Not a Hero of justice (サティスファクション)
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 少年は、ヒーローになりたかった。

 それは、根源的な心の底から湧き上がる様な願望で渇望とも言える行動指針だった。

 

 ただしそれは、不特定多数の誰かを救う正義の味方、ではない。

 世界の全てを敵に回してでも、たった一人の誰かの味方であるような、そんな独りよがりのヒーローになりたかったのだ。

 

 始まりは、最早彼も覚えていない。

 もしかすると、病弱な母を守りたかったのかもしれない。

 もしかすると、優しすぎた父を守りたかったのかもしれない。

 もしかすると、美しい姉を守りたかったのかもしれない。

 

 だが、少年の願いは果たされなかった。

 彼には何もなかったから。

 どれだけ鍛えても、人並み以上を超える事は無く。野生の獣に快勝するほどではない。

 武術を学ぼうとも、達人であろうと銃器には勝てない。

 知を磨こうとも、限界がある。

 

 その最期は、見ず知らずの誰かの為に血を流すというありふれたもの。

 

 少年は求めた。もう一度だけ、チャンスが欲しいと。

 

 そしてそれは、果たされる。

 

 

 

 

 

@@@@@

 

 

 

 

 

「ふぅーーーーッ」

 

 ポタリ、ポタリ、と流れる汗。股が裂けているのではと思えるI字バランスのまま、彼は数時間静止している。

 ハーフパンツのみの姿で、晒された全身は傷だらけだが極限まで鍛え上げられておりブクブクと膨張する筋肉ではなく繊維の一本一本を研ぎ澄ませたかのような絞られっぷりだ。

 ゴワゴワとした黒髪に、前髪の隙間から覗くのはアイスブルーの瞳。典型的な日本人の様に見えて、どこか異国の風を感じさせる容姿をした少年であった。

 ぴしりと天を衝くように伸ばされた足の指先は、やがてゆっくりと下ろされ、地についた。

 

 そして、腰を落とし両の拳を腰だめに構えて目を閉じる。

 

「ワン・フォー・オール………!」

 

 蒼白(・・)な電流が少年の体を駆け抜ける。

 蛍光灯の様に薄ぼんやりと彼の体は白く輝き、体全体にコバルトブルーに輝くラインが幾つも走っていた。

 そこから始まるゆっくりとした型の動きは、ただ拳を突き出すだけでも風を切り裂いていく程の力が載っており、重く鋭い。

 

 それから数時間、彼の拳舞は続いた。

 激しく動くのではなく、ゆっくりゆっくり確かめるように決して荒々しさを見せることのない動きであった。

 

「ふぅーーー………汗、流すか」

 

 体に走っていた電流やラインが消え、彼は構えを解いた。

 肉体というのは、鍛え続ければ永遠に強くなり続けるわけではない。定期的な休息が必要になるし、そもそも肉体を造るのは鍛錬だけでなく、食事だ。食べなければ体の元は手に入らないし、強くなりようが無い。

 

 朝日を背に、彼は白い玉砂利が敷き詰められた庭より家へと上がっていく。

 

 冬木市深山町のとある一角。武家屋敷の様相を呈したこの屋敷に彼、七戸俊永(ななとしゅんえい)は一人で暮らしていた。

 将来の夢は――――――――――【ヒーロー】

 

 

 

@@@@@

 

 

 

 七戸俊永という少年は、周囲から浮いている。

 当人が不愛想であるという事と、その服の上からでも浮き上がりそうな彫刻の様な肉体も相まって自然と彼の半径一メートルは人が寄り付かないのだ。ヤのつく自由業の方々も思わず道を開ける程度には威圧感がある。

 要するに、彼は基本的にボッチだった。

 

「おはようございます、先輩」

「…………ん、おはよう間桐」

 

 朝の登校。いつものように周りを寄せ付けない俊永であったのだが、そんな彼に声を掛けるのは一人の少女。

 紫というか藍色というか、特徴的な髪色をした彼女こそ、彼に声を掛ける例外の一人。

 

「先輩、間桐じゃ兄さんと区別がつきませんよ?」

「…………ああ、はいはい。悪かったな、おはよう、桜」

「はい、おはようございます」

 

 ニッコリ、と擬音が付きそうな綺麗な笑顔を向けてくる彼女、間桐桜を前にして、俊永は目を逸らしてうなじを掻く。

 随分と昔からの付き合いであるのだ。きっかけは、至極些細な事であったが、縁というのは面白いもので今日この日まで続いていた。

 

 桜は、不愛想に目を逸らした幼馴染を見ながらクスリと微笑む。

 眉間の皴やへの字口のせいで誤解を受けがちだが、その実彼は心優しい。それは雨に濡れた子犬を抱き上げて、綺麗に洗い自腹を切って予防接種を受けさせて、里親を探すために東奔西走するようなタイプの優しさ。

 その事を知っているのは桜を含めて片手で足りる事だろう。それがある種の優越感とでも言うべき感情を彼女に持たせているのは、誰にも言えない秘密。

 

「どうした?」

「?なんですか?」

「いや、いきなり隣でニヤニヤされたら気になるだろ」

「え、そうですか?」

 

 指摘されて自分の頬をムニムニと触れる桜。因みに、ニヤニヤと嫌な言い方をした俊永だがその実花が綻ぶ笑みとでも呼べそうな柔らかく愛らしい笑みを彼女が浮かべており、思わず見蕩れてしまったのは内緒だ。

 男女の仲にも見える二人。まあ、付き合うどころか二人とも長い間隣にいすぎてそれが当たり前になってしまっている節が見受けられるのだが。

 俗にいう残念な男女。幼馴染という関係が、ある種の安定となりそれ以上の発展を互いに求めないのだ。

 

「それじゃあ、先輩。また放課後に」

「いや、部活はどうしたんだよ」

「良いんです。それより、待っててくださいね?」

「…………ああ」

 

 自分のクラスの靴箱へと向かっていく背中を見送り、俊永は頭を掻いた。

 どうにも桜には、勝てないらしい。

 

 

 

@@@@@

 

 

 

 学校の授業を三割聞き流しながら、俊永はシャープペンシルを走らせる。

 彼は天才ではないが、凡夫でもない。秀才と呼ばれるほどの努力はしていないが、人並み以上には理解できていた。

 筋肉達磨、とまではいかないが力こそパワーの様な成りをして意外に知性派でもある彼。

 学友は別として、教師からの受けは悪くは無かった。

 

 四時間目迄の授業と休み時間を、いつもの通りボッチで過ごし、俊永はチャイムの後に席を立った。

 その手には、大きくも小さくもない長方形の風呂敷包み。

 金銭面に関しては苦労していない彼だったが、一応自炊している。それは偏に体の事を考えてバランスよく食べる方が都合が良かったからだ。

 弁当箱を片手に向かうのは、屋上。この時期は人の出入りも少なく、誰かが好き好んで寄り付くことも無いために彼はここによく来ていた。

 金属扉を押し開けて、外気の冷たさを感じながら汚れたコンクリートの広がる空の下へ。

 

「あら、こんにちは七戸君」

「…………遠坂か」

「嫌そうな顔ね。そんなにわたしと顔を合わせたくなかったのかしら」

ここ(屋上)に来てるのは人避けだ。俺は何か食べるときは基本的に一人が良いんだよ」

「寂しいやつね」

「あかいあくまに言われたくない」

 

 黒髪をツーサイドアップに纏めた美少女を前に、俊永は肩を竦めると扉隣の壁に背を預けて腰を下ろした。

 先客である彼女、遠坂凛はそんな彼を見下ろすようにしながらため息をついた。

 周囲から浮いているという点だけをピックアップすると類似点のある二人。

 どちらも、周りが避けるだけの理由があり、しかし凛は外向けの顔を持っているのに対して、俊永は外向けの顔を持ってはいなかった。

 そこが違う。孤高であるか孤独であるか。ならざるを得なかったのか、なりたかったのか。

 

「それ、自分で作ってるのよね?」

「そりゃあな。生憎と、使用人とかは雇ってない」

「ふーん……」

「やらねぇぞ。これ位自分で作れるだろ」

「わかってr―――――」

 

 言い切る前に、凛の腹が鳴った。

 沈黙の帳が下りてくる。

 

「…………そう言えば、お前昼はどうした?」

「…………」

「成る程、いつものうっかりで忘れたと。で、財布も忘れたと」

「~~~~~ッ!だったら何よ!」

 

