けものフレンズRicochet - りこしぇ - (きふた)
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Chapter1-1

! CAUTION !
生意気に連載小説の形式ですが、掌編くらいのお気持ちで流し読みされるのがちょうどよいと思います。
'19/12/15 加筆


「退避指示ガ出テイマス」

「びゃっ」

 木立ちの合間に短い悲鳴が響いた。なんとなく鈍色の空の下、寄せる波を砕くごつごつした岩場を眼下に、一人と一匹は海岸の近い丘の木々の間をのろのろと東へ進んでいた。

 三日ほど前の夕方に目を覚ます以前のことをよく思い出せない十二、三歳の少女と、彼女が死ぬほど心細い一夜を過ごした翌朝に出会えた、雑種のイヌ。そのコンビ――正確には少女のほうに声をかけた小さな影に、当の少女は跳びあがって驚いたのだ。

「スタッフハ速ヤカニ島外ヘ脱出シテ下サイ」

 ドキドキする胸を抑えてうずくまる少女をよそに、イヌは特に警戒もせず、全体的に青と白で配色されたぬいぐるみのようなやつに鼻先を近づけて尻尾を振っている。その様子は少女にとってひとつのシグナルだった。

 

 ――あやしいやつじゃないよ。

 

 イヌが目配せする。

 ぬいぐるみの大きさは少女の両腕に収まる程度だろうか。卵のようなずんぐりしたボディに、ぐるりと黒っぽいベルトが巻かれている。大きな一対の青いとんがり耳が真上に向かってそびえ立ち、つぶらな縦長の瞳は返事を待つようにじっと少女を見つめている。胴の下に覗く短い前足のように見えたそれは、どうやら二足のようで、となると腕や前足に相当する部位が見当たらないのはどういうことだろうか。後ろのほうには縞模様の尻尾が一房。総合的な印象は、かわいいの一言に尽きた。

「繰リ返シマス、退避指示ガ出テイマス」

「退避って……ええ?」

 少女は目を白黒させた。自分に呼びかけているらしいことはわかる――が、退避指示とは穏やかではない。ここ数十時間、特別あぶない目に遭ったわけでもなく、ぬいぐるみの愛嬌ある見た目にもそぐわない忠告がどこか不気味だ。

「あの」

「最モ近イノハ《カエダ半島》ノ連絡船停泊場デス。速ヤカニ――」

「まった!」

 少女の言葉に、ぬいぐるみは物騒な催促を中断した。話は通じるのだろうか。少女は屈んで目線を近づける。

「ええ、と……ここはどこ?」

「《カエダ半島》ノ森林散策区画ダヨ」

「あそこのことか……今は、今日の日付は?」

「――データノ共有ニ障害ガ発生シテイマス。システムヲ確認シテ下サイ」

「うー……」

 問答に時間がかかると見たのか、唸る少女の隣でイヌが伏せる。その頭を撫でながら、少女は必要な情報に優先順位をつけていく。

 目を覚ましたのは見覚えのない建物の中、一昼夜かけて歩いてきた今となっては何キロも後ろだ。それよりも目先の食糧を気にするべきではないか。持ってきたバッグの中にいくつか入っていた大きなおまんじゅうは、イヌと分け合ってあと一つ。いい加減に無くなりそうで不安だった。

「ごはんのありそうな所、わかる?」

「食事ヲ提供スル施設ハ全テ閉鎖サレテイマス」

 絶望的な報せだ。一瞬、目の前が暗くなる。

「フレンズ用ノ《ジャパリまん》ノミ提供可能デス」

「そっ、それって」

 少女は慌てて提げていたショルダーバッグからおまんじゅうを取り出した。紙袋で個包装されているとはいえ、いつから入っていたのかわからない代物だったが、匂いを嗅いでも、割って中を見ても食欲をそそるばかりで、覚悟を決めてかぶりついたのだ。こいつがあったからここまで歩いてこられたと言ってもいい。

