鉄屑人形 スクラップドール (トクサン)
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1話

最初の数話はゾンビバトルです。
基地に戻るまでは逆転要素薄めとなります。
主人公が四脚なのは私が四脚大好きだからです。


『最終試験の概要を説明する』

 

 世界が揺れていた。

 

 いや、揺れているのはこの輸送機と自分達か。

 刑部は輸送機の小窓から外を眺めそう考える。すっかりと廃れてしまった第八区、旧東京。飛行型による襲撃を防ぐ為低空飛行にて海上を駆ける大型輸送機は己と他三名を乗せて空を往く。

 

 会話はなく、また表情も薄暗い赤ランプのみでは良く見えない。耳元のAS通信機からは無機質なオペレーターの声が聞こえる。

 

『作戦区域は第八区旧東京都、目的は江戸川区内に侵入した感染体の排除となる、合格最低水準(アンダーライン)は感染体の三体排除、兵装は各々に支給された武装のみ使用可能、小隊行動を推奨しているがやり方は一任する、単独で感染体を排除し帰還するも良し、他人と歩調を合わせて排除するも良し、ただし同行者であるα07-768は監督役としての同行である為助力は認められない、帰還時のランディングポイントは戦闘区域の江戸川区後方、千葉防衛線付近、船橋港とする、回収時間は作戦開始から二時間、これ以上の待機は許可されていない、規定時間を超過した場合帰還者の有無に関わらず当機は離陸を開始する、無論作戦終了時間に間に合わなかった者は撃破数に関わらず失格となる――まぁ、失格以前に死ぬ事になるだろうがな』

 

 刑部はゆっくりと甲鉄に身を預けながら通信に聞き入る。感染体に殺されても失格、作戦時間に間に合わなくても失格、勝手に戦闘区域を抜け出しても失格。大丈夫、大体の事は頭に入っている。息を吐くと、機内の冷たい空気が歯に染みた。

 機体の揺れがひと際大きくなる。

 

『時間だ――ドロップゲート、開放する』

 

 ピーッ、と。右腕に装着した電子デバイスが音を鳴らした。同時衝撃が機体を駆け抜け、輸送機後方のドロップゲートがゆっくりと開放される。旧東京に侵入したのだ。現在機体は江戸川区上空を飛行している。風が吹き込み、髪が大きく流される。徐々に露となる外界の景色。地上は然程遠くない、飛行型を警戒して低空飛行のまま侵入したのだ。ASの死因で最も多いのは輸送機諸共撃墜されるというものであった。それを考えると、一秒でも早く降下したいというのが本当の所。

 

『では作戦開始、試験小隊降下せよ』

「了解」

 

 降下は――自分が三番手だった。

 自分の前に二人、女性が降下準備を開始する。

 

 一人は二足歩行型AS、もう一人は逆関節型ASを身に纏っている。動く度に駆動音が響き、先に二足歩行型ASがゲートの縁に立った。人型に最も近い、スマートなフォルム。ASの中では最も装甲部位が少なく、汎用機と言っても良い多機能性を誇る。確か適性者が最も多いASであった。

 

「β09-223、降下開始します」

 

 告げ、彼女は虚空に身を躍らせる。姿は直ぐに下へと消え、見えなくなった。

 次に逆関節型ASを身に纏った女性が前に出る。反対に曲った逆関節型、その為二足歩行型よりも全長が高くなり、現に輸送機の天井に頭をぶつけそうであった。肩には大型の狙撃砲を担いでいる。

 

「し、深海天音、行きます!」

 

 まるで自分の体を抱きしめる様に腕を回し、目を瞑って外に飛び出す女性。刑部はそんな二人の降下を見守った後、ゆっくりと前に身を進めた。

 重々しく床を打ち鳴らす金属音、それが四つ。己が身に纏うのは『四脚型AS』。

 

「藤堂刑部、出撃します」

 

 告げ、四つの足で輸送機を踏みぬく。輸送機が大きく揺れ、反対に刑部は虚空に身を躍らせた。

 

 ■

 

「っとッ!」

 

 ズシン! と、コンクリートを踏み砕きながら着地を果たす。接地するよりやや早くスラスターによる減速を開始し、後はジョイントの衝撃吸収機構によって損傷なく着地する。重量四脚型と呼ばれるこのASは只ですら自重が重い。下手な着地をすればそれだけで大破しかねないのだ。一際、高所からの落下には注意を払う必要があった。

 

 さて、他の面々は何処に降下したのか。

 

 江戸川区である事は確かだ。刑部は江戸川区の中でも比較的背の高いビルの屋上に着地した。これが老朽化した建物であったなら床が抜けてそのまま倒壊――なんて可能性もあっただろう。本当ならば国道辺りに着地したかったのだが、やってしまったのは仕方ない。

 それに高所の方が周囲を良く見渡せる。

 

 刑部は背部の高倍率スコープを前に引っ張り出し、それを以って周囲の観察を開始した。幸い、この周辺にこの建物より背の高いビルはない。敵を見つけるのも、味方を見つけるのも、比較的容易であった。無論、代わりに飛行型に注意する必要はある。

 

『こ、こちら天音です、現在ポイントB、えっと……旧葛西付近に着地しました!』

 

 そんな風に周囲を見渡していると耳元から天音と名乗った女性の声が響いた。刑部は無事に着地出来たという仲間に安堵の息を零し、それから考える。

 

 協力するか否か、それは一任されている。無論、単独で動いて感染体を三体、さっさと撃破して帰還するのも手だ。重量四脚ASの適性者は少ない、簡単な敵であれば己のみで撃破する自信もある。下手な奴と組んで足を引っ張られ、挙句の果てに死にました――何て言うのは冗談にもならないのだ。故に刑部はこの通信に返答する必要はない。

 だが。

 

「こちら刑部、現在ポイントC、旧一之江通り沿い、建物の上に着地した――そちらを視認できない、IFFの起動を請う」

『ぅえ!? ぎ、刑部さん、ですか!?』

「………」

 

 刑部は一瞬言葉に詰まった。予想していた返答と随分異なったからだ。しかし次いで、慌てながら『す、すみません、IFF起動しました!』と報告して来る。敵味方識別装置によって戦術マップ上に青点が確認出来た。今回は協力も任意という事で、初期状態ではIFFの一部機能――具体的にはマップ上での機体信号発信――がオフラインになっている。

 

「確認した――此方もIFFマッピングをオンラインにしました、場所は分かりますか?」

『えっと……はい、確認しました! 結構近いです!』

「えぇ、一度合流しましょう――α型とβ型のお二方も、どうですか」

 

 刑部は恐らくこの通信も聞いているだろう、監督役と同じ試験に臨む隊員に向かって声を掛ける。どうせなら四人で固まって動いた方が良い。手柄を譲り合って九体――監督役の分は含めない――そう難しい話ではない筈だ。

 

 しかし、返答はなかった。監督役の無回答は十分考慮に入れていたが、もう一人の隊員が単独で事に臨むとは思っていなかった。少し意外に感じながらも、しかし無理に誘っても良い未来になるとは思えない為、呼びかけは一度だけに留めておく。

 単独戦闘が好みなら止めはしない、所詮は即興の部隊なのだから。

 

「天音さん、そこから移動してポイントC付近、中葛西一丁目に向かって下さい、其処で落ち合いましょう」

『わ、分かりました!』

 

 刑部はそう口にし、一息に屋上の床を蹴った。そのまま四脚ASは宙を舞い、スラスターを使って加速。建物の上から上を飛び跳ねていく。四脚ASは悪路に強く安定性が高い。重装であるが故にやや俊敏性に欠けるのが欠点だが、万能の兵器など存在しない。刑部はこの四脚の特性が気に入っていた。

 

 ――遠目に煌々と点滅する噴射光が見える。恐らく天音のスラスターだろう。

 

 逆関節型は上下の衝撃に強い為、主にトップアタックを好む。そして山岳地帯や積雪、沼地など足場の悪い場所は苦手だが、反面都市部の様な凹凸の激しい地形は大の得意だ。その俊敏性と凄まじい三次元戦闘能力を生かし、火力で以って敵を殲滅する。

 そう考えると、彼女とエレメントを組めるのは僥倖だった。

 

「お、お待たせしました!」

「いえ、先に到着したのは天音さんですし」

 

 指定場所に到着すると、交差点からやや離れた場所に天音は身を隠していた。刑部は天音の前に着地し、アスファルトを踏み砕く。

 

 しかし、重装四脚も中々の大きさを誇るのだが逆関節型ASは更に高い。頭二つ分は違う。上から自分を見下ろす天音は頬を染め、何処か余所余所しいというか、視線が泳いでいる。最終試験だから緊張しているのだろうか? 刑部は内心でそんな事を考えながら天音に問いかけた。

 

「途中、感染体は見えましたか?」

「えっ、アッ、はい! えぇと……此処と、此処に一体、それに遠目ですが飛行型がこっちの方に漂っていました」

 

 天音は戦術マップをホログラムで展開し、ポイントにピンを刺していく。目が良いな、良くそんなに見つけられたものだと感心する。戦術ホログラムを覗き込むと、反対に天音は身を引いた。

 

「……あの、何か?」

「ひぇッ、あ、いえ、その」

 

 流石に何というか、含む物を感じたので刑部は問いかける。すると彼女は目を逸らしながらもじもじと指先を擦り合わせながら問うた。

 

「ぎ、刑部さんは、そのぅ、あのぅ」

「?」

「だ、だだッ……男性の方、ですよね?」

「自分が女性に見えるのなら、一度医局に掛かる事をお勧めします」

「で、ですよねぇ!」

 

 刑部は挙動不審ともいえる天音に胡乱な目を向ける。ASは巨大ロボットでもなければ全身を装甲で覆う対爆装甲衣服でもない。たとえば天音の逆関節型ASであるならば、その股下から全ては機械脚部で覆われている。しかし上半身は全く――とまでは言わないが、聊か不安になる程に無防備である。

 

 背中には基本骨格となるフレームが装着されており、両腕から肩に掛けては武装使用に伴う衝撃吸収、必要筋力から強化外骨格で覆われているものの、顔面、胸元、腹部といった部分は単なる衣服である。

 

 同じように刑部も又、四脚部位は装甲で固められているものの腰から上は腕と肩を覗き殆ど防御性能を持たない。何なら飛来した瓦礫一つで致命傷を負いかねない。刑部はこの作戦を生き残ったら、まず自分のASに増設装甲を取り付けると決めていた。しかし最終試験では【改修なしの素体でのみ出撃】という条件があるのだから仕方ない。尚、兵装もまた御上から支給された物のみである。

 

 まぁ、何だ。

 兎角、何が言いたいかと言えば男女の違いなど一目見れば分かるのだ。胸のふくらみもそうだし、顔立ちもそうだった。こんな平らな胸に特段女性らしくもない顔立ちを見れば男だなんていうのはどんな馬鹿にでも分かる事だ。

 

「いえ、そのぅ、男性のAS乗りが少数存在する事は聞き及んでいたのですけれど、こんな若い男性がまさか、私と同じ新兵として入って来るなんて、思っても、いなくて……」

「あぁ」

 

 どこか遠慮がちに俯き、そんな事を問いかけてくる天音。刑部は周囲を見渡し、敵影が無いことを確認しながら何でもない事の様に答えた。

 

「募集課に重装四脚のAS適性があるって言われて、勧誘されたんですよ、別に何か崇高な目的がある訳でもないですし、特別な理由もありません、誘われたから来ただけです」

「そ、それだけですか?」

「えぇ」

 

 刑部は肩の力を抜いて答えた。ただそれだけだった。理由などない。

 

「それに、金払いも良いですし」

 

 刑部は前まで勤めていた店の事を思い出し、そんな言葉を吐き出す。前の仕事も決して給金は安く無かった、寧ろ高い部類に入るだろう。それなりに楽も出来たし、豪華な食事にもありつけた。

 けれど――自分はその場所を捨てて、此処に居る。それが全てだった。

 

「……さぁ、余りお喋りばかりしていると失格になっちゃいますよ、さっさと感染体とっちめて帰りましょう」

「あっ、と……す、すみません!」

 

 言葉を切って移動を促す。会話するのは吝かではないが、現在は最終試験の最中である。話に現を抜かしてバックアタックで殺されましたなんて死に様、絶対に御免であった。

 

「取り敢えず、先に天音さんのキルスコアを稼ぎましょう、俺が敵の足を止めますから、背中の砲で仕留めて下さい」

「えっ、い、良いんですか……?」

「えぇ、どうせ内地に進む程馬鹿みたいに数は増えるでしょうし、それに天音さん、俺を見捨てて自分のスコアが取れたらさっさと帰還する……とか、しないでしょう?」

「も、勿論ですよ! そんな事絶対にしません!」

「なら信頼します」

 

 天音は首が取れてしまうのではないかと心配する程首を左右に振るうので、刑部は思わず苦笑いを零す。しかし、これ程に馬鹿正直――というか隠し事が出来そうにない性格をしているのならば、相手を利用するだけ利用して遁走、なんて事はしないだろうと刑部は断定した。

 

 まぁ、最悪そのまま見捨てられても自力で試験を乗り越えるだけだ。その時はその時、自分に見る目が無かったと諦める他ない。

 

「さて、それじゃあ行きましょう、まずは近い奴から……出来れば多数は避けて、二人で一体を倒す形で」

「は、はいッ!」

 

 



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2話

 

 感染体――デイ・アフターによって変質した、元人間。

 

 刑部はスコープの先に見える異形の怪物を眺めながら、そんな事を考える。

 肥大化した筋線維、飛び出した臓器、零れ落ちそうな眼球、剥き出しの歯茎。此方まで漂ってくる腐臭は死体のそれ。しかし緩慢な動作で周囲を見渡す感染体は生きている様に見える。

 

 死体が、意志を持って動く。矛盾だ、矛盾している。

 けれどその矛盾に世界は殺された。刑部はスコープを脇に退かし、サブアームを畳んで背中に収納した。

 

「いた、丁度一体……こっちには気付いていないから、狙撃で倒せると思います」

 

 声を潜めながら背後を見る。そこには刑部のやや後方に、身を縮こまらせた天音が立っていた。

 

「狙撃、ですか……」

「そう、背中にあるライフル砲で此処から狙撃、というか砲撃、百メートル切っているし、いけるでしょう?」

「え、えぇ……まぁ、はい」

 

 何とも濁った答えであった。刑部がじっと天音を見つめ続ければ、どこか恥ずかし気に目を伏せた天音は、「じ、実は」と口を開く。

 

「私、機動戦ばっかりやっていて、静止状態からの砲撃というか、狙撃というか、その……自信が、あまり」

「動いて撃つ事は出来るのに、止まって撃つことが出来ないのですか?」

「は、はい……その、ごめんなさい」

「……まぁ、最悪外してもそのまま突っ込めば良いでしょう、当たれば儲けもの、外して元々、それくらいの気概で挑めば――流石に撃ち方が分からない、って事は無いですよね?」

「そ、それは勿論! はい!」

 

 勢いよく首を縦に振る天音。逆関節型ASに適正を持つ機械人形、或いは人物というのは同時に狙撃適正も持つという話であったが――彼女の場合、やや特殊であるらしい。機動戦を行いながら砲撃は当てられるという、しかし逆に止まって撃つとなると自信がない。

 

 普通、逆ではないだろうか。

 天音はいそいそと砲撃準備を始め、刑部は周囲を警戒しながらどこか呆れた様な目で天音を見ていた。

 

「そ、それじゃあ……いきます」

「えぇ」

 

 天音は背部の砲を展開し、同時に脚部を開いて衝撃に備える。腰部から斜めにアンカーを打ち出すと、アンカーに沿って骨子を組み衝撃吸収ボルトを固定した。鈍い音を立てて突き出した砲の先が感染体を捉える。

 

「砲角調整、L2Sリンク、砲弾装填、弾頭カテゴリーA」

 

 たどたどしい口調で順次確認を行う。ガコン、と砲に弾頭が装填される音が鳴った。機体がやや前傾に傾き、重心が下がる。砲撃姿勢は整った。突き出した砲が僅かに、上下に揺れた。

 

「目標、成体(アダルト)――撃ちます!」

 

 告げ、砲が火を噴く。

 

 爆音。衝撃が空気を揺らし、凄まじい振動が地面に伝わる。砲火は一瞬、そして轟音を打ち鳴らした此方に気付いた感染体が素早く顔を二人に向けた。その反応の速さたるや正に人外。しかし砲撃の速さに勝るかと言えば否だ。

 飛来した砲弾は金切り音と共に着弾し、感染体の躰に突き刺さった。

 

「や、やったッ!」

 

 砲弾は爆発せず、そのまま感染体の肉体を貫通し背後のビルに着弾した。二階部分を突き抜けて風穴を空ける。立ち上る砂塵、感染体は砲撃を受け地面に勢い良く叩きつけられた。しかしまだ終わっていない。感染体に着弾はした、しかし被弾箇所は中心からやや逸れた左肩部。左腕が宙を持って成体は地面に転がったが頭部と胸部を未だ健在。

 

「まだ生きています――来ますよッ!」

 

 刑部が叫ぶと同時、砲撃を受け左肩部を失った感染体が地面を蹴りつけ跳ね上がった。四肢の一本、僅かな欠損、感染体にとっては大した負傷ではない。

 

「わ、わ、わッ!」

 

 跳ね起き、此方に向かって駆け出す感染体。天音は腰部のアンカーを切り離し、素早く跳躍を開始する。臀部のスラスターが火を噴き十メートル以上の跳躍を見せる。逆関節型ASはその機動性を高める為に白兵戦能力が低い。少なくとも、感染体と取っ組み合いになればその重量差に押しつぶされてしまうだろう。

 

 故に上に逃れる、正しい選択だ。

 

 しかし上空に逃れた天音とは反対に、刑部は四脚を広げ待ちの構えを見せた。

 地面を踏み砕き迫る感染体。その姿は正に筋肉達磨。四メートル近い筋肉の塊など恐ろしいを通り越して悍ましい。その衝突は戦車の突撃に匹敵する。

 

「刑部さん!」

「大丈夫!」

 

 四脚のぶ厚い装甲板の中からパイルが地面に打ち出される。ガチン、とアスファルトと噛み合う脚部。機体を固定する為のそれは本来銃器を使用する際に用いるもの。しかし。

 

「四脚にはこういう使い方もある……ッ!」

 

 刑部は残った右肩を突き出して突っ込んでくる感染体に向け、甲鉄の両腕を突き出した。

 

「来いッ!」

 

 瞬間、被撃。

 

 視界が揺れ機体と肉体に凄まじい衝撃が走る。戦車の突貫というのも強ち間違いではない。かなりの重量を誇る四脚ASが氷の上に居るが如く地面を滑って行く。地面に打ち込んだパイルが金切り声を上げ火花を散らした。

 

 だが、耐え切る。履帯型に次ぐ重量機の名は伊達ではない。

 

 突き出した腕に額を押し付け、歯を食いしばって堪える。そして――停止。凄まじい衝撃に腕を痺れさせながら、刑部は敵の突貫を凌いだ。

 止まってしまえば後は。

 

「こっちの、番だッ!」

 

 地面に埋まったパイルを抜き出し、刑部の体が浮き上がる。肩を突き出したまま動かぬ感染体の前に、四脚の前脚二本が広がった。

 

 後ろ二本で機体を支え、もう二本を攻勢に回す。四脚は元々重火器の運用に設計されたAS、しかし白兵戦が出来ぬ訳ではない。その重量と【足数】を上手く使えば白兵戦特化のASにも負けぬ。

 

「叩き潰してやる……!」

 

 両腕で感染体の肩を掴んだ刑部は感染体の胸部、心臓目掛けて脚を振るった。しかし僅かに目測が外れ、振るった脚部は感染体の頭部を吹き飛ばす結果となる。

 

 着撃の瞬間に機体固定用のパイルを打ち出し、即席の武器とする。あれ程の酷使にも耐えうる頑強なパイルは感染体の強固な筋線維すら撃ち抜き、爆散した感染体の頭部は脳髄を撒き散らしながら後方へと弾けた。

 狙ったのは心臓だが結果は同じ。

 頭部を失った感染体は数歩蹈鞴を踏んで後退し、そのままどう、と地面に倒れた。

 

「ぎ、刑部さん!」

 

 跳躍し、上空に逃れていた天音が戻って来る。衝撃吸収機構を活かし難なく着地した天音は刑部の前に立つと、どこか慌てた様に刑部の体を見た。

 

「す、すみません、私ばっかり逃げて、け、怪我とかしていませんか!?」

「大丈夫ですよ」

 

 僅かに付着した感染体の血を拭い、刑部は告げる。手に付着した血を払い、刑部は倒れ伏した感染体を見た。頭部を失った彼奴は既にぴくりともしない。

 

「それよりすみません、(とど)めは天音さんに譲るべきでした」

「い、いえいえ! 流石にあの状況でFF(フレンドリーファイア)を恐れず撃ち込む度胸はないので!」

「いえ、別に銃火器でなくとも、背後から頸を刎ねれば良いでしょう」

「……その、私、白兵戦も苦手、でして」

「………」

 

 暫し、言葉を失う刑部。

 この女性は果たして、何故ASに乗ろうと思ったのか。思わず疑問に思ってしまう刑部であった。

 

「で、でも凄いですね! 話には聞いていましたけれど、四脚ってそんな使い方も出来るんですね!」

 

 一転して、目を輝かせながらそんな事を告げる天音。感染体と真正面から殴り合って勝つ、そんな設計思想のASは存在しない。『まず避ける』、それが全てのASに共通して言える事であるが故に。

 

「えぇ、まぁ……自分は習った人が人でしたから、少々『普通の四脚』とは違うかもしれませんけれど、慣れれば結構便利なんですよ」

 

 四脚を器用に操りながら、刑部は苦笑を零す。

 殴って良し、撃って良し、守りも固く安定性も高い。何なら壁を無理矢理上る事も可能で――ただし死ぬほど遅い――欠点は俊敏性に欠ける事。その特性上、適正を持つ人間が極端に少ない。専ら、搭乗するのは機械人形(マシンドール)である。

 

「次は、天音さんが前衛をやりますか、元々四脚は重火器による支援が主ですし」

「は、はい! 頑張ります!」

 

 ふん、と鼻息荒く拳を握る天音。しかし、その頑張りが空回りしないことを祈るばかりである。火力と俊敏性に富む逆関節型ASと組めるのは僥倖――と最初の己は思考したが。

 今は少しばかりその意見を撤回したくなった刑部であった。

 

 ■

 

 この世界の現状を告げるならば、一言で足りた。

 

 ――絶滅寸前。

 

 人類という種が栄えていたのは、もう随分昔の事の様に思う。事実は小説より奇なりとは言うが、どこぞのB級パニック映画をなぞる様な未来が待っていると誰が予想しただろうか? 或いは、この未来が遠い宇宙の果てにあるどこかの星の創作物で、『原作』と呼ばれる未来予知によってレールを敷かれた星であるのならば、超常能力だろうがESPだろうが構わないから携えて救って欲しいというのが本当の所だ。神に祈る者は終ぞ見なくなった、そんなものに縋って救われたものが居ないからだ。

 心は救えても命は救えない。人の器の、何と脆い事。

 

『デイ・アフター』によって旧日本、現第八地区は陥落した。

 現在は旧千葉いすみより北太平洋側に建設されたメガフロート、ウォーターフロントに人々は移り住んでいる。巨大な浮体ブロックを繋ぎ合わせた、巨大浮遊構造物。収容可能な人員は決して多くない、とても日本全国民を収容できる広さはなかった。しかし世界を含め第八地区はその人口を大きく減らしていた為、大した問題にはならなかった。

 

 世界総人口九十億――そして現在、確認されている世界の総人口は十億を割る。

 そして第八地区と呼ばれる旧日本の人口は、凡そ九百万人。

 

 嘗て存在した旧東京都の総人口程度の人間しか生き残っていない。日本国内の土地のみでは賄いきれず、人類生存圏拡大の策として建設したウォーターフロントが今や唯一の安住の地とは、何とも皮肉な話だ。彼等、彼女等はメガフロート内部にて、その僅かな数の命を懸命に繋いでいた。

 

 WDO(世界感染体対策機関)は十年以内に人類が亡ぶ可能性が高いと謳っている。それは、過去十年の人口減少比率を見れば明らかであった。

 

 そして何より、人類滅亡の最も分かり易い要因として、男性体の深刻な不足がある。

 

 デイ・アフターの出現より十年間、戦争は未だ続いている。五体満足で戦える男性は、戦争初期に大勢死んだ。赤紙の復活――戦場では兵士が死に、その度に兵士として求められる年齢は引き上げられ、同時に引き下げられ、老いも若いも大勢死んだ。このメガフロートに人類が押し込まれるまで、国民は本土にて感染体と戦い続けたのだ。しかし押し留めようがなかった、元より勝ち目など無いに等しかった。

 

【敵は死体だった】、死んだ者から敵になった。此方が屍を晒せば向こうが増える、十にも、百にも、千にも。戦車の装甲を素手で引き千切る様な連中だった、そんなものを相手に小銃を抱えて何が出来るという話だ。高度に軍事的な訓練とやらを受けた精鋭は、一番に死んでいたというのに。訓練をする為だけの時間も、余裕も、人類には無かった。

 

 そして敗北した――故に、この地は第八地区(世界で八番目に失われた土地)と呼ばれる。

 

 



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3話

「はァッ!」

 

 掛け声と共に天音の砲が火を噴いた。轟音と共に飛来した弾丸が未発達の頭部を吹き飛ばし、その背後の建物を貫通する。重々しい音と共に倒れ込む感染体。綺麗に地面へと着地した天音は自身の戦果に歓声を上げ、喜んだ。

 

「や、やった! やりましたよ、刑部さん!」

「えぇ」

 

 刑部は彼女の言葉に確りと頷く。どす黒い血を撒き散らして死んだ感染体。白兵戦が苦手、止まって狙撃する事も苦手、となると碌に戦力にもならないのではないかと危惧していたが――どうやら杞憂だったらしい。

 

「狙撃に自信がないと言われた時は驚きましたが、機動戦の砲撃は本当に上手いですね」

「えへへ……キルハウスでは専ら、動き回りながら砲を当てる訓練をやっていたので、こればっかり上達してしまって」

 

 二体の感染体を華麗に仕留めた天音は緩い笑みを浮かべながらそう口にする。動き回りながらの砲撃、もっと先にやる事はあるだろうと口に出掛けたが、刑部は黙って微笑むだけに留めた。

 そして端に視界を寄せ時刻を確認する。

 

「試験開始から四十分と少しか……ここで五分ほど小休憩をとりましょうか」

「は、はい!」

 

 刑部と天音は油断なく周囲に目を向け乍ら近場の建物に身を寄せた。壁を背にして楽な姿勢を取る。開始から四十分、基本的に単独の感染体のみを狩っていたので少しばかり遅いペースだ。けれど急ぐ必要はない、既にキルスコアは二人で半分を達成している。

 

「あの、刑部さん」

「はい?」

「刑部さんは、その、どこのブロックの訓練センターでASの操縦を?」

 

 マップを眺めながら、さて次はどの辺りを探そうかと考え込んでいた刑部は、天音の言葉に顔を上げ手元のマップを掻き消した。

 

「俺はDブロックで訓練を受けました、あそこの教練隊には随分良くして貰いましたよ」

「D、ですか……私、Cまでしかないものかと」

「あのブロックは少々特殊なASが集まる場所でしたからね、具体的に言うと四脚とか、履帯とか、僅かですが空戦ASも」

「飛行型ASですか? ……本当に珍しいですね」

 

 刑部の言葉に天音は少しだけ驚いた様な顔を見せた。

 飛行型ASは本当に数が少ない、そもそもASという兵器の概念からして少しばかり畑違いの兵科とも言える。そもそも適性の獲得が難しく、またその特性上既存の航空兵器よりも腰が軽いものの、人が装甲を纏うという性質がある為無視できない制約が数多く存在する。『色々』と勿体ないASである。

 

「刑部さん、四脚以外に適正は出ていたんですか?」

「……確か二足歩行型と、逆関節型にも適性がありましたね、後僅かですが航空適性も」

「す、凄いですね、四脚を入れて四つも適性があったんですか」

「と言っても精々動かすのに難儀しない程度ってだけですよ、それに適正が沢山あると言っても、いざAS適性値の算出が終わった時、『飛行型の使用は認められないので、陸戦型ASの中から絞ります』って言われたんですから」

 

 そう言って刑部はからからと笑った。戦場に於いて陸も空も危険な事に違いはないが、飛行型の戦場は――はっきり言って酷い。

 

「し、仕方ないですよ、飛行型の損耗率は酷いですし、こういう言い方は良くないかもしれませんけれど……そんな酷い戦場に、貴重な男性を投入するなんてやっぱり難しいと思います」

 

 天音は僅かに俯き、唇を尖らせてそう口にする。数が少なく腰が軽い、それは即ち少数での転戦に次ぐ転戦。その損耗率は察して余りある。現在、飛行型ASに適正を持つ者は九割以上が機械人形である。天音の言葉に刑部は目を瞑った。

 

「陸戦ならまだ、一方的に嬲られて殺される事はありませんから」

「……戦場に、どっちがマシだなんてないとは思いますけれどね」

「それは、そう、ですけれど……」

「いえ、すみません、生意気言いました――以前の仕事の時に、結構AS乗りの方とか、バックス(後方任務)の方もいらっしゃっていたので色々戦地の話とか聞いていたんです、その時の事を思い出してしまって」

 

 自身の言葉に頸を引っ込めた天音に対し、刑部は笑って首を振った。天音は以前の仕事という言葉に反応し、横目で刑部の顔を見る。

 

「AS乗りやバックスの方となると、内側(セーフゾーン)ですか」

「えぇ、まぁ」

「えっと、詳しく聞いても……?」

「隠すような事でもないですし、構いませんよ」

 

 頷き、刑部は天気の話をするような気軽さで以って口にした。

 

「俺、内側で男娼をやっていたんです」

「だんしょ……!」

 

 それはどれ程の衝撃だっただろうか。天音は自身の手が甲鉄になっている事も気にせず、思わず口を抑えそうになった。一拍して、耳まで赤くした彼女はあわあわと忙しなく視線を左右に泳がせる。

 

「あれ、知りませんか? お金を貰って女性と性交渉を――」

「し、知っています! 知っていますから!」

 

 慌てて叫んだ。その位の知識はある、何も知らぬ無垢な少女という年齢でもないのだ。そして口の中で何度かその単語を繰り返し、それから視線は徐々に下へと流れた。そして横目でちらちらと刑部を見る。この男性が男娼、お金で女性に体を売っていた――そう考えると、こう、少し見方が変わるというか、何というか。

 

「だ、男娼ですか……男娼……」

「えぇ、少ないですけれど公的に認められた場所で働いていました、給金も良かったんですよ? 最近はこの手の職に就いても良いという人も居なくなって、めっきり供給不足でしたから、まぁ誰もやらないなら俺が、って感じで」

「そ、そんな軽い気持ちで……」

 

 何かもっとこう、悲壮な過去ややむを得ぬ事情があると思いきや、本人は至って普通――寧ろ呑気ともいえる雰囲気で以って語っていた。

 

「まぁ確かに最初は軽い気持ちでしたけれどね、存外、悪くないものですよ、直ぐ傍で必要とされるのって」

 

 刑部はそう言って笑みを見せた。傍からはごく普通に、何でもないかのように笑っている様に見えるだろう。しかし、その細められた瞳の中に言い表す事が出来ぬ妖しい光が灯っている事に天音は気付いた。刑部は背を丸め、四脚の装甲を撫でながら淡々とした口調で告げる。

 

「あぁいう店に来る女性って、勿論単純に発散させる為に来店する人もいるんですけれど、AS乗りとか、バックスの方だと、結構『生きる理由を探しに』来る人も多いんです」

「生きる、理由ですか……?」

「えぇ――戦友も仲間も死んで、家族も友人も死んで、戦場の中でぽつりとただひとりになって、今の時代、そんな人、結構多いんですよ?」

「ッ……!」

 

 笑ってそんな事を告げる刑部に、思わず天音は息を呑んだ。

 

「人間はそこまで強くないんです、人類の為とか、国の為とか、そういう目に見えない遠い何かの為に戦う事が出来る人は、皆が思う程多くないんです、誰だって本当はそうなんですよ、直ぐ傍の大切な人だったり、ものだったり、心だったり、そういうものの為に戦っているんです――でも、それが無くなっても戦える人は、本当に少ない」

 

 言葉には実感が伴っていた。直ぐ傍で見聞きした『誰か』の事を語っていた。きっと、そういう理由で彼の元に訪れた女性を彼は何度となく相手にしてきたのだろう。そこには天音の知らない繋がりがあった。

 

「だから俺みたいな人間のところに来る、抱いて、抱かれて、仮初でももう一度その幸せを噛み締める為に、あと一度だけでも生き延びようって気持ちになる、俺の仕事は、そういう類のものでした」

 

 あとはまぁ、単純に人口を増やせって言う国の方針もありましたが。

 刑部はそう締めくくり、天音を見た。口元は薄っすらと笑っていたけれど瞳は全然笑ってなどいない。天音は恐る恐るといった風に問いかけた。

 

「……その、不躾ですけれど、ご家族は?」

 

 刑部は成人して間もない様に見える。童顔、という程ではないが未だ成熟し切っていない。年齢は二十から二十五の間というところか。家族の事を問うた瞬間、刑部はどこか悲しそうに目を伏せた。

 

「ごっ、ごめんなさい!」

「いえ、もう大分昔の話ですから」

 

 直ぐに聞いてはいけない事だと思った。けれど刑部は緩く手を振って、何でもないと口にする。実際、彼としては既に吹っ切れた事であった。

 

「戦争孤児なんて、今の第八区じゃ珍しくもありませんよ」

 

 刑部の瞼の裏に焼き付いて離れない光景がある。戦争孤児――自分と似た様な格好をした子どもが泣いて、彼方此方に這い蹲っていた。自分一人では生きられない子どもが集められ、『保護』される。自分は男だったので、一等大切に『保護』された。

 ――唾棄すべき記憶だった。

 

「別に、人類を救ってやろうだとか、世界の為に戦おうとか、戦争孤児を無くすために感染体を滅ぼすとか――そんな上等な志や思想がある訳じゃないんです、上等な事は、上等な人間がやれば良い」

「刑部さん……」

 

 その言葉には僅かな――『怒り』が込められていた。それが何に対する怒りなのか天音には分からない。けれど伽藍洞の様な瞳で空を仰ぎ、緩い笑みを張り付けたまま告げる彼に、天音は何とも表現できない感情を抱いた。

 

「この世界は、自分より『上等』な人間が多すぎますね――だから、そんな人たちが生き残れるのなら、俺は喜んで戦います」

 

 言葉は虚空に溶けて消えた。四脚を動かして立ち上がった彼は、天音を見る事無く告げる。

 

「さて、そろそろ行きましょう、時間も無限ではありませんし、のんびり話していて奇襲されました――なんて笑い話にもならない」

「そ、そうですね……!」

 

 天音は刑部の言葉に頷き立ち上がる。「先行します」と彼は口にして、そのまま移動を開始した。既に何処に向かうのか決めていたらしい。

 

「………」

 

 先を行く刑部の背中を天音はじっと見つめた。喉元まで出かかった言葉を飲み込み、ゆっくりと彼に続き、天音は歩き始めた。

 

 ■

 

「流石は重装四脚の適正持ち、というところか」

 

 ランディングポイント。帰還場所として指定された区画に到着した天音と刑部は、海に面するその場所で静かに佇むα07-768と邂逅した。重装二脚型ASに身を包み、鋭い視線で此方を射抜く監督役。彼女はちらりと腕の端末に目を向ける。試験開始から既に一時間半、帰還まではあと三十分程の余裕を残している。

 天音と刑部は協力してその後も感染体を相手取り、時折危険な綱渡りを繰り返しながらもなんとか指定数の討伐を成功させていた。

 

「討伐種、未発達(ボーイ)二体、成体(アダルト)四体、規定の数には届いている、合格だ、運に恵まれたな、多腕(ハンドマン)四足(ドギー)に遭遇しなかった新兵は珍しい」

「貴方は――」

 

 刑部と天音が目を向けると、彼女は小さく頷きながら告げた。

 

「α07-768、型版から『セブン』と呼ばれている、お前達が合格した際には小隊の長を務める事になっている、今は監督官だが追々は戦友にもなる、宜しく頼む」

「えっ、あ……はい」

「よ、宜しくお願いします!」

 

 独特の雰囲気に当てられ、刑部はおずおずと。天音は緊張しながらも頭を下げる。α07-768――セブンは小さく手で二人を制しながら、再び端末に目を移した。

 

「……もう一人のASは何処に?」

「未だ戦闘中だ」

 

 刑部が周囲を見渡しながら問えば、セブンが淡々とした口調で答えた。輸送機から降下したのは四名、そして此処に三名揃っているという事は欠けた一名が居るという事。

 確か、彼女も機械人形(マシンドール)であった筈だ。セブンが端末に目を向けているのは現在も遠隔からその人物を観察しているのだろう。刑部は彼女の前に立つと、はっきりとした口調で問うた。

 

「キルスコアはどうですか?」

「……成体一、未発達一、そして現在は成体と戦闘中だ」

「――先の言を借りるなら、彼女も運が良いという事でしょうか?」

「いや、そうでもない、お前達は遭遇しなかったが彼奴は二度多腕と遭遇している、まぁ、上手い事逃げ切ったが」

 

 あれから逃げ切ったのか。刑部は内心で称賛の念を覚えた。少なくとも重装四脚では不可能、天音の逆関節ASで辛うじて、というレベル。もし四足が相手であれば逆関節型でも逃亡は不可能だろう。どうやら自分達は本当に運が良かったらしい、刑部は小さく頷いた。

 

「こちらに合流出来そうですか?」

「五分五分だな」

 

 セブンはそう言って、ちらりと刑部に目を向けた。

 

「気になるか」

「はい」

 

 躊躇わずに、そう答える。セブンは暫くの間じっと刑部を見つめ続けると、徐に腕の端末を指先で叩いた。すると表面のディスプレイが発光し目前に3Dホログラムが投影される。

 

「良いんですか?」

「別段、禁止されている訳でもない」

 

 監督役がそう言うのであれば遠慮なくと、刑部は投影されたホログラムに近付く。天音もなんだかんだで興味があったのか、三人は囲う様にしてホログラムを覗き込んだ。投影されるソレは恐らく小型の簡易ドローンのものだろう、やや映像が荒く飛び飛びだ。しかし戦闘を行っている人物の姿は分かる。

 

「二足型ASですか、それも軽装……足裏にローラー?」

「ローラーダッシュ可能な軽装二足歩行型ASだ、機動力があり逆関節型に迫る三次元戦闘も可能な多目的装甲強化外骨格(MAS)――だがその特性上、装甲が薄く火力もない」

 

 本来なら、このASこそ隊を組んで運用されるべきだろう。

 セブンがそう告げ、どこか苦々し気な表情で目を細めた。画面の向こう側で成体(アダルト)と一騎打ちを繰り広げる二足歩行型AS。腕を振り回し、突貫を繰り返す成体を翻弄する様に駆けているが――一目でわかる、決定打がない。

 時折近付いて成体の表面を白兵戦用装備で斬り裂くも、やや深く筋線維を傷付けるだけであった。ぶ厚い肉に覆われた心臓や頸を刎ねるには至らない。

 何故、火器を使用しない? 刑部は眉を顰める。

 

「弾切れだ、最初の二体を仕留める時、そして多腕から逃げ出す為に銃火器を使い切った」

 

 刑部の内心を見抜いたようにセブンは言った。成程、それならばこの状況にも納得がいく。

 刑部は僅かな間目を瞑ると、徐に口を開いた。

 

「監督官」

「……残り時間は三十分を切った、規定時間内にランディングポイントに辿り着けなかった場合、たとえ撃破数が幾つであっても失格になる、良いのか?」

「はい」

 

 躊躇いはなかった。背中の連射砲を引っ張り出し、その弾倉に未だ弾丸が詰まっている事を確認する。あと一戦分程度なら問題ない。弾倉を嵌め直しながら、刑部は言った。

 

「今のウォーターフロントは機械人形(マシンドール)を一体製造するだけでも困難です、人類を守る為の貴重な戦力をこんなところで喪う訳にはいかないでしょう」

「成程、立派な志だ」

 

 刑部の言葉にセブンはどこか感心したような顔を見せる。しかし、真剣な表情でそう宣った刑部は次の瞬間には表情を崩し、どこか腑抜けた様な顔で笑った。

 

「――なんて、格好の良い言葉を並べましたけれど、単純に俺が見ていられないだけです、ただの性分ですよ」

 

 人を見捨てられない、助けられるのならば助けたい。それは俗に『お人好し』と呼ばれる類のものだ。刑部はセブンに小さく頭を下げた後、地面を打ち鳴らしながら移動を開始する。そんな刑部の腕を掴む者がいた。天音だ。逆関節型ASでは重装四脚を止められない。しかし腕を掴まれた刑部は律儀に足を止めた。

 

「ど、何処に行くんですか?」

「救援に向かいます」

「あ、あと三十分を切りました、帰還用の輸送機にま、間に合わないかも……!」

「けれど見捨てることは出来ません」

 

 刑部を見下ろす天音の表情がくしゃりと歪んだ。刑部の口調は淡々としていて、表情も崩れない。しかしややあって、歪んだ表情のまま天音は言った。

 

「なら……なら、私も行きます!」

「――良いんですか?」

 

 思わず、といった風に刑部は問うた。その顔は少なくない驚愕に彩られている。まさか着いて来てくれるとは思っていなかったのだ。天音は何度も首を縦に振った。

 

「刑部さんが行くなら、私も行きます! し、心配ですし! あと、一応、何ていうか、エ、エレメントも組んだ仲ですし!」

「……心強いですよ」

 

 そう言って刑部は微笑む。白兵戦が出来ず、狙撃も苦手だが、それでも『頼れる誰か』が居るのは心強い。天音は顔を真っ赤にして何度も何度も頷くと、掴んでいた刑部の腕を放し、背中の突撃銃を抜いた。

 

「私は立場上手は貸せない、此処で皆の帰還を待っている」

「はい、きっと三人で戻ってきます」

 

 セブンがそう言ったきり、目を瞑る。天音と刑部は武器を手に頷き合うと、ホログラムで確認した映像地点を頼りに駆け出した。

 

 



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4話

 

 深海天音にとって、男と云うのは良く分からない生き物だ。

 

 貧困街出身で人類生存圏の最も外側(アウトゾーン)に住居を構えている天音にとって、人類生存圏の内側(セーフゾーン)に集められているという【男性】という生き物は、電子情報でのみ目にする様な存在だった。

 

 男性がその数を大きく減らしてから生まれた人類も少なくない。天音もその内のひとりだ、母が健康に生きていた時代はまだ男性不足が叫ばれる程ではなかった。本土も残っていたし、こんなウォーターフロントなどという場所に押し込まれる事もなかったのだから。

 

 天音の父は第二次徴兵令によって戦場に向かったらしい。その後は語る必要もない、家には天音と母、そして未だ成人していない妹が二人。つまりは、そういう事だ。

 

 元々、徴兵によって兵役に就いた者の家族は内側(セーフゾーン)に住まわせる予定であったと聞く。第二次派兵隊として戦場に向かった父を見送った時は、天音も内側の人間だった。

 

 けれど徴兵は続いた。続いてしまった。そして気付いた時、家族を失った人々は内側(セーフゾーン)から溢れていた。

 特別は、特別でなくなったのだ。

 

 日雇いの仕事では食事だけでも精一杯だった。外側に配給される物資は少ない、とてもじゃないが家族四人が食べていける量ではない。何より、母は父を喪ってからというもの床に寝たきりとなり病に罹った。ただその日を生き延びるだけでも少なくない金が掛かる。内側の質の良い薬は、高い。

 

 選択肢はなかった。天音は家族の安全と金銭の為に改造手術を受けた。

 

 AS乗りになれば【配給優先権】が貰える。

 

 家族は内側の住民に戻れるし、給金も良い。楽をさせてあげられる筈だと。逆関節型ASに高い適正と、またフロート型ASにも僅かながら適性を持つと聞いた時から天音は手術を受けると決めていた。そして見事適性を獲得し、AS乗りとして地獄の様な訓練に耐え、最終試験まで漕ぎ付けた。

 

 これに合格すれば、自分は正式なAS乗りとして認められる。

 

 家族は内側に綺麗な宿舎を手に入れ、豪華でなくとも人並みの食事にあり付けるだろう。給金だって驚く程高い、妹達に新しい服を買ってやれる、玩具だって、新しい給金なら買ってやれる余裕がある。今まで不自由させてきたのだ。

 それに、母の病気だって治るかもしれない。

 だから天音は決して失敗出来ないのだ。

 最終試験に是が非でも受からねばならないのだ。

 

 

 ――その、筈なのだが。

 

 

 天音は前を駆ける男を見た。

 

 黒髪に中肉中背、タイトな強化服に浮かび上がったそれなりに鍛えられた肉体。顔立ちは――比較対象が居ないので何とも評価し難いが、少なくとも天音は好きだった。

 

 藤堂刑部――名前だけは知っている。

 

 最終試験は訓練を終えた訓練兵三名、それに加えて監督官一名で実施される。訓練兵の詳細は伏せられ、実際に顔を合わせたのは今日が初めてだ。

 

 元々『人間のAS乗り』というのは数が少ない。戦場に行きたがる人間が少ないというのもあるが、何より適正の獲得が困難なのだ。適合手術の成功率も決して高くない、本来であれば――過去、機械人形が製造されるまで戦い続けた前任AS乗り(ヘルダイバー)は兎角――男性のAS乗りなどまず認められない。

 ただですら少ない男性を戦場に放り出すなど、馬鹿のやる事だろう。

 

 しかし、少ない適性持ちの中でも更に【希少な適性持ち】となると話は変わって来る。この『希少な適性持ち』の中に四脚は分類され、彼はその四脚適性持ちであった。

 

 男性と希少なAS適性、どちらを取るのか――天音には遠い向こう側の話だ。

 

 けれど現在、ASを選んだ彼が直ぐ傍にいる。情報媒体の中でしか見なかった、未知の生き物が。

 

 本来の天音であればきっと試験の合否を秤にかけてまで他人を助けようなどとはしないだろう。無論、助けられるならば助けたい、しかしそれで己と家族が不利益を被るならばその限りではない。手を伸ばす範囲は、己が危険を被らない範囲に限る。

 

 天音は良くおどおどしていて頼りないだとか、へらへら笑って能天気そうだとか、そんな言葉を投げかけられる。しかし、外側に育った彼女の精神性は実に利己的だ。【自分に利するかどうか】という一点に於いて、天音は常に計算を重ねている。

 

 おどおどと頼りない外面は彼女の性格である、しかしそれが全てではない。おろおろと右往左往しながらも、彼女はきっちりと一線を引く人種だった。

 

 しかし、今天音は刑部に同道し、その背を追っている。

 あまつさえ試験の合否を秤にかけ。

 これは一体、どういうことか。

 

 そこまで考え、天音は道を駆けながら不意に自分の肩を鼻先に押し付け、くん、と嗅いだ。別に、ずっと動き続けていたので体臭が気になったとか、そういう訳ではない。

 決してない。

 

「天音さん」

「っ、は、はい?」

 

 前を走る刑部に声を掛けられ慌てて応えた。

 

「そろそろポイントに到着します、戦況次第では直ぐに撃てるよう準備しておいてください」

「わ、分かりました!」

 

 天音は刑部の言葉に従って突撃銃の弾倉を検めた。弾は詰まっている、薬室にも一発、弾倉を嵌め直して安全装置を弾く。引き金を引き絞れば弾丸は出る、問題ない。

 

 突撃銃を抱えながら天音は前を駆ける刑部の背中を見た。物々しい重装四脚ASに覆われ生身の背中は碌に見えないが――天音は甲鉄の向こう側に大きな背中を幻視する。

 

 優しい人なのだろうか? お人好しと呼ばれる類の。

 

 何せ機械人形を助けに向かうような人だ。

 うん……多分、そう。

 男の人が居るのは内側だけ、彼等は安全な場所で日々を過ごす権利を与えられている。或いは、保護という名の管理か。そんな檻を破り戦場に身を晒す彼は何を考えているのだろう。

 

 ――この世界は、自分より『上等』な人間が多すぎますね……だから、そんな人たちが生き残れるのなら、俺は喜んで戦います。

 

 

 刑部の言葉が脳裏を過る。嘘ではないのだろう、そう口にしていた彼の瞳は後ろめたさや仄暗い感情とは無縁であった。けれど、その言葉は彼の何か、『歪な性根』を現した何かであるという確信がある。

 天音は指先で引き金を軽く二度、叩いた。触れるような軽いタッチ。

 

 別段、これから向かう先の機械人形(マシンドール)が死亡していようと、生きていようと、天音はどちらでも構わない。所詮は即興の部隊だ、寧ろ交信せずに単独で戦闘に臨んだのは向こうなのだから救援に赴く義理はない。

 

 けれど、それで刑部が死ぬとなると、天音は何とも言えない不快感を覚えた。

 それが男女という性差からくるものなのか。もしくはもっと別な何かなのか。

 天音は未だ知らない、けれど、天音は利己的な人間だ。それが己にとって『不利益』であるのならば、躊躇わずに行動する。物理的なものであれ、感情的なものであれ。

 天音は駆けながら、静かに唇を舌で濡らした。

 

 ■

 

「いた――」

 

 駆ける事数分足らず、ASの全力機動であればキロ単位の移動も容易い。比較的高所の建物の屋上に降り立った二体のASは、今現在国道付近にて戦闘を行う感染体と二足歩行型ASを見ていた。

 

「改めて見ると、装甲が凄く薄いですね、素体そのままと言っても、あれじゃ骨格(フレーム)じゃあ……」

「確かに、それだけ速度に重きを置いているのかもしれません」

 

 目下のAS、あの時の映像と同じく成体(アダルト)の攻撃を躱しながら上手い具合にブレード一本で傷を負わせている。しかし浅い、浅すぎる。感染体は掠り傷程度であればものの数分で完治してしまう。未発達(ボーイ)ならば兎も角、成体に対しては即座に頸を斬り飛ばすか、心臓を穿つのが正解だ。

 それを知らないのか、出来ないのか。恐らくは後者だろう。

 

 一際、大きな轟音と共に地面が抉れた。成体が剛腕を道路に叩きつけたのだ。二足歩行型ASが大きくその場から飛びずさり、腕で顔を庇う。飛来する礫から体を守っていた。飛来した礫が二足歩行型ASの薄い装甲を強かに叩き、火花を散らす。

 

「飛び散る瓦礫一つでも致命傷になりますね」

 

 相手は一発でASを屠れる。対してAS側は火力も防御も劣る。速度の一点で勝りつつも、決定的ではない。刑部はゆっくりと身を起こした。

 

「俺が突撃します、援護お願い出来ますか?」

「えっと、具体的にどうするのでしょう」

「止めは彼女に譲らなければなりません、ですので俺が敵を留めて、天音さんが彼奴の足とか腕を吹き飛ばす、後は軽装の彼女がズドン――で、どうでしょう?」

「りょ、了解です」

 

 突撃銃を掲げ、天音は頷いた。狙撃は苦手というが先ほどよりも距離は近い。動いてはいるが手に持つのは突撃銃、外してもカバーが利く。彼女にはこのまま頭上から射撃を頼み、刑部は勢い良く屋上から飛び出した。

 

「さて、強襲の時間だ――!」

 

 呟き、刑部は脚部を広げる。虚空にて足を広げた四脚は、そのまま獲物を喰らう怪物の様に成体目掛けて落下を開始した。

 

 最初に気付いたのは二足歩行型ASの彼女であった。頭上から飛来する重装四脚に、地面の影から気付いた。慌てて背後に飛びずさり成体もまた遅れて空を仰ぐ。

 しかし、既にその四つ足は目と鼻の先であった。

 

「らァッ!」

 

 四脚を勢いよく突き出し、そのまま心臓より下を叩き潰さんと動かす。しかし、成体は飛来した重装四脚の降下突撃を寸前で躱した。巨躯は鈍い、というのは間違いだ。筋線維の塊である彼らはその躰に似合わず素早い。

 

 四脚の切っ先は成体の頬を削り、勢いよく地面に叩きつけられ、轟音と砂塵を撒き散らしながら陥没させる。渾身の一撃を避けられた刑部は舌打ちを一つ。砕けた破片を踏み砕き、刑部は身構えた。

 

 そして、砂塵を裂く様にして成体が肉薄する。

 

 振り上げられる拳。狙いは刑部の顔面、直撃すれば捩じ切れるどころか破裂する。故に刑部は即座にASの姿勢を変更、先の戦闘で行ったように後脚二本での立身。前二本脚で飛来する拳を迎撃する事を選んだ。

 

「力比べだッ……!」

 

 飛来する金槌の様な拳、それを正確にパイルで撃ち貫く。衝撃と共に赤黒い血が噴き出し、成体の拳をパイルが貫いた。同時に腕と脚が固定される。四脚のパイルは打ち出した後に内部から返しを展開し、抜け難い様に設計されている。成体が腕を引き戻そうと足掻くも、四脚の関節部がやや軋むのみ。

 

 引き抜くことを諦めた成体は右腕が駄目ならば左だとばかりに再び拳を振るう。しかしそれも、刑部はもう一本の脚部とパイルで撃ち貫く。

 両腕を固定され、広げられた成体。その姿は正に巨大な蜘蛛と人型の取っ組み合い。

 

「天音さんッ!」 

 

 膠着、敵は動きを止めた。今ほど撃ち抜く好機はない。刑部が叫び、同時に射撃音が轟いた。それは天音の突撃銃、その射撃音。弾丸は寸分違わず成体の膝と足首を撃ち抜き、がくんとその足が折れた。

 

「ナイスショット……!」

 

 思わず称賛の言葉を吐き、圧し掛かるようにして刑部は成体を押し倒した。重々しい音と共に巨躯が仰向けに転がり、刑部は貫いた拳をそのまま地面に縫い付ける。足は撃ち抜き、腕は刑部が抑えた。

 後は――。

 

「―――」

 

 そこまで思考した瞬間、刑部の真横から気配。例の二足歩行型ASである。彼女は手足を封じられ動けなくなった成体の首に、横合いからブレードを突き入れた。そしてそのまま、一閃。成体の首が体より断たれ、ごろりと地面を転がる。

 殺した。体がぶるりと一度震え、それ以降成体が動く事は無かった。

 

「……終わった、かな」

 

 呟き、刑部は両脚を成体の掌から引き抜く。パイルを収納し地面を踏み締めると丁度天音が頭上から降下して来る所であった。

 

「刑部さん!」

「天音さん、ナイスショット、助かりました」

「い、いえ……結構刑部さんが近かったので、手が震えましたよ」

「ははは、まぁ四脚なら被弾しても大丈夫だと思いますし――っと」

 

 互いに健闘を称えながら、しかしじっと此方を見つめる女性に目を向ける。所々砂塵に汚れた二足歩行型AS、人の躰より一回りか二回りほど大きいものの逆関節や四脚型ASと比較すると余りに小さい。

 下から注がれる視線に、刑部は膝を折って応えた。

 

「同じ部隊の藤堂刑部です、俺達は既に規定数の撃破を終えたので、勝手ながら助力に」

「……そう、ですか」

 

 刑部の聞いた彼女は茶色の、短く切り揃えた髪を揺らし頭を垂れた。

 

「ありがとうございます、助かりました」

「―――」

 

 正直に言うと、驚いた。

 

 何せ自分の通信を無視し、単独で事に及んでいた人物だ。場合によっては罵声を浴びせられるとか、虚勢を張られるとか、そういう事をされると覚悟していた。けれど目の前の彼女は真摯に腰を折り、頭を下げている。

 

「あぁ……いや、気にしないでください」

 

 少しだけ慌てて、首を横に振る。頭を上げた彼女は能面の様な顔で、「いえ、自分一人では時間内に討伐出来たかも分かりません」と宣う。

 何というか、やりにくい。

 見かねたのか天音が一歩前に出て、覗き込むようにして機械人形に頭を下げた。

 

「えっと、私天音って言います! 貴方は――」

「β09-223です、以前は『ナイン』と呼ばれていました」

 

 淡々とした口調で答える。小柄な体躯、機械然とした態度。先のセブンが幾分か感情的だっただろうか、目の前のナインと呼ばれる機械人形が無機質に見える。

 

「えっと、以前って……」

「はい、私は民間機をAS搭載用に改修した機械人形(マシンドール)です」

 

 成程、彼女の異様な軽装甲と態度はそういう事か。刑部は納得した。

 メンタルモデルが旧型の機体は、確か感情制御機能が備え付けられているという話を聞いた事がある。無論、現行のモデルにもその手の装置は存在している。しかし、それには遊びがある。旧型程締め付けが強くないのだ。

 

『機械というのは制限すれば必ず穴を探す』――はたしてこれは、誰の言葉だったか。

 

 制限するから機械は抜け穴を探すし、反発しようとする。戦場に送る機械に感情を与えるのは愚行だろうか? 愚行であるだろう。しかし、それで人類十億人が救われるのならば、安いものなのだ。

 

「民間機ですか、珍しいですね……私、てっきり民間機は後方(バックス)に回されるとばかり」

「はい、大抵の民間改修機(ロールバック)は後方任務に就きます、しかし、私は元々配達業務用の速達機体で、二足歩行型ASに元から高い適正値がありました、その事から僅かな改修を経てASに搭乗する事になりまして」

「へぇ、元からAS適性のある民間機もあるんですね」

「市販用の強化外骨格、というより拡張パーツを業務で使用していました、その名残です」

「はぁー、成程」

 

 天音とナインは馬が合うのか、互いに気負いなく会話を続けていた。感情は薄いと感じていたが、どうやら別段会話に支障があるとか、そういう事はないらしい。

 

 刑部はふと、思い出したように端末へと目を落とした。時間は――まだあるが余裕という程ではない。そろそろランディングポイントに向かうべきだろう。会話をする二人を遮る様に声を上げ、それから視線が向いた事を確認し口を開いた。

 

「色々話したいこともあるけれど、そろそろランディングポイントに戻らないと、終了時間が迫っているから」

「……そうですね、ではこの御礼は改めて」

「良いですよ、そんな事、じゃあ天音さんも」

「あっ、はい!」

 

 方針を纏め、三人でランディングポイントへと向かう。無論、警戒は怠らない。しかしASが三機固まれば大抵の感染体は怖くなどない。まぁ尤も、例外という物は常に存在しているのだが。

 

「そう言えば、どうして先の通信に返答して頂けなかったんでしょう?」

 

 刑部は特に責めるつもりもなく、単純に疑問に思っただけと前置きした上で、そう問いかけた。ナインは一瞬言葉を詰まらせ、それからどこか動揺したように視線を彷徨わせた後、幾分か力ない口調で答えた。

 

「――私が機械人形で、貴方が人間だからです」

 

 



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5話

「おめでとう、これでお前達は正式なAS乗りだ」

 

 目前に立ったセブンがそう告げた。

 ASを纏ったまま輸送機に乗り、ウォーターフロントのハンガーに送られた刑部達四人は、セブンの放ったその言葉に僅かな喜色を滲ませた。ナイン、天音、刑部、全員に少なくない疲労が見て取れる。訓練で死ぬほどの目に遭ってきた、だから実戦でも大丈夫。そう教官は言っていたが――果たして、その通りだった。寧ろ訓練の方が過酷であった可能性もある。

 

 ハンガーの一角を占領して行われる簡易任官式は整備員たちの目を引いた。その中に若い男が混じっているのなら然もありなん。しかし、騒ぐほどではない。正確に言うのであればAS適性を獲得して初めて此処を訪れた時は、何というか凄かった。つまり此処に来るのは初めてでないのだ。だからこそまぁ、そわそわする者は多いものの直截的な行動を起こす者はいない。

 

「既にお前達の端末にはライセンスが付与されている、制服や強化服も追々支給されるだろう、これからはこの基地がホームとなる、宿舎の場所は分かるな? 今日は休息をとり、明日また今後の行動を通達する、詳細は宿舎の端末から確認しろ、では各自機体を降りて体を休めるように――以上、解散だ」

「はい!」

 

 セブンの言葉に三人は声を上げる。どこか嬉しそうな表情を浮かべるセブンはそのまま踵を返し、ハンガーの一つに機体を引っ掛けた。機体を降りるのだろう、刑部もそれに倣い誘導する整備員の指示に従い端のハンガーに機体を乗せる。せり上がった地面に足を揃え、左右から伸びるアームに身を任せる。

 

「オッケーです、機体固定します、フック用意! 掛けられますか!?」

「大丈夫です!」

 

 機体の脚を広げ固定板の上に乗せる。後は背中の骨格をフックに引っ掛け、躰と機体の接続を切った。瞬間機体の姿勢がガクンと崩れ、フックに吊り下げられる人形となる。

 刑部は背中の脊椎接続ボルトを順に外し、漸く自由の身となった。

 

「ふぅーッ……」

 

 首を回すと骨が鳴った。パワーアシストが働くと言っても、やはり甲鉄の躰は重い。手と足をぶらぶらと回しながら機体から飛び降りる。キャットウォークに着地し、そのまま整備員に手を上げた。黒髪の、頬を油で汚した溌剌とした女性だった。

 

「最終試験合格おめでとうございます、刑部さん!」

「えぇ、ありがとうございます、機体の整備、よろしくお願いしますね」

「任せて下さい!」

 

 力こぶを作って満面の笑みを見せる女性。刑部はそのままキャットウォークを下り、ハンガーの出入り口へと歩く。途中途中で他の方にも、「合格おめでとう!」とか、「お帰りなさい!」という声を掛けられたので、その一つ一つに丁寧に頭を下げた。

 

 試験前もこのハンガーでASを装着したが――まぁ、大変だった。

 

 死んでしまうかもしれないからやめようとか、危険な事は止めて後方で安全に暮らそうだとか、私が養うからASから降りてとか。

 

 出撃前に機体の周囲をわらわらと固められたので、結構本気で困った。しかし大体がこの身を心配する言葉ばかりだったもので無碍にも出来ない。その騒動は偶然やってきた教官の一喝で終息したが、正直あれが出撃の度に繰り広げられるのなら遠慮願いたい。

 兎角、何とかこうして五体満足で帰還する事が出来た。喜ばしい事だ。

 

「刑部さん!」

「ん、はい?」

 

 声を掛けられ、振り向く。すると丁度機体から降り、此方に駆け寄って来る天音の姿を見た。

 

「あの、途中まで、一緒に――」

「えぇ、良いですよ、どうせですからPXで食事でもどうでしょう?」

「あっ、も、勿論です!」

 

 指先を合わせ、どこか恥ずかし気にそう口にする天音に対し、刑部は快諾する。どうせならナインとセブンも誘おうと視線を流し、しかし当のセブンは何やら整備員に忙しなく指示を出していた。まだ仕事が残っているのだろう、反対にナインは丁度此方に足を進めているところだった。

 

「ナインさん」

「? はい」

 

 直ぐ横を歩いて通り過ぎようとしたナインを呼び止める。彼女は律儀に足を止め、それから体を二人の方へと向けた。

 

「これから食事でもどうですか、親睦を深める為にも」

「機械人形は食事の必要性がありません」

「でも、食べることは出来ますよね?」

「……えぇ、まぁ、一応は」

 

 刑部の言葉に、一瞬間を置きながらも肯定するナイン。「じゃあ、一緒にどうですか?」と再び問いかければ、ナインは躊躇いがちに小さく頷いて見せた。三人は和気藹々とまでは言えないまでも、特に蟠りを引き摺る事もなくPXにて軽食を買い込み、近場の休憩所で交流を行った。これから同じ部隊の一員となるのである、ある程度互いの事を知っておいて損はない。

 

「先の試験の借りがあります、ここの支払いは私が持ちましょう」

 

 ナインはそう言って今回の交流会の費用を負担した。何というか、実に律儀な機械人形だと刑部は感じた。尚、天音は嬉しそうにナインに頭を下げていた。「自分は吝嗇家なので」とは天音自身の言である。

 

「そうですか、ご家族の為にAS乗りに」

「えっと、はい、そんな褒められた理由ではないというか、単純に食うに困ったからというか、いやぁ、情けない話で恐縮です」

「いえ、立派だと思います、ご家族の為に自身を危険に晒すというのは中々に出来る事ではありませんよ」

「いえいえそんな! ……へへへ」

 

 ナインの問いかけに天音が素直に内情を打ち明ければ、刑部は透かさず立派だと肯定する。天音はそんな刑部の言に頬を緩め、後頭部を掻いた。実に嬉しそうである。あまり他人に褒められた経験がないのだろう。

 

 休憩所に他の人の姿はない。現状、この三人の貸し切りである。

 

 何処も人手不足なのだ、特にAS乗りとなると非常に少ない。というか、一つの部隊に人間のAS乗りが二人も居るなど奇跡的な確率だ。現状、ASという兵器は機械人形の搭乗兵器という認識が少なからずある。

 

 刑部はちびりちびりとPXでナインに購入して貰った紅茶を舐め乍ら、二人の会話に耳を傾けた。

 

「ナインさんは元々配達業務用の機械人形だって言っていましたけれど、具体的にはどんな事をしていたんですか?」

「特別な事は何も、単純にドローンで配達出来ないサイズの荷を速達で届けていただけです、丁度二足歩行型ASのローラーダッシュに近い拡張ユニットを脚に装着して、なるべく早く――それと私の事は呼び捨てで構いません、敬語も不要です」

「そ、そう? そうかな? じゃあ……ナインちゃんって呼んで良い?」

「……天音さんが、宜しいのであれば」

「じょ、冗談、冗談だよ、だからそんな目で見ないで」

 

 どこか詰る様な目で見つめるナインに対し、天音はあわあわと手を振った。冗談なのかどうか分からない、微妙に本気に聞こえる天音の言に呆れながらナインは問いかける。

 

「天音さんの方は、以前どの様なお仕事を?」

「私? えーっと、メガフロートの改修工事もやったし、何でも屋みたいな事もやったし、後はちょっとした配達? 外側の仕事だったから余り大したことは出来なかったかなぁ」

「それは……月並みな言葉で申し訳ありませんが、大変でしたね」

「いやいや、それでもちゃんと配給はあったし、第三区(ユーラシア)とかと比較すれば全然平和だから、マシな方だよ」

 

 天音はそう言ってへらりと笑った。第三区の被害は甚大である、寧ろこのウォーターフロントなどという新天地があっただけマシなのだ。向こうは配給体勢すら儘ならないと小耳に挟んだことがある。食糧の為に人間同士で争うような状態とも。そんな場所と比較すればこのウォーターフロントは外側だとしても十二分に『人道的』だ。数の少なくなった人間同士で殺し合う事もないし、最低限生きることは出来るのだから。

 

「一刻も早く、彼のデイ・アフターが駆逐され、平和な世の中になれば良いのですが」

 

 ナインはそう言って現状を嘆く。その様子を見た天音はどこか呑気ともいえる表情を浮かべ、ぎしりと椅子を鳴らした。

 

「ナインは真面目だなぁ」

「そう、でしょうか?」

「うん、まぁ勿論、そう思うのは私も一緒だけれどね? 何て言うか、やっぱり私はお金の為にASに乗った人だからさ、根本的に本当の平和とか、本気で目指している訳じゃないと思うんだ」

「刑部さんも、そうなのでしょうか?」

「俺?」

「はい――それと、刑部さんも私に対してはどうか気軽に接して下さい」

「あ、はい……じゃない、うん」

 

 刑部は水を向けられ、曖昧に頷きながら頬を掻いた。何の為にASに乗るか――それを口にするのは別段難しいことはない。けれど刑部は自身より目の前の、この民間機であったというナインが何故ASに乗るのかその事が気になった。

 

「……質問で返して悪いのだけれど、逆にナインはどうしてASに乗ったんだい?」

「私ですか?」

「うん、軍事用(アーミー・オーダー)なら兎も角、ナインは民間機だったんだろう? メンタルモデルもそうだし、望めば後方(バックス)という選択肢もあった筈だよね」

「……私は」

 

 ナインは重ねた手を握り締め、目を伏せた。口は重い様に見える、しかし天音と刑部がじっと言葉を待てば、ぽつぽつと彼女は言葉を零した。

 

機械人形(マシンドール)の存在意義は、人の役に立つ事」

 

 零れた言葉は、機械人形の存在理由。人間の代わりに戦場に立ち、人間の代わりに働き、人間の生活を手助けし、その人生を助ける者。時代と共にその役割は変わった、けれどその存在意義だけは不変のままだった。

 

「今、人類は窮地に立たされています、それを救えるのなら私は……この身が朽ち果てても構わない、そう思ったのです、それが本来、機械人形が生み出された意味の筈ですから」

 

 遠い昔の約定――人を守り、命に従い、己を守る。

 

 ナインはそれを愚直なまでに守り、実行しようとしていた。何故ASを纏うのかと問われれば、人を守る為であり、人類の未来を守る為であり、そして機械人形の在り方を損なわない為であると、そう彼女は答える。

 そこまで口にし、不意にナインは席を立った。その表情には、必要もない事を話してしまったという後悔が滲んでいた。

 

「すみません、つまらない事を言いました――自分は明日に備えて休眠状態(スリープモード)に入ります、ではお先に失礼します」

「あっ」

 

 早口で捲し立て、ナインはそのまま休憩所を後にしてしまう。天音は何かを言おうとして、しかしまるで見えない壁に阻まれてしまったかのように言葉を呑み込んだ。刑部はそんなナインの背中をじっと見つめた後、天音に問いかける。

 

「どう思いますか、天音さん」

「へっ、どうって……」

 

 唐突な問いかけに天音は目を瞬かせる。

 

「……いえ、何でもありません」

 

 刑部は首を横に振って、手元の缶に口を付けた。

 

 どうにも付き合いが悪いだとか、人間が嫌いだとか、そういう訳ではなさそうだ。

 刑部にはナインが何かを隠している様に思えて仕方なかった。

 

 ■

 

 初日の会話もそこそこに解散する事となった交流会。試験後の疲労も残っているだろうという事から一時間足らずの交流を終え、自身の宿舎に向かう途中。

 

「おう、刑部」

 

 不意に、声を掛けられた。それは聞き覚えのある声で、刑部は咄嗟に背後を見る。

 

「! 源さん」

 

 そこに立っていたのは妖し気な笑みを浮かべる女性だった。乱雑に切り揃えられた髪に所々見える傷跡、服装はカーゴパンツにタンクトップとラフ過ぎる恰好。しかし、刑部にとっては見慣れたものだ。彼女はいつもこんな格好をしていた。最初はこんなにだらしがない格好で良い物かと思っていたが、今では彼女がフォーマルな装いをしている方が想像できない。

 女性は親し気な笑みを浮かべながら刑部の傍へと歩み寄った。

 

「最終試験合格、おめでとさん」

「ありがとうございます、でも、どうしてこの基地に?」

「馬鹿、お前、考えてもみろ、Dブロックにやって来る奴なんざ滅多に居ないんだぞ? そんなところに四六時中張り付いていられる程、アタシ等は暇じゃないんだよ――まぁ、陸の連中はどうだか知らないけれどな」

「あぁ、確かに……それもそうですね」

 

 この、目の前で満面の笑みを浮かべる源と呼ばれた女性は刑部にとって教官であり、仲間であり、友人でもあった。元々はDブロックでの教導を担当してくれた教官のひとりである。どうやら彼女も教導ブロックから此方に移っていたらしい。

 

 源は右手に紙袋を引っ提げており、不意にそれを刑部に押し付けた。そして何とも、好色そうな表情を浮かべる。

 

「それで――今晩どうよ? 合格祝いも兼ねて」

 

 その表情に見覚えがあった刑部は、半ば確信しながら押し付けられた袋を覗き込む。すると中には刑部の予想通り、酒瓶がこれでもかという程並んでいた。PXでは販売されていない、度数が高く、また高級感溢れるラベルの酒瓶であった。

 

「こんな高そうなアルコール、態々買って来たんですか?」

「おう、後、こっちも新調したんだ」

 

 そう言って源は自分の下腹部を指で叩く源。その口元は三日月を描いていた。

 

新品の生体パーツ(ハツモノ)だぜ? ちゃんと金も払うしさ、どうよ?」

「やめてくださいよ、もう仕事じゃなくなったんですから」

「貰えるモンは貰っとけって、な」

 

 そう言って源は刑部の肩に手を回す。そう言えばこの人は初対面の時からこんな風であったと刑部は思い出した。直ぐ横でにまにまと笑う源を呆れた目で見る。

 

「源さんって、結構金遣い荒いですよね」

「それ以外に使い道がないんだ、仕方ないだろう」

「ASの追加パーツとか、大丈夫なんですか?」

「その辺は資金を別にプールしてあるんだよ、軍用人形(アーミードール)舐めんな」

「ははは、流石」

 

 色に現を抜かして――という事はないようだ。

 源は刑部のその言葉を了承と取ったのだろう。唇を舌で濡らし、それから流し目と共に呟いた。

 

「そんじゃ、お楽しみといきますか」

 




 ギシィ!ギシィ!(迫真)


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6話

キングクリムゾンッ!


