ハリー・ポッターと月の少年 (くらまえん)
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呪われた少年

久しぶりにハリー・ポッター読んだら面白くて、久しぶりにブラボやったら面白かったもんで


 狩人は宇宙を揺蕩う。

 人という矮小な殻から抜け出した彼は沢山に増えた目と耳で世界を観た。多くの声を聞き、かと言って何か手を出すことも無く、ごく稀に気が向けば赤子に菓子をやるような心持ちで手助けしてやることも無い。上位者に義務は無く、ただ未だ人の殻の中でもがく者たちを静かに見守るばかりであった。

 

 狩人は飽いていた。汚泥の中で掴み取った新たな生に飽いていた。多くの瞳も、よく聞こえる耳も、得てしまえばさしたるものでは無かった。

 だから狩人は一つの遊びを実行したのだ。それは退化、あるいは幼児後退とも言える愚行であったが、しかし皆が愉快なやつだなあと狩人を見守る事にした。多くを知るが故に暇な奴らなのだ。

 人よりも随分と多くを見る瞳を閉じ、人よりも随分と多くを聞く耳を塞いだ。常人が見れば途端に精神がねじ切れるであろう我が身を納める箱を設え、十月十日を快適に過ごせるよう揺り籠を調整し、穏やかに悪夢から目覚められるように小さなランタンを拵えた。そして最後に、眠りから目覚めた後の我が身のために二つの人形を縫い包み、狩人は新しい揺り籠へとその身を委ねたのだ。

 

「行ってらっしゃいませ、狩人様」

 

 悪夢に揺蕩うようになって以来いつでも見守るよう側にいてくれた優しい声が、薄れる意識の中でも狩人を見送ってくれた。

 

 

 

 

 

 ジェイラス・ティレットは呪われた少年だった。

 彼の母はお産と同時に精神を病み、あっという間にまともな言葉を発せぬ生き物になってしまった。

 産まれ出た子供は人の形をしていると言い切るにはかなりの勇気が必要な、名状しがたい姿をしていた。

 名付け魔女のお婆が子供を指さして叫ぶ「なんと恐ろしい!月のお方!なんと美しい!」それっきりお婆は姿を消した。

 父フィリップは己の妻がこんなことになってしまった原因である息子を心の底から憎み、そしてその姿に恐れをなし、その子供を小さな壺に封じる事にした。蓋を蝋で固め、古い呪いで封をした。墓を作るにはあまりにも悍ましく、しかし捨て置く訳にもいかなかったので、その子供に一つだけ部屋を与えた。子供部屋にする予定だった小さな小さな部屋だ。床下をせっせと掘り起こし、人一人がすっぽりと納まるほどの穴に壺を埋め、すっかり穴を埋めきったら手や足で丁寧に押し固めた。もちろん部屋の入り口も封をした。魔法で目隠しをするだけでは飽き足らず、ベニヤの板を釘で打ち付け、更には何もなかったように上から壁紙を貼り付けた。すっかり部屋の入り口など影も形もなくなってしまった廊下に胸をなでおろし、以来フィリップはその部屋を極力忘れるように努めたのだった。

 

 しかしフィリップの努力はあっけなく水の泡となる。それは彼があの部屋を封じてから五年分の月日が流れた頃の、ある朗らかな休日の昼下がりのこと。妻が暮らす病院から帰ってきたフィリップが自宅の扉を開くと、そこには見たことのない少年がぽつんと佇んでいた。短く切られた黒髪に、底の見えないほどに青い瞳。異様に青白い肌の中、赤らむ頬が嫌に目立っている。少年はなぜか体にバスタオルを巻き付け、ふくふくと丸い両手は小さなぬいぐるみを二つ抱きしめていた。

 いったいこの子は何者だ。驚きのあまり声も出ないフィリップへ、幼い唇が開いた。

 

「おかえり、パパ」

 

 それから悪夢が始まった。

 

 

 

 ジェイラスは幸せな子だった。彼には四人の親と沢山の叔父叔母がいる。

 地上のママは大病を患い病院住まいなので会ったことはないが、ジェイラスを地上に産み落としてくれた偉大な人だ。朧気な記憶の中、産声を上げるジェイラスと共に大きな声で祝福をしてくれた事だって覚えている。地上のパパは寡黙な男だ。しかし生まれてすぐにもう一人の、夢に棲む方の父さんと母さんに会いに出かけたジェイラスの邪魔をしないよう、静かな部屋に寝かせてくれた心優しい男なのだ。彼は不器用な男であったが、ジェイラスの願いをよく聞いてくれた。不得手ながらに衣食の世話もしてくれるし、何より夢の父母に会いに行く息子を静かに見守ってくれる。ジェイラスは地上の両親を愛している。

 

 ジェイラスの朝は早い。仕事の準備に追われるパパのため、トースターとフライパンを使って簡単な朝食を作ってあげるのだ。ベーコンを3枚と目玉焼きを二つ。フライパンを熱する間にトースターをセットして、電気ケトルで湯を沸かす。ベーコン二枚と目玉焼き一つ、トーストにバターを塗ったくったものとインスタントのコーヒーをパパの席へ。残りを自分の席へ。ジェイラスはバターではなく苺ジャムで、マグカップにはコーヒーではなくオレンジジュースをたっぷり。パパにはパパの都合があるので、一通りの準備が終わればさっさと朝食に齧り付く。今日はトーストを半分ほど腹に納めた頃にパパが食卓へ現れた。

 

「おはようパパ、召し上がれ」

「ありがとう」

 

 パパはいつも糸で釣り上げたような不思議な笑みを浮かべジェイラスに礼を言う。実に不器用な笑みだがジェイラスはパパのこの独特な笑みが大好きだ。

 パパはいつも朝食を食べ終わればすぐ様仕事へ出かけてゆく。仕事熱心な人なのだ。パパの出勤をしっかりと見送ったら、今度は自分の用意を始める。顔を洗って、歯を磨いて、寝癖で愉快なことになっている髪を水と緩めのワックスで無理矢理落ち着かせる。夢の父さんは「見かけなど些末な事だが、装備に気を使って損は無い」と言っていた。地上のパパもいつも服や髪には気を使っているし、これは真理なのだろう。どうにも大雑把な所のあるジェイラスであったが、父親たちの教えを守り奇麗な身なりを心がけている。

 どうにか人に見せられる様に整えられたら、リュックにテキストや筆記用具、小さなぬいぐるみ二つと昼食のリンゴなどを突っ込み、家中の鍵を丁寧にかけていく。最後に彼の大切な、夢の父母が用意してくれたランタンに火を灯す。青白い光が室内を柔らかく照らし、誘われるように現れた小さな良き友人達がジェイラスに向かって愛らしく手を振ってくれた。友人達はなかなかの洒落者で日ごとに様々な物で自身を飾り付けるのだが、どうやら今日は空き缶らしい。赤と白が中央で別れる缶詰は確かスープの缶詰だったか。生憎お洒落には詳しいと言えないジェイラスには今一理解ができないセンスだった。さすがお洒落さんは一味違う。

 

「行ってきます」

 

 ジェイラスが出かける間、この小さな友人達(夢の母さんは彼らを使者と呼んでいた)が大切な自宅を霧の中に隠してくれる。霧の先は夢と繋がっているから、無礼者はそう簡単に近づけない。

 カタカタと空き缶を揺らす音に背を押され、ジェイラスは家を出た。

 

 

 

 

 ジェイラス・ティレットは少し変わった少年だった。

 実質的片親、母親がビョーキだという噂、誰一人親子で外出する様子を見たことのない妙な家族、挙げ句の果てには見ていると背筋が凍る奇妙な瞳とまで。噂好きの大人たちが(たとえばペチュニアおばさんだとか)それはそれは愉快な様子でティレット家の事を話す姿はここいらではよく見かける光景だ。

 彼を取り巻く声は決して良いものではなかったが、彼自身は人を虐めたり罵ったりなど絶対にしない穏やかな少年だ。例えばハリーの周りで時折起こる不思議な出来事も、ジェイラスだけは絶対にバカにしなかった。

 

「世の中の殆どの人は見ることを拒否してるんだ。怖いことのようだから。でも父さんも言ってた。見ることを恐れてはいけない、そこにこそ真実はあるのだ、と」

 

