皆城一樹は勇者に非ず (ここにいるもの)
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録音記録

 

 2015年、俺たちは平和の中にいた。

 いつものように友達と笑い合い、次の日のことを話し、当たり前のように「また明日」と言って今日を終える。

 そんな当たり前が続くと思っていた。

 そう、あの地獄の日までは。

 

 

 ☆★☆

 

 

 鮮血が舞い、人の断末魔が耳に届く。

 見渡す限りの炎と血、そして老若男女問わない死体。

 まるで、地獄のような光景。その光景を作ったのは人ではなく突如空から現れた白い化け物。

 人を喰い殺し、次々と数を増やしていく化け物は見ていたものからしてみれば絶望以外のなにものでもない。

 その日、人類の多くは化け物によって殺された。

 

 

 

 ☆★☆

 

 

 誰もが生きることに必死だった。それは、俺にも言えることだ。

 死にたくない。その一心で俺たちは走り続け、そしてアレが現れた。

 四国に突然現れた『神樹』という特殊な樹木、瀬戸内海には巨大な植物組織でできた壁。

 誰もが、もう安全だと思った。

 俺たちも、そう思った。もうあんな怖い目に合わなくて済むと。

 けれど、この時の俺たちは知らなかったんだ。

 後に勇者と呼ばれることになる神様から力を授かった者たちの存在。

 そして、俺たちのことを。

 

 

 ☆★☆

 

 普通の日々は前振りもなく壊される。

 一度は体験したはずのことなのに、それがあると分かっていたのに俺たちはそれを失念していた。

 2015年12月末。あの化け物が現れてから約五ヶ月経ったある日、俺たちのところに大人たちが来た。

 なんでも、神樹という樹木が現れた時に近くにいた俺たちは何かしらの影響を受けていて、あの白い化け物に対抗できるのではないかという仮説があり、実験をしたいから来てくれないかという話だった。

 俺たちの何人かはその話に喜んで乗った。

 それもそうだろう。俺たちの中には何人か白い化け物に家族を、友達を殺された者もいるのだから。

 2016年1月初旬。

 大人たちの仮説が正しかったことが証明された。

 

 

 ☆★☆

 

 

 2016年3月末。俺たちは四国の外へと派遣された。

 僅か十数人の子供と五人の大人という正気の沙汰とは言えない派遣部隊は四台のバスに乗り生存者を探す旅に出た。

 必ず四国に帰ってくるとそれぞれが願いながら。

 

 

 ☆★☆

 

 

 2016年12月末。

 俺たちは僅かに存在していた生存者を保護した。

 旅をしてから約九ヶ月。初めて保護した生存者は子供四人と大人二人の僅か六人。

 絶望的な状況で生き残った人がいる。その事実が俺たちに希望を見せた。

 

 

 ☆★☆

 

 

 2017年8月中旬。

 白い怪物────大社との定期通信によりバーテックスと命名されたことが判明されたそいつの襲撃が酷くなってきた。

 大人たちは話し合い、俺たちを二つのチームに分けることにした。

 一つは、生存者とともに四国へと戻る帰還組。

 一つは、このまま生存者を探す派遣組。

 俺たちはここで、半数と別れることになった。必ず、四国で会うという約束をして。

 そして────2017年9月初旬。

 予定では四国についている帰還組からの通信は────無かった。

 

 

 

 ☆★☆

 

 

 2018年1月。

 俺たちはバーテックスからの襲撃を受けた。

 システムが弱くなる隙をつかれたと大人たちは言っていた。

 これまで以上のバーテックスを相手に俺たちは約三時間の間戦い、二人の仲間が戦線を離脱するほどの傷を負った。

 

 

 

 ☆★☆

 

 

 

 2018年6月末。

 バーテックスの襲撃は日が経つごとにその頻度と数が増して来た。

 今では一日に二回以上襲撃を受けることが当たり前となった。

 日に日に負傷者が増え、そして今日大人たちが恐れていたことが起きてしまった。

 俺たちの仲間の一人がいなくなった。

 バーテックスに殺されたわけではない。病気で死んだのでもない。

 いなくなったのは俺たちの力が原因なのだと、大人たちが泣きながら言った。

 

 

 

 ☆★☆

 

 

 

 2018年夏。

 俺たちの旅の終わりが近づいた。



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 2018年夏、四国との通信が途切れた。

 だが、俺たちにそれを気にすら余裕はない。

 日に日に増していく襲撃による精神面と肉体面での疲労。

 誰もが今を生きることに必死だ。それは、俺も。

 今はまだ、この録音を残すだけの余裕はあるけど、いつかは無くなると思う。その時の自分がどうなっているのか、それを想像するのがとてつもなく、恐ろしい。

 

 ☆★☆

 

 

 廃村の端っこに止まっているバスの中でピコンという音が鳴る。

 その音の発信源は少年が持っている携帯端末。そして、それが聞こえた少年は携帯端末の画面をしばらく見るとバスの窓ごしに雲が少しだけある青空を見る。

 2015年の7月。人類は空からやって来た白い化け物、バーテックスにより多くのものを喪った。

 

「……でも、まだ残ってる」

 

 そう、口にした少年の名は皆城一樹。2015年7月の地獄を生き残り、四国外にいる生存者の探索と救助を目的とした派遣部隊にいるバーテックスと戦える力を持つ少年だ。

 

「そうだな。お前のやるべきことはまだ沢山ある、一樹」

 

 呟きに答えるように一樹とは別の少年がバスの中に入ってきた。

 黒い服の上から猫の刺繍が沢山付いているエプロンをつけた少年。名を皆城総士。一樹とは血が繋がって居ないが兄弟である。

 

「今日の料理当番は羽佐間じゃないのか?」

「……羽佐間に急な検査が入ったから僕が代理を務めることになった。光洋はその付き添いだ」

「……そうか」

「お前のそれを僕は否定しない。だが、仕事を放棄する理由になる訳ではない」

「分かってるさ」

 

 一樹と総士がバスの外へと出る。バスの外には人が住めそうな建物の残骸のみが存在していた。

 一樹たち派遣部隊以外の人が存在しない壊された村。辛うじて食料や燃料はあっても生存者が見つかることがない。

 

「……ここにも、人が居たんだよな」

「ああ。だが、もう居ない」

 

 派遣部隊が生存者を探すために四国を出て早2年。

 それまでに見つかった生存者は僅か六人。その生存者も無事に四国へとたどり着けたのか一樹たちは知らない。

 だが、四国に辿り着いている筈なのに連絡がないということはおそらく、そういうことなのだと何となく一樹たちは察してしまって居た。

 

「諏訪は大丈夫なのか?」

 

 ふと、一樹が思い出したかのように総士に聞いた。今現在、確認されている人類の生存圏は四国と諏訪の2つ。

 四国は神樹によって守護されているのは知っているが、諏訪に関しては一樹を含め何人かは現状を知らされずにいるのだ。

 

「……厳しいだろうな。四国や僕たちとは違い諏訪に戦うことができるのは勇者一人だけだ。バーテックスの侵攻が強まればいつかは限界が来る」

 

 一樹の問いに総士は少しだけ躊躇ったが誤魔化しても無駄だと知っているため包み隠さずに現状を踏まえた考えを一樹に伝える。

 一樹は予想していたのかそれに何も言わずにただ静かな時間だけが過ぎていく。

 だが、その静かな時間は急に終わった。

 総士と一樹、二人の端末から警報のような音が聞こえてきたのだ。

 いや、警報のような音ではなくこの音は紛れもなく警報だ。

 自分たちの命を喰らおうと、自分たちの存在を消そうと空からやってくるバーテックスたちの襲撃を知らせる警報。

 平和な時間の終わりを告げる音だ。

 

「行くぞ、一樹」

「ああ、総士」

 

 端末に出ているアイコンを二人はタッチする。すると、二人の手に槍と銃が現れる。

 そして、それと同時に一樹も総士の上からバーテックスの群れが襲いかかって来た。

 総士が銃を構え、発砲するのと同時に一樹が飛び出しその手に持つ槍でバーテックスを切り捨てる。

 バーテックスたちとの戦闘が今ここに始まった。

 

 

 ☆★☆

 

 

 みんな、必死になって戦った。

 今ある命を守るために、あの時の約束を守るために。

 でも、俺たちはまだ知らない。

 もうすぐ、重大な選択を迫られることを。

 その先にある結末を。

 この時の俺たちはまだ知らない。



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 夏が過ぎて、秋が来た。

 ここに来るまでに見つけることができたのは白骨化した遺体のみ。

「生存者なんてどこにもいないのでは?」と誰もが考え始めた時、俺たちの仲間の巫女が神託を受け取った。

 次の襲撃はこれまで以上の数のバーテックスが来るという神託を。

 告げられた神託に俺たちの心は折れそうだった。

 2年半の旅で、何とかやり繰りしてきた物資は半分以上がなくなった。

 戦える者も俺を含めて六人。今までの襲撃でもかなり厳しいのにそれを超える数のバーテックスに来られたら俺たちは全滅だ。

 

 

 ☆★☆

 

 

 今日、全員で集まって話し合いをした。

 話し合いの内容は四国へ逃げ帰るか、それとも諦めずにバーテックスの襲撃を耐えるか。

 話し合いは逃げ帰るべきだと言う人が半数。まだ、諦めずに戦うべきだと言う人が半数という状況で硬直状態になった。

 バーテックスの襲撃の日まであと1週間。

 何も進まないまま、ただ時間だけが過ぎていこうとしていた。

 

 

 ☆★☆

 

 

