にくまんラプソディ (恵ノ島すず)
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にくまんラプソディ

 

 私は、にくまんが好きだ。

 

 ほかほかふわふわの皮、美味しい肉餡。安くてもハズレはまず絶対にない安定感。

 お高めの、タケノコの触感が際立っているにくまんや、肉のジューシーさがしっかり味わえるにくまんも好きだ。

 ピザまんやカレーまん、期間限定の変わり種系もそれなりに好きだが、やっぱりスタンダードなにくまんが一番おいしいと思う。あんまんは死ね。

 ほっとする味、やっぱりこれだよねと思える味。

 

 それが、にくまん。

 

 だから、早朝のコンビニバイトを終えた私は、11月29日つまりいいにくまんの日の今日も、にくまんをほおばりながら全力ダッシュをキメていた。

 いや本当は、ちゃんとにくまんを味わってから学校に行きたかったんだ。

 でも、今日はバイト中、常連のおばあちゃんが写真をプリントアウトするのに付き添っていたら、思いがけず遅刻ぎりぎりになってしまったわけで。

 

 きゃー、遅刻遅刻ー。

 

 そう言いたいところだが、口はにくまんで埋まっているので、私はただもぐもぐする。

 美味しい。しあわせだ。

 あー、高い方のにくまんも美味しいけど、毎日食べてるこの味が、やっぱり私の……

 

 などと。

 

 にくまんに集中し過ぎていたのがいけなかったのかもしれない。

 

「うっ、わ……!」

 

 私は校舎に入ってすぐ、自分の教室近くの曲がり角で、むこうから来ていた誰かと、ぶつかりかけてしまった。

 

「っと、おいおい、あぶないな……」

 

 誰か、というか、男子生徒だ。制服を着ている。

 ずいぶん背が高い。

 細身に見えるが、軽々私を抱き留めてくれた腕は、意外にたくましい。

 

 謝罪とお礼を言わねば。そう思うも、私の口には現在咀嚼中の肉まん(2つ目)が……。

 とりあえずおそるおそる顔をあげ、抱き留めてくれた相手を見る。

 

「は……?……ぶはっ!に、にく、まん……!あはははははっ!」

 

 私を受け止めてくれた彼が、人の顔を見るなり盛大に笑い始めた。

 腹を抱えてげらげら笑い始めた彼の腕からそっと抜け出てみたものの、彼の笑いは一向に収まる気配がない。ŧ

 なんだ。花の女子高生がにくまん咥えて全力ダッシュは、そんなに面白いか。ŧ‹”

 ……面白いかもしれないな。

 

 この、やたら金持ちの家の子ばかりが通っている名門私立高校では、そもそも私以外の女生徒は、えらく上品だ。ŧ‹”ŧ

 早朝からバイトをしなければいけないほど困窮した生活を送っているのは、奨学生の私だけ。ŧ‹”ŧ‹”

 お嬢様方はたぶん朝食に百円のにくまんは選ばないし、まして口に咥えてダッシュしない。もぐもぐごっくん。

 

「ははははははははっ!……はー、はー、いやぁ、笑わせてもらった。面白いな、お前」

 

 私がにくまんを食べ終えると同時に、ようやく笑いが収まったらしい彼が、そう言いながら目じりに浮かんだ涙を指でぬぐっていた。

 

「そりゃ、どうも。八星(やつぼし)様に笑っていただけるなんて、光栄の極みです。あと、先ほどはぶつかってしまい、申し訳ありませんでした」

 

 私がそう言って頭を下げると、頭上から、不思議そうな声が聞こえた。

 

「んんん?あれ、君、俺と知り合いだっけか?」

 

 知り合いではない。私が、一方的な感情で、一方的に知っているだけだ。

 

「いえ、はじめましてです。御沓(みくつ)三咲(みさき)と申します。1年理系特進1組に所属しています。八星様は、私みたいなモブと違って、有名な方なので。入学式も、生徒代表で挨拶をなさっていましたし」

 

 私は精いっぱいの嫌味を込めてそう言ってみるも、彼は納得したような表情でうなずいただけだった。

 

「ああ、そんなこともあったっけか……。同じ学年なら、敬語とかいらなくね?三咲って呼んでいいか?俺も、天神(あまがみ)で良いから」

 

 出たよ。

 イケメン特有の急激な距離の詰め方。

 

「はあ……、ご自由にどうぞ」

 

 私は極力そっけなく、力強く眉間にしわを寄せながらそう言ってみたものの、八星(やつぼし)天神(あまがみ)は、快活に笑った。

 

 こいつは、自分が拒否されるとか、自分の望みがかなわないとか、自分が他人に嫌われるとか、みじんも、可能性すらも思い浮かばないんだろう。

 

 1年文系特進1組所属。

 文系としては学年トップの成績を誇る八星天神様は、それこそ天の神様にえこひいきされまくっているのかな?というぐらい、なんでもできる。

 まず家が金持ち。まあこの高校の生徒はだいたいそうだけど。八星様は代々色んな商売を手広く経営している家系の生まれらしい。

 よくわからんが運動もできるとか。

 そして顔がいい。

 

 まあ、そんなもんはどうでもいい。

 世の女子高生と違い恋に恋したりイケメンにきゃーきゃー言ったりする余裕も暇もない私には、関係のない話だ。

 八星様がなにもかもに恵まれたイケメンというだけであれば、私が彼の名前を覚えていることはなかっただろう。

 

