あなたが憧れる人でありたい (うたた寝犬)
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あなたが憧れる人でありたい
「前から好きでした! 国近さん、俺と付き合って下さい!」
出水公平が国近柚宇の事を、まだ「国近先輩」と呼んでいた頃……蝉がうるさく鳴いていた去年の夏休み前のある日。
5時間目が体育だったあの日、出水は昼休みの内にジャージに着替えて、更衣室が混み合う前に余裕を持って授業に出れるようにしようとしてた。だが熱がこもった体育館は思った以上に蒸し暑く、堪らず自販機に飲み物を買いに行った。
「あちぃ。おい槍バカ、オレちょっと飲み物買ってくる」
「だったらちょうどいい。オレの分も買ってきてくれ」
「あ? なんでだよ? ポカリでいいか?」
「サンキュ!」
友人である米屋の分の飲み物も持って体育館に戻る、その途中。暑さを少しでも凌ごうとして日陰を選んで歩いてたその時、出水はチームの先輩が告白される場面に出くわした。
彼の姿は体育館の陰になっていて2人からは見えないが、声はしっかり聞こえる。出水は息と気配を殺して、国近と、そして彼が会った事もないであろう先輩との会話に耳を傾けた。
少しの沈黙を経て、国近がどこか気の抜けた笑い声を零してから、「ごめんねぇ」と優しく諭すような声で謝罪した。
「ん〜と……君のことは、嫌いじゃないよ? 毎日、サ……部活を頑張ってるのは知ってるし……成績だってすごく良いし……みんなを笑わせてクラスの中心にいるよね。すごく努力家で、真面目で、良い人なんだなぁ……って、思うよ」
国近はあくまで優しく、相手を傷つけないように言葉を選んで話す。しかし、
「けど……ごめんね。付き合うのは、ちょっと……ね」
最後には残酷に、自分へと想いを告げてくれた人へ、明確な否定の言葉を突き刺した。
言い表しにくい気まずさと、いたたまれなさ。何より、想いが玉砕された顔も知らない先輩への配慮の思いで、出水は物音を立てずにそっとその場を後にした。
体育館で待つ米屋には、
「ちょっ、ポカリ温くなってんじゃん」
と愚痴を言われたが、すぐに、
「文句言うなら自分で行けよ」
平静を装って出水は言い返した。
その日の午後、学校が終わってボーダー本部へ向かおうとしていた出水は、
「おぉ〜、いずみん、待ってたよ〜。一緒にボーダー行こうよ〜」
あろうことか校門で待ち構えてた国近に捕まった。せめて本部に着くまで会わないように、と思っていた矢先で、出水は一瞬苦い表情を見せた。
目的地が同じなのに断るわけにもいかず、なし崩し的に共にボーダー本部へと向かう。しかしその道すがら、些細な会話に違和感があったようで、
「いずみん、何か変だね。上の空っていうか……何か私に隠し事でもしてるのかな?」
ニヤニヤと笑いながら国近に指摘されてしまった。
下手な嘘をつく意味もないなと観念した出水は、素直に質問に答えることにした。
「実は……オレ、昼休みに体育館の外にいて……」
「ああ〜〜……」
みなまで言わなくても国近は理解したようで、困ったような、気恥ずかしいような、色んな感情がゴチャ混ぜになったみたいな表情になった。
胸の前で両腕を組んで、首をちょこんと傾げて悩む仕草を見せてから、国近は力の抜けた苦笑いを見せる。
「ん〜……そっかぁ、そうだよね……。え〜、どこから聞いてたの?」
「えっと……男子の先輩が告るところからっすね」
「もぉ、それ最初からじゃん」
恥ずかしいなぁ、と、国近はやはりへにゃりとした緩い笑みを浮かべた。
「えっと……なんで振ったんですか?」
「え……う〜ん……」
頭の中で一つ一つ言葉を選びながら、国近は質問の答えを考える。そして、悩んだ末に、
