彷徨える実況者~あゝ、無情。雪だるま編~ (丸米)
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実況者、実況する
あゝ雪だるま
雪だるま
私の目の前には。
雪だるまを作るスーツ姿の男がいた。
綾辻遥。
ミッション1
眼前の光景を、実況せよ――。
※
この物語は。
綾辻遥の、綾辻遥による、綾辻遥の為の物語である。
どうしようもない苦悶。
実況という名の写実的行為の果てにある、苦悶。
何を言おうと言葉の綾に雁字搦め。
辻斬りの如く唐突に襲い掛かる眼前の光景に、声を詰まらせることは許されない。
この言葉の果てに。
遥か先に見える試合終了までの時間を埋めよ。埋めるのだ。空白を埋め、彩を与え、彼の者が行使する論理を見つめ続け、その表現を掬い上げるのだ。
実況者は実況をせねばなるまい。
実況者としてそこにいるのならば。
そして彼女は実況者であったのだから。
然らばこの物語は。
物語の中に潜む、空白の時間を掬い上げた代物であるともいえる。
空白を埋めろ。
貴様の言葉で写実せよ。
実況者であるのならば。
実況者の。
証明を行うのだ。
合理を乗り越えたその先にある代物。
不合理の中にも合理を見つけよ。
合理の中の合理ではない。不合理の中にある蓋然性を見つめ続けよ。暗闇を通りすぎる一陣の光。流星の如く通り過ぎていく論理の果て。覗き込む暗闇の中、観測せよ。自らすらも覗き込む暗闇の観測すらも観測せよ。
それが実況だ。
写実せよ。
己の言葉で写実せよ。
その論理を。闇を。光を。表現せよ。人の子として託されたその言葉で。言霊を宿したその音声で。ここにあるのは金属のマイクと己、そして降りしきる雪の中に浮かぶ不合理という名の合理。
実況せよ。
その先にある道が、例え苦悶に満ちていようとも。
実況せよ。
例えその先にあるのが果てなき自問自答であっても。
実況せよ。
実況せよ。
それが、貴様に与えられた役割であるというのならば――。
※
二宮匡貴は合理性の塊のような人間である。
彼が持つ合理性とは何か。
それは、彼が信じる合理的基準に基づき、一点の曇りなき行動指針というレールに自らを乗せ滑空する行為全般を総括したものである。彼は彼自身が持つ合理性を只管に信じており、省みることもない。その意味において彼の精神性はまさしく超人というほかない。彼は彼の合理を信じているが故に他者の言葉に揺るがされることはない。他者が自身をどう見ようとも関係はない。あらゆるものを彼は彼自身の合理性によって決定する。
彼のスーツだってそうであろう。
周りから見れば何ともコスプレ感がある姿にしか見えない。
だが彼の中に存在する「コスプレ感がない服装」の基準に最も適合している故に彼は隊服にスーツを選択した。
事実、彼は数多くこなしたランク戦の中で、不合理な行動というものを一切取っていない。少なくとも綾辻が実況を行った試合においては、むしろこちらが感心するような試合運びをすることの方が多かったようにも思う。
しかして。
合理性とは、基準だ。
そして、基準とは複数存在している。
先程取り上げた「服装」においても様々な基準が存在する。「ファッション性」「機能性」「流行り」――等々。様々に存在する基準を手に取ろうとするその瞬間、人は何を基準に選択するというのか。
基準を選ぶ基準。
そこに存在する指針は、どうしても感情に寄ってしまうであろう。
かっこよくなりたい。その感情を元手に基準を定め、合理的に行動する。十分にあり得る。
綾辻遥は一つ、学んだことがある。
それは、一つの事実。
――合理的である事と、感情的であることは、矛盾しない。
それは何処までも正しく、そして眼前に突き出された恐ろしい現実であった。
「――膠着状態ですね」
ボーダー内では、その日ランク戦が行われていた。
綾辻遥が実況を務めるこの試合はまさしく膠着状態に陥っていた。
玉狛第二、東隊、影浦隊、二宮隊によって行われたランク戦。
ここまで凄まじい勢いでランクを駆け上がってきた玉狛第二は、上位の壁にぶち当たり一点止まり。混戦に次ぐ混戦の果て、二宮隊が単独トップの状態の最中膠着状態に陥った。
雪が降りしきる環境下。
隠密に徹する東の無言の牽制の中、影浦・二宮共に動きを止めざるを得なかった。
「この状況になったら仕方ないわね。東さんだもの。手の内を知っている二宮君からすれば探すだけ無駄だと判断をするのも当然よ」
解説席に座る加古望は、そう言った。
