう言って、マックスラディッシュを渡された。

 

「絶対だからね!」

 

 そう言って、大マックスラディッシュを渡される。何故だかえらく気に入られたようだ。

 

 アミヴィの頭を撫でてやると、子どもじゃないやい! と声を荒げながらも嬉しそうだ。

 

「じゃ、僕色々支度しないと駄目だから。おやすみ! アルファさん!」

 

「おやすみ、アミヴィ」

 

 ぱたぱたと小走りで外へ出て行く背中を視線で追っていると、受付の女性がカウンター越しに話しかけてくる。

 

「アミヴィの相手をしてくれてありがとう。今日は一泊していくんでしょう? 10ルピーでいいわよ。ふかふかのルピーなら30ルピー」

 

 相場より随分と安い気がする。100年経ったと聞くし、宿屋の相場も変わったのだろうか。小首を傾げるアルファに、受付の女性は優しく微笑んだ。

 

「あの子、私の子なの。あの子があんなに人に懐くなんて珍しくって。相手をしてくれたお礼よ」

 

「そうか、ありがたい」

 

 魔物と戦わないため、路銀はあまりない。道中でハイラルダケやシノビダケなどを採り、換金するくらいなのだ。生きていくのに必要な最低限の食事もとらねばならないため、割とかつかつな旅をしていた。

 

「ふつうのベッドで頼む」

 

「はい、毎度ありがとう。朝まで、でいいのね?」

 

「ああ」

 

「好きなベッドを使ってちょうだい。じゃあ朝になったら起こすわね。おやすみなさい」

 

 すっと視線を逸らされる。不躾な視線にさらされることの多いアルファは、それなりに人目は気にならない性質だが、逸らされた視線から気兼ねなくゆっくり休んでくれ、という女将の心遣いを感じた。

 出口近くのベッドに横になる。入り口付近は基本不人気で、あまり眠る人は少ない。安い値段で泊まらせてもらったせめてものお礼に、他の人が使わなさそうな出入口のベッドを選択した。

 

 すぐに、いつも通りの意識が途切れるような眠りが訪れた。

 

 

 



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夢と回生の祠

 

 どこかとても暗い場所。光源となるあのどでかい装置はなんだ? 見覚えがあるような気もするけれど。

 

 それよりも気になるのは、淡い光を帯びた液体に包まれた幼馴染が眠っていることだ。

 

 ああ、そうだ。淡く明滅する装置はたしか、回生の祠のなかにあったアレか。埃っぽい空気はとても乾燥していて、軽い咳払いで喉の違和感をやわらげる。その液体はどうやら、揮発性の代物ではないらしい。

 

 ひんやりとした指先。ぐーぱーと握って開いてを繰り返し、手の感覚を確かめる。

 

(よくできた夢だ)

 

 外の光が一切差さぬ密閉した暗闇のなか、装置だけが光を帯びている。青い光がぼんやりと浮かび上がっては消え、と明滅を繰り返している。今にも消えそうな儚い光だ。そして、最後に見かけたときと、まるで変わらない幼馴染。

 

「ほんとうによく眠るんだな」

 

 夢なんてみるの、どれほどぶりだろうか。これは夢だ。そうわかっているのに、懐かしい青年の姿を前にすると、思わず語り掛けてしまう。

 

「単身でライネルの群れをかすり傷ひとつ負わずに討伐するお前が……らしくもない」

 

 液体のなかで固く目をつむり、眠る彼は少しも動かない。身体に刻まれた無数の傷跡が痛々しい。焼け焦げたような傷跡や、鋭い切っ先で断ち切られたような傷跡、赤黒い打撲痕も見れば数重はくだらない傷だ。どれもこれも治りかけのようだが。血液こそあふれないが、赤い肉の見える部分もある。

 

「死んでないよな?」

 

 一歩踏み出すと、狭い空間にブーツの靴音が反響する。装置に手を触れると、マスターソードのときと同じ感覚がした。自身のなかにある力がごっそりともっていかれる。装置の光が目を開けていられないほどに強まり、液体の光もまた強くなる。

 

 貧血に似た感覚を覚え、前後左右、天と地さえわからなくなったアルファは、平衡感覚を失って地に片膝をついた。嘔吐感を唾液とともに飲み下し、荒い息を短く繰り返す。しばらくすると淡く霞んだ視界が徐々に戻ってきて、喉元に鉄錆のような粘っこい唾液が絡む。痰が絡んで息が詰まり、アルファは激しく咳をした。口元にあてていた手にべっとりと痰がつく生暖かい感触。見ると、赤黒い血が絡んだ痰が付着していて余計に気分が悪くなった。

 

 光を強めた装置が、未だ生傷絶えなかった幼馴染の身体を早送りでもするように治癒していく。もしかして、マスターソードのときよりもずっと酷いが、これも女神ハイリアの力を分け与えたことになるのだろうか。

 

 これは、夢か? 夢だ。自分は湿原の馬宿のベッドで眠りについたのだから。

 

「なんだって、いいや」

 

 呟いた己の声は生気も乏しく、酷く掠れていた。

 

 お前の助けになれるなら、本望だ。

 

「起きろよ、相棒。時間がないぞ」

 

 何の時間がないのだったっけ。ああ、そうだ。100年ものあいだ厄災ガノンを封じ続けているゼルダ姫の力が、限界に近いのだったっけ。

 

 どうして俺はそれを知っているのだろうか。まあ、いいや。考えるのが面倒だ。

 

「おい、起きろ。寝坊助」

 

 焦燥感がして、アルファは傍らで眠る幼馴染に声をかける。立ち上がろうとしたが、足に力が入らず、うまく立てない。仕方なく装置に背を預けて語り掛ける。

 

 

 

「リンク、目を覚ませ」

 

 

 ――リンク、目を覚まして

 

 

 

 凛とした女性の声と、重なった。

 装置の光が消え、水が引いてゆく。後ろ目にそれを見ていたアルファは、珍しく小さく微笑んだ。

 

「おはよう、寝坊助」

 

 澄んだサファイアの瞳が真っすぐにアルファを射抜く。

 

 

 

 

 

 

 その瞬間、アルファは馬宿のベッドで目を覚ました。

 

 何の変哲もない馬宿の天井である。皆寝静まり、寝ずの番の男が焚火の前で手をこすり合わせているのが見えた。

 

 嫌にリアルな夢を見た。

 

 起き上がると、夜の冷気が吹き込む入り口で馬宿の男が首をこちらへ向ける。

 

「大丈夫かァ? 随分と酷い咳をしていたが」

 

 思わず手を見ると、夢のなかだけでなく、現実でも手にべっとりと血がこびりついていた。ぞくりと背筋に悪寒が走る。

 

「ああ、問題ない。騒がしくてすまなかった」

 

 ひどい頭痛がした。未だ眠りを必要とする身体に鞭打ち、立ち上がる。

 くらりと視界が揺れるものの、昨夜は夜通し火の守りをしていたのだから仕方がないかと無理やり理由づける。一晩程度の徹夜が身体に響くことなどないと、分かっていながら。

 

「おや、もう行くのかい?」

 

 朝陽はまだ差していない。荷というほどのものをもたないアルファであるが、血糊を手拭きでぬぐい、軽くベッドを整えて出入口へと歩き出す。隣のベッドでは深夜に訪れたらしい見知らぬ旅人が眠っていて、健やかな寝息を立てている。

 

「世話になった。アミヴィが起きたら、発ったと伝えてくれ」

 

「おうよ。また来てくれや。次もサービスするから」

 

 気の良い男はにかりと笑って手を振った。

 

「気をつけてな」

 

「ありがとう」

 

 湿原の近くということが関係するのだろうか。オルディン地方も近いはずなのに、朝方は冷え込んだ。防寒着に着替えようか悩んだが、歩いているうちに暖かくなるだろうと思いなおし、早足に街道を歩き続ける。

 

 次第に血の気が末端まで回りだして、酷い頭痛が緩和される。酒を飲みすぎた翌日のような不快感だけは残るが、問題なかろう。

 

 空はわずかに、赤く染まっていた。赤く染まった月がオルディン峡谷へと沈んでいく。濃密な瘴気が空気中に垂れ込み、そのせいで気分が悪いのかもしれないと思考する。

 姫巫女により封印されながらもハイラル全土へ干渉する悪しき力。それほどの力をもつ強敵と戦う運命に生まれたリンクやゼルダは、なるほど非才の身であるアルファには手の届かぬ存在だったわけだと納得する。

 

 英傑たちは呆気なく死んだ。ハイラル全土で高名なあの英傑たちが、ガノンによって滅ぼされたのだ。

 いかな勇者といえど、単身でガノンを討伐する力などあるはずもない。当時姫巫女の力は目覚めていなかったし。そんななかで味方であるガーディアンすら敵にまわったのだ。

 リンクが倒れる瞬間は、アルファは見たことがなかった。子どもの頃から大人を打ち負かし、とびぬけた才気をもった青年だったから。剣一本で逞しくも戦い続ける姿が、アルファの見た彼の最後の姿だ。

 

 ゼルダが力に目覚めたのは、いつなのだろうか。

 

 ああ、思考がまとまらぬ。

 

 大厄災の訪れた日、我が身は死んだはずだった。受け身も迎撃もできぬ、見事なまでの攻撃の直撃に即死であったと思う。だが、なぜ死んだ身であるアルファが、生きているのだろうか。もとより未練などなく生きていたから、霊魂として留まることはまずない。死の間際、自分はなにを思ったのだったか。

 

 精神世界(サイレン)で過ごした期間があまりにも長すぎて、野生の息吹あふれるこのハイリアの地を、まるで初めて感じるものであるかのような心境になった。

 

 世界はこんなにも美しいのだ、と認識させられた。サイレンで心の成長を果たしたからこそ気づけるようになったのかもしれない。

 

 昔、上官騎士から言われたことがあった。ハイラル国を愛さぬお前など、騎士に相応しくないと。

 

 言葉では否定したものの、真実ハイラルの地を愛しているとは言えなかった。なにせ、この美しい大地になにも思うことがなかったのだから。

 

 今ならば素直に思える。

 

 俺は、このハイラルを、愛していると。

 

 

 静まり返った湿原を細い体躯の青年がふらふらと進んでいく。

 静まり返る大地に濡れた咳の音を響かせながら、弱弱しい足取りで青年は歩いていった。

 

 



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サハスーラ平原

 一面が緑で覆われた広大な平原。サハスーラ平原を越えればカカリコ村は目と鼻の先である。

 

 天気は生憎の雨で、下ろしていたフードを目深にかぶり、顔にかかる雨粒を避ける。粘り気を帯びた土がブーツに付着する。濡れた草が黒いズボンにべったりと張り付いており、カカリコ村についたら草の汁落としに専念することになりそうだ。ブーツの紐の間に入り込んだ草はわりとしぶとくて、ブラシを手に入れねばな、と頭の片隅で考える。

 

 朝方の冷気もそのままに、降り続く雨。全身がぶるりと震え、アルファは白い息を吐いた。我慢できないほどの寒さではないが、ここの地方、これほど寒かったろうか。

 

 雨で重くなった衣服がアルファの歩みを遅くさせる。鈍い頭痛のなか歩き続けるも、緑広がるサハスーラ平原は果てしなく続いているようで、げんなりした。

 

「お……」

 

 草を食む馬の群れを見つけた。雨も降っていることだし、警戒心の強い馬に気づかれることなく近づけるかもしれない。

 足音を消す体重移動で、背の高い草に身を隠しながら徐々に馬との距離を詰めていく。馬の長い尻尾がゆらゆら揺れている。眼前にはしなやかな筋肉に包まれた馬の尻。地を強く蹴り、アルファは勢いよく馬にまたがった。高い声でいななく馬がアルファを振り落とそうともがくが、しっかりと両足で馬の背を挟み込み、どうどうと馬をなだめる。周りにいた馬たちまでもすっかり興奮して四方八方へ逃げていった。

 

 ややもして、ぶるりぶるりと興奮気味に鼻を鳴らしながらも馬は落ち着き、アルファの望む方向へと歩き出す。

 

「ありがとな。乱暴な方法で悪かった」

 

「ヒヒン!」

 

 まったくその通りだ! と言わんばかりに鼻を鳴らす。時折違う方向へ走りたがる馬をなだめつつ、早足で馬を駆けさせる。美しい青毛のその馬は、足取り軽やかにアルファの思う方向へと進んでくれた。捕まえたばかりで親密度などまるでありもしないのに、利口な子だ。

 

 高い馬上から確認すると、ボコブリンが弓を持ちこちらに気づかず平原を闊歩する姿が確認できた。騎馬はそれほど優しい技術ではないのだが、なかなかどうして、ボコブリンたちはすごい。鞍もつけずに馬を乗り操るところや、馬上で割と正確に弓を射かけるところなど、魔物の最下層に位置しているとは思えぬほどボコブリンの能力は意外と高い。

 

 騎士だったころ、アルファには愛馬がいた。おそらくもう死んでしまっただろうが、気性の荒い馬で、アルファ以外を決して背に乗せようとはしなかった。

 何度も何度も振り落とされながら、やっとの思いで乗馬できるようになり、そこから騎馬戦をできるようになるまでは5年もの歳月がかかった。所詮アルファは凡才である。騎士として天性の才能をもつリンクと比較されることは多かったが、片手に満たぬ年で自由自在に馬を乗り回し、10になる頃には正確な射撃もできる彼と比べられても、何も思わなかった。人は人、自分は自分である。

 

 黒い鬣に顔をうずめると、懐かしい馬の香りがした。

 

「これからカカリコ村に向かう。そこで綺麗にしてやるからな」

 

 短い鳴き声をあげるこの馬は、どうにも言葉を解しているようなタイミングでいななくことが多い。

 

「頭のいい子だな」

 

 よしよしと首筋を撫でると、人を背に乗せたことを考慮した穏やかな走り方に変わる。

 

「ありがとう。本当にいい子だ」

 

 湿原の馬宿で眠ったことが逆に、身体に疲労を覚えさせたようだ。鈍い頭痛は消えぬし、身体が重い。

 

 正直、鞍や手綱がないのが辛い。タテガミを掴み、内ももで強く馬体を挟んで身体を固定しているが、鐙がないのも若干きつい。

 

「まずいな」

 

 目の前が白く霞む。強く瞬くと一瞬は霧が晴れるのだが、どうにも視界が悪い。雨のせいだけではなさそうだ。

 

 頭を突き破るかのような頭痛に視界がぐらぐらと揺れる。額から脳が飛び出そうだ。馬の揺れで内臓が揺らされ、若干の吐き気も覚える。

 

 ブヒッと鳴き声が近くで聞こえた。

 

「あ、まずい」

 

 先ほどと同じく淡々とした物言いながら、アルファの額からは冷たい脂汗が流れていた。

 馬上にあるボコブリンが槍先をアルファに示して、仲間のボコブリンとともに駆け寄ってくる。

 

「いくぞ、ニゴウ」

 

 暫定ニゴウ、と命名すると若干馬は嫌そうにしていたが、鞭がわりに馬体を叩くと素直に闊歩しだした。

 

「いいスピードだ。このまま振りぬくぞ」

 

 ビュン、と風の音が聞こえ、ボコブリンから放たれた矢がアルファの脇をすり抜ける。

 

「まったく、いい腕してるよ」

 

 珍しくも忌々しそうに吐き捨てたアルファは、あまり余裕がなかった。騎馬技術はボコブリンよりもはるかに優れていたのと、単色青毛の野生馬が思っていたよりもずっと良い馬であったため、みるみるうちに距離は離れていく。

 

 激痛に視界がゆがむ。頭を射られたかと思うほどの痛み。瞬きの回数が増え、目を閉じる時間が増え、アルファはとうとう気を失った。

 

 カカリコ村目前にして、アルファの身体は悲鳴をあげた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 背に感じるのはやわらかな感覚。重い瞼を持ち上げると、顔を覗き込むのはシーカー族の模様が彫られた若い娘。あの顔に施されたものは、族長の一族であることを示すものであったはず。

 長い白髪といい、その顔かたちといい、インパの血族だろうか。知らないな、と考えて、そういえば100年もの月日が経っていたのだと今更ながらに思い出す。

 見られている気配で起きたのだが、一体いつから見ていたのだろうか。こちらもまじまじと見返しているとしばらくして顔を紅潮させた娘が、きゃっと短い悲鳴をあげてアルファから距離を取った。

 

「ご、ごごごごご、ごめんなさいっ。ずっと目が覚めなかったものですから、つい……!」

 

「ここは、カカリコ村か?」

 

「はい。貴方の馬が高熱をだして倒れていた貴方をここまで連れてきてくれたんですよ。良い相棒でございますね」

 

 相棒、か。つい先ほどサハスーラ平原で捕まえただけなのだけれど、随分と大きな恩ができてしまったらしい。ガッツニンジンでも振舞ってやらねばと思う。

 

「ご気分はいかがですか?」

 

 不思議と目が合わない。もじもじと身体の前で手をいじる娘は、未だ顔を紅潮させたままちらりちらりとアルファの様子を伺っている。

 

「ああ、問題ない」

 

「3日も眠ったままでしたし、ご無理はなさらないでくださいね。食事は食べれそうですか? ああでも、おばあさまが貴方ととても話したがっていたから、お粥を作っているあいだ、おばあさまとお話をしてもらってもいいでしょうか。おばあさまは下の階にいます」

 

「3日? おばあさま?」

 

「ええ。本当に酷い熱でした。よくあの高熱で動けたものです。では、食事を作ってきますね」

 

 逃げるように去っていった。

 

 アルファはベッドから身体を起こし、なんともいえない気分になった。3日も眠っていたなど信じられない。それに、このベッドは彼女のものだったのではなかろうか。ずっと占領してしまっていたことを思うと、申し訳なさでいっぱいになる。

 

 直角に曲がった階段を下りていくと、ちんまりとした老婆が座っているのが見えた。あれがおばあさま、だろうか。積み重ねた座布団のうえに正座し、嵩の高い笠をかぶっている。それでもなおちんまりとした体躯である。

 

 そしておそらく、その人はインパ様なのだろう。こんなに小さかったっけか。

 

「インパ様。助けてもらい、申し訳ない」

 

 目をつむった老婆がちょこんと座している。ゆっくりと目を開き、そのまま目を瞠った。

 

「ぬっ……其方、まさかとは思ったが、やはりアルファか!」

 

「ああ。老けたな、インパ様」

 

「当たり前じゃ! そもそも其方がなぜ年を取っておらぬのか。いや、その髪と瞳の色はなんだ……この100年どこで何をしておったのだ? いや、とにかく、生きておったのだな。信じられぬことだが、よかった。ゆっくり話を聞かせておくれ」

 

「疑わないんだな」

 

「其方がアルファであることをか? そんな顔をした男が世に2人といるものか。しかし、その髪、地毛のようだのう。瞳の色も随分と濃い青になった」

 

 そんなに男らしくない見た目なのか、と初めてリンクが羨ましくなった。彼は整った容貌の青年として城下町の娘たちから黄色い悲鳴をあげられることが多かったから。

 アルファの場合、どちらかというと男たちに陶酔した目で見られることが多かった。人の美醜などわからぬし、気にもならぬが厄介な容姿が少しばかり憎くなったものだった。

 

「女神ハイリアに力を分け与えてもらって、この姿になった。100年も経っているとは思わなかったけど、精神世界(サイレン)という場所で女神より試練を与えられて、修行をしていた」

 

「サイレン……聞いたことがある。選ばれし者のみが立ち入ることが叶う精神世界であったか。そこで其方は心の器を成長させたのだな。100年前よりもずっと良い表情をしておる」

 

「あまり実感はないが、インパ様が言うならそうなんだろうな。ところで、あの娘は?」

 

「あれはわしの孫娘じゃ。パーヤという。わしに似て気立ての良い美しい娘じゃが、変な気は起こさぬようにな。それよりも、随分と衰弱しきって倒れていたが、身体の調子はどうなのだ」

 

「悪くないよ。3日も寝ていただなんて信じられないくらいだ」

 

「風邪など引いたことがなかったものな。しかし其方、生きて……。

 あの大厄災のとき、其方も勇者や姫巫女とともにいたはずじゃ。いったい、何がどうなったのだ」

 

 アルファはゆっくりと目をつむり、最期の戦いを思い出した。

 

 

 

 

 つんと鼻を突く焼け焦げた草の臭い、魔物の肉の臭い。草原はすっかり燃え上がり、辺りは黒い焼け野原となっていた。ちりちりとした熱気が肌を焼く、熱い空間。

 数えきれないほどのガーディアンに囲まれ、血気盛んなボコブリンやリザルフォス、それにハイラルで最も強いと謳われる獣王ライネルに囲まれ、非才の身ながらリンクと共闘した。満身創痍のなかでもリンクの戦闘力は抜群であった。予備の盾すら壊れたなかで、マスターソード一本のみで次から次へと魔物を滅するその姿は、近寄りがたくさえ思えるほどに勇ましかった。ゼルダの腕を引き、剣を振るいながら走るリンクと側方や後方の敵を滅するアルファ。

 

 空中からのガーディアンのレーザー、歩行型のガーディアンのレーザー3つが集中的に狙っている状態が常時続くとなると、さすがにアルファは死を覚悟した。どれほどガーディアンを滅ぼそうとも、次から次へと湧き出てくるのだ。下手に場所を移動すればほかのガーディアンに目標として捕捉されるばかりなので、その場その場で着実に倒していくしかない。

 

 盾でレーザーを弾き、他方から撃たれる赤い光線を回転切りで逸らす。その隙にガーディアンへと素早く切り込みにかかったリンクの背を傍目に確認し、弓矢で他のガーディアンの赤い目を狙う。長らく弓の稽古をしていれば、命のやり取りの場であっても、矢は吸い込まれるようにガーディアンの瞳へ一直線に飛んだ。ロベリーから渡されていた古代の矢は効果覿面で、射られたガーディアンはぶすぶすと黒い煙をあげて爆発した。

 

「リンク!」

 

 痛ましいゼルダの悲鳴。弾かれるようにアルファは声の方向を見た。レーザーの爆風の余波を受け、宙を舞う青い衣を身に着けた姿。しかし彼の瞳はしっかりとガーディアンを射抜いていて、空中で身を捩るように回転し、低い姿勢で四肢で地に着くや否や、獣の如き低姿勢で駆けだし、そのままガーディアンを切り上げた。

 

 ピピピピピピ、とレーザーを捕捉する音は耳鳴りのように絶え間なく聞こえている。気のせいか、いや、気のせいではない。どこだ。どこに照準している。

 

 己が身と、あと、ゼルダの後頭部。

 

 赤い照準は金の頭にしっかりと合わされており、アルファは全速力で走りながら叫んだ。

 

「姫様! しゃがめ!」

 

 その声に反応するように、歩行型のガーディアンが離れた場所からレーザーを照準しつつ近づいてくる。全くもって、忌々しい。

 

 随分とゆっくりと、世界が見えた。金色の髪をたなびかせて振り返るゼルダ。碧い瞳がまぶし気にゆがめられ、一拍置いて飛行型のガーディアンに気づく。

 

「悪く思うなよ、姫様」

 

 ゼルダの細い腰に腕を絡め、その場を跳ぶ。「きゃぁっ」短く小さな声がわずかにゼルダの喉元からこぼれた。

 レーザーが寸のところで身体をそれ、地を焼き、熱風を巻き起こした。続いて注がれるレーザーを盾で弾き、さらに迫りくるレーザー光を見て、随分と冷静に、己のこの体勢から次の迎撃を行うことが叶わないのを悟った。

 悟るや否や、アルファはコンマ1秒も空けることなく、ゼルダの身体をリンクめがけて投げつけた。

 そこで、己の身体が燃え上がったのを記憶している。

 

 人一人投げたことで体勢はさらに崩れ、ガーディアンのレーザーは見事なまでの直撃であった。悲痛な叫び声をあげるゼルダの叫び声が耳の奥で聞こえた気がしたが、即死だったのだと思う。

 

 

 

 

 

 

「……そうか。おぬしはやはり……いや、それよりも。姫様を守ってくれたこと、心より御礼する。

 おぬしの遺体は、ハテノ峠でわしも見た。遅れて駆け付けたわしは、瀕死のリンクとその隣に横たわるおぬしを封印の力で守る姫様を見た。ガーディアンたちがみるみる力をなくしていく姿は本当に圧巻の一言に尽きた。

 ……じゃが、一歩遅かった。リンクはマスターソードの力で生かされるのみで、おぬしの息は、既になかった」

 

「だろうな、即死だったろうし。ならば精神はともかくとして、この肉体は、一体何なんだろうな」

 

「それなのじゃが、リンクを回生の祠へ連れて行ったわしのもとに、奇妙な報告があがった。埋葬しようと後日ハテノ峠へ赴いたわしの部下が、おぬしの遺体が消えたというのじゃ。

 ……言いづらいことではあるが、おぬしはその美貌ゆえ、不埒な輩に遺体を辱められていないか心配で、わしらは必死におぬしの遺体を探した。だが、結局見つけることは叶わんかった。おぬしを可愛がっておったプルアは1年ものあいだ、おぬしの行方を捜索しておったのじゃよ」

 

 変わりもので、有能な女性。研究のこと以外に興味はからっきしで、アルファは使い勝手の良いパシリだと思われているとばかり思っていた。消えた己の、それも遺体を探すために1年もの歳月を費やしてくれていただなんて。複雑な気持ちが心を満たす。というか、遺体を不埒な輩に辱められるってなんだ。

 

 少々思考がずれたが、身体もきちんと女神ハイリアに回収されていた、ということか。

 

「プルア様は東ハテールにいるんだったか」

 

「その通りじゃが……まさか、まだプルアと会っていないのか?」

 

「ああ。精神世界から戻ったら、コログの森にいた。そこから一番近いのはインパ様のところだったからな」

 

「コログの森? それはまた、随分と変わったところで目覚めたものじゃのう。女神ハイリアの力が最も満ちた地であることを考えると、そうおかしなことでもないか。

 其方は最近目覚めたのじゃな」

 

「目覚めたというか、生き返ったというか。だから、周りがどうなっているのかがわからない。インパ様にいろいろ聞こうと思ってここに来た」

 

「コログの森からここまで、その丸腰でよくたどり着けたものじゃのう。まだ剣はもつ気になれんのか?」

 

「あの時は例外だったし……そうだな、考えているところだ」

 

「剣をもつ気になったならば、プルアに言うがよい。其方の折れた剣を、きっちりと打ち直して保管しているはずじゃからの。さて、何を聞きたい? 100年前のことか。それとも姫や勇者のことか?」

 

「すべて」

 

「よかろう。長くなるが、よいな?」

 

 深く頷いたアルファを確認し、皺の刻まれた口がゆっくりと開かれたところで、気配を消して控えていたパーヤがおずおずと声をだした。

 

「あの……おばあさま、アルファ様は3日間なにもお召し上がりになっておりませんし、お食事のあとにしませんか?」

 

 内気そうな少女ではあるが、さすがはシーカー族の長を継ぐ家系。シーカー族特有の気配を消す術はきっちりと学んでいるらしく、まるで気づかなかった。若干湯気のたつ粥を盆にのせて、パーヤが気まずそうに扉の脇に立っている。

 

「……わしとしたことが、すっかり失念しておった。病み上がりであったな、其方」

 

「問題ない」

 

「食事をしないのは相変わらずか。リンクのように健啖家ではないゆえ、其方は細いのじゃ。だから女と見間違えられるのではないか? はよう飯を食え、女の敵め」

 

 なぜか罵られ、解せないながらもアルファは無言でうなずいた。

 

 



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騎士の剣

 この100年の話を聞くのは、とても不思議な気分であった。

 アルファは己が死んだという意識が薄い。ガーディアンに撃たれたとき、我が身は炎に包まれ致命傷を受けた。だが、痛みを感じるより前に精神は飛ばされ、永い精神世界(サイレン)での修行の後にコログの森で目覚めたのだ。

 余談ではあるが、アルファは人から追い回されるのが死ぬほど嫌いである。サイレンで、嫌というほどに追いかけまわされたせいだ。

 

 サイレンで過ごすあいだに100年経っていると聞かされても、インパが突然老けただとか、ハイリア人が減っただとか、魔物が多くなっただとか、そういった違いからしみじみと100年の経過を身体が理解しつつある程度である。

 

 アルファの死後すぐに、予想通りゼルダは封印の力に目覚めたらしい。

 ガーディアンからリンクを守るため、土壇場で力が目覚めたと。

 

 アルファが相手していた敵は決して少なくなかった。そのアルファが死に、ゼルダを守りながらすべての敵を引き受けることになったリンクの消耗は、それまでの2倍どころではなかっただろう。

 それでも勇者は、姫を護り続けた。その勇者を、今度は姫君の方が護るだなんて、さすがは我らが姫様だ。

 やるじゃないか。

 

 きっと姫様のことだ。戦場であることすら忘れて無邪気に喜んだに違いない。お転婆なゼルダの姿を想像していると、知らず薄っすらと笑みを浮かべていたらしく、インパは「珍しいものじゃの。ほんにおぬしは変わった」としみじみ呟いた。

 

 表情を無理やりに変えようとしても変わらなかったのだから、確かに自分は変わったのだろう。

 

 騎士を辞めた後、プルアの研究手伝いとして働いていたアルファは、回生の祠についても聞きかじっていた。

 1万年ほど前、シーカー族によりつくられた治癒の祠だ。眠りに就いているあいだ、生命を維持するシステムや老化を防止するシステムはあれども、力は時間の経過とともに力は落ちてゆくし、永い眠りに就けば就くほど記憶をなくすリスクがあがってゆくとは、先ほどインパから聞いたことだ。

 

 もしかしたら、リンクはアルファのことを、いや、ゼルダのことすら覚えていないかもしれないというのだ。

 

