裸の王様 (龍流)
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裸の王様

 二宮匡貴は、とても勘違いされやすい人だ。

 

 外見の容姿は非常に整っている方だと思うし、背も平均より高い。親しみを一切感じられない仏頂面も見ようによってはクールと言えるかもしれない。しかし、それらのプラス要素を差し引いて余りあるほどに、彼はマイナスな方向に勘違いされやすい人なのだ。

 

 

「氷見さんとこの隊長さんってかっこいいよね」

 

 

 なので、学校のお昼休み。あまり深い話をしたことがないクラスメイトにそんなことを言われても、二宮隊オペレーターとしては、曖昧な笑みを浮かべて、こう答えるしかない。

 

 

「そうかな?」

 

「そうだよ~」

 

 

 重ねて言うことでもないと思うが、そこまで話したことがないグループの子だった。なんというか、明るくて、いかにも『JK』といった明るさを持っている類の子である。

 

「この前、他のクラスの友達が焼肉屋さんで氷見さんを見かけたらしくて。一緒にご飯食べてた人がすごくカッコよかったから、思わず写真撮っちゃったんだって!」

 

 

 盗撮じゃん。そう言おうと思ったが、しかしうちのチームの男子は客観的に見ても顔が良いので、こういうことは稀によくある。常日頃、カメラに向けて笑顔でいることを強いられている嵐山隊などと比べれば、かわいいものだろう。

 

 

「これ、隊長さんでしょ?」

 

「……あー、うん。そう」

 

 

 ぐいっと見せられたスマホの画面の中では、焼肉をしながら仏頂面でジンジャーエールを傾けている我らが隊長が写っている。なるほど、たしかに焼肉店の中でジンジャーエールを傾けてこんなに『画になる』写真が撮れるのは、うちの隊長くらいだろう。

 

 

「やっぱりそうだよね! いいなぁ~。ボーダー隊員で、しかも年上でこんなにカッコイイ人がバイト先の上司だなんて! 憧れちゃう!」

 

 

 ――私達の仕事を、バイト呼ばわりか。

 

 

 心の中で彼女に対して行っていたカテゴライズを『なんとなくニガテ』から『ニガテ』に変えながら、それでも私は表面上は肩を竦めて答えた。

 

 

「べつに、ボーダーでの活動は仕事だし。みんなが思ってるほど、恋愛沙汰とかないって」

 

「氷見さんってほんとにクールだよね~」

 

「私がクールなんじゃなくて、みんなそうなの」

 

 

 昔の私なら固まって体裁のいい答えを取り繕うのに時間をかけていたかもしれないが、今の私は『こういうキャラ』で売っているので、ざっくばらんに答えることができる。実際、下手にニコニコして誤魔化すよりも、さばさばとしたこのキャラの方が、女子ウケ……もとい同性ウケも良かった。

 

「隣のクラスの子が、氷見さんのことかわいいけど少しこわいって言ってたよ」

 

 

 ただし、異性にはちょっとこわがられているらしい。

 

 余計な情報をどうもありがとう、と言いかけたが、流石にトゲがありすぎるのでやめておいた。

 

「べつに、好きじゃない男子にどう思われてもどうでもいいし」

 

「マジでブレないね~。あ、でも好きじゃない男子にどう思われてもいいってことは、好きな男子には良く思われたいってことだよね! もしかして、今好きな人いたりするの?」

 

 いてもあんたには言わないわよ、バーカ。

 

 と言ってしまうと、もはやトゲがあるという話以前の問題なので、今度は大袈裟に溜息を吐いておく。

 

「……も~、いい人がいたら紹介してほしいくらいだって」

 

 口調を意図的に目の前のバカに寄せてみる。少しだけ、溜飲が下がった気がした。

 

「えー、氷見さんかわいいから、その気になればすぐにいい人見つかるって」

 

 

