元ホワイト鎮守府より、憎悪を込めて。 (D535Rave)
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ホワイト鎮守府から、ブラック鎮守府へ。

「貴方が私の提督なの? はっきり言って全く期待はしていないわ」

 

 

 初対面はお互いに最悪の印象だった。彼女の痛烈な罵倒から始まった俺たちの関係は、分かり合えることも無く、ねじ曲がったまま、間違い続けていく。

 思い返すと、俺の人生は失意の連続であり、これまでも、そしてこれからも、強い自虐心と重圧に耐えていくしかないのであろう。

 

 

「前の提督さんみたくさ、100点、いやそれ以上の作戦を考えろとは言わないよ? でも覚えることは覚えようよ」

 

 

 俺には才能が無い。努力してその差を抜くだなんて無理だ、やってみたらわかる。それができると思うのは傲慢だ。敵も味方も、部下も上司も、俺より優秀なやつしかいない。そもそも戦時に軍部に関わる仕事において、無能な奴なんぞ許される筈も無い。

 だとしたら何故、俺はここにいるのだろうか? 

 

 

「貴方の粗雑な指揮を受けて作戦行動するくらいなら、私は……自沈を選びます。ちっぽけな満足感を得る為に、駆逐艦の子達の安全を脅かさないで!」

 

 

 必死で考えた作戦も、血反吐を飲み込みながらまとめた資料も、目を真っ赤にして覚えた海域も、信頼が無ければちり紙と化す。何の教育も、訓練も行ってない男に、果たして百戦錬磨の鉄鋼女史達が黙ってついてきてくれようか? 

 

 

「睡眠をとらずに勉強。まっこと素晴らしい向上精神です。ですが、貴方は一応この鎮守府の長。その方が生活リズムすら守れないなんて許されましょうか。貴方の身を案じてるのではありません。寝不足による判断ミス、そのケアさえ出来ない単細胞っぷりに驚いているのですよ」

 

 

 1日とは不平等に与えられる、勝者が決めた敗者の足枷である。不幸な者は24時間の長さに苦しみ、あるいは理不尽に自由時間を削られ、眠ることすら許されない。明日が来るのが怖いから寝るのが怖い。吐くために食べ、死ぬために生きる我々は、常に八方塞がりの人生を歩むしかない。

 

 

「建造すら出来ない提督が着任するなんて……」

「大本営とは折が悪かったからでしょうか? だとしても、酷すぎます……」

 

 

 陰口、悪口。もはや傷付くことすらない。涙が枯れるとはこういうことなんだろう。正当な評価であるが故に、自分を肯定することも出来ない苦しみ。

 いくら努力をしてみても、周りの鎮守府の提督に頭を下げて教えを乞うても、艦娘達の信頼を得ることは出来なかった。世界の色が薄く水で延ばされて行く。米を噛んでも何の匂いもしない。あぁ、死にたい。だが死ぬ勇気すら俺には無い。

 

 

「食堂には来ないで下さい。これからは私が貴方の部屋に持っていきます。……はい、……はい。申し上げにくいのですが。……士気に関わりますので」

 

 

 艦娘は皆共通して、人間離れした美しさを持っている。外見だけでなく、性格も良い、そして強い女性達だ。

 前任提督の退職、戦果の低下、演習の成績、大本営への反発。それを払拭するのが俺の役目だったが、未だにそれが出来ていない。繰り返すが彼女達は本来優しい子達なのである。あぁ、艦娘という存在に憧れていた日が懐かしい。愛国心の名のもとに目指させられた薔薇の道は、何時しか鉄のトゲとして俺の体に食い込み、血に染まっている。

 彼女達はどうやら、俺を視界にすら入れたくないようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 地獄、地獄、地獄である。夢の中でも艦娘達の冷たい言葉が俺を切り裂く。

 加賀の真っ黒な目。瑞鶴の口撃。鹿島の悲痛な訴え。妙高の適切かつ憎しみに満ちた説教。明石と大淀の疲れきった顔。鳳翔の何も映らない瞳。

 

 全てが俺を苦しめる。彼女達の、全てが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 8年前の事だ。

 第二次世界大戦が終わってから、幾許の平和を過ごしていた人類を、深海棲艦と後に呼ばれる事になる怪物達が襲った。

 ところで、兵器とは人類が産み出して来た英智の結晶である。天才達が発想し、秀才達が形を作る。人間の進歩には常に戦争、そして兵器が付き纏っているからだ。

 その素晴らしくステキな財産の全てが、怪物達には通用しなかった。

 人類の制海権は後退し、制空権も劣勢で、もはや核で海を焼き払うしかかないのでは、という段階まで来た。

 そこに颯爽と助けに現れたのが、第二次世界大戦の艦艇の魂を美しい少女の身に宿した艦娘達である。

 だが彼女達だけでは深海棲艦共の侵攻を食い止めることは出来ても、押し返すことは出来なかった。

 彼女達が必要としたのは人間との繋がり。その触媒として、「提督」と呼ばれる優秀な人間が妖精によって選ばれた。

 提督達は卓越した指揮能力で人類の制海権を押し上げていく。華々しい戦果の中で、1人際立つ戦果を上げ続けた人物がいた。

 それが艦娘たちを最初に部隊として率いた、前任の提督である、宮下幹一元帥だった。

 

 ラジオの雑音混じりの声が、しきりに宮下元帥のこれまでの戦果を叫んでいる。やはりプロパガンダはラジオで聞くに限るな、と少し気取りながらおにぎりを頬張る。鳳翔は俺の事を嫌っているが、それでも料理は一切手を抜かない。ありがたいことである。

 

 自分でいれたお茶を飲んで一息ついた所で、執務室の扉を叩く音が聞こえる。さぁ口撃戦だ。あまりにも短かかった安寧の時間を惜しみつつ、入れ。と声をかける。

 

 

「失礼します。加賀です。午前の演習内容と、哨戒任務の確認に参りました」

 

「そこに置いといてくれ。後で目を通しておく。急務の事態は無いな?」

 

「えぇ。……ところで、貴方、午後から休みをとると聞いたのだけれど」

 

「正確には休みでは無いが……。まぁそう思ってくれて良い。午後の執務は妙高に任せてある」

 

「そう。ようやく体の休み方を覚えたようね」

 

 

 まずは軽いジャブだ、ここから彼女のラッシュが始まる。加賀の変わることの無い表情を眺め、慈悲のある事を願う。

 

「ところで、今構築している戦線だけど、近々攻勢作戦が始まるようね」

 

 

 予想通りのご指摘だ。午前中の空いた時間を使ってそれなりの自論(言い訳とも言う)を考えてきている。今日こそ鉄面皮にヒビを入れる時だ。

 

 

「今回の攻勢作戦は、我が鎮守府は徹底して補佐という形で参加する。理由は私の経験値不足だ。下手に突撃して艦娘を失う訳にはいかない。もちろん戦果をあげたい艦娘もいることはわかっているが、資材集めや開発任務も大切な━━━━」

 

「充分です。自分の力を鑑みて作戦を練るのは良いことです。ですが支援艦隊の運用も主力艦隊のそれとは別の難しさがあります。決して侮らないよう」

「また、必要以上に艦娘に対して媚びへつらうことはやめなさい。本心からではないというのがバレバレよ。まだ士気を高める程の演説は無理なようね」

「それと、食べながら執務をするのはやめなさい。行儀が悪いわ」

 

 

 ははは(乾いた笑い声)、今日も俺は加賀には勝てなかった様だ。胃が痛い。俺の企みは全て看破されていた上、加賀は最初から攻勢作戦を支援で担当すると考えていたのだ。

 フナムシを見るような目で「失礼しました」と吐き捨てられる。扉を閉める音が痛い。辛い。死にたい。

 だが今日、ようやくこの地獄から抜け出せるかもしれない。午後から呼び出しの書類、行先は病院である。

 

 休暇先にて、敵空母の空襲により戦傷を負い、3ヶ月間入院していた宮下元帥から、お声がけを頂いたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 ただの病室ではないのであろう、と一目でわかる厳重警備っぷりだ。日常生活においておおよそ見ることはないであろう重装備の警備兵達を見て興奮しつつ、それもそうか、と内心納得する。

 国にとって今回の失態は看過できないものであった。英雄として長年この国の、それどころか世界の制海権を守ってきた人物を、暗号漏れという初歩的なミスで失いかけたのだ。3ヶ月に及ぶ大規模な治療の末、どうにか回復したものの。

 結果、俺という無能が代役として着任してしまったのだから、お偉いさんたちはさぞ頭痛に悩まされる1ヶ月だったことであろう。俺は胃が痛かったけど。

 目上の人との会話なんぞ教養の無い俺に分かるはずもない。せめて失礼の無いようにしよう。

 

 

 

 

「おお。来てくれたか!」

 

 

 まるで親戚の子供に話しかけるように、微笑みながら声をかけてくる老人。筋肉の鎧を身にまとい、とても齢80を超えてるとは思えないほど陽気だ。しわくちゃの顔を綻ばせながら話しかけてくる様からは、鉄人と呼ばれる歴戦の提督だとは気づかないほどである。

 テレビや新聞で見る様子との違いに困惑する。というかてっきりお叱りの言葉をいただくものだと思っていた。彼が現在の鎮守府の状況を知らないはずがないであろうに。

 

 

「君が私に会うのは初めてだろうがね、君のことはよく聞いているよ。少しやつれたみたいだ。さ、備え付けの冷蔵庫の中にゼリーがある。とても一人では食べきれない」

 

 

 断れる筈もない。距離感の近さに唖然としつつ、グレープ味のゼリーを口に運ぶ。甘いはずだが、やはり味がわからない。愛想笑いを浮かばせ、なるべく機嫌を損ねないよう注意する。

 

 

「さて、本題に入るがね。1ヶ月間、彼女たちと関わってどうだった?」

 

 

 来た。ここだ。事実を誇張せず、ありのままを伝える。装飾なしでも十分退職処分ものの失態続きである。加えて、いかに提督業というのが難しいことか、艦娘をまとめ上げるのが難しいことかを説いた。要するに褒め殺しである。わたしは貴方の代わりにはなり得ませんよ。というアピールを露骨にするのだ。

 演技は得意ではないが、本当に限界なのだ。俺の熱い主張は元帥にしっかり届いたようで、点滴のついた太い腕を俺の体に回し、ねぎらいの言葉をかけてくる。

 

 

「辛かっただろう。もっと早く君に会うことが出来ていたなら……。彼女達はかつて数多の優秀な提督を乗せてきた。その分要求するところも多いんだろう」

 

 

 いいんすよいいんすよ。もう俺関係ないんで。心地よい温もりに心が穏やかになる。というか良いにおいもするし。勘弁してくれ。俺はそっちの気もあっちの気もないのだ。

 元帥は俺の背中を優しく叩き、言葉を続ける。

 

 

「これからも困難が続くだろうが、私がなるべくサポートする。何千万の中から、君が選ばれたのだ。素質が無い等というな。必ず選ばれた意味はあるだろう」

 

 

 あれ? おかしい。風向きが変わったな。サポート? 何の話です? 

 

 

「私はもう妖精すら見えなくなってしまった。世代交代、ということなのだろう。君は若いにも関わらずしっかりしているし、無謀な進撃を繰り返すような愚者でもない。自信をしっかり持ちなさい」

 

 

 そんな馬鹿な。呆然としている俺の両肩をがっしりとつかみ、元帥はにっこりと笑う。

 

 

「加賀君を通して君に指南書を送ろう。君には覚えてもらわんといかんものがたくさんあるけんの。少しばかり寝てしまったが、ふふふ、これから忙しくなるぞ!」

 

 

 目の前のじじいが元気はつらつの顔で俺の肩を揺さぶる。ぐわんぐわんと頭をゆさぶられ、血が上り、白昼夢でもみてるような気分になる。今日で地獄が終わるはずだったのに。今日で……

 薄いカーテン越しの西日が鬱陶しいほど眩しい。窓のレールに腰かけた妖精どもが愉快そうにケラケラ笑っている。というかお前らいつの間についてきていたんだ……? 

 

 

 

 

 

 

 

 三時間ほど元帥の熱い励ましと、簡単な指導を受けた。流石に長時間鎮守府を空けるわけにはいかないので、妖精どもを鞄にかき入れ退室する。

 

 

「大変勉強になりました。病み上がりにも関わらず、長時間居座って申し訳ございません」

 

 

 内心ではふざけんなクソジジィと八つ当たりしたい気持ちでいっぱいだったが、言えるわけがない。帰りたくないめう……働きたくないめう……。艦娘達と顔を合わせたくねぇ。1ヶ月の辛抱だからと辛い業務にも耐えてこられたのに、こんなのってないよ。

 

 

「気にしないでくれ! 執務室にこもってると君のような若い男性と話す機会がないんだ。楽しかったよまた来てくれ!」

 

 

 元気なジジィだ。1週間前まで絶対安静状態だったとは思えない。というかこっちの生気まで吸われた気がする。

 お土産にゼリー詰め合わせを押し付けられ、帰りたくない仕事場へ戻る。すでに日は落ちかけていたが、病院の外へ出るとやる気の失せる蒸し暑さが俺を襲う。

 

 

 

 バスに揺られながら、今日教わったことを反復する。目的は果たせなかったが、得られたことも多い。これからは瑞鶴の爆撃を顔面にくらう回数も減るはずだ。ていうか減ってくれないと近いうちに死ぬ。

 すっかり暗くなってしまったな。とバスの窓から外を見る。戦争の影響で、海に近くなるほど人口密度は小さくなっていく。鎮守府近くを通るこのバスもかなり本数が縮減されており、それを待っていたために既に時計の針は7を指していた。

 遅くなる旨を伝えたかったが、軍事機密のなんたらで連絡手段は艦娘を通さないと使えない。というか普通こういう外出に艦娘ってついてくるもんじゃないのか。人望の無さに愕然とする。大本営も大本営だ。曲がりなりにもこちとら提督様やぞ! 艦娘に命令だすなりせんかい! 

 大本営が俺に警護を付けない理由。まぁ捨て駒だろうな。身寄りも交友関係も無に等しい人間なんてそれにうってつけだ。俺が時間を稼いでいる間に、軍のお偉いさんがたは新たな提督候補を探すか、優秀な人材を妖精にプレゼンしていることだろう。

 そうだ。妖精。潰れていたりしてないだろうか。鞄に乱暴に詰め込んでからそれっきりだ。慌てて鞄のベルトを外し、中身を確かめる。

 着替え中だったらしいデフォルメされた少女が、はだけた服で身を隠しながら、わざとらしく顔を赤面させる。言葉にすると「いや~ん、エッチ!」みたいな感じか? 心配して損した。とんだ茶番である。

 乱暴に鞄を隣の席にほうり投げ、背もたれに身を預ける。バスの振動が気持ちよい。

 深くため息をつき、目を閉じて思考する。……妖精、妖精か。

 提督は人類と艦娘を繋げる触媒だといったが、艦娘と妖精を繋げるのもまた提督である。この世界で妖精と会話できるのは提督だけであり、そのコミュニケーションこそが艦娘達との絆を深める第一歩らしい。

 

 だが、俺は提督適合者の中で唯一、妖精と会話ができなかった。

 

 平凡以下の出自、教養のなさ、ひねくれた性格、陰気な顔。艦娘達が新しく着任した俺に反感を持つ理由は数えきれないほどあったが、決定的な理由になったのがコレであろう。

 妖精と喋れないということは建造ができない。開発や改修にも膨大な手間と時間がかかるようになるし、作戦を練るにも一苦労である。

 

 なんで俺を選んだんだい? 

 

 鞄を自力でこじ開け、お土産のゼリーの蓋を協力してぺりぺりと剥がす妖精たちに心の中で問う。どうせ俺を選ぶんだったら優秀な他の提督に並べるようにチート能力をつけてくれたらよいのに。それどころかマイナス補正をかけるとは。

 鎮守府に着くまでおよそ30分。連日の疲れからか、もう意識を保つのは難しそうだ。俺の太ももの上で鼻提灯を膨らませる妖精をどかす気力もない。ああクソ。起きたら……またあそこに戻ってしまう……。

 

 

 

 

 

 

 木材と磯のかおりがする廊下を歩き、執務室を目指す。なるべく艦娘と会わないようなルートを選んではいるものの、それでも少なからず誰かとはすれ違ってしまう。

 人間の目というものは感情を写しやすい。艦娘たちから向けられるそれは、怒りだったり、憎しみだったり、恐怖だったり、不信だったりする。

 

 目の前で震えながら立ち尽くす、ブラウンの美しい長髪をアップヘアーにして束ねている少女、駆逐艦電の金色の目は、明らかに怯えの念を発していた。

 

 

 さて、難しいな。下手な選択をとったら駆逐艦標準搭載の防犯ブザー(泣き声)がやかましく鳴り響き、大井や瑞鶴といった艦娘が嬉々として俺のケツに雷撃をかましてくるだろう。(実体験)

 前回は頭を撫でて失敗した。(暁)

 前々回は優しく声をかけてだったな。(潮)

 もう打つ手は無いのかと絶望していたが、瞬間脳に電流が走る。人間、やはり追い詰められると自分の能力を超えた結果を出せるものである。

 

 

「これ! もらったの。お土産! 姉妹みんなで食べてね!」

 

 

 無理やりテンションを上げながら、その場にゼリー詰め合わせの入った紙袋を置き、電が困惑している内にそそくさと場を離れる。危ない所だった。全身から汗が吹き出す。

 要するに意識の書き換えである。俺との遭遇に恐怖を感じているのなら、新たな事象を上書きしてしまえば良いのだ。

 幾つか妖精が食べていたが、姉妹全員に行き渡るには十分すぎる程であろう。

 もう俺は1ヶ月前とは違う。諦めにも近い感情だが、この仕事をやるという覚悟が少なからず出てきているのだ。

 

 窮地を切り抜けた達成感に酔いしれる。久しぶりに幸福を感じているのかもしれない。悪いことばかりだったんだから、良いこともあるよね! 自分の成長を噛み締めながら執務室の扉を開ける。

 

 

 般若がいた。

 

 

 いや違った。加賀っぽい般若だ。違う加賀だ。凄まじい殺気を放っており、束ねたサイドテールがゆらゆらと闘気で揺れている。

 

 

「随分と……長い間……ご休憩を……取っておられたようで……」

 

 

 泡を吹いて倒れそうになるのを必死に耐える。今までの俺とは違うのだ。元帥の指導を無駄にするな。ちゃんと遅れた理由を話せば納得してくれるはずである。

 

 

「い、いやー、元帥にあってきたんだけどね。そう、あの、前任の。すっごい、めちゃくちゃ元気でさw もう3時間も帰してくんなくて……」

 

「待ちなさい。提督が意識を回復されたの? 何故それを最初から言わないの……?」

 

 

 あぁ、加賀が怒りと喜びで感情がぐちゃぐちゃになっている。それを表情に出さない分、口調がどんどんバグり始めている。というか加賀さんの中では提督は未だに元帥なんですね。ごめんなさい。死にたい。

 まずい。このままだとまた執務室の床の味を知ってしまう事になる。この状況を切り抜けようにも、ゼリーは全て電に渡してしまったし……! 

 

 

「有り得ない……私たちがどれだけ提督の事を心配していたかご存知の筈でしょう? どんな思いでこの3ヶ月を過してきたと? あぁ提督。会いたいです提督。今から抜け出しても提督はご就寝中でしょうし迷惑かしら。でも寝顔だけでも良いから見たい。提督提督提督提督……」

 

 

 加賀の持つ矢がみしりと音を立てる。テメェなんでそんなもん執務室に持ってきてんだ! 

 このままだと加賀も俺も執務室も壊れてしまう。どうにかしないと……! と、焦る俺の目が、ゼリーを持った妖精がサムズアップしているのを捉える。

 でかした! これしかない! 

 

 

「落ち着いて聞いて欲しい、加賀。実は元帥は1週間前から意識を取り戻しておられたようだ。艦娘には明日の朝礼で伝達すると大本営が決めている」

 

 

 だから元帥を心配する必要は無いし、明日になったら会いに行けば良いよ。と優しく伝える。

 

 

「これはお土産だ。元帥から貰った」

 

 

 プラスチックのスプーンと一緒に、既に蓋が開けてあるゼリーを渡す。妖精が少し齧った後があるが、どうだ……バレないか? 

 

 加賀は暫し沈黙した後、スプーンをとりゼリーを口に運ぶ。どうやら元に戻ったようだ。殺気も引っ込んでいるみたいだし、もしかして艦娘の機嫌をとるには甘味を与えておけよいのか? ちょろいなこいつら。

 加賀の薄い唇にオレンジ色のゼリーが吸い込まれていく。ただの軽い食事風景にも関わらず、息を呑むほど美しかった。いつまでも見ていたい、と思わせる程であったが、あまり顔を見るとまた何か言われるかもしれない。

 加賀がゼリーを食べてる間、手持ち無沙汰になった俺は机の上の書類に軽く目を通す。

 

 

「すみません。少し興奮して……。ご馳走様でした。美味しかったです」

 

 

「気にするな。それだけ忠義心が高かったということだろう。そこまで慕われるのなんて、元帥殿は幸せだな」

 

 

 皮肉である。

 まぁ何はともわれ切り抜ける事が出来た。もうこんなに遅い時間だ。休日らしく過ごす事は出来なかったが、晩飯にインスタントでも食べてとっとと寝よう。

 

 

「ふぅ……では本題に入りましょう。午後のたまった書類、簡単に重要であるものと、そうでないものに分けておきました。特に期限が迫っているものを優先して片付けておいてください」

 

 

 えっ今日俺休みじゃん……喘ぐような小さい俺の声は、加賀の扉を閉める音であっさり消えさった。

 ご機嫌取りの午前サービス執務は何だったんだ? そもそも休めと言ったのは加賀や妙高では無かったのか? 妙高は何をしていたんだ? 

 あまりの理不尽さに動悸が激しくなるが、ここはブラック鎮守府。

 何よりも提督の価値が低く、提督の尊厳が無い。

 俺に出来る事は、無能なりに、命を削りながら雑用と執務をこなす事である。

 妙高に言わせると、おそらく「甘えんな」ってところか。

 視界が涙で歪む。震える手でペンをとる。ああ、寝るの何時になるんだろうなぁ……。

 

 

 

 

 暗い執務室の中、泣きながら必死にキーボードを叩き、判子を押す提督を、扉の隙間からある艦娘が覗いていた。

 




ここまで読んでくださってありがとうございます。以下本文とは全く関係無いです。

大好きな作品の作者さんが、小説の制作手順を公開されていたので、良い機会だと思い、人生で初めて二次創作というものをやってみました。
……めちゃくそ難しいですねこれ。普段執筆活動されてる人達の凄さが改めて感じられました。語彙力の無さを痛感……勉強せねば……。
ですが、楽しかったです。(KONAMI)
気が向いたら続きを書こうと思います。
感想や改善点等教えて貰えると嬉しいです!