 先程までの深窓の令嬢の様な雰囲気は何処へやら、顔を赤くして彼女は俊永を睨んでいた。欠片も恐ろしくは無いのだが。

 遠坂の家は、何かと詰めが甘くてやらかす事が多い。今回も確りと準備を終えていた筈が、いざ学校に来てみれば財布も弁当も忘れてしまったのだ。

 屋上に来ていたのも自分のイメージを壊さない為。ついでに、若干の期待もあったり。

 

「はぁ…………ほれ」

 

 ため息をついた俊永は、ポケットの中に手を突っ込むと何かを掴み指で弾いた。

 緩く回転しながら凛の元へと飛んだそれは、陽光を反射しながら彼女の手の中へと納まる。

 

「最低限度は、それで購買に行けば何かしら買えるだろ」

「…………施しのつもり?」

「生憎と、腹を鳴らして周りに笑われる知人ってのは見たくないんでな」

 

 二人の間を飛んだのは五百円硬貨。ワンコイン定食や、購買で一定のパン程度ならば買える額だ。男子高校生ならば足りないかもしれないが、女子高生である凛ならばある程度持つだろうという俊永の判断。

 

「言っとくが、貸しただけだからな?譲渡じゃないからな?」

「……分かってるわよ。十一で返してあげるわ」

「いや、五百円ぐらい翌日で返せ?」

「…………金欠なのよ」

「えぇ…………」

 

 さっきとは別の意味で気まずい時間が二人の間を流れる。

 

「…………買ってくるわ」

「…………おう」

 

 

 

@@@@@

 

 

 

 放課後。部活に精を出す生徒たちを尻目に、俊永は校門へと向かっていた。

 身体能力の高さから運動系の部活に何度も誘われているのだが、当人にその気が無い。武術系も、型が限定される点から拒否していた。

 

「待ってましたよ、先輩」

 

 頬を若干赤く染めながら、ニコリと微笑む桜が俊永を待っていた。

 

「律儀だな、桜。無理しなくても良いんだぞ?」

「良いんです。私が好きでやってることですから」

「…………」

 

 いつからか、こうして丁寧な口調で話すようになった幼馴染を見ながら、俊永はうなじを掻いた。

 十年ほど前のその日を、彼は生きている間は、いや死んだ後でさえ覚え続けている事だろう。

 

「……帰るか」

「はい」

 

 暗い記憶を頭の奥底へと沈め直して、俊永は歩き出す。そして、彼の隣を桜がついて行く形だ。

 

「そろそろ、寒さが厳しくなってきますね」

「まあ、な」

「コートは出しましたか?」

「一応な。というか、俺よりもお前だろ。俺は風邪ひいた事ないし」

「私も体は丈夫ですから」

「…………本当か?」

 

 いつもなら流す彼女の言葉を、俊永は拾い上げていた。

 それは、彼の記憶がそうさせたのか無意識とも言える行動。

 珍しいその様子に、桜は思わず隣を見た。

 どこか遠くを見るアイスブルーの瞳。伸ばし放題の黒髪が隠してしまっているが、その横顔は日本人離れした整い方をしており、身嗜みを整えればさぞモテる事だろう。

 

「―――――はい、本当ですよ。私は、元気ですから」

「…………そうか」

 

 ひとまず、それで納得を示した俊永は黙り込む。

 その内に渦巻く気持ちは何なのか。それは、当事者にしか分からない。

 ただ、良い感情でないのは確かだ。その証拠に、彼の右拳は力の限りギリギリと握りしめられており、爪の先が掌へと食い込んで血を流しているのだから。

 

「先輩」

「…………ん?」

「手、そんなに握っちゃダメですよ」

 

 固く握りしめられた拳を柔らかく暖かな感触が包み込む。

 桜は、彼の拳を手に取るとゆっくりと指の一本ずつを解いて行った。

 

「汚れるぞ?」

「良いんです。それより、あまり動かないでくださいね」

 

 赤くなった掌に、手際よく巻かれていく包帯。ある理由から、桜のカバンの中には応急処置用の医療キットが一そろい常備されている。

 基本的に一人の為にしか使われないソレは、たった一つの目的の為に消費されていく。

 

「………悪いな」

「私も、手当てが上手くなったと思いませんか?」

「…………いや、本当に悪かったって」

 

 暗に自分の怪我のせいだと指摘され、俊永は目を逸らす。

 事実、昔は生傷の絶えなかった生活を送っていた俊永だ。体中に刻まれた傷跡もその名残であるし、最早消せない古傷となっている。

 大きすぎるのは別として、細かな傷の手当てをしてきたのが桜だ。縫合迄はできずとも、こうして消毒し包帯を巻く程度ならできる。

 

 それから二人は、他愛のない会話を交わして、やがて分かれた。

 

 そしてその夜、彼は運命の分かれ道に立つことになるのだった。



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 七戸俊永はかなりのストイックさを持ち合わせており、彼を知る者からすればそれは周知の事実でもあった。

 だが実際のところ、彼は一から十まで自分に雁字搦めな枷を嵌めているわけではない。

 

「まさか、レアチーズタルトが販売中止とか思わなかった…………」

 

 夜道。夜陰に紛れる黒い傘を差した俊永は、左手にコンビニの袋を提げて帰路についていた。

 彼、見た目にそぐわずコンビニスイーツが好きなタイプ。ストイックに体を鍛えたのちに、プリンを片手に縁側で月を眺めたりしている様な男なのだ。

 今夜も、学校を終えて帰宅した後に血反吐が出そうな鍛錬を行い、夕食を食べて風呂に入る前に甘味が欲しくなって夜の散歩としゃれこんでいた。

 

 さらさらと降る雨の中、ジャージに下駄という時代が入り混じった格好の俊永はカランコロンと夜道に快活な音を響かせて歩んでいく。

 電柱に設えられた外灯を幾つか超えて、そろそろ自宅の門が見えてくるといったところで彼はある物に気が付き、足を止めた。

 夜陰と雨によって視界は最悪だが、それでも自宅の門の前に何かがもたれかかり足を投げ出している事が確認できる。

 

「……勘弁しろよ」

 

 ホームレスだろうと当たりを付けた俊永は、どう追い返そうかと考えながら足を前へと動かし始める。

 彼の知り合いであるならば小汚いおっさんでも家に上げてしまうかもしれない。そして、何かを盗られても無頓着にスルーする事だろう。

 俊永は違う。そもそも、彼は初対面の人間を信用しないし、信頼なんて以ての外。

 そもそも、彼は性善説よりも性悪説寄りの考えを持っている。つまりは、人の善性というものを欠片も信じていないという事だ。

 純粋な悪だからこそ、子供は虫の足を引き千切る。そう考えるのが彼だった。

 

 薄っすらと道路の上に張られた水幕を踏みながら、彼は果たして門の前へと辿り着く。

 

「…………女?」

 

 思わず、俊永がそう呟いたのも無理はない。

 門に凭れかかる様にして項垂れるのは、紫の服に黒いローブを着た妙齢の女性であったのだから。

 これは俊永にとっても予想外。まさか、女性がこんな夜更けに傘もささずに出歩き、剰え家の屋根の下雨宿りしているなど考えもしなかった。

 確かに、俊永としては目の前の彼女に何かしら施す理由も、必要性もありはしない。

 だがしかし、このまま彼女を放置していしまえばどうなるか。

 少なくともいい結果が待っていないのは確かだ。

 男ならば未だしも女の場合、体調を崩すだけでなく暴行を受ける可能性も低くはないからだ。流石に、自宅の前がそんな現場になる事を許容する者など居ないだろう。

 という訳で、

 

「おい、こんな所で寝てるなよ」

 

 声を掛けるしかない。

 傍らにしゃがみ込み、その肩をゆする。

 だが、どれだけ揺すっても声を掛けても女性は起きる気配が無かった。

 余程疲労しているのか、あるいはもっと別の要因なのか。

 

「…………はぁ」

 

 仕方なく、俊永は傘を首と肩の間に挟んで固定し、レジ袋を手首に掛け直すと女性の膝裏と背中に手を差し込んだ。

 

「軽いな」

 

 脱力した人体というのは結構な重さである筈なのだが、鍛えた彼にしてみればこの程度は重石にもなりはしない。

 そのまま、門を足で押し開けて潜り、屋敷の中へ。扉は勝手にしまった。

 後に残るのは、さらさらと降る雨と夜陰、そして外灯の明かりだけだ。

 

 

 

 

@@@@@

 

 

 

 

 朝露滴る椿の葉。昨晩の雨が嘘のように、その日の朝は良い天気であった。

 

「………………………………ん…………」

 