 ただ、入学式。その新入生代表挨拶。

 その役目を見栄えと寄付金の額で八星天神に奪われた身として、その名その面が忘れたくとも忘れられなくなってしまっただけだ。

 

 この高校は、理系クラスの方が偏差値が高い。

 それもあって生徒代表は、本来理系特進の入試1番通過者、つまり私がつとめるはずだった。

 それを、見目内申家柄その他を考慮した結果、例年の例を蹴っ飛ばして文系特進入試1番通過者の八星様がつとめることとなったとか。

 

 非常に腹立たしかった。

 

 八星様をうらむのは筋違いだ。そうわかってはいた。

 けれど、なにもかも持たない私が唯一持っているはずの、学力。その結果としての新入生代表の誉れ。

 それを、なにもかも持っているこの男に奪われた、というのが、その構図が、あまりにみじめで悔しくて腹立たしかった。

 

 だから私は彼に鬱屈とした感情を抱き、その名その面をしっかりと覚えていた。

 どうせ、理系と文系に所属する私と彼が、すむ世界が違う私たちが、かかわり合いになることなんて、まずないというのに。

 

 だというのに。

 

「おはよう三咲、今日はにくまんは食べてないのか?」

 

「……ちゃんと、バイト先で食べてから来ましたので」

 

「にくまんを?」

 

「ええ、はい、にくまんを」

 

「今日も朝から、しっかり1にくまんを接種してきたと」

 

「……今日は店長が廃棄時間ギリギリのやつをタダでくれたので、3つ食べましたね」

 

「さすがすぎる。やっぱりお前は最高の女だよ……!」

 

 なぜに私はあれから毎日、この調子で八星天神に付きまとわれ、よくわからない褒め言葉をうっとりとなげかけられ、謎に彼の周囲の女子に睨まれるはめになっているのか……。

 

 わけがわからない……。

 

 

 ――――

 

 

「ねぇ、八星様、なんでそこまで私を気にかけるんですか?私のくわえにくまん全力ダッシュは、そんなに面白かったんですかね……」

 

 わけがわからなかった私は、付きまとわれ始めて一週間が経過した今日、思いきって八星様に直接そう尋ねてみた。

 

「だから、敬語もいらないし天神でいいってば。……なぁ、これ、何回目?三咲って、がんこだよな」

 

「八星様はしつこいですね」

 

 もはや恒例となったこのやりとりは、日に2、3回はやっているので、たぶん2桁はこえている。

 が、しばらくまっすぐに視線をぶつけ合った後、八星様がため息とともに目を反らすところまでが規定路線だ。私は譲らない。

 

「……まあいいけど。で、なんの話だっけか」

 

「八星様が私にちょっかいをかけている理由です」

 

「あー、それなー。まあ、面白かったのもあるけど、あの日、にくまんを口にしていた三咲が、あまりにもかわいくて衝撃的だったから、かな。

 たぶん、一目ぼれ」

 

「……は?」

 

 さらり、と、いきなりぶちこまれた妙な褒め言葉と告白めいた言葉に、私は全力で首をひねった。

 思わぬ低音の『は?』が出てしまって自分でも密かに驚いていると、正面からそれをぶつけられた八星様は、若干焦った様子で言葉を紡ぐ。

 

「いやその、まず、にくまんがかわいいだろ。で、三咲もかわいいだろ。つまり、にくまんを食べてる三咲は、最強にかわいい、だろ?」

 

「私はかわいくないですし、まず、から意味が分かりません。にくまんってかわいいんですか?少なくとも、私はにくまんにかわいいって感情を抱いたことはないんですが……」

 

「……は?」

 

 私の率直な感想に、今度は八星様から『は?』が飛び出た。

 私のものとは違い、本当に虚を突かれたかのような、ぽかんとした感じのものだったけれども。

 

「いや、なんでそんなびっくりしてるんですか。普通、にくまんをかわいいって思うことはないでしょうよ。私も、にくまんは好きで毎日食べてますが、美味しいなぁとは思えどかわいいなぁとは思ったことないです」

 

 きっぱりと私が断言すると、八星様は若干涙目になり、震えた。

 

「あ、あんなに丸いのに……?白くて、ふわふわのほかほかなのに……?」

 

「わかったお前変な奴だな?」

 

 心底ショックを受けた表情で、弱弱しく尋ねてきた八星様に、私の敬語がうっかり消失した。

 かなり乱暴な問いかけをしてしまったが、彼は素直に頷いた。

 

「ああ、確かに俺はよく変だって言われるな。でも、にくまんは、白くて丸くて手のひらサイズで……、客観的に見て、にくまんは、かわいいでしかないだろ!?」

 

 わからん。

 さっぱりわからん。

 さっぱりわからな過ぎてなにも言い返せない私にむかって、八星様は饒舌に語る。

 

「にくまんのあの頭の模様もおしゃれで、最高にかわいいじゃないか!手作り感溢れるでこぼこフォルムでも、機械で形作られたつるっとしたフォルムでも、にくまんは、かわいい!!そうだろ!?」

 

「あそこ頭なんですか……?」

 

 私がそうまぜっかえすと、八星様は幾分か冷静な表情でうなずいた。

 

「あそこが頭だろ。顔がこっちだから」

 

 当然のように言われても。知らんわ。にくまんに顔ないだろ。

 

「まあ、にくまんに顔を描くとしたらここしかないかなって位置はありますけど……。イマイチわからない感覚ですね」

 

「そ、そんな……」

 

『心底ショックを受けました』みたいな表情で、八星様はうなだれた。

 なんだこれ。お金持ちの間ではにくまんは顔がついていて当たり前なのだろうか。

 みんな、『あらおたくのにくまんはずいぶん愛らしいですわねオホホホホ』『おたくのにくまんは頭のくるり加減がすばらしいですわねウフフフフ』とかやっているのだろうか。

 なんかブームとか起きているのか?にくまんの?