「このままタイムアップ狙いか」
加古と共に解説席に座る風間は表情を変えることなく、そう言った。
「そうなるわね。――仕方ないけど、退屈ねー」
退屈。
こればかりは仕方あるまい。
千日手となった盤面を見続けて楽しめる人間というのは希少であろう。特に、加古望のような人間からしてみれば。
「何か、面白いことしないかなー。――二宮君辺り」
「はは。まさか」
二宮はその隊服やポッケに手を入れたまま戦うスタイルや普段の言動や不遜かつ高圧的な態度――はともかく。その冷静沈着ぶりはもはや右に出る者はいないだろう。何があっても表情が動くことはないだろう。それだけは保証できる。
「いや解らないわよ。――ほら」
「え?」
二宮はその時、区域内の住宅地にいた。
さんさんと降り注ぐ白雪が美しい。例え仮想空間であれど。――いや仮想空間だからこそ。
雪が持つ性質を表す以外の目的のないその雪は、不純物の含まない純白だ。
「-------」
「おっと。二宮隊長。ここで身を屈ませました。――狙撃を警戒してのことでしょうか」
二宮は身を屈ませ、両手を雪上に置く。
そして。
「------え?」
そのまま両手を円状に動かし、雪を集めはじめた。
雪を掻きわけるように、さ、さ、と余計な雪を払い、くるりと両腕を回し雪を集める。
「これは-------」
「-------」
流れるような動きであった。
彼は戦闘中、ほぼ出すことのなかった両手を突き出し、雪を集め、整形し、球体状に仕立てている。
まさか?
いや、まさか。
まさかそんな事が、あるわけが――。
「綾辻ちゃん」
加古が、声をかける。
「はい----」
「実況、するのよ」
「え-----?」
実況。
実況?
そうだ。自分は実況員だ。故に実況をせねばならない。
理解できる。
だが――アレを、実況するのか?
「貴方は、実況員。――そうでしょう?」
そうだ。
自分は、実況員。
実況員であるならば、実況をせねばならない。
「に-------」
いいのか?
それを口に出して、いいのか。
ざわめきが、大きくなる。観戦している人々の中から、聞こえてくるざわめき。何が起こっているのか――未だ解らない状況なのだろう。
それはそうだ。
衆人環視の中、そしてランク戦の最中。そして二宮匡貴。この組み合わせで、この光景が生み出されている。
あり得ない。
あってはならない。
おかしい。何がおかしいといえば、全てがおかしい。
「------に、二宮隊長が周囲の雪を掻き集め、球状に丸めています------」
だが。
自身は、実況員。
実況員は、実況せねばならない。
「動きに迷いはないわね。この状況で雪遊びをすることに微塵も疑いを持っていない。実に、二宮君らしい動きね」
「だが、遊びそのものには慣れていない感じがするな。雪の集め方が少しぎこちない」
「でも、結構重要な要素よねこれ」
「重要、と申しますと」
もしやすれば。
アレに。あの光景に。何か確固とした戦術的要素を見出せたのだろうか?
そうであるならば。自分が実況する事に少しでも意味を見出せるのではないか。
綾辻遥は、期待に胸を膨らませ、加古に尋ねる。
「雪と言っても、二種類あるでしょう?自然に空で作られた雪と、スキー場にあるような人工雪。基本的に、人工雪はあまり水分を含まないから雪だるまが作りにくいの。でも、今二宮君が特に手間もかけずに雪だるまを作れていると言う事は、ちゃんと雪マップは自然に近い雪を反映できていると考えられるの」
あ、もう雪だるまって言っちゃうんですね。
「それは当然だ。実際の天候に近い条件を反映しなければ訓練の意味がない」
「そう。当然よね。でもその当然がちゃんとなっているかどうかを知る事も、重要な要素じゃないかしら?私はそう思うわ」
はい。
そうだと思います。
でも。
こんな時に。こんな混沌とした状況で知りたくはなかったです------。
二宮匡貴は、コロコロと手元で雪を回し続け、球体を象っていく。
作り上げられた雪の球体に雪をまぶせ、転がす。形が整うと、また雪をまぶせ、転がす。その繰り返しをしばらく続けていく。
その手際を見るに、雪だるまの作り方に関しては知っているのだろう。手順に迷いはない。だが、手順を知っているが、実際に慣れてはいないのが解る。一つ一つの動作そのものは、遅い。成程、先程の風間の解説は正しい。迷いはないが慣れてはいない。そういう手つきであった。
それはまるで、二宮という男を表象しているようであった。
そもそも彼はこの行為に何を見出しているのだろうか?