 これはすごく個人的な意見だが、女子が女子に言う「かわいい」ほど、信用できないものはない。ましてや、同じクラスであるにもかかわらず苗字で呼び合っているような仲の相手から言われる「かわいい」なんて、社交辞令の挨拶と変わらない価値しかない。

 

「でもそっかぁ……チーム内で恋愛とかないんだぁ」

 

「ないない」

 

「だったらさ、この氷見さんのチームの隊長さんも、彼女とかいないってことだよね! よかったら、その……紹介してもらえたり、しないかな?」

 

 うわ、話そっちにいくのか。

 

 あまりに馬鹿馬鹿しい提案に、自分の表情が強張っていないか不安になる。が、そもそも目の前のコイツは、私のことなど見ていない。見ているのは二宮さんの顔面偏差値だけだ。

 

 どう言えば角を立てずに断れるか……と頭を悩ませていると、ちょうど助け舟が欲しかったそのタイミングで声がかかった。

 

 

「ごめーん!ちょっと氷見ちゃんかりるね~」

 

 

 するり、と。その場に割り込んできたのは、長い黒髪が特徴的なメガネ女子。

 

 宇佐美栞である。

 

「えー、宇佐美~。わたし、氷見さんからボーダーのお話聞いてたんだけど~」

 

「ごめんごめーん。でもほら、こっちもそのボーダーの急用でさ!」

 

「仕方ないなぁ~」

 

 

 私は「氷見さん」なのに、宇佐美は「宇佐美」なのか、なんて。

 

 微妙に些細な言葉尻を捉えてしまうあたり、私も自分で思っている以上にイライラしていたのだろう。だから、そのまま成されるがままに宇佐美に引きずられ、教室の外に出てなんとなく自販機に向けて歩き始めた段階で、

 

「で? 用事ってなに?」

 

「ん? いや、特にないけど」

 

 とぼけた表情でそう言われて、思わずずっこけそうになった。

 

「はぁ!? 用もないのに呼んだわけ?」

 

「うん。だって、なんか話してて『ちょっと困ってる』みたいだったし」

 

 ……気を遣って連れ出してくれたんだ。

 

 

「あの子、悪い子じゃないんだけど、自分の話を始めると止まらないところがあるんだよねー。だから、氷見ちゃんはちょっと苦手かなって」

 

「……余計なお世話よ」

 

「やっぱり!? ごめーん!」

 

「……ウソ。助かった。ありがと。なんか奢ってあげる」

 

「ほんと!? やったー!」

 

 

 宇佐美はオペレーターとしても群を抜いて優秀だし、おまけに細かいところによく気がつく。しかも、本人は至って明るく、人付き合いがうまい。

 

 

「あ、じゃあ奢ってもらうお返しに、似合いそうなメガネ見繕ってくるよ!」

 

 

 あとは、無理矢理メガネ人口を増やそうとする悪癖がなければ完璧だ。

 

「お返しのお返しされたら意味ないでしょ。ていうか、メガネの方が絶対高いし」

 

「へっへっへ……安くしておきますぜ、旦那……」

 

「金取るんかい」

 

 とはいえ、根が暗く、あがり症で、引っ込み思案で、その癖自分が言いたいことは空気を読まずに他人にずけずけと言ってしまう、私のようなかわいくない女とも、こうして遠慮なくツッコミができる関係を保ってくれているわけで。

 

 宇佐美栞は、私にとって数少ない大切な友人である。

 

 休み時間もまだあることだし、正直教室には戻りづらい。結局、先ほどのお礼は自販機のジュースということで手を打ってもらい、しばらくベンチに座って時間を潰すことにした。ボーダーのこと、学校のこと、適当な雑談を適当に回せるのが、本当に楽でいい。

 

 と、思っていたのだが、

 

「でもさー、止めに入っておいてこんなこと言うのもどうかと思うんだけど……正直、アタシも気になってたんだよねぇ」

 

「何が?」

 

「二宮さん」

 

 

 その一言に、私はブリックパックの飲むヨーグルトを取り落としそうになった。なったが、すぐに思い直して握力を取り戻す。

 

