狂鬼の剣業 (御船アイ)
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シュテン

 ――世界に広がる欲望の嵐 この手で握りつぶす事を誓ったよ

   野蛮な計画で誰にも言えないけど 正義の味方になろうと思う

 

  ――じまんぐ『悲しみを蹴散らせ~正義のみかた~』

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

「みんな、ありがとうっ!」

 

 万雷の拍手と多くの歓声が響き渡るステージの中心で、私は汗だくになりながらも笑顔で言った。

 マイクを伝って会場に響いた私の声は、大きな会場の隅々まで届く。

 私の言葉は彼らに通じるわけではない。なぜならここは私の母国の日本ではなく、遠く離れた中東、イスラエルだからである。

 日本とは大陸も文化もまったく違う場所で、私、風鳴翼は歌手としての世界ツアーを大々的に成功させることができたのだ。

 歌手であり、シンフォギア装者でもある私はシェムハとの戦いを終えた後、皆の応援を受けて一人の歌女として世界ツアーに旅立つことになった。

 以前より海外でライブを開いたことはあったが、今回は過去最大規模に国々を回る世界ツアーである。

 数ヶ月にもわたる期間を使い、先進国だけでなく発展途上国や政情不安定な国にも出向く、意欲的なツアーだ。

 そのツアーには、私の世界に自分の歌を届けたいという気持ち、そして歌で人々の相互理解を深めたいという願いを汲んでもらった。

 特に、今回のイスラエルはシェムハが世界的に起こした恐慌によりそれまでの価値観が揺らぎ、少し不安定になっているところがあった。

 それゆえ反対もあったが、私はあえてここでライブを行い、そして成功させて見せたのだ。

 言葉が通じなくても、生まれた国が違っても、人は音楽で分かりあえる。

 私は今回のツアーでそれが実現されると信じている。

 

「それでは、最後になるが聞いてくれっ! 私の大切な曲……逆光のフリューゲルっ!」

 

 

 大盛況で終わったライブの後、私はライブ会場を出てファン達に見送られながら通路に敷かれた赤いカーペットの上を歩く。

 ライブの後のこのちょっとした時間も、お互いに心を通わせることができる時間で、私は尊く思っている。

 ただ、皆に笑顔を振りまくのはやはり未だに少し苦手なところがある。

 まだまだ精進が足りないな、私も……。

 

「アノ……ミス・ツバサ……!」

 

 そんなことを思っていたとき、私はかわいらしい声を聞いて足を止める。そこには、恐らく現地の子供と思われる子達が何人かで列の最前列に居て、手には花束を持っていた。

「ワタシタチ、ファン、デス……コレ……ドウゾ……!」

 たどたどしい日本語でその子達の代表らしき少女が私に花束を差し出してきた。

 本来ならしないことなのだが、私は花束を受け取るためにしゃがんで彼女達に笑いかけた。

 わざわざ日本語まで覚えてきてくれた幼子達の気持ちに応えたかったのだ。

 

「……ありがとう」

 

 私は一言お礼を言い、その子から花束を受け取った。

 子供達はそれに笑顔を見せ、きゃっきゃと笑い合った。その光景に、私の心は和んだ。

 だが、ふと私は妙な違和感を覚えた。

 どうってことないことだったのだが、私はそれが妙に気になったのだ。

 それは私に花束をくれた女の子が背負っていたリュックだった。幼い子が背負うには少々大きなリュックが背負われており、それは彼女達が喜び合っている中で妙に重々しく揺れている。

 私はそれが気になり、どうにか聞いてみようと思った。

 

「ねぇ、そのリュック、どうしたの?」

 

 残念ながら私はイスラエルの公用語であるヘブライ語は話せない。なので日本語で話しながらも、なんとか指差しやボディランゲージで伝えた。

 

「……? ……! ……アー……コレ、オマモリ、イワレタ……ミル?」

 

 少女は必死に考えた後、なんとか日本語をひねり出して私に言ってくれた。

 私は頷き、少女からリュックを受け取る。

 ……なかなかに重い。やはり少女に持たせるには不釣り合いなものだと、私は思った。こんなものを誰が何を思ってお守りなんて言って持たせたのか。それとも、私が知らないだけでこの国にはそういう風習でもあるのだろうか。

 私はリュックの中身に興味が湧き、リュックのジッパーをつまんで開いて中を覗いた。

 

「――っ!?」

 

 リュックの中身を見た私はその瞬間、リュックを空に放り投げた。

 

「みんな逃げろっ!」

 

 私は叫ぶ。ファン達は疑問を顔に表す。

 だが、すべては遅すぎた。

 リュックの中身――粗末なコードが見える、手製の即席爆弾が、私が投げたすぐ後に、大爆発を起こしたのだ。

 

「っっ……!?」

 

 その爆風に吹き飛ばされた私は、爆炎を目に焼き付けながら意識を失った。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

「……あ……あ、うあ……」

 

 ゆっくりと、私はまぶたを開く。

 最初ぼやけていた視界は、だんだんとはっきりし始めてくる。

 私が最初に認識したのは、赤く彩られた天井だった。天井はもともと赤というわけではなく、外からの光でそういう色になっているようだった。

 どうやら今は夕方らしい。この赤さは、夕焼けの赤さだ。

 光は窓から入ってきているだろうから、私は窓があるであろう右側を向こうとする。だが、重たい頭はなかなか動かない。どうしてこうも頭が重いのだろうか。

 やっとのことで窓の方を向くことができる。外ではやはり夕日が輝いている。だが、私はそれ以上に気になることができた。

 頭に、重さとは別の妙な違和感を覚えたのだ。本来ないはずの何かが、頭にある。そんな違和感だ。

 その違和感の正体を確かめるため、私は手を頭にやることにした。そのために持ち上げた腕もまた重みを感じる。

 だが、ゆっくりと頭に向けた右手はさらに私を困惑させた。

 

「……あ……れ……?」

 

 触れないのだ。その、頭にある何かに。いや、それ以前に、頭に。

 あるはずの手が空を切っている。そんな印象を受けた。

 何度やっても触れない。違和感に違和感を重ね、私はとても気分が悪くなってくる。

 なので私は、ごく自然な流れで自分の右手を確かめた。

 

「……え?」

 

 そして私は、目を疑う。

 ないのだ……手が。

 肘から手首の間で、消えてなくなっている。丸くなっている先端に、包帯が巻かれている。

 左腕も確かめる。

 同じだった。左腕もまた、消えていた。左腕は右腕よりもひどく、肘からすぐ先の位置でなくなっている。

 私の両手が、消えていた。

 

「あ……あああ……ああああああああああ……」

 

 私は手をなくした腕を、体を震わせる。喉からは声にならない声が出てしまっている。

 どうして、どうして、どうして……!?

 私は動揺し、慌てて体を起こそうとする。

 だが、うまく動かない体はバランスを崩し、私は転げ落ちる。そこで私は今まで自分がベッドの上に寝ていたことにやっと気づいた。

 そしてその拍子に、近くの棚に置いてあったらしい花瓶が落ちて、水がこぼれ出てくる。

 そのこぼれ落ちた水に目をやると、光の加減がうまく合致したのか、一瞬薄い水面に今の私の姿が写り込んだのだ。

 腕がなく、顔中に包帯を巻き、頭から何か破片のようなものが飛び出ている、今の私の姿が。

 

「……あっ……いやあああああああああああっ!?」

「っ!? 風鳴さん!? 誰か、誰か来てください! 風鳴さんが! 風鳴翼さんが起きました! 風鳴さん、落ち着いてください! 風鳴さんっ!」

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

「……やあ、翼。大丈夫か……と聞くのはあまりにも無神経だな」

 

 ベッドの上の私相手に、S.O.N.G.の司令であり叔父でもある風鳴弦十郎が、難しい顔をして言った。

 彼の側には私と同じシンフォギア装者である立花響と雪音クリスが、二人して暗い表情で私を見ている。

 

「…………」

 

 私は司令の言葉に素直に答えることができなかった。

 目覚めてパニック状態になった私は、医者と看護師により取り押さえられ、鎮静剤を注射され落ち着かされた後に、丁寧に状況を教えられた。

 私は爆弾テロに巻き込まれて命はなんとか助かったものの両腕を失ってしまったこと。

 その爆発で、会場の設備に使われていた金属が右頭部に刺さってしまったこと。

 現地の設備では命に関わるためそれに対応することができずに、今も私の頭に破片が刺さったままなこと。

 同時に爆炎によって、破片が刺さったのと同じ方向の顔右半分を中心に、顔が醜く焼けただれてしまったこと。

 それらの要因で、脳になんらかの障害が出る可能性があること。

 テロから私は、十日間昏睡状態にあったこと、などだ。

 自分の状態において事細かに医者から説明された私は、何も言葉を出すことができずに一日塞ぎ込んでしまった。

 とりわけ包帯を外して鏡でちゃんと自分の顔を見せられたときは、我ながらあまりの酷さに戦慄してしまった。

 赤黒くただれて、筋肉すらズタズタになった顔の右半分。その頭部から金属片が飛び出ているものだから、まるで顔の右半分は私ではなく鬼か何かが映っているようにすら思えた。

 腕を失い、顔も半分失った。だが、そんなことは些細なことだ。私が最も気にしているのは、私自身のことではない。

 

「……司令、一つ、質問があります」

「……なんだ、翼」

 

 司令は辛そうな顔で答える。

 きっとこれから私がする質問を予測しているのだろう。

 そしてそんな表情をするということは、すでに答えは決まっているようなものだ。

 だが、私はあえて聞く。しっかりと、自分の耳で確かめたい。

 