「こんなやつ?」

「フレンズ向ケニ栄養バランスノ調整サレタ汎用配合飼料ダヨ。パークノオ土産ニモナッテイテ、エリア毎ニ様々ナ種類ガ生産サレテイルヨ」

「――今でも作ってるってこと?」

「当エリアデハ《トウヤ丘陵》ト《コカチ平野》ノ生産施設ガ稼働中ダヨ」

「ここからだとどのくらい!?」

「《コカチ平野》マデハ直線距離デ約四十キロダヨ」

 道が開けた――のだろうか。決して近くはない、だが行くしかないだろう。よくわからない単語もいくつか聞こえてきたが、要は歩いていけばおまんじゅうがあるのだ。

「どうやって行くのかわかる?」

「スタッフハ避難ヲ優先シテ下サイ」

「あーッ! どうしてもすぐ行きたいんですお願いします! 着いたら避難するから!」

 少女の焦りが伝わったのか、イヌが心配そうに顔を上げる。話ができる割にカタブツのぬいぐるみは、雑な言いくるめにとうとう折れたようだった。

「優先順位ヲ変更。《コカチ平野》ノ生産施設マデノガイドヲ開始シマス。危険ヲ察知シタ際ハ有効ナ回避行動ヲトッテ下サイ」

「よしっ、行こうひいちゃん、ごはんがあるって!」

 少女はイヌを両手でわしわしと撫でる。

 「ひいちゃん」はイヌの呼び名だ。かすれた文字で「ひいらぎ」と記された、大型犬用の赤いハーネスは、灰色の毛並みによく映えた。一度、外してやろうかと思ったのだが、邪魔をするように身をよじったため、そのままにしている。呼んだら反応するので、自分の名前がわかるのだろうと、自分の名前も思い出せない少女は感心していた。

 賢そうな左右色違いの瞳――右は空色、左は琥珀色だ――に見返され、俄然元気が湧いてくる。先の見えない不安や気の滅入る天気も手伝って鬱々としていたが、気持ちが外に向いてきた感じだ。

「ねぇ、あなたのことは何て呼んだらいい?」

 立ち上がってぬいぐるみに呼びかける。ぬいぐるみは少し顔を傾げた(首がないのだ)。

「ボクハ『ラッキービースト』。トモエ、気ヲツケテ進ンデネ」

「――ん?」

 波音の合間、名前を呼ばれた気がした。

「『トモエ』って?」

 ラッキービーストの視線が少女の顔に釘付けになる。

「……顔認証再実行――照合完了。準スタッフ『トモエ』ト確認。エリアノデータベースニ仮登録サレテイマス」

 

 

「『ボス』と喋ってる……」

 

 

「ひゃッ」

 少女は今度こそ心臓が止まったかと思った。視界のぎりぎり隅っこに入っていた木の影から「だれか」が――女の子が、顔を覗かせていた。




チラシの裏がでかい。


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Chapter1-2

'19/12/21 加筆


「…………こんにちは」

 自分でもわかるくらい、気の抜けた声が出た。ああ、ひとだ――奮い立った心が一気に解きほぐされていく気がした。

 若い女の子、幼いとまでは言えないけれど、物陰からこちらを窺うしぐさは少し頼りなくて、それだけに何の寄る辺もないあたしとしては親近感が湧いた。

「ええと、『ボス』ってどの子?」

 あの子から見えているのがあたし達、つまり今さっき仮称の決定したっぽい「トモエ」ことあたしと、灰色わんこの「ひいらぎ」、いわゆる動物とは違うカンジのめんこい短足タマゴ「ラッキービースト」の三者であるなら、あの子はこの中のだれかを知っているということだ。返答を期待したのも束の間、女の子は「あっ」という表情を浮かべて、あたしの真上を風が通り抜けていった。