 ジェイラスの父は随分と頭の柔らかい人らしい。何度ダーズリー家の食事に彼の父の垢を混ぜ込んでやりたいとハリーは考えたことか。

 ただ、ジェイラスが完璧で善良な少年かと言われるとハリーはYESとは答えられない。

 友人が多いとは言い難いハリーの数少ない友達であるジェイラスだが、頭は良いのだがどうにも夢見がちというか、妄想癖があるというか、何かの本で読んだイマジナリーフレンドのようなものを未だ丁寧に引きずっている変わり者なのだ。

 そんなジェイラスは、公園のベンチに腰掛けてハリーを待っていた。いつもヨレヨレの服を着るハリーと違って、きちんとアイロンのあてられたシャツとズボン。ただし本日は、何故だか頭に真っ赤な空き缶の乗せていた。

 

「おはようジェイラス、その・・・空き缶は?」

「やあハリー。友達のまねしてみたんだ」

 

 どうだろう、と顔をほころばせるジェイラスに、ハリーはまた始まったとため息を吐いた。時折、いや嘘だ、一月に二度か三度かほど彼は突拍子もないことをしでかす。その大半はハリーが見たことのない彼の友人のファッションの真似らしいのだが、それがどうにもトンチンカンなのだ。

 頭にリボンを添えたくらいなら可愛げもあったが、壺をすっぽり被ったりミルクパンをちょこんと乗せたりした時は笑いを堪えるのに必死だった。特に一番ひどかったのは異様に縦長い格子状の傘立てをかぶってきた日だろう。あの日のことは思い出したくもない。

 それにしても、今日のそれはわりかし酷い部類に入るのではないだろうか。いくらなんでもゴミを頭に乗せるのは如何なものだろうか。ファッションに疎いハリーでも、これが一般的なオシャレではない事くらいは解った。ファッショニスタはゴミすらもオシャレに着こなすのかもしれないが、それは休日にお願いしたい。

 ハリーはいくつか脳内で単語を広げ、なるだけ丁寧に言葉を並べた。

 

「うーん、僕は服とかはあまり詳しくないけれど」

「ああ」

「少し・・・刺激的すぎるんじゃないかな」

 

 これはなかなか良い表現が出来たんじゃないだろうか。ハリーはこっそり自画自賛した。

 対するジェイラスはといえば、まるで豆鉄砲でも食らったかのようにキョトンとハリーを見つめている。

 

「青い方が良かったかな?」

 

 ハリーががっくりと肩を落としたことは言うまでもない。

 

「・・・今日の服とは合わないと思うよ」

 

 ハリーの精一杯の気づかいも、これが限界だった。幸いジェイラスはハリーの言葉になるほどと合点がいったようで、ひょいと空き缶を頭から取るとお役御免となった空き缶は呆気なくゴミ箱へと吸い込まれてゆく。

 やっと普通らしい格好となった友人にハリーは胸をなでおろした。普通普通と言えば立派なダーズリー家の一員らしくてなんだか悪寒が走らなくもないが、流石にゴミでオシャレする友人を隣に連れて歩く勇気は無い。

 

「急ごう、もうこんな時間だ!」

 

 ふと見た時計がとんでもない時間を指している。早足で歩けば十分に間に合う時間ではあるが、万が一遅刻して、その上その事が保護者に連絡でも行けばどうなることやら、想像する気も起きない。

 突然走り出したハリーにジェイラスは一瞬戸惑いの表情を浮かべたが、ハリーの家庭事情はぼんやりと把握していたために察しがついたらしく、すぐに背を追いかけて走り出した。

 夏も随分と本格的になりつつある6月後半、ダーズリー家の王子様ダドリー坊っちゃんの誕生日を間近に控えたある日の景色である。

 

 この数日後、ハリーは波乱の一日を過ごしそのまま物置暮らしとなるのだが、それはまた別のお話である。




ちんたらした小説ですが、よろしくお願いします


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秘密の鍵

ダンブルドアむずかしい


 生まれたての橙色をした太陽が夜の帳を取り払ってゆく。

 家中に立ち込める淀んだ空気をかき分けて、フィリップは玄関先のポストを丁寧に開いた。朝刊に、広告チラシ、宣伝のハガキ。いつも通り大して読む気も起きない郵便物。しかしフィリップはそれら一つ一つを、取り出したその場で丁寧に目を通してゆく。どうしても、あの恐ろしい悪夢が巣食う我が家からできるだけ長く離れていたいがために。

 

 フィリップがあの悪夢に蝕まれ始めて、すでに五年が経過した。悪夢はまるで普通の子供のようにすくすくと育ち、声を出し、学校に通い、最近では朝食の準備まで始めるようになってしまった。なんて恐ろしい。脳裏に息子の形をした悪夢を浮かべるだけで、フィリップの繊細な肌に蕁麻疹が浮かび上がってくる。

 

 それでも今日までフィリップは自分が随分と上手くやってきたと自信を持って言い切れる。アレのためにフィリップはとても苦労を重ねてきたのだ。

 五年前、玄関にぽっつりと立つ悪夢を見たとき、彼は直感したのだ。この者に魔法を教えてはならないと。きっとろくでもない事しか起こらない。

 その日からフィリップの生活は一変した。今まで魔法で済ませてきたあらゆる家事をマグル仕様に切り替え、屋敷妖精たちは皆友人に引き取ってもらった。箒は使えないからわざわざ車の練習なんて事もしたし、魔法薬の類も全て業者に売っ払った。とにかく目につく魔法界由来のものは徹底排除した。

 魔法界のなかでは比較的マグルに近い暮らしをしてきたフィリップだが、ここまで完全に魔法から離れたのは初めてだ。その弊害は凄まじかったが、それ以上に息子が魔法に触れる事が恐ろしい。友人知人から気が触れたのかと気遣われようと、その直感を勘違いだと放置することは出来なかった。

 そうして魔法から距離を離すうちに、フィリップは本当に魔法を扱えなくなってしまった。その事実に気付いた時のショックはそれはそれは大きいものであったが、それが結局将来の平穏に繋がるのであれば諦めることが出来た。

 とにかく、フィリップはずっとずっと怯えていた。恐ろしい息子に。

 

 だから、手にとった郵便物の中から覚えのある感触の封筒がするりとこぼれ落ちた瞬間に大声を上げて膝から崩れ落ちた事も、咄嗟に封筒を服の中に隠した事も、驚いて起きてきた息子にバレないよう必死に誤魔化した事も、その手紙を自室の机に隠した事も、フィリップから言わせてみれば全て仕方のないことだったのだ。

 

 

 

 それからのフィリップの決断は早かった。

 

 五年前、どこからか息子の“再誕”を聞きつけた恩師が様子を見に来てくれた時に、あれだけ「私はマグルになります、放っておいて下さい」と頼み込んだのに。頭が硬いわけではないが変に頑固というか、気が強いというか。まあ心配をしてくれているのだろうが、この件に関してはお断り申し上げたい。

 こうなったら直談判だ。目の前できっちりと、証人も添えて絶縁を宣言するのだ。これも全て将来の平穏のため。これで魔法界の友人が消えてなくなっても、知ったことか。

 フィリップはすっかりマグルの社会に溶け込んでいて、マグルの会社で友人だってできた。寂しくはあるが、絶望するほどじゃない。

 

 クローゼットの奥底に押し込んでいたボストンバッグを引っ張り出し、中に必要そうなものを詰め込んでゆく。適当な日数分の下着、シャツを2枚、身分証明書、財布。短期の旅行に出るならば十分な荷物をつめたところで、フィリップはふと手を止めある一点を見つめた。

 年代物が多いフィリップの寝室の中でも一際時代を感じるチェスト。その三段目。彼が未だ幼い頃に貼り付けた当時人気だったヒーロー「スーパーB」のシールが微笑むその引き出しには、五年前に捨てきれなかった未練が詰まっている。震える体を落ち着かせようとツバを飲み込むと、喉からグウと蛙のような音が響いた。

 

 取っ手金具を握りゆっくりと開く。僅かなホコリの香りと共に現れたのは、美しく飾り堀りされたローズウッドの長細い木箱。それをフィリップは実にゆっくりと、まるで割れ物に触れるような手付きで開いた。

 

「おお、相棒」

 

 中には細身の枝、いや杖がちょこんと横たわっている。学生時代に付いた傷も、持ち手の使い込みによる凹みも、何一つ変わらない。フィリップがホグワーツに通うほんの少し前に祖母が買ってくれた、大切な杖。触れるのは実に五年ぶりだというのに、それはまるでつい先程まで日常的に触れていたかのように手に馴染む。当然だ、杖とは魔法使いにとって手足と同じなのだから。