「……あのとき会場にいた人達は……私に花束を渡してくれた子達は、どうなりましたか……」

「……死んでしまったよ。爆弾の近くにいたものたちと、その爆弾を手渡しさせるために利用された子達は、みんな」

 

 司令はその結果を答えているときに、手をプルプルと震わせていた。

 ああ、司令の気持ちはよく分かる。無辜の命が悪意によって奪われたのだ。あなたには耐えられないことだろう。

 

「そう……ですか……」

 

 だから私は、あえて静かに答える。予期していた答えではある。だからこそ、覚悟はできていた。

 そしてだからこそ、私は聞かないといけない。何が起こったのかを、詳細に。

 

「教えて下さい、司令。あのときの事件の詳細を。もう一週間です。S.O.N.G.ならもう調べはついているのでしょう?」

「翼さん……師匠……」

 

 立花が心配そうな声を出す。

 その立花の肩に司令は優しく手を置く。

 

「しょうがない、響君。これはいずれ翼自身がたどり着くであろうことだ。ならば、下手に隠さずに俺自身の口から説明するのが、責任というものだ」

「はい……」

 

 立花は司令の言葉に不安そうな顔をしながらも頷く。

 一方で司令は、私の方へと向き直り、重い口を開いた。

 

「……あの事件は、中東全体で活動している国際テロ組織によるものと判明している。もともとシェムハの一件における情報がどこからか漏れ出回っていたことから殺気立っていたところに、君のライブが中東を訪れたことにより起きた突発的なテロ行為だった。彼らは、君の平和への祈りが気に食わなかったらしい。そのため、地元の子供に簡単な日本語を教育させ、君に接近させ、子供にお守りと称して持たせたIEDを起爆した……というのがだいたいの概要だ」

 

 つまりは、すべては私個人に対する悪意のため……そのために、多くの命が奪われた。

 司令の告げる情報は、つまりはそういうことだ。その事実が、私の心に重くのしかかる。

 

「アメリカの手によって主犯格は逮捕されたが、一部の感情的な行動だったために組織全体への摘発は難しかったとのことだ。我々も捜査に介入したったが……超常災害――つまり、聖遺物や錬金術、ノイズなどが絡んでおらず天災や偶発的な事故でもないこの一件にS.O.N.G.が介入することは越権行為だという意見もあり、我々は参加することができなかった。アメリカは最後までS.O.N.G.の助力を推進してくれたが、さすがに安保理決議で反対されてはどうしようもない。アメリカも過去に反対を押し切ってしまった前例があるため、強くは出れなかったのだ」

「S.O.N.G.が何も、できない……そう……なんですか……」

 

 私は感情的な声をできるだけ抑えていった。今の私自身には確かに何もすることはできない。とは言え、S.O.N.G.としてこのことに動けないのは、とても歯がゆい。

 

「我々は、油断していたのだ。ここ最近のテロや陰謀には必ずと言っていいほど超常的な力が介入していた。ゆえに、忘れていたのだ。人間自身の純粋な悪意というものを。超常的な力を借りなくとも人は人に力を振るうことができるのだと。……皮肉なことだ。我々と幾度となく対立してきたアメリカが、今や最もこの件において頼りになる存在なのだからな。あの国は、かつて大きなテロにあったその日から、ずっとテロと戦い続けてきた。人の力だけで、人と戦ってきた。世界の警察官なんて言葉も、皮肉ではないところもあるな」

「…………」

 

 そこで司令は口を閉じ、沈黙が部屋を支配した。

 私達は噛み締めていた。己の無力を。

 秩序を守るための存在ゆえに、人の法によって動けないもどかしさを。

 私は握りしめる……存在しなくなったはずの手を。

 もはや失われてしまった手のひらが血まみれなのを、痛みとして私は感じていた。

 

「……先輩、今はゆっくりと休んでくれ。時が解決する……なんてありきたりで無責任なことは言えねぇけどよ、今はゆっくりと休息を取るのが大事だと思うぜ……。今日だって、お見舞いをどうしようかみんなで悩んだんだ。もしかしたら、邪魔しちまうかもしれねぇってな。でも、やっぱ先輩に会いたくてさ……つい、来ちまった。ま、そのせいでマリア達には留守番してもらったが……」

 

 雪音はとりとめのない口調で言った。

 彼女らしく、不器用ながらも私を慰めようとしているのが伝わってくる。

 その気持ちはとても嬉しい……だが、今の私はその言葉にお礼を返すことが、できなかった。

 

「…………」

「翼さん……その……頑張ります! とにかく私、いっぱい頑張りますから……だから、翼さんも、頑張ってください……!」

 

 立花も私を励まそうととにかく思いつくようなことを言っているようだった。立花らしい。

 前の私ならきっと微笑むことができただろう。しかし、やはり、今の私には無理だった。

 どうしても、彼女らの想いに応えることができなかった。

 

「……出よう、響君。クリス君。今は……翼を一人にしてやろう」

 

 さすが司令は私の今の状態を察してくれたようだったようで、二人をそうやって促し、静かに三人で病室を出ていった。

 誰もいなくなった病室。その寂しい病室で、私は――

 

「うああああああああああああああああああっっ!!!!」

 

 大声で叫び、ちぎれた腕を奮って棚の上に置いてあった見舞い品をすべて薙ぎ払った。

 

「あああああああああっ! ああああああっ……! 私は……私は……あああああああああああっ……!」

 

 泣き叫びながら、私は暴れる。

 そうすることしか、できなかった。

 色々な感情が私の中でごちゃまぜになっていた。

 怒り。

 悲しみ。

 憎しみ。

 情けなさ。

 嫌悪。

 苦しみ。

 とにかくいろんな負の感情がないまぜになって、もう自分でも何がなんだかわからなくなっていた。

 故に、私は暴れた。暴れなければ、この感情に押しつぶされてしまいそうだったから。

 

「あああああっ……! があああああああっ……! あ……あああ……うああああああっ……」

 

 さんざん一人で暴れたあと、私は脱力してうなだれ、ボロボロと涙をこぼしてしまう。

 それを抑えることができない。そうするための手が、私にはないのだから。

 

「ああああああ……ああああああ……!」

 

 私の涙はせき止められない。ただただ感情を涙としてこぼすだけ。

 ずっと身につけている聖遺物――首から下がる天羽々斬がゆらゆらと揺れる。こんな力を持っていても無力さは変わることのないことを教えられているようで、私はさらに泣く。

 そうやってあまりにも泣きすぎたせいか、私の視界に異常が現れ始める。

 私が涙をこぼしているベッドが、ところどころ血に染まったように見え始めたのだ。

 それはベッドだけではない。視界を向けると、壁や天井にも血の染みが見え始める。

 今思えば、それが始まりだったのだろう。

 私の世界が、少しずつおかしくなり始めたのは……私がこれまで見えなかったものが、見えるようになったのは。

 



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ウラ

「皮膚再生療法を……しない?」

 

 医者は私の言葉に驚きの言葉を出していた。

 それはそうだろう。私は拒絶したのだ。この焼けただれた顔を元に戻す治療を。

 

「……一応聞いてもいいですか、風鳴さん。なぜ皮膚再生療法の拒否を? 確かに、頭部の破片は死の危険をともなう危険な医療です。ですが、今の技術ならば無理ではない。しかも、この最先端の技術が揃った病院なら。とは言え、恐怖も伴うもの。ゆえに頭部の破片については手術を拒否するのも分かります。ですが皮膚は現状からでも完全な治療が可能です。リスクもない。それほどに医学は進歩している。なにも恐怖することはないのですよ?」

「……答えたく、ありません。少なくとも今は、この義手だけで十分です」

 

 私は以前貰った青色の義手を掲げながら、医者に冷たく言う。

 今私がつけている義手は、筋電位測定とコンピュータ制御と伴った最新鋭のサイバネティック・オーガニズム……つまりサイボーグ技術による義手だ。

 辛い訓練をせずとも生前の手のように巧みに動かせるこの義手は、S.O.N.G.の資金提供も得てかなりの性能を有している。

 なにせ、元の手よりも精密な作業が可能であり、パワーも出すことができる。技術の進化は人の肉体の可能性を超えることができるという証明のようだ。

 その義手を最初につけてもらったあと、医者は私に頭と顔の手術も提案してきた。

 私はその答えを少し引き伸ばし、今回の回答を伝えたのだ。

 

「……わかりました」

 

 医者は私の答えを聞くと、少し意味ありげな間を置いてから残念そうな声を出した。

 

「インフォームド・コンセントからも、患者が拒否している治療を受けさせることはできません。ですが、気が変わったならいつでも言ってください。我々の準備はいつでもできていますから」

 

 医者はそう言うと部屋から出ていく。その後、一人になった私は、以前司令達に頼んでもらった鏡を手に取り自分の顔を見る。

 なんと醜い顔なのか。子供の頃司令と一緒に見たヒーロー映画に出てきた悪役の顔を思い出す。だが、今の私はこの顔を捨てる気はない。なぜなら、この顔でいることが私の贖罪の一つなのであり、憎しみを忘れないシンボルなのだから。

 司令達が訪れたあの日以来、私の世界は変わった。

 最初に変わったのは視界だった。壁や床に血の染みが見え始め、そしてその次は赤錆などで世界が満たされていった。

 ところどころ元のようにも見えるが、もう既に世界の半分はおぞましい世界に変貌している。

 変わったのは景観だけではない。人の顔も、いびつに映るようになっていった。悪魔のような顔をしているもの、顔がまずないもの、ドクロになっているもの……人によって見え方は様々だが、まともに顔を認識できなくなってきている。

