ディラックの海に溺れて (山石 悠)
しおりを挟む

ディラックの海に溺れて

talker
- □ ×

> cd C:\Users\楓\Documents\日記

> cat 2041年4月1日.txt

akari:そういえば、あまり考えていなかったが、俺達の関係っていつまで続くんだろうな

楓:どういうこと?ずっと続くんじゃないの?

akari:そんなわけないだろ。PCが壊れたら終わりなんだから

楓:それって、私達が偶然同じパソコンを買ったから繋がってるって話?

akari:そうだ。PCの寿命を考えれば、この関係は長くても十年が限界だろう

楓:パソコンが壊れたら、この関係も終わりってこと?

akari:もちろん

楓:そうなったら、お互いのデータって消えちゃうのかな?

akari:実際にその時が来ない限りは分からない

楓:akariがいた証が消えちゃうのはさみしいよ

akari:俺との関係なんて、すぐに忘れるさ

楓:無理だよ

akari:無理って言っても、どうしようもないぞ…

楓:それは分かってるけど、でも私はakariのこと絶対に忘れないよ

akari:

> cle

 

 

──続きを打てなかったことを、今でも後悔している。

 

 

 

 

 


2040/12/1

 

 PCのユーザーアカウントに知らない名前が増えていた。

 

 新しくアカウントを作った覚えはないが、なぜかディスプレイに映るユーザー一覧には“楓”という見慣れない名前がある。

 誰が作ったのだろうかと考えたが、そもそもこのPCに触れる人間がいない。高校入学を機に長く貯めていた貯金で買って以来、ずっと一人で触っているPCだ。俺が学校の時間に侵入しなければ使えるはずもなく、その時間は両親も仕事で家には誰もいない。

 

「マルウェアか?」

 

 ウイルスに感染したかなと思いながら、セキュリティソフトを起動するが問題はなし。

 閲覧しても問題ないと確認できたので今度はファイルを開く。中は普通にアカウントを作った時と同じだったので、まずはデータがありそうなドキュメントに入った。

 

「お、あったあった」

 

 案の定、中には“日記”と書かれたフォルダがあり、中を見れば日付に合わせてテキストファイルが保存されていた。一番古いのが“2040年4月01日.txt”で、一番新しいのが“2040年12月1日.txt”。ぱっと見たところ日付は途切れておらず、毎日更新されているらしい。

 

 少し考えてから、いくつかのファイルを開いてみた。

 

talker
- □ ×

> cat 2040年4月1日.txt

お父さんが、女の子でもパソコンが使えるといいんだと言いながら高校入学祝いに新しいパソコンを買ってくれました。でも、パソコンとかよく分からないし調べものとかもギアで充分だから、これを何に使えばいいか困ってしまいました。

ただ、せっかくお父さんが買ってくれたのに使わないのも申し訳ないから、こうして日記帳にしてみることにしました。毎日触ってたら、少しは得意になるかもしれない。まずは、この日記を書くのに使ったソフトで、写真を載せる方法を調べようと思います。

> cat 2040年7月14日.txt

今日は真奈ちゃんとお出かけ!朝からいろんなところに行ってすっごくたのしかった!

でも、月曜日にある発表会の準備を完全に忘れてたことに気づいちゃったから、明日は遊びに行けなさそう…。

> cat 2040年9月29日.txt

今日は新人戦のメンバーが発表された。私もリレーのメンバーに入ってて凄く嬉しい!明日から本格的に練習が始まるっていうから頑張らなきゃ。

> cat 2040年11月6日.txt

今日は模試の結果が返ってきた。やる前は高校生っぽくていいなーなんて思ってたけど、結局テストだった…。全然だめだった。

沙羅ちゃんがいろいろ解説してくれたけど、分かんなかったよ、ごめんね…。

> cat 2040年12月1日.txt

今日はプログラミングの授業が大変だった。何やってるか全然分かんない。誰か教えてくれないかなぁ…。

 

 画面を二度見した。

 catコマンドに点滅表示をする機能などないはずだ。でも、目の前の文字は確かに点滅している。

 

 作成日時はほんの数分前。慌ててファイルをエディタで開くと、そこには同じ文章が点滅している。

 しばらく画面を見ながらハッと顔を上げた。

 

「……入力中か!」

 

 今ここで点滅しているのは、まだ保存されていない文字列なのだろう。

 事実、しばらく待っていると点滅していた文字列は途中で点滅をやめた。更新日時も今の時間に変化しているし、今保存したのだと分かる。

 

「なるほどな」

 

 一人でうなずきながら、何が起きているのかを理解した。今このPCは、どこかの誰かと接続している。それはきっと向こうも気が付いていないだろう。

 

 ならばと、すぐにインターネットからPCを切り離す。

 回線を切断すれば、どこかの誰かの端末と接続している今の状況も発生しなくなるはずだ。

 

talker
- □ ×

> cat 2040年12月1日.txt

今日はプログラミングの授業が大変だった。何やってるか全然分かんない。誰か教えてくれないかなぁ…。

でも、みんな私がパソコン持ってるの知ってるし、

 

「……は?」

 

 回線を切断しているにも関わらず、文字はまだ入力されていた。今この瞬間もされ続けている。

 自分のミスを疑ってネットの接続状況を確認するが、今この端末は完全にどこにもアクセスできない状況だ。他の端末からの記録を受け取る手段がない。

 

「有線通信?」

 

 配線を確認するが、電源以外は無線接続なのでコードは一本しか伸びていない。

 つまり、このPCは俺の知らない何かしらの通信手段で今現在もどこかの端末と繋がっているということだ。

 

