シンフォギア外伝ー卑色の絆ー (なばかりのはばかり)
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ミラアルクの場合

 スロバキアに卒業旅行で行く事になった。

 卒業旅行として高校最後の青春を目いっぱいに楽しんでやるぜ。

「やっぱり青の教会は外せないぜ」

 内装も青、外装も青、ぜひ生で見てみたい。

 友人はスロバキアと言えば城だと言ってきかないけれど、壊されて放置しているような建物だって多いのに何が面白いのかわからないぜ。けどまぁ、旅は計画を立てている時が一番楽しいって言うが、意見の衝突はできれば避けたいとろこだぜ。訪れてみれば意外と面白いのかもしれないし、どこかで折り合いを付けれればいいのだが。

 そんな風に何週間も前から友人と怒ったり笑ったりしながら計画を立てて、当日。

「晴天快晴。雲一つない気持ちのいい空だぜ」

 春が近いとは言えそれでも寒いのだが、外気温なんぞなんのそのだ。

 おススメされたチェルバニー・カメン城は映画で見た事ある場所で、荘厳明媚だったが、デヴィーン城はナポレオンに攻め落とされた時のままらしいのだが、争いごとの跡地ってのは見てもつらいだけだぜ。

 翌日の教会巡りをしていると宿屋の老父に勧められた博物館の近くに来ていた。

「ミクラーシュ刑務所には行ったかい?」

 元刑務場を拷問道具の博物館として展示している、という言葉に友人は食いついており、自分は隣接する庭が美しいという話に興味が沸いた。

「せっかくだから寄って行こうぜ」

 バスの時間にも余裕がある事だし、よい時間潰しになるだろう。

 生々しい拷問道具が整然と並んでいるのが逆にホラーなんだぜ。あの梨みたいなのとかどこにどうするつもりなんだよ。

 それらを嬉々と見ている友人に声を掛ける男がいた。

「これらを実際に使用してみませんか。生命や人権に配慮した形で。まぁ、ごっこ遊びのようなものとして楽しむ会があるのです」

「明らかに怪しいんだぜ」

 という制止に対して男は有名人や権力者の名を列挙して、彼らが会員の健全なるクラブです。と名簿を覗かせる。

「どうせなら、会ってみますか。その方が安心でしょう?」

 甘言である。

 だが、そのようなクラブがある事自体は珍しい事ではないし、最悪すぐに逃げればいい。

 何よりも興味津々の友人を放ってはおけないぜ。

「わかったぜ」

 着くとそこはいわゆるSMクラブだった。

 覆面や目隠しをした男女が鞭で打ったり打たれたり、三角木馬に跨った男が妙に上手な馬のマネをしていたりと結構刺激的な光景なんだぜ。

「最初は見て回る程度でよいでしょう。ただし、プレイの邪魔はしないよう気を付けてください」

 男はテキトウな酒を持ってきて渡し、去ってしまう。

 するとまともに服を着ている男が近寄ってきて口説き始める。

 褒められて悪い気はしない。勧められるままに酒を飲み、気分がよくなって軽く鞭で人をぶってみた。

 なんとも言えない高揚感が身を包む。服を捲ると赤く腫れているのが見えて罪悪感が沸いてくるのだが、相手の男が恍惚な表情をしているのを見ると罪の意識はなくなってしまう。

 旅の思い出に少しばかりクレイジーな部分があってもいいんだぜ。

 今度は自分が鞭で打たれる番。

 軽い、革の叩く音がする。衝撃の後に火傷のような熱が一筋走る。けれど、酒のせいもあってか痛みが苦痛じゃない。かさぶたが取れそうな時に無理矢理はがすような身を寄せたくなる痛みだ。