 もちろん、ちゃんと認識できる顔もある。司令や立花達の顔はちゃんと分かる。最初には来なかったが見舞いに来てくれる回数が一番多い緒川さんなどは、とてもはっきりしている。

 だがあの医者の顔はもう分からない。声と今の私の目に映る顔――近世に流行ったペストに対し医者がつけていたくちばしが出ているようなマスクをした顔で判断している。まあ顔に関しては、医者はみんな同じマスクをしているように見えるから、実際は声だけの判断なのだが。

 耳もおかしくなっている。病院を歩いていると、時折耳障りな雑音が聞こえてくるのだ。

 条件はよく分からない。ただ、他人の病室の前やテレビなどが置いてある談話室を通り過ぎるときによく聞こえる気がする。

 その雑音は私の心をかき乱し、否応なくイラつかせてくる。正体は未だ分からないが、それを聞くたびにただただ怒りすら湧いてくる。

 そしてついに、私は見えてはいけないものまで見えるようになった。

 苦しみ、助けを求め、ときには恨み言を私にぶつけてくる者達――死者の亡霊が。

 亡霊達はこの病院のいたるところに溢れている。そして、みなそれぞれ苦悶の声を上げたり、生者に呪いの言葉を吐きかけたりしている。

 そんな背筋も凍るような光景を、私はいつしか見えるようになってしまった。

 だが、私はそれとともに知ったのだ。この世がいかに憎悪と苦痛に満ちた、汚れた世界であることかを。

 死者達は毎日のように私にささやいてくれた。人の醜さを、悪徳さを、悲しさを。

 そこで私は気づいた。私の目は、そういった人の本質を見抜けるようになったのだと。世界の汚れを知る眼になったのだと。

 だからこそ、私は医者の提案をはねたのだ。あの医者は信用ならない。そう私の目と、死者達が教えてくれる。

 

「許さない……許さない……許さない……」

 

 私は鏡を見ながら呟く。

 この言葉は私が心に宿した感情……人に初めて向ける感情を忘れないための言葉だ。

 世界をここまで醜くした者達を、私の体と同じように、人の命を気軽に奪うような者達を、許してはいけない。憎まなければいけない。

 そう頭の中で声が響くのだ。誰とも知らぬ不思議な声が私の頭に響くのだ。

 声は日に日に強くなっていく。だが、不快感はない。むしろ心地よさすら感じる。

 鏡に映る天羽々斬が怪しく光る。こんな輝き方、今まで見たことがない。

 だが、やはりその輝きもどこか心を落ち着かせてくれて――

 

「……翼さん、いいですか……?」

 

 そんなときだった。コンコンと扉をノックする音と、恐る恐るといったような声が聞こえてきたのは。

 聞き間違えることもない。それは、立花の声だ。

 私はとっさに鏡を置き、ベッドに腰掛ける。そして「ああ」と一言入るのを促した。

 

「すいません……お邪魔でしたか……?」

「そんなことはないぞ、立花……邪魔だったら、入るのを許可などしない」

 

 私はできるだけ平素を装って応える。

 

「そうですか……よかった」

 

 立花はホッとした様子でベッドの近くの椅子にかける。

 その両手には大きな袋が握られていた。

 

「あのっ、そろそろ翼さん退院できるって聞いて。それで、服があったほうがいいと思って、失礼ですけど、翼さんの家から勝手に持ってこられるだけ服をもってきちゃいました!」

 

 立花は笑顔を作りながら私に言う。

 私に気を使っているのは分かる笑顔だったが、そこに言及する気はない。

 

「ありがとう、立花。助かるよ」

 

 なので私は素直に立花にお礼を言う。すると立花は先程の作り笑いとは違う少し嬉しそうな顔で笑った。

 

「よかった……あ、そうだ翼さん! 聞いてください! この前、学校でこんなことがありましてね――」

 

 立花はそうしてとりとめのない話を始めた。

 日常のことを話して、私の気を楽にしようとしてくれているのだろう。

 その立花の気持ちが嬉しく、私は静かに相槌をうちながら立花の話を聞いていた。

 

「それであとは……んんっ!」

 

 立花はそうして三十分くらい話してくれただろうか。さすがにずっと話していると、立花も喉が乾いたのか少し声の調子を悪そうにする。

 

「無理をするな立花。そこの冷蔵庫に飲み物が入っていたはずだ。好きなものを飲むといい」

「あっ、すいません……へへ」

 

 立花は少し恥ずかしそうにしながらも、部屋に据え置いてある小さな冷蔵庫から缶のお茶を取り出し、ゴクゴクと飲む。

 

「……ふぅ」

 

 一気に飲みきったのか、立花は缶から口を離すと、ちゃんと分別用のゴミ箱に捨てる。

 

「ありがとうございます翼さん。お見舞いに来たのにお茶を貰っちゃって」

「いいんだ。どうせあまり口をつけていなかったものだ」

「そうですか……」

 

 そこで立花はなぜか急に口を閉じた。目を泳がせ、指を無造作に遊ばせている。

 しばらくそんな感じだった立花だが、少し呼吸を置き、何かを決意したかのように私を見た。

 

「……あの、翼さん。やっぱりこれは、伝えなきゃいけないことだと思うので伝えようと思うんです」

「……なんだ」

 

 そこの立花の言葉で、何か私絡みの事で立花が伝えに来たというのを知った。

 服も雑談も、そのための理由付けなのだろう。

 だが、立花の様子からあまり楽しい話ではないのはなんとなく察せた。

 

「……この前の、テロのことなんですが」

「……ああ」

 

 当然そのことだろう。私はそう思いながらも口にせず、立花の話を促す。

 

「組織に対して以前よりアメリカが継続して調査をしていて、ついに一つの大きなアジトを潰すことができたそうです。ただ、それに報復しようと沸き立った一派が、憎しみをつのらせていた私達S.O.N.G.の海外基地を襲撃して、偶然出向していたあおいさんが怪我を……」

「なっ……それで、具合は……!?」

「幸い命い関わるほどではないんですが、少しの間入院しないといけなくなったようです。今回は直接S.O.N.G.が襲われた関係上、S.O.N.G.も調査に加わるべきだなんて声と、それでもS.O.N.G.の介入をよしと思わない国とで対立が起きて、議論されている状況らしいです……」

「……そう……か……」

 

 私のせいで、また罪のない人が傷ついてしまった。

 やはり世の中は過ちで満ちている。間違いだらけの世界を、許していていいのか? 私は何もせず、ここで黙っているべきなのか? 私は……。

 

「ごめんなさい翼さん。こんな暗い話しちゃって。でも、ちゃんと伝えることを翼さんは望むかなって。隠されたほうが、余計傷つくかなって思って……」

「……ありがとう、立花。その気持ちは、とても嬉しい。よく、言ってくれた」

「はい……」

 

 立花は元気なく小さく頷く。

 そうして、立花は帰っていった。その後ろ姿は、どこか寂しげだった。

 だが、私にそれを気にかけてやる余裕はなかった。

 私の頭の中でぐるぐると思考が回り始めていたのだ。

 世界にはびこる罪について、罰もなくのうのうと生きている輩について。

 なぜ悪しき者達は罰されず、優しき人々が苦しむのか。こうも世界とは不条理だったのか。

 私はそんなことも知らず、歌で平和を導けると信じていた。なんと愚かしかったのだろうか。

 かつてお祖父様が言っていた言葉を、今になって思い出す。

 歌で世界は、救えない――

 

『……ケテ……』

「……え?」

 

 そのとき、私の耳に声が聞こえた。それは、いつものように聞こえてくる死者の声だ。

 だが、その声は初めて聞く声であり、だが聞いたことのあるという矛盾した声だった。

 

『タスケテ……』

 

 その声の主達が現れる。その姿を、私は知っていた。

 

「君達、は……」

 

 彼女らは、子供だった。そう……私を狙ったテロによって利用された、哀れな子供達。

 その子達が、私に訴えかけて来たのだ。

 

『タスケテ……タスケテ……』

『ワルイヤツヲヤッツケテ……』

『ワタシタチノカタキヲトッテ……』

「ああ……ああ……!」

 

 彼らの助けを求める声を、悪を裁けという声を聞いたとき、私は、目覚めてから初めて笑顔を浮かべることができた。

 

「はは……ははは……! そうか……そうか……!」

 

 そうだ……そうだ! 私は! 求められている!

 そして私にはその力がある! 天羽々斬という力が!

 この身は剣……そう、悪を斬る正義の刃なのだ!

 ああ……やっと気づいた……私の中で毎日鳴り響いていたあの声……悪を許すなという声は……天上からの、勅命だったのだ! 私に授けられた使命だったのだ!