 用意されていた宿舎には一通り必要なものが揃えられていた。一応、『人間用』という事で一昔前のビジネスホテルの様な間取りをしている。恐らくこれからこの部屋にモノが増えていくのだろうと、刑部は殺風景な部屋を眺めながらぼんやり考える。無論それは、自分の物ではない。『自分を抱く誰か』の物だ。前もそうであった、ならばきっと今回もそうなる。

 

 刑部はパイプベッドを軋ませ、隣で自分に張り付く源を見た。直ぐ傍には酒瓶が何本も転がっている。どれだけ呑んだのだろう? 機械人形は『酔う』という事がない、確か酩酊感を得る感性プログラムは存在した筈だが、彼女はそれを使っているのだろうか。

 

 酔うことも出来ないのに、お酒を飲んで楽しいかと一度源に問うたことがある。あれは確か、訓練センターで寝床を共にした時の事だ。すると彼女は酒瓶を揺らし、カラカラと笑って、「楽しいさ」と答えた。

 

 彼女は酒を飲んで酔う事が目的なのではなく、酒を飲むという行為自体を楽しんでいる様だった。刑部には良く分からない感覚だった、或いはそれは源なりの『模倣』であったのかもしれないと、そんな事を酒で歪んだ思考のまま考えた覚えがある。

 不意に刑部の腕に抱き着いていた源が、静かな声で問いかけて来た。

 

「確か、セブンとナインとか言ったか、刑部の所の機械人形」

 

 声にはどんな感情も含まれていなかった。空虚というより、気怠げだ。刑部は小さく頷いて肯定した。

 

「えぇ、番号を名前にしているんで、少し驚きました」

「民間の方は兎も角、セブンって言った方の軍用人形は製造されて余り経っていないんだろう、その内吹っ切れて、適当な名前でも付けるさ、要は慣れだよ、慣れ」

 

 その言葉には実感が籠っている。或いは彼女もそうだったのかもしれない。実際の稼働年数は聞いた事がないが、少なくともナインとセブンよりは上だろう。刑部は天井を見上げたまま言葉を返す。

 

「やっぱり機械人形となると、最初の内は『名残』に引っ張られるものなんでしょうか?」

「あー、んー……どうだろうなぁ、アタシは一年もしない内にこっちに馴染んじまったし」

「源さんはちょっと特殊な気がしますけれど」

「なんだとぅ」

 

 源が立腹したとばかりに肩に噛みつき、甘噛みする。舌の感触が肌を撫でくすぐったかった。刑部が小さく笑いながら身を捩ると、源は口を離し噛み痕が残る首筋を優しく舐めた。

 

「でも、やっぱり番号だと呼び辛いですよ、同じ型の機械人形が来ると被りますし」

「いや、そこは人間も同じだろう? 苗字とか、名前とか、良く被るじゃねぇか」

「そういうもんですかね?」

「あぁ、そういう感性は人間特有のモンだ、番号も名前も大してかわらねぇよ」

 

 番号と名前が同じ――それはやはり、何か違うような気もする。これは人間特有の感性なのだろうか。源は刑部の腕に抱き着いたまま目を瞑り、頤を逸らせて言った。

 

「あーぁー……アタシも人間だったらなぁ」

「えっ、源さん人間になりたいんですか?」

 

 思わず、といった風に刑部は源を見た。率直に言うと、驚いた。

 彼女は機械人形である、そして今まで人間を羨むような言動を一度もした事がない。人には人の、機械には機械の生き方があると。彼女はそういう生き方を体現したような人物だから。源はどこか恥ずかしがるように頬を掻き、それからぽつぽつと口を開いた。

 

「そう思う様になったのは最近だよ、具体的に言うとここ三ヶ月くらい」

「三ヶ月――って、大体俺と会った時期ですね」

「そ、要するにお前のせいだよ、刑部」

 

 ぴっと、真正面から指を差され少し驚く。しかし言葉に反し、源の表情は嬉し気であった。

 

「お前に会わなきゃ性感プログラムだとか、こんな生体パーツだとか、買うつもりもなかったし、必死こいて生き残る為に頭使う事もなかった」

「……源さん、人間になって何をしたいんですか?」

「んー……――」

 

 源はどこか悩むような素振りを見せ――それから一度、照れたように微笑み――刑部の首元に顔を埋め、言った。

 

「刑部の子どもが欲しいなぁ、って」

「―――」

 

 それは――何と言い表せば良いか。

 

「ひひっ、刑部のその顔、久々に見た」

「……そりゃ、そうですよ、こんな顔にもなります」

 

 どこか悪戯が成功した子供の様な表情を見せる源に、刑部は苦々しい顔を作った。驚愕と、歓喜と、それから困惑だろうか。それらが入り混じった絶妙な表情。刑部の腕に抱き着きながら源は続ける。

 

「アタシが唯一人間を羨むとすれば、それは愛した奴と『子ども』を作れるっていう一点だ、機械人形(マシンドール)は結局機械、どれだけ人間を模して造られたアンドロイドだとしても、本当の人間と同じにはなれない……嫌な(しがらみ)も全部取っ払って、何もかも人間と同じにしたっていうのに、当の機械人形が人間のとの差異に悩むなんて、本当に滑稽だよな」

「そんな事は……」

「いや、実際そうなんだ」

 

 そんな事は無い。

 そう口にしようとした刑部を遮り、源は断言した。その口調は強く、どこか確信めいていた。

 

「なぁ刑部、人間とそれ以外の決定的な違いって、何だと思う?」

「……?」

「例えばよ、刑部は歩き出す時、右足から踏み出すか左足から踏み出すか、決めていたりするか?」

「……いいえ、特には」

 

 唐突な問いかけであった。

 刑部は一瞬何をと思考するも、素直に首を横に振った。そんな事をいちいち考えていた事は無い。大多数の人間――多分、機械人形も――そうである筈だ。すると源は微かに笑みを浮かべたまま、続けた。

 

「なら、右足から踏み出す派と左足から踏み出す派が言い争っていたら、馬鹿だなって思うか」

「まぁ、そうですね」

 

 端的に言うなれば――どっちでも良い。本人なりのジンクスがあるのかもしれないが、刑部からすればそんな事どちらでも変わらないだろうというのが本音だ。無論、実際にその場に居合わせたのならば無用な口は慎むだろうが。

 頷いた刑部を満足そう見て、源は更に問いを重ねた。

 

「じゃあよ、教会で祈りを捧げる時に右の親指を上にして組むか、左の親指を上にして組むか、それで信者が言い争っていたらどう思う?」

「それは――……」

「やっぱり、馬鹿だなって思うか」

 

 頷こうとして――一瞬、言葉に詰まった。

 

 本音を言うなれば――どっちでも良い。だが、それを口にするのは憚られた。事が右足から踏み出すか、左足から踏み出すかという問題から、祈るときにどちらの指を上にして組むかという問いに変わった瞬間、刑部は「馬鹿馬鹿しい」と断ずることが出来なくなった。

 

 何故か? それは刑部の中に『宗教』という概念が存在したからだ。それは神を崇める行為である。遥か古代から存在する、儀礼的な動作と言い換えても良い。それを、左右の足どちらから踏み出すのかという問題と同列に語る事が、何か『畏れ多い事』の様に感じられ、口を閉じたのだ。

 そんな刑部の思考を他所に、源は言葉を続けた。

 

「アタシ等は思う、そんなのどっちだって良いじゃねぇかって……けれど本人たちからすればそうじゃない、それこそ宗教戦争なんて起こして人を殺しちまう位には大切な事なんだ」

 

 刑部の腕を撫でつけながら、どこか羨むような声色で源は呟いた。刑部は黙って彼女の言に耳を傾けた。

 

「人間の凄いところは、価値のない物に価値を見出す事が出来る事だとアタシは思う、在りもしない物を在ると信じ、もしくは虚ろそのものにさえ価値を見出す、教会の祈り方然り、礼儀作法(マナー)然り、神様然り――他の生き物に、神様に祈るなんて真似は出来ないだろう?」

 

 源は同意を求めるように刑部を見た。

 刑部は頷いた。確かに、同意出来た。

 

 例えば獣は神に祈らない。そも、神という存在そのものを考え付かない。目前の、在るがままを受け入れるだけ。強き者には従うだろう、それこそが物事の本質だから。『物質的な存在』にこそ彼らは膝を着く。強者という真実に彼らは従い、平伏する。

 

 それは獣に限らず、人間以外のあらゆる生き物に当て嵌まるだろう。それは、彼女たち機械人形も。現実に頭を垂れる事は、誰だって出来るのだ。

 

「けれどな、アタシもその、【人にしか出来ない事】の取っ掛かりが漸く掴めたんだ」

 

 けれど人は、虚構(神様)にも平伏出来る。

 

「どうして人間は神様なんて虚構を生むのか分からなかった、けれどそれは当然なんだよ、アタシ等機械人形は神様に(こいねが)う程の望みなんざ持っていないんだから、膝を地面につけて両手を組んで、『カミサマお願いします』なんていう程の望み、持ち得ないんだ」

 

 機械人形は機械人形だ。感情を得ても、得なくても、その本質は変わらない。

 

 源が天井に――その先にある何かを掴もうとするように手を伸ばした。彼女の顔は影になって良く見えない、けれど何かに輝いている様な気がした。期待とか、希望とか、きっとそういうものに彩られているのだと刑部は思った。

 

『源』という機械人形にあって、『刑部』という人間にないものだった。

 

「でも違う、そうじゃなかった、私にも人間が神様って虚構を生んだ理由が分かった――どれ程願っても叶わなくて、どうしようもなくなって、本当に超常の存在、それこそ言語化出来ないような存在でなければ叶えられないような願望を抱いた時、縋りたくなるんだ」

 

 伸ばした手を握り締める。その掌には何も掴めていない、ただの虚ろがある。けれど源はその掴んだ虚ろが然も大切なものであるかのように掻き抱き、それから目を瞑って刑部の肩に顔を埋めた。

 

「なぁ刑部、お前との子どもは諦める――諦めるよ、けれど一つだけ欲しくて、どうしても諦められないものがあるんだ」

「……何ですか?」

 

 刑部は問うた。源は一拍、呼吸を挟んで懇願した。

 

「――頼むから、アタシより先に死なないでくれ」

 

 言葉は直ぐに掻き消えた。けれど、刑部の胸にはいつまでも留まった。

 少しして、苦笑いが零れた。無茶なことを――そう思ったけれど、口には出さなかった。機械人形と人間の寿命の差とか、そういう話ではない。

 単純な、『性質』の問題であった。

 

 藤堂刑部という人間は――きっと。

 

「無茶言いますね、俺、ピカピカの新兵ですよ?」

「馬鹿、何の為にアタシ等が必死こいてお前を育てたと思っている? そこらの感染体なんざ片手間にぶっ殺せるようにする為だ」

「ははは、まぁ、確かに訓練は滅茶苦茶大変でしたけれど」

 

 刑部は過去を懐かしむように目を細める。確かに、訓練は大変だった。Dブロックと呼ばれるあの場所での訓練は、本当に。源は懐かしむ刑部の肩に顔を埋めたまま、小さな声で、囁く様に、もう一度告げた。

 

「頼むよ、刑部」

 

 源は目を瞑ったまま懇願した。不意に、肩が冷たくなった。それは精神的なものではなく、物理的な冷たさを伴っていた。その原因が涙なのだと、彼女が泣いているのだと分かった。刑部が源に目を向けると、暗がりの中で源が目を瞑って音もなく涙を流しているのが見えた。

 

 この、人に縋りつき涙を流す存在を見て、機械人形だとどれ程の人が思うだろうか。刑部は静かに源の髪を撫でた。無機質な冷たい髪だった。

 

 その日、最後まで――刑部が頷く事は、終ぞなかった。

 

 




毎度誤字報告ありがとうございます。
とても助かります。


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7話

 翌日、刑部が目を覚ました時、既に源の姿はなかった。未だに眠気の抜けない瞳を擦り、周囲を見渡す。すん、と鼻を鳴らしても彼女の匂いはしない――そもそも、機械人形に香りなど存在しないのだけれど。

 ゆっくりとベッドを抜け出し、僅かな肌寒さに肩を震わせる。この時期の朝はやはり寒い。ベッドの中に戻りたくなる気持ちを抑え、周囲を見渡すと、部屋のデスクの上にメモがあった。彼女は几帳面で、良く自分より先に起きてはこうして文を残していく。

 

『また、近い内に会いに来る』

 

 あの豪胆な彼女らしからぬ、少し丸まった可愛い字。刑部はそのメモを手に取り、それから二つに折って引き出しへと仕舞った。その口元は、少しだけ緩んでいる。軽く頬を叩き、眠気を払った。

 

「……行こう」

 

 呟き、冷たい空気を肺に取り込む。

 今日もまた、より良い明日の為に。

 

 

「っと、お、おはようございます、刑部さん!」

「おはよう天音さん、今日も元気ですね」

 

 顔を洗い、身だしなみを整え、部屋を出る。廊下を歩いていると前方に見知った顔が見えた。自分と同じ、この宿舎に身を寄せている天音である。やや跳ねた髪に、へらりとした笑みを浮かべて駆け寄って来る彼女。刑部は温和な微笑みを返しながら頷く。

 待っていたのだろうか? それとも偶然? 刑部は一瞬問おうか迷ったものの、満面の笑みを浮かべる天音を見て止めた。どちらでも良いと思ったのだ。二人は自然並んで歩き、静謐な廊下で言葉を交わした。

 天音はこの静かすぎる宿舎が、どうにも余り気に入らない様だった。

 

「それにしても此処の宿舎、何というかガラガラですね、空きが一杯で……」

「まぁ一応、人間用の宿舎ですから、多分ここの基地で人間のAS乗りとか二十名そこらじゃないですかね? そこまで大きい基地じゃありませんし、というかウォーターフロントの端の端みたいな所ですから」

 

 刑部は周囲を見渡しながら答える。清掃の行き届いた、しかし人の気配のない宿舎に天音はどこか心細そうにしていた。

 元々この基地はウォーターフロントの外郭の中でも小規模な部類に入る。巨大なウォーターフロント外郭を守る様に配置された防衛拠点――そう言えば聞こえは良いが、他所と比べると聊か質量共に劣る。外側や内側には人間が溢れていた、其処に居れば人間が少なくなったなどと思わない程に。それと比べると、確かに寂しい。

 

「最終試験の搭乗口も兼ねているみたいですから、新兵用拠点(ルーキーベース)って所じゃないでしょうか」

「そ、そうなんでしょうか」

 

 刑部の言葉に天音は頷きながら答えた。

 

「あぁ、それと天音さん、これから同じ部隊なんですから、もう少し砕けた口調で話しませんか?」

「ぅえ!? わ、私が刑部さんとですか!?」

「嫌ですか?」

「と、とと、とんでもない!」

 

 刑部は歳も近そうだからという理由で敬語を排す様提案した。刑部としてはそもそも部隊に二人しかいない人間同士である、これが大きく歳が離れているというのならまだしも、そこまで離れていないのならば問題ないと考えたのだ。そう口にすると天音は頬を紅潮させ、挙動不審になった。そして何度も頷きを繰り返し、口元をまごつかせながら恐る恐る呟く。

 

「ぅー、あー……その、よ、よろしく……?」

「ん、よろしく、天音」

「ヴァッ!」

 

 刑部が頷くと、天音は奇声を発し体を弓なりに逸らして顔を覆った。突然の奇行に思わず刑部の肩が驚きに跳ね上がる。天音の顔を覆ったまま動かない、ややあって小走りで廊下の端に進み、それから隠れるようにして屈んでしまった。

 

「……どうしたの」

「いや、ごめん、うん、なんでも……なんでも、ないよ」

「そ、そう」

 

 明らかに何でもない様子ではなかったが、尋常では声色に刑部はそれ以上問いかける事を止めた。刑部は空気を――比較的――読める男である。

 そんな二人の前から再び見覚えのある顔がやって来て、訝し気な声を上げた。

 

「――廊下で屈んで、何をしていらっしゃるのですか」

「ナイン」

 

 現れたのは呆れた表情で此方を見るナイン。顔を抑えて廊下の隅に座り込む天音、その背中を見つめる刑部。成程、傍から見れば実に奇妙だった。刑部は一度咳払いし、天音から一歩離れて白々しく朝の挨拶を口にした。

 

「おはよう、今日も寒いね」

「えぇ、おはようございます刑部さん、気温は昨日より一度程下がっています……それで、天音さんは一体」

 

 すんなりと頷き、それから何とも言えない表情で天音を見るナイン。未だ天音は座り込んだまま顔を上げない。肩を震わせて屈んだままだ。刑部は肩を竦め、首を振った。

 

「何か分からないけれど、体調が悪いのかな」

「体調不良ですか?」

 

 そう聞くや否やキュイ、とナインの瞳が絞られた。限りなく人間に近い風貌をしているが彼女は機械人形である。触れもせず体温や心拍数を計るなど文字通り朝飯前。数秒程天音を見つめたナインは淡々とした口調で告げた。

 

「体温が若干高いですね、それと心拍数がとても――」

「わぁーッ!」

 

 そこまで口にした途端、大きな声を上げて天音が飛び上がる。そして赤ら顔のままナインに詰め寄った。その顔色は真っ赤で、僅かに息も上がっている。

 

「お、お、おはよう、ナイン!」

「……おはようございます、天音さん」

 

 天音の迫力、というか理解出来ない行動だろうか。それに気圧され、珍しく吃驚した様な表情を浮かべるナイン。こんな顔も出来るのかと内心で眼福と謳いながら、刑部はナインに向かって語り掛けた。

 

「そう言えばナインも砕けた口調で良いんだよ? 俺もそうだけれど、天音も多分そっちの方が話しやすいから」

 

 この生真面目な機械人形は朝の挨拶ですら堅苦しい。別段悪い事ではないのだが、やはりこれから一緒に戦っていくというのなら気安い位が丁度良い。しかし、ナインは提案に対しやや申し訳なさそうに目を伏せ云った。

 

「……私としては、前の立場からしても此方の方が接しやすいのですが」

「そう? まぁ、ナインが良いって言うなら構わないけれど」

「はい、どうかこのままの口調でいることをお許し下さい」

「ははは、そんな大袈裟に取らなくても大丈夫だよ」

 

 本人がそう言うのならば無理強いはしない。刑部も天音も口調ひとつでとやかくいう程狭器ではないつもりであった。ナインは小さく頭を下げ、それからナインに向かって至極真面目な表情で忠告した。

 

「それと天音さん、体調が悪いなら医務局に掛かる事をお勧めします」

「だ、大丈夫です」

 

 赤ら顔で首を振る天音。それをナインは心配げな表情で見る。居た堪れないのか、視線を逸らす天音。何だかよく分からないが、別段体調が悪いという訳ではないらしい。何となくそう悟った刑部は手を叩き、二人を朝食に誘った。

 

「……あー、俺達まだ朝飯も済ませていないからさ、二人とも取り敢えず食事にしない?」

「――そうですね、朝食は大切です」

「は、はい! じゃなかった、うん!」

 

 ■

 

 三人仲良くPXで食糧購入後、揃って休憩所へと向かった。ナインは食糧を購入せず、手ぶらだ。刑部が「何も食べないの?」と問いかけると、「私は結構です」と素っ気なく答えられた。本当に、水の一滴も口にするつもりはないらしい。お茶の一杯くらいはと刑部が勧めたが結局ナインが頷く事は無かった。

 

「うん?」

「あっ」

 

 三人が並んで休憩所へと入ると、其処には既に先客が居た。その人物は刑部達に気付くと食べていた手を止め、それから声を掛ける。

 

「何だ、お前達も朝食か」

「セブンさんもですか?」

「うむ、朝のエネルギー補給だ」

 

 テーブル席に座って口を動かす我らが上官、セブン。彼女は鋭利な瞳をそのままに手にしたハンバーガーを振って見せた。口元にはソースが付着し、何というか若干間抜けな風貌を晒している。食事をしているセブンを見たナインは微かに眉間に皺を寄せ、それからどこか責めるような口調で告げた。

 

「……私達機械人形は経口摂取の必要性を持ちませんが」

「うん? 何だ、随分古臭い事を言っているな、まぁ言わんとすることは分からんでもないが……」

「ウォーターフロント内の食糧生産量にも限りがあります、我々機械人形はなるべく人類の食糧事情を圧迫する行為は控えるべきかと」

 

 ナインの言葉にセブンは困ったように笑って、それからどこかバツが悪そうな、というよりは『お堅い奴と出会ってしまった』という風な表情で頷いた。

 

「全く以って正論だ、正論なのだが……聊か堅いな」

「堅い、ですか」

「あぁ、旧型のメンタルモデル故に仕方のない事かもしれんが……っと、すまん、別段馬鹿にするつもりはないんだ、単純に我々軍用モデルとは仕様が違うのだろう」

 

 怒る訳でもなく、しかし反省するという訳でもなく。ただ淡々とした様子でナインの言が正しいとし、その上で手元のバーガーを見た。指先で口元を拭いながらセブンはどうにかナインを説得しようと考えている様に見える。

 

「まぁなんだ、確かに必要はないかもしれんが、これは私が御上から貰った給与で買った物だ、他に使い道もないしな、多少は多めに見てくれ、戦って帰ってきて休眠状態(スリープ)に入るだけの日々なんて味気ないだろう?」

「それは理解出来ますが、しかしだからと言って……」

「むぅ、言葉ではやはり通じんか――ならば、ほれ」

「えっ……んぐッ」

 

 セブンの言に納得できないのだろう。ナインは小さく不満げな表情を崩さない。そんな顔を見たセブンはどこか悪戯好きな表情を浮かべ、手元のハンバーガーをナインの口に突き入れた。突然の事に驚き、目を瞬かせるナイン。それから一拍置いて口元をもぐ、と動かす。ナインの口の中に肉の旨味と野菜のしゃりっとした感触、それにパンの柔らかさが広がった。

 

「美味いだろう?」

「………んぐ」

 

 咀嚼。それから飲み込む。ナインは暫くの間、身動ぎすらしなかった。無反応のナインを訝しみ、セブンは重ねて問う。

 

「何だ、美味くないのか?」

「いえ……美味しい、です、けれど」

「だろう?」

 

 満面の笑みを浮かべるセブン。ナインは気まずそうに視線を逸らし、口元に付着したソースを指先で拭った。率直に言えば――美味かった。それはもう、吃驚する位美味かった。

 食べることは出来るが、その心情と役割から滅多に食事など摂らないナインである。自然、食事云々など知識ばかりで実感を持たない。しかし、初めて食べたバーガーとやらは思った以上に美味で、ジャンクで、何というか衝撃的であった。

 セブンはそんなナインの様子を見て嬉し気に言った。彼女の衝撃が理解出来るが故の笑みであった。

 

「私も最初に此処に来た時はAS改修にばかり金を掛けていてな、しかし戦って帰ってきて眠って、新しくASの装甲を張り直して、とやっていく内に段々と妙な感覚、というか感情を覚えたんだ……それで何か普段しない事をしてみようと思い、ふとPXで人の食べるバーガーなるものを喰ってみたんだが」

 

 そこまで話して、不意にセブンはへらりと表情を崩す。

 

「これがまた、美味くてなぁ……すっかり嵌ってしまったんだよ」

 

 手元に目線を移し、本当に美味そうにバーガーを口にするセブン。刑部と天音はそんな機械人形の姿に暫し目を奪われ、口を噤んだ。二人は数舜、セブンが機械人形である事を忘れていた。バーガーにかぶり付いていたセブンは立ったままの三人に気付き、慌てて席を勧める。

 

「っと、悪いな、お前達も朝食を摂りに来たのだろう? 自由に座ってくれ」

「あ、っと……じゃあ、失礼します」

 

 我に返った刑部が一礼して席に着いた。天音も慌てて座り、ナインは数秒程悩んだ後、刑部の対面に座った。買い込んだ朝食を並べながら刑部はふと所在なさげに佇むナインを見る。少し考え、手元のパッケージングされたサンドイッチを手前に差し出した。

 

「ナインも食べないか? ちょっと買い過ぎたんだ」

 

 他の面々が何かを口にしている中、自分だけ待つだけと云うのも座りが悪いだろう。差し出されたそれを、ナインは驚いたような目で見ていた。ややあって、コクリとひとつ頷き、恐る恐る手を伸ばす。ナインはサンドイッチを手に取った。刑部はそれを笑みを浮かべながら見守る。

 

「……じゃあ、ひとつだけ、ありがとうございます」

「いえいえ」

 

 皆の前でセブンを問い詰めた手前、こうして食事を口にするのはやや躊躇われる。しかし、美味しかったという感想に偽りはない。本当に、美味かったのだ。

 セブンはそんなナインの変化に思わず口元を歪め、胸を張るようにして背筋を伸ばした。

 

「ふふふ、またひとり、機械人形(マシンドール)を食の道へと誘ってしまったか」

「……セブンさん、結構フランクな方なんですね、もっと厳しい方かと思っていました」

 

 昨日とは異なる雰囲気を纏うセブン、その軽々しい言動と雰囲気に思わず刑部は口に出していた。するとセブンは肩を竦め、まるで仕事に疲れた人間の様に笑って言った。

 

「いや、一応公私は分けるタイプでな、勿論作戦行動中は毅然とした態度で臨ませて貰うが、それ以外……というかウォーターフロント内なら別段偉ぶる必要もないだろう、それともお前はもっと規律正しく静粛にというのがお好みか?」

「いえ、俺としても今のセブンさんの方が好きですよ」

「なら良かった、軍用人形なら一ヶ月も基地に詰めれば私の様になるさ」

「ふぅん……因みにセブンさんは食に目覚めたようですけれど、他の方はどんな趣味に目覚めたんですか?」

 

 天音が栄養食であるゼリーを片手に――朝は余り固形物を口にしたくないらしい――そんな事を問いかけた。単純に興味があるのだろう。刑部から見ても、食事中のセブンは非常に生き生きとしているように見える。セブンは天井を見上げ、指折り数えながら答えた。

 

「他か、そうだなぁ……写真に目覚める奴もいるし、機械弄りに目覚める奴もいる、歌に、ダンスに、料理に、読書に――あー、多分人間がやる様な事は大抵何かしらやっているんじゃないか?」

「へぇ……凄いな」

 

 まさかそこまで娯楽に精通しているとは、刑部は内心で感嘆する。ここまで人に近いとなると、これは本当に見分けがつかなくなるかもしれないなと、刑部はやや未来の機械人形に期待を抱いた。天音も同じように驚きの表情を浮かべている。ナインは――無関心というか、無表情でサンドイッチの先端を齧っていた。内心では美味しい美味しいと繰り返し呟いている事に、刑部達は気付かない。

 そしてセブンは何か思い出したかのように手を叩き、それからはっきりとした口調で言った。

 

「あぁ、でも一番多いのは性交渉だな」

「ぶほッ!」

 

 天音が唐突に吸引していたゼリーを吹き出した。

 

「あ、天音、大丈夫?」

「げふォ、ゴホッ、だいじょ、エホッ、エホッ、だい、カハッ!」

「大丈夫ではなさそうですね」

 

 ナインが冷静に呟き、天音の背中を擦る。気管に入ったのだろうか、気の毒に。

 セブンが「お、おい、大丈夫か」と問いかければ、天音は手だけ振って問題ないとアピールした。少しすれば息を整えた天音が赤ら顔で縮こまる。どうやらこの手の話が苦手らしい。セブンは一度咳払いし、場の注意を己に集めた。

 

「あー、それで、だな、軍用人形が何故女性型しか存在しないのか、知っているか?」

「え、えぇ、【生身のAS乗りが妙な気を起こさない様に】――ですよね」

「そうだ、元々我々機械人形は人類を守る為に作られた、けれどなぁ……自分達で言うのもなんだが、この体は少々『出来が良すぎる』だろう?」

 

 そう言ってセブンは己の体を見下ろした。室内灯に照らされたセブンの皮膚と、刑部の皮膚は何ら変わらない。やや、セブンの方が白い程度。バーガー最後の一欠けらを口の中に放り込みながらセブンは続けた。

 

「人と同じ見た目をして、人と同じ言葉を話し、人と同じものを食べ、人と同じ思考をして、あまつさえ感情を持った存在となれば……人形が人間を愛す様に、人間が人形を愛してしまう事もある、例えどれだけ前線に人間が少ないとしてもな」

「―――」

 

 その言葉にナインが一瞬顔を顰めた事に、刑部は気付かなかった。

 

「守るべき存在が、守られるべき存在に庇われる――男女比の偏ったこの世界では大いにあり得るよ、特に前線に男性型機械人形なんて送り込んだら尚更……まぁ、男性のお前からしたら逆だろうが、其処はあれだ、割り切って貰えると助かる」

「……まぁ、多数に合わせるのは当然です、大丈夫ですよ」

 

 口にて、刑部は白々しいと自分で思った。多分そんな状況なれば自分は――そこまで考えて、思考を断ち切る。セブンは二個目のバーガーを取り出しながら、滑らかな口ぶりで続けた。

 

「愛玩用の男性機械人形なら内側に腐る程あるが……っと、これはあれか、人で言うセクハラという奴に該当するのだろうか?」

「いえ、別段気にしませんよ、俺、元々男娼でしたから」

「ゴボッフ!」

 

 今度はナインがサンドイッチを吹き出した。

 

「な、ナイン、大丈夫?」

「……問題、ありません」

 

 先ほどとは反対に、天音がナインの背中を擦る。彼女もサンドイッチが気管に――いや、機械人形にそんな事はあり得るのだろうか。

 セブンはどこか変な奴を見る目でナインを見つめ、当のナインはやや赤らんだ顔で視線を逸らしていた。

 

「……兎も角、何でこういう話になったかというと、あれだ、一番人気というか軍用人形の中で好まれているのが性交渉、つまり男性型機械人形との疑似性交なんだよ」

「それは、態々内側に出向いて?」

「そういう奴も居るが、中には成体パーツを買って『生やす』奴もいる」

「はー……それはまた、凄いですね」

「…………」

「…………」

 

 刑部が感心とも呆れともとれる吐息を零すと、天音とナインは揃って首を縮め視線を手元に落とした。妙に静かな二人に違和感を覚え、刑部は二人の顔を覗き込む。

 

「ナイン? 天音? どうしたのさ、何か……意気消沈しているというか、静かだけれど」

「……いえ、何でもありません、刑部さん」

「わ、私も、別に……」

 

 ナインが素っ気なく応え、天音は視線を逸らしながらぼそりと呟く。それ以上何も言おうとしないので、刑部は素直に身を引いた。やはりこの手の話題に余り免疫がないのだろうか? そう考えるも、しかし目の前のセブンはあっけらかんとしている。この差は一体なんなのか。セブンはバーガーを齧りながら天音とナインを見て、それから刑部に視線を戻した。

 

「ふむ――ところで刑部……あぁ、名前は呼び捨てでも構わないだろうか?」

「勿論です、立場的にもそれが適切ですし、人形と人間の差は気にしないで下さい」

「そうか、ありがとう……それでだな、お前は以前男娼をやっていたというが」

「はい」

 

 何でもない事の様に男娼という言葉を使うセブン。それを何でもない事の様に肯定する刑部。天音とナインは口を一文字に引き締め、押し黙った。誤魔化す様に天音は茶を口に含み、ナインはもそもそとサンドイッチを齧る。

 そして次の瞬間、天音とナインは予想もしていなかった言葉がセブンの口から飛び出した。

 

「それは今でも続けているのだろうか? もしそうなら金銭を払うので、一度相手をして貰いたいのだが……」

「!?」

「ゴブッ!」

 

 三度目は示し合わせた様に同じタイミングであった。

 

「あー……すみません、男娼の方はもう辞めてしまったんです、なので金銭を頂く訳には」

「む、そうか、それは残念だ」

「えぇ、ですので普通に抱いて頂く分には構いません、今度空けておきましょうか?」

「ぎ、ぎッ、刑部さん!?」

 

 刑部が澄ました顔でとんでもない事を宣うので、思わず天音は声を荒げて椅子を蹴飛ばし立ち上がった。刑部としては非常に慣れた――内側ではきちんと料金を頂いて相手をしていたし、訓練センターに移ってからはこの手の事が日常茶飯事であった――事であった為、対応もスムーズで特に取り乱しもしない。これには言い出したセブンも驚いた表情で、思わず体を硬直させていた。尚、ナインは一切の活動を停止していた。

 

「……驚いたな、自分から言っておいて何だが、男性というのはもっと慎重というか、保守的というか――本当に自分から持ち掛けてこう言うのも可笑しいと思うのだが、もう少し自分の身を大切にした方が良くないか?」

「ははは、大丈夫です、これでも人を見る目は確かなんです」

 

 忠告染みたセブンの言葉に刑部は笑って言った。この言葉は決して嘘ではない、刑部自身、その人生経験からか、それとも生前からの才能なのか、『凡その人柄』というものを軽く話しただけでどんな相手からも感じ取る事が出来た。身を委ねても問題ない相手か、それとも拙い相手か、そういうものを嗅ぎ分ける嗅覚を刑部は持っている。

 尤も、危険だからと言って断るかと言えば――それは黙秘する事になるだろう。

 

「それに例え劣情だけだとしても、誰かに必要とされるというのは心地の良いものですから」

 

 刑部はそう言ってセブンに笑いかけた。腹の底からそう思っていると分かる様な微笑みだった。その言葉には普通らしからぬ、それこそ暗闇の様な底知れなさを孕む情念が籠っていたが、その場の三人は終ぞその事に気付かなかった。

 

「う、ぐ、ぬ……ぅ」

「………」

 

 天音は唇を噛みちぎらんばかりの形相で、ナインはどこか詰る様な視線でセブンを見ていた。セブンは二人から注がれる視線にたじたじで、僅かに身を縮こまらせながら慌てて弁明する。

 

「……余りそう睨んでくれるな、天音、ナイン、私とて少々予想外だったのだ」

「しかし、男性と……それも人間の方と性的接触を持とうだなんて、食事の件はまだ納得も出来ますが、これは聊か――看過できそうにありません」

「そ、そうですよ! セブンさんばっかりずる――じゃなかった! 破廉恥です!」

「む、むぅ」

 

 二人の気迫に呑まれ、気圧され呻く。席を立って糾弾する天音は動、じっと動かず視線のみでじわじわと責めてくるナインは静。二人の攻勢に敗北したセブンは早々に前言を撤回し、刑部に向けて頭を下げた。

 

「わ、私も単なる好奇心というか、是が非でもという訳ではないんだ、すまない刑部、この話は忘れてくれ、でないと戦場で背中を気にしなければならなくなりそうだ」

「ははは、分かりました」

 

 刑部は笑ってそれを受け入れる。別段、抱かれようが抱かれまいが、自分としてはどちらでも構わないのだ。だから刑部は頓着しない。セブンは刑部の言葉を聞き届けると、ナインと天音に顔を向けて告げた。

 

「ほ、ほら、もう取り消したのだ、いい加減睨むのはよせ」

「………」

 

 天音とナインの二人はじっとセブンを睨みつけていたものの、撤回していたのは目前で聞いていた。天音は静かに腰を下ろし、ナインは視線を切った。漸くその重圧から抜け出したセブンは溜息を吐き出し、口元を緩める。

 

「ふぅ……全く、味方の攻撃で屍を晒すなど御免被る、心臓に悪い」

「セブンさんなら背中に目を付けていると思う程の超反応で、何とかしてしまいそうな印象がありますけれど」

「お前は私を何だと思っているんだ」

「歴戦の猛者?」

「……悪いが、私は然程稼働時間が長くないぞ」

 

 軍用人形として最適化はされているものの、他所の機械人形と比べると未だベテランとは言い難い。しかし、それでも戦場に立った時間はこの中で一番長いのだ。刑部のセブンを見る目に変化はなかった。

 

「兎角、お前達が元気そうで良かった、昨日の疲れを引き摺っていないのなら本格的に任務を開始しても問題なさそうだな」

 

 セブンは三人を順に見て告げる。ナインと天音は云わずもがな、刑部も特に疲れを残している様子はない。唇を舌で湿らせ、やや思案する様な表情を浮かべたセブンは続けて言った。

 

「丁度全員揃っているし、次に回ってきた任務の話でもしようか」

「えっ、此処で、ですか?」

 

 天音が驚いた声を上げる。セブンが疑問符を浮かべ、天音に顔を向けた。

 

「そうだが、何か不都合でもあるのか?」

「あ、いえ、何て言うか、もっとこうちゃんとしたブリーフィングルームとかでやるものだとばかり……」

「別段、休憩室で話しても問題がある訳でもあるまい、それに我らは『人機混合部隊』(人間と機械人形)だ、普段回される任務も然程激しくはない、そこまで詰める必要もないだろう、というより端末に概要を送るから勝手に見て予習しておけ――それと最終試験の方が此処の防衛任務より余程危険だとだけ言っておく」

「えぇ……何ですか、それ」

「試験は篩にかける為、そして受かったならばこういう任務で徐々に慣らせという事だろう」

 

 セブンがそう言って肩を竦めれば、ナインは頷きながら問いかける。

 

「……最初は現場に慣れさせるという考え方には賛同します、しかしそれが許されるだけの状況に人類はあるのでしょうか? 無論、今すぐ前線に私達を出せという意味ではありませんが、少々気になりまして」

「そうだな、あるかないかで言えば、瀬戸際というところだ、人の部隊も形振り構わず出さなければならない事態に後数年で陥るかもしれない――という話は出ている」

「へぇ……」

 

 刑部は人類の情勢を断片的なものとしか知らない。或いは、噂程度と言い換えるべきか。実際、人類が具体的にどこまで追い込まれているのか、どれだけの部隊が残っているのか等の知識を刑部は持ち得ていない。

 既にどうしようもない程に追い込まれているのか。或いは、まだ堪えるだけの力があるのか。セブンは超然とした態度で続きを口にした。

 

「私達の部隊の任務は基本的に『防衛』だ、本土からウォーターフロントに飛んでくる海上型・飛行型を撃退する、後は定期的に本土の海岸線に集まった陸上型を殲滅したりと――これは輸送機に乗っての出張だが――まぁそんなところだ」

「聞くだけなら簡単そうですが……」

「難しくはない、だが気を抜けば普通に戦死する、そこだけは忘れるな」

 

 その言葉は重々しく三人の胸に飛来した。

 決して難しくはない。少なくともたった四機で旧東京に突っ込んだ最終試験を考えれば、温いとすら言える。しかし、だからと言って安全という訳ではない。気を抜けば死ぬ、感染体とはそういう存在だった。

 

「任務は明日の午後一時、一三○○から予定されている、此処の『警邏隊』に私達も組み込まれるのがその時だ、それまでにASの兵装・増設装甲の張替えを済ませておけ、分かっていると思うが放っておけば整備班が勝手にやってくれるなどと思うなよ? バックスにはきちんと自分から要請しておけ」

「はい」

「りょ、了解しました」

 

 三人が各々頷く。セブンはそれを確認し、最後のバーガーを口に放り込んだ。そして茶で流し込み、ゆっくりと席を立つ。

 

「さて、では私はお先に失礼しよう、休める内に休んでおきたいからな、機械にも骨格(ほね)休めは必要だ」

 

 そう言って手を軽く振り休憩室を後にするセブン。その背中を見送って、刑部は二人に問いかけた。

 

「天音、ナイン、二人は今日どうする?」

 

 今日は休養日、というより事前準備の日なのだろう。ASの兵装換装、装甲の張替え、明日の防衛任務に向け体調と機体を整える。

 二人は軽く顔を見合わせた後、それぞれが今日の過ごし方を決めた。

 

「私はASの調整を少々、まだ以前の拡張ユニット経験をASに最適化出来ていないので」

「わ、私も同じかな、ASの整備依頼と調整を少しやって、後は……じ、自主訓練とか?」

 

 ナインは機体の調整と最適化。天音も同上、それに加え多少自己鍛錬に充てるとの事。刑部はその言葉を聞き、ひとつ提案を口にした。

 

「なら丁度良かった、少し訓練に付き合ってくれないか?」

「ASの、ですか?」

「いいや」

 

 AS乗りとして欠かせないものがある。操縦の腕もそうだし武装の取捨選択、装甲の配置もそうだ。機体の調整も大切だが。

 

「生身の訓練さ」

 

 何より、生身を鍛えなければ意味がない。

 

 




 毎日投稿にあたり、一話凡そ4000~6000で区切って参りましたが土日は投稿出来そうにないので今回は11000字となります。


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8話

 

 基地内部、近接訓練場。

 オープンスペースに何もない空間、たった二人で使うには余りに広すぎるそこで、ナインと刑部は拳を交わしていた。

 

「ふッ!」

 

 鋭い呼吸と共に拳風がナインの頬を掠った。柔手で以って勢いを飛来する拳を逸らし、次いで一歩体を横にずらす。空を切った拳はそのまま即座に引き戻され、宛ら連射砲の如くナイン目掛けて放たれた。右、右、左、右、右――飛来するそれらをナインは冷静に見極め、細かい足捌きとブロッキングにて捌き、避ける。

 その動きたるや舞踏の如く。常に足を止めず滑るように動く。その滑らかさは動きの起こりを読ませず、刑部の拳は空を切り続けた。僅かに弾む呼吸を整えながら、刑部は一歩退く。

 

「ハァ、流石、全然当たってくれないね」

「旧型とはいえ機械人形ですから、予測と反応は人に負けません」

 

 一度の被弾も許さず、ナインは刑部と対峙したまま告げる。人間と機械の対比の様に、息を荒げる刑部に対しナインは実に静かであった。そのまま数秒程対峙、睨み合ったままナインは口を開く。

 

「……天音さん、遅いですね」

「逆関節型ASは装甲バランスが難しいからなぁ、機動戦するなら重すぎても駄目だろうし、多分手古摺っているんだと思う……よッ!」

 

 答えながら、踏み込み拳を打ち出す。

 不意打ち気味に放たれたそれを、ナインは首を傾げて回避した。そのまま裏拳でナインを打ち据えようと追撃するも、ナインは素早く屈み裏拳は頭上を掠めるのみ。

 お返しとばかりにナインの足が水平に刑部の足を払い、足を取られ背後へ倒れる刑部。しかしダウンは取られず、そのまま勢いを利用して素早く跳ね起きた。距離を取った二人は拳を突き出したまま円を描く様に距離を測る。刑部の構えは左拳を頬に添え、右拳を突き出した攻防一体の型。対しナインは緩めた両手を前に出し、後の先を思わせる受けの型であった。

 

「ふぅ……ナインはあれで良かったのかい?」

「ASの追加装甲ですか」

「うん、かなり限定的というか、大分軽装だったけれど……」

「元々私の戦闘方針は一撃離脱(ヒット&アウェイ)が主軸になっているので装甲で受けるという選択肢はありません、最悪ソフトスキンを保護できる程度の軽装甲があれば十分です」

「遠征用の兵装は?」

「主兵装は連射砲とKB(ケトル・ボム)、後は近接用に電動鋸(チェーンソー)です」

「……まるで工作型ASみたいだ」

「否定はしません」

 

 刑部が一歩踏み込み、ナインの足が止まる。瞬間、刑部の足が跳ね上がりナインの腹部目掛けて爪先が奔った。飛来するそれを、ナインは冷静に半身になって避ける。掠めた脇腹に衝撃が奔り、受ければ後方に弾かれていたと冷静に思考した。

 次いで飛来するのは右の拳。それを掌で逸らし、そのまま踏み込みと同時に打ち込まれた肘撃を逆手で受ける。乾いた音が鳴り、刑部の動きが止まった。奇襲染みたそれに自信があったのだろう。目前に在る刑部の表情が微かに歪む。

 

「それにしても、さッ!」

「何でしょう?」

 

 超至近距離での打ち合い。その悉くをナインは防ぎ、未だ被撃を許さない。訓練センターで散々扱かれた刑部としては、面白くない。単純な打撃戦ならば兎も角、回避や受けに関してはナインが一枚も二枚も上手であった。

 故に刑部は、一撃入る状況を作るべくナインに語り掛ける。

 

「俺の勘違いだったら申し訳ないのだけれど――ナイン、何だか俺達と距離を取ろうとしていない?」

「ッ――」

 

 それを口にした途端、ナインの動きが一瞬――ほんの一瞬止まった。

 刑部としてはその一瞬のみで十分であった。至近距離からの踏み込み、肩からナインに突貫し体勢を崩す。ナインは勢いに負け後方へと蹈鞴を踏み、重心が乱れた。

 そこに追い突き――放たれたソレはナインの目と鼻の先で止まり、ナインの躰が硬直する。実戦であれば確実に決まっていた一撃。被撃であった。

 刑部は笑みを浮かべ、ナインは心なし不満そうに眼を細めた。

 

「隙あり、一本」

「卑怯です」

「ははは、ごめん、でも言葉は嘘じゃないよ」

 

 突き出した拳を戻し、大きく息を吐き出す。心地よい倦怠感と火照りがあった。ナインは汗一つ掻かない、そも汗を流す必要がない。ナインはそのまま押し黙り、刑部はゆっくりと火照りを冷ましながら口を開いた。

 

「何となく壁を感じるんだ、ナインとの間にさ、勿論そんなつもりがないんだって言うのなら深くは聞かない……けれど一応これからは同じチームだ、チームだからって何でもかんでも入り込むつもりはないけれど、長間苦楽を共にするならやはり仲良くなりたいとも思う」

「………」

「どうかな?」

 

 刑部の言葉に、ナインは暫し目を瞑った。そして二度、三度呼吸を繰り返し、すっと口から息を吸い込む。

 

「――私は」

「ごめんなさい、遅くなって!」

 

 しかしナインが口を開くと同時、訓練場の入口から天音の声が響いた。見ると僅かに息を弾ませた天音が駆け寄って来る所であった。ナインはそのまま開き駆けた口をぐっと結び、首を振る。

 

「――いえ、丁度良いタイミングでした」

「ん、ナイン?」

「少し、ASの事で気になる箇所が出来たので席を外します、天音さん、私の代わりに刑部さんの相手、お願いします」

「え、あ、うん」

 

 まるで刑部の相手を押し付けるような形で了承を捥ぎ取ったナインは、そのまま踵を返し訓練場を後にする。背を向けたナインの表情は見えない。刑部は遠ざかるナインの小さな背中をじっと見つめた。

 

「な、何かあったの?」

「……いや、何も」

 

 ナインの態度に何かを感じ取ったのか、どこか不安げに問いかける天音。刑部は緩く首を振って否定した。別段、仲違いをしたとか、そういう訳ではない。刑部が素直にそう口にすれば、天音は露骨にほっと胸を撫でおろした。気を揉ませただろうか、悪い事をしたと若干の後悔。頬を軽く叩き、意識を切り替えた。

 

「さて、御相手願えるかな、天音」

「あっ、うん! 勿論!」

 

 刑部がそう言って数歩離れれば、天音も慌てて頷き構えを見せた。

 

「でも意外だな、ぎ、ぎ……刑部、くん、がこういう鍛え方をしているなんて」

「うん?」

「ほ、ほら、最終試験でも四脚で白兵戦をやっていたから、あんまり生身での戦闘訓練とかって意味がないんじゃないかなぁって思ったり……やるならASに乗らないと、ほら、人って足二本しかないし」

 

 天音はそう言って刑部の手足を見る。確かに、刑部の操る四脚ASは足が四本、腕が二本、合計六本存在する。対し今は手足が二本ずつ――ASで行う白兵戦の訓練としては不適切に思われる。天音の言葉を聞いた刑部は訓練センターでの出来事を思い出し、苦笑いを浮かべながら答えた。

 

訓練兵(ブーツ)だった頃は最初、こんな風に生身での格闘訓練ばっかりやっていたんだ」

「えっ、な、何で……?」

 

 意外であったのだろう、天音は理解出来ないという風な口調で言った。刑部としても体を鍛えることに否やはない。しかし、確かに度が過ぎていた様にも思う。当時の教官を思い出し、お道化るようにして手を広げる。確か、彼女はこんな風に言っていた。

 

「『肉体で格闘戦も出来ないのにASを着て敵と真正面から殴り合えるか!』――っていう、教官の教導方針でね」

「え、えぇ……」

 

 呆れた、というよりは『なんだそれは』というような表情であった。気持ちはよく分かる。

 

「まぁ多分、理由はそれだけじゃなかったと思うけれど」

 

 苦笑いし、思い返す。訓練は白兵戦と銘打ちながら主に寝技が主体だった。身体接触の激しい訓練だ。つまりはそういう事である。

 

「でも実際、教官の言葉は強ち間違いでもなかったよ、AS操縦も体力勝負だからね、ASで白兵戦をするにも生半な体力じゃ直ぐに果てる、それに手が二本、足が二本っていう『不便』な状況での戦いに慣れておくと、結構実戦で余裕が生まれるんだよ、これが」

「な、成程、そうなんだ……」

「うん、それで――そっちのAS調整は上手くいったのかい?」

「あ、えっと、一応は、ちょっと側面と背面の装甲が不安だけれど、納得はいく配置にはなったかな、うん」

「そっか、なら良かった」

 

 手を叩き、拳を構える。天音もまた、同じように構えを見せた。

 

「よし、それじゃあ一戦、お願いします」

「は、はい! こちらこそ!」

 

 ■

 

 夕刻、訓練後、宿舎廊下にて。

 

「ふぅーッ……」

 

 刑部は誰もいない廊下をひとりで歩く。天音とは訓練場で別れていた。

 体から力を抜くと心地よい疲労感が広がる、正直全身の筋肉が気怠さを訴え歩くのも億劫だ。久々に此処まで体を追い込んだ、ある意味此処まで動かなければならなかった、スパーリング相手の天音が凄まじかったというのもあるが――本人曰く、外側で生きている内に勝手に体が鍛えられたらしい、確かに体力は怪物的であった――それにしたって明日から任務だというのに、少々張り切り過ぎたと自嘲する。

 肩に掛けたタオル乱雑に払い、腕に巻く。

 

「疲れた、シャワーを浴びて、飯食って……寝るか」

 

 呟き、刑部は肩を竦めた。今兎に角飯を食って休みたい、昼飯もがっつり食べたが夜も少し多めに摂ろう、そう決めて部屋の冷蔵庫の中を思い出そうとし――自身の部屋の前に立つ人物を見て、刑部の思考は霧散した。

 

「ん――セブンさん?」

「! あ、あぁ、刑部」

 

 刑部の部屋の前で妙にそわそわしながら立っていた人物。それは他ならぬ上官殿であるセブンであった。刑部の部屋の扉を眺めながら手櫛で髪を整えたり、唇を触っては何やら考え込む動作を見せていたが――。

 刑部はセブンの前に立ち、穏やかな口調で問うた。

 

「どうしたんです、こんな所で? 此処、人間用の宿舎ですけれど」

「う、うむ、勿論分かっているとも、実は、その、だな――」

「もしかして、俺に何か御用ですか?」

 

 刑部の問いかけに対し、セブンは小さく何度か頷いて見せた。その動作はどことなくぎこちない。端的に言うと『らしくない』、これは何かあるかなと内心で刑部は思った。

 

「あ、あぁ、そうなんだ」

「明日の任務の通達とかでしょうか? っと、そう言う事なら一度部屋へどうぞ、流石に廊下で話し込む事でもないですし」

「あ、いや、しかし――」

「どうぞどうぞ」

「あっ、ちょ――」

 

 まぁ、正直セブンが何を企んでいようと企んでいまいとどうでも良い。正直此方は訓練疲れで考える事も億劫なのだ。さっさと飯を食ってシャワーを浴びて寝たいのだ。故にやや強引にセブンの肩を押して部屋の中に押し込む。刑部が人間という事もあって、強く抵抗できないセブンはなすがまま部屋に踏み込んだ。

 

「まぁ文字通り何もない部屋ですけれど、あ、少し待って下さい、今何か出しますので」

「か、構わなくて良い、突然来たのは私の方だ」

 

 刑部が部屋の中にあるパイプ椅子を勧めれば、彼女は暫し固まっていたものの恐る恐る腰かけ、手を振った。しかし何も出さないというのはそれはそれで気まずい。故に刑部は冷蔵庫の中にあったボトルを取り出し、それをコップに注いだ。

 

「まぁ、そう言わず――麦茶です、冷たいと結構美味しいんですよ、これ」

「む、ぅ……そうか、すまない、ありがとう」

 

 差し出されたそれを流石に無碍には出来ぬと受け取るナイン。刑部は笑顔を浮かべながらベッドに座り、端的に告げた。

 

「それで、どうしたんですか? 何だかいつもと様子が違うと言いますか、直截的に言ってしまうと若干挙動不審に見えます」

「ぶっふッ」

 

 口付けていた麦茶を吹き出し、俯くセブン。

 

「大丈夫ですかセブンさん?」

 

「あ、あぁ……その、何だ、色々すまない」

 

 目を彷徨わせ、セブンは震える口調で言った。両手でコップを持ち、膝の上で手を組んだ彼女は暫し沈黙を守る。ややあって、何度か唇を濡らした彼女は僅かな声量で言葉を紡ぎ始めた。

 

「……実はな、食事を摂った後パーソナルルームに戻ったのだが、そこで同僚、いやこれは正しくはないな、人間でいう『腐れ縁』? だろうか、みたいな関係の機械人形となんやかんやで交流を図る事となってな」

「はぁ」

「そこでその、私の部隊に生身の男性が在籍する事になったと口を滑らせたら、えらく向こうが憤慨したというか、怒涛の如き言葉の洪水で以って迫って来たというか……その同僚というのが、あの場で話した性交渉を嗜んでいる奴なのだが――」

「……あぁ、そういう事ですか」

 

 刑部は目を泳がせながらそう口にするセブンを見て、凡そ彼女の用事の内容が分かった。膝に肘を立て、顎を支えながら刑部は淡々と告げる。

 

「その同僚に発破でも掛けられて、一度撤回した好奇心が再び首を擡げた――という所でしょうか?」

「うぐッ」

 

 セブンが呻き、それから深く頭を下げた。

 

「す、すまない、一度撤回した言葉を再び口にするなど到底許される行為ではないと理解しているのだが、その、如何ともし難い欲求というべきか、感情というか、そういうものが私の中で静まらなくて、だな」

「良いですよ、別に」

 

 何でもない事の様に刑部は云った。

 

「えっ」

 

 頭を下げた格好のまま、セブンがゆっくりと顔を上げる。その表情は端的に言って――中々に間抜けだ。信じられない、というか聞き間違いだろうか、という感情が透けて見える。刑部は微笑みを張り付けたまま、己の感情を分かりやすく言葉にした。

 

「だから、別に良いですよ? というか最近ちょっと中毒気味でして、誰か隣にいてくれないと深く眠れないような気がして――なので、俺としても渡りに船です、あ、でも今少し汗が凄いのでシャワー浴びてからでも良いですか?」

「あ、あぁ、勿論だ、うん……」

「それじゃあ少し席を外させて貰って――その間自由にして貰って構わないので、冷蔵庫の中とか勝手に飲み食いして下さい、余り良いものは入っていませんが」

「あ……ありがとう」

 

 それだけ言ってシャワーを浴びに行く刑部。部屋に取り残される茫然としたままのセブン。ややあって、セブンは刑部の消えたシャワールームに顔を向け、目を瞬かせた。

 

「――えっ」

 

 



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9話

 

 心地良い疲労感があった。訓練とは違う、甘い痺れとでも云うのだろうか。刑部はベッドの上に転がったまま静かな呼吸を繰り返す。ただ、まぁ、やはり訓練後の疲労を考えると宜しくはない。それでもやってしまうのは男性の(さが)という奴だろうか。枕の上で寝返りを打ち、隣で天井を見つめ続けるセブンを見た。

 

「…………」

「セブンさん?」

「はっ」

 

 声を掛けると茫然としていたのか、目を瞬かせて隣に寝転がる刑部を見る。ややあって、その表情に赤みが差し――機械人形だというのに実に多芸である――目に見えて狼狽していた。やや内股になって体を隠す様に腕を使うセブン、刑部はそんな彼女の顔を覗き込みながら問いかける。

 

「大丈夫ですか?」

「あ、あぁ、大丈夫、大丈夫だとも」

 

 そう早口で告げたセブンは口元までシーツを手繰り寄せ、それからちらちらと刑部に視線を寄越した。慣れた反応であった、刑部は笑いながら問う。

 

「それで、どうでした?」

「ど、どうとは?」

「感想です」

 

 端的な言葉にセブンが更に赤く染まる。しかし、口をシーツで覆った彼女はもごもごと唇を擦り合わせ乍ら、ややあって率直な感想を述べた。

 

「す」

「す?」

「……凄かった」

 

 実に、簡素である。

 

「元々この生体パーツも、同僚の奴が付けろ付けろと五月蠅くて仕方なく装着していたようなものだから、今の今までこんな部位は必要ないと信じて疑っていなかったんだ……だが、その、どうやらその認識を改める必要があるようだ」

 

 そう口にしながらセブンは足を擦り合わせる。そして、別段寒さを感じる訳でもないだろうに、ぴったりと刑部の傍に引っ付いた。物理的な暖かさではなく精神的な暖かさを欲しているのは明らかだった。刑部はセブンの頭を撫でつけながら、同じように彼女へと寄り添う。機械人形の肌は、(ぬる)い。この暖かくもなく冷たくもない肌が刑部は嫌いではなかった。

 刑部の暖かさに頬を寄せたセブンが何処か浮ついた声で告げる。

 

「……良いものだな、誰かと繋がるというのは」

「――えぇ」

 

 別段、躰だけの繋がりであろうと刑部は構わない。元より前はそういう仕事であったのだ。けれどセブンは体ではなく精神的な繋がりを求めているのだと思った。セブンの言葉には大いに同意出来る。誰だって一人では死にたくない。精神的な繋がりを欲している。

 暫くそうやって寄り添っていた二人であるが、不意にセブンは刑部の腕から頬を離し責めるような口調で言った。

 

「しかしお前は――刑部は誰にでもこういった事をするのか?」

「誰にでも、というと語弊はありますが、まぁ前の仕事の時はそうでしたね」

「むぅ……」

 

 明らかに不機嫌な声色だった。何となく刑部はセブンの方から顔を逸らし、「どうしました?」と白々しく問う。セブンは顔を顰めながら、シーツ越しに自身の胸の辺りを掴んでいた。初めて感じた情に戸惑っていたのだ。

 

「いや、何というか、お前が誰とでも繋がるというものだから、妙に、こう、イラッというか、ムカッ、というか、妙な感覚が……これは何だろうか?」

 

 真面目な顔で、僅かな困惑を滲ませながらそんな事を問いかける。

 嫉妬ですね。

 刑部は口に出さず、肩を竦めた。

 

「――さぁ、何でしょう」

「う、むぅ」

 

 呻き、未だ嘗て味わったことのない感情を持て余すセブン。刑部はそんなセブンを横目に深く息を吸い込んだ。

 

 ――今日は気持ち良く眠れそうだ。

 

 そう思い、ゆっくりと微睡みに総てを委ねる。隣の微かな暖かさと疲労感が絶妙に混じり合い、あと十秒も瞼を閉じていればすぐに寝入ってしまいそうだった。そんな、今にも眠りの世界に旅立ってしまいそうな刑部の肩を軽く揺すって、セブンは問いかけた。

 微睡は消え去り、刑部は目を開く。

 

「刑部」

「何です」

「私は、その、人間でいうところの美意識とやらに疎い、私はお前にとって魅力的な存在だろうか? 具体的に言うと、可愛いか?」

「えぇ、可愛いですよ」

「そ、そうか……そうか……!」

 

 ぐっとシーツの中でガッツポーズを取るセブン。私、可愛い? まるで恋人の様な問いかけだと思いながら頷く。機械人形の造形は整っている。人形なのだから然もありなん。刑部は再び瞼を閉じ、そして数秒後同じように肩を揺すられた。

 まだ、何かあるのだろうか。そろそろ眠いのだけれど。

 

「刑部、刑部」

「……えぇ、はい、何ですか」

「お前の好きな髪形(ヘアスタイル)を教えてくれ、あと、好みの顔型(フェイスタイプ)も」

「セブンさんは今のままが一番ですよ」

「ほ、本当か?」

「えぇ、本当です」

「そうか、わ、分かった!」

 

 嬉しそうにはにかむセブン。良かったね、あとはぐっすり眠るだけだ。だから眠ろう、そうしよう。

 

「刑部、刑部、刑部」

「…………………はい、何でしょう」

「お、お前はどういう女が好みなんだ? 人間にはそれぞれ好みのメンタルモデルがあると聞く、男なら確か、清楚だとか可憐だとか、そういう感じの女が好きなのだろうか?」

「俺は、内面も外見も、今のセブンさんのままで良いと思いますよ」

「ほ、本当に本当か? 今のままの私が刑部にとっての一番なのか?」

「えぇ、本当です」

「そ、そうか!」

 

 刑部は天を仰ぎ目を瞑った。今のセブンは初めて恋人が出来た人間の女性のソレであった。大きすぎる感情を持て余しているのだ。小さく、隣の彼女に分からない程度の溜息を零した。今は兎に角、疲れたし、眠いのだ。

 

「ぎ、刑――ふぐッ」

 

 四度目はない。口を開いた瞬間、セブンの頭を掻き抱く様にして胸に囲った。そのまま小さく、囁くような形で告げる。

 

「――もう良い時間ですから、そろそろ寝ましょうね、こうすると良く眠れますから」

「ふ、ふぁい」

 

 胸に掻き抱かれたセブンは大人しくなり、そのまま微動だにしなかった。漸く眠れる。

 刑部は今度こそ微睡に身を委ね、疲労も合わさって深い眠りへと誘われた。

 

 

 ■

 

 

 早朝。早番の者が慌ただしく準備し、飛び立っていく時間帯。休憩所の一角に刑部達は集まっていた。セブンに、ナイン、刑部と天音、小隊のメンバーが勢揃いである。朝食の時間が同じ彼女たちは自然、こうやって集まる事が殆ど。適当に雑談でもしながら朝食を摘まめば良いのだが――今日に限っては一昨日、昨日とは異なる妙な雰囲気が漂っていた。

 率直に言うと――空気が淀んでいた。

 それに耐えられなかったのだろう、目前に座るナインがどこか詰る様な目付きで刑部を見て言った。

 

「――刑部さん」

「ん?」

 

 声を掛けられ、刑部は食べる手を止める。そしてナインを見ると、一口も食べていないサンドイッチを手にじっと此方を見る彼女と目が合った。ナインは多分――とても怒っている。

 ナインはひとつ、ふたつ、間を置いて重々しく口を開いた。

 

「ひとつ、問いたい事があるのですが」

「……何だろうか?」

「『ソレ』は一体、どういうおつもりで?」

 

 ナインの指が刑部の隣を指差した。横目で見れば、これでもかという程に顔を蕩けさせたセブンが刑部の腕に張り付き、両手にバーガーを掴んで刑部の口元に突き出している。多分良く見れば瞳の中にハートマークでも見えるのではないかと思う程。昨日との落差が酷過ぎる。セブンは幸せそうに口元を緩め、刑部の頬にぐいぐいとバーガーを押し付けた。

 刑部は何ら表情を変える事無く、大人しく差し出されるバーガーを時折齧っている。

 

「ふふっ、刑部、美味いか? なら、これはどうだろうか、合成でも国産のバーガーは味が細やかで食い応えがあるのだ、あっ、因みに米産もあるぞ? こちらはこちらでボリューム感があってな、味が濃いのが特徴だ、因みに英産のバーガーは――」

「全部バーガーじゃないですか」

 

 机の上に並べられたそれを見据え、ナインが吐き捨てるように言った。好きなものを貶されたと思ったのか、ややセブンの顔に剣呑なものが生まれる。

 

「むっ、何だナイン、私の献立に文句があるのか? 良いだろう別に、人の食事にケチをつけるな、全く以って無粋な」

「別段貴女が何を食べて何処で機能停止しても構いませんが、そんな栄養バランスの欠片もない食事を満面の笑みで勧めないで下さい」

「し、失礼な、これでも一応野菜とのバランスも考えてある! 見ろ、ほら、ちゃんとバーガーにはレタスが挟んであるし、トマトだって挟まれているものもあるんだぞ!」

「然様ですか」

 

 ナインの対応は冷めていた、それは正にツンドラの如く。ナインはひとつ溜息を吐き出し、それからセブンに向けていた視線を再び刑部へと戻した。

 

「それで刑部さん、この状況を説明して下さい、貴方がセブンさんを片腕に巻き付けてやって来たものだから――ほら」

 

 そう言って横に顔を逸らす。そこには放心し、天井を仰ぎながら脱力した天音が『在った』。最早口から魂が抜けだしているのではないかと思ってしまうような状態。彼女は両手両足を投げ出したまま虚空を見つめ、ぶつぶつと何事かを呟いている。

 

「恋人、こいびと……恋人? 機械人形と人間の、禁断の恋、機械に負けた、機械に負ける私ってなに……ただの肉の塊? 私は、私は、ゴミクズ――私ごみくずだった」

「天音さんが機能障害を起こしています」

「うわぁ」

 

 思わず、といった風に刑部は呻いた。何というか色々見せられないような表情をしていたのだ。何だろうか、これを言葉にするのは難しいが有り金を博打か何かで全て溶かした人間がこんな顔をするのではないだろうか。外国為替証拠金取引(FX)という言葉が頭を過ったが、恐らく単なる思い違いだろう。刑部は愛想笑いを浮かべた、最早笑うしかないのだ。

 

「あはは、まぁ何というか、色々あってね、うん、気にしないで貰えると有難いのだけれど」

「いえ、それは困難かと」

「……だよねぇ」

 

 流石に笑って誤魔化せる段階は過ぎ去ったか。ナインは天音と刑部、それから未だ張り付いたまま熱視線を送るセブンを見て、盛大に――それはもう大きな溜息を吐いた。

 

「まさか僅か一日で部隊員、上官と懇ろな関係になるとは」

「懇ろって」

 

 刑部が苦笑を浮かべると同時、ナインは細めた視線を針の様に鋭くして刑部を突いた。視線に痛みを伴わせるなど凄い目力だ、なんて考える。

 

「何というか、刑部さんはあれですか、俗にいう股軽という奴ですか」

「随分な言葉を真顔で言うなぁ……もしかして怒っている?」

「いえ、全く、これっぽっちも」

 

 刑部の言葉をナインは否定した。そして暫くの間見つめ合う。明らかに怒気を孕んだ瞳であった。

 

「怒っているじゃん」

「怒ってなどいません」

 

 刑部がそう言えば、即座に否定するナイン。絶対に怒っている、そう思ったが彼女は決してそれを認めようとしない。そんなやり取りをしていると、不意に袖を引かれた。見ればセブンが寂しそうな表情で刑部を見上げている。

 

「なぁ刑部、無視は良くないと思うんだ、構ってくれ、寂しくて仕方がない」

「……えぇ、はい、勿論です」

 

 少し、変わり過ぎではないでしょうか。そんな言葉を刑部は寸で飲み込んだ。

 

「………」

 

 まるでくだらない物を見るような目――通俗的な言い方をするのであれば、ジト目を向けるナイン。そんな目で俺を見ないでくれと云いたくなった。まさか部隊内でこの様な事になるとは。

 いや、多少面倒が起こる事は予期していたのだ。ただ、ここまでセブンが豹変するというか、『駄目』になるとは思わなかった。

 普段の彼女を思い出せ、泰然とし、凛と胸を張っていたではないか。しかし今の彼女はどうだ? 目を蕩けさせ、口にふやけた笑みを張り付けている。まさに『頭部機能障害』(明らかに浮かれている)のだ。

 

 セブンは変わらず刑部に熱視線を送っている。反対にナインは絶対零度の視線。天音は魂が抜け落ち昇天中。それらを見て、刑部は小さく笑った。

 先も云ったが、笑う以外にどうしろと。

 まだ初任務すら行っていないというのに、前途多難の予感がした。

 

 



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10話

「んんッ、ではこれより防衛任務について説明する」

「………」

「………」

 

 部屋の中は宛ら極寒の地であった。

 

 小隊規模の人員が集まれる小さなブリーフィングルーム。長テーブルを囲み、沈黙する天音、刑部、ナインの三名。その三名の前に立ち、モニターを点けるセブン。しかし、どう見ても防衛任務前の空気ではない。明らかに、死んでいる、諸々が。

 セブンは視線を泳がせ沈黙する三名――特にナインと天音を見て言った。

 

「……あー、何だ、皆、思うところはあるだろうが任務は任務だ、切り替えて欲しい」

 

 セブンが懇願する様に、喉を鳴らしながら告げた。ナインはじろりとセブンを一瞥し、勤勉で物腰丁寧な――ある意味無機質ともいえるが――彼女には珍しく、やや感情的な口調で問いかけた。

 

「セブンさんは切り替えられるのですか」

「も、勿論だとも! 昨日休憩所で言ったと思うが私は公私の線別は確り引く、例外はない」

 

 ナインの問いかけに対し、セブンは胸を張って早口で捲し立てた。ナインは「ふぅん」とも言いたげな表情で目を細め、ぽつりと呟く。

 

「そうですか、では任務中刑部さんの腕に引っ付いたり、無暗矢鱈と話しかけたりはしないという事ですね」

「えッ!?」

 