 宇佐美は、脳みそが恋愛という話題で七割占められているような、あのバカ女とは違う。私は、溜息を吐いた。

 

 

「あー、あれでしょ? あんたのことだから、恋愛的な意味で気になるうんぬんとかじゃなくて、単純にどんな人なのか興味があるってことでしょ?」

 

「そうそう! 二宮さんって個人ランク戦もあんまりしない人だし、二宮隊以外だと、東さんとか三輪くんくらいしか、話してるとこも見ないし。まあ、アタシが風間隊抜けたあと、本部に行くことが減ったのも原因だとは思うんだけど……」

 

「たしかに、絡む機会はないわね」

 

「でしょ? だから気になる!」

 

 

 ふんす、と鼻息荒く詰め寄ってくる宇佐美。レンズの奥から興味津々といった様子でこちらを覗き込んでくる瞳が、実に鬱陶しい。

 

「あんたが二宮さんの話聞いてどうすんの?」

 

「これから仲良くなる機会があるかもしれないじゃーん。あと、可能であればあの整ったお顔にメガネをかけたい」

 

 コイツは、あのバカ女とは違うと言ったが、訂正しよう。

 

 コイツも、脳みその七割がメガネで汚染されているバカ女だった。

 

「はいはい。バカなこと言ってないで、そろそろ教室戻るわよ」

 

「えー、二宮さんの話聞かせてよ~。あ、そうだ! 今日は防衛任務のシフト入ってないでしょ? 放課後、JKらしくお茶しようぜ。なんならタピっちゃう?」

 

「なんであんた、うちの防衛任務のシフトまで把握してんの……?」

 

「アタシ、優秀なので」

 

 

 宇佐美は得意気に、キラーンとメガネをくいくいしているけれど、私はべつに今風のJKではないので、そんな放課後タピオカに興味はない。あんなデンプンの塊をわざわざ長い列に並んで摂取するくらいだったら、お気に入りの入浴剤を入れたお風呂の時間を延長して、酢豚食ってさっさと寝る。

 

「悪いけど、パス。また今度ね」

 

「あ……そういえばこんなところに、偶然撮影できたとりまるくんのスーツ姿の写真があるんだけど……残念だなぁ……タピりながらひゃみちゃんに見せて放課後ガールズトークしたかったなぁ」

 

「授業終わったら校門前集合。どこでタピるかはまかせる」

 

「あいあいさー!」

 

 ビシッと敬礼を返してきた宇佐美を残して、私はスキップしながら教室に戻った。

 

 うん。実を言うと、タピオカ、一回飲んでみたかったんだよね。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 二宮さんに、最初に出会った日のことを思い出す。

 当時の私は、本当に初対面の人と話すとガチガチに緊張してしまうようなあがり症だった。吐き気すら覚える緊張感を抱えながら、意を決して扉をノックしたあの感覚は、今でも鮮明に手のひらの裏に残っている。

 

 

「オ、オペレーター志望で来ました……氷見亜季です。よ、よろしくお願いします」

 

 

 二宮匡貴という人間に対して抱いた第一印象。

 

 

「部隊を新設することになった、二宮だ」

 

 

 冷たい瞳。

 

「これから、部隊加入にあたっての面接審査をはじめる」

 

 

 涼やかな声。

 

 

「どうした? 突っ立ってないで座れ、氷見。それとも、お座りください、と言わないと座れないのか?」

 

 

 無愛想。

 

 

「は、はい……すいません」

 

「判断が鈍いな。マイナスだ」

 

 

 無遠慮。

 

 

「俺のチームに、トロいヤツはいらない」

 

 

 傍若無人。

 

 

 うん。これはひどい。あまりにもひどい。

 

 こうして思い返してみると、二宮さんへの第一印象は最悪な要素しかなかった。というか、実際に最悪だった。もし合コンに行ったら、顔は良いから最初は女子にキャーキャー言われるけど、あとから確実に空気を悪くするタイプだ。間違いない。もっとも、二宮さんは合コン行かないだろうけど。