 それを気づけた瞬間、私の頭はクリアになる。これまでにない清々しい気持ちになる。

 

「役目を……防人としての役目を、果たさねば……」

 

 私は立ち上がり、先程立花が持ってきた服から適当なものを掴んで着る。

 結果、ジーンズに紺色のパーカーという姿になった。色気のない服装だが、そんなことはどうでもいい。

 むしろ目立たなくて好都合だ。

 服を着替えた私は天羽々斬を首からぶら下げて病院の窓――三階の窓から赤錆びた鉄が支配する外へと駆け出した。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

「何ぃ!? 翼が、病院から消えた!?」

 

 師匠の大声が食堂に鳴り響いた。

 私――立花響は今S.O.N.G.の食堂にいた。病院から帰ったあと、なんとなく未来の元に戻る気になれず、未来には一言断りを入れて、S.O.N.G.に寄って夕食をごちそうになったのだ。

 そしてちょうどいた師匠と一緒に夕食を食べ終えて二人で話していたときに、師匠に電話がかかってきたのだ。

 

「そうか……分かった、こちらでも探してみる。頼んだ」

「しっ、師匠!? 今のどういうことですか!? 翼さんがいなくなったって……!?」

「ああ、どうやらそのようだ。夜、夕食を運びに行った看護婦が確認したらしい。ロックがかかっていたにも関わらず窓は無理やり開けられており、どうやらそこから外に出たらしい。あいつ、どうしてそんなことを……!」

「もしかして、誰かにさらわれたとか……!? 今の翼さんは弱っていますから、もしかしたら……!」

「有り得る話だ……とにかく、今は回せるだけの人員を使って捜査に当たらせている。響君は、万が一のために出動できるよう俺と一緒に司令室で待機してくれるか」

「はい! 翼さんのためなら……!」

 

 私は反射的に応える。

 そしてぎゅっと手を握りしめながら、私は翼さんの無事を心から祈った。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

 病院から抜け出した後、私は一度自宅に戻り財布を回収してからふらふらと暗くなった外を回っている。

 今は街を回る巡回バスの後部座席に乗って、窓の外の人々を眺めている。

 フードを深々と被った私の顔がバスのくたびれた電気の明かりによってうっすらと窓に映る。もともとはファンにばれないように外に出るときのために使っていたパーカーだったが、今はこうして私の焼けただれた顔を隠すのに役立ってくれている。

 こうしてフード一つで醜い顔を隠すことができるのだから、人の心の内の醜さを隠すことなどは、もっと容易いことなのだろうと改めて実感する。

 今の私の目にははっきりと見える。人々の醜悪な本性が。

 素早く動くバスの窓から道行く人々を眺めているだけでも邪悪な相貌だらけだ。

 街もとても汚濁に満ちている。私は今まで、妄想を信じるあまりにこんな目に見える事実にすら気づけていなかった。過去の自分の未熟さに呆れすら来る。

 だが今の私は違う。私は生まれ変わったのだ。今の私こそ、真に護国のための剣なのだ。

 

「へへへ……おねえさーん」

「ちょっとやめてください……」

「いいじゃないか、なぁ?」

 

 そんなことを思っていたとき、私はバスの先頭付近の席で一人の女性が二人組のサラリーマンらしき男に絡まれているのに気づいた。

 ああ、ここにもいる……浅ましい人の本性を隠そうともしない者が。

 

「…………」

 

 私はすっと立ち上がり、その二人のところへと近づく。

 

「へへへ、いいからさぁ……」

「……おい」

「え? ――っ!?」

 

 そして、声をかけた瞬間、片方の男の手首を捻り上げた。

 

「いだだだだだだっ!?」

「お、おいっ! お前何やって――」

「うるさい」

「がっ……!?」

 

 抗議しようとして来たもうひとりの男の顔に、私は空いた拳の背面を叩きつける。

 するとその男は思い切りバスの床に倒れ込んだ。顔を見てみると、鼻がぺしゃんこに潰れて血だらけだ。

 

「…………っっぁ!!」

 

 それと同時に、グシャリという音と共に、私が手を握っていた男が声にならない叫びを上げた。

 どうやら骨を粉々に握りつぶしてしまったらしい。

 

「…………」

 

 私は突き放すように手を離す。すると男は、私が握っていた手首を抱え込んで床に丸まる。

 

「ふむ……どうやら義手の力調整がまだうまくできないらしいな。そこそこリハビリはしたと思ったのだが……」

 

 義手をグーパーしながら具合を確かめてみる。

 感覚に違和感はない。病院にいたときはここまでパワーは出なかったと思ったが、やはり実際に外に出ると違うものだな。

 ……と、自分のことだけではいけない。今は彼女を気にかけねば。

 

「……大丈夫か?」

「ひっ……!?」

 

 私が声をかけると、女性は怯えた声を上げて震えていた。

 どうしたのだろうというのか。

 

「……ああ」

 

 そこで私は気づく。どうやら角度的に私の焼けた顔が見えてしまっていたらしい。それなら怯えても仕方ない。この顔は初対面には受けが悪いだろうから。

 ちょうどそんなとき、バスが止まってプシューと扉が開く音がする。いいタイミングだ。私はそのまま彼女に背を向け、運賃を払ってバスを降りた。

 そうして宛もなく私は街を歩く。通り過ぎる人達の顔のなんとおぞましいこと。

 できるなら今すぐみんな排除してしまいたいぐらいだ。

 とは言え相手は一応人間だ。もどかしいが、我慢しなくては。こいつらがもしノイズだったら、遠慮なく切り伏せることができるというのに。

 私をイラつかせるのはそれだけではない。時折病院で聞いた雑音が街でも耳に刺さるのだ。とりわけ人通りの多いところで聞こえる気がする。

 なんなのだこの雑音は。聞いているだけで頭がおかしくなりそうだ。

 不快な感情はどんどんと溜まっていく。このままでは頭が爆発してしまいそうだ。

 

「へへっ、それそれぇ!」

「いいぜーっ! そこそこーっ!」

 

 私がそんな気持ち悪さを抱えていると、また耳障りな声が聞こえてきた。

 目を向けると、そこは公園だった。夜の人がいない公園。そこで、電灯の下ではしゃいでいる派手に髪を染めた五人ほどの男達がいた。おおよそ高校生ぐらいだろうか。少なくとも私よりは年下だと思う。

 彼らの手にはモデルガンが握られている。そして、彼らの足元にはぐったりとした猫が横たわっていた。かすかに息はしているが、だいぶ危うい状態だ。

 それを見て私は理解した。彼らは命を弄んでいる。弱い命を圧倒的な暴力で押しつぶしている。

 

「ああ……醜い……なんと醜いのだ……」

 

 粘っこい怒りが体に満ちる。その怒りに突き動かされ、私は彼らのもとに行く。

 

「ん……? おい、なんだお前?」

「私か? 私はな――」

 

 問いかけてきた少年に、私は歩み寄る。

 そして、次の瞬間彼の顔に思い切り拳を叩きつけた。

 

『っ!?』

「――正義の剣だ」

 

 私が殴り飛ばした少年は大きく宙を舞い、奥のベンチにぶつかる。一応まだ生きているだろう。

 

「なっ、こいつ……!? や、やっちまえ!」

 

 リーダー格と思われる少年の指示で、四人が一斉に飛びかかってくる。

 しかし、その動きのなんと遅いことか。あくびが出そうになる。

 ゆえに、私は素人丸出しの動きで襲いかかってきた彼らを、一瞬でいなした。

 

「げっ……!?」

「ぐえっ!?」

 

 彼らは気持ち悪い声を出しながら地面に倒れていく。なんとあっけなく、哀れなのか。

 

「はぁ……」

 

 私は思わずため息をしてしまった。

 

「このアマ……ふざけやがって……!」

 

 すると、リーダー格らしき少年が立ち上がり、怒りに満ちた視線を私に向けたかと思うと、ふところからあるものを取り出した。それは、ナイフだった。

 

「死ねおらああああああっ!」

 

 少年は私にナイフを抱えて突撃してくる。

 

「……っ!」

 

 そのとき、私の眼は彼の正体を映し出した。

 視えたのだ――彼の人の皮の下にあった、本当の姿を。

 彼は人間じゃない。彼の正体は――ノイズだ。ノイズのおぞましき姿を、私は見抜いたのだ!

 私は肉薄してきたそいつの手をナイフごと握る。

 

「ククク……カカカカカカカカカ……!」

 

 ああ、嬉しい! 思わず笑い声が漏れる! 思わずナイフの刃を手で握りつぶすほどに私は高揚している!

 そうかそうか! ノイズか! ノイズが人間に紛れていたか!

 なるほどなら合点がいく! この世の薄汚れたやつらは、みんなノイズだったんだ!

 

「そうかぁ……ノイズだったかぁ……なら、手加減する必要などないなぁ……!」

「ひっ……!?」

 

 私の顔を見てそいつは怯えたような声を出す。

 まったく最近のノイズはこういう擬態もできるのか。

 

「つくづく狩りがいがあるなぁ……! フフフフフフッ!」

「こっ、こいつ……やっ、やばっ……!? だ、誰か助け――」

「――Imyuteus amenohabakiri tron……」

 

 さあいこう天羽々斬……剣を護国のために振るうときだ。

 



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ラセツ

「なんだとぉ……!? そんな……そんなバカなことが……!」

 

 いつになく動揺した師匠の声が司令部に響き渡る。それはどこからかの電話を耳にした瞬間だった。信じられないと言った顔をしていたが、手に持ったタブレット端末を見たとき、その表情は一層驚きと絶望に満ちたものになり、ついには端末を落としてしまった。

 

「…………バカな……そんな、バカな……!」

「あ、あの師匠……どうしたんですか……?」

「もしかして、先輩に何かあったのか!?」

 

 私と一緒に、偶然司令室にいたクリスちゃんが慌てたように聞く。

 同じく私も何かあったのかと思った。翼さんの身に何か危険なことが起こったのかもしれない。もしかして、まだパヴァリア光明結社の残党が……!?