 濁点の付いた「えっ」だった。セブンは「まさかそんな事、えっ、ありえるの? いや、駄目だよそんな事」とも言いたげな表情で、途端にちらちらと刑部を見た。明らかに吹っ切れていない、というか公私の区別がついていない。私一色である。ナインはそれ見た事かとばかりに溜息を吐き、額に手を当てた。

 

「……全然線引き出来ていないじゃないですか、このポンコツ軍事人形」

「今更だけれど、ナインって結構辛辣だよね」

「仕様です」

「絶対嘘だ」

 

 こんな辛辣仕様の機械人形がいるものか。

 

「――ですがまぁ、今更言っても詮無き事、任務に支障をきたしてはいけませんから、セブンさんがちゃんとしてくれさえすれば何も言いませんよ、えぇ、【私は】」

 

 ナインはそう告げ澄まし顔。最後の言葉に何やら含みを感じたが、刑部は狼狽するセブンを窘めながら残りのメンバーに目を向けた。

 

「因みに天音は――」

 

 口にし、デスクにうつ伏せになった彼女を見た。一目でわかる、「駄目そうか」、思わずそんな言葉が口をついた。頭上に雨雲を幻視する、これは復活に時間が掛かるに違いない。

 

「……いえ、ちゃんと、話は、聞きます……聞きます、よ」

 

 しかし天音は腕を枕にした状態で、下から覗き込むようにして唸った。その視線に晒された刑部は冷たい汗を背中に感じながら頷く。

 

「そ、そうか」

 

 物凄い怨念の籠った声だった。きっと気のせいではない。

 セブンは刑部に、「きちんと任務をこなすセブンさんが見たいなぁ、格好の良いセブンさんが好きだなァ」と発破をかけられ、「えっ、そ、そうか? じゃあ任務頑張っちゃおうかな、寂しいけれど、仕方ないよな、任務だもんな!」と奮起した。

 ちょろい。

 

 咳払いをし、再び我を取り戻したセブンはやや申し訳なさそうな表情で二人に告げた。

 

「う、うむ、何というか……すまないな、二人とも」

『謝る位なら最初からやらないでください』

 

 二人の声が綺麗に揃う。

 

「ぎ、刑部ぅ、天音とナインが私を虐めるー……!」

 

 セブンは涙目になった。

 

 

 

「さて、気を取り直して――私達の初任務、初めての防衛任務だ、気負う必要はないが十分に気を引き締めて臨んで欲しい」

 

 セブンが先程とは打って変わって、真剣な様子でそう告げる。ナインは変わらず能面の様な表情で話しに聞き入り、天音はどこか雨雲を背負いながらも涙目でセブンを見ている。心なしかセブンは天音の方を見ない様にしている風に見えたが――まぁ概ね、何とかなった。

 先程と比べれば雲泥の差だ。

 

「皆昨日の内に送信していた内容には目を通してくれていると思う、故に今日の説明は最終確認を兼ねた細部についてだ、時間帯、場所などはデータの通り、後は我々の隊列と配置等だな」

 

 セブンはそう言ってモニタにウォーターフロントのマップ情報を映し出した。巨大なメガフロートは幾つものブロックに分けられ、細かく分類されている。

 

「我々の担当はウォーターフロント外郭三十四番と三十五番、兵装は一任しているが場合によっては配置コンテナから兵装の換装を行え、これは各外郭に設置されている予備兵装だ、弾薬が無くなった場合、或いは兵装に不調が起こった場合の保険だな――ナインは狙撃兵装の類が昨日確認されなかったが、準備は?」

「完了しています、既に主兵装の突撃銃をロングレンジライフルに換装済です」

「宜しい、なら後は組み分け(エレメント)だな――重装二足歩行型、逆関節型、軽装二足歩行型、四脚型、これらの特性を踏まえた上で、『重装二足歩行型』と『逆関節型』、『軽装二足歩行型』と『四脚型』のペアで防衛任務に臨みたいと思う」

 

 セブンの言葉に刑部は脳裏で組み分けを思い描いた。

 

「えぇと、俺とナイン、セブンさんと天音、ですか」

「そうだ」

 

 頷くセブン。ナインは少しだけ驚いたような表情でセブンを見た。未だその視線は冷たいが、やや態度が軟化している様に見える。

 

「……てっきり自分と刑部さんを同じ組にすると思っていましたが、存外真面目なエレメントですね」

「だ、だから公私は確り線引きすると言っているだろう!」

 

 顔を真っ赤にして、言い訳する様にセブンは叫んだ。

 無論、嘘である。

 この女、つい先ほどまで自分・刑部ペアでエレメントを構成する気満々であった。

 刑部が「セブンさんの、ちょっと良いとこ見てみたい」をしていなければ何の臆面もなく自分と刑部のエレメントを発表していただろう。セブンは喉を鳴らし、やや赤らんだ頬を隠す様に続けた。

 

「んんッ! 兎角、これが恐らくベストな組み分けだ、私と刑部は重装型である以上機動力に難がある、その代わり火力が積めるからな、この二つのASを主軸に軽装かつ前衛を任せられる逆関節型と軽装二足歩行型を配置した」

 

 刑部のASは四脚型、そしてセブンは重装二脚型。どちらも火力に富んだ機体である。防衛任務という性質上、必ずしも前衛・後衛の組み合わせが必要とは言えないが――自分と刑部をエレメントにする際はこの論法で押し込もうと考えていた――オーソドックスな組み合わせを守るというのもまた大切な事。万が一ウォーターフロントに上陸された場合の生存率が違う。故に、この組み合わせ自体は真っ当なものだ。

 

「私と天音さんを逆にしなかった理由は?」

『機械人形の存在理由』(マシンドール・レーゾンデートル)だ、人間同士組んだ場合窮地に陥ったら拙いだろう? だが、私達の場合はそうじゃない」

「……成程、最悪の場合は盾にもなりますし、万が一の場合は人間だけでも、という組み合わせですね」

「そうだ」

 

 セブンは寸分の躊躇いもなく頷いた。ナインは彼女の提案に賛同し、頷いて見せる。

 

「合理的判断です、賛成します」

「……私も、まぁ、セブンさんと刑部君が別々なら」

「おいおい」

 

 天音、本音が漏れているよ。刑部は未だに死んだ目でセブンを見つめ続ける天音を見て思った。

 

「ではエレメントはこれで決定とする、各自ハンガーに移動、ASに搭乗・装着し待機せよ」

「了解」

 

 是が非でも天音の方を見ようとしないセブン――心なし視線が泳いでいる――の言葉に返事をし、刑部とナインは席を立った。後はハンガーに向かって待機するだけだ。出撃を控えた新兵に、経験者であるセブンが緊張を解き解す為に笑って言った。無論、天音の方は見ずに。

 

「万が一、などと言って脅したが此処はウォーターフロントだ、人類最後の砦に相応しいだけの備えはある、私達はただ海と空に目を光らせれば良い――頼んだぞ」

 




雨にも負けず、風にも負けず。
若干ツンデレながらも病み気質の幼馴染を持ち。
「ど、どうせアンタの事貰ってくれる女なんていないし? しょうがいないから私が貰ってあげるわ!」と常日頃罵られ。
ならばと一念発起し彼女を作り、それなりに上手く関係を築くも。
当の幼馴染は日に日に窶れ、「どうして」だとか、「私の事、嫌いになったの……?」と問い。
ある日突然幼馴染の家に呼ばれ、「最近は互いの家に行き来する事もなくなったのに、一体どうしたのか」と疑問に思いながらもホイホイとお邪魔し。
どこか肌が荒れ、やつれた幼馴染にアイスティーを出され、昏睡し。
気付いた時には既に事を終えた幼馴染に、「責任、とってくれるよね?」と迫られ。
気付けばいつの間にか結婚し、二児の親となり夫婦円満な家庭を築いていた。

そういうものに、私はなりたい。(迫真)

追記:タイトルを「四脚を駆る」から「鉄屑人形」に変更しました。
本編を書いている最中、とあるキャラの台詞で使ったら思いの他しっくりきまして。


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11話

 藤堂刑部にとって初の任務である。場所はウォーターフロント内であるし、仲間に囲まれ戦場という雰囲気は微塵も感じられないが――兎に角、初任務である。

 やや緊張した面持ちでASを纏い、整備員の声援――という名の求婚であったり、心配の声であったり、ヒモの誘いであったり――を受け出撃した小隊。防衛任務とは言え襲撃の可能性は零ではない。気を引き締めて望まねばと、そう勇んでやって来たものの。

 

「――暇だなぁ」

 

 刑部は思わず呟いた。青い海、青い空。序に時折海を走り回る小型警戒探査艇(フェイズド・アレイ・レーダー)。概ね平穏である、平穏というか平和である。死ぬ気で臨んだ最終試験が遠い昔の出来事の様だった。たった一昨日の事だというのに。

 刑部の呟きを拾ったナインが視線を寄越し、それから海の方を警戒したまま告げた。

 

「暇ですか」

「うん、いやぁ、だって何時間も海と空を眺めていろって言うのも……ねぇ?」

 

 どこかうんざりしたような口調であった。ウォーターフロント外郭は防衛に適した形になっており、その設備も豊富である。刑部達の左右には高射機関砲が等間隔で並んでおり、対空・対水上に対する備えは十全。この高射機関砲は対空は勿論の事、水平射撃による対地攻撃も可能である。是にパルス・ドラップラー式のレーダーを積み、水上を走り回る小型警戒探査艇とデータリンクする事によって目標の早期探知・識別・迎撃を管制するのだ。

 また、長距離の目標に対しては外郭後方、高台に設置された長距離砲台とモスキートと呼ばれる多連誘導弾が当たる。このウォーターフロントを中心として数キロ間隔で探査塔が存在しており、それに引っ掛かった感染体には漏れなく頭上から誘導弾が、そして真正面からは長距離砲撃が飛来するのだ。

 

 つまり何が言いたいかと言うと――刑部達の持つAS火器のレンジは精々この高射機関砲よりやや長い程度なので、自分達が出る幕はないという事であった。無論、その多連誘導弾と砲撃の雨を掻い潜って来る様な他軍が相手ならばASの出番となるだろうが。

 この平和としか言いようがない空と海を見ていると、「いや、そんな大群来るわけないだろう」という気持ちになる。心なしか周辺の空気も緩んで見えた、無論、錯覚だろうが。ナインは海を見つめたまま抱えたライフルを鳴らし、告げた。

 

「ですが我々が見落とせば人類に敵の刃が届きます、責任は重大でしょう」

「それは勿論そうなのだけれど、早期警戒網もあるし、探査艇もある、FOB(前哨基地)を抜けてウォーターフロントを直接叩ける様な奴が来るとは思えないんだよな」

 

 無論、刑部とて物事に絶対はないと理解している。どれだけハイテクな力を持っていても来る時は来る。そしてそれに備える為、最後の保険として警邏を残す。理解は出来るし納得もしよう、しかしいざ自分がその立場に立ってみるとどうしようもなく暇で仕方なかった。

 

「ん、あれ……ASか」

 

 ぼうっと揺れる海と空を眺めていると遠目に空を飛ぶ物体を見つけた。UAVよりややずんぐりとしたシルエット。そして人型である。刑部はそれが飛行型ASである事に気付いた。網膜ディスプレイのIFFに反応、味方だ。

 

「飛行型AS、懐かしいな、Dブロックでは良く見ていたけれど……こっちでは中々見られないから」

 

 刑部が呟きながら何となく手を振ると、それに気付いた上空のASがチカチカと光を素早く何度か点灯させた。電磁障害が起きた場合の緊急手段である筈だが――恐らく遊び半分なのだろう。刑部は点灯した時間と長さから発信内容を読み取る。

 

「えっと、『本日も快晴也』――って、ハハハ、見れば分かるよそんな事」

「……なんだか、予想していたよりもAS乗りというのはお気楽と云いますか、何と云いますか」

 

 刑部と向こうの飛行型ASの軽挙を見ていたナインは、どこか脱力した様子で呟いた。

 

「ん、不満?」

「いえ、別段不満がある訳では、緊迫しているよりは余程良いです」

 

 本音だった。無論、緩い空気が蔓延するのは良くない事なのだが緊迫したソレよりはずっと良い。願うならば、世界全てがこんな空気で在れば良いのにとさえ思う。それには是が非でも滅ぼさなければならないものがあるけれど。

 

「デイ・アフターなんて存在がなければ、人は皆こんな空気で生きられたのかもしれません」

 

 ナインは告げ、暫し沈黙した。二人の間に会話が途切れる。世界には波がウォーターフロントに当たる音と、カモメの鳴き声だけが響いていた。穏やかであった。刑部は四脚の脚を立てたまま、不意に問うた。

 

「そう言えばさ、中途半端になってしまったけれど――昨日の訓練場での話」

「ッ――」

 

 その話題を持ち出した瞬間、甲鉄に包まれたナインの肩が僅かに震えたのが分かった。しかし、ここで止めるつもりはない。

 

「『私は――』、の続き……聞かせて貰えないかな」

 

 僅かな間があった。ナインは何も言わず、数秒程時間を置いて大きく溜息を吐いた。そこには諦めとか辟易とか、そういう感情が込められていた。面倒だと思われただろうか? けれど刑部は止めようとは思わない。ナインが緩慢な動作で刑部を見て、言った。

 

「……どうして、そんなに知りたがるのですか」

「ん、昨日も言ったけれどこれからは仲間だからね、それがひとつ」

 

 甲鉄に包まれた指を一本立て、刑部は笑う。薄い、軽薄と呼ばれる笑みであった。

 

「後は――単純に嫌なんだ、近しい人と距離があるっていうのが」

「………」

 

 近しい人、という表現がナインには引っ掛かった。何故、高々数日の付き合いの人間にそこまで踏み込まれなければならないのだという思いがある。無論、その思いは傲慢だ、少なくともナインからすれば。人に求められたならば応えなければならない、それが機械人形の役割だから。それは公的な理由、そして私的には――悪い気はしない。

 ナインと云う機械人形は藤堂刑部という人間を嫌っていなかった。

 

「勿論無理にとは言わないよ、話したくないっていうのならもう二度と俺からこの話題を振ったりしない、約束する」

 

 刑部はそう言って目線を切った。放たれた言葉はどこまでも真摯である。ナインは口を噤み、暫くの間目を瞑っていた。

 

「……分かりました」

 

 呟き、両手を小さく挙げた。降参の意であった。

 

「別段、聞いて楽しい話でもありませんよ?」

「……うん、それでも話してくれるなら聞きたいんだ」

 

 刑部は嬉しそうに笑った。反対にナインはどこか憂いを孕んだ――けれど少しだけ安堵したような顔をしていた。

 

 

 

「私が旧型であるという話は以前したと思います」

 

 ナインという機械人形は旧型、それも民間機である。そんな彼女が何故こんな場所に居るのか? ナインの人間不信を語るには、まずそこから知らなければならない。

 海を眺めながら並んで立つ二人、刑部はナインの淡々とした語りに耳を傾け、小さく頷いて見せた。

 

「うん、言っていたね、民間の配達業務用機械人形だったって」

「えぇ、私は荷を配達する為の機械人形でした、そしてそれなりに旧型だったんです、古いものは新しいより良いものに淘汰される、当然の流れでしょう」

「……廃棄された、とか?」

 

 刑部は恐る恐る問いかけた。機械人形の入れ替えは良くあることだ。そして古い機体は大抵廃棄されるか、状態が良ければ使い回される。今のナインの様に。

 

「いえ、幸いスクラップ処理を行われるような事故は起こしませんでしたし、私の稼働状況は旧型とは言え良好でした、元々機械人形はメンテナンスを行えば数十年単位での稼働が可能ですから、随分長い間使って頂いたと思っています」

 

 そこまで口にして、不意にナインの目に翳が掛かった。それは失望とか、悲壮感だとか、そう呼ばれる類の感情であった。

 

「しかし物には限度があります、人の技術の発展は凄まじい、結局私より効率よく、素早く配達業務が可能な新型が多く割合を占めるようになり、私の所有者もその流れに逆らうことなく新型の機械人形を導入しました、私もまた、その流れで手放される事になったのです」

「……その後は?」

「不要となった機械人形、さりとて壊す程の不出来ではなく――ジャンクショップへの売却ですよ」

 

 どこか嘲笑う様な口調だった。それは人間に対してなのか、或いは自分自身に対してなのか、刑部には分からない。けれど多分、後者なのだろうなと内心で考える。ナインと云う機械人形は実に誠実で、素直だ。愚直なまでに規範(定義)を守る彼女を見ているとそう思えた。

 

「私が委員会に接収された時、ジャンクショップの倉庫で埃を被っていました、その後簡単な清掃と再起動が行われ問われたんです、『人類の為に戦ってくれないか?』と」

「それで、此処に?」

「えぇ、そうです」

 

 ナインは軽々と頷き、肩を竦めた。新型にその座を追われジャンクショップに売り払われた。人間である刑部には一生味わうことの出来ない感覚だろう、しかし実際に売り払われ、倉庫で埃を被っていたというナインにとっては壮絶な経験だったに違いない。機械人形にとっては珍しい話ではないのかもしれないが、だからと言って心の傷が軽い訳ではあるまい。ナインは小さく俯き、口の端を僅かに吊り上げた。

 陰のある、彼女らしくない表情だった。

 

「プログラムを書き換えれば良い話だというのに、態々こんな感情まで与えて……人間と云うのは本当に、良く分からない存在です、全く以って合理的ではない」

「……人を恨んでいるのかい?」

「――いいえ」

 

 刑部の、やや覚悟が必要だった問いかけに対しナインは即座に否定を返した。顔を上げた彼女の顔に陰は既になかった。

 

「恨むだなんてとんでもない、私は『人を愛しています』……創造主は、創造物をその様に造るものでしょう?」

「………」

「けれど『その逆』はないのです、機械人形が人に愛される事はない、ないのです」

 

 ナインはそう言って息を吸い込んだ。冷たい、海の湿った空気が肺を満たす――勿論それは偽物だ。ナインに本物の肺は存在しない。甲鉄に包まれた手で胸を撫でつけ、ナインはその偽りの体を大切そうに見下ろした。

 

「セブンさんは男性型機械人形が生身の女性に愛される事を危惧していました、それならば納得できます、それは種としての【本能】でしょう、そういう『納得できる形で必要とされる』のであれば――理解出来ます、愛ではなくとも役割として求められているのだと」

 

 何であれ、どうであれ。

 機械人形としての役割が果たせるのであればナインは許容する、納得する。男性型機械人形が生身の女性に求められ、愛される事は理解出来る。その逆も。それは「男性としての役割」を求められているからだ。それは「女性としての役割」を求められているからだ。

 代替品として求められるのであれば、愛される事もあるだろう。

 けれど――。

 

「しかし、ただの機械人形を、ただの人間がありのまま愛するなど……どうして信じられましょう?」

 

 男女区別なく、また役割を持たず。『ただの役割を持たない鉄屑』を、心の底から愛していると告げられる人間が居るのだろうか。ナインは想う――居る筈がないと。顔を上げた彼女は空と海を眺めた。美しい光景だと思った。同時に、悲しい光景だとも。

 隣の刑部に顔を向け、ナインは笑って見せた。

 

「人を恨みなどしません、憎みもしません、私は人を愛しています、私は、ただ……」

 

 それは儚げで、健気で、退廃的な。

 あと少し、もう少しだけ、頑張ろう。

 そんな事を何千回と繰り返してきたような――そんな微笑みだった。

 

「私は、ただ――もう、捨てられたくないだけです」

 

 



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12話

 任務後、休憩所にて。

 天音と刑部はテーブルに頬杖を着き、手元のカップを所在なさげに回していた。中に満ちた珈琲がゆらゆらと揺れる。天音は一度小さく伸びをして、それから溜息と共に口を開いた。

 

「何て言うか、あれだね、ぼうっと海と空を眺めていたら終わっていたというか」

「まぁ、実際その通りだったよ」

 

 天音の方も同じだったらしい。ぼうっと空と海を眺めている内に任務が終わった。言葉にすればそれに尽きる。実に呆気なく、山も谷もない任務であった。

 

「天音とセブンさんの方も特に問題なく?」

「うん、もう何もなーいって感じで、カモメの鳴き声と小波の打ち寄せる音だけ聞いていた」

「ふぅん、まぁこっちも似た様なものだったけれど」

 

 気の抜けた声でそう言って、刑部は周囲を見渡した。休憩所には相変わらず人が居ない、今も刑部と天音だけだった。

 

「セブンさんとナインは?」

「メンテナンスだってさ、正規任務の場合は一度出撃したら簡易メンテナンスを受けるのが義務だとか何とか」

「そうなんだ、知らなかった」

「多分夕食前には戻ってくると思うよ」

 

 出撃毎のメンテナンス、初耳だった。やはり海での活動となると多少錆びたりするのだろうか? なんて事を考える。いや、機械人形は刑部には一ミリも理解出来ない科学の結晶なのだ。防水程度、片手間に済ませてしまいそうなものだが。

 

「……あ、あのさ、ぎ、刑部君」

「うん?」

 

 そんなどうでも良い事に思考を割いていると、両手でカップを持った天音がどこか視線を泳がせながらモゴモゴと口を動かしていた。姿勢を正し、顎を引いて、しかし視線は明後日の方向へ。挙動不審を絵にかいたような恰好だった。

 

「どうしたの、そんな改まって」

「い、いや、そのね、任務中ずうっと考えていたんだけれど」

「任務中は任務に集中しようね」

 

 自分が言えた義理ではないが。

 

「その、セブンさんと、えぇっと……ぎ、刑部君って、もしかして」

 

 ちらちら。そんな効果音がつきそうな程に忙しなく此方を覗き込む天音。そして唾を飲み込み、覚悟完了した天音は核心に斬り込んだ。

 

「き、昨日の夜、い、い、一緒に、寝……ね……」

「あ、うん、昨日一緒に寝てやる事はやったよ」

「うわぁぁあぁああァアアアアッ!」

 

 余りにも軽々しく頷いた刑部に対し、天音は絶叫した。カップを手放し、転げ落ちた彼女は頭を抱えて天井を仰いだ。その奇行を目撃した刑部はびくりと肩を震わせ、それから目を丸くして問いかける。

 

「ど、どうしたの、天音」

「どうしたもこうしたもないよ、神は死んだんだ……!」

「天音って無神論者だった気がするのだけれど」

「私はその日その日で信仰する神を変えるのッ!」

「それ物凄く罰当たりだと思うよ」

 

 日替わりで並ぶ神様は果たして神と呼ぶに値するのか。疑問が残る。

 

「うぅッ、うっ………! そうですよね、あんなラブラブいちゃいちゃする様な間柄になったんですものね、そりゃあそうなりますよね……!」

「………」

 

 頭を抱え額を地面に擦り付け、それはもうこの世の終わりだと言わんばかりに涙を流す天音。そんな彼女の背中――正確に言うと土下座の様な格好をしているので、お尻しか見えないのだが――を見ていた刑部は、天音の見え透いた感情を嗅ぎ取り、淡々と問いかけた。

 

「若しかして天音、さ」

「ぐすッ……はい?」

「俺とそういう事したいの?」

「ッ!?」

 

 多少暈した言い方であったが意味は正しく伝わった筈だ。現に天音は息を呑み、勢いよく振り返るや否や膝を着いた姿勢のまま忙しなく首を振った。しかしそれは、肯定とも否定とも取れない振り方であった。

 

「い、いえッ、そのッ、何と言いますか、わわッわた、私は――!」

「別に良いよ? 減る物でもないし」

「えッ!?」

 

 素早く刑部に視界を固定する天音、実に良い反応である。

 

「いや、流石にセブンみたいに露骨な態度を取られると此方も困ってしまうけれど、ちゃんと公私の線引きをして、変に態度を急変させないでくれれば別に良いよ?」

「ほ、ほッ……本当、ですか?」

 

 天音は膝を着いたまま刑部の座る椅子に這い寄る。傍から見るとヤバい奴である。傍から見なくてもヤベー奴である。まるで足元に縋りつく様にして天音は這い蹲り、必死の形相で問うた。

 

「じ、実は嘘でしたーとか、騙されているんじゃないぞこの馬鹿とか、どっきりでした残念~とか、後から言われたりしませんか!?」

「ど、どれだけ疑り深いのさ」

 

 流石にそんな悪趣味な事はしない。刑部は苦笑を浮かべ頸を振る。

 

「そんな事言わないよ、今日は誰とも約束はしていないし、夜に部屋に来てくれれば」

「え、えっと、それじゃあ、お金は、お金はどれくらいお支払いすれば……」

「いや、この前も言ったけれどそういう仕事はもうやっていないんだって」

「で、でもでも、私なんかを相手にして貰う訳ですし、その、やっぱり何も見返りなしじゃ」

「天音って意外と卑屈なんだね……」

 

 いつものあの勢いはどうしたと云うのか。刑部は内心で辟易としながら告げた。

 

「それじゃあ今度朝食でも奢ってよ、それで良いさ」

「そ、そんな! そんなものでは全然――」

「俺が良いって言っているのだから良いの、これ以上食い下がるなら取り下げるよ?」

「!?」

 

 顔を青くして口を噤む天音。刑部は、「はい決まり」と手を叩き、席を立った。カップをゴミ箱に捨てると、黙ったまま微動だにしない天音に向かって手を振る。

 

「それじゃあ、また夕飯時に」

 

 口を開閉させ、何か言いたげに手を伸ばす天音。しかし結局何も口にする事無く、そのまま刑部の背中を見送った。その胸中には歓喜と驚愕と困惑が混ざりあり、喜ぶべきなのか悲しむべきなのか、実に絶妙な表情をした天音が取り残された。

 

 ■

 

「――刑部」

「ん? っと」

 

 休憩所を後にした刑部は、不意に声を掛けられ何者かに強く腕を引かれた。丁度休憩室から影になる廊下の端。そこで刑部は自分を引き込んだ人物を見る。

 

「セブンさん」

 

 刑部を引き込んだのは仏頂面のセブンであった。刑部を抱きしめる様にして引き寄せた彼女からは微かに消毒液の香りがする。メンテナンスの名残だろうか、刑部はへらりと表情を崩し言った。

 

「メンテナンスは終わったんですね、お疲れ様です」

「あぁ、先ほど終えた――それでだな、刑部」

「うん?」

「どういうつもりだ」

 

 真正面から此方を射抜く瞳。その瞳には怒気が籠っていた。それに声も、彼女は明らかに怒っていた。刑部は困惑し、頬を掻く。

 

「どういうつもりって……えっと」

「機械人形は耳が良い、先ほど休憩所で天音に対して言っていた言葉、あれはどういう事だ、説明をしろ」

 

 刑部を胸に抱えたまま壁に追い詰めるセブン。刑部は壁とセブンに挟まれ、身動きが出来ない状態で眉を困らせた。どうやら天音とのやり取りを聞いていたらしい。

 

「その、天音の相手をするって話かな?」

「そうだ、お前、あれは本気で――」

「うん、嘘じゃないよ、というかセブンさん、ごめん、もしかしなくても怒ってる?」

 

 刑部は申し訳なさそうに問いかけた。するとセブンは刑部に詰め寄った姿勢のまま驚きに目を見開く。そしてどこか他人事の様に語った。

 

「怒っている……私は、怒っているのか?」

「だと、思うけれど」

「…………」

 

 セブンは指摘され、ゆっくりと刑部の元から離れる。そして自身の頬に手を当て、それから口元を指先でなぞる。そして思い出したように頭を下げた。

 

「――すまない、少し、取り乱した」

「いえ、別に構いませんよ」

 

 俯き気味の謝罪。刑部は首を横に振る。セブンは自身の胸の辺りを頻りに撫でつけ、それからぽつぽつと話し始めた。

 

「その、なんだ、お前が天音を抱くという話を聞いて、だな」

「はい」

 

 胸に手を当てたまま、どこか不安そうな表情で続ける。

 

「妙に、こう――胸がムカムカしたというか、グツグツとしたというか、何の捻りもなく端的に述べると」

 

 

「天音を殺したくなった」

 

 

 言葉に嘘は含まれていなかった。

 セブンの瞳から何か、生気の様なものが失われていた。機械人形相手に生気という表現が正しいかどうかは分からないが、兎に角、そう呼べるものが今のセブンからは感じられなかった。まるで奈落の底の様な、昏く深い瞳だった。

 刑部は一瞬、その瞳の色に魅入られる。恐怖は感じなかった、代わりに胸に湧き上がった感情は――。

 セブンは頭を振り、軽く額を小突いて苦々しく告げる。

 

「……機械人形にあってはならない感情だ、人間を殺したくなるなど」

「セブンさん」

 

 顔を覆って項垂れるセブンに刑部は声を掛ける。声は、良く聞けば弾んでいた。セブンが顔を上げ刑部を見る。彼女の視界に映った刑部の表情は――笑顔だった。

 

「もし本当に、どうしようもなくなってしまった時は」

 

 どうしても許せなくて、殺したい程の激情に駆られてしまった時は。

 

「殺すのは、俺にしておいて下さい」

 

 微笑みながら、刑部はそう言い切った。セブンは言葉を失い、息を呑む。微笑んだ刑部が余りにも儚くて、朧気で、そして何より美しくて。冬に振る細雪の如き微笑みだった。触れれば溶けて消えてしまう、そんな。

 

 慌てて首を横に振って刑部の肩を掴もうとし、一瞬躊躇した。掴んだら消えてしまうのではないか、なんていう妄想が頭を過ったのだ。それほどまでに今の刑部は――透明な笑みを浮かべていた。

 セブンは恐る恐る指先で刑部の肩に触れ、それから緩く肩を掴み、言い募った。

 

「わ、笑えない冗談はよせ、私にお前が殺せるものか、そもそも……機械人形が人間を害するなどあってはならない」

「そういう面倒な制約やら約定やら、全部ひっくるめてどうでも良くなってしまうのが『感情』って奴なんですよ」

 

 そうだ、もし十全に感情をコントロールできるのなら人類はもっと効率よく、それこそ宇宙の外まで飛躍していたに違いない。感情を御し切れないからこその人間だ。その人間を模した機械人形が感情をコントロールできなかったとして、誰が責められる? 自分のそれすら処理し切れていないというのに。

 

 刑部が本気で言っていると感じたのだろう。セブンの表情がやや強張る。

 

「――なんて、冗談です」

 

 けれど冗談めかして、刑部は再度笑う。今度はお道化た様な、先ほどとは異なる笑い方だった。そして両手に乗ったセブンの手を優しく外し、その脇をすり抜けながら言った。

 

「明後日は空いています、その時にまた、御相手しますよ」

「……分かった、楽しみにしておこう」

 

 安堵と困惑。まるで自分の知らないもう一人の刑部がいる様な――そんなセブンの背中に、刑部が言葉を投げかける。

 

「嗚呼、それと」

「ん……?」

「セブンさんのソレ、『嫉妬』って言うんですよ」

 

 最後に廊下の角に消えた刑部が、悪戯の成功した子供の様な笑みを見せ言った。それだけ告げ、刑部は今度こそ姿を消す。残されたセブンは投げかけられた言葉を咀嚼し、もう一度舌の上で転がした。

 

「嫉妬……嫉妬、他人を妬む感情」

 

 言葉は虚空に響き、軈て消えた。

 

「そうか、これが――」

 

 




 私レベルになると私自身が誤字脱字をするのではなく、誤字脱字の方から傍に擦り寄って来ますからね。
 全く困ったものですよ。

 いやほんとにもう修正ありがとうございます、助かります。

ps:土日はお休みを頂きます


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13話

 夜半――と云うには聊か早い時間帯。しかし、夕食を済ませ就寝の支度を整えた者は、早ければ既に寝入っている頃だろう。そんな時刻に刑部の宿舎の扉が控えめに叩かれた。刑部はベッドから立ち上がり部屋の扉に前に立つ。誰か、何て問う必要はなかった。

 鍵なんて閉めていないので――これは源さんに何度も注意されているが、未だに閉める気にはならない――扉はドアノブを回すと呆気なく開いた。そして、その扉の前で両手を腹の前で組み、忙しなく体を揺らす女性が一名。

 

「――天音」

「ッ、は、はい」

 

 彼女――天音は涙目で、それはもう見ている此方が気の毒に思う程がちがちに緊張していた。これには刑部も一瞬驚いた顔を見せ、それから苦笑する。

 

「そんなに緊張しなくても……まぁ取り敢えず、入って」

「し、失礼、します」

 

 手と足が同時に出る。長足術か何かだろうか。刑部は出来の悪い機械人形の様な動作で部屋の中に入る天音を見送り、それからそっと扉を閉めた。ベッドに腰かけた天音はそのまま肩肘を張ったまま微動だにせず、刑部は彼女の前に立つ。視線を左右に散らした天音は口先を窄め、頬を赤く染めながら言った。

 

「あ、あの、シャワーとか、諸々は済ませてきましたので、その、あの」

「あぁ、うん、分かった、俺の方もさっき浴びたし――取り敢えずお茶でも飲む?」

「お……お構いなく」

「そう?」

 

 なら早速始めるべきだろうか。そんな事を考え、刑部は部屋に持ち込んだ数少ない私物を漁った。

 

「確かこの辺に――まだあったかな」

 

 手に取ったのは黒いポーチ。大きさはテッシュ箱程度で中には細々としたものが入っている。具体的に言うと歯ブラシの替えや剃刀、絆創膏や消毒液と言ったもの。刑部がその中を漁っていると、ベッドに座った天音が恐る恐る問いかけた。

 

「な、何を探しているの……?」

「ちょっとね、いつもは使っていなかったのだけれど今日は必要かなって、出来ちゃっても困るでしょう? あぁ、いや、前の仕事場だと寧ろ『ソッチ』目的で来る人の方が多かったけれど」

「? えっ?」

「いや、だから、避妊」

 

 理解の及んでない様子の天音に対し、刑部は淡々と告げた。

 機械人形相手ならば妊娠の危険性はない。しかし、人間相手ならばそうはいかない。内側にいた頃は寧ろ懐妊目的で通う客も多かった為、避妊具など滅多に使う事がなかったが――刑部の記憶では、確か二度か三度程度――今は状況が違う。

 漸く意味を理解したのだろう、耳まで赤く染めた天音は半ば飛び上がるようにして立ち上がり、ぱくぱくと口を開閉させた。

 

「ひにッ、あ――!」

「うん、前の仕事場だと寧ろ推奨されていたのだけれど、流石にAS乗りで懐妊するのは拙いでしょう?」

「そそ、そう、だよねッ! ご、ごめんなさい、全然そんな事考えていなくて……!」

「ううん、気にしないで、というか避妊具なんて今時その辺りじゃ売ってないし……っと、あった、あった」

 

 ポーチの中からパッケージングされた避妊具を取り出す。流石に箱では残っていなかった。数は五か六、まぁ一夜限りと考えるのなら十分だろう。避妊具を手に振り向き、刑部は笑って告げる。

 

「よし、それじゃあ――」

「ッ!」

 

 いよいよか――そんな期待に否応なく高まる天音。

 しかし、刑部の手が天音に伸びるより早く、再び部屋の扉がノックされた。

 

「? 誰だろう、ちょっと待っていて」

「は、はい」

 

 刑部は首を傾げ、天音にベッドで待っている様口にして扉へと向かった。ドアノブを回して扉を開くと、ぐっと部屋の中に入り込んでくる影。そして相変わらずタンクトップ一枚だけを身に纏った男勝りな機械人形が刑部に笑いかけた。

 

「よぉ、刑部」

「源さん」

 

 刑部の宿舎を訪れたのは源であった。彼女は手に紙袋を携え微笑んでいる。きっと中身は酒に違いない、大体この女性の行動パターンは訓練センター時代に学んでいる。源は扉を大きく開け放ち、刑部の肩を抱くと親し気に問いかけた。

 

「おう、丁度さっき任務が終わってよ、今大丈夫か?」

「あー、何というかタイミングが悪いですねぇ」

「ん? 何だ、誰かと飯の約束でも――あン?」

 

 そこまで言って、源は部屋から嗅ぎ慣れない匂い――というよりは成分が漂っている事に気付いた。それを辿って視界を動かすと、丁度刑部のベッドに腰かける人影を見つける。ガチガチに緊張し、固まった天音だった。

 

「ど、どうも」

「………」

 

 天音は突然現れた源に対し、どこか余所余所しく、気まずそうに頭を下げる。源は暫く口を噤み、二人の間に妙な空気が流れた。ややあって、源は刑部の方に視線を戻し問いかける。

 

「刑部よう」

「はい」

「ありゃあ、新しい『客』か?」

 

 どことなく不機嫌そうな声だった。尤も、天音には分からなかったが。付き合いの長い刑部だからこそ分かった。

 

「いえ、前も言いましたがお金を取る気はないので、お客さんって訳ではないです」

「ふぅん」

 

 そう答えれば源は無遠慮な視線を天音に飛ばす。そして刑部の手元にあった避妊具を見つけ、首を傾げながら言った。

 

「お前がソレ(避妊具)を使うって事は生身の人間か、珍しいな」

「まぁ数が少ないだけで居ない事もないですから、というか彼女は同じ部隊の仲間ですよ」

「あぁ……例の逆脚か、名前は確か、あー……何だったか」

「天音ですよ」

「おう、そうだ、それだ」

 

 思い出した、とばかりに手を打った源は刑部越しに顔を覗かせ、天音に向かって声を上げた。

 

「おう天音よう」

「は、はいッ?」

「今日は譲ってやる、人間で良かったな」

 

 そう言って肩を竦める源。これに驚いたのは刑部の方だった。隠す事無く目を見開いた刑部は、意外そうな声色で呟く。

 

「……てっきり怒鳴り散らすのかと」

「おいおい、私を何だと思っているんだお前は」

「いえ、だってDブロックの時は――」

「あー……まぁな」

 

 当時の事を思い出したのか、恥ずかしそうに頬を掻く源。刑部がDブロックの訓練センターの宿舎に寝泊まりしていた頃。夜這いを敢行した源と他所の教官がバッティングし、刑部を巡って殴り合いの喧嘩に発展したことがあった。あれは酷かったと刑部は思い返す。部屋は散々な事になったし、どちらも外皮を損傷して酷い顔になっていた。

 源には前科がある。しかし、流石に今回は彼女も自重した様だった。

 

「私だって機械人形だ、人間相手に怒鳴り散らす程驕っちゃいねぇよ、まぁ――」

 

 そこまで口にし、源の目がすっと三日月を描いた。

 

 

「機械人形だったら顔面分からなくなる位にぶっ壊してやったがな」

 

 

「そんじゃあ、また来るわ……明日は空けとけよ?」

「急過ぎですよ、明々後日なら何とか」

「ちぇ、分かったよ、んじゃあそん時にな」

 

 踵を返し、ひらひらと手を振った源は紙袋を抱えたまま颯爽と宿舎を去った。刑部はその背中を見送り、角で見えなくなったことを確認して扉を閉める。中の天音は完全に怯えていて、びくびくと体を揺らしていた。

 

「ぎ、刑部、くん、今の人……というか機械人形は」

「俺の教導を担当してくれた人、訓練場では色々お世話になってね、同じブロック出身だからASも特殊で、履帯型ASに搭乗しているんだ」

「えっ、履帯型? それって、あの、戦車みたいな……」

「あー、うん、間違ってはいないんだけれど、何て言えば良いんだろう、ベースは二足歩行型ASなんだけれど履帯走行と歩行を両立したような重厚な見た目で、重火器が満載の移動要塞というか、何というか――」

「ご、ごめんなさい、ちょっと想像が出来ないかも」

 

 申し訳なさそうに天音が肩を落とす。確かに、言葉にして説明するのは難しい。感覚としてはナインの二脚ローラーに近いのだが、重量と速度が大分異なる。刑部は頬を掻き、天音の前に立った。

 

「そうだよね、まぁ話を聞くより見た方が早いし、多分その内に任務で一緒になる事もあるんじゃないかな、同じ基地内なんだし」

「そ、そっか、うん、そうだね……」

 

 曖昧に頷く彼女の肩に手を置く。途端に天音は頬を赤くさせ、刑部を見上げた。

 

「さて、ごめん、待たせたね」

「あ……」

 

 一瞬、言葉に詰まる。ややあって天音は恐る恐る刑部の手を取り、それから頭をそっと下げた。

 

「そ、その、よ……よろしく、お願い、します」

「こちらこそ」

 

 ■

 

「ふぅーッ……」

 

 刑部は天井を見上げながら吐息を吐いた。その躰は汗を掻き妙に火照っている。天音はすやすやと隣で寝息を立て、その表情はとても幸せそうだ。刑部は顎を伝った汗を指先で拭い、天音の前髪を払いながら苦笑いを浮かべた。

 

「……草食系だと思ったらとんでもない、肉食の中の肉食だったな」

 

 先程までのやり取りを思い返す。体力的には機械人形が有利の筈なのに。彼女のこのタフネスは一体どこからやってくるのか。

 

「……はァ、少し飲み物でも」

 

 流石に喉が沸いた。天音が起きない様に立ち上がって冷蔵庫へと足を向ける。そしてそっと中を覗きと、何もない空っぽの白が視界に入る。ボトルの茶も、摘まんで振れば僅かな量が揺れるばかり。

 

「………ない」

 

 空っぽだった。

 水を飲むのも味気ない、刑部は僅かに悩み、引き出しの中から決済カードを取り出した。

 ――自販機で買うか。

 そう考え、服を手早く纏うとカードを片手に部屋を出る。夜中の廊下は暗く、必要最低限の灯りしかない。夜の空気は心なし冷たく感じられる。きっと気のせいだろうが。或いは刑部の部屋の空気が籠っていただけか。

 

「ん?」

 

 自販機のある休憩所に近付くと、その明るさが際立った。時刻は既に日を跨いでいる。夜番、という訳でもなさそうだ。誰かいるのだろうか? 刑部は軽く髪を手櫛で直すと、休憩所の中に踏み込んだ。そして休憩所で所在なさげに缶を両手で握っていた女性は、刑部に気付き顔を上げる。

 

「ナイン」

「! ――刑部さん」

 

 刑部を見たナインは少し驚いた様な顔をした。刑部もこんな時間にナインが居るとは思わず、意外そうに眼を瞬かせる。

 

「どうしたんだ、こんな時間に」

「それは……こちらの台詞です、人である貴方は睡眠が必要不可欠でしょう」

 

 確かに、言われてみれば機械人形は別段眠る必要などない。刑部は後頭部を掻き、恥ずかしそうに答えた。

 

「目が覚めてね、喉が渇いたのだけれど冷蔵庫に何もなくて、仕方ないから自販機まで買い出しに」

 

 そう言って刑部はカードを目前で振って見せる。ナインは納得し頷いた。

 

「そうですか……ッ!」

 

 言葉を途中で切り、ナインは目を細める。どこか責めるような目線だった。豹変したナインの態度にたじろぎ、刑部は身を強張らせながら一歩退く。

 

「……えっ、何、どうしたの?」

「すん――この匂い、天音さんですね」

「―――」

 

 思わず、絶句した。

 その反応だけで十分だったのだろう。先ほどまでの親しみを感じさせる視線と口調からは一転、まるで氷の様に冷たく容赦のない視線と声が刑部に飛ばされた。ナインは両腕を組み、吐き捨てるようにして言う。

 

「本当に、貴方は節操がないのですね、いえ、人類としてはそちらの方が好ましいのかもしれませんが、倫理的、道徳的には推奨されない行為かと」

「あははは……機械人形には、嘘は吐けないね、全く」

 

 匂い、というよりは成分で解析でもしたのか。全く以って敵いそうにない。刑部は両手を挙げて降参しつつ、自販機にカードを翳した。ピッ、という電子音と共にランプが点灯する。刑部はスポーツドリンクのボタンを押し込んだ。

 

「でも目が覚めてしまったのは本当だよ、喉が渇いたのもね……それで、そっちはこんな時間にどうしたの?」

「………」

 

 落下してきたドリンクを取り出し口から引っ張り出し、キャップを開ける。その間ナインは何も語らず、沈黙したままだった。

 

「何か悩み事?」

「……いいえ、別に何があったという訳でもありません、ただ、何となくです、それに機械人形に悩み事などある筈がないでしょう」

「いやいや、感情があるんだ、悩み事の一つや二つあるでしょうよ」

 

 刑部はそう言って笑って見せるも、ナインは頑なに口を開こうとしない。

 

「――昼の話に関係ある事?」

 

 刑部がそう口にするも、ナインは微動だにしなかった。しかし、何となく雰囲気が変わったことが分かった。きっと間違ってはいない。確信し、刑部はボトルを片手にナインの対面席に座る。

 

「話せる事なら、話して欲しいな、それとも、人間の俺には話せないかな?」

「その様な事は」

 

 そう口にしながら、その口調は淀んでいた。刑部はじっとナインの瞳を見つめ、その内心を探ろうと試みる。しかし視線を合わせる事無く、ナインは横へと瞳を逸らした。数秒、沈黙が落ちる。ややあって、刑部はその口を開いた。

 

「なぁ、ナインは言ったよな、創造主は創造物を愛さないって、完璧に同じって訳ではないけれど似た様な事を」

「……えぇ、言いました」

「どうしてそういう風に思うのか、聞かせてくれないか」

 

 暫し、返答を待つ。ナインは手元の缶を揺らし、それからゆっくりとした口調で答えた。

 

「機械人形は、道具(ツール)です……人の世を便利にする為の」

 

 ぽつぽつと、彼女は自身の考えを明かす。その声色は無機質で、淡々としていた。否、『そう在ろうとしている』のが分かった。

 

「私達の本質は貴方達が日常で用いるパソコンやテレビ、車と何ら変わりません、その姿形が人に似せられ、言葉を喋るようになり、感情を持った――ただ、それだけの話なのです」

 

 そうだ、ナインは自身の言葉を肯定する。手元の缶を握り締め、その表面が微かに凹んだ。

 機械人形は道具だ、人の人生を豊かにする、便利にする為のツールに過ぎない。それは人間が日常で使うテレビやパソコン、自動車、時計、或いはそこにある自動販売機と本質的には同じもの。それが喋り、感情を持ち、人に似せられただけに過ぎない。

 ナインはそう信じている、確信している。

 

「道具の本懐は使われる事、役立つ事、それに喜びを覚えるのが当然でしょう、けれど道具は所詮道具です、時間が経てば壊れもしますし、新しい道具も出ます、その別れの度に喪失感を覚え涙を流す人は稀でしょう、無論、そのような奇特な方がいらっしゃるのも承知の上です、それでも――刑部さん、貴方は道具を愛さないでしょう?」

 

 ナインは問いかけ、笑った。卑屈な笑いだと刑部は思った。ただ口の端を吊り上げただけの、笑みとも言えぬ代物だった。

 

「機械人形は道具、か……」

「はい」

「源さんとは逆の事を言うんだね、セブンは」

 

 刑部の口から出た名は、ナインの知らぬ人名であった。

 

「源さん、ですか」

「うん、俺の教導を担当してくれた機械人形」

 

 ボトルに軽く口をつけ、飲み込む。スポーツドリンクらしい爽やかな口当たりだった。運動後に呑むこれは、本当に美味い。一息吐き、ナインに目を向けた刑部は笑って言った。

 

「酒も飲むし、喧嘩もするし、独占欲も見せるし、セックスもする、傍から見ると人間よりも人間らしい人だよ」

「それは――」

 

 ナインはそれを聞き何かを口にしようとして、けれとぐっと唇を噛み締めると言葉を飲み込んだ。そして、恐らく本心ではない言葉を口にする。

 

「人の、『振り』をしているだけです、一度中を覗いてしまえば紛い物だと分かってしまう」

「それが……人が人形を愛さないと思う理由?」

「道具が愛される道理はありません」

「そんな事はないよ」

「何故そう言い切れますか」

「俺が機械人形を愛しているからさ」

 

 淡々と、然も当然の事の様に刑部は云った。機械人形を愛すると、ナインからすれば自動販売機を、車を、テレビを、パソコンを、愛していると刑部は云った。

 

「愛していない存在に体を預ける程、俺は酔狂じゃないよ」

 

 ボトルを振って、刑部は続ける。ナインは目を見開き微動だにせず刑部を見ていた。藤堂刑部は愛している、尊敬している、自分より上等な存在を。人間を、機械人形を。身を乗り出し、ナインの顔を覗き込むようにした刑部は呟いた。

 

「怖いんだろう、ナイン?」

「何を――」

「『また』、人に棄てられるのが」

「ッ!」

 

 ぎくりと、目に見えてナインの躰が強張った。そうだ、彼女はもう捨てられたくないと口にした。それはただ、その言葉通りの意味だったのだ。

 

「最初は役に立てない事を恐れているのかと思った、自身の存在意義の証明、機械人形としての本分を全うできない事が怖いのだと……けれど違う、本質はもっと感情的だ」

「ち、違います」

 

 咄嗟に否定の言葉が口をつく。けれど視線は泳ぎ、身は退いていた。

 図星だった。

 

 機械人形の本分に拘る、棄てられたくないから。

 役割を果たそうと必死になる、棄てられたくないから。

 過分な感情は抱かない様にする、棄てられたくないから。

 

 ナインと云う機械人形の行動は一貫している。『人に棄てられない様に』、それが彼女の願いであり唯一の行動原理だ。或いは、機械人形らしく在れと言うべきか。人に棄てられない、道具然とした振る舞いを徹底し、同時に『万が一棄てられるような事になっても』絶望しないよう、道具は人に愛されないと自身に言い聞かせて来た。

 

 棄てられてしまっても仕方がない、自分は道具だから。

 見捨てられてしまっても仕方がない、自分は機械人形だから。

 人間じゃないのだから――人間に棄てられても、仕方がない。

 

「ただ単に、【愛した人間に棄てられるのが怖い】だけだ」

 

 ナインは缶を手放し、その手で顔を覆って立ち上がった。そのまま数歩後退る。刑部は座ったままナインを見つめていた。ナインの瞳から雫が零れる。抑制していた筈の涙であった。

 あぁ、そうだ――認めよう。

 ナインという機械人形は、人に棄てられるのが恐ろしい。怖くて仕方がない。あの、絶望的な感情を思い出すだけで機能停止に陥りそうになる。ナインは顔を覆ったまま、地の底から響く様な声で言った。

 

「私は……刑部さんに、人を恨んでいないと言いました」

「うん、そうだね」

「けれどひとつだけ……ひとつだけ、人を恨んでいる事があります」

 

 告げ、ナインの双眸が指の間から覗いだ。その瞳は涙に濡れ、憎悪を滾らせ歪んでいた。

 

「何故、道具の私達に感情を与えたのですか」

 

 道具は、道具のままで良かったのだ。ナインは刑部を睨みつけたまま叫んだ。

 

「知らなければ平穏でいられた、持たなければ無感動でいられた、たとえ棄てられようと、どんな言葉を掛けられたとしても耐えられたのに――こんな、心なんてものがなければッ!」

 

 

『新型が届く、お前もそろそろ良い歳だし買い換えようと思う、今までご苦労だったな』

 

 配備された企業で、久々に呼び出された時の第一声がそれだった。常のルーチンワークと異なる指示に首を傾げながらやってきたナインに対し、彼女は言った。別段、何ともなさそうな、本当に日常の一幕だと思っている様子だった。ナインは恐る恐る彼女に問うた。

 

『それは業務変更、という事でしょうか? 配達業務以外を担当しろという……』

『ん? あぁ、そういう事ではない、もうお前の仕事は終わりだ』

『終わり? それは、一体』

『お前の仕事は丸々後任の新型に任せる、実はもう発注は済ませてあるんだ、明後日には届くだろうよ』

 

 それは正に青天の霹靂であった。

 ナインは数秒ほど、思考に空白を作る。それは機械人形らしからぬ茫然とした表情であっただろう。彼女に手を伸ばし、震える指先をそのままに口を開く。

 

『し、新型? そんな話は聞いておりません……なら、私は何をすれば――』

『払い下げる予定だよ』

『ッ!?』

『今日の夜に機能停止処理(シャットダウン)をして搬出する、旧型でも運用費用は掛かるからな、お前を売った金は幾つか新型を買って減った資金の補填に回す、高く売れると良いのだがね』

 

 シャットダウン。その言葉が冷たく、氷柱の如き鋭さで以ってナインの胸を貫いた。ぞっとした、それは確かに『死』の意味を持つ言葉だった。ナインは必死に首を振り、言い募った。

 

『そんな、売られるなんて……私は、私はまだ走れます! 業務だって、失敗は一度も……! まだ私は現役です!』

『あぁ、お前は優秀だったよ、それは私も認めているさ』

『な、なら!』

『しかしなぁ、やはり陸路を使うのは旧型の弱みだ、新型は更に早く届けられるし、空路で目的地まで一直線だ、ちと高いが信用と更なる利益には代えられん、これでも長くつかってやった方なのだぞ? お前で陸上配達用の機械人形は最後だ』

『っ、ぁ……!』

 

 彼女の瞳を見て悟った。

 既に決定事項なのだ、自分は売られ、後任には新型が就く。もう覆る事は無い。ナインの伸ばされた手は力なく垂れた。彼女はただ無機質な目でナインを見ている。二度、小さく頷き、彼女は笑った。

 ナインにとってその笑顔は、いつまでも忘れられない――人形の様に美しい笑みだった。

 

『――本当にご苦労だった、お前の役目は今日で終わりだ』

『――………』

 

 人形は、人の役に立つ為に存在する。

 人形は、人を愛している。

 人形は、人に恋焦がれている。

 けれど人は――きっと人形を愛さない。

 人形は愛を乞うてはいけない。

 それはイキモノにだけ許された権利だから。

 仮に、人形を愛してくれる人に出会えても。

 私を愛してください、なんて。

 言える筈もないけれど。

 

 

「私達にとって機能停止(シャットダウン)とは、死と同じです、何も感じず、考えず、ただの動かぬ鉄屑(スクラップ)となる」

 

 ナインはそれを一度経験した。暗闇の中、ただ『在る』だけ。それはナインではない、ただの鉄屑だ。ナインは自身の首筋にそっと触れた。

 

「再起動を果たすには他人の手が必要です、それこそ自身の生死を完全に他人の手に預けると同じ、誰も再起動を果たしてくれなければ私達は永遠に動かぬ鉄屑になってしまうのですから……誰が好き好んで自身の命を他人に預けてしまえるでしょうか?」

 

 機械人形は機能停止処理を極端に嫌がる。それは心をもったが故に。

 

「けれどもし、もしそんな事を許せる相手と出会えたのならば――それは」

 

 告げ、ナインは刑部を見た。思い返すのは天音やセブン、そして恐らく彼と親しい仲なのであろう、源と呼ばれる機械人形。きっと彼を慕う機械人形ならば喜んで自身の心臓を差し出すだろう。

 それはきっと、彼を信頼しているから。彼ならばきっと、もう一度黄泉帰らせてくれると知っているから。

 

「きっとそれは、とても素晴らしい事なのでしょう」

 

 それを人間は、愛とか恋とかと呼ぶのだ。

 

「ですからどうか刑部さん、あなたを慕う機械人形を、どうか決して裏切らないでください、棄てないであげて下さい、見捨てないで下さい、傍にいてあげて下さい……そして出来れば、愛してあげて下さい」

 

 ナインは自分を見上げる刑部に懇願した。愛されないと云いながら、愛してくださいと口にする。とんだ矛盾で、エゴの塊だった。

 けれど良い、愛されるのが自分でないのなら――そういう可能性もあるだろう。

 道具を道具として愛すると云う彼ならば、出来るのだろう。ナインは深く頭を下げた。そして真摯に、只管に、懇願し続けた。

 

「私達は道具です、道具だけれど、人間に似せられただけの無機物だけれど、精一杯役立ちます、奉仕します、裏切りませんし、逆らいません、だから――」

 

 だから愛して下さい。

 

「……その中に、ナインは居ないの?」

「―――」

 

 刑部の言葉に、ナインはそっと顔を上げた。そして涙を流したまま、悲しそうに言った。

 

「私は、人を愛しています、そこに嘘はありません」

 

 ナインという機械人形は、人を愛している。

 

「けれど私は……もう一度、心の奥底から人を信じるには、余りに――」

 

 一度言葉を切り、それからナインは口元を緩めて綺麗に笑った。

 

「余りに時を重ね過ぎました」

 

 恐らくどれだけの時間を重ねても。どれだけの愛を募らせても。

 

「どれだけ人を愛していても、どれだけ人に尽くしていても、どれだけ信じようとしても――一寸、疑念が残ります、そのほんの僅かな疑いを、私は生涯捨てられないでしょう」

 

 あの美しい微笑みを、ナインは忘れないだろう。

 

「恐らくこの体の機能を停止し朽ち果てるまで、きっと私は人を愛し、同時に疑い続けるのだと思います」

 

 それがナインと云う機械人形の呪だ。生き方だ。刑部は目を伏せ、それから静かな口調で言った。

 

「辛い生き方だね」

「仕方ありません、人の言葉で言うならばこれが……運命というものなのでしょう」

「その生き方はもう変えられない?」

「変えようと思って変えられるものではないでしょう、そして私も変える事を望みません」

 

「――私は、機械人形(マシンドール)ですから」

 

 ナインは笑って告げた。刑部はその言葉の中に、彼女の覚悟を見た。ややあってナインはテーブルの上に置いたままの缶を手に取り、踵を返す。

 

「……少し、喋り過ぎました、今日はもう休眠状態(スリープ)に入ります」

「ん、そうか」

 

 ナインは静かに休憩所を離れていく。刑部はその背中をじっと見つめ続けた。ふと、彼女の歩みが止まる。そして顔を向けぬまま、ナインは呟いた。

 

「正直、意外でした」

「? 何が」

「刑部さんです、こういう時、貴方なら――」

 

 少し迷って、ナインはどこか可笑しそうに言った。

 

「強引に押し倒してしまうか、無理にでも元気づけたりしそうだな、と」

 

 そう言うと、刑部は心外だという様に肩を竦め、それから答えた。

 

「それはナインに対する侮辱だ」

 

 刑部の言葉には力が籠っている。ボトルをテーブルに置き、やや顔に陰を落とした刑部は真っ直ぐナインを見て告げた。

 

「確かにね、色々言いたいことはあるし助けたいとも思う、俺が手を差し伸べるのは簡単だし、俺自身そうしたいとも思っている――けれどナインはきっと、俺の手を『無条件』で取るだろう?」

「………」

 

 ナインは答えなかった。ただ刑部の言った言葉は、その通りだった。

 

「俺が『信じろ』と言えば信じる努力をするだろう、俺の手を取れと言えば取るだろうし、一緒に寝ようと言えばそうする、疑いなくそうするさ、何故なら――」

 

「――君が、機械人形(マシンドール)だから」

 

 笑って、刑部は肩を竦めた。ナインも似た様に笑っていた。そこに陰はなかった。

 

「俺が『人間だから』、君はそうする、自身の役割が人の役に立つためと断言する君は断らない、人には逆らわない……けれどそれじゃ駄目だ、それは、こうまで健気に人に尽くす君への手酷い裏切りだ」

「裏切り、ですか」

「そうだ、俺はいつか、俺として君を助けよう、『人間だから』なんて理由ではなく、『刑部だから』と信じさせよう」

 

 刑部は云い切る。強い口調で、強い瞳で、そう断言する。ナインはそんな刑部を見つめ、ふっと目を伏せた。刑部は真剣な顔つきから一転、お道化た様に肩を落とした。

 

「……なんて格好良く啖呵は切ったけれど、方法なんててんで思いつかない、精々長い事傍にいて、少しずつでも信頼を勝ち取っていくって所かな」

「ふふっ、何ですか、それ」

 

 余りに強い口調に反し、その自信は余りにも弱弱しい。刑部とナインは暫く笑い合って、それから再びナインは背を向けた。今度は振り返らなかった。刑部も視線を手元に落とし、呟く様な声量で言った。

 

「人間でも機械人形を愛する事はある、万人がそうじゃなくても、俺がそうだって事を信じさせる……どれだけ時間が掛かってもね」

「そうですか――きっと、嘘ではないのでしょうね」

 

 ナインは顔を俯かせたまま、背中越しに告げた。

 

「期待せずに待っています」

 

 声は刑部の耳に届き、ナインはそのまま暗い廊下の中に消えた。

 刑部は手元のボトルに口をつけ、中を飲み干す。天井を見上げた彼はそのまま空のボトルを揺らし、目を閉じた。

 躰の火照りは、いつの間にか消えていた。

 

 




年越し間近で諸々忙しくなりそうなので、数日お休みを頂きます。
今回は二話分の投稿です。
一足早いですが、今年もよろしくお願いします。


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14話

「やっほ」

「!」

 

 休憩所からパーソナルルームに戻る途中、不意に声を掛けられた。光の届かない暗闇、その陰から顔を覗かせたのはナインの良く知る人物だった。

 

「天音さん」

「こんばんは、ナイン」

 

 暗闇から顔を覗かせたのは天音だった。僅かに乱れた衣服に跳ねた髪。ややだらしない格好だが、それがある意味彼女らしくもあって微笑ましく感じた。ナインはそっと背後を振り向き、休憩所から刑部が追ってきていない事を確認し静かに問いかけた。

 

「こんな所で何を……」

「あー、その……刑部君が部屋を出る時、目を覚ましちゃって、何か一人で部屋に居るのも寂しいからついて来ちゃった」

「そうですか、なら――」

「うん、ごめん、盗み聞きするつもりはなかったのだけれど」

 

 ナインの言葉を制し、天音は先に頭を下げる。刑部を追って休憩所に近付き、偶然会話を耳にしてしまった。そこで離れれば良かったのだろうが、内容が内容な為に足が止まってしまったのだ。天音はナインが激昂するならば甘んじて罰を受けるつもりであった。しかしナインは緩く首を振り、天音の行為を許した。

 

「いえ、構いません、別段隠していた訳ではないのです、ただ話すべき事でもないと考えていただけで」

「……ん、そっか、ナインがそういうのなら」

 

 暫し沈黙が降りた。ナインと天音は視線を交差させず、所在なさげに顔を背ける。ナインは何となく、自分の深い部分の事情まで知られてしまったという気まずさから。天音はこうして彼女を出待ちしてまで語ろうとした内容の取っ掛かりを掴めなかったが為に。

 ややあって天音は咳払いをひとつし、ナインへと言った。

 

「……ナインにはまだ、話していないよね、私の事」

「?」

「私、外側(アウトゾーン)の生まれなんだ、えっと、俗にいう貧困層? あれ、これはもう話したっけ」

「……えぇ、大雑把にですが、最終試験の後に」

「そっか、えっと、正直私が男と寝床を一緒にするなんて一昔前の自分なら絶対信じないと思うんだ、その日暮しで精一杯だったし、色恋だとか男がどうとか言っている暇なかったし、というかまだ夢なんじゃないかなー……とか疑っていてね」

 

 どこか幸せそうな表情でそう宣う天音。実を言うと、今でも結構本気で夢ではないかと疑っている。明日の朝目が覚めると外側の安っぽいベッドの上で、隣には当然刑部はいないし、AS乗りなんて高尚な職業にも就いていない。またその日を生きるのに精一杯の毎日が始まるのだ。そんな明日を想像すると吐き気さえ覚える。

 

 だから天音は時折、頬を抓って現実かどうかを確かめる。或いは、抓るのは手の甲でも良い。幸せを感じた一瞬、彼女は癖の様に痛みを求めるのだ。そうしないと今が悪い夢の様に思えて、不安になる。天音は目を伏せたまま頬を掻き、ぽつぽつと言葉を零した。

 

「その、外側にはさ、色んな人がいたんだよ、内側からあぶれた人ばっかりだから、これまた中々に難儀な性格の人とか、理解出来ないような人もね、沢山いた」

「えぇ」

 

 頷くナイン。知識として、ナインは外側の現状を知っている。だから別段驚く様な事ではない。外側でなくとも、内側にも、そういう人間はいるだろう。

 

「――刑部君もさ、そうなんだよ」

「………」

 

 天音の言葉は暗い廊下に響いた。声にはどこか、冷たい響きを伴っていた。ナインは一瞬、息を呑み凍ったように動きを止めた。

 

「刑部君、良い人だよね、最終試験でもナインを見捨てないで助けに行ったし、困っている人が居たら当然の様に助ける、気遣いも出来るし……こういう言い方はあれだけど、私みたいな人間も抱いてくれるし、男なのにASに乗って戦っている」

「そう、ですね、善い人間という言葉には同意します」

「ナインはさ、どうしてそんな事を刑部君はしているのだと思う?」

「……どうして、とは」

 

 ナインは天音の言葉に対し、慎重な言葉を返した。天音は伏せていた目をナインに向け、両手を小さく開きながら続ける。

 

「だってさ、これだけ男の人が減っているんだよ? 今じゃ男だっていうだけで特権階級――まぁ、実際はどうなのかさておいて、少なくともこんな前線で硝煙の臭いを嗅ぎながら汗だくになって地べたを這いずり回る必要はなかった筈だよ」

「……それは、確かに、男性に限ってある程度の意志優先権が認められています」

「でしょう? 一言、『ASなんかに乗りたくない』って言えば済んだんだ、幾ら珍しい四脚型って言っても本人の意志があれば跳ね除けられる、なのに何で刑部君は自ら好んで苦難を背負い込むの?」

 

 どうして藤堂刑部は戦場に立つのか?