 胡坐をかいて腕を組み、柱に凭れかかって眠っていた俊永は体内時計に従って目を覚ます。

 ストーブの置かれた和室は、閉め切っていれば暖かく布団が無くとも風邪をひく心配は無いだろう。

 そんな部屋の中央には、一式の敷布団が引かれていた。寝かされているのは、昨晩彼が拾った女性。

 流石に着替えさせる事など出来ない為、彼女の濡れていた足元などを拭いて後は布団の中に放り込んだだけの雑なものだ。

 凝り固まった体を解し、俊永は立ち上がる。

 彼女の事は気にかかるが、それが日課をおざなりにしていい理由にはならないからだ。

 寒空の下、ジャージの上だけ脱ぎ捨てて外へ。

 

 家の主が居なくなった暖かな部屋。

 

「…………行ったわね」

 

 神代の魔女は、ポツリと一言そう零した。

 ふかふかの布団から上体だけを起こし、彼女は思考する。

 

「何のつもりなのかしら、あの男は…………」

 

 彼女の価値観にしてみれば、男というのは実に野蛮だ。ついでに、彼女自身筋肉達磨と外見だけのイケメンが大嫌いであった。

 では、助けられた形となった彼はどうだろうか。

 極限まで鍛え上げられたかのような筋肉は膨張せずに圧縮されており、顔はイケメンというよりは整っているが分類的に強面。

 何より、

 

「私の時代にも先ず居ないわよ、あんな魂の大きさをした人間なんて」

 

 彼の内包した魂の大きさ。

 常人の魂を100とするならば、彼の魂の大きさはその10倍以上。最早神代の英雄の様な魂の大きさであるし、それだけの魂があれば――――――

 

「ッ!これは……あの、坊やかしら?」

 

 思考の海に沈んでいた彼女は、不意に部屋の外から膨大な力の波動を感じ取り顔を上げる。

 そこは先程彼が向かった庭のある場所。

 荒れ狂う暴風のようで、燦然と輝く太陽のようで。底の見えない大海のようで。

 圧倒的なまでの“力”の塊だ。それこそ、抑止力によって間引きされていなければおかしいのではないかと思われそうなほどの代物。

 神秘の薄れた現代において、それはあまりにも異質。

 

 いつの間にか彼女は立ち上がっていた。障子戸へと手を掛けて彼が出ていった庭へと足を向けて。

 

 そして、その光景に目を奪われる。

 

「フゥーーーーッ…………」

 

 鍛え上げられた肉体を惜しげも無く外気に晒し、全身から湯気を昇らせながらのI字バランス。

 彼、俊永の体からはいつぞやの蒼い電光が走っており、体もほんのり明るくなっている。更に全身に浮かび上がるような紋様だ。何かの力を行使している事は明らかであった。

 肉体労働は専門ではない彼女ではあるが、それでも直感的に分かる。目の前の少年は現代に生きる英雄足り得る存在であると。

 

「――――――起きたのか」

 

 見蕩れていた彼女は、いつの間にやら元の姿勢に戻った俊永に声を掛けられるまでボーっとその場に突っ立っていた。

 

「え、ええ、そうね。貴方が、運んでくれたのよね?」

「まあ、な。流石に、家の前で野垂れ死にされても、困る」

 

 会話としては単調な物。だが、微妙な含みを持ち合わせている事は確かだ。

 魔女としては、何故助けたのか。俊永としては、これ以上の長居をしてほしくない。

 それぞれが、そんな感情を互いに向けていた。

 

「端的に聞きましょう。貴方、魔術師、聖杯戦争、サーヴァント。これらの言葉に聞き覚えはあるかしら」

「あ?」

 

 先手は、魔女。記憶操作などお手の物である彼女にしてみれば、これで知らないという返答を返されようとも記憶を消してしまえばそれまでであるからだ。

 だが、

 

「…………なんだ、お前。何でそれを知ってる?」

 

 俊永が浮かべたのは警戒の顔。拳を握っており、同時に知っているという返答でもあった。

 

「私は、キャスターのサーヴァントよ。今ははぐれなのだけど」

「…………キャスターだ?お前が?」

 

 キャスターの言葉に、俊永はじろじろと彼女を見つめる。

 

「目が飛び出てないし、妙な本も持ってないんだな」

「誰かと勘違いしてるのかしら。貴方、魔術師じゃないわね?」

「ああ。ただ、10年前に巻き込まれた、それだけだ」

「巻き込まれた?」

「聖杯戦争?とやらは、この街で10年前に一回起きてんだよ。大火事になって悲惨なことになったがな」

「…………だから、知ってると?」

「まあ、俺が一番関わってたのはバーサーカーなんだが。七騎のサーヴァントの殺し合いだろ?俺は魔術師じゃねぇから聖杯に願う事なんざ欠片も無いがな」

「あら、万能の願望具には惹かれないのかしら?」

「少なくとも、俺の夢に関しては自分の力でどうにかしねぇと意味が無い」

 

 珍しくも会話を熟している俊永だが、彼にしてみれば十年前は文字通りの地獄でしかなかった。

 それが再び起きるならば、情報を得たいと思うのは仕方が無い事だろう。

 対するキャスターも気になる事が出来た。

 十年前の聖杯戦争、そして大火事。

 

 双方の思惑が交錯する。



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 午前九時四十七分。会社学校それぞれが既に始業を終えて、業務に勤しみだす時間帯。

 

「「…………」」

 

 足の短い木製のテーブルをはさむようにして和室に座るのは、キャスターと俊永の二人。

 両者の間に会話は無く、二人の前に置かれた湯呑より湯気が立つばかりだ。

 

「…………はぁ……説明だけで皆勤賞を逃したな」

 

 口火を切ったのは、俊永の方。後方へと体重を預けながら手を突き、天井を見上げて息を吐く。

 今の今まで、彼が話していたのは十年前の事。

 因みに遅くなったのは、合間で朝食などを挟んだため。

 

「私としては、聖杯の汚染が気になるのだけど?」

「汚染…………というか泥だな。赤黒いドロドロしたアレは……うん、やっぱり泥だ」

「泥ね。原因は何かしら」

「知るか。あの十年前の魔術師の生き残りは、二人だけだからな。片方はイギリスに居るし、もう片方は…………関わりたくない」

「そう…………」

 

 ヤダヤダ、と首を振る俊永をフードの下から眺めるキャスターは思考を巡らせる。

 聖杯戦争は七つのクラスに分かれたサーヴァントがそれぞれ一騎ずつで殺し合うサバイバルだ。その中でも、キャスターは最弱とされている。

 理由は、三騎士と呼ばれるセイバー、アーチャー、ランサーとライダーのクラスはスキルとして対魔力を持っているからだ。

 これは、ランク分けされており、そのランク以下の魔術を無効化するというもの。場合によってはキャスターの魔術が一切通じない事もあり得る。

 更に、キャスターのクラスに該当するサーヴァントというのは基本的に遠距離型。それも、工房と呼ばれる陣地を築いて力を蓄えてから、その能力を遺憾なく発揮するのだ。

 これはイコールとして白兵戦能力の欠如にも繋がっており、肉弾戦には弱いという事。彼女もその例には漏れない。

 

 そこから考えて目の前の少年。

 人間でありながら巨大な魂を内包し、その肉体は英雄の様な姿。

 実力のほどは分からないが、それでも彼女の朧げな記憶の中にある英雄にも迫れるのではないかと、直感的に感じ取っていた。

 であるならば、

 

「貴方、私と組まないかしら?」

「…………はあ?」

 

 単刀直入に切り出した。

 キャスターは悟った。この手の輩は搦め手よりもこうしてダイレクトに懐柔する方が効果があると。

 まあ、その反応としては俊永の訝しむような声であった訳なのだが。

 

「俺に、聖杯戦争に参加しろって言うのか?」

「ええ、そうよ。私のマスターとして、ね」

「俺は魔術師じゃないぞ」

「それは分かっているわ。けど、生粋の魔術師じゃ、私とは相性が悪いの」

「だからって、俺か?」

「ええ。魔術回路も生粋の魔術師じゃないにしては多いみたいだもの。それに、ここには霊脈も通っているものね。神殿としては十分な下地があるわ」

「だがな…………」

 

 つらつらと言葉を連ねたキャスターだが、肝心の俊永は乗り気ではない。

 

「俺には願いが無いんだ。いや、有るには有るけども自分の力で叶えなきゃ意味が無い。なにより、あの聖杯は汚れてるだろ?結果があの大災害だ」

「その点は問題ないわ。私なら、それを無視して扱えるはずだもの」

「…………いや、だからな?」

 

