やはり俺の青春ラブコメの相手が魔王だなんて間違っている。 (黒霧Rose)
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第1話 彼と彼女が交わるには道が広すぎる

 

 

「また明日」

 

目の前の少女がこちらに手を振ってくる。手を振る少女の名は雪ノ下雪乃。俺に手を振りながらその言葉を彼女の口から聞く日が来るとは思ってもみなかった。

 

今日、俺は文化祭スローガンを決める会議でサボりが横行していた文化祭実行委員に発破をかけてきた。あそこに居た奴らの目を見る限り、恐らく上手くいっているだろう。

 

「・・・ああ、じゃあな」

 

小さく呟いて、会議室を去る。

 

 

 

小さな微笑みと、戸惑いを胸にしながら。

 

 

 

 

 

 

 

「ひゃっはろー」

 

この挨拶のフレーズと声は知っている。だが知らないふりをする。校門の所に居る美人なんか知らん、俺には関係ないし関係するつもりもない。

 

「無視はいけないよー。君も無視される辛さは知っているでしょ?」

 

隣を通り過ぎようとしたら、腕を掴まれた。というか、捕まえられた。もちろん、無視をしようとしたので皮肉付きで、だ。

 

「お姉さんとちょーっとお話しようよ」

 

本当なら今すぐ断って家に帰って明日の覚悟を決めたい。だというのに何故この『魔王』とエンカウントしなければならないのだろうか。

 

「比企谷くん、お姉さんじゃ・・・ダメかな?」

 

上目遣いをしながら不安そうな声を出す魔王。俺はそれに騙されはしないが・・・それは『俺は』という話である。ここは校門で人の行き来がある、つまるところ俺以外がここには何人も居るのだ。この状況で圧倒的に不利なのはどちらか?

 

 

考えるまでもなく俺だ。

 

 

「・・・歩きながらでいいですか?」

 

こちらも精一杯の譲歩をした答えを出す。そもそも突然話しかけてきているのだから、相手である俺の都合を優先するべきだろう。

 

「いいよ。元々そのつもりだったしね」

 

譲歩したつもりが、想定内だったらしい。まぁ、この人相手にそんなことをしても無駄か。

 

 

 

 

雪ノ下陽乃。雪ノ下雪乃の姉にして、彼女を凌ぐ程の才能を持つ女性。またの名を魔王。

 

いや、訂正をしよう。別段、雪ノ下雪乃のよりも優れているというわけではない。才能で言うのなら二人は恐らく互角だろう。

 

しかし、彼女を魔王たらしめているのはその『在り方』にある。周囲を全て騙しきる程の『仮面』を持ち、TPOによって自らというものを変革させていく。それを誰にも悟られることなくこなし、違和感すらも抱かせない。その在り方が雪ノ下雪乃とのハッキリとした違いだ。

 

雪ノ下雪乃が嘘を嫌い、真っ直ぐに正しさを追い求め、世界を変えようとする『革命家』なら・・・雪ノ下陽乃は嘘を纏い、平行線のように交差することのない多数の真っ直ぐさで間違いを否定し、世界を騙そうとする『支配者』だろう。

 

生まれ持ったものが少し違うだけで、こうも二人は正反対の道を歩んでいるのだ。

 

 

「スローガンの時は笑わせてもらったよ。よく思いついたね」

 

さっきのスローガン決めのことを言ってくる。まぁ、今この状況において俺と彼女の間にある話題なんてそれしかないだろうからな。

 

「思いついた?俺は仕事押し付けられてストレスが溜まっていたんでその憂さ晴らしですよ」

 

俺が答えると、雪ノ下さんは目を細めて薄い笑みを浮かべた。背筋が凍るほどの恐怖を感じる。

 

「それも違くはないんだろうけど、本当の目的ではないよね」

 

よくそんな表情をしながら高くて明るい声が出るな。

 

「さぁどうでしょうね」

 

俺は適当に返事をして目を逸らす。いや、顔ごと逸らす。

 

「ダメだよ、比企谷くん。まだ逸らしちゃダメ」

 

すると、頬を持たれて顔が元の位置に戻る。目の前には雪ノ下さんの貼り付けた笑顔が現れる。

 

「お姉さんが答え合わせをしてあげる」

 

「模範解答が無い以上、それを答え合わせとは言いません」

 

「あるよ。君が隠しているだけ。それに、例え無かったとしても私は勝手に私の仮説を話すから」

 

このまま逃げてもいいのだが、生憎俺にはこの人から逃げ切れる手札が無い。現状、この人に踊らされてると言ってもいい。

 

「じゃあ始めよっか。君はまず、委員長の意見を否定した。それは彼女の案である『助け合う』というものに反感があったから。ではなく、彼女の意識に反感があったから。助け合うというものを履き違えている彼女そのものに君は反感のようなものを抱いた。そして、それを利用することにした。彼女の案を否定し、自らも案を出す。その案は自らを正当化させ、今までサボっていた人にも反感を抱かせた。そして案の定、君に反感を抱く生徒が増えた。この一連の流れが本当に偶然なのかな?」

 

 

つらつらと語る彼女。全くもって恐ろし過ぎる人だ。こちらの考えというものを隅々まで見通してくる。或いは、見透している。

 

「そうかもしれませんね」

 

「あくまでその態度なのね・・・ふーん。それが比企谷くんのやり方なんだ」

 

今まで浮かべていた笑みは消し飛び、鋭い目つきと冷たい声音が俺を襲った。本当にさっきまでの人と同一人物なのだろうか?それほどまでに彼女は一変していた。

 

「お姉さん、そのヒールっぷり好きだなー」

 

声音は高く、明るいものだったが・・・表情は何一つとして変わりはしてなかった。真剣そのもののようにも思えたが、それでもその言葉には引っかかるところがある。

 

『ヒールっぷり』その言葉が引っかかる。俺は別にヒールになったわけではない。少し考えて、自分の手札を切っただけに過ぎない。ヒールとして活躍したなどとは思っていない。

 

「雪乃ちゃんにはもったいない・・・ううん、違う」

 

すると、雪ノ下さんは俺の顎に手を添えた。

 

 

 

 

 

「私じゃなきゃ、君を引き出してあげられない。君を理解してあげられない」

 

 

 

 

その言葉を放った彼女は何も被っていないように思えた。彼女の本質だと、そう思えてしまった。

 

「・・・意味が分かりません」

 

「私は言ったよね?『逸らしちゃダメ』って。君は気付いているはず、今の私は私自身だということに」

 

どこまでも計算された発言に、計算された事運び。

 

雪ノ下雪乃とは違う、絶対的な格差。

 

 

 

「私と共に在るっていうのはどうかな?」

 

 

 

その瞳の奥にある暗く、ドロドロとした闇のような耀き。あらゆる人間を魅了し、惹きこみ、自らの絶対性を証明させるかのようなその強い瞳。

 

 

甘美にして、猛毒。

 

優美にして、劇物。

 

 

風光明媚であるが故に、魑魅魍魎。

 

 

 

時折見える瞬きでさえ、人を飲み込むのに十分なものがある。

 

「お断りします」

 

だからこそ、俺はその誘いには乗らない。乗ることができない、乗ることを許されない。

 

「理由は?」

 

理由と言われても、特に浮かびはしない。正確には、この人を納得させるだけの理由が浮かばない。

 

「あなたを信用することが、俺にはできないからです」

 

だから、俺は拒絶を示す。納得させることができないのならば、俺との間に明確な壁を、分厚い壁を作ればいい。

 

そもそも、話にならなければいい。

 

「・・・それもそうだね」

 

何も思っていないようにスっと彼女は呟いた。

 

「それだけなら、俺は帰ります」

 

これ以上、この人と居るのは危険だと判断した俺は即刻この場を去る。本当にマズイ、この人は本当に危険だ。

 

「最後に、一つだけ教えて」

 

後ろから声が聞こえてくる。その声は、どこか彼女の妹を感じさせるような・・・凛とした声だった。

 

 

 

 

「今回の君の行動・・・それは誰のため?」

 

 

 

誰のため・・・か。考えてみれば一体誰のためにあんなことをしたのだろうか。

 

俺のため?無いわけではないが、どこか納得できない。

 

相模のため?残念ながらそれはほとんどない。

 

なら、俺は一体誰の、いや何のためにやったのだろうか?

 

 

彼女の、ため?・・・それが、一番近いのかもしれない。

 

 

 

だが、俺にはその資格がない。彼女のために行動したという証明もなければ、理由もない。

 

 

 

「妹のためですよ。貴重な機会である文化祭を潰すわけにはいかないでしょ?俺は実行委員ですから」

 

 

 

彼女の方を振り返らず答えて、俺は歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

「『誰の』妹なのかは、言わないんだね」

 

 

 

 

 

 

実行委員会は再始動した。今の状況はそう言ってもいいだろう。前までは全体の三割ほどしか来ていなかったが、今ではほぼ全員がこの会議室に居る。

 

まぁ、俺に送られてくる視線はちょっとアレだけど。

 

 

「やぁやぁ比企谷くん、ちゃんと仕事しているかい?」

 

会議室にやって来た雪ノ下さんが俺に話しかけて来る。

 

実のところ、この人とのエンカウントは避けたかった。昨日のことがどうも頭から離れない。

 

「ちゃんとやっては・・・いないみたいだね」

 

俺の目の前にあるPCを覗き込んでそう言った。

 

なんでだよ、めっちゃやってんじゃん。

 

「だってここには、比企谷くんの功績が書かれてないじゃん」

 

俺の役職は記録雑務。この実行委員におけるあらゆる事柄や出来事をまとめなければならない。

 

俺の功績?そんなものは最初からない。だから俺はちゃんとやっている。

 

「ここで問題。集団を一致団結させるものといえば?」

 

いつもの笑顔でいきなり問題を出してくる。

 

「冷酷な指導者」

 

「またまたーホントは知ってるくせに。答えは敵の存在だよ」

 

集団をまとめあげるのに必要なのは『敵』だと彼女は言った。まぁ、実際に考えてみれば指導者は集団を一致団結させるのではなく、一致団結した集団を導く者だ。そもそもの前提を履き違えている答えはあまりにも適当が過ぎたか。

 

「・・・敵なんて必要なんすかね」

 

彼女には目もくれずに小さく呟く。本当に、敵なんて必要なのだろうか?彼女は集団を一致団結させるものを敵だと、そう言った。けれど、そこにあるのは敵に対しての感情であり烏合の衆であることに変わりはない。

 

だとするのならば、本当に必要なのは敵などではなく・・・

 

「『助けたいと思うほどの大切な存在』かな」

 

「・・・」

 

「比企谷くんが考えていたのはこんな感じでしょ?」

 

思考を読まれて、答えを出されてしまったようだ。

 

「敵に対して向く感情は一直線であれど一定のものではない。故に、それは同じ方向を向いただけの烏合の衆である。けれど、大切な存在のために向く感情は一直線であり一定、つまり一途であると言える。その想いなら烏合の衆ではなく、集団として機能する。そういうことでしょ?」

 

結論も、過程ですらも同じだった。

 

「いいねぇ、その考え。私の出した答えに対する絶対的アンチテーゼ・・・そういうのを待っていたんだよ」

 

恐ろしいほどの笑み、まるで猛禽類が標的を定めたような・・・そんな笑み。

 

「元々は雪乃ちゃんのつもりだったのに・・・でも、これは思わぬ収穫かな」

 

この人、まさかそのつもりで委員長である相模を煽っていたのか?最初から、そのつもりで?

 

「あなた、まさか雪ノ下に」

 

言葉を続けようとすると、雪ノ下さんの白く綺麗な人差し指が俺の口に当てられる。

 

「ふふっ。君も、私も、お互いを理解し始めているね・・・でも、それ以上はだめ」

 

口元は微笑みを浮かべ、妖艶な瞳で言葉を発する目の前の女性。

 

 

ドサッ

 

 

「雑務、仕事をしなさい。人の姉と戯れる時間があるのならここに溜まっている仕事を片付けたらどうなの?まだ有志数件、エンディングセレモニーの人員配置などの考慮をしなければならないのだけれど、あなたのその余裕ぶりを見ると、どうやら任せてもいいのかしら?」

 

 

俺の席に書類の束を置くのは我らが部長であり、実行委員会副委員長の雪ノ下雪乃である。

 

「あの、これはですね」

 

「どこかの誰かさんのせいでお開きとなってしまったスローガン決めの会議の議事録もまだあがってきていないのだけれど、それでも余裕なのよね」

 

ニッコリとした顔でこちらに畳み掛けてくる。うん、帰っていいかな?

 

「雪乃ちゃーん、私もやっていいかな?かな?」

 

雪ノ下さんも妹が来て嬉しいのか、手伝いを申し出た。俺の近くから居なくなるのならそれでいいです。

 

「姉さんは帰って」

 

「酷い、雪乃ちゃん酷い。まぁ、勝手に比企谷くんの仕事取ってやっちゃうんだけどね」

 

俺の仕事が減るのならそれでいいです、もう、それで・・・はい。

 

「はあ、勝手にしなさい」

 

呆れた雪ノ下は自分の席に戻って行った。

 

「じゃあ比企谷くんはこのお礼にお姉さんと文化祭中共に行動ね。決定」

 

それでよくなかったです。

 

「手遅れだから」

 

そう言って、いい笑顔を向けてくる魔王。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これ文化祭休んでいいですかね?

 

 

 



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第2話 魔王とは想定外にして埒外である

 

「ねぇ比企谷くん、どうして写真ばかり撮っているの?」

 

「そりゃ仕事だからですよ」

 

文化祭二日目、俺は雪ノ下さんと学校を歩いていた。何故か?それは準備期間中、雪ノ下さんが俺の仕事を手伝う代わりに交換条件として俺と文化祭を回ることを勝手に約束したからだ。そう、勝手に。ここがとても重要だ。

 

「じゃあお姉さんの写真を撮りなよ」

 

「あなたを撮っても使えませんからね」

 

俺が撮っている写真は学校のHPなどに掲載、三年生の卒業アルバムに載せる予定のものだ。これから受験を考えている中学生やその保護者のためにここがどのような高校なのかを示すためである。故に、OGであるこの人を撮っても仕方ないのだ。

 

「こんな美人のお姉さんが居るって知れたら入学希望者は増えるかもよ?」

 

否定できないのが辛い。しかし、ここは千葉でも有数の進学校。つまり、大学進学を考えている中学生は第一にここを据えると考えてもいいので、定員以上は集まると思っていいだろう。

 

「必要ありませんね」

 

「ふーん」

 

そう言うと、雪ノ下さんは俺と腕を組み、自分の携帯で写真を撮った。

 

「あの」

 

「よく撮れてる」

 

携帯を確認して、笑顔で呟く。

 

 

が、その笑顔は嘘臭く、どこか狙っているかのようなそんな笑み。ただ、誰かに見せるための、誰かを魅せるための・・・それだけのための笑み。

 

 

「何してるんすか?」

 

「比企谷くんとのツーショットだよ。何かの時に手札になるかもしれないからね」

 

「それって消してもらうことは」

 

「うん無理」

 

デスヨネー。本当は知ってました。しかし、俺とのツーショットが手札になるかもしれないとはどういう意味なのだろうか?いや、この人の手札になること自体怖いことなんだけどさ。

 

「はぁ・・・まぁいいです」

 

「そうそう、その意気だよ」

 

放っておこう。

 

 

 

しっかし、この人と居るとこんなにも視線に晒されるのか。分かってはいた事だがどうも慣れない。女も、男も、それが誰であれこの人の事を一度は見て行く。そして、俺も見て行く。まぁ、こんな美人の隣が誰なのかが気になってしまうのは分かるが、残念ながらそんな綺麗な関係でもない・・・寧ろ、俺とこの人の間にはこれといって関係そのものがない。

 

 

 

「お兄ちゃん?誰と居るの?」

 

後ろから、よく知る声に話しかけられる。

 

「よう小町。この人は雪ノ下陽乃さん、雪ノ下の姉だ」

 

「ええ!?雪乃さんのお姉さん!?なんでお兄ちゃんと?」

 

そんな大声で言うなよ。ただでさえ多かった視線がさらに増えただろうが。

 

「それはね、私と比企谷くんはもう・・・きゃはっ」

 

「・・・・・・えええええええ!!!???」

 

「おいこら変な言い方しないでください。俺とあなたには関係と呼べるものはないでしょ。あるとしても同級生の姉くらいです」

 

変な言い方をしないでいただきたい。目の前小町を見てみろ、とても顔がグルグルと変わっているじゃないか。

 

「まぁ、そこんとこは後で詳しく聞かせてもらうからね!!」

 

そう言うと、小町は八重歯を覗かせながら笑った。

 

「詳しく聞かせちゃうよ!」

 

なんであなたがそれに答えてるんですかね。どう考えても俺に言ってたよね?

 

「はい!!ではでは」

 

ピシッと敬礼をすると、どこかへ行ってしまった。

 

「比企谷くんとは全然違うね」

 

「そっすね」

 

なんかもう色々と疲れてきたのでテキトーに返す。

 

 

 

「ちゃんと取り繕うところとか」

 

 

 

その言葉に、俺は堪らず振り返る。しかし、彼女の顔は『いつも』と同じ笑みを浮かべていた。

 

「・・・」

 

この人の前では、どんなものも平等に見えるのだろう。私情はなく、優劣もなく、そして先入観すらない。どんなものも『そういうもの』であり、どんな者も『そういう者』としか捉えない。捉えられないのではなく、捉えようとしない。淡々と、事実と客観的感想のみを述べる。

 

「おーい、比企谷くん?」

 

だからこそ、自身に対する主観的感想・・・それも客観という名の一般と大きく異なるものに興味を示す。客観視に重点を置く自分とは対照的となる者にこそ、その関心は揺れ動く。

 

「比企谷くん?」

 

しかし、現状それは妹の雪ノ下雪乃のみなのだろう。故に、彼女の興味と関心は

 

「比企谷くん!」

 

耳元でする声に驚き、考えが止まってしまった。

 

「やっとこっちを向いてくれたね。もう、お姉さんを悲しませるなんて・・・酷いぞ」

 

一体何を言っているんだろうかこの人は。

 

「まぁそれはいいとして、私はこれから有志の発表に行くから」

 

恐らく、ここでお別れと言うのだろう。そう予想できるほどには、俺も成長しているようだ。

 

「ついてきて」

 

「・・・は?」

 

「は?」

 

マジかよ。なーにが『俺も成長しているようだ』だよ。全くもって真逆のことを言ってるじゃねぇか。

 

「私と行動する、それが君に課したことだよ?」

 

当たり前の確認、当たり前を確認と言ったところだろうか。

 

「舞台の袖のとこに立ってればいいから。ほら、行くよ」

 

有無を言わせない絶対的微笑み。アブソリュートスマイル、なにそれカッコイイ。なんてことを考えてしまうほど、俺は疲れているようだ。

 

 

 

 

 

 

『圧巻』という言葉がある。滅茶苦茶噛み砕いて説明をすると、とてつもないほどの凄さという意味だ。元は最も優れている詩文を指す言葉だそうだが、その漢字はよく当てはまっていると感じさせられる。圧倒的という表現でもあり、舌を巻くとも表現ができる。人によっては巻くのは尻尾かもしれないが、それでもやはり通づるあたり読んで字のごとくと言えるだろう。

 

目の前で行われている、雪ノ下さんの指揮を見て俺は正に圧巻という表現が相応しいほどの心の揺れを感じていた。つまり、あまりにも圧倒的過ぎて舌を巻きながら尻尾を巻いて逃げ出したいのだ。

 

動きに無駄はなく、一つ一つが繊細で全体をより良く見せている。もしくは、魅せている。優美であることを活かすとは、このことをさすのだろう。

 

 

演奏も終盤にさしかかり、会場の緊張感も高まってゆく。しかし、それすらも雪ノ下さんにとっては演目の一部に過ぎないと、そう感じさせる。全てが雪ノ下陽乃にとってのステージ。

 

 

 

「どうだった?」

 

そのステージが終わると、俺は感想を求められた。こんな時、もっと言葉を知っていればと痛感する。

 

「・・・とても、凄かったです」

 

こんな拙い表現しかできない。感情が込み上げて来ると、言葉が出ないと聞く。そんなことはどうでもいい、さっきまでのステージに相応しい言葉を見つけられないことが重要なのだ。

 

「・・・そういう素直で簡潔な表現でいいんだよ」

 

そんなこちらの葛藤を見抜いているのか、彼女はそう言った。

 

 

 

 

不思議と、その顔は『あの人』と同じような気がした。

 

 

 

 

 

 

「相模さんがいない?」

 

有志の発表も全て終わり、エンディングセレモニー開始の少し前となった。だが、そこで聞こえてきたのはそんな言葉だった。

 

「雪ノ下、相模が居ないってマジか?」

 

「ええ、そのようね」

 

周りを見ながらそう呟く。

 

「ダメです、携帯も繋がりません」

 

実行委員の一人が雪ノ下に報告をする。

 

「マズイわね・・・これだと結果発表ができないわ」

 

この文化祭二日間の締めくくりとしてエンディングセレモニーは行われる。そこでの目玉と言えば、クラスの優秀賞および地域によるクラス優秀賞。故にこのエンディングセレモニーは多くの地域の人たちにとっても大きな意味を持つ。

 

しかし、その結果を知っているのは委員長のみ。そして、今はその委員長である相模が居ない。それがどのような影響を及ぼすのかは明白であろう。

 

「・・・優秀賞はでっち上げればいいんじゃないんですかね。どうせ票数は表に出ないんですから」

 

「比企谷くん・・・」

 

「それはちょっと・・・」

 

雪ノ下と城廻会長に呆れられてしまった。しかし、現状それしかやれることはないだろう。

 

「なら、どうするんですか?」

 

「・・・」

 

ここに居る全員が黙り込む。

 

「どうかしたのかい?」

 

何か異変を感じたのか、楽器を片付けていた葉山がこちらにやって来た。

 

「・・・それが、相模さんがいないのよ」

 

話すことにしたのか、雪ノ下がそう告げる。まぁ、コイツなら何かしらの協力はしてくれるだろうから正しい判断だな。

 

「・・・俺たちでとりあえず十五分は稼ぐ」

 

そう言い、先ほどまで持っていた楽器を指さす。なるほど連続演奏か・・・それなら確かに違和感をもたせることなく時間を稼げる。

 

「ありがとう」

 

雪ノ下も葉山の提案を受け入れる。

 

 

だが、十五分時間が伸びたところで大したことはない。仮に相模を探しに行くとしてもそれでは時間が足りなすぎる。

 

 

 

「もし、もしあと十分でも稼げたらあなたは相模さんを見つけられるかしら?」

 

 

 

雪ノ下は俺に向けて尋ねる。

 

 

「・・・分からん」

 

 

分からない。相模を見つけることができるか、そもそも探すつもりがあるのかどうかも・・・俺には分からない。

 

「不可能とは、言わないのね」

 

不可能かどうかも分からない、そういうこともあるだろう。

 

 

 

「へえ、それで雪乃ちゃんはどうやってその十分を稼ぐの?」

 

 

 

今まで沈黙を決め込んでいた雪ノ下さんが言葉を放つ。

 

「姉さんにも手伝ってもらえればその十分は確実に稼げる、と前置きしておくわ」

 

「私の手伝いがあれば・・・ねぇ」

 

その言葉に雪ノ下さんは口角を上げる。試すような、そんな怪しい・・・妖しい笑みを浮かべる。

 

「それを断った時に私にデメリットはあるの?私のステージは無事に終わり、尚且つ私は参加している側。それを踏まえた上でも私に対してのデメリットも罰もなさそうだけど。それとも、先生に言いつけちゃう?」

 

今度はからかうように笑う。

 

由比ヶ浜が何か言いたそうに前に出るが、それを俺が止める。ここで由比ヶ浜を出すわけにはいかない。今は雪ノ下が雪ノ下さんに話をつけなければならない場面だ。

 

「デメリットも罰ももちろんない・・・けれど、メリットはあるわ」

 

「メリット・・・どんなメリットがあるのかな?」

 

その笑みは変わらない。だが、その笑みがもつ意味は変わったと認識できる。からかいから、面白そうだという意味に変わった。

 

 

「私に貸しが作れるわ」

 

 

・・・なんつー覚悟だ。雪ノ下陽乃というある意味未曾有の姉相手に貸しを作る、だと?それがどんなに凶悪な事は想像にかたくない。

 

「・・・なるほど。成長したね、雪乃ちゃん」

 

笑みはなくなり、真剣といった表情になる。

 

「あら、私は元々こうよ?十年以上も一緒に居て分からなかったのかしら?」

 

まぁ、確かにそうかもしれない。

 

「へっ」

 

思わず笑いが出てしまう。

 

「なにか?」

 

「いやなんでも」

 

雪ノ下雪乃は、こういう奴だったかもしれない。ある意味、先入観や主観が勝りすぎていた。或いは、混ざりすぎていたのかもしれない。

 

「・・・そっか。じゃあ、雪乃ちゃんも十年以上も一緒に居たんだから、私がどう答えるかは分かるよね?」

 

雪ノ下に向けられた目は、今まで見てきたどの目よりもあらゆる感情を孕んでいた。黒く、どこまでも果てのない暗闇を映した瞳。あらゆるものを、飲み込むような・・・そんな瞳。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もちろん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「断るよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第3話 魔王とは魔物の王ではなく、魔の王である

『断る』そう口にした。雪ノ下陽乃は、雪ノ下雪乃の提案に対し、断ると言った。

 

「雪乃ちゃん、交渉の仕方っていうのはね・・・相手に魅力あるメリットを提示しなければいけないんだよ」

 

雪ノ下さんは眉間に少しの皺を寄せながら言葉を続ける。

 

「今の私の興味はちょっと別のところにあってね、だからそれを近くで見届けたいと思ってるんだ。だから私は断るよ」

 

「・・・そう。分かったわ」

 

雪ノ下も、もう何を言っても無駄だと悟ったのか納得した様子だった。

 

「けれど、魅力が全然ないわけじゃなかったから少しだけ力を貸してあげる」

 

雪ノ下さんはそこで言葉を止め、歩き始めた。

 

「人を頼るっていうその判断は、間違いじゃないよ。だからこそ、必要なのは『誰に』頼るか。その意味をちゃんと考えてね」

 

そう言い終えると、出口から外へ出て行った。

 

「・・・とりあえず、探しに行ってくる」

 

この空気の中に居るのは耐えられないので、俺も出て行く。

 

「・・・ええ、お願いするわ」

 

「ヒッキー、頑張って」

 

背中から、少しの声援を受けて。

 

 

 

 

 

 

 

「やぁ比企谷くん、さっきぶり」

 

出口を出ると、そこには雪ノ下さんが立っていた。なんとなくそんな気はしていたので驚きはなかった。

 

「・・・いいんですか?雪ノ下の提案を断って」

 

その質問が来る事もまた想定済みだったようで、少し笑みを浮かべると歩き始めた。

 

これは・・・歩きながら話すというわけか。

 

「いいんだよ、これで。もし私があれに頷いていたらあの子は間違いなく味を占める。君ならその意味が分かるでしょ?」

 

「また同じ手法を繰り返す、ですか?」

 

「正解。自分を交渉材料、つまり手札にするというやり方で慣れられると困っちゃうからね。そんなやり方を堂々とやる人は一人で十分だよ」

 

先ほどの笑みとは違い、目を細めて笑う。これはつまり俺への当てつけということだろう。

 

「けれど、魅力的なメリットであることに変わりはなかったはずですよね?」

 

そう言うと、彼女は目を見開いた。

 

「へぇ。流石だね」

 

そうだろうと思っていた。雪ノ下雪乃に貸しを作れる。このメリットを魅力的に思わないわけがない。特に雪ノ下さんにとってはまさに絶好というほどだろう。

 

「でも、別の方に興味があるのも本当だよ。だから、今度は私が比企谷くんに質問するね」

 

何故だか、その質問は聞きたくない。聞いてはならないと、そう心が告げる。

 

 

 

「比企谷くんは・・・どうして委員長ちゃんを探しに行くの?」

 

 

 

確信に変わった核心。或いは、確信して放ったであろう核心をつく質問。何故俺は行動をしているのか、何故探しに行くということを課しているのか?

 

「・・・」

 

考えれば考えるほどに分からなくなってゆく。今の俺が持ち、確実とも言える答え。

 

「君はあのスローガン決めの会議で、自らの行動理由を妹のためと言った。まぁそれが嘘か誠かは問わないけど、こうして文化祭は開催された。さっき君の妹が来ていた・・・これを踏まえれば君は目的を達成したと言えるよね。それなのに、どうして君はまだ行動をするの?」

 

いつかの帰り道と同じ、こちらを見通し見透す目で言葉を紡ぐ。一切の容赦など見せない、こちらの核心をつくばかりの質問。

 

「君の心の中に映っているのは誰?君の中の『助けたいと思うほどの大切な存在』って誰かな?」

 

あの日、俺の心の中には一人の少女が映っていた。自身の行動理由を探している最中、その少女は当たり前のように俺の心の中には居た。まるで初めからその答えが決まっていたかのように、必然の如くそこに、あった。

 

 

 

 

 

 

「・・・雪乃ちゃんじゃないの?」

 

 

 

 

 

だから、この人からその名を聞くこともまた必然だったのかもしれない。

 

「・・・」

 

「君のあらゆる行動は全部それで片付いちゃうんだよ。スローガン決めの会議、文化祭実行そのもの、そして今回の件・・・全部雪乃ちゃんのため。違う?」

 

映ってしまっていた。今の俺の瞳の中には彼女が映っていた。それは間違いなく、証明であった。比企谷八幡は、雪ノ下雪乃のために動いたと、動いているという証明だった。

 

「だんまり・・・か。往々にして図星をつかれた者は無言となる。無言は肯定の意、分かるよね?」

 

「・・・俺も、あなたに質問があります」

 

「自分はハッキリと答えを示していないのに・・・か。まぁいいよ、とりあえず言ってみな」

 

 

 

 

 

「相模がどこに居るのか、知ってますね?」

 

 

 

 

その質問をすると、その笑みは黒い何かを表しているかのようだった。

 

「さぁ、どうだろうね?」

 

その笑みのまま彼女は発言をする。

 

「・・・あなたは、意味の無いことをしない人です。歩きながら話すということにも当然意味がある。そして、あなたの足取りは確かなものだ。つまり、その歩みには意味がある・・・そう、相模が居ると。違いますか?」

 

雪ノ下陽乃という人は、俺の経験上意味の無いことをしない。あらゆる発言には意味があり、あらゆる行動には何かが隠されている。歩きながら話すというのはこの人の性格上、目的をもったものだ。ただ俺に質問をぶつけるだけならどこかで止まって話せばいい・・・なのにこの人は歩きながらを選んだ。それはつまり、彼女には行き先があるということだ。

 

「なるほど、いい思考力だ。じゃあ、その答えを確かめに行ってきな」

 

そう言うと、雪ノ下さんは管理棟の上を指さす。

 

そういうこと、か。

 

「見せてもらうよ、比企谷くん」

 

 

 

 

屋上のドアを開く。すると、そこには委員長の相模が居た。

 

ドアが開く音に気付いたのか、相模が振り返る。しかし、その顔は期待外れというものに変わった。

 

「エンディングセレモニーが始まる、体育館に戻れ」

 

そんなことには構わず俺は言う。

 

「・・・なんであんたなの」

 

小さい呟きだったがきちんと聞こえた。まぁそうなるのも無理はないか。

 

「いいから戻れ、お前は委員長だろ」

 

「もうとっくに始まってる時間でしょ?」

 

「本来なら、な。だが、今は雪ノ下たちが時間を稼いでいる」

 

雪ノ下さんからの協力は得られなかったがあの雪ノ下のことだ、恐らく時間は稼げているだろう。

 

「じゃあ雪ノ下さんがそのまま全部やればいいじゃん」

 

「お前のもってる集計結果とかあるだろ」

 

「ならこれだけ持ってきなよ!」

 

集計結果だけを持って行けば、俺は雪ノ下雪乃のやってきたことを否定することになる。彼女の受けた依頼はあくまで補佐。つまり、相模が委員長としての責務を全うしなければならない。

 

彼女を連れ戻すなら、彼女の聞きたいであろう言葉を聞かせればいい。

 

しかし、残念ながら俺にそれはできない。

 

 

ガチャ

 

 

再び、ドアの開く音がした。

 

 

「連絡とれなくて心配したよ。戻ろう、相模さん」

 

「・・・葉山」

 

現れたのは葉山だった。

 

「比企谷・・・そういうことか」

 

・・・なるほど、今の俺を見る顔で分かった。あの人の差し金か。

 

「さぁすぐに戻ろう、ね?」

 

まぁ確かに俺よりかは適任だろう。

 

「で、でも」

 

葉山は相模に近付き、宥めるように話をする。

 

 

 

このままグダグダと一進一退のやり取りをしていても無駄に時間が過ぎていくだけだ。最大でも約三十分、移動時間を差し引けばやはり事は急を要す。

 

 

 

雪ノ下は雪ノ下のやり方を貫いた。この一件があの魔王の手のひらの上であろうと、俺は俺のやり方を貫くだけだ。

 

 

「うち、本当に最低・・・」

 

 

 

「はぁぁ・・・お前は本当に最低だな」

 

 

 

俺のその一言に葉山と相模は黙り込む。

 

「相模、結局お前はチヤホヤされたいだけなんだよ。上に立って、周りを見下して、お前というブランド力を高めたかった・・・ただそれだけなんだよ」

 

「あ、あんた、何を言って」

 

「だから委員長になった。それが一番手っ取り早かったからな」

 

「比企谷、少し黙れ」

 

葉山がこちらを睨んでくる。だが、それでも俺は言葉を続ける。

 

「本当はお前だって分かってるんだろ?俺が一番先にここへ来た・・・それってつまり、お前のことなんて誰も本気でさが」

 

ドンッ!!

 

そこまで言ったところで、葉山に胸倉を掴まれ壁へ押し付けられた。

 

「・・・黙れと言ったんだ」

 

俺が黙ったことを確認すると、葉山は相模のもとへと行った。

 

「とりあえず体育館へ戻ろう」

 

そう言い、俺の横を通り過ぎ屋上のドアから出て行った。

 

「どうして・・・そんなやり方しかできないんだ」

 

そう、言い残して。

 

 

 

 

 

 

「どうしてそんなやり方しかできないんだ・・・か。隼人も分かってはいるんだね」

 

葉山たちが出て行くと、今度は雪ノ下さんが入って来た。

 

「なんで葉山まで呼んだんすか」

 

葉山が一人でここへ来た、それだけでおかしな話だ。『みんな』というものを主として考える葉山なら、相模捜索を単独では行わない。必ず彼女の取り巻きを連れてくる。更に、相模を特別扱いしているわけではないとも証明できる。

 

そして、俺を見て納得をした様子。これら全てを統合すれば答えは出る。

 

 

雪ノ下さんが葉山をここへ呼び出した。

 

「そうだね・・・隼人と比企谷くんの直接対決が見たかったからって理由じゃだめかな」

 

「・・・はぁ」

 

「まぁでも、予想の斜め下の展開が見れたから満足かな。あ、これ褒めてるから」

 

ケラケラと乾いた笑いをしながら彼女は呟く。

 

「さて、じゃあ体育館に戻ろっか」

 

「・・・ですね」

 

 

 

本当はまだここに居るつもりだったが、そうこの人に言われると、すぐにでも戻らなければいけないと思った。

 

 

 

 

 

文化祭は終了した。エンディングセレモニーは予定より遅れてしまったが、相模が担当するという本来の形で終えることができた。

 

体育館の片付けをしている時、平塚先生に『誰かを助けるということは、君が傷ついていい理由にはならないよ』と言われた。だが、俺は傷ついてなんていない・・・こんなもの傷にはならない、そう自分に言い聞かせた。

 

 

 

そして、俺は今

 

 

 

 

 

 

屋上のドアの前に居る。

 

 

 

 

 

 

 

部室へ行き、報告書を書こうと思ったのだが・・・足がここへ向いていた。

 

 

 

ここに、あの人が居る気がして。

 

 

 

 

ガチャ

 

 

 

ゆっくりドアを開ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

「やぁ学校中の嫌われ者くん・・・何か用かな?」

 

 

 

そこには、夕日に照らされた美女が立っていた。自然に、当然のように、絵画の如く、悠然とそこに居た。

 

「・・・答え合わせを、しに来ました」

 

「そっか。なら、言ってみな」

 

どこか安心したような表情を浮べる。まるで期待していたことがそのまま起きたかのように。

 

 

 

 

 

「相模をここへ向かわせるように仕向けたのも、あなたですね・・・雪ノ下さん」

 

 

 

 

「詳しく聞かせてほしいな」

 

彼女は目を瞑り、俺の答えを待つ。

 

「まず一つ目、あなたは相模の居場所を知っていた。本来なら見つかるはずがない・・・けれど、あなたはあの短時間で見つけた。最初は相模の居場所を知っているだけだと思いました。どこかで見たのか、予想がついていたのかは分かりませんが、そうだと思っていました。だが、そうじゃない。ここは、この屋上という場所は、そもそもあなたが指定した場所だった。違いますか?」

 

自分の中にある考えを彼女に放った。

 

雪ノ下陽乃という人物は、確かに様々なことを知っている。だが、全てを知っているわけではない。そして、相模が言った言葉・・・『なんであんたなの』この言葉こそが最大の鍵だった。それは来るであろう人とは違った時にする言い方だ。全校生徒、教師含め何百人という人が居るこの中で来る人を最初から定めるなんてほぼ意味が無い。

 

 

つまり、そんなことは自発的には行わない。願望程度ならするだろうが、それでもだろう。

 

 

ならどういうことか・・・そう、誰かにある人を向かわせると前もって言われていた。最初からプログラムされていたのなら、それは望みではなく確定事項になる。

 

 

 

 

それをなんの違和感ももたせることなく実行できる人間はただ一人、雪ノ下陽乃さんしか居ないだろう。

 

 

 

 

「・・・正解、よくできました。そう、委員長ちゃんをここへ向かわせたのも私。『集計結果を持ってこの屋上に行けば君にとって素敵な人を向かわせる』そう言ったら笑顔でここへ向かってくれたよ。向かわせる人が比企谷くんだとも知らずに」

 

「どうして、どうしてそんなことを」

 

「どうして?決まってるじゃん・・・比企谷くんのやり方を確かめたかったからだよ。だからまず、この文化祭二日目の間は私と行動することにした。そうすれば比企谷くんを近くで見られるから。次に、私の有志を近くで見させた。私と君との差を知ってもらうために。そして、委員長ちゃんをここへ向かわせ、隼人も呼び出した。この二人を相手に比企谷くんはどうするのか、それを確かめたかったから。結果は、予想を遥かに超えていた。だから、比企谷くんは全部正解したんだよ、おめでとう」

 

全部、この文化祭全部がこの人にとっては自分の欲求を満たすためのものだった。それだけのものに過ぎなかった。

 

「・・・そこまでした目的って、なんなんすか?」

 

「それも決まってる、前にも言ったよ」

 

 

 

そう言うと、彼女は俺の頬に手を添えた。まるで、いつかの帰り道のように

 

 

 

 

 

 

 

「私と共に在るってのは、どうかな?」

 

 

 

 

 

 

 

彼女から意識を逸らせなかった。

 

 

 



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第4話 魔王の言葉

 

 

文化祭も終わり、季節は寒さへと舵を切った。そうなれば、段々と冷え込んでくるはずなのだがそうはいかない。

 

俺たちは2年生、つまり修学旅行を控えている。ともなれば、それは文化祭並或いはそれ以上の関心があるだろう。

 

だが、今の俺にあるものはそんなものではない。

 

 

『私と共に、在るってのはどうかな』

 

 

雪ノ下さんから言われた二度の言葉。俺はその言葉を忘れられずにいる。あの、光景を今でも覚えている。

 

 

 

『・・・できません』

 

俺はその提案を受け入れない。否、受け入れることができない。

 

『その答えがくることは分かっていたよ。だからもう一度尋ねるよ、それはどうして?』

 

『前にも言った通り、あなたを信用することができないからです』

 

同じことを繰り返す。お互いに、前と同じことを言う。まるで、諦めを知らないかの如く。

 

『それも分かってる。けれど、本当はそうじゃない。それも私は分かっている』

 

こちらを見透かしているであろう瞳は、更なる妖しさを見せる。

 

『あなたに、俺の何が分かるってんですか』

 

 

 

『分かるよ。君が信用できないのは私じゃなくて、私を信用しようとする自分自身でしょ?』

 

 

 

『・・・』

 

そんなはずはない。俺は自分を信用しているし、その上で受け入れている。信用できないのはこの人のはずだ。

 

『それだけじゃない。君が雪乃ちゃんに抱いている想いも私は知っている』

 

いや、ダメだ。これ以上この人の話を聞くのはダメだ。今すぐ、ここを出るべきだ。

 

ここに来たことを後悔し始めたが、それはもう遅かった。

 

 

 

『君は、自分の中にある雪ノ下雪乃っていう像を守ろうとしているんだよ。雪ノ下雪乃はこうで在るべき、そういう自分の偶像を』

 

 

 

思わず、目を瞑る。ああ、そうだ。その問いは何度も自分の中でしていた。雪ノ下雪乃は嘘をつかない、正しい、間違わない、そういうレッテルを貼り、そうでなければ失望をする。理想を押し付けてしまうという、自分勝手な期待。あらゆる勝手の、原点ともなる事実。

 

 

比企谷八幡は、偶像崇拝をしているということ。

 

 

 

『だから君は雪乃ちゃんを助けようとする。自分の中にある雪ノ下雪乃を傷付けないように、現実の雪ノ下雪乃をそう在らせるために』

 

彼女は笑っていた。軽蔑、侮蔑、そんな感情が混ざっている笑み。そう、あれは嘲笑だ。

 

『そのために、私は君を誘っているんだよ』

 

その笑みのまま、手を差し伸べてくる。

 

『君と私が、もっと現実を知るために。2人なら、それが分かるようになるよ』

 

『なんで、そこまでして、俺を』

 

その話を聞き、疑問が生まれた。何故、嘲笑の的である彼女は俺に手を差し伸べてくるのか。何故、俺とあなたの2人なのか。

 

 

『私と君は似ている。私たちはお互いに、自意識の化け物だからね』

 

『・・・』

 

その言葉は、不思議と胸に収まった。それが答えであると言わんばかりに。

 

 

『そうだねぇ・・・ゆっくり考えるといいよ。私は、君を理解してあげられる。君もまた、私を理解してくれる。私たちに必要なのは、その認識だけなんだから』

 

 

 

 

 

放課後、いつも通り部室に入る。そこには何も変わらない光景があった。

 

「もうすぐ修学旅行だよ!!」

 

「ええ。分かっているわ」

 

由比ヶ浜の発言で、2人はいつものように話をする。

 

 

俺は、どうして悩んでいる?最初から断るという答えは提示し、それは今も変わっていないはずだ。

 

だというのに、何故・・・何故俺はあの人の言葉を思い出している?