 人間とは一部を除き、楽な方へと流れる生物である。ましてや彼は男性だ。何をせずとも、最低限安全を保障され食うに困らないだけの生活は約束されている。それを捨てて尚この危険な戦地に身を置く理由は何だ? ナインは考える。真っ当と思われる理由は幾つかあった。指折り数え、ナインは呟く様にして答える。

 

「それは、人を助けたいという想い、或いは愛国心とも呼べる志があっての事では――」

「そんなものはないって、他ならぬ本人が言っていたんだよ、最終試験の最中にさ」

 

 ナインの言葉は即座に否定された。思わず口を噤み、沈黙する。天音はそんな彼女を一瞥し淡々とした口調で続けた。それは天音という女性が感じた、藤堂刑部という人間の本質であった。

 

「困っている人を助ける、気遣いも出来る、貴重な男なのに安全な後方に下がらずASを纏って戦う、どんな人とでも床の相手もする、人間でも、機械人形でも――善い人だね、うん、善い人だよ、ある意味では、【都合の良い人】とも言える」

 

「だから――どこか壊れているのだと思う」

 

 天音の声には、確信めいた響きがあった。暫し、二人の間に沈黙が降りる。非常灯のみが点灯する廊下の中で目の前の女性の表情が薄ぼんやりと浮かび上がる。ナインは顔を上げ、どこか茫然とした表情で彼女に問いかけた。

 

「壊れている……?」

 

 声は震えていた。ナインは自覚していなかったが、その問いかけは余りに弱弱しく生気に欠けていた。天音は頷き、悲しそうに言葉を続けた。ナインは自分の躰から血が抜けていく様な錯覚を覚えた。

 

「うん、私が刑部君に抱かれて強く思ったのはそれ、刑部君は多分、根っこの部分から破綻しているのだと思うの」

「それは、一体どういう意味でしょうか?」

 

 やや語調を強め、問い詰めるようにしてナインは言う。知らず知らずの内に天音に向かって一歩踏み込み、嘘や虚事は許さないという雰囲気を孕んでいた。手が、いつの間にか拳を象っていた。

 

「そのままの意味、刑部君には人としてあるべき箍というか、一種のセイフティみたいなものがないと感じたの、人が当たり前に持っている防衛本能……? とでも言うのかな、上手く言い表す事が出来ないのだけれど」

「……いえ、言いたい事は凡そ分かります」

 

 天音は額に手を当て、囁くような声で言った。セイフティ、安全装置、つまり『これ以上は危険だ』という線引き。藤堂刑部にはそれがない――成程、的確な表現だ。あの、自己犠牲の塊ともいえる男性。いや、きっと本人に自分を犠牲にしているなどという自覚は存在しないのだ。ナインは沈痛な面持ちのまま目を細めた。

 

「多分だけれど、刑部君にとって『自分』という人間に、価値はないんだ」

「自分に価値がない……?」

「うん」

「いえ、しかし……人類にとって男性体というのは非常に希少です、それに加え刑部さん自身の内面や性格など、好ましく思う方はそれこそ多数、ASの四脚適性だってそうです――客観的事実として刑部さんの価値は保障されています」

「そうだね、私もそう思う、けれど本人はそう思わない、思っていないんだ」

「そんな馬鹿な――」

「だから簡単にASを纏って戦おうとも思うし、自分を危険に晒しても誰かを助けようとする、簡単に体を許すし、何をされても嫌な顔をしない――ほらね、簡単に理由付け出来てしまうでしょう?」

 

 天音はどこか諦めの含んだ表情と共にそう告げた。諦観、彼女の感情を表現するならばそれだ。ナインは何か、否定を口にしようとして――しかし、どんな反駁の言葉も口から出ることはなかった。

 

「いや、でも、それは……」

「信じられない?」

 

 天音は再び問いかける。ナインは無言を貫いた、この場合の無言は――肯定と同義だ。それを理解して尚、ナインは言葉を紡ぐことが出来なかった。

 

「最終試験の時から、何となく漠然と『この人はどこかおかしい』と思っていたの、人に向かっておかしいだなんて失礼な話だけれど、他人と刑部君のズレっていうのかな、そういうのが薄っすら透けて見えて」

「……天音さんは、刑部さんを、その……好ましく思っていないのですか」

「まさか!」

 

 ナインのどこか、悲しそうな声に天音は大袈裟に過ぎる程過剰に反応した。一歩踏み込み、ナインが仰け反る程の勢いで反駁する。

 

「私は刑部君が大好き、愛している! たった一回抱かれただけで愛を語るなんて、自分でもどうかと思う程に安上がりな愛だけれど、私は刑部君を嫌ったりしない、これは絶対!」

「そう、ですか」

 

 勢いに呑まれ、ゆっくりと頷いて見せるナイン。天音は自分の声が廊下に響いていた事に気付き、やや頬を赤らめて退く。自分でもここまで声を荒げるつもりはなかった。

 

「勿論刑部君のこの性質に言いたい事はある、誰にでも体を許してしまうし、きっとこれからも断らないと思う、自分に価値がないと信じているから死地の様な場所でも簡単に命を投げ捨てるだろうし、自己保身なんて考えない――寧ろそれを望んでいる節さえある」

 

 藤堂刑部は多分――どこか、自身の破滅を望んでいる。薄っすらと、漂う様な残り香だが時折そんな『匂い』が彼からした。退廃的で、虚ろで、触れれば雪の様に溶けてしまいそうな人。

 

「それに刑部君、いつか背中から嫉妬に狂った女に刺されてもおかしくないと思う」

「……否定は出来ませんね」

 

 どこか呆れを含んだ天音の言葉に、ナインも釣られて薄く笑った。この陰が支配する会話の中で唯一自然に零れた笑みだった。天音はそんな光景を想像して、告げる。

 

「けれどきっと、彼はそれを言い聞かせても、笑って受け入れてしまうのでしょうね」

 

 ――そんなに必要とされているなんて、嬉しいなぁ。

 なんて風に、笑いながら。

 

「それでも、好きなのですか」

「うん」

 

 迷いはなかった。ナインの言葉に天音は淡々と、当然の事の様に頷いて見せた。

 

「こういう性質、『破滅願望』とでも言うのかな? 触れたら一緒に堕ちてしまいそうで、儚げな影も引いて……彼を満足させられるなら、望み通り殺してあげても良いのかなって思っちゃう」

「天音さん……」

「ふふっ、冗談――絶対に死なせてなんてあげないよ」

 

 ナインのどこか咎めるような声に、天音は子供の様な笑顔で肩を竦めた。死なせてなんてあげない、殺しなんかしない。天音はそこまで己の心を手放した覚えはないのだ。狂乱に染まるのはまだ、早い。

 

「それに刑部君が死んで困るのはナインも同じでしょう? 約束していたのを見ていたんだから」

「あれは、約束というか、その……一方的な宣誓の様なもので」

「それでも、期待しないで待っていると言ったのはナインだよ」

 

 天音はそう言ってナインの前に立った。手を伸ばせば届く距離。僅かに、天音の方が身長が高い。やや見上げる形でナインは天音を見つめる。そして小さく、差し出される手。

 

「だから一緒に、刑部君を守って欲しい――【鎖】は多い方が良いでしょう?」

 

 ナインは目の前に差し出された手を見た。白く、儚く、けれど傷の多い手だった。苦労人の手だ、必死に生きて来た者の手だ。ナインは思った。綺麗な手だと。ナインはゆっくりと差し出された手を取り、ぎゅっと握りしめた。

 

「……天音さんも、存外お節介なのですね」

「そうかな? あー、下に妹がいるし、そのせいかも」

「ふふっ、成程、そうですか」

 

 二人は笑い合う。今度は含みのない、朗らかな笑みだった。未来を感じさせる微笑みだった。繋いだ手から温もりが伝わる、ナインは人の物理的な暖かさを。天音は温い肌の奥から伝わる精神的な温かさを。ナインは天音を真っ直ぐ見据え、言った。

 

「私の考えは変わりません、刑部さんが己を無価値と断じていても、私にとってはそうじゃない、彼は人間です、機械人形としても、私個人としても、死なせるわけにはいかない――それは貴女もですよ、天音さん」

「私はほら、多分中々死なないから、大丈夫大丈夫! それにナインは知らないだろうけれど、私、結構利己的なんだ」

 

 天音べっと、小さく舌を出して悪戯小僧の様に笑った。握った手を解き、数歩駆けて振り向く。中途半端に伸びた髪が靡き、天音はナインに手を振った。

 

「それじゃ、おやすみナイン」

「……はい、おやすみなさい、天音さん」

 

 天音はそのまま廊下を駆けて行く。振り返る事は無い。ナインは去り行く彼女の後姿を見守り、それからふと廊下の奥を振り返った。微かに灯りの洩れる休憩室、そこでひとり虚空を見つめる刑部の背中を幻視し、一度息を吐き出した。

 

 

 ■

 

 

 暫く平穏な日々が続いた、少なくとも藤堂刑部という人間の視点から見れば平穏であった。無理な出撃はなく、専ら廻って来る任務はウォーターフロントの警邏。防衛任務と言えどウォーターフロント外郭まで感染体が侵入するのは本当に稀だった。大抵は海上警邏のASに駆逐されるか、警戒網に掛かった時点でモスキートか高射砲によって殲滅される。それも、大した数ではない。刑部の仕事と言えば日がな一日海と空を眺め、『万が一』に備えてぼうっと連射砲片手に突っ立っている事であった。

 後は、そう――夜の御供位か。

 

 そんな日が一週間か、二週間か程続き。気が付けば月が替わった。

 そしてそれと同時に平穏だと思っていた時間は終わりを告げる。始まりは、セブンによって下された招集命令であった。

 

 刑部達が小さなブリーフィングルームに集合し、数分後。端末を片手に持ったセブンが足早に部屋へと入室した。天音、ナイン共に、「一体何だろう」と疑問符を浮かべていた刑部は、やや焦燥を感じさせるセブンの挙動に注視する。モニタの前に立った彼女は三人が揃っている事を確認し、口を開いた。

 

「急な招集に応えてくれてありがとう、非番だというのにすまないな、皆」

「いえ、それは構いませんけれど……一体どうしたんですか? 何か、基地全体が慌ただしい気がします」

 

 刑部がそう口にすれば、セブンは一度だけ頷いて見せ、それからモニタの電源を入れた。ソケットに携帯端末を差し込みながら彼女は答える。

 

「先程委員会より任務通達があった、速やかに装備を整えFOB1(前哨基地)に向かえとの事だ」

「えっ、FOBですか?」

「あぁ」

 

 基地全体が慌ただしい、刑部の言は正しかった。事実、一部の警邏部隊を除きAS部隊・バックスが忙しなく動き回っている。AS兵装換装、輸送機の手配、整備、そして部隊間リンクの確立。まるで大規模作戦の前の様子であった。

 

「皆、知っているとは思うがこのウォーターフロントは外海に対し損害分散の為三つの海上プラットフォームを保有している、それぞれFOB1、FOB2、FOB3と呼ばれるものだ、今回、その中の一つ、フィリピン海方面防衛担当のFOB1が接近する感染体の大群を感知した」

 

 セブンがそう言ってモニタにウォーターフロント外海に位置するFOB群のマップを表示した。FOBはウォーターフロントを中心に扇状に配置されており、文字通りウォーターフロントを守る壁としての役割を有している。そのFOBが接近する感染体の群れを感知した。つまり、そこを抜かれれば本拠地であるウォーターフロントに感染体が殺到する。場所はFOB1、フィリピン海方面の防衛を担う前哨基地であった。

 

「大群ですか」

「そうだ、今までにない規模の飛行型、海上型混成の大群らしい、委員会ではウォーターフロント警邏隊をも動員した大規模迎撃作戦を展開する事を決定した、我々の小隊もFOB1の迎撃作戦に参加する」

「……余り危険な作戦には投入されない、という話でしたが」

「事此処に至って、男性を含む我々の小隊すら投入しなければならない事態、という事なのだろう」

 

 ナインのどこか非難する様な声に、セブンは苦々しい表情で以って答えた。刑部自身は別段、どうとも思っていない。元よりAS乗りになると決めた時から、いつかこうなる事は分かっていた。激戦区だろうが前線だろうが大規模作戦だろうか、どうって事は無い。刑部は一切取り乱す事無く淡々とした口調でセブンに問いかけた。

 

「ウォーターフロントの守りはどうなるのですか?」

「何もすべての警邏を動員する訳ではない、FOB1の防衛に向かうのは海上戦力が殆どだ、飛行型と陸上型は半数以上がウォーターフロントに残留する」

 

 モニタで拡大されたFOBの後方から、複数の青い三角形が出現する。ウォーターフロントの海上ASだろう、それがFOB前方で防衛線を構築し、迫り来る赤い信号――感染体の進行を防いでいた。

 

「こう言ってはなんだけれど、私達みたいな新米を選んで大丈夫なのかな……?」

 

 天音が不安げに呟く。最終試験をクリアし警邏部隊に組み込まれているとは言え、自分達は未だ数えるほどの実戦経験し積んでいない。天音にはそれが不安で仕方なかった。

 

「上層部も我々の能力を評価してくれた――と言えば聞こえは良いが、まぁそういう訳ではないだろうな、単純に戦力バランスの問題だ、本土に等しいウォーターフロントの守りは厚くしたい、自然ベテランや凄腕は残留組という訳だ」

「あははは……新人には厳しい話ですね」

「普通は逆だと思うのですけれど、そうも言っていられない情勢にあるという事でしょうか」

 

 天音が乾いた笑みを浮かべ、ナインが厳しい表情で呟く。本当ならば、ベテランを前線に送り生存率を上げ、新人を育成するのが常道だろう。しかし、そのベテラン一人一人の価値が今は測り切れない程に高い。それゆえに惜しむ。惜しむが故に老練は育たず――悪い循環だ。しかしそれを断ち切る程の戦力を人類は持ち得ていなかった。

 

「詳しい話は輸送機の中でしよう、今は兎に角必要なものを揃えてハンガーに向かってくれ、バックスには既に私の方から通達してある、装備換装が必要な者は急げよ、敵は待ってくれないからな」

「了解」

 

 セブンが手を叩き、皆の意識を集める。そして端的に今後の行動を述べ、小隊の面々は素早く席を立ちハンガーに向かい始めた。

 

「あぁ、そうだ……刑部」

「っと、はい?」

 

 刑部もナインと天音に続き、ブリーフィングルームを後にしようとするが、その背中にセブンの声が掛かった。

 

「お前の装備は後衛重火器兵装でバックスに通達しておいた、今回の任務では基本的に後方からの射撃に徹してくれ」

「命令ならば従いますけれど……理由を聞かせて頂いても?」

 刑部はやや表情を厳しくする。私情ならば流石に看破できない、しかしセブンは首を横に振って、真剣な表情で以って告げた。

「死にたがりを前に出す程、私は外道ではないつもりだ」

 

 思わず、口を噤んだ。彼女もまた刑部の性質を理解していたのだ。見抜かれた――いや、元より隠すつもりなど毛頭ない。何より万が一の時は己を殺せと口にしたのは自分自身ではないか。彼女がその切片を掴んでいたとしても、何ら不思議はない。刑部は一度大きく息を吸い、それから肩を落とした。

 

「参ったな……俺としては、そんなつもりはないんですけれどね」

「自覚のない者を上手く扱ってこそ隊長だ、従ってくれるな?」

「……了解」

 

 苦笑しながら頷いて見せ、小さく一礼した後にハンガーに向かう刑部。その背中に安堵の息を吐き出し、自分も兵装確認を行わなければとブリーフィングルームを出たセブンは、廊下に出た途端隠れ潜んでいた天音に遭遇した。まさかと留まっているとは思わず驚き目を見開く。よく見れば天音の背中にはナインの姿も。二人揃って、盗み聞きをしていたのか。セブンは呆れた様に息を吐き、反し天音はにこにこと満足げな笑みを浮かべていた。

 

「セブンさんも気付いていたんですね」

「お前より先に抱かれたのだぞ? 気付いていない筈がないだろう」

「うっわ、そういう事言っちゃいます?」

「ふふん、こればかりは先人の優越という奴だな、また一つ学んだ」

 

 セブンが胸を張り、天音は頬を膨らませた。

 

「刑部の白兵戦能力は高い――が、だからと言って適役かどうかは別だ、刑部に死んでもらっては困る、機械人形としても、個人としても」

「……まぁ、そこに関しては同感です」

「あぁ、兎も角、是が非でも生き残らなければ――全員で、な」

 

 



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15話

「――もう一度確認するが今回の防衛戦、何も難しい事を考える必要はない、いつも通りやっている事をすれば良いだけだ、見つけた奴を撃つ、ただエレメントが小隊規模に変更されただけ、その認識で構わない」

「……随分とざっくりした説明ですね」

 

 轟音の響く輸送機内。ASを纏った小隊四名は縦一列に並びながら降下の時を待っていた。場所はウォーターフロントを離れFOB1哨戒区域へと侵入した辺り。輸送機は時折大きく揺れ動き、外の景色は高速で流れていた。兵装を順次確認し、大まかな作戦の流れを確認した小隊は緊張に身を焦がしている。網膜ディスプレイに投影された小隊メンバーの顔を見ながら、刑部は思わず呟いた。

 

「難しい言い回しならば先ほどしただろう、何だ、もう一度先ほどの説明が聞きたいか?」

「いいえ」

 セブンのどこか揶揄う様な口調に、刑部は苦笑と共に首を横に振った。やる事は分かっている、既にブリーフィングは済ませてあるのだ。最終確認というよりは単なる忠告か、復習に近い言葉なのだろう。

 

 ――状況は良くない。

 

 海上型ASはウォーターフロントより先行し、既にFOB1の海上防衛線に合流したという。それでも一向に戦線好転の報は届いていない。敵の数が多いのか、或いは新種にでも遭遇したか。委員会は前線の情報収集に注力しているというが、詳しい報告は上がっていない。情報が錯綜しているのか、セブンは妨害型(ジャマー)が出現した可能性があると口にしていた。兎も角、刑部の小隊は未だ現状を正確に把握する事無くFOB1へと来援に向かう事となった。

 不意に、強い衝撃が輸送機を襲った。まるで巨大な空気の塊が横合いから突っ込んできたような衝撃だった。大きく揺れ動き、突然不安定になる足場に天音が悲鳴を上げる。セブンが壁に手を着きながら外の様子を伺うと、FOB1に群がる様にして蠢く感染体の群れが目に入った。

 

「ッ、もう襲撃が始まっているのか――!?」

 

 海には宛ら蟻の如く海上感染体の姿が見える。そして同じように、空にも。セブンは歯噛みし、操縦桿を握る機械人形に向かって叫んだ。

 

「海上防衛線が抜かれている、FOB上での戦闘……! PP! メインプラント直上まで行けるか!?」

「これ以上の接近は飛行型に撃墜される可能性があります! 直上なんて無理です!」

 

 パイロットが悲鳴を上げ、金切り声で叫んだ。

 FOBはメインプラントと呼ばれる海上プラットフォームの中枢から五角形を描く形でサブプラントを持っている。メインプラントとサブプラントはレールブリッジで繋がっており、サブプラントはメインプラントを守る壁の様な役割を果たしていた。セブンはまず、このメインプラントの防衛隊と合流しようと目論んでいた、しかしそれは初手から躓いてしまう。見れば敵の航空型はメインプラントに集中しており、あの中を突っ切って行くのはどう足掻いても不可能に思えた。無理に突貫を行えば撃墜は必至だろう。

 

「……やむを得ん、小隊降下するぞ、私に続け!」

「了解ッ!」

 

 セブンの判断は素早かった。パイロットにドロップゲートの開放を指示し、凄まじい風と共に開くゲートの前に立つ。降下順はセブン、ナイン、刑部、天音。輸送機はそのままメインプラントに最も近いサブプラント上空を通過し、そのタイミングでセブンはゲートより飛び出した。僅かに間を開け、ナイン、刑部、天音が順に続く。

 外に飛び出すと冷たい空気が体を打ち付け、下から押し上げるような風が全身を覆った。空を飛ぶ経験は二度目だ、恐ろしくはなかった。

 

『降下トレース、減速開始、衝撃に備えて下さい』

 

 刑部は暫くの間自由落下に身を任せ、それからサブプラントの姿が徐々に大きくなるにつれ腹に力を籠め、歯を食いしばった。数秒後、スラスターに点火。強い衝撃と減速に脳が揺すられ筋肉が軋む。そして――着地。重々しい音と轟音、地面が拉げる程の重量で以ってサブプラントへの着地を成功させた刑部は、臓物が揺れた衝撃に顔を顰めながらも確りとした足取りで四脚を立ち上げた。そしてやや離れた場所に着地したセブンが叫ぶ。

 

「各機報告!」

「二番機、事故無し、損傷なし、問題ありません」

「三番機、事故無し、損傷もありません! いけます!」

「四番機、事故無し、損傷なし」

 

 セブンから飛んできた声に、三人が答える。皆特に問題なく着地を済ませ、故障や事故もないようだった。着地したサブプラントは整備工場の役割を持っていたのか、周囲にはカーゴやコンテナ、それにシートの掛けられたスクラップの類が見える。その近場には破損した高射砲やASの残骸と思わしきものが転がっていた。此処が敵の攻撃圏内なのだと直ぐに分かった。セブンはメインプラントを指差し、叫ぶ。

 

「レールブリッジを直進しろッ、メインプラントは直ぐそこだ!」

「――セブンさん、飛行型接近ッ!」

 

 ナインが頭上を仰ぎ、叫んだ。僅かに遅れて機体から警告音声が発せられる。

 

『警告、敵反応感知、攻撃圏内』

 

 四人が揃って空を仰ぐと丁度黒い影としか表現できない何かが蒼穹を駆けていた。ひとつひとつは小さな、丁度小鳥の様な大きさ。しかしそれが数百、数千と集まり巨大な群れを成している。まるで一個の生命の様に空を泳ぎ、尾を引いていた。

 

蝗鳥(バード)……!」

 

 セブンが忌々し気に呟いた瞬間、刑部達が乗っていた輸送機にバードが食いついた。影に輸送機が呑まれた、そう思った次の瞬間には輸送機が火を噴き、緩やかに高度を落としていた。影は執拗に輸送機を取り囲み、数秒程――まるで咀嚼する様に伸縮を繰り返し、それから一斉に輸送機から離れる。

 

 そして、爆散。

 

 輸送機は無数の残骸に分かれ、炎の塊となって海へと落下する。それを小隊の面々は茫然とした表情で見ていた。

 

『報告、搭乗輸送機一番被撃――大破、リンクを切断します』

 

 その電子声で我に返り、刑部は手元の重火器を構える。

 

「……輸送機がッ!」

「クソッ、刑部っ!」

「了解……!」

『腕部重連射砲攻撃許可(アンロック)銃撃可能(トリガーフリー)

 

 セブンの指示に従い、刑部は重連射砲のセイフティを解除した。輸送機を穿ち、悠々と空を駆けるバードに向かって重連射砲を掃射する。唸る様な重低音、強い反動、そして周囲を照らす閃光。それらが一緒になって刑部の五感を叩き、鋼鉄をも容易く貫通する弾丸がバード目掛けて飛来した。

 しかし、最初の数発が風穴を空けたと思った途端――連中は凄まじい速度で散開し、それから蛇の様に連なって弾丸を避け始める。

 

「速い……それに、数が多すぎるッ!」

 

 撃ちながら思わず叫んだ。バードの名を冠する彼奴は素早く、また数が多い、多すぎる。まるで羽虫の大群だ。弾丸数発では駆逐出来ず、そも当てる事すら困難。バードはうねりながら重連射砲の射撃を躱し、プラント上の刑部達目掛けて降下を開始した。それを見た天音が顔を蒼褪めさせた。

 

「こっちに突っ込んで来ますよ!?」

「走れッ! 連中、甲鉄だろうと食い千切るぞ!」

 

 セブンは降下してくるバードを睨みつけ叫んだ。逃走、全員がメインプラント目掛けてレールブリッジの上を疾走する。天音、ナインが逃走寸前に連射砲による牽制を試みるも、その悉くは空を切るばかり。セブンが「弾の無駄だ」と叫んだ。

 

『警告、敵反応接近、四番機、敵攻撃圏内に突入』

 

 追い付かれる。刑部がそう思考したのは刹那、走行反転、その場で華麗なターンを見せつけた彼は重連射砲を抱えるようにして持ち、バック走を敢行しながら肩部ユニットを突き出した。それを見たセブンがぎょっとした表情を見せる。

 

「刑部、何を!?」

「――【こんな事もあろうかと】、っていう台詞は確か、こういう時に使うんでしたよね!」

『肩部兵装展開、散布範囲処理、皮膜装甲排除』

 

 瞬間、刑部の肩部、内側の弾頭を守る皮膜装甲が弾け飛んだ。軽い音を立てて後方へと流れる装甲、そして肩部にぎっしりと詰まったのは赤の目立つ複数の小型弾頭。刑部は網膜ディスプレイの中で凡その狙いを定め脳内の発射トリガーを引き絞る。

 

「炎粉弾、勝手に突っ込んで燃えちまえッ!」

 

 点火、発射。弾けるような反動と同時に無数の弾頭が虚空に向かって打ち出される。白煙を引いて宙に打ち出されたそれらは、今まさに刑部達に目掛けて食らいつこうとしていたバードの目前で炸裂した。爆炎と熱風、そして後に残るのは炎のカーテン。火の粉がそこら中に撒き散らされ、バードに引火する。幾ら目標が小さく、数がいると言っても面での攻撃には弱い。そして生物である以上、炎もまた有効である。バードは瞬く間に炎の中へと突っ込み、緋色に身を焼かれながら四方に散って――やがて黒く焦がされ海に堕ちた。

 

 刑部の打ち込んだ弾頭は対航空感染体用に開発された『携帯型空中延焼弾頭』と呼ばれるものである。発射される弾頭の中に複数の球型発火弾が詰め込まれており、弾頭が爆破すると同時に発火弾が周囲に散布、炸裂し宛ら粉塵の如く周囲を焼き焦がすカーテンを生み出す。その性質上、風の強い場所では数秒程の効力しか持たないが、それでも焼き殺すには十分な時間であった。

 

『肩部、残段ゼロ――兵装を強制排出します』

 

 アナウンスと同時、肩部兵装を固定していたボルトが一斉に弾け兵装が破棄される。重々しい音と共に転がったそれを一瞥し、刑部は小隊へと合流した。

 

「お前、そんな装備いつの間に」

「バックスの人が仕込んでくれました、仲良くなっていて良かったです」

「……その仲良くって、多分そういう事だよね、刑部君?」

 

 天音の冷たい視線が刺さる。刑部は軽々しい笑顔を張り付け、からからと笑って見せた。

 

「ははは、まぁ良いじゃないか、結果的に助かったのだから」

「………むぅ」

「むくれるのは後にして下さいセブンさん、ほら、次の飛行型が来る前に行きますよ」

 

 ナインが天音の背中を押し、四人はセブンを戦闘に再びレールブリッジを直進する。未だ上空を旋回する感染体は健在。先ほど輸送機を堕とし、自分達を襲った感染体は一握りだった。変わらずサブプラントは海上感染体に包囲され、メインプラントにも飛行型の感染体が集結しつつある。戦況は傍目から見ても最悪だった。セブンはメインプラントの中枢に向け駆け、そこで海上・飛行型の対処に当たっていた警邏隊を見つけた。固まって海上・空中に銃撃を浴びせるAS群。セブンは警邏の方向に向け走行し、二足歩行型ASを纏った警邏隊の――恐らく隊長なのだろう、周囲に何事かを叫んでいた女性がちらりと此方を一瞥し、僅かに安堵した表情を見せた。

 

「FOB1警邏隊か!?」

「そうだ! お前達は――ウォーターフロントからの来援か、助かった!」

 

 言葉を交わしながらも手は止めない。彼女たちの部隊は常にどこかしらに向け発砲しながら叫んでいた。セブンも小隊の面々を見て、指示を下す。

 

「総員見える敵を兎に角撃て、メインプラントに近付けさせるな!」

「了解!」

『小隊戦闘機能起動、FCS(射撃統制システム)リンク、敵情報共有、脅威指数投影します』

 

 セブンの指示により小隊全員がその場で足を止め、防衛姿勢へと移る。刑部は重連射砲を構え、天音とナインも手持ちの連射砲を海上、空中に向けながら引き金を引いた。小隊四人を含め、警邏部隊は十名そこらしかいない。メインプラントはサブプラントの数倍近い大きさがある。他の面々は別の区画を防衛しているのだろうか。セブンは警邏部隊の長の元へと近付き、連射砲のセイフティを弾き乍ら問うた。

 

「状況は?」

「見ての通り、海上防衛線は突破されて空は連中が悠々と飛んでやがる、モスキートも海の連中に粗方潰された、高射機関砲は残っているが手が足りない――端的に言ってクソみたいな状況だな」

「海上の部隊にはウォーターフロントのAS部隊が来援に向かった筈だ、出撃したASは無事なのか?」

「分からん、ジャマーが飛んでいやがるのか通信が極短距離でしか機能しない、海上防衛に向かったASと連絡が取れないんだ、だが突破されたという事は『そういう事』だろう? 既に海上戦力は出し尽くした、予備もな、ハンガーに動かせるASは残っていない、バックスでも適性持ちは全て出した、これ以上は鼻血も出んよ」

 

 女性は鼻を鳴らし赤く発熱したバレルを見て舌打ちを零した。連射砲の弾倉を外し、肩部の予備弾倉を掴みながら海を見る。空には疎らに飛び回るバードにバルーン。海には海上を埋め尽くさんとばかりに迫る感染体の群れ。

 

「ウォーターフロントの海上部隊が抜かれるとは、一体どれほどの……」

「――マーメイド、ドルフィン、シーバード、より取り見取りだよ、見れば分かるだろう」

「まさか、感染蝶(バタフリー)まで来ていないだろうな」

「冗談でもそんな事口にしないでくれ、本当に来てしまいそうで恐ろしい」

 

 セブンの言葉に女性は苦り切った表情で答えた。そんな二人の間に天音の悲鳴に近い叫びが飛来する。天音は連射砲の弾を撃ち切り、腰の予備弾倉を取り外しながら言った。

 

「セ、セブンさん! ちょっと、これ、数が多くないですかねっ!?」

「天音さん、口を開く暇があったら兎に角撃って下さい」

「いやいやいや、だってこれ、全部敵でしょう!? 撃っても撃っても減らないんですけれど!?」

 

 冷静に言葉を返すナインに天音は泣き顔で反駁する。メインプラントの方々から発砲音、マズルフラッシュが響いていた。しかし、一向に海上・空中の感染体が退く気配はない。寧ろ続々と集結している気配さえある。サブプラントの方角では防衛設備が懸命に抵抗しているか、時折爆音が響いていた。しかし、それで吹き飛ばされる感染体は数十と居ても、後続に百が控えていては意味がないのだ。

 

『警告、腕部兵装過熱、冷却処理開始』

『肩部、残弾六十%』

 

 ナインは腕部兵装と肩部の兵装を順に射撃し発熱と弾倉の節約を狙っていたが、その警告音を聞き己の目論見が挫けた事を知る。眉を潜めながら連射砲の射撃を止め、肩部のみによる射撃に切り替える。両肩に搭載した軽量AS向けの肩部短射砲、精度よりも兎に角数を撃ち当てることに特化した兵装である。海上の群れにはこれが面白い様に命中した。しかし、それでも数を削り切れるとは言えない。ナインは徐々に白煙を吐き出し、赤熱する銃身を見ながら吐き捨てる。

 

「最終試験の時がぬるま湯どころか、訓練に見えますね、まさか初の遠征任務でこのような場所に送られるとは……!」

「そうだね、こんな大規模攻勢、今までなかっただろうし……!」

『右方向敵反応増大、脅威指数――三、四、四、接近』

 

 刑部の言葉に合いの手を入れる形でアナウンスが鳴った。咄嗟にメインプラント東側へと顔を向ければ上空から此方目掛けて飛び込んでくるバルーンとバード。刑部が重連射砲を空に向け引き金を引き絞るも、閃光となって四方へと飛び散る弾丸は血潮を得ることが出来なかった。バルーンはぬるりとした挙動で、バードは鋭角的な機動と速度で射撃を躱す。

 どう見ても処理できる数ではない。天音が冷却の終わった連射砲を担ぎながら泣き言を垂れた。

 

「セブンさん! ちょ、これ、無理じゃないですかァ!?」

「無理だろうが何だろうが兎に角殺さねば生き残れん!」

 

 叫び、セブンも自ら防衛線に加わる。連射砲を海上の感染体に向け掃射し、次いで此方に向かっていたバードやバルーン目掛けて肩部兵装を速射する。セブンの肩部兵装は長距離狙撃用の火砲であった。轟音と共に砲身が火を噴き、砲弾が金切り声を上げながら飛んで行く。あんな小さな目標相手に火砲なんて、とナインが言い掛け、しかしセブンの表情は崩れない。

 

『空中炸裂設定、弾頭自壊――自壊、今』

 

 虚空に撃ち出された砲弾は敵に接触する寸前で炸裂し、爆炎が周囲を包み込んだ。決して範囲は広くない、しかし元々避けられるものとして考えれば悪くない手であった。事実、その煽りを受けたバルーンは軌道を逸らし、バードはその幾つかが爆風に呑まれ墜落する。

 このまま何とか凌ぐ――セブンがそう思考すると同時、耳元からノイズ交じりの悲鳴が響いた。

 

『此方FOB1メインプラント第三甲板、敵が取り付いた! 繰り返す、敵が取り付いたッ!』

「!?」

 

 それは現状、最も聞きたくない報告だったに違いない。事実小隊を含め、警邏の者も皆もどこか絶望したような表情を浮かべていた。しかし、だからと言って茫然としている余裕はない。セブンは顰めそうになる表情を必死に押し留め、長である女性機械人形に向けて吼えた。

 

「侵入されたか……ッ! おい!」

「分かっているッ! 此処は我々が受け持つ、そっちは侵入した奴を叩け!」

「分かった――小隊続け! 取り付いた感染体を叩くッ!」

 

 返答はなかった。ただ皆が自身のやる事を理解していた。警邏部隊に迫り来る感染体の処理を任せメインプラント第三甲板――刑部達が防衛していた甲板より、やや中枢側――へと皆が一斉に駆け出した。白煙を引く連射砲を抱え、走行するASが四機。絶え間ない銃声と砲火が五感を刺激する。ナインはセブンに見えない様、表情を歪めた。誰が見てもこのプラントは絶体絶命の状況だった。海上防衛線は突破され、ジャマーにより後方への救援要請どころか此方の情報を伝える事すら困難。感染体がこの様な電撃的侵攻を行うとは夢にも思わなかった、その初動さえ掴めなかったのだ――否、初動を掴んだ時には既に遅かったと言うべきか。

 プラントは陥落寸前。ひと際強い爆炎が上がり、熱波がナインたちの頬を撫でる。西側のサブプラントが大破、炎上していた。防衛設備ごと沈められたのだ。メインプラントが堕ちるのは時間の問題に思える。ナインは厳しい表情で空を仰ぎ、飛行する感染体を睨みつけた。

 

『――警告、敵反応接近』

「――!」

 

 全員のASに警告アナウンスが走った次の瞬間、直ぐ脇のプラント内壁を突き破って何者かが目前に転がった。

 

「ッ、クソが……が、ぁ」

 

 瓦礫と共に地面に転がっていたのは一機のAS。装着していた機械人形の女性は忌々し気に呟き、それから糸の切れた人形の様にうつ伏せのまま動かなくなった。機能を停止したのだ。瞳から光が無くなり、脊椎接続の固定ボルトが一斉に解除される。リンクが切れた証拠だった。

 そしてASが突き破った内壁の穴より、ゆっくりとした足取りで現れる感染体が一体。先頭に立っていたセブンはいち早くその姿を認め、思わず叫ぶ。

 

多腕(ハンドマン)!?」

 

 内壁の穴より這い出たのは――多腕(ハンドマン)

 躰に八本の腕を生やし、人間の顎に該当する場所に巨大な口を持つ感染体である。その外面は非常にグロテスクであり、隆起した腕を器用に使って高速移動も可能な個体。単純な脅威度としては成体(アダルト)の数倍に該当する。AS単体で仕留めるのは難しいとされる『陸上型』であった。

 

『敵反応至近距離、脅威指数――四』

「馬鹿なッ、此処は海上だぞ、何故陸上型が此処に居るッ!?」

 

 ナインはそこまで口にし、何かに気付いたように空を見上げた。そこにはバルーンが所在なさげに浮いては沈んでを繰り返している。

 

「……飛行型が運んできたとでも云うのか――!」

「セブンさんッ!」

「! ――ぐゥッ」

 

 一瞬の思考の間隙を縫って、多腕が攻勢に出た。転がっていたASを踏み砕き、セブンに向かって四本の腕を薙ぎ払う様にしてぶつける。腕力で戦車の装甲を引き剥がす連中である、その怪力は重量型ASとて真正面から受けきれるものではない。セブンは咄嗟に腕を畳み、最も装甲の厚い肩部装甲で多腕の拳を受けた。

 着撃の瞬間、凄まじい衝撃がセブンの体を襲い、装甲が軋みを上げる。そのままセブンは横合いに吹き飛ばされ、メインプラント外壁へと叩きつけられた。

 

「セブンさんっ、このッ――!」

「駄目ッ!」

 

 セブンの機体が吹き飛ばされる瞬間を目撃した刑部は激昂し、勇んで飛び出そうとする。しかしその直前、踏み込んだ刑部を天音が留めた。そしてその間を駆け抜けるようにし、一体のASが宙へと舞い上がる。

 

「ナイン!」

「――はい」

 

 二人の間を風の如く駆け抜け、多腕に肉薄したのはナインであった。軽量型AS故の身軽な機動で以って跳躍し、多腕目掛けて上空より強襲を仕掛ける。足を畳み、蹴撃の構えを見せるナインは着撃の瞬間、走行用のローラーを回転させ叫んだ。

 

「ローラーにはこういう使い方もあります……ッ!」 

 

 凄まじい勢いで空転する車輪はしかし、敵の顔面に着撃した瞬間けたたましい音と共に肉を削った。ナインが刑部の接地用パイルの扱いを見て学んだ戦い方である。ローラーは多腕の顔面を削ぎ落し、火花を散らしながら地面に接地する。多腕は縦一文字に顔面を削り取られ、怯み数歩蹈鞴を踏む。

 

『脚部装甲車輪破損――機動力低下』

「今ですッ!」

「はァッ!」

 

 着地し、バランサーが起動したナインは動けず。しかし、その間隙を埋める様にして天音が飛び出した。蹈鞴を踏んだ多腕に向け突進、肩からぶち当たり距離を取る。そして連射砲を腰だめで構え、引き金を引き絞った。

 

「その気色の悪い体、吹っ飛ばしてやるッ!」

 

 天音の至近距離射撃。無数のマズルフラッシュと銃声、薬莢が甲高い音を立てて地面を転がる。多腕の肉体に無数の穴が空き、腕が数本根元から吹き飛んだ。時間にして凡そ三秒足らず、天音が連射砲の弾倉を全て撃ち切った時、多腕は全身から蒸気を噴き上げ――一歩、進んで見せた。未だ健在、その生命力は驚愕の一言。

 体中に穴を空け、顔面すら半分抉れているというのに。

 

「ッ、まだ……!?」

「おぉォッ!」

 

 天音がその威容に怯んだ瞬間、刑部の四脚が飛び出し横合いから多腕を蹴り飛ばした。四脚の重量はそれだけで脅威と言って良い。多腕は転落防止柵を弾き飛ばし、そのまま海に向かって落下した。水没すれば助かる事はないだろう。刑部は抉れ吹き飛んだ転落防止柵を数秒程睨みつけた後、息を吐き出してセブンに問いかけた。

 

「はァ……セブンさん、損害は?」

「ッ……大丈夫だ、多少肩と腕の装甲が歪んだ程度で済んだよ、すまない皆、助かった」

『腕部表面装甲二層破損、肩部表面装甲三層破損、損害軽微、戦闘行動に支障なし』

 

 セブンはめり込んだ内壁から身を起こし、機体の調子を確かめながら答える。三名がそれぞれ安堵の息を漏らすと同時、セブンは転落した多腕の方を見ながら厳しい表情を浮かべた。

 

「まさか陸上型まで持ち出してくるとは……完全に予想外だった」

「連中、本気でこのFOBを潰すつもりですね」

「あぁ、陸上型を運搬できる飛行型が居るとはな、この情報はウォーターフロントに伝えねば――各員、弾の余裕は?」

 

 セブンが問えば、全員が残弾パラメータを確認しながら答えた。

 

「まだ余裕はありますが、先ほどの様な総攻撃を行うならば少し心許ないですね」

「えっと、砲の方は、まぁまだ……連射砲はちょっとさっき撃ちすぎちゃった、かも」

「俺は大量に持ち込んだので、まだ大丈夫です」

 

 ナインは連射砲、肩部兵装共に半分以上残っている。天音は連射砲の弾倉が残り二、火砲は三割減と言った所。刑部は重連射砲の弾倉が三つ、肩部兵装は撃ち切ったが格納ユニットに予備兵装と弾倉コンテナがある。換装すればあと二戦程度ならば可能だろう。それぞれの報告を聞いたセブンは頷き、自身の凹んだ腕部装甲を払いながら告げた。

 

「良し、ならこのまま第三甲板に向かう、前衛は私とナインが務める、ナイン、やれるな?」

「当然です」

 

 ナインは頷き、天音と刑部の前に進み出た。

 

「行くぞ」

「はい」

 

 




 十日程更新していなかったので、前回・今回・次回辺りまでは文字数増しで更新します。


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16話

「これは――」

 

 第三甲板に到達したセブン達は皆一様に言葉を失った。有体に言って酷い惨状だったのだ。破壊された高射砲、モスキート、更にそこら中に転がるASだったモノ。内部機構の露出した機械人形が壁や地面に叩きつけられ絶命し、人工血液を撒き散らしながら骸を晒している。天音は思わず口に手を当て嗚咽を零し、セブンとナインは厳しい表情で周囲を見渡した。IFFに至近距離味方信号なし――文字通りの全滅だった。

 

「! セブンさん、FOB内部から敵反応が」

「まさか――内部に入られたのかッ!?」

 

 IFFに味方信号はなかったものの、ナインの機体に敵反応があった。セブンが慌ててメインプラント内部へと続く回廊へと駆け込めば、無惨に引き裂かれたハッチが目に入る。まるで巨大な重機によって破砕されたかのよう。セブンは一瞬転がる骸を一瞥し、それからぐっと眉間に皺を寄せ叫んだ。

 

「突入する、ナイン!」

「はい」

 

 セブンはナインと肩を並べ内部へと突入を開始する。刑部と天音も慌てて二人の後を追った。現在他の部隊からの連絡はない、ジャマーが近づいているのか、或いは通信する余力すら持たないのか。内部へと続く回廊はそのままハンガーへと続いていた。やや傾斜した地面を下れば巨大な空間に辿り着く。広々とした空間、兵装を格納する為の場所である。ASを吊り下げる為のフックや機材、装甲板等が並べられたハンガーは酷い血の匂いが充満していた。内部へと踏み込んだ小隊は皆一様に足を止め、思わず口元を覆った。

 

「これは――」

「うッ……!」

 

 大量の死体。FOB1のバックス達だろう、無惨に殺され破壊された機械人形。それが十、いや百か、兎に角夥しい数の仲間が殺されていた。碌な抵抗も出来なかったのだろう。武装していても、それは精々が小銃や拳銃の類であった。セブンは恐る恐る息絶えた機械人形のひとりに近付き、その首に手を当てる。冷たく、信号に応答がない。機能を停止していた。

 

『味方信号探知――周辺に稼働中のASは確認出来ません、対人・対機械人形信号反応なし、探知を終了します』

「……バックス諸共、やられたのか」

 

 茫然と呟くセブン。ナインは蒼褪めた表情で周囲を見渡しながら、辛うじて震えを抑え問いかけた。

 

「セブンさん、FOB1の有人割合は――」

「……大丈夫だ、FOB1はバックス含め殆どが機械人形で構成されている、居ても十か其処ら、『感染連鎖』の可能性は低い」

『警告――敵反応急速接近』

 

 セブンの声を遮る形で、警告アナウンスが全員の耳に届いた。四人は連射砲を即座に抱え直し、四方へと視線を向ける。その内のひとり、天音がハンガーの奥から此方に迫る影に気付いた。

 

「セブンさんッ、奥に、奥に何かッ……!」

「!?」

 

 全員の視線がハンガー後方へと向けられる。途端、内部に響く唸り声。全身の筋肉が隆起した人間モドキ。四つ足歩行をする彼奴は素早く、壁に張り付き、そして何より強い。点滅を繰り返す非常灯に照らされたその姿を見て、ナインは叫んだ。

 

四足(ドギー)ッ!」

『敵反応至近距離、脅威指数――五』

 

 アナウンスが終わるより早く、四足はその俊足で以って接近。前衛であるナインとセブンを飛び越え刑部に襲い掛かった。それは宛ら豹の如く。ASに迫る体格を持った豹だ、それも顔面が人間の。凄まじい質量の突貫を喰らった刑部は後方へと弾き飛び、そのままハンガー内壁へと激突した。

 

「刑部さんッ!」

「ぐぅッ!?」

 

 壁に叩きつけられ、再度四足が飛び掛かって来る。避けることも出来ず、甘んじて二撃目の突撃を受ける事となった刑部。凄まじい衝撃と装甲の軋む音、それを耳にしながら隣のブロックへと転がり出た。

 

『警告、機体肩部に被撃、右肩部アクチュエータに異常発生、稼働率低下』

「――こ、のぉ! 潰れろォッ!」

 

 ハンガーに隣接していた場所――第二格納庫へと押し込まれた刑部は地面を滑りながら急停止を掛け、尚も追撃の姿勢を見せる四足(ドギー)に向かって四脚を振るう。しかし素早い身のこなしでバックステップを踏んだ四足を捉えられず躱され、四脚は地面を踏み砕くのみに終わった。

 ――速い、とてもじゃないが白兵戦では捉えられない。

 一連の攻防を見ていた小隊の面々は即座に救援に向かおうとするも、警告アナウンスがその足を止めた。

 

『警告、敵反応接近、反応多数』

「これは――まさか群衆(ホード)!?」

「刑部君っ!」

「天音ッ、背を見せるなっ――連中が来るぞッ!」

 

 刑部と分断された小隊は未発達(ボーイ)の群衆反応を察知。ハンガーの奥から群れを成して迫り来る未発達。一体、こんな数がどこから。そう思う程の大群であった。非常灯に照らされ赤く染まる感染体。セブンが焦燥を隠せず叫ぶ。ナインと天音は刑部の消えた内壁の穴に目を向けつつも、目前の感染体の撃退に集中しなければならなかった。

 

「来るぞ、構えろッ!」

「ッ、なんて間の悪い……!」

 

 ■

 

「この、こいつッ!」

 

 上下左右、四足は壁や天井さえ足場にしあらゆる角度から強襲を仕掛けてくる。速いうえに筋力も強い、ある意味成体の完全上位互換と云っても良い。刑部は牽制代わりの重連射砲を絶やさずばらまき、四足の攻勢を削ぐ。しかしそれも、そう長くは続くまい。セブンが最終試験でこいつと鉢合わせしなくて運が良いと言った意味が分かった。これは、単独で当たるには荷が勝ちすぎる。例え天音と組んだ状態であっても難しいだろう。

 

「ッ、くそ……詰められたか」

 

 知らず知らずの内に後退を繰り返し壁に追い詰められた事に気付いた刑部、じわりじわりと距離を詰める四足。網膜ディスプレイに映る弾倉内の残弾は僅か。刑部は咄嗟に脚部前面に備え付けられた増設装甲を展開した。瞬間突進を仕掛ける四足。しかし狙いは刑部ではなく、その隣の鉄骨柱。跳躍し、三角跳びの要領で側面からの強襲を敢行した。無論、それに刑部が反応出来る筈もなく――真横からの突進が直撃。

 右肩部の装甲板が大きく軋み、表面装甲が完全に損壊した。甲高い音を立てて割れる装甲板。歯を食いしばって衝撃を堪えながら、刑部は手元の重連射砲を四足に向ける。そしてトリガー。

 しかし、間隙を縫った反撃でさえ寸で避けて見せる。銃弾は四足の前脚を微かに掠めたのみで、被弾すら許されなかった。

 

「銃撃避けるとかッ、本当にッ――ごァッ!」

 

 更に突進を仕掛ける四つ足。展開装甲ごと背後の壁に叩きつけられた刑部は、そのまま第三格納庫へと壁を突き破って転がり込む。立ち上る砂塵、瓦礫に埋もれたまま刑部は無機質なアナウンスを聞く。

 

『警告、機体主骨格に被撃、右肩部装甲に深刻な損害、BTリンクに異常発生、前脚部正面装甲破損、機体出力低下――これ以上の被撃は危険です、回避を推奨します』

「出来たら、そうしているって……!」

 

 瓦礫に埋もれたまま刑部は苦々しく呟く。ゆっくりとした足取りで四足が迫る。瓦礫を踏み砕き、正に強者に相応しい威風堂々とした立ち姿であった。忌々しい、刑部は内心で吐き捨てる。

 ――出し惜しみして死んだら、ただの間抜けだ。

 

『格納ユニット、接続解除』

 

 迷いはなかった。刑部は格納ユニットの予備弾倉コンテナを固定していたボルトを解除し、持っていた銃連射砲を投げ捨てた。落下し重々しい音を立て転がるコンテナ。その外装に両腕を突き入れ、内部の兵装を取り出す。

 取り出したそれは折り畳み式の重機関銃であった。六つの銃身を持ち、給弾ベルトによって予備弾倉コンテナに繋がっている本体。大きさは先ほどまで使用していた連射砲と比較し、一回りも二回りも大きい。その威容は伊達ではない、毎秒百発に迫る連射性能を誇る、ASを用いない個人携帯兵器としては最大の兵器。刑部の持つソレは、元の兵装を更にAS兵装用に改修したものであった。弾倉コンテナに備え付けられているバッテリーより給電され、空転を開始した重機関銃――ミニガン(Painless Gun)を四足に向け、刑部は告げた。

 

「避けられるものなら、避けてみせろ」

 

 瞬間、閃光と爆音。

 最早刑部を中心として太陽が現れた様な光景だった。圧倒的な連射速度を誇る重機関銃は絶え間なく火を噴き続け、マズルフラッシュは周囲一帯を照らし続ける。鳴り響く銃声は正に神鳴りの如く。

 四足は最初、飛来する弾丸の雨を避けようと試みた。しかし、止まらない――攻勢が止まらない。弾丸はコンクリートを穿ち、砕き、圧倒的な破壊力を見せつける。弾丸が微かに、四足の体を掠った。それだけで十分だった。巨躯が揺らぎ、足が止まる。一瞬の出来事だ、だがその一瞬で良かった。刑部の射線が遂に四足を捉えた。一発は十発に、十発は百発に。次々と着弾する破壊の弾丸に四足の肉体は穿たれ、削られ、吹き飛ばされた。肉片が飛び散り、まるで出来の悪い飴細工の菓子の様にバラバラになって吹き飛ぶ。刑部が予備弾倉のコンテナに詰まっていた弾薬を撃ち尽くすのに、十秒と掛からなかった。

 

『腕部兵装、残弾無し』

 

 網膜ディスプレイに表示されていた重機関銃の弾数が零を指す。絶え間なく鳴り響いていた轟音が止み、再び周囲に暗闇が戻った。高速で回転していたバレルがゆっくりとその動きを止める。噴き上げる蒸気、その銃口の先に穴だらけとなった四足が横たわっていた。耐えられる筈がない、即死だ。足は吹き飛び、顔面も散り散りに砕けている。心臓も、きっと打ち砕かれただろう。

 

「やったか……」

 

 呟き、刑部は重機関銃を地面に取り落とした。

 ――皆の加勢に行かなければ。

 そう思考し、ゆっくりと足を投げ捨てた重連射砲の元へと進める。弾倉を取り外し、予備の物と換装。そうして再び歩き出そうとして――格納庫の奥から赤い瞳が覗いている事に気付いた。瞳の数は六つ。それを見た刑部は思わず引き攣った笑みを浮かべた。

 

「……それは、ないでしょうよ」

 

 低い唸り声。人間の顔を張り付けた、犬型の体躯。

 四足――それが三体、刑部の目の前に現れた。

 

 

 ■

 

 銃口が火を噴いていた。もうバレルが赤く発熱し、目前には骸の山が築かれている。殺した数はどれ程か? 十か、二十か、いや――もっとだ。セブンはガチンッ、とトリガーがロックされる音を聞き思わず舌打ちを漏らした。視界の隅に見える残弾数は零、弾切れだ。 

「弾薬換装!」叫ぶと同時、ナインがセブンの前に滑り込む形でカバーする。セブンは素早く連射砲の弾倉を切り離し、予備の弾倉を取り出した。それを手早く嵌め直しながら尚も迫り来る未発達の群れを見る。五十、六十、下手をすると百を超えるか。手足を吹き飛ばされ、躰に穴を空けられながら前進する怪物共。明らかな異常であった。

 

「内部に何故これ程の――SE(空の目)、応答してくれ! このFOBはもう……ッ!」

『……―――……―……』

 

 コッキングし、薬室に弾丸を送り込みながら叫ぶセブン。しかし返って来るのはノイズばかり。SEも堕とされたか、或いは既に近距離通信すら儘らならない程にジャマーが近づいているのか。セブンの前に立ち、敵の進行を食い止めていたナインが苦し気な声と共に叫んだ。

 

「ッ、セブンさん、FOB防衛隊のFS(味方識別信号)が次々と消失しています、既に甲板はッ!」

「分かっているッ!」

 

 言われずとも理解していた。IFFによって識別できる味方信号、視界隅に表示される簡易レーダーから次々とその信号が消失している。内部突入前にリンクしていた戦術情報、そのリンク先、甲板上のASが撃墜されているのだ。時間を追う毎に消失する信号の数は増えていく。焦りばかりが募った、このままでは先に此方が磨り潰される。

 

四番機(藤堂刑部)、被撃、被害甚大、機体主骨格に損傷――中破』

「ッ……!」

 

 それに追討ちを掛ける形で最悪の報告が耳に届いた。刑部機が中破、つまり追い詰められている。本音を言えば今すぐにでも救援に向かいたい。しかし、この未発達に背を向けて刑部の救援に向かうのは明らかな愚行だ。逃げ込んだ先で諸共殺されるのが目に見える。

 それにこれ程の未発達(ボーイ)、空で運んで来られる筈がない。空以外の『何か』が存在するのだ、感染連鎖ではない、何かが。

 

「邪魔ッ、邪魔ァッ! 退いて、退いてよッ! 刑部君を、刑部君を助けに行かなきゃッ!」

 

 ナインの隣から錯乱した叫び声が聞こえた。天音だ。彼女は狙いもつけずに連射砲の引き金を引き続け、感染体が接近すれば連射砲を鈍器の様に扱い殴り倒していた。孤軍奮闘、いや、半ば自棄に近い戦い方だ。白兵戦能力を持つナイン、或いはそれに劣るものの前衛兵装を持つセブンならば兎も角、逆脚支援兵装の天音が自ら敵のレンジに踏み込むのは自殺行為であった。一秒でも早く敵を殺し、刑部を救援しに行きたい。その感情の発露、それは諸刃の剣だ。

 

「天音、おい、天音ッ!」

「ッ、何!? 邪魔を――」

 

 セブンが天音に声を掛ければ、血走った目で通信に応える天音の表情が網膜ディスプレイ越しに見えた。

 

「正気に戻れッ、お前の弱さが刑部を殺すぞ!?」

「っ、ぐ――!」

 

 その言葉が僅かに天音の理性を引き戻した。前へ前へ、そう叫んでいた両足を辛うじて押し留め、天音は大きく後方へと跳躍し、セブンとナインの背後に着地した。そして弾切れ寸前であった連射砲の弾倉を切り離し、荒い息を繰り返す。

 そうだ、それで良い。

 セブンは天音の退いた穴を埋めるようにして動き、連射砲の引き金を引いた。目前に迫っていた感染体の頭部が弾け、脳髄が飛び散る。

 本当ならば自分も狂ってしまいたい。刑部が傍に居ないという現状に体が震えてしまいそうになる。しかし、自身が錯乱すればどうなる――きっと、最悪の結末しか生まない。セブンはそれを良く理解していた、故に必死になって自己をコントロールしようとしていたのだ。 

 

 ナインの耳にアラートが届いた。『腕部兵装残弾零、予備弾倉なし』、完全な打ち止め。ナインは顔を顰め、一歩、また一歩と背後へと退いた。薄暗いハンガーの中で連射砲のマズルフラッシュだけが瞬いている。

 

「……限界です、セブンさん、撤退を進言します」

 

 小さく、しかしはっきりとした口調でナインは言った。この数の未発達、既に小隊での討伐数は三十を超えるだろう。しかし、未だハンガー奥の回廊から溢れ出るような様子を見せている。つまり、まだまだ増えるのだ。どうやってこんな数をFOBの内部に、という疑問は残るが――今は良い、兎に角この連中をどうするかという一点のみが問題だった。

 現状、ハンガー奥の回廊が比較的狭い事、その出入り口を塞ぐ形で小隊が布陣している事――回廊を進もうとすれば、必ず一直線になる。これらの有利が働き押し留めている事が出来ている。しかし、それは弾薬の続く限りという話になる。ナインは視界を動かし、連射砲の残弾を確認した。既に半分を切っている、先のアラートはその為のものだ。ナインの進言を聞いたセブンはふっと口元を緩めながら、吐き捨てるように言った。

 

「出来るならそうしているさ、だがどうやって逃げる? 空には敵、海にも敵、挙句の果てにはFOB内部にも――どこから、どうやって?」

「………」

 

 ナインは口を噤んだ。脳裏を過るのはバードに堕とされた輸送機。そして海を漂う感染体の群れ。空も海も感染体が塞いでいる。そしてFOB内部もこの有様だ。逃げ場などどこにもない、過酷な現実が目前にあった。

 

「委員会の失策とは言わんよ、ここまでの数を揃えるとは誰にも予想出来まい」

「セブンさん……」

 

 どこか諦観を含んだ声色だった。ナインは思わずセブンの方へと顔を向ける。セブンは赤く発熱した連射砲のバレルを一瞥し、腰裏に装着していた近接兵装を抜き放った。カーボン製の刃を持つハイメルトブレード。それを構えながらナインに告げた。

 

「ナイン、刑部の所へ行け、此処は天音と私が受け持つ」

「ッ! しかし――」

「私達は機械人形だ、その意味は分かるな?」

 

 セブンの強い言葉に、ナインの舌が固まった。彼女はゆっくりとナインの方に顔を向け、無機質な瞳と共に告げた。

 

「万が一の時は――盾となって死ね」

「――了解」

 

 寸分の狂いなく、ナインは彼女の意志を理解する。二秒、ナインが覚悟を固めるのに要した時間だ。彼女はその場で小さく頭を下げると、近場の感染体数体を蹴り飛ばし、刑部の消えた内壁の穴へと駆け込んでいった。セブンはそれを見送り、同時に連射砲の引き金がロックされる。『腕部兵装残弾零、予備弾倉なし』――丁度良い、セブンは連射砲を投げ捨て、ハイメルトブレードを両手で確りと握りしめた。

 肩部兵装の火砲は使用しない。もしするとすれば、生き埋めとなる覚悟だ。隣に立つ天音が正確な射撃で感染体の頭部と心臓を撃ち抜く。しかし、長くは持つまい。セブンの構えたハイメルトブレード、その黒い刀身が発熱を開始し、赤く染まった。電力供給用のケーブルを手首に巻きつけながらセブンは問いかける。

 

「……さて、天音、覚悟は良いか」

「大丈夫、というか、こんな所で絶対死んでなんてあげない」

 

 銃声に紛れながら、天音の声はセブンの耳に確りと聞こえた。自信に満ち溢れている――というよりは、怒りに塗れているというのが正しいか。誰に対して怒りを抱いているのか。感染体か、己か、或いは。セブンは愉快な気分となり、くつくつと笑いながら言った。

 

「くくッ、いつもの敬語はどうした?」

「五月蠅いッ、今それどころじゃないの! 生きるか死ぬかの瀬戸際で、体裁を整えている暇なんてないでしょうッ!」

「あぁ、全く以ってその通りだな」

 

 セブンがブレードを構える、同時に鳴り響いていた射撃音が止まった。天音の表情が歪む――弾切れだ、弾倉交換まで凡そ十秒。一気に足を速めた感染体の群れを前にセブンは一歩踏み出し、ブレードを薙いだ。

 

「さて、さっさと終わらせて刑部を迎えに行くとしよう」

 

 



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17話

 

「はッ、はァ、ぐ、ぁ……」

 

『警告、機体主骨格に致命的な損害、BTリンク障害発生、脊椎接続確認、起動、BTリンク再接続……DEシステム再起動確認、網膜ディスプレイ投影開始、機体状況、火器管制システムに異常発生、D-2アクチュエータ破損、Y4装甲全損、バランサー反応なし、BT装置を機体制御補助なしに切り替えます――パイロット及びVDS兵装の保護優先、ジェネレータ回路切り替え開始、緊急保護状態移行(セーフモード)、機体出力が三十%低下します』

 

 機体は、酷い物だった。四足の体当たりをもう何度喰らったかも分からない、これが本格的に掴まれていたならば自分は無惨な肉塊と成り果てていただろう。首を引っこ抜かれるか、そうでなくとも脊椎接続を無理矢理解除され、脳がスパークして死ぬか。最悪な未来予想図だ。刑部は全身の装甲が歪み、所々火花を散らす機体を見下ろして思った。

 

 何度も地面を転がされ、壁に叩きつけられた衝撃で意識が朦朧とする。頑丈な重装四脚でなければ疾うの昔に大破していただろう。機体は全体の装甲が凸凹に凹み、特に肩部と脚部は酷かった。表面層も完全に剥がれ内部機構が露出寸前、抉れた装甲がささくれの様に千切れ、頻繁に盾にしていた肩部装甲は内側に捲れていた。手に持っていた連射砲は、既に床を滑って遥か彼方。空いた鋼鉄の手で頬を拭えば、ぬるりとした感触がBTリンク越しに感じられた。掌を見て見れば真っ赤だった。

 

 網膜ディスプレイのアラート表示が煩わしい、長々しい警告アナウンスが五月蠅い。

 

「あぁ、くそ」

 

 目前で、壁にのめり込んだまま動かない刑部を見る四足。それが三体。まるで手負いの獣を仕留める様にじわじわと包囲網を狭める。刑部が戦う意志を喪い、心を折られ、項垂れる瞬間を待っているに違いない。そんな確信があった。

 

 ――自分は此処で死ぬのだろうか。

 

 刑部は思考する。覚悟はしてきた。否、そもそも覚悟などする必要などない。既に刑部という人間は己の生存にすら頓着していない。口と思考の表層では「死んで堪るか」と宣いつつ、その実腹の奥底では死のうが生きようがどうでも良いと思っている。

 

「思ったよりは……早かったな」

 

 ただ、そう。思っていたよりは早かった。ただ、それだけの事なのだ。刑部は呟き、そのまま瞳を閉じようとした。此処で自分はこの四足に食い殺されて骸を晒す、そういう結末なのだ。

 

 四足が唸りながら自分を見据える。食い殺すか、途中で脳を焼かれて死ぬか。どちらにせよ、碌な死に方ではないな。薄っすらと笑い、そんな事を考える。

 そう、自身の生存を諦めかけて。

 

「刑部さんッ!」

 

 強い、生命力の溢れる声が耳に届いた。

 

 閉じかけた瞳を開き、声の方へと視線を向ける。視界に入ったのはナイン、その人であった。彼女は凄まじい勢いで走行し、今まさに刑部に飛び掛かろうとした四足の一匹を勢いそのままに蹴り飛ばした。凄まじい打撃音、肉を打つ音。そのまま着地と同時に地面を滑って火花を散らし刑部の前へと躍り出る。蹴り飛ばされた四足は体をくの時に曲げながら地面に叩きつけられ、そのまま力なく壁に叩きつけられた。

 

「――ナイン?」

 

 刑部はどこか夢心地で彼女の名を呼んだ。まさか救援が来るなど、思ってもいなかったのだ。ナインは肩を弾ませ、息を荒げながら刑部を睨みつけた。余程急いで来たのか、その顔色は蒼白であった。刑部の視界一杯に、彼女の顔が広がる。彼女は刑部に詰め寄り、叫んだ。

 

「貴方、何こんな所で死のうとしているんですかッ!? 私と約束したばかりでしょう!? 私に、私に……貴方を信じさせるとッ! 貴方も、貴方も前の『人間』と同じようにッ、私を裏切るのですかっ!?」

 

 その言葉は強く、深く、刑部の胸を抉った。

 裏切るのか? 『前の人間』と同じように。

 信頼させると、人間ではなく、『藤堂刑部』として信頼させると、そう言った癖に。

 

 想像した、彼女の言う前の人間と同じになったという自分を。まず、機械人形を道具として見、決して人として扱うことなく。また愛を持たず、持たせず、ただ淡々と利潤のみを求める人生をきっと送るだろう。彼女はきっと影で涙する、けれどその涙さえ枯れ果てた後、人類に絶望しながら機械として生きるのだ。一生その心を明かす事無く、自身の生に蓋をしたまま。そして最後は――惨めに感染体に殺される。

 

 それを自分は許せるのか?

 そう思った途端、ほんの僅かな――指先一本分動かせる力が沸いてきた。

 

 

『良いか刑部、吾達にとって最も大切な事は生き残る事だ、戦場では諦めた奴から死んでいく、精神が死ぬと、躰も死ぬ、だから決して心を殺すな――しかし、そうは言っても辛い時はやはり辛い、たとえば戦地での索敵や警邏で数日睡眠がとれず、ASの連続稼働による脳過負荷も酷く、戦闘後のアドレナリンも引いて満身創痍、そんな状態に陥ったとする』

 

『加えて味方が手酷くやられ、友人が何人も戦死し、負傷者がそこら中に這い蹲っている、腹も減って、水一滴すら口に入れていない……もう指先一本、顔を上げる力すらない程に追い詰められた状況、そんな時に心を強く持てる人間は、本当に少ない』

 

『だから吾が、そんな時ほんの僅かでも気力を回復させる方法を教えてやる……兎に角、大切な誰か――友人や家族、恋人でも構わぬ、大切ならば誰でも良い、そいつの顔を思い浮かべ、徹底的に【破壊】してやるのだ』

 

『殺されただとか、そんな温い表現ではない、具体的に想像しろ――頭を踏み潰され下顎から上が地面と同化した恋人だとか、手足が千切れ、内臓を撒き散らしながら顔面を摺りおろされている家族だとか、腸を垂らしながら窓ガラスに頸を突っ込んで死んでいる半分だけになった友人だとか、そういう場面だ』

 

『そして実際に、そんな場面を鮮明に脳裏に想像する、感染体に破壊された大切な者をな――すると搾り滓の様な体の奥から、指一本分動かせるような力が湧いてくるのだ』

 

 

 刑部は過去の訓練を思い出していた。先生の言っていた事は正しかった、今にも挫けそうになる足を動かし、思った。

 

 ガクガクと無様に震える足、それに呼応する形で震え、火花を散らす四脚。装甲が拉げ内部の配線が覗いていた。出力不足の原因はこれか。刑部は額から血を垂らしながら思わず笑った。

 

「ッは……重装四脚が、なんて様だ」

 

 これでは先生に怒られる。

 

 壁に手を着きながら機体を起こし、覚束ない足取りでナインの隣に立った。此方を見据えたまま動かぬ四足。ナインに吹き飛ばされた一体も、既に何事もなかったかのように立ち上がっている。やはり蹴撃だけでは仕留めきれない。心臓か、首を刎ねる必要がある。刑部は両手に何も持たぬまま、ナインに問うた。

 

「ぁー……ナイン、因みにこの状況からどうにか逃げ出す方法、ある?」

「セブンさんより、最悪の場合盾となる様指示を頂きました」

「はは、そっかぁ……」

 

 つまり算段はないと。救援に来てくれたのは素直に嬉しいが、正直自分を見捨てて逃げて欲しかった。まぁ、逃げる場所があるのかは疑問だが。ナインは油断なく目前の四足を見据え、それから刑部の怪我を一瞥した。

 

「四足って、こんなに厄介だったんだね」

「成体の発達型ですから――それで刑部さん、怪我の具合はどうですか」

「うん……まぁ、大丈夫、かな」

 

 刑部は血塗れの顔を隠さず、穏やかに笑って見せた。全く大丈夫そうには見えない、機体の状態的にも、刑部の怪我の具合からしても。しかしナインはそれ以上口にするような事はなかった。ここで刑部を激しく問い詰めたとしても、意味などないと理解していたからだ。きっとこの男はどれ程の怪我を負ったとしても、「大丈夫」としか言わないだろう。

 

「――貴方は、自分に価値を認めていないと聞き及びました」

 

 ナインは静かな口調で言った。銃火器は撃ち尽くした、連射砲も、肩部兵装も、であれば残るは近接兵装のみ。ナインは両手を腰の後ろに回し、搭載されていた装着型の近接格闘兵装を素早く腕に身に着けた。それは折り畳まれたブレード兵装である。彼女が勢い良く腕を振り払えば、丁度刃渡り一メートル近い重厚な刀身が射出される。先端までスライドした兵装はそのまま刀身をロックボルトで固定し、刀身の周囲に紫電が奔った。籠手型ブレード、確かもっと長々とした正式名称があった筈だが刑部は憶えていない。ナインはブレードを構え、一歩前に進み出る。

 

「……であれば覚悟して下さい、『無価値』な貴方が死に掛ければ、【価値ある】私が貴方を庇って死にます、ですから是が非でも生きて下さい、私を生かしたいのであれば――何が何でも」

 

 そう言ってナインは前傾姿勢を取る。自分が死にかければ、ナインが庇って死ぬ。成程、そうなれば何が何でも生き残る必要が出てくるな。刑部は半笑いで頷き、「了解」と言葉を零した。そして四足が揃って動き出し、刑部とナイン目掛けて飛び掛かる。ナインと刑部は素早く四足の突進を躱し、悪態を吐いた。

 

「ッ、空気を読まない奴ですねっ……!」

「今の今まで襲ってこなかっただけ僥倖だと思うよ……ッ!」

 

 四足は三体、内二体はナインが引き付ける形で請け負った。刑部の方へと駆け込んできたのは一体。先ほどまでと比較すれば天と地の差がある。しかし、今の刑部は文字通り満身創痍だった。折れかけの四脚に剥き出しの内部機構、生身の部分も負傷が著しく、打撲、切り傷は序の口で、先ほどから鈍い痛みが止まらない。肩部の装甲を全損させたのが拙かった。胴体廻の増設装甲も、その殆どが剥がれ落ちてしまっている。

 

 真正面からの突進、と思わせて壁を蹴り砕いての側面強襲。一度見た動きだ、刑部は四足のそれを円を描く様に走行する事で躱す。四脚の動作は重々しい、まるで全身が錆び付いてしまったかのよう。明らかに精細を欠く動きだった。しかしそれでも辛うじて四足の攻撃より逃れている。

 

 ――さて、死なないと口にしたは良いが具体的にはどうするか?

 

 刑部は思考し、それから内心で頭を振った。それは直前の言葉に対する否定であった。死なない様に――まず、これが問題だと知っていたからだ。この場を凌ぐだけならば、何とかなるかもしれない。四足三体という脅威は確かに難敵だが、死ぬ気で抗えば或いはどうにかできるだろう。問題はその後、つまりこの感染体に囲まれたFOBからどうやって脱出するかという話だ。

 

 どう考えても不可能であった。自身の生存は――小隊の生還は、不可能である。

 故に刑部は嘘を吐いた。ナインに対し、嘘を吐いたのだ。

 彼女の直後の言葉を聞き、彼は更に思いを強くした。

 

 嗚呼、やはり――彼女はこんなところで死ぬべきではない。

 

 強く、強くそう思う。人間、機械人形、その差異など刑部にとって大した意味を持たない。彼の物事の見方は単純にして明快、『自分より上等か、否か』そして彼は己を無価値と断じている――それはつまり、大抵の存在が彼より上等と断じられる。死ねなくなったと刑部は云う。同時に、自分が死んでも彼女だけはとも思う。

 

 そして両方を秤にかけた時、それは容易く傾いた。

 自分が死んでも、彼女は基地に帰さなければならない。

 そう、『文字通り、己が死んでも』だ。

 

「―――」

 

 刑部は小さく息を吸った。四足の猛攻を凌ぎながら、数秒間の深呼吸。痛みと苦痛。けれどそれらすら愛おしいと思っている様な、柔らかな微笑みを浮かべる。死ねば味わえなくなるものだと思えば痛みですら名残惜しく感じた。

 

 数秒の深呼吸、それは藤堂刑部という人間がこの世に別れを告げる時間であった。

【前任者】は確か四回だったか。ならば己もそろそろ――危険だろう。そう考える。だが止めることは出来ない。己にはこの目前で懸命に生き足掻く機械人形と、その小隊の仲間を守る義務がある。自身より上等で大切な存在を三人も救えるのだ。

 

 結局、ナインを裏切る結果になってしまった。きっと、恨まれる事だろう。その未来を想うと心苦しく、やや表情が強張る。だが何もしなければ死ぬだけだ、四人とも、無慈悲に、まるで塵芥の様に。

 覚悟は決まった、刑部は四脚を力強く踏み鳴らし、告げた。

 

「音声認証、VDS起動」

 

 

 何故――AS(装甲強化外骨格)などという兵器が普及したのか。

 ただ感染体を屠るだけならば、既存の兵器でも対応は可能である筈だった。無論成体(アダルト)の表層は単なる歩兵の銃撃で貫けるほど柔い物ではない、未発達ならば或いは――撃ち抜けるかもしれないが。全ての兵器が使用出来なくなった訳ではないのだ。

 

 現在でも戦闘ヘリや戦車、装甲車と言った兵器は現役である。ASの担ぐ火器は、既存の戦闘車両や攻撃ヘリコプターに搭載されているソレを凌駕していない。倒すだけならばASなんて代物を持ち出すまでもない。

 

 ならば何故、ここまでASは用いられているのか?

 

 まず挙げられるのは、その機動性。俊敏性に劣ると言われる刑部の四脚でさえ、跳んだり跳ねたりと言った挙動は朝飯前、走行すれば戦車にも勝る速度で駆ける。必要とあらば直角の壁さえ単独で走破し得、更に白兵戦能力も備えた上に武装換装によってあらゆる任務に対応可能。これは四脚に限らず全てのASに当て嵌まる事だが、汎用兵器というのは正にASを差す言葉であった。何より複数人で操縦する必要がある戦車にも勝る兵器が単独で運用可能と云うのが良い。輸送機で空輸可能な重量で、更に単体でも転戦が可能。これは兵器として大きなアドバンテージである。

 

 欠点らしい欠点と言えば、『重装』を謳う四脚型や特殊履帯型の装甲でさえ、成体(アダルト)の攻撃に耐え得る堅牢さを持たないという点だが――其処は重戦車の正面装甲さえ素手で引き千切る感染体である、元より【耐え続ける】というコンセプトでASは造られていない。そも『重装』という概念そのものがASにとっては稀なのだ。

 

 飛行型ASも又、特殊である。飛行型と一口に言っても戦闘機やヘリコプターと言った航空兵器とは異なりまさに『飛べる戦車』と云う表現が正しいのだが、刑部は滾々と理を説ける程飛行型に詳しくはない。端的に述べるならば、空は既に感染体の物で、地上から適時飛び上がり限定的な航空戦力として使用可能なASが一時求められたというだけの事。

 だが、『重装』という分類のASを扱えるというだけで、年若い男を徴兵などするのだろうか? 数少ない男性であり、人類でもある藤堂刑部。それを押して尚も戦場に放り出した理由が、まだ存在する。

 

 改造手術とは本来、『ソレ』に適合する為に存在した。ASの操縦というのはその副産物に過ぎない。四脚型の何が特殊か? それは、ある特定の兵装を使用出来るという、その一点に尽きる。

 

 多くの者には知られていないASの秘密、ブラックボックス。天音は言った、訓練センターはCまでしか知らなかったと。当然だ、本来『Dブロック』と呼ばれる訓練センターは存在しない――そういう事になっている。

 

 此処に、上層の『保険』が実を結んだ。

 

 何故このFOBに新人の小隊を送り込んだのか。

 それは――藤堂刑部が【特別】であるから。

 

VDS(ヴァンガード・ディフェンシブ・システム)起動(スタート)

 

 刑部の機体が、アナウンスを垂れ流した。その音声が外部スピーカーに接続され、近場のナインにも良く聞こえた。ナインは四足二体と死闘を繰り広げながら音声の方へと顔を向ける。見れば刑部は四足と睨み合ったまま四脚の脚を止めていた。

 

「刑部さん、何を――!」

 

 ナインは足を止め不動の意を見せる刑部に思わず声を荒げた。よもや傷が思ったより深かったのかと訝しみ、慌てて救援に向かおうとする。

 

 しかしその直前、刑部の肩部ユニットが弾け飛び甲高い音と共に地面に転がった。そして背中の脊椎接続に沿って張られていた装甲が一斉に剥がれ、内部から無数の円柱――ロックボルトではない、赤いラインの浮かんだ――が次々と飛び出した。

 

 上から順に生え出で輝き始めるそれは重低音を鳴らしながら共鳴する。作動する円柱を見て、ナインは思わず驚愕した。それはナインの知らない兵装であった。知らない、とはつまり知識にない、という意味である。機械人形であるナインの頭の中にはASのあらゆる兵装についての情報が詰まっている。刑部がレールブリッジにてバード迎撃に用いた携帯型空中延焼弾頭も、知識としては知っていた。

 

 だが――あれは、何だ?