 そんな状態で目覚めたとして、どうして厄災ガノンを討伐に行け、などといえるだろうか。

 

 何も知らなかったアルファは、ただリンクに会いたいと思っていた。

 厄災ガノンを今度こそ討伐するためにも、尽力は惜しまないつもりであった。

 

 だが、もしも彼が記憶をなくしていたらと思うと、再会の喜びだけでなく、なにかしら彼に感じたくない気持ちが芽生えてしまうのだろうと予感する。それはとても、言葉にしがたいものだった。してはいけない類のものであった。

 

「ほかに聞きたいことはないかの?」

 

「そうだな、もうない」

 

「うむ。リンクが目覚めるまで、わしらは待つしかない。

 して其方は、これからどうするのじゃ?」

 

「特に決めていないが……プルア様に会いに行こうかと思う。剣を受け取らないと」

 

「そうか! とうとう持つ決心がついたか! 其方が武器を取ってくれたならば、どれほど力になるじゃろうか。其方が生きていてくれたことは、うれしい誤算じゃ」

 

 リンクの力は眠りと比例して落ちてゆく。100年の眠りが天才剣士をどれほど弱体化させるのかは未知数だ。最下級の仮定として、ボコブリンにすら苦戦するほど力を落としていたならば。

 そう考えると冷や汗は止まらない。元来才能があるのだし、あっという間に実力はあがるだろうが、アルファと会うまでに死ななければいいが。

 

「あいつが平穏に暮らしていくためには、随分とでかい障害が立ちはだかっているんだな」

 

 類稀なる身体能力、高名な騎士の血筋通りの剣武の才、それを以てしても100年前に敗れ、そして本人の意志に関係なく長い眠りに就かされた後、また戦わされるというのだ。随分と損な役回りではなかろうか。

 

「本来はあの者だけではない。このハイラルの地が滅亡の危機にあるのじゃ。姫様の封印の下、仮初の平和のなかをみな気づかず過ごしているだけ。それが幸か不幸かはわからぬがな」

 

 その破滅の運命を斬り伏すことができるのは、退魔の剣に選ばれた勇者しかいないのだ。

 退魔の剣に選ばれてから、さらにリンクは口数を少なくしていった。元来人々の模範たれ、と厳しく己を律していた彼が、度が過ぎて己をだせなくなっていったのだ。

 人目など必要以上に気にするものではない、とアルファは軽く彼に言ったものだったが、苦笑した彼は遠い瞳でひとつ頷いただけだった。我が幼馴染は、随分と不器用な男である。

 

「姫様は、あとどれくらいもつんだ?」

 

「わからぬ。だが、もう限界は近い。

 厄災ガノンを討伐するためには、四神獣を解放することが不可欠じゃ。だが、あの者は長き眠りに就き、力が衰えているであろう。そこで其方にはリンクの手助けをしてもらいたい。リンクがこの地を訪ねて来たならば、わしはリンクを其方のもとへと行かせよう」

 

「俺はプルア様のところでリンクが来るのを待てばいいんだな」

 

「頼む、アルファ。同じ剣の流派で幼馴染であるおぬしならば、リンクが剣技を思い出すのにも、記憶を思い出すのにも力になることじゃろう」

 

 女神ハイリアにより、英傑の魂が厄災にとらわれていることは聞いていた。神獣のなかで彼らは死したため、その魂は未だそれぞれの神獣のなかにあると考えてよいだろう。

 

 リンクは、ほかの英傑たちから絶賛される剣技をもった過去の勇者の能力はないと考えた方がよい。そうなると、英傑たちが死すほどの敵と戦って、今の勇者はそれを打ち負かすことができるのか。

 

「其方は病み上がりじゃ。すぐに発つ必要はなかろう。しばらくカカリコ村でゆっくり過ごしてはどうじゃ。なに、宿の心配はいらぬ。わしが手配をしておく」

 

「すぐに発とうと思っていたんだが」

 

「1週間はゆっくりせい」

 

「ご心配痛み入る。だが、本当に大事はない」

 

「頑是ないのぅ。では、最低でも3日は大事をとるべきじゃ。よいな?」

 

 眼力つよく老婆に詰め寄られ、おずおずとアルファは頷いた。

 

「では、わたくしが宿屋までご案内いたします」

 

 すっかり空気と化していたパーヤが名乗りをあげ、それが随分と近くにいたものだから、アルファは割と真剣に驚き、固い仕草で頷いた。

 

 



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ナベのフタとパーヤの決意

 パーヤの1日はお祈りから始まります。

 

 女神ハイリアに平穏を祈り、カカリコ村の人々の平和と健康を祈ります。すっかり身体の動かなくなったおばあさまに代わって、よろず帖に書かれた相談事に目を通すのもシーカー族の時期族長であるパーヤの務めです。

 

 崖のあいだに吊るされた鳴子が風に吹かれてからからと涼し気な音を立てるのが聞こえてきます。

 朝が運んでくる風の音がとても清々しくてパーヤはとても好きです。

 

 カカリコ村は高低差の激しい集落です。もとはただの山間である地を集落としたからです。山をできるだけ切り崩すことなく作り出したその集落を、パーヤはとても気に入っております。自然と綺麗に調和したこの村の中央北側では、絶え間なく流れ続けるハゴロモ滝があります。滝から村中へと流れる川も、女神ハイリアを祀った泉も、段々畑も、どれほど見ても飽きの来ない素敵なものです。

 1万年前シーカー族はカラクリに秀でた存在であったようですが、今は自然とともに生きる民であります。

 

 そんなパーヤは、ある日突然現れたアルファという男性のことが気になっています。

 

 その人は、とても男の人とは思えないほどに整った容姿をなさっていて、女神ハイリアを思わせるほどです。時折目がその方を追ってしまっていて、深海のような美しい瞳と目が合うと、顔が熱くなるのがわかります。

 あんなにもお綺麗な存在がいるだなんて、パーヤは思いもしませんでした。今まで、美しい人というと女神ハイリアや、その血を引くハイラル王家のお姫様が思い浮かんだものですが、きっと彼のようにお美しい存在であったのでしょう。

 

 おばあさまのお知り合い、とのことですが、一体いつ知り合ったのかはわかりません。私が生まれる前のこととなると、プルア様のように若返りでもされたのでしょうか。

 お話を盗み聞きするなどとはしたない真似をしてはならない、と思わず話に聞き入りそうになってしまった己を律しましたが、おばあさまと語り合うのを聞いておけば彼のことがわかったかもしれません。

 

 ベッドを占領してすまなかった、と頭を下げるアルファ様は、近づきがたい美貌とは裏腹に、肩の力が自然と抜ける穏やかで優しい方でした。

 

 基本はおばあさまと語らっていらっしゃいますが、パーヤが重い荷物を持っているときにはすぐに荷を代わりに運んでくれますし、探し物をしているときはともに探してくださいます。近くに立つと、彼の背が意外と高くて、細く見える身体はしっかりと鍛えられているのだと気づきます。シーカー族も武技を嗜みますので、その筋肉が見せかけだけのものでないことはパーヤでもわかりました。

 

 ぼんやりと川で洗い物をしていたパーヤは、プリコと追いかけっこをして遊ぶアルファ様を見かけました。パーヤと違い、人見知りをしない子であるプリコはすっかりアルファ様と仲良くなったようで、子どもの積極性が少し羨ましくもあります。パーヤの子ども時代は、今よりずっと消極的で人と話すことさえままならなかったものですから、あれはプリコ自身の愛らしさゆえにも思われますが。

 

 きゃっきゃと楽し気に笑うプリコを見ていると、自然とパーヤも笑顔になってしまいます。アルファ様は表情の乏しい方ですが、慈しみ深い大海のような瞳でプリコを見つめていらっしゃいます。

 

「次はなにして遊ぶー?」

 

「なんでもいいぞ。好きなだけ遊んでやる」

 

「わーい! じゃあ、かくれんぼ! プリコが隠れるね! 100数えたら見てもいいよ。じゃあ、目をつむってね」

 

 素直に目を閉じたアルファ様は、静かな声で数を数えだす。穏やかな低音が耳に心地よく響きます。

 

 駆けだしたプリコは本当に楽し気に笑っていて、どこに隠れようかときょろきょろと周りを伺っているのが愛らしいことです。

 

 洗濯物を終わらせて、よく日の当たる高台に干したら次は女神さまの像をお手入れにかかります。水場にあるため、すぐに苔が生えてしまうのです。ぬるぬるした石像を丁寧に磨き上げ、きゅっきゅと音がなると心も晴れやかになります。

 いつも穏やかに微笑む女神様の頭に、近くの森で摘んだ花で作った花冠をつけてさしあげます。これはココナが朝一番に持ってきてくれたもので、こうして女神様につけてさし上げると、不思議と女神さまの笑みがさらに輝くような気がいたします。

 

 そういえば、アルファ様にも花冠はとても似合いそうです。宝石や花がすっかり恥じらってしまいそうな大層な美貌の持ち主でございますから、それはそれは美しくなりそうです。今度機会があれば飾らせてもらえないでしょうか。

 

 殿方であるため、お花を飾るのは嫌がるかもしれませんが、不思議とアルファ様が嫌がるところは想像がつきません。なんだかんだ言いつつも生真面目に受け入れてくれそうな、そんな素直なお人柄は付き合いの短いパーヤであっても感じます。

 

 ずっとこの村にいてくださればいいのですが、アルファ様は当初の予定通り、近々出て行かれるとのことです。プルア様のおられるハテノ研究所に行かれるとのことです。

 

 いつもは時間を区切ってプリコと遊んでいらっしゃるのですが、今日は彼女の好きなだけ遊んであげていらっしゃいます。ということは、彼が旅立つのはほんとうにもうすぐのことなのでしょう。

 

 なんだかとても寂しくなって、パーヤは足取りが重くなりました。

 

「どうしたんだい、パーヤ。随分と暗い顔をして」

 

「わ、メロさん。なんでもないんです。足の調子はいかがですか?」

 

「今日はいいお天気だからね。調子はとてもいいよ。しかしパーヤ、そんなに切なげにあの方のことを見つめてはならないよ」

 

「えっ……」

 

 両手で頬を覆います。誰が見てもわかるほどに、私はアルファ様を見つめてしまっていたようでした。穴があれば入りたいほどに恥ずかしいです。

 

「あの方はこの地にとどまるような方ではないよ。お前が慕っても、あの方についていくことはできないのだからね」

 

「も、もちろんわかっております」

 

「我々シーカー族は、この地で勇者様がいらっしゃるのを待たねばならんのだ。わかるね、パーヤ」

 

「ええ、もちろんです」

 

 勇者様がこの村にいらっしゃることを、我々シーカー族は心待ちにしております。  パーヤとてその気持ちは村人たちと同じで、メロさんからそう釘を刺されたのは2つの意味でショックでございました。

 改めて突きつけられた真実が殊更辛かったのもございますし、勇者様をお待ちするという任務を放り投げるような人物であると思われたのもつろうございました。

 

「私は頼りのない人間ですが、シーカー族の跡取りとしてきちんと責務を果たす心持でございます。そこだけは、どうぞ安心なさってください」

 

「そうかい……そうかい。それは悪いことを言ってしまったね。なに、老婆心がでてしまったのさ。お前が真面目な子だというのはわかっているのだけれど、あの美貌だ。村の娘はすっかりのぼせ上っちまってる。表情こそ乏しいが、実に心根の素直な男だ。お前もすっかり目を奪われているようだったから、どうにも気になってしまってね」

 

「たしかにあの方はとてもお美しい方です。が……」

 

 パーヤが心惹かれたのはそこではないのです。時折寂しそうにある方向を眺められるところが気になりました。

 それからなんとなく視線であの方を追うようになってしまい、プリコと一生懸命に遊ばれるところだとか、おばあさまのお話を真剣に聞かれるところだとか、慣れない正座のせいで足が痺れて、無表情のままにそれを耐え忍んでいらっしゃるおかしなところだとか、誰かが困っていれば当たり前のように手を貸すところだとか、愛馬を優しく手入れなさるところだとか、いろいろな彼を見て、気になるようになったのです。

 たとえアルファ様の容姿がどんなものであったとしても、きっとそれは変わらないと思います。

 

 これが恋、というものなのでしょうか。パーヤは恋をしたことがないので何とも言い難いことでございますが、どうにも違うような気がします。恋というよりも、勇者様や姫様に対するもののような、あこがれの気持ちが強うございます。決して、恋などというものでは。

 

「人はね、パーヤ。いろんな経験をして強くなっていくものなんだよ。結ばれぬ運命だとしても、お前が抱いた気持ちを大切にしなさい。それくらいは、許されるもんさ。

 責任感の強いお前に釘を刺すようなことを言ってしまうなんて、私も耄碌したもんさ。許しておくれ」

 

「許すだなんて、そんな。ご忠告、とてもありがたかったです」

 

 幼いときのように、優しくパーヤの頭をなでてくださったメロさんは「もうお行き」と声をかけてくださいました。そういえば、もうそろそろご飯の支度をしなければなりません。アルファ様は好き嫌いのない方のようですが、あの方の表情が変わるほどおいしい料理を作ってみたい、と思うのです。

 

 アルファ様にパーヤのことを好きになっていただこうなどとは思いません。そんなおこがましい思いなど芽生えも致しません。

 

 うつむき歩き出したパーヤは、ざわめく里の気配に顔をあげました。

 

「武器を持て! ボコブリンどもが襲ってきた!! 後ろには歩行型ガーディアンもいる! うまく巻くつもりだが、最悪の事態に備えるんだ」

 

 村の警戒任務についていたボガードさんが普段にはない荒々しい声で警戒を呼びかけます。

 

 なんてことでしょう。パーヤが、しっかりしなくては。

 

「み、みなさん! 落ち着いて行動してください! 武器をもたぬ子どもたちは、みなインパの屋敷に集まってください!」

 

 パーヤは声を張り上げました。身体が小刻みに震えているのがわかります。なんと情けないことでしょうか。

 

 ふと、パーヤの手を握る存在がありました。いつの間にかそっとパーヤの足元に寄り添っていたプリコが愛らしい瞳に不安を湛えてパーヤを見あげています。その傍らにはアルファ様の姿がありました。どうやら彼がパーヤのもとまでプリコを連れてきてくれたようです。

 

 有事の際の行動は村人たちに徹底されているため、自ら屋敷へ向かう人々が列をなすのが見えます。ご老人には肩を貸し、みなゆっくりと確実に屋敷へ向かっております。

 厳しい瞳で入口へ向け走り出そうとしたアルファ様を、パーヤは慌てて呼び止めました。

 

「アルファ様! 丸腰で向かうおつもりですか!」

 

 剣もなく、盾もない状態でどうして敵の下へと迷いなく駆けだせるのであろうか。

 

「ボコブリンとガーディアンごとき、これで十分だ」

 

 無表情のままにアルファ様は、薪の横に放置されていたナベのフタを手に取り、走り出されました。どこからその自信がくるのかはまるでわかりませんが、焦りのひとつも感じられないそのお姿は、まるで勇者様のようでした。

 

 あっというまに背が見えなくなり、パーヤはプリコの手を引いて屋敷へと早足に歩きだしました。

 

 屋敷につけば、パーヤの寝室に武器があります。箪笥のなかに隠した護身の盾と残心の小刀。いざというときに使うために置いておりましたが、それを使うときが来たようです。パーヤが使うよりも、男衆が使ったほうがよいでしょうか。

 とにかく、それをお持ちしようと決めました。パーヤとて、シーカー族の時期族長です。戦闘経験はおばあさまのように豊富ではございませんが、戦えます。あの恐るべきガーディアンが村のなかに入ってきたら。考えるだけで身の毛がよだちます。

 なんとかして村の外で食い止めなければ。

 村を襲う、というプログラムはガーディアンにはありませんし、うまく気を引き付けて村から離せればよいのです。それでもあの機械の眼前に身を躍らせるのは、想像するだけでとても恐ろしいですが、やらねばなりません。

 

「パーヤ、お顔がこわいよ」

 

「……ごめんなさい、プリコ。ちょっと緊張していたようです」

 

 にこりと微笑むと、それ以上の笑顔をプリコが返してくれて、パーヤの力になります。

 

 この笑顔を守るためにも、戦わないと。

 

 長い階段を昇り切ると、おばあさまはいつも通りに泰然とお茶をすすっていらっしゃいました。落ち着き払ったその姿に、他の村人たちは随分と安心しているように見えます。私もいつかは、あれくらいの落ち着きを身に着けることができましょうか。

 

「おばあさま、パーヤも戦います!」

 

「うむ? 今回ばかりは問題ない。時期がよかった。アルファが行ったのじゃろう?」

 

「ですが! ナベのフタしかお持ちになっておりませんでした!」

 

「うむ、問題ない」

 

「も、問題しかないではございませぬか!」

 

 常になく声を荒げるパーヤに人々の視線は集中いたしますが、今ばかりは気になりませんでした。

 

「あれは、100年とすこうし前のことじゃったの。

 アルファは勇者とナベのフタでガーディアンのレーザーを跳ね返す、盾の耐久レースをしておった。

 先にナベのフタがつぶれたほうが負けじゃというレースでの、触発されて他の騎士どもも試みたのじゃが、ナベのフタを貫通して身体が燃える事態になったのじゃ。王宮騎士の人的損耗が激しく、すぐにレースは中止になった。あやつらの盾の技量がすさまじかった、というだけのことで、そのレースは緘口令が敷かれたのじゃ」

 

「ナベのフタ……? たいきゅうれーす? な、なにをおっしゃっているのですか、おばあさま」

 

「なに、心配することはないということじゃ。あやつの騎士としての力は、本物だ」

 

「し、しかし!」

 

 アルファ様はそうなると、おばあさまと同じくらいお年を召していらっしゃるということでしょうか。ならば、パーヤのような小娘など相手にされない……って、違いました。おばあさまのすっかり落ち着いた様子に感化されてしまいましたが、村をガーディアンが襲う危機なのです。

 

「おばあさま、行ってまいります!」

 

「問題ないというておるに……仕方がない。ここは構わぬ、気の済むようになさい」

 

 幼子が我儘を言い出したような、そんな呆れた口調で言われてしまいました。ですが、パーヤは常になく勢い勇み、2階へ駆けて剣と盾を取り出します。ずっしりと重いそれらに、震えが止まりません。

 

 それからすぐに外へ飛び出すと、わずかに焦げて色を濃くしたナベのフタを持ったアルファ様が村人たちに囲まれて帰ってきているのが見えました。

 

「いやー、お前さん、名のある剣士だったんだな! ナベのフタでレーザーをはじき返すなんて、まるでお伽噺の勇者様みたいだ!」

 

「すごかったなぁ! お前さんがいてくれて、本当に良かったよ」

 

「パーヤは器量よしだろう? インパ様ともお知り合いのようだし、結婚して、この村に住んだらどうだ?」

 

「わしを超える剣技をもつ者がいるとは、まだまだ修行を続けねばならんな!」

 

 すっかり笑顔で戻ってくる村人たち。へなへなと脚の力が抜け、入り口に思わず座り込みます。

 

「おう、パーヤ! 戻ったぞ。インパ様に伝えてくれ! 誰も怪我してないって」

 

「は、はひ……」

 

 大扉がゆっくりと開かれます。おばあさまが優しくこちらを見下ろし、それからゆっくりと肩を貸してくださいました。

 

「言うたじゃろう? 問題ないと」

 

 かくして、カカリコ村を襲った未曽有の危機はあっというまに鎮圧されたのでした。

 

 



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ラズリーと昔の恋

 ラズリはカカリコ村の呉服店の看板娘である。

 和風、と言われるカカリコ村の風情を楽しむため、多くの旅行客が訪れる。シーカー族の技術を用いて作られた、カカリコ村でしか買えない防具を求めて遠路遥々訪れる者もいる。

 

 旅人は多く、行商人が来ることも多い。

 カカリコ村の住人はあまり旅をしないが、行商人からもたらされるさまざまな地方の食べ物や生物を見るだけでも、ラズリには十分だった。ここでの暮らしはとても気に入っているし、仕事も好きだ。安定した生活を捨て、危険な旅に出ようとは思わない。

 

 看板娘というだけあって、ラズリは割と整った顔立ちをしている。村での人気はラズリとパーヤで二分している。年の近い男性と目すら合わせられないパーヤは、男の影すら見られたことはなかった。一方ラズリには、将来を誓い合った彼がいた。

 

 一生お前を護る、だなんて格好いいことを言っておきながら、ガーディアンに殺されて呆気なく死んでしまった。隠れて何をしていたのかと思えば、素材採取をしてコツコツとルピーを貯めていたようだった。きっとあの時も、朽ちたガーディアンと思い素材採取に行ったのだろうと思う。

 素敵な指輪を送るから期待していろ、なんて言っていたから。

 お金なんていらなかった。ラズリとてそこそこの稼ぎはあった。贅沢をしなければ、食うに困らぬ生活はできたはずだ。

 ただ、生きて側にいてくれるだけでよかった。

 ラズリは彼のことをいまだに忘れることができていない。時折本気で口説いてくる旅人はいるが、みんなのラズリちゃんだから! なんて誤魔化して、次の恋に進めずにいる。

 

 村に現れた剣士(といっていいのかはわからない。なにせ剣どころか盾も持っていない)にパーヤが心を奪われたのには、村人みんなが気づいていた。男性と話すことが苦手なパーヤが随分と積極的に話しかけるその男性は、インパ様の古くからのお知り合いだという。うら若き女性代表として、若く美しくいる秘訣を聞きたいものだ。

 

 アルファさん、というらしいその男性は、女が羨むほどの美貌の持ち主だ。もしも彼が女に生まれていたならば、傾国の美女として名を馳せていたことは間違いない。

 人並外れた美貌の彼は、不思議と男衆から好かれていた。ラズリの元彼は、整った容姿からいろいろな人にやっかまれていたものだが。

 おそらくは先日村を守ってくれたことも大きく影響しているだろうが、男衆はアルファさんには嫉妬心を覚えないと口を揃えて言う。比較対象にないほどの美貌であるから、突き抜けすぎて逆になにも思わない、いっそ芸術品の1つのようだと。

 絵画に描かれた壮麗な姫君に嫉妬心を覚えるか、と問われラズリはなるほどなと納得した。

 

 ゴスティンさんは喜んでアルファさんに剣技を習おうとしており、ドゥランさんやボガードさんも「まだまだ若い者に負けてはおれん」と夜中に素振りをしだした。

 実のところ、そのせいで夜中に墓へ行きづらくなっている。

 

 以前、夜にこっそり墓参りをしていたら、魔物に襲われたことがあった。

 同じく墓参りに来ていたドゥランさんに助けられて事なきを得たが、偶然彼が来ていなかったら、ラズリの命はなかったであろう。痛く心配した母のバナンナが、それからというもの夜に外出することを禁じたのだが、ラズリは嫌だ、と心が叫ぶのに蓋をすることしかできなかった。

 母の悲痛な瞳を前にして、謝罪の言葉以外でてきやしなかったのだ。

 それからというもの、朝や昼は宿屋の仕事があるため、母が寝静まってからこっそりと人目を忍んで墓参りをするようになった。

 

 夜に儚く明滅するホタルを眺めるのが、ラズリはとても好きだった。

 心配をかけてしまったのだから仕方がない、と思いつつも、彼と二人で肩を寄せ合い眺めたあのホタルを、もう一度見たいと願う。

 ラズリはいつも瞼の裏にホタルと彼の温もりを思い出しながら眠りに就く。

 

 昨日、アルファさんが屋敷から宿屋に居を移してきて、関わり合いになることが増えた。客人であるにも関わらず、薪割りに精を出すアルファさんの姿を、ラズリは店の呼び込みをしながら見かけた。

 頼りないオリベーさんとは違って、細身ながらもしっかりと鍛えたアルファさんは、大木をたった1回で折るほどの剛腕の持ち主だ。思わず拍手してしまったのはラズリだけではなく、近くを通りがかった村人や旅人はみなそうしていた。おかげさまで薪は

 

 プリコはアルファさんによく懐いているようで、よく宿屋に行っている。プリコの父親であるドゥランさんなんて「プリコはアルファのお嫁さんになるの!」と宣言されたらしく、どうすれば諦めてくれるだろうかと深刻な顔で相談してきた。面白かったので、随分と年の差婚になっちゃいますね! と答えたら、本気で落ち込んでしまった。

 ドゥランさんのもう一人の娘であるココナは、妹がすっかりお世話になってしまって申し訳ないです。と、手作り料理をアルファさんと宿屋と双方に届けにいっていたらしく、よくできた子だと女将が絶賛していた。母親を早くに亡くしたせいか、しっかりとしすぎたお姉ちゃんである。村人みなで甘やかそうとするのだが、ココナは恐縮することが多く、甘え下手な様子だ。

 

 ドゥランさんのお嫁さんがカカリコ村で暮らしていた期間は、とても短い。

 彼女が何者かに殺されてしまったこともあって、村人は決してその話題には触れない。ドゥランさんとは時折墓場で遭遇するため、それなりによく話をするのだが、彼は決してお嫁さんのことを口にはしない。

 残された2人の娘を懸命に守り、愛おしみ、育てる姿を見れば、彼がお嫁さんを愛していたことは間違いない。深く踏み入ってほしくない事情があるのだろう、とラズリからドゥランさんにはなにも訊ねなかった。

 

 1つ気になるのは、彼が夜半に誰かと密会をしているのを、見かけたことだ。

 赤い特徴的な衣服と顔を面で隠した姿はイーガ団のものに見えたが、気配を察知される前に逃げたため、もやっとしたものが残る程度だ。

 

 イーガ団は、シーカー族を祖として生まれたものだが、王家に仕えていたシーカー族がどうしてガノン信仰に繋がるのか、ラズリにはまるで理解できない。

 

 時折訪れる旅人のなかには、やけにツルギバナナが好きで、やけに勇者嫌いな者もいるが、宿屋からドゥランさんやボガードさんに逐一報告はあがっている。村の男衆からの厳しい目もあって、イーガ団に似通った特徴を持つ旅人はすぐにカカリコ村から出ていく。

 インパ様の屋敷は24時間の警備がつけられているが、田舎のカカリコ村ではカギの習慣がない。ついつい開けっ放しにして、宿屋と民家とを間違えた旅人が入ってくることもしばしばある。不埒な輩は叫び声をあげれば一発で周りの人が助けに来てくれるのはありがたいけれど、やはり心配は心配。

 怪しい人物には早く去ってもらうのが一番だ。

 

 

 いつも通り、見慣れぬ旅人の姿が目に入ると、条件反射のように声が出る。

 

「はぁ〜い、そこのおにいさーん! カカリコ村でしか買えない防具に興味はないですか?」

 

「おっ、かわいい嬢ちゃんだな」

 

 うげっと内心でこぼすが、営業スマイルは崩れない。垂れた目に、なんとはなしに鼻持ちならない面構えの男は、必要以上にラズリに近づいてきた。

 

「ありがとうございまーす!」

 

「嬢ちゃん、名前は?」

 

「あはは。ナンパですか?」

 

「そうさ。俺はナーパ」

 

「あはは。ジョークですか?」

 

「違うさ、俺の名前だよ。ナーパ。嬢ちゃんの名前は?」

 

「ラズリです。見ていかれますか?」

 

「嬢ちゃんの瞳ならいつまででも見てるぜ。嬢ちゃんと俺は、運命の赤い糸で結ばれた相手なのかもしれないな」

 

 気色悪い男だ、と内心で吐き捨てる。

 決まった! みたいな顔をしているが、何も決まっていない。

 

「すみませんが、ラズリちゃんはみんなのラズリちゃんなので、特定の男性とはお付き合いしないんです」

 

「そうなのか!

 相手がいないってんなら、俺が立候補してもいいだろ?」

 

「……というのは嘘で、本当は彼氏がいるんですぅ」

 

「嘘なんだろ?」

 

 にやり、と口の片端を持ち上げる笑い方で、ラズリを壁際に追いやったナーパは、顔の横に手をついた。ひやり、と背筋が寒くなる。

 

 なんで助けに来てくれないのよ。

 なんで、なんで勝手に死んじゃったのよ。

 あんたがいなかったら、誰が私を守ってくれるっていうのよ。

 

「だ、誰かっ……」

 

「しっ! 人聞きの悪いことをするんじゃねえよ」

 

 口を抑えつけられ、パニック状態になった。

 男の手は分厚く、引きはがそうにも力が強くて離れない。鼻と口とを抑えつけられ、呼吸もままならない。目に涙が浮いてくる。

 

 ほんと、なんなのよ、この男……!