 話通じねぇ、と俊永は再度天井を見上げた。

 彼とて無欲ではない。だが、誰かに願うという事には抵抗があった。

 願うのではなく、願われるというならばシックリくる。何より、彼の夢は彼自身の手で果たせなければ、何の意味も無いのだ。

 

「―――――……………………俺は、ヒーローになりたいんだ」

「ヒーロー?英雄かしら?」

「いいや。あんな自己犠牲の塊や自己顕示欲の塊みてぇな事はしねぇよ。俺は別に、不特定多数の他人を救いたい訳じゃない。たった一人で良いんだ」

「…………」

 

 キャスターは口をつぐみ、次の言葉を待った。

 ヒーローになりたいと聞いて、最初に彼女が思い浮かべたのは自身の時代に居た英雄たち。

 だがそれも、次の言葉で掻き消えた。

 英雄譚として語り継がれたい訳でも、民衆に褒め称えられたい訳でも、強敵と戦いたい訳でもない。

 

「世界中が敵になっても、それこそ神を敵に回しても、俺は俺が味方をしたいと思った奴の味方になる。周りが悪だと言っても、これが俺の正義だ。この選択で誰かが死んでも、俺は気にしない。それが選んだ道ならな」

 

 正義の味方と、ヒーローは違う。

 正義というのは、辞書で引けば正しい道理や人間行動の正しさとなる。

 この中で語られる正しさというのは、公、要するに人間という種が作り上げたルールの中での正しさという事。

 彼らが白というものが正義であり、黒は悪だ。

 

 これは俊永の持論だが、正義とは大衆の利益を守れるものであり、悪とはその逆であると考えている。

 例とするなら、某光の巨人と怪獣。

 彼らの齎す結果として、どちらもが結局のところ街の破壊となる。ただ、その過程が別であるだけで。

 

 俊永は、そんな大衆の為に己の一番大切なモノを手放す選択肢を採りたくなかった。だからこそ、独りよがりのヒーローとなる。

 

「聖杯に願う事もねぇんだ。他を当たるのが賢明だと思うがな」

「…………いいえ、丁度いいわ」

「あ?」

「貴方が聖杯に願わないというなら、私の目的の邪魔にもならないという事でしょう?」

「目的だ?」

「…………私は――――――」

 

 

 

 

@@@@@

 

 

 

 

 その日、間桐桜は一日中惚けていた。

 理由はただ一つ。幼馴染であり先輩であり、そして彼女のヒーローである少年のせい。

 珍しくも、本当に珍しくも、彼は今日学校を休んでいるのだ。体の丈夫さこそが売りとでもいうような彼が学校を休む。

 それだけでも一大事。現に竹刀を持った冬木の虎は、その電話を受けた際にその場でひっくり返った始末。

 周囲の人間も少なからず噂していたが、その大半は桜にとってどうでもいい事。

 何せ、表面情報に軽く触れただけの推察ばかりの根も葉もないどころか、種と言って小石を撒く様な不毛な物ばかりであったからだ。

 いや、普通ならば不快に思うのかもしれない。だが、表面的にしか知りえない情報で態々自分から怪物を造り出していく様は彼女にとっては滑稽以外の何物でもなかったのだ。

 

 ただ、それはそれとして気になる事には違いない。穂群原のブラウニーと周りに呼ばれている先輩に彼女が聞いたところによると、一応病欠であるらしい。

 一応というのは、電話対応した教員が根掘り葉掘り聞こうとして電話を切られてしまったから。

 故に詳細まではハッキリとしない。

 ついでに、彼女のセンサーが警報を鳴らしていた。主に、彼の人間関係に小石が投げ込まれた、と。

 恋愛感情を抱くには、少々近すぎる二人ではあるのだが、それでも桜からしてみれば二人の間に他人が入るのは収まりが悪くなってしまう。

 という訳で、

 

「やっぱり、大きい…………」

 

 正面に立つだけでも威圧感を発する門扉の前に立ち、桜はポツリと呟く。

 彼女の肩にはカバンが掛けられ、その手にはスーパーのレジ袋。

 郵便配達員などに門の重さで苦情が入るほどの扉であるのだが、実はこの門には開ける為のコツがあり両方の門を同時に押すと片方を全力で押し込むよりも楽に開けることが出来る。

 勝手知ったると言うように門を押し開けて中へと、

 

「しゃがめ、桜!」

「ッ!」

 

 入った直後に普段は聞くことが無いであろう男の声が鋭く響いた。

 ほとんど反射的にしゃがむ桜の頭上を何かが通過していく。その直後には破砕音が響き渡り何かが砕け、玄関にまで通じる飛び石の道に撒かれる。

 

「危ねぇ……即死トラップ、じゃないだけマシか?」

「あっ、先輩?」

「よお、桜。怪我無いか?」

 

 頭を抱えて蹲っていた桜を守る様にして立つ背中。

 最初に見たのは十年前である蒼い電光を纏ったその背中を見て、桜はどうしようもない安堵感を覚える。

 

「――――――はい」

 

 伸ばされた手を取って立ち上がる。

 二人の周りでは、青白くも見える骨の残骸が転がっていた。

 それは、風に巻かれて消えていく。

 

「先輩、これは?」

「……まあ、色々とな」

 

 桜の問いに言葉を濁し、俊永は後方の玄関へと目を向けた。

 

「あら、マスターのお知り合いなら言ってくだされば良かったのに」

「言う前にトラップ起動してただろうが」

「魔術に関係した人間を無傷で通すわけにはいかないでしょう?」

 

 玄関の屋根に腰掛けてクスクスと微笑む女性が二人を見下ろし、言う。

 昨晩に続いての邂逅。夜が迫る。



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 気まずい。俊永は目の前の光景から必死に目を逸らしつつ、小鉢に取り分けた鍋の中身を突いていた。

 彼の隣では桜が同じく鍋の中身を小鉢に取り分けて食べており、机を挟んで反対側ではキャスターが同じく鍋を食べている。

 本来ならばサーヴァントであるキャスターには食事など必要ではないのだが、それはそれ味覚があり一応の魔力補填にはなる為食べていた。

 

「――――――では、先輩。お話、聞かせてもらえますよね?」

 

 沈黙ばかりの夕食も締めのちゃんぽん麺まで食べ終えた頃、桜がそう切り出してきた。

 隣から突き刺さる視線に、俊永は目を逸らした。

 

「せ・ん・ぱ・い?」

「…………いや、その…………」

「どうして目を逸らすんですか?何か後ろ暗い事でも?ねぇ、先輩?」

 

 小鉢を机に置いた桜は、どんどん詰め寄って俊永を押し倒しそうな雰囲気だ。甘酸っぱくないのは彼女の瞳にハイライトが無く、口角が上がった軍神スマイルだからか。

 流石の俊永も、この状態の彼女には勝てないし、そもそも手を出そうとも思わないのだから退き続けるしかない。腹筋と背筋を使いリクライニングチェアの様にゆっくりと上体を後ろに倒しながらである為、見た目以上に余裕があるらしい。

 とはいえ、本気で逃げようとしないならば追い付かれるのは必至。

 背中から畳へと寝そべった俊永を床ドンするように桜は覆いかぶさっていた。

 

「お盛んね。人前ですることにも抵抗は無いのかしら?」

 

 この状況を造り出した原因が更なる火種を放り込んでくる件について。

 キャスターは湯呑を傾けながら、フードの下より二人の様子を眺めている。そこに侮蔑の色などは無く、むしろどこか楽しんでいるという印象すらも受けた。

 明らかに蚊帳の外にいるようなその言葉、桜のハイライトの消えた眼が貫いてくる。

 

「もとはと言えば、貴女のせいじゃありませんか。先輩が休んだのも、貴女のせいですよね?」

「あら、人聞きが悪いわね。マスターが学校を休んだのは、彼の意志よ?私は何も手を出していないわ」

「ぬけぬけと……!」

 

 どうも根本的に相性が悪いのか、あるいは逆に相性が良すぎていがみ合うのか。キャスターが火種を注ぎ、桜が燃える。二人の会話はその繰り返しであった。

 売り言葉に買い言葉と言えば会話が成立しているようにも思えるが、その実態は自分の尾を追いかける子犬の様にぐるぐると同じ場所を回り続けているに過ぎない。

 姦しい二人の会話を聞きながら、俊永はウィーン会議を思い出していた。有名な“会議は踊る、されど進まず”という言葉で評されたあの会議。

 堂々巡りが続き、やがて会話は要領を得なくなっていく。

 このまま五月蠅く成るのは、俊永としても困るらしい。

 