 彼はいつかの記憶のままに腕を振り上げた。手首でくるりと宙に円を描く。しかし何も起こることはない。フィリップはマグルになったのだ。すっかり受け入れていたはずの事実を確認し、フィリップの目頭が少しばかり熱を持ち水気を含んだ。

 

「いけない、急がなくては」

 

 感傷に浸る時間はない。手の中の杖をバッグにしまい込み部屋を出た。

 

 残念なことに玄関へと向かうにはリビングダイニングを通らなくてはならない。そこには既に目を覚ました息子ジェイラスが腰掛け朝食のトーストにかじりついてる。勿論、フィリップの分もしっかりと用意されていたが、胃袋はすっかり食欲を無くしていたし、そもそも時間が足りなかった。かの学園はとんでもない田舎に聳えるのだ。

 フィリップはさも申し訳なさそうな表情を作り息子に謝った。

 

「すまないジェイラス。急遽遠方へ出張となってね。残念なことに食べている時間が無いんだ」

 

 するとジェイラスは僅かに眉を上げ、こちらをじいと見つめてきた。そしてフィリップが握るボストンバッグを一瞥し「そうか」と呟くと、僅かにうつむいた。どこか寂しそうに見えた気がしたが、きっと見間違いだ。

 

「大変なんだね。ああ、コレは俺の昼ごはんにするよ・・・今日中には帰ってくるのかい?」

「いや、泊まりになりそうなんだ。遅くとも3日後には帰るよ。・・・悪いがシェリーおばさんには」

「大丈夫、ごまかしておこう」

 

 どこで覚えてきたのかウィンクなんてかましてきた息子に苦笑いを浮かべ、フィリップは自宅を後にした。

 外はすっかり日が昇り、しかし未だ早朝の域を出ない時間のため人の姿は少ない。今から大急ぎで向かえば、夕方にはホグワーツに到着することだろう。

 

 

 

 

 嵐のようにでかけていったパパを、ジェイラスはぽかんと眺めていた。どちらかというと物静かな質であるパパがあんな風にドタバタと支度をする事は少ない。追いかけるべきかと考え、しかし放っておく事にした。パパは息子に詮索される事を好まない。きっと“大人のプライド”ってやつだろう。そして何より人は秘密を持つものだ。尊重してあげねば。冷めかけたトーストに大きく齧り付いた。

 

 自分のトーストとサラダを腹に納めオレンジジュースを流し込むと、パパの朝食にラップをかける。冷蔵庫に入れるべきかとわずかに悩んだが、どうせ昼には食べるのだとテーブルに放置した。

 未だ湯気の立つコーヒーにミルクと砂糖をしこたまぶち込み、スプーンでジャリジャリとかき混ぜながらソファへと移動する。安っぽいソファカバーのタオルみたいな感触に身を任せ、テレビのリモコンを手にとった。

 

 世間はすっかり夏休み。しかしパパがいないとなると、遠方への出かけも少々気が引ける。ジェイラスはようやく十一歳になろうかという少年で、そんな子供が夏休みとはいえ一人で街中をウロウロする様子というのは世間体的によろしくない事くらいはジェイラスも知っていた。べつにジェイラスは世間体などどうでも良いのだが、パパは結構気にするのだ。パパを困らせることは本意ではない。

 ここで子供らしく「友達と遊ぶ」なんてできれば体裁も保てるのだろうが、悲しいことにジェイラスは友人と言える存在がほぼいなかった。彼の思考は他の子どもたちとはどうにも上手く噛み合わない。大人たちの囁く噂も相まって、学校では変わり者の烙印と共につまはじきにされている。

 勿論彼自身は欠片も寂しいなど思ってはいないが、今日のような入り用の時に困るのは少し問題だ。ほんの少しだが。

 数少ない友人らしい人物としてハリーがいたが、彼は夏休み前からずっと姿を表さずにいる。たしか、ダドリー坊やの誕生日以降だったか。

 恐らく何か悪さをして(すくなくともあの家では悪さとなる行為をして)折檻でも受けているのだろう。人の家の事情になど欠片も興味のないジェイラスであったが、友の哀れな境遇くらいは把握している。

 把握しているからといって、何か助けてやるわけでもないが。

 

 そんなわけで特に何もできない今日は自宅を満喫する日とした。

 オレンジジュースを追加で注いだマグカップと普段自室に置いているランタンと秘蔵のビスケット、そしてバニラ味の大きなカップアイスをテレビの前に置かれたローテーブルに並べ、お気に入りのクッションを抱えれば豪遊セットの完成だ。コーヒーとオレンジジュースでドリンクが2つに増えてしまうが知ったことではない。パパが不在の今、父さん風に言うならこの夢の主はジェイラスなのだ。

 

 さて豪遊セットを揃えたはいいが何をするか。

 テレビをザッピングするも、どのチャンネルもピンとこない。テレビ台に収納された映画のビデオテープを眺めても、自宅なのだから当たり前と言えば当たり前だが、どれもこれも見たことのあるものばかり。友人は遊星からの物体Xが気になるようだが無視だ。人間の無垢な想像力を称える気持ちは分かるが、趣味ではない。

 さっそくやることの無くなってしまったジェイラスは、次にパパの私室へお邪魔する事にした。パパはあまり他人が部屋に入る事をよく思っていない様子だが、三日も留守番をさせる気なのだ。ちょっとくらい入っても文句は無いだろう。

 たしか、パパの部屋には未だ読んだことのない本がいくつかあった筈だ。それに、秘密とは甘いものなのだ。

 

 ベッドとデスクと大きな本棚。必要な家具だけが並ぶ簡素な部屋は、暗い青や深いブラウンといったシックな配色で纏められ彼の落ち着いた気質を表しているようだ。そんな中でチェストに貼られた古いキャラクターシールだけがなんだかぽっかり浮いていて、だけどそんな人間臭いちぐはぐさがジェイラスには好ましく思えた。

 いつもモデルルームかと思うほど綺麗に片付けられている部屋は、しかし本日はどことなく散らかっている。半開きのクローゼットや少しシワの残る掛け布団などのせいだろうか。どうやら本当に本日急遽出張が決まったようだ。

 

 その時、彼の意識が父のデスクへと吸い寄せられたのは本当に偶然の事だった。本棚を見ようと動かした視界の端に、たまたま入ってしまったのだ。引き出しから僅かに覗く上質な紙の端。わずかに纏う秘密の香り。迷う必要は無い。この夢の主は狩人である。誘われるように、あるいは必然的に手を伸ばせば、引き出しは呆気なく開いた。筆記用具や使用済みコピー用紙の中に放り込まれていたそれは、わずかに黄味がかった厚い紙でできた封筒であった。

 エメラルド色のインクで書かれた宛名は『ジェイラス・ティレット様』。

 

 それは魔法の学園の扉を開く鍵。その奥底には何が眠るのか。

 狩人はパパを夢から手放す事にした。

 

 

 

 

 さて紆余曲折の末、フィリップはホグワーツの校長室にたどり着くことが出来た。

 行き方に関しては詳細を省くが、刺激的というか、痛快というか、暫くはお腹いっぱいなので遠慮したいと心底思える旅路であったとだけは言える。難航した旅路の中、ある瞬間にふっつりと身に絡まった何かが途切れ放り出される感覚に、フィリップはついに魔法界に戻ってきたのだと涙したものだ。

 ちなみに予測とは大幅にずれ込み、到着は深夜となってしまった。

 

 すっかりぐしゃぐしゃになってしまったフィリップをホグワーツは快く迎え入れた。恐らくフィリップの訪問を分かっていたのだろう、廊下や階段たちが次々と組み変わり彼を校長室へと導いたのだ。流石に真夜中だ、学生たちの姿は見えないが、学校が歓迎してくれるということはダンブルドアは起きているということだ。ならば遠慮は不要。フィリップは校長室の扉を勢いよく開いた。

 

「久しぶりじゃね、フィリップ」

「お久しぶりですダンブルドア」

 

 ダンブルドアの姿は昔とほとんど変わりなかった。豊かな髭に穏やかな眼差し、半月型の眼鏡。温和な笑みをたたえる老人は常ならば人の心を穏やかにするはずのものだが、今のフィリップには苛立ちしか産まない。

 

「ウチの事は放っておいてくださいと、お伝えした筈です」

 