 

『私は、君を理解してあげられる』

 

そういう言葉は、俺が嫌っている言葉のはずだ。勝手に俺を理解した気になって、他人からレッテルを貼られる。同情、憐れみ、そんな感情を向けられることこそ、俺が気に入らないものだ。

 

けれど、けれど、俺は、その言葉に期待をしてしまっている。もしかしたら、雪ノ下さんなら、そうやって考えてしまっている自分が居る。

 

いや、違う。雪ノ下さんの言う『君もまた、私を理解してくれる』その言葉が引っかかっているんだ。俺があの人のことを理解できるわけがない。彼女は常勝無敗、天下無敵。そんなのに対し、俺なんかが理解できることなどありはしない。

 

 

 

『私たちはお互いに、自意識の化け物だからね』

 

 

 

・・・あの言葉は、まさか、まさか。

 

 

 

「ヒッキーはどう?」

 

「・・・え?」

 

由比ヶ浜に呼ばれ、ハッとする。ああ、また思考の渦に陥ってしまっていたのか。

 

「だから、修学旅行の楽しみとかある?」

 

「あ、ああ。戸塚と行動したり、戸塚と風呂に入ったり、戸塚と寝たりかな。むしろそれしか楽しみがないまである」

 

「結局彩ちゃんだけなんだ!?しかも所々キモイ発言がある!」

 

危ない。もう少しで色々と悟られてしまうところだった。

 

いつも通りのセリフで会話に参加をする。

 

「所々ではなく全てだった気がするのだけれど・・・いえ、彼そのものかしら?」

 

雪ノ下も雪ノ下でいつも通りの罵倒を放ってくる。肝心なとこを言わない辺り、俺への自覚を求めている。

 

「そんなこと言うなよ。昔のこと思い出しちゃうだろうが」

 

「どうしてそこまでトラウマの地雷が多いのかしら」

 

ホントだよ。

 

『うわ、比企谷に触れちゃった。キモーイ』

 

なんてことをよく言われたものだ。義務教育中なのに道徳心まるでねぇじゃねぇか。なに?心のノートとか書いてないの?

 

 

 

コンコンコン

 

 

部室の扉がノックされる。

 

「どうぞ」

 

「やぁ、失礼するよ」

 

その声で雪ノ下の目が厳しいものになる。

 

「あれ?隼人くんじゃん!」

 

葉山が入った来た。だが、その後にも誰か居るようで、入って来た扉を見ている。

 

「し、しつれいしまーす」

 

その口調は、戸部のものだった。なるほど珍しいこともあるようだ。

 

「ほら、戸部」

 

葉山が戸部に催促をする。どうやら相談があるのは戸部の方らしい。

 

「い、いや、でも、やっぱヒキタニくんに相談とかないわー」

 

ええーまさかの批判ですか。いや、うん、分かるよ。こんな目の腐った男に相談とか嫌だよね。

 

「かっちーん」

 

由比ヶ浜が効果音らしきものを口にする。それを口で言う奴とか存在してんのかよ。

 

「戸部っち、そういうの良くないよ!」

 

お、っと?話の流れが読めなくなってきたぞ。

 

「まぁ、全面的に悪いのは比企谷くんなのだから流石だわ。そういうことなので出て行ってもらえるかしら?」

 

超読めた。由比ヶ浜は読めなかったけど雪ノ下のは読めた。すげぇよ、マジですげぇよ。罵倒しながら褒めて出て行かせるとか変化球過ぎるでしょ。ジェットコースターかよ。俺の心持ちは登ってないけど。

 

「んじゃ、終わったら呼んでくれ」

 

紅茶の入ったコップを持ち、席を立つ。とりあえず、空いている教室にでも入って読書をしよう。それってこことあんまり変わってなくない?なるほど、どうやら俺も『固有結界』を持っていたらしい。

 

 

『無限の倦怠』(アンリミテッド・ダルネス・ワークス)

 

 

働く気がなくなるのではなく、働く気が起きない世界を作る。

 

うわぁ、なんだその結界。え?でもそれってもしかして労働という概念が存在しない世界ってこと?めっちゃいい能力じゃん。そうか、これが正義の味方ってやつだったのか。

 

 

「待ちなさい。どこへ行くのかしら?」

 

「は?出て行けって」

 

雪ノ下に止められる。出て行けって言ったのそっちだよね?

 

「出て行くのは彼らの方よ」

 

彼女は葉山たちの方を見て呟く。敵意、そういうものを向けている瞳だった。

 

「礼儀もない、礼節さえも弁えない。そのような人々の依頼を何故聞かなければならないのかしら?」

 

「ね。ほんとやな感じ」

 

 

時が、止まった。数秒、息することさえ忘れていた。今まででは考えられないような言葉に、俺はただ上げた腰をその場で落ち着かせることしかできなかった。

 

葉山たちの方を見ても固まっている様子だった。

 

「・・・まぁ、俺たちの方が悪かったな。戸部、出直そう」

 

落ち着きを取り戻したであろう葉山は戸部に声をかける。

 

「いや、もう引けないっしょ」

 

しかし、戸部はこの場に居続けることを選んだようだ。この空気でその判断ができるとかやっぱ戸部ぱねぇよ。尊敬とかしないけど、絶対しないけど。

 

「あの、実は」

 

 

 

 

夕暮れ、部室には俺しか居ない。雪ノ下と由比ヶ浜、そして今回の依頼人である彼らは数十分前に出て行った。

 

依頼・・・どうやら、修学旅行で戸部は海老名さんに告白するらしい。そのサポートを奉仕部でやってもらいたいとのことだった。

 

 

考える。

 

 

恐らく、この依頼は失敗する。由比ヶ浜から海老名さんが戸部をどう思っているかと聞いた時の反応で大体のことは察した。

 

 

考える。

 

 

2人が彼らに向けたあの反応。まるで、少なからず俺の味方をしていたであろうあの態度を。

 

 

 

『自意識の化け物』

 

 

 

彼女の言葉がまたしても反響する。

 

 

漸く、分かった。そして同時に、今俺の中にあるこの感情・・・やっと理解した。

 

 

 

 

 

俺はあの2人が、雪ノ下雪乃が俺の味方をしたという事実が、堪らなく気持ち悪かった。

 

 

 

 

 

 



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第5話 魔王とは、ルールの通用しない相手である

 

京都。その歴史は深く、かつての都であった場所。貴族が贅沢を貪り、同時に様々な文化が発達した土地。今となっては現代化が進み、景観には多少の変化があるものの厳かな雰囲気は群を抜いている。

 

「さて、久しぶりの京都だ。楽しんでいこうぜ、少年」

 

ここで問題、今発言をしたのは誰でしょうか?

 

 

答え

 

 

魔王こと、雪ノ下陽乃。

 

 

 

 

修学旅行の1日目は班行動だ。何故か葉山グループと同じ班に入れられ、少し憂鬱になっていた。新幹線を降り、早速行動を開始しようとしたところ俺は何者かに腕を引っ張られると、犯人はまさかの雪ノ下陽乃さん。最後尾を歩いていたので、誰にも気付かれなかったらしい。俺の影、薄すぎ?

 

「やぁ比企谷くん。こんな所で会うなんて、運命だね」

 

「あなたは運命なんて信じてないでしょう。それに・・・何故ここに?」

 

「一人旅だよ。私の趣味、言ってなかったっけ?」

 

「知らないですよそんなこと」

 

と言うが、バッタリ出会いました・・・なんてオチではあるまい。恐らく、この人の狙い通りというやつなのだろう。

 

「じゃあ、ガハマちゃんにメールしといて。トイレに行くとか言っておけば誤魔化せるでしょう?それとも、女子にそんなことを言うのは恥ずかしいかな?」

 

「・・・はぁ。女子にどう思われても今更なんで」

 

逃げ出したいが、この人をアイツらと会わせるのは正直望むところではない。であれば、俺1人で対応するべきだ。自惚れでないとするのなら、この人の目的は・・・俺だろうな。

 

メールに『ちょっと消えるが安心してくれ。少ししたら戻る』と打ち込み、由比ヶ浜に送信する。あの人の言う通りの言葉を打つのはなんだか気に入らないので使わなかった。違うよ?由比ヶ浜にトイレ報告するのが嫌だったとかそういうことじゃないよ?

 

「さて・・・京都散策を始めようか」

 

「絶対すぐには戻れないやつじゃないですか」

 

「すぐに返すなんて言ったかな?」

 

うわ面倒くさ。確かに、誤魔化せと言っただけであってそんなことは言ってなかった。俺の修学旅行、もしかしてハード過ぎ?

 

「まぁ、ゆっくり話しながら歩こうよ。今日は大した話なんてないしさ」

 

それならいい。俺としてはまだあの時の光景と言葉が忘れられていないのだ。理解し始めてはいるが、どうも整理がつかない。

 

そう、まだ納得ができていない。

 

 

 

お寺の周りを歩く。お互いに無言だったが、その方が楽なので是非ともこのままであってほしい。

 

「修学旅行ってさ、妙に色気立つよね」

 

「・・・えっと」

 

「つまり、はっちゃける人が多くなるよね。賢い人も、そうでない人も・・・みんな」

 

「まぁ、確かにそうですね」

 

いきなり話を振られたが、頭が追いついてきた。学校の行事において熱くなるのは2つ・・・文化祭と修学旅行。

 

戸部の件を鑑みれば、なるほど確かにそうだ。

 

「となると、その関連の相談が当日までは増えていく」

 

・・・そういうことか。この人がここに居る理由がなんとなくだが掴めてきた。

 

「それは奉仕部も例外じゃない。違う?」

 

「ノーコメントで」

 

「それは答えと同義だよ。やっぱりそうだったか・・・来た甲斐があったよ」

 

やはりそれが狙いだったか。彼女の頭脳をもってすれば、奉仕部が恋愛絡みの相談を受けていることも想像できたのだろう。

 

「ネタばらしといこう。私がここに来た目的は雪乃ちゃんがどう動くのか、ガハマちゃんがどう思うのか、そして君はどうするのか。この3つ」

 

「別に俺はどうも」

 

そうだ。俺にできることなんて1つもない。特に、今回は恋愛絡みだ。であれば、俺にとっては完全なる範囲外。振られ方とその後どうするかくらいしか分からない。

 

「ううん。君は動くよ・・・絶対」

 

だから、彼女のこの言葉はどこか確信めいていた。

 

 

 

 

「ヒッキー遅いよ!どこ行ってたの?」

 

それから数十分して、俺は元の班に合流した。彼女たちは色々とやりたいことを終えたらしく、休憩をしていた。いいな、俺も休憩したい。でも無理・・・だって、この地にあの人が居るんだもん!

 

「いやまぁ、ちょっとな」

 

ちょっとどころじゃないけど。

 

「もう!戸部っちの依頼もあるんだからなるべく一緒に居てよ」

 

「あ、ああ」

 

危ない危ない。由比ヶ浜さんよ、男子に『一緒に居てよ』なんて使っちゃダメですよ?相手が俺じゃなければ死んでいただろう。

 

「それで、どうなんだ?戸部の方は」

 

「・・・あんな感じ」

 

そう言って、彼女は目を少し遠くにやる。そこには、海老名さんと楽しそうに話している戸部の姿が。

 

「頑張ってるみたいだな」

 

「うん。戸部っち、結構アタックしてる」

 

なら、やることはなさそうだ。仕事しなくていい環境、最高だ。

 

 

だから、せめて今はこの感覚に溺れていたい。

 

 

 

『比企谷くんへ、ここに書いてある電話番号に電話してね。しなかったら・・・ねぇ?』

 

ああ、最悪だ。溺れていたのわずか数時間しかなかったよ。

 

1日目のスケジュールが終わり、宿泊先であるホテルに着いた。部屋は葉山グループと戸塚と一緒、戸塚と風呂入りたい。とか思っていたら魔王からのメール・・・ちょっと待て、なんで俺のアドレス知ってるの?

 

ホテルのロビーに出て、電話をかける。

 

『ひゃっはろー。ちゃんとかけて来てくれたね、褒めて遣わす』

 

「あの、切っていいですか?」

 

携帯から聞こえてくるハイテンションな声に辟易しつつ、通話終了を申し出る。電話はしたわけだし、怒られるいわれはない。

 

『は?』

 

こっわ。雪ノ下さんこっわ。俺のスマホが黒いオーラを纏って見えるよ。

 

「や、やだなぁ。ヒッキージョークですよ」

 

『だよね。もし本気だったらどうしてあげようかと思ったよ』

 

胃がキリキリする。夕食が出てきてしまいそうだ。こんなことなら少しにしておくべきだった・・・それは違うな、この人が悪い。俺は悪くない。

 

『よし、じゃあ夜の散歩だ。今から言うところに来てね・・・絶対だよ?』

 

もうやだこの修学旅行。略して修行になっている気がするよ。省略されたのは俺の心の安寧ってか・・・はぁ、帰りたい。

 

 

 

 

「さっきぶりだね!どう?修学旅行は楽しいかな?」

 

「誰かさんのおかげで全く」

 

「誰だろう・・・雪乃ちゃんかな?」

 

妹に責任転換するとか姉の風上にも置けないな。あなたですよあなた、あなたが原因で1日目からハードなんですよ。

 

「それはいいとして、来てくれて嬉しいよ」

 

それはいいとしてって・・・はぁ。

 

「あんまこの時間に外出るの嫌なんですよね・・・見つかったら怒られそうですし」

 

「ふふっ、怒られるのは悪いことじゃないよ。誰かが君を見てくれている証拠だ」

 

意外だった。この人がそんな前向きな事を言うとは・・・てっきり、そういうことは言わないでもっと核心を突いたことを言うものだとばかり思っていた。

 

「けど、心に響かなければ意味がない。でなきゃただのお節介になる」

 

低いトーン。彼女が時折発する、本質。何回か聞いているというのにも関わらず、背筋が凍りつき鳥肌が立つ。精神的に来る寒さというやつだろう。

 

「それで、依頼の方はどうなの?」

 

「クライアントの関係で部外者には話せません」

 

「あははは、それは道理だね。じゃあ聞き方を変えるよ・・・君から見て今回の件、雪乃ちゃんはどうにかできそう?」

 

思わず、黙ってしまった。雪ノ下雪乃は正しく在ろうとする側の人間だ、つまり、今回の依頼においては相性が悪い。人の感情がベースとなるもの、恋愛に関しては正しいも間違いもない・・・だとすれば、雪ノ下は恐らく。

 

「その通り、雪乃ちゃんには無理。そもそも恋愛経験がほとんどゼロだからね、知識としてあってもそれじゃあ意味がない」

 

彼女は、笑っていた。いつか見たような、あの試すような笑みを浮かべながら淡々と評価を下す。まるで、そこにはなんの希望もないかのようにただ事実のみを述べる。

 

「ホント、どうなるのかが楽しみで仕方ないよ」

 

 

 

 

思えば、この時から・・・いや、文化祭のスローガン決めの日から俺はこの人に少しずつ魅入られていたのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 



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第6話 魔王とは、常に先手を打つものである

 

修学旅行2日目。今日も今日とて班行動だ。連れられるがまま歩き、俺は思考の渦にハマる。

 

今回の依頼、戸部が海老名さんに告白をして成功させたい。チラリと彼の方を見ると、彼は楽しそうに話す。だが、問題は海老名さんの方だ。表情は笑みを浮かべているが、あれは取り繕ったものだ。つまり、その本心は・・・はぁ。

 

それだけじゃない・・・この地に居る、あの人。もしあの人がここに来ていることが雪ノ下と由比ヶ浜に知られれば、必ずと言っていいほど事態は面倒なことになる。少なくとも、ボロが出ないようにしなければ。

 

「で、なんでお化け屋敷なの?」

 

しかし、今は直面している問題・・・疑問を片付けてからにしよう。何故か京都だというのにお化け屋敷の列に並んでいた。

 

「まぁ、なんとなく?」

 

それに答えるのは由比ヶ浜。そうですか、なんとなくですか。

 

順番が来たので入ると、ひんやりとした空気に包まれる。うわぉ、本格的なお化け屋敷。

 

「ヒッキー、こういうの苦手?」

 

「ふっ。お化けなんかより人間の方が怖い・・・つまり、人間がお化けをやっているここが1番怖い」

 

「なんかもうダメダメだ!?」

 

ちなみに、その中でも怖いのが雪ノ下陽乃さんだったりする。いやほら、マジで怖いじゃんあの人。

 

 

ピロンッ

 

 

メールの着信音?俺の携帯にメールが来るとは、また珍しいこともあるもんだ。そういえば、昨日も久しぶりにメールが来たな。あ、待って、嫌な予感してきた。ああ、このメール開かなきゃ駄目かな。でも無視した方が怖いなぁ。

 

『突然なんだけどさ、怖い人って居るよね。君にとって、最も怖い人は誰なのかなぁ?』

 

もうやだ。なんで全部筒抜けなんですかね。もしかして見られてたりする?え?お化け屋敷でお化け役してる魔王とかそれなんて無理ゲー?雑魚だと思ったら魔王でしたーとか、笑えねぇだろそれ。

 

とりあえず、このメールは保留ということにしておこう。

 

「うわぁぁぁぁ!!」

 

「うぉっ!?」

 

隣からの叫び声に思わず驚いた声を出す。

 

「あはは、ちょっと驚いちゃった。ごめん」

 

「いや、まぁ、大丈夫だ」

 

特に問題もなくお化け屋敷が終わった。外に出ると、先に出ていた葉山たちと合流をする。

 

「ねぇねぇ、ヒッキー。向こうで戸部っちと姫菜が話してるよ」

 

「みたいだな」

 

戸部は木刀を持ち、海老名さんは新撰組の羽織りを広げている。なるほど海老名さんの趣味の話か、いい選択だ。

 

「さて、そろそろ行こうか」

 

「ん。じゃああーし、海老名たち呼んで来る」

 

葉山の声で、行動再開となる。

 

 

昨日からの違和感・・・なんだ、このどこか噛み合わない感じ。何か、別の思惑が動いているかのような、この感覚。

 

 

 

 

龍安寺。読み方はりゅうではなく、りょうが正しい。数ある寺の中でどうしてこうも龍安寺に人が集まるのかと問われれば、答えはそこの石庭にあると言えるだろう。龍安寺の石庭は様々な形に見えるという石がある。それを実際に見て確かめようと人は集まるのだ。

 

俺たちの班はその龍安寺に着き、とりあえず俺は縁側に座る。

 

なるほど、確かに色々な形に見えるな。

 

「あら、奇遇ね」

 

横からの声に、そちらを向くと雪ノ下が居た。なるほど、龍安寺の石庭にある石の形は虎に見えると言われている・・・虎はネコ科の動物、彼女の守備範囲内ということか。

 

「あ、ゆきのーん!」

 

「・・・場所を変えましょうか」

 

賛成だ。雪ノ下の隣に居る女子達から訝しげな視線を浴びており、非常に居心地が悪かった。それに、奉仕部が揃った以上、話す内容はあれしかない。となれば、あまり人に聞かせるものでもないしな。

 

 

 

「あまり協力できなくてごめんなさい」

 

「気にすんな。俺だってあんまり協力できてないし」

 

「あなたは気にしなさい」

 

フォローのつもりだったんだが、思いっ切り批判されました。流石は雪ノ下だ。

 

「これ、私の方でおすすめの観光スポットを考えてみたから、明日の参考に」

 

「流石ゆきのん!戸部っちに渡してみるよ」

 

「それで、彼らはどうかしら?何か進展でもあればいいのだけれど」

 

「まぁ、今のところは可もなく不可もなくってところだ・・・ただ」

 

ただ、何か違和感がある。由比ヶ浜から、海老名さんが戸部のことを恋愛対象としてプラスに思っていないことは分かっている。だが、それを踏まえてもどこか引っかかる。

 

そう、例えるなら、躓きそうな石を前もって誰かが取り除いているかのような・・・そんな不自然なまとまりがある。

 

「ただ?」

 

「・・・いや、ただそれで海老名さんに気付かれなければいいと思っただけだ」

 

実際、それもあるのだろうか?彼女が戸部の気持ちに気付いてる、もしその前提があるのなら・・・ここまでにしよう。恋愛においてそれを考えるのはあまりに無駄なことだ。ましてや他人のもの、そんなこと分かるはずもない。

 

 

 

 

ホテルに戻った後は夕食を食べ、部屋で自由に過ごす。

 

prpr

 

「もしもし」

 

『こんばんは比企谷くん』

 

夜の9時を過ぎた辺りで、雪ノ下さんから電話がかかって来た。出たくはないが、出ないとこのまま鳴り続けそうなので、大人しく出ることにした。

 

「え、ええ、こんばんは」

 

思い出したことがある。今日の昼間、この人からメールが来ており、それを返すのを忘れていた。

 

『ふふっ。大丈夫だよ、メールの返信が来なかったことなんて気にしてないから』

 

「いや、まぁ、はい・・・」

 

お、怒っていらっしゃる。この人、意外に構ってちゃん気質なところあるからな・・・え、なにそれ怖い。魔王に絡まれ続けるとかどうやっても勝ち目ないじゃん。なんなら逃げ場もないまである。ていうか、この人の場合は構ってちゃんと言うより、こちらに相手をさせていると言うのが正しいか。

 

『明日で修学旅行終わりだけど、何か感慨深いことでもあった?』

 

「今のとこはないですね。このまま終わってほしいばかりです」

 

『そっか・・・じゃあ、明日の夜はお姉さんとお散歩しようよ』

 

「拒否権って」

 

『え?あるわけないじゃん』

 

なにその絶対王政と人権無視。姉妹揃って俺のことを人間扱いしてくれないんですね、ははは・・・あれ?目から水が溢れてきたぞ。

 

『まぁまぁいいじゃないの。こーんな美人なお姉さんと京都で夜のお散歩ができるんだよ?これで君の修学旅行に花が咲いたわけだ』

 

否定できるところがないのが悔しい。それに、小町からのお願いリストの中に『素敵な思い出』なんてよく分からんものを書かれた。仕方ない、この人との散歩をそこに当てるとしよう。全く素敵な思い出じゃないけど。

 

「分かりました」

 

『よろしい。じゃあ、嵐山の竹林に集合ね』

 

 

きっと、無理にでも断っておくべきだったのだろう。

 

 

 

 

修学旅行3日目、自由行動。由比ヶ浜主導の下、奉仕部で過ごすことになっていた。

 

「はい、これ」

 

そう言い、由比ヶ浜から渡されたのは肉まん。

 

「あ、ありがと」

 

うむ、熱いが美味い。働かずに食べる飯、最高だ。なるほど、最高のスパイスとは空腹ではなく無償であるということだったのか。

 

3人横に並んで京都の街を散策する、悪くない気分だ。今までの俺では考えられないような感情が湧き出て来た。

 

 

 

嵐山の竹林、か。竹によって日陰ができ、時折通り抜ける風も相まってとても居心地がいい。笹の揺れる音も心を落ち着かせてくれる。

 

「夜になると、ここはライトアップされるそうよ」

 

下を見れば、足元にライトがある。これで下から竹林を照らすのか。

 

「告白されるなら、ここがいいね」

 

何故に受動態。

 

「そうね」

 

瞬間、風が俺たちを吹き抜ける。告白・・・戸部も告白にはここを選ぶのだろうか。

 

 

 

夜、俺は雪ノ下さんと合流するために嵐山の竹林にまたしても赴いていていた。ライトアップされている竹林と、その間を通る小道はどこか幻想的で惹き込まれそうになる。

 

「いい場所だよね、ここ」

 

「・・・居たんですね」

 

横から登場した彼女に、少し心が冷えるのを感じる。

 

「まぁね。さて、じゃあ1周しよう。今日はちょっと面白い話もしてあげる」

 

「そっすか」

 

この人にとっての面白い話とは、一体なんなのだろうか?大学のことか、最近あったことか、それとも、雪ノ下の話だろうか?

 

「この時期は湿気も殆どないから、涼しくて落ち着くよ。君もそう思うでしょ?」

 

「ええ、まぁ」

 

同感だ。場合によっては寒くもなるだろうが、今日はどうやら丁度いい気温らしい。涼しくて、とても穏やかだ。

 

prpr

 

携帯が鳴った。相手を見てみると、そこには由比ヶ浜と書かれていた。

 

「はい、もしもし」

 

『ヒッキー、何してるの!?今、戸部っちが姫菜に告白するんだよ!』

 

「な、に?」

 

『場所は今日行った竹林ね。待ってるから』

 

マズイ、何かマズイことが起こる。このまま戸部が告白してもそれは失敗に終わる。それに、まだあの違和感が拭えていない。雪ノ下さんに気を取られ過ぎていた。まだここからなら遠くない、直ぐにでも行かなければ。

 

「やっぱり、今日のこの時間が告白のタイミングだったか」

 

彼女の方を見ると、その顔は妖しげで、されど美しい笑みを浮かべていた。

 

「修学旅行は3泊4日。告白するなら、もちろん3日目の夜がセオリーだ。そうすれば、例えダメだったとしても振替休日で期間が空くからね。心の整理ができるわけだ」

 

「じゃあ、俺をここに呼んだのは」

 

「そう、君を封じるため。もう自分でも気付いているんでしょ?奉仕部において、誰が1番直接手を下しているのか」

 

この人の言う面白い話、それはつまり、俺をここに呼んだ理由そのものであり、彼女がここに来た本当の目的。

 

「雪乃ちゃんが最も不得手とする恋愛絡みの依頼にどう動くのか、そしてそれをガハマちゃんはどう思うのか・・・言った通りでしょ?」

 

駄目だ。雪ノ下、由比ヶ浜、そのまま戸部に告白させちゃ駄目だ。何か、何かとても大きなものが壊れる。

 

「一昨日言ったあれは優先順位をそのまま表していてね、だから君がどうするのかはこの際どうでもいい。だって、私が何もさせないもの」

 

それでも、行かなければ。今すぐにでもあの場所に向かわなければいけない。まだ何かできるかもしれない。

 

 

 

「ねぇ比企谷くん。どうして君がそこに行こうとするの?君は、動かないんじゃなかったの?」

 

 

・・・?

 

 

そう、だ。なんで、こんなにも俺は必死になっているんだ?恋愛なんて俺には分からない。だから、できることなんて俺にはないはずだ。なのに、何故俺は『まだ何かできるかもしれない』と思っている?

 

 

「ほら、また雪乃ちゃんを助けようとする。嫌なんでしょ?依頼を失敗する雪ノ下雪乃を見るのが、知ってしまうのが・・・傷付けてしまうのが」

 

 

比企谷八幡において、雪ノ下雪乃とは憧れであり理想だ。だからそういう像を作り上げ、盲信的となる。

 

 

そういうことか。だから俺は焦っているんだ。戸部が振られれば、奉仕部としては失敗になる。そしてそれは、雪ノ下雪乃に傷を付けることになる・・・つまり、俺の中にある雪ノ下雪乃という像が壊れる。

 

 

prpr

 

 

またしても鳴り響いた携帯の着信音・・・まるで、審判が下ったかのような音に聞こえる。

 

「は、い」

 

『戸部っちが、戸部っちが・・・振られちゃっ、た』

 

「・・・そう、か」

 

そう言って、俺は電話を切る。

 

 

 

 

「比企谷くん、君はどうするのかな?」

 

 

 

 

 

彼女の目的は、またしても達成されてしまったらしい。

 

 

 

本当に、気分が悪い。

 

 

 

 

 

 



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第7話 魔王とは、異常である事を善しとする存在である

お待たせしました。
あと、pixivの方でも投稿始めたのでそっちの方もどうぞ見てやってください。皆様の高評価や感想が私の励みなのです!


 

修学旅行が終わった。

 

それでも何も変わらず、学校はいつものようにある。しかし、クラスに入ると、いつもの喧騒は無かった。

 

その原因は、葉山や三浦の居るグループが集まっていないからだ。いつもは教室の後ろに集まって会話をしているのに、今日はそれが無い。

 

 

『戸部が海老名に振られた』

 

 

それだけで、こうなるには十分な理由だった。由比ヶ浜の方を見ると、気まずそうに海老名さんと戸部を見ている。無理もない、奉仕部で請け負った依頼は失敗に終わったのだ。

 

 

そして、何故か俺の方を見ている葉山。

 

 

なるべく目を合わさないように、由比ヶ浜を見るついでの視界に入れる程度にしておく。何故アイツが俺を見る?

 

俺は文字通り何もしていない。否、何も出来なかった。

 

 

『だから君がどうするのかはこの際どうでもいい』

 

 

そう言って、彼女は・・・雪ノ下陽乃は、俺の行動を封じた。

 

 

 

 

 

 

由比ヶ浜との電話が終わった後、俺はその場に立ち尽くす。何か、大切なものが胸から消えたような感じがする。

 

「これで、漸く始められるね」

 

「何を、始めようって言うんですか」

 

目の前にいる彼女は、無表情のまま言葉を始める。

 

「・・・君と私の関係かな」

 

「・・・・・・は、はぁ?」

 

意味が分からない。何故、奉仕部での依頼失敗がそこに繋がる?俺はこの人が信用出来ないし、この人と共に在るつもりなんて無い。

 

「君は今、現実を知った。『雪ノ下雪乃は間違えない』・・・そんな理想は消えたんだよ。雪ノ下雪乃も間違えるし、正しくなんて無いし、強くもない。こんな当たり前の事に、君は気付けた」

 

止めろ。

 

止めてくれ。

 

それを、言わないでくれ。

 

あの日から、あの二学期が始まった日からそんなことは分かっていた。なのに、俺はそれを受け入れたくなかった。受け入れる事が、出来なかった。

 

だから、俺は雪ノ下が俺に『また明日』と言ってくる事が耐えられなかった。

 

だから、俺は雪ノ下が俺の味方をした事が気持ち悪く思えた。

 

 

 

比企谷八幡に肩入れする雪ノ下雪乃なんて、俺の中にある『雪ノ下雪乃』とは大きく違うものだったから。

 

 

 

この日、この時まで目を逸らし続けたのに・・・それを今、言わないでくれ。

 

 

「どこまで行っても、突き詰めれば私達は共に自意識の化け物なんだよ。理解を拒み、納得を拒絶し、共感を否定し、肯定を拒否する」

 

 

ずっと考えていた。

 

文化祭が終わった後、この人から言われた『自意識の化け物』という言葉の意味を。何故あんなにも、簡単に胸に落ちたのか。何故こんなにも、その呼称が馴染んでしまうのかを。

 

「その癖、悪意は受け入れ、敵意は受け取り、憎悪に頷いて、拒否に肯定をする」

 

簡単に胸に落ちたのか・・・そんなの、簡単な理由だったからに過ぎない。この人の言葉を聞いて、その答えがやっと分かってきた。元々、難しく考える必要も無いことだった。戸部が依頼に来たあの日に、もう答えは出ていた。この人の言葉の意味を考え始めた時点で、それが正解だったのだ。

 

 

「何故か・・・そんなの、負の感情こそが最も素直な評価だからだよ」

 

 

その答えの1つが、これだ。

 

彼女が今言った言葉、それが1つの証明だった。

 

 

「善は偽善で、優しさはまやかしで、真実は残酷で・・・負の感情はいつも正直」

 

 

真実が残酷だと言うのならば、優しさは嘘・・・それは他でもない、俺の言葉だった。あの日、俺が由比ヶ浜との関係をリセットしようとした理由。彼女の優しさという気遣いに、俺が耐えられなかった。俺は、そんなもの要らなかった。

 

「私達は押し付けられる事を嫌う、枠にはめられる事を嫌う。でも、自分は押し付け、枠にはめる・・・そうしなきゃ、他人を知る事が出来ないから」

 

雪ノ下に俺の理想と憧れを押し付けていたように、由比ヶ浜に俺の思いを押し付けていたように・・・俺は、1番嫌っていたレッテルを誰かに貼っている。

 

何故なら、俺はそうでもしなきゃ他人を理解する事が出来ないから。

 

「けど、仕方ないよ」

 

彼女は、諦めたように笑う。

 

 

ああ、そうか。だから、この人は俺を誘っているのか。

 

だから、雪ノ下陽乃は比企谷八幡と共に在る事を望んだのか。

 

 

 

 

「だって、私達は自分が分からないもの」

 

 

 

それが、全ての答えだ。

 

俺と同じ、簡単な正解だ。

 

 

「君は過去の経験から、私は家のしがらみから、過程は違えど本質は同じ・・・それは、自分自身の否定に他ならなかった。自分を否定され続け、気付けば自分が何者であるかを見失ってしまっていた」

 

 

俺のトラウマ、つまるところの過去のいじめ。自分の行動を否定され、自分の想いを拒絶され、嘲笑され、悪意に晒され、敵意を向けられ、そうやって自分が正しいのか、そもそも自分とは・・・比企谷八幡とは何かが分からなくなっていた。

 

だから、俺はそれら負の感情を信じた。それは正直で、素直で、嘘偽りの無い、自分に対する本物の感情だと知ったから。それらをベースにし、比企谷八幡という人間を俺は自分自身に押し付けた。

 

優しさだとか、そういう暖かい感情など、とうに信じる事なんて出来なくなっていたのだから。

 

 

「故に私達は自意識の化け物になった、否、ならざるを得なかった。自意識を高くしていなければ、直ぐに自分が霧散してしまうから」

 

 

ほらな、簡単な話だっただろ?

 

 

『自分が何者であるかを知らない』

 

 

本当に、ただこれだけの理由なんだ。

 

 

「そして、君の押し付けはここで終わってしまった。これで、漸く私と同じステージに来れたんだよ・・・だから」

 

 

 

もう、その顔に諦めは無い。

 

その笑みは、俺が今まで見てきたどの笑みよりも魅力的に思えた。ちぐはぐで、本当の笑みかどうかも分からない、彼女自身でさえ既に分からなくなっているような、そんな満面の笑みに俺の心は動いてしまった。

 

 

 

 

「比企谷くん・・・私と共に在りなさい」

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は、自分が思う最高の笑みでその首を横に振ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

放課後、いつも通り奉仕部の部室に行く。扉の前に立つと、その部室からは何か重い空気のようなものを感じた。

 

とりあえず、ここで立ち止まっても仕方ないので意を決してその扉を開ける。

 

「・・・うっす」

 

「・・・こんにちは」

 

「あ・・・やっはろー、ヒッキー」

 

どこか暗い表情で、いつも通りの挨拶をする。そのまま、いつも通りの席に座りいつも通り本を開く。

 

 

 

俺の心は、笑えるくらいに落ち着いていた。

 

 

冷めて、冷え切って、凍えて、醒めてしまっていた。有り体に言えば、無。

 

「・・・修学旅行のあの日、あなたはどこに行っていたの」

 

「・・・散歩」

 

『あの日』・・・それは間違いなく戸部が海老名に振られた3日目の事だろう。嘘は言っていない、ただ真実でもない。雪ノ下さんと居たという所だけを切り取った、それだけの事実だ。

 

「・・・どうして、あなたは来なかったの?」

 

「いや、なんも伝えられてないし」

 

これは真実である。実際、あの日あの時に戸部があの場所で告るなんて知らなかった。だから俺は無罪だ。それでも誰が悪いのかを決めろと言われたら、俺は迷わず雪ノ下さんを選ぶ。あの人が京都に来ていたのが悪い。

 

「・・・そう」

 

「ああ」

 

それっきり、会話は無くなった。俺も雪ノ下も手に持っている本に目を向けて、口を開こうとはしなかった。

 

由比ヶ浜は、教室のように俺と雪ノ下を見てはその口を開こうとして閉ざす。それを、ただひたすら繰り返していた。そう言えば、由比ヶ浜は元来こういう奴だったな。空気を読み、気を遣い、感情の機微を掴もうとする。

 

本当に、優しい女の子だと押し付けてしまう。

 

 

コンコン

 

扉が叩かれると、平塚先生が入って来る。

 

「邪魔するぞ。少し頼みたい事がある」

 

彼女の後ろには、城廻先輩ともう1人亜麻色の髪をした少女が居た。その顔立ちは整っており、十分美少女と呼べるものだった。俺と目が合うと、困ったような顔をして笑う。

 

なるほど、俗に言うあざといというやつだ。

 

中学の頃によく居たよ、こういうの。そりゃもう学年中の男子を手玉に取っていた。お手玉感覚とか、何?君達は大道芸人でも目指してるんですか?いや、まぁ、うん・・・見た目が見た目なだけに男心が揺れない事は無いんですよ、そりゃあ。

 

 

しかし、脳裏にちらつくあの怖い魔王を思い浮かべれば可愛いものだ。

 

 

また面倒な事が起きそうな予感がある中、俺は再び読書に戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第8話 魔王とは、カリスマ無くしては成り立たない存在である

 

「あっはっはっはっ!」

 

駅前にあるドーナツ屋。映画を見ようとして、その時間潰しのために立ち寄ったのだが、そこで思わぬ人と出会ってしまった。いや、遭ってしまったと言った方が確実かもしれない。

 

「生徒会長に無理やり出馬させられて、選挙で落ちるようにしてほしいとか」

 

「何がそんなに面白いんですかね」

 

「いや〜こんなの笑っちゃうでしょ」

 

目の前で笑っていらっしゃるのは雪ノ下さん。何故か俺の座った席の隣に移動して来ては俺の話を聞いて大爆笑をしている。本当に笑えないよ。なんだよこの依頼。奉仕部にどうしろって言うのだ。

 

「それで、比企谷くんの案は駄目だって言われたんだっけ?」

 

「まぁ、はい」

 

そりゃもう滅茶苦茶に否定されましたね。応援演説で大失態を犯せば、一色にはほぼノーダメージで乗り切れると思ったんだけどな。

 

「うーん・・・なんか、比企谷くんじゃないみたい」

 

「何がっすか」

 

「え?だって、君のやり方に文句付けられたり駄目出しされるのっていつもの事じゃん」

 

「・・・」

 

考えてみればそうだった。あーだこーだ言われたり、文句を言われたり、皮肉を言われたり、ケチを付けられたり、そんな事はいつもされていたではないか。

 

何故、それを今更俺自身が気にしている。

 

本当に、今更だ。

 

「君の中にある『雪ノ下雪乃』が崩れ、君が自分に押し付けていた『比企谷八幡』まで壊しちゃったら・・・あと君には、何が残るの?」

 

口の中にあるドーナツの味が消える。甘味など、受け入れられないかのように、或いはその甘さを捨ててしまったかのように、無味となった。

 

「そんなの、ただの欺瞞でしょ?」

 

そうだ。誰かの言葉を気にして、誰かの態度を気にして、誰かを気にして自らの在り方を変えるなど欺瞞に過ぎない。それを、俺は肯定していた。無意識に、それが当然の如くとして当たり前のように受け入れてしまっていた。

 

「まぁ、それもそうっすね」

 

「そうそう。曲がりなりにも信念ってやつがあるんだから、正直になりなよ」

 

「信念・・・っすか」

 

誰かと共有していた信念が、きっと俺にはある。そう思い始めてきた。

 

 

「あれー?比企谷じゃーん」

 

 

後ろからかかった女性と思われる声に、俺は振り返る。

 

「おり、もと」

 

「やっほー、久し振り」

 

それは、もう記憶の奥底にしまったはずの同級生の名前と姿だった。俺の記憶に新しい、トラウマにして黒歴史の一つ。

 

俺が告白して、振られた相手。

 

 

それがこの女子、折本かおりだった。

 

 

 

 

「私は雪ノ下陽乃」

 

「あ、私は折本かおりでーす・・・それで、比企谷の・・・彼女さん?」

 

「違う」

 

「だよねー。だと思った」

 

あはは、と乾いた愛想笑いを浮かべる。気持ち悪いことこの上ない。何してんの俺。そういう似合わない事すると、周りの人達は離れていきますよ。元々人が居ないので大して変わりませんかそうですか。

 

「確かに。私って比企谷くんの何?」

 

「いや俺に訊かれても」

 

思い出すのは、何度もこの人から告げられているあのフレーズ。その誘いに、俺は一度たりとも乗っていない。ともすれば、やはりこの人と俺の間に関係と呼べるものはない。

 

「友達、は絶対違うし、お姉さんも変・・・うーん・・・あ、とりあえず彼女でいい?」

 

「それだけはないです。適当に先輩とかでいいんじゃないですか」

 

「つれないな〜。私は君をいっぱい誘ってるのに」

 

あはは、と先程もした愛想笑いで誤魔化す。いやだから本当に気持ち悪い。

 

「それで、比企谷くんは中学生の頃はどんなんだったのかな?お姉さん気になるな〜特に恋愛関係とかさ」

 

その言葉に、俺は目が見開いていくのを感じる。駄目だ。その発言は駄目だ。折本にその話を振ってしまったら、まず間違いなくあの話が来る。

 

「そういえば、私、比企谷に告られたことあるんですよ〜」

 

「えー!それ本当〜?」

 

「本当ですって!話した事もなかったんで驚いちゃってー」

 

「うそー」

 

折本の隣に居るなんとかさんと俺をネタに談笑する雪ノ下さん。ですよねーだよねーその話よねー。いやぁホント、過去ってのは消えねぇもんだな!