 

「な、一緒に向こうに行こうぜ」

 

 首を振るが、男の拘束は離れなかった。んーんーとくぐもった声しか出ない。

 

「手を放せ」

 

 冷めた声色がよく響いた。呼吸ができるようになり、肩で上下しつつ息をする。酸素が一気に入ってきて、頭がくらくらした。

 

 ナンパ男の腕をねじり上げるのはアルファさんで、常と変わらぬ無表情のようだが、威圧感が凄かった。宝石のような青い瞳が、とても怖い。

 

「なっ、なんだ、お前っ。くっそ! ビクともしねぇ! なんなんだよ! 彼女がフリーだっつぅから口説いてただけだろうが!」

 

「フリーじゃないしっ。彼が私の彼氏よ!」

 

「はぁ?! あれはマジだったのか? はっ、他に男のいる女に興味なんてねえよ! 思わせぶりな態度しやがって、このクソ女!」

 

「言葉が過ぎるんじゃないか? まだ痛めつけられたいようだな」

 

 さらに腕をねじり上げられ、涙目になったナンパ男は「いでででででで! 腕が折れる! 悪い! 俺が悪かった!」手のひらを返したように謝罪してきた。アルファさんが腕を放すと、這う這うの体で村の出入り口へと走っていく。

 

「一昨日きやがれ! いや、一生くんな! ナンパ男!」

 

 べーっと舌をだす。今更ながら肩が震えてきて、恐怖心があとからあとからあふれ出てくる。

 

「大丈夫か?」

 

 穏やかにかけられたその声が、やわらかく心に染みてゆく。

 

「ははは、危ないところをありがとうございました。ちょーっと足が震えちゃってるけど、全然! あ、彼氏だなんて言って、ごめんなさい。パーヤに怒られちゃう」

 

「パーヤ? 怒らないだろう」

 

 何故彼女が、とでも言いたげなその様子に、パーヤの気持ちはアルファさんには伝わっていないことを確信した。驚くほどに鈍いよ、この人。パーヤ自身も恋だとは気づいていないみたいだし、ちょうどいいのかもしれないけれど。

 

 夜はラズリとバナンナの2人になる。もしもその時に報復に来られたら、どうしようか。今更ながらに罵倒したことを後悔する。

 ぶるりと身体が震え、身体を抱きしめるようにして腕をさする。

 

「もしよければ、今晩くらいは見張りをするよ」

 

 的確にラズリの不安を読み取ったらしいアルファさんは、穏やかな声色で申し出てきてくれた。

 

「いや、さすがにそれは悪いというか」

 

 実のところ、お願いしたい気持であった。わかりやすいパーヤの気持ちには気づかないのに、ラズリがそう思っていることはすっかり悟った様子で「遠慮はいらない」と言ってくれる。

 

「まさかラズリちゃんのこと好きになっちゃった?」

 

 なんて茶化してみても、生真面目な顔で首を横に振られた。

 

「冗談ですよぅ。そんなに真面目に返されるとへこむ……」

 

「それは悪いことをした」

 

 露とも悪いとは思っていない様子である。

 

「どこの家だ? その近くで素振りでもしている。長らく剣を持っていないから、勘を取り戻さないといけないし」

 

「あの! 本当に一緒にいてくれるんなら、母に話しておきます! ベッドはないけど、屋外よりずっといいでしょうし……。お願いしても、いいですか? あの、タダとは言いません」

 

「金なんてとらないさ」

 

「じゃあ、これ。ゲルド族の旅人がくれたマックスドリアン。ハートの最大値が増える優れものらしくて、あまりこの近くじゃ見かけないし……」

 

「気を遣わなくていい」

 

「貰ってください!」

 

「……すまないな。じゃあまた後で」

 

 そう言って、アルファさんはあっさりと宿のなかへと消えていった。彼の視線が一瞬下を向いたことで、ラズリもまた視線を落とし、自分の脚の震えが止まっていることに気づいた。

 

「あー……あれはほんとうにいい男だわ。パーヤ、見る目があるわね」

 

 一人呟く。

 

 押し付けがましくなく、かつ人の心を汲んだ心配りというのは存外に難しいものだ。人と関わることが主な仕事であるラズリはよく思う。

 過度すぎると煩わしく感じられてしまうし、かといって遠慮しすぎると気遣いの心は伝わらない。

 相手の求めることを、求めているタイミングでそれとなく提供することは、一流の看板娘の必須スキルだ。まだまだ精進しなければ、なんて考えているうちに、すっかり不安な気持ちは薄れてきた。

 

 もしも。もしもパーヤとアルファさんの関係が発展したとして。

 内気なパーヤと押しのないアルファさんが付き合う......ところはどうにも想像がつかない。

 

 頼もしい男性でありながら、中性的な美貌のためか、男の威圧感を感じさせない彼が、パーヤに迫るのをどうにも想像ができない。逆にパーヤが意を決して告白をする、なんて場面も想像できなかった。

 

 家に帰って母にアルファさんが来ることを話すと、絶句し、お礼をしないと、と豪勢な料理を作り上げ、ラズリが作ったことにしていいわよ、と謎の応援をしてきた。曰く「パーヤにはかわいそうだけれど、貴女は村の外にも出ていけるのだから、あれだけ頼もしい人に貰ってもらうのもいいわね」とのこと。そんなつもりは全くないのだが、後でパーヤと話すのが心なしか後ろめたくなった。

 

 

 



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静かな旅立ち

「ほんとうにもう出てゆくのか?」

 

「ああ。世話になった」

 

 薄暗い屋敷のなか、静かに語りあうアルファとインパを、切なげなパーヤが影からこっそりと見つめている。

 

「こっそりと夜半に出てゆくものだと思うたわ」

 

「……まさか、そんなこと」

 

 言葉に詰まったのは、実際アルファがそうしようと思っていたからだ。男連中から、せめてものインパ様やパーヤには挨拶をしていきなさい、と諭されなければアルファは今頃旅路についていたことだろう。

 

 インパはそんなアルファをすべてを見通したようにからからと笑い声をあげた。

 

「冗談じゃ。そう顔を固くするでない」

 

 むずりと痒くなる背中に、アルファは無表情のままに姿勢を正す。胡坐をかいた脚が若干のしびれを訴えている。

 

「あいつは今、始まりの台地にいるんだったな」

 

「左様。回生の祠にて傷を癒しているはずじゃ。わしらが出来ることは、それを信じて待つことのみじゃ。

 もしかするとすでに目を覚ましており、あやつが使命を忘れ、村人として暮らしている可能性とて捨てきれん。だが、シーカーストーンをあの祠へ残してきたゆえ、あれが勇者を導いてくれるだろう」

 

 おそらくは、と呟くインパであるが、それが願望に因んだ発言であることは、アルファとて容易に想像がつくことであった。

 

 シーカーストーンの研究はゼルダが最も興味を持って行っていた。何度研究に連れまわされたかはわからないが、大地に点在する祠にそのシーカーストーンをかざせども、何の反応もなかった。選ばれし姫が使用してなにも起こらないというのなら、誰がその所有者として力を発現させることができるというのだろうか。

 当時若かったインパも、姫の研究につき合わされたはずだった。だから彼女もまた、願望混じりの未来を口にするのだ。

 

 無数の皺が刻まれたインパの姿を見ていると、100年の月日が本当に流れたのだと実感させられる。澄んだ瞳だけが昔の彼女とまったく同じところで、今や老体の彼女が過去と同じように身軽な動きを出来るはずもない。だが、身体が動くのであれば彼女だってゼルダの様子を、リンクの様子を見に行きたいと思っているに違いない。

 

 人の望みほど、美しいものはないとアルファは思う。己には渇望するほどのそれを得られることが生涯に一度たりともなかったから、何かを求めて動こうとする人間がとても美しく感じられる。自然と、手助けをしたい心持になるのだ。

 

「あまり遅くなってもいかん。そろそろ行くがよい。プルアにはよろしく伝えとくれ」

 

「そのつもりだったんだが。……迎えに行ってこようか?」

 

 自然と、そんな言葉が出た。

 きっとインパは、己の足でリンクを迎えに行きたいと、この100年間何度も何度も思ったはずだ。いつ目覚めるやもわからぬうえに、村の長であるインパがそうすることは叶わなかったろうが、それでも願望は何度もちらついたはずだ。

 

「其方、気を遣えるようになったのだの。いや、貶しているわけではない。

 無理強いはせぬ。便りは送ったが、プルアに其方の無事な姿を一刻も早く見せてやりたい気持ちもあるのじゃ。それに……リンクが目覚めていない可能性とて、ある」

 

「あの寝坊助は、俺が起こしておいた」

 

「どういうことじゃ?」

 

「俺にもよくわからないが、夢のなかで祠のなかで眠るリンクを起こした覚えがある」

 

「詳しく聞かせてくれぬか」

 

 ひとつ頷いたアルファは、深海のごとく深い青の瞳をゆっくりと閉じた。

 

「薄暗く、埃っぽい空間に、傷ついたリンクが淡く発光する碧い培養液のようなもののなかで眠っていた。

 培養液の満たされた装置に手を触れると、ごっそりと力が持っていかれて、急激にリンクの傷の再生の速度が速まったんだ。死んだように眠っていたリンクが目を開くところまで、見届けた。

 今更ではあるが……あれはもしかすると夢ではなかったのかもしれない」

 

 真面目な顔をして語るアルファに、インパは神妙に頷いた。夢物語としか思えぬ内容ながらも、インパは回生の祠の内部を知り得ないはずのアルファが、装置であったり、培養液であったりの話をしたことに瞠目する。それはまさしく、回生の祠の内部と一致しているからだ。

 

「力を持っていかれた、とはどういうことだ」

 

「俺のなかに宿る女神ハイリアの力が装置へ吸い込まれた。これは感覚でしかないから、なんとも言えないが」

 

「其方が倒れたのは、もしや……?」

 

「カカリコ村に来る直前にその夢を見たから、関係している可能性は高い」

 

「そうか……ではそうなのやもしれぬな。リンクは確かに目を覚ましたのか」

 

「と思う。だが、マスターソードは森の中だろう。武器すら持たずにここまでたどり着けるだろうか」

 

 目を細めるアルファと、厳しい顔で目を閉じるインパ。

 

「そも、マスターソードを持てる身体ではなくなっておろう」

 

 マスターソードは特別な剣である。その剣は、持ち主を選ぶ。自らを持つにふさわしい主であるかどうかを見極めるのだ。いたずら半分にマスターソードに手を触れ、死にかけた者とているほどだ。

 柄から手を離していなければ、まず間違いなくその者の命はなかっただろう。

 

「どれほど体力は低下するんだ?」

 

「赤子とまでは言わぬが、そこいらの村人と変わらぬ程度までは落ちると研究書には残されていた」

 

「剣技は?」

 

「身体に染みついた動きこそ消えぬだろうが、それを取り戻すまでに時間は掛かろうな」

 

 先行きが不安でしかなくなってきたアルファと同じく、インパもまた皺を深くし俯いている。

 

「アッカレ地方よりは、始まりの台地の方が近いだろう」

 

 近い、といってもそれほど近くはない。が、あの夢がどうにも気になって仕方がなかった。たとえ彼がアルファのことを覚えていようがいまいが、世界の命運をその背に担う彼を手助けしたいとアルファは切実に思うのだ。

 

「……すまぬ。押し付けることになって誠にすまぬが、リンクのことを頼んでもよいか」

 

「ああ、俺もそうしたい」

 

「頼んだ、アルファ。気をつけてゆくのだぞ」

 

 深く頷いたアルファは、ゆっくりと立ち上がる。

 

「あの……!」

 

 鈴の音のような声がアルファの足を止める。

 振り返ると、パーヤが剣と盾を持って駆け寄ってくるのが見えた。

 

「プルア様がお預かりになっているアルファ様の剣には敵わないでしょうが、無手よりはよいかと」

 

 シーカー族の紋様が刻まれた護心の盾と、残心の小刀。それに無心の大剣と呼ばれる両刃の剣だ。

 

「ありがとう、パーヤ」

 

 大剣を鞘に入れたまま軽々と片手で振るったアルファに、インパは深く頷いた。

 

「其方の馬鹿力は昔と変わらぬな。その細い身体でよく振るうものだ」

 

「剣技こそあいつには敵わないが、純粋な力だけは負けてないつもりだ」

 

 大剣ほどの重量となると、大抵剣の重さに耐えきれず両手がふさがれてしまうものだが、アルファは片手に盾を持ち、易々と大剣を振るうほどの腕力の持ち主である。それによりリーチが長くなり、リンクと互角と言わずともそれなりに良い戦いができたのだ。

 

 懐かしそうに眼を細めるインパの隣には、心配そうにアルファを見つめるパーヤの姿がある。

 

「大切に使わせてもらう」

 

「その剣と盾がアルファ様をお守りくださるよう、お祈り申し上げております」

 

 潤んだ瞳は切々となにかを訴えるように輝いている。

 

「あの……その……」

 

 なおもなにかを言おうとし、喉元で声を詰まらせて切々とアルファを上目遣いに見つめ続けるパーヤ。瞳にあふれんばかりの感情を湛え、頬を紅潮させて胸の前で組んだ手をもじもじと動かす。

 

「ご、ご無事で、お戻りください。パーヤはこの地で待っております。ずっと、アルファ様を……」

 

 軽く小首を傾げたアルファはそれから一つ、深く頷き、踵を返した。

 

 ぱたり、と扉が閉じた後、屋敷に残されたインパとパーヤ。パーヤはまだ人肌のぬくもりが残る床に座り込んだ。一生分の勇気を使い果たし、すっかり全身は疲労していた。今更になってがくがくと震える足をさすりながら、呆然とパーヤは呟いた。

 

「行ってしまわれました……」

 

「この小さな村に留まるような男ではないからのう」

 

 孫娘の恋情がこれほどまでに育つとは、インパとて思っていなかった。情操教育を施したほうがよいかと心配するほどに、色恋に興味を示さなかったパーヤがこれほどまでに懸想するとは。見目に惹かれた、という単純な話ではないだろう。不器用ながらも人を愛し、このハイリアの地を愛するアルファの姿にパーヤは何かを見出したに違いない。それは100年前のアルファにはなかったものだ。

 

 男ぶりに磨きがかかり、さらに惑わされる人間が増えることだろうと、インパは他人事のように笑う。

 

 涙を浮かべて扉を見つめるパーヤの恋心には、あえて見ないふりをすることにした。

 

「さて、パーヤ。明日もまた早い。そろそろ寝る準備をしなさい」

 

「はい……」

 

 ふらり、と力なく立ち上がったパーヤが二階へと消えてゆく。

 

 100年前から文通のみで、すっかり姿は見なくなったが、今も壮健であろう妹に想いを馳せる。

 インパの姉であるプルアもまた、アルファに恋をした乙女であった。アルファはついぞその気持ちに気づかなかったようであるが、半狂乱にアルファの死体を探し続けていたプルアの必死な姿は、今も脳裏に焼き付いている。老婆と化したプルアよりも、若く美しいパーヤの方がアルファの心が傾く可能性は高いだろうか。

 

 昔ならばアルファが恋をするなどと考えることすらなかったが、そんな姿を想像してみたくなるほどに、彼は人間味を見せるようになった。それもまた、サイレンでの心の修行の成果なのだろう。

 

 すべてをどこかへ置き忘れて来たかのように人間味のなかった彼だったというのに。

 

「人は、変わるものなのだのう」

 

 しみじみと呟き、インパはゆっくりと瞳を閉じた。

 

 久方ぶりに感じる心地よさに身をゆだねながら。

 



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塔の出現

 

 艶やかな青毛を陽に揺らし、大地を闊歩するニゴウの機嫌は大層よい。足取りはとても軽やかだ。ゴーゴーニンジンを与えたからである。

 人に慣れづらいと言われる単色馬でありながら、訳もなく嘶きも、嫌がりもしない。故になだめることも少ない。

 気絶したアルファをカカリコ村へ乗せてくれたところをみると、出来の悪い弟の面倒をみる姉のような感覚でいるのかもしれない。ニゴウは度々人の言葉を理解している節を見せる。本当にイチゴウの生まれ変わりなのでは、と思わず信じてみたくなるほど、その性質はよく似ていた。

 

 鞍をつけて大分乗りやすくなったその背に跨るアルファは、カカリコ村から南下する街道を進んでいた。街道であれば、手綱を取らずとも馬は勝手に進んでくれる。時折地面からスタルゴブリンが現れるものの、ニゴウが颯爽と地を駆けてゆくため、攻撃を受けることはない。ぼこぼこと頭を生やすスタルゴブリンがその身体を地表にすべて表す前に、すっかりアルファたちは先へと進んでしまっている。

 

 ボヌール山地とナリシャ高地の間を半円を描くように築かれた山道は、人々が通り踏み固められてはいるものの、高低差が激しい。

 朝陽がすっかり顔を出した頃合いでニゴウを休ませてやり、それから何度か水分補給程度の休憩を挟んで、始まりの台地へと着実に距離を縮めていった。

 

 まばゆく輝く昼の太陽が徹夜明けのアルファの目に突き刺さる。もう少し進めば、白い石造りのカカリコ橋が見えてくるはずだ。そこからさらに南下すれば、双子馬宿がある。ニゴウがいてくれるおかげで、大幅に時間短縮が叶った。不用意に戦う必要もなくなり、ニゴウ様様である。夕方には双子馬宿に着くであろうし、そこで一泊してから始まりの大地を目指そうと、旅程を決める。

 

 風にそよぐ草木をぼんやりと眺めながら、かっぽかっぽと馬を走らせる。道中行きかう人々は皆社交的で、それに返しているだけでアルファは自分がとても社交的な性格になったのではと錯覚した。

 果たして、これほどまでに穏やかに時を過ごしたことがあっただろうか、と思い返す。

 

 アルファはいつだって、目的のために生きていた。何かしらの目標を己で定め、もしくは他人に定められ、そのためだけに時間を費やしてきた。ぼんやりなど、したことがなかった。人の気持ちなど考えることはなかった。それどころか、草原の青臭さも、陽の光のあたたかさも、木陰のひんやりとした心地よさも、吹きすさぶ風の音も、何も意識せずに生きてきた。そのことに今更ながらに気づく。

 周囲になんと音が多いことだろう。見逃していた情景の、なんと美しいことだろう。

 

 アルファの大切なものは、片手で足りるほどだ。宝物といえるものなどないし、己の人生において大切なものなどないと心底思っていたものだから、命を消耗品のごとく扱うことができた。

 

 一度死したあの時。あの局面で命を投げ出したことに、悔いはない。当時のアルファはそれが最適解だ、と思っていた。今だってそう思っている。

 それでも、心臓が縮むように胸が痛むのは、気を失う間際リンクの愕然とした表情を思い出すからだ。ゼルダの悲鳴染みた叫び声が思い出されるからだ。

 己だけは満足していた。だが、彼らはあの時、何を感じたのだろうか。

 何も悲しむことなどない、とアルファは心の底から思っていた。だってそれが最適解なのだから。

 だがしかし、今となっては、逆の立場で物事を考えることができるようになった。もしも己のために彼らが命を投げ出していたならば。どれほど彼らを詰っただろうか。感謝など覚えようはずもない。なぜ勝手なことをしたのだ。なぜ命を大切にしないのだ。なぜ己なんかのために。そうアルファは思う。きっとリンクや姫様もまた、そう思ってくれたのかも。そのことに気づくと、激しく胸が痛むのだ。

 

 リンクに鋭い目で睨まれると背中が冷える。大抵のことでは感情を波立たせない男であるが、その分怒るとしつこい。あの頑是なさは、わがまま放題の子ども顔負けのものがある。

 

 ヒヒン、と鼻を鳴らしたニゴウの鳴き声に我に返る。

 小刻みに震えるニゴウの鬣。いや、違う。草木が絶え間なく震えている。

 滑るように馬上から地面へ降り立ったアルファは、ニゴウをなだめながらブーツ越しに大地が揺れているのを確かに感じた。

 地が揺れるなど、大厄災以来のことではなかろうか。

 怖気が走り、カカリコ村の住人たちがちらりと脳裏によぎる。

 揺れはますます激しくなり、嘶くニゴウを片手でなだめていたアルファはその脚に蹴られぬようにニゴウから距離を取って地面に片膝をついた。

 景色の一部のような祠が、赤く発光している。何かに呼応するように、あるいは脈打つように赤く明滅するその光が不気味に浮かび上がる。

 地平線から砂塵を立ち上げ、ずんずんと伸びてゆく塔を目にしたとき、アルファは言葉を忘れた。それはひとつ、ふたつではなく、そこいらに塔がせりあがってゆくのが確認できた。

 

(何事だ……?)

 

 未曽有の大地震、といって差し支えなかった。大地は人工的な赤の光をハイラルの土地全土に点在させており、その赤はガーディアンの瞳に似て見えた。人々を守護する青の光を湛えたガーディアンが、ガノンの手により赤く染まったあの時を否が応でも思い出させる。

 

 怜悧な瞳を一際鋭く細めたアルファは、大地にしっかりと足をつき、立ち上がる。未だ地面が揺れているような錯覚に襲われるが、どうやらあの大地の胎動は収まったようだ。

 

 ひらりと身軽に馬上へ登り、そのままアルファはニゴウに鞭打った。はいよ、と返事をするかのように嘶いたニゴウは風を切って走り出す。地震の怯えは露とも感じさせない、強い足取りで。いい馬だ、と心から思う。

 

 石造りのカカリコ橋は、苔むして薄汚れてしまっており、100年前とはまるで景観が違う。だが、そんな回顧する暇もなくさらにアルファは鞭打った。びゅんびゅんと通り過ぎてゆく周りの光景。視界の端に見えた水面は未だ地震の名残で震えている。

 

 勇者の力だ、とアルファは確信していた。

 

 誰かがシーカーストーンを手にし、この大地を目覚めさせた。勇者の資格を持ち得る者にしか、シーカーストーンは応えない。だから姫様がシーカーストーンをかざしても、何も反応しなかったのだ。古文書にあったシーカーストーンに選ばれし者とは、勇者だけを示していたのだ。資質を備え、経験と実力が足りぬ勇者のためにあれらはあったのだ。

 

 あの祠は、勇者の資質を高めるために作られた古代の代物だとゼルダが言っていた。今世の勇者は鍛えられるまでもなく退魔の剣を手にすることが叶ったため、必要なものではなかった。ゆえに反応しなかったのだと仮定する。

 ならば今こうして塔が出現し、祠が起動した状態を見るに、リンクの力は全盛期とは比べ物にならないほどに堕ちているのかもしれない。だが、たとえ彼が記憶や剣技を失っていたとしても、ゼロから勇者として歩みだしたのだ。その歩みに応えるように、大地が胎動したのだ。

 

 アルファは今でこそ人の感情の機微を理解できるようになったが、欲が薄い。したいことなど何もないし、睡眠とてとらずとも動くことはできる。口酸っぱく幼馴染に生活管理の重要性を説かれたがために、陽が昇ると起床し、陽が落ちると就寝し、三食を口にしているだけだ。そんなアルファであるが、心の奥底に使命を自覚している。誰にどういわれようとも変わらない、不変の使命。

 それは、勇者を導き厄災ガノンの脅威からハイラルを護ることである。

 

 それがどんな形であろうとも。

 

 最適解を見つけ出し、通常の人間に芽生える感情を切り捨てて、非道と思われるものであってもそれを実行することができる。どれほど嫌だと感じても、実行することができる。人間というよりも、機械(カラクリ)の類の方がアルファの心に近しいものがあると言えよう。

 

 ニゴウを走らせながらアルファが思い出すのは、満面の笑みを浮かべたゼルダと、その後ろに控えるリンクの姿。いつだったか、三人で遠乗りに出かけたことがあった。ゼルダは白馬に跨り、リンクは鹿毛の馬に乗り、アルファは青毛のイチゴウに跨っていた。

 騎士であるリンクの手ほどきもあって、姫君とは思えないほどに馬の扱いに長けていたゼルダは、王宮から離れていくほどに快活な表情を取り戻していく。金色の長髪を風になびかせて、心地よさそうに碧い目を細める。記憶のなかのゼルダは、いつだって微笑みを浮かべていた。それを背後からそっと見つめるリンクは口を真一文字に引き結び、思い期待を背中に背負いながら職務を全うしていた。

 アルファはそんな二人の姿を見て、守りたいと心から思ったのだ。

 なにかをしたい、と思ったのは初めてのことだったので、とても感慨深く覚えている。

 そして、今もその気持ちは変わらない。親友であるリンクや、彼が大切にする姫君のことをアルファは守りたいと思うし、可能な限り手助けをしたいと、そう思うのだ。

 

 己の欲望に忠実になれ、とはプルアの発言だ。やりたいと思ったことをしっかりとやりなさい、と惰性的な生活を送っていたアルファにプルアはよく言ったものだった。

 

 サイレンでの修行を経て、物思いにふけることが多くなった。淡々と毎日をこなしていただけのアルファだったが、いかに乏しい生活をしていたのかを今になって知る。自分が思い返しても、人間味というものが感じられない。そんなアルファを、リンクはよく見放さずに世話をしてくれたものだと思う。騎士を辞めてからも何度もアルファに会いに来てくれたリンクの懐の深さを今になって痛感する。

 

 彩のない世界に、鮮やかな色彩を与えてくれた彼らに、今度は己が手助けをする番だ。

 

 自然とあふれてくる感謝の気持ちをしっかりと胸に留めながら、アルファは広大なハイラルの大地を駆け抜けていった。

 

 そんなアルファの表情は、普段よりもずっとやわらかなもので、すれ違う旅人たちの視線をすっかり奪うほどに魅力に満ちたものであった。

 

 ただひたすらに、いっそ恋焦がれるかのようにアルファは願った。

 早く会いたい、と。

 

「女神様……」

 

 すれ違う馬上の旅人がぽつりと呟いたが、アルファの耳には届かなかった。

 

 青い女神とすれ違うと、幸運が訪れる。だなんて根も葉もないうわさ話が旅人から旅人へと伝わり、カカリコ村へ伝播し、そこから波紋のように広がっていっていたことなど、本人のあずかり知らぬことである。

 

 



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ブラッディムーン

 

 双子山の東の麓に位置する双子馬宿。もう少し進めばふたご兄橋が見えてくるはずだ。

 暗がりのなか、馬宿近くに赤く光るのは試練の祠。以前通りかかったときは光など放っていなかった。各地で塔がせり出したことに加えて、各地の祠もまた活動を始めたのだ。

 緩やかに馬を走らせつつ、馬宿近くにある水辺に祠を確認したアルファは、馬上から地面へ降り立ち、手綱を引いて馬宿へ近づく。

 馬宿のすぐ近くに人影が見えた。中肉中背の壮年の男だ。空を見上げて低い唸り声をあげている。

 

「この胸騒ぎ……今夜は何かが起こりそうな気がする……」

 

 そう呟いた彼は腕組みをし、深い吐息をこぼしつつ、食い入るように空を見つめている。

 つられてアルファも空を見上げるが、曇天の空が広がるばかりで、別段変わった気配は感じられない。重苦しく垂れこめた雲がまだらに点在している。陽は沈み、辺りはすっかり暗くなっている。馬宿から漏れ出す光がまぶしいほどだ。

 

 山麓にあるこの馬宿には、吹き下ろしの風が絶え間なく吹いており、馬宿の風車はからからと四六時中回り続けている。吹き抜ける風の音のなかでカラカラと音を立て続ける風車の音は、よくよく耳をすませねば聞こえないものだ。

 空から馬宿へ目を移すと、馬の頭と首が模された馬宿には幟旗(のぼりばた)が飾られており、ぱたぱたと暗夜にはためくのが見える。

 

 すぐ傍らに立ち、同じ方向を不思議そうに眺めるアルファにようやく気づいた男は、腕組みを解いてアルファに向き合った。

 

「これは失礼。私はヒナバガン。ブラッディムーンの研究をしている」

 

「俺はアルファ。ブラッディムーン……とは聞きなれない単語だ」

 

 小首をかしげるアルファに、瞳を輝かせたヒナバガンがブラッディムーンについて解説してくれる。

 饒舌気味に語られたそれを要約すると、厄災ガノンの影響で魔物が活性化する赤い月のことを言うらしい。

 そう言えば、ベーレ谷で見かけた旅人も赤い月だとか、口にしていた。

 アルファの知らぬ間に、ハイラルの地ではブラッディムーンなるものが当たり前のように空に輝くようになったらしい。

 

「今宵の月は……」

 

 ぼそりと口のなかで言葉を転がし、ヒナバガンは額に手をあて、前のめりになって山端を見つめる。

 

 広大な平原の奥に佇む山がわずかに赤みを帯びていく。夕焼けとはまた違う、鮮血の如き赤さにアルファは眉をひそめた。脳の奥が鈍い痛みを訴える。

 

「見たまえ、いよいよブラッディムーンだ……!」

 

 じわじわとせり出してきた月は、火の玉にも思えるほどに深紅の代物であった。禍々しい赤に歓喜したようにヒナバガンは突如として走り出し、叫び声をあげる。

 

「魔物よ、よみがえれ!!」

 

 はっはっは、と低い声で笑い声をあげつつ走り回るその姿は、先ほどまでの落ち着いたヒナバガンとは別人のようだ。

 若干冷たい目でそれを見送ったアルファは、煌々と輝く赤い月が雲に隠れた瞬間、わずかに頭痛が和らいだのを感じた。

 月に隠されることを嫌がるように、再び丸い月の端が雲の合間から顔をのぞかせる。

 

『ルファ様』

 

 若い女性の声が聞こえた。

 耳の奥で聞こえたような、だけど鮮明に響くその声に、ふと意識が呑まれる。

 その声は、若かりし頃のインパの声にも、ゼルダの声にも聞こえた。名前も知らぬ、女性の声にも聞こえた。

 不思議と耳に馴染むその名前に、頭痛はさらに激しくなる。

 

 

『ルファ様……ルーファウス様』

 

『ルーファウス・ドゥンケルハイト公爵』

 

 

 誰かが俺を、ルーファウスと呼ぶ。

 

 

 

 

 ――このままでは、封印の力が目覚めぬでしょう。

 

 頭のなかに直接響く、澄んだ女性の声。とても聞き覚えのある声だ。

 

 ――変えねばなりません。この世界を護るために……

 

 

 

 

 雲に姿を隠していたはずの赤い月は、いつの間にかその姿を再び現し、赤い光を広大なハイラルの地へ降り注いでいる。

 アルファは鈍痛を訴える頭に手をあて、浅い呼吸を繰り返した。

 先ほどの声は、女神ハイリアの声だ。

 彼女がそのようなことを言っていた記憶は、一切ない。そも、何を変えるというのだろうか。封印の力が目覚めぬ、とはどういうことだろうか。

 封印の力を持つのは王家の血筋の巫女のみだ。現時点で、ゼルダは見事封印の力に目覚めている。

 そもそも、目覚めぬ、などとハイリアが言っていた記憶もない。

 頭の内部から針を突き刺されているように痛む。側頭部に手をあてたまま、アルファはニゴウを馬宿に預けた。

 無理をすれば祟りそうだ。今夜は双子馬宿で休むことにしよう。徹夜で行動したものだから、疲労がたまっているのかもしれない。

 先ほどの幻聴もきっと、疲労のせいだ。倒れては元も子もない、と重い身体を引きずるようにして明るい馬宿へと向かう。

 

