Ace of Aces - スラムダンクの続き - (こうやあおい)
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第一章 - 夏陰 -
1話


 ──もしも、たった一つ、もしも願いが叶うなら。選ぶ願いは、決まっていた。

 

 

 

 1991年、3月、下旬。

「寒い……!」

 約一年ぶりに感じる日本の空気は、ひんやりと冷たかった。

 入国審査を受けてターンテーブルから荷物をピックアップし出口へ向かうと、熱心にこちらを見ながらキョロキョロしている中年の女性が目に入った。目が合うとパッと明るく笑みを浮かべてこちらに手を振ってくれる。

 

「つかさーー!!」

 

 心持ち早足で歩いていくと、その女性はきつく自分を抱きしめて声を弾ませた。

「おかえりなさい! まあ髪が伸びてすっかり可愛くなったわね……! 元気にしてた?」

「うん。叔母さんは……?」

「つかさの顔見たら元気になったわ。姉さんは元気?」

「元気元気。でもしばらく忙しいからこっちには戻れないって」

「そう……。もっと簡単に連絡取り合えるような便利な世の中になればいいのにね」

 頬に手をあてて言う叔母の声を聞きながら荷物を持って車に乗り込む。空港を出ると、久々の日本らしい──だが見慣れない風景が広がっていた。

「叔母さん、神奈川はどう?」

「住みやすくて気に入ってるわ。でも、一番ここを気に入ってるのは紳一かしらね」

「お兄ちゃんの希望でしょう? 海のそばがいいって……」

「それもあるわね。紳一ったら、部活のない時間を見つけてしょっちゅうサーフィンボード持ち出してるもの」

 叔母の声を聞きながら東京湾沿いを走る風景を見やる。東京を通って神奈川に入り──叔母の家に着いて荷物を片づけると、時差ボケの気だるい身体のまま外に出た。

 ツン、と広がる潮の匂い。探るように道を歩いた。左手に「江ノ島」が見える。

 ──ここは「愛知」ではない。

 少しだけホッとして歩いていく。桜の開花まではまだ少し日数が必要らしい。

 今日からこの湘南で生活するのか……、と感慨にふける。

 相模湾に背を向けて、少し入り組んだ住宅街に入って、目の前に公園を見つけてハッとした。

「あ……」

 公園の一角はフェンスに囲まれており──、誰もいない空間にバスケットゴールと、忘れたように転がっているバスケットボールが目に入った。

 無意識にごくりと喉を鳴らした。

 

 

 思い出すことのできる一番古い記憶は、夕暮れ色に染まる公園。毎日毎日、泥だらけになってボールを追っていた。毎日毎日、3人で。

 当たり前のように続いていくと思っていた日々が、生まれた瞬間から不可能だったと気づいたのはいつ頃だっただろう?

 どうしようもない、とうにもならないことを受け入れるしかなかった中学二年の晩夏。

 いつもの公園の、オレンジ色の空間。

 やけに暑くて、夕焼けが目にしみて──、いまも、時おり思い出しては鈍く胸を締め付けている。

 

 

 あれから2年近くが経つ──と、引き寄せられるようにフェンスのドアを押して中へ入った。

 そっと転がっていたボールを手に取る。

「…………」

 懐かしい感触。湧き出てくる感情を押し殺すように唇を噛んだ。そうして目線をゴールの方に送った。

 スリーポイントくらいの距離があるだろうか? 数回突いて、シュッと空へボールを放った。

 

 ──あれから2年。ここは、神奈川。けれど、まだ、忘れていない。

 

 確認するように、そっと自分の両手に瞳を落とした。

 

 

 

***

 

 

 ──初夏。6月中旬。

 

「今日ってまだベスト16の試合でしょ? お兄ちゃん、いくの?」

 土曜の早朝、いそいそと「海南大附属高校」のジャージに身を包んで出かけようとする兄──正確には従兄であるが──の牧紳一に牧つかさは声をかけた。

 すると、紳一は振り返って「おう」と頷いた。

「今年は陵南にいいルーキーが入ったって噂でな。偵察だ」

「陵南……、ああ、あの海沿いの……」

 つかさは発せられた「陵南」高校を浮かべた。自宅からも頑張れば徒歩圏内に位置する江ノ島電鉄沿いの「陵南高校前」駅そばに建っている県内でも随一のロケーションを誇る高校だ。

 紳一は当然のように「お前も行くだろ?」と言った。が、すぐにハッとしたように眉を寄せる。

「あ、いや。無理にとは言わんが……」

 気遣うような視線につかさは苦笑いを漏らした。

 ──あれから、既に二年が経とうとしている。

 大丈夫だ、と自分に言い聞かせるように「行く」と返事をしたつかさは、すぐに出かける準備に取りかかった。

 

 家を出ると、ツン、と潮の匂いが鼻孔をくすぐった。

 神奈川に越してきて数ヶ月が経とうとしている。けれども昔から海のそばには縁があるらしく、潮の匂いは嫌いではない。風も心地よく、つかさは自然と笑みを浮かべていた。

 

 紳一とつかさは、ここ神奈川ではなく──中部に位置する愛知県の海にほど近い場所で兄妹も同然に育った。

 もともと紳一の母とつかさの母は一卵双生児の双子ということもあり、遺伝子的にはほぼ本当の兄妹である。加えて二人が幼い頃は互いの父親が海外転勤を繰り返しており、特につかさの父親は危険地帯も多く、赤ん坊を抱えて危険を感じた母は自身の「実家」に預けるという結論に至ったらしく──二人の「実家」は同じとなった。つかさの母は夫の勤務地に居ることが多く、大部分の時間を共に過ごしたのはつかさにとっては叔母の方でもあるため、互いに既に実の家族も同然である。

 

 つかさ自身が中2の終わり頃、紳一たち一家は神奈川に引っ越し、つかさは逃げるように海外の親元に戻って進級した。が、つかさの実父が春先から仕事場を中東に移すことが決まり身を案じた双方の両親が──特に叔母が強く帰国を促してつかさも帰国を余儀なくされた。

 ──愛知には戻りたくない。

 つかさの意志はもとより叔母は神奈川につかさを連れ戻す気であり、結局のところは叔母の意向で紳一と同じ海南大附属高校入学と同時に神奈川の紳一の家で暮らすこととなり、今に至っている。

 

「海南は、試合は明日から?」

「ああ、今日も午後から練習だ」

「今年は……15年連続優勝がかかってるんだっけ?」

「16年だ、16年」

 道すがら、そんな会話を繰り広げながらつかさは朝靄に目を細めた。

 古巣の愛知にいた頃──いつもこうして紳一と、そしてもう一人、二人にとって「幼なじみ」にあたる少年とともにいた。共に物心ついた頃から毎日、オレンジ色の大きなボール──バスケットボールを追って日が暮れるまで遊びに練習に明け暮れていた。小学校の頃は男女の差はなく、むしろ女子の方が成長が早く、なんでも対等に渡り合えていたというのに──と昔を思い出してつかさは小さく首を振るう。

 紳一も、"彼"も、そして自分も──おそらく「天才」と形容するに遜色のない才能を持っていた。実際、紳一たちは愛知代表として全中に出場し、紳一の神奈川移住を聞きつけた全国でも屈指の名門「海南大附属高校」バスケットボール部は紳一にスカウトの声をかけた。受け入れた紳一は一年の頃から名門・海南のエースとして引き続きその名を全国に轟かせている。

 二人とも今なおスター選手。ただ自分だけがあの場からドロップアウトしたんだ──、とつかさは天を仰いだ。

 既にバスケットから離れて二年近くが経っている。あの「諦め」を受け入れなければならなかった晩夏の日以降──、紳一はバスケの話題に関してつかさに気を遣っていたし、つかさも逃げるように一年ほど両親の元に戻り日本を離れていて。表面上はすっかり吹っ切れている。事実、つかさは吹っ切れていた。ただ、中学二年だったつかさには受け入れがたい事実だったという苦みが残っているだけだ。ただ、それだけのはず。

 程なくして試合会場が見えてくる。全国のバスケットボール選手がもっとも熱狂する夏のインターハイ県予選、ベスト8を決める試合が行われるのだ。

 しかしながら会場が観客で埋まるのはベスト4が出そろいインターハイ出場校を決める決勝リーグからであり、今日の会場はガラガラだ。二人は最前列の特等席を陣取りウォームアップに出てきた両校の選手達を見下ろした。

「陵南、か……。あの人は? お兄ちゃん」

 紳一の言う「陵南」は青のユニフォームを着ていた。とりわけ目を引いていたのは、周りの選手から頭二つ以上も違う長身の選手だ。あまりの大きさにつかさが少しばかり目を丸めると紳一は少し肩を竦めた。

「あいつは二年の魚住だ。確か今大会の公式記録では2メートルだったか……。高さだけは県内トップだな」

「2メートル!? へー……」

「陵南の監督とウチの監督はライバルらしくてな。打倒・海南を目指して魚住を神奈川トップセンターに育て上げようと躍起になってるらしいぞ」

「あ、そっか。ウチってセンターそこまで強烈じゃないよね。お兄ちゃんはガードだし、キャプテンってフォワードだったよね確か」

 ボールで床を打ち付ける音。バスケットシューズと床の擦れる音。いやでも聞こえてくる。懐かしさに胸中を複雑さで滲ませ、つかさは両校の選手をぼんやり目で追った。そうこうしているうちに魚住選手が豪快なダンクシュートを決め、ワッと会場を沸かせる。横で同じく陵南の青いユニフォームを纏った一人の選手が淡々とドリブルに精を出しており、つかさは何となくそちらを見やった。

「あの人は?」

「ん……?」

「陵南の13番。けっこう大きいみたい。190センチ近くあるんじゃないかなぁ……。うん、絶対そう。たぶん"大ちゃん"くらいだと思う、あの人。大ちゃん、いま185センチくらいまで伸びたんでしょう?」

 つかさが言うと、紳一は一瞬だけハッとした表情を晒し、ああ、と小さく笑った。

「あいつだ。家を出るときに言った噂のルーキー。陵南の一年、仙道彰」

「へえ、一年生……」

 同い年なんだ、と呟いたつかさに紳一はさらに続ける。

「なんでも、陵南の監督が東京から引っ張ってきたって話でな。ここまでブッちぎりのオフェンス力で勝ってきて、今年の新人王と得点王は間違いないとまで言われてるヤツだ」

「得点王!? え、お兄ちゃんスコア表持ってる!?」

「いや、ないな」

 瞬間、思わず染みついた「バスケット脳」が姿を現してつかさはハッとした。紳一も目を丸めながらも緩く笑い「相変わらずだな」と言いたげに肩を揺らしている。

 逃げても逃げても、逃げられない情熱と、早すぎた「諦念」と。こみ上げた感情を押し殺してつかさは少しばかり頬を膨らませた。

 

「いけいけ陵南! おせおせ陵南!」

「フレー・フレー・津・久・武! フレー・フレー・津・久・武!」

 

 そうこうしているうちに審判がティップオフを宣言し、神奈川ベスト8を決める試合が開始された。

 無意識につかさはコートをかける選手に紳一と、自分と、そして自ら"大ちゃん"と呼んだ少年の姿を重ねて追った。

 大ちゃんだったら、紳一だったら、自分だったら。いやでも昂揚してしまう。いつしか「自分だったら」という想像が果てしなく虚しいものとなってからも、この昂揚はそうそうには抑えられないものだ。

「ナイスリバンッ、9番!」

 陵南の魚住がゴール縁にあたって跳ねたボールを見事にキャッチし、思わずつかさは手を叩いた。横で、フ、と紳一も笑う。

「ゴール下の魚住に対抗できる選手は、津久武にはいない。あいつも去年より上手くなってるしな」

 地力は誰の目にも圧倒的に陵南が上に見えた。なにより──面白いことにまだ一年生である13番の仙道彰にボールが渡ると会場がどよめくのだ。それもそのはず──陵南の得点の8割強はこの一年生ルーキーが一人であげていた。むろんチェックも厳しく、津久武の選手はゾーンで囲うように仙道からゴールを守っているが、彼はそれをものともしない。

 スピード、カットイン、ドリブル、そしてテクニック。明らかに一人抜けている。

「やれやれ、噂通りってわけだな」

 つかさの隣で紳一が肩を竦めながらもどこか楽しそうに言い、つかさは2、3度瞬きを繰り返して無意識に、ゴク、と喉を鳴らした。ゴール下の仙道が、ブロックを二枚かわして鮮やかにダブルクラッチからのシュートを決めたからだ。

「大ちゃんみたい……」

「ん……?」

 呟いた先で陵南のスコアボードに50点目が記された。前半残り5分。──後半に入ってからも陵南の攻めは続いた。津久武も負けじと食らいついてはいるが、点差は既に奇跡が起きても埋まらないまでに広がってしまっている。

 

「いけいけ陵南! おせおせ陵南!」

「いいぞいいぞ仙道! いいぞいいぞ仙道!」

 

 陵南応援席ははやくも勝利を確信して踊っていた。そして──ラスト五分。今日で一番鮮やかな仙道のダンクシュートが決まった瞬間につかさは声をあげた。

「大ちゃんだ……! ううん、大ちゃん以上の選手だ、あの人!」

「は……?」

「お兄ちゃん、あの人、大ちゃんより凄い選手になるよ、絶対! 初めて見た……、大ちゃんより凄い人……!!」

 興奮気味につかさが告げ、紳一は面食らったように口元をパクつかせた。

「諸星以上って……、言い過ぎなんじゃないか……」

「そんなことない! いまにぜったい、そうなるよ!」

 諸星こと諸星大──大ちゃん──とは二人の幼なじみであり、共にバスケットに励んできた少年である。いまは愛知切っての名門・愛和学院のエースとして、「愛知の星」と呼ばれ親しまれ、紳一と共にその名を全国に轟かせる存在となっていた。

 つかさにとっても、紳一にとっても、幼い頃からの「ライバル」でもあり、つかさが最後に勝てなかった相手でもあり、そしてつかさ自身がいままでで「最高の選手」だと信じていた相手でもある。

 そんな幼なじみでもあり「親友」でもある諸星がこうもあっさりと「大ちゃん以上」などと宣言されて紳一としては苦笑いを浮かべるしかない。

 しかしながらそれだけ目の前の一年生ルーキーは可能性を秘めており、近い将来に敵として相対するだろう仙道へ向けて強い視線を送った。

 

 試合は陵南の圧勝。これにより陵南は次の試合にコマを進めることになったものの──紳一は自身の所属する海南大附属と陵南が決勝リーグで相対するだろう事を既に確信していた。

 試合も済み、紳一は午後からの練習に備えるべく足早に会場を去ろうとした。が、フロアで2メートルの巨体を目にして思わず足を止める。

「あ、9番! ……魚住さんだ」

 横にいたつかさも小さく呟いた。目線の先には先ほどまで激闘を繰り広げていた陵南の魚住と、そして仙道が水分を取りながら談笑している。

 

「牧……!」

 

 先に魚住の方が気付いたのか紳一に声をかけてきて、紳一も応じた。同学年で互いに名の知れたバスケット選手。交流もあるのだろう。

「よう、魚住。噂通り、いいルーキーを手に入れたようだな」

 チラリと紳一は魚住の横にいた仙道に目線を流した。自然と後を追ったつかさも仙道の方を見やる。なにやら短髪を立てたハリネズミのような頭をしており、実際の身長よりも高く見えた。

「ども。海南とあたるのは決勝リーグですね」

「そっちがうまく勝ち進めばな」

 紳一の軽い挑発とも取れる言葉を受けて、仙道は軽く返事をしていた。よく響く低い声だが、どこかあっけらかんと軽いノリである。

 諸星以上の選手、とジッとつかさが仙道を見上げると、不意にバチッと仙道と目があった。すると仙道は──予想外に、なにか言いたげに垂れ気味の瞳を大きく見開いた。

「あれ、君は……」

「え……?」

 まじまじと仙道に見つめられ、つかさは半歩ほど後ずさりをした。仙道は、どこかいぶかしげで探るような視線をなおもつかさの方に向けた。

「海南の生徒だったんだ……?」

 一人ごちるように仙道が呟き、つかさも、紳一も魚住さえも首を捻った。確かにつかさは海南の制服を着ていたが──と考える間もなく、仙道の視線は紳一に向かった。

「ひょっとして、牧さんの彼女ですか? この子」

 途端、魚住は面白いように目を点にし、つかさは頬を引きつらせ、紳一も同様に頬を引きつらせた。

「いや……。妹だが……」

 正確には従妹だが、との言葉を飲み込んで紳一が絞り出すと、「妹!?」と魚住はなおも目を白黒させて紳一とつかさの顔を交互に見、仙道にいたっては「なんだ」と軽い声を出して手を叩いた。

「妹か。うん、妹ね……」

 そしてズイッとつかさのほうに身を乗り出したものだから、つかさはさらに後ずさりを強いられる。

「な、なに……?」

「君、名前は?」

「え……。ま、牧、つかさ……」

 です、けど。と同い年だというのに警戒心たっぷりに答えると、目の前の仙道はにこっと目を細めて笑った。

「つかさちゃんかぁ。……ねえ、つかさちゃん」

「はい……?」

「オレと付き合わない?」

 その後のことを──つかさは正確には覚えてはいない。

 ただ、その場の空気が凍り、魚住が仙道を怒鳴りつけ、紳一は開いた口がふさがらず、つかさはただただ目の前の期待のルーキーに不信感だけを募らせて帰ってきたのだった。



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2話

 いま思い出しても目眩がする。なんだったんだろう、あれは──。

 と、つかさは初秋の校庭をとぼとぼと一人歩いていた。図書館で勉強をしていたつかさだったが閉館時間となり閉め出されてしまったのだ。

 

 夏のインターハイ予選は海南大附属が神奈川県を制しインターハイへと進み、惜しくも全国優勝は逃したものの定位置である全国ベスト4についた。

 海南は文武両道を謳っているせいか高校で引退してしまう選手も多い。今年は珍しく主将も夏引退を表明したため、二年でエースだった紳一は主将の引退に伴い来期を見越してそのまま部長へと相成っていた。

 陵南は──神奈川ベスト4には進んだものの惜しくもインターハイには進めず、ルーキー仙道の全国デビューは来年にお預けという形になった。

 にしても、とつかさは思う。くだんのベスト8選出戦以来、バスケットの試合会場に行けば嫌でも仙道と顔を合わせる機会はあるし、嫌でも絡まれる羽目となっていた。

 

『オレと付き合う気ない?』

『ないですね』

『なんで?』

『だって私、あなたのことよく知らないし』

『ははは、うん。じゃあ、これからお互い知っていくってことで、どうかな?』

『お断りします。そもそも、なんなの? 出会い頭にあんな……』

『一目惚れ……っていう理由でどう?』

 

 一連の仙道との会話が脳裏に蘇り、つかさは深いため息を吐いた。

 紳一の応援に行けばまた会う羽目になるのだろうか──と、どこか軽いノリのハリネズミ頭を浮かべて心底うんざりしたように首を振るう。そして、キュッと唇を結んで眉を寄せた。

「大ちゃん以上の選手だ、って、思ったのにな……」

 仙道当人はともかくも、彼のバスケット選手としての才能は本物だと見込んだだけに、あの性格は──考え込む瞳にふとバスケ部が使っている体育館が映る。もう下校時間を過ぎたというのにまだ明かりがついていた。

「また残ってるのかな……」

 心当たりのあるつかさは呟くと足早に体育館の方へ歩み寄った。そしてひょいと中を覗くと、一人、長身で細身の少年がシュート練習にあけくれている様子が目に飛び込んできた。

「神くん……」

 つかさにとっては同級生の神宗一郎だ。彼は毎日居残りシュート練習をしているのか、たびたび夜も遅くにこの光景をつかさは目にしていた。紳一からは特に有望な一年生だと聞いた覚えはないが、柔らかなシュートフォームでなかなか良いシューターに育ちそうな素質を持っている。いまも懸命にアウトサイドシュートに励んでおり、心許ないシュート成功率もこのまま続けていけば伸びていくだろう。

 熱心だな、と心内で呟くとつかさはきびすを返して暗闇の中、帰路を急いだ。

 

 

「母さん、つかさは?」

「まだ帰ってないのよ。あの子ったら、毎日毎日……」

 秋もだいぶん深まってきた頃、帰宅して部活の汗を流した紳一はリビングでお茶の用意をしつつ心配げに呟く母親を見やった。紳一の母はつかさにとっては叔母にあたるものの、実の母の双子の妹であり、彼女にとってもつかさは遺伝子上は姪というより娘同然の存在でもあるためか──、一見すると実の息子の紳一よりも溺愛している。

「つかさもようやく落ち着いてきてくれたのに……。こう毎日遅いと、心配だわ」

「ま、たぶん勉強してんだろ。趣味だしな、あいつの」

 ふぅ、と息をついて髪をかき上げると、紳一は二階の自室へと向かった。

 自身の生活は──いまは毎日毎日バスケット漬けであり、全てのスケジュールがバスケット中心に回っている。それは、いまは遠く離れている愛知の諸星大とて同じだ。寝ても覚めてもバスケット。そのサイクルの中に、ほんの少し前まで確かにつかさもいた。

 

 ──自分の中の、一番古い記憶は……近所のバスケットゴールがある公園。黄昏に染まる空間。

 毎日毎日、泥だらけになって、ともすれば自分の身体より大きなバスケットボールをいつも3人で追っていた。

 

 ──いまでも覚えている。投げても投げても届かなかったリング。見かねた両親が子供用のゴールを買い与えてくれるほど、みな、「バスケット」のなんたるかを知らない頃から夢中だった。

 

 あのリングに、一番最初にボールを通したのはつかさだった、と紳一は懐かしむように遠くを見た。

 得てして、小学生の高学年くらいまでは女子の方が体格も良く、成長も早い。つかさは格段に飲み込みが早かったし、ドリブルも、シュートも、ドライブも物心ついた時から自分よりも諸星よりも先を行っていた。

 小学校にあがってすぐ所属したミニバスケットのチームは男女混合で、つかさは花形のフォワードであり、エースだった。毎日毎日、朝から晩まで汗まみれで励んでいたあの頃のつかさの願いは、三人でずっとバスケットをやりたい、に他ならなかっただろう。生まれてからずっと一緒だった3人がバラバラになるなど、考えも及ばなかったに違いない。

 だが──現実はそうはいかない。いくらつかさが女子の平均以上の身体能力を持っていたとしても、あくまで「女子」というカテゴリー内での話だ。いずれ成長期を迎える男子に置いていかれる運命は避けられず──紳一たちが中学校にあがったあたりから徐々に、だが、風のような速さで強さは逆転していった。

 

『大ちゃん! もう一回、もう一回勝負して!』

 

 12歳ですでに160以上あったつかさの身長さえ紳一と諸星はあっさりと追い抜き──徒競走も、垂直跳びも、全ての運動記録で二人はつかさの数字を抜き去った。おそらく、つかさには受け入れがたかったのだろう。自身の努力不足だと思った、あるいは思いこみたかった彼女は、紳一より実力の勝っていた諸星に暇さえあれば挑みかかっていた。

 ゴール下では何度も何度も吹っ飛ばされ、生傷がついては消え、ついては消え。つかさは「全国最強」を誇る愛知県女子の強豪校からの誘いを全て蹴って、女子バスケ部のない紳一たちと同じ中学に進学した。そして空き時間の全てを筋力トレーニングやシュート練習に費やして、毎日、日が暮れてもなお諸星に挑み続けた。

 紳一に彼女を止めることはできなかったし、諸星も、やめろと忠告するのをずっとためらっていた。何より諸星にとっても「エース」だった彼女との間に出来た差が信じられない思いだったのだろう。だが──中学でのバスケット生活を終える頃、彼は確実に限界まで来ていた。

 小学生の頃とは違う、押せば簡単に吹っ飛ぶ身体。絶対に男子の高打点ショットをブロックできないジャンプ力。なにより、つかさの身体は諸星に押し負けて傷が絶えず常にぼろぼろであり──彼女を傷つけているのが自分だという事実は耐え難いものだったのだろう。

 彼が中三の晩夏の夕暮れ──、幼い頃から三人で遊んでいた近所のバスケットゴールの下で擦り傷まみれで血だらけになってうずくまるつかさに、ついに諸星は言い放った。

 

『もうやめてくれ……!!』

 

 絞り出すような、諸星の声だった。

 

『オレはもう、つかさと勝負したくない。分かるだろう!? オレは男で、お前は女の子なんだ。これから、もっと肉体的な差が広がっていく。これからも続ければ、オレはお前に取り返しのつかない怪我を負わせてしまうかもしれない!』

『頼むから! 諦めてくれ、つかさ、お願いだ!』

 

 はじめは反論しかけたつかさは徐々に黙り、黙って諸星の声を聞く瞳には涙が滲みはじめ、そして声にならない声をあげて泣いていた。

 必死で認めまいと抗っていた最後の壁が決壊し、諦め、受け入れざるを得ない……「挫折」の涙だった。

 

 あの日以来、つかさがあのコートでバスケットをすることは二度となかった──、と紳一は肩を落とした。

 絶交覚悟で言い放ったらしい諸星は内心びくびくしていたらしいが、つかさはあっけらかんと、まるであの夕暮れの中での出来事がなかったかのように──ただバスケットだけがすっぽりと抜け落ちた生活が始まり、そして、いままで邪魔だからと一度も伸ばそうとしなかった髪の毛を伸ばし始めた。

 そして、その後すぐに彼女は日本を離れ、紳一自身も神奈川へと越してきて諸星と顔を合わせる機会もそうはなくなった。

「単純なんだよな、あいつは、結局」

 バスケットをやめた証に髪を伸ばし始めたつかさは、矛先を勉強に向けて空き時間は勉強に励むというガリ勉キャラにシフトチェンジしていた。理由を聞けば手っ取り早く「男女関係なくトップに立てるから」らしく──負けず嫌いの根は深いらしい。

 だが、バスケに未だに未練を残していることを紳一は知って──しかしどうにもしてやれないというのが現実であるため、見守るより他はない。もしも彼女が妹ではなく「弟」だったら──おそらく誰をも凌ぐ選手になっただろう。などと想像するも、結局は妄想の産物である。

 女子バスケットを進めてみようにも、つかさの目標はあくまで諸星に勝つこと。潰えてしまったその夢を諸星のいない場所で繋ぐことを彼女は選ばなかった。

 

「やっばいなー。また叔母さんに怒られちゃう」

 

 その頃──例によって図書館から締め出しをくらったつかさは腕時計の針とにらめっこをしながらすっかり秋も深まってきた校庭を小走りで通り抜けようとしていた。

「ん……?」

 が、ふと体育館の方に身体を向けて立ち止まる。ダン、ダン、と規則正しいが静かなボールの音が聞こえてきて、うっすらと頬を緩ませた。

「神くん……!」

 おそらく例によって神宗一郎が居残りシュート練習をしているのだと感じたつかさはひょいと体育館を覗き、案の定でなおさら頬を緩めた。

 しかし──、当の神はというと黙々とゴールに向かっており、1本、また1本と淡々とスリーポイントシュートを決め、ついに10本目を連続で決めたところで固唾を呑んで見守っていたつかさは思わず手を叩いた。

「ナイッシュー!」

 その声が静寂の体育館に響き渡り、つかさがハッとする間もなく──手を止めた神がつかさの方を振り返った。

「! 牧さん……! あ、いや、つかさ……さん?」

 牧さん、と呼んだ瞬間に彼の脳裏に浮かんだのは海南大附属部長にして神奈川の帝王と呼ばれる牧紳一の事だったのだろう。少々混乱している神につかさも苦笑いを浮かべた。

「つかさでいいよ、神くん」

「あ、うん。なにやってるの? こんな遅くまで」

「あ、えっと……図書館で勉強してたんだけど……。閉館時間が過ぎちゃったから閉め出されちゃったの」

「さすが、学年主席は違うなぁ」

 ははは、と汗を拭って神は再びバスケット籠に手をやった。

 神こそこんな遅くまで……という気持ちと、邪魔して悪かった、という気持ちが交差するが、シュ、と再びゴールを貫いた音を聞きながら神がどれほど記録を伸ばせるか単純に見ていたいと思い──「見学してていい?」と聞くよりもつかさは靴を脱いで体育館へとあがった。

「神くん」

「え……?」

「パス出し、しようか?」

「え……。あ、パス出してくれるなら助かるけど。でも……」

「大丈夫、それくらいなら、できるから」

 いくら紳一の妹で通っていても、海南のメンバーはつかさがバスケットをしていたことは知らない。ゆえに神の戸惑いももっともだったが、つかさは軽く言ってスッと籠の中からバスケットボールを手に取った。

 手に馴染む感覚に少しだけ眉を寄せてから、スッと前を向き、シュッと神へとパスを出す。それを神が受け取って流れるような動きで空へとボールを投げ、見事にゴールを貫いて再び床へと落ちた。

 結局、神が「ラスト!」と言うまでその作業は続き──シュート練習を終えて片づけながら神は唇に笑みを乗せた。

「手伝ってくれてありがとう! おかげでいい練習ができたよ。オレ、すぐ着替えてくるから校門の所で待っててくれる?」

「え……?」

「家まで送ってくよ」

「え……!? い、いいよ、平気。一人で帰れるよ」

 さも当然のように言われてつかさが慌てて首と手を勢いよく振るうと、神はキョトンとしたのちに困ったような表情を浮かべた。

「いや、そういうわけにも……。もう遅いし、女の子なんだしさ」

 ね? と念を押されてつかさは押し黙った。女の子だから、かぁ。などと脳裏で反芻しながらも大人しく神に従い、先に体育館を出て校門で待っていると神は通学用とおぼしき自転車を従えてやってきた。

 並んで歩けば神もけっこうな長身で──おそらくは185センチ以上あるだろう。紳一よりも背が高い。いまの海南はそれほど大きな選手はおらず、この上背があればインサイド主体の守備……などと思うも細身の神を見るに、ちょっと力が足りないかな、などと考えたつかさは逃れられない己のバスケット思考に苦笑いを漏らしてしまう。

「どうかした……?」

「え……!? あ、神くん、毎日シュートの練習してるみたいだけど、冬の選抜、レギュラーいけそう?」

「さあ、どうかな。出たいとは思ってるけどね」

「スリーの成功率、数ヶ月前に比べて格段に伸びたよね。きっと出られるよ」

「え……!?」

「あ……」

 神がもうだいぶん前から黙々と一人でシュート練習をしていることを知っていたつかさは、以前の心許なかったシュート成功率に比べていまの神が格段に進化していることを当然のように知っていたが──神は自分が見られていたなどつゆほどにも思ってなかっただろう。説明すると、小さく「そっか」と笑った。口調も柔らかく、常に穏やかな人だな、と思う。

 毎日シュート練習してたこともあったなー……などと遠く愛知での出来事を思い出すのは辛く、話題を切り替えて話しているとしばらくして自宅が見えてきた。

 送ってくれた神の背中を、なんだか申し訳なかったな、と思いつつ見送り──家に入るなり飛んできた叔母の説教を聞き流しつつ自室に荷物を置いて着替えてリビングに向かうと、紳一がソファでコーヒーに口を付けていた。

「おう。遅かったな」

「シュート練習してたの。神くんと」

「なに、神と?」

「うん。帰りは送ってくれたよ」

 優しいよね、と言いつつつかさもソファに腰を下ろす。

「神くん、次の選抜でレギュラー取れそう?」

「さぁな。使うとしてもフォワードになるからな……、全国のエース級と渡り合えるかと言や苦しいんじゃねえか? オレは神のシュート力は買ってはいるんだが」

「フォワード? 2番じゃなくて? あ、でも身長あるしね」

「2番はまだ無理だろ。あいつはもともと5番……センターだったんだからな」

「センター!? 神くんが!?」

 思わずつかさが声をあげると、ああ、と紳一は頷いた。

 センター、というのはバスケットにおけるポジションの一つで、攻守において主にゴール下をエリアとし、エリア内からの得点、リバウンドを主な仕事とする。その特性から長身でパワーのある選手が担うポジションでもある。故に、細身の神ではいつぞやの諸星に挑んでいた自分のように吹っ飛ばされるのがオチではないのか……と過ぎったつかさに紳一は腕組みをした。

「まあ、お前の想像通りパワー不足でオレや高砂に吹っ飛ばされ続けて、どうも監督が戦力外通告をしたらしい。が……なかなか根性見せるヤツだぜ、海南にもっとも必要なシューターとなるべくシュート力を鍛える道を選んだんだからな」

 聞いて、つかさは息を呑んだ。

 自身の知っている限り、神は部活時間外に毎日毎日何百本というシュートを打ち続けている。そうしていまやシュート成功率が、練習時とはいえ、7割以上というところまで来ているのだ。

 センターの任務はゴール下の攻守。つかさの知る限り、センターでスリーポイントはおろかミドルレンジからのジャンプシュートさえ得意な選手はそう多くはない。神もおそらく、ほんの数ヶ月前まではスリーポイントシュートなど未知の領域だったに違いない。

「神くん……」

 彼は、諦めなかったんだな、と思うと無性にいたたまれなさがこみ上げてきたが、グッと唇を噛みしめてフルフルと首を振るった。

 自分は、限界まで頑張ったはずだ。あれ以上は無理だった。

 

『女の子なんだしさ』

 

 そうだ。そもそも神とはまず性別が違うのだから比べられることではない。が──、挫折を味わった直後にまたボールを持つという事がなかなかに厳しいというのは嫌というほど知っている。

 あんなに穏やかそうな人なのに、強いんだな。と漠然と思い浮かべて──つかさは食事に呼ぶ叔母の声に切り替えたように返事をした。



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3話

 冬の選抜──"ウィンターカップ"と呼ばれる試合は、予選を勝ち抜いた代表校による本戦が年末年始に行わる。よって部員達にとってクリスマスや正月といったビッグイベントは無きに等しい。

 神奈川からは一校──大本命である海南大附属が前評判通りの強さで本戦出場を決め、この選抜から見事にレギュラー入りした神は脅威のスリーポイントシューターとして神奈川のみならず一気に全国にその名を轟かせた。

 試合の行方は、神奈川と愛知は互いに逆ブロックであり、紳一と諸星は「決勝で会おうぜ!」などと言い合っていたものの──互いに準決勝で敗退し、三位決定戦で相まみえることとなった。結果、僅差で愛和学院が勝利を収めて、諸星渾身のブイサインをつかさは会場から苦笑いをしながら見届けた。

 その後、選抜の会場が東京であることをいいことに観光気分の諸星につかさと紳一は案内役として短い時間ながら付き合わされ──今年度のウィンターカップは幕を下ろした。

 この選抜を最後に、部活に残っていた三年生は完全に引退し──どの学校も新体制へと移行していく。

 

『もったいねぇな……』

 

 ふと、つかさは一月下旬の寒空のもと──江ノ電沿いを軽くジョギングしながら紳一の呟きを思い出した。

 バスケットをやめたからといって極端に体力が落ちるのもシャクなものであり、勉強の気分転換を兼ねてのジョギングは欠かせない。まだまだ余裕だな、などと瞳をギラつかせつつ立ち止まる。

「もったいない、か……」

 ウィンターカップの予選で陵南高校は海南とあたる前に敗退した。血筋なのか、それとも彼の圧倒的才能がそうさせるのか、紳一もつかさ同様に陵南の仙道彰という有望株には注目しているらしく──負けが決まった陵南を見やってそう呟いていた。

 陵南には良いセンターはいるものの強力なルーキーである仙道のワンマンチームという感が否めない。いくら彼が天才であっても、それだけで優勝するのは厳しいのが勝負の世界である。

 紳一は、もしもあいつが海南にいれば、などとたまに漏らしていたが──、それは絶対に無理だろうな、とつかさは見えてきた波止場を見やって深いため息をついた。ここは江ノ電「陵南高校前」駅エリア。海岸沿いの絶好のロケーションである。

 波止場には遠目からも分かる長身の人物が特徴的なハリネズミ頭を揺らして何やら釣り糸を垂らしていた。

「まーた、あの人は……」

 ──仙道彰。陵南高校の若き天才エースだ。

 陵南と海南は直線距離で5キロ程度であり、つかさの家からは海南の方が近いもののどちらも生活圏内である。海沿いのジョギングコースにいればこの辺りの学生に会うことは珍しいことではない。が、問題は、決まって仙道彰その人が呑気に釣りをしている場面にたびたび遭遇するということだ。

 むろん、「見かける」だけで、つかさとしては一度も声などかけたことはなかったが──、つい今しがた紳一の言葉を思い出した影響もあり仙道の座る波止場に歩み寄った。

「サボり? 仙道くん」

 声をかけると、大きな背中がピクッと動いて視線がこちらに向けられる。そして仙道は垂れ目気味の瞳を僅かに見開いてつかさを見つめた。

「あ……。つかさちゃん……? 久しぶ──」

「部活、サボって釣り? 随分余裕なのね、陵南って」

 攻撃的な態度に出たかったわけではない、が。おそらくしょっちゅう部活をサボって釣りをしていることと、そもそも初対面からの印象が最悪ということも相まって睨み気味に仙道を見下ろしてしまう。すると仙道はなおも目を見張ってから、ははは、と軽く笑った。

「いや、ぼちぼち行こうとは思ってたんだけど……。今日はでっけーのいけそうでさ」

「は……!?」

「お! きたきた」

 言うや否や、仙道の釣り糸が引いたらしく彼は視線を海に戻して釣り竿に力を込めた。が。

「あ、ちくしょー! 逃げられた!」

 すんでの所で引っかかっていた魚が外れたらしく、地団駄を踏んだ仙道につかさは頬を引きつらせて絶句するしかない。

「な、なにを……」

「ん……?」

「なにしてんの!? だいたい、仙道くんバスケ部でしょ? バスケのために陵南に来たんでしょ!? 釣り部じゃないでしょ! もう、いつもいつもサボって釣りばっかり!」

「え……?」

 他校生が惜しむほどの選手なのだ。さぞ監督や部員はいつもやきもきしていることだろう。それになによりかつては、いや今も「諸星以上」と目する選手がこの体たらく。情けないやら腹立たしいやらで思わずつかさが声をあらげると、仙道はなおキョトンと瞳を瞬かせた。

「え、"いつも"って、なんでオレがいつも釣りしてること知ってんだ?」

「え……!?」

 さらりとサボりの常習犯であることを認めたばかりか、予想外に突っ込まれてハッとつかさは我に返る。

「え、えっと……。あの、だって、この辺歩いてるとよく仙道くん見かけるし……」

 特に休日の午前中とか、と付け加えると仙道は一瞬目を見開いたのちにへらっと表情に笑みを乗せた。

「そうか……。だったら声かけてくれりゃよかったのに」

「いや、別に用事ないし」

「だっていつもオレを見てたってことは、少しはオレが気になってきたってことなんじゃねえ?」

「──ち・が・い・ま・す!」

 失敗した。話しかけた自分がバカだった。と瞬時にうんざりしたつかさはなお笑みを絶やさない仙道にくるりと背を向けた。

「つかさちゃん……?」

「ま、別に。仙道くんが釣りばっかりしてる方が、海南としてはありがたいから」

 後ろ目で仙道を睨んでそんな台詞を吐くと仙道はなおキョトンとして、これ以上彼と話すとイライラが募るだけだと悟ったつかさはそのまま小走りで走り初めてその場を離れた。

 ──なんなんだ。いつもいつもへらへら笑って。

 仙道の性格らしい性格をまだはっきりとは知らないつかさは悪意たっぷりにそう心の中で呟き、ひとしきり走って落ち着いたところでふと足を止めて息を整えると仙道のいた波止場の方を振り返った。

 はっきりとは見えないが、彼はまだあの場に留まっているようだ。

 ヒュッと冷たい潮風が過ぎていき、サイドで一つにまとめて垂らしていたつかさの髪が揺れた。

 なぜなんだろうと思う。もしも彼が海南の選手のように、そうだ、神のように必死で練習を重ねていけばきっと日本一の選手だって夢ではないだうと思うのに。

「もったいない、な……」

 心に滲んだ感情は、もどかしさや悔しさ、そして嫉妬のようなものだったが、つかさはそう呟いて再び海岸線を走り始めた。

 

 

 

「ソー! エイ・オー・エイ・オー!」

「一年、もっと声出せ!」

「はい! ソー・エイ・オー・エイ!」

 

 年度が変わり、新学期の四月中旬。

 放課後の体育館に足を踏み入れる前から熱気だった内部の様子が伝って、陵南高校二年・仙道彰は思わず「おお」と呟いた。とたんに自分の姿に気付いた後輩が「仙道さん!」「チワーっす!」などと声をかけてきて「よう」と手を掲げて応える。すると──、コートの端に立って腕組みをしていたらしき監督──田岡茂一がギラリとこちらに強い視線を向けてきた。

「遅いぞ仙道! 何やっとる! 今日はお前が最後だぞ! そんなんじゃ新入生に示しがつかんだろうが!」

 体育館を踏みならす勢いで怒声を飛ばす田岡に仙道は一瞬顔を強ばらせて手で耳栓をしたのちに、へらっと、しかし申し訳なさそうに苦笑いを浮かべた。

「すいません、先生。ホームルームが長引きまして……」

「クッ、減らず口を……! まあいい、とっととアップしてお前も混ざれ」

「はい」

 監督からの叱咤から解放され、ふぅ、と息を吐いた仙道はコート脇で準備運動を始めた。すると、一人の一年生が仙道の方へと駆け寄ってくる。

「仙道さん、アップ手伝います!」

「おう、サンキュ、彦一」

 独特のイントネーションで声をかけてきた後輩の名は相田彦一。出身は大阪ということで、持ち前の明るく騒がしい性格で部内では良い言い方をすればかわいがられており、また、バスケに対する知識も深く新入生の中では期待されている選手だ。

「そういえば仙道さん、聞きはりました?」

「何をだ?」

「監督、練習試合を決めてきたそうですよ。湘北高校いうところと!」

「え、湘北と?」

 湘北高校──とは交通機関を使えば小一時間という距離に位置する近場の公立高校だ。去年のインターハイ予選では一回戦であたって陵南が圧勝したものの、県内でも屈指のセンターを有する注目株でもある。

「湘北言うたら、今年の新人王と目されてる富ヶ岡中の流川君が入ったらしいですわ。仙道さん知ってはります?」

「いや、知らねーな」

 オレ、中学は東京だし。と答えると興奮気味なのか仙道の背中を押す彦一の手に力がこもった。

「しかし解せんのですわ……なんで流川君は県内ツートップの海南や翔陽に入らんと、湘北に入ったんやろか? どう思います?」

「さぁな」

「噂によれば監督は流川君を入学させようと口説いとったらしいんですが、どうも失敗やったようでことさら打倒湘北に燃えとるっちゅー話ですわ」

「へぇ……」

「こらチェックすること多すぎるで! ワイ、近い内に湘北まで偵察に行こうと思うとるんです! 噂の流川君がなんぼのもんか、しーっかり調べ上げてきます!」

 よくしゃべるなぁ、などと仙道が過ぎらせる間にも彦一の口は止まらない。

「けど、ウチには仙道さんと魚住さんがおるんや! ぜったい負けることはあらへん! そうでっしゃろ、仙道さん!?」

 はは、と勢いづく後輩に笑みを返すと、ふと元気だった後輩は神妙な面もちを浮かべた。

「福さんもおったら、もっと良かったんやけど……」

 その言葉を受けて仙道が彦一を振り返る前に、遠くからまたも田岡の怒声が二人の間を貫いた。

「なにを騒いどるか、彦一!」

「うわっ、は、はい、すんません!」

「いつまでアップしとるんだ、仙道! さっさとこっちに混ざらんかー!!」

「はいはい。はい。いま行きます!」

「"はい"は一度で良いと言っとるだろうが仙道ォォーー!!!」

 その田岡の叫びにギクッと背中を撓らせつつも、よく声枯れしないよな、などとも思って仙道は足早にコートの方へと向かった。

 

 

「お兄ちゃん、知ってる?」

 ふと、夕食の箸を止めてつかさは目の前の紳一を見やった。

「何をだ……?」

「明日、陵南と湘北高校が練習試合するんだって!」

「ほう、湘北が陵南と……。というかどこで仕入れてくるんだ、そんな情報?」

 へへ、とつかさは紳一の問いを笑顔でかわした。陵南と湘北が練習試合をするらしい。という話は単にクラスメイトのバスケ部員が面白そうだの部活があるから見に行けないだのと雑談混じりに話していたのを小耳に挟んだだけで情報というほど立派なものでもない。

「お前、見に行くのか?」

「うん。新体制に移行した陵南に興味あるし。仙道くんが冬からどう変わってるか見たいしね」

 仙道本人はともかくも、初めて見た時から諸星以上と目した「バスケ選手」としての仙道彰のプレイはやはりつかさにとっては興味を惹かれるものだ。

 ばっちり偵察してくるから期待してて、などとつかさが言うと紳一は軽く笑った。

「ま、湘北ってのは興味あるな」

「え……、陵南じゃなくて?」

「陵南の実力はある程度読めるからな。それに湘北には今年、粋のいいルーキーが入ったって話だ。ウチも、陵南も、そして翔陽も狙ってたヤツだ」

「へぇ……。去年の仙道くんみたいな?」

「ま、仙道ほどかどうかはわからんがな。それに湘北はセンターが強力だし、ガードもいい。今年はけっこう上まであがってくる可能性が高いチームだ」

「ガード……」

「神奈川以外だとナンバー1になってもおかしくない素材だぜ。まだ二年だしな」

 神奈川以外、という物言いにつかさは苦笑いを浮かべた。なにせ紳一本人のポジションが俗に1番と呼ばれるポイントガードであり、揺るぎない神奈川ナンバー1ガードだからだ。しかし紳一がここまで褒めるということは相当に腕の立つ選手なのだろう。

「神奈川のガードには翔陽の藤真さんもいるもんね。藤真さん、いいガードよね。今まで見たガードの中で、一番ポイントガード向きの選手だと思う」

「…………」

「仙道くんは大ちゃん以上の逸材だし。神奈川っていい選手いっぱいいるなぁ。予選は乱戦ね、きっと」

「……。そ、そうだな」

 微妙に引きつった表情を浮かべた紳一に気付かず、つかさは「ごちそうさま!」と弾んだ声で席をたつと食器を持って台所の方へと向かった。



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4話

 四月最終週の日曜日。つかさは陵南高校VS湘北高校の練習試合を観戦すべく、海沿いの道を陵南に向けて歩いていた。

 

 年度が変わって──海南大附属高校バスケット部にも新しい風が加わった。

 紳一や神ほかバスケ部員からの又聞きではあるが、毎年のことながらけっこうな有望株が複数入部したらしく先輩陣は期待しつつも「何人が残るかな」と言い合っているらしい。事実、海南の練習は他の追随を許さぬほどハードであり一年後に残る部員は二割に満たない。

 仮に仙道が海南に来ていたら、続けられたかどうか。

 少なくとものらりくらり釣りなどやっているようでは強制退部が関の山だろうな、などと過ぎらせつつ陵南の校門をくぐる。

 海南には兄も同然の紳一もいるし、神のがんばりも見ているし、今年も優勝して欲しい。自分も一緒に戦えないのが悔しい。などと思うこともなるべく忘れるようにしているし、諦めているし。海南のための情報収集と、仙道のプレイをしっかり見てこよう。──という気持ちとは裏腹に陵南に着いても仙道の姿は見あたらず、試合開始寸前に現れた姿を見てつかさは観客エリアから盛大にため息をついた。

「相変わらず……」

 いや、もはや仙道本人には突っ込むまい。バスケに集中しよう。──と、さっそく両チームの分析にかかる。

 ──なるほど。湘北うわさのルーキー・流川楓は早くも湘北のエース級の働きをしており、既にファンもいるようだ。上背もあり、センスもある。だが。

 仙道くんほどじゃないかな。──などと過ぎらせつつ、陵南のガードに連続でスティールを許した湘北ガード陣を見てつかさは首を捻った。

「いいガードがいるって言ってたけど……。間違いかなぁ……」

 湘北は見るからにガード陣が弱い。センターで主将の赤木はなるほど、あの2メートルを超す魚住をうまく抑えており紳一が誉めていたのも分かる。フォワードも、流川は仙道に対してやや分が悪いとはいえなんとか対抗している。

「これはガードの差で勝負アリかな」

 陵南のガード陣も言うほど目立つ選手達ではないが──。それに、なにより陵南は──。

 

「ナイスパァス、仙道!」

「仙道さーーん、ナイスアシストッ!!」

 

 カットインからシュートに行くと見せかけた仙道の魚住への絶妙のパスが通り、ワッと館内が沸いた。今日これで仙道のアシストは何本目だろう?

「う……」

 うまいな、やっぱり。とつかさは肩を竦めた。仙道は、去年は得点王にも選ばれており、中からも外からも点が取れる陵南オフェンスの要だ。しかし、今日の仙道は点よりもむしろアシストの数字を積み重ねていっている。

 アシストパスを含め──、仲間へのパスは一見簡単なようで奥が深い。シュートやドリブルの技術は磨くことはできても、この"パス"という技術は持って生まれた天性の素質・センスによるところが大きいからだ。

「ナイスパァス、仙道!」

「速攻、もらったぁ!」

 ディフェンスリバウンドからの仙道のアウトレットパスが見事に決まり、陵南ベンチ陣が沸き立ったところでつかさは肩を竦めた。

「あんなに釣りばっかりしてるのに……」

 なんであんなに上手いんだろう。と思わずジト目で仙道を睨み付けてしまう。なにげない動きでも自然と目が仙道を追ってしまうのは、彼の才能ゆえか。

 海南ばりにみっちり練習したらどんな選手になるんだろうな、と想像する反面、ハッとする。

 仙道のポジションはいままでの試合を見るにフォワードだ。対する海南のフォワード陣は──と浮かべたつかさの脳裏に真っ先にポンと神宗一郎の姿が浮かんだ。

 神と仙道。身長は同じくらいである。シュート成功率はおそらく神が上。しかし──。マッチアップとなれば神は不利だろう。というか、海南に仙道を止められる選手はいるのか? 考えて、ごく、と喉を鳴らした。

「これは強敵ね……。信じられない、去年より圧倒的に良い選手になってる」

 あんなにへらへらした人が。と過ぎらせるも、その思考は追いやってつかさは熱気の籠もるコートを見やった。

 そして試合終盤、仙道は恐ろしいほどの集中力を見せ──、決勝のゴールを決めて、やれやれ、とでも言いたげに肩を落としていた。

 

 日頃の勉強の成果か、バスケットバカ一直線だった生活のせいか、ほぼ正確に記憶していた陵南・湘北戦のスタッツを帰宅してから紳一に告げると、ほう、と紳一は興味深そうに喉を鳴らした。

「仙道のアシストが去年よりだいぶん伸びてるな」

「うん。アシスト以外にも、もし私が湘北の選手だったらうんざりするくらい絶妙なノールックとかビハインドザバックとかバンバン決めてた」

「あのオフェンス重視だった仙道が、なぁ」

「今日の仙道くん見てたら、2番・1番も余裕でこなせそうだったなぁ。パスもドリブルも上手いし、何より統率力もあるしね。どうする、お兄ちゃん? 仙道くんが1番に鞍替えしちゃったら」

「まだまだ二年坊主に負ける気はせんな」

 1番とはポイントガード。つまりは紳一のポジションである。冗談めかして言ったつかさを紳一はそう切り捨て、つかさはくすくすと笑った。そして2番はシューティングガード。──諸星のポジションだ。浮かべて、つかさは頬に手をついた。

「でも……。お兄ちゃんはともかく、もし仙道くんと大ちゃんがマッチアップしたらどうなるんだろう。ね、どっちが勝つと思う?」

「さぁな。……諸星じゃないか?」

 首を振りつつもそう答えた紳一につかさは少し唇をとがらせた。

「そうかな。仙道くんならぜったい良い勝負すると思うけど」

「……お前……。それ諸星が聞いたら泣くぞ……」

 どっちの味方だ、と呆れたような声を紳一が出して、つかさはハッとした。確かにそうだ、ごめん大ちゃん。などと諸星の顔を過ぎらせつつ、ふと遠くを見ながら息を吐く。

「でも……私……」

 ──あんな選手になりたかったなぁ。

 そして諸星に勝って、日本一を目指すんだ──。と過ぎらせつつも、それは虚しい夢で、目線を泳がせた先にカレンダーが目に入ってつかさは話題を変えた。

「もうゴールデンウィークかぁ……。今週の海南のスケジュールは?」

「朝から晩まで練習だな」

「やっぱり……」

「お前は? 予定はあるのか?」

「んー……。勉強、かな」

 好きで勉強をしているというよりは、暇つぶしと手っ取り早く男子に勝つというあまりよろしくない動機で始めた趣味でもあるため、つかさは少々気まずげに呟いた。するとやはり紳一はヤレヤレと肩を竦める。

「オレは練習合間に時間見つけてサーフィンしに行くつもりだが、一緒に来るか?」

「んー……。私はいいや」

 改めて紳一のサーフィン焼けした小麦色の肌を見やってつかさは首を振った。──サーフィンは愛知にいるときからの紳一の趣味でもあり、バスケ・サーフィンとこなしているが故に彼は常人離れしたパワーとスタミナを維持している部分がある。

 つかさは色黒ではないため紳一と比較してまず驚かれるのが肌の色の違いであったが、別に牧一家は地黒なわけでもなんでもなくひとえに紳一の場合はサーフィンによる日焼けである。が、いちいちそんなことを説明するのも手間なため、普段は笑って誤魔化すことにしていた。

 似てない似てないと言われてはいても、けっこう髪の感じとか似てると思うんだけどな、などと紳一の髪を見やって思う。

 違いは彼の場合は海水荒れなのか微妙に髪が痛んでいる気がする──などと思うも、まあいいや、とその話題はあたまから消した。

 そもそも波乗り場から徒歩五分とかからないこの立地に家を建てたのは、サーフィンがしたいという紳一の要望が主に取り入れられてのことだろうな。とゴールデンウィークも中盤の朝。相模湾を一望しながらつかさは伸びをした。見事な五月晴れを予感させる気持ちのいい朝だ。江ノ島がくっきりと見える、と目を細めて海岸線を走り出す。

 もうじきインターハイ予選が始まる。観戦という形でしか参加できないが、楽しみだな。

 そういえば神奈川に越してきてもう一年か……と過ぎらせる脳裏が見知ったハリネズミ頭を遠くに認識した。

「あ……!」

 仙道だ。と思うも、この辺りで釣りをしている仙道を見かけることは別段珍しくもなんともない。普段ならそのまま通り過ぎるところだが──、あの練習試合以来、初めて仙道の姿を目にしたつかさは足を止めてそっと仙道の陣取る防波堤に近づいて行った。

「おはよう、仙道くん」

 声をかけると、ピクッと大きな背中が反応して仙道がこちらを振り向き、一瞬の間を置いてにこりと笑った。

「ああ、つかさちゃんか。おはよ」

「今日も釣り……?」

 何気なく言うと、責められるとでも思ったのだろうか。一瞬だけ仙道は気まずそうな表情を浮かべてからすぐに唇に笑みを乗せた。

「今日はサボりじゃないぜ。練習は9時からだし」

 予想外の返答に、つかさはあっけにとられた。今日は、というところがいかにも仙道らしく、呆れるやらおかしいやらで、ふ、と息を吐く。

「そっか。まだ7時過ぎだもんね……」

「そっちこそ、どうしたんだ? 声かけてくれるなんて、どういう風の吹き回し?」

 以前、用事がないから声はかけないと言い放ったことを指摘しているのだろう。しかし相も変わらず軽い口調と呑気な表情で、それがかえってつかさの表情をグッと渋くさせる。

「べ、別に……。今日は用事というか、ちょっと話があって……」

「へぇ、なに?」

 しどろもどろになって目線をそらしたつかさに仙道は手を止めて興味深そうに向き直った。ふぅ、とつかさも息を吐く。

「先週の湘北との練習試合、見させてもらったの。スコアは辛勝だったけど、仙道くんの決勝点は凄かったよ。おめでとう」

「え……、来てたんだ?」

「うん。仙道くんが遅刻して体育館に来る前から」

「……。まいったな……」

 仙道は僅かばかりばつの悪そうな顔色を浮かべ、苦笑いを漏らした。

「来てたんなら声かけてくれりゃ良かったのに」

「いや、だから……。そんな用事はなかったし」

「用事とかじゃなくて、声援送ってくれれば気付いたんだけどなぁ」

「もう十分声援もらってたと思うけど。あの日の陵南の女の子達の仙道くんコール凄かったし」

「あはは。それってヤキモチだったりする?」

「……。なわけないでしょ」

 相変わらず進歩のない会話に、声をかけたことが間違いだったかな、と後悔するもつかさは気を取り直す。取りあえずもっと建設的な話題を振ろう、と拳を握った。

「湘北には面白い一年生が何人かいるみたいね。流川くんと……、桜木くん、だったかな。逆転のレイアップを決めた選手」

「ああ、そうそう。あいつおもしれぇよな。きっとそのうちスゲー選手になるぜ」

 途端に仙道の目が輝きを増し、へぇ、とつかさは感嘆の息を漏らした。

「仙道くんがそんなに見込むなんて……。要注意かな。流川くんより?」

「流川は、まあ、これからだな。まだまだ負ける気はしねぇよ」

 ルーキー程度に。とでも言いたげな仙道に、仙道にはまだまだ負けん、などと言い放っていた紳一の姿を思い出して思わずつかさは吹き出した。へらへらとしているようで一応は負けん気というのも持ち合わせてはいるらしい。ん? と首を傾げた仙道に小さく首を振るう。

「ごめんなさい。なんか、仙道くんがそんな風に言うなんて意外で……」

「え……?」

「もったいないなぁ。だったら……」

 もっと練習すれば。諸星以上の選手にきっとなれるだろうに。という言葉を飲み込んで、なお小さく首を振るう。

「仙道くん、去年からちょっとプレイスタイルが変わったよね。アシスト場面が多かったけど、いつ身につけたの? ああいうパスプレイ」

 そして身振りで仙道のパスの真似をすると仙道は、ふ、と笑みを深くして黙した。

「あ……。企業秘密?」

 思わずジトッと仙道を睨むと、あはは、と仙道は声をあげて笑う。

「つかさちゃんさぁ……」

「え……?」

「やっぱりオレに興味あんの? オレのこと、少しは好きになってくれた?」

「は……!?」

 いつもの呑気な笑みで見上げるように顔をのぞき込まれて、つかさは頬を引きつらせた。一年前に始まったこの不毛な会話を続けるつもりはさらさらなく、少し不快な色を顔に浮かべる。

「どうしていつもそういうこと言うのか全然わからない」

「え……?」

「仙道くんのこと、バスケット選手としては凄いと思うけど、好きか嫌いかって言われたら、たぶん、嫌いに近いと思う」

「え……!? あれ、オレ、嫌われるようなことなんかしたっけ……?」

 キョトンと、あくまであっけらかんと仙道は疑問をぶつけてきてつかさはグッと言葉に詰まる。あまり仙道のことを知る知らない以前に、どうも彼は掴み所がない。いったいなにを考えているのか。そういうところも少しつかさを苛立たせる一因だ。

「したもなにも、初対面からあんなこと言われれば、良い印象持てないと思うけど、普通は」

「初対面……?」

「だから、去年のインターハイ予選のベスト8決定戦」

 さらに目を瞬かせる仙道に苛ついたまま言い下すと、記憶でも辿っているのか一瞬仙道は無言になり──そして僅かだが心外なような、傷ついたような。そんな表情を見せた。

「ああ、そうか……うん。インターハイ予選、ね……」

 一人ごちるように仙道が呟き、つかさが脳裏に疑問符を浮かべているとスッと仙道が強い視線をこちらに向けてきた。

「つかさちゃん、さ……」

「え……?」

 珍しくコート外で見せる真面目な表情にドキッと心音を高鳴らせていると、仙道は逡巡するそぶりを見せて、そして小さく首を振るった。

「いや、まー、いっか」

 そしてスッと立ち上がり、仙道は大きく伸びをした。さすがに立つと威圧感のある長身だ。が、仙道はそれをうち消すような笑みを湛えて一度つかさを見やってから自身の腕時計に目線を落とした。

「ちょっと早いけど、ぼちぼち行くかな」

 そうして仙道は釣り竿を片づけ、脇に置いていたバケツを見やってあごに手を当てている。そして何を思ったかそれをズイッとつかさに差し出した。

「さすがにこれは練習に持ってけねぇや。つかさちゃん、持ってってよ」

「え……!?」

「あ、バケツ返すのはいつでもいいから。じゃ、またな」

「え、ちょ……仙道くん!?」

 強引につかさにバケツを持たせ、再びにっこりと微笑むとそのまま仙道はつかさに手を振って陵南高校の方に駆けていってしまった。

 残されたつかさは10秒ほどのちにため息をつくしか術はない。

「魚……。どうしよ……」

 仙道の実家は東京だと聞いているが、おそらく部活のために陵南に来たということは陵南の近所に住んでいるのだろう。ならば練習前に自分の家に持ち帰ればいいのでは? などと思うもあとの祭りである。

 時計の針はようやく8時を指そうとしている。9時から練習開始だというのに8時入り──、別に普通の部員なら珍しくもなんともないが、明らかに仙道にしては珍しいだろう。

「本当によくわかんない……」

 彼の性格が、だ。マイペースと言うのだろうか、ああいうのを。などと思うも考えても分かることではなく──仕方がないためつかさはバケツを下げて自宅への道を引き返していった。

 

 一方──陵南高校体育館。

 9時からの練習のために8時過ぎには既におおよその部員が集まり、仙道が体育館に入る頃には一年生がもうモップがけも終えていたが──仙道が一時間近く前に姿を現したことに全員が虚をつかれたのか、ざわざわとどよめきが広がっていた。

 え、今日って8時からだっけ? いや、9時で間違いないぜ。仙道さん、時間間違えたんじゃ。

 などという声を遠くに耳に入れながら仙道がストレッチをしていると、ひときわ大きな声が響いてきた。

「仙道さん、おはようございます!」

「よう、彦一。はやいな」

「そらもう予選近いですし、気合いはいるってもんですわ! 仙道さんこそ、えらい気合いや!」

「ん……?」

「インターハイ予選に向けて気合い十分でっしゃろ!? いやー、正直ワイも湘北の流川君があんなに凄い選手やなんて思てませんでした。湘北には天才・桜木さんもいてはりますし、陵南の予選突破の一番の壁かもしれませんね!」

「いや、まあ……そうかもな」

「でっしゃろ!? 要チェックや! 要チェックや!!」

「ウルセーぞ彦一!!」

「ハッ、越野さん。チワーっす。えろうすんません」

 よくしゃべる後輩の声を聞き流していると突然に空を割るような声が彼を叱咤し、彦一はその主にぺこりと頭を下げた。仙道が見上げると、どちらかというと小柄な、端正な顔立ちをした少年が先ほどの声さながらに不機嫌そうな表情を浮かべている。

「おう、越野。はえーな」

 仙道が声をかけると腕組みをしていた少年──越野はますます目線を鋭くしてギロリと仙道を睨み付けてきた。

「はえーな、じゃねえだろ仙道! なんで万年遅刻野郎に上から目線でんなこと言われなきゃならねえんだ!」

 仲間思いで気のいい性格なのだが短気で怒りっぽいという短所もあり、慣れている仙道は、ははは、と笑って受け流した。が、それもまた越野の怒りを刺激する一因だったのだろう。ますます目線を鋭くした彼は口を開けてさらに怒鳴ろうとした。が、無駄だと悟ったのだろう。ふー、と一度ため息をつくと仙道の隣に腰を下ろしてストレッチを始めた。

「しかし、珍しいな、仙道。どういう風の吹き回しだ?」

「なにが?」

「彦一の言うとおり、予選に向けて気合い入ってんのか?」

「あー……。うん、まあ、そんなとこだな」

「おお、いい心がけじゃねえか! 今年は絶対、全国に行くからな!」

 朝っぱらから暑苦しいチームメイトの声にさらりと返事を返し、仙道はどこか人ごとのように「気合い入ってんなー」と心内で呟いた。しかし、予選を目前に控えたこの時期、「気合いを入れる」ことはごく当然のことであり、監督の田岡にしても練習開始よりもだいぶんはやく体育館に現れ開口一番に感嘆の声をあげていた。

「おお、仙道! 今日ははやいじゃないか!! いいぞ、いい心がけだ!」

 心底嬉しそうな田岡の声と表情を目の当たりにし、仙道はもはや笑う以外の術を思いつかない。

 一年前、田岡の熱心な誘いでこの陵南高校に入学することになったが──、陵南のバスケット部のカラーは一言で言えば「熱血」だ。下手を打てば夕日に向かって走るなどという漫画じみた芸当を素でやってのけるだろう素質を持っている。とはいえ一年も経てばこの中で過ごすことには慣れたし、居心地が悪いわけではない。チームメイトも気のいい人間ばかりで、その点では恵まれていると言っていい。

 しかし、あれから一年か──、と仙道は本練習まえに越野ともう一人のポイントガードである植草と共に軽くスリーメンをこなしながら過ぎらせた。シュートを決め、ふ、と息をついて汗を拭いながら浮かべる。

 神奈川に越してきて初めての日──、街を探るように歩いていた。そして、偶然見つけたバスケットコート。弧を描いて宙を舞ったボールと、そして……。

 

『初対面からあんなこと言われれば、良い印象持てないと思うけど』

 

 ふ、と先ほど会ったつかさの声が過ぎって──仙道は肩を竦めた。

「ま。仕方ねーか」

 一人ごちて思考を振り払う。ちょうどキャプテンの魚住が手を叩いて練習開始の声をあげた。

「よーし、集合!」

 その声に、仙道もみなと声をそろえて大きく返事をすると再びコートへと向かった。

 

「うおっ、なんだその魚!?」

 結局、バケツを下げて歩いて帰ったつかさはちょうど玄関先で部活に出かける紳一と入れ違いになり──、渋い顔をしながら答える。

「うん、仙道くんがくれたの……全部」

「は……? 仙道……?」

 当然ながら状況がまったく読み込めないであろう紳一が素っ頓狂な声をあげたが、説明すると長くなると察したつかさは苦笑いを漏らすことで答えに変えた。



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5話

 5月も中旬を過ぎれば、すぐに夏のインターハイ予選を兼ねた神奈川県大会が始まる。

 海南はいつものように第一シードであるため日程的には終盤からの登場であるが──さすがに開幕が近づくと部内はいつも以上に活気づき、練習も夜遅くまで行われる。

「お疲れさまでしたー!」

 倒れる寸前までこってり鍛えられ、地獄の練習時間が終了してみなが帰ったあと。──ここからが神宗一郎の真の時間が始まると言ってもいい。

 今日もまた神はいつも通り帰宅する部員達の背を見送ってから、ふ、と息を吐いた。

 去年、中学で主将としてセンターを務めていたというそれなりの自信を持って名門・海南に入部したものの、現実は厳しくあっさりと監督に「お前にはセンターは無理だ」と突き放され──ならばシューターとして勝負しようとその日から一日500本のシューティングを自らに課した。

 朝練前・昼休みなど空き時間を有効に使って500本やりきることを決めたが、通常の練習に加えての500本というのは見た目以上に厳しく、人知れずコートに倒れたことも、耐えきれずに吐いてしまったことも一度や二度ではない。

 おまけに中学時代はスリーポイントなど未知の領域で、シュートを入れることはもとより、シュート体勢を保つことにすらかなりの体力を要することを実感した神は自らに課した500本に加えて持久力をつけるための走り込みの量さえ増やした。

 我ながら既に日常としてそれをこなしているのだから、人間、慣れというものは大切だな。などと思いつつ神は一人黙々とシュートを打ち続けた。

「──401!」

 大会も近づけば、同じく居残り練習をするメンバーやたまにパスだしやディフェンスなどを手伝ってくれるメンバーもいるものの、ラストまで付き合ってくれる人間はそうはいない。

 ボールを籠から取り、打つ。自らのペースでディフェンスも意識せずにただ打つだけであれば既にシュート成功率は9割に迫っている。が、そんな数字は意味のないものだ。試合ではいくらでも状況が変わるし、軽く3割は練習時より落ちるとみていい。

 籠のボールが空になり、散らばったボールを集めようとリングから床に落ちて転がっていったボールを追うと、ふと、海南の制服であるピーコックブルーのスカートが目に入った。

「あ……」

「お疲れさま、神くん」

「つかさちゃん……」

 顔をあげると同級生であり主将の妹──正確には従妹らしいが──の牧つかさがボールを拾い上げて笑みを向けており、神もフと笑った。

「バスケ部、試合を目前にして気合い入ってるみたいね」

「うん。通常練習の時間も延びちゃってちょっとキツいけど、みんな頑張ってるよ」

「練習、手伝ってもいい?」

「もちろん。ありがとう」

 言ってつかさは靴を脱ぎ、体育館シューズを履いて体育館にあがった。そして取りあえず二人して散らばったボールを集める作業を開始する。

 つかさは学年きっての秀才で、それを維持するためか図書館で勉強をしていることが多いらしくたまに帰りにこうして体育館に顔を出すことがあった。主に神のシュート練習のパス出しをしてくれ、時にはツーメンの相手などもしてくれており内心神は彼女がそうとうのバスケ経験があることを悟っていたがそこに触れたことはない。

 さすが牧さんの従妹だなぁ。と思うものの、紳一に言わせれば彼女は「妹のようなもんだ」らしい。曰く、母親同士が双子で、父親同士も兄弟だか親戚だかで近しい関係らしく……神自身も「近いな」とは思ったものの、世間的には紳一にとってつかさは「従妹」である。だから従妹ではないのかと突っ込んだところで返ってきた返事は「遺伝子上は完全に従妹以上だ。妹の方が近いだろ」。しかも真顔であり、神としては「そうですね」と答える以外に道はなかった。

 紳一はコート上では完璧で冷静なアスリートであるが、普段はどこか抜けているというか、言ってしまえば「天然」である。

 つかさもそうなのだろうか、と何気なくジッとつかさのほうを見ているとさすがに訝しがられ、神はなんでもないと苦笑いを漏らした。

「ね、神くん」

「ん……?」

「緒戦の相手、きっとあがってくるのは武園高校、よね」

「うん。けっこう強いところだね」

 そんな会話をしながらも神はつかさからのパスを受け取り、シュートを打った。──しゃべりながら打つ程度でシュート成功率が落ちるようでは試合で使えない。と判断した神が以前「なにか話そうか」と提案して以降、シュート練習中の雑談はいつものことだった。とはいえ、むろん二人とも会話に集中しているわけではなくカウントも忘れていなければチェックも怠っていない。──つかさが相当にバスケができることを悟った神は、なにか気付いたことがあったら言ってね、とつかさに告げ、ごくたまにだがつかさも神のシュートについて助言めいたことをしてくれることもあった。

「神くん、出るの?」

「さあ、どうかな。でも、正規のスタメン数人は監督も出すんじゃないかな。決勝リーグに備えて試合勘も戻さないといけないしね」

「そっか。決勝リーグ……、どんな顔ぶれになるのかな。どこか気になる学校とかある?」

「うーん。あえて言うなら、湘北、かなぁ」

「え……!? 湘北?」

「うん。いいルーキーが入ってるし、キャプテンの赤木さんは県内屈指のセンターだし、それにガードの宮城もいるしね」

「宮城……? あれ、そんな人いたっけ……」

 とたん、つかさは記憶を探るように眉を寄せた。──つかさが陵南・湘北の練習試合を観戦して湘北を見知っていることは本人から聞いて知っていた神だが、宮城を知らないという。聞いてみれば練習試合には出ていなかったということだ。

「宮城は、中学の時は神奈川ではけっこう有名な存在だったよ。背は……そうだな、ちょうどつかさちゃんくらいかな。そんなに高くないんだけど……」

 あ、つかさちゃんは女の子ではかなり長身だけどね。と付け加えて神は持っていたボールを投げあげ、リングに収まったのを見届けて再びつかさからパスを受け取った。

「とにかくスピードのあるヤツで、ウチとか翔陽とかに行くと思ってたんだけど……。でも、練習試合にいなかったって事は怪我でもしてたのかもな」

「あ……そういえばお兄ちゃんも湘北には良いガードがいるって言ってた気がする。そっか、その宮城くんが湘北本来のガード……」

「湘北の仕上がりはけっこう気になるから、オレ、見に行くつもりなんだ。湘北の一回戦」

「え、そうなの!? ……なんか、みんな湘北に好評価つけてるのね。……仙道くんもそうだし」

「え、仙道? 陵南の?」

 うん、とつかさが頷いて、へえ、と神は相づちを打った。神奈川の同級生の中でひときわ飛び抜けた、天才とも言われている仙道。あまり親しく話をした覚えはないが、どこか紳一と同じく「天然」という印象を受けたような気がする。──得てしてトッププレイヤーというのはオフコートではそうなのだろうか、と真剣に考え込みそうになったところで「ね」とつかさが口を開いた。

「仙道くんって中学生の時からバスケット上手かったの?」

「え……。さあ、仙道はたしか越境組だし、直接は知らないな。あ、でも、東京にすごいヤツがいる、って噂なら聞いたことあったけど……」

 ふーん、とつかさが相づちを打った所で、突如、体育館の扉が勢いよくガラッと開かれ一瞬二人の手が止まった。

「あー、神さん! よかった、まだいた!」

 神にとっては見知った声が響き、扉の方を向くと長髪の少年が笑みを浮かべて立っている。

「信長……。どうしたんだ、帰ったんじゃなかったのか?」

 後輩の清田信長である。一年にしてはやくも海南のスタメンを勝ち取った期待のルーキーであり、神にとっては親しい仲間の一人でもあった。

「いやー、腹減ってたんでメシ食ってたんすよ。腹ごなしに戻ってきたってワケです! って家帰ったら晩メシも普通に食いますけど!──あれ?」

「こんばんは、清田くん」

「つかささん! チワーっす!」

 一気に体育館がにぎやかになり、ヤレヤレ、と神が肩を竦め、つかさもくすくすと笑っている。

「ちょうどよかった。清田くん、ディフェンスやってくれる? 私がパス出しするから」

「もっちろん! そのために戻ってきたんだし。ねー、神さん!」

「はは。サンキュ、信長」

 清田が現れたことでシュート練習は難易度を増し、つかさがディフェンスの合間を縫ってパスを出し神が受け取ってさらにディフェンスをかわしながら打つ、という仕様になった。にも関わらず神のシュート成功率はほぼ衰えを見せず──、5本連続決まったあたりで清田はまるで自分のことのように飛び上がって喜んだ。

「さっすが神さん! スリーポイントの天才!!」

 この清田こそ運動能力に関しては「天才」的とも言える恵まれた資質を持っていたが──この素直な後輩の言葉に神もごく自然に、ふ、と柔らかく笑みを浮かべた。

 

 

 

 そして、神奈川県大会が幕を開ける──。

 

 大本命の海南大附属、そして去年、一昨年と海南と共にインターハイに出場した翔陽、更には天才・仙道を有する陵南。

 

 この辺りが雌雄を決することとなるだろう。というのがおおかたの予想であったが、神奈川には一校・ダークホースがいた。

 それこそが神奈川のトッププレイヤーが密かに注目している県立・湘北高校である。

 

 湘北の緒戦の相手は去年はベスト8まで進んだ三浦台高校であり──、まさかとは思うが緒戦敗退なんてことは、ないよな、と観戦に来ていた仙道は一人陵南メンバーから外れて自販機の前で喉を潤しつつ考えていた。

 ま、大丈夫だろ、と気楽に思いつつスポーツドリンクを淡々と飲んでいると、ふいに背後に気配を感じた。

「どうだ仙道、お前らを苦しめた湘北は?」

「ん……?」

 反射的に振り返ると、小麦色の肌に貫禄のある面構えのスーツ姿、いや制服姿の男が目に入り──、あ、と仙道はその人物に向き直る。

「牧さん……」

「よう、仙道」

 海南大附属高校バスケ部キャプテンの牧紳一だ。さしもの仙道もまさか予選の一回戦会場に紳一が現れるとは思ってはおらず、少々目を見開いたのちに、ふ、と笑った。

「常勝・海南のキャプテン自らのおでましですか。お目当てはどっちかな、三浦台? それとも──」

「どっちが決勝リーグに出てこようと、うちには関係ない。陵南とて、な」

 さすが海南の主将らしい物言いだな。わざわざそれを言うために声をかけてきたってわけか。などと思いつつ、その台詞を残して背を向けようとした紳一に仙道は引き留めるようにして言った。

「そうですか。けど、今年はかなりしんどい思いをすることになりますよ」

「──ほう」

 湘北に。というよりも、自分──陵南にね。という牽制を込めた物言いをした仙道だったが、一見すると緊迫したかに見えた状況は一瞬で終わりを告げた。

「ところで……」

「ん……?」

「つかさちゃん、一緒じゃないんですか?」

 とたん、紳一の表情は呆れを湛えたものに一変した。

「あいつは学校だ」

 金曜だろ、今日は。と付け加えられて「あ、そうだった。チェッ」と軽口を叩くと、紳一は深いため息をつき「じゃーな」と手をかかげて今度こそ仙道に背を向けた。その背を見送って、フ、と仙道も肩を竦め、一気にドリンクの缶を空にするとサイドの缶入れに落として会場へと再び足を向けた。

 

「まったく、なにを考えてるんだか、アイツは」

 

 偶然、仙道を見かけて声をかけただけの紳一は小さく地団駄を踏みながらもコートの方へと向かっていた。

 どういう理由か仙道は妹同然であるつかさを気に入っているようであるが、兄代わりとしては「できればやめてほしい」というのが本音である。バスケットに関しては天才とは認めているものの、出会い頭に公衆の面前で交際を申し込むような輩を信用しろというほうが無理な相談だ。

 救いはつかさが全くといっていいほど仙道本人に興味を示していないことであるが──常日頃から、あくまでバスケット選手として、という前提ではあるが「仙道くんは大ちゃん以上の器!」などと言い放つこともあり、油断はできない。しかも、聞けばたまにジョギングコースで顔を合わせることもあるらしく──ヤレヤレ、と紳一は首を振った。

「せめて神あたりにしといてくれればまだ……。お?」

 ワッという歓声に思考を遮られ、見やったコートでは湘北の一年生・流川が派手なダンクシュートを決めたところで──紳一は思わず「ほう」と喉を鳴らした。

「あれが富ヶ岡中の流川、か」

 流川は全中には出たことがなく、愛知出身の紳一は彼の中学時代を知らない。が、後輩の清田信長がそうとうに流川をライバル視しており──中学時代のさまざまな逸話は清田経由で耳に入ってきている。

「うーん、ま、確かに清田よりは上、かもな。……だが」

 清田本人が聞いていたら抗議されそうな事を呟いて、活躍を続ける流川を見下ろし──まだ甘いな、と小さく紳一は呟いた。

 

 

 結局、湘北は快進撃を続けてあっさりとベスト8まで勝ち上がってきた。

 そして、ついにはベスト4、決勝リーグ進出をかけて昨年二位の翔陽高校と対戦することとなった。

 が──。

「海南・武園戦は第二試合、陵南・浜田中央戦は第三試合かぁ……。見られるといいんだけど」

「ん、第一試合の湘北・翔陽戦は見ないのか?」

 試合当日、対戦表を見つつ制服に鞄を携えたつかさは同じくジャージを着込んでスポーツバッグを携えた紳一に向かいため息をついた。

「見たいのは山々なんだけど……。今日の午前、課外授業が入ってるの。物理の」

「そりゃまた……、学年主席も大変だな」

「普段ならいい暇つぶしなんだけどね。じゃ、藤真さんによろしく」

 そう言い残してつかさは紳一より一足はやく家を出た。バスケ部の試合をやっている期間は課外授業を免除してくれ。などという戯れ言が通用するはずもなく。

 名前だけでも運動部に登録してれば公式戦の日は授業免除されるのかな。などと邪な考えを過ぎらせつつつかさは肩を落とした。ガリ勉キャラはノリというか勢いというか挫折のショックで始めただけだったが、あくまで点取りゲームとしては面白いと感じている。が、やっぱり。ちょっと懐かしいな。あのコートの感じや、床のこすれる音──などと一瞬過ぎらせるも、つかさは気合いを入れ直して学校への道をかけていった。

 

 本日の第一試合──、翔陽対湘北は、他に比べて格段に注目度の高い一戦だ。

 

 なにせ湘北は昨年ベスト4の陵南と互角のゲームをしたほどのチームであり、翔陽は県下ナンバー2の強豪である。どちらも決勝リーグで相まみえてもおかしくないほどのチームであるが、そこは組み合わせの妙である。

 翔陽は──、海南の牧紳一と双璧をなすポイントガードである藤真健司をキャプテンとしたチームであり、いまのところ海南に対して黒星続きで打倒・海南に燃えている。

 藤真はゲームメイク、パスセンス、シュートエリアの広さ、リーダーシップとどこをとってもポイントガードに適した特性を持ち、つかさにしてみれば紳一以上にポイントガードらしいクラシックな選手であった。もっとも、あまりライバルの藤真を誉めると紳一が不機嫌になるため普段は控えているが──と課外をこなしつつ考えるつかさは、あまり翔陽が負けるなどとは思っていない。それもそのはずだ。噂の宮城も加わった「現在の湘北」をまだ一度も目の当たりにしていないつかさとしては、湘北のイメージは陵南との練習試合の時のままだったのだ。あのチームでは、翔陽に勝てる要素はない。

 ともかくも課外が終わるや否やつかさは電光石火の勢いで教室を飛び出した。

「こら、牧ィ! 廊下を走るなー!」

「はーい、すみませーん!」

 後ろから教師の怒鳴り声を受けて謝りつつも足は休めず、学校を飛び出すとそのまま最寄りのJR辻堂駅に向かい、東海道本線に飛び乗る。

「せめて陵南の試合には間に合いますように!」

 第一試合開始が10:00、第二試合開始は11:00のはずだ。しかし──現在時刻は既に11時半を指している。もはや海南と武園の試合には間に合わないだろう。

 最寄り駅について全速力で会場にたどり着いた時には既に12時を回っており、つかさは急いで観客スタンドに駆け上がった。

 入り口前の手すりに手をついてスコアボードを見やると、ちょうど第三試合が始まって5分が経過した所だった。

 少しばかり肩で息をして、呼吸を整えつつコートを見やる。陵南のスターティングメンバーはいつも通りだ。

「仙道くん……!」

 陵南ファイブの姿を見やりつつ会場をぐるりと見渡すと、反対側の観客席に海南の選手達を見つけ、あ、と声をあげる。

「どうだったのかな、試合……。まあ、ウチが勝ったと思うけど……」

 それよりも第一試合の結果は。とそわそわしつつ周りをキョロキョロと見渡していると、観客にとっても眼前の第三試合は圧倒的に陵南有利と見ているのか、本日の試合の感想を述べているものも多い。

 さすが。海南。などと断片的に聞こえてくるため、どうやら海南は順当に勝利を収めたようだ。

 しかし──。

「まさか……、翔陽が──」

「──にやられるとは」

「今年の決勝リーグは波乱だな」

 耳をそばだたせていると、前の列の方からどこかの高校のバスケ部員とおぼしき少年達がそのような話をしていて「え……」とつかさは耳を疑った。

「やられた……? 翔陽が……?」

 まさか、と息を呑みつつもスコアボードを見やる。この10分で、陵南は40点もの点数を重ねていた。勝負はブザーが鳴るまで分からないとはいえ、これは決まりだろう。

「おお、ナイスパス! すげーな、あの仙道ってヤツは」

「仙道さーん、すてきーー!!!」

 試合中の仙道を讃える声援も耳に入れつつ──、順調な仕上がりを見せている陵南を見届けてつかさは試合終了と共に会場をあとにした。

 午後から部活に出ていた紳一の帰りを待ち、「ただいま」と玄関のドアが開いた瞬間にダッシュしたつかさはそのままの勢いで紳一に詰め寄った。

「お兄ちゃん! 翔陽、負けちゃったってホント!?」

「──! なんだ、お前、会場に来てたのか?」

「うん。ちょうど第三試合開始直後から……、ってそんなことより、湘北が勝ったの? 翔陽に!?」

 紳一は、フー、と肩で息をしてドサッとスポーツバッグを降ろした。

「ああ。Bブロックからは湘北が決勝リーグに進むことになった。正直、ここまであいつらがやるとは思わなかったぜ」

「そ、そっか……。藤真さん、最後の夏だったのに……」

「ま、そりゃ藤真に限った話じゃねぇからな」

 着替えてくる、と紳一は自室へ向かい、つかさは「お兄ちゃん……」と呟いた。藤真は、紳一にとっては初めてのライバルらしいライバルだった。諸星とはライバルと言うよりは親友だったし、ポジションも違う。同級生で同じポジションで、そして自身と渡り合えるほどの腕を持った相手──という意味であれば、間違いなく藤真は紳一にとって互いに切磋琢磨できる無二の相手だったはずだ。

 とはいえ、紳一の言うとおり誰にとっても一度きりの夏であるし今年の湘北はそれだけ勢いがあるのだろう。と紳一が二階から降りてくるのを待って食卓を囲む。

「でも……、ちょっと信じられない。湘北ってそこまで強いチームとは思えなかったけど。そりゃ、赤木さんと流川くんのコンビは要注意だと思うし、噂のガード・宮城くんの存在もあるんだろうけど……」

「お、そうか。お前はいまの湘北をまだ見たことないんだったか」

 むー、と口をへの字に曲げたつかさを見て紳一は思いだしたように箸を止めた。

「お前、武石中の三井寿って覚えてるか? 三年前、神奈川の中学MVPを取った」

「え……? 三井……? さぁ……どうだったかな……。お兄ちゃん達、最後の全中で神奈川とあたってたっけ?」

 つかさも箸を止めて記憶を巡らせると、紳一はフと口の端をあげた。

「オレも覚えてねぇ」

 瞬間、つかさの眉がぴくりと動いた。──これで大まじめなのだから、我が従兄ながら、まごうことなき「天然」だと思う。

「まあ、その三井なんだが……。どうも湘北に入ってたらしく、今年の公式戦から参加してるんだとよ。なんでも怪我で二年ほどブランクはあるらしいがな」

 ポジションは諸星と一緒だ、と紳一が付け加えてつかさは一度大きく瞬きをした。

「2番か……」

「かなり良いシューターだぞ。下手すりゃ神レベルのな」

「そんなに!? ていうか、県のMVPを取るってかなりの選手だったってことよね。ということは、湘北って、1番に宮城くん、2番にその三井さん、3番は流川くんで5番に赤木さん……ってこと?」

「ああ、ポジション別対抗戦でもあれば、確実に全員が県内トップ3には入る布陣だ」

 つ、と絶句していると「それに」と紳一はなお続けた。

「4番の桜木も、上背はあるしパワーもある。高さのないウチにとっては驚異になりかねん」

「桜木くん……。まだあんまり上手くないけど、陵南との練習試合を見た限りじゃリバウンドは要注意かも」

「ああ、実際、今日の試合でアイツは一気に圏内屈指のリバウンダーに躍り出たぜ」

「そうなの!? そっか、桜木くん……。なんか、仙道くんがすごく買ってるのよね、桜木くんのこと」

「ん……?」

 仙道が? と聞き返してきた紳一に、うん、と頷く。

「いまに凄い選手になる、って……。流川くんにはまだまだ負けない、なんて言ってたけど、なんか桜木くんのこと話してた時、嬉しそうだったなぁ、仙道くん」

 その時の光景を思い出してつかさは小さく笑った。そういえば練習試合の時も仙道はなにかと突っかかって来ていたように見えた桜木の相手を楽しそうにしていたものだ──となお思い返していると、目の前の紳一がなにやら渋い顔を浮かべていた。

「つかさ、お前……まさか仙道と何か個人的な何かがあるんじゃないだろうな……?」

「え!? あ、あるわけないでしょ、なに言うのいきなり!」

 不意打ちのように言われた一言を反射的に全力で否定すると、つかさはみそ汁のお椀を手にとって落ち着けるように口を付けた。

 ともあれ決勝リーグ開幕まで、あと一週間。

 海南大附属、緒戦の相手は──湘北だ。



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6話

 決勝リーグ初日の朝──つかさも応援に駆けつけるべく、いつも通りに起きて制服を着込みいつも通り紳一と一緒に朝食を取った。

「いよいよね、お兄ちゃん。私も今日は目一杯応援するから!」

「会場は平塚の総合体育館だからな。間違えて陵南の方に行くんじゃねぇぞ」

「い、行かないよ!」

「だと良いけどな」

 いつも通りのたわいのない会話を繰り広げ、一歩先に紳一が会場へと向かうべく家を出る。その背を見送ってつかさも出かける準備に取りかかった。

 

 決勝リーグは各ブロックを勝ち上がってきた4校──海南・陵南・湘北そして武里による総当たり戦で順位が決まる仕組みになっている。

 今日は湘北・海南戦と武里・陵南戦が行われ──来週末には湘北・武里戦、海南・陵南戦、最終日に武里・海南戦と陵南・湘北戦が行われて最終順位が決まる。

 

 もう何度目を通したか分からない決勝リーグの予定表にもう一度目を落としつかさは、むぅ、と唇をとがらせた。

「なんか、陵南の日程ツイてないなぁ……。キツそう」

 紳一から決勝リーグに勝ち進んできた4校のスタッツを見せてもらったが、4校のうち武里は一歩、いや二歩ほど実力が劣っている。おそらく武里のブロックに翔陽がいれば勝ち上がってきたのは翔陽だっただろう。故に、実質優勝を争うのは海南・陵南・湘北の三校。となると──湘北・海南と連日で戦わなければならない陵南は肉体的にかなり不利である。逆に海南・湘北は一週間の中日があるために十分な休息を得ることが可能である。──と考えてつかさはハッとした。

「いやいや。海南に有利なんだから、ラッキーよ、ラッキー」

 しかし──。むろん紳一率いる海南に優勝して欲しいとは思っているものの。神奈川からは2校がインターハイに行けるのだから、もう一校は──、と脳裏に仙道の姿を浮かべてつかさは小さく首を振るった。

「さ、私も行かないと!」

 どちらにせよ陵南は今日は大丈夫だろう。どのみち総当たり戦なのだから2戦、3戦目は見られるのだし、やはり海南が第一。気を取り直して家を出るとつかさは電車を乗り継いで平塚の総合体育館へと向かった。

 さすがに会場は決勝リーグだけあって試合開始30分前だというのにほぼ満席だ。

「んー……」

 もしもうっかり湘北サイドに座ってしまったらやりにくい。かといって席を探して歩き回るのも手間だとつかさは立ち見を決め込んでスタンド入り口付近の手すりに手をついた。試合開始まであと10分となる。するとコート両脇の扉が開いて両校のメンバーが会場に姿を現した。

 途端、ワッと観客が沸いた。初出場だというのに湘北への声援もなかなか多く、紳一達の姿を目に留めたつかさも負けじと声を送った。

「かいなーん!! ファイトー!! おにいちゃーん、神くーん!!!」

 するとなぜかめざとくその声に気付いたのは一年の清田信長だったらしく──まるで猿のごとく飛び上がってこちらに向かい手を振ってくれた。

「き、清田くーん、ファイトー!」

「カーッカッカッカ! この神奈川ナンバー1ルーキー・清田信長に大いに期待していてください!!! 海南大勝利間違いなし!!」

 やばい、ちょっと恥ずかしい。と律儀にこちらの声に大声で応えて会場の笑いをかっさらった清田につかさは若干ほほを引きつらせた。

 相変わらず元気、いや、騒がしい一年生だな……とそのまま清田を見やっていると、なにやら湘北一年生の流川と桜木にインネンを付け始めてしまった。はらはらしていると紳一の怒りに触れたのか鉄拳制裁を食らってさらに会場の笑いをさらい──、つかさは一つため息を吐いた。

 清田が流川をライバル視しているらしい、とは紳一に聞いて知っていたが──果たして。

「湘北は……。宮城くんってあの人かな、7番」

 まだ見たことのない宮城と三井を視認すべく湘北サイドに目線を落とすと、見覚えのない選手が二人。神によれば宮城は自分と同じくらいの身長──つまり170センチ未満ということで、おそらくは7番だ。あと見慣れない顔は──14番を付けている短髪の選手である。

「けっこう大きいな。お兄ちゃんくらい? 2番だったらマッチアップは清田くん、か。んー……でも流川くんいるしなぁ……。ディフェンスはゾーンかな、ウチは」

 海南で一番上背があるのはセンター高砂の191センチである。そして次がスモールフォワードである神の189センチであり、高さでは湘北に分がある。とはいえ7番が噂の宮城であればポイントガードだけはかなりのミスマッチだ。

「あの上背でお兄ちゃんの相手はちょっとキツいよ」

 自分が紳一とマッチアップしていた時の差を思い浮かべて、つかさは手すりに体重を乗せて身を乗り出した。

 そして試合開始のブザーがなり、決勝リーグ緒戦の火ぶたが切って落とされた。

 

 試合開始から海南は順調に得点を重ね、いまのところ湘北には得点を許していない。

 が──。

「ナイスリバンッ、赤木さん!」

「うおお、すげぇ湘北の赤木、また取ったぜ!」

 既に数本、オフェンス、ディフェンスと合わせてリバウンドをもぎ取ってセカンドチャンスを作っている赤木に会場は熱い声援を送っており、つかさも感嘆の息を漏らした。

「いいセンターだなぁ……赤木さん。ウチはゴールしたが厳しいなぁ」

 人ごとのように呟けるのは、今のところリードしているからだろうか。いや、客観的に見て湘北の赤木は海南の高砂より実力は一枚上だ。特にゴール下はほぼ隙がない。とはいえ、せっかく赤木がリバウンドを取っても海南がうまく守っているため湘北の得点には繋がっていない。

「にしてもお兄ちゃん、なんであんなムキになってるの……」

 なぜだかめちゃくちゃに動き回っていた湘北の桜木を紳一がマークしており、つかさは解せないといった面もちでコートを見下ろしていた。桜木は、神くらいの上背がありパワーもジャンプ力もずば抜けているが──まだまだ動きが初心者である。なにもあんなにムキにならなくても、と感じるのはコートの外で冷静に見ていればこそなのだろうか? なにせ桜木は、あの仙道が熱を込めて絶賛していた素材でもある。

「ゴール下で桜木くんにつくのは正解だけど。制限エリア外では関心しないなぁ」

 これだから男子はすぐ熱くなって、と感じるも、毎日毎日泥だらけで諸星や紳一に挑み続けていた過去が瞬時にフラッシュバックし──前言撤回、と戒める。どうやらこれは牧家の血や遺伝子の問題と言えそうだ。 

 立ち上がり、あまり良くないのよね。お兄ちゃんは。などとつかさが感じていると、海南監督の高頭もこの状況を良しとしなかったのか早めに動いて早々に桜木をベンチに引っ込めることに成功した。しかし、桜木が引っ込んでようやく高さ的には五分と五分だ。とにかくインサイドが厳しい。と両校のセンターを見やっていると、急に会場が轟いた。どうやら赤木がゴール下で負傷したらしく、コートに倒れ込んでおり審判よりタイムが告げられた。

「これは……」

 一連の騒ぎを見守って、つかさもごくりと息をのんだ。赤木のかわりに再び桜木がコートに戻ってきたものの、赤木不在はどう見ても厳しい。これは、いままでとは逆にインサイドが手薄になり──海南側のチャンスだ。

 むろん海南もそう考えたようで、攻撃をきっちりとインサイド主体に切り替えていた。が、ずば抜けた運動能力を誇る桜木もゴール下で奮闘を見せ、ワッと会場も沸いてつかさも目を見張った。

 ──大黒柱が不在となり、相手は優勝常連校。普通ならばコートに残った選手には緊張が走り空中分解となるのが常だ。

 だというのに、むしろ湘北は赤木がコートを出てから集中力が格段に増した。

「湘北……、強いな……メンタル……」

 桜木も数ヶ月前の陵南との練習試合の時よりも格段に上手くはなっている。この湘北怒濤の勢いに感化されたのか会場からは湘北へ向ける応援コールが海南のそれより勝っており、「あ、まずい」とつかさはハッとした。声を出さなくては、とスッと息を吸い込み声を張る。

「かいなーん!! いっぽん! いっぽんじっくりー! ファイトー!!」

 しかし、無情にもその声はちょうどパスを受け取った流川への黄色い声援にかき消されてつかさは、う、と唸った。

 

「ルカワ! ルカワ! ラブラブラブリー・ルカワ!!」

「ルカワ! ルカワ! ゴーゴーレッツゴー・ルカワ!」

 

 なんなんだ、あれは。と思うもなにやらチアガールのような一団が一心不乱に流川にラブコールを送っており、つかさは頬を引きつらせたのちにふるふると首を振るった。あれは対抗するだけ無駄なようだ。 

「流川くん……」

 いまやすっかり湘北のエースである一年生の流川楓。こちらも190センチに迫ろうというほどの長身で、ルックスも男前であり──騒がれるのもさもありなん、とつかさも流川の背番号「11」を目で追った。

 キャプテンの赤木を失ってエースの責任を感じているのか、それともただの意地か。なにやら躍起になって一人で得点を重ね続けており、そのたびに館内がどよめいている。

「確かに、去年の仙道くんみたい……かなぁ」

 ふと、つかさは脳裏に去年のルーキー時代の仙道のインターハイ予選での姿を浮かべた。諸星以上だ、と感じた仙道のプレイ。多彩な技を持っていて、がんがんと攻めてくるような圧倒的なオフェンス力で。──そう思うと確かに流川の技も多彩であるし、身体能力も仙道に劣っているとは思えない。身長もほぼ同じだ。でも──。

「なんか違うのよね……仙道くんとは……」

 もちろんすごく上手いんだけど。と、なおコートを駆ける10人を目で追っていると、ふいに背後からかなりの人数の足音が登ってくる気配が伝った。

 思わず振り返ると──、ついいま脳裏に浮かべていた人物が姿を現してつかさは一瞬だけ絶句した。

「せ……、仙道、くん」

「ん……? あ、つかさちゃん」

 見上げると、魚住を筆頭に陵南の面々が急に姿を現して──つかさの声に反応したらしき仙道はひょいと魚住のうしろから顔を出して、常のようにニコッと微笑んだ。

「え……なんで……」

 ここにいるんだ、とつかさが言う前に仙道はつかさの方に歩み寄り、そっと手すりに手を添えてつかさを間近から見下ろすように笑みを向けた。

 近い! と抗議しようとするが、当の本人は悪びれる様子もなくにこにこと常の笑みを浮かべている。

「そっか、あっちの会場にいないと思ったらこっちを見てたのか」

「と、当然でしょ! 私、海南の生徒なんだから」

「ははは、ま、そりゃそーか」

 少しばかり睨みあげると仙道の喉仏が愉快そうに上下して、よく響く低い声が間近に降りてきた。近い、と、いやでも少し意識してしまう。

 うしろでは「おい、仙道!」「なにやってんだ!」と陵南のメンバーが声を飛ばしていたが、当の本人はまったく気にするそぶりを見せていない。

 はぁ、と小さくため息をついていると、仙道はそのままスコアボードの方へ視線を投げた。

「お、45対47!?」

 その声を受けてハッとしたのか他の陵南陣もスコアボードを見やり、感心しきりに湘北への賛辞を述べている。

「ん……、だが、赤木がいない……?」

 すると赤木不在にめざとく気付いたらしき魚住がどことなく心配げな声をもらし、あ、とつかさは魚住の方を見やった。

「赤木さん、足を怪我したみたいで少し前に戦列から離れたんです」

「赤木が怪我!?」

「はい。湘北は赤木さんの替わりに桜木くんがセンターに入って……。それで──」

「で、赤木さん不在でなんでここまで競ってんだ? まさか、桜木が……?」

 つかさの声を受けてすぐそばで仙道が漏らし、ああ、とつかさは仙道を見上げる。

「流川くんよ。さっきから流川くんが一人で点差を詰めてるの」

「流川、一人で……?」

 ちょうどコートでは桜木から流川へのパスが通り、館内がどよめいてつかさも仙道も陵南の選手達も自然と流川へ意識を向けた。

 割れんばかりの声援が流川へと向けられ、流川はワンマン速攻で海南ゴールに向かっている。その流川に追いつき、ゴール下を守らんと立ちふさがったのは紳一だ。

「お兄ちゃん……!」

 紳一は流川より3センチほど身長は低いもののジャンプ力は超高校級だ。いままでも、こんな場面で紳一は必ず相手をブロックしてきた。

「止めろ、牧ィィーーー!!」

 ベンチから監督の高頭が声を荒げ、紳一も、そして流川も同時に飛び上がった。

 ──よし、捉えた! 瞬間、つかさは紳一のブロックを確信したものの──流川はそのブロックをかわしていったんボールを引き、そうして空中で再びボールを掲げてそのままリングへと力強くボールを叩き込んだ。

「なに……ッ!?」

「え……ッ!?」

 刹那、仙道とつかさの声が重なった。一瞬だけ館内が静まり……そして嵐のような悲鳴が会場を一瞬にして包み込む。

「ア、アンビリーバブルや! いったん戻してまたダンクしたで!? アンビリーバブルやぁぁ!!」

 陵南の部員が騒ぎ立て、つかさも瞬きを繰り返していた。

「ダ、ダブルクラッチ……ダンク……」

 空中でいったんボールを戻してからブロックをかわし、再びボールを放つ技──ダブルクラッチ。それ自体はつかさにもできる。諸星や仙道にいたっては得意としている技の一つだ。しかし──ダンクシュートとなると話は違う。別次元の技だ。

「だ、大ちゃん……できるのかな……あれ……」

 無意識に呟くと、頭上から「ん?」と声が降りてきた。

「"大ちゃん"……?」

 しかしその仙道の呟きはつかさの脳までは届かず、つかさは脳内で「え? いったん戻したよね? え、ダンク……?」と呟きながら両手を上下させて頭を抱え込んだ。

 バスケットのゴールが3メートルちょっとで、流川の身長が187センチ。流川ほどの身長があれば少しジャンプ力が秀でていればダンクをするのはそう難しいことではない。しかし、一度腕を下げてまたボールごと振り上げるとなると──。つまり──。

 1メートルくらい跳んでいたのだろうか。彼は。と頬を引きつらせていると、前半終了のブザーが鳴る直前で流川が清田からボールをスティールした。

「あ……!」

 そのまま流川はゴール下からのシュートを決め──とうとう前半だけで湘北は得点差をゼロにまで戻してしまった。

「やれやれ、今日の流川はそうとうノッてるな」

 仙道はどこか人ごとのように言ったが、追いつかれてしまった以上つかさにとってはもはや人ごとではない。これは、大丈夫なのだろうか。休息のためにコート外へ引っ込んでいく選手達を見送りつつ歯がみをする。すっかり間近にいる仙道の存在は頭から消えていた。

「仙道、行くぞ!」

「あ、おう」 

 が、陵南陣からの声に仙道が反応してパッとつかさのそばを離れ、あ、とつかさも意識を試合から仙道の方へ戻した。

「あ、仙道くん!」

「ん……?」

 呼び止めると、既に背中を向けていた仙道が改めてつかさの方へと向き直った。

「あ、その……。武里戦、どうだったの? 勝った……?」

 仙道はおそらくあまり大々的に勝利を宣言したいタイプではないのだろう。一瞬瞬きをして、笑みを一段深くし「ああ」とだけ言って頷いた。

「そっか、良かった」

「ま、でも、来週は海南とだけどな」

「あ……」

「さすがに海南戦はつかさちゃんからの応援は期待してねぇから」

 じゃ、と手を振ってから仙道は陵南陣の方へと向かい、つかさはキュッと唇を結ぶ。言い捨てていったということは、答えを期待していないということで。返事をする必要はないのだが──、でも、と巡らせて、ふ、と肩を落とした。

 

「おい、仙道。あんま恥ずかしい真似すんなよな!」

 

 一方、先に観戦席に腰を下ろしていた陵南陣に遅れて仙道が合流すると、前の席に座っていた越野が振り返って責めるようないたたまれないような視線を仙道に向けた。

「なにがだ?」

「なにがだ、じゃねえよ! なんなんだよ、あの子。あれ海南の制服だろう!?」

「ああ……。なにって、牧さんの妹だよ、彼女」

 あれ妹だったっけ? まあいっか、と仙道が首を捻る間もなくザワッと陵南陣営がどよめく。

「なんだって? 牧の妹!? 牧って……あの牧か? 海南の!?」

「ですよね? 魚住さん」

 件の、つかさとの「初対面」の現場に居合わせた魚住に仙道が話をふれば、魚住はその時の光景でも思い出したのか気まずげに「そ、そうだったな」などと呟いている。

「ア、アンビリーバブルや……。ぜんぜん似てへんやんか……。さすがのワイも気付けへんかったわ……」

 相当に驚いたのか彦一はいつもの張り上げるような声ではなく、愕然としたような呟き声を漏らしていた。

 越野はというと、いったん間をおき絶句したのちに再び責めるような視線を仙道に向ける。

「だ、だったらなおさらだ! 敵陣の女に手ぇ出すんじゃねえぞ仙道!」

 この言葉には黙するのが正解だな。と悟った仙道は、首に手をやって越野から視線をはずす、観客席の天井の方へと無言で視線を投げた。

 

 

 結局──海南は湘北に勝利を収めたものの得点差は僅か2点というぎりぎりのゲームであり、海南常勝神話始まって以来もっとも王者を苦しめたチームとして湘北には惜しみない拍手が送られた。

 

 

「ゴール下の赤木さん。中学MVPの三井さん、ガードの宮城くん、今年の新人王は堅いだろう流川くん、そしてリバウンダーの桜木くん……。湘北……どのポジションも目立ってるね」

 試合後に軽く練習をこなしてから帰宅した紳一を前に、話すことは今日の試合についてである。勝ったとはいえ辛勝だった紳一はどこか厳しい顔をしていた。

「勢いがあるからな、湘北は。各ポジション穴もあるが……機能したときは爆発的な勝負強さを見せる。お前……どう思う? このチーム」

「どうって……?」

「例えば、だ。お前がマッチアップするとしたら……」

 えー、とつかさは肩を竦めた。湘北はそれぞれのポジションに良い選手が揃った、能力的にはバランスの良いチームだ。もしも自分が対戦相手の監督だったら頭の痛いことだろう。

「まず、赤木さんはなかなか止められないと思う。センターだから得意なエリアは狭いだろうけど……、それを弱点として対抗できるセンターって普通いないから、お手上げかな。もし動けるセンターがいたらあえて離れて勝負する」

「ふむ……」

「三井さんは、ソツがないし攻守のバランスもいいから2番としてはどの学校でもレギュラー取れると思うけど……。あまり体力がないみたいだから、そこだけが欠点かな。もしかしたら一番怖い選手かもしれない」

「お前……。2番に対する評価甘くねぇか? 愛和と奴らが対戦したらマッチアップは諸星だぜ?」

「あ、それは大ちゃんの圧勝だから大丈夫」

 突っ込んできた紳一にさらりと笑顔で言い放ち、でも……とつかさは息を吐いた。脳裏に浮かんだのは、流川の見せたダブルクラッチだ。

「流川くんは……、私とポジションが同じだから、どうしても自分とマッチアップしてるイメージが浮かんでくるんだけど……。ちょっとイヤだなぁ。こっちが上手とか下手とか関係なく突っ込んで来られそう……」

「仙道とはタイプは違えど、去年の仙道なみのルーキーなのは間違いないだろうな、ヤツは。それに桜木も身体能力だけは県内一かもしれん」

「あはは、お兄ちゃんバスケットカウント取られてたもんね! お兄ちゃんの十八番なのに」

 実は試合後半、紳一は桜木に競り負けてダンクシュートを許した上にテクニカルファウルを取られ、桜木に屈辱の3点プレイを許してしまうという一場面があったのだ。──このゴール下の3点プレイはポイントガードながら紳一のもっとも得意とするプレイでもある。故に、紳一は試合での出来事を思い出してか苦虫を噛み潰したような表情を顔に滲ませた。

「ま、確かに今日の桜木は予想外だったぜ。宮城も骨のあるガードだしな」

「うん。でもまだ、藤真さんのほうがガードとしてはだいぶ上かな」

「当然だ。ま、湘北と陵南……どちらが勝ち上がってくるか見物のカードではあるな」

「その前に、ウチが陵南と、でしょ。仙道くんには、きっと手こずるよ、ウチも」

「……。お前はいったいどっちの味方なんだ……?」

 僅かに紳一の頬が引きつったが、それは愚問である。海南に決まっているではないか。とは答えずにつかさは決勝リーグの対戦表に目線を落とした。

 陵南戦は来週の土曜。不謹慎ながら仙道と海南の対決は純粋に楽しみにしていたが──、海南には仙道クラスの総合力のあるフォワードはいない。きっと去年以上に陵南相手に苦しむことになるだろう。

 もし、海南が負けたら……?

 いや、そんなこと考えない方がいい。彼らは17年連続優勝をしてインターハイに行かなければならないのだから、と思考を切り替えた。



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7話

「神くん、昨日の試合おめでとう! 神くんのシュートすごかったぁ!」

「相手もすっごく強かったよね。特にあの一年生……かっこよかったし……。あ、でも神くんも牧先輩もほんとに凄かった!」

「次の試合も頑張ってね!」

「あはは、うん。ありがとう。頑張るよ」

 

 海南バスケ部は学園のスターでもある。湘北戦明けの月曜日、二年の校舎では朝から女生徒に囲まれる神の姿があり偶然目に留めたつかさは、くす、と笑った。

 

 そして週末に陵南戦を控え──海南バスケ部の練習はますます熱が籠もっていた。

 

「よーし神ッ、ナイッシュー!」

「陵南はガード陣が穴だからな! 牧を筆頭にオレらがバンバンかき回してお前にパス回すから、張り切って決めろよ!」

「はいッ!」

「神さん&牧さんの海南最強コンビに対抗できるヤツなんていねーっすよ! 仙道だっておそるるに足らず! カーッカッカッカ!」

 

 辛勝だったとはいえ緒戦を勝利で終えることができた海南はチームもいい状態で練習に臨めていた。

 

「そうだ、その通りだ。陵南にはウチの牧に対抗できるガードはいない! 今年も勝たせてもらいますよ、田岡先輩。ふふふふふ」

 

 練習を見守る高頭がそんなことを口走ったなど当の部員達は知るよしもない。

 そして練習終了後──神はいつも通りに一人残って黙々とシュート練習をこなしていた。

「仙道か……」

 同級生である仙道は一年の時からスター選手であったため、一年の夏はベンチ入りさえ叶わなかった自分とは立場がだいぶ違う。そのせいか、貴重な二年の有力選手でしかもポジションも同じだというのにあまり対抗意識やライバル心を抱いたことはない。たぶん、あっちもそんな風には露ほどにもにも思っていないだろう。それにお互い、誰かにライバル心を抱くよりはもうちょっと内向きにバスケットと向き合うタイプだと思う。仙道をそこまで知っているわけではないが、彼は後輩である清田や湘北の流川、まして桜木とは全く違うタイプだと感じている。

「リバウンドは正直、魚住さんに分があるんだよな。やっぱり……オレのスリー成功率次第かな」

 シューターというものは得てして味方に強力なリバウンダーがいてこそ思い切りのいいシュートが打てるものだ。結果、成功率もあがるという好循環が生まれる。しかし神奈川トップの長身を誇る魚住を相手にゴール下でアドバンテージを取るのは厳しい。つまり、自分が外せばカウンターをくらうというプレッシャーの元で打たなければならないのだ。故に──、ライバルは自分だ、とリングを睨む神は淡々とシュートを打ち続けた。 

 

 

 一方の陵南もまた──緒戦をいい状態で終えて週末の戦いに向け練習にいつも以上の熱が入っていた。

 

「スピードが落ちてるぞ、越野! もっと足を動かせッ!」

「はい!」

「仙道ッ、もっと気合いを入れろォ! 魚住、腰落とせ!」

「はい!」

 

 フットワークメニューをこなす部員達に声を飛ばしながら、監督の田岡は目を光らせる。

 海南で恐ろしいのは、牧一人だ。むろん神という強烈なスコアラーもいるが、全ては司令塔の牧のパスがあっての神だ。ゆえに牧一人を乗せなければ海南の必勝パターンは乗ってこない。

「オレが無策で海南に挑むと思っていたら大間違いだぞ高頭よ。この田岡茂一とっておきの布陣で今度こそ勝たせてもらうぞ。ふふふふふ」

 バスケットシューズと体育館床がこすれあう音の響く館内で田岡の呟きに気付いた者など誰一人としていない。

 

 

 試合を明日に控えた金曜の夜──、海南の体育館にはいつも通りシュート練習をしている神の姿があった。

 自主勉強あけにひょいと体育館を覗いてみたつかさはその姿を目に留め、しばし食い入るように見つめていた。

「神くん……」

 いつも通り、淡々とシュートを打つ神だが……見えない闘志で包まれているのが伝って少しだけ胸の昂揚を覚えた。試合前の緊張感──、緊張と闘志の狭間の、あの何とも言えない感じ。分かるな。と共感を覚える気持ちと、神の、海南の誰よりも努力を続けるその姿勢を、凄いな、と尊敬する気持ちと。

 頑張って欲しいな、と思いつつ体育館に背を向ける。

 それにしても──。

「ちゃんと練習してるのかな……。仙道くん……」

 いや仙道とて人並み以上にはやっているはずなのだが。なにせ陵南の様子はここからでは分からないために、いまいち練習に励む彼の姿が想像できない。

 のほほんと釣り糸を垂らしてにこにこ笑っているいつもの姿が過ぎって──、ハァ、とつかさはため息を吐いた。

 

 

 ──そして、決戦の土曜日の朝を迎える。

 

 

 先に出ていく紳一を見送りに玄関に向かうと、靴ひもを締めた紳一は顔を上げてつかさにこんなことを言った。

「見に来る以上は海南の応援をしろよ」

「分かってますよーっだ!」

 しつこいな。もう。海南が陵南に負けるのを望むわけないのに。と舌を出して答えると、フ、と笑って「じゃ、行って来る」と紳一は背を向ける。

「いってらっしゃい、頑張ってね!」

 ぱたん、と扉の閉まる音を聞いてからつかさは振っていた右手を降ろして、ふぅ、と息を吐いた。

 今日、海南が勝てば海南のインターハイ出場は決まる。陵南もまた、勝てばインターハイ出場が決まるのだ。どちらも一番乗りを決めたい局面だろう。とはいえ、海南は既に一勝、残りはほぼ100%勝てるであろう武里相手であるためインターハイ行きを既に決めていると言っても過言ではない。

 ──だったら陵南に……などとは紳一に言われるまでもなく間違っても思わない。海南が目指しているのは、常勝、であり完璧な優勝だ。気を抜いていい試合などない。もしも自分でも、必ずそうする。

 ただ──。

「仙道くん……」

 仙道がもしもインターハイに行けないなどということになったら──、と過ぎらせて、フルフルと首を振るうとつかさも出かける準備に取りかかった。

 今日の試合も平塚総合体育館で行われる。第一試合が湘北対武里。第二試合が海南対陵南だ。第一試合は、先日の陵南対武里のスコアと照らし合わせてみても湘北の圧勝だろう。しかし一応見ておこう、と第一試合から会場入りしたつかさであったが、収穫らしい収穫はなぜか突然ヘアースタイルを坊主頭にして会場入りし、観客の笑いを一瞬でさらっていった桜木だった。

 

「カカカカカカカカ!!!」

「な、なんだぁ!?」

 

 爆笑・驚愕とそれぞれ個性的な反応を見せた陵南・海南の選手達に目をやって、つかさは「ん?」と首を捻った。

「あれ……? 誰だ、あの選手……」

 陵南に見たことのない選手がいる。背は──仙道くらいあるだろうか。疑問に思っている間にも湘北はダブルスコアで武里を下し、第二試合に臨む両校はコート入りして練習を開始した。

 

「魚住、でけぇ……!!」

「陵南ー! 海南を倒せよー!」

「キャー、仙道さーーーん!!」

「海南、期待してるぞー!」

 

 試合の期待値が相当に高いのか、まだウォーミングアップだというのに観客席からは思い思いの声援が飛んでいる。

 そして試合開始3分前のコールを審判がし、両チームのキャプテンそれぞれがラスト一本を指示して、真っ先に海南の清田が走り始めた。

 つかさはなんとなく目で仙道を追っており──、視界の端で清田が張り切って決めに行った一人アリウープが失敗に終わり笑いを誘う様子が映っていたが、通常運転でもあるため気にしない。

「ん……?」

 すると、仙道がちらりとその清田の様子を見届けてからひょいと手にしていたボールを高々とゴールの方へ放り投げた。瞬間──、そのボールを空中でキャッチした先ほどの見慣れない長身の選手がそのままリングへとボールをたたき込み、見事なアリウープを決めて会場がどよめいた。

 

「うおおお、アリウープ決めやがった!」

「すげええええ、誰だあれ!?」

 

 一瞬にして会場はその選手に釘付けになり──、つかさも息を呑む。

「いいパスだったな……、仙道くん……」

 むろんアリウープ──空中でボールをキャッチしてそのままダンク──を決めるのは骨であるが、リードする側であるパスの難易度は見た目以上である。それに──。

「ていうか……。ああいうとこ負けずぎらいなのかな、仙道くんって……」

 いまも、清田がアリウープに挑戦したのを見てわざわざやり返したのだろう。負けず嫌い、というよりは、その程度は陵南でもできる、というプレッシャーをかけただけかもしれないが。いずれにしてもやはり仙道の考えはよく分からない。

 やれやれだ、と肩を落としつつティップオフを待つ。先ほどアリウープを決めた陵南の選手は13番を付けている。スタメンであれば、高さから見て海南は少し不利となる。どんな選手かは分からないが、少なくともアリウープを決められるだけの能力はあるということだ。

「仙道くんとダブルフォワードだったら、インサイドは終わったかな……。どうするんだろ、リバウンド」

 さすがに2メートル強と190センチ2枚がゴール下にいるとなれば、最長が191センチである海南は苦しい。仙道はあれでリバウンドもけっこう上手いし、などとぶつぶつ言っていると試合開始時間となり、ティップオフ。まずこの魚住対高砂は圧倒的に魚住が有利であり、案の定ボールは陵南の手に渡った。が──、直後に会場がどよめきで揺れた。

「え──ッ!?」

 つかさも他の観客と同様に瞠目した。

 

「さぁ、一本行こうか!」

 

 仙道以外の選手はフロントコートの奥にあがり──仙道はセンターライン付近でドリブルをしている。そのポジションは。

「仙道くん……。ポイントガードなの……!? まさか……」

 そう、ポイントガードだ。陵南は、紳一に対抗するために仙道をポイントガードで起用してきたのだ。

 その仙道・ポイントガード起用にも度肝を抜かされた観客だったが、直後、またも仙道はやった。オーバーヘッドからパスミスとも思えるような大きなパスを出し、先ほどの練習時のようなアリウープを陵南13番が決めたのだ。むしろ、あれは負けず嫌いというよりはコレを狙っての直前の確認だったのだろう。

 

 これには仙道のポイントガード起用にも平常心を保った紳一ですら度肝を抜かれた。おまけに速攻を決めようにも陵南はボックス&ワンで仙道がマンツーにて自身の前に立ちふさがり、思わず足を止める。

 

『今日の仙道くん見てたら、2番・1番も余裕でこなせそうだったなぁ』

『どうする、お兄ちゃん? 仙道くんが1番に鞍替えしちゃったら』

 

 単なるつかさの買いかぶりだと思っていたが──まさか本当にポイントガードで対抗してくるとは。

 

『どっちが決勝リーグに出てこようと、うちには関係ない。陵南とて、な』

『けど、今年はかなりしんどい思いをすることになりますよ』

 

 あれは、このカードを想定して言ったことだったのか?

「チッ、おもしれぇ!」

 神奈川ナンバー1の座を奪いに来たってわけか。受けやる、と紳一も眼前の仙道を睨み付けるようにして闘志を燃やした。

 

 しかし予想以上に仙道のポイントガード起用はあたり──。着実に彼は絶妙なアシストを積み重ねて、陵南のスコアボードは点数を重ねていく。

 

 チーム全体を引っ張って、しっかりと指示を出す仙道を見下ろしながらつかさはいっそ感心していた。

 ノールックパスを出すタイミング、確実なパスの軌道、ディフェンスの隙を確実につくドリブル、なによりフリーの味方を見つけて活かす能力。いっそ恐ろしいほどだ。あまりの絶妙なパスに──アシストパスを7本重ねた所でつかさは身震いをした。

「す……すごいな……。な、なんなの、いったい……」

 凄い選手だとは思っていたが、ここまで凄いと逆にちょっと腹が立ってきた。などと感じてしまった自分も相当におかしいのかもしれない。でも、確実なドリブルも、天性のパスセンスも、視野の広さも、そして今は見せていないが──鬼のようなオフェンスの技術も。何もかもが彼の才能の豊かさを表している。──諸星以上、と感じた自分の目に、ぜったいに狂いはない。

 が。

 仙道のビハインドザバックからのアシストパスが見事に決まり、11点差を付けられたところでつかさは「ああ!」と声を出していた。

「もう、お兄ちゃんのバカ! あんなに今年の仙道くんはパス出しが上手くなってるって言ったのに! 聞いてなかったの!?」

 一人ごちたあとで、スッと息を吸い込む。

「おにい──ッ」

 しかし、「お兄ちゃん」と声援を送ろうとしたすんでの所でつかさは声を押しとどめた。

 

『声援送ってくれれば気付いたんだけどなぁ』

『さすがに海南戦はつかさちゃんからの応援は期待してねぇから』

 

 脳裏にふっと仙道の声が過ぎったためだ。

 こんな雑音だらけの場所で、自分の声に気付くかなんて分からない。しかも仙道の言うことなどアテにならないし、そもそも本気になどしていない。

 が、もしも、どちらかのコンディションに、万に一つ、ほんの一欠片でも影響を与えてしまったら、イヤだな。との考えが過ぎってグッと口を噤んだ。

 結局、前半は陵南の10点リードで終え、後半が始まってからも勢いは衰えない。

 紳一はどちらかというとスロースターターであるため立ち上がりは良くない事の方が多い。というのを良く知っているつかさにしても、さすがにそろそろ流れを変えないと手遅れだと感じた。

 もう、フォワード陣はなにをやってるの! 私と替わって──!

 などと思うなどおこがましいだろうか。紳一・諸星というツインガードを従えてフォワードを務めていたあの頃とは、もう違う──。

 考えを振り切るようにつかさは強く拳を握った。

 ──神くん、武藤さん!

 そしてフォワード陣に目線を送るも、何とかしたいのは言われるまでもなく全員が同じだろう。しかし、ここは流れを自分たちで何とかしなければ勝利はない。

 

「清田ッ!」

「はい!」

 

 1番・2番でボールを運んでいた海南は、仙道突破は厳しいと見たのか紳一はボールを清田へと託した。清田は切り込む。が、陵南13番が立ちふさがり──、それでも清田は鋭いドライブで抜き去り、一気にゴールへと飛び上がる。

「うおおお!」

 2メートルの魚住が容赦なく清田の前に立ちふさがったが、清田はそれにもひるまずその勢いのままに思い切りの良いダンクシュートを決めた。

 

「王者、海南をナメんなあ!!」

 

 そのミスマッチをものともせずに決めた清田のダンクに会場がどよめいた。コート上の選手達も虚をつかれたような顔を浮かべていた。

 つかさも手で口元を覆ったあと、ホッと胸をなで下ろしてから自然と笑みを浮かべていた。

「さすが……、未来の海南のエース……!」

 流れを引き寄せてこそのエースだ。きっとこの一発で流れは海南に来る。その予感通り、スロースターターの紳一にもようやく火がついたらしく仙道に対して競り勝つ場面が見られるようになった。得意のゴール下でのバスケットカウント狙い3点プレイも決まり始め、徐々に海南らしい雰囲気がコートを包む。そうして焦りの見え始めた陵南陣をあざ笑うように──、紳一からセンターライン付近にいた神へとパスが通った。

 

「神──ッ!?」

「まさか、あんな遠くから……ッ」

 

 そのまさか──神はスリーポイントラインの大きく外側から流れるような美しいシュートモーションを見せ、放ったボールは今日のシュートで一番美しい弧を描いて鋭くリングを貫いた。

 

「うおおおお入ったーーー!?」

「なんだあれ、すげええええ、さすが神ッ!!」

 

 どよめく会場をよこに、つかさも思わず手を叩いていた。

「すごいすごい、神くん!!」

 このシュートエリアの広さは神奈川どころか全国でもトップに違いない。神がいるだけで相手チームはディフェンスを外に外に広げなければならないというのは、相当なアドバンテージだ。

 勢いに乗る海南とは裏腹に、5点差まで追いつかれた陵南陣の顔に不安が走る。相手は王者海南なのだ。このまま抜かれて負けるのでは? そんな空気をうち破ったのは仙道だ。

 

「落ち着いていこう! 海南の攻撃は8割方、牧さんを起点に始まる! 牧さんさえ好き勝手にさせなければ何とかなる! オレがこれからは何があっても抜かせない、足を掴んでもな!」

 

 そしてその言葉通り、一気にインサイドに切れ込み清田・神と一瞬で二人抜き去って高い打点からのジャンプシュートを決め──、わ、と歓声があがった。

 頼もしいフロアリーダーだ。と感心するも、紳一も負けていない。お返しとばかりに魚住からバスケットカウントを取って3点プレイを決め、つかさはキュッと手すりを握った。

「んー、さすがお兄ちゃん……うまいなぁ」

 しかも、魚住はこれで3ファウルとなってしまった。一試合で5ファイルを取られると退場となってしまうため、3つというのはぎりぎり本来のプレイができるボーダーラインだ。なぜなら4ファウルになってしまえば退場が目前であり、交代を余儀なくされるためだ。

 魚住がベンチに下がれば海南はインサイドが楽になるな。──などと思っていると、高砂が魚住から4つ目を奪い──。

 信じられない光景をつかさは目にした。

 

「テクニカル・ファウル、青4番!」

 

 ファウル判定が不服だったのだろう。

 監督の制止もきかずに審判に抗議をした魚住が審判からテクニカルファウルを言い渡され、一瞬のうちに魚住の退場が決したのだ。

 会場がどよめき魚住を非難し、海南勢や紳一に至っては呆れたような表情を晒している。

 一方の陵南は、おそらく目の前の事実が信じられないのだろう。陵南陣営の全員が──当の魚住はもちろん、仙道でさえ愕然とした表情を見せていた。

 

「──ドンマイ!」

 

 それでも去りゆく魚住に仙道はそう声をかけ、つかさは頬杖をついてその様子を見下ろした。

 ドンマイ、か。いかにも仙道らしい。この場面で、なかなかそんな言葉は出てこない。

「私ならキレてるな、たぶん」

 思わずジトっと仙道を睨んでしまう。こんな時に、いやこんな時だからこそ他人を気遣える。そう、自分でも「キレる」と思ったように会場中から非難の視線を浴びている魚住だからこそ気遣ったのだろう。──彼の大らかな性格は、たぶん偽りではないのだろうな。などと思うも、陵南はこれでほぼ勝機を失ってしまった。点差はたったの1点。残り時間は7分もある。──湘北も、海南と戦った時に大黒柱の赤木を失ったものの不測のアクシデントと自業自得の退場では残された選手に与える志気の影響は正反対だろう。

 湘北のメンタルは恐ろしいほど強かったが、陵南は果たして……。

 そしてテクニカルファウルは相手チームにフリースローが2本与えられるため、キャプテンの紳一が投げて決め、きっちりとスコアを逆転させた。

 しかし、こんな場面でも何とかするのがエース。それを証明するかのように、仙道は速攻で武藤・清田を抜き去りブロックに跳んだ紳一と高砂をダブルクラッチでかわしてレイアップを決めた。

「仙道くん……!」

 ワッ、と尋常じゃないほどに陵南サイドが沸いた。

 

「よっしゃ! やっぱり仙道さんや!」

「仙道さんがいるんだ! ウチが負けるわけあるか!!」

 

 痛々しいまでに仙道を信じる視線。ベンチの控え選手も、コート上の選手も、仙道ならきっとこの状況を打破してくれる、と無言で訴えかけている。

 ──例えば、これが湘北だったら。誰も、流川がきっと何とかしてくれる、など思わないだろう。オレが何とかしてやる、という選手ばかりが揃っているのだから。

「仙道くん……」

 さすがにそのエースの肩にかかる重責を感じ取って、つかさは同情気味の視線を仙道へ向けた。天才の彼にみなが期待するのは当然だ。それに仙道にはその期待に応えられるだけの器がある。でも、当の本人はそれをどう感じているのだろう?

 ──頑張って……!

 陵南を応援しているわけじゃないけど。でも。見つめる先の仙道は、今まで以上に紳一に対して一歩も退く姿勢を見せない。呼応するように紳一の動きもキレが増し、両者一歩も引いていない。

 藤真は怒るかもしれないが、これほど紳一を追いつめられる相手は──神奈川には仙道以外にはいないだろう。

「強いな……仙道くんも」

 たった一人でチームを支える彼の精神力は、いつ切れてもおかしくはない。事実、魚住を欠いた陵南は地力ではもはや海南に劣っている。なのにあの姿勢は、どうにか"する"つもりなのだ。仙道は、まだ勝ちを捨てていない。

 

『見に来る以上は海南の応援をしろよ』

 

 分かってる。分かってるよ。海南の制服を着てる以上は、海南を応援する。海南に負けて欲しいなどと少しも思っていない。海南の選手たちがどれほどの努力を重ねて来ているか──よく知っているのだから。

 でも、瞳はどうしても仙道を追ってしまう。彼のプレイは、人を夢中にさせる何かがある。きっとこれは自分のひいき目ではないだろう。と、つかさはなお仙道を追う。

 一進一退の攻防が続き、そして常に海南が1ゴールリードしているという状態が続いている。残り時間、30秒。──最後の攻撃。海南ボール。

 

「じっくりだ! じっくり時間使ってキープしろ!」

 

 ベンチから高頭の最後の指示が飛んだ。むろん、紳一もそのつもりだろう。攻守が替われば逆転を許しかねない。

 ──陵南には外から打てるシューターがいない。

 こういう場面では、致命的なことだ。仮に追いつかれても同点延長だという余裕が海南にはあるのだ。なぜなら、今の海南は陵南よりも強いのだから。と、つかさはチラリとスコアボードに目をやった。残り、15秒を切った。

「キープだ、牧ッ!」

 紳一は「取らせない」ことに重点を置いたドリブルを続けている。仙道は──取れない。このまま終わりか、と誰もが感じた瞬間、陵南の選手が後ろから紳一のキープしていたボールをはじいた。

「あッ──!」

 スティールだ。つかさが呟いた瞬間には、もう仙道がボールをキャッチしてワンマン速攻に走っていた。一気に観客が沸き上がる。

「お兄ちゃん──ッ!」

 残り時間わずか2秒──、ゴール下に入る前に紳一が仙道に追いつき、二人ほぼ同時に床を蹴ってリングに向けて飛び上がり、仙道はそのままリングにボールを叩き入れた。

 

 ──よけた……ッ!?

 

 わ、と館内がどよめいたが──、つかさは目を見開いたまま眉を寄せた。紳一は仙道の持つボールをたたき落とすためにジャンプしたはずだ。だが、仙道がダンクシュートを決める直前でなぜか避けたように見えた。

 そのまま二人を目で追うと、仙道がいつになく厳しい表情で紳一を睨んでいるように見えた。が、確かめる間もなく試合終了のブザーがなり、同点に追いついたことで安堵したのか陵南の選手達が笑顔で仙道を取り囲んで仙道も表情を崩した。

 

 試合は振り出し。2分休憩ののちに5分間の延長戦を行うことになった。

「さすがだなぁ、仙道は」

「あの土壇場で牧の上からダンク決めるとはな!」

 周りの雑音を耳に入れながら、つかさは両チームのベンチを無言で見下ろした。ラスト5秒、速攻のチャンスに恵まれた仙道がワンマンでダンクを決めに行くのは当然のことだ。むしろ、それ以外に道はない。が──。おかしいのは紳一だ。彼は仙道がゴール下に辿り着く前に既に仙道を捉えていた。

 しかし──。

 完全に虚をついた陵南のスティール。ボールは海南側のゴールにこぼれ、仙道は紳一より先に駆けだしていたのだ。そんな仙道有利のワンマン速攻に、果たして紳一が追いつけるか?

 いや、不自然だ。それに、せっかく追いついた紳一はあろう事かブロックするのを避けた、ように見えたのだ。

「あの時点で点差は2……。速攻を決めても同点、か……」

 呟いた瞬間にハッとする。まさか……、紳一の十八番であるバスケットカウントからの3点プレイを狙ったのではないか、と。

 もしもあの場で仙道が紳一からファウルを奪えていれば、フリースローが一個与えられる。それを入れれば一点リードして80対79。その瞬間に試合終了で陵南の勝ちだ。だからこそ自分の狙い通りにいかず、あの穏やかな彼が紳一を睨み付けたのでは?

「…………」

 ゴクッ、とつかさは息を呑んだ。

 競り勝つ自信があったというのだろうか? いや、仮に失敗しても同点延長だ。けれど……。

 もしもこの仮説があたっているとしたら。あの土壇場の5秒で、そんなシナリオを思いついて実行した、ということだ。

 

「……天才……仙道……」

 

 つかさが色なく呟いている頃、ベンチに腰を下ろして水分を補給しながら紳一は、あの野郎、と心内で呟いていた。

 ──仙道のヤツ、わざとオレに追いつかせやがった。

 自信があったのだ、仙道は。この「神奈川ナンバー1」である自分から、バスケットカウントを奪えるという自信が。

 しかしながら仮に自分が仙道でも仙道と同じようにしただろう。なるほど、諸星以上の逸材、か。たかが二年でここまで登ってくるとは──、と紳一はもはや仙道が自分と同等のプレイヤーにまで成長したことを認めた。

 

「一分前!」

 

 審判のコールを耳に入れつつ、つかさはジッと休息を取っている仙道を見つめていた。

「集中力……、持つのかな……」

 仙道はリスクを犯しても時間内に勝負を決めたがっていたのだ。延長になれば、厳しい。もしも仙道が延長上等でダンクを決めていれば、たとえ地力が劣っていたとしても勢いに乗って逆転ということは十分に考えられる。それがバスケットにおける「勢い」というものだ。が、もし仙道本人が「延長は明らかに不利」と認識していたとしたら──陵南にほぼ勝ち目はない。なぜなら、仙道の思い描いたシナリオが破られた時点で仙道は負けを認識したも同然だからだ。

「なんて……考え過ぎかな……」

 視線の先では仙道が立ち上がり、力強く仲間を鼓舞している。陵南陣営の志気は衰えていない。

 ──しかし、延長が開始され、つかさは自分の仮説が正しかったことを確信した。

 おそらくおおよその人は見抜けないだろう。だが、仙道の動きは先ほどより明らかに精彩を欠いている。仙道はあれでフィジカルはタフな選手だ。やはり、問題はメンタル面。

「ウチの勝ち、か……」

 結局、6点差がついたまま埋まらず──陵南の二つ目の黒星が決まった。それでも試合終了のブザーがなったあと、数秒間微動だにせず……そして諦めたような、それでいてどこか解放されたような息を吐いた仙道を見てつかさは少しだけ眉を寄せた。

 

「いやー、やりましたね神さん! これでオレたち海南の完全優勝間違いなし! カーッカッカッカ!」

「まあ、今日は苦しい試合だったけどね。ねえ、牧さん?」

「ま、そうだな」

 

 辛勝とはいえ激闘の末の勝利という昂揚状態で着替え終えた海南陣はロビーを歩いていた。

「お……」

 つかさ、と紳一は瞬きをした。ロビーで挙動不審ぎみにキョロキョロしていたつかさを見つけたためだ。なにしているんだ? と不審に思う前につかさもこちらに気付き、互いに歩み寄る形となる。

「お兄ちゃん、神くん、みなさんお疲れさま。インターハイ出場決定、おめでとうございます」

「ありがとう、つかさちゃん。そっかインターハイ決まったんだよね、二勝したし」

「この清田信長、全国でもルーキーセンセーションを巻き起こしますから、期待していてください! カーッカッカッカ!」

 つかさは神と清田に笑みを向けるも、再びキョロキョロと何かを探すように視線を巡らせている。どうした? と紳一が訪ねる前に「あ」と呟いたつかさは、「じゃ、またあとで」とみなに挨拶すると小走りでその場を離れていった。

 

「仙道くん……!」

 

 仙道の姿を遠くに捉えて、つかさは迷いながらも駆けた。

 ──どうしても、話がしたい。

 負けた直後なのだ。おそらく仙道は自分に話しかけられることを望んではいないだろう。だが、それでも。どうしても、と胸の辺りで強く拳を握ると、もう一度彼のツンツン頭に向かって呼びかける。

「仙道くーん!」

 ピク、と仙道の大きな背中が動き──彼は足を止めてこちらの方に向き直る。

「仙道くん……」

 が。予想通り──、一瞬だけばつの悪そうな表情を浮かべた仙道は、珍しくいつもの笑みを浮かべずつかさを見据えた。

「……あ、あの……」

 珍しく、仙道は無言でつかさの出方をうかがっている。つかさもよけいなことは言わず、用件だけを伝えようと強い表情で仙道を見上げた。

「明日の試合、ぜったい勝って!」

「え……!?」

 途端、仙道は面食らったように目を丸めたがそんなことを気にしてはいられない。

「私、インターハイで仙道くんのプレイが見たい! だから、勝って、ね!」

 力強く握り拳を作って訴えると、仙道は数秒ほどぽかんとした表情を浮かべたあと──耐えきれないように、くく、と喉を鳴らした。

「あっはっはっは!!!」

 今度はつかさが目を丸める番だ。なにを笑っているのだろう、この人は。と瞬きをする間も仙道は笑い続けている。

「あっはっは! "頑張れ"じゃなくて"勝て"ときたか。あっはっは、うんうん!!」

 言われてハッとしたつかさは、パッと頬を染めた。

「あ、その……いや、だって……仙道くんはインターハイに行くべきっていうか……その……」

 しどろもどろになっていると、ようやく仙道が笑いを収め、フ、と今度は柔らかく深い笑みを浮かべたものだから反射的に心臓が強く脈を打った。

 そのまま仙道は、ニコ、といつもの笑顔を見せる。

「ま、そう言われちゃしょうがねぇか」

「え……?」

「大丈夫。はなからそのつもりだし、勝ってみせるさ」

 じゃーね、と手を振って仙道はつかさに背を向け──若干こちらを離れた所から睨んでいた陵南陣に合流した。

 その背を見送って、つかさはホッと息を吐いて胸元を押さえる。まだ心臓が高く脈を打っている。走ったわけでもないのに、なんで? と胸に手を当てつつそのまま何度も深呼吸を繰り返した。

 

 その夜──、もはや「全国大会出場」が当たり前となっている牧家では特に祝うこともなく通常通りの夕食だ。

「序盤、さ……、完全にやられてたよね、仙道くんに」

「…………」

「だからパスもうまいしゲームメイクも上手いしガードくらいこなせる人だって言ってたのに。お兄ちゃん、仙道くんが1番でくるって1ミリも想定してなかったでしょ! 清田くんのダンクがなかったら負けてたかもしれないよ!」

 夕食時間という名の反省会はつかさのダメ出しがひたすら続き、誤魔化すように紳一はスープに口を付ける。すると、あ、とつかさは思い出したように言う。

「ねえ、あの陵南の13番って誰? あんな人、見たことないんだけど……」

「ああ、アイツは福田吉兆というヤツらしい。なんでも神の同級生らしくてな」

「神くんの……!?」

「アイツの存在は確かに誤算だった。あんなオフェンス力のあるフォワードが陵南にいるとはな……」

 事実、今日の試合はその13番──福田が陵南の半分近くのスコアをあげるほどの活躍を見せているのだ。が──。

「でもあの13番、ディフェンスまったくできてなかったよね。清田くんがドライブ決めた時も、全身隙だらけだったし。偏ってて良い選手には見えなかったけど」

 手厳しいな、と感じた紳一だったが、まったくその通りのため口を挟めない。

「あんなんじゃ流川くんは絶対に止められないよ。あー……もう……」

 あ、なるほど。明日の試合でのマッチアップを考慮してるからこその苦言か。と紳一は理解して苦笑いを漏らした。つかさは明日こそ陵南の勝利を望んでいるのだろう。

「まぁそう言うな。神によれば、福田はバスケを始めたのは2年くらい前だそうだ。穴がいくつかあっても仕方がない」

「ああ、なるほど。……うーん、そう思うとバスケット始めて数ヶ月の桜木くんってやっぱり凄いね……」

「ま、アイツは才能はあるな。明日も、もしかしたらまた上手くなってるかもしれんぞ」

 言うと、つかさは少しだけ苦い顔をした。

「まあ、どっちみち桜木くんのリバウンドは要注意だし……。そうそう、ディフェンスと言えば……仙道くん、そうとうディフェンス上手くなってるよね」

「ああ、むしろ一番進化した部分はディフェンスかもしれんな。よほど鍛えてきたんだろう」

「マッチアップじゃお兄ちゃんと互角以上に競ってたしね、まだ二年生なのに……」

「……"互角以上"……?」

 ピク、と紳一の頬が撓った。なぜこうも彼女は兄同然の自分に手厳しいのだろうか? まだまだ仙道に負けたとは思っていないというのに。当のつかさ本人はわざとでもなんでもなく至って素であり、それがまた紳一に複雑な心境を生み出させる。

「そうだ、お兄ちゃん。最後の仙道くんの速攻……なんでブロックしなかったの?」

「ああ……。お前はどう思うんだ?」

「え……?」

 逆に問うと、つかさは彼女自身の仮説を話し──紳一は、フ、と笑った。

「おそらく正解だな。オレもそう解釈した。ま、仙道に訊いたわけじゃねぇから断言はできんがな」

 すると、つかさは少し不服そうに頬を膨らませる。

「じゃあ……。バスケットカウントを取れなかった時点で、仙道くんの中では詰んでたんだね」

「ん……?」

「賭けに出て、見放されたんだ。だから、お兄ちゃんの勝ち」

「……賭け、ねぇ……」

 ご飯に箸を付けるつかさを見やりながら、紳一は呟いた。見放された。そうかもしれない。延長戦は仙道にとっては百害あって一利なしだったに違いない。なにせ、彼は延長で勝てるとは思っていなかったのだから。

「ま、魚住を欠いた状態でアイツはよくやってたさ。ポイントガードとして、そしてエースとして全てを支えていた。しかもポイントガードはただの奇策だしな。そんな何重にも不利な状況で、まだ二年にしては上出来すぎるくらい上出来だった。ただ、明日の湘北戦を控えての延長含めてフル出場だ。明日はアイツにとって相当にタフな試合になることは間違いないな」

「スケジュール自体、陵南はちょっと不利だもんね。私、でも……勝って欲しいな。仙道くんにインターハイに行ってほしい。ううん、絶対に行くべき」

「行くべき……?」

「うん。だって、仙道彰って選手を全国はまだ知らない。だから、行くべき。仙道くんは、そういう選手よ」

 そこで、カタ、と箸を置いたつかさは「ごちそうさま」と言って立ち上がった。そうして食器を持って台所へ向かったつかさを見送り、紳一は息を吐く。

「全国へ行くべき、全国が知るべき選手、か……」

 言っていたつかさの瞳は、少しだけ──数年前の色を思わせた。あの、自分や諸星に挑み続けていた頃の。

 

 ──自分のことを言っているのか? つかさ……。仙道に、自分を重ねて……。

 

 諸星を超えられると認めた存在に。自分の夢を無意識に託してしまっているのだろうか、彼女は。

 と、そう過ぎった考えに紳一は自嘲した。

「まさか、な……」



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8話

「3、2、1──!」

「海南大附属高校、17年連続優勝ーーーー!!!!!」

 

 大会最終日、第一試合の武里対海南は海南の圧勝に終わり海南が完全優勝を見せて観客席は踊った。

 そうして会場は第二試合への準備に取りかかり、観客席後ろの通路からその様子を見ていたつかさの耳に集団の足音が近づいてきて振り返る。すると見知った海南勢の顔ぶれが並んでおり、あ、とつかさは笑みを作った。

「お兄ちゃん! 優勝おめでとう!」

「おう。なんだお前、こんな所に突っ立って見てたのか?」

「うん。観客席の反応を見られるのもけっこう面白くて」

 言いつつ、紳一の後ろにいた神たちにも祝いの言葉を述べる。みな優勝を決めた直後で表情はすこぶる明るい。

「お前も一緒に見るか?」

 紳一がすぐ下の、既に確保してあるらしき最前列の空席に目配せし、んー、とつかさは口籠もった。

「いいや。私はここから見るよ」

 すると、紳一はきょとんと瞬きをした。

「いいのか? 近くで仙道を見なくても」

「い、いいってば! もう」

 紳一は、おかしなヤツだ、とでも言いたげに肩を竦めるとそのまま海南陣を引き連れて観客席の方へと降りていき、フーッとつかさは息を吐く。

 昨日、「絶対勝って」などと言ってしまった手前。これ以上プレッシャーをかけるわけにはいかないではないか。と過ぎらせつつつかさは陵南陣営の方へ視線を投げた。

「仙道くん、今日はフォワードかな。流川くんがいるし」

 陵南のスターティングメンバーが昨日と一緒だとしても、湘北には流川がいる以上わざわざポイントガードに仙道を起用してなおかつ宮城にぶつけるようなことはしないだろう。ということは陵南のフロントコート──センター・フォワード──は魚住・仙道・福田。バックコート──ガード──は植草・越野ということになる。

「湘北のフロントコート陣は赤木さん、流川くん、桜木くん、か。んー……」

 高さは少々陵南に分があるが、湘北のルーキーコンビはジャンプ力が違う。イーブンと見てもいいだろう。センター対決はやや赤木が勝っているが、赤木の海南戦での怪我がもう完治しているとは思えない。ここも五分だ。

「流川くんは、まあ、仙道くんがおさえるとして……。桜木・福田は……得点力は福田くんがあるけど、リバウンドは圧倒的に桜木くん。越野くんに三井さんが抑えられるか微妙だし、三井さんの調子が良ければアウトサイドからやられちゃうかも……」

 なんだかんだ宮城に外はないし。このフロントコート陣では切れ込んでも厳しい。

「湘北は外次第、陵南は中次第、かな……」

 ゆえに陵南はディフェンスを外に広げざるを得ず、湘北は中をしめるしかない。

 にしても、このフロントコート陣は両校ともに相当に強烈だ。平均身長は192センチ。ジャンプ力も並以上であり、全員がアリウープからのダンクシュートを決められるほどのポテンシャルを秘めている。などと考えて、自然とつかさの瞳は影を落とした。

「……ミ、ミニバスのゴールなら……ダンクくらい余裕で……私だって……」

 思わずジト目で対抗してブツブツ言っている間にも10分間のウォームアップが終了し、試合開始を前に最終戦恒例ののスターティングメンバー紹介が華々しく開始された。

 これは観客席の反応が見られるこの場所が楽しいというものだ、とつかさは波打つ観客を見守った。

 先だって紹介された湘北のメンバーで一番声援をもらっていたのは意外にも桜木で、彼がスター選手に必要な「華」を兼ね備えていることを再認識させられる。下手を打てば、第一試合の時の紳一や神よりも大きな声援を受けている。

「流川くんは女性ファンが多いなぁ、相変わらず……」

 流川が桜木に勝っていたのは黄色い声援であり、苦笑いを浮かべつつ──陵南の選手達を見守る。

 そして桜木に勝る声援を一身に受けたのはやはり仙道であり、ヤレヤレ、と肩を落としたのはつかさのみではなく紳一も同じだった。

 

「すごい声援だな……」

「ホントっすね。野太い声も、流川並の黄色い声も飛んでやがる……」

 

 流川が出てきたときには黄色い声援に混じってブーイングを飛ばしていた清田も感心しきりにキョロキョロし、その様子を見ていた神も肩を竦めた。どうやら仙道にまで張り合う気は毛頭無いらしい。その辺りがいかにも清田らしい、と。

 

 ティップオフし、予選最後の一戦が幕を開ける。

 陵南はディフェンスはマンツーマンで対応していた。やはり今日の仙道は本来のフォワードだ。マンツーで来たからなのか、湘北は福田がついている桜木に比較的パスを出す傾向にあった。

「ま、当然かな。あそこのディフェンス、穴だし」

 フ、とつかさは腕組みをする。しかし、悲しいかなこちらも素人の桜木にはドライブで福田を抜き去るほどの技術はまだない。しかも──。

 

「コラ待てこのカッコつけ野郎め、センドー!! この桜木率いる湘北は同じ相手に二度は負けーーん!!!」

 

 なぜか桜木は仙道に突っかかっており、心なしか仙道も嬉しそうな表情を浮かべている、ように見えた。

「なにをブツブツと……トラッシュトークでもしてるの……?」

 これは仙道の桜木びいきも相当にひどいレベルだな。と、若干はらはらしながら見つめる。が、仙道に迫る長身、仙道以上のジャンプ力、脚力、瞬発力──。

「んー……。"天才"ね……」

 あいつはいつか、すごい選手になる。と言っていた仙道の言葉を浮かべてつかさは息を吐いた。まだ現役の選手だというのに、あの大らかすぎる所は困りものだな、と思いつつ見やる先では攻守が交代している。福田にパスが通り──陵南のメンバーはコースをあけるようにして逆サイドに引いてしまった。

「お……」

 アイソレーションだ。つまりボールを持つ選手が攻めやすいような空間をわざと作るために味方はウィークサイドに退くオフェンスのフォーメーションである。──湘北が桜木に意図してか意図せずかボールを集めていたように、陵南も桜木のディフェンスが穴だと踏んでの策だろう。

「魚住さん、仙道くんよりも福田くんを優先する、か」

 しかし、この策はあたったようで外れた。目論見通り福田は桜木を抜いてみせたが──それを予想していたらしき三井がヘルプに入り、逆にチャージングを取られてしまったのだ。

 さすが元中学MVPである。越野をマークしながらのヘルプはさすがとしか言いようがない。

「あー……やっぱり越野くんのところが地味に穴だな……。湘北は桜木くんより三井さんにボール集めるべき、と」

 もっともそれをやられては陵南に不利になるため、現行でいいのだが。でも。とムズムズするような感覚はバスケバカの悲しい性だろう。

 

 陵南はやはりフィニッシャーを福田に絞り、順調に福田が得点を重ねた。波は陵南、に見えたものの桜木が負傷で交代を余儀なくされ──福田のマークが三井に替わる。

 

 ──福田対三井なら、三井だ。

 案の定、福田の得点はストップし逆に三井の点が入り始めて波が少し湘北に傾きはじめ、つかさは眉を寄せた。

「ガード陣、しっかり!」

 ずっと10点以上開いていた点差を一気に一桁に戻されて、渋い視線をガードの二人に送る。まだ前半。一桁まで追い上げられれば相手が勢いづいて逆風が吹いてしまうからだ。こういうゲームコントロールはガードの仕事であり、早めに福田への連続パスを諦めて切り替えるべきであったというのに──。

 やはり、湘北の宮城のほうが数枚上か……と感じた矢先。単独で突っ込んできた仙道が流川・赤木の上から見事なまでのフェイダウェイ・ジャンプショットを決め、グ、とつかさは息を詰まらせた。

「欲しいところで……、この一本……」

 嫌みなほど完璧なエースだ。さすがに仙道。が、いっそガードの頼りなさが浮き彫りになって、つかさの胸中には焦燥がこみ上げてきた。

 それを反映するかのように、前半終了直前。三井が本日数本目のスリーポイントシュートを決め、湘北は6点差まで追い上げたところで後半を迎えることになった。

湘北は個性の強いチームだ。"エース"になれる存在が何人もいる。実際、前半ラストを引っ張っていたのは流川ではなく確実に三井だ。

 ムードメーカーの桜木が負傷、エース流川・キャプテン赤木が目立たない中で三井が流れを湘北に作り出した。陵南と湘北の最大の違いは、これだ。もとより湘北のメンバーはメンタルが強い。全員がチームに影響を及ぼすパワーを有している。が、陵南は──。

 昨日の仙道に頼りきりだった陵南のメンバーを思いだして、つかさは小さく肩で息をした。

 いずれにせよ、湘北のエース・流川が前半まったく点を取りにきていない。体力の乏しい彼のことだ、おそらく勝負を後半にかけているのだろう。

 

「後半……勝負だな。仙道か、それとも流川か……」

 

 紳一もまた観客席で雑音を耳に入れながらそんな風に呟いていた。

 

 一方の田岡も前半の湘北は三井によって引っ張られていたことを認めて控え室にて選手達に注意を促していた。

「ブランクがあったとはいえ、三井はかつては県のMVPに選ばれたほどの男だ! 絶対に油断はするな!」

 何より三井のバスケットのセンス・才能がずば抜けていることは、かつて三井にスカウトを試みて失敗した過去を持つ田岡には痛いほどに分かっていた。それだけに、よけいに負けられないという思いもある。

 そこで田岡はディフェンスを強化するためにガードの越野をさげてディフェンスに強いフォワードの三年生・池上を投入することを決め、選手達を鼓舞した。

 そんなチームの声を耳に入れながら仙道は水分補給をしつつ、前半の流川について考えていた。

 前半、彼はあまり勝負を挑んでこなかったのだ。あまりに流川らしくない。闘志だけはいつも以上に漲らせているのに、だ。

「…………」

 これは後半、要注意だな。と考える脳裏に、ふと昨日のつかさの声が蘇ってきた。

 

『明日の試合、ぜったい勝って!』 

 

 彼女なりにこちらにかける言葉を考えていたのだろうが。まさか、自分がインターハイでプレイを見たいがために勝て、とは。こんな激励、生まれてこの方されたことがない。

「ヤレヤレ……」

 思わず笑みを零すと、前方からひどく寒気を覚えるプレッシャーを感じた。

 

「なにが"ヤレヤレ"だ、仙道ォ!! お前は人の話を聞いているのか!? 気合い入れんか気合い!!」

 

 控え室を揺らすほどの田岡の怒声が飛び、ビクッ、と仙道は肩を揺らした。

 

 

 ──後半戦。

 福田の得点は三井がマークについたことで止まったが、三井の得点もまた池上がマークにつくことで止まった。

 シューターに、ディフェンスのいいマークマンが個別で付くことはままあることである。ゆえに、シューターはいかに動きいかにフリーになれるかということも重要な仕事だ。

 この辺り、神は40分フルで走りきるだけの体力が備わっている。逆に、ブランクのある三井には厳しいのだろう。いまも後半戦が始まったばかりだというのに既に肩で激しく息をしており、かなりの消耗が見られる。

 やっぱり体力だけは維持するべきだな。と、つかさは切実に感じつつふと自分の手を見やった。

 二年間、完全に空白期間があるらしき三井でもまだあれだけのプレイができているのだ。自分も、まだ忘れてない──、と未練がましく唇を噛みしめつつスコアボードを見やる。

「──ッ」

 前半、常にリードを奪っていた陵南だというのに三井の連続スリーで流れが変わり、後半に入ってからは積極果敢な流川の攻めによってあっという間に点差を詰められてしまった。しかも、あの仙道から何度もゴールを奪って、だ。

 

「うおお、また流川だッ!」

「はええ──!」

 

 ピク、とつかさの頬が撓る。仙道はブロックに飛び上がったが──流川のクイックモーションからのジャンプシュートは一歩上を行き、気持ちのいい音を立ててリングを貫いてしまった。

 モーションがはやい。さすがに流川だ。などと感心するも──仙道はこれで3ゴール連続で流川に得点を許している。しかも一度はバスケットカウントを取られるという失態を犯しているのだ。

 

「すげえな、あの一年! あの仙道に競り勝ってるぜ!」

「既に仙道を超えたか!?」

「キャーー!!! 流川クーーーーーン!!!」

 

 熱狂する観客や流川応援団の声を聞き入れつつ──、しまった、という顔つきをしている仙道に僅かに苛立ったつかさはキュッと手すりを握りしめた。が、それだけでは抑えきれず、気づけば身を乗り出していた。

 

「仙道くーん! なにやってるの!? もっと集中して!!!」

 

 刹那、一斉に海南レギュラー陣が振り返った。

 

「な、なにを怒ってるんだ、アイツは……」

 

 陵南のベンチ陣も観客席を見上げ、おお、と彦一が手を叩く。

「あれは……、海南・牧さんの妹さんや! 仙道さんを激励してはる!!」

 しかし──、陵南監督・田岡茂一の耳にはつかさの声など届いていなかった。田岡もまた連続で敵陣の一年に自身のチームのエースがゴールを奪われたことに怒りを抑えきれずプルプルと腕を震わせており、ついに頂点に達した瞳がカッと見開かれた。

 

「何をやっとるか、仙道ォオオ!! 朝メシちゃんと食ってきたのかッ!? いつまでのらりくらりやっとるか! ビシッと止めんかぁ! そんな一年坊主!!」

 

 瞬間、つかさの声に「ゲッ」と漏らしていた仙道の肩が、ビクッ、と震えた。

 館内がどよめき、「陵南の監督、こえええ」と声がとんだと思えば、笑いも起こっている。

 

「いいぞ、仙道ー!」

「客席・ベンチ両方から説教くらってるぜー!」

「頑張れよー、天才ッ!」

 

 その反応に、田岡もハッと正気を取り戻したものの、つかさもハッとしてかすかに身をかがめ、ばつの悪い表情を浮かべた。

 

 ──やってしまった。

 

 これにより仙道の危機感が増した。か、否かは定かではないが──確実に先ほどよりも集中力が増したらしく、すぐに流川から一本奪い返したかと思えば流川のシュートをも叩き落として館内をどよめかせた。

「さすが仙道ッ!」

「やっぱりやってくれるぜッ!!」

 一本取られては一本奪い、という一進一退の攻防が続く。仙道にとって目の前の相手・流川はそう簡単な相手ではないだろう。だが、いける、とつかさは拳を握りしめた。流川はすでに本調子だ。だが仙道はまだまだこんなものではない──! と昂揚しかけた胸の高鳴りが一転、絶望へと叩き落とされる出来事がおこった。

 ゴール下でシュートを放った桜木を魚住がブロックした瞬間にホイッスルがけたたましい音をたて、つかさは──いや陵南陣営の全ての人間が愕然とした。

 

「ハッキング! 白、4番──!!」

 

 魚住の、本日4つ目のファウルだ。しかも残り時間はあと10分以上残っている。──誰しもが昨日の海南戦での悪夢を思い出したに違いない。後半、5ファウルで退場となりチーム力で海南に劣った陵南は敗退を記した新しくも苦い記憶だ。

 残り時間を考慮すれば5ファウルでの退場をおそれてベンチに引っ込める他に術はない。すぐさま交代のブザーがなり、陵南は控えセンターが魚住の替わりに入った。

 つかさはきつく眉を寄せていた。今日は魚住が退場になったわけではない。終盤になればまた戻ってくるだろう。しかし、その時にいつものような攻めのプレイができるか否か──。

「……仙道、くん……」

 昨日、大黒柱の魚住を失い、それでも仙道がいるから何とかなるはずだという仲間の信頼を受け──、なんとかやりきろうとして、そして叶わなかった姿を浮かべて歯がみをした。

 これでまた仙道の負担が増える──。

 事実、控えセンターは湘北の大黒柱・赤木に全く対抗できず、湘北は積極果敢にインサイドに切り込む作戦を取った。もっとも確実に点を取れる場所がセンターとなったのだ、これを使わない手はないだろう。それに湘北はキャプテン赤木が勢い付けばチーム全体が活気づいてくる。

 たった一分ほどであっという間に5点も差を付けられ館内は湘北コールで沸いて、陵南陣営にはまるで崖っぷちに追いつめられたように言葉を失っていた。

 焦燥からか、コート上の陵南の選手達の目線さえ床の方へと落ちてしまっている。

 が──、ふいに辺りに手を打ち鳴らす音が聞こえ、みなが顔をあげた。仙道だ。

 

「一本だ! 落ち着いて一本行こう! まだ慌てるような時間じゃない!」

 

 残り時間はあと9分30秒。

 その仙道の声を聞いて他の四人はホッとしたように頷き、仙道はその皆の顔を見てニコッと口角をあげた。

「さぁ、行こうか!」

 大丈夫だ。落ち着いて。そう励ますような仙道の笑顔だった。

「仙道くん……」

 笑ってる──、いつもそうしてるみたいに。と、つかさは仙道を見下ろす。思えば仙道彰という人間は、どういう意図であれ、にこにこしているのが常だ。いまもきっと、チームメイトを安堵させるために微笑んだに違いない。

 けれど、現実問題として巻き返しをはかるのは厳しい。

「"まだ慌てるような時間じゃない"か……」

 もしも自分が仙道の立場だったら、あんな風に言えるだろうか? 自分には、少なくともいつも紳一や諸星がいた。たった一人で全てを背負って戦っていたわけではない。仙道は、自分と同い年なのだ。本来なら三年生をまだ頼っていいはずの立場だというのに──。

 いくら仙道が天才であっても、一人で五人分の働きは出来ない。慌てるような時間ではないという言葉とは裏腹に瞬く間に10点以上離されてしまい、つかさは首を振るった。

 ──助けに行きたい。自分があの場にいれば、攻守で負担を分け合えるのに。

 なんて思ってはいけない。バスケットはもう、やめたのだから。生まれたときから決して共に戦えないと、気付いて受け入れるまでに14年もかかってしまった。──と絶望と共に見上げた諸星の顔を浮かべて歯噛みをした。

 そして、振り切るようにつかさは声援を送った。

「しっかりー!! 頑張ってーー!!」

 いまは自分の感傷などどうでもいいのだ。あんなに才能溢れる選手が、こんな所で埋もれてしまってはダメだ。必ずインターハイに進んで欲しい。

 陵南もこれ以上離されたら追い上げは不可能と判断したのか、残り6分強の段階で魚住をコートに戻した。

「魚住だーー!!」

「4ファウルの魚住がコートに戻ってきたぞ!」

 つかさもホッと胸をなで下ろした。これで仙道の負担が少しは減る──と仙道を見やると、肩で息をしていた仙道は魚住を見据えて、そして心底安堵したように、ほ、と息を吐いておりつかさは手で口元を覆った。

「仙道くん……」

 もはや緊張の糸が切れる寸前だったのだろう。そう、昨日ラスト5秒で勝負を仕掛けたあとのように。

 しかしながら魚住がコートに戻るもいまの湘北の勢いを止めるのは難しく──ついには15点もの点差が開いてしまった。

 厳しい。誰もがそう感じた。魚住を戻してさえ流れは変わらず、残り時間5分で15点差。それに──。

 

「交代です!」

 

 体力の限界だったらしきポイントガードの植草がベンチに下がり、セカンドガードの越野が替わりに出てきた。

「越野くんがポイントガード……」

 越野は元来のポジションは一応2番となっているが、致命的に外がない。得点力の方はほぼ期待できない。それに、この15点差をひっくり返すゲームメイクを期待するのは酷だろう。

 とはいえ。

「仙道くんがオフェンスに専念できれば、いまコート上にいる誰よりも強いもの。ディフェンスを締めて、ガードがうまくボールを運べば……あるいは……」

 そうだ。仙道に頼り切りにならず、陵南がうまく機能すれば──きっと勝てるはず。まだ5分ある。

 陵南側もそう自然と理解したのだろう。いままで下がってガードの役目もこなしていた仙道が積極的にフロントコートにあがった。

 ごく、とつかさは喉を鳴らした。

 仙道が今年に入って少しプレイスタイルを変えたのは知っている。けれど初めて目の当たりにした去年の仙道は、今まで見てきた選手達の中で誰よりも強烈なスコアラーだった。いっそ嫌みなほどに多彩な技を駆使する──。

「行けぇ、仙道くーーん!!」

 フロントコートにあがった仙道はあっという間に5点詰め、パスカットからの速攻で風のごとく流川と桜木の二人を抜き去って今日で一番派手なダンクシュートを決めた。

 観客が熱狂渦巻く中、その期待に一気に応えるように仙道はついに一人で7連続ゴールを決めた。うち一つは宮城からバスケットカウントを奪っての3点プレイであり──宮城を4ファウルに追いつめたファインプレイだ。

 ぞくぞく、と鳥肌の立つような怒濤の攻めだった。

「すごい……! すごい、やっぱり仙道くんはすごい……!!」

 間違いない。彼こそ、彼こそ諸星を抑えて日本一になれる選手だ──! だから、神奈川に留まっていてはいけない。

 たまらず湘北はタイムアウトを取るも、勢いは変わらない。それどころかタイムアウト明け──陵南はゾーンプレスを仕掛けて勝負に出てきた。

「オールコート!? この時間帯で……!!」

 ゾーンプレスとはゾーンを敷きながらボールホルダーに一定のフォーメーションで積極果敢にボールを奪いに行きスティールを狙う攻撃的なディフェンスだ。しかもオールコートとなれば足を止めずに走り続けなければならず、終盤のこの時間帯で行うのは辛い。

 陵南は相当に練習を積んできたのだろう。仙道を見ても、ディフェンス面は去年よりかなり強化されているのだ。練習にきちんと行っているのかさえ怪しいあの仙道でそれだ。ディフェンスは地味な鍛錬を地道に積み重ねなければ絶対に進歩することはない。ということは、死ぬほどの練習をやり遂げたと言うことだ。

 ボールを守る宮城は仙道に取らされた4ファウルのせいで強気で突破しに行けない。

 宮城からパスを受け取った桜木のやけくそのオーバースローでバックボードにあたって跳ね返ったボールを奪った陵南は速攻を仕掛け──またも仙道が、今度は赤木のファウル覚悟のブロッキングを全身で受けてなおジャンプシュートを決めた。

 バスケットカウントを宣言する審判の声が響き、コートに倒れたまま仙道はガッツポーズをした。

 あたり負けしてなおシュートを決めるとは。もはや止める術はないのか──、と湘北陣営は戦慄したことだろう。

 だが、これが仙道だ。仙道彰のプレイなのだ。

 ──お願い、このまま……このまま勝って!