 まるで幽霊が打ち込んでいるみたいなホラーな状況で、俺は軽く身震いした。

 

「打って、みるか?」

 

 必死に頭をひねりながら、その結論に至る。

 受け取る方法はもうこれ以上調べる手段がないし、思いつかない。なら、後はこれが双方向的な接続かを確かめることしかできない。

 

 すぐにエディタでテキストファイルを開き、そこに「この言葉、届いてますか?」と入力した。

 すると一瞬乱れた文字列が入力されて、すぐに削除される。驚いた拍子に変なことを打ち込んだ……という感じだと思う。

 

「届い、た?」

 

 どうやら、そういうことらしかった。

 

editor
- □ ×
2040年12月1日.txt
×
 

今日はプログラミングの授業が大変だった。何やってるか全然分かんない。誰か教えてくれないかなぁ…。

でも、みんな私がパソコン持ってるの知ってるし、

 

この言葉、届いてますか?

驚かせてすみません。届いていたら、返事を頂けないですか?

 

届いてます

 

ありがとうございます

実は僕とあなたのPCが接続しているらしいんです。ユーザーアカウントが一つ増えていませんか?

 

akariさん、ですか?

 

そうです

今、俺のPCはインターネットに接続していません

 

ごめんなさい、パソコンには詳しくなくて

つまり、どういうことですか?

 

俺達のPCはネット以外の、俺達の知らない何かしらの通信方法で繋がっているんです

…信じられないですよね?

 

いや、でも確かに増えてるし…

ウイルスとかじゃないんですか?

 

調べたんですけど、何も出てこなくて

 

 向こうが話を聞いてくれる態勢になると、今度はそこから様々な事実関係を確認し始める。買った機種や店、通信環境や入っているソフト等。思いつく限りの情報を確認した。

 

 情報だけではなく、会話の仕方も少し決めながら進めていると、訳の分からないことが出てきた。

 

editor
- □ ×
2040年12月1日.txt
×
 
まとめ.txt
×

akari:買った機種、時期、店が一致しました

楓:じゃあ、お店の人がやったんでしょうか?

akari:それについて、もう一つ異常なことがあります

楓:異常?

akari:はい。俺達のPCの製造番号が一致してるんですよ

楓:それって…

akari:製造番号は同じ機種であれば重複しません。同じ製品の中での個体を区別するためのものですから

楓:じゃあ、私達は同じパソコンを買ったってことですか?

akari:はい、まったく同じパソコンを

 

 気が狂っているといわれるかもしれない。探偵小説なら、犯人に「作家になられては?」なんて言われたかもしれない。

 でも、今の俺にはそれ以外の答えが思いつかなかった。

 

 俺達二人のPCはインターネット回線を用いない何かしらの手段で繋がり、機種も製造番号すら一致した。

 前者だけなら俺の無知で片付けることだってできたが、後者に関しては違う。見間違えでもなかったのなら、この事実を受け止めることしかない。

 

 製造番号は世界で固有でなければならない。なら、同じ製造番号を使う方法なんて一つしか思いつかない。

 想像を絶する状況に置かれて妙な思考になった俺は、その事実を言葉にした。

 

──俺達は並行世界のPCに接続している

 


 

 

 

 

 


2041/1/20

 

editor
- □ ×
2041年1月20日.txt
×
 
接続現象まとめ.txt
×

楓:結局、私達のパソコンが繋がってる理由って何だったの?

akari:量子もつれとか多世界解釈とか出てきたけど、難しくて分からない

楓:じゃあ、今のところは「偶然、同じ住所の人が同じパソコンを同じ時に買ったから」ってこと?

akari:それなら今まで接続できなかった理由が説明できないけど、そうとしか言えなくてな

楓:そっか。でも、並行世界の人と知り合えるなんてびっくりだよ

akari:俺だって未だに信じられない

楓:akariが言い出したのに?

akari:他の理由がなかったんだから仕方ない

 

 俺達が出会ってから一か月以上経ったが、接続の原因は未だに分からなかった。

 

 あれから並行世界という前提から情報を精査しなおすと、楓は同じ住所──俺の家で、一人部屋の位置まで俺と同じ──に住んでいる人物だと分かった。通っている高校とクラスも同じだったし、先生の名前等に至っては俺の知っている人物と同じ状況だった。

 ただ、俺はクラスに楓という名前の生徒を知らないし、楓も「(akari)」という名前に聞き覚えがないらしい。

 

 俺の住んでいる家は賃貸マンションの一室だし、俺の家族が住むか楓の家族が住むかで分岐しているのだろう。互いのPCがかなり近い条件で設置されているため、こうして接続現象が発生していることは何となく推測できた。

 

 学校が終わると、俺達は現象の解明のため“日記”に集まっていた。

 お互いに自覚はなかったものの、並行世界の接続という不思議な現象に二人とも不思議な魅力を感じていたのだと思う。

 

 俺達はほぼ毎日のように話し合い、やがて謎が行き詰まると何でもない雑談をするのが日課になっていた。

 

《left》editor
- □ ×
2041年1月20日.txt
×
 
接続現象まとめ.txt
×

楓:でも、こう見ると本当にいろいろ一致しているんだね

akari:確かにな。でも、俺の親父は絶対にPC買ってくれたりとかしないから、マジで羨ましいよ

楓:お父さん、家族を溺愛してるから

akari:俺の親父なんて「男なんだから自分のことは自分でやれ」だなんて大昔の考え持ち出すんだぜ?勘弁してほしいって

楓:でも、嫌いじゃないんでしょ?