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響の忠告

 微睡んだ意識の中に、掃除機の轟音が入ってくる。

 枕に顔を(うず)め、深くため息をつく。

 狭い私室の隅に置かれた、薄く古びた布団。ツギハギがあり、少しカビ臭くもあるが、それでもこの鎮守府で唯一安心出来る場所なのである。

 抗いがたき睡魔との闘いに挫けそうになるが、今日は朝礼がある。起きなくてはならない。

 寝返りをし、ぼやけた視界で安物のデジタル時計を確認する。薄緑色からなる数字は、総員起こしから2時間も過ぎている事を表していた。

 

 瞬間、身体を跳ね起こす。

 この鎮守府での寝坊は死を意味する。(提督に限り)

 深夜まで仕事をしていたから、なんて言い訳は彼女らには通用しない。しかも今日の朝礼は、艦娘達が心待ちにしている元帥閣下の病状についてである。

 あわてて着替えようと時計から目を離す。すると、部屋の中に2人の艦娘が居ることに気が付いた。

 

 

「ドーブラェ ウートラ。よく眠れたかい、ねぼすけさん」

 

 

 古びた木の椅子に座った少女が、読みかけの本を閉じ、透き通るような声で語りかけてくる。

 不死鳥の二つ名を持つ駆逐艦、(ひびき)

 ブルーグレイの瞳を持つ、どこか儚げな雰囲気を感じさせる彼女。黒いニーソが彼女の美しい脚を静かに際立たせている。

 長い銀髪が朝日を反射してキラキラと輝く様は、まるで絵画の中に描かれた天使のような、この世の者とは思えない程美しい。

 

 

「あー! ダメじゃない起きちゃ!」

 

 

 ぼーっと響に見惚れていると、部屋に居たもう1人の艦娘、駆逐艦(いかづち)が、手にしていた掃除機を乱暴に置き、走り寄ってくる。

 響が呆れたように「雷が掃除機を乱雑にかけるから起きたんじゃないかな」と言い、小さくため息をつきながら読書を再開する。

 

 

「大丈夫? 熱とか上がってない?」

 

 

 彼女のひんやりとした指が額に触れる。そのまま手を上にずらした雷は、俺の頭を赤子をあやすように撫でる。

 

 

「昨日の夜に遠征から帰って来て、ちょっとお腹空いたかなーって思ってたら電がゼリー渡してくれて、誰から貰ったの? って聞いたら司令官の差し入れだって。嬉しかったわ! 司令官ってば私達にあまり興味が無いと思っていたもの!」

 

 

 雷が笑顔を咲かせながらまくしたてる。

 興味が無い振りをしていたのは、しないと迫害を受けるからだ。初めの頃は艦娘と交流を深めようと思っていたが、あまりにも強い拒絶をされ続けたので、関わらない方が双方のために良いと結論づけていた。

 

 

「それでお礼言おっかなーって執務室行ったら、ボロボロになりながら仕事してたじゃない! 声をかけようか迷ったけど、ほら、私達、あまり良い態度とってこなかったじゃない。無理してるのも、私達のせいなのかなって、それで、その、なかなか部屋に入れなくて……」

 

「雷があまりにも帰ってくるのが遅かったから、心配になってわたしも執務室に行ってね。入口でオロオロしてる雷を説得して、机に突っ伏して寝ている君をここに運び込んだという訳さ」

 

 

 なんとか昨日の分を終わらせたのは覚えているが、その先の記憶が無い。今こうして布団の中に居るのは2人のおかげだったのか。 

 お礼を言おうと口を開いた瞬間、雷が今までの笑顔が嘘のように、しゅんと顔を曇らせ、辛そうに喋りかける。

 

 

「あの、今まで冷たい態度とってきて、ごめんなさいね? 電や暁も、悪気は無いと思うの。ただ、司令官が代わったのが、あまりにも急なことだったから……」

 

「宮下元帥はわたし達にとって父親同然だったからね。我々駆逐艦にとっては特に……。わたしの方からも謝罪をさせてもらう。申し訳なかった」

 

 

 急にシリアスな感じになったことに困惑する。確かに今までの2人の態度は優しいとは言えないものだったが、理不尽な目や辛い目に合わされた事はないし、優秀な提督の後釜にこんなゴミが来たらそりゃ嫌悪感を抱くものだ。

 だが好意を伝えられるのは嬉しい。

 俺は今までの事を気にしていないということ、そしてこれからも慢心せず努力をして、いずれ艦娘全員の信頼を取り戻すことを2人に伝えた。

 

 

「ありがとう司令官! これからはたくさん頼っていいんだからね!」

 

「……ハラショー」

 

 

 軽く息を吐き、昨日元帥から言われた言葉を思い出す。君の努力は無駄にはならない。きっと艦娘達は着いてきてくれると。

 昨日はさっそく心が挫けそうだったが、血のにじむ思いで執務に励み、結果、2人の信頼を得ることができた。

 

 感情を表に出さないよう注意しつつ喜んでいると、雷に二度寝することを勧められる。確かにまだ7時であるし、もう少し寝たって……

 

 

「朝礼はッッッ!?」

 

 

 慢心しないとは何だったのか。忘れていたが今俺は寝坊しているのだ。

 自分でも驚く程の声が出た。すると、扉の向こうから「はわわっ!?」と可愛らしい悲鳴が聞こえた。

 扉の前に誰がいるのか気になったがそれを確認している時間は無い。慌てて布団から出ると、雷が右腕に抱きついてくる。柔らかい感触と、柑橘系の甘い匂いに頭が眩む。

 

 

「朝礼の必要は無いわ! 元帥の事なら、加賀さんが放送と掲示板で皆に伝えているから」

 

「非番の子らは殆どお見舞いに行ってるみたいだね。わたし達も後程、顔を出すつもりさ」

 

 

 加賀……お前……。この鎮守府においての俺の存在意義の無さに悲しくなった。だが首の皮一枚繋がったのは朗報である。

 

 響が本に栞をはさみ、それを椅子の上に置いて立ち上がる。何気ない所作の全てが煌びやかで、なおかつ美しい。

 

 

「2人とも。いつまで扉の前に居るつもりだい?」

 

 

 

 

 

 

 

 きしり、と錆び付いた蝶番(ちょうつがい)が音を上げる。

 おずおずと顔を出したのは、第六駆逐隊の長女と末っ子だった。

 2人ともあまり顔色が良くない。今まで俺を避けてきたことに対する罪悪感か、それとも俺への怯えか。

 おそらくは両方だろうな。1ヶ月間変わらなかった俺への評価が、そう簡単に変わるはずがない。

 2人とも何か喋ろうとしているものの、上手く言葉が出せない様子だ。

 彼女達の辛い表情を見るのはあまり気分の良いものでは無い。ここは俺が大人になるべきだ。なるべく穏やかな態度になるよう努めつつ喋りかける。

 

 

「おはよう、二人とも。こうやって話が出来て嬉しいよ。暁、ゼリーは口に合ったかい?」

 

 

 若干の胡散臭さを感じる。まぁ人との会話が上手かったらこんなことにはなってない。

 

 暁と呼ばれた少女が、赤面しながら答える。

 

 

「美味しかったわ。食べたのプリンだったけど……」

 

 

 暁が続ける。

 

 

「私たちのために、毎晩夜遅くまで働いてるって聞いたわ。今までごめんなさい。その、許してくれる?」

 

 

「許すも何も、最初っから怒ってない。昔から笑顔を見せるのが苦手でな」

 

 

 これは本心だ。孤独にも罵倒にも慣れ始めていたし、そもそも殆どの駆逐艦は怖がってはいるが暴力や悪口には参加していなかった。

 

 

「電も、どうだった?」

 

 

 うつむいたままの電に声をかける。昨日と同じように目に涙があふれているが、一人だけ声をかけないのもかわいそうだろう。

 他の三姉妹が心配そうに目線を送る。姉妹仲良いんだね君たち。

 

 電が小さい口を震えさせ、かすれ声になりながら話し始める。

 

 

「ほんとは、もっと早く、お話を、しようと、思ってたのです。新しい司令官が、私たちのために、頑張ってるってこと、知ってて」

「でも、怖くて、昨日も、頭がまっしろになっちゃって、嫌われてたらどうしようって、解体されたらどうしようって、それで」

 

 

 電の目から涙が零れる。過呼吸気味になりながら、それでも言葉を必死に出そうとしていた。

 

 艦娘は皆同じだと決めつけ、関わろうとしてこなかったツケがこれだ。俺は自分の浅はかさに愕然とする。もう少し俺に思いやりがあれば、電はこうして泣いてはいなかっただろう。

 

 しゃくりあげながら、謝罪の言葉を繰り返す電の前に、そっとしゃがみこむ。

 

 

「苦しませてしまってすまない、電。お前達のことを一緒くたにして捉えて、一人一人のことを見ようとしなかった。提督に有るまじき、最悪のミスだ」

 

 

 加えて、今後は艦娘達としっかり交流をとることを誓う。

 電の様に俺の事を心配している子がいるのかもしれないし、例え1人もいなくとも、何かしら関係を改善することは出来るはずだ。

 

 

 結局その後は、雷が作った朝食を食べて、少しばかり休憩を取る事にした。

 電の希望で、ぐすぐすと鼻を鳴らす彼女をそっとハグしたり、雷と一緒に暁の頭を撫でて弄ったりと、楽しく触れ合う事が出来たと思う。

 

 ぷんすこと怒る暁を宥めていると、響からの助言で、少しばかり仮眠を取る事になった。手をつけてない執務の方が気になったが、寝ている間に4人で書類を進めておいてくれるらしい。

 有難く好意に甘える事にする。善意を受け入れるのも、大切なコミュニケーションの1つの筈だ。

 薄れゆく意識の中で、着任1ヶ月にして初めてまともに艦娘と話をできた事に、強い達成感を覚える。

 ありがとう元帥さん……。ありがとうゼリー……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 久々によく眠れた気がする。数時間の睡眠だったが、かなりリラックスできたようだ。

 

 

 執務室に入り、椅子に座ると、響がそっと麦茶を置く。

 ありがとう。と軽くお礼を言い、一気に飲み干す。身体中に水分がしみ渡る。人に淹れてもらうお茶ってこんなに美味しいんだな。

 

 響が苦笑しながらおわかりを淹れてくれる。他3人の姿は無く、秘書艦専用の机の上に、響の青い帽子が置いてあった。

 

 

 軽くファイルに目を通す。俺が仮眠をとってる間に、優秀な秘書艦達がある程度書類をまとめてくれていたようだ。

 有難いことである。やはり秘書艦が居ると仕事の速さが段違いだ。

 

 

「他の3人は午後から演習任務だったか」

 

「そうだね。元帥のお見舞いは明日行くことにするよ」

 

 

 パタン。と冷蔵庫を閉めて、響が応える。

 

 こうやって会話が出来る喜び。人と喋るということはなんと幸福なことか。

 ひょんな思いつきで渡したゼリーから、ここまで関係の改善に繋がるとは。もしかしたら所謂、ハーレムとやらを築くことも出来るかもしれないな。

 内心で静かに笑う。辛い1ヶ月だったが、ここにきてようやく好調の兆しが見えてきた。

 

 

 

 

 

 

 パソコンの画面に、演習が終わった事を意味する通知が届く。

 もうそんな時間か。椅子を引き、窓の外から帰投する部隊を確認し、カーテンを閉める。

 

 不意に、響の視線を感じた。気付けば、執務室に広がっていたペンの走る音やキーボードの雑音が無くなっている。

 どうやら今日の仕事をあらかた終わらせてしまっていたようだ。

 

「今日はここまでにしよう。ありがとう響。日が昇ってる内に執務が終わるのなんて初めてだ」

 

 腕を伸ばし、首を鳴らしながら、机の前に立っている響にお礼を言う。 

 今日は4人に本当に助けられた。同時にコミュニケーションの大切さも改めて痛感する。

 傷つくのが怖くてなかなかして来なかったが、多少無理をしてでも艦娘と交流を深めていくべきだろう。

 

 響はかまわないさ、と言って机に背を向ける。

 スカートが翻り、美しい銀髪がぱっと広がる。透き通るような白い肌も含め、人間離れした容姿の良さだ。

 

 

 あまりにも綺麗で、美しい。周りの時が止まるような感覚に陥る。

 ふと俺の頭の中に、ある考えが浮かぶ。

 もっと響と話したい。

 

 

 気付けば声を出してしまっていた。

 

 

「響、よく働いてくれたお礼がしたい。良かったらこの後外食にでも……ッ!?」

 

 

 瞬間、俺の身体を寒気が襲う。加賀とは違ったベクトルの、凍てつくようなプレッシャーだ。

 

 

「ひび、き……?」

 

 

 絞り出すように声を出す。背を向けたままの彼女の服から、バチバチと赤い稲妻が走る。帽子の色が白へと変わり、目の前に立ってるのが少女だとは思えないほどの殺意に膝が笑う。

 響は、ブルーグレイの目に赤い残像を残しながら、ゆっくりと振り返る。

 直ぐに立てなくなった。俺は情けなくヘロヘロと絨毯の上にへたり込む。何とか声をあげようとしたが出来ない。パクパクと金魚の様に口を動かす。

 周りを大量の兵士、戦車に囲まれているような錯覚を覚える。耳鳴りと同時に、キャタピラの音やうなり声、おぞましい慟哭(どうこく)も聞こえた気がした。

 

 

「軍人でなかった君は知らないだろうが……わたしは嘗ての戦争で、大切な姉妹を先に亡くしている。電や雷、暁だけじゃない。沢山の死を見てきたんだ。守れなかった……仲間や……人の……」

 

 響は冷静に、諭すように語りかける。だが語尾は震えており、瞳の奥には確かな怒りを感じた。

 

「戦後ソ連の管理下で沈んだわたしは、当然ロシアの手によって建造されることになった。ロシアでの思い出も悪くは無いものだったが、わたしはどうしても昔の仲間達に会いたかった。喋りたかった。謝りたかった」

「その時に尽力してくれたのが宮下元帥なんだ。私だけじゃない。他の皆も司令官に大切な想いを抱いている」

「彼は誰も沈ませまいと、老体にも関わらず、懸命に深海棲艦や、時には大本営とも戦ってくれた。彼は常に艦娘の為に戦っていた」

「そこまでして、やっと、得られるのが、『信頼』なんだよ」

 

 

 大きく息を吸い、響は続ける。

 

 

「それなのに君はなんだい? ただでさえ能力が劣っているのに、1ヶ月間わたし達とまともに喋らない。艦娘だけじゃない、全国民の命を預かっている立場だというのにその自覚も無い。その上、少し仲良くなれたら色目を使うなんて……」

 

 

 赤い2つの残像が俺の目を捉える。目をそらす事は許さない。そんな意志を感じ取れた。

 

 

「わたしはまだ君を司令官だとは認めていない」

 

 

 身体のそこから恐怖が昇ってくるような、冷たい言葉だった。

 ああ、これが深海棲艦と戦う時の彼女達か、と半ば放心しながら憶える。

 

 響は苛立ちを滲ませながらため息を吐き、再度息を吸う。固く拳を握りしめ、美しい顔を強く歪めさせながら、最後の言葉を放つ。

 

 

 

「もし、これから大切なわたしの姉妹を泣かせる事があったら。もし、わたし達を沈めるような事があったら」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前をギタギタのグチャグチャにして、(ふか)のエサにしてやるからな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暫く動けなかった。長時間空きっぱなしだった口からは水分が抜け、喉が腫れるように痛く、強い渇きを感じる。

 ソファーに寄りかかるようにして起き上がり、すっかり温くなった麦茶を飲み干す。

 俺は何を勘違いしていたのだろう。この鎮守府に来る前も、俺が人に好かれるなんて無かったじゃないか。

 

 形容しがたい、恐ろしい体験であった。

 だが同時に、一抹の違和感を覚える。この鎮守府に所属する艦娘達の元帥に対する想いは、もはや信頼を超えて依存の域に入っている。

 このような危険な状態で戦果を上げ続けることなんて可能なのか? 

 元々優しい艦娘達が、元帥の怪我を心配する気持ちだけで、ここまで豹変するなんて事があるのだろうか。

 何より、扉を閉めた時の響の表情が忘れられない。

 

 何かに抗うような、辛く、悲しみに満ちた顔。

 

 もし、何らかの外部的要因により、彼女達の感情が操作されていたとしたら。

 

 首を振り、考えるのを止める。ただの思い過ごしかもしれない事に時間を費やしている場合では無い。

 せめて俺の利用価値が無くなるか、代わりの提督が見つかるまで、やるべき事をしなくては。

 

 今更ながらに、自分にのしかかっている、守るべきものの多さに手が震える。

 国家、文明、国民、資源、領土、そして艦娘。

 

 両頬を叩き、気持ちを入れ替えて、執務室を見渡す。

 響が座っていた秘書艦の机の上で、妖精がグラビアアイドルのような扇情的なポーズをとり、指をクイクイと折り曲げているのを見付ける。

 妖精を叩き落とし、その下にある丁寧にファイリングされた書類の中に、明らかに明石がオーバーワーク気味だ、という趣旨の報告書がある。

 

 執務室の外へ出たら、また艦娘からの冷たい視線に晒される事になるだろう。

 それがどうした。そんなもの放っておけばよい。俺は勢い良く執務室の扉を開けた。

 君は優しいよ響。ここまでされて気付けない提督なんぞ、普通はとっくに背後から撃たれている。

 

 

 

 しっかりとした足取りで、提督は工廠を目指した。

 




ここまで読んでくださってありがとうございます。以下本文とはあまり関係がないです。

前回はお気に入り登録や感想など、たくさんの反応がありとても嬉しかったです。感謝します。
舞い上がって、すぐ続きを書いてしまいました。これが創作の楽しさなんでしょうね。
その影響でボリュームが少なくなったことをお詫び申し上げます。

次回は少し遅れるかもしれません。


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工廠稼働につき、提督の心労もさることながら


寒すぎてサミュエル・B・ロバーツになるわ



 

 

 今更何をしに来たんですか、と目線で訴えかけられる。

 怪しい液晶が鈍く点滅する施設の中、油の臭いが漂う機械に囲まれて、我が鎮守府が誇る工廠の主は不快感を露わにしていた。

 

 

「働きすぎだ。勤務時間外にも関わらず工廠にいる姿や、労働時間を虚偽申告しているとの報告があった」

 

 

 もちろん少ない方でな、と手に持っていた資料を渡す。

 

 明石はそれを手に取ることも無く、手元にある艤装に目線を戻し、作業を再開する。

 

 

「鎮守府の心臓であるお前が体調を崩すと、艦隊全体に悪影響を及ぼす。今日はもう切り上げて休んでくれ」

 

「……わたしは艦娘です。多少寝なくとも、稼働出来るように作られています」

 

「俺は提案をしに来たんじゃない。これは命令だ。残りは俺がやっておく」

 

 

 散らかった作業場を見る。赤いレンガで囲まれた工廠の中では、装備の模型や紙の資料、ビーカーやフラスコ、バケツ等が混在しており足の踏み場もない程だ。

 

 

「妖精と話が出来なく、知識も無い貴方が、何をやれると言うのですか」

 

 

 想像していた通りの、冷たい態度だ。だが先程の響と比べてしまえば可愛いものである。

 

 

「雑用係と思ってもらって構わない。艤装の掃除や、ゴミ出しくらいなら俺にも出来る」

 

 

 明石は少し迷った後、背中のクレーンを折りたたみ、はぁ。とため息をついて俺を見る。

 

 

「とりあえず着替えてください。制服を汚して迷惑するのは貴方では無く鳳翔さんなので」

 

 

 

 

 

 

「これがペイント弾です。最近演習において大本営から指導があり、実装されたものです。ただ、やはり実戦での使用感との違いや、補充の大変さからあまり現場の評判は良くないですね」

 

 

 薄緑色の作業服に身を包み、説明を頭に入れる。結果的に明石の仕事を増やしてしまう事を避ける為、一言一句聞き逃さないよう注意する。

 

 艤装にペンキが入り込むし、服も汚れちゃうので、皆さん整備手伝ってくれないんですよね……。と明石がぼやく。公開演習での艦娘の痛々しい姿を見た『善良な一般市民』のありがたいご指摘により、服を破かないペイント弾の導入が進められているらしい。

 現場の事情を見ずに、少数のクレームに簡単に屈するのは民間も軍部も同じようだ。また、艦娘という存在が世間にどれだけ受け入れられていないかも窺い知ることが出来る。

 

 

「そういう周りがやりたがらない仕事で構わない。他には?」

 

「他にはですね……。おっとっと、ていっ!」

 

 

 明石が地面に走っている太めのコードにつまづき、両手を回しながらバランスを取る。背中のクレーンを稼働し、机に重心を預けることによって倒れるのを防いだ。

 

 

「どうです! 見ました!? 今の! あっ……」

 

 

 満面に喜色を湛えた笑顔で振り返ってくる。どうやら普段の彼女はテンションが高いようだ。

 赤面する明石を視界から外してやる。相変わらず嫌われているのは間違い無いだろうが、こうして艦娘達の素の部分を見るのは良いものである。

 

 

「し、失礼しました……。え、えっと……。あとは、ゴミを分別してくれるとありがたいです」

 

 

 資源の乏しい我が国にとって、リサイクルは非常に大切な要素である。戦時体制に移行し、資源問題に研究費を注ぎ込んだ事によって、高効率の資源循環が可能になった。それにより分別も厳格化されており、特に軍部はその模範となる為に時々ゴミの視察が来るほどだ。

 

 

「わかった。この工具で金具部分を外して行けば良いんだな。説明ありがとう。帰投し、充分睡眠を取ってくれ」

 

「……よろしいのですか? 結構数ありますし、手伝いますけど」

 

 

 こういう所で艦娘達の元々の性格の良さを感じる。俺に敵対的なだけで、普段は親しみやすい子達なのだろう。

 丁重にその申し出を断り、なおも食い下がる明石を「明日も休みにするぞ」という脅し文句で追い返す。どんだけ社畜精神なんだよ。もっと休みなさい。俺が言えたことでは無いが。

 

 窓の外で大型クレーンの赤いランプが光っている。もうすっかり夜だ。明日の執務に影響が出ない内に終わらせなくては。

 

 

 

 

 

 

 

 キュルキュルと魚雷を回して解体し、溝に着いた染料を薬品を染み込ませた布で拭き取る。気付けば周りには無数の妖精が出てきており、小さい体を器用に使って作業をしてくれている。

 

 なるほどな。会話が使えなくとも、行動で意思疎通を図る事は出来るみたいだ。

 前より状況が良くなった事に安堵する。加えて、より細かい指揮は取れるのかと思ったので、手持ち無沙汰そうにしている妖精達にジェスチャーでゴミの分別をするよう促す。

 

 ほぼ無音の工廠で変な動きをするのは恥ずかしかったが、それでも妖精達は茶化すこと無く真剣に考えてくれるようだ。

 これまでこいつらはふざけるばっかりで役に立たないちんちくりんの妖怪なり損ないだと思っていたが、本来は頼りになる小さき人類の相棒であったな。

 こうして意志を伝え合う事で関係性が深まるのは艦娘と一緒だ。

 

 大体の内容はわかったのか、妖精の幾つかが繰り返し頷く。そして何処から取り出したのか、数枚の写真を渡してきた。

 何の疑問も抱かず受け取り、1枚裏返す。

 そこには一糸まとわぬ姿で顔を突き合わせる加賀と瑞鶴が写し出されていた。

 

 思いっきり写真を叩きつける。何の意志も汲み取ってくれてねーじゃねぇか!!! 

 2人のあられも無い姿が目に焼き付いて離れない。普段特に攻撃的な態度を取る加賀と瑞鶴だからこそ、その官能的な様子が衝撃的だった。

 頭を抱える俺の前で妖精どもがジェスチャーをしてくる。「どっちの胸が良かったか」だって? 