 んなわけないだろ。

 

 私が未知の文化に恐々としていると、ふいに八星様がぶつぶつとなにかつぶやいていることに気づく。

 

「……なんてことだ。つまり、三咲はかわいいの天才だったんだな……。天然モノ……。野生種のにくまん……。ポニテにセーラー服萌え袖のカーディガンを重ね口にはにくまんという完璧なスタイルは、まさかの計算ではなかったと……」

 

「ポニテは楽だからですしセーラー服はうちの女生徒全員ですし服の袖が余り気味なのはきっとまだ身長が伸びるという信条のたまものですしにくまんは美味しいからですね」

 

 野生種のにくまんってなんだよと思いながらも冷静にそう指摘すると、八星様はなぜか私の頭のてっぺんからつま先までをまじまじと眺めた。

 

「……女子で高校生で、そこまで身長が伸びるってのは、あんまり聞かないな」

 

 げしっ

 私は、反射的に彼の脛を蹴った。

 

「ああ、ごめんごめん。うん、三咲はいっぱいにくまんを食べているからな、きっとすぐに大きくなれるさ!」

 

 そう言ってぽんぽんと人様の頭をなでる八星様の瞳は、慈愛に満ちていた。

 ノーダメージかよ。

 というか、勝手に女子の頭を撫でるな。さすがイケメン自分が拒否されると想定していない。

 

「まあ、私の身長はこれからすらりと伸びる予定ですが、にくまんを過信しすぎでは……。八星様は、なぜそこまでにくまんにとち狂っておられるので?」

 

 私は、率直にそう尋ねてみた。

 

「とち狂ってはいないと思うが……。俺がにくまんを好きなのは、にくまん原体験があるから、かな」

 

「はぁ……」

 

 あ、やべえ、なんか長くなりそう。

 そう直感した私の返事は実に気のないものだったが、八星様は気分を害した様子もなく、ぽつりぽつりと語りだす。

 

「俺さ、そこそこ裕福な家のうまれで、しかも両親の長年の不妊治療の果てにうまれた、念願の一粒種なんだ」

 

 そこそこ、っつか、規格外の金持ちだろ。今建設中の新校舎の建設費、全額八星家から出てるって聞いてますが。

 しかも、念願の一人っ子とか、じゃぶじゃぶお金かけてそう……。

 貧乏子だくさん7人兄弟の3番目、兄も姉も弟も妹も全種なんならダブりもいる私はひそかにうらやましく思ったが、当の天神などという大層な名前を付けられた彼は、少し疲れたようなため息を吐いた。

 

「たぶん、だからだと思うんだけど、うちの両親、けっこう過保護で。特に母さんが、ちょっとすごくて。俺が小学生くらいまで、母さん俺の食べるものにめちゃくちゃ気合いいれてたりしたんだよな……」

 

「ああ、まあ、そうでしょうね」

 このひとはたぶん、タイ産の鶏肉をキロで買ってきて唐揚げの山にしてみんなで奪い合う経験をしたことはないだろう。

 いいものを優雅に食ってそうだという私の予感は、どうやら正しかったらしい。

 

「そうなんだよ。おやつすらも全部、母親が材料から厳選して手作りしてて。外食はたまにあったけど、それも、ドレスコードがあるような店のもの以外は、俺の口にはふさわしくないとか言われちゃって……」

 

「……ポテチを食べた後の指舐めたこともない小学生は、ちょっとかわいそうかもしれないですね」

 

 そんな私の感想に、彼は笑った。

 

「ああ、そういうの、なかったな。なんせ、中学生になって初めて、1人で買い食いが許されたから。

 それで、そのとき、初めての買い食いのとき食べたのが、コンビニのにくまん。いやぁ、衝撃だったな……」

 

 どこか遠い目をして、彼は続ける。

 

「初めてコンビニというものに足を踏み入れた俺は、そりゃあもう、おっかなびっくりだった。母さんに対する罪悪感も、ちょっとあったし。で、入口入ったら電子音が鳴ってビビって、入ったら入ったで色んな音がして。で、次に、コンビニって、色が多い!って思ったんだよな。それまで俺、あんまり派手なパッケージに入ってる食べ物になじみなかったから、なんか全部、毒々しい気がして、視線うろうろうろうろさせてたら、ふっ……と、目があったんだよな」

 

「……目?」

 

 あれ?にくまんの話じゃなかったのか?

 ここから急に初恋話でも聞かされるのか?

 そんな私の懐疑の視線を受けた八星様は、なぜか柔らかく微笑んでいた。

 

「うん、にくまんと、目があったんだよ」

 

 にくまんの話だった。

 でも八星様の表情は、まるで初恋を語る人のそれだった。

 わけがわからない。

 

「白くて、ほかほかで、やわらかくて優しいフォルムのあの子は、不安でいっぱいの俺を安心させるかのように、微笑んでいたんだ……」

 あの子って誰だよ。

 にくまんの話だよな?ぽっちゃり系の店員さんの話とかでなく?