akari:まあ、PCのこと教えてくれたし、なんだかんだで自分の意思を示せば手を貸してくれるから。…PCは自分で買えって言われたけど

楓:これ、すごく高かったんだよね?

akari:当たり前だろ、最新式の量子コンピュータだぞ?やっと高校生の俺が買える値段に落ちたんだから

楓:そんなに欲しかったの?

akari:家庭向け量子コンピュータが出たのが小学生の頃だろ?当時は買ったばかりの最新ギアが楽しかったから、次はあれにしようと思ってたんだよ

楓:ギアも最新式なの?

akari:いや、ギアは普通の。別に日常生活レベルなら普通のでいいし、重い作業はこいつでするつもりだったから

楓:プログラミングの授業でやるよりも難しいプログラムってこと?私、プログラミングの授業苦手だからakariは凄いなって思うよ

akari:でも良かったじゃないか、最新式量子コンピュータと家庭教師のセットがついてきたんだからな

楓:教えてくれるの?優しい!

akari:別にそういうのじゃない。楓が詳しくなれば、接続現象の秘密が分かるようになるかもしれないってだけ

楓:恥ずかしがっちゃって。akariが素直じゃないだけだって、私はちゃぁんと分かってるから

akari:違う!違うって言ってるだろ!

楓:あ、誤字した

akari:してないですー、エディットしたからしてないですー

 

 俺と楓は少しずつ仲良くなっていた。

 お互いに並行世界に住んでいるため個人情報が意味をなさないので、俺達はかなり自由に互いのことを話すことができた。

 

 特に話題が決まっているわけではないが、楓はよく学校の話をした。

 彼女の語るクラスの様子は俺の知っているそれとは大きく違って、とても居心地のいい場所に聞こえた。俺のことを怖がっている女子生徒が楽しげに笑い、班を作る時に俺を避ける男子生徒が積極的に楓に声をかける。それがとても楽しそうで、どこか疎ましかったクラスメイトのことが魅力的に見えるのは、きっと楓が人を好きになれて人に好かれる性格だったからだと思う。

 

「…………」

 

 楓とは対称的に、俺はクラスの中で異物に過ぎなかった。

 SEをしている親父の本棚にある本を読み漁っていたのも幸いして、俺はかなりコンピュータや計算に強かった。勉強会に顔を出せば俺より強い奴はいくらでもいたが、少なくとも校内で俺より機械に強い奴はいなかった。

 一時はPCを触る部活に入部したが、そこはPCゲー等をする連中の集まりで俺は五月に入る前には部活に顔を出すのをやめた。

 

 俺にとって学校は基礎的な知識や教養を学ぶ場所でしかなく、クラスメイトも偶然同じグループに押し込まれた連中でしかなかった。

 でも、そんな連中も楓の前ではこれ以上ない最高の仲間達になっていた。

 

「いいよな、楓は」

 

 俺だって、休み時間に馬鹿話をして帰りに寄り道ができる友人がいればいいと思っていた。

 だけど現実の俺は口が悪くて、クラスメイト達が避けているのを知っているから、自分から近づくことだってできない。

 楓は、俺がなりたいと思っていた理想そのものだった。

 

 日常生活で家族以外の人間と碌に話すことがない俺にとって、楓という女の子は友人の一人であり、なりたい俺の理想形だった。

 


 

 

 

 

 


2041/4/15

 

 高校二年生になりPCとは一年、楓との出会いからは四か月を超えた。

 

 しかし、俺と楓の接続については何一つ進展していなかった。いや、もう調べるのについてはやめていたかもしれない。

 この頃になると俺達はもう互いの存在が当たり前で、ただの高校生に過ぎない俺達ではどうにもならない事態なのだと思うようになっていた。

 

 俺と楓はいつものように帰ってPCの前に来ると、慣れたようにチャットをする。

 

editor
- □ ×
2041年4月15日.txt
×
 

akari:おっす

楓:乙

akari:どこでそんな言葉覚えてきたんだ…

楓:え、クラスのパソコンに詳しい男の子が、お疲れ様の意味だって

akari:使ってるやつ見たことないわ

楓:そうなの!?

akari:死語だな。親父とか爺さんくらいの世代の言葉じゃないか、それ

楓:そんなに昔の言葉なの?

akari:そうだな、二十年だか三十年くらい前の話だ。まあ、俺達がしているこの会話形式もその頃を参考にしているから、ある意味間違ってはないんだが

楓:文字しか打てないもんね

akari:それは楓がテキストファイルにしてるから、統一してるだけだ

楓:え、もしかして違うのならできるの?

akari:例えば、mdファイルとかにすればもう少し見やすくできるぞ。表や画像、タイトルも付けられる

akari:って、よく考えたら別にそんなの使わなくたって、ソフトも互いに同じのが使えるんだから、違うのでもいいのか

楓:え、何か理由があってこれにしてたんじゃないの?

akari:いや、楓がテキストファイルにしてたからってだけだけど

楓:もしかして便利なアプリあるの?

akari:このPCの中ならいくつかあるぞ。そもそもエディタじゃなくて、文書作成ソフトを使えばいいだけだからな

楓:そうなんだ

akari:変えるか?