 

「へぇ」

 

俺に目線を戻した彼女の瞳は、引き込まれるような妖しさが宿っていた。このまま見ていたら、知らず知らずの内に飲み込まれてしまいそうな、そんな目だった。

 

「あ、そうだ。比企谷、葉山くんって知ってる?」

 

「・・・まぁ」

 

流石ですね葉山くん。イケメンは他の学校にさえもその名を轟かせることが出来るのか。スポットライトはいつも君を向いているよ。あ、スポットライトがなくてもお前は輝いていますねそうですね。

 

「ほら、紹介してもらいなよ」

 

「え〜私はそんな〜」

 

「いや、知り合いじゃないし」

 

「だよねー。接点なさそう」

 

またしても愛想笑い。あいつとは知り合いでもなんでもない。あいつの事なんて知らんし、あいつだって俺の事なんて知らん。そもそも、俺とあいつはステージが違う。

 

「・・・じゃあ、お姉さんが紹介してあげる」

 

雪ノ下さんは大きく手を挙げると、折本の隣に居る女子の方を向いて笑いかける。ああ、そう言えば雪ノ下さんと葉山には接点があったな。よくは知らんが、まぁそれなりに大きな接点なんだろう。知らんけど。

 

彼女はスマホを取り出して電話を始める。うわ、この人マジで葉山を呼ぶつもりだよ。どうしようかなー帰ろうかなー・・・駄目ですね。この後の映画まで時間があるのでどの道帰れませんね。

 

あと、この人から逃げるのも無理。

 

 

 

 

「葉山くんまたねー」

 

そう言って、折本とその友達は店から出て行った。分かってはいたけど俺にはなんもなしですか。これが格差ですね分かります。

 

「・・・どうしてこんな真似を?」

 

「だって面白そうだったし」

 

「またそれか」

 

「で、なんで彼まで?」

 

「あのパーマの子、前に比企谷くんが告った相手だからだよ」

 

そういうの大っぴらにしないでもらえませんかね。本人が自虐するならまだしも、人から言われると心に来るものなんですよ。知っててそうしてるんでしょうけど。

 

「じゃあ、私はもう行くね」

 

立ち上がった雪ノ下さんは俺の耳元に口を寄せてきた。

 

「比企谷くん。君がどうするのか、今度ちゃんと聞かせてね」

 

冷気が入り込んできたかと錯覚するほどに、その声は低く凍てついていた。

 

店から出て行った彼女の背を見て、俺も帰りの支度をする。こいつと2人でドーナツを食う理由もないしな。

 

「・・・俺達のこと、知ってるだろう?」

 

「・・・まぁ、大体は」

 

「結局、俺は何も出来なかった」

 

「・・・知らねぇよ。そっちのことはそっちでやってくれ。俺に言ったところで何も変わらんだろうが」

 

「そうかもしれない。ただ、もし君があの状況の中に居たら・・・どうしていた?」

 

そんな事、本当にどうでもいい。イフの話やたらればの話なんて考えたところで意味は無い。無意味で、無意義で、無価値なだけの妄想。そんなの、理想ですらない。

 

「どうでもいいだろ、そんな事」

 

「・・・奉仕部に頼ったことが、そもそもの間違いだったのかもしれないな」

 

動きが固まる。葉山が言ったとは思えないようなその言葉に、俺は全身が強ばるのを感じる。

 

「誰かに頼ろうとした結果がこの有様だ。なら、最初から君達を巻き込むべきではなかったのかもしれない」

 

「随分と勝手な言い分だな」

 

「後悔だってしたくもなる」

 

雪ノ下や由比ヶ浜を思い出す。俺は直接あの場に居なかった。あの時、彼女達がどんな感情でその光景を見ていたかなんて俺には分からない。依頼は失敗に終わり、その結果は現在進行形で様々な形で影響を及ぼしている。葉山グループ然り、クラス然り、奉仕部然り。

 

俺然り。

 

何かをするつもりもなかったはずなのに、俺だってその事を気にし続けている。何か出来たのではないか、何かすればよかったのか、そんな益体のない事ばかりが頭の中で反響する。

 

「本当は、守りたい関係だったんだけどな」

 

「・・・そうか」

 

 

 

なら、俺は今まで何をしていたのだろうか。

 

 

 

なら、俺の中にあるであろうこの信念は・・・いったい、何を守ろうとしていたのだろうか。

 

 

 

 

答えなど出やしない。

 

 

 

 

 

何故なら、それはきっと・・・もう壊れてしまっているのだから。

 



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第9話 魔王とは、一つの英雄の在り方である

 

「応援演説での失態・・・俺はこの案で行く」

 

翌日の放課後、俺は部室に居る2人にそう宣言した。なんの脈絡もない言葉に、呆けた顔をしていた2人は段々とその表情を厳しいものにしていく。

 

「その案は昨日無しと言ったはずよ」

 

「そうだよ、ヒッキー。そういうの、無しにしよ」

 

「なら、他に何かあるのかよ」

 

「そのために代わりの人にお願いをするのよ。公約や演説の内容もある程度はこちらで立ててあるし、やってくれそうな人を」

 

「でも、そいつは傀儡だ。そいつが当選したとして、その後の生徒会活動はどうする。それに、やってくれそうな人ならもう選挙に出馬している・・・違うか?」

 

『やってくれそうな人』なんて、そんなもの簡単に見つかる筈がない。さっき言ったように、そんな奴は既に生徒会選挙に名前を出している筈だろう。だが、現状だけで言えば一色いろは以外に候補者は居ない。その事実が、今回の全てを物語っている。

 

「だから、今回は回避をするしかないだろ」

 

「・・・・・・そう。回避をすると、あなたはそう言うのね」

 

「・・・回避の何が悪い」

 

「そうやって、回避ばかりを選んで・・・それが何になるの」

 

「一色のためになる。一色にノーリスクで、尚且つ依頼解消をするならそれが最適だろ」

 

「・・・私は、認めない。逃げを、肯定したくない」

 

雪ノ下の言葉に、段々と溜め込んでいたものが溢れそうになってくる。頭にチラつくのは、昨日の葉山の表情。

 

『本当は、守りたい関係だったんだけどな』

 

アイツの事なんて知らんし、分かるつもりもないが・・・それでも、その言葉には僅かながらの納得が出来た。俺達奉仕部は、アイツのその想いを壊してしまった。人を頼ってまで守ろうとしたそれを、結局は守れなかった。

 

その事が、どうにも頭から離れようとしない。

 

「そんなんだから」

 

「ひ、ヒッキー?・・・それ以上は」

 

 

 

「そんなんだから、前回だって失敗したんだろうが」

 

 

雪ノ下の目が見開いていく。その隣に居る由比ヶ浜の瞳には悲しみのようなものが宿り、その表情は悲痛なものだ。俺だって驚いている。言うつもりは無かった。こんな事を言うなんて、自分でも思わなかった。自分から発せられたとは思えないような冷めた声に、俺の中の時が止まる。

 

「・・・」

 

黙ったままの雪ノ下を見て、俺は自分が何をしてしまったのかを今更ながらに悟った。あれは誰の責任でも無い。ただ、誰もが力不足で何も出来なかっただけの話だ。

 

その責任を、俺は雪ノ下雪乃に押し付けた。

 

その罪の自覚に、俺は吐き気がしてきた。

 

責任転嫁なんて、あまりにも傲慢が過ぎる。

 

 

「・・・・・・悪い、もう帰るわ」

 

 

そのまま、俺は部室を出た。

 

 

 

 

家に着いた俺は、真っ先にトイレに向かった。

 

出てくるのは胃液だけ。昼食は購買のパンを軽く食べる程度だ、何時間も過ぎた今なら当然のことだろう。

 

雪ノ下のあの表情、由比ヶ浜のあの表情、俺が言ってしまった事・・・それら全てがリフレインする度に、俺は堪えようのない吐き気に襲われる。

 

「・・・はぁ・・・はぁ」

 

浅い呼吸を何度か繰り返し、その吐き気が治まるのを待つ。

 

「お兄ちゃん、どしたの」

 

開けっ放しだったトイレのドアから、小町が顔を出してくる。俺の嘔吐する声を聞いてここまで来たのだろう。

 

「悪い・・・」

 

気持ち悪い。俺がこうなっているのも、何もかも俺が原因なのに・・・俺は、誰かに心配されている。

 

違う。心配されなきゃいけないのは俺ではない。俺だけは、誰かに心配されてはいけない。誰かを患わせてはいけない。今、誰かが傍に居なければいけないのはあいつらの方だ。俺には、そんな資格はない。

 

 

数分してから落ち着き、俺は制服から着替えるために自分の部屋に行った。スラックスを脱ぐためにポケットから携帯を取り出すと、通知が来ていることに気付く。

 

『これから会えない?場所は駅前のカフェ』

 

雪ノ下さんからだった。先程とは別の意味で背筋が凍る。うわ、なんでこの人からこんなメール来てんの。マジで行きたくないんだが。

 

・・・まぁ、断れる訳ないか。

 

 

 

 

呼び出された所に着き、とりあえずコーヒーを注文して一階を見て回る。

 

は?居ないんですけど。あ、これ小学生だか中学生の頃やられたやつだ。う〜わ、思い出しちゃったよ。トラウマを的確に突いてくる辺りホント嫌なんですけど。

 

店内を歩いていると、階段があるのに気付いた。なるほどそういうパターンか。まぁ、居なかったら居なかったでどうとでもなるか。

 

階段を登り、二階を見るとすぐ目の前にその人は居た。何故か帽子を被って、席に座っていた。

 

「あの、何してるんです」

 

「静かに。あれを見て」

 

雪ノ下さんの隣に座り、彼女が指をさした方向を見るとそこには、葉山と戸部、折本とその友人四人が席に座って談笑していた。

 

「・・・あれがなんなんすか」

 

「私の見立てだと、あれが本命じゃないと思うんだよね」

 

「・・・そうだとしても、俺を呼んだ理由とどう繋がるんですか」

 

「ま、見てれば分かると思うよ」

 

チラリともう一度彼らを見ると、折本達は帰る準備をしていた。辺りは暗くなっているし、妥当と言えば妥当か。

 

「昔好きだった子が誰かとデートしてるのを見るのは、複雑かな?」

 

「・・・まさか。もうそんなんじゃありませんよ。大体、あれを好きだったとは言いません」

 

「と言うと?」

 

「あれは、まぁ、一方的な願望の押し付けだったり、理想にはめ込んでただけです」

 

「・・・まさに、自意識の化け物だ」

 

自分が分からないからこそ、他人に押し付ける。他人に自分の願望を押し付けて、そこに反射した自分を見る。それが俺にとっての『比企谷八幡』だ。鏡写しのようにして輪郭を捉えなければ、俺は『俺』が分からない。

 

ならば、あれはきっと恋なんかじゃない。

 

ただの、自己嫌悪だ。

 

 

「・・・やっぱりね。ほら、見てご覧よ比企谷くん」

 

 

その光景に、俺は硬直をする。首は後ろを振り返ったまま止まり、そこから目が離せなくなる。

 

 

そこには、雪ノ下と由比ヶ浜が居た。

 

 

あの四人が、集まっている。

 

 

「あれがその結果。結局、ああするしかないもんね」

 

雪ノ下と由比ヶ浜は戸部に頭を下げている。その内容は分かる。声など聞こえなくても、俺には分かってしまう。前回の依頼で、奉仕部は戸部に対して何もしてあげられなかった。それどころか、最悪の結果に終わったと言ってもいい。恐らくは、その謝罪。

 

 

雪ノ下に責任を押し付け、俺は何もしない。

 

由比ヶ浜にアフターケアを押し付け、俺は何もしない。

 

雪ノ下と由比ヶ浜は謝罪をし、俺は何もしない。

 

 

俺は、何もしていない。

 

 

「君が何かをしなければ、誰かがやる。当たり前の事だよ。だって、人っていう漢字は片方が寄りかかってるんでしょ?」

 

文化祭のスローガン決めで言った事をここで蒸し返してくる。その通りだ。結局、人は誰かに寄りかかって生きている。それを許容し、それを無責任にも当然の事として飲み下している。

 

「・・・でも、あの子のあれは違う。だから、私はそれを認めない」

 

そう言って、雪ノ下さんは席を立った。

 

 

 

「ふーん・・・そうやって、雪乃ちゃんは誰かに理由を求めるんだ」

 

 

 

彼女は雪ノ下達の所へと歩いていくと、その帽子を外しながら言葉を放った。

 

「姉さん・・・」

 

「そうやって押し付けて、求めて、他人を自分のために利用しようとするところ・・・お母さんにそっくり」

 

「・・・」

 

「ねぇ?比企谷くん」

 

最悪だ。このタイミングで俺を指さしてきやがった。そこに居る人達は揃って俺を見る。

 

「・・・いや、雪ノ下さんのお母さんとか知りませんよ」

 

「そうだったねぇ。ま、そんな事はどうでもいいの」

 

こうなってしまった以上は仕方ないので、俺もそっちの席に向かう。本当に気分が悪い。さっきの事で、俺は絶賛気まずいのだ。

 

「頭を下げたのだって、誰かから理由を貰ったからでしょ?そんなの、雪乃ちゃんの謝罪とは言えないんじゃない?」

 

「それは・・・違う。私は、私の意思で謝罪をしたのよ。それをどうこう言われる筋合いはないわ」

 

「へぇ。じゃあ、雪乃ちゃんが誰かに押し付けるのはその結果かな?それとも・・・生徒会選挙の方かな?」

 

おいおい。そんな姉妹喧嘩をここで始めないでもらいたいんだが。なに?それを見せたいから俺をここに呼んだの?どんだけ傍迷惑なんだよこの人は。

 

「・・・話がそれだけなら私は帰るわ。もうこちらの用は済んだもの」

 

「待って、ゆきのん」

 

立ち上がろうとした雪ノ下を、由比ヶ浜が止める。

 

「ヒッキーは・・・本当に、あの案でいくの?」

 

「・・・そうだ」

 

「・・・そっ、か」

 

その表情は、さっき見たものと同じだった。悲痛で、何かを叫びたがっているような表情は容易に俺の心を抉る。あの吐き気がまた戻ってきたようだ。

 

 

 

葉山達が帰った後、雪ノ下さんは静かにその言葉を呟いた。確かに、ハッキリと、何かしらの感情を含んでその言葉は形となって彼女から発せられた。

 

 

 

 

「ホント、自意識の化け物だね。私達は」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第10話 魔王とは、自らを中心とした世界の礎である

 

「雪ノ下が、選挙に出る?」

 

「今朝、雪ノ下が報告に来たよ」

 

昼休み、平塚先生に呼び出されるとそんな話を聞かされた。

 

「それで、君はどうする?」

 

「・・・別に。一色の件に関して言うなら、俺は俺のやり方を貫くだけです」

 

「・・・変わらない、か」

 

「はい」

 

変える必要など無い。雪ノ下が立候補しようが、対立相手が出てこようが、俺がやる事は何一つとして変わらない。誰かの行動一つで自分のやり方を変えようなんて、そんなのはただの欺瞞だ。俺はそんなものに隷属するつもりはない。

 

「・・・そうか。ただ、比企谷」

 

「なんすか」

 

平塚先生は、煙草を灰皿に押し潰してその火を消すとゆっくり煙を吐いた。

 

「君のやり方じゃ、本当に助けたい誰かを助ける事は出来ないよ」

 

「・・・・・・うっす」

 

頷きで返し、俺は職員室を出た。

 

 

 

「立候補したんだってな」

 

「・・・え?」

 

「聞いてなかったのか」

 

そのまま部室に言った俺は、雪ノ下にその事を確認する。反応からして由比ヶ浜は聞いていなかったらしい。

 

「これから相談するつもりだったのよ」

 

「それは相談って言わねぇよ。事後報告って言うんだ」

 

「・・・私は、やっても構わないもの」

 

「雪ノ下さんがああ言ったからか」

 

昨日の彼女の言葉を思い出す。誰かに押し付けるのは、まるで自分の母のようだと雪ノ下を揶揄した彼女の言葉を。

 

「違う。これは私の意思よ」

 

「・・・お前がそうするのなら、俺は俺で勝手にやる」

 

「・・・好きにしなさい。私とあなたは違う」

 

決別だった。その言葉は、俺達にとっては決別を意味していた。

 

馴れ合いなんて、俺達が一番嫌っていたものだったのに。核心から目を逸らして、お互いに妥協して、なあなあの関係に当てはまって・・・それを、どこかで許容していた。悪くないと、そう思い始めてしまっていた。

 

 

そして、それを許容した比企谷八幡は、『比企谷八幡』ではなく。

 

それを許容した雪ノ下雪乃は、俺にとっての『雪ノ下雪乃』ではない。

 

 

 

ただそれが、明確になっただけの事。

 

 

 

 

「それで、どうしたんですか?」

 

「単刀直入に言えば、雪ノ下が立候補した」

 

放課後、俺は一色いろはを訪ねていた。下級生のクラスにお邪魔するなんて初めてのことだし、相手が女子ってのも初めて。緊張して呼び出す時に噛んじゃったよ。キョドりまくって根暗オーラ満載。ごめんね一色、こんな先輩で。

 

そのまま図書室に行き、小さいボリュームで会話をする。ここくらいしか思い付かなかったんです。ベストプレイスを知られるのも嫌だし。

 

「そう、ですか・・・ま、まぁ?それなら、私も生徒会長やらなくて済むって言うか」

 

「ただ、その話は平塚先生のところで止まってる」

 

「・・・じゃあまだ、公にはされてないって事ですか?」

 

「そうなるな。それと、お前が生徒会長に選ばれないってのは少し確実性に欠けるところがある」

 

「・・・は?だって雪ノ下先輩が相手なんですよね?私に勝ち目無いですよ」

 

「まぁ聞け」

 

怪訝そうな顔をして、そのあざとさが外れかかっている一色をとりあえず落ち着かせる。なんなのその目。絶対俺の事敬ってないでしょ。いや、いいんだよ?そもそも敬われるような奴じゃないし。

 

「お前はサッカー部のマネージャーをしているな?」

 

「・・・そうですけど、それがなんか関係ありますか?」

 

「ある。大いにある。さて、そのサッカー部には学校の人気者が所属していますね?誰のことか」

 

「葉山先輩ですね!」

 

「お、おう」

 

食い気味の回答に若干引く。流石ですね葉山くん。この感想、最近も抱いた気がする。

 

「まぁつまりは、だ。同じサッカー部のよしみみで葉山がお前を応援すると公言したらどうなると思う?」

 

「・・・なるほど」

 

集団を一致団結させるものが明確な敵の存在だと言うのなら、一致団結した集団を扇動するのは明確な人気者だ。またの名をインフルエンサー。つまるところ、集団に対して影響力のある者。

 

それと、実際問題として葉山が一色を応援すると公言する可能性は限りなく低い。アイツは、誰かを選ぶ事をせず、『みんな』という集団をその念頭に置いている。とするのなら、自分の立ち位置もアイツにとっては計算内。よって、本当は考える必要も無い。

 

そもそも、雪ノ下が勝つ。これは覆しようのない事実だ。

 

「そういう訳だ。だから、ここで確実にお前を落とす一手を加えることにした」

 

「前に先輩が言っていたやつ、ですか?」

 

「そうだ」

 

「その出来る奴っていうのが」

 

「順当に言って俺だな。て言うか、そんなの誰もやりたがらないだろ」

 

ただ、リスクは無論ある。一色いろはが俺みたいなやつを応援演説に選んだ。その事実は周知の事となる。それは、後々になって一色に響いてくるかもしれない。

 

「それに、お前にノーリスクでこれを実行する案もある」

 

「・・・どうするつもりなんですか」

 

「文化祭で委員長を泣かした酷い奴、ヒキタニくん。知ってるか?」

 

「ええ、まぁ・・・って、もしかして」

 

「そりゃ俺だ。だから、この噂を蒸し返してこちらの手札にする」

 

簡単な話だ。そのヒキタニくんの噂を使えばいい。事実を切り取れば、それは女子に酷いことをするただの出しゃばりクズ野郎だ。そんな男が生徒会選挙という行事にまたしても首を突っ込む。そうすれば、一色は問題外。周囲は俺のみに標的を絞ってくるだろう。

 

『また出しゃばりクズ野郎のヒキタニが、生徒会選挙に首を突っ込んで来た』

 

全部、俺が自発的にやったことにすればいい。一色は俺に巻き込まれただけの被害者。断り切れなくて、渋々折れただけの可哀想なヒロインに昇格。リスクはあれど、ダメージはほぼ無し。更に、周囲の同情まで引いて味方がわんさか集まる。

 

 

ほら、簡単だろ?誰も傷つかない世界の完成だ。

 

 

「という訳で、お前は安心してこれからの学校生活を過ごせる。なんなら、ヒキタニに狙われてるって言えば、葉山辺りも釣れるだろ」

 

「・・・先輩って、頭良いですね」

 

「まぁな」

 

さて、じゃあ俺はその酷い演説内容を考えるとしましょうか。

 

「でも、どうしてそこまでするんですか?」

 

「・・・そりゃ、お前が依頼して来たからで」

 

「そんな事しなくても、雪ノ下先輩には勝てませんよ。それに、葉山先輩が私を表立って応援する事も無いです」

 

・・・嘗めていた。一色いろはという女子を、俺は相当見くびっていた。

 

「だから、先輩がそんな事をする必要はありません。なのに、どうして?」

 

言葉が出ない。目の前にいるこの女子に、自分よりも年下なこの少女に、なんと言えばいいのかが分からない。

 

 

本当は、分かっている。その答えを、俺は知っている。

 

 

俺は、『ヒキタニ』を『比企谷八幡』として自分に押し付けたいだけなのだ。そうやって周囲の悪意によって出来た俺の人物像を、そのまま『俺』として生かしたいだけに過ぎない。その踏み台として、この依頼を利用しようとしている。

 

それだけじゃない。

 

俺は意地になっている。雪ノ下に否定された俺の案を、意地になってもやろうとしている。そうしなければ、そうでもしなければ、『比企谷八幡』が保てないから。

 

 

これ以上、俺の中にある『比企谷八幡』を壊したくはない。そうなってしまったら、いよいよ俺は、俺を見失う。

 

 

「・・・それは」

 

 

突然、俺の携帯が鳴った。マナーモードにするのを忘れていたため、かなり大きな音が図書室中に響き渡る。外に出て、相手を見ると『雪ノ下陽乃』と表示されていた。

 

今だけは、この電話に感謝しておこう。

 

「・・・もしもし」

 

『ひゃっはろー比企谷くん。ちょっとお願いがあるんだよね』

 

「・・・一応、用件だけ」

 

面倒なことになりそうなので直ぐにでも切りたいところなのだが、この電話には助けられたので話を聞く事にする。

 

『生徒会長に立候補されちゃった・・・なんとかちゃん?その子を連れて来て。私も話がしたいんだよね』

 

あざとい女子と魔王な女性が組み合わさるとか、それなんて地獄?絶対ロクな事にならないじゃないですかー。

 

「・・・本人に確認してみます」

 

『うんうん。善は急げだよ』

 

全くもって善な気がしない。

 

一色に確認してみると、これがまさかのオッケー。雪ノ下陽乃さんの噂は聞いていたんですかそうですか。断ってくれれば楽なのに。

 

「オーケーだそうです」

 

『僥倖僥倖。じゃ、昨日と同じ所に連れて来てね』

 

そう言うと、電話は切られてしまった。本当に言いたい事だけ言って切りやがったよこの人。

 

 

どうやら、地獄が始まるらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 



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第11話 魔王とは、世界の本質を識るものである

 

「私は雪ノ下陽乃。雪乃ちゃんのお姉ちゃんだよ」

 

「わ、私は一色いろはです」

 

取り繕った者同士が向かい合って自己紹介を交わしている。なんだろうか、この異様な光景。猫がとりあえず相手の頭に軽いパンチをしているような、そんな感覚だ。

 

「比企谷くんから話は聞いてるよ。生徒会長に立候補させられちゃったんだっけ?」

 

「・・・はい」

 

「いやぁ〜酷いことする人達も居るもんだ」

 

いやあんた大爆笑してたじゃん。めっちゃ面白がってたよね?そんな事を考えていると、雪ノ下さんが俺を見てニッコリと微笑む。あ、はい。黙ってるんでその笑顔やめてくださいとても怖いです。

 

「で、ですよね〜」

 

一色の方もタジタジになりながら雪ノ下さんに合わせる。おい、その先は地獄だぞ。

 

「・・・で、比企谷くんが応援演説で一色ちゃんを落としてやろうと」

 

「まぁ、現状それが最適かと」

 

「ふーん」

 

事実、問題は生徒会長になるかならないかではない。なった後、ならなかった後の話の方にある。なったとしても、一色いろはの時間を奪う事が出来、目的は達成される。ならなかったとしても、選挙に落ちた一色いろはをざまぁみろと嘲笑う事が出来る。つまり、要はどっちでも構わないのだ。

 

故に、問題の焦点を変える事で一色いろはへのダメージを別の方向に逸らす必要がある。その為に応援演説を利用する。

 

「・・・それで、一色ちゃんはその後を平和に過ごす事が出来るのかな」

 

「上手くいけば一色へのダメージはその応援演説をした者へと逸れるかとおも」

 

「馬鹿だね。君如きの活躍でそんな事になる訳ないじゃん。そういうの、自意識過剰って言うんだよ」

 

「・・・だったら、その上でやり方を考えるだけです」

 

向かいに居る雪ノ下さんを見据える。彼女の顔には笑みなどなく、ただ淡々と客観的感想を述べるだけ。

 

「無理。どうやっても無理。比企谷くん、君にそんな力や人望は無い。そんなの、君が一番よく知ってるでしょ?」

 

押し黙るしかない。彼女の言うことは最もだ。

 

だが、疑問が残る。

 

何故それをあなたが言う?

 

何故あなたがこれを否定する?

 

あの時、俺の背中を押したのは紛れもなくあなたではないか。

 

「だからね、一色ちゃん。私がもっといい案をあげる」

 

「・・・」

 

一色は既に雪ノ下さんしか映していない。その瞳の中に俺や周囲の人は居なく、雪ノ下陽乃ただ一人がそこに鎮座していた。

 

「一色ちゃんさ・・・生徒会長にならない?」

 

「・・・は、はい?」

 

「生徒会長、やっちゃいなよ」

 

「で、でも、私はそもそも生徒会長がやりたくないから奉仕部に相談をしたのであって」

 

「あーそれね。多分、生徒会長という定義づけの方を間違えてるよ」

 

一色いろはに生徒会長を勧める。意味の分からない発言に、俺も耳を傾ける。話聞いてなかったのか?いや、この人がそんな事をする訳がない。なら、一体何のつもりでそんな事を?

 

「一色ちゃんさ、生徒会長になれなかったらどうなると思う?」

 

「・・・それは、まぁ、私に不都合な事も、あると思います」

 

「そ。ざまぁみろって思われるだろうね。いつもそんなあざとい態度をして、結局は人望を集められない可哀想な女子。周囲からの評価なんてそんなものになる」

 

本質を見抜いている。間違いなく、雪ノ下さんはこの依頼の本質を見抜いている。だが、生徒会長になった所でそれらを覆い潰す程のメリットがあるのだろうか?

 

「でも、生徒会長になったら・・・どうなると思う?」

 

「当初の目的は達成されますし、私が生徒会長になってざまぁみろと思うんじゃないですか」

 

「そこ、そこだよ。どうして生徒会長になるメリットを考えないのか、私にはそれが分からない」

 

「メリット、ですか」

 

「そう。生徒会長っていうのはね、生徒の中では最高権力者を表す言葉そのものなんだよ。そして、一色ちゃんはそれを掴む資格を周りから与えられた。ここまでは分かる?」

 

「まぁ、はい」

 

人心掌握。人の心を把握し、思いのままに操る事ができる術、その基本。一色はもうそれに飲み込まれつつある。自らにとって有益となる情報や事実を提示する雪ノ下さんに、少しずつだが魅入られている。

 

「権力は使う事の出来る武器。即ち、それは一色いろはという人間のブランドになる。権力を得た者っていうのは往々にして強い」

 

「・・・」

 

 

 

「よく覚えておいてね。権力があるから強いんじゃない・・・強いから権力を与えられるんだよ」

 

 

 

県議会議員の娘としての言葉だった。あまりにも重く、あまりにも説得力のある言葉。

 

「やり返す事も、見返す事も、なんだって出来る。一色ちゃんにはその権利を得るチャンスが与えられた」

 

 

目の前で行われているこの光景に、俺は何かを言うことすら出来なかった。初めて、人が人を操る瞬間を見た。こんなにもあっさり、こんなにも簡単に、人は人に飲み込まれる。その事実に、俺は寒気すら覚えた。

 

 

「さぁどうする?選挙に落ちてみっともなく嘲笑われるか、生徒会長になって権力を得るか、それは一色ちゃん次第だよ」

 

 

終わりを悟った。もう、一色いろはには何も届かない。雪ノ下さんの言葉こそが全てであり、雪ノ下さんが強い者になってしまった。

 

 

「・・・やります。雪ノ下さんに、乗せられます」

 

 

 

こんな、呆気ない結末を迎えた。

 

 

 

 

 

生徒会選挙に向けての準備を始めるらしく、一色は家に帰った。ここに残っているのは俺と雪ノ下さんの二人。

 

「なんであんな余計な事したんですか」

 

「余計?その言い方は気に食わないな」

 

「どう考えても余計な事でしょ。あれは奉仕部への依頼であって、あなたが」

 

「余計っていうのは、あくまで比企谷くんからしての話だよね。どうして君の枠に私を当てはめようとしてるの?」

 

何かに気付いた。今まで目を逸らし、気付かないようにしていたものに直面したような気がする。とても大切で、とても重要な事を、この人から言われた。

 

 

「比企谷くんさ・・・私に依存してるよね」

 

 

容易に、『比企谷八幡』は壊れた。否、壊された。壊れるべくして壊された。目の前に居る、雪ノ下陽乃によって。

 

「もっと正確に言えば、私に押し付けてる『雪ノ下陽乃』に依存してる」

 

止めてくれ。

 

「もう辞めようよ、目を逸らすのは。だから、私が教えてあげる」

 

耳を塞ぐ事すら忘れ、俺はただ固まっていた。

 

 

 

「『比企谷八幡を理解してくれるのが雪ノ下陽乃』それを、君は私に押し付けてる」

 

 

 

雪ノ下陽乃という人間は俺のやり方を知り、雪ノ下陽乃という人間は俺のやり方を否定しない。その事に、俺は依存していた。いや、今も依存している。

 

そして、それが『雪ノ下陽乃』であると俺は彼女に押し付けていた。

 

 

「言ったよね。私達は押し付けられる事を嫌うって」

 

「・・・」

 

「だからさ・・・それを私に押し付けるの、辞めてよ」

 

酷い有様だ。事実を、真実を突き付けられ、まるで空っぽになったかのように俺は呆然とそこに居る。既に『比企谷八幡』は無くなった。誰かに依存し、誰かに自らを肯定されようとした時点で『俺』はもう俺でない。

 

「まぁでも、これでやっと目的達成かな」

 

「目的?」

 

「『私と共に在る』何回もそう言ってるじゃん」

 

「それとどう関係あるって言うんですか」

 

「覚えてないの?私達は押し付けられる事を嫌う・・・でも、他人には押し付けるって」

 

「・・・じゃあ、雪ノ下さんも」

 

あの日見た笑みが、再び目の前に現れる。ちぐはぐで、本当かどうかも分からないような笑み。

 

「そう。私も君に押し付けて、依存してるの」

 

意外だった。雪ノ下さんが誰かに依存したり、それを誰かに明かす事があるなんて。

 

「私が君に押し付け、依存してるのは」

 

 

不思議と、もうこの人への不信感は無くなっていた。

 

 

この人となら共に在る事も有りかと思ってしまう程、この立ち位置に或いは関係に納得してしまった。

 

 

 

 

「『雪ノ下陽乃の主観になってくれる比企谷八幡』だよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

人はこの関係を、『共依存』と言う。

 

 

 

 

 



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第12話 魔王とは、異なる正義の体現者である

 

主観が無かった。

 

否、正確に言うのなら『主観を否定されて来た』という所だろう。

 

一個人としての雪ノ下陽乃ではなく、『雪ノ下』の陽乃という『私』が私にとって求められて来た主観だった。

 

だから私には主観が無い。誰かというフィルターを通してでしか、主観を得ることが出来なかった。

 

そのフィルターが今までは妹である雪ノ下雪乃だった。私に血縁的に最も近く、『雪ノ下』という事で価値観のそれも似通っていたから、或いは最も私に近い存在だったから。

 

でも、そうでは無かった。そうでは、無くなってしまっていた。

 

雪乃ちゃんは、何時からか『雪ノ下陽乃』という存在の後を追っかけて、『私』を模倣するようになっていた。その事に気付いた時、私は何もかもが分からなくなってしまった。

 

かろうじてあった私は、『私』を真似る妹によって否定され、主観は消え去った。

 

 

そこに、一人の少年が現れた。

 

 

私と同じで、自分が何者かを知らない人。私と同じで、自分の妹を支えにするしかない人。

 

なのに、その少年は主観を持っていた。

 

捻くれていて、擦れていて、曲がっていて、斜めに見て、卑屈で、陰湿で、最低で、そんな見方でも主観と呼べるものをちゃんと維持していた。

 

 

気に入らない。

 

本当に、気に入らない。

 

私と同じくせに。私と変わらない存在のくせに、どうしてお前は『それ』を持ち続けている。

 

 

故に私は、彼をフィルターに据えた。雪乃ちゃんよりも、私に近い人。私と同じ人。

 

比企谷八幡を『雪ノ下陽乃』の主観にすれば、私は私であることを肯定出来る気がしたから。

 

 

そして彼は、私に理解されているであろうことを私に、自分に押し付けるようになった。

 

堪らなく気に入らなくて、この上ない程に好都合。

 

 

 

 

だから私は、君と共に在る事を望む。

 

 

 

『私』が私になる為に。

 

 

 

 

 

「私にはね、主観が無いの。どれも客観的に見て、俯瞰して、いつも後ろから引いて見てる・・・知ってるでしょ?」

 

淡々と事実を、真実を告げる彼女は主観を持っていなかった。あの文化祭の日に抱いた彼女への印象は、半分が間違っていて、半分が正解だった。

 

『捉えようとしない』のでは無く、『捉える事が出来ない』のだった。

 

主観的に何かを見ようとしても、彼女にはその主観というものが欠如していた。だから、多数のナニカによって定義付けされた客観に縋り、従う。そうする事でしか、万物を推し量る事が不可能だったから。

 

「でもね、そんな時に私は君を知った。自分が何者であるかを知らない・・・なのに、主観を持って生きている君を」

 

下の方へと流されていった彼女の瞳は、小さく震えていた。何かを懺悔するように、罪の告白をしているかのように、切なくも咎を物語るような哀しい瞳をしていた。

 

「君と私の本質は『自己の喪失』であり、君を私のフィルターに据えるということは逆説的に雪ノ下陽乃は主観を得ることが出来る。そう証明できた途端、私の行動は全て決まった」

 

「・・・どこからが、そうなんですか?」

 

「文化祭実行委員会でのあの会議の後から全部だよ。文化祭も、修学旅行も、今回のことも・・・何もかもそう」

 

「その為に、俺があなたに依存するようにことを運ばせた・・・そういう事なんですね」

 

「正解」

 

眉間に皺が出来上がっていくのを感じる。あの日抱いた負の自覚も、あの日蝕まれた失望も、今日抱いた虚無感も、全て・・・全てが彼女が仕組んだことに過ぎなかった。

 

 

なら、俺はなんだ。

 

『雪ノ下雪乃』という偶像を失った俺はなんだ。

 

『比企谷八幡』という虚像を壊した俺はなんだ。

 

『雪ノ下陽乃』という実像を拒んだ俺はなんだ。

 

 

「分かるよ・・・今の比企谷くんの気持ち。私はもう、それを何度も自分に問い掛けて来たから」

 

「・・・同情なんて、求めてませんよ」

 

「同情・・・か。そう取られても仕方ないね。でも、その問いから私は目を逸らしたことはないよ。だから、今の私はここに居る」

 

彼女の目は、先程のものとは違っていた。自信、或いは傲慢に満ちた瞳。それ以外の一切を否定し、自らのみこそが正義であると信じて疑わない者のする瞳。見ているだけで、圧倒と焦りに飲み込まれそうになる。

 

「自分がそうして来たから・・・それが、それが何なんですか。だからって、俺をあなたの都合に巻き込んでいい理由にはならないでしょ」

 

「けど、私が君を巻き込まなきゃ君はいつまで経っても君は自分で押し付けた『比企谷八幡』でいるしか無かった。その事を、自覚することも無かった」

 

 

『そんなの、欺瞞でしょ』

 

その言葉に、俺は酷い頭痛を感じた。この人のせいで、俺は俺が何者であるかを見失った。しかしこの人お陰で、俺は俺が何者であるかを知るきっかけを得た。

 

なんて・・・なんてこの上ない最悪なパラドックスだろう。思わず頭を抱えてしまう。

 

この人が俺を巻き込まなければ、俺はきっとどこかで妥協する事が出来たのだろう。雪ノ下雪乃を見限りつつも、彼女を助けたいという想いを至上のものと信じて。由比ヶ浜結衣に停滞を感じながらも、彼女の優しさが奉仕部にとっての薬であると信じて。

 

ふと、諦めに似た感情と共に小さな笑みを覚えた。

 

 

ならきっと、雪ノ下雪乃にとっても、由比ヶ浜結衣にとっても・・・比企谷八幡という存在は毒なのだろう。どこまで行ってもそれは変わらない。

 

 

甘美にして、猛毒。

 

優美にして、劇物。

 

 

以前、雪ノ下さんに対して抱いた感情を思い出した。なるほど、通りで彼女に俺と自分が同じであると言われる訳だ。

 

 

「おや、君のそんな笑みを見るなんて初めてだ」

 

驚いたような顔をして、直ぐに笑って見せる彼女は本当に楽しそうだ。人をおもちゃにして、人を娯楽にして、人を弄んで・・・全く、本当にその名が相応しい。

 

「こんなの、まぁ・・・ちょっとした心機一転ですよ」

 

「へぇ。その心は?」

 

「あなたと共に在ることを了承したいですけど、そうやって手に入ったものが本当にあなたが求めるものと合致しているのか・・・それを問いたいかな、と」

 

「・・・鋭いね」

 

「ま、伊達に人間観察を趣味にしてませんから」

 

「・・・その通り。君が了承したらきっと、私は虚しいだけの何かを得ることになる。私の思い通りに手に入るものなんて、私はいらない」

 

そう、ここに雪ノ下陽乃の歪みがある。

 

彼女が求めているものは『手に入らないもの』であり、思い通りに手に入るものは与えられたものと考えてしまうという矛盾。『手に入らないもの』を求めるが故に、追いかける時は徹底的に遂行する。しかし手に入ってしまえば途端に興味を無くし、簡単に切り捨ててしまう。

 

何より、彼女の持っているもの故、『手に入らないもの』など殆ど無いという不条理。

 

 

なら、俺が言うことは決まっている。

 

 

何度も、そう言ってきたではないか。

 

 

 

「だから、俺はあなたと共に在ることは出来ません」

 

 

 

雪ノ下さんは、きょとんとした顔をした後、少しばかりの優しさを携えた笑みで俺を見ていた。

 

「そっか・・・これまでの無関心でもない、今までの敵対でもない、さっきまでの依存でもない・・・多分、これを『信頼』って言うんだろうね」

 

「さぁ?生憎、信頼とかからはかけ離れた人生を歩んできたもんで」

 

「・・・ふふっ。そういうとこ、私は好きだよ」

 

 

何か、大事なものを失った。

 

何か、大事なものを壊した。

 

何か、大事なものを拒んだ。

 

そうやって歩み続け、否、歩まされ・・・それでも、こうして何かを掴んだ。

 

初めから敷かれたレールの上であったとしても、確かに・・・そこに居た。自分の元に導いていたはずなのに、最後の最後で拒絶され、それでもその何かは諦めることをしなかった。

 

 

初めて、比企谷八幡を視界に入れることが出来た。

 

 

 

これはきっと、『俺』と『彼女』が俺と彼女を取り戻すための戦いなのだろう。

 

 

 

「ああ、でも・・・さっきのセリフは告白って事でいいのかな?」

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

後日、学校に今季の生徒会メンバーが正式に決定したとの紙が掲示された。

 

生徒会長・・・一色いろは

生徒会副会長・・・本牧牧人

生徒会書記・・・藤沢沙和子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

庶務・・・比企谷八幡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第13話 魔王とは、絶望に屈する事なき者である

 

「・・・そうか。そういう決断をしたんだな」

 

「・・・はい」

 

職員室の応接間で、俺は平塚先生と話をしていた。生徒会に入る旨を、その理由を全て話した。

 

話を聞き終えた先生は、煙草の煙をゆっくりと吐きながら真っ直ぐに俺を見ていた。

 

「・・・正直、驚いているよ。何かが、大きく変わった・・・いや、何かを受け入れることが出来た、或いは諦めた、か」

 

「まぁ、そんな感じなんですかね」

 

相変わらず聡い人だと思う。人を見る目に関して、この人の右に出る者は居ないのではないか・・・そう思ってしまう程だった。

 

「君を見ていると、なんだか陽乃を思い出す・・・あの、何かを諦めてしまったかのようなアイツの顔を」

 

煙を追うように、彼女は上を見ていた。

 

「いつの日か、そうやって君も大人になるんだろうな」

 

「いきなりどうしたんですか」

 

「なに、ただの経験談だよ。何かを諦めて、受け入れて、そうやって人は大人に近付いていく」

 

ならば、あなたは何を諦めたのか・・・それを口にすることは出来なかった。聞いてはいけないような気がして、聞いてしまえば、彼女を困らせそうで。

 

「けれど、それだけでは大人にはなれない。諦めて、受け入れて・・・また何かを求めて・・・そこが一番肝心だったりするんだよ」

 

「・・・また、求める・・・ですか」

 

「ああ。欲しい物があるから、人は諦める。欲しい物があるから、人は追いかける」

 

懐かしむようにゆっくりと言葉を紡ぐ彼女は、穏やかな微笑みで俺に話をしてくれた。

 

「欲しい物があるから、理由を見つけようとする・・・そしてその理由が、人を大人にするんだよ」

 

欲しい物。漠然と、抽象的なその言葉は酷く俺の頭に反響した。

 

「きっと、その理由を探す旅を『人生』と呼ぶのではないか・・・私はそう思うよ」

 

「・・・かっこいいっすね、それ」

 

「カッコつけたからな」

 

先生の言葉に、思わず俺も頬をがつり上がってしまう。この言葉を聞いたら、彼女はどんな顔をするのだろうか。無責任にも、俺はそんなことを考えてしまった。

 

「君は案外、教師に向いているかもな」

 

「どうですかね」

 

話は終わりだと言わんばかりに、平塚先生は煙草の火を消す。

 

「それと、奉仕部は生徒会との兼部でいいんだな?」

 

「・・・はい」

 

「何か考えている事があるのかね」

 

「今のところは。ただ、何かの時に役に立てばと思います」

 

「・・・分かった。さ、行きたまえ。これから行かなければならない所があるんだろう?」

 

先生にお辞儀をすると、俺はあの場所へと向かった。

 

 

 

 

重苦しい部室の雰囲気は紅茶の香りさえ消してしまうほどの冷たい空気を纏っていた。張り詰めた雰囲気は誰かの呼吸の音ですらハッキリと聞こえる程静かに、ただ静かに誰かの言葉を待っているようだった。