「はい、そこまで。少しは落ち着けよ」

 

 子犬の様に吠えていた桜を抱き寄せて黙らせ身を起こす。

 

「面倒を買い込んだのは俺だ。ちょっと、聖杯取ってくるだけだからよ」

「…………聖杯戦争、ですか?」

「俺の目的じゃないが…………まあ、キャスターには手を貸すって言っちまったし、な?」

「…………」

 

 宥めるように桜の頭をなでる俊永。

 撫でられる桜もまた、俊永の胸板に顔を埋める。

 二人の間には、確かな絆があった。そしてそれは、生前のキャスターが手を伸ばせども結局手に入れられなかったモノ。

 

 フードの下、彼女は何も言わない。その内心は、未だ胸の内だ。

 

 

 

 

@@@@@

 

 

 

 

 聖杯戦争が行われるのは、基本的による。草木も眠る丑三つ時、ではないが人々の寝静まった夜闇こそが戦いの舞台となる。

 

「打って出る、なんてことはしないんだな」

「ええそうよ。私はキャスター。陣地を築いてからが勝負だもの。隠ぺい、罠、騙し討ち。正面からの戦いは基本的にしないわ」

「…………まあ、俺から言う事じゃないか」

 

 紫の髪をなでながら、俊永は柱に凭れ目を閉じる。

 泣き疲れてしまった桜は、彼の胡坐を枕に寝息を立てている。布団が掛けられただけで寝にくいだろうに、その寝顔は穏やかその物だ。

 彼の傍らでは、キャスターが座り込み魔術を編み上げている所。

 

「その子」

「あ?」

「大切なのね。ヒーローになりたいのは、その子の為かしら?」

「別に、どうでもいいだろ」

「ええ、そうね。ほんの手慰みよ」

「手慰み、ね…………」

 

 キャスターの言葉を繰り返しながら、俊永はその言葉を口の中で転がした。

 聖杯戦争は始まってすらいない。未だに七騎のサーヴァントは揃っていないし、それどころか魔術師もまだではなかろうか。

 俊永の左手の甲には、花と鏃、そして花を包むような葉の様な刻印が浮かび上がっている。

 これは、キャスターが前のマスターから奪った令呪を彼に転写したもの。

 令呪はサーヴァントに対して絶対的な命令権を有しており、仮に相手が対魔力Aであろうともその命令を受諾させることが可能となる無色の魔力だ。

 

「マスターは、彼女と戦えるの?」

「…………さてな」

「知っていたのでしょう?彼女が魔術師の家系だと。そして、今回の聖杯戦争に参戦する可能性もあると」

「…………」

 

 キャスターの指摘は、正解。俊永とてその可能性は十分にあると考えてもいた。

 だが、

 

「…………分かってるさ、ンなこと。まあ、サーヴァント倒せば問題無いだろ」

「軽く言ってくれるわね」

「勝つなら、それが良いだろ。まあ、魔術師殺すのも仕方ないとは思ってるがな」

「とんだヒーロー様だ事」

 

 一を切り捨て、十を救うのが正義の味方ならば、十を見捨てて一を救うのが俊永のヒーロー像。

 仮に桜と敵対すればサーヴァントを殺すし、彼女が狙われれば他のマスターもサーヴァントも等しく殺す。

 物騒なセコムであるが、そこまでしなければ人一人守れない事を彼は知っている。そして、

 

「約束は、守る物だろ?」

 

 もう居ない相手を偲ぶのは、生者の特権だ。そして、その為の方法は何も思い出だけではない。

 例え一方的な約束だとしても、約束は約束。それを守るために、彼は拳を振るうことも厭わないだろう。

 

「…………どうかしらね」

 

 そして、その言葉はキャスターにとっては苦い記憶であり、記録であった。

 彼女は裏切りの魔女。そして、裏切られた(・・・・・)魔女。

 たった一人を愛した代償はあまりにも大きく、最後は悲劇として終える原因ともなった。

 誰が悪かったのかと問われれば、間が悪かったとしか言えない。

 世間知らずの折りに口の無駄にうまいイケメンに出会い、神がその背を押して突き落とした。二人の間には、一方的な植え付けられた愛だけがあり、初めから救いなど無かったのかもしれない。

 

「少し、席を外すわ。何かあれば、念話なさい」

 

 気まずくなったのか、キャスターはそれだけ言って霊体化し消えた。

 暖かな部屋はそのままに、外気より住人を温め続けている。

 

 

 

 

@@@@@

 

 

 

 

 夢を見る

 

 あの日、運命の日

 

 体を這いずる不快な感触

 

 皮膚を貫き血肉を貪り内側から変えられていく

 

 地獄だった

 

 生きている事すらも苦痛だった

 

 全てを恨み切る事も出来ず、ただ心を殺す事だけが逃げ道であり救いだった。

 

 だがそれも唐突に終わりを迎える

 

 蒼い閃光が闇を切り裂き、変わらなかった(天井)を打ち砕いたその日に

 

 終わった彼女は甦ったのだ

 

 



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 聖杯戦争において軽んじるマスターは多いが、サーヴァントとの相互理解は重要なファクターである。

 彼らは端末とはいえ、古今東西の英雄。それぞれが少なからずの矜持を持ち合わせているし、触れてほしくない傷があるのは生きている人間と同じなのだから。

 

「おはよう、マスター」

「ん?よお、キャスター」

 

 朝の鍛錬を終えて台所へと向かっていた俊永に、背後から声を掛けてくるキャスターはそのままするりと彼の首筋に腕を回してくる。

 二人が出会って既に一週間以上が経過しており、特別何かがあった訳ではないのだが物理的な距離が大分近くなっているのはどういうことか。

 大きな要因としては、俊永自身が魔術師ではないからか。サーヴァントであろうとも一個人として扱い、蔑ろにもしない。不必要に踏み込んでも来ないし、使い魔としてこき使う事も無く、それどころか彼女の為に料理を拵え、部屋を用意し、衣類を揃えた。

 そうまるで、普通の女性を相手にするように。

 そしてそんな生活は、キャスターが心の奥底で望んでいた生活でもあった。

 何でもないような日常。それを誰かと共にする事。植え付けられた愛情ではない、打算があろうとも確かな信頼関係を結ぶようなやり取り。

 

「今日は、何を作るのかしら?」

「いつもと変わらず、純和風の朝飯だ。というか、作り慣れた奴が一番マシだからな」

「代り映えしないわね」

 

 ルーティンともなっているやり取りをしながら、二人は揃って台所へ。と言ってもキャスターは料理など出来ない。知識はあれども、技術が無い為に戦力外であったが。

 本来ならば、サーヴァントに食事など必要ではない。魔力供給さえされているならば顕現し続けられるし、少なくとも今のキャスターは制限を受けていない。

 再三述べるが、俊永は魔術師ではないし魔術回路などに関しても一代目として優れているだけで出力は目を瞠れども数は及第点程度。

 ステータスの下降なども無いのだが、供給される魔力は多い方が良いし供給源も多い方が良いだろう。

 

「…………」

 

 トントントン、とまな板と包丁が当たる音が響く。

 無防備な背中だ。それこそ、今ここでキャスターが後ろから刺し貫くことが出来そうなほどに。

 彼女の宝具は、ある意味というか、聖杯戦争においてほぼ一撃必殺染みた破壊力を有している。当人の意志はどうあれ、だ。

 しかし、どうにも彼女はそんな事をする気にはなれずにいた。

 自分から結んだ協力関係であるから、等という殊勝な事ではない。むしろ、裏切る時には一切の慈悲なく彼女は裏切ることが出来るだろう。

 では何故か。

 理由としては、今その手の中にある生前には手に入れる事すら出来なかった日常があるから、だろうか。

 

 朝起きて、マスターである俊永の鍛錬を眺め、朝食を共にし、彼を学校へと見送る。

 昼には神殿を構築する準備の為に縁側に腰掛けて庭を眺めながら魔力を編み上げる。

 夕方には帰ってきた俊永と共に夕食を共にし、ここには桜が一緒になる事も少なくない。

 夜は、入浴し、並んで居間でテレビを見て、最後は就寝し次の朝へと備える。

 

 まるで、生きている人間と同じように彼女は日常の中に居た。

 温いと言われようとも、心地よいのだから仕方がない。

 

 だがそれも、そろそろ終わる。

 

「マスター」

「ん?」

「始まるわ」

 