何故表情を変えない。そこらの石くれを見つめるような表情で何故雪玉を作る。何故雪と戯れる。一体あの男の喜怒哀楽のどれに、あの遊びによってもたらされる刺激があるというのか。何故そんなつまらない表情で、淡々と流れてくる工業製品を組み立てるが如きどうでもよさげな表情なのだ。楽しめとは言わない。だがせめて何かしらの感情をそこに表現してほしい。まるでそれはロボットのようだ。世紀末かどこか。人類が誰もいなくなった雪原の果て。仕えるものもいなくなった地平の上。そんな場所で一人何かの作業に耽るロボット。意味もない事を淡々とやり遂げるその姿に、綾辻は言いようもない感情を浮かべていた。
そうして彼は作り上げられていく球体がある程度の大きさになると、今度は形を整える作業に入っていく。
余計な雪を払い、そして必要分の雪をまぶし、ろくろ回しのような手つきで球体の形を完璧なものに仕立て上げていく。表情は変わらない。地球儀を無表情のまま回し続けるように、彼はただただ雪玉を球体に仕立て上げていく作業を淡々と行っていた。
「-----二宮隊長、球体状の雪を一つ作成し、そのまま放置しました。そして、また膝をつき雪を集め始めます」
綾辻は、つとめて冷静に実況をする。
いわば、無。
眼前の光景に対し、感情を刺激しないよう心の状態を落ち着かせ、感情を無にするのだ。
「綺麗な球体ね。二宮君らしい几帳面さだわ」
「ああ」
解説員二人は、うんうんと頷く。
「でも、本番はここから。雪だるまを作るうえで重要なのは、上下のバランスだから」
「ああ。そうだな。だるまの頭の部分――その接地面を、どのように作るか。そして、どのように崩れないように頭を乗せるのか。球体を作るだけならば雪団子を作っているのと同じだからな」
今自分は何をしているのだろう。
綾辻遥は懊悩する。
そうだ、ランク戦の実況をしているんだった。
ランク戦だ。
そのはずだ。
それとなく周りを見てみる。
観覧席は最初は戸惑いの表情で見ていた観覧席も、緩やかに笑みの形を浮かべ、何処かの席では腹を抱えて笑っている声すら聞こえる。寒そうなマップに反して、次第に自身の周囲は温かな空気を次第に纏って行く。
何というか、アレだ。この暖かさは実にこう、朗らかな温かさなのだ。
微笑ましい感じ。
まさか、あの二宮が――という感情は次第に何かに転化されていく。
あの二宮がランク戦の最中、雪遊びに興じている。
この状況下の中、それを見る人々は様々な感情に支配されていくのだ。
二宮という男が普段の日々の中で見せる鉄のように冷たく強靭な顔。その顔のまま雪遊びに興じている様を見て――観客はその中に二宮という人間の本質を探ろうとしているのだ。
猫を助けるヤンキー。人付き合いの悪いクラスメイトがふとした時に見せる優しさ。――日々の姿と差異のある行動を見ることで、人はその人間の本質を見ようとする。
まるで。意地を張る子供を生暖かく見るような。
そんな空気が、周囲から。
違う。
二宮は、隠している本性なんかない。
そう綾辻は思う。
本性を隠しているそぶり何て、あの光景には無い。
二宮は二宮のままで。
あの雪だるまを作っているのだ。
「-----二宮隊長、ここで小ぶりの雪玉を作り上げ-----!!」
信じたい。
最後まで信じたい。
そこに希望があるのだと。
二宮は、きっと。きっと。
あの二つ目の雪玉を、乗せたりなんかしない。
もうそれが為されてしまえば。
言い逃れなんかできない。
大きな雪玉の上に小さな雪玉を乗せる。
そこまでくればもう、雪だるまを作っているとしか捉えられない。そうとしか解釈できない。
解釈の無限性は未来が到来するまでは担保されるのだ。
無限に広がる可能性が現在に至り全てが収束するその時間が。
来るはずがない。
来てはならない。
あろうはずがない。
頼む。
誰か。
神様でもいい。
あの男を止めてくれ。
未来を、運び込まないでくれ。
が。
「雪玉を、持ち上げ-----!」
彼は雪玉を持ち上げた。