 しかし、手を組んで祈るようにつかさが見据えるも湘北とて初の全国出場がかかった試合だ。一筋縄ではいかない。

 仙道さえも認めた「天才」、初心者の桜木が驚くほどの働きを見せ、スコアは64対65。僅か1点差がなかなか埋まらない。

 もしもここで一本決められて3点差となれば致命的だ。なぜなら陵南には外がない。神や三井のようなスリーポイントを得意とするシューターがいないからだ。残り時間は1分を切っているのだ。もしも、ここを取られれば致命傷。

「死守だ! ここは守るぞ!!」

 しかし。勝負運やツキというものもあるのだろうか。陵南気迫の守りを見せるも──またも初心者・桜木のパスがアウトサイドにいたフリーの選手に通り、放たれたボールは綺麗な弧を描いて無情にもリングを貫いてしまった。

「──ッ……」

 ふ、とつかさは一瞬だけ膝の力が抜けたのを感じ、慌てて手すりを掴んだ。

「よ、4点差…………」

 残り、58秒。──3ゴール入れなければ、勝てない。

 カチ、カチ、と無意識に頭の中で秒針が回り始めた。陵南の攻撃。湘北も死にものぐるいだ。ボールを運びながら越野が仙道に目線を送った。仙道も、自分が決めにいくつもりだろう。パスを受けた仙道は果敢なドライブで流川を抜き去り、急にヘルプに入り込んできた赤木をもとっさのダッキングで抜き去って空中で桜木をかわして鋭いバックレイアップを決めた。

 だが、それでも──。2点差。残り38秒。湘北ボール。陵南は湘北からボールを奪わなければ勝ちはない。湘北は30秒目一杯使うつもりだ。陵南も走ったが、湘北も走り、パスを回し、30秒オーバータームのカウントダウンが始まった時にゴール下の赤木が魚住を抜いてシュート体勢を見せた。が、福田がヘルプに入る。手元が狂ったか、そのボールはリングを跳ね──。

「リバンッ!」

 最後のリバウンド勝負は──。そうだ。湘北には、リバウンドだけは神奈川トップとなるだろう桜木がいたのだ。

 

『アイツはいつか、スゲー選手になる』

 

 リバウンド! と叫んだつかさの脳裏に、なぜかいつかそう嬉しそうに言った仙道の声が過ぎった。その瞳に──桜木がボールを捉え、そのままリングにボールをたたき込んで鮮やかなプットバックダンクを決めた様子が映った。そして──。

 

「戻れー! センドーが狙ってくるぞーー!!」

 

 カチ、と脳裏の秒針は残り3秒を指した。点差は、4点。ボールを手に取った仙道は桜木の声にただ虚を突かれたような表情を浮かべた。

 

 非情にも館内に終了のブザーが鳴り響き……、湘北陣営は跳び上がって歓喜し、陵南の選手達はその場に崩れ落ちた。

 仙道は──微動だにしなかった。まるで昨日の試合終了時のように。悲しいのか、悔しいのかさえ微塵も見せることなく。

 

 

「表彰式だ、降りるぞ」

 

 それぞれの感情が渦巻いているコートを後目に、紳一は部員達に声をかけて席を立った。そして階段を上ろうとすると、つかさの姿が視界に映る。

「つかさ……」

 手すりを掴む手が震えている。懸命に崩れ落ちそうな身体を支えている状態だ。表情は白いまま──いまは何も映ってないに違いない。まだ目の前の仙道の敗北を受け入れられないのだろう。

「つかさちゃん……」

「つかささん……」

 神たちがどうしたのかと目線を送ったが、紳一は首を横に振るうと先に部員達を行かせてからつかさの隣に行き、そっとつかさの肩に手を置いた。ピクッ、とつかさの身体が撓る。

 

「アイツには、まだ来年がある」

 

 紳一の声が聞こえ──そして足音が遠ざかる気配がした。

 仙道はまだ二年生。来年、またチャンスはある──。だが──。

「……でも……。でも……!!」

 ふるふると拒否するようにつかさは首を振るった。雑踏が、やたら遠い。まだ何も実感がない。

 

「優勝──海南大附属高等学校。準優勝──県立湘北高等学校」

 

 ああ、今はその校名を聞きたくはない。と、つかさは視界に優勝カップを手にする紳一を遠く見ながら唇を噛みしめた。



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9話

 試合に負けた時って、どんな気持ちだったっけ……?

 あまり覚えてないな。だって、試合はいつだって勝ってきた。お兄ちゃんと、大ちゃんと、そして私と……。

 だから、私が覚えているのは、ただ、三年前の夏の──。

 

 

「大ちゃん…………」

 シンと静まりかえった館内で、白昼夢のように諸星の声がリフレインしてつかさは色なく呟いた。

 表彰式が終わってからどれくらいたっただろう? 時間の感覚が完全になくなっている。

 既に観客は自分を除いて全て帰ってしまった。ここにあるのはバスケットコートと、そして自分だけ。

 ふー、とつかさは息を吐いた。

 いつまでもここに居座っているわけにもいかないだろう。重い腰をあげて外に出ると、既に時計の針は15時を指していた。どうやら3時間近くあの場に居残っていたらしい。

 既視感を覚えるな、と思う。世界はいつもの日常で彩られていて、なにひとつ変わらないのに。自分の世界だけが180度変わってしまった──あの三年前の夏の日の──。

 人もまばらのJRに乗り、辻堂駅で降りる。歩いていると見えてきた海南の校舎を前につかさは足を止めた。

「…………」

 なんとなく、そのまま家に帰る気分になれずととぼとぼと校門をくぐって校庭に入ると、部活をしているらしき生徒達がまばらにいた。

 さすがにバスケ部は会場で解散だったのだろうか、と足をバスケ部が使っている体育館の方に向けると、やはり音は聞こえず。紳一ももう家に帰っているのだろうか、などと過ぎらせつつチラリと中をうかがった。

「あ……!」

 すると、中には散らばったボールを片づけている神がいて──思わず声を漏らすと神も気配に気付いたのかこちらを向いて、あ、と手を止めた。

「つかさちゃん」

「神くん……、一人……?」

「うん。今日は表彰式のあとに軽いミーティングと軽めの流しだけで終わっちゃったから、だいぶ前にみんな帰っちゃったんだ」

 オレもいまシュート練習終えたとこ、と神が続けてつかさはハッとして靴を脱ぎ、体育館にあがった。

「あ、片づけ手伝うよ」

「ありがとう」

 ニコッと神が微笑み、二人してボールを拾い集めていると神が学校になにか用事があったのかと訊いてきて、つかさは一瞬だけ口籠もる。

「なんとなく……。帰りたくなくて」

「え……?」

 すると神も動きをとめてなにか考え込むような仕草を見せた。

「陵南のこと?」

「え……?」

「いや、なんかつかさちゃん、ショック受けてたみたいだったから……」

 顔を上げると、神は穏やかながらもどこか複雑そうな表情を浮かべている。

「オレも、ちょっと残念なんだ。陵南には中学で一緒にバスケやってたヤツがいるから、一緒にインターハイいけてたら嬉しかったんだけど」

「あ……」

 言われてつかさは紳一から陵南の福田吉兆は神の同級生らしい、という話を思い出した。

「福田くん……」

「そうそう。表彰式のあとに声をかけたら、来年はオレの番だ、って言って行っちゃった」

 ははは、と神が軽く笑う。──神も、暗に仙道にはまたチャンスがある。と励ましてくれているのだろうか。

 だが、そういうことではないのだ。と考えそうな気持ちを押しとどめてどうにか抑え、一度キュッと唇を結んで切り替える。

「そうだ、神くんは今大会のベスト5で得点王だ。おめでとう」

「ありがとう。オレ、出場試合数も総合出場時間も少なかったから取れるとは思ってなくてちょっとびっくりしたよ」

 実際すぐ後ろは流川だし、と続けて神が笑う。

「流川は新人王にも選ばれちゃって、信長が悔しがってたなぁ」

「でも、流川くんの得点王ゲットは神くんが阻止した……。流川くんも悔しいかもね。だって、去年の仙道くんは新人王と得点王の二冠だったし。でも……」

 それでも。去年の仙道も全国へは行けなかった。

 飲み込んだ声は確かに事実で。今年もまた彼が全国へ行けないのも事実なのだ。とつかさは歯を食いしばった。

 

 

 仙道のことを、よくは知らない。

 コート上でも、コート外でも、彼はいつも穏やかでにこにこしていて、少しの苦しさも見せない。事実、彼はがむしゃらというよりのほほんとしている印象が強い。なにせ試合をしているか、釣りをしているかという姿しか見たことがないのだから。

 けれど、周囲は彼に異常と思えるほどのプレッシャーを常にかけ続けている。今回も、負けてさえ、仙道が主将となる来年はぜったい大丈夫。そんな声すら聞こえたほどだ。

 が、今までに加えて主将というプレッシャーまで加えるとは……。

 ひょっとしたら仙道は過度なプレッシャーなど何とも思っていないのかもしれない。けれども。でも──彼ほどの選手が、このまま神奈川で埋もれていってしまうかもしれない現実に焦燥を覚えるのも事実だ。だって、こうしている間にも彼のライバル達は死にものぐるいで鍛錬を積んでいるはずなのだから──とつかさはジョギング中の足を止めた。

 

「仙道くん……」

 

 週末の土曜、昼。おそらく、この時間は普通ならば部活中のはずだ。

 でも、どう声をかけたらいいのか──。

 防波堤で見つけた仙道の背中を横目で見つめて、つかさはそのままその場を走り去った。

 

 たぶん、大会終了後から毎日ああしているのだろうな──。

 

 と、感じつつ翌日の日曜の朝。出かけようとしていると、ちょうど紳一も出かけるために降りてきたらしく玄関で一緒になってつかさは声をかけた。

「お兄ちゃん、出かけるの? 部活は?」

「今日は自由参加にしてもらった」

「え……?」

「今日は愛知県大会の決勝だからな。一応、観にいっとこうと思ってな。お前も行くか?」

 ピク、と自然と身体が撓った。数秒だけ考えて、静かに首を横に振るう。

「いい。大ちゃんの活躍は……全国で見られるから」

 そのまま紳一に先立って玄関を出る。

 

 パタン、と閉じられた玄関のドアを紳一は靴ひもを結ぶ手を止めて見据えていた。

「あいつ……、まだ気にしてんのか」

 やれやれ、と思いつつ家を出て自分が愛知県大会を見に行くと聞きつけ強引に付いてきた清田と合流して藤沢駅へと向かう。

「なんでお前がついてくるんだ、清田」

「だって、その"愛知の星"ってポジション2番なんでしょー!? じゃあマッチアップはこの清田! 将来のライバルは見ておく必要が……」

 思わずため息が漏れるのを紳一は抑えきれなかった。もしもこの場につかさがいたら大激怒だったかもしれん。と思えばついてこなくて良かったのかもしれない。

「誰がライバルだ、誰が」

 しかし実際に愛和学院と全国であたったら誰が諸星をマークするのか? 清田では話にならん……などと考えていると、なぜか湘北の桜木とバッタリ会った紳一はそのまま桜木を拾い、引率気分で古巣の愛知へと向かった。

 

 愛知県予選決勝、愛和学院対名朋工業。既にどちらもインターハイ出場を決めているため、消化試合兼優勝決定戦だ。

 が──。

 

「巻き返すぞ!! オレたちは一位で全国へ行くんだ!!!」

 

 あまりに予想外の展開に、紳一は親友の叫びを聞きながら……しばし観客席に呆然と立ち尽くす結果となってしまった。

 

 

 その日の夕方に帰宅した紳一がリビングに入ると、やはり試合は気になっていたのだろう。待ちかねたようにソファに座っていたつかさが立ち上がってこちらに歩み寄ってきた。

「おかえりなさい。大ちゃんの試合、どうだった?」

 その瞳は「勝ったか否か」ではなく、諸星の勝利など大前提で「諸星がどう活躍していたか」を聞きたがっているものだ。ふ、と紳一は肩を落とす。

「愛和は準優勝でインターハイ出場だ。諸星のチームは名朋ってところに負けた」

 瞬間、つかさは瞬きをした。一瞬では理解できなかったのだろう。無理もない。まだ自分自身が信じられない思いなのだから。考えていると目を見張ったつかさがなお詰め寄ってくる。

「ま、負けたって、なんで!? 大ちゃんが負けたの? なんで……!?」

「諸星が負けたというか……。あいつは試合開始直後に怪我したらしくて、オレが会場についた時、ちょうどタンカで医務室に──」

「怪我!? ちょっと大丈夫なの!?」

「ああ、ラスト5分で──」

 説明しようとした紳一だったが、次の瞬間にはつかさはその場を離れて電話の方へ駆け寄っていた。そのまま無言でダイヤルしている。

「──あ、こんばんは。諸星さんのお宅ですか? 牧と申します。──はい、お久しぶりです! あの、大ちゃんは…………」

 速攻並みの速さだな、と紳一はいっそ関心しながらその様子を見守る。

「あ、大ちゃん!? 怪我したってホント? ──うん、うん。うん、ごめんなさい、ちょっと用事があって行けなくて……。そっか、良かった。うん、もちろん行くよ! うん、今年はぜったい、大ちゃんの愛和が日本一! あはは、うん、今年も海南に勝てるよ、きっと」

 ──おいおいおいおい。お前も海南じゃねえのか。追いつかない突っ込みを入れつつ見やっていると、受話器をおろしたつかさはホッと肩をおろしたあとに笑顔で振り返った。

「良かったー……。大事には至らなかったみたい」

 紳一は、コホン、と一つ咳払いをする。

「ま、そうみたいだな。実際、諸星は試合ラスト5分でコートに戻ってきた。そのあとのヤツは、まあ……凄かったぜ。一人で30点近く巻き返しやがった。特に復帰後一発目のドライブからのダブルクラッチは仙道の数倍以上のキレだったぜ」

 ヤツの十八番だしな、と言うと、ピクっとつかさの頬が撓る。

「それはちょっと違うと思う。仙道くんのダブルクラッチが凄いのは、仙道くんが逆手で打つからだから」

「…………。いや、まあ、そういえば……そう、だな」

 複雑だな、と思うもつかさの指摘自体は正解で、確かに仙道はより難しいことをわざわざやってのけているのだった、と思いつつなおも咳払いをして紳一は諸星のスタッツの詳細を話した。

 事実、怪我から復帰した諸星はたった5分間でダブルクラッチ、ダンクシュート、アシスト、スリーポイントと鬼のような数字を積み上げて猛追を見せていた。惜しくも逆転は叶わなかったものの、ラスト五分で、30点以上の点差が開いていてなお、巻き返せる、と折れないタフな精神力。実際に、やれるかもしれない、と思わせる圧倒的な活躍。諸星は紛れもない、"愛知の星"という二つ名にふさわしいスター選手だ。

「さすが大ちゃん……! シューティングガードの鑑……!!」

 脳裏にはっきりと諸星の活躍をイメージできたのだろう。つかさは久々に明るい顔を見せ、手を叩いて笑顔を見せている。

「冬のウィンターカップだとウチは三位決定戦で愛和に負けちゃったけど……今年は勝てそう? 手強いよ、大ちゃんは」

「分かってるさ」

 ふふ、とつかさが笑い、フ、と紳一も笑みを漏らす。

「お前はどっちに勝って欲しい?」

「んー……、分からないなぁ……。大ちゃんには勝ち上がって欲しいけど、もちろん海南に全国制覇してもらいたいし……」

 選べない、というのが正解だろう。愛知県は紳一にとっても故郷であるし、もしも海南以外でどこに勝ち上がって欲しいかといわれれば、諸星のいるチーム以外にない。

 考えていると、ねぇ、とつかさが呟いた。

「もし、私たち、3人だったら…………日本一になれるかな? 昔みたいに、お兄ちゃんがポイントガードで、大ちゃんがシューティングガードで、私が……」

 フォワードで、と最後は力なく呟いたつかさに紳一は眉を寄せる。

「そうだな。オレたちは……強かった」

「3人だったら……、仙道くんにも勝てるよね……? それとも、3人でも、やっぱり……仙道くんの方が…………」

 つかさの脳裏に浮かんだのは、小学生の頃の自分たちと、高校生の仙道だったのだろうか? 紳一は自然と眉を寄せていた。

 

 つかさ、お前は……本当に仙道が諸星を打ち負かすことを望んでいるのか?

 仙道は、お前とは違う。もしも仙道に自分自身を託しているのだとしたら──。

 もしも諸星の敗北を目にしたら──お前は…………。

 

 やはりまだ、吹っ切れていないのだろうか。あの、三年前の晩夏の──。

 髪を伸ばして、勉強という逃げ場を作っても、やはり──。

 

 『今日ってまだベスト16の試合でしょ? お兄ちゃん、いくの?』

 『おう。今年は陵南にいいルーキーが入ったって噂でな。偵察だ』

 

 少しだけ、紳一は一年前の夏につかさを陵南の試合へ連れて行ったことを悔いた。

 もしも仙道に出会っていなければ。つかさの、断ち切ったはずの過去の歪みが表へ出ることはなかったのかもしれないのだから──、と。

 

 

 インターハイ県予選終了から二週間──。

 陵南は魚住・池上ら三年生が引退をし、仙道をキャプテンに据えての新体制に移行していた。が──。

 ふ、と練習明けの帰り道、彦一はため息を吐いた。今日は土曜日。練習は午前だけの軽めのものだったが、肝心の新キャプテン・仙道はついに姿を現さなかった。

「仙道さん、どないしはったんやろ……」

 もともと時間にはルーズで練習もそれほど熱心とは言い難い仙道だったが、予選終了後、その頻度が増している。

 校門までの坂道をとぼとぼと歩いていると、なにやら校門前にキョロキョロと中をうかがうようにしてそわそわしている女性の姿が目に入り──「あれ?」と彦一は呟いた。

 自分よりも5センチほど高い長身──。セミロングの髪をワンサイドに寄せたヘアスタイル。何より──、"彼"を連想できない顔つき。

「牧さん? 牧さんの妹さんやおまへんか?」

 声をかけてみると、ハッとしたように彼女はこちらを向いた。

「あ……えっと……。バスケ部の人……?」

「はい。一年の相田彦一いいます。ウチになんか用ですか?」

「え……!? あ、その……」

「牧さん家って、ひょっとしたらこのあたりやったりします? あ、名前のほう教えてもらってもいいですか? 牧さんやとなんやお兄さんの方連想してしもて。あ、ワイもみんなから彦一呼ばれてますんで、気にせず呼んでください」

 ついいつもの調子でペラペラと話すと、眼前の彼女は若干退き気味だったが、ふ、と肩の力を抜いたように笑った。

「つかさ、です。牧つかさ」

「つかささん、と」

 海南大附属の牧紳一の妹さんの名前ゲットや。と密かに心の中のチェックノートにメモする。確か彼女は仙道と顔見知りのはずだ。──これはチェックごとが多い、と俄然彦一のチェック魂に火がついた。

「あ、もしかして仙道さんに用ですか!?」

「え──―!?」

「けど、今日は仙道さん来てはりませんでしたよ。新キャプテンやっちゅーのに、最近多いんですわ」

 つい漏らすと、え、とつかさは目を見開いた。

「新キャプテン? もしかして、魚住さんって引退したの?」

「はい。ワイも選抜まで残りはると思っとったんですけど……。なんや家庭の事情とかで」

「そっか……。仙道くんが、キャプテン……」

 つかさはどこか憂うような表情を浮かべた。その横顔を見つめて、「ほんま、似てへん」と彦一は改めて思う。どう見ても高校生には見えない迫力のある紳一と比べてしまい、兄妹と言われても信じる人の方が少ないだろう。

 少し憂うような表情を見せたあと、ね、とつかさは彦一の方に視線を流した。

「仙道くん、学校ではどう? 元気にしてる……?」

「え……? あ、ワイ、学年違いますから普段のことははっきりとは言えへんのですけど……。どうやろ、いつも通りやと思いますよ。それに、仙道さんも湘北の流川くん並とは言わへんけど、モテはるんですわ! ワイもクラスメイトからしょっちゅう手紙だのなんだの渡してくれー言うて頼まれて、ワイの姉ちゃんも仙道さんの大ファンやし。あ、姉ちゃんバスケ専門の記者してまして──」

 そこまで言って、彦一は苦笑いを浮かべるつかさに気付いてハッとした。

「すんません! 関係ないことペラペラと……ッ」

「ううん。監督は……仙道くんを無理やり引っ張っていかないの? 部活に」

「それが……、言うても無駄やーとか言わはってて……。それに監督自身、今年のインターハイ行きにかけてはりましたから、大会後からなんや元気ないっちゅーか……」

 自然、彦一の声色がかげりを帯びてくる。事実、監督の田岡は予選後は相当に気落ちをしていて覇気がない。大会前のような鬼のような練習は今のところ出来ていない。

 新生陵南として早めの再出発をすることが来年に繋がると分かってはいても──、まだ切り替えが上手くいっていないのだ。

「あ! けど、神奈川県民として海南の活躍はほんまに祈ってますんで! ワイたちの分も頑張って、全国で大暴れしてくださいって牧さんに伝えとってください!」

「ありがとう。……彦一くん」

「はい?」

「仙道くんに…………」

 そこまで言って、つかさは確かに唇を動かそうとしたあとに口を噤み、キュッと結んでから小さく首を振るった。

「ごめん、なんでもない。じゃ、私……そろそろ行くね。練習、頑張って」

「は、はい! ありがとうございます」

 そのままくるりと背を向けて小走りで坂を下っていったつかさの背を見送って彦一はハッとする。

「ぐあああしもたぁあ!! もっとチェックせなあかんこと山ほどあったっちゅーのに!!!」

 仙道とどんな関係なのか、とか、あわよくば海南のマル秘情報を聞き出す、とか。

 考えたところで、もはや後の祭りである。ハァ、と息を吐いて彦一はそのままトボトボと駅に向かって坂を降りていった。



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10話

 インターハイ開始を間近に控え、出場校も出そろって組み合わせがあがってくる。

 このトーナメントはまさに運頼みであるため、ツキがあるか否かは蓋を開けて見るまで分からない。

 

 紳一が持ち帰ったトーナメント表のコピーを見て、つかさは「う」と喉を引きつらせた。

「うわ、大ちゃん……イヤなブロックにいるね……。おめでとうお兄ちゃん、海南のベスト4以上は堅いよこれは」

「まァ、一概にそうとは言えんが……。諸星や湘北の連中に比べりゃ恵まれてはいるな」

 見やったトーナメント表──愛和学院のブロックには近年絶対的王者として君臨している山王工業がおり、愛和は勝ち上がれば早くも3回戦で山王とかち合うこととなる。ついでに湘北は一回戦を突破すれば二回戦でこの山王とあたることとなり愛和以上に厳しいと言えるだろう。

 逆に言えば、海南は準決勝で山王か愛和のどちらかと対戦ということで少しは楽である。

「ウチはシードだから……大会三日目が緒戦?」

「そういうことになるな。お前、三日目から来るのか? それとも愛和の緒戦から来るつもりか?」

「んー……。どうしよっかな……。湘北って緒戦勝てると思う?」

「何とも言えんな。一回戦相手の豊玉もベスト8の常連だからな……」

「んー……。二日目から行こうかな。愛和の試合見たいし、もし湘北が勝ち上がったら、山王対湘北、見たいから」

 既に夏休みに入り、インターハイ開始の8月1日まで一週間と迫っている。──予選終了からあっという間に3週間以上が過ぎてしまった。湘北も死ぬほど練習を積んで予選時以上に強くなっているはずだ。例え厳しいブロックに入った弊害ですぐに敗退してしまったとしても、インターハイを経験したという強みは一年生、二年生にとってこれからの部活動の中で必ず活きてくるだろう。

 ふ、とつかさは息を吐いた。そろそろ仙道へ向かう心配は焦燥から多少の苛立ちに変わっていた。のんびりしている暇などないはずなのに。

「お兄ちゃん、魚住さんが引退しちゃったの知ってる……?」

「らしいな」

「だから、仙道くんがキャプテンになったらしいんだけど……」

「…………」

「あんまり、部活に顔を出してないみたいなの……。ていうか……」

 頻繁に釣りしてるし。とは言えずに俯くと、紳一が何かを考え込む気配がして、ついでため息が漏れてきた。

「もうアイツのことは放っておけ。ここで腐って落ちぶれるようなら、お前の見込み違いだ。その程度のヤツだったってだけだろうが」

「──そッ……!」

 そんなことはない。と言い返しそうになった口をつかさは噤む。しかし紳一の言うとおりでもある。そうは思いたくはないが──でも。

 インターハイも、興味ないのかな。

 などと遠く意識の中で思って、ふ、とつかさも息を吐いた。

 

 8月に入り、いよいよ一週間に渡って開催される夏の祭典──インターハイが幕を開ける。

 朝一番に出かけていく紳一を見送って、つかさもまだ終えていなかったパッキングに取りかかった。

 今年のインターハイ会場は広島だ。1日目は開会式が行われ、2日目から試合が行われて最終日には決勝戦が行われる。

 願わくば、最終日まで広島に留まれますように。と祈りつつ、翌日、つかさも朝一で家を出て新横浜に向かった。

 愛和学院の緒戦は今日の第二試合。急がなければ間に合わない。

 新幹線の中で仮眠を取りつつ広島にたどり着くと、小走りで公共機関を乗り継いでどうにか試合開始20分前には会場にたどり着くことが出来た。

 良く晴れた蒸し暑い日だ。まだ一回戦。客入りもそう多くはないというのに既に熱気が籠もっている。

 油断しているわけではないが、今日の試合で愛和が負けることはないと言っていいだろう。単純に久々に諸星の姿を見るのを楽しみにしながら最前列の席を確保して座ると、ちょうど第一試合後のコート清掃や片づけが終わり、試合開始10分前となって両校の選手達がコートに姿を現した。

 

「いけえーー! 愛和がくいーーん!!!」

「諸星さあああん!!!」

「頼むぞ諸星ぃぃいいい!!」

「横玉工業ー! ファイトー!!」

 

 さすがに全国ベスト4常連の愛和学院。声援の量が違う。いっそ対戦相手──兵庫の横玉工業が哀れなほどだ。

 と思いつつ、諸星の姿を見つけてつかさもパッと笑う。

「大ちゃーーん!! 頑張ってーーー!!」

 すると、伸びをしていた諸星が顔をあげてこちらに視線を送り、お、と呟いて笑みを見せた。

「つかさッ!!」

 力強く手を振ってくれた諸星に手を振り替えしていると、不意にぞくっとどこからか視線を感じてつかさは身震いをした。

 

 なに、あれ……?

 誰……諸星さんのなんなの……?

 

 雑踏の中から、うっすらそんな声が聞こえてくる。つかさは諸星に笑みを向けたまま頬を引きつらせた。

 つかさにとっては物心ついた時からほぼ毎日、ほとんどの時間を一緒に過ごした幼なじみであるが……一応は「愛知の星」とまで呼ばれるスター選手である。身長にしても紳一より高く、顔も、まあ悪い方ではない。むしろ美形に分類されるレベルで整っていると言っていいだろう。とくれば、それなりに女性ファンが付くのも必然かもしれない。しかも、愛知からわざわざ応援に出向いてくるような熱心なファンが、だ。

 楓ちゃーん、とか流川くんに言っちゃったようなものだろうか……。と、諸星を流川に置き換えて想像して即座に凍り付いたつかさはますます頬を引きつらせた。

 

 

 「これより第二試合、愛知県代表・愛和学院対兵庫県代表・横玉工業の試合を開始します」

 

 ワッ、とティップオフに会場が沸く。ジャンプボールに競り勝って、まずは愛和の攻撃からだ。

 愛和の赤いユニフォームが諸星には良く似合う、とつかさは思った。

 諸星は、紳一とも仙道ともまったくタイプの違うチームの要だ。紳一はフィジカル面の強いパワーフォワード的な強さを持ったポイントガードであるが、仙道はポイントガードを兼ねられるクレバーなフォワード、そして諸星はドリブルの上手さと巧みなパス、何より中に積極果敢に切り込んでいけるスラッシャータイプである。しかもスリーポイントも得意としており、攻撃面では隙らしい隙はない。それより、なにより──。

 

「ほら、走れ走れッ!!」

 

 スティールからボールを奪った諸星は力強く仲間に呼びかけて絶妙なオーバースローアシストを決め、電光石火の速さで速攻を決めた。

 

「よーしナイッシュー! さぁ、もう一本行くぞッ!!」

 

 そう、何より紳一や仙道と違うのは、この「明るさ」だ。

 諸星と一緒にプレイしていると、本当にワクワクするのだ。彼は仙道と違って、カリスマのようなものはない。ただ、味方を「ぜったい一緒に頑張る!」という強い気持ちにさせてくれるのだ。それに、中学に入ってから諸星はシューティングガードとしてメキメキと実力を伸ばしていった。あの圧巻のオフェンス力を誇る諸星と一緒に走っていれば、きっと心強いだろうな、と汗を飛ばして楽しそうにプレイする諸星を見下ろしてなおつかさは笑った。

「大ちゃん……!」

 申し分ないキャプテンだ。「4番」の数字が眩しい。きっと愛和の選手達は楽しんでプレイしているに違いない。

 

 あっという間に試合終了のホイッスルが鳴り──スコアは103-58のダブルスコアで愛和は二回戦へと駒を進めた。

 

 そう、諸星は根明であり、どちらかといえば「騒がしい」部類に分類されるかもしれない。

 試合終了後、ベンチで汗を拭いつつ諸星はすぐ上の観客席を見上げて「よう!」とつかさへと声をかけてきた。

「牧は来てねーのか?」

 つかさは僅かに、ヒッ、とおののいた。視線が痛い。が、諸星はそんなことなどお構いなしである。

「海南はシードで今日は試合ナシだろ? オレの応援に来ねーとは、良い度胸じゃねえか! 練習でもしてんのか?」

「あ、お兄ちゃんは……。湘北の試合を見に行ったよ」

「湘北……?」

「二位通過の神奈川代表」

「ハァ!? ありえねぇ! オレよりそっち優先ってか!? あんの裏切り者がッ!!!」

 チッ、と地団駄を踏む諸星を見つつ──、もしこの彼に流川のようなファンクラブなるものが存在しているとしたら。世の女性は物好きなものだ。などと失礼なことも浮かべつつ、監督に「下がるぞ!」と促されてコートから引っ込んでいく愛和の選手達を見送って、苦笑いを浮かべながら肩を竦めた。

 

 一方の湘北も辛勝ながらも緒戦を勝ち抜き明日の二回戦へとコマを進めたらしく──つかさはコピーしてきたトーナメント表にマーキングをしながらホテルのベッドの上で「んー」と唸った。

「ウチは明日の一試合目、湘北は二試合目、しかも山王と、か……。愛和は第四、と」

 そういえば、去年の夏は準決勝で海南と山王があたって海南が負けたんだっけ……と思い返しつつペロリと舌を出す。強かったなー、と思いつつハッとして起きあがるとごそごそと荷物を漁って持ってきた参考書を取り出した。

「勉強、勉強、と……」

 あまり遊んでばかりもいられない。これでも期末もちゃんと主席で締めているのだ。湘北が山王相手にどこまでやれるかという興味はあるが、どちらが勝っても負けても──その次に勝つのは愛和だ……と過ぎらせつつ、つかさは気持ちを切り替えて参考書に集中した。

 

 翌日──。

 会場は朝っぱらから満員御礼。

「座れない……」

 しかも、どうやら去年の覇者である山王の試合を見に来たらしき観客が既に第一試合前からスタンドを埋めており、つかさは端の方に突っ立ってコートを見下ろした。

 若いチームである湘北は神奈川での予選から常にアウェイ感が付きまとっていたようだが、さすがに今日のアウェイぶりにはちょっと同情してしまう。が、いまは海南である。

 無意識に自分と同じ海南の制服を探したが、すぐに諦めて、トン、と壁に寄りかかった。過ぎゆく人々から先走り気味に二回戦を楽しみにしているらしき声が聞こえてきて少々ムッとしていると、10分前のコールと共に選手達がコートに姿を現した。つかさはパッと身を乗り出すとスッと息を吸い込む。

「かいなーん!!! 海南ファイトーー!! おにいちゃーん! 神くーん!!」

 周囲を跳ね返すように声をあげたおかげか、どうやらコートまで届いたようだ。パッと神が顔を上げてニコッと笑みを見せてくれた。が──。

 

「神奈川ナンバー1ルーキー・清田信長堂々のナショナルデビュー! カーッカッカッカッカ!」

 

 相変わらずだな、と清田が真っ先に会場の笑いを取っているのを見て肩を竦めつつも、薄く笑う。

 いよいよ海南も緒戦だ。ここから6日間、全国制覇まで突っ走るのみである。

 観客は既に海南の最強コンビ・牧&神のコンビネーションを知っている。だが紳一だって、神だって、さらに進化しているのだ。

 組み合わせにも恵まれたし、今年はいける──! と考えているうちにも海南は主力を下げ──それでもなおダブルスコアの104-49で快勝した。

 海南勝利に拍手していると、スタンドでは次の試合の応援準備のためか「流川命」と書かれた横断幕を大量の湘北生徒とおぼしき少女達が垂らしているのが目に入って、つかさは思わず「う」と呻いてしまった。

 遠目からでも分かる。全員が同じチアガールのようなユニフォームを身に纏い、異様な空間を作りだしている。

 中2の夏にやめてしまったとはいえ10年ほどのバスケ人生の中でも、これほど女生徒に人気のある選手は見たことがない。

「流川くん、ね……」

 ぼんやりと流川の姿を思い返していると、ちょうど反対側の端の踊り場付近に海南レギュラーの面々が姿を現した。

「あ……」

 次の試合の観戦のためだろう。紳一達も山王対湘北が気になるのだろうな、と思っていると後ろから「お」と見知った声に呼びかけられた。

「つかさ!」

「え……?」

「よう。海南の応援か? さすがに圧勝だったみたいだな」

「大ちゃん!」

 諸星。と愛和の選手たちだ。諸星はスタンドを見下ろして「ゲッ、やっぱ満席」と苦い顔をしている。こりゃ立って観戦だな、と言いながらキョロキョロしていた諸星は逆サイドを見やって「あ」とはじかれたような声をあげた。

「牧! なんだありゃ、海南も立ち見かよ!!」

 踊り場にいる紳一達に気付いたのだろう。とはいえ既に満員なのだから立って観戦するより他はない。

「諸星……」

「あ、監督。もう満員みたいで、ここで立ち見でもいいですか?」

 そばで愛和の監督らしき声がして諸星が答え、え、とつかさは瞬きをした。愛和はここで観戦するのか? と、海南の制服に身を包んでいることに居心地の悪さを感じつつ、無視を決め込むわけにもいかず取りあえず振り向いて愛和の監督にぺこりと頭をさげた。すると、目があった監督は少し目を見開いてつかさに探るような目を向けた。

「君は……」

「あ、オレのチームメイトです。昔の……」

「チームメイト……? …………あ! そうか、お前のいたチームでフォワードだった──」

 さすがに愛知県の、諸星の監督だ。でもあまり思い出されても嬉しくないな、とつかさが頬を引きつらせた瞬間に諸星が慌てて手を振った。

「あ、監督! それより、山王相手に今日のチームはどのくらい食らいつきますかね!」

「あ、ああ……そうだな。相手は一回戦で豊玉相手にかなり良い試合をしたようだ。そこそこに山王の力を引き出せるかもしれん」

 露骨に諸星が話題を変えたのが伝った。他でもない、諸星にとっても触れたくない過去なのだ──あの三年前の夏は──、と目線をそらしていると、なぁ、と諸星の声が振ってくる。

「お前、海南のとこ行かなくていいのか?」

 その声は、紳一と合流しろ、というものではなく単なる疑問だ。んー、と思わずつかさはスコアボードの「湘北」の文字をジトッと睨み付けるような目をした。

「お兄ちゃん達、たぶん湘北寄りだから。あっちアウェイになっちゃう。ここで大ちゃんと観る」

「アウェイ!? なんだお前、湘北って奴らとケンカでもしたんか?」

「違うけど……」

「つーか、海南と湘北って仲良いのか? 信じられんねぇ! オレたちゃ、もう一方の愛知代表とはめちゃくちゃ仲悪いぜ!」

 見上げると諸星は憎々しげな表情を浮かべていた。そういえば愛和は県大会では諸星負傷の上に二位通過という屈辱の結果だったのだ。まさか、あっちは本当にケンカでもしたんだろうか、などと考えているとついに二回戦の試合を行う両チームがコートに姿を現した。

 

「山王ーーー!!!!」

「キャー、沢北さーーーん!!!」

「深津ーー! 河田ーー!! 今年も頼むぞーー!!!」

 

 一斉にディフェンディングチャンピオンである山王工業一色の応援で会場が染まり、さすがの王者の人気ぶりに諸星もつかさも肩を竦めた。

「どっぷりアウェイだな。こりゃ湘北ってチームもやりにくいだろう」

「うーん……、でもタフな人たちだから……たぶん大丈夫……」

 秋田県代表・山王工業とは──インターハイの常連ではなく、インターハイ「優勝」の常連チームである。特にインターハイは3連覇中であり、去年・一昨年は無敗で総体・国体・選抜完全制覇しタイトル6連覇。今年のインターハイ制覇には4連覇とタイトル7連覇がかかっている。

 無敗伝説を作っている主力の3年生2人に加え、去年の最優秀選手に選ばれたエースは2年生であり──、近年の山王の中でも今年は史上最強と謳われるほどの布陣となっていた。

「どっちにしても、今日山王が勝って、オレたちも今日勝つとして、明日がな……」

「大丈夫、大ちゃんなら勝てるよ!」

 つかさは自信たっぷりに拳を握りしめ、諸星は少しだけ肩を竦めた。

 去年、インターハイの準決勝で海南は山王に負けた。愛和は愛和で反対ブロックの準決勝で敗退したために山王とは相まみえず──そのような組み合わせの妙がこれまで続いて、諸星はまだ一度も山王と対戦したことはない。

 もしも愛和が山王と対戦したら。必然的に自分がヤツとマッチアップする羽目になるだろう。と、諸星は山王の2年生エースである沢北栄治を見やった。彼のポジションは3番だが、そこは仕方がない。

 諸星はふと、去年のインターハイでの出来事を思い返した。

 沢北は去年、一年生にしていきなり全国MVPを取ったが、そんな沢北を目の当たりにしてもつかさは「大ちゃんなら勝てるよ!」と自信たっぷりに言ってくれた。そんなつかさだと言うのに、「大ちゃん以上の選手になる」人物を見つけた、とも言っていたのだ。

 神奈川でつかさが見つけたという選手。一体全体誰なんだそりゃ、と見やった先では湘北が予想外に健闘している。

「あれ誰だ? 沢北に付いてるヤツ」

「え……? ああ、流川くん。湘北の一年生」

「一年!? へえ、良い選手だな」

「……うーん……。うん、まあ、そうかな」

 つかさは言葉を濁し、諸星は肩を竦めた。

 見た感じ、流川という選手と山王の沢北は沢北の方が一枚どころか数枚上手だが、選手のタイプとしては同じに見える。ポジションも同じであるし、もろに「つかさの嫌いなタイプ」なんだな、と分かるプレイヤーだ。そもそも自分がフォワードだったせいか、フォワードに異様に厳しいつかさである。

 もしもその「大ちゃん以上」とやらのポジションがフォワードなら偉いことだぞ、と諸星は眉を寄せた。

 しかしながら湘北は2番にも良い選手がいるし、けっこう強い。ていうか強い。これは、山王が有利とは言え、どっちがあがってきても不味いんじゃないか、と二転三転する試合展開を見据えながら諸星は頬を引きつらせた。

 後半に入り、前半ではあまり実力を見せていなかった沢北のエンジンがいよいよかかってきて──山王はいよいよ湘北を突き放しにかかった。点差が開き始め、高校生離れした沢北のプレイを何度も目の当たりにして諸星が唸っていると、隣にいた監督が「勝負あった」と呟いた。

「エースの差だ。スーパーエース沢北を倒せるのは、諸星! お前しかいない!」

 すると沢北の3枚ブロックをするりとかわしたスーパーシュートに「わー、巧いね」と呑気に言っていたつかさも振り返って拳を握りしめる。

「うん、大ちゃんなら沢北くんにだって負けないよ!」

 諸星は口元を強ばらせた。

 なぜこうも自信満々なのか。──こっちは、そんな自信は、はっきりいってないぞ。などと、言えるわけないか、と諸星は肩を竦めた。

 とはいえ、実際──試合で負けた経験はあっても、「マッチアップ」で負けたことは今のところない。幸か不幸か、沢北とは戦ったこともないし。自分がはっきり「敵わない」と思った相手は、つかさ以外にはいない。──と諸星は遠い過去を思い浮かべて拳を握りしめた。

 3年前の夏に誓った。これから先、何があっても負けられない、と。例えそれが最強山王のエースであっても、と見やる先で湘北の11番も徐々に調子をあげてきており、「おいおい」と諸星は唸った。

「やっぱ、あの流川ってのもうめえぞ! 沢北に食らいついてやがる」

「流川くん、いつもあんな感じだし……、沢北くんが巧いから負けたくないんだと思う」

「って言ってもな……!」

 沢北はともかくも、流川は神奈川県予選でつかさの言う「自分以上」の相手とマッチアップしているはずだ。というか、いったいそいつは誰なんだ? 眼前の流川でさえ実際に自分がマッチアップしたら相当に手こずりそうだと言うのに。

「で、あの流川ってヤツじゃねえよな? 二年なんだろ、お前がオレ以上とかぶっこいていたヤツは。どこにいんだ?」

 チラリとつかさに目線を送ると、「え」とつかさの身体が撓った。

「あ……その。それが…………」

 そうしてつかさの目線が下がってくる。どうやら県予選を突破できなかったらしい。

 今年もダメだった、と消え入るような声で言ってから、つかさはキと顔を上げた。

「でも! ホントに凄い選手だから!」

 言った瞬間、コートに鈍い音が響いた。と同時に審判が笛を鳴らし、レフェリータイムが告げられる。

「さ……桜木くんッ!?」

 コートを見やったつかさが口元を押さえた。

 湘北の選手が来賓席に突っ込んで背中を強打したらしい。

 その後は、みなコートに釘付けになっていた。怪我をした桜木という選手が明らかに怪我を押してプレイを続け──両校死にものぐるいの攻防が続いた。

 諸星の耳に、遠くで海南勢が湘北に必死の声援を送っている声が届いた。だが中立にいる自分は、ただただ目の前の光景をまるでドキュメンタリーのようにして見ていた。

 勝負に、絶対はない。

 それを証明するかのような湘北のプレイ、そして山王のプレイだった。

 

 負傷した桜木が試合終了とほぼ同時に逆転のジャンプシュートを放ち──、試合は劇的な湘北の逆転劇によって山王不敗伝説に終止符が打たれた。

 

 まるで「奇跡」のようだった──。

 両チームがコートから去っても、館内は奇妙な空気に包まれていた。

 それもそのはずだ。みなが、"奇跡"の目撃者となったのだから。だが──。圧倒されていてはいけない。と、ハッとしたのはつかさだ。これもまたトーナメントの1ステップに過ぎないのだ。彼らのファイトに惜しみない賞賛を送って、そして次だ。

「大ちゃん!」

「──うおッ!?」

 まだ惚けていたらしき諸星を下からのぞき込むと、ハッとしたのか諸星は半歩後ろに後ずさった。

「次は大ちゃんの番ね」

「──は?」

「第四試合!」

「あ、ああ」

「勝って、そして明日は湘北にも勝ってね!」

 バシッと両腕で諸星の両腕を叩くと、諸星は一瞬だけ目を見開いたあとに、力強い笑みを見せた。

「ああ、当然だ! そして準決勝でも海南に勝ってやるぜ!」

「──ん!」

「お前、愛和を応援しろよ?」

「さあ、どうしよっかな。──じゃ、またあとでね!」

 そうして笑みで手を振ると、つかさは通路を走る。端の方にまだ突っ立っている海南の所へ向かうためだ。

「おにいちゃーん!」

 声をかけると、全員がハッとしたように揃って瞬きをしてこちらを向いた。

「お、おう。……いたのか、お前」

「いたよ。海南の試合、観てたじゃない。今の試合も、愛和と観てた」

「諸星と……?」

「うん。ねぇ……、桜木くん、大丈夫かな……」

 言うと、ハッとしたように紳一は再び無人となったコートを見下ろした。

「さぁな。相当に無理してたみたいだったからな……。大事に至ってなきゃいいが……」

 すると、呼応するように神が感心したような目線をコートに向けた。

「凄いことをやってのけたよね、湘北は」

「ま、アイツらにしちゃ上出来だな。ていうかオレ、それより腹減りました」

 ──さすが海南。動じてない。杞憂だったかな、と思いつつ誰ともなく「メシだメシ」と言って歩き出し、つかさもそれに続いた。

 

 

「ビッグニュースや、ビッグニューーース!!!」

 

 その頃の神奈川・陵南は──、湘北対山王の試合結果を会場に見に行っているスポーツ記者の姉からいち早く聞き出した彦一が陵南校舎を全速力で駆けていた。

 ちょうど部活は昼食休憩に入っており、メンバーは学食か各自体育館のそばにいるか、そんなところだ。

「なんだ彦一、ウルセーぞ!」

 大声を張り上げながら駆けてきた彦一に、グラウンド側の石段に腰掛けて弁当を手にしていた越野が不機嫌にしかりつける。それでも彦一は興奮覚めやらぬ顔で強く拳を握りしめた。

「ビッグニュースなんですて!! 湘北が、インターハイ二回戦で、あの山王工業に勝ったそうです!!!」

「なッ──!」

 越野のみならず、そばにいた植草、そして少し離れた木陰に座っていた福田もこれ以上ないほどに瞠目し、固まった。

「ほ、ホントか彦一!?」

「はい、いま姉ちゃんに連絡取って結果聞きまして……。最後は桜木さんのブザービーターでひっくり返して一点差だったそうです!」

「さッ、桜木が……ッ!?」

 ザワッ、とあたりがどよめく中、彦一はもどかしそうにキョロキョロとあたりを見渡した。

「ああ、もう、仙道さんはどこ行きはったんや! 流川くんも桜木さんも、すごい活躍したっちゅーのに!」

 興奮覚めやらぬまま彦一はなお駆けた。自分たちも、今度はきっと──。仙道にもそう感じて欲しいのに。陵南の誇る天才は、いま一歩、こっちに歩み寄ってくれない。ような気がする。そのことがもどかしくて彦一は真っ青な空を見上げてグッと拳を握りしめた。



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11話

 フォワードは、エースのポジション。

 少なくとも自分はそう思っていた。オフェンスも、ディフェンスも、インサイドもアウトサイドも何でも出来るスーパースター。

 もしもチーム内にエース格が複数いれば、さながらエースフォワードはエースの中のエース。エース・オブ・エースだ。

 

『大ちゃん……!』

 

 瞳を閉じれば、瞼の裏に浮かぶつかさの姿はいつだって頼もしい後ろ姿だ。ガードの自分と紳一は、いつもその姿を見ていた。まるでヒーローのように、頼もしく見ていたのだ。

 背が高くて、速くて、強くて、格好いい。自分の中にある一番古い記憶から今まで、つかさは自分の中ではそういう存在だ。今も、それは何一つ変わっていない。

 

『大ちゃん! 神奈川には、すごい選手がいるよ!』

『いまに大ちゃん以上の選手になると思う! 来年のインターハイが楽しみ』

 

 一年前、二年ぶりに再会したつかさは興奮気味に神奈川県予選でのことを話していた。

 生まれたときから──と言ってしまっても過言ではないほど遠い昔から、いつも一緒だった。自分と、紳一と、つかさと。どれほどの時間を共に体育館で、近所の公園で、バスケットボールと共に過ごしてきただろう?

 三人一緒にプレイをすることが叶わないと知った中学の頃。追い打ちをかけるように、互角以上だった実力差は男と女という性差の中で簡単にひっくり返って無情なほどに開き始めた。だから──。

 

『もう、諦めてくれ──』

 

 ああ言うしかなかった。──と、過ぎった古傷に顔を顰めていると、ふいに自分を呼ぶ声に諸星はパッと顔を上げた。

「どうした? 腹でも痛いのか?」

 同じ部屋のチームメイトだ。ハッとして否定すると、諸星は「少し外に出てくる」とホテルの外に出て、夜空を見上げた。

 今日の試合も快勝し、明日は3回戦──湘北高校とだ。

 

『で、あの流川ってヤツじゃねえよな? 二年なんだろ、お前がオレ以上とかぶっこいていたヤツは』

『え、あ……その。それが…………』

 

 一年前につかさが目を付けたらしい神奈川の選手は、予選を突破できず終いだったらしい。深くは追求しなかったが──、予選を突破できなかったとはいえ、よほどの選手ではあるのだろう。

 なにせつかさがあれほどまでに推すのだから、と諸星はなお満点の空を見上げた。

 中学卒業後、自分は愛和学院へと進学を決めたが、当然一緒に進学すると疑っていなかった紳一は神奈川への進学を決めてずいぶんとケンカをしたものだ。──親の転勤に合わせたとは、一報を聞いたときは知らなかったからだ。

 それでもつかさは愛知に残ると思っていたが──彼女は実の両親の元へ帰ると中二の終わりに日本を離れてしまった。

 ──オレを避けたのだ。と本能的に思った。見当違いかもしれない。けれど、少なくともあのときはそう感じた。

 もう二度と、下手すると会うことすら叶わないかもしれないと思いつつ──、二年後の夏にインターハイで会ったつかさは決して伸ばそうとしなかった髪を伸ばして、見た目だけは180度「女」になっていた。それでも、何も変わらず、何事もなかったように「大ちゃん!」と呼びかけてくれたことにずいぶんと安堵したものだ。しかし──。

 

『大ちゃん! 神奈川には、すごい選手がいるよ!』

『いまに大ちゃん以上の選手になると思う! 来年のインターハイが楽しみ』

 

 今まで何があっても、従兄である紳一以上に自分のことを買ってくれていたつかさが──あの沢北栄治を前にしても、「大ちゃんが一番」だと言ってくれるつかさが、自分以上の選手を見つけた、と言った。

 おそらくその選手が──再び彼女の目をバスケットに向けさせたのだろう。

 それはおそらく、つかさが──と考え込んでグッと諸星は天へと声をあげた。

 

「くっそー!! 湘北でもなんでもかかってきやがれッてんだ!! ぜってー負けねえッ!!!」

 

 

 そんな諸星の雄叫びなど誰も知るよしもなく──翌日。

 第一試合の愛和対湘北戦を観戦するために海南レギュラーの面々とつかさは観客席の最前列のもっとも良い場所を早々に確保した。海南は今日は最終の第4試合である。

「湘北と愛和……。地力では圧倒的に愛和。だけど山王も破ってしまった湘北だけに……。どうなるか分かりませんね、牧さん」

「まァ、そうだな」

「な、何言ってるんですか神さん! そうそう奇跡なんて続かないっすよ、ありえない!」

 そうして10分前となり、両校の選手達が入場してくる。

 

「湘北ーーー!!! またいっちょ奇跡を期待してるぜーー!」

「愛和ーー!! ポッと出に負けんじゃねえぞー!」

 

 諸星は入って来るなりぐるりと観客席を見渡して、めざとく海南の──紳一とつかさの姿を見つけるとグッと親指を立て、歯を見せ笑顔を向けてきた。

「何やってんだアイツは……」

「大ちゃん! 頑張って!!」

 腕組みをしていた紳一が苦笑いを漏らし、つかさは声援で応える。

 しかし──、と紳一はチラリと湘北サイドへ目線を移しながら重い息を吐いた。

「湘北は昨日の山王戦であれだけの働きを見せたんだ。疲労もピークに来ているだろう。愛和有利、だな……」

 その声に、ピク、と隣に座っていたつかさの手が反応する。そして、チラリと横目で紳一を見やった。

「陵南だって、海南戦・湘北戦と連戦だったよ」

「──ッ!」

 つかさは自分の声に湘北への同情心を感じ取ったのだろう、と紳一は唇をへの字に曲げた。

 ──山王戦で、海南はやはり同じ神奈川の湘北を一心不乱に応援していた。つかさはのちに「そうだと思った」と言っており、それを見越して諸星と共に観戦していた、ということだ。しかし今日の湘北の対戦相手は愛和学院。つかさの気持ちは100%愛和にあるだろう。──むろん紳一とて湘北に感じる親近感は諸星に勝るほどのものではない。

「桜木は……。やっぱ出られないか……」

「大ちゃんのマッチアップは三井さんか流川くんだろうけど……。二人とも体力ないから、大ちゃんにだいぶ有利かな」

 どこか覇気のない顔つきの湘北陣営と気合い漲る愛和陣営を見ていると、ティップオフの時間がやってきた。

 

「流川! 三井ッ! 諸星に付けぇ、止めろ!!」

 

 しかし──、試合開始直後から湘北はいっそ面白いほどに諸星を止められず、キャプテンの赤木からは流川・三井のダブルチームでディフェンスにあたる指示が飛んでいた。

「うおお、ダブルクラッチ! さすが愛知の星!」

 ゴール下で三枚のブロックをかわして十八番のダブルクラッチからのレイアップを決めた諸星に観客が沸き、清田も感心しきりに目を丸めた。

 

「昨日の勢いはどうしたッ、一年坊主!」

「──ッ」

 

 当の諸星も──警戒していた流川の足があまり付いてこれていないことに拍子抜けしつつも、手を緩めることはない。

 ドライブやスリーポイントは流川や三井の専売特許ではないことを見せつけるかのように得点を重ね、館内をどよめかせた。

 

「すげえ、さすが愛知の星ッ──!!」

「諸星、止まらねぇ!!」

 

 初心者、とはいえムードメーカーかつリバウンダーの桜木が抜けた穴は予想以上に大きかったのか、「王者・山王を倒した」という達成感と疲労で新たな戦いに臨む気力を持てなかったのか──。

 愛和は湘北相手にトリプルスコアに迫る大勝で4回戦へとコマを進めた。

 

 

 ──そして、大会5日目。

 

 おそらくは、愛和・海南にとって最大の山場となるだろう準決勝の朝を迎えた。

 ベスト4常連の2校は今年も危なげなく順当にトーナメントを勝ち上がり、準決勝で雌雄を決する事となった。

 互いに「4」の背番号を背負ってコートに立った紳一と諸星は、互いに笑みを向け合う。

「最後のインターハイだ。できればお前とは決勝で戦いたかったんだけどな」

「そうだな。──だが、勝つのはオレたち海南だ。ここはもらうぞ、諸星」

「良い度胸じゃねえか! っていうかズリーんだよ、なんでつかさは海南サイドにいるんだよ! アイツの地元は、つかお前も愛知人だろうが! 裏切り者ッ!」

 かと思えば地団駄を踏みだして観客席と紳一の顔を交互に見やる諸星に、紳一は頬を引きつらせた。

「いや、まあ……つかさは特にどっちの味方でもないと思うぜ」

「──まあいい。勝って日本一になるのはオレたち愛和だ。覚悟しろよ、牧!」

 張り合うキャプテン達を若干引き気味に両チームの選手達が見守り、準決勝──開始。

 

「お兄ちゃん! 大ちゃん! 頑張って!!」

 

 事実、紳一の言うとおり──愛和と海南の対戦に限ってはつかさにあまり敵味方の意識はなかった。

 心情的には海南であったものの──、あの二人にとって最後の夏、最後の戦いとなるこの試合。まさにどっちが勝っても恨みっこナシだ。

 紳一が得意のペネトレイトからインサイドに切り込めば、すかさず諸星がすかさず外から返す。海南の神の規格外のロングシュートが決まり出せば、愛和はディフェンスを外に広げて諸星が積極果敢な攻めでインサイドを切り崩す。

 

「どっちも負けてねぇぜ!!」

「さすがかつてのゴールデンコンビ! 牧と諸星!」

「今日はどっちだ!?」

「選抜のお返しだ、海南! 勝てよッ!!」

「今回ももらえ、愛和ッ!!」

 

 次第に観客も選手達に乗せられるように白熱し、試合時間残り30秒。

 

「次世代ナンバー1シューティングガードはこのオレだあああ!!!」

 

 諸星のロングレンジを驚異のジャンプ力で清田が弾いてスコアは70対68、愛和2点ビハインド。リバウンドを制した海南がそのままボールをキープして試合終了のブザーが鳴った。

 ワッと海南応援陣が踊り出す。──海南はこの勝利でこれまでのベスト4の壁を破って決勝戦へとコマを進めることが決まった。

「くそ……ッ。仕方ねぇ、全国制覇はお前に譲ってやる」

「──ああ」

 そうして整列して握手を交わす両キャプテンに、観客席からは惜しみない拍手が贈られた。

 

 しかし──残念ながら海南は翌日の決勝で惜敗し、今年の大会は準優勝に留まった。

 それでも全国での成績を去年より一つあげたことと、海南からは神が全国でも得点王に選出されるという快挙を得て堂々の帰還と相成り──今年の夏は幕を下ろした。

 

 

 ──インターハイが終わり。夏休み。

 どれほど海南の練習が厳しくとも、最大の山場であるインターハイ終了後は直前ほどのタイトさではない。加えて海南は大学付属であるため、バスケットを続けるにしろやめるにしろ最低限の進学路は確保できているため選抜まで残る三年生も主力外問わず多い。

「出かけるのか……?」

 インターハイ終了後はバスケットの練習と趣味のサーフィンに明け暮れてもはや日本人とは思えぬほどの褐色の肌をした紳一が、制服を着込んで出かける用意をしていたつかさに声をかけた。

「うん、学校」

「課外か?」

「ううん。約束してるの、神くんと」

「神と……?」

「うん。夏休みの宿題、一緒にやろうって。そのあと神くんの自主練に付き合うつもり」

「そ、そうか! 神は真面目なやつだからな。いいと思うぞ」

「……なにが……?」

 どこか嬉しげな表情をする紳一の意図が分からず首を捻ると、いってきます、とつかさは家をあとにした。

 朝から日差しが眩しい。今日の湘南も、観光客で大にぎわいだろう。

 

 神は、元来の真面目な性格が幸いしてかあれだけの練習量をこなしているというのに成績も良く、つかさはある種の尊敬の念を神に抱いていた。

 初のインターハイで準優勝を決め、全国得点王に選ばれてもなお日々努力し続ける神。

「オレは、パワーが足りないから。フォワードなんだし、当たり負けしない筋力付けるのが今の課題かな」

 自分の足りない部分もよく理解していて、確実に一つ一つクリアしていこうとする神を間近で見て──時おり出るのはため息だ。

 

 ──仙道くん……。

 

 いくら天才でも、置いて行かれちゃうよ。──と、意識の奥で呼びかける。

 のらりくらり、というのが仙道のペースなのかもしれないが……。だけど、もう、あのインターハイ予選のような仙道の敗北は見たくはない。

 

 ほっとけ、と言われても。

 今年のインターハイのこととか、そもそも練習ちゃんと行け、とか。言いたいことは山のようにあるのに──と。

 二学期が始まった、その週の午後。いつもは図書館に籠もっての勉強を返上して海岸線を歩いていると、漁港付近に見慣れたツンツン頭が見えた。

「…………ッ」

 相変わらず。何をやっているんだ。いまは部活の時間ではないのか。と、その大きな背中をじろりと睨んだ。──もうインターハイ予選終了から二ヶ月が経っている。感傷に浸る時間はとうに過ぎたはずだ。

「せ……ッ」

 呼びかけようと思って一瞬口を噤み、数秒逡巡したのちに意を決してつかさはその背中に近づいた。

「仙道くん」

「ん……?」

 呼ばれて、その人物──仙道が振り返った。あ、と意外そうに瞳を瞬かせている。

「なんだ、つかさちゃんか……。ひさしぶり」

「な、なんだ、ってなによ、なんだって……」

「いや、彦一あたりが呼びに来たのかと思って」

 ははは、と相変わらず呑気の笑う仙道に今までため込んでいた苛立ちがこめかみに青筋を立たせ、つかさはツカツカと仙道に歩み寄ると彼の握っていた釣り竿をパッと奪い取った。

「あ……ッ」

「もう! なにやってるのよ仙道くん! 部活は!? いま練習中じゃないの!? それとも釣り部に転部でもした!?」

 勢いのまま大声をあげると、その迫力に押されたように仙道は口を噤む。が、瞳はつかさを見上げて、ふ、と柔らかく微笑んだ。

「な、なに……?」

「真面目だなァ、つかさちゃんは」

「は、はぁッ!? な、なによバカにしてるの?」

「いや、そうじゃねえけど……」

 仙道はそのまま、つかさから釣り竿を取り返そうとはせずにすっと海の方を向いてしばし黙った。そうしてつかさが興奮をどうにか静めた頃、ふと思い出したように口を開く。

「ごめん……」

「え……?」

「カッコ悪かったよな……。せっかくつかさちゃんに、勝て、って言ってもらったのに、負けちゃってさ」

 つ、とつかさは息を詰まらせた。なお微笑んでいる仙道の横顔は、ほんの僅かだが寂しげで──、一気に罪悪感に苛まれてしまう。が──。

「だったら、もっと練習、頑張ってよ……! このままだったら、来年もダメかもしれないじゃない。そんなのイヤだ。私は初めて見たときから、仙道くんを大ちゃん以上だって思っ──ッ」

 釣り竿を握りしめて罪悪感を跳ね返すように吐露した言葉に自分自身ハッとしてつかさは口を噤んだ。

 こちらの方へ顔を向けた仙道がきょとんとしている。

「"大ちゃん"……?」

 しまった、とつかさは冷や汗を流しつつ、ええっと、と口籠もりながら釣り竿を仙道へと差し出して手渡す。

「ごめん、なんでもない。じゃあ、私行くから、練習頑張って」

「あ……。待った待った!」

 そしてくるりと仙道に背を向けて歩き出そうとしたものの、不意に仙道の長い手に腕を捕まれて阻止されてしまう。

「え……?」

「誰? その大ちゃんっての」

「──ッ」

「前もその名前言ってた気がするんだけど……。つかさちゃんの何?」

 訝しがるような瞳だ。当然だ。が、笑っていない仙道は珍しくて、少し萎縮してしまう。しかも、仙道を諸星以上だと思っていることは非常に個人的な事であり、直接彼には関係ないのだ。

「は、話せば……長くなるから……」

「いいよ、時間あるんだし」

「こ、個人的なことだし……。その、つまらないと思う、し」

「いいよ」

「だから……!」

「知りたい、つかさちゃんのことなら、なおさら」

 そこで仙道は、ふ、と笑みを見せてゆっくりつかさから手を離した。

 そこまで言うなら、とつかさも肩を落として仙道に向き直る。

「愛知の……愛和学院の諸星大って選手を知ってる?」

「諸星……? はて……、愛和は知ってるけど……」

 強豪だよな、と仙道は考え込むような仕草を見せ、つかさは苦笑いを漏らした。仙道らしい。高校でバスケットをしていて、諸星を知らない選手などそうはいないというのに。

 

「諸星大……、大ちゃんと、私と、お兄ちゃんは、愛知で、小さい頃……幼稚園くらいだったかな……その頃から一緒にずっとバスケットをしてたの。小学校にあがったら同じミニバスチームで……」

 

 初めて会った日は、もう忘れてしまった。家の近所の公園にバスケットゴールがあって、大きすぎるボールを持って、高すぎるゴールの下で毎日、毎日、気が遠くなるような時間を一緒に過ごした──、と話し始めたつかさを仙道は黙って見上げた。

「私、ね。フォワードだったの。お兄ちゃんがポイントガードで大ちゃんがシューティングガード。あの頃、私の方が二人より背が高くて、力もあったし、足も速くて……」

 つかさはどこか遠い目をして、ともすれば泣きそうな顔で、子供の頃には自分がなんの疑いもなくフォワードをこなせていたことを語った。当然のように二人と同じ中学に進むも、ミニバスと違って中学のバスケットは男女混合ではなかったこと、女子バスケ部がなかったこと、そもそも二人のチーム以外でバスケットをする自分が想像できなかったこと。そして──日を追うごとに紳一や諸星と対等に走れなくなっていったこと。

「大ちゃんってね、本当にすごい選手なの。ドリブルも、シュートも、リバウンドだってなんだって上手くて、でもね、昔は一度だって負けたことがなかった。お兄ちゃんと大ちゃんの二人相手にだって、負けなかったのに……。中学に入ったら、大ちゃんはもっともっと上手くなっていった……背も、追い越されちゃったし、腕相撲やっても敵わなくなって…………」

 ずっと三人で並んで走りたい。負けたくない、という思いで猛練習を積み、二人の部活時間外は相変わらず近所の公園で気の遠くなるほどバスケばかりやって、それでも勝てなかった、と目を伏せたつかさは僅かに辛そうな笑みを浮かべる。

「私、男の子に生まれたかったなぁ。もし、願い事が一つ叶うなら絶対に男の子にしてもらう。そうしたら、大ちゃんに負けないのにな……なんて」

「え!? ちょ、ちょっと待った、"つかさ君"はちょっとオレが困るって……。男と男はちょっとナシだろ」

 驚いた仙道はかなり本気でそう言ってみると、やはりつかさは心底イヤそうな顔を瞬時に浮かべた。

「じゃ……じゃあ、仙道くんが女の子になったら? 仙道くんが女だったらますます"つかさ君"は敵ナシだしね、むしろ大歓迎」

「え……。じゃあ、つかさ君はオレが彰ちゃんだったら、好きになってくれる?」

「えッ──!?」

 言えば、つかさは一瞬固まって、マジマジとこちらの顔を見据えた。おそらく真剣に考え込んでいるのだろう。真面目だなぁ、と見やっていると、うーん、と唸って気まずそうに口を開く。

「それはちょっと……ごめんなさい……」

 真剣に考えた上での答えがそれとは、女の自分はいったいどんなイメージだったのだろう? けっこうショックだな、と苦笑いを浮かべていると、彼女も肩を竦めてから無理矢理のような笑みを浮かべた。

「とにかく、そんなわけで……バスケットはきっぱりやめちゃった」

 そのつかさの笑みを見て、仙道は少し目を伏せる。

 ──ウソだな、と悟ったからだ。

 おそらくそれ以上は言いたくないことだったのだろう。つかさはなお、少し肩を竦めて笑った。

「だから、私にとっては大ちゃんが最高の選手だったんだけど……。一年前の夏に仙道くんをインターハイの予選で見たときに、神奈川にはこんないい選手がいたんだな、ってびっくりしちゃった」

「はは……。まいったな……」

 肝心な部分を煙に巻かれてしまった、と仙道は自身の首元に手をやる。少し、日が傾いてきた。

 

 だから──、とつかさは拳を握った。

 

 諸星に勝てないまま、やめてしまったバスケット。

 そのままバスケットのことは忘れられずに、それでもバスケットから離れて、日本からも離れて──。そして宙ぶらりんのまま、頭のどこかで、自分に勝った諸星は日本一の選手だったのだと思いたかった。事実、彼の才能はそうなれる素質を持っているし、彼の良さも誰よりも知っているつもりだ。

 けれど、もしも、その諸星を上回るような選手がいたら──などと想像すらしていない時に、突然、仙道に出会った。

 ああ、自分はこんな選手になりたかったのだと──そう感じた。

 だから釣りばかりしている彼がもどかしいのだ。もし自分が仙道だったら、神にさえ負けないほどの努力をしてすぐにでも日本一を取っているはずだ。なのになぜ、彼はああものほほんとしているのだろう?

 もどかしくて。もどかしくて。でも。天才だから、みんなに頼られて、天才だから、何とかして当たり前だと思われて。彼もいつもその期待に応えようとして──いつも叶わなくて。

 今度はそれにキャプテンという重責まで加えられた彼に、頑張れ、なんて言うのは酷なことなのだろうか?

 どれほど才能があっても、どれほど頑張っても、どうにも出来ないことがあると知っているのに──とつかさの目線は次第に降りてきて目を伏せてしまった。

 仙道は一度だって「つらい」などと言ったことはない。そんな態度の彼を見たこともない。けれども陵南というチームで今にも緊張の糸が切れそうだった彼を、自分は知っている──と考えると少し苦しくなってきてしまった。

 目頭がちょっとだけ熱い──、と無意識に顔をあげた瞬間。つかさはこれ以上ないほどに瞠目した。

 

「──ッ……!」

 

 眼前に仙道の垂れ気味の瞳が映った。かと思えば、次の瞬間──唇に一瞬だけ乾いた感触。

 なにが起こったか分からずに仙道を凝視すると、彼は間近でいつものように軽い笑みを漏らした。

「ごめん、可愛かったからつい」

 なおもへラッと笑う仙道を見て、いま触れたのは仙道の唇だったと悟ったつかさは声にならない悲鳴をあげて思い切り右手を仙道の頬に向けて振り下ろしていた。

 

 瞬間、気持ちのいいほどの乾いた音が辺りに響き渡った。



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12話

 ──仙道彰。

 それはつかさにとっては未知の生物のようだった。

 予測がつかない。──と、つい今日の夕方のことを思い出して課題のレポートを書くために滑らせていたシャープペンの芯が勢いよくボキッと折れた。

 

 

 ────あのあと。

 

 

「なにするのよッ! もう! さいってい!!」

 

 仙道にキスされたのだと悟った瞬間、思い切り仙道の頬にビンタを入れ罵倒の限りを尽くしてくるりと背を向けた。つもりだった。が。

「待って、待ってよ! ごめんってば。そんなに怒んないで」

「怒るに決まってるでしょ! 信じられないッ!」

「てか、つかさちゃんっていつも怒ってるよな」

「怒らせるようなことしてるのはそっちでしょ!」

 のれんに腕押し。という表現は仙道に対して使うのが正しいのかも知れない。というほど呑気な態度を崩さない仙道に、いっそカリカリしている自分がばからしく思えてくる。しかし──、と少し涙目で唇を拭っていると、仙道は自身の手を後頭部にやって明後日の方向に視線を投げた。

 少しは反省しているのだろうか? などと黙っていると、あのさ、と仙道がふいにこちらへと視線を戻してきた。

「今度はオレの話も聞いてくれる?」

「え……?」

 よいしょ、と仙道は釣り竿を拾って釣り糸を巻き始めた。どうやら釣りはもう止めるらしい。

「オレ……、こっちで一人暮らししてんだ」

「──!」

「実家は東京だから、近いといや近いんだが……バスケするために陵南に進学すんだし、通学時間は無駄だってことでさ」

 すぐそこ、と仙道はいつもの笑みで自分の住んでるらしき場所を指さした。

「ちょうど中学卒業してすぐ……3月の終わりかな。ここに越してきて初めての日、ぜんぜん地理に詳しくねぇし、特にアテもなく歩いてたら学校のずっと裏手の方にバスケのゴールがある公園を見つけたんだよな」

 知ってる? と問われて、おそらくあそこのことだろうと検討のついたつかさは「うん」と首をたてに振った。

 するとまるで仙道はその反応を予測していたように、いっそう笑みを深くした。

「あの日、オレは──」

 その日、仙道は街を探るように歩いていた、と言った。そして偶然見つけたバスケコート。無意識に近づくと、フェンスの中には一人の少女が立っていたという。

「その時は後ろ姿しか見えなかったけど、その子は二度くらいボールをついて、たぶんスリーポイントの距離だったな。どう説明すればいいのか分からないくらい自然にシュートを打ったんだ」

 お、と感心する間もなくボールは美しい弧を描いてリングを貫いた。その彼女のフォロースルーの美しさに見ほれていると、彼女はすぐにはそこから動かず、ボールを拾いに行くでなく──。

 そしてふと外に身体を向けて仙道の目に映った横顔は、今にも泣き出しそうなほど苦しげなものだった。と仙道はまるでその光景を思い出すように話した。

「そして振り返った彼女と目があったんだけど……、まァ、綺麗な子だったんだけど、なんか気安く挨拶していい雰囲気でもなくてさ……声、かけられなかったんだよな」

 ついでにバスケットボールもそのまま。チラッとこっちを一蹴した彼女はそのまますたすたとフェンスをくぐって行ってしまった──としみじみ言っていて、つかさは首を捻った。

 なぜ自分にそんな話……? と訝しげに眉を寄せていると、なお仙道はニコッと笑った。

「後悔してたんだよな。声、かけたかったなってさ。あのあとずっと探してたんだけど……会えなかったし」

「ふーん……。それで、見つかったの? その人」

 要領を得ないなぁ、などと思いつつ訊いてみると仙道は一瞬キョトンとした表情を浮かべてから、ははは、と笑った。

「ああ。去年の夏。まさか会えると思ってなかったから、ぜってぇこのチャンス逃すか、って張り切って交際まで申し込んだな」

 フラれたけど。と続けられ──、つかさは一瞬固まった。

「──え!?」

 まさか……と呟く前に、仙道はいつもの調子でカラカラと笑っている。

「ひでーな。マジで覚えてねぇんだ。オレってそんなに印象薄い? 190センチ近い高校生って稀なんじゃねえの?」

「え……、いや……でも、私、見慣れてる、し……長身……」

 呟きながら真っ白になったつかさは取りあえず考える。──、去年の三月の終わりと言えば、両親の元から神奈川に越してきた頃だ。

 そうだ。確かに神奈川に越してきた日。それこそ街を探索するように歩いていて例の公園を見つけた覚えはある。

「え、と……。公園に行った覚えはある……。あの、バスケットボールがたまたま置いてあったから、一本スリー打ってみたのも覚えてる。けど……ごめんなさい、仙道くんのことは……」

 覚えてない。と告げると、仙道はもともと下がり気味の眉毛と瞳をさらに下げてしまった。しかし、そんな顔をされても知らないものは知らない。

「ま、しょーがねぇか……。けど、さ。あんな綺麗なスリーが決まれば楽しくねえ?」

「え……?」

「あん時からずっと思ってたんだよな。なんであんな顔してバスケしてたんだろ、ってさ。バスケ好きじゃねぇの、つかさちゃん?」

「──ッ!?」

 そんな問いを、一年以上の間ずっと自分にしたかったというのだろうか、この人は。そんなの、答えは決まっている。けど、もうやめたことだし。──逃げたことだ。と、俯いていると仙道が「オレは……」と続けた。

「バスケが好きだからやってる、ってより、楽しいからやってんのかもしれねぇな。好き嫌いで言ったら釣りのが好きかもしれん」

 はははは、と本気なのか冗談なのか分からない笑みが漏れてきてつかさはバッと顔をあげた。

「なッ、そんな……仙道くんはバスケットのために陵南に来たんでしょ!?」

「そーだけど。先生には怒鳴られるかもしれねえけど、オレは苦しきに耐えて日本一を目指すより、楽しくやって結果的に日本一ってほうが良いっつーか」

「あ……、甘い! 甘いよ、それは!」

 思わず噛みつくと、仙道はなお声を立てて笑う。

「うんうん。つかさちゃんは真面目だからな」

「だから、バカにしてるのそれ!?」

「いや、そうじゃねえって! その、"大ちゃん"となにがあったにしても、バスケをやめるこたねーし、やりたいときに楽しもう、でいいんじゃねえの? オレでよけりゃ1on1の相手くらい、いつでもなるぜ?」

「──!? ……イヤだ。勝てないもん、ぜったい」

 気楽に言ってくれるものだ、とジトッと仙道を睨むと、ははは、となおも彼は肩を揺らして笑った。

 その笑みを見て、つかさは初めて仙道とは「こういう人」なのだと分かったような気がした。仙道がいつもにこにこしているのは、その方が楽しいからで、本当にその時を楽しんでいるからで。

 天才で、すごいプレイが出来て、頼られてみんなに寄りかかられていても、その逆境を跳ね返して勝ち抜いて行きたいという気持ちよりも、まずバスケットを楽しみたい気持ちの方が強いのだ。

 だから、釣りの方を優先したい時は優先する。そういう人だ。

 なんとも頼りがいのないエースだな、と半分呆れるも──、バスケットを離れて見てみると、こういう考え方もありなのかも知れない。

 事実、いまも屈託なく笑う仙道を見ていたら少しだけ肩の力が抜けるようで──つかさも、ふ、と微笑んだ。そしてそのままつられるようにくすくす笑っていると、仙道がこちらをジッと見つめてきて静かに笑みを深くした。

「な、なに?」

「いーや。やっと笑ってくれたな、と思ってさ」

「え……?」

「一度も笑った顔、見せてくれたことなかったもんな。一年以上もさ」

 サラッとそう言って仙道は、グッと伸びをしながらそばに置いていた釣り竿と荷物を拾い上げた。

「さ、行こうか。なんかちょっとやる気出てきたから、オレは学校にもどるよ」

 そして歩き出した仙道の背を見て、つかさは少し安堵する。

 ──たぶん、いま、顔が赤い気がする。

 まったく、やっぱりよく分からない。本当に気まぐれな──と熱い頬を誤魔化すように、ジトッと仙道の大きな背中を見つめて、つかさもゆっくり歩き始めた────。

 

 

「あーあ……もう……」

 

 豪快に折ってしまたシャープペンの芯を睨んで、つかさはため息を一つ吐いた。

 シャープペンを手から離し、右手に瞳を落とす。

 

 ──見惚れるほどに美しいシュートだった。と仙道は言った。

 

 確かに、覚えている。

 初めて神奈川にやってきた日、湘南を探索するように歩いていた。まだ桜も開く前のあの日。あてもなく歩いて見つけたバスケットコートに置き忘れのように転がっていたバスケットボール。

 どこか毎日駆け回っていた愛知のコートを思い起こさせて、気付いたときにはボールを手に取っていた。バスケットをやめたあの日以来、久々に立ったコート。久々に打ったシュート。全て、まだ身体が覚えていた──と自分の手を凝視したのをよく覚えている。

 もう終わったことだ。と苦い思いをうち消すようにすぐにコートを去ったため、あの場で仙道とすれ違ったか否かは本当に記憶にない。

 まさか同じ日に神奈川に越してきて、同じ日に出会っていたなんて──。

 

『バスケ好きじゃねぇの、つかさちゃん?』

 

 その問いを今までずっと溜めていたなんて、知らなかった。

 けれども、少し合点がいった。自分が彼に初めて会ったと思っていた試合会場で、仙道はどこか探るようにこちらを見ていたことも、「初対面」だと言ったことに少し傷ついたような表情を浮かべていた理由も。

 

 けれども、分からない。

 何がどこまで本気なのか──、とつかさは少し熱を持った頬を自覚して、まだ感触の残る唇に手をあてた。

 

 

 ピピピピピ、と響いてくる電子音を止めるため、ベッドからにょきっと長い手を出した仙道は既に身体が覚えている目覚まし時計のアラームボタンを正確に叩いた。

「んー………。ねみぃ……」

 数十秒、二度寝の誘惑と戦ってからどうにか勝利し、ムクッと大きな身体を起こすと半開きの瞳のまま洗面台の方へと向かった。

 眠気覚ましも兼ねて勢いよく冷水で顔を洗い、顔を上げれば鏡の中にはくっきりと左頬に赤い手形が付いていて、う、と一瞬呻いてしまった。

「……まいったな……」

 昨日、つかさにもらったビンタのあとであるが──さすがに自業自得であるため文句は言えない。が、遅れて出向いた部活では皆がこの顔を見てざわつき、あれこれと理由を詮索していた。今日、学校に出向いて授業に出ればますます面倒なことになるだろう。

「ま、しょうがねぇか」

 とはいえ、特になにを言われようがどうでもいいが──、と考えつつ手を口元にやる。

 やっぱ不味かったかな、と思わないでもない。

 あのときつかさはどうしようもなく無防備で隙だらけで、それに、ちょっと瞳も潤んでいて物憂げで、本当に「可愛かったからつい」というのが正直な動機なのだが。やっぱりダメだったか、と頭を掻く。いつも立てている髪は降りて自分でも少々不格好だ。

 どうも自分は全てにおいて適当でいい加減に他人からは見えるらしい。つかさもたぶん、そう思っているだろう。一年以上前からこちらは大まじめにやっているとのに、と思うとちょっといたたまれない。

 初めて神奈川に来た日、彼女を見つけた。一目惚れ、と言ったらおかしいかもしれないが。けれども本当に目を見張るほど美しいシュートで、それなのに辛そうにしていて。彼女を笑わせたい、と思ったんだっけか……と髪をセットしながら考える。

 それでも、ようやく得心がいった。

 自分にほとんど興味を抱いてくれないわりに、陵南の試合は必ず見に来てくれていたわけを、だ。

「諸星大、ねぇ……」

 あれほど大ちゃん大ちゃんと言われれば多少は気にはなる。が、紳一の同級生ということは既に三年生だ。対戦するチャンスはおそらくない。まだ冬の選抜が残ってはいるものの、選抜予選を勝ち抜くのはかなり厳しいからだ。

 残っていた食パンを適当につまむと、仙道は部屋の窓を開けた。とたん、フワッと潮の匂いが鼻腔を満たして思わず目を細める。瞳に映る海面がきらきらと光っている。今日も良い天気だ。

「さて、と……。浜ランでもすっかな」

 時計の針はまだ6時前。砂浜でのランニングで一汗かいてから朝練に行こう、と予定立てて家を出る。

 砂浜でのランニングは足を取られて体力的には辛いものの、仙道は海を見ながら湘南を走るのは嫌いではなかった。それに体力が落ちれば試合でのパフォーマンスが落ちることも重々理解しており、その最低限のラインを下回るほどにバスケットをサボったことはさすがにない。

「うーっす!」

 浜ランを終えていったん着替えてから学校に向かい体育館に入ると、既に到着していた部員達が一瞬固まって仙道の方を見やった。

「せ、仙道さん!?」

「お、おはようございます、キャプテン!」

 朝練に仙道が姿を現したのがそうとう珍しいのか、みな驚きの表情を隠せないまま頭を下げている。そして部員もだいぶん集まりだした頃──、遠巻きにヒソヒソなにかを言われているのを仙道が肌で感じていると、ゾロゾロとレギュラーの面々がやってきた。

「お、仙道じゃねーか。朝練に来るとは、今日はどうし──ゲッ!」

 越野の声だ。「ん?」と振り返ると越野はギャグ要員のようなリアクションを取っており、突っ込みを入れる前に仙道の頬を指さしてきた。

「な、なんだその手形!? お前、なにやったんだ!?」

 そういえば越野は昨日の部活を早めに切り上げたらしく、会ってなかったんだった──と思い返しつつ仙道は頬に手をやった。

「うん。まあ……ちょっとな……」

「ハァ!? どうせロクでもないことやらかしたんだろ! 自重しろよ自重! ったく」

 なにを思い浮かべられてるんだろう、と思いつつ、まあいっか、と思い直し、あらかた揃った部員達を見渡して仙道は軽く手を叩いた。

 

「さぁ、始めようか!」

 

 案の定その日以降、仙道の頬のビンタあとは陵南高校のホットな話題となり──。

 タイミング良く真面目に部活動に精進しはじめた仙道のことを「女にこっぴどく振られて、それで部活に打ち込んでいる」などと部員達が噂立てたが──それは当人の与り知らぬことである。

 

 

 海南大附属高校バスケ部監督兼教師・高頭は迷っていた。

 10月はじめには国民体育大会──国体のバスケット部門が開催される。国体は各県の選抜チームで優勝を競い合うものの、神奈川県選抜はいつもそのまま海南のチームが出場していた。

 が──今年に限っては、と考える。

 県は海南が制したとはいえ、準優勝の湘北にも才能豊かな人材は流川をはじめ幾人もおり、また陵南の仙道もこのまま埋もれさせるのはあまりに惜しいだろう。翔陽の藤真とてそうだ。

 この才能豊かな選手達を選抜して理想のチームを作り上げることができたら──と考えるのは監督ならばごく自然なことだろう。

 と、なると──と高頭は自身に頷いて、自宅の受話器を取った。

 

「はいはーい」

 

 食後につかさと紳一がソファで紅茶を飲んでいると電話が鳴り、紳一よりも先につかさが立って受話器を取った。

「はい、牧です。──あ、高頭先生。こんばんは」

 その声に、紳一は少々驚いてカップにソーサーを戻した。

「兄ならいま──、え、私にですか?」

 高頭からの電話など珍しい、と思いつつ伺っていると、どうやらつかさに用事のようだ。ちらりとつかさの方を見ると、解せないという表情を浮かべている。

 しばらくして電話を終えたつかさは、うーん、と唸りながらソファに腰を下ろした。

「どうした?」

「んー、話があるから明日の朝、バスケ部に顔を出して欲しいって。授業の前に時間取ってくれるか、だって」

「監督がお前に話……?」

「おかしいなぁ……。私、期末じゃ高頭先生の化学も含めてトップだったはずなんだけど……。あ、この前の小テストが赤点とか? いやまさか……」

 本当に心当たりがないらしいつかさは成績のことだろうと目星を付けてブツブツと唸っている。

 むろん紳一にも皆目検討が付かず、翌朝、紳一とつかさは揃って登校して体育館に向かった。

 

「お、牧……! つかさ君の方も来てるな」

 

 体育館にて手持ち無沙汰のつかさが隅で準備運動をしている部員達をぼんやり眺めていると、朝練開始ちょうどの時間に高頭は姿を現した。

 挨拶をすると、高頭から体育館内の小会議室で待つように言われ、移動する。彼は朝練の指示を出してからくるらしい。

 10分ほど待っていると、高頭が会議室に入ってきた。

「朝っぱらから悪かったな」

「いえ……。あの……。私、なんか小テストでミスでもしました? 実験でポカやったりしましたっけ……?」

 高頭に呼び出されるなどそれ以外の理由が思い当たらずかなり思い詰めて高頭に詰め寄ると、高頭は鳩が豆鉄砲をくらったようにぽかんとし、ついで愛用の扇子を開いて笑い声を立てた。

「いやいや、君の成績はなにも問題ない!」

「そ、そうですか! 良かった……。あの……じゃあ、いったい……」

 ホッとするもつかの間、いったい用件は何なのだろう? とさらに警戒していると、うむ、と高頭はパチッと音を鳴らして扇子を閉じる。

「実は……来月の国体のことなんだが……」

「ああ、そういえばもうじきですね」

「うむ。それで、だ。いつもは君も知っとるように海南のチームをそのまま神奈川代表として出していたが……今年に限っては選抜にしようかと考えていてな」

「選抜に……!?」

 うむ、となお高頭は頷いた。

 予想外の話ではあるが、国体はもともと選抜メンバーで臨むのが普通である。神奈川には個性的な選手がたくさんおり、各校のライバル達が同じチームでプレイするとなれば、これは考えただけで心が躍る。

「お、面白そうですね! ということは、お兄ちゃんと藤真さんがツインガードなんてこともあり得るってことですか!?」

「そう、そうだ! これほど贅沢なチョイスができる年にはもう恵まれんだろう。君なら誰を選抜する? この神奈川で」

 なぜ高頭がそんなことをわざわざ聞いてくるか全く理解できなかったが。でも、それでも……つかさにとってもこの話題はこれ以上ないほどワクワクするものだ。

「選抜メンバーは12人、ですよね。じゃ、ポジション別に……1番はお兄ちゃんと藤真さん、それと湘北の宮城くん」

「うんうん」

「2番はまず三井さん! それに、清田くん……かな。3番は神くん、仙道くん、流川くん、ああ、4番の桜木くんは……どうなんでしょう?」

「桜木は残念だがまだリハビリ中らしい。惜しい人材だな、目立った4番のいない神奈川では貴重な才能だというのに……。センターはウチの高砂、それに翔陽の花形、か」

「赤木さんは……」

「赤木は引退したらしい。あとは……そうだな、陵南の福田に、ウチの武藤か、それとも翔陽の長谷川か……。まあ、そんなところだろうな」

「これだけのメンバー、もしも実現したらスタメン選びも苦労しますね。控えですら全国上位クラスですから!」

 自然と声色が明るくなりうずうずしてくるも、ハッとしたつかさはもう一度高頭に向き直った。

「あの、それで……なぜ私にこのようなお話を……?」

 すると同じく楽しい想像を続けていたらしき高頭もハッとして、コホン、と一つ咳払いをした。

「いや、実は……。君に国体の手伝いを頼みたくて、な」

「手伝い……?」

 瞬間、つかさの脳裏に真っ先に「マネージャー」の文字が浮かんで反射的にブンブンと首を振るった。

「む、無理です無理! お断りします! マネージャーならウチの部員にいるじゃないですか。あ、もし女性がいいというなら湘北にいましたよね? そっちにお願いしてください」

 神奈川選抜自体は面白そうであるが、共に彼らと戦えるならともかく、挫折したバスケットをいまなお続けている、しかも全国級の選手達のサポートをするのはおそらく想像を絶する苦痛だ。素直に外野から応援していた方がいい。

 すると高頭は慌てて首を振るった。

「い、いや、違う、そうじゃない。マネージャーではなく…………、君に、セカンドコーチを頼もうと思って、な」

「──え!?」

 またいきなりなにを言い出すのだ、とつかさは間抜けな声をあげた。数回瞬きをすると、高頭は再び扇子を開いた。

「君が、牧や愛和学院の主将・諸星と同じチームでバスケットをしていたのは知っている」

「……。昔の話です」

「うむ。……だが、バスケを忘れたわけではないだろう? 現に、神のシュート練習を時々手伝っているな?」

「──!?」

「パス出しや、たまにツーメンで多様な練習をさせて付き合っているだろう? それも見て私は言っているのだが……」

 見られていたのか。さすが監督。と思うも、やはり突拍子もない話であることには変わりない。

「それでも私が適任とは思えませんが……。陵南や湘北の監督はどうされるんですか?」

「うむ。これは私も同じだが、田岡先輩も自分の学校の通常練習を見なければならないからな。合宿や試合で選抜チームにつきっきりというのは難しい。そういう意味でも海南の人間に私のサポートを頼みたいと思ったわけだ」

「ああ、それは……まあ……」

「国体前に一週間ほど大学の方で合宿を行おうと思っている。9月下旬の連休の時期にな。私は君に監督をしろと言っているわけではない。あくまでコーチとして技術面のサポートだ。国体の間だけで構わん、力を貸して欲しい」

「と、言われましても……。あの、私、勉強もありますし……」

「たった国体だけで首位から落ちるようなら、最初からその程度だったと思うしかあるまい」

 ピク、とつかさはこめかみを引くつかせた。さすがに知将と呼ばれる高頭だけあって減らず口も上手いらしい

「先生。本当にありがたいお申し出ですけど……。私は本格的にバスケットを離れて三年ほど経っています。それに、他人を指導したこともありません」

「湘北の三井も二年のブランクがあって、あれだけの働きをしたぞ」

「み、三井さんは……それだけのセンスと、才能のある人ですから……」

「ずいぶんと謙遜するな……。本当にそう思うのか? 確かにブランクは全力で試合を行おうと思えば致命傷になり得る。だが……長年かけて一度得た技術や知識は、そう簡単に衰えたりはしない」

 ピクッ、とつかさの身体が撓った。なお高頭は真剣な面もちをつかさに向けた。

「せっかくの技術……。このまま錆び付かせて惜しくはないのか?」

「──ッ」

「それに、君は、チームの中心だっただろう? どう指示し、どう育てればいいか……全く知らないなどということはあり得ないはずだ」

 どこまで人のことを調べたのだろう、この人は。と煽られるように無意識に武者震いで身体を震わせていると、広げた扇子で風を作りながら急に高頭は笑った。

「ま、なんにせよ女性に見られていると男どもは頑張るもんだ! 高校生くらいの男は特にな! これも神奈川全国制覇のためと思って検討してくれ」

 一気に脱力したつかさだったが、全国制覇、という言葉にフッとある考えが過ぎった。

 

 ──愛知も、もちろん諸星を中心としたチームを作って国体に出てくるだろう。

 

 神奈川が選抜チームで臨むということは、そうだ。今度こそ仙道が全国へ出る、諸星と戦うチャンスだ、と。

 

 仙道──と意識したときに、一瞬、先日の"事故"が過ぎって無意識に顔をゆがめてしまったものの──。それは今は忘れよう。

 もしもこの手で、少しでも強いチームを作ることに携われるなら──と考えた胸の鼓動が急激に高鳴り始めた。

 

 そして、ゴクリ──、とつかさは喉を鳴らした。



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13話

 一度、諦めてしまったバスケット。

 いやバスケットを諦めてしまったわけではない。紳一や諸星と共に走り抜けることは叶わないのだと悟っただけだ。

 バスケットとは、自分にとっては紳一と諸星と一緒でなければ成立しないものだった──と考えてふるふるとつかさは首を振るった。そっと自室の窓を開けて、空を仰ぐ。

 

『その"大ちゃん"となにがあったにしても、バスケをやめるこたねーし、やりたいときに楽しもう、でいいんじゃねえ?』

『せっかくの技術……。このまま錆び付かせて惜しくはないのか?』

 

 楽しめばいい、か。でも、やっぱり。

「負けたら悔しいよね、ぜったい」

 ジトッと天上の星空を睨み付けた。──仙道なら、苦しかったらやめたっていいんだよ、なんて笑って呑気に言うんだろうか、と思いつつ窓を閉じる。

 もう答えは決まった。一年前からそう望んでいたように、自分の願いは仙道を大きな舞台で見ることだ。他の陵南選手も来るのなら、少しでも強くしてやる、と。

 

「つかさー、ご飯よー」

 

 ふいに下から叔母の声が聞こえて、ハッと意識を戻したつかさは「はーい」と返事をしてぱたぱたと下に降りた。リビングに入ると食卓に紳一の姿が見え、あ、と呟く。

「お兄ちゃん、帰ってたんだ」

「おう。お前、今日は監督になに言われたんだ? やっぱ成績か?」

 紳一も気になっていたらしく、違うよー、と苦笑いしながらつかさも席に着く。

「国体のセカンドコーチ頼まれちゃった」

「──は?」

「なんか今年は神奈川選抜チーム作るらしくて、補佐が欲しい、って」

 やはり、よもやそんな話だったとは予想だにしてなかっただろう紳一が固まり、つかさは高頭から受けた話を一通り紳一に説明した。

 聞き終わって紳一は一言、そうか、と呟く。

「それで……。受けたのか?」

 うん、と呟くと、紳一はもう一度「そうか」と笑みを深くした。反対ではないらしい。

「それで、お兄ちゃん」

「ん……?」

「明日から部活のあと、付き合って」

「……。おう」

 もちろんだ、と頷いてくれた紳一と笑いあっていると、同じく席に着いた叔母が「ちょ、ちょっと」と話に割って入ってきた。

「つかさったら、またバスケットを始める気?」

「え……?」

「心配だわ……。もうあんな傷だらけになるようなことはやめてちょうだい」

「あ……。だ、大丈夫……、そんなにやり合わないから……」

「髪の毛だってせっかく伸びて叔母さんの楽しみも増えたのに、ぜったい切っちゃダメよ、いい?」

「は、はーい……」

 "娘"のいない叔母はつかさのことを娘のように溺愛している。そういえば小さい頃は、兄弟みたいだ、などと呆れていた叔母が髪を伸ばした自分を見て痛く感激していたっけ。などと思いつつ、隣で面白そうに笑う紳一をチラリと見て苦笑いを漏らした。

 

 

 激しい兄妹──、いや親戚同士だな、と神はシュート練習をしながら横目でチラリともう一方のコートの方を見やった。

 つかさが運動着とバスケットシューズ姿で練習後の体育館に姿を現して三日ほど経っている。最初は何ごとかと驚いたが、10月の国体で選抜チームのコーチ補佐を務めるらしく、カンを取り戻して身体慣らしをしたいから、とバスケ部の練習が終わったあとに紳一と練習をするためだそうだ。

「うーん……。牧さんをアゴで使えるのは世界中探してもつかさちゃんくらいだろうなぁ……」

 やり合うつかさと紳一を見て、ははは、と肩を竦めた。

 つかさの実力は、たまにつかさが練習に付き合ってくれるためにある程度知っていたが──これは予想以上だな、と舌を巻く。もっとも、かつてはあの紳一と愛和の諸星を抑えてエースフォワードを務めていたらしい、と見知っていた神にとってはそこまでの驚きでもなかったが綺麗なジャンプシュートを決めたつかさに対抗して、シュッと神も負けじとシュートを放つ。

 

「選抜チームか……。楽しみだな」

 

 放ったボールは今日で一番綺麗な弧を描いてスパッとリングを貫いた。

 

 

 9月も下旬にさしかかり、高頭とつかさは会議室で顔を付き合わせていた。

「さて、選抜メンバーだが……君の意見も採り入れつつメンバーを決めた」

 言って高頭がつかさにメンバーリストを差し出してくる。そこにはコーチである高頭の名とセカンドコーチである自分の名、それからマネージャーを務めてくれる部員の名と選手達の名が記されていた。

「海南から牧、高砂、神、清田。湘北から三井、宮城、流川。陵南から仙道、福田。そして翔陽から藤真、花形、長谷川……ですか。……さすがに強そうですね、特にオフェンス面」

「うむ。2、3人迷っていたがディフェンス面の強化を考慮して翔陽の長谷川も加えた。高さもあるしな。まだスタメンまでは決められんが、どう思う? 君なら誰を一軍チームにする?」

 言われてつかさは考える。贅沢な選択だなぁ、と思うも高頭は自分が誰を選ぶか試しているのだろう。バスケットに対してどのような思考をするか知っていた方がやりやすいだろうからだ。

「シックスマンまで考えるのであれば……。牧、藤真、神、仙道、花形。それと流川ですね。センターは高砂さんと迷うところですが、花形さんの方が高さがありますし、藤真さんがポイントガードにいるなら慣れている花形さんの方がいい」

「ポイントガードに藤真……?」

 高頭は当然、紳一をあげると思っていたのだろう。はい、とつかさは頷く。

「藤真さんは、プレイングマネージャーとしては申し分ない素養を持ってますし、ガードとしてドリブルなどの基本能力が高いのはもちろん、パスもさばけて味方を活かすのが上手い。そして自身も中でも外でも点が取れて、シュートエリアが広い。とても理想でクラシックなポイントガードです」

「まあ……そうだが、やけに藤真の評価が高いな。牧は……」

「兄は……、フィジカル面からいって1番よりもいっそ4番にコンバートしたいくらいです。昔は藤真さんのようなタイプだったんですけど、成長期で異様にがっちりしちゃってインサイド主体のプレイが得意になりましたから……ポイントガードとして優れているかと問われたら、ちょっと返答に困ります」

「はっはっは。ま、確かにこれだけ周りに点の取れる選手がいれば牧が自ら切り込む必要もないだろうな。逆に藤真のゲームメイク力は活きるだろう」

「神くんと仙道くんは、ダブルフォワード体勢で。流川くんは爆発力のある選手なので、控えで体力を気にせずプレイしてもらうのが一番効率がいいと思います。彼なら神くんをさげても、兄をさげてもいいでしょうから」

「流川と三井は体力に問題を抱えているのが普段なら気になるところだが……。要所要所で使う分には申し分ない選手だな。あとは高砂と花形はマッチアップを見てどっちを使うか考えるところだが……。ま、メンバーは私も君に同意見だ」

 ということは、いわゆる二軍はこのメンバーか……とつかさはリストに目線を落とす。高砂、清田、三井、宮城、福田、長谷川だ。

「ベンチは……。こ、個性的な顔ぶれですね……。穴があるというか……」

「まあそいつらの強化も合宿の目的の一つだ。わざわざ君に技術コーチを頼んだのも、そういうことだからな」

「あ……!」

 そうだ。とつかさは顔をあげた。国体に限り味方同士となるメンバーだが、国体が終われば元のライバルへと戻ってしまう。

「先生……、一つ確認を取りたいのですが」

「なんだ?」

「将来的に海南の不利益になるとしても……。彼らを強くしても構わないということですよね?」

 瞬間、高頭は眼鏡の奥の瞳を瞠目させ、そして愛用の扇子を開いて豪快に仰いだ。

「むろんだ。心配せんでも、ウチは来年も負けはせん!」

 聞いてつかさも、ふ、と微笑んだ。

 

 

 9月、下旬。

 神奈川県選抜合宿は9月の第3、第4土日と祝日を利用して9日間かけて行われる。

 場所は海南大学。大学の体育館の一つを専用で使い、選手達は大学の宿舎で寝泊まりして寝食を共にする。にわかの寄せ集めメンバーと共同生活をすることで、チームとしてのまとまりも強化する狙いだ。

 

 とはいえ、大学は高校のすぐとなりであるためつかさを含めた海南のメンバーにとってはいつもと代わり映えしないのだが──、と初日の早朝。つかさは大学側の前庭で心持ち緊張しながら校門の方を見やっていた。休日なためか学生たちの姿はまばらだ。

 9時半集合の10時開始だったが、既に海南の3人は到着しており宿舎へ荷物を置いて準備している。大学の施設を案内するのは彼らの役目だ。

 9時を回った頃──、門の方にヌッと二つの大きな影と、それを従えた少年が見えて、あ、とつかさは瞬きをした。

「藤真さん! 花形さん!」

 翔陽だ。藤真はもちろん、花形は身長197センチを誇る翔陽のスターセンターで見知っているが、隣の大きな坊主頭は誰だろう? おかしいな、記憶にない。などと考えあぐねていると「お」と藤真が珍しいものでも見たかのように反応した。

「牧の従妹か。久しぶりだな。牧の手伝いか?」

「あ……そういうわけじゃないんですけど。あの……」

 ちらり、と藤真の横にいた大柄の男を見上げると、ははは、と藤真が笑った。

「コイツ、湘北に負けて気を引き締めようといきなり頭丸めたんだぜ。オレたち翔陽は冬へ向けてのリベンジで気合い入ってるからな!」

「は、はぁ……」

「……長谷川です……。よろしく」

 気合いの入った頭の割には大人しそうな人だな、と自己紹介をする少年・長谷川を見つつ思う。藤真も一見すれば目を見張るほどの美少年ではあるのだが、イメージに反してどちらかというと男臭いタイプである。体育会系というか──などと思いつつ「とりあえずどうぞ」と中へ案内した。

「あ、花形さん。先日の模試でお名前見かけました。さすがですね」

「ありがとう。一応受験も控えてるから両立しないと……」

 花形は翔陽きっての秀才らしく、全国模試等々で名前を見かけることが良くある。むしろバスケットの選手というよりは翔陽の秀才としての花形の方がつかさにとってはなじみが深い。などと考えているとあっという間に時間がやってきた。

 

 余談ではあるが、さっそくギリギリに現れた仙道にやきもきさせられ、「仙道はまだか!」と苛立っていた高頭はライバル・田岡に激しいシンパシーを覚えたという。

 

「えー。みんな良く集まってくれた。総監督を務める高頭だ。これからの9日間、互いに切磋琢磨しあい、また神奈川の全国制覇を目指す仲間として頑張って欲しい」

「はい! よろしくお願いします!」

「それと……」

 

 体育館に彼らの声が良く通り、さすがにこれだけのメンバーが12人も揃えば圧巻だなと感心しきりに見守っていたつかさの方に高頭が目配せしてつかさもハッとした。

 途端に事情を知らない清田も含めて好奇の目がつかさに向けられる。当然だろう。つかさは彼らを見知っているが、彼らの大半はつかさを知らないしそもそもなぜここに立っているか疑問だったはずだ。

「えー……。彼女はこの国体でセカンドコーチを務めてくれる、牧つかさくんだ」

「牧つかさです。よろしくお願いします」

 瞬間、ザワッと辺りがざわついた。

「セカンドコーチ……? マネージャーじゃなくて……?」

「え、ていうか"牧"……?」

 思い思いに選手達は顔を見合わせて言い合い、当然の反応だな、などと思っているとやっぱり驚いたらしく目を瞬かせている仙道とバチッと目があって、つかさはパッと視線を逸らした。

「察しの通り、オレの妹だ」

 そこで紳一がそう宣言し、隣で神が「いや、牧さん……」と突っ込みを入れかけ、藤真が「ハァ? 従妹だろ従妹」とまっとうな突っ込みをしていたが周りのざわつきにかき消され届いていない。

「妹!? え、妹!?」

「ギャハハハハ!! 全然似てねぇじゃねーか! 牧、お前拾われっ子じゃねえの? インドあたりからの!」

 一番騒がしかったのは湘北の三井だ。紳一は拳を握りしめてプルプル震わせていたが、清田の耐えきれなかったらしきもらい笑いを見てしまいついに鉄拳が清田に飛んでいた。

 

 ──これは、予想以上に問題児軍団だな……。

 

 そんな言葉が、ひらひらとこちらに手を振る仙道を視界の端で捉えつつつかさの脳裏に浮かんだ。



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14話

「よーし、1コート6人ずつに分かれてオールコートスリーメンだ。30分は続けるぞ!」

 

 軽めの体育館内ジョギングとストレッチのあとに高頭が指示を出すと、「ちょっと良いですか?」と手を挙げた選手がいた。藤真だ。

「なんだ、藤真?」

「シュートを落としたヤツはなにかバツゲームありというのはどうでしょうか?」

「は……? あ、いや、まあ……」

 目を点にして、そんなことまでは口出しはしないから勝手にしろ、と言った高頭に藤真の顔が輝きを増す。

「よーし、お前らッ! シュートはずしたヤツは昼メシ抜きだ、いいな!」

「おう!」

「なんでテメーが仕切ってんだよ藤真ッ!!」

「はずさなければ良いだろう、三井。自信がないのか?」

「なんだとッ!?」

 海南は練習量は多いもののこの手の男子高校生なノリではない。珍しく清田までが引き気味という状況を目の当たりにしてつかさにしても、仲良くできないのかな、などとジトッと見ていると、意外にも普段はにこにこしているだけの仙道でさえ若干苦笑いを浮かべている。

 ああ、昼食抜き、という意味のないノリが理解できなかったんだな。などと思っていると高頭がメンバーを暗に一軍・二軍にわけ、一軍コートは高頭が、二軍のコートにはつかさがついた。

 

 スリーメン30分とはけっこう、いやかなりきついかな、とコートを走り抜けてシュートしては入れ替わりでコートに入る3人の選手達をジッと見守る。

 スリーメンとは端的に言えば3人でボールを回しながら最後にシュートを決めるというもので、いわば速攻の練習であり、このメンバーでシュートを外すなどは言語道断だ。だが延々と速攻で走り続けるようなもので、体力面ではきつい。

 この12人は今日初めて共にプレイする選手達なのだ。タイミングや息を合わせるのも狙いの一つである。

「おい、牧の妹ッ!」

「──つかさです」

「黙ってねぇでなんかダメ出せよ! コーチだろッ!」

 黙して見ているとコートを走り抜けながら三井がそんなことを言い、決めたレイアップを見届けてつかさは三井の方を向いた。

「三井さんのフォームは完璧なので口出すところないです」

 すると途端の三井の顔に笑みが差した。

「お前……! なんだよく分かってんじゃねぇか!」

「あ、よそ見しないで! 前ッ!」

「お、おう!」

 折り返してきた三人のゴールが決まり、再び三井が走り出す。──実際、三井の問題は体力くらいで良い選手だしな、などと思いつつ選手達を追う。

 この中ではやはり宮城のスピードがずば抜けている。宮城のいるチームは宮城のスピードに付いていこうと飛ばしすぎて既に息が上がり始めている。

 ──宮城はよく見ているな……。パス出しのタイミングもうまい。良いガードだ。

 感心しつつ、30分が過ぎる頃には3人ずつをハーフコートに分けてフィニッシュをミドルレンジシュートに変えた。

「ギャハハハハ! オレの時代ッ!!!」

 ゼーハーいいながらも次々とシュートを決めていく三井にいっそ感心しながら、つかさは少々頭を抱えた。

 ──二軍のシュートは、下手だったのだ。三井以外。

「まあ、高砂さんはともかく……なんでガードとフォワードがこんなにぐだぐだなの……」

 思わず呟いて、ちらりと一軍コートを見やった。瞬時、見なければ良かったと後悔する。──センターの花形までもが綺麗なジャンプシュートを連続で決めていて、さすが一軍、と言わざるを得ない。

「清田くん! 身体が流れてるッ、軸を保って!」

「おっす!」

 自ら「ミドルレンジは苦手」と言っている清田が三井に次いでマシな方だ。これは普段から偏った練習をしているな、などと思いつつ1時にさしかかったところで午前の練習が終了した。

 

「やっとメシだメシー」

 

 一時間の休憩が告げられ、海南のメンバーは学食へと他のメンバーを案内した。補助が出るから各自好きなものを食え、と紳一が説明すれば全員の瞳が輝いて大騒ぎである。

 学食の人もこんな大勢の大男が一度にやってきたら大変だろうな、などと思いつつ彼らと違ってそう空腹を感じていなかったつかさは無難に炒飯と飲み物だけを頼んで席を見渡した。

 さすがに初日は学校単位で集まるかな、と思いきやそうでもない。紳一はなんだかんだ藤真と談笑しており、微笑ましく思う。

 とはいえやはり馴染みがあるのは同じ学校の人間であり、つかさは神と清田を見つけて神の前の席にプレートを置いた。

「ここいい?」

「もちろん」

 ホッとする一瞬だ。神の笑顔も清田の笑顔もつかさにとってはごくごく日常のものだからだ。が──。

「オレも一緒にいいかな?」

 不意に後ろから響いてきた低音に、ギクッ、と肩を揺らすと、斜め前の清田の目が見開かれていくのが映った。

 言った本人は返事を待たずにプレートを置いてつかさのとなりに腰を下ろし、いつものようににこにこしている。

「仙道くん……」

「いただきます。おお、うまそう!」

 律儀に手を合わせた辺り、なんだかんだ育ちの良さが垣間見え、他の二人も、特に清田は少々緊張気味のようだったが拒否するほど排他的ではない。

「いいねぇ、神たちは。いつもこんな上手いメシ食ってんの?」

「いや、ここは大学の施設だから普段は使ってないよ。それより仙道……」

「ん……?」

 言って神は何かを探すように周囲に視線を投げ、あ、と声をあげると長い手をひらひらと振って誰かを呼んだ。

「フッキー! フッキーもこっち来なよ!」

 神の目線の先を追うとプレートを持ってぽつんと立っていた陵南の福田がおり、呼ばれて神と仙道を視認したのか無言でこちらにやってくると彼は神のとなりに腰を下ろした。

「フッキー? 福田、フッキーって呼ばれてんだ? 神と知り合いだったっけ?」

 訊いた仙道に福田は黙し、あ、とかわりに神が答える。

「オレとフッキーは同じ中学出身なんだ」

「へぇ……知らなかったな。神にもあだ名とかあるのか?」

「え……オレは……」

 仙道に聞かれて神が一瞬気恥ずかしそうに口籠もり、仙道の視線は答えを求めるように無言でもそもそとご飯を食べていた福田の方に向かう。

「……ジンジン……」

 すると数秒後にぼそりと福田がそんなことを呟き、仙道は「へ?」と間抜けな声を出して、数秒後に神の顔を見た。

「ジンジン?」

「え、神さんジンジンって呼ばれてんすか!? ジンジン! マジっすか、ジンジン!」

「笑うことないだろ、信長」

「あははははは、うん、いい名だ、オレもそう呼ぼっかな、ジンジン」

「おい、仙道!」

 よくしゃべるなぁ、とつかさはチラリと仙道を見上げる。仙道なりにチームメイトとうち解けようとしているのだろうか? などと考えていると視線に気付いたらしき仙道が首を傾げつつ、ん? と笑みを送ってきた。

「オレの顔、なんかついてる?」

「べっ、別に……!」

「そう?」

 にこにこ、と上機嫌そうな笑みを崩さない仙道からパッとつかさは目線をそらした。ちょっとだけ緊張している、かもしれない。──原因は、と考えたつかさの脳裏にパッと思い出したくもない仙道の唇の感触が蘇って、かき消すように言った。

「せ、仙道くん、さっそく今日、遅刻しそうになってたけど、これから9日間は海南で缶詰だから遅刻も寝坊も釣りもできないよ。平気なの?」

 ちょっとだけ意地悪だったかもしれない。が、跳ね返すように言うと、ははは、と仙道はなお笑った。

「つかさちゃんがコーチで入るって聞いてなかったしな」

「なんの関係があるのそれ……」

「んー……。まあ、寝坊もサボりもしないって。もったいないし」

 ニコッ、とわざわざ向き合って微笑まれて──つかさは若干腰を引いた。神の表情がちょっと固まっており、清田に至っては完全に引いている。

 

「やっぱ仙道さんは役者が違うっすね……。あの牧さんの妹に。ありえねぇ」

 

 休憩明け、ポジション別メニューやハーフコート3on3をこなして2時間後にようやく15分休憩がもらえ、清田は汗を拭きながら先ほどの昼食時の光景を思い出して何気なく言った。

 うん、と生返事をした神の視線の先を追うと壁際で仙道がドリンクを飲みながらつかさと談笑しており、あ、と指さす。

 

「ていうか、普通に仲良さそうっすね。なんでかしらねーけど……」

 

 当のつかさたちは、まだまだどこかぎこちない選抜チームについて意見を交わし合っていた。

「さっきの3on3とか見てても、流川くんってすごいよね……。全力で仙道くんを目の敵にしてるというか……。もしかして仲悪かったりするの?」

「いや、バスケ以外で話したことあんまねえし、わからん」

「チームメイトなんだけどなぁ……今だけは……」

「オレは別に気にしてねぇし、ちゃんとやれるって。アイツはまだ一年なんだし、しょうがねえだろ」

 こういった選抜チームで一番の課題は、チームとしてのまとまりだ。仲良くしろとは言わないが、チームプレイである以上は息のあったプレイをすることが不可欠である。でなければゾーンやフォーメーションをこなせない。

 やはり普段は敵同士という概念がそうさせるのか、はたまた一軍には年齢・精神とも老成している選手が大多数なためか、あまり協調性のない流川はさっそく悪目立ちをしていた。

 仙道は暗に流川をそういう人間と分かってうまくやれるとあっけらかんと笑っているし、おそらく藤真も紳一もうまく流川を使うだろう。

 が、起用する側としては問題だ。これだけエース級のメンバーが揃っていれば、あえて流川を投入する理由がないからだ。

 やっぱりこれは流川がシックスマンだな、と肩を竦めつつ高頭からの「始めるぞ」という声を聞いてコートに戻る。

 二軍は二軍で──、流川のことを言えない状況につかさは頬を引きつらせた。

「テメー、いま押しただろうが! ファウルだファウル!」

「いーや押してない! だいたいあんたが急に突っ込んでくるのが悪いんでしょーが!」

「ま、まァまァ三井さん宮城さん、落ち着いて──」

「うるせぇすっこんでろ一年坊主ッ!」

 騒がしい三人と寡黙な三人に綺麗に二分されているのだ。ハァ、とつかさは深いため息を吐いた。

「三井さん、宮城くん、清田くんはミドルに出て! 福田くん、長谷川さん、高砂さんはリバウンド! シュート組は一番多く外した人、リバウンド組は一番取れなかった人にダッシュ20本行ってもらいます。はじめッ!!」

 とはいえ合宿は始まったばかり。一軍はもとより、この二軍のメンバーだって強力な控えとして神奈川チームを強化してくれるに違いない。はずだ。

 

「それでは今日の練習はここまで! 明日は8時に体育館集合だ、では解散!」

「お疲れっした!!!」

 

 時計の針が7時を回り、ようやく今日の練習は終わりを告げた。

 やれやれやっと終わったぜ、などと各自肩で息を吐きながらゾロゾロと体育館を出ていく。

「コート掃除しとけよ、流川、清田」

 なぜか三井がたった二人の一年生に指示を出し、う、と呻いた清田だったがいくら外部の人間でも上級生には逆らわない。

 チッ、と舌打ちをしつつ仕方なしに流川の方を見やった。

「おい、流川。海南の設備のことわかんねぇだろ? このオレがいろいろ教えてやるよ。ありがたく思いな」

「…………」

「って──ああ! やべぇオレも大学のことしらねぇ!! モップどこだモップ!!!」

「……どあほう……」

「なんだとコラ流川、てめぇ!!」

 コントを繰り広げる二人を見かねたのは二年生だ。

「ノブナガ君、オレも手伝うよ」

「ええッ!? そんな、いいっすよ仙道さん! お気づかいなく!」

「信長ー、モップ、奥の右手の倉庫にあるみたいだよ」

「あ、すいません神さん! ホラ行くぞ流川!」

「うるせーどあほう、黙ってろ」

 この騒ぎを横目で見つつ、つかさは体育館を出て高頭を追った。今日の反省や明日の練習についての打ち合わせのためだ。

 

「まあ、今日は様子見というところだな……。なにかコメントはあるか?」

「いえ……。やっぱり、一軍は二軍より抜けていて羨ましく思いました」

「そりゃ一軍だからな!」

 

 小さくため息を吐いたつかさに高頭は愛用の扇子を開いて大声で笑い、なおさらつかさは脱力した。それは高頭は満足だろう、あんな優秀な選手達を見ていればいいのだから、と言ったところで仕方がない。

 さて、と高頭はパチンと扇子を閉じる。

 

「今のところ、神奈川にとって最大の壁となり得るのは愛知県だ。なにせセンターに強力な選手がいるからな。対するウチはセンターが弱い」

「花形さん、高砂さん。どちらもパワー型ではないですからね。でも、だからこそうまく使えば相性がいいとも言えます」

「うむ。一人で立ち向かわせるのが無謀ならば……。ダブルセンター起用、という手もあるからな。賭けにはなるが。いずれにしても、私は高砂・花形に割く時間を多く取るつもりだ」

 

 高頭は自身のダブルセンター起用の策と練習案について触れ。そして小一時間ほど経っただろうか──、話を終えて体育館に戻ると、そこにいたのは神一人であった。

 

「神くん……」

「あ、つかさちゃん。お疲れさま」

 神はいつもと同じようにシュート練習をしていた。──神は一日500本のシューティングを自らに課しているのだ。いつも神は朝・夜と時間をうまく使ってこなしているが、今日の分はまだ終えてなかったのだろう。

「神くんだけ……? 居残り練習してるの」

「うん、みんな宿舎に戻ったよ。夕飯食べてるんじゃないかな?」

 言いながら神はなおシュートを打ち続ける。居残り特訓は義務でもなんでもないが、それにしても、と思う。

「もっと練習した方がいい人がいっぱいいるのにな……」

「うーん。まあ仕方ないよ。みんな疲れてるだろうし」

「そうだけど……」

 つかさは自然と神の方へ歩いていき、ボールを手に取った。パス出しを手伝うためだ。

 そして一球、また一球とまるで流れ作業のように続けていると、入り口の方からキュッとバッシュと床のこすれる音がして二人して振り返る。

「あ……」

「仙道……!」

「よう。お疲れさん。熱心だな、二人とも」

 意外にもやってきたのは仙道で、予想だにしていなかった二人は目を丸めた。

「仙道、お前……あがったんじゃなかったのか」

「ああ、腹減ってたから夕飯食ってきた」

「な、なにしに来たの?」

「え、練習だよ、そりゃ」

 ははは、とあっけらかんと言われてつかさは思わず神と顔を見合わせた。おそらく神もつかさと同じ心境だったのだろう。意外そうに瞬きをしている。

 とはいえ、自主練習をするのはむしろ歓迎すべき事だ。仙道がボールを手にとってドリブルを始めたのを見てから二人は再びシュート練習を再開した。そして30本ほど打ったところで、仙道が神に声をかけてきた。

「神ってどうやってそんなにスリー入れてんだ? オレにもコツ教えてよ」

「え……!?」

 言われた神はキョトンとして、腕を抱えてしばし考え込み、うーん、と唸った。

「──練習。かな」

 途端、仙道が弾かれたように笑い出す。

「あっはっは。そりゃそうだ! でも、神のフォームは柔らかくて綺麗だよな。ちょっとやそっとの練習じゃあ身に付かない」

「そりゃ……どうも」

「オレ、そんなにスリー得意じゃねえんだよなぁ」

 仙道は持っていたボールを突きながら、今度はつかさの方を向いた。

「つかさちゃん、スリーのお手本見せてよ。参考にすっから」

「え……。私……?」

「コーチだろ、今は」

 言って仙道は持っていたボールをシュッとつかさに向かって投げ、受け取ったつかさは少し口をへの字に曲げる。

「いいけど……。私のスリー、参考にならないと思うよ、たぶん」

 変な打ち方だし、と言いつつドリブルしながら歩いてスリーポイントラインまで下がったつかさは一度ボールを両手で押さえると、じっくり狙いを定めてから膝を曲げ、シュッとボールをリリースした。

 そして見事リングを通ったボールを見て、わ、と神の声が跳ねる。神はつかさのスリーを見たのは初めてだったのだ。

「参考になった?」

「うーん……。クイックで打てる?」

 仙道は腰に手を当てて首を捻っている。もっと速く打て、と言うことらしい。

「打てるよ。……たぶん。パスもらえる?」

「おう」

 言うと仙道はボール籠の方に歩いていって、一つボールを掴んだ。

「行くぜ!」

 瞬間──、あまりの絶妙さに度肝を抜かれるほど、寸分の狂いもなく、完璧なタイミングで「ここがベスト」という位置へのバウンドパスが来てつかさは目を見張った。──と同時にボールを投げあげる。──入った。とあまりのクイックモーションだというのに確信が持てた。事実、ボールは綺麗にリングを抜け。わ、と神からは感嘆の声があがった。

「入った……! すごい」

 神の声を聞きつつ、つかさは自身の両手を見つめた。──これ以上ないほど打ちやすいパスだった。悔しいが、彼のパスセンスはやはり天性のものだ。

「仙道くん、もう一回!」

「──おう!」

 やりやすい、と感じたつかさはもう一度彼のパスを受けてみたくてそうせがむと、仙道はニコッと笑ってボールを手に取った。そうして受け取る、打つ、受け取る、ということを3度ほど繰り返してハッとする。

「あ……! え、えと……その……。クイックモーションの参考になった?」

 なにを自身が熱中しているのだろう。と気恥ずかしい気持ちを誤魔化すように言えば、仙道は、ふ、と薄く笑いながら頷いた。

「ああ。……たぶん。うん。──神! パスくれ」

 言って神に手を振りつつスリーポイントラインまで下がってくる。どうやらスリーを打ってみるつもりなのだろう。

 頷いた神は自身の手に持っていたボールを仙道へ向かって押し出すようにして投げた。

 瞬間、受け取った仙道はシュッと美しくワンハンドでボールを放ち──綺麗にゴールを貫いて、つかさは、う、と喉を引きつらせた。

「入っ──!」

 入った。と声にはならなかった。──いまのモーション、そうとうに速かったではないか。本当に苦手なのか? とジトッと仙道を睨んでいると、仙道はもう一回だと神にパスを頼んで、二発目も見事に決めてしまった。

 当の本人は、おお、できた、などと言いながら手を握ったり開いたりして笑っている。

「い、いまのスリー、十分モーション速いよ! ほんとに苦手なの!?」

「え……。でも今のはつかさちゃんのタイミングの真似だぜ。オレだってスリー打てるけど、確率そんなに良いわけじゃないし、モーションが速いわけでもねえしな」

 あっけらかんと言われて、ぐ、とつかさは言葉に詰まる。どちらにせよ、それが本当であれば、こちらが出来ることは見ただけでコピーできるということか。と、つかさとしては複雑にならざるを得ない。少しだけワザと、ジト目で仙道を睨んだ。

「なんか……むかつく……」

「えぇ……!?」

「だいたい、さ……。仙道くんみたいな長身にあんなに速く打たれたらブロックできないし。私なんてどんなに速く打とうが、フェイダウェイ使ってみようが、仙道くんくらいの人には叩き落とされるのがオチなのに」

 ハァ、とため息をついて神と仙道を交互に見上げながら肩を落とした。

「いいなぁ……二人とも背が高くて。私も190くらいあればなぁ……」

 すると今度は仙道が露骨に口元を引きつらせる。

「い、いや……それはちょっとな……。オレと目線が同じとか……いや……かなりちょっと……」

 そうしてブツブツ言っている仙道をスルーしてボールをかき集め、キ、と神を見上げる。

「さ、続きしよう! 神くんのシュート成功率でモーションをもうちょっとでもあげれば対応は益々難しくかるから、練習!」

「うん。そうだね。オレも負けてらんない」

「そうそう、湘北、陵南みーんな倒して海南大附属18年連続優勝!」

「ええ、ちょ……ひでぇ! 今はチームメイトだろ!?」

「うん。だから仙道くんはディフェンスで協力してね、私、パスだすから」

「──! こりゃ、まいったな……」

 ははは、と全員で笑い合い、神の残り100本ほどのシューティングを再開した。

 二年生同士の仙道と神だ。片や天才、片や努力の人、と思われがちであるが──、こうして一緒にバスケットをすることは二人にとってきっとプラスになるだろう。

 おそらく次の夏は──二人はキャプテン同士として頂点を争うことになるはずだ。だが今は──互いに頼もしいチームメイトだろうな、とつかさ自身も二人を頼もしく思った。

 そうしてようやく、本日の練習が終了する。時計を見れば、もう9時を回っていた。

「さすがにお腹すいたな……」

「私も……はやく帰ってごはん食べたい」

 ボールを片づけながらそんな話をしていると、あ、と仙道が思いだしたように訊いてくる。

「つかさちゃんの部屋って一人部屋? オレたちは4人部屋だったけど」

「え……?」

 その問いにつかさは目を瞬かせた。──あ、そうか、と気付いて首を振るう。

「私、学校には泊まらないよ。家から通う」

「え──ッ!?」

 瞬間、仙道がピシッと固まり、神も申し訳なさそうな表情を浮かべた。

「そうなの? ごめん、オレも知らなくて……。片づけたらすぐ帰ろう。送っていくよ」

「大丈夫、心配しないで。往復してたら遅くなっちゃう」

「でも……」

 そんな問答をしていると、ハッとしたらしき仙道も加わってくる。

「あ、じゃあオレが送ってく。オレはもう夕飯済ませちゃったしな」

「え……、い、いいよそんな……」

「いや、そうもいかねえだろ、夜だし」

「いや、ほんとにいいから……」

 面倒なことになってきた──、と頬を引きつらせていると、ちょうどボールを片づけ終わったところで外側の扉がガラッと音をたて、パッと3人はそちらを見やった。

 

「なんだ、まだ電気が付いてるから誰かと思えば……。ずいぶん遅くまで残ってたんだな、お前達」

 

 紳一だ。既に一風呂浴びたような風体をしている。

「お兄ちゃん!」

「お前、家から通うって言ってなかったか? 泊まっていくのか?」

「あ、ちょうど今から帰るところ。お兄ちゃんは?」

「オレはちょっと家に忘れ物してな。取りに帰ろうと思ったら体育館の電気が付いていて寄ってみたんだ。ま、ちょうどいい。帰るぞ」

「あ、うん。ちょっと待って……!」

 つかさにとっては渡りに船だ。急いでロッカーに置いている荷物を取りに走りながら後ろを振り向いた。

「じゃ、神くん、仙道くん、また明日!」

 そうしてつかさが去り──、いやにシンと静まりかえった空間が体育館内に出来上がった。

「オ、オレたちも宿舎に戻ろうか?」

 神が仙道に笑いかけると、ふ、と仙道は肩を竦めてから「そうだな」と続いた。

「神、部屋割り知ってるか?」

「うん、見た見た。オレたち二年は全員同じ部屋だよね、確か」

「ああ、宮城が気楽でいいって喜んでたぜ」

「ははは、確かに。逆に流川と信長は先輩達に囲まれてるから、気を遣っちゃうかもね」

「いーや、ノブナガ君はともかく、流川は気ぃ遣うようなタイプじゃねえだろ」

 そんな雑談をしながら二人が宿舎用の校舎に入り、部屋に入るとすっかりくつろいでいる宮城と隅で大人しくしている福田の姿があった。

「よう、おかえりお二人さん! 今日からしばらくよろしく頼むぜ。ま、オレたち三人新キャプテン同士ってことで仲良くやろうぜ」

「あ、うん。よろしく宮城」

「……ジンジン……。メシ……あっち」

「え……? あ、オレのメシ? ありがとうフッキー。シャワー浴びたら食べるよ」

 福田が指さした先を見やるとローテーブルの上にラップのかかった夕食が置いてあり、神は笑って言うと練習での汗を流してからようやく夕食に手を付けるに至った。

 宮城はやれテレビがないだなんだと愚痴りつつずっと喋っており、仙道がうまくそれに付き合って、福田は黙しながらも雰囲気にちゃんと付いてきている。海南のメンバーは一人もいないが二年だけの空間というのは思いの外、居心地が良いかもしれない、とお茶に口を付けながら神は思う。

「神ってさ……」

 すると、ふと仙道の声がして「なに?」と神は湯飲みをおろした。

「もしかして毎日、練習後にスリーの練習やってんのか?」

「え……。ああ、うん。さっきはありがとな。今日の練習はかなり充実してたよ」

 はは、と笑う。事実、仙道はディフェンスをしながらもこちらの隙を気付かせてくれるようなディフェンスのやり方で、今日のシュート成功率はここ最近で最低だったものの自分の弱点に気付くという発見もあり、なにより楽しかった。それに──。

「オレ、ちょっとびっくりしたんだ。つかさちゃんがバスケットやってたのは何となく知ってたけど、スリー打ってるところは初めて見たからな。それにあのクイックモーション……かなりの速さだったし」

「たぶん……練習したんだろうな。ブロックかわすために……」

 すると仙道がそんなことをボソッと言って、え、と聞き返すとハッとしたようにニコッと笑ってなんでもないと口を噤んだ。

 神が首を捻っていると、畳に身を投げ出していた宮城がガバッと起きあがって話に入ってくる。

「バスケできんの? あのコ」

「そりゃあ、できるだろ。コーチなんだし、一応」

「っていうかなんでコーチが女でマネージャーが野郎なんだよ! テンション下がりまくりだぜ! ウチのアヤちゃんつれてきてもよかったじゃねえか! おれ寂しくて死んじゃう!」

「……誰……?」

「あ、お前しらねーの? 湘北のアヤちゃんって言ったら、バスケ部の誇る美人マネージャーだろうが!!」

「あ、オレ知ってるぜ。あのグラマーでいつも帽子かぶってる子だろ?」

「テメーは知らなくていいんだよ仙道! アヤちゃんに近づくな!」

 シッシッと宮城が心底イヤそうな顔で仙道を追い払う仕草を見せ、神は「ははは」と乾いた笑みを漏らした。あ、ご飯美味しい、などと彼らとは別のことを考えつつ──明日に備えて今日は早めに寝よう、と思った。

 

 その頃、別の部屋で清田は持ち込んだ課題を渋々広げていると同室の花形が丁寧に教えてくれて感激し、「オレ、上手くやれそう」などと思っていたところだった。が。

「三井、お前、大学はどうするんだ? 受験するのか?」

 うっかり花形がそんな事を漏らしたせいで一気に空気が凍った。

「い……。いや、一応……推薦をだな……」

「え、推薦? どこの大学からきてるんだ?」

「い、いや…………これから推薦がくる予定で、だな」

「これから? もう10月になるんだぞ。まずいんじゃないか? 少しくらい受験も視野に──」

「ウルセー! テメーみたいな秀才とちがってこちとらノーチャンスなんだよバーカ! ああ、バカだよバカで悪かったな! なんか文句あんのかコラッ!」

 逆切れだ……。と、これでいて意外に先輩に気を遣うタイプの清田はこの状況に背中に冷や汗を流し、同じく口を挟めないでいる高砂の方に泣きついた。

「高砂さーん、なんとかしてくださいよー!」

「オレには無理だ……。やはり赤木でないと……」

「赤木さん今いないじゃないっすかー!」

 言いながら、海南の平和さを再確認すると共に湘北のタチの悪さも改めて感じる清田だった。

 

 一方、もう一方の部屋では紳一、藤真、長谷川がローテーブルを囲んで緑茶を雑談の友としていた。

 流川は既に一人寝息を立てている。

「しかし、良く寝てるな流川のヤツ」

「けっこう遅くまで校内ランニングやってたみたいだからな」

「流川なりに体力のなさを補おうとしている、ってわけか」

 ローテーブルの上に置いてあるのはボードだ。やはりキャプテン陣、高頭の起用がどう来るか気になっているのだろう。

「お前……、どう思う、牧? この選抜メンバーの中にポイントガードが3人。いや、もしも仙道ポイントガードの起用があれば4人だ」

「さてな。だが監督は仙道をポイントガードには考えてないんじゃねぇか? オレとお前がいて、わざわざ仙道をガードにする必要ねえだろ」

「それもそうだな……。だが、ポイントガードにはこの急造チームをまとめあげる責任がある。お前にそれができるかな?」

「ほう。良い度胸だな。オレに勝つつもりか、藤真?」

 ──神奈川名物、意地の張り合いもこれで見納めと思えば。我慢するか。と、横で見ていた長谷川は一人茶をすすった。



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15話

 ──翌朝。

 

 神は5時半にセットしていた目覚ましをわずか1コールで止めた。

「ん……」

 布団から起きあがって、他の三人を起こしてしまっていないか見渡して「あれ?」と呟く。

「仙道……?」

 仙道の布団は無人──、まさか、と思いつつ着替えて顔を洗うと急いで体育館へと行った。すると案の定ボールの音が響いており、ひょいっと中をうかがうとやはり仙道が一人でシュート練習をしており、神は驚いてしばし立ち尽くしてしまった。

「お、神。おはよ、はやいな」

 そのうちに気付いたらしき仙道が振り返って、にこ、と神に笑みを向けた。

「あ、ああ……おはよう。仙道こそ、はやいね」

「オレはたまたま。目が覚めちゃってさ」

 言いながら仙道はスリーを打った。ガツッ、と外す音が聞こえてありゃりゃと首を捻っている。先ほどから酷く成功率が低い。

「うーん……。難しいな……」

「つかさちゃんの真似?」

 成功率が低いのは、どうやらつかさのスリーポイントの打ち真似をしているのだと気づいて突っ込んでみると、ハハッ、と仙道は笑った。

「うん。あれなんて打ち方なんだろうな?」

「普通のツーハンドだろ?」

「いや、でもかなり高く跳んでただろ。ツーハンドってふつう跳ばねぇからバランスの取り方がまったくわからん」

 やってみろよ、と言われてひょいとボールを投げられ、神も取りあえず打ってみたが予想外に思うような軌道は描かずに、バックボードにぶち当たって見事に外れてしまった。

 ほら、と言われ、神も肩を竦める。

「たぶんだけど、スリーってラインのすぐ外から打てば距離が一定だから、スリーの時だけ自分の打ちやすいやり方で徹底的にやったんじゃないかな? だって、昨日も言ったけど、オレ、彼女がスリー打てるって知らなかったんだよ。普段は普通にジャンプシュート打ってるから」

「え……、つかさちゃん、ジャンプシュート打てるのか?」

「ああ、牧さんと合宿前に練習してて打ってるところ何度か見たんだ。けど、女子だって世界的にはワンハンドの方が主流だし……それは練習したんだろうけど、さすがにスリーをジャンプシュートで打つのは、女の子には辛いよ」

 オレたちにだってキツいのに、と言うと仙道は感心したように瞬きをする。

「なるほどな……、だから"スリーは"参考にならない、って言ってたのか」

 そんな仙道を見つめつつ、神はストレッチを始めた。良い意味で仙道に対するイメージが裏切られた、と思う。昨日の夜といい、これほど熱心に練習を重ねるタイプだとは思っていなかったのだ。やはり天才と呼ばれているだけあって裏では努力家なんだろうな、などと思い自然に笑みを浮かべていると「なに?」と仙道が訝しがり、神は小さく肩を揺らす。

「いや、ごめん。気を悪くしないで欲しいんだけど……」

「んー……?」

「正直、仙道が時間外にこんな自主練習をするタイプだとは思ってなかったから……意外に思ったんだよ」

 すると、仙道はキョトンとして困ったように首に手をやった。

「まいったな……。そういうわけじゃねえんだけど……」

「え……?」

「オレは神みたいなタイプじゃないっつーか……。いや、でも、この選抜はおもしれえと思ってるぜ。だからかな、なんとなくやりたくなっちまうのは」

 言って、ヒュ、と仙道は綺麗なジャンプシュートを決めた。そうして再び練習を再開した仙道を見つつ、神も一日のノルマを開始する。

 そうして互いに一言も発しないまま、ボールの音だけが響いてしばらく経った頃──ガラッと扉が開いて、二人して扉の方を向いた。

 3人目の早朝自主練組か──、そこには切れ長の瞳を少しだけ開いている少年がいて、お、と二人して声をかけた。

「よう、流川。はえーな」

「おはよう、流川。流川も朝練?」

「……チッス」

 少年──流川はギロッと仙道を一蹴すると、神にちらりと目線を送って頭を下げてから体育館に入ってきた。

 うーん、自分は先輩扱いしてくれても仙道はダメか、と神はその流川の様子に内心苦笑いを漏らすしかない。クールで無表情な男ではあるが、どこか飄々としている仙道よりはよほど分かりやすいタイプだ。

 あれは仙道もやりにくいだろうな。とアップをしながら仙道の方を凝視している流川を見て僅かばかり同情しつつ、シュート練習を続ける。そして時計の針が6時を30分ほど回った頃。唐突に流川が仙道へと歩み寄っていった。

「おい、仙道」

「ん……?」

「オレと勝負しろ」

 藪から棒に、と聞いているこちらがハラハラする。体育館の空気が一瞬にして緊迫し、神は思わず二人の方を振り返ってしまった。

 流川にボールを差し出されて睨み付けられた仙道は、数秒ののちに腰に手をあてて、ふ、と笑った。

「いーや。断る」

「なッ……!」

 え、と神にしても流川と同じ反応を見せた。仙道は常と変わらない笑みを浮かべている。彼には常に余裕があると他者に感じさせるのは、この笑顔のせいもあるだろう。

「オレはいまから朝メシだ。お前と勝負してる暇はねぇ。じゃーな」

 言ってひょいと流川の横をすり抜けて行ってしまった。流川はというと、予想外の反応だったのかただでさえ鋭い目線を益々鋭くして舌打ちをしている。

 そのまま気持ちを自主練習に切り替えたのか、八つ当たり気味に強くドリブルを始めた流川を見て神はシュートの手を止めた。一日の三分の一は終わった。残りはあとの回しても問題ない。

「流川」

「……?」

「オレでよければ相手しようか? 1on1」

 言ってみると、流川の瞳が意外そうに開かれた。

「まあ、オレだと満足いく相手はしてやれないかもしれないけど……。オレもちょうどシュート以外をやりたかったんだよね」

 どうかな? と言ってみると、本当に意外だったのだろう。彼はしばし瞬きをしてから、はぁ、と力のない声を漏らした。

「いっすけど……」

「じゃ、オレディフェンスやるから。流川からね」

 言って神は流川のいたコートに入った。1on1での流川の強さは別格だと知っているが──ポジションは同じだ。それに、自分は元センター。インサイドでのプレイは未だに得意だと自負している。

 近い将来、紳一が引退したら自分がキャプテンを引き継ぐことになるのだ。来年の海南を睨んで、自分はフォワードとしてパワーとインサイドプレイを強化する必要がある。

 1on1の相手を探すのは実はそう容易ではない。まして海南には流川クラスの選手はいないのだから。こういうところは選抜合宿ならではの強みだな、と神は練習が始まる直前まで流川と共に汗を流した。

 

 

 そして共に汗を流し合い、寝食を共にし、三日も経つころには初日のぎこちなさは一転、全体の呼吸が合うようになってきた。

 もともと急造チームで心配なのはチームワークだ。しかし、これほどの能力を持った選手同士。一度コツを掴めば驚くほど簡単に合わせられるものだ。

 

 つかさは比較的自分がよく見ている二軍の選手たちの穴について考えていた。

 宮城はシュートレンジが狭すぎるし、福田はオフェンス力はあってもミドルが苦手であり、ディフェンスはザルに近い。清田は良い選手ではあるものの、将来的には外のシュートを覚えてもらわなければシューティングガードとしては使えないし、パスもガードとしてはそれほど上手くないし、すぐに熱くなり視野が狭くなる傾向にある。

 むろん、秀でた部分もあり、宮城はこの選抜の中でも最速を誇り、清田も運動能力だけならピカ一、福田も欠点は多いが裏を返せばそれだけ伸びしろがあるということだ。

 が──この合宿を見ていて、一番欠点らしい欠点を克服しようとしているのは意外にも最も欠点のない仙道だ。どういう理由であれ、自身のシュート範囲をより広げて安定させようとしている。それは外に弱い陵南のため、なのかもしれない。しかし、ここで「外」まで仙道に負担をかけては、いよいよ陵南というチームはお終いだ。

 やれやれ、どうするかな。と考えていると、高頭がセンターの二人を呼んだ。先日言っていたダブルセンターの練習をするのだろう。次いでつかさが呼ばれ、指示を受けた。

「あとの連中はハーフコートの1on2だ。3面使っていいぞ」

「え……、でも監督、それだと一人余ります」

 つかさが手をあげると、高頭は数秒考え込む仕草を見せ、ならば、と言った。

「君も入るといい」

「──は?」

「一組1on1にして君が入ればちょうどいいだろ。組み合わせは任せる」

「え、ちょっと……」

 どういう指示だ、と思いつつ、ハァとつかさはため息をついた。仕方がない。1on2か。つまり1対2であるから、ディフェンスは比較的楽である。オフェンス強化の意味合いが強い練習だ。

 「えー……じゃあ」とつかさはぐるりと選手たちを見渡した。実力的に偏らないよう、瞬時に組み合わせを考えていく。

「長谷川さん、三井さん、流川くん。神くん、福田くん、藤真さん。清田くん、宮城くんは私と……。あとお兄ちゃんと仙道くんは、ごめんなさい、1on1で。オフェンスとディフェンスは1ゴールごとに入れ替わってください」

「うっす!」

 言えば、自然と紳一と仙道がコートの外に出て、つかさのチームを除く2チームはコートへと入った。ちらりとつかさは自分の指名した二人を見やる。

「清田くん、宮城くん」

「はい!」

「おう」

「よろしく。さ、誰がオフェンス?」

 すると二人が顔を見合わせる。普段なら自分がオフェンスをやりたがる清田だが、先輩二人を前にそんな主張をするはずもない。

「じゃあ、私からってことで、よろしく」

 言うと、二人は頷いて宮城がハイポスト付近に行き、清田がミドルに下がった。

 自身のサイドでまとめていた髪を、さすがに邪魔だな、とシュシュを引き抜いて真後ろに括り直す。宮城と清田なら、それほど高さのある相手ではない。宮城に至っては自分とは1センチしか違わないし向こうの方が低い。違うのはジャンプ力であるが──突破するだけならなんの問題もない。

 ダム、ダム、とつかさはボールをついた。腰を落とす宮城を見つめ、思う。ごめんね、と。

 やりにくいよね、と。──自分とのマッチアップを、苦しみながら続けていただろう諸星の姿を思い浮かべた。

 ──ごめんね、大ちゃん。

 せめて、すぐ終わらせよう。──と持ち手を変えて、機をうかがう。

 

「宮城とつかさなら、身長はほぼ同じだな」

 

 気になるのか、隣のコートは手を止めてつかさ達のコートを見やり、三井がそんなことを呟いた。そうだな、と紳一も頷く。

 

「ま……。まず無理だろうな」

「は? まあ、そりゃ……女だしな」

「いや、そうじゃない」

 

 瞬間、宮城の横をつかさが抜けてワッとコートが沸いた。

 

「抜いたッ!?」

 

 チッ、と舌打ちして宮城が電光石火の速さで追う。

 

「止めろ、清田ッ!」

「うお──ッ!」

 

 一気に中に切れ込んだつかさがジャンプすると共に、追っていた宮城も跳び、清田もブロックするべく勢いよく跳び上がる。

 ──しかし。

 ふ、とつかさはジャンプシュートのモーションで跳び上がった身体を捻り、そのまま後ろからひょいとブロックを避けるような大きな弧を描いてボールを高く放り投げた。

 空中の二人が瞠目し、見ていた選手達も息を詰めた。

 

「なッ…………!?」

「ダ、ダブルクラッチ……!」

「ス、スクープショットか!? しかも背面から打ったぞ!」

 

 そうして3人の着地と共にスポッとボールはリングを抜け、あっけにとられる二人につかさはニコッと笑いかける。

 

「はい、ディフェンス交代」

 

 おお、と見ていた仙道も目を見張り、ふ、と紳一が腕を組んで口角をあげた。

 

「あれは、つかさのもっとも得意なシュートの一つ。諸星やオレのブロックをかわすために身につけた……いわば対諸星用だ。知らなければまず止められん」

 

 オフェンスを宮城に替わり、清田はインサイドに留まってつかさもディフェンスに入る。

 宮城は、まさか抜かれるとは思っていなかっただろうが──それでもやはり、異性相手だと守りにくいし攻めにくいだろう。

 そこに付け入るようで申し訳ないけど──、とつかさはドリブルを続けていた宮城へと一気に一歩詰め、バウンドに合わせてボールを弾いて宮城の横を抜けた。

 

「あッ──!」

「コラァ、簡単に取られんな宮城ィ!」

 

 一瞬で勝負が付いて、外野から三井の罵声が飛んだがつかさが「三井さん、練習して!」とすかさず突っ込んで、チ、と舌を打つだけに終わった。

「んだよあれ……。腐っても牧の妹ってか?」

「オレの妹だからかはともかく……。オレと諸星相手にずっとバスケをやってきたつかさに対応できる人間はそうはいない。少なくとも、あいつのテンポに慣れるまではな。上背のない宮城は特にきついだろう」

 紳一はなお腕組みをして淡々と言い下した。インサイドでパワー勝負、走り合い、跳び合いの連続という筋力がかりになってくるとつかさは不利であるが、むしろこういった小競り合いならスキルと経験のあるつかさはそこそこやり合える。と口角をあげていると、ふ、と隣の仙道が静かな笑みを漏らして紳一は顔をあげた。

「どうした、仙道?」

「楽しそうだ……、つかさちゃん」

 目を細めた仙道の声は穏やかで優しく、ハッとした紳一がコートに目線を戻すと、確かにつかさの表情は明るく、息を呑む。

 

「甘いッ!」

「ナメんなよ、一年坊主!」

 

 コートではオフェンスが清田に移り、つかさと宮城にダブルチームでつかれて完全に攻めあぐねている。

 ──清田は、そこまで強い突破力を持っているわけではない。

「もらったッ!」

 案の定一瞬の隙をつかれて宮城にあっさりボールを取られ、周りから同情とため息を一身に受ける結果に終わった。

 

 ──楽しんでどうする、とその後ハッとしたつかさは意識してディフェンスに取り組み、わざと宮城や清田にミドルからシュートを打たせ、取りあえずの「ジャンプシュート苦手」意識を改めて植え付けた。

 人間、いくら注意されても自分で「やばい」と認識しなければ努力しようなどとは思わないからだ。正直に言えば宮城を強化することは将来の海南、そして陵南にとっては驚異となる。とはいえ国体の間だけはコーチとしてちゃんとやると決めたために、つかさは今だけはそのことを忘れた。

 むろん、清田の方にはシューティングガードにとって外を担うことがいかに大切か懇々と告げた。

 

「よーし、15分休憩だ!」

 

 高頭の声が響いて、ワッと選手達が散った。

 仙道も、隅に置いていた自身のタオルを首に引っかけながらドリンクを手にしつつ高頭の方へ歩み寄る。

「監督、ごらんになってました?」

「なにをだ?」

「つかさコーチたちの1on2」

 ああ、そのことかと頷きながら二人して反対側のコートへと視線を投げる。

 

「つかさ! 次はオレと勝負しろい!」

「お断りします。休憩中だし」

「なんだとコラ逃げんのかッ! いっとくがこのオレは宮城のようにはいかねえからな!」

 

 三井に絡まれているらしきつかさを見つつ、仙道は高頭へと視線を流した。

「監督は知ってたんですか? 彼女のこと」

「もうだいぶん前だが……。ミニバスの試合を観たことがあってな」

「ミニバス……」

「ああ。男女混合の愛知代表のチームで彼女は牧や、いまの愛和学院のキャプテン・諸星大と共にプレイしていた」

「諸星……」

 例の"大ちゃん"か──、と仙道はペットボトルを握りしめる。高頭はどこか懐かしむように目を細めた。その光景を思い出しているのだろうか。

「本当に凄いフォワードだったぞ……。まだ小学生だったとはいえ、あの牧・諸星を要してなお彼女がエースだとはっきりと分かる……、あれこそ、まさにエース・オブ・エースと呼ぶにふさわしい選手だった」

「エース・オブ・エース……」

「どれほどの選手になるのだろう、とその後、中学の試合で彼女を捜したが……。中学でもスター選手だった牧・諸星とは違い、彼女を公式戦で見つけることはついに出来なかったがな……惜しいことをした」 

 高頭の声色に残念そうなものが混じる、が、愛用の扇子をバサッと開いて仰ぎ始めた高頭は上機嫌そうに笑った。

「ま、あの様子を見るに、まったくサボとったわけでもなさそうだな!」

 仙道も肩を竦めていると、三井を振りきったらしきつかさがこちらを向いて、あ、と笑い、パタパタと走ってきた。適当に結っていたらしい髪がゆらゆら揺れて、まさに"ポニーテール"だな、などと笑みを浮かべているとつかさの方は高頭の前で立ち止まる。

「監督、高砂さんと花形さん、どうでした?」

「まァ、なんとも言えんな……。しかしあの二人が神奈川優勝のカギを握ってると言っても過言ではない。きっちり詰めんといかん」

「高砂さんと花形さん……?」

 二人の話が見えない仙道が呟くと、ハッとしたらしき二人が揃って仙道を見上げた。

「戦略上の話だ。対愛知選抜を想定しての……」

「そう! 愛知のセンターに対抗できる選手が今の神奈川にはいないから、対策を講じてたの。そして仙道くんは──」

 言いかけてハッとしたらしきつかさはそこで口を噤んだ。

「オレは、なに……?」

 聞き返すと、つかさは「しまった」とバツの悪そうな顔を浮かべたあとにふるふると首を振るった。

「き、企業秘密! ほら、選手はちゃんと休憩取って!」

 そして背中を押されて追い払われてしまい、仙道は撤退せざるをえない。

 なんなんだ、と思いつつ仙道はドリンクを口にしながら目を伏せ、呟いた。

 

「対愛知選抜、か……」

 

 一方のつかさが仙道の背を見送ってホッと胸をなで下ろしていると、隣で高頭が緩やかに笑った。

「田岡先輩は、本当にすごい逸材を見つけてきたものだ」

「え……?」

「仙道だ。この数日間、仙道を指導してきてまざまざと思い知らされた。アイツは、紛れもない天才だ。しかもまだまだ発展途上の素材。末恐ろしい……いや、田岡先輩が羨ましい限りだ」

 聞きながらつかさも、ふ、と笑う。こうして仙道が誉められるのは珍しいことではないが、やはり嬉しい。しかし高頭は「ただ」と続けた。

「アイツはどうもウチの選手と違って闘志が感じられん。その辺が流川や牧との最大の違いだが……ま、それも天才ゆえの何とやら、というヤツかね」

「……性格、かな……」

 高頭の言い分もよく分かるつかさは苦笑いと共に肩を竦めた。むろん、もどかしくも思うが──いまは。そういう仙道こそが仙道なのだから、いいか。と思っている自分もいて……と視線を流すと、うっかり仙道と目が合って、ニコッ、と微笑まれたものだからパッと視線を高頭に戻した。

「それに指導していて良く分かったが、仙道は常に他人をよく見て気遣っている。一見、飄々とはしとるがな。……まあ、その辺りがポイントガード向きの資質に繋がっているのかもしれんが……」

 言いながら高頭はパチンと扇子を閉じ、休憩の終わりを宣言した。

「神奈川のスタメンは強い。だが強力な控えがいてこそ、スタメンも安心して強さを発揮できるものだ。──頼んだぞ、つかさ君」

「──はい!」

 つかさもキュッと表情を引き締める。

 合宿は残り一週間弱。特別な技術を得させるには短すぎる期間だ。それでも彼らはまだ高校生。伸びるときは一気に伸びる。そのきっかけさえあれば──とつかさも選手たちに向かう。

 今日のラストは、一軍及び高砂はフォーメーション。二軍は弱点強化だ。──もっとも選手たち自身は自分たちが一軍・二軍に分けられていることを知らないが、薄々感づいてはいるだろう。

 つかさはディフェンス要員として呼ばれた長谷川に三井のオフェンスでディフェンス練習をするように言うと、残りの3人を呼んでボール籠を引っ張ってきてジャンプシュートの練習に入った。

「まずは基本から。得意な距離から打って、入ったら一歩下がって打つ。三回入ったらまた一歩入って打つ」

 言いつつボール籠からボールを取って打ってみせる。次いで一歩下がり、みなの方を向いた。

「確率が悪いのは、たぶん自分とリングとの距離を正確にイメージ出来てないから。いま自分がコートのどの位置に立っているのか、そこからリングまでの距離はどのくらいか。空間をイメージして──、打つ!」

 言って打ったジャンプシュートはスパッと決まり、「じゃあ、はじめ!」と言うと3人一斉に取りかかった。──三年生が一人もいないというのはつかさにとってもやりやすい。

 シュートフォームの善し悪しはもちろんあるものの、要はシュートというものは入ればいいわけで、選手にとって「入る」フォームがあればそれが一番正しい。

 とはいえやはり基本はあるのだし──と思いつつジッと3人を観察する。宮城も清田もフォームは悪くない。この二人は苦手意識が取れれば大丈夫だろう、と考えながらチラリと福田を見やった。問題はここだ。聞けばバスケットを始めたのは中2の終わり頃だという。故に──やはり穴も目立つ。

「福田くん」

 呼べば振り向いた福田を、フリースローの距離と等距離の場所へ連れて行き、そこから打つように言った。福田はフリースローの確率は悪くない。

「フリースローを打つ感覚と全く同じように打ってみて」

 少々コミュニケーションの取りづらい選手だが致し方ない。微妙に福田は眉を寄せたが、大人しく構えて打つ。が、ガツッとリングに引っかかり──。数回打たせても入らない。なぜフリースローが入ってこれが入らないのか訳が分からない。ボードの跳ね返りを使え、などと高度なことはなにも言っていないと言うのに。

 ちょっと見てて、とつかさはフリースローラインに立って、そこから「フリースローと同じ感覚で」とジャンプシュートを打った。そうしてもう一つボールを拾ってそのまま福田のいる位置まで行き、「同じように打つ」と前置きしてもう一本打ってみせる。

「フリースローが入るなら、ぜったい入るから! はい、もう一回!」

「……」 

 一瞬、福田はつかさを睨み、ついでプイッと前を向いて再び打ち始める。そうして3回連続で入れた所で、「よし、一歩下がって」と少し距離を開かせた。距離の感覚はフリースローラインの一歩後ろ。気持ち遠い感覚で、とアドバイスしながら続けさせる。

「続けて続けて!」

 手を叩いてジャンプシュート組を鼓舞しつつ、つかさはチラリと背後のハーフコートに目線を送った。──後ろでは三井と長谷川が必死の攻防を繰り広げている。こちらは問題なさそうだ。目線をジャンプシュート練習組に戻す。

 ──つかさ自身は、自分の能力的に無理のあるブロックショットやパワーでの押し合い以外にこれといって不得手なものはなく、それさえも女子相手ならおそらく問題なく、技術的に「苦手」なことはない。ゆえに、いまいち「苦手を克服」という感覚は分からないが、要はやはり経験だと感じた。ジャンプシュートは一見、ロングレンジがもっとも高難度のように見えて、意外とそうでもない。ミドルレンジよりもスリーの方が得意という選手は一定数いるのだ。それは常にスリーポイントであれば一定の距離であるため、「入る」感覚が掴みやすいためだ。

 もっとも、神のように大幅にスリーポイントラインから下がって打てるような選手であれば話は別であるが、シュートの成功率は距離感を掴めるか否かにかかっていると言っても過言ではない。これは才能もあるが、やはり練習あるのみだ。

 一軍のコートは──目の毒だ。忘れよう。せめて一軍コートに連れて行っても見劣りしないくらいの選手に、来年の夏にはなってもらわなくては困る──と福田を見据える。他の二人と比べてシュートフォームが安定していない。

「福田くん」

 またイヤそうな目で振り返られて、つかさはだいたいの福田のタイプを理解した。あまり注意を受けるのは好きではないのだろう。が、ダメも出されずに伸びる選手はいない。

「最後の、手首の返しの時に少し力が入ってる。あまり遠くに飛ばそうって思わないで。距離のイメージだけしっかり持って──」

 言いながらボールを拾い、シュッとミドルを打ってみせる。

「私でもリングに届くんだから、力む必要はないよ。これにディフェンスがいたらぜったい身体に力が入るから、練習の時はとにかく力まないで!」

 そうしてボールを拾い上げて福田に投げ、再び打たせる。

 不満を持たれてもしかたない。福田にはディフェンスも仕込まなければならないのだから、睨まれた程度でひるんでもいられない。

 

「──それでは、解散!」

「おつかれーっす!!」

 

 ようやく一日の練習が終わり、今日も疲れた、など言いつつ体育館を出ていく三年生を見送って仙道はスッと福田にドリンクを差し出した。

「お疲れさん」

「……ああ……」

 受け取って、福田は無言でごくごくと喉を鳴らす。それを見ながら、ふ、と仙道は笑った。

「付きっきりの指導だったみたいだな」

 さっき、と言うと露骨に福田はイヤそうな顔をした。そのままドリンクを飲み下し、フン、と鼻を鳴らす。

「生意気な女だ」

「そこがカワイイんだろ」

 笑って返せば、福田からは呆れたような目線を受け、プイッと背を向けられてしまった。

「お前の趣味を疑う」

 ボソッと呟きながらスタスタと去られ、あらら、と仙道は肩を竦めた。そうして首にかけていたタオルで汗を拭いつつ、さて、と周囲を見渡す。

 

「オレもやるかな、外シュート練習」

 

 一方、練習終了後につかさを待っているのは反省会だ。

 清田のミドルが弱いことを知っている高頭は指導の礼を述べつつ、さて、とスケジュールを見ながら腕を組んだ。

「明日からは予定通り、積極的に試合形式の練習を入れていこうと思う。メンバーも随時入れ替えてだ」

「はい」

「だが……、スタートは一軍・二軍でやるから、明日までにスタメンを決めておいてくれ」

「──え!?」

 一軍監督、私。二軍監督、君。と言って豪快に笑う高頭につかさは頬を引きつらせた。

「え……、ちょっと、二軍不利すぎるんじゃないですか?」

「そりゃ同然だな。二軍だから」

 それはそうだが……となお頬を引きつらせていると、それはそれとして、と高頭はテーブルに他県のメンバー表を広げ始める。

「強敵になるのは、やはり秋田──山王工業チーム。それと愛知県選抜だろうな」

 ハッとしてつかさもメンバー表に瞳を落とした。愛知の、「諸星大」の文字を無意識のうちに追う。

「ウチは他のポジションに比べてセンターが弱い。だが、愛知には一年生ながら強力なセンターがいる。そして愛知の誇るスター選手・諸星……は君と牧の元チームメイトだな。諸星は、山王の沢北がいないいま日本一といっても過言ではない選手だ」

「──はい。彼はいい選手です。よく……知ってます」

「愛知のセンターを二人がかりで何とかしようと思ったら、もう諸星には何人も費やせん。先日のインターハイでうちは愛和には勝ったが、諸星個人には勝ったとはとうてい言えない内容だった」

 言って考え込む高頭を見つつ、つかさも考える。高頭に意見をするのは、コーチとしてならありだが。──しかし。これはあまりに、と思いつつごくりと喉を鳴らす。

「あの、監督。……とても、個人的な考えになるのですが……」

「なんだ……?」

「諸星選手とのマッチアップは、仙道くん……ではいけませんか?」

 ゆっくりと高頭が瞳を開いた。あまり考えてはいなかったのだろう。

「仙道……? 仙道に2番の諸星の相手を、か……?」

 なぜだ、と問われてつかさは視線を外す。言いにくい、と思いつつばつの悪そうな顔を浮かべた。

「いえ、単に……私が個人的に、仙道くん対大ちゃんを見たい、というだけです」

 瞬間、弾かれたように高頭が笑い出した。扇子で膝まで叩き始めている。そんなに笑うところか? となおつかさがバツの悪そうな顔を浮かべるも、なお高頭は笑っている。

「そういうことなら私も見てみたいぞ! 仙道対諸星! 見ている分には面白かろう。……だが、流川、三井……考える手はいくらでもある」

「戦術面で言えば……。流川くんや三井さんより仙道くんのほうがディフェンスがいいです。仙道くんにはちょっと負担かもしれませんが、パスもさばけてゲームメイクもできる選手なので、フォワードに神くんを入れていれば、オフェンスは神くんを中心にしてもいいのでは?」

「まァ、インサイドに怪物がいる以上、愛知戦はアウトサイド優先ではある。そういう意味では外の確率が高い選手の起用が第一だな」

「三井さん、藤真さん、流川くん……ですか」

「まァ、この合宿での選手たちの仕上がりを見てみないことには何とも言えんがな。取りあえず、君は明日のスタメンと対策を考えてきてくれ」

「──はい」

 話を終え会議室を出ると、コートの方からはドリブル音が漏れてきており、まだ居残り練習をしている選手がいるのだと暗に知る。おそらくは神だろうな、と思いつつひょいと中を覗くと、やはり神がスリーを打っており──、もう一方のコートでは仙道も同じようにロングレンジを打っていて、つかさは少し目を見開いた。

 ──今日も残っているのか。という思いと、なぜスリーを? という思い。

 

『私にとっては大ちゃんが最高の選手だったんだけど……』

『一年前の夏に、仙道くんをインターハイの予選で見たときに、神奈川にはこんないい選手がいたんだな、ってびっくりしちゃった』

 

 まさか、自分があんな事を言ったせい? なんてあるわけないか。きっと気まぐれか。陵南のためか。フルフルと思考を振り切るように頭をふるってコートに背を向ける。

 取りあえず今日は帰って、明日に向けての対策を考えよう。と、つかさはそのまま体育館をあとにした。

 

「なーんか……、あんま言いたくねーんだけどさ……」

 その夜──、宮城は持参した雑誌をめくりつつ遅れて夕食を食べている神と仙道にぼそりと言った。

「この選抜……、既にスタメンとベンチに二分されてねーか? 6・6に分けられた時、神や仙道は高頭監督の方だったろ? オレたち……セカンドコーチだし……。今日のメインなんかジャンプシュートだったしさ」

 言われた神と仙道は手を止めて顔を見合わせる。緑茶をすすっていた福田の手もピクッと反応した。

「オレたちも、メインはいたって普通のフォーメーションだったよ」

「だから、それってスタメン起用を見据えて呼吸合わせようとしてんだろッ!?」

 神が答えると宮城がうっすら涙目で訴えてきて、うーん、とさすがの神も苦笑いする。

 皿に乗っていた唐揚げを箸でつまみながら、仙道はサラッと言った。

「けど、宮城もノブナガ君もガードだろ。ガードにミドルは必須だし、妥当だと思うけど……。お、唐揚げうめえ!」

「フッキーも、せっかくオフェンス力があるんだからミドルも強化させようと思ったんじゃないかな。つかさちゃん、上手かったよね、ジャンプシュート。あ、でも宮城たちとの1on2はちょっと驚いたな」

「あああッ! 言うなイヤなこと思い出しちまった!!」

 途端、宮城は頭を抱えた。あっさり抜かれた上にボールもあっさり取られたのだ。油断してなかったといえばウソになるが、無様だったことには変わりない。

「あのときの信長のジャンプは甘かったけど、それでもかわしたってことは相当跳んでるよね。たぶん、オレと同じくらいのジャンプ力だな。凄いよね」

 ははは、と神は笑う。ふ、と仙道も笑った。

「神ってどれくらい跳べんの?」

「オレは至って平均。悔しいけど、仙道と身長変わらないのにダンクは練習でなんとかやれる程度だし」

「つかさちゃんは女子では跳べる方だろうな、あの感じだと。……宮城、そう落ち込まんでもお前の方がスピードもジャンプも上だぞ」

「それは喜ぶ所か? 当然じゃねーの?」

 女の子なんだし、と宮城が突っ込めば、仙道は肩を竦める。

「まあ、そうだけどさ」

「それよりスタメンの件だスタメンの件! この山王突破男・宮城リョータがスタメンじゃないなんてことは……!」

「うーん……。牧さんと藤真さんいるし、ガードは激戦じゃないかな。──仙道もいるしね」

「え、オレ?」

「ええッ!? 仙道お前ポイントガード狙ってんの? やめとけやめとけやめとけ! お前にはこのオレが最高のパスだししてやるから、な! オレたちで最強コンビ結成しようぜ!」

「オレと組みたかったのなら、陵南に来てれば良かったんじゃねえか?」

「う……。あ、いや……」

 ハッと宮城は田岡からのスカウトを断った過去を思い出し、仙道は冗談めかして面白そうに笑った。

 

 

 ──、一方。

 

「どうやれば…………勝てるのかな…………」

 牧・藤真・花形・仙道・神・流川VS高砂・三井・長谷川・宮城・福田・清田。という試合展開を頭の中で巡らせていたつかさは、いよいよ限界が来てぷっつりと机に伏し頭を抱え込んでいた。

 



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16話

 ガリ勉キャラを気取っていても所詮はただのガリ勉。元はよくなかったらしい、と突破口らしい突破口を見つけられなかったつかさは、翌日、目に隈を作ったまま学校を目指した。

 そもそも自分に監督をやれという方が間違っているのだ。この手の仕事は、ガード向きの人間に適正がある。対する自分はガードが一番苦手なポジション。無理がありすぎる、と卑屈になりつつため息を吐く。

 しかし、とはいえ。練習試合の目的は勝つことではないのだから、いいのでは、と思う。選手たちには未来があるのだから、この合宿で来年に向けての課題を見つけて次に活かせればそれが一番いいはず。などと思ってしまうのは負け惜しみではないはずだ。

 そうだ、彼らには未来があるのだから。──と、眠い目をこすりながら体育館に向かう。

 

「おはようございまーす……」

「ギャハハハハ! なんだその目の隈は! ちゃんと寝てんのかぁ?」

「元気ですね三井さん……、朝っぱらから……」

 

 人の気も知らないで。と三井の爆笑を聞いていると高頭がやってきてさっそく本日の練習が開始される。

 

「今日は基礎練習のあとに紅白戦を行う!」

 

 途端、ザワッと選手たちが色めき立った。

「私のチームは白で牧・藤真・花形・仙道・神・流川。つかさ君のチームは赤で高砂・三井・長谷川・宮城・福田・清田だ。審判とスコアラーは海南から連れてくる」

 やはり試合というのは嬉しいのか選手たちの顔に明るさが増す。が、一方で偏っていると思しきチーム分けに訝しがる様子も見られた。

 しかし、何はともあれ練習試合ということで──アップを終えた両チームは試合開始10分前にそれぞれのベンチに集合する。

 つかさもメンバーを前にして、一度深呼吸をした。

「えー……、それじゃスターティングメンバーを発表します。ポイントガード・宮城くん」

「おう! ま、当然だな」

「セカンドガード・清田くん」

 途端、弾かれたように怒鳴ったのは三井だ。

「おい! なんでオレが2番じゃねえんだ!」

「三井さんは3番をお願いします。えー……、フォワードに長谷川さん、センターは高砂さんで行きます」

 瞬間、スタメンを外された福田の身体が撓っていたのをつかさは感じたが、選ばなければならない以上は致し方ない。

「向こうのポイントガードはたぶん藤真さんです。あと、流川くんはスタメンじゃないと見て──」

「流川がベンチだとッ!?」

「牧さんがポイントガードじゃない……?」

 当然の疑問が三井や清田から寄せられたが、高頭がおそらく流川をシックスマンで使うつもりだということを知っているつかさは「たぶん」とだけ答えた。

「見て分かるとおり、あっちは全国得点王だのなんだのエース級ばかりで手強いです。よって、こっちのチームはディフェンス重視! 例え地力の差がある相手に対してでも、ディフェンスさえ良ければチャンスが生まれる。ディフェンスはゾーンで行きたいんだけど、練習してないから各自声出して、仙道くん、お兄ちゃんにボールが渡ったらヘルプでプレッシャーをかけること! 清田くん!」

「はい!」

「この中で牧紳一を一番知ってるのは清田くんだから。──止めてね」

「は……はい!」

 まさか紳一とのマッチアップを言い渡されるとは思っていなかったのか清田は緊張気味の面もちで愛用のヘアバンドを押さえ、グッと表情を引き締めた。

「長谷川さんは仙道くんをお願いします。抜かせないこととパス出しさせないことを最優先で考えてください」

「おう」

「そして……、こっちのオフェンスの軸は三井さん。ガード陣は三井さんにチャンスがあれば必ずパス出しして確実にスコアに繋げること。それと……、本来はあっちのチームもチームメイトです。国体本番は必ず代わりがいる、ということを頭に置いて、ペース配分を気にせず全力で走ること! です!」

「おう!」

 そうしてつかさは番号のついた赤のゼッケンをみなに配りつつ、三井に「4」を手渡した。この中では、リーダーシップを取れるのは彼だからだ。

「お願いしますよ、三井さん。──3番、やれますよね?」

「バーカ誰に言ってんだ」

 不敵な笑みで受け取った三井はそのままコートへと入っていった。

 案の定──あちらは流川がベンチだ。コートの外でムスッと腕組みしている。不本意だったのだろう。

 審判が試合開始を宣言し、まずは一軍──白ボールから。

 

「一本だ! まず一本行くぞ!」

 

 やはり──藤真をポイントガードで起用している。当然だな、とちらりとつかさは高頭を見た。

 紳一は──体格的にはパワーフォワードが欲しい神奈川選抜としては是が非にでも欲しい人材だが、現実問題として1番の選手を4番にコンバートというのは無理な話だ。役割自体が似ている2番と3番を入れ替えるのとはわけが違う。

 ──おそらく、この選抜チームでスタメンとして固定できるのは仙道と神のみ。しかしフォワードとしては二人とも申し分ない得点力なのだがチーム全体としてインサイドが強くない分、仙道が4番の役割をこなさなければならくなるという側面もありそれは歓迎できない。彼はガードに近いフォワードとして動かしてこそ、その能力が最大限に活きるからだ。とはいえ流川も控えにいることだし、仙道をリバウンド・インサイド要員として使うのも、まあ、なくはないが──と考えていると藤真から紳一へのパスが通った。ハッとしてつかさは声を出す。

 

「清田くん! パスに気を付けてッ!」

 

 藤真は178センチの清田と184センチの紳一、191センチの高砂と197センチの花形というミスマッチを使うつもりだ。──と読んで呼びかけるも清田は少しの睨み合いで紳一から花形へのパスを許し、花形は高い位置で受け取ってそのままリングへと放り込み先取点を決めた。

 が、赤も負けてはいない。宮城は上手く清田を使ってパスを繋ぎ、すぐに三井がミドルからジャンプシュートを決めて2点返した。

 ──白は明らかに動きを調整している。まるでフォーメーションを確認するように、だ。つまり余裕があるということ。それもそうだな、とつかさは思わざるを得ない。個々の能力はやはり白が勝っている。彼らに必要なのはチームとして高レベルで機能する、ということだけだ。

 しかし。さすがに三井は巧いな、と。神をうまく抑えながら指示通りオフェンスの軸として得点を重ねている彼に舌を巻く。器用な選手だ。さすがに元神奈川ナンバー1。が、あの調子ではガス欠だな、とチームで一番張り切って動いている彼を見つつ、チラリと福田に視線を流す。

 オフェンス力のある福田だが──、ちょっとあの白チームに切り込んでいくのは厳しい。ましてディフェンスのできない彼を入れれば、点差は開くだけだろう。

 しかし、その現実を目の当たりにすることこそ彼には必要かもしれない。と考えていると、あ、とコートから声があがった。

 

「仙道、スリー!?」

「リバンッ!」

 

 いっそ嫌みなほどの高い打点から仙道がスリーを放ち、そのままリングを貫いて、ほう、と高頭も呟いた。

「仙道……」

 見事なクイックモーションと高さだ。あれはなかなかブロックできない。彼なりにスリーに自信があるということだろうか?