 

「・・・ヒッキー・・・さ、生徒会、入ったんだね」

 

「・・・ああ」

 

「・・・何も、言ってくれなかった、ね」

 

「いや、これからその相談を」

 

「それは事後報告と言うのよ。そうでしょう?」

 

雪ノ下の冷えきった言葉が俺の言葉を遮る。その言葉をつい先日言ったのは、他でもなく俺だった。

 

「一色さんが生徒会長になるという話まではあなたから確かに聞いた・・・けれど、あなたのことは何も聞いてないわ」

 

「・・・だが、好きにしろと言ったのはお前のはずだぞ、雪ノ下」

 

あの日、俺達は決別をした。少ない言葉のやり取りだったが、あれは確かに決別を意味していた。

 

「待って。ゆきのんがヒッキーに言ったのは、いろはちゃんの依頼についてのことでヒッキーのとはまた別の話のはずだよ」

 

「・・・」

 

それを言われると弱い。あの時、雪ノ下が言ったのはやり方云々についてであって俺の身の振り方についてではない。

 

「・・・そんなの、解釈の問題だろ」

 

苦し紛れに出た言葉は、あまりにもちっぽけな言い分だった。子供が大人に怒られたくないように言う、天邪鬼な屁理屈。

 

「・・・そう」

 

「ゆ、ゆきのん!」

 

「由比ヶ浜さん、もういいの」

 

「っ・・・」

 

雪ノ下に何かを言おうと彼女の名前を呼んだ由比ヶ浜は、雪ノ下のその冷たい声音で口を閉ざしてしまった。

 

その視線は俺を見据え、どこまでも・・・どこまでも、失意と失望を伝えて来る。

 

 

 

 

 

「あなたのその在り方・・・嫌いだわ」

 

 

 

 

 

 

ふと、考えることがある。

 

ここに居る俺と、過去の俺、果たしてどちらの方がより良い俺なのだろうか。

 

 

答えは簡単だ。

 

 

どちらも否である。

 

 

時間が経ったからといって、人は成長をしない。

 

過去を振り返ったからといって、かつての自分は輝かない。風化した時の中では、人を良く見せるものなんて存在しない。

 

 

なら、今まで俺は・・・何をしてきたのだろうか。

 

 

 

 

 

「で、何だこれは」

 

目の前にある書類に目を通しながら俺は呟く。

 

『海浜総合高校との合同クリスマスイベントについて』

 

その題から始まっている時点で嫌な予感しかしないし、なんなら中身を見ても嫌な感じしかしない。え、生徒会としての初仕事がこれってマジ?合同?しかもクリスマスイベント?普通に嫌だ寧ろ絶対に嫌だ何故なら面倒臭い。そもそも、コミュ障でぼっちな俺からしてみればクリスマスすら縁のない話であって、更にイベントとなるともはや違う生物の概念なのではないかという次元なのだ。

 

「というわけで、新生徒会の初仕事はこんな感じです」

 

会長の席に座る一色は人当たりのよさそうな笑みでそう言った。たはぁ〜やっぱ確定事項ですよねぇ〜。

 

「・・・えっ、と、それで、先日、会長同士で挨拶をしてきたんですが、その・・・」

 

やけに歯切れが悪い。一色がこういう態度をするのはなんだか新鮮だったりする。いつもはもっと『せんじつぅ〜かいちょーさんと挨拶してきたんですがぁ』って感じなんだがな。誇張し過ぎですかそうですか。

 

「・・・あんまり上手くコミュニケーションがとれませんでした。それだけは、皆さんに伝えておきます」

 

生徒会室の空気が一気に重くなる。ば、かな・・・一色はコミュ力が中々高いあざとい系小悪魔後輩生徒会長だぞ!?てか属性多すぎる。

 

「ま、まぁ気にすんなよ。俺も人とコミュニケーションとかとれないし」

 

「・・・あ、ありがとうございます」

 

引いた顔でお礼を述べられても全く嬉しくない。先輩としてフォローをしたつもりだったんだが、マジでドン引きされた。なるほど、自虐はある程度話すようになってからでないとマジ引きされると。二度と使わなそうな教訓ですね。

 

「明日から海浜総合高校の生徒会と打ち合わせがあるので、放課後はコミュニティセンター集合でお願いします」

 

そんな具合で、本日の生徒会は終わった。

 

 

 

 

下駄箱の前に来ると、そこには見知った顔が居た。

 

彼女は俺が来たことに気付くと、そのまま俺を見る。

 

「・・・それで、なんか用か」

 

靴を履き替え、自転車を取ってきた俺は彼女と帰路を歩く。

 

「昨日、全然話せなかったから」

 

「・・・そうか」

 

「ヒッキーはさ・・・どうして生徒会に入ったの?」

 

その質問が来ることは大いに予想出来ていた。由比ヶ浜が俺を待ってまで聞きたい事など、現状ではそれくらいのものだろう。

 

「・・・別に。なんとな」

 

「嘘」

 

「・・・」

 

「ヒッキーがなんとなくで生徒会に入る訳ないよ」

 

実際そうであるから返答に困る。こういう変に鋭い所は流石由比ヶ浜と言ったところなのだろうか。

 

「あたしには・・・あたし達には、言えないの?」

 

「・・・」

 

言えない。言いたくない。言える訳が、ない。

 

「・・・そっ、か。言えないん、だね」

 

その声音に違和感を抱き、俺は由比ヶ浜の顔を見た。

 

彼女の瞳には涙が溜まっており、口元はそれを我慢するかのように強く、固く結ばれていた。

 

「あたし、さ・・・この部活、好きなんだ」

 

「っ・・・」

 

立ち止まっていた足は震えを覚え、俺はただ黙るしかなかった。

 

「ゆきのんが居て、あたしが居て・・・ヒッキーが居て。依頼を待っていたり、皆で動いたり、そういう時間が、好き。好き、だった」

 

駄目だ。ここで挫けちゃ、駄目なんだ。俺は、ちゃんと考えてあの決断をした。だから、彼女に、彼女達に手を伸ばそうとしちゃ・・・駄目なんだ。

 

「俺、は・・・奉仕部、と、生徒会の兼部だから・・・問題、は」

 

駄目な、はずなのに。この口は止まらない。

 

「・・・それでも、もう・・・違うんだ。もう、あたしの好きな奉仕部は・・・戻って来ない」

 

一筋、彼女の瞳から涙が零れる。自分から終わらせようとしたのに、自分が、それを決めたのに。その雫は、容赦なく俺の心に落とされ、俺を打つ。

 

「ねぇ、ヒッキー・・・」

 

 

だから俺は、いつまでもずっと

 

 

 

「もっと、人の気持ち・・・考えてくれると・・・嬉しい、な」

 

 

 

 

 

 

 

 

すれ違うこの距離に、気付かない。

 

 

 

 



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第14話 魔王とは、救世主の成れの果てである

 

「やぁ総武高校の生徒会のメンバー達。今日はこのディスカッションに来てくれて本当に感謝するよ。これから、より良いパートナーシップを生み出し、シナジー効果を生み出すことでお互いギブアンドテイクなリレーションを築き上げよう」

 

乗っけからいいパンチ撃ってくるなぁ〜。思いっきり右ストレート被弾したぞおい。

 

昨日、一色が言った通り、俺たち生徒会はコミュニティセンターにて海浜総合高校と打ち合わせをしていた。玉縄という向こう側の生徒会長、最早何を言っているのか分からんレベルの横文字率。

 

これあれだ、意識高い系というやつだ。

 

とりあえず、俺は庶務ということなので端っこの方に座りテーブルの上にある書類に目を通す。

 

・・・えぇ、こっちまで横文字ばっかなのかよ。

 

「さて、じゃあ始めようか」

 

玉縄の一言で始まった会議は・・・なんというか、まぁ・・・強烈なものだった。横文字のオンパレード、案は出るのでまぁそこはありがたいが・・・これ本当に大丈夫なの?具体的なこと何も決まってなくない?

 

と、いう感じのものだった。

 

「つ、疲れた・・・」

 

会議が終わると、座っていた椅子の背もたれに思いっきり寄りかかって天井を見上げる。何がやばいってマジでやばい。俺たちなんてほとんど何も言ってないしそもそも言えるような雰囲気じゃなかったんですけど。時折こっちに来るのは確認のための質問だけで、それに一色が笑顔で頷くだけとか・・・うっ、思い出しただけで頭が。

 

件の一色は玉縄と向こうで会話中。対するこっちは・・・。

 

「やばい・・・」

 

「終わる気がしない」

 

「なんで俺たちが」

 

書類と睨めっこ状態。なんなら、俺の目の前にも大量の書類がある。いやだよ〜働きたく無いよ〜とも言ってられない立場なのでとりあえずやるだけやっておく。文化祭実行委員で経験しておいてよかった・・・社畜根性ですよねこの発言は。

 

にしても、一回目でこれは少しマズイ。このまま行くと、議事録含めた諸々の書類担当がこちら側のみになる。そうなってきた場合、総武高は海浜総合の下っ端という明確な序列分けにも繋がる。

 

・・・しかし、俺がそれを指摘するとなると『一色いろは』が生徒会長であることを崩す結果にもなる。彼女のことや、今後の生徒会のことを考えるならば・・・俺は黙っておくべき、か。

 

隣を見ると、副会長の本牧が何かを言いたそうな顔で一色を見ている。新生徒会が発足してからあまり時間が経っていないこともそうだが、問題は一色が一年生で本牧が二年生であるという点だろう。それも相まって、生徒会間でのコミュニケーションがまだうまく取れていない。

 

この中で一番コミュニケーションに問題がある俺が考えるのも違うとは思いますけどねはい。

 

「では、僕たちは解散することにするよ」

 

「はい、お疲れ様です。外までお見送りしますね」

 

海浜総合の生徒会は帰った。なるほど、どうやら明確な役割分担と序列分けが済んでしまったようですね。

 

「・・・なぁ、比企谷」

 

「お、おう」

 

一色が見送るために会議室から出て行った後、隣の本牧から話しかけられていきなりキョどる俺。

 

「さっきの会議と会長・・・どう思った?こういう言い方はあまりしたく無いんだけど、その・・・」

 

「ま、まぁ、言おうとしてることは分かる。ただ、俺たちも俺たちだから、な・・・」

 

実際問題として、責任を一色に押し付けるのも違う話だ。あの会議の場で、明確な発言ができなかった、或いはしなかったのだって俺たちも同じだ。

 

「・・・そうだな」

 

そう言うと、彼は目の前にある書類とまた向き合った。

 

 

戻ってきた一色が小さくため息をついていた。

 

 

 

「ていうか〜ありえなくないですか〜?ほとんど何言ってるのか分かりませんでしたし、仕事押し付けられましたし〜、ちょっとキモ・・・想定外の相手ですよね〜」

 

いや最後の隠しきれてないし、むしろそれがほとんど全文なまであるから。

 

ていうか〜・・・なんで俺はお前とファミレスになんざ来なきゃならんのだ。俺は一刻も早く家に帰って今日のことを忘れるためにフレッシュな睡眠を・・・ああ、少しずつアレが混じってきた。

 

「ま、ああいう手合いは往々にしてめんどいもんだし仕方ないだろ」

 

「そうとは思いますけど〜」

 

お前飯食う時もそのあざとさはブレねぇのな。一周回って尊敬するまである。

 

「で、なんで俺ここに連行されたの?半ば強制的だったし」

 

「・・・先輩ならなんかそれっぽいこと言ってくれるのじゃないかな〜って。あの雪ノ下先輩のお姉さんみたいに」

 

「あの人みたいな発言とか無理だろ」

 

どう考えても不可能な話である。マジで無理。

 

「なんか言ってくださいよ〜」

 

なんか言わないと帰してくれそうもないこの空気、あれに似ている。飲み会とかで一発ギャグや面白いことを言えと強要された時のようなやつと同じだ。

 

「ま、あれだ」

 

何かを言おうとして、脳裏に二人の顔が浮かび上がる。何かを言って、彼女に毒を飲ませてしまうのではないか。また、俺は毒になることしかできないのではないかというこの懐疑心が・・・どうにも消えない。それが。俺の口を閉ざす。

 

俺はまたしても誰かにレッテルを貼って、その上でしか自身の言葉を紡ぐことが出来ないのか。

 

欺瞞がなければ成り立たないものなんて、必要無いのではないだろうか。

 

「もう少し、生徒会の奴らや、自分を信じてみても・・・いいんじゃねぇの・・・知らんけど」

 

だから少しだけでも、『俺』は俺を信じてみたい。

 

 

 

翌日、俺達はまたしてもあの横文字の羅列を聞いていた。

 

「・・・どうやら、小さくまとまり過ぎていたようだね」

 

え、嘘、まとまってた?全然まとまっていなかった気がするんですが違うんですか?

 

「そうだね。じゃあ他の高校を誘うとか?」

 

「いいね。それなら、更なるシナジー効果を生み出してwin-winな関係を築けるかもしれない」

 

「それある!」

 

いやどこがあるんだよ。ちょっとー?ていうかあなたそれしか言ってませんよね昨日から。これは本格的にマズイ。これ以上規模が大きくなったら、完全に時間と予算が足らない。

 

「待て。そうなると、時間と予算的にも問題が出てくるから」

 

「ノーノー。ブレインストーミングはね、相手の意見を否定してはならないんだ。時間と予算が足らないなら、それをどう解決出来るかを話し合っていこうよ。だから、君の提案はダメだよ」

 

その割には俺の提案即否定ですかそうですか。

 

「他の高校となると、どこがある?」

 

なるほど、単純な否定は即潰される。つまり、案を否定するには、新たなる提案をしなければならない。

 

郷に入っては郷に従え。向こうのルールに従うなら、『When in Rome,do as the Romans do.』

 

 

「これは俺達のパートナーシップを鑑みた結論なんだが、このまま二校でやった方がお互いのシナジー効果と若いインスピレーションへの刺激となり、より高いプロモーションが完成されると思うんだが・・・どうだろうか」

 

どうだろうか。

 

「・・・グッド。つまり、若いインスピレーションである、小学生の子達をリコメンドすると・・・そういうことだね」

 

ダメかぁ〜。

 

「確かに、小学生の子達と触れ合うことで俺達のアイデアやビジョンは予想外の方向にいくことがあるもんね」

 

「僕もいい案だと思うよ」

 

あ・・・もう誰かを巻き込むのは確定事項なんですね。なんでこうも意識高い系っていうのは誰かとやることに拘りを持っているのだろうか。

 

「じゃあ、アポイントとネゴシエーションをこちらでやるとして、その後の対応を任せてもいいかな」

 

「・・・そうですね」

 

相変わらず笑顔で答える一色。

 

会議が終わり、昨日と同じように書類作成に取り掛かる。

 

すると、俺の携帯が鳴り出した。

 

「・・・悪い」

 

外に出て、電話に出る。

 

『はぁい、比企谷くん』

 

「・・・どうも。こっちは今仕事中なんですけど」

 

相手は魔王。ちなみに、俺の連絡帳の登録名も魔王。

 

『あ、それはごめーん。次からは気を付けるねー』

 

それ絶対に気を付けないやつじゃないですかー。

 

「で、用はなんですか?」

 

『んー?何してるのかなーって』

 

「仕事です」

 

『似合わないなー・・・それで、何の仕事してるの?』

 

「他校とクリスマスイベントを生徒会主体でやるんですよ」

 

『へぇ』

 

なんでそっちから訊いておいて興味無さそうな反応するんですかね。

 

「あの、もう戻りたいんで切ってもいいですか?」

 

『・・・じゃあ、最後に一つだけ』

 

「・・・」

 

彼女の言葉を聞き漏らさないように、携帯のスピーカー部分を少しだけ強く耳に押し当てた。こういう時の彼女の言葉は、大概核心を突くものだからだ。

 

 

 

 

『ちゃんと、頼るんだぞ』

 

 

 

 

それは、俺と彼女が決めた・・・或いは始めたことだった。

 

 

 

 

 

 



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第15話 魔王とは、世の責任を背負う存在である

 

「いろはなら、さっき抜けたよ」

 

放課後、コミュニティセンターに来たところ一色の姿がなかったのでサッカー部を覗きに来た。なんでアイツはそういう連絡をしてくれないんですかね。これじゃ二度手間じゃねぇか。

 

一色はもう向かっていたらしく、こちらに来た葉山と会話する。入れ違いになっちまった。

 

「生徒会、色々やっているんだろ」

 

「まぁな」

 

「比企谷が生徒会か・・・なにか、理由があるんだろう?」

 

「あったとしてもお前に言う理由がない」

 

「・・・それもそうか」

 

苦笑しながら葉山は答える。

 

「・・・お前達は・・・その」

 

「・・・ああ。まぁ、男子達なら特に問題は無いよ。そうそう荒立てる事でも無いしね・・・」

 

修学旅行の日以来、葉山達のグループは男子と女子で別れているような気配がある。表にはあまり出さないが、それでも以前とは違ったぎこちなさがあった。

 

「・・・まぁ・・・あの件は、何も出来んくて・・・悪かったな」

 

「・・・いや、構わない。遅かれ早かれ、綻びはどこかで生じるものだったからね」

 

「・・・ドライだな」

 

「君が思っているほど、俺は情に厚い奴でもないからな」

 

時折、葉山はこうやって諦めたような笑みを見せる。それが酷く歪で、どこか・・・あの人を思い出させる。

 

「・・・君は、いろはにも頼られているんだな」

 

「同じ生徒会ってだけだろ」

 

もしくは都合のいいように使われているだけだ。『先輩ひとりなら、扱い易いですしぃ〜』とか思ってそうだなマジで。

 

「それに、アイツが頼るとしたら俺じゃなくてお前だろ。知ってんなら手伝ってやれよ」

 

「別に、俺は頼られた訳じゃない。ただ何かやっていると匂わせてくるだけだよ」

 

アイツは相変わらずだな。

 

「君がいろはを助ける理由は・・・生徒会ってだけかい?」

 

・・・いちいち調子を狂わせてくる奴だ。

 

「・・・そうだろうな」

 

「・・・そうか。じゃあ、そういうことにしておくよ」

 

練習に戻って行く葉山の背中を見て・・・俺はどこか安心感にも似た感情を覚えた。

 

 

 

そして、この日の会議も相変わらずだった。

 

 

 

「どう計算しても予算が足りないんだけど・・・」

 

「内容を削るか規模を縮小する他ないだろ。どの道、次の会議で決を取るしかないわな」

 

PCの画面を本牧と確認しながら、計算を進めていく。駄目だ、このままやれば赤字が続くだけ・・・そうなると、イベント丸ごと吹っ飛ぶ事になる。

 

相互確証破壊って手も無いことは無いが・・・結局の所、アレだって最後の切り札みたいなもんだ。加えて、その話をしたところで海浜総合からは話し合いを勧められてそれで話が終わる。そうなると、決定打にならない。

 

・・・詰みだ。

 

「せんぱーい。小学生の子達、どうしますか?もう飾り作るの終わっちゃったみたいで」

 

忘れていた。昨日から、小学生が合流していたんだった。

 

その中には・・・鶴見留美も居た。

 

「ツリーは?」

 

「パーツと飾り一式は届いてるんですが、今作ると邪魔になりません?」

 

「センターと交渉してエントランスに置かせてもらおう。一週間前なら丁度いいだろ。当日、または前日にホールに運び込めばいいし」

 

「・・・ですね」

 

このやり方は最早アウトだ。庶務の俺が仕事の指示を出してしまっては、一色が生徒会長であるという自覚を失うことに繋がる。いくら前に進まないからと言って、手を出し過ぎだ。

 

一旦席を離れ、休憩をする。休憩と言っても、頭はやる事でいっぱいだ。この現状、一色の問題・・・そして、脳裏にチラつく奉仕部。

 

ふと、その子が目に入った。

 

「・・・上手いな」

 

一人で椅子に座りながら、彼女は・・・鶴見留美は、星の飾りを作っていた。

 

「・・・・・・こんなの、誰でも出来るでしょ」

 

どんだけ時差があんだよ。宇宙との交信かなんかか。ま、ちょっと生意気なのは変わってない、か。

 

彼女の隣に座って、俺も飾りを作る。あのままPCや書類とにらめっこしていても意味が無い。それどころか、何も進まない事に苛立ちを覚えそうになる。そうなるのだったら、目に見えて進行が分かるこういう作業の方が気休めになるだろう。

 

「他にすることないの?」

 

「無いんだなーこれが。なんなら、何も決まって無いまである」

 

「なにそれ、バッカみたい」

 

「ああ、本当に・・・」

 

 

馬鹿みたいだよな。

 

この現状も、みんなも、馬鹿みたいだよな。

 

 

何より・・・お前をそんな状況にした俺は・・・『俺』は・・・大馬鹿者野郎だ。

 

 

 

夜、ソファに寝転がりながら考える。

 

現時点で最大の問題点は、合同クリスマスイベントにある。あの場を俺一人で打倒することはほぼ不可能に近い。加えて、こちら側の全生徒会を動かしても効果はない。決定打に欠ける。

 

次点で、一色いろはが生徒会長としての自覚を持たなければならない。

 

そして、鶴見留美の現状がここに絡んでくる。『比企谷八幡』が出した解消法のせいで問題が起きているのなら、そこに更に干渉しなければならない。それは当然の義務としてそこにある。

 

 

そもそもの原因は生徒会選挙だ。

 

あの時、俺が意地になってでも『比企谷八幡』を俺に押し付けようとしていた理由はなんだ。

 

あの時、雪ノ下が生徒会長に出馬するという解決策に頷かなかった理由はなんだ。

 

あの時、それを雪ノ下に直接尋ねた理由はなんだ。

 

あの時、由比ヶ浜の制止を聞かなかった理由はなんだ。

 

 

あの時、どうして俺は俺のやり方を貫くことを選んだのか。

 

 

 

 

あの時、修学旅行での失敗を持ち出してまで雪ノ下を否定したのは何故だ。

 

 

 

葉山に同情した?

 

否。

 

戸部に同情した?

 

否。

 

あのグループに同情した?

 

否。

 

 

 

 

『助けたいと思うほどの大切な存在』

 

 

それが、雪ノ下雪乃だったからだ。

 

だから、彼女を否定した。

 

だから、彼女に頷かなかった。

 

だから、俺は『俺』を必死に取り繕うことを選んだ。

 

 

なら何故、俺は彼女を大切だと思った?

 

なら何故、俺は由比ヶ浜でさえも大切だと思っていた?

 

なら何故、俺は奉仕部の毒になってまで『比企谷八幡』で在り続けようとした?

 

なら何故、俺は由比ヶ浜のあの日の涙に心を動かされた?

 

 

なら何故、俺は奉仕部を離れるという決断をした?

 

なら何故、その結果を望んだ?

 

 

 

何故、その理由を求め続ける?

 

 

『欲しい物があるから、人は諦める。欲しい物があるから、人は追いかける』

 

 

『欲しい物があるから、理由を見つけようとする・・・そしてその理由が、人を大人にするんだよ』

 

 

そんな言葉が、浮かび上がって来た。

 

 

 

 

ならきっと、今もこうして俺が考え続けているのは・・・『その理由』が、分からなかったから。

 

 

 

 

 

翌日、俺はあの部屋の前に立っていた。今にも足がすくんでここで崩れ落ちてしまいそうだった。

 

しかし、それは出来ない。

 

ちゃんと考えて、ちゃんと決断をして、こうすると決めたのだから。

 

それが今だと、漸く分かったから。

 

扉をノックする。

 

「どうぞ」

 

中からはいつもと同じ、聞き慣れたあの声が聞こえて来る。

 

「・・・」

 

「・・・」

 

扉を開けると、中に居た二人は俺を見て行動を止めた。

 

「ヒッ、キー」

 

扉を閉め、俺は椅子のある所に歩き出す。

 

いつも座っている椅子ではなく、依頼人が座る椅子へ。

 

「・・・」

 

雪ノ下は俺を見た後、すぐに目を逸らした。

 

深呼吸をして、心を落ち着かせる。

 

「一つ、依頼がしたい」

 

俺の言葉に、雪ノ下と由比ヶ浜の目が見開く。

 

「今、生徒会でクリスマスイベントというのを海浜総合高校と合同でやっている。それが想像以上にやばくて・・・手伝ってもらいたい」

 

「・・・けれど」

 

「言いたいことは分かる。無論、由比ヶ浜が言いたいことも、なんとなく分かる」

 

由比ヶ浜はあの日、『奉仕部が好きだった』と言った。俺が自分で壊しておきながら、そこに依頼を持ち込むなんてあまりにも馬鹿げている。そんなの、分かりきっている。

 

「そこに、千葉村に居た鶴見留美も居て、相変わらずだ。俺の解消法でそうなったのなら、どうにかしたい。虫のいい話をしているのは分かっている。自分で『ここ』に亀裂を生み出した俺が依頼をするのもおかしいことだとも分かっている・・・だが、お願いしたい」

 

少しの沈黙が訪れる。鳴り響く時計の音は、刻々とこの沈黙の終わりを予兆させる。雪ノ下は顔を伏せ、由比ヶ浜は俺を見ている。

 

「あなたのせい、そう言いたいの?」

 

「奉仕部も含め、大体がそうだ。俺の責任だ」

 

「・・・そう。なら、そのクリスマスイベントも鶴見留美さんのことも、あなたがやるべき事よ・・・それに、奉仕部の事は・・・もういいわ」

 

あの日決別をした。

 

だから、こうなることは分かっていた。考えるまでもなく、こうなるだろうという事は知っていた。

 

 

「待って・・・そうじゃ、ない。そうじゃない、気がする」

 

 

再び訪れた沈黙を破ったのは、由比ヶ浜だった。彼女の声が、教室に響く。

 

「ヒッキーが奉仕部を離れて生徒会に入ったのだって何か理由があるんだって、本当は気付いていた・・・でも、あたしは・・・あたし達は、それに気付かない振りをして、ヒッキーを責めた」

 

その言葉に、再度雪ノ下の顔が俯く。

 

「あの修学旅行の日、あたし達は依頼を失敗した・・・心のどこかで、ヒッキーならどうにかしてくれるって・・・そう思ってた・・・そう押し付けてた・・・今までの依頼だってそう」

 

「いや、押し付けてたっていうのは違うだろ・・・」

 

そうだ。押し付けてたなんて、それは俺の方だ。俺が彼女達に、押し付け、そして自分自身にも押し付けていた。

 

 

『こういうやり方しか出来ないのが比企谷八幡』だという事を。

 

 

「違わないよ。だからきっと・・・ヒッキーが生徒会に入ったのだって、あたし達が理由なんでしょ?」

 

「それ、は・・・」

 

「・・・あたし、ずっと卑怯なんだ・・・それに・・・ゆきのんも、卑怯だよ」

 

「・・・今、それを言うのね」

 

伏せられていた雪ノ下の顔は由比ヶ浜に向けられている。

 

「待て、そういうことを」

 

「ゆきのん、全部ヒッキーのせいにして自分は被害者のままでいようとする所、ズルいと思う」

 

「・・・あなただってそうでしょう。私と比企谷くんに責任を押し付けて、自分だけは無関係でいようとする」

 

俺の声は由比ヶ浜と雪ノ下には届かず、二人は言葉を発する。

 

知らなかった。

 

俺が居ない所で、そんなことになっているなんて。

 

知らなかった。

 

俺が居たことで、こうなってしまっていたことを。

 

知らなかった。

 

 

二人に、こんな一面があるなんて。

 

 

「・・・いいんだ。奉仕部の事も、鶴見留美の事も・・・今までのことだって、責任は俺にある」

 

 

それを、今初めて見た。

 

 

二人の悪い所を、汚い所を、卑怯な所を、酷い所を、見た。

 

 

「違う・・・違うよ、ヒッキーだけの責任じゃ、ない、よ・・・」

 

 

なのに、なのに・・・なのにどうして・・・どうして俺は・・・失望していない。

 

 

 

どうして、お前達は・・・雪ノ下は、由比ヶ浜は・・・離れてくれなかったんだ。

 

 

俺の悪い所も、汚い所も、卑怯な所も、酷い所も、最低な所も、陰湿な所も・・・そういう負の部分を見せつけたのに・・・何故、離してくれない。

 

 

どうして、俺は・・・二人を諦めていないんだ。

 

 

「・・・雪ノ下」

 

「・・・」

 

雪ノ下の瞳は、少し濡れていて、様々な感情を伝えてくる。

 

「俺は、お前に・・・押し付けていた。雪ノ下なら間違わないって・・・雪ノ下は、正しいんだって・・・」

 

「・・・」

 

「・・・由比ヶ浜」

 

由比ヶ浜の目からは、涙が零れていて、あの日のように俺の心に落ちる。

 

「由比ヶ浜にも、押し付けてたんだ。由比ヶ浜は優しい奴だって・・・由比ヶ浜は、綺麗な子なんだって・・・」

 

すれ違っていたこの距離に、漸く気付いた気がする。

 

 

「・・・俺は、お前達をちゃんと見ようとも、してなかった・・・ただ勝手に押し付けて、それをお前達だって、思い込んでいたんだ」

 

 

気付けば、俺の目からも・・・涙が溢れていた。声だって変に上がり、嗚咽が漏れる。

 

 

 

「俺は・・・お前達をちゃんと知りたいと・・・思い上がっている。だから・・・雪ノ下を、由比ヶ浜を・・・知る理由が欲しい」

 

 

雪ノ下と由比ヶ浜が、分からない。

 

本当はどういう人なのか、分からない。

 

他にどんな一面があるのか、分からない。

 

人が、分からない。

 

今までなら、こんな事は思わなかった。どうして、この二人を知りたいと思ったのか・・・結局の所、その理由は今も分からない。

 

 

だからこそ、俺はその理由が欲しかった。そうやって、納得したい。そうやって、理解したい。そうやって、受け止めたい。そうやって、受け入れたい。

 

 

『比企谷八幡』に・・・教えたい。

 

 

 

『これ』がその理由だって・・・そう言って、

きちんと終わらせたい。

 

 

 

「俺は・・・お前達と、向き合いたい・・・その機会を・・・くれないか」

 

 

 

言うつもりのなかった言葉は、全部出ていた。

 

比企谷八幡が思っていたことを全て、口にしていた。

 

「・・・あの日」

 

嗚咽混じりの雪ノ下の声が、俺の耳に届く。

 

「あの日、私はあなたに『あなたのその在り方、嫌いだわ』と、そう言ったわよね」

 

「ああ、覚えている」

 

忘れもしない。決して、忘れる事など出来ない言葉だ。

 

「全部、自分一人でやって・・・その責任を、その結果をあなた一人で背負って・・・それで、全てが丸く収まったと思っている・・・そういうあなたの在り方に、私は酷い嫌悪感を覚えた」

 

予想外の告白だった。雪ノ下が、そう思っていたことなんて・・・俺は全く予想していなかった。

 

「でも、知らず知らずの内にそれに甘えて、あなたに責任を、それが『比企谷八幡』だって、押し付けていたの・・・だから、本当に糾弾されるべきなのは、私の方、なのね」

 

「・・・違うよ、ゆきのん。あたしにも責任があるの。ヒッキーとゆきのんに全部押し付けて、あたしは、ずっと・・・何もして来なかった。一番卑怯なのは、あたしなの」

 

そう言って、由比ヶ浜は雪ノ下のことを抱き締めた。

 

 

誰しもが、責任を求めた。

 

誰しもが、責任は自分にあると言った。

 

 

分かっている。

 

 

責任というものが、そんな簡単なものじゃないということくらい。

 

そんな言葉一つで変わるものでもなければ、そんな言葉一つで所在がハッキリするものでもない。

 

 

「けれど、比企谷くん・・・私は・・・私達は、少なくとも、今のあなたを知った・・・知っている・・・・・・あなたの依頼を・・・受けるわ」

 

「あたしも、手伝う」

 

 

 

『自分に責任がある』なんて言葉・・・俺達みたいな子供では重くて、重くて・・・一人じゃ背負いきれない。

 

 

「・・・助かる」

 

 

でも・・・もし、もしも、その責任でさえも背負いたいと思えるような関係性があるのなら・・・俺は、それを求める理由をいつまでも探し続けたい。

 

 

 



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第16話 魔王とは、世界に挑戦するものである

 

『それで、どうしたの?』

 

学校から帰って来て、俺はソファに体を投げ込みそこで悶えていた。羞恥と哀愁と、多分憐憫のような何かに心を苛まれながらゴロゴロとしていた所、電話がかかってきた。

 

「まぁ・・・はい。端的に言うと、死にたいです」

 

それはもうシンプルな回答を言った。

 

そう、俺は今・・・絶賛死にたいのである。

 

どうして俺はあんなにも恥ずかしいことを言ったのだ。馬鹿か!?馬鹿じゃねぇの!?ばーかばーか・・・もう、死んじまえ。

 

『全く伝わらないから、ちゃんと説明しなさい』

 

「・・・はい」

 

スマホの向こう側から聞こえる魔王の声に、なんとか意識を保ち今日あったことを伝える。

 

無論、俺の恥ずかしい発言は切り取った上で顛末のみを伝える。この人にまで知られたら、完全なる黒歴史確定だ。ただでさえ限界だというのに。

 

『なるほどね・・・大体は分かった』

 

「そういうわけ、です」

 

『そうだねぇ・・・私の言葉の意図を読んで、奉仕部に頼ったのは偉い』

 

まぁ、そういう話でしたし。

 

『ただね、比企谷くん』

 

幾らか低いトーンがスピーカーから鳴り響く。冷えているその声音は、いつかの雪ノ下のそれよりも酷く俺の背中に、何か心地の悪いものを走らせる。

 

 

『頼れ、とは確かに言ったけど・・・繋ぎ止めろなんて、私は一言も言ってないよ』

 

 

「・・・」

 

『頼る時は相手を間違わないこと、そして魅力あるメリットを提示すること。それは前に聞いたよね?』

 

思い出すのは、文化祭での舞台袖であった雪ノ下と彼女の会話。あの日、彼女は雪ノ下の交渉に乗らなかった。

 

『相手は間違えてないし、もちろんそのメリットがこれから発揮されると思う・・・けどね、それをも凌駕するデメリットがあるのなら、それはもう失敗なんだよ』

 

何時だかの言葉を思い出す。その言葉は、確かこうだった。

 

『私があの文化祭の日に雪乃ちゃんの提案を断ったのはね、他に興味があったからだけじゃないよ。その興味も、メリットも、それら全てを殺す程のデメリットがあったから』

 

彼女のその言葉は、俺も理解していた所だった。否、その後になってそれが明確になっていた。

 

「・・・分かってます。そこの所は、ちゃんとするつもりです」

 

『当然だよ。その為に君は生徒会に入ったんでしょ?・・・全く、ギリギリのグレーゾーンを攻めてどうするの』

 

「・・・予想外の事態になってしまいまして」

 

本当だよ?本当に、あんな事を言うつもりは無かった。

 

思い出すのは、数時間前の光景。

 

ぐ、ぐおおぉぉぉぉ・・・死にたい。恥ずかしくて死にそうだ。頭を抱えて再びソファで蹲る。うう・・・また泣きそう。

 

『・・・まぁ、それは後々どうなるかって所かな』

 

「そう言って貰えると助かります」

 

『はぁ』

 

呆れたような溜息が聞こえてくる。止めて、そんな溜息を聞かせないで。色々限界だから。

 

 

 

『・・・そうまでして、予想外の事態になってでしか繋ぎ止められない・・・比企谷くんが欲したものは、そういうものなの?』

 

 

時間が、止まった。

 

もちろん比喩だ。時間は流れ続けており、部屋の時計はその秒針の音を鳴らし、時間の進みを教えてくれている。

 

だが、時間が止まったという比喩を用いなければならない程に、俺の思考は止まっていた。

 

彼女から発せられたその言葉は、そういう類いのものだった。

 

 

「・・・そうなります、ね」

 

 

辛うじて出た言葉、こんな陳腐なものだけだった。一切の弁明も無ければ、補正すらない。補完も、補填も、何も無い。ただの一言、肯定でしかなかった。

 

『・・・じゃあそれはきっと、すれ違いの中で初めて気付くものなんだろうね』

 

思い当たる節があった。奉仕部の二人とすれ違っていたあの距離。あの距離があったからこそ、俺はあんな事を言ったのだ。すれ違いがなければ、俺はその事にすら気付いていなかったのだろう。

 

『ま、これ以上その関係性が歪まないようにするんだぞ』

 

 

 

ならば、俺が欲した『その理由』とは一体、どれほど道を違えれば見つかるのだろうか。

 

 

 

「覚悟しとけよ」

 

雪ノ下と由比ヶ浜を連れ、俺達はコミュニティセンターに来ていた。

 

今日からは彼女達にも会議に参加してもらう。その事については一色にメールで確認を取ってもらっているので問題は無いのだが・・・問題が無いのは寧ろその点だけなのである。問題はあるのにそれ以外が無いとかマジで最悪だなこの状況。

 

扉を開けると、玉縄が挨拶をしてくる。

 

残念ながら、二人はそれを無視して用意した椅子に座る。

 

なんなら、今回の会議も特筆すべきものは無かった。

 

 

 

会議(?)が終わり、エントランスにあるベンチに座ると雪ノ下は溜息を吐いた。

 

「想像以上ね・・・聞いているだけで苛立ちとストレスを感じるわ」

 

同感です。俺達生徒会、本当によく耐えているもんだと思う。

 

「どうしよっか」

 

「・・・分からん」

 

由比ヶ浜の困ったような問いに、同じような意味を込めて返す。話にならない以上、どうすればいいのか分からん。

 

「とりあえず、出来ることをしよう」

 

頷きを返すと、俺は再び会議室に戻り書類作成に取り掛かった。

 

 

 

「・・・諦め切れなかった、か」

 

翌日、一色を含めた俺達四人は平塚先生の所に来ていた。何も進展がない以上、大人に相談してみるという結論に至ったからだ。

 

そんな言葉で迎えられた俺達・・・俺は、苦虫を噛み潰したような顔で目を逸らすしか無かった。確かに、この様子を見ればそういう事になる。

 

「・・・元来、諦めは悪い質でして」

 

「・・・なら、仕方ないな。それで、相談とは何かね」

 

とりあえず、現状の問題点の中で一番大きなもの・・・即ち、予算についてを相談していた。

 

「なるほど・・・君達はクリスマスの何たるかを分かっていないな」

 

いやなんでそういう話になるんですかね。少しくらい知ってますよ?例えば、イエス・キリストの生誕を祝う日とか。因みに、誕生日ではなく、生誕を祝う日なのだ。これは同じように見えて実は大きく違っていたりする。

 

「じゃじゃーん!これだー!」

 

突飛なテンションで彼女から出されたのは、チケットのようなものが四枚。よく見ると、デスティニーランドと書かれている。デスティニーランドとは、千葉県にある最大のテーマパークだ。パンダのパンさんが居たりする。

 

「どうしたんですか?これ」

 

「結婚式の二次会で当ててな・・・二回。『一人で二回行けるね!』と言われたよ・・・それも二回」

 

ちょっと、なんてこと言うんですか。この人なら一人で四回行った挙句、楽しくなっちゃって五回目を自腹で行くに決まってるでしょ。下手すると、六回目辺りに陽乃さんがそれを聞きつけて俺も強制連行されちゃうまである。想像するだけでカオスな状態だ・・・。

 

「これをやるから少し勉強してきたまえ。息抜きにもなるだ」

 

「いいんですか!?ありがとうございまーす」

 

平塚先生が言葉を言い終える前に、一色は彼女の手からチケットを取った。一色さん、あなたそれ失礼ですよ、大丈夫ですか?