 

「俺はそっと、この子をくださいと、店員さんに申し出たね」

 

 店員さん、別に出てきちゃった。でもこの子もいる?いつの間にか場面はペットショップにでも切り替わったのかな?

 

「あまりに安くてびっくりしたりもしたんだけど、まあとにかく俺はにくまんを買って、外に出て、そわそわわくわくと袋の中を覗き見して、また目があったにくまんがあまりにもほかほかふわふわで、俺は我慢できずに、道端でにくまんにかじりついたんだ」

 

 また目が合っちゃったよ。どこなんだにくまんの目。

 もはやツッコミどころしかなくてどこから指摘したものか困っている私を置いてきぼりにして、八星様はしみじみと続ける。

 

「……にくまんは、おいしかった。優しい、味だった」

 

 噛み締めるような彼の言葉は、ようやく私も理解できる言語だった。

 うん、まあ、にくまんは普通においしいよね。

 

「なんか、その瞬間、やっと、俺は別にどこでなにを食ったっていいんだなって、思えたんだ。にくまんが、俺が抱いていた母さんへの罪悪感を、吹き飛ばしてくれたんだ」

 

「はぁ……、いい話ですね」

 と、言って欲しそうな空気をびしばしに醸している気がしたのでそう言ってみたが、いい話なのかこれ……?

 さっぱりわからん……。

 単純に高級料理ばっか食ってたからチープなにくまんの味にはまってしまったって話では……?

 

 ところが。

 

「……三咲なら、わかってくれると思ったよ」

 八星様はうるんだ瞳で私を見つめ、私の両手をしっかりと握りしめながら、そう言った。

 

 ええー、なんだこれー……。

 適当に空気読んだだけなんだがー……?

 

 でも、ひとつだけわかったことがある。

 こいつ、紙一重だ。

 常人には理解し得ないし、こいつと張り合おうとしても、意味がない。

 宇宙人、未来人、異世界人、超能力者、八星天神。

 たぶんこいつ、にくまん教徒とかにくまん星人とか、そういう感じの、そもそも私たちとは根本的になにか根っこのところが違う存在なのだろう。

 

 そんなわけで、この日を境になんとなく敵がい心を削がれた私と、ますます私に懐いて、とうとう私に直接にくまんを差し入れるようになった八星天神は、奇妙な友情を築き始めた。

 

 すれ違えば挨拶をするしちょっかいをかけられもしたが、クラスの違う私たちは、だいたい昼休みをともに過ごした。

 教師が注意できるわけもない特権階級である八星天神は、堂々と正門から学外に出て、悠々と最寄りコンビニでにくまんを購入し、私がぼっち飯のために身を潜ませている屋上手前の階段へとやってくる。

 どうでもいい話をしながら、私がにくまんにもぐつく。何が楽しいのかさっぱりわからんが、天神がその姿をスマホで撮る。もちろん、天神も、自分の分のにくまんを食べながら。

 それが当たり前の日常になるころには、私は天神を天神と呼び、敬語も抜け、不覚にも、彼の隣を、居心地がいいと思うようになってしまっていた。

 

 ところが、いかにクレイジーなにくまん星人でも、天神は、他のスペックがやたらと無駄に高かった。

 校内でも有名人の彼は、ふとした瞬間に『うわ、かっこいい。こいつそういえばイケメンだったわ』とドキリとさせられるくらい、顔が良い。

 ゆえに、世の、恋に恋したりイケメンにきゃーきゃー言ったりする余裕も暇もある女子高生たちにとっては、極上の恋愛対象で、その隣にいる私は、この上なく邪魔な存在だった。

 

 

 ――――

 

 

 天神とにくまん仲間になって1ヶ月ちょっと。

 年が明けて、しばらくの後。

 

 わたしの周囲では、地味な嫌がらせが続いていた。

 ただ、高校の治安がいいせいか、加害者たちのお育ちがよろしいせいか、殴られる物を隠される壊されるなどはなかった。

 授業変更の連絡が回ってこなかったり、ひそひそとあるいはわざと聞こえるように陰口を言われたりと、本当に地味な嫌がらせをされただけだ。

 無視もされていたが、元々早朝バイトから始業ぎりぎりに教室に滑り込み、部活にも入らず、放課後は勉強かバイトか家事のいずれかで全速力下校を決め込む私は、クラスで浮いていたので、さほどの変化ではなかった。

 

 なので、私は、特に気にしていなかった。

 

 昼休みは天神と一緒ににくまんを食べているし、それ以外は忙しいし。

 そして天神はにくまん星人なので、彼に送られる熱視線にも、私に向けられる怨嗟にも、たぶん気づいてすらいなかった。

 

 そうして、こたえた様子がなかったのが悪かったのかもしれない。

 ある日の昼休み、嫌がらせ集団の中でもひときわ声の大きなご令嬢が、私と天神がにくまんをもぐついているその場に、殴り込みにいらっしゃった。

 

 口に中華まんをくわえながら。

 

「……?」

 

 私はその絵面に、なるほど、今度からどんなに忙しくてもにくまんくわえて全力ダッシュは、あまり麗しくないのやめようと決意をしただけだったが、傍らの天神は険しい目つきに変わった。

 