 

 脊髄接続ユニットの横合いから、まるで針の如く飛び出るソレ。あんな形をした兵装をナインは知らない。そもそもあれは兵装なのか? そんな疑問すら抱く。そして何より、徐々に大きくなる重低音、輝きを増す円柱。それらを見ていると妙な胸騒ぎがする。何か良くない事をしようとしている気がするのだ。ナインはぞわりと背筋が凍る思いをした。「刑部さん!」とナインはもう一度彼の名を叫んだ。

 

 しかし、遠い。二体の四足はナインを完全に獲物と認識していた。宛ら刑部へ辿り着く道を塞ぐ壁の如く立ち塞がる。その間にも刑部の背中――飛び出した無数の円柱がレッドリングを輝かせ、不協和音を鳴らし始める。その間刑部はじっと瞼を下ろし、指先を震わせていた。

 

『DAD因子感知、GS射出力場算出、BT(ブレインタッチ)最大深度、射出位置……探知、認識、確定、完了、動力ライン正常稼働中、座標認識、ポイント、固定――安全装置解除(アンロック)、発射可能』

 

 アナウンスが朗々と謳う様に何事かを告げる。ナインにはそれらの文言の意味が分からない。刑部と対峙する四足は姿勢を低くし、唸っていた。目前の四脚が取り出した無形の兵器を明らかに警戒している。それが恐ろしい物だと本能的に理解しているのだ。

 

 脊椎接続から迫り出した円柱が紫電を帯びる。それに刺激され、四足が唸りを上げ叫び、駆け出した。それは恐怖に負け、思わず飛び出してしまったかのようにも見えた。

 

 そしてその足が刑部の頭蓋を砕くより僅かに早く――彼の目が見開かれる。

 

「発射」

 

 彼が呟き、無機質なASアナウンスが応えた。

 

『――Gravity Strike(グラビティ・ストライク)

 

 それは、何と表現すれば良いだろうか。

 

 飛び出した四足、今にも頭蓋を砕かんと迫っていた筋肉の塊。それが――瞬きの間に。

 

 潰れた。

 

 妙な音がした、まるでトンネルの中に入った時の様な。周囲の音が籠り、反響する。そして透明な空気が一気に炸裂したような、そんな音が鳴り響いたと思った。そう思った時には既に、四足は地面に潰されて死んでいた。

 

 否、【落下した】というのが正しいのだろうか。刑部に伸びていた前脚諸共、体全体が巨大な何かに押しつぶされたかのように落下し、轟音と共に地面に衝突――そして圧死。

 

 四足はものの一秒足らずで地面の染みと化し――しかし不思議な事に、地面が罅割れる事などはなく、彼の恐ろしい感染体は死亡した。そしてそれは刑部の目前に居た四足に留まらず、ナインの目前に迫っていた四足も同じであった。

 

 同じ瞬間、同じタイミング、同じ死に方で四足はミンチとなって死んだ。足元に広がる肌色と赤黒い染みが全てだった。

 

「こ、れは……」

 

 ナインは震えた声色で呟く。刑部に飛び掛かっていた四足は死んだ、自分を阻んでいた四足も死んだ。そして気付く、マップに表示されていた敵反応が次々と消失している事に。少なくとも戦術リンクによって繋がっていた小隊――セブンと天音と対峙していた感染体は一体残らず殲滅された。

 

 この、ものの数秒足らずで――FOB内部の感染体を殲滅した。

 

 いや、違う、FOB内部だけではない。拡大すれば、マップは外側の様子も朧気にだが映してくれる。そして辛うじて生き残っている甲板上のAS部隊と戦術リンクを結べば。

 周囲に敵反応なし――まさか、FOB領域内全ての感染体を掃滅したのか?

 

「あり得ない」

 

 ナインの口には無意識の内にそんな言葉を紡いでいた。

 

『VDS停止、GS射出力場生成装置停止、ライン減圧開始、緊急冷却――』

「ッ!」

 

 アナウンスによって我に返るナイン。はっとした表情で刑部の方を見てやれば、彼はぐったりとした状態で俯いていた。機体背部の装甲が開き、排熱処理が行われているのか隙間から蒸気が噴き出している。ナインは彼に駆け寄り、俯いたまま小刻みに震える刑部の肩を掴んだ。

 

「刑部さん!」

「ぅ、ぁ……が……」

 

 ナインは刑部の上体を起こし、その顔を覗き込む。そして思わず怯んだ。

 刑部は鼻や目から血を流し、額の血管は浮き上がって口から泡を吹いていた。明らかに正常な状態ではなかった。瞼は落ちていたが、その奥で眼球が蠢いているのが分かる。頬は異様な程熱く、ナインは視線を泳がせながら蒼褪めた表情で首を振った。

 

「な、何で、こんな――」

 

 出血は目、鼻、そして僅かに口から。口は――切ったのだろうか、或いは噛み締めすぎたのか。ナインは流れ出る血を鋼鉄の指先で拭いながら、「どうしよう、どうすれば」と呟いた。まるで頭が働かなかった。指先が震えて、ナインは縋る様に刑部の頭を胸に抱きしめた。熱い、まるで焼ける様だ。自身のひんやりとした体温で僅かでも刑部が冷えればと思った。

 

 きっと、今の兵装のせいだ。先ほどまでは、こんな状態ではなかった。怪我はしていたが外傷だけだったのだ。それが今では、こんな。

 

『接続者の脳過負荷を感知、回避処理を開始します』

 

 耳元でアナウンスが鳴り響いた。そして一拍後、刑部の首筋に何かが打ち込まれる音がした。空気の抜ける、軽い音だった。

 

「! 何を――」

 

 ナインは思わず外部からAS機能を停止させようとし――しかし思わず伸ばした手を虚空で留めた。止めた方が良いのか、それともこのまま見守った方が良いのか、ナインには判断がつかなかったのだ。明確な脅威であれば簡単であった、盾にだってなれるし、剣にだってなれる。倒すべき敵がいるというのは単純明快で分かり易い、しかし今は――どうすればこの人を助けられるのかが分からない。ナインは絶望感と無力感、そして強い焦燥の念に駆られた。抱きかかえた刑部の腕がいつの間にか力なく垂れさがり、胸元の彼は微動だにしなくなってしまった。

 

 意識がない……まさか、死――。

 

「ッ……! せ、セブンさん! 天音さん! 誰かッ! 刑部さんがッ、刑部さんが――!」

 

 恥も外聞もなく泣き喚いた。荒れ果てた格納庫の中にナインの悲鳴が鳴り響き、一拍後、崩れ落ちた内壁の穴からセブンと天音の二人が飛び出してくる。唐突に感染体が押し潰され、異変を察知した二人は刑部とナインの加勢に向かうべく駆けていたのだ。二人は未だ健在であった二人を目視し安堵するが、ナインに抱きしめられたまま微動だにしない刑部を見て、顔を蒼褪めさせた。

 

「ナイン、無事かッ!? ――刑部!?」

「刑部君ッ!?」

 

 刑部は纏まらない思考の中、最後に皆の声が聞こえた気がした。

 

『接続者の意識消失を確認、VDSダウン、戦闘情報処理を終了します』

 

 



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18話

「刑部」

「はい」

 

 Dブロック訓練センター、AS機動訓練場。そこに全身汗塗れで這い蹲る刑部と、それを見下ろす女性が居た。どちらも同じタイプの四脚を装着している。しかし、同じASを纏いながらも片方は汗一つ流さず、泰然とした姿で佇み、もう一人は地面に這い蹲って息を荒げていた。

 女性は、名を【二階堂蓮華】と云った。刑部の教官であり、師であった。蓮華は無様に這い蹲る刑部を眺め口を開いた。

 

「吾は疑問に思う、何故、そんなに弱いのだ?」

「……先生が強いだけでしょう」

「違う、貴様が弱すぎるのだ、同じASを纏って何故こうまで容易く負ける? 貴様それでも四脚の適者か」

「そう言われましても――先生は天才です、俺には才がない」

 

 刑部はその場しのぎの嘘でも何でもなく、腹の底からそう思っていた。蓮華という女性は俗にいう天才である。ASという兵器に触れ、動かせるようになって強くそう思った。実際、幾人かの教官の内、最も強い人物は誰かと聞かれれば蓮華の名を挙げるだろう。

 源さんや惣流さんも勿論強い。けれど、彼女は別格だ。

 だが蓮華はそう思っていなかった。

 

「戯け、貴様の躰だろうか、十全に動かせず何が人間か」

 

 そう吐き捨て、四つ足を広げ項垂れる刑部に対しずっと顔を近づけた。至近距離から注がれる視線、刑部は思わずたじろぐ。

 

「貴様は、水を飲むときに努力を要するか? コップに注がれた水を口にしようとして、失敗した事はあるか?」

「……いえ」

「そうだろう、極当然の様に飲めるだろう、当たり前の事だ、誰だって出来る――ならば何故、それがASで出来ない?」

 

 無茶を仰る。

 六本の手足を駆使して白兵戦を熟す事と水を飲むことを同列に語られても困る。しかし、蓮華という女性にとっては同じなのだ。どちらも日常的な動作で、出来て当たり前で、寧ろ何故失敗するのか不思議で仕方ないのだ。

 

「貴様は『水を飲むコツを教えて下さい』、と請われて何と答える」

「コップを口に近付けて、後は杯を傾け飲みます」

「ならば同じように敵に近付き、後は蹴り殺せば良いだろうが」

「……えぇ」

 

 困惑の声を刑部は上げた、けれど先生は僅かもふざけた様子がない、クソほど真面目にそう考えているのだという事が分かった。つまり、この人は本気で近付いて蹴り殺せば良いと思っているのだ。

 蓮華は出来の悪い生徒を見るような目で刑部を見つめ、それから深い溜息と共に語る。

 

「良いか、他のASは兎も角、吾等【四脚】にとって最も重要な事は目前の敵を倒す事ではない、求められる事はただ一つ、近距離(クロスレンジ)だろうが中距離(ミドルレンジ)だろうが遠距離(ロングレンジ)だろうが――何か分かるか?」

「生き残る事……ですよね?」

 

 刑部は躊躇いなく答えた。この訓練場にやって来てから耳にタコが出来る程言われた事だった。蓮華は小さく頷き肯定する。

 

「そうだ、正確に言うならば貴様の背中に背負った『GS』を炸裂させるまで死なない事だ、先の言葉と矛盾するようだが、敵を殺すまで吾等は死ねぬ、死ぬならば装置を使ってから死ね、その為の時間を稼ぐ訓練が是だ」

「辛辣ですねぇ……」

「是を扱える人間は貴重だ、でなければ何人もの現役AS乗りが教導に就くものか、貴様には我々が掛けた時間に見合うだけの成果をあげる『義務』がある、そう心得よ」

「……了解」

 

 刑部はゆっくりと身を起こしながら口を開く。未だ視界は朧気で、筋肉が休息を求めている。しかし目前の蓮花はこれ以上の休息を認めないだろう。教官の中で最も強い彼女は、最も刑部に求める水準が高く、厳しい。

 しかし、刑部にとってはそれが心地よかった。目前の蓮花は刑部を兵士として見ている。或いは――兵器か。少なくとも今は。

 

「しかし俺、そのGSすら碌に扱えないのですが……というか、アレ嫌いなんですよね、痛いですし、気持ち悪いですし、意識飛びますし」

「痛みは気合で堪えろ、意識は舌を噛み切って耐えろ、そうすれば後は敵を圧殺するだけだろう」

「それが出来るのは先生だけだと思うんですけれど」

「吾出来て貴様に出来ぬ道理はない、『出来ぬ』などとほざくな、『やる』のだ」

「……はい」

 

 余りにも力強く言い切るものだから、刑部はただ頷く事しか出来なかった。

 

「いや、でも、何というかコツの一つくらいは教えて欲しいといいますか」

「コツか」

「えぇ」

 

 刑部のこの場に蓮華は僅かに考え込む動作を見せ、それから云った。

 

「敵を心眼で捉える、その位置に力場を生み、蜃気を叩き付ける、敵は死ぬ、以上だ」

「嘘でしょう?」

「嘘なものか、吾はこれで今日まで感染体共を屠って来たのだ」

 

 自信満々に言い切る蓮華。刑部は暫くの間言葉を失った。腹の底からこの人が本気で言っているのだと分かった。余りにもシンプル過ぎる、簡素過ぎる、それをどうやって己に活かせというのか。蓮華は鼻を鳴らして刑部を見た。

 

第六感(シックスセンス)を持っているのなら出来るだろうが、敵は捕らえた、GSを叩きこめる、それで意識が飛ぶならば後は精神力の問題だ――死ぬほど苦しいから何だ、別に本当に死ぬ訳ではあるまい、何が問題だ?」

「全部です」

 

 刑部は素直に腹の中にあった言葉をぶちまけた。すると彼女は小さく息を吐いて天井を仰ぐや否や、ぼそりと不穏な言葉を呟く。

 

「鍛錬が足りんな、もっと扱くか」

「やめてください死んでしまいます」

 

 冗談抜きで。

 

「ふん、適者がこの程度で死ぬものか、いつか吾が殺してやる――それまで精々足掻いて生きろ、刑部」

 

 蓮華が嗤ってそう嘯く。刑部は汗を流したまま頷き、伸ばされた蓮華の手を取った。

 先生は知っている、藤堂刑部の総てを、全部を。だからいつか、もっと先の先――自分を殺してくれる人がいるとすれば、それは。

 

 想像する。彼女が自分を殺してくれるその瞬間を。

 泣きながら殺すだろうか? 大粒の涙を流しながら、悲痛な顔で殺すのだろうか。

 否、きっと彼女はそんな中途半端はしない。『人を殺すのだ』、きっと彼女は笑って殺すだろう。殺したいから殺すのだ、別段、お前の為に殺してやるのではない――なんて言いながら。

 そんな光景を想像する。

 

 嗚呼――それは、なんて甘美な。

 

 

 ■

 

 

「どういう事だ、説明しろ……ッ!」

 

 怒りを孕んだ声が響いた。場所はウォーターフロント外郭、刑部達の配属された防衛基地、その医療区画。機械人形が破損、大破した場合はメンテナンスルームに搬送されるが、人間が負傷した場合はこのブロックに搬送される。滅多に使用されないその区画は現在、刑部がひとりで使用している。

 純白の壁、純白の床、そして純白のベッド。

 其処に刑部は横になっている。両腕と首筋に幾つものケーブルを引き、物言わぬ屍の様に。

 けれど彼のこの状態を天音、ナイン、セブンの三人は知らない。正確に言えば、その病室の扉の前で足止めを喰らっていた。彼女たち三人を足止めしていたのはひとりの機械人形。刑部が【源さん】と呼ぶ女性であった。

 

「だから、テメェ等に刑部と面会する権限は無ェって言っているんだよ、いい加減分かれ、頭湧いてんのか?」

「馬鹿な、私達は同じ小隊の仲間だ! そもそも何故見舞いに権限が要る!?」

「分かってんだろう、刑部はテメェ等とは重要度が違うんだよ」

「――ッ!」

 

 源の言葉に三人が口を噤み、息を呑んだ。剣呑な色を瞳に宿し源を見る三人。脳裏に浮かぶ光景があった。目前の感染体が一瞬で掃滅された瞬間――まるで頭上から巨大な何かに押しつぶされたかのような。

 アレを、刑部が行った。それは疑いようのない事実であった。

 

「お前は、知っているのか」

「あん?」

「あの兵装だッ! あんな物があるなど、私は委員会から何も――」

 

 セブンが吼えるように云った。源は面倒そうに首を鳴らし、それから答える。

 

「当然だろうが、アレはおいそれと表に出して良いモンじゃねぇんだよ――因みに知っていたか否かという話については、『知っていた』とだけ言っておいてやる」

「ッ、ならば何故」

「――あぁ、そうだ、アタシからもテメェに言いたいことがあったんだよ」

 

 セブンの言葉を遮って、病室の扉の前に立ちふさがっていた源が一歩、踏み出した。そして不意にセブンの顔を指差した。指先を突きつけられたセブンは目を瞬かせ、厳しい視線を向けたまま困惑を滲ませる。

 

「痛覚センサ、切っとけ」

「……何の話――ごッ!」

 

 口が開くと同時、源の拳がセブンの顔面を捉えた。機械人形の全力、加減も糞もない金槌の如き一撃である。セブンの首が限界まで捩じれ、そのまま数歩後退した。風圧だけでもその威力が分かる、傍に立っていた天音は蒼褪め、ナインは素早く蹈鞴を踏んだセブンを受け止めた。セブンは殴られた衝撃で僅かな間処理落ちを経験し、酩酊感にも似たそれに頭を振る。ナインはセブンを心配そうに見つめた後、目前の源を睨みつけた。

 

「――源さん」

「ッち、民間上がり(バックスもどき)が、何だよ、文句あんのか、テメェも鉄屑にしてやろうか、あぁ?」

「機械人形の私闘は禁じられています、私達の敵は感染体の筈です、仲間に拳を振るって損耗するなど、これは人類に対する裏切りですよ」

「はん、外皮が幾つ剥け様が別段困りはしねぇだろうがよ、内部機構が露出していなけりゃ戦えるんだ――尤も、機械人形だと一目でわかる恰好をして、刑部が抱いてくれるかは疑問だがなァ」

「ッ……!」

 

 その一言にセブンの躰が強張った。ナインの腕を振り払い、セブンは自分の頬に手を当てる。強烈な一撃を受けたが――外皮は損傷していない。診断システムには異常なしとの報告、セブンは自身の頬を撫でつけながら源に殺意の籠った視線を寄越した。それを見た源は嘲笑いながら手を広げる。

 

「貴様――」

「おー、おぉー、稼働年数が一年も無ぇひよっ子が一丁前に勇んでやがる、今にも殺してやるって顔だ、上等上等、良いぜ、来いよ?――アタシもテメェを殺したくて仕方がないんだ」

 

 煽り、拳を見せつけるように握り込む。セブンが応えるように肩を怒らせ、拳を握った。ナインが顔を強張らせ制止に走ろうとする。しかし、それより速く天音が二人の間に割って入った。

 

「ま、待った! 待った! ストップ! 何で此処で殴り合うような雰囲気になっているの!? ナインも言っていたけれど、仲間だよね私達!?」

「………」

「………」

 

 構えた拳がやや落ちる。これで、ナインが割り込んだのであれば源は躊躇わずナインを殴りつけるつもりであった。刑部の傍に居ながら守り切る事が出来なかったのは小隊全員の落ち度であるからだ。しかし、天音は別である、彼女は人間だ、人間を殴り殺すのは――流石に源の理性と感情が拙いと訴えていた。

 天音の向こう側で未だに殺意を湛えた視線を向けるセブン。その口がゆっくりと開く。

 

「……ひとつ、答えろ、源」

「『さん』を付けろよ鉄屑人形(スクラップドール)

「殺したい相手をお前は敬称を付けて呼ぶのか」

「はっ、ンな訳ねぇだろうが」

「なら私とて同じだ――知っている事を全部教えろ、などというつもりはない、『必要な事を、必要な分だけ』(Need to know)の原則は弁えている、だからこそ一つ、嘘偽りなく答えろ」

「……言えよ」

「刑部は、無事なのか」

 

 セブンの言葉に源は暫し沈黙を守り、それから確りと頷いて見せた。

 

「あぁ……今は疲労で寝込んでいるみてぇなもんだ、数日すりゃ目も覚ます、外傷もそこまで酷くねぇし、今月中に部隊復帰は叶うだろうよ」

「――そうか」

 

 頷き、セブンは漸く拳を解いた。それを見た源も舌打ちを一つ零し、両手を下げる。二人の間に立っていた天音が露骨に安堵の息を吐き、セブンの背中へと戻った。

 

「テメェは気に喰わねぇ、セブン、いつかその外皮を剥いでやるよ」

「……ふん、その時は返り討ちにしてやる」

「新造が、吼えやがる」

 

 獣の様な笑みを浮かべた源、セブンは鼻を鳴らし踵を返した。どうあっても刑部に会わせようとしないという事が分かった、恐らく彼女は是が非でもあの場所を退かないだろう。それこそASを纏って突貫しようと、素体のまま立ち塞がるという確信がある。ならば彼女の言う正規の手段で面会するまでだ。

 

「天音、ナイン、出直すぞ……権限がないというのなら毟り取るまでだ、どんな手段を使ってでもな」

「はっ、帰れ帰れ、お呼びじゃねぇんだよクソが」

 

 素っ気ない態度で手を払う源。セブンは振り返る事無く、ナインと天音は病室の刑部が心配なのだろう。何度も振り返りながら医療ブロックを後にした。

 そんな彼女たちの背中を見送った源は深い溜息を吐き、それから静かに背後の扉を開いて病室の中に踏み込み告げた。

 

「――良かったのか刑部、あんな風に追っ払っちまって」

「……うん、構わないよ、源さんに一任しているから」

 

 源の視界に映るのは刑部、その人。

 頸に、腕に、無数のケーブルを付けられた青年。彼は患者の着用する貫頭衣を身に纏ったまま微笑んだ。ゆっくりと上体を起こそうとし、それを見た源は慌てて補助に走る。

 

「あんまり無茶すんな、まだ体に力も入らねぇだろう? 投薬が済んでないんだ」

「ん――大丈夫だよ、それにこの程度で動けないなんて言ったら、先生に怒られる」

 

 先生、という単語を聞いた源は露骨に顔を歪めた。

 

「アイツも、流石にこんな状態のお前を見たら何も言わねぇよ」

「そうかな……? 多分、『この程度で根を上げるなど鍛錬が足りていない証拠だ、吾が直々に鍛え直してやる』とか言うんじゃないかな」

「………」

 

 源は口を噤んだ。そんな光景が容易に想像出来たからだ。否定出来る要素がない、渋顔のまま源は首を振り、「だとしても」と続けた。

 

「こんな状態のお前を無理に動かしたくない、彼奴が来てもアタシが何とかしてやる、良いから大人しく寝ていろ」

 

 そう言って起き上がりかけた刑部を無理矢理ベッドに寝かしつけた。再びベッドに横たわった刑部は焦点の合わない瞳を動かす。刑部の手が虚空を彷徨い、源を探した。

 

「源さん、何処にいる?」

「――此処だ、アタシは此処だよ」

 

 彷徨っていた手を優しく掴み、源は刑部の頬に顔を寄せる。刑部は源の手を確かめるように何度か握りしめ、それからふっと頬を緩めた。

 

「……暖かいねぇ、源さん」

「お前が冷たいんだよ、刑部」

 

 刑部は良く、機械人形の肌を(ぬる)いと言っていた。

 不意に、ピピピと電子音が鳴る。刑部の手首に巻きつけられたボタンのない、バンドの様な帯びから鳴っていた。源はその音を聞き不快そうに眉を潜めた。「クソ」と悪態を吐き、ベッドの横に置かれたケースを手に取る。ケースはプラスチック製で中身が透けて見えた。ケース内にはPTP包装シートに包まれた錠剤が入っている。シートに包まれている錠剤の数は八錠、それが四つ。全部で三十二錠、源はそれを取り出し手の上に並べる。

 

 ――もう、これしかない。

 

 源が錠剤を見る目は悲痛に満ちていた。

 

「ほら、刑部……飲めるか?」

 

 源はシートから錠剤を一粒取り出し、刑部の上体を少しだけ起こした。口元に錠剤を近づけると、刑部は薄く口を開く。源は舌の上に錠剤を乗せ、傍にあったボトルを掴みキャップを外して刑部に差し出した。

 

「水だ、ゆっくり飲め、急がなくて良いからよ」

「ん……」

 

 錠剤を水で流し込み、ほっと息を吐く。上手く飲み込んだ事を確かめた源は安堵の表情を見せ、再び刑部をベッドに寝かしつけた。目を瞑り、深い呼吸を繰り返す刑部の顔を覗き込み問いかける。

 

「どうだ、ちっとは良くなったか?」

「……ん、うん……大丈夫、だよ……俺は、大丈夫」

 

 また、意識が落ちかけている。

 源は刑部の手を強く握りしめる。ベッド横の薬台には取り出された錠剤が並んでいる。三十二錠、今一錠減って、残りは三十一。

 源は刑部の手を額に擦り付けながら、泣きそうな顔で言った。

 

「なぁ刑部、これ、あと何日分あるんだ?」

 

 声は震えていた。どうかこの震えが、刑部に知られない様にと源は祈った。刑部は目を瞑ったまま、どこか寝惚けた様な、舌の足らない声で云った。

 

「戦わないなら、多分、月一……戦ったら、後、三回、かなぁ」

「ッ――!」

 

 源は強く、強く刑部の手を握り締める。涙が零れ落ちるのが分かった。約束したじゃないか、自分より早く死なないと! けれど、それは自分の言い分だ。刑部はその言葉に頷かなかった。だからきっと困ったように笑うだけだと分かった。

 源は刑部の手を頬に添えながら、笑って言った。

 

「なぁ、逃げちまおうか、どこか遠くによ」

 

 穏やかな口調だった。泣きながら源は、刑部に夢の様な話を語って聞かせた。

 

「ウォーターフロントだけが人類の住む場所じゃないんだ、人間が生きている土地はまだある、アフリカ大陸の方と、後は北アメリカ、それにオセアニアの方も、探せば結構あるもんだ、そこに高飛びしてよ、二人で小さい家でも建てて、細々と暮すんだ、アタシの耐用年数はまだまだ残っているからよ、一年どころか二年でも三年でも、メンテナンス要らずで動けるさ、感染体の連中も、機械人形一体と人間ひとりくらい見逃してくれる」

 

 刑部は何も言わず、呼吸を繰り返していた。聞こえているのかいないのか、分からないまま源は続ける。夢物語だ、源の中の理性が囁いた。到底不可能な夢物語、けれど減の口は止まらなかった。

 

「小さな畑を作ってよ、偶に狩りでもして、夜は一緒の布団で眠るんだ、春は桜と月を見て、夏は蝉の鳴き声を聞いて、夜は蛙の鳴き声と共に眠って、秋は紅葉を楽しもう、書に親しんでも良い、アタシの頭の中には何万冊も入っているんだ、冬は家に籠って囲炉裏を囲みたい、一度、やってみたかったんだ、なぁ、良いだろう?」

「………」

 

 刑部は何も言わない。源は手を握り締めたまま、笑った。項垂れ、涙を零しながら、懇願した。

 

「お前が、『うん』って、言ってくれるのなら、アタシは、いつだって――」

 

 なぁ、だから――頷いてくれよ。

 声は出なかった。涙を流しながら刑部の腕に縋りついて、ただ泣いた。刑部は目を瞑ったまま声を殺して涙を流す源の頭を撫でた。髪はやはり冷たくて、けれど彼女の頬は熱い位だった。

 

「……ごめんね、源さん」

 

 声は虚空に溶けて、消え去った。

 

 



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19話

 

 源は肩を落として回廊を歩いていた。白い、白い回廊だ。メディカルセンターから、丁度機械人形のパーソナルルームのある棟へと繋がっている。彼女は刑部の病室を後にし、自室へ戻る途中であった。刑部は終ぞ、彼女の言葉に頷く事無く眠りに入った。薄ぼんやりとした意識の中で、彼は最後まで源に謝り続けた。

 

 そんな言葉が聞きたいんじゃない、アタシは、ただ刑部を助けてやりたいだけだ。源は強く拳を握った、気を抜くとまた涙が零れてしまいそうだった。昔は、目から水なんぞ流して何になると笑い飛ばしていたが、今は必要だと心底感じている。自分は今、涙を流す程に悲しんでいる、そういう自覚が生まれるのだ。それだけ刑部という人間に心を砕いている証拠だ。源は涙を零す度、刑部という人間に情愛を感じた。今回もそうだった、けれどその原因を取り除くことが、自分には出来ない。

 

 誰も居ない廊下に足音が響く。不意に、源は顔を上げた。響く足音がひとり分ではなく、二人分であったから。

 見ると目前から誰かが歩いて来ていた。その影を源が見た時、その双眸が見開かれる。

 

「お前……」

「ふん」

 

 長く艶やかな髪。兵士とは思えぬ白い肌。和服に似た独特な衣装。余りに周囲から浮き上がった存在、自身よりやや小さい体躯にしかし肌が焼けるような威圧感を孕ませ、彼女は現れた。

 

「蓮華……!」

 

 二階堂蓮華――藤堂刑部の師にして、唯一無二の理解者。源の声が廊下に響き渡り、蓮華の表情が露骨に歪んだ。小さく耳を叩きながら、小馬鹿にした様な口調で告げる。

 

「その様な声で吾を呼ぶな、響くだろうが、間抜け」

「っ、何で防衛拠点(ベース)に居やがる? テメェの根城はFOB3だろうが、VDS持ちが早々前線から離れるなんざ――」

 

「委員会からの許可は捥ぎ取ってある、貴様には関係無い、そこを退け、通行の邪魔だ」

 

 蓮華は面倒そうに手を振り、言った。二階堂蓮華は四脚を駆る、つまりVDSの使い手でもあった。刑部と同じ、超兵器と為る存在である。それも刑部と違い歴戦の猛者と言って良い経歴を持つ。彼女は現在三つのFOBを転々としており、確か大規模侵攻が起きていた頃はFOB3の方に駐屯していた筈である。

 

 蓮華が来る事自体は予想していた、しかし余りにも早すぎる。源は無言で彼女の行き先を阻んだ。こいつは刑部の所に行こうとしている、『今』、それを許す訳にはいかなかった。蓮華は自身の通路を塞いだ源を見上げ、目を細める。

 

「……聞こえなかったか、源? 吾は、邪魔だと言ったぞ」

「――ッ!」

 

 源は両肩に妙な圧力を感じた。無論、物理的なものではない。これは精神的なものだ。人間対して反抗しているからなのか、或いは蓮華という女性が生来持ち合わせているものなのか、それは分からない。しかし源は決して頷かなかった。不敵な笑みを浮かべ、爪先でリノリウムを叩きながら吐き捨てる。

 

「お断りだ、VDSの先生だか何だか知らねぇが、アイツはアタシの教え子でもある、テメェの勝手で【潰され】ちゃ困るんだよ」

「……ふん、何も知らぬ機械人形風情が吼えよる、人類の未来と刑部ひとり、一体どちらが大切なのだ」

「刑部に決まっているだろうが」

 

 源は迷いなく答えた。その即断に、さしもの蓮華も驚きを見せる。源はにやりと顔を歪め、笑って言った。

 

「アタシはお利口さんな機械人形と違ってな、出来がわりぃンだよ、人類全体と刑部ひとり、どちらが大事かと聞かれればアタシは後者を取ってやるよ」

「貴様は――よもや機械人形の存在意義を忘れた訳ではあるまい」

「黴臭ぇ原則の事を言ってんのか? はっ、あんなもん、刑部の無事と比べればクソみてぇなもんだろうがよ!」

 

 源は腹の底からそう信じていた。機械人形の原則など知った事ではない。自身にとっての存在意義とは人類の役に立つ事ではない。【藤堂刑部という人間】の役に立つ事だ。それ以上でも以下でもないし、それ以外でも駄目なのだ。

 吼える。勇み一歩踏み出す。それでも尚、蓮華は冷めた目で源を見ていた。

 

「――実に、実に愚かだよ、貴様は」

 

 告げ、蓮華が源に指先を向ける。それはごく自然な動作で、何ら脅威を感じない、実に滑らかな動作だった。訝しむ源、そして蓮華は何事かを口ずさむ。

 

「音声認識、機械人形停止コード、十二番――実行」

「何を――ッ!?」

 

 最初は何の事だか理解出来なかった。しかし蓮華が言葉を終えた途端、源の素体が微動だにしなくなった。ガチン、と巨大な鎖に縛られたかの如く。頭の天辺から指の先まで、まるで凍ってしまったかのように。口の中さえ、舌先を僅かに動かす事も出来ない。

 

 ――コイツ、何をした!?

 

 源は混乱の極みにあった。しかし、内心で幾ら取り乱そうと素体は指一本動かせない。その場で石像の如く固まった源を一瞥し、蓮華は鼻を鳴らした。

 

「貴様の自意識だけを残し、肉体の行動を制限する機械人形停止コードを使った、一番から順に視覚、聴覚、触覚など、或いは四肢の一部を指定して動かす事が出来なくする事も可能だ、感謝しろ、その気になれば機能停止処理さえ口ひとつで済ませられるのだからな」

「―――」

 

 初耳だった。その様なコードが存在するなど源は聞いた事もない。それが人間にのみ知らされている事なのか、或いは蓮華のみが扱えるものなのかさえ不明である。

 蓮華は悠然とした足取りで源の隣を抜ける。源はそれをただ見送る事しか出来ない。視線を動かす事さえ叶わないのだ。蓮華は擦れ違いざまに源の耳元に口を寄せ、酷く冷たい口調で吐き捨てた。

 

「暫くそうやって頭を冷やすが良い、貴様は少々――周りが見えなくなるきらいがある」

「―――」

 

 蓮華の髪が視界の端に踊り、背後に足音が響く。段々遠くなっていくそれ、源は去り行く蓮華の背を見る事さえ許されず、ただその場に佇む事しか出来なかった。

 

 

 ■

 

 

 刑部の眠る病室へと踏み込んだ蓮華は床に散らばり伸びたコードを跨ぎ、足音を立てず刑部の横へと立った。様々な機器に取り囲まれ、機器に繋がれた刑部。青白い顔、やや紫色の掛かった唇、傍から見ると死ぬ一歩手前の重病患者という具合。そして強ち、それも間違いではない。蓮華は数秒程、その寝顔を見つめ続けた。

 

「刑部……」

 

 呟き、その顔に手を伸ばす。涙の痕が残る目元を指先で拭い、頬に手を当てた。

 ――冷たい、まるで死人の様だった。

 

「呑気なものだ、全く」

 

 思わず笑みが漏れる。刑部の目にかかった前髪を払い、蓮華はそっと顔を寄せた。首元に鼻先を埋めると、懐かしい刑部の匂いがした。

 

「夢を見ているのか? それとも……向こうに戻っているのか?」

 

 返答はない。当然だ、彼は眠りの中にあるのだから。暫くそうやって、蓮華は刑部の隣に寄り添う。彼が意識を失くし、自分がこうして触れられる機会は稀だった。Dブロックでは専ら訓練ばかりだったから。夜に忍び込もうにも毎夜毎夜夜這いを敢行する馬鹿が数名存在した為に、こうやって触れる事が出来たのは数える程だ。

 蓮華にとってこうして彼の肌に触れられる機会は、貴重だった。

 

「吾は全部覚えているぞ、刑部」

 

 呟き、脳裏に過る光景を思い返す。眠る刑部、蒼褪めた表情――そして。

 

「気の遠くなる程の数、全て全て、憶えているとも」

 

 刑部の頬に唇を寄せる。ちゅ、と触れるだけの接吻を。唇には彼の冷たさが残った。不快ではない、彼ならば冷たくとも暖かくとも、どちらでも良い。惜しむように彼の鼻先と唇、頬を撫で、それから蓮華は己の懐に手を差し込んだ。

 

「今度もきっと、忘れない――だから刑部」

 

 取り出したのは細長いシリンダー。彼女はそれを刑部の首元にそっと当てながら、告げた。

 

「もう少しだけ、頑張ろう」

 

 ■

 

「刑部ッ!」

 

 源は叫びながら刑部の病室に駆け込んだ。彼が眠っているかどうかもお構いなしだった。乱暴に開け放った扉、そして病室には上体を起こし、茫然と天井を見る刑部のみが見えた。源は周囲を見渡し蓮華を探すが、何処にも見当たらない。既に病室を去った後だったか。源は大股で刑部の傍に寄ると、ベッドの下まで覗き込み盛大な舌打ちを零した。

 

「あのクソ女ッ……刑部、大丈夫か? すまねぇ、あんな大見栄張って結局――」

 

 悔しそうに顔を歪めながら刑部に目を向ける源。しかし当の刑部は何の反応も返さず、ただずっと天井を見上げるばかり。顔色は相変わらず悪い、ぼうっと天井を見上げる彼は心ここにあらずといった具合。源は訝し気に眉を寄せ、刑部の肩に手を置いた。

 

「……刑部?」

 

 思ったより不安げな声が出た。刑部は源の声に一度小さく肩を揺らし、それからゆっくりと彼女の方に目を向けた。やや、濁った瞳。しかし目線は確りしている。つい先ほどまで視界を失っていたというのに、大分意識を回復したのだろうか。

 

「――あぁ、源さん」

「……大丈夫かよ、刑部、お前――!」

 

 その顔色が先程とうって変わって、血色が良くなっている事に気付く。そっとその頬に触れると――暖かい。先程までの状態が嘘の様に回復している。コツン、と足元に何かが当たった。源が足元を見てやると、空になったシリンダーが転がっていた。

 拾い上げ、光に翳す。先端の端にラベルが張ってあった。OR-081、見た事のない番号だった。刑部に支給されている薬品は大抵、TRの字で始まる。

 

「これは――」

 

 どこか困惑した表情でラベルをなぞる源を見て、刑部は微笑んだ。

 

「ごめん源さん、お見舞いに来てくれたのかな? けれどほら、俺は大丈夫だよ、今回は何故か軽く済んだんだ、気分も悪く無いし」

「? 何を言って……さっきも、アタシは――」

 

 言い掛け、口を噤む。刑部の表情から彼が嘘や揶揄いでそんな事を口にしていないと直ぐに分かったからだ。記憶の混濁、という言葉が頭を過った。見れば刑部の首筋にはぽつんと四か所、針の様な何かが刺さった跡があった。源はシリンダーを回し先端を覗き込む。穴は四つ――十中八九、このシリンダーの中身を打ち込まれた。回復も、記憶の混濁も、その薬品によるものだろうか。源は刑部の顔を覗き込み、悲痛な表情で問うた。

 

「刑部、お前――一体何を打たれたんだ」

「……?」

 

 刑部はその問いかけに対し、疑問符を浮かべていた。まるで自覚していない。そもそも、彼には蓮華にあったという意識すら存在しない様に見えた。自身が硬直していたあの五分足らずの時間で、眠った刑部に薬品を打ち込み去ったのか。であれば彼が自覚していない事も納得がいく。源はシリンダーを握り締め、舌打ちを零した。

 

「――蓮華、あのクソ女……ッ!」

 

 シリンダーを握り締めたまま、踵を返す。しかし扉の前で一度立ち止まると刑部の方を振り返り、比較的穏やかな口調で告げた。

 

「悪い刑部、ちょっと用事が出来た……また、様子見に来るからよ」

「えっと、はい、分かりました、お見舞いありがとうございます」

「あぁ」

 

 頷き源は部屋を後にする。握りしめたシリンダーを一瞥し、彼女は廊下を駆け出した。

 

 

 ■

 

 

「ふぅ……」

 

 セブンと別れたナインと天音は休憩所にて飲料を片手に黄昏ていた。セブンは刑部との面会許可を得る為別行動をとっており、この場には居ない。

 意気消沈したまま休憩所で佇む二人、空気は重い、まるで鉛のに手足に絡みつく淀みが周囲を覆っている。刑部の事が心配で堪らなかった。あの、刑部が死にかけている光景が脳裏に焼き付いて離れない。特にナインの方は、致命的だ。何せ彼が兵装を使用するその瞬間を目撃していたのから。恐ろしい破壊力の兵器であった、そしてそれに相応しいだけの反動があった。崩れ落ち、血を流す刑部。

 ナインは機械人形にも関わらず、蒼褪めた表情で天音を見た。

 

「……天音さん、大丈夫ですか?」

「え、ぁ、うん……あはは、大丈夫だよナイン、うん、私は大丈夫」

「余り大丈夫には見えませんが」

 

 見るからに空元気であった。無理して笑って見せようとするも失敗し、歪な笑顔となる。天音は引き攣った頬を自身の指先で撫で、歪である事を自覚し、項垂れた。

 

「あはは、はは……はぁ、駄目だね、私」

 

 声は暗く、沈んでいた。肩を落とした彼女はそのままテーブルに顔を埋め、ぼそぼそと呟く。

 

「あれだけ守るだの何だの大口叩いておいて結局このザマ、本当、何やっているんだろう」

「天音さん……」

 

 ナインも同じ気持ちだった。機械人形は人間を守る為に存在する。その機械人形が逆に守られるなど――あってはならない。ある意味使命感という枷がある以上、その心的ダメージは天音以上だった。何てザマだ、その言葉は己にこそ相応しい。ナインは目を伏せ、ぐっとテーブルの下で拳を握り締める。

 

「?――貴様等は」

 

 ふと、休憩所に第三者の声が聞こえた。二人が声の方へと顔を向けると、見慣れぬ人物が視界に映る。黒く艶やかな髪に妙な衣服を纏った女性だ。和服、と呼ぶには聊か機能的で、軍服と呼ぶには雅が過ぎる。そんな衣服を纏った比較的小柄な女性。一昔前の、日本人形の様な雰囲気を纏っていた彼女は二人をそれぞれ一瞥し、それから合点がいったとばかりに小さく頷いた。

 

「あぁ、刑部の小隊の連中か……成程、此度はこうなったか」

「えっと、刑部さんのお知り合いですか?」

 

 刑部、という名前に反応した天音がおずおずと問いかける。すると彼女は腕を組み、それから肯定して見せた。

 

「知り合い……知り合いか、そう呼ぶには聊か深すぎる関係だな」

「それって、つまり、そういう」

「余り下衆の勘繰りをしてくれるな」

「ご、ごめんなさい」

 

 妙な威圧感を覚え、天音は素直に頭を下げる。しかし、表情は能面の様に動かない、益々人形染みた女性だった。まさか機械人形なのだろうか? そう考え、天音は問いを重ねた。

 

「えっと、人間の方……ですよね?」

「貴様にはどう見える」

 

 想定していない返しに天音は言葉に詰まる。機械人形……にしては聊か態度が尊大過ぎないだろうか。いや、しかしセブンの様な例もある、それに源という機械人形もそうであった。であれば如何に態度が尊大であろうと機械人形ではないと言い切る要素にはならない。

 ならば人間か? それにしては顔面の筋肉が動いていない。こうして此方を見つめる彼女の表情は冷たく、無機質的だ。

 二の次を告げない天音の口に代わりナインの瞳が絞られ、キュイと瞳孔に似たレンズが蠢いた。

 

「……貴方には機械人形(マシンドール)コードが存在しません、であれば人間です」

「ふん、そうか、機械人形(マシンドール)コードな――実に面白味に欠ける答えだ」

 

 ナインの答えに女性は鼻を鳴らした。心なし不機嫌そうに見える。ナインは僅かに目を細め、それから淡々と問いを投げかけた。

 

「刑部さんのお見舞いですか」

「そうだ、発破を掛けてやった」

「……追い返されはしなかったのですか、病室の前には――」

「源の奴か? 押し通ったまでの事よ、然して障害にもならん」

 

 思わず驚いた表情で顔を見合わせる天音とナイン。まさか押し通る人物が居るとは――あの、何が何でも通さないという気概を見せた源を、どうやって押し切ったのだろうか。ふと、其処まで考えてひとつの可能性が頭を過った。

 

「若しかして、刑部さんの教官を務めた方でしょうか?」

「……何故そう思う」

「この場所に居て、尚且つ刑部さんを知る方、前職の折知り合ったという可能性もありますが、貴方は刑部さんを見舞ったという――つまり『機密』を知る方でしょう、となれば『Dブロック出身』の方以外、考えられません、或いは委員会に携わる上層の方か」

 

 しかし、貴方には上級IDが設定されていない。その言葉に女性の瞳が引き絞られた。しかし、それは攻撃的な瞳というより単純に驚いた為という風に見えた。

 

「そうか、貴様らは知らされずに彼奴と組んだのだったな」

「あ、あのっ!」

 

 女性の言葉を遮るようにして天音が一歩踏み出し、彼女に深く頭を下げた。

 

「もし、Dブロックの方なら……駄目だとは分かっているんです、でも、どうしても私、知りたくて、刑部君は一体、どうなっているんですか? お願いします、知っているなら教えて下さい!」

「………」

 

 女性は勢い良く頭を下げた天音を一瞥し、考え込む素振りを見せた。そして天音の背後に佇むナインを一瞥し、口を開く。

 

「おい、機械人形(マシンドール)

「ナインです」

「……ナインとやら、貴様も同じか」

 

 ナインは一瞬、迷う素振りを見せた。しかしそれは本当に一瞬の出来事で、彼女は一拍置き覚悟を決めた様に頷いて見せた。

 

「勝手ながら、私は藤堂刑部という人間に少なからず情を抱いています、その彼が私達の知らぬ重荷を背負っているというのなら、分け持ちたいと思うのが当然でしょう」

「ふん、機械人形風情が良く言う」

感情(これ)を与えたのは貴女達人間でしょうに」

「さてな」

 

 目線を逸らし、それから顎を撫でつけ流し目を送る。

 

「――良いだろう、教えてやる、だが此処では場所が悪い……上に行くぞ、ついて来い」

 

 女性は答えを聞かず、踵を返した。天音とナインは一瞬顔を見合わせ、それから慌てて彼女の後に続く。二人の表情には確かな覚悟が垣間見え、その足取りは決して重く無かった。

 

 



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20話

 道中、彼女の名を聞いた。女性の名は蓮華と云うらしい。

 彼女が向かったのは基地の屋上であった。錆びたフェンスが周囲を囲み、海を高所から一望出来る唯一の場所。普段は余り使われない、清掃も行き届いているとは言えず外周の溝や壁は薄汚れている。蓮華は屋上の中心に立ち、天音とナインは静かにその後に続いていた。強い風が頬を撫で、髪を弄ぶ。靡くそれを手で払い、蓮華は口を開いた。

 

「さて、此処ならば邪魔も入らないだろう……それで、何が知りたい?」

「私達の知らない全てを」

 

 空かさず告げたナインの言葉に、蓮華は薄っすらとした笑みを浮かべた。

 

「随分な傲慢だ、それとも機械人形なりの冗談か? 教えてやるとは言ったがそこまで譲歩してやるつもりはないぞ」

「……では、刑部さんの扱っていた、あの兵装について」

「ふん、VDSか」

 

 聞きなれない兵装だ、天音は眉を顰めながら「VDS……?」と言葉を舌の上で転がした。

 

「ヴァンガード・ディフェンシブ・システム、生身の人間が搭乗するASにのみ備え付けられたアンダー・コードだ、1990年に開発されて以降、旧履帯型、現在は四脚ASに搭載されている、コンセプトは『絶対的な先行防衛』――四脚が特別と云われる所以は是だ」

 

 初めて聞く話であった。ASにその様なシステムが搭載されているなど。ナインは【人間が搭乗する】という部分に顔を顰めた。

 

「……あの、感染体を一斉に押し潰した兵装が、それですか」

「押し潰した、か――貴様はあの兵装をどう見る? ナイン」

 

 問われたナインは押し黙り、やや間を空けて答えた。

 

「刑部さんのASは兵装展開時、グラビティストライクと呼称していました、つまり重力――局所的な、重力の……増幅? 或いは操作、でしょうか?」

 

 口にしながら、しかし己でも信じられないのだろう。その口ぶりは弱弱しく、どこか懐疑的であった。しかしその回答を予想していたのか、蓮華は笑う事も馬鹿にする事もなく、真正面から頷いて見せる。

 

「重力操作か――そうだな、傍から見ればそうなるか、事実是は『超広範囲殲滅重力制御兵装』と呼ばれている、正式名称はGS射出力場生成装置だ」

「GS射出力場、生成装置? VDS、とは違うの?」

「GSはVDSを発動して初めて扱える兵装となる、二つで一つ、と言うべきか」

 

 蓮華はそこで一度言葉を切り――それからナインと天音を見た。

 

「だが、別段貴様達が知りたいのはこのGS力場生成装置やVDSの事ではあるまい? これを使った刑部がどうなるか……知りたいのは、そこだろう」

「っ――!」

 

 その通りだ、ナインと天音は内心で同意し目付きを鋭くした。蓮華はそんな二人の表情を感情の読めない瞳で見つめながら淡々と口を開く。

 

「核が放射能汚染を撒き散らす様に、強大な兵器には副作用が付き物だ、真にクリーンな兵器など存在しない、たとえ環境を汚染せずとも使用者は汚染される、この世はそんなものばかりだ」

「……あれを使用すると、刑部さんはどうなるのですか?」

 

 ナインの言葉は重々しく屋上に響いた。蓮華は答えず、静かに目線を虚空に逸らす。それからフェンスの方へと歩き出し、錆びた網目に指先を引っ掛けながら告げた。

 

「まず前提として、ASにはBT接続が必要だ、改造手術を受けた吾々はASを脳で操作する、まるで手足の延長線上の様に、脊椎接続を通してな、しかし長時間のAS操縦は『脳過負荷』を起こす……訓練で一度は体験しただろう? 凡そ二時間から三時間、連続したASの稼働による疲労現象だ」

「えっと、そういえば訓練でやった覚えが……」

 

 天音は頷き、額に手を当てて過去の経験を振り返る。ASを動かせるようになって、比較的初期に習うものの中に『ASの稼働限界を知る』というものがあった。ASに繋がれたまま機体の動作に慣れつつ、延々と訓練場を走り続けるのだ。ただ走るだけならば大した疲労はない、何なら訓練用のASにはローラーが標準で装備されている為、中途半端に休んだ姿勢でぼうっとしているだけでも良い。けれど二時間が経過する頃には、鈍い頭痛と手足の指先が痺れ始める。それが脳過負荷と呼ばれる現象であった。

 

「これは脳内に埋め込まれたニューロナノマシンの酷使によって起こる物だ、ASの最大稼働時間は長くて四時間、稼働時間が長くなるにつれ頭痛、眩暈、吐き気、四肢の痺れなどが起こる、五時間も乗れば廃人寸前というところか」

「――まさか」

 

 いち早く、何かに気付いたようにナインは顔を蒼褪めさせる。蓮華はふっと口元を緩め、蒼褪めたナインを見据えて続けた。

 

「VDSとは本来、人間の限界値を底上げする、つまり五感をより鋭くし、危機感や本能といった部分をBT装置によって無理矢理引き上げるものだった、絶対的な先行防衛とはつまり、五感の拡充と第六感……勘だとか、予感だとか、そういう類のものをより先鋭化させるものだ、そしてGS射出力場生成装置の前提条件たる理由が、そこにある……仮にGSを局所的な重力を発生させる兵装と仮定して、周辺の敵を一斉に押し潰す芸当を熟すには、まず超能力染みた索敵能力、そして超人的な空間認識能力が必要となるだろう、あとは重力を発生させる範囲、高度、力、継続時間、etc、etc――それらの算出と処理、それを一瞬で、平行して行わなければならない」

 

 分かるか? 蓮華の言葉が冷たく、天音とナインの鼓膜を震わせた。

 

「VDSの起動がGS使用に必要な理由はそれだ、五感と第六感の拡充、無論それだけでも脳への負荷は相当なものになる、VDSを使用するだけでASの稼働限界は一時間を切るだろう、確か1900年代の開発記録では脳過負荷への懸念から三十分での稼働停止が義務付けられていたか? それに加えGSの処理も行うとなれば――」

 

 蓮華の掌が長い髪を掻き上げ、「ぼん」と五本の指を広げて見せた。頭部が弾ける、そんなジェスチャーだった。思わず二人は言葉を失った。脳裏に過るのは、そのジェスチャー通りの末路を辿る刑部の姿。天音は震える手で口元を抑え、ナインは目を見開きながら否定の言葉を口にした。

 

「そ、んな、馬鹿な事が」

「事実だよ、貴様等は見ていたのだろう? GSを撃ち切った後の刑部の醜態を」

「ッ!」

 

 天音とナインの肩が跳ね、今にも死にそうな刑部の姿が思い出された。そうだ、あの強大な兵器を撃ち終わった後、彼はどうなった?

 

「ニューロナノマシンが焼き切れ、脳過負荷から記憶の混濁、発熱、鼻や目からの出血が起こる、無論、『死なない様に処置はされる』が副作用ばかりはどうにもならん」

「どう……どうなると云うのです!?」

 

 ナインが噛みつく様に叫んだ。蓮華は肩を竦め、色を失った顔で空を仰ぎ、淡々と告げた。

 

「軽度で記憶障害、人格の変貌、廃人化、最悪――脳が焼き切れて、死ぬ」

「―――」 

 

 今度こそ、絶句した。

 あの、兵器を使用する代償が余りに大きすぎたからだ。軽度で記憶障害――軽度で? それに、廃人化ですらまだ温いという。最悪は落命、つまり死ぬ。天音は暫くの間茫然とし、目線を落して地面に見つめ続けた。死ぬ――誰が? 藤堂刑部が。

 

「刑部はこれまでに二度、GSを撃っている、これで三度目だ……さて、あいつは貴様達の事を憶えているかな」

「ッ、ぁ……」

 

 軽々しい口調で告げられた言葉に思わず、といった風に天音が一歩後退る。そのまま崩れ落ちそうになる体を辛うじて支えたのは、『どうにかしなければならない』という使命感だった。或いは情念と言い換えても良い。天音はふらつく体を叱咤し、縋る様な心境で蓮華に問うた。

 

「どうにか、出来ないんですか……?」

「どうにかとは、何だ」

「刑部君の事ですよッ! 救って、あげられないんですかッ!?」

「救い――救いか」

 

 天音の叫びに蓮華は軽薄な笑みを浮かべた。能面の様な――と表現していた彼女がはっきりと浮かべる、実に薄ら寒い笑みであった。唇が艶めかしく光を反射し、言葉を紡ぐ。

 

「それなら簡単だ、今すぐにでもお前が救ってやれる方法があるぞ」

「それは……!」

「殺してやれ」

 

 蓮華は愕然とする天音に言い放った。言葉は屋上に寒々しく響いた。天音に体を向けた蓮華は冗談でも何でもなく、真正面から瞳を見て言い切った。

 

「刑部を殺してやれ、そうすれば自身の記憶を失う恐怖も、人格を捻じ曲げられる恐ろしさも、全て全て忘れさせてやれる――そうだろう?」

 

 然も正しい事を語っている様に言う蓮華に対し、天音は首を振りながら後退る。殺す、などと。それは天音にとって予想の斜め上過ぎる答えであった。そんな事、出来る筈もない。そんなのは救いなどではない、少なくとも天音にとっては。

 

「こ、殺す、なんて……わ、私は……」

「貴様等も知っているのではないか? 誰よりも死を望んでいるのは……アイツだぞ」

「ッ――ぁ」

 

 そうだ、天音は理解した。この目の前の女性、蓮華は先ほど何と言った? 刑部は既に二度、GSを撃ったと言ったのだ。であれば――何故まで人格が捻じ曲がっていないと言える?

 彼のあの、病的なまでの破滅願望は――。

 言葉を失う天音を庇う様にして、ナインが一歩前に出た。

 

「何か手は……ないのですか」

 

 真っ直ぐ、蓮華の瞳を見て問いかける。そこには真摯な色のみがあった、暫し二人は視線を交わす。蓮華はナインの瞳を見つめ返し、僅かも視線を逸らす事なく告げた。

 

「殺す以外に救済する方法が仮にあったとして、如何する」

「使います、躊躇いなく」

「それで人類が死に絶える結果になってもか」

「………」

 

 その返答に黙り込むナイン、刑部と人類、それを秤にかけてどちらを取るか。即答するには余りに重い命題――少なくとも、マトモな機械人形にとっては。ナインを見つめる蓮華は小さく息を吐き出し、言った。

 

「履き違えるなよ機械人形、貴様の役割はなんだ? 『藤堂刑部』を救う事か、それとも人類を救う事か」

「それは」

 

 言葉に詰まる。藤堂刑部と残った人類――VDSは確かに驚異的だ、GSと呼称される兵装はFOB丸々一つを包囲していた敵を残らず吹き飛ばした。しかも建物に損害を出さず、FF(フレンドリーファイア)すらなく、明確に敵だけを。この兵器の有用性はナインの想像する以上だろう。だからこそ秘匿され、管理され、守られてきたのだ。

 もし、藤堂刑部という個人を救う事で、人類に致命的な損害が生まれるのであれば――それは人間への手酷い裏切りではないのか。そんな思いがナインの胸中に燻った。

 しかし、ややあって蓮華は大袈裟に肩を竦めて見せ、先ほどまであった身を押しつぶす程の威圧感が消え去った。残ったのは彼女の、粘つく様な『倦怠感』のみ。唐突な変わり身にナインの表情に困惑が滲み、訝し気に蓮華を見た。

 

「――それ程までに刑部が大切ならば好きにしろ、連れ出すなり何なり、刑部一人がどうなるものではない、『彼奴ならば兎も角』、貴様等ならば問題ない」

「えっ」

 

 蓮華はナインと天音を――特に天音の方を注視し、言った。思わず、と言った風にナインと天音が声を上げる。蓮華はそのままフェンスに寄りかかると二の腕を指先で叩きながら続ける。

 

「GSは確かに強力だ、その気になれば街一つに巣食う感染体を掃滅する事が出来る、だが一発撃つごとに接続者の心身が壊れる、果たして何度耐えられると思う? 三発か、四発か、五発か――たとえ十発撃てたとしても、人類を救うには到底足りんよ」

 

 VDSを利用したGS、その威力と範囲は確かに規格外。しかし、たとえ刑部が十発のGSを放てると仮定しても、それで人類を救えるかと言われればNOだ。

 日本の面積は凡そ377,900㎢、東京の面積が2,188㎢、そして藤堂刑部の扱うVDSの最大射程が東京都全域を覆い尽くせない時点で内地奪還は夢物語と言える。そもそも内地の感染体を一斉に殲滅出来たとして――それを守る戦力すら、現在の人類には残されていないのだ。となれば藤堂刑部の命の使い所は単純にして明快。敵が来襲した場合に備えての防衛装置。単なる人類の延命の為に費やされる『肉壁の代替』であると言える。

 であればこそ、彼が死に絶えるとしても遅いか早いかの違いでしかない。

 

「それに……既に結末は決まっているのだ、今、分かった」

 

 呟き、唇を指で擦る。その言葉だけは二人に届く事は無かった。ただ単に、心の声が漏れただけだ。蓮華は儚げな表情を浮かべ、フェンス越しに見える海原を睨んだ。

 

「機械人形と人間――今年で二十四年目、もう終わりが近づいている、マザーは動き始めただろう、あのFOB侵攻が良い証拠だ」

「一体、何を――」

「何をしても無駄だという事だ、別段、吾は関与せぬよ、貴様らがどうしようとな」

 

 吐き捨てるように言って踵を返す蓮華。そのままセブンと天音の間を抜け、屋上の入口に足を進める。そしてドアノブに手を掛け、それから振り向く事無く言った。

 

「……脳内のニューロナノマシンはGSを射出する度に損傷する、根付いたそれらは脳に深刻なダメージを与えるだろう、刑部は抑制剤を服用して進行を抑えているが……錠剤も残り少ない、生産地であるアメリカとインドが抑えられたからな、もう在る分しか使えぬのだ、VDS搭載機と接続する者は常にこの抑制剤を服用している、ニューロナノマシンの損壊は一度GSを撃った時点で始まる、それはもう止められない、本当の意味で刑部を救いたいというのなら――残念ながら手は存在しない」

「そ、んな……」

 

 天音の口から力ない言葉が漏れる。下手をすればそのまま座り込んでしまいそうな絶望感、蓮華はそんな彼女の姿を一瞥し、それ以上言葉を重ねる事無く屋上を去った。後ろ手に扉を閉め、数秒目を瞑る。階段の一段目に音もなく足を乗せ、蓮華は一度屋上を振り返り、呟いた。

 

「あくまで、この世界には――だがな」

 

 

 ■

 

 

「何故許可が下りないのですか!」

 

 セブンの叫びが部屋の中に鳴り響いた。基地内部、ウォーターフロント交信室と呼ばれるそこにはホログラムモニタが壁に沿って並んでおり、セブンはその中の一つ、端末に向かって声を荒げていた。ホログラムモニタには【sound only】の文字、通信相手は上層部と呼ばれるセブンの上官のひとり。主にAS部隊の編制、配属、指揮を担当する人物である。セブンの保有するIDで即座に通信が繋がる人物というのが彼女であった。

 セブンは彼女に向かって開口一番に藤堂刑部の面会許可を求めたが、彼女の口から色よい返事が出ることはない。

 

『必要ないからだ、それ以上でも以下でもない』

「しかし、彼は私の部下で――」

『上官だからと言って様子を見る必要はない、彼は順調に回復している、委員会からの許可が下りないのだからそれが答えだ、諦め給え』

「そんなっ、ならば何故、彼の周囲にはD教導の機械人形が――」

『――これ以上は時間の無駄だな、悪いが私も暇ではない、ではな、通信終了』

「なっ、待……ッ!」

 

 セブンがD教導の機械人形に言及した途端、上層の彼女は無情にも通信を一方的に切った。ホログラムモニタが掻き消え、『通信終了』の文字のみが躍る。

 

「くそッ!」

 

 セブンは自分の他に誰も居ない事を良い事に、直ぐ横の壁に拳を叩きつけた。

 

「……何故だ、何故拒まれる? たかが見舞い、顔を見る程度の事すら許されないだと……? あり得ない、回復している事は源とやらの言葉からも、そして上層の報告からも分かる、会話も出来ぬ程弱っている訳ではない筈なのだ……!」

 

 ぶつぶつと独り言を呟きながら、妙だとセブンは思った。

 まるで小隊の面々を刑部に近付けたくないとばかりに。確かに、あの兵器の存在は知らされていなかった。その点を考えると自分達には守秘義務が課せられてもおかしくない。しかし、上からは何の音沙汰もなかった。知られても良い兵器だったのか? ならば何故、最初から通達しなかったのだ。辻褄が合わない、違和がある。それに、上層のあの態度。

 

「委員会はまだ何か、私達に隠しているのか……?」

 

 いや、隠してはいるだろう。何せ自分達はまだ何も知らない。この場合、違和を感じる対象というのが、『委員会そのもの』なのだ。

 委員会の対応に納得がいかない。まるで突然、委員会そのものが空虚な存在になってしまった様な――。

 

「……空虚?」

 

 ふと、自分で口にしながらその思考に引っ掛かりを覚えた。

 それが何故なのかは分からない。自身の胸の中にすとんと、まるでを正鵠を射た様な心地で落ちてきたのだ。

 四十人委員会――このウォーターフロントを取り仕切る最高機関の名称である。その面々は全員が人間であるとされ、四十人は皆が等しく同じ権力を持つ。このウォーターフロント建設を提案した一人を中心として組織された現在の人類、及び日本に於ける碩学達だ。それは軍隊に似た組織を得た後も変わらない、彼等は自分達の上官で、上司だ。セブン達が『上層』と呼ぶ組織の上位者達の、更に上に立つ存在。

 

 ――だが、誰もその存在を見た事はないという。

 

「…………」

 

 上層部は言った、「委員会からの許可が下りない」と。つまり、上層部自体は別段セブンをどうこうとは考えていないのだ、恐らく会う程度は良いと考えている。あの兵装に関して設問されない時点でそれは確かだ。全ては委員会に、より上の指示によって差し止められている。

 何故? 会わせられない理由がある? あるのだろう、だが、ならば何故上層は何も言わない? 先ほどの上官も、まるで投げやりな態度だった。上から言われたから仕方なく、という態度が透けて見えた。

 

『委員会が知っていて、上層が知らない何かがある』――藤堂刑部を小隊に編入したのは上層部だ。しかし許可を差し止めたのは、委員会。

 

「四十人、委員会」

 

 セブンは呟き、それから片手でホログラムモニタを掻き消した。虚空に消える電子の光、口元に手を当てたセブンは数秒消えたホログラムを睨みつけ、呟いた。

 

「調べてみる……か」

 

 颯爽と踵を返し、通信室を後にしようとするセブン。そして自動ドアを潜り廊下に出た途端、誰かと軽くぶつかった。丁度セブンが部屋を出ようとするタイミングで、入ろうとしていた人物が居たのだ。真正面からぶつかる形となった双方は互いによろけながら咄嗟に謝罪の言葉を口にする。

 

「っと、済まな――!」

「あら、ごめんなさい」

 

 自身と衝突した人物、その顔を見てセブンは驚いた。

 

「草壁依織……」

 

 肩より伸びた茶色の髪。服を押し上げる豊満な胸元。やや垂れ下がった目尻にフレームの細い眼鏡。どこか温厚な雰囲気を纏いながら確かな包容力を漂わせている。もし此処に刑部が居たのなら、教鞭の似合いそうな人だと称していたかもしれない。

 依織と呼ばれた女性はセブンを見つめながら疑問符を浮かべ、それから上から下までセブンを眺めた後、申し訳なさそうに言った。

 

「? ごめんなさい、お知り合いだったかしら……見覚えがないのだけれど」

「……いや、違う、一方的に知っているだけだ」

「あら、私そんなに有名かしら?」

「ウォーターフロントのエースを知らぬ者など居ないだろう」

 

 どこか呆れたセブンは様に言う。すると依織はころころと笑った。

 草壁依織――AS乗りとして未だ一年も稼働していないセブンも知っている、『ヘルダイバー』と呼ばれる人間のAS乗り、その頂点、其処に名を連ねる女傑である。

 このウォーターフロントに於いてエースとは個人を指すものではない。エースとは、ある一定の力量を持ち数多くの戦場を経験してきた者に送られる称号である。ヘルダイバーとは文字通り、地獄に潜る事、地獄の様な戦場に身を投じ生き残ってきた事を称賛するものだ。そして彼女は数少ない人間のAS乗り、その中でも選りすぐりの凄腕という事になる。

 依織は頬に手を当てながら緩く笑い、困ったように目尻を下げていた。

 

「エース、エースねぇ、ふふっ、まぁ悪い気はしないけれど」

「……それで何だ、貴女も上申か何かか」

「えぇ、まぁそんな所よ、友人が負傷してしまって、お見舞いに行こうとしたのだけれど、こわぁい鬼が門番をしていて追い払われてしまったの、だから御上にお伺いを立てて堂々と通れるようにしようと、ね」

「………」

 

 セブンは腕を組んで顔を顰める。どこかで聞いたような話だった。というか、見舞いに行くのに申請が必要で、尚且つそんな怖い門番が居る場所など一つしか思いつかない。やや不機嫌そうに鼻を鳴らしたセブンは目の前の依織に問いかけた。

 

「若しかして、それは藤堂刑部か」

「――あら?」

 

 依織は意外そうな顔を浮かべた。そして再び、セブンの事をじっと見つめ、観察する様に視線を手足に動かす。そしてもう一度顔に視線を固定した後、納得した様に頷いた。

 

「あらあら、そう、そういう事なの」

「……なんの話だ」

 

 要領を得ない言葉に、セブンは不審げに言葉を漏らす。依織はパッと表情を笑みに変えると、顔の前で軽く手を振って見せた。その表情からは何も読み取る事が出来ない。感情を隠す事が得意な女だとセブンは思った。こういう手合いは、苦手だった。

 

「あぁ、いえ、何でもないわ……そうね、私が見舞いに行こうとしていたのは藤堂刑部よ」

「刑部の知り合いか、彼奴は顔が広いな」

「ふふっ、知り合いよりはもう少し深い仲かしら?」

「……深いとは、つまり、そういう事か?」

「あら嫉妬? その剣呑な視線、怖いからやめて欲しいわ」

 

 僅かも怖がる素振りを見せず、笑ったままそんな事を宣う。依織は両腕を組みながら刑部との関係性を穏やかに語って聞かせた。

 

「彼は元々Dブロック出身だけれど、一時期他のブロックに預けられた時期があるの、その時に私が面倒を見てね、刑部君とは教官と生徒の仲……つまり彼は私の教え子、見舞いに来る関係性としては十分でしょう?」

「む、そうか……教え子か」

 

 その言葉にセブンからやや険が取れる。教官と生徒の関係であれば確かに、見舞いに来てもおかしくはない。つまり、そういう仲ではないという事だ。しかし、依織がセブンに見えない角度で妖しい笑みを浮かべていた事に彼女は気付かなかった。

 

「そういう貴女は、若しかして――同じ御用事?」

「そうだ」

 

 依織の言葉にセブンは頷いて見せた。別段隠す事でもないし、堂々と肯定する。依織は指先で頬を擦ると考える素振りを見せ、言った。

 

「そう、なら少し時間をずらした方が良いかしら、被ってしまったら迷惑でしょう?」

「……いや、気遣いは無用だ、私に許可は下りなかった」

 

 セブンは言葉を噛み締めるように呟く。「あら、そうなの?」と依織は驚いたような表情を浮かべた。まさか面会許可が下りないとは、そうなると自分も難しいだろうか。そんな風に考え、その表情を曇らせる。

 そんな彼女を見ていたセブンは途中、はっと何かに気付いたように目を開き、依織に向かって問いかける。

 

「そうだ、ウォーターフロントのエースならば四十人委員会のメンバーと逢った事はないか?」

「四十人委員会?」

 

 唐突な話題転換。その単語を出した途端、依織の視線にやや鋭さが含まれたように感じた。素早く周囲に視線を向け、他に誰もない事を確認する依織。そしてセブンに向き直ると、重い口調で問うた。

 

「……どうして、四十人委員会のメンバーと逢った事があるかどうかなんて聞くのかしら」

「四十人委員会のメンバーは皆、人間だと聞く、しかし実際に会ったという話は聞いた事がない、誰からもな」

「それは、やはりウォーターフロントの管理者であるからでしょう、権力者というのは得てして危険から身を遠ざけるものよ」

「だとしても、だ」

 

 そこまで口にし、不意にセブンは言い淀む。四十人委員会の実態は知れない、しかしそれがウォーターフロント全域を支配し、人類を守護している事は理解している。少なくともセブンのしている事は褒められる事ではない。仲間の前で堂々と上層非難など――そこまで考え、セブンは恥じ入る様に俯いた。

 

「……いや、すまない、不躾だったな、忘れてくれ」

「何よ、気になるじゃない」

 

 依織は口を噤み、目を伏せたセブンに問いかけた。セブンはやや躊躇った後、先ほどよりも力ない口調で答えた。

 

「……私達小隊は刑部の見舞いに行く許可が下りなかった、それは上層ではなく、委員会からの許可が下りなかったのだ、上層ならば理解出来る、だが、何故此処で委員会が絡んでくるのかが分からない、配属命令は上層から出ていたというのに」

「それで、何、委員会をどうにかしてやろうって?」

「まさか、そんな事は考えてもいない、ただな……」

 

 無論、セブンは実際に委員会をどうこうなどと考えていない。ただ、納得がいかないだけだ。その原因を探り、思考している内に妙な感情が胸に湧き上がり、セブンはそれを素直に口から零した。