「あら、あなた――」

 もう一つ別の声を聞き取った時には、被っていた帽子が音もなくさらわれていた。吠え立てるひいちゃんを宥めながら慌てて見回すと、手の届きそうな距離に物憂げな表情を浮かべた美女がふわりと降り立つところだった。手には薄青色のワークキャップを弄んで、こちらに向ける視線はどこか超然としている。一人目の子とはちがう、気圧されるような存在感。黒くなびく長い髪が、その頭上に頂く一対の翼が、鈍色の風景に濃く刻まれて目が離せない。

「新しく生まれた子?」

 本当に興味があるのか疑わしいほど淡白な口ぶりだ。

 言葉はわかる、それは願ってもないことだった。ただ、さっきのラッキービーストといい、あたしの中の情報不足のせいで話についていけない。

「うまれ……、どういう意味……?」

「ランカ、その手癖の悪いのは直さなきゃって言ったでしょ!」

 第一女の子が駆け寄ってきた。第二女の子の今しがたの所業を咎めているようで、価値観の一致にほっとする。好きになっちゃう。

 灰色がかった赤褐色の髪色に、三角形の耳介が一対。でも髪の間からはあたしのと同じような耳も覗いていて、都合、耳が二対。気になるといえば気になるけれど、まるい目が可愛らしくてどうでもよくなる。腰からはひいちゃんの尻尾に勝るとも劣らないふさふさが伸びていて、色味は髪色と同じようだった。

「ほら、返しなって」

「見せてもらっただけよ」

「急に取られたらいい気はしないでしょ」

「ぼんやりしてるほうがいけないの、地元では――」

「はいはい『みんなライバル』!」

 ずいぶんと気心の知れた仲みたいだった。返してもらった帽子を被りなおして、落ち着かない様子のひいちゃんを撫でていると、第一女の子が向き直った。

「ペギーよ、クルペオギツネ」

「トモエ、です。こっちはひいらぎ」

「けものの子……、久しぶりに見たわ」

 ペギーと名乗った彼女がひいちゃんに向ける視線はどこか浮かない様子で、少し胸がざわつく。

「久しぶり?」

「大抵の子はフレンズだもん、けものってことはセルリアンに襲われたとか、サンドスターが……」

 目眩がしてくる。ここで目を覚ましたあたしが、だいぶいろいろな常識を忘れているらしいことがいよいよはっきりしてきた。

「あたし、ここのことよくわからなくて」

「そうなの?」

「わかることだけでも、教えてもらえたら嬉しいんだけど」

「なんだ、それくらい」

 ペギーの浮かべてくれた笑顔が輝いて見える。好きになっちゃう……。

「ありがとう……。ところで、その」

 ちらりとペギーの背後を見やる。彼女はあたしの視線の意図を察すると、呆れ混じりに小さなため息をついた。

「まぁ、ヘンな子だけど、仲良くしてくれると嬉しいかな。悪気はないのよ、たぶん」

 そう言うのならそうなのだろう、すっかりペギーの人となりを信用したあたしは、今にもふらりと飛んでいきそうな、ランカと呼ばれていたもう一人に歩み寄った。

「あの、帽子だったらいつでも見てもらっていいので」

 ランカはすこし意外そうな表情を浮かべてから、微かに笑った。

「でも、ぼんやりしていてはだめよ」

 また掠め取るつもりかな。底の知れない瞳が、いたずらっぽく光った。

 

 

   ― ・ ― ・ ― ・ ― ・ ― ・ ― ・ ― ・ ― ・ ― ・ ― ・ ―

 

 

 食糧問題は拍子抜けするほどあっさりと解決してしまった。希望のジャパリまんはラッキービーストが定期的に各地へ配達しているらしく、海岸付近から木立を抜けて散策ロードへ向かう途中、別のラッキービーストがいくつものジャパリまんを籠に入れて担いでいるのを目にしたトモエは、へたり込んで泣き出した。