「ごめん、三咲、ちょっと、俺のにくまん持ってて」

 

 天神はそう言いながら私に彼の食べていたにくまんを預けると、すっとたちあがり、私をその背に隠すように前に出る。ŧ

 

「どういうつもりか知らないけど、ソレは喧嘩を売りに来たってことで、いいんだよな?」

 

 そう言った天神の声は、今まで聞いたことがないほど、固かった。ŧ‹”

 

「!?……あ、あの、違うの!」

 

 中華まんをくわえていた少女は慌てた様子で中華まんを手に持ち替え、そう言った。ŧ‹”ŧ

 

「じゃあどういうつもりなんだよ。俺は三咲とのにくまんタイム邪魔されて、すげー腹たってるんだけど」

 

「わ、私はただ、天神くんが、中華まんをくわえた少女が性癖ときいたので、それで……」

 

 性癖。マジか。業が深いな。

 少女の言葉に、私はどん引きだった。ŧ‹”ŧ‹”

 天神にはどん引きだが、少女の奇行に納得はいった。もぐもぐごっくん。

 なるほど。天神がにくまんをくわえた私に一目ぼれ(?)したのならば、上位美人である彼女が同じように中華まんをもぐついておけば、天神を自分に惚れさせられるぜという判断だったのか。ŧ‹”ŧ……、あ。やべ。天神のにくまんまで食べちゃった。

 

「な、なんなの御沓さん!わざわざ私の前で、見せつけるように天神くんと間接キスなんて……!」

 

「は?……ああ、まあ、手ににくまん持ってたら、食べちゃうよな。べつにいいぞ三咲、俺が許す」

 

 少女の言葉に、そう言われればそうだなーと思ったが、当の天神はちらと私を振り返ってそう言ってくれたので、気にせず手の中のにくまんを食べる。

 私にと天神が買ってきてくれたにくまんがもう1つあるから、あとであげよう。もぐもぐ。

 

「はー、クソかわいい……」

 

 いつものように私を見ながらそう言った天神に、少女は『わ、私は……?』みたいな上目遣いを向けながら中華まんをもぐつき始めた。

 

「……お前はダメだ。邪悪。マイナス5億点」

 

 天神のよくわからん評価に、少女の顔から血の気が引いた。

 そんな彼女に対峙する天神は、硬い声音で続ける。

 

「表面だけ真似して、それでいいと思ってる性根があさましい。確かに、にくまんを食べるポニテ少女は国宝に値するが、俺が三咲を好きな理由はそれだけじゃない。俺とこいつは魂で通じあってんだよ」

 

 知らんかった。

 天神、毎回私が自分では買わない高い方のにくまんをくれるから、適当に話を合わせたこともあったが……。基本、私はお前のことわけわからんなと思ってるよ……。

 魂、通じあってないんじゃないかな……。

 少なくとも私にはそんな感覚はない。もぐもぐごっくん。

 

「だいたい俺は、化粧のにおいが苦手なんだよ!口紅つけて中華まんを食うな!!」

 

 ああ、言われてみれば、少女は化粧をしているなぁ。

 しかし、ここまで怒るほどのことではなかろう。

 というか、天神がここまで感情を露にすることが珍しい。なんでこんなに怒ってるんだろうか。

 

「そもそも、そもそも、それ!!」

 

 怒りで震える天神は、少女を、いや、その口元の中華まんをびしりと指差しながら、叫ぶ。

 

「あんまんじゃねぇか!死ね!!」

 

 あんまんかよ。

 それは、それは仕方ない……。天神もキレて当然だ……。

 

「ちゅ、中華まんなんて、どれでもいっしょじゃ……」

 

 ようやくあんまんを食べ終えた彼女は、震える声でそう反論しようとした。

 

「は?」

 

 私と天神の声が、綺麗にそろった。

 おいおいどれもいっしょだと……?あんまんとにくまんが、いっしょだと……?

 怒りを燃え上がらせる私と天神の視線にも負けず、愚かな少女は続ける。

 

「それに、あんまんだって甘くておいしいじゃないの!」

 

「糖尿病で死ね。あんまんとかあんまんの分際でデカいんだよ」

 

 天神の端的な言葉に、私は深くうなずいた。

 

「そう、ごま団子くらいのサイズなら、甘くても、わからなくもないよね」

 

 私は天神にそう言ってから、立ち上がってあんまん凶徒の少女に対峙する。

 

「でもあんまんは、にくまんに対する冒涜なんですよ……!にくまんは一食になり得ますけど、あんまんは甘いってことはデザートかおやつの部類でしょう?中身甘いあんこのくせににくまんの人気にあやかろうと無理にサイズを揃えてきていることが、間違いであり冒涜なんです!しかもあんまんは、にくまんの皮のほんのり甘いやさしいおいしさを殺しにかかってるんです……!存在自体が罪悪……!!」

 

「三咲……。お前ならわかってくれると思ってたよ……」

 

 天神がそう言いながら私の隣に並び立ち、ねぎらうように私の肩を叩いた。

 

「さすがにあんまんは死ねは、一般常識の範囲でしょ」

 

「だよな。お前、常識知らずにも程があるぞ」

 

 私と天神の言葉に、あんまん凶徒はなぜか首をかしげていた。

 

「……え、えっと、ごめんなさい。意味がわからないわ。世間で普通に売られているってことは、普通に買う人がいるということだと思うの。それを食べることは常識を逸脱しているとは思わない。あんまんや、それを食べる人間にいきなり死ねとか言う方がおかしいと思うわ……」