 話し合いを始めてから3日が経った。

 話し合いの結果を言えば、半数ずつに分かれることになった。

 半数は四国へと帰り外の状況を伝える。もう半数はまだ生存者がいる可能性の高い諏訪へ行くことになった。

 総士は四国へと帰る方を選んだ。四国へ帰って残りの帰りを待つことを選択した。

 俺は、諏訪へ行く道を選んだ。諏訪へ行き、生存者を探す方を選んだ。

 それぞれが自分たちの選択をした。そして、この日の夜は少しだけ豪華なご飯を食べた。

 全員が笑いあって、写真を撮った。

 これが最後になるかもしれない。もう生きて会うことはないかもしれない。

 そんなことを誰もが考えていた。けれど、この時間だけは……みんな心から笑っていた。

 

 

 ☆★☆

 

 

 翌日、俺たちは別れた。

 必ず生きて四国へ帰る、そう全員が誓って笑顔で別れた。

その誓いが果たされる可能性は低いと誰もがわかっていながら。

 

 

 

 ☆★☆

 

 

 

 そこは、地獄だった。

 空を埋め尽くすほどのバーテックス。そして、バーテックスに破られた結界。

 為すすべなく蹂躙される人々。目の前で今日まで一緒にいた人たちが消えて行く光景はそれを見ていた人たちに2015年の7月末のあの日を思い出させていた。

 だが、それでも残った人たちは生きることを諦めていなかった。

 何故なら、残った人たちは知っているからだ。今もなお一人の『勇者』が戦っていて、その傍らには戦う力のない『巫女』がその戦いを目に焼き付けていることを。

 だからこそ、残った人たちは諦めない。これまで守ってもらった自分たちが勇者よりも先に生きるのを諦めるのは違うとそう誰もが思っているからだ。

 そして、残った人たちが思っているのはそれだけではない。

 今もなお戦っている勇者を助けて欲しい。自分たちを守るために戦っている勇者を助けて欲しいという思い。

 目の前でまた一人、一人と人が消えて行く。

 

 ────残った人たちの思いは確かに神樹に届いていた。

 

 バーテックスが口を広げて次の獲物へとその顎門を閉じようとする。

 

 ────だが、四国から戦力は送れない。まだその時期ではないから。

 

 怯える子供を親が庇う。そして、来るべき痛みに備えてその瞳を強く閉じる。

 

 ────だが、四国以外にも戦力はある。意図せず力を得てしまった勇者とは違う戦う者たちが、四国の外にいる。

 

 いつまで経っても訪れないそれに親は困惑しながら顔を上げる。いや、その親だけではない。生存者全てがその顔を上げた。

 誰もが静かになったからか遠くから聞こえてくる音に誰もが気づく。

 かつては、その音が聞こえるのが普通だった。それが道を走ることが日常の一部だった。

 

「────車」

 

 誰かがそう言ったと同時にその車────正確にはバスだが────の屋根から何かが飛び出した。

 それは、人々を軽々と飛び越えると人々を狙っていたバーテックスをその手に持った槍で切り裂き、その先へと目にまとまらない速さで向かっていった。

 何が起きたのか、分からない人々の前にバスが止まる。そして、扉が開いた。

 出てきたのは4人の子供。その子供たちは全員がその手に毛布などを持って残った人たちを次々とバスの中へと誘導していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バーテックスが集中している場所。そこに、二人の少女がいた。

 一人はその手に持つ鞭でバーテックスたちを倒すこの諏訪を守ってきた勇者『白鳥歌野』。

 もう一人はバーテックスと戦う勇者の姿を目を背けることなく見守る巫女『藤森水都』。

 勇者である白鳥歌野は身体中に傷をつけながら、増やしながらもバーテックスに怯むことなく戦う。

 その姿に目を背けたくなるものの藤森水都は、それでも目を背けることなくその姿を目に焼き付ける。

 既に、この諏訪が滅びる未来は確定している。

 そんなことは勇者である白鳥歌野も、巫女である藤森水都も理解している。

 勇者である白鳥歌野の体力はこれまでの連戦でかなり消耗し、さらには一人では到底捌き切れないほどのバーテックスの数。けれど、勇者は諦めずに戦い、巫女はそんな勇者を見届ける。

 肩で息をする白鳥歌野。既に戦闘が始まって一時間以上が経過している。連戦に次ぐ連戦。何時、疲労の影響が出てきても何らおかしくはない。

 絶体絶命の状況。もはや、死の未来が近づいているのを白鳥歌野も藤森水都も察している。

 

 

 ────そして、その時が来た。

 

 

 白鳥歌野の手から鞭が離れた。バーテックスによって弾き飛ばされたわけではない。疲労による握力の低下とによる滑りにより手から離れていっただけだ。

 しかし、それは今この場においては致命的だ。なぜならバーテックスを攻撃する唯一の手段を失ったのだから。

 バーテックスが二人の少女へと群がっていく。もはや、二人の少女にはどうすることもできない状況となってしまった。

 

「──────」

 

 そう、二人の少女には────。

 ドンっと衝撃とともに何体かのバーテックスがその身体を不自然に揺らした。

 群がっていたバーテックスが少しずつ少女たちから離れていく。

 それと同時に少女たちとバーテックスの間へと何かが割って入った。

 

「────なんで、襲う」

 

 少女たちの耳に声が聞こえて来た。

 少し高めの、少年の声。少女たちの目には自分たちより少しだけ身長の高い少年がその手に槍を持ってバーテックスから少女たちを守るように立っているのが見えた。

 

「なんで人を襲う!なんで……、なんで殺すんだーーーー!!」

 

 一閃、それは少女たちを救うためか……。

 それとも、怒りに任せてか……それは、本人にしか、わからない。

 だが、少年のそれが2人の少女の未来を変えたことにーーーー変わりはない。

 

 

 

 ☆★☆

 

 

 笑いあえる友達がいた。

 いつも隣にいてくれる人がいた。

 家族が、友達が、親友が、たくさんのものが奪われた。

 もう奪われたくないと望み、手にしたのは奪われないための力。

 その力に代償があると分かっていても、俺たちはその力を使い続けた。

 かけがえのない今を、大切なものを奪われないために。



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慟哭

 

 

 

 諏訪の人たちの救助は、一日半かけて行われた。

 その間、バーテックスと戦える力を持つ俺たちは休む時間を削り戦い、戦える力のない巫女たちや今は怪我と疲労で戦えない勇者が生存者を探し、バスへと誘導する。

 時間がかかるのは当然だった。

 救助できた人の数は勇者と巫女含め十数人。

 それ以外の人たちは救助の途中でバーテックスに喰い殺されたか、誰かを守るために自分を犠牲にした。

 早ければ、救えたかもしれない人がいた。

 俺たちに力があれば助けられたかもしれない人がいた。

 もっと頑張れば、『身代わり』という選択をさせなかったかもしれなかった。

 救った人の数だけ、いや、それ以上に救えなかった人たちがいた。

 そんな事は誰もが口にせずとも分かっていた。

 それでも、今は救えた人がいたことを喜ぼう。

そうでもしないと挫けそうになるから

 

 

 ☆★☆

 

 

 四国へ向けて移動してから一週間がすぎた。

 激しくなっていくバーテックスとの戦闘で思うように進むことができなかった。

 食糧、薬、弾薬……数に限りがあるものは日に日に減っていき、このままでは長く見積もって三週間……短く見積もって一週間しか保たないと大人たちは言っていた。

 一週間、その時間の短さに大人たちに焦りが出始めた。

 いや、焦り始めたのは大人たちだけじゃない。

 俺たちにも……焦りが出始めた。

 

 

 ☆★☆

 

 

 一週間経った。

 バーテックスの襲撃はより激しくなり────ついに、俺たちの中から戦えなくなった者が現れ始めた。

 目が紅くなり、身体がうまく動かなくなる。

 俺たちがいずれ辿ることになる末路がそこにあった。

 大人たちは戦線から外し、今できることをやった。

 それから、2日。

 そいつが────居なくなった。

 

 

 ☆★☆

 

 

 一人、居なくなった。

 それは、戦っている俺たちだけでなく救助した諏訪の人たちにも大きな衝撃を与えた。

 勇者と違い、神に選ばれず『偶然』力を手にした俺たちの末路。それを知り覚悟していた俺たちと違い救助した人たちはそれに『絶望』を感じてしまった。

 それでも、誰も諦める事だけはしなかった。

 

 

 

 ☆★☆

 

 

 3日が経った。

 四国へと通信ができるようになった。

 大人たちは大社の人たちに今の状況を伝えた。

 誰もが、ゴールが見えて来たことに喜びを隠せなかった。

 四国と本州を繋ぐ大橋が遠目に見える。

 俺たちの旅の終わりが近づいていた。

 

 

 ☆★☆

 

 

 

 ビービービーと忙しなくアラートが鳴る。

 煩いと本来なら誰もが思うが、今の彼らにはそう思う事はできなかった。

 窓から見えるのは空と数えるのも馬鹿らしくなるほどのバーテックス。

 そして、それらからみんなを守るために戦う勇者たちの姿。

 一瞬でも気を抜けない状況。だが、四国まであと少し。

 

「……絶対に、生きて帰るんだ」

 

 バスの前から来た数十体のバーテックス。それを一人の少年があっという間に倒す。

 身の丈ほどある槍と左手に持つ銃を巧みに操り、バスの進路を切り開く。

 

「一樹! もう道は切り開かなくていい!」

「分かった!」

 

 道を切り開いていた一樹に向けてバスの上でバーテックスを銃撃していた一樹と同じくバーテックスと戦える力を持っている少年春日井紅葉は一樹に暗に他の場所で戦ってる奴の援護に迎えと言う。