「色々と理由はあるけど……一番の理由は、違う人の顔が頭に浮かんだから、かなぁ……」
違う人の顔、という答えを出した。
「え? それってつまり、国近先輩には好きな人いるってことっすか?」
「あー、う〜ん……好きというか……。ヒーロー、かな?」
ヒーロー、という日常では聞かない言い回しをしたところで、制服のポケットに入れていた国近のスマホが着信を告げるメロディを奏でた。
「はいは〜い」
間延びするような、穏やかなゆったりした声で国近は電話を取った。
「太刀川さん、どしたの? ……あれ、もうそんな時間? ごめんごめん。……うん、いずみんも一緒だから、急いで向かうね〜」
電話の相手は彼らの部隊の隊長である太刀川らしく、国近は電話を切るなりすぐに出水に声をかけた。
「いずみん。なんかもうテレビ局の人たち来てて、時間早まったみたい」
それだけで事情を察した出水は、
「あ、マジっすか。じゃあ急ぎますか」
言葉短くそう答えて、2人は早歩きで本部へと向かった。
この日、太刀川隊には普段とは違う任務が入っていた。
端的に言えば、それはインタビューである。
普段はメディア露出は嵐山隊が担当するが、この日はメディア側の「嵐山隊以外のA級チームもどうでしょうか?」という要望に答える形で、太刀川隊が選ばれた。厳密には太刀川隊だけでなく、最終的には全A級部隊がインタビューを受ける事になっており、今日この日は太刀川隊の番、ということだった。
「どうせなら、インタビューはそのチームの作戦室でやりましょう!」
というメディア側の提案を受けて、ボーダー職員は混沌極まる太刀川隊の作戦室を前日のうちに綺麗に片付け、掃除を済ませ、ついでに多少の配置換えやリフォームを行なった。
普段とは装いの違う作戦室で、太刀川、出水、国近は、それぞれインタビューを受ける。
「隊長の太刀川くんは個人でも素晴らしい成績を持っているとお聞きしましたが、やはりそのためには並々ならぬ努力を重ねたのでしょうか?」
「そうですね。努力もそうですが……1番はやっぱり、『自分のこの鍛錬は三門市を守るためのものだ』というモチベーションだと思います」
「出水くんはチーム最年少ですが、何かプレッシャーのようなものを感じますか?」
「全く感じない、って言うと嘘になりますね。個人成績1位の太刀川隊長の力を活かせるように、毎日プレッシャーを感じてます」
「国近さんはオペレーターということですが、普段はどんな事を心がけて2人に指示を出していますか?」
「心がけてる事は色々ありますけど、1番はやっぱり現場の2人が混乱しないような言葉遣いです。言い方1つで指示の通りが変わってしまうので、言葉の言い回しには気を遣ってます」
ボーダー側には事前に来る質問の内容を知らされていたため、3人とも上層部が用意した模範解答を暗記させられ、その通りに答えている。A級にまで上り詰めただけあって対応力は高く、
作戦室でスタッフに混ざって本部長の忍田が監視する中、インタビューは問題なく進む。しかし、時間的にあと僅かになったところで、問題が起きた。
「えー、では国近さんに質問です。国近さんには、尊敬する人はいますか?」
「え……」
質問に対して国近は思わず固まった。だってそれは、事前に知らされていない予想外の質問だったからだ。
隣にいる太刀川と出水、そして監視している忍田に緊張が走った。内容的には難しくない質問だが、これまで脳死で暗記した内容を答えるだけでよかったものと違い、アドリブで、かつこれまでの受け答えと印象が変わりすぎない答えを選ぶ必要があった。
どう答えようか、国近は悩んだ。だが、それは一瞬で終わった。「尊敬する人」と言われて、真っ先に1人の男の子の顔が頭をよぎった。答えるなら「彼」しかいないと、国近はそう思えてならなかった。