楓:別にいいかな。なんか、akariと話すのはこれが一番しっくりくるし、今から変えても違和感あると思うし

akari:じゃあ、今後もこれでいくか

楓:そうしよう。それで話は変わるけど、akariは声かけられたの?

akari:俺は今日最初話したのが楓だ

楓:一言も発してないの…?

akari:いや、そういうわけじゃないが、別に誰かに声をかけられたかというと、そういうわけでは…

楓:クラス変わってもう一週間でしょ?早く話さないと、また声かけられなくなっちゃうよ?

akari:分かってはいるが、誰も彼もすでに仲のいい連中がいるから

楓:まあ、部活や一年の時のクラスの関係もあるもんね

akari:そうだ!だから、声をかけられないのは不思議なことじゃない

楓:それは言い訳だよ…

akari:(*´з`)

楓:なにそれカワ(・∀・)イイ!!

akari:顔文字知ってるのか

楓:だってスタンプとか使えないんだから、せめてこれくらいはね。それに、自分で調べるようにって言ったのはakariでしょ?

akari:確かに言ったけど

楓:私はちゃんと実践してるんだからね。あ、そういえば、これクラスでちょっと流行ってるんだよ

akari:ええ…

楓:可愛いでしょ?

akari:気持ちは分かるが、流行るのか…

 


 

 

 

 

 


2041/6/2

 

editor
- □ ×
2041年6月2日.txt
×
 

akari:エラー文を読みなさい

楓:だってよく分からないんだもん

akari:分かります。英語に拒絶反応見せてるだけでしょ!

楓:勘弁してよ、akariママ

akari:エラー文の読めない子に育てた覚えはありません。いいですか、今日という今日は許しませんからね

楓:そんなぁ…

akari:楓に必要なのは「エラーは出るのが当然で悪いことじゃない」と「エラー文は直すところを指摘されているだけ」の二つを理解すること

楓:それは分かってるけど…

akari:分かってない。今の楓は水を怖がって泳げない子と一緒なんだよ。水につかっただけじゃ溺れないように、エラーが出てもPCは壊れない

楓:本当に?

akari:本当に

akari:だからまずは、エラー文をギアでもなんでもいいから、検索してみるところから始めるぞ

楓:うん

akari:ちなみに、今回のエラー文の内容は?

楓: In function 'main':

example1405.cpp:41:5 error: expected ';' before 'return'

akari:ただセミコロン付け忘れてるだけじゃん!

楓:そうなの?

akari:そう書いてあるでしょ!「expected ';' before 'return'」って!「'return'の前に';'を要求する」って!

楓:ああ、そういうことなんだ

akari:エラー文は何がどう処理できなかったかを書いてるだけなんだから、指摘された内容をちゃんと確認すれば問題ない。後は抵抗感をどうするかの問題だから

楓:うぅ、頑張ります

akari:エラー文はあらゆる可能性が起こるから、俺が一つ一つ指摘するわけにもいかない。だから、楓には自分で調べてエラーの理由を見つける癖をつけてほしい

楓:調べれば分かるってこと

akari:もちろん。楓がやる高校程度のプログラミングなら、もうどこかの誰かがとっくに同じことして、その内容をまとめてるから

楓:でも、説明書きって専門用語多くて分かんないんだもん

akari:用語が出るのは当たり前。数学の話するときに「+,-」の意味とか聞かれたら話進まないでしょ

楓:ごもっともです…

akari:用語は相手が知らないのを分かってて使うのも悪いけど、知らない方も悪いんだからな。まあ、俺がいる間は教えるけど

楓:やっぱりakariママ優しい

akari:やかましいわい

 


 

 

 

 

 


2041/7/24

 

editor
- □ ×
2041年7月24日.txt
×
 

楓:そういえば、ずっと気になってたこと聞いてもいい?

akari:別にいいけど

楓:akariの名前って「灯」なんでしょ?女の子っぽいけど、もしかしてakariって身体性は女の子だった?

akari:いや、どっちも男だ。確かに人には少し確認されたりはするけど

楓:何か理由があるの?

akari:親父が名前を付けたらしいんだが「男はいつも炎のように燃える必要はない。燃えるのは大切な人と夢を守る時だけで、普段は隣人を温め導く程度の灯りで充分だから」だったはず

楓:おお、かっこいい

akari:親父は男に対するハードル妙に高いから。そういう楓は由来とかあるのか?

楓:私もお父さんが付けたんだけど「若い時に美しいのは誰もが同じ。一番大切なのは最期の時に美しいかどうかだから、散る時が最も美しい楓のようになってほしい」だったと思う

akari:いろいろ考えてるんだな、やっぱり

楓:私はこの名前気に入ってるよ。akariは?

akari:正直、名前についてあれこれ言われるのは好きじゃなかったから、どうかと思っているところはある

楓:でも、嫌じゃないんだ?

akari:まあ、親父の価値観は面倒だけど、悪いとは思わないから

楓:私もakariのお父さんいいと思うよ

akari:楓に会ったら絶対に優しいよ。親父、女の人には優しいし

楓:いつもそう言ってるね

akari:当たり前だろ。親父のやつ、母親にだけは優しいんだから

楓:でも、本当に会ってみたいな

akari:今の接続だって偶然の産物だ。ましてや世界間の移動なんて

楓:分かってるよ。ちゃんと分かってる。でも、akariのお父さんもそうだけど、akariにも会ってみたいよ。私、akariがクラスメイトだったらよかったのにって思うから

akari:俺も、楓がクラスにいてくれたら、もっとクラスになじめたかもしれないな

楓:akariは理系で私は文系だからもう一緒にはなれないのが悲しいけど。ちなみに、akariは進路決めてるの?

akari:今のところはこのまま機械の勉強をして、エンジニアになると思う

楓:凄いね、ちゃんと進路が決まってて

akari:そういう楓は決まってないのか?