 一樹はその言葉に答えると紅葉の後ろに迫っていたバーテックスを槍で切り裂き、バスの後方へと向かっていく。

 目指すのはその後ろで戦っている勇者たちのもと。だが、その途中で一樹の目には不自然なものが映った。

 黒煙だ。

 一樹は少し思考し、結果勇者たちの援軍に行くのをやめてその場所へと向かった。

 木々の上を駆け、黒煙の発生源に辿り着いたと同時に一樹の顔が強張る。

 黒煙の発生源はバスの残骸だった。だが、それだけなら一樹は顔を強張らせはしなかっただろう。

 一樹の顔が強張った原因。それは、そのバスの残骸の周囲にあった。

 自分たちがよく知る銃、槍、剣が散らばっていてさらにはその周囲には赤いシミが出来ていた。

 

「……」

 

 一樹がそれに近づこうとした時、何処からか呻き声のようなものが聞こえてきた。

 一樹は、その声の位置へと身体を向ける。そこにあったのは同じく赤いシミ。けれど、それは草むらの陰に隠れるように続いている。

 一樹は走ってその跡を追って行く。そして、そこに辿り着いた時、一樹は息を呑んだ。

 

「……総……士……」

 

 そこには、皆城総士がいた。

 右足がなく、かろうじて両腕がつながっている状態。

 ――――生きているのが不思議なほどの重傷を負った。

 

「……一樹か」

「総士!」

 

 総士の声に一樹はしゃがんで応急処置を施そうとするが、それを総士は拒否する。

 

「何で!」

「無駄だ。もう、僕は助からない」

「助かる! 絶対に助かる! だから────」

「……無駄なんだ。一樹」

 

 何処か、悟ったような声で一樹に語りかける総士に一樹は違和感を抱きながら総士の顔を見て────固まった。

 総士の、目が紅くなっていたのだ。いや、それだけではない。

 総士の左目を覆うように結晶が現れていたのだ。

 それを一樹は、よく知っている。

 一樹たちが戦い続ければいずれ辿り着く末路。自分たちがバーテックスと戦う力を使う代償、それの末期症状だ。

 末期症状の手前までであれば延命の処置が今はできる。しかし、末期症状であれば話は別だ。

 今の、一樹にも、大人たちにも、四国にも末期症状はどうすることもできない。

 ――――皆城総士がいなくなることは確定してしまっていた。

 

「……一樹、椿を、頼む。お前も……知っての取り、あいつは……寂しがりや……なんだ。――――それと」

「止めろ、止めてくれ、総士。頼むから、いなくならないでくれ……っ」

「……あとは任せた。希望を――――」

 

 総士が自分の端末を一樹に無理矢理渡す。それと同時に結晶が左目を中心に総士の身体を全て覆い尽くす。

 そして、一樹の腕の中でその結晶は砕け散った。

 その光景はまるで花が散っていくみたいで――――。

 一樹の腕の中には、何も無くなった。先ほどまであった血の感触も、温度も、重さも。

 全てが無くなった。

 

「……総……士……っ。総士……っ!総士ぃぃぃぃ!」

 

 一樹の慟哭が周囲に響く。それに反応してか、バーテックスたちが向かってくる。人を容易く殺す牙が一樹を捉えようとするがそれよりも早く一樹の槍がバーテックスの身体を切り裂いた。

 

「………………せ」

 

 銃弾がバーテックスを打ち抜き、槍がバーテックスの身体を貫き地面に叩きつけられる。

 

「………………えせ」

 

 一体一体では勝てないと悟ったのかバーテックスが一斉に襲いかかる。だが、槍が、銃弾がその全てのバーテックスを蹂躙していく。

 

「…………返せ、みんなを────総士を返せぇぇぇ!」

 

 一樹の叫びが周囲一帯に響き渡った。

 

 

 ☆★☆

 

 

 

 交わした約束があった。

 生きて、四国で会おうと約束した。

 けれど、その約束は二度と果たされることがなくなった。

 それに対する悲しみが心に残った。

 でもそれ以上に大切な友達を殺された怒りが止まらなかった。



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 誰よりも信頼していた家族だった。

 誰よりも仲の良かった友達だった。

 俺よりも、生き残って欲しかった奴だった。

 何で、何で、お前がいなくなったんだ。

 何で、俺じゃないんだ。

 何で、総士が、いなくなったんだ。

 何で、俺じゃなくて、総士がいなくなったんだ。

 

 

 

 ☆★☆

 

 

 黒の影が戦場を駆け巡る。

 人としての限界を超えた速度、跳躍。

 出鱈目な速度、跳躍を繰り返しバーテックスを消していく。

 その光景は、四国まで無事にバスを送った紅葉。橋の前でバーテックスを抑えている歌野と同じくそこで戦っている一樹たちと同じ存在である『羽佐間翔子』と『西尾輝』の四人が見ていた。

 

 ────春日井紅葉はその光景から『怒り』を感じ取り。

 

 ────白鳥歌野はその光景から深い『悲しみ』を感じ取り。

 

 ────羽佐間翔子はその光景に不安を感じ。

 

 ────西尾輝は一樹らしくないそれに嫌な予感を感じ取った。

 

「総士を────返せぇぇぇ!」

 

 一樹の振るった槍から青白い閃光が遠くにいたバーテックスを薙ぎ払い、近くまで来ていたバーテックスは反対の手に握っている銃から放たれた銃弾によって地に落ちる。

 一騎当千とはこのことを言うのかと、紅葉たちは思うと同時に疑問に思った。

 これまで、一樹の戦いは見てきたがあそこまでの力は無いはずだと。

 一樹自身、高い身体能力と動体視力を持っているがそれでもあんな戦いをするところは見たことがない。

 いや、それ以前にそもそも一樹や紅葉たちのような勇者ではない者たちにあそこまでの力は無かった筈だ……っとそこまで紅葉が考えた瞬間、紅葉は嫌な予感を感じ取った。

 それが、何なのかは分からない。けれど、これ以上一樹を戦わせてはいけないと漠然とした予感が、確信があった。

 だからこそ、声を出した。

 

「……止めろ一樹! それは、駄目だぁぁぁ!」

 

 一樹に群がっていくバーテックスを銃で撃ち落としながら一樹へと近づいていく紅葉。

 急げ、急げと。このままでだと取り返しがつかなくなる。そんな予感に押されるように。

 だが、その足は紅葉の意思に背き、突如、止まってしまう。

 脳裏に響く鋭い痛みが、身体全体がまるで自分のものではないかのような感覚が紅葉に襲い掛かったのだ。

 

「……なに……が……ぁ……?」

 

 紅葉が自分の端末を操作して、その途中で止まる。

 それもそうだろう。端末の画面に映ったのは自分の顔と、紅く染まった右眼。

 それが意味するものを紅葉は知っている。そして、それは紅葉だけではない。

 翔子も、輝も、同じ時、それぞれの場所で同じ現象が起こっていた。

 それは、四国に来るまでの戦闘による反動。

 それは、自分たちの命の刻限。

 自分たちの存在が無くなる前兆だ。

 

「……俺がこうなら……一樹もっ!!」

 

 紅葉が慌てて一樹の方を見る。

 すると、一樹も跳んでる最中にそれが出たのか空中で身体がフラつきそのまま地面に落ちていくのが見えた。

 紅葉は痺れてきた自分の身体に鞭打ってそこへ行こうとするがその時を待ちわびていたかのように紅葉の近くにいたバーテックスたちが紅葉たちを喰い殺すためにその顎門を開けて近づいて来る。

 

「まだだぁ!!」

 

 だが、紅葉を襲おうとしていたバーテックスたちはそんな声とともに消え去った。

 

「まだだ、まだ……俺は……戦える!」

 

 紅葉の目に、身体から結晶が生えてそれでもなお戦おうとする一樹の姿が映る。

 

 ────行くな、一樹! 

 

 今すぐ紅葉はそう叫びたかった。けれど、口がうまく動かない。いや、口だけではない。身体も痺れて動けない。

 大人たちから話で聞き、自分たちも実際に目の前で見た末期症状だが、実際にそれを体験すると辛いものだ。

 

「……まだ、やれる! 俺は……まだ……やれる……ッ!」

 

 一樹の口から出る強い意志の叫び。すると、一樹の身体から生えていた結晶が砕け散る。

 砕けた結晶を背に一樹が加速する。

 向かう先はバーテックス。それも、不自然に数が集まっている場所。

 そして、完全に一樹の姿が紅葉の眼から消えると同時に四国の方から五つの影が飛び出した。

 それに、紅葉も一樹も、誰もが気がつかない。

 ただ、それに気づいたのはバーテックスのみだった。

 

 

 ☆★☆

 

 

 命の刻限が近づいていたのが分かった。

 感覚のなくなっていく身体、身体から出て来る結晶。

 自分がどこにいるのか分からなくなる感覚。

 このまま、戦い続ければ自分がいなくなる。

 その先に待つのが、自分自身の喪失だと知っていながら。

 大切なものを失ったという悲しみと、それ以上の怒りで戦うことを選び続けた、。



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戦士

 2016年の3月末から始まった俺たちの旅は終わりを迎えた。

 救助した生存者は十数人。

 派遣部隊の重軽傷者、八人。

 派遣部隊の死亡者……十五人。

 半分以上の仲間がいなくなった。

 派遣部隊の生存者八人のうち、戦える者は残り二人。

 もう俺たちには戦う以外の選択肢はない。

 あと、五人……いや、三人でも戦える奴が居れば、戦わない選択肢もあったのだろうか。

 でも、それを考えるだけ無駄だ。

 勇者以外でバーテックスと戦えるのは俺たち二人で、戦う以外の選択肢は無い。

 だから、戦いたくない奴でも戦わなければならない。

 

 ☆★☆

 

 

「本当に良いんだね?」

「はい」

 