片膝立ちで雪の中にすっ、と手を挟み込んで。
まるで我が子を抱き上げるかの如き繊細な手つきで。両腕の間にスペースを開け、雪が崩れないように。
やめて。
やめてくれよ。
何で。
何で、こんなにも世界は残酷なんだ。
自分は実況するべきなのか。
実況せねばならないのか。
あの事象から得られる情報を脳に希釈させ言語化して吐き出すという行為を行わなければならないのか。
何度でもいう。
今回自分の役割はランク戦の解説だ。
あの眼前で行われる行為はランク戦の一環として解釈してもいいのか。
いいのだろうか。
そこに自分の言葉で肉付けをして周囲に説明してもいいのか。
いいのだろうか。
いいのだろうか。
だが頭が回る舌が回る言語が脳で作られてそして吐き出されていく。
あの男が何をしようとしているのか。
予想も出来る。
ああ。
未来が訪れる。
訪れてしまう。
「----------置いたァ!!」
置いた。
置いてしまった。
さあ、実況しよう。
そこにあるのは雪状の物体だ。
それは大小二つの雪を球状に固めた物体を二つばかり並べ、その後大きな雪玉に小さな雪玉を乗せたものであった。
ころころと今にも転がりだしそうな綺麗な球は本当に雪から作られてたのか一瞬見まがうほどの完成度。
二宮の几帳面さが実によく表れている。余計な雪を払い、凹凸を埋め、作られたその球には、土くれの一芥もない。真っ白だ。純白の雪がそこに一つぽん、と置かれている。
その上に、更に小さな球体が置かれている。
球体というのは不思議なもので、そこに様々なテーゼを見出すことが出来る。
くるりと回転できるそれは地球の象徴として見る事も出来れば万物の理である円環、循環もそこに見出すことが出来る。
それがあら不思議。
その球体が大小二つを上下にくっつけ並べると、その球体は人間の身体すらも表象してしまう。
球の膨らみは腹であり、二つの雪玉の接着部分は首であり、そして上に鎮座するそれは頭部である。
とてもそうは見えないのに、そう見えてしまうのだ。
首も据わっている。腹は出っ張っている。そもそも手足がない。目も鼻も耳もない。なのに、そこにあるそれを我々は人間を表象しているように感じてしまう。
何故だろう。
なぜ人は、雪玉を二つ並べるだけでそれを人間と錯覚してしまうのだろう。
そして、雪を見るとそれを作りたくなる衝動が巻き起こってしまうのだろうか。
それは集合無意識なのかもしれない。
日本じゃ雪だるま。アメリカではスノーマン。
世界各国。雪を上下に並べて人間を作るという遊びが共通して存在している。あれは普遍であり、人の無意識が共有する事物なのかもしれない。
------いや。
今はそんな事、どうでもいい。
今はそんな事よりも。
為してしまった事実に直面する事の方が、よっぽど大切であった。
二宮は、作った。
雪だるまを。
その事実に。
直面するほか、なかった。
「いいわね------」
加古望はほぅ、と息を吐きながらそう呟いていた。
「自由は----美徳よ」
そう訳知り顔で、ぼそりと。
多くの言葉は必要ない。
そんな風に見えた。
「--------」
風間は腕組みしながら、沈黙。
その目に宿す感情を読み解くことは難しい。
呆れているのだろうか。
少しばかり羨望も宿っているのだろうか。
はたまた、何も思っていないのだろうか。
解らない。
こうして。
一つの雪だるまが、ランク戦のマップ上に生まれた。
ぽつんとそこに佇む雪だるまは。
侘しさだけがそこに存在していた。
周囲を見渡せば、戦場の跡が色濃く残る景色の中。一つ残された雪だるまは何を思うだろう。まるで、廃墟に佇む石像のようだ。
寂しそうだ。
そう思ったのは――もしかすれば、自分だけではなく、二宮そうだったのかもしれない。
また。
彼は片膝をつき、雪を集め始めたのだから。
「に-----にのみや、隊長-------」
雪を掻きわけるように、さ、さ、と余計な雪を払い、くるりと両腕を回して。