だから国近は、
「……私が尊敬する人は、地元の友達です。その人が……『彼』がいたから、私は今、ここにいます」
尊敬する男の子の顔と、彼との思い出を噛み締めながら、そう答えた。
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夏は短く、冬は長く寒く険しい。そんな北海道で、国近柚宇は生まれ育った。
幼少期の頃を振り返ると、国近柚宇は引っ込み思案で、友達の輪の中に入るのが少しだけ苦手だった。
みんなと遊びたいけど、声をかけるのはちょっぴり恥ずかしい。彼女がそんな風に心の中で呟く時、
「ゆうちゃんも一緒に遊ぼうよ!」
まるでそれを見透かしたみたいに、国近に声をかけて友達の輪の中に入れてくれる男の子がいた。
「彼」は誰とでも仲良くなれて、いつもみんなの中心にいるような男の子だった彼は、なんでもできた。
勉強も、運動も、遊びも。それこそなんでも笑顔で、楽しそうにやってのけた。彼は幼い国近にとって、まさにヒーローだった。
そして小学校低学年の頃のある日、何人かで彼の家に遊びに行く日があった。そこで国近は、初めて「ゲーム」に出会った。
ゲームで遊ぶの初めて、と言うと、彼は国近に遊び方を教えてくれた。教えながら彼はずっと笑顔で、国近もそんな彼につられるように、へにゃりと笑った。
一通り遊び方を教えてもらうと、
「一回やってみればわかるよ!」
彼はそう言って対戦画面へと進めた。
自分で選んだキャラクターで相手のキャラクターを画面の外に弾き飛ばすゲームで、国近は本当にこの時初めてゲームに触れた。
結果、彼女は勝った。
元々センスがあったのだが、それ以上に「彼」が国近に華を持たせようとした、という側面が大きかった。彼は国近以外の相手を優先して倒しつつ、自分の残機とダメージを管理して、最後国近と一対一になった時に、絶妙なプレイミスを装って国近に敗北した。
今の国近なら、彼のそんな接待プレイは見抜けるだろう。しかし、初めてゲームに触り、勝てた嬉しさで国近はいっぱいいっぱいで、そんな事に気付けるわけなく、
「ゆうちゃんはゲーム上手いね! さいのうあるよ!」
彼が無邪気に言うその言葉を笑顔で受け取って、屈託のない笑みを見せた。
国近がそれからゲームにのめり込むまでは早かった。一人っ子で両親や祖父母から溺愛されていた上に、めったに言わないワガママということもあって、ゲーム機とソフトを買い与えてもらった国近はメキメキと腕を上げた。
他の子たちが友達と遊ぶ中、国近の遊び相手はレベル9のCPUだった。最高難度の対戦相手でも倒せるようになった国近は、ゲームが上手になった自分を見て欲しくて、彼の家に遊びに行き、対戦した。
国近の心にあったのは、無邪気な思いだった。また彼に、「ゆうちゃんはゲーム上手だね」と、褒めて欲しいだけだった。
しかし、国近の思いは叶うことが無かった。対戦しても彼は国近に勝てず、負ける度に彼の笑顔は陰っていった。
国近は思いもしなかったのだ。
「彼」はすごくて、なんでもできる。だから最後には、「彼」が結局勝つだろうと。
そして「彼」も、微塵も思っていなかった。
自分はなんでもできて、負けるはずがない。この前は勝ちを譲っただけで、勝とうと思えばいつでも勝てる、と。
だが負けがかさむに連れて、こんな筈ではと思う「彼」の動きは読みやすく単調になり、国近はそれに半ば反射で対応してダメージを稼ぐ。
なんでだよ、この前まで弱っちかったじゃん。
「彼」は心の中で叫ぶが、叫んだところで戦況は好転しない。いくら強い思いがあっても、戦いを決めるのは戦力と戦術、そして僅かばかりの運であり、気持ちの強さは関係ないのだ。