 四国にある大社管理下の病院。その一室で一樹は医師と話をしていた。その内容は一樹たちの身体の治療薬についてだ。

 あの後、四国の勇者たちによって助けられた一樹たちは全員揃って、大社管理下の病院に搬送。

 検査と、端末の回収、治療を受けていた。

 最初は未知の現象に医師たちも困惑していたが、一樹が回収した総士の端末。そこに残されていたデータによって試験薬を作ることには成功した。

 だが、まだそれが安全かどうかは確認できておらず本来なら使うことはしないのだが……一樹たちの症状が酷いため急遽、本人たちに説明し了承を得た場合のみ使用することにした。

 紅葉、翔子、輝の三人は説明を聞いた上で了承。残る一樹は今、その危険性を聞いていたのだ。

 そして、医師の問いかけに対する一樹の答えは了承。

 

「……本当に良いのかい?失敗すれば君は今よりも酷く……残りの命が一瞬で無くなるかもしれないんだよ?」

「……それでも、可能性があるんですよね?なら、それに賭けます」

 

 再度確認する医師に一樹は苦笑して答える。

 医師はそんな一樹にため息を吐くと、近くの棚から注射器と薬、錠剤を一樹の目の前に出した。

 

「注射器の方は今から使うやつで、君のその末期症状を……理論上回復させる薬だ。

 そして、錠剤の方はこれから君がずっと服用し続けることになる末期症状の抑制剤だ。必ず、一日に一回は飲みなさい」

「はい」

 

 

 ☆★☆

 

 

 一樹たちが治療を受けてから数週間後。

 一樹たちは各々のペースで回復していき、今日、一樹と紅葉は退院することになった。

 医師や看護師にお礼を告げ、病院を出た二人はそこに待機していた大社の人の車で今日から住むことになる場所へと向かうことになったのだが……。

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

 気まずい、それが一樹が思ったことだった。

 大社の人は一樹たちを車に乗せるとそのまま一言も喋らず、紅葉も大社の人に対して口を開ける気配すら見せない。

 こんな紅葉は初めてだと一樹は疑問に思ったが、それを紅葉に聞くのは憚られた。

 何故かは分からない。けれど、それを聞くのは駄目だと感じていた。

 

「……着きました」

 

 時間にして小一時間。大社の人に声をかけられ、一樹と紅葉が車から降りる。

 そして、目の前にあるものに紅葉と一樹は驚く。

 

「……丸亀城」

 

 教科書で見たことのある建物が目の前であり、しかもそこがこれから過ごすことになる場所になることに一樹は唖然とする。

 そんな二人を無視して大社の人が車から一樹たちの荷物を降ろしていき、一樹たちに声をかける。

 

「……これから戦士様たちにはこの丸亀城で過ごしていただきます」

「……戦士?」

「あなた達のことです」

 

 一樹が大社の人の言葉の中で出てきた知らない単語について疑問符を浮かべると大社の人はそれに答えた。

 どうやら、大社は一樹たちを戦士という勇者とはまた違う存在として認識しているようだと一樹は思った。

 

「…………」

「……それでは、私はこれで」

 

 最後まで事務的な口調を治すことなく大社の人が去っていく。

 残された一樹と紅葉はお互いに荷物を手にして丸亀城へと歩いていった。

 

 

 ☆★☆

 

 

 俺たちの旅は終わった。

 でも、旅は終わっても俺たちの戦いは終わっていない。

 俺たちは戦う道以外を選ぶことができなかった。

 状況が、それを許してくれなかった。



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進めない者たち

 残された平和を守るために戦う勇者。

 残された平和を守るために戦う戦士。

 役目は同じ……けれど、その名称は違う。

 この時の俺たちは知らなかった。

 何故、大社は名称を勇者とは別にしたのか。

 何故、俺たちが勇者たちと共に過ごすことになったのか。

 その理由を俺たちは……まだ、知らない。

 

 

 ☆★☆

 

 

 約束があった。

 四国でまた会おうと、先輩たちと約束をした。

 四国で再会しようと、総士たちと約束をした。

 たくさんの約束、たくさんの未来。

 けれど、それらの多くは果たされることは無くなった。

 

「どうしたの一樹?」

 

 空き教室から夕陽を眺めていた一樹は自身の名を呼ぶ声に振り返る。

 振り返った先には黒髪の少女。巫女装束を着たその少女の名前は『皆城椿』。

 一樹の妹であり、一樹たちのようにバーテックスと戦うものではなく、神の声を聞きそれを伝える『巫女』である。

 

「……椿」

「もう授業は無いわ。早く帰りましょう」

「……そうだな」

 

 一樹がすぐ近くにあった自分の鞄を手に取り椿と並んで歩く。

 丸亀城を出て少し、歩いた場所。そこに、一樹たち戦士と派遣部隊にいた巫女が暮らす寮がある。

 勇者たちが暮らす寮よりは少し小さいが、それでも()()()()()()()()()()には十分すぎるくらいだ。

 

「……椿は、ここの生活に慣れたか?」

「もう慣れたわ。四国の勇者の人も優しい人が多いから」

「そうか……」

 

 安心したように一樹の頬が緩む。椿はそんな一樹を見るとムッと頬を膨らませて一樹と同じような質問をする。

 

「一樹の方こそここの生活に慣れた?」

「……慣れたさ」

「嘘ね」

「…………」

 

 椿の質問に一樹は答えるが、それは間髪入れずに否定される。

 椿の言葉は真実のため、一樹は何も言えなくなって黙ってしまう。

 一樹たちが四国で過ごしはじめて三週間。

 一樹は未だに四国の生活に慣れていなかった。

 

「これまで平和とは言い難い生活だったのは私も理解しているわ。

 それでも、今ここにある平和に早く慣れなさい。まだ、平和を感じられるうちに」

「…………」

 

 椿が何を言いたいのか、一樹はすぐに理解した。

 バーテックスが攻めてきたらその平和を感じる時間が無くなるかもしれない、だから今のうちにその平和を感じておけ。

 そんな意味が込められた椿なりのアドバイスだと、一樹自身も理解している。

 だが────。

 

「俺は──────」

 

 一樹が聞き取れないほど小さな声で言う。椿はその声を聞くと一度目を閉じて一樹のその手を握った。

 

「貴方がそう思っているのを私は知ってる。でも、覚えておいて私の家族はもう一樹だけだってこと」

 

 椿の言葉に一樹は弱々しく首を縦に振った。

 

 

 

 ☆★☆

 

 

 

 一樹と椿が話し合っていた頃、紅葉は大社管理下の病院の一室にいた。

 何故、紅葉がここにいるかというととある人のお見舞いのためだ。

 

「調子はどうだ? 羽佐間」

「前よりはマシだよ……。春日井くん」

 

 紅葉が声をかけた少女の名は『羽佐間翔子』。一樹たちと同じ戦士の一人で今はこの病院に入院している。

 紅葉は翔子の返事に良かったと頬を緩ませると、翔子が寝ているベッドの隣にある椅子に腰掛ける。

 

「春日井くんはどう? 学校生活、慣れた?」

「……全然」

 

 翔子の質問に紅葉は不機嫌そうに答える。

 紅葉と一樹、椿の学校生活が始まってはや三週間経っているが椿以外、すなわち紅葉と一樹はその学校生活にまだ慣れていなかった。

 

「もう、慣れなきゃダメだよ」

「分かってるよ……」

 

 不貞腐れるように紅葉が言う。

 紅葉自身、今の生活には慣れないといけないことは分かってるし、その為の努力もしている。

 だが、どうしても学校生活だけは駄目なのだ。

 

「羽佐間は……今の生活が良いと思うか?」

「────」

 

 紅葉が翔子に問いかける。

 その問いかけに対して翔子は何も返さない。いや、何も返せない。

 これは、翔子だけではない。一樹も、椿も、紅葉だってこの質問には何も返せない。

 確かに、四国の生活は外とは比べものにならないほど平和だ。バーテックスにいつ襲われるか分からない恐怖。何時いなくなるのか分からない恐怖。

 数えるのも思い出すことも億劫になる程の恐怖があった。

 けれど、それと引き換えにしてもあの時の生活は良かったと紅葉たちは言える……言えてしまう。

 何故ならそこには仲間がいたから。共に笑い、共に悲しみ、共に戦った仲間がいた。

 けれど、今はその仲間の多くがいない。いなくなってしまった。

 

「……ごめん、今日は帰るよ」

 

 紅葉がそんな翔子を見て顔を曇らせると席を立ち、病室から出て行った。

 その背を暗い顔をしながら見ていて翔子はポツリと漏らした。

 

「……そうだよね。まだ、私たちは前に進めてないよね」

 

 

 

 ☆★☆

 

 

 

 人はいつか、過去を乗り越え未来へと進む。

 けれど、まだ俺たちは過去に取り残されたまま。

 進もう、進もうと思い続けていても足は止まったまま。

 そんなことは俺たち全員が分かっていた。

 分かっていたけれど、進めない。

 まだ────進むことができるほど、心が癒えていなかった。



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戦士たちのーーーー

 誰もが何かを失っている。

 けれど、それでも前へ進もうとしている。

 それは四国の人たちも、勇者の人も……紅葉たちも。

 俺だけが、前に進めていない。

 前に進もうとしていない。

 

 

 

 ☆★☆

 

 

 

 皆城一樹にとって四国の勇者と巫女たちは眩しい存在だ。

 三年前のあの日に何かしらのものを失っているはずなのに、それでも前へと進もうとする彼女たちの姿は皆城一樹にとっては太陽と同じくらい眩しくて、目を逸らしたくなる。

 けれど、目を逸らし続けることは許されない。

 同じ場所で過ごし、これからは共に戦う仲間となるのだ。

 何時迄も目を逸らし、関わりを持たないようにするわけにはいかない。

 

「…………」

 