 手早く宿泊の料金を支払い、ベッドに横になる。固いスプリングが軋み、わずかに埃の臭いがした。目を閉じるとそのまま意識は穏やかに薄れてゆき、アルファは規則正しく寝息を立て始めた。

 夢現のそのなかで、確かに聞いたのは女神ハイリアの声だった。

 

 

 

 ――変えねばなりません。

 

 

 

 それは、アルファではない誰かに宛てた、女神ハイリアの声。

 ブラッディムーンが垣間見せた、過去ならざる過去の声。

 ありし日の過去の、声。

 



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本意ない再会

 翌朝、朝陽が昇る前に目を覚ましたアルファは、重々しかった身体から疲労がすっかり抜けているのを感じた。夢も見ぬほどの熟睡で、実に晴れやかな気持ちで目を覚ますことができた。

 以前よりも格段に感受性が豊かになっている、と己で評価するのもおかしな話ではあるが、アルファはそう実感していた。

 気絶するように眠りにつき、同じルーティーンを繰り返す日々を送っていた過去のアルファはガーディアンとさして変わらない精神構造であったと言える。

 

 一度死したためか、女神のもとで精神を成長させたためか、もしくはそれでもない他の要因があるのか。アルファの情緒は急速に育っていた。己でさえ違和感を覚える程度に。

 

 ベッドから起き上がり、ぐっと伸びをした。固まっていた筋肉がほぐれ、全身に血液が流れてゆくのが心地よい。ぐるぐると肩回りを動かしながら、馬宿を出ると、うつらうつらと船を漕いでいた店主が人の気配に目を覚まして、すぐさまニゴウを連れてきてくれる。

 

 店の窓口から消えてゆく店主を見送りつつ、大きく息を吸い込んだ。朝方の空気はひんやりと心地よく、澄んだ空気を肺いっぱいに取り込む。頭がしゃっきりとし、視界も明瞭になる。

 ややもすると、店主に手綱を引かれて尻尾を左右にゆらゆらと振りながら歩いてくるニゴウが見えた。

 

「随分と早い出発ですな。お気をつけて」

 

「ありがとう」

 

 休息を取れたのはニゴウも同じらしく、ヒヒンと高く嘶き、活力をみなぎらせている。真っ黒い澄んだ瞳が映しだすのはアルファの姿で、アルファが歩き出すとそのすぐ後ろをかぽかぽとついてくる。脇の間に顔を差し込むように撫でろと要求してくるニゴウに、アルファは無表情のままに鬣を撫でてやる。

 アルファの青い瞳にはやわらかな光が湛えられており、馬好きの店主は静かに表情を緩めてその姿を見送った。

 

「今日も頼んだぞ、ニゴウ」

 

 鼻をならし、尻尾を振って返事したニゴウに跨り、駆けだす。

 平原はぼこぼことした丘が高低差を作り出しており、街道を逸れるとかなり走り辛い。上下する馬に上体が振られぬよう下半身をしっかりと固定し、やや前のめりに姿勢を固める。

 

 目的地である始まりの大地へ向けて最短経路で進む考えがちらりと過る。

 ニゴウは、野生と思えぬほどに優秀な馬だ。イチゴウの生まれ変わりかと思えるほど、利発でもある。足腰はしっかりとしており、スピードもスタミナもある。ハイラルの騎士が跨っていた馬に勝るとも劣らない。彼女なら難なく高低差を走り抜けるだろうと確信できたが、街道沿いを進めば魔物との遭遇率も低い。眠らずとも戦えるよう騎士時代に鍛え上げてはいるが、徹夜続きで疲労が溜まると、いつカカリコ村の時のようになってしまうかもわからない。あれは相当稀有な事象であったが、誰の助けもない状態で、さらにニゴウも疲れ切ったなかで危機的状況に陥れば、勇者を迎えに行く以前の問題になってしまう。

 下手に街道沿いを離れて勇者とすれ違ってもなんだし。

 そもそも、勇者が始まりの大地から抜け出し、既に行き違いになっている可能性とてあるのだ。

 

 運命のように引かれあうのではないか、と物語の姫君のように夢見るつもりはない。

 常に四周へ気を配るのは、索敵だけでなく勇者を探してのことでもある。何気なく馬を走らせるよりもずっと神経のくたびれるものであったが、アルファは表情一つ変えずに淡々とそれらをこなした。

 神経はくたびれるが、苦に思う気持ちはなかった。

 我が幼馴染に再び会うことが叶う。この地のどこかに勇者はいる。そして己もまた、この広大な大地に生きている。

 奇跡のようなひと時を与えられたことを、アルファは素直にありがたいと思っていた。

 

 途中途中でニゴウを休憩させながら、双子山の麓を走り抜け、ノッケ川沿いに西へと進み、モヨリ橋に差しかかろうとしたときだ。

 

 アルファは、息を呑んだ。

 

 驚きのあまりに言葉が出てこなかった。喉元に詰まった透明の空気が、息を吸うことも、吐くことも困難にする。

 

 金髪の青年だ。

 遠目で見るに、珍しくも純粋なハイリア人らしい金髪。

 豪奢に艶めく金髪を一つに結わえて後ろでくくっており、澄んだ空のような蒼い瞳をしている。精悍な顔立ちのその青年は、片手剣でボコブリンと相対している。衣服はここらでは見ない簡素なもので、それは随分と昔に作られたもののように思われた。

 

 青年が赤ボコブリンを斬りつけるも、力の伝わり切らぬ甘い剣筋と攻撃力の弱い武器のせいで一発で仕留めることは叶わない。ボコブリンが大げさに武器を振りかぶるというのに、攻撃ばかりに集中したその青年は大ぶりなそれをもろに食らって、短く苦し気な声をあげた。

 それでも瞳から闘志は消えず、鋭い青の眼差しがボコブリンを見据える。

 体勢を立て直した青年が二発三発と続けざまに攻撃を加えると、ボコブリンは黒い灰となって消えていった。

 

 息さえ止めて、アルファは食い入るようにその様を見つめていた。

 手綱を引き、ゆっくりと闊歩するニゴウの馬上で、アルファの深海の如く濃い青の瞳が、ひたすらに真っすぐ、青年へと向けられている。

 

 きりりとした眉、碧い大きな瞳、とがった耳には青いピアス。見慣れぬ衣服と、腰に帯びた錆びた剣。戦闘直後で上下する肩。その背格好は記憶の中の勇者に相違なかった。

 

「……リンク」

 

 掠れた声で呟くも、脇を駆け抜けていったその青年の耳には届かなかった。

 そしてアルファはその背中を、身体を捻ってただただ見送ってしまった。

 愕然とした衝撃が雷撃のように身体に走り、次の手を打てなかったのだ。

 

 リンクは、アルファに気づかなかった。ただ一瞥をくれただけで、立ち止まることなく去っていく。目は、合った。それがゆえに、なんの感情もうつさぬ青い瞳が思い起こされて、身体が動かなくなる。

 記憶がないのか、はたまた単純に気がつかなかっただけなのか。わき目も振らずに駆けてゆくその青年の背中が離れてゆく。

 

「なんとも、まあ」

 

 自重染みた声が喉元から低く零れて、ようやく我に返る。

 

 何故覚えていると確信していたのだろうか。

 何か通ずるものがあると期待していたのだろうか。

 記憶をなくしている可能性は聞いていたというのに。

 

 己だけは特別だ、なんて根拠のない痛々しい考えを己が少なからず持っていたことが露呈し、アルファは誰に言い訳をするでもなく恥ずかしくなった。

 

 だが、覚えていないのが、なんだというのだ。

 記憶をなくしているから、なんだというのだ。

 

 逆に考えればいい。彼が強くなるために、彼がゼルダを助けるために、己という存在は生かされたのだ。

 最適解はなんだ?

 

 幼馴染を助けることこそが、アルファの生きる目的だ。

 リンクに寄り添い、助言する。二人で旅をする。それもいいかもしれない。だが、果たしてリンクの成長を阻害することにはならないだろうか。

 人は危うい場面に直面し、成長していくものだ。王宮騎士団の訓練のなかでも、一人野営が採用されていた。たった一人で森の中を生き抜き、指定された魔物を討伐するのだ。それが出来て初めて一人前だと認められる。

 

 今のリンクからすれば、アルファは圧倒的な力の持ち主だ。それは安心感につながることだろう。右も左もわからぬ状態で一人放り出されたリンクに、お前は一人ではないのだと安心させることは救いとなるだろう。だが、真実彼のためになるだろうか。厄災から世界を救う、勇者たる彼の成長のためになるだろうか。

 

 彼がもしも折れそうに弱っていたならば、アルファが夢想したように彼とともに旅をすることは最適解であろう。

 だが、そうではない。

 

 リンクに寄り添いたい、とそれはただの己の願望に他ならない。

 名前も顔も知らぬアルファの存在など、リンクは今求めていないのだ。

 

 今更ながらにそんな当たり前の結論にいたり、アルファは愕然とした。

 感情というやつは、なんと厄介なものだろうか。事実を捻じ曲げて、己の願望へと近づけてしまうのだから。

 

 感情に振り回される人間が、アルファは常々不思議だった。理解できないものだった。だが、その一端を確かに今、アルファは理解していた。

 

 いつも通りに考えろ。覚えていないのならば、逆に好都合ではないか。

 

 アルファは瞳からすら完全に感情を消し去った。

 音もなくニゴウから降り、尻を叩いて遠くへと逃がす。

 

 首元までずり下げていた顔布を目下まで引き上げる。シーカー族の技術で衣擦れの音を徹底して抑える工夫が施されたマスクだ。

 

「勇者リンクだな」

 

 感情の色が一切見えない低い声は澄み切り、どことなく冷ややかだ。口布を通し、くぐもった声ながらもよく響く。

 

 青年――リンクは弾かれたように振り返る。厳めしく口を引き結び、鋭い視線でアルファを見据えた。

 間違いない。見間違うはずもない。衣服こそ以前の勇者の服ではないが、間違いなくリンクであった。

 

「――誰だ?」

 

(ああ、その声。――懐かしいなぁ)

 

「忘れたのだな、勇者よ。……なるほど、弱くなったものな。100年の眠りですべてを置いてきたか」

 

 その煽り口調にリンクはぴくりと片眉を動かすだけにとどめた。

 

「俺はアルファ、お前が倒さねばならぬ敵だ」

 

 好敵手だったのだから、あながち嘘にもならないだろう、とアルファは心のなかで言い訳をする。

 腰に帯びた剣を構え、リンクが臨戦態勢をとる。鋭い切っ先が真っすぐに己の喉元を向いており、何故だろう、アルファは笑いをこぼしていた。

 

「問おう、勇者よ」

 

 熱を感じさせない冷たい声色。感情の抜け落ちた無表情も相まって、思わずリンクが身構えるほどに壮絶な雰囲気を漂わせる。

 

「お前は何を覚えている?」

 

 戦い方は先ほどの様子を見る限り、忘れているようだ。それに身体能力も愕然とするほどに落ちている。平民とまではいかないにしても、頭一つ出た兵士と肩を並べる程度だろう。とてもではないが、伝説の剣を持つに値するとは言えない。伝説の剣に触れたら最後、体力を根こそぎ奪われて終わりだろう。もちろん、こんな状態のリンクが厄災ガノンに敵うはずもない。

 

 丘から落下しただけで死にそうだ。天雷に貫かれただけでも死にそうだ。魔物に数発攻撃を貰っただけでも死にそうだ。なんとまあ、か弱い存在となってしまったことだろう。

 

 最年少で近衛騎士に抜擢された、あの類稀なる剣技をどこへ置き忘れてきたというのだろうか。無尽蔵なあの体力は、どこへいってしまったのだろうか。

 

「何も」

 

「しかし、名前には反応していたようだが?」

 

「美しい女性の声が聞こえた。ハイラルの王だという霊にもそう呼ばれた。故に、俺の名はリンクなのだろう。ただ、それだけしかわからない。

 貴方は何者だ?」

 

 何も覚えていない、とリンクは答える。そこに余計な感情の不随はなく、何かを忘れているという感覚すらもないようだった。

 

 アルファはハイラル王の霊とやらが気になったのだが、突っ込むと話が逸れそうなため、今は疑問のままとどめておくことにした。

 

「いずれわかることだ。ただお前は、俺が敵だということを認識しておけばよい」

 

 眉を顰め、鋭い瞳で上目遣いにアルファを睨み据えたリンクが問いかける。

 

「貴方は俺のことを知っているのか」

 

 さあな、と答えるように軽く肩を竦めた後、恭しく騎士の礼をしたアルファに、リンクは奇怪な者を見る目を向ける。

 

「決闘の礼だ。覚えておけ」

 

 背に帯びた太刀を構えると、リンクは瞳の色を鋭いものへと変じた。

 

「来い」

 

 動き出さないリンクに、アルファは内心で嘆息した。さすがに無理があったろうか。だが、ここで敵だと認識してもらわねば、すべての計画が狂う。

 

 人の模範たれ、人々の憧れたれ、と己を律し続けたリンクが唯一自身を解放できたのは、魔物や敵と対するときだけだ。

 身内と認識した者に彼はどこまでも優しい。命令に諾々と従うリンクは自分を殺すことに長けている。幼馴染であったアルファにさえ、愚痴の一つもこぼさなかった男だ。

 いっそ敵対する人間の方が素直に己をさらけ出せるというのだから、勇者というのは複雑な存在である。

 

 ならば、実在せぬ彼の敵となり、彼が自身を発露する場を与えつつ、剣技を身につけさせてやるのが最適解というもの。幾ばくかの寂しさを覚えながらも、アルファは己の感情を切り捨てた。

 

「来ないならば、俺から行くぞ」

 

 距離を詰め、軽く横切りをすると、盾で防御したリンクは剣圧で吹っ飛んだ。

 

(……しまった)

 

 力の入れ方を修正する。もっと軽くしなければならない。

 盛大に吹き飛び、ごろごろと地面を転がったリンクは今度こそ瞳に本物の闘志を滾らせてアルファを睨みつけた。本当は軽く剣をあてたつもりだけであって、それほどまでに吹き飛ばす気持ちはなかった、とは言い訳だ。

 

「行くぞ。アルファとやら」

 

 アルファは小さく頷いた。

 

(お前の口から、ルファと呼ばれる日を心待ちにしていたというのにな)

 

 右へ左へリンクが剣を振るうのを、アルファは的確に、最低限の力で弾いていく。

 

「脇が甘い。踏み込みが甘い。間合いが遠い。どうした、怯えているのか?」

 

 アルファが言葉を重ねるごとに、リンクの剣技は修正されていく。攻撃の切れ目にこちらから攻撃を加えると、集中の極致にいたリンクは素早く反応して背後へ跳んだ。

 

「回避が速すぎる。最適なタイミングに回避をせねば、俺に攻撃は与えられんぞ」

 

 憎々し気にアルファを睨みつける瞳。致命的な一打こそ与えていないが、着々と傷を作ってゆくリンクに対し、アルファは傷一つない。

 だがリンクの剣技は、アルファのそれを真似るように王宮騎士が用いる剣技へと、彼の身体が覚えている動きへと変わってゆく。

 

 キン、と剣同士がぶつかり、純粋に力の差でリンクが押された。

 

「盾を使え。ジャストガードであれば、この太刀をも弾くことが叶うだろう。そら、行くぞ。ひ弱な勇者よ」

 

 息もつかせぬ高速で、アルファが剣を舞わせる。右へ左へ上から下へひらひらと銀色の剣が揺れる。忙しなく動くリンクの瞳はそれら一つ一つを的確に追い続け、辛うじて盾で防御していく。

 

「そのままでは盾の耐久値がもたぬぞ」

 

 苦し気な息を鋭く吐き出し、一際瞳を鋭くしたリンクがアルファの剣技をはじく。パシッと小気味よい音が響き渡り、目の前が白く染まる。太刀が後方へと吹き飛ばされ、アルファの体勢が大きく崩れた。がら空きになった胴体へ、リンクが突きの体制をとる。剣が密接するなか、アルファは身を捩って手を伸ばした。手に目当てのものを握りしめ、それから地を蹴り、アルファは背後へバク転をする。煽りを食らい、リンクもまたつんのめるようにして前方に倒れる。寸のところで身体を丸め、前方に転がってアルファを睨みつける。

 

「今のタイミングだ。闇雲に剣や盾を振り回すだけで敵うほど俺は弱くない」

 

 無言で剣を構えなおすリンクは、研ぎ澄まされた眼差しでアルファを見据えた。その瞳に先ほどまでの甘さはない。

 

 リンクが腰にぶら下げているシーカーストーンを奪い、手中に収めたアルファは手元の端末に目を落とした。

 

 つい先ほどまで腰にあったはずのそれを奪われ、リンクは手だけで端末の有無を確認しつつ、アルファへの警戒を絶やさない。

 

 シーカーストーンにはインパを訪ねて、と記されており、真っ暗なマップ上には点が存在していた。方角的に、カカリコ村だろうか。

 周囲のマップが解放されていない状態ではあるが、おそらくはこの道しるべに従って動いているのだろう。

 これならば、間違いなくリンクもカカリコ村へ向かうはずだ。

 

 全身が擦り傷や切り傷だらけになり、肩で息するリンクを見て、そろそろ頃合いか、と判断する。

 

 シーカーストーンを片手に、もう片方の手で太刀を握る。

 太刀の重力に振り回される形でアルファは鈍い回転切りを繰り出す。リンクは綺麗にジャストガードを決めた。

 

 続けざまにアルファへ三段斬りを加える。会って間もない彼とは段違いの鋭い太刀筋だ。類稀なる剣の才能は、身体の奥底がきちんと覚えていたらしい。

 

 急所へともろに斬撃を食らい、思わず膝をついたアルファはシーカーストーンをリンクへ投げつけた。

 

「また会おう、勇者よ」

 

 それと同時に赤チュチュゼリーを地面へと叩きつけ、爆炎を生じさせる。

 片手でシーカーストーンを掴み、もう片方の腕で顔を覆ったリンクの姿を確認し、素早くアルファは姿を隠した。一瞬にして炎の波が広がり、低い竹の芝生を炎上させる。焦げた草の臭いが周囲へ広がり、赤い炎の舌がちろちろと緑の草へと伸びてゆく。

 

 アルファは木陰に身を潜め、ふとため息を吐いた。なんだかどっと疲れた気がする。

 

 言動が変われども、姿かたちが変われども、記憶がなくなれども、お前のそのまっすぐな心根は変わらない。

 

 会いたかった。わが親友よ。本当に、心から会いたかったのだ。

 こうして再びお前と相まみえることができたことは、まさに奇跡だ。

 この友情よ、不変たれ。

 我が友の未来に、幸福あれ。

 

 己のこの選択は本当に正しかったのだろうか、と苦々しい思いをかみつぶしながら、アルファは胸中で女神ハイリアへと希った。

 




ここまでお読みいただきありがとうございました。
これにて1章完結です。
感想、評価、お気に入り追加本当にありがとうございます。
とても執筆の励みになっております。


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第2章 虚構の敵
コモロ駐屯地跡


 

 気配を消し、アルファは北西の方向へと向かった。その方向に、時の森と呼ばれる小さな森の群生地があったはずだ。草木に陰蔽される森のなかに入れば、たとえ高台や塔から周囲を見回したとしてもリンクに見つからないだろうと判断したのだ。特にやましいわけではないのに、なにをこそこそしているのだろうか。暗くなるまで時の森で待機し、さらに北へと足を進めた。

 

 娯楽に興じるハイラル人たちで賑わいを見せていた闘技場の東部には、中央ハイラル南部の守護を主任務としたコモロ駐屯地があった。その北には中央ハイラルの軍中枢となるハイラル軍駐屯地。どちらも中央ハイラルに位置しており、ハイラル軍の防衛の要といって差し支えない。

 

 駐屯地というのは、一時的に築いた場所であり、移動することを前提に作られた施設である。なにも危機のない平時の際にハイラル軍は駐屯地に駐在するが、敵の侵攻に合わせて軍は移動する。ゆえに放棄される駐屯地もままあるものだ。この地がそうしてなくなったのか、それとも100年前の厄災によりなくなったのかは知れないが。人がいなくなると、建物の劣化が急速に早まるような気がするのはどうしてだろうか。

 すっかり天井が抜け、建物の土台のみを残すコモロ駐屯地跡。

 眼下に池を見下ろす位置で、ポーチの中に入れていた薪を取り出した。火打ち石で火花を散らせて薪を燃やす。ぼう、と勢いよく燃え上がる炎を眺め、適当な高さの瓦礫に腰かけてアルファは暖を取った。水を含んだ薪がパチパチと爆ぜた音を立てる。不規則に揺れる赤い炎を見つめていると、自然と昔のことが思い出される。

 まだアルファが騎士団を追い出される前のことだ。早くから騎士団に所属していたアルファは職務上それなりの地位に就いていたが、年若く、かつ何も主張しない人間であったから様々な雑用を上官から押し付けられていた。

 騎士も兵士も似たようなものだと思われがちだが、実のところ中身はまったく異なるものだ。制服も違う。

 王国騎士団、ハイラル軍のどちらもハイラル王を頂点に君臨させていることは変わらない。だが組織が違うため、命令の伝達系統は違う。

 騎士のなかでも近衛騎士は、直にハイラル王が指揮を行う王直轄部隊の人間である。それ以外の騎士も基本的には城の護りに就くことが多く、それなりに王の目が届きやすい。

 逆に、ハイラル軍は王の目が届きにくいと言える。ハイラル全土に派遣されるハイラル軍の総員は騎士と比べものにならないほど多い。本来ならば上官の命令を仰ぐのが正しいのだが、それぞれの地域毎に命令を待っているようでは初動が遅れる。それを回避するため、部隊の指揮官に預けられる権限は自然と大きくなっていった。

 コモロ駐屯地は中央ハイラルに近い位置ではある。が、軍の形態的に一指揮官に預けられた権限は、他の駐屯地もしくは部隊と変わらず大きなものだ。

 まどろっこしい説明が入ったが、指揮官に与えられた権限が大きすぎるが故の問題が多発していたのだ。

 欲に駆られた幹部が闘技場から賄賂を受け取り、闘技場での犯罪行為を見逃しているとのリークが入った。これが事の始まりである。そこで遣わされるのが、王国騎士だ。監査隊としての任務も兼任する王国騎士であるが、監査の任に就く騎士への視線は冷たい。王族の警護を主任務とする近衛騎士からは雑用係とさえ呼ばれていた。もちろん、監査される側である兵士たちからの視線も冷たいものだ。

 少数で現地へ赴く監査任務は、若手では仕事にならないし、古手は行きたがらない。手ごろな人材で、かつ文句を言わないとなると満場一致でアルファに白羽の矢が立った。

 そんなこんなで、一王国騎士であったアルファとしてもコモロ駐屯地にはそれなりに思い出深い土地であったのだ。

 

 コモロ駐屯地はその西側に闘技場のある特性上、他駐屯地とは一風変わった勤務がつけられていた。魔物討伐任務、警衛任務、当直任務、体力錬成や王に命ぜられた出軍は他駐屯地と同じである。それに先述した闘技場勤務が加わっていた。闘技場の管理は国が行っているものだ。遣わされた文官の補佐であったり、闘技場内外の警戒・見回り、その他雑用等々が主な勤務内容である。これはハイラル兵にとってかなり"アタリ"の仕事だった。見回りと称して賭け事をしていた者が何人も処罰を食らっていたのがその証拠だ。

 兵士たちの余暇は闘技場を観戦が主だったものだ。賭け事で大枚を稼ぐ者、逆に大量のルピーを失う者、それぞれが闘技場帰りの熱も冷めやらぬまま宿舎に戻り、談義を交わしていた。

 

『次もあの大男が勝つに違いねえ』

『いや、あのゲルドの姉ちゃんじゃねえか』

『大穴でひょろっこい兄ちゃんかもよ』

『そりゃねえわ!』

『おいルファ、お前は賭けないのか?』

『勝てるときには賭ける』

『賭け事ってのァ、勝ち負けがわからないからこそ面白いんだろう! なんだ、勝てるときに賭けるって。ンな日はいつまで経っても来ねえよ!』

 

 何度も監査任務に就くアルファは兵士たちから顔と名前をすっかり憶えられていた。アルファの仕事ぶりは決して不真面目ではなかったが、生真面目ともいえない、絶妙なゆるさのものだった。元来監査の任に就く者は厳格な性格の者が多い。一方アルファは自我というものがまるでなかったものだから、何もかも報告しろという上官と、これくらいのことは報告しなくていいという2人の上官の折衷を図るため、兵士たち――現場の声を集めた。これは報告するほどでもない、これは報告する、と判断できるよう独自の報告基準を作ったのだ。もちろんそんな勝手なものを作ることは許されていない。上官には内密に作成したものだ。軽い賭け事くらいならば見て見ぬ振りするアルファに、こいつは理解がある、と己の身内判定をした兵士たちは積極的にアルファを仲間に引き入れようとした。

 兵士たちは、アルファが休みの日毎に宿舎に強襲し、引きこもって書物を読みふけるアルファを無理やりに闘技場へと引きずり出していった。基本物事に流される性格であったアルファは、兵士の満足するように賭け事の真似事をし、特に楽しむでもなくぼんやりと闘技を見て過ごした。己が誰に賭けていたのかくらいは覚えていたが、別段それが原因で応援に熱が入るということもなかったが。

 

 アルファは雑用こそよく押し付けられるが、王国騎士団に所属している。城下町に一軒家を構えていたのだが、場所の都合上コモロ駐屯地に宿泊する方がなにかと便利だったためそうしていた。

 闘技場の閉まる夜間はコモロ駐屯地に宿泊し、日中は闘技場の視察を行っていたのだ。

 南門以外はすべてコモロ池に囲まれた比較的高台に位置する駐屯地。コモロ駐屯地が放棄されたのは、いつのことなのだろうか。

 あの賑わいからはまるで信じられないことだが、ここはコモロ駐屯地の跡地で間違いないのだ。あれから100年。ハイラル各地を歩き回るアルファは自身の記憶との違いを見つける度に物悲しい気持ちになった。

 そも、100年もの年月が経っているのだから。インパやプルア、ロベリーといった皆々が生きているほうが奇跡なのだ。当時戦に参戦していた兵士や騎士が生きている可能性など、知的財産を後世に残さねばと最優先に保護された人間の生存率と比較するものではない。英傑を束ねる存在であったリンクでさえ、瀕死の傷を負って回生の祠へと運ばれたというのだから、きっと王国を、王族を、民を守るべく戦った兵士も騎士も、皆死に絶えたのだろう。

 

 ぼんやりと物思いにふける間に時は流れ、炭化した薪はいよいよ細い炎を湛えるのみで、焦げた臭いと弱弱しい熱気だけを残す。新たに薪をつぎ足しながら、ごうごうと吹き荒れる風の音を聞く。眼下にコモロ池を見下ろし、闇夜に煌めく水面をただひたすらに眺めた。シラホシガモがすいすいと水面を泳いでいる。

 風の音に混じり、戦闘音、それに人の声が聞こえてきた。風上にあたるのは西側だ。ゆっくりと腰を上げたアルファは、その音の方向へと歩き出した。

 軽い足音が遠ざかってゆく。取り残された炎は風に揺られて燃え続けていたが、やがてすべての薪を食い尽くすと、自然と鎮火し、消えた。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

「かかってきな!」

 

 勇ましく叫ぶのは、白髪の女性――トンミ。その隣には腰の引けた青年が松明を構えており「だから嫌だって言ったんすよぉ~」と弱音を吐いている。

 トレジャーハンターとしての自覚がまだまだ足らない、とトンミは情けない相方に腸が煮えくり返るような苛立ちを禁じえない。弱音ばっかり吐いてないで、たまには男らしいところを魅せたらどうなんだい。

 イライラしながらトンミは片手剣を振り下ろす。背には野営のための生活用品や、宝箱から手に入れた宝石類等々が詰められており、荷の重さに剣筋がぶれる。易々とその斬撃を避けたボコブリンは、大ぶりに振りかぶって棍棒を振り下ろす。ちらりと隣で松明を振り回すニルヴァーを見ると、ボコブリンに馬鹿にされている。ボコブリンは身体全身で人を馬鹿にするようにギャギャギャ! と喜びの舞を踊り、ニルヴァーを追いかけまわし始めた。本当に下劣な生物だ!