「あっ」

 思わず漏れた吐息がハメを外す最後の鍵だった。

 縛られ、縛り、首を絞め、絞められ、乱暴に服を脱がされるがままに裸体を晒し、陰部を擦り合う。

 肉体に与えられる刺激とは逆に陰部への刺激は優しく撫でるような甘いもの。

 異物が体にねじ込まれる。熱くて固いものが体の中で前後する。

 付けられた傷が快楽を後押しする。

「もっと……」

 ほしいのは傷か、快楽か。

 溺れるうちに気を失っていた。

 夢の中で私は両親と楽しい食事をしていた。

 暖かい食事をひっくり返すような衝撃を受けて目を覚ます。

「――」

 声を出そうとして口が塞がれていると気づく。

 布を噛まされている。手足も縛られているから目配せのみで周囲を確認すると、友人も同じような状況で眠っていた。

 体が揺れる。

 トラックの荷台に寝かされているようだ。

 二度、三度と大きな揺れが続いてやっと現状を理解する。

「――ッ」

 パニックになって叫んで、体を揺らして助けを求める。

 物音に気付いたのか男が運転席から覗き込む。

「もう起きたのか。薬物耐性があるならパヴァリアにいい値段で買ってもらえるかもしれんな」

「――っ!!」

 声にならない抗議の声を上げる。

「騒ぐなよ。いや、騒いでももう遅いが、あまりにうるさいと指の一本や二本は切り落とすぞ」

 抑揚のない声が脅しじゃなくやると言ったら冗談抜きにやると暗に理解させる。

 ここで焦ってはいけない。どうにかして逃げ出さなくては。

 手足を縛るロープから抜け出せないかと試行錯誤してみるが緩みそうにない。

 そうこうしているうちに目的地へ着いてしまったようだ。

 エンジンを掛けたままに停車したトラックは運転者を交代してまた、走り出す。今度はゆっくりとした進みで揺れも少ない。音の反響が聞こえてくるのでどこかの建物に入ったのかもしれない。

 少しして、トラックはエンジンを停めた。

 荷台が開き、光が射し込む。複数人の影が見える。

「薬物耐性優良可能性が一人。これは伝承の化生再現に回すか」

「こっちは俺がもらう。ファウストローブの研究資材が足りないからな」

 勝手な事を。

「――ッ!」

 最後の足掻きだ。金的でもくらえッ。

 身動きが取りづらい中でも肩を起点に一蹴りくらいはやってやれる。

 だが、男であろう人影は身動ぎもしない。

「完全を求めて男の象徴切り落とした甲斐があったな」

「カリオストロには遠く及ばないがな」

 軽く笑い合っている。

 まるで荷物のように運び出された後の事は思い出したくもない。いや、思い出したくても何をされているのか説明する知識がない。奴らの実験は私の知っている現実とあまりにかけ離れていた。されるがままに与えられた力。怪力や飛行を可能とする外套を奴らはカイロプテラと呼んでいた。目もいじられ、化け物として、実験動物として私の体は改造されていく。

 何が怪物だ。お前たちの方がよっぽど化け物じゃないか。

 憎しみと怒り。

 軽率な行動をとって快楽に溺れた挙句が今だ。かどわされたとは言え、後悔が強い。

 何よりも友人が今、どこでどうなっているのか不安でしょうない。

 だからこそ、何か行動をしないといけないと怒りに身を焼かれる。

 だが、焦ってはいけない。奴らは組織だ。たとえこの力を使っても全開で使えばすぐに稀血が必要な状態になってしまって逃亡できなくなってしまう。

 タイミングを計っていると、その時は意外にも早く来た。

 長い髪をした褐色肌の女研究員が来た日は警備が緩いと気が付いた。組織に一人くらいは無能なのがいたって不思議には思わないぜ。

「稀血まで残していくなんて、間抜けにもほどがあるぜ」

 本来は輸血方式で循環させるものだが、私は飲むだけで問題ない。そういう改造をされている。

「千載一遇! 大脱出のために大出血サービス! 全開で行くぜっ!」

 友人がいるフロアだって把握済みだ。後はそこに向けて文字通りの突撃だぜ。

 外套を纏って壁も床も人もすべて叩き伏せて直進する。

 フロアにつくと友人が目に入る。

 外見に変化はない。内側はわからないが細かいことを気にしてる時間はないんだぜ。他にも捕らわれたであろう少年少女たちもいたが、お構いなしだ。大切なのは一つだけなんだぜ。

「迎えに来たぜ」

 彼女の目は怯えに満ちていた。

 当たり前だ。自分の体を好き勝手に弄繰り回され、道具や実験動物と呼ばれ、今までの18年間のどんな不幸も霞むくらいに悲劇的な日々を送って、まともな精神でいられる方がおかしい。

「大丈夫。ちゃんと戻れるから」

 日常に戻ったらまた旅をしよう。今度は安全な場所に行こう。刺激なんてチープなものだけでいいからまた、あの日のように怒ってケンカしても笑って仲直りできる場所に戻ろう。

「来ないで……」

「何を、言ってるんだぜ……」

 実験室のマジックミラーに映る自分は、こうもりの翼を生やし、怪物の手足を持ち、体中に血と肉片を纏っていた。

「これが……」

 私?