 

「なんでこんなクソ混んでる時期に」

 

クリスマスにデスティニーとか定番過ぎて激混みだろ。人混みとか苦手なんで勘弁して貰えませんかね。

 

「いいじゃーん。行こうよー」

 

ああ、これはもう雪ノ下さんったら由比ヶ浜に押し切られるパターンに入りましたね。

 

「比企谷」

 

小声で平塚先生に呼ばれる。

 

「なんですか」

 

彼女達に聞こえないように、少し離れる。

 

「君が彼女達を繋ぎ止めた理由、分かるか?」

 

「・・・・・・それは・・・今、見つけているところです」

 

「・・・そうか。じゃあ、もっと考えないといけないな。そうして色んなものを消していって、色んなものを手放して、色々なものが必要無かった事に気付く・・・そういう日が、きっと来る」

 

横暴だ、とは口にしなかった。そんな未来が、いつかは来るのかもしれない。そんな、ある種の希望的観測が本当に当たる日が来るのかもしれない。

 

この無数にあるであろうガラクタを、全て捨てる日が。

 

 

「だからそれまでは・・・諦めの悪いままの、子供で居てくれ」

 

 

彼女の願いのような吐露が、俺の胸に強く残った。

 

 

 

 

デスティニーランドに行く日、彼女はそこに居た。予想していなかった。予想など出来なかった。彼女が、この人がこの日、この集合場所に来るなんて考えもしなかった。来るはずがないと、完全に切り捨てていた。

 

この人なら、こういう時に必ずと言っていい程に現れていたのにも関わらず。

 

 

「ひゃっはろー。今日は、みんな楽しもうね」

 

 

 

 

 

魔王・・・雪ノ下陽乃が、そこに居た。

 

 

 

 

 

 

 



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第17話 魔王とは、導きに背く者である

 

 

「この前の件で、陽さん先輩にはお世話になったので呼んでみました」

 

集合場所にいた一色は、困惑する俺たちに向かってそんな説明をした。思い出すのは数日前のこと。一色は、彼女の言葉を聞いて生徒会長になることを決意した。

 

「って言っても、私は私で年パス持っているからそのチケットは貰ってないんだけどね・・・でも、母校の後輩に誘われちゃったんだから来るしかないよね」

 

俺に向かってウインクをしてくる彼女。なんですかその胡散臭さ全開のウインクは・・・ちょっと心を掴まれそうになってしまったじゃないか。勿論、恐怖という意味合いでなのだが。

 

「・・・で、なんでそっちの奴らも居るんだよ」

 

雪ノ下さんから少し離れところに、葉山たち御一行が居た。葉山は雪ノ下さんを見て、少し複雑な表情をしている。分かるよその気持ち。この人が居ると絶対にロクなことにならないもんね。

 

まぁ恐らく、雪ノ下さんに使うはずだったチケットが余ってしまったので葉山を呼んだのだろう。問題があるとすれば・・・彼らのグループが現在その形を崩しつつある、と言ったところだろう。クソ混んでいる時期のデスティニーで億劫だというのに、その上このグループの雰囲気に当てられるのは非常に居た堪れないんですけど。

 

「あたしも板挟みなんだよー。うがー」

 

そんな雑な説明されても何が何だかサッパリ分からないんですよ由比ヶ浜さん。まぁ、ともかく、お疲れとだけ心の中で思っておこう。

 

 

 

デスティニーランドの入場ゲートをくぐると、写真撮影だとか言って中央のクリスマスツリーを模したオブジェの方へと全員走って行った。

 

「じゃ、私が写真撮るね」

 

雪ノ下さんはカメラを取り出すと、全員にそのレンズを向けた。流石は雪ノ下さん。こういった時でも『気を遣えます』という外面を決して崩さない。表情の上では楽しそうに見えるのだから本当に恐ろしい。

 

「比企谷くんも入りなよ」

 

「いや、いいっすよ」

 

「まぁまぁそんな事言わないで」

 

彼女の笑顔に圧され、皆とは少し離れた位置に立つ。

 

「比企谷くん、見切れてる」

 

カメラのデータを見ると、俺は半分程しか写っていなかった。これじゃ完全に巻き込まれた他人同然じゃないですか。別になんも言わないけどさ。

 

その後も写真撮影は続き、かくいう俺は近くにあった建物に背を預け、彼らを見ていた。

 

奉仕部も、葉山グループも、一色も、そして雪ノ下さんでさえも、違和感がある。この状況を楽しんでいるというのがとても伝わってくる。だが、それがどこかポーズのような気がしてならないのだ。取り繕って、上辺だけで、欺瞞に満ちているかのような、そんな光景としか受け止められない。

 

「比企谷」

 

「あん?」

 

カシャ

 

葉山に名前を呼ばれ、声の方を向くとシャッターを切る音が聞こえた。そして、いつの間にか近付いていた雪ノ下さんが隣に居た。

 

「ありがと、隼人」

 

「構わないよ。はい、カメラ」

 

「ん。比企谷くん、ちゃんと楽しむんだぞ!お姉さんをガッカリさせないでね」

 

勝手な事を言うな。

 

「なんであの人とのツーショットなんか撮ってんだよ」

 

「陽乃さんに頼まれたからさ。断れると思うかい?」

 

苦笑しながら問いかけてくる葉山は、少し可哀想だった。

 

「・・・悪いことを言った」

 

「分かってくれて助かるよ」

 

なにこのちょっといい感じですよな雰囲気。俺とお前って別に親しい間柄じゃないですよね?ちょっと旧知の仲かと勘違いしちゃうところだったよ。やだ葉山、恐ろしい男。

 

「キマシタワー!!」

 

言わんこっちゃない。

 

 

 

 

「ヒキタニくん・・・これ、どう思う」

 

アトラクションに並んでいると、海老名さんが話しかけて来る。彼女の言う『これ』というものが具体的に何を指すのか、そんなのは考えるまでもない。

 

「・・・さぁな。先送りにして来た問題が現在進行形になっているだけだろ」

 

「・・・ヒキタニくんのそういうドライな所、私は好きだよ」

 

「・・・」

 

やりにくい。海老名さんと話すのはどこか苦手だ。眼鏡のレンズの奥にある瞳は、時折あの人を彷彿とさせるような黒さを見せる。どこか俯瞰して、諦観している所でさえ、重なってしまう程に。

 

「私に原因がある・・・なんて言ったら、君はなんて言ってくれる?」

 

その問いかけに、意味はあるのだろうか。過ぎ去った出来事への罪の呵責を俺に懺悔したところで、そこに答えはあるのだろうか。彼女は、何を求めてそのような事を言ったのだろうか。

 

それでも、もし何か言う事があるとするのならばそれは・・・。

 

 

「何も言わせないよ」

 

 

その言葉は、全くの予想外の方向からだった。

 

「比企谷くんからあなたに言わせる事なんて、何も無いよ」

 

俺の隣に居た彼女はその沈黙を破った。冷徹な声音は、拒絶に近しいものを感じる。

 

ならばこれは・・・同族嫌悪のようなものなのか。

 

「だって、比企谷くんには関係の無いことでしょ。違う?」

 

「・・・それ、私の求めていた言葉そのものですよ」

 

「あら、それは気の毒に」

 

海老名さんは俺達に取り繕ったかのような笑みを向けると、前に居る葉山や戸部の方へと向かった。

 

その行動は、まるで葉山グループを彼女そのものが繋ぎ止めようとしていることを表していた。

 

何が彼女にその切っ掛けを与えたのかは分からない。何が彼女を動かしたのかは分からない。何をもってして、彼女がその結論を出したのかは分からない。

 

ただ、彼女はきっと、無関心を向けられていたいのだろうということ・・・それだけは分かった。

 

 

 

一色はアトラクションでダウン。雪ノ下は人混みにあてられたとか言ってダウン。

 

俺は色々積み重なってダウン。

 

ふぇぇ、状況が最悪だよぅ。

 

「お姉さんが一番はしゃいでるっていうのはちょっと恥ずかしいな〜。ほらほらー雪乃ちゃんももっと盛り上がろうよ」

 

「姉さん、待って。今は、少し、休ませ」

 

「次はパンさんのバンブーファイトに行こうかと思ってるんだよね〜」

 

「行きましょう。事は急を要するわ」

 

「その意気だ!」

 

雪ノ下の扱い上手いですねホント。ていうか、俺達は何を見せられているんでしょうかね。お前ら絶対仲良いだろ。熟年コントを見せられているような気分になって来たんだが。

 

一旦葉山達とは別行動となり、俺達4人だけでパンさんのバンブーファイトに来ていた。

 

「それでは、レッツゴー」

 

係員の声で、乗り物が出発する。

 

上を見ると、無数のパンさんが戦いを繰り広げている。

 

「わぁ」

 

「おお、壮観だね」

 

「こりゃすげぇな」

 

「静かに」

 

いや最後の違くない?なんで私語厳禁の命令が今下ったんですかね。雪ノ下さんなんて肩震わせて笑いこらえてますよ。

 

アトラクションが終わるとそのまま売店に入り、パンさんグッズを見る。流石は雪ノ下、もうぬいぐるみを見続けている。どんな集中力してんだよ。そんなに惹かれますかねこの子に。

 

よく分からんが、小町へのクリスマスプレゼントとして俺はそのぬいぐるみをレジへと運んだ。

 

 

 

「こりゃ乗っちまった方が早いな」

 

「・・・そうなる、わね・・・」

 

パレードのため通路が区切られた事で、俺と雪ノ下は2人になってしまった。体力のないコイツと、人の後ろを歩く事で有名な俺達は別行動を余儀なくされていたのだ。

 

それで、出口が区切られた向こう側にあるこのアトラクションを選んだ。名前は忘れたが、ボートで川を降るジェットコースターのようなものだ。

 

「お前、こういうの苦手?」

 

「苦手というわけでは」

 

「いや、別に意地張るような事でも」

 

「大丈夫だから。由比ヶ浜さんと一緒の時は大丈夫だったのだから・・・多分、大丈夫よ」

 

何か、少し引っ掛かりを覚えた。彼女のその言葉はそういった違和感を抱かせた。

 

あの日、俺とあの人が始めた事。この言葉は、それを如実に表しているような気がする。

 

列が進み、俺達はボートに乗り込んだ。

 

「・・・昔、姉さんがちょっかいを出して来て、少し苦手になったの」

 

「またあの人かよ」

 

そしてすぐに想像出来る辺りが彼女らしい。嬉々として雪ノ下に色々やったんだろうなぁ。

 

「だから、今日もそうだと思っていたのだけれど・・・姉さんはもう、私に興味を無くしてしまったのかしら」

 

「・・・どうだろうな」

 

どういった真実であれ、それを俺が言うのは違う。彼女のその疑問の答えを、俺は少なからず知っている。

 

だがそれは俺が伝えることでもなければ、今言うべきことでも無い。

 

「・・・あなたは、また何かを抱えているのね」

 

「・・・まさか。んな事ねぇよ」

 

「いつもそう。自分一人で何もかも背負おうとして・・・」

 

目を先に向ければ、外の景色が見えていた。

 

この洞窟も終わり、後は落ちるだけだ。

 

流れに沿って、落ちて、ボートから降りて、それで終わりなのだ。

 

それがどこか悲しくて、どこか虚しく思えてしまった。自分で行き先を決める事が出来ず、ただその時を待つだけ。

 

 

「ねぇ比企谷くん」

 

 

隣の彼女に掴まれた袖は、確かに重みを感じた。少ない力で、少しの面積しか触られていないのにも関わらず、その手は何かを伝えていた。

 

 

 

 

 

 

「いつか・・・あなたを助けさせてね」

 

 

 

 

 

 

 

その瞬間、全ての音は消え・・・落ちて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 



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第18話 魔王とは、遍く正義の原罪である

 

新年を迎え、俺達は三学期に入った。

 

結局の所、去年のクリスマスイベントは総武高と海浜総合で別のものを出し合い、二つのことを楽しめるという建前の下でそういう結論になった。実際、予算と日程の都合上はそうする他なかったので、選択せざるを得ないと言った方が確実だ。

 

他にも、直近ではマラソン大会があった。

 

葉山の野郎が進路を隠していたので、俺が大変な目に遭いました。はい、もうこの話はこれでおしまい。思い出すだけで敗北感が湧き上がって来る。

 

ていうか、俺ってばメインは生徒会役員だよね?確かに、奉仕部にも兼部という形で籍を置いてはいるが、こき使い過ぎじゃない?それはいつも通りですかそうですか。

 

 

ただ、そうなってくると俺が生徒会に入った意味が無くなって来る。

 

雪ノ下さんに嫌味を言われるのは勘弁して欲しいので、俺としてはここらでキチンとしたい所なのだが。

 

だと言うのにも関わらず。

 

「それで〜葉山先輩にチョコを受け取ってもらうにはどうしたらいいんですかぁ〜」

 

はい、またしても奉仕部の部室に居ます。ちょっと一色さん?あなた生徒会長なんだからさ、生徒会室に居ましょうよ?それと、ここに行く度に俺を連れて行くのも辞めてね?俺はあなたと奉仕部を繋げる窓口とか中継とかじゃないんですよ?そこんとこ分かってますか?分かってやってるんですね。ホントいい性格してるよ。

 

「揉めるでしょうから、彼は受け取らないものね。小学生の頃、それで教室の雰囲気がギスギスしていたのよ」

 

葉山め、小学生の頃からバレンタインチョコを貰いまくっていたのか。お前だけはやっぱり許せねぇよなぁ・・・そうだよなぁ、非リア充の皆様方よォ!!もう我慢しなくてもいいよなぁ!!

 

「えぇ〜・・・せっかく作ろうと思ってたのに」

 

いや手作りのやつを渡すつもりだったのかよ。『お菓子作りって得意なんです』とかあざとさマックスでアピってそうですもんね。ブレない所に感銘受けちゃいそう。

 

 

コンコン

 

 

「どうぞ」

 

部室の扉がノックされ、雪ノ下がそれに応じる。

 

入って来たのは、まさかのあーしさんと海老名さん。なんかついこの間もここ来ませんでしたっけ?マラソン大会、忘れられない思い出になりました。

 

「その・・・手作りのチョコとか、作ってみたいん、だけど・・・」

 

ブルータスお前もか。なんでこの時期になるとわんさかわんさか色めき立つんですかねホント。無縁のこっちからしてみたら、それはそれで辛いんですけど。

 

 

コンコンコン

 

「・・・どうぞ」

 

またしても叩かれる扉。この部活で一番働いてるのあの扉さんなんじゃないの?

 

「・・・妹が、お菓子とか作ってみたいって言ってるんだけど・・・あたしには難しくて」

 

依頼者の席に座った川・・・川、越・・・あ、川崎だ、川崎は、そう言った。

 

お前もなのか・・・。

 

 

 

 

「・・・どうしたものかしらね」

 

雪ノ下は、こめかみに人差し指を当てて考えている。なんかそれ久し振りに見たな。いつもそのポーズする時は、俺に呆れている時ですもんね。

 

「・・・どうする、会長」

 

「う〜ん」

 

唸り声ですらあざといとか筋金入りだろマジで。

 

「先輩的には、なんかありますか?」

 

「ま、あくまで葉山をメインターゲットとするのなら、アイツに逃げ道を作らせるのが手っ取り早い」

 

「逃げ道?」

 

ちょっと会長?そのジト目止めてくれませんか?『何言ってんだコイツ』みたいなのは意外とイラッと来るぞ流石に。

 

「・・・なるほど。つまり、バレンタインという前提を崩せばいいのね」

 

「それが一番早いわな。んで、そこに川崎の依頼っつーか相談を組み込めば、自ずと策も見えて来るだろ」

 

ここまで言って、俺はもう口を開くことを止めた。これ以上の事は俺から言うべきではない・・・否、言ってはならない。

 

それは、雪ノ下自身がやらなければいけない事だ。少なくとも、そうでなくてはならない。

 

「・・・・・・お菓子作り教室、なんてどうかしら?試食という題目があるのなら、葉山くんが受け取る可能性はかなり見込めると思うのだけれど・・・そ、それに、川崎さんや川崎さんの妹さんにも教えられると思うし・・・」

 

雪ノ下の視線が、俺に向けられる。

 

「・・・だとよ、生徒会長。出来そうか?」

 

「もっちろんですよ!先輩とか先輩とか先輩とかを働かせれば絶対に出来ますとも!」

 

ねぇ、なんで俺の労働力を当てにしてるの?またアホみたいに働かなきゃいけないんですかコレ。

 

もう働きたくないでござる。

 

 

 

 

「今回もいいプロモーションを作ろうじゃないか。僕達二校の若いマインドがあれば、トップを狙うことも出来るよ」

 

いやなんのトップを目指してんだよ。お菓子作り教室にトップなんか求めんなよ。そういうのはプロに任せとけプロに。

 

「き、君たちも居たんだね」

 

俺たちに気付いた玉縄会長が、少し焦ったような表情になる。あれ?なんで生徒会の俺が今の今まで認知されていなかったんだ?俺の影の薄さが原因ですか・・・。

 

「てへっ」

 

舌先をチロっと出し、ウインクをして俺に得意顔を見せて来る我らの生徒会長。

 

なんだそれ可愛いなお前。

 

ていうか、意図的に俺の居ない時を狙って向こうとの約束を取り付けてたな。通りで俺が向こう側に気付かれない訳だよ。

 

「お前、俺も生徒会なんだから少しくらいどうにか出来なかったのか」

 

「前回であれだけやらかした先輩の名前なんて伏せるに決まってますよ。顔は知られていたので、色々と遠回しなことは言いましたけど」

 

大丈夫なのか、シナジー効果。

 

「ひゃっはろー」

 

「げっ」

 

やべ、素で口から出た。

 

「姉さん・・・」

 

雪ノ下も怪訝そうな顔をする。なんだかその気持ち、少し分かる気がします。この人が来るとロクな事にならないんだよ。主に俺にダメージが飛んでくる。最大致死量レベルのヤバいやつが。

 

「特別講師の陽さん先輩です!」

 

「はいはーい、陽さん先輩でーす」

 

あんたもう少し歳考えたらどうなんですかね。

 

「比企谷くん、今失礼なこと考えなかった?」

 

「や、やだなぁ。ドキドキしてるだけですよ」

 

恐怖っていう意味合いで俺の心臓はバクバクと鳴りっぱなしだ。

 

例えば、この現状についてとかな。

 

「ふーん」

 

ホント、なんでこの人呼んじゃったんだよ。

 

 

 

夕方頃、お菓子作り教室が開催された。三浦や川崎など、こちらに依頼をしに来た人達が全員揃って参加出来たのは僥倖と言えるだろう。

 

「よく考えたな。お陰で、俺も気を遣わなくて済む」

 

「考えたのは俺じゃねぇよ」

 

「じゃあ誰だい?」

 

「雪ノ下だよ」

 

「・・・そうか」

 

壁に寄りかかっていると、隣に葉山がやって来た。なんでこっち来んだよ。あそこにいる海老名さんに喜ばれちゃうだろ。

 

「あんま寄って来んな。海老名さんがまたぶっ倒れるぞ」

 

「それは嫌だな・・・でも、姫菜についてなら、俺としても疑問がある」

 

「・・・待て、大体言いたい事は分かるが、その答えは俺にも分からん」

 

デスティニーランドに行った日、彼女は葉山のグループを繋ぎ止めるような行動をし続けていた。それは今も続いている。作ったチョコを戸部にあげる、その行動だけで十分だ。

 

「あくまでも俺の予想だが・・・姫菜にとっては、このグループが救いなんじゃないかって思う。良くも悪くも、ね」

 

「利用し続けるためにってこと、か」

 

「予想の域を出ないけどね」

 

言わんとしていることは分かる。彼女が時折見せるあの闇は、魔王のそれを彷彿とさせるものだ。正直、何も語らないという点ではあの人よりやりにくかもしれん。

 

「隼人〜」

 

三浦の葉山を呼ぶ声に、葉山はここから離れようとする。

 

「・・・それと、今の陽乃さんはどこか危険だと思う。何か吹っ切れているようにも見えるが、今にでも爆発してしまいそうな危うさを感じる」

 

そう言うと、奴は三浦の方へと歩いて行った。

 

んな事、分かってんだよ。

 

 

 

「雪乃ちゃんは、誰かにチョコあげるの?」

 

そんな中、件の雪ノ下さんは雪ノ下にそんな質問をしていた。

 

「・・・姉さんには関係無いことでしょう」

 

こちらも相変わらずのツンケンした態度。雪ノ下さんのその行動の真意は測りかねる。一度も分かりきった事なんて無いけど。

 

「ふーん・・・私は比企谷くんに渡すつもりだよ」

 

・・・は?

 

ちょっと待ってください。今なんて言いました?結構とんでもないことをサラッと言いましたよね?

 

彼女の言葉に動揺したのか、雪ノ下は手元にあったボウルを床に落としてしまった。お前が動揺すんなよ・・・。

 

「ご、ごめんなさい」

 

雪ノ下と目が合う。な、なんでそんな表情してんだよ。

 

ボウルを拾おうとすると、雪ノ下とタイミングが重なってしまいお互いに手を引いてしまう。そうなると、ボウルはまたしても転がってしまう訳で。

 

「2人とも、調理器具の扱いがまだまだだね」

 

そう言って、由比ヶ浜はそのボウルを指で回す。何それ意外と凄いじゃねぇか。

 

「あたしはこの通り」

 

「いや、ボールとボウルは違うもんだから。料理にその動作いらないから」

 

立ち上がり、雪ノ下さんを見ると彼女は冷めたような笑みを俺に向けていた。

 

あの日と、全く同じ笑みを。

 

 

離れた場所で全員を見ていると、今度は平塚先生がやって来る。

 

「君が繋ぎ止めたもの、それはきっと君にとって大切なものなのだろう」

 

俺は、奉仕部の2人が居るテーブルに目を向けていた。雪ノ下と由比ヶ浜はオーブンの中を覗き込んでいる。彼女達が2人で作ったそれを、待ち望んでいる。

 

「・・・どうなんでしょうかね。その大切だって気持ちでさえ、いつか失ってしまうかもしれませんよ」

 

「それは仕方ないことだ、人の印象は日々更新されているからな。その中で、それでもと離すことのなかったものを、人はいつも大切という言葉で括ってしまう」

 

同じ顔だ。俺が生徒会に入った訳を話した時と、全く同じ顔を彼女はしている。

 

「でもな、大切という言葉は時として残酷なんだよ。目を向ける理由を、それ一つで片付けてしまう」

 

「・・・」

 

「内在している感情でさえ、誤魔化してしまう程にな」

 

『傷を付けたくない程に大切で、大切だからこそ傷を付けなければならない』

 

その言葉を思い出す。これは、あの人が言った言葉だ。人間関係における、ある種の究極。

 

「この光景を近くで見られて良かった。理由を、感情を模索し続ける君を見る事が出来て」

 

彼女が俺に向けた微笑みは、慈しみさえ感じてしまうほどに穏やかで優しさに満ち溢れていた。

 

 

だからだろうか・・・去って行くその後ろ姿は、別れを表しているようだった。

 

 

「ヒッキー、これ食べてみて」

 

深呼吸をして、覚悟を決める。由比ヶ浜の料理スキルはご存知の通りだ。見た目は確かにいい・・・問題は味だ。

 

「よし」

 

一つ、口に入れる。

 

「・・・美味いな」

 

「ホント!?良かった」

 

「私が手伝ったのだから、当たり前よ」

 

それ先に言ってくれないですかね。雪ノ下がフォローしたのなら余計に覚悟を決める必要なんて無かったじゃん。

 

「まぁ、あれだ・・・ありがとうな」

 

彼女達を知る機会が欲しいと、彼女達を知りたいと思う理由が欲しいと、俺はあの日そう言った。

 

なんだか、それに応えてもらっている気がして・・・。

 

 

 

「これじゃあ、前と何も変わってない・・・いえ、もっと酷くなってる」

 

 

 

 

突然発せられた彼女のその言葉を、俺は黙って聞くしかなかった。

 

雪ノ下陽乃の冷めた声音は、俺をその感傷から無理やり現実に引き戻した。

 

 

 

 

「このままじゃ、『君』は終えることが出来ない」

 

 

 

 

 

心のどこかで、このままでは駄目だということは分かっていた。

 

俺が求めた理由も、機会も、何もかも与えられて・・・それにただ甘えるしか出来ない。

 

それが続いた結果を、俺は知っていた。

 

それが招いた結末を、俺は知っている。

 

知っていたし、知っている・・・知っているはずだった。

 

なのに、今はどうだ。

 

この停滞と曖昧に溺れ、進歩と明確さに怯え、どこかでそれを享受しようとさえしている。

 

それを、雪ノ下陽乃は許さない。そんな現状を認めはしないと、俺に現実を突き付けて来るのだ。

 

 

 

そして、『俺』でさえも俺を嘲笑うのだ。

 

 

 

 

 

ここに在るお前は、『比企谷八幡』だと。

 

 

 

 

 

 

 



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第19話 魔王とは、支配と君臨の狭間を生きる者である

 

「受験票は?」

 

「持った!」

 

「筆記用具は?」

 

「持った!」

 

「参考書は?」

 

「持った!って、お兄ちゃん・・・大丈夫だから。行ってきます!」

 

「・・・おう、行ってらっしゃい」

 

本日は小町の受験の日だ。学校が入試の関係で休みになる俺は、試験に向かう小町を見送った。小町・・・応援してるからな。

 

ポケットに入れていたスマホが震える。

 

「はい」

 

『ヒッキー、デートしよ!』

 

「・・・は?」

 

プツッと、電話が切れる。え?ちょっと待ってください?由比ヶ浜よ、肝心なことは何も伝えてないし、なんならいきなり過ぎて話が分からんのだが。

 

すると、またしても携帯が震える。

 

『やぁやぁ比企谷くん』

 

「ど、どうも」

 

なんだなんだ。連続して電話がかかってくるとか八幡史上初の出来事なのだが。しかも相手はどちらも女の人。どういうことなのでしょうか?

 

『前の事で話があるんだけど』

 

「いや、あの・・・それがですね」

 

本日は、とんでもない日である。

 

 

本日は雪模様。一面が銀色になった幻想的とも言えるこの光景の中、俺は水族館の入口に居た。

 

奉仕部の面子と、魔王と共に。いやなにこの超嫌な空間。胃がキリキリしてきたんだけど。

 

「ひゃっはろー。今日も今日とてよろしくね」

 

「姉さんによろしくされる覚えはないのだけれど」

 

「やだ雪乃ちゃんったら辛辣。ガハマちゃんはそんな事言わないよね」

 

「あ、あはは」

 

いや酷い光景。魔王様ったらドン引きされてるじゃないですか。

 

 

 

 

「うわー!サメだー!」

 

「サメね」

 

由比ヶ浜と雪ノ下はどうやらサメに夢中のご様子。サメ、いいよね。かっこいいよね。英語にするとシャークだし。シャークって響きがかっこいいと思う時期って男なら一度はあると思う。

 

「サメなんて久し振りに見たよ」

 

流石の雪ノ下さんもサメに少し心を動かされているようだ。やっぱりサメ凄いな。

 

スマホのカメラを起動している由比ヶ浜を見て、俺は撮影可能ということに気付く。

 

「マジか、写真撮っていいのか」

 

そうと決まればそこからの行動は早い。俺も即座にカメラを起動させてサメを画角に収める。

 

「ふふっ。比企谷くんもそんな風にテンション上がるんだ」

 

「・・・なんか悪いっすか」

 

「まさか。サメとのツーショットをお姉さんが撮ってあげる」

 

「ども」

 

よし、帰ったら小町に自慢してやろう。お兄ちゃんウィズシャーク・・・なんなんでしょうねそのサブタイトル。

 

ていうか、あなたマジで何しに着いてきたんですか?話があるなら俺とサシで構わんでしょ。

 

 

いや、或いは・・・。

 

 

 

 

「ネコザメ・・・なるほど、肌触りは猫の舌に似ているのね」

 

うんそれ鮫肌だと思うよ?それくらい知ってるでしょ。

 

「うわ、エイってぬるぬるしてるんだね」

 

ちょっと雪ノ下さん?なんで俺の方を見ながらそんなことを言うんですかね。あれですか、俺はぬるぬるしてるって言いたいんですか?粘液とか出てないですからね。え、出てないよね?人に触られた記憶なんてもう殆ど無いから自信が無くなってきたぞ。

 

 

「ペンギンだ!!」

 

やだなにこれ超可愛いんですけど。写真写真っと。

 

ペンギン達が岩場に沢山居る。ただそれだけなのにとても心が穏やかになる。ペンギンも凄い。

 

「・・・そう」

 

「・・・」

 

フンボルトペンギンと書かれた紹介版を見た雪ノ下さんは小さく呟くと、一人で館内に戻って行ってしまった。

 

『どちらかが死んでしまわない限り、同じパートナーとつれそい続けます』

 

そう書かれた一節は、俺を少しだけ動揺させた。もしかしたら、もしかしたらあったかもしれないその可能性。どこかで何かが違っていれば、俺達の関係性は、この奉仕部という関係性は似通ってしまっていたのかもしれない。

 

そんな馬鹿げた妄想と予想は、否定しようにもどこかしきれない何かがあった。

 

 

 

「・・・2人は?」

 

「ペンギンの写真を撮ってますよ」

 

「そ」

 

館内で1人、ただぼーっと目の前の水槽に立っているだけなのに彼女はとても絵になっていた。まるで、そのまま吸い込まれてしまいそうなほどに幻想的とも言える光景だった。

 

「可能な限りの自由があっても、外界から見ればそれは仕切りによって括られた水槽の中で・・・いつしか、見えない壁があることに気付く」

 

「それは、どの」

 

「魚じゃない。君が押し付けている君と、私とも言い切れない私の話」

 

彼女の瞳は、水槽から少しも動かない。

 

「きっとその仕切りと壁は・・・他でもない、私達自身。私達が己に課した、ある種の呪い」

 

『自己の喪失』と、彼女は言っていた。自己が分からないから、自分が何者であるかを失ってしまったからこそ、俺達は俺達に『こうであるべき』という押し付けをした。そういう指針があって初めて、自分というものを保つことが出来る。

 

理想通り、と言えば聞こえはいい。だが、そんなものは所詮表面上のそれに過ぎない。蓋を開けてみれば、ただ自分がどうしたいのか分からないからそうしているだけ。

 

故に、『自意識の化け物』。

 

「だから今日、私は」

 

 

「おーい!ヒッキー!陽乃さーん!」

 

 

由比ヶ浜が俺達を呼ぶ声が聞こえた。

 

「・・・行こっか」

 

先程までとは違った、いつもの微笑み。彼女が彼女に押し付けたその強化外骨格・・・本当に、その笑みがどうしようもないくらいに、俺は・・・。

 

 

 

 

 

「・・・今日は、大事な話をしに来たの」

 

水族館を出た俺達はそのまま海の見えるところに来た。

 

「あたしのこと、ゆきのんのこと、ヒッキーのこと・・・あたし達のこと」

 

そんな予感はあった。それをどこかで気にしないようにしていた。俺の悪い予感は当たる、だからこそ予感しないようにしていた。

 

「ヒッキーがどうして生徒会に入ったのか・・・それが、今は少しだけ分かる。多分、それは」

 

「ま、」

 

待て。そう言おうとした。だが、俺の口は震え、それを言うことが出来なかった。

 

待て、それは言ってはいけない。少なくとも、少なくとも今言う時ではない。それは、全てが完了した時に言う。そして、それは間違いなく俺が言わなければならないことだ。

 

 

 

「違うよ」

 

 

 

その声は、その否定の言葉を紡いだ声は、後ろから聞こえて来た。

 

そこに居る、雪ノ下陽乃の口から。

 

「違う。比企谷くんが生徒会に入ったのは、『私達のため』なんかじゃない」

 

そのまま彼女は歩き出し、俺達3人の前に立った。

 

 

「『私がそうしろ』と比企谷くんに言ったからだよ」

 

 

あの日の記憶が呼び起こされる。

 

雪ノ下さんとその話をした、あの日。

 

俺の事を、彼女の事を考えたあの日。

 

そして、今後の方針を決めたあの日。

 

 

俺達が始めた、あの日。

 

 

「そもそもの話、おかしいとは思わなかった?どうして責任感が強く、依頼という理由があれば無理にでも動いてしまう彼が・・・どうして修学旅行の告白現場に姿を現さなかったのか」

 

「「・・・」」

 

そう、か。さっき、この人が何を言いかけていたのか、それが漸く分かった。

 

この人は、全てを言いに来たのだ。

 

 

前よりも酷くなってしまった、俺達を、『俺』を、強制的に終わらせるために。

 

「待って、どうして、どうして姉さんがそれ、を」

 

「雪乃ちゃんも馬鹿じゃないんだから、ホントは気付いてるんでしょ?」

 

「まさか、それも」

 

「そう。それも私。比企谷くんがなんて説明したかは知らないけど、あの時に彼を呼び出したのは私。京都に居たんだ、私も」

 

雪ノ下の目は大きく見開かれ、唇が震えている。由比ヶ浜はそんな2人と、俺を見てはその目を不安げに伏せる。

 

俺も上手く頭が回っていない。何を言うべきか、何を言ったらいいのか、それが分からなかった。

 

「それだけじゃない。どうして一色いろはちゃんがあんなにも直ぐ心変わりをしたのか」

 

ただ俺達は、黙って彼女の言葉を待つことしか出来なかった。

 

「そう・・・それも私。比企谷くんに頼んで会わせてもらったの」

 

一色は、雪ノ下さんに諭されてしまった。だから、生徒会長になることを決めた。実際のところ本人がどう思って、何を考えているのかは分からないが、切っ掛けは間違いなく彼女だ。

 

「そして、クリスマスイベント。何故壊したはずの奉仕部に、彼が頼らなければいけなかったのか」

 

俺はただ、下を見るしかなかった。

 

「そう、それも私達が決めたこと。そうしなければいけない理由があったから。けどまぁ、比企谷くんの発言自体は教えてもらえなかったし、かなり予想外の展開になってたけどね。そのお陰で私がこうして今までの事を言っている訳だし」

 

 

長い、長い沈黙だった。時間にすれば1分経ったか否か・・・しかし、体感的には最早それをゆうに超えていた。

 

 

「・・・そう。そういうこと、だったのね」

 

「・・・・・・そっ、か」

 

その声は、殆ど同時だった。

 

 

「・・・ごめんなさい、今日のところはこれで帰らせてもらうわ」

 

「・・・あたしも、今日はもう帰るね。あたしの話は、また今度」

 

 

2人は、立ち尽くす俺を横目にすることも無くその足を帰した。

 

 

「これで、君達の歪な関係はもう終わり。私の目的のためなら・・・私は君でさえ切るよ」

 

「・・・」

 

「軽蔑したでしょ?・・・でも、これが私・・・これが、雪ノ下陽乃なの」

 

 

 

 

いや、違う。

 

この人が言ったことは確かに事実だ。

 

しかし、真実ではない。

 

この人は、全てを言っていない。本当に言わなければならない事を、本当は言いたかった事を、言っていない。否、言えなかった。

 

 

俺には、その気持ちが痛いほど分かる。何故ならそれは、俺と全く同じだからだ。

 

 

だから、だから俺は・・・

 

 

 

「今ここであなたを軽蔑したら、それが新たな雪ノ下陽乃になる。だから、軽蔑はしません」

 

 

その押し付けを、止めることしか出来ない。

 

 

 

「・・・なん、で」

 

 

彼女の瞳は、ただ震えていた。

 

泣きそうなのではないかと、そう思ってしまうほどに揺れていた。

 

 

その目は閉じられ、彼女は首を横に振った。何かを振り切るように、何かから逃げるように、その首を大きく横に動かした。

 

 

「・・・そっか・・・また、間違えちゃったか」

 

 

諦めたように、懺悔をするかのようなその笑みはいつものそれとは違う。不思議なくらい、俺の心を掴んで離さなかった。

 

 

「ごめんね・・・比企谷くん」

 

 

 

 

去っていくその背中を、追いかけることが出来ない程に。

 

 

 

 

 

 

『魔王とは、支配と君臨の狭間を生きる者である』

 

 

 

 

 



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第20話 魔王とは、世界に確かな波紋を広げる者である

 

「今年の卒業式後の謝恩会で、プロムを行います!」

 

はて、目の前に居るこのあざと生徒会長こと一色いろはは何を言っているのだろうか。

 

『プロム』と、彼女はそう口にした。あれだろ。あのなんか踊ってクイーンだかなんだかを決めるやつ。全然分かっていないがとにかく俺達非リアには縁のない代物だ。達って付けたのは一応だからな、一応。俺がぼっちとかこの際関係ないからね?

 

「あの・・・会長。本気、ですか?」

 

「はい!本気です!」

 

「・・・そ、そうですか」

 

副委員長撃墜。副委員長が折れて、会長がやると決めたらもうそれは決定事項・・・なるほど、生徒会は中々にブラックな環境だ。特に、俺のような庶務には発言権がそもそも無かったりするのだ。

 

「・・・スケジュール的には間に合うのか?」

 

ともあれ、開催の有無についてあーだこーだ言うのは時間の無駄だ。なら、実行する前提で話を進めた方がいい。可能な限り労力は使いたくない。

 

「だから今言ってるんですよー!」

 

なんですかその、『んな事も分かんねぇのかよ』みたいなニュアンスを含んだ言い方。一応これでも先輩なんだよ?立場は一番下だけど。なんなら他の場所でも常にカーストは最下位だったりするがな。

 

「予算は生徒会のを使うので問題は無しですね。使えるものは使って、それで来年も同じ額かそれ以上のを要求するダシにしましょう〜」

 

おっかな。いろはすマジでおっかないよ。抜け目無いどころか強か過ぎるよ。

 

「という訳で、企画書の作成をして学校と保護者会に話を通しましょー!」

 

そんなこんなで、高校2年生最後の学期はそんな面倒な仕事で納めることになった。

 

 

 

一色の発言から一週間が過ぎ、プロムは現実のものとなった。いやすげぇよ。何がすごいって俺たちの働き具合。マジで地獄のような仕事だった。もう書類と睨めっこするのは勘弁でござる〜という感じだ。

 

体育館に集まった俺たちは、飾り付けを始める。中学時代とか、文化祭をやる度に飾り付け係をやっていたことを思い出す。一番目立たないしなんなら殆ど押し付けられていたけど、まぁ俺としては楽だったので大満足。怪我の功名というやつか違いますか。

 

生徒会の人員だけではもちろん足りないので、サッカー部の1年生が助っ人として来ている。流石はマネージャーいろはす。使えるものは使うとは正にこのこと。いいっすね、手札がいっぱいあるって。

 

飾り付けを進めていると、照明を落とすとのアナウンス。

 

ステージにライトが集中し、そこにドレスを着た一色と男装をした女子生徒が現れる。

 

プロムの具体的な内容を動画に撮り、それをSNSで発信する。全校生徒に一気に知らせるにはこれが早いし確実だ。現代に適した方法をとる辺り、流石は女子高生。

 

 

飾り付けなどが終わり、生徒会メンバーのみが体育館に残る。

 

 

「さて、現状をブラッシュアップしていきましょう。何か気になった点がある人は居ますか?」

 

それは海浜の方々が混じってませんか大丈夫ですか?

 

「とりあえず、人員、予算、スケジュール、ステージの方は問題無いと思うよ」

 

「ですね!」

 

副委員長、いつも一色の陰に隠れてしまうが素晴らしい程に優秀。

 

「となると、当日の進行や照明、BGMなどの裏方の方にかかってくると思う」

 

「そうですね。そこの割り振りはある程度まとまっているとして、後は楽曲の選出と機材の調整、当日の卒業生や在校生の差をどう付けていくかも課題になります。服装のみだとどうしても弱い気がしてきますからね」

 

いやもうこれ2人でいいんじゃないの?会長と副委員長が優秀過ぎて俺たちいらないような気がしてならないんだけど。

 

「先輩からは何かありますか?」

 

と、ここで俺の方にパスが来る。

 

「・・・ま、当日の事は予測とこちらの進行でどうにかするとして・・・問題は前提となる全校生徒の参加意欲がどうか、だな」

 

「・・・そうなりますね。卒業生含め、意欲が掻き立てられなければ開催した所で・・・という事になりますからね」

 

言ったところでどうしようも無いことだが、結局のところはそこにかかっている。勿論のことだが、俺も生徒会側でなければプロムなどやる気にならん。こういった手合いは何人も居る。ましてや、それは分母が多くなるに連れて分子の数も多くなる。

 

「そのためのSNS、か」

 

「はい。それが上手く効いてくれれば、という感じになりますね」

 

「・・・後はPRを進めつつ当日を迎えるしかないか」

 

「ですね」

 

 

さて、プロムはどうなる事やら。

 

 

 

 

 

翌日、企画書を引っ張り出し新たな計画案として書類作成に入る。書類はもう嫌だと思ったのに結局この始末。仕事とは、紙と文字との睨めっこである。これ名言じゃね?