楓:私、特に取り柄とかないもん

akari:そんなことはないだろ

楓:ありがと、akariはそう言ってくれると思ってた

 

「違う」

 

 楓の返事を見て、思わず声が漏れた。

 俺が言いたかったのは、そんな慰め程度の言葉ではなかった。

 

 楓が俺をどういう風に思っているのかは知らないが、俺は隣の席のクラスメイトに声をかけることすらできない。時間をかければ誰にだってできるプログラミングや数学以上に、明確な正解が存在しない人間関係において高い技術を持っている楓の方が凄いのだ。

 そう伝えたいけど、俺の言葉では、俺の拙い対人能力ではそれを伝えることができない。

 

 楓は俺にとってなりたい自分の完成形で、俺の──

 

「……っ!」

 

 その続きを考えた瞬間、鈍器で殴られたような感覚がした。

 

 楓と出会ってから八か月近くが経とうとしている。

 俺達の会話はほぼ毎日のように行われ、俺の中で楓と積み重ねてきた会話のデータが俺の中に記憶されている。コマンド一つで記憶から取り出される思い出は、間違いなくどれも削除することのできないものだ。

 

「…………」

 

 単純だろうか?

 たとえそうだとしても、事実はどうしようもなかった。ディスプレイに表示された膨大な日付の羅列が愛おしくて、だからこそ泣きたくなるほど悲しかった。

 

「俺は、楓が……」

 

 並行世界に住んでいる、顔も声も知らない彼女が誰よりも大切だと思った。文字列でしか彼女の存在を感じることはできないけれど、それでも充分すぎた。

 俺にとっては、クラスで聞こえる鮮明な声よりもディスプレイに映る無機な文字列の方が感情を感じることができた。

 

「なんで、よりによって楓なんだよ」

 

 どうして並行世界の俺はそこにいないのだろう。

 どうして並行世界の楓はここにいないのだろう。

 

 可能性の世界が並行世界だというのに、どうして俺達は同じ場所にいられないのだろう。

 俺の教室に並行世界の楓がいてくれたなら、せめてその彼女に声をかけることだってできたかもしれないのに。世界はそれすら許してはくれない。

 

 結ばれることがなくていいから、彼女と同じ教室に通うことができるそんな日常がこの世界に存在してくれたらよかったのに。

 

「楓に、会いたい……」

 

 最初は並行世界だからこそ自由に話せると思っていた。

 だけど今は“遠い”という言葉すら使わせてもらえないこの距離が、どうにも苦しくて仕方なかった。

 


 

 

 

 

 


2041/8/28

 

 楓のことが好きだと気が付いても、俺は特に何もしなかった。

 俺と楓の関係は、同じ端末を全く同じ場所に住む二人が手にしたことによって起こったものだ。いつ消えるかも分からない繋がりを、告白なんて行為で断ち切ってしまうことなど俺にはできなかった。

 

editor
- □ ×
2041年8月28日.txt
×
 

楓:だから、まずは声をかけるところから始めないと!

akari:話題がないんだって!

楓:その日の授業の内容とか課題の内容とか、いくらでもあるよ!

akari:う…

楓:話す内容ならちゃんとあるから。それに一度くらいで人はどうこうしたりなんてしないから。いじめられてるわけでもないんでしょ?

akari:班組んだ時に話せる程度には

楓:充分だよ。だって学校以外の勉強会とかでは話せるんだし、授業でも話せているんでしょ?話せないわけじゃないんだよ。一歩が足りないだけだから

akari:楓はそういうけどさ、やっぱりこう、難しいんだよ

楓:まったくもう…。じゃあ、作戦を立てようよ

akari:作戦?

楓:そう、話しかけるための作戦だよ

akari:具体的には何を決めるんだよ

楓:それはもちろん内容と相手とタイミングだね。そこまで決まってて話せなかったなんてことはないでしょ

akari:あー、でも、なんかアクシデントがあったらさ…

楓:その時はちゃんと行けるよ。だって、akariはエラー文読んで修正できる人だもんね

akari:楓、お前さては根に持ってるだろ

楓:そんなことないもーん、akari先生の教えは凄くためになってますもーん、いつもの意趣返ししたいなんて思ってないもーん

akari:絶対に思ってるって!それ絶対にそうだろ!

楓:(*´з`)

akari:口笛吹いたってお見通しだからな?

楓:以心伝心だね

akari:分かりやすいだけなんだよな…

楓:え、純粋でいい子だって?

akari:誰もそんなこと言ってないです、褒めてない

楓:akariが悪く言う時は褒めてるんだよ

akari:誰がそんなこと決めたんだよ

楓:私

akari:そんなことないだろ

楓:あるよ。だってakariってば、誰かを褒める時は一度悪く言って「でも」ってつけるから

楓:あ、今前の会話見てるでしょ

akari:見てない

楓:恥ずかしがらなくてもいいよ

akari:恥ずかしがってません。俺はとっても正直者です

楓:嘘ばっかりついちゃって、可愛い

akari:可愛くない

楓:そういところだよ!

akari:は?どういうところだよ?

akari:なあ、楓!

 


 

 

 

 

 


2041/9/21

 

editor
- □ ×
2041年9月21日.txt
×
 

楓:今日はね、髪を切りに行ってきたんだ

akari:髪長かったのか?