 

 そもそも、オペレーターが個人からチームへ加入するにあたって、簡単な顔合わせをするチームはあっても、こんな形で就活生も真っ青な圧迫ブラック面接を行ったのは、二宮さんくらいだと思う。あとから聞いた話によると「東さんも一対一で面接していたから、俺もそうしただけだ」ということらしい。が、奥寺くんと小荒井くんは、それぞれ東さんの面接を「緊張を少しずつ解きほぐしてくれた」「学校の先生の個人面談より優しかった」と評していた。それを目指してあんな面接になったのなら、そもそもの方向性が間違っていたのだと言わざるを得ない。

 

 

 とにかく、二宮さんの圧迫面接はひどいものだった。

 

 

「この部隊を志望した動機は?」

 

「元A級一位部隊の二宮さんが、部隊を新設されると聞いて……」

 

「おまえは、俺についていく自信があるか?」

 

 

 ついていくかも決めてないのに、そんなことを聞かれても困る。そもそも、まだ出会って三分くらいしか経っていない。こんなカップ麵みたいな関係性で「あなたについて行きます!」と答えられたら、それはもうただのインスタントお手軽女だ。

 

 しかしながら、その時の私は今よりももっと引っ込み思案だったので、二宮さんの威圧感を前にして、答えに詰まって押し黙るしかなかった。過去に戻れるのなら、精神的DVで訴えてやりたい。

 

 

「答えられない、か。まあ、いい。長話をする気はない」

 

 

 じゃあ面接すんな。

 

 

「手短に済ませてしまおう。これから、テストを行う」

 

「テ、テスト、ですか……?」

 

「ああ。俺は上辺を取り繕った人間性や、表面的なコミュニケーション能力を評価する気はない」

 

 

 この面接のために用意してきた書類(すごく一生懸命書いた)を、机の上に投げ捨てて。二宮さんは言った。

 

 

 

「俺が欲しいのは『才能がある人間』だ」

 

 

 

 

 思い返しながら、散々こき下してしまったけど。

 

 ある意味。この一言が、二宮匡貴という人間の本質であると、私は思う。

 

 ボーダーのランク戦は、チーム戦だ。一人では戦えない。戦闘員が戦い、オペレーターがサポートし、チーム一丸となって戦わなければならない。どれか一つでも欠ければ、勝つことはできない。

 

 勝つために協力し、力を合わせ、結束を深める。言うのは簡単だけど、これほど難しいことはない。ボーダーのような特殊な例で考えなくてもいい。チームスポーツを経験したことのある人間なら、誰しも覚えがあるはずだ。

 

 

 勝利に対する執着は、時にチームの輪を大きく乱す。

 

 

 チームとは、コミュニティである。部隊とは、ボーダーという組織における、自分の居場所である……なんて、格好つけて言うまでもなく。人は、孤独を嫌がる生き物だ。誰だって、居心地のいい場所に居たいに決まっている。嫌われたくない。疎まれたくない。特に私達のような学生という存在は、そんなアイデンティティの喪失に怯えながら、常に居場所を探しているはずなのに。

 

 

 

「俺は勝ちたい」

 

 

 

 その瞳が見据えているのは、結果だけだった。

 

 A級一位、東隊という頂点からの再出発。自分が強者であると疑わない、絶対の自信。なによりも貪欲な勝利への執着。求めるのは、それを満たすためのピース。

 

 

 彼の在り方は、有能な駒を欲する王、そのものだった。

 

 

 そして、気弱で引っ込み思案だった私は、

 

 

「この部隊に入りたいのなら、力を示せ」

 

 

 ともすれば人に疎まれるであろうそんな在り方を、堂々と示す気高さに。

 強く惹かれてしまったのだ。

 

 

「……わかりました」

 

 

 緊張はいつの間にかどこかへ消え去っていた。

 