 会話は短く端的に。さりとて要点は明確に。

 

「揃ったのか」

「ええ。手筈通りなら、彼女は今日来るはずよ」

「そう、か…………」

 

 俊永の返事は、どこか疲れを滲ませる。

 気乗りしないという雰囲気をありありと滲ませているが、それによって足が鈍るような軟弱者でもない。

 

「とりあえず、聖杯を取るぞキャスター。十年前の二の舞は御免だ」

「無論よ」

 

 

 

 

 

@@@@@

 

 

 

 

 

 聖杯戦争の本番は夜だ。これは、魔術は秘匿すべきという魔術師の考えによるもの。

 一般に知られてしまうと、魔術はその力を大きく落としてしまう。

 魔術師にとって“神秘”とは一般的に解明されていないナニかを指す。その為、彼らにとって“知れ渡る”というのは都合が悪い。

 

「もう少し、どうにかならねぇか…………?」

 

 そんな神秘を前にして、俊永は眉根を寄せる。

 理由は単純で今現在のこの場の面々にあった。

 

「どうしました、先輩?」

「…………いや、何でもない」

 

 心配そうに自身を覗き込んでくる後輩に手を振り、彼は前を見た。

 現在、この部屋には四人の人物がいる。

 一人は俊永。もう一人は桜だ。

 そして残りの二人。いつも通りフードを被ったキャスターと、彼女と向かい合うようにして座る黒のボンテージのような格好に目元を大きなバイザーで覆った淡い紫の髪をした長身の女性が一人。

 そう、今この場に男は俊永しかいない。しかも周りは美人揃い。

 ハーレム願望など一欠けらもありはしない彼にしてみれば、この状況というのは実に気まずいものであった。

 

 そんな彼の内心を知ってか知らずかバイザーの女性、ライダーは見えているのか分からない目を俊永へと向けてくる。

 

「マスターであるサクラが決めた事ならば、私から何かを言うつもりはありません。同盟も許容しましょう」

「そうか…………その割に、不満は隠さないんだな」

「…………貴方に不満がある訳ではありません。ただ、この女狐が少々」

「あら、言うに事欠いて女狐ですって?視点が高くなると、気持ちも尊大になるのかしらね」

「喧嘩するなよ…………」

 

 俊永の頭痛の種のもう一つがこれだ。どうにも、キャスターとライダーの相性が悪い。

 一応、彼が真名を知らないために気づいていない事なのだが、この二騎は揃って同じ神話体系からの登場であったりする。

 

「…………とりあえず、晩飯にしよう。桜も手伝え」

「はい。それじゃあ、ライダー。喧嘩しないでね?」

 

 サーヴァントを残してマスターの二人がそろって退室していくという珍事。

 とはいえ、ライダーもキャスターも揃って食事の用意など出来ないのだから致し方ない。少なくとも、俊永はキャスターを台所に立たせる気は毛頭なかった。

 

「「…………」」

 

 沈黙。どちらも思惑はどうあれ、マスター同士に仲は良好だ。

 キャスターとしても日常を過ごす中で、桜との交流は多い。俊永には黙っているが料理に関しての手解きも受けているのだ。

 ライダーも、マスターである桜に対して悪感情など持ち合わせていないし、俊永に対しても初対面は様子見であるとはいえ、そこまで悪く見てはいない。

 少なくとも、男性の中で見れば評価は高い方ではなかろうか。

 

「貴方の狙いは何ですか、キャスター」

「あら、何の事かしら?」

「惚けないでください。サクラとシュンの話が事実ならば、聖杯は汚染されているのでしょう?真面に願いを叶えないそんな代物を求めてどうするつもりですか」

「それは、貴方の尺度でしょう?こと魔術に関しては、私の方が上よライダー。聖杯の泥も不純物を取り除けばいいでしょう?」

「…………それが、貴方には可能だと?」

「出来ると、マスターには約束したもの」

 

 クスクスと微笑むキャスターに、ライダーは気迫を滲ませてくる。

 彼女には聖杯に託す願などない。強いて挙げれば、今のマスターである桜の行く末に幸福が訪れる事を願っているぐらいか。

 最悪聖杯が取れなくとも、彼女が五体満足で生きていけるならばライダーの目的は果たされたと言って良いだろう。

 だからこそ、警戒する。桜自身が信頼する俊永はまだマシとしても、彼のサーヴァントであるキャスターが本当に桜を守るのかが分からないから。

 

「裏切れば、私は貴方を殺す。例え首だけになろうとも確実に、殺して差し上げます」

「フフッ、貴方こそマスターを裏切れば、標本にしてあげるわ」

 

 机を挟んで笑い合う二人。両者ともに、目元が隠れて口元でしか表情の判別が出来ないために実に不気味だ。

 ただ一つ、ライダーは見逃していた。相手が裏切る可能性の方が彼女の中で高かった為に聞き逃していた。

 

 キャスターの中に芽生え始めた一番に関して。



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 英霊というのは、まさしく伝説だ。

 その力は大なり小なり、人の及ばない領域に至っているし純粋に強い。

 その筈なのだが―――――

 

「ッ、本当に人間なのですか…………!」

 

 ライダーは杭剣を両手に防戦を強いられる状況に、悪態をつくしかない。

 迫り来る拳の一つ一つが文字通りの武器であり、目も良い。更に、一芸に固執するのではなく、蹴り、掴み、投げ等々、取れる手段全てを用いるために手数が多い。

 

「癪だけれど、ライダーに同意するわ。マスターは神代でも活躍するんじゃないかしら?」

 

 目の前の光景を見ながら、キャスターもまた頬を引きつらせていた。傍らでは穏やかな様子で湯呑のお茶を啜る桜の姿もある。

 同盟を組んでから、彼女も七戸邸へと身を置いており、聖杯戦争に備えているのだ。

 

「セイッ!」

「しまっ…………!」

 

 甲高い音を立てて、ライダーの杭剣が弾かれ宙を舞う。そして、その直後に彼女の眼前へと拳が付きつけられた。

 

「一応、俺の勝ちか?」

「………ええ、そうですね」

 

 拳を突き付けた俊永が問い、ライダーが答える。

 どうしてこうなったかといえば、俊永が手合わせの相手を求めたため。そしてこの家において、ライダーの他に彼と正面から戦える者など居なかった。

 それでも、ライダーも元々正面戦闘が得意というタイプではない。宝具も発動していないのだから、この勝敗はあくまでも手合わせの範囲を越えてはいなかった。

 

「強いですね、シュン。本当に、この神秘の薄れた時代に生まれた存在とは思えません」

「誉め言葉として、受け取っておくぜ?」

 

 拳を解いて差し伸べられた手を取って、ライダーは立ち上がる。

 彼女の言葉に嘘はない。事実、神代の怪物でもある彼女をして、彼の戦闘能力は英雄のソレに迫るものがあると思えたからだ。

 疑問とすれば、そんな戦闘能力を有しながら、彼自身の肉体が崩壊しない点か。

 

 強すぎる力というのは、何も対象を破壊するばかりではない。その力を振るう側にも相応の負荷を強いる事になるのだから。

 そんな内心が視線に乗ったのか、縁側へと戻ろうとしていた俊永は足を止めると、首だけで少し振り返り笑みを浮かべる。

 

「鍛えてるからな。そりゃ、英雄には劣るかもしれないが物心ついたころからずっと負荷かけて鍛えてきたんだ。技の反動程度じゃ倒れないさ」

 

 力こぶを作って見せて、彼は笑った。

 鍛えてどうこうなるようなレベルではないのだが、気にするだけ無駄なのであろう。

 

 

 

 

@@@@@

 

 

 

 

 聖杯戦争の舞台は、夜だ。

 

「基本、こっちから仕掛けるわけにはいかないな」

 

 縁側に腰かけ胡坐をかき、頬杖をついた俊永は月を見上げて睨むとポツリと呟いた。

 不用心にも見えるがその実、彼の屋敷は結界が張ってあるために並大抵の侵入を許す事は無いのだ。唯一の出入口は、入口の門のみ。

 

 決してキャスターは白兵戦に向く様なクラスではない。そしてそれは、現在同盟関係となったライダーも同じくであった。

 前者は中、遠距離からの大魔術による飽和攻撃が得意であり、後者はどちらかというと搦め手。魔眼や結界を用いて相手を得意な戦局に引きずり込む。

 どちらも正面から真っ向勝負を楽しむタイプでもないし、であるならば自然とサーヴァントの数が削れて来る聖杯戦争後半に仕掛ける事になったのだ。

 もっとも、相手の出方次第では序盤から速攻を掛ける事にもなりかねないが。

 幸いなことに、キャスターが聖杯戦争でも初期に呼び出され、直ぐに俊永へと契約が移ったお陰かこのクラスで必須な工房の作成、魔力の貯蔵などは過分なほどに行われており下手すればこの冬木市の地形を変えてしまえるかもしれない。