 赤チームはそれがつかさの作戦なのか、明らかにディフェンス主体のバスケットを展開している。仙道ならば強引に切り込むことも可能だろう。が、彼はスリーポイントを打った。切れ込むより打った方が良いと判断したということは、それなりにスリーポイントにも自信を持っているという証左に違いない。

 何か一つくらい苦手なことはないのだろうか。と高頭をもってしても思ってしまうほど、仙道はこれといった欠点が見あたらない。

 仙道はいわゆる「ポイント・フォワード」というポイントガードとフォワードを兼ねられる希有な選手だ。ボール捌きがうまく、何より集中している時のスコアの積み上げ方は控えにいる流川をも凌ぐ。しかも──外がコンスタントに打てるとなれば。

 もしや、2番に据え置くとまではいかずとも2番に入れればピタッとはまるのでは。と高頭は無言でパタパタと扇子を仰いだ。

 神は元々センター出身であり、ガードの役割はこなせない。神はあくまで外の得意なフォワードだ。三井の調子が良ければツインシューターで使うのも強力かと考えていたが、仙道を2番に置けるなら仙道の方が攻守共に厚い。

 ならば、やはり諸星にアテるのは──、と考えて高頭は扇子を閉じた。

 

「まあ、まだわからんが……」

 

 清田は良く頑張っているが、やはりまだ紳一とのマッチアップは荷が重いか。とつかさはスコアを睨んだ。前半残り5分。8点ビハインド。白チームは調整試合。赤は必死も必死の本気。それなのにこの差だ。

「厳しいか……」

 唇を噛む。逆にいえば、神奈川の層の厚さに小躍りすべきところであるが、チームを預かっている以上は胸中穏やかではいられない。

 みな作戦をよく守り、ディフェンスに徹して得点はほぼ三井が取ってくれている。ディフェンスに関しては赤のスタメンはなかなか──あれだけの白チームに食らいついていっているのだ。うまい。ただ──。

 

「チャージドタイムアウト・赤チーム」

 

 そろそろ三井は辛そうだな、と感じた後半開始5分後。つかさはタイムアウトを取って皆を集め、しばらく三井を休ませて福田を出すことに決めた。

「みんなよく抑えてる。もう一度いうけど、ディフェンスさえちゃんとすれば、プラスにならなくてもマイナスになることはない。きっちり抑えて、チャンスで確実に一本。これでいいから」

「おっす!」

「福田くんはそのまま、神くんについて。チャンスがあったら攻めるのは大事だけど、まずはディフェンス!」

 こく、と小さく頷いて福田もコートに入る。

 三井の方は肩で息をしながらその場に座り込み、水分補給をしている。

「三井さん、10分……いや5分後、いけます?」

「……ああ……! だが、けっこう、やばいと思うぜ……ッ、点数、開いちまう……」

 ゼーハー息を荒げながら三井が歯を食いしばり、なぜ、と聞いてみると三井は豪快に舌打ちをした。

「福田だ! あいつじゃ神を抑えられん!」

「……でも、福田くんも、点数の取れる選手ですから……」

「ああ、普通ならな……! だが、どうやって、あのメンツの上から点取るってんだ……ッ!?」

 あんな素人くせーのに。と続けて、さすがに三井はよく分かっているな。といっそ感心する。そうなのだ。インサイドには長身の花形に加えて仙道・すぐヘルプに飛んでくる紳一というやっかいな二人がいる。この二人が福田に簡単に点を許すはずがない。

「三井さんは、インターハイ予選で福田くんの足を完全に止めてましたからね」

 ファウルしてたけど、とは続けずに言うと、ハッ、と三井は肩で息をしながら笑った。

「当然だッ……! だが、オレに止められるなら、牧にも仙道にも止められるぜ。しかも、守りにしても、アイツのザルディフェンスじゃ無様に抜かれるのがオチだ……差は、開くぜ……」

「まあ……、仕方ないです」

「ああッ!?」

「それでたぶん福田くんは自分の欠点を自覚しますから、長い目で見ればプラスです」

 ただし陵南のためだが。とは湘北の三井には言わずにつかさはコートを見守った。福田には神がマークでついている。が、福田のオフェンスは警戒しているのだろう。一歩入ればすぐに紳一がヘルプに来て、やはり簡単には抜かせてもらえない。

 清田が単発で点を返したりと奮闘してはいるものの──、白もディフェンスの穴は福田だと既に知っているせいだろうか。完全に狙われて神のスリーポイントが当たり始め、差は一気に倍へとふくれあがった。

 

 結局その後、残り時間10分で三井をコートに戻したが──、差を詰めるのは難しく、10点の差が付いたまま白は余力を残した状態で勝ちを決めた。

 

「くっそー! なんでこのオレが……ッ、だいたい白側は反則だろあれッ!」

 

 昼食の時間になってもブツブツ三井は先ほどの試合について文句を言っており、流れでなんとなくつかさは三井の前に腰を下ろした。

「赤もよくやってたと思いますよ」

「ああッ!? テメーなに無責任なこと言ってんだ!? 勝たせろよカントクだろ!」

 三井名物・逆切れが発動するも、理屈上はそのとおりなのでつかさはグッと耐えた。

「高頭先生が見てたのは、勝ち負けではないと思いますよ。同じチームなんですし……、確かに白にはエース級ばかりでしたが、全員一緒に試合に出してうまく機能するかは分かりません。現に流川くんはずっとベンチだったし」

 高頭は結局最後まで先ほどの試合に流川を出さなかった。途中、つかさにしても「神と替えてくるはず」と福田と三井を交代させた時に覚悟したが──彼はそうしなかった。そうするまでもないと読んだのか、それとも──と考えつつ三井を見やる。

「三井さんは良い選手です。少なくとも私はさっきの赤チームの中では三井さんがいたから安心してチームを任せられました。ガード陣も長谷川さんも、それをよく分かって動いていた。私、湘北の試合もけっこう見てますけど……いつも巧い人だと思って見てましたよ」

 隙らしい隙と欠点がないし。と言うと、三井にしては珍しく「お、おう……!」とどもっていた。

 事実、三井は三井で一つのシューティングガードとしての理想型だ。これで体力がもっとつけば選手としてはより完成されるだろう。ただ──三井では諸星には及ばない、とつかさは黙する。バネ、運動能力といった基本の身体能力は諸星が圧倒的に勝っている。

 三井もセンスは負けていないのだが……と思いつつつかさは夏のインターハイの湘北対愛和学院を思い出した。疲労困憊していたとはいえ、三井・流川では諸星にはまったく歯が立たなかったこと。

 

 国体で彼らをどう使うか──、というのは監督にとっては嬉しい悩みの種、といったところだろうか。

 

 その後もメンバーのシャッフルを行い通常練習と織り交ぜながら数回練習試合を行い──最後の方は体力的に厳しい状態でコートを駆ける選手たちを興味深く高頭は見ていた。

「ウチの選手たちの足は強いな、やはり」

「そうですね。兄と神くん、清田くんは本当に底知らずです。でも宮城くんもなかなか……」

 基礎練習・練習試合を交互に繰り返す。きついなどというものではない。地獄に等しいだろう。こいういう状態でも、きちんと動けていつものパフォーマンスを演じられる力を海南の選手は身につけているのだが。そのペースに付いていっているのは宮城だ。それと──。

「仙道はいつでも冷静だな……。涼しい顔しおって。これはアイツの長所だが、短所とも言える」

「仙道くん、おそらく"楽"なんだと思います」

「楽……?」

「周りに仙道くんクラスの選手がいっぱいいる……。無理をする必要がない」

 普段どういうトレーニングを積んでいるのかは知らないが、仙道の体力も相当なものだ。それに仙道は、確かに適正はフォワードだと言えるのに、ポイントガード的な側面を持ったプレイを好む傾向にある。──これは性格も影響しているのかもしれないが、チームメイトの欠点をうまくカバーして長所を引き出すのが巧い。ゆえにこれほどのメンバーに囲まれた仙道は十二分にチームメイトの力を引き出してやれるし、また、自分が無理をして誰かのカバーをする必要がない。むしろ紳一や藤真といった優秀なガードが彼を助けてくれる。

 なるほどな、と高頭も唸る。

「仙道の良いところは、チームのカラーをすぐに変えられることだ。これはウチの牧にはできん」

「お兄ちゃんのチームは、すぐにお兄ちゃん色に染まりますからね」

「だいぶん見えてきたな。神奈川というチームが……」

 腕を組んで高頭が笑った。

 頭の中で、"神奈川選抜"というチームで戦う彼らをイメージできているのだろう。そう、これは海南ではない。全く別のチームなのだ。

 ワクワク。ワクワクするのは当然のことだろう。これほどのメンバーは、おそらくどの県でも集められはしない。

 国体は、いける。だが──、すぐに彼らはまた敵同士に逆戻りだ。

 

『うわああ、魚住4ファウルだーー!!』

 

 あんな、インターハイ予選のような思いは、もう──。

 

『ごめん……』

『え……?』

『カッコ悪かったよな……』

 

 負けちゃってさ……。と自嘲していた仙道の表情が脳裏に過ぎって、ぐ、とつかさは拳を握りしめた。

 

 その後──今日の練習が終了して高頭との話し合いが終わると、つかさはコートに戻ってバスケットボールを一個持ち出した。

 相変わらず居残って練習してくる神や、今日も残っていた仙道に「頑張って」とだけ言い残して、外へ出た。

 この時間なら、選手たちは夕食を終えて宿舎にいるか、それとも──。

 

 一方──、つかさに探されているとは知るよしもない福田は夕食後の腹ごなしに校庭をふらふらと歩いていた。

 どこをとっても大きな学校だ。設備も充実していて環境に恵まれている。合宿も、陵南からは仙道と自分だけとはいえ昔なじみの神もいて居心地も悪くない。

 陵南から選ばれたのは、仙道と自分だけ。越野や植草は呼ばれなかったのだから優越感も覚えた。しかし──、いまいち「手応え」を感じられない。ヌルいという意味ではない、逆だ。

 今日の初戦の紅白戦ではベンチスタートだったあげく、三井の代わりで出たときは失点に次ぐ失点で、しかも得点させてさえもらえなかった。その後の数回の試合でも思うほどには点数を入れさせてもらえなかった。と、そんなことを考えていると「あ、いた!」とどこからか声がかかって振り向く。

 すると、セカンドコーチを務めているつかさがバスケットボールを片手に小走りで近づいてくる姿が映り──福田は目を見張った。

 なんだ……? とジッと見ていると、つかさはバスケットボールを突きだして言った。

「練習しよう!」

 なんなんだ、となお黙していると、つかさがオフェンス、自分がディフェンスで1on1をやろうというのだ。

 ディフェンス──、と呟いて福田はそっぽを向く。

「断る」

「え……ッ!?」

 つかさが固まった気配が伝うも、構わず歩いていこうとすると「んー」となにやら考え込んでいる様子が分かった。

「今日は、時間がなくてディフェンスを教えてるヒマがなかったけど……。今の方がいいと思うけど……」

「……?」

「みんなの前でだと、たぶんやりにくいんじゃないかな。1on1のディフェンスで福田くんが止められる選手はこの合宿にいないから」

 ピクッ、と福田の眉が動いた。なにをサラッと当たり前のように──とイラッとしてつかさに向き直る。

 

 が、つかさとしては至って真面目であった。

 

 素人に毛が生えたほどの福田のディフェンスに阻まれるほど甘い選手はこの合宿にはいない。自分とてそうだ。188センチの福田にブロックにかかられたり、リバウンド勝負などになったら圧倒的に不利であるものの、ドリブルで抜くのは容易い。

 それほど福田の守りは弱いというのを──果たして本人が理解しているか否か。

「じゃ、始めようか」

 もはや返事を考えさせるのも億劫だ。ちょうど明るいし十分なスペースがある。言うと同時にドリブルを始めると、福田は若干いやそうな顔をしたものの応じた。

 が──、問題はどう「抜く」ではない。抜くのは簡単だ。どう「守らせる」か考えないとな、と思案しながらつかさはドリブルを続ける。例えば分かりやすくフェイクを入れて、引っかからないように意識させるとか。甘いドリブルを見抜かせて反応させるようにし向ける、とか。

 ディフェンスのコツなんて、おそらくはない。それに陵南の田岡がディフェンスの指導が下手だとも思えない。魚住も、仙道も、ディフェンスに関しては目に見えて伸びているからだ。

 タンッ──! と福田を抜き去って、何回目か分からない勝利に若干息を乱しながら振り返ると、汗だくの福田が悔しそうな顔色を浮かべている。

 彼もまた負けず嫌いではあるのだろう。無言でまた構える姿勢を見せた。

 そんな顔をされても──、とゆっくりハンドリングしながらボールを突いていると、不意にバッと福田が手を伸ばしてきたためレッグスルーでスッと持ち手を替え、一気に脇の開いた福田を置き去りにする。が──。

「わッ──!?」

 止めようとしたのだろう。福田の腕に利き手を弾かれて、つかさは思い切りアスファルトへ滑り転んでしまった。

「──ッ!」

 ファウルだろ、と思いつつ見事に擦りむいた腕の傷の鋭い痛みに顔をしかめると、さすがに福田もばつの悪そうな顔をしている。

 ここで謝らないのが彼らしい、とジト目で見つつ、ポケットに入れていたハンカチで傷口を覆って結び、ボールを拾う。

 すると、福田が棒立ちしたまま小さく首を振るった。

「やりにくい……」

「え……?」

「女とは、やりにくい」

 言われてつかさは目を見開いた。まあ、そうだろうが……と納得しつつ頭に手をやる。

「福田くん、さ……。ディフェンスの練習、好きじゃない?」

「どういう意味だ?」

「ディフェンスの練習って地味だとは思う。目に見えて、成果って分からないし。周りには福田くんよりバスケ経験の長い人ばかりだから、オフェンスと比べて差が付きやすい……。それにオフェンスの、福田くんの得意なインサイドエリアの練習ってたぶん、楽しいしね」

 結局のところ、ディフェンスの得手不得手は経験に左右されるものの、基本は身体づくりだ。地味で苦しい鍛錬の積み重ねが基本を作るのだが──これが好きだという人間はほぼいないだろう。オフェンスの練習の方が楽しいに決まっている。楽しむことを否定はしないが、それだけではダメな場合だって勝負所では出てくる。

「今は、練習時間外だから、個人的なことを言うね。陵南は魚住さんが抜けて、インサイドが弱くなる。だからどうしてもオフェンスの主体を少しでも外に広げなくちゃならないし、福田くんは4番だから……魚住さんのあとのセンターと協力してリバウンドだって頑張らなきゃならない。こなさなきゃいけないことがいっぱいあるよ」

 ボールを握りしめて訴えると、福田は不可解だと言いたげな表情を浮かべた。

「なぜ……お前がそんなことを言う? 海南のお前が」

「そ、……それは……」

 それは。それは──来年のインターハイのため、とつかさは脳裏に湘北に敗北してインターハイへの道が閉ざされたと知った時の彼らの表情を浮かべた。

「私は、陵南に……仙道くんにぜったいにインターハイに行って欲しいから」

「──ッ!?」

「仙道くん、夏の試合でたった一人でチームを支えてた。あなたたちはいつも、心のどこかで仙道くんに頼り切ってる。これから魚住さんのいないチームで……このままだと仙道くんの負担が増えるだけ……。ウチにも、湘北にも勝てないで終わっちゃう」

「……お前……」

「お願い……! 仙道くんを、助けてあげて……! 福田くんのディフェンス力があがれば、リバウンドが取れれば、仙道くんの負担が減る。……合宿から帰ったら、越野くんにも伝えて。ガードが外から打てれば、攻撃のコマが増える。でもこのままだと、もしインターハイに出られても、勝ち上がれない!」

 ボールを握りしめると、福田はハッとしたように目を見開いた。

「仙道くんは、きっと負けない。全国でも、きっと負けない……! でも、陵南が勝てないと意味がない。お願い……!」

 ボールを掴む手がいつしか震えていた。ただ──しばし黙っていた福田は、無表情のまま一言だけ言った。

 続けよう、と──。

 

 一方──、体育館に最後まで居残った神と仙道は、散らばったボールを片づけながら「腹減った」と譫言のように繰り返していた。

「さすがに、今日はちょっとしんどい」

「今日、けっきょく何試合やったっけ? オレは何度か引っ込んだけど、仙道は出ずっぱりだったもんな」

「けど、神は気合い入ってたよな。スリー以外にも動いてくれるからオレもパス出しし易かったし。さすが海南の次期キャプテン、だな」

 そんな風に仙道が言って、あはは、と神は笑った。

「それもあるけど……。つかさちゃんが見てたから、ね」

「え……!?」

「"私が出たほうがマシ"って思わせたくないな、ってさ。時々、思ってると思うんだよね。ディフェンス抜かれた時なんて、ちょっとした恐怖だよ」

 ははは、と神はあっけらかんと笑いながら続けたが、仙道は笑みを浮かべながらも少しだけ額に汗を浮かべていた。

 特に深い意味があるとは思えない。言葉通りの意味だろう。

 

 まいったな──、などと仙道が神の言動に呟いている頃。

 紳一たちの部屋では紳一は各県代表のメンバーリストを眺めており、藤真はダンベルで筋力トレーニングをしていた。

「なあ牧、山王……じゃない、秋田代表には沢北はいないんだろ?」

「ああ、リストにも名前がない。しかし……腐っても山王だ、沢北の替わりくらいいるさ」

「いや、いないだろ。沢北の代わりとなれば仙道・流川クラスじゃないと務まらない。国体で怖いのは秋田じゃない」

 言われて、紳一も「そうだな」とリストに目線を落とす。おそらく宿敵となるのは──親友の率いる愛知代表。

 愛知選抜の構成メンバーである愛和学院と名朋工業は仲違いをしていたはずだが、どうなっているのだろうか。さすがに割り切って良いチームを作っているか。諸星はそんなに陰険な性格ではない。おそらくはちゃんとまとまりのあるチームを作って出てくるだろう。などと考えていると、藤真が視線を送ってきた。

「そういや、お前の従妹はバスケットやらないのか?」

「ん……?」

「そうとう上手いだろう? マンツーでの平面勝負だったら、オレたち選抜チームでも厳しいと思うぞ」

 言われて、紳一はああと頷く。

「局所勝負ではそうかもしれんが、アイツじゃリバウンドは取れんしパワー負けしてゴール下では吹っ飛ばされる。速攻のスピードにも追いつけんだろうしな」

「おいおい、どんなゴリラと勝負させる気だ? 高さもスピードもジャンプ力も、相当だろう。こんなところで、清田たちにジャンプシュート教えてる場合じゃないと思うがな」

 藤真はおそらく女子VS女子を想定したのだろう。呆れたように言った。が、紳一はそれには答えなかった。

 非があるとすれば、それは自分と──そして、と浮かべた親友の顔をすぐにかき消す。誰のせいでもない。誰のせいでもなかった──。

 

 どうにもならないことだったのだ。──と考えつつ、紳一は大きなため息を吐いた。



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17話

 ディフェンスの極意って、なんだろう?

 

 結局のところ、地道なトレーニング、というのを度外視したら「どれだけ強い相手」と「どれだけ密に向き合えるか」にかかっている気がする。と、つかさは自室の机で悶々と考えていた。

 実力の拮抗した相手と常に1on1ができる環境にいる。という選手は存外少ない。そういう環境をいつ頃から、どのようにして、どれくらいの時間手にすることができたか、にある程度の選手の成長はかかっていると思う。

 そう言う意味では自分と諸星、紳一は環境にも相手にも恵まれていたと言える。自分たちはディフェンスも得意だと自負しているし、マンツーどころか一対多数をむしろ得意としているのだから。

 とはいえ、「どのように守るか」を言語化したら、きっと恐ろしい統計学の論文のできあがりとなって実行するに至らないだろう。ディフェンスもある程度の才能は必要だし、案外と清田あたりがディフェンスの才能があるんだよな、などと浮かべてつかさは肩を落とした。

 動きに対する「カン」が良いとでも言うか。紳一に言わせれば、それは「経験」らしいが、むろんその通りとはいえ瞬時に反応できるカンはやはり才能の一つである。

 あとは自分が守る選手をよく研究しているか否か。シュートが得意な選手なら当然シュートチェックに入りやすいよう守るし、ドライブの得意な選手なら少し距離を取るなど事前の調査も欠かせない。

 しかし──、これを全部福田に告げても混乱するだけだろう。

 やはり何ごとも基礎から。「経験」の浅い彼は、ただ「守れ」と言われても何を選択していいか分からずに混乱し、結果抜かれるのだ。一歩ずつ、一歩ずつ。まずは「必ず右から抜く」と決めて右だけ守らせる。対応を身体で覚えさせる。そうして地道にレベルアップを目指すしかないだろう。

 

 来年、陵南には絶対に全国に行って欲しい──。

 

 けれどもこの国体が終わってまで陵南の選手に手を貸すことはできない。だから、今しかないのだ。

 福田も少しはやる気になっているようだし、練習前や練習後に時間を作って一緒にやろう。と考えつつパラパラとノートを捲る。

 反省点や予定などがびっしり書いてあるそれを見てつかさはため息を吐いた。

 まだまだやることがいっぱいある。

 ──今日の練習試合を見て仙道の2番起用にかなり積極的になったらしき高頭は、対秋田戦を睨んで「仙道・流川のエースコンビ」という青写真を描いたらしいが……果たしてそう上手くいくのかどうか。

 かつての、ミニバス時代の諸星と自分のような連携が組めれば、などと反省会で高頭は力説して「明日は手本を見せてもらうぞ」などと言われげんなりしたが、仙道はともかくも相手はあの流川である。

 しかしながら……、高頭が仙道の2番起用に積極的になったということは、愛知戦はやはり仙道を対諸星用に2番で使う可能性が高くなったということだ。

 実現すれば心躍る待ちに待った対戦のはずだが──。果たして。

 

「大ちゃん……」

 

 いざ対戦となったら、ちゃんと見ていられるのだろうか。と過ぎらせて、ふるふると首を振るった。

 そしてノートを閉じる。明日は高頭の要望通り、いつも以上に実演しなければならないのだ。はやく寝て明日に備えよう、と一度伸びをした。

 

 

 翌日──。

 練習開始時間も迫り、高頭は大学の体育館へと足を向けた。

 脳裏に浮かぶのは、国体での戦略だ。神奈川全国制覇にあたって、もっとも危険視しているのは愛知代表と秋田代表である。

 愛知にはスター選手の諸星と怪物・森重がおり、秋田代表に至ってはそのまま山王工業である。しかしながら山王のスーパーエース・沢北はNCAA挑戦を睨んで既に渡米しており、山王自体の強さは弱まっていると言っていい。

 愛知の森重対策には花形・高砂のダブルセンター起用で既にメニューを組んで練習させているし、秋田対策にはシックスマンとして用意している流川の起用で仙道・流川、そして紳一の連携がカギになると考えている。

 流川にはフォワードとして主軸になってもらうのはもちろん、チームプレイを率先してやってもらう必要がある。そして仙道には対諸星も含めてシューティングガードでの起用を考えているが──器用な選手ゆえに問題なくこなせるだろうとは言っても本来フィールドが違うことには変わらず、少し重荷となるかもしれない。

 とはいえ、合宿に入ってから仙道は積極的にアウトサイド強化の成果を見せつけており──ガードもこなせる選手ゆえに、大丈夫だろうな、とも感じていた。

 ともかくも問題は流川である。超一級品のプレイヤーであるが、彼のような選手は神奈川選抜のようなタレント揃いの中ではむしろ使いにくいものである。

 過去に海南と湘北が対戦したときにはその圧倒的なプレイに一時翻弄されたものの、致命的に体力もなく、やや自己中心的な選手だと言わざるを得ない。

 

『将来的に海南の不利益になるとしても……。彼らを強くしても、構わないということですよね?』

 

 高頭はつかさの言葉を思い出した。

 流川は良い選手ではあるが欠点があるということで──将来の海南を思えば彼を手助けするような真似は喜ばしくはないのだが。

 手前の神奈川優勝という目的のためにも、長い目で見れば将来の日本バスケットボール界のため、ひいては流川自身の将来のためにも、伸び盛りの今に手を貸すのは悪いことではないだろう。

 それに、つかさをわざわざスキルコーチに選んだのはもちろん基礎能力があり、身体能力押しで基礎が欠けがちな神奈川選抜に実演して教えられると期待した部分もあるが、もっとも期待したのは、と高頭は練習開始後しばらくしてつかさを見やって呼んだ。

「つかさ君」

「はい」

 呼ばれてやってきたつかさに、これからの練習について改めて伝えた。

「昨日言ったように、休憩明けには牧・仙道・流川のフォーメーション練習を開始する」

 言われたつかさは微妙に嫌そうな顔を浮かべた。

 まあ仕方なかろう、と高頭は扇子を開いて仰いだ。そうして休憩終了を告げて選手達を集めると、指示を出す。

「今からガード陣とエースフォワードによるオフェンス稽古を行うが……、ディフェンスは清田、高砂、藤真、長谷川、花形の5人。オフェンスは、牧、仙道、そして……つかさ君」

 すると、ザワッと辺りがざわめいた。意図が全く分からなかったのだろう。構わず高頭は流川を見やった。

「流川、この3人の連携と……特につかさ君の動きを手本だと思ってよく見ておくことだ。これはお前のための稽古だと思ってくれればいい」

「……?」

 解せない、という顔を流川はした。

 構わず高頭は手を叩いて指名した5人を集め、つかさはつかさで紳一と仙道を呼んだ。

 高頭は悪びれることなく戸惑っている5人に言い放つ。

 

「あくまで、オフェンス側のフォーメーションを確認するためのものだ。ゴール下で、つかさ君を本気で止める必要はない。シュートに来たら、入れさせてやればいい。分かったな?」

 

 サラッと言い放った高頭の言葉を聞いて仙道も、紳一さえもギョッと頬を引きつらせた。

 ──あのパワフル集団が本気になればつかさが怪我をするというオチは承知しているが。これは屈辱の極みだろう、と理解したからだ。

 特に紳一は薄々「自分、仙道、そしてつかさ」と指名された時に「自分、つかさ、そして諸星」という愛知時代の3人の攻め方を流川に伝授したいのだと悟ったために、ますます頬を引きつらせた。

 少なくとも、あの頃のつかさは圧倒的なエースフォワードで敵なしだったというのに。と唇を引いていると、ふー、とつかさが息を吐いた。

「監督は対秋田戦を想定して、仙道くん・流川くんのコンビネーションで勝ちに行くつもりみたい。でも、二人を同時起用したら空中分解するんじゃないかって危惧もしてる」

「うん、でも……。たぶん、オレはやれると思うけど……」

「まあ、沢北くんがいないって言っても、相手は山王だからね。仙道くんが出来ても流川くんが出来なきゃ意味ないし」

 言いながら、つかさは転がっていたボールを拾って手に取った。

「私はフォワード。お兄ちゃんはポイントガード、そして仙道くんはシューティングガードに入ってもらうけど……。監督は、なんか昔見たらしい私とお兄ちゃん・大ちゃんのガード・フォワード連携を再現したいみたい」

「やっぱりな……」

「だから、仙道くんもそのつもりでお願いね」

 言われた仙道は、うーん、と頬をかいた。

「それって、諸星さんっぽいプレイをしろってこと? オレ、どんな選手か知らねえんだけど……」

「エースは3番、と理解したうえで2番らしい動きをしろってことだ」

 紳一が言って、なるほど、と仙道は瞳を寄せながら呟いた。

 はじめるぞ、と高頭が言い──、ちらりと紳一はつかさを見やる。先ほどの高頭の言葉、そうとうに屈辱だったに違いない。単純バカなだけに、不安だ、と感じながらため息をついた。

 だが、これは自分にとってもリハビリというか、懐かしい……と紳一はエンドラインからバックコートに入って感じた。

 

 今でこそカットインが主体の切り込み型ポイントガードとして名を馳せている紳一であったが、元々は典型的なポイントガードであった。

 身体も一番小さく、諸星・つかさという仲間がいたし、何も自身が切り込んでいく必要はなかったためだ。

 

 何よりも懐かしいのは──、先にフロントコートに駆けていくつかさの後ろ姿だ。

 そして両ウィングを見れば、つかさと諸星が──いまは仙道だが──いる。

 

 つかさもスキルだけは一級品だからな。ディフェンス側はタテの勝負が規制されてる以上、例え3対5でも不利すぎるだろう。さて、どうするか。と、紳一はコートを睨んだ。ディフェンスはゾーン。インサイドを固める作戦らしい。

 流川に手本を見せてやれ、と高頭が言っている以上は、3番-2番の連携を睨んでだろうが……ちらりと目線を仙道にやると、彼は小さく頷いた。

 ここはやはり、つかさがインに切れ込んで外にパスか、と感じたところでつかさが長谷川を抜いてミドルポストに切れ込んだ。反射的に紳一はつかさの行く位置を先読みしてパスを出す。

 

「おおッ!」

 

 気の遠くなるような時間を共にプレイした仲だ。つかさにしても紳一のボールがどこに飛んでくるかくらい身体が覚えており、絶妙なパスをほぼ視認せずにキャッチした。すると見物しているコート外の選手がワッと沸いた。

 

「通ったぞッ!?」

「後ろに目があんのか!?」

 

 ディフェンスは、2人。センターコンビだ。──どうせブロックしてこないなら、そのまま行ってやる、とつかさはゴール下に切り込んだ。──ライトウィングの仙道にパス出し、という選択肢は完全に頭から消えており、シュートモーションに入ると慌ててブロックにきた2枚をかわして左手でひょいとバックレイアップを放った。

 

「なッ……!?」

「避けたぞ……!?」

 

 コートにボールの落ちる音が響き、皆が唖然とする中でボールを拾いに来た紳一が呆れたようなため息を漏らした。

 

「お前が流川みたいなプレイをしてどうする……」

 

 その声に、む、と反応した流川を見て三井が吹き出した。

 仙道は目を見開いたのちに、ありゃりゃ、と苦笑いを浮かべて──、ハッとしたつかさは「やっちゃった」とコメカミに手をやった。

「だって、ディフェンスが棒立ちすぎて……つい……」

「お前の突破力・得点力を見せても流川にとっちゃ何のプラスにもならんだろーが、落ち着け」

「……はーい……」

 いけない、と思うも、ディフェンスは手を抜け、と言った高頭の言葉がはやり頭に引っかかっていたらしい。

 けれども流川みたいなプレイ、と言われるのは少し心外だな、と感じつつ再びポジションに付く。──高頭にしてもせっかく流川・仙道を同時起用できるのだから、コンビネーションでの相乗効果を狙ったうえで打倒秋田の切り札にするつもりなのだ。だからまず自分が仙道と合わせなければ、とつかさは深呼吸をした。

 昔──、いくらエースフォワードだったとはいえ、諸星の方が守りが薄ければちゃんとアシストパスを出していた。

 あくまで自分が中心だったとはいえ、是が非でも自分が、などと思ったことはない。もしも秋田──山王──の分厚い守りに流川が阻まれたら、やはり仙道に繋ぐのがベター。

 

 一方、つかさへのディフェンスは甘くていい。と言われたディフェンダー5人ではあるが、さすがにあっさり一本決められれば自然と動きを締めた。

 特に紳一についていた藤真は本気であり、紳一はディフェンダーの本気具合を肌で感じた。そしてつかさを見やる。仙道にパス出ししてつかさへのアシストを出させるのが一番容易ではあるが、それでは練習にならない。あくまで練習は3番から2番へのアシストである。

 次は決めろよ、と紳一はつかさにパスを通した。ディフェンス三枚。ゾーンだ。

 

 ダム、ダム。──と、つかさはすぐ前の清田に背を預けてドリブルをした。

 

 一対多数の場面でドライブイン。もっとも得意としていることだ。なにせ長年相手にしてきたのが紳一・諸星というスターコンビ。持っているスキルの数には自信がある。

 ──清田は先日の1on2での手痛い記憶のせいか、気合いが入っている。が。でも、とつかさは一歩踏み出した。

 

「──ッ!?」

 

 レッグスルーでボールを持ち替え、2歩目で清田を追い越したつかさはまるで踊るようなステップで曲線的に高砂・花形を抜いた。

 

「なッ……!?」

 

 なんだアレ、とギャラリーが目を見開き、ディフェンスは反応できない。そんな中いち早くハッとしたのは清田だった。

 そのままベビーフックでくる、と読んだ清田は他の二人に先立ち後ろからブロックに跳び上がった。

 が──。

 つかさはオープンスペースにいた仙道にジャンプと同時にパスを出し──直後に空振りした清田のブロックを身体全体で受けてコートに叩き落とされる結果となった。

 

 仙道がジャンプシュートを放ったと同時に体育館には鈍い音が響き、その場にいた全員の表情が凍った。

 

 背中から落ちたつかさは一瞬、う、と呼吸を止め──いたた、と顔をしかめていると顔面蒼白で取り乱している清田の声が聞こえてきた。

「ああああ! す、すすすすすみませんつかささん!! つい……!」

「つかさちゃん! 大丈夫!?」

 しゃがんで清田が抱き起こそうとしてくれ、駆け寄った仙道も手を差し伸べてくれたが、自力で起きあがったつかさは二人を手で制してやんわり拒否した。

「大丈夫……」

 ゴール下で吹っ飛ばされるの久々だな、と唇を噛んで痛みに耐えていると明らかに周りの空気が微妙であり、清田は明らかに自己嫌悪している。

 これが自分ではなく宮城とかだったら普通のこととして処理されるだろうに。──これだから、やりにくいんだよな、お互いに。と思いつつつかさはディフェンス陣を見やった。

「私、平気ですから。もし吹き飛ばしちゃっても謝らないでください。勝負なんですし」

 そうしてまだ気まずそうにしている清田を見やって、ニコッと笑う。

「そのかわり、私も謝りません」

「え……?」

 決めた。自分に対して積極果敢にあたりに来れないのを良いことに、攻めていこう。せっかく紳一や仙道とプレイできるんだから、とチラリと紳一を見やると困ったような苦笑いを浮かべていた。

 

「さあ、もう一本!」

 

 手を叩いてつかさは鼓舞しながらフロントコートにあがり、コートサイドで見ていた三井は腕を組んで口元を引きつらせた。

「やれやれ、吹っ飛ばされて一段と元気にエラソーになったな」

「ていうかその前のドリブル……。なんだったんすかね、あれ。あんなの初めて見ましたよ」

 宮城が相づちを打って、うむ、とそばで高頭も腕を組む。

「タテは圧勝できても、ヨコでつかさ君を止めるのはそう容易ではないだろうな」

 そうして高頭はコート外の全ての選手に向かって言った。

「ともかく、全員、彼女をよく見ておくことだ。ドリブル、シュート、どれをとっても基礎がしっかりしている。なまじ身体能力任せで基礎が抜けやすい男子選手よりよほど教科書のような動きをする」

 そしてチラリと高頭は流川を見やった。

 流川は無言で腕を組んでコートを見据えている。流川個人の能力は抜けていても、これだけの選手が集う選抜チームにおいてはあまりチームプレイを得意としない流川を優遇する理由は一つもないのだ。まして、おそらくチームの中心となるだろう仙道と噛み合うプレイが出来なければ同時起用はできない。しかしながら、やれれば、切り札として大きな武器となる。

 そう、いまコート上の3人が見せているようなガード陣とフォワードの連携だ、と視線をコートに戻すと、仙道が切れ込んでつかさにパスを回し、ディフェンスが跳び上がった瞬間につかさが仙道にボールを戻して仙道が綺麗なフックシュートを決めた。

 ものの数プレイで互いの呼吸を3人はぴたりと合わせ、複数のディフェンスでも難なくかわして次々とシュートを決めていっている。

 

「ナイッシュ!」

 

 つかさがお手本のようなジャンプシュートを決め、3人はハイタッチをしてコート上で笑みを見せていた。

 ディフェンスは5人。そしてあの3人はフィニッシャーを仙道・つかさの2人に絞っているのに止められない。

 ガード二人のパスセンス・ゲームメイク力が優れており、かつ2番・3番にオフェンスのアドバンテージがある場合、巧妙にパスを回すことによって個々の力は何倍にも活かされる。──高頭が仙道の2番起用かつ流川を3番に入れて狙っている効果がまさにこれだった。

 

「牧さんとつかさちゃんは当然として……、仙道とつかさちゃんもお互い相手の動きをよく理解してるみたいですね。これは、仙道がすごいのかな」

 

 神は、既に息のあったプレイをこなせている二人を見て感心して言った。つかさは仙道の特長をよく知っているだろうが、仙道はつかさのプレイ姿などあまり見たことないはずだ。その上で、すでに慣れない2番の動きが板に付いているのはさすがだろう。

 ていうか、と横から三井が口を出す。

「牧、仙道がいんのに一番目立ってんのつかさじゃねえか!? なんなんだよ一体」

 つかさも上手く仙道をアシストしているが、やはりフォワードという性質上6割以上はフィニッシュをつかさが決めており、うむ、と高頭も頷く。

「"エース"だからな、彼女は」

「ええ……ッ!?」

 正確には、エース「だった」と言うべきか。と高頭は唸った。牧・仙道というタレント二人を引き連れてエース然としていられるのは身に染みついた習慣と才能だろう。

 実際、未だにスキルフルだしなと感心して見ていると、そうとうにディフェンスも躍起になっているのだろう。ミドルポストで手を挙げたつかさにパスが通り、ディフェンスが壁のようにシュートコースを塞いだ。

 が、つかさはそれらを横に避けるようにバックロールターンでかわした──と同時にジャンプシュートを放った。

 ディフェンスは当然間に合わず──スパッと綺麗に決まって、おお、と仙道ですら目を見張った。

 

「かっけ……!」

 

 そうしてディフェンス陣は唖然としながらも守りに戻り、へラッと仙道はつかさに笑いかけた。

「確かにつかさちゃんが男だったら惚れちゃってるな」

 ははは、と笑って言われたつかさは若干眉を寄せる。が、仙道は気にするそぶりもなく、あ、と思いついたように瞬きした。

「ていうか、もう惚れてんだった」

 瞬間、ゴール下でボールを拾った紳一がボールを仙道に投げつけ、「イテッ」と顔をしかめた仙道を睨み付ける。

「無駄口叩いてねえで、とっととスローインしろ」

 ボールを手に取った仙道は一度肩を竦めるも、再びつかさの方を向いて、ふ、と笑い、ハッとしたつかさはパッと顔をそらして真っ先にフロントコートにあがった。

 やっぱり懐かしい。頼もしいガードが二人いて、フォワードでプレイするこの感覚。しかも──悔しいが、仙道はこちらの意図する2番として申し分ない動きをしてくれている。やはり巧い。全てがやりやすくて、楽しい。

 

「さあディフェンス、止めるぞ!」

 

 コートサイドで藤真の声を聞きながら、三井はごくっと息を呑んでいた。

「う、うめえな……! さっきのジャンプシュート、ありゃそうとう決めんのムズいぞ」

 そうして三井は衝動的に高頭を見上げた。

「監督! なんでつかさを海南の女バスに入れないんですか!? ありゃ即エースですよ!」

「いや……。うちの女子バスケ部はサークルみたいなモンだからな……」

「じゃあ、なんでアイツは海南にいるんですか!?」

「単に牧と一緒の高校にしただけじゃないか?」

 ハァ? と、解せないという表情を三井が晒し、高頭はコートへと視線を戻す。今でこそ「海南きっての秀才」というポジションに落ち着いているつかさだが、かつては紳一・諸星を有するチームでエースフォワードを務めていたのだ。おまけに、当然かもしれないが、自分が見たミニバスの試合のころよりも相当に上達している。確かに三井の言うとおり女子バスケ部に所属した経験がないのはもったいなくはあるだろう。

 とはいえ、あえて口にはしていないが──、つかさは今の「ハーフ限定でのオフェンス」だからこそ何とかやれているが、もしもこのメンバーでの試合の中に投入したら悲惨なことになるのは目に見えている。彼女では男子の速攻のスピードにはついていけないし、元々インサイド主体の選手というのも相まってパワー勝負は話にならない。

 しかし──、面白い。なるほど、紳一がミニバス時代のように黒子に徹し、ポイントゲッターのフォワードとそれを補佐するシューティングガードをきっちりサポートしている。仙道も、今日が初めてとは信じられないほどよくつかさの動きを見ており2番としても申し分ない。今の仙道-つかさラインが仙道-流川でできれば対秋田戦では強烈な武器になるだろう。

「流川。つかさ君のポジションに入るのはお前だ。どう動き、どう仙道と連携するかイメージして見ておくことだ」

「…………」

 流川は少々憮然としつつもジッとコートを見やっていた。

 そうして15分ほど続けたのちに、高頭は手を叩いてコート上の8人を呼び戻した。 

 

 ふー、と肩で息をしたつかさはコート脇に置いてあったコールドスプレーを手にとって自身の背中にあてた。

「大丈夫か?」

「ん……平気」

 紳一の声に頷きつつ、つかさは少し口の端をあげた。

「仙道くんは、やっぱり巧いね。特にあのパスセンス……、本当にやりやすい。欲しいところにパスをくれるガードって最高!」

「お前は本当に思考回路がこてこてのフォワードだな。だからお前、ガードできないんじゃねえか?」

「ち、違うよ! ガ、ガードはお兄ちゃんと大ちゃんの専門だから、あえてやらなかっただけだもん!」

 呆れたように言った紳一に慌ててつかさはそう切り返した。なお紳一は呆れたように息を吐いた。

「どうだか」

 ミニバスチームに所属するずっと前から自分たちはイヤと言うほどボール慣れしていたし、自分たちのいたミニバスチームは基礎を徹底的に叩き込むスタイルで当初は特にポジションが決まっていたわけでもない。むろんつかさが紳一・諸星よりも大きかったためにフォワードに落ち着いたということもあるが、結局は監督が適正で分けたに過ぎない。

 ドリブルの技術ならガードにも負けていないが、どうにもゲームメイク・視野の広さという点で根本的に自分はガードに向いていなかった、とつかさは思う。そもそもインサイドプレイが得意だったし。

 ただ、ガードの二人を心から信頼していたからこそのびのびとプレイできていたし、中から外に繋げば諸星、紳一が決めてくれるという安心感もあった。むろん、二人もフォワードの自分を信頼していたからこそ良いパスを繋いでくれていたのだろう。

 そう、バスケットはチームプレイなのだ。今だって仙道は自分のオフェンス力を押し殺して「3番を支える2番」として自分をサポートしてくれていた。だからやりやすかった。自分も、ちゃんと仙道を活かそうと努めたつもりだ。

 これこそがチームプレイの醍醐味であり、やっぱりこのようなメンバーの中でプレイできる選手達が羨ましいな。と思いつつ、高頭から休憩が宣言されるとつかさはタオルを手にとって外の水飲み場へと足を運んだ。

 

「あ……」

 

 すると先客──流川が一人で顔を洗っており、つかさも一瞬目を見開くも歩いていって隣の蛇口から水を出すと顔を洗った。

 そうして水を止めてタオルで顔を拭い、顔をあげると──真横に流川が真顔で立っており、ヒ、とおののく。

「な、なに……流川くん……?」

 なにやら話したいことがあるような雰囲気だったが、こう大きな男が無言でそばに立っているというのはいささか不気味である。

「……センパ……いや、コーチ」

 迷ったようにボソッと流川が呟き、ああどう呼べばいいのか迷っていたのかとつかさは納得した。──湘北の三井などなんのためらいもなく呼び捨てにしているというのに、多少は上下関係意識のある人なのかもしれない、と思う。

「よ、呼びやすい呼び方で、いいよ」

 言ってみると、こく、と機械的に流川は頷いた。それで何の用かと訊いてみると、おもむろに流川はこう言い放った。

「練習相手してほしいんすけど。1on1で。時間外に」

「──へ!?」

 思わずつかさは素っ頓狂な声をあげた。見上げた流川はいたって真面目な顔をしており、数回瞬きを繰り返したつかさは少し肩を竦めた。

「やめといた方がいいと思うよ……。見てたでしょ? 私、ゴール下で清田くんに簡単に吹き飛ばされる程度しかパワーないから十分に相手してあげられない」

「……んじゃ、ルール決めれば……ディフェンス抜いたら負けとか……」

「んー……、そもそも流川くんがやりにくいでしょ。女相手だと気を遣うだろうし」

 言えば、流川はきょとんとした表情を晒して解せないといった表情でガシガシと頭を掻いた。

「あー……、オレそういうの気にしないっす。たぶん、ゴール下入られたら普通にブロックするし……」

 つかさは僅かに目を見開いた。あまり類を見ない反応に、少しだけ笑みをこぼす。

「ありがたいけど……。それじゃ私、たぶん怪我しちゃうからお互いよくないよ。ゴメンね」

 言って流川の横を抜ける。1on1の相手ならまさに掃いて捨てるほどいるだろうこの中で、なぜ自分? と過ぎらせていると、再び呼び止められてつかさは首にかけたタオルを握りしめて振り返った。

「1on1の技術を磨くより……、いまはチームプレイを磨くことに専念したほうがいいと思う。特に仙道くんとの連携は、監督も期待してるんだから」

 瞬間、微妙に流川がむっとしたような表情を浮かべ、どうにも仙道への彼のライバル意識が強いことをつかさは改めて悟った。しかしチーム内で張り合われても困るというものだ。そもそも、先ほどなぜ自分たちが3on5をやってみせたか、ちゃんと意図が伝わっているのだろうか? と訝しげに訊いてみる。

「さっきの練習……ちゃんと見てた……?」

「……コーチの、清田にチャージングされた時のドライブインのドリブル……、あれどうやったんすか?」

 するとそんな質問を返されて、つかさは思わず「そこじゃない!」と声を荒げた。

 パスワークを見習って欲しかったというのに、ドライブの技術に興味を示すとは。どこまでも「個」に執着してしまうタイプだ、と頬を引きつらせる。ある意味、絶対にガードができない典型的なフォワードタイプだ。ちょっと自分と似たタイプだな、とも思うものの──いやいや、と首を振るった。

 仙道を見習え、などと言ってしまえば逆効果だろうし。仲良くしろといってできるものでもないだろうし。どうすればいいのだろう、と考えあぐねていると、ヒョイ、と出入り口から渦中の仙道が顔を出した。

「あれ、何やってんだ二人とも?」

「仙道くん……」

 つかさは扉の方を振り返り、流川は分かりやすく舌打ちをしてスタスタと体育館の中へ向かった。

「どうかした?」

「なんでもない……」

 仙道の顔を見上げながら思う。仙道はおそらく、流川が一番に活躍して自分がそれをアシストしていればチームが勝てるならそうするだろう。彼は周りの力を引き出すことに楽しみを見いだせるガード的な側面も持った選手なのだから。──いや、これは性格の問題なのか? と考えてつかさは、ハァ、と深いため息を吐いた。

 

 結局、その日は時間を取ってつかさも高頭も付きっきりで流川・仙道ラインを確立させようと励むもののあまり上手くいかず、練習後のコーチ二人の反省会の空気は重いものとなった。

 

「──10! よし、パーフェクト!」

「ゲッ、ウソォ!? 信じられんねえ、また負けかよ」

 

 フラフラと反省会後に小会議室を出てコートの方に向かうと笑い声が漏れてきており、つかさは「なんだ?」と思いつつひょいと中を伺った。

 すると、もはやこの合宿ではお約束となっているのか神と仙道が居残っており──二人ともそれぞれスリーポイントライン付近に立って談笑している。

 ガラッ、と扉に手をかけると二人ともこちらに顔を向けてきた。

「つかさちゃん!」

「反省会、終わったの?」

 うん、と返事をしながらコートに入り、なにしていたのか聞くと、ははは、と笑いながら仙道が指の上で器用にボールを回した。

「シューティング勝負してたんだ。10本中何本スリー入れられるかっての。残念ながら連戦連敗……さすが神ってところだな」

「せめてスリーくらい勝っとかないと、オレだって立つ瀬ないしな」

 神も軽く笑って腰に手をあてた。この同級生フォワードコンビはすっかり打ち解けたらしい、とつかさも微笑む。

「でも仙道くん、外もコンスタントに打てるし……シューティングガードでも十分仙道くんらしいプレイができそう」

「うん、オレも今日のつかさちゃん達の3on5見てて思ったよ。仙道が2番ってのも案外いいなってさ」

「私、センターになら入れたけどガードはさっぱりだったから、ガードできるフォワードって凄いなって思う」

「あはは、オレも。元もとセンターだから3番から5番まで一応やれるはずだけど……。ガードは未経験だしね」

 そうして神と笑い合うと、仙道は居心地悪そうに頭を掻いて、「まいったな」と小さく呟いた。

 つかさは落ちていたボールを手にとって、ダムダム、と数回突き、でも、と言いよどむ。

「流川くんがもう少し周りを見てくれるともっと強くなれそうなんだけど……。いまいち上手くいかないな……。もったいないのよね、パスを捌けばもっと良い結果に繋がる場面で突き進んじゃうっていうのは」

 流川自身は気づいていないかもしれないが。もしもこの神奈川という選抜チームの中で、仙道と流川を同時起用してなおかつ神もいるという状態だと──おそらくポイントガードは個人プレイに走る流川にはパスを回さないだろう。その辺りが、高頭が流川をスタメン起用しないと考えている最も重大な彼の失点だ。

「ま……。それが流川の個性っちゃ個性だからな……、それに、前も言ったけど牧さんも藤真さんも、オレにしたってちゃんと上手くやると思うぜ」

「……ん……」

「けど、流川は個として見たら凄い選手だけど……。これからもバスケットを続けていくとしたら、その辺は克服しないと、いずれ本人が行き詰まって降りかかってくる問題かもしれないな」

 神が少し神妙に言って、ふぅ、とつかさは肩を落とした。

「というか、どうしてあんなに仙道くんを敵視するのかな……。一年生なのに」

「負けず嫌いみたいだもんね、流川」

「ウチの清田くんくらい素直だと可愛いのに……。清田くんだって他校はライバル視してたけど、今じゃ──」

 言いかけたところで、なにやら足音が近づいてきてガラッと勢いよくコートの扉が開かれた。

 

「清田信長・参上! 神さん、自主練手伝いま──、って、アレ?」

 

 噂をすれば影か、と誰もが思ったところで急に現れた清田は目を瞬かせた。

「仙道さん……つかささん」

「よう」

「どうしたの……、清田くん」

「あ、オレ、メシ食ってきたんです! 腹減ってたんで!」

 言いながら清田はコートにあがり、つかさの方に駆けてきた。

「つかささん、背中大丈夫っすか? すみませんでした、マジで」

「ううん、平気。気にしないで」

「ていうか、オレ、一つ聞きたかったんすけど!」

「なに……?」

 つかさが清田に向き直ると、清田はグッと拳を握りしめてこう言った。

「あの時、オレたちを抜いたステップ、どうやったんすか!?」

「え……!」

「もう一回やってみせてください、お願いします!」

 つかさは若干頬を引きつらせる。流川といい、揃いも揃って──などと思っていると「あ、オレも」「オレも気になってたんだ」と仙道と神も便乗し、ハァ、と肩を落とした。

「分かった。じゃあ3人ちょっとディフェンスに入って」

 言ってゴール下に3人立たせてつかさはウイングからドリブルを開始した。物心ついた時から紳一・諸星を相手にしてきたつかさにとって複数相手のドライブインはもっとも得意な技で、持ち駒が多い。ただ、抜いても最終的にブロックされていたからあまり意味はないが──、と中学時代の公園のコートでの苦い記憶を蘇らせつつ中に切れ込む。

 相手がスピード対応に強い場合、緩急とリズムでかわす、というのも一つのテクニックだ。ターンとターンを上手く組み合わせて多様な円を描くようにしてヒョイっと3人をかわすとつかさそのままゴール下シュートを決めた。

 

「も、もう一回お願いします!」

 

 見切れなかったらしい清田がそう言って、つかさはもう一度やって見せ、さらにもう一回というのを繰り返して清田が真似ながら「わからねぇ」などとブツブツ呟いてドリブルをしているのを見やっていると「そうだ」と仙道が声をかけてきた。

「オレも聞きたかったんだけど……。つかさちゃん、あれやってみせてよ。1on2でノブナガ君と宮城をかわしてシュートしたヤツ」

 言われて、ああ、とつかさは思い返した。──あれは対諸星用の自分がもっとも得意としているシュートの一つだ。おそらく数回だったら複数の男子選手相手でも決まるだろう。

「いいけど……」

 言って持っていたボールを数回コートに突いた。ドリブルして切れ込んで、飛んで空中でフェイク──ダブルクラッチからのスクープショット。背面から打つことでよりブロックしにくい仕様になっている。と、慣れたシュートを打ってみるとゴールを貫いたと同時に「おお」と仙道が感心したような声をあげた。

「さすがに、こりゃ難しそうだな……」

 言いながら仙道はゴール籠からボールを手にとって数回ついた。真似るつもりだろうか? 少しだけつかさの額に汗が滲む。

 

「よッ!」

 

 自分より遙かに高いジャンプからの迫力あるダブルクラッチのあと、ひょいっと仙道はボールを投げあげ──そのボールは見事バックボードにバウンドしてコートに跳ね返ってきた。

「ありゃりゃ……。うーん、いまいちだな」

 仙道は外したボールを見やってあっけらかんと言うと、フォームを確認するようにして数回腕を振った。

 つかさはホッと胸を撫で下ろす。いくら何でも苦労して身につけた得意な技を、一発でコピーされたら立ち直れない。

 けれども、もしも仙道や他の男子選手が自分と同じことをやったら? 悔しいが、さぞ迫力があるのだろうな、と思う。それはそれで、見てみたい。

 

『……コーチの、清田にチャージングされた時のドライブインのドリブル……、あれどうやったんすか?』

 

 流川とももう少しコミュニケーションを取ってみよう、と考えつつつかさは神の方を見やった。

「神くん、シュート練習まだ途中よね? 私、パス出しする」

「あ、うん。ありがとう」

 中断していた神のシュート練習を再会するためにつかさがゴール籠の方に向かうと、仙道は未だに躍起になってドリブルをしている清田へと目線を送った。

「ノブナガ君、手が空いてるならオレと1on1やろーか」

 すると、ハッとしたらしき清田は目を丸めて声を弾ませた。

「え、マジっすか!? お、お願いします仙道さん!!」

 そうしてバッと仙道の方に駆け寄った清田を見て、つかさと神は顔を見合わせて緩く笑い合った。

 先輩に可愛がられるというのもある意味才能の一つだよな、と思いつつ、つかさはパス出しするためのボールを手に取った。



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18話

 そうして──、長いようで短かった合宿もあっという間に最終日を迎え、その日の練習は午後五時をもって高頭が終了を宣言した。

 

「諸君、この9日間、本当にご苦労だった。チームの状態もよく、最高のコンディションで国体を戦えると私も自信を持っている。今日は各自休息を取り、体調管理もして本番に望んで欲しい。そして明後日の朝7時に藤沢駅に集合だ!」

「はい!」

「では解散!」

「お疲れさまでしたー!」

 

 終わったー! と選手たちから歓声があがる。

 最初は各学校ごとに集っていた選手たちだったが、すでにすっかり打ち解け高頭の言うようにチームの状態もすこぶるいい。

 三年生は「メシでもくってくかー」などと雑談混じりに体育館を出て、下級生は体育館の掃除だ。

「神さん、ウチの連中ちゃんとやってますかね?」

「さァ、どうかな。オレ、こっち片づけたら高校の体育館寄ってくつもりだけど一緒に来る?」

「えッ!? えー、その前になんか食いいきましょーよ」

 そんな会話を聞きながら仙道は黙々とモップをかけている流川に声をかけた。

「けっこう楽しめたな。この合宿」

 するとチラリと仙道を見やった流川は、フン、と鼻を鳴らし、相変わらずの様子に仙道は肩を竦めた。そうして掃除が終わって宿舎に寄り、荷物をまとめて出るとバッタリとつかさと顔を合わせた。高頭とのミーティングが終わったのだろう。

「よう、つかさちゃん。お疲れさん」

「お疲れさま、仙道くん。お兄ちゃん見なかった?」

「牧さん……? さて」

 先に帰ったのかな、などとキョロキョロしているつかさに、そうだ、と仙道は声をかけた。

「つかさちゃん、時間ある? メシ食っていかね?」

 え、とつかさは目を見開いたのちに少々考え込んだ。そういえば、と仙道は一人暮らしだと言っていたことを思い出してもしやあまり普段からちゃんとした食事を取れていないのでは、との思いが過ぎったのだ。

「夕飯なら……そうだ、ウチに来ない?」

「え……!?」

「国体前の大事な時期なんだし、ちゃんとしたもの食べなきゃ! ──あ!」

 ふとそばのトイレのドアが開き、二人が目線を送るとちょうと紳一が出てきてつかさは紳一の方に駆け寄った。

「お兄ちゃん、今日、仙道くんをうちに連れて行ってもいいかな?」

「は……!?」

「ほら、いつかお魚もらったお礼もしてなかったし。私、ちょっと叔母さんに電話かけてくるね!」

 言うがはやいか宿舎内の公衆電話へと駆けていってしまい、残された仙道と紳一は互いに顔を見合わせるしかない。

「どういうことだ……?」

「いや、……オレはただつかさちゃんをメシに誘っただけなんだけど……」

 ははは、と笑うとピクッと紳一の頬が撓る。

「なんだとッ!?」

「ああ、いや、深い意味はなくてですね! ははは」

 まいったな、と苦笑いを浮かべているとつかさが戻ってきて、「大丈夫だって」と笑っている。

 成り行きとはいえ紳一とつかさと並んで歩くことになるとは──と仙道は海南大を出てからの道すがら、少々奇妙さも覚えつつもその状況を楽しんでいた。

「みんなこの9日間、頑張ってたよね」

「当然だな。ま、なんとかチームとしてまとまりそうで良かったんじゃねえか?」

「私、流川くんとはほとんどコミュニケーション取れなかったな……、一応、頑張ってはみたんだけど、結局あんまり仙道くんとの連携も上手くいかなかったし」

「お前は三井・宮城の方を主に見てたからな。アイツらとは上手くやってたみたいじゃないか」

「三井さんはけっこう話しやすい人だった……」

 ちょっと騒がしいけど、と言いつつ、あ、でも、とつかさは続ける。

「流川くんって夜はずっと走ってたみたいね。なんどか見かけたから」

 ああ、と仙道も加わる。

「アイツ、早朝はずっと体育館に自主練に来てたぜ。練習の虫だな」

 知ってたけど、と仙道が笑いながら続けてつかさはチラリと仙道を見上げた。それを知っているということは仙道も練習前に自主練をしていたということだ。自分の知る限り夜も残っていたし──、本当にこの合宿を通して仙道は神並の練習をこなしていた。意外、と言うほどではないが、いまいち仙道らしくない、などと思っていると自宅が見えてきた。

「ただいまー」

 紳一とつかさが揃って言うと、ドアを開けてくれた紳一の母が満面の笑みで3人を迎え入れた。

「お帰りなさい! 紳一、元気にしてた?」

「ああ」

 紳一も家に帰れば普通の高校生。という事実が妙におかしい。などと感じつつ仙道は大きな身体でぺこりと頭をさげる。

「はじめまして、仙道彰です」

「あら、まあ丁寧に。紳一の母です。大きいわねー。まあ、紳一よりもずっと大きい! いくつくらいあるのかしら?」

「190です、いまのところ」

「一人暮らしなんですって? まだ高校生なのに偉いわね。そうそう、先日は美味しいクロダイをありがとう。お礼もできなくてごめんなさいね」

「いえ、お構いなく……」

 いつの話だったか、それは。などと思い返しつつ、促されるままにあがった仙道をつかさは上の階に促した。

「お兄ちゃん、私、飲み物持っていくから仙道くんを部屋に連れて行ってて」

「ああ。オレの部屋に、連れてくぞ」

 オレの部屋、というのを妙に強調されたのは気のせいだろうか。と感じつつ紳一に先導されて通された部屋で、真っ先に仙道の目に入ったのは壁に立てかけてあったボードだ。

「お……、牧さんサーフィンやるんですか?」

「まあ、一応な。昔からの趣味でな」

 へぇ、と感心していると、そばの棚にはずらりと表彰状やら表彰カップがあり、素直に感嘆の息を漏らした。

「さすが……。圧巻ですね、三年連続のMVPカップ」

「お前も来年、目指したらどうだ? やる気がないわけじゃねえんだろ?」

「……どうかな……」

 そうしてそのまま棚に目をやっていると、ふと、立てかけてある一枚の写真立てが目に入った。中学生とおぼしき紳一と、もう一人……紳一よりも若干子供っぽい表情をした少年だ。

「これ……」

「ああ、諸星だ。諸星大」

 これが例の"大ちゃん"か、と写真を見ていると、紳一は彼とはチームメイトだったと語った。そうしていま諸星は愛和学院のキャプテンを務めている、という説明を聞き流しながら戸棚をさらに見やっていると、ふと紳一の声がとぎれた。

「つかさの写真ならないぞ」

 ギクッ、と仙道は肩を揺らす。そういうつもりは、なかったとは言わないが、それにしても、だ。

「……まいったな……」

 自分には妹がいないから分からないが。やはり兄とは妹の周りの男を警戒するものなのだろうか。などと考えていると、ドアをノックする音が聞こえ、つかさが3人分の飲み物をもって部屋へと入ってきた。ついでに着替えて来たのだろう、制服からジーンズとシャツの軽装に変わっている。

「叔母さん、張り切って準備してたよ。もともとお兄ちゃんが久しぶりに帰ってくるからいっぱい作ってたみたいで、助かったわ、って」

「そういや愛知にいたときはけっこうな頻度で諸星がうちに来てたからな」

「私たちもよくお邪魔したよね。でもいつも泥だらけだったから、叔母さんも大ちゃんのお母さんもいつも呆れてたけど」

 二人が懐かしそうに笑い合い、諸星大というのはよほどこの二人にとっては身近な存在なのだと仙道は改めて認識した。にしても、普段からあまり対戦相手を意識し記憶することに対して意欲の乏しい仙道にはどうにも彼がどういう選手か想像できない。知っているのは、つかさが絶賛している選手だということのみ。

「シューティングガードでしたよね、その諸星さんって」

 仙道が腰を下ろしていうと、二人は揃って頷いた。

「インサイドにガンガン切れ込んでくるスラッシャータイプのな。だが外も安定してるし、ガードとしての基本能力も高い。派手なプレイヤーだ」

「でも、派手だけど、自分勝手なプレイヤーじゃないよね」

 紳一は少し渋い顔をする。考えあぐねたように腕を組んだ。

「インターハイじゃ、バテバテだったとはいえ湘北は三井・流川のダブルチームでも全く止められなかったからな……」

「ウチは……清田くんには、まだ荷が重かったよね……」

 試合には勝ったけど。とつかさが続け、紳一はコップを手にとって喉を潤した。

「とにかく、だ。国体で愛知とあたったら誰が諸星につくか……。監督も頭が痛いだろうな」

「うん……」

 その言葉を受けて、つかさはチラリと仙道の方を見やり、目があった瞬間にハッとしたようにパッとそらして誤魔化すようにしてドリンクに手を付けた。

 仙道は2、3度瞬きをした。──つかさは、自分と諸星のマッチアップを望んでいるのだろう。が、本当にそれでいいのだろうか? もし本当に自分が"大ちゃん"を破ってしまうようなことになったら──などと考えていると、紳一の母親から降りてくるように言われ、3人は共に食卓を囲った。

 はからずもつかさが気にかけてくれたように、一人暮らしの仙道にとっては家庭のまともな食事というのはありがたく、紳一の母は母で諸星で慣れているのか「もう一人でかい男がいる」という状況をうまくさばいており、楽しい時間が過ぎた。

「それじゃ、ごちそうさまでした」

 食後のコーヒーまで出してもらい、そろそろ家に帰ろうとするとみなで玄関まで見送りに来てくれ、仙道はぺこりと頭を下げた。

「おう。また火曜にな」

「また家庭のご飯が恋しくなったらいつでも遊びに来てね、仙道君」

「ありがとうございます」

 笑って返し靴を履くと、「ちょっとそこまで送ってく」とつかさも靴を履いて共に玄関を出た。

 すっかり日も沈み、見上げた空は満点の星。うっすらと潮騒が聞こえてくる。こんな場所が実家とは、羨ましいかぎりのロケーションだ。

「いよいよ国体か……、全国制覇、したいね」

 波の音を聞いていた仙道の耳につかさの声が届き、目線をつかさの方へと流す。すると、こちらを見上げるように首を上向けていたつかさと目があった。

「ま、不可能じゃないだろうな。それだけ良いメンバーが揃ってる。コーチとしてはどう? オレたち、愛知代表に勝てそうですか?」

 冗談めかして言ってみると、う、とつかさは言葉に詰まり、考え込む仕草をみせた。いちいち真面目な対応が彼女らしい。

「何とも言えないな……。でも、もし仙道くんと大ちゃんがマッチアップしたなら……、仙道くんは……、たぶん、いい勝負すると思うよ」

 意外にも、つかさは「勝てる」とは言い切らなかった。そこに彼女の諸星へ向かう感情への複雑さを感じ取るも、仙道は少しばかりおどけてみせる。

「ひでえな、たぶん、って。チューまでした仲なのに」

 軽い気持ち、というわけではなかったが──、言ってみれば一瞬つかさの瞳が揺らめき、そしておそらくそのことを思い出したのだろう。パッと顔を逸らしてしまった。気持ちは読める。なぜわざわざ思い出させるのだ? と、思っていることだろう。

「もう忘れようよ……。私も忘れるから、仙道くんも忘れて」

 想定内の反応だ。だが、それが本気なのか、ただの照れ隠しなのかまでは分からない。しかし仙道は、ふ、と息を吐いた。

「忘れないぜ、オレは」

「え……!?」

 つかさの方は想定外だったのだろう。パッと顔をあげた。仙道はその顔を見て一瞬笑ってから視線を空へと向ける。

「オレ、つかさちゃんと初めて話した時から、適当なこと言ったことは一度もねえんだけどな」

「……ッ」

「返事、まだ聞いてねえし」

 つかさが息を詰めたのが伝った。──別に今のまま、なあなあなのも居心地が悪いわけではない。わざわざ困らせるつもりも無理強いするつもりもないが、ただ、と一瞬だけ脳裏に──自分でも予想外なほどにはっきりと、なぜか神の姿が過ぎって、自身でも驚きつつフッと笑った。

「ま、いっか。いまは」

 そうして一度伸びをしてから家の門をくぐると、つかさのほうを振り返ってもう一度笑みを浮かべた。

「じゃ、また火曜にな。今日はサンキュ」

 そうして、少しだけホッとしたような表情をしたつかさを目の端で捉えながら、背を向けて歩き始めた。

 

 

 国体の開催地は今年は福島県である。

 神奈川県代表は代表の証である神奈川オリジナルジャージが支給され、それを着込んでの出発と相成る。

 

「よーし、全員集まったな」

 

 高頭は「神奈川選抜」ジャージに身を包む12人の選手たちを見渡して満足げに笑った。傍らでは海南の制服を着たつかさがメモを見ている。

「それではこれから東京駅に移動して、猪苗代まで新幹線と電車を乗り継いで行きます。みなさん、今日からよろしくお願いします。必ず神奈川に優勝旗を持ち帰りましょう!」

「はいッ! よろしくおねがいします!」

 そうして確認が済むと、みなで東京駅へと移動した。道すがらの話題はやはり国体のことだ。

「緒戦は静岡代表だっけ? 秋田が逆ブロックだから、彼らとあたるのは決勝か……。準決勝で愛知だね」

「うまくいけばね」

 つかさの持っていたトーナメント表をのぞき込むようにして神が言えば、周りものぞき込んであれやこれやと感想を口にした。

 平均身長がこれほど高い体格の良い集団がいれば自然と目立ち、周りからは結構な注目を浴びている。藤真・流川などがいるせいか遠巻きに女性からの熱い視線が感じられるのも気のせいではないだろう。

 東京駅の人混みをかき分けて、新幹線乗り場へとゾロゾロとあがり、時計を確認する。出発まであと二十分ほどある。

 高頭がトイレにとその場を離れ、各自リラックスした状態で新幹線を待っていると、少し離れた場所からこちらへ向けて声があがった。

 

「おー、牧じゃねえか! お前も今から福島か?」

 

 全員が声のした方向を向いた。すると、手を振りながら「愛知」の文字入りジャージを着た男がこちらに歩いてきている。

「も、諸星!?」

 紳一が驚いたような声をあげ、紳一のうしろからひょいとつかさも顔を出した。

「大ちゃん!?」

「お、つかさもいたのか! お前も来るのか? オレの応援か?」

 ハハハッ、と明るく笑いながら諸星は二人に近づき、周りからは「おい愛知の星だぞ」とざわついた声があがっている。なるほど名古屋から福島に向かうとすれば、東京で乗り換えである。同じ新幹線に乗るのだろう。

「うーん、大ちゃんの応援したいのは山々なんだけど……」

「生憎だが諸星、つかさは神奈川のセカンドコーチに就いてんだ。今回は敵同士だぞ」

「は? コーチ? つかさが?」

「うん……」

「そりゃまた……。神奈川は今年は混成チームなんだろ? 誰が来てんだ?」

 言って諸星は神奈川メンバーの方を見やり、あ、と再びつかさへ目線を戻した。

「そうだ……。お前の言ってたヤツ、この中にいるのか?」

「え……?」

「え、じゃねえよ。インターハイ出てなかったんだろ? そいつ」

 言いながら諸星は、キ、他の選手の方を見やるとおもむろに腰に手を当てた。

「オレの相手はどいつだ? どいつがシューティングガードだ!?」

 瞬間、どよ、とその場がどよめく。反射的に「オレが──」と主張しようとした清田を神が無言で止め、三井は舌打ちだけに留めた。

「大ちゃん!?」

 つかさも、なんのつもりだ、と面食らっているとスッと前を長身が横切る。そうしてその人物はにっこりと笑って諸星の前に立った。

「オレですよ、諸星さん」

「あ? 誰だお前……」

「陵南高校二年、仙道彰です。よろしく」

「──せ、」

 仙道くん、と言おうとしたつかさの肩に仙道は自身の大きな手を置いてなおニコっと笑った。

「仙道……?」

 諸星の方は、名を聞いて考え込むような仕草を見せた。おそらく聞いたことのない名だからだろう。

「おい、つかさ。この仙道ってヤツがお前の言ってた──」

 そこまで言いかけて、諸星ははっとしたように瞬きをし、再び仙道の顔を見上げた。そうして物言いたげに口元を揺らすと、あ、と手を叩く。

「ああ、思い出したぞ! 神奈川の陵南高等学校、天才・仙道! 天才、って呼ばれてるらしいな、仙道君。確かインターハイ前だったか……雑誌の記事で読んだ覚えがある」

「そりゃ……、どーも」

「なるほどな、面白い! 相手になってやるぜ、二年坊主!」

「ちょ、ちょっと大ちゃん……!」

「なんだよ、だってコイツのことだろ? お前がオレより強いって言って──」

「あああ、もう、分かったから!」

 恥ずかしい、とつかさは仙道と諸星の間に割って入った。そもそも諸星の相手が仙道だと決まっているわけでもないというのに、仙道もいったいどういうつもりなのか。

 まあいい、と諸星はなお神奈川のメンバーをぐるりと見渡した。流川、三井といった先の対戦相手も目に留めて、ほぉ、と呟く。

「海南、湘北に翔陽……か。神奈川はかなりのメンバーを集めてきたな、牧」

「まあな。下手すりゃ海南より強いかもしれんぞ」

「かもな。だが、オレたち愛知代表も負けてねえぜ! 夏の借りは返すからな、覚悟しとけよ!」

「フン、返り討ちにしてやる」

 言ってお互いの顔を見合わせた紳一と諸星は言い合いながらも互いに笑い合った。

「じゃあ、またあとでな」

 そうして軽く手を掲げて諸星は愛知代表とおぼしきメンバーの方へ歩いていき、紳一はヤレヤレと肩を竦めた。

「相変わらず騒がしいヤツだ」

 つかさもさすがに苦笑いを浮かべていると、ふ、と仙道と目があって気まずさがこみ上げてくる。仙道は口元は笑っているものの、目元は若干困ったような困惑した色を浮かべている。

「面白い人だな」

 仙道が諸星をどういう人物だとイメージしていたかは分からない。が、おそらく想像と違ったのだろうな、と感じてつかさは乾いた笑みを漏らした。

 

 新幹線は一時間半ほどで郡山駅に着き、そこからは電車で猪苗代まで移動する。

 猪苗代駅からはミニバスで宿まで移動することになっており、バスに乗ってほどなくして見えてきた猪苗代湖に選手たちはワッと歓声をあげた。

「宿は湖のすぐほとりだ。体育館付きだぞ」

 高頭がそういうと、一同はさらに歓声をあげて、清田に至っては跳び上がって手を叩いた。

「あとで湖見に行きましょーよ、神さん!」

「うん。綺麗だろうね……いいところだなぁ」

 湖のそばでは白鳥が舞っている。湘南の海もいいものだが、こういう山の風景もいいものだ。と、猪苗代湖の風景は海沿いで育った少年たちを刺激するには十分だった。

 ほどなくして宿舎に付き、宿の人たちから簡単な説明を受けて、各自、部屋に荷物を置きに向かった。部屋割りは合宿時と同じだ。

 つかさも自身が一人で使う部屋に荷物を置き、食堂に向かう。昼食を取ったらさっそく練習開始だ。

 体育館付きの施設を用意するとは、さすが高頭──と思いつつも、練習前につかさは神たちと共に湖の方へ足を運んだ。

 岸辺ではしゃぐ清田の声を耳に入れつつ、つかさもホッと息をつき、しゃがんでこちらに泳いできた白鳥とにらめっこする。水が透き通っていて綺麗だ。

「試合以外でゆっくり来たいくらい、良いところだね」

 頭上から神の穏やかな声が振ってきて、つかさも振り返って頷いた。

「勝ち進めば、それだけ長くここにいられるね」

「あはは、確かに」

 空気も、驚くほどに澄んでいる。いつも潮の匂いが鼻孔を満たす湘南とは全く違う。

 夏の、あの照りつけるように熱かった広島とは違う、静かな空気。

 

 それは嵐の前の静けさだったのか──。

 

 諸星も、自身の宿について改めてトーナメント表と選手表をチェックしていた。

「仙道彰、二年。190センチ、か……」

 東京駅で見た仙道のことを脳裏に浮かべる。シューティングガードとしてはけっこうな長身だ。諸星としては自分よりも大きな選手とのマッチアップはそれほど多くはない。

 ──つかさが、もう一年以上も前から自分以上かもしれないと語っていた選手。神奈川の、"天才"。

 実際に雑誌でも記事を組まれたこともある彼を「しょせんはインターハイにも出られない選手」と甘く見るものもいるかもしれない。が、不遇の天才というのはまま在ることであるし、諸星としてはその手の偏見は持っていない。

 なにより、あのつかさが、どれほど強い選手がいても頑なに「大ちゃんが一番」と言い続けてくれていたつかさが、初めて自分以上かもしれないと言った男だ。

「神奈川とあたるのは……準決勝か。おもしれえ、オレより上かどうか、きっちり確かめてやるぜ!!!」

「ウルセーぞ諸星ッ!」

 握り拳を作って無意識に声を張り上げた諸星の頭に、チームメイトが投げつけてきたタオルが見事にヒットした。



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19話

 ふくしま国体──バスケットボール会場は猪苗代の総合体育館を使って行われる。

 会場はバスケット専用であり、他のメイン競技は会津や郡山のほうで行われるため、にぎやかさには欠けるものの良い環境で試合に臨めるという利点がある。

 夏のインターハイ、冬の選抜に比べて規模の劣る国体には出場しない県もあり、今大会の少年の部に出場するのは30都道府県、30チーム。

 去年の優勝・準優勝チームをシードに置き、トーナメント形式で5日間かけて行われる。

 

 つまり、神奈川は5試合連続で勝てば優勝となるのだ。

 

 大会初日、本日の二試合目である神奈川チームは早朝に軽く汗を流してから会場入りをした。

 控え室にて、みなが高頭の話に耳を傾ける。

「今日が神奈川全国制覇への第一歩目だ! いいか、今年の神奈川は強い! 必ず神奈川に優勝旗を持ち帰るぞ、いいな!」

「おう!」

「よし。では、スターティングファイブを発表する──」

 選手たちも、つかさも息を呑む瞬間だ。コホン、と高頭は咳払いをした。

「まずはガード。ポイントガード・5番、藤真」

「──はい!」

「セカンドガード、4番・牧!」

「──はい!」

「いいかお前ら。神奈川はあくまでツインガードで行く。牧はインサイドでも周りを助けてやれ。頼んだぞ」

 はい、と返事をする二人に周りは少なからずどよめいた。海南の監督自ら、牧ではなく藤真のほうを司令塔に選んだからだ。

 が、みなの興味はむしろ次だった。フォワードに誰を選ぶのか──。

「次にフォワードだ。6番・神、7番・仙道。──お前ら二人がオフェンスの軸だ。神奈川の次世代の力を全国の奴らに見せてやれ!」

「はい! ──仙道!」

「おう!」

 神が笑みで力強く返事をして仙道に手を差し出し、仙道も笑って応えて神の手を弾いた。一人、清田のみが「神さん仙道さん、カッコイイ!」などと賞賛していたが──、少なからず、みなの顔に衝撃が走る。神と仙道がフォワードのスタメンということは、つまり。

「チッ……」

 流川がベンチだということだからだ。と、みなが思うのと同様に流川も腕組みした手で舌打ちをしていた。

 なお、高頭は咳払いをする。

「最後にセンター・8番、花形だ。頼んだぞ花形、お前の高さはチームの柱になる。神奈川には赤木以外にも良いセンターがいることを見せつけてやるんだ!」

「はい!」

 その後、シックスマンということで流川には9番が渡され、あとは上級生から早い番号が渡されてユニフォームを配り終えたところで高頭は力強く言った。

「いいか、お前たち。私は選手をどんどん入れ替えていくつもりだ! 全員がすぐに出番だと思って欲しい。私は確信を持って言う、今年の神奈川は最強だ、いいな!」

「──はい!」

 そうして選手たちは気合いの入った表情を見せた。第一試合の相手は静岡。インターハイ上位常連のチームを中心に集った強豪だ。

「残念だったなァ流川。スタメン落ち。ぷくくくく」

「うるせーテメーもだろ、黙ってろ」

 茶化す清田と流川の言い合いを神がたしなめ、仙道は控え室を出ていって、それを追った高頭は仙道を呼び止めた。

「いよいよ、全国だな。仙道」

 呼び止められた仙道は振り返る。中学で全国の経験はあるものの、むろんインターハイ経験はなくこの場では無名と言っていい。

「今日、この場にいない田岡先輩のためにもしっかり頑張れよ。全国の奴らの度肝を抜いてやるんだ。いいな」

 この手の体育会系特有のノリは、やはり慣れたようで苦手だな、と感じつつ仙道は「はい」と返事をした。あまり自分の力を見せてやろうなどという意識はないが──かといって全国クラスの選手に自分が劣っているとも思わない。いまは単純に、このチームでプレイするのが楽しみだ。

 

 いよいよだ。いよいよこのときがきた──とつかさも胸の昂揚を抑えきれずにいた。

 改めて、なんという頼もしいメンバーなのだろう。と、コートに向かう道すがら思う。紳一を筆頭に、全国でも屈指の選手ばかりが集った神奈川に死角はない。

 

 薄暗い廊下に、パッと明かりが差し込んでくる。開かれた扉の先にワッとアリーナからの歓声が飛び込んできた。

 つかさが感じた昂揚と、僅かな痛みは郷愁だったのか。それとも──。

 

「いよっ、待ってました神奈川代表ッ!!!」

「期待してるぞーー!!」

 

 まだ一回戦だというのに観客が多い。

 それだけ神奈川が注目されているということだろう。しかし。ウォーミングアップを終えて監督の元に集った5人のスターティングメンバーを見て不審に思う観客も現れる。

 

「あれ……。おい、湘北の流川がベンチだぞ」

「お、ほんとだ。神奈川には夏の得点王・神がいるとは言え……神じゃ攻撃的に苦しいんじゃねえか?」

「お、でもけっこうでかそーだぞ、ほら神の隣にいる……。フォワードだろ? あの7番……。誰だ……?」

「さぁ……」

 

 流川は夏のインターハイでの活躍で一気にその名が全国に知れ渡ったのだ。国体でもエース扱いが当然と周囲が思っても無理はない。

 つかさはひょいとスコアラーのノートをのぞき込んでから、チラリと三井の方を向いた。

「静岡選抜……、ほとんど常誠高校のメンバーみたいですけど、常誠は今年の夏は愛知の名朋に負けてますよね」

「ああ、だが常誠自体はそう悪くないチームだ。オレたちはインターハイ前に連中と合同合宿やって三回試合したんだが、一勝一敗一分けだった」

「へえ……! ドローですか……意外」

「特に4番・御子柴と6番・湯船は要注意だな。常誠高校の外と中の要だ」

 言われてつかさはコートへ視線を戻した。静岡代表はそれほど大きなチームではない。

 全員が見守るコート上では、静岡の主将を務める御子柴が意外そうに腰を手にあてていた。

「なんだ、流川はベンチなのか、牧?」

 その問いに紳一は無言で御子柴をにらみ返す。が、横で見ていた神はその黙秘を睨みでもなんでもなく、「御子柴を知らない」もしくは「必死に思い出そうとしている」だけだと理解しており、相変わらずバスケ以外では抜けたところのある主将に突っ込むのは止めておいた。

 

「では、これより神奈川県代表対静岡県代表の試合を開始します」

 

 ティップオフが宣言され、観客席が沸く。

 ジャンプボールは神奈川の勝ちだ。197センチの花形に対抗できる選手は全国でもそうはいない。

 

「おおおッ!? あの海南の牧がポイントガードじゃねーぞ!?」

「おッ……翔陽の藤真か!? 今年はインハイで見なかったが……」

 

 コートではまず藤真がボールを持ち「一本じっくり行くぞ!」とみなを鼓舞している。

 静岡は神の外を警戒しているのだろう。6番・湯船をマンツーで神に付け、残りは菱形のゾーンを敷くといういわゆるダイヤモンドワンで守っている。

「なるほど、マンマークで神を封じて、かつ牧がペネトレイトしてきてもすぐにプレッシャーをかけられるというわけか」

「完全に対・海南を想定してきたみたいですね」

 高頭はさっそく扇を開いて余裕の構えを見せ、つかさも相づちを打った。他の選手たちも流川を除く全員が不敵な表情を浮かべている。なんだかんだ仲間意識が芽生え、コート上の5人の活躍を信じているのだろう。

「オフェンス、一本!」

「先取点取れよッ!」

 ベンチからの声援に応えるように藤真は中へ切れ込んだ。と、見せかけて仙道へパスを通した。

 

「7番ッ!! どんな選手なんだ!?」

 

 観客の反応などお構いなしで、仙道はそのままヘルプに飛んできた御子柴をドリブルで置き去りにしてリングへ向けて跳び上がった。すぐさま追ってきた御子柴と静岡のゴール下2枚がブロックに跳び上がる。が、仙道はシュートは打たずに逆サイドにいた紳一へとパスを通し、そのまま先取点は神奈川が奪った。

 

「うおお、ノールック!」

「その前のドライブもめちゃくちゃ速かったぞ!?」

 

 ほんのワンプレイ。だが間違いなく会場は度肝を抜かれた。

 どよめく館内などまるで耳に届いていないかのように、コートの仙道は紳一とハイタッチをして、いつものように穏やかな表情を見せている。

 

「さあ、一本止めようか!」

 

 その仙道の様子に藤真と紳一は、ふ、と笑った。

「おう、止めるぞ!」

「ディフェンスからだ!」

 ツインガードの声に他のメンバーも大きな声で応えた。神奈川はマンツーマンディフェンスだ。

 仙道はパワーフォワードの御子柴に付き、目の端でボールを保持している静岡ガードを捉えていた。御子柴は静岡のキーマン。しかも、おそらく静岡は流川が出てくることを想定していた。ゆえに静岡は「無名選手」の自分がいるココを穴だと思っているだろう。よって必ず御子柴にボールが来る、と守りながらガードへの注視は外さずに、ガードがフェイントを駆使してパスモーションを見せたのとほぼ同時に御子柴の前へ躍り出てボールを弾いた。

 

「おお、スティールッ!?」

「はええええ!」

 

 そのままボールを捉えた仙道は速攻に走り出す。藤真が先に走ってくれている。パス出しは可能だ。自分でもディフェンスを抜いて決めることは可能。だが──。

 仙道は一度ハンドリングしたボールを、そのまま背中越しに左サイドへ投げ飛ばした。

 

「なッ──ビハインドザバックッ!?」

「ああ……ッ」

 

 神──ッ、と観客が叫んだと同時に、スリーポイントラインのところへちょうど走ってきた神の手に絶妙なパスが渡り、そのまま神は見事なスリーポイントを決めて会場を沸かせた。

 

「ナイッシュ!」

「ナイスパス! 仙道!」

 

 戻りながら神と仙道が手を叩き合う。

 得点したのは確かに紳一と神の海南勢だ。が、華麗とも言えるアシストを2本決めた"7番"に会場の視線は集まっていた。

 そして──。

 ドライブインから今度はセンター越しに豪快なダンクシュートを決めた仙道を見て、観客はただただ熱狂した。

 

「うおおお、誰だあの7番は!? あんな選手、神奈川にいたのか!?」

「すげえぞハンパねぇ! なんで誰も知らねえんだ!」

「あの流川の替わりに出てきたのも伊達じゃねえ!」

 

 歓声を受けて、ベンチのメンバーが肩を竦め、三井は「ケッ」と悪態をついてみせた。

「派手なヤローだ」

「ま、でも、会場が驚くのも無理ないっすけどね」

 宮城もしてやられたような顔を浮かべている。やはりコートで同じ二年が活躍していると逸る気持ちもあるのだろう。

 会場は次第に仙道にボールが渡るたびに歓声が増えていき、つかさはベンチで握った手を無意識に震わせていた。

「仙道くん……!」

 そうだ──、これが見たかったのだ。これが。きっと、この歓声が来年はインターハイの会場で聞けるはずだ。

 つかさが目で仙道を追っていると、「ん?」と隣にいた三井が絡んでくる。

「おい。──おい!」

「え……!?」

「なにぼーっとしてやがんだ。仙道ばっか見てんじゃねえよ、コーチだろお前!」

「え、い、いえ別に……その」

「ま、無理ねえか。あの仙道の満を持しての全国デビューだ。アイツが同学年にいるヤツは大変だな、なあ?」

 そうして反対側の宮城の方を見た三井に宮城は心底イヤそうな顔を浮かべた。

 高頭もすこぶる上機嫌で扇を仰いでいる。既に神奈川は11点を先制し、相手にゴールを与えていない。

「お前らもアップしとけよ。どんどん替えていくぞ」

 その高頭の一声に、ベンチ勢も俄然やる気を出して表情もノってきた。

 

「うおおお、5番、スリーポイント!」

「外も上手いぞあのポイントガード」

「神奈川、強い! こりゃちょっとやそっとじゃ太刀打ちできねーぞ!」

「7番だ、あの7番・仙道がすげーアシスト連発してやがる。ドライブも鋭い、信じられん!」

 

 ベンチとは反対側のスタンド最前列で、観客席の反応を背で受けつつ腕組みをして観戦していた愛知代表──諸星は、むぅ、と唇を曲げていた。

「なるほど……、"オレ以上"ね……」

 今もブロックをかわしてフェイダウェイスリーポイントなどという高度な技を決め、観客の熱狂をさらっている7番・仙道を見下ろしながら呟いた。どうやら中も外も、そしてアシストも上手いユーティリティタイプの選手らしい。

「たしかに、つかさの好きそうなタイプだな……」

 もっとも明らかに仙道はまだその実力を全ては見せていない。現時点では何とも言えない、が、能力的にそうとうのセンスを秘めていることだけは見て取れる。

 それに──。

「ねえ、神奈川のあの7番、カッコよくない?」

「ステキー、7番ッ!!」

「5番もかっこいいけど、7番もいい! 神奈川素敵ッ!!」

 活躍するごとに黄色い声援が増えていき、あっという間にこの有様である。チッ、と諸星は舌打ちした。確かに──、華のあるプレイヤーだ。気を抜くと、自然と目が吸い寄せられてしまう不思議な魅力を持っている。

「いやいやいや、オレだってあんな2年坊主に負けるほど落ちぶれちゃいねえ……。この愛知の星と呼ばれる諸星大ともあろうものが……」

「なにブツブツ言ってんだ諸星」

 頬を引きつらせつつ、諸星は神奈川チームを追った。

 海南であれば、紳一の強烈なリーダーシップとインサイドをかき乱すペネトレイトからの得点、もしくはアシストパスで外から神が射抜くというのが基本戦法だ。いずれにせよ起点は紳一であることが多い。が、このチームは全員が高いスキルを持っている。センターでさえ、パワー押しというよりは柔らかさのあるクレバーなセンターだ。

 ポイントガードの藤真はもとより、紳一も周りを良く見て使い、仙道にしてもあまり前に前に出ずに絶妙なパスで周りを使っている。

 やっかいだな、と単純に思った。個々の能力が高い以上に、個々を活かす能力の高い人間が何人もいるのだ。付け入る隙があるとすれば──やはりパワー勝負となるのか、とチラリと愛知のセンターを見やる。ウトウトしているその男に一瞬でコメカミに青筋が浮かび上がり、右ストレートのモーションが出かけたが自身の左手で押さえつけて、ふ、と息を吐いた。

 その瞳に、藤真のスティールから神奈川が速攻を仕掛けたのが飛び込んでくる。

 

「走れッ、仙道!」

 

 唸るような歓声の中、高速ドリブルで突き抜ける藤真が叫び、彼は前を走る仙道に目配せした。

 大慌てで静岡がゴール下に駆け込み、藤真はオーバーヘッドで一気にボールを投げあげた。と同時に仙道が高く跳び上がる。

 諸星は目を見開いた。まさか……ッ、と思ったと同時に仙道は両手で藤真のパスを受け、そのままリングへとボールを叩き込んで見事にアリウープを決めてしまった。

 割れんばかりの歓声が周囲を包み、諸星はさすがに苦い顔をした。──仙道彰。天才と呼ばれる男。

 

「負けねえぞ……、ぜってぇ負けねえ……!!」

 

 諸星が唸っている頃、仙道のアリウープが決まって静岡がタイムアウトを取り、神奈川はベンチにてそれぞれドリンクを手に呼吸を整えていた。

 高頭は満足げに手を叩く。

「良いペースで来ている。静岡はどうやら仙道を甘く見過ぎていたようだな。なあ、仙道?」

「さあ、どうですかね……」

 仙道はというと、返答に困ったように肩を竦めた。なお高頭は上機嫌で笑いつつ、ベンチ陣を見やる。

「さあ、もう仙道のお披露目は十分だろう。メンバーチェンジいくぞ。──流川、三井、身体は暖まってるな?」

「──! はい!」

 途端に二人の目の鋭さが増した。よし、と高頭は二人と神・仙道との交代を言い渡した。

「それと牧!」

「はい」

「宮城と交代だ」

 瞬間、パーッと宮城の表情が輝きを増した。なおも高頭が選手たちを鼓舞する。

「さあ攻めるぞ。前半、いっきにカタを付けるんだ、頼んだぞ宮城!」

「はい!」

「おい宮城、オレにガンガンパス回せよ、なんせ推薦かかってんだからな」

 そうして選手たちはコートへ出ていき、残った選手も力強く見送った。例え控えでも頼もしさは変わらない。

 

「お、神奈川、選手を替えてきたぞ」

「なんだよ、もう仙道下げるのか? もっと見せろよ!」

「おお、流川だ! 湘北の流川と三井だぞ……!!」

「なるほど、仙道・神のスーパー二年コンビを下げても見劣りしないってか!」

 

 そんな観客の声を聞いて舌打ちしたのは宮城だ。

「チッ、この神奈川ナンバー1ガード、宮城リョータのファンはいねえのか」

 すると、スッと宮城の前にとある人影が立ちふさがる。

「まあそう言うな宮城。お前がナンバー1かはともかく、スピード重視で行くぞ!」

「あッ! は、はい」

 サラッと人影の主・藤真に笑顔で受け流されたことに逆に宮城は一瞬恐怖を覚え、気を引き締めてポジションに付いた。スローインは、静岡だ。

 

 宮城が入ったことで神奈川はスピード感が増し、あっという間に宮城・流川の湘北コンビで得点を重ねて、なお会場が沸いた。

 

「控えもつえええええ!!」

「神奈川選抜・死角ナシだ! こりゃ優勝決まったか!?」

 

 前半、53-28の大差で折り返した神奈川は、残る後半も福田を除く全ての選手を投入し、層の厚さを見せつけた。

 高頭は流川・仙道という強烈なフォワードを同時には起用しなかったものの、それでも最終的にはダブルスコアの98対42で強豪である静岡を圧倒した。

 

 相手は強豪であるとはいえ、神奈川は優勝候補の一角。勝利自体に疑問を持つ観客はいなかったものの──この層の厚さと、そして突如現れた「仙道彰」という逸材に、選手たちがコートを去っても会場はどよめきと熱気に包まれていた。



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20話

「どうだ、全国区になった感想は?」

「御子柴相手にトリプル・ダブル、さすが仙道だな」

「三井の前にお前に推薦話が来る可能性大だな」

 口々にみなが仙道の全国デビューを讃え、そんなジョークも飛んで三井が「おい!」と発言した花形に突っ込むも当の仙道は「まいったな」と首を掻きながら困ったように微笑んでいる。そして。

「でも、明日からきっと仙道のチェックが厳しくなりますよね」

「厳しくなったところでコイツを止められるヤツがそうそういると思うか、神?」

「それはそうですけど……」

 もはや仙道は賞賛を聞き入れたくなかったのか、一人「喉乾いた」などと言ってその場を離れていた。

 監督・コーチ陣──と言っても高頭とつかさであるが、二人とも拍手で選手たちを激励した。

「改めてみんな良くやった! 最高のトーナメントの入り方をした、明日もこの調子で頼むぞ!」

「みなさんお疲れさまです。良い試合でした。優勝までせめてせめてせめていきましょう!」

「はいッ!!」

 あれほどの大勝利に興奮するなという方が無理だろう。ハイテンションの選手たちを後目につかさはスケジュール表をのぞき込む。

「このあと……11:30から別棟のコートで愛知対福井……」

「けっこう強敵だな。まあ愛知だろうが」

 横から紳一がドリンクを口にしながら言ってきた。

「今日の諸星は見物だぜ。おそらく面白いモンを見せてくれるはずだ」

 え? とつかさは眉を寄せる。どういう意味なのか。伝ったのか紳一は、ふ、と笑った。

「アイツ、オレたちの試合見てただろ。仙道のあんなプレイを見せられて、ヤツが燃えないわけがねえ」

「そ……そうかな」

 諸星の目に仙道はどう映ったのだろうか? いずれにせよ愛知は要注意ということで愛知の試合はチェックするよう高頭もみなに言い渡し、別棟に移動する。

 さすがにこちらも一日目。会場はそれほど人は多くなく、神奈川選抜はベンチ反対側の最前列の席を確保できた。

 見渡せば、「燃えろ! 愛和学院!」なる横断幕が下げてあり、愛知ならぬ愛和からの応援団は駆けつけてるようだ。

「愛知は……、選抜チームとはいえ、やはり愛和が中心のようだな」

「監督も愛和の監督だしね」

 つかさは紳一の横に腰を下ろし、清掃が行われているコートを見やった。そうして試合開始10分前になれば両チームがコートへと姿を現し、お、と神奈川陣営が声をあげた。

「なんだ愛知……けっこうでけぇぞ! なんだあの巨体は!?」

 三井が一際目立っていた愛知の選手を指指し、ああ、と高頭が反応する。

「あれは名朋のセンター・森重寛だ。199センチ、100キロの巨体で運動能力も高い。インターハイでは怪物と呼ばれていた」

「インターハイの予選で愛和は名朋に敗れた。まあ、諸星が怪我でしばらく戦列を離れてたのも大きいが」

 名朋自体はワンマンで、強豪相手に勝ち上がることはできなかったが。と紳一が続け、高頭も頷いた。

「ウチが愛知に勝てるかどうかのカギはあの森重をどう封じられるかにかかっていると言っても過言じゃない。しかもあれでまだ一年だしな」

「い、一年……!?」

 さすがに神奈川勢に戦慄が走った。神奈川の第一センターは花形であるが、身長こそ197センチと長身を誇るものの、パワー型ではない。おそらく競り負けるだろう。

「しかも愛知にはもう一枚でかいのがいるじゃねえか。195くらいあるんじゃねえ?」

 三井が立ち上がって自身と身長を比べながら騒いでいる。

「って三井サン、あれ愛和学院のセンターじゃないすか! 記憶飛んだんすか!?」

 すかさず宮城が突っ込み、三井は「は?」と考え込む仕草を見せた。夏の大会で湘北は愛和と対戦はしたものの、ほぼボロボロ状態であり虐殺とも言えるスコアで敗退したのだ。特に三井は山王戦で既に記憶があるか否かという状態であり、覚えていなくても無理もない。

「あれは愛和の荻野だ。4番もこなせるヤツで、センターフォワードに使ってくる可能性が高い」

「つーことは、愛知はインサイドを2メートルクラスが固めて、諸星が外でも中でも暴れるって算段ですか……。確かにやっかいっすね」

 紳一がフォローし、宮城は片膝を抱え込んで考えあぐねたように言った。

 そうしてみなで練習を見守っていると、ふと、諸星がこちらに気づいたのか目線を送ってきた。

「な、なんだ……?」

「こっち来たぞ……」

 湘北の二人が若干引いて、つかさと紳一も顔を見合わせる。

「よお、神奈川! さっきは良いモン見せて貰ったぜ! ──っておい! あの7番、仙道はどこ行った!? いねえじゃねーか!」

 近くにやってくるなり仁王立ちした諸星に言われ、ハッとしてみな互いに顔を見合わせつつ周囲をぐるりと見渡した。

「マジだ。いねえ」

「どこ行ったんだアイツ……」

 気づかなかった。と、にわかに騒ぎになった。言われてみれば確かに仙道が見あたらない。

「どこ行ったんだろ……仙道くん……」

「あいつらしいな……。まあその辺にいるだろ」

 眼下の諸星は神奈川のその様子を見て若干頬を引きつらせていたが「まあいい」と話を切り替えた。

「おい、牧、つかさ。いずれ敵になると言っても今日はまだ緒戦だ。ちゃんとオレの応援しろよ!」

 そうしてビシッと指を立てて帰っていった諸星に、紳一としては苦笑いを漏らすしかない。

 

「相変わらずだな……」

 

 諸星としては先ほどスーパープレイを見せてくれたお返しにと仙道に自分のプレイを見せてやる意気込みだったのだが、すっかり出鼻をくじかれてしまった。

「いけすかねぇ二年坊主だ。オレよりでかいし」

 フン、と地団駄を踏みつつベンチへと戻る。仙道の身長は確か190センチのはずだ。自分とは4センチほど差がある。もし本当に自分のマッチアップ相手が仙道だとしたら、少々不利である。

 だが、それでも。

「オレは負けねえ……!!」

 そうしてチラリと神奈川勢のいる方を見やり──諸星はつかさを見つめた。

 

 ──ぜったいに、お前を失望させるようなプレイはしねえ。

 

 絶対にだ、と。諸星は自身の手のひらへと視線を戻す。

 

『もうやめてくれ……!!』

『頼むから! 諦めてくれ──!』

 

 あの中三の晩夏の日に、誓ったんだ。オレは──、と拳を握りしめて、諸星は首を振るった。まずは目の前の試合だ。相手は福井県代表。ベスト8以上常連の堀高校を中心としたチームだ。弱くはない。

 だが今年の愛知県代表は正直に言って、強い。インターハイでも「怪物」と恐れられたルーキー・森重をインサイドに加えたからだ。もっとも少々ファウルトラブルに陥りやすい短所を持っており、愛和と名朋は基本的に仲違いをしているためチーム力は怪しい。が、そこを引っ張っていくのも主将の腕の見せ所だろう。

 

「よーしお前らッ! 全国制覇まで一気に突っ走るぞ! 全国に愛知の名を轟かせてやろうぜ! いくぞっ、愛知ーーー!!!」

「ファイオーー!!!」

 

 出陣前のエンジンに見守る観客たちが「おおお」とどよめいた。

 

「すげええ、諸星のヤツ、気合い入ってるぜ!!!」

「諸星さーーん、ファイトーー!!」

 

 福井は気合いの入ったツッパリ集団と見まごう選手が揃ったクセのあるチームではあったが、森重の巨体におののかないほど図太くもなく。ミスマッチもあってジャンプボールは愛知。勝ちを確信していた諸星の速攻からのレイアップでいきなりの先制点を取得した。

 

「ほら戻れ戻れ! もう一本取るぞッ!」

 

 言って諸星は自身の陣営にダッシュで戻る。並の選手では愛知のインサイドに切り込んでいくのは無理だろう。だからといって、打ったところで──。

「リバンッ!」

 相手のフォワードがミドルレンジを放ち、諸星は声をあげた。リバウンドは愛知が絶対に有利だ。さすがに福井も読んで速攻を警戒している。諸星は自身のポイントガード・6番に目配せした。そうして森重がリバウンドを取りに跳んだと同時に相手ゴールへ向けて駆けだす。

「森重ッ!」

 森重はあまりパスが上手くない。が──。パスの軌道を読んで駆けながら跳び上がると空中でキャッチし、着地してすぐに諸星は駆けながら6番のポイントガードにパスを出す。すると一瞬、ディフェンダーの反応が遅れた。見逃さずディフェンスを抜けた諸星は6番からのリターンパスを受け取って勢いよくダンクシュートを決めた。

 

「うおおお、諸星あっという間に2ゴールだ!」

「さすが愛知の星、伊達じゃねえ!」

 

 沸く会場に、神奈川陣営も関心しきりだ。

「さすが諸星さん、すごいリーダーシップだな」

「まァ、明るさだけはアイツの取り柄だからな」

 誉めるような神の声に、紳一も笑った。

「大ちゃんって、見ていて気持ちがいい選手。一緒にバスケットやっててあんなに楽しい人もいないと思う。ね、お兄ちゃん?」

「ま、そうだな」

 神奈川メンバーが見下ろす先には積極的に味方を鼓舞して動く諸星の姿があり、つかさも微笑んだ。

 ともかく、と高頭は花形と高砂の方を見やる。

「お前たち二人はしっかりあの8番・森重の動きを見ておけよ。まだまだ技術の未熟な選手だ。必ず、お前たちなら抑えられる!」

「はい!」

 しかしながら、あの巨体のセンターは高頭にとっては頭の痛いポイントだった。明らかにリバウンド勝負では愛知に対して神奈川は分が悪い。こういうとき湘北の桜木がいてくれれば、とは思うものの負傷している以上はどうしようもない。やはり愛知戦はアウトサイド勝負。質のいいシューターで勝負しかない。確率から言って神は外せない。三井は惜しいが、しかし三井では諸星には対抗できない。やはり──仙道だろうか。ガードも出来て、ここ最近の彼はスリーの確率もいい。藤真をポイントガードで使えば、藤真・仙道でボールが運べて外も狙える。

 しかし、諸星とのマッチアップに加えて他の仕事も仙道にやらせるとなると──負担が大きいかもしれない。だが、マルチに仕事がこなせるのは神奈川では仙道のみだ。

 あまり仙道頼みになるのは望むところではないが──と睨むコートでは順調に愛知が得点を重ねている。

 

「でたー! 諸星のダブルクラッチ! とまらねえ!」

「ステキー!!! 諸星さーん!」

 

 怪物・森重の活躍と──なにより愛知の星・諸星の奮闘に会場はほぼ愛知コール一色で盛り上がりを見せていた。

 仙道は一人、スタンドの後方から立って試合の様子を見守っていた。

「なるほど……"愛知の星"ね……」

 紳一の言うとおり、自身でどんどんインサイドに切れ込んでくるスラッシャータイプのシューティングガードだ。見せる技も多彩であり、スリーも打てる。"愛知の星"と呼ばれるのも無理はない。

 それに増して、自身で十分な突破力を持ちながら、よく周りを見ている。もしも自分があの場にいたら。──きっと今、あそこにパスを出す。という仙道のイメージとピッタリ重なった絶妙なパス出しをして、仙道は自然と笑みを浮かべていた。

「楽しそうな人だ」

 呟いた仙道は、あの湘北の桜木にも似た「明るさ」を諸星のプレイに感じた。あまりこの手のキャプテンは見たことがない。強力なリーダーシップを誇りながら、どこか一緒に楽しんでくれているような。そこにいるだけで元気になれるような。彼のチームで一緒にプレイしたら、きっと面白いのでは。と、そんな気分にさせてくれるような魅力を持った選手だ。

 しかし──。

 

『大ちゃんってね、本当にすごい選手なの』

『ドリブルも、シュートも、リバウンドだってなんだって上手くて──』

 

 そうも言ってられないか。と仙道は首に手をやる。

 もし、愛知とあたって諸星とマッチアップをしたら。きっと面白いに違いない。まだ今の彼は自身の力を全部は見ていないだろうが、間違いなく全国トップレベル。相手にとって不足なしだ。

 しかし、やるならむろん負ける気はない。勝負とは、勝つからこそ楽しいのだ。

 

『私にとっては大ちゃんが最高の選手だったんだけど……。一年前の夏に、仙道くんをインターハイの予選で見たときに、神奈川にはこんないい選手がいたんだな、ってびっくりしちゃった』

 

 つかさの基準は、いつでも"大ちゃん"。

 自分に、バスケット選手として興味を持っているのも、"大ちゃん"以上の素質を感じたから。けれども"大ちゃん"ほど、おそらく自分はバスケットに賭けてはいない。だからつかさはもどかしくて、なお自分を気にしている。

 

 試合はそのまま愛知がダブルスコアで福井を下し、コートの諸星は満面の笑みで親指を立てて観客席の方を見やった。神奈川勢のいる場所だ。

 おそらく紳一とつかさに──、いや、つかさに笑みを向けたのだろう。

 

 二人になにがあったかは知らない。

 だが、自分がつかさを公園のコートで見つけた時──彼女はたしかに、苦しそうにバスケットボールを握っていた。

 凄いフォワードだった、と高頭をもってして言われるつかさ。事実、その片鱗は幾度も合宿で垣間見せている。だというのに、バスケットはもうやめてしまった、と言った。諸星や紳一に勝てなくなったから、と。

 もしも、自分が諸星に勝ってしまったら? あるいは負けてしまったら……。彼女は──、とぼんやり眺めていると、「あ!」と見知った声が聞こえた。

「仙道くん、いた!」

 パタパタとつかさがこちらに走ってくる。後ろには神奈川のメンバーがそれぞれ「やれやれ」と言いたげな表情を浮かべていた。

「どこに行ってたの? 試合も見ないで」

「ああ、うん。いや……自販機のとこ行ってたらみんな見失ってさ……。試合は見てたよ」

「そっか……」

「いい選手だな、諸星さん」

 言うと、パッとつかさの表情が華やいだ。そうだろう、とでも言いたげだ。簡単にこんな彼女の笑顔を手に入れることが出来る諸星が、ちょっと憎い。こちとら一年以上かかったというのに──と考えながら思う。

 今の自分が、つかさにとっての"大ちゃん"にとうてい敵うとは思えない。

 もしも自分が、もしもつかさの目の前で、諸星を──。

 その先は考えずに、仙道はただ頭を切り換えていつもの笑みを浮かべた。



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21話

 一日目が無事に終了し、宿に戻って数時間。

 神奈川勢の泊まっている宿には体育館が付いているものの、高頭はチーム練習を軽めに流すのみであまり根を詰めた練習を課さなかった。続くトーナメントに疲れを残さないためだろう。

 

 とはいえ、各自、猪苗代湖のほとりを走ってみたり等の自主練習を重ねておりつかさも付き合ってフォームチェックなどの声を飛ばしていた。

 そうして思う。高頭は、今日は唯一福田を使わなかった。しかしながら、控えが全員試合に出るチャンスがあるほうが少ないのだから疑問ではないのだが。それに福田のディフェンス力の穴は、多少進歩が見られてはいるものの、痛い。使われなくても文句は言えない。

 でも優勝候補のような強豪相手以外では一度くらい使ってやって欲しい──と考えてしまうのは、来年のインターハイに向けて福田を少しでも全国慣れさせて欲しい、といういわば個人的な感情だ。

 それほど陵南は他の神奈川強豪に比べて「経験」値が劣っている。現時点で二年生をチームの中心としているためチーム力としては有利なはずだが、果たしてどうなることやら。

 

 そうして続く翌日の二回戦──高頭はスターティングメンバーを入れ替えてきた。

 

「今日は宮城、藤真、清田、流川、高砂から入る。速攻勝負だ、ラン&ガンで走り勝って来い!」

 

 軽量級・低身長のスピード重視のメンバーだ。

 本来のスタメンに比べれば見劣りする感じは否めないが、隙も少ない。

 

「お……!」

 

 観客が昨日よりも増えている。神奈川勢の活躍を聞きつけてのことだろう。

 その観客のなかの二人組──高校生とおぼしき少年が神奈川のベンチを興味深そうに見つめていた。ジャージに「GIFU・BT」と書かれた彼らの目線の先には、ベンチのすぐ上の観客席から身を乗り出して何かを話している愛知代表・諸星と諸星を見上げている紳一、つかさの姿がある。

「愛知の星は神奈川の応援か? 偵察かな……、今年の愛知も神奈川も例年に増して強いからな」

「諸星は偵察というより、単に応援だろう。神奈川のキャプテンはあの牧だからな……。中学時代のアイツらはチームメイトで、とんでもないガードコンビだったぜ。オレは予選であたったことがあるが……全く歯が立たなかった」

 言いながら少年の一人は紳一の隣にいるつかさを注視し、首を捻る。

「あの……牧のとなりにいる子……、誰だ?」

「は? マネージャーじゃねーの?」

「いや……なんか、どっかで……」

 考え込む少年を横に、もう一人は「けっこう可愛いな」などと言いつつバッグから資料を探している。マネージャーであればメンバー登録に名前があるはずだ。見てみる気なのだろう。

 そうこうしているうちにティップオフの時間が迫り、両チームはコートへと入っていった。

 

「おおお、今日は流川がスタメンだぞ!?」

「おいおい、仙道ってヤツは出ないのか!? 仙道見せろ、仙道ーー!」

「神奈川ー、その海南の一年いらねーだろ!! 仙道出せ、仙道!」

 

 その声に「ぐぬぬ」と歯ぎしりしたのは清田だ。

「まぁ気にするな清田。スピード・ジャンプ力ではお前は仙道にも負けない」

「ふ、藤真さん!」

「昨日は神・仙道の二年コンビが序盤のカギだったんだ。今日はお前と流川でルーキーの力を見せてやれ!」

 藤真にそう力強く言われるも、清田は内心舌打ちをする。なんでこんなヤツと、という思いで睨んだ流川は相変わらず鋭い目つきで黙している。

 流川には負けたくないが、ギャラリーが望んでいるのは仙道並の活躍。──と考えてしまった清田はにわかに緊張してきた。い、いかん、と。

 

「あれ? マネージャーじゃないな、あの子」

 

 試合が始まり、国体の資料をパラパラとめくっていた少年がつかさの方を見て言った。マネージャーには通常、スコアを付けていくという仕事があるが神奈川には他にスコアラーがいる。

「あれ、ホントだ」

 もう一人の少年が隣の少年の持っていた資料に手を伸ばす。そこにはメンバーであれば出身中学や在学校も記載されているはずだ。

「神奈川、神奈川……と。お、あの仙道ってヤツは東京出身だぞ」

「まあ、となりだしな。お前も愛知からの越境だろ?」

「オレの場合は実家が県境だからな。……と、あ、やっぱあの子はマネージャーじゃないな。って──コーチ!?」

「はッ……!?」

 見下ろした資料には、確かに二番目のコーチとして登録してある。しかしながら登録するだけなら誰でも可能ではある。だがなぜ──と名前を見て少年が眉を寄せる。

「"牧つかさ"……?」

「牧……? んじゃ、牧の妹とかじゃねえの? ほら、海南の生徒じゃん。ってか妹かよ……カワイイじゃんか、あの牧の妹にしては」

 笑う友人の声を耳に入れながら、少年は考え込んだ。聞き覚えのある名だ。それにやはり、あの顔──見覚えがある、と神奈川のベンチをしばし見やって、ハッと目を見開いた。

「思い出したぞッ!? 牧つかさ! あの子は……牧や諸星と同じミニバスチームでフォワードだった選手だ、間違いない」

「ミニバス?」

「ああ。雰囲気変わってるから全然分からなかったけど……。牧・諸星のツインガードを従えたエースフォワードだった。あの子を中心に愛知ミニバス界の三銃士つって、まあ、無敵だったな。しかし、中学以降は話を聞かなかったが……まだバスケやってたんだな」

 得心がいった、と語る少年の眼下では、神奈川は序盤から走り続けて速いペースで点を重ね続けている。

 

「さすが宮城ッ! はえええ!」

「山王・深津に競り勝ったガードだもんな!」

 

 めざとくそれを聞きつけて、宮城はニヤリとほくそ笑みつつマークの甘い清田へとパスを出した。

 が──。フリーの清田の放ったジャンプシュートは外れ、館内がイヤな意味でどよめく。

 清田も「あああ!」と頭を抱えるものの、流川が見事にオフェンス・リバウンドを制して得点を重ね、次のディフェンスでも宮城のスティールからのカウンター速攻で藤真が見事にレイアップを決めた。

 さすがにスピード重視。みな全く足を止めずに走り続けている。特に運動能力という点ではこのメンバーの中でも清田がずば抜けているため、走り回って一際目立ってはいるものの──。

 

「あああッ──!」

 

 3回連続でジャンプシュートをミスして館内から少しブーイングが飛び、高頭は開いていた扇子を仰ぎながら苦笑いを漏らした。

「君もよくジャンプシュートを教えてくれていたようだが……。どうもまだいかんな」

「なんか、緊張してるみたいですね……。珍しく……」

 国体初のスタメンではあるものの、清田には夏の戦いで決勝まで勝ち上がった経験もあるというのに──、とつかさにしても訝しがっていると、今度はパスミスでボールがアウトオブバウンズし、相手チームにボールが渡ってさすがに館内から野次が飛んだ。

 

「なにやってんだ海南一年ッ!! 仙道出せ仙道!!」

「そこの女コーチを出した方がいいんじゃねえか、神奈川ッ!」

「そうだそうだ、フォワード足りてねーぞ!!」

 

 どこからかそんな声が飛び、ほう、と高頭はつかさを見やる。

「まだ君を覚えている人間もいるようだな……」

 つかさは瞬きをしつつ、肩を竦めた。

「光栄ですね……」

「しかし、本当に君を出した方がいいかもしれん。ヤレヤレ……」

 言ってチラリと高頭はベンチへと目配せをした。福田に準備をするよう指示し、福田の身体がピクッと撓った。

 つかさも、あ、と笑みを浮かべる。試合は今のところ圧倒的に有利に運べている。この状態でオフェンス押しのラン&ガンで突っ走るのなら、ディフェンスの苦手な福田でも十分活躍できるだろう。

「いいか、福田。ぜったいに足を止めるんじゃないぞ。走って走って、そして点をとるんだ」

「はい」

 武者震いだろうか。清田との交代を指示されて震えている福田の出陣をベンチ陣が見守り、交代と相成った。が、またも会場がどよめいた。この神奈川陣営にあって、またしても無名の選手登場となれば驚くのも無理からぬことだろう。

 ゴール下のオフェンスのみに焦点を絞れば、福田は圧倒的な得点力を誇っている。その福田の長所を良く理解しているガード陣は、相手ディフェンスを引きつけて積極的に福田にボールを回し、福田もそれに応えてなお会場を沸かせた。

「ナイス、福田ッ!!」

 ベンチから仙道もチームメイトに声援を送り、福田もちらりと仙道の方を向いて小さく頷いた。

 その様子を見つつ、つかさは思う。来年の陵南はこの二人がフロントの要。──ディフェンスもオフェンスもまだまだ心もとないが、ゴール下で奮闘する福田には「勢い」がある。何でもスマートにこなしてしまう仙道とはまたタイプの違う選手だ。

「福田くん、動きはまだめちゃくちゃなところがあるけど……。自分の得意エリアでは一歩もひるまないね」

「がむしゃらだからな、アイツは」

 意地でも得点しようとする姿勢につかさが感嘆の息を漏らすと、仙道は誉めるように、ふ、と笑った。

 そうして後半、高頭は福田と流川を下げて再び清田を仙道と共に出し、勢いに乗ったまま最後まで走りきって150点に迫る快勝で3回戦進出を決めた。

 

「つええ、神奈川、ラン&ガン!!」

「やっぱ湘北の宮城がいるとスピード感が違うな!」

「いやいや藤真のゲームメイクだろ、得点力もあるし、神奈川はガードの層が厚い!」

「神がベンチで150点とは恐れ入るぜ!」

 

 福田を出したことでベンチ全員のお披露目を終え、神奈川の層の厚さを観衆に見せつけた神奈川選抜チームの評価はさらに高まっていった。

 

 むろん愛知や福岡、大阪、それに秋田といった強豪も下馬評通りの強さを見せ、3回戦へとコマを進めている。

 

 

 そうして大会三日目。

 快進撃を続ける神奈川は危なげなく準決勝進出を決め──おおかたの予想通り、優勝候補の愛知県代表と決勝進出を賭けて雌雄を決することとなった。

 

 明日は、土曜だ。

 会場は観客で埋まるだろう。

 光景が目に浮かぶようだ。沸く歓声、熱気がアリーナを包んで、そして──。浮かんだのは、どちらが先だっただろうか? そして、どっちが勝つのか──。

 秋へと移ろいを見せる猪苗代の夕暮れはいっそ恐ろしいほどに美しい。

 優雅に泳ぐあの白鳥は、水面下で必死にもがき続けているのだろうか、とつかさはぼんやりと湖畔に立って湖を眺めていた。

 明日は、ついに愛知代表との対戦だ。どこか胸が苦しいような感覚に陥るのは、ずっとずっと待っていたはずの日がすぐ目の前に迫っているからだろうか?

 

『陵南の13番。けっこう大きいみたい。190センチ近くあるんじゃないかなぁ……。うん、絶対そう。たぶん"大ちゃん"くらいだと思う、あの人』

 

 初めて仙道に会った──いや、初めて仙道を「仙道」だと認識した瞬間。確かにそう感じた。

 

『大ちゃんみたい……』

『大ちゃんだ……! ううん、大ちゃん以上の選手だ、あの人!』

『お兄ちゃん、あの人、大ちゃんより凄い選手になるよ、絶対! 初めて見た……、大ちゃんより凄い人……!!』

 

 諸星以上とは言い過ぎだと言った紳一に、いまに諸星以上になる、と力説した。あの一年前の初夏の日。「最高の選手」だと信じて疑わなかった諸星を超える選手を見つけた。

 そうしていつか気づいた──仙道に、絶たれた自身の姿を重ねて「こんな選手になれたら」と自身の理想のフォワード像を重ねていたのだと。もしも自分が仙道だったら。そしたら、諸星に勝って、きっと日本一に──。

「大ちゃん……………」

 けれども、本当にそうなのだろうか? 本当に、仙道が諸星に勝つことを自分は望んでいるのか?

 諸星に勝っていいのは──彼に勝つべきなのは、勝つべきなのは。と考えそうになって、思考を逃がそうと強く拳を握りしめる。

 考えてはダメだ。生まれたときから、無理だったのだ。気づけなくて、諸星を苦しめていた。気づいたその日から、ちゃんと髪も伸ばして、呆れるほどの時間を費やしてきたコートにも二度と行くことはなかった。あのときから、諸星は永遠に自分の中で最高の選手だったはずだ。なのに──。

 

「つかさちゃん?」

 

 ふいに、後ろから声をかけられてハッとつかさは意識を戻した。振り返ると、仙道の大きな身体が瞳に映って、一瞬、身構えるような仕草をしてしまった。

 すると敏感に仙道はそれを感じ取ったのだろう。落ち着かせるような柔らかい笑みを浮かべた。

「さっき、ノブナガ君が探してたぜ。練習、見て欲しいとかってさ」

 そうして仙道は湖の方に視線を投げた。綺麗だな、とでも言いたげに頬を緩めている。

 仙道彰──"天才"だと、初めて彼を見た瞬間から思っていた。けれどもバスケット選手として最高だと思った彼とは個人としては最低な出会い方だったと思っている。それでもこうして隣に仙道がいることに違和感はなくて、むしろ、どこかホッとする。胸の中でいくつもの矛盾した感情が確かにぐるぐると回っているが──やっぱり仙道は、今の自分にとっては──とまとまらない思考で考えていると仙道がこちらへ顔を向けた。

「ん……?」

 どうした? とでも問いたげな声だ。一瞬、目があってパッとつかさは顔をそらした。

「あ、明日! いよいよ、愛知との試合、ね」

「ああ……。そうだな」

「スタメン……どうなるんだろう。高砂さんと花形さんは決まりだろうけど……」

 言いながらも少し気がそぞろだ。明日の試合は楽しみで、少し、怖い。けれども──。

「仙道くん……」

「ん……?」

「頑張ってね。仙道くんなら、ぜったいに勝てる」

 言うと、仙道は少し驚いたような表情をしてから、少し首を傾げた。

「もし、オレが"大ちゃん"に勝ったとしても……怒らねえ?」

 ははは、と冗談めかされて、つかさは苦笑いを浮かべてから、うん、と頷く。

「仙道くんじゃないとダメ。仙道くん以外だったら、私は大ちゃんを応援する」

「ははは、コーチ失格だな」

 いつものように仙道が笑い、つかさは改めて「うん」と自身に頷いた。そうだ、きっと諸星の相手は仙道でないとダメだ。流川でも、沢北でも、他の誰でも、きっとダメだ。

 

 事実──、愛和学院が試合に負けても、諸星が「負けた」と思うような場面を見たことはつかさは一度たりともなかった。

 

 対岸にゆっくりと夕日が沈んでいく。

 オレンジ色の微光を受けながら、ふいに浮かんだ一瞬のあの苦い晩夏の夕暮れでさえ──まるでうち消すように仙道が小さく微笑んだ。

 肌寒い風が二人の間を吹き抜けていって、つかさも少しだけ笑みを返した。

 

 

 翌朝──。

 さすがに準決勝を控え、神奈川メンバーの気合いの入り方はいつもと明らかに違っていた。

 本日は第一試合。10:00開始である。選手たちは試合へとコンディションをピークに持っていくために早朝に軽めの汗を流し、しっかりと朝食を取ってから9時には会場入りをした。

 

 一方の愛知選抜も、むろん「本番は今日」との思いで控え室にて最後の確認をしていた。

 愛知のスタメンはいつも通り。8番・センター森重を名朋から迎え、それ以外は愛和学院のメンバーだ。

「今日はなにがあろうとぜっっっってぇに負けられない試合だ! おい森重、ファウル退場すんじゃねえぞ。インサイドはウチの圧勝だ、パス回すからな」

「分かってるよ、キャプテン」

「"分かりました"だろーが、ナメてんのか小僧!!」

「諸星、落ち着け!!」

 すっとぼけた森重の返事に諸星が青筋を立て、周りがそれを取り押さえる。ともかく、と諸星は仲間の腕を振り払って強い視線でメンバーを見据えた。

「神奈川はスタメン・控えを含めて全員が超高校級と見ていい。だが、それでもウチは負けるわけにはいかねえ! 気合い入れろよッ!」

「おう!!」

 愛知内では「ライバルの牧がいるから張り切っている」ともっぱら言われている諸星ではあったが、その実──。この戦いは諸星にとっても負けられない戦いだった。

 

『オレの相手はどいつだ? どいつがシューティングガードだ!?』

『オレですよ、諸星さん。陵南高校二年、仙道彰です。よろしく』

 

 諸星は脳裏に「天才」の姿を浮かべて、一人心の中で激しく叫び声をあげた。

 

 ──オレが全国一のシューティングガード。そして日本一の選手だ。負けねえぞ。

 

 

 神奈川選抜もまた控え室にて高頭からのスタメン発表を待っていた。

「愛知はとにかくインサイドが強い。キャプテンの諸星は攻守共にチームの要でありキー選手だ。他は、おそらくセンターフォワードで入ってくるだろう荻野も193センチの大柄な選手だが、まあ、パワーはさほどでもない。センター・森重とキャプテン・諸星をしっかり封じていればチームとして機能するのを防げるだろう。よって……」

 言いながら高頭は選手たちの方を見やる。

「今日のスタメンは藤真、仙道、神、高砂、そして花形だ。花形・高砂は二人で森重に対応し、インサイドでヤツを絶対に自由にさせるな」

「はい!」

「ボール運びは仙道にも加わってもらうが……基本は藤真がゲームをコントロールすること。プレイングマネージャーの腕の見せ所だな」

「──はい!」

「それとインサイドが強い分、リバウンド争いは熾烈を極めるだろう。ガード陣にも外は担って貰うが……、神、頼んだぞ。リバウンダーも出番がなければただの木偶の坊だからな」

「はい!」

「それから……仙道」

「はい」

「諸星は……間違いなく日本一のシューティングガードだ。だが、お前はウチの牧と互角、いやそれ以上の戦いを見せてくれた、牧をも超える逸材。……と、田岡先輩は考えているだろう。全力でぶつかって、そして勝ってこい!」

「──はい」

 以上だ、と高頭が話を締め、選手たちは少しだけざわついた。

 これは仙道を、実質のセカンドガードでの起用ということだ。

 それよりもまず、高頭がスパッと自身のチームのポイントガードである紳一を控えに回して藤真を起用したことに清田はじめ湘北勢も驚きを見せていたが、紳一本人は至って冷静だ。

「この世で一番、オレのパターンを知ってるのは諸星だからな……。分が悪いっちゃ悪い。藤真は外も安定してるしな」

「で、でも、牧さん、いいんすか? 諸星さんとは宿命のライバルなんじゃ……」

「誰がライバルだ、誰が。ガキの頃からのダチだぞ」

 清田にそんな返しをし、紳一は肩を竦めた。そうして考える。この起用で賭けなのはむしろインサイドである。二人しかいないセンターを同時起用。もしも試合中にアクシデントでも起きればアウトだ。この賭けが吉と出るか凶と出るか。高頭は彼らをディフェンスに専念させ、点は神とガードの二人で稼ぐ作戦なのだろう。

 それにしても仙道を実質のセカンドで起用とは。確かに諸星とのマッチアップを考えたとき、当てはまる人材は清田、三井、流川、仙道のいずれかである。が、やはり選ぶならばガードもこなせる仙道しかいないか、と納得しつつ紳一はちらりとつかさの方を見やった。

 どうやら落ち着いているようだ。

 何ごともなければいいが──と案じているうちに試合開始が近づき、控え室を出てコートへと向かう。

 

「両チーム出てきたぞ!」

「神奈川ーー、ファイトーー!!」

「愛知ィィィ! 負けんなよー!」

 

 割れんばかりの喝采が選手たちを迎えた。やはり週末なためか、観客席は満席だ。

 

「仙道さーーん! 福さーーん! たのんまっせー!!」

 

 ベンチの方からそんな声が飛んで神奈川勢が見上げると、そこには陵南の相田彦一が陣取っており、あ、と高頭が声をあげた。

「田岡先輩……!」

 彦一の横には田岡が腕を組んで座っており、高頭は軽めに頭を下げた。その田岡の横には越野や植草といった陵南勢の姿も見える。福田も意外そうに瞬きをした。

「仙道、アイツら……わざわざ来たのか……」

「こりゃ、まいったな」

 監督に見張られている、と感じたのだろうか。仙道は嬉しげながらも少々してやられたように首を傾げている。

「田岡先輩も仙道の全国での活躍を見逃せなかったんだろう。なぁ?」

 さらに高頭が追い打ちをかけ、仙道は苦笑いを漏らしながらアップに向かった。

 そうして藤真も準決勝という大舞台でフロアリーダーの役目を預かり、いつも以上に闘志を燃やしていた。スタメンがクセのない、リードしやすい選手で固められているのも藤真にとってはプラスである。

「よーし、気合い入れていくぞお前ら! 仙道、神、高砂、花形!」

「おう!!」

 一人一人の背中を叩いて激励し、自ら率先してかけ声をあげる。

「オレたちの力を愛知の連中に見せつけて、そして勝とうぜ!」

「おう!!!」

 その気迫に、館内もどよめく。それもそのはずだ。アベレージ190以上の大男4枚に囲まれた小柄な藤真が中心となって味方を鼓舞する姿は強烈なものだ。

 

「おおおお! さすが藤真さん、すごい気合いや!! それに仙道さんもやっぱりスタメンや! しかも愛知はあの愛知の星・諸星大が率いる強豪! これは要チェックすぎるで!!」

「ウルセーぞ、彦一!」

 

 ベンチ真上の観客席ではさっそくチェックノートを開いて声をあげる彦一に越野が怒声を飛ばし、彦一は「すんません、越野さん」と言いつつも目を輝かせたまま田岡の方を向いた。

「監督、いよいよですね! いよいよ仙道さんの全国でのプレイが見られますね!」

「そう騒ぐな彦一。ま、高頭のヤツもウチの仙道を起用できるのは内心嬉しいに違いない。ふふふふふ。……だが、メンバー的に藤真がポイントガードで、仙道はセカンドだな。まあ、あの諸星に対抗できるのはウチの仙道だけという判断だな。ふふふふふ、落ち着け茂一」

 教え子の大舞台に興奮を抑えきれない様子の田岡に聞いていた越野は若干引いていたものの、コートにスタメンとして出てきたチームメイトを誇らしく思った。

 

「それでは、神奈川・青、愛知・白でいきます」

 

 神奈川は「KANAGAWA」と白で抜いた、湘南を思わせるようなブルーのユニフォームに身を包み、愛知は白地を基調に「愛知」とワインレッドで大きく書かれたユニフォームを使用していた。

 それぞれが自身のマッチアップとおぼしき相手を見据え──、仙道の視線の先にいた諸星が、ふ、と不敵に口の端をあげた。

「やっぱりお前が出てきたか……仙道君」

 トラッシュトーク? と仙道は若干身構えるも、「ん?」と諸星はあごに手を当てる。

「でもお前、本来はフォワードなんだろ? ──おい神、お前、3番だよな? それとも2番か?」

「3番ですけど……」

「ていうか、牧のヤツは逃げやがったのか? ったくあの裏切り者が! ベンチかよ!」

 しかしそうそうシリアスな表情は続かず彼は神奈川ベンチに向かって悪態をついて、見ていた神は苦笑いを漏らした。「愛和」と「海南」であれば、いつもはこのようなノリだ。

 ま、それはいい、と諸星は再び仙道を見据えた。

「オレは負けねえぞ、仙道。つかさの前で、オレは負けるわけにはいかねえからな」

「──!」

 仙道が目を見張った瞬間、審判がボールを手にしてティップオフの体勢に入った。みな、センターサークルを取り囲んで臨戦態勢に入る。

 

「ティップオフ!」

 

 そうして──戦いの火ぶたは切って落とされた。



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22話

 ジャンプボールは愛和が勝ち、相手ジャンパー・森重のパワーに花形はおののいて館内はどよめいた。まずは愛知ボールだ。

 

「4番! 4番オッケー!」

 

 ボールを取った諸星に仙道が付いた。神奈川のディフェンスはゴール下重視のゾーン。だが、チームの柱の諸星には仙道をぶつけるという作戦だ。

 

「仙道が諸星にマンツーだ!」

「神奈川のエースはやっぱアイツってわけか! おもしれえ!」

 

 む、と唇をとがらせて諸星は仙道を見据えた。観客の反応を見るに、どうやら自分と仙道のマッチアップは今日の見所の一つらしい。

 とはいえ、この試合は仙道に勝つのが第一目的でもない。目的を見失ってはキャプテンどころか選手失格である。そう、最優先は愛知の勝利。

 

「さあ一本! 一本行くぞお前ら!」

 

 言って諸星はドリブルしながら、フイッ、と6番──ポイントガードにボールを渡す。神奈川はボックス&ワンで仙道を自分に付けているのだ。外も含めて、自分の攻撃は徹底的に封じてくる作戦だろう。

 

 ──チッ、けっこうディフェンスいいなコイツ。

 

 スカした顔しやがって、と諸星は仙道の動きを見て内心悪態を吐いた。なかなか振り切らせてもらえない。

 ゴール下の森重はローポストを取れないよう、高砂・花形の二人がかりでうまいこと守っている。パワーは森重の方が上とみたが、花形の197センチの長身はやっかいなことには変わりない。しかも神や藤真も上手くチームの動きを見ていつでもフォローに入れる構えだ。パワーの相手に、柔でいなす作戦だろう。

 ならばこちらも、と諸星はポイントガードに目配せした。と同時に諸星自身も視線のフェイクとステップを駆使して左に振る。──と見せかけて右に抜ければ、ハッとしたように仙道が叫んだ。

 

「スイッチ!」

 

 おせーよ、と駆けだした諸星の両手に6番からパスが来て、諸星はキャッチとほぼ同時にボールを弾き飛ばしてフォワードのスクリーンでローポストに入った森重の元へ送った。

 1ステップ遅れて花形がブロックに入る、が、一歩間に合わず森重の放ったボールはリングを貫いた。

 

「おおお、先取点は愛知だぞ!」

「ナイスアシストッ、諸星!」

 

 ボールを拾った神がスローインして藤真にボールを渡すと、藤真は、ふ、と息を吐いてから指を立てた。

「こっちも一本返していくぞ!」

「おう!」

 とはいえ、神は当然警戒されているのかマンツーで相手のフォワード・7番がついている。身長差もほぼない。インサイドも長身かつ重量級の森重と、高砂より上背のある荻野が守っていてやはり厳しい。花形はシュートエリアが広いが──ここはやはりアウトサイドで行くのが無難だ。

 ちらりと仙道を見た藤真は、仙道も自身の考えを理解していると信じてそのままフロントコートに向かって突っ込んだ。

 仙道も走り、阻む諸星の動きを翻弄するようにハイポストを取る。と同時に藤真からパスを受け取って、諸星と向き合ったまま逆サイドにノールックでボールを投げ出した。視界の端に神がマークマンを振り切って一瞬フリーになったのが映ったからだ。

 そのまま神がスリーポイントを決めて3点を返せば、ワッ、と一進一退の攻防に会場が沸いた。

 

「すっげえアシスト! ノールックだったぞ」

「お見事、仙道! こっちも負けてねえぞ!」

 

 神奈川はそのままディフェンスに戻り、愛知に速攻を出させない。

 愛知は主にゴール下にボールを集めてインサイド勝負で行ったものの──。

 

「テクニカル・ファウル! 白・8番」

 

 花形にうまいことオフェンスファウルを取られた上に、ノーカウントのダンクをを思い切りぶちかましてリングに捕まり続け──さっそくのファウル2連発コンボをくらった森重を諸星はコメカミに青筋を立てて睨んだ。が、「いかんいかん」と首を振るう。自分が神奈川の選手だったとしても、森重にファウルを貰いに行くのは定石でありそうするだろう。相手のインサイトがクレバーなだけだ。

 

 ──あの一年坊主がッ、選抜では覚えてやがれよ!

 

 敵同士に戻るウィンターカップ予選の事を思い浮かべつつ諸星が睨む先では、コート上のキャプテンである藤真が冷静にテクニカルファウルによるフリースローをきっちり2本決めた。

 

 藤真は厳しいチェックにあっている仙道を無理には使わずに自分と神を攻撃の主体にし──対する愛知はインサイドを主体にしながらもチャンスがあれば諸星もオフェンスに使っていた。

 が、思うように得点が重ねられないのは、仙道がマンツーでついているせいだろう。

 仮にも「愛知の星」と呼ばれ、沢北のいない今は日本一のプレイヤーと呼び声の高い諸星が攻めあぐねている。

 スコアは外の得点を重ねる神奈川がリードを示し、早い段階で愛知はタイムアウトを取った。

 

「ナーイス仙道さん! ナイスディフェンスでっせーー!!」

 

 神奈川ベンチの頭上に彦一の声が振ってきて、ドリンクを手に仙道も見上げて笑みを返した。

 いいペースで来ている、と高頭も選手を誉める。

「花形・高砂、これでよく分かったがあの一年は必ずゴール下でファウルがかさんでくる。パワーはあっちが数段上なのは認めるしかないが、吹っ飛ばされてもめげるなよ!」

「はい!」

 しかしながら既にかなり疲弊している様子の二人を見て、つかさは内心舌を巻いていた。あの一年生センターをゴールしたで相手するのは骨ということだ。

 それにしても──、と思う。あのドライブの鬼・諸星をあまり中に切れ込ませていない。自分自身、よく知っているが諸星を止めるのは見た目以上に神経と体力が削られるというのに、仙道も相当なものだ、と無意識に仙道を見やっていると、ドリンクから目線を外して仙道がこちらを向き、目があったのでハッとして口を動かす。

「ナ、ナイスディフェンス、仙道くん」

「……サンキュ」

「大ちゃんにこれまでほとんどドライブを許してないのは……、凄いよ。ね、お兄ちゃん」

「ああ。だが愛知はあくまで森重にボールを集めている。ヤツはまだ様子見だな。ノッてるときの諸星はこんなもんじゃない。油断すんなよ、仙道」

「──はい」

 仙道は返事をしながらドリンクボトルを、キュ、と握りしめた。諸星のポテンシャルが高いのはマッチアップをしているだけでよく伝ってくる。まだ本調子ではないのも百も承知だ。しかしながら、改めて──つかさにとってだけでなく、あの紳一も、どうやら諸星を「最高の選手」だと思っているのだと仙道は感じた。

 

『つかさの前で、オレは負けるわけにはいかねえからな』

 

 試合開始直前、ボソッと、確かに諸星はそう言っていた。

 むろん、神奈川チームとて同じようには思っているだろう。合宿の時に神が、つかさの前で気を抜けない、と言っていたように。自分だってむろん、負けるつもりは微塵もない。が──、彼のそれは自分たちとは比べものにならないほど重い気がした。果たして、自分はそれに打ち勝てるのだろうか?

 

 ふ、と息を吐いてチラリと仙道はつかさを見やり、紳一はその仙道の微妙な表情の変化を敏感に感じ取っていた。

 

 仙道が、つかさを気に入っているのは知っている。ただ、それがどこまで本気であるかは読めなかった。が──この様子では、割と本気だったのではないのか、と感じて腕組みをし、渋い表情を浮かべた。つかさはいつでも仙道を最優先で応援してきた。海南との試合の時でさえ、つかさが見ていたのは仙道だったはずだ。それは仙道も良く分かっているだろう。だが──さすがに今日は分が悪い、と紳一の目線は愛知のベンチに飛ぶ。いくらつかさが仙道を諸星以上の逸材と期待しているとはいえ、つかさにとって今の仙道が諸星以上の存在だとはとうてい思えない。

 それに──、と紳一の顔は渋みを増した。

 つかさは、仙道を諸星以上の存在として期待している。おそらくは、自分が仙道のような選手であったなら、との想いを重ねて。仙道なら諸星に勝てる、と。

 だが、実のところつかさは諸星が誰かに敗北することを望んでいるのか? 答えはとてもイエスだとは紳一には思えなかった。つかさはまだ、三年前の晩夏の日から一歩も動けていない。諸星にバスケットを止めろと言われたことを、受け止めて、受け流すことで目をそらしただけで、受け入れてはいない。──と、そんな気がするのだ。

 少し、この試合の行く末が恐ろしい。と紳一は肩を落とす。諸星のつかさへの思いもまた、あの晩夏の日から動いていない。それを仙道が超えられるとは──とても思えない。

 

 ──ったく、中途半端に人の妹に手を出すからややこしいことになるんだ。

 

 ハァ、と紳一がため息をつく先で、審判がタイムアウトの終わりを告げ選手たちはコートへと戻っていく。

 スコアラーを務めている海南の生徒が高頭の方を向いた。

「前半残り5分で、すでに森重は2ファウルです」

「うむ。いいペースだな。ゴール下からヤツが消えれば、怖いのはもう諸星だけだ」

 ニヤリ、と高頭はほくそ笑む。

 森重は、おそらく数年後もバスケットを続けていれば日本を代表するようなセンターに成長するだろう。だがしかし、今はまだ身体能力だけのバケモノに過ぎない。パワーでは劣っても技術の勝る花形・高砂ならきっと上手くさばいてくれるだろう。

 あとは、仙道だ。対する諸星は愛知の柱。紳一のようなパワフルなリーダーシップは諸星にはない。が、諸星さえいればチームは負けないと思わせる部分はむしろ仙道の方に似ている。とはいえ仙道と諸星の最大の違いは「勢い」だ。例え100点の差があっても、諸星なら本気で「大丈夫!」とみなを励まし、そして周りも呼応してしまう。

 その天性の「明るさ」は驚異だぞ、仙道、と高頭が見据える先で二人はどちらも一進一退の攻防を繰り広げている。

 

「諸星さんっちゅーのは凄い選手や。あの天才・仙道さんとこんなに渡り合えるとは、ほんま、すごいシューティングガードやで……!」

「あれでもまだ力を抑えてるだろうな、諸星は。みてみろ、そう自分でボールを保持する場面は少ない」

「せ、せやかて仙道さんかてまだまだこんなものやあらへん! そうでっしゃろ監督!?」

 

 陵南勢も見守る中、コートではインサイドの攻防で花形と高砂が踏ん張っていた。

 与えられた仕事は森重にポジションを取られないこと。ダブルセンターという特殊な起用ではあるものの、上手くヘルプしあってリバウンドは二人がかりで、可能な限りは跳ばせない。とはいえ、相手は経験が少ないせいか単純なフェイクなど小手先の技術には引っかかってくれるものの──パワーの差が圧倒的であり、前半終了を前にして早くも二人の体力は既に終盤のように余裕のない状態となっていた。

 二人ともベンチに下がる。などとなれば、もはや一気にワンサイドゲーム。それだけは避けなければならない。せめて道連れにするつもりであたる──、と高砂はパスを受け取った森重にプレッシャーをかけたが、無理矢理に押し込まれて跳ねとばされる結果に終わった。

 観客が沸き、高砂は肩で息をする。圧巻のパワーだ。オフェンスチャージを貰いにいく暇さえなかった。

「大丈夫か? 高砂」

「おう」

「よけいなことは考えるな。ゴール下のディフェンスだけに専念するんだ。点はオレたちがとる」

「おう」

 藤真が高砂に声をかけ、高砂も頷いて立ち上がると走り始める。海南の選手は、みな体力には自信を持っている。自分もそうだというのに、こうまで消耗させられるとは。──末恐ろしいルーキーだ。

 

「また森重だあああ! とまらねええ!」

 

 ブロックにきた花形を吹っ飛ばしてのダンクシュートに会場は歓声をあげた。

 タイムアウトを取ったことで愛知はペースを持ち直し、神奈川はあっという間に逆転を許す結果となった。

 それでも──。インターハイで彼一人に50得点を許した静岡の常誠思えば、神奈川勢は食らいついて止めている方だ。

 とはいえ、神奈川ベンチもさすがに息を呑んでいた。

「監督……」

「我慢比べだな。高砂たちの巧さが勝るか、森重に押し負けるか……」

「だが、ウチは愛知に押されてるわけじゃねえ。あのデカブツと諸星のヤローのイン・アウト猛攻で勝つのが愛知の必勝パターンだが、今日の諸星は仙道からそれほど点を取れちゃいねえからな」

 三井が言い下して、宮城が「でも」と口を挟む。

「諸星サン含めて愛知のガード陣は明らかに森重にボールを集めてますよ。仙道もよくやってはいるが、そもそも諸星が攻めてねえ」

「それだけ諸星も仙道を警戒してるってことだろ? 森重で行った方が確実だと考えてやがんだ」

「実際、高砂さん花形さんとは体格差がありますからね。ま、逆に言えば体格差だけっすけど」

 バスケットにおいて、身体能力はこれ以上はないプラスポイントだ。2メートルの重量級、スピードもパワーもあるというのはもはや生まれ持った資質から差があるとしか言いようがない。そこは覆らない。が、そういう相手に真っ向勝負は無駄。おまけに素人なら絶対に穴がある。──と神奈川が自信を持っているのは、他でもないこの場にいない桜木との対戦経験があるからだ。彼もまた、まだまだ発展途上の身体能力重視の選手であり、神奈川はこの手の「バケモノ」の対処にアドバンテージがあるのだ。

 

 前半、32-39の7点ビハインドで愛知を追う形となった神奈川は、引き続き作戦変更はナシで森重を自滅に追い込む策を続けるよう高頭は指示した。

 

 一方の愛知は、監督もろとも再三に渡る注意を森重に飛ばしている。

「森重! 何度言ったら分かるんだ。ゴール下で相手は確実にファウルをもらいに来ている。普通にやってればお前は絶対勝てる。強引なプレイはするな!」

 森重のこのクセは、森重自身の名朋の監督が再三注意しているにもかかわらず全く変化が見られないものだ。愛和の監督がいくら口を酸っぱくしたところで暖簾に腕押しだろう。センターとしての存在感は愛和のスタメンを遙かに凌ぐが、やはり、愛和にとっては彼は一緒のチームで仲良くやれる相手ではない。

「神奈川はガードが強い。神をいくら封じても藤真自らどんどん点をとってくるのが今日の神奈川のパターンだ。フォワード二人は下がって藤真・神には常にプレッシャーをかけろ」

「はい!」

「そして、諸星。これからはボールを外と中で分散して点をとっていく。仙道はまだ2年、お前に勝てはしない、自信もっていけ!」

「はい」

 諸星としては仙道とやり合うのを避けているわけではない。単にゴール下の方が確実であるがゆえにボールを森重に集めていたに過ぎない。が。既に森重は2ファウル。これまでの戦いでも格下相手に2試合も自爆で退場している。

 チッ、と諸星は内心舌を打った。──夏のインターハイ予選で愛和は名朋に惜敗した。負けたこと自体も屈辱であったが、未だに愛和と名朋が仲違いしているのにはワケがある。他でもない、森重のラフプレーだ。

 諸星自身、自身のシュートを不当なファイルで叩き落とされ、腰を強打して担架で退場させられるという屈辱の極みを味わっている。いや、当たり負けたのは体格の差だから仕方がないとはいえ──、あれは「バスケット選手」の動きではなかった。

 結局のところ、パワーで負けはしたが技術ではまだまだ諸星自身の敵になれるほどではなく──負けはしたが、自身が怪我で戦列を離れていなければ名朋には勝っていただろう。

 つまるところ、森重の上から点をとるのは自分には容易いということで、神奈川で言えば仙道・流川クラスなら慣れれば容易いだろう。ゆえに、やはり仙道は自身が封じ続けなければならない。

 ハァ、と諸星はため息を吐いた。森重に対して予選の恨みがあるかと問われれば、もう気にしていない。とはいえ、当の森重はあの調子であるし、愛和のメンバーはあの試合を屈辱的な一戦だと位置づけている。国体の間だけでもとずいぶんと歩み寄ろうとしたつもりだが、上手くいっていない。

 

「そろそろ時間です」

 

 控え室にノックが響いてスタッフが知らせてくれ、「行くぞ」との監督の声に愛知のメンバーは立ち上がった。

「大丈夫か?」

 諸星は休憩を経ても随分と息の上がっているポイントガードに声をかけた。

「ああ」

「周りにどんどんパス回していけ。オレも下がってボール運ぶ」

「おう」

 藤真というポイントガードは、紳一以上とは思わないものの紳一からパワーを引いて視野を広げたような能力を持っているらしい。単純な能力比較だったらポイントガードは神奈川が上だな、と諸星は口をへの字に曲げた。

 ──ガード陣、そしてフォワードに強力な布陣が敷けたチームは間違いなく強い。

 ゴール下ももちろん大事ではあるが。今でもそう思っている。ガードが支え、フォワードがチームの中心にいる。

「……つかさ……」

 自分の原点であり、自分のバスケットの原点は。いつだってつかさが前を走り、それを紳一と自分が支えていた。今も、最高のポイントガードは紳一であり、最高のフォワードはつかさだと思っている。そして自分は──。自分は。

 

『沢北くんにだって、大ちゃんなら勝てるよ!』

『ごめんね、大ちゃん』

『神奈川に、すごい選手がいるの。きっと今に大ちゃん以上になる』

 

 負けられない。つかさの前で、負けるわけにはいかない。

 例えつかさが、仙道を自分以上の選手だと思っていたとしても。もしもつかさが、あの晩夏の日のことを、恨んでいたとしても。

 

『ごめんね、大ちゃん』

 

 負けるわけにはいかない。つかさにバスケットを諦めさせたあの日、誓ったのだ。もう誰にも負けるわけにはいかない、と。つかさが負けたのは、日本一の男だった。例えつかさが男として生まれていても、勝てなかったのだと。自分を負かしたのはそんな男だったと、いつか納得して欲しくて──自身に誓った。負けるわけにはいかない、と。

 もう二度と、元の3人には戻れないことは分かっている。これはただの自分の意地だ。

 負けない、と拳を握りしめた諸星を会場の喝采が迎えてくれた。

 

「出てきた、愛知代表! このまま頼むぞー!」

「負けるな神奈川ーー!!」

 

 そうして出てきた愛知代表を見やって、紳一はもう一度スコアボードを確認した。神奈川は7点ビハインド。しかし流れ次第ではこのくらいならひっくり返せるだろう。

 だが、と仙道に声をかける。

「気合い入れていけよ。おそらく愛知は後半、諸星でくるはずだ」

「──はい」

 一見すると涼しい顔で仙道は頷いた。

 紳一をもってしても仙道の考えはいまいち読めない。が、夏の決勝リーグにおいて自ら神奈川ナンバー1である自分に挑み、勝つ気でいた仙道だ。相手が誰であろうとひるむようなタマではなし。むしろ彼は十二分に自分の能力の高さを信じて、自覚しているはずだ。

 ただ、やはりまだ二年──。諸星は、あれで強靱な精神力と覚悟を持っている。例え能力が仙道の方が勝っていたとしても──と紳一は思う。

 もしも、もしも決勝リーグの相手が愛和で、もしも同点延長戦であったら。陵南のエースが仙道ではなく、諸星であったら。おそらく、諸星は魚住のいない陵南を率いてなお諦めはしなかっただろう、と。

 土壇場で、その「違い」は必ず活きてくる。それに、くぐった修羅場の数は圧倒的に諸星が勝っているのだ。親友を贔屓目で見ているわけではないが、やはり諸星は選手として高い地位にいることは間違いない。

 後半──厳しい戦いになるぞ、と紳一は仙道の背中を見送った。



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23話

 一方の仙道も考えていた。

 前半終了で7点ビハインド。あと20分あるとは言え、高砂や花形は消耗が激しく、そして愛知はインサイドに自信を持っている。実際にリバウンドも強く、愛知が外の攻撃も多用し始めるようになれば好循環が起こって一気に点差が開く可能性もある。

 やっぱ、はやめにカタつけとくか。と藤真に目配せして確認し合う。そうして藤真は花形へと目配せした。

 ジャンプボールは愛知が勝ち、諸星の速攻アシストで一本取られてしまったが、ここからだ。

 

「一本! 一本いこうか!」

 

 仙道がボールを運び、藤真たちが呼応する。実質、セカンドガードでの起用である仙道がボールを運んでもなんら不自然ではない。面倒なのは、諸星がなかなか抜かせてくれないということ。だが──。チェンジオブペースで一気に中へ切れ込んだ仙道は、それを読んで腰を落として張り付いてきた諸星の裏を掻いてヒュッと藤真へボールを渡した。

 瞬間、諸星がハッとしたように目を見開く。

 

「スイッチーッ!」

 

 諸星が叫んだ。彼はコンマ単位で神奈川の狙いを悟ったのだ。さすがだな、と仙道が感じたときには既に花形が壁になって仙道は単独で中へ切れ込み、リターンパスを藤真から受け取っていた。相手のヘルプは間に合っていない。相手は──森重。かわしてシュートを決めるくらい造作もないが、そうはしない。

 

「仙道さんッ!!」

 

 彦一の声が聞こえた。身体を張って止めにきた森重のパワーを仙道はあらかじめ計算に入れていた。──魚住さんより、キツいかな。接触した瞬間、魚住で慣れているはずの重さ以上の衝撃に歯を食いしばる。が、どうにかシュートを投げあげてから腰から落ちないよう足で踏ん張り──コートへと倒れ込む。同時にホイッスルの鳴る音が聞こえた。

 

「ディフェンス! 白・8番! バスケットカウント・ワンスロー!」

 

 歓声があがり、ふ、と仙道は息を吐いた。ワンスローを宣言されたということは、シュートが入ったということだ。

「大丈夫か、仙道?」

 高砂が駆け寄り手をさしのべてくれ、ええ、と頷きつつ仙道はその手を取った。そうして言う。

「今度はゴール下、2人がかりで頼みますよ」

 高砂は、ああ、と頷き、仙道はフリースローラインへと移動してきっちりとフリースローを決め、3点プレイをものにしてさらに会場を沸かせた。

 

「さすが仙道……だな」

「お兄ちゃんの十八番、とられちゃったね」

「まァ、陵南にはあの魚住がいたからな。重量級相手の練習には事欠かなかったはずだ。にしても……藤真・花形がうまく仙道をサポートしていた。やるな、アイツらも」

 

 真上の陵南応援陣がうるさいほどに盛り上がっているため、ベンチは至って冷静だ。むしろ明確に、「仙道がチームメイトに恵まれていたらどれほど強いか」という事実の片鱗を改めて見た気がして、紳一もつかさも唇を引き結んだ。

 そのことを彼らは自覚しているのだろうか? ベンチの福田、そして上にいる越野たちはどんな思いで仙道のプレイを見守っているのだろう?