 机の前に移動するように促され、目の前に置かれたのはオペレーター用のPC。実際に求められる機器操作だけでなく、戦術予想、指揮、判断能力を問う思考問題まで。過剰とも言える質と量の課題を、二宮さんは突きつけてきた。それらの課題を、私は死に物狂いで必死にこなした。

 

 

「……いいだろう。合格だ」

 

 

 仏頂面で、淡々と。そう言った口元が、僅かにつり上がったのを見て。

 

 私はようやく全身の緊張をほどき……そして、笑うことができた。

 

 

「大丈夫? 疲れたでしょう? うちの二宮さんが、本当にごめんね」

 

 

 それまで、かき消されたように存在感が皆無だった、二宮さんの隣に座っていた女性。決して美人ではない。そばかすが散った地味で目立たない外見だったけれど。

 

 

「これから、よろしくね」

 

 

 彼女が見せてくれたはにかむような笑顔を、私は一生忘れないって。今でも、胸を張って言える。

 

 この日から、私は二宮隊の一員となり、王の駒としての役を担うことになったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、王は天然だった。

 

 

「隊服を決定した」

 

 

 自信満々にそう言った二宮さんが戦闘体に換装した瞬間、常に薄っぺらい笑顔を貼り付けてキープしていた鳩原先輩の笑顔が、一瞬で瓦解した。その表情も、私は一生忘れないだろう。ごめん鳩原先輩。忘れてって言われても多分無理。

 

 

「に、二宮さん……それは?」

 

「スーツだ」

 

 

 首元に手を当て、おもむろにネクタイの調子を確認しながら、二宮さんは言い切った。鳩原先輩の額に、冷や汗が滲む。

 

 

「な、なぜスーツなんですか……?」

 

「ジャージはダサい」

 

 

 二宮さんはオシャレである。好きな飲み物はジンジャーエールだ。部屋にいる時は大体ジンジャーエール飲んでる。

 

 

「おおっ! 黒スーツ! カッコイイですね!」

 

 

上辺を取り繕った人間性や、表面的なコミュニケーション能力を評価する気はないと言ったくせに、上辺を取り繕った人間性と表面的なコミュニケーション能力を買われて加入したとしか思えなかった犬飼先輩は、今よりもさらに輪をかけて軽薄っぽい雰囲気だった。私は初対面で「あ、この人、彼女途切れないタイプだ。ちょっと無理」と思ったくらいだ。

 

 

「犬飼、お前も換装してみろ」

 

「はい! トリガーオンっと……うひゃ~カッコイイ~。あ、オレのヤツはベストないんですね!」

 

 

 そんな犬飼先輩が二宮さんと並ぶと、もう完全にただのホストだった。

 

 

「おまえに合わせて、少しデザインを変えた」

 

 

 二宮さんは、結構ちゃんと部下を見てくれていた。

 

 

「お~、辻ちゃんも似合ってるねー」

 

「ありがとうございます」

 

 

 今よりもさらに輪をかけて自己主張が少なかった辻くんは、特に反抗することもなく意見も言わず、さっさと換装していた。

 

 

「氷見」

 

「はい?」

 

「すまないが、おまえの分は用意してやれなかった」

 

「大丈夫ですありがとうございます」

 

 

 二宮さんは、意外と部下にいらない気遣いができる人だった。私は戦闘員ではなくオペレーターになったことを、神様に深く感謝した。

 

 残るは、鳩原先輩のみだ。

 

 

「えーと、あの……二宮さん」

 

「鳩原」

 

「はい」

 

「おまえの言いたいことはわかる」

 

 

 二宮さんは先読みにも長けていた。

 

 鳩原先輩の表情が、一縷の望みにすがりつくように、パッと輝く。もしも、スーツ以外の選択肢があるのなら、と。

 

 

「だが、俺は動きにくいタイトスカートを許す気はない。選択肢はパンツスーツのみ。これは命令だ。異論は認めない」

 

「あっはい」

 

 

 

 最初からスーツ以外の選択肢はなかった。鳩原先輩は全てを諦めて換装した。

 