 怒りのままに声を上げたフィリップに、ダンブルドアは何故かキョトンとした顔をしている。なにを惚けるのか。ふつふつと湧き上がる怒りにフィリップの顔は真っ赤に茹で上がってゆく。

 しかしその怒りも、老人の口から飛び出した恐ろしい事実によってすっかり冷え切ってしまった。

 

「君の意思を尊重出来なかったことはすまないと思っておるとも。・・・しかしフィリップよ、今日の夕方にはきっちりと返信してくれたじゃないか。わしはてっきり君が心変わりしたものかと」

「待ってください!一体何の話を?」

 

 あんまりにも慌てふためくフィリップの様子に、流石に何かがおかしいと感づいたのだろう。ダンブルドアがそのシワが深く刻まれた手をスルリと宙に滑らせると、どこからともかく一枚の紙が現れ小さな音と共にフィリップの元へと舞い落ちた。

 恐る恐る内容を確認するフィリップをダンブルドアは静かに見守っている。フィリップの表情はますますひどい色へと変化してゆき、終いには完全に血の気が引いたのか真っ白になってしまった。

 

「・・・いつ?」

「今日の夕方にはここに届いておったよ」

「なんてこった」

 

 崩れ落ちるフィリップの元に椅子が滑り込み、彼を受け止めた。柔らかなクッションは普段ならば人の心を慰めるのに十分なものであるはずだが、放心状態のフィリップには効果が無いようだ。がっくりと項垂れるフィリップに、それでもダンブルドアは話を続けた。

 

「そう一人で抱え込まんでもいいんじゃないかね?頭の良い君じゃ、彼がいつかは魔法について感づくことくらいは解っていたはずじゃろう」

「しかしそれでもーー私は恐ろしいのです。なぜ手紙を送ったのですか」

 

 げっそりと沈み込んだ瞳がダンブルドアへと突き刺さる。信頼していた者に裏切られた男の悲痛な叫びを、老人はただ受け止めた。そして、彼を更に苦しめる事実を明かすのだ。

 

「先日、夢を見たのじゃ」

 

 突然、突拍子もないことを話し始めた老人にフィリップは思わず怒気を納めた。誤魔化すにしてもあまりにも下手くそな切り口は逆にこの話の重要性を物語っている様だった。

 

「夢枕にの、ある女性が現れたのじゃ。顔は見えなんだが高貴な気配を纏う不思議な女性であった。そして彼女はこうわしに話しかけてきたのじゃ。『我が血族を宜しく頼むよ。あれは賢く愚かだが、愛らしい男だ』と」

 

 その女性が誰であるかなど、二人にとっては考えるまでもない事であった。

 

「ああ、アメリア」

 

 悲しみに暮れる男は、今はもうすっかり彼方ばかりを見るようになってしまった妻の名を口にする。なぜ今になって。ずっと何かの影に怯える彼女を彼なりに必死に守ってきたはずなのに。ようやく彼女に平穏が訪れて、たった三年で壊れてしまった。その原因はただ彼女の運が悪かっただけだと信じていたのに。

 泣き崩れる男の傍らでダンブルドアは暫し思案し、そっと震える肩へ手を置いた。静かに、しかし力強く。

 

「我等で正しく導くのじゃ。力の正しい使い方を、愚かな道を選ばぬ強さを。なにフィリップ、彼は今までマグルに溶け込んでいておったのだろう?ならば大丈夫じゃよ」

「・・・」

「これからはわしらで彼を見よう。君は少し休んで、そうじゃな、アメリアと静かな田舎なんかで過ごすのも良いかもしれん。アメリアにも、もちろん君にも」

 

 朝日が昇ってきたころ、ようやくフィリップの涙は止まった。

 憑き物も生気も何もかもが落ちたようにまっさらになってしまった彼は、よろよろとした足取りでダンブルドアに歩み寄り、年老いた手を弱々しい力で握ると、消え入りそうな声で「よろしくお願いします」とつぶやいた。

 

 彼のすっかり消え失せてしまった筈の魔法の力が突然舞い戻ってきた事に気づくのは、それから一眠りして日も沈み始めた頃、何故かふわふわと浮きあがるベッドの上での事だった。

 



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サプライズ

狩人さんの口調を少し大人っぽくした結果、ハリーがすごく子供っぽく見える問題


 あふれる程に届く手紙。不思議で大きくて優しいハグリッド、魔法に溢れたダイアゴン横丁、魔法学校の入学準備、ペットの梟。

 不思議な世界からの誘いから数日後、ハリーはやっぱりダドリー家ですごしていた。魔法界の名残を抱え、来たる入学式までの空白の一月。まるでいないものかのように、否、触れば祟りでも降るかのように避けられ、与えられて間もない二階の寝室に籠もっていた。

 そんなハリーにもう一つのサプライズが舞い降りてきたのは、はじめは気楽であった静かな生活にもついに気が滅入り始めた八月の後半ごろ。満月が爛々と輝く夜、日を跨いでいくらか時間が経った深夜のこと。

 

 すやすやと安眠を貪るハリーの意識を現実へと連れ戻したのは、コツコツと窓を叩く音だった。

 寝惚け眼を擦りながら音源へと視線を彷徨わせたハリーを待っていたのは、人間ほどの大きさをした影。寝起きのためか逆光のためか、出来の悪い眼球ではその大まかな輪郭しか捉えられない。ただ、その影の中に丸い丸い、深海よりも深い青色がぽっかりと浮かんでいる事だけが解った。

 

「ヘドウィグ?」

 

 咄嗟にペットの名を口にすると、ベッドの脇に置かれた鳥かごがもぞもぞと蠢いた。珍しく夜遊びはしないらしい。つまり窓の影はヘドウィグではない。当たり前だ、ヘドウィグの瞳はイエロー。そこに浮かんでいるものは青、全然違う。それでも籠に納まる相棒を見て少しだけ肩の力を抜き、もう一度窓の外を見る。

 相変わらず影はじっと佇んでいる。窓はヘドウィグのために開きっぱなしだというのに、まるでこちらから招き入れるこもと待つように。

 キンと冷え切る背筋を叱咤し、窓枠へと手を伸ばした。緊張のあまり指先がブリキ人形のように軋む。ハリーの指先がついに窓枠へ触れても、影はやっぱり静かに佇むばかり。

 ハリーは窓へと伸ばしていない方の手でベッドサイドを探り、どうにかメガネを引き当てた。片手で器用に柄を開き、ゆっくりと装着する。

 

「あれ」

 

 情けない声が湧いて出た。なにせ晴れた視界に現れたのは、見覚えのある人物であったのだ。

 

「ジェイラス!」

「やあ、折檻は無事終わったようだね」

 

 窓を覗いていたのは友人のジェイラスだった。いつも通りの小奇麗な格好のまま窓枠に腰掛けている。そういえば彼の瞳は底なしの青だった。窓から反射した月明かりが虹彩の中でキラキラと瞬き、まるで宇宙を切り取ったようにも見える。

 

「どうしてこんなところに?」

「何、そこの木から飛び移っただけさ。ところで君、なにやら面白げなものを飼ったのだね」

「・・・あー、うん。ヘドウィグっていうんだ」

「えへ、いい名前じゃないか」

 

 どうして、というのはそういう意味では無いのだが、彼との付き合いでこの手の食い違いはよくある話だ。

 ヘドウィグは突然の訪問者に驚いたのか、僅かに籠の奥へと身を寄せている。「嫌われてしまったね」いかにも悲しそうに眉を下げながらジェイラスは苦笑いを浮かべた。

 ふと、ハリーは新しい奇妙に気がついた。

 

「ありがとう、えーっと・・・風邪でもひいた?」

 

 ジェイラスはコートを身に着けていた。夏も終りの八月、それもグッと気温の下がる夜とはいえ、冬場に着るような真黒で分厚いコートを着込んでいるのだ。前こそ全開にしているが、暑苦しいことに変わりはない。しかしジェイラスは実に涼しげな表情で窓枠に腰掛けている。

 

「こんな月夜だからね、たまには昔を懐かしむ遊びも良いものさ」

「昔?」

「ああ、遠い昔の話だ」

 

 まるで役者のような仕草でジェイラスの左手が天に伸びる。彼は確かに夜空では無く満月を指した。何故かハリーはそう確信した。

 指し示された満月はそれはそれは大きく丸く、そして幻惑的だ。ふと、ハリーはここは夢なのではないかと思った。

 