 だが一樹がそう思っていてもそれを良しと思わないものもいる。

 そう、いま一樹の目の前にいる大社の人のように。

 

「勇者様たちとの距離はどうですか?」

「……近づいていない……と思います」

「それは、良かった」

 

 大社の一部の人間は一樹たち戦士が勇者と共に戦うことを良しとしても勇者たちに関わることを良しとしていなかった。

 その理由は教えてもらったことはないし……一樹自身それを聞くことを避けている。

 

「では、今日のところはこれで。あと、勇者様たちの報告書の提出、キチンとやってくださいよ?」

「……分かってます」

 

 大社の人に返事をすると同時に一樹は部屋から出る。

 そして、そのまま大社の中を歩いて外へと出る。

 

「…………」

 

 外へと出た一樹は一度立ち止まり、大社を見る。

 一樹は紅葉たちのように大社に悪い感情をあまり持っていない。それは、大社が一枚岩ではないことを理解しているからでもあり────自分たちの命を救おうと奮闘している人物を知っているからでもある。

 

「どうしたの、一樹」

「椿……」

 

 大社を見ていた一樹の隣に来ていた椿が声をかける。

 一樹は椿がどうしてここに来ていたのか聞こうとしたが、今日椿と出かける約束をしていたことを思い出して止める。

 

「行きましょう」

「分かった」

 

 椿が一樹の手を取って先導する。一樹はそんな椿に任せるように手を握る力を少しだけ強めて付いていった。

 

 

 ☆★☆

 

 

 失ったものは戻らない。通り過ぎた過去には戻れない。

 だから次は失わないようにする。未来へと進む。

 そんな事はわかっている。

 しかし、多くのものを失い過ぎた。

 戻れない過去を見つめ続けてしまう。

 今も、俺の心は過去のまま。ただ、前に進む事なく時間だけが過ぎていた。

 

 

 ☆★☆

 

 

 

 春日井紅葉にとって四国の勇者と巫女は出来るだけ会いたくない存在だ。

 その理由は大きく分けて二つ。

 一つ目は紅葉が大社をある理由から憎んでいる。そして、その大社の傘下にいる(と紅葉はそう思っている)勇者たちも平たく言えばとばっちりでその憎しみの対象に入ってしまっているからだ。

 二つ目の理由は、もう会うことのできない仲間たちが関係している。

 紅葉はとある経緯で自分たちと諏訪の人たちが時間稼ぎに使われていたことを知っている。

 これまでいなくなった人や自分のたちの命が四国の力を蓄えるための時間稼ぎに使われていたことを知った紅葉は大社と、勇者に対してあまり良い感情を抱かなかった。

 いや、それだけではない。

 もし、四国の勇者たちだけでも援護に来てくれていれば翔子たちは力の後遺症に苦しむ事はなかったかもしれない。一樹と椿も総士を失わなかったかもしれない。

 そういったIF(もしも)が勇者たちと出会うたびに溢れてやまない。

 

「……クソッ!」

 

 秋の終わりが近いたころ、バーテックスが四国に侵入してきた。

 紅葉たち戦士や勇者は樹海と呼ばれる場所でバーテックスたちと交戦していた。

 だが、その戦況はあまり宜しくない。

 その原因は大きく分けて三つ。

 一つ目は、バーテックスが勇者たちと紅葉たち戦士を分断したこと。

 これにより分けられた者たちだけで、バーテックスの集団を相手にしなければならなくなった。

 さらに付け加えるなら、バーテックスが紅葉たち戦士の武器について学習したのか武器の射線の延長上に必ず勇者の誰かがいるため、紅葉と一樹は射撃武器の一部が使用できなくなった。

 二つ目は、進化体の存在。

 戦いが始まってしばらく経ってから急に現れたその進化体はバーテックスの群れの奥で待機し、適度にその身体に発生している矢を射出してきていた。

 これにより、勇者、戦士ともに合流ができない。

 そして、三つ目。おそらくこれが一番な要因だろう。

 連携がまったくと言って良いほど、取れていないのだ。

 それは諏訪の勇者と四国の勇者、戦士の連携という意味だけではない。

()()()()()()()()()連携が取れていないのだ。

 仲間内でそれぞれカバーをしている部分はある。けれど、それ以上がない。

 今はそれで誤魔化せるかもしれない。だが、この状況が続くのであれば確実に勇者もしくは戦士の中から死人が出る可能性がある。

 

「──────」

 

 射出された矢を避けながら紅葉はこの状況を打開する策を考える。

 四国の勇者たちに今のところ良い感情を抱いていないが、それでも目の前で死なれるのは気分が悪い。

 だから、勇者も戦士も誰も死なない策を考え続けていた紅葉の横を影が通り過ぎていった。

 紅葉が目を見開き、影の方を見る。

 影の正体、それは一樹だった。

 

「でやぁぁぁ!!」

 

 一樹が気合の叫びとともに手に持った槍を振り回しながらバーテックスの群れの中を進んでいく。

 紅葉はそれに驚きながらもすぐに一樹がその行動をした理由を察すると武器を狙撃銃からマシンガンに変えて援護に入る。

 一樹が対処できない場所にいるバーテックスを的確に倒しながらもその進路を開く手伝いをする。

 そして、紅葉がそれをすると信じて疑っていなかったかのように一樹はそこを進み、進化体へと近づいていく。

 

「──────」

 

 進化体が近づいてくる一樹から遠ざかりながら矢を射出する。

 その射出量はこれまでの比ではなく、矢の雨と表現するに相応しい量と速さ。

 紅葉がとっさに「一樹!」と心配の叫びを上げる。

 だが一樹はそんな紅葉の心配などお構いなしにその矢の雨を通り抜けていく。

 進化体と一樹の距離が僅か数秒で縮まる。進化体はさらに矢の量を増やすが────そんなことは無駄だと言いたげに一樹はその場から大きく跳躍した。

 あっという間に進化体がいる高さより上へと跳んだ一樹は矢が向かってくる前に持っていた槍を進化体へと投げた。

 投げられた槍はまっすぐと進化体の身体に突き刺さる。

 進化体が痛みからかその身体を大きく揺らす。

 既に矢の射出は止まっている。今なら近づいて攻撃ができると考えた紅葉は一気に近づこうとするがそれよりも早く、進化体に向かって落ちていた一樹が槍の持ち手にあるトリガーに触れた。

 すると、ガコンッという音とともに槍が真ん中から半分に割れた。

 そして、それと同時に一樹の身体にも変化が訪れる。

 槍を持つ手を覆うように翡翠色の結晶が現れ、一樹が身に纏っている黒色の羽織り。その一部が白色へと変化する。

 

「ああぁぁぁ!!」

 

 一樹の咆哮と共に放たれた蒼いプラズマは進化体の身体を消しとばす。いや、ただ消しとばすだけでは飽き足らずその奥にいた他のバーテックスも飲み込んでいく。

 世界が光で塗りつぶされていく。一樹の放った一撃がバーテックスを全て倒したのか……それとも、勇者たちが他のバーテックスを倒したのかは定かではないが樹海化が解けていく。

 戦いの終わりを紅葉は感じた。そして、それと同時に自分でも気付いてはいないが────紅葉は四国の勇者たちに失望した。

 

 

 

 

 

 ☆★☆

 

 

 

 

 初めての樹海での戦いは終わった。

 勇者、戦士ともに死亡者は無し。けれど、その内容はお世辞にも良いとは言えないものだった。

 だけど、今はその勝利を喜ぼう。

 この後に────何が控えていたとしても……。



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雰囲気

    

 問題は時間とともに解決してくれる……そう思っていた。

 しかし、時間は問題を解決しない。

 時間は進むことはできても、戻ることはできないし問題を解決することもない。

 結局は本人たち次第なのだろう。

 それでも、時間が解決してくれると信じていた。だから、何もしなかった。

 だから、こうなったのは俺のせいだ。

 

 

 

 

 ☆★☆

 

 

 

「……はい、今日の検査も終わり。お疲れ様」

 

 病院で検査を受けていた一樹は担当医師からそんな言葉をかけられ、捲っていた袖を戻す。

 樹海での初めての戦闘から三日。一樹は、検査のために入院していた。

 たかが検査のために入院と一樹は思っていたが、医師から説明された自身の状態のことを考えれば仕方ないと理解した。

 一樹は……いや、戦士たちは四国に来る直前、自分たちの力の後遺症、その末期症状になった。

 現在は試験薬によりその症状は改善され────()()()()()安全圏までの回復が確認された。

 そう、紅葉たちは。

 

「……どうなんですか? 俺の身体」

「正直に言えば……よく分からないと言わざるを得ないね」

 

 担当医師が一樹の質問に答える。一樹はその答えに「そうですか」と言うと自分の右手を見た。

 他の人たちよりも少し傷が目立つ手……しかし、その五本の指の付け根には指輪を嵌めたような痕が薄っすらと付いていた。

 

「担当医師としては、すぐに君には戦いを降りてもらって治療に専念してほしいのだけれど……」

「……すみません。でも、まだ戦えるんですよね?」

「…………そうだね」

「なら、戦います」

 

 担当医師が諦めたようにため息を吐く。このようなことは一樹が四国に来て検査を受け始めた時から言っているが、一樹はそれに首を縦に振ることは無かった。

 

「それで、君が死ぬことになってもかい?」

「……そうですね」

「君の症状は確かに良くなっている。けれど、未知の現象が起こっていて何が起こるか分からないんだよ?」

 

 皆城一樹はたしかに末期症状の危険域からは脱している。しかし、それと同時期……いや、もしかすると末期症状の危険域の時からそれとは違う未知の現象が身体の中で起こっていた。

 その原因こそ今は判明しているものの、それをどうにかする方法は確立されていない。

 