 

「ああ……そうとも言えるし、別とも言える……正直、俺もまだ信じられん……」

 

 師匠は珍しく歯切れ悪く言う。

 その様子に、私とクリスちゃんは顔を見合わせ、何かただならぬ事が起きたのを悟った。

 

「なんだよおっさん……何があったんだ?」

 

 クリスちゃんが尋ねる。

 それから師匠はしばらく躊躇うように沈黙した後、静かに口を開いた。

 

「……翼が……人を、殺した……」

「……え?」

「……は?」

 

 私とクリスちゃんは思ってもみなかった答えに、思考が停止する。

 翼さんが……人を……?

 

「お、おいおい、おっさん……エイプリルフールはずっと先だぜ……?」

「そ、そうですよ……そんな冗談、師匠らしくない……」

「…………」

 

 師匠は黙ったままだ。しかも、とても苦しそうな顔で。

 それが私達に師匠の言葉が現実であることを否応なく教える。

 

「……どういうことなんだよ……どういうことなんだよ、おっさん!」

「ク、クリスちゃん落ち着いて!」

 

 師匠に詰め寄るクリスちゃんを私は必死にたしなめる。

 

「うるせぇ! これが落ち着けるか! 先輩が……先輩が人を殺っちまったなんて言われたんだぞ!?」

「そっ、それはそうだけど……事故とか不可抗力とかかもしれないでしょ!? ま、まずは話を聞こう……?」

「……あ、ああ……そうだな……わりぃ……」

 

 私の言葉でクリスちゃんは一応落ち着いてくれた。

 でも、私の内心もかなり穏やかじゃない。翼さんはギリギリになってもそういうことはしないと思うし、するぐらいなら自分が死ぬとか言い出しかねない人だ。

 だから、やっぱり翼さんが人殺しするなんて信じられない。なので、私達は聞かないといけないんだ。翼に、何があったのかを。

 

「まずは順を追って話そう……。最初に翼の足取りが確認されたのは、街を巡回するバスだった。バスで酔っ払って女性に絡んでいた二人のサラリーマンが大怪我をさせられる事件があった。そのとき、現場で巻き込まれた女性の証言から、加害者は両手が義手の顔にやけどを負った女ということが分かった」

「翼さんだ……!」

「あいつ、何やってんだ……!」

「その情報から、監視カメラの映像から翼の足取りを確認することができた。そして、その最後に確認された映像が……これだ、心して見てくれ……」

 

 そう言って師匠は端末を操作して司令部のメインモニターに映像を映す。

 

『……っ!?』

 

 モニターに映し出されたその内容に、私もクリスちゃんも、戦慄して言葉を失ってしまう。

 そこには、確かに映っていた。翼さんが私と同年代くらいの男の子を無惨に手にかける姿が。

 聖詠を歌い、シンフォギアを身にまとい、一人ずつゆっくりと追いつめて殺すという、残虐非道な光景の一部始終がカメラに収められていた。

 翼さんの姿は今までのシンフォギアの姿とは違っていた。美しい青色だったギアは、深い闇色になっており、胸部の装甲にはメタリックなギアとは相反するような巨大な一つ目がついて蠢いていた。

 とても天羽々斬とは思えない姿。だが、露出している顔は間違いなく翼さんだ。

 異様な姿でゆっくりと一人ずつ手にかけ、恐怖心を煽る姿はまるでホラー映画の殺人鬼だ。

 特に、最後の一人に対しては片足を小刀で居抜き、歩きづらくしてからあえて逃して、壁際まで追い詰めると視界の外から刀を壁にこすりつけて自分の存在をアピールして徹底的に怯えさせてから殺すというやり口は、悪趣味にもほどがあった。

 

「うっ……!」

 

 その凄惨さに、私は思わず吐き気を催す。

 これが、翼さん……? ありえない……! 翼さんはこんなことするような人じゃ……!

 

「おい、どういうことなんだよ……どういうことなんだよこの映像はっ!!」

 

 クリスちゃんが再び師匠に食って掛かる。今回は私も止めなかった。

 止めようとは、思えなかった。

 

「こんな……こんな弱い相手を圧倒的な暴力で押しつぶすような……! 命を弄ぶような行為を先輩がするなんて、ありえないだろ!? 第一、ギアも全然姿が違うじゃねぇか! 見た目だけ同じの偽物か何かなんだろ!? ああそうさ、錬金術だの聖遺物だの、とにかくそういうことできそうなもんはこの世界にいくらでもあるんだ! これを先輩だと言うなんて……どうかしてるぜおっさん!」

「俺だって……俺だってそう思ったさ! そう思いたいさっ!!」

 

 司令が珍しくクリスちゃんに激昂して言った。

 その剣幕にクリスちゃんはビクリとなり黙る。

 

「だが……そうじゃないんだ……認めたくないが、違うんだ……!」

「……そのことは、僕から説明します」

 

 そのとき、師匠の後ろからエルフナインちゃんがやってきた。

 エルフナインちゃんの顔もとても暗く、そして緊迫しているのが伝わってきた。

 

「僕達も最初その可能性を考えて、できうる限りの調査を行いました。ですが……帰ってきたのは期待していたものと真逆の結果でした。まず、錬金術の線を疑って僕が知りうるあらゆる調査を行いましたが、結果はすべて反応がなく、錬金術の関与は認められませんでした。次に現場に残っていた髪の毛のDNA検査。これはS.O.N.G.にあった翼さんのDNA情報と完全に一致しました。そして最後に、聖遺物など神秘の存在が関わっていないか波形の調査をしました。この街全体には神秘が発する波形を集計する計測器が存在しています。データを遡れば、何かの神秘が関わっているならそれを知ることが出来ます。ですが……観測された波形は、翼さんのシンフォギアである、天羽々斬の波形だけ。これが最大の決め手となりました。ギャラルホルンのような異世界の介入も、それ以外の未知の聖遺物の波形もなく……天羽々斬だけが。こればかりはどうしようもありませんでした……。神秘の力なら遺伝情報すら一致する偽物を作れるかもしれません。ですが、聖遺物だけは騙せない。それぞれが持つ『音』は固有で、現在確認されている天羽々斬があれだけな以上、あれを翼さんだと認めるしか、ありませんでした……」

「そ、そんな……」

 

 クリスちゃんがその説明を受けて力なくその場にへたり込む。表情はこれまでに見たこともないほどに、絶望していた。

 

「ま、待ってエルフナインちゃん! あのギア、私達の知ってる天羽々斬と違う……。あれは、どういうことなの……?」

 

 私の質問にエルフナインちゃんは険しい表情をする。その表情は、言葉としなくとも自体がまずいことになっているのを語っているようだった。

 

「これはちゃんと検査したわけではないので確証ではありません。あくまで、仮説です」

「それでもいい! 教えて!」

「……シンフォギアは、適合者の心の合わせ鏡のようなものです。少なくとも桜井理論においては、装者の心象がシンフォギアに影響を与えると証明されています。それから考えるに……翼さんの精神状態が、かなり異常なことになっていて、その結果、天羽々斬がああいう姿に変化した……と推測することができます」

「翼さんの……精神が……心が……」

「はい、それに対しては興味深い情報も取れています。翼さんはどうやら医者から提案された皮膚再生療法と頭部の金属片の摘出手術を拒否したようです。理由は推し量ることはできませんが、前々から翼さんの脳になんらかの異常があったのではないかと考えることが出来ます。恐らく、テロによる爆発の外的な衝撃、そして金属片による直接的な影響によって……」

「……私が最後に話したときは、まるでいつも通りだったと思ったのに……あのときから既に、翼さんはおかしくなっていた……?」

 

 だとしたら、私はなんて馬鹿なんだろう。翼さんの異変に気付けずに、ただ自分勝手な罪悪感だけを抱えて話して帰ってしまった。

 そのせいで翼さんは、あんなことを……!

 

「……おい馬鹿、まさか、自分の責任だって思ってねぇだろうな」

 

 そんなとき、うなだれていたはずのクリスちゃんが、私の横に近寄ってきて言った。

 

「で、でも……」

「これはお前だけの罪じゃねぇ。私達みんなの罪だ。誰も彼も、先輩の異常に気づいてやれなかった。だから……私達みんなで背負って、みんなで贖罪するしかねーんだ……。先輩にこれ以上罪を重ねさせないっていうやり方でな」

「……そうだ、俺達が今できることは頭を垂れることじゃない。前を向いて、これからの未来に目を向けることだ! 翼にこれ以上のことはさせてはいけない。頭を打ってああなったなら、一発殴って正気に戻すだけだ!」

「クリスちゃん……師匠……!」

 

 そうだ、止まってなんかなれない。救わないといけないんだ、翼さんを……!

 これまで何度も私を助けてくれた翼さんを、今度は、私が……!