楓:肩甲骨くらいまではあったかな。今は肩くらいだよ

akari:結構長いんだな

楓:そうそう、って、akariは見たことないんだもんね

akari:互いに顔も見たことないだろ

楓:画像見なかったの?

akari:画像?

楓:私、ギアのアルバムはパソコンと共有してるんだけど

akari:そうか、なるほど

楓:知らなかったの?

akari:今までは勝手にのぞくのも悪いと思って自重してたが、楓の許可があるなら見れるな

楓:え?

akari:今から見てくる

楓:ちょっと待って!ならせめてakariの写真も見せてよー

akari:俺はほとんど写真撮らないからないぞ

楓:嘘ー、ずるい!私もakariの写真みたーい

akari:ないもんはないから、今度な

楓:akariのばかー!

 

 ずるいと抗議する楓を眺めながら、俺は画像フォルダを開いた。

 今までは日記以外開いたことはなかったが、ここにもかなりの数の画像が保存されている。どうやら今までギアに記録していた画像をすべて共有しているらしい。

 

 とりあえず“2041年”と書かれたフォルダを開いてみる。

 すると、見覚えのある校舎や生徒達に交じって、まったく見たことのない女の子がよく登場するのが分かった。背中に届くほどの長い黒髪をオシャレに編んでいるこの子が楓なのだろう。俺が想像しているよりもずっと可愛らしいと思った。

 

 楓はかなり洒落っ気があるらしく、どの画像でも違う髪形や服を着ている。

 楽しそうにこちらへ笑顔を向けていると、幸せと切なさが同時に胸にこみあげてくる。

 

「それにしても、画像量が多いな」

 

 少しずつ時期が遡っていくと、ゴールデンウィーク辺りの画像になってきた。

 友人と遊んでいる画像が出ているが、やがて明らかに年の違う二人の人が登場した。見覚えがある二人だった。

 

「…………あぁ」

 

 優しそうな両親に挟まれて笑顔を向ける楓の顔が、今だけはこの目に映らなかった。

 視線は両サイドの家族に釘付けにされ、今まで疑問に思っていたことが一気に繋がっていく。

 

「そういう、ことか」

 

 多分、俺はすべてを理解した。

 

 旅行に行った先での記念撮影だったのだろう。優しそうに微笑む父親らしき彼は、確かに妻と娘を溺愛しているのは容易に想像がついた。だって、彼女の父は()()()()()()()()()()()

 

 俺はずっと大きな勘違いをしていたのだ。

 今までお互いに名前を知っているからあえて自己紹介しなかったが、それがここで祟るとは思ってもみなかった。

 

「楓は……」

 

 同じ家に住み、同じ場所に自分の部屋を持ち、同じ高校の同じクラスに通い、()()()()()()()()()()()()

 

 同じ場所だったことなど些末な問題に過ぎなかった。俺達はもっと根本的なところから一緒だったのだ。

 並行世界があらゆる可能性の世界であるというのなら、俺と楓──中村灯と中村楓──はまさしくその最たるものだった。

 

 俺達が心のどこかで望んでいた、一緒の教室にいる世界などあり得ない。

 

「……女として生まれた俺、なのか」

 

──俺達は、もう一人の可能性を潰して生まれたのだから。

 


 

 

 

 

 


2041/10/24

 

editor
- □ ×
2041年10月24日.txt
×
 

楓:今日は遅かったね

akari:三者面談でな…

楓:奇遇だね、私も今日だったよ

akari:まあ、同じ日程だろうし、そんなもんだろ

楓:確かにね。ちなみに面談どうだった?

akari:別に、何もなかったけど。学校外でも活動してるし、その方面の大学に進むと言っただけだから、大丈夫でしょうって言われただけ。それより、楓の方はどうだったんだ?決まってないって言ってただろ?

楓:うーん、そうなんだよね

akari:何かあったか?

楓:ううん。もともと文系の成績自体はそんなに悪くないから、どこにでも行けるって

akari:まだ進路決まってないのか?

楓:うん

akari:もうとっくに言われてるかもしれんが、今やりたいこととか、ないのか?

楓:全然

akari:まあ、そうだよな。あったら悩んでないよな

楓:ごめん

akari:謝る必要はないって。

akari:ともかく、楓はなりたい人とかいないのか?

楓:どういうこと?

akari:もし自分のが思いつかないなら、そういう相手と同じ道を選んでみるとかはどうだ?

楓:なるほど。でも…

akari:もし答えが出せたら、何でも一つ願いを叶えるよ

楓:本当に!?なんでもだよ!?

akari:俺にできることならな

楓:akariに会いたい

akari:え?

楓:何年かかってもいいから、akariに会いたい。…ダメ?

akari:いや、でも…

楓:今よりもっとパソコンに詳しくなって、私達の秘密を解き明かして、会いに来て。私はakariと一緒にいられる未来が欲しい

楓:…akari?どうしたの?ダメだった?

akari:いや、構わない。むしろ、作りごたえのありそうなテーマで助かったよ

楓:じゃあ、約束ね

akari:その前に、答えだすの忘れるなよ

楓:もちろんだよ、明日にでも答え送るからね!

akari:そりゃ楽しみだ

楓:信じてないでしょ!

akari:信じてます信じてます、楓さんはご褒美があると本気出すって知ってるので

楓:なんか物につられる人みたいな感じに思ってない?

akari:思ってない思ってない

楓:本当に?(;´Д`)

akari:本当に(∩´∀`)∩

akari:もういいだろ?指切り指切り

楓:ゆーびきりげんまん、嘘ついたら針千本飲ます!