「知ってます。でも、戦うことを止めるのはできません」

「……そうか。なら、これ以上は言うことはないよ」

「失礼します」

 

 一樹が病室から出て行く。その様子を哀しげに見ていた担当医師は、すぐ近くに置いてあるカルテを見て呟いた。

 

「……命を削って戦う戦士にも、僕らを守ってくれている勇者たちにもできれば、休んでほしいのだけれどね」

 

 

 

 ☆★☆

 

 

 

 一樹が教室に入ると、何時もとは違う雰囲気があった。

 何時もより……ピリピリとしたその雰囲気の原因を探そうと一樹が辺りを見渡して、見つける。

 

「……紅葉」

 

 勇者たちの席と反対側にいる紅葉に一樹が声をかけた。

 紅葉はそれに気づくと一樹に一言「おはよう」とだけ言う。

 紅葉の何時もとは少し違うそれに、一樹は自分がいない間に何があったのかをある程度推測……しようとして、すぐにそれに思い当たった。

 三日前に起こった襲撃。そのすぐ後に一樹は検査のため強制的に病院へと連れて行かれたため、詳細は分からないがこの雰囲気と紅葉のこれまでの言動からおそらく四国の勇者に紅葉が何かを言ったのだろう。

 しかし、それだけならば本当にこんな雰囲気になるだろうかと一樹は首を捻るが考えてもどうせ答えは出ないと思い、止める。

 

「…………」

 

 一樹は紅葉と勇者たちの仲を良くしたいと思ってはいる。何時迄も、仲違いしているようではこの先の襲撃の何処かで死人が出るかもしれないと危惧をしているからだ。

 何とか仲を良くしたい。けれど、一樹自身も勇者たちと仲が良いというわけでは無い。元々、自分から誰かと関わることをしてこなかった一樹は大社の指示に関係なく勇者たちとうまく関われていないのだ。

 

「……今日は行くのか?」

 

 勇者たちに聞こえないように一樹が紅葉に聞く。紅葉はそれに首を縦に振ることで答える。

 一樹はそれを見ると、自分の席に座る。

 紅葉と勇者たちとの中間の席。けれど、一樹と勇者たちの席は人一人分のスペースが存在する。

 これは勇者たちが一樹を避けているからではなくただ単に何時もはそこにいる椿が今日はいないからである。

 それに一樹は少しだけ困ったような顔をする。今日の夜ご飯に何を食べたいのかを椿に描こうとしていたのにその本人がいないためどうしようかと悩もうとした時、椿の隣の席から視線を感じた。

 一樹が、その席の勇者────伊予島杏を見る。視線を感じたからそちらを見たためちょうど杏と一樹の視線がぶつかる。

 互いに、固まりそして杏が慌てて一樹から視線をずらして前を向く。

 一樹はそんな杏の様子に内心で首をかじけつつも同じように前を向く。するとチャイムが鳴り始めた。

 

 

 ☆★☆

 

 

 タンッと短い音と共に、数メートル離れた的が倒れる。もう一度、もう一度と同じ音が鳴り同じように的が倒れていく。

 そんな的を見ながら、一樹は手に持った訓練用の銃を目の前にある台に置いて、周りを見る。

 既に授業は全部終わっているため、誰も人はいない。一樹はそのことを確認すると再び銃を手に取り構える。

 ただ、今回はさっきまでと違い照準を定めると両目を閉じる。

 

「────」

 

 呼吸と風の音だけがこの場を支配する。そして、一樹が目を開けたその瞬間────翡翠色の結晶が一樹の腕と銃を繋いだ。

 そして、バンッと同じ銃である筈なのに全く違う音があまり一面に響いた。

 いや、違っているのは音だけではない。先ほどと同じ銃で撃ったはずなのにその威力は桁外れに強くなっており、先ほどまでは的が倒れるくらいの威力だったが今回のは的に大きな穴を開けるほどの威力を持っていた。

 

「…………」

 

 一樹が自分の手────正確にはそこにある結晶を見つめる。

 あの旅が終わった日に突如として一樹が使えるようになったこの力は大社も調べたものの、そのほとんどが未だにわかっていない。

 現段階で分かっているのは、勇者たちの『切り札』と同じか、それ以上の力ということと、まるで武器そのものと一樹が『同化』しているのではないかということだけだ。

 

「…………?」

 

 結晶が砕けると同時に一樹は誰かの視線を感じた。

 けれど、それは一瞬。一樹は気のせいかと思いながら片付けを始めていく。

 

 

 ☆★☆

 

 

 俺たちはそれぞれが何かを持って戦っている。

 例えばそれは怒り。ある勇者はその怒りを胸に戦っているように感じる。

 例えばそれは存在価値。ある勇者は自分の存在価値を得るために戦っているように感じる。

 例えば、例えば、例えば────。

 なら、俺は何のために戦っているのだろうか。

 四国の人を守るために? いや、これは義務だ。

 勇者たちを守るために? いや、それは託されたからだ。

 仲間を守るために? いや、それは当たり前だ。

 そうして────考えついた先に辿り着いた結論は、自分のいるべき場所を探すために戦っているということだった。

 

 自分のいるべき場所を探すために戦う。

 なのに、俺の戦い方は自分の事を度外視した戦い方。

 そのことに、今はまだ気づかない。

 自分の事だからこそ、気づかない。



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思惑

    

 互いが関わることを避けている現状でも、分かり合える方法を探していた。

 その方法が、きっと俺たちには必要なのだと思って……。

 けれど、そんな方法なんてものは存在せず、俺たちはまた一つ、何かを失いかけることになった。

 

 

 ☆★☆

 

 

 年が明けた一月下旬。

 勇者たちと戦士はそれぞれが別々のところにいた。

 勇者たちは高松市にある温泉へ行き、戦士たちは病院にいた。

 これだけ見ると差別されているように感じるかもしれないが、これは大社と戦士たちの要望が重なった結果だ。

 大社は勇者たちには日々の疲れを癒してもらいたい。

 しかし、その間四国が手薄になるのは避けたい。だから戦士たちには残ってもらいたい。

 戦士たち(紅葉が主だが)は勇者たちとしばらく離れていたい。

 そして、自分たちの症状の検査等をしたい。

 それらが重なり、また自分たちでも選んだのだから一樹は何も思うことはなかった。

 

「温泉」

「……椿は行きたかったのか?」

「行きたくないと言えば嘘になるわ。けど、私だけは嫌。一樹も一緒じゃないと」

 

 一樹が病院のベッドに腰掛けながら、近くの椅子に座る椿に問うと椿は一樹の目を真っ直ぐ見ながら答えた。

 その答えに一樹は苦笑する。一樹と勇者たちはともかく椿と勇者たちの仲はそこそこ良い。

 今回の温泉旅行に椿も一応誘われていたが、椿はそれを断っている。

 その理由を椿に聞いても椿は頑なに一樹に言おうとしない。

 

「……一樹、調子は?」

「調子は良いさ」

 

 椿の問いに一樹が自分の手を見ながら答える。それに椿は「そう……」と一樹から目を逸らしながら相槌を打つ。

 一樹たちの身体は四国に来た当初よりも格段に良くなっていた。本来ならば、これは喜ぶべきなのだが、椿にはそれを一概に喜べない理由がある。

 紅葉たちはともかく、一樹は一時は末期症状の先に行くか否かの場所にいた。それなのにも関わらず、一樹よりも遥かに軽い症状の紅葉たちと同じくらい回復している。

 これは、はっきりと言って異常だ。

 症状が重いものと軽いもの、どちらが早く回復するのかなど火を見るよりも明らかだ。

 なのに、一樹は紅葉たちと同じ早さで、同じくらいに回復している。

 

「……一樹」

「何だ?」

「一樹は────死なないわよね?」

 

 椿の問いかけ、それに一樹は答えることができなかった。

 物語の主人公であれば、ここは「死なない」とでも言うだろうが、一樹にはそれを言うことはできない。

 今は回復傾向にある末期症状、バーテックスとの闘い、いずれも不確定要素しかないもの。

「死なない」と言えるほど、一樹は楽観視できない。

 故に一樹はその質問に答えることができなかった。

 一樹が視線を逸らす。すると、一樹の身体に小さいながらも衝撃がきた。

 その衝撃の正体が椿が自分に抱きついたのだと一樹は理解する。そして、それとほぼ同時に一樹は椿の身体が震えていることに気付いた。

 

「…………」

「お願い……死なないで、一樹」

 

 椿の声に応えるように、一樹が椿を少しだけ強く抱きしめる。

 少しでも、椿の不安が和らげば良いと思って。

 

 

 

 ☆★☆

 

 

 超えたかった。

 かつて、やれなかったことをやろうとした。

 そうすれば、少しはこの重荷が楽になるのだと、必死に自分に言い聞かせながら。

 俺は……いや、俺たちは深い、深い闇の中へと沈んでいった。

 

 

 ☆★☆

 

 

 勇者たちが丸亀城へと戻ってきて半月が過ぎたある日、バーテックスの襲撃が起こった。

 時間が停止し、樹海が展開される。

 そして、その先にあったものを見て勇者と戦士たちはその表情を険しいものへと変えていた。

 

「……多すぎる」

 

 勇者の一人である『乃木若葉』が全員を代表してそれを口にした。

 全員の視線の先には端末に表示されたマップ────そこに表示されているバーテックスを表す印。

 その印はマップの大半を埋め尽くしており、明らかにこれまで以上の数のバーテックスとの戦闘があることを示していた。

 

「今までの十倍……? ううん、もっといるかも」

 