5回目の戦いで国近がとうとう残機を1つも減らさず勝ったところで、「彼」の顔から笑顔は完全に消えた。
子供ながらに気まずいと思った国近はいたたまれなくなり、
「えっと……ご、ごめんね。今日はもう、帰るから……」
申し訳なさそうに謝って、「彼」の家を出た。
その日の夜、国近は家に帰ってもゲームに触ることができなかった。
その日を境に、「彼」と国近は疎遠になった……
という事はなかった。
翌日学校で、「彼」はいつも通りの笑顔でいた。そればかりか友達に、
「ゆうちゃんゲームめっちゃ上手くなってた! 絶対学校で1番上手いよ!」
嬉々として、国近がどれだけゲームが上手くなったのかを身振り手振りを交えて語っていた。
その日から国近には学校で「ゲームが上手い子」という確かな居場所が出来て、引っ込み思案だった彼女が1人でいる事はなくなった。
「彼」はその日以来ゲームをやらなくなったが、その分、1番得意だったスポーツ……サッカーに今まで以上に熱を入れて、6年生になる頃にはチームを全国大会へと導き、北海道のジュニアユースのチームへとスカウトされた。
負けても尚、みんなの「ヒーロー」であり続けた「彼」は、国近にとって憧れだった。
見慣れないサイズの大きい真新しい学ランに袖を通して旅立つ「彼」を見て、敵わないなぁと、国近は感じずにはいられなかった。
中学が別だったせいもあり、「彼」と国近は会う機会が減った。お正月やお盆くらいしか会えなくなったが、たまに会う「彼」は変わらず、いつまでも「ヒーロー」だった。
そんな「彼」と最後に会ったのは、中学校の卒業式を終えた日。中学生でも高校生でもなかったあの日。まだ雪が積もってて、春の息吹が全然感じられない日に、国近は彼の家に訪れた。
「あれ、柚宇?」
サッカーで忙しくているはずがないと思っていた彼が家にいた事に驚いた国近だったが、構わず要件を告げた。
「えっとね……私、高校は内地の方なんだ。だから、ご近所さんにお別れを言って回ってるの」
『界境防衛機関ボーダー』にスカウトされた国近は、高校はボーダーがある三門市の提携校を選んだ。一年半前に起きたあの痛ましい災害と、それを収集したボーダーという組織の事をニュースで見聞きしていた「彼」は、そこにスカウトされたという国近の事を、素直に祝った。
「やっぱり柚宇は凄いね。高校生なのに、街の安全を守るための組織に入るってことでしょ?」
「あー、うん。そうだねぇ。……なんかそう言われると、すごいせきにんじゅうだいな感じがしてきた……」
「責任重大って上手く言えてなくない?」
「彼」は少しだけ茶化すように、それでいて国近の緊張をほぐすかのような暖かな笑みを見せた。そして、
「大丈夫。柚宇ならできるよ。オレが保証する」
春先の寒さでひんやりとした国近の手を掴み、目を真っ直ぐ見ながら力強くそう言ってくれた。
「彼」が、「ヒーロー」が、大丈夫、と言ってくれた。
それだけで国近は、本当に大丈夫になるような気がしてきた。
だから、国近は思う。
(ああ、やっぱり君は凄いなぁ)
「彼」への惜しみない賞賛を。そして、
(そんな君が大丈夫って言ってくれたから……私は、それを裏切らない人でいよう)
「彼」に、憧れる君に、恥じない人で在ろうとする決意を固めた。
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国近は質問を受けてから、ものの数秒足らずで彼との思い出を堪能したが、それを全て言葉として説明する気は無かった。むしろ逆に、
(ああ〜……ここは無難に両親とか、歴史上の偉人さんとか答えておけば良かったかな?)