 

「こう、上手く言語化する事が出来ないのだが、私の感情……いや、妙なざわつきとでもいえば良いのか、全く理論的ではないし理知的でもないと理解しているのだが、私は委員会に疑念を抱いている」

「……疑念、というのは?」

「委員会がやけに『空虚』に感じられたのだ、そう、人の温かみなど存在しない――まるで機械の様な」

「―――」

 

 そこまで口にした途端、依織の目の色が変わった。項垂れたセブンの肩を掴み、強い力で抑え込まれる。驚きの表情と共に顔を上げたセブンは、じっと己を見つめる依織の瞳に気圧された。依織は両腕でセブンの両肩を掴み、淡々とした口調で告げる。

 

「セブン、と言ったわね、貴女」

「えっ、あ、あぁ」

「少し、付き合って下さいな」

 

 告げ、返答は聞かずに依織はセブンの腕を掴み、そのまま部屋を後にした。半ば引き摺られる様な形で依織の後に続くセブンは、焦燥を滲ませながら口を開く。

 

「ど、何処に行く?」

「そうね、取り敢えずは――」

 

 ちらりと、依織は背後のセブンを見た後に、酷く冷たい声で言った。

 

「人のいない場所、かしらね」

 



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21話

 

「天音さん」

「………」

 

 場所はいつぞや作戦会議を行ったブリーフィングルーム。人目を避け、密談に向いた場所を探した結果、此処に辿り着いた。天音は深く椅子に座って額を手で覆い、ナインは壁に背を預けたまま痛ましそうに項垂れる天音を見ていた。ぐるぐると、蓮華に告げられた言葉が頭を廻る。天音は暫くそうやって項垂れた後、ぽつりとナインに問いかけた。

 

「ナインはさ、どう思った」

「どう、とは」

「さっきの話」

 

 ナインは口を噤んだ。ややあって、歯切れ悪く答える。

 

「……先の話が事実とは限りません、ただ出鱈目を並べた可能性もあります」

「本当にそう思うの? 私はあの人が、真実を言っている様に聞こえたよ」

 

 ナインの返答に、天音はやや苛立ったような口調で告げた。髪を掻き上げ、眉間に皺を寄せた天音は拳を握る。

 

「じゃなきゃ、私達がFOBで見た光景はなんなの? 突然あんな、感染体が押し潰される様に死んで……私達の居た場所だけじゃない、FOBを取り囲んでいた飛行型も、水上型も、全て『圧死』していた、あんなの普通じゃない」

「………」

 

 その通りだ。ナインは言葉を紡がず、内心で同意した。ナインの見たあの光景と蓮華の言っていた言葉は矛盾していない。寧ろ、彼女の言葉は、その蓋然性を高めていた。

 天音の顔がくしゃりと歪んだ。掻き上げた髪を掴み、デスクに肘をついた彼女は低く唸る様に呟く。

 

「っ、何が人の命は大切よ、どの口でそんな言葉を言っていたの? こんな……こんな非人道的な兵器を今まで隠してきたというのに、使う度にあんな、酷い苦痛に苛まれて、その果てが廃人? そんなの、納得できる筈がないでしょう……!?」

 

 ぎりと、噛み締めた歯の軋みが耳に届いた。天音はその身に余る怒りを持て余し、憤慨している。ナインにも気持ちは理解出来た、しかしそれを抑え込むだけの理性が彼女にはあった。少なくとも面に出さず、堪え切る程度には。

 

「ならば如何しますか、刑部さんの手を取って、逃げますか」

「それは――」

 

 天音はナインの言葉に言葉を返そうとして――口を噤んだ。出来ないと思ったからだ。脳裏に家族の顔が過る。自分が愛しい人の手を取って逃避行をするとして、残された家族はどうなる? 漸く内側に家を得た家族は――再び外側へと蹴り出される事になるだろう。それに、逃げるとしても一体どこに逃げるというのだ。世界はもう、感染体に覆われ始めているというのに。

 

「機械人形ならば兎も角、人である身で大陸に渡るのは危険です、それに貴重なAS乗り――そしてあの様な兵装の適者である刑部さんを、委員会が無防備に管理しているとは、とても」

「ッ、分かっているわよ、そんな事……!」

 

 ナインの冷静な口調に、天音は苛立たし気に答える。そうだ、手を取って逃げるなんて事は出来っこない。そんな事が許されるのならば、そもそもDブロック出身の連中が試みている筈だろう。あの、蓮華とかいう女性だってそうだ。出来るのならばやっているのだ、出来ないからこそ彼は此処にいるのではないか。

 

「でも、だからって……黙って見ていろって言うの……!」

「………」

 

 天音は無力感に震える。怒りと、悲しみと、理不尽な世界に対する憤り。天音は暫くの間肩を震わせ、暴れ出しそうになる衝動を堪えた。そして、背後のナインに向かって問いかける。

 

「ナイン、こんな事を考え付いた奴は、上層だと思う?」

「……いえ、上層部には機械人形も在籍しています、少なくとも人間がこの様な兵装を扱うと聞けば表立って賛同はしないでしょう、無論、自ら使わせようなどと言い出す事も、であれば発案者は――」

「――四十人委員会」

 

 ナインの言葉を遮る様にして、天音が呟いた。

 

「全員が人間だからこそ、平然と切れる手という訳ね」

「天音さん」

 

 どこか覚悟を孕んだ口調で呟く彼女に、ナインは思わず声を掛けた。何か、良くない事を仕出かすのではないかという疑念と不安があった。天音はナインの方を振り返らず、淡々とした口調で言った。

 

「別に、何をしてやろうという訳ではないわ、ただ――」

 

 言葉を切り、一度俯く。そして再び上がった彼女の表情に刻まれていたのは、酷く歪な冷笑であった。

 

「どうしようもなく、苛立っただけよ――此処のトップと、何も出来ない自分自身に」

 

 

 ■

 

 

 藤堂刑部が部隊に復帰したのは、FOB襲撃から凡そ二週間程経過した後の事であった。四足(ドギー)との戦闘によって負傷した箇所は再生槽の存在もあり比較的早くに完治しており、戦闘にも支障はないと太鼓判を押されている。現在の技術では欠損レベルの負傷であっても一週間程度で回復が可能であった。元より人類の数が少ない今、その手の技術は急速に高まりつつある。言うまでもなく、彼の復帰が遅れたのはVDSの後遺症、その回復に手間取った為である。肉体的に健康であっても、脊椎接続によって急激な体調不良を起こすケースは多い、精神と肉体は密接な関係にある。その為、刑部の復帰には常よりやや多めの時間が割かれた。

 刑部が部隊へと復帰した当日。セブンよりミーティングルームへと呼び出されていた刑部は部屋に入るなり二人の影に飛びつかれる事となる。

 

「刑部ッ!」

「刑部君!」

 

 思わず蹈鞴を踏み、突っ込んできた二人を受け止める刑部。言うまでもなくセブンと天音の両名である。刑部は苦笑を浮かべながら抱き着いてきた――というよりは最早タックルに等しい勢いであったが――二人の頭を撫でつける。久々に抱きしめた二人の体からは確かな温もりがあった。

 

「あはは、御無沙汰です……あっ、ちょっと、匂いは恥ずかしいので嗅がないで下さい」

「ふぐッ、二週間ぶり、二週間ぶりの刑部君……!」

「くぅッ、これだ、これが欲しかったのだ……!」

「俺は麻薬か何かですか」

 

 セブンと天音の両名は胸なり腹なりに顔を埋めて何事かを呟く。刑部は内心で相変わらずだと辟易としながらも、そんな感情を表に出す事無く唯一後方で此方を眺めるナインに笑いかけた。

 

「ナインも、ただいま」

「……はい、お帰りなさい、刑部さん」

 

 柔らかい笑みと共に刑部を迎えるナイン。珍しい、刑部は彼女の微笑みを見つめながら思った。普段余り笑わない者が笑うと、少し得した気分になれる。

 

「ふぅ……刑部、もう体は大丈夫なのか?」

「えぇ、御心配をお掛けしました」

 

 胸元に顔を埋めていたセブンが満足気な息を零し、それから顔を上げ問いかける。刑部はそれに確りと頷いて見せた。

 

「あー、あの、刑部君、その……FOBで使った、兵装についてなんだけれど」

 

 天音は腹に顔を突っ込んだまま、どこか言い難そうに顔を上げ呟いた。刑部は一瞬口を開きかけ、それからゆっくりと首を振る。その表情はどこか申し訳なさそうであった。

 

「ごめん、あれについては俺から話す事は出来ないんだ」

「そっか、うん……そう、だよね」

 

 その返答に天音は一瞬だけ目を伏せ、それから下手糞に笑って頷いた。分かっていたことだ、天音はそれ以上踏み込むことをしなかった。ナインはそんな天音を横目に見ながら、しかし確りとした口調で告げた。

 

「……兎も角、どうであれ私達はあの兵装によって救われました、FOB1も絶望的な戦況から盛り返し、何とか占領されずに済んでいます、すべて刑部さんのお陰です、ありがとうございます」

「あぁ、いや、そんな……礼を言われるような事じゃないよ」

 

 深く頭を下げるナインに対し、刑部は手を振る。あれは、自分が好きでやった事だ。誰かに感謝されたいとか、『救ってやった』と上から物を言う為に取り出した訳ではない。だから藤堂刑部にとって、その手の礼は必要ない。

 そう口にすれば、ナインは「そうですか」と素っ気なく感じる程に淡々と呟き、それからゆっくりと顔を上げ、真正面から刑部に睨みつけた。

 

「であれば――二度とあの兵装は使用しないで下さい」

 

 ナインが断ずる。それは強い――余りにも強い感情を伴った言葉だった。刑部が思わず面食らい、またナインだけではなく天音とセブンも同じような視線で己を見ている事に気付き、視線を左右に泳がせる。

 

「あの兵装が凄まじい威力を発揮する事は、この目で確認しました、そしてその上で、『何故刑部さんが開幕であの兵装を使用しなかったのか』――その理由も、理解しているつもりです」

「……参ったな」

 

 思わず、口から出た言葉だった。刑部は未だ服を掴んで離さない天音、手を伸ばせば届く距離に佇むセブンを見る。二人はナインの言葉に同意する様に、頷いて見せた。

 

「今後は私達も事前準備を万全にし、更に訓練を積みます、貴方を危険に晒さない様に全力で取り込むつもりです、これは皆で決めた事です」

「そうだ、刑部、あの兵装は体に途轍もない負荷が掛かる物なのだろう?」

 

 ナインのそれから続き、セブンから放たれた言葉に刑部は困ったように笑うだけ。胸元で天音が強く服を掴み、その額を押し付け絞り出すように言った。

 

「……私は、刑部君の苦しむ姿を見たくないよ」

「天音」

「それはセブンさんも、ナインも同じの筈――それとも、私達が信頼出来ない?」

 

 天音は視線を上げる事無く、心細そうに、悲しそうに、そう言う。刑部は一度ナインを見た、そしてセブンに視線を移し――溜息。その瞳に宿る光の強さに、絶対に退かないという覚悟を見たのだ。少なくとも刑部が此処で首を縦に振らなければ絶対にこの部屋から帰してはくれないだろう。そんな未来を易々と想像させる程度には、情熱的で、昏い覚悟を孕んでいた。

 刑部は両手を軽く挙げ、言った。

 

「……分かりました、自分の一存で発動する事は、もうしません、少なくとも死ぬ間際にならない限りは」

「! そ、そうかっ」

 

 その言葉を聞き、セブンを含めた三名が喜色を滲ませる。そこには刑部の安全を掴み取った安堵の色が強く見えた。喜ばせた手前、口にするのは心が痛い。しかし刑部は心を鬼にして、「ですが」と続けた。

 

「御上からの命令で発動する場合は拒めません、その場合についてはご容赦頂けると」

「それは……そう、だな」

 

 命令には、逆らえない。刑部のその言葉に喜色を滲ませていた三名はやや表情に翳を差し、目を伏せる事しか出来なかった。

 

 

 ■

 

 

「セブンさん、FOB1はあれからどうなっていますか?」

 

 一息置き、デスクに座った刑部は真面目な表情でセブンに問いかけた。皆の視線の先、モニタの傍に立ったセブンは腕を組み、難し気な顔で答える。

 

「感染体に占領される事はなかったし、その後警邏隊の再編も行われたが……再稼働は困難だろうな」

 

 再稼働は困難、それが前哨基地の現状である。セブンは予め用意していたのか、モニタの電源を入れると自身の端末と接続しFOBの見取り図を表示した。以前のミーティングでも使用したものである。3Dモデリングされたデータは上から見下ろす形で画面を切り替え、その幾つものブロックが赤い色で塗り潰された。

 赤いそれは破損具合を示すもの。そして前哨基地の半分近くがその赤で染まっている。

 

「メインプラントの被害は甚大だ、内部に入り込んだ感染体が暴れたせいで各設備にも少なくないダメージがある、特に電源がボロボロだ、内部のバックスはほぼ全滅、サブプラントが軒並み破壊されているのも痛い、復興には時間が掛かるだろう、資材輸送ルートも安全とは程遠い、その間に攻勢があったら今度こそ防ぎきれまい、あの大攻勢を凌げただけでも儲けものだったと考えるしかないだろうな」

「ウォーターフロントは事実上、FOB1を放棄するしかない……という事ですか」

「それが委員会の決定だ」

 

 セブンの声にはやや強張った色が含まれていた。それが感染体に向けられたものなのか、或いは別な部分に向けられたものなのか、刑部には分からない。

 

「当面はFOB1がカバーしていた範囲の警邏を増やし、やり過ごすしかない、水上型の連中の仕事が増えるが、仕方あるまい」

「俺達の任務はどうです?」

「大して変わらん、ウォーターフロントの警邏隊だ……だが、前よりも感染体の侵入は増えるだろう、特に水上型には注意しろ――そうだ、刑部にはまだ通達していなかったな」

 

 セブンはそう言って手元の端末を操作し、画面を切り替えた。

 

「新たに発見された感染体だ」

 

 告げられ、刑部の目がディスプレイに向く。そして其処に映り込んだ感染体の姿を目撃し、思わず目を見開いた。

 

「ッ、これは……」

「前回のFOB侵攻にて、ウォーターフロントから出撃した水上型ASの記憶領域に残っていた感染体だ、防衛線を敷いていた連中はコイツに食い殺された――上層部が解析、スキャニングによるモデルを作成したもの、それが是だ」

 

 モニタに表示された感染体――一目見た瞬間の感想は、デカい。

 余りにも巨大で凄まじい威容を誇っており、その巨躯は下手をすれば小型のプラントにも匹敵するのではないかと思う程。脇に表示された比較対象のASが小さなブリキ人形の様に見えて仕方なかった。全長は――どれ程だ? 少なくとも中に戦車を十台、二十台並べた程度では埋まるまい。セブンは涼しい表情でモニタを見つめ、言った。

 

「DADネーム『エイハブ』、巨大だろう? 恐らくモチーフは鯨だ、しかも通常のそれよりも体躯が大きい、スキャニングされたコイツは全長が五十メートル近い、解析班によると『陸上型の輸送、及び未発達の生産拠点』となるらしい」

「輸送、それに生産ですか――まさか、FOB内部の未発達は」

「そうだ、コイツが送り込んだ、私は飛行型が運んできたと思い込んでいたが……もっと巨大な、輸送機が存在したという事だ」

 

 あの、FOB内で遭遇した異様な数の未発達。内部発生であれ程の数を賄う事はまず不可能、であれば何かしらの手妻があったと考えていたが――成程、この様な移動生産拠点とも呼べる存在がいるのであれば納得できる。

 

「移動する生産拠点とでも言えば良いのか、体内に多量のデイ・アフターを保有していると推測される、喉頭から太い管の様なものを射出し、ASごと捕食してくるという報告もある、死骸を取り込み未発達の材料とし、その管で建物内部にすら感染体を送り込める、非常に厄介な敵だ……見ろ」

 

 画面が切り替わり、穴の開いた床部と腐乱した死骸が転がる写真が映し出される。刑部はそれを見て、思わず顔を顰めた。

 

「FOBの下層ブロックで撮影されたものだ、多重構造の防護床がものの見事に抜かれている、恐らくエイハブの管によるものだろう」

「……此処から未発達を送り込んでいたという事ですか」

 

 そうだ、と頷き肯定するセブン。刑部は難しい表情を浮かべたまま、悔し気に呟いた。

 

「俺の『アレ』でも仕留めきれませんでしたか」

「……いや、恐らく感染体を全て送り込んだ後は『潜行』し、FOBから離れたのだろう、その後の調査でも行方は分かっていない、肉片一つ見つからなかったからな」

「そうですか……」

 

 範囲外に逃れられたのならば流石にGSと言えどどうしようもない。潜航し海上型ASにも気取られずメインプラントに取り付き、感染体を送り込める拠点に等しい敵。それもこの様な巨躯で。

 

「厄介な感染体ですね」

「そうだな……深海から侵攻して来る感染体はコイツが初めてだ、別途対策が必要となるだろう、海中探査機や機雷の設置、ソナー等の整備が急がれる」

「委員会からの要請により感染蝶(バタフリー)同様、出現時にはアラートが鳴るように設定される様です、最優先撃破目標という訳ですね」

「それだけ脅威って事、か」

 

 セブンの言葉を引き継ぎ、語るナインの口調に頷く。アラートが設定されるという事は最優先殲滅目標という事であり、それだけ重要視されている証である。現在、アラート設定されている感染体は二体。そして今回、エイハブが三体目となった訳だ。然もありなん、この感染体は危険が過ぎる。

 

「一度に百近い未発達を送り込まれてみろ、地形の有利でもなければ一気に押し込まれる、しかも海上戦ではどこから来るかも分からないと来た、上層の解析では外皮の硬度は成体(アダルト)より硬く、連射砲では貫通させられないとの予測が出されている」

「えっと、なら一体どうすれば良いんですかね……?」

 

 天音が心配げにそう問いかければ、腕を組んだままセブンは答えた。

 

「火砲か、若しくは連射砲の弾倉をカテゴリーA――AP弾辺りに換装するか、或いは支援兵装でHEAT弾を持ち込むか、兎に角重装甲を撃ち抜ける貫通力が欲しいだろう、しかし出現するかも分からない敵を相手に悪戯に重装化するというのは聊かリスクが大きいな」

「遭遇した場合、遅延行動に注力し増援を待った方が良いのでは? 遅延行為のみならば、恐らくそれほど弾薬や専用兵装を持ち込む必要はないでしょう」

「……まぁその辺りは上層と委員会の判断が全てだ、近い内に対エイハブ兵装や部隊の編成が行われる筈だからな」

 

 セブンは渋い表情で呟く。エイハブと遭遇した場合、小隊規模での討滅はまず不可能だろう。そうなるとそもそも対エイハブ用の兵装を小隊規模で備え、準備する事自体無駄に思える。となれば組織的な運用が不可欠。その辺りの判断は上層と委員会が行うだろう。小隊一つが対策を講じたところでどうなる訳でもないのだ。

 

「さて、説明は以上だ――お前の居ない二週間の間、私達は警邏隊として活動していた、暫くは同じだろう、上層部は敵の第二次侵攻作戦がまた近い内に行われるのではないかと疑っている、戦力拡充は急務だ、故にこれ以上の損失は認められない」

「他のFOBにも攻勢が掛かると?」

「FOBならば良いさ、最悪このウォーターフロントに大挙して来るやもしれん……最悪の想定だがな」

 

 ウォーターフロントに感染体が大挙して押し寄せる、その光景を想像するだけで怖気が走る。刑部は腕を擦り、セブンの言葉に対し首を横に振った。もし、あのFOBに勝る攻勢がウォーターフロントに仕掛けられたとしたら――防ぎきれるのか? 答えは、分かり切っている様に思う。

 

「――既に結末は決まっている、か」

 

 ナインが俯き、何事かを呟いた。

 

「ナイン、何か言った?」

「……いいえ、何も」

 

 天音が小声で問いかけ、ナインは目を瞑って首を横に振った。答えは、ナインの中だけに秘められた。

 

「取り敢えずこんな所か……あぁ、そうだ刑部、これを渡すのを忘れていた」

 

 セブンはモニタの電源を切り、それから思い出したように懐へと手を入れる。刑部が疑問符を浮かべると、何やら小さな小箱の様な物を目前に差し出された。恐る恐る受け取る刑部、箱自体は軽く、妙に肌触りが良かった。傍目から見ても高級感が溢れる、中に何が入っているのか想像もつかない。刑部は軽く箱を眺めた後、問いかけた。

 

「……これは、何です?」

「勲章、だそうだ」

「はぁ、勲章ですか」

 

 声はどこか他人事の様であった。無造作に手のひらサイズの箱を開け放つと、中には華に似た形をした煌びやかな勲章が入っていた。金色で、細工は美麗の一言、輪に通った掛け紐でさえ高級感溢れる。刑部はそれを見て、何とも言えない表情を浮かべた。手の中に納まったそれが虚栄の証に見えて、仕方なかったのだ。

 

「そうだ、金翼大綬章……埃を被った慣例だが、貰えるものは貰っておけ」

「……どうせなら、新型の兵装だとか装甲の方が嬉しいですね」

「違いない」

 

 刑部の一言にセブンは笑みを浮かべ、ナインや天音ですら同意する様に口を緩めた。

 こんな物に金を掛ける位なら、装甲の一枚でも生み出せば良い。若しくは、どこかの倉庫から引っ張ってきた骨董品なのかもしれないが。それにしては良く磨かれていて、光る物だと内心で吐き捨てた。

 

「……先の戦闘で生き残ったFOB警邏隊は少ない、ウォーターフロントからの派遣隊もな、特に刑部の兵装について緘口令は敷かれていないが、同時に上層や委員会からの説明もない――これが何を意味しているのか私には分からない、だがお前は変わらず私の大切な人間で、仲間だ」

「……えぇ、ありがとうございます、セブンさん」

 

 その、暖かな言葉を聞けただけで十分だ。刑部は小箱を閉じ、そっと抱く様に握り締めた。

 

「よし、今日はこの位で良いだろう、態々集まって貰ってすまないな、明日の任務に備えて英気を養ってくれ――以上、解散!」

 

 セブンが手を叩き、解散を宣言する。皆が立ち上がり、刑部の傍には天音が駆け寄った。

 

「あ、あの、刑部君、調子が悪くないのなら、これから一緒にご飯とかどうかな?」

「うん、勿論」

 

 腕の端末に目を落とす。そろそろ時間帯的には昼に差し掛かる頃だった。食事をするには少し早いが、腹は十二分に空いている。刑部は退出しようとするセブンとナインに目を向け、声を掛けた。

 

「あの、ナインとセブンさんも一緒に」

「あぁ、すまない刑部、少々所用があってな、有難いが今日は遠慮しておこう」

「私も、少し調べる事があるので」

 

 セブンは申し訳なさそうに、ナインはやや事務的な口調で刑部の誘いを断った。断られた刑部は一瞬意外そうに眼を瞬かせ、しかし用事があるならば仕方ないと笑顔で二人に頷いて見せた。

 

「そうですか……分かりました、それではまた」

「お先に失礼しますね」

 

 刑部は天音を伴って退出する。セブンはその背中を眉間に皺を寄せて見送った。本当なら一緒に居たい。正直に吐露するなら、抱きたい。けれどそれはまだ許されない。惜しむ感情を押し殺し、セブンは自身の傍に居たナインに告げる。その声は低く、まるで獣が唸る様な響きを伴った。

 

「――ナイン、少し……話がある」

「……奇遇ですねセブンさん、私も丁度、話したいと思っていたところです」

 

 



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22話

 

「さて、この辺りで良いかしら」

「おい、何なんだ、一体」

 

 草壁依織に手を引かれたセブンは交信室から大分離れた、普段人の立ち入らない倉庫区画にまで連行された。階段の踊り場、丁度その影になる部分。念には念を、という徹底ぶりである。只ですら人通りのない区画、それに人目のない場所。周囲は静謐な空間で、物音ひとつ聞こえない。セブンは依織に捕まれていた腕を払い、目を左右に向けた。

 階段下の暗闇、無造作に積まれた段ボールとプラスチックケース、それらの上には薄く埃が被っている。半ば物置と化した場所だ、清掃も行き届いてはいない。セブンはやや顔を顰め、正面の依織に目を向けた。

 

「………」

 

 当の依織はじっとセブンを見つめたまま沈黙を守っている。その目付きは観察している様にも見えるし、或いは何かを告げる為の準備にも見えた。数秒、二人の間に沈黙が降りた。人間に黙って見つめられる経験など、早々ない。セブンは居心地が悪くなり無意識に視線を横に逃がした。ややあって、依織は口を開く。

 

「貴女、セブンって言ったわね」

「あ、あぁ」

「信頼して良いの?」

 

 依織は、酷く真面目な表情で問いかけた。しかし問いかけられたセブンは困惑する。話の全体像、彼女の意図が分からない。一歩後ろに下がったセブンは依織に掴まれていた部分を撫でつけながら顔を顰めた。

 

「それは、一体どういう意味だ?」

「貴女という機械人形を信頼しても良いのか、という事よ」

「……良く分からないが、別段私はお前に含むものを持っていない、お前と話す内容を言い触らすつもりもないし、敵対するつもりもない」

「……そう」

 

 素っ気なく頷いた依織は顎先に手を当て、考え込むように目を瞑った。何なんだ、この女。セブンは思わず胸中で呟く。行動が読めない、思考が分からない。何故、こんな場所に連れて来たのか。何故、信頼出来るかなどと問いかけてくるのか。セブンは口を噤んだまま依織を不気味な存在を見るような目で見ていた。

 

「貴女、違和感があるって言ったかしら、四十人委員会が――空虚、だとか」

「あぁ、そうだ」

 

 セブンは素直に肯定する。委員会が空虚に感じたのは確かなのだ。すると依織は再度何かを考え、それからゆっくりと言った。

 

「少し、昔話を聞いてくれる?」

「何だ、唐突に」

「これから話す事に、関係ある事よ」

「……別に、構わないが」

 

 やはり、分からない。そんなセブンの困惑を他所に、依織は壁に背を預けると淡々とした口調で語り始めた。

 

「私と刑部君の馴れ初め、元々彼とはBブロックで出会ったの、私は教導の一環として足を運ぶことがあったから、多分、向こうのブロックにない機材を取りに来ていたのね、偶然ばったり、という感じ……そこでね、私、彼に一目惚れしたの」

 

 昔話というのは刑部との馴れ初めであった。彼との関係性、そして自身の恋慕、その情、それは実に簡素で、簡潔で、分かり易い程に淡泊であった。真剣な表情であった依織の口元が、僅かに笑みで崩れる。

 

「変な話だけれどね、私、初めて彼と出会ったというのに、そんな気がしなかったのよ、まるで何年も――いいえ、何十年も一緒に居た様な気持ちになって」

 

 そこまで口にし、一度口を噤む。依織は伏せていた視線をセブンに向け、弁明する様に言った。

 

「勿論彼とは本当に初対面よ? 過去に出会った記憶なんてない、だから疑問に思ったの」

「疑問?」

「えぇ、だって初対面の相手に、家族に勝らずとも劣らずな親愛の情を抱くなんて、可笑しいでしょう?」

 

 それは――そう、だろうか。

 セブンは自身の胸に手を当て、考える。製造されて一年と経っていない己には良く分からない問題だ。しかし確かに、初対面で家族に勝る情を抱くのは可笑しい――かもしれない。客観的なデータとして、可笑しい。

 

「でもね、それだけなら私も特にどうしようとも思わなかった、所詮は感情の話だもの、『そういう事もあるかもしれない』程度の話で済ませられる――けれど、そうはならなかった、ならなかったのよ」

 

 依織は最後の言葉を強い口調で断じた。そして周囲を見て、何かを警戒する素振りを見せる。セブンは目の前の女性が、何をそこまで恐れているのかが分からなかった。そして依織は周囲に人影が無いことを何度も確認し、手元の端末を操作する。

 

「この映像データを見て」

 

 そう言って差し出された小さな端末。そこから飛び出すホログラム。映像データだ、セブンの目の前に不鮮明な平面のディスプレイが表示された。

 

『――え―か――聞こ―る―――聞こえるかしら』

「!」

 

 セブンは目を瞬かせる。その、不鮮明な映像データに映る人物、そして聞こえる声。それは間違えようもなく。

 

「これは……お前か?」

「………」

 

 映像データに映っていたのは、草壁依織であった。

 しかし、血塗れで、見る限り負傷している。それに――映像は不鮮明だが、彼女が居る場所はウォーターフロントではない事が分かった。此処はどこだ? 瓦礫に塗れ、所々に死体らしきものも見える。それに炎も――燃えているのか? セブンはやや前のめりになって、映像データを覗き込んだ。

 

『ハァ……嫌なものね、届くかどうかも分からない遺書代わりのデータを残すなんて――マザーに見つかればお終い、届くかどうか分からないけれど、下層中央情報保管体(グラウンド・ゼロ)にこのデータを記憶ナノマシンと一緒に紛れ込ませておくわ、もし私の設定通り機能してくれるのなら……貴女が宗像君と出会った瞬間、記憶領域にこの映像が流れる様になっている……それが十年後か、二十年後かは分からないけれど』

 

 草壁依織――と思われる女性は血濡れの額を拭い、髪を掻き上げる。眼鏡は罅割れていて、酷い有様だった。

 

『ごめんなさい、今回の私は失敗したわ、マザーは私の行動に気付いて機械歩兵群の侵攻を早めた、首都はもう陥落寸前、私の居るブロックは既に占領されたし、私も……随分無茶をしてしまった、この心臓が止まるまで後十数分、というところかしら……ふふっ』

 

 依織は血塗れの恰好――良く見ればそれは、過去日本が保有していた唯一の戦力である自衛隊とやらが着込んでいた衣服に似ている事が分かった。定期的に走るノイズ、その合間合間から依織の状態を読み取る。右腕部に二発、左脇腹に一発、下腹部に一発、それに胸元に一発。弾丸を受けている、致命傷だ、セブンは思わず顔を顰めた。

 

『本当なら、新しく生まれた私に問答無用で見せるべきなのでしょうね……けれど、知らないで死ぬのなら、それもまた幸せな事だと思うの――次の私、もし、これが届いていて、そしてこの世界の真実を知りたいのなら』

 

 映像の中の依織は一度言葉を呑み込み、それから強い眼差しと共に告げた。

 

『世界の果てを目指しなさい、きっと、貴女が思っているより世界は狭いわ、ずっとずっと――地球は、丸くなんてなかったの』

 

 それは、セブンからすれば理解出来る言葉ではなかった。或いは、何かの謎かけの様な。

 映像の中の依織が咳き込む。喀血だ、咳に混じって赤が飛び散る。依織は口元を拭って付着したそれを眺め、ふっと口元を歪めた。

 

『あぁ、残った記憶領域では、これ位が限界ね……この映像は、貴女の記憶領域に残る、抽出する手段は――そこまでは面倒を見きれないわ、でも、誰にでも見せて良い訳じゃない事くらい分かるでしょう? 次の私が、賢明である事を願うわ』

 

 眼鏡を外し、無造作に投げ捨てた彼女の命は風前の灯火であった。もう助からない、誰の目から見ても明らかだ。依織は撮影しているのだろう、端末に手を伸ばしながら最後に告げた。

 

『……貴女の世界のトップを疑いなさい、きっとその存在はマザーの手足となって動いているでしょう、今、私から言えるとしたらそれだけ、貴女の世界がどんな場所で、どんな敵に襲われているのかも分からないから――瓦礫の山の世界から、次の私の武運を祈るわ』

 

 それじゃあね。

 その言葉と共に、映像データが終了する。ノイズのみが走る画面を数秒睨みつけるようにして見つめ、それからセブンは依織に目を向けた。

 

「……今のは、何だ」

 

 神妙な顔でセブンが問いかける。それは、あらゆる意味合いを含んだ問いかけであった。依織は端末の電源を落とし、ぼそぼそと答える。

 

「私も確実な事は言えない、けれど推測する事は出来る」

「……次の私、世界の果て、地球は丸くない、それに――トップを疑え、だと?」

「この世界の頂点、少なくともウォーターフロントに於いては」

 

 四十人委員会。声の響きは冷たく、無機質だった。セブンは依織を睨みつけるようにして見る。

 

「私にこれを見せた理由は、それか」

「えぇ、私も……正直に言えば疑っているのよ」

 

 草壁依織もまた、ウォーターフロントの頂点である四十人委員会を疑っている。成程、自分にこの映像を見せた理由は理解した。しかし。

 

「あれが自作自演でないという証拠は?」

「私がこんなものを作って何のメリットがあるの、悪戯目的だとしても余りに手が込んでいるとは思わない?」

「……そうだな」

 

 セブンの問いかけに、依織は予想していたとばかりに淀みなく答えた。あの映像の背景や怪我具合、とても演技には思えないし、一から用意するには余りに手間だ。そんな労力に見合うだけのメリットが彼女にあるのだろうか? セブンが考えうる限り、依織が得をする事はない。彼女が愉快犯であるならばまた別だが、そんな雰囲気は微塵も感じはしない。それに、撮影の為だけに態々内地に赴くのか? ――余りにも非現実的である。

 

「私も、正直な話これは自分の胸の中にずっと仕舞っておこうと思っていたの、けれど貴女が現れた――この世界の人はね、何の疑問も抱かないのよ、四十人委員会という顔の見えない人達に対して……不思議な位」

 

 その言葉にセブンは同意せざるを得なかった。自身を含め、このウォーターフロントを実質支配している四十人委員会に対し、人々は無頓着だ。誰もその存在を知らない、名前を知らない、活動を知らない。漠然と頂点に立つ四十人の人間が居ることだけを知っており、それ以上の事を知ろうとしない。

 それは、明らかにおかしな事ではないだろうか。

 

「色々と確かめたい事があるわ、四十人委員会の事も、この世界の事も――私は、世界の果てとやらに行ってみようと思う」

 

 依織は真剣な表情で宣う、真実を探すと。

 セブンは一度視線を切り、両手で顔を叩いた。これが何か悪い夢なのかと――機械人形が滑稽な事だ、そう内心で吐き捨てながらしかし、暫くそうして顔を覆い続けた。

 自分はただ、刑部に会いたいだけだ、それ以上でも以下でもない。けれど、その刑部の命を握っていると言っても過言ではないのが四十人委員会。それをどうして放っておけよう?

 セブンは両手をぐっと握りしめ、それから深く息を吸い込んだ。そして内心の動揺を押し殺し目の前の依織に問いかける。

 

「世界の果て、とは具体的にどの辺りなんだ?」

「……分からないわ、でも恐らくFOBよりも遠く、内陸なら東京の向こう側、そうね、東北の方まで上がってみれば分かるのではないかしら」

 

 その、実に無計画で無鉄砲な言葉にセブンは顔を顰めた。

 

「……東北・九州・四国は完全に制圧されている、危険だぞ」

「けれど、そこで世界の果てとやらにぶち当たれば少なくとも映像の言っている事は正しいという確証が持てる、そうすれば四十人委員会を信用出来ないという確固たる証拠になる、そうでしょう?」

「そんな良くも分からない映像の為に、命を危険に晒すのか」

「……そうね、普通に考えればそうなるわ、けれどある日突然、自分と同じ顔をした人間にビデオレターを送られた私からすれば、それだけでもうただ事ではないのよ」

 

 自身の腕を掴み、そっぽを向きながらそう答える依織の姿にを見て、セブンは眉を顰めた。

 

「映像の中の私は、『前の私』と言っていた、そして今、こうして此処に立っている私を、『次の私』と――これがどういう意味か、貴女には分かる?」

「……さぁ、私に提示できる尤も可能性の高いものは、これがお前の自作自演であるか、或いはお前自身が記憶喪失になっているか、記憶洗浄処理をされたかのどちらかだ」

「本や小説、映画は余り見ないのね、貴女」

「何?」

 

 何故、ここで本や小説、映画の話が出るのか。訝し気な表情を隠さないセブンに、依織はどこか意地の悪い雰囲気を纏って言った。

 

「SFではありがちよ、まさか自分に適応されるなんて夢にも思っていなかったけれど……例えば、そうね、この世界がループしているという考えはどう?」

「ループ?」

 

 セブンの声が、どこか素っ頓狂な響きを伴って依織の鼓膜を打った。また、随分突飛な発想だ。依織は腕を組みかえ続ける。表情は雰囲気とは裏腹に、僅かも揺らいではいなかった。

 

「そう、人類が亡ぶのは初めてではない……とか、そう考えれば映像の中に居た私の『前の私』、『次の私』という話に納得がいくわ」

 

 続けられた言葉にセブンは困惑を隠せない。依織の瞳をじっと見つめ、それから視線を左右に散らしながら問いかけた。

 

「それは、なんだ、哲学か?」

「いいえ、真実の一例として私は語っている」

「馬鹿げた話だ」

 

 本当に、馬鹿げた話だ。言葉には冷たさが伴っていた。吐き捨てるように叩きつけられたそれに、依織は懇々と頷いて見せた。

 

「えぇ、そうね、馬鹿げた話だわ……けれど同じように、委員会を疑うという事も馬鹿げた話ではないの?」

 

 言葉はセブンの胸を穿った。そうだ、根本的に――何故委員会を疑うのか? その理由を改めて突きつけられた時、「馬鹿げた」と言われない理由はない。空虚に感じたから、何となく違和を感じたから。そんなものは理由ですらない、正しく馬鹿げだ話だ。そして先ほどの映像を加味しても、同じ。依織は黙り込んだセブンの瞳を覗き込んで、告げた。

 

「セブン、貴女は委員会に対して『空虚』という言葉を使ったわね、それを明確にすれば分かる、人の熱を感じなかったのでしょう? 委員会という組織に対して、機械の様に感じられた、そう貴女は言ったわ」

「それは」

 

 詰め寄る依織に、セブンは言葉を返せなかった。暫く二人の間に沈黙が降り、ややあって依織は一歩退く。そしてじっと対面に立つ彼女を見つめながら言葉を続けた。

 

「もし、貴女の感性が正しかったら……どうする?」

「……私の感性とは、何だ」

「つまり、委員会のメンバーが人でなかったとしたら」

 

 それは、セブンが驚きに目を見開くには余りに十分な情報だった。視線を交わす双方、依織に冗談や嘘を言っている様な素振りはない。至極真面目で、能面の様な表情でセブンを見ていた。

 

「勿論、ただの予想……いえ、妄想のひとつに過ぎないわ、けれどもし四十人委員会のメンバーが機械だとすれば、全てに説明がつくわ、映像の中の私が言っていた『マザー』という言葉も」

「あり得ない、機械が人の上に立つなど……!」

「けれど絶対とは言えない、違う?」

 

 依織の言葉に反論は出来なかった。機械が人の上に立つ、成程、空虚と感じるのも当然だろう。けれど委員会が機械であるなどという証拠はない、そんな事はあり得ない――同時にそれは、委員会が人間である証拠もないという事であった。委員会の秘密主義とも言える秘匿性がセブンの不安を煽った。彼女は俯き加減になった顔を上げ、下から睨みつける様に依織を見た。

 

「お前は、何を知っているんだ? その口調、まるで何かを確信しているかのように聞こえる」

「………」

 

 そうだ、この女性はまるで、『然も真実であるかのように』それを語る。委員会の存在然り、そもそも四十人委員会が人間で構成された意思決定機関である事はウォーターフロントに住む全人類の知るところである。そしてその情報は、悉くが遮断され機密として扱われている。人間であり、エースと呼べる腕間を持つAS乗りだとしても、その存在を確信出来る程の情報に触れられるとは考え難い。

 何かある――セブンは内心で確信していた。先ほどのビデオの様な、まだ委員会が何たるかを知る事の出来る情報を、この女は隠し持っている。

 遠回しなセブンの問いかけに依織は一瞬視線を逸らした、しかし注がれる熱の籠った視線に負けたのか、暫く沈黙を守った口がゆっくりと開き、言葉を紡いだ。

 

「詳しい事は何も、けれど確かに私は、まだ貴女に語っていない秘密を幾つか知っているわ――映像だけではないのよ、この世界と委員会を疑う要素は」

「それは、何だ」

「………」

 

 依織は唇に手を当て、幾分か迷う素振りを見せた。それは情報を出し渋っているというより、その情報を『セブン』という存在に明かして良いのかという迷いに見えた。依織の指先がゆっくりとセブンの頬に伸び、先端が触れた。温い体温。セブンは微動だにしなかった。

 依織は喉を鳴らすと、ゆっくりと告げた。

 

「そうね、貴女達に搭載されている、人工知能(造られた感情)について……それの元となった主人格(オリジナル)が居るとしたら、どうする?」

「――オリジナル? それは、どういう意味だ」

「機械人形に埋め込まれた人工知能、人は人間を模倣した完全人工知能の開発になんて成功していない、感情のデータ化なんて嘘、ただ人間の人格をそのまま模倣した為に付随しただけの産物――そうね、貴女はアンドロイドというより、異なる容姿と素体を得た人間の複製品という所かしら、精神は人間で、体だけが機械の、ね」

 

 驚愕した、では足りぬ。

 それは宛ら巨大な金槌で頭部を殴り付けられたかのような衝撃であった。あの、源に頬をぶたれた時さえ及ばぬだろう。一瞬、意識に空白が起こる。外傷によるものではない、完全なハード(内面)、心理的な原因による処理落ちであった。目を見開き、息を止めたセブンの姿を視界に収め乍ら、依織は唇を湿らせゆっくりと、言葉を口に含むように続けた。

 

「数多の人間の人格をコピーし、それを『人工知能』と名付け素体にインストールする、パッケージングされた人格は異なる素体で自我を持ち、己を機械人形と自覚する――大嘘よ、貴女の人格は間違いなく人間のものだわ、人間の人格ごと脳髄をコピーした『紛い物』、それが機械人形の正体」

「馬鹿、な――嘘だ、私達機械人形は、人工頭脳(アーティフィシャル・ブレイン)による、完全な……!」

「違うわ、貴女は不思議に思わなかったの? 戦うだけならば、機械人形なんて必要なかった、無人機のASでも作れば良かったのよ、UAVや無人戦車があるんだもの、不可能なんかじゃないわ、心を持った人形と人間は内側に引きこもっていれば良い、けれどそれを委員会は選ばなかった――連中こそ、本当の意味で『人工知能』(AI)なのよ」

 

 依織の口調には先ほどとは異なる、熱があった。言い聞かせるような感情があった。セブンは一歩、後ろに足を落とす。ぐらりと体が揺れ、体幹が崩れる気がした。無論、錯覚だ。手を顔に当て頸を振る。額が熱い、処理が追い付いていないのか、視界がぐるぐると回って気持ちが悪かった。

 

 人格のコピー、パッケージ、そして素体へのインストール。人間は完全な模倣品など作り上げていない――即ち己は、世界の何処かの人間の脳髄をコピーした『紛い物』(人間もどき)。それは今まで己を確立していたアイデンティティ、レーゾンデートルを破壊するには十分な威力を秘めた情報であった。ふらついたセブンを支えようと手を伸ばす依織、しかしその手をセブンは払い退け、「触るなッ!」と叫んだ。叫びは周囲に良く響き、依織は払われた手を胸元に引っ込め、撫でつける。

 セブンは荒い息を繰り返し、両手で顔を覆いながら背を曲げ声なき悲鳴を上げた。

 己は完全な機械ではない――そして完全な人間でもない。人間の脳髄をコピーし、機械の体に詰め込んだ存在だ。精神は人間、それも借り物の、そして躰は機械。

 

 ならばこれは――(これ)は何だ? 人か? 機械か? 否、混ぜ物(キメラ)だろう。

 

 人に感じていたあの愛護の情も、人故に持ち得た懐古の念だったとでも言いたいのか? どこからが機械(ほんもの)で、どこからが模倣元(にせもの)だ? セブンには、分からない。荒い息を繰り返し項垂れるセブンを見つめ、依織はただ沈黙を守った。その表情は痛ましく、その情報を口にした事への後悔が少なからず見て取れた。

 セブンは下から睨みつけるように、顔を覆った指の隙間から依織を見た。何故か今は、彼女の気遣う様なその顔が無性に気に入らなかった。セブンは勢い良く腕を払い、横合いの壁を強かに叩く。機械人形の腕は硬質的なモルタルの壁を強く打った。びくりと、依織の肩が跳ねる。

 セブンは深く、息を吸い込んだ。

 

 今は――良い。己は確かに紛い物だろう、人でもなく、機械にでもなく、人の心を機械に詰め込んだ混ぜ物だろう。人への情は紛い物で、前提条件さえ偽物で、使命も義務も存在しない。

 けれど唯一、本物と胸を張って言える存在がある。

 それだけは、絶対に偽物などとは言わせない――言わせてはならない。

 

「草壁、依織……断言したな、四十人委員会を……つまりお前は、確信している訳だ」

「……そうよ、あの映像記録の他に、細々とした文書データが送られていたの、『すべての世界に共通する黒幕』と、その結末が」

「ならば――」

「――けれど私も、まだ疑っている、完全に信じた訳ではない……だからこそ私は、確かめなければならないの」

 

 セブンの言葉を遮る様に、強い口調で依織は言った。彼女の言は理解出来る、どこの誰とも知れぬ存在がら渡されたものを鵜呑みには出来ない。そしてそれは、セブン自身にも言える事。

 

「……この素体は機械でも、人格は人間――か」

 

 天井を見上げ、セブンは呟いた。体から力を抜き、二度、深呼吸を繰り返す。そうすると少しだけ気持ちが楽になった様な気がした。機械に呼吸など必要ないというのに、それが人間の残滓であるかのような気がして、セブンは顔を顰めた。

 

「草壁依織」

「――何よ?」

 

「世界の果てとやら、私に任せてくれないか」

 

 



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23話

 

「………」

 

 ナインとセブンは、ミーティングルームの一室を貸し切り、対峙していた。壁に背を預け目を瞑るセブン、その対面に立ち神妙な表情を浮かべるナイン。二人はたった今、互いに知り得た情報を交換したばかりであった。ナインは藤堂刑部の扱うVDS、そしてそこから放たれるGSと呼ばれる兵装の齎す副作用。そしてセブンは草壁依織の口にした委員会への疑惑、そして映像データに関しての全て。

 二人の情報は互いにとって非常に重要なものであり、同時にそう易々と呑み込めるほど軽々しい程のものでもなかった。セブンは瞼を瞑ったままゆっくりと頷き、呟いた。

 

「成程、実に――ふざけた兵器だな」

 

 怒りの滲んだ言葉、吐き捨て、セブンは目を開いた。その瞳には明らかな怒気が滲んでいる。

 

「使えば使う程精神を壊し、肉体的損傷を負う兵器だと? そんなものは兵器とは呼ばない、ただの特攻ではないか……!」

「えぇ、言い方は兎も角、意見には同意します」

 

 セブンの強い怒りの滲んだ言葉に、ナインは淡々と同意して見せる。ナインとしても、この兵装の齎す危険は見過ごせない。どうにかしなければならないという気持ちもあり、兵装の真実をセブンに伝えるに至った。しかし、同時にセブンから語られた内容に顔を顰める。

 

「それで……セブンさんの方は、この話、本当なのですか」

 

 やや疑念を残した口調。ナインは正面のセブンを、訝し気な表情で見ていた。疑われるのは当然だろう、セブンは頷きながら肯定する。

 

「あぁ、少なくとも草壁依織から『嘘』の反応はなかった、呼吸、脈拍に異常なし、綺麗なものだ、あれでもし平然と嘘を垂れ流していたというのなら、実に芸達者な奴だよ」

「しかし、その映像の内容は余りに――」

 

 ナインは言葉を切り、視線を横に流した。彼女としても上官であり戦友であるセブンを疑るような事はしたくない。しかし、彼女の言葉は荒唐無稽が過ぎる。ましてや直接映像を見たセブンならばまだしも、ナインはそれを口頭で伝えられただけだ。妄想か、或いは夢の内容か何かと思ってしまうのも仕方ないだろう。しかし、セブンは依然真剣な表情でナインを見つめ、告げた。

 

「私もな、最初は漠然とした疑問だけだった、しかし今は強い疑念を委員会に抱いている、顔の見えないトップ、四十人の人間、ひとりふたりならば兎も角、全員の素性が知れないのだぞ? あれ以降、私は何とか委員会のメンバーを知ろうと躍起になったが……成果は零だ、全くない」

「……二週間、機械人形である貴女が調べても、ですか」

「あぁ」

 

 セブンの言葉に、ナインは理解の色を見せた。機械人形、それも前線に携わるAS乗りが二週間調べて回ったのだ。それで名前すら分からないというのは、明らかにおかしい。不自然である。それは意図的に隠されていると言い換えても良い。

 

「IDを偽って上層部のデータベースにも潜り込んだ、一般層に情報が無いことは当然だが、上の階層にも委員会についてのデータは存在しなかった、つまり上層部の連中ですら委員会のメンバーについては知らないんだ」

「まさか、そんな危険な橋を?」

人間(草壁依織)の協力があったからな、然程難しくはなかった、外部からなら兎も角、内部から機械人形が裏切る想定はなかったようだ」

 

 セブンはこの二週間で委員会への疑惑を更に強めていた。身分詐称まで行い、上層のデータベースにも潜った。しかし、そこにも委員会の情報は存在せず、渋々撤退したのが数日前。両腕を組み、顎を擦るセブンは強い瞳をナインに向ける。そこには委員会への不信が現れていた。

 

「上層の連中すら委員会のメンバーの顔を知らない、データベースには委員会の個人情報どころか、名前一つ存在しなかった、名前一つ、だぞ? ならば、誰なら知っているんだ? ウォーターフロントのあらゆる決定権は四十人委員会が握っている、ましてや防衛の要である我々の上層ですら知らないとなれば、ウォーターフロントの誰も委員会の顔など知らないのではないのか?」

 

 ウォーターフロントの防衛を担うセブンやナイン。その上層が持つ権力はそれなりに大きい。四十人委員会程でなくとも、多少の融通を利かせられる程度には大きい組織だ。何より、ウォーターフロントの防衛を担っているという事実が大きい。人々は、この組織に守られているのだという意識を持っている。もし、四十人委員会が最も巨大な権力を持っているとすれば、その次点、あるいは三番手に挙がるのが此処の上層だろう。そのデータベースにすら、委員会のメンバーの情報は存在しなかったのだ。これは、明らかにおかしい。

 ナインは眉を潜め、同意する様に頷いた。

 

「それは、確かに妙ですね、此処以上にウォーターフロントへ影響を持つ組織など……民間ではまず、あり得ません」

「だろう? 故にナイン、これは提案なのだが――私と共に世界の果てに行ってみないか」

「世界の果て、ですか」

 

 ナインは目を瞬かせ、セブンを見た。

 

「そうだ、先の話で語って聞かせた様に草壁依織の映像には様々な疑問が残る、だがそれらのどれかが正しいと証明できれば、同時に委員会を疑う確固たる証拠になるだろう――私とて、人間を疑る様な事はしたくない、しかしそれが刑部に関わる事だというのなら捨て置けん」

 

 セブンはそこまで言って目を伏せた、それがただの言い訳である事を自覚したからだ。人間を疑る様な事はしたくない、どの口にそんな事を――実際はもっと醜く、安易な感情の発露であった。

 

「いや、これは単なる言い訳か……率直に言えば、私は気に入らんのだ――刑部にあの様な兵器を押し付け、平然としている委員会の連中が」

 

 それが、セブンの偽らざる本音である。ナインはそれを聞いても彼女を責めようとは思わなかった。実際はどれあれ、ナインもまたその気持ちを理解できたから。藤堂刑部という個人を犠牲に安寧を得る、例え必要な犠牲だと目の前で口にされても、理解はしても納得はしたくない。それを避ける事が出来るのなら手を尽くそう――其処まで考え、ナインは人間ではなく、刑部という個人に拘っている己に気付いた。あの屋上で、蓮華の言葉に即答できなかった己が。

 今更だ――ナインは胸元で手を握り締め、頷いた。

 

「具体的には、どうなさるつもりですか」

「……あの映像の草壁依織は、『地球は丸くなかった』と言った、つまり地球には【果て】があるのだと仮定する、大昔の哲学者や、科学者が言ったようにな、その境目が四角形か円形か、それは分からないが兎に角移動し続ければ良い、私の計画では内陸――日本列島の北海道方面に向かってみようと考えている」

「つまり、何ですか……【世界地図は間違っている】と、そういう事ですか」

「有体に言えば、そうだ」

「――とても正気とは思えません」

 

 ナインの表情は真剣だった。余りに荒唐無稽で、突飛すぎる話だ。それはセブンも理解している所だった。故にセブンはふっと口元を緩め、自嘲するように言った。

 

「正気ならば、そもそも何処の誰とも知れん四十人の人間に、百万を超える人間が従う事もなかっただろうさ、【元から間違っていたのだ】、そう思い込まされているというべきか」

「……委員会に疑念を抱く事は同意します、しかし世界の果て、そもそも地球が丸くないなど、余りに話が飛躍し過ぎている気がしてなりません」

「だからこそ確かめに行くのだ、仮にそんな偽りをウォーターフロントの人間に広められるとすれば、委員会以外存在しない、世界に果てがあるとすれば、委員会は十中八九敵となる、トップを疑えというあの女の言葉も、真実だと確証が持てる」

「実際に、どの程度の距離が必要なのかも分からないのですよ?」

「あぁ、下手をしなくとも一日二日では終わらんだろうな……だからこそ私は草壁依織に世界の果ての調査を任せて欲しいと言ったのだ」

 

 目前に立つセブンの強い視線がナインを穿った。その瞳に込められている感情は何だろうか、真剣で、イノセントで、ナインはその瞳に見つめられると酷く喉が渇いた。反対しなければならないのに言葉が上手く紡げなかった。

 

「人間がひとり死ぬより、機械人形が二人死ぬ方が良いだろう、違うか?」

「それは」

「元より私が口に出さなければあの女はひとりでも向かっていただろうよ、それに私も、ナインが行かぬと言うならばそれでも構わない、私一人で向かうだけだ」

「……その間、部隊はどうするのです」

「既に話はつけてある、私は長期のメンテナンスという形で工廠に引っ込むつもりだ、部隊は一時的に他の者に指揮を預ける」

「まさか、そうそう代わりなど――」

「草壁依織だよ」

 

 彼女の言葉に、ナインは追及の為に開いていた口を閉じた。セブンはナインを見据えたまま、草壁依織が調査に赴くセブンの代わりに代理として隊を纏めると説明した。

 

「彼女が一時的に部隊の指揮を執る、腕は勿論、指揮官としての教育も受けている、問題あるまい」

「……確かに、問題はないかもしれませんが、彼女はそれを許可したのですか」

「無論だ、寧ろ彼女が言い出した事だよこれは、私が世界の果てに向かうならばその穴埋めとして代役を務めよう、とね」

 

 ここまで用意周到だとは。ナインの口から、自身の意志とは関係なく溜息が零れた。これは、もう何を言っても止まるまい。元より行くこと自体は既に決まっていたのだ。後は己がついて行くかどうか、その一点のみ。そしてここまで情報を出され、手を回された時点で断るという選択肢は存在しなかった。

 

「はぁ……――分かりました、同行します」

「! そうか」

 

 軽く手を挙げ、首を振るナインにセブンは嬉しそうに微笑みかける。だが、まだ詰めておくべき点はある。ナインはこれからの予定を思考の中に並べながら、目の前の彼女に問いかけた。

 

「しかし、万が一世界の果てが見つからなかったらどうするのです? そうでなくともウォーターフロントから内地側は千葉の一部を除き殆どが感染体の占領下です、そう簡単に侵入できるとはとても……」

「無論、考えてあるとも……これを見て欲しい」

 

 そう言ってセブンが端末から映像を投影した。3Dモデリングされた映像はナインの目前に表示され、それを見て彼女は眉を寄せる。

 

「これは……飛行型ASですか?」

「いいや、正確に言うならば陸上型の拡張ユニットだ」

 

 映像の中にあるモデルはASより僅かに小さいく、全体的に操縦者を包み込むような形をしていた。それ単体だけでもASと見紛う大きさ。左右に折り畳まれた主翼があり、背部と後部にも大小のウィング、そして噴射口が設置されている。小型の飛行型ASかと考えたナインの言葉を否定し、セブンは是を陸上型AS用の拡張ユニットと言い切った。

 

「拡張ユニット? しかし、拡張と呼ぶには聊か大きすぎでは」

「そうだな、元々これは陸上型のASを航空戦力として運用する為に開発されたものだ、無論計画は頓挫した、タイプ・アースやドレッドノートの登場でな、彼奴等のせいで内陸に於ける航空戦力は塵屑同然、その煽りでこのユニットもお蔵入り、初期の航空戦力が主力だった時代に極少数のみ製造され現在も格納庫に眠ったまま……という訳だ」

「成程、過去の遺産ですか、それも未だASの効果的運用の定まっていない時代の……これを使って速度を稼ぐという所ですね、しかし飛行可能な拡張ユニットとは言いますが私の素体は航空適性を獲得していません」

「問題ない、元々陸上型ASを飛ばすための物だ、前頭部に直結可能な人工知能(AI)が搭載されている、私達に搭載されているものより数段劣るが、大まかな操縦や危機回避はコイツが担当してくれる、私達は繋がれたまま素直に飛んでいればいつの間にか目的地に到着――という寸法さ」

「タイプ・アースやドレッドノートの不可視砲撃に関しては如何」

「私達の目的は敵の撃破ではない、砲撃圏内はドレッドノートで五キロ前後、タイプ・アースで十キロ以上……震度探知ポットを先行させて、空気振動を探知したら即座に離脱する、これを徹底すればいつの間にか撃墜された、なんて状態は防げる筈だ」

 

 その言葉を聞いたナインは顎先に指を添え、少しの間考え込む素振りを見せた。その表情は険しい。

 

「随分と行き当たりばったりな計画ですね」

「そうでもないさ、輸送機サイズや戦闘機サイズならばいざ知らず、ASサイズならば十キロ先から目視するのも難しい、それに加えて低空飛行を行えばまず捕まらない、確かに内地は感染体の巣だろうが、敵の初動を掴むUAVは健在なのだ、あのサイズで飛行すればたった二機、見過ごしてくれるだろうよ」

 

 ナインは険しい表情のまま瞼を下ろし、溜息を吐いた。それは人間の真似事に過ぎなかったが、自身の中に渦巻いていた如何ともし難い感情を吐き出すには十分な効果があった。

 

「それは希望的観測でしょう、それに燃料や電力、武装、ルート――まだまだ聞きたい事は沢山ありますが……兎も角、行くと言ったのは私です、お付き合いはしましょう」

「助かるよ、ナイン」

 

 セブンは肩に籠っていた力を抜き、口元を緩めた。何だかんだと理由付けしながらも、やはり単独で内地に赴くには恐怖がある。機械人形が恐怖などと、他者に口にすれば笑われてしまう様な感情だが、ひとりで赴くよりも信頼できる仲間が同行してくれた方が遥かに心情的に余裕があった。セブンはナインの腕を叩き、目を閉じ呟く。

 

「さて、鬼が出るか蛇が出るか」

 

 呟かれた言葉はナインの耳にも届く。恐らく、鬼も出るし蛇も出るだろう。そんな事をナインは思った。それは確かな予感であった。

 

 ■

 

「は、長期メンテナンス……ですか?」

「そうだ」

 

 朝方、小隊で食事を摂っている最中、セブンが唐突にそんな事を告げた。刑部と天音が並んで座り、その対面にセブンとナインが腰を下ろしている。刑部は手に持ったパンを中途半端に齧ったまま目を瞬かせる。セブンはいつも通りのハンバーガーを手に持ちながら事務的な口調で言った。

 

「唐突ですまないな、向こうで急に空きが出たとか何とかで、今日の昼頃から工廠の方で色々と診て貰う、復帰は少し遅れるだろう、状態次第だが……まぁ、一週間前後という所か」

 

 神妙な顔で告げるセブン。その隣ではナインが淡々とサンドイッチを口に含んでいる。この時期にメンテナンス、少し不思議に思うものの、まぁそういう事もあるだろう。刑部は深く考えず、「はぁ」と気のない返事をしながら曖昧に頷いて見せた。

 

「前回の戦闘で多少機体にダメージがあっただろう? 素体の方も、折角だから良く診て貰うつもりだ」

「それは、そう……ですね、確かに大切です」

 

 セブンの言葉に、刑部は眉を寄せて考え込む。確かに、前回の戦闘でセブンはASに損傷を受けていた。目に見えないダメージというのは確かに存在する。特に機械人形の様な精密な機械は僅かな損傷でさえ致命的になりかねない。ましてや大切な小隊の仲間ならば尚更。素体の調子を見て貰えるというのなら是非もなし、喜んで留守を預かろう。刑部は素直に頷き、「分かりました」と笑って見せた。

 

「えっと、それなら私達はその間どうすれば……ナインとセブンさんが抜けるって事は、私達二人だけって事、だよね?」

 

 セブンの言葉を聞いていた天音が、横合いから不安そうに手を挙げ言った。確かにセブンとナインの両名がメンテナンスで抜けるとなると、その間小隊のメンバーは天音と刑部だけとなる。たった二人では警邏任務も回せまい、そんな疑念の共に口を開けば、サンドイッチを黙々と食していたナインが口に入っていた分を呑み込み、言った。

 

「それに関しては問題ありません、セブンさんが代理の隊長を手配してくれました」

「代理の隊長……?」

 

 刑部と天音が訝し気な表情を浮かべると同時――コツン、と休憩所に足音が響いた。

 

「セブン」

 

 背後から声、丁度天音と刑部の背中。セブンとナインにとっては正面から。セブンの口元が緩み、軽く手を挙げた。

 

「依織」

「おはよう、顔を見せに来たわ」

 

 そう言って笑う、依織と呼ばれた女性。刑部と天音が揃って振り向くと、フォーマルな服装を着込んだ長髪の女性が立っていた。眼鏡の似合う知的な女性だと天音は思った、特に艶やかな黒髪が羨ましい。天音にとっては見慣れぬ女性だ、基地で擦れ違えば記憶に残る様な優れた容姿をしているが、残念ながら休憩所や廊下で見た覚えはない。

 反対に刑部は見覚えがあるのか、依織の顔を見た彼は露骨に安堵の息を吐き何処か気安さを伴った笑みを浮かべた。

 

「誰かと思えば……依織さんですか」

「えぇ、久しぶりね、刑部君」

 

 刑部にはこの依織と面識があった。訓練生時代に何度か世話になり、食事も共にした事がある。異なるブロック出身ではあったが、彼女自身ASの操縦技術は一級品であり、その腕前はDブロックの教導担当にも後れを取らない程であった。席から立ち上がった刑部は歩み寄る依織と握手を交わし、互いに笑顔で再会を喜び合う。それを横から見ていた天音は――どこか嫉妬の滲んだ瞳であったと自覚していたが、止められなかった――努めて何でもない様に振舞い、恐る恐る問いかけた。

 

「えっと、刑部君の知り合い?」

「うん、訓練センター時代に少し、天音はCブロック出身だったっけ? なら、今回が初対面かな」

 

 刑部の言葉に天音は頷き、少なくとも恋人とか、そういう関係ではない事に安堵した。それを表には出さず、依織に向かって小さく頭を下げながら自己紹介を行う。

 

「えっと、天音って言います、依織さん――で良いでしょうか?」

「えぇ、宜しく天音さん、別に依織と呼び捨てでも良いのよ?」

「いやぁ、流石にそれはちょっと、何かこう、お姉さん! って感じですし」

 

 へらりと笑って頬を掻く天音、実際天音からすると自分より幾つか年上に見える。二十半ば、少し多めに見積もって後半程か。自身には無い大人の余裕というか、どこか包容力のある雰囲気を感じる。

 

「それにASの操縦経験も先輩ですよね? 私達の隊長になると聞いていますし、そんな人に気安く接すのは、ちょっと」

「ん、そうね、分かったわ」

 

 少し残念そうに依織は頷いた。実際、プライベートならば兎も角警邏隊として出撃する際に慣れ合うのは拙い。線引きは大事だ、特に刑部と面識のある女性となると――少しばかり警戒してしまうのも仕方ないだろう。セブンは三人の邂逅を見守りながら、依織に問いかけた。

 

「それで依織、引き継ぎの方は終えたのか?」

「えぇ、特に面倒もなく、どうせ数日程度の交代ですし、さっさと済ませて戻れと小言をひとつふたつ言われた程度よ」

「上層にひとつふたつ小言をぶつけられる程度で済むお前が少し怖いよ」

 

 セブンが苦笑と共にそんな言葉を漏らすと、依織は肩を竦めてお道化た様に笑った。

 

「さて、改めて……草壁依織よ、セブンに代わってこの小隊の代理指揮官となるわ、短い間だけれど、宜しくお願いするわ」

 

 ■

 

 依織の紹介が終わった後、出撃の予定はなしという事で各自自由時間へと移った。刑部と天音は宿舎の方へと戻り――セブン、ナイン、依織の三名は工廠へと向かう道すがら、周囲に人影がない事を確かめ声を低くし言葉を交わした。

 無論、それはブラフである。そも工廠に用事などない、それを体に出立の準備に取り掛かろうとしていただけだ。真中にセブン、左に依織、挟んで右にナインという形で歩く三人の表情は険しい。

 

「セブン、この子が貴女の言っていた――」

「あぁ、協力者のナインだ」

 

 依織がセブンを挟んで歩くナインに目を向ける。ナインは横目で依織を確認しながら、小さく頭を下げた。

 

「ナインです、宜しくお願いします」

 

 声は淡々としていて、感情を感じさせない。依織は暫く歩きながらナインを観察し、それからぼそりと問いかける。

 

「……信頼、して良いのね?」

 

 疑念の籠った視線だった。ナインは頷き、依織から目線を逸らしながら言った。

 

「少なくとも、人である貴女を裏切ろうとは思いません」

「そう――良いわ、信じてあげる」

 

 依織はそう言って足を止めた、釣られる形でセブンとナインも立ち止まる。依織はナインに向き合うと、静かに手を差し出した。ナインは一瞬差し出された手と依織を見比べ――ゆっくりとその手を握った。彼女の手は暖かく、人間らしい手だとナインは思った。自分にはない暖かさだ。握手を交わした依織は口の端を吊り上げ、どこか挑発的な表情で告げる。先ほどの天音と刑部の前では見せない、昏い色を孕んだ瞳が覗く。

 

「これで貴女も共犯者……不思議ね、本当の所を言うと機械人形を仲間にするなんて、セブンだけだと思っていたのだけれど」

「機械だからこそ出来る事もある、今回の様にな」

「そう、そうね、それで首尾は?」

「計画は練った、後は諸々引っ張り出して、昼頃に飛び立つ予定だ」

 

 僅かに声を落とし、そう言い切るセブン。その瞳は頻りに周囲に向けられていた。人影はない、人がやって来る様子もない。依織は腕を組み、首を軽く逸らしながら問う。

 

「根回しは済んでいるのでしょうね」

「当然だ、工廠の方には伝手があってな、一週間ほど私はナインを連れて内側に休暇を満喫――という事になっている、表向きは長期のメンテナンスという形で」

「……そういうところは、人間に似なくても良いのに」

「ははっ、無茶を言うな」

 

 肩を竦めるセブン。呆れたように息を吐く依織。そういう建前だとか、裏工作だとか、人間の卑しい面――無論、それが無ければ無いで問題なのだが――を上手い具合に再現するセブンに、依織は複雑な心境であった。

 しかし、これで始められる。全ては此処からだろう。気を引き締め、表情を改めた依織はナインとセブンの肩を叩き、頷いた。

 

「でも良いわ、バレずに事を済ませられるのなら言う事なし、頼んだわよ」

「あぁ、任せてくれ――じゃあ、行って来る、ナイン」

「はい……では、くれぐれも二人の事、宜しくお願いします」

「えぇ、任せて」

 

 ナインは刑部と天音の二人を依織に託し、依織は自身の握った秘密の立証を二人に託す。セブンとナインは廊下を真っ直ぐ往く、依織はその背中をじっと見つめ、それから踵を返した。刑部と天音の二人と合流する為だ、任されたからにはこの一週間、恙なく隊長代理を務めなければならない。

 

「――頼んだわ、二人とも」

 

 



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24話

 

 宿舎に向かう途中、不意に天音が足を止め、刑部の名を呼んだ。

 

「刑部君?」

「ん――」

 

 足を止めた彼女に釣られる形で刑部も歩みを止め、振り向く。そこには顔を俯かせ、陰を背負った天音が居た。どうかしたのだろうか、刑部は天音の前まで歩き心配げにその顔を覗き込み問いかけた。

 

「どうかした? もしかして体調、良くなかったりする?」

「刑部君、あの――」

 

 天音は俯いていた顔を上げると、周囲に人が居ない事を素早く確かめて、それから何度か口の開閉を繰り返した後、言った。

 

「その、あの、さ……ナインに聞かれた時はあぁ言っていたけれど、あの兵器って、本当は危険なものじゃないのかな……?」

 

 声は僅かに震えていた。刑部を下から見上げていた瞳はゆっくりと再び床に向けられ、両腕が力なく垂れている。二人の間に沈黙が降りた、俯き自分の足元を見つめる天音には今、刑部がどんな表情をしているのか分からない。刑部が穏やかな口調で言った。

 

「危険、っていうのは?」

「その……刑部君の体に、何か良くない影響を与えたりとか」

 

 天音は俯いたまま、強く瞼を閉じた。肩を張って拳を握り締め、唇を噛む。どうか嘘を言わないで――そう内心で願った。息を吸い込んで、言葉を紡ぐ。

 

「その、あの時の、苦しんだ表情の刑部君の姿が頭から離れなくて、目や鼻から血を出して、呻いて、痙攣までして、あんなの普通じゃないよ、きっと何か良くない副作用とか、あるんでしょう? だって二週間も隊を離れていたんだから、全く何もなかったなんて、そんな事は無い……よね?」

 

 舌は良く回った。否定しないでくれと、そんな心の焦りが言葉を生んだ。恐る恐る、顔を上げる。漸く視界に入った刑部の表情は――笑っていた。

 儚く、嬉し気で、同時に悲しそうに。

 

「……天音は優しいね」

 

 その言葉を聞いた瞬間、天音は刑部のその後の言葉が手に取る様に分かった。嗚呼、駄目だ、彼はきっと。天音の顔から血の気が引き、指先が小さく一度だけ震えた。

 

「大丈夫だよ、何もない……治療は、四足にやられたもが殆どだったから」

 

 目を閉じて微笑む刑部。天音はその言葉を聞き届け、また視線を足元に落とす。言葉は嘘だと分かった、蓮華より言質は取ってあるのだ。無理をしていない筈がないのだ。なのに彼は隠した、嘘を吐いた――その事実が何よりも天音の心を抉る。

 私はまだ、信頼されていないのだ。

 

「そっか……うん、なら……良い、んだ」

 