 そう口にしたのは『高嶋友奈』。その声には緊張が混じっている。

 それもそうだろう。これまで、四国を襲ってきたバーテックスの数は多い時で百後半程だったのに今回の数はそれを遥かに超えている。

 戦闘に慣れてきた四国の勇者、諏訪を守ってきたことにより、四国の勇者よりも戦闘に慣れている諏訪の勇者、そしてその諏訪の勇者と同じくらいの戦闘を経験している戦士たちにとってバーテックス一体一体を倒すことは難しくはない。しかし、これまで以上の数となれば状況は変わる。

 勇者と戦士、合わせて八人。数で押し切られる可能性もある。

 一樹と紅葉は、過去の経験からそれぞれが為すべきことを頭の中で考え、武器を出そうとした時────。

 

「私が先頭に立つ」

 

 若葉が、誰よりも早く地面を蹴り、敵軍へ向かって跳躍していった。

 

「待ってください、若葉さん!」

 

『伊予島杏』が制止の声をあげたものの、既に若葉は動いてしまっている。

 敵軍へ向かいながらすれ違いざまに抜刀し数体のバーテックスが切り伏せられる。

 その光景を見た紅葉は苛つきを隠そうとしないで慌てて銃を構え、その引き金を引こうとした時、バーテックスの動きの異常に気付いた。

 いや、紅葉だけではない。他の勇者も、一樹もそれに気づいた。

 

「どういうことだよっ!? あいつら、タマたちの方へ来ないぞ!」

 

 勇者の一人である『土居球子』がそう言うと同時に、一樹と紅葉はバーテックスが何をしようとしているのかを察した。

 それと同時に、紅葉は隠そうともせずに舌打ちをする。既に紅葉は何時でも銃を撃てるようにしていた。しかし、バーテックスの群れに若葉の姿が隠れてしまったために、その引き金を引くことができなくなってしまっていた。

 

「まさか────!」

 

 歌野が、友奈が、杏が、球子が、そして、『郡千景』もバーテックスたちの目的に気づく。

 

「バーテックスは、まず若葉さんを潰す気です……!」

 

 杏が叫ぶ。けれど、時は戻せない。

 既に若葉はバーテックスの群れの中。バーテックスたちの目的に気づいたところで、後手に回ったことに変わりない。

 バーテックスたちの群れの一部が別行動をし始める。

 

「……不味い!」

 

 紅葉が慌てて銃の照準を群れから外す。

 別行動をし始めたバーテックスたちが向かおうとするものの方が若葉よりも重要だと判断したからだ。

 何故なら、バーテックスたちが向かおうとしていた先にいるのは────神樹だからだ。

 それに気づいたのは紅葉だけではない。一樹も、勇者たちもそれに気づいて対処を始める。

 しかし、これも全てバーテックスの策だということはこの場の全員が理解していた。

 乃木若葉を救いに行けば神樹が手薄になり、神樹の方へ向かえば乃木若葉を見捨てることになる。

 乃木若葉と神樹、そのどちらを優先すべきかなど決まっている。

 

「…………」

 

 勇者たちが必死に若葉に声を届けようとしているのを聞きながら一樹は足を一度止めた。

 神樹を守らないといけないのを、一樹は勿論理解している。

 しかし、このままでは若葉はおそらく潰れる。バーテックスの思惑通りに。

 

 ────あとは任せる。

 

 一樹の脳裏に消えていった総士の姿が浮かぶ。

 思考は刹那、一樹は向かう先を変えた。行く場所はバーテックスが集まっている若葉のもと。

 一樹は自分が出せる最高の速度でそこへと走っていった。

 ────白い羽織を現出し、その腕に翡翠色の結晶を出しながら。

 

 ☆★☆

 

 

 戦いに勝つことはできた。

 けれど、残ったものは何だったのだろうか。

 それを知るのは各々だけ。

 しかし、結果は何も変わらない。

 重傷者が出たという事実と、勇者たちに不和ができたという事実はどうあがいても、変えることはできない。

 何故なら、人は未来(まえ)には進めるが過去(うしろ)には戻れないのだから。



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怒り

    

 たくさんのものを失った。たくさんのものを奪われた。

 それでも、残ったものがあった。

 それでも、守りたいものが残った。

 最後の仲間、大切な人、残った仲間の意思。

 だからそれを奪われるかもしれなかったのが怖かった。

 だから、俺は────。

 

 

 

 ☆★☆

 

 

 病院の特別治療室、そこには二人の人物が意識不明の重体で横たわっていた。

 一人は四国の勇者『高嶋友奈』。乃木若葉の独断先行とそれによる乃木若葉の危機を救うため動き、そして重傷を負った。

 包帯とチューブに巻かれている姿が痛々しいものの、幸いにも命に別状はない。

 もう一人は今は勇者たちと共に戦う戦士『皆城一樹』。高嶋友奈と同じく乃木若葉の危機を救うため動き、重傷を負った。

 友奈とは違いチューブは巻かれていないものの、身体の見える部分には包帯が巻かれている。

 一応、命には別状がないと言われているが、一樹には未知の現象が起こっているため友奈とは違い油断できないと言われている。

 そして、そんな友奈と一樹をガラス越しで見ているのは勇者と戦士、そして巫女。

 誰もがそれぞれ何を言って良いのか分からずに、静寂がこの場を支配していた。

 だが、そんな静寂もすぐに壊された。

 

「……これ、が────お前の引き起こした結果だッ!!」

 

 紅葉が若葉の胸ぐらを掴んで叫んだ。

 その叫び声は普段の紅葉からは考えられない程の声で、それ故に紅葉の怒りが辺りに伝わる。

 

「何で、こんな事になったのか……、お前は本当に分かっているのか!?」

「……分かっている。私の突出と、無策が全ての原因だ……」

 

 暴走と言っても過言ではない単独行動。それがこの結果をもたらしたのだと若葉は言う。

 だが────。

 

「違う……違うだろ……ッ!!」

 

 紅葉が胸ぐらを掴む力を強める。

 

「やっぱりだ! お前は……自分のそれがわかっていない! 一番の問題はお前の戦う理由だッ!!」

「戦う、理由……?」

「お前はいつも、いつも! バーテックスへの復讐のためだけに戦っている!! だから、怒りで我を忘れる! そして────自分が周りの人間を危険に晒していても気づいてすらいない!!」

 

 それは、一樹と紅葉、翔子が気づいたこと。

 一樹たち戦士は、若葉のような人を知っている。何故ならそれは死んでいった戦士の中で最も多かった者で、そして────最も仲間たちを危機に晒してしまった者でもある。

 

「今のお前は、勇者し────」

「言い過ぎよ、紅葉」

 

 誰もが若葉を庇護することができない中で、ただ一人紅葉を止めるために動いたのは椿だった。

 

「それに、ここは病院よ。静かにした方がいいわ」

「そうね。乃木さんも今、反省しているようだしこれ以上は紅葉くんもシャラップよ」

 

 椿と歌野が紅葉と若葉を引き離す。紅葉は椿の方を見て、すぐに目を逸らすとそのままそこから出て行った。

 後に残ったのは凍りついた空気と、機械音だけだった。

 

 

 

 ☆★☆

 

 

 

 勇者たちが全員、いなくなったそこで椿はただ一人、未だに目覚める様子のない一樹をガラス越しに見続けていた。

 その瞳には薄っすらと涙が溜まっており勇者たちがいなくなるまで頑張って耐えていたことが分かる。

 

「……一樹」

 

 椿がそっと呟く。その呟きは、当人にも、周囲にも響くことはなく、ただ椿の耳にのみ残っただけだった。

 

 

 ☆★☆

 

 

 その時の私たちにあったのは、バーテックスを撃退した喜びではなかった。

 誰かが犠牲になっていたかもしれないという現実。

 それを受け入れるのに……みんな精一杯だった。



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変わっていく者

      

 その日、丸亀城には二つの異常があった。

 一つは六つの誰もいない席。その内二つは未だに目覚めていない一樹と友奈の席だが、他の四つは神樹の声を聞く巫女と誰とも関わることをしなかった戦士の紅葉の席だ。

 巫女は昨日のうちに大社に行ったことが全員に伝えられているが紅葉に関しては何も伝えられていない。

 大社から何も連絡がないということは検査とかではないため、紅葉は学校をサボったのだろう。

 そして、もう一つの異常。それは乃木若葉だった。

 紅葉と違い学校にはキチンと来ているものの、その姿は今までの若葉とはまるっきり違っていた。

 いつものようなキリッとした雰囲気は微塵も感じられず、ずっと何かを考えているのか時折深いため息を吐く。

 勇者たちはいつも全員で食堂へ行き、昼食をとるのだが、今日の若葉は球子が何度も呼びかけても返事をすることはなく、諏訪の勇者である白鳥歌野とのうどんそば討論も行われていなかった。

 

「屍かっ!!」

 

 球子がそんな若葉にツッコミを入れるが、若葉はそれに気づくことなくスルーしてしまう。

 その様子に球子が肩を落とす。丸亀城はいつもと違う空気の中、今日も時間は過ぎていった。

 

 

 

 ☆★☆

 

 

 

 一方、紅葉は今もなお入院している翔子の病室に来ていた。

 

「……そっか。それで、今日はここにいるんだね」

 

 紅葉から先日のことを聞いた翔子はそう言うと紅葉の頬をその指でつついた。

 ムッと頬を膨らませていた紅葉の口から空気が抜ける音が聞こえた。

 それに紅葉は顔を赤らませて、翔子から距離を取ろうとするが翔子はそれに気づいていたのか紅葉の腕を掴んでそれを阻止する。

 

「春日井くんは……このままで良いの?」

「……良くないって分かってるさ」

 

 翔子の質問に紅葉がバツが悪そうに答える。それを聞いた翔子は近くに置いてある本を手元まで持ってきて、紅葉に見せる。

 

「この本ね、伊予島さんが持ってきてくれたの」

「…………っ!?」

 