 

「助力しても構わないか?」

 

 ふと、低い声が聞こえてきた。ボコブリンを挟んで奥に、顔布で顔を隠したすらりとした体躯の男が立っていた。いつの間に現れたのか、トンミはまったく気づかなかった。

 

「すまないね! ニルヴァー――あの男に向かってる奴を頼んでもいいかい?!」

 

 左で松明を振り回すニルヴァーの方向を目線で示す。

 男は背後から悠々とボコブリンに近づくと、目にもとまらぬ斬撃で背後から1発、あっという間に切り捨てた。

 

「つ、強えぇ……!」

 

 ニルヴァーが思わずそう言うのに、トンミもまた同感だった。たったの1撃で伸されたボコブリンが黒く染まり、消えゆく姿を呆然と眺めた青年――ニルヴァーは、すぐに我に返り「姉御!」と叫びながらトンミの方向へと走り寄ってくる。

 ネガティブだし、弱いし、頼りにならないし、何度も何度もこんなやつ捨ててやろうと思うのに。それでもニルヴァーとトレジャーハンターを続けているのは、こうして当たり前のようにトンミを気遣ってくれるからだ。心の奥底から、この男は裏切らないと信用できるから共にトレジャーハントをすることができるのだ。

 

「兄貴、頼みやす!」

「……ってそこはあんたが助けるところじゃないのかい?!」

 

 頼まれた男は、何の気負いもなくボコブリンに一太刀振り下ろす。トンミに集中していたボコブリンは、背後からの攻撃に何があったのかすら理解できていない様子だった。ボコブリンは不快な笑顔を浮かべたままに消滅してゆく。

 世の中に自称強い男、なんて奴は吐いて捨てるほどにいるけれど、この男は本物だ。何の感情の色も見えない深い青の瞳は、先ほどまでの戦いをまるで気にしていない。男にとって取るに足らない事象の一つだということなのだろう。

 魔物が闊歩する危険な場所にもどんどんと踏み入りトレジャーハントするのがトンミたちだ。これから旅を続けていれば、このやたらと強い男にまた会うことがあるかもしれない。

 

「あんた、強いんだね。あたいも助けられちまった。夕食がまだならぜひ食べて行きな」

「結構だ。大したことはしていない。それより、2人とも無事でよかった」

 

 愛想のなさが逆に信用できた。真に人を欺こうとする人間は、人聞きのする笑顔で近づいてくるものだ。

 トンミは、打算なしに本心からこの男の話を聞いてみたいと思った。

 

「あたいらだって、大したもてなしはしないよ。2人分も3人分も同じことだし、嫌じゃなきゃどうだい?」

「ありがとう。それでは、ご相伴にあずかる」

「喜んで。あたいはトンミ。そっちがニルヴァー。あたいらはお宝を探し当てて一攫千金を狙うトレジャーハンターさ」

 

 ニルヴァーはいそいそと食事の支度をしており、トンミは瓦礫の横にどっしりと腰かけた。

 

「座りなよ。あんた、名前は? 随分と剣に覚えがあるようだけど、何してる人なんだい」

「俺はアルファだ……」

 

 続く言葉を探しているようだが、視線を落とすアルファは空気を吐き出すのみ。トンミはひらひらと手を振る。「いいのさ」一生懸命に言葉を探してくれている時点で、実直な証拠だ。行きずりの関係であるのだし、適当なことを言ってもバレやしないのに、そうやって話せる内容を探してくれることが誠実に感じられた。

 事実、イーガ団の人間なんかは、旅人を騙して路銀を奪っていくという話だ。

 

「訳アリなんだろう? 別に詮索なんてしないさ。ただし、あんたもお宝を探してるってんなら、他をあたってくれよ」

「この辺りのお宝は俺たちのモノ! 勝手に物色するのはダメっすよ。ほんとならこんなところ普通の人間がウロウロしたら危ないけど姉御の命令で仕方なくお宝さがし……。ほんと勘弁してほしいっすよ」

 

 まーたぐちぐちと言い出した。条件反射にトンミは吠える。

 

「おい! うだうだおしゃべりしてないで早く食事を作りな!」

「へい……すいやせん」

 

 ふん、と鼻を鳴らしたトンミはニルヴァーに向けていた視線をアルファへと戻した。

 

「あんたはこんなところで何をしてたんだい?」

「コモロ駐屯地跡で野営をしていたんだが、戦闘音が聞こえたものだから」

「心配してきてくれたってのかい。あんた、強いだけじゃなく、優しい人だねえ」

 

 困ったように押し黙る青年に、ニルヴァーが皿を差し出す。今晩のメニューはゴーゴーキノコオムレツだ。

 

「おあがりな」

「いただきます」

「俺が作ったんだけどなぁ~」

「ちっさい声で話すんじゃないよ!」

「へい……すいやせん」

 

 す、と細い指先で顔布を下ろした青年の素顔に、トンミとニルヴァーは思わず顔を見合わせた。なんなんだ、この傾国の美人は。幻でも見てるんじゃないだろうか。ニルヴァーなんてあんぐりと顔を開けてアルファの顔に魅入ってしまっている。伏し目になった青年の睫毛は長く、色白の肌に影を落とすのが壮絶な色気を漂わせる。

 なぜ顔布をつけていたのか、トンミは理解した。これほどの美貌であれば、そりゃあ顔も隠すだろう。人攫いに攫われる可能性……はあの強さであれば考えられないが、いらぬ危険に巻き込まれることは多いだろう。

 

「姉御、そういや最近青い女神の噂が流れてやしたよね」

「あん? ……ぐだぐだと無駄なおしゃべりをしてると思ったら、またそんな噂話に花を咲かせてたってのかい。それにね、あんた。当の本人の前でそういう話をするんじゃないよ」

「へい……すいやせん」

 

 ゴーゴーキノコオムレツを凄まじい速さで体内に流し込んでいた(あれは食べていた、というよりこちらの表現の方が正しい)アルファは、女神の如き美貌をトンミに向け、きょとんとした面持ちで小首をかしげた。

 

「俺の話だろうか」

 

 ずっこけたのはトンミだけではない。

 

「鈍い! 鈍いね、あんた!」

 

 隣でニルヴァーが激しく首をうなずかせている。

 

「これでもそれなりにマシになった方なのだが」

 

 マイペースに言葉を返され、トンミは思わず笑った。

 一目みて、只者ではないと感じた。この世間慣れしていないところを見ても、只の平民ということはあり得ないだろう。素性を話せない様子のアルファに言葉を重ねるなんて野暮なことはしないが、トンミの記憶に彼の存在はしっかりと記録された。

 

「不思議な男だね、あんたは。どこへ向かっているんだい?」

「最終的な目的地はあるが、次にどこへ行く、というのは決めていない」

「そうかい。なら、ハイラル城の方に行くのはやめときな。ガーディアンがうようよいるからね」

 

 一つ目を赤く輝かせて荒廃した城下を徘徊するガーディアン。恐怖の対象として名高いのは、未だハイラルの人間は厄災の恐怖を忘れていないからだ。城の護衛として機能していたこともある、だなんて伝え聞いたことはあるが、あの機械(カラクリ)が人を護るために動いていただなんて信じられない。しつこく狙いを定め、爆裂的なレーザーを見舞ってくるガーディアンから命からがら逃げだしたことのあるトンミにとって、ガーディアンはただただ恐怖そのものと言い換えてもよい。

 

「ガーディアンに見つかったら命がいくつあっても足りないっす。本当に恐ろしい世の中っすねぇ」

「あんたはあたいのことすら忘れて逃げ回っていたね」

「へい……すいやせん」

 

 すぐに思い出して慌てて駆け戻ってきたニルヴァーに実のところ怒りなんて感じていない。それどころか、ガーディアンの赤い光がニルヴァーに照準されたときの恐怖の方が勝った。

 頼りにならない男であろうと、旅を共にする大切な相棒だ。彼がやられるというのならば、己が囮として動いてもいいと思えるほどにトンミにとってニルヴァーは大切な人だった。そんなこっぱずかしいこと、トンミの性格では一生かかっても言えやしないのだけれど。

 

 このやたらと綺麗な男にも、そう思える大切な人はいるのだろうか。

 動かなければ、まるで芸術品が鎮座しているかのような、生を漂わせない硬質な美しさを醸し出す。トレジャーハンターとしての血が騒ぐ。この美貌に価値などつけられないが、手に入れられないお宝というのも乙なものだ、とトンミは思った。

 

(ほんとに、綺麗なもんだ)

 

 高貴な青で彩られた、女神が大切に大切に作り上げたかの如き繊細な美貌。サファイアよりも深く輝く碧い瞳。

 

(不思議と、寂しそうな目だこと)

 

 ただ一人、この広大なハイラルの地に取り残されたかのような、孤独の瞳をする男。ヴォーイハントにゲルドの街から旅してきた女が見つければ、涎を垂らして追い掛け回すことだろう。

 屈強なゲルドの女に追われ、無表情で逃げ回るアルファを想像し、トンミは心のなかで笑った。

 人を寄せ付けない硬質な美貌の持ち主ながら、不思議と人を寄せ付ける人柄。枠に当てはまらないからこそ、人は美しい。価値を計り知れないからこそ、人との付き合いは尊い。

 

「あっ……流れ星。いつも下ばかり見ているけれど、たまには空を見るのも乙なもんだね」

 

 ハイラルの空を煌めく星々は見事なものだ。今も昔も、流れ星を見ると心が高鳴る。それに、流れ星を追いかけて星の欠片を見つけられれば、その日の夜は豪華な食事にできる。

 アルファは寡黙に焚火を見つめている。

 

「詮索しないと言ったけどね、あんたはお貴族様かなんかなのかい? ああ、別に答えなくともいいさ」

「いや、構わない。俺は貴族では……」

 

 あ、の形でぴたりと表情すら止めたかと思えば、アルファは目を見開く。ぴたりと動きを止め、遠い目で芒洋と視線を漂わせるアルファの瞳の奥には、どのような映像が流れているのだろうか。

 

「……どうしたんだい?」

 

 はっと我に返った彼は、己の手元を見下ろした。形の良い爪が青く染まり、夜闇でぬらりと輝いている。

 

「あ……」

 

 胸元を苦しそうに抑えた彼がまっすぐにのばされていた背中をわずかに丸める。

 

「……大丈夫かい?」

 

 真っ青どころか、蝋よりも白い酷い顔色でアルファは力なく頷いた。口元を抑え、ふらふらとした足取りで立ち上がったアルファがトンミとニルヴァーに会釈する。言葉を発さぬまま、ふらふらとした足取りで離れていく。夜闇に紛れる青い背中を視線で追いながら、ニルヴァーが言う。

 

「姉御、俺、なんかやばいものを食わせちまったんですかねい……?」

 

 ニルヴァーまでもが顔色を青くし、しきりに料理鍋を気にしているが、同じものを食べたトンミもニルヴァーもぴんぴんしているのだ。食事が原因ではないだろう。

 

「とにかく、ちょっと時間を置いてから様子を見に行くよ」

「へい、姉御」

 

 しばらく彼が戻ってくるのを待ったが、焚火がぱちぱちと爆ぜる音がどれほど続こうと、彼の足音は聞こえてこない。夜闇に目を凝らしても、彼の姿は浮かび上がってこない。

 もしかして、倒れているんじゃないだろうか。そんな懸念が頭をよぎり、トンミは勢いよく立ち上がった。

 

「姉御、見に行くんですかい?」

「ああ。あんたは荷物と火の番をしときな」

「へい」

 

 光を照らしながら数メートルも歩くと、ぼさの影に吐しゃ物が巻き散らかされているのを発見した。

 

(さっき食べたものに違いないね)

 

 まずは毒の可能性を疑った。ハイラルにも有毒なキノコは確かに存在するが、ニルヴァーはそれなりにキノコに詳しい。そもそも有毒なキノコはこの地方には生えていないはずだ。それに、同じものを食べたトンミたちに異変はない。

 毒ではないと仮定すると、なんだ。

 彼の姿はすっかり見えない。倒れた人影がないか、足元を照らしながらボサの中を進んだトンミだが、人の気配をまるで感じられないため引き返す。

 

(あの時のアルファは、何かを思い出しているようなそぶりを見せていた)

 

 思考しつつ火の下へと戻ったトンミにニルヴァーが立ち上がる。

 

「大丈夫でしたかい?!」

「いや、……あの人はもう、いなくなってたよ。……あたいらはそろそろトレジャーハントの続きといくよ」

「へ、へい……。そういや姉御、青い女神のご利益でお宝が見つかるかもしれやせんね!」

 

 無理に明るい声を出すニルヴァーに、トンミは頷いた。必要以上に他人のことに心を持っていかれて、現実がおろそかになれば。命の危機すらありうるのが旅というものだ。

 まったく、いつからこんなにも頼りになる存在になったのだろうか。トンミにおんぶにだっこだったのが昨日のことのように感じられるというのに。

 こんなんじゃ"姉御"失格だ、とトンミは気持ちを切り替えて笑った。

 

「そうだね! ご利益を得られている間にお宝を見つけるよ!」

「……やっぱり姉御もご利益があるんじゃないか、って思ってたんじゃないっスか」

「あたいは本人の前では言ってないだろう」

「……一緒だと思うんだけどなぁ」

「うるさいね! とっととお宝を探しな!」

「へい、すいやせん」

 

 



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勘違い

 リンクはカカリコ村の宿屋で浅い眠りに就いていた。時折うめき声をあげ、身体をよじる。

 

 彼の脳内では戦場が広がっていた。自分には過去の記憶がない。そうわかっているはずなのに、頭のなかに鮮明な記憶が浮かぶ。

 身体は末端まで冴えわたっていた。すべてを為せる全能感にあふれていた。だが、戦況は悪い。

 辺りは焦げた草花と、燻される魔物の醜悪な臭いばかりですっかり鼻はおかしくなっていた。黒い焼け野原が広がるのは、ガーディアンの光線のせいであった。

 未だ冷めきらぬ熱が辺りを満たしており、熱気が肺を焼く。酸素さえ薄い、暑い、熱い空間。

 辺りを見回すと、赤い目をしたガーディアンが無数にいるどころか、血気盛んにこちらへ向かってくる数々の魔物がいた。普段は縄張りの外から一歩も出ようとしない獣王ライネルまでもがこの戦地へ集い、総攻撃を仕掛けてきていた。リンクは満身創痍の状態であった。アイテムポーチに収容した予備の盾がすべて潰れ、予備の剣もまたすべて破壊されていた。傷ついて眠っていたマスターソードが蘇るのを待ち、ただその一本のみで次から次へと魔物を滅し続けていた。

 リンクは、名も知らぬ金髪の女性の腕を引いていた。そして、リンクと女性を護り戦い続ける一人の青年を見た。

 

 空中からのガーディアンのレーザー、歩行型のガーディアンのレーザーが絶え間なくリンクたちを狙い続けている。

 それらの囮となるのは、リンクたちの背後を走る金髪の青年だ。

 弓を的確にガーディアンの目へと命中させ、続けざまにボコブリンを一太刀で切り伏せる。休む間もなくライネルの吐く炎玉を横っ飛びで避けた後、切迫して大剣を片手で軽々と振り回す。前足を折り、頭を落としたライネルにそれ以上の攻撃を加えず、青年はリンク達の後を追い、敵の集中攻撃を一身に集め続ける。

 

 どれほどガーディアンを滅ぼそうとも、次から次へと湧き出てきた。戦えぬ女性を導き続けるリンクは、すぐ傍の敵こそ切り伏せることはできたが、遠方からの敵は背後の青年に頼るしかない状況であった。

 

 女性の白い高価な服はすっかり泥と砂にまみれてみるに堪えないものになっている。懸命に足を動かす女性だが、リンクの速さについてこれず何度も足を躓かせた。リンクはその度に強く引っ張り、走らせ続けた。立ち止まれば、それすなわち死に直結することがわかっていたからだ。

 

 盾でレーザーを弾き、右側のガーディアンから撃たれる赤い光線を回転切りで逸らす。その隙にガーディアンへと素早く切り込みにかかったリンクは決め手に欠ける、と歯噛みした。接近してマスターソードで斬ることができればよかったが、女性を放置することはできない。

 突如横をすり抜けていった何本もの矢がガーディアンの赤い目へと吸い込まれていく。迷いなく放たれたその矢は、距離を計算し尽されており放物線を描いて綺麗にガーディアンの瞳へと中(あた)る。一朝一夕の鍛錬ではここまでの精度は得られない。射られたガーディアンはぶすぶすと黒い煙をあげて爆発した。

 

「リンク!」

 

 女性が叫ぶ。痛ましいほどのその女性の声は、リンクが目覚めたときの声とよく似ていたが、あまりにも違って聞こえた。

 弾かれるようにリンクは振り返った。声と同時にリンクは女性を突き放した。振り返る刹那、レーザーの爆風の余波を受けて身体が宙を舞った。リンクはスローモーションに流れる世界のなか、しっかりとガーディアンを見据える。空中で身を捩るように回転させ、低い姿勢で地に着くや否や、獣の如き低姿勢で駆けだした。女性は後ろから敵を殲滅していた青年に保護されている。視界の端でそれを確認しつつ、リンクはそのままガーディアンを切り上げた。

 

 さっきまではリンクが女性を護る役であった。ここからは、自分が身を削って戦おう。

 

 迫りくるライネルの巨大な剣を寸のところで避けると、いつものように視界がゆっくりと動き出す。頭部を目掛けて何太刀も剣を振り回す。鈍いライネルの咆哮が耳の奥で聞こえる。まるで自分以外のすべてのものがゆっくりと動いているかのように、集中しきったリンクは無双状態で敵を切り伏せていった。

 集中が切れたのは、普段は感情を荒げない青年の切羽詰まった声が聞こえたからだ。それがとても珍しいことだと、夢のなかのリンクは知っていた。

 

「姫様!! しゃがめ!!」

 

 その声に反応するように、歩行型のガーディアンが離れた場所からレーザーを照準しつつ青年と、女性へと近づいていく。リンクは全体重を足へかけ、思い切りその方向へと駆けだした。

 随分とゆっくりと、世界が見えた。金色の髪をたなびかせて振り返る女性。金髪の青年は空を見あげ、飛行型のガーディアンを見ながら無表情に呟く。

 

「悪く思うなよ、姫様」

 

 荷のように女性を抱え、青年はその場を跳んだ。

 

 短く小さな悲鳴をあげる女性を抱きながら、青年はレーザーを寸のところで躱す。身体をそれたレーザーは、地を焼き、熱風を巻き起こした。止まないレーザーを青年は女性を片手で軽々と抱いたまま盾で弾き、さらに迫りくるレーザー光を見ると、リンクが走りくるのにちらりと視線を寄越し、少しの間もなく的確に女性をリンクめがけて投げつけた。

 リンクは両腕で女性を抱き留め、背中から転がる。思わず、苦悶の声が喉から漏れた。

 

 目を開けると、青年の身体がレーザーで燃え上がっていた。

 

 人一人を投げたことにより崩れた体勢の青年はガーディアンのレーザーを避けることが叶わなかったのだ。悲痛な女性の叫び声が聞こえる。腕のなかで聞こえたはずなのに、ずっと遠いところから聞こえた気がした。

 

「ルファ……!」

 

 リンクは思わず叫んでいた。

 

 

 

 腕を伸ばした状態で、リンクはベッドから身体を跳ね起こした。ぎしり、とベッドが揺れる。

 酷い汗をかいていた。ねっとりとした脂汗を全身にかいており、荒い呼吸を繰り返す。

 

 見覚えのない女性と、男性。リンクも男も、その女性を護るために戦っていたのだと思う。きっとその女性は、ゼルダ姫その人なのだろう。始まりの台地で何度もその声を聞いた。あの女性を助けるために、ハイラル全土へ平和をもたらすために、リンクは再び目覚めたのだ。

 男の声も、つい最近聞いた気がする。どこで聞いたのだったか。

 ああ、そうだ。祠で聞いた。

 

 ――起きろ、寝坊助。

 ――リンク、目を覚ませ。

 ――おはよう、寝坊助。

 

 確かに、その男は祠にいた。リンクが目覚めるのを待っていた。夢うつつの記憶ゆえに確かではないが、信じられないほどの美貌の青年がやわらかな笑顔でリンクを見下ろしていたことを思い出す。

 

「ルファ……?」

 

 確か、自分は青年にそう叫んでいた。

 金髪碧眼のその青年と、リンクはきっととても親しい友人であったのだろう。記憶が不完全でも、心の奥底が激しく痛む。

 自分はなにかとても大切な記憶をなくしてしまっているのだ、と記憶の断片を見ることで初めて思い至った。そのことがとても辛かった。

 ないと知らなければ、何も感じなかった。だが、一度ないことに気づいてしまえば、胸にぽっかりと空いた喪失感が取り戻せ、と叫ぶ。

 

 窓から差し込む陽光に目を細めたリンクは、着の身着のままインパのもとへと向かった。女性のこと、また、ルファという青年の話を聞くために。

 

 屋敷の門番を務める男に会釈しながら、リンクは階段を駆け上がる。

 インパの屋敷、入ってすぐの奥間。座布団を連ねた上に正座をした以前とまるで変わらない状態で、インパは瞳を閉じている。

 

「夢をみたんだ。―――――」

 

 夢のなかの出来事を語り始めたリンクに、インパは深く頷きつつ聞き続ける。

 リンクがすべてを語り終えると、ぎょろりとした瞳を大きく見開いた。

 

「おそらく其方が見たのはゼルダ姫様とルファで間違いないであろう。状況的にも、其方が回生の祠へ運ばれる前と一致しておる。

 その場へ赴けば、もっと記憶を思い出すであろうが……其方は、姫様付の騎士じゃった故、各地へと赴いておる。きっとその場へ行けば、記憶も蘇るであろう」

 

 インパのすぐ前に立つリンクは、己の考えが正しかったことを肯定されて密かに安堵していた。あの生々しい夢が記憶でなければ、なにを記憶といっていいのかわからなかったから。

 

「ゼルダ姫と……ルファ?」

「左様。ゼルダ姫様の声は其方も聞いておろう? ルファは其方の幼馴染じゃった。ルファも先日カカリコ村に訪れ、其方を迎えに行くと言っておったのじゃが、入れ違いになったようじゃのう」

 

 やはり、祠で彼の姿を見たのは気のせいではなかったのだ。

 

「なぜ、彼は年を取っていないんだ?」

「うむ? あやつと会ったのか?」

 

 皺の刻まれた表情が変わる。再び閉じられていた目がくわっと見開かれ、リンクは思わず仰け反った。

 

「……おそらく。祠で彼の姿を見た」

「なに?! そうじゃったか……其方も知っての通り、あやつは一度死んだ身である。あやつもまた女神に選ばれて、このハイラルを救うために再び旅に出たのじゃ。

 しかし、其方と一度会っているのなら、何故ともにカカリコ村に顔を見せにこなんだのか……解せぬのう」

 

 祠で見えたその姿は、リンクが起きると幻のように消えてしまった。

 

 リンクを起こすためだけに目覚めたのだろうか。始まりの台地で出会ったハイラル王も、パラセールをリンクに授けたきり姿を見なくなった。ゼルダを頼む、と言葉を遺して。

 

 きっと始まりの大地へ戻ったとしても、ハイラル王に会うことは叶わないのだろう。そんな確信があった。

 ハイラル王は、何も知らぬリンクを始まりの台地から外へと連れ出し、ゼルダの救出へと向かわせることが目的だったとする。

 ルファは、目覚めぬリンクを起こすことが目的だったのではなかろうか。その目的を果たし、消えていったのでは。

 

 嫌だ、と頑是ない子どものように叫びだしそうになった。

 もう2度と会えないなんて、嫌だ。

 記憶はない。だが、リンクの心の奥底が叫ぶ。

 

「旅を続けていれば、ルファに会うこともあるであろう。力を合わせ、厄災ガノンを封じるのだ。あやつの力は今の其方にとって、必要なもの。同じハイラル騎士であったがゆえ、その剣技や身のこなしは其方の力となることであろう」

「会える、だろうか?」

「女神ハイリアの導きが必ずあるはずじゃ。また何かあればいつでも尋ねるとよい。ルファに会ったらわしからも伝えておこう」

「お願いします」

 

 リンクが屋敷に入ってから、ずっと柱の陰で身を潜めていたパーヤは頬を紅潮させながらリンクを見送った。すっかり彼が出ていったのを確認してからパーヤが口を開く。

 

「……おばあ様、アルファ様はご無事なのですね」

「そのようじゃのう。祠で会った、と言っておったが、あやつは始まりの台地まで行ってくれておったのだな。茶の一つくらい出すというに、なぜリンクとともに村にこなんだのか」

 

 ぶつぶつと不満げに呟くインパに「おばあさま」とパーヤがやわらかく呼びかける。

 

「きっとアルファ様なりのお考えがあるのでしょう。こうして勇者様と別行動をしていらっしゃることも。もしかしたら、アルファ様は当初の目的通り、プルア様のところへ向かってらっしゃるのかもしれません」

「なるほどのぅ。その可能性は高いであろうな。そうであれば、プルアから手紙がくるはずじゃ。楽しみにしておこうかのぅ」

 

 なごやかに会話をしている2人は終ぞ気づかなかったが、2人はリンクの前で"アルファ"という名前を一度もだしていなかった。アルファ=ルファという変換が当たり前のように為されていたからである。

 

 連絡の手段もなく、アルファとリンクが敵対していると知らないインパたちは、すっかりリンクがアルファと出会い、導かれてこの村へたどり着いたものだと思っていた。

 インパはリンクが「ルファを祠で見た」と言っていたことからすっかり勘違いしてしまっていたのだ。が、実際にアルファがリンクと出会ったのは、始まりの台地を出たところである。

 

 リンクが夢で見たのは、金髪碧眼の青年であり、その青年は"ルファ"としか呼ばれていなかった。

 

 アルファをルファ、と略すのは昔からアルファのことを知る人間だけであり、初対面の者はアルファの愛称をアルと思うことが多い。何の知識もないリンクは、夢で見た金髪碧眼の"ルファ"と青髪の青年"アルファ"が同一人物であるとインパとの会話で確信を持つにいたることはなかった。

 

 シーカー族の口布をつけ、リンクを襲ってきた"アルファ"のことを、彼はインパに話さなかった。己の弱みを見せることが嫌いな性格は、記憶を失えども変わらなかったのだ。シーカー族と関与しているかもしれない、と考えるとなおさらリンクは相談することなど選択しない。

 

 こうして、リンクが記憶を取り戻したにも関わらず、アルファとリンクは敵対したままの状態が続いてしまうこととなった。

 

 リンクは四神獣を解放するため、たった一人でカカリコ村を発つ。とりあえずの目的地をハテノ古代研究所へと定めて。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 カカリコ村の住人であれば、腰にシーカーストーンを帯びた青年が伝説の勇者であるとすぐに紐づけられる。幼い頃から寝物語に伝説の勇者の話を聞くからだ。しかし、厄災から100年。勇者どころか長きにわたり人々のために厄災を封じる王家の姫のことすらも知らず、のうのうと生きるハイリア人は多い。

 

 長い黒のローブを身に纏い、目深にフードを被ったその女は、目の前を走りすぎた青年が伝説の勇者であると一目見て判断できた。事前に知っていたわけではない。ただ、強靭な魂の輝きが、その特別な瞳には映っていたからだ。

 

「綺麗な運命の糸」

 

 澄んだ声色でぼそりと呟く。それを聞く者はおらず、女自身も誰かに聞かせようと意図したことではない。

 

 宿屋から出ていった青年は、特に荷物を持ち込んではいない。数日観察しているが、連れがいるようでもない。

 当てが外れてしまったな、と女性は旅立ちのために身支度を進めていた。

 

「おひめさま~あ~そ~ぼっ!」

 

 勇者と同じくカカリコ村の宿に宿泊していた女に、可愛らしい女児が訪れる。宿屋の主人――オリベーもプリコが言うお姫様というのが誰であるのか、すっかりわかっていた。にこにことフードの女へと視線を注いでいる。

 

 女性は失せ物探しがとても得意だった。不思議な力でなくなった物を探してくれる彼女を訪ねて、宿屋はいつも人にあふれていた。それ以外でも彼女を訪ねてくる人は多く、オリベーもよく彼女に助けてもらっていた。今となっては、村人皆がこの女性が少しでも長くこの村に滞在してくれれば、と願っていた。

 

「いいよ。遊ぼっか」

 

 静かながらよく通る声がやわらかく響く。

 

 片時も外すことがないフードの中身を見たことがあるのは、プリコとココナの2人だけだ。強風でフードが捲れ、たまたま見ることができたようだ。

 

 女性は旅の者にしては長いことカカリコ村に滞在しているが、オリベーは彼女の顔を見たことがない。カカリコ村の住人たちは、怪しげなフードの女を当初こそ訝しんだ。しかし今ではすっかり子どもたちの遊び相手をしてくれる善良な旅人だと認識している。口さがない者はどれほど酷い顔をしているのか、と悪意に満ちた噂話をしていたが、プリコが連日彼女のことをお姫さま、お姫さまと慕うのを見ていればそんな話もすっかりされなくなった。

 ココナとプリコの父であるドゥランが、あの旅の女性はどんな顔をしているのかと訪ねたとき、2人は口を揃えて言った。お姫さまみたい! と。きらきら輝く長い金色の髪に、青い瞳をしているそうだ。

 

 女性は日中子どもたちと遊ぶか、村のなかを興味深そうに歩いてまわるくらいで、遠出するといっても近くの森へと足を運ぶくらいであった。

 

 若い女性どおし盛り上がる話もあるようで、ラズリとは立ち話に花を咲かせることもある。内気なパーヤも、屋敷から出た際には宿屋に女性を訪ねてくる。しかしあの2人でさえも彼女の素顔は見たことがないらしい。

 

 小さな女の子に手を引かれ、宿屋から出てきた女性に「あっ」と声をあげたのはパーヤだ。

 

「こんにちは」

 

 顔こそ見えないが、穏やかな声色で女性は言う。

 

「こんにちは。今日もプリコと遊んでくれるんですね」

「わたしのほうが遊んで貰っているんですよ。ね?」

「そうだよ! プリコ、おひめさまとあそんであげてるの。おひめさまとあそぶのだーいすき!」

 

 以前はアルファにべったりで、彼が出て行ってからというもの寂しそうだったプリコがすっかり笑顔になったことをパーヤはとても嬉しく思っていた。

 

「あのぅ……もしよかったら、なんですが。このままカカリコ村にお住みになりませんか?」

「わあ! ステキ! おひめさま、プリコたちといっしょにここでくらすの?」

 

 誰彼構わず言うことではない。特にカカリコ村はシーカー族が集まってつくられた集落だ。よそ者にはそれなりに厳しい。村人たちの厳しい審査を女性は知らぬうちにくぐりぬけたのだ。

 

 女性の一人旅は危険だ。見たところ美しい作りの弓くらいしか武器を持っていないようであるし、きっとそうした方が女性にとっても幸せなことなのでは。心からそう思って提案したパーヤに、女性は申し訳なさそうに頭を下げた。

 

「とても嬉しいのですが、わたしは探している方がいるんです。ここに来たのも占いでこの地にいるとでたからなのですが……少し遅かったようですね。もう一度占って、旅を続けることにいたします。ごめんなさいね、プリコ」

「……いいよ。おひめさまも、でてっちゃうんだよね」

「そうですね。わたしにも帰る場所がありますので、ずっとここにはいられません。ごめんなさい」

 

 泣きだしそうになるプリコを抱き上げ、ぽんぽんと背中を叩いてあやす女性にパーヤは問いかけた。

 この村のことを気に入ってくれているようだし、この提案に乗ってくれるのではないか、とパーヤは考えていた。それにしたって、小さな子どもの前で言ってしまったのはよくなかった。反省しつつ、自然暗い声になる。

 

「その人はどんな御方なんですか?」

「ふふ。金髪碧眼の、とてもとても綺麗な方です。誰に対してもとても優しくて、賢く、強い。まるで非の付け所がない御方なんですよ」

 

 恋をしているのだ、とパーヤは直感した。いつも穏やかで優し気な彼女だが、いつになく華やいで見える。プリコはぎゅっと女性に抱き着き、女性はその背を休むことなく撫でてあやし続けている。

 

「そういえば、占い師をなさってるんでしたね」

「パーヤは占いに興味がおありですか?」

「ええ、もちろんです!」

 

 勢い勇んでそう言い、パーヤは顔を赤くした。

 

「ご、ごめんなさい……」

「なにも謝ることではありませんよ。よかったら、なにか占ってみましょうか」

 

 そう言われ、まず思い浮かんだのはパーヤの恋路についてであった。しかし、占わずとも先は知れている。静かな恋心が打ち砕かれることを予想し、パーヤは胸に秘めたままにした。代わりに、カカリコ村が待ち望み、ようやく訪れた勇者について尋ねる。

 

「リンクさんがこの先、ご無事に旅を続けられるか……というのでは、曖昧すぎますか?」

「いいえ。彼の姿は何度も見たことがありますから、問題ありませんよ。では、占ってみますね」

 

 女性を中心として、くるくると風が吹き始める。長い黒いローブの裾を揺らしつつ、金の燐光のようなものが散る。

 

「彼の運命には女神ハイリアのご加護が感じられます――遣わされた大きな力――辛く苦しい試練はあれども――祠を巡り、力を蓄え――失われた記憶を取り戻し――囚われた4つの強靭な魂を解放すれば――願望為すこときっと叶う――」

 

 ふわり、と浮かび上がったフードが外れる。癖のない長い金髪に、閉じられた瞳。すっと通った鼻筋に、薄く色づいた綺麗な唇。透けるように白い肌には1点のくすみもない。ゆっくりと目を開いたその女性は、切れ長のサファイアブルーの瞳をしていた。

 

 なんて、綺麗な人だろう……!