 言葉は淡々としていた、平然と聞こえたかもしれない。けれど胸内はこれ以上ない程に淀み濁り、落ち込んでいる。握り締めた拳が解かれ、力なく垂れる指先。蒼褪めた顔。

 天音は思った。

 この人はきっと、笑って死ぬ。最後まで自分の体を削って、記憶を失って、精神を病んで――廃人となって死ぬんだ。

 そんな未来がありありと想像出来た。全てを出し尽くし、外も中もズタボロにされた刑部が冷たくなって骸になる。それでもきっと彼は後悔もしなければ恨みもしない、そう在るべきだと受け入れて死んでく。笑って死ぬ。そんな彼の、『限りなく現実に近い未来』を想像すると、胸を掻き毟り、叫びたくなる衝動に駆られた。歯で唇を噛む、舌に血の味が滲んだ、強く噛み過ぎて唇を噛み千切ったのだと分かった。けれど痛みは無かった。

 

『ならば如何しますか、刑部さんの手を取って、逃げますか』

 

 不意に、ナインの言葉が脳裏を過った。藤堂刑部という人間を救う方法。

 全てを捨てての――逃避行。

 天音にはそれが、彼を死なせない為の唯一の方法に思えて仕方なかった。

 

「それじゃあ、私はこっちだから、何かあったら遠慮なく呼んでね」

「うん、ありがとう、天音」

 

 宿舎に入った二人は天音の部屋の前で別れた。笑顔で手を振る刑部、対してどこかぎこちなく笑って頷く天音。自室に入った彼女は後ろ手に扉を締めると鍵を締め、ずるずると扉に背を預けて座り込んだ。

 最近少しずつ物の増えた、質素な部屋。カーテンは閉め切り、光は入ってこない。天音は膝を抱え、その合間に顔を埋めた。

 

「……刑部君が、死ぬ」

 

 記憶を失って。最期は自分が誰かも分からず、ただ息をするだけの肉の塊になって。或いは、脳が焼き切れて、戦場で。

 

「――ッ!」

 

 想像した、想像して、ぎちりと、歯を食いしばった。許せる筈がない、そんな結末は許容出来ない。天音はそう断じる、そんな未来はクソだ、到底許容できる筈がない。

 しかし、ならばどうする? 藤堂刑部を連れ出して逃げるか。この平穏と呼べるウォーターフロントを捨てて、過酷な内地で。脳内で何度もその言葉が反響する――けれど可能なのか、実際、そんな事が。

 否だ、天音は内心で否定した。ナインが言ったように人間二人でどうこう出来る程生温い状況ならば人類がここまで追いつめられる事はなかった。AS乗りとして逃げ出して、当分は良いだろう。だが人間が生きる上で必要な多岐に渡る。衣食住に加えて安全の確保、そもそもどうやって安定した食糧供給を為すと云うのか。天音の頭脳では廃墟と化した都市から残飯を漁る程度の案しか出て来ない。

 

 それに、家族はどうする? 母と妹は。

 

 天音は覚束ない足取りで立ち上がると、そのままデスクまで歩きその引き出しを開けた。中には輪ゴムで留められた手紙の束がある。母は、ローカルな人間だった。電子メールを使わず、直筆の手紙を良く寄越した。これらの手紙は全て母からの手紙であった。天音はそれを手に取り、表面を優しく撫でる。一番後ろの紙は僅かに黄ばんで、擦れている。訓練センターに足を踏み入れ、本格的にAS乗りとして活動した頃に届いた手紙だった。挫けそうな時は何度もこれを読み返して、己を奮い立たせた。

 内容は病気の事であったり、家族の事であったり、或いは天音の身を案じるものであったり、色々だ。

 そう、母は手紙を書ける程に回復したのだ。内側での生活は母の精神を幾分か慰め、体調を回復させる程度には心地よいものだったのだ。衛生面もそうだし、食事や睡眠の質、常に医者に罹れるという状況が良かったのだろう。少しずつ、少しずつだが自分達は『有り触れた幸せ』というものを享受し始めている。

 そんな家族を――見捨てられるのか、自分は。

 

「………」

 

 天音はそっと指を唇に近付け、爪ではなく、その腹を噛んだ。鋭い痛みと共に血が噴き出し、舌の上に鉄臭い匂いが充満する。その表情は険しく、荒んでいた。

 家族を見捨てられる――筈がない。

 

「両方助ける……どんな手を使ってでも」

 

 天音という人間は利己的なのだ――どこまでも。大切ならば両方助ける、助けなければならない、その為に他者が不幸になろうと天音は省みない。己の幸福と、己の大切な者の幸福は何を犠牲にしても守らねばならないのだ。そう、どんな手を使ってでも。

 呟きは虚空に消え、天音の瞳が歪に歪んだ。

 脳裏に浮かぶ人物はひとり――蓮華と名乗った、あの女性であった。

 

 

 ■

 

 

「痛ッ……!」

 

 不意に、鈍い痛みが頭に走った。刑部は天音と別れ、自室に向かう途中の廊下で足を止める。額に手を当てると僅かに熱がある様に感じた。頭痛、最近では珍しくもない。顔を顰め、直ぐ横にあった壁に身を寄せる。まるで小さな小人が頭の中で暴れ回っている様な痛みだ、顔を顰めながら力なく壁に凭れかかると、瞼の裏に早巻きの様な映像が流れ、頭に響く声の数々。

 

【宗像、ブロックを抜かれたわ、恐らくマザーが本腰を上げたのでしょう、直此処にも連中が来る、急いで戦車に乗って、千葉の沖合ならまだ希望がある、私は此処に残って最後まで戦うから――】【首都との連絡途絶、ゼロヨンとの連絡も途絶えた、もう生きてはいないでしょう……宗像、生きて、何としてでも、でなければ、私達は――】【何も怖がる必要はない、何度となく繰り返してきた工程だ、痛みも苦しみもない、また安寧を味わえば良い、マザーの手がお前に届くまで……何度でも】【けれどお前はきっと――この約束も忘れてしまうのだろうな】

 

「ッは、ハッ……! 今度は幻覚に、幻聴か」

 

 刑部は頭を壁に預けたまま吐き捨てた。夢を見ることはあった、しかし今の今まで現実でこんな夢紛いの映像や声を切事は無かったのだ。自嘲し、手で顔を隠す。頬を少し強く叩くと僅かに正気を取り戻せた気がした。

 

「いよいよ、俺も……」

 

 その先の言葉は出なかった。丁度、背後から足音が聞こえたからだ。億劫そうに振り向くと、此方を真っ直ぐ見つめる女性と目が合った。

 

「刑部?」

 

 背後から歩み寄っていた人物は源であった。彼女は刑部の傍に駆け寄ると、蒼褪めた表情で虚ろな目をする彼の肩を掴み問いかけた。

 

「源、さん」

「どうした! どこか、痛むのか……!?」

 

 どこまでも真摯に此方を心配する彼女を見て、刑部はぐっと下っ腹に力を込めた。空元気、やせ我慢の類は得意であった。へらりと笑った彼は肩に掛かった彼女の腕を軽く叩き、何でもない様に笑う。

 

「あはは、大丈夫、ですよ……ちょっと、立ち眩みがあっただけで」

「余り無理をしないでくれ、頼むよ」

 

 刑部を覗き込む源の瞳は不安に塗れていた。彼女にそんな顔をさせてしまっているという事実に、心が痛む。「大丈夫ですよ」と刑部は繰り返し口にした。それは源に向かって言った言葉だったが、同時に自分に言い聞かせている様でもあった。源は刑部の肩を掴んだまま、「何処に行くんだ、自室に行く途中か? なら、肩を貸してやる」と言った。

 刑部はひとりで平気だと口にしようとし――しかし、源の視線が自分ではなくその向こう側、己の背後に向かっている事に気付き、その視線を追った。

 

「――蓮華」

「何だ、源も一緒だったのか」

 

 丁度、源と反対方向からやって来たのは二階堂蓮華。いつもの和装ではなく、ASを装着する為のタイトなコンバットスーツに身を包んでいる。その肩にコートを羽織った蓮華は、どうやら刑部に用事があるようだった。しかし蓮華の姿を認めた源は先ほどまでの雰囲気を一変させ、刑部を優しく押し退けて前に立つと彼女に向かって吐き捨てる。

 

「ちぃと、面貸せよ、テメェ」

「………」

 

 源から放たれる寒々しい気配、それは刑部の感覚が正しければ――怒りだ。蓮華は目を細め、視線を逸らす事無く源を見ていた。それは何処か値踏みする様な視線で。

 

「刑部、ひとりで部屋に戻れるか? 何なら、メディカルセンターまで連れて行ってやるが」

「ありがとう源さん、俺ひとりで大丈夫……それで、先生、俺に何か御用事でしたか?」

 

 背後を肩越しに見て、そう口にする源に向かって首を振る。そして己に用事があったらしい蓮華に向かって問いかけるも、彼女は小さく息を吐き出すと肩を竦めて言った。

 

「別段、急ぎではない――源の用事を済ませた後に行く、部屋で待っていろ」

「……分かりました」

 

 どうやら自分は此処に居ては邪魔なようだ。二人の間に流れる不穏な空気を感じた刑部は、どうか揉め事になりませんようにと内心で祈りながら二人の横を通り過ぎた。尤もそれが叶わない事は薄々理解しているが。彼女達の仲は、余りよろしくない。それは訓練センター時代から続いており、刑部にとっては今更どうしようもない事柄の一つであった。

 対峙した両名は真っ直ぐ視線をぶつけながら不意に源が顎先で背後を示す。

 

「――こんな廊下で話す話じゃねぇ、上に行くぞ」

「良いだろう」

 

 源は険しい表情でそう告げ、反対に蓮華は薄っすらと笑みすら浮かべ頷いた。

 

 

 ■

 

 

 蓮華は先を歩く源の背中を追い、錆びた転落防止フェンスに囲まれた屋上に辿り着いた。風に髪を遊ばれながら、後ろ手で扉を閉めた蓮華は切り出す。その表情は変わらず、どこか小馬鹿にした様な笑みだ。

 

「それで、何の用だ源」

「惚けるな、理由なんて幾つもあんだろうが」

 

 告げ、源は顰めた顔を隠さずに懐から何かを取り出し蓮華に向けて放り投げる。蓮華は放られたそれを顔の前で受け止めた。彼女の手の中にあったのは見覚えのあるシリンダー、源は舌打ちをひとつ零し蓮華を睨みつける。

 

「こんなモンをこれ見よがしに床に転がしていた理由は是が非でも聞きたいねぇ、あの後、FOBにとんぼ返りしやがって……!」

「………」

 

 蓮華は受け取ったシリンダーを転がしながら眺め、ふっと鼻を鳴らした。それは蓮華が刑部の収容されていた病室で使用したものの残骸だった。源は良く理解している、目の前の女が単なるポカやミスでこれを残した訳ではないと。そんな可愛げのある存在ならば、自分が此処まで激昂する必要もない。

 

「それで? 『ついうっかり』なんて理由じゃねぇだろう、テメェに限ってそんな阿呆やらかす筈がねぇ、この状況もお前の望み通りか?」

「さて」

 

 肩を竦め惚ける蓮華、彼女はシリンダーを後ろポケットに仕舞い込むと無機質な瞳を源に向けた。それはどこか源を測る様な瞳であった。その瞳が気に喰わない、二度、源は舌打ちを零す。シリンダーの中身は知れない、秘密裏に探ろうとは試みたのだ、しかし既存の薬品のどれにも該当しないものであった。単なる薬品という訳ではないだろう、或いはナノマシン関連か? どちらにしても。

 

「テメェ、刑部に何を打ち込みやがった? 返答次第じゃぁ――」

 

 源は両手を勢い良く重ね、打撃音を打ち鳴らす。人間を殴り殺すのは――拙い。だが、コイツは別だ。こいつは放っておいて良い類の人間ではない、放置すれば必ず刑部にとって良くない結果を生む。そう確信しているからこそ、源は頭に響く警告をねじ伏せ告げた。

 一歩前に踏み出し蓮華に向かって拳を突きつける。その瞳は目前の蓮華と同じく無機質で、無感情で、しかし奥に確固たる殺意を湛えていた。

 

「ミンチにしてやるよ、人間のテメェをぶち殺すなんざ、機械人形からすれば朝飯前だ」

「……随分と物騒だな、吾を殺すか、実に愉快な発想だ、機械人形が、人間を殺す、なぁ」

 

 本気だと思っていないのか、或いは本気だとしても出来はしないと高を括っているのか。蓮華はくつくつと笑い、源を見下す。そして徐に距離を詰めると突き出された拳を指先で弾き、どこか馬鹿にした口調で言った。

 

「一度吾に触れることも出来ず、あしらわれた事を忘れたか」

「あのコードか? 試してみろよ、テメェが全文言い終る前に、アタシの拳がテメェの顎を打ち砕く方が速ぇからよ」

 

 源は本気であった、返答次第では蓮華という人間を殴殺しようと考えていた。機械人形の身で人間に仇為すなどその存在意義の否定に他ならない。しかし、それでも尚やらねばならぬ理由がある。刑部という存在は相応に重いのだ、彼女にとって。

 交差する視線、蓮華は自身を見つめる瞳の中に昏い覚悟を見た。否、そんなものは最初から分かっていた、浅い付き合いではないのだ、この機械人形とは。やる、と言ったらやるだろう、この機械人形は。例えそれが自己の否定であっても、【機械人形】という存在ではなく『源』という一個の存在として。

 蓮華は数秒程源と睨み合った後、不意に視線を外し目を閉じた。そして踵を返し源に背を見せる。

 

「まぁ、良い……答えてやる、元よりそのつもりだ、今代の貴様は随分と刑部に熱を上げている様だからな、これ位は助力してやるとも」

「あん?」

 

 源は背を向け、実に呆気なく話すと言った蓮華に訝し気な声を上げる。元より、簡単に吐くとは思っていなかった。だからこそたとえ殴り殺す結果になったとしても、絶対に吐かせてやると覚悟を決めていたのだが――どういう訳か、蓮華は実に簡単に口を割った。

 源はどこか警戒した様に蓮華を見つめ、目を細める。蓮華はしかし、そんな彼女の反応などどうでも良いとばかりに言葉を続けた。

 

「まず最初に言っておくが、これは刑部に頼まれてやっている事だ、正確に言えば『前代』の藤堂刑部に……だが」

「はぁ? 何言っているんだ、テメェ」

「黙って聞け」

 

 蓮華は源の言葉を遮ると同時、ポケットに仕舞ったシリンダーを指先で叩きながら淡々とした口調で告げる。

 

「先程のシリンダーの中に入っていたのはニューロナノマシンだ、無論、ASで使用する類のものとは役割が違う、主に海馬周辺に展開し記憶領域の拡張や抽出、刷り込みなどを行う外部記憶領域というべきか、脳に作用する性質上、眠っている人物に使用すれば意識は覚醒し、一時的な記憶の混乱も見られる、貴様が見た刑部は正にその状態だっただろう」

 

 蓮華の言葉に源は口を噤んだ。確かに、自分が駆け付けた時刑部は目の前の蓮華が言う通り、記憶の混乱があり、自身が病室に来たことを憶えていないような口ぶりだった。ならば、蓮華は嘘を言っていないのだろうか。しかし、仮にそうだとしても疑問が残る。源は眉を潜めながら問いかけた。

 

「何のためにそんな事してンだよ、まさか自分の都合の良い様に刑部の記憶を書き換えようってか?」

「記憶の刷り込みを行っているのは否定しないがな、これは刑部の記憶の混濁を防ぐための処置でもある、僅かだろうが精神の摩擦も減る、要するに記憶のバックアップだ、このシリンダー程度の量では領域をそれ程多く取れないが断片的な記憶の保存は可能だ」

「とても信じられねぇな」

「貴様が信じようと信じまいと、私にとってはどうでも良い」

 

 蓮華の言葉は淡々としていた。腹の底から源の感情がどうあっても関係ないと思っているのが分かった。源は厳しい表情で舌打ちを零し、腕を組む。

 

「……それで、刑部に何の記憶の刷り込みをやっているんだよ? 言ってみろ」

「前代の刑部が経験した、その記憶の断片を」

「――はぁ?」

 

 問いかけに対し、極当然の様に返された言葉。それを聞き、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。それ程までに唐突で、予想外で、斜め上の回答であったのだ。源はじっと蓮華の能面の様な表情を見つめ、それから乱雑に髪を掻く。そして何とも複雑な表情を浮かべ、もう一度蓮華を見た。その瞳は誰が見ても分かる苛立ちの感情を秘めていた。

 

「……アタシはよう、テメェが【マトモ】である前提で話している、それで、何だって?」

「前代の藤堂刑部、その記憶だ」

 

 もう一度、蓮華は繰り返した。

 源は何も言わない、二人の間に沈黙が降りる。源の瞳が蓮華のそれを真っ直ぐ見つめる。ややあって、源の口がゆっくりと開いた。

 

「すると、何だ、お前は前世の記憶を刑部に刷り込んでいるって?」

「有体に言ってしまえば、そうだ」

「くくッ、はは……はははははハハハッ!」

 

 顔を覆い、笑う。まるで上等な冗談でも聞いたかのように、けらけらと、大口を開けて。ひとしきり笑って、前髪を掻き上げた源は憤怒の形相で吐き捨てた。

 

「馬鹿にしてンのかテメェ」

 

 一歩詰め、源は蓮華の胸元に手を伸ばした。しかし素早く伸びたそれを蓮華の手が容易く掴む。ぎしりと関節が軋みを上げ、二人は至近距離で睨み合った。額を打ちつけんとばかりに迫った源の顔を見つめ、蓮華は言う。

 

「言った筈だ、信じようと信じまいと、どうでも良いとな」

「はッ、なら何だ、テメェは過去からタイムトラベルしてきた人間だとでも言いてぇのか? 刑部の前世とやら知っている蓮華サンよぉ!」

「強ち間違いではない、が、正解でもない、吾はタイムトラベルなど経験しておらん」

「なら、テメェが妄言を吐いているかだ! いつからそんな頭湧いた発言するようになった、蓮華!?」

「………」

 

 源は見るからに怒り狂っていた。彼女からすれば、まるで自身の行いを隠す為に煙に巻いて誤魔化そうとしているように見えたのだ。そんな事は望んでもいないし、蓮華らしくもない、言い換えるならば――それは失望だった。

 どんな形であれ、源という存在は蓮華と云う女を認めている。Dブロックで切磋琢磨した仲、少なくとも浅い関係ではない。刑部との間柄もそうだが、戦場も何度か共にしている。その実力は源も認める所だ。

 気に喰わないし、好いてもいない。しかし確かに認めている、一本芯の入った生き様とでも云うのか、彼女ならば言を左右にして逃れはしまいという歪な信頼があった。或いは言えぬならば言えぬと、そうはっきり口にするだけの度量と肝が彼女にはある筈なのだ。

 一方的ではあるが、それが裏切られたと源は感じた。

 そんな感情を、一方的な信頼を憤怒に染まった瞳から読み取ったのか、蓮華は面倒そうな表情を浮かべ、そして掴んだ蓮華の腕を乱雑に放るとそのまま気怠そうな口調で告げた。

 

「はぁ……良いだろう、どうせ、知ったところでどうにもならん、前代もそうであった、足掻きに足掻き敗北するのが運命なのだから――これ位は、些事であろう」

 

 蓮華はまるで自身に言い訳する様にそう呟いた。そして徐に目を瞑ると、腕を水平に伸ばし――その指先が虚空に消えた。

 

「!?」

 

 それは何と言えば良いのか、空間の揺らぎ――と表現する他ない。空気が波打ち、視界が歪んだ。その揺らぎの中に蓮華は指先を突き入れ、小さなチップを取り出す。指先で摘まめる程度の、本当に小さな物だ。傍から見ると蓮華の指先のみが消失した様に見えた。蓮華が指先を引き抜くと揺らぎは即座に消え去り、其処にはもう何もない。源は目を瞬かせ、己の視覚情報に偽りがないか確かめた。

 

「受け取れ」

「ッ、テメェ今のは――」

「些事と言ったろう、それに、貴様にとって重要なのは手元のそれだ」

 

 蓮華はチップを放り投げ、慌てて受け取りながら源は問い詰めんとする。今のは、明らかに『普通ではない光景』であった。しかし蓮華は些事と嘯き、答えるつもりがないのだと分かる。源は蓮華を睨みつけながらも、目すら合わせようとしない彼女の態度に強い拒絶を感じ取りそれ以上の追及を諦めた。どれだけ詰め寄ろうと蓮華が口を割る事が無いと理解出来たからだ。源は投げ渡されたチップを摘まみ、目の前に翳すと顔を顰めた。

 

「これは、何だ」

「貴様の記憶、その断片だ」

「記憶の断片? まさか、アタシの前世――ってか?」

「そうだ」

 

 どこか馬鹿にした様な口調だった。しかし蓮華は気にも留めず、真面目な表情で頷いた。手元にあるチップは明らかに眉唾な代物だった、しかし彼女の頑なな態度が嫌に信憑性を持たせる。少なくとも蓮華という女は出鱈目や軽々しい嘘を並べ立てる人物ではない。チップを指先で擦り、源は唇を湿らせる。

 

「信じられないのならば、それはそれで構わぬ、だが態々廃棄領域に漂っていた貴様の『記録データ』を引き寄せた吾の労力に見合うだけの感謝は欲しいものだな?」

「……はっ! 誰がテメェなんぞに感謝なんぞするもんか」

 

 蓮華はそう吐き捨て、同時にどこか挑発的な笑みを口元に張り付けた。

 

「分かった……良いぜ、やってやろうじゃねぇか、クソッタレ」

 

 呟き、蓮華は躊躇うことなく首後ろのソケットにチップを挿入した。ウィルスの可能性も考えていた。しかし、それならば態々こんな回りくどい事をせず、停止コードを口にすれば良いのだ。言葉一つで無力化できる上に、何かしらのプログラムを差し込むのであればその間に済ませてしまえば良い。

 だからこそ勇んで源はチップの中身を閲覧した。その中身は映像データらしく、ノイズ混じりの、不鮮明な映像だった。画面は二度、三度揺れた後、誰かの手を映し出す。

 

【ぁー……ァー……これ、聞こえてんのか……?】

 

 ――これは、誰だ?

 

 カメラは燃え盛る街を映していた、見慣れぬ街だ。旧東京、内地の栄えていた時代の風景に似ている。少なくとも、今の廃墟と化した首都ではないだろう。やや薄汚れた街並みは瓦礫に埋まり、ひん曲がったガードレールと折れた街灯を緋色の炎で彩っている。

 その下に映るのは投げ出された足、そして力なく垂れる腕。壁か何かに寄りかかっているのだろう、炎に照らされた体は血に塗れている事が分かる。見た事のない装備だったが、源には身に纏うそれが戦闘機か何かのパイロットスーツの様に見えた。撮影しているのは女――だろうか。声は、僅かに高い。

 

【これが、多分最後の記録だ、尤も裏側に隠すだけの余力もねぇし、多分廃棄領域に流れちまうだろうから、喋ったって意味なんかねぇんだろうけどな……まぁ、なんだ、遺言代わりのビデオレター……いや、単純にアタシの不満を吐き出すだけの、自慰みてぇなもんだ】

 

 口調や声に聞き覚えがあった、否、あり過ぎた。源は映像を投影しながら、口元を抑えた。撮影者は血塗れの指先を動かし自身の膝を叩く。見慣れた、憶えのある仕草だった。

 

【宗像は死んじまった、あの八本脚野郎の攻撃で、基地ごとボンッって感じにな、はは……あんだけ守るとか啖呵切っておいて、ダセェよな、クソみてぇな結末だ、本当に】

 

 雑音が酷い、音は途切れ途切れ。けれど分かった、聞き間違うことなどあり得ない。

 

 ――これは、アタシか?

 

 口調や抑揚の付け方、それに手足の造形、それらすべてが己に酷似している。いや、そのものだと言って良い。癖もそうだ、自分でなければ何だと云うのか、見覚えがあり過ぎる。画面が揺れ視界が歪んだ。それが涙である事が分かった。義眼から送られる視覚情報をそのまま記録しているのだろう。無造作に目元を拭った指先、皮が捲れ内部機構が露出していた。

 

【……『蓮華』の言っていた事は正しかった、幾ら足掻こうが無駄だったんだ、結局、滅びは決まっていた、宗像たちは永遠に世界に囚われたまま――前よりずっと上手くいっても、救いは得られない、それをまざまざと見せつけられちまった、本当に、たまらねぇよ】

 

 涙を流し、撮影者は俯く。俯いた事で腹部や胸部に著しい損傷がある事が分かった。左腕の指も、何本か千切れている。装甲か甲鉄か、鈍色の血に塗れた金属破片が脇腹に深々と突き刺さっていた。致命傷だ。足も、目を凝らせば捻じ曲がっているのが分かった。もう立つ事すら儘ならないのか。源の表情が歪んだ、無意識の内に自身の脇腹に手を当ててしまう。自身の腹に傷などない筈なのに。

 

【あー……そろそろ稼働限界だ、痛覚は切っているからよ、痛みはねぇんだけれど、こう、休眠状態に入る一歩手前っていうか、微妙に眠くて、怠い、はは、新しい感覚】

 

 かくん、と視界が揺れる。ノイズが更に酷くなる。それは回路の焼き切れる寸前に似ていた。源の口が何か言葉を紡ごうと開き、しかし中途半端に息を吐き出すに留まった。

 映像がぶつりと途切れる、暗転――そして不鮮明ながら、別視点となった映像が流れる。端末に記録を移したのだと分かった。腕に巻き付いたそれから、見上げるようにして女の顔が映った。それが女の行った操作なのか、或いは機能終了を予期して端末が自動処理したのか、それすらも定かではない。ただ、その視点からは女の素顔が良く見えた。

 

【宗像、わりぃ、助けられなくて、三番と四番、それに十一番目の奴も、結局、何もしてやれなかった、名前くらい、付けてやれば良かった、くそぅ、後悔ばっかりだ、死にたくねぇなぁ……クソ、死にたくねぇよ……けれどそれ以上に、悔しくて、仕方ねぇ】

 

 女は――源だった。

 

 少しだけ髪が伸びて、今の自分より女性らしい容姿となった、自分自身だった。自身の知らぬ己の姿を目にした源は息を詰まらせ口を結んだ。存在しない筈の心臓が早鐘を打つようだった。

 

【なぁ、もし、これをよ、『次のアタシ』が見ているなら】

 

 映像の中の源は、光の無くなった瞳をしている。もはや目として機能していないのか、或いは人工知能モジュールが既に働いていないのか。どちらにせよ、終わりが近づいているのは明白であった。彼女は僅かも身動ぎせず、ぼそぼそと蚊の鳴く様な声で懇願した。それは正しく懇願であった。

 

【精々上手くやってくれ、滅びが避けられなくても、その次はもっと上手くやれるように……そうやって繰り返していけばきっと、宗像も世界に囚われずに済むから、今までそうしてきたように、これからも――なぁ、頼むよアタシ、多分、記憶は全部リセットされちまうだろうけれど、アタシ達は、本当に望んでいたんだ、人と……人として、生きていけるアイツの、宗像の、未来と、皆の……あぁ、クソ……通知が、煩ぇ……処理が、堕ち――まだ、アタシは……止まる、訳――に、は】

 

 源の体から、何か甲高い電子音が鳴った。同時に頸が小刻みに揺れ動き、まるで油の切れたブリキ人形の様に止まった。電子音は機能停止信号だった。動いていた唇が、ゆっくりと閉じられる。その最後に伝えたかった言葉、声に出ずとも、その動きを読み源は理解した。

 

 ――ごめんなさい。

 

 映像の中の源は、最後にそう言って――その全機能を停止した。

 

 

「っ、はァ!」

 

 映像が途切れた、メモリに刻まれていた記録はそれですべてだった。息を吐く。呼吸何て必要ない筈なのに、自身の胸の中で暴れ回る虚像の心臓を掴み源は肩を大きく上下させた。人間であったのならきっと滝の様に汗を掻いていたに違いない。体を曲げ、胸元を掴みながら彼女は目前の蓮華を睨みつけた。荒い呼吸は、収まらない。

 蓮華はそんな源を見下ろしながら、感情を伴わない言葉を吐いた。

 

「見えたか、貴様の前代が」

「……ありゃあ、何だよ……!」

「貴様が死ぬ間際に記録した映像データだ、映像の中のお前が言っていたように廃棄領域に漂っていたものを吾が検索し引き出した、ただそれだけの事だ」

 

 答えは簡潔であった。同時に、やはりと思わせる内容だ。嘘は言っていないと確信出来た、しかしそれは信じるには余りに荒唐無稽で、凡そ気狂いと思われるだけの要素が詰まっている。しかし、ならば先の映像は何だと云うのか。フェイクか? 何の為に? 蓮華が自身を騙す為に捏造したものと言われてもそちらの方が信じられない。

 源は先ほどの映像の中にいた自分自身を思い返し、胸元を握り締めながら呟いた。

 

「あれが、前世のアタシ……?」

「前代の貴様は十二月十一日に千葉県沖合の遅滞戦闘に参加し、死亡している、あれは死に際に記録した手慰みの映像だろう、どうだ、多少は理解したか」

「――余計に訳わかんなくなっちまったよッ……!」

 

 源は頭を抱え、絞り出すように告げる。最初は虚事だと高を括っていた、ある事ない事を口にし自身を煙に巻くことが狙いだと。しかし、違った。その虚事が真実である可能性が、あの映像を目にした事で高まった。否が応でも理解してしまう。あれは確かに自分だったのだ。自分が自分を見間違う筈がない、それほどまでに馴染んだ肉体と動作であった。

 

「だが……だが、前代って奴が本当に居るって事は分かったッ……あれは、間違いなくアタシだったんだ」

「ほぅ」

 

 苦悩する源の言葉を聞いた蓮華は意外そうに眼を細め、言った。

 

「てっきり捏造を訴えると思ったがな」

「はッ! 笑えるぜ、映像データの記録日が未来で、更に同じ容姿をした自分が居たんだ、蓮華についても語っていやがった、そんでアレは東京か? 占領されていない、廃墟じゃねぇ東京だった、荒れちまっていたが人の住んでいる痕跡はあったんだ、つまりマジであの世界では内地に人類が留まっていたって事だ、此処とは【世界】が違う……!」

 

 どこか吐き捨てるような口調で源は言い募る。抉る様な鋭い視線を注がれて尚、蓮華は不動。ただ面白そうに源を見下ろすばかり。源は大きく息を吸い込み、一度胸を強く叩いてから真っ直ぐ姿勢を正して蓮華と対峙した。

 

「位置データもあった、間違いねぇ、テメェがアタシを嵌める為にこんな大層なもん捏造する理由なんぞねぇだろう、違うか?」

「御明察、物分かりの良い貴様は嫌いではない」

「そいつはどうも……! それで、聞きたい事は増えちまった訳だが、テメェは――」

「生憎と、教えられるのは此処までだな」

「ッ……!」 

 

 源が一歩踏み込み、蓮華を憎悪すら籠った視線で射抜いた。しかし彼女は変わらず、硝子玉めいた瞳で視線を返すばかり。細い蓮華の指が一本立てられ、指先が軽く源の胸を突いた。

 

「『前世で何があったのか』、『宗像とは誰か』、『何故自分は死んだのか』、『世界は最後どうなったのか』、『こんなデータを持っている吾は何者か』――疑問は尽きぬだろう、だが黙って口を開き、餌を待つだけの貴様にくれてやる情報などこれ以上ない、知りたければ己の力で見つけ出してみろ」

「何を――」

「――と、言っても貴様にとって情報源は私だけ、故にヒント程度はくれてやる」

 

 蓮華の口端が僅かに上がり、挑発めいた視線を源に投げかける。知らず知らずの内に源は拳を握り込み、体を強張らせていた。

 

「藤堂刑部がVDSの適応者に選ばれたのは偶然ではない」

「!」

「内側で平穏な日々を送っていた彼奴を前線に引っ張り出したのが誰か、今一度考えて見ると良い、全ては決まっていた事……お前達が甲鉄を纏い、感染体と戦う事は、この世界が生まれた時から【ソレ】が決めていた」

 

 蓮華はそう告げ、とんと源の躰を押した。一歩、退く源。蓮華はそのまま踵を返し、屋内へと通じる扉に手を掛けた。そして最後に源の方を振り向くと、小さく笑って唇だけを動かした。

 言い終るや否や、扉を開け放ち階段を降りていく蓮華。残された源は消え行く彼女の背中を見つめながら呟いた。

 

「内側に住んでいた刑部を、基地に引っ張り出した存在――」

 

 提示されたヒントに、源は思考を回す。少なくともそんな事が出来る連中を源はひとつしか知らない。この上層の更に上、絶対命令権を持つウォーターフロントの頂点。

 

「四十人委員会」

 

 



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25話

 

 扉をノックする音が部屋に響いた。自室でベッドに座りぼうっとしていた刑部は数瞬してノックに気付く。頭に靄が掛かったみたいで、妙に眠たかった。足元が軽い、それは調子が良いという意味ではなく覚束ないという意味で。人と会うのにこれでは拙いと軽く額を叩く。しかし大して効果は感じなかった。少しして、扉越しに聞きなれた声が響いた。

 

「刑部、吾だ」

「……開いていますよ」

 

 刑部がそう声を上げると扉は独りでに開き向こう側から蓮華が顔を覗かせた。蓮華は室内に刑部しか居ない事を確かめるとゆっくりとした足取りで刑部の前まで歩く。ベッドに座った刑部は蓮華を見上げ、薄く微笑んだ。

 

「いらっしゃい、先生」

「あぁ、邪魔をする」

 

 彼の前に立った蓮華は刑部と、その傍にあるデスクに視線を向けた。デスクの上に散らばる薬、半分ほど減ったコップの水。蓮華から見た刑部の顔色は決して良くない、青白い――という表現が正しいだろう。蓮華は自身の口元に手を当て、己が無表情である事を確かめた。

 

「……具合はどうだ」

「別段悪くはないです、良くもないですけれど……それでも普通に歩けますし、隊に復帰出来る程度には回復したと太鼓判を押されました」

 

 刑部は笑ったまま頷く。嘘ではないだろう、メディカルセンターからの報告は蓮華も受けている。しかし、真実でもない。悪くはない、というのは誰の目から見ても分かる虚事であった。良くもない、というのは本当だろうが。

 蓮華は目を細め、デスクの上に散らばった薬を手に取った。メディカルセンターのベッドの上で数えた時より数が減っている。これではいつまでもつか、そこまで考え蓮華は目を閉じた。それは彼女らしからぬ逃避の行為であった。

 

「薬も、もう残り少ないな」

「えぇ……先生の分は、大丈夫ですか?」

「吾は――」

 

 問いかけに対し、蓮華は返答しようと口を開く。しかし、僅かに舌が縺れた。目を開き、刑部を見る。そこには此方を案じる色のみがあった。それを直視出来ず、蓮華は思わず視線を逸らす。

 

「問題ない、吾は委員会より特記戦力として期待されている、その分、薬の配給も多い」

「そうですか、なら良かった」

 

 嘘だった。

 蓮華はそれを覆い隠す様に言葉を連ねる。それは自身の胸の中にあった、一寸の黒い感情。或いは、そうであってくれという願望。

 

「吾から薬を分けて貰おうとは、思わぬか」

 

 言葉を聞き届けた刑部は少しだけ驚いたような顔をして、それから緩く首を振った。その視線にはどこか、蓮華を労わる色が宿っていた。

 

「それは出来ません、これは、自分達にとっての【余命】でしょう、先生の命を削ってまで、俺は生きたいとは思いません」

「……そうか」

 

 そうだ、刑部がこういう事位分かっていただろう。何故、自分は。蓮華は手にした錠剤をデスクの上に戻す。下手をすると、そのまま握り締めて駄目にしてしまいそうだったから。

 

「それで、今日は何の御用ですか?」

 

 沈黙し、重い雰囲気を纏う蓮華に対し刑部は切り出す。彼女が何の意味もなく自分の元に足を運ぶ筈がないと確信しているからだ。事実、そうであった。蓮華は小さく首を振るとコートの内ポケットから一枚のメモリを取り出し、刑部に差し出した。

 

「委員会からの特命だ、受け取れ」

 

 差し出されたそれを受け取り、刑部は何の疑問もなく端末に差し込む。読み込みが終わると、中には見慣れた文書データがひとつだけ。それを確認しながら、刑部はやや辟易とした雰囲気で告げた。

 

「……いつも思うんですけれど、何で態々先生を介して指示を出すのでしょうね、メールなり通話なり、直接言えば良いのにと思ってしまいます」

「委員会の面々は慎重なのだ、それに幾ら特務の人間とはいえ一介のAS乗りとウォーターフロントのトップが直通回線というのはな」

「それは、まぁ、そうかもしれませんが」

 

 端末を操作し文書を開く。一面に広がる文字列、それから目を上げ蓮華を見た。

 

「先生は内容を?」

「既に委員会より聞かされている、吾はお前の指導役だからな」

 

 既に内容は把握しているらしい。刑部は頷き文章の方へ目を向けた。

 

「貴様の【使い所】が決まった」

 

 蓮華の声が冷たく部屋の中に響く。文書の内容は簡潔で、単純だった。感染体の大規模増殖の確認、それに伴い予想される侵攻の前兆。いつか来るであろうと覚悟していた瞬間、そしてそれが現実になった、ただそれだけの話。刑部は腹の底がぐっと締め付けられる様な気がした、血が凍るとでも云えば良いか、妙な感覚だった。経験した事のない――刑部が【逃れられない死】を感じた瞬間であった。気付けば刑部は端末を強く握り締めていた、その事に刑部は驚き、ゆっくりと息を吐いた。

 

「遂に、ですか」

 

 端末を下げ、力なく呟く。蓮華は刑部を見下ろしたまま言った。

 

「貴様は立派に戦った、後は――立派に死ぬだけだ」

 

 刑部は目を伏せて、何も話さない。二人の間に暫し沈黙が降りる。蓮華はどこか気落ちした様に見える刑部に向け、問うた。

 

「……悲しいか」

「いえ、覚悟していた事ですから……あの装置を積むと決めた時、三年は生きられないだろうとバックスの人に言われました」

 

 刑部は前任者についても聞き及んでいた。四脚を駆る以上、そのリスクは承知の上だ。四脚型に接続する人間はその命を弾丸の如く、消耗品と理解しなければならない。四脚型の接続者、彼等の平均使用回数は凡そ四回。つまり、四回使えば死ぬ消耗品――それも適合者の少ない、貴重な消耗品だ。だからこそ使い所は慎重に選ばなければならない。

 

「俺がもう少し早くASに乗っていたら、人類はもっと長生き出来たのでしょうか」

「自惚れるな、吾も、貴様も、所詮は一個の兵器に過ぎない――ただ一つの兵器で勝てる程、【この世界】は甘くない」

「……まぁ、そうですよね」

 

 蓮華の断じる口調に、刑部は薄く笑いながら同意する。ただの夢物語、自分一人でどうにかできる状況ならば疾うの昔に蓮華がどうにかしていただろう。それが為されていないということは、そういう事だ。蓮華は腕を組み、二の腕を指先で軽く叩きながら告げた。

 

「FOBはそう遠くない内に陥落する、委員会は感染体が本腰を上げたと判断した、日本だけではない、各地で感染体の大規模侵攻が始まっている、ウォーターフロントにて迎撃する日もそう遠くないだろう、FOBに関しては他の『VDS』持ちが対応する」

「惣流さん、ですか」

「そうだな……惣流も既にVDS使用回数は四度を超えている、そろそろ限界だろう」

 

 平均回数である四回を超えた、次は一発撃つ毎に死ぬかもしれないという恐怖が纏わりつく。無論、平均である四度はあくまで目安でしかない。一発目に死ぬかもしれないし、二発目で死ぬ事もあり得る。ただ、四度目からはその確率がぐんと上がるだけだ。現状、人類にVDS搭載機は三機しか存在しない。即ち、刑部と蓮華、そして件の惣流である。

 

「吾等VDSの適者が全滅すれば感染体の侵攻を抑えていた盾が消える、物量で押し込まれても退ける手段がない、人類の戦況は厳しいものになるだろう」

「……先生にしては優しい言い方ですね」

 

 本音だった、『厳しい』という表現が非常に柔らかい表現である事を刑部は知っていた。蓮華は細めた目で刑部を一瞥し、それから淡々と吐き捨てた。

 

「身も蓋もない言い方をすれば、人類は近い内に滅ぶ」

 

 滅ぶと、蓮華は断言した。それを刑部は真正面から受け止め、ふっと力を抜いた。二人の間に再び沈黙が降り、刑部は弱弱しい口調で問うた。

 

「負けますか」

「寧ろこの状況から勝てると思っているのか」

「ははは、諦めなければ何とかなったりしないかなぁ、とか思っていたり、先生なら根性で何とかしろとか言いそうで」

「馬鹿者、個人と世界を同列に語るな」

「御尤も」

 

 その通りだ。笑いながら刑部は手を握り締め、視線を足元に落とした。

 

「まだ、此処に来て半年も経っていないんですけれどね……」

 

 声が部屋に弱々しく響く。出逢ったと思ったら、今度は別れねばならない。尤も使い時の詳細、具体的な日時の記載はなかった。つまりは敵の大侵攻が発生した場合、刑部は率先して身を捨てなければならないという事だろう。少なくとも刑部はそう受け取った、或いは後日改めて指示が届くのかもしれないが。

 

「ASを纏い始めた時期が人類の瀬戸際って、中々についていませんよね」

「内側でのんびり昼寝でもしている間に殺されるか、戦場で必死に藻掻いて死ぬか、違いはその程度だ、悲観する程ではあるまい」

 

 蓮華は実際そう思っているかのように鼻を鳴らし、顔を逸らした。確かに、本当に人類が滅ぶと云うのならその程度の違いしかないのかもしれない。足掻いて死ぬか、足掻く事も出来ず、日常の中で唐突に死ぬか。

 

「……もし運良く生き残ってしまったら、お願いできますか、先生」

 

 刑部は蓮華の方を見ず、下を向いて、言った。

 僅かな間があった、伸びる影が刑部に覆い被さって、声は上から降ってきた。

 

「――二度か三度か知らんが、確率なぞ知れておろう」

「それでも、何も分からぬ物狂いになった時は」

「……無論だ、吾が殺してやる」

 

 声は震えていなかった。蓮華らしい、はっきりとした物言いだった。刑部はその事に安堵していた。それでこそ先生だと思った、或いはそれは妄信に近かったかもしれない。それでも良かった。刑部は深く頭を下げて、穏やかな笑みと共に云った。

 

「ありがとうございます」

 

 蓮華はそれ以上何も言わず、深く礼をする刑部に背を向け部屋を去る。別れの言葉も仕草なく、蓮華は閉じていく扉に背を向けたまま廊下に出た。

 無性に、蓮華は叫びたくなる衝動に駆られた。腹の底から湧き上がる感情があった。蓮華は口元に手の甲を近づけ、顔を隠した。今の自分が能面である確信が無かった。

 

「ふん……」

 

 馬鹿にした様に鼻を鳴らす。彼女の癖だった、しかし嘲笑の対象は己か、或いは刑部か。それは自分自身にも分からない。

 

「蓮華さん」

「!」

 

 声を掛けられ、彼女にしては珍しく慌てた様に背後を見る。無論、覆っていた手は下ろして。肩越しに見つけた人間は見知った者で、蓮華は眉を潜めながら名を告げた。

 

「貴様は――天音、だったか」

 

 蓮華の背後に立っていた天音は頷き、神妙な顔で頭を下げた。

 

「少し、御力を貸して頂けませんか」

 

 ■

 

 廃墟に身を隠したセブンとナインは周囲をスキャンし、敵性反応が無いことを二度確認した。身を隠す場所は脱出経路があり、尚且つ雨風と敵の視線を遮る壁と屋根のある場所が好ましい。ナインは戸口に立って周囲を警戒し、セブンはASを壁に沿って動かすと、その場に座り込んで静かに機体を停止させた。元々はモールか何かだったのか、その場所は広く複数の逃走経路が存在した。天井が高いのも良い、ASが動き回るだけのスペースがある。ただ一部天井が硝子張りで、所々に穴が空いているのが難点だった。

 

『脊椎接続解除、自律稼働による接続者保護状態に移行します』

「ふぅ……」

 

 セブンは精神接続を解除し、外れたケーブルを放って伸びをする。長時間の飛行、AS連続稼働時間を二時間以上にしない為こまめな休息は必要不可欠であった。機械人形である為に多少無理は利くが、それでも万が一の可能性は出来るだけ排除したい。セブンとナインの意志は一致していた。人間の場合出血や眩暈、発熱、嘔吐感などで表れるそれが、機械人形の場合唐突な機能停止という形で表れる。飛行中に機能を停止すればどうなるかなど火を見るよりも明らか。特に、セブンに関しては中身の部分だけ人間であると知っている為、尚更だった。機械人形の具体的な継続戦闘時間は分からない、しかし依織からの情報が確かならば違いは肉体強度位なものだろう。無理は禁物であった。

 同時に休息を行っては万が一の場合対処できない、故に交互に休んで隙を潰す。今回はナインが見張り番で、セブンが休憩だった。ナインは周囲に目を走らせながら周辺マップを表示する。戦術リンクは行われず、無断での出現の為使用できる電子機器は機体のものに限られていた。故に現在位置の確認でさえ、アナログな方法で行わなければならない。セブンは壁に背を預けたまま目を瞑り、機体と自身の素体に対し簡易メンテナンスシステムを走らせた。

 

「今は、どの辺りでしょうか」

「東京を抜けて少し、宇都宮まで半分という所か、思ったより進めてはいないな」

 

 天井を見上げながら呟くセブン。周囲には疎らに敵反応がある。レーダーだけは切らずにいた、これは自分達の生命線だ。万が一途切れれば、目隠しをしているに等しい。最も近い敵で百メートル程離れている、モールの外だ。動き回らず、一定のエリアで屯しているようだった。

 

「……この周辺は想像していたより敵の数は多くありませんね、東京・千葉と同じく凄まじい数の感染体が闊歩しているものと考えていましたが」

「そうだな、インボーン・レポートにあった感染体の数より明らかに少ない」

「湾岸地帯に集中しているだけなのでしょうか? 或いは、ウォーターフロント周辺のみに?」

「まさか、そんな筈はない、本土は既に感染体の占領下だ、ウォーターフロントが近いとは言え分布に偏りはなかった」

 

 思わず呟く。本土は既に感染体の手に堕ちて久しい、その間に敵は数を増やすだろうと云うのが上層の判断だった。故に本土侵攻戦の場合であっても、その奥に深く踏み込むのは避けるべきという方針が定められてたのだが――実際こうして足を運んでみると、どうも事実と異なる気がしてならない。人口密集地帯であった千葉・東京エリアに敵が密集しているのは分かるが、それにしても。

 

「……兎も角、敵の数が多い千葉、東京エリアは抜けたのだ、後は比較的楽に進めるだろう」

「現在地ウォーターフロントから凡そ百五十キロ、という所ですか、まだ先は長いですけれどね」

 

 呟き、空を見る。空は既に暗く染まり始めていた。

 

「仮にこのペースで進むとして、件の北海道に辿り着くまでどれ程の時間が掛かるか……」

「敵の数によるな、もし東京・千葉と同じ分布だとしたら一週間では戻れない、逆に少なければ一日で土を踏む事も出来る」

「感染体次第、という事ですね」

 

 結局はそれに尽きる。ナインは周囲を見渡しながら横目でセブンを確認し、問いかけた。

 

「世界の果て、というからには列島に収まらない可能性もあります、その場合は外海にも手を広めますか」

「正直、海上には出たくないな、連続稼働時間の事もあるが問題は燃料の方だ、補給の目途も無しに海に出たくない、海上で墜落したら目も当てられん、FOB方面に飛ばなかったのもそれが理由だ、それに遮蔽物のない海上では目視がし易い、感染体にとっては特に、な」

「ならば列島を通過しそうな場合は帰還ですか」

「そうなるな、その場合、艦艇を用意して第二次遠征も考えなければならない」

「……正直、そこまでして得るものがあるのか疑問です、こうしてASを無断使用している時点で言うのも何ですが」

「無断ではない、バックスには断りを入れたろう?」

「上層にとっては、私達のASはハンガーに収まっている事になっています」

「書類上は、な」

 

 セブンは小さく笑って告げた。現在セブンとナインの二人はバックスに話を通しASを上層の許可なく使用している。バックスチームを一つ丸々買収し、セブンとナインの機体をオーバーホールするという名目でだ。安くはない対価が必要だったが、躊躇う事は無かった。

 

「――セブンさん」

 

 そんな事を考えていると、やや硬い声でナインが声を上げた。すわ敵襲かとケーブルを掴み、目を向ける。

 

「どうした」

「偵察に出していた無人機からのマップ更新が途絶えました」

「……堕とされたか?」

 

 セブンは厳しい表情。先行させる無人機が破壊されたとなると先征く目が無くなる。その状態での進行は困難を極める。暗闇を灯り無しで進むようなものだ。しかしセブンの予想に反し、ナインは緩く首を振って答えた。

 

「いえ、そういう訳ではないのです、無人機自体は健在です、周囲の探知も出来ています、ただ……これを見て下さい、無人機からのデータです」

 

 ナインは機体から近距離通信でデータを送り、セブンの網膜ディスプレイに表示する。セブンは投影されたそれをじっと見つめ、それから困惑の声を上げた。

 

「……? これは、どういう事だ」

 

 ナインから送られたマップ情報、それはある一定のラインから地形情報が全く存在していなかった。確かに、機能はしているらしい。今もリアルタイムでマップ情報は更新されている。しかし、ある一定のラインからは全く地形情報が読み取れない。どういう事だ、そんな疑問を込めてナインを見た。

 

「無人機も、その先に進もうとしません、『障害物感知、地図更新不可能』とだけ」

「命令を受け付けないのか」

「物理的に進行不可能とばかり返ってきます」

「……妙だな」

 

 セブンは顔を顰め、考え込む素振りを見せた。故障か? いや、しかしこうも綺麗に一部だけ地形情報を読み取れない故障などあり得るのだろうか。寧ろ、『其処に地形を読み取れない何かがある』事が正解である気がしてならなかった。

 

「距離は?」

「凡そ十キロ」

「存外近い、このまま無人機の元まで進むか……?」

「しかし、夜間飛行は危険では? それに噴射光で発見される恐れがあります」

「十キロ程度ならばASの脚でも問題あるまい、問題なのは不意の遭遇だ」

「まだ一日目です、夜が明けてからでも遅くはありません、無人機は一度下がらせましょう、故障の可能性もあります」

「……それもそうか、そうだな、そうしてくれ」

 

 セブンの同意を得たナインは素早く無人機に指示を出し、自身の元へ帰還命令を出した。その間セブンは機体に背を預け、深く息を吐き出す。

 

「いかんな、気持ちばかりが急いてしまう」

「仕方ありません、事が事ですから」

 

 二人だけの少数行動、それも場所は感染体に占領された本土、即ち敵地だ。寧ろ焦燥感を覚えない方が珍しいだろう。セブンは両手で顔を拭い、吐息を零しながら呟いた。

 

「嗚呼、刑部の肌が恋しい」

 

 ふと、本当に口から零れてしまった言葉だった。本当ならば胸の内に留めておく筈だった。一瞬、ナインの動きが止まり気まずそうに視線を逸らす。それを見たセブンは己の口にした言葉を理解し、忙しなく視線を泳がせた。

 

「………」

「あ、すまない、思わず……」

「いえ、別段どうも」

 

 顔を背けるナイン。空気が悪くなったという訳ではないのだが、妙に居心地が悪い。それは全てナインと刑部の距離感が分からないが故の事。セブンは背を向けたナインに視線を送りながら、遠慮がちに声を掛けた。

 

「ナインは刑部の事をどうとも思っていないのか?」

「いいえ、人並みには大切に思っていますよ」

「あぁ、いや、そうではなくて……だな」

 

 あぁ、だとか、うぅむ、だとか、言葉を選ぶ仕草を見せるセブン。ややあって頬を掻きながら問いかけた。

 

「こう、男女の関係的に、というか」

「……その様な目では、見ていません」

 

 ナインの言葉は簡潔で、それ故に妙な説得力を伴っていた。ナインは顔を見せず、淡々とした口調で告げる。セブンは凡そ予測は出来ていたのか、苦笑を零した。

 

「機械人形である私達にとって、その様な行為は不要でしょう」

「私も最初は別段どうとも思っていなかったがな、あれは良いものだぞ、繋がりを得たという充足感がある」

「充足感、ですか」

「そうだ」

 

 それは果たして私達に必要なものなのか、という分かり易い疑問の表情をナインは浮かべていた。充足感、言葉にすれば何ともないが、それが実際どういうものなのかナインは知らない。それをセブンは勿体ないと感じていた。セブンも最初は好奇心半分だったが、今ではすっかり虜と言って良い。人肌というのは、良い物だ。

 

「それに私達は元々――」

 

 人間だったのだぞ? 

 そう言おうとして、やめた。それを此処で云うのは、余りに場違いな気がしたからだ。大事な作戦を些細な言動で乱したくないという心もあった。中途半端に言葉を切り、俯いたセブンをナインは訝し気に見る。

 

「? 何です」

「……いいや、何でもない、忘れてくれ」

 

 手を振って、セブンは笑って見せる。それは引き攣った笑みだった。両手を腹の前で抱え、指先を絡める。自分の体温が妙に冷たく感じ、セブンは吐息を指先に吹き掛けた。

 

「知らない方が幸せな事も、この世にはあるんだ」

 

 



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26話

 あれだけ破壊されたのに綺麗に修理された機体。刑部はASの表面装甲をそっと撫でつける。もうあの時の傷はひとつとして見受けられない。

 久々の防衛任務、潮風に吹かれて海を眺める作業はそう馴染んだ行為ではないのに妙に懐かしく感じた。セブンとナインはメンテナンスの為欠員、代わりに依織を隊長とした三人一組の小隊として任務に臨む。担当場所は一ヶ所のみ、三人それぞれ別方向を監視しつつ、刑部は口を開いた。

 

「……心なしか、ウォーターフロント外郭に迫る感染体の数が増えている様に感じますね」

 

 遠くの方から時折、砲音や銃声が轟く。そう頻度の高いものではない、精々一時間に二度か、その程度のものだった。しかし過去の防衛任務と比較すると、やはりどうしても多く感じてしまう。少なくとも此処に配属されたばかりの頃は日に一度あるかどうか、というレベルだったのだから。

 

FOB()が一つやられているもの、敵が増えるのも必然ね」

 

 依織が連射砲を抱え、そのトリガーを指先でなぞりながら言う。

 

「それにウォーターフロントの海上ASが先の侵攻で大分削られてしまったから、防衛網に穴が空いていて、それを塞ぐ余力すらないという話よ」

「それ、大分拙いんじゃぁ……」

 

 天音の瞳が不安そうに依織を見た。先のFOB防衛戦で喪われた海上型ASの数が膨大である事は天音と刑部の両名共に理解している、ウォーターフロントから直々に戦力を割いて送り出したのだ。しかしその悉くが海底に沈んだ。今も救出作業という名のサルベージが行われているが――その実態は動かなくなった機械人形やASの再利用に他ならない。現状、人類には大破した機械人形やASの残骸ですら無駄に出来る余裕はない。

 依織は不安に塗れた天音のそれを見返し、肩を竦めた。

 

「ASも無尽蔵にある訳ではないから、機械人形を増産しようにも材料は限られているし、一日に何百体も生産する事は出来ないもの、仕方ないわ」

「ジリ貧ですか」

「十年前からね」

 

 損耗速度に生産速度が追い付いていない。そんなのは、ずっと前から分かっていた事だ。どれだけなけなしの力を振り絞ってASを蓄えても、感染体の気紛れな侵攻一つで振り出しに戻される。依織の言葉はベテランのそれだった。天音はそんな彼女を見て、どこか遠慮がちに口を開いた。

 

「そう言えば依織さんは、どれくらい前からASに乗っているんですか?」

「私? 私は……そうね、かれこれ三年近くになるかしら?」

「三年、ですか」

「えぇ、古参という程ではないけれど、AS乗りの平均寿命は半年程度だから、まぁそこそこ長い方だとは思うわ」

 

 依織は何でもない事の様に答え、頷いて見せる。

 

「AS乗りの平均寿命が半年と聞くと、長いのか短いのか分かりませんね」

「人間なら改造手術で命を落とす人も多いもの、改造手術を乗り越えて、最終試験をパスしてAS乗りになる、それで半年というのなら、まぁ、長い方なのではないかしら」

「改造手術での死者を入れたら、平均寿命なんて一ヶ月あるかどうかも怪しい気がします」

「下手をすれば、一週間とか……?」

 

 その日数を聞き、刑部はやや眉間に皺を寄せ吐き捨てた。

 

「笑えない話だ」

 

 AS乗りの平均寿命、半年という期間が長いのか短いのか――少なくとも刑部は『長い』と感じた、あくまで比較的だが。そしてそれ故に、その『裏』に気付いた。この、AS乗りの平均寿命とやらに【機械人形】は含まれていまい。即ち、生身の人間の統計という事だ。機械人形を含めれば、一体どれほど落ち込む事か。調べる気も起きなかった、きっと酷い数字が見られるに違いない。

 

「ん?」

 

 そんな事を考えていると、ふと網膜ディスプレイに通知が走った。秘匿回線による通信要請、刑部はこの、秘匿通信なるものを一度として使用した事が無い。そも、使う必要もなければ相手もいない。それが唐突に――刑部は顔を顰め、ディスプレイを凝視した。

 

「――」

 

 一瞬、依織に報告するべきかと思考する。しかし、相手が何故個人に、それも秘匿回線などという物を使用してコンタクトを取って来たのかという点を考えると、それは悪手に思えて出来なかった。その僅かな身動ぎを見て取った依織は訝し気な表情を浮かべ、問いかける。

 

「刑部君?」

「あ、いえ、すみません、少しぼうっとして」

 

 刑部は愛想笑いを浮かべ、何でもない様に振舞った。「少し、向こう側を見てきますね」と言って依織よりそれとなく距離を取った刑部は、彼女に背を向け乍ら通信許可のアイコンを視線でなぞった。唇を湿らせ、やや低い声で唸る様に問いかける。

 

「……誰だ?」

『――誰だ、なんて、随分な挨拶じゃないか刑部君』

「!」

 

 耳に届いた声は予想より高く、聞き覚えのあるものだった。古い記憶の中から、その声に該当する人物を引っ張り出す。小柄な、笑顔の似合う女性だった。刑部は遠ざかる依織を視線で警戒しながら足を進めた。

 

『やぁ、僕だよ刑部君、元気だったかい?』

「まさか……一応これ、機密の塊なのだけれど」

『僕の職業を忘れたかい? ハイグレードモデルだか何だか知らないけれど、大した違いはないさ、ちょちょいのちょいってね』

 

 どこか弾んだ声でそう宣う彼女はからからと笑う。確か、前もそうだった。彼女に電子機器関連で驚かされたのは一度や二度ではない。鳥籠の様な場所で退屈せずに済んでいたのは、彼女の協力があったからと言っても過言ではなかった。刑部は小隊よりやや離れた場所に立ち、声が風に乗って聞こえない様に配慮しながら呟く。この女性が悪戯や何の目的もなくこんな事をする筈がないという確信がある。刑部は腹に力を入れ、問いかけた。

 

「それで、こんな危ない橋を渡ってまで……どうしたの?」

『随分ともう逢っていないからね、少し声が聞きたくなったと云うのが一つ、それと――』

 

『いい加減、そろそろ全部知るべきだと思ってね』

 

 

 ■

 

「この辺りか」

 

 日の出と共に徒歩での進行を開始したセブンとナインは周囲を見渡し、呟いた。二人は無人機の指し示していた『空白地帯』へと到達し、周辺を警戒する。やや郊外に位置する街道、東京周辺と比較すると背の低い建築物が目立つ。ナインは罅割れた国道を踏み締め、胡乱な目で周囲を見渡す。頭上には蒼穹、白雲、廃れた街並みに人影は見えない。網膜ディスプレイに表示されるマップ情報を見つめ、ナインは言った。

 

「……妙ですね、この周辺には敵の反応が全くありません、ただの一体も」

 

 マップ上に敵性反応はなく、実に綺麗なものだった。元々東京を離れる毎に感染体の数は減っていた、それが此処まで離れた途端ただの一体も現れなくなるとは。インボーン・レポートによれば占領された本土では感染体の増殖が始まっているとの事だったが、その言が正しければ内陸側は感染体で溢れていなければおかしい。或いは、どこか特定の『貯蔵庫』の様な場所があるのだろうか。ナインは考える。仮にそうだとしても、地上にこれ程感染体が居ないという事実は妙な不安をナインに齎した。

 

「やはり、東京・千葉周辺に集中していたのか?」

「そうなると、インボーン・レポートが誤りであったという事になります、あれは理学研究室が委員会の認可を得て発表したものでしょう」

「益々怪しくなってきたじゃないか、委員会とやらは」

 

 セブンの声が無人の街道に響き、彼女は機体をそっと前進させた。罅割れたアスファルトが軋み、セブンの重装二脚が前へ前へと突き進む。

 

「それで、確か此処から先がマッピング出来なかったという話だが――」

 

 そう言ってセブンがマップを見る。途端、ガコンと音が鳴った。前進していた機体が急停止する、視界ログに『障害物検知』の文字。足を何かにぶつけ留まった様だった。通常、重装二脚に蹴飛ばされれば大抵の物は壊れる。歩行を拒めるものは限られていた。そういうもは大抵自動でセンサが感知し、避けてくれるのだが。ならば道路が破損しアスファルトが迫出ていたか、何か、地面に障害となる物があったのだろう。セブンは視線を落とし、足元を見た。

 

「……?」

 

 しかし、何もない。重装二脚の脚元に障害となりそうなものは存在しない。セブンは気にせずもう一度足を踏み出そうとするが――見えない何かに衝突し、拒まれる。ガコン、とまた音が響いた。明らかに歩行を拒む『何か』が存在していた。

 セブンの奇妙な行動を見ていたナインは顔を顰め、ふざけていると思ったのか、やや不機嫌な口調で告げた。

 

「……セブンさん、何をしていらっしゃるので?」

「いや、別段戯れている訳ではないんだ、ただ此処に、何か……妙な」

 

 セブンは戸惑いを隠せず、そう言って手を伸ばした。すると指先が硬質的な何かに触れ、掌がそれに張り付く――目には見えない何かが、其処には確かに存在した。セブンは自身の存在しない心臓がひとつ、弾んだのを自覚した。背を見せたまま硬直し、動かないセブンをナインは疑念の籠った瞳で見つめる。

 

「……ナイン」

「はい?」

「此処に手を伸ばして見ろ」

 

 最初訝し気だったナインだったが、セブンの口調からただならぬ気配を感じたのか彼女の隣に並ぶと素直に手を伸ばした。そしてナインの鋼鉄の手が触れる、見えない壁に。

 

「ッ!?」

 

 まさか、といった表情を浮かべるナイン。両手を伸ばし、何度も見えない壁に触れる。触れられる、だが見えない。マップに映らない空白地帯の正体。「これは」と呟きを漏らした。

 

「これが何だか、分かるか?」

「いえ……しかし、目視出来ない壁――光学迷彩? でも、この規模は」

 

 ナインの手は上へ下へと伸ばされる。しかし何処に手を置いても同じ。そのまま数歩横に歩いて触れても壁は続いていた。確か、先行させていた無人機の探知情報によれば、この空白地帯はずっと横まで続いていた筈。上はどうだろうと考え、ナインは足元に転がっていた小石を拾い上げ、遥か頭上に目掛けて投げつけた。カコン、と音を鳴らして弾かれる小石。小石は五十メート程上で弾かれた。高さは一体どれ程だろうか、少なくとも百メートルや二百メートルではきかない気がした。ナインは壁に手を添えながら告げる。

 

「セブンさん、このまま見えない壁に沿って歩きましょう、何処かに途切れ目があれば」

「あぁ」

 

 二人は壁に手を添えたまま同じ方向に歩いた。本当ならば別々の方向に歩き確かめるべきなのだろうが、此処は敵地である。単独行動の危険性は十二分に理解していた。セブンとナインの両名は黙々と十数分程歩き、移動し続けた。しかし見えぬ壁が一向に途切れる気配はない。

 

「……ナイン、恐らくこの壁は」

「……はい、ずっと向こう側まで続いている可能性があります」

 

 無人機の地形情報と、実際の壁が存在する空白地帯は一致している。つまり、このマップ情報が正しいとすると壁は遥か向こうまで続いている事になる。足を止めた二人は再び壁と向かい合った。

 

「列島だけか? 或いは、外海にまで続いているのか――まさか彼奴の言っていた『世界の果て』とは、これの事なのか?」

 

 この果てしなく続くと思われる壁が、世界の果て? セブンの表情が露骨に歪み、見えぬ壁を強く叩いた。

 

「セブンさん、少し時間を頂けますか」

 

 ナインはそう告げると壁の前で膝を着き、背中のユニットに手を伸ばした。拡張ユニットである飛行装備は昨日のモールに隠してある。今のナインの背部には機動の邪魔にならない程度の小さなコンテナが背負われていた。固定ボルトが弾け、コンテナが国道に落下する。レバーを引きコンテを開封すると、中から幾つかの兵装が顔を覗かせた。

 

「ナイン、何を?」

「この壁を破壊出来ないか、試してみます」

 

 そう言って壁に何かを取り付けるナイン。それは取っ手の付いた工作用の兵装であった。四角く、携帯可能かつそれなりの規模の威力を発揮する代物。

 

「ケトルボムか」

「はい」

 

 ナインは頷き、コンテナの中からケトルボム用の外皮を取り出した。閃光と爆風を抑える為に、ケトルボムを覆い隠す為の皮膜装甲である。

 

「敵の反応がないとは言え爆音と閃光で注意は集めたくはありません、少量に指向性を持たせ一点集中による破損を目指します、もしこれが見えない壁だとして、僅かでも穴を空けられれば向こう側を覗く程度は出来るでしょう」

 

 この壁が破壊可能か、否か。仮に破壊可能だとして、どの程度の強度であるのか、どれ程の爆薬が必要になるのか。それを見極める為に一先ず、一点集中による爆破を敢行する。少量とはいえ外皮を被せ、爆発の方向を指定すれば甲鉄程度は軽く射抜く。複合装甲であっても貫通を許すだろう。ナインは手早くケトルボムと外皮の設置確認を済ませ、安全装置を弾いた。ケトルボムの設置は簡単で、特にナインが持ち込んだ簡易型は吸着板による張り付けと確認作業だけで済んだ。

 

「設置完了です……少し、離れましょう」

 

 その言葉に頷いたセブンはナインと共に壁から離れ、近場の廃屋に身を潜める。外皮を嵌めたとはいえ爆破の衝撃で破片が飛び散るかも分からない。距離を取り、遮蔽物に身を隠したナインはセブンを一瞥し、目元に指先を添えた。

 

「では、起動します」

「あぁ」

「――起爆」

 

 一拍後、廃墟に炸裂音が鳴り響く。爆発の音としては破格の静かさ、無音は不可能だがこれなばら広範囲の敵を呼び寄せる事もない。外皮によって閃光も抑えられ、爆破自体はナインの目論見通り成功した。爆破のタイミングで見えない壁にノイズが奔り、景色が歪む。爆破地点に駆け寄った二人はその光景を目にし、目を見開いた。

 

「これは――」

 

 爆破した周辺がノイズを発している。ヂリヂリと音を立てて、まるでバグの様に点滅を繰り返すそれは実に奇妙だった。

 

「壁……というよりは、ディスプレイ? 一体、何の為に…」

「! ナイン、見ろ」

 

 ケトルボムが炸裂し、外皮が剥がれ落ちる。硬質的な音を立てて地面に転がった外皮の奥から黒ずんだ壁が現れた。セブンは黒く煤けた其処に指を当て、軽く擦り色を落とす。黒ずんだ歪の向こう側から現れたのは、灰に近い色合いをした硬質的な材質。表面が僅かに抉れ、小さな罅が生じている。しかし、それだけだ――穴どころか僅かに抉るだけに留まっている。

 

「コンクリート、ではないな……ケトルボムの爆破で僅かに表面を抉られただけか」

 

 ケトルボムによる爆砕は失敗に終わった。表面が黒ずみ、やや抉れただけ。セブンの隣に屈んだナインは露出した部分に視界のピントを合わせ、解析を開始する。ケトルボムですら貫通出来ず、僅かに抉るだけが精一杯の壁など一体何で出来ているのか。

 

「見た事のない材質です、それに……」

 

 周囲に景色を投影するディスプレイ、少なくともそうとは思えない程に頑丈だ。本当にただの壁なのか? いや、違う。そんな程度の代物ではない。データベースに存在するあらゆる金属・鉱物・複合装甲の類と一致しない、未知の材質だった。仮に、そんな頑丈な代物で壁を作るとして、その理由は何だ? こんなもので囲わなければならない程重要な何かが向こう側には存在しているのだろうか。壁を見つめながら、ナインは思考する。

 

「何か、途轍もなく重要な施設が壁の向こうに存在する? いえ、しかし、だとしてもこの規模は明らかに可笑しい、だって街どころか、外海に届きそうな程に空白地帯は広がっているのです、寧ろこの規模は、ウォーターフロント――私達を囲う様に」

 

 そこまで言って、ナインは不意に口を閉ざした。そしてどこか驚愕したような表情でセブンを見る。その唇は僅かに震えていた。

 

「まさか――」

「……本当に、まさか、だな」

 

 セブンの口元が苦笑に歪む。壁に手を当てながら立ち上がったセブンは指先を擦り合わせ、付着した破粉を落とした。

 

「世界の果てとは、全く、そういう事か」

 

 もし、自分達の考えが正しいのであれば――この壁は。

 

「ナイン、壁に沿って進むぞ、兎角このまま外海まで壁が存在するのか確かめる」

「……えぇ、了解しました」

 

 



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27話

 

 刑部が目を覚ました時、既に時刻は夕刻に差し掛かっていた。どうやらあの後、真っ直ぐ宿舎に戻ってくるや否やそのまま寝入ってしまったらしい。倦怠感を引き摺ったまま刑部はゆっくりと体を起こし、髪を手で払う。頭痛や吐き気、諸々の症状は少し横になれば比較収まった。デスクの上に散らばった薬を一瞥した後、刑部は空腹を自覚した。

 どれだけ体調が悪くとも、体は栄養を求めるらしい。まだ、生きていたという事か。鳴る腹を撫でつけ刑部は苦笑した。怠い体を引き摺って食堂に行くのも億劫で、部屋の冷蔵庫に手を掛ける。しかし、小さな其処には何もない、空っぽだ。元々食糧を買い貯めておく習慣などなかったのだから然もありなん。刑部は溜息を一つ、私室を後にして食堂に向かう事とした。

 

 宿舎を出て夕飯を摂りに食堂へ。道中、天音を誘おうと思い立ち彼女の私室に赴く。しかし留守だったようで、ノックしても彼女が反応を示す事は無かった。タイミングが悪かったか、なら今日はひとり寂しい夕餉になるかな、なんて考えながら廊下を歩いていると見知った顔が向こう側からやって来るのが見えた。この廊下で人を見かけることは稀だ。刑部は手を上げ、声を掛ける。

 

「依織さん」

「刑部君」

 