 

 一方の諸星は、再度、森重に注意を促した。

「おい、ファウル気を付けろよ。3つだぞ」

「わかってるよ」

 まるでファウルなど気にしていない。という顔だ。イラッとするも、いかんいかん、と思い直してスローワーからボールを受け取る。

 

「こっちも一本返してくぞ!」

 

 森重がインサイドにいると、強力であるのは事実だ。しかし愛知は、インサイドの森重頼み、ではない。いてもいなくても変わらない。とはさすがに言えないが、森重のおかげで愛知が強いなどと思われるのは心外だ。

 ここは一本、自分が返さねば──とフロントコートに運びつつ仙道に向かう。パスはない。仙道も理解しているはずだ。自分の3点プレイの直後だ、必ず相手もエースでやり返しにくる、と。

 ──勝負だ、と諸星は一気にダックインで仙道を抜き去りにかかった。と、みせて足を止め、背後にボールを回して一歩後ろに跳ぶ。ちょうどスリーポイントライン外だ。

 仙道がハッとしたときには諸星はもうシュートモーションに入ってボールを手放す直前だった。が──。

 ここで思わぬ仙道側の高さの利が出た。一歩遅れてブロックジャンプに入った仙道の手にかすかに放ったボールが触れ、く、と諸星は空中で唸る。

 

「リバンッ!」

 

 リングに弾かれるのを確信して諸星は叫んだ。

 

「おう!」

 

 森重が呼応する。

 二人がかりで森重を抑えていた高砂と花形が互いに顔を見合わせた。ちょうど審判は逆サイドいいる。チャンスだ。と、シュートが外れてリバウンドを取るため跳び上がった森重と共に二人して跳び上がった──ように見せかけて森重がジャンプしたと同時に二人は弾かれたようにコート外へと倒れ込んだ。

 森重がリバウンドを奪い、同時にけたたましいホイッスルがコートを包み込む。

 あ……ッ、と声を漏らしたのは諸星だ。

 

「チャージング、白・8番!」

 

 倒れ込んだ二人は口の端をあげ、ファウルをとられた森重はキョトンとしている。

「あれ、オレ、なんもしてないよ?」

 本当になにもしていないのだろう。審判へ向けてそう口走って、諸星はゲッ、と頭をかかえた。

「白8番、手を挙げて!」

「えー……」

 不本意そうに手を挙げる森重を見て、諸星はしかめっ面をする。4ファウルでも監督は森重を下げないだろう。森重自身、ファウルを顧みるタマでもない。退場したらそこまでだ。

 神奈川のゴール下は小賢しい。しかも──と諸星は仙道を睨みあげる。

 自分のクイックモーションにすぐ対応するとは。反応が恐ろしいほど速い。それになにより、ミスマッチなうえにジャンプ力も高い。

「チッ、いやなヤローだ」

 改めてやっかいだな。と感じつつ持ち場に戻る。いずれにせよ──これで益々インサイドだけにボールを集めるわけにはいかなくなった。

 

「さすがに高砂、花形は巧いな」

「交代しないみたいね、あの8番。後半残りまだ18分もあるのに……」

「退場するまで使う気だろうな。まあ、森重が抜けたところで愛知は愛和の正規スタメンに戻るだけだ。それはそれで悪くない。だが──」

 

 神奈川ベンチで腕組みをして、紳一はコートを見据えた。

「これで愛知は攻撃を外に広げざるをえなくなった」

「じゃあ……」

「ああ、諸星にボールを集めるはずだ」

 残り時間18分。愛知6点リード。しかし神なら2発で取り返せる数字である。向こうもリードしているとは考えていないだろう。

「諸星にとっちゃ、さっきのスリーを阻まれたのは屈辱だろうな。しかも森重4ファウルのおまけ付きだ」

「大ちゃんより大きい2番ってそうそういないしね……。お兄ちゃんも、仙道くんの高さには苦戦してたよね。けっこう、パスカット許してたし」

「…………」

 コホン、と紳一は咳払いをする。確かにあれは思い出したくないな。と、陵南と対戦したときに仙道とのマッチアップで面倒だったミスマッチを思い出して肩を竦めた。

 

 ──涼しい顔してんなー。と諸星はいっそ感心して仙道を睨むように見ていた。

 自慢ではないが、自分はどうもポーカーフェイスやクールという言葉とは対局にいるキャラらしく。クールという言葉は似合わない。自分ではイケてると思っていても、周りからの評価はそれだ。

 つまり、コイツとは正反対ってわけだ。とどことなくムッとする。そうしてチラリと神奈川ベンチを目の端で捉え、思う。つかさが目の前のこのスカした男を応援しているのだと思えば、面白くはない。

 

 対する仙道は、なぜだか百面相で睨まれていることに頭の中で疑問符を飛ばしていた。

 なんなんだ、いったい。と思うもそろそろ追い上げなければあとがキツイ。それに──、こちらとしてもつかさの前で負けるのはご免被りたい。ましてや"大ちゃん"相手に、と気を引き締め直す。

 

「おおおお、諸星いったあああ!!」

 

 攻撃の主体を諸星に切り替えた愛知は積極的にボールを諸星に集め、諸星も仙道の長身相手に低めのドリブルで揺さぶって持ち前の鋭いドライブインで一気にゴールに飛び込んだ。

 こうなれば190センチ台が二枚でブロックに来ようがしめたものだ。ひょいっとそれらを避けてショットを放てば、観客がどよめく。

 

「戻れ戻れ!」

 

 着地した瞬間に味方にハッパをかけてすぐさま自軍コートに戻った諸星を見て、仙道は「してやられた」と内心舌を出す。さすがにガード。ドリブルの巧さはあっちが上か。スピードも相当だ。

 藤真もボールを運びながらコートを見渡すが、自分と神には実質3人がかりでプレッシャーをかけてくる愛知だ。必ず1対1となる仙道か手薄なゴール下で勝負したいところだが、あの森重は4ファウルを受けてなお動きに躊躇が見られない。

 面倒だな、と舌打ちする。愛知選抜で本当に恐ろしいのは森重ではない。諸星を調子に乗せることだ。むしろ、これは森重が退場して「愛和学院」正規メンバーになってしまった方がやっかいなのでは? と相手ポイントガードのディフェンスをかわしながら考える。いや、冷静になれ。例え初心者くさい動きであろうと森重はゴール下の要。彼が消えれば愛和学院のインサイド陣が花形・高砂相手に勝るとは思えない。現在の第一目標は、森重をコートから追い出すことに変わりはない。

 しかしながら、まずは少し点差を詰めなければ。追い上げのプレッシャーを与えれば必ず相手もミスが嵩んでくる。

 藤真は視界の端に神を捉えた。そうしてじりじり左ウィングに移動しながら神に左をあけて下がるよう指示を出す。仙道が右ウィングに駆け、藤真はミドルポストをとった花形へパスを通した。すると当然、愛知は花形のミドルを警戒する。が、花形は自身では切れ込まずに右ウィングの仙道にパスを通し、ワッと会場が沸いた。

 ──諸星対仙道。会場はそれを期待しているのだろう。が、仙道は藤真が神をさげた意図を理解していた。神は、スリーポイントラインの遙か後方からでも正確にゴールを射抜く。むろん確率はそう高くはないが。それでも。

 

「さァ来い、二年坊主!」

 

 おそらく、もしも神がフリーで打てるなら、自分が諸星を抜いてシュートを打つよりよほど高確率で決まる。と、仙道はドリブルをしながら諸星を見据えた。彼はドライブを警戒している。けれど、そうやすやすパスを出させてくれるとも思わない。さて、どうするか──。

 

「仙道ッ!!」

 

 考えていると神が自分を呼んだ。ハッとしたように諸星が身構える気配が伝った。瞬間的にパスを警戒したのだ。ならば、と仙道はほぼ反射的にドライブで抜きにかかった。が──。

 

「うおお、さすが諸星ッ! 読んでる!」

 

 すぐさま防御に戻った諸星の反応の速さに仙道は瞠目しつつ、とっさに作戦を変えてそのまま神にパスを投げ飛ばそうとした。しかし。甘いとばかりにそれを諸星に弾かれ、あわやスティールというところで慌ててボールを確保する。

 あぶねぇ、と内心焦りつつ、仙道はハンドリングで諸星を見据えながら目線を動かさずにコート内を確認した。いまの攻防で、神のマークマンが少し神から注視がそれた。神なら振り切ってくれるはず。よし、と仙道はそのまま後ろへ向けてボールを投げ飛ばした。

 

 ワッ、と一斉に館内が沸いて諸星も目を見開いた。センターライン付近まで下がった神がパスを受け取り──。

 

「ウソだろッ!? あんな遠くから……ッ!!」

 

 館内がどよめく中、フリーになった神はじっくりと狙いを定めてスリーポイントラインの遙か後方から鮮やかにボールを投げあげた。

 選手・観客の全てがその行方を見守る中、ボールはスパッと見事にリングを貫いて一層館内はどよめいた。

 

「うおおおお、入ったあああああ!!!」

「さすが全国得点王!!」

「仙道の無理やりアシストも利いてるぜッ! いいぞー、スーパー2年コンビ!」

 

 さしもの仙道も相変わらずの神のスリーの精度に「おお」と目を見張る。この神のスリーは、相手にとっては重い。過去に海南と戦った時にやられた分、その重さは嫌と言うほど分かる。が、今は味方だ。頼もしいことに変わりはない。

「ナイス、神!」

「ナイスパス、仙道!」

 互いに声を掛け合い、ハイタッチをしてから自軍のコートへと戻っていく。これで5点差。完全に射程距離だ。

 

「今のは仕方ねえ。気にするな。神のシュートは規格外だ」

「あ……、ああ」

 

 諸星は眼前で今のロングレンジを決められて動揺の走った様子の自身のチームの7番に声をかけた。神のシュートレンジの広さは間違いなく全国一。彼がいるだけでディフェンスを限界まで広げなければならないというのは、相当に厄介だ。そういう意味で神奈川の陰の軸は神と言える。対策としては、彼をフリーにさせない、彼にパスを出させない、ということを徹底するしかないだろう。

 

 しかしながら、今の一発は確実に愛知にダメージを与えていた。

 逆に神奈川が勢いづいたのは言うまでもなく、インサイドの高砂・花形も、仮に自分たちが森重に対応できなくとも神が外から射抜いてくれるという安堵感を改めて感じていた。

 そうして二人は互いに顔を見合わせて頷き合う。ゴール下でファウルをもらいに行くのはバスケの定石。自分たちがいまここにいるのはまさにそのためだ。今日のために練習をこなしてきたのだ。

 高砂と花形は積極的にローポストをとってインサイド勝負に挑みかかった。例え二人同時にやられても、神奈川の控えならきっと愛知に勝ってくれる。

 

「3秒、バイオレーション!」

 

 そうして積極果敢に攻めていくも、バイオレーションとターンオーバーを繰り返し、館内からは怪物・森重への声援と神奈川のインサイドを煽る声が出始めた。

 しかしベンチは至って冷静だ。

 

「よし、いいぞ高砂、花形」

「ナイスファイト! 花形さん、高砂さん!」

 

 高頭とつかさは互いに頷いてコートを見守った。たった一回でいい。たった一回でもあの二人が競り勝てば、この数回のターンオーバーでのマイナスなどすぐに取り返せる。

 ターンオーバーによる愛知の攻撃回数が増え、それでも神奈川はディフェンスを締めて点差をどうにか開かせずに守っていた。愛知も、もはや神奈川が森重のラストファウルを誘っているのには気づいているだろう。しかし、気づいたところでどうにもできない。高砂・花形のローポストプレイを防ごうにも、なまじインサイド勝負に出てくれた方が愛知には分があり、是が非にでも止める理由はないのだ。

 

「花形ッ!!」

 

 藤真が花形にパスを通した。花形は考える。普通にファウルを誘うだけではダメだ。ブロックされて終わりだろう。何度も何度も練習したはずだ。二人がかりで何とかする。そのためのダブルセンターだ。花形は眼前の森重を睨みながらジャンプシュートの構えを見せた。

 

「やめとけー! ブロックされて終わりだ!」

「そうだそうだ! 仙道使え仙道ッ!」

 

 ヤジの声などどうでもいい。完全にシュートコースをふさがれた花形は手を振り下ろすと逆サイドの高砂へとパスを通す。すぐさま反応した森重がブロックに向かう。とんでもない反応速度だ。

 しかし──。高砂はさらにシュートフェイクを一つ入れて花形へとボールを戻した。これで、森重のヘルプが一歩遅れる。ボールを受け取った花形はコートを蹴って後ろに跳んだ。必死でブロックにこなければ止められないフェイダウェイジャンプショット。じっくり森重を引きつけて、そして──。

 

 会場中がシンと静まりかえった。花形がショットを放ったと同時にホイッスルがけたたましく会場を包む。息を呑む瞬間だ。ガツッ、とボールがリングを弾く音がやけに大きく響き──審判は花形たちの方を向いた。

 

「ディフェンス! ──白・8番!!」

 

 ワッ、と神奈川陣営が沸き、愛知陣営はみな一様に顔を強ばらせた。

 諸星もまた、く、と歯噛みをしていた。森重の、5つ目のファウルだ。

 このファウルにより森重の退場が決まり、これで愛知は絶対的なインサイドの守護神を失った。後半残り時間12分、点差はたったの5点。

 ツ──と一筋、諸星の額から汗が伝った。



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24話

 森重のファウルによりフリースロー2本を得た花形は、一本目を外したものの二本目は入れて点差を4点にした。

 退場した森重に代わり、コート上の5人は「愛知選抜」から「愛和学院」正規メンバーに変わり、むしろチーム力はあがるかもしれない。が、このメンバーは今年のインターハイで海南に負けている。単純な戦力で海南に勝っている神奈川選抜相手に対抗できるかどうか。

 

「よーしここからだ! お前らッ、このリードを守ろうなんて考えるんじゃねえぞ! 攻め勝ってオレたちが決勝に行くんだ!」

 

 諸星が力強くメンバーを鼓舞し、全員が「おう!」と呼応した。

 が──厳しいことには変わりない。攻めて攻めて攻め抜かねば、2ゴール程度の差はあっという間にひっくり返る。残り時間はあと12分。

 やらねえぞ──、と極限まで腰を落として仙道に張り付いた諸星は、仙道がクロスオーバーしようとした一瞬の隙を狙って手を伸ばした。

 

「あッ──!」

「仙道ッ!?」

 

 そのままボールを奪って捉え、諸星はワンマン速攻をかける。仙道が速いのは知っている。だが──追いつかれてたまるかッ、とそのまま跳び上がって叩き込むようなダンクシュートを決めた。

 

「うわあああ、諸星のスティールからのダンクだあああ!」

「さすが愛知の星ッ、はええええ!」

 

 どうだッ、とコートに降り立った諸星を会場は割れんばかりの喝采で迎えた。森重退場直後のファインプレーということも後押ししたのだろう。

 

「もーろぼし! もーろぼし! もーろぼし! もーろぼし!」

 

 圧倒的な諸星コールが会場を包み込んで、さすがの神奈川陣営も息を呑んだ。

「は……、派手なヤツだな。まあ、いつもだが」

「仙道くんが追いつけないなんて……」

 紳一でさえも息を呑み、つかさは口元を押さえた。仙道がスティールされたことより、追いつけなかったという事実が嘘のようだ。それに今のダンク──、ここからいける、と思った選手たちにとっては重い一発だろう。

 

「ア、アンビリーバブルや……! 仙道さんが……まさか……。上には上がいてる……」

「諸星は中学時代には海南・牧と双璧を成していた愛知のスーパーガードだからな……。いや、総合力で言えばヤツは牧より上……!」

「牧さんより上ですて……!?」

 

 ベンチ上部の陵南陣営もうろたえを見せ、田岡も渋い顔をして腕を組んだ。普段なら「バッカモーン!」と仙道を怒鳴りつけているところであるが、相手は流川ではなく上級生の諸星だ。仙道が油断していたわけではない。

 

「さすがに……、一筋縄じゃいかねーか……」

 

 ふ、と仙道も肩で息をした。

 上級生とはいえ、まさか自分よりも小さい相手に無様にスティールされてダンクまで決められてしまうとは──、ふ、と少しだけ口の端をあげる。

「藤真さん、ボール回してください」

 言って仙道はフロントコートへ走って向かった。

 ニッ、と聞いた藤真が笑う。──ようやくやる気になったか。と感じたのだ。今までも十分やっていたが、仙道の「集中力」を引き出すポイントがどこにあるのかはおそらく陵南の監督・田岡ですら把握していないに違いない。

「ったく……イヤな二年坊だ。相手はあの諸星だぜ?」

 呟きながらも藤真の声が少し弾んだ。自分ですら、集中力を増した仙道に乗せられてワクワクしてしまう。仙道ならきっとすごいことをやってくれるだろう、というような──。それこそが自分と紳一が恐れている仙道のもっともたる才能であるが、味方であるとこれほどまでに心強いのか。陵南の部員の気持ちが少しばかり分かるな、とボールを運びつつ仙道にパスを渡した。

 

「仙道と諸星の1on1だ!!」

「すげえ火花散ってるぜ、エース対決!!!」

「だがまだ諸星に勝つのははやいぜ、仙道ーー!!」

 

 先ほどのダンクのおかげか、諸星の声援が多少勝っている。とはいえ、今の二人に聞こえているかどうか。

 仙道はジッと諸星の瞳を見据えて機をうかがった。今まで数え切れないほどの相手と戦ってきたが、それでも印象に残っている選手が何人かいる。神奈川で言えば、流川。面白いほど自分を敵視して挑んでくる様がありありと分かり、それでいてまだまだ自分には及ばない。戦っていて楽しい相手だ。あとは……中学時代、勝てなかった相手もいたっけ、とそんなことを思い出した。

 ──ディフェンスは流川より数段上だな、と仙道は機を伺いながら思う。実際、この試合で仙道は諸星にあまり抜かせてもらっていない。おまけに。

「──おっと!」

 少しでも気を抜けば弾かれてしまう。慌てて一歩下がり体勢を立て直した。──さすがに紳一の親友だけある。似ている、と攻めるようなディフェンスに紳一との対戦を思い出した。

「なに笑ってやがんだ、二年坊主!」

 目の前の諸星がイヤそうな顔をし、笑ってたか、と仙道は初めて気づいた。

「いや、おもしれえと思って」

「は……!?」

「ぜってえ、抜いてやる!」

 言って大股で一気に抜き去りにかかるが、うまく重心移動した諸星に阻まれて抜けない。

 甘えよ、とでも言いたげな視線を受けつつ、それならば、と間髪入れずにバックにボールを回し、仙道はノールックで藤真にいったんボールを戻した。と同時に逆サイドから抜けてリターンを受け取り、素早くジャンプシュートを放った。

「く……ッ!」

 諸星も追ってジャンプしたが間に合わない。見事にリングを貫いて、ワッ、と歓声が起こった。勝負しろ勝負、などという声も起こっているが点数さえ入ればこちらの勝ちだ。

 

「おもしれえ、今度はこっちの番だ! 止めてみろ! 二年坊主!」

 

 次は愛知のオフェンス。ボールを受け取った諸星は声高に叫んだ。

 ──言いながら思う。今まで自分に挑んできたエース級のプレイヤーは、常に「挑んでくる」だけであった。先ほどの仙道のように抜けないならば周りの助けを借りて抜こうなどと考えるような選手は、少なくとも覚えがない。

 コイツ、やっぱり手強い。と思う。おそらくつかさが「凄い選手」と感じたのはその辺りが理由のはずだ。ただ一直線に挑んでくるタイプなら、つかさは決して「大ちゃん以上」などとは言わない。

 おまけに、ディフェンスもいい。と諸星は目線を鋭くした。ディフェンスは、日々の鍛錬はもちろん、経験と先読みの力がモノを言う。後者のイメージ通りに動ける前者の能力があれば手強いディフェンダーのできあがりだ。スカした顔して、鍛えてるな、と思わせるディフェンスだ。さすがに紳一が苦戦しただけはある。

 低いドリブルで対応するが抜けない。

 

「仙道さーん、ナイスディフェンスー!」

 

 神奈川ベンチ側の観客席からそんな声が飛んだ。仙道の後輩だろうか?

 だが──甘いッ、とズバッと諸星は切れ込んで強引にそのまま制限エリア近くまで行くと、そのまま跳び上がってひょいと仙道のブロックを避けてシュートを決めた。

 

「う……、巧いね、やっぱり、大ちゃん……」

「ズバッといったな。緩急の付け方はさすがと言わざるをえんな」

「で、でも……仙道くんだって……」

 

 まだ負けていて後半残り10分。会場の諸星押しもあり神奈川陣営に少しばかり不安が走る。逆に一人としてコートに立っていない湘北の3人は相当に苛立っており、下手すると飛びかかりかねない体勢だ。

 ──この時点で紳一とつかさの心理には開きがあった。神奈川が勝つこと前提で、今のコートで一番の選手は親友だと信じて疑わない紳一。そして、やはり仙道でも諸星に勝てないのだろうか、と複雑さを覚えるつかさ。

 つかさはチラリとスコアボードを見やってからコートに声を飛ばした。

 

「仙道くーん! しっかりー!!」

 

 お、と仙道が瞬きをして、仙道の目の前の諸星は眉を曲げた。

「つかさのヤロウ……!」

 諸星にとっては、つかさが明確に敵陣営を応援しているというのは初めての経験だ。やはりあまりいい気はしない。

 仙道はというと、まずいな、と気を引き締めていた。つかさもまずいと感じたから「しっかりしろ」などと言っているのだろう。

「まあ、いい。つかさの意志なんざ関係ねえ、オレは負けねえ」

 低く、諸星が呟いた。まただ。なぜだろう? つかさと諸星の間に、いったいなにがあったのだ? 試合中だというのに、そんなことが仙道の脳裏に過ぎった。

 神奈川に越してきた日に見つけた、公園で辛そうな顔を浮かべてバスケットボールを見つめていたつかさ。綺麗なシュートフォームと、その表情があまりにミスマッチで、あの瞬間からずっと彼女は自分の中に住んでいる。あの表情の原因は──この目の前の"大ちゃん"なのだろうか。

 ──いかんいかん、と思い直す。いまは試合中だ。しかし、つかさのことは気に入っているし、ちゃんと本気だが……目の前の諸星のつかさへの思い入れに自分の気持ちが勝っているかどうかは自分でも分からない。

 だが──。

 

『明日の試合、ぜったい勝って!』

『え……!?』

『私、インターハイで仙道くんのプレイが見たい! だから、勝って、ね!』

 

 つかさは、なんだかんだいつも自分を見ていてくれた。

 だから、もし、いまの諸星のように目の前で彼女が自分以外の誰かを応援していたら──などとはあまり想像したくないことだ。もしも自分が諸星の立場だったら、この試合はやりにくいに違いない。

 ──隙がないな。

 それでも、先ほどよりもなお鬼気迫る諸星の守りに仙道は攻めあぐねていた。ドリブル・パス、全方位で隙なく警戒されている。甘い動きをしたら即スティールされてしまう。けれど──高さもパワーもこちらが上。ゴール下にやっかいな森重はいない。ならば、と仙道は強引に中へと切れ込む。ここは意地でも自分が圧倒しなければ、諸星の勢いは絶てない。

 

「うおおお、無理矢理いったあ!」

「いやッ、まだだ!」

 

 ファウルギリギリの強引さで切れ込む仙道。守る諸星。押し切って競り勝つ、という意志とは裏腹に、仙道は一瞬、力を抜いて足を止めた。当然、諸星はパスを警戒する。その刹那の隙をついて、仙道は強引にゴール下へと突っ込んで跳び上がった。

 

「なッ──!」

「強引だッ!!」

 

 だがまだ振り切ったわけではない。直後に諸星がブロックに跳び、センターの荻野もマークを振りきって跳び上がってくる。それでも。

 

「おう!!」

 

 仙道は力任せにボールを直接リングにねじ込み、力負けした諸星が弾かれてゴール下に倒れ込んで神奈川ベンチは思わず絶句していた。

 ワッ、と観客席がどよめく。

 

「仙道……! 強引に決めやがった」

「しかもあの愛知の星から」

「にゃろう……」

 

 力強い仙道のスーパープレイに神奈川ベンチの湘北陣が色めき立ち、今は仲間である彼にガンを飛ばしている。

 つかさは少し目を丸めて、口元を押さえた。──ゴール下で諸星が吹っ飛ばされるところなど、少なくとも見るのは初めてだ。

「だ……大ちゃ──」

 案じて立ち上がりそうになったつかさを制したのは紳一だ。

「大丈夫だ、座ってろ」

「でも……!」

「仙道が、動揺する」

 言われてつかさはハッとした。そうだ、いまは神奈川陣営にいるのだから諸星に声がけをしていい立場ではない。まして──。

 

『もし、オレが"大ちゃん"に勝ったとしても……怒らねえ?』

 

 夕べの仙道から受けた言葉を思い返して、つかさは黙した。

 少しだけ心拍数があがっているのが自分でも分かる。見覚えがある光景だ。昔、三年前のあの晩夏の日まで、自分がああやって諸星に吹き飛ばされ続けていたのだから。何度も、何度も──。

 

「くそ……ッ」

「大丈夫か、諸星?」

「ああ、わりぃ」

 

 床に倒れ込んだ諸星は、手をさしのべてくれた荻野に引っ張られて身を起こした。そうしてチッと舌打ちをする。

 荻野もまた腰に手をあてていた。

「とんでもない二年だな。ディフェンス2枚の上からダンクかましやがった」

「ああ。速いし高い。技術もパワーもある。しかも……緩急の付け方が桁外れに巧い」

 けど、負けねぇぞ、と呟くと諸星たちは攻撃を開始する。

 走りながら諸星は、既に自分の息がいつもよりも上がっていることに気づいた。それだけ仙道相手に消耗させられているということだ。

 鳴り物入りの二年坊主を相手にしてやるつもりが、いつの間にかこちらが挑戦者のようなノリになってしまっている。それでも、怯むわけにはいかない。エースの負けはチーム全体に影響する。自分が踏ん張らなければ愛知全体の志気に影響するのだ。

 対する仙道は、あまり対諸星に拘ってはいないのだろう。相変わらずコート全体を見渡して、一瞬でも神やセンター陣がフリーになれば絶妙なパスでアシストを重ねている。その冷静さも、諸星に「かわいくねえ二年だ」と思わせるには十分だった。

 

「残り時間5分!」

「68-67! 愛知厳しいぞッ! 一点差まで追いつかれてる!」

「神奈川ー! 神でいけッ、一気に逆転だ!!」

 

 観客は思い思いに声を飛ばし、く、と諸星は息を乱しながら歯を食いしばった。

「おい、二年坊主! 逃げてんじゃねえ! オレと勝負しろ!」

 向かってくる回数よりもアシストを出す回数の方が明らかに多い仙道に怒声を飛ばせば、さらに館内はどよめいた。

 

「おおおお、スゲー! スゲー火花飛ばしてんぞエース同士!」

「諸星と仙道ッ、どっちが上なんだ!?」

 

 実際に熱くなってるのは自分の方だけかもしれない。涼しい顔しやがって。と、諸星は息を乱しながら、藤真のパスモーションを察してパッと前に躍り出た。

 

「パスカットッ!?」

 

 弾いたパスがこぼれて、諸星は仙道よりも先に駆け出した。絶対取ってやる、と追うボールはルーズボールとなって神奈川ベンチの方へ流れ──、チッ、と諸星はラインクロスギリギリのところでボールに向かって手を伸ばし、飛びついた。が、一歩及ばない。身体ごと神奈川ベンチにスライディングして、激痛が肩に伝った。

 

「大ちゃん!?」

「諸星ッ!!」

 

 脳裏につかさと紳一の声が届いた。痛みと呼吸の乱れですぐには起きあがれず──それでも膝をついて、諸星は何とか身体を起こす。どうやらボールは取れなかったらしい。審判の青ボールを宣言する声が聞こえた。

「大ちゃん、大丈夫!?」

「平気か諸星?」

 不思議だ、と諸星は感じた。歓声と、そして紳一の声とつかさの声。まるで昔に戻ったような気分だ。もう二度と戻れない、3人一緒だった時間に──。

 立ち上がって、諸星は肩を押さえつつ、ふ、と笑った。

「安心しろ、つかさ。オレは……負けねえ……。お前を、負かした男は……日本一、なんだ……」

 言ってコートへ戻り、キ、と前を見据える。

 

「さあ、こっからだ! 守るぞ、一本!」

 

 痛みをうち消すために本能が集中力を強化させたのか──諸星のプレイに迫力が増した。

 だが仙道も負けていない。しばしば仙道のオフェンスは諸星を圧倒し、点の奪い合いが続く。

 つかさはギュッと手を握りしめていた。

 あ、いま、仙道が目線のフェイクを入れた。抜いた。囲まれたところでのバックレイアップ。上手い。ああやれば諸星を抜けるのか。でも、だが──。

「大ちゃん……!」 

 いつの間にか、諸星に勝つことが自分の最大の目標になっていた。いつも対等だった、いや、いつも自分が一歩前にいたのに、いつの間にか諸星も、紳一も、遙か遠くへ行ってしまっていて……追いつきたくて、追いつきたくて。置いていかれたくなくて。

 ──大ちゃんには、誰も勝てない。

 そう自分に言い聞かせていたのかもしれない。彼に勝てる人がいるとしたら、それは自分だけ。でも、それももう過去の話。だから、だから──。

 負けて欲しくない。誰であろうと、諸星に負けて欲しくない。

 仙道に追いつめられている諸星を見て強く感じたのは、そんな想いだった。

 けれども──。

 

『大ちゃんだ……! ううん、大ちゃん以上の選手だ、あの人!』

『私は初めて見たときから、仙道くんを大ちゃん以上だって思っ──ッ』

『頑張ってね。仙道くんなら、ぜったいに勝てる』

 

 そう感じた気持ちも、嘘ではない。だが──。

 

「残り45秒だああ! 愛知、攻めろおおお!」

「守れ! 神奈川! ここは守らんと負けだぞ!!」

 

 83-82。いまだ愛知の1点リード。とはいえ、双方攻撃が一回ずつ残されたこの時間帯では先にゴールを決めた方が勝ちだ。

 ──神奈川には、神という強力なスリーポイントシューターがいる。仮にこの攻撃で愛知が2ポイント取ったとしても、3点差では最後に神にスリーを決められて延長に持ち込まれるおそれがある。ゆえに、ここは愛知としてもスリーを決め4点差にしたいところだ。が、当然神奈川もそれを警戒している。

 

「行かせるな仙道、高砂、花形! ぜったい諸星に打たせるな!」

 

 藤真が声を飛ばし、仙道はきつく諸星をマークしてインサイドはゾーンを敷いた。

 攻める諸星も痛いほどに分かっていた。──彼らがいまもっとも警戒しているのは、自分のスリー。だからこそ切り込む価値はある。この際、2ポイントでも仕方ない。

 諸星はプルバックでフェイントをかけ、その勢いのままボールを荻野へとパスした。瞬間、逆サイドへ抜けて荻野が弾き返してきたボールを受け取ってシュート体勢に入る。仙道・花形がブロックに跳び──諸星は十分に引きつけてから空中で上体を捻った。

 

「うわああ諸星の十八番ッ──!」

「ダブルクラッチだーーッ!」

 

 しかし──。この場でこう来るのを読んでいたのだろうか。仙道も上体を捻って、ダブルクラッチから繰り出した諸星のレイアップからのシュートを弾き落として会場はさらに興奮で染まった。

 

「仙道! 叩き落としたああ!」

「止めたあああああ!」

 

 浮いたボールを神がキャッチし、一気に神奈川がカウンターをかける。

 

「戻れええ! 神をフリーにするなああ!」

 

 諸星の叫びと共に愛知のポイントガードがすぐに神の速攻を阻み、神の足が止まる。とはいえ、これは神の計算内だ。残り時間35秒。ギリギリまで時間を使って、確実に決めればいい。

 藤真もその考えだったのだろう。神は藤真にボールを戻し、神奈川は体勢を立て直す。

 とは言え──。

 

「こういう場面……。陵南なら、確実に仙道に託すところだ」

 

 ベンチで腕組みをしたまま紳一が呟き、紳一の目線の先のコートで藤真も仙道へとボールを渡した。

「だが……」

 紳一は目線を鋭くした。神奈川選抜は陵南ではない。どうする、仙道? どう守る、諸星。と、二人の最終対決の行く末を黙して見つめる。

 

 仙道の方も、これがラスト一本だということは嫌と言うほどに自覚していた。自分が決めなければならない、ということも。だが──このコートには、神がいて、藤真たちがいる。

「来い、仙道ッ!」

 目の前には、愛知の星──諸星。最後まで攻め勝つべきか。それとも──。

 揺さぶってドリブルで抜きにかかるが、諸星がそれを許さない。

 残り時間、20秒。あと15秒で打たなければバイオレーションを取られる。神はチェックが厳しい。ゴール下にパスを回すか? いや。抜いてやる──ッ、と仙道は左手で諸星をガードしながら中へと切り込んだ。高さはこっちが上だ。抜ける──ッ、と、やや後方に跳び上がる。しかし。

「打たすかあああッ!!」

 予想よりも遙かに高い諸星渾身のブロックに仙道は目を見張った。──高い。打てるのか? いや、これは、高い。阻まれる、と瞬間的に全身から汗が噴き出した。──と同時に視界の端に一瞬フリーになった藤真が映って、仙道は腕を振り下ろすとそのまま藤真へとボールを託した。

 

「なッ……!!」

「藤真──ッ!」

 

 会場内の全ての人間が度肝を抜かれ──、一人パスを受け取った藤真が綺麗なジャンプシュートを放った。その間にも、秒針は刻一刻と残り時間7秒、6秒と刻んでいく。

 ボールが綺麗にリングを貫き、スコアボードが神奈川84、愛知83を示した。

 着地と同時に藤真は力強く叫ぶ。

 

「よし! あたれッ! ラストオールコートだ!」

「おう、守るぞ!!」

 

 選手たちが呼応して、コート上の5人がかりで愛知にプレッシャーをかけたところで試合終了のブザーが鳴った。

 同時に観客が熱狂の渦を作り出す。

 

「うおおおおお!!! 神奈川、決勝進出だーーー!!」

「すげえアシストだ、仙道ーー!」

「よく決めた藤真あああ!!」

 

 神奈川ベンチ上の陵南応援席も踊っていた。

 

「さすが仙道さん! 天才ッ!!!」

「ナイスアシストッ、仙道!!」

 

 当の仙道はどうにか勝ったことに安堵して、いつものように、ふ、と息を吐いた。

「ナイス、仙道」

「うす」

 すると藤真がタッチを求めてきて、仙道も笑顔で応じた。見ると、他の3人も汗だくの顔に笑顔を滲ませている。

 だが──、と仙道がベンチに顔をやると、つかさはどこか神妙な顔をしており、紳一が案じるように声をかけていた。

 その表情を見て、仙道は一瞬で察してしまった。やはり、彼女は諸星を──、とかすかに眉を寄せる。

「つかさ、ちゃん……」

 呟いて、仙道は今度は確かめるように諸星の姿を探した。後ろを向いていた彼は、少し震えているように見えた。──ラストのパス。出すべきではなかったのだろうか。逃げたわけではないのだ。これは試合。あれは正しい判断だった。

 

「84-83で、勝者・神奈川!」

「ありがとうございました!」

 

 試合が終わり、会場からは両陣営に拍手が贈られる。

 一方で、午後からの試合を控えて両チームの観戦に訪れていた山王工業のメンバーも感心したようにコートを見下ろしていた。

「隙のない選手だピニョン、あの神奈川の仙道。沢北と同じ二年だが、沢北より視野も広いピニョン」

「ああ、神奈川はあの流川さえこの準決勝でベンチに座りっぱなしだった。この大会を通して、神奈川は流川ではなく仙道をエースとして使っている……。なぜあれほどの選手が無名だったんだ?」

 部長を務める深津が言えば、監督の堂本も感心しきりに頷いた。

 そして同じく準決勝を控えて観戦していた大阪代表も、信じられん、という面もちを浮かべていた。

「二年で諸星と対等以上のプレイやったぞ……。誰が止めるんや、あんなの」

「雑誌に書かれとったことはホンマやったんやなー……"天才"て。オレが対戦して恥かかせたろ思とったんやが……」

「アホ、お前には無理や岸本」

「その前に秋田倒さなあかんやろ、ウチは」

 そんな愚痴が、熱狂する観客の声の中に溶けていった。

 

 熱狂する周囲の声と、敗北した親友と、そしてやはり諸星の敗北を受け入れられていないつかさの色のない表情を見て──、紳一は後悔を覚えていた。

 やはり、つかさを陵南の試合に連れて行くべきではなかった、と。仙道にさえ引き合わせなければ、こんな結果にはならなかっただろうに。

「つかさ……」

 声をかければ、ピクッ、とつかさの頬が撓った。

 つかさは、諸星のチームが負ける場面を見たことはあっても、諸星が自分以外の誰かに競り負けるところは生まれてから一度も見たことがないはずだ。

 諸星にしてもそうだ。諸星も、はっきり「敗北」を覚えるのは初めてだろう。自分自身、あまり認めたくないが、仙道は諸星よりもやや上手であったことは確かだ。おそらく、諸星も「勝てなかった」と感じたはずである。しかも、つかさの目の前で、だ。

 

 ──仙道は、天才だ。

 

 確かに諸星より素質があるのかもしれない。だが、二人にとってはそれほど単純な問題ではない。

 あの底抜けに明るい諸星がまるで言葉をなくしたように表情さえこちらに見せてくれない。と紳一は親友の背中を見据えた。

 つかさはつかさで、何を考えているのか──。

 はしゃぐ仲間達の声がやたら大きく耳に届いた。

 諸星にも、つかさにも、してやれることは何もないだろう。

 中途半端に人の妹に手を出しやがって。責任取れんのか? などと仙道を睨むのはお門違いだろうか?

 ただ、でも──。自分には何も出来ない。

 三年前のあの晩夏の結末は、誰にもどうすることもできなかったのだ。

 つかさも諸星も、それぞれが自分で答えを見つけるしかない。──ふ、と紳一は周りの熱狂に抗うようにして深いため息を吐いた。



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25話

 明日の決勝を控え──、夕暮れの猪苗代湖を仙道は一人じっと見つめていた。

 昨日、つかさがそうしていたように。

 あのときのつかさは何を考えていたのだろう? 諸星のことだったのか、それとも──。

 

 準決勝は神奈川が愛知に勝った。自分も諸星に負けたとは思っていない。けれども。彼は──。

 

「仙道……?」

 

 考えあぐねて首を振るっていると、呼び声が聞こえ──振り向いた仙道は目を見開いた。

 そこにはいままさに浮かべていた男の姿があり、思わず間の抜けた声をあげてしまう。

「も、諸星さん……? なんでここに」

「ああ、ちょうどよかった。お前に話があってな……」

「オレに?」

 聞けば諸星は自分に会うために神奈川選抜の使っている宿まで訪ねてきたらしい。幸い、宿に入る前に湖の前で自分の姿を見かけて声をかけてきたということだ。

 それにしても──、なんの用事だ? と多少気構えてしまう。諸星はポケットに手を突っ込んだまま、どこかふてくされた顔をしている。

「お前……、ラスト、なんでパスした?」

「え……?」

「え、じゃねえよ! 藤真にパスしただろーが藤真に!」

「あ、いや……」

 そのことか、と仙道は首に手を当てた。

「あー……、その、なんでって言われても……。諸星さんのブロック、高かったんで弾かれると判断しただけです」

「だろーな。オレも叩き落とす気満々だったからな」

「…………」

 ふんぞり返られて仙道は頬を引きつらせた。本当になにをしに来たのだ? となお考えていると、ふ、と諸星は視線を仙道からそらした。

「つかさは? いま何してる?」

「え……? さあ……」

 なんだ、つかさに用事なのか? と生返事をすると、そうか、と諸星はさして気にしたそぶりもなく相づちを打った。

「お前、オレと牧とつかさが一緒のチームでバスケやってたの知ってるか?」

「え……、あ、ええ、詳しくは知りませんけど……。少しだけ聞いたことはあります」

「つかさに?」

「……はい」

 そっか、となお諸星は頷いて、視線を仙道に戻してきた。

「なら、つかさがバスケやめたのも知ってるよな。理由、聞いたか?」

「いえ、詳しくは……。ただ、諸星さんや牧さんに付いていけなくなったから、って言ってましたけど」

 つかさは、自身がバスケットをやめた理由を話そうとはせずはぐらかしていた。だから突っ込んでは聞かなかったのだ。おそらくは話したくないことのはずだから、と。

 ただ、目の前の諸星と何か諍いがあっただろうということは予想がつくが──と考えていると、諸星はどこか逡巡するようなそぶりを見せてから唇を動かした。

「オレがやめさせたんだ、バスケット」

「え……!?」

「オレが、やめろって言ったんだ。つかさにバスケットをやめさせたのは、オレだ」

 思いも寄らなかった言葉に仙道は瞠目した。そのまま驚きを隠せず見ていると、諸星は自分と、そしてつかさとのことをゆっくり話し始めた。

 

 物心ついた時からいつも3人一緒だったこと。

 近くの公園のバスケットコートが遊び場で、自分たちの身体より大きいと感じてしまうほど大きいバスケットボールがいつも3人の遊び相手だったこと。

 小学校に入って自然とミニバスチームに所属し、一番運動神経も良く成長も早かったつかさは自然とフォワードになり、一番小さく、また年上だった紳一がポイントガードに、必然的に諸星がセカンドガードとなったこと。

 

「信じられねえかもしれないが……、ガキの時はマジでつかさのほうがオレたちよりでかかったんだぜ。全てにおいてオレたちより一歩も二歩も先を行ってた。オレたちはつかさをエースだと思ってたし、つかさも自分でそう思ってたはずだ。バカだと思うかもしれねえけど……、一生、その力関係が変わるとは思ってなかったんだ」

 

 一生このまま、と思っていた関係に変化が訪れたのは、諸星たちが中学にあがったころだったという。

 第二次性徴期に突入した二人は見る見るうちに身長が伸び、あっという間につかさの身長を追い越した。同時に筋力も体力も目に見えて差が出始めたという。

 つかさが6年生のあたりから、つかさと二人の間にあった差が急に埋まりはじめ、あべこべになった違和感が増大し──確定的になったのはつかさが中学校にあがった頃だった、と諸星は続けた。

 

「オレたちの中学、男子生徒が多くてな……男子の方の部活に力入りすぎてて、女子バスケ部がなかったのも失敗の一つだったかもしれねえ。中学バスケはミニバスと違って男女混合じゃねえし、でも、たぶん、つかさの頭の中にはオレたちのいない場所でバスケやるってことはなかったんだろうな……」

 

 同じ中学にあがったものの、つかさは特定の部活動をせず、諸星たちが部活動の時間は一人で公園のバスケットコートで練習を重ねていたという。そして、朝は早くから、夜は暮れてなお──相も変わらず3人でバスケットを続けた。変わったことは──つかさを打ち負かすことが造作もなくなったこと。

 完全に完璧に彼女に勝ったわけではないが、もっとも違ってしまったのは高さと、そしてパワーだった。

 こういとも簡単にはじき飛ばせるのか、とゴール下で何度もつかさを叩き落としてはいっそ恐怖した。そうして、性別という超えがたい違いをはっきりと自覚したものの、つかさはそれを受け入れはしなかった。と諸星は続けた。

 

「お前、想像できるか? お前……、もし、お前がつかさを全力でブロックしたらどうなると思う? できねえだろ?」

 

 言われて、仙道は眉を寄せる。そんなこと当たり前だろう。いくらつかさが女子では長身とはいえ、自分のような190センチの巨体のアタックを受ければパワーの差も相まって下手を打てば大けがだ。

 だが──、と諸星は続けた。つかさを前に、手を抜くわけにはいかなかった、と。

 エースの意地だったのだろう。吹き飛ばされても吹き飛ばされても、傷だらけでつかさは自分たちに挑み続け、そしてそれに自分たちも応え続けた。

 けれども、自分たちの差は埋まるどころか広がるばかりだ。これから高校に上がればもっと酷くなるだろう。つかさの身体の成長は止まり、自分たちはさらに伸びて筋力も増える。取り返しが付かなくなる前に、と限界が来たのは、最後の中体連全国大会が終わった日。いつもの公園で、こう言った、と諸星は遠くを見た。

 お願いだから、諦めてくれ、と。お前は女でオレは男だ。差はますます広がる。これ以上お前と戦いたくない──、と。

 その言葉が、どれほどつかさにとって屈辱で絶望的であったかを分かっていて言った。

 

「たかが14歳やそこらの中学生にはきつい言葉だ……。つかさ自身、分かっていても受け入れがたかったことを無理矢理突きつけた。オレが、つかさからバスケットを奪ったんだ。あいつの才能は本物だったってのに、オレがつぶした。今も……思ってるさ、本当はあいつに恨まれてんじゃねえか、って」

 

 どこか寂しげに諸星が言い、思わず仙道は口を挟んだ。

「いや、そんな……つかさちゃん、そんな風に思っちゃいないと思──」

 しかし。フォローしようとした仙道の方をキと諸星が睨み付ける。

「ウルセーな、せっかくオレがカッコイイこと言ってんだから黙ってきけや!!!」

 諸星は拳を震わせ、仙道は頬を引きつらせる。なんなんだ、いったい。と若干引いていると、ともかく、と諸星は咳払いをした。

「どんな理由であれ、つかさにバスケットをやめさせたのはオレだ。ちゃんと女子の中でバスケをさせるべきだった。だってよ、誰も知らねえんだぜ? 中学の時のアイツがどんだけ強かったと思う? オレや牧より、下手すりゃお前より素質あったってのに……誰もつかさを知らねえ。けどオレにとっちゃ、今もフォワードのナンバー1はつかさだ。だから、オレは……」

 諸星の声が少し震えた。握った拳も、先ほどよりも力が入っている。

「オレは……、もう誰にも負けねえと勝手に誓った。つかさは、あの日以来一度もコートには行ってねえ。しかも、だ……こちとら絶交も覚悟してたってのに、次に顔を合わせた時、あいつ謝ってきたんだぜ。"ごめんね、大ちゃん"って。だから、オレは……オレは──」

 そうして諸星はギラリとこちらを睨みあげてくる。

「それが、おーまーえーのせいでだなーーー!!!」

 言いがかりも良いところだ。などと突っ込んだら跳び蹴りでも跳んできそうな勢いだ。口を挟む隙すらない。

「オレは絶交覚悟だったんだ。少なくとも、元の関係に戻れるとは思っちゃいなかった。実際……あの日以来つかさはバスケやめちまったし。それにあの裏切り者……牧のヤローが神奈川に越して海南に進学を決めてだな。つかさだけは残ると思ってたが……アイツは海外の親元のところに中2の終わり頃に戻っていった。正直、避けられた……と思ったさ。実際、次に会ったのは去年のインターハイの時だしな。あいつ、会うなりなんて言ったと思うよ?」

「さ、さあ……」

「"神奈川で、凄い選手を見つけた"、“きっと大ちゃん以上の選手になる"。だとよ」

「──!?」

「お前のことだろ? ソレ」

 ズイッと指さされて仙道は目を見開いた。

 久しぶりに会ったつかさは、決して伸ばそうとしなかった髪を伸ばして随分と女らしくなっており表面上は何ごともなかったように以前と同じに接してきたという。

「たぶん、つかさが少しでもまたバスケに関わる気になったのもお前のせいだろうな……。アイツは、いつか自分の替わりにオレを負かす相手が現れるのを待ってたのかもしれねえ」

「いや、それは違いますよ、諸星さん。つかさちゃんは、そんなこと望んでいなかった。今日の試合も……彼女は……」

 諸星の方を応援していた。とは仙道は続けなかった。ただ、彼女は本音ではあまり見たくはなかったのだと思う。諸星の敗北を──目の前で。

 諸星はそんな仙道を見やって、ふ、と息を吐いた。

「ま……、いいさ。どう言い訳しても、オレはお前に負けた。つかさの目は正しかった。お前は……良いプレイヤーだ。なのに、なにやってんだ? インターハイ予選で敗退するような選手じゃねえだろ、お前は!」

 つ、と仙道は息を呑む。夏の予選敗退は自身にとっても痛い思い出だ。チーム力で負けてた、などと言い訳したところで負けは負け。事実は変わらない。 

 なおも諸星は一歩踏み出して絞り出すように言った。

「もう二度と負けんじゃねえぞ、仙道! お前はこのオレ、諸星大を負かしたんだ! 分かったか!?」

 そうして数秒、仙道を睨みあげてフイッと目線をそらす。仙道はあっけにとられて返事すら叶わない。だが──。

「お前が……、もし、つかさに惚れてんなら。尚さらだ」

 後ろを向いた諸星の姿に、試合直後に震えていた彼の後ろ姿がだぶる。つ、と息を詰めていると、振り返った諸星はいつものシリアスの全く似合わない、不敵で冗談めかした顔をこちらに向けた。

「来年のインターハイは見に行ってやる。意地でも出て来いよ、分かったな!」

 そうして「じゃーな」と手を振って諸星は仙道に背を向け、仙道はしばし立ち尽くしてその背を見送った。

 ガシガシと頭を掻き、まいったな、と呟いてみる。

 結局、諸星は最後のことを伝えたくて来たのだろう。期待されることには慣れている。が、諸星は──。

 

『つかさにバスケットをやめさせたのは、オレだ』

『オレは……、もう誰にも負けねえと勝手に誓った』

『次に顔を合わせた時、あいつ謝ってきたんだぜ。"ごめんね、大ちゃん"って』

 

 諸星の想いを、自分には関係ないと切り捨てるのは容易いことだ。だが──。

 

『"大ちゃん"となにがあったにしても、バスケをやめるこたねーし、やりたいときに楽しもう、でいいんじゃねえの? オレでよけりゃ1on1の相手くらい、いつでもなるぜ?』

『──!? ……イヤだ。勝てないもん、ぜったい』

 

 あのとき──つかさは自分に初めて笑顔を見せてくれた。

 時おりバスケットボールを持って笑顔を見せる彼女は、バスケットを嫌いになったわけではないはずだ。だが、ようやく分かった。初めて彼女を見つけた時、なぜ辛そうにボールを見つめていたか。

 つかさの中では三年前の晩夏の日がまだ終わっていないのだ。それは負けた悔しさと、そしておそらく諸星への罪悪感。

 受け入れがたい事実だったとしても、つかさも気づいていただろう。既に自分の力が諸星に及ばなくなってしまったことを。それなのに自分を相手に諸星が全力を出し続けるということは、下手を打てば一方的ないたぶりだ。諸星の心理的な負担はおそらく想像を超えるものだっただろう。けれどもつかさは自身の意地を通し──、そして、挫折せざるを得なかった。

 だから言ったのだ。──ごめんね、大ちゃん、と。

 そうして罪悪感が肥大して、しかし、エースとしての意地が完全に消えたわけではない。だから彼女にとってバスケットはいつの間にか苦しさを伴う存在となっていた。

 

『私は初めて見たときから、仙道くんを大ちゃん以上だって思っ──ッ』

 

 つかさの声を思い返しながら、仙道は暮れ落ちた道を宿に向けて歩き出した。

 みなは夕食を取っているころだろう、と思いつつふと足を止める。体育館から音が聞こえる。

 神か……? などと思いながら中を覗いて、仙道は絶句した。

「ッ……!」

 中にいたのは、つかさだった。一人でボールを抱え、練習している。しかも──、動きに覚えがある。今日の試合だ。全て自分が諸星を抜いてゴールを決めた場面。

「つかさちゃん……」

 つかさは、おそらく今も必死に諸星の影と戦っているのだろう。

 フェイク。ドリブル。クイックネスにドライブ。──完璧だ。才能と、なによりも努力のたまものに違いない。やはり埋もれさせるにはあまりに惜しい。だが──、それでも、と仙道は眉を寄せる。

 やはり、自分と比べると少しずつ遅い。あ、今のジャンプ。自分なら叩き落とせる。などとどうしても考えてしまう。

 どれだけ長い間そうしていたのだろう? 汗が飛び散っているのが見える。強引にドリブルで突っ込んで、跳び上がって──ダンクすることが叶わずにフックでシュートを決めた彼女を見て仙道は思わずガラッとドアを勢いよく開いてしまった。

 瞬間、ビクッとしたようにつかさの肩が揺れてこちらを振り向いた。

「あ……、仙道、くん……」

 肩で息をしながら、つかさはばつの悪いような表情を浮かべた。

「悪い……。音が漏れてたから、気になって……」

 言えば、つかさは小さく苦笑いのようなものを漏らす。

「もしかして、見てた……? 仙道くんみたいにできたら……勝てるかな、って思って……つい……。でも、ダンクはできないな、やっぱり」

 そうして床に落ちたボールを手に取る。

「ね……、私でも……勝てる、かな……大ちゃんに」

 仙道は少しだけ同情から眉を寄せ、小さく首を振るった。

「いや……。高さが足りない。ドライブのときのスピードが足りねえし、無理だ」

「あはは……。厳しいね……」

 キュ、とつかさがボールに力を込めたのが伝った。けれども、自分が言わずとも、つかさ自身よく分かっていることだろう。ただ彼女なりにどうにか自分の中で折り合いを付けようとしているだけだ。

 すると、少しだけつかさの口元が笑ったように見えた。

「今日の仙道くん、凄かったよね……。大ちゃんや荻野さんの上からダンク決めちゃったし。あんな鋭いドライブイン、初めてみた。やっぱり……凄いな……。でも、大ちゃん、も……」

 ボールを持つ手が震えている。伏せた顔からは汗が幾重にも伝って、まるで泣いているようにさえ見えた。

「大ちゃんも……やっぱり、強いよ、ね……。大ちゃん、も……」

 仙道は小さく頷いた。頷きながら、ふ、と一瞬、ついいま諸星に言われた言葉が過ぎった。もう二度と負けるな、と。諸星の覚悟を受け継ぐ決意をしたわけではない。だが、「覚悟」が生まれたことを自覚した。少なくとも、踏み込む覚悟が。

 そうしてそっとつかさのそばに歩み寄ると、手を伸ばしてつかさの身体を自分の胸へと抱き寄せる。

 腕の中で、つかさが目を見開いた気配が伝った。

 

「つかさちゃんは、よく頑張った……。もういい。もう十分だ……。もう、いいんだ」

 

 つかさの身体が撓った感覚が分かった。手が震えてから数秒、まるで返事のようにボールがこぼれて床を弾く音が体育館に響いた。

 少し仙道の身体にかかる重みが増し──、仙道もただ黙ってしばし包み込むようにつかさの身体を抱きしめ続けた。

 

 

 ──翌日。

 秋田との決勝は合宿時から入念に準備してきた仙道・流川のスーパーエースコンビが何とか機能し紳一とのチームプレイも功を奏して、沢北を欠いた秋田はよく食らいついてきたもののついに神奈川に勝ることはできなかった。

 

「優勝──、神奈川県」

 

 会場では神奈川から応援にかけつけていた陵南勢はもちろん、既に部活を引退した赤木や木暮といったメンバーも見られ、拍手に花を添えた。

 そうして今年の国体は、おおかたの予想通りの県が上位を占め、そして──「神奈川に仙道あり」という高校バスケ界に走った衝撃によって、仙道はもちろん会場に応援に来ていた田岡にまで取材が殺到し、初日から最終日まで仙道の衝撃の全国デビューというニュースに沸いた。

 

 優勝という最高の手みやげを持って神奈川選抜チームは猪苗代を後にし、それぞれが国体での思い出を胸にひとまずは東京駅での解散と相成った。みな神奈川住まいとはいえ路線がそれぞれバラバラだからだ。

 最後の挨拶を高頭がみなに向ける。

「神奈川選抜というすばらしいチームで、優勝という栄誉を得たことを監督としてとても誇りに思う。ありがとう。さて……、これからはまた互いにライバル同士だ。国体での経験を活かし、よりいっそう強くなった諸君とコートで会えるのを楽しみにしている」

「はい!」

「私からは以上だが……。つかさコーチ、なにかコメントはあるか?」

「え……!?」

 ふられてつかさはうろたえる。一斉に12人の選手たちの視線を浴び──顔を引きつらせるも、こうしてこのメンバーで集うのも最後かと思うと少し寂しいような気がした。

「え……ええと……。合宿・大会を通して神奈川チームが一つのチームとしてまとまり、強くなっていく様子をそばで見守ることができて、とても光栄でした。まだまだまだ、伸びる余地のある選手ばかりなので……ここでお別れなのは残念ですが、今後は私はみなさんの活躍を観客席で見守りたいと思います。頑張ってください」

「はい! ありがとうございました!」

「では、解散。気を付けて帰りたまえ」

「おつかれーっす!」

 そう、ここを離れればまた敵同士。また全国への出場権をかけて熾烈な戦いを繰り広げることになるのだ。でも、彼らにとってもこの国体での経験はプラスとなるだろう。

「おい宮城。東京寄ってかね?」

「そっすね。ちょうど腹も減ってきたし」

 湘北勢は横浜方面へは行かずにここでいったん下車する気らしい。なんとなくつかさが目で追っていると、三井と目があった。すると、ニ、と三井が口の端をあげる。

「じゃーな、つかさ。お前とやんの、けっこう楽しかったぜ!」

「あ……はい、ありがとうございます」

「オレは選抜も出るからな、見に来いよ」

「推薦取れることを祈ってます。大学でも頑張ってくださいね」

「おう! って、気がはえーよ」

 カラッと笑いながら手を振って三井が背を向け、みなでその背を見送って「さて」とJRの方へ向かう。

「ウチは選抜まで全員が残るからな。今年はもらうぞ、牧」

「ほう。楽しみにしているぞ、お前と戦えるのも最後になるからな」

 藤真と紳一がそんな言葉を交わし、全員で東海道本線の乗り場へ向かう。翔陽は海南・湘北・陵南と違い横浜市であるため交通手段もバラバラであったが取りあえず横浜までは行動を共にしようということだ。

 しかし。電車が乗り込んできて乗車する直前で「あの」と仙道が言いづらそうな声をあげた。

「どうした、仙道?」

「いや、ちょっと……実家に寄ってこうかと思いまして……」

 ああ、と全員が頷いた。仙道が東京出身なのは知れたことだ。

「それがいい。たまには親御さんに顔を見せてやれ」

 紳一が保護者のような事を言えば藤真も頷き、みな口々に「じゃーな」と電車に乗り込んでいく。そして──。

「わッ──!?」

 つかさもあとに続こうとした瞬間。急に手を引かれて乗り込むことが叶わず──、仙道に阻まれたのだと気づいた時には電車の扉は閉まってしまっていた。

「え? え……?」

 扉の向こうで紳一の驚いた顔だけを残して電車は発車し、急にがらんとしたプラットホームでつかさは仙道の顔を見上げた。

「な、なに……?」

「いや、ちょっと、つかさちゃんと二人で話したかったから」

 ははは、とあっけらかんと言われてつかさは頬を引きつらせた。──実は、夕べのことがあって以降まともに仙道の顔を見れていない。

「なんだったら、一緒にオレんち行く?」

「行きません!!」

 気にするのがいっそばからしいほどいつも通りだ。もう、ほんとになんなんだ、と唇をとがらしていると、ふ、と仙道が笑みを深くしてドクッと心臓が痛いほど音を立てた。

「つかさちゃん……」

「な、なに……?」

「そろそろ、答え聞かせてよ。オレ、かれこれ一年以上待ってんだけど」

 にこにこ、とさも当然のように言われたつかさは固まる他なかった。本当に分からない、と思う。どこまでが本気で、どこまでが冗談なのか。本当に──。

「仙道くん」

「ん……?」

「そんなことより、バスケ頑張ろう、ね!」

「え──ッ!?」

 そんなことって、とこぼした仙道に背を向ける。そうして内心、ホッとした。ちゃんといつも通り話せている、と。

 やっぱり仙道がそばにいると心地いい。この気持ちがなんなのかハッキリとは分からないけれど。自然と笑みを浮かべると、仙道も肩を竦めてから、二、と笑った。

 

 少しだけ晴れやかな気分だった。

 夕暮れに揺れる風が秋を含んでいる。ようやく長い夏を乗り越えて、一つの思い出として胸のうちに残せたような。

 そうして歩き出したら、こうして仙道が隣にいるような──そんなイメージを風がさらっていって、つかさはそっと揺れた髪をおさえた。




第一章 - 夏陰 - the end


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幕間
26話


「ただいまー」

「おう。遅かったな」

「うん……。ちょっとね」

「お前……。まさか仙道と一緒だったわけじゃねえよな?」

 

 東京駅で強制的に仙道と二人きりになったのち、帰宅して自室に直接向かおうとしていると階段の下から紳一が声をかけてきて──、つかさは一瞬だけ固まった。

 誤魔化すようにそのまま勢いよく階段を駆け上がってバタンと自室のドアを閉め、ふっと息を吐いた。

 

 

 ──あの後。

 何とか取り繕って、次の東海道本線を待っていた────。

 

 

「仙道くん、お家に帰らなくていいの? せっかく東京に寄ったのに」

 図らずも、本気かウソか「実家に寄っていく」と言った仙道の言葉が気にかかり、それとなく訪ねてみると「んー」と仙道は頭に手をやった。

「いや、いいや。帰ってもやることねえし」

 そうこうしている間に次の電車がやってきて、そのまま乗り、目が合えば近くでニコッと笑ってくれる仙道が妙に気恥ずかしくて必死に暮れてきた外の風景を眺めていた。が、横浜駅についた途端に不意に仙道に腕を引かれた。

「降りようぜ」

「え……ッ!?」

 そのままなし崩し的に強制降車させられ、またもまばらになったホームでジトッと仙道を睨んでいると彼はいつものようにあっけらかんと笑った。

「だから、オレ、もうちょっと二人っきりで話したいんだって」

「……今、まさに二人だけだと思うんだけど……」

 仙道のせいで、と頬を引きつらせていると、気にするそぶりもなく仙道はそのままつかさの手を引いた。わ、と目を丸めるも仙道は上機嫌そうに先を急いでいる。

「ちょ、ちょっとどこに行くの?」

「ん? さァ、横浜港とかどうかなと思ってんだけど」

「は……!? な、なんで……」

「ん? デート」

 ニコッ、とさも当然のように微笑まれ──、ついていけない、とつかさは取りあえず歩きながら常日頃鍛えているはずの頭をフル回転させた。だめだ、まったくついていけない。と、なお混乱していると、乗り換えのホームにたどり着いたのか仙道が足を止め、つかさは捕まれていた手をパッと振りほどいた。

「あ、イヤだった?」

「い、イヤっていうか……。ど、どうして……」

「え? だって、こんなチャンス滅多にねえしな。なんだかんだ、部活が丸一日休みの日とか元旦くらいなモンだし」

「そ、そうじゃない!」

 なぜ仙道と二人で横浜港になど行かなければならないのか。という意図が伝わっていないらしく、思い切り拳を握りしめると仙道は「あー」と視線を泳がせて首に手をやった。

「だから、オレはつかさちゃんともう少し一緒にいたいんだけど……」

「だから──」

「国体も今日で終わりだし、次、つかさちゃんに会えんの冬の選抜予選会場でだろ? 下手したら来年の夏……ってこともありうるしな」

 あ、とつかさはハッとした。

 そうだ。ここ最近は毎日ずっと一緒にいたが、高校が違う以上は日常生活の中で顔を合わせることなどまずない。なんだかんだ釣りをしている仙道をしょっちゅう見かけるため、あまり自覚してなかったが──普通なら試合の時に会場で顔を合わせる程度の間柄のはずだ。

 ──そう自覚して、つかさは少し困惑した。仙道がそばにいることは当たり前ではないんだった、という当たり前のことさえ忘れていて、ふと押し黙ってしまう。するとホームに電車が入る知らせが響き、巻き起こった風に髪を押さえていると、ふ、と仙道が笑った。

「いこうか?」

「う……うん」

 思わず頷くと、ニコッ、と仙道は笑みを深くして二人して電車に乗る。

 

 横浜港みなとみらい地区──。

 ウォーターフロント都市の再開発計画と、数年前に開催された横浜博覧会も相まって急速に観光化が進められており近未来的な風景を醸し出すテーマパーク的な地区である。

 

 最寄りの桜木町駅を出たときには夕暮れももう終わりに近づいてきた頃であり──、港に着く頃には横浜自慢の夜景も綺麗に映えるだろうという頃合いになっていた。

 日曜の夕暮れ──、人通りが多い。

 190センチの長身に「KANAGAWA」ジャージはいつも以上に目立っているな、とちらりと仙道を見上げていると、どことなく周りから食い入るような視線を感じてつかさは首を捻った。

 まあさすがに目立つか、と歩いていると、前方から歩いてきた女性数人組が不意に足を止めてハッとしたような表情のあとにこちらに駆け寄ってきた。

 

「あ、あの……、陵南高校の仙道さんですよね?」

 

 え? と仙道が動きを止めると、キャーと一気に黄色い声があがってつかさは目を瞬かせる。

「さっき、ニュースで見ました! 国体優勝おめでとうございます!」

「私たち、横浜北高のバスケ部なんですー」

「県大会も見てました!」

 さすが天才・仙道彰。──とはいえ、このノリは諸星その他でだいぶん慣れているつかさは「ニュースになってたのか」などと考えつつ「頑張ってください」という激励に「どうも」と少々戸惑い気味ながらもにこやかに返事をする仙道をぼんやり見ていた。

 そうして再び歩き出す。思えば、優勝したんだよな、と今さらながらに改めて思った。なまじ夕べのゴタゴタのおかげであまりまともに仙道を見れず──しかしながら神奈川選抜は死角のないチームであったことは確かで、優勝は妥当なものであったと思う。

「優勝か……、あらためて、すごいよね」

「うん。つかさちゃんはチャンピオンコーチだもんな」

「そんな大げさな……」

 軽く笑ってそんな切り返しをした仙道につかさは苦笑いを浮かべた。

「ま、けど、国体は祭りみたいなモンだしな」

「これだけのメンバーがまた散り散りで、今度は一枠しかない選抜出場をかけて戦うんだもんね……。せっかく良いチームになったのに、ちょっと寂しいな。でも、逆に言うとそれだけ神奈川が激戦区っってことよね」

「ああ。選抜は三年生最後の大会だし、牧さんと藤真さんは全力でくるだろうな。どっちが勝つか、見物だぜ」

「そんな、人ごとみたいに……」

 もはや最初から選抜出場を諦めているような仙道の言葉につかさは肩を竦めた。とはいえ、いまの陵南では三年生を多数有する海南・翔陽に競り勝つのは厳しいだろうし、何より国体直後で仙道も気が抜けているのかもしれない。そもそも陵南はもとより湘北にしても選抜出場は厳しいはずだ。三井の大学推薦は大丈夫だろうか、とこれこそ人ごとながら案じてしまう。

 でも──、選抜ももちろん行ければ頑張って欲しいが、来年のインターハイこそは。絶対に仙道に行って欲しいと思ってるのにな、とちらりと仙道の横顔を見上げる。

 仙道なら、きっと日本一に──と考えていると、にぎやかなエリアが見えてきた。

 湾岸地区の目玉である「世界最大の時計機能付き大観覧車」コスモクロック21が鮮明に見える。これは横浜万博の目玉だったが、万博終了後も人気があったために再び稼働し、現在はアミューズメントエリアの一角でいまだに一番人気のアトラクションとなっていた。

 うっすらと紫がかった夕闇にネオンがよく映えて、つかさは感嘆の息を漏らした。

「きれーい……!」

 さすがに湘南とは違う。しかしその観覧車の袂には人気の証のように長蛇の列が出来ており、あまりの迫力につかさは目を瞬かせた。隣で仙道も苦笑いを浮かべている。

「うーん、ありゃ乗れねえな……」

 もとより自分も仙道も国体帰りだけあって大きめのスポーツバッグを背負っており、遊園地を楽しんでいる余裕はあまりない。

「お……!」

 それでも、仙道はめざとく「バスケットボールのシュート」アトラクションに目を付けたらしくつかさを引っ張って行った。

 つかさ自身、自分でわりとバスケバカを自覚しているが──さすがにこれは大人げないのでは。と感じつつも、仙道は国体優勝選手の能力をいかんなく発揮してパーフェクトを記録して大きなプラモデルらしき商品をゲットした。

「お兄さん、現役選手? さすがに上手いねー」

「ははは、ども」

 舌を巻いているスタッフに仙道は明るく笑って答え、そんな仙道を何やらきらきらした目で見上げている小さな男の子に気づいたらしく「お」と呟くと膝を折ってしゃがんだ。

「おにいちゃん、すごいねー!」

「そーか? ありがとな」

「ぼくも大きくなったらバスケットやるー!」

「おう、がんばれよ! そうだ、これあげる。特別だぞ」

 言いながら仙道はついいま勝ち取った商品をその男の子に手渡し、パーッと明るい顔をした男の子の頭を撫でた。

 あらまあ、と話を聞いていたらしき母親がしきりに恐縮するも、ニコニコと対応した仙道は母親に手を引かれて去っていく男の子にひらひらと手を振った。

 おおらかで優しい、いかにも仙道らしい行動に少しだけ鼓動を高鳴らせながら見ていると、ふ、となお仙道が笑った。

「かわいいよな」

「うん……」

「オレもそのうち、ああいう男の子欲しいんだけどな……、ね、つかさちゃん」

 こういうことさえ言わなければ、本当に「いいな」って思ったのに──。と、ジトッと仙道を横目で睨むと、ふ、と息を吐いてつかさはスタスタと先を急いだ。

「あ、ちょっと待った待った」

 すぐに仙道が追いついてきて、再び並んで歩く。不思議だな、と思う。出会った頃は、まさかこうして仙道と並んで歩く時がくるなんて、まして、それをけっこう居心地が良いと思うようになるとは思わなかった。

 と、ひとしきり見て回って、ベンチに座ってぼんやりと海を眺めた。秋風が、少しだけ肌寒い。

「おまたせ」

 ちょっと待ってて、と席を外した仙道が戻ってきて、顔を上げると彼は両手にクレープを抱えて笑みを浮かべていた。

「はい」

「あ、……ありがとう」

 一つを手渡されて、少し目を見開きつつ受け取るとなお仙道はニコッと笑った。そうして隣に腰を下ろす。

「腹減ったな、と思ってさ」

「う……、うん」

 遠くで船の汽笛が鳴った。ざわざわ、と周りの雑音が遠くに響く。明るい笑い声と、イルミネーション。

 今さらながらに──ちょっと緊張してきた。と、つかさは意味もなく額に汗をかいた。これがいわゆる「デート」というものなのだろうか、と頭を悩ませていると「ん?」と仙道が眉を寄せた。

「食べねえの?」

「え……!? あ、その……いただきます」

 微妙に声も裏返ってしまい、思わずつかさは顔を伏せた。──なにを緊張しているのだろう。相手は仙道だ。そもそも、今さら、とつかさは脳裏にあまり思い出したくない仙道の唇の感触を思い出して一気に全身から汗が噴き出るのを感じた。

「つかさちゃん?」

「な、なんでもない」

 深く考えてはいけない。普段通り、普段通りにすればいい。と考えれば考えるほど──夕べの仙道に抱き寄せられた感覚まで蘇ってきて、つかさはフルフルと首を振るった。

 考えるな、と自分に言い聞かせてクレープに口をつける。ほんのり甘みが広がって、つかさはホッと肩を落とした。

 日はすっかり落ちてしまっている。紳一や叔母に何も言っていない以上、そろそろ帰らなければ心配されるだろう。

 けれども、さきほど仙道が言ったように──帰ればしばらく仙道と会うこともないのか。と思うと、少し胸に何かが引っかかったような違和感を覚えるのは気のせいだろうか。

「そろそろ、いこっか」

 しばらくして、どこか名残惜しげに仙道が言い、つかさも小さく頷いた。

 近未来──というコンセプトだけあって、この辺りはまるで別世界のようだ。だからこんな気分になるのだろうか、とそのまま桜木町に引き返して藤沢駅を目指した。

 つかさは小田急、仙道は江ノ電だったがしきりに家まで送っていくと譲らなかった仙道に根負けして、つかさは最寄り駅から自宅までの道を仙道と肩を並べて歩いた。

 しばらくすると自宅が見えてきて、つかさは改めて仙道に向き直った。

「送ってくれてありがとう」

 すると仙道は少しだけ笑い、あのさ、と口開いた。

「つかさちゃん、少しはオレといて楽しいと思ってくれた?」

「え……? あ、もちろん……すごく楽しかった、ありがとう」

「それは、どういう意味で?」

 つ、とつかさは息を詰めた。

 仙道の言いたいことは、察した。出会い頭からずっと言われていたことだ。が──、と言葉を詰まらせていると、少し仙道は眉を寄せた。

「オレ、本気だぜ」

 今回は、今までのように無回答を許してくれないような。そんな空気をつかさは察した。けれども、なんと答えればいいのだろう?

 自分にとって仙道がどういう存在なのか、よく分からない、とつかさは制服の裾をギュッと握りしめる。

「分からない……」

「え……?」

「でも、もし……もう試合会場でしか仙道くんに会えないなら、寂しい……かも」

 語尾が少々消え入るようになってしまい、少し頬を震わせると、仙道は少しだけ目を見開いて首に手をやった。

「それって……、オレのこと好きって解釈で合ってる?」

「わ……、わからない……。そう、なのかな」

「いや、オレに聞かれてもな……」

 仙道は少し困ったように目線を泳がせた。そして、うーん、と唸る。

「前にさ、つかさちゃん言ってたよな。オレのこと、好きか嫌いだったら嫌いに近いってさ。それ、今も変わってねえの?」

 え、とつかさは目を見開いた。そういえば、そんなこともあったっけ、と思いつつ小さく首を振るう。

「2択だったら……好き、かな。いまは」

 すると仙道はキョトンとして、どこかホッとしたような表情を浮かべたのちに少し笑って頷いた。

「なら、それでいっか。いまは。うん、じゃあ決まりだな」

「え……!?」

 言われて、腕を引かれた次の瞬間には仙道の腕の中に抱きしめられており──つかさは極限まで目を見開いた。

 なにが「決まり」なのか。勝手に何を──、と思うも、振り払おうという感情も沸いてこなくて、キュッと仙道のジャージの裾を掴んだ。

 こうして触れられるの、イヤじゃないかも。などと思ってると、仙道の大きな手が頬に触れてハッとした次にはあごに手を添えられていた。

「──ッ!」

 チュ、と仙道の唇が自身の唇に触れて──、避けるだけの時間はあったはずだというのに、つかさはそうしなかった。

 2度目だったから慣れている、とかそういう問題ではきっとない。間近で仙道と目があって、仙道の垂れ気味の瞳が少し細められた。

「イヤだった?」

 問われて、つ、と息を詰めたものの──、つかさは小さく首を横に振るった。

「そっか」

 よかった、とささやくように言った仙道はそのままもう一度つかさの唇に自分のそれを重ねた。

「ん……ッ」

 つかさは、今度は瞳を閉じた。 

 何度か軽く触れられて、つかさは無意識のうちにギュッと仙道の腕を掴んでいた。

 クレープを食べたせいだろうか。少し、甘い。

 頬が熱くて、少しだけ目尻が震えて涙が滲みそうな感覚を覚えた。

 

 きっと、たぶん、これが「好き」ということなんだな──とつかさは初めて自覚した。

 

 

 ────そうして帰宅したわけだが、とつかさはつい先ほどの出来事を瞬間的に過ぎらせて、そのままズルズルと床にへたり込んだ。

 

「つかさー、帰ってきたの? ご飯は?」

 

 すると下から叔母の呼び声が聞こえて、ビクッと肩を震わせる。

 

「う、うん。き、着替えたらすぐ行く!」

 

 紳一に、なにか聞かれたらどう答えようか。

 まさか仙道と付き合うことにした、などと言ったら──、あまり良い反応はされない気がする。と、つかさは身体を起こして制服のネクタイに手をかけた。

 

 そうしてクローゼットをあけると、鏡に自分の姿が映った。

 やっぱり、なにか変わっちゃったかな。──と鏡の中を見据えて、つかさは少しだけ頬を緩めた。



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二章 - 誓い -
27話


もしも、一つ願いが叶うなら。

 「男の子にしてもらう」と彼女は言った。その言葉の意味する先を、自分はまだ理解できていなかったのかもしれない。

 だってそうだろう。出会った瞬間から、彼女は「女の子」以外の何者でもなかったのだから──。

 

 

 

 国体が終わり、神奈川が沸いたのもつかの間。

 一ヶ月と経たずに冬の選抜・ウィンターカップの予選が始まるため、いつまでも優勝気分に浸ってはいられない。

 

「お断りします」

「どうしてもか……?」

「勉強がありますから」

 

 国体後もぜひバスケ部の技術コーチを継続してくれるように高頭から要請を受けたつかさは断固として断っていた。今さらバスケット中心の生活をしたくない、というよりは──バスケ部に入部という形になってしまえば、海南の勝利を第一に考えなければならないからだ。むろん海南の勝利を願ってはいるが、コーチとして責任は持てない。

 協力は惜しまないから選手個人が必要と感じて声をかけてくれれば応じる、と言いつつ、つかさはいつものガリ勉生活に戻った。勉強はある意味バスケへの当てつけで始めたものではあるが、暇つぶしには変わりない。

 

「つかさー、姉さんから電話よー」

「はーい」

「こんな夜中に電話なんて、本当に不便ね。あっちはいま何時なのかしら? お義兄さんは次はカナダかアメリカに転勤って言ってらしたけど……、そうなったら少しは便利になるのかしらね」

 

 寝ようと思っていた寸前で叔母に呼ばれ、電話を終えると叔母がそんなことを言っていてつかさも肩を竦めた。

 年々便利な世の中になっているとは言え、そう遠くない未来は叔母の言うとおりもっと技術の発展した世界がやってくるのだろうか?

 そんな日常をいつも通りこなしているうちにウィンターカップ予選が始まり──、おおかたの予想通り、決勝へは海南・翔陽が進んだ。

 シード権を得ていなかった湘北は何の因果か早い段階で翔陽とあたり、リベンジされた形となって──見ていたつかさは三井の推薦獲得を心底心配した。

 準決勝で陵南をも敗った翔陽は一気に優勝候補最右翼に躍り出、神奈川の牧・藤真時代の最終決戦というカードを切って、両者ともに現役生活最後の有終の美を飾ることとなった。

 我が母校ながらトーナメント運だけはあるな、と海南を見ていてつかさは思った。激戦区にいた翔陽は決勝まで文字通りの激戦続きで消耗も激しかったに違いない。

 スタメン全員が3年生という執念の翔陽VS王者海南の図は大いに観客を沸かせ──、最終的に海南が辛勝するも両者には惜しみない拍手が贈られた。

 互いに持てる力の全てを出し切って戦った藤真と紳一はコートで握手を交わし、3年間の全てがこみ上げたのか藤真は男泣きで紳一と抱き合って互いの健闘を讃え合い、その様子は翌日の新聞で取り立たされる大ニュースにまで発展した。

 

「花形さん……、東大受けるんだって……。部活しながら凄いよね。文武両道という面では大勝利ね、翔陽は」

「いや、うちのバスケ部もけっこう成績いいぞ。ほら、神とか、宮とか……」

 

 そんな会話をしつつ、海南はウィンターカップ本番に備えることとなった。

 愛知は愛知で、愛和学院が無事に代表の座をもぎ取り──海南と愛和学院の対決も、文字通りの最終章となる。

 勝った負けたのシーソーゲームを繰り返している両校であるが、果たして。

 

「諸星さんも、最後のウィンターカップで海南とあたるのは嬉しいだろうな」

 

 愛知の選抜予選が終了した次の週の土曜──、つかさは湘南の漁港で釣りをする仙道の隣でぼんやり本を眺めていた。

 陵南は週末の練習は半日オフであることも多く、レジャーシートを敷いて釣りに勤しむ仙道の隣で本を読む、というのは最近のお決まりパターンだ。

「そうかな……。陵南とも戦ってみたかったんじゃないかな、大ちゃん」

「それはそれで、牧さんが出られなかったらたぶん凹むと思うぜ、諸星さん」

「んー、確かに……」

 選抜の代表はたったの一校。それこそいっそ「海南枠」とでも呼ぶに値するほど毎年お決まりのように海南が出ている。

 もちろん海南が代表なのは嬉しいが、とつかさは本を支えていた腕をおろして体重を仙道の肩に預けてもたれかかった。すると、目線をこちらに流したのだろうか? 「お」と仙道が少し驚いたような声を漏らした。

「なに、つかさちゃん。今日は英語の勉強?」

 言われて、つかさは持っていた本に目線を落とした。大学の図書館から借りてきた、英語の論文集である。

「なんとなく読んでただけ……。そろそろ大学で何を勉強するか決めないといけないし」

「てか、なんとなくで読めんの? そんな本」

「うん。英語は問題ないよ。お兄ちゃんもだけど、家庭の事情で……」

 なにせ家庭環境がアレだからな、と海の向こうの両親に思いを馳せていると、仙道は「そういや」とこんなことを切り出した。

「牧さんとつかさちゃんって、イトコ同士だっけ? 兄妹じゃなくて」

「うん。お兄ちゃんのお母さんと私のお母さんが双子の姉妹なの。それに、小さいときから一緒に暮らしてるから、イトコだけど兄妹みたいなものかな」

「つかさちゃんのご両親は……?」

「ん? いまはドバイにいる」

 知ってる? と聞いてみると、仙道は数秒考え込んだのちに「中東のどっかだっけ?」と答えて、そうそう、と笑った。

「ドバイに転勤になる前は、ケープタウンにいて……、私もしばらくいたんだけど、お父さんのドバイ転勤が決まったから、帰国して神奈川に来たの。日本に、というかあの頃は愛知に戻りたくなくて……」

 つかさは少しだけ昔を思い出した。中学二年の終わり頃、逃げるように両親の元に戻ったものの、帰国を余儀なくされて、愛知ではなく神奈川で進学をした。けれども不思議と「昔」のこととして処理できている今の自分に驚きつつ言い下すと、仙道は緩く笑った。

「じゃあ、オレはつかさちゃんの親父さんの転勤に感謝しねえとな」

「え……?」

「だって、日本にいなかったんじゃ、さすがに出会ってねえだろうし」

 言われてつかさは少し目を丸める。そう言えばそうだな、と緩く笑いつつ、でも、と肩を落とした。

「お兄ちゃんはケープタウンが気に入ってたから残念がってたなぁ」

「牧さんが?」

「うん。良い波乗り場があるんだって。中3の春休みにあっちに行ってて気に入ったから、高校でもバスケ部引退したらまた行こうと思ってたみたいだし。ウチのお母さんもお兄ちゃんのこと、可愛がってるしね」

 逆に紳一の母はなぜか自分を溺愛しているが。と、叔母の顔を浮かべつつ、つかさは高くなってきた秋の空を仰いだ。父親が情勢の不安定な場所ばかりに赴任していたため、必然的に日本にいることを選んでいたが──、来年あたりまた移動になりそうだと話していたことを思い出して、つかさは仙道から身体を離した。

「お父さんね、来年くらいにまた移動で……今度は北米だろうって言ってた。だから、私、今度は行こうと思ってるの。あっちで進学しようかな、って」

 すると、仙道はギョッとしたように目を見開いて、顔をつかさのほうに向けた。

「えッ!? んじゃ、オレは? オレのこと置いてっちゃうの!?」

「あ……」

 そう言えばそうだ、とつかさは今さらながらハッとした。なにせ進学の話は前々から考えていたことだけに、んー、とあごに手を当てる。

「え、えーと……。せ、仙道くんが私についてくる、ってのはダメ?」

 言ってみると、キョトンとした仙道は「そっか」と納得したように呟いた。

「それもそうだな。うん、いいかもしんねえな……それ」

 果たしてこの人はどこまで本気なのだろう。と、自ら提案したことながら疑心暗鬼になってしまう。とはいえ、北米はバスケットの本場であるし、あながちウソでもないのかもしれない。バスケを続ける続けないにしろ、バスケ選手は興味を惹かれるだろう。

 事実、山王の沢北などはアメリカバスケに挑戦するために渡米してしまっているし、と考えつつ、あ、と瞬きをする。

「ていうか、仙道くん……英語は……?」

「オレ? あー……まあ、割とできると思うけど」

 そもそも仙道の成績はどうなっているのか。まさか花形のような秀才ということはあるまい。と巡らせていると、そんな風に答えられて、若干つかさは額に汗をかいた。

「ほ、ほんとに? これ、読める?」

 取りあえず持っていた論文集を差し出すと、仙道は手を止めて釣り竿を引き上げ、本をパラパラと捲った。

「んー……。意訳かもしんねえけど──」

 そうして一番最初の論文の1ページほどをつらつらと翻訳されて、つかさは頬を引きつらせた。──ほ、ほとんど合ってる。と、一度自分も読んだ文章を思い出しつつさらに頬を引きつらせる。

「な、なんで……」

「ん……?」

「な、なんで出来るの!? 私がどれだけ必死で学年主席を死守してると思ってるの、もう! 神くんといい花形さんといい、もう……信じられない!」

 英語だけは元もとできたが、何しろガリ勉キャラを形成する前は三井のごとく学業ノーチャンスに近かっただけに、バスケは天才・勉強もできるとなると自分自身がイヤになってくるというものだ。

 え、と仙道は本をおろして狼狽えた。

「い、いや、オレは英語が割と得意ってだけで……、主席とかじゃねえし」

「バスケでも勝てない、勉強でも勝てないって……。いったい何だったら勝てるんだろう……」

 ハァ、とつかさは肩を落とした。そもそも、ガリ勉になったのだって、きっかけはこれなら男相手でも勝てるチャンスがあると踏んだからだ。残念ながら、そこまでずば抜けた才能に恵まれていなかったらしく、学年主席は単なる豊富な勉強量の結果としか言えない。

「つかさちゃん、今も男に勝ちたいって思ってんの?」

 肩を竦められて、つかさはむっと眉を寄せる。

「もちろん」

「なんで?」

「なんでって……」

 聞かれると、返答に困るというもので、つかさは釣り糸を巻いていく仙道の手を無意識に目で追った。

「なんで、かなぁ……。私、仙道くんみたいに手も大きくないし、結局、力じゃ勝てないし……。なにか一つくらいって思ってるだけ」

「オレみたいな手になりたい? そりゃちょっと……どうかな。てか、そこは勝ち負けの問題じゃないんじゃねーか? 単なる性別の違いだろ」

「そう、かもしれないけど」

「そんなに男に生まれたかった? そんな良いモンでもねえと思うけど」

 つかさには到底理解することさえ叶わない、「男」のマイナスポイントを知り尽くしているせいだろうか? 仙道が言い下し、つかさは少し目線をそらしていると、カタ、と仙道は釣り竿を置いた。そして何を思ったかひょいとつかさを持ち上げて、仙道自身の足の間に座らせた。「わ」と呟いたつかさが少し目を見開いていると、そのまま後ろから抱きしめられる。

 なまじ大きな身体をしているだけに、すっぽり仙道の腕の中に収まって、背を丸めたらしき仙道の息が耳の裏あたりにあたった。

「ぜったい、男なんかより女の子でよかった、って思わせてやるって。オレが」

 低くささやくように、だが妙にあっけらかんと言われて、つかさの心音が一度痛いほど高鳴った。

 顔を見られてなくて良かった、と思う。自分の身体を包み込んでいる仙道の腕にそっと手を置いたら、仙道は片方の手を滑らせて、そのままつかさの指に指を絡めた。

 上機嫌そうにじゃれつかれて、つかさも仙道の胸に体重を預けていると、後ろで仙道が笑みを深くした気配が伝った。

 女の子で良かった、って……もう既に思っちゃってるかもしれない、とつかさは何となく浮かべた。

 だって、こうしているの、心地良いと思っている自分がいるし。とそのままじゃれ合っていると、ふと仙道の左腕の時計が目に入ってつかさはハッとした。

「仙道くん、部活!」

「え……?」

「もう12時過ぎてるし、行かないと」

「今日は1時からだぜ」

「お昼ご飯食べていかないと、持たないよ」

「ていうか、オレ、もう少し続きしたいんだけど……」

 言って身体を抱いている仙道の力が増し、つかさはジトッと仙道を見上げた。

「部活でしょ」

 言うと、仙道は、う、と喉を引きつらせたのちに「うーん」と少しだけ逡巡するそぶりを見せ、名残惜しげにつかさを解放した。そうしてどちらともなく立ち上がる。

「ま、それもそうか」

 そうして仙道は脇に置いていたバケツと釣り竿を手に取り、並んで歩き始める。通りへ向かっていると、あ、と思いついたように仙道がバケツを差し出してきた。

「持ってく? あんま……、つか一匹しか釣れてねえけど」

 言われて、一匹とはいえ立派なクロダイの入ったバケツに目を落としつかさは唇を引いた。

 叔母はさぞ喜ぶだろうな、と思いつつも──、仙道から魚をもらったなどと紳一に伝われば、また仙道と一緒にいたのか、などと突っ込まれるのがオチであるため、気が引ける。

「仙道くん、食べないの?」

「んー? つかさちゃんが料理してくれるなら、喜んで食うぜ?」

 ニコッと仙道が笑い、ピクッ、とつかさの頬が撓る。バスケと勉強だけの人生なつかさにとって、魚を捌くというのは無理難題だ。いや、それ自体は叔母に習えば済む話で、なぜ自分が料理するのが前提なのか。などといかんともしがたい感情を抱えていると、仙道はさして気にしてなかったのだろう。そうだ、と思いついたように言った。

「もうちょっと寒くなったら、オレの部屋で鍋やろうか」

 仙道はいつものようにニコニコと笑っており、つかさは一度瞬きをしてから小さく頷いた。

「う、うん」

 すると仙道は、ふ、とさらに笑みを深くした。

 そうして仙道とは分かれ道で別れ、結局バケツごと魚を受け取ってつかさは帰路についた。

 料理、できないこともないけど。やっぱり、叔母に少しは習おうかな。などと考えてしまった自分がおかしくてつかさは小さく苦笑いを漏らした。

 

 

 そうこうしているうちにウィンターカップ本番が近づいてくる。

 

 ──愛和学院、バスケ部部室。

 

「なんじゃこりゃあああああ!!」

 

 主将・諸星の雄叫びが響いて、部員達はビクッと身体を撓らせた。

「なんだよ諸星」

「ウルセーな」

 しかしわりと日常茶飯事であるため、あまり誰も気にとめず──、諸星は諸星で一点集中してテーブルに手を付いて、置いてあった紙を凝視していた。

 それは監督かマネージャーが置いていったとおぼしきウィンターカップでの対戦トーナメント表だ。

 見やると、神奈川県とは準決勝であたるトーナメントになっており、決勝は反対ブロックにいる山王だ。

 現役生活最後の対戦は、やはり神奈川と、と思っていただけにとんだ期待はずれである。しかしながら、決勝ならばいざ知らず準決勝で神奈川に負けて現役生活が終わるというのはご免被りたい。死んでも死にきれないとはまさにこのことだ。

「オメーら! ウィンターカップはぜってー決勝まで行くぞ! 決勝が最低ラインだからな、分かったか!」

 そうして勢いよく部員の方を振り返れば、勢いよく自分のジャージが投げつけられて見事に顔面にヒットした。

「いいからさっさと着替えろ!」

 言われて諸星はブツブツ言いながら着替えはじめる。

 そもそも、なぜ神奈川代表が「海南大附属」なのか。むろん、一校しか出られない以上は紳一の率いる海南と現役生活最後の試合をしたい気持ちが強いため、これで良かったのだが。

「仙道はどうしたってんだよ、仙道は。陵南は」

 ボソッと諸星は呟いた。

 「天才」仙道率いる陵南──。どんなチームかは知らないが、それほどまでに仙道のワンマンチームなのだろうか?

 チッ、と舌打ちをする。もう誰にも負けるな、つったのに。と。いくら個人が強くともチームで勝てるかというとまた別の話ではある。が。

 去年、一昨年とインターハイにすら出られていないとなると、いったいどんなチームなのだろう。「陵南」は──。

 国体の神奈川のような、ある意味反則に近いチームを作って優勝できても、自慢にはならねえぞ、仙道。

 と、諸星は心のうちで呟いた。

 つかさが彼を見込んでいるからではない。自分自身、マッチアップして、やはり彼の素質を肌で感じただけに、このままではやりきれん、という思いもある。

 が、それはそれだ。

 いまはウィンターカップ優勝が最優先。と、キ、と強い視線をすると着替えて張り切って体育館へと繰り出す。

 

「諸星さん!」

「キャプテン!」

「チューッス!」

 

 見渡したメンバーと一緒にバスケットが出来るのもあと少し。なんだかんだ、残っている3年生もいつでも力強く自分に付いてきてくれた。頼もしい仲間達だ。

 ニ、と諸星は笑う。

 

「ウィンターカップの組み合わせが出た! 準決勝は海南と、そして決勝は山王だ。だが! オレたちだって負けちゃいねえ。全部倒してこの愛和学院が優勝だ、いいな!」

「おう!」

「行くぜ、愛和ーーー!!!」

「ファイオー!!」

 

 体育館には、一際気合いのこもった選手達の声が大きくこだました。

 

 

 そうして、あっという間に冬休みに突入してウィンターカップ本番がやってくる──。

 

 年末のウィンターカップ。国立代々木競技場。

 愛和学院と海南の対決も文字通り最終章へと突入した。

 勝った負けたのシーソーゲームを繰り返していた両校であったが、準決勝にて勝利を収めたのは愛和学院であり──、諸星の高校生活最後のVサインは代々木体育館で派手に決まっていた。

 

 ウィンターカップ最終日は男子の3位決定戦及び決勝戦があり──、冬休みかつ都心での試合ということで学生の観戦者が多い。

 陵南高校の主要メンバーも例に漏れず、監督の田岡と共に東京は代々木まで観戦に赴いていた。

「昨日、海南は愛和に負けてんだよなー。つーことで、海南は3位決定戦、決勝は愛和対山王か。仙道、お前どっちが勝つと思う?」

 道すがら、越野に問われて仙道は「うーん」と唸った。

「ま、取りあえず一番張り切ってんのは諸星さんだろうな……」

 今日が3年生にとっては高校生活最後の公式戦となる。諸星は、今回は海南に勝って自身初の決勝進出であり、優勝のかかった最後の大一番だ。とはいえ、山王工業にしても夏は初戦敗退、秋は神奈川に負け、冬まで敗戦しては不敗神話を作ってきた3年生も立つ瀬がないだろう。死ぬ気で王座を守りに来るに決まっている。

 

『もう二度と、負けんじゃねえぞ、仙道!』

『お前はこのオレ、諸星大を負かしたんだ! 分かったか!?』

 

 諸星から、暗に諸星自身の目標を託された形となったが──、諸星自身は今後バスケットとどう向き合っていくつもりなのだろう? などと思いつつ会場に入れば、冬休み・決勝戦ということも相まってかほぼ満席であり、陵南勢は放送席のそばに席を取った。

 賑わう館内をキョロキョロ見渡しつつ、彦一が田岡の方を向いた。

「ウィンターカップ言うたら、インターハイより歴史は短いですけど、監督の時はもうウィンターカップってあったんですか?」

「いや、ちょうどオレが卒業した次の年からだな。その頃は春開催で、規模も小さい大会だった。とはいえ……第1回目の神奈川代表は高頭の高校で、ヤツはキャプテンでな、オレはこうして会場から見ていたモンだ……かれこれ25年近く前の話になるが……」

 彦一の問いかけをきっかけに、田岡による昔話が始まってしまった。

 曰く、最初は出場校も少なく重要な大会ではなかったらしいが、そのうちに出場校が増えて冬開催で落ち着いていったらしい。

 確かに、大会価値はインターハイに劣るかもしれないが、ウィンターカップはここ最近ショーアップを目論んでいるのか、年々とメディアミックスを展開しておりメディアのプッシュが激しい。

 今も、見下ろせる位置にある放送席が熱心に台本のチェックに勤しんでいる様が見える、と仙道は腕組みをしてその様子を見下ろした。

 まずは3位決定戦。これで引退となる紳一たちの最後の試合ということもあり、陵南陣営もしっかりと偉大な神奈川の帝王のラストプレイを目に焼き付けるように見ていた。

「これで、いよいよ帝王・牧の時代も終わりだ……。おそらく海南は新キャプテンとなるだろう神を中心に全く違うチームを作ってくるだろう」

「……手強そうですね……」

 田岡の声に、仙道は思わずそう答えていた。いまも、コートでは神が鮮やかなスリーポイントシュートを決め、客席から歓声を受けている。

 神の作る海南──、自分にとっては紳一の海南よりよほど怖い相手かもしれない。と思いつつも、彼らの勇姿を見守っていると、海南は今年最後のプレイを勝利で収め、ウィンターカップ3位という成績をどうにかもぎ取った。

 そうして決勝戦へのインターバル。いよいよ放送席が色めき立ってきた。

 

「山王工業のブイ流して」

「諸星のも用意しとけ、CMあけ流すぞ」

 

 山王工業対愛和学院。──総合力はともかくも、個、として見た場合、タレント性で言えば圧倒的に諸星が抜けている。

 メディアには美味しいネタだろうか、などと感じていると、両チームが入ってきていよいよ試合開始となった。

 さすがに山王工業には大きな声援が送られていたが、選手紹介で一番歓声を受けていたのは諸星であり、「おー!」と張り切ってチェックノートを取りだした彦一がまくし立てる。

「いやー、さすがに愛知の星・諸星さんや! このメンバーの中やと、男前が際だっとりますね! 要チェックや!」

 チラリと放送席を見やると、カメラはアップで諸星を抜いており、仙道も苦笑いを浮かべた。

 確かに華はあるし、いわゆる「二枚目」に分類される諸星ではあるが──、中身は「愉快な人」であるため、黄色い歓声をさらうよりはお茶の間の笑いを誘う方が得意なタイプだろう。

 などと思ってしまうのは失礼だろうか、と見ていると、ついに決勝戦が始まった。

 

「赤4番諸星、スティール! ──からのダンク、決まりました!」

 

 そうして試合運びはやや山王が有利ながらも、随所で諸星が単独奮闘を見せ、放送席は淡々と彼の活躍をテレビ越しに国民に伝えていた。

 事実、山王はインサイドも強くポイントガードも上手いが「圧倒的なエース」が不在であり、やはり諸星は否が応でも目立ってしまう。

 

「赤4番諸星、ドライブイン、からの──、シュート、バスケットカウントです」

 

 なんか国体の時よりドライブのキレが増している気がする、と仙道はフリースローも決めた諸星に苦笑いを漏らした。

 さすがに「大ちゃん」。こうして見ていると、やはり凄い。彼のプレイは味方を笑顔にして元気づけてくれる効果がある。

 接戦のまま後半に入り、諸星が自身の25点目をスリーポイントであげたところで隣にいた越野がグッと拳を握りしめて呟いた。

「す、すっげえな……。諸星大……! あんなシューティングガード、見たことねえ」

「あれ、越野、国体見てなかったっけ?」

「バッ、バッカお前! あん時は神奈川応援してたからな! そりゃ、すげえとは思ってたけど、敵だったじゃねえか」

 ギロッ、と睨みあげられて仙道は苦笑いを浮かべた。コートに視線を戻した越野は、どこか目を輝かせてため息をつきながら諸星のプレイを追っている。ポジションが同じゆえに、人一倍感じ入ることもあるのだろう。

 

「よっしゃ、ナイッシュ! どんどん行くぞ! 絶対優勝しようぜ!」

「おう!」

 

 仲間が決めた速攻を讃え、そう明るく鼓舞した諸星を見て「うむ」と田岡も頷いた。

「良いリーダーシップだ。愛和はチーム全体が活き活きしている」

 仙道も、すこし口の端をあげた。

 諸星と共にバスケットをしたらきっと楽しいはず。彼のプレイから受けた第一印象は、今も少しも変わっていない。

「……王者・山王に果敢に立ち向かう……。かっこいい……」

 ボソッと、福田までもフルフルと震えながらそんなことを呟いていた。

 事実、超高校級を揃えて抜群のチーム力を誇る山王に力の限り挑んでいくその姿は観客の熱狂をさらうのか、愛和への声援は徐々に大きくなっている。

 

「もーろぼし! もーろぼし! もーろぼし! もーろぼし!」

 

 決勝戦における、「スーパースター」は紛れもなく諸星であることを証明するかのような声援だ。

 ベンチ真上の最前列で見ていたつかさも、諸星の高校生活最後となる試合を手を握りしめて見ていた。

 やはり、諸星は凄い。それを証明するかのような活躍ぶりだ。

 

「大ちゃん!!」

 

 それでも。エース沢北不在とはいえディフェンディングチャンピオンである山王は王者の意地を見せ、わずか1ゴール差のリードでどうにか冬の王座は守りきった。



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28話

「いやー、凄かったなァ、諸星大……」

 ウィンターカップ観戦からの帰り道。陵南勢はしきりに諸星の奮闘ぶりを興奮覚めやらぬように力説していた。

 特にポジションの同じ越野は、試合後も人一倍フラッシュの渦にまみれていた諸星の姿が目に焼き付いて離れなかった。圧巻──。というのはこのことを言うのか。持ち前の高い技術から繰り出される外・中問わず点を量産していくそのプレイに憧れを抱くなというほうが無理だろう。

 もしも自分があのくらいできれば、と越野はチラリと仙道を見上げる。が、さすがにそれは望みすぎか、と思い直してフルフルと首を振るった。

 

 当の諸星は──、惜しくも優勝は逃したものの、ウィンターカップ準優勝という自身の高校での現役生活を自身最高の成績で終止符を打てたことにある程度の満足を覚えていた。

 そして──。インタビューをどうにかやり過ごして控え室に向かっていると、廊下には待っていたらしき紳一がいて自然と足を止めた。

 腰に手を当てた彼は笑顔で話しかけてくる。

「よう。惜しかったな」

「まーな」

「これでオレたちも引退、か。お前……これからどうすんだ?」

「ったく、どいつもこいつもその話ばっかかよ。オレは"愛知の星"だぜ? んなもん、決まって──」

「深体大に行け、諸星。なにを迷ってんだ?」

 ぐっ、と諸星は言われて口をへの字に曲げた。

 引退、ということはむろん今後のバスケット人生をどうするか考えなければならないということで、愛郷心の強い諸星としては地元の名門に進んで「愛知の星」でいることにこだわり、上京を拒んでいた。

 というのも、日本一の大学である東京の深体大から特待生でのスカウトを受けており、周囲からも強い説得を受けていたが、この時期になってもまだ「イエス」と言えないでいたのだ。

「オレはお前と違って愛知に誇りを持ってるからな。だいたい、うっかり上京したらもうテメーを裏切り者扱いできねーじゃねえか。つーか元から日本一とかつまんねえだろ。それにオレには愛知を日本一に導くという使命が……」

 ブツブツと首にかけていたタオルを握りしめながら呟いていると、紳一から盛大なため息が漏れてきた。

「お前の戦う相手は、日本一のシューティングガードとして、世界だ!」

「──!」

「だろ?」

 愛知とか東京とか、そんなこだわりは捨てて、より良い環境を選んでいけ。という紳一の言葉は、まさにその通りだ。環境の善し悪しは、ダイレクトに自身の成長にも成績にも影響してくる。

 ──仙道など良い例である。あれほどの選手でありながら、未だにインターハイに出られていないのだから。

 そうだ、日本一のプレイヤーになってくれ、という目標は勝手ながら仙道に譲った。これからのバスケット人生、やれるところまで突き進んで、1からスタートするのも悪くない。

 というか、たぶん最初から答えは決まってたんだろうな、と諸星は頷いて真っ直ぐ笑顔で紳一を見やった。

「なら、お前も深体大来いよ。愛知のスーパーガードコンビ復活だ!」

 そうだ、紳一と同じチームでまたやれれば。これ以上に心強いことはない、と拳を握りしめて紳一を見やると、紳一はキョトンとした表情を晒してから首を振るった。

「いや、そりゃ無理だ。オレは海南大にそのままあがるからな」

 瞬間、握りしめていた拳がブルブルと勝手に震えはじめ──歯ぎしりした諸星は眉を釣り上げて大声をあげた。

 

「この……裏切り者があああああ!!!」

 

 とはいえ、取りあえずの引退──、ウィンターカップ後、諸星は関東に留まって牧家にて年末を過ごすこととなった。

 

「まあまあ、大君が来てくれるなんて本当に久しぶり! あらあらこんなに素敵になっちゃって……。大学は東京なの? じゃあ、たまには遊びにこられるわね!」

 

 紳一の母は諸星を熱烈歓迎し、紳一とつかさと諸星は、本当に久々に3人のゆったりとした時間を過ごす──はずだった。

「おい、つかさ。あいつは一体なにしてんだ?」

「あいつ……?」

「仙道だ、仙道」

「あ……、ああ……うん」

 諸星としては仙道が選抜に勝ち上がってこなかったことが不満であり、紳一と最後の試合が出来て満足でもあり、といった微妙な心境らしく──、つかさはウィンターカップ終了の翌日、寒空の下を諸星を連れて湾岸散歩に出かけた。「普段の仙道彰」を事細かに説明するよりは見せた方が手っ取り早いからだ。たぶん、いるだろうな、と思っているとやはり防波堤のあたりにいたツンツン頭が目に付き諸星に目配せすると、ハッとしたらしき諸星は一目散にかけていく。

「仙道ッ、てめえなに釣りなんかやってやがんだ! 部活はどうした、部活は!」

「え──ッ、あ、も、諸星さん……!?」

「部活サボりとは良い度胸だな、ああッ!? 部長だろお前!? その腐りきった根性、このオレがたたき直してやるぜ、どこだ、陵南は! 連れてけッ!」

「え……ちょっと……」

 もしも陵南のキャプテンが諸星だったら。おそらく仙道はサボる暇すらなかっただろうな──とつかさは連行される仙道を見送った。関わるとややこしいことになりかねないし、そもそも口を挟む暇すらなかった。

 見送って、やれやれ、と肩を落としてから冬の空をスッと見上げた。

 

 一方、その頃の陵南は──。

 今日は年の瀬ということもあり、自由参加となっていた。

 田岡も少しは顔を出すと言っていたが、大晦日を前にして大掃除に追われる予定らしく、来るかは未定だ。

 しかしながら、前日のウィンターカップ決勝戦の興奮が冷めやらない陵南レギュラーメンバーは気持ちが逸ってほぼ全員が体育館に集っていた。

「カッコ良かったよなー、諸星大! シューティングガードってかっけえんだよな! ジョーダンだってシューティングガードだしな!」

「……そうだな……」

 はしゃぐ越野に福田は意味ありげな視線を送り、途端、越野はムッとする。

「なんだよ、なにが言いたいんだ?」

 するとプイッと福田はそっぽを向いてしまい、チッ、と越野は舌打ちをした。──言われずとも分かる。「まさか自分を諸星、ましてやジョーダンと比べて言ってるんじゃないよな?」というある意味蔑みの目線だ。

 悪かったな、こんなシューティングガードで。と半ばやけくそでシュートを打っていると、体育館の扉が勢いよく開かれた。

 

「チワー!!」

 

 仙道の声──、と。知らない声が重なって、一斉にみなが扉の方を振り返った。

「仙道!?」

「なんだよ、来たのか珍しく」

 自主参加で、しかもこんな年の瀬に、いくらキャプテンと言えども仙道が来るとは思っていなかった部員達は一様に驚いた声をあげ──そして、仙道の隣で腰に手を当ててふんぞり返っている人物を見て、固まった。

 

「チューッス! ちょっくらお邪魔させてもらうぜ!」

 

 そうして、みな、一様に目を擦った。

 仙道より低いといっても長身の肢体、やたら男前のその男は──紛れもない、昨日、代々木体育館で激闘を見せてくれた張本人。

 

「も、諸星大!?」

「愛知の星!?」

「も、諸星さん……、本物!?」

 

 全員の声が重なった。

 特に越野は目を剥いた。間違いない、愛和学院のキャプテン・諸星大だ。昨日、決勝戦で誰よりも活躍していた──。

 驚いていると、仙道と諸星は体育館に入ってきて、仙道は「偶然そこで会って」などと訳の分からない説明を繰り広げている。

 諸星はどこか訝しげに仙道を睨みあげてから、みなの方を向いて、ニ、と表情を笑みに変えた。

「ちょっくら見学させてもらうぜ!」

「え……」

「ほら、お前も練習混ざれ! サボってんじゃねえぞ!」

「う……は、はい」

 宣言した諸星は、ドン、と仙道の背中を押した。

 なんとなく、理由は分からないが苦笑いを浮かべる仙道の顔を見て「諸星が無理やり連れてきた」のだと悟った。

 ふー、とため息を吐いた仙道は手をたたいて「さ、やろうか」とみなを促し、取りあえずみな「なぜか愛知の星が見ている」というシチュエーションに緊張しながらも流し練習を開始した。

 そうして十分ほど経っただろうか? いったん波が途切れたところで、腕を組んで渋い顔をして見ていた諸星が、ニ、と笑ってコートに入ってきた。

「シューティングガードはどいつだ?」

 瞬間、ビクッと越野の身体が撓る。

「お、オレ……です、けど」

 おそるおそる手を挙げると、諸星は笑みを深くして腰に手を当てた。

「よっし、オレが練習見てやるよ!」

「え……!?」

「お前、名前は?」

「あ……、越野宏明です」

「越野、越野ね。オレは諸星大、よろしくな」

 そんなの、誰でも知ってる。というのに、わざわざ名乗ってくれる辺りに人の良さを感じた。が、次の瞬間に辺りがザワついた。

「取りあえず、勝負しようぜ。力試しだ」

 ──日本一のシューティングガード相手に、力試し。けれど、こんなチャンス滅多にないだろう。ゴクッ、と越野は喉を鳴らした。

 いくら日本一とは言っても、同じ高校生。同じポジションなのだ。やってやる! ──と意気込んだのは最初の数分だけであった。

 おそらく、諸星は自分の実力に落胆したのだろうとありありと分かった。いや、それどころか落胆さえ通り越したのか、ついには説教が始まってしまった。

「テメー、シューティングガードなめてんのか!? いいか、シューティングガードってのはだな──」

 3年生の引退前を彷彿とさせる。いや、こんな先輩は陵南にはいなかったぞ、と訳も分からず恐縮していると、諸星はついにこの場にいた仙道を除くレギュラー全員とマッチアップをして、なぜかプルプルと拳を震わせていた。

「なるほど……。なんで仙道がインターハイに出てこれねーか、ようやく合点がいったぜ……」

 小さく呟いて、彼はグワッと顔をあげ声を張った。

「お前ら! こんなんで全国制覇出来ると思ってんのか!? こんなんじゃインターハイ出場すら危ういだろーが、海南っつー宿敵もいんのによ!!」

「ぜ、……全国制覇……!?」

 彼はここを愛和学院と勘違いしているのではないか? インターハイに出場したことすらない陵南が、いきなり全国制覇? と戸惑っていると、おもむろに諸星は仙道の方を向いた。

「全国制覇だろ? お前の目標は!」

「え……あ……いや、その」

「違うってのか!? ああッ!?」

 あの仙道すら困惑しているとは、もはや誰も言い返せないではないか。と、なお困惑している越野たちとは裏腹に、諸星は至って真剣な表情をしている。

「とにかく、キャプテンからしてこんな腑抜け野郎じゃ話にならねえ!」

 ──それは全員が同意する。

「オレは冗談で言ってんじゃねえぞ! 仙道率いる陵南が、全国制覇しねえでどこがするんだ!?」

「──!?」

「海南は夏、準優勝だ。オレの愛和も昨日、準優勝した。だがな、仙道はオレより海南の牧より、可能性があんだぞ! オメーらがやらずに誰がやんだよ!」

 ゴクッ、と全員が息を呑んだ。

 確かに、そうだ。陵南には、仙道がいる。仙道がいる──。だが、と逡巡していると、隣で興奮気味に彦一が拳を握りしめていた。

「そ、そうですよね! ウチかて、インターハイを勝ち上がれる力はあるはずや……!! ウチには仙道さんがおるんやし!」

 すると、その返事は気に障ったのだろうか? 微妙に諸星が眉を寄せたところでガラッとそばの扉が開いた。みなが一斉に扉の方を注視する。

「な、なんだ……?」

 視線の先には、いまこの状況が全く飲み込めずに困惑している田岡の姿があり──全員がハッとして頭を下げる。

「監督! チュース!」

 諸星もみなに倣い頭を下げ、面食らっている田岡のところに駆けていった。

「監督ですか!? お邪魔してます、愛和学院の諸星大といいます!」

「も、諸星……!? 愛知の、諸星君かね……!?」

「はい」

「お、おお……昨日はウィンターカップを見させてもらったぞ……。惜しかったが、良いプレイだった」

「ありがとうございます!」

「──で、なぜその愛知の星がここにいるんだ……?」

 田岡は状況についていけないまま、誰もが知りたかった疑問をぶつけ──諸星は説明した。

 呑気に釣りをしている仙道を捕まえて体育館につれてきたこと。

 仙道には並々ならぬ目をかけていて、陵南というチームをついでに見て行こうと思ったら予想外に弱点だらけだったこと。

 そもそも、キャプテンからして気合いが足りないことをあげ、このまま黙って見ていられないと訴え田岡に頭を下げた。

「自分、冬休みいっぱい神奈川に留まり、陵南を鍛え上げ直したいと思うのですが……監督!」

「え……いや、しかし……」

「このままだと陵南はインターハイ制覇はおろか、出場すら危ういかもしれませんよ、監督!」

「イ、インターハイ……制覇……!?」

「そうです、制覇です! 打倒・海南! 目指すは日本一!」

 瞬間、田岡の顔色が若干変わったことを越野は見逃さなかった。打倒・海南というフレーズが田岡の琴線に触れたのだろう。

「ま、まあ……。君のような優秀な選手が鍛えてくれるなら……我が陵南にとってはこれ以上ないプラスとはなるが……」

「ありがとうございます! じゃあ、決まりですね!」

 弾けるような笑みを見せた諸星は、くるりと越野たちの方を向いた。

「というわけだ。改めて、よろしく頼むぜ! お前ら、インターハイ制覇……する気はあんだろ?」

「──ッ!?」

「オレが冬休みの間、みっっっちり鍛えてやる! 次はぜってー、海南に勝てよ!」

 サラッと笑顔でとんでもないことばかり言う人だ。だが、なぜだろう? 力強い声と、一点の曇りもない笑顔はなぜか皆を惹きつけるものがあり。あの「愛知の星」ということも相まって、みな力強く返事を返した。

 

「ほらほら、頑張れ!! よしッ、いいぞ!」

 

 軽く自主練習のはずが、一転──がっつり通常以上のスパルタ特訓となってしまった。と、仙道は肩を竦めつつも笑みを浮かべた。

 諸星大──、本当に不思議な人だ。急に陵南に現れ、みな困惑していたというのに、いざ練習が始まればすぐに陵南をまとめ上げてしまった。

 これが、引退したばかりとはいえ強豪校の主将の力なのか。諸星元来の明るさゆえか。

 よく動く。みなを見ているのに、誰より動いて、声をかけている。本当によく動く人だ。

「仙道! よそ見すんなッ!」

「すんませーん」

 軽く返せば、罵倒が倍の勢いで返ってきて仙道は苦笑いを浮かべた。

 ──この感じ、覚えがある。

 もしかしたら、つかさは従兄の紳一ではなく、諸星の方に似ているのでは?

 などと考えつつ、夜が更けてくる頃にはみんな体育館にヘトヘトになって倒れ込んでいた。

 本来なら明日の大晦日も自主練習のはずだったが、当然のごとく朝から練習と変更になり──それでもみなは「頑張ろうぜ!」と励ます諸星の明るい声に頷いて帰っていった。

 仙道と諸星も、揃って海岸線を歩いた。

「お前、一人暮らしだっけ?」

 問われて、仙道は頷いた。そう言えば、諸星は冬休みの間ずっと神奈川に留まると言っていたが、どうするつもりなのか。

 訊いてみると、あー、と諸星は頭を掻いた。

「今から牧んちに帰ってお袋さんに頼まねえとな……。ダメだったら、お前んトコに置いてくれ、頼む!」

「え……、いや、まあ構いませんけど……。え、諸星さん、じゃあ牧さんの家に泊まってるんですか?」

「ああ。昨日からな」

 頷いた諸星に、仙道は立ち止まる。紳一の家といえば、イコールつかさの家だ。いくら幼なじみと言えど、自分以外の男がつかさと同じ屋根の下にいるとは……とつい考えてしまって黙り込むと、「ん?」と諸星は眉を寄せた。

「どうした……?」

 怪訝そうな顔をした諸星は、次いでハッとしたような表情に変えると、耐えきれないといった具合に笑いはじめた。

「おまッ……ひょっとして……ハハッ……ハハハハッ……ハハッ、ゲホッ、ゲホッ!! ハハハッ、ゲホッ!」

 笑いすぎてついには咳き込んでまで笑い続ける諸星を「なんなんだいったい」と見下ろしていると、ようやく笑いを収めた諸星は「わりぃわりぃ」となお漏れそうになっている笑いを耐えるようにして言った。

「つかさのこと心配してんだろ? けど、ありえねえぜ。オレにとっちゃ、アイツは……そうだな……ヒーローみてーなもんだし」

「ヒーロー?」

 思わず聞き返すと、ああ、と諸星は相づちを打った。どういう意味だ、と逡巡していると、数歩先を行っていた諸星がこちらを振り返る。

「けど、ま。確かにアイツ、見た目だけは可愛くなったよな。2年前に再会した時もけっこう驚いたもんだが、ここ最近、益々やたらと女っぽくなってやがる。変わるもんなんだな」

 そうしてそんなことを言うものだから、仙道はなおさら警戒した。そもそも、最近つかさが可愛くなったのは他でもない、自分のせいだと自負しているというのに。

 ジッと睨んでいると、視線に気づいたのか諸星は肩を竦めて笑った。

「仙道……、お前、つかさのことまだ良く分かってねえな。アイツは、エースなんだ。ヒーローなんだよ、オレたちにとっちゃ。昔から、何も変わっちゃいない」

「ヒーローって……」

「言っただろーが。アイツが、どんだけの選手だったと思ってんだ? お前にとっちゃ、ただの可愛い女の子かもしれんが、オレにとっちゃそうじゃねえんだって」

 伸びをしながら言われて、仙道は少しだけ唇を曲げた。つかさのことをまだ良く分かっていない。などと他の男に言われるとは、あまりいい気はしない。だが、諸星になら言われても仕方がないような気がして複雑な心境になっていると、「そうだ」と諸星は思いついたようにこちらを向いた。

「お前、明日どうすんだ? 練習終わったら実家帰るのか?」

「え、いや……年越しはこっちでと思ってますけど」

「なら、お前も牧んち来いよ! 一人じゃつまんねーだろ?」

「え!? いや、ていうか……オレ、つかさちゃんと初詣行く約束してて──」

「じゃあちょうどいいじゃねえか! みんなで行こうぜ!」

「え……!?」

「お前も牧んち泊まりゃ一石二鳥だろ? オレ、相談してみっから! んじゃまた明日な!」

 そうして言うがはやいか、諸星は駆けだしてしまい──、仙道はあっけに取られたままその背を見送った。

 まいったな、と首に手を当てつつ思う。

 相変わらず騒がしい人だ、が、この冬は忙しくなりそうだ。

 

 

 そして、海南は──。

 

「牧さん……そして先輩方、今までお世話になりました。これからの海南も、先輩たちの活躍に恥じないよう、常勝の歴史を守り抜いてみせますので、どうか安心してください」

「おう。神、お前がいれば次の代も安心だ。陵南にも、湘北にも、負けんなよ」

「──はい!」

 

 海南は海南で年始を前に紳一たちは正式に部を引退し──、紳一は部長の座を神へと譲り渡した。

 これからは、神を中心に海南も新しい色へと変わっていく。

 

 仙道の、そして神の──最後の夏に向けての静かな幕開けだった──。



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29話

 ──バスケット・バカ。

 という言葉があれば、これほど相応しい人物はきっと他にはいない。

 

 と、仙道は汗を拭いながらチラリと諸星を見やった。

 引退後の、貴重で自由な冬休みをまるまる潰して朝から晩まで他県の他校のチームのために尽力しているのだから。バスケバカでなくてなんと言うのだろう?

 

「サボってんな仙道!」

「は、はいッ!」

 

 うっかり気を抜こうモノならすぐに叱咤が飛んでくる始末だ。一瞬たりとも気が抜けない。

 特にポジションの同じ越野は徹底的にしごかれている。が、泣きが入っているものの、不思議とイヤそうではない。

 まあ、そりゃそーだ。退屈する暇など一瞬たりともありはしないのだから。と、仙道もコート上で諸星とやり合うことに集中した。

 

「越野! 仙道にばっか頼ってんじゃねえ! もっと打っていけ、2番だろお前!」

「う、は、はいッ!」

「よし、良いぞ植草ッ! パスはそうやって通すんだ!」

「はいッ!」

 

 そうして3on3にてコートを駆ける仙道たちに声を飛ばす諸星を見て、田岡もいっそ感心していた。

 全国屈指の選手が、この陵南でなぜか休日返上で付きっきりで指導をしてくれている。という奇妙さを既に彼は彼自身の存在感で払拭してしまっている。実際、朝から晩まで誰よりも熱心に動き、選手達もついていっているのだ。

 何より田岡にとってありがたく、意外だったのは──仙道が同じように朝から晩までちゃんと集中して練習を熱心にこなしていることだ。

 むろん、たびたび諸星に注意は飛ばされているが──何より楽しそうな仙道を見て田岡は目を細めた。

 仙道の実力は、既に全国屈指のレベルにある。そんな仙道の練習相手として満足いくような相手は、残念ながら陵南にはいない。仙道自身、決して愚痴を漏らしたりはしないが、どこかで物足りなさを常日頃感じていたとしても不思議はない環境だ。だからだろうか? 諸星のような実力の拮抗した相手と練習できるというのはありがたいものだ。実際、冬休みに入ってから仙道の実力はさらに伸びて磨きがかかっている。

 それに、意外ながらも当然のことなのか──、彼は仙道相手に全く「物怖じ」していない。

 仙道は、トッププレイヤーの中にあっても「天才」と呼ぶに相応しい不思議なカリスマ性がある。だからこそ、陵南のメンバーは、前の主将だった魚住も含めて仙道を精神的な支柱にしていた。仙道がいるから大丈夫だと。そうして仙道も意識的か無意識にか、仲間の絶対の信頼にちゃんと応えてきた。彼の本来の性格は、「天才」という称号に似つかわしくない、ある種の間の抜けたものであるため仲間とは打ち解けているが、それでもやはり陵南の選手達が彼を特別視していることには変わりない。

 なにせ魚住ですら、あれほど遠慮なしに仙道をがなりつけることはなかったのだから。と、今も仙道に大声を飛ばしている諸星を見て田岡は腕を組むと肩を竦めた。

 1年生の時からそんな環境に身を置いていた仙道だ。天才といってもまだほんの少年。今の仙道が楽しそうなのは、練習相手として諸星が不足なしというよりは自分がしっかりしなくても諸星がしっかりしているからという理由なのかもしれない。

 確かにこんなキャプテンがいれば、頼もしい。が、無い物ねだりをしても仕方がない。やはり、仙道には主将としてしっかりしてもらわねば。と、田岡は目を光らせた。

 

「よーし、休憩!」

 

 田岡がそう宣言し、コート上の部員達は一斉に、フー、と息を吐いた。

 諸星も伸びをしながら、コート脇に置いていたドリンクを手に取り、ん? と周りを見やる。外は寒いだろうに、植草と越野が扉を開けて外に出ていき、眉を寄せてその後を追った。

「なにやってんだ、お前ら?」

 外に出ると、ヒュッと肌寒い風が頬を撫で──、二人は揃って諸星の方を振り返った。

「も、諸星さん」

「寒くねーのか? 筋肉冷やすと、あぶねえぞ。汗もかいてっし」

「はい。けど、ちょっと暑くて……」

 言いながら二人は汗を拭った。

 風が潮の匂いを運んでくる。体育館はちょっとした高台に建っており、一望できるグラウンドのさらに先には、湘南の海が見えた。

 ふ、と諸星は腰に手を当てて笑った。

「いいところだなー。こんだけ環境に恵まれてりゃ、釣りだのサーフィンだの脇道にそれちまうのも、まあ、わからんでもないな」

 そうして、ハハハ、と笑う。

「いいなあお前ら。浜辺でジョギングとか気持ちいいだろ?」

 言ってみれば、越野は死にそうな顔を浮かべて首を振った。

「砂に足取られてキツイだけっすよ」

 植草も苦笑いを浮かべている。

 やれやれ、と諸星は肩を竦めた。

「ガードは体力勝負だぜ? ま、けど、お前ら、スタミナはまあまあだけどな」

 すると、意外だったのだろうか。あまり表情を変えない植草も少し嬉しそうな顔をした。諸星はそこに陵南の根本的な問題を見た気がして、笑みを浮かべたままこんな質問をぶつけてみた。

「強いチームって、どんなチームだと思うよ?」

「え……? さあ」

「これはオレの勝手な持論だが……。ガード陣と、そしてフォワードがしっかりしたチームだ」

 腰に手を当てていえば、少し二人は目を見開いた。

「仙道は、ガードも出来る素質を持ってっけど、やっぱフォワードだ。だから……フォワードを支えんのはお前らの仕事だぜ! お前らが、陵南の土台だ。しっかりチームを助けてやれ」

「けど……、オレらに出来ますかね? その、全国制覇、とか……」

 ゴクッ、と息を呑んで越野が唇を引き、ふぅ、と息を吐いて諸星は越野の額を小突いた。

「全く絶対に可能性がねえなら、オレはここにいねえっての! ったく、オレがチームを勝たせてやる、くらいに思ってろ」

 しっかり越野の瞳を見据えてから、諸星は再び海の方に視線を戻した。

 もう一週間ほどこの陵南というチームを見ているが、「神奈川選抜」のような派手なチームと比べたらむろん見劣りするものの、そこまで悪いチームではない。

 ポイントガードの植草は、冷静でミスも少なく、パスセンスも優れていて良いガードである。植草・仙道とチームの軸になるべき選手がしっかりしているというのは、鍛えれば確実にモノになるチームだ。センターも経験不足ではあるが目立った欠点もないし、夏までには優秀なロールプレイヤーになるはずだ。越野と福田も穴はあるが、カバーできれば良い選手になるだろう。

 なにより、個の力はそれほど抜きんでていない陵南だというのに、チーム力が優れているという利点がある。これは、かなりのアドバンテージだ。ディフェンスも、オフェンスも、チームを中心に組み立てていけば相当に強いチームになるだろう。それこそ、全国制覇さえ夢ではないような。

 そして、何よりも、このチームには仙道がいるのだから。と浮かべて、諸星は苦笑いを漏らした。

 陵南というチームをそばで見て、そして陵南のこれまでの試合も全てビデオで観た結果、確信したことがある。それは、あまりに陵南が「天才」仙道に依存しているということだ。

 むろん、エースたる存在がチームの中心であることには変わりない。

 しかし、自分は愛和の主将でありエースだと自覚しているが、愛和の連中が自分に依存しているかと問われれば、絶対にノーである。ありえねえ、と故郷の仲間を浮かべて口をへの字に曲げる。

 海南にしてもそうだ。紳一が帝王として君臨していたとは言え、彼らは紳一を崇拝はしても、依存してはいない。

 おそらくは、あまりにも仙道が「天才」であったために起きた悲劇とも言えるだろう。自分でさえ、仙道の秘めた才能には圧倒されることもしばしばなのだ。

 けれども、バスケットとはチームで戦うスポーツ。その辺りを克服しなくては、陵南に全国への道はない。

 

 その辺りをなんとかしねーとな……。などと頭を掻きつつ、冬休みという短い期間はあっという間に過ぎていった。

 

 まだまだやり残したことはたくさんあったが、個々の技術的・精神的な弱点ともちゃんと向き合ってきたつもりだし、あとは陵南の各選手達がどう受け止めて、どう成長していくか、である。

 なんだかんだ、みな素直な選手達で最後の日曜の練習の後は諸星も少しばかりしんみりしてしまった。

 明日から新学期ということで、はやめに練習を切り上げ、諸星は田岡に頭を下げた。

「監督! お世話になりました!」

「いやなに、こっちこそウチの練習に熱心に付き合ってくれて、礼を言うよ。君は……大学は東京だったかね?」

「はい。深体大に進む予定です」

「そうか。深体大か……。日本一のチームだな」

「はい。ですから、当面の目標はユニバーシアードで優勝、世界一ですね!」

 言えば、田岡はキョトンとしたのちに、ハハハッ、と声を立てて笑った。

「君ならそれも出来そうだ。楽しみにしているよ」

「ありがとうございます」

 差し出された手を取って握手を交わし、諸星はもう一度頭をさげてから部員達の方を向いた。

「お前らも、ぜってーインターハイに行けよ! 楽しみにしてっからな!」

「はい! 頑張ります!」

 すると彼らは一斉に返事をしてから、頭をさげてくれた。

 そうして帰路につき、諸星は仙道と二人で海岸線を歩いた。

「あーあ、明日から学校かー」

「諸星さん、今日、愛知に帰るんですか?」

「ああ。たぶんあっちに着くの夜だな」

 うーん、と伸びをして諸星は一つあくびをした。年末にこっちに来たときにはどうなることかと思ったが、全く練習で手を抜かずにやったというのにちゃんとついてきてくれた陵南のメンバーは普段からなかなか鍛えられているとは思う。

 しかし。と諸星は、キ、と仙道を見やった。

「お前、オレがいねえからってサボるんじゃねーぞ!」

 すると、ハハハ、と仙道は苦笑いのようなものを漏らした。全く、マイペースとでもいうのか。どうも掴み所のないヤツである。

 けれども、やはりつかさが見込んだだけあって選手としては申し分なく──、と考えたところで諸星はハッとした。

「そういや、お前とつかさって……」

「え……?」

「付き合ってんだよな?」

「え? そうですけど……」

 なにを今さら。と言われて。諸星も「そうだよな」と呟いた。実はあまり二人に関する個人的なことは知らないが──、まあ、いいか、と脇に置いた。それよりも、だ。と分かれ道が見えてきたところで、立ち止まって仙道を見やる。

「お前、オレの言ったこと忘れんなよ」

「え……?」

「"もう二度と、負けんじゃねえぞ"」

 つかさに惚れてるなら、尚さらだ。と自分で言った言葉を繰り返せば、仙道は少し目を見開いた。

「どう、ですかね。オレ、諸星さんには敵わないかも」

 少し目をそらして仙道は首に手を当てる。自信がないわけでもないだろうに、こうして本心を見せようとしないのが彼のキャラクターなのだろう。

 やれやれ、と思う。けれども、なぜか期待してしまうのは自分のエゴなのだろうか? それとも、つかさが見込んだ男だから? 結局は自分もつかさのように、彼に夢を重ねているのだろうか。誰よりも才能に恵まれていたのに、その才能を潰してしまった。つかさへの罪悪感が、今もまだ──と浮かべてしまって、諸星は肩を竦めた。

「"天才・仙道彰"──つっても、お前はその価値を証明してねえ。そういうヤツが日の目を見ないで終わんのは、けっこう、ハタで見てるとキツイもんだぜ。例え、本人にその気がなくてもな」

 仙道がハッとしたように瞠目した。勘のいい仙道のことだ。きっと、自分がつかさのことも含めて言ったというのは感づいているだろう。

「陵南は、良いチームだ。鍛えりゃ、見違えるような強いチームになる。頑張れよ」

 仙道の肩を一度叩いて、じゃーな、と手を振って駆け出すと、後ろから仙道に呼び止められて諸星は一度振り返った。

「お世話になりました。楽しかったです、オレ」

 言われて、諸星はハハハッ、と明るく笑った。

「こっちこそ、世話になったな! インターハイ、楽しみにしてるぜ!」

 そうして手を振って、海岸線を駆けだした。

 引退後の置きみやげはこれで終わった。これで、自分の高校でのバスケット生活は完全に終了だ。

 明日からは、また新たなる挑戦。──世界へ、だ。

 取りあえずは大学日本一のシューティングガード、そして日本一のシューティングガードを経てアジア一、さらには世界一……。

 まさに終わらない戦いだな、と苦笑いも浮かべながら、それでも張り切って諸星は海岸線を潮風を切って走り抜けていった。

 

 

 一方の他の陵南のメンバーはほぼ全員が江ノ電での帰宅であり、みなでシートの背にぐったりともたれかかっていた。

「終わったああ……!」

「人生で一番過酷な冬休みだったぜ……!」

 疲れを滲ませつつも、彼らの表情はどこか達成感に満ちており、吐くほど辛いといっても無我夢中で充実していたことを克明に告げている。控えのガードである彦一も、この辛くも楽しかった冬休みでの練習を思いだして顔には笑みが浮かんでいた。

 とはいえ、日の沈まない時間に帰宅できるのは久々だ。家に帰って、久々にゆっくりと湯船に浸かって疲れを癒し、夕食に呼ばれてダイニングへと降りていくと、スポーツ記者をしている姉が先に座っていて彦一は少し目を見開いた。

「弥生姉ちゃん! おったんか……」

「あんたこそ、なんや珍しいやないの、久々に顔見た気がするわ」

 年末、彦一は地獄の特訓。姉の弥生は大阪に帰省やら取材やらでバタバタしており、実質ゆっくり顔を合わせるのはウィンターカップ以来だ。

「あんた、しばらく見いひん間に、ちょっとがっしりしたんちゃう? そんなに陵南の冬特訓は厳しかったんかいな」

「そら、今年のウチは本気やからな。姉ちゃんこそ、取材に追われてたんやろ?」

「そや。大阪帰ったついでに愛知にも行ってたんやけど……」

「愛知?」

「そや。ウィンターカップ終わったやろ? 有望な卒業生の特集っちゅーことで、愛和の諸星君の特集組もうかーてなって愛和に取材行ったんやけど、諸星君行方不明でなー」

 言われて、思わず彦一は吹き出していた。それはそうだろう、と爆笑を続けていると「なんやの?」と弥生に睨まれ、彦一は何とか呼吸を整えてから事の顛末を説明した。

「なんやて!? ほな、諸星君は冬休みの間中、陵南におったっていうの!?」

「そや。ついさっきまで一緒やったで」

「あんた! なんでそんな大事な情報、言わへんの!」

「せ、せやかて……姉ちゃんに会うてるひまなかったし……」

 思わず首根っこを掴んできた弥生に狼狽えていると、弥生はさらに地団駄を踏んだ。やはり、どのメディアもウィンターカップで一番目立っていた諸星に目を付けたらしいが、当の本人は大会終了後から行方不明で足取りが掴めず、ろくな取材が出来なかったらしい。

 知っていたら他社を出し抜けたのに、という弥生の横で彦一は、「さすが諸星さんや、上手いこと雑音をかわしたっちゅーわけやな」と一人関心していた。

 それはともかくも、と落ち着いたらしき弥生から冬休みの間のことを食事の肴にされる。

「そもそも……、なんで諸星君が陵南におったん? 海南なら分かるんよ。海南の牧君と諸星君は元チームメートやし」

「諸星さん、牧さんちに泊まっとったらしいで。引退後で単に観光やったらしいけど、急に陵南にきはって……ワイもようわからんうちに一緒に練習することになったんや」

「ますますわからんわ……」

「仙道さんが連れてきはったんや。たぶん、国体で仲良うなったとか、そういうんとちゃうかな」

「ああ、そういや国体で神奈川と愛知は準決勝で試合したんやったな……」

「そや! 仙道さんと諸星さんの対決はいま思い出しても興奮するわ! 練習中もあの二人はハイレベルで見てるだけで圧倒されたで!」

「ほんま惜しいことしたわ……! 仙道君と諸星君やなんて、こんな美味しいネタそうそうあるもんやないで!」

「諸星さん、ガードやから、ワイも含めて越野さん植草さんには特に目かけて指導してくれはってな。やっぱかっこええんやわ……、しかも深体大に進学して、目標は世界一って言うてはったし、こらもう愛知の星どころかそのうち日本の星にならはるで!」

「なに、諸星君、愛知内で進学やのうて深体大に進むの? ホンマに?」

「そや。さっきそう言うてはったで」

 途端、弥生の顔色が変わって、食事中にもかかわらずメモ帳を取り出してメモを取っていた。どうやらあまりまだ知れ渡っていない情報だったらしい。

「でかしたで彦一! 諸星君の進学先ゲットや! 進学先が東京なら、これから頻繁に会うようになるかもしれんし、仲良うしとかなあかんな。何度か話したことはあるんやけど……、礼儀正しいし、ハキハキした子っちゅー印象やわ」

「えらい厳しいけど、熱くて気さくでええ人やで! 天性のキャプテンっちゅーか、仙道さんも、なんやえらい楽しそうやったし、おるだけで明るうなるっちゅーか」

 言いながら彦一は笑った。

 体力的には本当につらいスパルタ特訓だったが──、去年のインターハイ予選で目の前でインターハイへの切符を失って以降、どうも気合いが乗っていなかった陵南だ。その陵南に「全国制覇」などという意識を植え付けてくれたのは大きい。

 なにより、あの「愛知の星」にとって、あれだけのスパルタ特訓は「日常」だと知れたことも大きかった。スター選手は、それだけの練習を当然にこなしているということだ。

 ならば、自分たちはもっともっと頑張らなければ届かない。そんな当たり前のことに、気づかせてくれた。

 きっと今年の陵南は、史上最強のチームになる。そんな確信が確かに彦一の中に生まれていた。



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30話

  新学期が始まり──。

 おとそ気分も抜けて、街中が妙にぴりぴりしていると感じるのはセンター試験が目前だからだろうか?

 

 学校帰りに市内の本屋で参考書を物色していたつかさは、周囲の迫り来るような受験ムードに少々肩を竦めていた。

 花形の東大受験の合否はちょっと気になるな、などと思いつつ店内を歩いていると、見知った人影を見つけ、あ、と瞬きをする。

「三井さん……?」

 湘北の三井だ。声をかけると三井も気が付いてハッとしたようにつかさの方を見た。そして浮かべていたしかめっ面を崩し、よう、と笑みをみせた。

「つかさじゃねえか。久しぶりだな」

「はい。三井さん……受験勉強、じゃないですよね?」

 今さら、と少々困惑していると、三井の手にはなぜか「ここが見所! 愛知県」なる観光本のようなものが握られており、益々眉を寄せる。三井は大学推薦を狙っていたはずだ。だから受験勉強を捨てて選抜まで残ったと聞いている。が、湘北は冬の選抜で惨敗に近かったのだ。さすがのつかさも「大学はどうするんですか?」とズバリ聞けず、少しの沈黙が流れると、三井は小さくため息をついた。

「お前……、愛知出身だったよな?」

「はい。そうです」

「あー……、これからちょっと時間あるか?」

 急ではあったものの、お茶に誘われ、特に断る理由もなかったつかさはそのまま三井と近くの喫茶店で改めて向き合った。

「実は……、大学のことなんだが」

 ピクッ、とつかさの頬が撓る。こう切り出されたということは、聞いても差し支えないと言うことだろうか? つかさはちょうどサーブされたコーヒーのカップに手を添えて力を込めた。

「三井さん……。推薦、狙ってたんですよね、確か」

「ああ。だがな……さすがに、深体大とか、その辺の大学からは来なかった」

 チッ、などと舌打ちしている。が、深体大は諸星を特待で取った、大学一のチームである。例え選抜で三井が大活躍していても、ポジションのかぶっている諸星がいる以上は無理だろう。とは言えず、取りあえずコーヒーを口に付ける。

「けど、よ。声……かけてくれたところがあってよ」

「──ッ!? ホントですか!」

 三井の声につかさは思わず手を止めた。予想外のことだったからだ。

「うわ……、よかった。おめでとうございます!」

 少なからず三井の進路を心配していた身としては、無事に三井の進路が決まったのならば喜ばしい。つかさが声を弾ませると、んー、と三井はなおしかめっ面をした。

「それが、けっこうキビシイんだよな。声はかけてくれたが、好待遇ってわけじゃねえし。いや、まあ、学力ノーチャンスだから贅沢言ってる場合じゃねえんだが……」

「な、なるほど……。あの、それで、どこの大学から……?」

 三井は、頼んだアイスティを飲み込んで「つめてっ」などと言いながら咳払いをした。

「愛知学水だ。知ってっか?」

 思ってもみなかった答えにつかさは目を見開く。──中部地方切ってのバスケの名門で、諸星が最後まで進学を迷っていた大学だ。

「も、もちろん。名門ですよ!」

「中部のな。一応、バスケ関係の諸費用は免除してくれるらしいんだが……。そもそも形だけでも試験受けなきゃなんねーらしいし、学費は免除じゃねえし。けど贅沢言えねえしなあ」

 ハァ、と三井はため息をついている。乗り気ではないのだろうか? この時期に、試験対策ゼロで優遇措置の話が降って沸いてくるなど渡りに船以外の何者でもないはずだというのに。などと返答に詰まっていると、しかも、と三井は話を続けた。

「噂で聞いたんだが……、なんでも愛知学水は諸星を欲しがっててダメだったからオレに、とかってよ。……お前、諸星と仲いいんだろ? アイツどこ行くか知ってっか?」

 う、とつかさは喉を詰めた。頬杖をついた三井が探るようにしてこちらを見て、少々頭を抱える。全ての得心がいったからだ。なぜこの時期、なぜ急に三井にこの話が、という。

「大ちゃんは……、深体大から特待で誘いを受けてて、選抜のあとに深体大進学を決めました。最後まで愛知に残るかどうか迷ってたみたいですけど……。あの、お察しのとおり、愛知学水はシューティングガードを補強したいんだと思いますが……」

「だろ!? 諸星のかわりかよ、オレは!」

「ちょっと待ってください。大ちゃんは、日本一の! シューティングガードですよ!? そこ比べてどうするんですか!」

 ふてくされたように言い捨てた三井にかぶせるようにつかさも言い放った。三井もそこは分かっているのか、「ああ!?」と目つきを鋭くしたものの、ふ、と息を吐いた。

「いや、不満ってわけじゃねえんだ。ただ、赤木も以前、深体大からスカウト来ててな……オレもそっちでやりてえな、ってごちゃごちゃ考えてるっつーか」

 赤木は結局、受験を選んだが、と続けてつかさは肩を竦める。

「別に三井さんの行きたい大学を受験すればいいと思いますよ。深体大でも都内の有力大でもどこでも」

「だから、ノーチャンスだっつってんだろーが!」

「でも、大ちゃんは本当に愛学に進むか迷ってたんです。深体大に行くことを決めたのも年末で……。最初から日本一はつまらんとか、地元を日本一に導くとか言ってましたし。私は、愛学の見る目はあると思います。だってわざわざ神奈川から三井さんを選んだんですから。それだけ三井さんが良い選手だってことですよ」

「お……、おう」

「けっこう住みやすい場所ですよ。それに、一から違う環境でバスケを始めてみるのも面白そうです」

 三井さんが決めることですけど。と付け加えて、少しつかさは笑った。

 三井になぜ2年間のブランクがあったのかは分からない。が、気持ちを新たに、何のしがらみもない生活を始めるのも悪くはないだろう。

 おそらく、三井は「他に選択肢はない」という状況で既に進路を決めていて、住み慣れた場所を離れるとか知らない土地に飛び込むという現実を前に僅かばかりナーバスになっているのだろう。が、自分にとっては愛知はふるさと。気に入ってくれれば、嬉しい。

 ま、そうだな。と三井も少し肩の力を抜いてグラスの氷を鳴らした。

「そういや、牧のヤツはどうすんだ? 進学」

「あー……、さあ、たぶん、海南大にそのままああがると思います……」

「は? そうなのか? オレはてっきりヤツも深体大に進むと思ってたが」

「拒否してました……」

 それで諸星と揉めていたことを思い出して、つかさは苦笑いを浮かべる。もしかしたら紳一は今後はバスケを趣味に留めて今度は本格的にサーフィンに明け暮れるつもりなのかもしれない。が、いずれにせよ紳一が決めることであるし、本人からまだはっきりと聞いたわけでもない。

 ふーん、と相づちを打ちながらストローに口を付けた三井に、つかさは逆に訊いてみる。

「そういえば、湘北はどうなんですか?」

「お、敵情視察か?」

「そ、そういうわけじゃ……ないこともない、です、けど」

 少し茶化すような笑みを三井が浮かべて、つかさは苦笑いを漏らした。

 そうだなあ、と三井がコップを揺らす。

「ま、このオレが抜けた穴はでかいだろうな。めぼしいシューターがいねえからなあウチは」

「桜木くんは……」

「まだ無理はできねー状態だな。今度の夏までに、去年の夏までの動きが出来るようになりゃ御の字ってトコだろうな」

「神奈川は一気に大型センター不足の時代になりますね。去年は豊富だったのに」

「そん変わり、フォワードがバケモノ揃いじゃねえか。流川だろ、仙道に、お前んトコの神、それに……緑風にはマイケルもいるしな」

「……だ、誰……ですか?」

「緑風高校って新設のキャプテンだ。なんでもNBAも注目してるって逸材だぜ。いまアメリカに遠征練習に行ってるが、夏にはこっち戻ってくるらしい。オレの中学んときの後輩もいるしな、けっこう上手いぜ」

「あ、思い出した。克美くんですね、緑風のシューティングガード」

 選抜で見ましたと言うと、三井も、おう、と相づちを打つ。緑風は選抜予選で海南とあたって、海南が勝っている。

「ま、マイケルが帰ってくりゃけっこう強敵だと思うぜ」

「フォワード対決かぁ…………」

 混ざりたい、と感じてしまい思わず口をへの字に曲げる。いいな、楽しみだ。夏の大会が、と思うも──インターハイに行けるのはたったの2校。

「海南はどうなんだ? 新キャプテン、神なんだろ?」

「あ、はい。しっかりした人だから、良いチームを作っていくと思いますよ。海南で一番努力する人だし……キャプテン自らいいお手本になってくれると思います」

「まァ真面目なヤツだからな、神は。海南は毎年いいルーキーも入ってくるしな」

 少し羨むように三井が言い、つかさも頷いて少し笑みをこぼした。

 どのチームも、次の目標──インターハイに向けて少しずつ歩き始めている。

 三井と別れてから、帰り道を歩きつつ思う。どのチームも、スタートしたばかり。しかし陵南は、新チームに移行して既に半年近くが経っている。スタメンもセンター以外は全員がそのまま最上級生となり、いい状態で夏を迎えられるはずだ。きっと陵南に足りない「全国での経験」というハンデさえ乗り越えて。

 ただし、仙道のやる気、他のメンバーの力量。その他いろいろと問題も多いのも現状である。

 とはいえ仙道に神のような練習の鬼になれと望むのも不可能に近いし、そもそも、そのままの仙道が自分は好きなわけで、と仙道のいつもの笑みを思い浮かべて浮ついた脳に、ふ、と諸星の声が蘇ってきた。

 

『その腐りきった根性、このオレがたたき直してやるぜ、どこだ、陵南は! 連れてけッ!』

 

 年末、牧家に泊まっていた諸星は、仙道の「のらりくらり」という具合を目の当たりにして使命感を燃やしたのか「冬休みの間はオレが鍛えてやる」などと言いだし、結局、冬休みの最終日まで牧家にいた。ついでに昨日、愛知の諸星家から大量に味噌カツセットやきしめんが届いたばかりだ、と思い返してつかさは肩を揺らした。

 おそらく、諸星なりに自分を負かした仙道に期待しており、そして単純に仙道が気に入ったのだろう。

 年始には諸星も一緒に初詣に行ったり、良い思い出にはなったが──、初詣は二人で行くつもりだったのにな、などと思い返して苦笑いを浮かべる。

 きっと仙道も諸星とは割と相性が良かったのだろう。が、「つかさちゃんって、牧さんより諸星さんに似てるよな……いろいろと」と少々遠い目をして言っていたことが忘れられない、とつかさは人知れずばつの悪い表情を浮かべた。

 諸星は、はやくも次の目標──全日本でシューティングガード、そして世界と戦う──というある意味とてつもないゴールを目指して走ることを決めた。

 仙道は、どう考えているのだろう? 彼は、そんな目標を立てて突っ走るタイプではないし、仮に目標があったとしても周りにそれを悟られるようなことはしない。

 インターハイ出場というのは、おおよそのバスケット選手としては変えがたい目標のはずだ。が、仙道の場合、もしかすると国体で神奈川のエースとして既に優勝を決めたため、意欲も減っているのかもしれない。

 しかしながら、国体・選抜とインターハイは規模も意義も桁違いだ。全てのスポーツ選手にとって、インターハイは譲れないもののはず。

 

 ──とはいえ、なんだかんだ仙道も諸星の熱血指導には付き合っていたようだし、陵南の練習量はやはり並以上。それに仙道も仙道のペースで必要な練習はこなしていて、見た目ほど「のらりくらり」というわけではないのは、今はつかさも理解していた。

 

 そして、練習している時としていない時の落差が激しいのもよく知っている。

 釣りに精を出している時もあれば、国体の合宿時のように、あの神にさえ引けを取らない練習を自らに課していることもあるのだ。神との違いは、常に一年中あの練習量を誇れるか否か。やはり、ムラッ気があるのが仙道であるが、そういう性格なので致し方ない。

 この辺りが陵南の田岡や諸星にはもどかしい部分であり、つかさ自身「バスケット選手の仙道彰」だけを見たときには同じ意見であるが、そこもまた仙道本人の良いところだと思っている今は──自然のものとして受け入れていた。

 

 

 一方の仙道は──、3学期の始まった教室で、授業を聞き流しながら頬杖をついて思案していた。

 ──昨年、インターハイ予選は3位で終わり、インターハイに行けないまま魚住たちは現役を終えた。

 魚住は、いつも自分を立ててくれ陰ながら年下の自分を信頼し頼りにしてくれていた。けれども、自分だって、魚住をキャプテンとして信頼していたつもりだ。田岡も、魚住が3年となった夏にこそインターハイ出場をかけていただろう。

 全ては終わったことで、仕方がない、と受け流してはいたが──、バスケットに対する「やる気」のゲージが少し下がったのは否定できない。そもそも、このゲージを常に維持できるのはバスケ狂の流川か、超がつく生真面目な神くらいしかいないだろう。

 ああ、もう二人いた、と仙道の脳裏にポンと浮かんだのは、つかさと諸星だ。

 諸星は──不思議な人だ。なんだかいろいろ重いものを背負って戦っていたのに、本人は全く苦にもせず、そしていつも楽しそうだ。

 最初はつかさの「大ちゃん」がどんなものかと警戒もしていたが、意外にも彼を好きになってしまった。初めて彼のプレイを見たとき、一緒にやったら楽しそうだ、という印象そのままで、自分は試合には勝ったし現時点で能力的に彼に劣っているとは思ってないが、頭が上がらない。

 

『もう二度と、負けんじゃねえぞ、仙道!』

『お前はこのオレ、諸星大を負かしたんだ! 分かったか!?』

 

 とんでもないタスキを渡されたが、果たして自分が諸星のようになれるか? 自分自身に問いかけるも、答えは渋ってしまう。

 人生という選択肢において、自分の場合、バスケットはそのうちの一つに過ぎない。勝てれば楽しいし、むろんバスケットは好きであるが、自身の全てをバスケットに捧げる人生を選ぶ自分というのはいまいち想像できない。

 つかさのように、今にも倒れそうなほど苦しそうな顔でバスケットをするのは、自分は違うと思っているし。けれども。もしかしたら少しだけ怖いのかもしれない。去年のように、インターハイへの道を目前で絶たれた。あれを繰り返すことは、本心から嫌だ。

 かといって、どうやって今の陵南で数多の強豪を倒し、ましてやインターハイに出て諸星の言うように全国制覇を成し遂げるか? 自分の悪い癖でもある詰め将棋のように先まで読んでいってしまうその感覚が「詰んだ」と告げている。

 

『お前は……良いプレイヤーだ。なのに、なにやってんだ?』

『インターハイ予選で敗退するような選手じゃねえだろ、お前は!』

 

 もしも諸星が陵南にいたら、こんなつまらないことは考えすらしないだろうな、と仙道は浮かべて苦笑いを漏らした。

 現に冬休みに無理矢理陵南に通い詰めていた諸星は、ズバズバと「お前、ここが使えねえ」などと指摘して熱血指導にあけくれていた。中でもポジションの同じ越野は田岡の比ではないしごきを受け、ほとんど泣きが入っていた。が、「愛知の星」「全国一のシューティングガード」「選抜準優勝のキャプテン」等々の輝かしい肩書き以前に、諸星は持ち前の明るさであっという間に陵南をまとめ上げた。

 魚住引退以来、覇気が薄れていた田岡でさえ、「監督、インターハイ出場ではなく、インターハイ制覇、ですよ!」などと言われ、最初はいきなりの愛知の星見参におののいていたというのに、最終的には意気投合していた。

 どうも自分は典型的体育会系熱血とは合わないと思っていたが、諸星はそんなものさえ超越していて──やはり、自分は彼を好きになってしまっている。

 

 しかし──、となお仙道の脳裏に諸星の声が過ぎる。

 

『仙道……、お前、つかさのことまだ良く分かってねえな』

『お前にとっちゃ、ただの可愛い女の子かもしれんが、オレにとっちゃそうじゃねえんだって』

 

 つかさは、自分にとってはヒーローだ、と諸星はそう言い切っていた。いや高頭ですら、エースの中のエースだった、と賞賛した。自分と出会うずっと前の、過去のつかさ。けれども、諸星とつかさの間になにがあったか知った今となっても、まだ諸星の気持ちは分からない。いや、もしかするとつかさの本心さえ──。

 

『もし、願い事が一つ叶うなら絶対に男の子にしてもらう』

『そうしたら、大ちゃんに負けないのにな……なんて』

 

 男の子に生まれたかった、と言っていたつかさの本意を、知ってしまうのも少しだけ怖いのかもしれない。

 けれども──、と仙道は中休みになると重い腰をあげて、めったに訪れない職員室を目指した。

 ノックをして中へ入り、まっすぐに田岡の席を目指す。

「先生、ちょっといいですか」

 茶をすすっていた田岡は、急な来訪者にビクッと肩を震わせた。まるで珍しいモノを見るような目でこちらを見ている。

「せ、仙道か……。どうした?」

 部活の連絡等々は副部長を務めている几帳面な植草が担当してくれており、特に部活での用事もない。まして勉強での質問で職員室通いなど天地がひっくり返ってもありえないというスタンスの自分が現れたので驚いてるのだろう。構わず仙道は続ける。

「無理を承知で頼みたいことがあるんですけど……」

「頼み? なんだ……?」

「観たいビデオがあるんです。ミニバスの試合……。海南の牧さんと、愛和の諸星さんが同じチームにいた時のものを、どうしても一度観たいんです。探してもらえませんか?」

 急な話に田岡の目が見開かれた。なにを藪から棒に、という思いなのだろう。

「ミニバス……。なんでまた……。いや、しかし、それは諸星に頼めば持ってるんじゃないのか?」

 知り合いだろう、と続けられて仙道は少し眉を寄せる。

 ──それは分かっているのだ。諸星にも、紳一にも、つかさにも頼めること。しかし、ソコに関しては彼ら3人の中に入り込みたくない。これは、自分の決定だ。

「オレ個人の問題なので、諸星さんに頼むのは気が引けて……。先生、お願いします」

 これ以上ないほど真摯な態度で仙道は田岡に頭を下げた。

 ──因果、などということは基本的に気にしていない。結果には必ず原因があるのだし、結果があるからこそ原因があるわけで──、そう、自分がつかさに惹かれたのも、自分の中で少しずつ彼女に対する気持ちの「本気」具合があがっていったのも、原因や因果を求めているわけではない。

 けれど、シュートを打った彼女はハッとするほど美しくて、けれども辛そうで、「笑ってくれたらな」という想いを彼女に抱いた。彼女が抱えていた気持ちの原因は諸星で、諸星が抱えていた苦悩なしでは自分はつかさに出会うことも惹かれることもなかったのだ。

 そうして自分は、結局なにも知らない。

 コートに立っていたつかさを知らない。諸星が、彼女のかわりに日本一を目指すと誓うほどだったという、選手としての彼女を知らない。

 結局まだ、覚悟が足りないのかもしれない。諸星のような「断固たる決意」という、覚悟が。

 

 田岡は仙道の態度に尋常ならざるものを感じたのか、「やってみよう」とだけ答えた。

 

 その後、いつも通りに授業を終えて部室に行くと、既に来ていた越野達がテーブルを囲ってなにやら雑誌を広げていた。

 大抵、男子運動部の部室で広げられる雑誌と言えばスポーツ雑誌かエロ本の2択であるが、取りあえず「なに見てんだ?」と訊いてみる。

「今日発売の週間バスケットボールだ。見てみろよ、コレ」

 越野が目線を仙道の方に向け、ん? と仙道は長身を活かしてひょいと覗き込む。するとそこには"愛知の星・深体大へ!"なる見出しで諸星の特集が組まれているページが飛び込んできた。

 ウィンターカップがメディアと提携してショーアップをしているせいか、選抜で一番目立っていた諸星は選抜以降、こうしてたびたび雑誌やメディアを賑わせている。

「なになに、"深体大進学への決意の裏に親友の影? 海南・牧紳一との熱い絆"って……、すごい煽りだな……」

 ザッと記事に目を通すと、諸星が深体大に進学を決意した裏には紳一の「世界を目指せ」という助言があったらしく。その辺りが美談風に書かれていた。

 そういえばあの二人は進学に関して相当に揉めていたらしく、年末に「お前はオレを裏切らねえよな!?」と暗に自分にも深体大進学を勧めていた諸星を思い浮かべて仙道は苦笑いを漏らした。

「カッコイイよなー……」

「オレたち、諸星さんと一緒に練習してたんだもんな。なんか信じられないよな」

 特集は諸星のプライベートショットのようなものまで掲載してあり、越野や植草はまるでアイドルを眺めるようにテンションをあげていて、やれやれ、と仙道は肩を竦めた。

 そうこうしているうちに、ガラッと扉が開いて慌てたように彦一が入ってくる。

「すんません、ホームルームが長引いてしもて遅うなりました!」

 言ってこちらに小走りで走ってきた彦一はなにやら紙袋を下げており、仙道の方を見やるとズイッとそれを差し出した。途端、一同は「またか」という顔をする。仙道も何度か目を瞬かせた。

「仙道さん、あの、これ一年の女子たちに頼まれてしもて……。仙道さんに渡してくれて……」

 いわゆる、「差し入れ」だが、学年を問わずこのようなことは日常茶飯事だ。

「……サンキュ……」

 受け取らないわけにもいかない仙道は、毎回受け取り、消費できるものは部で消費するようにしていた。が、ファンレターの部類はどうにもならない。

 一応は目を通すだけ通して、しかも捨てるわけにもいかないため、部屋のクローゼットの一角で徐々に格納スペースを浸食していっているのだが、と仙道は帰宅してからそれらをきちんと仕舞った。

 一応コレでも気を遣っているつもりだ。つかさが自分の部屋で、他の女の子からのもらい物などを見たら、良い気分はしないだろうと目に付かないように、と。しかし、相手はあの紳一の従妹で愛知の星の幼なじみだ。この手のシチュエーションには慣れているに違いない。

 いや、でも、さすがに少しは妬いてくれるんじゃないか、などと期待するのは──やっぱ無理かな、と仙道はガシガシと頭を掻いた。

 

『お前にとっちゃ、ただの可愛い女の子かもしれんが……』

 

 ふと諸星の声が頭にリフレインする。可愛い女の子、以外の何だと言うのだろう?

 やっぱり、彼女は可愛い。バスケットが上手いというのも、その実力が相当に抜けているというのも知っている、が、やっぱり、自分にとってはつかさは「女の子」でしかない。

 男の子に生まれれば良かった、などとはつかさも言っていたが──、冗談じゃねえ、と仙道は低く呟いた。



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31話

「──8、──9、──10!」

「ゲッ……!」

「やった! 私の勝ち!」

 

 一月下旬の日曜。

 日も高くなり始めたころ、つかさと仙道は陵南からほど近い公園のバスケットコートでボールを追っていた。

 小一時間ほどウォーミングアップがてら精を出して、そしてシューティング勝負を始めて何度目だろう? この勝負であれば、引き分けか、相当にシュートを得意としているつかさの勝ちで、仙道ははしゃぐつかさを見て肩を竦めた。

 つかさの横顔を見つめながら思う。

 湘南に越してきて初めての日、この公園でつかさに出会った。あの時見つけた、苦痛な表情でバスケットボールを握りしめていた少女はもういない。

 

『たぶん、つかさが少しでもまたバスケに関わる気になったのもお前のせいだろうな……』

 

 出会った日、確かに目が合ったはずだというのにつかさの瞳には一切映っていなかった自分の姿は、今はどうなのだろう?

 つかさを駆り立てたのは、「バスケット選手」の自分でしかない。では、「仙道彰」は──? と、仙道は確かめるように笑うつかさの腕をグイッと引いた。

 

「──ん……ッ!?」

 

 そのまま不意打ちのように唇を重ね、彼女の柔らかい上唇を甘噛みしてすぐ離すと、眼前のつかさは解せないといった面もちを浮かべていた。

 ふ、と笑いかけると、ぴく、と頬を撓らせたつかさは少しばかり目線をそらして俯いた。目尻が少し赤い。

 平手打ちをくらった時に比べれば、劇的な進歩だよな。まして冷たくあしらわれていた頃と比べればまさに雲泥の差、と思い返しながら仙道はそのままつかさの手を捉えて引いた。

「そろそろ、引き上げようか」

「え……?」

「続き、してえし」

「え……、だったら……」

 キョトンとしたつかさは、そこで意図に気づいたのかハッとしたようにして少し唇を尖らせた。

「仙道くん、午後から部活って言ってなかった?」

「ん? ヘーキだって」

「まだお昼前なんだけど」

「オレは部活行くけど、つかさちゃんはそのまま寝てていいぜ」

 さらっと言い放てばジトッと睨みあげられたが、めげずに笑みでかわすと、少ししてからつかさは肩を竦めた。

「私はもうちょっとバスケしたいんだけどな……」

 仙道くんは部活で思い切りできるだろうけど。とこぼすつかさの手に指を絡めて歩き出す。

 バスケがしたいならば、バスケ部に入ればいい。などと言う人間はおそらくいないだろう。並のレベルの女子バスケ部につかさが入れば、そこのパワーバランスが一気に崩壊することは目に見えている。「天才」というのは、そういう厄介な部分もあるんだよな、と仙道はふと自分自身のこれまでの境遇を重ねた。

 その辺の女子ではつかさの相手にはまずなれない。かといって、トップレベルの男子には及ぶべくもなく、男子に混ざれるはずもない。現に、自分にとってはつかさは「真剣勝負をしたい人」ではないのだ。いくら諸星が彼女をヒーロー視していても、と浮かべていると、仏頂面でも晒していたのかつかさが怪訝そうな顔で見上げてきた。ハッとして表情を緩めると、つかさも口元を緩めて、そっと腕に身を寄せてきた。

 ぞく、と不覚にも仙道は自身の身体がざわついたのを自覚して、そして薄く笑った。

 自分の知らないつかさを、諸星の見ていたつかさを、知りたいかと問われたら答えは半々だ。

 けれども、知らなければ、いつか破綻してしまいそうで──、もう一歩。あと一歩、踏み込んでみようと決めた。

 ただ、諸星が彼女に何を望んでいたか。それを知ったところで自分とは相容れないだろう。つかさは、自分にとっては可愛い彼女。今のままで十分なのだから。と、仙道は無意識のうちに繋いだ手に力を込めた。

 

 

 二月の初頭──、金曜日の昼休みに田岡に呼び出された仙道は、職員室に赴いていた。

 仙道が田岡の席まで行くと、来たか、と椅子を回して仙道に向き直った田岡は大きな封筒を仙道へと差し出した。

「お前に頼まれていたビデオだが……。なんとかツテを頼ってようやく一試合だけ手に入ったぞ」

 頼んでいたもの、とは諸星と紳一、そしてつかさが所属していたミニバスチームの試合のビデオだ。

 本当か、と僅かに瞠目して瞬きした仙道に、ああ、と田岡も笑う。

「全国大会の、何回戦か忘れたが……。たまたま撮っていたものらしく他には手に入らなかった。一応は手を尽くしたつもりだが……」

「いえ、十分です。ありがとうございます、先生」

 仙道が頭を下げると、ふ、と田岡はなお笑みを漏らす。

「お前がそこまで言うもんだから、オレも興味が沸いて観てみたんだが……。なかなか、小学生の牧や諸星というのも見応えがあったぞ。カワイイもんだ」

 現在の彼らと比べているのだろう。微笑ましそうに笑った田岡は、しかし、と言う。

「意外かもしれんが、このチームのエースは……、諸星でも牧でもないぞ」

「……牧つかささん、ですよね……?」

「ああ、そうか……。彼女は確か、国体で高頭の補佐コーチを務めていたんだったな。いや、驚かされたよ。まさか……あの牧・諸星を有しながら、女の子が、とな」

 おそらく田岡も高頭と同じような感想を抱いたのだろう。ふ、と仙道は笑みを深くして封筒を受け取り、もう一度頭を下げた。

 田岡は、なぜそれを求めるのか、という追求はしなかった。ただ黙って力を貸してくれた。信頼してくれているということだろう。ありがたく感じつつ、その日の部活が終えると仙道は自身のアパートに戻り、食事もそこそこにさっそくテレビの前に座った。

 僅かばかり緊張する。いざビデオを再生しようとして、やっぱり止めようか、と。

 おそらく、そのビデオの中に居るつかさこそが、諸星や紳一にとっての「牧つかさ」なのだろう。今もなお諸星が「エース」だと讃える、彼にとっての真のつかさの姿だ。知りたいとは思うが──、知りたいと思うからこそ手に入れたと言うのに、と、珍しく怖じ気づいている自分に苦笑いを浮かべて、一呼吸置いてからビデオの再生ボタンを押した。

 ジ、ジ、と画面がゆがんで独特の音が鳴り、次いでパッとクリアになって見慣れたコートが映し出される。

「お……」

 画面の中に、今の諸星をそのまま小さくしたような出で立ちの少年を見つけ、ははは、と仙道は笑った。

「変わってねえな」

 けれども、微笑ましい、と思ったのはその瞬間までだった。

 愛知の攻撃──、ポイントガードの位置に着いているのは紳一だ。面影がある、が、今より随分と華奢な印象である。なるほど、ポイントガードになったのもうなずける体格だ。

 2番の位置に諸星があがり、3番は──、あれがつかさか、と仙道は目を見張った。

 陵南で言えば、越野ばりのショートカットだ。確かに、紳一・諸星よりも明らかに背が高い。これは少女と言うよりは少年だな、と思った瞬間、紳一からつかさにパスが通った。

 刹那、インサイドに切り込んだつかさは3人抜きであっという間にゴールを決め──ビデオから観衆の歓声が作り出すノイズが漏れてきて、さしもの仙道も絶句した。

 

「ディフェンス! 止めるよ!」

「おう!」

 

 もうその動きだけで、明らかにチームの中心だというのが分かってしまった。愕然と見つめる画面の中では、鮮やかにボールをスティールしたつかさが諸星にパスを通し、カウンターの速攻が決まった。

 おいおいおい、と仙道は息を呑む。

 紳一のプレイスタイルが随分いまと違う。典型的な裏方に徹するポイントガードだ。諸星が補佐になって動き、完全にフォワードを中心に動いている。──この動き、確かに国体の合宿で「紳一、自分、つかさ」という3人で演じては見せたが。まとまり、という点では遙かにビデオの中の彼らが上だ。

 

「ナイスリバンッ! つかさッ!」

 

 インサイドに強い、というのを証明するかのように獲るのが困難なオフェンス・リバウンドを力強くつかさが取り、仙道は完全に言葉を失った。

 オフェンスどころかディフェンスも巧い。積極果敢にリバウンドも取っており──仙道は意図せず汗を浮かべていた。

 4年生? それとも5年生だろうか? とてもではないが、自分が小学生だった時より遙かに強い。これは──勝てないぞ、とごくりと喉を鳴らした。

 

『あれこそ、まさにエース・オブ・エースと呼ぶにふさわしい選手だった』

『けどオレにとっちゃ、今も、フォワードのナンバー1はつかさだ。だから、オレは……』

 

 ディフェンスをかわしてロングシュートを決めた画面の中のつかさを捉え、仙道は唇を引いた。

 オフェンスは中外問わずこなし、ディフェンスでもインサイドでリーダーシップが取れ、パスもさばける。まさにエースフォワードの理想そのものだ。

 まさかこれほどだったとは……、と思うと同時に、画面上の、弾けそうなほど活き活きとプレイしているつかさを見て、少しだけ眉を寄せる。

 

『どれほどの選手になるのだろう、とその後、中学の試合で彼女を捜したが……。中学でもスター選手だった牧・諸星とは違い、彼女を公式戦で見つけることはついに出来なかったがな……』

『だってよ、誰も知らねえんだぜ? 中学の時のアイツがどんだけ強かったと思う?』

 

 本当に、高頭や諸星の言うとおり、画面の中の少女がそのまま順調に成長していたとしたら──中学の頃の彼女はいったいどれほどのプレイヤーだったのだろう?