「それじゃあ散歩がてらに会いに来てくれたんだ」

「いや、ついでなどでは無いよ。今日は君に伝えたい事がある」

 

 秘密だよ、皆には内緒だ。そう言うとジェイラスはコートのポケットに片腕を突っ込み、一枚の紙を引っ張り出した。

 ほどよく厚く、よく曲がる、僅かに黄色味がかった。紙だ。ハリーの脳が既視感を訴える。四つに折られたそれを、二本指ではさみスウッとハリーの眼前へ差し出した。期待と緊張に耳がツンと張り詰め音が遠ざかってゆくようだ。

 ハリーはそれをゆっくりと両手で受け取り、慎重な指さばきで開いてゆく。エメラルドの文字が見えた瞬間、大声を上げなかったのは驚きがあまりに大きかったためにだ。

 

「ジェイラス、君も・・・?」

「ああハリー、やはり君もか!素晴らしい。君もこの美しい鍵を手に入れたのだね」

 

 ジェイラスがスルリと室内へ滑り込んでくる。漂う獣のような重い臭い、その隙間に混じる鼻をつく鉄の臭い。ベッドサイドの鳥籠でヘドウィグが興奮したように足をカチカチと踏み鳴らしている。

 そんな愛らしい警戒など全く気にすることも無く、ジェイラスがハリーのベッドへ膝をついた。思わずたじろぐハリーの肩を左手で掴み、右手で分厚いコートの懐からずるりと何かを引き抜いた。細い石の周りを植物枝のような、あるいは蔦のようなものがぐるぐるとうねるように纏わりついている。中から僅かに覗く石が月の光を細かく反射して、ハリーは見たことも無いくせに隕石のようだな、と思った。

 

「それが君の杖」

「そう。ステッキは持っていたがワンドは初めてだ」

「僕の杖とは随分と様子が違う。君の両親は魔法使いだったの?」

「少なくともパパはそうだった。最近知ったのだけれどね」

 

 手慰みのように、ジェイラスはその奇妙な杖を振るう。何も不思議は起こらなかったが、杖の柄に巻きつけられた布が妙に古びているせいで、まるで彼が昔から魔法使いであったかのような錯覚を覚える。

 

「隠していたみたいだ」

 

 何の感情も乗らない、乾いた声だった。だから、ハリーはこれ以上この話題を続けることは無しにして、ベッドサイドから自身の杖を取り出した。決して怖気づいたなどでは無い。

 

「ジェイラス、僕はとても・・・すごく楽しみだ。魔法使いだなんて夢にも思ったことがなかった。それに君も一緒だなんて。誕生日とクリスマスが一緒にやって来たみたい」

 

 思いついたままに言葉を発し、出し切ってからハリーはなんだかとても恥ずかしくなってしまった。咄嗟に誤魔化すように下手くそな笑みを浮かべ、ちらりと様子を伺った。

 ジェイラスはといえば、しばらくポカンとハリーを眺め、ふと窓の外へと顔を向け、暫く何かを考え込むようにじっと空を・・・いやおそらく満月を、じいと見つめた。その間ハリーは下手くそな笑みのまま、じっと時が過ぎるのを息を殺して待ち続けた。とても気味の悪い時間だ。言わなければよかった、と後悔が喉元を迫り上がる。

 そうして三分ほど経ったころだろうか。いやもっと短かったかもしれない。ようやくジェイラスの顔がハリーの方へと向き直った。特別嫌そうでも、嬉しそうでも無い。彼が時折する表情だ。この顔をされるとハリーには何を考えているのか全くわからなくなってしまう。

 

「俺も楽しみだよ。とても」

 

 彼はベッドに投げ置かれていた本を一つ手にとった。『幻の動物とその生息地』先日、不思議な市場で購入した魔法の教科書だ。分厚い表紙をサラリと撫でて、流れるように指先で本を開いた。見たことも無い奇妙な動物達が図解付きで並んでいる。ジェイラスは中身を見ているのかいないのか解らないほどの絶妙なスピードでパラパラと捲る。深い青の瞳はすっかり本へと向けられている。

 それに何故か安心をして、ハリーも教科書へと視線を落とした。

 

「学校が始まるまでに二人で目一杯教科書を読もう。俺は読み書きで一杯一杯な学生生活など御免だ」

「そうだね、でも読んでるばかりじゃよくわからない。早く学校が始まらないかなあ」

「ふむ、呪文も一つや二つ程度ならいいんじゃないか?ようは死人が出なければ良いんだ」

「・・・怒られるんじゃない?」

「怒られるなんてどうてことないさ。何もしなくとも怒るときは怒る。ダドリー坊やもそうだろう?」

「それもそうだ」

 

 ハリーは『基本呪文集』を引っ張り出して、ごく簡単な、物を動かすだけの呪文を枕に向かって唱えた。勢いよく振り下ろした杖は、しかし光が出るとも無く、枕もピクリとも動きやしない。

 こうやって無害そうな呪文を既に片手に収まらぬほど唱えたが、今のところ成功した試しは一度も無い。その事実は僅かに、ほんの僅かにハリーの幼い自尊心を傷つけ続けている。

 

「おそらく」

 

 ハリーよりも少し大きな手が教科書を掴み取った。ハリーの唱えた項目を人差し指でゆっくりとなぞる。

 

「手順、あるいは作法があるんだろう。才はこの手紙が保証しているのだから、身体や血の問題ではなく・・・」

 

 素振りのように何度かその妙な形状の杖を振り、一度ピタリと体を止めた。釣られてハリーも息を止める。中に向けられた

杖がふわりと弧を描いた。ハリーの視線もくるりと回った。

 

「アクシオ」

 

 ピンと杖先が枕に向けられた。ハリーは導かれるように枕へと首を向けながら、動けと願い、でもやっぱり動かれると悲しいとも思った。

 枕は小さくふるふると震え、ハリーが一つ瞬きをした時にぽぷんと一度だけ小さく跳ねた。ジェイラスに向かって、三センチほど。残ったのは、なんとも言えぬモヤモヤとした空気のみ。それきりいくら見つめても動くことは無かった。

 

「あー・・・すごい、動いた」

「いいかい友よ、魔法とは神秘、そして神秘というのは秘されているから神秘なんだ。つまりーー」

「わかった、わかったゴメンって」

 

 二人して声を潜めて笑い、その夜はお開きとなった。ジェイラスは来たときのように窓から木を伝って地面へと降り、あっという間に姿が見えなくなってしまった。去りゆくジェイラスにハリーが心配をする事は無かった。大人しそうな見かけだが昔から身体能力は高い男なのだ。

 ハリーはしばらく友の去っていった窓際にもたれかかり、じっと月を見つめていた。大きな、本当に大きな満月だ。月から視線を外さぬまま、片手で枕を手繰り寄せた。先程たしかに魔法で、小さくとはいえ一人でに動いた枕だ。顔を寄せれば何か、魔法の香りのような物が残っているような気がしたのだ。

 漂ってきたのは想像していたような心躍らせるものでは無く、どこか甘い自身の皮脂の香り。そして、ほんの僅かに混ざる重い獣臭。ジェイラスのコートから滲み出ていたそれだろう。

 

「犬でも飼っているのかな?」

 

 そういえば何故彼はハリーがホグワーツに入学すると思ったのだろうか。彼と話している間は思いつきやしなかった疑問が、夜風に当たり冷静になった脳に浮かんで、そしてどうでもよくなった。

 ともかく、友人と同じ学校に通うのだ。思いもよらぬサプライズに心は浮き立ち、とても眠ることなど出来ない。堪らずハリーは枕元に積み上げられた魔法の教科書を一冊開き、空が白むまで読みふけった。

 結局その日、ヘドウィグが夜遊びに出かける事は無かった。

 



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不思議への入口

このシーンは原作でも特に好きです


 入学のその日まで、ハリーとジェイラスは夜な夜な二人で教科書を読みふけり、分からないままに杖を振り呪文を唱える日々を過ごした。

 元よりハグリッドの一件よりハリーを避けていたダーズリーの一家は、夜毎に物音を立てるハリーの部屋がよほど恐ろしく感じたのか、八月の最終週には最早同じテーブルにつくことすら無くなっていた。もちろんハリーにとって全く悲しい出来事では無かったが。

 九と四分の三番線などというトンチンカンな切符にハリーが不安を覚えなかったのも、頼もしい友人の存在のおかげだった。二人でチケットを見せ合い、さてどのようなホームなのだろうかと日が昇るまで話し合ったりもした。「今すぐにキングス・クロス駅を調べに行くべきだ」と力説し飛び出そうとするジェイラスを引き止めるのには大変な苦労をした。