 

 愚かなるあんまん凶徒の言葉に、がっと怒りがわきあがった。

 

「ああ、違うの。喧嘩をしたいわけじゃないの。そう思うって時点で、私の負けっていう話をしたかっただけだから……」

 

 彼女の言葉に、今度は私が首をかしげた。

 まああんまんが負けるのは当然だが。どんなアンケートでもうちの店の売り上げでもあんまんとか完全不人気だし。

 

「私とあなたたちは、明確に違う。私じゃ、天神くんのことは、理解できなかった……」

 

 どこかしょんぼりと、彼女は言った。

 まああんまん信者とは、一生理解しあえないだろうな。

 

「だからね、天神くんには、あなたじゃなきゃダメだって、わかったわ」

 

 いきなり晴れやかな笑顔になって、彼女はそう言った。

 は?

 

「そうだ。三咲は、俺の最高のパートナーだ」

 

 は!?

 堂々と言い切った天神と隣に並ぶ私とをまじまじと眺めた彼女は、ため息を吐いた。

 

「ほんと、お似合いね。……御沓さん、数々の嫌がらせ、謝罪するわ」

 

 !?!?

 

「もう、私は天神くんのことは、諦める。他の子たちにも、御沓さんは天神くんの唯一の理解者だって、2人の間には誰も入り込めないって、ちゃんと言い聞かせるから」

 

 !?!?!?

 

「ち、違う私はただあんまん死ねってだけで、にくまんかわいいとかはよくわかんないし天神のことは9割理解できてないです……!」

 

「……1割理解できるだけでも、唯一だと思うわ」

 

 そんなにか。

 私の反論に返ってきたまさかの言葉に、私は震えた。

 やばくない……?八星天神。平均点どころか最高得点ですら赤点未満。科目だったら破綻している。

 

 などと。

 

 私が天神のクレイジーさにおののいている間に、なんか天神があんまん凶徒との話をまとめていたらしい。

 私はこの日を境に、()()八星天神の恋人として、むしろなんか周囲から一目置かれる感じのポジションに納められてしまった。

 

 わけがわからないよ……。

 

 わけはわからなかったが、嫌がらせは止まった。

 しかも、精神的苦痛に対する慰謝料だとかで、加害者たちの各ご家庭から、けっこうな額の現金をいただいてしまった。

 やったぜ国立高専一本でいくとかこわいことを言ってる中三の弟の併願校、このあぶく銭で増やせる!

 と、すぐさま一部使い込んでしまった私は、使ってしまってからもしやこれは口止め料的な意味もあったのではと気づき、となると嫌がらせの話は口にするわけにはいかず、となると八星と付き合ってる云々の話も蒸し返しづらく、と、葛藤しているうちに、気が付けばけっこうな時間がたっていた。

 

 もはや、当たり前の事実として誰も私と天神の交際説を疑ってくれなくなった頃、弟は、無事第一志望の国立高専に合格してくれた。

 ……単願でも大丈夫だったかもなぁ。

 

 

 ――――

 

 

 なんとなく付き合っていることにされて、早3ヶ月が経過した、4月。

 私たちは、2年生になっていた。

 

 なぜか、同じクラスで。

 

「いややっぱり意味がわからない……。なんで天神、理系クラスに来てるの……?」

 

「三咲と同じクラスでいたかったから?」

 

「迷惑!!」

 

 私は腹の底からそう叫んだが、天神はなぜか照れくさそうに笑った。

 

「三咲がにくまんなら、俺はグラシン紙だから……」

 

 いや、意味がわかんないけど。

 

「じゃあ(にくまん)に少しは遠慮してよ……。なんで文系から理系にやって来て、いきなりトップ成績おさめてやがるんだよお前……!」

 

 春休み明けのテストの結果を見ながら、私は叫んだ。

 そう、私は、2位。2位なのだ。

 私が入学から1度も譲らなかった理系1位の座が、文系からのこのこやってきた天神に、さっくりと奪われてしまったのだ。

 

「いやあ、俺、一応一回大学まで出てるしなぁ……」

 

「……なにそれ」

 

 思いがけない天神の言葉に、私は首をかしげた。

 天神もふしぎそうな表情で、首をかしげている。

 

「いや、そのままの意味だけど。留学して現地の大学出た。で、日本に帰ってきたら日本語あやしくなってて、ちゃんと国語からやりたいなーって高校入りなおして、今、みたいな?」

 

「え、天神って、だいぶ年上?」

 

「いや、年はいっしょ。むこうで飛び級してきただけ」

 

「……お前本当なにもかも恵まれまくってんな」

 

「うん、まあ、教育に関しても、かなり贅沢させてもらってる自覚はある」

 

 というか、もはやチートだ。

 

「なあ、そんなことより、今朝見たら、学校近くのコンビニから、にくまんのスチーマーが消えてたんだけど」

 

 えらく真剣な表情で、天神は話題を切り替えた。

 

「ああ、まあ、冬が終わったからね。うちのバイト先はまだけっこう売れてるから、今年もゴールデンウィークあけまでにくまん置いとくかなって店長が言ってたけど……」

 

 まあ、そんなものだ。

 にくまんは雪の精霊みたいなものだ。

 にくまんは富士山の初冠雪よりちょっと早いくらいの時期に出現して、雪解けとともに消えていく。

 うちのバイト先は、いわば山の上のスキー場ポジション。特殊な例だ。

 

「三咲のバイト先の判断はさすがの一言だし、店長様には感謝の気持ちしかないが……、それじゃあ、俺が、三咲がにくまん食べてるところが見られないだろう」

 

「ああ……。え、いいじゃんもう、この冬でお前のにくまんフォルダだいぶ充実しただろ」

 

「ああ、最高の写真がいつでも見られる。でも、ライブ感も大事だろ!?」

 

 ……?