 二宮さんはやっぱり傍若無人だった。

 

 

 

 

 

 二宮さんは、部下の苦手に対しても厳しかった。

 ある日、食堂でミーティングをしている最中に、私は二宮さんにこんなことを言われた。

 

 

「氷見、お前の緊張癖はどうにかならないのか? 身内の中なら支障はないが、これから先、チームの人間以外と関わる機会も増えるだろう。可能なら、改善しろ」

 

「……すいません二宮さん……一応、治そうとはしているんですが……」

 

「治そうとしている、だけでは意味がない。俺が欲しいのは治したという結果だ」

 

「でも、二宮さん二宮さん。氷見ちゃんはたしかに緊張しぃのあがり症ですけど、それを言い出したら辻ちゃんなんてもっとひどいですよ?

 ウチのチーム以外の女子とは、まともに喋ることすらできないんですから」

 

「辻は論外だ。それよりも、まだ改善の余地がありそうな氷見のあがり症から治した方が手っ取り早い」

 

「……」

 

 

 ひっそりと傷ついてる辻くんにフォローを入れてあげたかったけれど、私もそこまでの余裕はなかった。一度「やる」と言い出した二宮さんは厳しい。いくら弱音を吐こうが、泣き言を喚こうが、とことんまで突き詰める。

 

 

「氷見、お前は少々、自己評価が低いきらいがある。他人を過剰に敬うな。大抵の人間の価値は、自分より下……それくらいに考えろ。そうすれば、相手に対して萎縮することもない。過剰な緊張も自然とほぐれるはずだ」

 

「二宮さん二宮さん。そんなナチュラル王様思考はいくらなんでも無理だと思います」

 

「……ちょうどいいところに、いい例がいるな」

 

 

 鳩原先輩のツッコミを右から左に一切無視して、二宮さんは少し離れた場所に座っていた男の人に声をかけた。

 

 

「おい、太刀川」

 

 

 二宮さんからぞんざいに呼びつけられたのは、ボーダーでも屈指の実力派攻撃手、太刀川慶さんだった。

 普段あまり話さない相手なので、自然と全身が強張って硬くなってしまう。

 

 

「なんだよ二宮? 個人戦のお誘いか? それなら喜んで受けるが……」

 

「太刀川」

 

「ん?」

 

 

 胸ポケットから小洒落た手帳を抜いた二宮さんは、空いているページを軽く破ってメモ用紙を作り、そこに普段から持ち歩いている万年筆で、さらさらと私の苗字を書き込んだ。

 

 

「俺の部下の苗字だ。お前、これが読めるか?」

 

「は? おいおい、あんまり馬鹿にしてもらっちゃ困るぜ。こんなの、小学校で習う漢字だろ? 間違える方がおかしい」

 

「だが、この前は『danger』を『ダンガー』と読んでいただろう」

 

「そりゃ、英語は中学校で習うからな。間違える時もある」

 

 

 ……もしかして、この人、馬鹿なのだろうか?

 

 

「いいから、はやく読め」

 

「『こおりみ』」

 

「……」

 

「……」

 

「え? 違うのか?」

 

 

 マジ?と、絶対の自信を持っていたらしい解答の間違いを、まだ信じられない様子の太刀川さん。そんな太刀川さんを指差しながら、二宮さんは言った。

 

 

「よく覚えておけ、氷見。これが、猿以下のチンパンジーだ。こんな馬鹿に対して、緊張する必要がどこにある?」

 

「おい待て、二宮。チンパンジーは猿よりも賢かった……気がするぜ。そんな言い方はチンパンジーに失礼だろ?」

 

 

 絶対に、突っ込むところはそこではない。

 

 

「にしても……え? これで『ひやみ』って読むの?