 

 こうしてハリーは順調に夜を跨ぎ、遂に時は来た。

 ハリーは本当を言うと家から駅までも友人と共に行きたいと考えていたが、荷物の運搬などを考えるとどう見積もっても一つのトランクに二人分は収まりそうに無かったので、駅まではそれぞれの足で向かいキングス・クロス駅の九番ホームで落ち合うことになった。

 不気味なほどに話のわかるダーズリー家の車に揺られ訪れたキングス・クロス駅には、やっぱり九と四分の三番線など見当たらない。プラットホームの札を眺めるハリーの隣で、バーノンおじさんがニヤニヤと嫌な笑みを浮かべた気配を感じた。なるほど、僕は見世物にされているわけか。自然と眉間に力が籠もり、比例するようにおじさんの笑みが深くなってゆく。反応すればするだけ面白がられると解っていても、止められない事もあるのだ。

 そんな状況を一変させたのは、これまた頼れる友人、ジェイラスであった。

 別に何をした訳ではない。たった一人で、ハリーと同じく大量の荷物が積み込まれたカートを押しながら落ち着いた歩調でプラットホームを歩いてきただけだ。

 彼を目にした瞬間のおじさんの変わりようたるや。あの嫌な笑みはあっという間に引っ込み、顔を真っ青にして一歩後ずさる。まるで恐ろしい物を目撃してしまったかのように。

 対するジェイラスは実に落ち着いた様子で、まるで見せつけるようにゆったりと丁寧にバーノンおじさんへ一礼をしてみせた。

 

「おや、ミスターダーズリー。ごきげんよう」

 

 左手を胸へゆるやかに当てがい僅かに腰を折る礼。昔から彼が時折行うそれは、曰く「父さんの故郷の習慣」であるそうな。彼の父は遠巻きからしか見たことが無いが、もしかしたらどこかの貴族の出なのかもしれないとハリーは考えている。

 浅く下げられた頭が上がると同時にジェイラスの底無しの瞳がバーノンおじさんの眼を捉えた。ダーズリー家は、否あの町の住人皆、ハリー以外は何故かこの深い瞳が恐ろしいらしい。彼と目が合うと背筋が凍る、息が苦しくなるなどと言われ誰も彼もが目を逸らす。それは勿論バーノンおじさんもで、彼と目があった瞬間まるで蛇に睨まれた鼠のように全身を震え上がらせ、パクパクと音にすらならない言葉を呟いた。

 

「ミスター、なにやら顔色が優れないようだ。駅員でも呼びましょうか」

 

 青を通り越して白くなりつつあるおじさんへ、ジェイラスは容赦なく手を差し伸べた。残念なことに恐らく全くの善意だ。しかしバーノンおじさんはまるで凶器でも突きつけられたようにピンと全身を強張らせ、一度だけ大きく息を吸うとこう二人へ言い放った。

 

「何が九と四分の三番線だ馬鹿馬鹿しい!知るか!せいぜい新学期をたのしむことだな!」

 

 今度は無事に言葉を紡げたようだ。言葉に出来たことでいくらか落ち着いたのか、フンと一つ鼻息を吐き出すと逃げるように背を向けて車へとのりこみ、あっという間に何処かへ走り去っていった。

 捨て台詞は実に厭味ったらしい内容ではあったが、こうも怯えながら言われてしまえば哀れにすら見える。ハリーは先程までの胸やら眉間やらに溜まった嫌な気分がスッと引いていくのを感じた。

 隣のジェイラスはといえば、もうすっかりバーノンおじさんへの興味は失ったようで頭上の数字の書かれた札を、そしてホグワーツから送られてきた切符をしげしげと眺めている。

 

「おはようジェイラス、助かったよ」

「ああおはようハリー。さて四分の三番線だ」

 

 解ったかい?と尋ねてくる友人へ、ハリーは肩をすくめることで答えた。ジェイラスの方もやはり見当がつかないのか、地面を見つめて何やら考え込んでいる。

 これは長引くやつだぞ。彼は考え出すと長いのだ。あまり歓迎できない展開にハリーも流石に焦り始めた。新学期から遅刻だなんて絶対に嫌だ。何か、何か手がかりは無いだろうか。あるいは自分達以外の魔法使いは。ぐるりと周囲を見渡すが、やはりそのような表記は見たらないし、魔法使いも見分けがつかない。お手上げだ。

 こうなったらダメ元で駅員に聞くしかあるまいと歩き出そうとしたハリーの袖を、何かがクンと引っ張った。ジェイラスだ。彼が、こちらも見ずに袖を引っ張っている。

 

「こっちだ」

 

 ジェイラスが普段と変わらぬ足取りで歩き始めた。視線はなぜだか地面に向いているようだ。この様子にハリーは覚えがあった。

 

「友人が教えてくれたの?」

「ああ、皆こちらだと」

 

 そう言って、ジェイラスは何もない地面を真剣に見つめながら歩いてゆく。友人。彼がよく語る、ハリーには見えない彼の友達。それらをハリーは、彼の“勘”を表現しているのだろうと予想している。そして、彼の友人はよく当たるのだ。

 

 ジェイラスの友人の導きにより二人がたどり着いたのは、九番線と十番線の間の柵であった。

 

「ここだ」

 

 そう自信を持って答える友人を、さすがのハリーも信じきれなかった。目の前に聳える柵は本当に全く変哲のない柵で、扉も無ければ動きそうな様子も無かったからだ。

 

「これが?」

「ああ。後は何が正解なのかだが・・・」

「ちょっと君たち、行かないのかい?」

 

 首をひねる二人の背後から、突然知らない声がかけられた。驚いて振り返ると、そこには燃えるような赤毛の男の子が四人と、同じく赤毛の少女が一人、そして彼らの母親と思しき女性が一人。間違いなく家族だろう。

 突然のことにハリーが思わず「あ、うん」と答えると、一番年上らしい男の子が「それじゃあお先に」と言って二人の脇をーー改札口の柵に向かって歩いて行った。全く止まりもせずにだ。そして、当然のように男の子は柵へと沈んでゆきあっという間に姿を消したのであった。

 

「なるほど」

 

 ジェイラスが感嘆を吐いた。ハリーはといえば、驚きのあまり声も出なかった。その間にも、更に二人の少年が柵へと吸い込まれてゆく。これはきっと正解だ。

 気づけばすっかり一家が皆柵の中へ吸い込まれてしまった。だれも先程までここに赤毛の一家がいたとは思うまい。ハリーは目の前の柵が途端に恐ろしい物のように思えてしまった。

 恐怖に足をすくませるハリーの肩を、ジェイラスの少し大きな手が撫ぜる。

 

「間違いない。友人達もあちらだと言っている」

「ああ、あの向こうがどんななのか聞けばよかった。あのおばさんとかに」

「おや恐ろしいのかい?」

「ジェイラスは怖くないの?」

「あはは、いや楽しみさ」

 

 ジェイラスはうっそりと笑むと「さあ、秘密の時間だ」とつぶやきながら散歩でもしているかのような足取りで柵に向かって歩き始めた。彼の荷物が、指先が、体がどんどんと柵の中へと飲み込まれてゆく。

 そうして遂に、ハリーは一人になってしまった。赤毛の一家と同じくジェイラスは跡形もなく柵の奥へと消えた。なんの苦労もなく。ハリーはまるで置き去りにされた子供のような心細さに苛まれた。

 こうなれば嫌でも覚悟が決まるものだ。ああもう、と呻き、次の瞬間に柵に向かって一息に走り出した。ぶつかったって知ったものか。最早後に引くことはできないのだから。

 何度人が消えていくところを見たところで、目の前に迫りくる柵の恐怖を感じなくなる訳ではない。臆病と罵られようが知らんと心中で啖呵を切り、必死に目を閉じた。荷物の重みも合わさり、速度のついたカートは最早止まらない。足だって。

 ハリーはとにかく走った。何かにぶつかるまで走る心づもりだった。しかし、その時はなかなか来ない。見えていた柵との距離はとうに過ぎたはずだ。まさか本当に通れたのか?柵の中を?「おつかれハリー」おや友人の声だ。まさか本当に?