 

とりあえず、昨日出た幾つかの課題をまとめてそこに対するカウンターを書き留めていく。当日の進行が主に重い。

 

それでもやるのが社畜根性旺盛な俺こと比企谷八幡。今日も嫌々ながら、頑張ります。

 

 

 

 

「大変です!」

 

 

 

 

大声と共に生徒会室に入ってきた一色。

 

「・・・どうした?」

 

声をかけてみると、一色は呼吸を整えてこちらを焦った表情で見る。恐らく、ここまで走って来たのだろう。

 

つまり、事は急を要すかもしれない。

 

 

 

 

「プロムが・・・中止になるかもしれません」

 

 

 

 

 

 

とても、嫌な話だった。

 

参加意欲など無いと言った俺でさえ、素直に嫌な話だと思う程だった。

 

端的に言えば、保護者会の寝返り。

 

一度は許可を出したというのにも関わらず、ここに来てプロム実行を中止する呼び掛けをしてきた。

 

「どうしましょう・・・か」

 

一色はポツリと呟く。無理もない、ここまで順調に進めてきたというのに、ここに来て最悪の展開。それも彼女は実行を代表する生徒会長にして、プロムの提案者。

 

「・・・平塚先生が言うには、学校側は開催の方向で動くことを決めている。現状、プロム開催に反対をしているのは保護者会のみだ」

 

「・・・はい」

 

「つまり学校側からしてみれば、俺達が開催の計画を練り続ける事自体は問題ではないということになる」

 

だが、ここで厄介な問題が挟まってくる。

 

 

そう・・・今日乗り込んできたのが、雪ノ下の母親と雪ノ下陽乃という点だ。

 

 

最強最悪の敵、とでも言えばいいのだろうか。ハッキリ言って、あの2人を論法で負かすことは不可能だ。

 

つまり彼女達を打倒するのではなく、彼女達の先にある保護者会の賛成多数が必要だ。

 

 

では、その為にはどうするか。

 

 

 

「・・・なら、やる事は決まっている」

 

「どうするんです、か」

 

「やる事は変わらん。問題を出して、それに対するカウンターを出して、さらに赤ペンをつけ、より強固な案にする。それ以外に、プロムを開催する術はない」

 

納得をさせるしかない。それなら大丈夫だねと、そう保護者会に言わせる他ない。

 

「・・・・・・いつになくやる気ですね、先輩」

 

「・・・まぁな」

 

 

一色には謝っておくが、これは決してプロムのためではない。俺のためだ。

 

 

雪ノ下陽乃さんが作ってくれたこのチャンスを、逃す訳にはいかない。

 

 

 

 

 

放課後、生徒会室に籠り、俺は書類を作成し続ける。時刻はもう既に下校時刻も回った。学校に居るのは俺と教員数名。何とか許可を取り、最後の先生が帰宅するまでは居られるようにしてもらった。

 

保護者会が問題視しているのはどこか、それを解決、或いは解消するにはどうするか、それをただ延々と繰り返し考えてはホワイトボードと書類に書き写す。

 

「・・・クソ」

 

どうすればいい。どうやって納得させる。プロムそのものが問題視されている以上、これが悪あがきだということは分かっている、分かりきっている。

 

 

それでも、やるしかない。

 

 

俺は、そうするしかない。

 

 

 

俺には、もうそれしか残っていないのだから。

 

 

 

 

 

「・・・・・・まだやってたんですね、先輩」

 

 

 

 

 

「・・・一色」

 

ドアが開いたと思ったら、そこには一色が居た。

 

「帰ろうとはしたんですけど、途中で引き返して来ました。なんだか、先輩が残っているような気がして」

 

「・・・」

 

見抜かれていらっしゃる。

 

「まったく、そういうのはちゃんと私に許可を取って下さい。仮にもここの責任者は私なんですから」

 

「あ、ああ。悪い」

 

「それとも、私はそんなに頼りないですか?」

 

いつもの明るい声音とは違う、低いトーン。あざとさの欠片もない、一色いろは。それは、彼女の心の底からの問いであったことを意味している。

 

「いや、そんなことは」

 

「私よりも、奉仕部の2人の方が頼りになりますか?」

 

「・・・な」

 

「ずっと考えていたんです。私は雪ノ下先輩のようにちゃんと出来ているか、私は結衣先輩のようにちゃんと周りを見れているか」

 

なんで、ここであの2人の事が出てくるのだろうか。今はもう関係ないはずなのに。何故、何故、一色は雪ノ下と由比ヶ浜の話をする。何故、その2人を引き合いに出す。

 

「結局、私は出来ませんでした。私は私で、誰かのようにはなれなかったんです」

 

彼女のその告白は、彼女の今までを言ってるようだった。あざとさを纏い、まるで誰かさん達のように『こうあるべき』という自分を押し付けて来た、今までを。

 

「だから私は・・・今日、2人を頼ったんです。助けて下さい、って」

 

「・・・いや、これは、俺達生徒会のやるべき事であって、アイツらを巻き込むような事じゃ」

 

そうだ。これは俺達生徒会が請け負ったことであり、始めた事だ。問題が起きたからといってそれで直ぐに頼るというのはあまりにも虫が良すぎる。俺達の問題は俺達でやるべきであって、それは人を巻き込むこではないはずだ。

 

 

「いつまで、その意地を張ってるつもりなんですか」

 

 

その言葉は、俺の胸に強い衝撃を与えた。

 

 

「先輩があの日、奉仕部の2人を知りたいと、その理由が欲しいと言ったのは、そんなつまらない意地を張るための誤魔化しなんですか?」

 

 

「・・・どうして、お前がそれを」

 

それはあのクリスマスイベントの際、アイツらに言った言葉だった。今まで押し付けていた2人ではなく、本当の意味で2人を知りたい。そして、その理由が欲しい、機会が欲しいと。

 

「生徒会選挙の時、先輩があのやり方を貫こうとした理由が今なら分かる気がします」

 

応援演説での失敗を俺が行うことで、『ヒキタニ』を俺に押し付けようとしていたあの依頼。彼女は、その事を言っている。

 

 

「先輩はきっと、見つけてもらいたかったんじゃないですか?」

 

 

「・・・」

 

 

図星だった。

 

それは、俺が触れられてほしくない、弱さだった。

 

押し付けの上で成り立つ『比企谷八幡』ではなく、比企谷八幡を見つけてほしかった。誰かに、見てほしかった。認めて、ほしかった。

 

 

雪ノ下さんとの会話では、決して触れられることの無い、お互いの本音。

 

 

お互いの、弱音。

 

 

 

それは、こんなにも簡単に、それも、年下の女の子に・・・看破されてしまった。

 

 

 

 

「自分を知って欲しい、見つけて欲しい・・・だから、2人を知りたいと思った。そういう関係を望んだから」

 

 

「・・・」

 

 

 

 

この意地は、なんの為に張っているのか。

 

俺が今、奉仕部の2人と完全に離れ、それをチャンスと受け取ったのはなんの為か。

 

 

 

それはきっと、『比企谷八幡』を守り、比企谷八幡を護るためだ。

 

 

 

ならば、もう終わりにしなければならない。

 

彼女と共に在る事を拒んだ俺は、そうしなければならない義務がある、責務がある。

 

その責任がある。

 

 

 

彼女は、『比企谷八幡』を終わらせようとしてくれていた。

 

 

 

そんなことに、今ようやく気付けた。

 

それが、とても情けなくて、とても悔しくて・・・・・・少しだけ、嬉しい。

 

 

 

だから、俺はその責任をとらなければならない。

 

 

そうさせた責任と、そうしてくれたお礼を。

 

 

「だから」

 

 

「一色・・・もういい」

 

「・・・せん、ぱい」

 

 

そこから先は、まだだ。それはきちんと、俺の口から言う。

 

 

「・・・一色は、強い奴なんだな」

 

ふっ、と心からの笑みが出た。

 

 

「・・・もちろんです!この学校で最強だから、生徒会長という最強の権利を与えられたんですよ」

 

 

いつか彼女が言っていた言葉と、重なるようなセリフを口にした彼女のその笑みは・・・やはり彼女と、あの魔王とよく似ていた。

 

 

 

 

ああ本当に、俺はこういった手合いに弱い。

 

 

 

 

 

 

 

『魔王とは、世界に確かな波紋を広げる者である』

 

 

 

 



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第21話 魔王とは、純然たる目的のため世界に変革を与える者である

 

扉の前に立つ。ここに立って、これ程の緊張感を覚えたのはあのクリスマスイベントの時以来だろうか。

 

いや・・・今はあの時以上だ。緊張・・・恐怖に近い感情と言うべきだろうか。

 

昨日、俺は一色いろはによってここを行くことを決められた。その選択は本来俺がきちんとしなければならなかった。しかし、そうやって問題を先送りにしていたところで何かが変わる訳では無い。結局、こうでもされなければ俺は自分に『今ではない』という言い訳をし続けていたのだろう。

 

扉をノックし、中から聞こえてくる彼女の声に導かれるように俺はその扉を開けた。

 

「・・・話を、しに来た」

 

 

その部屋は、暖かい紅茶の香りに包まれていた。

 

 

 

 

 

「今日は、全部を言いに来た。話さなければいけないこと、全部を」

 

「・・・そう」

 

雪ノ下は、ただそう言った。

 

「いや、分かっている。こうしてここに来ているのだって、俺は」

 

「比企谷くん」

 

彼女の俺を呼ぶ声に、俺は思わず口を閉ざす。

 

冷たくはなく、どこか安心感さえ覚えてしまいそうなその彼女の声音・・・彼女は、何を思っているのだろうか。

 

「いいの。そんな能書き、もういらないわ・・・そうでしょう、由比ヶ浜さん」

 

笑顔だった。

 

そこにあったのは、穏やかな微笑みだった。

 

諦めてしまったようなあの人のそれとは違う、優しい微笑み。

 

「うん。ずっと・・・ずっと待ってた」

 

「なん、で」

 

「理由なんて、特にないよ。ただ、ゆきのんとそうしようって決めただけ。ヒッキーがちゃんと自分の口から伝えてくれるのを待つって・・・そう決めたの」

 

『今のあなたを知っている』

 

涙を浮かべた表情で、そう言った彼女を思い出した。

 

 

・・・こんな、こんな簡単な話だったのか。

 

 

俺はただ、信じればよかったのか。

 

 

なんて、情けない。

 

「・・・・・・すまない」

 

「違うよ、ヒッキー。そういう時、なんて言えばいいのか、分かるでしょ?」

 

 

「・・・ありがとう」

 

 

 

 

 

「さて、じゃあ今後の方針を決めようか」

 

「・・・ですね」

 

お互いにコーヒーを飲み、頭を切り替える。

 

「それに当たって、私は比企谷くんに聞かなければいけないことがある・・・分かるでしょ?」

 

「まぁ、大体は」

 

「うん。じゃあ質問するね・・・比企谷くんが動いていたのは、誰のため?」

 

来ると思っていた。その質問が来ると分かっていた。あの文化祭の日、誤魔化してしまったその質問が。

 

決まっている。

 

既に、その答えは決まっている。

 

もう、頭に浮かび上がっている。

 

 

「・・・雪ノ下雪乃のためです。俺の中にある『彼女』と、現実に居る彼女、そのどちらもです」

 

 

結局、雪ノ下のためだった。

 

 

「ん。ありがと、ちゃんと答えてくれて」

 

納得をした様子だった。無理もない、彼女からしてみれば答えの分かり切った質問だ。ここで辺に疑う必要などない。

 

「・・・雪乃ちゃんの本質、分かってる?」

 

「・・・・・・依存、ですか」

 

「正解。もっと言えばね、あれはトレースだよ」

 

トレースと、彼女はそう口にした。

 

つまり、模倣。

 

なるほど、思い当たる節がある。

 

「私が文化祭の日、雪乃ちゃんの提案を蹴った本当の理由・・・あまりにも大き過ぎるデメリットこそ、これだよ」

 

そう、文化祭での時間稼ぎの際に雪ノ下は自分を手札にするという手法をとった。

 

まるで、誰かと同じように。

 

「流石に看過できなかったよ。だって、奇しくもそれはあのスローガン決めの際に比企谷くんがやったことと全く同じだもん。いや、それより前の依頼とも、かな」

 

「・・・つまり、雪ノ下は」

 

「そう。雪乃ちゃんはね、『比企谷八幡』に依存し、トレースをしている。残念だけど、これは事実だよ」

 

「・・・」

 

否定しようと思えば幾らでも出来る。ただ、そんなのは言葉の上では、という話に過ぎない。どうやってもその疑い、或いは事実は俺の中に記録されてしまっている。

 

「だからもう、君を雪乃ちゃんの近くに居続けさせることは出来ない。幸い、これはまだ初期段階だからね・・・ここで切ればまだどうにか出来る」

 

「です、ね」

 

「問題なのは次の段階・・・そう、君の方」

 

「俺の、方?」

 

「そ。あの子に頼られるの、気持ちいいでしょ?まるで自分が上なったような気分になれて、まるで自分が特別であるような快感を得られる」

 

・・・そういうこと、か。

 

さっきまでの俺と雪ノ下さんが陥っていたその関係、即ちそれは・・・。

 

 

「・・・共依存の始まりだ」

 

 

俺に寄りかかって来る雪ノ下を肯定し、雪ノ下に寄りかかられる俺を肯定し、俺達はそんな『俺達』から目を逸らしてしまう。

 

それが俺だと、それが雪ノ下だと、それが俺達だと、押し付けてしまう。

 

 

「比企谷くんがどうするべきか、分かるよね?」

 

 

真剣な眼差し。本気で妹のことを案じている時の顔だった。

 

 

「離れるしかない・・・です」

 

「半分正解。それじゃあ足りない。それだけだと、君はまた雪乃ちゃんを助けちゃう。雪乃ちゃんはまた、君を頼っちゃう」

 

雪ノ下の依存を、トレースを止め、俺の押し付けをこれ以上進めないための方法。

 

そのために、俺が出来ること。

 

考えろ。

 

考えろ比企谷八幡。

 

これはきちんと俺が出さなければいけない答えだ。

 

 

俺が自分に押し付けている『俺』はなんだ。

 

その『俺』に依存し始めている雪ノ下を止めるには、終わらせるにはどうすればいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「雪ノ下を・・・傷付ける」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぽつりと、漏れた言葉だった。

 

意図しない発言・・・ある意味、本音。

 

それが、俺が弾き出した答えだった。

 

 

「なんだ、ちゃんと分かってるんじゃん」

 

 

満足気に彼女は笑った。馬鹿にするかのように、ケロッと笑っていた。

 

「雪乃ちゃんにとって比企谷くんは必要では無い・・・そういう傷を付けなきゃいけない。それが、君が雪乃ちゃんに出来る最後の事」

 

「・・・」

 

「そして、それは君が君に押し付けている『比企谷八幡』を終わらせることにも繋がる」

 

「・・・ええ」

 

「お、言ってみな」

 

妖しく笑うその彼女に応えるかのように、俺は自分の中にあった答えを放った。

 

 

「『比企谷八幡は雪ノ下雪乃には必要無かった』」

 

 

「・・・正解」

 

 

一見すると、2つのことは同じことのように思える。実際のところ言っている事は全く同じだからその通りだ。

 

しかし、この2つは大きく違う。

 

 

そう、『雪ノ下雪乃は比企谷八幡が居なくても大丈夫』という事実。

 

『比企谷八幡は雪ノ下雪乃には必要無かった』という真実。

 

 

より正確に言うなら、『雪ノ下雪乃は比企谷八幡無しでも依頼を解決出来る』この実感こそ、雪ノ下に与えなければいけない傷。

 

文字通り『比企谷八幡は雪ノ下雪乃には必要無かった』という実感こそ、俺が抱く傷。即ち、『比企谷八幡』が不要であるという証明。

 

 

「・・・となると、俺はどこかで奉仕部に・・・雪ノ下に依頼をしなきゃいけなくなりますね」

 

「頭の回転が早くて助かるよ。加えて、ハッキリ言って君よりガハマちゃんの方がそこら辺はよく分かってる。彼女は雪乃ちゃんに優しくはするけど甘やかしはしない・・・そう意味で言うなら、君が離れてガハマちゃんがそばに居てあげるべきだ」

 

通りで由比ヶ浜が俺達のような面倒な奴らから離れていかない訳だ。

 

由比ヶ浜は、俺達なんかより・・・よっぽど大人なのだ。

 

「もう分かったでしょ・・・比企谷くんが、自分に押し付けている『比企谷八幡』が」

 

「・・・まぁ、はい」

 

「つまり、君は人として、或いは世の中で起きる当たり前のことが容認できない」

 

分かり切った答えの、答え合わせ。

 

今だけは、意味のあることだ。

 

「意識的に、或いは無意識的に人は人を傷付けてしまう。その了解を飲み下す事、それそのものを受け入れる事なら比企谷くんは出来る」

 

そう、これは当たり前の事だ。人は人を傷付ける。意識していても、意識していなくても・・・傷を付けたくない、そう思って行動することが逆に相手を傷付けることだってある。

 

「でも、君は自分が人を傷付けるという事実を、自分が誰かから傷付けられるという事実を、受け入れる事が出来ない。傷を付けたくない、傷を付けられたくない・・・だから、自らに傷を与える」

 

だから、俺は俺を手札にするやり方ばかりをする。

 

「そうすれば、君を傷付ける人は自分だけになるから」

 

そうすれば、俺は俺の事だけを考えていられるから。

 

「そうすれば、君は君自身に傷付けられたという自覚だけを抱いていられるから」

 

そうすれば、俺は他人を傷付けていないという実感に酔えるから。

 

「そうすれば、君は誰かの、自分の痛みに、傷に・・・鈍感でいられるから」

 

 

そうすれば、俺は『誰も傷付かない世界』を完成した気になれるから。

 

 

 

 

 

「それが、『比企谷八幡』の正体だ」

 

 

 

 

それが、比企谷八幡が抱いてしまった自意識。

 

 

 

 

比企谷八幡が、『自意識の化け物』たる所以。

 

 

 

 

「そして、きっとそんな『私達』が望んでいるものはそれでは手に入らない」

 

 

彼女はきっと、俺と同じなのだ。

 

やり方も、過程も、何もかも違えど彼女に向ける気持ちは同じ。

 

 

 

『雪ノ下雪乃を助けたい』

 

 

 

 

「傷付けないように・・・そんな考えで、そんな接し方で手に入らないんだよ」

 

 

傷付けたくないから助ける、大切だから傷付けたくない・・・だから、そういう『自分』を自分に押し付ける。

 

 

 

 

「傷を付けたくない程に大切で、大切だからこそ傷を付けなければならない」

 

 

 

 

それは、究極の自己矛盾。

 

 

 

 

「その傷の名を知ってる?」

 

 

 

 

ならばきっと、俺は『それ』を求めてしまった。

 

 

 

 

 

 

「それをね、人は・・・『絆』と呼ぶんだよ」

 

 

 

 

傷付け合いの中でしか得られない・・・『それ』を。

 

 

 

 

 

 

 

「・・・俺が雪ノ下さんと始めた事・・・要は、雪ノ下の俺に対する依存を止めることであり、終わらせることだ」

 

全て話した。あの日、雪ノ下さんと話した全ての内容を。正直に言えば、雪ノ下も、俺も、聞きたくない話ばかりだ。

 

「じゃあ・・・ヒッキーが生徒会に入った本当の理由って」

 

「ああ・・・雪ノ下と、離れるためだ。そのために、生徒会役員というものを利用した。ただそれだけだ」

 

まぁ他にも、一色を会長にした責任があったりと色々とあるのだが・・・それはまぁいいだろう。

 

「比企谷くんが、クリスマスイベントで私達に頼ったのも」

 

「俺が依頼者となって、雪ノ下と由比ヶ浜がそれを解決する。そうすれば、俺は不要であるという実感をお互いに抱ける・・・・・・はず、だった」

 

「はずだっ、た?」

 

「・・・俺が言ったこと、覚えてるか?」

 

少し恥ずかしくなってきたが、もう後の祭りだ。なんならさっきの話の方が余程恥ずかしい。

 

「『私達を知りたい』」

 

「そう、だ。理由は今も見つけてる最中だが、俺は雪ノ下と由比ヶ浜をちゃんと知りたいと思っていた。それが爆発して、俺は・・・奉仕部を、結果的に繋ぎ止めてしまった」

 

「・・・そう。姉さんの言ってた予想外の展開って」

 

雪ノ下も合点がいったらしい。そういう事だ。

 

本来、あれは俺が離れるために行うはずだった最後の行動。なのに、結果としては真逆のことが起きてしまっていた。

 

繋ぎ止め、奉仕部はその形を歪めながらも留めていた。

 

「・・・・・・そっか・・・やっぱりヒッキーは、そうだったんだ」

 

「・・・由比ヶ浜」

 

「ヒッキーは、誰よりもここを・・・奉仕部のこと、ちゃんと考えてたんだね」

 

「・・・でも、俺は」

 

「後悔、してるの?あたし達を、繋ぎ止めたこと」

 

「それ、は・・・」

 

答えられない。どう答えても、俺はそれに納得出来そうにない。俺はどうしたかったのか、俺はどうするべきなのか、今になってもそれは分からない。

 

「あたしはね、嬉しいの。ヒッキーが離れていかなかったことが・・・嬉しい。あたし、ズルいからさ・・・誰のためにもならないって分かってるけど、あたしは、あたしは」

 

「由比ヶ浜さん・・・それ以上、言わなくても大丈夫。ちゃんと、伝わってるから」

 

目に涙を浮かべ、少し俯く由比ヶ浜を雪ノ下が優しく抱きしめる。

 

あの時とは、逆の構図だった。

 

そう、か・・・雪ノ下は、もう・・・。

 

「比企谷くん」

 

「・・・」

 

真っ直ぐに、いつもの雪ノ下らしく真っ直ぐに俺を見てくるその瞳から、俺は目を逸らせなかった。いつもなら逸らしていたはずなのに、今この瞬間だけは、それが出来なかった。

 

否、したくなかった。

 

「大丈夫・・・私はもう、大丈夫だから」

 

「・・・・・・」

 

初めて見る笑みだった。

 

安心していいよと、ニッコリと、そんな拙い表現で表す他ない程に、彼女のその笑みは大人びていた。母親が子供を安心させるかのような、そんな慈愛に満ちたそれは、俺を・・・安心させた。

 

「ありがとう・・・私の事、助けようとしてくれて・・・助けてくれて。私はもう、十分救われたから」

 

「・・・そう・・・か」

 

力が抜けるのが分かる。まるで、俺の役目は終わったと、そう自覚したかのように全身の力がふっと抜けた。

 

「だから、今度は私があなたを助けさせて」

 

「それは」

 

「ええ・・・プロムのこと」

 

「・・・いい、のか」

 

いいのだろうか。

 

俺は、雪ノ下に、この2人に、助けてもらっていいのだろうか?

 

前の依頼とは違う・・・策も狙いも何も無い、ただの依頼。俺に、そんな資格があるのか?離れようとし、傷付け、泣かせ、そんなことをした男が今更『助けて下さい』と、そんなことを言ってもいいのだろうか。

 

「これは、私が決めたことよ。それとも、比企谷くんにそれを止める権利があるのかしら?」

 

いつも通りの雪ノ下だった。我が道を往く、雪ノ下雪乃がそこに居た。

 

「それに、言ったじゃない。『いつかあなたを助ける』って」

 

「・・・・・・だな」

 

「ええ。私を有言実行出来ない女のまま終わらせないでほしいわね」

 

いつも通りだ。俺の知っている、強い雪ノ下のようだ。

 

ああそうだ。

 

 

 

俺は、俺はこの雪ノ下に・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さようなら・・・・・・私の初恋。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第22話 魔王とは、万人が手放した理想を追求する者である

 

「というわけで、どうやったらプロムが実行出来るかを話そう」

 

全てを告白した翌日、俺は奉仕部の部室にやって来ていた。

 

「そうね・・・現状、相手が私の母さんと姉さんだものね・・・身内が迷惑をかけるわ」

 

「いや、構わん。片方に至ってはいつもの事だし」

 

「そうなのよね・・・」

 

雪ノ下はいつものアタマイターポーズをする。久し振りに見たけど様になってんなーホント。

 

「比企谷くんとしては何か考えはあるの?」

 

「一応あるにはある」

 

「それはどういう?」

 

「二者択一」

 

「・・・はぁ。あなたの考えそうな事ね」

 

「実際のところ現実的なのがこれしかない」

 

「ん?ん?どゆこと?」

 

何やら話についてこれない様子の由比ヶ浜。どうしてあなたはこういう時は元の頭の少し弱い人に戻ってしまうんですかね。

 

「要するに、彼は当て馬を作って無理にでも納得させようとしてるのよ」

 

「・・・それって、どっちも無理って言われたらどうするの?」

 

ほら、こういう所は鋭い。やだガハマさんったら痛いとこ突いてくる〜。

 

「ま、そんときは無理にでも押し通すしかない。『だったらやってやるよ!』みたいな感じで強行されるよりかは幾らかマシな方を管轄下で行った方が安全だからな」

 

「最早ただの脅しでしかないあたりタチが悪いのよねこの案」

 

相互確証破壊みたいなもんだ。そっちがそのつもりならこっちもそのつもりだというアレ。体育祭の時にも言ったな。

 

「・・・それをやるに当たって、あなた、ちゃんと自分の立場を分かっているのかしら?」

 

「分かってる」

 

「生徒会の人間が生徒会のプロムに対するアンチテーゼで対応するって正気の沙汰ではないわよ」

 

へっ、と俺は得意気に笑って見せる。

 

「何かしらその気味の悪い笑み。とても嫌な予感しかしないのだけれど」

 

それは体験談ですかそうですか。ごめんなさいねこんな気色悪い笑みしか出来なくて。

 

「問題無い」

 

「その心は?」

 

「俺は生徒会と奉仕部を兼部しているという形式をとっているからだ」

 

「・・・・・驚いた。あなたもまともなことが言えるのね」

 

「え」

 

え、そこなの?

 

とまぁ、それは置いておいて。

 

そう、俺は何かの手札になるように兼部という形式をとっている。まさかここでそれが役に立つとは思いもしなかった。手札は増やしておくものだと痛感させられる。

 

「奉仕部としての比企谷八幡のプロムと、比企谷八幡が所属する生徒会のプロムとをぶつける」

 

「・・・そうね。それでいきましょう」

 

「よ、よし!あたしも頑張るよ!」

 

新生奉仕部、出陣である。

 

 

 

 

 

「これからこっちに顔出す事が少なくなると思うが、構わずにプロムを進めてくれ。プロムは必ず開催する」

 

「・・・ま、先輩がそう言うのならやりましょうか。ていうか、元々そのつもりですし」

 

生徒会室に入った俺は、生徒会メンバーにそう告げる。勿論、奉仕部が当て馬を作るのは伏せた上でだ。それを伝えてこっちのプロムがおざなりな物のままだったら意味が無い。

 

とは言え、俺も俺で可能な限りはこちらのプロムにも参加する。流石にそれは収まりがつかない。

 

「思ったんですけど、そもそもなんでプロムが反対されてるんですかー?」

 

「ま、向こうの言い分的には高校生らしくないってやつだな」

 

後はOBやOGなどからの多少のやっかみもあるのだろう。私達の時はこんなの無かったのにーとかいうアレ。ハッキリ言って超めんどいしどうでもいいよな。だからなんだって話だ。『俺達の頃はな』って言ってくる上司くらいウザイ。ハハッ、働きたくねぇなマジで。

 

「はぁ、それは聞きましたけどー・・・高校生らしくってなんなんだって話ですよね」

 

ウンウン、と役員の皆様が頷く。

 

「それに、あのおばさ・・・雪ノ下さんの態度もなーんか気に食わないんですよねー。『私は正しいのよ』みたいなあの感じ」

 

ちょっとー?それ完全に愚痴に切り替わってるから。ていうか、今おばさんって言いかけたよね?むしろ殆ど言ってたよね?どんだけ怖いもの知らずなんだこの生徒会長様は。

 

「・・・せめて、はるさん先輩だけでもこっち側だったらな〜」

 

「・・・」

 

なるほど。そういう考え方もありか。

 

確かに、言われてみればそうかもしれない。

 

仮に保護者会が相手だとしたら、何故あの人まであちら側に居るのかは多少の疑問が残る。雪ノ下の母の意向だったり、従わなければいけない何かがあるのだろうということまでは分かるが、あの感じ・・・と言うか、彼女の性格上そこまで向こうに入れ込んでいるというのもあまり考えられない。

 

 

・・・一応視野に入れておくか。

 

 

 

 

「生徒会が手出し出来なかったアプローチをやる方が当て馬として現実性があるというのが私の意見ね」

 

同感だ。生徒会だからこそ出来ることがある反面、生徒会だからこそ出来ない事がある。

 

「・・・つまり、外部との連携をとる。なんてのはどうかしら」

 

「賛成だ」

 

例えば、雪ノ下が今言ったようなことだ。謝恩会という総武高が独自でやるイベントは外部との連携をとることを前提とされておらず、あくまで関係者のみで行われる。無論、生徒会は学校における生徒の代表という立場なのでその枠組みを壊すことが出来ない。

 

故に、その生徒会が出来ない事を可能とした全く違うプロムを作ることが俺達には出来る。

 

「・・・海浜総合とかは?」

 

「なるほど、盲点だったわ。確かに、二度も合同イベントを行った高校なら前歴がある以上現実性があるわね」

 

由比ヶ浜の発言に雪ノ下が頷く。

 

海浜総合か・・・またあの横文字を聞かなきゃ行けない時が来るんですね。

 

「あとは・・・」

 

「交渉次第、だな」

 

「そうなるわね」

 

海浜総合然り、保護者会然り・・・結局のところ、全ては交渉次第という事になる。どれだけ中身があれど、交渉を間違えれば全てが水の泡だ。

 

「何か策はあるの?」

 

「・・・・・・一応、お前の母親に対する方なら考えはある」

 

「意外ね。そっちの方が難しいのに」

 

「まぁな。流石に俺や生徒会、無論奉仕部だけだと手に余る」

 

でしょうね、と言わんばかりに雪ノ下は頷く。流石は身内、あの2人の強さや厄介さはここに居る誰よりも分かっているようだ。

 

「つまり、最強の助っ人を用意する・・・それも2人。しかも片方は迷惑かけても俺の心が全く痛まないというオプション付き」

 

「凡そあるプレゼンの中でも最低最悪とも言える代物ね。それで、その人は?」

 

「葉山隼人って知ってるか?」

 

「・・・呆れた」

 

「ヒッキー、隼人くんのこと嫌い過ぎでしょ」

 

お互い様だ。俺もあいつもお互いを嫌っている・・・なんなら、面と向かって言い合ったまである。

 

「でも、どうやって隼人くんに協力してもらうようにするの?」

 

由比ヶ浜は首を傾げながら俺にそう質問する。

 

「部長会ってやつがうちの学校にはある。要するに、生徒会と同種・・・部活動の代表者達の集まりみたいなもんだ」

 

これは生徒会に入ってから知ったことだが、部長会もそれなりの権限を持つ。例えば、学校や生徒会に対して予算の要求や意見をしたりなどだ。そして、今回のプロムにはこの部長会の面々も協力するという形で話がまとまっている。

 

「なるほど。肩書きを通しての協力を要請するのね」

 

「そっか。あたし達のプロムになっても、生徒会のプロムになっても、どっちをやるにしてもゆきのんのお母さんと陽乃さんを納得させなきゃいけないもんね」

 

「そういう事だ。そのためには切れるカードを切る。それが例え、嫌な相手だろうがな」

 

そう俺が言い切ると、雪ノ下と由比ヶ浜は目を見開いた様子で俺の顔を見る。

 

「・・・なんだよ」

 

「・・・いえ、頑なに1人でやろうとしていたあなたがそうするとはね・・・それも、まさか葉山くんを出して」

 

「うんうん」

 

「・・・意地を張るのは辞めたんだよ」

 

目を逸らし、そう答える。あれは結局のところ奉仕部に対する『比企谷八幡』で居続けるためのものだ。それは昨日の時点で終了したのだ。

 

「んっんん・・・それで、あなたの言うもう1人の最強の助っ人って?」

 

咳払いをした雪ノ下は、まるで俺を試すように笑いながら俺を見る。

 

 

 

 

 

 

「裏ボスを倒す最凶のメソッドは、ラスボスを味方にすることだ」

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど、当て馬か」

 

「話が早くて助かるよ」

 

夜、由比ヶ浜に頼んで葉山との時間を作ってもらった俺は公園に居た。葉山はブラックコーヒーを、俺はマッ缶を、なんだか対照的だと心の中で苦笑してしまう。

 

「しかも、生徒会としてのプロムに参加している以上はどの道君に協力せざるを得ない・・・最悪だよ」

 

「そういう事だ。観念して少し力貸せ」

 

「それが人にものを頼む態度かい」

 

「生憎と頼る事には慣れてないんだ」

 

ふっ、とお互い少し笑い手に持っているそれを飲む。

 

「・・・正直なところ、俺は君のその変化に追いつけていない」

 

「何の話だ」

 

「短い付き合いだが、間違いなく君は変わった。今までの君なら俺にそんな頼みはしてこない・・・先を越されたような気分だ」

 

葉山隼人もまた、『葉山隼人』を自分に押し付けている。

 

その予感はあった。

 

こいつのその誰かさんに似た仮面のような何かは、俺達のそれと大差ない。

 

「聞いておきたい事が2つある」

 

「答えるかどうかは別問題だぞ」

 

「俺が君に・・・いや、奉仕部のプロムの方に協力するための対価だと割り切ってくれ」

 

「・・・・・・分かった」

 

そう言われると弱い。

 

「今、比企谷はどうしてプロムを開催させようとしている?」

 

「・・・」

 

昨日より前の俺だったら、間違いなくその答えはあった。それは偏に、『俺』を終わらせるためであり、雪ノ下や奉仕部との関係を完全に断つためだ。実際問題として、『比企谷八幡』を理解してくれるだろうという押し付けをあの2人にしていたのも事実・・・ともすれば、あの人の言っていた共依存は始まっていた。それを終わらせるためと、俺はそう答えていただろう。

 

 

なら、どうして俺はその理由を失ってもプロムを開催させようとしている?

 

一度始めた手前、収まりがつかないからか?

 

どこかで責任を感じているからか?

 

 

 

 

否、どれも否である。

 

 

 

 

「あの人に対する責任と、感謝を込めてだ」

 

 

 

 

「あの人・・・・・・ああ、そういう事か」

 

葉山も納得したらしい。

 

「そういう事なら、尚更聞かなきゃいけない」

 

「・・・」

 

 

 

 

「比企谷にとって、陽乃さんはいったいなんだ?」

 

 

 

 

色々ある。

 

魔王だとか、怪しいとか、怖いとか、綺麗だとか、シスコンだとか、面倒だとか、あとは、共犯者だったりな。それこそ、挙げればキリがない。

 

 

それでも、今の俺が・・・比企谷八幡が思う雪ノ下陽乃とは何か。

 

 

そんなの、決まっている。

 

 

「寂しそうな人だ」

 

 

「・・・比企谷、答えになってないぞ。俺は印象を聞いてるんじゃない、比企谷にとって陽乃さんはどういう存在かを」

 

「分かってる」

 

分かってる。これが答えになっていないことくらい。

 

「俺は多分・・・求めてるんだ。どうしようもない『それ』を、あの人に求めてるんだ」

 

「・・・・・・なら、今の君のやり方は間違っている。君がすべきなのは、そんなことじゃないはずだ」

 

お前だけだ、お前だけがそれを言ってくれる。面と向かって、真っ向から俺を徹底的に否定してくれる。生徒会も、奉仕部も、あの人でさえやってくれなかったことをお前はしてくれる。

 

お前が葉山隼人でよかった。

 

お前を嫌いな理由が、それで良かった。

 

「それも分かってる。だから、俺は証明するんだ」

 

「何を証明するんだ?」

 

「あの人が寂しそうで、今、俺が手を伸ばしていい理由はきちんとあるって証明する」

 

葉山は驚いたような顔で俺を見続ける。その後、少しだけ悔しそうに目を伏せるとコーヒーを煽った。

 

「あの人は、興味のないものには構わない。構いすぎて壊してしまうことはあるが」

 

「こわ」

 

「・・・そして、雪ノ下さん以外の特定の人物に肩入れすることはもっと無かった・・・この意味が分かるだろ?」

 

「・・・」

 

「比企谷・・・君が陽乃さんを想うその感情はきっと」

 

「知ってるよ」

 

それ以上は言わせる訳にはいかない。

 

それだけは、他人に言わせてはいけないことだ。それくらいは分かる。

 

 

 

だから、今はこれで納得してくれ。

 

 

 

 

 

 

 

「希うって言うんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第23話 魔王とは、祭り上げられた偶像に自らを歪めるものである

 

『私と共に在りなさい』

 

その言葉を何度も聞いた。

 

『在る』とは即ち、存在を表す。

 

俺は最初、その言葉を誤解していた。俺はてっきり、その言葉を『一緒に居なさい』という意味だと思っていた。誰だって最初はそう思うはずだろう。言い方が悪いので彼女が悪いと言わざるを得ない。

 

まぁ責任転嫁はこの辺にしておいて、本題に入ろう。

 

要は、この言葉の真意は『一緒に居る』ことを強制するものではなかったということだ。

 

強いて言うなら、『在り方』の矯正。

 

『一緒に居なさい』ではなく、『一緒で在りなさい』と言ったところだろうか。

 

 

 

さて、ここで問題です。

 

一人の少女が、『私と同じであって』と言いました。少女は完璧で、不得意を見せず、万人から愛され、とても賢く、それでいて周囲の目線を独り占めするほど美しいです。

 

それなのに、彼女はどうしてそんなことを言ったのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

答え・・・自分を否定したかったから。

 

 

 

 

「私を呼び出すなんて、どういうつもり?」

 

雪ノ下さんを呼び出し、俺と雪ノ下はカフェに来ていた。由比ヶ浜は俺たちのダミープロムを現実性のあるものにするため、写真撮影や海浜総合との打ち合わせに行ってもらっている。役割分担は大事だ。特に、俺なんかが向こうに行くと生徒会としての立場や前回のこととかなんかで面倒なことになるのだ。ははは、その節は本当に迷惑かけましたね。

 

「私の隣に居るこの男がどうしても姉さんと話したいらしいわ」

 

「へぇ・・・」

 

目を細くさせ、俺と雪ノ下を交互に見る。

 

違和感。

 

恐らく彼女が抱いている感情はこれだろう。あの水族館で、雪ノ下陽乃は間違いなく俺たちの関係にヒビを入れた。否、目を逸らしていたヒビを突き付けた。にも関わらず、俺と雪ノ下がこうして行動を共にしていること・・・このことに何かを思わない彼女では無い。

 

「どういう風の吹き回しかな」

 

「なんてことはないわ。ただ、信念と理屈と感情は全て別物だったという話でしかないわ」

 

「言うようになったね」

 

具体的なことはお互いに何も言わない。されど、通じあっているようなこの感覚。やはり姉妹かと思う。

 

「で、比企谷くんの方は何の話かな」

 

「とぼけないでくださいよ。プロムに決まっているじゃないですか」

 

「君のその言い方もとぼけているようにしか見えないけどね」

 

こわ。

 

「何を言っても変わらないよ。私じゃなくて、私の母に言わない限りは何も変わらない」

 

「分かってますよ。ただ、発言というのは内容よりも誰が発したかによって受け取られ方も解釈も変わるもんです」

 

付加価値、とでも言えばいいのだろうか。無関心な人間から言われた言葉と、最愛の人から言われた言葉では、仮に内容が同じでもその重みが違う。

 

「つまり私にメッセンジャーになれ、と」

 

「その通りです」

 

「保護者会が私の母にそうしたように」

 

いやそれ今言うのかよ。雪ノ下の発言に若干の焦りを覚える。

 

「あら、流石に分かってるか。まぁでも、私にそれを頼むのも違うと思うよ。それこそ、雪乃ちゃんがやってもいいわけだ」

 

十中八九そう言われると思っていた。血縁上の話で言えば雪ノ下さんと雪ノ下は同格・・・即ち、雪ノ下さんに可能なことは雪ノ下も可能。

 

「君達が・・・いえ、君がいつまでそれを続けるのかは知らないけれどそれじゃあ何も終われない」

 

真面目な顔をして呟く彼女。分かっている・・・だからこそ、あなたはそれを終わらせようとしてくれた。俺にそのきっかけとやり方を見せ付けてくれた。

 

無論感謝もしている。そして同時に、責任もある。

 

「けれど、誰よりも終わりを求めていないのは・・・姉さん、あなたでしょう」

 

「・・・」

 

不意に、雪ノ下はその言葉を紡いだ。

 

俺たち2人において、最も不得意とされ不快とされるものがある。それが、本音と弱音を暴露すること。これらを自ら発することも、誰かによって再認識させられることも俺たちは嫌っている。

 

「私はもう・・・きちんと終えているの・・・『あの』歪みきった関係を」

 

雪ノ下陽乃は知らなかった。

 

そう、彼女は知らなかっのだ。

 

雪ノ下雪乃が、精神的成長を遂げていることを。

 

それは、俺も雪ノ下陽乃も超えてしまっていることを。

 

 

 

そして、雪ノ下雪乃が既に救われているということを。

 

 

 

「・・・・・・『雪ノ下陽乃』さん。答え合わせを、しましょう」

 

 

 

 

これが、あの日の再演であることを。

 

 

 

 

「ずっと考えていたんです。雪ノ下さんの言うあの言葉、『私と共に在りなさい』。この言葉の真意を」

 

何度も何度も言われ続けたこの言葉。

 

「それが、やっと分かったんです」

 

「あれはその言葉の通りの」

 

「違います。本当は、違うんですよ」

 

「・・・」

 

彼女の眉間にシワが寄る。そう、これは弱音と本音の話。彼女が最も触れられたくないこと。

 

「あれは、俺への依頼だった」

 

「・・・依頼」

 

雪ノ下が驚いたような顔をして彼女を見る。

 

「依頼内容は至って単純・・・『私を助けて』」

 

「・・・どういうことかしら」

 

順を追ってきちんと説明しよう。俺が立てたこの仮説の、彼女が求めたSOSの。

 

「雪ノ下さん・・・あなたは、自分を否定したかった」

 

「っ・・・」

 

彼女の体が小さく動く。図星、か。

 

「雪ノ下さん曰く、俺と彼女は同類らしい」

 

「どこが同類なのかしら。ヒキガエルと私の姉では流石に比較の対象にすらならないと思うのだけれど」

 

ちょっと?ヒキガエルって言う必要あった?完全にそれ悪意だよね。ていうかなんか最近あなた吹っ切れてない?吹っ切れ過ぎて俺への罵倒にキレがある。ありすぎるまである。

 

「んっんん・・・要するに、雪ノ下でも抱くその実感っていうか・・・そう、客観的事実が必要だったんだよ」

 

「姉さんが上で比企谷くんが下という?」

 

「そう。もっと言えば、『雪ノ下陽乃は優れていて、比企谷八幡は劣っている』という客観的事実だ」

 

意味が分からないと言わんばかりに雪ノ下は訝しげな視線を送り続ける。

 

「前に言ったと思うが、俺は自分が分からない。強いて言うなら自意識の化け物。そして、彼女もそうだ」

 

「・・・」

 

「彼女の言う前提が正しいのならば、俺と彼女はイコールになる。そして、彼女は周囲から肯定され、俺は否定される」

 

「・・・そこに、矛盾が起きてる」

 

「そうだ」

 

雪ノ下も分かってきたらしい。そう、これはその矛盾を無理矢理にでもねじ曲げる解釈。

 

「つまり、『比企谷八幡が否定されるなら、同類である自分も否定されるべき』。それが、あなたの望んだ解」

 

俺たちは、他人からの否定にしか頷けない。肯定など、信頼出来ないのだから。

 

「それをして、一体何になるの」

 

分からないだろう。これはきっと、俺と彼女にしか分からない。お互いのことを知り、お互いが何を望み、お互いがどう生きて来たのかを知り合っている俺たちにしか分からない。

 

それが、どれだけ意味のあることなのか。

 

「雪ノ下さんは、自分に押し付けた『雪ノ下陽乃』を否定したかったんだよ」

 

「あっ・・・」

 

その言葉で雪ノ下は納得した。理解は出来なくても、納得は出来たのだろう。

 

「主観を持ち得ないあなたがとれる手段は、客観的事実しかない。自分が客観的に高い評価を受けていることを知っている以上、動くことが出来ない」

 

俺と同じだ。感情で動けず、納得できる理由がなければ動けない。

 

「けれどイコールで繋がっている俺が否定されている以上、それは自分が否定されているも同じこと」

 

だから、彼女は自分と同じで在りなさいと言ったのだ。

 

「そうなればあなたは自分を否定し、自分を変える、或いは変わる客観的根拠を得ることになる」

 

この論を証明させるために。

 

「それが、あなたが俺に託した依頼・・・そうですよね」

 

下を見ていた。彼女は何をするでもなく、ただ、ただ下を見ていた。

 

「・・・バレちゃってた、か」

 

「・・・」

 

「そう。私ね、変わりたかったんだ」

 

何気なく発せられたのかもしれない。そんなはずないのに、そんな訳ないのに、そう思ってしまうほど軽く発せられた。

 

「楽しいことを楽しいって言えて、綺麗なものを綺麗って言えて・・・嫌なものは嫌って言えて・・・・・・好きなものを好きって言える・・・そんな自分になりたかった」

 

瞳が潤んでいた。

 

そう、か。だからあの時彼女は間違ったと言ったのだ。だから、だからあの時彼女は俺に謝罪をしたのだ。

 

 

自分の目的のために、俺を傷付けたと思ったから。

 

 

 

「そんな、普通の女の子になりたかった。変わり・・・たかったんだ」

 

 

 

情けない。俺に出来るのはここまでだ。これ以上、何も出来ない。何を言えばいいのか、何をすればいいのか、検討もつかない。何かをしてしまえば彼女を傷付けてしまいそうで、彼女を困らせてしまいそうで・・・彼女を、否定してしまいそうで。

 

 

「姉さんは・・・私の憧れだった」

 

「・・・え」

 

穏やかな声音が聞こえる。

 

「なんでも出来て、皆から愛され、頼られ、そういう姉さんに憧れてた」

 

「・・・」

 

「けれど、それが私の好きな姉さんとは限らないの」

 

優しい笑みで彼女は言う。それはあの日見た、たった1人の友人を抱きしめる時と同じ笑みだった。

 

「私の好きな姉さんは・・・私を助けようとしてくれる・・・私を大切にしてくれる・・・あなただもの」

 

「・・・」

 

潤んだ瞳から一筋、零れた。それは、感情。彼女にしか分からない想い。

 

優しい雫。

 

その一言が、どれだけ彼女にとって救いだったのだろう。

 

俺を、『比企谷八幡』という存在を持ち出しても決して消えない、消せない、否定することなどできない・・・どうしようもないほどの愛情。雪ノ下陽乃が失くすことなく持ち続けたその想いだけは、決して彼女を裏切らなかった。最後まで、雪ノ下陽乃を肯定し続けた。

 

雪ノ下陽乃は自分を失ってなどいない・・・自分を見失ってしまっていただけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雪ノ下陽乃の正体は他でもない・・・ただの、シスコンだ。

 

 

 

 

 

 

 

 



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第24話 魔王とは、オリジナル無き唯一のレプリカである

 

「とまぁ、そんな感じでプロムの開催が決定した」

 

「・・・はぁ・・・ほんっとに先輩は先輩なんですね」

 

生徒会室にて一通りのことを説明し終える。会長さんはというと、何故か不貞腐れたような態度でふんぞり返っていた。

 

思い出すは先日の雪ノ下母襲来その2。サブタイトルみたいだなこれ。

 

『今回、勝利の貢献度合いで言うなら比企谷くん2割の雪乃ちゃん2割、ガハマちゃんが6割ってところだね』

 

雪ノ下さん・・・陽乃さんはそう言った。

 

『雪乃ちゃんに友人が出来て、尚且つあの事故の当事者が全員揃った・・・そういうことよ』

 

要するに、雪ノ下母は俺たちを試し続けることを選んだのだろう。無論、娘である彼女を含めて。

 

あーあ、もう二度とあの手合いを相手にしたくない。

 

ま、何はともあれこれでようやく始められるようだ。

 

 

 

生徒会として仕事をしていると、どうしても働くこととは一体何なのかを考えてしまう。労働が義務であるとするならば、対価として俺は何らかの権利を得ることが出来るはずだ。権利と義務とは本来そういう関係にあって然るべき。ただ、現実はそうはいかない。なんなら大した権利なんてないまである。

 

写真を何枚か撮る実行委員会と生徒会を見ながら俺も自分の役目を果たす。そう言えば、以前の文化祭であの人とツーショットを撮った・・・と言うよりは撮らされたことを思い出した。まだあの写真あるのかな・・・手札にするとか言ってたけど怖いなぁ。あの人の手札なんてもう二度とごめんだなぁ。

 

「あら・・・そこに居る両生類もどきの人類もどきさん」

 

「せめてどっちかくらいはハッキリさせてもらえませんかね。出来れば人類側で」

 

某人間もどきの吸血鬼もどきの彼を少し頭をよぎる。

 

「ふふっ・・・どうかしら」

 

「・・・」

 

自分の目が見開いていくのを感じる。まさか彼女がそんなことを言うなんて思いもしなかった。手を差し伸べてくるその姿を見ればどういう意味なのかなんて想像にかたくない。

 

「・・・お、おう」

 

ぎこちない手つきでその手を取ると、俺は・・・俺たちはそこに混ざった。

 

「ステップも下手、表情も変、性格も人間性も多少の問題あり」

 

「後半もうダンス関係ねぇじゃん」

 

流石に上手い。俺とはまるで動きが違う。ホントにご令嬢様はよく出来たご様子で。

 

「奉仕部での勝負の件、覚えているかしら?」

 

「平塚先生が勝手に言っていたあれか」

 

「ええ」

 

勝った方が負けた方になんでも言う事を聞かせられるというあの勝負。

 

「・・・悔しいが、俺の負けだ」

 

「何故?」

 

「プロムが開催されて、俺とお前がこうして踊っている」

 

「・・・ずるいのね。まるで誰かの姉みたい」

 

心中で苦笑すると、俺たちはそのまま踊り続けた。

 

音楽はまだ続くらしい。

 

 

 

達成感と疲労感を残し、プロムを終えた俺たち生徒会と協力してくれたメンバーは打ち上げをしていた。

 

打ち上げ、と言っても全員でお菓子を食べてジュースを飲むだけの簡素なものだ。俺がこういうのに参加するのは意外ですかそうですか。いやしょうがないんだよ?だってこれでも生徒会役員なのですから。これがなんの自慢にもなっていないことくらい分かっているとも。

 

「・・・ま、何はともあれ上手くいったようなので私からはもう何もないでーす」

 

不貞腐れ気味の生徒会長は継続中ですか。

 

「やったねヒッキー!」

 

「・・・た、助かった」

 

なんでこんな簡単な一言を言うのに俺はドギマギしなきゃならんのだ。挙動不審なのはいつものことです。

 

「んーとね、あたし嬉しかったよ。ヒッキーがちゃんと頼ってくれて」

 

「・・・」

 

照れ臭くて頬をかく。

 

「それにこうして皆で打ち上げが出来てるからオールオッケーだよ!」

 

オールオッケーか。

 

「比企谷くん」

 

雪ノ下が何かを言いかけたとこで、会議室の扉が開いた。

 

「お疲れ、雪乃。由比ヶ浜さんに・・・比企谷くんも」

 

うわ出た。

 

「ありがとう、母さん」

 

これも含めてオールオッケーってことでいいですかねホント。もうこの人見るだけで怖いんですけど。

 

「いやぁ面白い会だったよ、雪乃ちゃん」

 

ニコニコとした笑いをしながら彼女はそう言った。そっちも相変わらずかよ。

 

「それでは、私の方はそろそろ」

 

「ん。じゃあ私は少し残っていくね」

 

あなたも帰ってもらって構わないんですよー。

 

「ま、雪乃ちゃんにガハマちゃん、生徒会長ちゃんとかは本当によくやったね・・・ただ、一人ちょっと怪しいのが居るけど」

 

「・・・なんで俺を見るんですか」

 

先日のこと根に持ってるのか?