 

「司令! 街中でフル稼働させていた観測機にフォニックゲインの反応がありました! 天羽々斬です!」

 

 そのときだった。

 あおいさんの分も一人で頑張っていた朔也さんが大声で伝えてきた。

 モニターには地図が映し出され、青い点で場所が示される。

 その場所は――

 

「この街最大の……化学薬品工場、だとぅ!?」

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

「翼さんっ!!」

 

 フォニックゲイン反応からすぐさま、私達装者は現場へと向かって到着する。

 私とクリスちゃん、さらにマリアさん、切歌ちゃん、調ちゃん、そして未来と装者フルメンバーだ。

 化学薬品工場はひどいことになっていた。

 いたるところで火事が起き、黒煙が立ち上っている。

 そして辺り一帯に、死体の山ができていた。工場の従業員だろう。みな、刃物で殺されている。間違いない。やったのは、翼さんだ……。

 

「……ん? ああ、立花じゃないか! それに、みんなも。どうしたんだ、揃って?」

 私達が立っている場所から少し離れた場所に立ち、背を向けていた翼さんは、私の声に反応し明るい笑顔で振り返った。まるでいつも会話するかのように。

 だが、その声とは裏腹に、胸で眼球が踊る返り血だらけの黒いギアと右手に握られている血を滴らせる刀、そしてカメラの映像では分からなかった、虹彩を黄色くした、蛇のような瞳孔の開いた瞳が異彩を放ち、アンバランスな恐怖を与えてくる。

 更には、左手にここの従業員だった人のちぎれた頭部が髪の部分を持たれて吊り降ろされており、思わず吐きそうになってしまう。

 

「翼……あなた、何をやっているのよっ!」

 

 マリアさんが叫ぶ。怒りと悲しみがないまぜになったような、辛い叫びだ。

 

「何って……ノイズを退治しているだけだが?」

 

 だが、翼さんはさも当然かのように疑問の色なく言う。

 

「ノイズですって!? あなたにはそれが……ここで倒れている人達がみんな、ノイズに見えるって言うの!?」

「ああそうだ。マリア達には分からんだろうが、最近のノイズは人の皮を被っているんだよ。まったく恐ろしいな。私が見抜いていなければこの街は侵略されていただろう。だが私は気付き、先に天誅を下したというわけだ」

 

 何を言っているか分からない。私を含め、みんなそんな顔をしていた。

 だが翼さんはそんな私達の様子に気づかずに続ける。

 

「実は前々から怪しいと思っていたんだ。この工場は、河川に廃液を流したりスモッグで環境への悪影響が訴えられたりしていた。しかし残念なことに政治との癒着から一向に対処されずにいたのだ。だが彼らの正体がノイズだと分かり納得がいったよ。ここはノイズの侵略基地だったんだ。そして、それを容認していた政治家達もきっとノイズなんだ。故にこれから政治家達も処分しにいかなくてはいけない。そうだ、手を貸してくれないかみんな! 私には分かるんだ、人に擬態したノイズがな……みんなで力を合わせれば、この国に潜むノイズを一掃できる! さあ、みんなでこの国を守ろう!」

 

 翼さんは手に持っていた頭を放り投げ、私達に手を差し伸べる。

 自分の狂った妄想を信じ込んでしまっているその姿は、まさに狂気に溢れていた。

 

「……この、バカ防人ッ!!!!」

 

 マリアさんがはちきれんばかりの声で叫んだ。

 そして翼さんを睨む。涙を、こぼれ落としながら。

 

「そんな……そんな馬鹿馬鹿しい話、あるわけないでしょ!? そんな妄想に取り憑かれて、こんなに沢山の人を殺して……馬鹿よ……大馬鹿よ……!」

「……そうだ、そうだよ! あんたは馬鹿だよ先輩っ! 前々から馬鹿だとは思ってたが、ここまでとはな! 頭を打っちまったとは言え、こんなに人を殺しちまうなんて……! なあ先輩、大人しく私達と一緒に来てくれ……そりゃ頭を治療できても、罪は残るさ。消せないさ。でも、私達が一緒に背負ってやるからよ……だから……」

「そ、そうデス! 帰ってきてくださいデス! 私達には翼先輩が必要なんデス!」

「私も過去に罪を背負った……でも、みんなのおかげで贖罪できることを教えてくれた一人は、あなた……。だから今度は、私達が先輩と一緒に頑張る……!」

「翼さんの剣は、こんなことをするためじゃないでしょ!? 私や響が好きだった、歌手の風鳴翼に戻って!」

「翼さん……今の私は、間違いなくあなたのおかげでここにいます。だからあなたが過ちを犯してしまったとしても、私は手を繋ぐのを諦めません! だから翼さんも、私達の手を取って……!」

 

 私達はみんなで思いの丈を翼さんにぶつける。この気持ちはきっと通じる。そう信じて。

 でも、翼さんは――

 

「はあああああっー……」

 

 片手で額を抱えて、大きく仰け反り呆れたような大きなため息をついた。

 

「まったく……なぜみんな真実を直視しようとしないのだ。私は死者と神の声、両方を聞いているのだぞ? どっちが正しいなど明白ではないか……それをまったく、人を馬鹿だ馬鹿だと連呼して……ああ、そうか……」

 

 翼さんは手をぶらんと額から放して、私達を見る。

 今までの翼さんなら絶対しないような、禍々しい笑みを浮かべて。

 

「さては……お前達、ノイズと結託しているのだな? いや、もしかしたらもう中身がノイズなのかもしれんな?」

「つ、翼さん……!? 何を言って……!?」

「お? 動揺したな? 図星を突かれたんだな? まったく油断も隙もない……まさかこんなところに外敵が潜んでいようとは……これは、一人残らず排除するしか、ないな」

「っ!? みんな、回避ッ!」

 

 マリアさんがいち早く反応し叫ぶ。

 その次の瞬間――

 

【夜ノ一閃】

 

 見知らぬ黒い斬撃が、私達目掛けて飛んできた。

 

「きゃあっ!?」

「っ!? 未来っ!」

 

 斬撃は、回避行動を取るも一瞬反応が遅れた未来に向かって軌道を途中でクイっと曲げて直撃する。未来は大きく吹き飛ばされてしまい、壁にぶつかって気を失ってしまった。

 

「な、なんデス今の!? 【蒼ノ一閃】……じゃないデスよね!? 色も大きさも違うデス!しかも曲がったデス! 似て非なる何かデス!」

「切ちゃん落ち着いて! 多分、エルフナインちゃんが言ってた通り、ギアが変質した結果、技も変化したんだと思う。気をつけたほうがいい。あれはもう、私達の知ってる翼先輩じゃない……!」

「ハハハッ! まずは小日向か! これはいい、一番厄介な神獣鏡を最初に黙らせられたのは僥倖だ!」

「クッ! 翼ッ! あなたという人はあああああっ!」

「マリアさんっ!」

 

 笑う翼さんに、マリアさんが短剣片手に突撃する。その声には冷静さが欠けているように思えた。

 

「待つデス! マリア!」

「私達も一緒に!」

 

 そんなマリアさんに続いて、切歌ちゃんと調ちゃんが慌てて続く。

 

「待てよお前ら! 慌てて勝てる相手じゃねぇぞ、今の先輩はっ!」

 

 クリスちゃんが叫ぶが、マリアさんには聞こえていないようだった。

 三人は足並みが揃わない状態で翼さんに突っ込んでいく。

 

「はあああああっ!」

 

【EMPRESS†REVELLION】

 

 マリアさんが蛇腹になった剣で翼さんを薙ぐ。

 だが、翼さんはそれをさっさりと弾き返す。

 

「くっ!」

「どうした? 動きが随分単調だぞマリア?」

「おのれっ! 煽るようなことをっ!」

 

 翼さんの剣戟に圧倒されるマリアさん。形勢は一目でマリアさん不利と分かった。

 

「マリアが危ないデスっ!」

「分かってるっ!」

 

【切・呪りeッTぉ】

【α式・百輪廻】

 

 二人はマリアさんを支援するように一緒に遠距離技を出す。

 だが、翼さんはそれにいち早く気づいたようだった。

 

「おっと!」

「がっ!?」

 

 そして、マリアさんを勢いよく蹴り飛ばすと、素早く逆さになって地面に逆立ちする。

 

「あの態勢はっ【逆羅刹】!?」

 

【逆温羅】

 

 だが出てきた技は、またしても違う技だった。普段は逆立ちと共に横回転し足の剣で切り裂く技だが、今翼さんが出した技は、それに更に黒い竜巻を伴って二人が飛ばした飛び道具をかき消した。

 

「ええっ!? デス!?」

「そんなっ!?」

「次はこっちだな、三人ともっ!」

 

 翼さんはそう言うと高く飛び上がり、マリアさん、切歌ちゃん、調ちゃんを視界に捉える。そして――

 

「さあ……避けられるものなら避けてみろっ!」

 

【壱ノ笑雷】

 

 三人の元に、ものすごい速さの黒い闇の剣が一本ずつ正確に飛んでいった。

 

「うぐうっ!?」

「がっ!?」

「ああっ!?」

 

 それぞれの剣は、三人がギリギリのところで防いだために貫通こそしなかった。しかし、その剣先が触れ三人を地面ごと押したかと思うと、直後に大きな爆発を起こした。

 

『あああああああああっ!』

 

「マリアさんっ!? 切歌ちゃん! 調ちゃん!」

 地面に倒れた三人は私の声に答えてくれない。死んではいないようだが、気を失ってしまったようだった。

 

「クソッ! なんだよ先輩の強さ! 技も全然違うし、威力がどれもこれも高すぎるっ! 属性変化ってレベルじゃねーぞあれはっ!」

「当然だ……これは天命に目覚めた私に授けられた力……これまでの偽りの力とは、格が違うのだ」

「ちっ、カルト宗教にハマったやつみたいなこと言いやがって……! おい馬鹿! このままじゃ負けちまう! 連携するぞっ!」

「う、うんっ!」

「いいか加減はするなよ! そうじゃないと、殺されちまうっ!」

 

 クリスちゃんは汗を垂らしながら言う。私も頷き、まず先陣を切る。クリスちゃんは遠距離タイプだから、こうして私が前線で相手をしないと、クリスちゃんの本領を発揮できないからだ。

 

「失礼します、翼さんっ!」

「ふっ。やってみろ、立花っ!」

 

 そうして私と翼さんはそれぞれお互いの拳と剣をかち合わせる。

 翼さんの剣は、模擬戦で戦ったときの何倍も重く、鋭い。

 ガングニールの拳でなければ一刀両断されていただろう。

 