 仮に、同じく全国区であった諸星や紳一に勝てなかったとしても……。おそらくは、「女子」というカテゴリーの中では、敵などどこにもいなかったかもしれない。ブランクのある今でさえ、そうそう彼女に敵う選手がいるとは思えないというのに。

 

『つかさにバスケットを止めさせたのは、オレだ』

『オレは……、もう誰にも負けねえと勝手に誓った』

『もう二度と、負けんじゃねえぞ、仙道! お前はこのオレ、諸星大を負かしたんだ! 分かったか!?』

 

 画面では、愛知チームが圧倒的大差で勝利を収め、全員がエースを讃えている。

 この後に、つかさはどうにもならない性差の壁にぶつかって──そして、おそらくはつかさだけでなく、紳一も、諸星も苦しみ続けたのだろう。

 エースの意地と、そして、おそらく、一緒に励んできた彼らに置き去りにされた。置いて行かれたようなそんな辛さもあったに違いない。だから──。

 

『お前が……、もし、つかさに惚れてんなら。尚さらだ』

 

 猪苗代湖のほとりで諸星にああ言われたとき、ハッとした。

 まだ少し、迷いがあった。つかさのこと、本気で気に入ってはいたが──諸星ほどつかさを本気で想えるかと問われれば、自信がない、と。

 だが、泣きそうなほど必死に自分たちの試合をリプレイするつかさを体育館で見て、分かった。やはり、彼女に寄り添って、もうあんな辛い顔はさせたくない、と。

 だから手を差し伸べたのだ。もういい、と。あとは──自分が引き継ぐから、と。

 けれども、口で言うほど、インターハイ制覇は簡単ではない。仮に自分が日本一の選手になれる器だとしても、陵南がそうとは限らないからだ。

 つかさの望みは、諸星たちと一緒のコートに再び立ちたいという望みは、叶えてやれない。けれどもそのことに、つかさはつかさなりの決着を既に付けているはずだ。

 だから──、だからこのまま、というのも、きっと無理だ。このままなあなあで過ごすのは、一生後悔しそうな気がしてならない。

 つかさと共に歩いていこうと思っているのなら、尚さらだ。既にもう、自覚している。手遅れだ、と。踏み込んでしまった以上、引き返せないし、引き返すつもりもない、と仙道はグッと拳を握りしめた。

 

『明日の試合、ぜったい勝って!』

『仙道くんはインターハイに行くべきっていうか……その……』

『このままだったら、来年もダメかもしれないじゃない。そんなのイヤだ。私は……』

 

 あれはきっと、むしろ、彼女自身のことだ──。

 

『"天才・仙道彰"──つっても、お前はその価値を証明してねえ』

『そういうヤツが日の目を見ないで終わんのは、けっこう、ハタで見てるとキツイもんだぜ。例え、本人にその気がなくてもな』

 

 諸星も、自分を通してつかさのことを言っていたに違いない。

 そうだ、自分も、「天才」と呼ばれていても──何かを成し遂げたわけではない。自分は、諸星やつかさのように、果てしなく限りのない目標に無条件でガムシャラに突っ走れるほどのパワーはなかったのだから。

 諸星の言う「その気」というのも、そこまであるわけでもない──。でも。

 

『オレにとっちゃ、アイツは……そうだな……ヒーローみてーなもんだし』

『アイツは、エースなんだ。ヒーローなんだよ、オレたちにとっちゃ』

 

 一時停止にした画面には笑顔のつかさがアップで映っている。その試合後のつかさの笑みを見据えながら──、ふ、と仙道は息を吐いた。

 我ながら笑ってしまう。

 天才、と呼ばれて──、おそらくは屈辱的なまま選手としての人生を終えた、つかさ。エースの中の、エース。

 頑張ったから、仕方なかった──、という自分がかけた言葉に、おそらく納得した彼女は、本当に限界まで頑張って頑張って、やり抜いたのだろう。

 だが、バスケット選手「仙道彰」はどうだ? このまま結果を残せずとも、頑張ったから仕方ない、と言えるのだろうか? それとも、チームに恵まれなかったから仕方がない、と同情されるのか。

 

『陵南は、良いチームだ。鍛えりゃ、見違えるように強いチームになる。頑張れよ』

 

 いや、そうじゃない。もはやそんな言い訳は通用しない。

 ──誰かのために。なんてガラじゃない。

 けれども、結果に原因があるのは、必然だ。結果が出たときは、その原因を探せばいい。今はまだ、考えない。考えるべきなのは、ただ一つ。

 

 エンジンがかかるの、我ながら遅えな、と仙道は少しばかり口の端をあげた。



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32話

「3、2、1──!」

「勝ったあああああ!!」

「つかさーー!!」

 

 

 歓声がいたいほどに周囲を覆った。

 エースを取り囲む選手達。弾けるような笑顔と飛び散る汗。

 熱狂と高揚感が襲い、まるで観客席の中心で試合を観ているかのような錯覚さえ覚えて視界が白んでくる。

 次いで、いやにリアルな電子音が脳内を侵し──、電子音? とはっきりと意識した次には、ピピピピピ、と断続的に響いてくるそれを止めるために、無意識にベッドからにょきっと長い手を出して覚まし時計のアラームボタンを正確に叩いた。うっすらと視界に映る時計の針は、午前7時を指している。

「……んー……」

 夢、か。と仙道は半開きの瞳のままムクッとベッドから大きな身体を起こした。

 ガシガシと頭を掻いてあくびをしつつベッドを出て、洗面所にのろのろと入って眠気覚ましも兼ね勢いよく顔を洗う。

 キュッと蛇口を締め、鏡を覗き込んで映る自分の瞳をジッと見据えた。

 目覚める直前、夢の中でつかさの試合を観ていた、ような気がする。少なくとも、圧倒されるような高揚感だけははっきりと覚えている。夕べ、ビデオでつかさ達のミニバス時代の試合を観たせいだろうか?

「エース・オブ・エース、か……」

 諸星や、つかさの選手時代を知る人間が思う「牧つかさ」がどんなものか、理解はした。

 チームの中心で、圧倒的なエース。頼もしくて、強い。エースフォワード。が──。

 ふぅ、と仙道は息を吐いた。今日の練習は午後一時から。けれども、行かなければ。と、手早く着替えて朝食を済ませると、軽く浜ランをこなしてから9時には学校へ向かった。

「お……?」

 校庭を横切れば、ダム、ダム、と聞き慣れたボールの音が体育館の外まで響いてきている。さすがに朝から自主練習に来ている部員がいるとは思わなかった仙道は少しだけ目を見開いた。

 ひょいと扉の隙間から中を伺うと、淡々と越野がミドルシュートの練習に励んでおり、反対側のハーフコートでは植草と菅平がポストプレイの練習をしていて仙道は目を瞬かせた。

「あいつら……」

 さすが熱血・真面目な我が陵南。と、呆れるやら感心するやらで少しだけ肩を揺らすと、仙道はいったん部室へ向かって着替えてすぐに体育館へと戻った。が。

 よう、と声をかけて体育館へと入ると、一斉に全員が手を止めて、まるで珍しいモノを見るようにこちらを凝視してきた。

「せ、仙道……!?」

「仙道さんッ!?」

「あれ、仙道。今日は午後からだぞ?」

 想定内の反応ではあるが、仙道としては苦笑いを浮かべるしかない。

「うん、まあ……。夏に向けて、時間はいくらあっても足りねーしな」

 言えば、3人は益々硬直し──、しばらくして越野は肩を震わせて拳を握りしめた。

「よく言った仙道! それでこそキャプテンだ! オレ達の目標は全国制覇! 諸星さんにもそう約束したんだからな!」

 するとさっそく苦手なノリが始まってしまい、仙道は「やれやれ」と肩を竦めた。

 

 2月の第一土曜。外は寒風が吹き、例年通りの寒さだ。

 

 2年生は部活に精を出し、3年生は受験まっただ中で修羅場中。とはいえ、海南は附属校だけあって受験とは無縁だ。

 仙道が越野達と自主練習に励んでいる頃、つかさは寒空の下でボードを抱えて海に出向く紳一を見送って、いっそ感心していた。

 目下の紳一の日課は運転免許取得のために平日は教習所通い、休日は波乗りだ。

 ある意味、バスケ部という重労働から解放されて残りの高校生活をエンジョイしているとも言えるが──、遊びほうけて期末の成績が落ちないように見張ってないと、と妙な義務感に捕らわれつつ、つかさ自身は日中は自宅学習に精を出して夕方頃に家を出た。

 日も落ちてくるといよいよ肌寒い。湘南の海は比較的暖かいとはいえ、海からの風はよりいっそう身体を冷えさせるには十分で、つかさは髪を覆うようにしてマフラーを巻き直した。

 江ノ島を越えればサーフィンをしている酔狂な人間はほぼゼロに近くなる。しかし漁港のそばにはぼちぼち釣り人も見受けられ、つかさは思わず頬を引きつらせた。

 仙道に言わせれば釣りは奥が深いらしいが、さすがに寒そうだな、と横目で見つつ砂浜に降りてみる。

 夏であれば灼けて熱い砂浜も、いまはひんやりとしていることだろう。普段ならば砂浜を歩けば靴の中が砂まみれになるが今日はブーツで良かった、と砂に沈み込む感覚を覚えながらゆっくり砂浜を歩いていく。

 波の音が心地良い。うっすらと空が薄紫に変わり始めるこの時間帯は、湘南がもっとも美しい瞬間の一つだ。

 陵南高校のそばまで来れば、もう人影は見あたらない。本当にこの場所は陵南の生徒にとっては、時に勉学さえ妨げる魅惑の場所に違いない。

 

「お疲れーっす!」

「お疲れさんでしたー!」

 

 一方の仙道は、自主練習含めて朝っぱらから一日がかりの部活が終わって、ふぅ、と肩で息をしていた。

 チラリと周りを見やると、越野たちはさらに残って練習する気らしい。

「越野、植草。ワリぃ、先にあがる」

「は……? あ、ああ。お疲れ」

 言えば、二人ともキョトンとした顔を浮かべた。普段、あまり居残りしない自分があろうことか断りまで入れたため驚いているのだろう。

「あ、仙道!」

「ん……?」

「明日は10時からだよな?」

 すると越野が確認するように聞いてきて、仙道は瞬きしてから頷きつつニコッと笑った。たぶん、彼らは明日も早朝にはこの場に集合するんだろうな、と思いつつ「じゃーな」と手を振って体育館をあとにする。

 自分も居残って練習するべきなのだが。今日は生憎とつかさと会う約束をしている。が、それもたぶん今日限り。もうしばらく会う時間はとれなくなるだろうな、と思うと気持ちが逸り、急いで着替えるとコートを掴んで学校をあとにした。

 坂を下りつつ、どこか緊張してしまうのは、今日限りオフはいっさい返上でバスケに本腰を入れようと決めたからだろうか? それとも、と夕べ観たビデオを脳裏に過ぎらせる。──圧倒的なエースの後ろ姿。諸星たちのヒーロー、「牧つかさ」。

 いやというほど思い知った。選手としての彼女がどれほどの実力であったかは。けれども。と坂を下って踏切を越えると、浜辺に見知った後ろ姿が映って仙道は雑念を払うように声を弾ませた。

 

「つかさちゃん!」

 

 お待たせ、という声につかさが振り返ると、自分より20センチ以上大きな人影が常の笑みを浮かべて浜辺に降りてきており、つかさもパッと笑みを浮かべた。

「仙道くん!」

「よう。ごめん、待たせたよな。もしかしてずっとここに立ってた?」

 すると心配げに顔をのぞき込まれて、つかさは瞬きをした。唇でも青くなっていたのだろうか。「大丈夫」と思わずマフラーで隠してしまう。

「せ、仙道くんこそ……寒くないの? 薄着だけど……」

「ん? オレは平気」

 いかにも部活あがりという出で立ちで、学ランにトレンチコートを羽織っただけの仙道は大きな身体で笑った。そうしながら彼は、あ、と思いついたように言う。

「うん、でも……やっぱちょっと寒いかな」

「え……ッ!?」

 言って腕を引かれたかと思えば、大きな胸に抱き寄せられてすっぽり包まれ、つかさは肩を竦めた。頭上では仙道がなにやら満足げに笑みを漏らしている。かと思えば少々不満げな声を漏らした。

「コートごと抱きしめても、あったかいかわかんねえな」

 波の音が聞こえる。部活のあとだからか、仙道の体温のほうがよほど暖かい。やっぱり大きいな、などとぼんやり思いつつ顔をあげればふと仙道と目があって──ふ、と仙道が口の端をあげたものだから、つかさはパッと顔を背けた。

 しまった、と思う間もなく疑問を寄せられて仙道の下でバツの悪い顔を浮かべる。

「……なんでもない……」

「もしかして、照れてる?」

 今さら、とカラッと笑いながら続けた仙道をバツの悪い表情でジトッと睨むように見上げてから、つかさはフイッと仙道から身体を離した。図星だからタチが悪い、と海の方を向いて水平線へと視線を投げる。吹き抜ける風は冷たく、寄せては返す波の音さえ冷たさで凍えるようだ。

「さすがにちょっと冷えるな。牧さんってこんな日もサーフィンやってたりすんの?」

 言いながら仙道は、そばに落ちていた大きな枝に座るよう誘導して、腰をおろしながらつかさは頷いた。

「朝から張り切ってでかけてた……」

 すると、おお、と仙道は驚いたような声を漏らす。

「さすが牧さん、だな。オレにはちょっと無理だ」

「この寒い中で釣りできる人も似たようなものだと思うけど……」

「けど牧さん、大学ではバスケしねえの?」

「分からない。でも、大学でも続ける人って意外と少ないのかも……、神奈川だけでも有力だった選手も何人も引退してるし。あ、三井さんは続けるみたいだけど」

「湘北の?」

 うん、とつかさは頷き、ちらりと仙道を見やる。この人は、将来の進路などは考えているのだろうか?

「仙道くんは……? 仙道くんも、深体大行ったら喜ぶと思うよ。大ちゃんが」

 とたん、仙道は声をこぼして笑った。

「うんうん、言ってた言ってた。お前はオレを裏切らねえよな!? とかって」

 肩を揺らす仙道を見てつかさは肩を竦めた。いかにも諸星らしい。

 けど、と仙道は立ち上がって近くに落ちていた小石を手に取る。

「大学で続けるかは……、分かんねえな……」

 言って小石を遠くに飛ばした仙道は、言葉を続けようとしたのか唇を少しだけ動かし、そして飲み込むようにして小さく首を振るった。

 天才と呼ばれている仙道──、最終学年を前に、すでに将来をほのめかす話はされていてもおかしくはない。しかし、その「迷い」を他人に見せることはしないだろう。それはちょっと、寂しいな、と思いつつつかさも立ち上がる。

「うん、いいと思うよ。続けても、止めちゃっても。仙道くんがしたいようにすればいい」

 言うと、仙道は意外だったのだろうか。少し目を見開いて、そして小さく微笑んだ。

「つかさちゃんは? やっぱ、北米行くのか?」

「え……!? ど、どうかな……たぶん、そうなる、かも」

「オレも同じトコ行こっかな……」

「……ホントに、本気……?」

 軽く言う仙道に訝しげに返せば、ははは、と仙道は笑って誤魔化し、伸びをする。相変わらず、どこに本心があるのかさっぱり分からない。

「腹減ったな……」

「ちゃんと食べてる?」

「んー……、まァ適当に。部活のせいか洗濯物の量がハンパねえから、食事までちゃんと作んのちょっと面倒なんだよな」

 いくら一人暮らしとはいえ、まだ高校生の仙道では手が回らないこともあるだろう。はやくも独身サラリーマンのような苦労を味わっているのは同情に値する、が。

「つかさちゃん、オレと一緒にいたらやってくれる?」

 メシの準備とか、とふられてつかさは少々眉を寄せた。

「なんで私……?」

 意図が読めずに言うと、仙道はきょとんとした顔を浮かべた。さらにつかさが眉を寄せると、さもあっけらかんと言う。

「え、だって、オレは稼いでくる係だしな。オレ、たぶんけっこう稼ぐようになると思うぜ」

 今は無理だけど、と続けられてつかさは予想だにしなかった言葉に開いた口が塞がらない。気が早いとかどうとか、そういうのを通り越して──最終的につかさは脱力した。

「そういうことなら、私だって稼ぐよ! なんのために勉強してると思ってるの」

 するとなお仙道はキョトンとして、あー、と頭を掻いた。

「そっか……。うん、じゃあオレもやらねえとな。まあ、なんだかんだ慣れてるから平気だろ……」

 話が飛躍しすぎている。大学受験の話をしていて、なぜ大学卒業後の将来設計にまで話が飛ぶのだろう? これはマイペースというより、もはや天然の部類かもしれない。バスケット以外でどこか「抜けている」彼は、紳一と少しだけ似ている。仙道曰く自分は諸星と似ているらしいが、仙道は明らかに紳一タイプだな、と思う。それも諸星が彼を気に入った理由だろうか、という考えに至ってつかさは大きなため息を吐いた。

 もはや仙道の将来設計に自分が組み込まれていて嬉しいという感想すら出てこない。

 互いの息が白くあがって、ふ、と仙道は息を吐いた。

「寒ぃな……、そろそろ行く?」

「え……?」

「オレんち」

 さも当然のように手を差し出され、つかさは少しだけ息をつめた。そして僅かに目をそらす。

「んー……、どうしようかな」

「なんで? もう帰りたい?」

 軽く笑われてつかさは数秒間じっと仙道を睨みつつも、結局はその手を取った。ふ、と仙道が微笑み、自然とそのまま指と指を絡ませるようにして握る。

 こうなるとすっかり仙道のペースで、なんだかちょっと悔しい気もするが、やっぱり心地よくてつかさも仙道に身体を寄せて小さく微笑んだ。

 

 いつもと変わりのない、いつもの週末だ。

 仙道自身、自分のバスケに割く情熱を「熱心ではない」と自覚しているとはいえ、あくまで「バスケ狂」と比べての話であって、一年を通して一応は人並みに部活をこなしている身である。

 学校の違うつかさとは、週末くらいしか会う時間は取れないし、週末も部活の丸一日ない日などあり得ず──時間を見つけて釣りしたり、部屋でゆっくりするくらいしか出来ることはない。だが、もしも「バスケ狂」のまねごとをしようと思ったら。結果を出すまでは会うわけにはいかない。と、夕べビデオを観て覚悟した。自分自身のことはある程度理解しているつもりだ。中途半端な覚悟だったら、きっと楽な方へ流されてしまう。自分は、諸星や神ほどには強靱な精神力を持ってはいないのだから、と無意識に繋いだ手に力が籠もった。

 

 ハイ、と仙道は部屋のテーブルにコーヒーの入ったマグカップを二つ置いた。

 ありがとう、と笑ったつかさに笑みを返しながら思う。

 冷えた手を暖めるように両手でマグカップに手を添え、蒸気と部屋の暖気が彼女の頬をうっすらと赤く染めている。

 可愛いな、と彼女を見て思うのは欲目なのだろうか? 夕べ、ビデオで観たつかかさは確かに「少年」ぽく勇ましくはあったが、「ヒーロー視」されることを彼女は望んでいるのか? と少々凝視していると、つかさは少しばかり眉を寄せた。

「ど、どうかした……?」

 いいや、と首を振って、仙道は手を伸ばすとつかさの身体を自分の方に抱き寄せて、後ろから抱え込むような体勢を取った。

「わ、ちょ、ちょっと……」

「んー……、つかさちゃん、可愛いなと思って」

「え……、な、なに……」

 そのまま首筋に顔を埋めると、つかさはくすぐったそうに身体を捩った。柔らかい。やっぱり、女の子、だ。いくら諸星の中で、未だに彼女が「ヒーロー」でも。いくら彼女が「男の子になりたかった」と望んでいたとしても。自分にとっては──。

 男だったら良かった。というのは、きっとつかさだけではなく、諸星も、紳一もそう思っていたのだろう。いや今でさえ彼らは「もしも男だったら」という幻想を捨て切れていない節があるのだ。

 勘弁して欲しい。こんなに、彼女が女の子で良かったと思っているのに。と、仙道はつかさの髪を撫でながら頬にキスした。

 たぶん、今は、つかさもそう思ってくれていると──思いたい。

 やっぱ、手放したくねえな、との思いがつかさに触れながら脳裏を掠めた。結果を出すまでもう会わない、などと。何よりもバスケを優先するなどと。果たしてできるのだろうか? 考える身体が徐々に熱を持って、仙道は夢中でそのままつかさの身体を抱きしめた。

 

 

『ぜったい、男なんかより女の子でよかった、って思わせてやるって』

 

 少しだけ、今日の仙道は様子が違う気がする。と、意識の奥で感じながらつかさは以前に仙道に言われた言葉をぼんやり浮かべていた。気怠い身体で答えを探していると、遠くで呼ばれた気がして重い瞳をあけた。

 

「寝てた……?」

 

 うっすら瞳をあけると、ぼんやりと視界にシャワーを浴びてきたような出で立ちの仙道が上半身を晒して立っていて、つかさはゆっくり瞬きをした。

 いつものハリネズミ頭がしゅんと迫力を失っていて、ともすれば別人に見える。

「見慣れないなぁ……仙道くんが髪おろしてるところ……」

 呟くと、ははは、と垂れた前髪の隙間から覗く垂れ気味の瞳が笑った。

「似合わねえ?」

「んー……、いつものほうが好き、かな」

 そっと仙道の手が額から頬を優しく撫でる。つかさはくすぐったさを覚えつつもその手にそっと自分の手を添えた。

 改めて、大きな手だな、と思う。なんて自分と違うんだろう。大きな身体も、なにもかも。今までは受け入れがたかったその違いが、今はとても心地よく思えている。──すっかり変わってしまった自分さえ、不思議と嫌悪感はなく、ただ心地いい。

「ん……?」

 どうかしたのか、と優しく聞いてきた仙道へ向けて、つかさも小さく笑みを向けた。

「ん……、大きいな、と思って。仙道くん」

「え……」

 すると仙道は少しばかり目を丸め、次いでつかさの方に体重を乗せて至近距離でつかさを見つめた。

「"大きい"って、なにが……?」

 ギシッ、とベッドが軋み、つかさがあっけにとられる間もなく唇が首筋に降りてくる。

「ちょっ……なに、言って……ッ」

「なんだ、誘ってんのかと思ったのに」

「そんなわけ──ッ」

 なにを言ってるんだ、と反論しようとしたところで唇がふさがれて言葉がとぎれた。身動きを取ろうにも、それこそ仙道の大きな身体が邪魔して叶わない。

「んッ……ッ……」

 仕方なしに、そのまま覆い被さってきた仙道の背に腕を回して受け入れる。水がまだ引いていない身体はしっとりしていて、鍛えられた背中に触れる感触が心地いい。

「ちょ……、と、仙道く……ッ」

「ん……?」

 そのままつかさの身体を覆っていたタオルケットを剥いで胸元に唇を移動させてきた仙道の頭を抱いて、つかさは訴えた。

「お、遅くなる、から……」

「ちゃんと送ってくって。てか、いっそ泊まってけばいいんじゃねえ?」

 明日、日曜だし、とサラッとそんな事を言いながら止める気配のない仙道に、なおつかさは訴えた。

「ぜ、ぜったいむり! 外泊なんて──」

「今さら……」

「そ、そういうことじゃないの!」

「まあ、牧さん激怒するだろうな……。こんなこと知ったら」

 う、とその発言に喉を詰めたつかさとは裏腹に、仙道はほんの少し、愉悦が声に混じっていた。──シャレにならない、と考える間もなく舌先が胸元を這って、仙道の長い指が下腹部に伸びてきて、つかさの思考はとぎれた。

「ちょ……んッ……ぅ」

「つかさ、ちゃん……ッ」

 仙道の低い声が掠れて息が混じっている。昂揚を湛えた艶のあるそれに、つかさは逆らえずに──、やっぱり今日の仙道は変だ、と考えることさえ叶わない。

 

 

「送ってくって」

「いいよ。電車使って帰るし、平気」

「いーや。送ってく」

 

 結局、つかさが仙道の部屋を出る頃にはすっかり遅くなり、仙道はしきりに遠慮するつかさを押し切って二人で外に出た。

 海岸線に出ると相変わらず波の音が耳を掠めて、二人分の白い息が暗闇に静かに溶けていく。芯から冷える寒さだったが、まだほてっている身体にはこれくらいでちょうどいい。

 星が綺麗だ。明日は晴れだろう。

「浜ラン日よりだろうね、明日」

 するとつかさがそんな事を言い、仙道は笑った。

「明日の部活、朝から?」

「うん。たぶん一日中」

 言いながら、仙道は遠くに目線を投げた。

 どう説明したものか。練習に集中したいからしばらく会えなくなる、など。でも、こうも名残惜しく感じてしまうのは自分だけなのでは? とも思ってしまう。現に、一歩一歩、駅が近づいてくるのさえ憎らしいのだから。と、仙道はグッと繋いでいた手に力を込めると、ちょうどそばにあった脇道の角へつかさを引っ張っていき、ブロック塀につかさの背を押し当てた。

「え……ッ」

 つかさが驚いて目を見開く前に、奪うように強引につかさの唇に自分のそれを押し当てた。

「んッ……んん……っ」

 そのまましばらく貪るように何度もキスを繰り返して、ようやく唇を離すと仙道は熱い息を吐いた。

「せ、仙道……くん……?」

「帰したくねえな……」

 ぼそりとつかさの耳元で呟くと、ピクッ、とつかさの身体が撓った。

「え……?」

 つかさが胸元を少し押し返すようにして力を入れ、こちらを見上げてきた。

「ど、どうしたの? 今日の仙道くん、なんか、変……」

 やや困惑気味の瞳と目が合い、仙道は僅かに眉を寄せた。こういう時、諸星だったらきっと迷いはしないだろう。いや越野達とて、あっさりさっぱり「目標は全国制覇! だから部活頑張るぜ!」と宣言できるに違いない。だが、自分はやはりその手の類はどう足掻いても苦手だ。

 それに、やはり「会えない」と言い渡すのは、抵抗がある。なにより、自分自身が望んでいないのだし。と自分自身にみっともない、と思いつつも、なんとか言葉を探して懸命に唇を動かす。

「夏に向けて、いい加減エンジンかけねえと間に合わわねえ、って思ってさ……」

「え……?」

「だから、しばらく……、部活に集中しようって思ってんだ」

 ただでさえ練習の空き時間に会えるのは週末のみで。その時間さえも部活に費やすとなれば、会う時間が取れないのは自明だ。いや、こうして会ってしまえばバスケのことなど頭から飛ばすのはあまりに簡単で、部活に集中するためには会わないという選択肢しかない。

 ただ、それはあまりに自分の都合を最優先しすぎているというのは分かっているし、そもそも自分自身が辛いのだが。と、つかさに告げると、一度瞬きをしたつかさは──仙道とは裏腹にパッと明るく笑った。

「う、ううん! ぜんぜん平気。仙道くんがバスケット頑張ってくれるの嬉しい!」

 声さえも弾んでおり、仙道としては面食らうしかない。

 自分はけっこう、断腸の思いだというのに──。「寂しい」よりも「嬉しい」の感情が先にきたのだろう。「仙道彰」より「バスケット選手の」仙道彰を気に入ってくれた彼女らしいとも言える。が、あまりに予想外の反応に対応できずにいると、つかさも不味いと思ったのか視線が宙を泳いだ。

「あの、その……。私、バスケットしてる仙道くんも好き、だから」

「……"も"……?」

 聞き返すと、うん、とつかさは頷いた。

「で、でもね、私……バスケットしてなくても、例え365日、釣りばっかりしてても仙道くんが好き」

「え……」

「その……えっと、バスケ選手だからじゃなくて、仙道くんが好きなの。だって、こうやって仙道くんといるの……やっぱり、嬉しいし」

 だんだんとつかさの目線が降りてくるも、つ、と思わず仙道は息を詰めていた。バスケ選手じゃなくてもいい? そんな風に言われるとは思ってもみなかったものだから。と息を呑んでいると、「あ」とつかさは顔をあげる。

「でも……! もう少しバスケット選手の仙道くんも見たいから、その、いま頑張ってくれるのはもっと嬉しいっていうか……。ようするにどっちも好きっていうか……」

 しどろもどろになっているつかさの頬を街灯が照らし、うっすら赤く染まっているのが見て取れた。ふ、と思わず笑みを漏らした仙道は無意識に安堵を覚えたのか、ははは、と控えめに声をあげて笑った。するとつかさが顔をあげ、仙道は目尻をさげた。

「そっか、うんうん。……分かった」

「仙道くん……」

「サンキュ」

 そのまま手をつかさの頬に滑らせて、髪を指に絡ませながら額に軽くキスを落とした。するとつかさが緩く笑みを漏らし、仙道も笑ってじゃれ合うようにつかさの身体を抱きしめて唇を頬から耳元に滑らせた。

 くすぐったそうに身体を捩るつかさを腕の中に閉じこめて思う。やっぱり帰したくないな、と。

「つかさちゃん……」

 コツン、と額と額を合わせれば、「なに?」と甘く返してくれて仙道は焦れるように囁いた。

「やっぱ今日、泊まっていかね?」

 が。瞬間、いつものようにジト目で睨みあげられて、ははは、と誤魔化すように自嘲した。

 

 この、腕の中の少女がかつてそうだったように。

 いや、それ以上の選手──エース・オブ・エースに。なってやると宣言するのはガラではないが。ならなければならない、という覚悟を仙道はもう一度胸の内にきつく刻んで小さく頷いた。



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33話

「スクリーンアウトだ菅平ッ! 仙道にパワー負けしてるようじゃセンターは務まらんぞ!」

「はいッ!」

 

 2月の下旬──。しかし締め切った体育館は熱気に包まれており、田岡は熱心に選手たちの育成にあたっていた。

 インターハイ予選敗退後、どこよりも早いスタートを切ったはずだというのにどこか気の抜けていた陵南は、突然の諸星の来訪でエンジンに火がつき今や全開状態だった。

 最近の仙道は明らかに気合いの入り方が以前とは違う。キャプテンの仙道の気合いが入っているだけでチーム全体の乗り方が違う。やはり、チームの核は仙道なのだ。

 田岡も煽られるようにさらに気持ちを強くしていた。彼らを鍛え直して夏に備えなければ、と。

 一年の菅平は去年より身長も伸び、魚住並のセンターとは行かずとも、素材としては悪くない。パワーさえ強化できれば初期値はむしろ魚住より高いのだ、十分やれる。

 そうだ、仙道にとっては最後の夏。今年こそ──、と田岡の指導には益々熱が籠もった。

 

 その菅平と仙道のゴール下での攻防をチラリと見つつ、長時間スリーメンで汗を流した越野はタオルで汗を拭っていた。

 あの普段は頼りない仙道がどんな気まぐれか真面目に部活に精を出している。それはいい。

 それはいいのだが、問題は他でもない自分である──。

 

『お前……、アウトサイドシュートを鍛えろよ……』

 

 秋頃に、なぜか福田にそんなことを指摘されて「ハァ、テメーもだろ!」などと言い返したことは記憶に新しいが、実はずっと気にかかってはいた。

 ポジションはシューティングガード。しかし自分はボール運びに徹していて、インサイドに切れ込むこともアウトから打つこともほとんどないと言っていい。

 あんな風には、なれないよな、とふと越野の脳裏に日本一のシューティングガード・諸星大の姿が過ぎった。

 国体の準決勝で初めて諸星のプレイを見た。仙道の敵だったゆえになぜか自分の敵のような気がしてひたすら仙道を応援していて認めたくなかったが、やはり強い。

 そうして年末のウィンターカップ決勝戦で改めて彼のプレイを見た。相手は最強・山王。けれども諸星のプレイはあのコートにいた誰よりも上をいっていた。

 積極果敢な鋭いドライブからのシュート。見事なパスワーク。そして鮮やかなスリーポイントシュート。これがシューティングガードなのだ、と強い羨望と憧れを抱いたものだ。

 そんな彼が突然、陵南に現れたのはウィンターカップの翌日だった。はじめは夢かと思った。遅いクリスマスプレゼントのように、諸星と話すチャンスをサンタが運んできたのか、などと子供じみたことを考え頬を抓った覚えがある。

 

『シューティングガードはどいつだ?』

 

 なぜか一通り練習を見やっていた諸星は部員に訊ね、越野はむろん手を挙げた。自分だ、と。

 

『よっし、オレが練習見てやるよ!』

 

 笑って親指を立てた諸星にあっけに取られたが、またとないチャンスだと思った。が、結果は惨敗。当然だが、まったく歯が立たず──確実に諸星は呆れていた、と思う。

 そりゃ、日本一の選手の前では仕方ない、などとは諸星の前ではただの苦しい言い訳にしかならなかった。シューティングガードとは、という説教から始まり、「このまま愛知に帰れねえ!」などと言い出した諸星は田岡に許可を取り付けて冬休みの間、陵南の練習に付き合ってくれた。

 あれはいま思い出しても吐きそうになる、と越野は口元を押さえた。

 田岡や魚住のしごきが生やさしいと感じるほどにギチギチに鍛え上げられ、「越野ォ!」と呼ぶ声は鬼にさえ聞こえた。

 けれども不思議と嫌ではなく、これが全国強豪校のキャプテンの統率力か、と自身の気まぐれキャプテンと比べて羨ましく思ったものだ。

 

 ──バスケットはチームプレイだ、と諸星は言った。

 

 仙道は凄い選手だと。だがそれはそれ。お前らは一人一人それぞれの役割をこなすんだ、と。仙道は凄い選手で、もしラッキーで全国に行けたとしても、それだけじゃ全国では戦えない、と。

 オレがチームを勝たせてやる、くらいに思ってろ、と小突かれた額に越野は手を当てた。土壇場の時こそ、そう思え、と。

 痛い指摘だった。いつも、崖っぷちに追いつめられたらどこかで仙道を頼りにしていた。仙道ならきっと何とかしてくれる、と。事実、いつも何とか現状を打破してくれる天才であり、自然と頼るのが当たり前になっていた。

 仙道はそれが負担などとは一言も言わなかったし、実際、そうは思ってないかもしれない。けれどもいつもは練習熱心とは言えない彼が、少なくとも諸星がいた間は懸命に部活をこなしていた。おそらくは仙道の本能が、諸星と練習することを「楽しい」と感じたのだろう。

 自分は、どう足掻いても今から諸星のようなプレイヤーになるのは不可能だ。諸星のように仙道を本気にさせるプレイができるとも思えない。

 けれども、助けることならきっとできる。仙道がどれだけ才能豊かな選手かは、他でもない自分たちが一番よく知っているのだ。その仙道の、そして自分たちの最後の夏。インターハイに行って、そして勝ち上がる、という目標は決して夢ではないはずだ。

 グッ、と越野はタオルの端を握りしめた。

 

 むろん、越野と同様に考えているのは越野だけではない。

 菅平は毎日のしごきに付いていくのに必死で、植草は個々の技術に磨きをかけ、福田もまた、国体以後はシュートレンジを伸ばすこととディフェンスの強化に重点を置いていた。

 つかさにさんざん言われたことも含め、国体ではほとんど使ってもらえなかったこと等々を自分のいまの実力だとちゃんと認識し──積極的に1on1ではディフェンス役を買ってでた。

 

 目標はインターハイ。そして制覇。遅まきながら新生陵南はいま確実に夏に向けて進化しつつあった。

 

 

 3月に入れば三年生の卒業式を間近に控えるものの、附属校である海南はそこまでの感傷には満ちていない。

 牧家でもそれは変わらず、結局、紳一はそのまま海南大にあがることを決めており、卒業式は終了式程度の認識だった。

 3月も10日ほど過ぎた夜、つかさと紳一はソファに座ってなにげなくテレビのニュース画面を見ていた。そこで二人して、あ、と声を漏らした。

 

「東京大学で、二次試験の合格者が発表されました──」

 

 キャスターの声とともに学生たちが映し出され、一際目立っている2メートル弱の長身を見つけたのだ。

 

「花形さん!」

「藤真……!? おいおい長谷川たちもいるぞ」

 

 なにやら翔陽バスケ部レギュラー面々が花形を取り囲んで胴上げをしており、当然、カメラはその目立つ集団を追っている。

 あっけに取られていると、どうやら彼らは目立ったせいで特集を組まれたのか、短い紹介映像のようなものが流れはじめた。

 

「合格おめでとうございます!」

「ありがとうございます」

「えー、花形透君、翔陽高校の三年生ということで……。バスケの強豪校の副キャプテンだったということですが……」

 

 映像は、「文武両道! ~未来へ羽ばたけ」などと古めかしいキャッチのあとに去年のウィンターカップ予選の決勝戦や、国体の全国での優勝の映像が使われ、文字通り花形の文武両道ぶりを讃えており──、映像の切れ端に映り込んでいた紳一は、う、と声を詰まらせていた。

 

「法学部だって……! すごいね、花形さん」

 

 つかさは素直に感心し、そして映像先のカメラマンはキャプテンであった藤真の整ったルックスにも目を付けたのか、アップで抜いてマイクを向けている。藤真は花形の健闘を讃え、最後はバスケ部全員で「合格おめでとう! by翔陽バスケ部」などと宣伝をしつつ全員の笑顔と共に短い特集は締められて次のニュースに映った。

 ハァ、とどちらともなく息を吐いた。

「東大受かったんだ、花形さん……。選抜まで部活やってたのに、凄いなぁ」

 ポン、と脳裏に浮かんできたのは正反対な三井だったが、すぐに消し去ってつかさは改めて感嘆の息を吐いた。

「やたら目立ってたな……」

「そりゃ目立つよ、2メートル近くあるし……翔陽バスケ部が揃ってたら、どこにいたって目立っちゃう」

 置いてあったティカップを手に取り、つかさは綺麗に色づいた紅茶のなかの自身の姿を見つめた。

 ふぅ、とため息をついていると、「どうした?」と紳一が訊いてきて、むぅ、と唇をとがらせる。

「なんだか……、みんなバスケや勉強に打ち込んで結果出してるのに……、私はなんだかなーって思って」

「学年主席じゃ足りねえのか?」

「全国模試で一位なわけじゃないし……、花形さん見てるととてもじゃないけど敵わないし……どうせガリ勉なだけだし……、そもそも勉強は嫌いじゃないけど好きでもないし」

 だんだん目線がさがってきたのが自分でも分かる。我ながら卑屈かな、と思っていると紳一はなにか思いついたように言った。

「じゃあお前もサーフィンやるか? サーフィン部でも作ったらどうだ?」

 慣れてはいても、この従兄の天然ぶりはたまにどっと疲れが襲い、ため息をつきつつつかさは「いい」と首を振った。

 例えば全国制覇を目指すとか、模試で日本一になるとか。そういう大きい目標に向かって邁進できなかったことは、少し、心残りといえば心残りである。

 

『つかさちゃんは、よく頑張った……。もういい。もう十分だ……。もう、いいんだ』

 

 でも、自分なりにがむしゃらにやって、できなかった、という事実を受け入れたのだ。自分のベストは尽くした。大きな舞台で脚光を浴びたかったわけでもないし、それは後悔していない。

 ただ、ちょっと寂しさを感じるのは──、やっぱり、仙道のせいかな、と部屋に戻ったつかさはカレンダーを眺めた。

 バスケに集中したい、と言っていたのが先月の頭。本当に部活のみの生活なのか一ヶ月以上顔も見ていない。思えば出会った頃から結構な頻度で見かけてはいたため、こうも長く仙道に会っていないのは初めてだ。ジョギング中の浜辺でも会わないということは、本当に釣りを返上してバスケに熱中しているのだろう。

 春休みはいっそ両親の元に戻ろうか──と思うも、部活に精を出しているだろう仙道を思えば遊び歩く気にもなれず、結局は図書館と学校を往復しての勉強に明け暮れた。

 海南も相変わらずの練習量で、春休み中さえ体育館からはボールの音が途切れることはない。

 四月を間近に控えたある日の夕暮れ、ひょいと体育館を覗くと、練習明けなのか神を含めて複数の選手が居残り練習をしていた。

 あ、とこちらに気づいた居残り組の一人、清田が手を振ってくる。

「つかささーん! ちょうど良かった、練習見てくださいよー!」

 国体でテクニカルコーチを務めたせいだろうか、たびたびこうして請われることもあったつかさだが、生憎と今日はバッシュも着替えも持ってきていない。フォーム見るくらいしかできないよ、と前置きして清田の練習に付き合う。

 海南は紳一の抜けたポイントガードには控えガードだった二年の小菅が入り、清田とのツインガードを軸にしてオフェンスの主体は新キャプテンの神が担い、ミドルレンジからの攻撃にアドバンテージがあるチームカラーになりつつあった。

 清田はディフェンスが巧く、インサイドへの切れ込みが得意なストッパー&スラッシャータイプのシューティングガードではあるが、上背が足りないこともありインサイドではやや不利である。ゆえに高頭の方針でミドルレンジ強化の案が上手くいき、今では長距離ジャンプシュートも危なげなく入るようになってきている。

 小菅も180前後の身長ではあるが、ガードとしては十分な高さで、特にジャンプシュートを得意としており、今年の海南は外からの攻撃が多彩だ。フロント陣もそのまま控えの二年生がレギュラーにあがり、夏までには去年の武藤や高砂と遜色のないレベルに仕上がるだろう。

 見られていることに多少の緊張を覚えているのか、清田は顔を強ばらせつつもミドルレンジを5本連続で決めてガッツポーズをし、ははは、と見ていたらしき神が声をかけてきた。

「信長、最近張り切ってるんだよ」

「神くん……」

 見上げた神は、相当にウエイトトレーニングを積んだのか、去年よりもがっしりした身体付きとなっている。身長も、見た感じでは仙道とほぼ同じだ。体格は去年までなら神の方が細かったが、今は勝るとも劣らない。

「神くんも、そうとう鍛えてるでしょ。去年よりもがっちりしてる」

「元がセンターだから、少しはパワーを付けてインサイドでも貢献しなきゃな、と思ってね。県内には桜木とか、他にもリバウンドの強いフォワードはいるから、まあ勝てないまでも惨敗しないようにね」

 サラッと言った神は、本気で攻守両面の強化を図っており、清田とよく1on1を熱心にやっている場面はつかさも何度も目撃している。事実、つかさも練習を手伝って1on1のディフェンスになることもあったが──、確実に神の突破力は向上している。単なる平面の勝負で自分のディフェンスを突破できる選手はそうはいない。と自負しているつかさにしても、手強い、と思う場面が多々あるのだ。ということは、普段のシュート練習に加えて相当な基礎鍛錬を上乗せしてきているということだ。

「もっちろん! 神さん率いる我が海南は今年こそ全国制覇! この清田信長にバッチリ任せておいてください!!」

 明るい声で清田がそう宣言し、神は困ったように眉尻をさげて周りの部員たちは笑い声をあげた。清田の張り切り具合は、もっとも慕っている神のため、ということもあるのだろう。圧倒的リーダーシップ、というわけではないが、神の人柄にみなが付いていく。今年の海南はよくまとまったいいチームになりそうだ。

 目があった神がニコッと笑い、つかさも笑みを返した。

 そうして思う。──全国制覇。成し遂げられるのはたったの一校。仮に海南と陵南の両方がインターハイ出場を叶えたとして。果たして自分は──、練習に戻った神のスリーポイントを目の留めながら、つかさの脳裏にはふっと仙道の姿が過ぎった。

 

 

 四月に入れば、各学校それぞれ新入部員で賑わう。

 バスケ部に関して言えば、やはり今年も実績が抜きんでている海南に良い新人が集中し、ついで地元のバスケ部で鳴らした人間は公立の湘北を受験して、陵南はそこそこに留まった。いくら天才と呼ばれた仙道を要していても、これはもう知名度の差だろう。

 

 後輩が出来たことで俄然張り切りを増した清田は、連日、熱すぎる後輩指導を繰り返して高頭や神に失笑されていたものの、神並とはいわずとも個人練習量をこなし、朝から晩まで授業を除けばバスケット漬けという生活だ。

 朝、浜ランのあとにオフェンス強化という課題を自らに課した清田は、自主練習のあとに朝練、そして通常練習のあとにさらに自主練というローテーションのきつさに悲鳴を上げながらもなんとかこなしていた。

 そして改めて、神のすごさを知った。毎日、誰よりも早くコートに来て、誰よりも遅く帰る。清田が入学した時には既に神は当然のようにそれを続けていた。そして今は、主将として的確な指示をみなに飛ばし、日課のシュート練習に加えてウエイトトレーニングや攻撃練習も増やしている。

 いつも穏やかで優しくて、そして誰よりも自分に厳しい。──この人のために、ぜったい一緒に勝ち上がりたい。という思いは益々清田の中で膨れあがっていた。

 とはいえ、現実問題──、湘北には忌まわしき敵・流川がいるし、陵南にはあの天才・仙道がいる。他にも緑風や翔陽など神奈川には数多の強豪がひしめいているのだ。が、海南にとって最大の敵となるのは、やはり仙道有する陵南だろう。

 仙道は、今までのバスケ人生において「衝撃」という意味では清田にとって最上位にいる選手だった。去年のインターハイ予選決勝リーグで初めて相まみえた彼は、フォワードからいきなりポイントガードへコンバートしたにも関わらず、当時の神奈川ナンバー1であった紳一と互角の勝負を繰り広げていた。結果として海南は勝利したが、向こうは大黒柱・魚住を失った状態にもかかわらず仙道がゲームをコントロールし、海南と対等の勝負に持ち込んでいたのだ。あんな凄い選手は初めてだ、と息を呑むも、国体の合宿で一緒になった仙道は、気さくでどこか間が抜けていて、けれどもやはり凄くて。神とのコンビネーションもバッチリで、畏怖から憧れに変わった。

 だけど──、だからといって、陵南に負けるのは許されない。

 

「よォし、ハーフコート3on3だ!」

「はい!」

 

 高頭も指示を飛ばしながら、新生海南を満足げに見やっていた。

 新入部員の何人がこの先残れるかはともかくも、レギュラーの面々は個々が力を合わせあい、キャプテン・神のオフェンスを十二分に引き出すよう動くいいチームになりつつある。

 ──神は、本当にこの海南に相応しい、歴代の中でももっとも海南らしいキャプテンとなるだろう、と高頭は見込んでいた。

 海南では到底やっていけないと、初めて神を見たときに思った2年前のことが今はただ懐かしく、自身の見込み違いを自嘲するばかりだ。

 そう、海南の常勝の秘訣は「才能」にあらず。他に勝る努力を続けたもののみが掴み取れる最高の栄誉だ。そこに在るのは他ならぬ努力の結果。

 神は、この高校生活で誰よりも努力をしてきた。もしかすると、自分の監督人生の中でこれほど努力できる選手に出会えたのは初めてのことかもしれない。

 今年も、海南が最強だ。神に、そして清田たちに必ず神奈川の優勝旗を握らせてやりたい。

 懸命にボールを追う彼らを眺めながら、高頭は深く頷いた。

 

 

 仙道の方も海南に負けず劣らず、朝から晩まで生まれて初めてといっていいほどのバスケ漬けの毎日を送っていた。

 自身の部屋はまさに寝るだけの場所と化し、洗濯さえままならないという有様だ。

 釣りももう、なんだかんだ2ヶ月以上やってねえな、と思いつつ朝になるといつものように鳴り響いたアラームを止め、伸びをする。

 浜ランだけは、神奈川に越してきてから続けている習慣だ。とはいえ、それが早朝になるかどうかは気分によって変わっていたが、今は毎日ちゃんと朝練の前に走るようにしている。

 早起きは少々辛いが、なにも考えずに海を見ながら浜辺を走るこの時間は仙道にとっては気に入っている時間だった。

 波の音を聞きながら七里ヶ浜を走るのは心地良い。誰に煩わされることもないし、といつものように海岸線を走っていると、早朝にも関わらず前方から人影が二つ走ってきて、あ、と仙道は足を止めた。

 

「神……! それに、ノブナガ君……」

「仙道……」

「仙道さん……!」

 

 海南の神と清田だ。

 海南と陵南は割と近いとはいえ江ノ島を挟んで反対側のエリアであるため、こうして会うことは珍しい。

 自然、どちらともなく足を止めて、仙道は流れてきた汗を拭った。

「二人おそろいで。はやいな」

「海岸線走ってたら信長と会って、ちょっと遠くまで走ってみようと思ったんだ」

「ああ、なるほど。ここで会ったの初めてだもんな」

 自分よりだいぶん早くから走っていたのだろう。おそらく稲村ヶ崎あたりで折り返してきただろうに、大量の汗を滲ませる神は涼しい顔をしている。それに、前に会った時よりもだいぶん体つきが変わっている。身長は元から同じくらいだったが、体型まで似てきてるな、と観察していると清田が声をあげた。

「仙道さんも走り込みっすか?」

「うん、まあ……そんなトコかな。けっこう好きなんだよな、海沿い走るの」

 笑みを浮かべつつ、ん? と目を凝らす。

「あれ、身長伸びた? ノブナガ君」

 言えば、清田は目を輝かせて跳び上がった。

「あ、やっぱ分かっちゃいます!? オレもようやく180センチの大台に乗ったんすよ! 最終的には神さんや仙道さんくらい欲しいんですけど」

 180センチ──彼とマッチアップするだろう越野とちょっと差が広がったな、などと思いつつシャツの裾で汗を拭ってから、ふ、と息を吐いた。

「じゃ、お互い頑張ろうな」

 そうして先を行こうとすれば、神も頷いて「またな」と返事をし、再び仙道は二人に背を向けて走り始めた。

 が、しばらくすると砂を踏みならす音が不自然に近づいてきて仙道は足を止めた。振り返ると清田が肩で息をしながらこちらに向かってきており、仙道はきょとんとして清田を見据えた。

「せ、仙道さん……!」

 なんだ? と思いつつ瞬きをすると、キ、と顔をあげた清田は強い視線でこちらを睨みあげてきた。

「オレ、仙道さんのことスゲー尊敬してます!」

「え……」

「けど、オレ、ぜったい負けません! 夏に勝つのは、オレたち海南大附属っすから!」

 言って清田は直角に頭を下げ、そうしてUターンして走り去っていってしまった。

 その背を見送って、数秒間、仙道はその場に立ち尽くした。──まいったな、とどうにか呟いてようやくランニングを再開する。

 そういえば、清田は自分を慕ってくれてたような気がする。自分にひたすら立ち向かってくる流川・桜木とは違うタイプの後輩だった。そうだ、清田も海南の有力な戦力だよな、と思いつつ瞳を閉じる。──浮かんできたのは、先ほどの神の姿だ。

 ──神宗一郎。全国一のシューターで、海南大附属のキャプテン。

 おそらく、自分がもっとも「畏怖」を感じている選手は彼だ。選手として、人間として、そして男として。

 なにもかもが自分と正反対の人間だ。生真面目で、こつこつと努力を積み重ねられるタイプで。だというのに、意外なことに彼とは気が合い、ウマが合った。おそらく向こうもそう感じたことだろう。けれども、互いに心のどこかで──負けられない、と思っているのもまた同じだ。

 あの体型の変化を見るに、さらに相当な努力を重ねてきたに違いない。

 海南大附属を18年連続優勝に導かねばならないという重みを背負う神の覚悟は、並大抵ではないだろう。1on1では決して負けない相手ではあるが、一人の人間として、神はすこし怖い。

 それに──。

 

『つかさちゃんが見てたから、ね』

『え……!?』

『"私が出たほうがマシ"って思わせたくないな、ってさ』

 

 ははは、と軽く言っていた神の声を思い出して仙道は唇を結んだ。

 いまも毎日、あの二人は一緒なんだろうな、と過ぎらせて苦笑いを漏らす。

 

 いや、これはただの嫉妬か……と自身に突っ込んで、ひたすら仙道は朝焼けの浜辺を走り続けた。



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34話

 妹の様子が少しおかしい理由など、あまり知りたくないものだ。

 けれどもやはり案じてしまうのは兄に生まれついた性分なのか。

 

 カチャ、と受話器を置いて盛大にため息をついたつかさをソファから見つめ──紳一は読んでいた新聞をパサッとテーブルの上に置いた。

「どうした?」

 声をかければビクッ、と大きく背中が撓り、こちらを向いたつかさがふるふると首を振るう。

「なんでもない……」

 時おり帰宅したあとの夜につかさがどこかに電話をかけている場面を何度か見かけたが、いずれも留守だったようで浮かない顔をしているところを見ていた紳一は、紳一なりに心配していた。

「お前、一昨日もその前も似たようなことやってなかったか?」

 訊ねれば、つかさは困ったような表情を浮かべたあとに小さく首を振るって「そういえば」と口を開いた。

「大ちゃんも忙しいみたいね。寮住まいだっけ? 寝ても覚めてもバスケットな生活なのかな」

 話をそらしたな、と感じた紳一だったが、深く追求することでもないため、そうだな、と相づちを打っておく。

「ま、アイツにとっちゃごく日常のことだろ」

「そうだけど……。でも、寮なら食事の心配とかは平気かな。洗濯物とか」

「子供じゃねえんだし、適当にやるだろ」

 そうだけど、と言いつつつかさの気はどこかそぞろだ。これは、諸星のことを考えているわけではないな、と悟った紳一だったがやはり追求は止めておいた。

 

 そのままつかさはため息をつきつつ、リビングを出ていった。

 

 そうして階段を登り、自室へ戻ったつかさは改めてため息を吐いてベッドに腰を下ろした。

「仙道くん……」

 仙道に、バスケに集中したい、と言われてからすでに二ヶ月以上が経っている。せめて元気にしているかだけでも知りたくて家に電話をすれど、いっこうに繋がらず──毎日遅くまで練習に励んでいるということなのだろう。

 それはそれで、構わない。あまりマメに連絡を取ってくるタイプでもないし、もはや自分のことなど頭から綺麗さっぱり消えている可能性だって否定は出来ない。と、つかさは少しだけ胸に焦燥を募らせた。

 仙道がバスケットに情熱を傾けてくれるのは本望だと言うのに──、しかし、自分が好きになったのはむしろバスケットをあまり頑張っていない仙道で……。いや、もちろん仙道が自ら進んでハードな練習をこなしているのなら、喜ばしいことだ。

 便りがないのは元気な証拠で、夏になれば試合で今よりもっと凄い仙道が見られるなら本望だ、と思うも──やっぱり会いたいな、と膝を抱えた。

 

 海南は、相変わらずのこれといった変化もない学校生活だ。

 大学附属校であるため内部進学を希望する者も多く、三年生となっても他校のように「受験生」というピリピリしたムードはない。

 

 四月下旬の暖かい日、午前の授業を終えたつかさは開いていた教科書をぱたんと閉じた。お昼どうしようかな、などと考えていると同じく昼食に頭を悩ませているらしきクラスメートの声が耳に届き、ふと、とある女生徒が男子生徒の制服の裾を掴んだのが目の端に映った。

 

「ねえ、今日の帰り鎌倉に寄ってこうよー」

「何だよ、あのでかいホットケーキでも食いたいのか?」

「違うよ、ツツジがいま見頃なんだってー」

 

 なんということはない、ごく普通の日常風景だ。

 けれども、つかさは自分でもいっそ驚くほどにその光景に吸い寄せられてしまった。

 ピーコックブルーが踊る海南の制服。陵南は、セーラー服と学ランだっけ、と無意識のうちに浮かべてしまう。

 仙道も、ああやって女の子に話しかけられたりするんだろうか。マイペースだけど、優しいから、きっといつもニコニコしていて女生徒にも男子生徒にも人気があるんだろうな。と、一度も見たことのない教室での仙道の姿を思い浮かべて少しばかり胸に苦みが走った。と、同時に戸惑ってしまう。

 こんなこと、今まで一度も感じたことないというのに。どうかしてる、と首を振るって立ち上がるとそっと教室を出た。

 

 でも、だけど。

 陵南の生徒だったら、毎日会えたのにな……などと考えながら、仙道とは連絡を取れないままにいつも通り学校に通い、ある日の放課後につかさはふとバスケ部の使っている体育館を覗いた。

 陵南の生徒だったら、こうして練習を見に行くこともできるのに。いや、むしろ他のスタメンを鍛えてもっと強いチームに──と目線を鋭くしたつかさの瞳に海南レギュラー陣が映る。

 

「神さん!」

「キャプテン!」

 

 フォーメーションの練習だろうか。周りが声出しをする中、ガード陣がうまいパスマークでディフェンスを切り抜け神にパスを出し、神がインサイドからシュートを決めて思わずつかさは感心しきりに頷いた。

 紳一が抜けることで心配された海南だが、これはオーソドックスなバスケットが出来るいいチームになる。そんな予感がした。なにより神が張り切っている様子が見て取れ、結局つかさは最後まで練習を見届け、神のシュート練習にも付き合った。

「──500!」

 スリーポイントラインから3メートルは離れた場所から神がボールを放ち、すとんと綺麗にリングに収まって、神はホッとしたような息を吐いた。

 去年から既に超ロングレンジを決めていた神だが、安定感が増している。その上、一日の最後の最後、疲れた腕で打った最後のシュートさえ綺麗に決めてしまったのだ。もはや、さすが海南のキャプテン、以外に相応しい言葉が見つからない。

「神くん、すごいな……。あんな距離、私、打ったことない」

「光栄だな。つかさコーチも打てないシュートが打てるなんて」

 帰り道、並んで歩いてそんな話をし、神は冗談めかして笑った。

 神の、さらりとすごい努力をこなせるところは他人にはきっと真似できないだろう。センターは無理だといわれてフォワードにコンバートし、そしてシューターとしての素質を開花させていまや日本一だ。

 ──ある意味、かたくなに諸星に勝つことだけを目標に走り続けて結局は玉砕している自分とは対局にいる人だと思う。成績もいいし、たぶん自分よりよほど頭も良いに違いない、との考えが過ぎったつかさは少々いたたまれなり頬を引きつらせた。

「どうかした?」

「う、ううん、なんでもない」

 疑問を寄せてきた神に慌てて首を振るい、思う。一年の頃、まだベンチ入りさえ叶わなかった頃から神はずっと人一倍バスケットに励んでいたな、と。

 いつも穏やかで優しいのに、人一倍自分に厳しい。と見上げると、目があった神がニコッと微笑んだ。

「牧さん、元気にしてる?」

「うん。毎日サーフィン三昧。休日は卒業祝いだか入学祝いだかで買ってもらった外車に乗ってどっか行ってる……」

「あはは。さすが牧さん、派手だな」

 限りなく大学生活をエンジョイしているらしき紳一の近況を少々苦笑いしながら伝えると、神は軽く笑みを漏らした。

「神くんは……、もうすぐね、予選開始」

「うん、ウチはベスト8からだからまだ時間あるけど……気になるチームもあるから見には行こうと思ってるんだ」

「例えば……?」

「うーん……、下からあがってくるとしたら、緑風、かな。でも、やっぱり一番気になるのは陵南だけど」

「え……」

「仙道は、やっぱり怖いよ。アイツも最後の夏にかけてるだろうしね」

 不意に仙道の名が出てきて、ドクッ、とつかさの心臓が脈打った。対する神はどこか懐かしそうな顔を浮かべている。

「国体の合宿くらいしか一緒に練習したことはないけど、あのときの仙道って誰よりも集中してやってたんだよな。本人は、オレはそんなガラじゃない、とかって言ってたけど……やる気を出したら一番怖いタイプだ」

「そ、そっか……、神くん、仙道くんと仲良かったっけ」

「うん。オレはそう思ってるけど……仙道はどうかな? ま、でも今は敵同士だしね。牧さんと諸星さんみたいにはなれないかもしれない」

「あの二人は……あんまり敵同士って意識はないと思うよ。たぶん、勝ち負けもあんまり気にしてないと思う」

「みたいだね。でも、オレは仙道には負けたくないよ。たぶん、あっちもそうだろうしね。そうそう……少し前に早朝の浜辺でランニングしてる仙道に会ったんだ」

「え……!?」

「あれ毎日やってるんだろうなぁ……なんて思ったら、やっぱオレたちも負けてられないって身の引き締まる思いがしたな」

 なお神が穏やかに笑い、つかさの頬がぴくりと反応する。

「げ、元気だった? 仙道くん」

「? うん。相変わらずだった」

 そっか、とつかさは呟いた。神は怪訝そうな表情を一瞬浮かべたものの、ふ、とまた笑みを浮かべる。

「仙道とは同じ学年で、ポジションも被ってるけど、あっちはルーキー時代から天才って言われてて特別だったからな。遠い存在すぎて意識したことはなかったんだけど、今は良いライバルだと思ってるんだ。そんな風に思えるようになったことは、ちょっと嬉しいかな」

 おそらく、国体で仙道と一緒にプレイしたことは神にとっては良い刺激になったのだろう。

 こうして、神が仙道のことを話してくれるのはなんだか嬉しい。

 きっと神の頭の中にいる仙道は、とても気高く崇高な場所に棲んでいるのだろうな、と思う。だって、王者・海南のキャプテンだというのに、彼はどこか挑戦者のようなのだから。でも、この慢心のなさこそが海南の伝統──、やはり、神は紛れもない海南のキャプテンだ。

 素敵だな、と素直に思った。

 家まで送ってくれた神に手を振って、ふと手を下ろしてからため息を吐く。

「仙道くん……」

 予選が始まれば、ベスト8戦まで待てば、会える……けど。

 いっそ仙道の望んでいたようにご飯でも作りにいってやろうか。などと一瞬考えてしまい、我ながらおかしさに自嘲した。

 

 

 だけど──。

 

 朝から晩までバスケットに明け暮れていた自分の14歳までの生活を思い返せば──、仙道の忙しさは理解できる。

 しかし、一応は彼氏彼女という関係で三ヶ月近く一切なんの連絡も取れないというのは、果たして普通のことなのか?

 いまいち分からない、とつかさはゴールデンウィーク直前の学校の教室でしかめっ面をして突っ伏していた。

 たぶん、誰に聞いても「普通ではない」という答えになるだろうが、そんなことはどうでもいいのだ。

 会えないのは、平気だ。仙道がバスケットを頑張るのは嬉しい。

 でも、やっぱり気にはなる。そんなにバスケットに熱中してるなら、どれだけ上手くなっているかという単純な仙道への選手としての興味と、元気にしているかどうか気がかりなのと──。

 いや、やっぱりダメだ。気になって気になって仕方がない。このまま二ヶ月近く先のベスト8戦までぐだぐだ考え込んで過ごすのはぜったいに良くない。

「練習、覗くくらいなら……」

 いいよね、とつかさは授業が終わるとそのまま駅に向かい、取りあえず藤沢駅に向かった。江ノ電に乗り換えて、陵南高校前を目指す。

 江ノ電からいつものジョギングコースをぼんやり見つめ、陵南高校前駅に着いて降車すると、不意に心拍数があがってくる。

 駅から出て、すぐ横の坂をあがれば陵南高校だ。

 何度か登ったことのある坂。一度目は陵南VS湘北の練習試合観戦、二度目はインターハイ出場が叶わず部活を休みがちだった仙道を案じて、そして──と歩む道。この道を毎日仙道が通っていると思うと、少しくすぐったい気分になる。これはやっぱり、仙道のことが好きだからなんだろうな、と歩いていく突き当たりに校門が見え、さらに登れば校舎が見えてきた。

 グラウンドの奥にある体育館が、いつもバスケ部が使用しているものだ。

 さすがにインターハイ予選前。グラウンドでは野球部やサッカー部がそれぞれ練習に精を出している。

 体育館に近づくと、聞き慣れたボールの音が聞こえてきた。

 そうして、今さらながら緊張が全身を走ってつかさはギュッと手を胸の辺りで握りしめた。

 3ヶ月近く会ってないせいだろうか、いきなり現れて迷惑だろうか。ちょっと、怖い。なんてこんな思考に入り込む時点で、あまりに不安定だ。勉強でも、バスケットでも、こんな感情は知らなかった、と唇をキュッと結ぶも、そっと見るくらいなら、と開いた扉から中をうかがう。

 校舎側の扉の付近には見学している女生徒もいるようだ。セーラー服が視界にいくつか映って──その前を走り抜ける選手たちの姿を目で捉え、つかさの目は自然と見開かれた。

 奥のコートでは、おそらく有力選手がオールコートでの5on5、手前のコートでは他の選手が基礎練習をしている。

 越野、福田、植草──それに仙道。見知った姿が奥のコートで駆けているのを見て、つかさは目を見張った。

「福田くん……、ディフェンス頑張ってる……!!」

 ディフェンスでの福田の動きが向上している。今も必死に越野を抑えようとして……と見ていると越野がディフェンスをかわしてジャンプシュートを決めて、おお、とつかさは感嘆の息を漏らした。

 越野がミドルを決めるとは──、もしかして、けっこう陵南も上手くなっているのでは、と逸る気持ちからつい身を乗り出してしまう。

 それに、どうやら仙道も元気そうだ。キャプテンらしく声がけしながらコートを駆ける姿を目に留めて、つかさはほっと胸をなで下ろした。

 監督の田岡がなにやら仙道を囲むよう指示を出している。仙道に楽をさせるなッ、と声が飛び──仙道は4枚に囲まれて切り抜けようと機を伺っている。

 ゾーンをかわすのはちょっと厳しいかな、と見ていると、仙道はクロスオーバーであっさり二人抜き──フェイントとロッカーモーションで他をかいくぐって一気にゴールしたに躍り出て鮮やかなダンクシュートを見せた。と同時に彼らのそばにいた女生徒達が色めき立った。

 

「ナイスダンクッ! 仙道くんッ!」

 

 つかさにしても思わず叫ばずにはいられないほど鮮やかなプレイで──、女生徒の黄色い歓声に混じって声を弾ませた直後に我に返ってハッとする。

 しまった、と思ったときには奥のコートからこちらを向いた仙道と目が合い、目を見開いた仙道につかさは後ずさりした。

「つかさちゃん……?」

 まずい。でも、このまま逃げるのは。と逡巡している間に仙道は扉のそばまで歩いてきて、つかさはごくりと喉を鳴らした。

 3ヶ月ぶりに見る仙道──いやでも心拍数があがってくる。

「どうしたんだ……、急に」

「そ、その……仙道くんがどうしてるか気になって……。声、かけるつもりはなかったんだけど……」

 言葉がそれ以上続かず、じっと仙道を見やっていると仙道とは別のバッシュの床をこする音がこちらに近づいてきた。かと思えばそれは仙道を押しのけるようにして割って入ってくる。

「なんで海南の女がこんなとこにいんだよ!?」

 越野だ。えらく眉をつり上げており、あからさまに不快そうな表情を浮かべている。

「スパイか、お前!? オレたちは夏の予選に向けていま手が放せねえんだ。お前、バスケ部の身内だろッ!?」

「よ、よせ、越野──」

 仙道が慌てて止めに入ったが、越野の反応も当然だな、とつかさは唇をキュッと結んだ。無意識に一歩後ずさると仙道が身を乗り出してくる。

「つかさちゃん……!」

「ごめんなさい、急に来ちゃって。……でも安心した、仙道くん、元気そうで。練習、頑張ってね」

 無理矢理に笑みを浮かべて、「じゃあ」と言い残し体育館に背を向ける。後ろで仙道が引き留めたような気配が伝ったが、そのまま小走りで校外に向かう。

 

「つかさちゃん!」

「やめろって、仙道!」

 

 つかさを追おうとする仙道を制止して体育館に押し込み、越野はバタンと勢いよく扉を閉めてしまった。

 気づけば越野の大声のせいか、全員がぽかんとこちらに注目している。当の越野は気にするそぶりもなく、仙道を睨みあげた。

「仙道、お前……今がどんな時期か分かってんのか? 女にうつつ抜かしてる場合じゃねえだろ!」

 一蹴して越野は風を切りながら元のコートの方へ戻り、しばしその背を見送ってから仙道も、ふ、と息を吐いた。

 

「そうだな……」

 

 つかさは駅の付近まで小走りで駆け、遮断機の音を耳に入れながら肩で息をしていた。

 はぁ、と息をついて肩を落とす。

 やっぱり行くべきではなかったかな、と。仙道も困惑させてしまったし、越野にも申し訳なかった。

「海南のスパイ、か……」

 ふと自身の身に纏う海南の制服を見て、呟く。海南は母校で、海南のバスケ部も大事だが、でも……やはり、自分は陵南のインターハイ進出を望んでいる。

 でもそれは、海南より? 神たちよりもか? と考えてしまって首を振るう。いま、そんなことを考えるのはよそう、と踏切を乗り越えて海岸線に出た。

 人と付き合うのって難しいな、ととぼとぼ歩きながら俯く。やっぱり親元に帰ろうかな、とつい考えてしまう辺り自分の思考回路は14歳の頃とあまり変わっていないのかもしれない。いっそ紳一が勧めるようにサーフィンでも始めてみようか、などと無理やりに考えてどうにか意識をそらそうとした。

 

 一方の陵南バスケ部では、休憩に入ると部員たちがこぞってヒソヒソと話を始めた。

「なんや仙道さん、ちょっと様子が変なんとちゃいます?」

 彦一がこぼせば、福田の色のない目線は越野の方に向いた。

「アイツのせいだ……」

 う、と指摘された越野は苦い顔をした。

「なんだよ! オレは別に……」

「牧つかさは、スパイとかそんなんじゃない。仙道のことを、本当に買っている」

 福田としては、つかさの想い──陵南をインターハイに行かせたい──ということを知っているためにこぼした言葉だったが、当の越野はそんなことは知らない。

 越野の知っているつかさの情報は、海南の牧紳一の妹ということと、仙道が彼女にずっとちょっかいをかけていたということのみだ。

 越野としては3年目にして初めてやる気らしいやる気を出している仙道の状態が嬉しく、チームとしてもインターハイ出場のみならず制覇を目標として励んでいる状態で──仙道がなぜ急にやる気を出したかは定かではないが、その理由は「陵南のため」だけであって欲しい、というのが正直なところだ。

 間違っても、彼女のため、などと言っているところは聞きたくない。

 とはいえ、言い過ぎたかな、と少しばかり後悔が胸を苛む。短気なのは重々承知しているとはいえ、そう簡単には直せないものだ。

 部活が終わる頃には越野もだいぶん冷静さを取り戻し、不味かったな、という思いが勝っていた。

 ほんの少し気まずいまま、仙道や植草たちと居残り練習をこなし、どっぷり暮れたところで学校を出て、なんとなくみなで揃って歩きつつ駅のそばの分かれ目まで来てようやく越野は仙道に声をかけた。

「仙道……」

「ん……?」

「その……。悪かったな、さっき」

 少し目をそらしがちに言えば、仙道は意外そうに目を見開いたのちに小さく首を振るって笑みを浮かべた。

「いや……、オレは謝られる側じゃねえよ」

「だ、だったらお前、伝えとけよ。悪かったって」

 ぶすっとして言えば、ははっ、と仙道は笑って「じゃーな」と電車通学組を残して先に行ってしまった。

 

 越野がどうも腑に落ちない、とほっぺたを掻いているころ、仙道はぼんやり漆黒に染まる海を見つめながら自分のアパートへの道を歩いていた。

 久々に見たな、つかさの顔。と思い浮かべると自然と眉が寄ってきて、部屋に辿り着いて荷物を置き、大きなため息をつく。

 食事を用意するのも億劫だ。レトルトのカレーがあったっけ、などと考えつつ手を洗って洗濯物を洗濯機に放り込む。

 この数ヶ月、ずっとこんな生活だ。部屋には寝に帰ってくるだけ。バスケットに身を捧げる生活とはこういうことを言うのだろうか。だとしたら、これを平然とやってのける人間はやっぱり理解できないと思う。

 

『でも安心した、仙道くん、元気そうで』

 

 最後につかさに会ったのは、二月の頭だったか──とベッドサイドに近づいて、置いてあった、この部屋にはおよそ似つかわしくないシュシュを手に取った。先日、つかさが忘れていったものだ。よくこれでサイドに髪を束ねてたっけ、と浮かべて自嘲する。

 髪、本当に伸びたよな……、とビデオの中の少年のようだったつかさの姿を浮かべる。

 ──エース・オブ・エース。それになろうと思ったら、今まで自分が思っていた「覚悟」以上の覚悟が必要だと悟った。

 彼女は、天才だ。少なくとも、天才だった。その彼女が、自分を見込んでくれた。選手としての自分を気に入った彼女は、「仙道彰」本人には全く興味を持ってくれずに──そしていま、ようやく好きになってくれた。

 そうして自分は、裏腹に彼女の選手としてのすごさを気づかされた。生半可な気持ちではいけない、と思い知らされたのだ。

 二年前に一目惚れした時、本気でなかったわけではない。でも、自分の中で本気の度合いが増すにつれて、彼女が見込んでくれた「選手」としても彼女に応えたいと思うようになった。

 無意識に諸星に対抗してアウトサイドシュートを強化し、国体では諸星以上のパフォーマンスを演じられたつもりだが、結局はまだ足りない。

 彼女と同じ、「天才」と呼ばれているだけで、何かを成し遂げたわけではないのだ。まして、何かに一途に打ち込んだことも──。

 そっとシュシュを手にとって、仙道は眉を寄せる。

 泣きそうな笑顔だった。越野に責められて、悲痛な顔を向けていた。──初めて彼女を見たとき、あまりに辛そうにバスケをしていて、自分がきっと笑わせてみせる、などと意気込んでいたというのに、その自分こそがあの表情の原因を作ったのだ。

 そういえば中学の時、付き合ってた彼女にこう言われて振られたっけ。バスケットばっかり、ちっとも構ってくれない。なにを考えてるのか分からない。本当に私のこと好きなの? と。

 つかさはたぶん、本人がそう言っていたように、バスケットに精を出して多忙な事を攻めはしないだろう。

 ただ、やっぱり不安にさせたと思う。ただでさえいい加減に見えるらしい自分に、3ヶ月近く連絡も取れずに──。

「てか……、マジで牧さんに殺されるかもしんねえ」

 端から見れば、初な少女に手を出したあげくに捨てた男と思われても仕方ない。怒り狂う紳一を想像することで仙道はどうにか苦笑いを漏らした。

 まったく逆だ。もしもこれで愛想でも尽かされたら──たぶん、倒れるな。と、めまいがしそうな思いで仙道は自身の額を押さえた。



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35話

 つかさが陵南へ出向いた翌日──夜。

 

「はい、牧です。──おう、なんだお前か。あ? ああ、いるぞ」

 

 牧家のリビングに電話が鳴り響き、ちょうどそばにいた紳一が受話器を取った。

 ソファでぼんやりしていたつかさは、紳一の自身を呼ぶ声にパッと顔を上げる。

「電話だぞ。仙道から」

 瞬間、つかさの全身がビクッと撓った。忙しいはずの仙道から電話。なんだろう。やはり昨日のことだろうか?

 ほら、と紳一が促して渋々つかさは腰をあげた。逃げるわけにもいかない。

「もしもし……」

 おそるおそる受話器を手に取ると、聞き慣れた仙道の低い声が響いてくる。

「あ、つかさちゃん? 昨日はごめん、せっかく来てくれたってのに」

「ううん。私の方こそ、急にごめんなさい。越野くんにも謝っておいて……、練習の邪魔して悪かった、って」

「ああ、いや……。越野も別に気にしちゃいないって」

 カタ、とコインの落ちるような音が聞こえた。おそらく学校からかけてきているのだろう。ちょうど部活の終わった頃だ。居残り練習の前に時間を作ったのだろうか。

 どうしたのかと問うと、あまり時間がなかったのか仙道は話を切りだした。

「うん。ちょっとつかさちゃんに話があるんだけど……」

「話?」

「直接、話したいから時間作ってもらえねえかな。そうだな……、土曜の、練習明け直後ならオレも少しは時間作れる。どう?」

「土曜……。うん、大丈夫……」

 じゃあ土曜の6時に、駅前の浜辺で。と電話を切り、つかさは思わず肩を落とした。

 このタイミングで──悪い話じゃないといいんだけど、と考えていると、どうした? と紳一が声をかけてくる。

「仙道となにかあったのか?」

 思い切り訝しがっている視線の紳一と目が合い、う、とつかさはおののいた。

「な、なんでもないよ……!」

 追求の目線を逃れるようにリビングを出て自室に向かう。

 話ってなんだろう? 昨日の今日で──、これはドラマなどでよくある修羅場というものなのか? いやいや、まさか。

 たかだか放課後の練習を覗きに行っただけでそんな大事になるほうがおかしい。だけど、なまじ三ヶ月も顔を合わせてなかっただけに──。

「…………」

 考えているとだんだん悪い想像ばかり出てきて目線が下がり、ハッとしてつかさは首を振るった。いけない。分からないことをいくら考えていてもダメだ。

「勉強しよ……」

 切り替えて適当に参考書を手に取り、読みふけることでつかさは雑念を頭から飛ばした。

 

 いよいよ予選開幕を直前に控えたゴールデンウィーク初めの土曜。

 暮れてきた空を見つつ、つかさは江ノ電・陵南高校前駅を目指して歩いていた。

 この海岸線は家から陵南方面に向かう歩き慣れた道。だけど仙道に会う目的で歩くのは、実に3ヶ月ぶりか、と頬を撫でる生ぬるい風を受けて思う。3ヶ月前の今ごろは、まだ真冬の底冷えが酷い極寒の夕暮れだった。その違いに、随分と時間が経ったことをより実感させられる。

 あの頃よりは波乗りに励むサーファーも増え、散歩の人たちともすれ違いつつ歩いていけば駅が見えてきた。

 駅前の横断歩道を渡り、つかさは砂浜に降りるための階段に続く出っ張り部分で足を止めた。くるりと後ろを向けば、視界に遮断機の先の坂が映る。あの坂を登っていけば陵南高校だ。

 本当に陵南は立地に恵まれているな、と羨ましく感じつつ海の方へ視線を投げる。じき日の入りだ。今日の部活は18時までと言っていた。おそらく仙道がやってくるのは日の入り時刻とそう変わらないだろう。

 ぼんやりと海を見やっていると、やたらと波の音が耳に入り込んでくる。いっそうるさいほどだ。──と感じて、つかさはハッとしつつ薄く笑った。波の音をうるさく感じたり、沈みゆく太陽を綺麗だと感じる程度には今の自分には余裕があるのだ。バスケットを止めるまで、バスケット以外のものは自分の中にはおおよそ存在していなかったのだから。バスケット以外のことを頭に入れる余地などなかった。だが、ただ、まだこの余裕の上手い使い方を分かってはいないのかもしれない。

 沈んじゃったな、太陽。と水平線を眺めていると、遠くから急ぐような足音が確かに聞こえてきて、つかさは振り返った。すると遮断機の向こうに足早に坂を下りてくるジャージ姿の仙道の姿が見え──、仙道もこちらに気づいたのか遠くでホッとしたような笑みをこぼした。

 つ、とその笑みでつかさは息を詰めた。どうやら悪い話ではないらしい。もどかしそうにこちらへ急ぐ仙道に笑みを向けて、横断歩道を駆けてくる仙道に数歩歩み寄った。

「ワリぃ、遅くなった」

 肩で息をしながら笑う仙道は、あの坂の上の学校から駆けてきたのだろう。ううん、とつかさは首を振るう。

「この前は、本当にごめんね。越野くん、怒ってないといいんだけど……」

「え……!?」

 すると仙道はキョトンとしたのちに、いつもの調子で笑い始める。

「相変わらず真面目だな、つかさちゃんは。まだ気にしてんのか」

 ははは、と笑い飛ばされてつかさはばつの悪い表情を浮かべたと同時にホッと胸を撫で下ろした。仙道の笑顔を見るのは、本当に久しぶりだ。じんと胸が熱くなってくる。

「ん……?」

 どうかしたのか、と問おうとしたらしき仙道の胸に、そっとつかさは額をついてキュッと手を背中に回した。走った直後だからか体温が高い。うっすらと汗のにおいがする。

「つかさちゃん……?」

 大きな身体だ。こうして仙道の鼓動を感じるのも久しぶり。

「……仙道くんだ……」

 やっぱり、会いたかったんだな……と、確認するようにつかさは仙道の名を呟いた。

 すると仙道はぽんぽんとそっと後頭部を優しく撫でてくれた。たぶん頭上で笑ってるんだろうな、と思いつつつかさは瞳をつぶる。そうしてしばらくして顔をあげると笑みを浮かべた仙道と目が合って、仙道はそっとつかさの身体を離して海原の方へと目線を流した。自然、つかさもそれに続いて並んで夕焼けの海を眺める。

「ごめん……」

「え……?」

「さすがに、三ヶ月も連絡取らなかったのは、ないよな。ワリぃ」

 自嘲気味に言われ、つかさは小さく首を振るう。

「ううん。……何度か、家に電話してみたんだけど、繋がらなかったから、たぶん、夜遅くまで練習してるんだろうな、って思ってた」

「そっか……。もし夕飯くらいの時間だったら、たぶん学校にいて電話取れなかったんだと思う。つーか、今日もまたすぐ学校戻んなくちゃなんねえから、あんま時間取れねえんだけど……」

 申し訳なさそうに言われ、あ、とつかさは仙道に向き直った。

「そっか。話があるって言ってたもんね……」

 なに? と促すと、仙道は少しつかさから目線を外した。つかさが僅かに首を捻ると、仙道はスッとポケットから何かを取り出して、つかさのワンサイドに寄せていた髪にスッと手を伸ばした。

 目を見開いて数秒、仙道が手を離し、つかさが目線を下げると自分のものとおぼしきシュシュで髪がまとめられていて、再度目線を仙道に向ける。

「それ、忘れてっただろ」

 この前、と仙道が続けてつかさは瞬きをした。用事とは、シュシュを自分に返すためだったのだろうか?

「髪、伸びたなぁ……つかさちゃん」

「え……?」

 うっすら笑みを湛えて噛みしめるように言われ、つかさは首を捻りつつ束ねられた髪に手をやる。確かに仙道に初めて会った二年前から切っていないし、伸びたと言えば伸びたが──。

「そうかな……? そろそろ切った方がいいかな……」

 一応は見苦しくない程度に手入れはしているものの、バスケを止めた中二の晩夏から何となく伸ばし始めたというだけで特に髪型にこだわりはない。ショートに戻してもいいかな、などと思案していると仙道は小さく首を振るう。

「いや、似合ってるぜ、長い髪」

「そ、そう……?」

 まあどっちでもいいし、いいか、と返事をしつつ、何となく要領を得ないなぁ、とじっと仙道を見つめていると、ふ、と仙道は口の端をあげて目線だけ海へと戻した。

「オレ……、夏が終わったら引退しようと思ってんだ」

 あまりに突然すぎる言葉だ。つかさはすぐには反応出来ず、目を見開いたまま少々間の抜けた声を漏らした。

「え……。こ、国体とか……選抜は……?」

「うん。出ねえな」

 ははは、となお仙道は軽く笑った。

「バスケも高校でやめる。あ、いや、遊びではやるかもしんねえけど、本格的にやるのは夏までだな」

 聞きながら、つかさは以前「大学で続けるかは分からない」と言っていた仙道を思いだした。そして、仙道の好きにすればいい、と答えたことも。

 仙道は、相談しているわけではない。報告しているだけなのだ。つまり、もう、彼の中で既に結論を出してしまっているのだろう。

「そっか……」

 だから最後のバスケットに脇目もふらず賭けているのか──とつかさは理解した。これを最後と決めたからこそ、全てを賭けることができているのだろう。仙道は、そういうタイプだ。

「だから、夏が終わるまでは今の生活スタイルでいくから……、こうやって会ったりは夏が終わるまでできねえと思うけど……それこそ、電話すら無理っつーか……」

 言いづらそうに言われて、つかさはハッとした。仙道はこのことを話したかったのだろう。

 仙道が現役を引退してしまうことは、バスケット選手として仙道のすごさを知っている身としては残念ではあるが──、仙道本人を良く知っている身としては、やはりいずれはこうなることも予測できたことだ。

 ならば、最後に全力で駆けてくれるなら、それは嬉しい、とつかさは首を振った。

「ううん! 前も言ったけど、私、仙道くんがバスケットを頑張ってくれるなら嬉しい……! だから平気」

 すると仙道もホッとしたような息を吐いて、眉尻を下げて明るく笑った。

「サンキュ。その代わり、今年こそ勝つ。必ずな!」

「──うん」 

 こんな風に宣言する仙道は珍しい。やはり今までと意気込みが違うという現れだろうか。頷くと、仙道はなお口の端をあげた。

「だから……、夏が終わったら……」

「うん……」

「夏が終わったら、ずっと一緒にいよう」

 真っ直ぐ、真っ直ぐな瞳でそう言われて、つかさはこれ以上ないほど目を見開いた後に口元に手を当てて頬を緩ませた。

「うん……!」

 頷くと、仙道も笑って頷き、そして急くようにして部活へと戻っていた。

 手を振って見送って──つかさは仙道の背が見えなくなっても、陵南へと続く坂を茜色の空間の中で見つめ続けた。

 

「お、仙道」

 

 一方の仙道は部活終了後に一時的に抜けてきただけであり、そのまま自主練のために体育館へと戻った。中へ入れば、他の残っていたレギュラーのメンバーが体育館脇に腰を下ろしてエネルギー補給に勤しんでいる様子が目に飛び込んでくる。

 通常練習のあと、こうして少し休憩を取ってから自主練習を行う。土日問わず最近の日課だ。

「慌ててどっか行くから、帰ったのかと思ったぜ」

 パンを頬張りながら越野が見上げてきて、仙道は肩を竦めてみせる。

「ちょっとな……」

 すると、ん? と越野はさらに睨みあげるような仕草を見せた。

「お前……、顔赤いぞ。風邪か?」

 指摘され、仙道はハッとする。いや、まさか、と視線を泳がせつつ取りあえず笑ってみせた。

「走ってきたからな。そのせいだろ」

 すると越野は、ふーん、とさして興味もなさそうに話題を変え、仙道は首に手をあてて明後日の方を見やった。

「まいったな……」

 そうして2時間ほど汗を流し、ようやく帰宅が叶った。

 真っ先にシャワーを浴びて、取り込んだ洗濯物を片づけつつ、ふ、と思い出す。

 

『……仙道くんだ……』

 

 噛みしめるような声だった。まるで存在を確かめるように、自身を抱きしめたつかさの身体から柔らかさと温かさが薄いシャツ越しに伝って──、危なかった、と首に手をやる。

 なるべく触れないように気を付けていたが、もし抱きしめ返していたらアウトだったな、と思う。たぶん、練習など投げ出して彼女をこの部屋に連れ帰ってただろうな、と想像してしまい仙道は「やべ……」と頭を抱えた。

 せっかく全エネルギーをバスケットに注いでいるというのに。こういう生活が初めてのせいか、いま、つかさにちょっとでも触れたら自分を抑えきれる自信が全くない。やはり、夏まで接触を断つのは正解だと思う。

 いかんいかん、と首を振るう。

 じき、インターハイ予選が始まるのだ。

 今のチームでインターハイに行き、そして──つかさのように。彼女が出来なかった、彼女の望んだような舞台を見せてやりたい。

 誰にも負けない。エースの中の、エースに──。いま考えることはそれだけでいい。と仙道はきつく頷いた。

 

 

 インターハイ予選が始まっても、陵南はベスト8からの登場であるため6月の中旬までは調整に費やせる。

 監督の田岡は自身のチームの順調な仕上がりに、満足気味に練習を見やっていた。

 就任当初は全く身の入っていなかったキャプテン・仙道も今や立派に率先してチームを引っ張っており、特にセンター・菅平のレベルアップに余念がない。根気強く監督である自分と共に指導にあたってくれ、昨年の魚住までもとは言わずとも菅平自身も柔らかみのある良いセンターになりつつある。

 それにしても仙道自身──、我が教え子ながら末恐ろしい、と思う。

 ディフェンスはさらに強化され、どちらかというとスラッシャータイプだったというのに攻撃範囲がさらに外に広がって、最大の欠点であった「ムラッ気」さえも影を潜め、もはや選手として欠点が見あたらない。

「行けるぞ、今年こそ……!」

 ごくりと田岡は喉を鳴らした。

 これも嬉しい誤算だったが、秋の国体以後、福田がなぜかディフェンスに目覚め積極的に指示を仰ぐようになったのだ。

 厳しいことを言うとすぐにへそを曲げる福田だけに、田岡自身、慎重に慎重を重ねて地味だが確実にプラスになるトレーニング方法を伝え、練習中に良い動きをすれば積極的に誉めることで福田のやる気を繋げようとした。が、どうやら杞憂に終わったようで自身できちんと基礎練習の反復をしているらしく、結果はちゃんと出ている。国体が良い刺激になったのだろう。

 が──。いま眼前でディフェンスに囲まれ、振り向きざまにジャンプシュートを打って見事外した福田を目の当たりにし田岡は思わず声をあげた。

 

「福田! 無理して打たずに、ちゃんとチャンスを待て!」

 

 言われた福田は外したボールを見て、チッ、と舌打ちをしつつ仏頂面でボールを拾う。

 すると仙道が声をかけてきた。

「ドンマイ、福田。けど先生の言うことももっともだ。そうむやみにミドルのターンアラウンドはやるもんじゃない」

 む、と福田は仙道を睨み付ける。

「牧つかさは、あのくらいできてた」

 ミドルのターンアラウンドシュート。──振り向きざまに打つジャンプシュート。ミドルレンジから決められれば、そうとうな武器になる。

 言われて、仙道は困ったような顔をした。

「まあ……、彼女は、巧いからな……」

 彼女"も"だろ、と福田はため息をつく。仙道も、やろうと思えば容易くできるはずだ。

「お前……、やるときはどうやる?」

「え……? えー……」

 聞けば仙道はあごに手をやった。つかさと違い、「なんとなく」で全てやってのけそうな仙道は自身の感覚の説明が難しいらしく、それゆえ指導を放棄しているところがあったが、最近は割とキャプテンらしくなんとか言葉にする努力をしている。

 ジッと答えを待っていると、うーん、となお仙道は唸った。

「まず、リングと自分の間の距離をきっちり掴めるかどうかだろうな。自分がどの位置でジャンプして、リングまでの距離はどのくらいか頭で把握してるっつーか」

「同じこと言ってるぞ」

「は……?」

「牧つかさとだ」

 言えば、きょとんとした仙道は少し目元を緩ませて目線を泳がせた。全く。べた惚れなのがバレバレだ、と福田はフーとため息を吐く。

「ま、どっちにしろ……海南のガードもその程度は出来るようになってると思っておいた方がいい」

「あ……そうか。ノブナガ君にも、つかさちゃんが付きっきりで教えてたっけ」

「過去形じゃない。アイツらは、あくまで海南同士だ。オレがもし……」

「ん……?」

 そこで福田は言葉を止め、「いや、いい」とくるりと仙道に背を向けた。

 自分がもし海南の生徒だったら、おそらく恥を忍んでも教えを請うだろう。それほど、攻守において彼女の持っていた技術は本物だった。

 

『今は、練習時間外だから、個人的なことを言うね──』

『お願い……! 仙道くんを、助けてあげて……!』

 

 つかさがもし男で、もし陵南の生徒だったら、自らがそうしたのだろう。が、陵南は海南の敵。アドバイスをするのは国体の間だけだ、と彼女は暗に言っていた。

 そして例え、仙道の勝利を願っていても、海南に請われれば彼女は手助けは惜しまないのだろう。海南の弱点は、ほぼ潰されているとみていい。

 それに、新キャプテンの神は、良く知っている。大人しい表面からは考えも及ばないほどの強い意志を秘めた、強い人間だ。きっと、強固なチームを作り上げて来るに違いない。

 陵南に必要なのは、仙道に頼り切らない強さ。そして──ディフェンス。

 

『ディフェンスさえちゃんとすれば、プラスにならなくてもマイナスになることはない。きっちり抑えて、チャンスで確実に一本。これでいいから』

 

 国体の合宿で一軍VS二軍の練習試合をしたとき、つかさはそう指示していた。

 地力で勝る相手に立ち向かえるのはディフェンスがいいことが条件。

 考えるのだ。──自分には仙道という絶好の手本が身近にいる。どう動き、どう止めればいいのかちゃんと考えて守れば、少しはマシになるはず。と福田は再びコートに入っていった。

 

 

 ゴールデンウィーク以降、つかさはバッシュを持参して学校に通うことが多くなっていた。

 自主練習の相手になって欲しい、と頼まれる機会が増え、むげにもできないからだ。

 とはいえ、出来ることはパス出しか、シュート練習を見るか、ディフェンスの相手になるくらいしかないのだが──と思いつつも、まだまだ自身の持っている攻撃の多様性だけは負けていない自信がある。おそらく彼らもそれを理解して欲しているのだろう。

 つまるところ、攻撃パターンを増やしたいのだろうな──とガード陣、清田と小菅の練習後の自主練習を見ていて思う。

 ディフェンスを突破できない時。オーバータームが迫ったとき。ディフェンスに背中を預けてドリブルしつつ、一瞬外してシュートを打つのは定石だが──。

「ああッ──!」

 ガツン、とリングに嫌われた清田の放ったボールを見てつかさは肩を竦め、清田は髪をくしゃくしゃにして叫ぶ。

「なぜだーッ!?」

 ノーマルフォーム以外から打つジャンプシュートは難しいと言えば難しく。上背のない清田はマッチアップの相手次第で相当なクイックモーションを求められるため、さらに難易度はあがる。

「ドリブルしてる時に、ちゃんと自分の立ってる場所を確認して──そして、打つ」

 ボールを持ってつかさは清田を背にドリブルしてみせ、言い終わると同時にくるりと背後を向いてシュートを放った。スパッとリングを通って、ぐ、と清田が喉を鳴らす。

「なんで入るんすかッ!?」

「れ……練習……?」

 言えば、くそー、と清田は再びボールを手に取った。

「もう一本、お願いします!」

 海南のシステマチックで激しい練習を終えたあとにこの動き。神も相当だが清田の体力もそうとうにタフだ。それに、インサイドの選手としては上背はないが、去年より身長も伸び2番としてならまずまずの状態になっている。ゴール下のパワー合戦にあまり参加できない分、練習を重ねていたシュートレンジも確実に伸びている。

 加えて、ポイントガードの小菅は神には及ばずともガードとして申し分ないレベルでシュートが上手い。

 ──ガード陣はおそらく陵南より上、だな。とつかさもボールを追いつつ感じた。

 湘北はどうだろうか? 宮城がどう変わっているかはわからないが、シュートエリアが狭い限り、距離を置いて守ればそう怖くない選手だ。速いだけに張り付くと抜かれる危険性が高い厄介さもあるが、ある意味対策がし易い。と脳裏に湘北のメンバーを浮かべた。

 湘北の去年の控えには大きな選手はいなかった。桜木の状態が怪我以前に戻っているとしても、インサイドは明らかに力不足。めぼしいルーキーが入ったという噂も聞かない。流川・宮城のコンビネーションさえ止めれば、今年の湘北はそう怖くはないはず。

 やはり、海南最大の敵は陵南ということか──と、つかさはちらりと神を見やった。

 

『オレは仙道には負けたくないよ。たぶん、あっちもそうだろうしね』

 

 仙道を、良いライバルだと言った神。

 神にかかっているプレッシャーはおそらく、仙道の比ではない。勝って欲しいとは思うが……でも。

 スパッと超ロングレンジを鮮やかに決めた神を見て、つかさはギュッと手を握りしめた。



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36話

 五月も中旬に入れば、いよいよインターハイ予選が始まる。

 

「お兄ちゃん、大学は?」

 大会初日、なにやらトーナメント表をチェックしていそいそと出かける準備をしている紳一につかさは声をかけた。

「今日は午後の1コマだけだ」

「ほんとう……?」

 ジトッとつかさは紳一を睨んだ。浮き足立っている様子の紳一は、やはり予選開幕に気持ちが逸っているのだろう。

 まあいいか、とつかさもトーナメント表を見やる。

「一回戦から見に行くの?」

「ああ、緑風の試合を見ておこうと思ってな」

「あ、神くんも行くって言ってた。まあ、勝ち上がっては来そうなチームよね。選抜の時はキャプテン不在だったみたいだし」

「あそこのセンターは、いま県で一番でかいからな」

「フォワードのキャプテンがものすごく強いって、そういえば三井さんが言ってたよ。克美くんもけっこう良いシューターだしね、背も高いし」

「克美か……、もしあがってくりゃ清田がマッチアップすんのか」

 つかさが口元に手を当てると、フー、と紳一は息を吐きながら渋い顔をした。つかさはとっさにフォローする。

「あ、でも、清田くん頑張ってるし、成長してるよ!」

「どうだかな……」

 紳一は、引退したあとはきっちりと線を引いて神に全てを任せており、大学に進学して以降はバスケ部に関しては完全にノータッチである。たまに高頭に練習を見てやって欲しいと頼まれているらしいが全て断っているらしく、この辺りの対応を見ると自分と紳一は似ていると思う。やっぱり血筋かな、とつかさは出かけていく紳一を見送った。

 つかさにしても見に行きたい思いは山々であるが、平日は当然ながら学業優先である。

 

 つかさが授業に精を出している頃、紳一は藤沢市の体育館に来ていた。

 こうしてバスケット会場に足を運ぶのは去年の選抜以来である。すっかり懐かしいものだ、と思いつつ会場に入る。まだ一回戦だ、客入りはそう多くはないだろう。

「お、牧紳一」

「海南の牧だぞ」

 どこからともなくそんな声が聞こえてきたが、これも日常茶飯事であったため大して気にもならない。

「おお、ジイ! ジイじゃねえか!」

 すると後方から聞き覚えのある底抜けに明るい生意気な声が聞こえてきて振り返ると、特徴的な赤頭が目に入って、紳一は「よう」と応じた。

「桜木か。久しぶりだな。もう身体はいいのか?」

「ナーハッハッハ。このリハビリの天才・桜木にとってはあんなもん、きかん!」

 湘北の連中だ。相変わらずだな、と腰に手を当てつつ、先頭に立っていた宮城を見やる。

「お前らも観戦か? まだ一回戦だぞ」

「去年、緑風とは練習試合をしましてね。けっこう良い試合だったんすよ。それに……試合見にくりゃ授業免除されると知って、こいつら二つ返事でして」

「なるほど」

 苦み走った顔をした宮城に紳一も苦笑いを返す。流川は目が合えば、分かりづらい程度に頭をさげてくれた。

「じゃ、神に伝えておいてください。今年はオレたちがもらうって」

「ジイもこの天才・桜木がMVPに輝くところをスタンドからバッチリ見ていてくれたまえ、OBとして!」

 そのまま大声で風を切って笑いながら去っていく桜木と湘北一団を見送って、やれやれ、と紳一は肩を落とした。

「そういや神たちは……来てねえのか?」

 キョロキョロと見渡した会場ロビーは、色とりどりのジャージで溢れかえっている。が、海南のそれは見あたらない。

 観客席にあがれば、やはり一回戦だからか空席ばかりだ。海南も見あたらないし、どうせならベンチとは逆側の最前列で見るか、と移動していると前方から見知った集団がこちらに近づいてくるのが紳一の視界に映った。濃紺に青のジャージ。陵南高等学校だ。

「牧さん……!」

「仙道……」

 先に仙道の方が声をあげて、無意識に紳一は目線を鋭くしていた。──ひとの妹にいったいなにしやがった、と問いつめたい気持ちを抑えて努めて冷静を装う。

 仙道の様子は相変わらずだ。後ろのレギュラー陣の活きが良さそうなのも相変わらずである。

「牧さんも、緑風がお目当てですか?」

「さぁな。ま、どのみちオレはただの気楽な傍観者だからな」

「どうです、海南の調子は?」

「ま、それなりなんじゃねえか? それよりお前──」

 うっかりつかさのことを口に出しそうになり、慌てて口を閉じると「ん?」と仙道は呑気そうに首を捻った。その態度が少しばかりまた癪に障り、いやいい、と言いつつスッと陵南勢の横を通り抜ける。

 そうしてベンチ反対側の最前列に降りていくと偶然にも海南勢が陣取っており、自分に気づいて手を振ってくれた清田の顔に紳一は思わず顔をほころばせた。隣には神の姿も見える。

「牧さん、いらしてたんですか」

「おう、神。どうだ調子は」

「まずまず、だと思いますよ」

「ほう、そりゃ頼もしいな」

 お辞儀をして迎えてくれた神の横に腰を下ろしつつ思う。──つかさがこういう男を選べば自分も気苦労なく済むものを、と無意識のうちに紳一は深いため息を吐いていた。

 

 今年がインターハイ予選初出場である新設の緑風バスケ部は、まるで去年の湘北を思わせるかのような順調な出だしを見せていた。

 なによりも目立っていたのはアメリカ国籍も持つハーフのマイケル沖田だが、見ていた清田は「ガイジン連れてくるって反則じゃないんすか!」などとわめいていたものの、彼は歴とした日本人なのだから仕方がない。

 

 それよりも──。

 

「キャー、流川さーん!」

「仙道さーん、握手してくださーい!」

 

 会場ではやはり目立つのか、流川と仙道がギャラリーから黄色い声援を浴びている様子がハーフタイムや試合後にたびたび見られ、清田の怒りのボルテージは目に見えて上昇していた。

「くそぅ……、仙道さんはともかく、なんで流川が……! あんな無口狐のどこがいいんだ!?」

「仙道はいいのか?」

「そりゃオレが女でも仙道さんにならキャーキャー言いますよ! ホラ、見てくださいよ、あの流川との違い!」

 清田が言うには仙道はファンにもにこやかに対応しているが、流川は総シカトを決め込んでいるのにモテているのが気に入らないらしく、くだらない、と益々紳一は深い息を吐いた。

 それにしても、と思う。

 おそらく陵南も湘北も決勝リーグにあがってくるに違いない。そして海南大附属は18年連続のインターハイ出場及び優勝がかかっているのだ。

 仙道率いる陵南、宮城率いる湘北、そして眼前の緑風か、はたまた他の学校か。それらを全て下して優勝せねばならないという義務を負っている神のプレッシャーは、見た目以上のものだろう。

 紳一自身とてまったくプレッシャーがなかったと言えば嘘になる。だが、県優勝より先の全国制覇を目指せばこそ、通過点と思うこともできた。

 しかし、今年の海南のハードルは去年よりも高い。なぜなら17年連続の神奈川覇者という歴史に加え、初の全国準優勝という過去最高の成績を下げているからだ。

 対抗馬は、あの天才・仙道──。同級生に仙道がいるという驚異は、想像に余りある。まして神個人の能力は仙道には及ばず、本人もそれを自覚していることだろう。

 この夏、神にとっては人生でもっとも厳しいものになるに違いない、と紳一は励ますような視線を神に送った。

 

 

 海南はもとより、陵南にしても今年もスーパーシードでベスト8戦までは高みの見物である。

 しかし、大会が進むにつれて学校内の期待感が異様に膨れあがっていくのが嫌でも分かる。と、越野はベスト8戦を控えての学校内の雰囲気を肌で感じていた。

「越野! 今年こそインターハイ行けよ!」

 そんな風にクラスメイトから声をかけられるのも日常茶飯事であり、教師陣もバスケ部に期待しているのがありありと伝ってきていた。

 むろん、越野自身、去年のような結末はぜったいに避けたいところだ。魚住の抜けた穴は大きいが、チーム力は確実にあがっているし、去年よりもキツイ練習をこなしているのだ。それになにより、ウチには仙道がいる──と考えてしまい、ハッと越野は首を振った。

 オレがチームを勝たせてやるくらいに思ってろ、と小突いてきた諸星の姿を浮かべ、唇を結ぶ。けれども、諸星のようなシューティングガードにはまだまだ遠い、とため息をついていると不意に机の上に何かを置かれた。

 手紙と小包のようなものが数個。なんだ? と顔を上げると見知った顔の女子生徒が数人、自分の机を取り囲んでいた。

「越野君、お願い! これ仙道君に渡しておいて!」

「私たちからの差し入れ!」

 またか、と越野は頬を引きつらせた。

「なんでオレが……、直接アイツに持ってきゃいいだろ!」

「良いじゃない、そんなにケチケチしないでよ! クラスメイトでしょ!」

 よく分からない理屈で押し切られ、ハァ、と越野は頭を抱えた。なんであんなちゃらんぽらんなヤツがこんなにモテるんだ、と思うも──最近の仙道は、まあ、気合いが入っていると思う。ともすれば別人のように張り切っており、どうもチームメイトとは言え仙道は掴めない、と詰まれた手紙を睨みながら越野は頬杖をついた。

 コート上においては誰よりも頼りになる男ではあるが、けっこう抜けているし、へらへら笑っているのが常だし、短気と自覚している自分とはだいぶん性質が違う。勝ち気な部分はあまり見せず、試合でも一見すると勝ち負けになど拘っていないようにさえ見えてしまう。そして本当にそうなのか、実は違うのかさえ自分たちは知るよしもない。

 そんな仙道が、はっきりと「勝ち」を意識して夏に臨もうとしている。──仙道の素質を他人に負けず買っている越野からしてもそんな仙道の傾向は嬉しい悲鳴で、今年こそ陵南が全国へ行く、というモチベーションを支える原動力にさえなっている。が。

 仙道なりにチーム愛に目覚めてくれたとか、最後の夏にキャプテンとしてチームを思ってくれたとか、仙道のやる気の動機をその辺りに見出したい越野としては、「たぶん、違うんだろうな」とどこかで感づいていていまいち気に入らないのだが。植草・福田にこぼしてみたところで「結果が伴ってりゃ何でもいいだろ」と一蹴されて話は終わった。

 むぅ、となお越野は唸った。

 陵南のスーパースター。そんな存在だというのは分かっている。現にこうして差し入れの宅急便までやらせられているのだから。掴み所のない性格ゆえに、本人の与り知らぬところでしょっちゅう根も葉もない噂を流されているが──、全部デタラメだというのも良く知っている。

 だってアイツは、ずっと海南のあの子を──、と思い浮かべて越野は肩を落とした。敵陣の女に手を出すなと忠告したというのに、こちらの忠告など暖簾に腕押しだったらしい。

 帝王・牧紳一の妹で、バスケット選手としても相当に上手かったらしいが、去年の国体を見るに彼女そのものがバスケ部と強い繋がりがあるのだ。そんな女に惚れて、なんだか知らないがやる気を出しているのはともかく、海南とあたった時にベストなコンディションで臨めるのか? 不安の種は尽きない。

 そもそも仙道はやっぱり少し他人とズレている。あの無礼な湘北の桜木花道をなぜか気に入っており、怪我から復帰したと知るや心底嬉しそうにしていたし、なぜか一目置いているし。

 ──よそう、と越野は首を振った。

 しょせん、天才の思考回路など察してみたところで分かるはずもないのだ。植草たちの言うとおり、結果が伴っていればいい。そう思うしかない。と思い直すも苛立ちは抑えきれず、机の上の差し入れ類をガツッと掴むと自身のスポーツバッグに押し込んだ。

 

 

 ベスト8が出揃えば、決勝リーグ進出を賭けて各ブロック最後の決戦が幕を開ける。

 6月の第一日曜──、この日は各校の命運を分けると言ってもいいブロック別最終戦が行われる。

 試合会場の一つは私立・緑風高校である。最新の設備を誇る緑風は場所を提供したものの、肝心の緑風の試合は公平を期すためか別会場となった。

 緑風での第一試合はCブロックの陵南VS翔陽、第二試合はAブロックの海南VS武園である。

 

 緑風は江ノ電沿いで海岸沿いの裕福な私立校だ。今日の試合に臨む陵南のメンバーは、まず陵南高校前駅に集合してから緑風への移動となった。

 対戦相手は翔陽。去年の翔陽は決勝リーグに進めず、仙道以外にとっては翔陽との対戦は初めてとなる。しかし去年の冬までガチガチに三年生で主力を固めていた翔陽は世代交代が上手くいっておらず、また、指導者がいないという致命的な欠点があり、予選を見た限りではそう怖い相手ではない。

 それでも、「翔陽」、というネーミングはインパクトがあり──何より去年に唯一の二年レギュラーとして出ていた主将の伊藤はポイントガードで上背もあり、陵南ガード陣の二名はいささか緊張をしていた。

「うわ……」

「なんだこれ……、南国みてーだな」

 緑風高校にたどり着いて足を踏み入れれば、日本で言えば宮崎県のように南国風の植物で飾り立ててある前庭が広がっていて、みな口々に驚きを見せていた。

 体育館はアリーナ並。さすがに金持ち校と言われるだけはある。

 あまりに整いすぎた環境に、陵南の面々は高校生ながらに「経済力の違い」をまざまざと感じさせられ、恵まれた環境で練習しているだろう緑風バスケ部をいささか羨ましく感じた。

 緑風自慢のアリーナ風体育館に入れば部員の多い翔陽バスケ部が観客席を埋めている様が映り、みな改めて気持ちを引き締める。

 牧・藤真時代は既に終わったのだ。今年の神奈川の物語を作っていくのは、自分たち陵南。──植草・越野ともに気を引き締めていよいよ今年の緒戦に挑んでいった。

 

 

 ──翌日。東京都世田谷区。

 ここ東京の深沢体育大学に進学した諸星は、朝の点呼が済んですぐに横浜の寮に連絡を取っていた。

 ──深体大には去年出来たばかりの体育系専門のキャンパスが横浜にあるが、バスケ部はなぜか旧キャンパスのままであり諸星も世田谷の旧キャンパス近くの寮に入っていた。

 この寮生活たるや、毎日が合宿、いや軍隊生活のようなものであり。朝は点呼に始まり、当然のごとく門限在り、掃除当番はもちろん生活そのものがきっちりと管理されており、およそ仙道だったら一ヶ月いや一週間で逃げ出すか強制退寮になりそうなシロモノだった。が、諸星は何とか耐え慣れてきていた。

 もとより学費はもちろん、寮費も免除してもらっているのだからあまり贅沢はいえない。文字通りバスケまみれの毎日だが、やはり高校とはレベルが違い刺激の多い毎日である。

 そんな諸星だったが、今年の神奈川の県予選の行く末はやはり気になっており──しかしここ東京で、隣とはいえ神奈川の最新ニュースを即日手に入れるというのも難しく、地元紙を手に入れているだろう横浜の寮に連絡を入れたのだ。

 すぐさまファックスを送ってくれるという返事を受け、事務所にて送信されてきたファックスを手にとって「おお」と諸星は呟いた。

 

「陵南、海南ともに決勝リーグ進出か。ま、順当だな。あとは湘北、と……緑風? どこだそりゃ」

 

 神奈川県予選の決勝リーグ進出4校が決まり、今週末、そして来週末を使って4校の総当たり戦により上位2校がインターハイ進出となる。正念場とはまさにこのことだ。

 

「緒戦は──、緑風か……」

 

 一方の神奈川でも、決勝リーグの組み合わせを見て、ふ、と海南の部室で神は呟いていた。

 同時刻、仙道もまた陵南の部室で決勝リーグの組み合わせ表を見ていた。

 

「緒戦は──、湘北、か」

 

 そうして、違う場所でそれぞれ同じ組み合わせ表を見ていた二人の声が、重なる。

 

「最終戦は──」

 

 ──陵南。

 ──海南。

 

 おそらく、それは優勝を賭けた最後の決戦となるのだろう。

 神奈川県予選、最終日、そして最終戦は陵南VS海南。

 

 神の胸には、危なげなく17年連続優勝を決めた去年の輝かしい瞬間が蘇っていた。

 そして、仙道の胸には──目の前でこぼれ落ちた、掴みかけていたインターハイへの道が途絶えたあの瞬間が飛来して、ふ、と一人息を吐いた。

 

 

 ──決勝リーグ。

 今年もついにこの季節がやってきた、とつかさもまた決勝リーグ開幕を目前に控えて何度も何度もリーグ表に目を落としていた。

 去年は、スケジュール的に陵南に不利だったが、今年はイーブンだ。去年はどうしても仙道にインターハイに出て欲しくて、でももちろん海南を応援していて。

 今年もそれは変わらない。変わったことは、仙道と自分の関係。もしかしたら自分は去年から仙道が好きだったのかもしれない。でも、今ははっきり言える。仙道が好きだ。だから──と思案していると、向かいのソファに座っていた紳一がこちらに目配せしてきた。

「つかさ、お前も明日は決勝リーグ見に行くんだろ?」

「ん……? うん」

「緒戦の相手は緑風だったか。神たちの仕上がりを見るのは楽しみだな」

 当然のように言われ、つかさは一瞬だけ息を詰まらせた。紳一は当然のように海南の試合を指して言ったのだ。キュッと唇を結ぶ。

 自分は海南の生徒で、そもそも紳一の従妹であるという事実を再確認させられているようだ。 

 むろん海南と緑風の試合も気になるが、リーグ戦であるし、リーグ戦だからこそ陵南と湘北の試合も気にかかる。だって、去年は彼らに負けてインターハイに行けなかったというのに。

 陵南の試合を見に行ってはダメなのだろうか──。

 翌日、海南の制服を着込んで出かける準備をするも、いまひとつ落ち着かない。

「会場は平塚の総合体育館だったか……」

 同じように用意をしている紳一を横目に、つかさはキュッと自身の制服の裾を掴んで思い切って言ってみた。

「お、お兄ちゃん。陵南の試合、見に行っちゃダメ……かな?」

 すると紳一は心底驚いたように瞠目した。

「なんだと……?」

「だって、陵南の相手、湘北だし……気になる」

「そりゃま、そうだが……。ウチもワカランぞ。緑風は良いチームに仕上がってるようだし、神も今年初めてスタメンで臨む試合だ」

 紳一は基本的に自分に甘いと知っているつかさだが、こういう部分に関しては誰より厳格だ。暗にダメだと言っているのだろう。

「神たちは気にならねえのか?」

「そうじゃないけど……」

 言われて、少しつかさは目線をそらした。もちろん神たちには頑張って欲しいが。でも、と脳裏に仙道の姿を思い浮かべていると、頬でも色づいていたのだろうか? 紳一が呆れたような息を吐いた。

「つかさ、お前は海南の生徒で、オレの妹だ。あんま浮ついてんじゃねえぞ」

「そ……! そんなんじゃ……!!」

 カッとしてつかさは拳を握りしめる。浮ついてる、なんて。そんな悪いことをした覚えはない。好きになった人がたまたま、他校生だっただけなのに──。

 

 ──お兄ちゃんなんて大きらい! もう、私、大ちゃんの妹になる!!

 

 と、昔なら大騒ぎされてショックを受ける羽目になる場面だな。と、紳一はだんだんと目線の降りていったつかさを眼前に、さっそく「言い過ぎた」と自省していた。仙道のことは自分も気にはなるが、母校海南に及ぶものではない。それにつかさがヤツを気にしているのはかなり個人的な事情でもあるはずだろうし、と考えてしまい、チッ、と苛立ちを覚えつつもやはり言い過ぎたと肩を落とす。

 自覚しているが、やはり妹同然のつかさには甘くなってしまう。

「と、とにかく行くぞ。ホラ」

 精一杯優しく言いかけてつかさの肩を叩き、外へと促す。そうして、ヤレヤレ、と人知れずため息を吐いた。

 

 つかさも、何とか自分を納得させようと唇を噛みつつ頷いた。

 立場をわきまえることも必要なのは分かっているし、なにより決勝リーグは総当たり戦。

 来週の試合は見に行けるんだから、と浮かべて紳一の車に乗り込む。

 

 ──頑張って、仙道くん!

 

 その頃──、東京は世田谷の体育館では一人プルプル震えている諸星の姿があった。

「ああああ、オレも決勝リーグ見てえええ! いきなり陵南と湘北じゃねえかよおお!!」

 仙道の実力は買っている諸星だったが、越野、植草等々が冬からどう伸びているか分からない。短い期間とはいえ自ら鍛えた言わば弟子筋でもあるし、チームの仕上がりも気になる。

 対する湘北は去年の実力派が抜け、陵南に有利だとは見ているが果たして。

 しかし勝手に練習を抜けるわけにはいかないし、と諸星は監督の方に強い視線を送る。

「監督! 自分、ちょっと藤沢まで偵察に行って来ようと思うのですが!」

「バカタレ! なんの偵察だ、なんの!」

 だが返ってきたのは虚しくも当然の怒声であり、く、と諸星は歯を食いしばる。

 

 ──負けんじゃねえぞ、仙道!

 

 

 それぞれの思いが交差する中、いよいよインターハイへの切符をかけた神奈川県予選決勝リーグが幕を開けた。



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37話

 海南VS緑風は平塚の総合体育館で行われる予定だが、陵南VS湘北は別の会場──藤沢市だ。

 

 藤沢市の体育館では、控え室にて陵南の選手たちが監督・田岡の話を聞いていた。

「いよいよ今日からだ。今日から、お前たちのインターハイへの道が始まると言っていい! 去年は湘北相手に惜敗したとはいえ、実力は互角だった。赤木・三井の抜けたいま、今年こそ勝つのは陵南だ! いいな、お前たち、最後まで走り抜いて全力で勝つんだ!」

「はい!」

 緒戦とは言え、緒戦から宿敵・湘北が相手──、陵南レギュラーの気合いの入り方は並々ならぬものがあり、彦一はそんな先輩たちに気圧されるようにしてキョロキョロとそれぞれの顔を伺った。

 唯一いつもと変わらないそぶりらしきキャプテンの仙道に声をかける。

「こらあ、えらいみなさん気合い入ってますね! やはり湘北が相手ですから、去年の雪辱戦っちゅーことで燃えてはるっちゅーことですね!」

「ん……? ああ、まあ、そうだろうな」

「仙道さんも流川君とは久々の対戦ですし……新生・陵南の実力を思いっきり見せつけたってくださいよ!」

 彦一が拳を握りしめて激励するも、仙道は相変わらずの笑みを浮かべるのみで笑って受け流された。

 そうして開始時間が近づき、コートへと全員揃って出向けば満員の観客が選手たちを迎えてくれる。

 

「陵南ーー!! ファイトーーー!!」

「ル・カ・ワ! ル・カ・ワ!!」

「湘北ーー! 待ってたぞーー!!」

 

 仙道は事前練習のためにコートに入りつつ、会場を探るようにして見渡した。そして小さく息を吐く。

「来れるわけねえか……」

 今日は決勝リーグ初日。海南VS緑風戦は別の会場で行われる予定だ。つかさはおそらくもう一つの会場にいるのだろうと分かっていたが、それでも観客席に彼女の姿を探してしまって案の定見あたらず肩を落とした自分を自嘲する。

 ま、仕方がない。と切り替えつつ何気なく湘北側のコートを視界に入れると、今にも飛びかかってきそうな勢いで桜木がこちらを睨んでいるのが目に映った。

「よう、桜木」

 声をかけてみれば、なぜか大股開きでこちらにやってきて、そのまま三白眼で睨み付けられた。去年は「睨みあげられる」感じだったが目線が近くなっている。背が伸びたな、と感じていると思い切り指を指されてこう宣言された。

「待ちかねたぜセンドー! 今年こそテメーはオレが倒──ッ」

 倒す。と言いたかったのだろうが、最後まで言葉を紡げず逆にコートに轟音と共に倒れ落ちた桜木を見て、さしもの仙道も目を見開いた。すると豪快な着地音と共に拳を握りしめる「4」の数字が目に飛び込んでくる。

「花道ッ! オメェ恥ずかしい真似すんじゃねーぞ!」

「いってー……なにすんだよリョーちん。病み上がりなのに……」

「いつの話だそりゃ!」

 キャプテンの宮城だ。宮城が跳び蹴りしたのか、と確認する前に倒れた桜木の足を掴んで引きずりながら宮城は仙道の方に向かって片手を掲げた。

「すまん、仙道。このバカが」

「いや……」

 相変わらずだな、と肩を竦めてみせる。赤木が引退した今は宮城があとを引き継いで目付役か、と理解するも桜木の変わらない様子に仙道は笑みを浮かべた。

 さっそく会場からは笑いが起こっており、田岡や越野は明らかに苛ついた表情を見せていたが、むしろ仙道にとっては程良く身体をほぐしてくれるいい場面となった。

 

「それではこれより、陵南高校対湘北高校の試合を開始します」

 

 その頃の平塚総合体育館──。

 こちらでも両選手たちがコートに集い、審判からのティップオフ宣言を待っていた。

 その様子をベンチの上の観客席からつかさと紳一も見守る。

「高さにばらつきのあるチームだな、緑風は」

「キャプテンの沖田くんが一際目立ってるね……。金髪碧眼だし……」

 緑風は冬の選抜時にはアメリカ滞在で不在だった主将のマイケル沖田率いる今大会初出場のチームであり、初参加ながら決勝リーグまで登ってきたことで一気に注目を集めている若いチームである。

「克美以外は全員が3年、か……」

「ウチも清田くん以外は全員3年なんだけど」

 さっそくボケ始めた従兄に突っ込みつつ、つかさはコートを見やる。緑風のシューティングガードである克美一郎は三井の中学時代の後輩だと以前三井が言っていたような、と思い返しつつ考える。中学時代の三井と言えば、県ナンバー1に輝いたスター選手だ。おそらくそんな選手が直属の先輩となれば憧れてもいたのだろう。克美のポジションは三井と同じであるし、プレイスタイルも似ている。

 とはいえ、2番、3番、5番と緑風は要所要所に良い選手を配置しているが、パワーフォワードがいまいちだ。ガードも妙なのがいるし、と緑風ベンチを見やる。ショートカットの美人なマネージャーの隣には姿形のそっくりな双子が座っている。

 選抜の時はマイケルがいなかったせいか、あの双子をツインガードで起用して攪乱を狙ったりしていたが──さすがに紳一相手にその手は通用せず、海南はわりと楽に白星を得たのだが。果たして、今日はどうなのか。

 

「ティップオフ!」

 

 ──緒戦に勝って、決勝リーグを有利な状態で戦いたい。

 そう思うのはどのチームも同じである。

 海南VS緑風の試合開始と同時に、別会場で試合開始と相成った陵南と湘北も思いは一緒だろう。

 特に、陵南にとって湘北戦は雪辱戦。

 両チームともディフェンスはマンツーマンで行き、陵南は去年そうしたように福田をオフェンスの軸に攻撃を組み立てていた。

 

「よっしゃー! 福さんナイッシュー! 3連続や!」

 

 福田は桜木の上からベビーフックで決め、睨み付けてくる桜木を睨み返していた。

 ──去年の素人くさかったレベルにすら、今の桜木はまだ戻せていない。元々素人だというのに、持ち前の驚異の身体能力を活かせるまでにはコンディションも戻っていないということだ。

 これは、ここが穴だな。おそらく仙道も気づいているだろう。

 

「よーし、ディフェンス、ここは止めよう!」

 

 仙道も手を叩きながら鼓舞しつつ、湘北陣を見据えて考えていた。

 桜木はポジションを変えて赤木の後釜になるセンターに入り、パワーフォワードには去年は控えセンターだった角田が入っている。さらに桜木は本調子ではなく、福田・菅平には十二分にインサイドで分がある。植草は宮城とのマッチアップで厳しいが、越野の相手は宮城よりも上背のない安田であり、ミスマッチも相まって余裕がある。越野は安田をある程度フリーにして植草のヘルプにはいつでも行ける状態だ。

 あとは自分が流川に競り勝てば、このゲームはコントロールできるだろう。と仙道は植草に目配せした。

 ──宮城に外はない。この布陣なら宮城は積極的に切り込んでくるしかない。

 案の定、宮城はドリブルで突破の姿勢を見せ菅平と福田が積極的にインサイドへのパスコースを塞いだ。植草がさらに宮城を警戒してディフェンスを締める。そうして責めあぐねた結果。30秒オーバータイムのカウントが始まれば、宮城はいやでも空いている場所にパスを出すしかない。つまり。

 

「越野ッ!!」

 

 宮城のラストパスは安田。越野もそう読んでいて、宮城がパスモーションを見せた瞬間に手をかざしてパスカットを決めた。と、同時に叫んだ。

「仙道ッ!!」

 そのまま既に走り出していた仙道へと越野がロングパスを放てば、受け取った仙道はすぐさま追ってきた宮城と流川に追いつかれる前に、並行して走ってきていた植草にボールを回した。

 ハッと流川と宮城が気を取られ、仙道はなお走りながらフッと目を細める。と、同時にその一瞬をついてコートを蹴ると、ゴールを背にして高く跳び上がった。

 すればまるで示しを合わせたように植草がボールを高く投げあげ──、追って跳び上がってきた流川をかわすようにキャッチした仙道は、そのまま背面から両手でボールをリングへと叩き入れた。

 

「なッ──ッ!?」

 

 ゴールが音を立てて軋み、観客は一瞬の静寂の後に熱狂の声をあげた。

 

「うおおおおお!!!」

「アリウープ! しかもバックダンクだとッ!?」

「やってくれるぜ仙道ーーー!!」

 

 まさに超高校級の大技だ。まさに陵南の見事な連携を見せつけるようなワンプレイ。館内の全てが仙道を讃え轟いた。

 裏腹に、流川の瞳が凄みを増して仙道を睨み付ける。仙道も、今のプレイを目の当たりにした流川が益々対抗心を燃やすだろうことはよく分かっていた。

 次は締めて守らんと、と引き締めてコートにあがる。そうしてチラリとインサイドの福田・菅平にも目配せした。次の攻撃、流川にパスが渡ればインサイドへのパスは絶対にない。必ず自身でドライブインを試みるはずだ。と、仙道のみならず誰もが確信する中、やはり宮城は流川へパスを通し、流川は袋小路の待つゴール下へ攻め込もうと機を伺っている。

 が──。ここで予想外のことが起こった。

 右ウィングから攻めてきた流川は仙道に背を向けてドリブルし、次の瞬間、あまりに予想外の動きに仙道は目を見開いた。同時に観衆もどよめき、福田も、菅平も驚愕した。

 3人の間を、まるで踊るようなステップで流川が抜け──、反応が遅れた仙道はしゃにむにブロックに行ってしまい、「しまった」と気づいたのは審判の笛が鳴った後だった。

 

「青、4番! チャージング!」

 

 仙道のファウルだ。が、チッ、と流川が舌打ちしたのが仙道に伝った。流川に与えられるフリースローは2本。つまり、流川のシュートは決まらなかったということだ。

 しかし、仙道も、福田も、いや流川のチームメイトである宮城でさえいまの流川のプレイに唖然として驚愕の表情を浮かべていた。

 

「あのステップは……」

 

 国体の合宿でつかさがやっていたものだ──、と宮城は目を見開きつつも後輩のファイトに口の端をあげ、福田はごくりと喉を鳴らした。

 おそらく仙道の反応が遅れたのは、それがつかさの技だったから。と感じた福田は肩で息をしている仙道の背中を見やった。──もしも、「ワザと」だとしたら。末恐ろしい男だ、と流川を睨む。仙道のアリウープへのカウンターパンチを、最高の形で入れたのだ。

「ドンマイ!」

 事情など知るよしもない越野が仙道の背を叩き、ゲッ、とさすがの福田もおののいた。こんな流川の挑発に乗るような仙道ではないと思っているが──やったことがやったことなだけに、と考えつつ首を振るって流川のフリースローを見守る。

 仙道もまた腰に手を当てて流川のフリースローを見やりつつ──、僅かばかり眉を寄せていた。

 先ほど流川が見せたステップは、つかさが国体の合宿で高頭に「ガードとフォワードの連携を流川に見せてやれ」と指示されていた時に見せたテクニックの一つだ。技術自体にはみなが度肝を抜かされたが、ゴール下で男3枚のブロックにあい床に叩き付けられて悔しそうにしていたことは今も鮮明に覚えている。

 清田あたりは、つかさに積極的にどうやるのか訊いてチャレンジしていたが、流川はその後、つかさの技をリプレイすることなどなかったというのに──覚えていたということか、と目線を鋭くした。

 幸いなのは、決まらなかったことだ。

 なら、自分が決めてやる。──と、仙道は2本目のフリースローも入れた流川を人知れず睨んだ。

 

 ──前半、陵南は福田と越野がキーマンになり、7点リードで後半を迎えた。

 

 後半に入ってからも陵南のペースが続き、仙道のコンディションを心配していた福田もホッと胸を撫で下ろしていた。

 流川の挑発は図らずも仙道の「やる気」の維持には役だったようで、仙道が張り切っているゆえにメンバー全員が活きていて陵南に良いペースが生まれている。

「おのれフク助~~~!!」

 眼前の桜木は相変わらず敵意を向けてきていたが、選手生命を絶たれかねない怪我からの復帰、というのを意識してしまえば同情しかねないため、あまり気にしないでおいた。彼の才能は認めるが、今年は彼のための年ではない。今年こそ、陵南が全国に行くのだ。

 

「囲めッ! ぜったい仙道に渡すなッ!」

「止めろ、流川ーーー!」

 

 終盤、追い上げのためにミスの許されない湘北は必死のディフェンスを仙道にぶつけていた。勝負所で陵南が仙道にボールを集めがちなのを理解しているからだ。

 仙道は目の端でコートの状態を把握する。攻めやすいのはマッチアップ相手が安田である越野──、だが、ここは自分が、と植草に目配せしてパスを出させ、受け取った。

 ワッと観衆が沸く。ディフェンスは当然、自分のドライブを警戒している。切り崩してやる、とムキになると抜けないのがゴール下だ。流川・桜木・そして角田。強引に行っても抜けないことはない。が──、お返しだ、と仙道はつかさの姿を脳裏に浮かべた。国体合宿の時、自分も何度もあの技を目の前で見ている。

 足を踏み出してステップを踏み、軽くターンするようにして流川を抜き、反応した流川の手をかわすようにまたステップを踏んだ。

 

「あッ──!」

 

 観衆がどよめく。そのまま、まさに踊るようにステップを踏んだ仙道は──あえてダンクに行かず、ブロックに来た桜木のアタックを受けつつベビーフックでひょいとボールを投げてからコートに着地した。と、同時に審判が笛を鳴らす。

 

「ディフェンス! バスケットカウント・ワンスロー!」

 

 観客が、ベンチが、チームメイトが跳び上がって騒ぐのが伝った。

 

「うおおおお、さすが仙道さん! 天才! アンビリーバブルッ!」

「さっきの流川の技を見事に返しやがった!」

「スゲェ!! 見たか流川ーー! 格が違うんだ、格が!!」

 

 越野がゴール下に走ってきて手をかざした。

「ナイス仙道! さすがだぜッ!」

 仙道も応え、ハイタッチしつつ「おう」と笑みを浮かべながら──脳裏にふと諸星の声を過ぎらせた。

 

『だってよ、誰も知らねえんだぜ? 中学の時のアイツがどんだけ強かったと思う?』

『オレや牧より、下手すりゃお前より素質あったってのに……誰もつかさを知らねえ』

 

 誰も知らない。みな、自分が流川の技を盗んでバスケットカウントまで決めたと賞賛しているにすぎない。

 だが、あれはつかさの──、と目線を下げたところで、トン、と背中に誰かが触れた。見やると、福田がそばに立っていた。

「見たかったと思うぜ、今のプレイ」

 ボソッとそんなことを呟いて福田はペイントエリアの外に出た。仙道は小さく目を見開いた後、ふ、と息を漏らす。「つかさが」と福田は言いたかったのだろう。そうだな、と仙道は心の中で呟いた。

 今のプレイを彼女が見ていたら、きっと喜んで賞賛してくれ、そして少しだけ悔しそうに「仙道くんみたいな長身とパワーがあったらなぁ」などと言うのだろう。そうだ、自分には彼女以上の身体能力がある。だから、やり遂げなければならない。

 

『つかさちゃんが見てたから、ね』

『え……!?』

『"私が出たほうがマシ"って思わせたくないな、ってさ』

 

 例えここにいる誰が知らずとも。──と、仙道は審判に渡されたボールを綺麗に投げあげて、そのままフリースローを決めた。

 

「陵南! 陵南! 陵南! 陵南!」

 

 わき起こる陵南コール。湘北ベンチはその大歓声を耳に入れながら、それぞれが息を呑んで試合を見守っていた。

 誰かが、ぼそりとこう呟く。

「いくら仙道がいても……、魚住が抜けた陵南はチーム力が低下すると思ってたのに……」

「それどころか、個々のレベルが全体的にあがってる。それに……」

 流川はまだ、仙道に及ばない。──との言葉を誰もが飲み込んだ。振り切るように応援の声をあげると、その様子を反対側のベンチでチラリと見た彦一は拳を握りしめた。

「今年の陵南は最強や……! 流川君・桜木さんがなんぼ天才でも、仙道さんは冬から誰よりも練習してきたんや! 負けるわけがあらへん!」

 田岡もまた、腕組みをしたまま大きく頷いた。

「そうだ、彦一。今年こそ、ウチが最強だ!」

 陵南はどこよりも練習をしている自負がある。それこそ海南よりも、だ。加えてここ最近の仙道のバスケットにかける意気込みは半端ではないのだ。必ず今年こそウチが全国だ、と睨むスコアボードの残り時間は7分。リードは9点。そう安心してもいられない。

 

「最後まであたって行け! 植草・越野! パスで回すんだ! 手を緩めるな!」

 

 そう田岡が選手たちを鼓舞している頃──、平塚の総合体育館もまた熱狂の渦に包まれていた。

 

「神! 中に切れ込んできたッ!」

「うおおお、神のカットイン!」

 

 海南センター・田中がペイントエリアから出て緑風のフロントコート陣を引きつけ、その隙に神がインサイドへと回り込んで絶妙のタイミングで小菅が神にパスを繋ぐ。

 すぐに折り返してきたディフェンスをかわしてレイアップを決めると、海南応援団が怒濤の盛り上がりを見せた。

 

「キャプテーーン!!」

「ナイッシュー!!!」

 

 ヒュウ、と口笛を吹いて賞賛してくれたらしき敵陣のマイケルを見つつ、ふ、と神は笑みを浮かべた。

 やはり幼少からポジションはセンターとして生きてきた分、オフェンス感覚はインサイドの方がいい。とはいえ、だいぶん鍛えたといっても目の前のマイケルやセンター陣、そして仙道を相手に真っ向のパワー勝負は厳しいだろう。

 ならば海南そのものが一丸となって神のインサイドでのオフェンスも活かせるよう動けばいいことで、神はこの試合でマイケル相手にゴール下での得点を重ねられたことで自信を得ていた。

 なぜならマイケルの身体スペックはほぼ仙道と同じである。ならば、きっと仙道相手にも通じる──という算段だ。

 

「神は器用なヤツだな。外でも中でも上手い具合にフリーになりチャンスを作っている」

「今年の海南はみんな器用な選手なのよ。田中くんも、なんていうか花形さんタイプのセンターだし……小菅くんはジャンプシュートが上手いし、4番の鈴木くんは高さはないけど、リバウンド感覚はいいしね」

「まあ器用じゃねえのが約一名いるようだが……」

 

 観客席で試合を見守る紳一とつかさの視線がどちらともなく清田を追った。

 清田のマッチアップ相手である克美は清田と同じ二年。しかも上背がありシュータータイプという清田とは逆タイプのシューティングガードで、しばしば清田は得点を許しては歯ぎしりする場面を観客に晒していたのだ。

「き、清田くんはディフェンスのいい選手だし……、ムードメーカーだし。小菅くん・神くんがいるんだから、得点チャンスがないだけじゃないかな」

「まだまだまだまだ、だな」

 実際、今日の海南オフェンスはほぼ神とポイントガードの小菅が担っており、つかさが庇うも紳一は腕組みをしたまま厳しい表情で「元キャプテン」の顔をのぞかせた。

 しかし実際、海南はディフェンスも上手く回しており、注意すべきマイケルのドライブも複数人で幾度となく潰して止め、会場を盛り上げている。

 紳一の要求レベルが高いだけで、今年の海南も例年通り──いやそれ以上にまとまりを見せた良いチームであることは明らかだ。

 スコアは79-68、海南ボール。誰の目にも圧倒的だ。応援席が残り時間を見つめつつ、カウントダウンを始めた。

 

「3,2,1──―!」

 

 そうしてブザーの音を待ち、終了と同時に客席からは唸るような歓声があがった。

 海南は相手の得点源を徹底的に絶つロースコア展開に持ち込み、まずは緒戦の一勝を得た。

 両チームが整列し、審判が海南の勝利を宣言してから両キャプテンが握手を交わす。

「いやぁ、さすがに王者海南。いい経験させてもらったよ。でも、次は湘北だろう? 彼ら、けっこう強いよ」

 あっけらかんと言われて拍子抜けしつつ、神は笑みを浮かべた。

「うん。知ってるよ」

 しかし、キャプテン陣とは裏腹に2年生同士の克美と清田はにらみを利かせあっている。

「王者海南にしてはシューティングガードが穴だったな」

「なにッ!?」

「去年、湘北に勝ったのもまぐれだろ? お前より三井先輩のほうがよっぽど良いシューティングガードだったぜ」

「ヘッ! その三井サンを最後に阻止して海南を勝利に導いたのはこの清田だぜ! なにせ神奈川ナンバーワンルーキーだったからな、カーッカッカッカ!」

「なにがナンバーワンだ、新人王は流川だっただろうが」

 ヘッ、と克美が清田を一蹴し、清田が眉を釣り上げて触発寸前の2年生をキャプテン同士が取り押さえてなだめ、それぞれコートから引き上げていく。

 

 やはり海南かぁ、とざわめく観客を耳に入れながら、つかさも笑みを浮かべて紳一も満足げに頷いていた。

「いい決勝リーグの入り方をしたな。ウチは神を中心にうまく機能した良いチームになってる」

「今年の海南は本当に"これぞバスケット"の見本みたいな良いチーム。小菅くんは典型的なガードだし、鈴木くんはリバウンド取ってくれるし、キャプテンの神くんがオフェンスの要になってくれてるしね」

「……今年"は"……?」

 相変わらず、意識的か無意識か、兄同然の自分に厳しいつかさに紳一は頬を引きつらせた。

 しかし、少し「意識的」な部分もあるかもしれない、と紳一は海南ベンチに笑みを送りつつも遠い目をして案ずるような表情を浮かべているつかさを見やった。おそらく、陵南の試合を気にしているのだろう。あっちももう結果は出ているはずだが、果たして。

 

 図らずも紳一も陵南対湘北の試合結果を気にかけていた頃──、その会場である藤沢市の体育館では「勇猛果敢」を掲げた陵南応援席が踊っていた。

 最終的に湘北は陵南を捉えられず、波乱もないまま陵南は一勝を得て去年の雪辱を果たした形となった。

 陵南生たちは歓喜に震え、沸いている。

 田岡もまた、まずは一勝と胸を撫で下ろしていた。しかし、自身の高頭との因縁も含め──真の敵はやはり海南である。思わず田岡は自身が現役だった高校生の頃を思い浮かべた。宿敵だった高頭とは今なお決着が付かず、監督としてはあっちの方が何歩も先を行っている。

 打倒・海南の夢を──自身の教え子に託すのはやはり間違っているだろうか。と、仙道に自身の高校生の時の姿を重ねていると、ドリンクを口にしていた仙道が気づいたらしく「ん?」と首をかしげた。

「どうかしましたか、先生?」

「あ……! い、いや。良くやった。次の緑風戦もこの調子で行くんだぞ!」

 慌てて少しうわずった声をあげてしまい、コホンと咳払いをする。

 自身の夢などではなく──、この仙道の才能をもっと大きな舞台で見せてやりたい。神奈川選抜ではエースとして活躍していた仙道ではあるが、やはり「陵南」というチームを全国の強豪に見せたいものだ。

 そうだ、今年こそ、と強く頷いて田岡は選手たちを引き連れ、熱気の残るコートを後にした。



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38話

 ──陵南の生徒だったら、学校で会えるのに。

 

 という想いを何とか抑えて、つかさは決勝リーグ初日明けの朝、目覚めるとすぐに新聞を取りに行ってバスケット関連の記事を探した。

「──あった!」

 新聞をテーブルに広げていると、ちょうど起きてきた紳一もつかさの横からひょいとのぞき込む。そして二人して予想以上の記事に目を見開いた。

 紙面の半分を割いて書かれた記事に使われていた写真は、仙道のダンクの写真だったのだ。

「"アリウープ・バックダンクを鮮やかに決めた陵南の仙道選手"だって……、すごい、さすが……!! 湘北に勝ったのね!」

「けっこう差が付いてるな……。まあ、陵南はチーム力のあるチームだからな」

「"海南-緑風戦は海南が王者の貫禄を見せつけたものの、緑風の主将・マイケル沖田選手はNBAも注目する若手の逸材でもあり、今後の試合に期待がかかる"だって」

 決勝リーグ初日の結果とこれからの試合日程を書かれた記事を読み下し、つかさはごくりと息を呑んだ。──仙道のバックダンク。アリウープへのパス出しをしたのは植草だろうか? リングに背を向けた状態でパスを受け取り、さらにダンクを決めるというのは相当な高等テクニックだ。ダンクをする仙道はもちろん、パサーにも相当な能力が要求される。

 あれだけ練習している仙道なのだ。陵南のメンバー共々きっと益々巧くなっているに違いない。

 うずうず、と見たい気持ちが疼くのはきっと仙道を選手として好きだから。

 でも、ふと、会いたいな、と感じるときは──胸が締め付けられるようで、こういうときは仙道本人が好きなのだと思い知らされる。

 ふ、と息を吐いてからつかさは少しだけ肩を竦めた。

 

「陵南の生徒がちょっと羨ましい……」

 

 つかさが呟いている頃、陵南の体育館では朝っぱらから新聞のコピーを大量に作って大騒ぎしている彦一がいた。

「いやー、この記者さんわかっとりますわ!! ええ写真や! さすが仙道さんや! さすがでっせ仙道さん!」

 騒がれ誉められている張本人である仙道は、わらわらと新聞に群がる部員たちを横目に見つつ返答に詰まって首を捻る。結果、仙道の目線は植草の方へ向けられた。

「あの植草のパスは絶妙だったよな」

 すると植草は控えめに微笑み、その横では越野がふんぞり返って声を強めた。

「つーか、その前にパスカットしたオレのおかげだろ!」

 すれば周りの部員達も合わせるようにしてガード陣を誉め、微妙に蚊帳の外にいた福田がムッとしたような表情を晒した。

 とはいえ、ともかく、チームが良い状態なのは間違いなく、そばに落ちていた新聞のコピーを仙道はひょいとつまむ。

「海南も緑風に勝ったみたいだな……」

「だが今年の海南には帝王・牧はいない。牧さんのいない海南なんざ去年以下なのは間違いないぜ!」

 さらに越野が大口を叩けば、ムッとしていた福田の目線が鋭くなって越野を睨み付ける。「な、なんだよ」と越野がおののいて、見ていた仙道は苦笑いを漏らした。──神を甘く見るな、と福田は言いたいのだろうと察したのだ。

「ま、良くも悪くも牧さんが卒業して海南のチームカラーが変わってるのは間違いないだろうな。警戒するにこしたこたーない」

「お、おう……、そうだな!」

「今年こそ、ぜったい勝ってやろうぜ!」

 仙道が言えばみなが呼応し、試合の翌日にもかかわらずいつものテンションで朝練が開始される。

 そうして授業開始の20分前には部員たちは体育館を後にするのだが──、着替えを終えたレギュラーの3年生が共に校舎を目指して歩いていると、登校してきた生徒たちがめざとく彼らを見つけ、ワッ、と騒ぎ立てた。

 

「いよっ、バスケ部最強メンバー!」

「仙道、新聞見たぜ! 来週も頑張れよッ!」

「キャーーー、仙道せんぱーい!!」

 

 バスケ部は学校の期待の星──、という証左のような盛り上がりだ。とはいえ、レギュラー陣はどちらかといえば無口揃い。ある程度は騒がれることに慣れていても反応に困るものだ。

 仙道は、まいったな、と肩を竦めつつ、どうやら注目を浴びて嬉しくて震えてるらしき福田を見て少しだけ笑みを漏らした。

 とはいえ。新聞効果はかなりのモノだったのか生徒達の注視先は「バスケ部」というよりは「仙道」であり、校舎に入っても仙道コールが鳴りやまずにそろそろレギュラーの面々はうんざりした表情を晒していた。

「お前、流川みたいな親衛隊でも連れてくるようになったらバスケ部から追い出すからな!」

「ははは……」

 シャレになってねぇ、と越野の目線を乾いた笑みで返しつつ、仙道は首に手を当てる。福田を筆頭に、少なからず「騒がれたい」という願望のある彼らと違い、自分はいまいちそういう感覚が分からない。──などと言えば袋の鼠であるためむろん口には出さないが、とぼんやり女生徒の群れを視界に入れつつ、突如、仙道はハッとして足を止めた。

「ど、どうしたんだよ?」

 急に立ち止まって女生徒に探るような目線を入れた自分に越野が訝しむような声をあげ、我に返った仙道は「いや」と首を振るう。すると、ジーっと見透かしたような顔の福田と目があって仙道はバツの悪そうな表情を浮かべて視線を泳がせた。

 ──つかさに似た髪型の生徒が目に入って、錯覚を起こしかけた。

 など、我ながら完全に末期である。そういえば、と仙道は陵南に入学したばかりの頃のことをふと思い出した。

 つかさの名前も知らなかった頃──、もしかしたら同じ学校なのでは、と無意識に女生徒たちの中からつかさを探していた。彼女と似た髪型や背の高い子を目で追って、見つけられずに。おそらくはバスケットに関係する子だと感じていたため、会場で会えるかもしれないという微かな期待はあったが、まさか海南の、それも牧紳一の血縁だったとは。

 あれから2年以上が経つが、予想以上に自分でも深みにはまっている気がする。

 顔が見てえな。声が聞きたい。などと思っても、越野の言うとおり彼女は敵陣の生徒。

 ふ、と仙道は息を吐いて小さく首を振るった。今はそんな面倒なことを考えている場合ではない。週末の緑風戦に勝てば、インターハイ出場はほぼ確実となるのだ。まずはそっちに集中、と聞こえてきた予鈴に反応するように教室へ急いだ。

 

 一方の海南は、バスケ部そのものが騒がれる存在であることに慣れきっており、海南の生徒も「常勝・バスケ部」という存在に慣れていることもあって、緒戦勝利への賞賛もどこか予定調和だ。

 それでも2年の校舎では清田が一人増長している図が見られ、3年の校舎でもそれぞれの面々に男女問わず激励の声が飛んでいた。

 

「昨日の試合、見たぜ!」

「神君かっこよかったーー!!」

「この調子で今年も優勝頼むぜ!!」

 

 朝練あがりの神や小菅たちはその声援に笑顔で応えつつ、当然のように「今年も優勝」を期待されている無意識かつ無遠慮なプレッシャーを肌で感じ取っていた。

「そういや、陵南は湘北に9点差だっけか? 陵南が強いのか、それとも今年の湘北はたいしたことないのか……。神、どう思う?」

「うーん……、湘北が弱いってことはないと思うけどな。流川・宮城、それに本調子じゃなくても桜木もやっぱり要注意だし。新聞見る限りじゃ、仙道の調子が良かっただけかもしれないよ」

「どっちにしろ今年の湘北、まともに見てねーからなー。お前、ちょっと探りいれとけよ。福田とか仙道にさ」

 仲いいんだろ? と小菅に言われ、うーん、と神はなお唸る。

「たぶん、まともな答えは返ってこないと思うな……」

 黙してかわす福田と笑って誤魔化す仙道が浮かび、苦笑いだけが神の口から漏れた。

 しかし、仙道──。同学年ということもあり1年の頃から彼のプレイを見知っているが、2年次には紳一レベルまであがってきて、国体の時には諸星に勝るとも劣らない攻撃範囲の広さを見せつけていた。

 朝から浜ランに精を出していることといい、あんな天才が海南クラスの努力を続けているとしたら手が付けられない。今夏はどれほどの選手に成長しているのか、考えただけで恐ろしい。が、バスケの良さはチームプレイにあるのだ。ポジションが被っている以上、仙道との直接対決も避けては通れない。けれども、自分だってやれるはず──と昨日の緑風戦を思い出して神はグッと拳を握りしめた。

 

 

 次の一戦に勝てば、ほぼ間違いなくインターハイ進出が決まる。

 去年はダメだったが、今年こそ、という思いは陵南がどこよりも強いと自負している。そうだ今年こそ、と張り切る陵南の部員の一人である相田彦一は、帰宅してからも毎日熱を込めて部活での様子を家族と話していた。

 特に彦一の姉である弥生はバスケ担当のスポーツ記者をしていることもあり、話題はつきることはない。

「いやー、決勝リーグ緒戦の仙道君、ほんまカッコよかったわー。なんやのあの子、いつも私の想像を遙かに超えて凄いプレイを見せてくれるんやから!」

 似たもの姉弟、とでも言うべきか──熱烈な仙道ファンでもある姉の声に彦一も夕飯を掻きこみながら「せやろせやろ」としきりに頷く。

「仙道さんの夏にかける意気込みはそらもう怖いくらいやで! チームの状態もええし、今年は絶対全国に行って、そして全国優勝や!」

「そうなったら今年も張り切って仙道君の記事書くで! 全国にも仙道君クラスの選手はそうはおらへん。新聞にも載っとったアリウープもカッコ良かったけど、あの流川君のプレイを真似たドライブはイカしたわー。仕事忘れるとこやった」

「せやせや。ワイもあれには痺れたわ、流川君に出来ることは仙道さんも出来るいうことやからな。ところで……姉ちゃん、海南の試合はどやったん?」

 彦一が問うと、弥生は惚けていた表情を元に戻して「ああ」と思い出すように言った。

「海南・緑風戦のほうを取材にいっとったチームに聞いたんやけど……。神君と小菅君がコンスタントに点をとっとったみたいやね。特に神君はインサイドにも力入れとるみたいやで。逞しなとったって聞いたわ」

「神さんが……」

「私も何度も海南の取材に行っとるけどな、神君ほどよう練習する選手はおらんで! 牧君みたいなインパクトはあらへんけど、海南の強さの秘密は間違いなく神君や」

「そういえば仙道さんも……、けっこう神さんを意識しとるみたいな部分が見え隠れするんやけど……」

 彦一はしばし考え込む。元々、神と交流のある福田を含め仙道も神とは気が合う仲らしく、チェックをしていた彦一であった。が、ここ最近の仙道は海南の話をふるとどうも微妙な反応をしていた。むろんライバルというのもあるのだろうが、一年の頃から仙道を四六時中チェックしていた身としては、何か違うような気もして引っかかってもいた。

 弥生が、ふぅん、と相づちを打つ。

「同学年やもんな。国体では神君・仙道君はコンビプレイで息のあったところを見せてくれとったけど……今はライバル校同士でキャプテン同士や。いくら仙道君かて意識するやろ」

 聞きながらハッとした彦一は勢いよく席を立った。そして急いで自身のデータノートを鞄から取り出し、戻ってくるとパラパラとページを開いた。

「なんやの食事中に……」

「そうか、分かったで!」

「な、なんや……!?」

 急に拳を握りしめた彦一に弥生が瞠目すると、彦一はなお力強く言った。

「こら個人的な事情かもしれへんで! なんせ仙道さんの彼女はあの牧さんの妹さんや! そら海南に対して複雑になるで、いくら仙道さんかて!」

「な……ッ!」

 その発言に今度は弥生がガタッと席から立つ。

「な、仙道君に彼女て……! それホンマやの、彦一! どこからの情報や!?」

 嵐のような勢いで姉に凄まれて、ヒッ、と彦一はおののく。いくら仙道のファンといえど、高校生相手に姉の弥生が本気でどうこう思っていたとは思えないのだが、と思わず椅子を引いてしまう。

「い、いや、ワイも確信は持ってへんのやけど……。た、たぶん間違いないと思うで……。公然の秘密っちゅーか、越野さんなんか彼女の話になるとピリピリしはじめはるし……」

「ちょっと待ちぃや。牧君の妹て……。それ従妹やあらへんか? 牧つかさちゃんやろ、国体でコーチ務めとった」

「ああ、そや! つかささんや。従妹やったかな……。まあええわ」

「そらまた……、ネタとしては面白そうやな。海南の牧君の従妹と陵南の仙道君が……」

「うまくいったら仙道さんが牧さんの義理の弟になるんやな! えらい豪華やで!」

「アホ! 気が早いっちゅーねん。けど……高校生やからなぁ、もしそれがホンマやったら複雑なんは確かやろうな」

 言って、プライベートはほっといたりや、と冷静になったらしき姉からまともな突っ込みを受け、せやな、と彦一もその話題を打ち切った。

 けれども──、越野は怒るかもしれないが、仙道がつかさと交際していることに彦一としてはある種の憧れを抱いていた。

 そばで毎日毎日、それこそ流川並に女生徒にモテている仙道を見ているだけに、少なくとも自分が一年の時から知る限りつかさくらいしか女の陰がちらつかない仙道は、やはり一途でカッコええと思う。

 さすが仙道さんや、と一人で震えていると、そや、と姉からさらなる突っ込みが入ってきた。

「あんたも今年はガードの控えやろ? もっと試合で使ってもらえるようがんばりや」

「ほ、ほっといてや!!」

 瞬間、全力で突っ込み返して彦一は勢いよくデータノートを閉じた。

 

 相田家で自分が話題のタネにされているなど露知らず、仙道はそろそろ引き上げようかと体育館で一人息を吐いていた。

 ある意味もっとも面倒だった湘北戦が終わって、いくらかホッとしている。

 手に持っていたボールを緩くドリブルしながら右サイドに歩いていくと、ふ、とリングに目配せした。そうしてペースを変えて、湘北戦でそうしたように踊るようにステップを踏み、ゴール下に入ったところで逆サイドに跳んで上体を捻ってから左手で思い切りボールをリングに叩き込んだ。

 揺れるゴールの音を聞きながら着地して、フー、と息を吐く。

 つかさはこういうプレイがやりたかったんだろうな、などと思う。なまじ技術がある分、ある程度はイメージ通りに動けるというのに、高さやバネの話になったら身体がついていかないというのは苦痛なはずだ。

 ミニバスのゴールだったらダンクはできると言ってはいたが、と考えつつボールを拾って片づけ、体育館を後にする。

 家に帰っても一人、という生活は気楽で自分には合っていると思うものの、ある意味この特殊な環境こそが「バスケのためだけに」ここへ来たということを絶えず自分に知らしめるものだ。

 初めて湘南に来た日、つかさに会って、なんで辛そうにバスケなんてやってるんだ、と思ったものだが──、楽しい、ばかりではいられないのも現実だよな、と自分の置かれている状況を顧みて肩を落とす。

 天才だなんだと言われても、まだなにも成し遂げていない。その上、負けても周りはチームメイトが悪かったから自分のせいではない、などと言うのだ。実際、国体で全国を制している以上、陵南が神奈川はおろか全国で何の結果も残せなかったら益々そう言われることは火を見るより明らかだ。

 国体は確かに楽しかった。優れたチームメイトで、面白いように良いプレイが出来て。けれどもやはり、自分が選んだのは陵南だ。自分には義務もあるし、今のチームメイトと共に全国へ行きたい。

 それに──。

 

『もう二度と、負けんじゃねえぞ、仙道!』

『お前はこのオレ、諸星大を負かしたんだ! 分かったか!?』

 

 個人的な事情であっても、やはり譲れない。諸星を超える選手にならねば──、つかさの隣でへらへら笑ってなどいられない。

 プライドの問題かな、これは、とシャワーヘッドを睨みながら思う。こんなことをいちいち考えてしまうのもバスケ一色のみの生活のせいだろうか。と、シャワーを終えて髪にタオルをあてつつ、ふと鏡の中の自分をのぞき込む。鏡すら屈まないと映らない自分の身体は、慣れていても日本規格ではけっこう不便だ。

 

『見慣れないなぁ……仙道くんが髪おろしてるところ……』

『大きいな、と思って。仙道くん』

 

 大きいな、とあのときのつかさは──笑っていたっけ、と仙道は思わずあのとき触れていたつかさの肌の感触を思い出し、ハッとして首を振るった。

 いつもは、「大きい」とつかさ独特のジトッとした目線で羨ましそうに言われることが多いため、いっそう意外だったものだ。

 

『バスケットしてなくても、例え365日、釣りばっかりしてても仙道くんが好き』

 

 やれやれ、こりゃ末期だな。と邪念に侵される自分の脳に自分で突っ込みを入れて、仙道は食事の用意をするためにキッチンに向かった。



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39話

 ──決勝リーグ2戦目。

 今日の男子バスケットは全ての試合が平塚総合体育館で行われる。

 一戦目は緑風対陵南、そして二戦目は海南対湘北である。

 

 つかさはいつも通り海南の制服を身に纏ったものの、目に見えて上機嫌で出かける準備を進めていた。なぜならば、今日は陵南の試合が見られる。応援もできるのだ。

「今日の試合に勝てば、陵南はインターハイ進出がほぼ決まるね!」

 弾んだ声で言えば、同じく出かける準備をしていた紳一が呆れたように言った。

「……海南もな……」

 紳一のため息を聞きながら思う。今日でスパッと結果が出ればいいが、陵南が緑風に負け、海南が湘北に負けた場合は勝負が最終戦までもつれ込む羽目になってしまう。それを避けられたとしても、4チームのうち3チームが二勝一敗で横並びにでもなれば、最終順位は得失点差などという面倒なやり方で決まってしまう。海南にしても陵南にしてもそれは避けたいはずだ。

 既に一勝をあげている陵南・海南は今日でインターハイ進出を決め、最終日の優勝争いに備えたいというのが本音だろう。

 

 既に会場入りしていた陵南の田岡もむろん今日でインターハイ進出を決めたいという気持ちもあったが、「勝ち方」の方にもにらみを利かせていた。

 仮に今日の試合で勝利を収めたとしても、インターハイが確実に決まるわけではない。もしも湘北が海南に勝ち、最終日に緑風にも湘北が勝って、さらに陵南が海南に負けた場合、3チームが2勝1敗で並びんで勝利の行方は得失点差に依存することになる。

 万に一つ、そんなことはないと信じたいが、油断は出来ない。万一に備えて、なるべく点差をつけて勝つにこしたことはない。

 とはいえ──。

 田岡は考えながら、自身のチームを見据えた。

「おそらく、海南の選手たちはウチの試合を見に来るだろう。なにも手の内を奴らに見せることはない。そこでだ、仙道」

「はい……」

「オフェンスの軸はお前で行く。マイケル沖田とは好きに勝負しろ」

 控え室にて田岡がそう宣言すると、「おお」と彦一たち控えメンバーが興奮気味に騒ぎ立てた。

 なお田岡は越野の方を見やる。

「越野は克美にマンツーだ。中よりも外のシュートを得意としていて、なにより上背のある選手だ。とにかく、打たせないよう注意しろ」

「はい!」

「よし、他のディフェンスはいつも通り、ゾーンでいく。今日でインターハイを決めるぞ!」

「はい!」

 全員が引き締まった返事をし、陵南の選手たちは程良い緊張心でコートへと向かった。

 薄暗い廊下からコートに出ると、思わず目を窄めてしまうほどのライトと共に歓声が迎えてくれる。さすがに決勝リーグ二戦目。ほぼ満員だ。

 試合前の練習を開始すると、コート脇に次の試合を控えている湘北と海南のメンバーが姿を現した。

「ジンジン……!」

 福田の呟きで、みなが一斉に反対側のゴール下付近に目をやった。海南が揃ってお出ましだ。相変わらず、「海南」というだけで妙なオーラが出ているものだ。

 すると仙道が手を鳴らし、みなを練習に引き戻す。

「ほらほら、目の前に集中!」

 仙道自身、海南の視線は気にはなったもののそんなそぶりは一切見せず淡々と練習を続ける。

 その様子を、観客席の最前列で紳一とつかさも見守っていた。

 

「緑風は攻守のバランスはいいチームだけど……、沖田くんがずっとアメリカにいたせいかな。チーム力はそこまでない感じかな」

「ああ、個々の能力はけっこう良いもんもあるが……、まあ、言うなれば若い学校だからな」

 

 予選初出場でベスト4入りという緑風は記録に残る大健闘であるが、それだけに熟練度という意味では選手・指導者含めて劣っている。

 つかさはなお両チームの主将を見やって言った。

「今日のフォワードは両チームとも正統派ね……、二人ともエースだし」

「マイケルはお前に近いタイプだな」

「え……!? そ、そうかな。えー……私、あんなに身体能力押しじゃなかったはずだけど……」

 身体能力に恵まれた選手は、それに頼りがちになるものである。子供の頃は確かに身体も大きく恵まれていたが、自身のスキルにそれなりに自信を持っているつかさが少し眉を寄せると、いや、と紳一は苦笑いを漏らした。