 

「だってそうじゃない?雪乃ちゃんもガハマちゃんも・・・生徒会長ちゃんも各々が自分のために行った。けど、君はそう言い切れないんじゃないの?」

 

心臓を鷲掴みされたような気になる。まるで全てを見透かされ、それら全てを悉く突き詰められているかのような・・・そんな気分に。

 

彼女は微笑みを俺に向けると、そのまま部屋を出て行った。

 

「待って、姉さ」

 

「いや、俺が行く」

 

追いかけようとした雪ノ下を制し、彼女の後を追う。

 

きっとこのまま廊下を過ぎて昇降口の所に行けば、俺は全てと向き合わなければいけない時が来る。

 

これは予感ではない、事実だ。

 

『希う』なんて嘯いて、俺はまだ逃げ続けていた。辞めにした、決着をつけた、終わりにした・・・そういう言葉で自分を無理矢理納得させて変わった気でいるだけに過ぎない。

 

答えは既に出ている。答えは既に、出していた。

 

「言葉の上だけの納得で、君はこのプロムを進めていた」

 

彼女は、そこに居た。

 

「きっと君はこう考えている・・・これは、『雪ノ下陽乃のためだ』って」

 

その答えを言うために。

 

「違う・・・違うよ、比企谷くん。そんなのは欲しくないんだ。もう・・・欲しくないの」

 

優しく、慈悲に満ちたその微笑みに俺は何も言えなくなってしまう。

 

「私と共に在るあなたなんていらない。こんなありふれた偽物、もういらないの」

 

雪ノ下陽乃に対する感謝と責任のため・・・そんなのは比企谷八幡が『比企谷八幡』に押し付けた消去法に過ぎない。奉仕部という名の寄る辺が無くなったから縋っただけの言い訳。

 

「お願い・・・私と君の関係に、もう二度と消えない傷を与えて」

 

ならば、この言葉を彼女が言うのは必然だったのかもしれない。

 

 

 

「絆なんかじゃ・・・足りないの」

 

 

 

 

 

「・・・ふ、ふくくくはははははは!」

 

俺の隣の席で笑うのは我が奉仕部の顧問、平塚静先生。あの人との話しが終わったあと、俺はこの人にバッティングセンターに連行されていた。

 

「そうか・・・陽乃がそんなことを」

 

「笑い事じゃないですよ」

 

「そうでも無いとも。陽乃もただの女の子だったという訳だ」

 

「・・・」

 

「まぁそんな解で納得する君じゃないか」

 

全くだ。仮にそれが正当だったとしても俺はそれで納得もしないし信じることもないだろう。

 

「・・・こっちの事は殆ど全て見透かされた上であれですからね」

 

「・・・」

 

何故か平塚先生はキョトンとした顔をして俺を見続ける。

 

「なんですか」

 

「いや・・・この前私に『元来諦めは悪い質』だと言っていた癖に、やけに簡単に諦めるようだったからな」

 

言ったな。確かそれは、クリスマスイベントでの奉仕部との一件。

 

「そんな簡単に見透かされるようなものが、君が抱く雪ノ下陽乃への想いか?」

 

ハッとする。その疑問は、俺を目覚めさせるのにはあまりにも十分すぎるものだった。

 

「まさか」

 

まさか、そんなはずない。そんな簡単に見透かされるようなものなわけがない。沢山悩んだ、沢山苦しんだ、沢山絶望した。その度に足掻いて、その度に理屈をごねて・・・そうやって、漸くこの答え合わせにまで辿り着けた。それら全てが、見透かされてたまるか。

 

俺の主観を、語らせねぇよ。

 

「何かを求めて、手を伸ばして・・・時には縋って。そうして君は色々なものを手にして、手放して、諦めてしまう事もあるだろう」

 

何度も聞いたこの言葉。けれど、続きを聞くのは初めてかもしれない。希望的観測を、確実にするための論証。

 

「でも・・・でもな、比企谷。それでいいんだ。掴むのもいい・・・掴めなくったっていいんだ」

 

今までの彼女とのやり取りを全て思い出す。

 

「考える時は、考えるべきポイントを間違えない事だ。君が考えるべき事は、何故掴めたのかでも、何故掴めなかったのかでもない・・・どうして求めたのか。その過程が、その理由が、一番大切なんだ」

 

責任や感謝なんかじゃない。そんな他力本願なものが俺の理由であっていいはずがない。

 

「今だ・・・今なんだよ、比企谷。君が彼女に・・・陽乃に、手を伸ばし、伸ばし続けている理由は・・・ここにあるだろう」

 

誰かのためだなんて、『俺達』には似合わない。

 

自意識の化け物であるのならば、最後までそれを貫くまで。

 

それが、比企谷八幡に最も足りなかった全て。

 

 

 

「君を比企谷八幡たらしめる本物が、ここに」

 

 

 

彼女の拳が、俺の胸に当てられた。

 

 

 

傷を付けたくない程に大切で、大切だからこそ傷を付けなければならない。そうして付けた傷を、付けられた傷を『絆』と呼ぶのなら・・・俺はもっと深い傷を彼女に与えなければならないのだ。

 

雪ノ下雪乃に、由比ヶ浜結衣に、奉仕部に与えた傷とは比にならない位の傷を・・・俺達の関係に刻まなければならない。

 

絆などという言葉ですら物足りない、絆などという言葉では片付け切れない程の『それ』を、俺と彼女は未だに求めている。

 

そんなものが本当に存在しているのかは分からない。

 

そんなものが絶対に実在しているのだという証明すらない。

 

 

しかし残念なことに、俺と彼女はそれでは納得出来ない・・・納得出来なかった。

 

 

だから今もこうして、俺は理由を見つけている。

 

だから今もこうして、彼女は感情を追求し続けている。

 

 

 

 

 

俺達のこの偽物が、たった一つであることを願って。

 

 

 

 

 

 

『魔王とは、オリジナル無き唯一のレプリカである』

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第25話 魔王とは、世界が素敵だからと、そう言って立ち上がる者である

 

「ヒッキー」

 

「・・・由比ヶ浜」

 

「ちょっと・・・話そっか」

 

「・・・ああ」

 

放課後の下駄箱に彼女は居た。何をするでもなく、ただ寄りかかっていた。俺を待っていたのだろう。少し鼻先が赤くなっているのが見てとれる。長い間待っていたことを察すると、俺は彼女の言葉に従った。

 

「陽乃さんのために、何かするつもりなんでしょ」

 

「んな」

 

「分かってるよ。ヒッキーならきっとそうするって・・・分かってる」

 

俺と陽乃さんの関係を知っている・・・そして何より彼女は比企谷八幡を知っている。否、『比企谷八幡』を知っている。誰よりも大人で、誰よりも優しい。

 

故に、由比ヶ浜結衣に嘘は通用しない。

 

それ即ち、彼女に見せ掛けの優しさは通用しない。

 

「ゆきのんから言われたの。奉仕部の勝負はあたしとゆきのんの勝利だって」

 

「・・・確かにな」

 

そうだ。勝利者が雪ノ下のみというのは違う。結局の所、最終的には比企谷対雪ノ下と由比ヶ浜という構図が出来上がっていたのだ。ともすれば、勝者は俺を除く2人となる。なるほど道理だ。

 

「あたしの願いはさ・・・全部欲しい」

 

「・・・」

 

「けど・・・・・・それは与えられるものじゃない。ちゃんと、自分の力で掴み取りたい。ヒッキーを待つ選択を自分でしたように」

 

敵わない。決して彼女に勝つことなんて出来やしない。そう思わざるを得ない程に彼女は強かった。

 

「だから聞かせて・・・ヒッキーはどうしたい?」

 

真剣な表情。応えなくてはならない。そうか、今だ・・・今だったんだ。今こそ、俺が『俺』を終わらせる時だったんだ。

 

責任だとか、感謝だとか、寂しそうだとか、そういうカッコつけた理由なんていらない。誰が聞いても綺麗に見えるような理由なんて必要ない。自意識を拗らせ過ぎた解答なんて誰も望んじゃいない。他でもない、俺が誰よりも欲しがっていない。

 

「俺のために、雪ノ下陽乃さんを助ける」

 

これしか無かった。全部『俺のため』だ。それを言えなかった。その一言が言えなかった。

 

満足をしたのか、彼女はふっと笑った。母親が、子供に向けるような笑みで。

 

 

 

「・・・いってらっしゃい、ヒッキー」

 

 

 

 

なんだ・・・結局負けたのはあたし達・・・あたしの方だった。

 

きっとどこかで分かっていた。彼は優しいから、その言葉に絶対に応えてしまうんだって。助けてって言葉を、絶対に無視しないんだって。

 

誰よりも人の痛みを知っているから、助ける。

 

誰よりも優しいから、手を差し伸べる。

 

あたしのどうしたい?って質問に、彼はこう答えた。

 

『俺のために、雪ノ下陽乃さんを助ける』

 

おかしいな・・・国語が出来る彼なのに、返答が間違ってるよ。

 

そこは、『助けたい』って答えるはずじゃないの。

 

彼にしては珍しい、言い切り。それだけで全てが分かってしまった。彼が、あの人に向けているあらゆる感情が・・・分かってしまったのだ。

 

あれはそう・・・あたしと同じ。

 

あーあ・・・そんなこと言われたら、もうあたしには何も言えない。笑って送ることしか出来ない。

 

だからあなたのいないここでは・・・少しだけ泣くことを許してください。あなたを想って涙を流すことを、どうか知らないままでいてください。

 

じゃないと、あなたは進めないから。

 

じゃないと、あたしはあなたの邪魔になってしまうから。

 

 

 

 

 

行ってこい・・・あたしの・・・あたし達の、ダークヒーロー。

 

 

 

 

目の前に出されたスマホの画面を見て、俺は素っ頓狂な顔をする。愉快なピエロの完成だ。

 

「もう少し賢い子かと思ったのだけれどね」

 

「いやぁ、期待に応えられなくてすみません」

 

「・・・はぁ。交渉になってないわ。リスクを背負うに値するメリットが提示されてないわ」

 

「いえいえ、保護者会とはあまり関係のない話ですのでメリットもリスクもそちら側にはございませんよ。強いて言うなら俺と奉仕部がリスクを背負うだけです」

 

隣に居る雪ノ下に肘で小突かれる。彼女は眉をひそめてそりゃもう怒ってますよー!って表情。ごめんね後でちゃんと謝るから。

 

「言うなれば、これはただのプレゼンですよ」

 

「・・・何故こんなことをするのか分からないのよ」

 

というのも、目の前に居るは雪ノ下母。まったく、誰だよこの人また呼んだの。あ俺か。

 

そう、奉仕部で作ったダミープロムをそのままやっちゃおーというのが事の発端。

 

「合同プロムには既にお隣の海浜総合高校が参加するとの返事も頂いております。それに、先のプロムでは何人か満足していない方々がちらほら居るようですので」

 

「それで?」

 

「端的な話、気に入らないんですよ。俺たちが作ったプロムの方がクオリティが高いのに生徒会のプロム一つだけで評価されるのはちょっと納得出来なくて」

 

「・・・ふふふ」

 

さて、漸く魔王が動き始めたか。

 

「そうもいかないよ。この当て馬潰して保護者会黙らせたのはうちよ?それをここで通したらうちに文句が来るでしょ」

 

「そうね」

 

はっ、笑止千万。あなたが『雪ノ下』の名前を使った時点でこの交渉は既に始まっている。

 

あなたを引き込むという意味でな。

 

「あーそれはもう織り込み済みです。被害を最小限に抑え、尚且つ『そちら』と俺で責任を取れる範囲で行う方法がありますよ・・・例えば、そちらから代表者を一人出してその人と俺に責任をふっかけるとか」

 

「・・・・・・はぁ・・・比企谷くん・・・あなた、とんでもないほどに厄介ね。味方にも相手にもしたくないタイプだわ」

 

お褒めに預かり光栄だ。

 

「けれど、少なくとも私と陽乃、それから・・・」

 

彼女の視線を受けた雪ノ下は首を横に振る。

 

「雪乃もそのつもりはないようだけれど」

 

つい笑ってしまう。考えていることがあまりにも小癪過ぎて、あまりにもあの人に似通ってしまっていて思わず悪い笑みが零れる。

 

 

 

 

一つ、疑問があるんですよね。

 

なんて事は無い、本当に簡単な疑問ですよ。単純で、素朴で、純朴で、安直で、簡素で、質素で、容易で、シンプルで、複雑さの欠片も無く、考えるまでも無く、他愛すら無い、そういう歴然とした疑問が。

 

あなたの隣に居る人の事なんですがね。

 

その貼り付けた様な笑みを浮かべ、本心を隠してばかりで自分を見失ってしまうような人・・・あなたの娘さんについてなんですよ。

 

散々俺を引っ掻き回して、俺達を引っ掻き回して、自分だけは無関係ですよというスタンスをここに来てまで変えないその人の事、ちょっと言及したいんですよね。

 

雪ノ下のお母さん、あなたが何を考えてその人を連れて来たのかは知りません。

 

雪ノ下さん、あなたが何を考えてその人に連れて来られたのかは知りません。

 

 

しかし、一つだけハッキリしている事がある。

 

 

 

雪ノ下陽乃は・・・比企谷八幡の敵では無い。

 

 

 

さて、では本題の疑問をぶつける事にしましょうか。

 

 

 

 

 

 

一体いつから・・・雪ノ下陽乃があなたの味方だと錯覚していた?

 

 

 

 

 

 

「そう言えば、去年の文化祭で陽乃さんとツーショットを撮ったんですよ」

 

俺の発言に、この場に居る全員の表情が固まる。そん話するとは誰も思いませんもんね。

 

「陽乃」

 

彼女はスマホの画面を雪ノ下母に見せる。

 

「その写真・・・俺の顔とっても気持ち悪いですよね。俺としたことが表情を間違えてしまったんですよ」

 

「・・・」

 

「それに・・・・・・陽乃さんの方の笑顔もちょっと気に食わないですよね。そんな貼り付けただけの笑顔、見てらんないというか見たくないまであります」

 

口元を歪ませ、最低限の礼儀だけは損なわないようにペラペラと宣う。確実に後で殺されるがまぁいいだろう。

 

「もしもこのプロムを実施したら彼女の笑顔は最高のものになる・・・いや、寧ろ従者の俺がさせるまである」

 

「っ・・・」

 

「・・・ほう」

 

そう、初めから俺の話は彼女にしかしていない。それ以外の人の言葉なんて全て雑音に過ぎない。

 

ないない尽くしのプロムにおいて、間違いなく彼女の力は必要になる。卒業生でもあり、高い能力を持った彼女なら絶対に成功させられる。

 

そして何より、俺には彼女が必要だ。

 

「・・・では、その判断は陽乃に任せましょう」

 

「・・・え」

 

「聞こえなかったのかしら。ご指名頂いたのはあなたのだからあなたが自分で決めなさい」

 

俺の事を見て目を細める。流石、勘づいたか。

 

「・・・正直、馬鹿みたいだと思うわ。こんなのできっこないし、予算もない、人も、なんなら相方が彼である以上保証もない・・・」

 

酷い言われようだ。しかもその全てが当てはまっているという状況。こいつは高くつきそうだ。

 

「けど・・・一番馬鹿みたいなのは私」

 

その顔は初めて見る。自信満々で、魔王のような最高に挑戦的な笑み。

 

 

「だって、乗り気なんだもん」

 

 

雪ノ下陽乃という大きな存在の手札に俺がなれる訳が無い。故に、逆に雪ノ下陽乃を俺の手札にした。あの時に撮ったツーショットがこんな形で役に立つなんて思ってもいなかった。

 

「比企谷くんが言ってたデメリットだって、私と彼が成功させればいい話だもの・・・簡単なことよ」

 

ははは、と乾いた笑みで応える。カッコよすぎだろこの人。本性はカッコつけたがりとかギャップが凄いな。

 

「比企谷くん」

 

今までとは違う声音で名前を呼ばれる。

 

「・・・やるわね。大見得切ったのだから、必ず陽乃を笑わせてみなさい」

 

頷きで返す。こっわ。やっぱりこの人はやばい。俺の発言の意図を全て読んでいる。

 

「最後に・・・陽乃」

 

「なに」

 

「これは母親として聞きたいのだけれど、どうして彼に協力するの?」

 

その質問に彼女はそのままの笑みで返した。スマホの画面を・・・愛おしいそうに撫でながら。

 

 

「彼だからよ・・・女が男の力になるのにこれ以上の理由がいる?」

 

 

「・・・陽乃も女の子ね」

 

 

なんだ、結局そのツーショットはあなたの手札のままかよ。

 

 

 

 

「いらっしゃい・・・何か相談事かしら」

 

俺は何故か、そこに居た。足が勝手に向かっていたと言った方がいいだろうか。兎にも角にも、そこに行かなければ行けないような気がしていたのだ。

 

「いや・・・まぁ・・・悪かったな。色々と迷惑かけて」

 

「・・・ふふっ、今更よ。そんなことを言いに来たの?」

 

先に部屋を出た雪ノ下が、そこに居た。そんな気はしていた。きっと俺は、だからここに向かったのだろう。

 

「・・・比企谷くん」

 

「ん?」

 

「あなたの依頼を・・・終わらせるわ」

 

「・・・」

 

儚く風に舞うその髪を見ると、時が止まったような気分になる。いつまでも見ていたい・・・いつまでも、このまま見惚れていたい・・・そう思わせる。

 

「あの日、あなたが私達を知りたいと言った理由・・・それはきっと、関わりが欲しかったから」

 

「・・・」

 

ストンと、簡単に心に落ちた。

 

「あなたが歩み寄ろうとした私と、あなたに歩み寄ろうとしてくれた由比ヶ浜さん・・・あなたはただ、繋がっていたかった」

 

「・・・おかしいな」

 

首を横に振る彼女。

 

「何もおかしいことなんてない。人と繋がりたい、関わりたい・・・それは、普通の感情よ」

 

簡単なことだった。

 

俺が探していた理由・・・俺が欲しかった理由はこんなにも簡単なものだった。

 

そうか・・・だから、終わりなのか。

 

その答えを彼女が言った途端に、俺と彼女達の関係は終わる。俺が彼女達にかけた呪い・・・そして、『比企谷八幡』が最後に俺に残した呪い。

 

「変わったわね・・・比企谷くん」

 

それは・・・比企谷八幡の更生という名の繋がり。

 

「・・・そういうお前はあんまり変わらないな」

 

「ええ。それはあなたが教えてくれたことよ・・・そんなあなたに、私は憧れていたの。だから、ありがとう」

 

優しい笑みに優しい言葉・・・俺は、やっと雪ノ下雪乃を知ることが出来た。

 

「俺の方こそ、ありがとな・・・俺も、雪ノ下雪乃に憧れていた」

 

始まりを忘れていた自分に笑ってしまう。

 

「・・・勝者の権利を以てお願いするわ・・・私の姉を、普通の女の子にしてあげて」

 

そうだ。

 

『強く、正しく、間違わない雪ノ下雪乃』を押し付けていたなんて、そんなのは違うんだ。そんなのはただの言い訳で、カッコつけで、強がりで、取り繕っただけの言葉だった。

 

『強く、正しく、間違わないように生きようとしてる雪ノ下雪乃』に、俺は憧れていたんだ。

 

 

 

 

 

 

 

そうか・・・俺は彼女に、恋をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『魔王とは、世界が素敵だからと、そう言って立ち上がる者である』

 

 

 

 

 



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第26話 魔王とは、いつだって寄り添い合う勇者を求めている

 

夜、俺は陽乃さんと学校からの帰路を歩く。何も話さず、離さず、ただただ歩く。コツコツと彼女の履くヒールの音が響いては、少しだけ冬の寒さを纏った吐息が耳に届く。車の走り去る音はそれらよりも大きく、しかしそれでいて何事もなく過ぎていく。意味を持った音は、間違いなく彼女の発するそれだけだった。

 

「・・・なんかすみません、色々巻き込んで」

 

歩道橋に差し掛かった所で、俺は遂にその口を開くことにした。何を話せばいいのか、何から話すべきなのかを考えて、結局一番最初に出たのは拙い謝罪の言葉だった。あまりにも情けないとでも言えばいいのだろうか。もっと他にかけるべき言葉があって、そしてそれらはもっと意味を、意義を、理由を持っていたはずなのだ。

 

「はぁ・・・あの状況で断れる訳ないでしょ・・・それに、乗り気になったのは事実だから」

 

少しだけ安堵する。溜息に似た息を吐くと、俺は前を見据える。

 

「ホント、比企谷くんってなんなの」

 

「それはどういう」

 

「言葉の通りの意味だよ。人の笑顔を気に入らないとか、はたまた人を笑わせてみせるとか・・・意味分かんない。第一、私があの写真を消してたらどうするつもりだったの」

 

「そんときは写真なんて使わずに真っ向からあなたに喧嘩売るだけでしたよ」

 

「最低」

 

うぐっ、と呻き声を発する。

 

とは言っても、確実に残っていると思っていた。そう、確証があった。言葉には出来ないが、何故か絶対にあると信じて疑わなかったのだ。否、疑いたくなかったのだ。

 

「お母さんもお母さんで私が決めろとか言い出すしさ・・・もう恐怖すら感じたよ。まるで比企谷くんが言わせたみたい」

 

「まさか、そんなこと出来ませんよ」

 

あの人を手駒にするとか一生かかっても無理だろう。人生と経験のスケールがあまりにも違い過ぎる。言わせたのではなく、言って頂けたのだ。どうしてもこの人にかけて欲しかったその一言を。

 

「むしろ、あの人が俺に乗ってきてくれた事の方に恐怖を覚えてますよ」

 

「確かにね。あーあ、これで私も少しだけお母さんに喧嘩売ったような事になっちゃうなー」

 

反応しにくい事を。

 

「で、なんで私なの?」

 

その質問は必ず来ると思っていた。もっと言えば、待ち侘びていた・・・覚悟していたのかもしれない。

 

「・・・あれしかあなたを傷付けられなかったからです」

 

「・・・もっと聞かせて」

 

そのつもりですよ、そう返すように俺はその場で足を止めた。それを彼女も察したのだろう、少し前を行ったところで彼女もその足を止めた。

 

「ずっと考えてたんです・・・俺はどうしたいんだろうなって」

 

彼女は首を縦に振り、俺の話をただ黙って聞いてくれている。

 

「誰かのためとか、こうするべきだとか、こうしなきゃいけないとかそういう義務感とかじゃなくて、俺は何がしたいのか」

 

「・・・」

 

「・・・そしたら、あなたの顔しか浮かばなかったんですよ」

 

「・・・な、なにを」

 

えなにその反応、ちょっと可愛い。

 

「多分、なんだっていいんです。どこかに行ったり、何かをしたり、見たり・・・こんな風に話したり、そういうのでいいんです」

 

目の前に居る彼女の頬が少しだけ赤くなっている。霜焼けかな、なんて的外れな感想は抱かない。

 

「同じ時間を過ごしたい・・・あなたと、一緒に居たいんです」

 

「・・・それが、どうして私を傷付けることになるの」

 

「大切だから・・・大切だからです」

 

迷いはなかった。それ以外の言葉など最初から存在していなかったかように、すぐにその答えは俺の口が出た。

 

「大切だから、傷付けちゃうと思います」

 

俺はずっとそれを避けてきた。自分が人を傷付けるというその了解を飲み下すことが出来なかった。それは自分のプライドに関わるから・・・『比企谷八幡』はそういう在り方をしないためのものだったから。

 

だから俺には、大切な人なんて居なかった・・・作ってこなかった。大切だと思ってしまえば、きっと傷付けてしまうから・・・そういうもどかしさに耐えきれなくなってしまうから。

 

「感謝と、責任と、まぁ色々あります・・・それら全部含めて、あなたが大切なんです」

 

本当は『大切』だなんて簡単な言葉で括りたくはなかった。何時だか平塚先生が言っていた『大切という言葉は時として残酷』だと。あの言葉の意味がようやく分かった。こんな言葉、俺の感情を押し留めておくには安すぎる。

 

「・・・それは、あなたの言葉?それとも、あなたが押し付けているだけの言葉?」

 

自意識の化け物はそう簡単には倒せない。本音を語ろうとも、弱音をさらけ出そうとも、何をしようとしてもそう在るべきではないという厄介な言葉は脳内で反芻する。

 

「・・・私は、そんなありふれた偽物いらないの」

 

そう言って、彼女は早足で歩き出す。

 

あの時、俺はその背中を追いかけられなかった。その表情を見て、俺は追いかける資格がないと、そう自分に言い聞かせて後を追わなかった。心を掴まれて、その場に引き止められているような感覚さえ覚えた。実際は俺を止めるものなんて何もなかったはずなのに。

 

「・・・俺は・・・分からないんです。これが本音だって思っていても、どこかで違うと囁く自分が居る。本当は傷付けたくなんかないし、傷付きたくもない・・・そうなるくらいならこんなこと言わなければよかったとさえ多分思います」

 

 

 

 

俺は、彼女の手を掴んだ。

 

 

離さないように、もう二度と離れないようにと、強く彼女の手を握った。

 

 

 

「だから!」

 

 

震える彼女の手をそのまま握り、俺は言葉を続ける。

 

 

 

「一緒に、比企谷八幡を見つけてほしい」

 

 

 

振り返った彼女の目は、酷く怯えているようだった。分からないという恐怖や不安、そういったものが表されていた。やはり、この人は表情が豊かだとさえ思ってしまう。

 

「何を言ってるの?え?は?ちょっと・・・ん?一緒に君を見つけて欲しいって、え?」

 

「だから傷付けちゃうと思います。分からないことだらけで困らせますし、怒らせますし、なんなら呆れられまくって愛想つかされるまであるかもしれません」

 

「・・・」

 

眉をひそめて訝しげな視線を送ってくる彼女。よく見ると口もすぼんでる。

 

「けれど、俺はあなたを決して見失わない。それだけは約束します」

 

知っている。俺は、少なからず彼女がどういう人なのかを知っている。

 

そう、彼女は脆いのだ。

 

 

 

 

 

「・・・私、さ・・・可愛げないよ」

 

 

ぽつりと、ぽつりと漏れたその彼女の言葉は初めて聞いた言葉だった。

 

「何言ってんすか、面倒くさくて超可愛いまであります」

 

「ばか・・・ほら、私って腹黒いし」

 

「知ってますよ。たまに刺激的なのがいいですね」

 

「・・・私、頑固で意地悪で性格悪いよ」

 

「奇遇ですね、俺もそうなんですよ」

 

「・・・・・・私、すぐに自分を見失っちゃうような馬鹿だよ。そんな私と一緒に居ても、あなたをいっぱい傷付けるだけ」

 

 

「でも、それでも、そんなあなたがいい。俺も傷付けるんですから、おあいこです」

 

 

きっと、俺たちに足りなかったのはこんなやり取りなのだ。本来なら言葉にしなくていいはずのこのやり取り。いつも避けてきた。いつも理由をつけて、理屈を捏ねくり回して、無理矢理にでも言い訳をして逃げ続けた。

 

本音と、本性と、そして弱音と・・・自分の気持ち。それを伝え合うという、簡単なやり取り。

 

「全部あげます。俺にあるもの全部渡します・・・時間も、感情も、きっとこれから知ることになる比企谷八幡も、全部あげます」

 

だから最後に、カッコつけさせてくれ。本音を、弱音を隠すためのそれじゃない。自分に押し付けるためのそれじゃない。

 

ただの、男の意地として。

 

 

それが、『比企谷八幡』の最後の役目だ。

 

 

文字通り、『カッコつけた』俺の。

 

 

「だから、あなたに見入る権利を俺にください」

 

あなたを見失わないための、その権利を。

 

今まで、俺は彼女に魅入られ続けてきた。『比企谷八幡』が魅入られてきたのならば、今から始まるであろう比企谷八幡は見入っていたい。

 

ずっと、あなただけを見ていたい。

 

 

彼女は、その頬を真っ赤にしその瞳には涙を浮かべていた。唇は震え、何度も瞬きを繰り返す。目を瞑ると深呼吸をし、その瞳からようやく雫が開放される。

 

 

彼女はずっと俺に握られていた手を離した。

 

 

 

そして、俺たちに距離は無くなっていた。

 

 

 

「もう一回、もう一回だけ言うよ・・・私、可愛げないし、腹黒いし、すぐに自分を見失うような馬鹿だよ」

 

「ええ」

 

知ってますとも。

 

「いっぱい迷惑かけるし、いっぱい困らせるし、いっぱい傷付ける・・・その度に落ち込むしその度に当たるよ」

 

「でしょうね」

 

切れ味抜群の攻撃とか飛んできそう。

 

「それから・・・それから!」

 

 

「いいよ」

 

 

「・・・え?」

 

目を丸くした彼女が、俺の顔を見上げてくる。うーんこの可愛さ、下手すると銀河で一番かもしれない。

 

 

「いいよ、どんなあなたでもいい。そんなあなただからこそいいまである」

 

 

「・・・ほんと、ばか。カッコつけすぎ」

 

 

『比企谷八幡』の最後の役目ですからね。

 

 

 

「雪ノ下陽乃の全てを懸けて、比企谷八幡を見つけます・・・あなたの全てを、私にください」

 

彼女の額が、彼女の身体が、彼女の心が、俺に触れる。あんなにも大きく見えていたのに、こんなにも小さい。俺の胸にすっぽりと収まってしまう・・・たったそれだけの事に、今ようやく気付いた。

 

彼女が触れたところが、確かな温度を持つ。

 

今まで無かった・・・今まで、失くしてしまっていた暖かさを感じる。

 

目を閉じて、この暗闇の中であなたに触れる。何を探していたのか、何を求めていたのか・・・何が欲しかったのかに気付く。

 

 

彼女は嫌だと言うかもしれない。彼女は認めないかもしれない。彼女は、否定してしまうかもしれない。

 

 

けれど、俺はいい。俺はもう、それを望んでしまったのだ。

 

 

贋作でもいい。模造品でもいい。レプリカでもいい。偽物でもいい。

 

 

それがたった一つしかないのなら、それでいい。

 

たった一人しか居ないあなたとのものなら、それがいい。

 

 

 

 

ただ俺はずっと、この人との全てを・・・本物と呼びたいのだ。

 

 

 

 

いつまでも、本物をあなたと希っていたいから。

 

 

 

いつまでも、本物のあなたに恋願っていたいから。

 

 

 

 

 

 

『魔王とは、いつだって寄り添い合う勇者を求めている』

 

 

 

 

 

 

 

 



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第27話 魔王とは、"アイ"を生きたものである

 

俺と陽乃さんが悪巧みをしていたドーナツショップで俺と彼女は、二人だけの会議を開いていた。

 

「問題は予算にあるね・・・あとは人員も、それから会場と機材と企画と、何より責任者」

 

彼女が指を指した欄には『責任者 比企谷八幡』という文字が。

 

ちょっと?最後の違いますよね?いや違くはないしなんなら確かに一番の問題なまである。あれ正しいじゃん。

 

「予算は海浜総合次第・・・人員は、まぁ、ウチの生徒ですかね」

 

「あとは私もOBやOGに声かけしてみるよ。私がこっち側である以上、ある程度の参加なら許している訳だし」

 

実際、これはかなり嬉しい。かつての卒業生が足を運んでくれるというのは、今後プロムやそれに似た謝恩会を行える可能性がグンと高まるというわけだ。よかったねいろはす。

 

「奉仕部に依頼してみる?」

 

「馬鹿言わないでください」

 

「およ?巻き込んでおいて仲間外れはちょっとヒドイんじゃ」

 

「はじめから頭数に入れてます」

 

「うわぁ・・・流石だね、比企谷くん」

 

ドン引きである。しょうがないじゃないですか・・・だってこれ、元は奉仕部のプロムと銘打ってやってたわけなんですから。

 

「さて、じゃあ会場についてだ」

 

「会場・・・ですか」

 

確かに複数の高校が合同で開催し、尚且つ卒業生までもが参加できるとするのなら、学校の体育館ではあまりにも足りない。要するに、ハコが必要だ。ならば、公共の施設などを利用することになるのだろう。

 

「例えば・・・ほら、こことか」

 

『稲毛海浜公園』と書かれたサイトがスマホの画面に現れる。

 

「おお、これこれ」

 

「君たちが考えたんでしょ」

 

ホントにごめんなさい。あくまでやりかねないという脅しのものだったので、そこまで考えてなかったんです。それにほら、俺ってば生徒会役員なんでそっちのプロムもやってましたし。

 

「・・・うわ、こいつビーチイベントとか書いてる」

 

「比企谷くんが書いたんだよ・・・」

 

「それはお宅の妹さんが書きました」

 

「企画者は雪乃ちゃんなの・・・」

 

彼女は額に手を当てると、首を横に振りながら呟く。なんか可愛い。困らせたくなってしまう。

 

「なんか、比企谷くんってこんなポンコツだったっけ?」

 

「は、はぁ?」

 

いきなりのポンコツ発言に少しイラッとくる俺。

 

「よく見ると詰めが甘いし、考え無しだし、ひねくれてるし」

 

と言いつつも、ニヤニヤしている彼女。そんな表情に照れてしまい、俺は目を逸らす。

 

「・・・まぁけど、多分それがカッコつけてない比企谷くんなんだろうね」

 

「・・・どうでしょうかね」

 

そっぽ向いて答える。気恥しいというか、見透かされて悔しいというか、俺の無駄に高いプライドが少し傷付いたというか、そんな気分なのだ。

 

「そういうとこ、可愛いなって思う」

 

「・・・」

 

なんこれクッソ照れるやん。

 

今まで見たことも無いような笑みで俺を見てくる陽乃さん。まるで母親が我が子に向けるような、そんな柔和な笑み。

 

「というわけで、ここの下見に行こう!」

 

 

 

 

 

翌日、俺は彼女と共に件の公園に来ていた。休日ということもあってか家族連れが多く、そこら中を子供がワーキャー言いながら駆けずり回っている。仕方ない、俺も混ざってくるか。

 

「うーん・・・いい場所だね!景色もいいし、雰囲気もいい」

 

ぐるりと周囲を見渡しながら、彼女は手にある企画書とにらめっこする。

 

「さ、もっと歩いて見聞を深めよーぜ!」

 

「キャラ崩壊してんじゃねぇか」

 

なんか京都で会った時もこんな感じだったような。

 

「まーまーいいじゃない。こうやって新しい自分と出会っていくことこそが人生なのだよ」

 

えっへんと胸を張る。いやそのですね、その素晴らしいあなたのそこでそこを張られますと、非常に素敵なそれに視線が吸い込まれてしまうわけで、俺はもう目が離せないんですよ、つまり見入ってしまうんですね。そこを見る権利も俺にはあるのか、その疑問は俺の頭の中で何度も繰り返されているのです。

 

「・・・今日は髪、巻いてるんですね」

 

「ん?・・・ふふん、似合う?」

 

彼女の髪の毛先は、少しウェーブしていていつもとは違ってふわふわしていた。女の人と関わらな過ぎて語彙力皆無。

 

腹立つドヤ顔だが、似合っているのは事実だ。と、何故か敗北感に襲われる俺。

 

「・・・ええ」

 

「ふふっ・・・・・・と、特別なんだぞぉ」

 

と、やけに小さい声で俺の頬をつんつんしてくる。

 

は?

 

は?

 

は?

 

何この人超可愛い。待ってなにこれ可愛い。キャラ崩壊しまくりで自分見失ってるようだけど、めっちゃ可愛い。いつもの調子を保とうとしているけれど恥ずかしさとか諸々の感情でいつも通りできていないし、それを隠そうとしているところがいじらしくて可愛い。めんどくさくて超可愛い。

 

「・・・うん、いい」

 

「・・・バカ」

 

ずっとバカと言われてます、どうも比企谷八幡です。

 

すると、おれの右手が掴まれる。暖かくて、癒されるような、スベスベ肌・・・ん?肌?

 

おっ、と?手を繋がれてるぞ。

 

ヤッタ!ハチマンハマオウヲテニイレタ!

 

魔王って武器なのかよ・・・。

 

「あの」

 

「こうしてれば一石二鳥でしょ?」

 

得意げに笑っているところ悪いんですが、顔真っ赤ですよ。しかも何が一石二鳥なのか全く分からんし、ああそうだねとか俺も言っちゃいそうになるし。マオウトハチマンハ、バカニナッタ。

 

「それに、ほら・・・い、一緒に居たいんでしょ」

 

自分の顔が熱くなっていくのを感じる。これ絶対この人より顔真っ赤になってる。ふえぇー恥ずかしいよー。

 

こんなに可愛いならバカになってもいい。つまりバカは可愛い。バカ可愛くて、可愛いはバカである。

 

可愛いよ、バカは可愛く、バカ可愛い。

 

八幡、心の俳句。

 

 

 

園内にあるカフェに入り、昼食をとることにする。

 

どうしてこうオシャレなカフェってのは量が少ないのに値段は素敵な額になっているんですかね。某珈琲店を見習いなさいよ。あそこなんてメニュー表詐欺って言われてるんだぜ。何故かって?