 ゆっくりと、あるいは恐る恐るハリーは瞼を開いた。柵の中とはどんな世界なのだろう。暗いだとか、石に囲まれているだとか?脳内で目一杯の最悪を考えながら。

 まず初めに見えたのは、紅色の機関車。そして想像以上に人でごった返したホーム。あと、とんでもなく楽しそうな友人の笑み。

 

「ああハリー、素晴らしい技術だとは思わないか。これは“我々”に勘付かせないように?いや“誰にも”か・・・」

 

 酷いものだよなぁ、ただ声に答えただけなのに。そう語りかけてくる友人に答えてやる余裕はハリーに無かった。ホグワーツ行き特急。夢ではない。息が震える。

 

「ついた・・・!」

 

ゆっくりと振り向くと、改札口のあった辺りに「九と四分の三」と書かれた緑色のアーチが見えた。カートとチケットを握りしめた掌がじっとりと汗ばんでいる。

 

「楽しみだなぁ。なあ友よ」

 

 深い深い、海よりも更に深い青が、小さな光をいくつも瞬かせる底無しの青が細まり弧を描いている。宇宙だ。何度も思ったことの筈だ。それなのにハリーは、初めてその青を恐ろしいと思った。

 



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ホグワーツ特急

 ホグワーツ特急の中は子供と荷物でごった返している。なにせ七学年分の子供が詰め込まれているのだから、人数云々以上に凄まじく騒がしい。一般人ーー魔法使い風に言うならばマグル生まれの一年生達は反応こそ様々ながらも皆揃って舞い上がってしまっているし、魔法界出身者だって一年生は大人への分かりやすい第一歩に大興奮だ。それに、他学年生だって久しぶりの友人との再会やらで何処もかしこも大いに盛り上がっている。

 そんな中でも、ジェイラスは比較的静かな旅を過ごせていた方だろう。なにせこのコンパートメントに顔を出す人物といえば八割九割ハリー・ポッター目当てなのだから。

 自身の自覚以上に有名人らしい友にジェイラスがしてやれる事は少ない。心底から救いを求められれば何かしらしてやらぬ事もないが、聞こえぬ以上は彼もそれなりにこの状況を楽しんでいるのだろう。

 

「しかし本当に有名人なんだな。彼の特別は君たちの普通だと思うのだが」

 

 ジェイラスは同じコンパートメントに腰を下ろしている赤毛の少年、ロン・ウィーズリーに語りかけた。

 

 偶然なのやら何なのやら、マグル界暮らしの二人が魔法界への入り口が分からず悩んでいたときに現れた赤毛の一家の一人である。

 ハリー達にとっては数少ない“見たことのある”魔法使いであったが、彼にとっては“初めまして”の同級生でしか無かったようで、少し興奮気味に相席を申し出たハリーに当初は困惑気味であった。その後、その少年がかのハリー・ポッターであることを知りお互い様となったわけだが。

 

 はじめこそ双方の興奮状態の結果、奇妙にハイな空気が充満していたコンパートメントも今や随分と落ち着いている。ハリーはいくらか菓子を口にしたことで頭に登っていた血が胃に移ったようで、蛙チョコレートのオマケの有名人カードを握ったままうつらうつらと船を漕ぎ出している。ロンの方もようやく身近に有名人がいる環境を飲み込めたようだ。今は杖形甘草あめをしゃぶっている。

 そんなとくに面白味もないであろう状況にも関わらず、廊下側の窓には常に誰かしらが室内を覗きに来る。列車出発から今まで、ずっとだ。誰もがかのハリー・ポッターを一目見ようと、寝ていようが飯を食っていようが観察するのだ。今も年上らしい女二人が船を漕ぐハリーのことを、まるで動物園のパンダにするように面白そうに指をさしている。

 

「まるで英雄の帰還のようだ」

 

 状況に対する飽きを隠しもしないジェイラスの言葉に、ロンは少し困ったように眉を下げた。

 

「間違いないなく英雄だよ。なにせあの『例のあの人』を倒しちゃったんだから」

「ふむ、英雄、英雄とはね」

 

 我が友もなかなか業が深いじゃないか、という言葉は無事に喉元でせき止められた。戦士ではなく英雄ならば、周囲のこの厚かましさも納得のいくものだ。

 どことなく不機嫌な空気を察したのか、咄嗟にロンはさもずっと聞きたかったですと言いたげな口ぶりで「そういえば君、ファミリーネームはティレットだったっけ」とたずねた。何を緊張しているのか、紫色をした百味ビーンズを口に放り込みながら。何味にあたったのだろう、顔を器用に斜めに歪めた。それに薄っすら耳が赤い。

 

「ん?ああそうだ。ジェイラス・ティレット」

 

 家から持ち出したらしい小説から目を話すことなくジェイラスは答える。歳の割に大人びた口調は彼を随分と年上に見せた。だが彼の足に乗せられた赤いドレスの女性と黒いコートの男性、二つの縫いぐるみがすべてを帳消しにしている。

 ロンはこのアンバランスな組み合わせを出来るだけ意識しないように、もう一つ百味ビーンズを口に放り込んだ。鼻にツンとぬける辛さに涙がにじむ。

 

「げえ、辛い!」

「水はないがジュースはあるぞ。それで、うちの苗字がどうしたんだ」

 

 ジェイラスのバッグから引っ張り出されたペットボトルをヨロヨロとした手付きでロンが受け取った。中身はただのオレンジジュースだ。よほど辛かったのだろう、ロンは少し多めの一口を口に含むと、暫く舌をその甘さに浸していた。

 

「ありがとう、イー、なんだこれ辛い・・・いやティレットって何処かで聞いた気がするんだ、けど思い出せなくて」

「なるほど。ただパパは俺にも魔法の事を隠していたからな、全く思い当たらない」

「隠してた?なんで」

「さてね」

 

 あー、そう。そんな弱々しいロンの返事と共に会話は無残にも途切れてしまった。

 ガタゴト。列車の揺られる音が嫌に響く。はじめは騒がしかった車内も朝からの長旅で随分と静かになった。普通であれば落ち着くはずなのだが、今はその騒音が恋しい。

 魔法界の英雄の友人は何故かロンの心をソワソワとさせる不思議な空気の持ち主だ。何故、と言われるとロン自身にも理由が解らないのだが、一目見た瞬間から強い違和感を感じるのだ。どうしてこんな所に?と。彼とは初めましてなのに。

 ようやく百味ビーンズの辛味が抜けてきた口を薄く開き「くちなおしだ」などと一人ごちながらウゴウゴと蠢くオレンジ色のミミズグミをかじる。どうか、早くハリーが目覚めるだとか、学生が乗り込んでくるだとかが起こりますように。口の中で蠢く弾力の強いオレンジ味を噛み砕きながらそっと祈った。

 そしてその祈りはすぐ様に叶えられる。

 

「僕のヒキガエルを見なかった?」

 

 コンパートメントの扉を開いたのは泣きべそをかく丸顔の少年ネビルと、栗毛の嫌に気の強い少女ハーマイオニー。少女の態度は鼻についたが、間違いなく救世主だ。人が増えたことでいくらか騒がしくなったのだろう、ハリーの意識も眠気も無事に吹き飛んだようだ。

 その頃ジェイラスはすっかり持ち込んだ小説と汽車のきしむ音に夢中になっており、彼のずいぶん少なくなった耳と目はロンのことなどさっぱり気にかけなかった。それは途中でとんでもなくイイ性格をしているマルフォイとその取り巻きが現れても変わらない。ロンは心の隅でやっぱり変なヤツだなぁと呟いた。

 

 そんな生徒たちの喧騒も気に掛けず汽車はどんどんと目的地に向けて走る。それはまるで沈みゆく太陽に合わせるかのようで、ちょうど昼と夜が混ざり合う頃にホグワーツへと到着した。

 

 

 

 

 恐ろしく忙しく、とてつもなく楽しい一日が終わった。

 ハリーはグリフィンドールの男子寮の、天蓋付きベッドの柔らかな布団に埋もれながら今日一日を思い返す。未だに現実味が無いが確かにハリーは魔法使いの第一歩を踏み出したのだ。

 疲労と興奮がない混ぜとなった奇妙な熱を散らすようにゴロリと体を転がすと、もうすっかりパジャマに着替え終わったらしい友人が早速ベッドを自分好みにアレンジしているところだった。枕元には愛用の二つの縫いぐるみを、ベッドサイドには小ぶりのランタンを。