 紅葉の身体に衝撃が走る。伊予島と聞くと真っ先に頭の中に思い出されるのは勇者である伊予島杏の姿。しかし、それをすぐに否定する。

 杏はこの病室を知らないはずだと。そもそも、勇者がここに来るわけがないと……。

 しかし、その紅葉の考えは翔子自身から否定された。

 

「……きっと、今春日井くんが考えている。勇者の伊予島杏さんから借りたんだ」

「…………」

「……一樹くんとね、一緒に来てくれたんだ」

「一樹と……一緒に……?」

 

 紅葉があり得ないと言いたげな顔をする。

 一樹の人付き合いの下手さは紅葉だけでなく、戦士全員の共通認識であったからだ。

 そしてもう一つ、紅葉から見て一樹は勇者と関わることを不自然なほど避けている節があったからだ。

 

「……うん。意外だよね。でも、本当なんだよ」

 

 翔子がその時のことを思い出す。

 前回の戦いの一週間くらい前に一樹が珍しくお見舞いに来た。

 その時の翔子は一樹がお見舞いに来るのは珍しいと思っていたのだが、その隣に椿以外の人がいたことに驚いた。

 しかも、それが勇者であることも合わさって、そうそう忘れられそうにない記憶となった。

 

「その時の一樹くんね、まるであの頃に戻ったような顔をしてたの」

「……一樹……が?」

「うん。総士くんがいなくなってから、私たちの前であまり笑わなかったのに、その時だけ少しだけ笑ったんだ」

 

 証拠の頭に思い出されるのは紅葉と翔子の話を聞いた杏が目をキラキラとさせて根掘り葉掘り聞こうとし、それを一樹に止められていた時のことだ。

 その時の一樹は、いつものように何かから目を逸らしているような表情ではなくかつてのよう……とまでは行かないまでも笑っていたのだ。

 

「……一樹くんも、前に進もうとしてるんだと思う。だから、春日井くんも前に進も?」

「…………」

 

 紅葉が静かに己の手を見る。

 これまで仲間を守ろうと銃を握り、敵を倒してきた己の手を。

 目を閉じて思い出すのは前回の戦い。復讐と怒りに呑まれ、全体を危険に合わせた若葉の姿と、その若葉を助けるために飛び込んでいった友奈と一樹の姿。

 本音を言えば、紅葉はその時若葉を助ける選択を最初は選んでいたのだが、途中からその選択を外した。

 自業自得だと。自分が今、優先すべきは神樹だとして若葉を見捨てる選択をした。

 それが間違いかと言われると、間違いではないと紅葉は思う。

 戦士は四国の結界を維持している神樹を守らなければならない。

 神樹と勇者一人を天秤に掛ければ、そこにかかっている命のことも考えれば神樹を選ぶのは間違いではない。

 

「……でも……」

 

 だが、一樹は神樹より勇者一人の方を優先した。

 その理由が紅葉には分からなかった。何故、神樹より勇者一人の命を優先したか。

 

「……春日井くん。一樹くんは、春日井くんたちを信じたんだと思うよ」

「…………え?」

 

 自分の悩みが分かっているかのように言った翔子の言葉に紅葉が目を開ける。

 

「一樹くんは……いつもそうだから。その人が大丈夫だと思ったら、その人に任せて自分は別のところに……」

 

 翔子の言葉に紅葉は外にいた時のことを思い出した。

 確かに一樹は連携を取りつつも、大丈夫だと自分で判断するとそこを任せて自分は危険な方に行くか奥へと行き生存者を探していた。

 その度に総士が「まかされる方も大変なんだがな」とボヤいていたのもついでに思い出してしまい口元が緩む。

 

「……仲間を信じる。一樹くんは、きっと勇者の人たちを仲間だと思ってる」

「その割には、関わっていないけどな」

「……そこは、ほら一樹くん。人と関わるのが苦手だから」

 

 暗くなっていた病室の空気が紅葉の軽口とともに和やかになっていく。

 

「……まぁ、()()()()が変わったら考えるさ」

「……! うん。そうしたら良いと思うよ」

 

 素直じゃないなぁと思いながら翔子は窓から外の景色を見る。そこにはいつもと変わらない景色が広がっているのだと思ったが、いつもとは少し違う声が外から聞こえてきて、自然と口角が上がった。

 

「……その時は、意外と早いみたいだよ。春日井くん」

 

 

 ☆★☆

 

 

 古い道に縛られるのは止めた。

 そして、自分だけの、新しい道を探し始めた。

 何を目印にすれば良いのか、どう進めば良いのか、全く分からない。

 でも、それでもその道を進むことは選んだ。

 その先に、今まで以上の何かがある事を漠然と感じながら。



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変わる者

     

 紅葉と翔子が会話をした翌日、一樹と友奈が目を覚ました。

 その連絡はすぐに勇者と戦士たちに伝えられその日の放課後には友奈のところには勇者たちが、一樹のところには紅葉と翔子が来ていた。

 

「もう大丈夫なのか?」

「あぁ、明日からは一般病棟の個室に移動らしい」

「そうか、なら良かった」

 

 一樹と紅葉が話しているのを翔子は見ながら微笑む。

 そしてしばらく話していると一樹は紅葉に違和感を感じた。

 

「なぁ、何かあったのか?」

「え?」

「いや、だって……」

 

 楽しげに一樹が眠っていた間の学校生活のことを話していた紅葉に一樹は翔子を見る。

 翔子は一樹の視線に気づくが何かを言うことはせずただ静かに微笑んでいる。

 

「……学校について、楽しく話してたからさ」

「…………」

 

 一樹の言葉に紅葉は気まずげに目を逸らす。だが、それも数秒ですぐに一樹に目を合わせて言った。

 一樹が眠っていた間のことを。一樹と杏がみんなに内緒で翔子のところに来ていたのを翔子自身から聞いたこと。翔子の病室で若葉たちと話し合ったこと。

 そして────勇者たちと紅葉の間にあった確執がなくなったことを。

 ……あとついでに一樹がいない間の食事を勇者たちと共にしたことも。

 紅葉の言葉を一樹は真面目に(最後だけは苦笑いになった)聞いていた。

 

「……そうか、紅葉は凄いな」

「そうでもないさ。俺はいつでも一樹と……羽佐間に助けられてばかりだからさ」

「でも、前には進んでる」

 

 一樹の言葉に紅葉は……いや、紅葉と翔子は一樹の言葉にハッとした顔をした。

 翔子と紅葉はその一樹の顔に既視感を感じ、それにすぐに思い当たった。

 何故なら、それは紅葉が、翔子がたまにしていた顔。

 戻れない過去を思い、現在から逃避して、現在よりも先にある未来から目を逸らしてきた紅葉たちと同じ、影のある顔を一樹はしていた。

 しかしそれも一瞬、一樹はすぐにいつも通りの明るくもなく暗くもない顔に戻る。

 

「今度、勇者の人たちにお礼をしないとな」

「……一応聞くけど、何をする気だ?」

「…………料理、だな。それ以外はちょっとな」

 

 料理と聞いて紅葉は納得する。一樹の料理の腕は派遣部隊の時から知っている。一樹の料理なら何も心配ないかっと思いながら紅葉はかつて作った自分の料理を思い出す。

 野菜炒めを作ったはずが、出来上がった物は紫色に変貌し叫び声が聞こえてきそうな形容し難い何かだった。

 箸でつまんでみればドロっとした感触が伝わってきて、口に入れればドロっとした見た目からは想像ができないしっかりとした歯応え、そして────思い出すのを本能が拒否するレベルの味覚に対する(不味さという意味での)暴力。

 

「……大丈夫か紅葉?」

「どうしたの春日井くん?」

 

 一樹と翔子が紅葉に聞く。紅葉はそれになんでもないと答えようとするが、紅葉の顔を覗き込むように近くまで来ていた翔子の顔に驚き慌てて離れようとするが、椅子につまづき翔子を巻き込むように倒れてしまう。

 三つのものが倒れる音が響く。一つは椅子だが残りは紅葉と翔子だ。

 翔子を衝撃から守るように下になっている紅葉とその紅葉に覆い被さるように倒れた翔子。

 それをベッドの上から見ていた一樹はその光景を何処かでみたような気がしていたが、やがてそれが杏に読ませてもらった少女漫画で出てきたものだと思い出す。

 

「……そういえば、あの続きって────」

 

 一樹がその後の展開まで思い出そうとしたその時、バタバタと外から足音が聞こえてきた。

 

「「「大丈夫か(ですか)!?」」」

 

 バンっと扉を開いて来たのは若葉と杏、球子の四国の勇者三人組。

 三人はまず最初に、一樹を見てそしてそのまま視線が下のほうにいく。

 ……いってしまった。

 翔子と紅葉の姿を見た三人の反応はそれぞれが別だった。

 若葉はそれを見て呆け、球子はそれに顔を赤くし、杏は興奮状態に入った。

 そして、紅葉が……いや、紅葉と翔子が三人に気づいた。それと同時に自分たちの今の状況を思い出した紅葉と翔子は二人揃って熟した林檎のように顔を真っ赤にすると慌てて挽回しようとした。

 

「……邪魔をしたな」

 

 若葉がピシャッと扉を閉める。紅葉と翔子は慌ててその扉を開けて何処かへ行った勇者たちに追いかけて病室から出て行った。

 

「……変わったな、紅葉」

 

 少し寂しげに、けれど嬉しそうに一樹はその扉を見てそうつぶやいた。

 

 

 

 ☆★☆

 

 

 人は時間の中で変わっていく、成長していく。

 一人の戦士は勇者たちと関わり、前へと進んだ。

 変化し、成長した勇者たち。だけど、それに喜ぶ時間はなかった。

 次の試練が四国に近づこうとしていた。



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