先程よりも手早い動作で。
雪を、集め始めていたのだ。
「ゆ----雪を、集め始めました-----」
まだまだ。
二宮の進撃は終わらない。
※
そもそも。
前提として。
何故――二宮という男がランク戦のマップで雪だるまを作るという行為がこれ程までに、感情を揺さぶってくるのだろうか。
二宮という男は、そもそもどんな人間なのだろうか。
傲岸不遜――なのは間違いあるまい。
合理的な人間――でもあると思う。
では、合理とは何だろう。
ふと思った。
そもそも、何故二宮は雪だるまを作ったのだろう、と。
普段想定する二宮という男から推測される人物像を考えれば、雪だるまを作るなんて考えられない事象である。
されど。
その事象が存在していると言う事は。
そこには、必ずや理由が存在する。
その理由を、解き明かす必要がある。
二宮はスーツを着ている。
その理由は風の噂によると――コスプレ感を嫌ってのことであるという。
ここで、一つ思考が躓く。
コスプレ感を嫌う、という感情は理解できる。
そこからスーツを選択する感性を、どう理解すればいいのだろう。
彼にとってスーツはもっともコスプレ感を消せる要素を持った服装なのだろう。
だが、考えてほしい。
通常、人が持つスーツという服装の印象は仕事服だ。
だが――スーツは本来ホワイトカラーの人間の仕事服である。
事務仕事。営業。
ホワイトカラーの人間で構成されるコミュニティーの中での仕事服が、スーツだ。
スーツを着ながら大工仕事をしたり、工場内での作業をしたり、――ましてや戦闘をしたり。そういう用途での仕事服ではないはずなのだ。
物事や事物は、人の共通認識から形成されるイメージが存在する。
スーツは仕事で使う服。
だが、戦闘員が着るものというイメージはない。
状況とそれらがフィットする事で、人はイメージを構築することが出来る。
ならば。
二宮という人間は。
――もしかすると、彼は「状況と自身の行動をフィットさせる」という行動が大いに苦手なのではないか?
いや。
もしかすると。
状況と自らの行動をフィットさせる行為を、そもそもする気すらないのか。
コスプレ感を嫌う→スーツを着る。
この選択。この選択にかかる因果関係。
ここに「周囲の人間が抱くスーツに対するイメージ」と「自身がスーツを着ながら行う仕事」とをフィットさせるという行為は一切含まれない。
彼自身にとっての仕事服というイメージにスーツが合致した。
だからスーツを採用した。
それだけである。
要するに。
二宮は、他人がどのような印象を持っているかなんぞ使い終わった鼻紙よりもどうでもいい事象なのだろう。
普段の傲岸不遜な態度もそれ故なのかもしれない。
彼にとってコスプレ感を消せたかどうかが最重要であり、それによって実際にコスプレ感が周囲の人間が消せたかどうかはどうでもいい。
それが、二宮という男なのだ。
この前提に立てば。
眼前の現象にも説明がつくのかもしれない。
彼は、自身の行動と周囲の状況をフィットさせるという思考が大いに削れている。
その行動に因果関係が形成されていることが重要なのであり、周囲の人間――この実況・解説席、果ては観客一人一人に至るまで。どのように自分を見ているかなんて何も考えてはいないのだ。
今、このランク戦上において。
彼は膠着状態に陥っている。
この膠着状態の中、彼は時間を無駄にしている。
時間を埋め合わせなければならない。無為に時間を使いたくはない。
ならば何をするべきだろうか。
何をすれば、この時間を有効に扱えるだろうか。
どうすれば。
どうすれば。
その思考の果てに――眼前のアレがあるのではないだろうか。
雪だるま。
確かに。
あれだけ雪が降り積もるなんてことは雪国に行かない限り難しいだろう。ランク戦で雪が選択されることも数少ないであろうし、その中でずっと足止めをくらわされる状況もまた稀であろう。雪でかつ膠着状態であるが故に形成された状況。
この状況で。
最も自身が取るべき行動は?