 

 同じ正規空母でありライバルでもある加賀と瑞鶴。様々な違いはあるが、やはり男性の目をひくのは胸部装甲の差であろう。

 一般的に悲惨とされている瑞鶴の胸。だが俺はそこに一石を投じたい。彼女はスレンダーなだけであって、決してその胸部装甲は薄くは無いのだ。加賀という圧倒的火力によって相対的に小さく見えるかもしれないが、正規空母らしくちゃんとつくべきものはついていると俺は考えている。

 だからといって加賀の胸が良くないと言っている訳では無い。おっぱいと言うのは大小でその良さを語れるほど、浅いものでは無いのだ。俺は写真を寄越してきた妖精を掴み、山積みになったゴミへと本気でぶん投げる。なんなんだよこの茶番は。

 結局投げた妖精はふわふわと浮かんでことも無さげに着地し、他の妖精もそれに続いて移動する。

 

 まぁ仕事してくれるんだったらなんでもいいよ。

 俺は腕を伸ばしてストレッチをし、硬いコンクリートの床に座り作業を再開する。

 

 

 

 

 

 妖精が居ると仕事効率が段違いだ。山のようにあったゴミは、ものの1時間であらかた片付いてしまっている。分別されたゴミを台車を使って保管場所へと輸送していく。この調子なら日付が変わる前に寝る事が出来そうだな。

 工廠へと戻ると、人の気配を感じる。こんな遅い時間に一体誰だ? 

 

 

「やっほー提督。珍しいじゃんここにいるなんてさー」

 

 

 気の抜けた声で喋りかけてくるのは重雷装巡洋艦北上(きたかみ)。そのゆったりとした様子とは裏腹に、数々の武勲を上げてきた歴戦の艦娘である。甲標的(こうひょうてき)による先制雷撃理論の確立、魚雷による飽和攻撃や空中機動など、戦果以外の分野でも結果を残してきた生粋の天才。

 長門を鎮守府最高戦力とするならば、鎮守府最強は北上である、というのが艦娘達の総意だ。

 

 

「いやー、提督もとうとう機械弄りの楽しさに気づいちゃったかー。いいねぇ。しびれるねぇ♪」

 

「俺がここに来たのは掃除のためだ。妖精と喋れないため装備の開発はまだやれてない」

 

「ありゃそっか。まぁでも整理整頓も大事だしねー。明石っち喜んでたでしょ」

 

 

 明石から向けられたのは敵意とか殺意とかそう言う類のものだったと思うが、ここで首を横に振ると彼女の名誉を無為に損なってしまうことになる。

 憮然とした表情で肯定する。明石も態度や表情に出てないだけで、心の中では少しくらい感謝の念を持ってくれている筈だ。恐らく。きっと。だといいな。だから嘘はついていない。そういうことにしておこう。

 

 作業を再開すると、北上が寄りかかるようにして距離を詰めてくる。わざわざ気を使って体5個分くらい離れたのに。体臭とか大丈夫だろうか。

 おさげが肩にあたってこしょばい。今までの人生で体験した事のない不思議な感覚に頭が混乱する。安心感とでも言うべきなのだろうか? 

 ただ、勘違いしてはならない。もう怒られるのは響で充分である。あの恐ろしい体験を二度としたくなかったので、こちらからは絶対に体が触れることがないよう用心する。

 

 

「装備開発さ、明日またやってみようよ。ほら、提督がここに来て1ヶ月経ったわけだし、妖精さんもきっと協力してくれるって。わたしも手伝うからさ」

 

 

 母親が子供に語りかけるような、優しい笑みだった。汚く錆び付いた心が浄化されていくのを感じる。

 

 戦争において技術の向上と生産は重要である。簡単な話、敵より強い装備を敵より多く配備すれば、戦争は勝てるのだ。それほどまでに、質は大切であり、数は正義なのである。

 開発の中止。改修の停滞。元々この鎮守府は練度が高いといっても、1ヶ月間何もしていないツケは必ず来る。

 

 

「わかった。明日な」

 

 

 絶対に失敗は許されない。2週間後に迫る大規模戦闘。

 轟沈艦を出さない為にやれる事は全てやらなくては。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 北上に早めに切り上げるよう言い残し、工廠を去る。

 その時にそっと写真を回収する。当人達にこれがバレたら首が飛ぶ(物理)どころではないだろう。提督が艦娘に解体されるなんて笑えないぞ。

 

 誰もいない、私室へと通じる暗い廊下を歩く。今日は夜戦演習は無いようだ。

 周りに気をつけつつ、写真を再度見る。加賀と瑞鶴の写真だが、湯けむりや手で大切な所は隠れているようだった。しかし風呂場で何やってんだこいつら……。百合百合かと一瞬思ったが、双方の顔は苛立ちを表している。ケンカでもしていたのか? 

 歩きながら2枚目をめくる。着替え中の妙高だった。

 鼻血が出そうになるのを上を向いて堪える。これはまずい。お前そのキャラでこんな過激な(以下自重)

 当分説教中に顔は見れないな。しかしどうやって撮ったんだろう。妖精の事だから、未知の不思議な力でどうにでもなるんだろうが。

 

 集中しすぎていつの間にか私室に着いていたようだ。この写真は色んな意味で危険すぎる。ただ処分するのもな……。シュレッダーにかけるにしろ燃やすにしろ、人が写っている為あまりそう言うことはしたくないんだよな。いや決して、勿体無いとかそういうことでは無く。

 少し期待しながら最後の写真を見る。

 

 

 

 

 

 真っ黒な背景に、赤い文字で「後ろ」と書かれていた。

 

 

 

 

 全身に鳥肌が立つ。即座に振り返ると、蛍光灯に照らされた大井がゆらゆらと歩きながら近づいて来るのが見えた。

 

 慌てて扉を開き、私室の中に滑り込む。

 

 工廠から着いてきていたのか? 何の目的で? 

 

 元々執務室の横に備え付けられた資料室だったこの部屋には、施錠できる鍵が無い。

 扉に背中を預け、体重をのせて外から開けられないようにする。

 静まり返った廊下に、大井の足音が響く。カツンカツンと近づいてくる死の恐怖。こんな薄い扉なぞ、艦娘が出力を上げれば容易く粉微塵になるだろう。

 足音が扉の前で止まる。

 

 

「大井だよな!? 何で俺の後を付いてきたんだ!?」

 

 

 質問をしても、返答は沈黙ばかりである。帰ったのかと思い、そっと扉を開けて様子を見てみる。

 

 

 充血した目で、魚雷を握りしめる大井の姿がそこにあった。

 

 慌てて扉を閉める。

 あぁ死ぬ。あまりにも短い人生だった。走馬灯が見える。

 宙ぶらりんになった父の影。焼け焦げた家の匂い。貧乏を理由に虐めてきた同級生の顔。無表情で見下ろしてくる軍人。憎しみをぶつけてくる艦娘達。

 

 ろくな人生では無かった。これまで生きてきて、俺より底辺を歩いている人間を見たことがない。橋の下や駅で寝ているホームレスでさえも俺より幸せそうだった。

 

 震えながら最後のときを待つ。これまで何度も消えてしまいたい、死んでしまいたいと思ったことはあったが、いざ死に直面すると抑えきれない恐怖が脳を支配する。

 

 

 死にたくない、死にたくない……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 駆逐艦の元気な総員起こしの声で目が覚める。

 ドアに寄りかかって寝ていたため、背中が痛い。どうやら俺はまだ生きているようだ。

 扉をそっと開け、誰もいないことを確かめる。

 昨日のあれはなんだったのだろうか。大井が攻撃してくる事は珍しくなかったが、ちゃんと理由はつけている印象だ。

 

 全く身体が休んだ気がしなかったが、また一日が始まる。切り替えなくては。

 

 

 

 

 

 夏期大規模作戦。大湊の提督の強い主張もあり、開戦して以降初めてとなる横須賀鎮守府以外の艦隊が主力として展開される。

 今まで横須賀鎮守府が作戦の主導を握ってきたのは、もちろん宮下元帥の能力によるものだ。彼の卓越した指導力とカリスマ性、艦娘に対する知識は他を寄せ付けない程であった。

 ここの艦娘達は常に前線に立ち、主力として戦果を挙げ続けていたことを誇りに思っている。その思いを踏みにじる形となったのが今回の俺の着任。

 

 卓上演習版を囲むようにテーブルが置かれ、その上に今回の作戦内容を表すプリントが配られている。

 このプリントは、大規模作戦が発案されてから、他の提督や元帥に教えてもらいながら作った渾身の作戦である。アドバイスを貰いすぎてもはや俺が関与した所が殆ど無いほどだ。アハハ。

 

 

「全員揃ったな。では作戦会議を始めさせてもらう」

 

 

 一斉に冷たい目線が集まる。ここに呼ばれてるのは艦種別のリーダー格に該当する者達であり、初期から元帥を支え続けた歴戦の猛者である。つまり俺の着任を良しと思っていない奴らの寄せ集めであり、会議が始まる前から殺伐とした雰囲気が漂っている。

 

 

「プリントに書いてあるように、今回の作戦は支援艦隊での参加となる。大湊(おおみなと)に新しく作られた基地航空隊との連携であり、陸上攻撃機の初実戦である。目的はヘス海台の解放だ。ここまでで何か質問はあるか」

 

 

 神通(じんつう)が細い指をぴんと伸ばし、挙手する。

 その訓練の熾烈さと、鬼神の如き活躍ぶりから水雷戦隊に属するもの全てに憧れと畏怖の感情を植え付けた、軽巡最強の名を冠する者。

 普段はお淑やかで落ち着いた子らしいのだが、未だに淑女らしい所を見たことが無い。俺と会う時は必ず逆手に魚雷を持つからな。気を抜いたら殺される。

 

 

「横須賀に鎮守府を構えてから、今日に至るまで、我々は常に第一艦隊として戦ってきました。何故今回の任務では支援艦隊なんでしょう」

 

 

 予想していた質問だ。先日加賀に使った言い訳は通用しないだろう。他のはぐらかし方を使わなくてはならない。

 

 

「最大の理由は練度の循環だ。大湊も(くれ)も、既に作戦を遂行出来るだけの装備と人員が揃っている。大規模作戦を経験する事で、更なる練度の上昇を計るつもりだ」

 

 

 加賀の細い目が俺を捉える。どういう意図かは分からなかったが、少なくとも顔面に爆撃をかまされるような答弁ではなかったらしい。

 神通は「承知しました」と絶対承知してない態度で引き下がる。

 

 

「次、私でいいか?」

 

 

 凛とした声が会議室に響く。日本海軍の象徴でもあった戦艦長門(ながと)。SF地味た艤装に身を包み、長い黒髪と健康的に薄く焼けた肌が特徴の彼女が、紅い眼で俺を見下ろしてくる。

 目線で質問するよう促す。相変わらず長門の艤装はお腹を出していて、どうしても鍛えられた美しい腹筋が目に入ってしまう。

 

 

「陸上攻撃機とやらの詳細が知りたい。横須賀の基地から飛ばす事は出来ないのか?」

 

 

「現状、陸上攻撃機及び陸上戦闘機の開発に成功しているのは大湊のみだ。今からその装備の輸送を行うのは、敵の兆候偵察部隊に勘づかれる可能性がある」

 

 

 って元帥さんが言ってました! 

 他にも陸軍の面目を立てるだとか海域がどうとか説明されたけどよくわかりませんでした! 

 俺の言葉を聞いた長門が、細い眉をひそめて質問を続ける。

 

 

「偵察部隊だと? そんな話初めて聞いたが。深海棲艦が民間人に紛れ込んでいるというのか?」

 

 

「元帥が空爆に巻き込まれた事件。大本営はあれも暗殺未遂だと考えている。周りに工業地帯や軍の施設もない場所だったからな」

 

 

 元帥の話をした瞬間、ただでさえ凍てついていた部屋の温度がさらに下がるのを感じた。これは地雷だったか。気づかないふりをし、回答を続ける。

 

 

「あくまで仮定だが、人型の深海棲艦がいる以上、可能性はあるかもしれない。もちろんこのような話は混乱をもたらすだけだから、本来は非公開なのだが」

 

 

 まぁここらへんも大湊の提督から聞いた話なんだが。

 初めて作戦の主導権を握れるってキャッキャしてたな。挙げた戦果と所有する戦力の割に、随分とフランクな人だった。

 話題を変えたつもりだったが、部屋の雰囲気が変わることはない。

 それどころか艦娘達の視線は鋭さを増すばかりであり、行き場のない怒りは、すべて俺への質問追及といった形でぶつけられた。

 

 開発はどれだけ進んだの。新艦建造はどうなっている。私達の資源やバケツを他の鎮守府に渡すのは癒着問題に発展するのではないでしょうか。護衛任務や遠征だけでは身体がなまってしまいます。

 

 作戦自体は悪くないものであり、いまさら俺が着任したことについてとやかく言っても、元帥が戻る事がないというのは艦娘達も理解していた。

 ただ、彼女たちが元帥と育んだ絆や情といったものは、理屈で押し流せるほど簡単なものではないのだ。

 第一作戦部隊から外された屈辱もあるのだろう。この後俺は、半分八つ当たりのような艦娘達の非難に晒され続けることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、お昼まで絞られたわけだ? いや~大変だったねー。ほんとは皆良い人達なんだけどねぇ」

 

 

 北上の気抜けする声が身体に染み渡る。朝から始まった作戦会議は、途中で俺への査問会議となり、予定を大幅に超えての終了になった。

 

 

「悪い事ばかりではない。有意義な意見交換も出来た。今の俺に足りないものも確認したし、次の作戦会議はもう少しまともなモノになるだろう」

 

 

 小さい青写真らしきものを妖精と一緒に眺める。妖精サイズに合わせてあるためとても小さく何を書いているのかイマイチわからない上に、他の妖精が落書きやら意味不明な数式やらを書いていくため意味をなしているのかすら怪しい。

 おもむろに妖精達がノコギリを取り出し、鉄やボーキを斬り始める。

 

 金属の製造方法は詳しく知らないが、酸化鉄や酸化アルミニウムって還元とか分解とかしなきゃいけないんじゃ? 

 

 

 怪訝な目線を向けていると、それを察した北上が補足をしてくる。

 

 

「妖精さん達がどのように資材を扱ってるというのは、実はよくわかってないんだよ。わたし達がわかっているのは、決められた資源を渡して、その量のバランスで開発出来る装備が変わってくるって感じ」

 

 

 加えて、元帥はほぼ100%の確率で欲しい装備を手に入れていたことを説明される。要するに提督の資質が高ければ高い程、無駄にする時間と資源が減り、艦隊の戦力が高まっていくわけである。

 

 喋っている間に、煙が上がって装置が口を開ける。小さい鉄のくずや燃え残りが散乱するテーブルの上に、何とも言えない表情のぬいぐるみらしき物体が2つ鎮座している。

 

 

「あちゃー……また失敗かぁ……」

 

 

 これで5度目の失敗である。もはや見慣れたぬいぐるみ達を脇にどけ、装置を軽く掃除する。

 

 

「さっきは資材が足りないかなって思ったけど、今度は入れすぎちゃった感じかねぇ」

 

 

 空気が悪くならないよう、北上が気を使って喋りかけてくれる。

 

 

「すまないな北上。オフにも関わらず手伝ってくれたのに、上手く開発出来なくて」

 

 

 現在開発しているのは酸素魚雷である。北上は会議で遅れた俺の代わりに開発の準備をやってくれた上、こうしてアドバイスもつきっきりで行ってくれている。

 自分が情けなくて仕方が無かった。ここに来てからそれなりに艦娘の事や高校範囲の勉強、戦術や戦史を学んでいるのだが、提督の資質とやらが育っている気配が全く無い。

 

 北上が気にしないでよ。と微笑んで資材を機械に入れていく。妖精達が集まり、喧喧囂囂(けんけんごうごう)と談議を始めた。(もちろん声は聞こえないが、小さい口を大きく開けて語り合っているのは遠目からでもはっきりとわかる)

 

 床に座り、涙を浮かべるペンギンのぬいぐるみを強く握り締める。会議で言われた言葉が頭の中を支配する。大淀曰く大本営からも戦争始まって以来の無能提督だと罵られているらしい。

 

 ただただ、恥ずかしかった。

 20にもなっていない素人に対して要求することが多すぎるのでは、と思う所もあったが、それ以上に頑張っている艦娘達に酬いる事が出来ないのが、辛いのだ。

 

 歯を強く噛み締めていると、隣に北上が座ってくる。手袋を外し、笑いながら俺の眉間に指をさしてくる。

 

 

「なんで、北上は俺に優しくしてくれるんだ?」

 

 

 この鎮守府で俺を提督と呼んでくれる艦娘は非常に少ない。その中でも北上は、最初に俺の事を提督だと認めてくれた。

 

 ほほに付いた汚れを拭いながら、北上がきょとんとした声で答える。

 

 

「そりゃ提督が提督だからっしょ」

 

 

 目を丸くしている俺に向かって、北上が続ける。

 

 

「そりゃ確かに艦娘に暴力を振るう━━とか、自分の利益しか考えずに艦娘を沈める━━だとか、そういうのをしてたらわたしの魚雷の錆にしてやってたけどさ」

 

 

 北上が酸素魚雷を2つ持ち、ピースを作りながらニヤリと笑う。

 

 

「提督は充分、いやそれ以上にわたし達の為に頑張ってくれてんじゃん♪ そんなに努力してくれてる人に協力するのは、艦娘として当たり前だよ!」

 

 

 口を開き、呆然としたままの俺の肩を北上が掴む。反対の手で握りしめた2つの魚雷を装置へと向けてさらに言葉を叫ぶ。

 

 

「元帥と提督の差、それは艦娘との絆ではないかと思うのです! わたしは提督を信頼しているよ? 提督はどうなのさ!」

 

「そ、それはもちろん信頼していて……」

 

「そんなちっっっさい声じゃ妖精さんの耳には届かないよ! もっと大きく!!」

 

 

 北上の目が真っ直ぐ俺を捉える。俺は大きく息を吸い、できる限り大きく声を出す。

 

 

「俺は! 北上を! 信頼しています!!!」

 

「わたしだけじゃ駄目でしょ! 提督は提督なんだから!!!」

 

 

 背中を思いっきり叩かれる。ピリッとした痛みが心地よい。

 北上の真意に気付く。

 1ヶ月前は邪な気持ちで鎮守府に着任したが、今は違うんだということを示さなければならない。

 

 

「俺は! 艦娘達を! 信頼していますし! 絶対沈ませない!!!」

 

 

 こんなに叫んだのは久しぶりである。喉もヒリヒリしていたし、ぬいぐるみを握り締めすぎて手も痛かったが、とても晴れやかな気持ちだった。

 

 言い終わった瞬間、装置の口が開く。先程よりも濃い煙が放出され、その中に細長い影が見える。

 

 キャーーーと北上が駆け寄り、出来たばかりのそれを掴み取る。

 

 

「うおあっつ! 提督! やったよ! 魚雷だよーーー!」

 

 

 北上が魚雷を振り回しながら近寄って来る。

 残念ながらお目当ての酸素魚雷じゃなく、61cm四連装魚雷だったが、大きな前進であることには間違い無い。

 俺はハイタッチを返して、深く頭を下げる。

 

 

「ありがとう北上。君のおかげで大事な事に気付かされた。今日中に酸素魚雷を開発する事は出来なかったが、次こそは必ず入手してみせる」

 

 

 気にしないでよー。と頭を強制的に上げさせられる。この時に奥にいる明石と目があったが、すぐ逸らされてしまった。

 

 明石が何故こちらを見ていたのか気になったが、あまり詮索してもまた嫌われるだけだろう。

 こちらも目線を外し、なんとか開発を成功出来た事に安堵していると、北上が笑顔のまま喋りかけてくる。

 

「いやー嬉しいよ。わたし達魚雷全般大好きだからさー。ねー大井っちー」

 

 

 予想外の人物の名前に綻んでいた顔が凍りつく。何故大井の名前が急に? 

 

 工廠の入口から、いそいそと大井が身体を出してくる。昨日の恐ろしい様子とは一変し、どこにでも居る控えめな女の子、といった感じだ。

 

 

「大井っち、提督がここに来るまでの間にわたしを手伝ってくれてたんだー。一緒に開発しようって言ったけど、ツンデレ発動しちゃって恥ずかしがって引っ込んじゃったんだよね」

 

 

 北上が大井の豊満なバストに吸い込まれるように抱きつく。大井は顔を赤く染めて北上の背に手を伸ばす。

 

 

「やだそんな、違いますから北上さん……」

 

「またまたツンデレしちゃってからにー♡認めなようりうり〜」

 

 

 完全に北上の顔が大井の胸に埋もれ、視界がなくなった瞬間、大井の目が豹変し、一気に殺意を込めてくる。

 そこにはデレの要素は1つも無く、ツン等と戯けた表現では生温いほどの感情であった。

 

 ひとしきり大井と北上がじゃれている間、俺は開発の後片付けをしていた。あのまま2人を眺めていたら、魚雷が俺の急所に突き刺さり死んでいただろう。

 

 2人が片付けを手伝おうとしてきたが、それを「準備をやってくれたからな」と断った。

 まぁ本音は大井とあまり関わりたくなかったからだが。最後にお礼をもう一度言い、別れを告げる。

 

 

 

 

 

 雑巾を絞り直していると、背中を固いもので叩かれる。

 振り返ると大井の姿がそこにはあった。手にしているのは魚雷であり、例え服越しだろうと俺の身体を触れたくないという意思表示が見て取れた。

 

 

「なんだ?」

 

 

 どうせその口から出るのは悪口か暴言である。とっとと処理したかった為投げやりに問いかける。

 

 大井の口が半月の様に歪み、瞳孔を開いて語りかけてくる。

 

 

 

 

「また北上さんにその汚い身体で触れたら、地獄を見せますから」

 

 

 

 

 肩に、次いで背中に衝撃が走る。大井の演習用魚雷に吹き飛ばされたとわかったのは暫くした後だった。

 幸い頭は打ってないようだが、吹き飛ばされた為にレンガの壁に強く背中を打ち付けられて呼吸が出来ない。

 床に崩れ落ちれ、芋虫の様に醜くもがき苦しむ。

 

 

「大井っち〜何してんのさ〜」

 

「はーい♡ただいま参りまーす♡」

 

 

 外から聞こえる北上の声のおかげで追撃は去った様だ。爆風で散らかった工廠を見渡す。身体の痛みよりも、片付けの面倒臭さの方が正直大きい。

 

 クソ、と言葉を吐き出そうとするが、上手く喋れない。

 うつ伏せになりながら腕をふるわせていると、黄色いエプロンが視界に入る。

 

 差し出された手を掴んでどうにか立ち上がる。

 

 

「ありがとう明石」

 

 

 俯いたままの明石が、いえ。と短く返してくる。

 少し間を空けてから、明石が再度口を開く。

 

 

「ここまでされても、まだ艦娘を信頼してると言えますか?」

 

 

 昨日早めに切り上げさせたからか、これまでよりは顔色が良さそうだった。だが表情は曇っており、辛そうな目をしている。

 

 

「ここまでされてだって? 今こうやってまた、艦娘に助けられたじゃないか」

 

 

 これは本心だった。

 たかが背中と肩を打撲した程度、彼女達が海で受けている砲撃や銃弾に比べたら何とも可愛いものである。

 艦娘達の信頼を得るには、まずは俺が信頼しなければならない。

 

 それに例え理不尽な暴力やいじめを受けようとも、俺はそういうのには慣れているからな。

 

 圧倒的に低い自尊心、悪口や暴力の慣れ。

 

 これが唯一、俺が他の提督に誇れる長所である。

 

 無言のままの明石に執務が終わったら今日の夜も訪れることを告げ、片付けに取り掛かる。

 

 

 

 バケツに汲まれた水は黒く濁って温くなっており、陰気な男の顔を波紋で醜く歪ませながら映し出していた。

 

 

 