 そう、ハリーとジェイラスは幸運なことに同じ寮となったのだ。少し悩まれた自分とは違い、彼の組分けはあっと言う間に終わった。かぶったと思ったらすぐに自分の隣の席へ腰掛けた彼に、ハリーは大層喜んだものだ。なにせ、てっきりジェイラスはレイブンクローに分けられるのだと思っていたからだ。

 ジェイラスとは反対側の隣でロンがほんの少し気まずそうに喉を鳴らしたり、ハーマイオニーが煩そうに顔をしかめていたが知ったことではない。間違いなく変わり者だが、それ以上に彼はハリーの友人なのだ。

 

「眠れないのかい?」

 

 ようやく満足のいく配置を見いだせたらしいジェイラスがベッドにあぐらをかきながら問いかけた。どうやら彼は全く眠くないようで、眠いのか眠くないのか曖昧なハリーとは違ってパッチリと目を開き、ピンと背を伸ばしている。体力があって羨ましいことだ。

 

「眠いんだけど、うまく寝れないんだ。なんだかザワザワして」

「なるほど興奮しているんだね。君さえ良ければ夜の散歩と洒落込むのも良いかと思うのだが」

 

 友人の誘いは実に魅力的だった。あとから思えば実に大胆で、恐れ知らずなものだったが。それでも確かにホグワーツ城は今すぐにでも探索したくなる、未知の魅力に溢れている。

 

「いや、いいよ・・・やっぱり疲れてるみたいだ」

 

 しかしそれ以上にハリーは疲れていた。たしかに胸はざわつくが、だからといって今から起き上がれる気力は残っていない。背中はすっかりなめらかな布団に吸い付いてしまっている。それに、なんだか瞼が重くなってきた。

 ぼんやりとした視界の中、パチンという音と共に青白い光が差し込む気配を感じる。月明かりだろうか。中途半端に残った意識でハリーは考える。最早難しい事を思考する元気は残っていない。

 

「良い夢を。ロン、君は?」

「あー、僕もいいよ。それよりスキャバーズが・・・」

 

 聞き覚えのある声が何かを喋っている。「どうしたの?」と問いかける間もなく、ハリーはすっかり夢の中へと旅立っていった。




ロンの空気は読むけどコミュ力強者ってわけじゃない感じがすごく好きです


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ゆめ

 鼻につく奇妙な臭い。何が見えている訳ではなかったが、ハリーは確かにクィレル先生のターバンを巻いていた。頭が妙に重い上に、まるで悪魔に首根っこを引っ掴まれたような悪寒が止まらない。

 

「スリザリンに移らなくてはならない」

 

 心臓を締め付ける嫌な声だ。ターバンがどんどんと重くなる。

 

「それが運命なのだから」

 

 耐えきれずにターバンを外そうと手をかけるが、もがけばもがくほどにターバンの締め付けはキツくなってゆく。頭が割れそうだ。例えば、怪力に握りつぶされる林檎のように。ターバンが重い。

 あはははは。聞き覚えがあるような、無いような曖昧な笑い声が聞こえる。マルフォイだ。こちらを指さして笑ってる。もしかしたら既にハリーの頭は潰れているのかもしれない。彼の顔面がぐにゃりと曲がり、鷲鼻になった。顔色の悪い、ねっとりとした黒髪。見覚えがある。たしかスリザリンの。ターバンが重い。ハリーは未だに形を保っているかも怪しい脳みそで考える。確か、スネイプ。

 スネイプが見たこともない声で笑っている。

 

「スリザリンに移らなくてはならない」

 

 視界が緑に染まった。

 

 

 

 次にハリーが目を開くと、目の前には古びた建物があった。石でできたそれは教会だろうか。その建物へと続く道に沿うように作られた墓石は、確かに何かが書かれているのに全く読めない。

 ふと、ハリーは自身の頭部へ手を伸ばした。ターバンはすっかり無くなっている。逃げ切れたのだろうか。未だに頭が痛い気がして、ペタペタと何度触っても足りないとばかりに自身の頭を撫で回した。

 しばらく頭と無意味な格闘を続けていると、建物から何者かが出てくるのが見えた。

 草臥れた服にコート、それに帽子をかぶった、車椅子の老人だ。老人が少し進む度に車椅子はキシキシと音を立てている。

 

「おや客人かい、良い夜だね」

「こんばんわ。本当に、今日は良いことがたくさんあった・・・ところで此処にターバンは居ますかわ?」

「ターバン?ああ居ないよ。先程追い返した」

「そりゃよかった!」

 

 ようやく逃げ切れたのだ!そう思うとなんだかスッと胸が軽くなり、頭の痛みもどこかへと消えていった。

 

「それよりも、そんなところで突っ立っていないでこちらに来たまえよ。皆喜ぶだろう、歓迎しよう」

 

 老人が右手で建物の入り口を指した。僅かにそよぐ風に乗って、重苦しい獣の臭いが漂ってくる。それに、刺すような鉄の臭いも。

 建物へと続く石畳を一段一段登るたびに、なにやら足元を蠢く気配を感じる。それらの姿は見えなかったが、ハリーは確かに歓迎されていると確信し心がはずむ。

 ふと見上げた空は星も見えぬ夜空だったが、何よりも大きな満月が印象的だった。

 

 ハリーがはじめに立っていた場所から建物まではとても近くであったはずなのに、入り口へと到着したころにはすっかりヘトヘトに疲れていた。まるで登山でもしたかのようだ。

 建物の中はハリーの予想とは違い、教会といった様子ではなかった。作業台のようなものが2つほどあったり、棚の中には見たこともない器具や奇妙な瓶詰めが並んでいる。まるで職人の工房のようだ。

 そんな室内のちょうど真ん中に、妙に小さなテーブルがひとつちょこんと置かれている。奥側には先程の車椅子の老人がいて、彼の左側にはえんじ色のドレスを纏う美しい女性が立っている。そして手前側には肘掛け付きの椅子が一つ置かれていた。

 

「ごきげんよう、ご友人様」

「悪いなこんなもので。なにせ此処はただの作業場、客人など滅多に来やせんのさ」

「あ、いえお気遣いなく・・・」

 

 ハリーは椅子へと腰掛ける。テーブルには紅茶が二人分だけ用意されていた。老人がそのうちの一つを手に取り、ゆっくりと口をつけた。浮かぶ香りはとても柔らかで、紅茶になど縁のないハリーにも良い香りだと思わせる。味もよいのだろう、老人があぁ、と旨そうに声を漏らしている。

 ハリーは紅茶に手を付けなかった。

 

「いつも狩人様がお世話になっております」

 

 女性は真白い花のような美しい声色でハリーに語りかける。その肌や瞳はなんだか作り物めいていて、それなのに声は確かに湿り気を帯びている。ふと彼女の指先を見ると、まるで人形のような節が見えた。それを確認して、ハリーはなるほど、と胸をなでおろした。

 

「いえ、いつも僕ばかり助けられていて」

「いやあれも君に助けられているさ。自分で決めたくせに、慣れないことばかりですぐに泣き言をいいそうになっておる」

 

 老人の言葉がハリーには信じられなかった。だって彼はいつもとてもしっかりしていてーーー彼?誰が?

 遠くで、ハリーを呼ぶ声が聴こえる。

 

「僕、帰らないと」

「もう時間かね」

「授業が始まっちゃう。ホグワーツはどっちですか?」

 

 老人のしわくちゃの手が、ハリーの背後のずっと先を指さした。目を凝らすと墓石が並び立つ暗闇の先に、青白い光が見える。ホグワーツだ。

 

「気をつけたまえよ、君。まだ何も知らないのだろう」

「ありがとうございます、それじゃあ僕はーー」

「さようなら、ご友人様」

 

 ハリーは転がるように建物から飛び出した。急がなくては、なにか良くないことが起こる気がする。

 来たときはとんでもなく長く感じた階段は、今度はとんでもなく短くなっていた。ハリーの足が三回動いた頃にはすっかり階段は終わっており、そこからさらに五歩も進めば暗闇の奥に見えていた光が目の前へと迫っていた。

 光の正体はランタンだった。地面からつきでる腰ほどの高さの棒にひっかかる、こぶりなランタン。その中心から月の光を集めて固めたような青白い光があふれ出ている。

 そっと触れると、ハリーの体がもろもろと崩れ、浮き上がり、光に包まれ、そして真っ暗になった。

 

 そして目覚めた時、ハリーは何にも覚えていなかった。

 




感想ありがとうございます
口下手なんで返信はひかえさせていただきますが、喜んで熟読しております


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