何だろうか。
――選ばれたのは、雪だるまでした。
ある意味で純粋な人間なのかもしれない。
彼は他人の目を気にせずに自身がやるべきことを粛々と選択することが出来る。
その在り方は、純粋でありながらもどこかズレている。
当たり前だ。
人に合わせる気などないのだからズレるのは当たり前。
人は自身の在り方を微妙に軌道修正しながら自身の行動と周囲の状況をフィットさせながら生きていく生物だ。
その行動をしないのだから。
ズレるのは当然。
せっせと雪だるまを作る二宮。
襟付きのバッグワームから雪を払いながら、スーツ姿のまま雪にしゃがみ込む二宮。
戦闘中ずっとポッケに入れっぱなしの両手で雪を掻き集める二宮。
無表情のままに雪だるまを見つめる二宮。
その全てが。
彼という人間そのものの姿なのだろう。
彼は彼を偽らない。
剥き出しの人間性そのものをありのままに表現し、生きている。
彼は合理的な人間だ。
それは間違いはない。
戦術、という観点から見れば彼の合理性はひしひしと伝わってくる。
敵を倒すにはどうすればいいか。どのようにすれば効率的か。どのように駒を動かすか。
そういう観点・基準に立てば、彼の合理性は何処までも正確なものとなる。
だが。
こと他の観点から見ればどうだろう。
戦場は、合理性を図る基準を他が用意してくれる。
倒すべき敵がおり、
そこに駒として敵が配置されており、
そして自身の手駒がそこにいる。
用意された盤面において、敵を倒すという合理性の基準が用意された状況の中であるのならば。万人が見て万人が納得する過程と結果を描き出す。
だが。
自分によって全ての行動が選択できる状況下に陥れば、途端に彼はズレていく。
隊服をどうするか。
普段の人付き合いをどうするか。
膠着状態に陥った状況における時間つぶしをどうするか。
こういった状況の中。
彼が選び出す基準は――人の目を介在しない、何処までも純粋な自身の感情によって決定される。
故に。
二宮はきっと――感情的人間なのだろう。
そう、思った。
※
――二宮隊長、二体目の雪だるまの作成に着手しました。一体目を作る時よりも、遥かに手慣れた様子。雪を掻き集めてから球状にするまでの手つきが非常に素早い。え?旧東隊の時からも、二宮隊長は新しい事を吸収するのは早かった?成程。あそこまで作業効率が上がるのも納得です。しかし、何処か憮然とした表情。自身の雪だるまの完成度に、やはりまだ納得しきれていないのか。おっと、ここで二宮隊長。崩れてきた一体目の雪だるまのケアに向かう。――周囲の状況が読めている。風間隊長もそう評しております。時間がたてば雪は溶ける。一体目あれだけの完成度で作ったのだから、当然少しでも溶け始めれば形は崩れていく。その辺りのケアまで頭に入れて作業に入れていると言う事でしょう。さあ二体目の胴体が完成した。これから頭部を作っていく。雪を集め球を作っていく。やはり早い。――成程。接地面を予め削っておくことで胴体部分に頭を置いた際の形の崩れを防いでいるのですか。流石は風間隊長。細かい事であっても、しっかりと把握されているのですね。おっと二体目の整形を終えると、今度は三体目に着手し始めた――。
実況する。
そうだ。
今ここは、実況するする為の場だ。
自身の脳味噌を回せ。
眼前の情報を整理しろ。
吐き出すべき言葉を精査しろ。
舌を回し言葉を並べ立てろ。
雪だるまが何だ。
雪だるまが何だ。
何であれここはランク戦。
そして自身は実況という責務を担うオペレーターだ。
伝えるのだ。
ありのままを。
そこに迷いを介在させる暇などない。
――そうだ。
――私は実況者だ。
なればこそ。
実況を、せねば。
それこそが、実況者としての務めなのだから――。
そうして。
彼女は彼が複数の雪だるまを作り、車のボンネットに腰掛け、タイムアップがかかるまでの間。
間断なく、実況をし続けていた。
もう迷わない。
そう胸に誓いながら。
※
「――お疲れ、綾辻」
「お疲れ様です、嵐山さん」
綾辻遥は実況を終えると、隊室に戻っていた。
少し、疲れた。
甘いものが食べたい。
そう顔に出ていたのだろうか。嵐山は何も言わずに緑茶と大福を持ってきてくれた。
何だか少し申し訳ない気分になりながらも、その気遣いがとても嬉しい。
「今日は、その----色々疲れただろう」
「いえいえ、これが仕事ですから」
「いや。広報の仕事とオペレーターの仕事も並行して、実況の仕事まで。いつもお疲れ様、綾辻」
嬉しい言葉だ。
「今度、皆を集めて慰労会でもしようか」
「あ、いいですね。藍ちゃんも、ここの所気を張ってましたし」
「うむ。そうとなれば善は急げだ。――あ、何か希望はないか?」
「そうですね――」
綾辻はうーん、と悩むと。
ささやかな願いを一つ。
「私――カラオケに行きたいです」
胸のもやもやを、歌って発散したい。
そう願いを込めて彼女は、希望を伝えた。
その願いがまた新たなる悲劇を呼ぶなぞ、想像する事もなく――。
私は二宮大好きです。
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