ここまで読んでくださってありがとうございます。以下本文とは関係のない雑感です。


アンチ・ヘイトの部分と、艦娘との触れ合いのバランスが難しいです。書いている内にボリュームも増え、ハーレム・ヤンデレタグが機能するにはもう少しかかりそうです。

文章を作ることの難しさたるや。前回までは三日程度で書けてましたが、今回は二週間もかかってしまいました。本とか読んで小説の勉強したり、辞書とか買った方が良いのかしら……。

最後になりますが、お気に入り登録や感想、評価等本当にありがとうございます。励みになります。


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彼を憂う者たち

 個室に備え付けられた大窓から、美しい庭を眺める。既に太陽が傾き始めており、夕日が葉の隙間から零れ落ちてくる。

 

 

「夏も終わりだな。あんなにうるさかった蝉の声も、いざ無くなると寂しいものだ」

 

 

 目の前に座る(いなづま)が頭を上げ、小さい口をもにゅもにゅと動かして口の中を空っぽにする。

 

 

「そうですね。もうすぐ秋刀魚やさつま芋が美味しい季節なのです」

 

 

 電が目線をパフェに戻す。白玉や餡子に抹茶粉が彩りを添え、贅沢に果物やアイスクリームが乗っているそれは、彼女を夢中にさせるには充分すぎる程だろう。

 

 真剣な眼差しで食べる順序を考えている電を見ながら、コーヒーを飲む。

 流石に海軍将校御用達の甘味処なだけあって、値段も信じられないほど高かったが、この電の様子を見れただけでもお釣りが帰ってくるほどだ。見栄を張って注文して良かったなと心から思う。

 日頃のストレス、大規模作戦、先程まで続いていた大本営でのこき下ろし等と最近嫌な事ばかりだったが、幸せそうな顔の電を見るだけで疲れが浄化されていく。

 

 

「萩澤提督、遅いのです。来るって連絡があってから、もう1時間も経ってるのに」

 

 

「何か事故に巻き込まれて無ければ良いんだがな」

 

 

 そう話していると、喧しい女性の声が聞こえてくる。騒々しい物音と共にそれは近づいてきて、乱暴に部屋の扉が開かれる。

 

 

「おっそくなりましたー! んんんんん久しぶり電ちゃーーーーーーん♡♡♡」

 

 

 入ってくるなり、黒髪の女性が電に抱きついてくる。

 大湊(おおみなと)に鎮守府を構える、人呼んで宇宙人こと萩澤(はぎさわ)双葉(ふたば)

 8歳で高等教育を終え、11歳の時にオックスフォードに入学。戦史を学び、17歳で戦争開始と共に提督に着任。かつてのロイヤルネイビーを再編成し、ヨーロッパを守り抜いた天才。

 その輝かしい経歴にはいくばくの曇りさえも許されない。奇想天外な作戦を立案し、深海棲艦が考えた新たな策を尽く打ち破ってきたのが彼女だ。

 

 だがもし、欠点を挙げるとするならば━━萩澤提督は電を抱きしめたまま、その右手をそっと胸に近づける。

 

 

「はすはすはす……電たんのにほひ最高だおぉ……寂しかったよ会いたかったよぅ……」

 

 

 電は慣れた手つきで胸元の手を外し、萩澤提督の顔を自分の太ももに乗せる。

 

 コレだ。若い女性ということと上げた戦果の多さから、あまり問題にはされてないが、彼女はロリコンで、同性愛者で、おっぱいとお尻とふとももが大好きで、そして多くの天才がそうであるように━━変態なのである。

 

 萩澤提督が脱ぎ散らかした靴を整えていたもう1人の女性が畳の間に上がってきて、こちらに目をやる。

 大湊鎮守府最強の艦娘、戦艦金剛(こんごう)

 その輝かしい戦果は連日ニュースになっていたので、俺でも名前を知っている。

 テレビで見て聞いたそのままの様子の彼女は、すっと膝立ちになり、美しい茶髪を畳に叩きつけてお辞儀をする。

 

 

「ナイストゥミーチュー! 大湊鎮守府で秘書艦をやらせてもらってマス、金剛デース! ヨロシクオネガイシマース!」

 

 

 太ももに乗ったまま、電に白玉を食べさせて貰っていた萩澤提督が、がばりと起き上がって喋り出す。

 

 

「遅くなっちゃってごめんね! 大本営のおじ様達が離してくんなくてさぁ」

 

「こちらこそ、お忙しい中にも関わらずお時間頂き誠にありがとうございます」

 

 今日はよろしくねー。と再び電の太ももにもたれ掛かり、萩澤提督が机の影にフェードアウトする。

 

 

「コチラが話に聞いていた横須賀の新提督デース? 制服はどうされたんデス?」

 

「一応、非公認、ですので」

 

 

 人差し指を唇の前に持ってきて、隣に座ってきた金剛秘書艦の問に答える。うっいい匂いがする。

 さりげなく気持ち体半分くらい距離を置きながら、補足を付け加える。

 

 戦争が始まって以来、新しく提督が着任する事はあっても、提督が入れ替わるなんて事は無かった。大本営はあらゆる事情を鑑みて、暫くの間横須賀鎮守府での着任を覆い隠す事にしたのだ。

 よって俺は外出時は私服またはスーツを着なければならなく、さらに鎮守府内および軍関係の施設では白い制服に着替えなくてはならない。要するに俺一人が損をする話である。

 

 当然金剛秘書艦に伝えた時は言葉をオブラートに包んだ。俺の説明を聞いた彼女は、注文して届いた羊羹らしきものを頬張りながら、ふんふんと頷く。

 

 きんつば、だっけか。この前までの俺の暮らしぶりなら、名前を知ることすら無かったであろう高級和菓子を視界の脇で見る。

 こういう所で金持ち共は時間を潰して、明日のご飯の話とか、息子の成績の話だとか、くだらないおしゃべりを楽しむのかな。

 

 強い疎外感を覚えたが、そんな事はどうでもよいのだ。

 そろそろ本題に入ろう。今俺が対峙しているのは日本の、いや世界の宝なのである。1分たりとも俺ごときが無駄に時間を使わせてはならない。

 俺は、電を膝に乗せてあんみつをつつく萩澤提督にむかって喋り始めた。

 

 

 

 

 

「打ち上げの時も言ったけど、キミは充分よくやってると思うよ」

 

 

 書類に落ちた長い黒髪を払い除け、萩澤提督が言葉を放つ。

 

 

「今回のイベントでは航空戦力と夜戦火力が大事と見て、それに開発を費やしたのが私的にポイント高いなー。事前の準備で最善を尽くすってのは宮下元帥(みやじい)の教えかな?」

「ようじょが脅威とみるや、対潜支援に切り替えてくれたのも嬉しかったなぁ。ようじょを狙うんじゃなくて、随伴艦を狙ってくれたやつ。報告書では誰が具申したのか書いてないけど、決断したのキミっしょ? とても着任して2ヶ月とは思えないなぁ」

 

 

 この人は独特の単語を使う。『イベント』は大規模作戦を表し、『ようじょ』は潜水新棲姫を意味する。

 

 

「轟沈艦を出さないという当初の目的は達成しました。ですが……」

 

 

 先程大本営のタバコ臭い大部屋で渡された資料に目をやる。そこには前回と比べて戦果が半分以下である事、建造が未だに成功していない事、そして艦娘達からの苦情等が載っていた。

 

 

「それ以上に、今回の大規模作戦で見えた課題が多いです」

 

 

 確かに拙い点や、改善すべきポイントはあるけどね。と萩澤提督は話す。

 

 

「戦闘報告書を見ただけでも、攻め方が単純だったり、予想外の戦闘に弱いってのは感じる。けどそれはこれから経験を積んでいけば良い話で、キミ自身に重大な問題があるとは思えないんだ」

 

「作戦に身を置いた立場から言わせて貰うト、確かに横須賀鎮守府全体の士気は下がっている様に思いマシタ。デスが勝敗に関わる程と言われタラ、それは疑問デース」

 

 

 2人はお世辞で励ましているのでは無く、あくまで客観的事実を述べているというのは、自尊心の低い俺でも理解出来た。

 

 だが、日々艦娘達から受ける理不尽な暴力や嫌がらせが、じっくりと、そして着実にエスカレートして行っているのも、また事実なのだ。

 

 

「艦娘達の信頼を得る為に、私に残された時間はあとどれ位なんでしょうか」

 

 

 萩澤提督が電の頭に鼻先を(うず)め、目を細めて思案する素振りを見せる。

 

 

「『限界』を艦娘達の暴走、又は反逆と定義するならば」

 

 

 紅茶をくい、と飲み、言葉を続ける。

 

 

「秋イベ、冬イベ、春イベで9ヶ月」

 

(くれ)佐世保(させぼ)舞鶴(まいづる)デスカ」

 

「そ。有力な鎮守府を1周して、それでもなお第一艦隊の任から外されたらヤバそう」

 

 

 9ヶ月、9ヶ月か。それまでに俺は、艦娘達の信頼を得る事が出来るのだろうか? 

 左手のガーゼをそっと撫でる。この傷は今朝、瑞鶴に付けられたものだ。

 北上が教えてくれた事を自分に言い聞かせるように、艦娘から理不尽な暴力を受けても、信頼、信頼と念じながら耐えてきた。

 だがまだ2ヶ月も経ってないというのに、俺の体は自覚出来るほどに壊れ始めてきた。

 それに加え、ストレスによる不眠、過敏性腸症候群、手の震え、食欲・性欲の低下。

 

 

「はっきり言って、信じられないよ。あんなに優しい子達だったのに、提督が代わった途端こうも豹変するなんて」

 

 萩澤提督が、ぼそりと言葉を紡ぐ。

 

 

「返す言葉もありません。私が無能なばっかりに」

 

「キミに言ってるんじゃないよ。軍人の前に人として、暴力や暴言をふるうなんてあってはならないことなんだよ……」

 

 

 辛そうな表情で萩澤提督と金剛秘書艦が俺の左手を見てくる。

 気持ちは嬉しかったが、俺の荒みきった自尊心が回復する事は無さそうだった。

 

 

 

 

 

 

 礼を厚く言い、帰り支度をしていると、電が頼み事をしてきた。

 

 

「少しだけ、3人でお話がしたいのです」

 

 

 もちろん快諾する。お兄さん電ちゃんの頼み事なら何でも聞いちゃうぞ。

 

 

「萩澤提督と電は特別仲がよろしいんですね」

 

「テートクが日本に帰って来て最初に建造されたのが電ちゃんでしたカラネー。第六駆逐隊は元々大湊所属デース!」

 

「だというのにみやじいが寄越すよう申請してきやがって……響ちゃんの幸せの為に、仕方なくその要求を呑んだんだ……」

 

 

 拳を叩きつけて項垂れる萩澤提督。そういや響がそんなこと言ってたっけかな。

 

 ガールズトークに巻き込まれると火傷するものだ。そそくさと会話が聞こえないところまで退散する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼が置いていった資料を眺めながら、紅茶を飲み干す。相変わらず彼の目は腐っていたが、どこか決心をしたような気概を感じられた。

 

 

「で、どうだった? 金剛」

 

 

 上着をハンガーから外しながら、金剛が応える。

 

 

「年齢の割に、受け答えがしっかりしている落ち着いた青年といった印象デース。妖精サンにも懐かれているシ、提督としての素質は充分備わっていると思いマース。大本営の視察でも、目立った問題点は見受けられ無かったんデショウ?」

 

「そうなんだよ。本当に、彼は最善を尽くしている。なのにも関わらず、横須賀鎮守府所属の艦娘達は彼を受け入れようとはしない」

 

「横須賀鎮守府所属、というのが気になりマスネ。北上を除いて、彼に好感を持っているのは全員他の鎮守府から仮所属として登録されている子達ばかりデース」

 

 

 あぁ。とため息を吐き、私は胸を逸らして壁にもたれ掛かる。

 

 

「大本営の動きも少しきな臭い。わざわざ本部まで呼びつけたり、視察を向かわせている割には、彼を解任しようとする動きは見られない」

 

「代役の提督が見つからないノデハ?」

 

「いや、居るはずだよ。大本営でたくさんの妖精を引き連れて、日夜艦娘と深海棲艦の研究に勤しんでいる奴が。一応大本営所属の提督とはなっているが、その気になればみやじいが倒れた翌日にでも着任させられた筈」

「だというのに、わざわざ2ヶ月かけて捕まえた彼を、精神的に痛めつけて、横須賀に縛り続ける意味……」

 

「電ちゃんが言うニハ、もう彼は限界に近いト」

 

 

 涙目になって話す電の告白は、想像を絶する程の過酷な労働環境と、彼の愚直なまでの努力、そして艦娘達の性格の変化だった。

 響ちゃんの様子がおかしいのです、と泣きながら話す電の表情からは、秘書艦として何も出来ない不甲斐なさを悔やんでいるように思えた。

 

 

「彼とのビデオ通話での作戦指導の頻度を上げよう。私が精神的な支えとなる。また、今回電が話した事をまとめて大本営のじじい共に突き出す。奴らが何故、何の目的で艦娘達の暴力を黙認しているのかはわからないが、私がそれを知ったという事実は状況を覆す鍵になる筈だ」

 

「……人間の心というノハ、そう頑丈には作られてイマセン。このまま虐げられ続けたら、最悪彼は自分の手で━━」

 

「もちろんそんな事はさせない。彼のような若い命を守る為に、我々は軍人という職業をやっている」

 

 

 

 

 金剛に上着を着せてもらい、外に出る。もう既に夏の暑さが過ぎ去っており、秋らしい涼しさが耳を通り抜ける。

 色づき始めた街路樹に目を向けると、毒々しい色の蜘蛛が、自分の巣に引っかかった蝉の抜け殻を引き寄せていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 電ちゃんが……泣かされて帰ってきた……。

 

 4人分の会計を済ましてカッコよく外に出ようとしたのに、開かない自動ドアに阻まれて立ち往生していた所で電と合流する。

 

 

「本当に平気か? 急いで無いから、もう少し落ち着いてからでも良いんだぞ」

 

「大丈夫なのです。それよりも、お待たせしてごめんなさい、なのです」

 

 

 俺が渡したティッシュで涙を拭いながら、電が自動ドアを開けてくれる。

 

 

「機械が反応しないの、未だに慣れないよ」

 

「昔では考えられないほど、そこら中に機械がありますからね。萩澤提督なんかイギリスとこっちで何年も提督やってるのに、今も時々自動ドアに頭をぶつけているのです」

 

 

 提督に着任し、妖精とコミュニケーションを交わすという事は、それだけ妖精に近づくという事である。

 妖精は元々人間が作った機械を好まず、相性がとても悪い。その影響を提督となった人間も受けてしまうのだ。

 自動ドアなんかは他人の後ろにぴったりついて行けば良いのだが、スマホのタッチパネルが使えなかったりするのは死活問題だ。

 

 なるべく機械を使わない帰宅方法を考えていると、左手に柔らかい感触が伝わる。

 手を握ってきた電の目には、未だに涙が溜まっていた。

 彼女の様な尊い存在に触れ続けているのは、それだけで重罪な気がしたが、ここでその手を振り払うのは絶対に間違っている、と直感した。

 

 小さく、暖かい手だった。電は目を伏せながら、手に力を込めてくる。

 酷く迷い、苦悶した末、俺も手を握り返す。

 

 それから鎮守府に戻るまで、俺と電が声を交わす事はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 静まり返った鎮守府に、蛙や鈴虫の鳴き声が響き渡る。

 

 もうそろそろ切り上げるか。ペンを置き、記念にと北上から譲り受けた61cm四連装魚雷を眺めながら、思案する。

 

 9ヶ月。大規模作戦を遂行するにあたって、俺に残された時間である。

 

 努力はする。当然、最低限の事だ。だがそれだけでは、轟沈艦を出さずに深海棲艦共に打ち勝つには足りないであろう。

 俺が努力している間にも、敵は進化し続ける。

 

 自分の持っているカードを確認する。

 命の価値の低さ、妖精に近くなった身体、圧倒的に低い自尊心。

 

 どうしたものかと考えていると、扉をノックする音が聞こえる。こんな時間に珍しい。俺の私室を訪れるのは鳳翔か第六駆逐隊くらいなのだが。

 

 

「失礼します。明石です」

 

 

 いつもの制服では無く、無地の襦袢を身につけた明石が入室して来る。

 

 

「少し時期が早いですが、コレを持ってきました」

 

 

 コンクリートの床に置かれたのは小型ストーブ。暖房器具が無く、壁も床もコンクリートのこの部屋では流石に凍死すると思ったので、申請しておいたのだ。

 

 

「わざわざ持ってきてもらってすまない。お茶とかも出せたら良かったのだが……」

 

 

 おかまないなく、と言って明石は俺の部屋を見渡す。

 

 

「本当に何も無いんですね。夏とか暑くなかったんですか?」

 

「俺の前住んでいた所も冷房器具は無かったからな。やり過ごし方は知っている」

 

 

 窓開いて後は我慢。これが対処法です。

 

 

 そうですか、と明石が言い、何やら壁を触りながらブツブツ呟いているのを眺めていると、ある考えが浮かぶ。

 

 

「なぁ明石」

 

「電源引いて……室外機はスペースあるから……あっはい! なんでしょう!」

 

「深海棲艦のレーダーって、妖精は確認出来ないんだよな?」

 

「きゅ、急ですね。えーっと、たしか大本営の研究結果だと、深海棲艦のレーダーに映るのは、航空戦力と、人間です」

 

 

 詳しい事は資料を見ないとわかりませんが、と明石は説明を続けてくれる。

 

 

「深海棲艦が民間の船を襲う時は、視認以外だと、人間をレーダーに映して、それを頼りに攻撃していると言われています。人に強い恨みを抱いていると言う理由で広まった都市伝説の様なものでしたが、高い索敵能力を持つ鬼級や姫級が、無人の観測ブイや乗り捨てられた輸送船に手を出さない事例が多々あったので、現在は事実とされています」

 

 

 そもそも艦娘も人ですから、電波で捕捉するよりも、何かしらの方法で人の場所を突き止める方が効率が良いのでしょう、と付け加える。

 

 

「ですがこの理屈だと深海棲艦側は航空戦力相手に捕捉出来ないことになります。深海棲艦が妖精さん単体を視認出来ない事は前々から知られていました。なのにも関わらずドッグファイトの際に先手を打たれる事があるのは、敵が艦載機の居場所を知る方法を持っている事になります」

 

「まとめると、海上は人間をレーダーに映して、航空戦は対空用レーダーで。という風に使い分けている、これが結論だった筈です」

 

 

 水上機や偵察機による索敵もありますがね、と明石は説明してくれた。

 

 

 やはり深海棲艦のレーダーには妖精は映らないらしい。これを上手く使えば、もしかしたら起死回生の策を打ち出せるかもしれない。

 頭を電の泣き顔が過ぎったが、手段を選んでいられる余裕はもう無いのだ。

 

 

「明石、作って欲しい物があるんだが」

 

 

 深海棲艦の基地に近づけば近づくほど、空気は瘴気に汚され、海は赤く濁っていく。それに伴い通信も阻害されてしまう為、最終海域付近では提督の指示が通らなくなる。

 

 だがもし提督が妖精達と船に乗り込み、通信の中継役として出撃する事が出来たなら。

 

 希少な提督適性者の中で、唯一命の価値が低い俺にしかできない作戦。

 

 俺は明石を見据えて、ゆっくりとこの事を伝える。彼女の碧色の目が、僅かに揺れるのを感じた。

 




ここまで読んでくださってありがとうございます。


クリスマスには投稿出来るかなと思っていたのですが、ちょっと遅れてしまいました。だいぶ慣れてきた気もしますが、やはり文章を書くのは難しいものです。楽しいんですけどね。

次の話は遅れるかもしれないです。

皆さん、良い休暇を。良い年末を。


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自己犠牲の果てに

 

「だから違うと言っているだろう。旅行に行くんじゃ無いんだ。釣り道具や水着は不要だ」

 

 

 アロハシャツを着た妖精からアミューズメントグッズを引き剥がす。船の上には沢山の妖精がいるが、その殆どが遊んでいるか、もしくは寝ているかのどちらかであった。

 

 明石の溜め息が耳に痛い。額につけた懐中電灯の位置を調節しながら、機械の取り付けを進める。通信機器も船のエンジンも、その全てが妖精によって生産されるが、秋に発案してから数ヶ月経つというのに全く進歩が見て取れない。

 

 冬の寒さに身を震わせ、暗がりに光る鎮守府のクレーンを見る。どうしてこうなってしまったんだろうか。俺は現実から目を背けるように、あの秋の日を思い起こした。

 

 

 

 

 

 

「理論的には可能ですが、私は賛成致しかねます」

 

 

 明石ははっきりとした口調で否定した。

 

 

「9ヶ月で間に合わせるとなると、小規模の艦艇しか作れません。妖精さんを載せる以上、その全てがこの鎮守府で作る必要があります。普段の開発や改修を考えると、装甲や武装に時間がかけられません」

 

 

 そしてなにより、と明石は顔を歪めて言う。

 

 

「危険性が大きすぎます。隠密作戦となる以上、護衛が付けられません。制海権がある程度確保されている海域ならまだしも、攻勢作戦に何の武装も無い小舟で赴くなんて、自殺行為に等しいです」

 

 

 まぁ正論だな。俺のちっぽけな命で戦況が変わるとは思えない。

 だが諦めきれなかった。唯一考えられる現状打破の案を、そうやすやすと手放す訳にはいかなかったのだ。

 

 明石に土下座をする勢いで頼み込む事で、協力者をなんとか得た。

 大本営がこの案に強い興味を持ったのだ。彼らは大本営の研究機関に属する妖精を貸与し、資源や情報を寄越してくれた。

 そして情報を深海棲艦に漏らさないよう、作戦行動に関わらない艦娘や他の鎮守府へこの事を喋るのは駄目だぞと言われた。

 大量の妖精を引き連れ、白衣を翻す幼い顔立ちをした女性の声を思い出す。彼女も提督適任者の1人だったんだろうか。

 

 

 初対面にも関わらず、何故か強い嫌悪感を抱いたのを覚えている。自尊心の低い俺が人を嫌だと思う事はそうそうないというのに。

 

 

 

 

 

 

 

「今日はこのへんにしておこうか。やはりエンジン周りが難しいな」

 

 

「暗号機やレーダーは既存の物を応用すれば良かったのですが、妖精が乗る船を作るのは初めての事なので……」

 

 

 明石が再度、深いため息をつく。うぅ、本当にごめんな。この件で一番苦労を被っているのは彼女である。

 

 

「手間を掛けさせてすまない。極秘作戦だが、給料にはしっかり反映させておくから」

 

 

 私が気にしているのはお金でも時間でも無いですよ、とぶつくさ言いながら、フリーサイズのベンチコートを投げてくる。

 彼女の気遣いを無下にした上、作戦に付き合わせるのは酷だと自分でも思う。

 白い息を吐きながら、冬の寒さに凍えているアロハシャツのバカ共をベンチコートのポケットの中に入れていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 秋が過ぎれば冬になり、雪が溶けたら春の息吹が地表を覆う。

 

 3つの大規模作戦を経て、自覚出来るほどに自分の練度は上がっていった。だが艦娘達は未だに俺の事を信用していない。

 

 萩澤提督の強い指導により、暴力を行った艦娘に対する処罰が実行されてから、直接的なヘイトを向けてくる艦娘は減ったように感じる。

 だが、嫌いだという感情、いやむしろ憎む様な目線を、艦娘達は俺にぶつけてくる。

 俺を外敵や細菌とするならば、彼女達はそれを排除せんとする白血球の様だ。

 好きの反対は無関心だと、わかった素振りでひけらかす中学の同級生が居た。それは全くの嘘であると断言出来る。

 

 好きの反対は、何処まで突き詰めても、結局は『嫌い』なのだ。

 