 

 高貴なオーラにあふれるその女性は、プリコを片手で抱きつつ、フードをもとに戻した。

 

「大丈夫、リンクさんの旅路は厳しいものになるでしょうが、大いなる女神のご加護が感じられます。心配はいりません」

 

 どこからかやってきたこの女性は、神獣のことも、シーカーストーンのことも、祠のことも、勇者が記憶を失っていることも、何も知らないはずだ。シーカー族でさえすべての人間が知っていることではないのだ。

 

 彼女は、本物の占い師だ。パーヤの背筋にぞくりと電気が走り、全身の肌が泡立つ。

 

「ほかに聞きたいことはございますか?」

「あっ、あの、いいえ……」

「そうですか。おかげさまでわたしも、知りたかったことが少し知れました。パーヤに言われねば、このことを占うことはなかったでしょう。ありがとうございます。これも女神ハイリアのお導きでしょうか」

 

 先ほどの情報に、女性が求めるものがあったのだろうか。内心で小首を傾げつつも、口にはしていない、女性にしか見えなかったなにかがあったのだろうと納得しパーヤは頭を下げた。

 

「いいえ、こちらこそ……」

「プリコは、すっかり寝入ってしまいましたね。ドゥランさんのお家に連れて行ったらよろしいのかしら」

 

 女性の腕のなかですやすやと健やかな寝息を立てるプリコは今にも涎を垂らしそうなほどの爆睡だ。

 

「あっ。ココナに渡したいものもあるので、よかったら私が」

 

 パーヤはそう言い、女性からプリコを預かった。

 

「ありがとうございます。それでは、カカリコ村を発ちます。パーヤにも本当にお世話になりました」

「えっ……もう、ですか? あの。私こそ、たくさんお話ができて嬉しかったです。どうぞお気をつけて」

 

 訳も分からぬまま頭を下げるパーヤは、事態の急展開についていけなかった。こんなにもあっさりと出ていくとは思っていなかったのだ。

 

「ありがとうございます」

 

 優雅に一礼した女性が、日課の散歩でもするように歩き去っていく。しかしその先は、カカリコ村の出口だ。

 背に弓と矢筒を背負い、荷物少なく静かに去っていく彼女をパーヤはただただ見送った。

 



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ハテノ古代研究所

 

 俺は誰だ。――アルファ・グラディウス。

 俺は、何者だ。――元騎士で、100年を経て蘇った存在だ。

 何故、蘇った。――勇者を導くためだと思う。

 記憶の欠損はあるか。――自覚はない。だが、知りもしない、あり得ぬ光景が色鮮やかに浮かぶときがある。

 

 食べ物をすべて残らず吐き出すと、体内の異物感はなくなった。

 夜半を越えても眠気はない。眠る必要も感じない。いつもならば頭の奥底に靄がかかったような鈍さを覚えるのだが、それもない。思考は冴えわたり、力が有り余るかのようだ。

 

 アルファの周囲では凍てついた空気が広がり、足元の草を白く凍らせている。抑えきれぬほどの力が身体の奥底からよどみなくあふれ出てきて、体内に留めることができないのだ。それは良質な眠りから覚めた朝のような、心地よさにも似た充実感だ。先ほど吐いたとは思えぬほどに好調であった。食物こそが、己の身体に異物であったのだと、余計なものであったのだと身体が訴える。人は食事をとらねば死ぬ。睡眠せねば死ぬ。水を飲まねば死ぬ。そのはずだ。だから吐いて調子がよくなるなど、酒や毒を煽ったのでもなければあり得ぬはずなのに。唐突に食事を受け付けなくなった身体に疑問を覚える。

 

 左から右へと腕を振る。氷柱状の氷が勢いよく、地面と水平に飛んでゆき大木にカンッと高い音を立てて突き刺さった。ちらちらと宙を舞う落ち葉が葉先から白く変色し、凍る。もう一度同様に腕を振ると、三本の氷柱がそれぞれの方向へと飛び出してゆく。アルファから漂う青白い冷気は未だとどまらない。魔力が飽和しているようだ。

 

 トンミとニルヴァーには悪いことをした。礼すら言えぬままに去ってしまったのだ。だが、このあふれ出る女神の力を押さえないことには彼女らのもとへ戻ることもできなかった。

 

 短く髪を切りそろえたすらりとした体躯の金髪の女が、片膝をついて首を垂れている様を思い出した。思い出した、と言っていいのかわからないのだが、如実に記憶として現れた。まるで覚えのない光景ながら、それは己の記憶なのだと不思議と確信していた。廃りの気配を露とも見せぬ白亜の王城を背景に、豪奢な噴水の前でその女性は片膝をついていた。その身体の正面にいたのは、おそらく己なのだろう。一騎士でしかないアルファが人に傅かれることなどないことだし、女性の顔に見覚えがありすぎた。若き日のインパの姿にそっくりであったのだ。

 違う、と痛烈に叫んだのは心なのか、身体なのか。何が違うのかもわからぬなか、激しい違和感で臓腑が軋み、耐えきれぬ吐き気を催した。

 

 逃げるようにその場を後にしてからは、ハイリアの力が安定せずあふれ出す今の状況が続いている。

 アルファはリンクと違い、記憶を欠損しているわけではない。そう心から思っていた。

 己の名前はしっかりと思い出せるし、100年前の出来事は昨日のように思い出せる。精神世界(サイレン)での出来事だって。4人の英傑のことも忘れていないし、シーカー族の人たちのことも忘れていない。忘れた自覚などないというのに、何故こんなにも収まりがつかないのだろう。そりゃあ、100年前のあの日、何を食べたのかだなんて聞かれても答えられないが、それとこれとは話が違う。そんなことが思い出せぬと違和感を感じているのではないのだ。

 大きな出来事、積み重なった小さな出来事。それらはアルファをアルファたらしめる要因と言える。

 記憶にあるはずがないのに、記憶であるかのように脳内に残された"これ"は一体なんだ。

 人を形作るのは、記憶であり、経験であり、感情であろう。そして、そうあろうとする精神――魂のすべて。

 そのどれもが欠損したとき、人はその人を"その人"だとは認識しなくなるに違いない。他人の空似とすら思うだろう。

 他人の空似――記憶に出てきたインパにそっくりな女性もまた、他人の空似なのだろうか。それともアルファが脳内で作り出した存在でしかないのだろうか。精神的に安定しないから、ハイリアの力もまた安定しないのか。混沌とする脳内。考えれば考えるほどにこんがらがっていく。

 

 もう明け方に近く、徐々に辺りは明るくなってきている。

 

 アルファに近づくスタルボコブリンは凍って砕けた。眠りから覚めたボコブリンは凍り付いたままだ。

 

 目をつむり、何度か深い呼吸を繰り返す。ただただ呼吸にだけ意識を集中させて、アルファは浮かんでくる雑念を流し続けた。様々な考え事、不安な心、周囲の音がアルファの意識をかき乱そうとしてきたが、右から左へとそれらを流し、ただ呼吸に集中する。

 ゆっくりと目を開くと、冷気は収まっていた。未だ爪先はぼんやりと淡く光を帯びていたが、じきに収まるだろう。

 

 何かを忘れている気がする。そんな思いは常に心の片隅にあった。だから、何をするにも不安が付きまとった。ありもしない不安におびえるような性格ではなかったために問題とはなり得なかったが、その不安感を常に携えて旅を続けてきた。人と触れ合うとその不安は鳴りを潜めたものだから、アルファは100年前よりも好んで人との関わりを持とうとしていた。

 何を忘れているのか、と考えても答えは出てこない。もしかすると、思い出したくない類のものなのかもしれない。思い出してはいけない類のものなのかもしれない。

 己は何者だ。湧き上がってきたのはやはり同じ問いかけで、先ほどの答えでは十分ではないのだと推察する。

 

 東の方向へと幽鬼のように足を進めながら、アルファは絶えず思考していた。

 一昼夜、どころか二昼夜、三昼夜と足を進め続けるアルファの足取りに変化はない。食べ物も必要としなければ、睡眠も必要としない。

 食事をとっていた時の方が不調を感じたと言っても過言ではない。睡眠とて、とろうと思えばとれるのだが、取る必要性を感じなかった。なにせ眠くもなければ不調も感じない。身体的な疲労もない。

 

 敵を切り倒すのも、作業といって差し支えない。襲い掛かってくる敵がどこへ飛び込んでくるのか。どのような攻撃を仕掛けてくるのか。どれほどのHPを持っているのか。手に取るようにわかるのだ。最低限の回避動作を取る以外は、剣術の型の通りに剣を振るえばいいだけだ。当たりそうな攻撃は盾で弾き、遠距離の敵には氷柱を飛ばす。時間のかかりそうな大型魔物は、己が気配を消すことで敵に悟られないよう行動する。

 

 ニゴウに跨るでもなく、ハテノ地方へと歩きたどり着いたとき、アルファは吹きすさぶ風に頬を打たれていることを自覚した。

 

 考えることに飽き飽きしていた。考え事に没頭するあまり、雨に打たれても風に吹かれても気づくことなく行軍していたようだ。

 

 人間、一つのことばかり考え続けることはできない。一つのことだけを考えるような脳の作りをしていない、とシーカー族でも指折りの賢者であるプルアが言っていた。そう言いながら、シーカー族の技術を研究し続けるプルアは、言っていることとやっていることが真逆のように思ったものだったが、当時のアルファは何も言わなかった。

 

 ハテノ村は高低差の激しい風の街である。村の中には川も流れ、大型の風車も設置された自然の豊かな場所だ。100年前と様相が変わらない場所もあるのか、と感嘆しながら、アルファは村の中に足を踏み入れた。顔布をつけているせいか、村の門番らしき男性に訝し気に見られたが、会釈をすれば、不審な目をしつつも何も言わずに通してくれた。

 

 己の記憶と違わぬ和やかなこの村は、アルファの心を静かに愛撫した。ハテノ村に家など構えていなかったが、故郷に帰ってきたかのような穏やかな心地になる。

 

 道行く人に研究所の場所を聞くと、村からすこし離れた高台にあるという。村の大通りを突っ切り、ぐねぐねと曲がった高台をのぼってゆく。吹きすさぶ風が耳元でごうごうと音を立てる。纏った長衣がはたはたとたなびく。もともと人の少ない村であるが、村外れの高台となるとすっかり誰もいない。自然の音だけが鳴り響く大地をゆったりと踏みしめて、アルファはハテノ古代研究所を目指した。

 

 プルアもインパに負けず劣らずの老婆になっているのだろう。いつもハイテンションでエネルギッシュに動き回っていた彼女が老婆になっている姿などまるで想像できないが、インパと同じように座布団に正座して笠でも被っているのかもしれない。

 

 サイロのような長い筒状の塔に巻き付く螺旋階段。増設された木造りの平屋。もうもうと煙の立ち上る煙突。増設を繰り返し奇妙な外観となったハテノ古代研究所には、カカリコ村でも見受けられたカエルの道祖神が扉の上に祀られている。ここのカエル道祖神は奇妙な眼鏡をかけている。おそらくはプルアの仕業であろう。茶目っ気たっぷりの彼女がやりそうなことだ。

 

 ノックの後扉を開くと、雑然と床に散らばる資料が。長机の前にちんまりとした少女が腰かけており、カエル道祖神とよく似た丸眼鏡をかけている。その奥の整然と並ぶ大量の書物棚の前には老齢の男性が立っており、二人とも入り口に立つアルファを注視している。

 

「なっ……!」

 

 上半身を大きく後ろへのけぞらせ、かわいらしい声をあげたのは少女の方だ。

 

「嘘……嘘……嘘……嫌ぁあああああああああ!!!!!」

 

 変質者と遭遇したかのように叫び声をあげた少女は椅子から飛び降り、奥に佇む老齢の男性の背後へと隠れた。

 男性が軽く会釈をし、アルファもまたそれに倣う。

 

「おや……お変わりのない様子で。アルファさん」

 

「お前……いや、貴方はシモン……さん、か」

 

「シモンで結構ですよ。見た目こそ年を取りましたが、気持ちはあの頃と変わりません」

 

 穏やかな口調に、きらきらとした眼差し。まだ少年の頃のシモンの顔が思い出される。

 

「所長、アルファさんですよ。あんなに会いたがっていたのに、どうされたのですか」

 

 自身の背後に隠れる少女にシモンが言う。

 

「バカバカバカ! タイミングってもんがあるでしょ! もっと妙齢のレディに年齢を戻してから……っつっても古代炉の火は消えちゃってるし、照射の実験はまだ成功してないし……はぁ」

 

 ぶつぶつと呟いた後、ひょっこりと男性の影から顔を出した少女が俯き加減でアルファの方へと近づいてくる。

 

「久しぶり……チェッキー!! なんてね」

 

 恥じらい交じりに少女がそう言う。どういう意味かは知らないが、プルアがよくその言葉を言っていた。

 老齢の男性となったシモンは、古代研究に従事していたことから、プルアの助手としてシーカー族から抜擢された。

 プルアがどこにいったのかはわからないが、この少女がプルアと同じ口癖だということは、一緒に暮らしているのだろう。

 

「……この子は、プルア様の子どもだろうか?」

 

「むぅー! 失礼な! 誰との子だって言うのよ!」

 

 シモンは先ほどこの少女のことを所長、と言った。まさか。

 インパのように年老いているどころか、己よりも幼い存在になっているとは露とも想像しえなかった。

 

「プルア様……?」

 

「チェキチェキ! だーい正解! 会いたかったよー! ルファ」

 

 胸に飛び込んできたその存在の軽いこと。勢いのままに抱き留めたが、ぐりぐりと己の胸に顔を押し付ける少女がプルアだと、分かってはいても納得がいかない。

 困惑するアルファとは対照的に、すっかり吹っ切れたらしいプルアはアルファをぎゅっと抱きしめて離さない。

 

「本当に、心配したんだからね……。生きててよかった」

 

 生きていた、というのも正しい表現かどうかはわからないが、こうして己が存在していることを心から喜んでくれる人がいるということに、アルファはこのハイラルにいることを許されたような気がしていた。何のために生きているのか。何のために生かされたのか。明確な答えはまだでないが、こうして存在することを喜んでくれる人のために生きているというのは間違いではないだろう。

 

「心配してくれてありがとう。プルア様」

 

 わずかに微笑んだアルファを見あげたプルアは、一気に顔面を紅潮させた。

 

「ぅわっ……! 何、そっくりな別人?! 破壊度高すぎるってば。ルファが素直だし、しかも笑うなんて、空から槍でも落ちてくるんじゃないの?」

 

 ぐいぐいと胸を押され、アルファは丁寧な仕草でプルアを床に下ろした。

 

「いろいろ聞きたいこともあるし、お茶でもしましょ。シモン、お茶!」

 

「はいはい」

 

 プルアに手を引かれ、アルファは長机の前に設置された椅子に腰かける。ぴょこんと椅子に飛び乗ったプルアは、足が床に届いていない。ぶらぶらと足を揺らす様は、とても古代研究の第一人者には見えない。

 つぶらな瞳がアルファの一挙一動を観察している、気がする。

 

「今までのこと、ぜーんぶ聞かせてもらうからね」

 

 会話が苦手だったことを思い出す。中身のない己と会話する益のないことに人を付き合わせるのが申し訳なくて、必要最小限の会話しかしてこなかった。

 

 益、不利益などというものではないのだ。同じ時間をともに歩み、会話を交わすことは、その会話の中身がなかったとしても、確かな絆として蓄積されていくものなのだ、とアルファは思い始めていた。

 

 そして、その時間がとても尊いものだと感じられるようになった。

 温かな湯気を立てる湯呑を盆に載せてシモンが戻ってくる。当然のようにアルファの前にもそれは置かれたが、静かにそれを眺めた後、プルアへと向きなおる。この場から立ち去るまで、アルファは湯呑に手をつけることはなかった。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 相変わらず綺麗な顔してるわ、とプルアは既に何度思ったかしれない。

 しんと静まった室内にシモンが茶をすする音だけが響く。聞いていないふりをしているが、シモンもまたアルファの声に耳を傾けていることは、プルアにはわかる。じっと目を閉じ、耳をすませている。

 

 寡黙でありながら魅力を振りまいていたのはリンクだけではないのだ。騎士を辞めてから、プルアたちと生活をともにしていたアルファは、シモンの苦手な力仕事を進んで行うことが多かった。必要な素材の最終のために二人で旅に出ることもあった。シモンが密かにアルファに憧れていたことを、プルアはよく知っていたのだ。

 

 プルアはアルファの発言を時系列順に並べなおし、疑問を覚えた部分を質問形式で問いかけていく。言葉足らずなことが多いアルファであるが、昔よりも会話をしようという心意気は育ったようで、うまく質問をすればきちんとした答えが返ってくる。根っここそ変わらないが、よくぞここまで変わったな、としみじみ感じるのであった。

 コログの森で目覚め、カカリコ村でインパと会い、始まりの台地の道中でリンクと遭遇し、敵対する。それからここへとやってきた。ざっとそんな流れで間違いないだろう。

 

「リンクと鉢合わせしたら元も子もないんじゃない?」

 

「いや、徹夜で歩き続けてここまで来たのだし、それはないだろう」

 

「……まーた自分の身体をないがしろにして。あたしのベッドを貸してあげるから、今日はもう寝たら?」

 

「眠る必要を感じない」

 

「普通の人間は食事に睡眠は必須なの! ほら、とっとと寝る! 難しいことは全部あたしが考えとくから。おやすみ! チェッキー!」

 

 乾いた喉を潤すために湯呑に手をつけ、その中身がほぼ空に近い状態になっていることに気づいた。アルファの湯呑は未だ手をつけられておらず、なみなみと茶が注がれている。

 まだ立ち上がっていないアルファに「それ飲んでから」と付け足す。

 

「……すまない、飲みたくないんだ」

 

「好き嫌いなんてあった? お茶が嫌なら他のをだすけど」

 

「違う。おかしな記憶を思い出してからだろうか。わからないが、食物をとると身体が拒絶反応を起こすようになった」

 

 飲めないこともないとは思うのだが、と言いながらも手をつけようとしない様子に、プルアは無理に薦めることをやめた。

 死者が生き返るなど、通常はあり得ない。食物を受け付けなくなっているとアルファが言うのならば、きっとそれは間違いないのだろう。己の感覚に鈍感であるアルファが自己申告するくらいだから、きっと相当なことだ。

 

「調子が悪くなったらすぐに言ってね?」

 

「ああ。だが、長居するつもりはない。リンクに会いに行かないと」

 

「……そのことだけどサ。わざわざ敵対しなくたってよかったんじゃないの?」

 

 軽い口調で訊ねるが、プルアは本心から思っていた。あれほどまでに仲の良かった二人だったというのに。手と手を取り合って世界を救うのでは、いけなかったのだろうか。

 アルファが決めたことだし、過去は変えられない。だが、余暇には必ずアルファのもとへ顔を見せていたリンクを想うと、彼にとってもアルファは大切な存在なのだったと確信できる。

 なるほど、確かにリンクは負の感情を誰にも見せなかった。だが、それでもアルファの存在がリンクを救っていたことは間違いない。それだけではいけなかったのだろうか。

 

 回生の祠についてもっと研究を進めていれば、このようなことにはならなかったのではないか。臓腑を焦がすような後悔がこみあげてくる。リンクが記憶をなくしていなければ、こうしてつらそうなアルファを見ることもなかっただろう。全員で手を取り合って、厄災ガノンを封じる策を考えることができたのでは、と悔やまれて仕方がないのだ。

 

「そうは言っても、リンクに戦う術を教え、己のフラストレーションをぶつける相手は必要だろう。敵であれば手加減なく剣を振るえる。ただの打ち合いよりもずっと効率は良い」

 

「……そうだろうけどさぁ」

 

 青く長い髪、それに以前よりも深みを増した瞳の青。100年を経てもなお衰えぬ美貌でありながら、その表情には陰りが落ちていた。長い睫毛の下では海の底のように昏い青の瞳が静かに煌めく。

 

 その瞳がプルアだけを写すことは今も昔もない。そのことに不満なんて覚えたことはなかった。自分だけが映ることはないが、自分以外だけが映ることもまたなかったから。ゼルダ姫でさえ、リンクでさえそうだった。だが今のアルファの瞳は、目には見えぬ勇者の影を追い続けていて、それがなんだか悲しかった。アルファが物事に執着するようになったのは、喜ばしいことだと思う。感情をみせるようになったこともまた、プルアにとって自分のことのようにうれしい。それでも置いていかれたような寂しさは消えず、プルアはそっと吐息をこぼした。

 

 たくさん変わったところはあるが、自分をないがしろにする悪癖だけは消えないのね。

 

「ルファの形見だと思って、両手剣を置いてあったの。まだ持ちたくないかもしれないけど……持って行って」

 

 壁際から静かに移動したシモンが引き出しから布に包まれた長い棒状のものを取り出す。紫色の布を机の上に置き、シモンが丁寧な手つきで布を広げていく。現れたのはアルファのためだけに改造を施された騎士の両手剣だ。黒塗りの剣は他の両手剣と変わらないながら、古代兵器への攻撃力増加の改造がプルアの手によって施されている。

 立ち上がったアルファが複雑そうな顔をしながら片手でひょいと両手剣を持ち上げる。

 やはり、まだあの時のことを引きずっているのだろう。アルファが王国騎士団を退団することとなった出来事だ。

 リンクから簡単にしか聞いていないため詳しい事情はわからない。だが、話をしてくれたリンクもまた、あまり事情に詳しくなさそうであった。

 アルファなりに大切に想っていた仲間から、お前は仲間ではないと面と向かって敵対されたらしい。陰湿ないじめのようなものにあっていたらしいが、リンクがそれを知ったのはアルファが騎士団を辞めたあとのことだという。

 

「……その馬鹿力も相変わらずね」

 

 苦笑でこたえるその姿の、なんと珍しいことか。こんなにも素直に表情を変えることができるようになるだなんて、100年前じゃ想像もできなかった。感情豊かに表情を浮かべるアルファに、プルアは静かに見惚れた。

 

「いろいろとありがとう、プルア様。シモン」

 

「顔を出して早々に出ていくなんて、ほんと人情味のない弟子だわ! 次はもっとゆっくり滞在できるように来なさい」

 

「ああ、必ず」

 

 剣と一緒に保管していた鞘にそれを仕舞い、アルファは背に括り付ける。見慣れた彼の姿であった。

 ぺこりと頭を下げたアルファがプルアたちに背を向ける。その背中が昔よりも一回り細くなったような気がして、プルアは声をかけた。

 

「忘れないで。あたしたちはいつだってルファの味方よ。何の用事がなくても、来てくれたらうれしいわ。いつだって相談に乗るよ! ……リンクと和解したら、絶対報告しにきてね」

 

 背を向けたまま頷いたアルファが静かに扉から出ていく。ぱたん、と軽い音を立てて閉じた扉をプルアとシモンはしばらく眺めていた。

 

「……お元気そうで、なによりでした」

 

 渋い声色でシモンが言う。

 

「もっとゆっくりしていきゃいいのに」

 

「所長がいつになく静かだったから、ご遠慮されたのでは?」

 

「はぁぁぁぁああ? いつもうるさいって?!」

 

「そのようなことは申しておりません」

 

「マジあんた、見た目がこんなだからってナメてんでしょ!」

 

「そのようなことは思っておりません」

 

「キーーーーーーーー!!! はーらーがーたーつー!」

 

「そのようなことを申されましても」

 

 いつも通りに騒がしくなったプルアはチェッキー! と決め台詞を言いながら、ピースサインでシモンの目つぶしにかかる。随分と高い位置にあるシモンの目にはかすりもしなかった。

 穏やかな笑みを浮かべつつ、定位置へと戻っていくシモンにプルアは思わず笑みをこぼした。

 

 床に引いた白い線。シモンの領域とプルアの領域を別けたものだ。その領域をシモンが侵すことはここ最近全くと言っていいほどになかったことだ。線が超えられたことを、なぜか今はくすぐったく思える。普段ならば激怒しているはずなのに。

 何が違うのだろう。そう考え、プルアの頭脳はすぐに答えをはじき出した。アルファだ。リンクの傍らには常にアルファがいた。プルアのそばにシモンがいたように。その片割れをなくしたアルファがとても寂しそうに見えて、だからプルアはシモンの大切さを再認識したのだ。

 

「いつもありがとネ。シモン」

 

 聞こえないようにぼそりと呟いたつもりだったが、二人しかおらず、機械も起動していない部屋ではしっかりとシモンの耳に届いたようで、彼は笑みを深めた。

 

「こちらこそ。所長」

 

 

 

 



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止まない雨

 ド・ボン山脈からゾーラの里へ向けて道なき道を進む。切り立った崖には氷で足場を作り、軽い跳躍で登りぬける。止まない雨と雷鳴を耳にしながら、アルファはゾーラの里へと進んだ。頭のなかにある程度の地図とコンパスは備わっており、道に迷うことは滅多にない。アルファの少ない特技の一つであった。

 

 日は落ちかけて、シノビダケがうっすらと光りだす。じめじめとした気候であることから、多種多様なキノコが岩陰に生える。ゾーラの里周辺は夜行石もまたよく採掘されるため、それらの岩石もぼんやりと幻光を放ちだした。

 

 ぴたりと張り付いた一筋の前髪を指先で弾き、睫毛に乗っかる水滴を乱雑に拭う。絶え間なく動き続けているアルファは今のところ寒さを感じていないが、普段であれば暖を取って休むなりの処置をしていた頃だ。しかし、疲労はない。そろそろ体調に異変が出てもおかしくない頃なのに、アルファの身体は性質を変えたかのように疲労の一切を覚えなくなった。そのことに背筋がぞくりと凍える。

 

 

 西日でぬらりと光る岩肌は余すところなく雨に濡れている。この地域は比較的雨の多い印象である。だからこそ東の貯水湖やダムの存在が重要になってくる。ゾーラの里近くに建立されたダムがもし崩れたら、ゾーラの里だけでなくその川下にあたる地域もまた多大な被害が出ることは間違いない。厄災ガノンにより機能を奪われたヴァ・ルッタによる大雨により、貯水湖が飽和し、ダムが決壊するのも時間の問題だ。

 

 神獣は古代のシーカー族が作った機械(カラクリ)であるヴァ・ルッタは水の神獣だ。雷の攻撃が最も効果的であるが、種族的にゾーラは雷に弱い。普通のハイラル人ならぴりりと痺れるくらいで済む静電気でも、ゾーラ族は全身に雷が通り抜けて手足の力が抜けてしまうほどだ。それゆえ、ゾーラ族よりも電気に強いハイラル人を探して、ゾーラ族はハイラル全土に散っているのだという。

 