「インサイド派だろ、あれは。外もあるしパス出しもするが、中に強いタイプだ。お前の言うとおり王道のフォワードタイプだろう。仙道はスタイルがそもそもポイント・フォワードだからな、だいぶん特性が違う」

「インサイド、ね……」

 つかさは少し肩を竦める。あれだけ体格が良ければそりゃ切れ込んでいくのも楽しいだろうな、とマイケルの金髪を目に入れつつ、ふ、と息を吐いた。悔しいな、と思う気持ちはきっと一生消えることはないだろう。でも……、苦しい、とは思わなくなった。きっと、それでいいのだと思う。

 試合開始時間が迫り、両チームが整列する。と、センターサークルに進み出たのは仙道で、お、と紳一が反応した。

「仙道がジャンプボール?」

 通常、ジャンプボールはセンターを担う選手が担当することが常であり、陵南はいつも菅平を出している。が、相手の緑風もフォワードのマイケルを出していた。

 思わずつかさも驚いて声をあげた。

 

「仙道くん! 頑張って!!」

 

 ピク、と仙道の身体が反射的に撓った。つかさの声をほぼ瞬間的に認識した仙道は、ふ、と表情を緩めてちらりとつかさの方を見やった。

 するとめざとく相手のマイケルが「ん?」と反応して仙道の目線の先を追う。

「なに、仙道君のファンかい? お、海南の制服だ……かーわいいねえ」

 特に悪びれるでもなく軽いノリなのはアメリカの血ゆえだろうか。

「さっすが"天才"仙道君。モテモテだねえ」

 おそらくこれは彼の素なのだろう。と、仙道は他の選手が言ったとしたら挑発まがいの言動をさらりと受け流し、曖昧な笑みを浮かべておいた。

 

「ティップ・オフ!」

 

 審判が宣言してボールを投げあげ、同時に跳び上がった二人は互角にボールを捉えた。

 こぼれたボールを越野が素早く拾い、克美に捕まる前に植草へといったんボールを戻してじっくりチャンスを狙う。が──。

 

「植草ッ!」

 

 着地してからすぐに緑風ゴールへと走っていた仙道が植草に合図を送る。すぐさま植草がパスを出してくれ、走りながら利き手で受け取ると仙道はそのままゴールに向かった。

 ディフェンスは2枚。マイケルとセンターの名高だ。仙道は突っ込むと見せかけてロールターンでマイケルをかわし、力任せに跳び上がってそのままパワーで押し込むように名高の上から豪快なダンクを決めた。

 

「う、うおおおお、仙道いきなり先制ダンクだあああ!!」

「はえええええ!!」

 

 あまりの速さに観客は度肝を抜かれ、紳一でさえ「なッ……!」と絶句した。

 むろん、それは見守る海南・湘北勢とて同じだ。

 

「す、すげェ……仙道さん……!」

「仙道、すごいパワーだ……。あのパワフルな名高のうえからあっさり……」

 

 清田と神も瞠目し、目線の先ではディフェンスに専念する陵南がボックスワンを敷いていた。越野のみがマンツーで克美につき、他はゾーンにてゴール下を固めている。

 緑風のガードはボールをフォワードのマイケルに託し、マイケルは中へ切れ込んでくる。が、陵南は福田・菅平・仙道で厚めのプレッシャーをかけてゴール前で潰しにかかった。それでも強引にレイアップを打ったマイケルのボールはリングに弾かれ、仙道がスクリーンアウトで名高を抑え込んだ先で菅平が跳び上がってリバウンドを制し、走っていた越野へとパスを投げた。

 

「いいぞ菅平ッ、ナイスリバンッ!」

「速攻や、越野さん!!」

 

 ベンチからそんな声が飛び、越野も張り切ってフロントコートへ駆け上がった。が、既に克美が戻っており、いったん越野は足を止めざるを得ない。

「──ッ!」

 その視界の端に仙道が駆けてくるのが見え──、越野の脳裏に「オフェンスの軸は仙道」という田岡の指示が過ぎった。

 よし、と頷いて克美を睨みあげる。攻め行くような表情はフェイント。切り崩しにかかると見せかけて、越野は背面からヒョイと左ウィングにあがってきた仙道にパスを回した。

 

「仙道だ──ッ!!」

 

 ワッ、と客席が揺れ、緑風ディフェンスは仙道のドライブインを警戒して締まる。しかし。仙道はドライブインに行くというモーションだけを見せ、バックステップでスリーポイントラインの外に出た。と、同時に虚を突かれただろうディフェンスの反応が間に合わないほどの速さでボールをリリースした。

 

「スリーポイントだと……ッ!?」

 

 誰もがこの局面でスリーを選択するとは思いもよらなかった中、仙道の放ったボールは綺麗にリングを貫き、あっという間に仙道一人で5点稼いでアリーナが大歓声で沸いた。

「は、派手だな……仙道のヤツ」

 紳一が腕組みをして言い下し、つかさも少しだけ驚いていた。序盤からすごい飛ばしようだ。それに──。

「完全にクイックリリースをモノにしてる……。さすが仙道くん……」

 国体の合宿時に、おそらくは諸星に対抗して外のクイックモーションを練習していたはずなのだ、彼は。確かにすぐに出来るようにはなっていたが、さらに磨きがかかっている。

「どうやら調子が良いようだな、今日の仙道は」

 いわゆる"ノッてる"という状態なのだろうか? いや、仙道のレベルならこれくらいは普通のはず。と、つかさが試合状況を見守っていると、どうやら陵南は極端にボールを仙道に集めているらしき傾向が掴めてきた。

 奇しくも紳一が言ったとおり、仙道は天性のフォワードだが性質はポイント・フォワードだ。こんなワンマンらしい動きを好む選手ではない。──ということは、作戦か? と思う。

 いくら仙道に依存する傾向が強い陵南にしても、過去の試合でもここまで露骨ではなかった。それに、陵南自身、仙道に頼りきりでは勝てないということは良く分かっているはずだ。

 だとしたら──、やはり作戦。最終戦を睨んで手の内は見せないつもりか、とベンチの田岡を見据えた。

 

「さすが"天才"だねえ。面白くなってきたよ。でも……、プレイがちょっと強引かな」

 

 マイケルをマークしつつ、仙道は内心ほくそ笑んだ。あくまで自分を軸に攻めると言ったのは田岡の作戦。全ては海南に勝つための布石だ。仮に自分が手詰まっても、福田を使う。そして得点を稼ぐ。それでいいんだ、と腰を落として守っていると、30秒バイオレーションが見えてきてマイケルは克美へとボールを渡した。

 

「越野ッ!」

 

 田岡がベンチから叫び、越野も腰を落として振り切らせまいと守る。

「しつこいですねッ、無駄ですよ! そんな小さい身体でッ!」

「うるさいッ、ぜったい打たせねえぞッ!」

 越野はチャンスさえあればスティールしてやる、と息巻いていたが、克美は自身より10センチは高い。

 いくらディフェンスを頑張っても、このミスマッチはそう埋まるモノでもなく──、ブザーが鳴るギリギリで克美は強引にシュートへ行って見事に決め、おまけに、フ、と不敵な笑みまで越野にくれた。

「ほらね?」

 むろん、越野はいとも容易くコメカミに青筋を立てた。

 なんつー生意気な二年坊主だ。と、思うも──武石中出身の克美一郎。中学時代、スター選手だった三井の跡を継ぐシューターとして名を馳せていたのは越野自身、知っていたことだ。やはりシューティングガードに求められる重要条件はシュートの巧さ。克美の言うとおり、自分は174センチしかなく大きいとは言えない。シュートすら負けているようでは全国で戦えない、と舌打ちしつつ気持ちをオフェンスに切り替える。──負けねえ、とグッと拳を握りしめた。

 

 試合は仙道が積極的に攻めて多彩なプレイでポイントを奪い、ディフェンスでは圧巻のチームディフェンスで陵南が上手く緑風オフェンスを殺して陵南有利の展開が続いていた。

 

 仙道は、単純に試合を楽しんでいた。

 マッチアップ相手のマイケルは相手にするに十分な技術を持っているし、なにより陵南が勝っている。これ以上に楽しいことはないだろう。

 やはり、勝負もバスケも楽しんでなんぼだと思う。苦しんで勝ち抜いて行くのは、きっと自分には合わない。でも、それもこの夏で最後だ。最後だから、苦しんでも勝つ──と、ゴールから離れた位置からフックシュートを決めればさらに会場がワッと沸いた。

 

「さすが仙道、打点が高いッ!」

「なんて鮮やかなシュートフォームだ……!!」

 

 ほう、と紳一も喉を鳴らし、つかさも思わず手を叩いていた。

「きれーい……! いいなぁ……なんて綺麗なフックシュート……!!」

 モーションの小さいベビーフックと違い、フックだと形がはっきりと観衆に伝わる。仙道の滞空時間の長い高打点のシュートは尚さらフォームが目立ち、いっそう華やかだ。

 仙道は、よくつかさ自身のフォームを綺麗だと誉めてくれていたが──やっぱり仙道は綺麗だな、と少しだけ肩を竦める。

 それにも増して、今日の仙道はなぜだか楽しそうだ。天性のパスセンスや、おそらく仙道自身の性格に起因するゲームメイクも仙道の魅力の一つであるが、やはり彼はフォワード。オフェンスこそ仙道最大の魅力だと改めてつかさは思った。

 仙道ならきっと、きっと、自分が出来なかったことを、きっと何でも最高の形でプレイ出来るんだろうな、と思う。自分の得意なドライブからのシュートも、仙道ならもっとキレ良く、高さとパワーでディフェンスに競り負けることもなく。きっと決めてしまうのだろう。

 不思議と悔しいとは思わなかった。だって目の前にいるのは、あの諸星以上と感じた選手なのだ。やっぱり仙道が、この陵南でインターハイを勝ち進んでいくところが見たい。

 

「よォし、良いぞ仙道!!」

 

 田岡もベンチから弾んだ声を仙道にかけていた。

 仙道ほど、こちらの意図をくみ取って明確に動いてくれる選手はおそらくいないだろう。今年の陵南の良さはチーム力・全体力であるが、こうして仙道一人が奮闘している状態でも、選手たちは仙道の活躍に乗せられてディフェンスも自然と良くなってくる。

 やはり、仙道次第でチームの色を自在に変えられる──まさに天才。いや、そんな言葉すら安っぽいかもしれない。

 チラリと田岡はスコアボードを見やる。ここまで完全に陵南ペースだ。

 全国が見えてきた。──と逸る気持ちを抑えつつ、ハーフタイムで田岡は後半は福田にも積極的にオフェンスに関わらせるように指示を出した。

 そうして後半に入っても勢いは衰えず、福田-仙道のラインはたびたび群衆を沸かせるプレイを見せつけていた。

 緑風は緑風で攻撃を外に広げて頻繁に克美にボールを回し上手く点を稼がれていたが、越野の能力以上にミスマッチとは厳しいものである。そこは仕方がない。

 

 陵南はあくまで「点の取り合い」ではなくディフェンス重視でロースコアに持ち込んでいる。その上で点差を付けようとしているからこそ、余計に仙道のキレのある攻撃が目立ち──、緑風は失点続きで陵南はスコアを重ね、観客は仙道の怒濤の攻撃を次第に息を呑んで見守っていた。

 そして──。

 

「試合終了──!」

 

 ブザーが鳴り終わると同時に審判が宣言し、ワッ、と陵南応援団が跳び上がった。

 スコアは89-75。数字の上では10ポイント以上の差をつけて陵南が勝利を収めた。

 

「陵南、2連勝だああああ!!!」

「インターハイ出場に一番乗りか!?」

 

 陵南、というよりは圧倒的に仙道の力を見せつけて勝利したような試合だったものの、つかさも2勝をあげたことでいくらかホッと胸を撫で下ろしていた。

「これで……、陵南のインターハイ出場はほぼ決まりね」

「次のウチと湘北の試合次第だな。ウチが勝てば、決定だ」

「そ、そうだけど……。か、海南が勝つよ、ぜったい」

「お前、純粋に海南を応援してるんだろうな……?」

 ギロ、と紳一に睨まれて、む、とつかさは唇を尖らせる。なぜこうも突っかかってくるんだろうか。陵南が関わっていなかったとしても、湘北に海南が負けることを望むわけないというのに。

 

 ──ともかく、次の試合で全てが決まる。もしも湘北が勝てば、インターハイへの切符の行方は極めて混迷を深めることになる。

 

 むろん、そのことは陵南もよく認識しており──、今の勝利でインターハイが確定したとは全員が思わないようにしていた。

 とはいえ、2連勝をあげて控え室の雰囲気はすこぶる明るい。

「ようし、良くやったお前たち! この2勝は大きいぞ、このままの勢いで最終戦も海南に勝ち、ウチが優勝だ!」

「はい!」

 手を叩く田岡に選手たちも気合いたっぷりに応え、田岡は汗を拭っている仙道へ視線を送った。

「お前もご苦労だったな、仙道。コート脇で見ていた海南も湘北もお前の怒濤の攻撃に驚いていたに違いない」

「え……、さあ、どうですかね」

 満足げな田岡に仙道が目線を泳がすと、興奮気味の部員たちが一様にまくし立てた。

「いやあ、ベンチにおったワイも痺れましたわ! 仙道さん絶好調や!」

「お前マジで今日はどうしたんだ!? 初っぱなから全開だったしよ!」

「あのマイケルにも全然負けてなかったもんな」

「オレ、コート脇で流川がスゲー睨んでるのと清田が呆然としてるの見逃さなかったぜ!!」

 彦一や越野たちが次々に褒め称えて、仙道は少しだけ居心地悪そうに「まいったな」と呟くも──、ジー、と福田のみが無言で仙道を見ており、しばらくしてその視線に気づいた一同が福田に視線を集めた。

「何だ、福田?」

 すると、問われた福田はプイっと横を向いて「いや」と言いつつも、改めて仙道の方を見た。

「お前って、けっこう単純なんだな」

 ボソッと呟いてから福田はスタスタとロッカーの方に行って着替えはじめ、一同「なんだ?」と首を捻るも、仙道は軽く目を見開いたのちに図星を指されたような益々バツの悪い表情を浮かべて首元に手をやり、息を吐いた。

 

「よし、全員着替えたら客席に行くぞ! 海南・湘北戦が始まる」

 

 田岡が手を叩いて部員たちを促し、ゾロゾロとみなで控え室を出──福田は横目でチラリと仙道を捉えた。

 ──ティップオフの直前、つかさの声が飛んだのに気づいた。薄く、仙道が笑ったのも知っている。

 田岡の与えた作戦が「仙道を軸にオフェンスを組む」、だったとはいえ、試合開始直後から全開だったのはつかさのせいだったとしか思えない。

 いや、いいのだ。好きな子に良いところを見せたくて頑張る。なんていうのは、どう言い訳したところで男ならしかたない。仙道がつかさを気に入っているのが気に入らないらしき越野にしても、お目当ての子が「越野くーん!」などと甘い声を飛ばそうものならきっと余裕のスリーを決めてくれるはずだ。

 それはいいのだが、と福田はあごに手を当てる。

 それだけに、明日は大丈夫なのだろうか──、とジッと仙道を見ていると、視線に気づかれたため、フイ、と目をそらした。

 

『今は、練習時間外だから、個人的なことを言うね──』

『私は、陵南に……仙道くんにぜったいにインターハイに行って欲しいから』

『仙道くんは、きっと負けない。全国でも、きっと負けない……!』

 

 海南の、牧紳一の妹。そんな彼女が個人的な理由で海南より陵南を応援するとは思えない。そんなことは仙道もわきまえているだろう。

 しかし。もしも自分が仙道だったとしたら。惚れた女が敵陣サイドにいれば、確実にメンタルに影響する。

 とはいえ、仙道はそこまで繊細でもないか、とふぅ、と福田は息を吐いた。

 ベンチ外の部員が確保してくれていた観客席に腰を下ろせば、第2試合の両チームは既に練習を開始しており「おー!」とさっそく彦一が騒ぎ始める。

「両チームとも絶対的大黒柱が抜けての再戦! こりゃ要チェックやで!」

 大黒柱、とは紳一と赤木のことを指しているのだろう。既に高校を去っている二人だというのに未だにこの言われよう。それだけインパクトが強かったという証拠だ。フン、と福田は鼻を鳴らした。

「ジンジンは、中学でもキャプテンだった……。統率力がないわけじゃない」

「え……、ほんまですか福田さん!? ……あ、そういえば、神さんは元のポジションはセンターとか……」

 言いながら彦一はパラパラとチェックノートを捲っており、福田は無言で腕を組む。自分が中2の終わりにバスケ部に入部した時には、既に神は主将を務めていた。それほど強い学校ではなかったが、曲がりなりにも神自身は海南進学を目指すほどに意識の高い選手であり、センターでエースをはっていた。主将としても選手としてもチームの中心であり、新入部員の自分をよく気にかけてくれてチームに入りやすくしてくれた、言うなればサポートタイプのリーダーだったのだ。おそらく、今年の海南もそうやってまとめているのだろうと思う。

「けど……、どっちにしろこの試合は、陵南としては海南を応援するべきでっしゃろ、監督!?」

 彦一はなおノートを睨みつつ田岡の方を見、グ、と田岡は喉元を詰まらせた。

「海南が湘北に勝てば、今日でウチと海南のインターハイ進出が決まるっちゅーわけや! そうでっしゃろ監督!?」

「ま……、まあな」

 田岡は、事実は事実なだけにそう頷くしかなかったのか、頷いていた。海南は終生のライバル・高頭のチームであるため複雑なのだろう。

 福田としては、なにをどう考えても湘北よりは神のいる海南が勝ち、神と一緒にインターハイという展開が望ましくあったが──、他のメンバーはどうなのか。

「海南が勝てば、ウチと海南がインターハイ。そして明日は優勝決定戦だ。そっちのが分かりやすくていいぜ。なあ仙道?」

 越野がそう仙道に話題をふり、え、と仙道は目を見開いている。

「うん……、まあ、そうだな」

「海南に派手な選手はいない。といってもキャプテンの神は去年の全国得点王……、牧さんのアシストがあってのこととはいえ、今年もあなどれないな」

 植草がそう言い加えて、うむ、と田岡も頷く。

「とにかく、お前ら。海南の選手たちの動きをしっかり見ておけよ。常に奴らをどう抑え、どう攻めるかイメージしながら見るんだ」

「はい!」

 試合開始が目前に迫り、海南・湘北の両選手たちがセンターサークルに集まっていった。

 そうして審判がティップオフを宣言する。

 海南にとっても、陵南にとっても、インターハイ行きの成否を決する一戦の幕開けだった。



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40話

 ──海南は、個々のディフェンス能力という意味ではおそらくどのチームよりも上である。

 

 湘北の攻撃──、海南は湘北の要である流川と宮城にマンマークを付けた。

 清田が流川につき、小菅は宮城を徹底マークしている。そしてインサイドは神・田中・鈴木のフロントコート陣で完全に固め──、誰の目にも湘北が不利に映った。なぜなら、起点の宮城は小菅相手に不利なミスマッチ、清田にしてもストッパータイプだけに流川との身長差もカバーできるほどに抑えが利く。更に湘北インサイドは負傷明けの桜木・そして角田であり、仮に流川が清田を抜いたとしても、湘北は海南のフロント陣に対してあまり対抗策がない。

 そして問題はディフェンスだ。湘北は決してディフェンスの得意なチームとは言えない。チームディフェンスは苦手であり、基本的にはマンツーで対応する湘北ではあるが、今年の海南は小菅・神という外からのシュートを得意とする選手を複数有しているのだ。ゆえにディフェンスはどうしても外に広げざるを得ず、隙も生まれやすい。事実、中に注意を向ければ外から射抜かれ、外に対応すれば中からやられるという目に見えた悪循環が起こり──。

 

「神ッ──!」

「ドライブだとッ!?」

 

 神はミドル以上の外郭シュートに加え、積極的に中に切れ込んでゴール下のシュートを連発した。

 自身にマンマークで付いている桜木か流川さえ振り切ってしまえば、湘北のゴール下──角田では相手にはならないからだ。

 

「おおおお、神さんうまいッ! さすが元センターや! やっぱり海南のキャプテンやー!」

「ウルセーぞ彦一ッ! 敵、誉めてんじゃねえ!」

 

 陵南陣営では彦一が賞賛の声をあげれば越野が苛立って制止し、すんません、と彦一は謝りつつ「せやけど」と話を続ける。

「湘北はなんか後手後手になっとるんとちゃいます? センターのはずの桜木さんが外に出過ぎっちゅーか……」

 そうなのだ。湘北はスモールフォワードの神にセンターの桜木をあててきていて、ディフェンスがどうにもごちゃごちゃしている。

 うむ、と田岡も頷いた。

「神に対抗できる高さのある選手が桜木しかいないからな。かといって流川をつけて桜木をゴール下においたままだと清田や小菅がミドルを打ちやすい状況が生まれる。今年の海南は湘北には最悪の相性だ」

 去年の海南は牧-神というオフェンスのラインがしっかりしており、起点がほぼ紳一に依存していたため、陵南にしても仙道一人が紳一を抑えていれば戦えたが、今年は随分と毛色が違う。

 チッ、と越野が舌打ちした。

「さすがに海南……。いいチームを作ってやがるぜ」

「あの小菅も、去年は控えだったが隙のないガードだな……。次から次にいい人材ばかり出てくるあたり……さすが王者だ」

 植草も、自身のマッチアップを考えてだろうか。ごくりと喉を鳴らしてそんなことを呟いた。

「ノブナガ君がよく流川を抑えてるな……。去年のように流川を乗せる前に足を止めるつもりだろう。ディフェンスに専念してるぶん、そうオフェンスに参加してないが……」

「たぶん明日は清田ももっとオフェンスに絡んでくるはずだ。中も外もあると考えた方がいい」

 仙道の呟きを受けて、福田が言いながらちらりと越野を見た。ポジション的にマッチアップは彼だからだ。

 チッ、とまた越野が舌打ちをする。

「なんでオレの相手はいつもいつも生意気な二年坊主なんだ? しかも、オレよりデカイしな」

「清田はジャンプ力もずば抜けている。プラス10センチくらいの差はあると思っておいたほうがいい」

 さらに福田が念を押せば、ますます越野は仏頂面を晒した。

 そして──、試合が進むにつれて陵南陣営は次第に口数が減っていった。去年はほぼ互角だった海南と湘北。湘北の大幅な戦力ダウンがあるとはいえ、こうも差が付くのか、と明日の優勝戦を案じたのだ。

 

「海南! 海南! 常勝・海南! 海南! 海南! 常勝・海南!!」

 

 試合時間終了が近づくと海南応援席は益々盛り上がり、カウントダウンが始まった頃には既に踊り出していた。

 今か今かとブザーの音を待ちわび、響いたと同時に跳び上がる。

 

「海南大附属、18年連続インターハイ出場ーー!!!」

 

 ワッと観客席がうねり、試合の行く末をやや圧倒されながら見ていた陵南陣営もハッと互いの顔を見合わせた。

「か、海南が勝った……、ちゅーことは……」

「インターハイ……決定だ!!」

 彦一と越野が呟くと、急に周りの観客たちが陵南陣営に向かって拍手を送った。

 

「おめでとう陵南!!」

「仙道さーん! インターハイでも頑張ってー!」

「明日の優勝、期待してるぞ!!」

 

 そうした周りの声でようやく実感が出たのか、選手たちは互いに「信じられない」という面もちだった表情をはちきれんばかりの笑顔に変え、ワッと抱き合って喜び合った。

「監督! インターハイですよ、インターハイ!!」

「あ……ああ……」

「ついに来たんや……ついにこのときが来たんや……!!」

 なにやら呆然としている田岡に向かって彦一は歓喜の涙を流し──、仙道は少しだけ笑みを浮かべて、福田はフンと鼻を鳴らしていた。

「重要なのは一位通過かどうかだ。明日が本番だ」

 すると微笑んでいた仙道が、少しだけ首を縦に振った。

「そうだな……」

 それは喜んでいる仲間たちに水を差さない程度の小さな小さな声だった。しかし──、二人して試合を終えたばかりの海南陣営を見下ろす。

 海南か、陵南か。海南18年連続優勝への決意をうち破れるか、否か。真の勝負は、明日だ。

 

「おめでとう! 神くん!」

「まあ、当然だな」

 

 海南ベンチ真上の応援席で紳一とつかさが選手たちを激励し、みなが客席を見上げて笑顔を見せる。

「牧さん! 見ててくれましたか、この清田の勇姿!」

 跳び上がって喜ぶ清田に紳一は肩を竦めつつも笑みをこぼし、つかさも、ふ、と笑った。

「清田くん、よく流川くんを抑えてたよね……。取りこぼしもよくゴール下がカバーしてたし」

「ああ、神はいいチームに仕上げてきてるな」

「陵南もインターハイが決まったし……良かった……!」

 海南の勝利で両校のインターハイ進出が決定し、つかさは上機嫌で笑みをこぼした。が、明日はその2校が雌雄を決する時だ。考えただけで心臓に悪い。もしも明日がインターハイ出場の最後の椅子を賭けた去年の湘北・陵南戦のような戦いだったら、会場に足を踏み入れるのさえ躊躇しただろう。

 紳一は海南を応援しろと言うに決まっているし、とジトッと紳一を睨みつつ、紳一を追って席を立つ。

「なにしてる、行くぞ」

 仙道にインターハイ出場おめでとうくらい言いたいな、とキョロキョロするも、紳一に促されて仕方なくつかさは会場を後にした。この調子で、ちょっと会うことさえ許されない。試合会場が唯一、仙道と会える場所だというのに。後ろ髪引かれるようにして会場をもう一度振り返るも、小さくため息を吐いてつかさは紳一の車に乗り込んだ。

「そうだ……、大学にちょっと寄っていいか?」

 帰り道、車内で用事を思い出したらしい紳一がそんなことを言い、うん、とつかさは生返事をした。

 どうせやることもないし、図書館にでも寄っていこうと海南大に着くと紳一と別れて大学の図書館を目指す。そうなってしまえばもういつもの生活サイクルに入ってしまい、気づいた時にはどっぷり暮れていてつかさはさすがにそろそろ帰ろうと外へ出た。

 すると高校の体育館の電気がまだついており──、足を向けてひょいと中を伺ってみると、神が一人で練習していて少し目を見開く。

 シュート練習ではなく、ゴール下の練習のようだ。さすがに元センター、手慣れているし去年より何倍も力強さが増している。

「神くん……」

 神は、仙道や諸星のような鋭いドライブは持っていない。切れ込む技術に関しては清田の方が数段優れている。が、トップレベルに食い込めないというだけで、並の高校なら即エースレベルのスラッシャー能力は十二分に備えている。

 それでもあくまでアウトサイドに拘っていた神だけに、今年の神はインサイドの能力も強化されて、いち選手として成熟した状態にある。おそらく、長きに渡る努力が実を結んでロングシュート以外にも目を向けられる余裕が生まれたからだろう。

 それに──、海南のキャプテンとして常勝の歴史を背負っている責任。

 

『オレは仙道には負けたくないよ』

『仙道とは同じ学年で、ポジションも被ってるけど、あっちはルーキー時代から天才で……なんかいまいち意識したことなかったんだけど、今は良いライバルだと思ってるんだ。そんな風に思えるようになったことはちょっと嬉しいかな』

 

 いつか、そう言って本当に嬉しそうにしていた神。

 出会ったばかりの頃の神は、元もと柔らかで美しいシュートフォームを持っていたとはいえ、あくまで「良いシューターになりそう」という素材だった。そうして日々練習を重ね、一年の秋口には冬の選抜でレギュラーを取れるかもしれないという期待まで抱かせるようなシューターに育っていた。

 そして、2年の夏には全国一の得点王として名シューターの座を不動のものにし、今や海南のキャプテンだ。

 突然にセンターからフォワードにコンバートしながら、ここまでの地位を築き上げた。穏やかで優しい神からは想像もできないほどの情熱と闘志をつかさ自身尊敬しているし、彼が誰よりも努力してきたことも知っている。

 その両肩に、今、「18年連続優勝」という重みがのし掛かっているのだ──、と怖いほど真剣に練習に取り組む神を瞳に宿し、そっとつかさは体育館をあとにした。

 おそらく、神にかかるプレッシャーは仙道の比ではない。仙道自身がいくら天才と呼ばれていようと、陵南というチームは海南に対してあくまで「挑戦者」だ。

 けれども、「負けてもいい」などという気持ちで試合に挑む人間はいない。そんなこと、自分も良く分かっている。

 仙道だって、いまごろ必死で努力しているはずだ。現に、今年に入ってから仙道はそれこそ血の滲むような努力を重ねているはず──、と思うも、やはり、これまでの神の努力を近くで見知っているだけに、明日、陵南を応援するわけにはいかない。

 これが学校が違うということなのだろうか。もしも自分が陵南の生徒だったら、きっとそばで仙道のことを見ていられたのに、と巡らせつつ帰宅すると、やはり紳一も明日の試合が気になるのだろう。しきりに何度もタイムテーブルに視線を落としている。

「ウチは明日の二戦目か……、勝った方が優勝だ。ラストを飾るに相応しい試合になりそうだな」

「うん……」

 自身がキャプテンだった去年を含めて、3年連続で王座の地位を守りきった紳一にはおそらく今の神の心境が手に取るように分かるのだろう。言葉の端々に神への気遣いが出てきて、つかさは相づちを打ちながら、その重みを想像してみた。

 なんだかんだ、紳一と諸星がついていた自分は──エースの意地は背負っていても、チームを預かる責任を意識したことはない。

 18年──ちょうど自分や神が生きてきた長さと同じだ。もしもその記録を自分が途絶えさせたとなれば、真面目な神は一生自分を責め続けるだろう。

 けれども──、と脳裏に仙道の姿を浮かべてつかさはふるふると首を振るった。

 考えても仕方がない。試合は試合なのだから。

 

 

 その頃──、神は海南の体育館で一人ジッとバスケットゴールを見据えていた。

 今日のノルマも終え、細かい確認作業も終えて、明日に備えて出来ることは全てやった。

 シンと静まりかえった体育館に佇んで色なくゴールを見据えながら、少しばかり乾いた唇をキュッと噛みしめた。

 視線の先に、青いユニフォームが、「4」の数字を纏った彼の姿が鮮明に浮かんでくる。

「仙道……!」

 海南が目指すのは全国制覇。県予選は通過点に過ぎない。けれども、自分にとって一番の山は明日かもしれない。「天才」仙道を倒し、海南を18年連続優勝に導かなければならない明日こそが──。

 瞳を閉じても、イメージできない。仙道は、天才だ。見かけによらず努力家で、一緒にプレイしていて心地の良い、自分にない全てのものをもっている完璧な選手でもある。

 そんな彼に、肩を並べて堂々と戦える場所まで来た。いやむしろ、「迎え撃つ」立場を預かるのだ、自分は。

 あの天才が、明日は自分に挑んでくる。

 その彼を打ち破って勝利する自分が──、どうしてもイメージできない。

 去年、海南は陵南に勝利したというのに、我ながらおかしいと思う。けれども、なぜだろう? 国体の時から、自分はとても彼を身近に感じている。その才能さえ、いつだって身近で感じてきた。もしかしたら自分は、天才・仙道の敗北する姿など見たくはないのかもしれない。──などと考えてしまい、僅かに神は自嘲した。

 いつだったか、つかさに言った言葉を思い出す。

 仙道になど到底並ぶべくもなかった自分が、こうして今、海南の歴史を背負って彼と対峙しようとしている。

 それは何ごとにも変えがたいほどに誇らしいことだ。

 そしてやはり、だからこそ、負けたくない。──いつだってそうだった。国体の間、ずっと二人で自主練習をしていた。あのときにふざけてやった勝負ですら、いつだって負けたくなかったんだ。と、自分との勝負に敗北して苦笑いを漏らす仙道の姿を浮かべて、神は今度は薄く笑った。

 

 そうだ、明日だって、負けるものか。──と強く拳を握り、僅かに震える身体を鎮めるようにして神はしばしゴールを見据えていた。



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41話

 神奈川県大会・インターハイ予選最終日。

 

 最終戦を控え──既にインターハイが決定している両チームは第一試合には顔を出さず、それぞれ控え室で試合に向けて気持ちを高めていた。

 

「監督、ワイらよりピリピリしとんのとちゃいます?」

「なんかブツブツ言ってたぜさっき、一人で……」

 

 陵南の控え室では部員たちがコソコソと噂話をする先で、監督の田岡も僅かばかり緊張を覚えて試合に備えていた。なぜなら、今日は生徒のみにあらず自分たち監督同士にしても、優勝を賭けた世紀の戦いであるからだ。

 陵南初のインターハイ出場。それが決まってむろん嬉しさはあるものの、優勝争いをする相手が高頭率いる海南となればそうそう喜んでばかりもいられない。

 思い返せば、高頭とは随分と長い付き合いになる。始まりは25年ほど前──そう、ちょうど今の教え子のような高校生の頃だった。この神奈川で、まさに今の彼らのように全国出場をかけて高頭と相まみえること数回。勝った負けたを繰り返し、いまだに決着が付かず──しかし監督としては負け続けだ。ここ辺りで、さすがに一度くらいは勝っておきたい。

 頷いて、田岡は選手達を見やった。

 

「いいか、お前たち。今年の海南は去年よりもオーソドックスなバスケットをする隙のないチームになっている。だが、チーム力ではうちが上だ! 今年こそウチがナンバー1になる年だ!」

「おう!」

 

 その頃、海南控え室でも高頭が選手たちを集めて言い聞かせていた。

 高頭としても、むろん長年のライバル・田岡に負けるわけにも常勝をストップさせるわけにもいかない。

 

「昨日の試合を見ても分かるとおり、陵南で怖いのは仙道のみだ! 仙道-福田のフォワード陣さえ好きにさせなければウチの有利は変わらん! ガード陣を早めに潰してウチが主導権を取るんだ、いいな!」

「はい!」

 

 海南としても優勝のかかった試合で、しかも相手は去年に苦戦を強いられた陵南。選手たちの表情にはそれぞれ緊張が見られる。当然だ、と理解しつつも高頭は神に声をかけた。

「海南の18年連覇という歴史がかかった一戦だ。頼んだぞ、神」

「──はい」

 いつも通り、神は顔色一つ変えずに返事をした。いつもそうだ。センターは無理だと最後通告をした時も、顔色一つ変えなかった。いっそ、憤りや情熱などの感情を知らないのかと思えてしまうほどに、だ。しかし、それはあくまで表面のみ。神の、内面に秘めた闘志は誰よりも強い。目標を設定して必ずそれをやり遂げられる力がある神を高頭は信頼していた。

 例え相手があの天才・仙道でも、必ず勝つ。神とは──海南とは、そういうチームなのだ。

 

「今年も、勝たせてもらいますよ……田岡先輩!」

 

 高頭が呟いている頃、紳一とつかさは湘北・緑風戦をスタンドで観戦していたが、やはり既にインターハイ落ちが決定しているためか両チームともに前日までの覇気がない。

「五分、いや、やや緑風有利だな……。湘北は桜木がまだ万全ではないせいか、センターを上手くこなせてないところが痛い」

「実質、流川くんしか攻めきれる選手がいない状態だしね……。緑風はなんだかんだ、1年も準備してきたチームみたいだし」

「おそらく湘北自体、照準を流川・桜木が三年になる来年に合わせているんだろう。にしても……宮城にもうちょい外があればな。安田の方が外で点を取ってるぞ」

「一応……国体合宿で教えたんだけどなぁ……ミドルとミドルの重要性……」

「そうは言っても宮城の身長だと弾かれるのがオチだからな。いくらジャンプ力があるとは言え……高打点でやろうと思えば技術も体力も余計に必要になってくる」

 むー、とつかさは唇を尖らせた。あまりライバル校の選手が強くなるのは本意ではないものの、なぜやれる改善をやらないのか不思議でならない。シュートのないガードなんて話にならないのに、と肩を竦めるも、陵南の方はどうなっているのだろう? ガードの、越野は──。自分も福田に特に越野にシュートを強化するよう伝えてくれと念を押したし、諸星も口を酸っぱくして越野を鍛えていたらしいが──果たして。

 昨日の試合で陵南ガード陣はあからさまに仙道を中心に据えたゲームメイクをしていたが、いくら仙道頼りの傾向が強い陵南とは言え、あれはおかしい。

 仙道の攻撃の多彩さは改めて確認させられたし、見ていて楽しくはあったが、と思い返しつつ試合が近づくにつれ徐々につかさも緊張を感じ始めた。

 そして第一試合が終わった瞬間、海南陣営が「常勝」の垂れ幕を下げはじめ、海南・陵南双方の選手がコートに入ってくる。

 

「海南! 海南! 海南! 海南!」

「陵南! 陵南! 陵南! 陵南!」

 

 最終戦なだけに応援も気合いが入り、練習のためにコートに出た選手たちの顔もいつもに増して引き締まっている様子を観客に見せた。

 そうして淡々と両陣営シュート練習や細かい確認を繰り返し、3分前になるとそれぞれがベンチに引き上げていく。

 が──、海南ベンチに入る前に、ふと清田が観客席の方を見上げて「あ」と明るい顔を浮かべた。

「牧さーーん!!」

 その声に陵南の選手たちも反応し、海南もそれぞれが前主将の姿を無意識に探して確認した。

 神も紳一の姿を目に留めてから、軽く手を振るう。

「つかさちゃん」

 にこっ、と笑った神の行動はいつものことであったものの──、う、とうっかりその場面を見てしまった福田は喉元を引きつらせていた。そして、おそるおそる仙道を見やる。福田には背中を向けていたが、たぶん、今の気づいたよな。と思うも、とっさにかける言葉すら見あたらない。

 さすがジンジン。高度な心理テクニックを──などと思うのはさすがに被害妄想だろうか。一人で取り乱していると田岡から早く来いと注意を受けて、ハッとして福田はベンチに向かった。

 

「ただいまより、本日の第2試合、陵南高校対海南大附属高校の試合に先立ち、両校の選手の紹介を行います」

 

 アナウンスが流れ、ワッ、と一気に歓声が沸いた。選手紹介は最終日の名物の一つでもある。

 

「青のユニフォーム・陵南高校。4番──仙道彰」

 

 瞬間、割れんばかりの喝采が会場を包んだ。

 

「仙道ーー!!」

「頑張ってーー、仙道さーーん!!」

「いいぞーーー!!」

 

 無数のフラッシュも記者席・応援席問わず光り──、見ていた紳一もつかさも同時に息を呑んだ。

「やれやれ、相変わらず……」

「すごい人気……」

「ここだけは"愛知の星"に勝るとも劣らんな」

 そんな紳一の冗談をかき消すほどの仙道コールが続き、たった一人でコートに佇む仙道は確かに「絵」になっている。

 4番のユニフォーム、やっぱり素敵だな、とつかさは思うも、緊張なのか仙道はどこか浮かない顔をしている。

 

「5番、植草智之。──6番、越野宏明。7番──福田吉兆」

 

 そうして8番の菅平まで全員のスターティングメンバーが揃うと、陵南の選手たちはセンターサークル付近で円陣を組んで互いに激励しあい、さらなるフラッシュが彼らを包んだ。

 

「続きまして白のユニフォーム、海南大附属高校。4番──神宗一郎」

 

 ワーッと海南応援席がキャプテン登場に沸き、神は少しだけ笑みを浮かべてからいつも通り淡々とセンターサークルの方へに向かった。

 そうして5番の小菅が呼ばれている頃、記者席では彦一の姉・弥生が両主将を見据えながら少しばかり目線を鋭くしていた。

「神君と仙道君……、去年の国体では息のあったコンビプレイを見せてくれただけに、お互いに厳しい一戦になるかもしれないわね」

 すると、隣にいた若い記者が「あ」と反応する。

「仲が良さそうでしたもんねー。スタメンで二人だけ2年生でしたし。それが今日は優勝を争うキャプテン同士って、切ないなぁ」

 同情気味の表情を浮かべた記者に弥生はため息をついた。

「それもあるけど……、国体の合宿でもいつも一緒に練習してたって言うし、お互い、性格も含めて手の内を知られてるってことよ」

「なるほど……確かに細かいクセまで知られてたら、不利だよなぁ」

「互いを知っているだけにどう影響するか……。神君にとっては連覇もかかった試合だし、要チェックやわ!」

 ペンを握り直した視線の先では、海南のスターティングメンバー全てが揃って、両チームが向き合っている。

 

「仙道さん……」

 

 ゴクッ、と清田は喉を鳴らしていた。

 やはりいざ仙道と対戦するとなると緊張を覚えるが、海南の選手である以上、負けは許されない。眼前の仙道はジッと神を見据えている。少し怖いくらいだ。さすがに仙道も気合いが入っているらしい──とちらりと自身の主将を見やると、ふ、と神は仙道に向けて笑みを見せた。

「良い試合にしよう、仙道」

「──ああ」

 言って手を差し出した神の手を仙道が取り、清田は国体の時と同様に「二人ともカッコイイ……!」と一瞬震えたものの、ハッとして首を振るい、いかんいかん、と試合に集中し、自身の相手となる越野を見やる。

 

「ティップ・オフ──ッ!」

 

 ワッと歓声が沸き、ジャンプボールは海南が取ってまずは海南のオフェンスからだ。

 それぞれがポジションについて、指示を出すべくコートを見渡した小菅はフリースローラインの中央で腰を落とす植草を見据えながら「お」と目を見開いた。

 その反応は、ベンチ真上の紳一とつかさも同様だ。

 

「トライアングル・ツー……」

「ポジションまんまだな」

 

 陵南のディフェンスは小菅に植草を、神に仙道をつけてインサイドではゾーンを敷いている。シュート力の高い二人を抑え、中も小さいゾーンで囲んだ上で司令塔の小菅を好きに動かさない作戦なのだろう。

 しかし、と紳一は腕組みをした。

「清田の切れ込みをゾーンで警戒するのは正解だが……、外の守りはどうすんだ。そんなにアイツの外はザルなのか?」

 紳一が憮然としつつ、つかさはうーんと唸った。

「スリーは……まだまだかも……。でも、ミドルレンジはかなり練習してたよ。私もけっこう付き合ったし」

「ほう、で……小菅よりいいのか?」

「そ、……それはないかな」

 つかさは苦笑いを浮かべながら頬を引きつらせた。とはいえ足の速い清田は、戻りも速く速攻にも強い重要な海南の軸である。

「神も、仙道につかれるとやりにくいだろうな。高さは同じくらいだがあっちはジャンプ力もあるし、神のスタミナも相当なモンだが、仙道にしても無駄にあるからな」

「無駄って……」

 試合となると紳一はどうも仙道を敵として見る傾向にあるようだ。言葉の端々にトゲがある。とはいえ優勝と連覇のかかったこの一戦、それも当然か。と、コートを見やる。

 スタミナのある神はコートの端から端まで走ってフリーになるのも得意な選手だが、今日はぴったり仙道が付いている。あれは振り切るのは骨だろう。

 

「30秒になるぞッ、はやく打てッ!!」

 

 高頭が叫び、ボールを保持して攻めあぐねていた清田はいったんボールを小菅に戻した。

 小菅はチラリと神を見やるが、先ほどから動いてくれているもののフリーになりきれていない。ならば自ら攻めようにも、自分がミドルレンジを得意としているのを見抜いてか、植草がピタッと張り付いていて打ちにくい。

 まずい、オーバータイムが近い。

 早いトコ決めねば、とちらりと小菅は4番の鈴木に目配せし、彼は神に目線を送った。それを合図として小菅が鈴木へとパスを通せば、神がペイントエリアに切れ込んできて鈴木から神へとボールが渡る。

 が、追ってきた仙道が神の眼前を塞ぎ──、神は落ち着いてオーバータイムのカウントを頭でしつつ機を伺う。そして時間ギリギリで仙道を背にしてくるりとハンドリングで半回転すると、そのままクイックリリースでターンアラウンドシュートを放った。

 

「おお、神ッ! 仙道の上からッ!」

「巧い──ッ!」

 

 その振り向きざまのジャンプシュートは見事に決まり、海南が先取点を取る。

 そうして攻守の交代した海南は陵南に対してゾーンディフェンスを敷いた。中での攻撃に強い福田・仙道を止めるためだ。

 

 ──神、と仙道は神を見据えた。

 全くいつもと変わらないポーカーフェイスぶりがいっそ怖いほどだ。今日この場にいる誰よりもプレッシャーを背負っているだろうに、そんなそぶりすら見せない。闘志を剥き出しにしてくれていた去年の紳一のほうがよほどやりやすい相手だった。

 それに──。と、ティップオフ前に神がつかさに向けていた笑みが脳裏を過ぎる。無意識に眉が寄ってくるのが自分でも分かった。

 いかん、と歯を食いしばる。いまは眼前の試合に集中しなければ。雑念を湛えたまま戦って勝てるほど、甘い相手ではないのだ。

 

「一本! 一本じっくり!」

 

 センターサークル付近では植草がじっくりとコートを見渡しながら指を立てていた。

 陵南はこの二年、センター以外のメンバーはそう動いていない。そして今のスタメンにしても、一年間じっくり準備してきたこともあり──「チーム」を活かしたプレイには自信を持っている。

 まだ自分たちが目指すところの「チームプレイ」は完成できていないが。それでも、攻撃パターンの多さと完成度の高さには全員がそれなりに「やれる」と自負している。

 植草は目線だけを動かしてコート上の動きを見据えた。

 海南のディフェンスはゾーン。ゴール下が厚めだ。仙道・福田のインサイドプレイを警戒しての事だろう。

 つまり、自分と越野にあまり外はないと見ているのだ。仮にガードが打つ姿勢を見せても、小菅は自分に対して高さの利があり、清田もまた持ち前のジャンプ力を計算に入れれば「止められる」と自信を持っているに違いない。

 ちらりと植草は左ウィングの仙道に目線を送った。仙道がこちらには目線を合わせずに頷く。

 ──海南ディフェンスを出し抜けるか否か。勝負だ。と、植草は仙道にパスを出した。同時に植草自身が右ウィングへ駆ければ、越野がハイポストへ移動していく。

 仙道はというと、自分にボールが渡った瞬間にチェックに出てきた神に目線を合わせつつ、一気にドライブイン。と見せかければ海南インサイドに緊張が走り、まるで彼らをあざ笑うように手首を逆方向へ向け右ウィングの植草へとボールを戻した。

 

「あッ──!」

「スイッチ──ッ」

 

 その海南ディフェンスの虚を突いた瞬間に福田が海南センター・田中にスクリーンをかけてスペースを作り、見事に空いたエリアに移動してきた菅平へと植草はボールを受け取ったと同時に弾き飛ばしていた。

 しかし、さすがに海南──。すぐさま対応した4番の鈴木が追って来るも、一歩間に合わず。菅平はブロックを避けるようにしてベビーフックで見事にゴールを奪ってみせた。

 

「おおおお、陵南の初得点は菅平だー!!」

「なんだ今の動き……!? なんかすげえぞッ!」

 

 観客が沸く中で、陵南陣営は互いにハイタッチをしつつフロントコートへと戻っていく。

 観客席の紳一もしてやられたように腕を組んでいた。

「見事に決められたな……。陵南はあの手の連係プレイは十八番だからな」

「うん。でも……もうちょっと見てみないと何とも言えないけど、今までの陵南とちょっと違うような……」

 つかさも口元に手を当てて考え込む。.

 見やる先では攻撃が海南に移り、小菅は時間いっぱい使ってボールをキープし、オーバータイムぎりぎりで清田にボールを渡してそのまま清田がミドルを決めてすぐに2点を返した。

 やはり、越野は「陵南の穴」とまではいかないが、比較的華やかな選手が集まりやすいシューティングガードというポジションにいるため、厳しい戦いを強いられることが多い。

 緑風戦にしても、緑風は越野がついていた克美に徹底的にボールを集めていたし。去年も湘北戦では完全に三井は越野を下に見ていた。ように見えた、とつかさは思い返しながら少し眉を寄せてコートを見守る。

 陵南の攻撃。──と見守っていると、ズバッといきなり植草が中へ切れ込んで行き、さすがに虚を突かれたつかさは極限まで目を見開いた。

 

「植草ッ!?」

「自ら来たッ──ッ!?」

 

 どよめく中、海南は小菅がきっちりガードしてくる。が、ガードが切れ込んでいけば反射的にガードが守ってくるのはまさに予想通りで、小菅の動きを読んでいた菅平が進路を阻んで植草の左サイドをあけた。

 

「スクリーン!?」

「またッ!?」

 

 しかし。海南にしても二度も引っかかるかとばかりにセンターの田中がスイッチして植草の行く手を阻む。が──、植草はさらにそれを読んでいたのだろう。田中に捕まる前にボールを逆サイドへと飛ばした。

 

「あ……ッ」

「福田──ッ!」

 

 植草の乱入で海南ゴール下には隙が生じ、福田がシュートをねじ込んで更に会場はどよめいた。

 まさに見事な連携と言わざるを得ない。二度も続けば偶然ではないだろう。

 その後もスコア上はほぼ互角。いや──守りの堅い陵南がきっちり守りきる場面も見られ、やや陵南に有利な試合展開が続いて海南ベンチでは高頭が渋い顔をして扇子を握りしめていた。

「なるほど……、今日のために緑風戦はワザと仙道一色でいったというわけですか、田岡先輩」

 呟いてコート上の自身の選手達を見やる。おそらく、彼ら自身がイメージしていた陵南と今日の陵南に少しズレがあるのだろう。少々戸惑っている様子が見て取れた。

 図らずも自らが国体の時に言ったとおり、仙道彰という選手がいるだけで、そのチームは瞬時に様々な色へとチームカラーを変えることができるという最大のアドバンテージを持っている。しかし、今日の陵南はどうだ? 仙道は特にチームを牽引してはいない。しかも、去年の対戦時のように仙道がパサーに回ってチームをコントロールしているわけでもなく、完全に「陵南の選手の一人」となっているのだ。

 これは──、これこそが究極の「陵南」の形とも言えるし、陵南は幾重にもまだ切り札を隠している状態とも取れる。なぜなら、使い方さえ心得れば持てる「色」の数は無数だからだ。

 とはいえ──仙道がチームを牽引しない「無色」状態まで持っていたとは完全な誤算だ。

 まさか決勝リーグに入ってまでも最後の最後までコレを隠し通せるとは。悔しいが一杯食わされたと認めざるを得ない。が、隠し通せたのはやはり仙道あってのこと。陵南の核が仙道だというのは揺るぎない事実だろう。

 一度、タイムアウトを取るべきだろうか? 考えて、チラリと高頭は神を見やった。相も変わらず、涼しい顔をしている。彼はどうやら動揺していないようだ。

 もう少し様子を見よう。──と腕を組み直した先で、小菅がゾーンを少し崩して植草のチェックを厳しく入れ始めた。当然だ。仮にそれが陵南の思うつぼであったとしても、起点の彼を抑えなければ同じ事だからだ。

 

「ディフェンス! ここは守るぞ!」

「おう!!」

 

 コートに小菅の気合いの籠もった声が響いた。

 仙道はというと、その声を聞きながらこれ以降は植草のチェックが厳しくなることを悟る。しかしその分、他に隙も生まれやすいはずだ。

 左ウィングで構えつつ、ちらりとトップにいる植草を見やる。そう、植草は「分かって」いるはずだ。いや、スタメン全員が分かっているだろう。それこそ、何度も何度も練習を重ねてきたのだから。──と見やっていると、植草はライトの越野にボールを渡したと同時にズバッとインサイドに乗り込んでいった。

 

「植草ッ、カットインか!?」

「させるかッ!」

 

 切れ込んだ植草を小菅が追い、仙道はというと左ウィングからトップへと植草のあとを埋めるように移動した。当然、神がチェックしてくる。同時に仙道はチラッとインサイドを見やり、一瞬だけ神を目線だけで見てから自分も中へと切れ込んでいった。

 

「仙道──ッ!?」

 

 仙道の更なるカットインにワッと会場が沸く。

 が、まるで陵南オフェンスは順巡りをするように仙道のカットインと同時に福田がトップへあがり──植草は小菅を振りきるようにして左ウィングへ移動してから再びトップへと駆けた。と、同時に福田がカットインしていく。

 目を見張る海南ディフェンスをよそに、植草は越野から戻されたボールを再び左ウィングへと戻った仙道に渡した。そして中へ駆けた福田を追うようにして再度インへ切れ込む。

 その先で仙道からパスを受け取り──。

 

「植草かッ──!?」

「田中ッ、鈴木ッ、ヘルプだッ!!」

 

 海南ディフェンスがブロックに跳び上がったのを待って、植草は自分の真後ろ──、左ウィングのゼロ角度に移動した仙道へとパスを投げた。

 あッ──、と海南ディフェンスが目を見張る。こちらの狙いを悟ったのだろう。そう、今までの動きは、全てフォワードをフリーにするための布石。

 

「仙道──ッ!」

 

 ミドルを打てる絶好のチャンスだ。

 もらった。──と、陵南陣営の全てが確信した。

 仙道もむろん、そのつもりでジャンプシュートの構えを見せた。しかし。視界をシュートチェック体勢に入っていた神の両手が塞いでくる。

 

「うおおお、神ッ!?」

「戻りがはええええ!!」

 

 観客と同様、仙道自身も目を見開いて脳裏で神の名を叫んでいた。

 ──完全にフリーになったと確信したというのに。神の注視は振り切れていなかったらしい。

 それでも。自分のリリース速度なら神のブロックの先を行く自信はある。と仙道はシュート体勢に入ったままボールをリリースした。瞬間、僅かな違和感を覚えてハッとして空中でボールの軌道を追う。

 

「リバンッ!!」

 

 外れる──ッ、と確信して仙道は着地と同時に叫んだ。直後、ガツッ、と予想通りにリングに嫌われ、館内がどよめくと共に陵南ベンチもどよめいた。

 

「なッ……ウソやッ、仙道さんが……ッ!?」

「外したッ!?」

 

 その声とは裏腹に、神はくるりと海南ゴールに背を向けて走り始めていた。海南のリバウンド奪取を確信してのことだろう。

 仙道も一歩遅れてあとを追う。スピードなら、神には絶対に負けない。

 

「神さんッ!」

「神──ッ!」

 

 案の定、リバウンドは海南が制してパスが神に通り、清田がすぐにヘルプに駆けてくる。

 仙道は回り込んで、一人自軍のコートに付いた。1対2だ。

 

 チャンスだ。──と、神は仙道を見据えながら感じた。ディフェンスは仙道一人。ここでカウンターの速攻を決められれば、海南のペースを作れる。

 ちらり、とワザと神は目線だけを清田に向けた。清田と二人での速攻はままある海南の攻撃の形であり、こういう場合、自分は大抵清田にパスしている。仙道も、知識としてそれが頭にインプットされているだろう。

 だから──パスはしない、と神は自身のドライブで勝負することを決めていた。何度も何度も練習したのだ。それに、緑風のマイケル相手にでも通用した。しかも、なにより2対1。いくら仙道といえどこちらが有利だ。

 行ける、と確信して神はドリブルしながら仙道に向かうと、インサイドアウトで一度フェイクを入れた。瞬間、レッグスルーで左手に持ち替え、左側から抜きにかかる。

 が、そこは仙道だ。反応してくる──、と読んだ神は逆サイドにロールターンして、案の定、左サイドを塞いできた仙道の右に抜け、そのままやや身体を流されながらもジャンプシュートを放った。

 

「なッ──!?」

 

 あまりのクイックモーションに、会場は度肝を抜かされる。しかし。スパッと寸分の狂いもなくリングを貫き、ふ、と神は口の端をあげた。

「ッ──!?」

 刹那、仙道の身体が一瞬強ばったのが神にも伝った。

 そうして会場がどよめく中、けたたましい勢いでコートにブザーが鳴り響く。

 

「チャージドタイムアウト・陵南」

 

 そして、やけにはっきりと陵南のタイムアウトを宣言するオフィシャルズテーブルからの声がコートを包んだ。



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42話

 陵南のタイムアウトを宣言する声がコートに響き、試合の時間が止まる。

 どうやら今日の田岡は動くのが早いようだ。

 

 お、とベンチ真上の紳一も目を瞬かせた。

「タイムを取ったか……」

「神くん、綺麗に決めたね。2対1だったって言っても……よくあの仙道くん相手に」

「どうやら自信があったようだからな。にしても……今日の仙道は調子が悪いのか? 今のはまあ、仕方ねえが、さっきのジャンプシュートといい、らしくないな」

 紳一の声を聞きながら、つかさも唇を引いた。

 今日の陵南は、昨日の「仙道一色」とはガラッとチームカラーを変えてきている。むろんそれ自体は陵南の作戦なのだろう。つかさ自身、緑風戦のあまりの仙道頼りな試合運びは奥の手を隠すための布石だと感じていたのだ。やはりそれは正解で、ここまでの陵南は巧みなチームプレイにより海南ディフェンスを出し抜くことに成功していた。

 が──。単純に、紳一の言うとおり仙道の調子が良くないだけなのだろうか?

 

「仙道くん……」

 

 ちらりとつかさが陵南ベンチを見下ろしている頃、福田は腰に手を当てつつジッと水分補給をする仙道の横顔を見つめていた。

 まさか、とは思うが。まさか本当に、ティップオフ前の神の、おそらく偶然によるだろう心理作戦に引っかかって調子を乱しているとでも言うのだろうか? 神がディフェンスに入った瞬間に、ジャンプショットをミスしたのがどうも引っかかる。その他の動きは普段通りの仙道なため余計にだ。

 とはいえ──。気にするな、などと声をかければ確実に逆効果であるし。そもそも自分の思い過ごしかもしれない。

 考える先で監督の田岡が強く拳を握りしめている。

 

「今年の神は、やはりインサイドプレイに磨きをかけてきているようだな。なんと言ってもヤツは元センター。シューターという前提は忘れて、オールラウンダーという思いで当たれ、いいな!」

「──はい!」

「試合前にも言ったが、お前たちも見ての通り、今年の海南はオーソドックスなバスケットを展開してくる王道のチームだ! 去年までのイメージは全て忘れて、全員が全員の動きを細かくチェックしろ、いいな!」

「──はい!」

 

 田岡はそう言って選手達を鼓舞した。

 作戦の変更は特にない。タイムアウトを取ったのは、海南に流れを行かせないために過ぎない。

 ──仙道、と田岡は仙道を見やった。神相手にやりにくさでも感じているのだろうか? 主将が敵の主将にやられては、チームに不安が走る。まして、仙道なら神個人には絶対に負けないだけに、だ。

 仙道にしてみたら、神は流川や紳一のようなライバル心を剥き出しにして戦うような相手ではないだろう。むしろ、確か二人は親しい友人同士だったはず。──それが余計にやりにくさを煽っているのだろうか? いや、まさか、と首を振るう。

 高校生を指導していて一番難しいのは、選手を「乗せる」ことだ。多感な時期でもあるゆえ、精神・肉体ともにコンディションを整えさせること、指示を聞かせること。それらが特に難しい。逆に言えば、これらが成功すれば強いチームを作ることは高校バスケにおいては比較的容易いということだ。

 まして、元来ムラッ気のある仙道ともなれば──と渋い顔をする。ともかく、いったんタイムを取ったことで海南が勢い付くのを避けられれば良いのだが。

 自身の感情はどうにか抑え、田岡は仙道にこう切り出した。

「仙道……、お前、メシはちゃんと食って来たんだろうな?」

「え……」

「海南の、神の、今日にかける意気込みはおそらくこの場にいる誰よりも強いに違いない。だが……仙道。今年こそ、お前がナンバー1になっていい年だ。遠慮はいらん、存分に暴れてこい、いいな!」

「──はい」

 下手なことには触れず、それだけ言えば仙道は少し表情を緩めたように田岡の目に映った。

 未だに仙道を指導していて、彼を「その気」にさせる術を心得てはいないが……。今は仙道を信じて、ただ頷いた。

 

 一方の海南陣営は、せっかく良い流れの所でタイムアウトを取られて神にしても高頭にしても若干「なにもこのタイミングで」との感情を募らせていたが、逆に言えば陵南はこちらの攻撃を脅威と捉えたという証左でもあり、今日のコンディションに自信を得ていた。

「神、この調子でいくんだぞ。今年もウチが──そして、お前がナンバー1だ!」

「──はい!」

 高頭の力強い激励に神も他の選手達も力強く返事をした。

 今日の自分は調子が良い──と神はグッと強く拳を握りしめていた。だが、もしかしたら仙道は調子が悪いのか……? と若干気にかかる。いや。仙道彰という選手のコンディションが一定であったことは今まで一度たりともない。他の選手の遙か上方・高位置で安定しているとはいえ、常に仙道比で波があるのは国体で一緒に練習・プレイしてきて分かっていることだ。そして──トップコンディションに乗った時の仙道の力は、底が見えない。

 いかに仙道を「乗せず」にやり過ごせるかというのも、立派な戦略である。もしも仙道自身が不調を感じているとしたら、やはりこのまま押した方がいい。

「とにかく、今日の陵南は誰がフィニッシャーになるかまったく読めん。ガードの負担は大きいかもしれんが、小菅、頼んだぞ」

「はいッ!」

 テーブルオフィシャルズがタイムアウトの終了を告げ、海南陣営は互いに顔を見合わせあい強く頷きあってコートへと出た。

 

 一方の陵南も田岡の激励を受けてコートを見据え、仙道もまた、ふ、と息を吐いてベンチから立ち上がると首にかけていたタオルを取り払った。

 

「さ……、行こうか」

 

 その声に他の選手達も頷き、陵南も再びコートへと戻っていった。

 

 

 一方、その頃。東京は世田谷では──。

 一週間のスケジュールが「月月火水木金金」を素でいく深体大バスケ部に「休日」などという文字が存在するはずもなく、諸星も朝からコートでバスケに精を出していた。

 しかしながら、神奈川での決勝リーグ最終戦が始まった頃から諸星はそわそわと落ち着かない。

 それでも何とか集中して練習をこなし、水分補給のためにコートを出ると無意識のうちにチラチラと体育館に掲げてある時計に目線を移した。

 試合はどうなっているのだろうか? 陵南は、勝っているのか。仙道は? 越野たちは──、とギュッとボトルの腹を握りしめていると、ふとそばから声をかけられた。

「なにをソワソワしとるんだ、お前は」

「か、監督……」

 監督の唐沢だ。諸星は自然と姿勢を正しつつも逸るように言う。

「いえ、神奈川の決勝戦がどうなってるか気になってまして」

 すると唐沢は、そうか、と相づちを打った。

「そういえば今日が最終日だったな。まあ、例年通り海南が優勝で決まりだろう」

 しかし、いくら監督とは言えそれは聞き捨てならず、諸星は拳を握りしめる。

「いえ! 監督! 今年こそは海南の連勝記録がストップする可能性が高いと自分はみてます! なんせ……、決勝の相手はあの仙道率いる陵南ですからね」

「仙道……? ああ、国体で神奈川のエースだったという。お前のイチオシ選手だったな、確か」

「はい! オレのバスケ人生の中で知る限り、一番素質に恵まれた選手だと思います!」

「だが……。インターハイも未経験というのは話にならんな。せめてインターハイでベスト8まで進んだ実績がなければ、結局は無名選手と同等だ」

 グッ、と諸星は言葉を詰めた。返す言葉もない。

 それに、その言葉は以前に諸星自身が仙道に言ったことと全く同じだ。天才と呼ばれていても、お前はその価値を証明していない、と。

 けれども、彼の才能は本物。陵南も良いチームに仕上がっているはずだ。今年こそは、と浮かべていた所で唐沢は更にこんなことを言った。

「まあ、牧君がいた去年の海南でさえ神奈川県予選はギリギリの勝負ではあった。牧君の抜けたいま、お前の言うとおり海南が破れる日も近いかもしれんな」

 途端、諸星はコメカミに青筋を立てて首を振るう。

「監督! あんな裏切り者の有無が勝敗に影響するなんてことはないですよ!!」

 そして落ちてきた汗を首にかけていたタオルで拭いながら思う。

 実際、紳一のいるなしに関わらず海南は毎年コンスタントに強いチームを作ってくる疑いようのない神奈川の王者だ。

 今年にしても、神という全国屈指のポイントゲッターがチームの中心にいる。彼はプレイの出来不出来の幅が少ない、安定した信頼感のある選手だ。

 対する仙道は。──あの野郎、ちゃんと集中して試合やってるんだろーな。と、どうしても浮かべてしまって諸星は頬を引きつらせた。

 おそらく、陵南はまだ個々の力では海南に負ける。

 しかし、チームを活かしたディフェンス力には目を見張るものがあり、総合力では決して負けていない。

 チームオフェンスが冬からどう変わっているか。越野や福田たちがどう成長しているか分からないが──。勝てるチャンスはきっとある。

「諸星ッ! コート入れ!」

 ふいに呼ばれて諸星はハッとし、意識を戻して勢いよく返事をした。

 タオルを置いてコートに入りながら胸の内で彼らにエールを送る。頑張れよ、と。

 

 

「いけいけ陵南! おせおせ陵南!

「いけいけ陵南! おせおせ陵南!」

「海南! 海南! 海南! 海南!」

 

 試合の方は、海南に行くかと思われていた流れはタイムアウトの後にやはり絶たれて両校は一進一退の攻防を繰り返していた。

 前半の終わりが迫り、ベンチ上の観客席で紳一もつかさも渋い顔をして見守っている。

「陵南、うまく立て直してきたな……。こうなってくると、元来のディフェンスの良さが確実に活きてくるだけに厄介だ」

「去年も……、清田くんのダンクがなければ、陵南は大差でウチに勝ってたかもしれないしね」

「…………。いや、まあ一概にそうとは言えんが」

 紳一は腕組みをして思わず頬を引きつらせた。そうして、去年のあわや敗戦間際だった苦い記憶を思い浮かべる。

 あの試合も、やはり様々な「想定外」が重なっていた。仙道のポイントガード起用、不周知のスコアラー・福田の存在。ディフェンスではペースをかき乱され、オフェンスでは守りの厚い陵南に阻まれて上手く得点を重ねられず、一時は15点もの差が付いていた。

 それでもやはり海南が勝ったのは、他ならぬ地力の差であり当然の結果だったと自負している。

 今年もそうだ。地力なら、お前達が上だぞ、と紳一は後輩達に強い視線を送った。

 とはいえ。

「ウチは……、まだ陵南オフェンスに上手く対応できていないな。逆に陵南は相変わらず守りは厚い」

「あのオフェンス……どこかで見た気がするんだけど……、何とも言えない。セットプレイのような、そうでないような」

「チームプレイは陵南の十八番だからな。パターンを増やしたんだろう」

「うーん……」

 見ている人間にストレスがかかるほどに動きの見られない試合運びだ。

 スコアは38-41。海南は3点ビハインドのまま前半終了のブザーを迎えることになった。

 

 ──ハーフタイム。

 海南の控え室では、高頭がスコア表を片手に黙して考え込んでいた。

 昨日の陵南は仙道が一人だけ突出して点を取るという偏ったスコア表が出来上がっていたが、今日は全員が綺麗にほぼ一律で点を重ねている。

 ここで普通の監督なら、ディフェンスをマンツーにして全員をキッチリ抑える作戦に変える所だろう。が、それではダメだ。

「ディフェンスは引き続きゾーンで行く。フロント陣は徹底的に中を固めるんだ、良いな!」

「──はい!」

「外から打たれる分は構わん。くれてやれ。インサイドさえ乱されなければ陵南の連係は必ず狂いが生じる。逆にウチは外から点を取るんだ。いいな!」

「──はい!」

「ガード陣、そして神。……後半、点を取るのはお前らだぞ」

 高頭は目線を小菅、清田、そして神に送る。彼らが返事をする先で、インサイドの二人もまた強く返事をした。

「リバウンドはオレ達に任せろ!」

「外してもセカンドチャンス作ってやる、清田、気にせず打って行け!」

「ええッ!? ちょッ、この清田……、そうそうミスったりしませんよ!」

 そうして清田が騒ぎ立てて他メンバーから笑いと突っ込みを誘い、一段落したところで海南は後半戦への気合いを入れ直してからコートへと向かった。

 

 陵南もまた──、田岡は力強く選手達を鼓舞していた。

 

「良いペースで来ている。この調子だ、あと20分、あと20分攻め抜けばお前達がチャンピオンだ!」

「はいッ!」

 しかしながら田岡は若干選手達の息が弾んでいることを危惧していた。

 この程度で息切れするような鍛え方はしてきていないというのに、やはり、優勝のかかった一戦とあってプレッシャーもあるのだろう。

 そして何より、陵南の「総攻撃体勢」オフェンスを人前で披露するのは今日が初めてだ。まだ未完成でもあり、時おりミスも出ている。練習の成果をちゃんと出せるか否かという不安もまた彼らの体力をいつもの何倍も奪う結果となってしまっているに違いない。

 それでも。年を重ねるごとに「常勝」の重みを背負って戦わねばならない海南のプレッシャーの比ではないはずだ。

 

「おッ、両チーム出てきたぞ!」

「行けー、海南ーー!!!」

「陵南ーー、ファイトー!!」

 

 それぞれのチームが思いを交差させてアリーナに戻り、両校の選手がコートに集ってそれぞれのセンター・菅平と田中がセンターサークルに進み出る。

 そうして後半開始を宣言され、ワッと歓声が上がる中──、海南ファイブは明らかに「狙って」いた。

 田中がジャンプボールを制し、こぼれたボールを鈴木が取って既に陵南ゴールへ向けて駆けていた清田へとパスを回せば、陵南も慌ててディフェンスに走る。

 が。清田は走りながら保持したボールをライトウィングに駆けてきた小菅に回した。

 

「小菅さんッ!」

 

 本来なら、清田が確実に速攻で2点を取るべき場面だ。──だが。

 マークの外れていた小菅はじっくり狙いを定めてスリーポイントを放ち、観客と陵南陣営の度肝を抜いた。

 

「なッ──!!」

「スリーだと──ッ!」

 

 そして、その「賭け」にも等しいスリーポイントシュートは鮮やかにリングを貫き、ドッとアリーナが揺れた。

 

「うおおおお、入ったああああ!!!」

「海南、後半開始早々同点だーーー!!!」

 

 海南応援団が歓喜し、陵南陣営がどよめく。

 波乱の後半の幕開けだった──。



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43話

 後半開始早々、小菅のスリーポイントが決まりスコアは41-41の同点となった。

 

 唖然とする陵南ファイブをよそに、海南勢は互いにハイタッチしながら自軍のコートへと戻っていく。

 小菅もまた、駆けながらホッと胸を撫で下ろすと共に自信も得ていた。ポイントガードとして、ゲームを勝利へ向けてコントロールするための「勝負」に自ら出た。フリーで打てれば自身のスリーにはそこそこの自信を持っているとはいえ、外れていればカウンターをくらう恐れもあったのだ。今日の自分は、調子、そしてツキともにいい。流れは海南にある。そう確信して頷き、向かってくる陵南勢を見据えた。

 

「完全に狙ってたな……、開始と同時に同点にする。きっちり決めてくるあたり、海南のガードとして小菅は随分と成長した」

「もともと、シュートのうまいガードだったけど……、今のは、凄いね」

 

 紳一とつかさも息を呑む中、エンドライン付近でボールを握りしめていた仙道は、ふう、と息を吐いた。

 分かっていたことだが、すんなり勝たせてくれるほど、王者の看板降ろしは甘くはない。

「落ち着いていこう! 後半はいま始まったばかりだ!」

 顔をあげてみなに呼びかければ、みなも深く頷く。

 そうして仙道はスローインしてボールを植草に渡し、海南ゴールを目指した。

 この試合、攻守ともに植草の負担が大きすぎる。170センチそこそこの彼にとって小菅は10センチほどミスマッチで守るにしろ攻めるにしろ通常より多く動かなければならず、また、まだ慣れていない「総攻撃」オフェンスで神経もすり減らしているはずだ。しかし、植草の代わりはベンチにはいない。

 越野にしても、相手は清田。外から越野が打とうとすれば、飛んできて阻まれてしまう。

 やはり、ここは一本、自分が返さなければ──と仙道は真っ直ぐ神を見据えた。海南のインサイドはゾーン。だが、と目線を鋭くする。

 その脳裏に、なぜかふと去年の決勝リーグでのつかさとの会話が過ぎった。

 

『そっか、あっちの会場にいないと思ったらこっちを見てたのか』

 

 初戦の武里戦に勝利して別会場に移動した先で彼女を見つけた時のことだ。

 

『と、当然でしょ! 私、海南の生徒なんだから』

『ははは、ま、そりゃそーか』

 

 湘北VS海南の試合を見ていたつかさに声をかければ、彼女はそう答えた。自分の試合を必ず見てくれていた彼女は、当然のように陵南と武里の試合には姿を現さず、当然のように海南の試合を見ていたのだ。

 そして、自分は次の試合である海南VS陵南戦を見据えて彼女にこう言った。

 

『さすがに海南戦はつかさちゃんからの応援は期待してねぇから』

 

 ──それは、本心だった。

 だが、いまは──? いま、自分はそれを言えるのか……?

 一週間前の決勝リーグ一戦目、湘北と戦ったとき、「来るわけない」と理解しつつも会場で彼女の姿を探してしまっていた。そしてやはり、海南の試合会場へ行ったのだと確信して肩を落として自嘲した。

 彼女は海南の生徒で、神奈川の帝王・牧紳一の従妹。仕方がない、と、海南よりこちらを優先して欲しい、など言えるわけもない。

 だが……と仙道はインサイドを睨む。

「神……!」

 自分だって、つかさの前で負けるわけにはいかない。

 

『"私が出たほうがマシ"って思わせたくないな、ってさ。時々、思ってると思うんだよね。ディフェンス抜かれた時なんて、ちょっとした恐怖だよ』

 

 ふ、と過ぎった神の声を掻き消すように仙道は植草から受け取ったボールを一度強く手で押さえつけた。

 インサイドは3人。チラリとコートを目の端で捉える。福田・菅平に繋げられるか、それとも外の越野に渡すか。──いや、やはりここは自ら行かねば、と仙道が左ウィングから一気に踏み込めば、一番手前にいた神が腰を落としてピタリと張り付いてきた。無意識にフェイントのモーションを出してみるが引っかからない。

 く、と仙道は歯を食いしばった。やけに大きく床とバッシュのこすれる音が響く。神を抜いても、あと2人いる。神の先に待つ2人との距離と、ゴールまでの位置を頭に正確にイメージする。右か、左か。──右だ、と一気に足を踏み出した仙道は、一度ロッカーモーションを入れてフェイントをかけ、二足目で神を抜いてボールを左手に持ち替えるとそのままゴール下の2人に向かった。

 

「おおお、抜いたッ!!」

「仙道、突っ込んだああああ!!」

 

 ワッと会場が沸き、仙道はそのまま床を蹴って跳び上がる。

 ナメるなとばかりに海南ゴール下の田中・鈴木がブロックに跳び上がったが、仙道は引きつけるだけ引きつけて、一度掲げた手を慣れたようにいったん戻してレイアップの姿勢を取った。

 

「うおおおお、ダブルクラッチッ!!」

 

 そのまま2人をヒョイと避け、あわよくばファウルを奪ってゴールをも奪う。──はずだった。が。

 トン、と後ろからボールを弾かれ、あまりに予想外のことに仙道は空中で目を見張る。と同時に、審判が笛を鳴らす音がけたたましく響き渡った。

 

「ディフェンスッ!! 白・4番!!」

 

 ドッ、とさらに観衆がうなり声を作った。

 着地と同時に振り返ると、少し肩で息をしながら神がしてやられたような表情を浮かべていた。

「残念、チャージング取られたか」

 あっけに取られていると、他の海南勢が神を取り囲んで「ナイスディフェンス!」などと讃えている。追いつかれるとは、完全に想定外だ。

「青・4番、フリースロー!」

 審判の声にハッとして、仙道はフリースローラインに向かう。

 完全に抜いたと思っていたが──。いや、抜いたが、ダブルクラッチを仕掛けたせいで自分の動作がワンテンポ遅れた。その隙に追いつかれ、更に神はダブルクラッチを読んでいたのだろう。ダブルクラッチの際は打点も下がる故に、神のジャンプ力でも対応されてしまう。

 仙道は唇を引いた。

 神もまた、去年からだいぶん選手として力を伸ばしている。それに、こちらの動きもしっかり把握しているようだ。

 

「ツーショット!」

 

 考えあぐねながらも仙道は2本のフリースローをきっちり決め、攻撃は海南に移った。

 

「神はよくアレをブロックできたな……、仙道がダブルクラッチでくるのを読んでいたのか」

「でも仙道くん、たぶんバスケットカウント狙ってたよね、いまの」

「ああ。だが1対3でバスケットカウント狙うほうも狙うほうだがな。フリースローでも御の字だ」

 観客席で紳一とつかさは神のブロックに驚きつつも、仙道の強気な攻めに肩を竦めていた。

 2人がコートを見守る中、海南はこの攻撃で清田がミドルを決め──、まるでやり返すように陵南は上手くフリーになった越野にフィニッシュを託した。

 海南はきっちりインサイドを固め、また、陵南の攻撃パターンにある程度対応できたのか前半のように出し抜かれる場面は減った。

 陵南はそれに対し、やや攻撃を外に広げ始め、すればミスも嵩んで前半ほどは有利に試合を運べていない。

 そうして再び一進一退の攻防が続き、点差が開かないままに時間だけが過ぎていく。試合が劇的に動くのは終盤が常とはいえ──残り5分を切れば、格段に一点の差は重くチームにのし掛かってくる。

 

「疲れてるな……」

 

 ターンオーバーの目立ってきた自分のチームを見て、田岡は小さく唸った。

 数試合連続でさえオールコートで駆けられる体力を備えた彼らだというのに。初の優勝がかかった一戦・オフェンスの初披露等々の不確定要素がやはり肉体的疲労として出てしまっている。

 その点、海南はいつもの海南と相違ない。これが「経験」の差なのか。インターハイまでに克服しなければならない大きな課題の一つだ。

 

「越野! 植草! しっかりパス回していけッ! 最後まで気を抜くなッ!」

 

 声がけする先で、海南ディフェンスは益々タイトになり陵南の足が止まる。

 ボールを保持していた越野は攻めあぐねて仙道に回した。時間はあと3分近くある。スコアはこちらの2点リード。慌てることはない。攻撃の持ち駒だって自信はあるのだ。有利なのはウチのはず。なのに、なぜ海南は冷静でいられるんだ? と序盤からまったくパフォーマンスの変わらない海南にいっそ恐怖する。

 仙道もまたボールを受け取り、く、と息を詰めていた。

 連覇のかかった試合で、試合終了が迫り、陵南ボールで2点ビハインド。なのに眉一つ動かさない、と自分の相手──神を見やる。勝ちたくないなどと、彼が思っているわけがない。その意志の強さは、よく知っているのだ。自分にはない強さを、よく知っている。と意識した時、ドクッ、と心音が響くのが身体に伝った。

 

「良いぞ、神ッ!」

「ナイスディフェンス! キャプテン!!」

 

 海南陣営が神のタイトなディフェンスを讃える。よく鍛えられているのが分かる、良いディフェンスだ。

 だが──、それでも。彼を抜けないと思ったことはない。と、仙道は僅かな隙を見抜いて一気に神の横を抜けた。

 

「うおお、速えええッ!」

「ズバッと来たああああ!!」

 

 ヘルプのディフェンスに捕まる前に仙道は一気にゴール下へ駆け、ブロックを避けるようにしてキレのあるリーチバックシュートを決めた。すれば差は4点になり、鮮やかなドライブを見せ付けられた観客は歓声で会場を染め上げる。

 

「鋭いッ! さすが仙道だッ!」

「よしッ、いいぞ仙道!!」

「あと2分!! 陵南ファイト!」

「海南! ここは攻めろッ!!!」

 

 残り2分弱──、スコアは69-73。4点差。両校の応援で騒がしさの増すアリーナとは裏腹に、小菅は落ち着いてドリブルしていた。

 まだ時間はある。しかも陵南のターンオーバー率があがってきている。焦る必要はない。と、チラリと清田を見やってから左ウィングの神にパスを回した。

 すると仙道渾身のドライブが決まった直後だからか、会場は異様な盛り上がりを見せる。

 

「おおお!!!」

「キャプテン対決!!」

 

 ここはやらん。と隙のないディフェンスを見せる仙道が一番警戒しているのは自分のシュートだと神は悟っていた。だからこそ、抜ける可能性も生まれる。だが──隙がない。と慎重にドリブルをしながら神は歯を食いしばった。そして、いったん足を止めてから更にシュート警戒させ、一気に仙道を抜きにかかる。

 が──抜かせてもらえずインサイドまで付いて来られ、く、となお神は唸った。目線を揺らして右ウィングに目配せする。──信長、と意識の奥で強く呼びかけた。間に合えよ、との思いで右側のゴール下へ向けてパスモーションを見せれば、ハッとしたのか清田が一気に駆け込んできて無事にパスを受け取った。

 そしてゴール下からシュートをねじ込んだ清田が2点を返せば、海南陣営がワッと沸いた。

 

「ナイスパァス、神さん!」

 

 とはいえ、陵南はまだ1ゴール分の余裕がある。じっくり30秒かけて狙ってくるだろう。

 試合は陵南に有利であっても。負けるわけにはいかない。と、海南ファイブはみなが心内で強く意識していた。神奈川の「王者」は海南なのだ。これだけは譲るわけにはいかない、と全員が厳しく陵南の動きに目を凝らす。

 神は、仙道から少し距離を取りつつもマンマークで付いていた。こういう勝負どころは、陵南は必ずと言っていいほど仙道に託す傾向にある。だから、パスは通させない、とボールホルダーの動きに注意しながら腰を落として守る。終盤に入って集中力が増したのか仙道の動きのキレが上がってきている。抑えきれるだろうか。人知れず背中に汗が伝う。

 小菅もまた注意深くコート全てに意識を巡らせていた。植草の息が弾んでいるのが見える。彼らはいつも通り仙道に託そうとするだろうか。それとも、パスで回して攪乱を狙うか。オーバータイムまであと15秒。植草が右ウィングの越野の方へパスモーションを見せ、ハッとした小菅はわざとそれを通した。神の動きがよりタイトになったのが伝わる。インサイドも、越野の仙道へのパスを意識してディフェンスの気持ちを仙道へ向けた。

 神は──、懸命に仙道へのパスコースを塞いでいる。しかし、相手は仙道。振り切られてしまうかもしれない。

 清田はどこだ? 小菅は目の端で探した。オーバータイムのカウントダウンが始まる。植草が焦れたように仙道の方を見やった。──しめた、と、小菅はその場を離れて右ウィングへと駆けた。そして、どうにか清田を振りきってパスを出そうとしていた越野の後ろからボールを弾く。

 

「あッ──ッ」

「越野──ッ!?」

 

 越野がハッとした時にはもうインサイドにボールがこぼれて真っ先に鈴木がキャッチしており、既に陵南ゴールへ走り出していた清田に向けてオーバーヘッドパスのモーションを繰り出していた。

 

「清田あああッ!!!」

 

 ドッと観客の声が地響きに似たうねりを作り出すのがコートにも伝った。

 ──このタイミングで、清田の足に追いつける人間はいない。ワンマン速攻を仕掛けた清田はそのまま電光石火の速さでレイアップを放った。

 

「決まったああああ! 同点!! 同点だーーー!!!」

「ナイススティール! 小菅!!」

「いいぞ清田ーーー!!」

 

 残り時間、45秒。周囲から響いてくる痛いほどの声を聞きながら、紳一もつかさも固唾を呑んでコートを見ていた。

 拳を握りしめる紳一の隣で、つかさ自身、いま感じている自分の感情がどこにあるのか分からず、ギュッと胸のあたりで手を交差させてエンドラインへ視線を送る。

 その先で、仙道が肩で息をする越野の肩にそっと手を置いた。

「まだあと45秒ある。この一本、きっちり取ろう」

「お……、おう!」

 越野も強く頷いてからスローインのためにコートから出る。そしてボールを植草に託せば、この試合、陵南にとって最後となる攻撃の開始だ。

 時間いっぱい使ってこの一本を取り、きっちり守れば勝ちなのだ。ここだけは絶対に落とせない。ということは陵南の全ての選手が分かっていた。

 海南もまた、ここを決められれば負けがほぼ決まってしまう事を嫌というほど理解していた。

 

「死守だッ!! お前達! 仙道にパスを通させるな!!」

「ディーフェンス! ディーフェンス! ディーフェンス!」

 

 ベンチから高頭の声が飛び、応援席からは必死の声援が選手達に送られ続ける。

 陵南応援席もまた必死の声援を選手達に伝え、一秒一秒と終わりに近づいていく試合を見守った。

 

「シュートや! シュートや!」

「オーフェンス! オーフェンス! オーフェンス!」

 

 植草は先に越野をフロントコートに送り、自身もフロントコートに入るとドリブルしながらボールを保持しつつ、越野へと目線だけでフェイクを入れてから仙道へとボールを渡した。

 ワッ、と会場がどよめくも、託された仙道は慎重にドリブルをする。切り込んでいけば1対3。厳しいだろう。しかし、ここは1点でも欲しい場面だ。時間めいっぱい使って確実に取らなければならない。上手く菅平がスクリーンをかけられるか? 不味いな、警戒されている。と、仙道はペイントエリア付近でポジション争いをしているセンター陣を見て僅かに唇を噛んだ。

 どう攻めるか。視線を巡らせると、スッと福田がミドルポストに駆けたのが見え、ハッとして仙道は跳び上がってパスを投げた。

「福田ッ!」

 そして着地と同時にカットインを試みる。パス出しで注視のそれた神の横を抜き、パスを受け取った福田から直接ボールを貰って、仙道はそのまま一気にゴールへ向けて跳び上がった。

 

「ナメんなよ仙道ッ!!」

「打たすかッ!」

 

 が、ディフェンス2枚がシュートコースを塞いできて、仙道は空中で最高点に達したところで腕を振り下ろす。そして、ノールックでローポストまで移動してきた福田へと再びボールを戻した。

 あッ、と海南ディフェンスが目を見開き、ワッ、と陵南ベンチが歓声をあげる。

 

「仙道さんにはこれがあるんやッ!!」

 

 しかし。福田がゴール下からシュートを放とうとしたところで、右ウィングから清田が一瞬で詰めてきてシュートさせまいと跳び上がり福田の視界を塞いだ。

 放ったボールがリングに弾かれ、福田は再び跳び上がる。

 残り時間、15秒。空中でボールに抱きつくようにして自らリバウンドを制した福田は再びリングを見据えた。

 田中と神が二人がかりで仙道を抑え、鈴木は福田のブロックに駆け寄っていく。

 ここで得点を許したら海南の負けだということは、会場の全てが分かっていただろう。鈴木もまた、まるで全身でシュートを止めるかのようにしてコートを蹴り、再びシュート体勢に入った福田を全力でブロックした。一歩遅かったが、手応えはあった。

 空を切るようなホイッスルの音が鳴り響く。

 放たれたボールの軌道をアリーナの全ての人間が見守り──、ガツッ、と弾かれたと同時にどよめきさえ消し去るような審判の声がコートを包んだ。

 

「ディフェンス!! チャージング!」

 

 鈴木のファウルを宣言する声だ。

 騒然とする会場とは裏腹に、紳一たちは慎重にその様子を見守っていた。

「ファウル上等だったよね……、いまの」

「ああ、当然のファウルだ。シュートを決められてしまえば2点差。だがフリースローになれば0点の可能性も高い。しかも──」

 その後は海南ボールだ。と、紳一は腕を組んで言い下した。

 試合時間は12秒を残してストップしている。

 海南のファウルによるフリースローが福田には2本与えられ、福田は会場中が見守る中、フリースローラインに向かった。

 これが決まるか否かで、双方の戦略が劇的に変わってしまう。

 2本とも決まれば、点差は2点。海南としては延長を狙うか、スリーポイントでの一発逆転しか優勝への道はない。

 しかし、一本、もしくは二本とも外せば通常攻撃で十分逆転は狙え、選択肢が広がるのだ。

 

 ──決めろ!

 ──外せ!

 

 両陣営それぞれ無言の思惑がプレッシャーとなってのし掛かる中、福田は慎重に一投目を放った。

 が、僅かにリングからズレ──、あああ、と陵南陣営の落胆の声が辺りを包む。

「ドンマイ!」

「次、決めてこうぜ!」

 仙道たちが福田に歩み寄って励まし、福田も小さく頷く。二投目。もし外したらリバウンド勝負になる。それは危険だ。一点でもリードすれば、残り時間は12秒。こちらの有利に変わりはない。

 スッと息を飲み込んで、そして吐いてから福田は慎重にボールを投げ、全員がゴール下に移動する。しかし。ボールは今度はスパッとリングを貫いて、ワッ、と陵南陣営が沸いた。陵南に74点目が記され、スコアは74-73。残り時間、12秒。

 海南勢は最後の攻撃に備えるべく、フロント陣はすぐさま陵南ゴールに向かって走った。が、陵南は互いに頷き合ってその場に留まる。

 

「あたれッ! パス通すな!!」

 

 陵南ベンチから田岡の声が飛び、スローワーの清田はギョッと目を見張った。

 ──フルコートを仕掛けてきた。当然か、と睨みつつどうにか小菅にボールを渡せば、小菅に植草・越野のダブルチームが襲いかかった。

 

「うおおお、陵南、ゾーンプレス!」

「点差を守りきれるか、陵南!?」

 

 観客が騒ぎ立てる中、清田はヘルプに駆ける。

「小菅さんッ!」

 そして小菅からパスを受けた清田に、今度は福田と越野がプレッシャーをかけてくる。こうしてボールホルダーにディフェンダーが移動して常にダブルチームを仕掛けてくるのがゾーンプレスだ。チッ、と清田は歯を食いしばった。これではフロントコートにすら運べない。

 

「8──、7──」

 

 陵南が勝利へのカウントダウンを始めた。必然的に焦りが清田の全身を駆けめぐっていく。

「バカなにやってる! 出せッ!」

 フロントコートに向かっていた鈴木が叫びながら戻ってきて、清田は一瞬のパスウェイクを入れてパスを出した。一瞬、福田が気を取られる。その隙に清田はターンアラウンドで素早く福田の横を抜けると、鈴木からリターンパスを受け取ってなお駆けた。

「ッ──!」

 だが、植草が既にディフェンスに戻っている。ドリブルで抜き合いをしている暇はない。背の低い植草の上からなら通せるはず──、と清田は跳び上がってペイントエリアの手前で菅平と小競り合いを繰り広げている田中にギリギリのオーバーヘッドパスを出した。

 取れるか否か。清田はなお前へ向けて走る。福田も猛ダッシュでゴール下へ向けて駆け、仙道は神から注意をそらさない。祈るように駆ける清田の視界の端に、後方で小菅が駆けながら手を挙げたのが映った。ハッとして清田は自分が投げたボールの軌道を追う。

「田中さんッ──!」

 縋るような清田の声と同時に田中は菅平に競り勝って空中でパスをキャッチし、気づいたのだろう。彼はセンターラインの右端まで駆けてきた小菅へと一直線にそのままパスを戻した。

 

「なにッ──!?」

 

 バックコートバイオレーションぎりぎりだ。陵南の注意はゴール下に向いており、僅かな隙が生じた。今ならパスが通る、とボールを受け取った小菅は逆サイドのセンターライン左後方にいた神へとボールを託した。

 

「4──3──」

 

 神にパスが通り、ワ、と館内が揺れる。

 

「打たすなッ、仙道ーーーー!!!」

 

 陵南ベンチから田岡が叫び、仙道も打たすまいと身構えた。神は、スリーポイントラインの遙か後方からでも打てるのだ。

 が、おそらく、全ての人間にとって予想外のことが起きた。神は前方へは進まずにさらに後方に下がり──、仙道は瞠目した。

 まさかッ、と戦慄しつつもブロックに跳び上がる。しかし、神は視界をほぼ仙道に塞がれた状態でなおコートを蹴って跳び上がった。

 そのモーションに、会場中が更に虚を突かれる。

 

「フェイダウェイッ!?」

「あの位置から──ッ!」

 

 神のリリースに、仙道のブロックは届かない。おそらく、神自身も想定以上に後ろに跳んだのだろう。踏ん張りが利かず、着地と同時に足を滑らせて後ろへ倒れ込んだと同時に試合終了のブザーが鳴り──、一瞬、会場は静寂に包まれた。

 予想外に強く後頭部を打った神は、クラッ、と揺れる頭で審判の笛の音を聞いていた。刹那後、割れんばかりの喝采が起こって──次に視界に映ったのはダイブしてくる清田の姿だった。

「神さん! 神さん、神さーーーん!!!」

「うおおお、神──―ッ!」

「神ーー!!!」

 次いで次々とメンバーがやってきて、いてて、と頭を押さえながら上半身を起こすと、視界には「常勝」の横断幕の後ろで踊り狂う海南の部員たちの姿がはっきりと映った。

 

「海南大附属、18年連続優勝だああああああ!!!」

「キャプテーーーーン!!!」

「神さーーーん!!」

 

 惚けつつスコアボードに目を移すと、スコアは76-74。ひっくり返っている。

「よく決めたな、神!!」

 手を差し伸べてくれた小菅の手を取って立ち上がり、ホッと息を吐いてから、神は笑みをこぼした。

「良かった……、入ったんだな」

「もう神さん天才! スリーポイントの天才!!」

 歓喜する清田がばしばしと背中を叩いてきて、痛いって、などと返しながらベンチの方を見やる。誰もが万歳をしていて、高頭も深く頷いており、神はなお笑みを深くした。

 

「あの超長距離を……フェイダウェイで……!」

「さすが神だ、よくやった!! まったく……胃が痛くなったぜ」

 

 あまりの逆転劇につかさは呆然とし、紳一は歓喜で拳を握りしめている。

 神のシュートレンジが広いことは、仙道も知っていたはず。だから、ずっと警戒して打たせまいとしていた。そして、自分のシュートエリアの広さを仙道が認識していることを、神も分かっていたはずだ。だからこそ、さらに一歩下がってフェイダウェイなどという高等技術を織り交ぜてまで打ったのだろう。仙道にブロックされる危険を冒すよりは、確率が低くとも自分の技術を信じてフェイダウェイで挑んだ。まさに日頃の努力が実を結んだと言っていい。

「仙道くん……」

 歓喜する海南メンバーとは対照的に、陵南のメンバーは泣き崩れるでもなく呆けたようにコートに立ち尽くしていた。仙道もまた、神のすぐそばではしゃぐ海南の面々を呆然と見ており、神が仙道になにか話しかけると、ハッとして、まるでいま笑顔の作り方を思い出したようにぎこちなく笑みを浮かべた。そして小さく首を振るってから、また色のない表情に戻していた。

 そうして整列して審判が海南の勝利を宣言し、挨拶を終えればまもなく表彰式が始まる。

 ──少し、嫌なことを思い出したな。と、つかさは去年のこの日、インターハイへの切符が掌からこぼれ落ちて呆然としていた仙道の姿を過ぎらせた。

 むろん、今年はインターハイへは行ける。行けるのだが──、ふるふると首を振るう。

「つかさ……?」

「見たくない……」

「は……?」

「海南が勝ったのは、嬉しいよ。でも……私、仙道くんのあんな顔、見たくない」

 いま、はっきりと分かった。去年の夏、自分はすでに仙道のことが好きだったのだと。試合が終われば、目の前にいるのはバスケット選手ではなく、仙道彰本人で。視界が滲んで、つかさはどうにか涙を耐えようと強く手で口元を押さえつけた。

 

「優勝──、海南大附属高等学校」

 

 表彰式が始まり、盛大な拍手と共に前へ進み出て表彰状と優勝カップを受け取る神と小菅は、晴れやかで誇らしげな表情を会場中に見せていた。

 そうして準優勝の陵南以下の表彰が済んだところで、今年のMVPの発表がされる。

 

「それでは続きまして、最優秀選手賞──。海南大附属高等学校・神宗一郎」

 

 海南応援団を中心に大喝采が起こり、キャプテンコールが続く中で、神は今日で一番晴れやかな表情を観衆に見せた。

 

 しかしながら本人よりも清田の方がよほど嬉しそうにはしゃいでおり観衆から笑いを誘い、見ていた紳一は肩を竦めつつも珍しく表情を緩めて拍手を送っている。

「神は……、本当に良い選手になった。神のように中学での実績がさほどなく、ここまでに上り詰めたキャプテンは海南の歴史を振り返ってもいないかもしれん」

 紳一は神がレギュラーを取る前から彼の努力を買っていた分、感慨もひとしおなのだろう。MVPに続いて得点王も獲り、ダブル受賞となった神はまさに努力の結果「常勝」を守り抜いてきた海南に相応しいキャプテンの姿を部員たちに見せていた。

 つかさもやはり、晴れやかな神の表情は喜ばしいもので、紳一と共に拍手を贈りながら薄く笑みを浮かべた。

 けれども、と陵南の方に目線を送って自然と瞳に影を落としていると、紳一の手が肩に置かれた。

「今年は、アイツも全国へ行けるんだ。また仕切り直しだ」

「うん……」

「ま、オレもなんだかんだで仙道をインターハイで見られるのは楽しみだぜ。3年目にしてようやく、だからな」

 そうだ。紳一の言うとおり、全国ではまた仕切り直し。一位通過かそうでないかの違いはシード権の有無であるが、多少不利になる程度で、去年の愛和がそうだったように実力さえ伴っていれば勝ち上がれる。

 諸星だって屈辱の県大会準優勝から全国定位置のベスト4まで進んだのだから、きっと陵南も大丈夫なはず。

 とはいえ、あの根明で恐ろしいほど切り替えの早い諸星と仙道とでは、メンタル面でかなりの差がある。全国までにどう立て直せるか──、去年の仙道の黙々と釣りに精を出していた姿を思い出して、つかさの胸に少しだけ不安が飛来した。



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44話

 神奈川県大会決勝戦の取材を終えた彦一の姉・相田弥生は、部下の若手記者とともに自身の勤める「週刊バスケットボール」編集部へと戻った。

 帰るなりみなが興味津々に結果を聞き、答えれば「やっぱり」という空気に編集部全体が包まれる。

「最後は海南かぁ……、さすが王者だけありますね」

「MVPも神君とは……、相田先輩、残念ですね。贔屓の仙道君が優勝逃しちゃって」

「なに言ってるの! そんな私情で仕事してないわよ」

 言って自身のデスクに座り、さっそく今日の取材結果をまとめる。鞄からテープレコーダーを取り出して、インタビュー記事を起こしていく。

 

"神君、優勝おめでとう。最優秀選手賞・得点王のダブル受賞の感想も聞かせてもらえるかしら?"

"ありがとうございます。正直、ホッとしているというのが一番の感想です。海南が最初に神奈川を制したのが18年前、ちょうど僕が生まれた年ですからね。僕の中で、海南の常勝という歴史は常にそばにあって……キャプテンを預かる今年で記録が途切れては、先輩たちに申し訳ないですから。受賞ももちろん嬉しいですが、あくまで優勝の結果についてきたものだと思ってます"

"陵南は強敵だった?"

"はい。個人的には一番のライバルだと思っていました"

"具体的には?"

"やっぱり、仙道の存在が大きいです。国体ではチームメイトとして一緒にプレイして、仙道の実力は十二分に知っていましたから。その仙道率いる陵南に勝って優勝できたことは、海南にとっても大きな自信になると思います"

"そんな仙道君の上からラストは逆転のシュートを決めたけど……、自信はあった?"

"みんながうまくパスを繋いでくれたので、シュートするチャンスに恵まれたのが大きいです。仙道とは国体合宿の時によく一緒にシュート練習をしていて、ディフェンス役になってくれることが多くて、仙道がどう対処してくるかイメージできてたんです。ブロックされないようにイメージ練習をしていたので、結果としてはそれが幸いしました"

"国体の合宿が神君にとってはプラスになったということかしら"

"あはは、そうですね。仙道ってそういうヤツなんですよ。僕自身、欠点がいっぱいあってどこを直せばもっと上手くなれるか教えてくれるというか。自信、もあるのかもしれないけど、お人好しなのかもしれないな"

"いいライバルなのね?"

"うーん……、そうですね。仙道の存在というのは、僕だけでなく神奈川の選手にとっていい刺激になっていると思います。僕個人としても、仙道のプレイを全国で見られるのは楽しみですし、お互いインターハイでも全力を尽くして戦えればいいなと思います"

"今日は本当におめで──"

 

 そこで取材は終わったため、停止ボタンを押して弥生は息を吐いた。

 普段の神はあまり口数の多いタイプではないが、正規の取材だったためか優勝後の昂揚か、いつもよりは長いインタビューが取れた。それはいい。が。神奈川のMVPはここ数年ずっと牧紳一が獲っていたため、久々にタイプの違うプレイヤーがトップを飾ることとなった。

 とはいえ。MVPは優勝チームから選出することになっているため神が選ばれるのは当然であるが、いかんせん彼の口振りからすると仙道に遠慮しているようにも聞こえてしまう。

 そんなに仲ええんやろか、と過ぎらせていると、隣のデスクの部下が話しかけてくる。

「けど、試合終了直前まで圧倒的に陵南が有利な状態で逆転した海南には……なんていうか、勝利への執念みたいなものを感じましたね」

「そうね。でも、それこそがまさに常勝・海南の強みよ。18年連続優勝は伊達じゃないもの」

「けど、仙道君もショックだろうなー。国体合宿で神君の練習に付き合ったのが仇で負けちゃうなんて」

「アホ! 仙道君はそんなみみっちいこと気にする男ちゃうで!」

 思わず反応してしまい、弥生はハッとして咳払いをする。

「とにかく、海南の優勝と神君と仙道君の軌跡は使えるネタよ! 天才・仙道君率いる陵南を執念で破って常勝の記録を見事に繋げた神君。──さあ、書くわよ!」

「うわぁ……やっぱり仙道君はなにが何でも絡めるんですね……」

「うっさいわ! さっさと自分の仕事しぃや!」

 苦笑いを漏らした部下を一蹴すると、弥生は再びデスクと向き合ってペンを走らせた。

 

 一方の陵南バスケ部は閉会式終了後に最寄り駅で解散となり、それぞれ長かった予選の疲れを癒して明日からまた全国へ向けて気持ちを切り替えるべく帰路についていた。

 

 学校に戻って全体練習とならなかったことはありがたかったかもしれない。と、一人陵南に戻った仙道はボールを抱えて体育館に佇んでいた。

 最後に直接対決で神にシュートを許した──今日の敗因は明らかに自分にある。むろん、バスケットはスコアの積み重ねであるし、仕方がなかったといえばそれまでだが。

 明らかに気落ちしている自分を仙道は自覚していた。

 もしかして明日あたり、試合結果を知った諸星に怒鳴り込まれるかもしれない。などと過ぎらせつつ、国体で諸星と対戦した時のことを浮かべる。

 

『もう二度と、負けんじゃねえぞ、仙道! お前はこのオレ、諸星大を負かしたんだ! 分かったか!?』

 

 愛知に勝利したあと、そう言っていた諸星。しかし、彼は試合で全力を尽くしていた。だからこそ試合後にああ言えたということもあるだろう。

 そう、彼は全力を尽くせていた──。

 

『つかさの意志なんざ関係ねえ、オレは負けねえ』

 

 神奈川のベンチにつかさが座っていてなお、彼はそう言っていた。彼の中に「つかさの前で、つかさのために最高の選手でいる」という揺るぎない意志があったからだ。例えつかさが他の誰を応援していても、それは彼の中で揺るがなかった。

 だが、自分はどうだというのだろう?

 

『お前って、けっこう単純なんだな』

 

 福田のあの指摘を、真っ向から否定できる自信がない。

 現に、緑風戦で彼女が声をかけてくれた時はやはり嬉しいと感じたし、今日に至っては──つかさが海南を応援することは当然のことだと納得していたというのに。

 

『つかさちゃん』

 

 笑顔で彼女に手を振った神の姿を見て、おそらく自分は動揺したと思う。むろん、それがプレイに影響したかどうかは分からない。しかし──。

 自分は諸星ほど、彼女の意志は関係ない、などとは言えない。と、仙道は手に持っていたボールをリングに向けて放った。

 ガツッ、と何の狙いも定めなかったそれはリングの縁にあたって大幅にそれ、床でバウンドして大きな音が体育館にこだました。

 意識の奥でその音を聞きながらなお思う。むろん、自分と諸星とでは立場が違う、が。神奈川でつまずいていては、諸星などとても超えられはしないだろう。インターハイ制覇を狙うにしても、海南に負けているようでは最高で準優勝止まりだ。

 やっぱ厳しいかな、この陵南で。と、うっかり先を読んでしまうのは自分の悪いクセだと知っている。今年の陵南は良いチームに仕上がっている。海南に、チーム力で劣るとは思っていない。だからこそ、単純に自分の闘志が神に劣っていたとしか思えない。現に神は、紳一の抜けた海南で連覇が危険視される中、見事に王座を防衛して「神の海南」という確かな地位を築き上げたのだから。

 神──、と唇を動かした仙道の脳裏に、ふ、と国体合宿で練習試合を繰り返したあとに二人で笑いながら交わした会話が蘇ってきた。

 

『神は気合い入ってたよな。スリー以外にも動いてくれるからオレもパス出しし易かったし。さすが海南の次期キャプテン、だな』

『それもあるけど……。 つかさちゃんが見てたから、ね』

『え……!?』

 

 そうして無意識に仙道は拳を握りしめていた。

 やはり、「畏怖」という意味では神は怖い。コート上でいつも自分に出来る最高のパフォーマンスを演じられる神は、やはり自分とは正反対。いっそ流川や桜木のように、こちらを分かりやすくライバル視してくれるような相手や、紳一や諸星のように勝った負けたすら超えた関係なら気が楽だというのに。

 

 たぶん、自分は神が好きなんだろうな、と思う。

 バスケットの能力が神に劣っているとは思わない。そこは自信がある。けれども、やはり他でもない自分は神を尊敬しているし、おそらくあっちもそう思ってくれている。陵南に勝つために最高のパフォーマンスを見せてくれた神に、自分は100パーセントで応えることができたとは言えない。

 おそらくネックになっているのは、つかさのことだ。

 自分を客観視している自分が、情けねぇ、と呟いていたがどうにもならない。こんな嫉妬心を覚えようとは──やはり深みにはまりすぎているのかもしれない。

 自覚しつつも仙道はぼそりと呟いた。

 

「オレのモンだろ…………」

 

 

 翌朝──、決勝戦明けということで田岡から朝練の免除を言い渡されつつも、陵南のスタメンは自然といつも通り朝の体育館に集って誰ともなく朝練を始めていた。

 むろん、彼らの中では準優勝の嬉しさより優勝を逃した悔しさの方が勝っていたからだ。

「なんだよ、仙道は来てねーのか?」

 4人揃ったところで越野が腰に手を当て、植草も肩を竦める。

「まあ、今日は朝練ナシなんだし」

「予選終わったからって気ぃ抜いてる場合じゃねえだろ、ったく……。インターハイ本戦まで一ヶ月ちょっとしかねーってのに」

 地団駄を踏みつつ思う。仙道が昨日の敗戦を気に病むような繊細な神経をしているとはとても思えないが、仙道だけになにを考えているのかチームメイトの自分ですらさっぱりだ。取りあえず放っておこう。もしも去年のように練習をサボりがちになるのならその時は殴り飛ばしに行こう、と誓いつつ練習を開始すると、最終的に15人ほどが集まって汗を流した。

 そして授業開始20分ほど前に体育館をあとにして着替えを済ませ校舎に向かうと、バスケ部の集団に気づいたらしき生徒が学校中からこちらに向かって歓声をあげた。

 

「バスケ部ーー!! インターハイ出場おめでとーーー!!」

「準優勝だってな、すげえぜ!!」

「全国でも頑張れよッ、越野、植草、福田!」

「菅平もしっかりなーー!!」

 

 準優勝という悔しさはあれど、初のインターハイ出場はやはり嬉しく、部員達は改めてその事実を思い出して笑みを浮かべた。

 

「田岡先生、やりましたね!」

 

 陵南が沸いているのは職員室でも同様であり、田岡が出勤してくるや否や教師陣は笑みで彼を迎えた。

「いやいや、まだまだこれからですよ」

「バスケ部のインターハイ出場は我が校初ですからね! しかも、昨日も惜しい試合だったそうですし、全国2位の海南相手にそれだけ競ったとなれば全国でも期待できますね!」

 田岡自身、長年の夢であった「インターハイ出場」という目標を果たせて嬉しいはずが、僅差で宿敵・高頭率いる海南に破れたというのは悔しいものであり。また、既にチームの目標が「インターハイ出場」ではなくインターハイそのものを勝ち上がることになっているため、ここで喜んでもいられない。

 しかし、幾分ホッとしている部分もあった。なにせここ数年はリクルートに熱を入れており、仙道を連れてきたのは私立特権をかなり行使しているため結果が残せないでは話にならない。

 仙道にしても、インターハイ出場という取りあえずの最低限をクリアしたことはきっと肩の荷が下りる思いだったに違いない。なにを考えているのか分からない選手ではあるが、他人よりも闘志を剥き出しにせず闘志さえも持ち合わせているように見えない分、無意識に抱え込む傾向にあるのだから──、と田岡は自身の自慢のエースを思い浮かべた。

 昨日の敗北を、仙道はかなり気に病んでいるように思えた。

 おそらくは、最後の夏の大会で獲りたかっただろうMVPも取り逃がし、悔しさもひとしおだったに違いない。はやく切り替えてインターハイに目を向けてくれるといいが──と思いつつ手を組み、ふう、と田岡はため息を吐いた。

 

 

 一方の海南では、インターハイ出場・連覇ともに予定調和であり、落ち着いたものだ。

 しかしながら、おそらく一番安堵し喜んでいるのは高頭含め連覇を守りきったバスケ部員達だろう。

 紳一を含む去年のレギュラー・準レギュラーの面々が直々に後輩を激励しに高等部へ参上し、やり遂げた後輩達を祝っていたが──エスカレーター式だけに受験組以外の先輩がすぐそばの海南大にいるという事実は後輩にとっては相当なプレッシャーでもあるのだ。

 清田などはさっそく来年の19年連覇へのプレッシャーで青ざめており、「鬼が笑うよ」と神にたしなめられる始末だった。

 

 しかし、「常勝」が慣れというのもある意味おそろしいな──、と毎年使っている「バスケット部全国大会出場おめでとう」の垂れ幕を前庭から見上げて、つかさは改めて息を呑んだ。

 

 常勝を預かるプレッシャーというのは、なかなかに想像しがたい。

 ミニバスをやっていたころは小学生で、伝統だのなんだのとは全くの無縁だったし、敗戦の悔しさやエースの意地は理解できても、先輩たちが繋いできた連勝を次に繋ぐ、という重みも想像に難しい。

 その辺りの差が、自分と紳一の海南への思い入れの差なのだろう。

 むろん、重責を背負っていた神が見事その役割を果たしたのは嬉しいことだ。ただ──、敗戦が決まって呆然としてた仙道の表情が頭から離れない、と瞳に影を落とす。

 自分があれこれ心配せずとも、大丈夫だとは思うが。やっぱり気がかりだし。でも、どうにもできないよな、と思うと漏れてくるのはため息だ。

 陵南ももうインターハイに向けて通常練習に戻っているだろうか?

 海南は予選が終了したその日から通常通り練習をしていたようだが。と、インターハイ予選終了から数日経った日の夕暮れ、暗くなってきた空を見上げながら校庭を歩いていると、うしろから声をかけられた。

「つかさちゃーん!」

 振り返ると、自転車を押している神の姿があって、あ、と反射的に笑みを浮かべる。

「神くん、いま帰り?」

「うん。今朝は夜明け前に目が覚めちゃって……、前倒しでいろいろやっちゃったから早めに帰って休もうと思ってね」

 そっか、と相づちを打ちつつ神の隣に並んで歩きながら神を見上げる。こうして話すのは予選が終わってから初めてだ。

「MVPと得点王、おめでとう。ダブル受賞なんて、歴代のキャプテンでもなかなかなかったんじゃないかな」

 言うと、ははは、と神は少しばかりはにかんで肩を揺らした。

「ありがとう。でも正直、ホッとしたかな。ラスト12秒までは負けてたし、なにせ相手が仙道ってのは、追う方にはイヤなもんだよ」

「でも……。その仙道くんをかわして逆転のシュート決めたんだし……」

 少しだけつかさが神から目をそらすと、うん、と神が頷く気配が伝ってくる。

「あれはオレの気合い勝ちってところかな。やっぱりオレは勝てて嬉しかったけど……、仙道も優勝のかかった一戦だったし、キャプテンとしては責任感じてるかもな」

 少しだけ神の声のトーンが落ちた。おそらくキャプテンという立場上、同じ立場にいる仙道の心情を気遣っているのだろう。

「試合のあと、ちょっと様子が変だったから気になってはいたんだ。仙道、どうしてるか知ってる?」

 ふいに振られて、僅かにつかさは目を見開いたあとに小さく首を振るった。

「分からない。ずっと……もうずっと会ってないし」

「え……、そうなの?」

「会いたいんだけど……ね」

 少し眉を寄せると、神はカラッとした声で笑みをこぼした。

「会いに行けばいいのに。陵南ってここからでも歩いて行ける距離だし、すぐ捕まると思うよ」

 街路樹に自身と神の長い影が伸び、つ、とつかさは息を詰めた。簡単に言ってくれるものだ。

「会っても、なんて言えばいいのかなぁ、って考えちゃって。仙道くん、いま私に会いたくないかもしれないし、会わない方がいいかな……って思って」

 目線を下に落とすと、頭上から「うーん」と唸っている神の声が聞こえた。なんだかこんなことをこぼしている自分さえ情けなく感じていると、少しだけ神が微笑んだ気配が伝う。

「別に、なにも言わなくていいんじゃないかな……。そばにいてあげなよ、仙道の」

 顔をあげると、ね? と念を押すように微笑まれて……なぜだか分からないが、つかさは胸が締め付けられる思いがした。例えライバル校であってもきっと仙道を大切な友人だと思っている神の優しさと、やはり仙道に会いたい自分自身の気持ちが混ざって、キュッと噛みしめるように胸の前で手を握りしめる。

 帰路の分かれ道で神と別れ、一人、歩きながら思う。

 国体の時、愛知と神奈川が対戦した日──、神奈川が、仙道が諸星に競り勝って自分は酷く混乱していた。

 仙道に力負けしてコートに倒れた諸星が、どこか自分に重なって見えて。バスケットをやめたあの晩夏の日の黄昏が、視界を支配して。

 気が付いたらただひたすらゴールを目指して、一人体育館でバスケをしていた。

 

『つかさちゃんは、よく頑張った……。もういい。もう十分だ……。もう、いいんだ』

 

 あの時、ずっと仙道がそばにいてくれて、ただ黙って抱きしめていてくれた。

 

『いーや。やっと笑ってくれたな、と思ってさ』

『え……?』

『一度も笑った顔、見せてくれたことなかったもんな。一年以上もさ』

 

 どうして辛い顔してバスケしてんの? と、言っていた仙道も、もしかしたら同じ気持ちだったのかもしれない。

 やっぱり仙道に沈んだ顔はして欲しくない。なにも出来ないなら、そばにいるくらいは──。

 会いたいし。そうだ、やっぱり会いたい。と、つかさは自宅へ着くと着替えて真っ先に叔母のところへ駆けていく。

「……え? 料理を教えて欲しい?」

 パッと思いついたことが、気にかかっている仙道の体調管理問題で。会いに行く口実も兼ねて保存できる料理を差し入れしようと思ったものの、残念ながらそこまで高度な知識とレパートリーは持ち合わせていない。

 うん、と頷くと叔母の瞳にあからさまに輝きが増した。

「つかさ……! ようやくあなたもそんな女の子らしいこと言うようになって……!!」

 少女趣味の叔母は自分を理想の娘にしたい野望があるため、つかさとしては叔母の反応に少し頬を引きつらせたものの、うん、となお頷く。

「冷凍庫に小分けして、保存できるようなものをいろいろ作りたいの。栄養バランスとか考えて……」

 伝えると、叔母は「あら」と瞬きをする。

「まあ、大君に差し入れでも持っていくの?」

 叔母の頭に真っ先に浮かんだのは、上京して一人バスケに励んでいる諸星のことだったのだろう。確か諸星は寮生活なため、自炊はしていないはずだが──。

「大君、元気なのかしら。大学でもバスケットを続けてるんでしょう? きっと忙しいわね」

「う、うん……。たぶん」

「大君の好きな物って何だったかしらね……。頑張ってるんだから、たくさん差し入れもっていってあげなさいね」

「う……、うん」

 まあ、似たようなものだし、いいか。と、叔母に合わせつつ明日は放課後に直帰して叔母と買い物に行く約束をしつつ、楽しげな叔母を見て思う。自分の母親は息子がいない分、紳一を可愛がっており叔母のような少女趣味は一切ないのだが──なぜ双子でこうも違うのだろう。遺伝子って何なんだ、と深みにはまりそうになったところで取りあえず思考を止める。

 魚の捌きかたも教わろうかなぁ、などと考えた脳裏に楽しそうに釣りをする仙道が浮かんできて、つかさはパッと頬を染めて首を振った。

 今ごろ、練習してるのかな。と考える頭に僅かな不安も過ぎって、キュッと唇を結んだ。

 

 

 仙道は、いつもと変わらず朝から晩までバスケに精を出していた。

 しかし、陵南自体「全国で勝ち上がる」という目標を掲げているものの、「インターハイ出場」という大前提の目標を達成したことでやる気と目標が上手く噛み合わず、どことなく宙ぶらりんだ。むろん、みなやる気はあるのだが──、やはりキャプテンの自分がなにかしら示唆しなければならないと分かっていても、なにも言えない。と仙道は思いつつもいつも通りの練習をこなした。

 みな、あまり「準優勝」ということには触れないようにしているのがいやというほど伝ってくる。気を遣ってくれているのだ、と仙道自身、痛いほどに察していた。

 だが、結果論とはいえ、勝負を決めたのはキャプテン同士の最後の一瞬なのだから、あの日の自分は神に及ばなかった、という結論に異存はない。

 勝ち負けは時に運も左右するため、仕方がないといえば仕方がない。準優勝、という結果を受け入れていないわけではない。

 自分でもよく分かっているのだ。引っかかっているのは、つかさのことだけ。はっきりと思ってしまっている。インターハイでまで、海南を──神を応援する彼女は見たくない、と。

 ──オレだけを見ていて欲しい。などと言ったら呆れられるだろうか?

 彼女の姿を浮かべては、なぜ海南の応援をするんだと理不尽な苛立ちをぶつけて、なんど情けなさに肩を落としたか分からない。

「やっぱ諸星さんは偉大だな……、さすが"大ちゃん"」

 ははは、と乾いた笑みを漏らしながらひょいっと手に持っていたボールを放った。

 諸星にしろ神にしろ、自分よりよほどタフだと思う。だからこそ敬意を払ってるんだろうな、と思う。

「つかさちゃん……」

 声が聞きたい。会って、情けなくとも自分の要求を伝えた方がいいに決まっている。が、こうくるといかに彼女がアウェイの人間か思い知らされるのだ。

 海南に出向くのも、つかさの家に出向くのも、そこは海南のテリトリー。普段は海南を敵とは思っていないのだが、やはりいまは「敵陣」だよな、と、越野の意見を肯定するしかない。

 こうやって気持ちにすぐムラが生まれるのは自身の悪いクセだ。自分が最も神に劣っている部分でもある。この差があるから、彼を驚異に思ってしまうのだろう。神の率いる海南は強い。気持ちで負けていては、きっとまた勝てない。

 自分個人の能力でいくら神に勝ろうが、陵南が負けては結局のところ敗北でしかないのだ。そうだ、いくら去年、魚住たちのいた陵南が湘北や海南に劣っていなかったと言い張ってみても、負けは負け。敗者に与えられるものはなにもない。

──そうして自分はなにも成し遂げられずに、バスケットのキャリアを終えることになる。

 

『つかさちゃんは、よく頑張った……。もういい。もう十分だ……。もう、いいんだ』

 

 そう、彼女のように。

 だが、彼女のように「頑張った」とも言い切れずに。その時は、もう彼女のそばにいる自信がない。



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45話

「んー……、やっぱり繋がらない……」

 一度そっちに出向きたい、との連絡を入れておこうと仙道のアパートに電話しては繋がらずを繰り返し、つかさは受話器を睨み付けた。

 夜中か早朝にかければ繋がるかもしれないが、寝ている可能性が高い時間に電話を入れるのはさすがに気が引ける。

 まあいいか、と肩を竦めた。陵南に行けば確実に会えるが、越野に追い返された手前やはり陵南の門をくぐるのは厳しい。部屋の前で待っていればいいし、土日だったら平日よりははやく切り上げるかもしれない。

 土曜は朝から差し入れを作って、夕方に持っていこう。と思い直す。

 張り切った叔母が自慢のレシピの中から保存に向くものを丁寧に教えてくれて、いつものガリ勉タイムを叔母との夕飯づくりにチェンジしつつ、「娘と料理ができるなんて!」とひたすら感激している叔母をありがたくも少々頬を引きつらせつつ、土曜がくるとつかさは朝から黙々と作業に取りかかった。

 たまに叔母が覗きに来てはにこにこと嬉しそうにつかさの様子を見守っている。

「いつも大君や紳一と泥だらけになってバスケットをしてたつかさが、大君のためにお料理だなんて……やっぱりつかさも女の子ね」

 なんかまだ誤解されてる、と煮物の様子を見つつつかさは苦笑いを浮かべた。

「大君が義理の息子になってくれたら、叔母さんも大感激だわ」

「ブッ──!」

 危うく噎せそうになるのを寸でのところで耐えて、つかさは表情を凍らせた。なにを言い出すのだろう、我が叔母ながら。

「つかさも毎日美味しい物作って、しっかり支えないといけないわね」

「ちょ、ちょっと叔母さん……」

 さすがにつかさとしても突っ込まざるを得ず、くるりと後ろを振り返った。こういうところはさすがに紳一の生みの親である。

「私は、家事は分担派だから!」

「え……?」

 本当はそんな問題ではなかったが、取りあえずそう宣言してつかさは再び鍋と向き合った。その後もつらつらと乙女な話を語ってきかせてくれる叔母の声を耳に入れつつ、こんなところで勝手に話題に出されている諸星に申し訳なく感じつつ思う。

 叔母の心境には到底なれないが、でも、好きな人のために料理をするのはけっこう楽しい。なんて思ってしまうのは女だからなのか……。

 やっぱり自分は変わってしまったと思う。以前は、もしも一つ願いが叶うならば、男の子になって──諸星たちともう一度一緒に同じコートに立ちたい、と強く思っていたというのに。いま、もしも魔法使いが現れて男の子にしてあげると言われたら、きっと躊躇するだろう。男子の身体能力を手に入れて、震えるほど鋭いドライブから思い切りダンクシュートをディフェンスを蹴散らして決める、というのは捨てがたい夢だが。それでも、やっぱり自分は今のままで仙道の隣にいることを選ぶだろうな、と考える頬が熱くなってきてハッとして首を振るう。

 黙々と作り続けて、冷まして、詰めて──日も暮れたところでパックに入れた差し入れを背負って出かけようとすると、最後まで「大君によろしく」と勘違いしていた叔母の見送りを受けて家を出る。

 そもそもこの時間から諸星の住む世田谷に出向いていたら帰宅が夜になるじゃないか。ヘンだと思わないのだろうか。と感じつつ──どのみち仙道を待っていたら遅くなりそうだから一緒か、と海岸沿いを陵南の方向へ無言で歩いていく。

 仙道の部屋へは何度も行ったことがあるが、久々だと緊張するな、とアパートの前まで来てつかさはゴクリと喉を鳴らした。

 仙道のアパートはなかなか洒落た作りになっており、2階の部屋への外階段はそれぞれの部屋専用の独立した作りになっているため、住んでいる人間か用事のある人間でなければまずあがってこない。

 待っているには最適の場所かもしれない、と階段を登ってインターホンを押してみるもやはり留守で、つかさは一つ息を吐いてから壁にそっと背を付けた。

 

「仙道くん……」

 

 その頃──、仙道は通常練習を終えて、残ったメンバーと共に追加練習を行っていた。

 水分を補給していると、そういえば、とタオルを取りに来た越野が声をかけてくる。

「明日、彦一は来ねえんだっけ?」

「ああ……、なんか大阪に帰るとか言ってたな。大阪府大会の決勝を見てくるとかなんとか」

「明日で出場校の全てが出揃って、週中には組み合わせが決まるだろうな。去年の湘北みたいな強烈なブロックだけは勘弁してもらいたいぜ」

「ま……こればっかは運だからな」

「神頼みでもしとくか? 周りに死ぬほど神社あるぜ」

「ははは。いいかもな、みんなで神社巡りってのも」

 本気か冗談か分からない越野の言い分を笑って返し、ドリンクを置いてコートに戻る。

 組み合わせ表があがってくれば、また少しは気持ちの持ちようも変わるだろうか? と考えつつ、いつも通り汗を流して日も暮れたところで体育館を後にする。

 土日は朝からみっちり練習ができる分、平日より少し夜ははやい。帰ったらすぐ洗濯機を回して少しは雑用を済ませておかねば、と電車組と駅で別れてから仙道は海岸沿いを自分の部屋へと向かった。

 

 街灯がぼんやりと辺りを照らし、じっと天上を眺めていたつかさは、トン、と階段を踏みならす音が響いてハッとして顔をあげた。ドクッ、と痛いほどに音を立てた胸を押さえて、パッと階段の方へ歩み寄る。

 

「あ……!」

 

 階段を登ってくる仙道の姿がつかさの目に映り──、あまりに想定外だったのか、大げさなほど大げさに目を見開く彼の様子が街灯にうっすら照らし出された。

「つかさ、ちゃん……」

 色のない声が響いて、つかさは肩に背負っていたバッグのひもをグッと握りしめる。

「お……おかえりなさい」

 瞬間、これ以上ないほど見開かれていた仙道の瞳がさらに見開かれ──しばし仙道はその場で固まったのちに、少しだけ薄く笑ったように見えた。

「……ただいま」

 声色が優しい。つかさは少しだけホッとする。

 仙道の方は──、数秒間フリーズしていた身体を再び動かして、階段を登り始めた。

 ──まいったな、と仙道は心内で呟いた。不意打ちにもほどがある。しかも、つかさの姿を目に留めて、飛来した感情は不可解なほどに複雑だったというのに。「おかえり」の一言だけで毒気を抜かれてしまった。やはり、彼女にはかなわないと思う。

「どうしたんだ? 急に」

「ん? ええと……」

 たぶん、自分を案じて来てくれたとは分かっているが。自分は別に、彼女から慰めの言葉などは欲していない。それはおそらく、彼女も分かっているだろう。

 仙道は鞄からカギを取り出し、鍵穴に差し込みながら思う。やはり、いざ彼女を前にすると気持ちがいくらか和らぐ。それでも、全てが浄化されたわけではない。

 いま部屋に入れるのは、不味いな──と感じつつもつかさを見やる。

「どうする?」

「え……?」

「もしかして、慰めにきてくれた?」

「え……」

「だったらオレ、たぶん今日は帰してやれないぜ」

 ピクッとつかさの頬が撓った。今のでおそらくこちらの気持ちも、その意味もつかさは理解したはずだ。

 キュッとつかさは唇を結んで僅かばかり逡巡するようなそぶりを見せ、一歩仙道の方に歩み寄った。

「いいよ」

「え……?」

「仙道くんがそうしたいなら、いい」

 ぽかん、と仙道は口をあけた。無理をしている風ではない。本当にそう思っているのだろう。まいった……と仙道の方が視線を泳がせた。もしもイヤだと拒否されれば、逆に無理強いしたかもしれないというのに。本当に、敵わない。

 ハァ、と一つため息をつくと、つかさは解せないというように一度瞬きをした。

「仙道くん……」

「わりぃ、冗談」

 言って、仙道はカギから手を離し、つかさの方に向き直るとそのまま腕を伸ばしてつかさの身体を自分の胸に抱き寄せた。

 わ、とつかさが不意打ちを受けたような声を出すも、少しだけ強く抱きしめる。

「せ、仙道くん……?」

 久々だな。この感触──、と仙道はそっと瞳を閉じた。この前つかさに会ったときに、つかさがこちらを確かめるように抱きしめていた気持ちが良く分かる。やっぱり、会いたかった。こうしてずっと触れたかった。

 ──随分と長い間、それも無意識にけっこうな力を込めて抱きしめていたらしく、少しだけつかさが苦しそうな息を漏らして仙道はハッと我に返ると腕を緩めてそっとつかさから身を離す。

「ごめん」

 言って、バツの悪いまま自嘲すると、つかさはこちらの心理を読みかねたのか考えあぐねたような表情を浮かべて、えっと、と懸命に口を揺り動かそうとしている。

「その……、い、癒された……?」

 ぎこちない声で、仙道はキョトンとする。──つかさにしてみたら、さっきの今で、抱きしめるだけで済んだのか? とでも言いたいのか困惑しているのか。それとも生真面目さゆえか。

 不謹慎にも沸いてきたのは笑みで、仙道が声を立てて笑うとつかさの身体がビクッと撓ったのが伝った。

「え……、な、なに……?」

「あっはっは……! ごめんごめん」

 笑いをどうにか抑えようと踏ん張りつつあやまって、落ち着いたところでなお困惑気味のつかさに仙道は笑みを向けた。

「いや……、オレ、やっぱつかさちゃんのこと好きだな、って思ってさ」

 言えば、え、とつかさは少し目を見開いて、少しだけ頬を染めて目線をそらした。こういう反応もやっぱり可愛いな、などと思っていると、目線をつかさがこちらに戻してきて見上げてくる。

「私も、好き」

「──ッ」

 不意打ちを受けたような衝撃だった。──知っているのに。そうだ。そうだよなと緩みそうになった口元を手で隠すようにしていると、つかさの方も少し照れたような笑みを漏らしてから「そうだ」と笑いを変えるような声をあげた。

「今日はね、コレを渡したくて来たの。ホントは事前に何度か電話したんだけど……繋がらなかったから」

 言って、つかさは左肩にかけていた大きなトートバッグを下ろして仙道の方へ差しだし、え、と仙道は瞬きをする。

「これ……」

「差し入れ」

「え……?」

「その……、ご飯、ちゃんと食べてるか気になったから……。解凍しておかずにできるものとか、いろいろ……」

 語尾がだんだん弱くなっていったのは気恥ずかしさだったのか。受け取ると、バッグの中にはクーラーボックスが入っており、ずっしりと重く、相当量入っていると見受けられて仙道は思わず言葉をなくした。

 作って来てくれたということだよな、と悟って、もはやどう気持ちを表していいのか分らず「サンキュ」とだけ呟くと、ニコ、とつかさが笑った。

「じゃ、インターハイ、頑張ってね」

 そうして階段を下りようとするつかさをハッとした仙道は反射的に呼び止める。

「ちょっと待って。送ってく」

 そうして急いでつかさからの差し入れを部屋に置き、荷物も置くと仙道はつかさと共に再びアパートを出た。

 久々に手を繋いで夜道を歩く。海岸線を走る車の音に混じって波音が聞こえる。潮の匂いが鼻を掠めて、海に視線を投げれば暗い海原が広がって──当たり前のことがひどく懐かしく感じた。

「そういえば……、緑風戦の仙道くん、凄かったね」

「え……?」

「あれって監督の策だったの? フォワード一本で攻めてたの」

「あ……ああ」

 あれか、と先週末の決勝リーグを浮かべて相づちを打つ。つかさが応援してくれていたから──無意識に張り切っていた、あの一戦。

「中盤で仙道くんが決めたフックシュートがあんまり綺麗だったから……見とれちゃった」

「え……、フック……?」

 うん、とつかさが頷いた。嬉しそうな顔が街灯に照らし出されて、声も弾んでいる。

「仙道くん、大きくて……打点も高くて、すごくフォームが綺麗にはっきり見えるから。あんな風に打てたら気持ちいいだろうなぁ、ってちょっとだけ羨ましくなっちゃった」

 なおつかさが笑いつつ、少しだけ残念そうな申し訳なさそうな顔色を浮かべた。

「湘北との試合も、見たかったんだけど……」

 あ、と仙道も少し眉を寄せる。──海南の方へ行っていたんだろうな、と過ぎらせつつも笑ってみせる。

「あの試合……流川が面白いことやってたぜ」

「え……?」

「つかさちゃんが国体合宿でオレや牧さんと3 on 5やってた時に、面白いステップでドライブインしてみせてくれただろ? あれやってた」

 チャージング有りでブロックしたけど。とは言わずに言うと、つかさは少し目を見開いて意外そうに瞬きをした。

「そ、そっか……ちょっと見たかったな」

「オレもやり返してみたんだけど……」

「え……!? 決めたの!?」

「バスケットカウントもらった」

 さらりと言ってみると、つかさはジッと見上げてきてから、そっか、と噛みしめるように呟いた。

「見たかったな……!」

「自分の技なのに?」

 仙道は訊いてみる。自分の得意としているものを相手にやられるのはプライドに触るという人間も多いため、少し意外だったのだ。

 すると、つかさは苦笑いを漏らした。

「私は、どんなに技術を尽くしても叩き落とされることの方が多かったから……決まったところ見てみたいし、仙道くんなら何倍も綺麗に決められるはずだし、それに……」

「それに……?」

「光栄、かな。あの流川くんも、仙道くんも私のドライブを参考にしてくれたなんて……」

「でも会場は流川の技だと思ってたぜ?」

 言うと、つかさはキョトンとして少し声を漏らしながら笑った。なんだ? と少し解せないでいると、しばらくしてつかさは笑みを止める。

「もし私が同じコートに立ってて、自分の上からやり返されたら悔しいだろうけど……。そういうこだわりはあんまりないかな、技は技だし、やっぱり光栄。例えばね、大ちゃんなんか、私の特に得意な技はぜったいに試合ではやらなかった……たぶん出来るはずなのに。それはちょっと寂しかったしね」

 必要なかったのかもしれないけど。と続けて、仙道はさすがに諸星らしい、と感じた。仮に必要があっても出来たとしても、諸星はつかさの「エースのプライド」を尊重し続けたのだろう。きっとそれは正しい。だってつかさが拘っていたのはあくまで諸星本人なのだから。

 そうだ、いまのつかさはもう吹っ切れた部分もあるし──、自分の強さを人に知らしめたいような自己顕示欲は元から持っていない。

 そうか──、と仙道は繋いでいた手に無意識に力を込めていた。

「仙道くん……?」

「ん、いや……」

 見たかったのなら、見に来れば良かったのに、と過ぎらせてしまったからだ。海南より自分を優先させていれば見せてやれたのに。と考える自分は、まだ割り切れてはいないのだ。

 つかさが誰を応援していても関係ない。──など、やっぱり自分は言えない。誰にも、渡すものか。

 と、さらに手に力を込めようとしたところでつかさの方が仙道から手を離した。ハッと顔を上げると、橋の向こうにうっすら赤い駅の建物が見えた。

「もうすぐそこだから、ここまでで大丈夫。送ってくれてありがとう」

 笑って背を向けたつかさに、あ、と仙道は反射的に手を伸ばした。この橋の向こうは、海南のエリアだ。行かせたくなくて、そのまま後ろからつかさを抱きしめる。

「せ、仙道くん……?」

 驚いたような声がつかさの口から漏れた。けれど、自分の腕に阻まれて振り返れない。

 漁船のライトがぼんやりと暗い海を照らしている。少しだけ眉を寄せて仙道は航跡を見つめた。無意識につかさの腕を辿って指に触れ、自分のそれと絡める。

「つかさちゃん……」

 呟きながらそっと仙道は瞳を閉じた。こうして顔を見なければ、情けない顔をしているだろう自分も見られずに済む。

「頼みが、あんだけど……」

「頼み……?」

 キュ、と仙道は腕に力を込めた。

「インターハイは……オレのこと、応援しててくれねえかな」

「え……」

「もし、海南とあたったとしても……神じゃなくて、オレを……」

 ピクッ、とつかさの身体が撓ったのが伝った。眼前に広がる静かな海原とは裏腹に──やけに遠くの雑踏がうるさく仙道の耳に響いていた。

 

 ──その頃。

 夕飯の時間になってもつかさが見あたらないことを怪訝に思った紳一は、母親に声をかけていた。

「つかさのヤツ、遅いな……」

 週末だし、珍しく遊びにでも出ているのかと含ませると、ああ、と母親が常と変わらない笑みを浮かべてごく自然に言った。

「つかさは大君のところに行ってるのよ」

「は……?」

 諸星? と間の抜けた声を出すと、ええ、と母はなお微笑む。

「つかさ、ここ数日お料理頑張ってたでしょう? 大君、一人で大変だからきっと心配してたのね。だから、今日は朝から張り切ってお料理して大君に持っていったわ」

「ちょ……、母さん、諸星は寮住まいだから食事の心配はいらないはずだぞ。それにアイツの寮は部外者立ち入り禁止で──」

 そこまで言って、紳一はハッとする。

「あら、そうなの? じゃあ、どこに行ったのかしら……。確かに遅いわね」

 あごに手を当てて思案する母親を横目で見つつ、紳一は自身の表情筋が極度に引きつっていくのをリアルに自覚した。──つかさがどこに行ったか、考えるまでもない。

 が、考えることを頭が拒否し、紳一は深いため息を吐いた。



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46話

『インターハイは……オレのこと、応援しててくれねえかな』

『もし、海南とあたったとしても……神じゃなくて、オレを……』

 

 まさか仙道があんなことを言うとは──とつかさは帰宅するなり何か言いたげにしていた紳一など目に入らないまま自室に籠もって考えていた。

 

 いつも、「海南が相手なら仕方ない」と冗談めいて言っていた仙道だというのに。いやしかし、それは付き合う前の話とはいえ──、しかもなぜ、神?

 あの瞬間に色んな想いが胸に飛来した。が、答えなど一つしかなかった。もちろんだと返事をする前に、さらに仙道は言った。

 

『その代わり、オレは諸星さん以上に……日本一に絶対なってみせる』

 

 ──瞬間、なぜ仙道が夏でキャリアを終えようとしているのか。なぜ、あれほどまでに根を詰めて練習に明け暮れているのか悟った。

 陵南に特待生として進学した責任、諸星に託されたこと。そしておそらく、自分の──大ちゃん以上の選手になる人だ──という想いに添うため。全てをひっくるめて背負ってやり遂げようとしているのだ、と理解した。

 普段から考えていることを見せないから、分からなかった。仙道がそこまでの覚悟で夏に臨もうとしていたこと。そして、きっと自分が海南の制服を着ていることさえ、仙道の負担になっていたことも。

 頷く以外の選択肢があるわけがない。だって、いつだって自分もそうしたかったのだから。

 

 ──仙道くんだけを見てる。そう言ったら、仙道は心底安堵したようにホッと息を吐いていた。

 

 

 7月に入ればインターハイ全ての出場校が揃い、組み合わせ抽選会が行われてトーナメントが出来上がってくる。

 田岡はトーナメント表を受け取るとすぐにその日の午後の部活開始前に部員達を集めて、みなにインターハイでの組み合わせを見せた。

 おお、とみな食い入るように見入る。

「ウチは……、勝ち上がれば最初にあたる強豪は大阪代表か」

「豊玉だな……、二年前には翔陽に勝ってるとはいえ、去年は湘北に負けた。去年は準優勝でのインターハイ出場だったが、今年は大阪王者を奪還したんだろ、彦一?」

「ええ。ばっちりデータ取ってきましたから対策はぬかりないですわ」

「海南は逆側か……。やっぱいいよな、シードってのは」

 口々に言い合う部員の声を聞きながら、仙道も組み合わせをジッと見ていた。海南が反対側だろうが、いつ強豪とあたろうが、そんなことはどうでもいいのだ。どうせ最後まで行くつもりなら、いずれはどの強豪ともやり合うことになる。遅いか早いかの違いでしかない。──そう、インターハイでの目標がはっきりした。今まで口に出すのが憚られていたが、もう迷いもなく、ためらっている場合でもない。

 手を打ち鳴らして部員の注意を集め、仙道は音頭を取る。

「一戦一戦、じっくり戦っていけばぜったいに勝てる。このトーナメント、ぜったい最後まで勝ち上がろう。そしてウチがナンバーワン──全国制覇だ。みんな、気合い入れていこう!」

「──仙道……!」

「キャプテン……」

 すると、部員たちは驚いたように息を呑んだ。無理もない。「ナンバーワン」という言葉に驚いたのではない。仙道がこう宣言することに驚いたのだろう。そうして間を置いて、全員が拳を握りしめる。

「──そうだ! オレたちは勝ち上がるんだ!」

「せやせや! ウチはいままでインターハイに出られへんかったのがおかしいくらいなんや、ぜったい勝ち上がったるで!」

「やってやるぜ!!」

 それぞれが力強く言い放ち、様子を見守っていた田岡も驚きつつも強く頷いた。

 今年はいける、と思う。なにより部長の仙道が、あの気まぐれな仙道が張り切っているのだ。仙道さえやる気を出せば、他の部員も仙道に付いていこうと十二分に力を発揮できるという好循環が生まれる。行けるぞ──と頷きつつも田岡はトーナメントに目を落とす。

 勝ち上がるには、やはり対策がいる。インターハイまであと一ヶ月。自分のこれまでの監督人生をかけてでも一分の後悔もないように準備をしてインターハイに臨まねば。

 仙道も、田岡も、また部員達もはっきりと目標をインターハイに切り替えて、陵南は今まで以上のチームワークを見せつつあった。

 

 仙道達からは少し遅れて、牧家では紳一の購入してきた「週刊バスケットボール」の記事が広げられ、つかさも紳一も特集に載っているインターハイのトーナメント表を食い入るように見ていた。

「ほう……、神奈川同士は決勝まであたらないようだな」

「陵南は大阪・愛知代表のブロックか……。ウチって本当にトーナメントだけには恵まれてるよね、毎回」

「そう言うな。去年の湘北に比べりゃどこもマシだ。ウチも福岡代表やら山王やらとあたる」

「今年の山王って強いの? どうもそうは思えないんだけど……」

 言いつつつ二人でパラパラと各校の紹介を見やると、陵南の評価にはBランクが付けられていた。

「んー……"天才・仙道彰率いるよくまとまったチーム。DF力あり。何回戦まで勝ち上がれるか注目だ"だって。……海南は?」

「Aだな。"神奈川の王者。攻守共に隙がなく、今年こそ全国制覇の期待がかかっている。キャプテン・神の美しいスリーは必見"。……ま、当然だな」

 誇らしげに微笑みながら紳一はページを捲った。するとインターハイ特集の神奈川の部分に載っていた仙道の大きな写真が視界に飛び込んできて、一瞬顔を引きつらせる。

「"天才・仙道彰、いよいよインターハイへ!"だ……?」

 そこには一面を使い、今まで全国を望まれながらも不遇だったことや仙道の天才ぶりが事細かに記事にしてあり、のぞき込んだつかさもさすがに苦笑いを浮かべた。

「前から思ってたけど……この編集部、仙道くん贔屓な記者がいるよね、ぜったい」

「お前のようなか?」

 紳一の突っ込みに眉を曲げつつ、それにしても、と思う。

「こんなにちょくちょく記事に書かれてたら、インターハイでチェック厳しくなりそうで、かえって大変なんじゃ……」

「まあ国体も出てるし、アイツが手こずりそうな相手は元からアイツをチェックしてるだろうから関係ないんじゃねえか? にしても……清々しいほど陵南推しだな」

「先週は海南だったじゃない」

「アレにしてもやたら仙道絡めてたじゃねえか。神のインタビューでも仙道仙道と……」

「お兄ちゃんの時も藤真さんとのライバル対決を煽られてたし……雑誌には必要なんじゃない? その手の煽りって」

 言い返して紳一を黙させ、つかさは再び記事に目を落とした。

 先週の記事は海南優勝特集で、その中に神のインタビューも載っていたのだが、フォーカスされていたのは「神にとっての仙道」というものであり……思い出してつかさは渋い顔をした。

 おそらくあの記事に嘘はないだろう。実際、神と仙道は仲がいいし、彼は仙道を好いている。逆もまたしかりだったはず、だが。

 

 ──もし海南とあたっても、神じゃなくてオレを応援して欲しい。

 

 なぜあそこで神の名前が出たのだろう? キャプテンだからか?