 パサパサとした食感が舌に残る硬いブロック菓子を口に放り込む。

 鳳翔はとうとう飯を持ってくるのを止めた為、雷の都合が合わない時間は携帯食糧やレーション、缶詰等で間に合わせる事になっている。

 

 雑音の混じったラジオからは、舞鶴主体の春季大規模作戦の成功を称える内容が聞こえており、豪華なパレードや観艦式の様子をしつこい程主張している。

 

 荒れた胃に、優しさの欠けらも無い栄養調整食品はきついらしい。吐き気を我慢しながら、隈が刻まれた顔を窓に向ける。

 

 俺は英雄になれる器じゃねぇよな。

 

 コンクリートの壁と床、そしてもはや雑巾の様な汚い布団の上に、安物の寝袋が置かれている。

 その他の家具と言えるものは元々粗大ゴミ置き場にあった机と椅子、そしてストーブ。

 

 明石が気を使ってエアコンを付けてくれなかったら、本当に死んでいたかもしれない。

 

 独房の様なこの部屋を、毎晩屈辱に口をふるわせ歯をかみ締めながら勉強した机を、悔しさによる涙と不眠による涎で異臭を放つ枕を、もはや役割を果たしていない布団を、俺は拳を握りしめながら見渡す。

 

 例え他の提督の様に華々しい戦果を上げられなくても、俺はこの大規模作戦を絶対にやり遂げてみせる。

 その為に9か月、努力してきたのだ。

 

 深く軍帽を被り、ブロック菓子の梱包を丸めてくず入れに捨てる。

 もはや意地である。艦娘の信頼を得る為という当初の目標は既に過程の1つに成り下がってた。

 だが人類を守る為でもない。

 この地獄のような1年を肯定してやる為に。毎日死んでいった、殺していった自分の為に。

 

 どんな手を使ってでも、艦娘は沈ませない。

 

 

 

 

 

 

 

「司令官」

 

 

 廊下で暁とすれ違う。

 

 

「その、あの、思い詰めてないかしら? 大丈夫、よね?」

 

 

 大丈夫とは一体どういう事を指すのだろうか。精神状態の事なら、鎮守府に着任する前から壊れていたし、寧ろ正常とも言える。

 身体的な面では、正直ガタが来はじめていたが、まぁ肉体労働では無いから悪影響は及ぼさないだろう。

 

 あいまいに、問題無い事を告げる。だが暁の不安げな表情は変わる事が無く、それどころかより一層顔色が曇っていく。

 

 

「新しい無線連絡システムが導入されたって聞いたわ。不安なの。だって、司令官」

 

 

 暁が目を開き、浅く呼吸を何回かする。

 

 

「まるで、死にに行くような目をしているんだもの」

 

 

 嘘を吐いた。前線司令部はあくまで安全な内陸にあると。死ぬつもりなんて無いという事を。

 暁は屈託の無い笑顔でそれを信じ、良かったわ。と言った。

 

 

「宮下元帥から激励の言葉を託されたわ! 全力を尽くせ。ですって!」

 

 

 1年間、彼には本当にお世話になった。この環境の中で、艦娘に愛想を尽かしたり、逃げようと思わなかったのは第六駆逐隊と萩澤提督、そして宮下元帥のお陰である。

 会う度に、彼に繋がれた管の数が増えていったのは心配だったが、戦果という形で彼に恩返しを出来たらなと思う。

 

 暁と拳を合わし、外へ出る。

 日差しが眩しい。あの夏の日、加賀から浴びせられた痛烈な罵倒を思い出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 海賊艇の様な、小型艇にほんの気持ち程度の機銃を付けた船を見渡す。見た目からでは漁船とほぼ判別できない。こんななりで深海棲艦蔓延る海域へ突入しようとするなんて、よく大本営を納得させられたと思う。

 船内には無数の妖精が走り回り、昼寝をし、のんびりと談笑している。波が穏やかなのも合わさって、ここから1000km離れた所では激しい砲撃戦が繰り広げられているなんて考えられないほどだ。

 備え付けられた機械から、はがきくらいの大きさのレシートのような薄い紙が出てくる。数少ない、まじめに働いている妖精の指導を受けながら、暗号を解読する。

 暗号技術を身に着けるにあたって、まず最初に取り掛かったのは数学の勉強だった。暗号技術に数学の知識が使われているのはなんとなく知ってたし、せめて高校の基礎範囲でもやっておいた方がよいのではと思い、独断で進めたのだ。

 毎日少しずつ、空いた時間を使って勉強をした。そして半年が経ったところで数Ⅲの微積が終わり、同時に暗号で必要とされる知識はこれとは比べ物にならないほど膨大なことが分かった。

 要するに何も分からない、何も出来ないということを、半年かけてようやく理解したのだ。

 結局俺がしてるのはタイピングや筆記などの雑用。人間が使うペンは妖精には大きすぎるから、代筆をする必要がある。

 27匹の妖精共がプラカードを持ち、掲げたアルファベットをそのまま機械に打ち込んでいく。

『M』 M…… 『Y』 Y…… 『M』 M…… 『S』S……

 解読した文章を紙に認める。どうやら萩澤提督の支援艦隊が敵と戦闘状態に入ったようだ。

 傍受した敵側の暗号情報を元にした作戦を立案し、無線で長門達に指示を出す。

 

 

「装甲の硬い敵は足止めで構わない。まずは駆逐艦、次に補給艦だ。高速艦は敵軍へ浸透し、空母は制空権を取った後その援護を」

 

『わかっている』

『気が散るから話しかけないで!』

『作戦行動前に3回は聞きましたわ』

 

 

 実に円滑なコミュニケーションだ。いや、これでも萩澤提督のお陰でかなりマシになっているんだけれども。

 海図を睨み、敵の位置を書き込んでいく。さて、次の指示を考えなくては……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 正確な敵の位置と編成の解明によって、我が艦隊は常に先手を打ち続けた。

 確かな情報と支援艦隊との高度な連携により、怖い程敵が溶けていく。

 我らの空から目障りな敵を叩き落とし、敵の主力艦を殲滅していく。

 重要な拠点を次々と確保し、海図を青色に染め上げていく。

 

 9ヶ月もの間、全てをなげうって編み出した作戦の数々は、実にあっさりと、敵主力艦隊壊滅という形で幕を閉じた。

 

 

『追撃も可能だ。夜戦を視野に入れた進撃を行うか?』

 

「いや、戦果としては充分だ。帰投してくれ。偵察機のローテーションを忘れるな。鎮守府で会おう」

 

 

 長門は会いたくないと言わんばかりに無線を雑に切った。普段はこの態度によって意気消沈している所だが、今の俺は気分が良い。61cm四連装魚雷をペン回しの要領で弄びながら、支援艦隊を送ってくれた提督達に戦果を暗号文で伝える。

 ウフフ。向こうは円滑な交信に驚いているのかな。他の鎮守府にはこの通信システムの詳細は伝えられていないとの事だったが、この作戦の成功によって提督が前線に向かうのが当たり前になるのかもしれない。そうしたら俺はその分野のパイオニアとなる訳か。悪い気分ではないな! 

 

 窓から海面を見る。恐らく長門達が倒したのであろう敵の残骸が、海流に乗って流れてきた。黒色の粒子を零しながら炎に巻かれている様は、敵でありながら……いや、砲を突き合わせた者同士だからこそ、追悼の意を表さずにはいられなかった。

 念の為にレーダーを見て、生体反応が無いことを確認してから脱帽する。帽子を胸に持ってくるこのポーズが、軍人としての立ち振る舞いに相応しいかはわからなかったが、とにかく行動をとりたかった。

 横を見ると妖精達も同じように鎮魂を願う表情をしている。いつもおちゃらけているのにこういう時はしっかりするんだな、と感心する。

 

 そのまま外を眺めていると、船に軽い衝撃が伝わった。

 船の運転をしている妖精を見る。どうやら漂流物に船がぶつかったようだ。

 一旦船を止めるようジェスチャーをし、確認に向かう。見ると重巡ネ級の様だった。もう既に事切れており、身体中から死を意味する粒子がこぼれ落ちている。

 手を合わせた後、何故か積まれていた釣り用のタモでネ級の艤装を押しやる。目には穴がぽっかりと空いており、苦悶の表情が見て取れる。

 可哀想だな、とネ級の顔に手を触れた瞬間。

 強く右手を掴まれた。ネ級の目に光が宿り、傷口からは黒煙が吹き出している。

 そんな、ありえない。レーダーには確かに映っていなかった。一度沈んだ艦は、ダメコンを抜きにしてその場で蘇る事は無いというのに。

 まさか提督適任者である俺が触れた事によって━━

 

 

 

 

 

 

 強い痛みに目を覚ます。記憶が少し飛んでいたようだ。周りの妖精はパニック状態に陥っており、蜂の巣をつついた様に動き回っている。

 どうやら俺はネ級に殴り飛ばされた後、船のドアを突き破って機械に叩きつけられたらしい。ガラスで浅く切れた肌を、人間の治療方法を知らないらしい妖精達がハンマーやノコギリで懸命に処置しようとしている。

 身体中が痛い。力の入らない部位もあるから、恐らく骨が何ヶ所か折れているんだろう。

 ネ級が船のタンクを貪る不協和音が聞こえる。

 最後の最後に、気が緩んでしまった。大勝に浮かれた結果がこの有様だ。

 制服の袖で額の血を拭い、覚悟を決める。元々捨て身のつもりで海に出たんだ。むしろ作戦終了まで生き残れただけ幸運だろう。

 近くにいる妖精を掴み、壊れたドアから海へと投げ捨てる。飛び回っている妖精、引き出しの中に隠れた妖精、地面に伏せている妖精……次々とひっ捕らえて、船からなるべく遠くへ逃がしてやる。

 幾つかの妖精が、何かを察したように俺の体へとしがみついてくる。ポケットの中に入り込み、歯や爪を立てて引き剥がされまいと懸命に力を振り絞っている。

 ごめんな、と小さく呟き、最後まで抵抗していた妖精も投げ捨てる。

 ネ級が動き、船が大きく揺れる。彼女の口元には血と燃料が混ざりあった物がこびり付いており、顔に空いた穴からは黒い煙が吹き出している。今さっきまで轟沈判定だっただけあって、向こうはかなりの満身創痍っぷりだ。

 半壊している艤装を乱暴に投げ捨て、船内へと入ってくる。あまりの恐怖に膝が笑い、立てなくなる。尿を漏らし、みっともなく狭い船内を這い回る。

 その醜態ぶりを暫く静観していたネ級だったが、おもむろに機銃をこちらに向け、そして━━━

 

 瞬間、足をバットで殴られた様な痛みを覚える。木片が突き刺さり、肉が裂け黄色い脂肪と白い骨が見える右足が視界に入ってしまう。

 あぁ、見なきゃ良かった。今までの人生で経験した事の無い痛みが俺を襲う。涙があふれ、呼吸する度に涎が吹き出す。

 どうやら、この重巡深海棲艦は、艦隊壊滅の元凶である俺を、なるべく時間を掛けて、じっくりといたぶるつもりのようだ。

 

 

「やめてくれ……」

 

 

 ネ級が跪き、俺の左手の小指と薬指を口に含む。彼女の口の中は氷水の様に冷たく、ざらりとした舌で指をなぞってくる。

 

 

「やめて……」

 

 

 ひとしきり俺の指を弄んだ後、その強靭な顎で一気に指を噛み切る。ネ級の歯と俺の骨が擦れる音を聞いた。どくどくと血が溢れ、激痛にのたうち回る。

 ネ級は満足そうな顔で俺を見下ろしてくる。口から俺の指を、まるでタバコを咥えるように見せつけてくる。

 

 まだだ。まだ我慢しろ。

 ネ級が俺の殺害よりも自分の感情を優先してくれたお陰で、即死は間逃れている。艦娘達と同じく、やはり深海棲艦にもこうした『隙』は産まれるのだ。

 宮下元帥の教えを思い出す。本当にごめんなさい。恐らく貴方はこの様な捨て身の作戦を了承しなかったでしょう。

 暁にも嘘をついた。雷の好意も無視した。電の配慮も気づかない振りをした。

 そうした方が良いと思ったのだ。やはり彼女達の上に立つべき人間は、俺ではなく、宮下元帥、貴方のような人間です。

 

 ネ級が俺の首を片手で掴み、掲げてゆっくりと締め上げてくる。

 そうだ。絶対にここからは逃げられない。だから最期に、せめてもの抵抗を。どうせ死ぬんだったら、地獄に引きずり込んでやる! 

 右手の袖に隠しておいた、魚雷を強く握りしめる。既に信管は剥き出しにしているから、後は叩き付けるだけだ。

 魚雷を振り下ろし、ネ級の目に差し込む。唖然とした顔の深海棲艦と、口から血の泡を吹く男を光が包み込む。

 

 戦争は『損をした』と相手に思わせる事で勝利する。人類は何の価値もない男と引き換えに、大勝を手に入れることが出来た。

 産まれて初めて人の役に立てた。何と誇らしい事か。俺は満ち足りた気分を胸に抱いて、静かに目をつぶった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 書類が入った鞄を置き、憲兵に身分証を見せ、重たい鉄の扉を開かせる。

 

 

「お前達はここで待っていろ」

 

 

 水色の長髪を靡かせた少女と、軍帽を被ったツインテールの秘書艦に命令する。

 

 コンクリートの階段を下り、黴臭い地下室へと足を運ぶ。

 古ぼけた木の扉を叩き、中へと入る。

 薄暗い部屋の中には、異常とも言える量の妖精達と、書類と実験道具に囲まれた、1人の少女の姿がそこにあった。

 その少女はこちらを見ることも無く、作業をしながら話しかけてくる。

 

 

「おや、珍しい顔だ。春季大規模作戦の戦果は私の耳にも届いているよ。どうだい……1つ酒でもやりながら昔話をしようじゃないか」

 

「……(れい)、何故お前はここにいる? 宮下元帥によって国立艦娘研究所は解体された筈」

 

 

 玲と呼ばれた白衣の少女は、楽しげに背中を揺らし、こちらには振り返ること無く返答する。

 

 

「ウフフ……。随分な言い様だな。なぜ私がここにいるのかだって? それは当然、私の力を必要としてくれている人達がいるからだろうさ」

 

「また妖精の力で大本営の爺共を取り込んだな? 宮下元帥の権力が前より小さくなってるとはいえ、只事では済まないぞ」

 

 

 少女は溜息をつき、作業を中断してこっちを向いてくる。短いポニーテールに、純朴な顔立ちの田舎娘といった印象の彼女の口から発せられるのは、想像出来ないほど暴力的な文言である。

 

 

「相変わらず前置きの長い男だな。さっさと本題に入ったらどうだ」

 

 

 苛ついた顔の少女を睨み、言葉を放つ。

 

 

「横須賀鎮守府の提督が音信不通になった」

 

「へぇ。そうなのか。受け入れ難い事だな」

 

「とぼけるな。焚き付けたのはお前だろう」

 

「そもそも彼が前線に出て指揮を執ったのは、機密事項の筈だが」

 

「あれだけ正確に指揮が行き届いていればある程度察する事は出来る。恐らく双葉も気がつくぞ。何故こんな特攻紛いの事をさせた。横須賀所属の艦娘の様子がおかしいのもお前が関与しているのだろう?」

 

 

 なるほど。流石、現代艦娘情報理論の提唱者だな。と少女はクスクスと笑い、返答する。

 

 

「あの子なら死なないよ……。妖精がついている。艦娘についても、じきにこれまで以上の戦果をあげるようになる筈だ。そもそも艦娘は兵器である以上、精神がどうなろうが大きな心配は無い。君もそう言っていただろう?」

 

 

 少女が椅子を回し、再度作業に取り掛かる。ビーカーを取り出し、桜の髪留めをした長髪の妖精をおもむろに捕まえる。

 

 何故死なないと言いきれるんだ。こいつは常に未来を見据えた様な発言をする。その圧倒的な妖精からの信頼と新艤装の開発により研究所室長にまで上り詰めたが、艦娘や他人に対する思いやりの欠如から研究所ごと追放処分を受けている。

 

 疑問をもう一度ぶつける。何故なんの経験も持っていない一般人を提督に据えたのか。何故お前が横須賀に着任しなかったのか。何故大本営は捜索隊を出さないのか。何故横須賀鎮守府の艦娘達は自分の提督を助けようとしないのか。

 一体何の根拠で、あの少年が無事と言い切れるのか。艦娘達が元通りになると言えるのか。

 

 少女は捕まえた妖精にメスを入れる。妖精の身体が痙攣し、血のように白い光の粒子が吹き出す。

 

 

「それは私が母親だからだよ」

 

 

 全く話にならない。結局何の成果も得られぬまま、時間を浪費しただけだった。

 妖精から零れた粒子をホールピペットで採取する少女を視界から外し、狭い部屋を後にする。

 階段を上がると、五月雨が満面の笑みで走りよってくる。

 

 

「提督! お疲れ様で……うぁ、うあああぁ〜!」

 

 

 五月雨が自分の足に躓き、盛大にこけかける。それを予知していたのか、同じくかけよってきたグラーフが抱きかかえるように五月雨の体を支える。

 

 

「お疲れ様だAdmiral。随分と疲れた顔をしている。帰ったらこの私がコーヒーを入れてやろう」

 

 

 2人の笑顔に、曖昧に返事をする。

 確かに昔は、艦娘とは兵器であるべきだとして、そこに私情を挟むつもりは全くなかった。

 だが彼女達は人間と同じく感情を持ち、喋り、食べ、睡眠を取り、泣き、笑うのだ。

 絆されてしまったと言っても良い。何年もの間一緒に過ごす事で、彼女達に沢山の事を教わり、救われてきたのは紛れもない事実だ。

 

 帰る準備をしますか、と言う五月雨に1つの指示を出す。

 舞鶴に待機させている武蔵達に出撃準備をさせる。あの少年の正確な居場所は不明だが、今回の大規模作戦の展開海域からある程度は予測がつく。

 玲と呼んだ、あの少女が考えている事は未だにはっきりとはしなかったが、とにかく彼の無事を優先する。

 足早に、施設を後にする。夏だというのに、全身を寒気が襲うのを覚えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 埃が舞う部屋の中で、少女は妖精の腹を捌き続ける。猟奇的な場面にも関わらず、両者の顔には笑みが含まれている。

 

 

「どいつもこいつも、口を開けばミヤシタ、ミヤシタと……」

 

 

 光を出し尽くし、抜け殻となったポニーテールの妖精が、山積みとなって机を占領している。

 

 

「あのジジイも、とうとうくたばる」

 

 

 部屋中に笑い声が木霊する。狂気が渦巻き、妖精にも伝播していく。切り落とされて首だけになった妖精までもが狂ったように笑い転げている。

 

 ひとしきり笑った少女は、怪しい光に包まれた実験器具を眺めながら呟く。

 

 

「ようやくミヤシタに甘やかされた目障りな機械共を壊す準備が出来た。艦娘への恐怖を植え付けられ、全てを否定され続けたあの子は、自己犠牲の果てに何を見せてくれるのかな」




以下本文とは関係無いです






遅れてしまいました。週一くらいに更新するのが理想だったのですが、一ヶ月以上間が空いてしまう始末……。
コメント欄でも、エタるのを心配してくださっている方々が多くて本当に励みになりました。エタるって失踪するっていう意味ですよね?

ハーレムタグが機能するまでもう少し。頑張ります!


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鎮守府に満ちる狂気

 

 

 残暑厳しい8月の昼下がり。大規模作戦を終え、大湊鎮守府は束の間の休息を堪能していた。支援任務とはいえ、消費した資源も投入した戦力も普段とは一線を画している。戦いの傷を癒す意味でも、次の戦いに備える為にも──ティータイムは大事にしないといけない。

 

 

「フンフン〜♪」

 

 

 金剛お姉様が、萩澤提督の膝の上に抱きつくような形で座っている。久しぶりに甘える時間が出来たのが嬉しいご様子で、Warspiteが作ったスコーンを頬張りながら上機嫌に鼻歌を口ずさむ。

 満たされていた。大好きな提督と、大好きなお姉様の触れ合い。2人がいちゃ付き合う様子を眺めながら書類仕事を進めるのが、この私──金剛型4番艦霧島──の、最高の幸せの1つであった。

 

 だが、いつもとは違い萩澤提督の表情は少し暗いものがある。何か悩みがある──というよりも、引っ掛かりを感じているような、違和感の正体を探しているような、そんな表情だ。

 

 

「どうされたんです?昨日から、表情が浮かばれないご様子ですが」

 

 

 2人の隣に座っていた比叡お姉様が、私と同じ疑問をぶつける。萩澤提督はちらりと窓を見た後、金剛お姉様の綺麗な茶髪を手で梳かしながら呟く。

 

 

「今回の作戦、随分と指示が通りやすかったなって……。その理由を考えてるんだけど、なんか引っかかるっていうか、嫌な予感がするっていうか……」

 

 

 ぐぬぬと萩澤提督が唸る。確かに今回の大規模作戦ではいつもと違って、敵の暗号解読や編成、拠点の位置が初動の内から通達されていた。加えて主力艦隊である横須賀鎮守府の動向が敵の通信妨害に遭うことなく伝わっていたので、戦力の集中運用・分散両方が極めて効率的に行えていた。

 

 

「舞鶴の影浦提督が新しい暗号システムを開発したと聞いています。それが原因では?」

 

「いや、それだけじゃ説明のつかない部分が所々あるんだよ……」

 

 

 萩澤提督が、眉間に皺を寄せたまま金剛お姉さま越しに机の上のティーカップを取る。

 

 

「煮え切らない。何かとてつもない見落としをしている気分だ」

 

 

 紅茶の香りが立ち込める部屋に、萩澤提督の溜息が響く。

 歴戦の提督はその練度に比例して感覚も鋭くなっていく。顕著な例が宮下元帥である様に、未来を見ているような神がかり的な予測、予知に近い物を萩澤提督も持っていた。

 その萩澤提督がここまで憂いているという事実に緊張が走る。もしかしたら、開戦して以降最大級の試練が待ち受けているのかもしれない。

 いや、もしかしたらもう始まっている可能性も──

 

 バタン、と執務室の扉が乱雑に開かれる。私の思慮は、榛名の叫び声の様な報告に中断された。

 

 

「失礼します!たった今(いなづま)ちゃんから連絡があって、『横須賀鎮守府の提督が消息不明に』と──!」

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 灰色の救急袋をもう一度開け、中身を確認する。昨日の夜、丁寧に小分けして、何度も何度も確かめたのにもかかわらず、私の頭には不安の二文字がこびり付いて離れない。

 

 

「大丈夫。きっと無事よ」

 

 

 震える手に、(いかづち)ちゃんがそっと重ねてくる。雷ちゃんの手は、司令官さんのに比べてずっと小さい。あの冷たく、ゴツゴツと骨ばっていて、傷だらけの手の感触を思い出す。

 助けたつもりになっていた。救っていた気持ちになっていた。司令官さんの心が悲鳴をあげていたのはわかっていたし、自分なりに彼の為にやれる事は全てやっていたつもりだった。

 でも、それでも、足りなかった。出撃前だというのに震えが止まらない。後悔の念が体の底から込み上げてくる。視界が涙でぼやけ、歯をカチカチと鳴らせる。

 

 

「皆、お待たせ。おや?珍しい物を引っ張り出してるね。今回の哨戒任務は輸送船団のルートからは外れてたと思うんだけど」

 

 