 マジか、スゲーな……難しすぎだろ」

 

「どうだ氷見? これでもまだ、この馬鹿に対して緊張するか?」

 

「は、はい……まだちょっと、直接は話せないっていうか……」

 

 

 あまりにもバカすぎて引くというか……

 

 

「……そうか」

 

 

 呟いた二宮さんの肩が、少ししゅんとした気がした。せっかくこんなバカな人を呼んでまで、私のあがり症を治そうとしてくれたのに……なんだか、とても申し訳なくなった。

 

 

「大丈夫だよ」

 

 

 ポンポン、と。鳩原先輩が肩を叩いてくれる。

 

 

「そんな急に治るわけがないし、もしかしたらこれから先も、氷見ちゃんのあがり症は治らないかもしれない。太刀川さんの頭が絶対に良くならないように、どうしても無理なことだってあるんだよ」

 

「なあ二宮。俺はもしかして遠回しにケンカを売られてるのか?」

 

「解釈は自由だ」

 

「個人戦なら買うぞ」

 

「そういうとこだ。馬鹿が」

 

「でも、大丈夫。氷見ちゃんは、そのままの氷見ちゃんでいていいんだよ。氷見ちゃんのそういう部分も含めて、二宮さんはチームの一員に選んでくれたんだから」

 

 

 鳩原先輩の言う通りだ。

 私のあがり症は、これから先も治ることはないだろう。でも、二宮さんは私のそんな弱い部分を受け止めた上で、私を評価してくれている。そして、不器用ながらもすこしずつ、改善させようと手を尽くしてくれている。

 そのことに、胸が熱くなった。

 

 

「あ、でも……発想の転換で、こう考えてみるのはどうだろ?」

 

 

 何か名案を思いついたように、ポン!と手を叩きながら。

 鳩原先輩は、言った。

 

 

「烏丸くん相手にくらべたら、他の人は緊張しないでしょ」

 

 

 私は二秒であがり症を克服した。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 二宮さんは、たしかに厳しい人だった。己を律し、自分に足りないものがあれば後輩に頭を下げてまで教えを乞う。自身にも他人にも厳しい人だった。

 でも、私の苦手な部分を改善させようとすることはあっても、責めて詰るようなことは絶対にしなかった。それは、女性が苦手な辻くんに対しても同様だった。

 そして。

 たとえ、人が撃てなかったとしても。戦闘員として致命的な弱点を持つ鳩原未来を、稀有な才能を持つ狙撃手として部隊に引き入れ、最大限に……否、最大限を超えるそれ以上に、力を奮わせた。

 

 

「鳩原は人が撃てない」

 

 

 加入当初、その事実を聞かされた時は、耳を疑った。

 

 

「だが、人が撃てなくても関係ない。それを差し引いてなお、鳩原の狙撃手としての技量には目を見張るものがある。だから、俺はあいつをチームに取った」

 

 

 でも、人が撃てずにどうやって戦うのですか?と。

 

 そんな馬鹿な質問をした私を、二宮さんはやはり鼻で笑った。

 

 

「最初から、鳩原に得点能力は期待していない。あいつにサポートさせて、俺が点を獲る。あいつが撃てなかった分の敵は、俺が撃ち墜とせばいいだけだ」

 

 

 簡単に、そう言ってのけた。

 そして、二宮さんは実際にそれを実行し、私達はあっという間にA級まで駆け上がった。

 二宮さんが目指した頂点に、もう少しで手が届く。私達が、そう感じ始めた頃。

 

 

 ――鳩原先輩は、あちらの世界へ一人で旅立ってしまった。

 

 

 

 ◇

 

 

 少し、話が長くなった。

 

 

「寂しくない?」

 

 

 タピオカミルクティーを飲みながら、宇佐美が聞いてきた。

 

 どうだろう?、と自分自身に問いかける。

 

 

「寂しくはない、かな」

 

 

 きっと、鳩原先輩はあのままじゃ遠征に行けないって、自分で気がついてしまって。

 だから、思い悩んだ末に隊務規定を犯して、あんなことまでして。

 それが、私達の降格の理由に繋がって。

 

 それでも、私も犬飼先輩も辻くんも、鳩原先輩に対して怒りや悲しみを覚えることはなかった。

 