「化け物!!」

 酒と快楽に溺れた時を思い出していた。

 痛みが心地よく自分を否定する。否定する自分がそこにいる事を快楽が紛らわす。

 罪も罰も、すべて傷が癒してくれる。

「『首輪』を使え」

 どこか遠くからした声に続いて意識が刈り取られていく。

 この手の血は、私のものだろうか。



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エルザの場合

オリジナル設定『首輪・グレイプニル』
聖遺物グレイプニルを簡易解釈して生み出された拘束用錬金術。
怪物異形に対して絶対の気絶麻酔の力を持つ。


 世界には鍵が掛かっている。

 誰かが外から鍵をしていて、用がある時だけ扉は開かれる。けれど、私めは外に出る事は許されないのであります。

 ある日、鍵を開けたのはいつもの人ではなかった。見たこともない男たちが扉から入ってきて私を保護した。事情聴取を受け、養父母は逮捕された。新しい保護者が当てがわれ、新しい鍵が掛かった。

 新しい家は家ではなかった。

 パヴァリア光明結社を名乗る彼らは私めを改造した。

 野生動物や他の実験体と闘わせ、データを採る。ただのそれだけだ。ご飯も毎日出るし、布団も暖かい。頼めば本を読ませてくれる事もあった。とくにヴァネッサという研究員はよくしてくれる。褐色の肌、優しく見守るエメラルドの瞳が綺麗なのであります。彼女に言うと次に会う時には本を持ってきてくれる。

 本が好きだ。

 見たこともない世界がたった一冊の中に詰め込まれている。知らないはずの景色を知ることができて、見ることができない世界を頭の中だけでも思い浮かべることができる。本を読んでいる時だけは世界に鍵が掛かっていない。

「エルザちゃんはどんな話が好き?」

 獣の遺伝子を組み込まれたせいで生えた毛深い耳が撫でられる。

「シンデレラが好きであります。どんなに不幸でも手を差し伸べてくれる人がいると思えれば、今を乗り越えられるのであります。ヴァネッサは私めにとっての魔法使いです」

 その言葉に眉根を寄せて笑う顔は悲しそうでありました。

 施設が実験体によって破壊される事件があった。被害は甚大であったが結社はすぐに復旧して実験も再開された。だが、警備が厳重になってしまったためにヴァネッサと会う機会が減ってしまった。

「今日の実験相手は私だぜ」

 不貞腐れたような少女は肉肉しい翼を生やしていた。

 模擬戦闘として実験体同士を競わせる。勝っても負けても改良点を見つけては改造されるのだからモチベーションは上がらない。中には殺してくれと戦闘中に囁く者もいる。

 この相手は今、何を思っているだろうか。

 コウモリのような肉翼は手足に移動して怪力を発揮するアタッチメントらしい。

 私めだって一つずつしか使えないとは言え、複数のアタッチメントを持っているのであります。

 戦闘は一方的だった。

 相手は器用にも肉翼と怪力を使い分けて俊敏な動きを見せ、ヒットアンドアウェイを繰り返し、大きな隙ができたところを潰された。

 何もできなかった。アタッチメントの交換に時間が掛かりすぎるせいで対処が遅い。

 動くことができない私めに彼女は冷たい目を向けてきた。翼がすべて片腕に集まり巨大な拳を形成する。あんなもので殴られたらさすがに死ぬであります。

「そこまで」

 研究員の制止を無視して拳は振り下ろされる。

「『首輪』起動」

「――ッ」

 悲鳴を上げて少女は倒れた。

 反抗的な態度をとれば私めらはあのように活動を停止させられる。

 実験が終わった後、私めは考えていた。どうすればアタッチメントの交換速度を上げられるのか、と。

 尻尾状のアタッチメント。腰部に接続して伸縮し、獣の顎になり、拳になり、身を守る盾にもなるが一本しか使えない。接続していない間は何もできない無防備状態だ。そこを何とかしないといけない。