 水辺でぷかぷかと頭だけを出したゾーラ族の一人に話しかけられ、それらの情報を聞いた時アルファは金髪のハイリア人を見なかったか、と訪ねた。「シド王子がそのようなハイリア人にお声をかけたそうです」と答えを貰えて、アルファはようやくリンクの同行が掴めた。なにせ、ハイラルは広い。次にリンクが行く場所など知ろうはずもない。やっと掴めた手がかりに、アルファは迷うことなく次の行き先をゾーラの里に決めた。

 

 次にリンクが向かうのは、ゾーラの里に間違いなかろう。

 かつて4人の英傑が操っていた神獣は、ガノンに乗っ取られ、それぞれの地域で猛威を奮っているとインパから聞いた。魂さえも囚われた英傑たちを想うと、アルファはやるせない気持ちでいっぱいになる。彼らの魂の救助を願わずにはいられない。

 

 ラルート大橋手前、一際明るく輝くのは碧い燭台だ。夜行石を用いて作られた細身の優美な燭台は、それ自体が光を放つ代物である。ゾーラの里はハイラルでも指折りの観光名所であったはずなのに、ラルート大橋を通る旅人はいない。

 ぼんやりと待ちぼうけるアルファは、リンクがゾーラの里へ向けてダルブル橋から発ったということを、道中のゾーラ族から確認していた。

 

 眼下に広がる湖は、たしかルト湖。ゾーラ族のかつての姫君の名前をいただいたという話だ。神獣であるヴァ・ルッタもまた、その姫君から命名したと聞く。これから長い年月を経て、ミファーもまたハイラルの地に名前を付けられることになるのかもしれない。ミファーは綺麗な深紅のゾーラ族であった。

 ちょうど、あんな。

 水辺に浮かぶ赤に目が移る。その赤いなにかもまた、こちらを見ている。ゾーラ族のようだ。

 

「おーい! そこのキミ! 今目が合ってるだろう、キミだ! キミ!」

 

 思わず背後を振り向いたアルファであるが、激しい主張にすぐにもとに戻る。

 

「こんなところからすまないな! もしや、各地に散らばる我らの仲間から話を聞いて来てくれたハイリア人かい?」

 

 そういうわけではないのだが、そうとは言い辛いこの空気は何だろうか。ああ、これが空気を読むということか。よくプルア様に空気を読めと怒られた……なんて考えの後、何とも言えない角度に首を振ったアルファに、目がいいらしい赤いゾーラ族が声を張り上げる。

 

「うん?! 違うのか! 我らゾーラ族は強いハイリア人を求めているんだ! 君の助けが必要だゾ!」

 

 かなり遠い位置での対話であるが、よく通る声だ。しみじみとそんなことを考えるアルファは、赤いゾーラ族の歯がキラリと光るのが見えた。

 一歩後ろへ退いたアルファに、水の中を素早く移動し真下へとやってきたゾーラが言う。凄い速さで泳ぐのだな、と今更ながらゾーラ族の遊泳能力に感嘆する。

 

「なななな、なんで逃げる?! その身のこなし、先ほど見させてもらったが君はハイリアの戦士だろう?!」

「……ちがいます」

 

 思わず敬語になったのは、彼から一線を置きたいアルファの気持ちの表れであった。そんなことは露とも気にせず、ゾーラは笑う。

 

「ハハハ! 謙遜しなくてもいい! 君の名前はなんというんだ? おっと失礼! オレはシド! ゾーラ族の王子(プリンス)だ!」

 

 キラリと歯を見せながら親指を突き出し水の中でポーズを決める。シド? まさか。

 英傑の一人、ゾーラ族のミファーとそっくりの赤い鱗。記憶の中のシドもまた赤い鱗のゾーラ族であった。だが、記憶の中のシドはもっと小さくてかわいらしい感じだった。はにかんだような笑顔でミファーの後ろに隠れていた記憶が浮かぶ。ゾーラの里に来ると、いつもミファーの後ろをカルガモのようについてまわっていた。女性陣が黄色い悲鳴をあげていたのを思い出す。あまりのかわいらしさにゼルダが話しかけると、ミファーの後ろに隠れて出てこなかったシャイボーイというやつであった、はずだ。

 

 こんなハイテンションでぐいぐいくるような性格ではなかったはずだ。遠目で見ても、かなり体格がいい。記憶が欠けているだけでなく、捏造されている可能性もあるのだろうか。こうなると何もかもが信じられなくなってくる。ああでも、100年も経っているのだからシドとて成長はするか。ドレファン王の大きさを考えると、まだかわいらしいと言えないこともない。脳内が混乱したまま思考していたアルファにシドが再度声をあげる。

 

「名前を! 教えてくれ!」

「……アルファだ」

「アルファ? 良い名だゾ! ……どこかで聞いた事がある気もするが……。というか先ほどもこのようなやり取りをしたような……。

 とにかく良い名だゾ! ゾーラの里は水の神獣ヴァ・ルッタによる大雨のせいで存続の危機なんだ。アルファ、君の助けが必要だゾ!」

 

 あれ、リンクには声をかけなかったのか?

 そうアルファが疑問を覚えたとき、シドは指を立ててゾーラの里の方向を指し示す。

 

「もうすぐゾーラの里につくゾ! オレは人を待っているから一緒には行けないが、後でまた会おう!」

 

 強制的にここから移動をせねばならない状況が作られ、アルファはなんとも言えない気持ちでラルート大橋を渡り始めた。流されやすい性格は未だに変わらない。

 

 シドの待ち人は、リンクであろうか。そうであってほしい、そう願いながら待ち伏せする場所をいそいそと変更する。何をしているのか、自分は。徒労感に思わずため息を吐く。

 

 旅人用に作られた道は、ルト山を南下し、ぐるりと迂回をしてから北へと抜けるものであったが、ルファは橋から北へと道なき道を進んだ。シドのあまりの変容っぷりに動揺し、道中何度か岩肌で足を滑らせかけた。

 

 神殿にも似た荘厳な、青い光を湛えるゾーラの里。その入り口からおおよそ南方向へと伸びる直線の長い橋がゾーラ大橋だ。

 水面下で赤い塊が凄まじい速さでゾーラの里へと戻っていくのを視界の端に捉え、アルファは訳もなく燭台に身を隠した。が。細い燭台に身体が隠れきるはずもなく、水面に顔を出しつつ泳いでいたシドにしっかりと見つかった。

 

「おお! 君は先ほどの! さすがはオレの見込んだハイリア人だ! もうこんなところまで進んでいたのか! もうすぐリンクというハイリア人が来る! 二人とも王(キング)に会ってもらうつもりだ。ゾーラの里でまた会おう! ではな!」

 

 今度は顔まで水の中に沈め、先ほどよりもずっと速い速度で泳いでいく。

 妙に爽やかなゾーラ族の青年へと成長を遂げたシドをアルファは遠い目で見送った。元気だな……と覇気のない感想を抱きながら。

 

 とりあえず、シドの待ち人はリンクだと確定した。このままここで待っていれば、リンクはハイラル人用に作られたルト山のう回路を通ってここにたどり着くはずだ。

 

 背に帯びた騎士の両手剣を抜く。欠けたところはまったくなく、打ち直された痕すらわからない。激戦の末に酷い状態になっていたはずなのに、よく手入れをしてくれたものだ。プルアには本当に頭が上がらない。

 

 だがこの剣は使えない。許しを得ることはきっともう2度と叶わないが、自分のなかで踏ん切りをつけるためにも、騎士たちの弔いをせねば使ってはいけない気がする。

 アルファは両手剣を鞘へと大切に仕舞い、無心の大剣を持ち直す。

 

 じりじりと昇りだした朝陽が湿った岩肌をつやつやと輝かせる。遠くを眺めると細い小雨が陽光に輝き幾筋もの糸のようだ。ヴァ・ルッタに雨を降らせる能力はない。だが、水を生み出し続ける能力がある。無尽蔵に空へと水を吹き出し続けているがゆえの、止まない雨なのだろう。前回リンクから逃げるときに使ったチュチュゼリーもこの雨で鎮火されてしまうこと間違いなしだ。

 

 どうやって姿をくらませようか。ぼんやりと辺りの景色を眺めつつ考えていると、背後から人の気配がした。

 

 振り返ると、金髪の青年が剣を構えてこちらを睨みつけている。衣服や武器が変わっただけで、随分と勇者らしくなった。

 

「貴方は……! アルファ、だったな。以前から問いたかった。なぜ俺を狙うんだ」

「いずれわかる」

「貴方は……イーガ団なのか?」

 

 口布にシーカー族の紋様が描かれていることからそう検討づけたのだろうか。アルファの目以外をすっかりと覆うそれは、プルア特性の口布だ。

 

「いや、違う」

「なら、なぜ敵対する必要がある」

「いずれわかる。……無駄なおしゃべりする気はない。来ないのなら、こちらから行く」

 

 初手は素早く距離を詰めたアルファの蹴りであった。避ける動作に入る前にまともに胴体に蹴りを食らったリンクがごろごろと地面を転がる。

 

「剣を向けておきながらなぜ迷う。お前は味方に武器を向けるのか? 向けないだろう。刃を向けたのならば、覚悟しろ」

 

 ぐ、と息を吐きつつ起き上がるリンクはどこか悲しそうに視線を落とす。

 

「……違いない。俺は態度を誤ったようだ。忠告感謝する」

 

 ゆるりと持ち上げられた視線は、今度こそ闘志の乗ったものであった。リンクは低姿勢で距離を詰め、アルファの腹部へ横切りをする。バク転で避け、ゆっくりと動く視界のなかリンクの背後へとまわる。

 

「ラッシュを忘れたか?」

 

 剣の柄で背を突く。それなりに力を込めたため、リンクが一歩前へとつんのめる。体勢を立て直さぬまま繰り出された回転切りに、アルファは一瞬回避が遅れる。剣の切っ先を寸のところで避けるが、重心が後ろに偏り慌てて片手をついた。その隙を見逃すリンクではなく、怒涛の勢いで鋭い斬撃を加えてくる。崩れた体勢のまま右へ左へと繰り出される斬撃を弾いていくうちに、大きく振りかぶるリンクに隙を見つけた。

 

 アルファは脇を締め、体幹に力を込めて大剣を左へと薙ぐ。盾で防御するリンクのブーツががりがりと砂を掘っていく。歯を食いしばり、アルファを鋭く射抜くリンクは背後へバク転をしてアルファと距離を取った。つい先ほどアルファがしてみせた回避とそっくり似たものであった。

 

 やはり、アルファの動きをしっかりと自分のものにしている。相変わらず戦闘には天性の才能が備わっているようだ。

 

 おもむろにリンクが取り出したのはシーカーストーンだ。

 ぐっと剣が引き寄せられる。その強烈な力に、思わず手を離してしまった。

 

「なんだ……?」

 

 アルファの手から離れた大剣が宙に浮かんでいる。もしかしなくても、シーカーストーンの力なのだろう。あのシーカーストーンから光が飛び出し、大剣にあたったかと思えば凄まじい力で飛ばされた。その周囲にあった鉄製のくずを巻き添えにして宙に浮き続けているところを見ると、磁力が働いているのだろう。ならば。

 

「面白い道具だな。だが、武器など新しく作ればいいだけだ」

 

 アルファは手の中に氷で作った大剣を作り出した。目を瞠るリンクは、再び剣と盾を構える。

 

 リンクのジャンプ斬りを横跳びで避ける。回転切りをバク転で避ける。斬りを剣でのガードジャストではじく。

 

 アルファから攻撃はせぬままに回避に徹し続けていると、それらの動きを目で見て、それを吸収していくかのようにリンクの回避能力もまた凄まじい速度で上がってくる。時折アルファが攻撃しても、無駄なく避け、それどころか攻撃のラッシュを繰り出してきた。目にもとまらぬ速さで繰り出される数々の斬撃に、アルファの身体に傷がついてゆく。武器の攻撃力が高いものであれば、危うかったかもしれない。

 

 リンクは戦い方を確実に思い出してきている。先ほどの攻撃がその証拠だ。始まりの台地で出会ったときからは考えられないほどに斬撃が速く、鋭くなっている。

 

 唐突に、上から剣が落ちてくる。アルファの脳天を目掛けて落ちてきた剣をバク転で避けた。冷や汗をかきつつ、アルファは片膝をつく。空中でとどまっていた大剣のことを、完全に意識の外へと出していなかったからこそ避けることができた。かなり危うかった。

 肩で息をするリンクが未だ闘志を燃やしつつアルファを見据えている。

 

「憎くはないか? なぜ何も覚えていないお前の背に世界の命運が乗っているのか。のうのうと暮らす人間のために命を賭して戦わねばならないのか。不条理だと思わないか」

「そんなこと……!」

 

 何合も剣を合わせ、リンクの荒い息遣いと鉄がこすれる音が響く。アルファの作り出した大剣が高い音を立てて弾け消え、そろそろ頃合いかと右手に力を込める。

 

「不条理なことだ。何も覚えていないのに勇者という役割を果たそうとするお前が心底哀れだと思うよ。

 ……ヴァ・ルッタを解放し、オルディン地方へ向かえ。次に会えたらお前の疑問に1つだけ、答えるよ」

 

 降り続く雨をすべて氷に変え、リンクとの間に大きな氷の壁を作る。背を向けたアルファは悠々とゾーラ大橋を後にした。

 残されたリンクは、分厚い氷の壁の奥にいるであろうアルファを、酷く困惑気な眼差しでしばらくの間ずっと見つめ続けていた。

 

「――――――?」

 

 返ってこない問いかけを口にし、リンクは返事を待った。

 雨の音に川の流れる音、それに己の息遣いだけが聞こえる。答えなど、返ってくるはずがない。

 

 踵を返し、リンクはゾーラ大橋を走った。本当に戦わねばならないのか。彼は本当に敵なのか、実のところ味方なのではないか。

 戦闘には邪魔になる己のなかの迷いを打ち消すため、ただ走ることに集中した。

 

 



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遠き過去と今

 ゾーラの里からおおよそ北の方向、ゾラ台地を抜けるとアッカレ大橋が見えてくる。ハイリア大橋と並び、大橋の名に恥じないハイラル屈指の石橋である。

 

 長い橋脚が3本等間隔に並び、橋脚と橋脚の間にはアーチが描かれている。嘆かわしいことに、橋脚の1本は破損していたが、高台通しを繋ぐ大橋はいまもなお立派にその役目を果たす。

 

 空に高々と輝く三日月が雄大な石橋をぼんやりと浮かびあげている。

 

 白い断崖絶壁方面へ進めばラネール、赤土の方向はアッカレ地方にオルディンと、わかりやすい目安となっている。どんな方向音痴でもアッカレ大橋まで戻れば方角が掴めるというものだ。

 

 アッカレ地方の中心となっていたのは、ハイラル兵の集うアッカレ砦だ。砦の南部には練兵場が作られ、ハイラル兵が日夜修練に勤しんでいた。

 時にはハイラル兵とハイラル騎士団との親睦を深める、という建前で手合わせも行われ、互いがもつ不満や嫉妬をぶつけ合う場にもなっていた。それにより軋轢が深まった者が少なからずいるのが実情だ。

 

 今もなお戦禍の爪痕が残るこの地で、アルファの戦友が命を落としたと聞いた。友などと軽々しく呼んでよいものなのか関係性に迷いつつもアルファはそうであれと願いを込めてそう呼ぶ。

 

 馬宿で調達した酒を弔いに捧げるため、アルファはゴロンの里への道中にアッカレ方面へと進んだ。

 

 懐かしさと、胸を握り潰されるような物悲しさを抱きながらアッカレ大橋を渡りきる。東の方角からなにやら激しい戦闘音がしてくる。誰かが襲われているようだ。

 

 アルファは気持ちを切り替え、アイテムポーチから取り出した無心の大剣を抜く。

 背に背負うのは、プルアから受け取った昔の愛剣。それは使わぬまま、パーヤから貰い受けた無心の大剣で対処する。

 大剣となるとその重量から両手で使用することを想定されているが、アルファはあいも変わらず軽々と片手で大剣を振り回す。

 モリブリンの蹴りを半身捻るだけで避け、怒涛の勢いで斬り付けていく。

 ラッシュの最後、手の感覚で大剣が壊れることを悟りつつ、アルファは腹に力を込め、全力で身体を回転させてその力を剣に伝えた。確かな感触が腕に伝わる。パァン、と破裂音を立てつつ霧散する大剣は細やかな木屑となり、散った。それと同じく、モリブリンもまた黒い怨念の霧となって消えた。

 旅人は呆気に取られた顔を始終さらしている。

 

「なんてことだ……! 強いんだな。こうもやすやすと魔物を屠る人を見たのは初めてだ。そうだ、礼がまだだったな。これを」

 

 差し出されたのは燃えず薬で、オルディン地方に向かう予定であったアルファには、渡りに船であった。

 暗闇のなか、真っ白いアルファの手が宙で戸惑う。

 

「いいのか?」

「助けてもらわねば、やられていただろう。命の代償には安すぎるが、もらってくれ」

「ありがとう。とても助かる」

「こちらこそだ」

 

 アッカレ峠へ続いていた橋は壊れ、断たれていた。今はもう稼働することのないガーディアンが朽ちて苔むした状態で放置されている。世闇に溶け入るように、静かに佇むガーディアンはぴくりとも動かない。

 

「私はネルフェン。アッカレ砦を目指してここまで来たのだが、残念ながら橋が分断されているようだ。あなたも砦を見に来たのかい?」

「ハイラルの兵たちや騎士たちへの弔いでもと思ったのだが、そうか」

 

 分断された橋を越えるくらいならば、力を使えばどうとでもなる。が、砦の周りには飛行型ガーディアンが絶えず巡回しており、あれに見つからずに砦へ向かうのは至難の技である。砦に巻きつくように作られた螺旋階段は、砦のうえに聳え立つ塔まで続いている。目映いサーチライトを地面へ照射しながら砦を巡回する飛行型ガーディアン。しつこく照準された嫌な記憶が蘇る。

 

「あなたもそうなのか! 私の先祖もここで死んだと聞いてな。一度は弔いをしたいと足を運んだのだが……。ガーディアンが動いているとなると、もはやここまでだな。あなたほどの強さなら、ガーディアンに立ち向かえるやもしれないが、もしも砦に向かうのなら、十分注意するんだぞ!」

「ありがとう。だが、この場で弔うことにするよ」

 

 遠目から見ても、へどろのように塔にこびりつく厄災ガノンの怨念が暗がりにぬらぬらと光り蠢いているのがわかる。

 アルファは片膝をつき、アイテムポーチから一升瓶を取り出した。

 

 昔は言葉を惜しんだ。だから誤解が生まれてしまったのだ。己が考えていることが少しくらいならば伝わるのではと、希望的観測で誤解は深まり、取り返しのつかないことになった。どれだけ億劫だろうと、アルファはあのとき言葉を尽くすべきであった。己の考えを伝えるべきであった。

 随分と遅くなってしまったが、今ならばそれがわかる。

 命を賭してハイラルを守った戦友たちへ、目を瞑り、両手を合わせて心のなかで語りかける。

 

 

 騎士団を追い出された俺が、再びこの剣を持つことを不快に思う者もいるだろう。今日はお前たちと同じ騎士の誇りを使うことを赦してもらいにきた。

 信じられないかもしれないが、俺は真に自分の気持ちに気づくことができた。このハイラルを愛している。護りたい、と。

 激しい戦さ場だった。場所は違えど、ともにハイラルのために戦ったお前たちを誇りに思う。どうか安らかに眠ってくれ。傷ついた魂が回復したら、次は厄災の封じられた平和なハイラルに生を得て欲しい。

 お前たちの無念、俺がすべて引き受けよう。微力ながら、俺も厄災封印のために全力を注ごう。

 次にお前たちが生まれるとき、厄災の影など感じられぬ、平穏な美しいハイラルが広がっていることを約束する。

 

「なっ……あっ……ご、先祖さま?!」

 

 ネルフェンの大声に、アルファは目を開けた。

 

 ぼんやりと人影が宙に浮かんでいる。いくつも、いくつも。青くちらつく幽か火を纏い、白を基調とした兵装に身を包むハイラル兵と、そのなかにちらほらと交じる藍色の近衛服に身を包んだ騎士たち。幾人も列をなし、アルファたちを見下ろしていた。その顔ぶれはどれもこれも見知ったものであった。アルファは目を瞠り、ただただ驚愕をあらわにした。

 

『久しぶりだなぁ、ルファ。随分と変わったようだが、律儀なところは昔とまるで変わらねえな』

「フヌイユ……?」

 

『お前が呼ぶもんだから、せっかく寝入ってたっつーのに目が覚めちまったよ』

『違いない。懐かしい声に呼ばれたと思えば、随分と変わったものだ。お前を追い出した我らをも、弔ってくれるのだな』

「バージル……」

 

『俺たちは死にもう何もできないが……今もなお厄災を封じ続けているゼルダ姫を……。

 お前を騎士団から追い出しておいてこんなことを頼むのは、都合がいいとわかっている。だが、騎士たらんと思うのならば、どうか姫さまを助けてくれ』

「ワトル、気に病まないでくれ。感情のない俺を信用ならなかったお前の気持ちはよくわかる。それに俺は、背中を預けるに値しない人間だった」

 

『だが、今は違うだろう? いや、当時だって、俺たちの心が狭かっただけで、そんなことはなかったんだろう。仲間がやられても取り乱さないのは、戦士としての美点だというのに、悪いようにしか捉えられなかった。

 お前がいなくなってから、ずっと謝りたかった。

 勇者と違い、付け入る隙がお前にはあったからな……随分と無感情に見えたんだ。だから、俺たちはいい大人の癖して僻み、寄ってたかってお前を追い出しちまった。どれほど後悔したことか』

「レックス、そんな風に思ってくれていたのか……。俺は、憎まれてるとばかり」

 

『俺たちがそう思わせてしまった。……どうか、俺たちを許してくれ』

『ルファが騎士団から抜けたって聞いて、ハイラル兵は喜んだもんだぜ? 騎士団に嫌気差した凄腕の騎士がこっちに入るってよ。まあ、お前はハイラル兵の誘いをすげなく断ったが』

『ルファは騎士団の人間だ。ハイラル兵になどならせるか』

『追い出した騎士団がよく言うぜ』

『何? あの時は共闘したが、今は一戦交えるのもやぶさかではないぞ』

『おうおういいぜ、修練場でも行くか?』

『よし、負けた方が連帯責任で砦の階段ダッシュ5本だからな』

『やめろ、お前たち。ルファが呆気に取られてる』

 

 おぼろげに浮かぶ彼らの姿が徐々に薄れてゆく。時間とともに、山端に月が沈みつつある。

 

『なあ、ルファ。愚かな俺たちを許してくれるだろうか』

「許すもなにも、俺はお前たちを憎んでなどいない。お前たちが俺を憎んでいなかったように」

『ありがとう、ルファ。

 どうか我らの分まで、このハイラルを愛してくれ。

 あとな。ちょっと男前だからって、顔布なんかつけてイキってんじゃねーぞ。……なんてな。

 姫さまを、頼んだぞ』

 

 兵士、騎士たちは頼んだ、と口にし、消えてゆく。淡い光となって消えゆく彼らの一部が、アルファの背負う大剣に宿る。

 

『どうか我らも連れて行ってくれ。厄災を封じるとき、きっと力になろう』

 

 アルファは言葉なく、万感の思いを込めて深く頷いた。

 余韻に浸り、静かにその場に佇んでいたアルファは、瞑っていた瞳を開ける。隣に立つネルフェンがどこか泣きそうな顔でアルファを見つめていた。

 

「フヌイユは、私の先祖です。まさか一目でもお会いできるとは……。あなたは一体……。いえ、先祖を弔ってくれて、本当にありがとう」

「感謝されることではない」

 

 アルファは本心からそう言った。だが、ネルフェンは大きく首を横に振る。

 

「私はこの場に立ち会うことができて、本当に良かった。やはり、砦に旅に出てよかった。ありがとう、ありがとう……ありがとう」

「末裔の貴方がいたからフヌイユは出てきてくれたのかもしれない。こちらこそ、ありがとう」

「……なんだ、男2人して感謝し合うっていうのは恥ずかしいものだな」

 

 ネルフェンが照れ臭そうに頬を掻く。

 

「違いない。では、俺はオルディン地方に向かう」

「ああ。十分に気をつけてな。ルファさん」

 

 きょとんとした面持ちで2度3度と瞬いたアルファは、やわらかく目を細めた。リンクと会うときのためにつけていた顔布を下げる。通気性に富んだシーカー族の口布は、つけていることを忘れるときがあるのだ。

 

「今更だが、俺はアルファだ。次に会ったとき、俺を覚えていたら今のようにルファと呼んでくれ」

 

 朝陽が差し込むなか、歩き出したアルファの背中をネルフェンはずっと見送った。アルファが振り返ることは終ぞなく、すっかりその背中が見えなくなるまでずっと、ずっと見つめ続けた。

 

「ちょっと男前どころか……」

 

 ネルフェンは思わず過去の戦士たちに遅ればせながらツッコミをいれたが、返ってくる声はない。

 こみ上げてくるあくびを噛み殺し、目に浮いた涙を拭いながらネルフェンは仮眠を取るために野宿の支度を始めた。夜中じゅう起きていたせいで、目蓋が重い。いまにもひっつきそうな目蓋を持ち上げながら、ネルフェンは思った。

 今日はいい夢が見れそうだ。願わくば、かの青年もよい夢を見ていますように、と。



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ゴロンシティ

 

 デスマウンテン登山口には、ほかほかと湯気の立つ温泉が存在する。北東から南西にかけて長く広がる温泉地は、デスマウンテン登山口こそ人目を気にして足湯を楽しむ旅人しか見かけられなかったが、登山口の北東に広がるユフィン湖や、南西にあるキュサツ湖の奥地では堅苦しい装備を脱いで旅の疲れを癒す姿が見受けられたものだった。

 

 登山口を北上すると、街道の西側にゲーロ湖が見えてくる。これも有名な温泉で、それなりに賑わっていた記憶があったのだが、先ほどから誰一人として温泉を楽しんでいる者はいない。

 

 それもそのはずだ、とアルファはすぐに納得した。

 ゲーロ湖の奥にはぐれガーディアンが徘徊し、四周を見回し索敵していたのだ。目敏くもアルファの姿を認めたガーディアンが赤い光をアルファへと照準する。ピピピピピと断続的に電子音が聞こえてくる。ピ、と短い電子音が鳴り響き、逸る気持ちをアルファは抑えた。ガーディアンの一つ目が白く光り、高威力のレーザーが発射される。目にも留まらぬそのレーザーを、アルファは経験と勘をもって盾を突き出し、弾く。コンマ1秒の狂いもなく的確に反射されたレーザーが、ガーディアンの瞳へと跳ね返ってゆく。そのさまを見送るでもなく、アルファは早足に洞窟内へと逃げた。

 

 ガーディアンは素早く敵を認知する能力こそ高いが、隠れた敵を待つ知能はない。一度敵を見失ったら、再び一からの索敵モードへと移行するのだ。早々と洞窟内に身を隠したアルファを、予想通りガーディアンは追ってこなかった。

 

 高温の地域では、氷で足場を作って最短距離を行く方法は使えない。作ってもすぐに溶けるのだ。崖を登れば最短距離を狙えるだろうが、わざわざ高温の崖にしがみつき続ける趣味はない。

 赤く発熱する岩石を光源に、洞窟内を進むとファイアキースが襲ってくる。飛びかかってくるファイアキースを残心の小刀で斬り付け、後ろへ軽く跳ぶ。爆発に巻き込まれないためだ。

 

 洞窟を抜けた先には、チュンゴ湖が右手に見えてくる。登山口近くの池は温泉であるが、それとは違い、デスカルデラと繋がるダルボ池から流れ落ちる煮えたぎったマグマが溜まる湖である。赤く光るマグマはひっきりなしに湯気を立たせており、波打ったマグマが岸にあがり、外気に冷やされて黒化しては、再び押し寄せるマグマと同化して液状化する。その繰り返しをしていた。

 

 呼吸器の焼けつくような熱さだが、マグマの近くこそ熱いが外気自体はハイリア人にも耐えられる暑さだ。この地はまだ耐熱装備は必要ない。さらに進めば、何の準備もせぬ旅人は丸焼けになってしまうほどの高温地帯が続く。

 

 ここにもガーディアンが徘徊していたが、今度はアルファがその機械音を聞きつける方が早く、照準されないよう身を隠しながら登山道を登ることができた。

 

 石造りの看板に刻まれた文字がデスマウンテン2号目だと知らせる。不思議と汗一つかかない。アイテムポーチから燃えず薬を取り出し、一気に煽る。落石のせいか、整えられていたはずの街道がなくなっており、険しい山道を登らねばならないようだ。

 

 手ごろな岩を掴み、窪みに足をかけて傾斜の急な岩肌を登る。体力に余裕はまだまだある。不気味だ。

 

 リンクに斬り付けられた傷はすっかり癒えている。それどころか、衣服さえも自動で修復されていたのに気づいたときはさすがのアルファも面食らった。気にしても仕方がないが、この謎も解き明かしたいとは思う。

 

 険しい山道を進むと、見覚えのない円筒状の塔が見えてきた。似たような形状の塔を幾つも見てきたため、これも勇者の目覚めとともに現れた塔の1つだろう、とすぐに納得する。各地方に1つずつ存在しているのだろうか。

 

 再び現れた街道を進むアルファは、ネルフェンから貰い受けた燃えず薬がとんでもなく高価な代物だったのではないかと考えていた。熱いことには熱い。だが、以前訪れたときよりもずっと楽なのだ。この辺りでは下着が汗でびっしょりと濡れていた記憶があるのだが、今のアルファは額に汗1つ浮かべず涼しい顔色だ。もちろん、身体にも汗をかいていない。常人であればその場にいるだけで滝のような汗が流れるはずだ。