 

 とはいえ、今日はこのまま―――――

 

「マスター。お客様よ」

「みたいだな」

 

 虚空より浮き上がる様に現れたキャスターの言葉に応え、俊永は庭に立つ。

 直後、入り口である門の方向より何かが破砕するような音が響き渡った。

 

「漸く、見つけたぜ。けったいな穴倉に籠りやがってよ」

 

 庭に現れたのは、紅い槍を携えた蒼い槍兵。

 

「ランサーよ、マスター。最速の英雄ね」

「桜の言ってた通りだな。小手調べで戦いまわってる奴だろ」

 

 宙に浮き後ろから俊永の首に腕を回すキャスターは、目の前の相手をランサーと断ずる。

 むしろ、あそこ迄堂々と槍を見せておいて他クラスというのは考えにくいだろう。

 強いて挙げれば、ライダーだがそのクラスは既に出現している。そして、同じクラスのサーヴァントが召喚される事は先ずありえない。

 

「お前が、キャスターのマスターだな?」

「だったら?」

「よくもまあ、そんな胡散臭い奴を連れてるなって話さ」

「そこは、人次第だろランサー。その戦闘装束といい、槍といい、お前、ケルトだな」

「ほう……ボウズ、お前があの野郎の言ってたガキか」

「あの野郎、が誰かは知らないけどな」

 

 俊永がランサーに対して行った言及は、七割がたハッタリだ。当たればいい程度の物であったが、相手の反応からして推測は正しかったのだろう。

 ケルトの英雄であり、尚且つ槍を持つとなると割と絞られる。その内一人を彼は知っていた。

 

 だが、考察もそこまで。敵対するランサーの気配が野獣の様な殺気を持って膨れ上がって来ていたからだ。

 

「来るわね。本当に大丈夫なの?」

「おう。拳の“強化”だけ頼む。生身なんでな」

 

 俊永が言い終わると同時に、彼の両拳に薄ぼんやりとしたオーラが輝き、薄皮一枚といったところで定着した。

 そして構える彼に対して、ランサーは眉根を寄せた。

 キャスターが肉弾戦をしないタイプである事は見れば分かる。かといって、サーヴァント相手に生身で戦いを挑もうとするマスターが一体どこに居るというのか。

 だがそれも、

 

「―――――ワン・フォー・オール」

「ッ!?」

 

 目の前の少年が力を発動したことにより改めざるを得なかった。

 同時に、

 

「―――――SMASHッ!」

 

 目の前から一瞬で消えたかと思えば眼前、目と鼻の先に現れた彼の振るう拳を槍を撓ませて―――――受けると同時に後方へと吹き飛ばされていた。

 その破壊力は、大型のトレーラーが最高速度で突っ込んでくるような物。ランサーの体は空気の壁を突き破ると、強かに背中から家を囲む白壁へと叩きつけられてしまう。

 普通なら、そのまま余韻に浸るのかもしれない。

 だが、俊永は踏み込んでいた足に力を籠めると更に前へと加速。

 今度は、左拳。まっすぐ前へと突き出す。

 

「二度も食らうかよッ!」

「…………」

 

 金属と金属がぶつかり合ったような硬質な音を立てて、俊永の拳とランサーの槍の柄がぶつかり合う。

 そこから始まる打ち合い。俊永の両腕の回転数が上がるにつれて、ランサーの槍もまた残像が辛うじて視界に収まる程にまで加速していく。

 人とサーヴァントの対決には到底見えない。如何に拳を“強化”しているとはいえ、追いつくには彼自身の目がランサーの攻撃を捉えていなければならない。

 

(こいつ…………!)

 

 まさか人間相手にここまで伯仲の接近戦を行う事になるなどランサーも思っても居ない。

 槍と素手というリーチに関して圧倒的な差がある筈なのだが、そこを俊永は両手の回転率によって補いつつ、キャスターの後押しを受けての“強化”によって槍を受けることが出来ていた。

 何より、

 

「フンッ!」

 

 純粋なパワーで言えば、俊永はランサーよりも上だった。それも、まだまだ余力を残した怪力だ。

 今はまだ、ランサーの技量が上なために真正面からかち合わずに僅かに反らしているお陰か打ち合えている。しかし、柔よく剛を制すという言葉がある様に、剛よく柔を断つともいう。

 どちらの要素も高めれば高める程に行き着く先は、魔法のような人知を超えた領域。

 

「…………」

 

 戦局を空から眺めているキャスターもまた、神話の英雄の様なぶつかり合いにフードの下で眉を顰めていた。

 戦闘が専門外である彼女にしてみれば、泥臭く近距離戦をするなど考えもつかない。そもそも、そんな状況に持ち込ませたりはしない。

 今回は、()()()()からこの形になっていたが。

 

 上空から静観するキャスターが思考を回す中、眼下の二人は庭の中央へと移動しながら、息の詰まるような乱打戦に持ち込んでいた。

 とはいえ、

 

「手抜きか?ランサーッ!」

 

 ゴガン、と嫌な音を立てて弾き飛ばされるランサー。ダメージは無いものの、今一攻め切れていないことは明らかであった。

 

「チッ……馬鹿げたマスターの令呪でな。こっちとしちゃ、従う義理なんぞ欠片もないんだが…………まあ、これもサーヴァントの宿命って奴だ」

「そうかよ。なら、その宿命。ここで終わらせてやるよ」

 

 言うなり、俊永の全身からコバルトブルーの電光が弾け、体に浮かんだラインもまたより一層の輝きを増していく。

 腰だめに拳を構え、前へ。先程とは比べ物にならない踏み込みだ。その速度は、常人であるならば視界の端に影を捉える事すらも難しい程。

 

 そして、

 

「―――――DETROIT SMASH!!!!」

 

 ボディアッパーの様な軌道でランサーの鳩尾付近を狙う一撃。

 

「ッ!」

 

 咄嗟の事であったが、ランサーの驚異的な技量と反射神経は正確に体を動かしていた。

 槍の柄が軋むような衝撃。その体は空へと勢いよく打ち上げられる。

 

「―――――」

「ッ、防いで―――――ハァ!?」

 

 空へと打ち上げられたランサーだったが、その体には殆どダメージは無い。

 すぐさま反撃に移ろうとするのだが、その前にその体を複数の魔法陣が取り囲み、簀巻きの様に縛り上げてしまうではないか。

 予想外であり、まさかこのタイミングで干渉してくるなど思いもしないランサー。

 彼の眼前には()()()()()()()()を持ったキャスターが現れる。

 その手が振り上げられ、一切の躊躇も無くランサーの肉体へと振り下ろされるのであった。



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 日常の謳歌こそが学生の花。学業に勤しむことを大人たちは求めるが、その大人たちも学生の頃は遊びに精を出していたことは明らかなのだから説得力も無い。

 

「…………」

 

 机に頬杖をついて、俊永は黒板を白けた眼で見つめていた。

 彼だけでなく、大半のクラスメイトもまたそこまでの熱意を持って授業に臨んでいるのはほんの一握りだ。

 そんな気だるい授業の最中、不意に俊永の頭にノイズが走った。

 

(マスター、報告よ)

(どうした?)

(他サーヴァントのマスター。その絞り込みが終わったわ)

(思ったよりも早かったな。ランサーか?)

(ええ。あの犬も役に立つものね)

(本人に言うなよ?面倒だからな)

 

 黒板に視線を向けたまま、俊永は内心で辟易したようなため息をつく。

 罠に嵌めて手元へと置く事になったランサーだが、その関係性は主従ではなく協力といったモノであったからだ。

 

(で?遠坂、アインツベルンは確定として他はどうんんだ?)

(アサシンは流れの魔術師が獲得したみたいね。バーサーカーはホムンクルスの子が、セイバーは三流の魔術師擬きの手の内よ)

(成る程、第四次でやらかしたからかアインツベルンは外部に頼らなかったらしい。ん?てことは、アーチャーは遠坂か。縁があるのかないのか)

(前回の聖杯戦争も、そうだったかしら?)