 ヴァネッサと会えない日が何ヵ月と続き、読む本もないために考えることがない。だから、目の前の問題に手を伸ばす。それがたとえ、自分を世界から遠ざけるものだとしても。

 実験戦闘と改造を繰り返す日々。

 肉翼の少女とも何度か戦闘をしたが未だに勝ったことはない。

 戦闘の合間に彼女は語りかけてきた。

「実験体のまま生きていくつもりか?! ここから出ようとは思わないのか!」

「どうやって出るつもりでありますか! 出て行ったところで何をするつもりですか?!」

「戻りたいとは思わないのか? ここに来る前の日常に?!」

「――あんな場所に誰が戻りたいと思うでありますかっ!!」

 言ったところで相手は過去を知らない。

 私めも相手の過去を知らない。

「だったら、ここで死んだほうがマシだぜ」

 巨大な拳が我が身に迫る。

「だとしても!」

 アタッチメントを自切して囮にする。

 交換に時間が掛かるのならば、交換する時間を作るだけであります。

 新しくなった尻尾が相手の喉元に食らいつく。

「死んだらそこでお終いなのであります。いつかきっと、どこかで逆転できる日が来るまで生きるしかないのであります」

 たとえ怪物に成り果てても。

 初勝利は苦い思い出になってしまった。

 同時に、空虚な思いに満ちていた。

 彼女はどこから来て、どこに行こうと思っているのだろう。

 戻りたい日常があったのでありましょうか。歳の頃は学生くらいだろうか。やりたい事や将来なりたい職があったりしたのかもしれない。そのすべてが潰えた。

 ただ実験動物として浪費される日々。

「戻りたい日常なんて私めには無いのであります」

 肉翼の少女とはここ数週会うことはなかった。

 代わりに、ヴァネッサと再会した。が、それは望んだ形ではなかった。

「なんで……。どうして、あなたがそこにいるのでありますか……」

 実験動物が傷つけあう研究ルームで相対する。

「何かの実験でありますか。人が相手ではあまりに危険過ぎるであります」

『心配するな。それもただの怪物だ』

 マイクを通した声が室内に響く。

「ヴァネッサ……」

 俯き、唇を噛んで押し黙っている。

 何があったのか全部、聞かせてほしい。どういったことが起これば研究員が実験体に身を落とすのか、どんな実験をされたのか。

 聞いて、どうする。

 事情を理解したからと言って何ができる。どんな解決ができる。

 私めには、灰被りの少女を助けた魔法使いのような力はないのであります。

 身動き一つしない両者に嘆息したのか、その日の実験は中止となった。

 日を改めて行われた戦闘実験は『首輪』を脅しに強行された。

「何があったのか聞かせてほしいのであります」

「……」

「何も解決できないかもしれないけれど、私めはヴァネッサを知りたいのであります」

 戦闘の余白を用いて問うけれど、返ってくるのは冷たく濁った瞳。

 指の関節や手首が開いてそこから銃火器が放たれる。

 単調な攻撃を躱して懐に入る。

「それが、ヴァネッサでありますか」

「殺してもいいのよ?」

 近くで見ると肉体は妙に艶やかで滑らかだ。

 肉と呼べない。鉄、というのが一番近い印象だろうか。所々凹んでいるのは他の実験体からの攻撃だろうか。

「そんなこと、できるわけないであります……」

 手を止めた二人に続行を命じる声がする。

 従わないせいで『首輪』が起動される。意識を刈り取られる。

 起きた時は一人だった。

 鍵の掛かった部屋には私物と呼べるものは何もない。ベッドが一つあるだけだ。

 物理的な鍵など意味はない。殴って開くことができる実験体がほとんどだ。それでも、そんなことをすれば後でどうなるかという恐怖が鍵になる。

 ベッドに腰を掛けて己の手足を眺める。

 見た目は普通の人と同じ。けれど爪は固く、指先だけでベッドのフレームを握り潰せる。背には獣毛が生え、腰部にはアタッチメント固着のための穴が開いている。頭に手を乗せれば毛に覆われた大きな耳がぴくりと自分の意思とは関係なしに反応する。