 

「らいぶ、感」

 

 私がわけのわからない単語をオウム返しにつぶやくと、天神は深くうなずいた。

 

「ライブ感だ。やはりな、肉眼で見るのとは、やっぱり違うんだよ。同じ場で同じにくまんを食べながら、最高にかわいい三咲を眺める至高の時間が、やっぱり俺には必要なんだよ。……あそこのコンビニ、直営店なんだよなぁ……。フランチャイズなら楽だったのに……」

 

 天神はぽそりと、不吉なことを言った。

 フランチャイズだったらなんだってんだ。

 まさかこいつ、オーナーを買収してにくまんスチーマーを年中無休で稼働させようというのか。やりかねない。

 危機感を感じた私は、天神の説得にかかる。

 

「ま、まあまあ、にくまんは、その期間限定のレアさも価値だからさ。またすぐ、夏が来て秋になってにくまんも帰ってくるよ」

 

「う……。うん、まあ、わかっているんだよ。にくまんにもバケーションが必要だよな、と。夏の間くらいは休ませてやらなきゃな、と。でもやっぱり……」

 

 こいつの中のにくまんは何者なんだよ!!

 バケーション!?食ったらおしまいだしにくまんに休みなんかいらねーわ!!ふかして8時間経ったら廃棄だ!!

 

「でもやっぱり、俺は、にくまんに会いたい。毎日会いたい。そして三咲には、にくまんを毎日食べて欲しい。……スチーマー、学校に導入させるか」

 

「待て待て待て待て待て。私利私欲のためにこれ以上学校を混乱させるな」

 

「じゃあどうしたら……。ああ、三咲、中華街行こうか?」

 

「え、遠い」

 

「1時間くらいじゃん。たまにでいいから。交通費食事代なんなら移動時間まで含め時給2,000円くらい付ける。だから、俺といっしょに中華街に行って、せいろでふかされたふわほわにくまんを、食べてください」

 

 びしりと頭を下げながら、天神はわけのわからないことを言った。

 こいつの頭どうなってんだよ……。

 

「友だち同士でそういう金銭の授受とかしたくないし……。遠いし……。そもそも私、もっと勉強したいから、ヤダよ。

 ……他でもないあんたのせいで、2番になっちゃったんだし」

 

 あ。今のは、ちょっと、トゲのある言い方だった。

 けれど、突拍子もない言動ばっかりしているくせに成績はぶっちぎりにいいこいつに、口を開けばにくまんの話しかしないこいつに、私と違って、なにもかも持っていて、そしてその一部を私に恵んでくれようとしたこいつに、腹が立って仕方ない。

 

「2番でも奨学金は出るだろ?たまには息抜きもした方が……」

 

「うるさい!あんたには、なにもかも持っているあんたにはわかんないかもしれないけど、私にとってはそれだけなんだ!!」

 

 ああ、いけない。こんなのはただの八つ当たりだ。

 そうわかっていても、口が止まらなかった。

 

「入学式の新入生代表だって、本当は私のはずだった!お父さんとお母さんに見せたかったのに!私がこの学校の、新入生の代表なんだよって!うちはあんたのとこと違って兄弟姉妹がいっぱいいて、私は真ん中らへんで、あんまり目立たなくて……。だから、勉強では1番がほしくて、誰にも、奪われたくなくて……」

 

 こんなときにくまんで口がふさがっていれば、汚い言葉を吐き出さずに済むのに。

 しかもにくまんをもぐもぐしていれば、空腹が満たされる。

 お腹が満たされれば、だいたいのイライラは消える。

 それなのに。

 

 ああ、季節は春だ。

 にくまんは、もうない。

 

「なんであんたは全部持ってるのに、私が大事にしてるたったひとつまで、当然みたいな顔で持っていくの!!」

 

 言って、しまった。

 ずっと飲み込んでいた勝手なコンプレックスを、吐き出してしまった。

 

「ご、ごめん。そんなつもりじゃ……」

 

 うつむいた私の頭上から、天神の震える声が聞こえた。

 

「でも、その、勉強だけじゃ、ないんじゃないかな。にくまんを食べてる三咲は最高にかわいいし……」

 

 まだにくまんの話をするか!!私のコンプレックスなんて、お前にとっては、その程度のものなのか!!

 

 どうしょうもないほどの怒りが、私の全身を包んだ。

 私は怒りのままに顔をあげ、天神を怨嗟の目で睨みつけ、叫ぶ。

 

「……にくまんにくまんにくまんって、しつこいよ!あんた、私じゃなくて、にくまんが好きなんでしょう!!」

 

 叫んで。

 叫んでから、我ながら意味わからんこと言ったなって、思った。

 でもなんか、大きな声出したら、ちょっと、すっきりしてしまった。

 

「三咲じゃなくて……、にくまん、が……」

 

 なぜか、怒りを放出しきった私と同じくらい、天神は呆然としていた。

 ぽつりとそれだけを言った彼は、どこかぼんやりと、宙を見つめていた。

 

「………………ごめん」

 

 永遠のような永い沈黙の末に、小さな声でそれだけを言った天神は、去っていった。

 私の前から。

 

 私の前、っていうか、高校から。

 え?