(いや、前はアインツベルンがセイバー、遠坂がアーチャー、間桐がバーサーカー。それぞれ外からのマスターがライダーとランサー。で、()()()がアサシンだった)

(キャスターはどうなのかしら)

(魔術師でもない連続猟奇殺人犯の手に渡ったよ。お陰で、桜が危うく楽器にされる所だった)

(…………詳しくは聞かないわ。それで、どうするの?)

(待ちだな。基本はランサーに狩らせる。負けるにしても、相応の手傷は負わせてくれるだろうしな)

 

 戦う事は吝かではない。少なくとも、俊永の戦闘能力の大半は正面戦闘に割り振られており、搦め手の手段は基本的にない。ついでに本人も力押しの方が好みだ。

 だがそれは、あくまでも目の前の戦いに勝つだけ。大局を見据えられているとは到底言えない。

 戦いは消耗する。何より俊永は生身だ。キャスターの魔術によって“強化”されるとはいえ、相手は過去の英雄たち。その中には神代の者も居れば、一騎当千の者、果ては大国すらも蹂躙する稀代の怪物等々。

 そんな相手に拳を持って挑むこと自体そもそもの間違いといわれてしまえばそれまでなのだが。

 

 基本方針は専守防衛。裏を返せば、石を投げられれば核兵器をブッパする。そんなスタンスが彼らであった。

 

 

 

@@@@@

 

 

 

 放課後、夕日の差し込んでくる校舎。生徒たちの姿も殆ど校舎には残ってはいなかった。

 というのもここ最近、冬木の街では妙な事件が多発していた為だ。

 

 曰く、黒衣のソレを見たならば心を抜き取られる

 

 曰く、鉛色の巨人と真っ白な少女が夜な夜な街を徘徊している

 

 曰く、青と朱の彗星が夜空を切り裂いていった

 

 その他にも様々だが、そのどれもが根拠のない噂として人々の口に語られる程度で都市伝説の域を出ないような物ばかり。

 だが現実問題、治安が悪くなってきている事も確か。

 

「貴方のその左手はどうしたのかしら、七戸君」

「五百円返せよ、遠坂」

 

 両者互いに、他者の往来をまるっきり無視した様に廊下の中央で仁王立ち。

 彼女、遠坂凛はキリッとした雰囲気を一瞬で霧散させるとあたふたと視線を走らせ目を逸らす。

 

「だ、大丈夫よ!忘れてないわ、ちゃんと十一で返すから…………」

「いや、利子は要らねぇから。あと、左手は料理中にお湯が跳ねて火傷しただけさ」

 

 世間話でもするように、張りつめていた空気がほろりと解けていく。

 

「それだけか?だったら、俺は帰りたいんだが」

「ッ…………アンタに聞きたい事があるのよ」

「言っておくが金は貸さないぞ。自分で何とかしろよ」

「違うわよ!…………アンタ、聖杯戦争に首を突っ込んでるんじゃないでしょうね?」

「なんだ、急に」

「答えてくれる?」

「さて、な。俺は魔術関連には良い思い出が無い。そんな俺が、魔術の坩堝みたいな聖杯戦争に絡むと思うのか?」

「アンタが好き好んで絡むとは思ってないわよ。けど…………桜も、マスターなんでしょ?」

「確証があるなら、疑問形じゃなくても良いだろ」

「…………信じたくない事だって、あるでしょ」

 

 そう言い、凛は目を逸らした。

 彼女は魔術師だ。それも大家とも言われる遠坂の当主。五大元素を全て扱うことが出来、宝石魔術を主とした多彩な魔術を行使することが出来る。

 厳しく冷酷に在ろうとする彼女だが、その性根は常人に近い善良さを持つ。要するに、詰めが甘い。

 今もそうだ。疑わしいのならば呼び止めるのではなく、術を用いてしまえばよかった。今は聖杯戦争中。隠蔽に関してもそう難しくは無いだろう。

 だがその場合、その一件が露呈すると確実に俊永が敵対する事になる。

 ただでさえ、桜が絡むと歯止めが利かなくなるというのに彼自身の怒りの矛先まで向けられるというのは余りにも不味い。勝利の美学など持ち合わせていない彼は、平気で不意打ち騙し討ちを行うだろう。

 

「で?そんな事で引き留めたのか?タイムセールとか、色々と行きたいんだが?今日は卵が安いんだが…………」

「…………その火傷、治してあげるわよ?」

「いや、良い。今更火傷の痕の一つや二つ残っても大差ないしな。あと、他人から魔術掛けられるとろくなことにならないってのは見てきたし」

「わたしが信用できないってことかしら?」

「むしろ、魔術師を心の底から信用するって不可能だと、俺は思うがな」

「桜も魔術師じゃない」

「それはそれだ。信用とか信頼とかじゃなく、俺が一緒に居たいから、守りたいから側にいる。アイツが裏切ろうが、魔術師だろうが何だろうが、俺からすれば些事なのさ」

「…………」

 

 彼の言葉を切り捨てることが、凛にはできなかった。

 魔術師として感情は排すべきものだ。そのことは彼女も理解している。しているが、それでも甘さが捨てきれない。

 何より、間桐桜は彼女にとってもある意味では大きな存在。

 黙り込んでしまった凛を確認し、俊永は彼女の脇をすり抜けていった。

 勝てればいい。七戸俊永の美学は至極シンプルなのだ。

 

 

 

 

@@@@@

 

 

 

 

 フォイル・ラッキンホースは流れの魔術師である。

 名家でなく、大家でなく、特筆すべき点といえばフットワークの軽さぐらいか。

 そんな彼は今、己の幸運に感謝し、同時に絶望することとなる。

 原因は言わずもがな踏み込んでしまった土地にある。いや、そもそもが彼の不注意によって起きた自業自得だろうか。

 不運は、この冬木の街へと足を踏み入れたこと。幸運は、令呪を獲得し召喚したサーヴァントが隠密特化のアサシンであったこと。

 そして絶望は―――――

 

「はぁ……はぁ……!く、くそっ!」

 

 今。背後より追ってくる青い槍兵。

 少し前にも襲われたのだが、その時にはアサシンの逃げ足も相まってその場から逃げることはできた。

 だが今回は違う。

 

「よお、待てよ」

「ッ!」

 

 魔力の供給量による不足がないのか、全力。令呪の縛りも無く最初から初志貫徹、殺しに来ていた。

 フォイルは目の前に現れたランサーを前にして、血の気が引く思い。

 

「あ、アサシンは―――――」

「あん?ああ、あの黒尽くめか。奴なら、ちょいと磔にして置いて来たぜ。うちの雇用主は慎重派でね」

「雇用主?マスターじゃないのか?」

「それをオレが答えると思うか?」

 

 突きつけられる紅い槍。

 

「そもそも、お前に質問できる権利は無い。ただちょっとした質問に答えてくればそれでいい」

「な、なんだ…………」

「問一、お前は時計塔の魔術師か?」

「…………は?」

「答えろ」

「ひっ!い、いいや、違う!ぼ、僕はフリーだ!」

「問二、他の魔術師を招いたか?」

「ま、招いていない!ぼ、僕にはそんな横のつながりは無い!」

 

 自分でも何を言っているのかフォイル自身も分からないが、それでも彼はランサーの問いに必死に必死に何度も答えた。

 そうする内に、搾りかすになるほどに情報を絞りつくされ、そこで漸く彼の眼前より槍の穂先は退けられた。

 死が明確に遠のき、ほんの少し、束の間の安息が彼へと与えられる。

 そうなると生き意地汚い彼の思考は生存へと傾くわけで

 

(どうする、どうすればいい!?僕はこんなところで―――――あれ?)

 

 不意に、口の中より熱いものが溢れてきた。

 下を見れば、赤が広がっているではないか。

 

「あ、え…………?」

「言ったろ、オレの雇用主は慎重派、だってな。聖杯戦争で敵のマスターを残す必要性がどこにある?」

 

 ランサーは一言も、質問に答えれば命を救うなど言っていない。

 そもそも、彼にしてみれば戦いが保証されているのだからそれで充分。いけ好かないキャスターに使われるのは癪ではあるがそのマスターは鞍替えしても良いと本気で思えるような相手であるからプラマイゼロ。

 目の前で生命活動を止めて動かなくなった肉塊を一瞥し、首をはねると彼はその場を後にする。

 

 求めるは強敵との死闘。その点でいえば、今回の聖杯戦争は粒揃い。

 死闘は直ぐにでも訪れる。
















アサシンを登場させないのは単純に私の技量不足だからです。というか、既出のハサンの中から一体を出そうにもイメージと合いませんし、かといって歴代ハサンから無理矢理一人を選ぶのも難しく、こんな形となってしまいました


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