「よ゛か゛っ゛た゛よ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛」

 ひいらぎがおとなしく抱きしめられている間に、ペギーは配給ボスに挨拶をしてジャパリまんを三つ持ってきた。

「ほら、トモエ。好きな味えらんでいいから」

「ありがと……ぐすっ、あたし一つ持ってる……」

 トモエがショルダーバッグを開いて、最後のジャパリまんが入った紙袋を取り出す。

「これと同じやつ……」

「アンコ味じゃない?」

「じゃあこれ、ひいちゃん食べな」

 ペギーの手から白いジャパリまんを受け取ると、トモエはひいらぎの前に差し出した。居住まいを正したひいらぎは、トモエの顔をじっと見つめる。

「いいよっ」

 合図を聞いて、黙々とジャパリまんを食べ始めたひいらぎを目にして、ペギーとランカは顔を見合わせた。

「それはそういう決まりなの?」

「んー……、最初にあげた時、さっきみたいにじっとしちゃって。だれかに教えられたのかな、勝手に食べないように」

「傲慢だわ、他者の食欲を抑え込もうだなんて」

「あなたたち、出会う前はどうだったの?」

 手近な倒木に腰かけて食事休憩をとる傍ら、トモエは内容の少ない経緯を話した。

 目を覚ました建物の中で孤独な一夜を明かしたこと、恐る恐る外へ出て、付近をうろついていたひいらぎに出会えたこと、一日かけて周辺を探索したものの、近くの海岸で寂れた停泊場しか見つからなかったこと、そこから意を決して海岸沿いを歩いてきたこと――。

「そしたらラッキービーストちゃんに話しかけられて……」

「そうよ、それよ!」

 薄緑色のマッチャ味を食べていたペギーが声を上げた。

「ボスが喋ってるの初めて聞いたわ、フレンズとは全然話さないのに」

「馴れ合いを嫌っているものと思っていたけど」

 薄桃色のウメ味を啄ばんでいたランカも興味を示したようだった。

「その、『フレンズ』はボスって呼んでるの?」

 重要なキーワードらしき「フレンズ」とやらを未だにフワッと捉えているトモエが確認する。

「そうね、私の知ってる子はみんなそう呼んでる」

「名前を知る機会なんて無かったもの」

「ラッキービーストちゃん?」

 ペギーが足元で佇んでいる相手に声をかける。二人のフレンズが乱入してからというもの、すっかり黙りこくっているラッキービーストは、それでも会話をまるで聞いていないわけではないようだった。しばしば話者に顔を向けるそぶりを見せているし、今もペギーと目を合わせている――ように見える。

「これ、食べる?」

 半分ほど食べかけのジャパリまんをペギーが差し出す。ラッキービーストは不思議そうに顔を傾げて、やはり何も言わない。

「運んでる割には、ボスが何か食べてるところ見たことないんだよね」

「一週間くらい追いかけたこともあったけど、食事の現場は押さえられなかったわ」

「あんたそんなことしてたの?」

 友人どうしのお喋りに挟まれながら、はじめてジャパリまんを丸一個食べきったトモエは、誰にともなく感謝しながら折り畳んだ紙袋をバッグにしまい込み、入れ違いにスケッチブックと鉛筆を取り出した。余白のあるページを開き、ラッキービーストの姿を描き写しはじめると、「ボスは何匹いるのか」議論をしていた二人が静かになって、座る場所をトモエに寄せた。

「何してるの?」

「それはけものの子かしら」

 ページの上部を占めているひいらぎのスケッチは、不安を紛らわせるために昨日描いたものだ。その前の数ページには草花や風景、フレンズのものと思しき似顔絵も並んでいたが、トモエには覚えがない。それでも、目が覚めてから何度か「描きたい」という欲求は首をもたげ、どうやら右手は鍛えた筆致を覚えているようだった。

「あとで二人も描くからね」

「かく?」

「で、ここをこう……」

 トモエのぶつぶつという不可解な呟きはさて置き、鉛筆の芯が紙を擦る音は、どこか神秘的な意味合いを含んで二人のフレンズの耳に届く。

 遠くには潮騒が響き、そばで駆け回るひいらぎの足音が下草を掻き分け、ペギーのジャパリまんが四半分にもならないうちに、ページの上にはラッキービーストの似姿が出来上がった。

 



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