答えのチョイスを間違えたのではないかと軽く反省したくらいだった。
しかし幸いにもその答えに特別突っ込まれる事はなく、他に問題らしい問題も無く無事にインタビューは終わった。
スタッフさんが撤収し、いつも通りのメンバーになった作戦室で、国近はどっと息を吐いた。
「ああ〜〜……疲れた。ってかさ、なんで私だけ聞いてない質問きたの〜?」
ぶうぶうと不満を述べる国近を、太刀川と出水は笑っていなした。
「日頃の行いじゃないのか?」
「も〜、私の日頃の行いが悪かったら太刀川さんなんてもっとじゃん」
「オイコラ」
怒ったポーズだけして太刀川は国近の頭を軽く小突き、国近もまたふざけて「暴力はんたーい」と緩い声と笑顔で答える。
そんな2人を見ながら出水は、本部に来る前の語っていた「違う人の顔」と、さっきのインタビューに出てきた「彼」は同じ人物なのだろうかと、思いをはせる。
しかし出水がそれを国近に確かめる前に、太刀川が軽く手を叩いた。
「さて。インタビューが終わったところだが、俺たちはこれから防衛任務だ。サクッと準備するぞ」
「はいは〜い。……それにしても、インタビューの後にすぐ防衛任務入れるってシフトはおかしくない?」
「文句は言うな。こういう時もあるさ」
太刀川に窘められても未だに口を尖らせてわずかばかりの不満を言い続ける。そんな彼女を見て出水は、
(別に、今確認することでもない、か……)
後で確かめればいいと判断し、そしてそのまま記憶の奥へと忘却してしまったのであった。
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北海道よりも暑い夏、北海道より暖かい冬。季節がいくらか巡り、国近は高校三年生となり、そして、まもなくそれすら終えようとしていた。
高校生活最後のお正月を迎え、それがいくらか落ち着き、ボーダーに新たな顔ぶれを向かい入れた頃。国近は自身の進路について悩みながら本部内を歩いてた。もちろん、春には三門大学へと進学するため、ここでの進路とはその先である。
ボーダーに就職するのか、はたまた一般企業に進むか、大学院に身を入れるか、何かしら手に職をつけるか。いっそのこと、得意なゲームを職とするプロゲーマーになるか。
どれもありえない話ではない。しかし、現実味の色があるかと言われると、それはまだ薄い。
うーん、うーん、と、唸りながら、国近は進路について真剣に悩みながら、気づけば本部のラウンジへと来ていた。
ラウンジへと足を踏み入れた、その時、
「そこだ! いけいけ!」
「チャンスチャンス! ……ああっ!」
その一角のテーブルに着きながら、何やら白熱する二人組がいた。当然のように、国近にはその2人を知っている。ボーダーきっての後進育成者である東春秋が率いる東隊の名コンビであるコア寺コンビこと、小荒井登と奥寺常幸だった。
2人の熱の入りように惹かれた国近は、トテトテとした足取りで2人のそばに寄った。
「お疲れさま〜」
「あ、国近先輩!」
「お疲れさまっす!」
元気よく挨拶を返した2人にニコニコとした笑みを見せてから、国近は視線をテーブルの上に落とした。
2人が熱を上げて見ていたのは携帯テレビであり、そしてそれはサッカーの試合だった。
「なになに〜、2人ともサッカー観てるの?」
正隊員きってのサッカー好きである2人は、勢いよく首を縦に振って肯定した。
「そっす! 冬の高校サッカーの決勝なんす!」
「北海道代表と、東北の王者が試合してるんです!」
「北海道……?」
不意に出てきた自分の故郷を聞き、国近は画面隅にある高校の名前を確認した。
見覚えがある、高校だった。道内屈指のサッカー名門校で、国近の幼馴染が、ヒーローである「彼」が進学した高校だった。
「そうなんだ……」
半分無意識に呟きながら、国近は試合内容へと目を向ける。スコアは1対2で北海道の高校が負けており、もう後半10分へと差し掛かっていた。
スコアを確認した国近は、選手へと意識を向けた。かつて小学生の頃、あの「ヒーロー」が任されていた「トップ下」と呼ばれるポジションへと、意識を集中する。
(……彼は確か、いつも決まって背番号10を付けてたかな)
朧げな記憶を掘り起こすが、トップ下にいたのは「彼」では無かった。背番号17で、タイミングよく実況アナウンサーがその子へと言及した。当然名前は違ったし、なんなら2年生だった。
(……さすがに君も、いつまでもヒーローではいられないよね)
諦めというよりは、やっと現実を見れた、という心境を国近は覚えた。
しかしボールがラインを割った、その瞬間、
携帯テレビが限界近い音量を、会場の雄叫びを国近に届けた。
(わ! ビックリした! 何々!?)