 補給から戻ってきた響ちゃんが尋ねてくる。今回私達が持ち出したのは、普段のポーチ型の救急キットとは違い、より重度の怪我にも対応出来るリュックサック型の医療キットである。大規模の海難事故や港の襲撃等を想定された装備で、練度の高い駆逐の子でも講習を受けてそれっきりというのが多い。

 

 私と同じように、リュックサックの中身を確かめている暁ちゃんが、そこから目を離さずに響ちゃんに応える。

 

 

「司令官を助けに行くのよ」

 

 

 当たり前の事聞かないでよ、と言わんばかりに、暁ちゃんはリュックサックを強引に閉める。

 

 

「まだそんな事を……。もう彼の生存は絶望的だよ」

 

「そんな事って何よ!?司令官は私達が追い詰めたのも同然なのに!」

 

「彼が行方不明になった海域は未だに制海権が取れていない。あやふやな証拠や感情的な理由で、わざわざリスクを冒す必要は無いと言っているんだ。彼が鎮守府から逃げ出した可能性もゼロでは無いんだろう?」

 

「司令官はそんな事しないわ!」

 

「2人ともいい加減にしなさいよ!出撃前よ!」

 

 

 顔を真っ赤にして激昴する暁ちゃんと、冷めた表情で淡々と物を言う響ちゃんの間に、雷ちゃんが割って入る。

 昔はあんなに仲良しだったのに、どうしてこんな事になってしまったのだろうか。司令官さんが着任してから、時間が経つにつれて響ちゃんの、いや、皆の様子がどんどんおかしくなっていっている。

 

 

「司令官さんも、艦隊の皆も、大切な存在なのに、どうしてこうなっちゃうのです……」

 

 

 何も出来ない無力感に苛まれる。

 そうしていると、書類を脇に抱えた叢雲(むらくも)ちゃんが走りよってくる。特徴的な艤装をパタパタと揺らして、息を落ち着かせてから言葉を発す。

 

 

「ごめん遅くなって……。なに、あんたら、またケンカしてたの?」

 

 

 暁ちゃんと響ちゃんは目を逸らすが、叢雲ちゃんはそれに構わず書類に目を通す。

 

 

「大湊の萩澤提督から伝言。『今すぐそっちに向かう』ですって。……何言ったの?」

 

 

 それと、と呟いて、叢雲ちゃんが書類をめくる。

 

 

「通信が途絶えた時間帯と海流から、提督の大まかな現在地を割り出したわ。私と五十鈴(いすず)さん、Romaさんはここを探すから、あんた達第六駆逐隊は南部を探しなさい」

 

 

 司令官さんに協力的だった数少ない艦娘の名前を挙げながら、叢雲ちゃんは海図を指さして指示する。

 

 

「凄いのです。この短時間でここまで詳細なデータが割り出せるなんて」

 

 

 そう電が言うと、叢雲ちゃんは少し沈黙した後、

 

 

「影浦提督がやってくれたのよ」

 

 

 と呟いた。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 大湊から6時間ほどかけ、電車と新幹線を乗り継いで横須賀へとたどり着いた。ここに来るのは随分と久しぶりだ。英国で無敵を誇っていた私の艦隊を、完膚なきまで叩き潰した宮下元帥との演習を思い出す。最高の練度、緻密な連携、そして何より宮下元帥への圧倒的な信頼……。今の大湊の艦隊の基礎を作り上げたのは、間違いなくあの人が影響している。

 車の窓から、寂れた繁華街を見る。長引いた戦争の影響で、随分とシャッターが目立つようになっていた。戦争の被害を真っ先に受けるのは、いつだって何の罪の無い市民だ。いつもの日常が、軍靴によって踏み潰される。多くの人々は内地へと追いやられ、最低限のインフラは肝の据わった一般人……若しくは、他に選択肢が無い人々によって辛うじて保たれていた。

 街を抜け、軍事車両が目立つ通りを進み、憲兵にIDカードを渡して横須賀鎮守府に入る。妖精は“ひどく人見知り”である為、提督適任者及び艦娘以外はこれより先には入れない。

 懐かしい木の香りを感じながら、彼について思考する。彼の性格なら、自分を捨て駒に入れてでも作戦を遂行しようとするだろう。ようやくピースがハマった。そうか、彼は無線の仲介役として単身海へと……!

 なんて無茶を!今すぐ捜索隊を出したとして、太陽が沈むまで残された時間はあと4時間程──

 やはり時間が無い。

 焦る気持ちを落ち着かせながら、足早に鎮守府の廊下を歩く。

 彼の消息が途絶えてから既に一日が経過している。この広い太平洋のど真ん中で、しかも深海棲艦の蔓延る海域での遭難──それがどれだけ絶望的な状況なのかは海軍に属して無い人間でも容易に想像出来るだろう。

 

 だと言うのに──横須賀鎮守府に所属している艦娘は混乱している素振りを全く見せない。たとえ嫌っていたとしても、百歩譲って提督だと認めていないとしても、自分達の為に命を賭して出撃した彼を、まるで元から存在しなかったように振る舞う。談笑し、訓練に励み、小走りに艤装を抱えて出撃の準備をし、私と目が合えば敬礼をする。よく訓練された、厳しくも和やかである理想的な鎮守府の日常。その姿がそこにはあった。

 

 

「失礼致します、萩澤提督。現在秘書艦である電が遠征任務で外れており、代わりに秘書艦代理の大淀が対応させていただきます。お待たせして大変申し訳ありません。視察にいらしたとの事でしたので、まずは当鎮守府に所属している艦娘のリストと装備一覧をこちらに──」

 

「ふざけてんのか」

 

 

 我慢の限界だった。部屋に入ってきて深々とお辞儀をする大淀に掴みかかる。隣に控えていた金剛が制止してくるが、それを振り払いさらに詰め寄る。

 

 

「何呑気な事言ってやがる。君達の提督が消息不明になっているんだよ?一刻の猶予も許されないこの状況下だというのにこの鎮守府は一体何をやっているんだ」

 

 

 大淀は苦しそうにうめき、眉をひそませて私を見る。金剛が再度私に近寄ってきて、落ち着いてクダサイ。と声をかけてくる。

 軽く突き飛ばすように解放した後、睨みつけて話すよう促す。大淀は呼吸を整えた後に、少し怯えた表情を見せながら口を開く。

 

 

「大本営から通達があり……『今回の件は各々の判断に任せる』との事で……」

 

「それで?まさか鎮守府に所属している艦娘全員が彼を見捨てたのか?」

 

「見捨てたというよりも、あの方の正確な現在位置が不明なのと、そもそも逃亡された可能性も否定出来ないので、闇雲に出撃出来ないといった感じでして……」

 

 

 見捨てたのも同然だろうが!

 心の中で悪態をついたあと、深くため息を吐き、ソファーへと腰を埋める。横を見やると無人の執務机が、窓から差し込む西日に照らされている。机の上にはおびただしい数の書類、付箋、海図が乱雑している。

 逃げ出しただと?あの彼が?ありえない。

 ビデオ通話越しに見ていた彼の表情からは、艦娘に対する恨みや憎しみといった感情では無く、もっと昇華された感情……一種の信念に近い物を感じた。どんな手を使っても絶対に艦娘を沈ませませんと口癖のように呟いていたあの子が、大規模作戦中に艦隊をほっぽり出して逃げるなんて考えにくい。

 とにかく、捜索には人手がいる。大湊から引っ張ってくる事の出来る艦娘の数にも限りがある。どうにかしてこの大淀を説得し、横須賀鎮守府の艦娘を動員しなくては……。

 

 

大淀(オーヨド)。貴方のテートクが行方不明になってるのデスヨ?確かに彼には至らなかった所が多々あったのカモデース。でも、彼は死力を尽くして貴方達の提督であろうと励んでイマシタ。研修も説明もロクにされないまま着任し、それにもかかわらず艦娘を一人も失わなかったのは彼の功績の一つデショウ」

 

 

 金剛が大淀の乱れた制服を直し、優しく語り掛ける。英国から大湊に着任した当時、外国籍の艦娘が多いことや私自身の若さもあってか、少なからず大本営の方から反発する声や軽い嫌味、いやがらせがあった。そのイメージアップに尽力してくれたのが宮下元帥、そして当時の秘書艦である大淀だった。

 ワタシは金剛型の、いや日本の戦艦の長女みたいなものデスガ、もし姉がいたとしたら、大淀みたいなお姉ちゃんがよかったデスネ。と朗らかに話すいつしかの金剛を思い出す。

 

 

「何より……一番近くで彼の努力を見ていたのは大淀、貴方の筈デース。彼が土壇場で逃げ出すような人間じゃないことくらい、わかっているのではないデスカ?」

 

 

 大淀は俯き、拳を握り締めている。彼女の表情からは何かに抗っているような、強い苦痛の色が垣間見える。だが、大淀の口から出た言葉は──

 

 

「ですが、私達の提督は、宮下元帥です……」

 

 

「大淀、どうして……」

 

 

 金剛の絞り出した様な言葉の後、執務室を静寂が包み込む。

 執務室の窓をもう一度見る。高い高い入道雲が空を支配し、うっすらと艦載機が作ったcontrail(飛行機雲)が延びている。

 もし私が──大湊を誰かに託し、横須賀に着任していたら、こうはなっていなかったのだろうか?彼への虐待も、命令無視も、戦果の減少も……。

 だが彼女達の彼に対する強い憎悪の念と、宮下元帥への強すぎる敬慕の念は、もはや洗脳じみた物さえ感じる。彼自身、若しくは艦娘に問題があるのではなく、もっと別の理由が何処かに……。

 

 窓が風によって強く揺れ、ガタガタと音をたてる。

 再度溜息をつき、多少強引な手を使ってでも捜索に協力させる事を決意する。

 窓から目を離し、大淀を見る。

 

 

「お、大淀……?」

 

 

 金剛が悲鳴の様な声を出す。

 大淀は瞳孔を開き、脂汗を流して頭を抱えている。口から白い泡を撒き散らし、過呼吸の様に浅く息を吐き続け、ふらふらと足が覚束無い。

 明らかに先程までと様子が違う。金剛が急いで大淀の元に走り寄り、肩を触ろうとした瞬間。

 

 横須賀鎮守府に、砲撃の轟音が鳴り響いた。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 今日の海は穏やかだ。波も小さく、夏の日差しを地平線がキラキラと反射している。海上では蝉の声もアスファルトの焼ける臭いも感じないが、巨大な入道雲や突き抜ける潮風が、夏の気配を、そしてそれがもう終わる予感を届けてくれていた。

 こんなカンカン照りでも、妖精達は足を止める事無く働いてくれている。小さい手に工具を持ち、甲板の応急修理をしている様は大変可愛らしく、見てて癒される。艦載機の臨時燃料補給を見守りながら、隣のうるさい後輩の話を聞き流す。

 

 

「ねぇ加賀さん、ちゃんと聞いてる?」

 

 

 適当に相槌を打っているのがバレたのか、不満げな顔でほっぺを膨らませる五航戦のやかましい方──翔鶴型2番艦瑞鶴──が睨んでくる。

 私は通り抜ける不快な生暖かい風を払うように髪をかき上げ、耳の上に押し上げた。

 

 

「全く聞いてなかったわ」

 

 

 ムキーーー!と漫画の様に怒る瑞鶴を、姉の翔鶴が宥める。2人とも前世では私達がいなくなった後の機動艦隊を引っ張り続け、こうして艦娘として2度目の生を受けてからは私達一航戦や二航戦のライバルとして切磋琢磨する仲だ。数少ない装甲空母という理由もあるが、私はこの2人を高く評価している。まぁそんな事を言ったら調子に乗るから──特にこのツインテールは──絶対に悟らせないようにしているのだが。

 

 

「だから!新しい代役がいつ来るかって話!まぁ私は宮下元帥が戻ってくるのが一番なんだけど、まーたあんなやつ……作戦中に逃げ出すようなのが来たら嫌じゃない?」

 

「こら瑞鶴、あまり人の事を悪く言っては駄目よ……」

 

 

 海風に美しい髪を靡かせる2人の後輩を見やり、そうね。と呟く。

 あの陰気な顔、この世の全てを恨んでいるような三白眼を持った彼の事を思い出す。彼がそれなりに頑張っている事は重々承知していたのだが、どうしても提督として認識する事が出来なかった。

 初対面に感じた強烈な不快感と違和感、そして少しの頭痛。それからずっと、彼を視界に入れる度に何故か怒りと憎しみが込み上げてくる。彼を貶す事が宮下元帥の意思に反すること、ひいては宮下元帥の立場を悪くする事に繋がるのはわかっているのだが……。

 

 

「あーあ……。早く提督さんのいる病院に行きたいなぁ……あれ……?」

 

 

 瑞鶴が空を見上げる。つられて同じ空を見上げる。

 入道雲の下に灰色が侵食している。恐らくあの下では激しい雷雨が巻き起こっているのだろう。

 青い、青い空。オゾンの深い群青に、地平線を揺らぐ陽炎に。いつもと変わらない風景の筈なのに、何故だろうか。懐かしさを感じた。

 いや、懐かしさでは無い。これは記憶……?

 突風が身体を通り抜ける。不吉な風。そう、これは……あの忌まわしき敗戦……ミッドウェーの戦いの前に見ていた風景……。

 

 遠くで、誰かの悲鳴が聞こえた気がした。

 海が()いでいる。不自然な程、まるで鏡のように波1つたっていない。

 

 

「えっ、なんで、わた、し、提督さんを、え、やだ、どうして」

 

「あ、ああ……待って、提督、私、私達っあぁ……うぁ……」

 

 

 瞬間。

 

 激しい頭痛と同時に、頭の中に記憶が流れ込んでくる。夜遅くまでレポートを書き続けていたあの人。目が真っ赤になるまで擦りながら必死に眠気に耐え、勉学に励んでいたあの人。いつも窓から、艦隊が帰投したのを安堵の表情を浮かばせて見守っていたあの人。戦闘詳報を眺めながら、保存食を不味そうに食べていたあの人。そして、私の空爆で赤い血を制服に滲ませるあの人……。

 彼のどす黒く濁った目が私を見上げてくる。痛みに顔を歪ませ、傷口を強く握りしめながら、反抗も懲罰もしてこない。

 それがいっそう、私達の憎悪を駆り立てた。彼が提督として成長すればする程、宮下元帥と歩んできた今までの時間を否定された気がした。

 だから私達は、提督を傷つけ続けた。初めは軽い嫌がらせや命令無視だったが、感覚が麻痺していき、日が経つにつれて普段温厚な筈の子達もこぞって虐待に参加していた。

 

 あんなに優しい提督を、私達はずっと……。

 

 頭が2つに割れそうだ。色んな情景が、塊となって私の頭を駆け巡る。まだ艦隊が発足して間も無い頃、戦艦ル級の徹甲弾を腹にくらった時の様な感覚だ。空と海が地平線の先で混ざり合い、ぐるぐると目が回る。耳鳴りで何も聞こえない。

 

 

「提督、を……」

 

 

 提督を捜さなくては。彼の性格なら逃げ出すなんてありえない。あの大規模作戦が何故成功したのか、私達はわかっている。彼が身を呈して私達を勝利に導いたのに、どうしてこんな所で油を売っているのか……。

 口いっぱいに酸っぱい胃液が上ってくる。今は吐いている時間すらも惜しい。飲み込み、喉が焼ける痛みを感じる。

 こんな痛み、提督に比べたら……。えづいていると、妖精達が顔に張り付いてくる。大慌てで周りを見るよう促される。

 耳を塞ぎ、獣の様な奇声をあげながら海に顔を叩きつける瑞鶴。身体を震わせ、涙を流しながら瑞鶴を止めようとしている翔鶴。

 走りよって、暴れる瑞鶴から弓を引き剥がす。目を真っ赤にして錯乱している翔鶴にそれを押し付け、すぐ戻るから待機する様に命令する。

 

 

「随伴艦の子達は──」

 

 

 無線で朝潮に連絡を取ろうとした瞬間、砲撃の衝撃が空気を揺らした。甲板に出てきた妖精達が、必死の形相で私を誘導しようとしている。

 頭痛を振り払うように息を吐き、朝潮達の所へ急行する。彩雲は敵を確認出来ていない。まさかの事を考え、弓から艦載機を外す。

 

 

「加賀さーん!翔鶴さーん!瑞鶴さぁん!だれか」

 

 

 2度目の砲撃音。掠れた声で助けを呼びながら、朝潮にしがみついていた大潮が爆炎に弾き飛ばされ、艤装を粉々にしながら海に頭から突っ込む。朝潮も同様に吹き飛ばされ、右手と顔が血で真っ赤に染まっている。荒潮が呆然とした顔で、涙を流しながら海面に立ち尽くしている。

 朝潮がゆっくりと膝立ちになり、バナナの様にひしゃげた砲塔を捨て、魚雷を自分の口に持っていく。

 

 

「申し訳ありません司令官……。司令官との約束は……何も守り通せませんでした……。だからせめて……この朝潮の命を……。きっと……司令官と同じ所には行けないだろうけど……!」

 

 

 歯を強く噛み締め、弓を引き絞る。

 朝潮は既に大破判定。この状態であんな位置の魚雷を喰らったら、間違いなく轟沈する。

 彼の口癖を思い出す。どんな手を使ってでも、艦娘は沈ませない──!

 

 

「ごめんなさい朝潮。少し痛いわよ……!」


















ここまで読んでくださってありがとうございます。以下、本文とは関係無いです。










大変遅くなってしまい、ごめんなさい。
今回には、本来考えていた話の十分の一くらいしか入っておらず、ハーレムタグが機能するにはあと数話程かかりそうです。
投稿が停滞している中でも、沢山の感想やお気に入り、ご評価をいただき、本当に感謝します。また、誤字報告もありがとうございます。
次の話こそは早めに作り上げたいです。


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地獄廻廊

 私の弓から放たれた矢は、正確に朝潮の顎を掠め去った。朝潮の小さい身体がぐらりと揺れ、海面へと倒れ込む。普段敵を沈める為に使っていた武装を、初めて仲間へと向けた事に強烈な苦痛を覚える。

 

 

「大丈夫よ」

 

 

 震えていた。朝潮へと投げかけた言葉も、応急修理を施す右手も。透き通るような白色だったはずの朝潮の肌は、血と煤によって塗りつぶされていた。自分に言い聞かせるように、何回も何回も大丈夫と繰り返す。頭痛と吐き気が止まらない。だが、自分に出来る事をやりきらねばならない。それは一航戦としての誇りでも、年長者としての矜恃でも無く、あの人に少しでも報いる為に……。

 

 

「加賀さん!」

 

 

 朝潮の止血をしていると、大潮が走りよってきた。

 

 

「外傷は?」

 

「ほぼありません! 航行可能です!」

 

 

 ここは敵地のど真ん中だ。中途半端な判断は許されない。ここで達成しなければならないのは朝潮、大潮の撤退と、提督の捜索。震えながら立ち尽くしている荒潮と、動揺している大潮に、翔鶴と瑞鶴が合流する。

 

 

「いい。全員よく聞いて。ここからは二手に分かれて行動するわ。私は朝潮を曳航、撤退。提督の捜索は翔鶴と瑞鶴が行うわ」

 

 

「加賀さん……私……提督さんに酷い事を……」

 

 

 瑞鶴の目から溢れる涙を、そっと拭ってやる。艦載機を移し替え、矢と燃料を補充させながら語りかける。

 

 

「艦隊皆の責任よ。貴方1人のせいじゃない。あの人なら絶対に生きているから。会って、鎮守府で一緒に謝罪しましょう。もちろん、それだけで終わりじゃないけど……」

 

 

 嘘と欺瞞に塗れた言葉だった。直接手を出しておいて、一言の謝罪で許されるなんてあっていいわけが無い。空虚な私の励ましは、凪ぎ続ける海面に吸い込まれていく。

 結局、その場で喋る者は一人もいなくなり、そのまま作戦行動へ移ることとなった。

 皆泣いていた。強く顔を歪ませ、手を握りしめていた。

 だが、私達のこの涙に、何の意味があるのだろうか? 提督にあんな虐待をし、宮下元帥に拘り続ける様な私達は、要するに兵器なのだ。本来心を持ってはいけない存在。それなのに人間であろうとしたから……。

 夕日が私達を照らす。黄金色に輝く、海上で最も美しい時間帯。それがいっそう、私の心を虚しくさせた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 穏やかな波の上を、響ちゃんがぐんぐんと速度を上げて突き進む。提督の捜索に反抗する意思を見せつけるかのように、全く無線応答には応じず、双眼鏡を見る素振りも見せない。

 

 

「いいのよ。あんな奴のことなんて放っておいても」

 

 

 どうにかして響ちゃんに追いつこうとした私に、暁ちゃんが冷たく言い放つ。その文言の鋭さに衝撃が走る。いつも不器用ながらに妹の事を気遣っていた暁ちゃんにしては考えられないほどの、まるで諦めきった様な表情だった。

 

 

「こら、あんな奴とか言わないの」

 

 

 後ろから雷ちゃんがこつんと頭をはたく。小突かれた暁ちゃんはむくれた様子でさらに速度を上げる。

 はぁ。とため息をついて、雷ちゃんが私に語り掛けてくる。

 

 

「今回の喧嘩はだいぶ長引きそうね。姉妹喧嘩は私達にとっては珍しいものでもなかったけど、思い返したらこれまでの言い争いやいがみ合いは、どれも他愛のないものが原因だった気がするわ」

 

「響ちゃんも暁ちゃんも心配だけど、艦隊の皆の事も気になるのです……。司令官さんはあんなに頑張ってて、今回だって危険に身をおいてまで作戦を成功させたっていうのに……それでも……」

 

 

「きっと、宮下元帥の入院が長引いていて不安なのよ。元帥の手術が無事に終わって、提督も帰ってきたら、皆元通りになるわ」

 

 

 そう言って、雷ちゃんは辛そうな笑顔を私に向ける。彼女がときおり見せる、私達を心配させないようにする笑顔。いつも自分の事は二の次で、姉妹の事、司令官さんの事、艦隊の皆の事。

 それでも、私の不安は晴れなかった。自分の手の及ばない所で、何か重大な事が起きてしまっている予感。司令官さんが見つからないのが最悪な未来なのは間違いない筈なのに、さらに恐ろしい未来が待ち受けているような気が──

 

 瞬間、ふわり。と風が通り抜ける。見上げると、夕刻に迫る夏の空は、それでもなお深い青に染まっている。入道雲と陽炎。光を照らす地平線。いつも通りの光景。海上に視線を戻すと、先を進んでいた筈の暁ちゃんが立ちつくしている。

 

 

「響……! それは本当に、冗談じゃすまないわよ」

 

 

 暁ちゃんが睨みつけているのは、海に落ちている響ちゃんの()()帽子だった。響ちゃん本人は、凪ぎ、鏡のように静まりかえっている海面に、黒い稲妻をほとばしらせ、拳を握りしめて震えながら立っている。

 先ほどの突風で帽子を落としたのだろうか……? だけれど、響ちゃんは帽子を拾おうとせず、うつむいたまま動かない。

 いや、それを気にしている場合ではない。警戒すべきなのは『響ちゃんが改二実装を展開している』ということだ。艦娘の1つの結論点でもある、改二実装。通常での改装では得られる事のない圧倒的な能力の飛躍、もしくは上位互換的な艦種への改造。当然、実装される際に要求されるハードルも高く、特に大型艦は資材・練度両方を高い水準で満たしてないと改二実装に挑むことすら許されない。響ちゃんも、宮下元帥の指導の下、血の滲むような鍛錬を経て改二を自分のものにしている。

 人類が深海棲艦と戦う上で、切り札ともいえる存在。その改二実装を、響ちゃんは会敵していない状態、つまり私たちに向けて展開している。そうなると最早ただの姉妹喧嘩ではすまされない。戦闘状態にない改二実装というこの状態でも謹慎処分ものの大事なのに、さらにヒートアップしてしまうと……。