akari:指切った

楓:じゃあ、また明日ね

akari:ああ、また明日

 

 

 

 だけど、明日は来なかった。

 

──その日を最後に、楓からのメッセージは途切れた。

 


 

 

 

 

 


2041/12/1

 

editor
- □ ×
2041年12月1日.txt
×
 

akari:楓と出会って一年だし、帰ってくるまで俺が代わりに日記をつけることにした。だけど、体裁は今までのようにしておく。楓がいつ書き込んでもいいように

akari:連絡が途絶えて一か月以上経ったな。一度でいいから、また書き込んでくれ。俺はずっと、ここで待ってるから

 


 

 

 

 

 


2042/4/25

 

editor
- □ ×
2042年4月25日.txt
×
 

akari:俺、一緒に飯を食う友達ができたよ。プログラミングの課題を説明したのをきっかけに一緒に飯を食うようになってさ

akari:楓に教えるみたいにさ、ちゃんとできたよ。作戦成功だな

 


 

 

 

 

 


2042/6/20

 

editor
- □ ×
2042年6月20日.txt
×
 

akari:前に楓のPCとの接続が切れたら、って話をしたのを思い出した。その時にならないと分からないって言ったけれど、きっと今がそれなんじゃないかって思い始めた

akari:いや、きっとそうなんだろうな。突然繋がったみたいに、切れるのだって突然なんだろうな

akari:一日だけでもいいから、また楓のPCと繋がってほしい

 


 

 

 

 

 


2042/9/13

 

editor
- □ ×
2042年9月13日.txt
×
 

akari:教室が本格的に受験の空気になってきた。もう入試まで半年だから、やっぱり空気が変わったと思う

akari:俺は今のところ情報系の大学に進もうと思う。今の成績なら第一志望も充分狙えるってさ

akari:楓も自分のやりたいこと、見つかってるといいな

 


 

 

 

 

 


2042/10/25

 

 楓からの書き込みがなくなって、一年が経った。

 

 頭の中は楓のことでいっぱいで、一日も欠かすことなく日記を更新しては楓の書き込みがないかを確認した。

 楓のギアのアルバムがPCと連動しているという話を思い出してからは画像フォルダや動画フォルダも確認しているけれど、最終共有日はやはり一年前が最後だった。

 

 楓は俺のことを忘れないと言ってくれたけど、楓も同じように俺の痕跡を探してくれているのだろうか。

 そうだったらいいなと思う自分と、そうじゃなければいいと思う自分の両方がいた。こんな気持ち、楓に背負っていてほしくはない。

 

 今日で書き込みが止まって一年だから書きたいことがたくさんあるんだと思いながらPCを開き、いつものようにフォルダのチェックをしていく。

 アイコンの位置はもう覚えきっていて、目をつぶっていても同じ操作ができるだろう。

 

 だけど、

 

「……え?」

 

 今日は、新しいファイルが増えていた。

 

 音楽フォルダにあったそれはギアの標準アプリに設定されているボイスメモのものだった。名前は“akariへ.mp3”。

 どうして音声ファイルなんだとか、一年も何があったんだよとか、頭の中にいろんな言葉が浮かんでは消えていく。

 

 それでも、俺に向けて送られているのなら、開かないわけにはいかなかった。

 俺はゆっくりとカーソルを動かしてファイルを開いた。

 

『……入ってるよね。確認できないから、このまま喋るね』

 

 初めて聞く楓の声はかすれ気味で、周囲の声がなぜかうるさかった。

 ギアの録音にしては音質がかなり悪くノイズ交じりの音声だけど、再生を止めようという気はまったくなかった。

 

『車にね、轢かれちゃった。血がいっぱい出て、きっと入院するんだと思う』

 

 何を言っているのか分からなかった。

 だけど、外野の騒ぎ声はそれを肯定するように慌ただしかった。

 

『しばらく病院にいるから書き込みはできないけど、これはアルバムに共有されるはずだよね』

 

 外から『もう喋らなくていいから!』という声が聞こえる。

 俺もそう思った。

 

『それで約束だけど……私ね、灯みたいになりたかったんだ。自分のやることを見据えてる、灯みたいに』

 

 置き土産のように呟いた楓の言葉が、一字一句違えることなく頭の中に刻み込まれるような感覚がした。

 そんなことない。俺の方こそ楓みたいになりたかったんだって、叫びだしてしまいたかった。

 

 だけど、この声の波は、どれだけ空気を震わせたって彼女のもとまで届いたりはしない。

 

『約束、守ったからね。灯のお願い、楽しみにしてるよ』

 

 再生が終わった。その言葉の意味を考えさせてくれないほどに短い音声だった。

 

「……嘘、だろ?」

 

 だけど、一年越しにデータを届けた理由としてはあまりにも説得力がありすぎた。

 

 一年越しでこれが届いている理由が分からなかったけど、ギアとPCの両方が起動されていなかったからだと、妙に冷静な頭のどこかが答えを出していた。

 これが一年前の記録であるなら、今日は一周忌だ。きっと、遺品整理のために親父か母さんがPCとギアを起動したんだと思う。個人情報の関係でデータを見ることなく消す人もいるけど、親父はそうじゃなかった。そして、同時起動したギアとPCが共有機能で俺のもとに楓の声を届けた。

 

 俺は一年もの間、何も知らずに生きていた。

 届くことのないメッセージを、届くはずのない相手に向けて積み重ねてきた。

 

 このPCは楓のPCと繋がり続けている。

 だが、俺の言葉はもう楓に届くことはない。

 