「人ではないであります」

 ただの人になれば、ヴァネッサと日常を過ごせるだろうか。

 思いに耽ると際限がない。魔法使いが現れて一夜だけでも助けてくれないだろうか。なんて、非現実的な空想に身を委ねて自分たちが幸せになる物語を考える。

 いろんな話を読んできたけれど、自分で作るというのはこれがはじめてだ。

 もしも、自由になれたなら――。

『――――』

 部屋の外が騒がしい。

 耳をそばだてて声を聞き取る。どうにもパヴァリア光明結社の敵対組織が乗り込んできたようだ。

 今、この扉を開けば外に出られる。騒ぎに乗じて遁走してしまえば自由にはなる。けれど、稀血がないと長くは保たない。

 不確定の自由と確定した不自由。

 葛藤が激しくなるのに合わせるように外の騒動も大きくなる。

「もしも、自由になれたなら」

 強く拳を握る。

 アタッチメントなしでは大した威力も出せないが、扉を押し破るくらいはできるはず。

「ヴァネッサを助ける魔法使いになるであります!」



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ヴァネッサの場合

 パヴァリア光明結社は完全なる命を目指す錬金術結社である。歴史の影に隠れ、自分たちの研究のためならば戦争だって起こしてしまう秘密結社。

 私の両親は表の顔は映画製作会社社長、裏で結社に与する。

 自然と私も結社に関係し、錬金術の美しさに心を奪われた。

 事象を理解し、分解し、己の欲するように再構築をする。それは人に与えられた神の御業。中でも、聖遺物を理解するという困難は私にとって人生を賭してもよいと思える研究であった。

「神様は何を思ってこのような構成物を作ったのかしら」

 もしも神様の思惑を理解できたなら、その思いを分解し、再構築することで何が出来上がるのだろうか。

 知的好奇心が刺激されると眠れなくなる。熱い思いが沸き上がり、早く先へと進みたくて居ても立っても居られない。

 熱意が実績へと結び付き、私の立場は若くして両親に比肩しようとしていた。実験の決定権も施設の管理責任も委ねられる地位に付いた頃、面白い素体が届けられた。

 名前はミラアルク・クランシュトウン。高度な解毒代謝能力を持っている。あらゆる毒素を投与され、死に掛ければ蘇生実験を含んだ化生再現を行う。その身は次第に強靭で武骨な四肢と変わっていったが、求められていた怪物には成れなかった。もしも完成していれば不老不死のヴァンパイアと成れただろう。

 彼女は何度死に掛けようと瞳の強さを失わなかった。

 実験のたびに怒声を上げた。

「あの子をどこにやった!? お前たちの目的はなんだ!?」

 一緒に持ち込まれた少女のことをいつまでも心配していた。

 あちらはファウストローブの外装実験に回されていたはず。不完全な外装しか未だにできていない現在、大したバックファイアも受けずにいるか、出力を得るために無理くりな神経回路拡張でもされているか。

 私は興味が沸いた。

 出来損ないの怪物と成り果てても友人の心配をする心理。

 その思いを理解できない。今までに幾百と実験体を見てきたが、ほとんどが罵詈雑言を吐いた後に解放を願い、最後は従順なペットとなる。当然のように使い捨てられる命が、今までとは違う反応を示すなら、理解したい。

「ヴァネッサ、最近は本願の研究がおろそかになっているんじゃないか?」

「私たちの目的はあくまで完全な生命。横道に逸れている暇はないのよ」

 両親は表の仕事もあってか研究職としては私に数段劣る。そのことを気にしているのか最近は当たりが強い。それでも、私を理解してくれる人たちだ。期待に応えたいとは思っている。

 理解こそが最大の愛である。

 費やした時間が多ければ多いほどに愛は重い。両親が私に掛けた時間は膨大であろう。その分、理解も深く、期待も重い。

 本願、完全な生命の研究に掛ける時間を増やした私の下に興味を逸らす実験体がまた一人、増えた。

 エルザ・ベート。

 養父母からの監禁虐待を受けていた少女を保護という名目で結社が引き取り、神経回路の拡張実験に充てられた。

 彼女は当初から協力的だった。激痛を伴う手術も、元人間の実験体との模擬戦も文句ひとつ言わずにこなしていく。周囲の構成員が躾の手間がないと楽観的に思っている中、私は恐怖していた。

 求められた役割をこなすだけの人生。

 そこには意思がない。決定のためのルールがない。言われたことに肯くだけの傀儡。

 ミラアルクは人外の化生となっても人として友を思う。

 では、この子は何と成って何を思う。

 空虚な人形に、どの実験体にも抱かなかった恐怖を感じた。

 だからこそ、理解をしようと努めた。私的な会話を繰り返し、要望通りに応えて本の差し入れを行い、彼女が何に怒り、喜び、楽しみ、悲しむのかを知ろうとした。

 すべての研究から距離を置いてエルザとの交流に時間を費やし、私はついに彼女を理解した。

 エルザという小さな女の子は、ただの少女だ。

 幼少期に実父母が死去した後、引き取った養父母は躾として彼女を暴行し、監禁した。そのせいで世間を知らない。ソフトクリームを食べたことがない。本が好き。何事にも真面目に取り組む。頭を撫でられるのが好き。爪を切る時にくすぐったい顔をする。玉ねぎが苦手。ピンク色が好き。黒も好き。黄色は嫌い。小さいことを気にしている。私がつける薔薇の香水がお気に入り。