「ぐっ……!」

「くくくっ、どうした立花!? その程度かっ!」

 

 さらに速さも上がっていて、なかなか攻撃に出られない。

 先程のマリアさんと同じく、防戦一方だ。だが、これでいい。私は翼さんの動きを制限することに集中する。

 さっきの技を出させないのが、今の私にできることだ。そうすれば――

 

「よくやった、馬鹿!」

 

 クリスちゃんの準備が、完了した。チャージ時間を必要とするけど大きな火力を出せるのが、クリスちゃんの強みだ。

 

「これで頭冷やせっ! 先輩ッ!」

 

【MEGA DETH QUARTET】

 

 クリスちゃんから降り注ぐミサイルと弾丸の雨。

 それが着弾する直前に私は引き、弾はすべて翼さんに命中する――

 

「……はぁっ!?」

「……えっ!?」

 

 ――はずだった。

 だが、そこに翼さんの姿はなかった。ミサイルの爆炎が消えた後には、誰一人いなかった。

 

「一体、どこに!?」

 

 私とクリスちゃんは周囲を見回す。

 どこにも翼の姿はない。まさか突然消えたとでも――

 

「――ここだよ、立花」

 

【影法師】

 

「なっ!? 後ろだっ! 馬鹿っ!」

 

 私はクリスちゃんの叫びに反応して背後を向く。そこには刀を振りかざして翼さんの姿があった。

 

「ふんっ!」

「ああああああっ!?」

 

 私はそれを防ぐことができず、斬り伏せられる。

 ギアに大きなダメージが入り、私は膝をつく。

 

「ど、どこから……」

「お前の影だよ、立花。雪音はちょうど私が影から出てくるところを見たから分かるだろうが、【影法師】は影で動きを止めるのではなく、影の中に入ることができるんだ。炎だらけのこの中だと、影は分散してくれていたから入りやすかったぞ」

「う……翼……さん……」

「ちくしょおおおおおおおおっ!」

 

 動けない私を助けに、クリスちゃんが銃を撃ちながら駆けてくる。だがそれも当然翼さんは予期していた。

 翼さんは弾丸をすべて避け、クリスちゃんの目の前に肉薄し、腹部に蹴りを入れた。

 

「かはっ……!?」

 

 それにより、クリスちゃんは地面にお腹を抱えて倒れ込む。

 もはや、翼さん以外の装者はみんな、地面に倒れ込むこととなった。

 

「ふっ、あっけないな。所詮は悪の手先。護国の剣に敵うわけでもなしか」

 

 嘲笑するような翼さんの笑み。

 こんな笑い、以前までの翼さんなら絶対にしない。それが、今の翼さんの変貌を教えていた。

 

「では、一人ずつ息の根を止めるとしよう。最初は立花、お前だ。お前とは一番の付き合いだからな。せめてもの手向けというものだ」

「やっ、やめろっ……! やるなら私から……!」

「ふふふっ、雪音らしい言葉だ。その気持ちを汲んで、お前は最後にしよう。悪に堕ちた代償として、みなが死んでいく姿を眺めるといい」

「くっ、くそおおおおっ……! がああああああっ……!?」

 

 悔しげな声を上げるクリスちゃんの足に翼さんが投げた小刀が刺さる。

 映像でも見た、逃さないためのやり口だ。

 

「では立花……これでさよならだ。お前と一緒に戦えた日々は楽しかったが、これも正義のためなのだ」

「翼、さん……」

 

 翼さんは天高く飛ぶ。そして何本もの、瞳が蠢く巨大な刀を空に召喚した。

 

【底ノ逆鱗】

 

「では……さらばだ」

 

 そうして、翼さんは一番大きい刀に足を載せ、すべての刀と共に私目掛けて降りてくる。

 私は目をぎゅっとつむり、死を覚悟した。

 だが、そのとき――

 

「はあっ!」

 

 猛々しい掛け声が、私の耳に鳴り響いた。聞き慣れた、頼もしい声だった。

 私は目を開く。そこにいたのは、知っている背中だった。

 

「し、師匠……!」

「なっ、司令……!?」

「おっさん!?」

 

 師匠が、降ってきた剣をすべて弾き飛ばしていたのだ。

 そして師匠は倒れている私を抱えるとスッとクリスちゃんのところまで跳ねて、そっと私を置いてクリスちゃんの足に刺さっていた小刀を抜いた。

 

「いっ……!」

「大丈夫か、響君。クリス君」

「はっ、はいっ!」

「つつ……もうちょっと優しく抜いてくれよな……」

「それはすまん。次からは気をつけよう」

「次なんてあってほしくないけどな。……で、どうしておっさんがここにいるんだ。司令としての役目は、どうしたんだよ」

「司令部は他の者に任せてきた。今ここにいるのは、S.O.N.G.の司令ではない。悪さをしている姪を叱りに来た一人の男、風鳴弦十郎だっ!」

 

 そう言って師匠は拳を構えて翼さんに向き直る。

 翼さんはその姿を見て不快そうな表情を浮かべる。

 

「あなたまでもが……私の正義を邪魔するというのかっ……!」

「独りよがりの暴力を正義とは呼ばん! それをもう一度教育してやる!」

「……やれるものならっ!」

 

 そうして翼さんと師匠は同時に跳ね、ぶつかり合う。

 ぶつかり合うと言っても、正面から拳と剣をぶつかり合わせたわけではなかった。

 師匠は振り下ろされ剣の腹を的確に叩き、刃が肌を裂くのを防いでいた。

 そうして、翼さんの刃と師匠の拳がものすごい速さで交わり続ける。

 武器と有無を考えれば師匠の方が不利なはずだった。だが、形勢は師匠に傾いていた。

 攻撃はお互い繰り出すも、その数は師匠の方が多かったのだ。

 

「くうっ……!」

「どうした翼! 顔に余裕がないぞっ!」

「戯言をっ……!」

 

 翼さんは一瞬で距離を取る。そして――

 

【夜ノ一閃】

 

 最初に未来を吹き飛ばしたあの斬撃を飛ばしてきた。

 

「師匠っ!」

「分かっている!」

 

 師匠はその斬撃に対し、避けるどころか向かっていった。そして、ギリギリのところで、皮一枚の距離でその斬撃を交わしたのだ。

 

「なんだとっ!?」

「いくら追尾性能があろうと、この距離で回避すれば意味はあるまいっ!」

 

 翼さんは師匠の回避に虚を疲れたのか、一瞬反応が遅れる。

 それが、師匠にとって最大のチャンスになった。

 

「はあああああああああああああああああああああああああああっ!」

 

 まるで瞬間移動かと思うぐらいの速度で翼さんの懐に入った師匠。そしてそのまま、豪腕を翼さんの腹部にねじり込んだ。

 

「……っは!?」

 

 翼さんは声にもならいぐらいの声を出した。

 だが師匠の攻撃はそれで終わらなかった。

 

「まだまだあっ!」

 

 師匠は一発一発、丁寧に拳を翼さんに打ち込んでいった。

 遠くで見ている私達にも空気の振動として伝わってくる殴打。そのすべてを、翼さんは受けていた。

 

「――――っ!!」

 

 翼さんは言葉も発せずに、口と目を大きく開いて苦しむ。

 着実に翼さんへのダメージは蓄積している証拠だった。

 

「これで……終わりだああああああああああああっ!」

 

 師匠がより腕に力を込め、腰を落とす。

 そしてその溜め込んだありったけの力を、拳によって宙に浮いていた翼さんに叩き込んだ。

 

「があああああああああああああああああっ!?」

 

 翼さんはその一撃によりものすごい勢いで吹き飛んで、工場の化学薬品が詰まっていたと思われるタンクに衝突する。

 その衝撃によりタンクから薬品が漏れ出し、倒れた翼さんにかかる。

 そんな状況なのに、翼さんは動くことができていなかった。

 勝ったのだ、師匠が。

 

「やった……やったんですね! 師匠!」

「ああ、なんとかな」

「まったく……本当に規格外の化け物だな、おっさんは……」

 

 笑う師匠に対し、クリスちゃんが苦笑しながら言う。

 よかった……これで、終わったんだ。

 翼さんは取り返しのつかないことをしてしまった。でも、それは完全に翼さんが悪いわけじゃない。

 私達みんなが悪いんだ。だから、一緒に罪を背負っていく。みんなで前を向いて行きていく。

 そうすることで、いずれはみんなでまた笑い合える日が戻ってくる。

 私は、そう信じることができた。

 

「さて、翼のやつを回収しないとな。薬品まみれだが、まあさほど健康に問題はないはずだろう……」

 

 そう言って、師匠は翼さんへと歩いていく。

 翼さんはピクリとも動かない。ちょっと心配になったけど、師匠がうっかり命を奪うなんてことはしないだろうし、まあ大丈夫だろう。

 私がそんなことを考えていたときだった。

 

「――Gatrandis babel ziggurat edenal……」

「っ!? この歌詞は!?」

「絶唱!?」

 

 絶唱。すべてを破壊する、破滅の歌。シンフォギア装者の命を引き換えにした、最後の一手。それを今、翼さんは口にしているのだ。

 

「まずいっ!」

 

 師匠は危険を察知して飛び退く。だが、師匠は翼さんに近づきすぎた。このままでは師匠は絶唱の破滅の力から逃れられない! 師匠がいくら強くても、生身で絶唱に耐えられるわけがない!

「師匠っ!」

「おっさん!」

 

 私とクリスちゃんは同時に走り出していた。師匠をできるだけ絶唱から守るために。

 間に合え、間に合え、間に合えっ……!