 

メニューに書いてある物より、実物の方が多かったらそりゃ詐欺って言われるだろ。

 

「・・・美味いな」

 

とは言え、美味しいのは事実。

 

「だね・・・うーん、これくらいなら作れるかな」

 

あんまりお店でそういうこと言うもんじゃない気がするんですけど。でもちょっと気になります!

 

「・・・ふむふむ、比企谷くんは私の料理が食べたいと」

 

「・・・」

 

心を読むな。

 

「・・・今度、お弁当作ってあげるよ」

 

「・・・あ、ありがとうございます」

 

なにこのやりとり。嬉しいんだけどなんか違くない?なんでこんな付き合いたてのカップルみたいな雰囲気になっちゃってるの?

 

カシャ

 

「・・・あの、何してるんですか」

 

スマホのカメラをこちらに向けている彼女に言う。画面を見ているその顔はニヤニヤとしており、なんだか気恥しい。

 

「何って、写真撮ってるの」

 

見て分かんないの?みたいなニュアンス。え、俺が悪いのかこれ。

 

「思い出だよ思い出。こういうの、なんかいいなーって・・・それに、比企谷くんの照れ顔なんて珍しいからさ」

 

「・・・はぁ」

 

「なんで溜め息吐くの!?」

 

尊いとか、限界とか、無理とか、オタク共は何故かそういうことを言いたがる。その気持ちがようやく分かった。なるほど・・・これがそうなのか。

 

カシャ

 

「・・・何してるの」

 

「何って、写真撮ってるんですよ」

 

同じように、見て分かんないの?みたいなニュアンスで言う。

 

「・・・今度はちゃんとしたツーショットね」

 

 

はぁぁぁぁぁぁぁ。

 

 

無理、尊い。

 

 

 

 

散策をしていると、日が落ちて夕方になっていた。思いの外ここは広いらしい。

 

その間も俺の右手には最強の装備品たる魔王様が居たわけで・・・大丈夫かな、八幡手汗出てないかな?いやもう出ててもいいかな、魔王様にも八幡の手汗っていう装備品あげちゃおうかな。

 

ゴーン、と鐘の鳴る音がする。

 

その方向を見ると、どうやら結婚式が行われているらしく新郎新婦が腕を組んで歩いていた。ここは結婚式の会場としても使われているのか。

 

・・・花嫁、綺麗だな。ウエディングドレスとか興味も関心もなかったが、こうして間近で見るとそうも思えなくなってくる。俺の隣にいる人があの衣装を着たら、すごい綺麗なんだろうな。

 

それこそ、恐ろしいほどにな。

 

右手がクイクイと引っ張られると、件の魔王様は何故か不機嫌な目線を俺に向けてくる。

 

「こら・・・比企谷くんは、私だけ見てればいいの」

 

「・・・」

 

かっわっっっっ。

 

面倒くさ可愛い。

 

「・・・似合いそうだなって」

 

「なっ・・・ほんっとに、もう!」

 

こうして見ると、本当に表情が豊かな人なんだなと思う。うーん、全部可愛いとはこれ如何に。

 

「ふぅ・・・・・・ここ、ピッタリ」

 

「・・・あの、それは・・・はい」

 

ここで・・・挙げるんですね。

 

「・・・ばか。海、設備、ホール・・・プロムの会場ってこと!」

 

「あ、ああ・・・そうです、ね」

 

「それは、ほら・・・もっとちゃんと、考えよ、ね?探せば色々出てくるだろうし・・・」

 

顔を赤くしてゴニョニョ言っている彼女を横目に、俺はこう思うのだった。

 

 

 

はぁぁぁぁぁぁぁ。

 

 

無理、尊い。

 

 

 

 

 

会場を持っている人と話をし、ホールを抑えることに成功。流石は陽乃さん、こういった交渉には手馴れている様子。やっぱり凄い。最近はどうもそれを忘れてしまうような感じだったが。

 

例えば、メールなんて今までは脅しか強制イベントの予告状みたいなやつだったのに。

 

『声聞きたい』

 

なんて一言が最近は送られてくる。いやもうね、流石の俺もこれには光の速度で通話ボタンを押しちゃうわけですよ。するとワンコールしないうちに繋がる。そうか、陽乃さんも光の速度で応答してるんですね。光速使ってくる魔王とかマジで最強じゃないですか。

 

そんなこんなで会場準備のため、再び訪れていた。

 

「海浜総合の人達はそっちの飾り付けと会場案内のマップ作り、総武高の生徒会は当日の軽食や器具などのリストを確認、終わり次第海浜総合と合流して作業。ボランティアの人達は選曲とSNS、サイトの確認。OBのみんなはスケジュールと運びの確認、パートごとでリハを行うからプログラムに目を通しておいて」

 

陽乃さんの指示通りに仕事が始まる。

 

伝説の文化祭。

 

陽乃さんが実行委員長を務めた文化祭は、総武高でそう呼ばれている。集客、出し物、当日に至るまでの運び、人員の動き、それら全てが完璧とされていることからその名が付いているらしい。なるほど、確かにこれはそう呼ばざるを得ない。

 

一切の無駄がなく、そして暇を作らない。

 

こりゃ、この人の下では絶対に働きたくないな。

 

「奉仕部は私達と一緒に来て・・・責任及び企画の代表として今後の打ち合わせをするから」

 

雪ノ下と由比ヶ浜は、それに頷くと歩き出す。

 

「比企谷くんは責任者のところに名前があるから、人一倍覚悟決めてね」

 

 

あはは・・・はぁ。

 

 

 

 

本番を迎え、予想以上に人が集まっているのを確認する。

 

「陽乃さん・・・少し人数が厳しくなってきました」

 

インカムをオンにし、俺は告げる。こういうの、最高に仕事してるって思いますね。

 

『こっちも確認したわ。2階フロアに人を流すように誘導をかけ、1階を少し空ける・・・その後、一旦OBを会場の外に出すわ』

 

「出すって、どうするんですか」

 

『この後のビーチイベントの準備に力を貸してもらう。大丈夫、交渉は私がする。比企谷くんはこのまま人員誘導の指示を出して』

 

「了解です」

 

『・・・やけに素直だね。流石は社畜根性旺盛な比企谷くんだ』

 

おっと?仕事モードの陽乃さんがどこかに行ってしまったぞ?

 

「人を労働の虜みたいに言わないでください。俺は働きたくない側の人です」

 

『嘘ばっかり。いっつも働いて余計なことばっかりしてるくせに・・・裏でコソコソなんかやって表には見えないようにしてるんだもん』

 

「縁の下の力持ちってやつですか」

 

『日陰者って意味?』

 

「自分の名前に陽が入ってて、俺はそれに隠れてるってことですかそうですか」

 

『・・・それは、ほら・・・私、輝いてるしさ・・・あれ?比企谷くんどこ?』

 

「日陰者って存在感がないって方かよ・・・今目合ったでしょ」

 

『なんか縁の下に居るよ・・・』

 

「夏に湧く虫みたいに言うの辞めてもらえませんかねぇ・・・」

 

 

『姉さん、比企谷くん・・・随分と楽しそうね』

 

 

「『げっ』」

 

『・・・働きなさい』

 

「『・・・はい』」

 

つまり、雪ノ下雪乃は強くて正しいのである。

 

 

 

 

「なんだかんだでよくやったな。まぁ、あのタイミングで陽乃に喧嘩を売ったのには驚いたが」

 

プロムも無事終わり、会場となったホールの一室で俺は平塚先生と居た。

 

「まぁ・・・はい」

 

「まったく・・・君も陽乃も不器用過ぎる。どうしてこう嘘ばかりなんだか」

 

「別に嘘はついてないですよ・・・カッコつけはしましたが」

 

「・・・ふふっ」

 

何がおかしいのか、彼女は俺の言葉を聞くと笑い始めた。肩を揺らし、声を抑えて笑う彼女はやはり大人なんだと再確認させられる。

 

「まさか君からそんな言葉が出てくるとは・・・悪い男だ」

 

俺も少し笑う。確かに、あんなカッコつけ方はない。本人からも最低とも言われてるからな。

 

「ま、君らしい青春だな」

 

「らしい?」

 

「知らないのか?『青春とは嘘であり、悪である』という名言を」

 

うっ、と呻き声を出す俺。それは、俺が出したあの作文に書いてあったことだ。

 

全ての始まりである、それ。

 

今聞くと超恥ずかしい。筆が乗ってしまったからとはいえ、何故あんなものをそのまま提出してしまったのか。

 

「比企谷」

 

そう言って、彼女は俺に手を向けてくる。

 

『Shall we dance』

 

「・・・喜んで」

 

少しの間、俺と彼女は踊る。慣れてもいない、合っているのかも分からない、音楽すらないというのに、踊る。

 

「・・・うわっ」

 

「・・・おっと」

 

ヒールで足を踏まれ転ぶ。く、クソいてぇ。

 

お互いに顔を見合わせると、少し笑いその場に座った。彼女は俺の向かいに座ると、そのまま笑みを浮かべる。

 

「・・・君が陽乃に手を伸ばし続けた理由、分かったか?」

 

「・・・多分、色々あります。言葉では語り尽くせないものとか、言いたくないこととか、色々」

 

本当に色々だ。

 

大事だから言葉にしたくなくて、形を持たせたくなくて、語り尽くせなくて・・・そんな感情が入り混じっている。

 

「・・・・・・探し物、だったんです」

 

「探し物?」

 

「はい。失くしてしまって、知らず知らずの内に落としてしまって、その事にすらも忘れていた・・・そういう物です」

 

それでも、少しでもそれを明確にしてもいいのならばやはりこういう言葉になるのだろう。

 

「ずっと望んでて、ずっと欲しくて、ずっと希って・・・そういう探し物が、彼女だったんです」

 

「・・・そうか」

 

満足したように、何か報われたかのように、彼女は笑った。目を閉じ、安心したと言わんばかりの笑みだった。

 

 

「・・・比企谷は・・・・・・自分で居られる人が欲しかったんだな」

 

 

 

「・・・・・・はい」

 

 

 

俺たちは、自意識の化け物だ。

 

理解を拒み、納得を拒絶し、共感を否定し、肯定を拒否する。そして悪意は受け入れ、敵意は受け取り、憎悪に頷いて、拒否に肯定をする

 

自分が自分で居られない、自分で在ってはいけないという自意識・・・それが俺と彼女を蝕んでいた全てだった。

 

だからそれを求めた。

 

だからそれを望んだ。

 

だこらそれを欲した。

 

 

だからそれを、希い続けた。

 

 

 

『自分で在っていいという、確かな肯定』

 

 

 

ずっと、探していた。

 

 

そんな、探し物。

 

 

「よく探し当てたな、比企谷」

 

「・・・そんなんじゃありません。きっと、彼女が俺を見つけてくれたんです」

 

「・・・いいや・・・君が見つけ、陽乃が見出したんだ」

 

その言葉は、不思議なくらい胸に落ちた。

 

「大丈夫・・・それは決して不要なものなんかじゃない」

 

彼女は立ち上がり、歩き始めた。

 

「比企谷・・・絶対に、手放すなよ!」

 

 

当たり前ですよ。

 

 

 

「さようなら・・・俺の最高の先生」

 

 

 

「じゃあな・・・私の最高の生徒」

 

 

 

 

日も完全に沈み、俺はテラスに来た。海から吹いてくる潮風が心地良い。

 

「お疲れ様」

 

「お疲れ様です」

 

陽乃さんは俺に気付くと、書類持って歩いて来た。

 

「さ、ここらが大変だね。撤収、忘れ物の確認、書類、施錠とやって、またまた書類と報告の連続だ」

 

「・・・ですね」

 

「それから、保護者会のこととか家のこととかも」

 

思わず溜め息が出る。あの人にまた会わなきゃいけないのか。分かってはいたが胃がキリキリしてしまう。

 

「終わり次第駐車場で集合ね」

 

「かしこまりです」

 

さぁて仕事だぁ〜と出来ていない現実逃避しながら歩き出そうとすると、俺の上着の裾が引っ張られる。

 

 

 

「・・・大切だから傷付けて、その傷を受け入れたら・・・きっと、『絆』なんて言葉じゃ足りないと思うの」

 

 

 

その辿々しい言葉に、俺は思わず振り向く。

 

「・・・だから」

 

その笑みは、俺が今まで見たどの笑顔よりも輝いていた。

 

比喩なんかではない。

 

彼女の名前にある、太陽の笑みだった。

 

見惚れて、釘付けになってしまう・・・綺麗で、可愛くて、強くて、でも幼くて、それなのに美しい・・・女の子の笑顔だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あなたを愛してるわ・・・比企谷くん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

顔を真っ赤にした彼女は、テラスから走り去ってしまった。

 

そのまま椅子に座り、俺は項垂れる。

 

おいマジかよ・・・本当に面倒くさくて自分見失ってるなあの人。そういうことそういう顔で言う人じゃなかったでしょ。いや俺が知らなかっただけなのか?面倒くさいなホント。

 

 

・・・けど、そういう面倒くさいところが超可愛い。

 

 

そういう面倒くさいところを見せてくれるのが、すごく嬉しい。

 

 

彼女が心を見せてくれるのが、示してくれるのが、教えてくれるのが、堪らなく嬉しい。

 

 

 

 

心とは、傷なのだろう。人という生物が持ってしまった、胸に空いた大きな傷。人はその穴を埋めようとして、沢山のものを求める。その穴を、その傷を、心を、自分一人では埋められないということに誰もが気付いているのだ。

 

心を満たすのは、何時だって自分では無い何者かで。

 

心を空にするのは、何時だって自分以外の何者でも無い。

 

 

誰かの心だけが、その傷を埋めることが出来る。

 

 

誰かの傷だけが、その心を満たすことが出来る。

 

 

 

だから人は、それを『愛』と呼ぶのだ。

 

 

 

心(きず)を受け入れる、『愛』とはそう書くのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

『魔王とは、"アイ"を生きたものである』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




あとがき

タイトルの"アイ"は『愛』と、英語で言う"I"つまり『自分』という意味が掛け合わされています。

このシリーズのテーマであるこの二つをどうしても入れたいと考えていたので丁度良かったです笑。

相変わらずこの黒霧Roseはダジャレに頼ってばかりでどうしようもないですね。

さて、キャプションにも書いた通り次回で完結となります。

あともう少しのお付き合いをどうかお願いします。


P.S.
このシリーズには元ネタとなった歌があります。もしも知りたいという人がいましたらコメントなりメッセージなり送ってください。もしかしたらみんな気付いているかもしれませんね。


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最終話 魔王とは、その最期まであなたと共に在り続ける『あなた』である

これにて本編完結!
あとがきで会いましょう。


 

短かった春休みも終わり、俺は3年生となった。

 

春休みたん・・・本当に短かったなぁ。その殆どが無茶な合同プロムのツケで無くなったし、無理を無理矢理にでも通そうとすると色々と責任がついてまわる、これ社会の教訓な。マジでもう二度と使いたくない教訓だなこれ。

 

とは言え、楽しくなかったのかと言われればこれがまた別にそういうわけでもないのだよ。

 

結局の所、責任者は俺なのだが・・・ほら、もう一人増えた関係できちんと二人で働いていた。

 

相変わらず絶賛自分見失いまくってキャラ崩壊を起こしまくってるあの可愛い魔王様は、それはもう本当に可愛くてこちらの心臓を容易に破壊しようとしてくる。俺が見失ってたら危ういレベルだぞホントに。

 

『はい・・・お弁当。前に食べたいって言ってたし・・・頑張ってるから』

 

うん俺言ってないんだよなぁ。

 

心を勝手に読んでお弁当作ってきてそれを頂けるとかもうどこから突っ込んでいいのか分からん。けれど、流石陽乃さんというだけあってそりゃあもうめちゃくちゃ美味しかったです。心臓は破壊されるし、胃袋は握り潰されるし、五臓六腑が無事でいられたらいい方。やっぱり魔王じゃねぇか。

 

 

そして、何故か俺は、俺たちは未だに放課後になるとこの教室に・・・部室に集まっていた。廃部になることなく、そのまま残ったこの奉仕部は何も変わることなく新たな春を迎えた。

 

「それでね・・・」

 

「由比ヶ浜さん、近いわ。もう暖かくなってきたのだから離れて。少し暑いわ」

 

ハイハイ熱々ですね。

 

いつものように百合百合している2人を横目に、俺は読書を続ける。なんだこの本。

 

『月に憧れた』とかなに気取ったこと言ってんだよ。太陽の光を浴びたいとか考え直した方がいいぞ?俺がゾンビだからとかじゃなくて、太陽の笑顔を浴びせられたら正気保っていられなくなるから。超可愛いから。

 

「ね、ヒッキーもそう思うでしょ!」

 

「お、おう・・・超可愛いよな」

 

「へ・・・ん?」

 

あ、やべ。突然振られたせいで考えていたことがそのまま口から出てしまった。

 

「はぁ・・・おおかた、誰かの姉のことでも考えていたのでしょう」

 

「うわぁ・・・てか、ゆきのんのその言い方もなんか卑怯だね」

 

「それはどういうことかしら」

 

おっと?何故だか知らんが微笑んでいるはずの雪ノ下からめちゃくちゃ冷たいオーラが出てるぞ?

 

「陽乃さんって言えばいいのに、なんか自分を挟もうとして・・・あ、やっぱなんでもない」

 

「ふ、ふふ、ふふふ・・・」

 

こっえぇぇ。ゆきのん怖いよ、あと恐い。そんなこと言い放っちゃう由比ヶ浜も恐いよ。やだ、奉仕部ってすごい女の子しか居ない。

 

 

そんな2人を見て、俺は改めて決心する。

 

本を閉じ、立ち上がると椅子を持つ。その椅子をいつもの定位置から、依頼者が座る椅子の隣に置く。

 

「比企谷くん?」

 

「ヒッキー?」

 

緊張している。それは自分でも分かる。震えて、喉が渇いて、今にも逃げ出したくなる。雪ノ下と由比ヶ浜の怪訝な視線が、さらにそれを後押しするかのように俺に突き刺さる。あの日、2人に依頼をしたあの日よりも緊張している。

 

どうしたものか、どういう言葉で伝えようか・・・色々考えている内に、よく分からなくなってきた。

 

「大丈夫よ、比企谷くん」

 

彼女のその言葉に、俺はハッとする。目の前を見ると、雪ノ下の、由比ヶ浜の、優しげな微笑みがあった。

 

そうだ。そうだった。

 

それを、ちゃんと俺は知っていた。

 

ちゃんと知っている。決して忘れてなんていない。

 

信じろ、比企谷八幡。

 

 

 

 

 

 

「俺は・・・お前らと、関わっていたい」

 

 

 

 

 

 

これが酷く独善的である願いだなんて、そんなのは分かり切っている。いや、本当は分かっていないのかもしれない。だが、もし仮に分かっていたとしてもそれが今ここで何も言わない理由にはならない。

 

もう、カッコつけるのは辞めたんだ。

 

取り繕うのも、誤魔化すのも、誇張するのも、より良く見せようとするのも、強く在ろうとするのも・・・『比企谷八幡』で居るのも、もう辞めたんだ。

 

雪ノ下は言った・・・俺は繋がりが欲しかったと。

 

由比ヶ浜は言った・・・いってらっしゃいと。

 

俺のために・・・比企谷八幡が比企谷八幡で居られるようにと、彼女達は俺を信じてその言葉を送ってくれた。

 

ならば、俺がすべきことは・・・否、俺がやりたいことは、俺の意志は、もう決まっている。

 

俺が彼女達に・・・雪ノ下雪乃に、由比ヶ浜結衣に、どうしても伝えたいことはもう決まっている。

 

 

カッコつけない俺の、最初のワガママ。

 

 

 

 

 

 

「俺と・・・・・・友達になってくれ」

 

 

 

 

 

 

 

今までそれを言わなかったのは・・・言えなかったのはどうしてだろうか。

 

雪ノ下には一度断られているから怖くなった?

 

違う。

 

由比ヶ浜の気持ちを蔑ろにしたことがあるから?

 

違う。

 

 

 

比企谷八幡と友達になんてなるべきではないと、そうやって押し付けていたからだ。

 

押し付けて、決め付けて、縛って、目を逸らして、逃げて、そうやって踏み出さないための理由を、失敗しないためのそれを選び続けた。

 

挑戦しなければ失敗することはないと、そうやって選ばないことを選び続けた。

 

『比企谷八幡』で在り続けられるようにと、カッコつけ続けた。

 

 

 

 

「馬鹿ね」

 

 

 

優しい声音で、優しく諭すように、雪ノ下は呟いた。

 

彼女の横では、由比ヶ浜がうんうんと頷いていた。

 

「助けて、助けられて、そして絆が生まれて・・・そういうの、なんて言うか知らないの?」

 

「そうだよ、ヒッキー。話して、喧嘩して、その度に仲直りして・・・そういうの、分からない?」

 

 

今までの事を思い出す。

 

クッキーの依頼、小説、テニス、チェーンメール、深夜バイト、千葉村、文化祭・・・修学旅行、生徒会、クリスマスイベント、そしてプロム。

 

色々なことがあった。この1年間、沢山のことがあった。

 

間違えて、間違い続けて、それでもと答えを出して・・・2人と、あの人と共に挑み続けたこの1年。

 

何度間違えたか。

 

何度失望したか。

 

何度仲違いしたか。

 

何度歪んだか。

 

何度仲直りしたか。

 

 

何度、それを知ったか。

 

 

雪ノ下に憧れ、押し付けて、失望して。

 

由比ヶ浜に押し付け、期待して、見損なって。

 

そして、歩み寄って、歩み寄られて・・・その度に離れて、近付いて。

 

 

 

「まぁ、自意識を拗らせてぼっちを誇っていたようなこの男には分からないでしょうね」

 

「確かに・・・否定出来ない。でも、ゆきのんも去年まではそんな感じじゃなかった?」

 

「言ってくれたわね」

 

「わ、わーわー、ごめんって。てっきり、ゆきのんも友達居ないことをステータスかなんかだと思ってるかと思ってたから」

 

 

今、こうして2人が対等に言い合いをして、どういった形であれ比企谷八幡がそこに居て、この光景を間近で見ることが出来る。

 

それが、どれほど尊いことか。

 

どれほど・・・暖かいことか。

 

そこにある感情は、ここにあるこの理由は、決して間違いなんかじゃない。間違いを間違いで整えて、曲げて、捻じ曲げて、誤りでさえも誤りで正す。そうして全てに傷を付けて、そこに残ったそれに手を伸ばす。

 

全てを手放した時に、必要なかったことに気付く。

 

そして、漸く辿り着いた。

 

 

 

手放して、手放して、手を離して・・・やっと掴むことが出来た。

 

 

 

「比企谷くん・・・」

 

「ヒッキー・・・やっと、ちゃんと笑ってくれた」

 

由比ヶ浜の言葉で、俺は自分が笑っていることに気付いた。

 

「なんだ・・・ちゃんと笑えるじゃない。あなたのその笑顔、私は好きよ」

 

「あたしも好き」

 

 

 

 

ああそうだ・・・知っているとも。

 

 

いや違うな・・・お前らが教えてくれたんだ。

 

 

 

 

話して、話せなくて、離れて、離れられなくて、喧嘩して、仲直りして、長所を知って、短所を知って、憧れて、失望して、気付いて、勘違いして・・・同じ目的のためになんかやって、一緒に成功して、一緒に失敗して・・・その度に、またお互いを少しずつ知る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それを、仲間(ともだち)って言うんだ。

 

 

 

 

 

校門の近くに、少し人集りができているのが分かった。どうやら、金髪の男子生徒と女性が話しているようだ。

 

 

というか、陽乃さんと葉山だった。

 

 

彼女は俺に気付くと、手を振って来た。いやそういうのクソ恥ずかしいんですけど。ほら、もう周りの人とか俺のこと見てるし。てかなんで俺のことすぐに気付けるんですかね・・・あ、愛の力ですかそうですか。えなぜ俺にもダメージ。

 

とりあえず、魔王様に捕まってしまった葉山に合掌。でも同情はしてやらん。だって俺お前のこと嫌いだし。

 

どの道、彼女の所には行かなきゃいけないのでそのまま歩く。

 

すると、ここからでも分かるくらいに苦笑している葉山がこっちに歩いて来た。

 

「結局・・・君は間違ってなんかいなかったのかもな」

 

すれ違うその瞬間、ヤツはそう言った。答えは求めていないのかもしれない。だが、俺はそのまま振り返ることなく答える。

 

「・・・いいや・・・間違ってたさ」

 

あの夜・・・葉山と2人で話したあの夜、お前は俺に間違っていると告げた。たった1人、お前だけがそう言ってくれた。

 

もしもどこかで、葉山が『葉山隼人』で居続けることに後悔が、間違いがあるのならば、俺には少しだけそれが分かる。

 

お前が守りたいものも、お前が取り戻したかったそれも・・・きっと、『それ』なんだろう。

 

葉山は俺の言葉を聞くと、上を向いて空を仰ぐ。

 

「・・・・・・正してくれる人が居るかどうか、ってことか」

 

そう言って、そのまま歩き出した。

 

 

 

 

 

アホ・・・間違いでも、それが正解だと決め付けて、その答えを出すんだよ。

 

 

 

 

ほらな・・・やっぱり、俺はお前とは仲良く出来ない。

 

 

 

 

 

春の夕方、夕日に照らされた桜を見ながら帰路を歩く。暖かくなってきたこの季節でも、日が沈むに連れて少しずつ寒さを感じる。隣を歩いている彼女は、対照的に相変わらず太陽のような暖かさを放ち続けている。ハマっているのかは知らないが、その手もやっぱり繋がれていて、そんなことに慣れてきた自分がおかしくて、少しだけ苦笑してしまう。

 

「色々あったね」

 

「・・・ま、後半は大体あなたのせいでしたけど」

 

「お姉さんのおかげだって?嬉しいこと言ってくれるじゃーん」

 

その耳は飾りかなんかなのだろうか。

 

「たぶんさ・・・同族嫌悪だったんだよ」

 

繋がれている手に、少し力が入ったのが分かった。それを同じくらいの強さで握り返すと、彼女は一瞬驚いたような顔をして、安心したように目を閉じた。

 

「以前までの『君』を見てると、私は『私』の醜い所を見せつけられているようで・・・だから、八つ当たり、なのかな」

 

「随分と規模のデカい八つ当たりでしたね」

 

流石は魔王様。八つ当たりがもう世界崩壊寸前のレベル。もうこれ野に放っちゃいけないだろ。

 

「それだけじゃない・・・自分のことも嫌になって、ムカついて、でもどうしようもないから・・・代わりに君に当たることで自分にも攻撃してたんだと思う」

 

「そりゃまた・・・」

 

笑うしかない。

 

 

「・・・お母さんにも喧嘩売って・・・だからきっと」

 

ギュッと、俺の手がさらに強い力で握られた。

 

 

「ちゃんと、反抗期を迎えることが出来た」

 

 

「・・・じゃあ、もう子供じゃいられないですね」

 

「そういうこと」

 

本当に、とんでもない人だ。

 

けれど、悪くない気分だった。

 

結局、俺の青春は彼女無くしては成り立たなかったのだろう。

 

雪ノ下陽乃が居たから・・・俺は色々なものを手放せた。

 

雪ノ下陽乃が居たから・・・俺は見つけることが出来た。

 

 

雪ノ下陽乃だから・・・俺は求めた。

 

 

 

それが、俺の出した答え。

 

正さなくていい。誰かが問題を再定義する必要なんてない。解答者は俺で、出題者は『俺』で、答え合わせも俺がやる。

 

だからきっと・・・正解だ。

 

間違いだらけの俺が出せた・・・唯一の正解。

 

 

それが、雪ノ下陽乃だった。

 

 

「というわけで、このまま家に来てもらうよ。お母さんが会いたがってるから」

 

「だから道が違かったのか」

 

だと思ってましたよ!だってこの道、俺の家に帰る道じゃなくて陽乃さんの家に行く道だもんね!

 

「いやほら、今日はこま」

 

「小町ちゃんは『兄をよろしくです!』だって」

 

こまち・・・。

 

「とつ」

 

「戸塚くんは部活だもんね」

 

あ、ああ・・・俺の天使2人が早速潰された。

 

「雪乃ちゃん?ガハマちゃん?生徒会長ちゃん?」

 

「・・・い、いえ」

 

気持ち繋がれている方の手が痛い。なんでそっちが名前出して勝手に嫉妬してるんですかねぇ。いや可愛いしなんなら超可愛いし超可愛いまであるけど(錯乱状態)。

 

「まさか大穴の隼人?」

 

「絶対無いです」

 

絶対ないわーそりゃないわー。葉山と遊ぶとかないわー。

 

「なら他に何があるの?」

 

「えっ、と・・・」

 

「ほらほら、お姉さんに言ってみなさいな」

 

腕をブンブン振って楽しそうにしてらっしゃる。こうやって目に見えて上機嫌そうに見えてる時、それは大体不機嫌を隠している時なのだよ。これこの人と関わる時のマメな。

 

「全部潰してあげるから」

 

ほらもうこんなこと言っちゃう。

 

多分・・・これからもこんな日々が続くのだろう。

 

何度も間違えて、何度も傷付けて、傷付けあって、その度にまたこうして手を繋ぐ。

 

例え偽物でもいい。

 

例え贋作でもいい。

 

例え模造品でもいい。

 

 

俺はやっと・・・自分をちゃんと傷付けてくれる人に会えた。

 

自分が傷付けてもいいと、そう覚悟を決められる人ができた。

 

 

あなたと・・・雪ノ下陽乃さんとなら、その全てが俺にとってはかけがえのない本物だと、そう言える。

 

 

 

 

 

 

彼女はその手のまま俺の前に立つと、あの日と・・・合同プロムの日の夜と同じ笑顔で俺にこう言った。

 

 

「比企谷八幡・・・あなたに、依頼・・・いいえ・・・お願い」

 

「なんですか」

 

 

 

だからきっと、俺はこう言うのだろう。

 

 

彼女を、魔王を、愛しいその人を、

 

 

雪ノ下陽乃を前にすると、こう言ってしまうのだ。

 

 

 

 

 

その可愛らしい、彼女なりのワガママに・・・やはりと言ってしまうのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私と、共になりなさい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やはり俺の青春ラブコメの相手が魔王だなんて間違っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





まずは、これまで読んでくださった皆さまに感謝を。

投稿頻度にムラがあり過ぎて迷惑をかけましたが、なんとか最終話まで書き終えることが出来ました。

お付き合い頂いた皆さま、誠にありがとうございます。





さて、ではこの二次創作『やはり俺の青春ラブコメの相手が魔王だなんてまちがっている。』を書く上で私が解釈し、組んだ設定、及びその解説をします。



比企谷八幡と雪ノ下陽乃は、同類である。

これが前提にして結論ですね。

自意識の化け物という原作に出てきたキーワードの拡大解釈とも言えます。

誰かのため、そういう理由がないと動けない。そして、その誰かというのは自分の中にある『この人はこうだ!』という一種の固定観念にも似た誰か。それを守るために2人は行動する・・・というのが私の解釈にして、追加した設定です。

それが顕著に現れていたのは八幡の方ですね。

『雪ノ下雪乃でも嘘をつく』

事故のことを知らないような態度をしていたことから、この現実を中々受け入れることが出来ない心情が原作にて語られていました。それを穿って複雑に書いたのがこの作品になります。

だから冒頭、文化祭でのスローガン決めの会議後、彼は『また明日』と伝えてくる雪乃に『またな』ではなく、『じゃあな』と返したのです。その戸惑いこそ、『雪ノ下はこう在るべき!』という像に歪みが生じている何よりの証拠・・・それが原作からの別れ目ということです。原作ならば受け入れることの出来た『それ』を、受け入れることが出来なかったんです。

しかし、陽乃とのやりとりや様々な出来事を通してそれがカッコつけだったということに気付きます。

『こう在ろうとしている雪ノ下雪乃』

が、いつの間にか

『雪ノ下雪乃はこうで在るべき』

という全く逆の捉え方に変わっていたのです。

簡単に言えば、憧れているという表現をしたくなかった・・・何故なら、それはどこかダサいから。思春期の男子は憧れているなんて言葉、簡単には言えません。

もっと言えば、『俺が憧れる雪ノ下雪乃はこうでなきゃ認められない』なんて言い方をしてもいいですね。

簡単な話、恋をしていたんです。

けれどその憧れを憧れとせず、意地になって雪ノ下雪乃を否定してしまっていた。

『こんなの俺が憧れた雪ノ下雪乃じゃない!』みたいな感じです。

それこそが、彼が抱いた傷なんです。つまり、『比企谷八幡は雪ノ下雪乃には必要なかった』この言葉に繋がります。

その憧れは恋心となり、固執となり、共依存になろうとしていた。

どうにかして自分が憧れた、自分が好きな『雪ノ下雪乃』でいてほしい・・・なら、そのままで保存してしまえばいい。それを脅かすものは自分が排除すればいい・・・そう、依頼の解消です。

自分が傷付けば『雪ノ下雪乃』に傷が付くことはなく、比企谷八幡は雪ノ下雪乃にとって必要であるという実感に酔えるんです。

けれど、そこを陽乃に突かれて偶像たる『雪ノ下雪乃』は壊されました。

そして、始まりであった憧れを忘れていた(カッコつけを辞めてその感情と向き合った)ことから失恋をしたと気付くのです。

『自分が好きだったのは、自分が思い描いていた雪ノ下雪乃だ』と。

中学生の頃の彼が、折本かおりにそうしたのと同じようにです。

ここまでが、この魔王シリーズで少し改変させた彼です。



次に、八幡が自意識の化け物たる所以とは何か、ですね。

これに関しては賛否あるでしょうが、私が出した結論は『加害者にも被害者にもなりたくない、究極の自己完結』という根底です。

自分が誰かを傷付けることなんてしたくないし、自分が誰かに傷付けられるのなんてもっと嫌だ・・・というものです。

彼のやり方、良く言えば自己犠牲、悪く言えば自己陶酔・・・あれはそれが濃く出てると思います。

自分が傷付けば、自分は自分にだけ傷付けられたという実感を抱くことが出来ます。

『これは俺が考えてやったのだから、それによって起こる全てのことは俺が背負って然るべき』なんて感じです。

そして、それは同時に他人の傷を無視することになります。

傷・・・27話の最後の独白にもあった通り、『心』とも言えます。

『君が傷付くのを見て、痛ましく思う者が居る』

平塚先生の言葉そのものですね。

何より、当人が背負うべきだった傷や痛みを奪う結果にも繋がります。人は失敗や挫折、傷や痛みから学習をして成長することが出来ます。しかし、彼のやり方はそれを剥奪してしまう結果になってしまいます。

例えば、原作での告白。

海老名も、戸部も、葉山も、振られたからこその成長がありました。

しかし、比企谷八幡という男の横槍によって現状維持が成され、それによって得るはずだった成長の機会は永久に封印されてしまいました。

なら、加害者になりたくないとはどういうことか?

これは上記にもある通り『誰かのため』という大義名分です。

『この人のためにやるのだから』という言い訳は非常に便利です。


そして、生徒会選挙という八幡にとって最大の転機が訪れます。あらゆる歪み、責任、読み違い、そういったものがきちんとした形で露呈しました。

つまり、ここがターニングポイントです。奉仕部の在り方、雪乃や結衣との歪みなどが引き金となりようやく自覚したというところでしょうか。


そこで、この二次創作ではその本来のターニングポイントの発端を消し飛ばしました。端的に言えば、みんな大好き『修学旅行の嘘告白』の除去です。

それによって、彼が本来行うべきだった現状維持という現状打破を無くし、きっちりと成長の機会として突き付けました。

最善ではなく、しかし最適であるというのが彼のやり方の限界でしょう。

付け加えて言うのなら、これはある種酷いやり方です。傷や痛みをまとめて引き受けている以上、それは『比企谷八幡』という偶像が守ってくれるという実感を与えてしまうからです。原作での陽乃の言う『お兄ちゃん』そのものです。自立を、成長を、それらを与えない方法とも言えるでしょう。

勿論これはある側面から見ればという話です。私は八幡のやり方自体に反対はありませんが、それを過剰に持ち上げるつもりもありません。

彼のやり方では、本当に救いたい人は救えません。

何故なら、彼のやり方で救われているのは『比企谷八幡』という虚像だけだからです。

だからこそ、彼は自意識の化け物なのです。

自分が傷付ける相手は自分だけであり、自分は自分にしか傷付けられていないという自己完結。

間違いだらけの彼が出した解。

これが私の解釈です。






では陽乃はどうなのか?

これは色々と考えさせられました。

例えば、自由を求めているのか?

例えば、雪乃にどうなってほしいのか?

例えば、雪乃が好きなのか?嫌いなのか?


例えば、強化外骨格とはなにか?


それぞれに焦点を当てたSSは他の私とは比べものにならないような書き手の皆さまが書いています。


その上で、私が出した結論は『究極の自己矛盾の体現者』です。

彼女の在り方は、有り体に言えば理想。

即ち『雪ノ下陽乃はこうで在るべき!』ということです。

もう分かりますね。

そう・・・彼女の行動原理はこれに尽きます。

雪ノ下陽乃は姉で、姉は妹を大切にするべきで、だから妹のためになにかする。

だって『雪ノ下陽乃(姉)はこうするべきだもん』

雪ノ下陽乃は雪ノ下の長女で、雪ノ下の長女はそれに相応しいようになるべきで、だから完璧でなければいけない。

だって『雪ノ下陽乃(雪ノ下の長女)はこうするべきだもん』

理想と事実の連想ゲーム・・・そこに感情はありません。

これが作中で述べられた『主観がない』ということです。

だから彼女は雪ノ下雪乃というフィルターを通すことで主観を得ることが出来るんです。

『雪ノ下雪乃にとって正しいか?正しくないか?望ましいか?良いか?悪いか?』

という主観を。

しかし、そこに自分と近しい者を抱えた八幡を知ります。

彼女は結論づけてしまったのです

『比企谷八幡をフィルターに据えれば、雪ノ下陽乃は主観を得ることができる』と。

簡単な話です、自分と近い人が言った意見は信用に値するし自分も同意見の可能性が非常に高い。

言葉にすれば、本当にこの程度の認識です。

じゃあ何が問題だったのか?

大きく分けて2つあります。

1つ、雪ノ下陽乃に近しい存在がそもそも存在しない。

1つ、仮に存在したとしても自分と近しい者ならば簡単には落ちない。

故に、陽乃は時間をかけて八幡の支えを全て壊していったのです。

これらを踏まえた上で、最後の疑問にぶち当たります。


何故、そこまでして陽乃は主観を得たいのか?


これこそ私が出した結論・・・究極の自己矛盾の全てです。

彼女が主観を欲した理由、それは他でもない『自分』を否定するためです。

比企谷八幡が否定されるのならば、同類である私も否定されるべき。

この理論を完成させるために、主観が必要だったのです。

客観と理想と事実でしか動けない彼女と、『誰かのため』という大義名分がなければ動けない彼・・・それを破壊するための主観こそ雪ノ下陽乃が欲しかったものです。

『それはまちがっている』

その一言をハッキリと言える、自分という名の主観が。


要約すると、客観によって出来上がった『自分』を、主観によって生まれた自分で否定することこそがこの魔王シリーズでの陽乃の目的です。

そうすれば、やっと雪ノ下陽乃になれるから。






そんな2人が求めたものは、『自分で在っていいという確かな肯定』でした。

きっと、これをもっと簡単に表せる言葉を知っていると思います。

無条件に存在を認められ、無償でそれは与えられ、当たり前のように・・・生まれついた時からそれを貰っている。

ここに居てもいい、それでいい、それがあなただよ、この世界はあなたの居場所だよ。


そういうものをまとめて引っ括めた言葉







そう・・・『愛』です。








これは、自分が分からなくなってしまった2人が、自分と愛を探す物語でした。






恐らく思った人が居るであろう『本物』についての説明。

原作における最大のキーワードにして核心である『本物』・・・ここまでお付き合いして頂いた皆さんは知っての通りだと思いますが、この『本物』が原作のそれとは大きく異なっています。

そう、偽物でもいいという独白ですね。

第26話において書かれたそれです。

今回書かせてもらったこの二次創作において、『本物』とは、『本当の自分』と『本当のあなた』の間に生まれた全てを指しています。

1人しか居ない自分と、1人しか居ないあなたとなら、生まれてくるものも全て1つしか存在しない。

誰かがやったこと、既に生んでいたものでも、それらを行う者が1人しか存在しない者同士ならそれは世界に1つしか存在しない偽物になり得る。


例えば、デートするという行為は誰もがやっています。しかし、八幡と陽乃のデートはこの2人でなければ成り立ちません。デートという行為そのものは誰かに倣った偽物だが、八幡と陽乃の2人で行うデートは本物(これ以外に成り立たず、存在しないため)となる。

それが八幡の言った

『贋作でもいい。模造品でもいい。レプリカでもいい。偽物でもいい。


それがたった一つしかないのなら、それでいい。

たった一人しか居ないあなたとのものなら、それがいい。




ただ俺はずっと、この人との全てを・・・本物と呼びたいのだ』


という独白の意味です。


『あなたと過ごす時間が、俺にとってはかけがえのない大切なものです』という、どこか気持ち悪い言い回しの、とても面倒なラブレターなんです。







そして、最後にタイトルについて。

『魔王とは・・・』から始まるタイトルは、実は自意識であり、こうで在るべき、こうで在りたいという理想と願いを指しています。



『自分はこうで在るべき』と『自分はこうで在りたい』





だからこそ、あの最終話のタイトルに繋がります。

魔王というものは、あなたが死ぬまであなたの前に立ち塞がるボス。

ラストまで立ち塞がり続けるボス。


そう、ラスボスです。


これが一番オーソドックスな魔王のイメージではないでしょうか笑

ま何が言いたいかと言うと、『自分にとっての最大の敵とは自分に他ならない』ということです。どこでも言われているような有り触れた言葉ですが、これは真理だと思います。

全28話の本編を通して伝えたかったのはこれです。




自分についてを考える機会の1つとなれば私としてはとても嬉しいです。






とまぁ、ここまで色々と書きましたがこれは私の解釈に加えて、物語を書くために追加した設定です。解釈違いは当然ありますし、キャラ崩壊と言えばそうだとしか言えません。

そして何より、所詮は二次創作です。こんなに語ることすら本来ならタブーなのでしょう。なのでこの場を借りて謝罪致します。



ですが、私としてはこれこそが私の思う最強の八陽です。


長く語らせて頂きましたが、これにて本編完結です。




重ねて、読者の皆さま、長い間のお付き合い誠にありがとうございました!






















































P.S.
この八陽は、まだ終わらないよ。
















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