 他にもたくさんの事を知った。何も恐怖する相手じゃないと理解した。

 そして、自分が今までしてきたことはただの少女を傷つけ、人ではないものにして、使えなくなったら物のように廃棄する行為。

 理解は愛だ。

 私は実験体を愛してしまった。

 懺悔の気持ちを抱えながらも今まで通りの日常を過ごしてしまう。今更、私に何ができる。何をすれば贖罪となる。

「ファウストローブの実験体処理申請です。また、新しいのを買ってきますね」

 部下の男が何気なく書類を手渡して帰っていく。

 彼には妻子がいる。若くて愛想のいい奥さん、小学校に通う快活な息子。普段は大学の講師をしていたはずだ。その日常に、一人の少女の命を紙切れ一枚にサインして廃棄して帰っていく。

 私には理解できなかった。したくもなかった。

「実験体の待遇改善ですって?」

「必要ないだろう。壊れたら代えればいいだけだ」

 両親に相談した結果は予想通りの反応だった。

 わかっていた。

 だから、これは賭けだ。

 ミラアルクの警備を緩くすれば彼女はきっと暴れるだろう。廃棄寸前の友人に会うために施設に混乱を起こし、もしかしたら助け出せるかもしれない極めて低い確率の賭け。

 結果、彼女は友人と再会したところで捕らわれてしまった。

 管理責任は問われたが私に懲罰が下ることはなく、施設も元通り。

 何も変えられなかった。それどころか警備は厳重に、実験体の扱いは苛烈になった。

「ごめんなさい……」

 誰に謝っているのかもわからない。

 けれど、誰かに許してもらわないと私は生きた心地がしなかった。

 後悔と懺悔の中、私は事故にあった。

 ファウストローブの開発中に起こったエネルギー暴発。

 小さな光がゆっくりと拡散していくのが見えた。脳が死を悟って認識力を底上げしているのだ。走馬灯を見たところで解決策なんて思い当たらない。永遠とも思える光の拡散を見ていると、これが罰なのかもしれないと安堵した。途端に光は認識外の速度になって痛みすら与えずに私を裂いた。

 目が覚める。ということは、自分は死んでいないということだ。

 苦渋に眉根を寄せて身体を起こすと違和感があった。

 体が異常なまでに軽い。シーツの沈み方からして体重は増している。だが、重い体を十全に動かすだけのエネルギーが満ちている。

「何が――」

「あなたは実験の最中に瀕死の重傷を負った。生命維持のためにファウストローブの常時展開案である『義体』へと欠損部分を換装した」

 部下だった男。

「――そう。経過はどうなっているの?」

「それを知る必要はないな。お前はもう、ただの実験体だ」

 その日から私はパヴァリア光明結社の構成員ではなくなった。

 元部下たちは淡々と仕事をこなす。耐久実験や常時展開によるエネルギー効率の開発。痛みも屈辱も伴う実験は多岐に渡る。

 けれど、私はこれでいいと思った。

 自分の行いの贖罪をできているような気がしたから。

 だと言うのに、私の実験体運用を承諾したのが両親であったと知った時、涙を抑えることができなかった。

 両親にとって私はもう、ただの物なのだ。完全に至ることのない卑金属。

 罰のように行われる実験のうち、最もわかりやすいのが模擬戦だ。

 今まで踏みにじってきた実験体たちが私に復讐をするための時間。

「どういう経緯でここにいるかは訊かないぜ。ただ、この怒りだけはぶつけないと気が済まないんだぜ」

 人外の怪力で叩きのめされ、錬金術でできた金属製の体が傷ついていく。

 壊れることすら難しい体。

 一番、相対したくなかった少女とも闘った。

「どうして……。どうしてあなたがそこにいるでありますか。ヴァネッサ!」

 エルザは問うだけで傷つけようとはしなかった。

 それが逆に苦しかった。

 壊れ切るまで終わらない実験の日々が私の廃棄よりも先に終わった。

 パヴァリア光明結社統制局長アダム・ヴァイスハウプトの死亡によって結社が持っていた政治的圧力が崩壊した。おそらくは風鳴機関と米国の裏工作も働いていただろう。巨大で深淵な結社の崩壊はあらゆる利益を生み出す。当然、私が捕らわれていた施設も管轄の機関が踏み込んできた。