何が起こったか理解しかねた国近は画面を見ようとするが、小荒井と奥寺が小さな画面へと顔を近づけて歓喜の声を上げたため、何も分からなかった。
「何々? どうしたの?」
2人に説明を求めると、彼らはキラキラとした目で振り返った。
「北海道代表の、真のエースが出てきたんです!」
「本来のトップ下で、プロに内定してるすごい選手なんすよ!」
見てください、と言わんばかりに小荒井が国近の顔の近くに画面を持っていくと、そこには、
紛れも無い。国近の憧れであり「ヒーロー」である「彼」が、そこにいた。
「え……?」
一瞬、その光景を国近は夢なのでは無いかと疑った。よく似た別人じゃないのかと。
でも見れば見る程、そこにいるのは「彼」だった。背は伸びたし、身体つきも昔よりがっしりと成長している。でも試合を目前にして浮かべている、あの笑顔はこれっぽっちも変わってなかった。
実況アナウンサーが、彼について言及する。
『大会初戦で負傷し、途中出場を繰り返してきたエースが、満を持して姿を現しました!」
解説を担当するという日本代表にも選ばれたことがある有名選手も、
『こうなると試合の流れはガラッと変わりますね。東北王者といえども、彼が出て来る前にもう一点欲しかったところでしょう』
手放しで、国近の「ヒーロー」を褒め称えた。
そして彼らの言葉の通り、試合の流れはそこからガラリと変わった。素人目にも、これまで防戦気味だった北海道代表校がボールを保持し、「彼」を起点にしてあの手この手で攻め立て始めた。
「彼」がワンプレーする度に、会場は地鳴りのような歓声が上がった。
紛れもなく「彼」は、この試合の主役であり、北海道代表校からしてみれば「ヒーロー」であった。
「ヒーロー」は負けない。子供の頃にみんなが知るその常識を、彼は実行しようとしている。
後半30分に彼がアシストして同点ゴールをチームにもたらした。
大逆転劇を願い、観客、小荒井と奥寺、そして国近は試合に釘付けになる。
アディショナルタイムに入り彼に、ボールが渡った。時間的にラストプレーになるだろうと、みんなが思った。
彼は必至にボールをキープし、味方と連携して攻め立てる。
遠目でも分かる、必至な顔つきでプレーする「彼」に、国近は祈りにも近い思いを届ける。
試合の途中で何度か顔をしかめていた。
初戦で怪我したという脚が痛むのだろう。
国近はただ、「彼」が無事に試合が終えられるように、そして願わくば、「彼」が勝てますようにと、両手を組んで祈る。
そしてついに、最後のプレーが訪れる。
ペナルティエリアの少し外、ほんの僅かに隙間が空いたディフェンダーのマークの元で、「彼」はラストプレーに出た。
それは側から見ればディフェンダーに向けたシュートだった。しかしそれは、並んだディフェンダーの間を抜くシュートとなり、反応が僅かに遅れたゴールキーパーの指先を掠めてゴールネットを大きく揺らした。
「彼」が試合に出た時以上の、試合終了のホイッスルすらも搔き消すほどの歓声の中で、試合は幕を閉じた。
興奮冷めやらぬ小荒井と奥寺、画面に映る会場の中で、マイクを持ったインタビュアーらしき男性が「彼」に詰め寄った。
『……選手! 優勝おめでとうございます! 途中出場からの逆転劇、見事でした!』
『ありがとうございます!』
ヒーローインタビューを受ける「彼」は今まで国近が見てきたどんな笑顔よりも輝いていて、国近はそれが嬉しく、何より誇らしかった。
インタビュアーが、質問する。
『優勝した喜びを、誰に伝えたいですか?』
そしてその質問に対して、「彼」は迷わず、