 この日を境に、八星天神は、高校を辞めた。

 なんかいきなり、留学をすることに決めたらしい。

 

『愛を、知ってしまった。夢に、気づいてしまった。』

 

 そんなわけのわからないポエムを、クラスのグループチャットに投下した以後、八星天神は、誰も、連絡すら、とれなくなった。

 教師の説明によると、なんか夢にむかって留学して、海の向こうで元気にがんばっている。らしい。

 

 ……え?

 

 結果、私はフラレ女の烙印を押され、あるいは夢を追いかける男を笑顔で送り出した良妻(?)とかいう評価を授けられ、周囲に妙に優しくされている。

 私は相変わらずクラスでは浮いてるし、誰も八星天神の名は、少なくとも私の前では、口にしなくなった。

 

 にくまんが複数売られているとき、だいたい高級な方がそうされている焼き印を付けたにくまんは、名札を誇らしげにつけている幼稚園児みたいでかわいいけれど、平凡な貧乏女子高生にこの烙印はきっつい。

 ……あれ、今私は、にくまんをかわいいと思ってしまった、のか?……天神め!!

 

 八星天神は、実に勝手に私に近寄り、実に勝手に恋人面をし、

 そして実に勝手に、私の元から、去っていった。

 

 

 ――――

 

 

 1ヶ月後。

 いったいなんだったんだろうなぁと悩む私のもとに、天神からの手紙が届いた。

 赤と青の縁取りの、いわゆる国際便の手紙を初めて受け取った私は、なんとなくおそるおそる、手紙を開けた。

 

『俺のことを憎んでいい』と、そんな言葉から、天神の手紙は始まった。

 自分の気持ちも正確に把握できずに私に付きまとい、私を混乱させた自分のことを、憎んでいいと、彼は書いていた。

 

 次にあったのは、彼の近況。

 天神は今、にくまんの本場ミクミク王国の国立大学で経営学博士課程を修めつつ、日々にくまんを食べて愛でて究極の味を追い求めているらしい。

 卒業後は天神の実家のグループ会社の飲食部門に、新しくにくまん専門店をチェーン展開する会社を起こす予定らしい。

 夢に気づかせてくれてありがとう、とも、書いてあった。

 

 いや意味がわからん。

 

 え、マジか。マジで本気で、天神は私じゃなくてにくまんが好きだったってことか。

 私、でもなく、にくまんを食べる私、でもなく、私に食べられているにくまん、が、好きだったと。

 あのときの私の言葉で、『(にくまんへの)愛を、知ってしまった。(にくまん屋さんになりたいという)夢に、気づいてしまった。』ってことか。

 

 あ、うん、そう書いてある。この手紙、何回読んでもそう書いてあるわ。

 

 ……え?

 ……ええ……?

 ……なにそれ。

 

 それからの私は、しばらく、なんか、ぽかーんと過ごした。

 ぽかーんと過ごしてはたまに天神への怒りに燃え上がり、でも私も最後八つ当たりしちゃったしと反省し、いややっぱりいきなり留学とかわけわかんないですけどと怒り狂い、ヤバイやっぱり理解できないと混乱しぽかーんになり。

 

 最終的には、『あいつ日本に戻ってきたらとりあえず一発ぶん殴ろう』と、天神への怒りに収束した。

 

 私は危うくにくまんのことまで嫌いになりかけたが、天神と別れた5ヶ月後の9月、バイト先のコンビニには、ほかほかのにくまんがまた並び始めた。

 並べ始めた朝、店長が普通にひとつくれたので、普通に朝ごはんにした。

 

 普通に美味しかった。

 

 まあ、にくまんに罪はない。悪いのはあいつだ。単にあいつが究極にわけのわからぬ思考回路をしていただけだ。

 なんだにくまんに恋って。マジでわけわからん。

 私を振り回すだけ振り回して去っていったあいつのことは、存分に憎ませていただこう。

 手紙にも、憎んでいいって書いてあったし。

 

 天神を憎んでにくまんを憎まん。

 

 私はこれからも、普通ににくまんを食べて普通に生きていくのだ。

 彼からの影響なんて、受けてやるものか。

 

 ただ、手紙には、天神がつくる究極のにくまんとやらが完成した暁には、いちばんに私に食べて欲しいとも、書いてあった。

 だからまあ、友人として、食べて感想くらいは言ってやってもいいかもしれない。

 その頃には、すこしは天神のことを、ゆるせるのかもしれない。

 やっぱり、あのときの喧嘩は、私が悪かったと思うし。

 

 こうして、私の初めての恋……、恋、だったか?

 周囲は、せいろのように熱い恋と評した。私は失恋したと思われている。

 でも当事者の私には、ついぞ恋だったかどうかもわからないうちに、なんだかやたらと感情を揺さぶられた一連の事件は、にくまんで始まりにくまんで終わった。

 

 さよなら八星天神。いつかまた会おう。

 お前と二人で食べた二種類売ってる中で高級な方のにくまんは、最高においしかったよ。

 

 やっぱり私は、にくまんが好きだ。

 



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