 知っていたからだ。

 人を撃つ、という行為にどれだけ彼女が思い悩み、苦しみ、それでも近界へ行くために、必死に戦っていたか。ずっと近くで、見てきたからだ。

 

 

「ただ、行っちゃったなぁ……って。そう思った」

 

「そっか」

 

「うん」

 

「アタシが言うのも、おかしいかもしれないんだけどさ」

 

「うん」

 

「二宮さんは、どう思ってるんだろうね」

 

「……よくわかんない」

 

 

 ストローに口をつける。

 

 思っていたよりもずっと、タピオカミルクティーは甘かった。

 

 二宮さんも、なんだかんだ鳩原先輩には甘かったな、って思う。

 

 

「よくわかんないけど……私達がやることは変わらないから」

 

「やること?」

 

「うん。勝つこと」

 

 

 多分、あまりにもさらりと言ってのけたせいで、リアクションを取る暇もなかったのか。宇佐美はメガネの奥の目を何度かパチクリさせて、そのあとでニッと笑った。

 

 

「アタシ達も、前とは一味違うぜ?」

 

「それは楽しみ」

 

「王者の二宮隊に、リベンジするからね!」

 

「やれるものなら、やってみれば?」

 

 

 本当なら、ここで酌み交わすのはお酒であるべきなんだろうけど。

 イマドキのJKである私達は、タピオカミルクティーを手に取って、コツンとぶつけ合った。

 

 明日は、三月五日水曜日。

 B級ランク戦、ROUND8。最終戦だ。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「犬飼先輩、辻くん」

 

 

 訓練ルームで黙々と練習を重ねている二人に、声をかける。

 

 

「時間だよ」

 

『了解』

『了解』

 

 

 ちらり、と私は横目で二宮さんを見た。試合直前まで練習を続けたい、という犬飼先輩の意志を尊重した二宮さんは、一人で静かに腕を組み、目を閉じていた。

 きっと、二宮さんは鳩原先輩の失踪を、私達よりもずっと重く捉えている。純粋に、鳩原先輩のことを心配しているのかもしれない。あるいは、自分に何も言わずに出ていった鳩原先輩に対して、やりきれない怒りを抱いているのかもしれない。

 二宮さんが鳩原先輩に向けていた感情。その正確な色を、私は推し量ることができない。

 

 だけど、知る必要はない。

 

 それは、貪欲に勝利を目指すために、必要な情報ではないから。

 

 二宮さんが、立ち上がる。

 

 

「……行くぞ」

 

 

 彼は、とても勘違いされやすい人だ。

 

 本当は厳しいだけの人ではないのに、仏頂面だからとても誤解されやすい。

 偉そうなのは態度だけで、ちゃんと自分から率先して部屋の掃除もする。

 二宮隊って、雰囲気硬いよね、なんて言われるけど全然そんなことはない。いつもみんなで焼肉に行ったりするし、食べてる時は結構普通におしゃべりしてる。まあ、犬飼先輩が率先して会話を回している、とも言うけれど。

 冗談言わなそうってよく言われるし、実際二宮さんの口から出てくる冗談はほとんど皮肉だけど、そもそも行動が天然だからおもしろい。ランク戦の最中、黙々と雪だるまを作り始めるのは、二宮さんくらいだ。

 

 だから、

 

 

「隊長」

 

「なんだ?」

 

 

 ――だから、

 

 

 

「勝ちましょうね」

 

 

 

 

 二宮さんが勝つために集められた私達は。

 いつの間にか、二宮さんを勝たせたいと思うようになっていたんだ。

 

 

「……当然だ」

 

 

 

『転送開始』

 

 

 

 私達は、自ら望んでこのチームにいる。その在り方も、戦いも、これから先、変わることはない。

 

 彼女が、戻ってくる場所を守るために。

 

 あの頃と変わらない、血の王冠を戴いて。

 

 王に選ばれた誇りを、示し続ける。



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