『自分の幼馴染に……自分が誰よりも尊敬する幼馴染に、この喜びを伝えたいっす!』
幼馴染、と、答えた。
「え……?」
普通なら両親や恩師、と答えるであろう場面で不思議な答えを返した『彼』に、インタビュアーは一瞬不思議そうな雰囲気を出しながらも、質問を続けた。
『幼馴染ですか! それは、どんな人ですか?』
まるで彼は、事前に答えを用意していたかのように流暢で、かつ緊張を交えながら答える。
『すごい、ゲームが上手い奴なんです。子供の頃、サッカー以上に得意だったゲームでボコボコにされて……自分拗ねて、ゲーム辞めてサッカーだけに絞ったんす。だからある意味、自分がここにいる1番大きな理由になってる奴なんす』
画面越しの「彼」は『そして』と言葉を挟んで続きを語る。
『自分がユースチーム昇格試験に落ちてサッカー辛いって思ってた頃に、そいつは高校生で人の命を守る立場になったんです。自分ならプレッシャーに押し負けて絶対にできない事を、そいつはもう3年もこなしてて……。凄え尊敬してるんすよ』
『なにより』と強調するように、彼はその幼馴染に思いを伝えたいという最大の理由を口にした。
『去年の夏に……たまたまテレビ見てたら、彼女がインタビューされてたんす。そこでそいつ、「1番尊敬できる人は誰?」って言われて、迷わずに「地元の幼馴染です」って答えたんすよ』
「彼」はカメラ越しに国近をしっかり見ながら、偽りない自分の思いを伝える。
『別にそれが、自分だって明言されたわけでもないです。でも、もし自分だとしたら……尊敬する幼馴染の期待を裏切らない人で在りたい。そう思って、自分は今日まで練習して、この結果を出しました!』
そして『最後に』と言葉を締める形で、「彼」は、
『……柚宇! 俺は優勝した! それはお前のおかげなんだ! ありがとうっ!』
照れ臭そうに笑いながら、観ているかも分からない自分の『ヒロイン』に向けて感謝の言葉を告げた。
「……え?」
「ゆうってもしかして……」
目ざとくその事に気付きかけた小荒井と奥寺は振り返るが、そこに国近の姿はなく、パタパタと小走りで立ち去っていた。
誰もいない通路で、国近はじんわりと瞳を滲ませながら、「彼」に向けて「バカ」「バカ……!」と繰り返し呟いた。
先にあったのは、堂々と名前を呼ばれて恥ずかしいと感じた思い。
しかしすぐに、別の思いが国近の胸の中を満たした。
結局、「彼」は今でも「ヒーロー」だった。
国近がずっと遠くにいると思っていた「ヒーロー」もまた、彼女の事を遠くにいる「ヒロイン」だと思っていた。
「彼」に恥じない人で在ろうと誓った。
「彼」もまた、国近に恥じない人であろうとした。
お互いに、相手が眩しく、憧れの存在だったのだ。
作戦室に戻ってきた国近は、自分のゲーム部屋と化している小部屋で、電話をかける。
中学生でも高校生でも無かったあの日、進学祝いとして買い与えられたスマートフォンに家族以外で初めて登録し、そして今まで1度もかけた事のなかった「ヒーロー」へと、電話をかけたのであった。
なにかを伝えなきゃと、思った。
でも何を? と迷った。
しかし「彼」が電話に出た直後、国近は迷わず、自然に、
「ねえ。私もね、君の期待を裏切らない人でいたいって、思ってたんだよ」
その想いを、伝えた。
今回合同ランク戦の話をもらった時にどんな話を書こうかなと思って、結果として自分の原点に戻ることにしました。
原作では描写されない、それぞれのキャラクターの過去にはどんな物語があるのかな、と思い始めたのが私の原点です。
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