 

 

「響! あんたが司令官を嫌っているのは十分に理解したわ。この救出作戦に参加したくないということもね。でも、これ以上は私達もかばいきれないわ。越えちゃいけない線を、あなたは越えようとしている」

 

 

 雷ちゃんが冷静に、少しの怒りを込めて響ちゃんを諭す。少なからず失望もあった筈だ。少なくとも私は、響ちゃんがこのように感情に身を任せて姉妹を危険に曝すような真似はしないと思っていた……。いや、信じていた、という方が正しいのかもしれない。私達は二度目の人生を与えられてから、何年も苦楽を一緒にし、姉妹以上の絆を育んできた。響ちゃんは熾烈な戦闘の中でも、いつも冷静に動き、的確な指示を出していた。響ちゃんがいくら司令官さんの事が嫌いでも、決して一線を越えないという信頼が、どこかにあった気がしていたのだ。

 私も雷ちゃんに続いて、響ちゃんを落ち着かせるように説得しようと、口にするべき言葉を探して思案する。だがその思考は、響ちゃんの獣の様な叫び声でかき消される事となった。

 

 

「Ааарррггххххх!!!!!!!」

 

 

 耳をつんざく、艦船同士が衝突した時のような轟音だった。海面を白と黒の火花が駆け巡る異様な光景に驚愕する。以前似た状況に遭遇したことがある。改二実装は強大な力を手にすることが出来る反面、その発動と安定は精神面に依存するという弱点がある。焦って改二実装を手に入れようとしたり、怒りや悲しみに任せたりして、暴走してしまうということが昔はよくあったのだ。

 けれども、この様な大規模なものは聞いたことも見たこともない。それに加え、改二実装の訓練艦を務めていたこともある響ちゃんが、改二実装に振り回されるような事態は全く想定していなかった。

 

 

「周囲警戒!!!」

 

 

 真っ白になっていた頭の中に、暁ちゃんの絶叫が飛び込んでくる。はっ、と息を強く吸い込み、周りを見渡す。

 敵襲? なんらかの精神攻撃? とにかく、今の響ちゃんの様子は尋常では無い。この暴走に何か原因があるとしたら、それは深海棲艦によるものと考えるのが自然だ。

 震える手を落ち着かせながら、艤装を展開する。しかし、響ちゃんは、ふらりと頭を下げ、海を蹴って、私達の陣形を抜け出した。

 

 

「嫌だ……嘘だ嘘だ……だって……司令官……」

 

 

 速い! 一瞬気圧されたが、とにかく一人には出来ないから追いかける。一体響ちゃんに何が起こったんだろうか。黒雷を纏い、血走った目と汗まみれの顔は、酷い焦燥感を表していたが、それでも、なんとなくだが──以前の響ちゃんに戻っているように感じた。

 

 

「待ちなさい! 響!」

 

 

 オレンジ色の光が私達を刺す。先頭を行く雷ちゃんの足から舞う水しぶきが、夕日を跳ね返しキラキラと輝く。

 

 

「響! ちゃんと話をしなさいよ! どうしたってのよ……!」

 

 

 不気味に感じる程静まり返っている海を、私達だけが駆ける。暁ちゃんが作った波紋を、私が踏み潰す。

 嫌な予感がする。身体の内側からせり上がってくる不快感。首筋を伝う冷たい感触。いつかの海域で覚えた、身体中の細胞が発する危険信号。

 

 

「嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……!」

 

「嘘! ちょっと! あれ!」

 

 

 遠い水平線に、薄い煙が立ち上っているのを確認する。産毛が逆立ち、呼吸が浅くなる。

 

 

「レーダーにあんなの映ってなかったわよ!」

 

「無線連絡!!!」

 

「やっているのです! やってるけど、艦隊司令部と、大淀さんと繋がらない!!!」

 

 

 焦げ付いたエンジン、粉々になった窓ガラス、ひしゃげた船体。かろうじて船の機能をもっていたそれは、確実に見たことの無いものだった。それなのに、私は最悪の未来を確信してしまっている。

 私達を見捨てて、どこか遠い土地に行ってしまってても良かった。境遇を告発し、国外へ逃げてしまってても良かった。見つからなければ、痕跡一つ手に入らなければ、まだ希望はあったかもしれなかった。

 だって、この海で、こんな小船で、こんな武装で、無事で居られる筈なんて無い! いくら叢雲ちゃんの司令官が有能だからって、そんな情報受け入れる事なんて出来るわけが無い! 

 

 でも、私は、私達は、見つけてしまった。私達が追い詰めたから、結果を求めたから、絆を放棄したから、優しい司令官さんはそれに応えたんだ。

 

 響ちゃんが叫ぶ。先程の狂った様な轟音とは違う、絞り出すような嗚咽が、船の中央に入っている大きい破れ目から漏れ出した。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 暴れる夕立を、比叡が必死に押さえ込む。黒い雷を纏わせながら、その小さな身体からは想像できないほどの力で抵抗し、苦しそうに呻く。美しかった筈の白い髪は自身の砲撃で埃まみれになっており、彼女の好戦的な性格と幼さ、両方を示していたはずの赤い目は、油と涙でぐちゃぐちゃになっている。

 

 横須賀鎮守府の演習場は惨事の跡を痛々しく残していた。大淀に異変がおこったのとほぼ同時刻、演習に参加していた殆どの艦娘が暴走。会敵無しでの改二実装や自分への砲撃など異常行動が見られた為、鎮守府近くの海域で待機していた萩澤提督有する日英混合艦隊がその鎮圧にあたった。

 

 

『鎮守府内の安全確保、完了デース……。神通や大井等の重傷者はドックで明石に見てもらってマース。今は取り敢えず動けそうな艦娘をかき集めて捜索隊を編成してもらってマスケド、指揮系統も艦隊充足率もメチャクチャで相当時間がかかりそうデース』

 

 

 金剛からの無線連絡を聞きながら現状を整理する。今回の横須賀鎮守府で起こった集団パニックでの負傷者は、3つの段階にトリアージされた。大井や神通、霞等の生命の危機に関わる程の重傷を負った艦娘、大淀や夕立等の異常行動・深刻な精神的障害の傾向が認められた艦娘、明石や鳳翔など、違和感は覚えているものの正常な思考を保てている艦娘。

 総括としては、工廠や兵站系施設は機能しているが、水雷戦隊、連合艦隊等の戦力部隊はほぼ壊滅と言っても良い状態である。特に、大淀、霞、白露といった艦隊司令部施設要員が全員戦闘不能状態になっている点は深刻であり、それによって現在も出撃中の艦隊と連絡が取れていない。

 

「とにかく艦隊司令部の再編成を優先して。大淀の代わりは長門。多少無理をさせてでも出撃中の全艦隊の状況を把握するように。それと彼の捜索は、私と影浦提督の艦隊が行う。今編成している横須賀の艦隊は周辺の安全確保と出撃中の艦隊の保護に充てて。その指揮は任せたわよ金剛!」

 

 

 ハイ、と珍しく疲弊した様子を全面に出して、金剛は通信を切った。大淀、鳳翔、長門……。ずっと日本を守り抜いてきた仲間達の、あんな姿を見せられたんだ。流石に金剛も堪えているらしい。

 だが、ここは踏ん張ってもらう。秘書艦を任せた艦娘として、彼女が倒れることは絶対に許されないのだ。もしここで選択を間違えたら、我々は多くの戦力を失う事となる。

 

 

「比叡、比叡!」

 

「ヒエッ! あっはい! なんでしょうか!」

 

 

 泣きじゃくる夕立の顔を、服の裾で拭いてやっている比叡を呼び止める。

 

 

「ここを任せる。ネルソンとウォースパイトに捜索部隊へ加わる様言っておいて。私は今からここを離れるから」

 

「は、はいっ。了解しました! あっ、あれ? どちらに行かれるんです?」

 

 

「これの原因を確かめに行く」

 

 

 普段表に出ない、影浦提督がここまで動いていた理由がわかった。かつて宮下元帥と同じ時期に提督の座に就き、軍の裏の部分を掌握していた得体の知れない人間……。

 

 

「あいつだ……。あいつ以外考えられない……」

 

 

 演習場から外門へ通じる廊下を歩く。そこで目にした横須賀鎮守府の様子は、私が来た時とは対象的なものだった。全員の顔が強張り、疲れ果て、憔悴しきっている。深海棲艦が現れたばかりの世界で、かつて、イギリスの軍港デヴォンポートで見た、襲撃から生き残ったわずかな軍人達の顔を思い出す。

 限りなく、地獄に近い場所だった。私は色々な戦場を乗り越えて今の立場にいるが、決してこの様な惨状は見慣れるものではない。耳から離れない砲撃の音に苦しむ兵士の声を聞く度に、帰ってこない大切な誰かを待ち続ける遺族の顔を見る度に、胸が締め付けられる気持ちになるのだ。

 

 これ以上の苦しみは考えられない、それ程の光景だった。だが、彼女達は知らしめられることとなる。長く長く伸びて、折れ曲がって繋がった廻廊の、ほんの一部分しか私達は歩ききっていない事に──。

 

 

『本部より緊急連絡です! 宮下元帥の様態が──!』

 

 

 車の中で聞いた霧島の伝令。現実を受け入れられない榛名の顔。久しく忘れていた絶望の感情が、落ちていく夕日と同じようにじわじわと私の心を蝕んでいった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 それは、もはや船としての意味を成していなかった。ぐちゃぐちゃになった小舟の上に、おびただしい数の妖精さんが漂っている。妖精さんは船に近寄った私達の顔に貼り付く様に飛んできて、船の中央を指差す。

 暁ちゃんを先頭に窓ガラスを踏みつけながら進み、吹き飛んだ扉から船内に入る。

 

 

「ひっ……」

 

 

 雷ちゃんの小さな悲鳴。司令官を抱きかかえながら泣き叫ぶ響ちゃん。パニックになった妖精さん達と、探照灯や照明弾、電探等の艤装が滅茶苦茶に散らかった床の上で、彼は横たわっていた。

 出撃の日、私がアイロンがけした司令官さんの白い制服は、血と油と埃で汚れて見る影もなかった。固まって動けない。目の前のこの光景を受け入れられない。震えが止まらず、絞り出すような呼吸しかできない。

 

 

「雷! 電!」

 

 

 は、と目の前を向く。振り向いた暁ちゃんが、震えた唇を横一文字に噛みしめ、私達を睨む。

 

 

「雷はこの船のエンジンを確認して。この場で修理できそうになかったら曳航。司令官を横須賀まで引っ張るわ。電は司令官の容態確認、治療。私はそれを手伝いつつ、大淀さんと連絡が取れるかどうか試してみるわ。そして……響!」

 

 

 雷ちゃんが、わかったわ! と言って飛び出す。

 暁ちゃんは顔を伏せながら淡々と私達に指示を出す。そのあと、司令官にしがみついて叫び続ける響ちゃんの背中を掴んで引き離し、持ち上げるようにして立たせる。

 

 

「暁! 私の、私のせいで司令官が──」

 

 

 パン、と乾いた音が、穴だらけの船内に響いた。

 赤く腫れた頬を押さえながら、響ちゃんが驚いた表情で暁ちゃんを見つめる。

 暁ちゃんはそのまま、司令官の傍らに座り込み、首筋に手を添える。

 

 

「司令官はまだ……生きているわ」

 

 

 バッグから鎮痛剤を取り出しながら、暁ちゃんは呟く。

 

 

「でも……私達の選択で、ここからどうなるかが決まってくるの。この海域から脱出して、提督を無事に連れて帰って、それでようやく終わりなのよ……」

 

 

 私も司令官さんの傍に座り、出血を止めることを優先して処置を行う。

 暁ちゃんは唇をかみしめ、鼻をすすりながら、司令官さんの指が欠けた左手を消毒液がついたガーゼで押さえる。

 

 

「あんたが司令官にした事は絶対に忘れないわ……。でも、これが全部終わって、皆無事に帰ることが出来たら……一緒に謝ってあげるから……」

 

 

 暁ちゃんは人一倍責任感が強い。レディとしての嗜みを強調するのも、第六駆逐隊の姉としてまとめる立場にいなければならないことを強く自覚しているからだ。

 だけど、その責任感の強さゆえに、空回りしたり、周りが見えなくなってしまうことが度々あった。その暁ちゃんの危うさをフォローをしていたのが響ちゃんで、冷静な行動と的確な指示出しで、暁ちゃんのオーダーをしっかりまとめていた。

 だからこそ、響ちゃんの提督に対する態度は、暁ちゃんにとってとても不安なものだったと思う。日に日に激しくなっていく提督への悪態に比例して、暁ちゃんの自責の念も強くなっていった。

 

 

「だから……今は私の言う事聞きなさいよぉ……ばかぁ……」

 

 

 暁ちゃんの目から、涙がこぼれる。

 苦しんでいる提督を救えないというフラストレーションと、響ちゃんに対する違和感で、暁ちゃんはよく泣くようになった。特に響ちゃんと喧嘩した日は、私達に気づかれないように、鎮守府近くの神社の裏に行ったり、枕に顔を押し付けたりして、息を殺すようにひっそりと嗚咽した。

 ずっと、ずっと、暁ちゃんは苦しんでいた。宮下元帥に託された第六駆逐隊を、まとめあげなくちゃいけない。その重圧を暁ちゃんは一人で背負ってきた。

 

 

「暁……ごめん……」

 

 

 響ちゃんが涙を拭う。真っ赤な瞳の奥には、信頼と不屈の精神を表す、ブルーグレイの魂が感じられた。

 どうしたらいい、と響ちゃんが声を震わせながら問う。暁ちゃんも目をこすり、咳ばらいをしてそれに答える。

 

 

「響は周囲警戒を。何か見つけたら無線で連絡して。絶対に無理はしないでよ」

 

 

 暁ちゃんが立ちあがり、帽子を響ちゃんの頭に被せる。

 

 

「了解」

 

 

 響ちゃんの笑顔。本当に、本当に久しぶりに見た気がする。響ちゃんは帽子を深く被り直し、短く息を吐いた。

 

 

「響ちゃん。御武運を、なのです」

 

『響に怒っているのは暁だけじゃないわよ! 横須賀に戻ったら説教してあげるんだから! 無事に戻ってきなさいよ!』

 

 

 深く被り直した帽子の陰から、少しの笑みがこぼれた。深呼吸してから、響ちゃんがこちらを向いて言葉を放つ。

 

 

「Дар. 司令官は任せた」

 

 

 ◇

 

 

『やっぱりだめね! エンジン周りも酷く損傷しているわ。むしろ浸水していないのが不思議なくらいね。とりあえず曳航するけど、船体へのダメージを考えるとあまり飛ばせないかも』

 

 

 おそらく、雷ちゃんが錨を巻き付けたのだろう。船体がガタリ、と揺れる。

 割れた船室の窓からは、夕日がきつく差し込んでいた。日が落ちると、様々な意味で活動が制限される。

 はやる気持ちを落ち着かせながら、処置を続ける。鎮痛剤のクリップを外し、右足、左手に続けて打つ。司令官さんの衣服を切り、容態を確認する。

 

 

「うぅ……」

 

 

 本当にひどい。ひどすぎる。

 窓ガラスや木片による切り傷や、腹部の打撲、何か所かの骨折は、ここでの治療である程度収まるものではあった。だが、左手の薬指及び小指の欠損。そして致命傷と表現するべき、右膝から下の銃創。この二つの創傷は、今すぐに高度な医療を必要とするものであった。

 特に右足のは本当に……。骨がむき出しになり、突き刺さったガラスが光を反射する。消毒液をかけようとすると、傷口の表面が軽く焦げていることがわかった。

 傍に座っている、高速建造材担当の妖精さんが不安げにこちらを覗き込む。まさか、焼き付けたのだろうか? 

 えぐれた自分の肉に、焼けた鉄を押し付けられる痛みを想像する……。

 怒り、悲しみ、焦り、色んな感情がぐちゃぐちゃになり、頭の中をぐるぐると回る。

 吐きそうだ。

 どうしてこんなに司令官さんが苦しまなきゃいけないんだろう。私達は司令官さんを守る為に戦っているのではなかったのか? 司令官さんがこの様な状態になっているのは、電のがんばりが足りなかったからではないのか? 

 雷ちゃんがそうしていたように、出撃や遠征の間を利用して、私も提督さんに料理を作っていた。本で見たように奇麗には作れなかったけど、司令官さんはとても嬉しそうに食べてくれた。

 素の司令官さんは、意外と冗談も言ったり、笑顔を見せてくれたりもする。ひとしきり笑った後に、深く深呼吸をする様が、本当に素敵だった。

 

 血と埃でまみれた司令官さんの顔を、ガーゼでそっと拭う。

 この人は、幸せになるべきなんだ。こんな所で絶対に死ぬべきではない。

 

 ふと、司令官さんが右手に握っている物に気が付いた。

 魚雷? なぜ司令官が? 信管がむき出しになっているが、持ってみたことでこの魚雷が爆発しないことが分かった。

 中身が無いのだ。軽い。

 冷静になって周りを見てみると、狭い船内の床には艤装が散らばっている。船体についた傷も、空襲や砲撃を受けたような跡ではなく、中で誰かが暴れたようなものだ……。

 

 

「ここで何が起こったのです……」

 

 

 司令官さんの傷口を押さえながら、ぼそり、と呟く。

 

 

「駄目だわ。全然繋がらない……。この船の無線機も壊れちゃってるし、どうなってるのよ、もう」

 

 

 口を尖らせて不満を言いながら、暁ちゃんが近くによってくる。

 

 

「取り敢えず、救難信号は出したわ。近くを通った艦娘がいたら来てくれるはず。理想はヘリとかを呼んでもらえると嬉しいんだけど、制空権の都合上、結局ある程度は引っ張っていくことになりそうね」

 

 

 暁ちゃんが深く息を吐いて、私の隣に座る。すん、と鼻をならし、司令官さんの右足を見つめる。

 

 

「大丈夫なの……?」

 

「早い段階で止血処置は行われていて、内臓の損傷も無いのです。危険な状態ではあるけど、ちゃんとした治療を受ければ助かるはずなのです」

 

 

 暁ちゃんが無言で頷く。司令官さんの額に手を載せて、少しずつ言葉を放つ。

 

 

「私が何を聞いても……はぐらかすだけだった……。司令官が私達に何かを隠しているのはわかってた……」

「もしかしたら……私達にはどうしようも出来ない事だったのかもしれない。司令官も……私達の助けなんて必要ないって思ってたのかもしれない……」

「それでも……私は……司令官に生きて……幸せになって欲しかった……司令官はひどく不器用で……緊張しいで……後ろ向きで……優しかったから……」

 

 

 唇を強く噛んだ暁ちゃんが、血で黒く染まった司令官さんの服を握りしめる。

 

 

「うそ、つき」

 

 

 殆ど言葉になっていない呻き声だった。褐色に染まった司令官さんの服に、ボツポツと涙が落ちる。

 

 

「内地での安全なお仕事って言ってたじゃない。苦しかったら逃げちゃえば良かったじゃないのよ。こんなボロボロになって、私達が喜ぶとでも思ったの。司令官は1度も私に相談してくれなかった!」

 

 

 暁ちゃんの慟哭は止まらなかった。何度も、何度も司令官さんに問いかける。それでも司令官さんは起き上がらない。

 私はそれを、無力感に苛まれながら、ただただ眺めていることしか出来なかった。

 

 

『暁。会敵だ! 駆逐イ級に重巡フラグシップ。敵の本隊も控えてるかもしれない』

 

 

 響ちゃんの、冷静ではあるが緊張を孕んだ声。とうとう見つかってしまった。

 その報告と同時に、船のひび割れた窓が激しく揺れる。緑色の美しい翼が、夕日を鋭く跳ね返す。

 

 

『グッドニュースもあるわね! 南東から天山村田隊!』

 

 

 轟音をたてながら、この船を覆い隠すように無数の艦載機が、美しい編隊を組んで現れた。

 

 

『翔鶴さんと瑞鶴さんが来てくれたわ!』

 

 

 暁ちゃんが、唇を強く噛み締めたまま、ぐっと帽子を深くかぶり直した。司令官さんが、作戦の前にやるルーティーン。暁ちゃんは、いつからかそれを真似るようになった。

 私に軽く目線を送り、まばゆい光を放ちながら艤装をまとう。

 

 

「暁改二、出撃します。司令官を絶対に連れて帰るんだから!」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ◇

 

 

 

 白い制服を身にまとった老人が、駆逐艦の子達に囲まれている。一人はその老人の腕に抱きつき、もう一人は折り紙で作った勲章の様なものを差し出している。

 皆が笑顔だった。秘書艦を務めていた鳳翔さんも、長門さんも、翔鶴姉も。普段無愛想な加賀さんですら、薄い唇の端を上げていた。

 まだ宮下元帥が大怪我を負う前の、横須賀鎮守府の日常。

 加賀さん達と切磋琢磨して、他の子を守ることが出来るようになって。ヒトとして二回目の人生を歩むことになって、次こそは守り通すと、この国と、艦隊の皆と、元帥さんと……、そう、誓ったんだ。

 

 

「楽シカッタ、幸セダッタ、記憶ノ欠片。モウ二度ト見ルコトハデキナイ、アノ光景……」

 

 

 私の隣で、見覚えのない子が呟いている。青白い肌に、赤い瞳。白い髪は天に向かって逆立っている。

 私とその女の子の周りには、青白い彼岸花が輝きながら咲いていた。私はただ、懐かしいあの光景を、呆けたように眺めていた。

 

 記憶の画面が切り替わる。体中を管で覆われた、ベッドに横たわる宮下元帥の姿。面会するたびにやせ細っていく身体が本当に痛々しかった。

 

 

「アナタガ、空ニ穴ヲ作ッテシマッタカラ、元帥サンハ襲撃ヲ受ケタ」

 

 

 白い髪の女の子が、笑いながら詰め寄ってくる。

 

 

「違う。私は、与えられた任務をちゃんとこなしていた。あの空襲は事故で、誰も悪くはなかった!」

 

 

「デモ、アナタハ罪悪感ヲ感ジテイタ。ダカラ自分ヲ責メテ、ソノ鬱憤ヲ彼ニブツケタンデショウ?」

 

 

 また画面が切り替わる。暗い執務室に、男が一人座っている。左手から血を流し、怯えた表情で私の事を見上げている。

 

 違う。違う違う。私はただ、提督さんの手を振り払おうとして、提督さんを傷つけるつもりなんてなくて。

 

 

「アナタハズゥットソウ……言イ訳バカリデ、自分ニ都合ノ良イコトヲ考エテバッカリデ……」

 

 

『瑞……ん……! ……っ……響……!』

 

 

 遠くの方で、爆音が聞こえた気がした。暗闇に包まれた空間が、振動し、崩壊していく。

 白い髪の女の子が、私の顔を両手で掴み、青白い唇をゆがませ、愉快そうに笑う。

 

 

「ナニガ皆ヲ守ルダ、アナタガ変ワラナイ限リ、誰モ救エナイ。暁モ、響モ、翔鶴姉モ、提督サンダッテ……」

 

 

『もう駄……全滅す……暁……』

 

 

 彼女の目が充血し、赤い涙を零す。紅梅色の水晶の向こう側に、怯えた顔の私が見えた。

 黒い背景がひび割れ、鋭い夕日が差し込んでくる。潮と、煙と、血の匂いが流れ込んでくる。

 黒とオレンジが混ざり合って、白い光になっていく。足元に咲いていた彼岸花の花びらが、上へと昇っていく。

 