 体力も魔力も、自然回復するようになった。その代わり、食事や薬での回復が見込めなくなった、というのが現時点でわかっていることだ。

 

 ミキキ川、ゴダイ川、ゴダイ湖と北西から南東へと流れる溶岩の川沿いに、街道は整備されている。

 デスマウンテンの3号目にあたる南採掘場へとたどり着いたアルファは、ツルハシを振り上げるゴロン族たちのなかに線の細いハイリア人を見つけた。このご時勢、ゴロンシティや採掘場に観光に来るハイリア人はいないものだと思っていた。

 

 溶岩の川を跨ぐ鉄製の橋を歩き抜ける。

 南採掘場ではひとつ岩を持ち上げればその下にヒケシトカゲが100発100中と言ってよいほどに潜んでいるヒケシトカゲの天国だ。汎用な耐熱服に身を包んだハイリア人もヒケシトカゲを探しているのだろう。中腰になり、いないかな、と呟きながら岩陰を覗き込んでいる。

 

 隠密性の高い黒字のシーカー族の下着を上下に身につけているアルファは足音があまり立たない。ゆえにヒケシトカゲは逃げることなくアルファの足元に留まっている。ひょいとそれを掴み上げ、アイテムポーチのなかへと放る。割高な燃えず薬の材料となるのだ。自作できるのならばしたほうがよいに決まっている。

 

 カンカンとツルハシと岩石がぶつかり合う音、ゴロンたちの勇ましい声、それに火精がちらちらと舞う南採掘場を通り抜け、巨大な岩石へと向かう。赤く発火する熱を避けて崖を登りきり、ゴロンシティへ向けてひたすら歩みを進める。

 

 物の試しにアルファは近くの溶岩に氷の力をぶつけてみたが、一瞬黒い岩と化しただけですぐに周りの溶岩に飲み込まれるように赤い液体状に戻った。

 空中に氷を作り出すと、あっという間に気化して消える。この地域でアルファの特殊能力は使い物にならないと再認識した。戦闘に当たり前のように組み込んでいる力だったが、無意識に行使し致命的な隙を作り出さないよう気をつけねば。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 岩をも溶かす高温地帯のゴロンシティは、熱せられた釜戸のなかよりもなお熱い。間違えて爆弾矢でも番えようものなら、瞬で爆発する。

 

 デスマウンテン5号目に位置するゴロンシティは、木製や布地などありはしない。ただその場にあるだけで発火し、瞬く間に炭になってしまうからだ。書物までも鉄製である。

 

 耐熱装備に身を包むゲルド族の女が「砂漠の日中なんて目じゃない暑さだよ」とぼやきつつ、採掘場で日夜採掘される宝石を大量に買い付けている。ゴロンシティは今も昔も多様な鉱石で市場が潤っている。ゲルドの女の褐色の肌には大量の汗が浮いており、心なしか目元も赤い。体内の熱を放出し切れていないのだろう。もう一段階耐熱装備の位をあげたほうがよさそうだ。

 

 四方から滝のように溶岩が注ぎ込むゴロンシティだが、さらに山を登れば熱さはまだ増すというのだから驚きだ。

 

「兄さん"達"、暑くないゴロ?」

「熱い」

「とても」

「ハイリア人にしては珍しく、随分と涼しそうな顔をしているゴロ」

 

 ツルハシを担ぎ、くりくりとした丸い瞳でアルファを覗き込むゴロン族は表情の読めないその顔でアルファともう一人を上から下まで観察した。

 

「燃えず薬も改良されてるゴロね。それくらいなら、さらにデスマウンテンを登っても燃えずに済むかもしれないゴロ」

 

 その燃えず薬は、実のところとっくに効果が切れていた。耐熱装備を身につけていないアルファは火達磨になっていなければおかしい。だが、なんともない。熱いのは熱いが、顔色ひとつ変わらない。

 

「燃えず薬を服用していない、と言ったらどう思う?」

「それは……今すぐ装備を整えた方がいいゴロ。喋ってる場合じゃないゴロ」

 

 ふむ、とアルファは軽くうなずいた。ハイリア人どころかゴロン族にとってもそれが当たり前なのだ。ならば、この身に起きた異変をなんとする。

 

「この高温地帯で耐えられるハイリア人はいると思うか?」

「変な質問ばかりするゴロね。そんなのいないゴロ。ハイリア人の皮をかぶったゴロン族ゴロ」

 

 なるほど、自分はハイリア人の皮をかぶったゴロン族なのかもしれない。

 

「だから言ったではありませんか。今の貴方は、ハイリア人ではないのです」

 

 黒いローブに金糸でトライフォースが刺繍されている。耐熱効果も備えたそのローブは見た目通りかなり高価なものなのだろう。

 背には弓を背負っているのみで、それ以外の武器は見当たらない。

 

「わたしの話、すこしは気になって参りましたか?」

 

 旧知の仲であるかのように、どこか親密な気配を漂わせているが、生憎とアルファの知り合いにこのような女はいなかったはずだ。独特な甘さを持つ低い声は、一度聞けば忘れないほどに印象的である。

 

「何か用でも?」

「はい。きっとルファ様は覚えてらっしゃらないのでしょう……。一応断らせていただきますが、怪しい者ではありません。こう見えて私、王宮占い師でしたのよ。占わせていただいても?」

 

 妖艶なアルトボイスは抑えた声色ながらよく響く。

 怪しい者じゃない、占い師です――とはなんとも。アルファからすれば占い師なんて怪しい者の代名詞のように感じられるのだが。世間一般と考え方がずれているのだろうか。無表情の下で思考する。目深に被ったフードから、女の表情は見えない。唯一見えるのは薄く色づいた形のよい唇くらいで、真一文字に引き結ばれたそれから何の感情も読み取ることはできなかった。

 

「どうでしょう」

「生憎と、占いは間に合っている」

 

 ゴロンシティでアルファを待ち構えていたように現れた怪しい女に、どうして占ってもらおうと思うだろうか。そもそもアルファは占いの類は嫌いだ。100年前、王宮占い師によってこの国の滅亡が占われたが、どうすることもできなかった。ただ未来の絶望を予知しただけだ。どうすることもできない不可避の占いは、人々を無駄に混乱させるだけであったように思う。占いがあって、建設的に動いた部分もあるのかもしれないが、それ以上に破滅を目前とし、騒然とする群衆のパニックのデメリットの方が大きかった。人の口に戸は立てられぬ。下された占いはあたかも神託のように人から人へと伝わり、ハイラル全土はパニックに陥った。特に、中央ハイラルから逃げ出す者は多く、経済は混乱を極めた。

 

「ルファ様の冷たい物言いだなんて……とても珍しいですわ。自分で言うのは恥ずかしいですけれど、わたしの占いの腕前はそこそこ知れていて、王族貴族、平民こぞって占って欲しがったものなのですよ」

「それが本当でも、俺には必要ない」

「そうですか……確かに貴方だけはわたしの占いに頼ったことがありませんでしたね。では失礼ながら勝手に占わせていただきます」

 

 女は声色をさらに低いものに変え、滔々と語りだす。まるでアルファのことを知っているかのようなその物言い。流されやすいアルファの性格を知って、勝手に占わせてもらうと宣言しているのならば、もしかして本当にアルファが忘れているだけなのだろうか。昔、会ったことがあるのかもしれない。しかし会った覚えなどない。感情こそ人並み以下にしか揺れぬが、痴呆ではない。記憶力はそこそこにあると自負しているし、人の顔、名前を覚えることは不得意ではない。

 アルファが目の前の女に思いを巡らせるなか、女は語り始める。

 

「貴方には2つの運命の糸がつむがれています」

 

 うんざりしながらも腰を上げなかったのは、女がアルファのことを知った様子であるのが気になったためだ。それに、どうこうされようとも対処できるだけの力は持っている。

 女を中心として、小さなつむじ風が巻き起こる。自身に根源が似た力が女から感じられて、アルファは少し目を瞠った。

 

「1つめの糸は、貴方が本来生きていたはずの、こことは違う時間軸の糸。

 もう1つの糸は女神によってつぐまれしこの時代で生きる糸。

 ただその糸は、女神の力に大いに捻じ曲げられたものだから、とても弱弱しく、保(も)っているのが奇跡といえるほど脆い糸だわ。ただ、その糸が絡み合い、今は1つの糸となりかけている。そうね、運命の糸が脆かったというのだから……貴方は昔、感情の起伏が少なかったのではありませんか? もしくは、心の機微を感じることが難しかったのでは」

「……」

「図星でしょうか。しかし、それは当然の道理なのです。時間軸の異なる世界へ飛ばされたが故に、魂を摩耗させてしまったでしょう。普通に暮らしているだけでは癒えることのない深い傷を魂が負ってしまったのです。常人であれば死するものですが、ルファ様は魂の根源が女神ハイリアにとても近しい。だからこそ助かった。……いえ、だからこそ"選ばれた"のでしょう。

 通常であれば選ばれし血筋の人間が、女神ハイリアの神器を媒介に、強靭な意志でもって時間軸を移動するものなのですから、媒介もなく捻じ曲げられ、転移させられたルファ様の魂が如何ほど傷ついたことでしょうか……。過去、時の勇者は伝説の剣を媒介に時を越えたと伝わっております」

 

 女が一息つき、風は収まる。火精に混じるように輝いていた金の鱗粉が消え失せる。

 女はフード越しにアルファを見あげ、さらに言葉を続ける。

 

「今代の息吹の勇者はとても強い御方でした。歴代勇者の中で最も秀でていたといって間違いございません。それでも大厄災で命を落としかけたのは、どうしてなのでしょう?

 四神獣が弱かったから? 英傑の力が足りなかったから? いいえ。封印の要となる姫巫女の血が、あまりにも薄れてしまっていたからなのでしょう。女神ハイリアの声が届かなかったのは、ただそれだけの理由ではなかったのですが」

 

 刻んだ笑みはそのままに、女からは果てしない憎しみの感情が伝わってきた。ピリピリと尖った空気が肌を刺し、アルファは自然、険しい顔つきになる。

 隠す気がないのか、隠せるほどの怒りでもないのか、女にはハイラル王家への強い憎しみの気持ちがある。

 

「怖い顔なさらないでください。わたしたち占い師も、王家の血を、女神ハイリアの血を色濃く引く家系なのです。時間軸が違えば、ルファ様とわたしは、とても近しい立場の人間だったのですよ。

 ――己が生きるべき滅亡の過去の糸を選ぶか、新たにつぐまれし未来への糸を選ぶか、その選択の日は決して遠いものではありません。

 記憶をすべて取り戻した貴方が、どちらの世界を選ぶのか……今の段階ではきっと、この世界に残ることを選ばれるのでしょうね」

 

 どこか寂し気に女はぽつりと呟く。それに対し、アルファは言う。

 

「選んだところで、世界が変わるわけでもない」

 

 そも、生まれてこのかた世界を越えるなどと壮大な経験をした記憶などない。

 

「変わるのです。2つの糸を寄り合い、より強き運命の糸、魂を手に入れた貴方は、再び世界を越えることが叶うのです。この時代の未来を導き終えた貴方は、この世界での役目を失う。ようやく、自由になれるのです。

 どうして再びこの世界に"生まれ落とされた"のか不思議ではありませんでしたか? もろい運命の糸では死を避けることができなかったから、女神ハイリアは元来の糸と絡め合わせ、自身の力を加えて強靭なものとしたかったのでしょう。幾重も運命を操ったことで、わたしは貴方を再び見つけることができたのですが」

 

 女はフードの下で、どのような表情をしているのだろう。唯一見える、引き結ばれた薄い唇からはなにも読めやしない。

 

「ずっと、ずっとお探ししておりました――ルーファウス様。

 星のかけらがあれば、貴方に今、この場で"別世界の貴方"の様子をお見せすることもできたのですが……それはまたの機会ですね。ああ、今夜は南西の方角に星が降るようです」

 

 女は深く頭を下げる。口角はわずかにあがっている。人によっては美しい、と感じられるのかもしれない左右対称の笑顔。どうにも作った笑顔のように思われ、アルファは目を細めた。

 

「いずれまたお会いしましょう。長続きはしないと思いますが、勇者の仇をお演じになってください。それは間違いなく、勇者のためになっておりますから。……あらそんな目をなさらないでください。占ったときに少し見えてしまいましたの。

 イーガ団についてお調べになって。微かな違和感をお探りなるとよろしいかと。そして記憶を思い出してください。そうすれば本来の貴方が見えてくることでしょう。

 困惑なさらないで、どちらもそれは貴方なのだから」

「俺が記憶を失っている?」

 

 誰に言ったこともない、その事柄。どれほどアルファのことを調べようが、それだけは知り得る情報ではない。いよいよ占いというやつが信憑性を帯びてきて、アルファは警戒に身を固くした。

 フードから一筋こぼれ出たのは、明るい金色の髪。

 

「困惑なさるのも無理はありません。……またお会いしましょう」

 

 細い女の背を呆然と眺めながら、アルファは一人、ゴロンシティのど真ん中で突っ立っていた。

 

 



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未知への一歩

 イーガ団とはそもそも何なのか。アルファはまずもってそこからわからなかった。100年前にもいたのかもしれないが、それほど活動的ではなかったはずだ。大きな武力集団は国に対しての危険性を孕むため、軍の監視が行われるからだ。ハイラル軍は常識的に知っていても、騎士団がわからないことというのはある。もしかしたらそんな事柄のうちの1つなのやもしれない。

 

 イーガ団はどこで活動しているのだろうか。それなりに旅路は進んでいるが、イーガ団とかいう組織には出会ったことがない。どういう種族で構成された組織なのだろうか。なにを目的としているのだろうか。知名度は如何ほどのものなのか。

 

 占い師に言われたから、というわけではないが、アルファは自分が不自然に知らぬイーガ団について興味を引かれていた。知らないのだから、違和感など覚えるはずがない。微かな違和感を探れ、とはどういう意味なのだろう。どこに行けば調べられるのかもわからない。

 あの占い師も、もう少し手がかりを遺してくれればよかったのに。恨めしい思いで女性が去っていった方角を見やった。

 彼女はアルファを、ルーファウスと呼んだ。あろうことか公爵とまでつけて。どこかで聞いた名だな、というのがアルファの正直な感想だ。自分の名前だとは思えないが、聞き覚えはある。だが、誰かはわからない。

 

 グラディウス家の長男として生まれたアルファは平民である。貴族位は、一代貴族である男爵位すらいただいていない。なにをどう足掻いても、アルファが公爵位を得ることは不可能である。しかも耳慣れない姓であった。考えても答えの出ないその事柄に想いを馳せることはすぐにやめた。非生産的な活動だと見切りをつけたのだ。

 

 さて、イーガ団について調べることはアルファの優先順位のなかでさほど高くない。まずはリンクに戦い方を思い出してもらうことが最優先である。

 

 ヴァ・ルッタを解放したリンクが次に向かうのは、おそらくオルディン地方であろうとアルファは予想していた。四神獣の解放のためにリンクが動いていることはわかる。位置的にゾーラの里から最も近いのは、オルディン地方で暴れまわるヴァ・ルーダニアである。デスマウンテンを荒らし、酷い落石が周辺で続いている。地震や噴火は日常茶飯事で、それに頭を抱えるゴロン族の悩みを耳にしていた。おおらかな、むしろ大雑把な性格ともいえるゴロン族が通りすがりの旅人に愚痴をこぼすほどなのだから、鬱憤はかなり溜まっているのだろう。どうすることもできない天災が続けざまに起きれば誰だって頭を抱えたくなる。それがかつては神獣と崇められており、英傑が操っていたものともなれば心労は倍増だ。

 

 ゴロンシティにいればリンクと会えるだろう、という目論見でここへ来たのだが、今更ながら次にリンクになにを教えようかと悩む。なまじ彼の才能が高すぎるがゆえに、早々に教えることが尽きてしまったのだ。旅の道中、彼は剣技を嫌でも磨かざるを得ない。着々と経験をつけ、アルファからの剣技を盗み、今やリンクはかなりの剣の使い手となっていた。

 

 全盛期と比べて、攻撃は悪くないものになっている。あとは経験の問題だ。防御にしても、ジャストガードでアルファの攻撃を弾けるようになった。回避も、ゾーラの里近くでラッシュをしてきたことから技術は向上してきている。アルファが敵となって教えられることなど、実地で人を斬りつける練習か、感情を発露させるくらいだろうか。

 

 敵だというのにどこか遠慮がちにリンクは剣を振るう。最初こそかなり遠慮が入っているが、アルファが攻撃することを契機としてしっかりと力の入ったものに変わる。

 

 これはアルファに対して思うところがあるのではなく、対人戦闘が不得手なのだと思う。アルファとて、好き好んで人を相手に剣は振るいたくない。世知辛いことではあるが、人に対しても魔物と同じように剣を振るえるようにならねばならない。同じ姿かたちをした者を斬るのは気分が悪いものだが、そうせざるを得ない場面は往々にしてあるものだ。引き続きリンクの練習相手になろうと思う。

 

 感情の発露に関しては、これはアルファの予想不足であった。敵に対してならば、己の不条理な境地への苛立ちを憂うことなくぶつけられると思っていたのだが、親しくない人間に身の内を語るはずなどなかった。剣技となって表れている様子も今のところない。うまく誘導して憎ませることができればよいのだが、アルファはそれほど器用な性質ではない。

 

 どうすればリンクが憤るのか。味方である人間を危険に晒されれば怒ることは間違いない。通りすがりの人間でもいいだろう。だが、人質になってくれそうな手頃な人はいないし、なによりアルファ自身がしたくない。そんなことに己の剣を使いたくなかった。

 

 ならばほかにどうすればよいか。アルファ自身を嫌いになってもらうのが一番早いのだが、今までに幾重も斬りつけているのにリンクは未だにアルファに剣を向けることを躊躇っている節がある。どれほど情け深いのか。

 

 敵になるというのも、存外難しいものなのだな。そもそも敵ってなんだったろうか。

 神獣の解放、ひいては厄災の封印のために動くリンクの妨害をすれば敵だと認定される。だが、既にアルファはやらかしてしまっていた。ヴァ・ルッタを解放することを勧めるような発言をしてしまった気がする。ならば、厄災の封印の妨害に動くふりをするか。封印の逆となると、厄災の解放か。とても本心ではやる気が起こらないが、厄災ガノンを崇めればそれっぽいだろうか。いや、ないな。そんな阿呆な人間などいるはずもない。……いないよな?

 

 結局思考は振り出しに戻り、アルファは不景気なため息をついた。

 睡眠と食事が不必要になった今、アルファには休息の時間がなくなっていた。無理やりにでも休息をとれる時間が、睡眠であり食事であった。人にとって休息というのは、とても大切なものなのだと今更ながらしみじみと思う。四六時中考え続けていると、頭がおかしくなりそうだ。

 今更ながらにリンクやプルアが口うるさく休め、休めと言ってきた意味がわかる。休み方のわからないアルファの唯一の休みが睡眠だったのだが、今は眠気とは無縁の身体だ。

 

 ゴロンシティの熱気に脳が茹っている気がする。重い足取りでアルファは近くの民家を訪れた。

 岩石でできた民家にゴロン族が入るのをアルファは確認していた。今さっき鉱石採集を終えて戻ってきたらしく、頭には安全ヘルメットを被り、肩にツルハシを担いでいる。

 

「なにか用ゴロス?」

 

 このゴロンは、先ほど話しかけてきてくれたゴロンだろうか。それともまた別のゴロンだろうか。上から下までまじまじと観察したアルファだったが、先ほどのゴロンもつぶらな瞳しか思い出せない。やはりゴロン族は見分けがつきづらい。心なしか髪の毛みたいなものが頭の頂点で括られているのが特徴といえば特徴だろうか。いや、他のゴロンもこんなだったような気がしてきたぞ。

 駄目だ。壊滅的に覚えられる気がしない。

 完璧に諦めたアルファは、吹っ切れて尋ねた。

 

「人を待っているんだ。悪いんだが、本でも読ませてもらえないか? これと交換に」

「そ、それは……! 最高級のロース岩ゴロス……!」

 

 アルファが手土産にと渡したのは、ゴロンシティへの道中で拾ってきた岩だった。

 

「本なんていくらでも読むといいゴロス! そこの地下に色々直してるゴロス! むしろもう読んでないからあげるゴロス! ひっさびさのロース岩ゴロス~! ゴロゴロゴロース!!」

 

 暑苦しく一人で盛り上がり、ロース岩を嬉々として調理しだしたゴロンの傍らで、アルファは地面にある鉄製の扉を引き開けた。地下は四角く収納庫になっており、中には雑多に本が詰め込まれていた。熱せられた鉄製の本を手に取る。どうやらこれは料理本らしい。

 

 超美味しい! 焼き極上ロース岩の作り方が最初のページに並んでいる。ロース岩にも種類はいろいろとあり、なかでも最高級ロース岩はマルゴ坑道が名産らしい。暇つぶしには最適だが、料理本には興味がない。さっと本を閉じる。

 他にも本はあるだろうか、と物色する。英傑ダルケルの秘密に迫る、やら伝説の勇者とロース岩やら、秘境の名湯10選やら興味を引くタイトルは多かったが、そのなかでもアルファが手に取ったのはハイリア近代史であった。

 

「それは、弟が生まれたときに買ったやつゴロス。懐かしいでゴロス。兄としての風格を出すために買ったゴロスが……まだ読んでないゴロス」

 

 弟とやらが生まれたのは、百何年前のことだろうか。何百年前ではなかったらよいのだが。

 

「ところで、焼き極上ロース岩ができたゴロスが、食べるゴロスか?」

「遠慮せずに食べてくれ」

「そうゴロスか。なら、遠慮なく」

 

 がりがりごりごりと岩を砕く音を耳にしながら、アルファはハイリア近代史を開いた。

 シーカー族の遺跡であるガーディアンや神獣が掘り当てられ、それを駆使して厄災ガノンを退けたことが書かれている。これが、近代史……?

 

 長命なゴロン族にとっては、なるほど近代史になるのかもしれない。だが、短命なハイリア人からすればただの歴史書である。近代とは間違ってもつけない。

 食事するゴロンと話したところ、この民家は2人兄弟の住まいであるらしい。弟が帰ってこないのだ、と嘆いていた。

 髪の毛を頭頂部で括ったゴロンはブレードン。自慢の弟の名はゴングロンだという。

 

「ゴロン肩が酷いんでゴロス。これさえなければ、弟を迎えに行くゴロスが……」

「よければ肩でも叩こうか?」

「貧弱なハイリア人じゃあ痒いだけゴロス」

「これを使えばそこそこの強さになるんじゃないか?」

 

 アルファがおもむろにアイテムポーチから取り出したのは、岩石を破砕する際に使う石打ちだ。ゴロンシティに転がっていたのを拝借したのだ。

 さすがのゴロン族でも、アルファが力いっぱい殴れば、まずいことになるだろう。躊躇するアルファは、岩のような身体が割れてしまったらと危惧していた。

 

「そんなんじゃ効かないゴロス!」

 

 発破をかけられ、さらに力を込める。「効かないゴロス!」言われ、さらに力を込める。「かゆいゴロス!」言われ、それなりに力を込める。「まだまだゴロス! もっと真剣にやるゴロス!」馬鹿力のアルファがかなりの力を込めて肩へと石打ちを打ち付けると、ようやくブレードンは「その調子ゴロス」と心地よさそうな声をあげた。素振りも兼ねて右、左と石打ちで肩たたきをし続けること数十分。

 いたく満足したらしいブレードンは「肩が軽くなったゴロス!! あんた、名前はなんて言うゴロスか?」と、初めてアルファに興味を示した。

 

「アルファだ」

 

 アルファから見ればただの拷問であるが、強靭な肉体を持つゴロンにとっては肩たたきになるのだ。種族の違いによる感性の違いをアルファは学んだ。

 

「ふぉおおおおおおおおお!!! 肩は軽い! 腹は満たされた! 全身に! 力が! みなぎるゴロス!!」

 

 ふんっ、ふんっ、と鼻息荒くポージングするゴロンを尻目に、アルファは違う書物を手に取った。

 鉱石の種類と値段、というなんとも彼の仕事に直結しそうな本である。あまり勉強と無縁なゴロン族が、これほどの本を所持していることが珍しい。適当な民家を選んだが、当たりだった。

 

「ところで、イーガ団というのを知っているか?」

「知らないゴロス!! イガイガ団ってのは美味いゴロスか?!」

「さあ。少なくとも美味くはないだろうな」

 

 イーガ団のゴロン族の知名度は低い可能性が高い。悪役で有名なのは、ゲルドの盗賊だろうか。書物になっていたため、ハイリア全土で有名だ。

 悪知恵の働くゲルドの盗賊が獰猛なモルドラジークを飼いならしてスナザラシのように乗り回し、各地で熱い戦いを繰り広げつつお宝を集めていく。最終的にはハイリア軍に捕まり、死刑の間際の遺言で探せ! 宝のすべてを広大なハイリアに隠してきたとトレジャーハントへ人を誘う物語である。その本がベストセラーとなった年、ゲルドの年頃の娘は、ヴォーイハントとトレジャーハントを両立しつつハイリア各地を旅してまわったものだと聞く。

 

「この興奮が冷めぬうちに、ひとっ走り弟の様子を見てくるゴロス!! アルファも行くゴロス!!」

 

 丸太のように太い腕に引っ張られ、アルファはつんのめるようにして立ち上がった。

 身体の丈夫なアルファだからこそ無事だが、普通のハイリア人ならば脱臼していてもおかしくないほどの力量だ。

 歴史書をぽとりと地面に落とし、アルファはゴロンに連れられ家を出た。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 ゴロンシティから南東の方角にあるマルゴ坑道へと、アルファとブレードンは向かっていた。

 道中ブレードンは弟自慢を始終垂れ流していた。生まれたときから目に入れても痛くないゴロスと何度も繰り返す。

 まだ幼かったゴングロンはなにをするにもブレードンの後ろに引っ付いて離れなかったという。ゴロンのなかでも腕っぷしの強さで有名な2人らしく、ゴロンでさえ放棄した固い岩盤をも崩すほどの力なのだとか。2人で仕事をしていたときのことを幸せそうに語られ、アルファは相槌を打つ。ゴロンシティに家を構えるほど稼ぎが大きくなったが、最近は仕事もせずに勇者の祠探しだとか言って、マルゴ坑道へ向かうようになり、とうとう帰ってこなくなってしまったのだと嘆いていた。

 

 祠のことは又聞きで伝承として伝えられてはいるものの、信憑性は薄い。さらに、なんの足しにもならない祠探しをしたとて意味がない。長らく放置され続けていた祠に、ゴングロンは幼い頃から異様なまでに興味を示していたという。まさか単身でマルゴ坑道へと乗り込むとはブレードンも思っていなかったようだ。

 

「これが兄離れってやつゴロスかね」

 

 家を出たときの高すぎるテンションからは一転、ブレードンは寂し気にそう言う。

 ずっと一緒にいて、ずっと頼りにされてきたのだろう。頼りにされることを喜んでいたブレードンにとって、ゴングロンがなにも言わずに離れていってしまったことが寂しかったに違いない。

 アルファも、ずっと一緒にいたリンクと離れている今、どこか物足りないような、寂しいような心地はよくわかった。兄弟であればなおのこと悲しみも強いだろう。

 

 なにかが、物足りない。世界が褪せて見えるのだ。

 

「寂しいものだな」

「そうゴロス……ずっと一緒にいたのに……アルファはわかってくれるゴロスか……」

 

 ばしん、と背中を叩かれ、アルファは危うく岩石に突っ込むところであった。もちろんブレードンに悪気はないのだが、普通のハイリア人であれば吐血していてもおかしくないほどの衝撃であった。

 

 岩陰からファイアチュチュが現れたが、ブレードンが拳を一発落とすと爆発して消え去る。その爆風にブレードンはなにも感じていない様子であった。デスマウンテンの頂上でも応えない頑強な肉体は、爆発程度では痛くもかゆくもないらしい。なるほど、アルファの石打ちの刑に耐えられるはずだ。

 

 修行好きのゴロン三兄弟がたしかいたはずだが、そういえばゴロンシティで見かけなかった。常に3人セットでいるうえに、随分と暑苦しかったため見分けのつきにくいゴロンのなかでもそれなりに記憶に残る存在であった。

 

 マルゴ坑道に着くと、1人のゴロンが死んだようにあお向けに寝転がっていた。

 

「もうダメゴロン……ボクも立派になりたかったゴロン……兄ちゃんみたいに立派に……。この岩盤の向こうの勇者の秘密を見つければ、ボクも立派になれると思ったゴロン……。お腹がカランコロンで動けないゴロン……カラーン……ゴローン……カラーン……コロローン……」

 

 わなわなと震え、棒立ちになっていたブレードンが感極まった様子で叫びだす。ぶつぶつと呟くゴングロンにブレードンが駆け寄っていく。

 

「弟よ……! そんなことを考えて……!」

「ああ、ダメゴロン……兄ちゃんの幻覚が見えてきたゴロン……」

「あきらめるな! 兄ちゃんがすぐに飯を作ってやるから!」

「兄ちゃん……ボク、立派になるんだ……立派になるまで、ゴロンシティには帰らないゴロン……」

「ゴングロン! しっかりしろ! ゴングロン!」

 

 ゴングロンは目の前に実在する兄のことを幻覚だと思い込んでいるようで、遠い目をして力なく笑っている。てんで話が通じない。

 やれやれ、と肩を竦めたアルファはマルゴ坑道を飛び出して行ったブレードンのあとを追うことにした。

 

 彼の身に、そして己の身になにが起きるかも知らぬまま、いたって軽い気持ちで。

 

 アルファの選択はもしかすると、もう2度とリンクと出会うことがないかもしれぬ未知の未来へ向けての一歩であったのかもしれない。

 




2章おわりです。
お付き合いいただきありがとうございます。


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