 むろん、神率いる海南に二度と負けたくないという気持ちは分かるが……。

 決勝でクラッチシュート決めたからかな、と思い直してつかさは再び雑誌に目を落とした。

 

 

 ──名古屋。

 インターハイ開始まで、あと約3週間となったある日の日曜。愛知の大学に進学した三井は、たまの休日を利用して名古屋まで出向いていた。

 三井にしてもまた寮生活を送っていたが、深体大の諸星と違って軍隊じみたものではなく、ある程度の自由は満喫できている。

「歓迎・高校総体……か」

 とこぞのビルに下げられた垂れ幕を見て三井は今年のインターハイ会場が名古屋であったことを思い出し、チッと舌打ちをした。

「あのバカヤローどもが。陵南・海南にやられやがって……。やっぱこのオレがいないとこうも弱体化するってか」

 ブツブツ呟いて、後輩の顔を浮かべつつ地団駄を踏む。とはいえ今年は病み上がりの桜木を含めて陵南・海南に対し分が悪いのは一目瞭然だったため、ハァ、と肩を落とした。

「名古屋総体、か……。あいつも来んのかね」

 そうして、三井の脳裏にはふとつかさの姿が浮かんだ。

 誰も自分を知らない土地で、いちから始めるのもいいのでは? と、こっちに進学する前に言ってくれたつかさ。実際、良い部分も悪い部分も含めて誰も自分の過去を知らず──のびのびとバスケに打ち込めているのは確かだ。

 加えて、三井の進んだ愛知学水は男子バスケもむろん強豪であったが、なんと言っても愛知といえば女子バスケット最強の地である。女子部はここ近年は圧倒的王者として君臨しており──その中にはやはりバスケ歴の長い女子も多数いて、たまに諸星や紳一の話になるとつかさの話も出ることに三井は驚かされた。

 諸星・紳一と同じチームでエースだったけれど、中学で誰も彼女を試合で見ていない。という話に「アイツは今もうめーぞ」と何気なく言えば女子部の監督までもが詳しく聞かせろと迫ってきて慌ててバックレたことなどを思い出して、一人苦笑いを浮かべた。

「エース、か……」

 彼女の過去になにがあったのかは知らない。けれど、「また新しく始めるのもいいのでは」と自分に言った彼女は、きっとこの愛知でいろいろなことがあったのだろう。

 不思議だな、と思う。自分も中学では神奈川のMVPにまで選ばれて、順風満帆だったバスケ人生をたった一度の怪我で挫折して、人の道に反して墜ちるところまで墜ちて消せない過ちを犯した。けれどもまたコートに戻ることを許されて、こうしてここでバスケを続けることが出来たのは、本当に恵まれていたと思う。

 神奈川を離れて思ったのだ。怪我がなければ、自分はずっと栄光の道を歩いていたのでは? 後悔が大きいほどに、その青写真が消えずに悩んだこともあった。もしかしたら、諸星のように日本一の大学に呼ばれていたのかもしれない。もっと良い人生があったのかもしれない。そんな風に、虚しい想像を重ねた。

 が、例え消し去りたい過去でも、それがなければ今の自分はここにはいない。いま、ここで充実した学生生活を送れている。──辿り着いたこの未来という今を、過去に戻って修正したいとは思わない、と。今の自分が、三井寿の全てだ。

「諸星のヤロウ……、そのうち"愛知の星"はこのオレの二つ名になっても知らねえぞ」

 ははは、と笑いつつ三井は雑踏の中を再び歩き始めた。日差しが熱い。

 今年の夏は、きっと暑くなるだろう──。名古屋の照りつけるような太陽を見据えて、そう思った。

 

 その頃──、陵南のレギュラー・ベンチメンバーは緑風高校の体育館にいた。

 

「行きますよ、越野さんッ!」

「いかすかッ!」

 

 コートの半分を使い、越野と克美が1 on 1を繰り広げており、反対側でもマイケルと仙道が睨み合いに精を出している。

 その様子を見つめながら、田岡は満足げに頷いていた。

 ──選手の力を伸ばすには、拮抗した相手と戦うことが一番の近道である。仙道の力が飛び抜けている陵南では、仙道を含めてみなに拮抗したせめぎ合いをさせてやれないことが唯一にして最大の弱点だった。

 しかしインターハイを睨むにあたり、また、対戦するチームを想定してのフォーメーションなどを試すのにどうしても相手が必要だった田岡は、緑風に合同練習を申し込んだ。

 3年は全員が選抜まで残るという緑風も練習相手を欲していたのは同じで、すぐに同意した両チームは週末は緑風で練習。夏休みに入ってからはインターハイ直前まで毎日合同練習するという運びになった。

 なにせ江ノ電で一本、いや、もはや徒歩圏内という立地の良さも手伝い、選手にしても、陵南の他の部員を見なければならない田岡にしても全てにおいてありがたかった。

 なにより主将のマイケルは仙道の相手として申し分なく、また克美や名高といった各選手の個々の力もレベルが高く、選手達を鍛えるにはもってこいだ。

 この一ヶ月はやることが多い。いくら陵南が強くても、無対策で勝ち上がれるほどインターハイは甘くない。相手を研究し、対策を立て、確実に勝つイメージを作るのだ。そうすることで選手達の自信もついてくる。なにせ全員がほぼ全国での経験はないのだ。その時点で、だいぶん海南に劣っているといっていい。

 

「よーし、次はオフェンス・フォーメーションのテストだ。スタメン全員コートに入れ!」

「はいッ!」

「緑風の諸君も、ウチの選手を潰すつもりでやって欲しい」

「はいッ!」

 

 トーナメントを勝ち上がるための不安要素を全て潰す。トーナメントという性質上、ある程度はどの高校とあたるかは想定できているのだ。個々に対策を立てて、対応できれば勝率はグッと上がる。活き活きとしている選手達の顔を見て、田岡は強く頷いた。

 

 そうしていよいよ夏休みも目前となり、インターハイも近づいてくる。

「相変わらずの定位置キープだ。凄いね、つかさちゃん」

 期末試験の結果を廊下でつかさが見上げていると、隣から神の声が聞こえた。見上げると常と変わらず穏やかな笑みを浮かべた神がいて、つかさは肩を竦める。

「神くんは……」

 言って探すとすぐに目に付き、ジトッと一覧を睨む。

「神くんこそ……、いつも50位以上だし、凄いな」

「あはは、主席には負けるよ」

「私は部活してないもん」

 バスケをしていたころの自分の成績のタブーぶりを思い出せば、文武両道、という人間は他人種にしか思えず敗北感が拭えない。しかもあれだけ部活をしていてこの成績なら、引退したらどうなるのか。

「神くん、夏が終わったら引退するの? それとも冬まで続けて受験はパス?」

「んー……、バスケめるなら引退して受験に備えるかな。まだちょっと続けるか迷ってるんだ。さすがに、翔陽の花形さんみたいな芸当はオレには無理だしね。でも……どうして?」

「神くんが受験に備えるなら、神くんが一番のライバルになりそうだから。私、卒業まで主席守りたいし」

 言えば、神はキョトンとしたのちに声をたてて笑った。

 その笑みを見ながら思う。──あれから、神に会うたびに思っていることだが。なぜ仙道は「神じゃなくて」オレを応援して、などと言ったのだろう? 分からない。仙道より神を優先して応援したことなど、一度たりともないというのに。

「ま、でも、期末も終わったし今はバスケのことしか考えられないかな。夏休みに入ったらすぐ合宿だしね」

「どこか行くの?」

「いや、国体の時みたいに学校に泊まり込みで朝から晩まで練習」

 そっか、と相づちをうってつかさは窓の外を見上げた。

 まっさらな青空だ。いよいよだ。いよいよ、仙道にとっても神にとっても最後の夏がやってくる。彼らがどこまでやれるのか──。自分はただ、見守るしかできないが。

 頑張って、とギュッと手を握りしめる先でつかさは仙道の姿を浮かべた。

 

 夏休みに入ればいよいよインターハイも近づき、陵南メンバーは緑風高校に通って練習漬けの日々を送っていた。

 何度も顔を合わせるうちに緑風メンバーとも打ち解け、互いに充実した練習ができて良い状態にある。

「みなさん、お疲れさま。どうぞ飲んで」

 少数精鋭で質の高い練習が出来ていることと、なにより裕福な私立校らしく──栄養ドリンクやゼリー類を適切に差し入れてくれることもチームとしてはありがたかった。

「サンキュー、恵理」

「いつもすんません、恵理さん。にしてもさすが理事長の娘さん、気前ええわ」

 主将のマイケルがマネージャー──緑風高校理事長の娘、藤沢恵理にウインクを飛ばせば、彦一も張り切って礼を言った。

 越野や植草もそれぞれドリンクを手にし、汗を拭っている。

「やっぱ、なんだかんだ女のマネージャーがいるっていいよな」

「そうだな、湘北とか二人もいるもんな……。しかもスゲー美人と超可愛い子……」

 彼らがそんな話をする横で、マイケルは適度に冷えたドリンク式ゼリーを手で掴んでひょいと汗を拭っていた仙道に投げた。

「ほら、仙道クンも!」

 仙道も反射的に受け取って笑みを見せる。

「サンキュ」

 そのまま仙道はゼリーに口を付け、ふぅ、と息を吐いた。

「そういや、緑風ってあのマネージャーさんの意向でバスケ部創られたんだっけ?」

「うん。まあ、恵理の趣味みたいなもんかな。そのおかげでオレはアメリカでバスケやれたし、感謝してるけどね」

「ん……? けどお前ってあっち育ちじゃねえの?」

「半々ってところかな。けど、バスケって環境じゃやっぱりアメリカの方が優れてるし、大学はあっちに戻る予定だけどね」

 親戚もいるし、とさらりとマイケルが続けて、へえ、と仙道は感心して頷いた。さすがアメリカ国籍も持っているだけあって簡単に言うものだ。

「君もどうだい? 仙道クンってポイントガードも出来るんだろう? だったらNBAだって夢じゃないぞ」

「んー……、オレはそこまでバスケ続ける気はねえし」

「ははは。無欲だねえ。仙道クンってクールだしあっち行けばガールフレンドの一人や二人あっという間にできちゃうよきっと」

「いや、……オレは一人で十分」

「わお、なに、仙道クン、ガールフレンドいるの? やっぱり?」

 そんな話を繰り広げていると、そばから金切り声があがった。

「ちょっとマイケル! なに下品な話繰り広げてんのよ!」

 ゲッ、とマイケルは慌てて声の主・恵理の方を向いてわざとらしく英語で謝る。そうして仙道に向けてウインクをしてきたものだから、仙道はおかしさに声を立てて笑った。

 仙道クンには北米の生活が合ってる気がするなぁ、などというマイケルの話を聞きつつ、英語は割と得意だけどな、と考えながら仙道はもう一度汗を拭ってコートへと戻った。

 アメリカでバスケ──。脳裏にマイケル・ジョーダンやらの著名なスタープレイヤーを浮かべて、ははは、と肩を竦める。これから数年経てば、体格的にあちらの選手に見劣りしなくなるだろうマイケルは既にNBAに目を付けられているという噂をきいた。彼にとっては英語は母国語。言葉の壁もないし、いずれはジョーダンのようなスターを目指すというのも自然のことかもしれない。

 だが、いまは。そんな夢物語を思い描くより先にやることがある。自分は、自分のこのバスケ人生の全てをインターハイに賭けると決めた。そう、これは現実。遠くに描いていれば楽しいだけの憧れでも、夢物語でも何でもない、紛れもない現実なのだ。ここで「勝者」になれなければ、自分は一歩も先へは進めない。

 一切の言い訳もできない。自分は、最高のチームメイトを得たのだから。──と、仙道は自分についてコートへ入ってくる4人のスタメンを見やった。

 ミスが少なく、チームをよくコントロールしてくれるポイントガードの植草。短気だが、ガッツをもってチームに勢いを付ける越野。彼はシューティングガードとして、格段にシュートが上手くなった。そして粘り強いプレイでオフェンスの軸を担うフォワードの福田。ディフェンスは一流にはほど遠いとは言え、よく相手を見て対応を考え動きの反応も良くなってきている。それに陵南ゴール下を守る菅平。自分たち三年に追いつこうと努力し、リバウンドでもゴール下の守りでもきっちり働ける良いロールプレイヤーだ。

 何より、自分たち「5人」でしか出来ないことがある。海南との決勝ではまだ未完成だった、陵南の切り札。

 

「よしッ、いいぞ福田ッ!」

 

 ゲーム形式の練習を進めて見事にゴールを決めた福田に、コート外から田岡の声が飛んだ。

 ヒュウ、とマイケルも感心したように口笛を鳴らし──仙道は、ふ、と息を吐いて自身のチームを見渡した。

「さ、つぎはディフェンスだ」

「おう!」

 もうどこにも負けない。トップまで走り続けるのみ。

 唯一絶対の意志を共有し合う仙道以下陵南ファイブはしっかり前を向いて強く頷きあった。



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47話

 8月初日──。

 陵南の選手達はいよいよインターハイに乗り込むために、早朝から張り切って藤沢駅前に集合していた。

 が──。

「フッキー! 仙道!」

 やはり目的地が同じなだけに、こうなるのか。と見知った呼び声に振り向いた仙道と福田の視線の先にはゾロゾロと海南のジャージを着込んだ集団がおり、にこにこと常と変わらない神に仙道も笑みで返した。

「よう、神。お前達も今からか?」

「うん。調子はどう?」

「そこそこかな」

 しかし、いつもと変わらない神と内心闘争心を燃やす陵南陣営とは裏腹に、あからさまに火花を散らしていたのは最年長の二人だった。

「おはようございます、田岡先輩」

「おう。今日も顔でかいな、高頭」

「インターハイでも我々が勝たせてもらいますよ」

「こっちも予選の時とは違うぜ、高頭よ。首を洗って決勝で待っているんだな」

「フッ……そこまで残っていることを私も祈っていますよ」

 眼前で意地の張り合いを始めた監督陣に、神と仙道は互いに顔を見合わせあい、数秒の間を置いて笑い始める。

「相変わらずだな、監督たち」

「そうだな。けど……オレたちだって今度は負けねえぜ」

「うん。決勝はオレたち神奈川対決になるといいよな」

 そうして話し始めれば、やはりあっという間に元の二人に戻り──、そんな二人をそばで見つめて「二人ともカッコイイ……」と相も変わらず清田が拳を握りしめて震える。

「せ、仙道さん……! オレ、ぜったい勝ち上がりますから! 決勝でまた仙道さんたちとやれるよう頑張ります!!」

「ははは、まいったな。王者にこう言われちゃオレたちも負けられねえよな」

 仙道が答えると、陵南のメンバーも口々に頷いた。

「せやせや、決勝は神奈川対決や!」

「全国にオレたちの力を見せてやろーぜ!!!」

 予選と違い、相手が対全国になれば同県同士は妙な連帯感が生まれるのも常で、そのまま海南と陵南は揃って電車に乗り込み、会場である名古屋を目指すこととなった。

 

 一方、牧家でもインターハイ観戦に繰り出すべく朝から準備が進められていた。

 張り切って自身の外車を洗車する紳一とは裏腹に、つかさは一人クローゼットを広げてジッと海南の制服を見つめていた。

 いつも、試合を観戦に行くときには着ていた海南の制服であるが──今回ばかりは「個」を優先すると決めた。例え紳一の怒りに触れたとしても、仕方がない。

 ふ、と息をはいてクローゼットを閉じる。そうして荷物を持って下に降りると、叔母が大量の手みやげを手渡してきた。

「私も一緒に行きたいんだけど……。お盆には行くからって伝えておいてちょうだいね」

 うん、と頷いて大荷物を手に外へ出て車に積む。

 インターハイの会場は今年は名古屋ということで、つかさ達は愛知に帰省ついでに見に行くことを決めた。つかさ達の育った場所──つまり祖父母の家から名古屋の会場までは少々距離があるため、紳一が張り切って車で出向くことを決めたのだ。

 紳一にしても高校時代は部活に追われていたため、ゆっくりと愛知に帰省するのは久々のことである。

「しかし、会場が名古屋とは……暑いだろうな」

「そうね……。ほんと暑かったよね……愛知の夏……」

 それぞれ思いを馳せながら車に乗り込み、古巣に向けて出発する。高速に乗れば3時間ちょっとで目的地に到着だ。

「メイン会場はレインボーホールだったか……」

「うん。今ごろ開会式やってる時間かな……。ちょっと羨ましい」

「お前、結局、中高の6年間はずっとなんの部活動もやらなかったが……良かったのか?」

「うん。いいの。みんながバスケ頑張ってるところを見られたし……それに、国体は出られたから」

 コーチとしてだけど、と微笑みつつつかさは少しだけ窓を開いて風を受けた。

 インターハイに出られるチャンスは、どんなに優秀な生徒でも3回きりだ。今日が初めての陵南の選手も、数回目となる海南の選手達も、それぞれ気持ちを高めて開会式に臨んでいるだろう。

 ちゃんと女子部でバスケットを続けていれば、自分も彼らと、そして諸星や紳一と同じ舞台に立てていたのかもしれないが──。やっぱり、その「選ばなかった道」は自分には想像すら出来ない。

 

 祖父母宅に着けば、まだまだ元気な祖父母から熱烈な歓迎を受け、食べきれないほどの量のお菓子を並べられて昔話に花を咲かせ──つかさは久々に自分が中学二年まで使っていた部屋のクローゼットの扉をあけてみた。

「あれ……」

 その奥にあったバスケットボールを手に取ると、いまなお空気が抜けずにいてつかさは少しだけ目を見開いた。

 よほど状態が良かったのか、それとも祖父か祖母が定期的に空気を入れてくれていたのか──、ふ、と僅かに微笑む。

「ちょっと、でかけてくるね」

 居間にいた祖母に声をかけて、つかさはバスケットボールを抱えたまま家を出た。ほんのり茜色の空間が眼前に広がり、目の前の路地を抜けて、また抜ければ、人生のほとんどの時間を費やした公園が見えてきた。

 住宅地の中に隠れるようにしてある小さな公園には、少しだけ古くなったバスケットゴールが相変わらずあって、ホッとつかさは息を吐いた。

 ここに来るのは、4年ぶりだ。バスケットをやめた日から、一度たりともここへ足を向けることはなかった。

 トン、トン、とつかさは手に持っていたバスケットボールをついた。

 もう正確には覚えていない。自分と紳一と、諸星と。いったい誰がはじめにバスケットをやろうと言い始めたのだろう? 小さな身体で、あのゴールは高くて高くて──このボールさえも大きくて、最初はドリブルくらいしかやれることがなくて。

 でもはっきり覚えている。一番最初にシュートを決めたのは、自分だった。と、駆けだしてつかさはふわりと跳び上がり、ゴール下からジャンプシュートを決めた。

 

「ナイッシュー!」

 

 すると、まるで思い出の中のように懐かしい声があがって──ハッとしてつかさは声がした方を振り返った。

「だ……大ちゃん……!?」

 視界に、バスケットボールを抱えて微笑んでいる諸星が映り、つかさはこれ以上ないほど目を見開いた。

「大ちゃん……どうして……」

「インターハイ観戦! 正確にはスカウト目的の監督について来たんだが……ちょっと許可もらって今日だけ実家に戻ってきたんだ。お前もか?」

 ははは、と笑う諸星につかさは頷きながら口元を手で覆った。この場で諸星に会うのは、あの晩夏の夕暮れ以来だ。

 諸星も、いつもの底抜けに明るい笑顔ではなく、どこか感傷を湛えたような笑みを浮かべている。

「変わってねえよな、ここ。ちょっとゴールは古ぼけてきたか? ま、オレたちがいたころは毎日毎日オレたちが使ってたからなー」

「小さい頃は、ゴールが高かったよね。仕方ないからドリブルばっかりしてたっけ」

「オレたちがドリブルうまいのそのおかげだよな、たぶん」

 はははは、と諸星も手に持っていたバスケットボールを突きながら笑う。そうして諸星がリングを睨みあげたところで、おお、と後ろから声がかかった。

「諸星……!? つかさも……なにやってんだお前ら?」

 二人して振り返ると、驚いた顔の紳一が立っており、二人して声を揃えあう。

「お兄ちゃん!」

「牧……!」

 驚いた様子の紳一を見つつ、つかさはパッと笑った。

「これでみんな揃ったね! ──大ちゃん、バスケやろうよ、3人で!」

 見上げた諸星は形のいい二重の瞳を大きく見開いて、それから頬を緩めて口の端を引き上げる。

「よォし! やるか! おい牧、ぼけっとしてねえでこっち来いよ」

「おいおい、本気か?」

「言っとくが、早くも深体大レギュラーのオレとサボり野郎のお前とじゃ既に勝負にはならねえと思うが、ま、手加減してやるよ」

 笑顔で宣言した諸星に、紳一もヤレヤレと肩を竦めつつ笑みを浮かべてコートに入ってくる。

 

 ──楽しい、とつかさは茜色の空間でオレンジのボールを追いながら感じた。

 

 この場所で、彼らとまたボールを追って笑っていられる。

 そんな日が来るとは、4年前は想像すらできなかった。決して、過去に蓋をして目をそらしているわけではない。自分はいま、ちゃんと納得して、心から楽しいと思えている。そのことが、ただ、ともすれば泣きたくなるほどに嬉しい。

 笑って汗を拭って見上げた空に──、つかさは仙道の笑顔を浮かべて、ふ、と口元を緩めた。

 

 

 翌日。大会二日目。

 シード校の登場は三日目からとなるため、観客席もまばらである。が、そこには異様に人目を引く一団がいた。

 

「おい、深体大の唐沢監督じゃねえか?」

「おお、愛知の星……! 深体大に進んだってマジだったのか」

 

 日本一と名高い深体大の監督自らインターハイ一回戦目を観戦とあって周りは騒然としていたが、そんなことはどこふく風で一団は観戦席のコート全体が見渡せるいい位置に陣取る。

「諸星……、今日の陵南とやらは海南と優勝争いをしたチームだったな。確か、お前のイチオシという」

「はい。主将の仙道は元神奈川のエースです。国体で優勝した時の……」

「国体程度で、とは言うもののあの時の神奈川は強烈なチームを用意して当然の優勝だったようだからな。エースが無名選手というのはいささか不可解だが。……で、どの選手だ?」

「あれです、あれ。あのツンツン頭」

 言いながら諸星は出てきた陵南の選手──仙道の特徴的なハリネズミヘアーを指した。

 にしても、とチラリと相手校を見やる。陵南の緒戦相手は岩手の馬宮西高校。去年は海南が緒戦にてダブルスコアで快勝した相手である。

 くじ運の悪い奴らだな、と相手に同情しつつ諸星は少し逸る。仙道の実力に関しては何の心配もしていないが──果たして越野をはじめ他のメンツはちゃんと成長しているのだろうか。

 いっちょ渇でも入れたろうか、と思うものの監督の手前、プルプルと腕を震わせるだけに留めた。

 

「陵南の緒戦は馬宮西っすからね。今日は楽勝じゃないっすかね」

「うん。あそこに仙道を抑えられる選手はまずいないだろうな」

 

 今日は試合のない海南も観客席で口を揃えて言い合い、陵南の全国デビューを見守っていた。

「オレ、去年は馬宮西との試合、ほぼフルで出たんだよな」

「すぐ牧さんと代わってたもんな。……まあ、緒戦だし先は長かったからな」

 神と小菅がそんな話をしていると、後ろから監督の高頭も口を挟んできた。

「田岡先輩も悩みどころだろうな。陵南……いや仙道という選手を見せつけたい、が、トーナメントを勝ち上がるには全力疾走を続けてはいられんし、いま、仙道に全力を出させるのはあらゆる意味で得策ではない。しかし、見せつけたい、という」

「なるほど……」

 どこか楽しそうに語る高頭に神が相づちを打ち、横にいた清田はそっと神に耳打ちをした。

「なんか監督、嬉しそうじゃないすか? 妙に機嫌よさそうですし」

「たぶん田岡監督と一緒にインターハイに来られて嬉しいんだよ。なんだかんだ高校時代からの友人みたいだし」

 コソコソと話していると「ん?」と高頭に睨まれて、ハッと二人は押し黙る。すると「あ」と小菅が思いだしたように神の方を向いた。

「そう言えば……、牧さんって来てんのか? 確か牧さん愛知出身だっただろ」

「さあ……。来てるとは思うけど……、少なくともつかさちゃんは来てると思うよ、帰省がてら観戦に行くとか言ってたし」

「つかささん、陵南贔屓っすからぜったいどっかいますよね」

「ははは。そう言うならオレたちもけっこう陵南贔屓だな」

 監督からして。と神は目を皿のようにして会場を見渡す清田を見ながらカラカラと笑った。

 

 一方、試合前の練習をベンチから見守る田岡は武者震いなのか緊張なのか震えの止まらない状態にあった。

 30余年のバスケ人生の中で、こうしてインターハイに来るのは実に現役の高校生だった頃以来。そうだ、25年ぶりだ──と考えると益々緊張が走る。

「落ち着け、落ち着くんだ茂一……。これはただの始まりにすぎないではないか。まずは深呼吸だ……」

 ブツブツ言っている自分の姿を、練習中の生徒達に見られなかったのは不幸中の幸いだろうか。

 しかし、じっくりと準備をしてきた甲斐もあってかコート上の選手達は実に落ち着いていた。少なくとも、固さは見られない。

 頼もしいチームに成長した、と思う。一年前のチーム発足時はやる気のない仙道やら血の気の多い福田や越野などというまとまりのないチーム、そのうえ自分も目の前でインターハイを逃して気落ちしており危なっかしい状態だったが──よくぞここまで来たものだと思う。

 試合開始3分前を審判からコールされ、田岡は選手達をベンチに集めた。今日のスタメンはいつも通り。

「いいか、お前達。今日がインターハイ制覇への第一歩だ。だが、ウチは無名のチームでもある。いつも通り、負けん気を全力に出してお前達の力を見せてやれ」

「はい!」

 そうしてシャツを脱いで青のユニフォームを露わにした選手たちがコートを見据え、4番をつけた仙道はちらりとみなの方を見た。

「この一戦が全ての始まりだ。──さあ、気合い入れていこうか!」

「おう!」

 ワッ、と溢れる歓声の中、陵南の選手達は心身ともに良い状態でコートに入っていった。

 

 ──そうして。

 

「つええええ! 陵南、強い!」

「去年の湘北といい、神奈川いったいどうなってんだ!? 初出場だろ!?」

「やっぱあの仙道ってのはハンパねえ! さすが国体優勝チームのエース!」

 

 あっという間にワンサイドゲームとなり、観客が度肝を抜かれる中で深体大の一団は冷静にコートを見渡していた。

「うむ……。確かにセンスはずば抜けているようだな」

「でしょ!」

「まあ、相手が弱すぎる。今後を見てみんことにはまだまだわからんが……。今年の神奈川はフォワードが豊富というのは間違いないようだな」

 監督である唐沢の声を耳に入れつつ、緒戦は問題なさそうな陵南の姿に諸星はホッと胸を撫で下ろした。

 既に仙道以下、主力を数人さげて控えを出している。当然だろう。仙道はおろか越野達でさえまだ実力の半分も見せてはいない。

 

 逆に相手チームの馬宮西の選手達はというと──。

 去年、ほぼ二軍状態だった海南に49-104の大差で破れたことが記憶に新しい最上級生の選手達は、後半残り5分にして既にダブルスコアという状態にほとほと嫌気が差していた。

 神奈川は鬼門だ、と思いつつ終了ブザーと同時にため息を吐き、肩を落とした。

 

「よっしゃあああ! まずは緒戦突破やーー!!」

 

 跳び上がって喜ぶベンチ陣を横に、田岡も快勝に強く頷いて手応えを感じていた。

「よし、良くやったぞお前たち!」

 笑顔で選手達を迎え、そして気を引き締め直す。一戦でも負ければ、そこで夏は終わってしまうからだ。

 陵南はメイン会場から徒歩で10分ほどの距離にあるこじんまりとした旅館に宿を取っており、選手達は引き上げて昼食を取ると練習用に借りた近場の中学校の体育館で夕方まで汗を流した。

 そうしてみなで夕食を取り、大浴場に浸かればまるで気分は修学旅行だ。

 部屋割りは選手とマネージャーで生徒は13人。全員和室だったものの上手いこと割り振れずに監督の田岡とキャプテンの仙道のみが一人部屋となっていた。

 が、他の3年生は3人部屋に押しやられており──食事と風呂が済むと越野は無理やり自分たちの部屋に仙道を引っ張り込んで、持ち込んだ研究用のビデオを流し始めた。

「今日は勝ったとはいえ……オレたちのブロックには愛知の名朋やら大阪の豊玉やらがいる。油断はできねえ」

 流れているビデオは去年の国体──、愛知VS神奈川の試合だ。怪物・森重を何とかダブルセンターで押さえ込み、諸星VS仙道の対決も注目を浴びた一戦でもある。

 はぁ、と越野はため息を吐いた。

「やっぱ諸星さんカッケーよな……」

 画面の中では諸星が派手なドライブを決めて会場が沸いており、みな口を揃えて頷きつつ、植草はお茶を入れながら控えめに笑った。

「けど、こういうのってなんか良いよな。オレたち……最後の夏でようやく、だからな。やっぱ明日で終わりとかにはなりたくないよ」

 負ければ終わりという緊張感。だが、日本一への挑戦権を初めて得た高揚感も絶妙に混ざり合い、越野は力強く拳を握りしめる。

「なに言ってんだ植草! オレたちは最終日まで残るぜ、なあ?」

 そして張り切って言い放って仙道に話をふれば、仙道はもはや面白いほどつんつるてんな浴衣姿で伸びをして笑った。

「うんうん。そういや国体の時も、泊まった宿の前が猪苗代で綺麗でさ……。最終日までぜってー残ってやるってみんなで言い合ったんだよな」

 ハァ? と越野は思わず仙道を睨んだ。そんな旅行気分ではなく、あくまで試合を勝ち上がりたいという意味での「残りたい」という話であり、越野としては「その通りだ!」等の力強い答えを期待していたのだから肩すかしもいいところだ。が、相手はあの仙道。植草にすすめられた緑茶を「サンキュ」などと言ってすすっている姿を見て期待した自分がバカだったと思い直し、唸りながらコメカミをヒクつかせた。

 フン、と福田も鼻を鳴らす。

「お前が国体で長く残りたかったのは、牧つかさがいたからだろ」

 すると越野のコメカミにさらに青筋が立ち、仙道はきょとんとした後に笑い声をあげた。

「あっはっは。それも一理あるな」

「ウルセー、黙れこの色ボケがッ!」

 終いには越野はそばにあった枕を仙道に投げつけ、「あぶねッ」と仙道がひょいと避けて、福田はさらにため息を吐き植草は苦笑いを漏らしていた。

 相変わらずテレビ画面の中では愛知と神奈川が熱戦を繰り広げており、ふ、と肩を落とした仙道はもう一度緑茶に口を付けてから画面を注視した。

 そして思う。この試合で愛知に勝ち──諸星に勝ったことで、きっと全てが少しずつ変わり始めたのだ。

 ──大ちゃん以上の選手になると思った。そう言ってくれたつかさは、心の中ではずっと諸星が誰にも負けずに勝ち続けることを望んでいた。おそらくは、自分を守るために。そして諸星も、そんな彼女のために勝ち続けると誓いを立てていた。

 けれども──。全てが、あの神奈川VS愛知の試合から変わり始めた。いや、きっと、もっとずっと前から自分たちはこうなる見えない縁で繋がれていたのかもしれない。

 初めて神奈川に来た日、つかさに出会ったあの瞬間から。だってそうだ。もしも自分がつかさを気に入っていなければ、いくらつかさが自分を「大ちゃん以上」の選手だと思ってくれたところで、自分は諸星を超えようなど思いはしなかっただろう。つかさにしても、心の底では大好きな大ちゃんの敗北する姿など望んではいなかった。そんな中でもしも自分が諸星を負かせば、自分は彼女に「敵」として認定されて終わっていたに違いない。

 だけど。もし、そうなっていたとしたら。彼女はきっと過去に捕らわれて蓋をしたまま、二度とバスケットを楽しむことはなかったかもしれない。

 もし、自分たちが出会っていなければ──。そう考えるのは、うぬぼれではないと思いたい。

「福田……」

「ん……?」

「楽しそうだったよな、国体合宿の時のつかさちゃん。覚えてるだろ? ノブナガ君たちの相手をして、はじめて彼女がプレイを見せた時……」

「あ? ああ……そう、だな」

 国体の時、はじめて選手としての彼女を垣間見た。たまにコーチ業を忘れて持ち前のスキルの高さを見せていた時のつかさは、本当にバスケットを楽しんでいたように思う。技術の高さに驚くより、彼女の嬉しそうな姿を見られて嬉しかったものだ。

 だが、あの技術、もしも自分の身体能力で再現できれば。──と浮かべていると、ハァ、と盛大なため息が聞こえた。

 見やると越野が物言いたげな目線を仙道の方に送っており、なんだ、と瞬きするとしかめっ面されて首を振られる。そして、どうでもいいという態度でクイッと彼は視線を上下させた。

「お前……、髪下ろしてるとなんか迫力ねえな」

 ん、と仙道は瞬きをした。風呂上がりゆえか、普段はきっちり立てている髪を指しての感想だろう。そうだな、と植草も同調する。仙道にしても人前で髪を下ろすことは皆無に等しいため、ああ、と目にかかる前髪を摘んでみせる。

「似合わねえ、って彼女にもしょっちゅう突っ込まれんだよな。そんなに変か?」

 瞬間、部屋の空気が凍り──「ん?」と仙道はなおキョトンとした。

「え……、な、なんだ……?」

 見やると越野は僅かに紅潮してプルプル震えており、福田も微妙に震えている。

 え……、と再度呟いた仙道の耳に、ズズッ、と気まずげに植草が緑茶をすする音が無性に大きく響いた。



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48話

 大会三日目。

 会場に向かうべく、朝食を済ませた紳一とつかさは祖父母宅を出る。が、私服で出てきたつかさを見て紳一はこんな疑問をぶつけた。

「制服持ってきてねえのか?」

 公式戦は制服でが通例であるし、今日は海南が緒戦だからこその問いだろう。

「う……、うん」

 紳一は自分も海南の緒戦を見に行くと思っているようだが、つかさは陵南の試合を見に行くつもりであり。あまり紳一と言い合いはしたくないが、言い合いは避けては通れないのかもしれない。

 とはいえ、愛和の試合ですら海南よりも優先したことはないのだから──紳一にとっては青天の霹靂かもしれないが、つかさにしてもここは譲れない。

 今日は海南・陵南ともに第一試合。海南はメインのレインボーホールであり、陵南は一駅隔てた名古屋市体育館だ。

 レインボーホールの駐車場に紳一は車を止め、さっそく会場入りしようとしているところでつかさは少しずつ後ずさる。

「あの、お兄ちゃん……。私、名古屋市体育館の方にいくから」

「は……?」

 幸い、駅はすぐ後ろだ。電車にさえ乗れば会場まではたった一駅。すぐである。

「今日の試合はレインボーのメインアリーナのはずだぞ」

「うん。でも、陵南はあっちだから……。じゃあ、あとでね」

 言ってかけだそうとするも一歩遅く、腕を捕まれて阻止されてしまった。

「お前は……! 何度言ったら分かるんだ!? 海南の生徒だろう、お前は」

「そうだけど……! 約束したの、私は仙道くんを応援するって」

「は……?」

「最後の夏だから……、私は仙道くんを応援する」

「なにをバカな……、神たちだって最後の夏だぞ」

「仙道くんが好きだから! ──仙道くんの、そばにいる」

 瞬間、紳一の手の力が弱まってつかさは紳一を振りきって数歩後ずさった。

「じ、神くんたちに……よろしく」

「つかさ……!」

「海南を応援してないわけじゃないの。ごめんね……!」

 かけながら後ろを振り返って言うと、そのままつかさはすぐそばの笠寺駅を目指してかけた。

 海南に思い入れる紳一の気持ちが分からないわけではないが。もう決めたことだ。例え陵南が海南と戦うことになったとしても、自分は仙道を応援すると。

 もう、迷いは全くなかった。素直に仙道の応援が出来ることが嬉しい。──むろん神たちがどうでもいいわけではないが。それはそれだ、と、一瞬脳裏に神たちの姿を思い描いてから電車に飛び乗ると、つかさは名古屋市体育館を目指した。

 駅のそばの公園を横切り、レインボーホールよりはだいぶん小さい体育館に入って観客席へ駆け上がると、さすがに今日からシード校が登場するだけあって昨日よりも人が入っている。第二試合がベスト4常連の福岡代表だけに、福岡目当ての観客も多いのだろう。

「陵南の相手は……、東京代表か」

 コピーしてきたトーナメント表を見やって、つかさは何とか陵南側のベンチの最前列を確保して座った。

 そう言えば、東京は仙道の地元である。知り合いの選手とかいたりするんだろうか。などと考えていると、試合開始前となって両校の選手達がコートに姿を現した。

 まずは第一試合、関東同士の一戦である。が、ここ近年の東京はそれほど目立ったチームはいない。わざわざ仙道が神奈川の高校に入学したことからもそれは伺える。しかし。

 

「東桜ーー!!! ファイオーーー!!」

 

 反対側の相手チーム観戦席はけっこうな数の応援団が来ており、「さすが首都、お金持ち」などという的はずれかもしれない感想がつかさの脳裏を巡った。

 目線をコートに落としていると、ふいに福田がこちら側の観客席を見上げてきたため「あ」とつかさは反射的に声をあげた。

「福田くん!!」

 手を振ると、気づいたらしき福田は一瞬こちらを見て、確かに目が合ったというのにギョッとした顔をしてパッと目をそらしてしまい──、つかさは一瞬固まった。

「え……」

 なんなんだ、いったい。と瞬きをする。なにか福田に嫌われるようなことをしたっけか……と巡らせていると、今の声に気づいたのだろう。仙道がこちらを見上げてきて、ニコ、と笑みを向けてくれ、つかさも笑みを返した。

 

「──3分前!」

 

 試合前の練習を済ませ、選手達はそれぞれベンチに集まって用意をする。

「博多商大附属が観戦に来てるな……」

 ちらりと田岡はベンチから体育館脇に出てきていた選手団を見やった。

 初出場のチームの強みは、敵側に情報があまりいっていないことにある。田岡としては、陵南は対戦相手への対策はばっちり行っているが、逆に相手は陵南の対策を積んでいない。というのが理想の状態なのだ。よって2回戦レベルであまり陵南の力を見せつけたくないというのが本音である。

「博多は反対側だし、あたるとしても決勝だから大丈夫じゃないですかね」

「ジンジンたち……きっと負けない」

 仙道があっけらかんと言い放ち、福田はそんな風に言ってヤレヤレと田岡は肩を竦めた。

「まあ、海南があがってくればウチとしてもありがたいがな。さて、今日は東京の王者が相手だ」

「知ってますよ、オレ。あっちのチームの何人か……確か中学でやったことがある」

「本当か、仙道?」

「お前、そんな話一度もしなかっただろ」

「イヤ……、名前は覚えちゃいねえんだが、なんとなく見覚えが……」

 植草や越野が突っ込むも、仙道は首に手をあててそんな風に答え、ハァ、と全員が肩を落とした。この様子ではあまり手こずった相手ではなかったのだろう。

 しかしながら植草や越野にしても中学時代に越境同士で練習試合をすることもあったが、あまり自分たち世代の東京は強いという意識はない。

「ともかく、お前たち。油断は禁物だ。いつも通り陵南のバスケットをやってこい!」

「おう!」

 力強く送り出してくれた田岡に返事をしてスタメン5人がセンターサークルに向かうと、東京代表の東桜高校のスタメンは先に揃ってこちらを待つように腰に手を当てて立っていた。

「よう、仙道!」

「久しぶりじゃねえか。神奈川にいったとは聞いてたが……3年目にしてようやくインターハイか?」

「さすがの天才も神奈川じゃ手こずってたってわけか。……ま、今日はお手柔らかに頼むぜ」

 一斉にトラッシュトークを受けた仙道は、数秒ほど固まったものの、すぐにうち消すようにニコッと笑うと相手の4番に向けて手を差し伸べた。

「──よろしく」

 それを見つつ越野は、「笑って誤魔化したな」と頬を引きつらせた。おそらく一瞬だけ相手の名前を思い出そうとしたが、無理だと悟ったのだろう。

 

「なんか話してる……」

 

 様子を見守っていたつかさも、東桜の選手が仙道に何か言葉をかけた様子は伝わり──、やはり知り合いなのかな、と思う。

 しかし、例え中学時代の仙道を知っていても無駄だろう。今の彼はだいぶん中学時代とはプレイスタイルが変わっている。

 ポイント・フォワードとしての才能を開花させたのは田岡による指導のおかげかな、とつかさはベンチで腕組みをしている田岡を見やった。

 一年の頃からずっと仙道を見てきたが、やはり一年の頃の彼はまだ「素材」であった。むろんその頃からずば抜けた才能は見せていたが、2年になる頃には天性のパスセンスを活かして味方の能力を最大限に引き出すことを覚え、持ち前のオフェンス力に対して劣っていたディフェンス力も飛躍的に向上した。そして今年はいち選手としてほぼ隙のない選手に育っている。

 同じフォワードとして──仙道ほど理想的な選手もいないと思う。おそらく「フォワードらしい」という意味では自分の方がフォワードっぽい選手だったと思うが、やはり、仙道みたいな選手になりたかったな……と思ってしまう。

 華があってみなを引きつけるプレイが出来るのに、けっして出しゃばらずにチームの力を最大限に活かすことを考えている。が、ガードの仕事を奪うわけでなく、あくまで彼はフォワードだ。やっぱり、好きな選手だなぁ、とこういう時は彼を「男」としてではなくバスケの「選手」として見てしまって、うずうずしてくる自分がいる。

 それだけに──、この夏でバスケをやめる、と彼が決めてしまったのは少しもったいない気がする。今でさえまだまだ成長途中だというのに。

 もしも自分が「選手」としてのみ仙道を好きであったら、きっと止めただろう。が、「仙道彰」にはずっとバスケ一筋のバスケ選手でいることは難しいと知っているため、なにも言えない。「天才」という彼に周りは過剰に期待をしても、当の本人にその気がなければ、それは結局足かせになるだけなのだから。

 

『その代わり、オレは諸星さん以上に……日本一に絶対なってみせる』

 

 せめて最後まで見守ろう──、と見守る先で植草・仙道ラインが見事なアリウープを決めて会場が沸き、つかさも笑顔で拍手を贈った。

 

 結局、試合は序盤から陵南のリードで危なげなく勝利を収め、陵南は3回戦進出を決めた。

 つかさはせっかくなので次の博多の試合も観て帰ろうと観客席に座ったまま次の試合を待った。海南、勝っただろうか……と考えると少々気が重くなってくる。家に帰ったら紳一になんと言われるか。そもそも紳一はあまり自分と仙道が付き合うことに対して良い目で見てくれないような気がするのはなぜか……。いよいよ頭が痛んできてつかさは首をふった。考えるだけ無駄なことは考えない方がいい。

 博多にはいいシューティングガードがいるな、と目の前の試合に集中して第2試合が終わると名古屋市体育館を後にした。

「つかさー!」

 すると、後ろから見知った声に呼び止められ、振り返ると諸星と年輩の男性がいてつかさは足を止めた。

「大ちゃん……! と……」

 なんか見覚えがある、と記憶を巡らせてハッとする。深体大の監督を務めている唐沢だ。

「唐沢監督! あ……いつもうちの諸星がお世話になっております」

「お前、日本語おかしいぞ」

 挨拶を、と思えば出てきたのはそんな言葉で。諸星は笑い飛ばしてから困惑気味の唐沢に言葉を付け加えた。

「牧紳一の従妹なんです。オレとも兄妹みたいなモンでして……」

「ああ、なるほど……! ミニバスチームでエースを務めていたという」

「牧つかさです。はじめまして」

「こちらこそ……。紳一君は元気かね? 随分とラブコールを送ったものだが、けっきょく断られてしまったのは残念だったな」

「すみません。兄はサーフィンに入れ込んでましてバスケの方はあまり……」

「監督、あんな裏切り者のことはどうでもいいっすよ、もう」

 彼らもちょうど駅を目指しているということで、そんな冗談交じりに並んで歩いた。

 この通りは公園沿いになっており、夏の緑が鮮やかだ。

「大ちゃん、インターハイのあいだずっとこっちにいるの?」

「うんまあ、オレと監督の他に何人か来てんだけど……。近くの大学借りて一緒に練習やってんだ」

 これから戻って練習。と諸星が言い、なるほど、とつかさも頷く。

「じゃあ、他の人たちは違う会場に?」

「ああ、オレはやっぱ陵南の試合気になってたからこっちついてきた。お前は?」

「私も……仙道くんを応援しに来たんだけど……」

「ど……?」

「お兄ちゃんは、海南の方に行ったの」

「だろうな」

 そこでグッと言葉に詰まると、相当に変な顔をさらしたのか諸星はギョッとしたような顔を浮かべた。

「な、なんだよ、どうした?」

「お兄ちゃん、怒ってる」

「は……?」

「私、インターハイは仙道くんの応援するって決めて来たんだけど……。お兄ちゃんは海南の応援をしろって言ってて、振り切ってこっちに来ちゃったから、たぶん怒ってると思う。ちょっと家に帰るの怖い」

 む、と唇を尖らせて言えば、諸星は絶句してからコメカミを押さえ、数秒後にふるふると首を振るって呆れたように肩を竦めた。

「ちっちぇえ……あまりにちっちぇえ……オレはそんな男とダチだったとは……なさけねえ!!」

 そうしてなにやら震えながら目頭を押さえはじめた諸星につかさは逆にギョッとする。

「え、あの……」

「気にすんな! お前はお前のやりたいようにやりゃいいんだ。だいたいお前、バスケ部でもなんでもねーだろ。なに偉そうなこと言ってやがんだあのバカは」

 練習なかったら説教しに行ってやるところだ、と息巻き始めた諸星に、つかさは苦笑いを浮かべつつも少しホッとした。やっぱり、諸星といると気持ちが明るくなる。血は繋がっていないが、やはり自分たちは3人揃ってこそ、な気がする。

「大ちゃんは、大学ではどう?」

「ん? いや、まあ……厳しいけど充実してるぜ。誘ってもらった期待に添えてるといいんですが……ね、監督」

「ん? うむ……まあ、まだまだだがな」

 ふられた唐沢は唸りながらも口元に笑みを湛え、つかさは諸星の大学生活が順調なことを悟って笑みを浮かべた。

 この夏でバスケットをやめると言った仙道とは対照的に、諸星はこれから世界という壁を相手に挑戦を続けるという途方もない旅を始めたばかりだ。

 これから自分たちがどうなっていくのか。幼かった頃からは想像も出来なかった「今」という現在が、また大きく変わっていく分岐点に来ているような気がする。と、つかさは同じ東海道線に乗って笠寺駅で降りていく諸星たちに手を振って、ふ、と息を吐いた。

 名古屋から離れると、とたんに田園風景が広がりはじめる。紳一はもう家に帰っているだろうか……お腹すいた。きしめんでも食べて帰ろうか、などと思考で現実逃避しつつ家に戻ると車庫にはばっちり紳一の車がとめてあり、う、と息を詰まらせる。

 インターホンを押すと、しばらくしてガチャッと扉が開き、案の定こちらを睨み付ける紳一が出迎えてくれた。

「た、ただいま……」

 とりあえず笑って中へ入り、靴を脱ぐ。気まずい空気がながれるが──、互いに意見を変える気がないなら、もうどうしようもない。

「……つかさ……」

 呼ばれて、ギクッ、としつつつかさは紳一を見上げた。紳一はどこか憮然とした表情を浮かべている。

「陵南は、どうだったんだ? 勝ったのか?」

「え……うん」

 勝ったよ、と答えると「そうか」となお紳一は呟いた。

「ウチも勝ったぞ」

「そ、そっか……」

 そして再び沈黙が玄関先を支配して──、ふぅ、と紳一は息を吐いた。

「仙道とは……」

「え……」

「仙道とは、その……アイツの方も真面目に考えてるんだろうな?」

「え……」

 そこでつかさはハッとした。──自分の仙道への第一印象が悪かったように、紳一にとっても妹同然の自分に出会い頭に「付き合え」と言ってのけた仙道の「男」としての印象が最悪であった、と。

 あ……、とつかさは理解して強く拳を握りしめた。

「も、もちろん! ちゃんと付き合ってるよ……!」

「そ、そうか……」

 紳一は複雑そうながらも頷き、つかさはパッと笑った。兄の心理、というのは分からないがきっと紳一なりに心配してくれていた結果なのだと悟って紳一の方へかけよる。

「なら、まあ──」

「お兄ちゃん大好き!」

 そのまま紳一に抱きつけば、滅多にない行動だったためか紳一は珍しくうろたえた。

「お、おい! オレはまだ認めたわけじゃ──」

「うん、ありがとう!」

 満面の笑みを紳一に向けたつかさは、ホッとしたらお腹がすいた。と、そのままダッシュで部屋へあがり、残された紳一は盛大なため息を吐いた。

 

「やれやれ……」

 

 兄としては、やはり妹には神のようなしっかりした真面目な男が──、と考えてしまうには勝手だろうか。しかし、もう今はなにを言っても無駄だろうな、と半ば諦めて紳一はもう一度肩を竦めた。

 

 

 ──しかし、同日である大会三日目。

 陵南、海南が順調に勝ち星をあげた中、レインボーホールの第二競技場で行われた秋田代表の山王工業VS京都代表の洛安。山王は洛安に破れて2回戦で姿を消した。

 シードである洛安が勝つのは、むしろ当然のことであるとはいえ──絶対王者として君臨していた頃の山王のメンバー全員が抜け弱体化が顕著となったことで、一つの時代の終わりをバスケ界に予感させていた。

 

「山王はどうも迷走しとるようだな……」

 

 海南のメンバーは、宿泊しているビジネスホテルの小会議室で今日の山王VS洛安のビデオを見ており、高頭のそんな言葉に全員が渋い顔を浮かべていた。

 高頭はなお続ける。

「あそこの堂本はいかんせんまだ若い……、ここ数年は深津たちの世代にだいぶん助けられていたとはいえ、山王のお家芸は走れるバスケットだ。それが今年は……」

「河田さんの弟を主体に、インサイドバスケに切り替えようとして、まだスタイルが確立してない感がありますよね。中途半端にオールコートプレスを混ぜようとして、全てが中途半端になっている」

 神が口を挟み、うむ、と頷く。清田は、ふぅ、と息を吐いた。

「対山王戦を睨んで必殺・対ゾーンプレス大作戦を既に取得している我が海南だってのに、披露する場がないっすね」

「まあ、ゾーンプレスは山王の専売特許じゃないんだから、無駄じゃないけどな」

 小菅が突っ込んで神が苦笑いを漏らし、うむと高頭も頷いた。

「洛安はよく山王を研究してきたようだな。バスケットにおいて高さは絶対的に有利だ。2メートル超で巨体の河田弟は確かにゴール下では驚異だろう。しかし、それも絶対ではない」

 ピッ、とビデオを止めつつ高頭は選手達を見やる。

「大切なのはいかに相手に仕事をさせず、こちらのペースで試合を進められるかだ。しかし、これこそが黄金パターン、というものに頼り切りとなるのも良くない。ウチの場合は去年までは攻撃の起点は牧のペネトレイトだったが……。知ってるか? 小学生の頃の牧はむしろウチで言えば小菅みたいなタイプだったぞ」

「え……!?」

「しかも、小菅ほどシュートを打つタイプではなかった」

 ザワッと辺りがざわつく。例にあげられた張本人の小菅も困惑気味の表情を浮かべている。ああ、と神が相づちを打った。

「でも、国体の合宿でちょっとそれっぽいところを見せてくれてましたよね」

「あ……! 仙道さんとつかささんとやってたやつっすね。……流川のヤロウにフォーメーション教えるために……、まあ、あの独尊ヤロウにゃ無駄でしたけど」

「うむ。つかさ君が典型的なエースフォワードで、諸星というシューティングガードもいたせいか、牧はパスワークとゲームメイクに徹していた。そもそもつかさ君が一番インサイドに強く、牧が切れ込むなどという場面はヤツが小学生の時はまったく見られなかった」

「き、切れ込まない牧さん……」

「つかささんがインサイドに強い……」

 混乱する清田ほかに、高校生の今の姿で想像しないほうがいい、と神が助言を出す。それはともかくとして、と高頭は咳払いをした。

「小学生の頃の牧達は強かった。フォワードが軸となり、ガードがしっかりとチームを支える、オーソドックスなバスケットが展開できていたからだ。何ごとも大事なのは基本! 今日、山王に勝った洛安も、今後あがってくると予想される博多も、ウチなら必ず勝てる。いいかお前達、今年こそ、海南大附属が全国制覇だ」

「──おう!」

 高頭の言葉に選手達は力強く応え、そして再び画面を見やった。

 

 ──夜が更けていく。

 明後日には、ベスト8が出揃う。王者への真の戦いは、そこからが本番だ。



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49話

 順調にトーナメントは進み、海南や博多といった強豪は前評判通りの強さを見せつけて危なげなく勝ち上がっていっていた。

 

 陵南も同じく危なげなく勝ち進み──大会5日目。

 この日はベスト8が出揃って準々決勝が行われる日である。

 

 これに勝てば陵南はついにベスト4となるが──、そんな事はどうでもええんや。と会場に向かう道すがら、彦一は一人拳を握りしめていた。

「きたで……、ついにこの時がきた……! ついに来たんや……!」

「な、なんだよ彦一……、なにブツブツ言ってんだ?」

 不気味な笑みを漏らす彦一に越野は若干引いており、バッと彦一は越野の方を睨むように見やった。

「ついに宿敵・豊玉高校との対戦やないですか! 越野さん!」

「は……?」

 宿敵? と眉を寄せた越野に彦一はなおくってかかる。

「ええですか越野さん! ワイら陵南は豊玉だけには負けるわけにいきまへんのや! ほんまは一年前にギッタギタに叩き潰すはずやったっちゅーのに……!」

 そこで彦一は去年に大阪に帰省した際に、当時の豊玉高校の三年生だった岸本という選手に仙道を侮辱されたことを思い出しつつ話した。姉である弥生の書いた「天才・仙道」の記事に文句を付け、「天才がなんぼのモンや、県大会落ち程度で」などと絡まれた屈辱の思い出でもある。

「ちゅーわけで……、仙道さん、今日はいつも以上にたのんますよ!!」

「いや……でも、その岸本って選手、もう卒業していねえんだろ?」

「性格最悪なのは岸本だけやあらへんのや!! 打倒・豊玉! うおおおお!!」

 なんでも豊玉には彦一の仲違いをした幼なじみもいるらしく、燃える彦一を横目に他のメンバーも「そうだな」と互いを見やった。

「豊玉高校……去年は湘北とあたって初戦敗退したとはいえ、大阪代表の常連でもある。でも、強豪と呼ばれているとは言っても全国での最高成績はベスト8だ」

「つまり、今日までのチームってことだろ?」

「でも、なんだかんだベスト8まであがってきてんのはスゲーよな」

 言いつつ会場に着き、与えられた控え室に入ると田岡も改めて今日の相手について話した。

「お前たちも言っていた通り、豊玉はベスト8の常連だ。ただ、ここ数年で監督が2人も替わってどうも内部はゴタゴタしている。しかし、お前達も散々ビデオで見てきた通り、豊玉の伝統はラン&ガンスタイルのままだ」

「確認のためにもう一度言いますけど……。豊玉の主将は板倉大二郎、185センチ強の長身のポイントガードで大阪の得点王にも選ばれとります。この板倉までがラン&ガンを仕込まれた世代ですわ。それ以下はディフェンス強化の弊害かそうオフェンス力はあらへんのやけど……攻守共に板倉を中心に据えて攻めさせるようなバスケットをしてきます。あ、ちなみにフォワードに大川輝男ってワイの幼なじみがおるんですが、まあ、おそるるにたらずですわ」

 シャープペンを潰す勢いで握りしめる彦一を横に、仙道も腕を組んで呟く。

「スコアラーのポイントガード……、藤真さんがインターハイに出てた頃の翔陽みたいなチームだな。まあ、藤真さんとその板倉ってのじゃ高さがだいぶん違うが」

「そうだ仙道。その翔陽はこの豊玉に一昨年破れている。藤真の負傷により、エース不在という憂き目をみたせいとも言えるが。まあ、ともかく豊玉の伝統スタイルはそうは変わっていない」

「ようするに、その板倉ってのを抑えれば豊玉は打つ手なしってことですか」

 ふぅ、と田岡は腕を組んだ。

 仙道の言う通りなのだが、対豊玉をむろん想定して複数パターンの練習は重ねてきたが今なお少し迷っている。185センチもある板倉の相手に、170センチの植草では厳しい。加えて随分とトラッシュトークに長けている選手らしく、血の気の多い越野も不安が残る。いっそ仙道をポイントガードで使ってもいいのではないか、と。

 しかし──、と考えつつ田岡は選手達を見た。

「仙道をあえて板倉にあててエース潰し、というパターンも想定してきた。が、ウチも去年の湘北を見習って真っ向勝負で行くつもりだ!」

「おお、てことは……」

「ラン&ガン! 走り合いだ!! ──少なくとも序盤はな」

 ワッと選手達は拳を天に突き上げた。

 陵南はディフェンス力のあるチームだけに、普段はじっくり守っていくロースコアスタイルを取っている。が、その実、走り合いではどこにも負けない。40分フルコートであたれるだけの体力は付けているのだ。作戦上、あまりラン&ガンスタイルを取らないというだけで、バスケット自体の楽しさはファストブレイク重視のほうが楽しい。とはいえ──。

「去年、確かに湘北はラン&ガンで勝負を挑んだ。しかし、ラン&ガンをモノにするには"秘訣"がいる。湘北にはダメでもウチはやれる。……仙道!」

「──はい」

「本物のラン&ガンがどんなものかたっぷり見せてやれ。それとディフェンスはいつも通り。ディナイ重視で相手に速攻を出させるな!」

「おう!」

 力強く返事をした選手達は、更衣室を出てコートへと向かった。薄暗い廊下を出てアリーナへと抜けると、ワッと怒声のような野次が陵南陣を迎え入れる。

 

「豊玉ーーー!!」

「いてまえワレーー!!!」

「神奈川ぶっころせーー! うおおお!!」

 

 応援席のほとんどが気合いの入ったヤンキー集団で埋め尽くされており、陵南応援サイドはさすがにこじんまりと固まって陣取っていた。

 それは観戦に来ていた海南陣営も同じである。

「相変わらず小汚ねえ野次だな……」

「いつも思うけど……、豊玉の人って律儀よね。あんなにたくさん大阪から応援に来てくれるなんて」

「も、物は言い様だな……」

 今日ばかりは紳一とつかさ、海南陣営は同じ場所に固まって席を取っていた。うっかり豊玉サイドに紛れてしまえば面倒なことになりかねないからだ。

「去年の湘北は、豊玉のラフプレイとトラッシュトークにだいぶんやられていたようだったが……」

「短気っすからね、奴らは!」

 紳一の呟きにカカカカカと清田は笑い飛ばし、神は肩を竦める。

「うーん……、陵南もけっこう短気なメンツ多いんじゃない?」

「そう? 越野くんだけなんじゃ……」

「いや、フッキーもなかなか……」

 言い合いつつ二人はコートに出てきた陵南のメンバーを見下ろした。

「ま、主将が野次なんてどこ吹く風、ってタイプだから大丈夫かな」

 頬を手で支えつつ、神は仙道を見やって口の端をあげた。神としても去年、豊玉のメンバーに煽られて内心カチンと来たことがあったが──仙道ならおそらく「カチン」と来たことすら悟らせないような、そんな気がする。どのみち大丈夫だろうな、と見やった先でさっそく相手の主将が仙道になにやら話しかけていた。

 

「オウオウ、神奈川はまたポッと出の無名校かいな! 海南以外、毎年メンツが違うで!」

 

 口調も表情も絶妙の煽り加減に、「なにッ」とさっそく越野が反論しかけたものの──、ああ、と仙道はなに食わぬ顔で肯定した。

「そういや、そうだな」

 ぐッ、と煽った人物──板倉は言葉に詰まる。

「ま、よろしく」

 言って手を差し出してきた仙道の手を取らざるを得ず、主将同士が握手を交わせばティップオフだ。

 

「──試合開始ッ!」

 

 ジャンプボールは菅平が競り勝ったものの、こぼれたボールを板倉が上手く掴んで豊玉にボールを取られてしまい、陵南陣営は得意の速い戻りで速攻の目を潰すべくディフェンスに備えた。

 中を固め、ポイントガードの板倉にはそのまま植草がつく。板倉は大阪の得点王。中も外もあるオールランドオフェンスを誇り、15センチ以上もの身長差が植草を襲う。

 が──。

「オウオウ、ワイの相手はこんなチビかいな。見えんであたってチャージング取られたらかなわんわ!」

 ドリブルしながらそんなことを板倉に言われるも、植草は動じない。

 

「ええぞ板倉ーー!!!」

「そんなドチビ蹴散らしたれーー!!」

「おまえんとこ穴やで穴ーー!!」

 

 豊玉ヤンキー軍団も煽りに加勢し、ピクッ、と反応したのは越野だった。が。

「構うな越野ッ! 言わせておけッ!」

 ベンチから田岡が叫び、事なきを得る。しかし、軍団の矛先はその田岡へも向かった。

 

「なんやとコラじじいーーー!!」

「ええ度胸やないかッ!」

「貴様から先に大阪湾に沈めたろか、あああ!?」

 

 集中砲火を浴びせられた田岡の頬がぴくぴくと撓る。

「ぐッ……落ち着け茂一……」

 腕組みをしてイライラを抑えつつ、選手達を見やる。チームの軸である植草と仙道がこの手の煽りにまったく動じない性格なのは陵南の強みだ。

 加えて、植草は良く分かっている。ミスマッチの板倉相手に考えるべき第一のことは、まず抜かせないこと。上からのパスは通させても仕方がない。

 結果、板倉はペイントエリア側のセンターにパスを出して、豊玉センターがゴール下シュートを放った。が、菅平のブロックが功を奏し、ボールはリングに弾かれる。

 ──ここからだ、と田岡が目線を鋭くした瞬間、越野がチラリと仲間を見やってから自身のゴールに背を向けた。

 

「リバンッ!!」

 

 豊玉ゴール下には仙道・菅平・福田。

 仙道は相手フォワード──、彦一の幼なじみ・輝男にスクリーンアウトで競り勝って好位置を奪っており、真っ先に跳び上がってディフェンス・リバウンドをもぎ取った。

 

「戻れ、戻れええええええ!!」

 

 叫ぶ豊玉陣営をよそに仙道は奪ったボールを手に真っ先に駆けだし、既に速攻の先頭を駆けていた越野に鋭いキラーパスを投げつければ会場中が沸いた。

 その歓声を受けたまま、越野は見事にレイアップを決めて陵南は先制点を奪い取る。

 

「はッ……はええええ!!」

「すげえパスだったぞ、あの4番!」

 

 そうして唖然とする観衆と豊玉陣営の中で、仙道は大きく手を打ち鳴らした。

 

「さァ、もう一本! 止めよう!」

 

 このカウンターが会場の度肝を抜いたのは確かだった。

 この先制点で勢いに乗った陵南は、相手ポイントガード・板倉に稀に外からの得点を許すものの、ほぼ毎回ディフェンス・リバウンドを制して速攻に走るという豊玉のお家芸・ラン&ガンをきっちり奪って演じてみせていた。

 しかも──。

 

「うおおお、4番、そのままいったああ!!」

「すげええ、連続アシスト&ポイント! 誰だあれは!?」

 

 ディフェンス・リバウンドを高確率で獲っていた仙道が中心となって速攻のゲームメイクをしており、アシストのみならず時おり見せる強烈なオフェンス力での圧倒的な存在感に徐々に会場の声援は高まっていった。

 そんな陵南の動きを見ながら、高頭は感心したように頷いていた。

「今日の陵南は見事なラン&ガンできているな」

「豊玉のお家芸を潰す……。去年の湘北と同じですよね」

「うむ……。だが、厳密に言うと違う」

 相づちをうった神に高頭が反論し、周りの選手達は自然と高頭に視線を集めた。

「田岡先輩は完全に試合を"制し"にきている」

「というと……?」

「ラン&ガンを成功させるもっとも重要な条件はなんだと思う、牧?」

 高頭は話を紳一に振り、紳一もまた腕組みをした。

「まずはディフェンス・リバウンドを制すること。──ですが、前提条件がありますね。ポイントガード自らリバウンドを奪って速攻を出すことです」

「その通りだ」

 言われて、あ、と神も頷き、他の選手達もハッとした。

 高頭いわく、ラン&ガンの神髄はアシストパスを出せるポイントガードだという。足を止められてボールを戻すにしろ何にしろ、ポイントガードが全ての起点になる。

「むろん、ラン&ガンのみで勝ち進むにはディフェンスも高レベルであるなどの複合的な条件も必要になってくるが……。高身長の動けるガードがいることが、絶対的な条件だ」

「ポイント・フォワードの仙道の力の見せ所ってところですかね……。確かに、湘北だと宮城はリバウンドで不利だからな」

 高頭の声に神は納得したように仙道を見やり、紳一も腕を組んだまま頷いた。

「まァ、豊玉もガードは長身で似たタイプではあるがな。とはいえ……ディフェンス・オフェンス両面で陵南が有利であることに変わりはない」

 高頭はというと、ちらりとベンチの田岡を見やっていた。

「田岡先輩は……、ウチとの決勝の時のように、陵南の得意パターンは少なくとも明日までは温存する気だろう。今日は観衆も多い。明日の準決勝を前にわざわざ敵に戦略を晒す必要はないからな」

「陵南はどっちかというとディフェンス重視のチームっすからね……、けど」

 清田があごに手を当ててコートを見下ろし、うん、と神も頷いた。

「本来ディフェンス重視の陵南としてはラン&ガンはあまり得意なパターンではない。でも、陵南は仙道がいるだけで、チームカラーが一瞬にして変わる。仙道を軸にどんなバスケットも展開できるチームだ。そこが陵南最大の強み、ってとこかな……」

 目線の先で、板倉から輝男へのパスを仙道がカットし、ワッと歓声があがった。

 

「戻れえええ!!」

 

 豊玉陣営が叫び、仙道はそのまま植草にパスを繋いで自らは豊玉ゴールに向かい全力で走り込んでいく。

 

「いけ、仙道ーーー!!!」

 

 陵南ベンチが叫び、仙道は後押しされるようにディフェンスを振り切って風のように駆け抜ける。そして床を蹴って高く跳び上がれば植草からの絶妙なパスが届き──仙道はゴールを背にしてパスを受け取ると、そのまま豪快に背後からボールを叩き付けるようにして直接リングにぶち込んだ。

 

「──なッ!」

「バッ、バックダンク……アリウープ……!!!」

 

 瞬間、海南陣営さえもあんぐりと口を開け──、一瞬の静寂ののちにアリーナは割れんばかりの歓声に包まれた。

 

「うおおおお、すげえええ!! なんだ今のダンクーーー!!!」

「すげええ、陵南・仙道!! ここまであがってきたのもマグレじゃねえ!!」

 

 海南陣営はなお目を見張っている。

「あ、あれが決勝リーグの湘北戦で見せたっていう……アリウープ・バックダンク……」

 つかさは色なく呟いた。そうだ。決勝リーグ緒戦明けの新聞記事にそう出ていた事を鮮明に覚えている。ぜったい見たいと思っていたが、まさかこんなに凄いとは……と口元を覆った。

 やっぱり凄い、とつかさが昂揚する横で、つかさよりも震えていたのは清田信長その人だった。

「……スッゲぇ……」

 そうしてなにを思ったか、清田は拳を握りしめて立ち上がってしまった。

 

「うおおおお、仙道さあああん!! マジ最高っすーー!!! かっけえええ!!」

 

 その声に、海南陣営だけではなく陵南陣営もギョッとして観客席を見上げた。むろん仙道も「お」と海南ジャージを見つけて瞬きをした。

「ノブナガ君……」

 普段は黄色い歓声さえどこ吹く風の仙道だったものの、珍しい声援に手を振って応えれば、清田はさらにブンブンと手を振って激励してくれ、さすがの仙道も苦笑いを漏らした。

 

「……清田くん……」

 

 仙道のスーパープレイに興奮する清田を横に、海南陣営は恥ずかしいやら気まずいやらで失笑するしかない。

「国体の時から妙に仙道に懐いてるんだよな、信長は。すっかり仙道の応援隊番長だな」

 やれやれ、と肩を竦めた神に紳一は不満げに眉を曲げる。

「なにが応援隊番長だ。仙道は敵チームだぞ。分かってんのか?」

 すると、着席した清田はなお拳を握りしめて紳一を見上げた。

「もちろんっすよ牧さん! この清田信長、コートに立ったら仙道さんにだって絶対負けない気でやりますよ! なんせ次期神奈川ナンバー1を神さんから引き継ぐのはこのオレですから!」

 調子のいい回答に、紳一にしてもヤレヤレと肩を落とした。しかし、それだけ仙道のプレイが他者を引きつけているのは疑いようもない事実だろう。

 

「さすが仙道君や……イカすわ」

 

 プレス席でも、彦一の姉・弥生が試合の様子を取材しながら熱い眼差しを仙道に送り、隣に座っていた部下の記者は若干引いていた。

 しかし、と部下もキョロキョロと辺りを見渡す。

「ここへ来て、一気に取材班もざわざわしてきてますね。仙道君も去年は国体に出たとはいえ、全国ではまだ無名に近かったですからね」

「そんなん、遅いっちゅーねん。仙道君の独占取材はウチがもろたで! さ、後半も要チェックや!」

 弥生の見守る先で、前半の残り時間がゼロとなった。52-36。豊玉は15点以上の差を付けられ、苦しい状態で前半を折り返すこととなった。



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50話

 ──ハーフタイム。

 

 豊玉の控え室では選手達の荒い息だけがひたすら響いていた。傍らで監督が再三の注意を飛ばしていたが、豊玉は去年の初戦敗退後に前監督が首になっており未だに監督難の状態だ。就任一年目の監督の声など、もはや選手達の耳には届いていない。

 板倉は肩を上下させながら地団駄を踏んでいた。

「あの仙道とかいうの、国体の時よりだいぶ強うなっとるわ。どうやって止めろっちゅーねん、あんなの」

 去年の国体で大阪は神奈川とはあたらなかったものの、仙道のプレイは目の当たりにしていた。確かに目立った選手だったが、そもそも神奈川自体が反則のような強さのチームであった。ゆえに仙道にしても流川ほか紳一などとのコンビプレイのおかげで活躍できたのだと思ったのだ。が、とんだ誤算である。

「テルオ! お前ぜんぜんあの4番おさえられてへんやんか! よく見てみぃや、陵南の攻撃は全部あの仙道から始まっとるやんけ!」

「せ、せやかて板倉さん……、ワイ一人には荷が重いですわ。身長もあっちのほうがありますし……」

「しゃーない。後半はゾーンで行くで! 仙道を徹底的に潰すんや!」

 息巻く豊玉陣営とは裏腹に、陵南控え室では選手も田岡も極めて落ち着いて状況を見ていた。

「豊玉は、後半はゾーンディフェンスで仙道潰し。……と、考えているところだろうな」

 ぴしゃりと豊玉の思考回路を読んだ田岡は選手達を見やり、選手達も汗を拭いながら頷く。

「だったら、こちらはオフェンスを外に広げますか……?」

「うむ。まあ、普通はそう考えるところではあるが……」

 言って、田岡はにやりと口角をあげた。

「このまま足を止めるな。ゾーンで固められてもインサイドに積極的に切り込んで行け。相手ディフェンスを蹴散らして力の差を思い知らせれば、それで勝ちは決まる。──いいな、仙道」

「はい」

「福田、隙があればお前もどんどん決めていけ。オフェンス力では、お前は豊玉にも負けん」

「はい!」

 陵南はあくまでラン&ガンスタイルを貫く方針で行き──、試合後半。ゾーンでプレッシャーをかけてくる豊玉に対して、仙道は持ち前のパスセンスを存分に発揮しインサイドの福田や菅平に積極的にアシストパスを出して陵南はスコアを重ね続けた。

 

「すげえ、陵南!」

「仙道、ゾーンもモノともしねえ!」

 

 こうなるとやはり豊玉はディフェンスが空中分解し、動きが徐々に散漫になってくる。パスか。ドライブか。動きが読めず、対応が追いつかないのだ。

「福田!」

「おう!」

 仙道がペネトレイトを仕掛ける。豊玉フロント陣はシュートを警戒したのだろう。小さいゾーンで仙道を囲み、仙道は狙い通りにフリーになった福田へとパスを通して福田はそのままベビーフックでポイントを奪って陵南の素早い連係で圧倒した。

 明らかに、豊玉側の息があがっているのが福田にも分かった。──ラン&ガン。豊玉お家芸のオフェンス主体の攻撃は福田自身も得意であるし、やはり楽しい。逆に陵南はどちらかというとディフェンスを重視するスタイルであり、福田自身はそんな陵南は自分には合わないと思っていたことも昔はあった。が、同じラン&ガンで完全に追いつめられている豊玉を見ていて、思い知らされる。

 試合時間が決まっている以上は、いかにして相手の攻撃を潰して自分側の攻撃時間を増やせるか。これがバスケットの勝敗を決する鍵なのだ。ファストブレイクをモノにしても、相手の攻撃を封じることが出来なければ意味がない。

 

『例え地力の差がある相手に対してでも、ディフェンスさえ良ければチャンスが生まれる』

 

 オフェンスの練習は、楽しい。でもディフェンスは何よりも大事だと言っていたつかさの言葉や、耳にたこができるほどフットワークを鍛えろと怒鳴りつけられた田岡の顔を福田は思い出していた。

 おそらく、陵南は豊玉に地力で勝っている。豊玉も地力で劣っていることを悟っているだろう。にも関わらず彼らはラン&ガンを貫き、そして結果としてオフェンス・リバウンドをこちらに取られて陵南の攻撃時間が大幅に延びているのだ。それはスコアに数字として実力以上の差となって現れている。

 

「仙道、ズバッときたああ!」

「1対4だぞッ!? 突っ込む気か──ッ!」

「よおおおし潰せえええ殺せえええ!!」

 

 観客が沸き豊玉ヤンキー軍団が唸る中、仙道は袋小路にも関わらずにハーフロールターンを入れて僅かにディフェンスから逃れると、上体を流されながらもミドルレンジのジャンプシュートを放った。

 あまりに無謀すぎるシュートにディフェンスは意地となって阻止を試み、審判がホイッスルを鳴らす。

 

「ディフェンス! バスケットカウント・ワンスロー!」

 

 しかし。密集地帯からのジャンプシュートにも関わらず、更にバスケットカウントを奪ってのプレイに会場はどよめきベンチに座っていた彦一は立ち上がって叫んだ。

 

「ナイス仙道さん! どや見たかテルオッ! これがウチの天才・仙道さんや!!!」

 

 仙道がファウルをもらった相手が輝男だっただけに張り切って力の限り騒ぎコート上の輝男から苦い顔を引き出すも、彦一は田岡の次の言葉でさっと青ざめる羽目になった。

 

「彦一。……アップしておけ」

「──へ?」

 

 そんな陵南陣営とは裏腹に、豊玉ヤンキー軍団を避ける形で観戦していた諸星や唐沢たち深体大組もさすがに唸っていた。

「いまのジャンプシュート……。マグレでなければ相当なセンスだぞ、あの4番」

「あのくらい、普通に決めるヤツですよ、仙道は」

 感心したような唐沢の声に、諸星はニヤッと笑みを見せる。

「仙道のヤツ……。益々上手くなってやがんな……!」

「今日、豊玉に勝てば陵南はベスト4だ。どう思う諸星、あの仙道君……。この大会を通しても相当な選手と見て間違いないだろう。あの沢北や流川並、いや、視野の広さ等々を考慮すると彼らよりも幅のある選手になるかもしれん」

「え……? どうって、スカウト的な意味でですか?」

「そのために来たんじゃないのかね? そもそもお前の一押しだろう、仙道君は?」

 呆れたように唐沢に言われ、むー、と諸星は唸った。

「どうですかねえ……。才能はピカイチでオレも認めてるんですが……、いかんせん本人のやる気というか……正直、ウチの練習についてこれるとはとても思えませんが」

 むろん彼にやる気があるなら、同じ大学にいれば尻をひっぱたいて毎日練習させるが。と、諸星は肩を竦めた。

 おそらく、今の彼を突き動かしているのは。──つかさが好きなら、オレを超えていけ。などとハッパをかけてしまった自分のせい。というか、根底にあるのはつかさへの想いだろうな、と遠目に反対側スタンドの海南陣営を見て、ふ、と含み笑いを漏らした。

 

「信じられん……、なんであのジャンプシュートが決まるんだ……。さすが仙道さん……」

 

 その海南陣営では、清田が目を白黒させてつい今の仙道のシュートを讃えていた。そして彼は神へと視線を流す。

「完全に、身体が横に流れてましたよね……?」

 話をふれば、うん、と神も頷いた。

「仙道の場合、ハッキングされても決めるからなぁ……。身体の感覚と、ゴールまでの距離感を掴むのが極端に上手いんだと思うよ」

「って言っても……」

「つかさちゃん、あれ決められる?」

 今度は神がつかさにふり、え、とつかさは口元に手をあてた。

「んー……、体勢が流れただけなら、決められると思うけど……。ハッキングされたらちょっと分からない。仙道くんは打つ瞬間のコンディションを掴むのが上手いよね……」

「センス、かなぁ……。やっぱ仙道には敵わないな」

 ははは、と神が笑う先で仙道は冷静にフリースローを決めた。

 そんな神を見て、つかさは思う。──全国一のシューターが、冷静に穏やかに「敵わない」などと言う。むろん神のシューターとしての完成度は努力に裏付けされたものとはいえ、こういう部分が神の凄さであり、仙道が神を驚異に──神よりオレを応援して──などと言う所以なのかな、と感じた。仮に自分が仙道だったら、やはり神を驚異に思うだろう。現に自分にしても──バスケット選手というよりは、人間として尊敬に値する、と感じているのは他ならぬ神なのだから。

 

 そんな海南陣営とは裏腹に──、コートでは一つの事件が起きていた。

 

「交代です──ッ!」

 

 テーブルオフィシャルズが陵南の選手交代を指示し──、プレス席からギョッとした声があがった。

「彦一……ッ!?」

「あれ、弟さん……。そうか、植草君のかわりに……」

 なにやら緊張の面もちで出てきた弟・彦一を弥生は目を見開いて見つめ、部下の記者は冷静に負担がかかっているだろうポイントガードの植草を休ませる作戦なのだと見た。

 点差は既に20点以上開いている。もはやほぼ勝敗に関係なく、経験を積まそうという腹なのだろう。

 

「頑張れよ……」

「は、ははは、はい、植草さんッ!」

 

 ベンチにあがる植草とタッチしてコートに入った彦一は、誰の目にも極度の緊張具合が明確に見て取れる状態にあった。

「よし、彦一。落ち着いていこう!」

 仙道が笑顔で声をかけるも、彦一は上擦った声で返事をし、取りあえず自分のマッチアップ相手となる板倉を見やる。が。

「オウオウ、さらにドチビが入って視界が一気に晴れたわ!」

 豊玉お得意のトラッシュトークさえ耳に入らない。

「ヘルプだッ、越野!」

「おう!」

 陵南は声を出し合って緊張気味の彦一をフォローするも、ガチガチな上にミスマッチという差はいかんともしがたく──。交代早々に板倉のスリーポイントがあっさり彦一の上から決まって、彦一は頭をかかえた。

 

「ぐああああしもたーー!!」

「いいぞいいぞ板倉ーー!!」

「ドチビが! なにしに出てきたんやッ!?」

「やる気あんのかコラァッ!! ああ!?」

 

 ヤンキー軍団の野次がここぞとばかりに飛び、フロントコートにあがっていく輝男もすれ違いざまに彦一に声をかけていく。

「お前、ホンマになにしに出てきたんや、彦一?」

「ぐッ……テルオ……!」

 言葉を詰まらせるも、スローワーの仙道からのパスを受けて彦一はハッとする。ボール運びはポイントガードの役目だ。

「彦一! 落ち着いていけ!」

「は、はい、越野さん!」

 セカンドを務める越野からそんな声がかかり、彦一はゴクッと息を飲み込みながらもフロントコートへ向かった。さすがにディフェンスが弱点の豊玉とはいえ、彼らはここを穴と確信したのだろう。彦一がフロントコートに入るや否や板倉がスティールを狙って突っ込んできて、ギョッとした彦一はとっさに越野にパスを回した。

「おッ……!」

 すると、板倉はパスを予測していなかったのだろう。間抜けな声を出し、その隙にダッシュで彦一は横を抜ける。──身体が覚えている。レギュラーのみがこなせる高度なフォーメーションは出来ないが。自分とて必死に練習を重ねたのだ。やれる。と記憶の通りに走り抜け、越野からリターンパスを受け取ってインサイドに回り込んできた福田にパスを繋いだ。

「福さん!」

「おう!」

 そのまま福田がフィニッシュを決め、陵南陣営は手を叩いて褒め称えた。

 

「よォし!」

「そうだ彦一、いいぞ!!」

 

 プレス席でもまた、彦一の姉・弥生はホッと胸に手を当てていた。

「心臓に悪いわ……」

「いやでも、ナイスアシストでしたよ、弟さん!」

「まだまだ、仙道君にはほど遠いみたいやけどな……」

 言いつつ、インターハイという大舞台に立っている弟を見て、ふ、と笑みをこぼした。

 

 海南陣営も、陵南の次世代ガードの奮闘を見守り──、彦一は自身での得点はフリーからのジャンプシュートを一本決めたところで試合時間が残り5分となって、再び植草と交代した。

 田岡としてはこれ以降はあまり全力疾走をさせ続けて翌日に影響が出るのを懸念し、植草にはペースダウンを指示した。そしてフィニッシャーを福田に移行して福田中心で点を稼いでいくよう指示を出し──後半残り5分。

 陵南はいつもの陵南のペースに戻し、怒濤のラン&ガンから選手交代、更にはロースコアハーフコート・バスケットとプレイスタイルを次々と変え──豊玉は完全に打つ手なしで最後まで試合は陵南が支配し続けた。

 

「3,2,1──!」

「試合終了ーーー!!!」

「ベスト4だああああ!!!」

 

 結局、ラスト5分で差はさらに開き豊玉は20点以上の差を埋める術もなく準々決勝での敗退が決まった。

 同時に陵南は初出場でベスト4進出という快挙に沸き、意気消沈しているヤンキー軍団を黙らせるほどの騒がしさを見せつけた。

 そして──。

 

「行くぞ! 仙道君だ! おい、カメラ持ってこい!」

「仙道君、ちょっといいかな!」

「仙道君──!」

 

 報道陣はというと一目散に仙道めがけてダッシュをし──、海南陣営は客席からフラッシュの渦にさらされてキョトンとしている仙道を見下ろしていた。

「凄いな……さすが仙道……。陵南もついにベスト4か……」

 神の呟きに、清田も頷きつつ拳を握りしめた。

「やっぱカッコイイっすもんねー……仙道さん……。くそぉ、オレもぜってーセンセーション巻き起こしてやる!!」

 すると小菅は心底イヤそうな顔を浮かべてため息を吐いた。

「オレ、やだよ。あんなカメラに囲まれんの」

 そんな彼に「えええ」と反論しつつ羨望の眼差しを仙道に送る清田を見やり、つかさは少しだけ眉を寄せた。清田は、まだ仙道がこの夏でバスケをやめることを知らない。おそらく、自分以外はまだ誰も知らないはずだ。

 本当にそれでいいのかな、と、報道陣に囲まれる仙道をしばし見つめ──、つかさも、紳一たちもまだ熱気の残るアリーナをあとにした。 

 

 

「いやあめでたい! めでたいでえ、ベスト4進出やーーー!!」

 

 夕刻──、宿泊先の旅館で夕食をとる陵南の選手達、特に彦一はまだ興奮冷めあがらぬといった具合で大きな声をあげていた。

 が──。

「騒ぐな彦一、まだベスト4だ」

「せ、せやかて越野さん……」

 勝利直後はむしろ一番喜んでいたのは越野だったが、時間もたってすっかり落ち着きを見せている。

 そうだ、と田岡も頷いた。

「越野の言うとおりだ。ここからが正念場。ここからが本当の勝負になる。明日、泣くも笑うも全ては勝敗次第だからな」

「はい」

「だが、初出場でベスト4は立派な成績だ。みんな良くやった! 目一杯喜んで、そして忘れよう。明日は決勝進出への、そして明後日はインターハイ制覇へのチャレンジだ!」

「はい!」

 戦いのあとは腹が減るもので、みなでかき込むようにご飯をお代わりし──、ふと箸をおいた仙道がぼそりと呟いた。

「海南も……、洛安を抑えて準決勝進出を決めたよな」

 低い囁きに、隣で聞いていた越野の頬がぴくりと反応する。

 取りあえず相づちを打ちつつ、越野は感じた。やはり、仙道は県予選で海南に負けたことがまだ引っかかっているのだ。──と、食事が終わって部屋に戻った仙道以外の3年メンバーは、植草の煎れてくれた緑茶をすすりながらローテーブルについた肘であごを支えていた。

「"まだベスト4"とは言ってみたものの……。正直、ここまで来れるとは思ってなかったぜ。全国だぜ? 全国ベスト4……」

「ぜんぶ仙道のおかげみたいなものだよな……。オレたち、仙道がいなかったら県予選だって突破できてたかどうか……」

 越野がしかめっ面をする横で植草が神妙な顔をし、福田は無言で唇を結ぶ。

 ああ、と植草の意見に同意しつつも越野は拳を握りしめた。

「いや、だが……オレたちだって立派に陵南の力にはなってるはずだぜ! 確かに仙道がいてこその陵南だけどよ、諸星さんも言ってただろ? オレたち一人一人が陵南を勝たせてやるんだ、って意識を持てって!」

 言って、逸るようにバッグからノートをとりだし、びっちり書かれたフォーメーションをみなでイメージして確認しあう。気の遠くなるほど何度も何度も練習し、緑風に協力してもらってようやくモノにした自分たちの最終兵器でもある。

「明日の準決勝……相手は名朋工業、怪物センターがいるチームだ。けど、神奈川は国体でヤツに勝ったし、愛和だって諸星さん一人でほぼ巻き返せてた! オレたちだって……ぜってーやれる!」

「そうだな……。そのために、何度も何度も練習したんだもんな……」

 越野の声に植草が頷き、福田もコクッと頷いた。

「勝とうぜ……絶対! オレ、いますげえバスケやってんの楽しいんだ。一試合でも長く、このメンバーでバスケやりてえ……! 絶対、勝とうぜ!」

「おう」

「おう」

 そしてフォーメーション確認はしばし続き、眠気が襲ってきたところで明日に備え、みなで布団に入った。

 

 仙道は一人、布団に横になって天井を見ていた。

 ついに明日は準決勝。どんな結果になろうとも、自分のバスケット人生は長くてあと二日。

 不思議なものだ。いざやめるとなったら「ようやくやめられる」というよりも「もう少し続けてもいいかな」という想いが沸いてくる。中学の時もそうだった。高校でもバスケを続けるか──迷っていた。

 自分で自分の才能のことはよく分かっている。それなりの自信もある。けれども、自分よりももっと上がいることも、自分よりももっと情熱を持った者がたくさんいることも、中学の時でさえよく分かっていた。

 あと少し、続けてもいいかな。と、そんな思いで中三の時は熱心に誘ってくれた田岡のいる陵南へと進学を決めた。

 けれども進学した先の陵南には、魚住というビッグセンターの素材はいたものの──。前年の成績はパッとせず、練習中はぶつかり合う相手にすら不足していた。自分が一年の時も、結局は予選ベスト4止まりだった。

 

『"神奈川で、凄い選手を見つけた""きっと大ちゃん以上の選手になる"、だとよ』

 

 諸星はああ言っていたが……、いったいつかさは自分のどこを、あの諸星以上などと目してくれていたのだろう。今にして思えば、一年の頃の自分が諸星に勝てるような選手だったとは到底思えない。彼は、一年の頃から、いや中学の頃でさえ名実ともに全国屈指の選手だったのだから。

 対する自分は名実ともにただの無名選手でしかなかったはずだ。加えて、なにせ今でさえ、バスケより釣りをやっていた方が楽しいと思っているし。と、自嘲する。

 けれども、陵南というあまり恵まれない環境の中で、どうにかバスケを楽しみたくて──パスワークの楽しさを覚えた。体育会系のノリは相変わらず苦手であるが、田岡に毎日地獄を見せられて、ディフェンス力も無理やりつけられ、二年に進級した頃には少なくとも個人で神奈川に負ける相手がいたとは思っていない。

 海南の連中は怒るかもしれないが、あの牧紳一にすら自分は負けていたとは思ってないのだ。

 陵南でどうにかバスケを楽しみたくて、気が付いたら──今や陵南は全国ベスト4まで勝ち上がれるチームになっていた。

 越野、植草、福田、菅平。誰が欠けてもきっとダメだ。ここまで来れたのは、自分だけの力では決してない。

 もしも自分だけの力で勝ち上がれるなら──自分は中学の時に、いま以上の成績を収めていたはずなのだから。

 それだけに、今日の取材は気疲れしたな、と思う。

 国体で優勝したときも報道陣からはやたらチヤホヤされたが、あの時は流川もいて藤真や紳一たちがいて、神奈川というチームそのものが注目されていた。

 だというのに、今日は陵南ではなく自分一人に取材の目が向けられ──、そこに少し苛立ちを覚える程度には、自分にとってこの陵南というチームはかけがえのないものになっていると思う。

 このメンバーで……もう少し、バスケがしたい。

 おそらくは、「もう少し続けたい」などというのはただの感傷だ。大学で、まして諸星のような日本一のチームで毎日バスケ漬けの生活を送りたいとは全く思っていないのだから。

 だから──、もう少しだけ。だから、明日で終わるわけにはいかない。

 

『その代わり、オレは諸星さん以上に……日本一に絶対なってみせる』

 

 陵南を勝利に導いてこそ、真の日本一だ。それは諸星にも、紳一にもできなかったこと。

 必ずやり遂げ、それで終わりにするのだ。「天才」と呼ばれて、何も成し遂げられないままで終わるのは──やはり、辛いことなのかもしれない。と、脳裏につかさの姿を浮かべて、仙道はそっと瞳を閉じた。



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51話

 ──大会6日目。

 巨大なレインボーホールのメインアリーナが観客で埋まる。

 

 男子バスケット準々決勝。ベスト4まで勝ち上がってきたのは神奈川代表の初出場・陵南高校、怪物森重有する愛知代表・名朋工業。そしてインターハイ上位常連の神奈川は海南大附属と福岡代表・博多商大附属だ。

 

「陵南のキャプテン、凄いよね! すっかりファンになっちゃった!!」

「さあ今日はどんなプレイを見せてくれるんだ、仙道たちは」

 

 第一試合を待つ観客からは陵南を、とりわけ仙道を注視しているような声が多く聞き取れ、会場入りしていたつかさもさすがに緊張していた。

 すっかり有名人になってしまった。ということもあるが、今日は準決勝。ここからが正念場だ。諸星も、紳一も、この壁はなかなか破ることができなかったのだから。

 それにしても、と息を吐きながらつかさはキョロキョロと辺りを見渡した。人の多さにうっかり紳一とはぐれてしまったのだ。

 人混みをかき分け、さらにキョロキョロと紳一の姿を探していると、ふいに背後から聞き覚えのある声がこちらを呼んだ。

「つかさか……?」

 ハッとして振り向くと──、数人の見知らぬ男女と共に、懐かしくもちょっと大人びた顔があって「あ」とつかさは声を弾ませた。

「三井さん……!」

「よう、久しぶりだな。お前もインハイ観戦か?」

 愛知に進学を決めた三井だ。元気そうな姿に、少し頬が緩む。

「はい。三井さん、お元気ですか?」

「おう。まあまあだな。しかし……海南も陵南もやるじゃねえか。揃ってベスト4とはな。それに比べて……このオレが抜けただけであのヤローどもは……」

 ブツブツと湘北への文句を言い始めた三井に苦笑いを浮かべていると、三井のそばにいた女性数人から何やらこちらを探るような目線を感じた。

「三井君、誰、この子?」

「三井君の友達……?」

 つかさは少々身構えてしまう。三井の彼女か? にしては数人いるし、けっこう体格が良いな──と思案していると、ああ、と三井は彼女たちに向き直った。

「コイツだよ、例のお前らが言ってた牧つかさって。……知ってんだろ?」

「え……!?」

 瞬間、三井の隣にいた女性達がこちらを凝視して詰め寄ってきたものだから、つかさは一歩あとずさった。

「ウソー、牧つかさ!?」

「あのミニバス界伝説のフォワード!?」

 三井の周りの男女、特に女性陣からの好奇の目がつかさの全身を凝視してくる。

「うわー、なんかイメージ変わってるー……」

「思ったより身長伸びてないねぇ……。だからバスケやめたんだ?」

「女バスやんないの? てか三井君、ほんとに今もバスケ強いのこの子?」

 視界の端で、三井がちょっとだけギョッとしたような顔をしたのが映った。三井の連れ……ということは同じ愛知学水の女子バスケ部の人たちだろうか? ということは、もしかして小学生の頃に対戦したことがある? と連想ゲームをしてみるものの、どうにもこうにも思い出せず、つかさは取りあえず頭を下げる。

「すみません……あの、どちら様でしたっけ……」

 瞬間、なぜか三井が爆笑して一気に女性達から非難を浴びつつもこちらを指さしてきた。

「うわはははは! つかさ! やっぱおまえ牧の妹だわ! わはははは!」

 何なんだ、一体。と爆笑する三井を横にもう一度女性達の顔を見るが、やはり思い出せず、ここは退散した方が懸命かと三井に向き直る。

「あの、じゃあ三井さん、私はこれで。バスケ、頑張ってくださいね」

「あ……、つかさ!」

「はい?」

「オレ、けっこうこっちの生活気に入ってるぜ!」

 笑顔で言われて、つかさは少し目を見張った。──進学を迷っている、と冬に言われたことを思い出して、ふ、と目を細める。

「そうですか……。良かった」

「おう! じゃあな」

 笑って背を向けた三井の背をしばし見送って──、つかさも歩き出す。取りあえず陵南サイドの方に、と歩いていくと見知った諸星の後頭部を見つけて「あ」とつかさは足を止めた。

「大ちゃん……」

 名朋ではなく陵南側にいるということは、陵南を応援するということだろう。仮にも相手は愛知代表だというのに──こういうところは諸星らしい。などと思っていると、諸星タイムは唐突にやってきた。

 試合開始10分前──両選手がアリーナに現れ、練習のためにコートに出た瞬間。ここ愛知県高校バスケット界において、もっとも有名であろう男の声が豪快にこだました。

 

「仙道ーーー!!! てめえ、名朋に負けたらぜってえええ許さねえからなーー!!!」

 

 ギョッとつかさは身体を撓らせ、どよっと会場が沸き、陵南・名朋両チームの選手達が声の主を見上げる。

 

「ゲッ……諸星さん……!」

「諸星さん……!」

 

 仙道は顔を強ばらせ、越野以下はパッと明るい顔をして観客席を見上げた。

 

「越野ーー! 植草ーー! しっかりやれよー! オレがついてるからなー!」

 

 すると諸星は手を振って陵南陣を激励し、越野達は慌てて頭をさげる。

 

「お、おっす!」

「が、頑張ります!!」

 

 そんな選手達のやりとりを見て観客はなおどよめき、ざわめきながら様々な言葉を飛び交わせた。

 

「お、おい、あれ愛知の星だよな……?」

「愛知の星……! 諸星大だ、愛和の諸星だ……!」

「愛知の星が、なんで愛知代表じゃなく神奈川を応援してんだ!?」

「バッカ! 愛和と名朋は犬猿の仲じゃねえか!」

「まさか……。打倒・名朋のためにわざわざ愛知の星が陵南を鍛えたってことは……」

「あり得る! なんせ強い!!! 陵南の強さの秘密はもしや愛知の星か!?」

 

 さすが、「愛知の星」。──好き放題言われている。しかもけっこう当たっているから恐ろしい、と客席の反応を見守りながらつかさは頬を引きつらせていた。

 しかし──、越野たちの表情を見るに、彼らは本当に諸星を慕っているらしい。やはりさすが愛知の星、と感心していると後ろから聞き慣れたため息が漏れてきた。

「なにをやってるんだ、あのバカは……」

「お兄ちゃん!」

 振り返ると紳一がヤレヤレと腰に手をあてており、つかさは苦笑いを漏らしつつもホッと息を吐いた。

 

 一方の陵南陣は、”準決勝に臨む”というプレッシャーを諸星の大声が良い意味で吹き飛ばしてくれ、「諸星が見ている」という状況が明らかに良い方向に選手達にエネルギーを与えてくれていた。

「諸星さんに見てもらおうぜ! オレたちが、冬からどう変わったか!」

「ああ……!」

 張り切るガード陣を横に、仙道も首に手をあてて口角をあげる。うむ、と田岡も頷いた。

「全国制覇……と、一番初めに言い始めたのは、諸星君だったな。インターハイ出場さえしたことのない我が陵南が全国制覇。途方もないことを言う男だと思ったが…………、彼の言い出したことは正しかった。ウチの目標は、インターハイ出場などではない」

「ああ、全国制覇だ……!」

 田岡の言葉を選手達が紡ぎ、仙道もニコッと微笑む。なお選手達は互いに頷きあった。

「バスケは、チームプレイだ……」

「ラッキーで全国に行けても、ラッキーでは勝ち上がれない」

「オレたちは、ベスト4まで来たんだ……!」

 浮かんでいたのは、確実に、諸星から諭された全てだった。一人一人、田岡でさえ、年末に突然現れ「仙道に頼り切るな」と口を酸っぱくして語って聞かせ、「全国制覇」などという途方もない目標さえ設定させて。冬休みという短い間できっちり陵南をまとめ上げてから風のように去っていった諸星の明るさと統率力を思い出して拳を握りしめた。

 よし、と仙道も手を差し出す。

「全員、100パーセントの力を出し切って、絶対に勝とう!」

「おう!」

 スタメン全員で手を重ね合い、シャツを脱ぎ捨てて青いユニフォーム姿となってコートに繰り出した。

 

「それでは、これより準々決勝第一試合、陵南高校対名朋工業の試合を開始します」

 

 その様子を、次に試合を控えている海南はコートサイドで見守っていた。

 

「陵南があの森重をどう抑えるか……。ここは見物だな」

「陵南はインサイドに強いわけではないですからね……。国体の時の神奈川のように控えもレギュラーと遜色なければ、あの時のようなツインタワーも使えますが……」

「腕の見せどころですな、田岡先輩」

 

 そんなことを話す高頭と神のコートサイドからの視線を、田岡はうっすら感じ取りつつも緊張気味にベンチからティップオフを待っていた。

 名朋工業の怪物・森重寛。2メートル強の身長・100キロ超の体重のという体格に加え、怪物と呼ばれるに相応しい能力を持っているのは知れたことだ。

 が──多くの強豪が彼一人にやられたとはいえ、決して打ち破れない相手ではない。現に神奈川代表はファウルトラブルで彼を退場に追いやっているし、実際に戦った諸星にしても、曰く「自分一人で何とかなる相手」と言ってのけていた。初対戦では真っ向勝負を挑んで力負けし腰を強打した諸星は、その後に直線的な攻撃よりも曲線的な攻撃に変えて名朋相手に猛追を見せたという。負けはしたが、次にやったら勝てる自信があった、と言い切った彼はその言葉通り、ウィンターカップ予選では名朋に勝利し愛知王者の座を奪還した。

 ──所詮はまだ素人。ということもあるが。インサイドに強力な選手がいるときの攻略法はいくつかある。

 それは──、と見やった先のジャンプボールは名朋が制し、まずは名朋ボール。様子見、とマンツーを敷いたのが不味かったのか、いきなりゴール下にボールを通され、ものの数秒で名朋センター・森重は豪快な両手ダンクを決めた。

 

「うおああああ!」

「か、怪物……!!」

 

 く、と田岡が喉を鳴らす先でさっそくパワーの差に少々おののいている菅平の肩を仙道が叩いた。

「ドンマイ!」

 すると菅平も頷いてコートにあがる。

「さあ、一本行こうか!」

 言って、エンドラインに下がった仙道は植草に、そして越野に目配せした。先にあがった菅平・福田のフロント陣も頷く。

 ここからが陵南の見せ場だ。──と、植草は受け取ったボールを運んでフロントコートにあがった。名朋のディフェンスはマンツーだ。

 植草は攻撃に転じるタイミングを見計らう。オーバータイムを示す表示板が15秒を切った。ここからだ。──と、それを合図に植草は右ウィングの越野にパスを通し、そのままディフェンスを振り切って右コーナーへと切れた。同時に逆サイドにいた仙道がトップにあがり、越野からのパスを受け取る。

 

「仙道!?」

「いや──ッ!」

 

 瞬間──、菅平がハイポストにあがり、森重が追ってくる。ゴール下が少し空いた。その間に越野がコーナーへ切れ込んできた植草のためにスクリーンをかけており、仙道はここぞとばかりにゴール下に向けてパスを出した。

 刹那──絶妙のタイミングで植草がパスの先へ姿を現し、彼はそのままゴール下シュートを決めた。

 

「──なッ!!」

 

 観客が度肝を抜かれる中、陵南の選手達はさも当然のようにハイタッチで互いを讃え合う。そうしてすぐさまディフェンスへと意識を切り替えた。

 

「な、なんだ、今の……!」

「なんかしらんが、すげえチームプレイ!」

 

 観客がざわつく中、今度は名朋の攻撃だ。名朋のポイントガードがボールを受け取ってボール運びをはじめる。が──。

 名朋ポイントガードが目を剥く前に、ワッ、と館内が揺れた。

 

「うおお、ダブルチーム!」

「ゾーンプレス──ッ! オールコートでか!?」

 

 陵南が2-2-1ゾーンプレスを果敢に仕掛けたのだ。

 名朋のパターンは決まっている。フィニッシャーはほぼ森重一人。だからこそ、インサイドゲームにさえ持ち込ませなければ、絶対に負けることはない。と、陵南勢はパスコースを塞いでボールを繋げさせない。名朋としては、パスも進路も阻まれては、サイドから運ぶしか術はない。

 陵南はゾーンの最後尾に仙道を置き、菅平と福田も積極的に名朋オフェンスのパスコースを塞ぐ。相手は予想外の事に慌てたのだろう。何とかフロントコートには繋げたものの、苦し紛れに流れた甘いパスボールを仙道がスティールして陵南は名朋の攻撃を潰した。

 

「さあ、もう一本行こうか!」

 

 名朋陣営は愕然としつつも守りに戻っていく。仙道は左サイドにいた越野にボールを通して自身は右ウィングに走り込んだ。それを見越したように既にフロントコートに入っていた植草がまたコーナー左側へ切れ込み、ディフェンスの攪乱を誘う。仙道は菅平に目配せすると、越野からリターンパスを受け取ってハイポストにあがってきた菅平に駆けながらボールを回した。と、同時に自身は右ウィングからインサイドへ切れ込み、すれば菅平を追おうとした森重が仙道の動きをチェックしてくる。

 ディフェンスがまごつき、名朋フロント陣がボールを持つ菅平を警戒して注意を向ける。

 陵南からすればしてやったりだ。パスを受け取った菅平は、すぐに植草がスクリーンをかけてフリーになった越野にボールを渡し──。

 邪魔のない状態で、越野はお手本のようなジャンプシュートをスパッと決めた。

 

「よっしゃあああ! 越野さんナイッシュー!!!」

「いいぞいいぞ越野! いいぞいいぞ越野!!!」

 

 そうしてまたディフェンスになればゾーンプレスを仕掛けた陵南に、コート脇で見ていた海南陣営は唖然として息を呑んだ。

「何なんだ、陵南……」

「またパスワークが上手くなってる……」

 そんな選手達を横に、田岡先輩、と高頭は呟いた。

「なるほど……、相手センターに極力近づかない・近づけさせない戦法をとっているな、陵南は。オフェンスはウチとの決勝で見せたパスワークをさらに煮詰めてきている。おそらく数え切れないパターンを練習して来たのだろう。想定通りにパスを回して、フリーになった人間がシュートを打つ。総攻撃体勢だ」

「スタメンがほぼ2年間固定という強みが、ここへ来て出てますね」

「そうだな。チームワークという意味では陵南は元から群を抜いていた。体力もある」

「プレスで攻撃を潰して、森重にボールを触らせない気っすね」

「うむ、名朋のパターンを相当に研究してきたということだ。おそらく……トーナメントが出た瞬間から、照準を合わせていたに違いない」

 高頭は選手達の声を耳に入れつつ、視線はコートへ向けたまま頷いた。

 昨日の豊玉戦での戦い方を見るに、陵南にとって敵となりそうなチームを見極め、個別に対応策を立てて練習してきたと見ていいだろう。しかも、この上達ぶりを見るに相当に質の高い練習をこの一ヶ月でしてきたらしい。

 おそらく、トーナメントの反対側は一切捨てたのだろう。仮に今日、陵南が勝ったとしても決勝の相手が博多であれば無策だろうな、と高頭は肩を竦めた。

 まさに、勝利への賭けだ。──たかだか初出場だというのに、本気でインターハイを獲りに来ている。

「それほど……、田岡先輩は今年の陵南に自信を持っているということか」

「スタメンで抜けたのは魚住さんだけ。でも魚住さんクラスのセンターはそうそう入るものじゃない。去年よりも弱体化は必至……と思いきや、おそらく今年の陵南は去年を上回っているとみて間違いありませんね」

「ああ……。仙道一人が抜けているのは間違いないが、名朋のような真のワンマンとはわけが違う」

「でも、名朋は名朋で、そのワンマンのレベルが違いますから……。この試合、見物ですね」

「ま、どっちが出てきても、勝つのは我が海南っすけどね! カーッカッカッカ!」

 高頭と神の会話を受けて清田がふんぞり返り、横にいた小菅はため息を吐いた。

「その前に、ウチも博多に勝たなきゃ決勝出れないだろ」

 突っ込みつつ、コートを見やる。

 オールコートゾーンプレスにオフェンスのパスワーク。おそらくポイントガードの植草にかかる負担は見た目以上だろう。植草はミスの少ない良いガードであるが、それでもこんな複雑なゲーム展開をしていればミスが嵩んでくる。それが試合だ、と小菅は目線を鋭くした。



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52話

「名朋! 名朋! 名朋! 名朋!」

「陵南! 陵南! 陵南! 陵南!」

 

 陵南は陵南で目の前の相手を倒すのに必死である。

 ──名朋工業の怪物・森重寛。

 彼の能力の高さには名朋も相当な自信を持っているだろう。だが、名朋は一つ誤算があったと思う。それは陵南の前キャプテンが魚住であったことだ。

 巨体? パワー? そんなものは陵南の選手にとっては慣れたもの。ビビるとでも思ってんのか──と、ゴール下でパスを受けた越野は、ヘルプで森重がリターンしてきたのが見えていてもなお果敢にレイアップにいった。

「がッ──ッ!」

 しかし。勢いよく叩かれてコートに身体が投げ出される。同時に審判の笛の音が聞こえた。

 

「白、6番! チャージング! フリースロー!」

 

 森重のファウルだ。

 大丈夫か? と手を差し伸べてくれた仙道の手を取り、痛みに耐えつつニヤッと越野は口の端をあげた。

 

「よォし! よく攻めた越野! それで良いんだ! 決めろよフリースロー!」

 

 諸星の声だ。越野は観客席に向けグッと親指を立て、フリースローラインに向かう。

 仙道はというと、ペイントエリアの外に出つつ、変わってねえな、と森重を見やった。こりゃ国体の時のようにとっとと5ファウルでコートから追い出した方が楽かもしれん、と越野が2本目のフリースローを決めたところで植草と菅平を呼んで耳打ちをした。

 次の名朋の攻撃。陵南はオールコートプレスを解いて、名朋ガード陣のみならず田岡の度肝をも抜いた。

 

「ん……!?」

 

 指示はオールコートプレスだ。なにをやっとるんだ、と言いかけた田岡だが取りあえず見守ると、彼らは何やらインサイドでゾーンを作っている。

 名朋はというと、ガード陣がプレスから解放されたことで余裕が生まれ、こうなれば名朋は森重のポストプレイという黄金パターンを出すしかないだろう。

 むろん陵南としてはそれを見越してのことだ。案の定、上からのパスが森重に通り──、植草は自ら持ち場を離れてゴール下へと回り込んだ。

 森重は植草などお構いなしで跳び上がってダンクの姿勢を見せ──ゴール下を守る菅平も本気で止めに行ったものの、競り負けて弾き飛ばされ、わざわざゴール下に回り込んだ植草も菅平と共に接触されたように見せかけて床に転げ落ちた。

 ──森重がダンクを決めたらしばらく起きあがるな。とは仙道からの指示だった。

 指示通り取りあえず苦しげな顔だけ浮かべて5秒ほどじっとしていると、植草の耳に審判の声が聞こえた。

 

「テクニカルファウル! 白6番!」

 

 どよッ、とアリーナがどよめき、植草は内心「ウソだろ」と漏らしていた。

 森重にはダンクを決めたあとにリングにぶら下がったまま離れずにテクニカルファウルをもらうという悪癖があるとは聞いていたが──、いや実際に国体で見ているが、そう何度も犯すとは思っていなかったためにまさに青天の霹靂だったのだ。

「ナイス、植草、菅平。サンキュ」

 手を伸ばしてくれた仙道の手を取って起きあがり、植草は肩を竦めた。

「まさか本当だったとは……」

「ま、わざわざ2点くれてやったんだ。つっても、フリースローで奪い返すけどな」

 言いながら仙道はフリースローラインに向かった。テクニカルファウルをとられれば、相手チームに2本フリースローが与えられるのだ。打ち手はキャプテンもしくはキャプテンが指名した選手であるため、仙道は自らフリースローを放ってきっちり2本とも決めた。しかもテクニカルファウルであるゆえに、次は陵南ボールからのスタートである。

 ──が、同じ手は二度は使えないだろう。

 3本目は、取りに行くか……とチラリと仙道はフロントコートを睨んだ。そうしてガード陣に目配せする。

「ボール、くれ」

 名朋のディフェンスはマンツーだ。が、相当に陵南のパス回しを気にしてかピリピリしている。仙道は思う。正確にはこちらの攻撃は「パスワーク」ではなく「フォーメーション」であるため、彼らがディナイを狙ってもそうそう止められるものではないが。ここは一本決めとこう、と植草からボールを受け取ってマークマンをドライブで抜き去ると、仙道は一気にインサイドに切れ込んだ。

 シュートモーションに入ってからディフェンスがこちらを抑えに跳び上がったら、ほぼ勝ったも同然だ。

 

「うおおおお!!」

「ダブルクラッチ──ッ!」

 

 森重がブロックしにかかってきて、審判の笛の音が聞こえたと同時に仙道は空中で左手に持ち替えて逆サイドからレイアップを決めた。

 けたたましいほどに館内が沸き、渦のような歓声がアリーナにこだまする。

 

「仙道……! バスケットカウント取りやがった!」

「うおおお、森重、あっという間に3ファウルだ」

「これは痛い!」

 

 どよめく館内を横に、諸星は腕を組んで不敵な笑みを漏らしていた。

「ここで決めるところが仙道だな……! しかし、森重のヤツは相変わらずピッピピッピ笛吹かれやがって。進歩ねえな……ったく」

「あの森重とかいうのはファウル癖でもあるのかね……? 確か去年のインターハイでも退場になっていた覚えがあるが」

「監督から見てどうですか? 森重のヤツ、走れる2メートルで素材としてはいい線いってます?」

 諸星が聞いてみると、む、と唐沢はかけていた眼鏡を曇らせた。

「素材は魅力だが……、ああいうラフプレイが多いのは困りものだな」

「まだまだ初心者ですから、鍛えればモノになるかもしれませんけど……、しかしウチに来ても練習に耐えられるかどうか」

「そんな選手ばかりだな。ウチが求めているのは、練習熱心で心身ともに健康なのが最低条件だからな」

 スコアボードを見やると、仙道がフリースローをきっちり決めて陵南は更なるスコアを重ねた。

 序盤、完全に陵南ペースで来ている。陵南としてはできれば40分フルでのオールコートプレスは避けたいところだろう。ゆえに一刻もはやく森重を退場に追い込みたいというのが本音だろうが、果たしてそう上手くいくかどうか。

 

「チャージドタイムアウト・名朋!」

 

 仙道のフリースロー明けに名朋は早くも一つ目のタイムアウトを取り、陵南陣営もいったんベンチへと戻った。

「よし、いいぞ。良いペースできている!」

 田岡は手を叩いて彼らを迎えた。が──。

「いきなりゾーンプレスを解いた時はなにを始めるのかと思ったが……」

「ははははは」

 じろりと田岡に睨まれ、仙道は笑って誤魔化した。「まあいい」と田岡は咳払いをする。

「森重がいる限り、インサイドはこっちが不利だ。オフェンス・リバウンドを取るためにも、シュートを打った時はとにかく声を出していけ」

「はい!」

 いくら陵南が魚住のおかげで巨体慣れしているとはいえ、森重の体格は魚住より一回り大きくパワーも勝っている。しかも彼はゴール下という場所で戦う天性の才能があるのかリバウンド及びブロックショットに特に長けており、リバウンド争いは陵南が圧倒的に不利だ。そこでシューターは外すと思ったシュートの位置を感覚的に味方に伝えてリバウンドを取りやすいようにフォローし合うよう何度も確認し合った。

 が、タイムアウト明けに名朋のオフェンスが変化を見せた。

 陵南は指示に従ってゾーンプレスを続けている。が──、名朋はあえてプレス対策はせずに、とにかくフロントにボールを運べたら遮二無二シュートに行く強引な攻撃に出たのだ。

「あ──ッ!」

 結果、オフェンスリバウンドを森重が制してそのままゴールを決めてしまうというごり押しとも言える作戦に出られ、ワッと名朋の巻き返しに会場が沸いた。

 

「いいぞいいぞ名朋! いいぞいいぞ名朋!」

「やっぱあの怪物はつえええ! 力強ええ!」

 

 おまけにこの森重──速攻にも強く、ディフェンス・リバウンドにしても取るや否や速攻の先頭を走る脚力さえ見せて、身体能力の高さを存分に陵南と観衆に見せ付けた。

 ベンチで見守る田岡や控え陣は否が応でも圧倒されてしまう。

 

「ウソや! センターがあんな脚力……!」

「くッ……あのデカブツめ!」

「仙道さーん! 頼みますー!」

 

 しかしさすがの森重と言えど脚力は仙道には及ばず──、速攻は仙道が阻む。仙道は腰を落として森重に張り付いた。ゴール下にもつれ込まれたら力負けしても、ゴールから遠い位置では負けはしない。と、一瞬の隙をついてスティールすれば、またもや館内が沸き上がる。

 

「うおおおおお!!!」

「仙道ッ! ワンマン速攻だッ!!!」

 

 速さなら負けないはずだ。逃げ切って直接ぶち込んでやる──!

 意気込んで駆け抜けダンクに行こうとした仙道だったが、あろう事かボールを後ろから叩き落とされ、ゲッ、と仙道は空中で息を詰めた。

 

「せ、仙道さんがブロック……」

「さすがに怪物か……」

 

 弾かれたボールはコースアウトして陵南ボールにはなったものの、森重の派手なブロックになおも会場は激しい盛り上がりを見せた。

 スタンドでは、空席を見つけられずに立ったままの観戦となっていたつかさと紳一もさすがに渋い顔を浮かべていた。

「さすがにあの体格差はキツいな……仙道と言えども……」

「よく追いついたよね……あの巨体で……」

「諸星も一度はあの森重にやられてるからな……。無茶して怪我しねえといいんだが」

 うん、とつかさもキュッと手を胸にあたりで握りしめる。

 チーム力も、個々の能力も、陵南が明らかに上。だが、それを補ってあまりあるインサイド力を発揮する名朋にスコアボードの数字は拮抗した数を重ねていっている。おまけに陵南ディフェンスはフルコートのゾーンプレス──、負担が大きすぎる。むろん走れるだけの体力は付けているのだろうが。果たして。決勝進出のかかるプレッシャーの中で40分持つかどうか。

「もしも……陵南のシュート成功率が落ちれば、あっちにリバウンド制されて一気にワンサイドゲームになる恐れがあるな」

「陵南も、そこまでリバウンドが弱いわけじゃないんだけど……」

「まあ、外をガード陣に任せて仙道・福田・菅平のフロント陣が全員で中を固めりゃ取れねえこともないだろうが。陵南はそういう戦法を取ってねえからな」

「陵南のオフェンス……。あれ、トライアングル・オフェンスよね。常にスペースと三角形を作って攻める……。予選の決勝で見せたパスワークとは似てるようで全然違う。チームワークのいい陵南には合ってるけど、相当に複雑なはず」

「いったんリズムが狂ったらガタッと行くだろうな。ま、福田・仙道というスコアラーを要しながら5人でほぼ平等に点数を取っていく攻撃法を取ってんのは頭が下がるが……」

 見下ろしながらつかさは、ごく、と喉を鳴らしていた。

 バスケットにおいて、身長・体格とはここまで有利なのかと再確認をさせるような名朋のバスケに、コート内は少し不穏な空気が流れはじめていた。



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53話

 スコアは32-31という接戦のままハーフタイムに突入して、コートでは次の試合を控える海南・博多の選手達が練習を始めた。

 

 一方、陵南の選手達は控え室で水分補給をしながらそれぞれ汗を拭って前半を振り返っていた。

 特に越野は前半の自身のミスを振り返り、後半はもっと落ち着いていこうと気持ちを改める。せっかく諸星が見てくれているのだ。仙道に頼り切りではない、自分もちゃんと陵南の勝利に貢献するという意志を持ってプレイしていることを彼に見て欲しい。

 名朋は戦力のほとんどを森重一人に依存していると言っていい。まるで最後には仙道に頼り切りだった頃の陵南さえ彷彿とさせる。そんな名朋を浮かべながら越野は拳を握りしめた。

 ──あんな風だったから、自分たちは去年はインターハイに行けなかったのだと思う。だからこそ、ここで陵南がワンマンチームに負けていては話にならない。勝ってこそ陵南は真に強いチームになったと自信を持って言えるというものだ。

 ふぅ、と田岡が息を吐く音が聞こえた。

「森重をファウルトラブルにはめる……。というのも有効だが、怪我のリスクが伴う。万に一つ、怪我でもすれば明日の決勝に響いてしまう。今日が決勝ならその限りではなかったが……」

 腕組みをして、田岡は真っ直ぐに選手達を見つめた。

「後半……、オールコートを続けられるか?」

 ピクッ、と選手達の顔が撓り、真っ先に頷いたのは越野だった。

「もちろんです! 最後まで、全力で走りきって、そして勝ちます! なあ?」

「おう!」

 植草達が力強く答え、ニコッと仙道も笑った。

「よし。後半、プレスは1-2-1-1で行く。仙道、お前は2列目にあがってインターセプトを狙え。ボールをフロントまで運ばせるな。──走り合いなら、ウチは負けん。絶対にだ」

「はい!」

 走り合いなら負けない。という自信は陵南の全員が持っていた。現に、ハーフタイムに入る前から既に名朋ファイブは息があがっていた。対するこちらはまだまだ走れる余力がある。

 オールコートプレスは仕掛ける方も辛いが、仕掛けられる方こそ対応に追われて消耗するものだ。ガードが特に強いわけでもない名朋は、全員でプレス突破に参加せざるを得ず、対応できなければ陵南としては一気に突き放せるチャンスでもある。

 

「おおお、両チーム出てきたぞー!」

「陵南ー!!」

「名朋ーーー!!!」

 

 後半開始──。

 ジャンプボールに勝った森重の弾いたボールが名朋バックコートに流れ、慌てて名朋ガード陣がボールを取りに走った。

 そこで、どよっ、と観客席がどよめいた。

 

「おおお、ゾーンプレス!」

「陵南、まだオールコートで走る気だ!」

 

 仕掛けられた側の名朋ポイントガードはギョッと目を見開いた。なぜなら、プレスのフォーメーションが前半と変わっていたからだ。

 ダブルチームで来ない。──これは罠だ。と分かっていても、視界の端に逆サイドに駆けてくるセカンドガードが映った。パスを貰うためだ。分かっている。そうしなければ、フロントコートにすら運べない。が──。

 

「インターセプトッ!」

「高さの利が出たッ!」

 

 190センチの仙道がゾーンの2列目に来たことで名朋は高さに対応するバランスが大幅に狂い、簡単にパスカットを許してしまう結果となった。

 仙道はというと、そのままボールを保持して一直線に切れ込み後半開始早々に見事なダンクをゴールに叩き込んだ。

 

「うおおお、仙道! やってくれたあ!」

「すっげーダンク! 仙道、全開だッ!!」

 

 そうして息つく間もなくオールコートプレスを展開する様を目の前で見せつけられ、海南陣営はゴクリと息を呑んでいた。

「まだオールコートやるつもりか……陵南の奴ら……」

「でも、仙道……ちょっと息が上がってるな」

「そりゃそっすよ。つーか、名朋がバテバテじゃないっすかそもそも」

 立ち上がりのプレッシャーからか、連続であっさりとボールを奪われて肩で息をする名朋ガード陣を見て清田は眉を寄せつつ、しかし、と息を吐く。

「ウチみたいにゾーンプレス対策をみっちりやってるチームにゃ、あんなコケ脅しは通用しないっすけどね!」

「うーん……、たぶん陵南もウチとあたったらあんなにしつこくプレス仕掛けてこないと思うけどな」

 お互いの手の内ある程度バレてるし、と神が続けてグッと清田は言葉に詰まる。

 うむ、と高頭も唸った。

「前半のプレスは布石、だろうな。名朋の体力を奪ったところで、後半の試合開始早々に一気に畳みかけるように仕掛ける。やられる側だと思ってみろ。仙道がインターセプトして切れ込んでくるんだぞ」

「…………そりゃ、イヤッすね……確かに」

 言われて想像してみた清田はうっすらと額に冷や汗をかいた。同じくガードの小菅も頬を引きつらせている。

 高頭はなお続けた。

「名朋のガード陣は明らかに前半で消耗している。このままプレスを突破出来なければ、フロントコートにボールを運べないまま終了だ」

「前半みたいに遮二無二シュートすらさせて貰えてないっすね。仮に仙道さんを免れても、後ろに福田さんや菅平もいますし……。名朋は190センチ台が他にいねえ」

「陵南、いいディフェンスだな。鍛え抜いてきているのが良く分かる。この連携は……本当に驚異だと思うよ。実際、予選決勝の最後の方はウチも本当に危なかったからね」

「確かに。マンツーしか脳がない湘北とはかなりの差があるっすね。カカカカカ!!」

 笑う清田に神は肩を竦め、ヤレヤレ、と高頭も肩を竦めた。

「しかし、清田の言うことも一理あるな。去年の湘北は型にハマった時は恐ろしく強かったが……、そう都合良くぴしゃりとハマることは滅多にない。結局、バスケットとはチームプレイだ。田岡先輩は、高校バスケに必要なことをきっちり教え込んでいる」

「出来不出来の差に波があるオフェンスと違って、ディフェンスは触れ幅が狭いですからね。やはり……ディフェンスのいいチームは強い」

「つまり、この清田のような選手は強い、ってことっすか?」

 意気込んで自身を指さした清田に神は言葉に詰まり、突っ込もうと口を開いた小菅は一瞬の逡巡のあとに口を閉じた。高頭ですら小さくため息を吐き、一人清田は悦に入って笑みを漏らす。

 その先で、陵南は後半開始早々に既に10点以上の数字を積み重ねていた。いまだ名朋はゴールすら出来ていない。

 

「こうなってくると……名朋は苦しいな。陵南は完全にハーフタイムで重苦しい空気を吹き飛ばした」

「名朋の足が止まってる分、トライアングル・オフェンスを出すまでもないみたいだしね……。でも、こんなに走りっぱなしで決勝に進んだとして大丈夫なのかな」

「アイツら体力だけはあるからな。それにプレスも破られておらず、オフェンスのフォーメーションも破られてない。怖いのは森重だけという余裕もある。ここは一気に畳みかけて勝負を決めるべきところだ」

 

 観客席の後ろで紳一とつかさがそんな話を繰り広げる中、諸星は一人手に汗握って試合の行方を見ていた。

 陵南の選手達一人一人が試合に100%集中している。苦しいはずのオールコートディフェンスでも、決して足を止めずに走って攻めている。

 初出場でベスト4、という舞い上がりそうな舞台だというのにあの落ち着き。

「アイツら……!」

 まるで、陵南というチームの強さを見せつけるようなプレイだ。──仙道のワンマンチームなんかじゃない。と訴えかけているような動きに、目頭の熱くなった諸星はグイッと目元を手で拭った。

 

「うおおおお!! いいぞいいぞ陵南!!! いいぞいいぞお前ら!!! 頑張るんだあああ!!」

 

 愛知の星の叫びに、追いつめられていく名朋に同情さえ覚えていたギャラリーがハッとしたように呼応した。

 コートに立っているのは、相手を一方的に追いつめて楽しんでいる選手達ではない。最後まで走りきるのだと必死で汗を流して戦っている、純粋なプレイヤーの姿だ。

 いつしか、そんな選手達に観客は熱い拍手を贈っていた。

 

「走れえええ! 陵南! ファイトーー!!」

「陵南! 陵南! 陵南! 陵南!」

 

 わき起こった陵南コールに、陵南ベンチがざわついた。

「か、監督……これは……」

 彦一が驚愕の声をあげるなかで、グッと田岡も拳を握りしめた。──勝てる、と思ってはいけない。これは全国の舞台。ましてや陵南はただの無名校である。が、それを一番理解しているのは、きっとコート上の5人だ。彼らの中には、既に15点以上リードしているという意識など一切ないに違いない。

 

「頑張れ名朋! 一本、まず一本突破するんだあ!」

 

 かけ声虚しく、名朋ガード陣は陵南のプレッシャーの前にもはや為す術がない。

 たまらずベンチから3、4番のフォワード陣も下がれと指示が出て、彼らはヘルプに向かう──。が、陵南はあっという間に福田も下がってきて陣形を2-2に変え、名朋が僅かな怯みを晒した隙にヒョイと植草がスティールしてボールを奪った。

 

「カウンターだ、福田、走れッ!」

「おう!」

 

 もはや体力のない名朋に速攻を追う力はなく──、植草-福田のアリウープが見事に決まってついに点差は20点となった。

 そこでようやく、田岡はオールコートを解く指示を出した。

 怒濤のような5分間が過ぎ──陵南はディフェンスをマンツーに変えて、オフェンスは時間たっぷり使って取っていくローペースに切り替えた。

 まさに変幻自在とも言うべき陵南カラーを見せつけるような波状攻撃であり、そして、既に気力さえ限界に来ていた名朋ガード陣は潰されかかっており。例えずば抜けた選手が一人いたとしても他を機能させなければゲームは成り立たないという、「戦わずして勝つ」田岡作戦がボディブローのようにゲーム全体に効き始めていた。

 スコアはスロー展開のまま72-53。後半残り1分を切ったところで既に陵南ベンチは沸き立っていた。

 陵南、最後の攻撃──。

 

「越野ーーー!! お前もシューティングガードの端くれなら、スリー決めて75にしろー!!」

 

 愛知の星からのそんな声が飛び──、会場全体がボールの渡った越野の動向に注目した。

 視線の集中砲火を浴びた越野は、マジかよおい、と頬を引きつらせる。──仙道にパスするか? いや、それをやったら諸星に殺されかねない。植草に託すか? あああ、逃げられない。

 

 空気を読んで福田でさえもパスをよこせとは言わず──、フラフラの相手ガードを振り切ってフリーになった越野は、しかしスリーではなくミドルレンジからシュートを放った。

 生死がかかっていると言っても過言ではないそのシュートは見事にリングを貫き、ホッと越野は胸を撫で下ろす。

 そうしてディフェンスに戻ったところで既に10秒を切っており、陵南ベンチはカウントダウンを始めていた。

 

「5,4,3,2,1──!!」

「決勝や! 決勝進出やーーー!!」

 

 ブザーの音を聞いた瞬間、越野と植草はその場にへたり込み、仙道は天井を見上げて、フー、と息を吐いた。

 

「しんどかった……」

 

 海南陣営は思わぬ大差での陵南勝利に舌を巻いていた。

「陵南、強し」

「ウチも負けてられないね」

 ゴクッ、と息を呑んだ清田に神がそんな風に言って、ハッと清田は我に返った。

「そ、そうっすよ! 決勝は神奈川対決っすね! そして今年こそウチが全国優勝! ねー、神さん!」

「もちろん、そのつもりだよ」

 ニ、と穏やかに笑った神を見て、清田は改めて思った。やっぱり神さんもむちゃくちゃカッコイイ、と。

 ──仙道さん、明日はぜってー負けませんから! と、ベンチで汗を拭っている仙道を横目で見やってからコートに入る。

 一方の高頭は、腕を組んだままジッと陵南ベンチを見つめていた。そうこうしているうちに田岡が選手達を引き連れてこちらにやってきて、目があった高頭と田岡はバチッと火花を散らし合った。

 

「先に決勝で待ってるぞ、高頭よ」

「望むところです、田岡先輩」

 

 ──なにせ博多のことは全く調べとらんからな。と、田岡はニヤリと笑いつつ内心冷や汗を流していた。

 万に一つ、明日の相手が博多商大附属となってしまったら。──まあそれはその時考えるか、と先送りしつつ控え室に戻ると真っ先に選手達を讃えた。

「よく走った! 良いプレイだったぞ! このチームで……ついに決勝までやってきた……! このチームは……オレの誇りだ……!」

「ちょ、ちょっと……、まだはやいですよ、先生」

 冷静に誉めるつもりがついつい涙腺が緩んでしまい、仙道からそんな突っ込みが入って選手達は笑い転げた。とたん、田岡はうろたえて怒鳴りつける。

「バ、バカモン! 笑うヤツがあるか!」

「ま、まあまあ監督、みなさん疲れてはりますから、休ませてあげてくださいよ」

「何様だお前は、彦一!」

 口を挟んできた彦一にげんこつを飛ばし、コホン、と咳払いをする。

「と、とにかく。みんな良くやった! ──明日はいよいよ最後だ。そして最後の挑戦だ。必ず、みんなで最高の結果を陵南に持ち帰ろう」

「──はい!」

 そうして着替えて気持ちを切り替えると、陵南勢は次の海南・博多商戦を観戦すべく観客席へあがった。が、満員御礼状態でなかなか席が見あたらない。

 

「あ……!」

「お、陵南」

 

 同じく立っていたつかさと紳一が足音に振り返ると、見知った陵南ジャージに身を包んだ集団がフラフラと歩いていて二人して陵南勢に向き直って視線を送った。するとさすがに陵南側も気づいて「あ」「海南」「牧さん」と口々に反応を見せている。

 まず真っ先に声を弾ませたのはつかさだ。

「仙道くん! 決勝進出、おめでとう」

 つかさは仙道の方に歩み寄って、さっそく決勝進出を讃えた。おう、と笑って応えた仙道をつかさは少しだけ案じるように見上げる。

「試合の3分の2くらいオールコートだったでしょ……。1-2-1-1プレスの時もカウンターばっかりしてたし……。大丈夫?」

 オールコートプレスは見た目の何倍も体力消耗が激しいうえになによりきついものだ。疲れてないか、と含ませると「んー」と仙道は首に手をやって視線を泳がせた。

「そういや、ちょっと疲れてるかもな……」

「そっか……。明日に響かないといいけど」

「つかさちゃん、癒してくれる?」

「え……」

 どうやって? と眉を少々寄せると、ニ、と笑った仙道は両手を伸ばしてスポッとつかさの身体を両手で抱きしめた。

 瞬間、陵南陣はおろか紳一の顔が般若のごとく固まった。

「ちょ、ちょっと……」

「んー……、これで疲れとれそうだ」

 おそらくは勝利後の昂揚もあったのだろう。ただじゃれているだけの仙道だったが──、直後、肩に重いプレッシャーを感じて顔を上げると、神奈川の帝王・牧紳一の引きつった顔が彼の眼前に広がっていた。

「仙道……貴様ひとの妹に触んじゃねえ……!」

「え……、あ、いや、その、お義兄さん……」

「誰がお義兄さんだ、誰が!!」

 彼らの周りを囲っていた陵南陣は明らかに全員顔が強ばっており、そっと仙道から離れたつかさは逃げ場を求めて無意識に観客席を見やった。すると騒ぎに振り返った諸星がこちらに気づき、席を立って駆け上がってきた。

「よう! さっきの試合はよくやったな、お前たち!」

 その声に全員が救われたのは言うまでもない。

「諸星さん……!」

「諸星さん!」

 諸星は満足げにニカッと笑って陵南勢を褒め称えた。

「越野、お前、ちゃんとシューティングガードらしくなってるじゃねえか! 特に二回戦の時はなかなかだったぜ! 今日もラストはちゃんと決めたしな」

「え、諸星さん、二回戦も見てくれてたんですか?」

「当然! 全部見てたぜ。冬から見違えるようなチームになってまあ……、福田もけっこうディフェンス上手くなったじゃねえか! 今度またオレと勝負しようぜ!」

「──ッ!」

 ピクッ、と福田の頬が撓り、そしてフルフルと歓喜に震え出す。

 諸星は笑顔で明るく全員を褒め称え、仙道にも視線を送って、ニ、と笑った。

「明日が本番だな。なあ仙道?」

「そうですね……」

「次こそ海南に負けんじゃねえぞ」

「まだ海南が相手って決まってないですよ」

 仙道も久々に聞く諸星の声に自然と笑みを浮かべていた。──あっさりととんでもないことを要求してくる。でも、これが当然のように自然で、いかにも諸星らしい。 

 そんな彼らの様子に、ヤレヤレ、と肩を落としたのは紳一だ。

「たく、オレの前でなにが”海南に負けんじゃねえ”だ……」

「お、牧じゃねえか。いたのか、お前」

「……ワザとだな……?」

 プルプルと紳一は拳を震わせた。が、紳一がどう足掻いても今ばかりはアウェイな状態に為す術もない。

 しかし──、ここは愛知県。諸星がいて、さらにこんな目立つ集団がいては、自然と人の目が集まってくる。

 

「諸星だ……」

「おい、牧だぞ、海南の牧紳一だ……!」

 

 先ほどああも大健闘をした陵南の前だというのに、それをさしおいて諸星。さすがにスター選手だな、と誰しもが思わざるを得ない。

 つかさもむろん、これでこそ愛知、などと思っていると──あ、とギャラリーの誰かが声をあげた。

 

「牧……! おいおい、牧つかさもいるぞ!」

「おお、牧か……!? ダブル牧!」

「愛知の3エースが揃ってるぞ! 何年ぶりだ!?」

 

 う、とつかさは言葉を詰めた。

 3人一緒にいて目立つ、などということはここ最近なかったことだが、そういえばこうして敵味方関係なく3人で試合会場にいるのは久しぶりだ。

 陵南勢がぽかんとする中、仙道はというと。少し居心地の悪そうなつかさを目の端に留め、そして心底嬉しそうな顔をする諸星をジッと見つめていた。その先で諸星は、ニッ、と笑い、つかさを紳一に押しあてるようにして自身はつかさの腕を掴んで観衆に白い歯を見せた。

 

「愛知三銃士、健在!!」

「やめろバカッ、なに考えてんだッ!」

 

 そうして紳一が狼狽え、観衆から笑いを誘っている。が、ちらちらと光るフラッシュを受けながらなお嬉しそうな諸星を見て──、仙道はなお「つかさは今も自分たちのエース」と言い放った諸星の気持ちがそこにあることを悟った。愛知の星と呼ばれてなお、自分が騒がれるよりも誰かがつかさを覚えていてることのほうが嬉しいのだ。

 ──まいったな、と一人呟く。

 やはり諸星の中に居るのは、共にコートを駆けた時のつかさなのだろう。速攻で真っ先に駆け、頼もしく味方をリードするエースフォワード。ガードの彼が見ていたのは、そんな彼女の背中なのだ。

「愛知三銃士……、い、一応要チェックや……」

 呟く彦一の横で、仙道はつかさに向けてニコッと笑みを送った。すると、気づいたつかさが嬉しそうに笑みで応えてくれる。そしてこちらに駆け寄ってきたつかさに仙道はなお笑みを深くした。

 ──オレは、君が女の子でよかったと思ってるよ。君が望んだように、君が男で、君とライバルとして出会うのも面白かったかもしれないけど、やっぱり、こうして隣で笑っていて欲しい。

 けれど──。

 

『だってよ、誰も知らねえんだぜ? 中学の時のアイツがどんだけ強かったと思う?』

『オレや牧より、下手すりゃお前より素質あったってのに……誰もつかさを知らねえ』

 

 グッと仙道は拳を握りしめていた。

 そうして、ワッ、と会場がうねる。準決勝第2試合のスターティングメンバーがユニフォームを着てコートに入ったのだ。

 

「それではこれより準決勝第2試合、博多商大付属高校対海南大附属高校の試合を行います」

 

 両キャプテンが握手を交わし──、ジャンパーがセンターサークルにあがってくる。

「……神……」

 仙道は握っていた拳をさらに強く握りしめた。無意識に、瞳が神を追う。

 

『つかさちゃんが見てたから、ね』

『"私が出たほうがマシ"って思わせたくないな、ってさ』

 

 明日は、県予選決勝の時のようなプレイは決してしない。

 この3年間、幾度となく負け続けた海南に勝つ最後のチャンスだ。だから──、ぜったいにあがってこい。最後の勝負だ。

 瞳の中に捉えた神へ向けて、仙道は強く強く胸の内で訴えかけた。



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54話

 陵南のメンバーは準決勝の第2試合が終わるとすぐに宿に引き上げて、借りていた近くの中学の体育館に最後の確認のため向かった。

 明日に疲れを残さないために軽めの練習という指示が下り、短い時間の中で選手達は集中してフォーメーションの確認及びシュートの確認を済ませた。

 既に準決勝を勝ち上がったことは頭から消え、明日の決勝戦──海南に勝つことだけしか彼らの頭にはない。

 

「ナイッシュー! 福さん絶好調!」

 

 絶妙なバックロールターンからミドルシュートを決めた福田に彦一は声を弾ませた。そうしながらも、自身の心臓さえバクバクしている。陵南に入学した時から天才・仙道のいる陵南はいつか全国制覇をする、などと根拠もなく自信たっぷりに思っていたが、いざ眼前にそれが迫ると、これが現実なのか夢なのかどうにも実感が沸かない。

 そうしてハッとする。すっかり惚けてしまっていたからだ。いつもはぼんやりしていたら真っ先に怒鳴ってくる越野ですら今は自身の練習に集中しすぎていて声すらかけてこない。

 あかんあかん、と首を振って彦一もシュートに向かった。そうしてチラリと仙道を見やる。

「仙道さん……」

 陵南には仙道がいるのだ。だから絶対、明日は勝てるはず。精一杯、自分も応援しよう。と強く頷いた。

 

 そうしてゆっくりと大浴場で疲れを取り夕食を済ませると、選手達は各々でゆっくりと明日に備えて休息を取っていた。

 3年レギュラーの3人部屋では例によって植草がお茶を入れ、それぞれ湯飲みを手にとってくつろぎつつも全員が神妙な表情を浮かべている。

「決勝は海南、か……。リベンジするチャンスだな。今度こそオレたちが勝ってやるぜ」

 グッと湯飲みを握りしめる越野に福田も植草も小さく呟いた。それに、と植草は続ける。

「博多商が相手だったとしたら勝手が分からなかったもんな。海南は、お互い様とは言え勝手は知ってる。でも……海南は辛勝だったし良いチームだったよな、博多は」

「ああ、博多の2番は強かったぜ。清田も良く守ってたが……博多は高さに分があったからな」

 博多商大附属は長身のシューティングガードを中心に全体的に高さのあるチームだったが、清田が持ち前の運動能力で良く守り、時おり上からのシュートは許していたものの離されない程度には守りきっていた。そして速攻ではきっちり清田が走ってポイントを取り、うまく小菅がゲームをコントロールしてオフェンスをイン・アウトと的確に分散し最終的には海南が振り切った。

 突出したエースを中心とした博多に対し、海南は総合力で競り勝った結果となり実に海南らしいバスケットだったと言っていい。

 しかしながら博多の2番が健闘していたことも事実であり、福田はチラリと越野を見やった。

「外からも点が取れてスラッシャーもいける。ボールも運べるポジション。……シューティングガードは花形のはずだが……」

 そうして、ハァ、とため息を吐いたものだから、越野のコメカミがピクッ、とヒクつく。

「何が言いたいんだ、ああッ!?」

「ま、まあまあ。ウチはフォワードがしっかりしてるから、越野が切れ込んでいく必要はないし……」

 フォローなのか何なのかよく分からないフォローを植草がしてくれ、フン、と越野は腕を組んだ。

 この手の話をし出したらキリがなくなるため、グッと言い返すのを堪えたが。しかし──、と越野は思う。2番というポジションには多彩な選手がいるとはいえ、最低限求められるのは「速さ」だ。この点、あまりオフェンスに絡まない海南の清田ですら群を抜いている。さらにディフェンシブな彼は立派にポジションとして自分の2番としての地位を確立してるのだ。

 とはいえ。多彩な選手がいれど、やはり理想的なシューティングガードとは。速さ、シュートレンジの広さ、ドリブルの上手さ、圧倒的なオフェンス力。1-3番まで補助できるリーダーシップをも兼ね備えた諸星のような選手が理想的だと言えるだろう。対する自分は、比べるのもおこがましいが、まだまだ。と、最終日を目前にして後ろ向きになりそうな自分に舌打ちしつつ、そう言えば、と越野の脳裏にふとレインボーホールでの光景が蘇った。

「福田……。あの仙道の女はいったい何者なんだ?」

 つかさのことだ。紳一の妹なのだからバスケ関係者だとは想像がつくが、実のところは仙道が口説いていた女、くらいしか知らないうえに興味もない。

 ん、と福田の頬がぴくりと反応する。わずかにイヤそうな表情を浮かべた彼は、ぶすっと置いていた湯飲みを手に取った。

「エースフォワードだった、と聞いた。昔、諸星さん・牧さんと同じチームで」

「は……?」

「まあ、女にしては、強い」

 ズズッ、と緑茶をすすった福田を見て越野は思う。プライドの高い福田がこう言うとは、よほどのことがあったにちがいない。

 へー、と素直に植草が感心したような声を漏らした。

「そういえば国体ではベンチにいたよな、彼女。マネージャーしてたのか」

「……違う。コーチだ。スキルコーチ」

「コーチ──!?」

 見事に植草と越野の声が重なり、コク、と福田は頷いた。

 国体といえば神奈川のそうそうたるメンバーが集っていたはずだ。少なくともレギュラーは圧巻で、やはり前評判通りに全国を制した。

 そんな中で技術コーチ、と越野が若干おののいていると、なるほど、と植草が頷いている。

「そういう彼女だから仙道も張り切ってるのか」

 ぐっ、と越野は言葉を詰まらせてチッ、と舌打ちをした。

 福田はため息を吐いている。それはともかく、となお彼は緑茶に口をつけた。

「もし、牧つかさが継続して海南を見ているとしたら……、お前は特に注意しといたほうがいい」

 チラリと越野は福田から視線をもらい、ハッとした。清田のことを指しているのだろう。

「な、なんだよ、やっぱスパイってことか? あの女」

「それはたぶん違う」

 言葉の少ない福田の意図を察するのは越野には難しい。が、それでも言葉を発しているということはよほどに主張したかったことなのだろう。納得いかないながら、越野は改めて清田を意識した。どちらにせよ、彼も予選の時より成長しているだろうことは間違いない。

 いずれにせよ、となお植草が呟いた。

「海南は個々のレベルが高い。ここ数年は牧さんの存在感が圧倒的だったけど、今年は5人それぞれの平均値が高くまとまった歴代の海南らしいチームになってる。ウチとの最大の違いはそこだな」

 越野は黙する。海南が強いのはよく知っているし、今年の海南は特にバスケットの基本に忠実なお手本のようなチーム作りになっている。悔しいが個々の精度はあちらが上だろう。

 陵南はやはり自分たちがどう足掻いたところで仙道というプレイヤーを中心にしたチームだ。良くも悪くも仙道がいなければ陵南は成り立たない。むろんそれが悪いことだとは思わないが──。

「でも、なんか変な感じもするよな……。あの海南大附属と、明日は優勝をかけての一戦。しかも、神奈川じゃなく全国でだ」

 植草が言って、みな少しばかり黙した。

 海南大附属──、というのは神奈川出身のバスケット経験者ならば誰しもが「王者」と別格に扱う圧倒的な存在だ。それは越野を含め、この場にいる神奈川県民である全員が認めるところである。

 嫉妬とか憧れとか、そういうものを超越した「雲の上の存在」と言ってもいい。そんな相手と、ここ数年は毎年のように県での優勝を競い合い、ついには日本一をかけての一騎打ちだ。

 グッ、と越野もまた湯飲みを握りしめた。

「やっぱ、仙道だよな……。なんでアイツ、ウチに来たんだか……。明らかに場違いだったよな、入部当初」

「まあな……」

 少し唇を尖らせて言ってみると、植草も苦笑いを漏らした。

 仙道彰──、魚住が3年になる年を見据えて全国出場を果たすために田岡がスカウトしてきたらしい。「天才」だと、入部当初は先輩らが騒いでいたのをよく覚えている。

 東京の出身で、確かに「東京に凄いヤツがいる」という噂は耳にしたことはあったが、誰もその実体は知らず。初対面での越野たちの印象は「でかいな」くらいのものだった。

 けれども入部早々に中学を卒業したばかりとは思えない、いや高校生すら凌駕したような彼のプレイに誰しもが圧倒された。

 天才とはこういうものか、と。持って生まれた才能そのものが違うのだと壁を感じる一方で、当の本人は全く天才ぶらずにむしろどこか抜けていてすぐに周りに馴染んでいた。けれども掴み所がなくて飄々としていて、でも気さくで「良いヤツ」。そんな「天才」の天才ぶりを日常的に見せ付けられ、自分たちとはどうあっても違うし、自分たちと違うからこそ「天才」仙道さえいれば陵南は安泰だと勝手に思っていた。

 一方で──、ふらっと彼が部活に現れないことも多く、ルーズな性格のせいだと思っていたが案外とそうではなかったのかもしれないと今は思う。

「アイツ……。オレたちとの練習は物足りなかったんじゃねえかなってずっと思ってたんだよな」

 ボソッと越野が呟くと、植草も福田もどこか神妙な表情をした。

 そうして植草が少しだけ肩を竦める。

「仙道、諸星さんがいた時は楽しそうに……真面目にやってたもんな。緑風と合同練習してた時も。国体合宿の時もそうだったらしいし」

 ちらりと植草は同意を求めるように福田に視線を送り、越野はブスッとして机にひじを突いてあごを乗せる。

「ま、それが部活サボっていい理由にはならねーけどな! けど、オレたちにじゃどう足掻いても諸星さんやマイケルみたいにゃ仙道の相手はしてやれねえ。だいたい、あいつがスタメン取れないチームなんて日本に存在しねーだろ。そういうヤツだぜ?」

「そうだよな……。オレたちだったら、海南じゃレギュラーにすらなれたかどうか」

 さらに植草は苦笑いを漏らした。

 仙道は、やはり陵南というチームで力を持てあましていたのだと思う。

 陵南自体は仙道が入ったことで一気に県下のベスト4に躍り出た。とはいえ仙道一人がずば抜けていたところで全国に進めるほど神奈川は甘くはなく、以降の見通しも厳しいまま。それでも彼はいつも飄々として愚痴一つこぼさず、けれども彼なりにチームを何とかしようとしたのだろう。典型的なフォワードだった彼は、自分の力よりもチームの力を活かすことを最優先にしてアシストを多用するようになり、プレイスタイルを変えた。

 それは全て、彼なりに陵南を勝利に導くためだったのかもしれない。けれども、自分たちはそんな「天才」仙道の頼もしさに益々依存していくだけに終わった。それが去年の予選敗退という結果に繋がってしまったのだろう。

 仙道がどれほど天才なのか、どれほど才能を持ったバスケット選手なのか、誰よりも知っているのは自分たち陵南の選手だ。だというのに、そんな彼は未だに無冠の帝王である。

 陵南の誰もが彼は全国トップを誇る選手だと知りながら──最後の大会でさえ神奈川ナンバー1の座を獲らせてやることさえ出来なかった。

 海南の神に目の前でMVPを獲られ、おそらくは悔しかったに違いない仙道の背中を思い出して越野は言った。

「ここまで来れたことは、やっぱ仙道のおかげだ。仙道がいてこその陵南だ。オレはやっぱ、アイツを勝たせてやりてえ! この陵南で、アイツを勝たせてーんだ!」

 机についた拳を握りしめて越野が唸るように言うと、植草も福田も小さく頷いた。

 明日がその最後のチャンスになる。このメンバーで優勝を飾って、自分たちと同じチームで良かった、と、仙道にも心からそう感じて欲しい。決して本音を語らない彼だからこそ、この陵南で無冠のまま終わらせるのはあまりに忍びない。

 ──強くそう思ったところで、プイッ、と越野はそっぽを向いてしかめっ面をする。

「まあ、仙道本人は彼女のために頑張ってるだけかもしんねーけどな」

 不満げな声を受けて植草は小さく笑い声をたてた。

「いいんじゃない。例えそうでも、好きなこのために頑張るなんて仙道も意外と普通なんだってことでさ」

「結果が伴ってれば、なんでもいい」

 横で福田がボソッと呟き、チッ、と越野は舌を打った。

 仙道の本心なんて考えたところで分かるわけがない。だが、仙道がいつも黙ってチームを背負ってくれていたことは知っている。イヤな顔一つせず、誰も責めず、泣き言も言わずに。

 もしも彼が傲慢なだけのワンマンプレイヤーだったとしたら、そんなことはしなかっただろう。

 仙道がいたから、県下ベスト4常連の強豪になれた。仙道がいたから、インターハイに出られた。仙道がいたから──インターハイという夢のような大舞台で決勝まで来られたのだ。

 陵南にやってきた「天才」を無冠のままで終わらせたくない。それはみなの心にあるものだ。

 静かに、だが力強く決意を秘めた瞳で越野は植草と福田を見やる。二人もまた同じようにその視線に応えた。

 

「明日……、絶対、勝ってやろうぜ」

「おう」

「おう」

 

 その頃、監督である田岡は一人部屋で黙々と明日の対策を考えていた。

 明日の対戦相手が海南であることは、陵南にとってはプラスとみていい。むろん、博多商が出てきたら出てきたで仕方のないことではあったが──「全国大会の決勝」という想像を絶する舞台に対し、下手すれば監督である自分が一番緊張していると冷静に自分を見つめていて思う。

 海南は去年、同じ決勝の舞台にキャプテンの神をはじめガードの清田がスタメンとして出ている。この「経験」の差は思いの外大きいはずだ。

 陵南は全てが初体験。そんな中で、「神奈川同士」というカードは「初体験」の緊張を緩和してくれるいい材料になる。

 選手に言うべきことは決まっている。──神奈川での決勝戦のリベンジだと思え、と。

 優勝して全国一など気負う必要はない。ずっと負け続けてきた海南にこうして最後に挑むチャンスが与えられた。そう考えればいいのだ。選手達にしても、リベンジの意志をパワーに変えられる。

 逆に海南は、最後の最後で陵南に挑まれるという境遇をプレッシャーに感じてくれるとありがたいのだが。と思う田岡の脳裏に、ポン、と宿敵・高頭の姿が浮かんで低く唸る。

 自分の現役時代の青春は、忌々しいことに常に高頭の存在があった。

 一学年下の彼とのシーソーゲームに未だ決着が付かないまま、彼は栄光の監督生活を送り、自分はまだ一度も彼に勝てていない。

 だが──自分は最高のチャンスを掴めたと感じている。なぜなら自分の人生において、もう二度と現れはしないだろうと目したほど惚れ込んだ素材であった仙道が陵南に来てくれたからだ。

 「生徒」としては手の焼ける劣等生でもあったが、彼のバスケットの才能は本物だ。そしてその仙道が3年となり、福田や越野たちをはじめ陵南バスケ部はそんな仙道を中心に驚くほど力をつけて最高のチームが出来上がった。

 みな、厳しいしごきによく耐えてついてきてくれた。

 今度こそウチがナンバー1になっていいはずだ。──と、田岡はもう一度はじめから今日の海南・博多戦のビデオを再生して目線を鋭くした。



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55話

 ──大会、最終日。

 アリーナが観客で埋まる。

 特に撮影班は神奈川の地元記者が多数駆けつけ、類を見ない「神奈川同士の決勝」に昂揚していた。

 生放送のTV放映も入り、試合開始が迫ってスタッフ達は機材の最終チェックに入っている。

 

 海南の選手達は決勝の相手が既に幾度も対戦している陵南であることに少しの安堵感と、神奈川同士という妙な連帯感と、今年こそ優勝しなければという使命感の混ざったある種の特殊な精神状態にいた。

 とはいえ、これは「全国大会」の決勝である。少なくとも「神奈川王者防衛」のかかった県大会決勝のほうがよほどプレッシャーを感じていたことは確かだ。その分、今日は程良く力も抜けたいい精神状態である。

 しかしながら選手達と違って遙かにそわそわしていたのは高頭だ。

「監督……、動きが妙じゃないか?」

「田岡監督との因縁の対決、しかも決勝だからね……。年期が入ってる分、オレたちよりいろいろと思うところもあるんじゃないかな」

 コソコソと話す小菅と神の横で、清田はフーと息を吐きながら愛用のヘアバンドを頭に装着していた。勝手知ったる相手だけに妙に緊張する。

 バサッ、と勢いよく高頭が愛用の扇子を開いた。

 

「いいか、お前たち。決勝の相手は陵南──こちらの戦力も熟知していて戦いにくい相手ではあるだろう。だが、それは相手も同じだ。いつも通り、海南のバスケットをやってこい。そして今年こそ海南が真の王者になる年だ」

「──おう!」

 

 陵南の控え室もまたいつもの試合前とは違う雰囲気に包まれていた。

 全国大会の決勝が宿敵・海南。陵南としてはインターハイ出場が決まってトーナメント表が出た瞬間から描いていた青写真通りの展開だ。──準備してきた舞台、ということが全国大会の決勝という未知の存在への不安を和らげてくれていた。

 しかしながら──、メンバー達はそれぞれがチラリとキャプテンの仙道を見て黙する。

 話しかければいつも通り、にこやかに応えてくれる仙道ではあるものの明らかに雰囲気が違う。言うなれば、話しかけにくい。

 ──予選での敗退から仙道が胸に誓っていたことは打倒・海南だったに違いない。

 去年は紳一に破れ、今年は神にも破れた。仙道の意気込みがどれほどのものか計り知れないだけに余計に選手達は圧倒され、また、浮つきそうな精神を落ち着かせ高めてくれる材料ともなっていた。

 

 一方の諸星、つかさ、紳一の3人は両陣営のベンチのちょうど真ん中・最前列に席を確保していた。

 諸星は唐沢が最終戦のTV解説に行っているため3人合わせて席を取ったわけだが──、自分と紳一に挟まれているつかさをチラリと見て、むー、と唇を引く。

「つかさ……」

 声をかけたと同時にワッと怒声にも似た観客のうなりが諸星の声を掻き消した。両陣営が姿を現したのだ。

 つかさの視線が陵南へ行き、紳一の視線は当然のように海南に向かったのを見て「やっぱりな」と諸星はスクッと立ち上がった。

「つかさ、席、かわれ」

「え……?」

「お前がこっち。オレが牧の隣に座る」

 え、と瞬きをしたつかさの手を引いてやや強引に席をかわらせ、ドカッと腰を下ろして諸星は腕組みをした。そして不敵な視線を隣の紳一に送る。

「ここはちょうどエネミーラインだからな」

「は……?」

「つーわけで、オレたちで目一杯陵南を応援するぞ!」

 そうしてつかさに視線を送ると、ムッとしたように紳一が絡んでくる。

「なにを言ってるんだお前は、つかさは海南の生徒だぞ。いくら仙道がいるとはいえ──」

 そんな紳一の言葉をみなまで言わせず、諸星は遮る。

「うるせーこの裏切り者が! テメーのプレッシャーのせいでつかさが陵南応援できねえだろーが、バスケ捨てて波に乗ってる軟弱ヤロウのくせしやがって!」

「なんだとッ!?」

「なんだよ!」

 試合前のこのようなやりとりはお約束。とはいえかつてないほど火花を散らして睨み合いつつ、フイッ、とお互いそっぽを向く。

 困惑している様子のつかさを諸星はチラリと横目で見やった。いつもいつも、海南と愛和が試合をするときはつかさは自分と紳一の両方に声援を送りつつもやはり海南の制服を着ていた。それがこのインターハイを通して彼女は一貫して制服を着ていない。ということは、そういうことなのだ。

 紳一の性格上それを面白く思うわけもなく、いろいろ揉めたのだろうということは容易に予想できる。

 それに対戦相手が海南という中で敵チームを応援するのは真面目なつかさにも罪悪感は少なからずあるだろう。

「つかさ、お前は堂々と仙道を応援してろ。誰に遠慮することはねえ」

「大ちゃん……」

 ニッ、と笑ってみせると、つかさは少しホッとしたような顔をして小さく頷いた。横で苛立っている紳一の気配を感じつつやはり席替えは正解だったと思う。

 

「それではこれより高校総体バスケットボール選手権、男子決勝の開始に先立ちまして両校の選手および監督の紹介を行います」

 

 アリーナにアナウンスが響き渡り、会場の緊張感が増した。

 報道席がカメラを構え一斉に視線がベンチ側へと向けられる。

 

「オフィシャル席に向かって左側、白のユニフォーム・海南大附属高校スターティングファイブを紹介します。4番──神宗一郎さん」

 

 ワッ、と会場が沸き、「常勝」の垂れ幕を下げる海南陣営のいつもより大きなキャプテンコールに彩られながら神はベンチメンバーとタッチをし、審判と握手を交わしてから陵南ベンチの田岡とも握手をして頭をさげた。

 そうして一人でコート中央に向かう神につかさも諸星も拍手を贈る。一斉にフラッシュがコートに一人佇む神に向けられ、諸星も感心したように頷いた。

 

「神もすっかり海南のキャプテンらしくなったな……。あれが本来の海南の姿だな。まさに」

「オイ……!」

 

 紳一は歴代の中でも特殊なタイプだっただけに素直な諸星の感想だったが、すかさず紳一は突っ込みつつ次いで出てきた小菅や清田たちの姿を見守った。みな決勝の舞台は2回目で相手が陵南という見知ったチームのためかガチガチでもなくいい顔をしている。

 

「このチームの指揮を執りますのは、高頭力コーチです」

 

 そうして高頭が会場に頭を下げて、アナウンスは陵南サイドへと移る。

 

「続きましてオフィシャル席に向かって右側、青のユニフォーム・陵南高校スターティングファイブを紹介します。4番──仙道彰さん」

 

 瞬間──、会場はまさに県大会決勝を彷彿とさせるような割れんばかりの声援に包まれた。

 

「仙道ーー!!!」

「仙道さああああん!!」

「今日も期待してるぞ、頑張れよーー!!」

 

 さしもの諸星も「おお」とおののく。

 

「すげえ人気……。国体の時も凄かったが、パワーアップしてんな」

 

 その視線の先の仙道は、諸星自身が対戦した国体の準決勝の時よりも数倍引き締まった表情をしていた。

 審判と握手をした仙道は最後に高頭の元へ行き、手を取って頭を下げる。

 

「よろしくお願いします」

 

 視線を受けた高頭はいつもの仙道らしからぬ並々ならぬ気迫を感じた。これは──仙道だけにより警戒してかからないと、と気を引き締め直す中で、植草、越野と順々に選手達が紹介され高頭にとってはもっとも気合いのこもる一瞬がやってきた。

 

「このチームの指揮を執りますのは、田岡茂一コーチです」

 

 アナウンスが響いて陵南陣営がワッと沸き、田岡がやや緊張気味に丁寧に頭をさげる。

 が──田岡先輩、緊張してるな。などと見やる高頭に挨拶をし終えた後の田岡がギロリと強い視線を送ってきた。

 それが合図となり、ツカツカと二人は歩み寄ってオフィシャル席の前でガシッと手をつかみ合った。

 

「よろしくお願いします、田岡先輩」

「ああ。だが、今日こそオレが勝つ」

 

 思い出すだけで気の遠くなりそうな25年ほどのライバル関係。このような睨み合いは既に慣れたものだが、全国大会の決勝で互いに戦えるというのは田岡にしても高頭にしても格別に感慨深い。

 もしや今日は選手達ではなく、自分たちの長きに渡る戦いの最終ラウンドなのでは? という錯覚さえ覚えてくる。

 そんな二人の様子に会場はどよっとどよめき、ワケを知っている両チームのベンチもコート上の選手達も苦笑いを浮かべるしかなかった。

 

「監督たち気合い十分っすねやっぱり」

「因縁の対決だからな」

 

 リラックスした様子でそんなことを言っている目の前の神や清田に仙道は少々出鼻を挫かれていた。絶対に負けられん。──そんな思いで自分は臨んだというのに。だが神らしいといえば神らしい、が。それにしても、と少し目線を鋭くしていると観客席から大声が割って入ってきた。

 

「仙道ーー!! 今日こそ海南に勝てよ! ぜってーだぞ!」

「神! 清田! 頼んだぞ!!」

 

 う、とその場にいた全員が言葉を詰まらせた。

 見るまでもなく諸星と紳一の声だ。自然とみな声のした方を向き──神は腰に手を当てて苦笑いを浮かべた。

「諸星さんは陵南サイドか……。つかさちゃんも陵南側みたいだね、1対2だよ牧さん」

「え、なんでつかささんが陵南サイドなんすか……!?」

 清田が大げさに頭を抱える横で神はさらりとそんな風に言い、仙道も応援席を見やった。エキサイトしている二人の隣で気まずげにしているつかさと目が合うと、ふ、と彼女は小さく笑ってくれた。

「牧さーーん! この清田信長にばっちり任せておいてください! 必ず海南を優勝に導きます!」

 清田の叫びを聞きつつ仙道は少しホッとした。ガチガチだった緊張が少し緩んだと言ってもいい。なぜだろう? 今日は彼女が自分を応援してくれているからか、それとも──神があまり彼女を気にしてない様子だからか。

「ま、どのみち下手なプレイはできないな。あの3人に見張られてたんじゃな」

「そっすね」

 ぼんやりと考えるそばで神がそんなことを言っていて、仙道はハッと意識を戻した。

 そうだ。神の言うとおりだ。──今日が最初で最後のチャンス。ここで今日、勝てなければ自分はただの大馬鹿者になるだけだ。「頑張ったから、それでいい」とはきっと言えない。諸星にも、つかさにも、そして自分のバスケットに捧げた今までの人生に対してすらけじめの一つもつけられない情けない男で終わるだろう。

 今日で自分の一つの人生が終わる。その最後の舞台で対戦相手が海南大附属、神宗一郎。自分がもっとも畏れた男が相手だ。──これ以上の舞台はきっとない。

「……神……」

 試合時間が迫り、ふと仙道は口を開いて神を呼んだ。ん? といつものように神がこちらに視線を向ける。

「これが、オレたちの最後の試合だ」

「最後……?」

 呟いた神がハッとする。察しのいい神のことだ。今日で自分が引退を決めていることを悟ったのだろう。

「オレは、お前にはぜったい負けん。今日こそな」

「仙道……」

 少し目を見開いた神は、なぜか口元を嬉しそうに緩めて瞳を閉じた。そうして目を開けた次にはいつもの引き締まった「海南の部長」の顔をして手を差し出してきた。

「ああ。──いい試合にしよう」

 仙道も、ふ、と口元を緩めてその手を取り握手を交わした。

 

 ──試合開始の火ぶたが切って落とされる。

 まさに最後の激戦が、いま始まろうとしていた。



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56話

 陵南VS海南。全国大会決勝。

 陵南は序盤、準決勝の名朋戦で見せたような積極的なオールコートプレスは出さずにオーソドックスなハーフコートディフェンスで守っていた。

 海南の攻撃──、陵南のディフェンスを見据えて諸星が呟く。

「陵南はトライアングル・ツーで守るつもりだな。得意のゾーンを小さくして小菅と神を徹底マーク、か……」

「仙道くんが神くんにマンツー……」

「まあ当然だな。身長も似たり寄ったりだし、そもそもアイツらフォワード同士だろ。とはいえ、こりゃ神のヤツにとっちゃ相当きついぞ、仙道を振りきってシュートにしろカットインにしろ容易くできるもんじゃない」

「でもゾーンが小さい分、けっこう隙も生まれやすいんじゃないかな。陵南は県の決勝でも海南にトライアングル・ツーを使ってたしね」

「ま、仮に清田が切れ込んでくるにしても、ヤツは身長があるわけじゃねえからな。ゾーンが乱されたらすぐにマンツーに切り替えるか、仙道がヘルプにいくだろ」

「でも、それってけっこう大変じゃないかな……」

「いや、それくらい陵南はチームとしてよく訓練されてる。オレが鍛えにいった冬ですら連携に関しちゃかなりのモンだったんだ。個々の技術がだいぶん追いついてきた今、陵南は強い」

 ニ、と諸星が笑い、つかさは息を呑んでコートを見下ろした。

 陵南の策は、海南のキーマンであるポイントガードの小菅とキャプテンの神にフェイスガードでプレッシャーをかけるということだ。

 とはいえ。仙道が付いている神はともかくも、小菅は小菅自身に付いている植草よりも身長でアドバンテージがある。何より小菅自身に得点力があり、ゲームメイクも優れている海南の司令塔だ。おそらくは神が使えないとなれば、インサイドのポストプレイを中心に試合を組み立ててくるに違いない。

 

「清田ッ!」

 

 小菅が清田にパスを回し、清田がミドルポストにいた鈴木に鋭いパスを通した。

 瞬間、あ、とつかさにしても諸星にしても息を呑んだ。鈴木がペネトレイトを仕掛けたのだ。

 やばい──、と鋭い切れ込みにつかさが口元を押さえた直後。その行動を読んでいたのか、仙道がすぐさまヘルプに入ってシュートブロックして会場がどよめいた。

 

「うおおお、仙道がブロックだ!」

「はえええ、さすが守りも厚い!」

 

 紳一が苦虫を噛み潰したような顔をする横で、おお、と諸星が唸る。

「さすがに仙道、巧いな!」

 攻撃が陵南に移り、海南はゾーンディフェンス。相変わらず速攻を出させない速い戻りを見せた海南に対して、植草は冷静にボールを運んでいる。そうして彼は左右ウィングにあがった仙道と越野に指で指示を出した。

 瞬間、福田がミドルポストで手を挙げた。すぐさま植草がパスを出し、跳び上がった福田は受け取って両足で着地する。と、同時にターンアラウンドをかけ、仙道の方へパスモーションを出した。すれば当然、仙道がインサイドへ切れ込んできてディフェンスがチェックに入る。

 が。福田は仙道ではなく、福田自身の背後にいた越野へとパスを出した。

 

「あっ……!!」

 

 しまった。と海南の全員が思うも、素早く清田が越野のチェックに走る。が。越野はシュートするでもドリブルするでもなく、ローポストへと縫うように低いパスを出した。

 

「──え!?」

「あ……ッ!」

 

 この越野のパスには観客もどよめいた。

 ゴール下にはタイミングを見計らったようにセンターの菅平が切れ込んでおり、パスを受け取った菅平はそのままローポストからのベビーフックを見事に決めた。

 ワッ、と更に度肝を抜かれた観客が沸く。

 

「うおおお、魅せてくれるぜ!」

「陵南マジック!!」

「すげええええええ!!」

 

 まさに計算され尽くしたオフェンスに、観客は賞賛の歓声を送った。

 初出場である陵南であったが、この最も陵南らしいチームプレイを準決勝で披露した彼らは一気に大会を代表するほどの人気チームと相成っていたのだ。

 おお、と諸星も感嘆の息を漏らしていた。

「昨日の名朋戦でも思ったが……。精度の高いセットプレイだな。いや……、セットプレイかあれは?」

「んー……、いわゆるトライアングル・オフェンスだと思う。セットプレイじゃなくて、陵南はちゃんとディフェンスの動きを見て動きを臨機応変に対応を変えてる。元もとパスワークもナンバープレイも上手いチームだったけど、更に進化してるっていうか……」

「ま、昨日はたまにミスってたが……あんだけ複雑な動きをチームでやれって言ったってなかなかできるもんじゃねえぞ。……アイツら、けっこう根性見せるじゃねえか」

 序盤から陵南は仙道に頼らずに果敢にチーム力で攻めている。と、ニ、と口の端をあげて諸星はスッと息を飲み込んだ。

 

「いいぞ菅平ーー! ナイッシュー!!」

 

 その諸星の声が届いて、コートの菅平は強く頷いた。──実は今日の試合にあたって一番緊張していたのは、この菅平である。なぜならばコート上で菅平と清田のみが2年生という状況で、まして清田は一年の時から全国決勝を経験している異次元の選手だ。菅平の緊張も無理からぬことである。

 自分だけ明らかに劣っているのではないか。──そんな菅平の心情を汲み取って、他の陵南の選手は彼をリラックスさせようと好機を見逃さずにパスを入れた。その気遣いと、彼自身での得点が確実に菅平にとっては嫌な緊張をほぐす良い材料になった。

 

「こっから一本返すぞ! まず一本だ!」

 

 一方の海南──、小菅はドリブルしながら少し厄介に思っていた。

 名朋戦で陵南が見せたチームプレイの塊とも言えるあのオフェンス──、みなでビデオを何度も何度も観たが、仕組みを解明するまでには至らなかった。明らかに県予選の時よりも精度が何倍にもあがっている。

 かといって、チームプレイを警戒しすぎると仙道のワンマンプレイにやられてしまうし。──陵南というチームをなまじ知りすぎているだけに、迷いが生じる。

 とはいえ今はオフェンスだ。オフェンスに集中、といえども神は仙道にフェイスガードされていて使うのは極端に難しい。そのうえ自分にはコイツが、と小菅は眼前で腰を落として守っている植草を見やった。神には仙道が付いている以上、とりあえずオフェンスの選択肢の中で神を使うことの優先順位は低い。ここはやはりフロント陣を使うか、と小菅はセンターの田中に目配せした。

 ディフェンスを警戒しながら慎重にドリブルを続け、機を窺っていると田中が植草にスクリーンをかけにあがってきた。と、同時に小菅は清田にパスを回して自身はインサイドへと切れ込んでいく。陵南のディフェンスはトライアングル・ツー。切れ込みさえすれば、中の守りは薄い。

 しかも、清田にボールが渡ったことでディフェンスは迷いが生じたのだろう。植草が田中をかわしてインサイドに走り込んでくる。神が攪乱のために外へと動き、仙道は神から注視を離さない。小菅はスイッチしてきた福田をさらにローポストにいた鈴木にスクリーンをかけさせて壁を作らせると、自身は再び外へと抜けてトップへと駆け戻った。

 と、同時に清田からパスを受けて──、スリーポイントラインのわずかに内側からフリーの状態でミドルシュートを放った。

 見事にリングを貫いて、海南サイドがワッと歓声をあげる。

 

「いいぞいいぞ小菅! いいぞいいぞ小菅!」

「見たか陵南!!!」

「王者海南をなめんなよッ!」

 

 よし、と紳一がガッツポーズをする横で、うーむ、と諸星も唸る。

「海南も負けてねえな……」

「ウチは、シューター中心のオフェンスの型は豊富だからね。なにせポイントガードの小菅くん自ら打てるから……、陵南も小菅くん中心で攻めて来ることは読めるだろうけど、仙道くんを神くんから外すわけにもいかないしね。シューターにどうシュートチャンスを作らせないか、陵南にとっては頭が痛いところかな」

「陵南はとにかく外が上手くねえからな。ここばっかりは仙道頼みと来てやがる。いくら越野達が上達したにしても、小菅・神には及ばねえだろうしな」

「シューティングガードが強いとオフェンスの幅が広がるからね……。2番、3番に良い選手がいるチームは攻撃が多彩なのよね、絶対的に」

 ぼそりとつかさが呟くと、諸星は少しだけ笑った。

「オレたちみたいな、か?」

 つかさは少し目を見開いてから諸星を見て、ほんの少しだけ笑みを漏らした。

 ははは、と諸星も笑い、ともかく、と表情を引き締める。

「去年の海南はポイントガードが切れ込んで神にパスを繋ぐというある意味ワンパターンだったわけだが、今年の海南はオフェンスの選択肢が多い分、対処が面倒だろうな」

「…………」

「まあ、ワンパターンとは言え牧を止めるのも骨だからこその、去年までの海南ではあったんだが」

「…………!」

 他意なく話す諸星の横で紳一が諸星の発言に一喜一憂しており、つかさは少々頬を引きつらせつつも、うん、と同意する。

「今年の海南は、本当に良いチーム。でも……陵南だって、去年よりも強いはず」

「ああ。オレも陵南がどこまでやれるか楽しみだ。なんせ仙道は、"オレを超える男"のハズだからな」

「──!」

「だろ? ってまあ、国体じゃギリでオレの負けだったけどな」

 カラッと諸星が笑って、つかさは少し眉を寄せつつ再びコートを注視した。

 陵南は変わらずのトライアングル・オフェンスで全員総攻撃状態であり、傍目にもディフェンスする側は困難なのは明らかだ。

 対する海南は、攻撃の際は神がほぼ使えない。そして神がフィニッシャーでないことを読み切っている陵南は一番に小菅のシュートを念頭においてチェックしており、海南は難しい攻めを強いられている。それに事実、いまのところほぼ全ての攻撃で小菅はフィニッシャーを担っていた。

 ボール運びに小菅、点取りに小菅ではあまりに彼にとって負担が大きすぎる。

 

 このままでは、小菅は40分持たない──。

 

 ということは、小菅に負担をかけてしまっている自覚がある海南選手は誰もが悟っていた。

 陵南のディフェンスはトライアングル・ツー。マンマークされていない神・小菅以外の3人には付け入る隙がある。

 ──ここは、このオレが決めねえとヤベえ。そういう自覚だけは清田にもあった。しかし、かといって意外と切り崩しにくいのが陵南ディフェンスだ。清田にとって相手となる越野はそれほど問題になる選手ではなかったが、自分より上背のある福田・菅平の陵南フロント陣が面倒な上に、神についているはずの仙道も自分のドライブは常に気にしている。事実、幾度か彼にゴール下でのシュートをブロックされているという有り様なのだ。

 神をマンマークしながらこれだ。さすがに天才。自身が海南以外のプレイヤーで唯一尊敬する選手なだけはある、と素直に息を呑むしかない。

 が、次世代神奈川ナンバー1を担うプレイヤーとして、負けてばかりもいられない。

 

「小菅さーん!」

 

 手を挙げて、清田は小菅からボールを受け取った。一気に攻め込むか──。いや、囲まれて潰されて終わりだ。強引に突破しても仙道に弾かれる。

 ならば──と一気に清田はペイントエリアに侵入した。

 

「清田ッ!」

「ズバッときたッ!?」

 

 ベンチがどよめく。なぜなら既に何度も潰された攻撃だったからだ。

 しかし──、清田は慎重にボールをホールドして自身の位置とゴールとの距離を瞬間的に確認した。

 同時に越野・福田がこちらをチェックしに駆けてくる。無理やりドライブはしない。だが、そのままバックロールターンで彼らをほぼ真横に抜くと、清田は回転とほぼ同時ととれる速さで跳び上がってミドルからのジャンプシュートを放った。

 そのあまりの速さに、ディフェンスは当然追いつけない。──リバウンド、と叫んだ越野の声も虚しく、綺麗にリングを通って清田は拳を天に向けて突き上げた。

 

「よっしゃあああ!!」

 

 そうしてコートに戻りながら走る清田に、小菅達も「ナイッシュ!」と背中を叩いて戻っていく。

 

 唖然としたのは、抜かれた福田と越野だ。

「チッ、あの小僧め……味な真似を……!!」

 苛立つ越野の横で福田は憮然とした表情を晒し、そんな二人の肩を叩いたのは仙道だ。

「ドンマイ! 今のは仕方ない。けど越野、ノブナガ君のミドルはチェックしといてくれ」

「お、おう」

「福田。いまのアレ……やり返してやろうぜ」

 ミドルシュートの強化。とは、清田にしても福田にしても国体合宿で集中してやらされていたことであり、清田に見せつけられてお返ししない手はない。という仙道独特の福田への励ましだった。

「──おう」

 小さく頷いて福田はフロントコートにあがり、ニコ、と仙道も笑う。が──、やれやれ、と直後に仙道は肩も竦めた。

 

『オレ、仙道さんのことスゲー尊敬してます!』

『けど、オレ、ぜったい負けません! 夏に勝つのは、オレたち海南大附属っすから!』

 

 いつもいつも、大事な場面で海南の流れを決めるのは、実は清田なのだ。彼は決して口だけの男などではない。

 ここぞという場面で清田を乗せないことが海南に勝つカギかもしれんな、と仙道は改めて気を引き締め直した。

 

「おー、清田も上手くなってんな」

 

 紳一が清田を激励する横で、諸星も素直に感心していた。なぜなら清田はシューティングガードとしては、あまりに外のないプレイヤーだったからである。いまのようなミドルシュートは、記憶の限り見た覚えがない。

 しかし、と諸星は眉を寄せた。今の振り向きざまのシュート。なんか見覚えがある、とチラリとつかさに目配せする。

「もしかして、お前、清田にあれ教えたのか? 微妙に似てねえか、お前のと」

「え……? に、似てるかな……。ちょっとだけ練習に付き合ったことはあるけど……」

 二人の目線の先で、コート上の海南はオフェンスに若干変化が見えてきた。清田のミドルで清田のチェックを厳しくしたらしい陵南のゾーンが少し外向きになり、小菅は両ウィングの2、3番を上手く使って神-清田ラインというパス渡しでポイントを重ね始めたのだ。

 ポイントガードがフォワードとシューティングガードをオフェンスの軸にする。諸星はなおデジャブが……と唸りながらつかさを見やる。

「あれ……似てねえか? オレたちのフォーメーションに……」

 言えば、う、とつかさは言葉を詰まらせ、やっぱりか、と諸星は地団駄を踏んだ。

 なに敵に塩を送ってるんだ、と言いたい諸星だったがつかさは歴とした海南の生徒だ。請われれば教えるだろう。

 そう、相手はあくまで王者・海南。ともかく、海南に打ち勝ててこその日本一だ。頑張れよ、仙道。と、諸星はコートを駆ける仙道にエールを送った。

 

 試合は序盤、陵南に傾きかけていた流れを海南が取り戻し、一進一退の攻防が続いていた。

 互いに4点以上の差は開かずに、取った取られたを繰り返して前半残り5分。

 

 神は自分をフェイスガードする仙道に手こずりつつ、県予選との違いをまざまざと感じていた。

 県予選決勝の時は、仙道のディフェンスをかわしてたびたびイン・アウト両方から点を獲らせてもららえていたが、今日は違う。シュートチャンスすら作らせて貰えていない。この一ヶ月で研究されてしまったということだろう。

 さすがに仙道だ。でも、こうして「天才」仙道が自分を止めるために死ぬ気でディフェンスしてくれている。それが嬉しい、なんて、きっと仙道には分からないんだろうな──、と神は口の端をあげた。

 仙道は今日の試合を最後に引退するつもりなのだ。そして、自分に向かって「最後の試合だ」と言った。

 仙道……、オレは君の引退試合の相手になれて、嬉しい。なんて──。はっきりとそう思った。そして、自分もまたその瞬間にはっきりと自身の進退を決めた。自分もこの夏で終わりにしよう、と。

 全国大会の決勝で、相手は目の前の天才・仙道。自分にとってはこれ以上ない最高の舞台だ。

 バスケットを続けてきて本当に良かった。海南に入って、「センターは無理だ」と通達を受けた時には想像もしていなかった。海南を率いて、神奈川の最優秀選手に選ばれ、こうして全国制覇をかけて仙道と戦うことになるとは。

 どれほど辛く苦しくとも、きっとやり遂げられると信じて努力を続けてきて本当に良かったと思う。

 きっとこんな気持ち、「天才」には分からないんだろうな──、なんて。君が嫌なヤツだったら、きっとそう妬んでいたよ、仙道。と神は仙道と睨み合いを続けながら思った。

 天才だとは認めているが、天才だから負けていいとは思っていない。これが自分にとっても最後の試合。──絶対に負けない、と神は仙道を背にして小菅からパスを受け取った。ありがたいことに仙道は自身のシュートを高く評価してくれている。だから、多少なりとも「引っかけ」やすい。

 そのまま仙道を背にドリブルをしてハイポストまで移動すると、神はボールを保持して左へ目線を送った。そしてターンアラウンド。通常は目線をフェイクにして右へ移動するところだがあえて左に移動し──、ジャンプシュートのモーションに入る。が。

 

「無理だッ!」

「振り切れてねえ!」

 

 そんな観客の反応通り、仙道は既にブロック姿勢に入っている。打ったところで弾かれるだけだ。しかし。神はシュートは打たずに目線はリングを追ったまま、トップに移動してきていた清田へとパスを出した。

 空中にいた仙道が着地するまでの僅かな間に清田は鋭いドライブで中へと切れ込み、陵南ゾーンが彼を囲んだところでセンターの田中へとパスで繋いだ。

 そのまま田中がゴール下シュートを決め、よっしゃ、と清田が叫ぶ。

 ふ、と神も一瞬だけ「してやられた」という表情を浮かべた仙道を見やってからディフェンスのため戻っていく。

 海南のディフェンスはゾーン。ここが言うなれば「海南の弱み」だ。マンツーにしたところで、残念ながら仙道に対抗できる選手はいない。かといって本気で仙道を潰そうと思えばトリプルチームですら足りないかもしれない。しかも、そんなことを実行すれば他の選手にやられるだけだ。

 しかし。実際問題、陵南のオフェンスを止めるのはこの上なく難しいのだ。どこから誰が打ってくるか分からないフォーメーション──、陵南の攻撃時間を少しでも減らさなければ、海南は競り負けてしまう。

 勝つためにすることは、たった一つ。オフェンスは時間いっぱい使って確実に取る。そして一回でも多く陵南オフェンスを潰せば、海南の勝ちだ。シンプルで分かりやすく、そして確実に勝つ方法である。

 

 そんな拮抗した争いが続き──、36-38の1ゴール差、陵南リードという形で前半が終わった。



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57話

 ──ハーフタイム。

 生中継で放映されているこの試合、ハーフタイム中は今までの試合のダイジェストが届けられており神奈川の至る所でその放映をかじりついて観ている人々の姿があった。

 

 魚住は実家で板前修業の手を一時止めてブラウン管の向こうの後輩達の活躍を頼もしく見届け、緑風のメンバー達は部室に集ってテレビを眺め、湘北の桜木は自身のアパートで友人らと共にブツブツ文句を言いつつもテレビ観戦を決め込んでいた。

 

「チッ、センドーも野猿もこの天才抜きの全国で決勝など……!」

 

 イライラしながら見やるテレビ画面では準決勝までの仙道のスーパープレイ集が流されており、「センドーめ」と逐一文句を言わずにはいられない。

 実況と解説も、その仙道のプレイぶりを事細かに視聴者に伝えている。

 

「陵南のキャプテンの仙道選手ですが、国体では神奈川のエースとして全国優勝に貢献した実績があるとはいえインターハイは初出場ということで……、初出場で決勝進出というのは素晴らしい活躍ぶりですね、唐沢さん?」