 

「……Emustolronzen fine el zizzl」

 

 私とクリスちゃんが師匠にたどり着いた瞬間、絶唱は歌い切られた。

 刹那、辺り一面を大きな破壊の衝撃が包み込んだ――

 



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センキ

「はぁ……はぁ……」

 

 まさか、絶唱を歌うことになるとは……。

 私は今、軋む体に鞭を打ちながら必死に大きな下水道のトンネルを歩いている。工場の排水を流すためのトンネルだ。

 目や口といった様々な場所から血が流れ出ていて、動くたびに激痛が走る。

 だが歩かなくては……留まっていては、見つかってしまう。

 私の正義が成せなくなる。そんなのは、ごめんだ……悪に屈するなど、防人にあってはならない……!

 

「あっ……ああっ……!」

 

 前に進もうと足を動かす私。

 だが、足をもつれさせその場に転んでしまう。

 それもこれも、さっき浴びた薬品のせいだ。あの薬品さえなければ、もう少し私はスムーズに逃げられたはずなんだ。

 だがあの薬品のせいで、私の四肢は鈍くなり、頭がうまく回らなくなっている。

 ガンガンと痛み、思考がおぼつかない。

 

「クソ、どうして私がこんな目に……!」

 

 起きがって進まなければ……。私は今、汚水が流れる方向に向かって歩いている。

 そうすれば、いずれは海に出る。そこまでいけば、あとはなんとでもなるはずだ。

 

「…………?」

 

 そんなとき、私の耳に雑音が聞こえてくる。今まで私をいらつかせてきた、あの雑音だ。

 

「ああ、どうしてこんなときに……!」

 

 音の方向を見ると、どうやら水流にのっていろいろなモノが流れているらしい。私が工場を破壊したせいで、いろいろなものが下水に落ちたのだろう。

 その中に、音の発生源があった。携帯できる音楽プレーヤーだ。

 

「うるさい雑音め……壊してくれる……!」

 

 私は流れ着いたそのプレーヤーを手に取り、地面に叩きつけようとした。

 だが、その画面に表示されていたものを見て、私は凍りついた。

 

「……え?」

 

 そこに表示されていた画像は、見覚えのあるものだった。

 私のアルバムだったのだ。しかもかなり昔のもの……奏と一緒にユニットを組んでいた頃のアルバムだ。

 さらに、流れている曲は、私にとって最も思い出深いあの曲……『逆光のフリューゲル』だ。

 

「そ……んな……ま……さか……?」

 

 私の愛した歌が、雑音……? じゃあ、今まで私が雑音だと思っていたものは、すべて……?

 

「あ……あ……ああ……」

 

 その瞬間、私は理解してしまった。いや、正気に戻ったというのが正しいのかもしれない。

 私がそれまで見ていたもの、聞こえていたもの、それらすべては……嘘、偽りだったのだ。

 勝手に思い込み、信じ込んだ、何の根拠もない幻想だったのだ。

 荒唐無稽なでっち上げを、自己満足的な復讐心と正義感で理由付けして、真実とのたまっていただけなのだ。

 

「つまり、私は、何の罪のない人々の命を、ただ己の快楽のために……あっ……ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!?!?」

 

 私は頭を抱え、絶叫する。爪を肌に食い込ませ、血まみれになった顔ひっかきながら叫ぶ。

 だが、いくら叫んでも私が犯した罪は消えるわけもなく――

 

「……え?」

 

 そのとき、私の目の前に、二人の人影が立っているのに気づいた。

 私の見知った、しかしそこにいるはずのない二人が……いた。

 

「……奏……? お父様……?」

 

 天羽奏と、風鳴八紘。

 私のかつてのパートナーと、父親。どちらも愛しき人であり、もうこの世にはいないはずの二人。

 そんな二人が、私の目の前に立っている。

 私を……私という存在を、侮蔑する視線を向けて。

 

「ああ……やめてよ二人とも……そんな目で私を見ないで……ごめんなさい……私が悪かった……認めるから……全部私が悪いの……だから許して……お願い……お願いよ……」

 

 頭を抑えながら泣いて懇願する。

 とても寒くガクガクと体が震える。

 しかし二人は私に対する冷たい視線を変えることなく、やがて私に背を向けた。

 

「あっ……待って!? 待ってよ!? 私を許して! 私を置いていかないで! 私を……助けて……一人ぼっちにしないでぇ!!!!」

 

 私は軋む体を無理やり動かして、去っていこうとする二人に手を伸ばす。

 だが、手は二人に届かず……空を切り、やがて二人は消えてしまった。

 

「あ……」

 

 その瞬間、雑音も聞こえなくなる。音楽プレーヤーが壊れたらしい。

 私は取り残される。

 一人、環境音しかしない孤独な世界に。

 私は……わた……し……は……。

 

「あ……ああ……へ……へへへへへ……ひははははははははははははははっ! へっははははははははははぁ! 私! 私死んじゃった! 風鳴翼は! 今! ここで! 死んじゃったぁよぉ! 何もかも全部無駄にしてぇ! 無様に孤独に死んじゃったぁ! 死んだ死んだ死んだ死んだ死んだ! あひゃははははあああははあはぎゃあがあはがああはははははははははは!」

 

 …………………………。

 …………………。

 …………。

 ……。

 ――

 ――――

 ――――――

 ――――――――

 ――――――――――

 

「……ふぅぅぅぅぅ……」

 

 深呼吸する。

 臭い空気も今は心地いい。

 晴れ晴れとした気分だ。

 

「ひひ……ひひひ……」

 

 私は落としていた剣を拾う。

 そして立ち上がり、歩き始める。

 

「ふんふーん……ふんふふーん……」

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

 あれから三ヶ月が過ぎた。

 師匠の命はなんとか助けることができた。でも、それでも絶唱の衝撃をすべて受け止めることはできず、今は病院で療養中だ。

 医者からは一年は病院にいないとダメなんて言われたけど、どうももうちょっとで退院できるとか言っていた。

 さすが師匠と言うべきか、師匠でもまだまだ時間がかかると言うべきか。

 S.O.N.G.は今、退院したあおいさんと朔也さんが二人で司令代理の仕事を担って回している。

 最初はうまくいかないこともあったけど、今はちゃんと十全に組織として動けている。

 装者のみんなも、すっかり回復して災害救助とかに全力を出せている。もちろん私も。

 できることを全力で頑張るのが、私の生き方だから。

 世界も色々あったけど、なんだかんだでうまく行っていると思う。

 神秘が絡んだときは私達が、人間の悪事はアメリカ他いろんな国が自力で頑張っている。

 人は前に進める生き物だということを、改めて知ることができる。

 世界は日常へと戻り、人々の営みはつつがなく進んでいく。

 そう……ただ一つの歪みを除いて――

 

「……そこまでですっ!」

 

 現場に到着した私は鋭く叫ぶ。

 すると、私の声に目の前にいた“彼女”はニッコリと笑う。

 

「ふふふ、今日も来たんだなぁ、立花ぁ……」

「はい、今日こそあなたを止めます……翼さん!」

 

 あの日から一ヶ月後、姿を消していた翼さんは急に現れた。

 厚い鎧のようになった眼だらけのギアと、殺戮と共に。

 

「だから、今の私は風鳴翼ではないと言っているだろう? 今の私は妖刀『センキ』……風鳴翼という女は死んだのだと、何回言えば理解する?」

 

 翼さんは、完全に人が変わっていた。記憶はあるが、心は別というか、とにかく、まったく別の存在に変質してしまっていた。

 ただ己の快楽のために人を殺し、街を破壊し、世界を恐怖に陥れる……そんな『怪人』に。

 聖遺物もそれに答えたのか、もはやシンフォギアとは完全に別物になっていた。

 おどろおどろしい鎧が肉体と融合し、計り知れない戦闘力を引き出すそんな存在へと性質を変化させたようだった。

 その聖遺物のせいか、かつては刺さった金属片だったはずのものが、今は本物の角になっているのが、おぞましさを強調する。

 

「理解する気はありません! 翼さんは翼さんです! 今日こそ、目を覚ましてもらいます!」

「目を覚ますも何もお前達の望んでいる女はもう死んだというのが分からないのか……マリアなどは既に割り切って私を『殺す』と言うぞ?」

「確かに、マリアさんはそう言っています。それが、翼さんを想ってできる一番のことだって……でも私は諦めたくない! 私の手は繋ぐための手です!」

「ふっ……まったくいつまで経っても変わらんなぁ立花は。私には繋ぐ手も、もうないと言うのに……だが、そんなお前がいつ絶望に染まって死ぬか……それが私は楽しみで仕方ないんだ……」

 

 そう言って、翼さんは剣を近くの死体から引き抜く。鎧と同じく、沢山の眼が蠢く、おぞましい剣を。

 

「ああ……我が『修羅百鬼剣』は今宵も存分に血を吸ったが……やはりまだ死と闘争を求めている。私と同じく、この刃は下種な欲望に満ちているのだ……さあ戦おうじゃないか立花。今宵も楽しもう。この朔の日、完全なる喪失の夜の下で、存分と殺し合おうじゃないか……二人で、神も知らぬ光で歴史を創造するのだ。命の散る煌きという光でな……クハハハハハハっ!」

 

 翼さんは笑いながら私に向かってくる。私も翼さんに向かって走る。

 もうみんながみんな、諦めてしまっている翼さん。

 でも、私は諦めない。最後の最後まで、あなたと共にいて、あなたを信じ抜きます。

 いつか、了子さんと戦って暴走した私を救ってくれた、あのときのあなたのように……。

 



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