「…………」

 

 楓は今わの際に言葉を届ける相手として俺を選んだ。それは、そうする以外に自分の状況を全員に伝える手段がなかったからだ。誰よりも人のことを気にする楓だからこそ、そうしてくれたのだろう。

 

 楓が俺にくれた、最後の優しさがこのメッセージだ。

 散り際まで美しいから、彼女は楓だったのだ。

 

 そんな彼女に対して何が返せるのかと自分自身に問いかければ、それは考えるまでもないとしか答えようがなかった。

 

「……約束だ」

 

 そうだ、約束を果たさなければならない。たとえもう楓に届くことがなくても、楓がそれを楽しみにしてくれていたというのなら。

 俺は、楓と俺が一緒にいられる世界を実現しなければいけない。

 

 全身が震え、頭が一気に動き出す。

 楓との約束を果たすために、俺がしなければならないことを必死に考える。俺と楓はもう会えないというのなら、俺と楓が会える世界を見つけ出すしかないから。

 

「…………」

 

 俺は、楓との約束を我が身にくべた。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ログを眺めるのをやめて、clearコマンドで過去の操作の表示を消去した。

 

「もう、三十年も経ったよ」

 

 あの頃は最新式だったのに、今では骨董品に足を踏み入れる程度には古くなってしまった。定期的なメンテナンスをしながらどうにかここまで保ってきたが、もう限界だろう。

 データを移すか悩んだが、楓との記録はこのPC以外のどこにもあってほしくないと思ったから移したりはしなかった。このPCが死んだら、それで記録もすべて消えてなくなる。

 

 楓はもういない。

 少なくとも、俺の知っている楓はどこの並行世界を探したって見つかりはしない。俺の知っている楓の人生はあの時に終わったのだから。

 

 あれから俺はエンジニアにならなかった。

 物理学を専攻し、並行世界を研究した。多くの人に笑われながらも必死に探し続けている。

 

「俺、きっと約束を果たしてみせるから」

 

 行く理由はなかった。並行世界とはあらゆる可能性を内包した世界であり、俺が求める世界は俺が行かずとも存在が確定している。その事実にはもう気が付いていたが関係なかった。

 俺達が一緒にいられる世界は、楓との約束だったから。俺は楓との約束を見届けなければいけない。

 

「一緒に生きる可能性は、確かにあるはずだもんな」

 

 そう、俺達が双子で生まれるという可能性を引き当てればいい。

 二人で一緒に同じ両親のもとに生まれ、二人で一緒の部屋をもらい、同じ高校に通う。

 

 クラスで人気者の楓が、俺をクラスの輪に入れてくれるだろう。代わりに、PCに強い俺はテスト前になる度に楓の勉強を見ることになるのだ。

 足りないところは二人で補いあう、そんな双子になればいい。俺達は互いになりたい自分を望んでいたのだから、二人そろえば俺達はきっと幸せになれるはずだ。

 

 だからこそ、俺は並行世界の存在を証明しなければならない。

 人生を代償にしてどこかの世界にある約束の可能性を見届ける必要がある。

 

「だからまずは、一つ証明をしたいと思うんだ」

 

 PCはもう壊れる。

 この起動が最後になるだろうという予感があった。

 

「俺達の記録を、並行世界に向けて送ろうと思うんだ」

 

 コンピュータにとって最も軽いデータはテキストファイルだ。

 俺達が積み重ねてきたものが一番軽くて、だからこそ一番容易に送ることができる。

 

 今はまだ並行世界を観測する術はないが、こちらから送ることはできるかもしれない。

 俺と楓が奇跡的に繋がったように、俺の送るデータがどこかの誰かへと届く可能性があるかもしれない。

 

「まるで、メッセージボトルだな」

 

 目的地は俺と楓のように近い条件ではない。

 条件が大きく違う場所に行くのなら、送った記録は世界というフィルターによってその在り方を変えるだろう。

 

 どこかの端末に届く、人工の音声になるかもしれない。

 電子の海のどこかにある、ウェブページになるかもしれない。

 誰かがふとした拍子に思い付いた、物語の一つになるかもしれない。

 

 それがどんな形だって構わない。どこかの誰かに俺達の記録が届いてくれたというのなら、それは俺の夢が叶うという確かな証明になってくれるはずなのだから。

 俺はそれを錨にして、並行世界を見つけ出そう。

 

「じゃあ、始めるよ。楓」

 

 俺達の記録を届けるのは、こいつじゃなきゃダメだったから。

 今にも壊れそうなこいつこそが、俺達の可能性を証明するために必要な相棒だから。

 

 キーボードに手を伸ばし、コマンドを入力する。

 このプログラムを実行したら最後、このPCは二度と動かないだろう。もしかしたら途中で壊れるかもしれない。だけど、それでもよかった。壊れてもいいから、これでなければいけなかった。

 

「いってらっしゃい」

 

 エンターキーを叩き、プログレスバーが動き始めた。

 回路が悲鳴を上げ、ファンが熱を吐き出す。あまりにも長いマラソンを走っている選手みたいに息を切らせて、それでも決して立ち止まりはしない。

 

 すべて残らなくたって、断片でいいから届いてほしい。

 そして、その誰かがどこかに存在する世界で、大好きな誰かとの約束を果たすためにあがいていることを知っていてほしい。

 

 中村灯が広大な並行世界の中でたった一つの可能性を求めて燃えている、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

talker
- □ ×

> ./FallInDiracSea.exe

#################### 100%



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 5~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。