「これほどの選手が埋もれていたというのは、まさに神奈川のレベルの高さを表していると思います。海南の主将の神選手をはじめ、緑風高校のマイケル沖田選手、去年は山王工業に勝った実績を持つ流川選手など優れたフォワードがいます」

「なるほど」

 

 そこで桜木はちゃぶ台に手を付いて激高した。

「おいおいおい、コラ解説のジジイ! このスーパー天才児・桜木を忘れてるぞ!! ルカワやガイジンよりこの桜木だろう!?」

 隣で友人達が大爆笑し、頭突きで黙らせつつチッ、と舌打ちする。なおテレビ画面ではなぜか清田のダンクシーンまで映しており、イライラが頂点に募りつつある。

 

「神選手と仙道選手のフォワード同士の主将対決というのも見所の一つかと思いますが、両選手の違いというのはどういう部分なんでしょうか? 確か……神選手は神奈川の最優秀選手と得点王にも選ばれていますね。去年は全国の得点王という実績も持つ名シューターでもあります」

「ええ。神選手は正確なシュートを武器に点を獲るタイプのフォワードですね。仙道選手は攻守共に隙がなく、時には司令塔としてゲームメイクも出来る。こういうタイプのフォワードは日本ではとても貴重です。私自身、このインターハイで初めて彼のプレイを見て、その能力の高さに驚かされました。このような選手が初出場というのだから、いやはや恐ろしい」

「去年、一昨年と陵南は神奈川ベスト4に甘んじていたということですからね。しかし、その中であって毎年出てくる海南大附属はやはりさすがということですか」

「そうですね。海南はコンスタントに毎年いいチームを出してきます」

「しかし、楽しみですね。インターハイに来られなかった選手達も含めて、彼らが今後の日本バスケット界を担っていくと思うと……。唐沢さんも青田買いのために毎年インターハイを観戦されているそうですが、今年はどうですか?」

「高校生はまだ素材ですから、なんとも言えませんが……。やはり、仙道選手は我が深体大にぜひ欲しい選手ですね」

「深体大といえば、ここ愛知のスター選手である元愛和学院主将の諸星大選手が進学して話題となりましたが……」

「はい。非常に練習熱心で、今後が楽しみな学生です。一年生ながらに良いムードメーカーとなってくれています。もしも仙道選手が獲れれば、諸星・仙道を軸に数年後の我がチームも安泰でしょうね」

「彗星のように現れた仙道選手ですから、日本中の大学が彼にラブコールを送ることになるとは思いますが……。その辺りの進退も注目されるところですね」

 

 そんな解説と実況の声を聞きながら、緑風高校の部室では「ワオ」というマイケルの陽気な声があがっていた。

「いやぁ、凄いねえ仙道君! 公開スカウトだよ!」

「あら、でも仙道君だったら日本なんかにいたらもったいないわよ。マイケル、あなた彼をアメリカに連れて帰ったらどう?」

「はははは、面白いこと言うねえ恵里。んじゃ、ちょっと口説いてみてもいいかなァ」

 そんなマイケルの軽口に、ヤレヤレ、と肩を竦めつつ克美は画面を見やる。

「けど、まさか陵南が決勝まで進めるとは……。これってオレたちのおかげだったりしません? ホラ、見てくださいよ今の。オレたちと練習した成果だ」

 画面のダイジェストは準決勝の名朋対陵南戦になっており、絶妙のトライアングル・オフェンスを絶賛する実況を聞きながら克美は不敵に言い放った。

 そんな克美の頭をコツンと小突き、ふ、と名高も笑う。

「ま、せっかく決勝まで勝ち進んだんだ。今度こそ海南に勝って優勝してもらいたいよな」

「ですね。じゃないと協力した意味がない」

 そんな克美を、はははは、とマイケルが笑いとばした。

「克美クーン。素直に応援してあげなよ。なんだかんだで気になるんでしょー、越野君がちゃんとやってるかとかさ」

「バッ……! だ、だれが越野さんなんて! ま、まあ、心配といえば心配ですけどね。短気だし、小さいし」

 カッとした克美がそう言い放って、全員から笑いを誘った。

 なんだかんだ予選後は一緒に練習していた陵南に少し肩入れしてしまうのは無理からぬことだろう。

 

 そんな神奈川の面々の様子は露知らず、田岡は控え室で渋い顔をしていた。

 リードはたったの2点。あってないようなものだ。いつもいつも、海南には試合終盤でさんざんにやられてきており一度も勝てたことはない。つまり、現時点での2点リードなどマイナスのようなものである。

 しかしながら海南はまだこちらのオフェンスに対処できていないきらいがあり、ならばオフェンス時間を増やすことが先決だ。

「お前たち……。走る体力は残っているな?」

 言えば、ピクッ、と選手達の身体が撓った。

「後半、いっきに突き放すぞ。相手は海南だ、何十点リードしても食らいついてくる。走って走って、走り勝つしか道はない。いいな!」

「はい!」

 

 

 ──後半開始。

 最初の海南オフェンスの時に、その「事件」は起きた。

 清田のスローインからパスを受け取った小菅にピタリと植草が付き、コートに入った清田にもピタリと──仙道がついた。

 

「なッ……!!」

 

 神には福田が付き、田中・鈴木にはそれぞれ菅平・越野が付いて観客はワッと歓声をあげた。

 

「オールコートマンツーマンプレス──ッ!?」

「陵南、はやくも勝負に出たかッ!?」

 

 オールコートマンツーマンプレス、とは文字通りにオールコートでマンツーマンディフェンスにあたることだ。

 そのプレッシャーは相当なもので、予想だにしていなかったディフェンスに一瞬、小菅が気を取られた瞬間。

「あッ──!」

 植草にボールを弾かれて簡単にスティールを許してしまう。気づいたときには植草はボールを高く投げあげ──、清田をかわした仙道が高くゴールに向かって跳び上がっていた。

 

「うわああ!」

「仙道のアリウープだあああ!!」

 

 ものの数秒──あっという間に得点されて、唖然とする海南陣営とは裏腹に陵南ベンチが踊る。

 

「さすが植草-仙道ライン!!!」

「痺れるで、仙道さん、植草さん!!」

 

 再び海南のスローインであるが、やはり陵南はそのままオールコートプレスで来て、小菅はまだ動揺を抑え切れていなかった。共にボールを運ぶべき清田には仙道がついている。無理だ。パスで──、などと思ってしまったらもう相手の思うつぼだった。

 ロングパスは仙道にインターセプトされ、そのままゴール下でパスを受け取った植草にあっさりレイアップを入れられる結果に終わった。

 

「田岡先輩……!」

 

 早々に勝負をかけてきた田岡に、高頭は思わず陵南ベンチを見やった。

 昨日の準決勝といい、陵南は相当に体力に自信を持っているらしい。しかし──。このプレスを甘んじて受けるわけにはいかない。突破できなければ、昨日の名朋のようにものの数分であっという間に20点は取られてしまう。

 

「落ち着いていけッ、小菅! 練習を思い出すんだッ!」

 

 ベンチから高頭の声を受けて、小菅はハッとした。

 そうだ。今まで散々、打倒・山王を想定して、山王工業の伝家の宝刀であるプレスの突破練習はしてきたはずだ。しかし──清田についたのが仙道となると、やはり厳しい。陵南も分かっているのだ。いくら清田の機動力が高いとはいえ、仙道の速さと高さの前ではそう仕事はさせてもらえない。

 く、と歯を食いしばりつつ小菅はスローインに向かう清田に告げた。

「お前、すぐにあがれ。ここはオレ一人でいい」

「──! お、おっす」

 そうだ。仙道はバックコートから追い出した方がいい。プレスは破ってしまえばこっちのものなのだ。相手がマンツーで来ている以上、自分以外の全員がフロントコートにあがれば残るのは植草のみ。

 つまり、自分が植草さえ抜けば勝ったも同然。──と小菅は清田からパスを受けて植草を背にしつつ慎重にドリブルをした。

 10秒あるのだ。慎重に抜けばいい。

 

「7、8──」

 

 じりじりと移動するものの、ズバッと抜けないまま時間が過ぎ、残りあと2秒を切ったところでようやく小菅は植草を振りきった。が、センターラインまでまだ距離がある。

 クッ、と唸りつつボールを何とかフロントコートに投げ入れれば、10秒バイオレーションは免れたものの──。

 

「仙道ッ!」

「インターセプトだッ!」

 

 ゲッ、と目を見開いた時にはもう遅かった。いくら海南の戻りが速かろうが、間に合わない。なにせ既にバックコートには植草がいるのだ。

 

「カウンター!」

 

 叫んだ仙道の声と共に、絶妙のキラーパスが植草に通り──きっちりと植草はレイアップで一本決めた。

 会場全体が沸き、海南メンバーが少々焦りの色を浮かべる中で神がスローインのためにエンドラインまで来て、ボールを掴んでいた小菅に声をかけた。

「落ち着いてやろう。さんざん、プレス対策は練習してきただろ? 相手が山王か陵南かの違いだけだ」

「あ、ああ……。そうだな」

「頼んだよ。ここばっかりは、ガードの仕事だ」

「ああ」

 言われた小菅は一度深呼吸をして神からボールを受け取った。

 植草をかわしながら思う。プレスは上手くはまれば効果絶大で、やられる側は焦りからミスが出やすくなる。まずは落ち着くことだ。突破の基本はマンツーであれゾーンであれ、ガードがドリブルで破ることだからだ。

 あとは、プレスの性質を見極めて逆にワナにはめてやればいい。突破さえすれば、オールコートプレスは穴が大きなハイリスク・ハイリターンなディフェンスであることには変わりない。

 海南のガードをナメんなよ! と小菅は自分より背の低い植草よりもさらに腰を低くして駆けた。制限時間は10秒。10秒はあるのだ。焦らず突破して、神かインサイドに繋げばいい。

 

「抜いたッ!?」

「いや──ッ!」

 

 強引に切れ込んで、小菅は越野がついているミスマッチの鈴木のところにパス──、と見せかけ神に繋いだ。

 受け取った神はターンアラウンドで福田をかわし、クイックリリースからのフェイダウェイスリーを文字通り目にも止まらぬ速さで打った。

 福田のブロックは間に合わず──綺麗に決まって海南ベンチが沸く。

 

「いよっしゃあああ! キャプテーーン!!」

「さっそくプレス突破だあああ!!」

「見たか陵南! これが王者・海南だ!!」

 

 しかし陵南は動じない。

 冷静にトライアングル・オフェンスで一本返した直後に互いに目配せし──、ディフェンスに入った瞬間にさらに観衆はどよめいた。

 

「陵南……!」

「ゾーンプレス──!?」

 

 陵南はマンツーマンプレスを止め、ゾーンプレスに切り替えて2人がかりで小菅にプレッシャーをかけたのだ。

 驚いた清田が助けに行こうとすれば、もはや陵南の勝ちである。

「バカッ、来るなッ!」

 焦った小菅の叫びが響いたときには既に越野にスティールされ、ゾーンの2列目から駆けてきた仙道にパスが通っていた。

 あまりに絶妙な連係プレイに、観客席で見ていた諸星は興奮から立ち上がって叫び声をあげた。

 

「いっけえええ仙道ーーー!!!」

 

 その言葉を受けるように仙道のダンクが決まり、会場が仙道コールに染まって諸星は不敵な笑みを隣の紳一に向けた。

 どうだ、と言わんばかりの諸星の表情に紳一はため息を吐いた。

「まあ、陵南はいい連携なのは認めるが……。ウチだってこんなもんじゃない」

 とはいえ、紳一としてもやや心配げに後輩達を見やる。自分の代では試せなかったが、山王相手のゾーンプレス対策はさんざんにやってきたのだ。ここで披露せずにどうするんだ、と見やる先で陵南はゾーンの組み方を変えてきた。

「なにッ!?」

 さしもの紳一も声をあげた。──バカな。と、驚愕して分析している間もなくあっさりボールを奪われ、また陵南はポイントを重ねた。

 そのようなことが数回続き、なるほど、と紳一は額に汗を浮かべた。陵南はありとあらゆる陣形のゾーンを徹底練習してきているらしい。おそらくは陵南選手しか知り得ない「順番」があるのだろうが、幾種類ものプレスを使い分けることで、海南に冷静になる隙を与えない作戦なのだろう。

 ただでさえ強力なプレスはガードにとっては嫌なものだというのに。──と、自身が山王にプレスを仕掛けられて負けた苦い思いも過ぎらせつつ、後輩達を見やった。

 後半のまだこのような序盤では、高頭もタイムアウトは取れないだろう。選手達で何とかするしかない。

 

「いけいけ陵南! おせおせ陵南!」

「いけいけ陵南! おせおせ陵南!」

 

 会場が陵南一色に染まりつつある中、小菅はさらに大きな深呼吸をした。

 取りあえず、相手がどんなゾーンで来るかは考えても無駄だ。いちいち動じていたらスティールされて終わる。

 神の言うとおり、対策はしているのだ。絶対に破れる。と、清田を呼んだ。

「これからは2人でボールを運ぶ。覚えてるな? まずプレス突破の大前提は──」

「ポイントガードがボール運ぶことっす!」

 言葉にかぶせるように力強く言われて、小菅は舌打ちしそうになるのをどうにかこらえ、耐えた。

「スマン。プレスに対する心構えは」

「あ……、ゾーンを組ませないことっすね!」

 ああ、と小菅は頷く。

「陵南がどんなゾーンを組むか今後は一切気にするな。あっちが点を取ったらお前はすぐスローインしろ。そして二人で突破する! やれるな?」

「お、おっす!」

 頷いた清田に小菅も頷き返し、既にフロントにあがった神たちに指で指示を送った。そうしてスローインのため外に出た清田からパスを受け取ると──さっそく越野・植草のダブルチームがプレッシャーをかけてくる。

 これ以上思い通りにさせてたまるか。と、小菅はボールをドリブルしながら強く後ろに弾いて、自身の背後にいた清田に渡した。すればダブルチームは清田に移り──自身からマークが外れる。そして今度は自分が清田の背後に回って清田からのパスを受け取り、一気に前進する。

 

「おおッ!」

「海南、巧いッ!」

 

 基本、どんなゾーンであれゾーンプレスとはダブルチームでボールホルダーにプレッシャーをかけてくるのが常だ。ゆえにこうすればボールを取られる事なくフロントコートに近づける、と小菅は最後に受け取ったボールをセンターラインのサイドに立たせていた鈴木へと渡した。同時に素早くインサイドにカットインした神にボールが渡ってそのまま神が決め、「よっしゃ!」と清田も跳び上がった。

 

「よォし! それでいいんだ!」

 

 海南ベンチで高頭も手を叩く。

 が、陵南の選手達も田岡も動じない。海南がプレス突破の策を講じているというのは織り込み済みだ。

 1、2回突破されたところで、手を緩める必要はない。オフェンスで陵南が優位に立っている以上は、多少の漏れがあったところでプレスディフェンスを続ける価値は絶大だからだ。

 事実──、後半開始直後からの陵南怒濤のプレスにより、点差は時間が経つごとに増していっている。海南がプレスを突破して獲った点でも、点差をひっくり返すには至っていない。

 

「チッ……、不味いな」

 

 清田はちらりとスコアボードを見やった。後半残り13分。あと1ゴール許したら、20点差が付いてしまう。

 そもそも去年の予選決勝リーグでも陵南には最大で15点差を付けられていたのだ。あの時は何とか勝てたとはいえ、陵南の地力はやはり高いと認めざるを得ない。

 特に──やはり、仙道だ。敵選手であれ「凄い」と認めるしかない、まさに「天才」だ。この人を超えなければ、次代の神奈川ナンバー1は担えないだろう。

「超えてやる……!」

 こちらがプレスを突破しても、ゾーンを破られたあとの事も想定してきっちり練習を重ねてきたのかチェックが厳しくなってきている。

 しかし、ボールをフロントコートまで運びさえすればダブルチームからは解放される。

 センターラインそばで小菅からボールを受け取った清田は、そのまま一気に鋭くゴール下まで切れ込んだ。が、ゾーンを崩した仙道がチェックに入ってくる。だが──。彼を越えなければ、自分にも海南にも未来はない。

「ジャンプ力なら負けねえぜッ!!」

 そのまま強引に跳び上がってダンクの姿勢を見せれば、甘いとばかりに仙道が全力でブロックに来てあえなくボールは弾かれた。

 

「止められたァ!」

「さすが仙道!」

「甘いぜ二年坊主ッ!!」

 

 が──。

 こぼれたボールをハイポストにいた鈴木が拾った。着地した仙道に田中がスクリーンをかけたのを見て、清田はもう一度手をあげた。そしてパスを受け取る。

「くらえええ!!!」

 ゴール下に自身を遮る敵はいない。視界の端に越野が全力で駆けてきてブロックに跳び上がったのが見えたが、越野に当たり負けするほどヤワな身体はしていない。

「うらああッ!」

 そのまま越野を弾いて、清田は両手で力の限りのダンクシュートをゴールに叩き込んだ。決まった、と無意識に口の端をあげた。

 

「越野ッ──!」

 

 仙道の叫びと共に、審判の笛の音が聞こえた。バスケットカウントだ。着地した清田は興奮のままに握った両手拳を力強く天へ突き上げた。

 

「いよっしゃあああ!!」

 

 海南ベンチも沸いて、一気に清田コールが沸き起こる。

 が──、数秒後にその興奮は審判のけたたましいホイッスルによって掻き消された。

 

「レフェリータイム!」

 

 え──、と見やると、自身に吹っ飛ばされた越野が微動だにしないまま転がっており……、清田は目を見張った。

「こ、越野さんッ!?」

 慌てて駆け寄ると同時に、陵南のベンチからも選手達が飛び出してきて慌ただしく担架を呼ぶ声が聞こえた。



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58話

「担架だ、はやく!」

「越野さん、しっかり!」

「バカッ、触んな、頭打ったかもしんねーんだぞ!」

 

 観客席のつかさと諸星もさすがに身を乗り出していた。

「越野……!!」

「越野くん……!」

 その横で、冷静に紳一がこう言い放った。

「逆転のチャンスだな」

 瞬間、激高した諸星が振り返って紳一の胸ぐらを掴みあげた。

「ああッ!? なんつったテメー!?」

「違うのか?」

「……ッ!!」

 言い返されて、諸星は絶句するしかない。紳一は完全にコートにいた時の海南のキャプテン・牧紳一の眼に戻っている。反論の余地もない。

 しかし──、越野、と諸星が目線をコートに戻せば医療班があわただしく越野を担架に乗せてコートから運び出していった。

 

「……越野さん……」

 

 自身のせいで気絶し、運び出された越野を冷静に見やれるほど冷徹になれない清田は目に見えて動揺していた。レフェリータイムが終わればフリースローだというのに。落ち着かなければ、と嫌な音を立てる心音を抑えきれないでいると、ポン、と肩に手が置かれた。

 見やると、神がいつも通りの冷静な顔でこちらを見下ろしている。

「今のは越野のファウルだ。気にするな」

「し、しかし……!」

「海南のプレイヤーなら、どうすべきか。分かるよな、信長?」

 言われて、清田はハッとする。──「常勝」を掲げる海南は決して甘えは許されないのだ。相手に僅かでも隙があればそこを徹底的に突いて、そして勝つ。それが海南のバスケットだ。

 バシッと両手で自分の顔を叩き、「おす!」と清田は気合いを入れ直した。

 一方、アクシデントに見舞われた陵南ベンチは焦りと混乱で混沌としていた。それは田岡も例外ではない。

 

「……彦一……」

 

 呼ばれた彦一はビクッと肩を震わせた。

「すぐにアップしろ。越野の代わりはお前だ」

 彦一の表情が一瞬にして白くなる。むろん自分はガードの控えなのだから、当然の采配ではあるが……とゴクリと息を呑む彦一の耳に、観客席の声援がやけに大きくこだました。

 これはインターハイなのだ。しかも、優勝のかかった決勝戦で、相手はあの海南大附属。点差はあると言っても試合経験のために出させてもらった格下相手とはワケが違う。

 スタメンをチラリと見やると、やはりみな突然のことに動揺を隠しきれておらず──すがるように仙道を見やった。

 すると汗を拭っていた仙道は目線に気づいたのか、ニコ、といつものように笑ってくれ、少しだけホッとする。

 

「落ち着いていこう、彦一」

「はッ、はい!」

 

 しかしながら──、仙道にしても田岡にしても内心に焦りはあった。

 越野が抜けた以上、オフェンスもディフェンスも今まで通りとはいかない。なぜなら、複雑さを極めるトライアングル・オフェンスをこなせるのはスタメンだけだからだ。あれは一人でも欠ければ空中分解必至のデリケートなものだ。ゾーンプレスにしても、プレスの先陣を担うガードが控え選手では突破される確率が跳ね上がるだろう。

 ふー、と田岡は深い息を吐いた。

「ディフェンスはハーフに戻す。じっくり守って、確実に一本繋いでいくんだ。点差はまだ十分ある。きっちり守っていけ!」

「はいッ!」

 審判の笛が響いた。清田のフリースローが終われば試合再開だ。

 コートへ戻る仙道に、田岡はそっと声をかけた。

 

「頼んだぞ、仙道」

「──はい」

 

 プレス席では、仕事を忘れかけて青ざめる彦一の姉・弥生の姿があった。

 予想はしていたが、越野の代わりに出てきたのは自身の弟。しかも、表情を見るに明らかに緊張している。

「決勝の、こんな時に越野君の代わりやなんて……」

 本来なら弟の晴れ舞台を喜ぶべきところなのかもしれないが、身内贔屓を抜きにしても、あまりにプレッシャーが大きすぎる。海南も、このチャンスを見逃さないだろう。

 ますます植草・仙道にかかる負担が増えるはずだ、と見やるコートでは清田がきっちりとフリースローを決めて15点差に詰めた。ダンクの直後は動揺の見られた清田だが、落ち着きを取り戻している。さすがに王者・海南のスタメンといったところだろう。

 

 15点差──、去年のインターハイ県予選・決勝リーグで、陵南は海南相手に15点差を付けながら最終的に敗れ去ってインターハイの切符を逃した。

 

 そう、あれも魚住が退場となりスタメンのバランスが崩れたというのが最大の敗因。

 誰の脳裏にもその悪夢が過ぎったに違いない。

 緊張気味の彦一からのスローインで、ボール運びは植草・彦一の二人体制になる。

 海南は2-1-2ゾーンを敷いている。トライアングル・オフェンスはないと読んでのことだろう。

 事実、越野を欠いてトライアングル・オフェンスが使えない状態で植草はコート上を見渡しながら考えあぐねていた。完全に中を固められている。仙道は神・鈴木に厳しくチェックされハイポストに出させてもらえない。彦一はある程度、入れやすいところにいるが──。

 30秒のオーバータイムを告げるカウントダウンが始まって、植草は半ば強引に突っ込んだ。小菅のハンズアップ。しかも──ゴール下には海南が3枚。無謀だ。が、打つしかない。しかし──、その幾重ものプレッシャーが足かせとなってシュートフォームが乱れてしまう。

 

「リバンッ!」

 

 植草が叫んで、彦一は海南の田中が良い位置でリバウンドを制しに跳び上がったのを見てハッとした。ディフェンスに戻らなければ速攻を出されてしまう。そう思った自分の横を風のように清田が抜け──「あかん」と弾かれるように走り出した。

 

「清田ッ!」

 

 彦一は必死で追いかけるも清田のスピードにはとても追いつけずに、ロングパスが清田に通ってあっさりとカウンターのレイアップを決められてしまった。

 

「海南! 海南! 海南! 海南!」

「ディーフェンス! ディーフェンス! ディーフェンス! ディーフェンス!」

 

 ここぞとばかりに海南応援団が盛り上がり、あまりの勢いに彦一がおののいているとそれを掻き消すように手を打ち鳴らす音が聞こえた。仙道だ。

「落ち着いていこう! まだまだリードしているのはウチだ。慌てる必要はない」

「おう」

「おう!」

「はい!」

 彦一以外の選手達はすぐに呼応し、ゴクリと喉を鳴らしてから彦一も頷いた。自分も必死に練習してきたではないか。練習通りにやればいいのだ、と。

 

 しかし──、仮に練習通りの実力が発揮できたとしても、埋まらない力の差が海南のレギュラーと彦一の間には存在する。

 

 そのことは海南勢も、陵南もよく理解しており、海南はここぞとばかりに彦一のところのみを集中的に攻め、陵南は何とか彦一をカバーすることで試合を組み立てていた。

 が──。

 

「うわあああ、清田のジャンプシュートだ!!」

「決めたあああ!!」

 

 ミスマッチ、かつ歴然たる技術の差、ということで明らかに海南は清田にボールを集めて、あろうことか切り込ませずに外から打たせていた。切り込んで仙道や菅平たちにブロックされる危険を冒すよりも、極めてフリーに近い状態でジャンプシュートを打つ方が効率がいいことが分かっていたのだろう。

 あまりジャンプシュートを得意としない清田が連続で決める。海南を勢い付かせるにはもってこいだ。

 

「清田は相変わらず海南のムードメーカーだな」

「うん。清田くんが決め出すと、調子があがるのよね……」

「ま、仙道もそんくらい分かってるだろうけどな。ここは、踏ん張りどころだ」

 

 渋い顔をしながら諸星はコートを目で追った。

 海南ディフェンスは彦一をある程度放っておき、仙道に対するプレッシャーを厚めにして時にはトリプルチームで止めにかかっている。

 陵南にとってパスワークやボール運びの軸となるメインガードの一人が欠けたことはディフェンスよりもオフェンス面での弊害が大きく──今も神・鈴木のダブルチームに挟まれて機を窺っている仙道を見下ろし、諸星は拳を握りしめる。

 切り崩せ! 出来るだろう、お前なら! 強く心の中で叫び声をあげる。

 インターハイ初出場で、対戦相手は王者・海南。向かっていくだけの挑戦者の立場である彼に気負いなどはないはずだ。だが──。

 

『もう二度と、負けんじゃねえぞ、仙道!』

『お前はこのオレ、諸星大を負かしたんだ! 分かったか!?』

 

 仙道にああ言った時、自分は彼に自分が背負ってきたものを渡してしまった──。もしも彼が受け止めてくれたとしたら。「諸星大」を超えるには、自分が唯一届かなかった「全国制覇」しかないのだ。準優勝止まりなら──イーブンだぞ、と歯を食いしばる。

 

「負けんな、仙道ッ!!!」

 

 諸星の声に呼応するように仙道は果敢に神・鈴木というダブルチームに切り込んでいった。

 海南は個々のディフェンス力が高い。まして長身の二人にこうもピタリと腰を落とされては、上からパスに逃げることも抜き去ることも容易ではない。

 しかも。と仙道は歯を食いしばる。──海南は「キャプテン」の神が自身についてなおダブルチームでこちらにプレッシャーをかけているのだ。キャプテンにヘルプを付ける。そんな端から見れば屈辱の采配でも、彼らには勝利より優先するものはないのだろう。

 だが、それでも。

 

「神……!」

 

 キャプテン自らダブルチームを率先して行う。もしも自分が神ならば、おそらく屈辱だ。と仙道は必死ながらも感じていた。

 そういうところが、怖い。彼は、神は、誰より冷静で、強い。だから負けたくねぇ──、と仙道は隙のない守りを見せる神に、一瞬だけ力を抜いて鈴木の方へ目線フェイクを入れたあとにズバッと切り込んだ。

 リカバリーされる前にレッグスルーでステップを踏んでかわし、一気にゴール下へ持ち込む。

 

「抜いたか──ッ!?」

「いやッ……!」

 

 観客が沸く中、仙道はヘルプに来たセンター・田中にも怯まずに切れ込んだ勢いで一気にリングに向けて跳び上がった。

 体格は田中が一回り上──、しかし、ここは引かない、と腕同士が接触しても歯を食いしばってそのままリングにボールを叩き入れる。

 審判がバスケットカウントを告げる笛を吹き、ふ、と静まりかえったアリーナが一瞬のあとに息を吹き返した。

 

「仙道きたあああ!! 田中の上からダンクだああ!!」

「さすがに強えええ!」

「これで差はまた二桁になったぞ!」

「海南痛い!」

 

 普段の仙道なら、無理やりのダンクではなくフェイクを入れてダブルクラッチでファウルをもらうという場面のはずだというのにあえてパワー勝負で挑んだ。

 そして見事に競り勝った仙道を見て、さすがの紳一もゴクリと喉を鳴らし、さしもの声援を飛ばした諸星も瞬きを繰り返していた。

「ドライブでドリブルスキルを見せつけて、ダンクで圧倒する……。さすがに勝負所をよく知ってるというか……。すげえな。オレならシュートフェイク入れてる場面だ」

「フォワードとして、本当に欠点のない選手よね、仙道くん」

「ああ! お前が、もし──」

 もしもつかさが男だったら。きっとあんな選手に──、との言葉がつい口をついて出そうになった諸星は、「え?」と目線を送ってきたつかさに慌てて首を振るった。

 何をバカな、と自分でも思う。願っても願っても、つかさは男にはなれないというのに。まだ諦めきれないのだろうか。

 彼女は女の子なのだと、一緒にコートを駆けることはできないのだと自分が真っ先に認めて手遅れになる前に手を打つべきだったのだ。そうすれば、彼女の可能性を潰さずに済んだはずだというのに。その贖罪のために「日本一の選手になる」と自らに課した重責さえ仙道に託して。突っ走ってばかりだったが、本当にこれでよかったのだろうか、とチラリとつかさを見やると、彼女はどこか不安げにコートを見やっていた。

「つかさ……?」

「残り時間はあと7分。10点差は……波が来ればまだ簡単にひっくり返せる。海南は、終盤に強いし……、神くんは3年間、誰よりも練習してきた……だから」

 ああ、と諸星は察した。

 陵南が追いつかれるかもしれないという焦燥と、海南の選手達を身近に知っているだけに陵南を応援している自分への罪悪感。つかさはその狭間で揺れているのだ。

 しかし──諸星としては、仙道のやや緩い性格も知りつつも自分が知る範囲では陵南の選手達も他の強豪に勝るとも劣らない努力を重ねているのを知っている。しかも、自分が強引に練習させた冬でさえ、全員、死にそうな顔ながらついてきた。彼らの努力もきっと海南に劣らない。

 それに、決して自慢する気はないが、「バスケットをしていた時間」というのが努力の指数だとしたら。神より誰より、物心ついた頃からほぼ全ての時間をバスケットに捧げていた自分たちがトップなのではないか? と思いつつ、チラリと横目で紳一を見て。サーフィンにうつつを抜かしてたコイツは抜きでな、と勝ち誇った視線を送ると気づいたのか紳一がこちらを見やって心底呆れたような表情をくれた。

 努力を重ねても、才能があっても、報われるとは限らないのだ。と、つかさを見やって一瞬だけ眉を寄せた諸星もまたコートを見やる。

 海南はオフェンスをやはり清田に任せ──、若干、傍目には分からない程度に仙道のディフェンスに迷いが見えた。清田のチェックをすべきか、神に張り付くか。

 ハッ、と諸星は目を見開く。その仙道の迷いに清田も気づいたらしく、刹那の間に神へとパスが通って恐ろしいほどの速さで神がシュートを放った。

 

「神……ッ!」

「なんつーモーションの速さだ……ッ!!!」

 

 観客がどよめき、仙道の上背とジャンプ力を持ってしてもブロックが間に合わなかったそのシュートは高い弧を描いてスパッとリングに通った。

 

「いよっしゃあああああ!!!」

「キャプテーーーン!!!」

 

 久々の神のスリーに海南応援席が沸き、神も口の端をあげて指を一本天井へと向けた。

 してやられた仙道は、フー、と息を吐きつつユニフォームで汗を拭う。

「まずいな……」

 神のスリーを乗せてしまったら厄介だ。7点程度の差はあっという間にひっくり返されてしまうだろう。

 ここは一本、返さないと。と、植草をチラリと見やる。──相手は海南大附属。力は互角。いや、こちらが勝っていたはず。だというのに、「ベストメンバーでないから」負けた。という言い訳付きで自分は非難されるどころか「悲劇の天才」扱いとなってさらに株があがったというのは知っている。そのしわ寄せが「非難」という形で退場した魚住に行ったのも知っている──と、去年の痛い敗戦を思い出して少しだけ唇を噛んだ。

 もしもここで負ければ、自分はまた「ベストメンバーでないから仕方がなかった」という免罪符を手に入れてしまう。あれほど自分を慕ってくれている彦一に、一生消えない悔恨を残すことになるだろう。あれほど負けん気の強い越野もまた、消えない傷を追うことになる。

 そしてまた自分だけが「悲劇の天才」か──、と眉を寄せる。そんな立派なものではない。自分はまだ、何かを成し遂げたわけではない。

 このチームで勝ち上がろうと決めたのだ。そして今日は、自分のバスケット人生、最後の日だ。不確定要素の一つや二つ、跳ね返してこその真のエースだ、と中を固める海南ゾーンに切れ込んでいく。

 前のダンクは布石。必死に止めに来てくれるほどフェイクをかけやすくなる、と仙道は空中で思い切りブロックに跳び上がった田中・鈴木の間をひょいとよけてそのままレイアップを決めた。

 

「うおおダブルクラッチッ!!」

「仙道、すぐ返したッ!!」

「両キャプテン、一歩も引かねえええ!!」

 

 残り時間は5分を切っている。これで陵南はまた9点差に戻した。そしてオフィシャルテーブルズがブザーを鳴らし、高頭がベンチから立ち上がった。

 

「チャージドタイムアウト、海南!」

 

 ハッとした両チームはそれぞれベンチの方を見やった。

 越野がコートを去って海南に追い風が吹いていると言っても、形勢はまだ陵南有利であることには変わりない。しかも、仙道のスーパープレイを立て続けに食らって選手達の顔色はそう明るくない。海南のタイムアウトも無理からぬことだろう。

 

 ──去年でさえ、魚住退場という最高に有利な状態だったにも関わらず仙道一人に海南は手こずり、危うく負けるところだったのだ。

 

 その選手達の懸念や焦燥を誰よりも感じ取っていたのは他でもない、去年渦中にいた紳一だった。

 あまり認めたくはないが。仙道彰という男は底が知れない。去年の予選決勝リーグ、魚住退場で状況が有利になってさえついにはあの仙道を叩き潰すことは叶わなかったのだから。と、紳一は思わず観客席から海南ベンチの方に身を乗り出していた。

 

「神! 清田! 攻め気で最後までいけ!! ここが一番のチャンスだ、お前らで必ず優勝するんだ!」

 

 それを受けて黙っていられる諸星でもなく、さらに諸星も陵南ベンチの方へと負けじと身を乗り出した。

 

「お前らッ! この点差を守ろうとか弱気になるなよ! 強気でいけ! ぜってー勝てる!!」

 

 両校の選手達は当然のごとく観客席を見上げ──そしてアリーナは「おおおお」というどよめきで揺れた。

 

「おいおいおい、愛知の星と神奈川の帝王が火花散らしてるぞ!?」

「ワッハッハッハ、かつてのスーパーガードコンビがそれぞれ応援についてんのか!!」

「いいぞーー、諸星ーー! 牧ーー!!」

 

 しかし、ハッパをかけられた側は笑えるはずもなく。

 海南メンバーは改めて背筋の伸びる思いで強く頷いた。

 陵南は諸星の力強い笑みに頼もしさを覚え、少し頬を緩めてから強く頷いた。

 仙道もまた無言で諸星を見やった。すると諸星も返すように強い視線を送ってきて、グッと仙道は拳を握りしめる。諸星の言いたいことは分かる。それに──。

「仙道くん……」

 少し不安げな表情をしているつかさを眼に留めて、ふ、と仙道は笑ってみせた。そうしてコートから出てベンチに入ると、田岡が一つ咳払いをした。

「いま図らずも諸星が言ったとおり……。守りに回ったら付け入られる。それが海南だ。ウチは最後まで全力で走れるだけの練習はしてきている。自信を持って最後まで走り抜け、いいな」

「──はい」

「ディフェンスはそのまま。ガード陣は落ち着いてコートをよく見渡せ。必ず得点のチャンスはある。リードしている以上はきっちり抑え、きっちり取る。これでいいんだ」

「はい!」

 海南を追い上げるという立場より、海南に追い上げられる、という立場がいかにプレッシャーか。陵南の選手達はこれまでの敗戦の苦い記憶からイヤというほどそれを分かっていた。いずれの敗戦も、最終的に海南に逆転を許して競り負けたという事実は無意識のうちに選手達そして田岡へとのし掛かる圧力となっていた。

 むろん──ここで勝てば全国制覇──という未知の領域がそうさせるのかもしれない。少なくとも海南にはその「経験」がある。彼らはその重圧を実感として一人一人がきちんと受け止めていることだろう。意識すればするほど、見えないプレッシャーが陵南を襲ってくる。

 

「残り時間は5分弱。9点差。慌てる必要はない。まだまだ十分にひっくり返せる点差だ」

 

 海南ベンチでは高頭が自信を持って選手達をそう諭していた。陵南というチームの強さの秘密は「個々」ではなく、2年近くスタメンの4人が不動という熟練のチーム力である。ゆえに軸を担うガードが一人でも欠ければバランスを失うのは必至。個々の能力それぞれが秀でている海南が有利となるのは自明だ。勝利の鍵は、その隙を見逃さないことのみ。

 

「──時間です!」

 

 オフィシャルテーブルズが告げ、選手達はコートに戻っていく。

 海南ボールからのスタートで、スローワーの清田からボールを受けとった小菅はじっとフロントコートを見据えた。

 高頭からの指示──。それはポイントガードの自分自ら得点を担えというものだった。むろんチャンスがあれば攻めやすい清田、安定感のある神を使うべきであったが、タイムアウトを挟んだことで陵南はディフェンスを立て直してくると見越し、両者のチェックは厳しくなるだろうことを高頭は予測したのだ。

 ならば、攻撃の主体はポイントガードである自分。他はリバウンドに集中しろ。というものだ。

 植草は張り付くようなディフェンスを自分に対して行っている。突破力よりもシュート力を警戒しての選択だろう。

 それなら、とパスモーションをかける。清田がハイポストにあがってきたためだ。一瞬、植草が気を取られ──、よし、と小菅は一気に抜き去りにかかった。──だが。

 

「おお、植草!」

「読んでるッ!!」

 

 フェイクに引っかからずに腰を落として前を塞いだ植草に、チッ、と小菅は舌打ちをしつつ──、とっさに植草の足の間を通してパスを出した。

 

「うまい──ッ!」

 

 すかさず清田が拾いに走り、植草の虚を突いた小菅はマークを外して左ウィングに切れ込んだ。フリーになったところでリターンパスを清田から受け取り、そのままシュートを放つ。

 いけ、と願ったスリーポイントは綺麗に決まり、ワッと海南陣が沸いて、あああ、と陵南サイドがどよめいた。

 差はこれで6点。残り4分強。

 

「さすが海南のエースガード!!」

「いいぞいいぞ小菅! いいぞいいぞ小菅!!」

 

 タイムアウト後の一発。海南を勢いづかせるには十分だろう。

 してやられた植草は僅かばかり焦りを覚え、見越したように仙道が植草の肩を叩いた。

「気にするな。一本、取り返そう」

「……ああ……」

 植草は頷いた。

 しかし、誰の目にも陵南のガード陣が劣勢であることは明らかだった。

 決して控えで出てきた彦一の能力が極端に劣っているわけではない。しかし、海南の小菅・清田のガードコンビは植草・彦一に対してまず身長的なアドバンテージが10センチ以上あるのだ。

 加えて個々の能力も差があれば──必然的にかかる負担も大きくなる。

 植草は小菅に対してシュート力で劣る。それに、と植草は思う。自分より10センチほど高い彼の上から打つのは厳しい。ここはフロント陣のいずれかに繋ぎたい。が、きついチェックにあっており、必然的にボールを集めやすいのはマークの薄い彦一になる。

 ここは彦一にパスして先ほどの小菅のようにリターンで自分が決めるべきか。しかし、おそらくは読まれている。どうやって彦一に繋ぐか──。

 植草は目の端で彦一を捉えながらも目線は福田を捉えて、パスモーションを一切見せずにノールックで彦一の方へ素早いパスをさばいた。が──。

 

「甘いッ!」

 

 やはり読まれていたのか。勢いよくパスカットに飛び出した清田がそのままインターセプトして一気にワンマン速攻に繰り出した。

 すぐさま陵南全員で自軍のコートに戻るが──追いつけない。

 怒濤のように観客が盛り上がり、ゴール下で清田は勢いよくコートを蹴った。

 

「これが全国一のシューティングガード・清田信長だ、くらええええ!!!」

 

 もう少しで仙道が捉えるというところで清田は常人離れした飛距離の跳躍力でかわして力強いダンクを決め、海南陣営は踊り出す。

 

「うおおおおお、良いぞ清田ーーー!!!」

「すげええええ、これで4点差だ!!」

 

 見ていた紳一はというと、頼もしい後輩に感嘆する間もなく諸星を羽交い締めにしていた。

「落ち着け、落ち着け! あれは言葉のアヤだ! 見逃してやれ!!」

 清田の「ナンバー1シューティングガード」発言に一気に怒りのゲージが上がった諸星は興奮のままに立ち上がろうとして紳一に止められ、プルプルと拳を震わせていた。

 そうして、ドカッと席に腰を下ろしなおして歯噛みする。

 もしもいまコートにいるのが越野だったら。「そこの二年坊に負けんな!」とでもハッパをかけてやれるが──、今の彼らにこの煽りは逆効果だろう。

 ガード陣が海南ガードに対抗できないとなると、試合をする上でのダメージが大きすぎる。

 仙道、と諸星は低く呟いた。状況は不利かもしれない。だが、一本取られたら一本返す。これでいいんだ。負けんじゃねえぞ、とグッと拳を握りしめた。

 

「あああ、もう、見てられへんわ……!!」

 

 プレス席で、彦一の姉である弥生は頭を抱えて首を横に振っていた。

 仕事なのだから、冷静でいないといけないと分かってはいても。誰がどう見ても弟のせいで陵南は追いつめられていっている。もしも優勝を逃せばどうなるか……考えただけでも恐ろしい。

「だ、大丈夫ですよ相田さん……。彦一君、さっきより動けるようになってきてますし」

「せやかて……! 仮に実力以上のもんが出せても、あの子はまだまだ海南に挑戦できるような力はあらへん!」

 訛りが口をついて出るあたり、自分でもどうしようもなく動揺していることを弥生は悟った。

 陵南は、仙道を除けば個々の能力のバランスではやはり海南に劣っている。しかし、それを上回るチーム力で素晴らしいチームに昇華したのが今年の陵南だ。それに仮にガードの一人が抜けてもそこそこ戦えることは豊玉戦でも証明されていることだ。

 だが、優勝は──きっといまのコート上のメンバーでは狙えない。

 情けない、が。仙道君、なんとかしてや。と、仙道に願わずにはいられない。彼が去年、そのプレッシャーを受けてギリギリだったことを目の前で見ておきながら、結局は自分さえそう願ってしまう。

 あかんあかん、と何とか弥生は自分に言い聞かせた。陵南の勝利も、海南の敗北も、望んではいけない。自分は記者なのだから、と自身を奮い立たせるように強く思い直した。

 試合は、あと4分──。



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59話

『ここまで来れたことは、やっぱ仙道のおかげだ。仙道がいてこその陵南だ。オレはやっぱ、アイツを勝たせてやりてえ! この陵南で、アイツを勝たせてーんだ!』

 

 おかしい──、自分の声が聞こえる。

 

『オレがチームを勝たせてやる、くらいに思ってろ』

 

 この声は、諸星さん……? 諸星さん、オレ、けっこう上手くなったって思ってるんですよ。見てくれてましたか?

 オレたちだって、仙道と一緒に走っていける。みんな、ちゃんとそう思って頑張ってきたんです。

 

『明日……、絶対、勝ってやろうぜ』

『おう』

『おう』

 

 勝つんだ。今度こそ──海南に。海南に勝って、オレたちは──。

 そこでハッと視界が開けた越野に見えたのは、薄ぼんやりとした白い天井。徐々に視界がクリアになって、はっきりとした白が瞳に映し出されてくる。

 

「あ、越野さん! 良かった、気づいたんですね」

 

 声をかけられ、横を向くと後輩の二年生がホッとしたような表情でこちらを覗き込んできた。うまく状況が掴めないでいると、白衣を着た年輩の男性が後輩の横に立ってこう言った。

「軽い脳しんとうを起こしていたみたいだね。あまり心配はいらないと思うけど……、一応病院に行った方がいい」

 そこでハッとした越野は、カッと目を見開くと勢いよく腰を起こした。

「そうだ、試合は──ッ!?」

 思い出した。確か清田のダンクを止めに行って、そこからぷっつり記憶が途切れている。あの時、頭を打ったのだろう。

「試合はどうなってんだよ!?」

 後輩に詰め寄るも、おそらく自分に付き添っていた彼は知らないのだろう。困惑した表情をしており、チッ、と舌打ちした越野は一気に布団を捲り上げた。

 少しだけ頭がふらついて額を押さえると、白衣の男性が困ったような声を漏らした。

「ああ、君……。今日はもう安静にしていたほうがいい」

 ──冗談じゃない。死んだって、このまま終われるか! 勢いよく寝かされていたベッドから降りて立ち上がると、越野はいったん男性に頭をさげてからダッシュでその場を離れた。

「越野さん!!」

 後輩の声さえもう耳には入らなかった。試合はいったいどうなったんだ。もう終わったのか? 結果は──。

 

「仙道、行ったあああ!!」

 

 その頃、陵南と海南はとった取られたを繰り返して3点差から7点差を繰り返していた。

 陵南はオフェンス時のボール運びに仙道を加えたスリーガード体勢に変え、トップに仙道が立って植草・彦一を両ウィングに置くという攻めの体勢を整えていた。あえてゲームメイクの軸を仙道が担うことによって、比較的フリーになりやすい彦一にもシュートチャンスを与えるためだ。功を奏して彦一のミドルシュートが決まれば、海南はディフェンスを必然的に外に広げざるをえない。

 すれば──、俄然ペネトレイトしやすくなり、道も開ける。

 中へ切れ込んでからのアシストパスを出し、福田がベビーフックでリングにねじ込んで、仙道は、ニ、と口の端をあげると福田の手を弾いた。

 

「さすがにしぶといヤツだ……。仙道……!!」

 

 海南ベンチでは高頭が愛用の扇子を握りしめて歯噛みしていた。

 彼を「天才」と言わしめている一番の要因は、この多彩さだ。オフェンスもディフェンスも、あっという間にチームのカラーを変えてしまう。

 だが、「強者」であるのは我が海南だ。と高頭は腕を組む。「常勝」海南が、常勝であり続けたのは、選手達一人一人のたゆまぬ努力と、慢心の無さにある。

 

 ワッ、とギャラリーが沸いた。

 

 彦一の放ったジャンプシュートがリングを弾き、海南・田中がリバウンド争いで競り勝ってカウンターで一本返し、海南が3点差に詰めて高頭は強く頷いた。

 

「ディーフェンス! ディーフェンス! ディーフェンス!」

「止めてくれええ!! 頼むーー!!」

 

 残り時間50秒。陵南オフェンス。海南は、これを止めれば大きい。逆に、取られれば大幅に不利になる。

 必死に声をあげる応援席に呼応するように海南のディフェンスはよりタイトに、終盤とは思えないほどの動きを見せた。

 それでこそ海南だ、と高頭は唇を引いた。

 対する陵南はシュートチャンスを得られない。オーバータームが迫ったプレッシャーを読んでか、ゴール下からハイポストにあがった田中が不意打ちでパスカットからボールをもぎ取れば、ワッと海南陣営が沸き、陵南の選手達は慌てて自陣コートに戻っていく。ターンオーバーだ。

 これでウチはこの試合、最後の攻撃だ──、神が仲間を励ますようにメンバーを見渡しているのが高頭の瞳に映った。

 うちに「天才」はいない。だがウチが最強。──神は、そんな海南の伝統に則ったチームを見事に作り上げてくれた。

 誰より努力し、誰よりも内に闘志を秘め、誰よりも冷静に戦える。神は、神奈川のMVPを取るに相応しい選手だった。神奈川ナンバー1は、仙道ではない。海南の神だ、と強く浮かべた高頭は思わず立ち上がって叫んでいた。

 

「攻め勝てええ! 神ーーッ!!」

 

 3点差──、スリーポイントなら一発でイーブンにできる数字だ。

 だが、陵南がいまもっとも警戒しているのは神のスリー。簡単に打てれば苦労はしない。

 

「オーフェンス! オーフェンス! オーフェンス! オーフェンス!」

「ディーフェンス! ディーフェンス! ディーフェンス! ディーフェンス!」

 

 両陣営の声がアリーナに響き、逆に観客達は息を呑んで試合の様子を見守っていた。

 紳一たちにしてもそれは例外ではなく──、3人とも息を呑んで、いや、汗ばむ手で手すりを握りしめて行く末を見守っていた。

 

 陵南が逃げ切るか──。海南が捕らえるか。

 

 20秒切っている。

 ──ここは、絶対打たせん。そんな気迫が伝わるような仙道のディフェンスだ、と神は感じた。福田、菅平までウィングサイドにあがってきている。完全に中を捨てている証拠だ。──なら中にカットインで切れ込んでやるか? インサイドプレイは、今でも得意だ、とカットインしようとして神は思い留まった。

 そうすれば思うつぼだ。彼らは無理に止めようとせず、喜んで打たせるだろう。そして一点差で陵南の優勝だ。

 ここは、賭けだ。と、神はスリーポイントのラインだけを警戒している彼らの裏をついて、ペイントエリアに強引に走り込んで小菅からパスを受けた。

 10秒を切った。カウントダウンが始まる。そうなると彼らは更にスリーを警戒して外に出させてくれない。

 けれど──。

 

「囲めええ! 神を外に出させるなああ!」

 

 3枚にガードされつつも、神はディフェンスを背に強引に身体を外に押し出した。3人分のハンズアップが周囲を覆う。もはやかわすには、一瞬の賭けに出てのターンアラウンドしかない。と、神は正確にいま自分のいる位置を脳裏でしっかりイメージした。──スリーポイントラインの外に、絶対に出なければならない。

 

「神、高いの3枚に囲まれてるぞ!?」

「無茶だ!!」

「いや──ッ」

 

 ギリギリ、一歩で外に出られる。彼らは絶対止めに来る。だから──、と神は力尽くのターンでスリーポイントラインの外に飛び出ると、そのまま床を蹴り、遮二無二シュートにいった。狙いなど、定めていられない。

 リリースの直前、同じく跳び上がった相手の手と身体が接触した。仙道、いや福田か? 

 それでも神はボールを投げあげ──、審判の笛の音がアリーナに響いた。

 

 着地と同時に、青い顔をして陵南の3人がリングを振り返る。確かに時が止まったような錯覚に陥った刹那の後──、ガツン、とボールはリングを弾いて会場はどよめいた。

 

「あああ、失敗……!」」

 

 やはり、ダメだったか。と神は息を吐いた。

 けれども、ほぼ狙い通りだ──、と神は頷いた。リリース時の接触は、相手のファウル。

 審判が仙道のチャージングを宣言して、神はフリースローを言い渡され、フリースローラインに向かった。

 

「スリーショット!」

 

 言われて、ふ、と息を吐く。

 一本でも落とせば、陵南の優勝。全て決まれば、同点延長だ。

 

「神さん……!」

「神、頼んだぞ!」

 

 海南のメンバーが祈るような視線を神に送り、神はまず落ち着いて一本放ち、綺麗にリングに通した。

 その様子をそばで見ながら──、仙道は内心で「延長か」と呟いていた。神がフリースローを外すとは思えない。ほぼ延長戦で決まりだ。

 イヤなことを思い出した。──と、去年の県予選決勝リーグでの記憶が仙道の脳裏に蘇った。あの試合で、自分はどうしても時間内で勝ち越したかった。しかし紳一は同点延長を選択して、結果、陵南は負けた。

 神もそうだ。カットインした時点で同点延長を思い描いていたに違いない。4点プレイが成功するとは初めから考えていなかっただろう。ファウルをもらうかスリーを決めるか。いずれにせよ、彼は延長という可能性に賭けたのだ。

 あの去年の試合の時、延長となれば「負け」だと自分は感じてしまっていた。悪い癖だ。勝負に絶対はないというのに、先をどうしても見越してしまう。その癖が悪い方に発動していた。もっとチームを純粋に信じるべきだった。無心で、そうだ、絶対に勝てる、と諸星のように──と拳を強く握りしめる。

 越野がいない今、チームとして陵南は海南に劣っている。だが、ここで去年のような過ちを犯せば、自分は一生諸星を超えることなど出来ないだろう。

 どう戦う? 延長で──。

 

 見つめる先で神は綺麗に3本のフリースローを決め、海南応援席が沸いた。

 スローワーの彦一がボールを取って外に出るも、残り2秒。

 全員がバックコートに残ってオールコート体勢を見せた海南に、やっとの思いでスローインしたところで植草がボールを保持し、すぐに試合終了のブザーが鳴った。

 

「延長だ、延長戦だーーー!!!」

 

 アリーナが沸いて、選手達はベンチに戻っていく。2分間の休憩のあとに5分間の延長戦だ。

 

「同点……!?」

 

 ちょうどその時、コート入り口の扉を開けた越野の瞳に映ったのはタイムオーバーで73-73を示しているスコアボードだった。

 ザワッと会場がざわめく。退場した越野が現れたためだ。

 

「越野さん……!」

「越野!!」

 

 急ぎ陵南ベンチに駆け寄った越野に、田岡はじめメンバー達が殴りかかるような勢いで詰め寄ってきた。

「越野、大丈夫なのか!?」

「は、はい。ご迷惑をおかけして──」

「延長、出られるんだろうな!?」

 言葉を遮るようにして畳みかけられ、グッと肩を掴まれて、越野は一瞬惚けたあと、力強く頷いた。

「はい! もちろんです、出ます!!」

 頷いた越野にワッとベンチが沸いた。それを見つめながら越野はホッとしていた。不謹慎かもしれないが、記憶が途切れたまま試合終了を迎えることになるよりは、延長という今の結果に安堵したためだ。あと5分くらい、走れる。と自分自身に言い聞かせるように頷いた。

 

 その陵南のベンチの様子を、海南はどこかホッとしたように見つめていた。

 

 一番、安堵の表情を浮かべていたのは清田だ。

「越野さん……。大丈夫そうっすね」

 甘いと言われようが、仮に越野が延長戦で復帰してきて不利になるという懸念よりも安堵の方が勝っているというのが正直な清田の心情だった。

 神も汗を拭いながら、うん、と頷く。

「これで、お互い本当に仕切り直しだ」

「神さん………!」

 咎めるどころか神の同調したような声に清田は声を弾ませた。見上げた神の表情は、闘志と共にどこか達観したような瞳で陵南陣営を見つめていた。

「ベストメンバーじゃない陵南に勝って終わりじゃ、やっぱり悔いが残りそうだからね。最後の試合だ、全力で仙道に……陵南に勝つ!」

「神さん……」

「だろ?」

 最後って、どういうことだ? と一瞬過ぎらせた清田だったが、ニコ、と神が笑みを向けてきて清田は一瞬言葉を詰めると、「はい!」と力強く返事をしてヘアバンドをはめ直した。

 

 会場は、後半の陵南の怒濤のオールコートディフェンスからまさかの越野負傷、海南の猛追と競り合いによる延長……という試合展開を目の当たりにして、ある種の独特な興奮状態にあった。

 

 独特の熱気と緊張感だ。

 インターハイの決勝の、延長戦までのインターバル。

「どんな気持ちなのかな……。仙道くんも、神くんたちも……」

 ゴクッ、と喉を鳴らして色なくつかさが呟いた。瞳は無人のコートを見つめている。

 その横顔を見据えて、諸星は少し目を伏せた。つかさの表情が、コートを追うつかさの瞳が、時おり、羨望と渇望の色を宿すことを知っている。今もそうだ。

「後悔してるか……?」

「え……?」

「バスケットを、やめたことだ」

 つ、とつかさが息を詰めたのが伝った。

「オレは、後悔してる」

「大ちゃん……?」

「お前に、ちゃんとしたバスケの道を示してやるべきだった。お前を、ちゃんとした女子バスケのある中学へ行くよう諭すべきだった」

 諸星はなお、眉を寄せた。

 自分も、紳一も、そしてつかさも、あの頃は違う場所でバラバラにバスケットをすることなど考えられなかった。いくら周りに言われても、自分たちより力の劣る女子だけのバスケットにつかさが混ざるということは考えられないほど、確かに彼女の力は突出していた。それが例え、成長前の一瞬のことだったとしても、あの頃はそれが事実であり、全てだったのだ。

「お前も知ってるだろ? 女子バスケは、愛知の天下だ。今ごろ、隣のアリーナじゃ愛知が今年も連続優勝を決めてるはずだ。お前がもし、ちゃんとバスケ続けてりゃ……オレや、もしかしたら仙道なんかよりずっとスゲー選手になってただろうに。オレたちが、そのチャンスを潰したようなもんだからな」

 やり直す機会は何度もあったはずだ。中学にあがる時、そして4年前のあの夏。なぜバスケそのものを諦めさせるようなことをしてしまったのだろう? お前は強い。女子の中なら、おそらく誰にも負けないエースになれる。だから高校はちゃんとバスケの強い高校に進学しろと、なぜ言ってやれなかったのか。今さら悔いても遅いことを知っていても、時折どうしても考えてしまう、と諸星は表情をゆがめた。

「大ちゃん……」

 つかさは少し目を見開いて、少しコートの方に眼を流してから薄く笑った。

「ありがとう」

「は……?」

「嬉しいな、大ちゃんの中で、バスケット選手の"牧つかさ"はそんなに評価が高いなんて」

「な、なに言ってんだ! 当然だろ、エースだったんだぞ、お前は! 今でもオレは……!」

 最高のフォワードはお前だと思ってる。と言おうとした諸星に、なおつかさは笑った。

「うん。もし女子バスケをやってたら、大ちゃんの言うとおりだったかもしれないし……全然ダメになっちゃったかもしれない。でも、私、後悔してない。私は今、昔に戻れたとしても女子バスケの道は選ばないと思う」

 言って、つかさはベンチの方を見下ろして頬を緩めた。

「だって、女子バスケを選んでたら……、私はきっと仙道くんと一緒にいられなかった。私は、自分の限界までバスケットをやった。そして仙道くんに出会えて、こうしていま、頑張ってる大ちゃんとか仙道くん達をそばで見られて……私は、今がいい」

「つかさ……」

「もちろん、私も仙道くんや大ちゃんみたいなプレイが出来たらな、って思うことはあるけど……。でも、今はそれをそばで見られて、嬉しい」

 眼を細めたつかさを見て、ふ、と諸星の脳裏に数日前の公園での出来事が蘇った。

 ──大ちゃん、バスケやろうよ、3人で! と、自分と紳一を見つけてつかさは黄昏の空間で屈託なく笑っていた。

 確かに自分たちの原点だった、あの場所。3人、一緒にボロボロになるまで夢中でバスケットで遊ぶことが全てだった、幼い頃の懐かしい光景が蘇ったことがまるで夢のようでさえあった。

 だってそうだろう。4年前の夏に、つかさにバスケットを諦めさせた日に悟ったのだ。もう二度と元のような3人には戻れない、と。事実、あの日を最後につかさは一度も公園に姿を現さず、そしてまるで自分や紳一を避けるように親元の遠い国へと去ってしまった。

 もう二度と会うことさえないのかもしれない。とさえ感じていたつかさと再会したのは、それから2年後の夏。すっかり女らしくなった彼女は開口一番に笑顔でこう言った。

 

 ──大ちゃん、神奈川ですごい選手を見つけた。きっと今に大ちゃん以上の選手になるよ。

 

 と──。

 それが仙道彰だった。あの夏の日以来、「バスケット」という単語そのものをまるで「知らない」「なかったこと」のように扱っていたつかさを、再びバスケットのフィールドへ連れ戻したのは他でもない仙道の才能だったのだろう。

 つかさが再びバスケットボールを手にとって、そしてあの公園で笑ってバスケが出来るようになったのも仙道のせいだというのだろうか?

 後悔していない、と笑うつかさを見て、どこか「もったいない」と感じてしまうのは、きっとどうしても想像してしまうからだ。自分にははっきりと見えるのだ。バスケットを続けていれば、今ごろは愛知の高校で「4番」を身につけ、頂点に立っているつかさの姿が。

 けれども、それは自分のエゴなのだろうか? 選手としてのつかさは、日の目を見ることなく。まるで去年までの仙道のように、天才だった、という不確かなものだけを残したまま。

 

 ──ごめんね、大ちゃん。

 

 4年前の夏、苦渋の思いでつかさにバスケットを諦めさせた。そして、追い打ちをかけるように言われた「ごめんね、大ちゃん」という謝罪の言葉。

 あれはいずれ行き着いた当然の結果だった。つかさのエースとしての意地と、エースであった彼女に対する誠意と、どこかで生まれた性差による力の差を受け入れたくなかった自分の引けない意志がぶつかって行き着いた、ただの結果。謝られるようなことではない。

 ただ、3人いつも一緒で辛い練習も辛いとすら思わず楽しくやってきたはずのバスケットが、いつの間にか苦痛で染まっていたのが無性にやるせなかった。

 

『大ちゃん、バスケやろうよ、3人で!』

 

 つかさにとっては、女子バスケの道で栄光を掴むよりも、自分たち3人で再び笑ってバスケットができることのほうが重要だったのかもしれない。

 やはり、エゴなのかもしれない。やり直しが効くなら、彼女に女子バスケットをさせたい。いや、彼女がもしも少女ではなく少年だったら……などと考えてしまうことは。

 だとしたらこれもエゴなのだろうか?

 自分以上の選手になる、とつかさが見込んで、そして自分もその素質を認めている男に結果を残して欲しいと思うのは。と諸星は陵南ベンチを見下ろした。

 

 ──根性見せろよ、仙道。



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60話

 ──根性見せろよ、仙道。

 

 諸星の無言のエールを受けるようにして、ふ、と仙道も応援席の方を見上げていた。

 あと5分。それが自分の現役生活で残された最後の時間だ。

「つかさちゃん……」

 インターハイを通して、彼女は公式戦の会場では必ず着ていた海南の制服を着ていない。海南の試合ではなく、全て陵南の試合を見守っていてくれたことも知っている。

 おそらく、諸星も──。

 

『本当に凄いフォワードだったぞ……』

『あれこそ、まさにエース・オブ・エースと呼ぶにふさわしい選手だった』

 

 彼女を知る人間は、バスケットをやめた彼女を惜しみ、そして彼女や諸星は「もしも男だったら」と叶うはずもない願いの果てに行き場をなくした。

 けれども、確かにそう願わずにはいられないほどの選手だったのだ。あの小学生の頃の、まだ少年のようだった頃のつかさは──、と、ビデオで見た彼女の姿を仙道は脳裏に描いた。

 諸星や紳一が見ていたのは、そんなエースの背中だ。いまも、彼らの中に棲んでいるのはあの頃のつかさの姿なのだろう。

 何も知らなかったからな、と自嘲する。辛そうにバスケットをする彼女が気にかかって、笑わせたくて、彼らが見ていた「牧つかさ」を知ったのはもう後戻りができないほど溺れたあとだった。

 けれども、やはり自分は彼女が女の子で良かったと思う。ずっと自分の隣で、笑っていて欲しい。だから──。

 

「……勝ちてえ……」

 

 聞き取れないほどの声で仙道は呟いた。

 きっと、つかさはここで自分が負けても変わらず自分を好きでいてくれるだろう。だが、ここで結果を残せなければ彼女の隣には並べない。

 海南よりも自分を優先してくれ。かわりに諸星以上になってみせると言っておいて、「無冠の天才」のまま終わってヘラヘラしていられるほど、落ちぶれていないつもりだ。

 それだけの準備はしてきた。と、自信を持って言える。神にだって、負けてはいない。

 

「……勝ちてえ……!」

 

 陵南に、バスケットのためだけに入学して──天才と言われて──、まだ一つも何かを残せていない。

 まあ、いいか。で済ませられない。いま、目の前にあるインターハイ制覇。それを、自分は欲しい。

 

「仙道……?」

「仙道……」

 

 ハッとした仙道の瞳に、珍しいものでも見るような陵南メンバーの表情が映った。

 そうだ、自分はこのメンバーと、そして田岡と共に「勝ちたい」。いままで、いつもいつもあと少しのところで取り逃がしていたものが、欲しい。

 このメンバーで。と仲間達を見渡すと、彼らはあまりにもキョトンとした表情を浮かべており、仙道としても逆に「ん?」とキョトンとして瞬きをすると──、今度はワッと声をあげて全員が拳を握りしめた。

「ああ、絶対勝ってやろうぜ!」

「勝つ……!」

「勝とう!」

「勝ちましょう!」

 そうしてみんなが力強く言い放ち、グッと彦一も拳を握りしめていた。

「みなさん、頼んます! ワイ、迷惑ばっかかけてしもて……。ほんまやったら、勝っとったとこやのに」

 そんな彦一の肩に菅平が手を置いた。去年、魚住の控えとして試合に出て手痛い思いをした分、気持ちが分かるのだろう。

 バーカ、と越野は腰に手を当てた。

「まだまだお前に俺の代わりが務まるほど、俺はチョロかねーよ!」

「越野さん……」

「気ぃ失ったのは俺のミスだ。同点延長……、上等じゃねえか! 去年の借りを返す絶好のチャンスだぜ、なあ?」

「おう!」

 越野の力強い声に彦一は少しばかり安堵したような息を吐き、田岡は「うむ」と強く頷いた。

「よく言った越野! そうだ、ここからだ。あと5分、お前達の全てを賭けて絶対に勝つんだ!」

「──はい!」

 仙道も、ニコ、と笑い──、いままで一度も率先してやらなかった「体育会系」じみたこと──円陣を組んで、キャプテンらしく声をあげる。

 

「さあ、こっからが勝負だ! 陵南ーーー!!」

「ファイオーー!!」

 

 その気合いに会場が「おおお」とどよめく。

 

「すげええ、陵南!」

「すごい気合いだ……!!」

 

 海南陣営もあまり見慣れない陵南の姿に思わず陵南ベンチを注視していた。

「すげえ気合いだ……さすが仙道さん……」

「あはは、あの仙道が熱くなってるなんて、良いもの見ちゃったな」

「って、笑い事じゃないっすよ神さん!」

 突っ込んだ清田に、ふ、と神は微笑んでから表情を引き締める。

 うむ、と高頭も厳しい顔で頷いた。

「ここからが本当の勝負だ。いつも通り、王者・海南の底力を見せてこい!」

「──おう!」

 海南メンバーが力強く返事をしたところで、オフィシャルテーブルズがインターバル終了を告げ、選手達はコートへと向かう。

 

「それでは、これより5分間の延長戦を行います──」

 

 追い上げムードの海南だったとはいえ、越野が戻ってくれば前のようにはいかない。

 越野が失神前のようなパフォーマンスを出来るかはともかく、高頭は越野が戻ってきたことを踏まえて、とある指示を出していた。

 ジャンプボールは海南が勝ち、小菅にまず託されたところで海南オフェンスから延長が始まった。

 そうして小菅を除く全ての選手がハイポストで横一直線に並び──おお、と観客がどよめく。

 

「あれは……ッ!」

「1-4オフェンス!? そうか、ゾーン対策だな!」

 

 フリースローラインに一直線に4人が並んだことにより、全員に対して小菅はワンパスが可能になる。

 ディフェンスは、迷いが生じる。どこにパスが通るか。

 一瞬、目線を鋭くした小菅は植草が策を巡らす前に勢いよく右端にいた清田へとパスを出し、自分はそのままペネトレイトを試みた。

 

「スイッチ──ッ!」

 

 抜かれた植草が叫ぶと同時に、海南勢はディフェンスにスクリーンをかけてペイントエリアを空ける。そこで小菅は清田からのリターンを受け取ってそのままレイアップを決めた。

 

「うおおお、はえええ!」

「先取点は海南だああ!」

「いいぞいいぞ小菅! いいぞいいぞ小菅!!」

 

 越野が戻ってベストメンバーでの延長戦となった陵南に対して海南の先取点が与えたダメージはおそらく大きかっただろう。

 少なくとも、応援席で諸星もつかさも感心しつつも渋い顔をしていた。

「試合中、越野が退場する前の陵南は常にアドバンテージを取っていた。対策を取らないとチーム力で劣ると判断した高頭監督の采配だろうな」

「1-4のセットオフェンス……。陵南のトライアングルのほうが難しいことはやってるけど、5分間で限定的に使うには効果的よね……きっと」

「ああ。慣れたころに試合終了だからな。しかも……、わざわざ小菅がポイントを取った。陵南としちゃ、どのサイドプレイヤーを使うかと警戒していたところにコレだ。ディフェンスは益々迷う羽目になる」

 いずれにせよ、時間はたったの5分。1ゴールの重みは通常の試合中とは桁違いとなる。

 

「一本! 一本じっくり!!」

 

 植草は植草で、自分を落ち着けるように指を立ててそう言った。

 ここで慌てたら終わりだ。越野が帰ってきた以上、オフェンスはこちらに有利。パスを回して、動いて、30秒フルに使って確実に決めればいい。

 海南はゾーンディフェンスだ。中を警戒している。

 

「植草──ッ!」

 

 15秒を切ったところで、越野が手を挙げて清田が反応した。その一瞬を狙って、植草はローポストの菅平にパスを通した。ハッとした海南が小さいゾーンを敷くも、菅平はシュート体勢と見せかけてサイドにいた仙道にボールを渡した。

 

「打たすかッ!」

 

 そのまま鋭く切れ込んでいった仙道に田中・鈴木の二人が跳び上がる。すると仙道は跳び上がった体勢でそのままノールックパスをミドルに走り込んできた福田に通した。

 

「フッキー!」

 

 すぐに反応した神が跳び上がる。が、福田はターンアラウンドでそれを避け──、きっちりと綺麗なジャンプシュートを放って、ワッ、と観客を沸かせた。

 

「お見事、陵南!!」

「ナイスアシスト、仙道ッ!!!」

 

 強い陵南が帰ってきた。そんな待ちわびたような観客の声援だった。

 よし、と諸星もガッツポーズをしてつかさも手を叩く。

「よく決めたぞ、福田!」

「福田くんが……ターンからのミドルなんて……!!」

 二人とも、彼がミドルレンジを苦手としていることを見知っているため感慨もひとしおだった。

 

「いいぞォ、福田!」

「福さん、ナイッシュー!!」

 

 ベンチでも田岡が手を叩き、彦一たちが賞賛の声を送った。

 そして田岡は思う。本当に良いチームになった、と。

 バスケット経験の浅い福田は、なまじオフェンス感覚の才能があったためにインサイドでがむしゃらに攻めることのみに特化した選手だったが、いまでは苦手だったディフェンスを地道に強化して、オフェンスの幅さえ確実に広げた。

 越野は持ち前の負けん気で、どうにか一流のシューティングガードに近づこうと切磋琢磨し、今や陵南に欠かせない司令塔の一翼を担ってくれている。菅平はまだまだ魚住には及ばないものの、先輩達に追いつこうと2年ながらに必死にセンターを務め、植草は持ち前のスキルに一段と磨きをかけた。

 なにより仙道が勝利への意志を見せ──、厳しい練習を全員が耐え抜いて、いまこの舞台に立っている。

 夢ではない。彼らの頑張りが自分をこんな最高の場所へ連れてきてくれ、今なお必死に戦っているのだ。ここは絶対に獲らせてやりたい、とグッと手を握りしめる。

 

「田岡先輩……!!」

 

 さすがにベストメンバーの陵南は良く練られている、と思わず高頭は陵南ベンチを睨んでいた。

 個々では海南が勝っているのは誰の目にも明らかだ。しかし、「天才」仙道を中心にじっくりと時間をかけて陵南というチームを磨いてきた。その田岡の努力は認めてしかるべきだろう。

 しかし。海南とて負けはしない。

 そうだろう? 神──! と高頭が拳を握りしめたところで、コートでは神がシャッフルカットからのポストプレイを受けてインサイドに切り込んでいた。

 

「おおおおッ!?」

「神のポストプレイッ!」

 

 そのまま神は福田・菅平をかわしてレイアップを決め、ふ、と息をつく。まさに元インサイドプレイヤーを思わせる、圧巻のプレイだった。

 元もと、こっちの方が得意なんだ。成長したのは君たちだけじゃないよ、フッキー、仙道。──そんな思いを過ぎらせつつ、神はコートへ戻る。

 

「ジンジン……」

「神のヤツ……!」

 

 取られたら取り返す。スリーポイントだけではないと見せつけるようなプレイに仙道は渋い顔ながらも、ふ、と口の端をあげた。

 やはり海南はいいチームだ。今も、全員が神にインサイドで点を取らせるという意志を共有していた。

 だが、こちらも負けてはいられない。

 植草がミドルポストにいた福田にパスを繋いでサイドに抜け、福田が更に越野に回した隙に仙道は逆サイドからインに走り込んで越野からのパスを受けた。

 取られたら取り返す。一気にドライブ──、と見せかけてクロスオーバーでかわし、バックドリブルした後にハンドリングで一歩退いてスリーポイントラインの外に出ると、ハッとした顔をしたディフェンダーの神に、ニ、と笑ってみせた。

 そうしてそのままひょいとボールを投げあげる。

 

「仙道のスリーだああ!」

「しかも神の上からッ!!!」

 

 ワッ、と会場が沸いたものの──、神としては内心穏やかではない。

 仙道に外があるのは分かっていたのに、ドライブを警戒するあまりに離れて守りすぎた。と自省しつつ切り替えてオフェンスに向かう。

 スリーでやられたら、スリーで返す。と思うも、どうやってフリーになるか。陵南は1-4オフェンスの対応にまだ戸惑っているが、仙道だけは自分をフリーにしてくれない。

 小菅はボールを鈴木に回し、そこから鈴木がディフェンダーに阻まれながらもシュートを放てば、リバウンド争いが始まる。その瞬間、神はハッとした。ゴール下では田中が菅平とポジション争いをしている。──勝てる、と踏んだ神は自分もリバウンドへ向かうモーションフェイクを入れると、仙道もリバウンドのためにコートを蹴ったのを視認したと同時に一気にゼロ角度のサイドに抜けた。

 

「田中! 外ッ!」

 

 そうして田中がボールを掴んだのを確認すると、パスをもらい──そのまま邪魔のない状態でボールを高く投げあげた。

 

「おおおおお、さすが神! すぐにスリーでお返しだあああ!!」

「すげえええ、なんて綺麗なフォームだ……!」

「日本一のシューターは伊達じゃねえッ!」

 

 両キャプテン揃ってのスリーポイントに、会場は海南・陵南コールがせめぎ合って渦のような盛り上がりを見せている。

 紳一も、諸星たちも手に汗握るせめぎ合いに食い入るようにコートを見守った。

「神は、本当に良い選手になったな……」

「うん。神くん……本当に努力してたから……」

「だが陵南だって負けてねえはずだぜ……!」

 諸星はグッと手すりを握りしめる。その先で、僅かだが仙道が植草にアイコンタクトを取ったのが見えた。これだけ鮮やかに神にしてやられたのだ。内心、仙道としては燃えているに違いない。

 ──ああいう時の仙道はとんでもないことをやらかす。何をやるつもりだ? と諸星がゴクリと喉を鳴らす先で、植草は常のようにたっぷりと時間をとってから越野へとボールを回した。

 そして植草はペイントエリアへ走り込む。諸星には全く彼らの戦略が読めなかった。フィニッシャーは植草か? しかし、ゴール下には海南が3枚。無茶だろ、と歯を食いしばっていると、植草は敵に囲まれながら遮二無二ゴールに向けてボールを放った。

 ああッ! と諸星が悲鳴に近い声をあげたと同時に、やはり植草の無謀なシュートはバックボードにぶち当たり──頭を抱えそうになった諸星はその瞬間にとんでもないものを目にした。

「なッ……!!」

 まるでバックボードにあたることを見越していたかのように跳ね返ったボールをインサイドに走り込んできた仙道が空中でキャッチし、そのままリングに叩き込んだのだ。

 会場全体が唖然として、アリーナを一瞬の静寂が襲った。刹那──、割れんばかりの喝采が巻き起こる。

 

「うおおおお、なんだ今の!?」

「信じられん!!」

「アンビリーバブルやああ! 仙道さんッ! 天才ッ!」

 

 さしもの紳一も絶句しており、諸星もまさかこう来るとは全く予想だにしておらず頬を引きつらせた。

「ティ、ティップスラム決めやがった……。そうか、アイツら、あれを最初から狙ってたってわけか……」

 呟く諸星の隣でつかさも目を見開いていた。

「す……すごい……」

 ダンクシュートは男子の専売特許のようなものだが──あれは見た目以上に難しいはずだ。植草-仙道の絶妙のコンビネーションの成せる技と言ってもいい。

 

「仙道! 仙道! 仙道! 仙道! 仙道!」

 

 会場は今の一発が効いたのか、唸るような仙道コール一色で染まった。

 しかし──。超えてきた修羅場の数の差だろうか。海南は動じず、落ち着いて自分たちのオフェンスできっちりと一本返してみせ、差は開かず、縮まらない。

 

 残り1分5秒に迫ったところで、82-84。海南2点リード。

 植草は考えを巡らせた。これまで互いに攻撃をほぼ30秒フルに使ってきたが、あと一分強ではフルに使ってポイントを取ったとしても同点。最後の30秒で守りきっても、更なる再延長が待っているだけだ。──それは避けたい。と、さすがに息切れを感じて、フー、と息を吐いた。

 こうなると海南が先取点を取ったのが重くのし掛かってくる。いずれにせよ、攻撃の回数を増やさなくては。せめて、ラスト15秒でも構わない。攻撃の時間が欲しい、と植草はこのターンを早めに終わらせる筋立てをして、スローワーの越野からボールを受け取った。

 ここは、とにかく攻めるのみ、とじっくり待たずに切り込んでインサイドの福田・菅平を見やる。海南は、どうあっても一番に仙道を警戒している。だから中が手薄になりやすい、といったん越野に戻したボールのリターンを受け取って、ギリギリのアンダーパスをゴール下の福田に通した。が。

 

「打たすかあッ!!」

 

 海南の鈴木がシュート体勢に入った福田を全力でブロックにかかり、植草は「リバウンド!」と叫んだ。菅平が必死に田中をスクリーンアウトで封じ、植草は仙道に目配せした。それを見られたのだろう、ハッとしたように小菅が仙道へのパスコースを塞ぐ。

 が、目配せはただのフェイクだ。リバウンドをもぎ取った菅平からのパスを受けた植草は、逆ウィングにいた越野へ弾くようにしてパスを通した。

 残り48秒──、越野のジャンプシュートが決まって、どうにか陵南は同点に追いついた。

 

「ディーフェンス! ディーフェンス! ディーフェンス! ディーフェンス!」

「オーフェンス! オーフェンス! オーフェンス! オーフェンス!」

 

 互いにラストの1本勝負となり、両陣営が死にものぐるいで声をあげる。

 

「攻めろーーー、お前らああ!!」

「守れッ! ぜってー守れッ!!」

 

 横で絶叫する紳一と諸星の声を耳に入れつつ、つかさはギュッと手を握りしめた。

 残り45秒。同点。守りきって、そしてポイントを取れば陵南の勝ちだ。

「仙道くん……!!」

 勝負である以上、両チームとも勝って欲しいなどと都合のいいことは言えない。ただ。ただ──、もう仙道の敗北した姿は見たくない。呆然とする仙道も、苦しさから解放されたような顔をする仙道も、見たくない。

 

「仙道くん──ッ!!」

 

 陵南は海南オフェンスを機能させまいと死にものぐるいで当たっている。ベンチも後押しして声が枯れるほどに叫び声をあげ──、30秒オーバータイムのカウントダウンが始まったところで、攻め手を欠いた海南はボールを保持していた清田が越野のディフェンスをかわせないままにミドルからジャンプシュートを放った。

 

「リバンッ!」

 

 そして、ゴール下での熾烈な争いを制したのは──、誰よりも高く跳び上がった仙道だった。

 ワッ、と会場が沸き、海南勢は電光石火の速さで自軍のコートに戻った。

 残り20秒。さすがに速攻は無理か、と仙道は少しばかり息を荒げながらフロントコートを見やる。

 ──これを入れれば、勝ちだ。

 ゴク、と仙道は喉を鳴らした。──勝つんだ、絶対に──!

 

「仙道!」

「仙道さんッ!」

「勝ってくれ、頼むーー!!」

 

 もう、誰にも負けねえ……、と歯を食いしばった仙道の脳裏に、一瞬、ふっ、とつかさの背中が過ぎった。

 エースの中の、エース。勇ましく敵陣の中へ駆けていく、──あの背中こそが、その証だ。こんな幻でさえ頼もしい。と、なお仙道は前を見据える。

 ここにいる誰にも負けられない。負けねぇ、とフロントコートにあがれば海南は神・鈴木のダブルチームで阻んでくる。

 植草には小菅がみっちりと付いており、隙をついて越野にボールを渡した仙道はそのまま中に進入して再び越野からボールを受け取った。

 残り、10秒を切っている。背中をディフェンスに預けて、考える。押し切ってファウルをもらえるか? いや──、このディフェンスを、かわしてみせる。

 かわしてやる。──と、仙道は目線だけでちらりとリングを見やり、ゴールまでの距離を正確にイメージした。そして、数回のドリブルののち思い切りコートを蹴って跳び上がる。

 ヘルプに飛んできた清田も含めて3人が完全にゴールへの道をふさぎ──、仙道は空中でくるりと身体を捻ってゴールに背を向けると、まさにブロックを避けるようにしてボールを高く放りあげた。

 

「──ッ!?」

 

 清田、そして神が目を見開き──、観客席で見ていた紳一も、諸星もこれ以上ないほど目を見開いた。

 

「あれは……つかさの……!!」

 

 つかさも思わず口元を押さえた。

 ブロックを避けて舞い上がったボールはこれ以上ないほどの高い弧を描き──、気持ちのいい音を立ててスパッとリングを貫いた。

 

 まさに、時が止まったような瞬間だった。

 裏腹に残り時間だけが過ぎ──、けたたましく試合終了を知らせるブザーが鳴った。

 

「試合終了──ッ!」

 

 審判の声が静寂のアリーナに響き渡り、息を吹き返したアリーナは観客の悲鳴で染まった。

 

「うおおおおおお!!!」

「仙道が決めたああああ!!」

「なんだ今のシュート!? ダブルクラッチ!?」

「後ろから投げあげたぞ……!? なんだあれ!」

 

 思わず仙道がシュートを打った瞬間に立ち上がっていた諸星は、ゴクッ、と息を呑んでから腰を下ろした。

「あれは……、ダブルクラッチからの背面スクープは……。俺たちのブロックをかわすために、つかさが中学に入って覚えた……」

 一人ごちるように言って、乾ききった唇を無意識に諸星は舐めた。結局──、身長差が仇となって自分たちは叩き落としてしまっていたが。一度も日の目を見ることのなかった技でもある。あれほど鮮やかに決まるものなのか、と、いっそ決勝点の鮮やかさに歓喜するのさえ忘れてしまった。

 

「仙道ーー!!」

「仙道ーーー!!!」

 

 シュートを放ったあと、呆然としている神たちを色のない表情で見つめていた仙道に走り寄ってきた越野たちが全員で抱きついてきて仙道は床に倒れ込んだ。

 仙道の耳に、歓喜に沸くベンチの声が聞こえる。植草や越野たちの肩を叩き労いつつ、どうにか起きあがると、床に突っ伏して泣いているらしき清田の肩に手を置いてなだめるような表情を浮かべている神がいた。

 少し眉を寄せて涙を耐えているように見える彼は、視線に気づいたのか清田から離れてこちらに向き直った。

 

「ッ……せ……」

 

 仙道、と言おうとしたのだろうか?

 唇を噛みしめるように結んだ神の頬が少し震えた。涙を耐えているのだと痛いほどに分かる表情だった。

「神……」

「……終わっ、たな……俺たちの……夏」

 一歩近づけば、神も一歩近づいてそう言った。おそらく涙を見られたくなかったのだろう。神は互いの健闘を讃えるようにして仙道の肩に額を置き、背中を叩いた。

「……ああ……」

 仙道も頷いて神の肩を叩いた。

 膨大なフラッシュと拍手が、まるで別世界の出来事のようだった。

 ──最後に戦う相手が、神で良かった。

 お互い、きっとそう思っているに違いない。

 最後に勝てて良かった。自分のバスケット人生でただ一人、畏怖を与えてくれた選手に勝てて──。

 

「86-84で、陵南の勝ち!」

「ありがとうございました!」

 

 そして整列して審判が陵南の勝利を告げると陵南のベンチ陣が雪崩れ込むようにしてコートに入り、長い戦いを終えた5人を迎えた。

 

「うおおおお!!! 勝ったんや、勝ったんやあああ!!」

「全国制覇だああああ!!」

「信じられねええ! すげえええ!!」

 

 はしゃぐ生徒達の横で、一番実感がなく呆然としていたのは田岡その人だった。

「監督ーー!!」

「ワイら、やりましたでええ!!」

 あれよあれよという間に選手達に取り囲まれて持ち上げられ、田岡の身体は宙を舞った。

 

「そーれ!」

「陵南! 陵南! 陵南!」

「そーれ!」

 

 その様子を、海南のベンチから高頭はぼんやりと眺めていた。

 神奈川では負け知らずの海南とあっても、全国では──何度も何度もこうして歓喜に沸く敵陣を見送ってきたものだ。

 この悔しさこそが、常勝・海南の原動力だ。だが──選手たちは本当に素晴らしいプレイをした、と神たちをねぎらってからそっと陵南ベンチへと向かう。

 敵陣の勝利を見送る悔しさは同じなれど、今年ばかりはいつもとは違う。

 

「田岡先輩……」

 

 勝利の胴上げを終えてなお、ぼんやりしている田岡に高頭は声をかけた。

「ん……? 高頭……」

「おめでとうございます。良い試合をさせてもらいました。あなたは本当に、素晴らしいチームを作られた」

 手を差し出せば、ハッとしたように田岡は瞬きをしてからその手を取った。

「あ、ああ……。こっちこそ、良い試合をさせてもらった」

「ま、今年の全国制覇は田岡先輩にお譲りしますよ。次は必ず、海南がもらいます」

「む……」

 言って、フ、と口の端をあげてから高頭は田岡に背を向けた。

 ベンチに戻って後ろを振り返れば、目頭を押さえた田岡が選手達になだめられており「ヤレヤレ」と肩を竦める。

 これでついに監督・田岡の名も全国区、か。──ようやくですね、田岡先輩。と浮かべた高頭は、一度頬を緩めてから再び引き締め直した。これで終わりではない。また明日から、新たな戦いの始まりだ。どちらかがバスケット界から身を引くまで、自分たちの戦いは終わることはないだろう。

 

「つかさ……」

 

 諸星は、仙道の決勝点からずっと口元を押さえて頬を震わせているつかさに笑いかけた。

 仙道は、きっとわざとやったんだろう、と思う。つかさの得意だった技を、最後に決めてみせた。

 全く、敵わねえな、と見守る先でコートでは各校の選手達が整列し、表彰式が始まった。

 

「高校総体男子バスケットボールの部、優勝──神奈川県代表・陵南高等学校」

 

 並ぶ陵南の選手達の顔は晴れやかだ。植草もはち切れんばかりの笑顔で仙道と共に賞状とトロフィーを受け取っている。

 

「準優勝──同じく神奈川県代表・海南大附属高等学校」

 

 歴代でもそうそう類を見ない、同県同士の決戦に観客は海南にも惜しみない拍手を贈った。

 神も小菅も悔いのない戦いをしたのだろう。晴れやかな表情で前に進み出ていた。

 そうして上位入賞校の発表が終わり、各賞の表彰に移る。

 

「それでは続きまして、最優秀選手賞を発表します──」

 

 アナウンスにかぶせるようにグワッと会場が揺れ──諸星も拳を握りしめた。

 

「陵南高等学校・仙道彰さん」

 

 瞬間、割れんばかりの喝采と会場全体に仙道コールがわき起こった。

 

「仙道ーーー!!」

「いいぞーー!」

「凄かったぞーーー!!」

 

 フラッシュが一斉に仙道に向けられ、諸星も、フ、と笑ってからつかさを見やった。

 唇を押さえたままボロボロと涙をこぼしているつかさの肩にそっと手を置く。

 

「お前が見込んだ男は、日本一の選手になったぜ……」

 

 視界がゆがんで、周りがよく見えない。

 けれどもはっきりと分かった。MVPカップを手にとって、仙道はどこかホッとしたように、そして嬉しそうに笑った。

 日本一の選手──。胸がいっぱいだ。今のこの感情を、どう表して良いのか分からない。とつかさは仙道をみつめた。

 ふ、と仙道がこちらを見た気がした。

 ああ、泣いていることを笑っているのだろうか? でも、今はただ、喝采を浴びる仙道がそこにいて、ただただ嬉しかった。



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61話

「はいはい、仙道君、あ、神君もこっちに来てちょうだい!!」

 

 感涙の表彰式終了後──。

 しかし選手達はそう浸っている暇もなく──、表彰式が終われば取材の対応に追われるという責務が待っていた。

 引き上げることを許されなかった仙道と神は、見事に彦一の姉・弥生に捕まってコートの壁際に追いやられていた。

「あの……」

「何なんだ……いったい……」

 困惑気味の二人をよそに、部下を引き連れた弥生は張り切ってカメラを部下に構えさせた。

「優勝・準優勝の神奈川両キャプテンの写真やなんて……、逃したら編集長に大目玉くらうわ! ほら、神君は仙道君の隣に立って! 目線こっちにお願いね!」

 言われて、さらに二人ともバスケットボールを渡され、ポーズを指定されて、互いに顔を見合わせて苦笑いを浮かべた後に渋々付き合った。

 そうして一段落して、仙道はチラリと神を見やる。

「神……、お前、試合前に言ってたけど……お前も引退すんのか?」

「え、終わった直後にもう次の話?」

「あ、いや……」

 何気なく仙道が聞いてみると、神は不機嫌そうな顔をして言って少々仙道は狼狽える。するとワザとそうしてみせただけだったのか、ごめんごめん、と神は笑った。

「うん。ちょっと迷ってはいたんだけど……オレは受験に備えるよ。花形さんみたいに選抜も受験も、なんてことは正直厳しいしね」

「そうか……」

「ま、優勝できなかったのは残念だけど……オレなりにベストは尽くしたつもりだし、悔いはないよ」

 仙道は少し肩を竦めた。自分こそ最後の相手が神で良かった──、と思うものの、勝った自分がそれを言っても今は嫌味になるだけだと理解して口を噤む。

 あ、と神が思いついたような声をあげた。

「最後の、あのスクープ……もしかして狙ってたのか?」

「いや……そういうわけじゃねえけど」

「まさかああ来るとはね……。県大会の時と逆の結果になっちゃったな。って、これは負け惜しみだな」

 ははは、と神は笑って手を振った。

 仙道も手を振りかえして、自分もあがろうとしていると再び弥生に捕まって、雑誌・テレビ各社の揃う取材ブースに連れて行かれ、インタビューを受ける羽目になる。

 やれやれ、と肩を竦めるも、これも義務の一つなのだろう。

「仙道君、まずは陵南の全国制覇、そしてMVP受賞おめでとう」

「ありがとうございます」

「初出場で初優勝という快挙だけど、いまの心境はどう?」

「うーん……、嬉しいですよ。やっぱり」

 インタビュアーは適当にしか答えられない自分より、神にでもインタビューしたほうが聞き甲斐ががあるだろうな、と感じつつ適当に無難な答えを仙道は返していった。

「陵南はこの大会を通して戦術が多彩で、見ている方も楽しませてもらったけど……、やっぱり対戦相手をよく研究してのことかしら?」

「まあ、そうですね。チーム全体でよく練習してきたと思います」

「最終戦が海南というメリットとデメリットはあった? 結果的にはリベンジを果たせたと思うのだけど」

「まあ……、海南は見知ったチームですから、やりやすくはありましたね」

「神君との因縁の対決の感想は?」

「え……因縁? いや……そんなことないっすよ。神は良いプレイヤーですし、国体では一緒に戦った仲ですしね。決勝で神と戦えたのは良かったと思ってます」

 すると記者陣が一気に熱心にメモを取り始め、「この回答はウケたのか?」などと過ぎらせていると、弥生がこんなことを聞いてきた。

「仙道君……。決勝点を決めたのは仙道君だったけど、仙道君の数々のプレイの中でもあれにはとても驚かされたわ。あのクラッチシュートは狙ってのものだったの? それとも、一か八か、だったのかしら」

 瞬間、仙道の瞳孔が少し開いて、仙道は頬を緩めた。

 

「あれは、オレの技ではないんですよ。あれは──」

 

 その後──、閉会式に出席してようやく宿に戻り、感涙の止まらない田岡をなだめたあと部屋に戻って一息つこうとしていた仙道は越野達に捕まって彼らの部屋に連れて行かれ、ベンチメンバー含めた全員で改めてジュースにて乾杯と相成った。

「監督、ボロ泣きだもんなァ。"お前達はオレの誇りだー!"ってさ」

「"お前達を監督出来てオレは幸せもんだ"って何度も言ってたよね……。監督の目にも涙、か」

 越野と植草がそれぞれ田岡の物まねをして部員達の笑いを誘っている。

 みな、それぞれやり遂げたような満足げな表情を浮かべすこぶるテンションが高い。

「いやー、でもホンマにアンビリーバブルですわ! 全国制覇ですよ、全国制覇!」

「ああ、そうだな。日本一、ってことだもんなあ」

 彦一の声を受けて、まるで人ごとのように菅平が笑い、「お前もスタメンだろ!」と突っ込んだ越野は、コホン、と咳払いして仙道を見やった。

「ま、でも……。やっぱお前のおかげだよな、仙道」

「え……?」

「ありがとうな。オレたち、感謝してるんだぜ……。お前とバスケやれて、本当に良かったってな」

 一斉に皆からの視線を受けて、仙道はやや居心地悪く首に手をやる。

「いや……。そりゃ違うっつーか……」

 まいったな、と目線を泳がせていると、越野からバシバシと背中を叩かれ、更に彼は上機嫌で笑い他の部員たちも益々はしゃいだ。

「まあ、オレたちはオレたちで強かったよな!?」

「おう!」

「気絶したときはマジやべーと思ったけど、結果オーライだぜ!」

「ああ、仙道も凄いけど……オレたちはやり遂げたんだもんな!」

「だな!!」

「陵南、サイコーー!」

「フォーー!!!」

 ああ、また苦手な雰囲気になってきた。と、微笑ましく思う反面、仙道は苦笑いを漏らした。

 けれども、このメンバーでバスケットをやってきて良かったと思う。この高校生活で、彼らと共に辛い練習に耐えて、そうして最高の結果を残せた。

 共にやり遂げることができた。彼らは自分にとって、最高の仲間だ。

 

 神奈川に来て──、陵南に入って良かった。運命、という言葉など信じてはいないが、神奈川に来たあの日から、自分の運命は決まっていたのかもしれない。あのコートのある公園で、つかさを見つけたあの瞬間から──。

 

 仙道はハイテンションで盛り上がる部屋をそっと抜けて、宿の外に出てみた。

 夕焼けの朱で空が滲み、なま暖かい風が頬を撫でていく。

 そばの自販機でスポーツドリンクを買って一息ついていると、ちょうど空き缶をゴミ箱に捨てたところで見知った声に呼ばれた。

 

「仙道ーーー!!!」

 

 ハッとする間もなく、振り返った瞬間に声を発したとおぼしき人物は勢いのままに抱きついてきて肩を抱いた。

「よう! お前、ついにやったなコノヤロウ!!」

「も、諸星さん……!?」

「今日はオレが味噌カツたっぷりおごってやるぜ! な!」

 間近に破顔する諸星が映り、祝いに訪ねてきてくれたのだと理解する前に──仙道の瞳には諸星の連れとおぼしき人物の姿が映った。

 

「牧さん……。つかさちゃん……」

 

 紳一の隣にいたつかさは、少し目が赤い。

 そういえば表彰式の時、彼女は泣いていたっけ──と巡らせていると、すぐそばまでつかさが歩み寄ってくる。

「仙道くん……」

 仙道を見上げたつかさは、感極まったようにそのまま仙道の胸に飛び込んで抱きついた。

「おめでとう……、おめでとう……! よかった……、ほんとに、よかった……!!」

 一瞬、目を丸めた仙道も、ふ、と頬を緩ませてそっとつかさの背に手を回して抱きしめる。

 

「……サンキュ……」

 

 その様子を腰に手を当てて、ヤレヤレ、と見やった諸星は、次の瞬間にギョッとして今にも飛びかかりそうな紳一を羽交い締めにするとズルズルと引きずってその場から退散した。

 

 一方の二人は、こうしてゆっくりと互いの体温、存在を確かめ合うのはいつ以来だろう、と互いに感じつつつかさは仙道の胸に頬を寄せ、仙道はそっと彼女の髪を撫で続けた。

 この日のために、この結果のためにずっと離れていたのだ。約束通り、これからはずっと一緒、と互いに無言で微笑み合い、ごく自然に何度かキスを重ねてなお微笑み合って見つめ合った。

「さて……、これからどうすっかな。つかさちゃん、何がしたい?」

「んー……、バスケ、かな。神奈川に戻ったら、仙道くんとバスケしたい」

 そんな事を言い合って、ははは、と仙道は笑う。

「オレ、釣りがしてえ」

「あ、私……」

「ん……?」

「私、制服でデート……したいな。学校帰りとかに」

 控えめにつかさがそんな事を言って、仙道はキョトンとした直後に、ふ、と笑った。そして再び唇を重ね合い、何度も繰り返して次第に没頭していく。

「ん、……んー……ッ」

 あまりに久々だったためか自然とそれは激しさを増して、つかさが無意識に逃れようとするも仙道がそれを許さない。夢中で深いキスを長い間続けた後、仙道はせっぱ詰まったようにつかさを見つめた。

「つかさちゃん……」

 そして熱い吐息と共に唇を彼女の耳元に寄せて囁く。

「オレの部屋、いまから来ねえ……?」

 言いながらグッとつかさの腰を抱き寄せるも、瞬間、ピシッとつかさの表情が凍り、久々にジトッと睨み上げられ、う、と仙道は頬を引きつらせた。

「い、いや……、オレ、一人部屋だし……ははは」

 無理だよな、と一人ごちて、ハァ、とため息を付き、もう一度軽く彼女にキスをしてからそっと大きな手でつかさの頬を撫でる。

「オレたち、明日の朝には神奈川に戻るし……、午後にはあっちで会えるよな?」

 すると、つかさの表情がどこか気まずげに変化し、仙道は眉を寄せた。

「つかさちゃん……?」

「あ、そ、その……。せっかくだから、お盆はこっちで過ごそうってことになってて……その、神奈川に戻るの、お盆過ぎ、なの」

 瞬間、今度は仙道の表情がピシッと凍った。お盆まではあと一週間ほどある。さすがに仙道は落胆を隠せず、つかさも申し訳なさを感じたのか、ごめんね、と繰り返した。

 仕方がない──と感じつつも仙道は乾いた笑みを漏らし、口元を引きつらせながらもう一度つかさを見つめた。

「やっぱオレの部屋……来ねえ……?」

 悪あがきに近いその呟きは、茜色の空間の中にそっと虚しく溶けていった。

 

 

 ──今年の高校総体バスケットボール男子の部。

 史上稀に見る同県同士の決勝戦、しかも延長となったその陵南対海南のテレビ放映は予想外の高視聴率を叩きだした。

 特に神奈川では一躍トップニュースとなり、大々的に号外も配られて両校ともに時の人となった。

 

 まるで夢のような熱戦だった。と、東京の編集部に戻った彦一の姉・弥生は先週のインターハイ決勝戦を浮かべて息を吐いた。

 発表された視聴率の高さと注目度から、編集部は「神奈川完全V!」と題して今週の巻頭特集をインターハイに決め、表紙は検討の末に仙道・神のツーショットで飾った。

 巻頭でも試合終了後のキャプテン同士の涙の抱擁がフォーカスされ──、それは特に購買層外の女性の目に止まったようで発行部数が跳ね上がり、編集部としては嬉しい悲鳴だった。

 ただ──。

 追加取材に行った先で、よほど取材陣に追い回されて付きまとわれていたのか、「げんなり」を隠せていなかった神と仙道の姿を思い出して、弥生は同情気味の表情を浮かべた。

 王者の意地で神奈川を制した神と、最後にそんな神率いる海南に打ち勝ち全国を制した仙道。

 今まで、数多くのライバル対決を目にした弥生でさえも、彼らの辿った軌跡というのは珍しく、また絶妙で──メディアも今後の対決や秋の国体で再び名コンビを見せてくれることを期待して煽っていた。が、二人とも、今後の進退に関しては一貫して回答を濁していた。しかし。

 

『最後に仙道と戦えてよかったです。今後は、友人として付き合っていければいいかな』

 

 ふと、そんな風に笑って言っていた神を思いだして、弥生は彼がもうバスケットを引退する決意を固めていることを悟った。

 そして仙道は──。

 

『あれは、オレの技ではないんですよ。あれは──』

 

 優勝直後の取材で、彼は語った。

 あれは、とある少女の得意な技だった、と。天才と呼ぶなら自分よりそっちにしてください、とサラッと笑って言ってそれ以上は語らなかった彼に報道陣は戸惑ったものの、彦一から事前に情報を仕入れていた弥生にはすぐにピンと来た。国体でスキルコーチを務めた牧紳一の従妹だ、と。

 すぐさま去年の神奈川国体メンバーに詳細を訊いてみると、皆が口を揃えて仙道の言葉を肯定した。

 ハッと気づいて、編集部の資料室にある膨大なバックナンバーを辿れば──7年ほど前の記事を見つけた。

 ミニバスケットの記事の中に、幼き日の紳一・諸星と、伝説のフォワードと呼ばれて将来を期待されていた少女の姿を。

 だが、いくら探しても中学以降の彼女の軌跡は追えず──紳一・諸星と違ってバスケを選ばなかったのだろうと推察するしかなかった。

 再び陵南に追加取材に出かけた弥生は、3年生のまったくいない体育館で弟の彦一に仙道の行きそうな場所を聞いた。そうして言われるままに漁港のそばを歩いていると、釣りに興じる仙道を見つけ、声をかけてみた。

 練習に行かなくていいのか、と問うと、彦一みたいなこと言うなぁ、と思い切り困ったような顔をしていた。

 取材ですか、とどことなく警戒する仙道に苦笑いを浮かべ、個人的なことだと前置きをして訊いた。牧つかさちゃんのことだけど、と。すると彼の雰囲気が少し和らいだのが伝った。

 資料室で彼女の記事を見つけたことを伝え、なぜ彼女がバスケットを続けなかったか知っているかと問うと、ただ笑って彼はこう言った。

 

『オレも彼女も……、楽しくバスケットができればそれでいいんですよ、きっと』

 

 ピンと来て、思わず迫ってしまった。

 まさか引退するつもりかと。どれだけの大学からオファーが来ているかしれないのに、と。

 ははは、と彼は笑った。記事にはしないでくださいね、という言葉と共に。

 仙道彰の大ファンを自他共に認めている。それだけの才能があってなぜ、と思わず詰め寄ったら、ついいま話した通り──楽しくバスケができればいい──だと言う。

 でも、と少しの間を置いて仙道は海の方へと視線を流した。

 やっぱり、一度は勝ちたくなったんです、と。単純な義務感と、陵南のためと、もちろん自分のためということもあったのかもしれない。が、苦しさが楽しさを上回っても、やり遂げる必要があった、と。

 

『天才、なんて呼ばれて……名声なんて望んじゃいなくても、トップを獲るべきだと。証明したかったんだと思います』

 

 どこか人ごとのように言う仙道を見て、悟った。

 その気持ちは、仙道が牧つかさへ感じたことだったのだろう、と。

 決勝点のことを聞かれて嬉しそうに「オレのじゃない」と言ったことも──きっとバスケットをやめてしまった彼女の才能への賛辞と、自分の才能への義務を果たせたから。

 おそらくは、もはや誰が引き留めてももう「バスケット選手・仙道彰」には会えないのだと理解して、最後の質問、と言った。

 仙道彰選手、インターハイの勝因はなんですか、と。

 うーん、と彼は困ったように首に手を当てた。

 

『全て、かな。この場所に来た日から、この結果になるように進んでたんだと思います。監督、仲間、神……。それから、彼女がオレに……出会ってくれたこと』

 

 そうして最後に、彼は高校生とは思えないほどの吸い込まれるような笑みを浮かべた。

 年甲斐もなく、本気で恋に落ちそうやわ。などと考える間もないほどに。

 

「──さん、相田さん! どうしたんですか、ボーっとして」

 

 ふいに声をかけられて、弥生はハッと意識を戻した。

 すると後輩の記者が不審そうな顔をしてこちらを見ており、あわてて取り繕う。

「な、なんでもないわ」

 そうしてデスクに目線を落とすと、今週の週間バスケットボール。少し眉を寄せていると、後ろから別の女性の声があがった。

「今週号、追加発注すごい量で嬉しい悲鳴ですよねー!」

「あ……。ええ、そうね」

「でも分かっちゃうなあ……! 神君も仙道君もカッコイイですもんねえ! もし私が一般の女性でも即表紙買いですよ!」

 そう言って横から彼女はひょいと雑誌に手を伸ばし、ページを捲って巻頭特集を開いてさらい口元を緩めた。

 弥生も特集を見やる。抱き合う神と仙道と、陵南のメンバー、そして仙道の決勝点。──少しだけ、記事の中でつかさについて触れた。おそらくそれは仙道が望んだことだっただろうから。

 自分の心とは裏腹に、後輩たちは嬉しそうに既に何度も見たはずの記事に熱心に視線を落としている。

「はやくも数え切れないほどの大学からのスカウトが仙道君獲得のために動いているって聞きますし、神君をはじめ今の世代が大学にあがったら大学バスケ界はどうなるんでしょうねえ」

「いやいや、いずれは彼らの世代がユニバーシアード、そしてアジア大会、世界で活躍してくれることを望みますよ僕は!」

「タレント揃いですし、いずれは日本のプロ化への原動力になったりして! あー、楽しみです!」

 嬉しそうに語る後輩達を見やって、ふ、と弥生は少しだけ寂しげな笑みを漏らした。

 近い将来、彼らは、日本は落胆するのだろうか──。

 プライベートはほっときや、などといつか彦一に説教した言葉を自分に言い聞かせて、自嘲する。

 

 ほんま、罪作りな男やで──。

 

 けれども、彼は自由に楽しんでバスケットをすることを選んだのだ。

 注目されることも、名声も、なにもいらない。自由に縛られずプレイできればいい。そんな生き方の方が、彼らしいか──。

 

 でも──、と弥生はまっさらな原稿に視線を落とす。

 例え、彼がコートから去ってしまうとしても。きっとこの記憶は、記録と共にいつまでも色褪せずに残るだろう。

 彼らの、この夏の物語は──。

 

 いつか、自分がこの手で記事にするかもしれない。天才・仙道彰の勝利への誓い。一人の少女と出会ったことで開いた、夏への扉。

 そうだ、タイトルはどうしようか──。

 ふ、と寂しげに笑ったまま、白い原稿に向かって弥生はペンを握りしめた。





第二章 - 誓い - the end


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終幕
62話


 いつもと変わらない、週末の午後──。

 電話の音がリビングに響いて、キッチンにいたつかさはリビングへと駆けると受話器を取った。

 

「ハロー? ──あ、お兄ちゃん! いま着いたの?」

 

 受話器越しに聞こえた声は久々に聞く紳一のもので、一通り用件が済むと、つかさは受話器を下ろして、ふぅ、と息を吐いた。すると間髪入れず再び電話が鳴って、言い忘れかな、と思い再び受話器を取り上げる。

「お兄ちゃん? なにか──あ!」

 電話を終えて、つかさは上着を羽織ると家の外へ出た。とたん、少しばかり肌寒い風が頬を撫でていく。既に陽が落ちかけて夕暮れも近い。少しずつ日が短くなってきたのを実感する。

 小さなバスケットゴールの置いてある庭を横切って、道路を抜ければすぐに砂浜が見えてきて、見知ったツンツン頭も見えてきて、つかさはその背に向かって声をかけた。

「彰くーん!」

 すると、ピク、とその背中が反応して、相も変わらず大きな背中は人好きのする笑みと共にこちらを振り返る。

「つかさちゃん……。なに、もう牧さん着いた?」

「ううん、お兄ちゃんいま空港に着いたって。すぐ会議があるからこっちに着くのは夜って言ってた」

「ははは、土曜だってのに大変だな、さすが牧さん。付き合わされるこっち側から文句でねーといいけど」

「あ、それと流川くんからも電話があったよ。来週、こっちに遠征でくるから週末に寄るって」

 とたん「ゲッ」と仙道の顔が強ばる。

「オレは来週末は釣りに行く予定入れてんだけど……」

「桜木くんも一緒に来るって。久々に勝負できるのを楽しみにしてるとかって言ってたよ」

 つかさの声を受けて、仙道は以前よりは短くなった短髪のツンツン頭をガシガシと掻いた。

「んー……、オレは勝ち逃げしときたいんだけどな」

「食事にも期待してます、だって……。ウチのエンゲル係数あげてるの絶対に桜木くんよね。にしても、流川くん、何度言っても未だに私のこと”コーチ”って呼ぶんだけど……」

 そんな話をしていると、二人の足下で弾んだような小さな声があがった。

「さくらぎ……! さくらぎくる……!!」

 その声に仙道は満面の笑みを浮かべ、足下からヒョイと声の主である二歳ほどの小さな男の子を抱き上げて自身も声を弾ませた。

「そーだぞ、桜木が来るんだぞ」

「さくらぎ……!!!」

 その様子を見て、つかさは肩を竦ませた。──完全に仙道の桜木好きが遺伝している。との思いからだ。

 

 仙道が陵南でインターハイ優勝を飾り全国MVPに選ばれたあの夏から、既に10年以上の月日が流れていた。

 その後、陵南を卒業した仙道は、同じく海南卒業と同時に両親の転勤先であるカナダはトロントに移住を決めたつかさと共にトロントに渡り、二人で同じ大学へと通うこととなった。

 つかさは早期に学力で入学を許可されていたが、仙道自身は入学基準に達していない英語力のための補習授業を入学前に受けることと、何より「全国一のバスケット選手」という肩書きが効いて何とか入学できる運びとなり、「MVP獲っといて良かったと心底思った」、というのはのちの仙道談だ。

 自身のバスケの能力で大学に何とか引っかかったような部分もあったため、仙道はバスケ部には正式所属しなかったものの、度々助っ人として駆り出される羽目になり──そうなればやはり仙道らしく、大学内でのカレッジ対抗戦などでめざましい活躍を見せた。

 そのプレイスタイルはカナダ人にとってはマジック・ジョンソンを彷彿とさせるものだったらしく、もっぱら「マジック・アキラ」などと呼ばれ、ついには「マジック」と略され、終いには仙道と面識のない学生に「ジョンソン!」などと呼ばれる場面もあり、けれども仙道としては「天才・仙道彰」という肩書きのない環境は想像以上に過ごしやすかったらしく、伸び伸びとした学生生活を送っていた。

 つかさにしてもそれは同様であり、自身より大きく体格もいい女子に混じってバスケットをやることも少なくなく、それは二人にとっては何もかもが目新しい真っ新な再スタートであった。

 なにより、仙道がつかさと共にトロントへ移住した最大の利点は、図らずも日本中が納得したことだ。

 インターハイ後、仙道には数多くの大学からのスカウトがあり、仙道自身は全て断ったもののマスコミから世間も含めてあまり納得してはくれず……「国外に出る」「北米に行く」というキーワードは騒ぎの収束に繋がる結果となったのだ。

 そうして雑音の多かった日本を離れ、二人して勉強にバスケにと充実したキャンパスライフを送り、つかさは最終的に博士まで進んだが仙道はMBA取得後にこの地で就職をし、つかさと籍を入れ、そのまま大学のそばに住んで既に数年の月日が流れている。

 

「そういえば……、流川くん・桜木くんを大ちゃんが日本に呼び戻したいって言ってたの、覚えてる?」

「ああ……、来年のアテネだろ? 諸星さん、真面目に金メダル狙ってんじゃねえか?」

「大ちゃんの夢は相変わらず大きすぎて……。でも大ちゃん、たぶん次のオリンピックが終わったら現役引退すると思う。愛知に帰るんじゃないかな」

「ああ……。てかオレ、田岡先生に国際電話で泣きつかれたことあるぜ。諸星さんを自分の後継になってくれるよう説得してくれって」

「あ……私も聞いた。大ちゃんも現役引退後のお誘いがいっぱいあるみたいだけど、でも大ちゃん教員免許持ってるし大学より高校で教えたいみたいで、色々迷ってたみたいよ。たぶん母校・愛和の監督になると思うんだけど……田岡監督のお誘いも魅力みたい。もし陵南に行けば、お兄ちゃんにいつでも会えるし、って」

 

 話しながら、つかさは眼前のオンタリオ湖に視線を投げた。既に薄紫に色づいた空間に、ス、と目を細める。

 諸星は──自分と紳一の3人の中で生涯をバスケに捧げると決めた唯一の人間であり、その言葉通り、今や全日本のキャプテンにまで上り詰め、「愛知の星」ならぬ「日本の星」である。

 いや、もしかしたら日本に留まらないのかもしれない。

 学生時代、日本で開催されたユニバーシアードで日本代表のキャプテンとしてチームを率いた諸星は、決勝でアメリカさえ下して自身の「ユニバーシードで優勝、世界一」を有言実行してしまい、日本にバスケブームを巻き起こした。

 のちにナショナルチーム入りした彼は、かつての戦友たち──、森重やアメリカに渡った沢北も含めた山王のメンバー、流川などを率いてアジア大会でも優勝を果たし、世界選手権の出場権も得て世界へと繰り出し。「アジアの星・諸星大」などという見出しでメディアを騒がせることもそう少なくはなかった。

 そんな彼も一度目のオリンピックでは満足いく結果を出せず、来年に迫った二度目のオリンピックに向け意気込んでいる状態だ。

 

「来年、アテネに見に行こうね。3人で」

「そうだな……。つーか、桜木たちは出るつもりなのか?」

「たぶん、オリンピックのために一時帰国するんじゃないかな……。大ちゃんとしてもベストメンバーで臨みたいだろうし。って言っても色々しがらみもあるだろうけどね、沖田くんの国籍問題とか……」

「桜木といや、桜木の高校時代の先輩で柔道の金メダリストいたよな」

「ああ、青田さん! 次のアテネで3連覇かかってるんだっけ……凄いよね」

「つーか、普通の公立でオリンピック選手がごろごろ出てきてメダリストまでいるっつーのがなんつーか……湘北ってやっぱ特殊だよな」

 

 二人でどことなく懐かしい気分にも浸りつつ、互いに顔を見合わせて小さく笑い合う。

 あの後──、つかさ達の世代で幾人かが本場でのバスケットを夢見て渡米を果たしたが、その行く道は様々であった。

 早期に渡米していた沢北は、渡米直後は振るわなかったものの、徐々に実力を伸ばし、ポジションは2番での起用が多くなってスウィングマンとして大学卒業後は独立・マイナーリーグを転々とし、いまはNBA傘下の組織で更に上を目指して切磋琢磨している。

 マイケルに至っては、これはおそらく「日本人」として見れば特殊な例だろう。UCLAやらノースカロライナからの直々の誘いがあり、強豪大で順風満々な選手生活を送ったあとに、今は、スターターではないものの、立派なNBAプレイヤーとして活躍している。

 流川も湘北卒業後に渡米したものの、その性格ゆえかアメリカになじめず、逆に流川を追ってアメリカに渡った桜木は持ち前の性格が幸いしたのか英語さえすぐにマスターしてすっかりアメリカに馴染んでしまった。

 もっとも流川も今ではだいぶんアメリカナイズされ、どうにか他人とのコミュニケーションもスムーズに取れるまでに成長したが──、二人とも、厳しい環境でバスケだけでは生活できず、副業を持ちながら今もバスケに励んでいる。

 どういう因果か同じチームに所属している流川と桜木がトロントに来た際には、仙道家を訪れるというのが一種の習慣となっていた。

 

 それぞれ──かつて「仙道のライバル」と称された選手たちがバスケに励んでいる様子を見るにつけ、あっさりとバスケをやめた仙道を「これでよかったのか」とつかさが思うことも一度や二度ではなかった。

 

 事実、仙道の実力が劣っていたわけでは決してなく──。

 大学時代にポイント・フォワードとして「和製マジック」などと呼ばれていた仙道に、ここトロントに出来たばかりのNBAチーム「トロント・ラプターズ」から誘いもあったが、仙道はそれも断っていた。

 曰く「NBAから誘いが来たということだけで満足」らしいが……。とはいえ、相も変わらず休日には泊まりがけで釣りに出かけることも少なくなく、選手生活はやはり無理だろうか、とつかさは肩を落とした。

「彰くん……」

「ん……?」

「ナショナルチーム……、ポイントガードが心許ない、って大ちゃんが前に言ってたけど……。彰くんがその気なら、今からだったらオリンピックに間に合うんじゃないかな」

 つかさが仙道を見上げると、仙道はきょとんとして「んー」と頬を掻いた。

「オリンピック、ね……。ま、出たくない、って言ったらウソになるけどさ。そのためにつかさちゃんやコイツと離れて高3の時みたいな生活しろって? ムリだな」

 ははは、と笑って息子の頭を撫で、それに、と仙道は湖の方を見やった。

「オリンピックともなりゃ、背負ってるモンの重さがハンパねえはずだ。オレみたいなのがちょろっと参加して、終わったらハイ帰ります、なんて軽いもんじゃねーだろ」

 言われてつかさも、うん、と相づちを打った。すると仙道はなおニコッと笑う。

「客席で見ようぜ。愛知の星の、最後のプレイだ。もしかしたらマジでメダル取っちまうかもしんねーしな」

「大ちゃんだけにね……」

「けど、もしオリンピックメダリストになったとしても、諸星さんの最終目標ってインターハイ優勝……なんだよな」

「うん。たぶん、愛和時代に出来なかったことを、愛和の監督としてやりたいんじゃないかな。なんだかんだ、あれだけの選手になっても、愛知を日本一に、を実行したいみたいだしね」

 言いながら、つかさは仙道に抱き抱えられている自身の息子を見やって小さく息を吐いた。

「そのうち、”お前らのガキを愛和に入れろ!”ってぜったい言い出すと思ってるんだけど……」

 とたん、一瞬だけ目を見開いた仙道は弾かれたように笑い出した。

「あっはっは! うんうん、オレとつかさちゃんのハイブリッドだもんな、そりゃ才能あるかもな! ついでに牧さんの遺伝子も入ってるし、オレ達以上の選手になれそうだ」

 言いながらキョトンとしている息子をワシワシとなで回す仙道を見てつかさは苦笑いを漏らした。二人の教育方針としては、息子を是が非でもバスケット選手に、とは思ってはいないのだが……まあ、将来どうなるかは誰にも分からないことであるし、いま考える必要もないか、と対岸に目線をやりつつ揃ってゆっくりと砂浜を歩いていく。

 

 ──未来のことは分からない。

 

 本当にその通りだと思う。まさか、仙道と出会った頃は──こうして一生を共にするパートナーに彼がなるとは思ってもいなかったのだから。

 仙道に出会っていなかったら、自分は今も過去との決着を付けられずにバスケットや諸星に対するわだかまりを抱えたままだったのだろうか? と秋の気配を覗かせる湖面を見ていると、隣で仙道が懐かしそうに目を細めた。

「なんか……、思い出すよな」

「え……?」

「猪苗代の夕暮れ。ほら、高校の時、国体で行っただろ?」

 仙道を見上げて、うん、と相づちを打つと、仙道も口元を緩めてから再び湖の方に目線を送った。

「準決勝で、神奈川が愛知に勝った日のことも覚えてるか?」

 言われて、つかさは思わず息を詰める。──脳裏にすぐさま、諸星が仙道に敗れて予想外に混乱してしまい、我を忘れて体育館でバスケをしていた自身を仙道が落ち着かせるように抱きしめてくれたことが浮かんだからだ。

 仙道の方はなにを思い出していたのだろうか? 目線はいまだ、湖の方だ。その瞳に映っていたのは目の前のオンタリオ湖ではなく、福島の猪苗代湖だったのかもしれない。

「オレはあの国体に参加できて、”大ちゃん”と出会えて、本当に良かったと思ってんだ。つーか、あの国体がなかったらつかさちゃんオレのこと好きになってくれてなかったかもしれねえしな」

 な? とごく自然にこちらに笑みを向けてきた仙道を見てつかさは、ぐ、と息を詰まらせた。

 ──たぶん、その前からずっと好きだった。とは言えず、フイ、と目線をそらす。

「ど、どうかな」

「え、あの時、オレに惚れてくれたんじゃねえの?」

「わ、わかんない、忘れちゃった!」

 そうかわして二、三歩前を行くと、後ろで「チェッ」と呟いた後、仙道が薄く笑った気配が伝った。

 そして、3人でゆっくり歩きながら家への道を戻っていく。

 色づいてきた木々を見て、仙道と息子は楽しそうにはしゃいでいた。

「ほーら、これは流川だぞー、流川!」

「かえで! かえで!」

「そうそう、カエデ!」

「かえで! いっぱい!」

「流川がいっぱい!」

 楓の木の下で声を弾ませる二人を見つつ、来週流川に会ったら同じ事を言うのだろうな、と思いながらつかさは肩を竦ませた。

 無意識に口元を緩ませてしまったのは──きっと、幸せだ、と感じていたからだろう。

 

 ──もしも願い事が一つ叶うなら。

 ──どうか私を、男の子にしてください。

 

 そう心から願っていた頃を、つかさは懐かしく思い返していた。

 どうしようもない。──と、心に蓋をしたままだった頃の自分は、どこへも進めなかった。

 不完全だと思っていた自分を、そのまま認めて受け入れることが出来たのは、他でもない、仙道と出会えたおかげだ。と、仙道を見上げて微笑む。

 自分も、そして諸星も、抱えていた消えない晩夏の思い出を、仙道に出会えたことで解き放てたのだと思う。

 諸星は、何より諸星自身のために、バスケに生涯を捧げることを選んだ。

 そして自分は、諸星に勝てるような誰にも負けない選手になるという夢と羨望を仙道の中に見て、そばで追い続けるうちに、バスケット選手としての彼を求める自分と、仙道彰本人を想う自分を、ちゃんと分けて一つにした。

 仙道ものちに言っていた。彼も、もしも自分との出会いが欠けていたら、きっと日本一にまではなれなかっただろう、と。

 あの頃は日々に夢中で、こうして過去を振り返ることなど出来なかったが……。二人、それぞれ苦しい夏を乗り越えてここに辿り着いた。

 この未来に──「もしも」はいらない。と、微笑んでいると、隣で弾んだ声があがった。見ると二人はオンタリオ湖の方を振り返っており、つかさも視線の先を追う。

 紫がかってきた空の先で、対岸の灯りが煌めいていて、つかさもその美しさに頬を緩めた。

 少女だった頃の思い出は、既にあの煌めきのように胸の奥に仕舞った記憶のかけらだ。

 遠いあの日に感じた悲しみも、苦しみも、決して足枷などではなかった。だって、自分はいま、ここにたどり着けたのだから。

 

 陽が落ち、また明日がやってくる。自分たちは決して、この歩みを止めはしない。

 

 そしてまた10年後、20年後の今日に、いまを懐かしく思い出すこともあるのだろう。

 目を細めていると、右手で息子を抱えた仙道が左手で肩を抱いてきて、つかさも仙道の身体に自身の身体を預けた。

 

 ──次に生まれ変わったら。

 ──自分はもしかしたら、やはり男として生を受けることを望むかもしれない。

 

 だけど、牧つかさは……いまの自分で良かった。

 そっと瞳を閉じれば、瞼の裏に、あの晩夏の日の光景が過ぎった。茜色の空間で、世界の全てに拒絶されたと悟った、忘れられない景色だ。

 既に過去のものとなったその風景の中の昔の自分に、そっと語りかけてみる。

 

 ──大丈夫。あなたは、ちゃんと乗り越えられるから。

 

 彼女はまだ知らない。

 同じ日に神奈川に越してきて、出会うことになる少年のことを。

 そして、そこから始まる、それぞれの夏の話を──。

 

 エースの中のエースと呼ばれた自分と、それを目指した彼の物語。

 誰かが、雑誌の見出しに付けていたフレーズを思い出す。──エース・オブ・エース、と。

 

 

 天才と呼ばれながら、道半ばでバスケットをやめた少女は、天才と呼ばれる少年に出会った。

 彼らは想いを通わせ、少年は日本一の選手となる。自分と、そして彼女の才能の証明のために。

 そこで幕を閉じる、ハッピーエンドの物語だったのだ。

 

 

 と、そんな記事もあったっけ……、などと思い返しながら、つかさは薄く笑った。

「ん? どうした?」

 すると、いつも通り仙道が柔らかい声で眉尻を下げ、なんでもない、となお頬を緩める。

 

 物語は、まだ続いている。

 ごくごくありふれた、けれども幸せで賑やかな色で彩られた物語。決して誰も、結末を知らない。

 

 ──明日は、どんな日が待っているのだろう?

 

 しばし二人は笑いあって、夕暮れの湖面に煌めく街の灯りを眺めていた──。

 

 

 

 

── THE END ──



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後日譚
A week after - それぞれの10年後 -


終章から一週間後の出来事です。


 ──その年、バスケットの神様と称されたマイケル・ジョーダンが引退を表明した。

 

 

 

 流川から電話があった翌週。

 奇しくも流川からの電話と同日にカナダへと出張でやってきた紳一は到着したその日につかさたちの家へ来る予定であった。が、急な仕事で変更になり、出張休暇を申請していた彼がせわしなくカナダ各地を回りつかさたちの家を訪れたのは仕事を終えた木曜の夜であった。

「お兄ちゃん! いらっしゃい」

「牧さん、お久しぶりです」

「おう、お前らも元気そうだな」

 高校時代はつかさと仙道の交際をあまり良くは思っていなかった紳一であるが、さすがに交際から結婚と10年以上も経てばすっかり慣れたらしくつかさも久々に見る紳一の顔に自然と頬を緩めていた。

「ほーら、紳一おじちゃんだぞー」

 そうして先ほどから仙道の右足に隠れるようにして紳一を見ていた息子に対面を促す仙道の様子を見やりつつつかさは苦笑いを漏らす。

 まだ20代の紳一をおじさん呼ばわりは果たして許されるのか。でも自身の兄のようなものだし、伯父ではあるか。などと考えていると紳一は持ってきたらしき日本からのお土産を渡しておりさっそく息子から笑みを引き出していた。もともと人見知りはしないタイプである。仙道に似て桜木に懐いているし……と思いつつハッと気を引き締める。明日は桜木と流川が来る日でもあり、食事の準備をしないと……と巡らせれば勝手に頬が引きつってきた。幸い、明日の業務は午前中で終わる。仙道に至っては紳一も来るということで観念して有休を申請したらしく、明日はトロントの案内もそこそこに買い出しを頼んでいる。

 

「こりゃ肉を大量に買って帰んねえとな……」

 

 翌日、子供を連れて大学に出かけたつかさを見送り仙道は紳一を車に乗せて公道を走っていた。

 せっかくトロントまで足を運んでくれた紳一だ。街案内をしたあとに週末用の買い出しに行くのだ。しかも今回は流川・桜木が来るということもあり紳一の手があるのは仙道にはありがたかった。

「流川に桜木か……オレももう何年も会ってねえからな。楽しみだぜ」

「こっちは以前より……なんつーか、距離が近しくなった感がありますね。けっこうな頻度で家に来ますから」

「いま桜木は流川と同じチームにいるんだろ? あいつらどうなんだ、ちゃんと生活できてんのか?」

「さあ……どうかな」

 ハンドルを握りながら仙道は肩を竦める。厳しいらしい、と知っているからこそトロントに来た際には最大限もてなすようにはしているが……。いまも懸命にバスケを続けている彼らを一方では尊敬もしている。とはいえとうに現役を引退した自分に勝負を挑んでくるのはそろそろ勘弁願いたいが。と乾いた笑いも零していると紳一がこんなことを問いかけてきた。

「あいつらと度々会ってて……お前はバスケやりたくはなんねえのか?」

「え……? 牧さんはどうなんです? 諸星さんに会うこともあるでしょ?」

「オレはサーフィンの方をやりたかったからな。元からバスケだけの人生を送る気もなかった。だがお前はもう少し可能性もあったんじゃねえかと思ってな」

「そう言ってもらえるのは光栄ですけど……。いまの自分で十分すぎるくらい満足ですよ。オレ、いますげえ幸せですから」

「幸せか」

「はい」

 幸せです。と言うと、ふ、と紳一が笑った気配が伝った。そりゃ良かった、と穏やかな声で呟いた紳一はもうすっかり自分を身内の一員として受け入れてくれているのだろう。10年前のことを少し思い出して仙道は肩を揺らした。

 午前中は観光案内をし、昼食を取ってから仙道は大型の総合スーパーに紳一と共に訪れた。

 日本であれば業務用と見まごうかのような規模であるが、さすがに紳一は慣れているのか驚きは見せず淡々とカートに商品を乗せていく。そうして最終的に大男二人がかりで荷台にて荷物を運び、仙道は心底紳一の手があって良かったと感じた。

 肉は明日のバーベキュー用。そろそろつかさが今日のために大量に購入したアジア系食材を使って和食を作り始める頃だろうか。桜木たちが来たときは出来る限り一般的な日本の家庭料理でもてなすのが決まりのようなものだ。

 自宅に戻り、大きめの冷蔵庫ぎちぎちに食材を詰め込み、桜木が来るという事で興奮気味の息子の世話を仙道はつかさから代わった。つかさは例のごとく桜木いつくるの攻撃にずっとあっていたらしく既にぐったりしている。

「大丈夫か?」

 声をかけると、あとはよろしく、とつかさはキッチンの方へ行ってしまった。子供の世話より料理の方がマシ、ということらしい。

 紳一は呆れていたが、ははは、と仙道は笑った。仕事の時間が流動的なつかさよりは時間がきっちりしている仙道が息子を連れていることが多く、仙道自身は子育ては割と性に合っていると思っていた。

「去年から保育園に入れてまして……、そうなると会話が英語になりますからとにかく家の中じゃ日本語を多めに聞かせるようにしてるんですよ」

「なるほどな……、バイリンガルに育てるのは困難だというからな」

「牧さんたちはどうだったんです?」

「オレたちは後天的に慣れていったようなもんだからな……、オレもいろんな話を聞いたが二か国語とも中途半端で辛い思いをする子供もいるらしい」

「家の中でも徹底して父親と母親で話す言語を分ける……とかってのも有効らしいんですが、オレたちにそこまでやれる自信なくて。でも英語は外で覚えてくるからこっちは絶対に英語は使わないとは決めてるんです」

 おそらくすでに息子の英語は日本語を追い越しているのだろうが、それでも仙道は彼が生まれた時からずっと日本語で喋りかけてきたことなどを思い返しつつ、現在の悩みはどうアルファベット脳と漢字脳を並行して作らせるかだと説明しながら息子と紳一と共に幼児用のひらがなゲームに興じた。

 シーズン前のいま、桜木たちはゲームではなくキャンプ参加をしているようで家に着くのは7時過ぎるということだった。

 いつもより遅い夕食となるため仙道は先に息子を風呂に入れ自身も風呂に入り、上がってくる頃にはちょうど彼らが到着する時間となっていた。

 7時15分過ぎにインターホンがなり、つかさが出た。

 

「ちゅーっす!! 桜木っす!」

 

 勢いにつかさが顔をしかめたのを見て仙道は笑う。相変わらずだな、との思いからだ。

 そのままつかさが玄関を開ければ見知った大男二人が姿を現して仙道は声をかける。

「よう、桜木、流川」

「ようセンドー! この天才・桜木が今回も勝負しに来てやったぜ!」

「いらっしゃい、桜木くん、流川くん」

「つかささん! ちゅーっす」

「チワス」

 相変わらず声の大きい桜木と、こっちのことは睨むだけのくせにつかさには頭を下げる流川を見つつ肩を竦めていると息子がはちきれんばかりの笑顔で飛び出してくる。

「さくらぎー!!」

「おうチビ助! 元気にしてたか!」

 ナハハハハ、と笑いながら息子を抱き上げる桜木を見つつ雑談をしているとちょうど仙道たちと入れ替わりで風呂に入っていた紳一が戻ってきた。

 途端、桜木の声がはねた。

「ジイ!? ジイじゃねえか!」

「なんでいる……」

 流川でさえ目を見開いており、紳一は苦笑いを漏らしている。

「オレは出張でちょっと寄ってな。にしても相変わらずだな、お前たち」

「その様子じゃジイもすっかりサラリーマンってやつをやってんだな! ようやく顔に歳が追い付いてきたな、ジイらしく!」

 わはははは、とさらに笑う桜木に仙道はやや狼狽えたが、紳一も高校時代の事を思い出したのだろう。一瞬顔を引きつらせていたがすぐに肩を竦めて受け流したようだ。

 

「うまい! うまいっすよ!!」

 

 食事が始まればつかさが大量に作ったらしい生姜焼きや肉じゃが、麻婆豆腐や唐揚げ等を掻き込んでいく桜木を見やりつつ話の内容はやはりバスケが中心となる。

「お前ら……来年はどうするんだ? 全日本の強化合宿の話とか色々来てんだろ?」

 もっぱら紳一の関心は来年のアテネオリンピックである。既に諸星がキャプテンとして日本代表となる事は内々定している段階だ。

「むろんこの天才・桜木が日本を金メダルに導く! まーどっかのキツネ野郎にゃ声がかかるかも微妙だけどな」

「そりゃおめーだろ、どあほう」

 二人の長年の意地の張り合いにもはや突っ込む者は誰もおらず、紳一ですら介入せずにそのまま話をつづけた。

「実際、桜木は貴重だろう。流川……お前は沢北とポジション被ってるから代表はともかくスタメン争いは熾烈なんじゃねえか?」

 すれば紳一の発言に「む」と流川が唇を引き、桜木がケラケラ笑う。

「その通り! まあ小坊主もこの天才ほどじゃないにしても少しは使えるやつだからな!」

 ハァ、と露骨に流川のため息が響いた。

 相変わらずだな、と仙道は再度思いつつまだ残っていた唐揚げをひょいと箸でつまんだ。

「流川のスタメンはあいつよりマイケルが出るかどうかにかかってんじゃねえか? それより諸星さんや組織の人間がガードをどう考えてるかだな」

「ガードが心もとないって大ちゃんずっと言ってるもんね……、このままだったらポイントガードは大ちゃんになるんじゃないかな」

 沢北くんか流川くんがシューティングガードやればいいし、と続けるつかさに「そうだな」と紳一も相槌を打った。

「ま、ポイントガードとしてこいつら問題児軍団をどうまとめるかってのも諸星の腕の見せどころだな」

「オレたち、来年はアテネに見に行くつもりなんですけど牧さんも行くんですか?」

「一応はそのつもりだ」

「大ちゃんの現役最後の試合になるかもしれないから……ちょっと気が早いけど、メダル取れたらいいよね」

「大丈夫! 任せてください! この桜木がいる限り金メダルまず間違いなし!」

 次は、ふー、と紳一と流川のため息が重なった。

 しかし出るからには結果を出したい思いは流川の方こそ強いのでは、と仙道はちらりと流川を見やる。

「ま、オレは気楽な観戦者でしかねえけど……狙うよな、メダル」

「当然だ」

 フン、と鼻を鳴らした様子を見て仙道は小さく笑った。

 

 

 翌日──。

 

 朝食が済むと紳一を含めた全員を車に乗せて仙道たちは家を出た。

 目的地は仙道とつかさの母校である。仙道の所属していたバスケ部の使っている体育館を使わせてもらうためであるが、このようなことはちょくちょく起こるためにバスケ部の方も慣れており2つ返事で了承してくれていた。

 紳一の方は大学以降はすっかりバスケをやめて、今では仕事の合間にやっているのはもっぱらサーフィンということだったが。仙道は趣味でバスケそのものは今もそこそこやっている。とはいえ独立リーグ所属といえど生活の中心がバスケとなっている流川や桜木の相手をするのは年々厳しくなっており。目下の課題はどう勝ち逃げするかである。

 完全に敗北するのは癪であるし、どうすっかな。と考えるのはもう何度目だろうか? 大学はバスケ部に顔を出せば学生がまばらにいて一斉にこちらに声をかけてきた。

 

「アキラ!!」

「あー、カエデ・ルカワだ!」

「ほんとだ! サインもらおうぜ!」

 

 アメリカでは桜木の方が人目を引いて人気があるらしいが、カナダでは流川はけっこう人気がありさっそくサインを強請られている様子を見て仙道は口元を緩める。

 なんでも理由はカナダ国旗であるメープルと流川の名前が同じであるためカナダ人は親しみを覚えたというのがきっかけらしいが……、試合のニュースやアナウンス、メディアは毎回そこを強調しており心なしか流川もカナダにいる時は楽しそうな気がする。

 逆にイライラしている様子の桜木を宥めつつウォームアップを行い、軽く流してから1on1開始である。

 

「ふぬー! センドー!!」

 

 桜木はつかさが見知っているリハビリ明けの高校二年生の頃よりも信じられないレベルで成長したが基本的にはアメリカでもリバウンダーでの起用である。とはいえ。身長もだいぶ伸びたとはいえセンタープレイヤーとしては小さく、本人も気にして身体を強固に鍛え直したうえである程度のシュートレンジを持ってはいるものの……彼をディフェンスすること自体は仙道もまだ可能なようだ、とつかさはもとより紳一も関心しきりに見ている。

 流川は逆にインサイドよりはアウトサイドを求められて沢北同様のスウィングマン起用が多いようだが、流川の試合も何度も見ているが……さすがに高校生のあの頃よりはチームプレイも向上したかな。と思う。むろん個人スキルは伸びている。

 渡米した頃はかなり苦しんだらしいが……、自分も仙道も流川の個人的な事情を気遣っている余裕などなく、いま改めて冷静に思えばもう少し流川がちゃんと下準備をしたうえで充実した環境で渡米していれば少し状況は違っていたかも。などと勝負を見守ってしばらく。

 流川がコートを出てドリンクを手にこちらに近づいてきた。

「コーチ」

「ん……?」

 流川がつかさのことを「コーチ」と呼ぶのは高校時代の国体からずっとである。つかさにしても慣れたものだ。

「どうすか」

 いまの、と聞かれてつかさは瞬きをする。

「どう、って?」

「いやなんか……気づいたこととか……」

 言われて、ああ、とつかさは呟いた。ダメ出しを聞いているのだろう。

「うーん……私が流川くんに教えられることってもうないと思うけど」

 苦笑いを浮かべて肩を竦める。

 それならば1on1を、とでも言われかねない雰囲気だったためつかさは目線をコートの方へ流した。

「桜木くん、本当にうまくなったよね。流川くんは元から十分うまかったけど……」

「あの頃はあんたのほうが技が豊富だった」

「え……!?」

 ぼそっと言われた声につかさは驚いて流川を見上げた。──そういえば、国体の時に空き時間に勝負をしてくれと彼に言われたことがある。一度断って、だがその後に思い直してもっと流川とコミュニケーションを取ろうと思ったものの。限られた時間の中で福田にディフェンスを教えるのが忙しくて結局ほとんど流川とは個人的には接することが叶わなかったのだ。

 とはいえそれは10年以上前の話であるし、今さらどうこうということもないのだが。と考えているとジッと流川が真っすぐこちらを見つめてきてつかさは一度瞬きをした。

 なにか話したいことがあるのか? と考えていると勝負が終わったのか仙道と桜木がこちらへとやってきたため、チッ、と舌打ちして流川はつかさのそばを離れた。

 あ、とつかさは思う。国体合宿の時も確か流川と話していたところに仙道が来て、結局そのままになったことがあったような……と思い返している先で仙道と桜木は肩で息をしつつも上機嫌そうに話している。

 勝ち逃げはできそうなのだろうか、とちらりと仙道を見上げると、ふ、と仙道が笑った。相変わらず桜木との勝負は楽しいらしい。

 でも彼にとってはたまにする勝負だから楽しいのだろうな、ということも分かっているためつかさはそれ以上は追求せず、切り上げて帰路につけば次に待っているのは昼食の支度である。

 

「うおおお! 肉! 肉―!!!」

 

 今日は晴れれば庭でバーベキューと決めており、バーベキューセットを皆で設置したあとはつかさは肉の世話と息子の世話は仙道に託してキッチンに引きこもった。

 とりあえず前日から用意しておいた肉を先に出し、串焼き素材を作るためだ。なにせ桜木がいるためいくら作っても多すぎるということはない。

 カナダでは休日のバーベキューは定番であるがこれからすぐ冬になるためそろそろバーベキューの季節も終了かな。などと思いつつガーデンのはしゃぎ声を遠くに聞きながら野菜を切り始めてしばらく。

 カタン、という音と足音が聞こえて顔を上げるとシステムキッチンの先に流川の姿が見えてつかさは首を捻った。

 飲み物でも取りに来たのか? とこちらに来る流川に聞く前に彼が口を開く。

「手伝う」

「え!? あ……、うん。ありがとう」

 すぐそばまでやってきた流川が言い、つかさはやや驚きつつも「じゃあ串にお肉と野菜通して」と言えば「うす」と返事をして彼は黙々と作業を開始した。

 流川は何度もこの家に来ているとはいえ基本はいつも桜木と一緒に来ており、それゆえあまり二人きりで話したことはない。そう思うと10年以上前から彼の事を知っているというのに不思議だな、とちらりと流川を見やる。

 相変わらず顔だけは恐ろしいほど整ってる。こんな端正な造りをした人間はカナダでもそうそう見かけない、といっそ感心していると流川が「なに?」と少し眉を寄せたためハッとつかさは意識を戻す。

「あ、その……さっきも思ったんだけど、流川くん、もしかしてなにか話したいことがあるんじゃないかな……って思って」

 言ってみると少しだけ流川が目を見開いた。珍しく少し逡巡した様子を見せた彼は、カタン、と一つ出来上がった串焼きをプレートに乗せて手を止めた。

「NBAでプレイしたいと……そう思っていたことがジョーダンの引退で前より気持ちが弱くなった……ような」

 ぽつぽつ流川がそんなことを言って、つかさはあまりに意外な話に目を見開いた。

 バスケットボールの神様、マイケル・ジョーダンが引退を表明したのが先シーズン。そしてその言葉通り彼はオールスター戦を最後にNBAから引退した。むろんトップニュースでもありつかさも知ってはいた。

 しかし、と思う。多くのバスケ少年がジョーダンに憧れは抱いていただろう。しかし自分も紳一も諸星も、そして仙道もNBAの特定選手の熱狂的ファンというわけではなかったため誰かの引退による影響というものは全くの想定外であった。が、流川も例に漏れず、いや平均よりももっと熱狂的なジョーダンファンだったのだ……と思えば全ての合点がいった。

 憧れの人と同じ舞台に立ちたい。できれば試合をしたい。という思いが流川の中にあったのかもしれない。それが不可能となり、あの意志の強い流川でさえ少々戸惑ってしまったのだろう。それに、とつかさは思う。独立リーグはNBAとは違う世界だ。環境や対応、すべてが違う。沢北のようにNBA傘下のリーグであればまた違うのだろうが、と思いつつ流川を見上げる。

「流川くんが拘ってるのはアメリカ……? それともマイケル・ジョーダンだけ?」

「どういうイミすか」

「えっと……アメリカとかNBAに拘らなければ、バスケはどこでもできると思う。例えばユーロリーグなんかアメリカの独立よりももっと強いはずだし、ユーロリーグまで行かなくてもヨーロッパのいくつかの国はプロリーグを持ってる。カナダだってそうだしね」

 流川は神妙な顔つきをした。──渡米する、というはっきりした意思を持っていたらしき流川だが準備不足で初期には苦労もしたという彼である。あまり各国のプロバスケ事情は知らないのかもしれない。いや、知る必要がなかった、とでも言うべきか。

「もちろん流川くんのやりたいことが一番大事だけど……、どこかの国のプロリーグに入れればまた違った視点でバスケができると思う。生活も……たぶんもっと安定すると思うしね」

 つかさと仙道が流川たちをこうして迎えているのもひとえに彼らの生活が不安定だからである。なによりバスケだけに集中していればいい環境でないことは結構なストレスだろうからだ。

「来年はアテネがあるから、このシーズンはすごく大切になるよ。個人的にだけど、私は大ちゃんにメダル取って欲しいし、流川くんがアテネまでにもっと強くなって大ちゃんを助けてくれると嬉しい」

 笑って言うと、少し流川が唇を揺り動かした。僅かに開いてからキュっと結び、そうしてもう一度開きかけた時。

 

「なーにやってんだ?」

 

 キッチンの先から低い声が響いてハッとつかさも流川も顔をあげた。すれば仙道がこちらに歩いてきてつかさは、ああ、と向き直る。

「流川くんが準備を手伝ってくれてたの」

「へえ……」

「じゃあ流川くん、これ持っていってもらえる?」

 そうしてプレートを指して言うと、「うす」とうなずいた流川がプレートを手に取って仙道の顔をひと睨みしてその場を離れた。

「彰くんこそなにしてるの」

 息子はどうしているのか聞くと、ちょっと牧さんに頼んだ、と仙道は頭に手をやった。

「流川が見当たんねえなと思ってさ」

 あいつちょっと様子変だっただろ。と仙道が続け、さすがに鋭いな、と感心しつつもつかさは先ほどの事は告げずに作業をそこそこで切り上げて自身も庭へと向かった。

 

 肉を食いつくさんばかりの勢いで頬張る桜木を見つつ、その横にまとわりつく息子の世話をつかさとバトンタッチしたのちに仙道はあたりを見渡した。

 さっきまで紳一と話していた流川が庭の隅の木の幹に寄りかかってぼんやりしているのを見つけ、そっと近づいていく。

「ちゃんと食ったか?」

 手を掲げて努めて明るく問いかければ、ちらりとこちらを見やった流川は、プイ、と目線を外した。10年前から比べれば多少は話すようになったとはいえ自分たちの関係は基本高校時代と変わっていない。

 なんだかな、と思いつつも慣れているため構わないのだが……と仙道は流川の肩に手をかける。

「流川、一つだけ言っておくけどさ」

「あ……?」

「つかさちゃんは、オレのだからな」

 あくまでにこにこと、しかし鋭く瞳を捉えて言えば流川の整った切れ長の瞳が大きく見開かれた。が、すぐに蔑むような目線に変わる。

「どーいうイミだ、どあほう」

「いや別に。単なる自慢だ」

「フン」

 あほが、と切れ長の目をさらに細くして睨まれ、はは、と仙道は笑った。──こいつはオフェンスの鬼だからな。釘刺しとくくらいでちょうどいい。ただ藪蛇はごめんだ、と仙道は180度話題を変えてそのまま雑談に応じた。流川はリアクションは薄いが話はちゃんと聞いているし、アメリカで鍛えられたせいもあるのだろうが高校生の頃は取らなかっただろうレベルのコミュニケーションも取るようになっている。そういう部分は渡米して正解だったのではないか、と思いつつそろそろバーベキューもお開きの時間になってきたころ。

「かえでー!!」

 ふいにすっかり食べ終わって遊んでいたらしき息子が満面の笑みでこちらにかけてきた。

 しかも自分ではなく流川を呼んでいる、と見やって仙道は彼の右手に握られているものを確認してああと察した。

「かえで! これかえで!!」

 そうしてそばまで来た彼は拾ったらしき紅葉したカエデの葉っぱを流川に差し出し、頭に疑問符を浮かべているらしき流川をちらりと見やって息子を抱きかかえた。

「お前にやるってさ。な?」

「かえで」

 そこでようやくハッとしたらしき流川はギロッと一瞬こちらを睨んだが、ニコニコと葉っぱを差し出す息子は無下にできなかったのだろう。「どうも」と葉っぱを受け取り少々表情を緩めた。ような気がした、と仙道は瞬きをした。

「かわいいだろ?」

 言ってみると、流川は「まあ」と小さく呟き、割とこいつ子供好きなのか? と思いつつ息子に笑みを向けた。

「偉いぞー、これが流川ってちゃんと覚えてたんだな!」

「さくらぎは?」

「桜木……うーん、桜は春の方がいいぞ。春になったらハイパークに見に行こうな」

 ははは、と仙道は笑う。

 そうしてバーベキューの後片付けを済ませ、夜には紳一も交えて酒盛りをしていた桜木たちをようやく寝床に押し込み、仙道は寝室へと向かった。

 桜木と流川が来ている時は子供部屋は桜木が、ゲストルームは流川が、そしてその場合は親子3人川の字、というのが常である。

 が、今日は紳一もいるため紳一をリビングのソファに寝かせることになってしまいさすがに気が引ける、と闇夜に慣れた目を頼りにベッドに入ると振動が伝ったのか既に寝ていたつかさが目を開けた気配が伝った。

「ワリぃ、起こした?」

「ん……みんなは?」

「やっと寝た」

「そっか……」

 そうしてまた瞼を閉じたつかさを見て、ふ、と笑い仙道も横になって目を瞑る。

 たまにはこんな週末も良いが、来週こそ釣りに行きてえ──と考えつつすぐに寝入って翌日。

 午後の便で帰国するため余裕のある紳一と違い、午前の便でアメリカに戻る二人は朝食後にばたばたと帰り支度を整えた。

 時間が合えば空港まで仙道が送ることもあったが今日は紳一がいるため二人は公共交通機関で帰るという。空港に一本で行ける最寄りの鉄道駅まで送っていこうと仙道も車のキーを手に取って先に玄関から出た。

 紳一やつかさは玄関にて見送りだ。

「じゃあな桜木、流川。練習がんばれよ」

「おう! ジイもサラリーマン頑張ってくれたまえ!」

 笑う桜木と頭を下げる流川に紳一が肩を竦め、その横でつかさも二人に声をかけた。

「気を付けて帰ってね、二人とも」

「うす」

「じゃあなチビ助!」

 わしわしと息子の頭を撫でる桜木をつかさが笑ってみていると、ふいに流川からの視線に気づいた。ついで彼はぺこりと深く頭を下げ……つかさがややあっけに取られてその様子を見ていると、顔をあげた彼はこちらの瞳を数秒ジッと真っすぐ見つめてきた。そしてくるりと背を向け玄関を出て行ってしまった。

 どこか決意を秘めたような……、とあまりに強い眼差しにつかさはエンジン音を聞いてハッとするまでその場にただ立ち尽くしていた。

 

 

 

 ──2003年、マイケル・ジョーダンがNBAから引退。

 そして同年の次シーズン直前。流川楓がドイツのプロリーグへと電撃移籍を発表し、北米大陸から去っていったのはこの日から数週間ほどのちの出来事である。



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between you & me ~ここだけの話~

「A week after - それぞれの10年後 -」の後日談です。


 ──その日は、土曜だった。

 

 

 仙道は釣りに出かけ、息子は部屋で昼寝。

 久しぶりに優雅な午後を満喫……とつかさが思っていた時の出来事だった。ふいにインターホンが鳴った。

 土曜のこんな時間に誰だ? と思いつつ出てみる。

 

「ハロー?」

「流川す」

 

 え……とその声につかさは目を見開いた。

 今日は流川や桜木が来る予定の日ではないというのに。と不審に思いつつも急いでドアを開ける。するとよく見知った流川が、しかも大きなスーツケースを携えて立っておりつかさは驚きながら取り合えず彼を家に入れた。

「ど、どうしたの急に……それにその荷物……」

 すると流川はどこか憮然とした表情を浮かべる。

「何度も電話した。そっちが出なかった」

「え……、いつ?」

「昨日ずっと」

 言われて、ああ、とつかさは納得した。昨日は夜遅くまで仕事をしており帰宅時間がかなり遅かった。仙道も仕事が立て込んでいて……と放置したままだった電話機に近づいてみると留守電が数件。再生すると確かに流川の声で今日ここに寄りたい旨を告げており、つかさは額に汗を浮かべつつ「ごめんね」と謝る。

「でもどうして急に?」

「明日……ドイツに発つ」

「え!?」

「移籍が決まった。明日はトロントからそのままドイツに行く」

「え、ちょ、ちょっと……移籍って」

 いきなりなことに驚き、やや混乱したつかさはハッとして「そうだ」と言った。

「彰くんいま釣りに行ってていないの……、夕方には戻ってくると思うけど」

 ともかくも流川がわざわざここに来た理由は仙道に他ならないだろうと思い言えば案の定だったのか「は?」と流川の目線が鋭くなる。しかし。

「あの無責任ヤロウめ」

「え……?」

「休日に妻子置いて釣りとか無責任」

 予想外にも流川から出てきた言葉はそんな言葉で、つかさはあっけに取られたのちに小さく笑った。

「大丈夫よ、まあ……たまにだし」

 実際は結構な頻度だったが大きな不満があるわけでもないのでそう答え、取り合えずつかさは流川にリビングのソファに座るよう促す。

「紅茶でもいれるね。ちょうど美味しいフルーツケーキがあるの」

 ともあれ流川は別れの挨拶に来たようであるし、と準備をしつつハッとする。そういえば数週間前──。

 

『流川くんが拘ってるのはアメリカ……? それともマイケル・ジョーダンだけ?』

『どういう意味すか』

『アメリカとかNBAに拘らなければ、バスケはどこでもできると思う』

 

 そんな会話をしたような……と思いつつ、まさかね、と考えながら紅茶をいれケーキを切ってソファテーブルへと運んだ。

「でも驚いちゃった……、こんなシーズン開幕の直前に移籍なんて」

「あんたが言った」

「え!? あ、そうだけど……でもよく移籍先見つかったね」

「試合のビデオをあちこち送った。ユーロリーグとかセリエA、リーガACBにメインに送ったんすけど……」

「オファはドイツからだった、と」

 こく、と流川が頷く。

 にしても、と思う。決めたら決めたでこれほどすぐ動くとは。相変わらず行動力がないようである流川らしい出来事とも言える。

「それで、桜木くんはなんて?」

「カンケーねー」

「ま、まあ……そうかもしれないけど」

 とはいえ桜木の方はショックなのでは。全日本でどのみち一緒にプレイはするのだろうが。などと考えていると、半分ほどケーキを食べた流川が、カタ、とフォークを皿に置いた。

「キャプテンが……前にコーチとオレは似ていると言ってた」

「キャプ……、ああ大ちゃんのこと?」

 こく、と流川が頷く。藪から棒になんだ、と思いつつもつかさは考えを巡らせた。どうせ全日本の合宿等で流川と一緒にプレイした諸星が昔の自分を思い出したのだろうな、と結論付けて肩を竦める。

「流川くんも知ってると思うけど……私、昔バスケをやってた時はフォワードだったの。大ちゃん曰く、典型的でこてこてなフォワードらしくて……流川くんには悪いと思うんだけど、高校生の時から流川くんを見るとちょっとだけ自分に似てるな……て思うこともあったかな」

 その感情は決して好意的とは言えないものだったが。と10年以上も前の出来事を思い浮かべつつ、神妙に聞き入っているらしき流川を見てハッとする。

「あ、ごめんね。私が……ていうか私と大ちゃんが勝手に思ってただけだから」

「別に」

 流川は紅茶の取っ手を手に取って口につけ、下ろしてから真っすぐつかさを見やった。

「オレはあんたのプレイが好きだった。悪い気はしねぇ」

 言われて、カッとつかさの頬が熱を持つ。こんなにストレートに言われたのは初めてのことだ。

「そ、そっか……。あ、ありがとう」

「今さら……昔のことをどうこう言う気はねーけど、オレはあんたと1on1がやりたかった。もう少し見たい技もあった。あの時……仙道に邪魔されなきゃあんたは受けてくれたのか?」

 真っすぐ瞳を見据えられてつかさは少々困惑してしまう。これほど長い会話を流川としたのは初めてのことかもしれない。それに……流川が言っているのは10年以上前の国体でのこと。そんな昔のことを、と思いつつも当時の事を思い出す。

 

『練習相手してほしいんすけど。1on1で。時間外に』

『……コーチの、清田にチャージングされた時のドライブインのドリブル……、あれどうやったんすか?』

 

 確かあの時、連携プレイを教えるはずが自分の個人スキルに興味を抱いたらしい流川と言い合いをした覚えがある。その際に仙道が助け舟を出すように来てくれた記憶はあるにはあるが……と首を振るう。

「彰くんは関係ないよ。うん……いま思えば、流川くんが私相手でもコートでは気にしないで1on1したいって言ってくれたの、嬉しかった。自分でも思うけど、たぶんちゃんとルールを決めたら良い勝負できたと思う。惜しかったな」

「だからあの時そう言った」

「ごめんね……、あのあと流川くんとももう少し話がしたいと思ったんだけど、合宿の時間が限られちゃっててあんまり時間取れなかったからね」

 でも、とつかさはさらに思い出して笑う。

「流川くん、私があの時ドライブでやってみせたステップをインターハイ予選でやってくれたんでしょ? その話を聞いた時、私すごく嬉しかった。まあ、教えてないのに覚えられちゃってたのはちょっと複雑だけど」

 ふふ、と笑うと流川はむっとした表情を浮かべる。

「あれはブロックされた」

「彰くんに聞いた。彰くんもやったんでしょ? 私その試合観てないから残念だったな」

「決まってないんじゃ意味ねー」

「そ、そんなことないよ。えっと……」

 今さら、ではあるが特に悪いことをしたわけではなくタイミングの問題だったのだが。しかし罪悪感が……と思いつつつかさは流川から目線をそらす。

「あのステップ……彰くんや神くんたちが自主練してる時に聞かれたから教えたの。だから流川くんの方がすごかったんじゃないかな……」

 自力で覚えたぶん、とやや後ろめたいままに言うと流川の目線の鋭さが増した。

「あ……!?」

「ご、ごめんね! ごめん……あの、次の日の練習後とかに流川くん探したんだけど……いなかったし」

「……走ってた……」

「そ、そっか」

 互いに合点がいった、と10年前の出来事のピースを埋め、つかさは笑った。

「ねえ、ドイツとはシーズン契約?」

「シーズン終わったらすぐ五輪の準備あるし、来シーズンは取り合えず五輪終わってから考える」

「そっか、そうよね」

「コーチは──」

 そうして話していると、子供部屋の方からガタっと音がしてハッとつかさは立ち上がった。

 ごめん、と足早に部屋に向かうと案の定昼寝から覚醒したらしき息子がおり、寝間着を着ていたため部屋着に着替えさせて共に部屋から出た。

 リビングに戻るとすぐに客人の姿に気づいたのか「あ!」と目を輝かせて彼は走り出す。

「かえでー!」

 走り寄ってソファによじ登ろうとしている息子をさすがに気遣ったのかひょいと抱え上げた流川が自分の隣に座らせた。いくぶん普段より表情が柔らかい。

「さくらぎ? さくらぎ??」

 流川がいれば桜木もいるとインプットされているのかキョロキョロと辺りを見回している息子に流川は困ったように背を丸めた。

「どあほうはいねえ」

「さくらぎいない?」

 瞬間、悲しそうな顔をする息子に若干狼狽えている流川を見やってつかさは慌てていくつか遊び道具を持ってきた。

「そろそろ彰くんも帰ってくると思うんだけど……。流川くん、ちょっとこの子見ててもらってていい?」

「は……?」

「私、夕飯の用意するから。といっても見えてるからなにかあったらすぐ言って」

「はあ……」

 気の抜けたような返事をする流川を見つつ、つかさはキッチンへと向かう。

 予想外の来客だが、流川は特に大食いというわけではないし大丈夫であろう。と、冷蔵庫から食材を取り出して準備にかかる。

 幼児用のボードゲームに興じている彼らは上手くやっているようだ。

 というか息子があまりに桜木に懐いており気づかなかったが、流川は案外と小さい子が好きなのかも……とその光景を見やりつつ大方の準備が終わったころ。

「ただいまー」

 ようやく仙道が帰宅して、息子は一目散に父親めがけて駆けて行った。

「おかえりなさーい!」

 そのまま右足に抱き着いている息子をそのままに、仙道の表情が固まる。ソファに座っている主を見たためだろう。

「流川!? おめー、なんでここに居るんだ!?」

「てめーこそこんな遅くまでなにしてやがんだ」

「なにって、釣りだけど……。つかさちゃん、どうなってんだ?」

「えっと……まあ、かくかくしかじかというか」

 苦笑いを浮かべつつ経緯を話せば、さすがに仙道も流川がヨーロッパに移住することには驚きを隠せなかったようで終止目を白黒させていた。

 夕食を済ませ、夜も更けたところでつかさは息子を寝かせ、自身は風呂に入ってあがると仙道と流川はソファに座ってワインやらウイスキーやらを並べている。

「呑むの……?」

 声をかけつつも流川とはしばらく会えなくなるのだから男同士で積もる話でもあるのだろう、と先に休む旨を伝えて寝室に移動する。

 日付が変わる頃になってもリビングからは明かりが漏れているのを見て、肩を竦めつつつかさはベッドに入った。

 流川と仙道がそれほど仲が良かったとは思えないが。なにを話しているのだろうか……とまどろむこと数時間は経っただろうか。ギシ、とベッドの軋む音と振動が響いてつかさは目を開けた。

「彰くん……?」

「ワリぃ」

 目の前を覆う人影から仙道の声がし、ホッとしてつかさは再び目を閉じた。そうして再び微睡もうとしていると仙道の胸に抱き寄せられてつかさは身をよじる。

「なに……?」

「いや別に」

「んー……もう、お酒くさい」

 抵抗するが眠気が勝ってつかさは大人しく仙道の腕に抱かれたまま瞳を閉じた。彼の唇が瞼のあたりに触れた気がしたが、それさえも夢の中での出来事のようだった。

 

 

 翌日──。

 

「頭ガンガンする」

「オレも……」

 

 見事に二日酔い状態らしき二人に呆れつつ朝食を済ます。

 流川は午後1番の便でドイツに発つらしく、食後に少しゆっくりしたのちにつかさの運転でみんな揃って空港へと向かった。

 そうして保安検査の入り口まで来れば彼とはしばしの別れである。

 

「んじゃ、次に会うのはアテネでだな」

 

 手を差し出した仙道の手を流川はパシッと弾き、仙道もそうされるのが分かっていたのか、ふ、と笑みを深くした。

「ドイツでも頑張ってね」

「うす」

 声をかけると流川が真っすぐつかさの目を見やり──、一瞬その瞳に捕らわれてしまう。

 彼はこんなにも相手の目を真っすぐに見つめる人だったんだな……と今更ながらに気づき、一度軽く頭を下げて保安検査へと向かう彼の背に手を振った。

 行っちゃったね、と仙道と顔を見合わせ、帰ろうかと踵を返す。

 きっと流川にとっては新たな挑戦となるだろう。慣れ親しんだアメリカを離れての異国での挑戦。しかもオリンピックイヤー。でも彼ならそういう困難に立ち向かう方が合っているのかも、と考えていると「なあ」と息子を抱えた仙道が声をかけてきた。

「昨日、なに話してたんだ? 流川と」

 え、とつかさは瞬きをする。昨日……と昨日交わした流川との会話を思い出して小さく笑った。

「秘密」

「え!? ちょ、ちょっ……まさか、なんかあったとかねえよな?」

「なにかってなによ。あるわけないでしょ」

 焦ったような仙道に呆れたように返事をし、つかさはすたすたと駐車場へと向かった。

 外に出て見上げた青空には幾重もの飛行機雲が伸びている。あの雲のように、流川は流川のバスケ人生を真っすぐ歩いて行って欲しい、と願いつつつかさは少しだけ口元を緩めた。

 

 

 その後──ブンデスリーガに電撃移籍した流川はチームのリーグ優勝に大きく貢献して各欧州の国際カップを幾度となく経験することとなる。そのまま彼はアテネ五輪でナショナルチームのメンバーとして銅メダル獲得の立役者の一人となった。

 その流川のバスケットキャリア後半での転機のきっかけとなった裏話は──二人以外は誰も知ることのない話である。



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