 

 

 

「アナタノセイデ、ワタシノセイデ、皆ココデ沈ム」

 

 

 

 耳鳴りと共に、目の前で炎が上がった。私によりかかるようにして倒れた黒い物体が、翔鶴姉だと判るのに、少し時間がかかった。

 

 瑞鶴、逃げて。と言って、翔鶴姉は動かなくなった。世界の流れが、やけに遅くなっていくのを感じた。

 

 目の前に現れたレ級が、ケタケタと笑いながら翔鶴姉ごと私を蹴飛ばした。ぐるぐると回る視界の淵で、翔鶴姉の身体がバラバラになっていくのや、動かなくなった響と暁の姿が見えた。

 

 レ級が、倒れた私に覆いかぶさって、首を絞めてくる。頭に血液が集中して、焼けた鉄を押し付けられた様に熱かった。意識がなくなっていく。苦しさを通り越して、何も感じなくなっていく。それでも、私の頭の中にあるのは、提督さんのことだった。

 私がごめんなさいって言ったら、あの人はどんな顔をするのかな。翔鶴姉も駆逐艦の子達も守れなかったし、多分私も死ぬけれど、優しいあの人はそれでも許してくれそう。きっと、いつも見せていたあの苦しそうな顔をした後に、全てを受け入れてくれるんだ。

 だって、あの人は底抜けに優しいから。私の提督さんだから。瑞鶴がどんな姿になっても、どんな最期を迎えても、きっと大丈夫。

 

 ごめんなさい、提督さん。愛してる。

 

 

 サヨウナラ。

 

 

 レ級の首に向かって手を伸ばし、アルミ缶みたいにぐちゃぐちゃに握りつぶす。血の泡を吹きながら、苦しそうにもがき、それでもなお笑っているレ級を、力の限り蹴っ飛ばす。

 近くにいたリ級が、驚いた様子で私の方を振り向く。目をえぐり、膝で腹を蹴り上げる。上半身と下半身が別々の方向に飛んでいった。

 無表情で立ち尽くしているヲ級の艤装を、はまぐりを開く様に引き剥がす。甲高い叫び声が気に入らなかったので、持っていた杖を喉奥に無理矢理刺し込んだ。

 周りにいた深海棲艦共も、同じようにひねり、つぶし、壊していった。

 地平線の向こうが輝いている。とても晴れやかな気持ちだった。もう数分もすれば、夕日は完全に沈みきってしまうだろう。

 凪ぎ、静かな海の上で、独り立つ。唇についた血と油をなめとり、浅くため息をつく。

 

 

「瑞鶴ノ艦載機()達、皆死ンジャッタ……」

 

 

 再度溜息をつき、西の空を見る。本当に美しかった。黄金に輝く、空と海が交わる最高の情景。深海棲艦共が出すうめき声も、煙も、水に浮いた油が燃える臭いも、全く気にならないほどだった。

 

 

「提督サン、無事カナァ……」

 

 

 瞬間、轟音のあとに、水柱が上がる。何度も水面にたたきつけられ、炎で肌が焦げる。

 そりゃそうか。こんな敵地のど真ん中でちんたらしてたら、増援が来るのは当たり前だよね……。

 煙の向こう側には、おびただしい数のフラグシップ、鬼級の姿。壮観だった。

 笑みがこぼれる。もしこいつらを少しでも沈めていったら、提督さんは喜んでくれるかな。

 ズタズタになった手を持ち上げる。へし折れていた筈の弓は、おどろおどろしい生物へと変わっていく。

 私がどうなってもいいから、ただ、提督さんに報いたい。私の頭にあるのは、それだけだった。

 主砲を持ち上げ、敵に狙いを定める。だが、深海棲艦を炎に包みこんだのは私の砲撃ではなかった。

 

 

「戦艦武蔵、推参! 主砲、一斉射だ。薙ぎ払え!」

 

「Ark Royal攻撃隊、発艦! 逃がすな! Swordfish shoot!」



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溟海にて、彼岸花は咲き誇る

 

 

 さかのぼること五〇分。私達は『敵残存艦隊のせん滅、及び解放海域の水質・水温調査』という、ひどく大げさな、なおかつ形式的な任務にあたっていた。

 どうして私がこの任務にここまで嫌悪感を抱いていたかというと、端的に言ってしまえば私達の提督――陰湿で引きこもりで人付き合いが壊滅的で目つきが深海棲艦で情報を独占し打算に溺れ策を溢れされる潔癖症メガネこと影浦蓮悟――が弄した、いつもの回りくどい手であると確信していたからである。敵残存艦隊と仰々しい物言いにしているが、会敵したのははぐれ駆逐艦数隻。水質・水温調査なぞもっともらしいことを言っているが、この様な主力艦隊で行う様なものではない。自分の燃費の悪さはよく知っている。

 

 

「武蔵さん!」

 

 

 はっきりと通る、幼い声。グレーの髪を後方で二本に束ね、小さい顔の頂点ではアホ毛がぴょこぴょこと跳ねる、夕雲型駆逐艦の末妹である清霜。よく私になついてくれていて、トレーニングに勝手についてきて勝手に落伍する姿はもはや舞鶴の風物詩となっている。

 

 

「やっぱここら辺の海水はまだ赤いわ!あとぬめぬめしている気もする!味は……どほふぇ……鋼材の塩辛って感じぃ……」

 

 

 奇行に走る清霜の頭を軽くはたき、水筒で口をゆすがせる。そもそも私達は水質を確認する機材等を持ち込んでいない。清霜にはこの作戦はあくまで建前である旨を何度も説明していたのだが、私と同じ艦隊に組まされて有頂天だったのだろう。やる気を出してくれるのはいいが完全に空回りしている。

 戦艦になれるかな?と聞いてくる清霜の質問に答えあぐねていると、同じく駆逐艦の秋月が表情を曇らせ、こちらに話しかけてくる。

 

 

「その、この作戦……大丈夫なのでしょうか……」

 

 

 真面目気質な秋月にとって、回りくどい影浦提督のやり口は、少し違和感のあるものなのだろう。艦娘に作戦の詳細を伝えず、結果だけを求める彼のやり方は、今でも反感を買うことが多い。受け入れられるのは、私やグラーフの様に長年の付き合いによって諦めに近い割り切りを持てている艦娘か、五月雨や清霜の様に、どんな状況でも提督への絶大な信頼を寄せられる艦娘か……。

 疑問を持つというのも、決して悪いことではない。秋月はこの作戦の裏にある、本当の意味を真剣に考えているのだろう。

 

 

「心配するな」

 

 

 秋月の頭をくしゃりと撫で、言葉を返す。

 

 

「横須賀の連中によって敵主力艦隊は既に壊滅している。それに、影浦提督(やつ)がどの様な回りくどい作戦を練っていたとしても――この武蔵がいる。お前らが沈むようなことはあるまいて」

 

 

 清霜がきゃあ、と叫び、興奮しながらすり寄ってくる。一方秋月は、少し赤面し、恐縮しながら、それでも不安げな顔のままである。

 

 

「も、もちろん武蔵さんと御一緒させていただいて、秋月、大変心強く感じております!ですが、その、私が気にしているのは、自分ではなく……」

 

 

 秋月が、目を伏せる。

 

 

「横須賀の方々です。翔鶴さん、瑞鶴さん、大丈夫でしょうか……」

 

 

 秋月と同じく、私も海面を見つめる。不気味なほどに凪ぎきった足元は、銀鏡の様にオレンジの夕日を跳ね返す。静まった海の上を、波を立てて割っていく事に、何故か不吉なものを覚えてしまった。

 彼女らの顔を最後に見たのはいつだっただろうか。私がずっと昔、宮下元帥の指揮下にいたころ、五航戦と私は新戦力として肩を並べ、共に切磋琢磨したものだった。今の彼女らの練度や装備を考えると、中破をすることすら稀に思う。だが、拭いきれない不安が、じわりと広がっていった。

 

 

「あの二人なら何が起こっても大丈夫であろう。今頃横須賀の基地でゆっくりしているのではないか?」

 

 

 半ば自分に言い聞かせる様に、秋月に返す。僚艦のビスマルクが、少し驚いたようにこちらを振り向いた。

 見透かされたのであろう。自分でも、本心の筈だった言葉が、空虚なものになっていることに驚く。静かすぎるこの海が、何かの前兆である様に思えてきたのだ。

 

 

「私もそう思います。根拠は無いんです。だけれど……」

 

 

 秋月が言いよどんだ瞬間、雑音混じりの無線の中に、聞き覚えのあるイギリス訛りの声が入ってきた。

 ビスマルクが鬱陶し気に、私達の頭上を行く複葉機を睨みつける。

 この形式ばった任務を放棄する、合図だと判断。不安を頭の隅へと追いやり、交戦準備を始める。たとえかつての戦友がどの様な目にあっていたとしても、指揮系統が別な以上、自分に課せられた任務を第一に考えるのが、私の信条だ。だが、もし、「敵の残存勢力」が私の目の前に現れて、友を傷つけているのだとしたら――当然任務を遂行し、クソ野郎共を海の底へ叩き落としてやる。

 

 

 

 

 

 

 砲煙を払いのけ、着弾地点を確認する。おびただしい数の敵の群れ、それもかなりの精鋭揃いと見える。不意を突いた私達の攻撃は、かなりの損傷を相手に与えた。だが、それでも敵の分厚い装甲を貫くには至ってない。爆炎と黒煙の先に、夕日に揺らぐ地平線が見えた。日没まで時間が無い。

 

 

「航空優性の利が働いている内にケリをつけるぞ!弾薬効率度外視の一斉射を行う!全艦この武蔵に合わせろ!」

 

 

「フッ……、一斉射か、面白い。いいだろう。このNelsonに任せるがいい。全艦余に合わせろ!」

 

 

「一斉射ね!良いんじゃないかしら。もちろん旗艦はこのBismarckよね。全艦、この38㎝連装砲に合わせなさい!」

 

 

 

 "Nelson Touch‼"

 

 

 私達に近い敵からフォーカスを合わせ、次々と葬り去っていく。即席の日独英入り乱れた艦隊であるが、有無を言わせない圧倒的な火力を押し付け、連携という形にしている。爆炎に爆炎を重ね、魚雷や副砲も総動員し、鉄の暴風雨を相手に浴びせる。

 

 

『Ark Royal攻撃隊、再度爆撃を行う。これが最後の攻撃だ。積み荷を全てぶちまけろ!』

 

 

『よろしい。Graf Zeppelin攻撃隊、発艦始め!夜目が利くフラグシップ空母を最優先標的とする。蹴散らすぞ!』

 

 

 無線から、航空支援の旨が届いてくる。一斉射で付けた傷口を、潤沢な質量爆撃で広げていく。夜になってしまえば、特別な場合を除いて、航空母艦は殆どその役目を終えてしまう。ここで全ての爆弾と魚雷を使い果たすのは理に適っているが、我々の一斉射を読んでいたかの様なタイミングに、彼女らの高い練度が窺える。

 

 一方的な戦いであった。結果的に我々は敵増援部隊の虚を衝いた形となり、極々少ない損害で敵精鋭部隊を壊滅させるという、大戦果を挙げた。

 フラグシップに鬼級、姫級すらも容易く撃沈出来た。今後の戦況に大きな影響を及ぼすであろう、開戦きっての大勝利。日が沈みきる頃には、動く敵艦はいなくなっていた。

 大規模作戦での勝利を踏まえると、深海棲艦側が切ることの出来るカードは殆ど無くなったはずだ。だが、その勝利の、あまりにも大きい代償に、私の心は沈んでいた。

 油で燃え、赤く濁った海の上で、動かなくなった白い着物。煤と血で汚れて、面影も無かったが、それでも彼女であると、断言出来る──いや、断言してしまっていた。

 戦闘の後だというのに、海はまだ、腹だたしい程に静まり返っていた。炎で照らされた彼女の顔を見た、秋月が悲鳴を上げて駆け寄って行く。

 クソ、と消えゆくようなか細い声で、私は悪態をついた。亡骸となり、黒い粒子を傷口から漏れ出す深海棲艦が、見開いた目で、じっ、と私を睨みつけてくる。

 

 

 

 

 

「救援要請に応じてくれてありがとう。助かったわ」

 

 

 椅子型の艤装に座ったまま、ウォースパイトが礼を述べてくる。女王の様な風格を感じさせる、泰然とした態度で、赤黒い海を見つめていた。炎に照らされた頬は、煤と血で汚れきっていたが、それが彼女の美しい白く透き通った肌とブロンドの髪を、より一層際立たせていた。

 萩澤提督率いる日英艦隊の両翼を担うのが、金剛とここにいるウォースパイトである。二度目の生を受けたこの世界でも、彼女は世界随一の武勲艦としてその名を轟かせている。

 

 

「こちらこそ──」

 

 

 次の言葉が、出てこなかった。唇を噛み、俯く。するべき謝辞も労いも、今の私には出来そうに無かった。

 そんな私に気を遣ってか、ウォースパイトは続きを待たず、再度口を開く。

 

 

「間違いなく、この先の戦況を変える戦闘だったわ。この様な大戦果はBritain(英国)でも経験した事は無く──」

 

 

 彼女が、艤装の手すりを、さらり、と撫でる。宝石の様な碧眼を細め、揺れる炎の先から目を逸らした。

 

 

「彼女達の犠牲に見合った、それだけの戦闘結果を──」

 

 

 ウォースパイトは口を閉じ、俯く。私は彼女の言葉に返す事は無かった。

 

 

「──ごめんなさい」

 

 

 私はただ、目の前に広がる、地獄の様な光景を、呆然と眺めていた。

 

 

「翔鶴さん!あぁ、嫌……嫌ですっ!死なないで……嫌ぁ……」

 

「あり……う……瑞……守って……れて……」

 

「守れて無いです!翔鶴さんの事……うぅ……また、また私……っ……」

 

 

 秋月が、翔鶴に縋り付き、泣き叫ぶ。必死に止血作業を行っているが、誰もそれを手伝おうとしない。翔鶴は下半身を喪失しており、端正な顔立ちだったはずの頬には、亀裂が入り、白い粒子が漏れ出している。死だ。死なせてしまった。我々は自責の念にとらわれながら、死を迎える、沈んでいく彼女を眺めていることしかできない。二人の傍ら、初月が半壊した翔鶴の艤装を持ち、立ち尽くしていた。

 

 

「同志Верный(ヴェールヌイ)!なんて傷だ……今、応急処置を施してやる」

 

「同志!遅くなってごめん……、あぁ、そんな、(アカツキ)……酷い、酷過ぎる……!」

 

 

 ロシア艦の2人が、響の元へ駆け寄る。透き通るような銀色の髪と、純白の服は、最早見る影も無かったが、辛うじて轟沈には至っていない。だが、暁は……。既に言葉を発しなくなっている最愛の姉の手を握りしめながら、響はうわごとのように口を開く。

 

 

「私が……私が沈むべきだったんだ……。一緒に、司令官に謝りに行ってくれるんじゃなかったのかい……。どうして私をかばったんだ……。私はもう、何も、償えない……」

 

 

 ウォースパイトが眉をひそませる。

 

 

「あの子たちまで」

 

 

 第六駆逐隊はかつて萩澤提督の編成下にあった。数多の死闘をくぐり抜けてきたウォースパイトも、戦友を失うことには慣れていないのだろう。彼女には珍しい、明らかな動揺だったが、今の私にはそれに反応出来る気力はもうなかった。

 

 

「なぁ武蔵(ムサシ)

 

 

 爆撃の任を終え、艦載機を収容しながら、グラーフが語り掛けてきた。私の顔を見て一瞬怯んだ様子を見せたが、直ぐに話を続ける。

 

 

「彼女はこちら側なんだよな?」

 

 

 グラーフの視線の先、積み重なった死体の上で、女が一人、高らかに狂気の声を上げていた。

 

 

「キャハ、キャハハ、アァッハハハァ!!!沈メッ!惨メニ!死ネッ!死ネェ!!!」

 

「瑞鶴さん!もう動かないでぇ!本当に死んじゃいますからぁ!」

 

 

 その女は既に息絶えた深海棲艦に向かって、何度も何度も折れた矢を突き立てる。腕の肉は裂け血を噴き出し、骨まで見えていた。照月と涼月、清霜が必死に止めようと身体を押さえているが、意に介していない。髪は天に向かって逆立ち、歪な艤装を携える。顔は狂気に染まり、血を啜る鬼の形相だった。だが、かつて横須賀で肩を並べたあの空母の面影を、残酷なほどに色濃く残していた。

 

 

「絶対に撃つなよ。友軍だ」

 

 

 グラーフは再度こちらを見て、そうか、と短く呟いた。

 

 日が完全に落ちた。暗闇に光るのは、深海棲艦の亡骸から漏れる粒子と、炎のみ。血に染まった海に膝をつき、翔鶴の手を握る。恐ろしく冷たかった彼女の身体は、少し震えていた。ごめんなさい、提督。彼女が呟いた。身体の震えが止まった。秋月が絶叫する。

 私の身体に湧いてきたのは、悲しみではなく、怒りだった。彼女達を死に至らしめた深海棲艦に、彼女達を救えなかった自分の未熟さに、そして彼女達を死地へ追いやった司令部に――

 ふと、私の頭に一つの疑問が浮かぶ。

 宮下元帥は、この状況下で何をされているのだ?

 あの方がこの様な未来を許す筈が無い。横須賀に新しく着任した提督は失踪したと聞いている。その失踪が事故だろうが陰謀だろうが、司令官がいない以上、はらわたを引きずってでも臨時の提督として戻ってくるはずだ。

 

 歴戦の提督として神話を築き上げた、護国の英雄宮下元帥。

 珍しく、表立って行動をしている我々の指揮官、影浦提督。

 らしくない、焦った様子が報告されている、若き天才萩澤提督。

 宮下元帥が戻ってくるまでの繋ぎとして着任した、名前すら公開されていない、消息不明の少年提督。

 

 目の前に広がるいたましい光景と、提督達の不穏な動きに、何かしらの因果関係がある様に感じた。

 静かに燃える炎の前で立ち尽くしながら、目の前の現実から逃れる様に思案する。そうしていると、私の耳にノイズが走った。

 上空を警戒しているアークロイヤルの航空隊からの通信だった。ビスマルクが再度、苦虫を嚙み潰したような表情をする。余程焦っているらしく、チャンネルを絞らずに支援艦隊全体に無線を発していた。

 

 

『南東の方からこちらへ向かう正体不明の船舶を発見!距離にして3マイルだ!』

 

 

 船舶?深海棲艦ではないのか?何故この海域に?溢れる様に疑問が噴き出してくる。3マイルだと?日が落ちていなかったら、視認出来ていた程の近距離だ。萩澤提督の艦隊であれば、夜間装備も充実している筈。私は苛立ちを隠さずに、アークロイヤルに無線を返す。

 

 

「何故この距離になるまで報告しなかった。見逃したのか?」

 

 

『違う!レーダーに映らなかったんだ……!それだけじゃない。あの船、何か変だ!』

 

 

 変、だと……?その言葉に困惑しながら、南東の海を見る。

 

 その船はゆっくりとこちら側に向かってきた。船体の至る所に銃痕があり、船室の窓は割れ、天井は黒く焦げめくりあがっていた。

 波を立てず、エンジンの音さえしない。船を中心に、黒曜石を思わせるような紺藍の光が漏れ出している。炎に照らされていた筈の黒い海は、いつの間にか群青に染まっていた。

 私達は言葉すら発さずに、ただその光景を眺めていた。船体から発せられる細かい光の粒子が、妖精によるものだと気付くまで、その場に立ち尽くしていた。

 私達は、その光景を知っていた。私達が、二度目の生を受ける前、船としての役目を終えた者達が行きつく、海の一番深い場所の色。はっきりとは思い出せない、だが、私達の中に確かにある、魂が、あの色を覚えている。

 

 

「アァ」

 

 

 肉塊から顔を上げた瑞鶴が、歪んだ笑顔を船に向ける。血でべっとりと濡れた黒い顔に、白い歯が浮かび上がる。

 

 

「提督サンダ……」

 

 

 瞬間。船の中から、いっそう際立った光がゆっくりと現れた。その光の集合体は、ゆらりと揺れながら、海の上へ降りてくる。

 淡い光に充てられた秋月の顔は、呆気にとられていた。恐らく私達も、同じような顔をしていたのだろう。我々や深海棲艦と同じく、海の上に立っているソレは、人間だった。

 ちぎれかけた右足を引きずり、倒れこむ様に翔鶴の側らに跪く。

 その人間は、泣いているように見えた。翔鶴の黒く染まった袖を強く掴むその手には、細かい切り傷が刻まれ血がにじんでいた。何度も何度も翔鶴に謝り、時折苦しそうに鎌首をもたげ、うめき声を出している。

 光が強くなっていく。男と翔鶴の周りに、青い彼岸花が咲き始めた。二人を囲み、包み込むようにその花は咲き誇る。花弁が空へと昇っていき、光の粒子と混ざり合う。二人を中心に、円状の波が静かな海をかけていく。見たことのない姿の妖精が、翔鶴の周りを笑顔で飛び交う。

 翔鶴の手が、かすかに動いた。秋月が即座にその手をとり、号泣する。男は安心した表情を見せた後、暁の近くへ這い寄っていった。

 

 私達は最後まで、動けなかった。

 

 

 

 

 

 

 コンクリートで囲まれた、冷たく暗い部屋に、青い粒子が怪しく光る。妖精が、ビーカーやフラスコに映った自分の姿を不思議そうな顔で眺めている。光の中心、古びた机の上で、白衣を着た少女が鼻歌を口ずさみながら、作業をしている。

 1匹の妖精が、換気扇からふらふらと舞い込んできた。白衣の少女が、その妖精を優しく両手で迎え入れ、愛おし気に頬を撫でる。

 妖精は嬉しそうに、少女の指の腹に頬ずりをする。少女は優しい笑みを保ったまま、鉗子で妖精の目を抉る。少女は妖精の目を口に放り込み、口の中で転がす。

 

 

「ウフフ」

 

 

 少女は一層、機嫌を良くしたようだ。古びた木の椅子に強くもたれかかり、鉗子を放り投げ、大きく伸びをする。

 机の上では、両の目を抉られた妖精がおぼつかない足取りで彷徨っていた。他の妖精が、その姿を嗤い、肩を突き飛ばし、足を引っかけて遊んでいる。

 少女はその光景を眺めながら、1人呟く。

 

 

「ダメージコントロール……いや、応急修理要員とでも名付けようか。まさかあの少年の歪んだ論理感、自己犠牲の感情が、この様に作用するとは」

 

 

 少女は盲目の妖精を、手のひらでひねりつぶす。妖精は青い光の液体になって、気体に離散した。

 

 

「彼はここで退場の予定だったが、計画を少し変更しなくてはな。薄ら寒い艦隊ごっこの解体の続きよりも、興味深い研究対象が出てきてしまった」

 

 

 少女は笑顔で作業を再開する。だが、背後の扉が開いた瞬間、憎悪と不機嫌が混ざり合った顔に豹変する。

 

 

「まったく君達は次から次へと」

 

 

 少女は溜息をつき、椅子を反転させて、扉を開けた人物へと向き直る。

 

 

「ここは一応、軍関係の施設の中でもトップシークレットの研究所なんだけどね。それを何だい君達は……公衆便所の様に出たり入ったりしやがって」

 

「ここからは便所以下の臭いがするけどな、ゴミカスめ」

 

 

 黒い長髪を翻し、純白の制服に身を包んだ女が、帽子越しに少女を睨みつける。

 

 

「ようこそ萩澤提督……。ちゃんと対面するのは初めてになるのかな……」



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