 投棄される実験施設。逃げ惑う構成員。困惑する実験体たち。

 逃げるなら今だ。

 でも、逃げてどうする。人ではなくなった私はどこに行けばいい。

「ヴァネッサ。迎えに来たであります」

 私は目を見開いていただろう。

 驚き、戸惑っていた。

「魔法使いではない私めでありますが、ここから逃げるかぼちゃの馬車くらいにはなれるであります」

「あなたは、私を憎く思わないの?」

 手を引いて走るエルザは振り向くことなく言う。

「私めはヴァネッサが好きであります。たとえ、ひどいことをしてきたのだとしても、私めにとってヴァネッサこそが助け出したいシンデレラなのであります」

 似合わない役を充てられたものね。

 なら、似合うことをしよう。

「ただ逃げるだけじゃすぐに捕まるわ。だからいっそ、みんなで逃げましょう」

 元管理責任者として、施設のシステムは把握している。

 システムのハッキングは容易だった。何せ、体が機械なのだから。腹部から伸びるケーブルを施設の端子に繋いで警備システムのダウンと解錠をして施設内を誰でも自由に動き回れるようにしてしまう。

 きっと、逃げ切れる人の方が少ないだろう。確保されてしまう人も多いだろうし、最悪その場で処刑なんてこともある。

 だから、これは今まで散々人の命を弄んだ私の新しい罪。

 これから先、エルザちゃんを人に戻すまでいくらだって犠牲を出そう。

「いいのでありますか?」

 内情を察してなのか、はたまた一緒に逃げる事に同意することに対してなのかはわからない。

 どっちみち答えは同じだ。

「おねぇちゃん判断です」

 騒然としていた施設内はより一層の混迷を極めて爆破や銃撃、錬金術の行使や逃げ出した被験者による暴動で満ちていく。

 逃走するにしても押し寄せる瓦礫を踏破したり、襲撃者を凌いだりするのに力を行使せざるを得ない。

 私たちの体は人と違う。人と違う部分を機能させるために稀血が必要になるのだが、異形の力を使う度に血は汚れて機能不全を引き起こしていく。

 走ることもままならなくなってきた。

「……後少しで外なのであります」

 行く手に瓦礫が落ちてきても反応が正しく行えない。

 思わずエルザを抱いて守るが意味などないだろう。だが、来るべき衝撃は来なかった。

「まったく、こんなところでくたばろうってのか?」

 瓦礫が肉肉しい翼でできた腕によって放り飛ばされる。

「ぶん殴ってやりたいところだが、一旦休戦にするぜ」

 ミラアルクだ。

「どうして?」

 当然の疑問を投げかける。

 彼女にとって助ける理由はない。

「あんたのことを殴り足りないだけなんだぜ」

「これがツンデレでありますか」

「ツンデレね」

「デレねぇから!」

 彼女にも思うところがあっての行動なのだろう。

 そんな彼女のことを知りたいと思って、前にも同じことを思ったと思い出す。

 小さく笑った私に二人も小さく笑っていた。

 何、と言葉にできないけれど少しだけ理解し合えたのだろう。

 外に出ると夜風が頬の撫でる。月が笑う。戦闘の音が細く聞こえるのは制圧が終わりつつあるということだろう。

「逃げ切れた、でありますか」

「とりあえずは、だぜ。闘わないと次はないんだぜ」

「そうね。二人を元に戻してあげないと」

 私の言葉に二人は見つめ合ってから言葉を返してきた。

「二人だけじゃないんだぜ」

「三人で、なのであります」

 

 

 その後、風鳴訃堂に声を掛けられるまで遁走生活を送ることとなる。

 神の力を得ることができればきっと、人に戻れる。

 人に戻れたら、今までのつらい過去を受け入れることだってできる。

 それまではどんな犠牲だって厭わない。

 たとえ何万の血を流そうと構わない。私たちには流す人としての血が無いのだから。

 だから、名乗ろう。

 私たちは決して廃棄される卑金属などではなく、赤く燃える深紅の血で繋がった三人。

「No Blue Red」

 




完結です。


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