 向こうも此方には気付いていた様で、ふわりと微笑みながら手を挙げ返した。

 

「夕飯かしら?」

「はい、依織さんもですか?」

「えぇ、奇遇ね、良かった一緒にどう?」

「勿論です、俺も丁度誘おうと思っていたんです」

「そう、なら良かった」

 

 依織と刑部は並んで歩き出す。依織は脇に幾つかの封筒とファイルを抱えていた。事務仕事の帰りだろうか、少なくともセブンやナインのメンテナンス明けまでは彼女が自分達の上官代わりだ、セブンが普段行っていた仕事を彼女が担当しているのだろう。元々、依織はウォーターフロント固定の警邏隊所属ではなく、蓮華の様にFOBなどを転々とする側だと聞いている。セブン達が戻ったら、彼女もまたウォーターフロントを離れるのだろうか。ふと、そんな事を考えた。

 

「そう言えば、体調の方はどう? あれから具合が悪くなったりはしていない?」

「はい、今のところは何とも、健康そのものですよ」

 

 依織の問いに、刑部は一瞬内心で言葉を詰まらせるも、そんな事はおくびにも出さず平然と頷いて見せた。依織は横目で刑部を見つめ、それからやや厳しい表情で告げる。

 

「……私はD出身ではないから詳しくは知らないけれど、あの兵装に関して余り良い噂は聞かないわ――分かっているのでしょう、周囲の目が少しずつ変わっている事に」

「それは、まぁ」

 

 刑部はどこか気まずそうに頬を掻き、目線を伏せた。あのFOBでの戦闘以降、刑部は『男性だから』という意味合い以上の視線で見られるような気がしてならなかった。元々事情を知っていた一部のバックスは兎も角、機械人形を含め自身を見る目が変化しているような感覚は理解しいている。

 

「何故委員会が火消しを行わないのか、私には分からない、けれど十二分に注意しなさい、貴方はもうただの一AS乗りとしては見られないわ」

「……そんな大層な存在ではないんですけれどね、俺なんて」

 

 肩を竦め、呟いた。刑部からすれば本心だった、自身など偶然適性があっただけの鉄砲弾の様なものだろう。結局は使って事切れるだけの存在だ、そんなものに敬意だとか、畏怖だとか、そんなものは似合わない。不要ともいえる。寧ろ敬意を抱かれるべきは彼女達であるだろう。家族の為に、人類の為に、誰かの為に、信条の為に、使命の為に戦う――それは尊いものだ、素晴らしい物だ。自分には到底真似できぬ、比較するのも烏滸がましい。

 藤堂刑部は惰性で戦場に立っている。或いは、怒りとも言い換えられる。胸の中に燻った、火種がそれだ。誰かの為ではない、自分の為ですらない、そもそも戦う理由を持たない。持っていなかったからこそ――自分より上等な、誰かの為に戦うと決めたのだ。

 戦争孤児であった自分、男性だという理由だけで保護された自分――なら、打ち捨てられた他の皆は自分より下等であったのか? 否だ、声を大にして言える、そんな事はあり得ない。ならば自分を救い上げた人間にとって自分は上等だったのだろうか。刑部は答えを持たない。少なくとも、自分はそう思っていないのだから。

 

「そう言えば刑部君、今日の夜は空いているかしら?」

 

 不意に、依織が問いかけた。刑部は沈みかけた思考の海より自意識を引っ張り出し、軽く目を瞑り意識を切り替える。再び目を開いた時、其処に淀んだ光は映っていなかった。

 

「今夜ですか? えぇ、別段何も予定はありませんけれど」

「なら、私の相手をしてくれない?」

 

 相手、という言葉を口の中で繰り返し、刑部は目を瞬かせた。

 

「えぇっと、それはつまり、そういう――」

「そう、夜の御誘い」

 

 依織はそう言って妖艶に微笑んだ。久しく見ていなかった、女性の貌だった。しかしその表情は直ぐに掻き消え、少しだけ寂しそうに肩を落とした彼女は続ける。

 

「……ごめんなさい、少し欲張ったわ、病み上がりというのは分かっているから隣で寝てくれるだけで良いの、夜の御誘いというより、添い寝の誘いというのが正しいかしら? どう、駄目かしら?」

 

 どこか茶目っ気を出し、そんな事を口にする依織。刑部は彼女に感謝の念を抱いた。夜の誘い、などと宣いながらその表情の奥には刑部に対する配慮の色が透けて見える。大方、此方の体調を心配して看病の方便としてそんな言い方をしたのだろう。それが、隊長代理としての責任感からくるものなのか、或いは他の別な感情からくるものなのか、刑部には分からない。しかし、人の厚意を無下に出来る程刑部は冷血になったつもりはなかった。微笑み、ゆっくりと頷いた刑部に対し、依織は笑いながら言った。

 

「刑部君って、いつか後ろから刺されそうよね」

「ははは……良く言われます」

 

 ■

 

 夜半、寝静まった刑部の隣で依織はゆっくりと体を起こした。刑部の私室は本当に、何もない部屋だ。必要最低限の生活用品しか存在していない。機能美という言葉で片付けるには余りにも殺風景。依織は闇になれた瞳で周囲を見渡した後、死んだように眠る刑部の前髪をさらりと流した。彼の寝息は短く、静かで、緩い。

 

「……良く寝ているわね」

 

 手は出していない。本当に、ただ横で眠るだけの時間であった。欲を言えば物足りない――けれど情欲に負けて手を出す程、状況は余裕に満ちている訳ではないのだ。それに存外隣で眠るだけでも悪くない気分であった。人の肌というのは斯くも偉大だ、この温もりばかりは他の何かで代替する事が出来ない。依織は下着姿のままベッドから上半身を晒し、枕下に隠しておいたプラスチックケースを取り出した。ケースは長方形で、中には丸い筒――シリンダーが収められている。

 

「本当ならこのまま寝ていたのだけれど――ごめんなさい、刑部君」

 

 依織は小さくそう囁き、彼の首筋にシリンダーを打ち込む。ポンプを押し込むと、プシュという音と共に内容物が刑部の肌に染みこんだ。眠ったままの彼は微動だにしない、痛みも無かったはずだ。依織は懇々と眠る刑部を慈愛の籠った瞳で見つめ、手首に巻いた端末を開く。ホログラムモニタとして情報を投影する端末は、暗い室内に依織の顔を浮かび上がらせた。

 

『ナノマシン接続――成功、回路構築』

 

 依織が打ち込んだものはナノマシン、それも他人のニューロナノマシンにアクセスする類のものである。依織は刑部のニューロナノマシンに接続しようと試みていた。

 ――あの映像が真実であるのなら、『事の中心』に居るのは恐らく彼である。

 

 依織はずっと考えていた、あの映像を見た時から、藤堂刑部という人間と出会った時から。物事の中心に彼がいる。であればこそ、その彼本人が真実に至る何かしらの情報を持っている可能性が高いと。

 そう、自分と同じように。彼自身が知らぬ内に、それを仕込まれている可能性もあった。

 四苦八苦して生み出したニューロナノマシン接続技術。元々は自分自身に送られた映像データを元に再現したものである。それでも大分手古摺ったが、ナノマシン自体はきちんと働いている様子だった。そして端末を凝視する依織は目を細める。疑った通り、刑部のニューロナノマシンには不自然な分布が見られた。記憶領域の存在だ、接続したニューロナノマシンの中に『自身に似たデータ』を持つ群がある事に気付いた。

 

「あった……!」

 

 依織は唇を湿らせ、端末を素早く叩鍵する。検索、ヒット、それは何らかの映像ファイル。恐らく、依織の知らないもう一人の刑部によるもの……! 掴んだ、依織は自身が真実の一端を手に握ったことを自覚した。

 しかし、それを確認した途端――依織の端末に赤くエラーの文字が走る。

 

「えっ」

 

 同時に逆流、刑部のニューロナノマシンから何らかのプログラムが作動する。この領域にプログラムを仕込む余裕が――依織が驚愕する合間にもニューロナノマシンから端末に掛けて構築した回路が乗っ取られる。そして既存の防衛プログラムをあっさりと乗り越え、そのプログラムは依織の端末に音声データを潜り込ませた。アクセスからほんの数秒の出来事であった。対応する暇さえない、依織は冷や汗が流れるのを自覚し、端末を握り締めた。

 

『――驚いた、まさかこのデータに気付く人間……若しくは機械人形がいるとはね』

 

 音声データは即座に再生され、『sound only』の文字と共に依織の鼓膜を揺する。音は、依織にしか聞こえていない。端末を通じ、接続されている者にのみ再生されるような仕組みが施されていた。

 

『データを【打ち込まれる】可能性は高いと考えていた、けれど逆に、【抽出する】事を考える者が居るとすれば、それは――僕と同じ立場という事だ』

 

 声は――加工されている。依織はいつでも端末を切り離せるように身構えつつ、音声に耳を傾ける。刑部のニューロナノマシンにアクセスした人間に対するカウンター。つまりそれは、『刑部に触れられる存在』という事だ。目的は何だ、刑部に近付く人間を排除する類のプログラムであれば態々こんな音声データを残す必要はない。焦燥しながらも依織は冷静を保つ、この様なデータを残す理由、プログラムを組む理由、それは。

 

『初めまして、僕の名前は如月寧々(キサラギ ネネ)、内側で男娼をしていた彼の客だった女のひとりだよ』

「……!」

『まず、最初に言っておこう、僕はアナタの敵ではない、刑部君のニューロナノマシンから何らかの情報を抜き出そうとした時点で、この映像は相手の端末、或いはそこに接続された相手のニューロナノマシンに伝達、再生される様になっている、害はないから安心して欲しい――彼のデータを抽出しようとしているという事は、少なくともマザー側ではない筈だ、恐らく、僕とアナタは味方になれる』

 

 声は淡々としていて、何処か冷たさを感じさせる。しかしその口調は事務的でありながらも妙な熱を孕んでいた。敵ではない、と声の主は言う。無論それを頭から信じる程、依織は無防備ではない。しかし端から斬り捨てる程考え無しでもなかった。

 

『アナタが男性なのか、女性なのか、人間なのか、機械人形なのか、それは分からない、しかしアナタも理解しているだろう、この世界で信頼できる仲間というのは貴重だ、もしそれを得られるのであれば僕は協力を惜しまない……これを見て欲しい』

 

 唐突に、端末からマップが投影される。それはウォーターフロント内側の一角であった。マップ情報まで仕込んであるとは、端末の機能は凡そクラックされているものと見て良いだろう。依織は自身と相手の間に隔絶した電子技術の差がある事を理解した。少なくとも電子機器を介した遣り取りでは万に一つも勝ち目はないと悟る。依織は腹を括り、マップを覗き込む。場所はウォーターフロントの内側に間違いないが、やや壁に近い。つまり外側寄りだった。その一角に点滅する建築物が見える。

 

『ウォーターフロント内側にある、此処の公衆端末、この端末の貸金庫項目で【B-34番】、暗証番号は【32897】と入力して欲しい、中にメモリチップが入っている、中の情報は僕へ連絡を取る手段だ、可能ならば連絡をして欲しい――僕の目的は、藤堂刑部という男を救う事だ』

「!」

『良い返事を期待しているよ……それじゃあ』

 

 そこまで口にし、音声データは途切れる。そして端末は通常通りの機能を取り戻した。

 

「……今のは」

 

 暫くの間依織はその場に佇み、動く事が出来なかった。考えるべき事が多すぎる、依織は虚空に消えた音声データのウィンドを見つめたまま顔を顰める。しかし、そんな彼女を叱咤すべく端末が震えた。今度は何だと思いながら表示されたウィンドに目を向ければ――セブンの名前が躍る。依織は一瞬、眠る刑部とウィンドに視線を向け、椅子に放っていたシャツを羽織ると端末を握ってそっと部屋の外に出た。元より女所帯、下着姿にシャツを羽織った姿で廊下に出ても大して問題にもならない。廊下は暗く、人気はない。僅かな肌寒さに手を擦り合わせ、非常灯の仄暗い灯りを頼りに壁に背を預ける。

 端末を開くと、セブンの声が鼓膜を打った。

 

『――出るまでに少し時間が掛かったな』

「ごめんなさい、ちょっと所用でね」

 

 言葉を濁した依織に対しセブンは一瞬追及すべきか迷ったが、そのまま流す事に決めた。依織は廊下に人影が無いことを確かめ、声を落として問いかける。

 

「それで、何か分かった?」

『あぁ、世界の果てとやらに辿り着いたぞ』

「……本当?」

 

 依織はセブンの言葉にやや驚きを伴った声を発した。外海を含めれば、一週間をフルに使っても辿り着けない可能性が高いと考えていたのだ、それがたった二日程度で。正直、信じられないと云うのが本当のところだった。しかし、彼女が嘘を口にするような存在ではないことを依織は知っている。

 

『あぁ本当だ、ナインと一緒に世界の果てとやらに沿ってマッピングを行った、凡その範囲も特定出来た』

「マッピングも? 仕事が早いわ、流石ね、それで……世界の果てとは、一体何だったの?」

『巨大な壁だ』

 

 一瞬、間が空いた。それは余りにも唐突で、予想の斜め上の言葉だったからだ。「巨大な……壁?」、と依織が口の中で繰り返す。それに対し、セブンは淡々と肯定の言葉を口にした。

 

『そうだ、凡そ東京を中心に百五十キロの地点で、円型に展開されている巨大壁、それが世界の果ての正体だ』

「……どういう事、壁って、そんなものが何で、本当に?」

『事実だ、ナインと共に一日中調べ回ったからな、破壊出来るかどうかも試したが、破壊工作用のケトルボムでさえ表面を僅かに抉るだけだった、材質の解析も試したかデータに該当する甲鉄、装甲、鉱石が存在しない、まるっきり未知の材料で出来た恐ろしく堅く、高い壁だ』

 

 言葉と共に、依織の端末に向けて幾つかのレポートが送信された。傍受対策として容量は小さく、幾つかの画像と文書のみだったが十分だった。外壁の題と共に撮影された黒ずんだ【何か】――壁、というよりは灰色のコンクリートらしきブロックが、黒ずみ虚空に浮いている様に見える。しかし、セブンが手を付きながら撮影した画像も存在し、そこに明らかな壁が存在しているのだと分かった。加工か、或いは悪戯と断じることが出来ればどれ程楽だろうか。しかし続いて送られたマッピング情報や第二、第三の破砕検証を見て、口を噤む。

 マップには、ウォーターフロントより百五十キロの地点で空白地帯が生じていた。

 

『纏めるとこうだ――私達は生まれてからずっと、東京都を中心とした半径百五十キロメートルの檻の中で生きていた』

 

 言葉にすると、何と突拍子がなく胡散臭い情報だろうか。しかし、それを裏付ける情報が揃っているのだから仕方がない。依織は端末を見たまま、くしゃりと髪を掴んだ。

 

『外海は不明だが、恐らくそう間違ってはいない筈だ、丁度FOBが先端になるのか、或いはFOBだけは例外なのか、最早私達の想像をはるかに超えているのでな、内陸方面は兎も角、外海周辺の確証はない』

「待って、待って頂戴……壁って、そんなものがあったのなら普通、気付くでしょう?」

『いいや、表面には高度な投影技術、いやディスプレイか? 兎も角、遠目では絶対に気付けない細工が施されている、というか私達は近付いても分からなかった、偵察機でマッピング出来なくなって漸く気付いたんだ……少なくとも無人偵察機の類で壁を発見するのは、目視だとまず不可能だろう』

「……どうして今まで発見されなかったの? 絶対におかしいわ」

『ウォーターフロントの長距離警戒網は最大距離で百キロだ、壁はその五十キロ先にある、おかしい話ではない』

「違う、そういう話じゃないのよ」

 

 依織は告げ、髪を掴みながら背を丸めて壁に預けた。心臓の鼓動が高鳴る。だって、どう考えてもおかしい話なのだ、これは。

 

「もし、そんな壁に私達が囲われて生きていたとして……一体、いつから私達は壁の中に居たの?」

 

 だって、そうではないか。仮に、本当に壁が存在するのだとして――その壁は一体、いつから其処に存在したのだ? 十年前か? 二十年前か? それとも百年? 千年? 或いは……人類が生まれた、その時からか。

 比較的最近壁が作られたと云うのならば、誰がその壁を作ったのかという疑問が残る。内陸が感染体に奪われどれ程の時間が経過したか、少なくとも壁を作った連中は感染体を操る様な術を持っているという事になる。壁の規模は、内陸とウォーターフロントを見事に分断している。この規模の建築物を誰にも悟られず、また感染体に邪魔されずに完成させるなどとても不可能に思えた。

 反対に、もっと大昔に壁が建てられたと云うのであれば――いや、それはあり得ない。考え、依織は己自身に反駁する。そんな壁が感染体の現れる前から存在していたのならば、人類が気付かない筈がない。そんなものが存在するなど、今の今まで聞いた事すらなかったのだ。ならば、壁は感染体に本土を乗っ取られた後に建てられたものだと考えるべきだった。

 

「感染体がその壁を用意した、というのは考えられない?」

『連中がか? グロテスクな肉壁を布くなら分からなくもないが、これは明らかに科学技術の結晶だぞ? そんな知能、連中にある筈がない――元から此処にあった、と考える方が自然だ』

「なら、誰かがこの壁を建設したとでも言うの? 人類の目を盗んで、感染体すら欺いて、或いは味方に付けて――」

『我々が今まで世界と呼んでいたのは東京から半径百五十キロの範囲のみ、壁は近年建てられたのか、或いは【世界が存在すると思い込まされていた】か……全く以って、凄まじい秘密だ、これは』

「セブン……」

『四十人委員会は敵だ』

 

 彼女は断固とした口調で告げた。空気が妙に肌寒く感じ、依織の肌を刺した。端末を握る手を二度、三度緩めた。そうすると血の通う感覚が分かる。思考は、正常だ。依織は自身に言い聞かせた。

 

『映像の中のお前が言っていた事は、正しかった、トップを疑えというのは妥当だ、少なくとも世界の果てを見つけた事で信憑性が増した、こんな壁の存在を悟らせず、どうやって今まで人類はやってきたのか、もしウォーターフロントでこれらの情報を隠せる存在がいるとすれば、委員会以外は考えられない――或いは、委員会そのものが壁を作ったか、だ』

 

 セブンは云う。もし、こんな事が可能な存在・組織が在るとすればそれは――自然、この世界のトップという事になる。それ以外の誰にこんな真似が出来よう? 外海とは通信が途絶して久しい。現在ウォーターフロントの人類は、この閉鎖された空間で生きて行かねばならないのだ。考えるべき事は無数にあった、依織は一度深く息を吸い込み深呼吸をする。すると僅かだが、気持ちが楽になったような気がした。

 

「良いわ、分かった……取り敢えず、一旦帰還して頂戴」

『あぁ、分かった』

「それと、私もひとつ手掛かりを手に入れたの」

『手掛かり?』

「えぇ、刑部君を救う手掛かりを持つ人物に関する情報」

 

 依織の脳裏に先ほどまでのやり取りが浮かぶ。彼女――彼、という事はあるまい――は確かに云ったのだ。

 

「マザー」

『!』

「映像の中の私は、そう言っていたわ……多分、その言葉の意味を知っている人と、コンタクトが取れる」

『本当か』

「えぇ」

 

 声の人間は、確かマザーと口にしたのだ。聞き間違いではあるまい、ならばこそ知っている筈だ、自分達の知らない真実――少なくともその一端を。

 

「一先ず、帰還したら合流しましょう、詳しくはその時に」

 

 



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28話

 

「接続ID偽装――これで良い筈だ」

 

 源はひとり、暗闇に向かって呟いた。独り言を口にしたのは、その言葉の中に願望が混じっていたからだ。場所はウォーターフロント中央情報区に通じるサーバールーム。上層の人間のみに閲覧が許された警戒区域の一つであるそこに、源は単身で乗り込んでいた。周囲には山と積まれたサーバーが規則正しく配置されており、冷却システムが唸る音が部屋全体に響いている。光源は足元のガイドラインのみで、源の顔を端末の淡い光が照らしていた。

 サーバーに直接コードを差し込み、端末を操作する源は視線で文字列を追う。偽装した上層の人間が用いるID、それにヒューマン・コードをも書き換え、【人間かつ上層権限を持つ存在】としてアクセスを行う。源の前には、無数の文字が流れては消えていく。

 

「ヒューマン・コード、情報閲覧……」

 

 スクロールされる画面、アクセス自体は上手く行ったのだ。ホログラムモニタにはデータベース内部の情報がこれでもかという程に表示されており、殆ど赤裸々。しかし、表示されるデータの中に源が求めていたものは存在しなかった。源は舌打ちを零し、スクロールを続けながら悪態を吐く。

 

「……駄目だ、まるで見当たらねぇ、どうなってやがる?」

 

 源が求めていた情報は四十人委員会――そのメンバーの情報である。氏名、住所、年齢、血液型、経歴、兎に角何でも良い。個人を特定できる何らかの情報を欲していた。しかし、探せど探せど見当たらない。上層レベルの権限ですら委員会メンバーの情報、その切片すら掴めないでいた。

 そもそも委員会のメンバーの個人情報どころか、委員会の歴史や創設に関しての情報、議事録等、スケジュール、その影すら踏めないとはどういう事か。片っ端から内部情報を探ってこれだ、もっと上の権限でしか閲覧出来ない程の情報なのか、或いは別の情報区画が存在するのかと源は訝しむ。しかし、此処の上層ですら閲覧出来ないレベルの情報とは一体どれ程のものなのか。そしてもしそうなら、誰のIDならば閲覧可能なのか。委員会の面々は、委員会の人間のみ知り得ているのか? それが真実ならば場当たり的に人探しをする羽目になる。

 

「或いは、【そもそも存在しない】か――」

 

 委員会など存在しない――一瞬そんな思考が過り、源は頭を振った。

 それこそ、あり得ない。委員会は存在する、でなければ一体誰がこのウォーターフロントを動かしているというのだ。委員会が存在しないという事は、即ちウォーターフロントを統治する機構が存在しないという証明となる。それを、認める訳にはいかない。

 

「……?」

 

 胸中に抑えきれない苛立を孕みながら視線を動かしていると、スクロールする文字の中に気になる一文を見つけ手を止めた。視線で文字を流し、指先でなぞる。ASの開発記録。機械人形の開発、生産、製造計画。人工知能の開発。それらの文字が躍るファイルは源の好奇心を刺激した。

 

「こんなものも閲覧出来るのか」

 

 成程、確かにこれは上層権限でなければ目にする事は出来まい。源は呟き、興味本位で中を覗き見た。

 

 

 

 装甲強化外骨格とニューロナノマシンによる密接なBTリンクの確立、また機械人形による疑似脊椎接続の開発。

 第二研究廠所長 如月信人

 ニューロナノマシンによるアーマード・スーツ(以降ASと呼称)の神経操作は、近年一定の水準に達したという結論がベイズレポートによって齎された。※1

 神経接続によるASの操作は通常の肉体を操作する感覚と同じく、習熟訓練を然して挟まず速成としての運用が可能であり、またマニュアルと比較しレスポンスタイムの短縮が著しい。反面、ニューロナノマシンの注入と脊椎接続の為の改造手術を施術する必要があり、適応できない場合脳死状態となる。この、改造手術による死傷者数が年々増加傾向にある。※2

 改造手術は大脳周辺に分布するAS用ニューロナノマシンの注入とBTリンク確立の為の脊椎接続コネクタ埋め込み、神経バイアスの調整を兼ねたハーネスの取り付けが行われる。

 中でも最も困難とされるのが神経バイアスの調整を行うハーネスの取り付けであり、ニューロナノマシンの拒絶反応や脊椎接続コネクタの埋め込み失敗、ヒューマンエラーを除き、凡そ六割の死傷者がハーネスの適応失敗により死亡している。

(中略)

 人工知能の開発研究は続いているが、十分な成果を挙げているとは言い難い。1996年に投入されたD1計画の無人戦車は、当初の予定である市内感染体掃滅を成し遂げられなかった。これは兵器としてのスペック不足や、コンセプトの失敗というより、そもそも人工知能として運用する段階に至っていなかったという点が大きい。

 また無人戦車の詳細に関して、D1レポート ※3 では戦車の有用性は未だ実証されているとあるが、同年に行われた九州反攻作戦に於いてASの三次元戦闘の有用性は証明されており、より高い作戦遂行能力と汎用性に富んだASの無人化こそ我々が最も力を注ぐべき研究であると考えられる。

(中略)

 ASの無人機化に際して、私は五年前に発案されたアンドロイド計画※4 に着目した。ASに人工知能を搭載したとしてもBTリンクは行われない。精神接続、という過程を無人機では再現出来ない。これは、無人機として運用するのであればそもそもASである必要がないと言える。そこで私はアンドロイド計画の人格転写研究、または精神転送(mind transfer)を用い、これを解消した。これは、単純な人工知能を製造するのではなく、人間の脳を複製する、つまり人格や感情と云った不確定要素を含んだ複製知能を製造する手法である。一種のクローニング技術に近いが、素体そのものは既存のアンドロイドの物であり、また複製されたオリジナルの脳、人格、感情等は全てデジタル上のものである為、物理的なクローンとしての要素は皆無である。そして何より重要なのが、ベースが人間の脳である為、素体による神経接続が可能な点である。つまりアンドロイドでありながら人間の様に考え、動き、尚且つASを操作可能となる。

(中略)

 この計画によって製造されるASを操縦可能なアンドロイドを機械人形(machine doll)と呼称する。最終的な目的は機械人形によるGS射出力場生成装置搭載機の操縦、そしてGSによる内地の同時全域掃討である。これを成し遂げる事が出来れば、人類は未だ戦う力を失っていないと世界に示す事が出来るであろう。

 

 

 

「人格転写……精神転送だと?」

 

 源の視線は端末のホログラムモニタに釘付けになっていた。その唇は震え、視線は左右に細かく揺れている。動揺だ、源は言い訳の余地なく動揺していた。このファイルに書かれている事は、真実なのか。震える指先で、触れることも出来ないホログラムモニタを何度もなぞる。文章、二度、三度、読み返す。しかし、書かれている内容は変化しない。源は自身の足元が崩れていく様な錯覚に陥った。今まで信じていた己という存在と、人類という線が断ち切られたような。

 ――人類が行ったのは人工知能の製造ではなく、人間の脳の複製――製造された存在の名は、【機械人形】。

 己は、端から機械などではなかった。

 

「じゃあ、何だ、アタシ等は元々……人間だって云うのか?」

 

 呟き、源は己の掌を見つめた。機械の手だ、外見は人と同じで、熱もある。けれど温く、疑似的な柔らかさしか持たないそれは偽物だ。皮膚は疑似保護膜、肉は人工筋線維、骨格は強化プラスチック。傍から見れば人間と変らぬ、だが文字通り『一皮』剥けば中身は機械と科学技術の結晶。しかし、その精神性だけは人間と同じという質の悪い冗談の様な話。それをどうして易々と受け入れられよう?

 自身の精神は【オリジナル】と呼ばれる人類の誰か、それを複製したものだと。精神は人間の複製品で、肉体、素体のみがアンドロイドと同じ人形物。ならば今の己は何だ? 人の心を無機物に落とし込んだ――出来の悪いマリオネットか。

 人が機械の体に代替すると言うのならまだ良いだろう、欠損や、或いは老いを補うために肉の器を捨てることはあるかもしれない。けれど、それは【人】ありきなのだ。『己が人間であった』という記憶があるからこそ、機械の器を受け入れられるのだ。最初からこの機械の器のみを与えられ、お前は機械だと言い聞かせられ、最後に心は人間だったと手のひらを返され――己に、どうしろと言うか。源は掌で口元を覆い、強く目を閉じた。妙なざわつきがあった、無性に叫びたくなって、目の前のサーバーに拳を叩き付けたくなった。

 しかし、その激情を抑え込む。個人的に委員会を探る理由が増えた。そしてこんな事を許す連中が、少し憎い。人類への忠節が揺らぐ、己の芯が、存在理由が不確かとなる。

 けれど、刑部への愛に陰りはない――それは確かだった。

 それさえあれば、良い。それさえ確かであれば、己は大丈夫。

 二度、大きく息を吸った。意味のない行為が僅かに頭を冷やし、鼓動を抑えた。或いは、人であった頃の名残なのかもしれない。尤も、この精神にそんな記憶は存在しないが。

 しかし、こんな秘密が眠っているとは。源は気を取り直しホログラムモニタを睨みつける。上はまだ、もっと重要な何かを隠しているに違いない。こんなものはきっと氷山の一角だろう。そんな確信がある。源はスクロールを続け、そのまま検索を続けた。

 そして遂に、その領域に辿り着いた。

 

「――何だ、この記憶領域」

 

 検索の手を止め、分割したホログラムモニタを解析に回す。アクセスすると、容量表示のグラフが跳ね上がった。とんでもない容量だ、源は目を剥く。更に通常では分からない様に、オリジナルデータは此処には無く、別途隔離されている様であった。気付けたのは本当に運がよかった、僥倖だ。源は素早く視線を動かしアクセスを試みる、しかし。

 

 ――失敗、アクセス拒否。

 

 源は唇を噛み、視線を鋭くした。

 

「このIDとヒューマン・コードでもアクセス出来ない……上層と同等の権限だぞ?」

 

 上層のメンバーかつ、人間ですらアクセスできない領域。源はホログラムモニタを更に分割し、内容を探ろうと躍起になる。防備が厚い、アクセスは他からも可能だろうか? 答えは否、この隔離区画からのみアクセスが可能であった。一ヶ所のみの出入り口、かつ上層権限ですら閲覧出来ない記憶領域となれば。

 

 ――委員会の連中の記憶領域か……!

 

 源の口元が釣り上がった。間違いない、先ほどの苛立ちから一転、逸る気持ちを抑え突破口を探す。無暗矢鱈とアタックを仕掛ける事はしない、試行回数が限定されている可能性は大いにあり得た。恐らく現状の権限IDでは不可能、となると委員会メンバーの持つ専用IDが必要になる。

 

「……へっ、まさか本当に役立つとはな」

 

 呟き、源は手首のソケットからチップを取り出した。それは蓮華のIDとヒューマン・コードを複製したものである。最初から気に喰わなかった相手だ、しかしその立場と腕前だけは信頼していた。奴と会う度に少しずつ記憶領域を削って蓮華のヒューマン・コードとIDを複製していた源。何かを知っているのは確実である、となれば委員会に通じていると睨むのは当然の流れ。何かに役立つかもしれぬと備えていたものが実を結んだ。源はチップを端末に差し込み、権限を更新する。IDとヒューマン・コードは蓮華のものに偽装された。再度、アタックを敢行、認証試行。

 

 ――アクセス成功。

 

「っしゃ……ッ!」

 

 源は小さく拳を握り込み、歓声を上げた。やはり、己の考えは間違いではなかった。あの気に喰わない女は委員会と明確な繋がりを持っている。でなければそのIDで記憶領域が開ける筈がない。

 源は鼻歌でも歌いたい気分に浸りながら、今しがたパスした中身を一覧にして開く。瞬間、流れ出した情報の量に顔を顰めた。

 

「何だこりゃあ……これ全部ログか?」

 

 ずらりと並ぶファイル、それらすべてが何らかのログ。凄まじい量だ、一体どれ程の数があるのか。300、365、730、1500、まだ増える。源は未だ更新を続けるファイルの量に辟易としながら、適当なファイルを選び中を検めた。

 視界に飛び込んできたのは数字に、簡素な文章――【187 1999 0807 20:00 内陸侵攻開始】。

 レポート、ではない。単純に何か、機械的に出力された文章に見える。本当にログだ、誰かに見せるというよりも事実を淡々と表記し、記録として保存されているもの。源はそれらの文字を目で追いながら、訝し気な表情を浮かべる。

 

 これが、委員会の記憶領域の中身?

 

 ファイルには委員会メンバーの情報も内部についての仔細も、議事録や、報告書の類すら見つからなかった。全てが全て、ログである。どういう事だ? 源は顔を顰め、膨大な数のログをスクロールし続けた。どこかに、委員会へと続く何かしらの手掛かりがあると信じて。

 しかし、ふと――気付く。

 この記憶領域に保存されているログは、どこかおかしい。例えば文章の中には、【陸軍】や【空軍】、【海軍】と云った言葉が偶に見える。どれもこれも使われなくなって久しい単語だ。反対にASや機械人形といった単語は見つからない。代わりに、『BD』と呼称される兵器が頻繁に出ていた。BD? 聞いた事のない兵器だった、記憶領域内で検索を行うも兵器の詳細は発見できず。どこかもやもやした感情を引き摺りながら更にログを流す。

 そして莫大な量のそれを流し読んだ源は気付く。ログは、どうにも一日毎に生成されていたらしく、その数は凡そ二十五年分ある事に。二十五年という年数に気付いたのは、その数が丁度9,125件でストップしたからだ。

 二十五年――このログの最も古いフォルダは1990と記載されている。つまり、1990年――だろうか。それはウォーターフロントの完成と同時期である。フォルダは一日分ごとに分割され、中にはぎっちりとログが詰まっている。最新の2015年のフォルダを開けば、中には2015年の出来事と思わしき文章が数字と共にずらりと並んでいる。

 

 そして源からすれば、それは――未来の出来事だ。

 

「……どういう事だ、何で【未来のログ】が存在する……?」

 

 呟きながら、源は只管にログを流す。これから先に起きる事、それが淡々とログには描かれている。二十五年分のログ、その最後に書かれた数字と文字。源はそれ以上スクロールする事の出来ない文末まで文字を流し、それを見た。

 

 ――【187 2015 1221 10:47 対象全滅、工程終了】

 

 対象全滅――それが、妙な冷たさを持って源を貫く。対象、対象とは、何だ。

 しかし、全滅と言うからには『感染体』か、或いは【人類】の様に思えてならない。そして、以前のログや文章から読み取るに人類は未来でも劣勢であった。つまり、これは人類の滅亡を意味しているのではないか?

 ひやりと、源の背中に詰めたい何かが奔った――いや、まだ断言は出来ない。源は頭を振り、まず読み取れそうな部分のみに注力すべきだと考えた。

 最初に源はこの、並んだ数字の意味を推測した。2015は恐らく年代、つまり2015年という事で間違いない。1221は、12月21日、ならば最後の10:47は午前十時四十七分、という事になる。恐らくこの考えで合っている筈だ、これは前後のログにも共通し、並びからも蓋然性が高い。

 

 ――だが、最初の187が分からない。

 

 この数字は全てのファイルに共通し、ログの先頭には全て187の数字が躍っていた。十年前だろうと、二十年前だろうと、ログの先頭にはその数字が躍っている。源はくしゃりと髪を掻き散らし、顔を顰めた。最初の数字の意味は分からない、しかしこのログによれば2015年12月21日、午前十時四十七分に【対象】は滅びる。

 前のログを流し読みした。人類は追い詰められ、その数を大きく減らし、少なくとも感染体の撃退や掃滅に成功したという文章は見えない。ならばやはり、この全滅した対象というのは『人類』なのだろう。或いは、土壇場で人類が息を吹き返し、トンデモ兵器や科学の結晶で勝利を捥ぎ取った? あり得ない、源はそんな夢物語を鼻で笑う。愛と勇気で世界が救えるならば、人類はこれ程追い詰められてはいまい。

 人類滅亡の予言、ただの世迷言――にしては余りにも無機質で、現実的だった。悪戯でこの膨大な量のログを偽装した? 何の為に。委員会がそんな無駄な事をするとは到底思えない。源は断ずる。こんなものを偽装する理由も、意味もない。

 つまりこれは――事実である可能性が高い。

 機械による高精度の未来予測という可能性もある。だが、だとすれば何故ここまで人類が押し込まれているのかという疑問が残る。未来が分かっているのなら、破滅を回避する為に動くだろう。当然だ、その為の未来予測だろう。ならば現実、変える事が出来なかったのだろうか? 或いは、この予測があったからウォーターフロントを開発したのか?

 分からない――源は眉間に皺を寄せたままログを流し読みする。すると、とある一文に目が止まった。それを指先でなぞり、口に出す。

 

「2000年、十一月、北海道陥落、九州二面侵攻開始……」

 

 源は目を細め、小さく呟いた。それは自身の知っている過去の歴史と異なっていた。確か、北海道の陥落は2001年だった筈だ、当時軍隊としての機能を辛うじて有していた人類は決死の覚悟で挑み、一進一退の攻防戦を繰り広げた。力及ばず敗戦し、本州へと撤退したのが2001年の一月八日。ログに残っている記録は僅かに早い。

 この予測を見て根回しをしていた? 源は考え込む。その可能性はあるだろう、しかし――翌年の2002年には東北が押し込まれ、戦線は福島まで後退している。そしてログによれば、福島まで戦線が下がるのは2003年である。

 現実は、このログの予測より悪化している、何故? 何か予想外の事が起こったのか? 

 

「若しかして、シミュレーションではないのか……?」

 

 源はそもそも、己の考えが間違っている可能性を思い浮かべた。現実の出来事と小さくないズレがある、そして用意された未来のログ、その事から源はこれを委員会が行った未来予測――機械によるシミュレーションだと考えた。だが、それにしては聊か不可解な点が多すぎる。シミュレーションとして見るならば、現実での戦況悪化の説明がつかない。こんな予測が可能ならば、もう少し遣り様はあっただろうと。

 しかし、仮にこれがシミュレーション結果のログでないとしたら一体何だというのだ。

 

「!」

 

 不意に、端末が震えた。強制的に開かれるウィンド、まさか侵入が露呈したのかと身構えた瞬間、それが非通知による通信である事が分かった。誰かも分からない相手からの通信要請、しかもこのタイミングで。

 ――明らかな誘いであった。

 源は自身が一歩ずつ真実に近付いている事を理解する。そして数秒程ウィンドを見つめ、静かに交信許可に視線を向けた。僅かに強張った表情のまま、ウィンドに向けて言葉を紡ぐ。

 

「――誰だ、お前」

『強いて言うなら、君の味方かな』

 



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29話

 

「……ん」

 

 刑部は目覚めた時、妙な肌寒さを覚えた。それが隣に寝ていた筈の熱源の消失が原因であると気付いたのは、少し経ってからである。見上げた天井、ぼんやりと靄の掛かった思考を払拭し横向きに姿勢を変える。するとそこに在る筈の影は既になく――やや乱れたシーツがあるだけ。刑部は目元を拭い、呟いた。

 

「依織さん?」

 

 返事は――ない。どうやら既に部屋から去った後らしい。刑部はゆっくりと上体を起こし部屋を見渡す。彼女の姿は――やはりない、時計を見ると未だ早朝、非番である為急ぐ必要もないがAS乗りの性だろう。ふと、デスクの上に見覚えのないメモを見つけた。丁寧に、女性らしいやや丸みを帯びた文字で書かれた文。そこには先に起床し、自室へと戻った旨が綴られていた。

 どうやら寝坊してしまったらしい、刑部は跳ねた髪をくしゃりと撫でつけ、メモをデスクに畳んで仕舞うと、顔を洗いに洗面所へと赴いた。蛇口を捻り冷水で顔を洗う、眠気を覚ますのにこの冷たさは丁度良かった。そして積み上げられたタオルの一枚を掴み、拭う。滴る雫を払い息を吐くと靄の掛かった意識がはっきりとした気がした。

 不意に鼻に違和感を覚えた。頬をタオルで拭いながら顔を上げると、鏡の向こう側に立つ己が赤を流している。鼻血だ、口元に垂れるそれを見て思った。

 

「……?」

 

 暫く茫然としていた。鼻から流れる赤に触れて、漸く出血しているのだと気付く。白いタオルが点々と、赤い血を沁み込ませていた。少して、目元からも血が滲みだした。血涙、そして鼻血。刑部は手に持ったタオルで鼻と目元を拭う、赤く染まる白。どうにも、止まる気配はない。

 

「……薬は、ちゃんと飲んだ筈なのに」

 

 まるで古いフィルム越しに世界を見ている様だった、それが一時のものであると理解していても嫌な汗が噴き出す。刑部は覚束ない足取りでベッドに戻り、スタンドの傍に置いていた薬剤ケースを手に取った。中から錠剤を取り出し掌に取ると、その指先が震えている事に気付いた。意識の裏側がざらつく感覚――脳過負荷と同じ症状だ。

 これは、いよいよか。

 刑部は知らず知らずの内に笑みを浮かべる。自棄になったとか、自嘲しているとか、そういう事ではない。ただ自身の体が確実に蝕まれているという事実を目の当たりにして、どうしようもない虚無感に襲われた結果だった。

 

 ――果たして自分は御役目の時まで生きている事が出来るだろうか。

 

 掌に零した錠剤を呑み込み、思う。薬の効果が短くなっている、手持ちで後何日生きられるかすら定かではない。恐らくこの症状では二週間に一回、消費は倍になる、そうなれば残りの数では一年――は耐えられないだろう。半年、いや、出撃分を加味して長くて三ヶ月、短くて。

 

「一ヶ月、かな」

 

 そこまで口にして、ふっと、肩から力が抜けた。今にも消えてしまいそうな――綺麗な笑み。虚脱感はある、しかし同時にそこには確固たる意志が宿っている。

 良いさ、死ぬ事は怖くない、それは実際に一度死にかけ、良く分かった。刑部は己に言い聞かせる、死は恐ろしくなどない、あぁそうさ。

 鏡の向こう側の男を思い描き、断じる。

 精々上等な人の為に、力を尽くして死のう。それが己の役割であり、義務である

 

 

 ■

 

 

「それで、話と云うのは?」

 

 場所は刑部の私室より僅かに離れた廊下、その階段脇。人通りが少なく、やや薄暗い。蓮華は静かに、目前に立つ天音に対し問いかけた。天音は何かを言おうとして、しかし一度口を閉じ、良く吟味する様に数秒瞼を閉じて、それから告げた。

 

「……蓮華さん、言いましたよね、刑部君を連れて行くなら好きにしろって」

「あぁ、彼奴ひとりで出来る事など高々知れておろう、好きにすれば良い」

「私、刑部君を連れて逃げたいんです」

 

 蓮華は真正面から天音を見ていた。蓮華は彼女のその言葉に、冷やかな視線一つ寄越さず、ただ水面の様な面持ちで佇んでいた。その表情を無反応による返答だと思ったのか、必死に口を開く天音。

 

「けれど私、馬鹿だから、どうすれば良いのか分からなくて……ずっと外側で生きて来たんです、私、それに病気の母が居て、小さい妹も、私が逃げたら折角内側に住めるようになった家族がまた外側に追いやられてしまう」

「……それで、吾にどうしろと?」

 

 やや、要領を得ない彼女の言葉に蓮華は投げやりに応じた。その表情は変わらず淡泊で、天音は数秒息を詰まらせる。しかし、頼れる人間は少ない。そしてその中で、最も事情を知り、道を開く可能性を示唆してくれる人物が彼女だった。

 

「助けて欲しい、なんて安易に言いません、ただ知恵を貸して欲しいんです」

 

 天音は苦し気な表情を浮かべ、そう告げた。知恵が欲しい、この現状を打開する知恵が。どうすれば良いかなんて、この頭では思いつかない。家族も助け、刑部も助ける、そんな都合の良い未来を掴み取る術が天音には思いつかない。蓮華は凡そ予想は出来ていたのだろう、やはりかという言葉を呑み込み、代わりに小さく息を吐いた。

 

「好きにしろとは言ったが、まさかこんな話を聞かされるとはな……何故、吾なのだ、もっと別の信頼できる者に、それこそ部隊の面々に相談すれば良いだろう」

「ナインは多分、根気よく説得すれば助けてくれると思います、心から賛同はしてくれないと思いますけれど……セブンさんは、分かりません、賛同してくれるような気もしますし、してくれない気もします、刑部さんは――」

 

 刑部の名を口にし、天音はやや言い淀んだ。それは刑部に打ち明けた場合の未来が容易に予想出来たからだ。

 

「刑部さんは、きっと逃げようと言っても頷いてはくれないでしょう、だからもしそうなった時、私は彼を無理矢理にでも連れ出すと思います、勿論、提案はします、しますけれど――きっと、断られます」

「……まぁ、彼奴ならばそうなるか」

 

 確信がある。天音も、蓮華も――刑部ならばそうするだろうという、確信が。きっと彼奴は必死に事情を説明し逃げようと手を差し伸べたところで頷くまい。困ったように笑いながら首を横に振るに違いなかった。「ありがとう、その気持ちだけで嬉しいよ」なんて言って。そうして、その足で戦場に死にに行くのだ。その光景を想像して、蓮華は顔を顰めた。それを天音の都合の良い言葉を聞いたせいという事にして、やや口調を荒げ言う。

 

「要するに貴様は家族も、刑部も、どちらも見捨てたくないと、そういう話か」

「……そうなります」

「傲慢だな」

 

 ぐっと、天音が喉奥で唸った。その通りだと自分自身で思ってしまったからだ。内側の家族は助けたい、けれど傍の刑部も見捨てられない。だから両方救いたい――傲慢だ、これ以上ない程に。蓮華は腕を組み、天音を見据えると冷たさすら感じさせる口調でその傲慢を咎めた。

 

「何も捨てられぬ者に得られる物などない」

「っ、でも、両方……大切なんです」

 

 それは天音の偽らざる本音。大切なのだ、どちらも。簡単に捨てられる様な対象ではない。家族は天音の過去だ、刑部は天音の未来だ。それはどちらが欠けても己ではなくなる。刑部と共に在れない未来など考えられない、同時に家族を失った己もまた、考えられない。

 

「決断しなくて良い人生があるならば、実に楽であろうな、どちらも選ぼうとする気概は買うが……それは強さではなく、弱さだぞ」

 

 蓮華の指先が天音の額を打ち、鈍い痛みが走った。天音は呻き、打たれた額を指先で抑えながらぐっと唇を噛む。返す言葉もなかった。口を噤んで項垂れる。実際、そうなのだ。これは選択できない己の弱さが悪いのだ、傍から蓮華に語る様な内容ではない。己が選び、決断すべき内容なのだから。答えは分かり切っていた、蓮華の協力は得られない。その事実を悟った時、天音は嘗てない程の虚脱感を覚えた。

 影を背負い、項垂れた天音を見て蓮華は数秒程難しい顔を見せた。そして、大きく溜息を吐く。数秒、感情を整えるだけの時間が必要だった。胸中に渦巻く感情は複雑だ。蓮華は目の前で項垂れる――【見覚えのある影】を一瞥し、強く瞼を閉じた。

 前の彼奴も、そうであった。

 

「……はぁ、つくづく吾も、丸くなったものだ」

 

 それは天音に向かって言ったというより、自分自身に向けた独白だった。

 

「――一ヶ月、いや、一月と半程か」

「えっ」

「逃げ道を用意してやる」

 

 唐突に告げられたその言葉に天音は俯けていた顔を上げ、蓮華を見る。彼女は天音の方を見る事無く、腕を組んだまま顔を逸らして吐き捨てるように言った。

 

「これから感染体との戦闘は激化するだろう、特にFOBや内陸からの侵攻はな、前線に立つ機会も増える筈だ、彼奴と同じ小隊ならば尚更――戦死したAS乗りの家族には当人の配給優先権がそのまま残る、住居も同じだ、更に手当も出るだろう、内側にそのまま留まれる、内陸の派兵に乗じて逃げ出すと良い、刑部の処理は聊か手間だが……AS乗りが二人、死んだところで日常茶飯事だからな」

 

 それは。

 それはまるで、自分と刑部が逃げる手助けをしてくれると言っている様に聞こえた。天音は恐る恐る、ぶっきらぼうに告げる蓮華に問いかける。

 

「良いん、ですか」

「何だ、こういう事を期待していたのではないのか」

「い、いえ! その、まさかそこまで助けて貰えるなんて、考えてもいなかったので」

 

 助言を貰えるだけでも御の字だった。それがまさか、そこまで手を回して貰えるなど望外の喜びだ。天音は望んでいた以上の結果に狼狽し、緩みそうになる頬を必死に引き締めていた。

 

「……逃げ出した後の事は知らん、脱柵後は自力で何とかしろ、野垂れ死んでも吾は関与せぬ」

「は、はい、ありがとうございます!」

 

 深く、頭を下げる。蓮華はそれを見て、ふんと鼻を鳴らした。返す言葉すら同じか、影が重なって見えて仕方ない。

 

「でも、どうして……」

「……貴様と似た様な事をした人間を、知っているだけだ」

 

 蓮華は一瞬天音と視線を交差させ、呟いた。文字通り、同じことをした人間を知っている。蓮華の瞳は天音を通し、過去を見ていた。感傷だろうか、自身に問いかける。いや、これはそんなものではない。そう己に言い聞かせ、踵を返す。

 

「少々長居し過ぎた、吾はFOBに戻る――処理が済んだら貴様の端末に連絡する、それまで精々死ぬなよ、吾の助力が無駄になるからな」

「はい!」

 

 背後から張りのある声が響いた。余程進退窮まっていたらしい、それが解決され生気を取り戻したというところか。見なくとも分かる、今天音は笑っているだろう、何の憂いも無く。だからこそ、思う。

 

「まぁ――どうせ無駄になるだろうがな」

 

 天音に聞こえない場所まで足を進め、呟く。声は虚空に溶けて消えた、結末は決まっているのだ。ずっと、今までがそうだったように。天音の姿はもう見えない、廊下の角に消えた。だからこそその影を意識する。

 

「所詮、同じ存在という事か、伊鳥……これで二十三……いや、逃避行は二十四回目だったか? 毎度毎度、無駄な事を」

 

 無駄と、そう蓮華は断じる。だというのに声に隠しきれない羨望の念が滲んでいた。蓮華はそれを自覚していた。自覚していたからこそ、やるせない感情が胸に燻って仕方ない。自分にはその、逃げ出す覚悟すらなかったのだから。

 拳を強く握りしめ、壁を打った。無意識の行動だった。彼女らしからぬ、無駄な行いだ。そんな事でしか胸内の感情を誤魔化す事が出来ない自分にまた、腹が立つ。暫くの間、蓮華はその場から動く事が出来なかった。

 

 刑部が部隊に復帰して間もない頃の、一幕である。

 

 

 ■

 

 

「お帰りなさい、セブンさん、ナイン」

「あぁ、ただいま」

 

 セブンとナインのメンテナンス期間が終わった。そう依織に知らされた刑部は彼女たちを出迎えるべく、ウォーターフロント内側へと続く玄関口である検問所へと向かった。今回は徹底したメンテナンス及び内部機構品の取り換えという事で、一度彼女たちはウォーターフロント内部の研究廠に送られている。簡単な修理、メンテナンス程度は基地内で済ませる事も可能だが、頭部領域を含めた部位の検査も含めるとなると専用の設備が必要となるらしい。そう言ったものを前線と成り得る場所に置いておくことは出来ない。もう人類には、その類の装置を十二分に確保するだけの力もないのだ。いつも通りの恰好と様子で帰還を果たした二人は笑顔で刑部に手を振り、再会を果たした。

 セブンなどは仰々しく手を広げ、刑部を誘う。その表情はどこか自慢げだ。刑部は肩を竦め乍らもセブンの抱擁に応じ、暫しその温い体温を感じた。セブンは両腕で刑部を強く抱きしめながら笑みを零す。

 

「ふふっ、良いものだな、男に出迎えられるというのも」

「俺で良ければ幾らでも、それでメンテナンスの方はどうでしたか?」

「……良好だ、特に問題なし、念入りに検査して貰ったからな」

 

 そう言って刑部の頭に顔を埋め、「んー」と呻きながら何度か鼻を鳴らすセブン。大きな犬の相手をしている気分になる刑部。セブンの後頭部を優しく撫でながら苦笑いを零し、そのまま背後で微妙な視線を寄越すナインに声を掛けた。

 

「ナインも、お疲れ様」

「えぇ、はい……」

 

 刑部の言葉に対し、どこか歯切れが悪い返事をするナイン。セブンの奇行のせいだろうか、多分そうだ、そういう事にしておこう。セブンは一通り刑部の匂いを嗅いで満足したのか、背中を軽く叩いて身を離すと、先ほどよりやや真面目そうな表情を取り繕って問いかけた。相変わらず、妙なところで切り替えの早い人だと内心で思う。

 

「それで、私達が居ない間に何か変わった事は?」

「特には、依織さんと警邏を三度、問題なく終えました」

「そうか、まぁ元々知り合いだったらしいからな、問題など起こらないか」

 

 セブンの声には実感が籠っている。顎先を指でなぞり二度、頷いて見せた。そしてじっと刑部を至近距離から見つめ始める。一体今度は何だと刑部は目を瞬かせ、その視線を真正面から返した。そしてセブンはやや目を細く絞り、問う。

 

「抱いたか」

「……えっと」

 

 一瞬、言葉に詰まった。誰をとか、どういう意味でとは、聞く気になれなかった。彼女の視線から感じ取れるそれは明らかであり、刑部は頬を掻きながら首を振る。

 

「ただ、寝床を一緒にしただけです」

「ほう」

 

 その答えが意外だったのか、若しくは信用していないのか、セブンは眉をやや上げるだけの反応を見せ、笑って見せた。驚いたのは刑部である、彼女の事だ、てっきり怒るか、そうでなくとも独占欲のひとつやふたつ見せるかもしれないと予想していたが――刑部はセブンを不思議そうに見つめ、問う。

 

「……怒らないんですか?」

「怒っては、いる、というか胸の辺りがむかっとはする、だが今はそれよりも優先する事がある――ただ、それだけだ」

 

 その言葉を聞いて刑部はどこか惚けた顔を見せ、それからゆっくりと微笑んで見せた。

 

「セブンさん、変わりましたね」

「成長した、と言い換えてくれ」

「……えぇ、そうですね」

 

 確かに、そちらの表現の方が正しいかもしれない。成長――少なくとも、己に振り回されないだけの強さを得た。それは成長というに相応しいものだろう。セブンはふふん、とどこか得意げな顔を見せた後周囲を一瞥し、「そう言えば」と言葉を紡ぐ。

 

「天音と依織はどうしている? この場には居ない様だが」

「依織さんなら今日で原隊復帰ですから、そちらの対応に、天音はそろそろ来ると思いますけれど……」

「すみません、遅れましたっ」

 

 刑部が答え、遅れて声が響く。振り向くと丁度廊下の向こう側より天音が駆けてくる所であった。息を弾ませ、やや頬を赤らめた天音は三人の前で立ち止まり、膝に手を付いて肩を上下させ息を整える。

 

「はぁ、すみません、ちょっと色々立て込みまして」

「急用?」

「あぁ、うん、大丈夫、ちゃんと片付けてきたから、心配しないで刑部君」

 

 刑部の方に赤らんだ顔を向け、笑って見せる天音。二度、三度深呼吸を繰り返し、胸を何度か叩いた天音はセブンとナインに向かい合い、告げた。

 

「お帰りなさい、セブンさん、ナイン」

「あぁ、戻った」

「はい」

 

 漸く戻ったという実感が湧く。と言っても高々一週間程度だが――それでも、やはり己の居場所だという感覚がある。セブンは、そしてナインも自覚、無自覚問わず暖かな感情を抱いた。

 

「一週間程度でも、随分懐かしく感じるものだな」

「まだ小隊結成から余り経っていない筈なんですけれどね」

「……確かに、何となくホッとするというか、安堵するというか」

「うむ……それはそれとして、私はハンバーガーが食べたくて仕方ない、PXに行くぞ」

 

 挨拶もそこそこに、セブンは待ち切れないとばかりにそう告げる。一週間、好物を碌に口する事も出来なかった反動だろうか。刑部はそんな彼女の様子にやや呆れるものの、彼女らしいという気持ちもあった。

 

「相変わらずというか、寧ろ安心します」

「ははは、確かに、天音、昼飯は?」

「あ、うん、まだ食べてないや」

「なら皆で一緒に食べましょうか、セブンさん」

「あぁ」

 

 刑部の誘いにセブンは一も二もなく頷いて見せる。そして肩越しに振り返り、ナインに声を掛けた。

 

「ナインも、それで良いだろう?」

「……はい」

 

 凡そ予想はしていたのだろう。やや辟易としながらも、しかし仕方なさそうに頷くナイン。何だかんだと云いつつ、彼女も暫くの間食物を口にしていない。食という娯楽を知った彼女も満更ではない様子であった。

 

「あぁ、そうだ刑部」

「はい?」

 

 何かを思い出した様に手を打ったセブンは刑部の腕を掴み引き寄せると、その耳に口を寄せて呟く。

 

「今日の夜は空けておけよ」

「……了解です」

 

 口調は強く、様々な感情が籠っていた。横目で彼女の表情を盗み見れば――何とも、人と変らぬ貌をした機械人形が一体。それは、良く刑部が内側で見た顔と瞳だった。セブンの瞳が真っ直ぐ自分を射抜く。刑部は肩を竦め、穏やかな笑みと共に頷いた。

 

 

 ■

 

 

「セブンさん」

 

 小隊の面々と食事を終え、自室へと戻る途中。刑部と天音は宿舎へ、ナインとセブンは機械人形用のパーソナルルームへ足を向け、別れた。その道中、前を歩くセブンの背中にナインは大きくも小さくもない声で問いかけた。

 

「……今回の件、小隊の皆には」

「話すつもりはない」

 

 断固とした口調であった。視線は真っ直ぐ前を向いている、足も止めない。セブンは振り返る事も無く、淡々とした口調で続ける。

 

「大々的に上層批判などしてみろ、白い目で見られるだけならば良いが、最悪初期化処理も受けかねん、誰が敵で味方か分からない現状、無暗矢鱈と吹いて回るのは悪手だ」

「それは、刑部さんや天音さんもですか」

 

 どこか責めるような問い方であった。しかしセブンは一瞬間を置き、否定する。

 

「――二人の場合は、少し違うな」

 

 やや大股で進んでいたセブンの足が止まった。釣られたようにナインも足を止め、彼女に視線を向ける。セブンは目線を下げ、ゆっくりと息を吸った。周囲に視線を向け、人影が無い事を確認する。そうして踵を返したセブンはナインと向かい合い、その視線を真っ向からぶつけた。

 

「ただ単純に、私が守りたいだけだ」

「それは……」

「余計な負担を掛けたくない」

 

 それが本音だ、偽らざるセブンの本心と言い換えても良い。

 天音と刑部は小隊の仲間である、その仲間に隠し事などしたくない。寧ろ、警告の意味も込めて伝えるべきだと理性は囁く。しかし、二人は小隊の仲間である以前に『人間』なのである。肉の体を持つ、本当の、人間だ。

 セブンはこの情報から齎される心理的な負担を重く見ていた。ウォーターフロント周囲百五十キロは見えない壁に囲まれていて、自分達は感染体と一緒に閉じ込められています――何て伝えて、二人がどんな感情を抱くのか。分からないセブンではない。

 更には今回の一件にて四十人委員会が完全な敵対組織である事が分かった。少なくとも依織の持つあの映像は、正しかったという事が証明されたのだ。それはセブンやナインが想像していた以上に事態が悪化している事を示している。考え得る限り、最悪だ。

 

「……唯一の拠り所であるウォーターフロントのトップが裏切者だとして、そんな場所で安穏と寝ていられる奴ではあるまい、特に天音はな」

「しかし、万が一の事を考えた場合、事前に伝えていた方が良いのでは――」

「否定はしない、しかし伝えるにしても、もう少し情報が集まってからの方が良い……例えばあの壁の向こう側に何があるか――何て、分かった後でも遅くはあるまい?」

 

 セブンは腕を組み、やや挑戦的な笑みを浮かべながら告げた。悪い報告ばかりではポジティブにはなれない。しかし、吉報も混じればどうか。意図を汲み取ったナインはしかし、難しい表情を浮かべ言った。

 

「希望を持っているのですね」

「あぁ、ナインはどう思う、あの壁の向こうには何があると考えている?」

「……私には皆目見当も――あのような壁がある事自体、私達は知らなかったのです」

「だが想像する事位は出来るだろう」

 

 所感を述べろと言われているのだと、ナインは理解した。その言葉にナインは数秒程瞼を下ろし、思考に没頭する。とは言え別段奇天烈な発想が思い浮かぶ事は無い。あの、巨大な壁の向こう側に何があるか。思考はものの数秒程で済んだ。

 

「……順当に考えれば、外海と、本土が広がっているのではないでしょうか」

「それは感染体に荒らされた廃墟の本土か?」

 

 その言葉は期待を帯びていた。ナインはゆっくりと瞼を開き、セブンを見る。

 

「壁の外には、感染体が居ないとお考えなのですか、セブンさんは」

「そうだ、都合の良い、実に夢見がちな考えではあるが――ははっ、機械人形が【夢見がち】など、少し、いや、大分可笑しいがな」

 

 セブンは己の言葉を自覚し、笑った。けれどその笑みはどこか苦しそうで、自嘲的であった。感染体の存在しない本土――実に理想的だ。余りに理想的過ぎて現実味がない。まるで絵画の中の世界の様に思えた。

 

「だが、もしそんな場所があるのなら……最高だろう」

 

 目を伏せ、セブンは呟く。壁の外には何がある? 感染体に荒らされていない、『嘗ての世界』が存在する。そんな都合の良い夢をセブンは見ていた。可能性としては限りなく低い、しかしそもそもあんな巨大な壁が存在する事自体、『あり得ない事』なのだ。であればこそ、セブンの語る『あり得ない』夢物語さえ叶う可能性はある。そう、己に言い聞かせる。

 ナインは小さく息を吐き出し、首を横に振った。それはセブンの考えを否定した訳ではない。しかし、彼女の表情には少なくない諦観の念が見え隠れしていた。確率は零ではない、だが――。

 

「否定はしません、あの様な壁が存在する以上、どんな秘密が隠されていても可笑しくはありませんから……ですが、私としましては寧ろ、『その反対の可能性』の方が高い様な気がしてなりません」

「反対の可能性とは、何だ」

 

 セブンが俯いたまま、ナインに視線を寄越す事なく問うた。声は淡々としていて無機質であった。ナインは思考する、もしあの壁の向こう側にセブンの言う理想郷――即ち感染体の存在しない、まっさらな本土が広がって居るというのならば。

 それはつまり、壁の外には自分達以外の人類、或いは知的生命体が居るという証拠に他ならない。何の為に壁を作るのか? 壁というのは、押し留める為のモノだろう。つまり、感染体が外の世界へと抜け出さない様にしているのだ。

 もしそれが真実ならば自分達は餌と言っても良い――その真っ新な本土に感染体が侵攻しないよう、抑える為の。

 だって、そうだろう。他に、壁の内側に生物を放り込む理由が分からない。この考えが正しいとすれば壁を設立したのはウォーターフロント側ではない筈だ。或いは、委員会はグルである可能性はあるが……。

【自分達を閉じ込めた誰か】が壁の外には存在するというのなら、ウォーターフロントに住まう僅かな人類は生き残りなどではない、全人類の中から選抜された生贄。或いは、単なるモルモットか。何て救いのない思考だ、ナインは己で考えておきながら吐き捨てる。セブンは外に理想郷が広がっているというが、それが真実ならば泥沼の戦争の予感しかしない。仮に上手く――本当に上手く感染体を駆逐出来たとして、壁を破壊すれば今度は外界の人類と戦う羽目になるだろう。無論こんなものは只の憶測と妄想に過ぎないが。

 

 では――逆ならばどうだ。

 つまり、外が真っ新な本土などではなく、文字通り感染体の跋扈する廃れた大地と化している場合。壁は、外海や本土に存在する強大かつ大量の感染体を防ぐ為の物。ウォーターフロントに存在する人類は本当に僅かな生き残りで、委員会が壁の存在を秘匿していたのは万が一にも壁を破壊し外へと出ようと考える者を出さない為。

 一応だが、説明はつく。寧ろ、此方の方が『それらしい』とも言える。尤も、救いのなさで言えばどちらも変わらないと言えば変わらないのだけれど。

 

「あの壁は明らかに人類か、それ以上の文明を持つ者の手で作られていました、感染体の手によって設けられたものでないのならば『内から作った』か、『外から作った』の違いがあります、そしてもしセブンさんの言う様に外の世界に荒廃していない、嘗ての本土が広がっているというのなら――壁を設けたのは、その大地に住まう存在でしょう、感染体ごと我々をこの壁の内側に閉じ込めたのです」

「反対に、もし内側から作ったものであるのならば、外の世界は感染体で溢れているでしょう、その大量かつ強力な感染体が入り込まないよう、壁で以って外界を遮断したのです、委員会がこの壁の存在を秘匿していたのは、外界に意識を向けられないよう、万が一壁が破壊されれば強力かつ夥しい数の感染体がウォーターフロントに殺到する為――此方の仮説の方が、らしいとは言えるでしょう」

 

 可能性としては後者の方が高い気もする。しかし、そんなものは所詮可能性の話だ。どちらであってもおかしくはない、既にこの世界そのものがナインやセブンの想像を遥かに超えた場所にあるのだから。

 

「……どちらにせよ、知ってしまったのであれば後には退けません」

「あぁ……あぁ、その通りだ」

 

 知ってしまった以上素知らぬ振りは出来ない。進む道はあっても、退く道はない。あの壁の向こうがどんな世界なのか――感染体の蔓延る本土なのか、或いは白く汚れを知らぬ理想郷なのか、何れ分かる事だ。否、己たちが解き明かさなければならない。

 

「今後の予定は」

「例の【情報を持っている存在】とやらに接触する、依織と一緒にな――連絡があるまで、普段通りに過ごせ」

「……了解」

 

 セブンは低く、淡々とした口調で告げた。ナインもまた、静かに頷きを返す。二人の声だけが回廊に響いていた。

 

 





誤字脱字報告、いつもありがとうございます。


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30話

 

「刑部、居るか?」

 

 夜半――他所の人間は寝静まり、夜番の者を除き人気の無くなる時間帯。刑部の私室の扉が小さくノックされ、向こう側から低く、抑えた声が響いた。刑部はベッドに腰かけ、弄っていた端末のウィンドを閉じる。そして小走りで部屋の扉に近付くと扉を開いた。廊下に立っていたのは予想通りの人物。手に下げたビニール袋を揺らし、刑部に向かって笑みを見せる。

 

「セブンさん」

「遅くなってすまない、今、良いか?」

「えぇ、勿論」

 

 刑部は微笑んで彼女を自室に招く。ちらりと彼女の下げたビニール袋の中身が目に入った。「それは?」と刑部が問いかければ、セブンは「メンテナンス明けだ、少しくらいぱぁっとやりたい」と言って歯を見せる。ビニール袋の中には彼女の好物であるハンバーガーがこれでもかという程に詰め込まれていた。

 

「刑部の分もある、一緒に食べよう」

「夜食は済ませてあるのですが……まぁひとつくらいなら、でもジャンクフードって健康に悪いですよ?」

「機械人形の私に健康を説くか?」

「機械でも、食べ過ぎは毒でしょう」

「なぁに、最悪胃の部分だけ取り換えてしまえば良いのさ」

 

 そう言って悪びれもせず笑うセブン、刑部は肩を竦めて苦笑を零した。

 

「折角ですしお茶も淹れましょう」

「あぁ、頼む」

 

 セブンは椅子を移動させ、近場の無骨なデスクに袋の中身を並べる。刑部はスチールの戸棚からカップを取り出すと、沸かしていた湯を注ぎ見慣れない白いパックを湯の中に入れた。セブンはいつもと異なる手順に興味を惹かれ、「それは?」と湯に浸したパックを指差す。

 

「アールグレイです、依織さんは紅茶が好きなようでこの前手持ちを分けてくれたんですよ、基地内で茶葉は売っていませんから、それに栽培できる場所も……今では内側でも貴重品です」

「ほぉ」

 

 セブンが刑部の隣にカップを覗き込む。薄い琥珀色となった湯、確かに余り見慣れぬ代物だ。貴重品なのだろう、しかし依織に贈られたものというのは気に入らない。

 

「他の女に贈られた物を、また別な女に差し出すのか」

 

 意地の悪い質問だとは分かっていた。想像通り、刑部は困ったように笑って目を伏せた。

 

「冗談だ、刑部の淹れてくれたものだ、有難く頂くさ」

 

 そう言って刑部の肩を小突き、二人分のカップを手に取ってデスクに運ぶ。刑部はベッドに、セブンはパイプ椅子に座り茶葉が湯に馴染むのをゆっくりと待った。

 

「こんな無骨なカップに紅茶というのも、酷い絵ですがね」

「優雅にソーサーを用意して飲みたいか?」

「いえ、別段そういう訳ではないのですけれど」

 

 刑部は装飾も何もない、薄緑のマグカップに入ったそれを見て思う。別段、格式ばったそれが良いとは思わないが雰囲気というものはやはりある。嗜好品であり、余り飲む機会のない紅茶が無骨なマグカップに注がれているというのは何というか、機能的だ。

 

「香りが強いな、前に飲んだものとは随分違う」

「暖かいものは、それだけでも香りが強くなりがちですから」

「ふむ、これはこれで……」

 

 カップに鼻を近づけ、匂いを確かめるセブンが云う。丁度良い色合いになったところでパックを取り出し、水気を取って塵箱へ。

 

「砂糖を少し入れると良いですよ」

「頂こう」

 

 刑部が小瓶に入った角砂糖を差し出すと、彼女はそれをひとつ摘まみカップへと溶かした。スプーンで適当に掻き混ぜ、手元で揺らし一口。味わう様にして紅茶を口に含んだ彼女は数秒目を閉じ、それから告げた。

 

「成程、悪くない」

 

 どうやら合格点らしい。薄い笑みを浮かべるセブン、刑部も小瓶から角砂糖を投入しスプーンで掻き混ぜる。セブンはその間にひと口、二口と紅茶を口にし笑みを零す。どうやら存外気に入ったらしい。刑部もそれを尻目に一口――紅茶の強い香りと絶妙な酸味、砂糖の甘さも丁度良い。上出来だ、内心で呟いた。

 

「刑部も、こういうものが好きなのか?」

「俺は……どうでしょう、余り頓着しないので」

「好きな飲料の一つや二つ、あるだろう」

 

 セブンはカップを片手に問いかける。好きな飲料、刑部は口の中で呟き考え込む。そんなもの考えた事もなかった。特に飲料と限定すると、どうにもその場にあるものを取り敢えず口にしていたという具合。しかし、強いて言うならば。

 

「……前に居た場所では、良くココアを作ってくれる人がいました」

 

 ココア、という名前を聞いてセブンは数舜目を閉じた。データベースを探る必要もない、記憶の中に該当するものがある。確か暗い色で、甘味の強い飲料だった。飲んだ事は無いが情報としては知っている。

 

「あの、甘い飲料か」

「えぇ、そうです、少し濃い目に作ると美味しいんですよ」

「それも貴重だろう」

「勿論です、こういう類のものは贅沢品ですから」

 

 手元のカップを掲げて苦笑いを零す。こういうものは煙草や菓子類に近い、他の国によっては生活必需品になるかもしれないが、この場所では違う。

 

「本当は、良くないって分かっているのですけれど」

「私達は――いや、刑部は命を張って戦っているのだ、別段、これ位の贅沢は許されても良いだろう」

 

 そうでなければ機械人形の私など、食事すら贅沢になってしまう。肩身が狭くて仕方ない、だから、な? セブンはお道化た様にそう言った。確かにそうだろう、本来機械人形に食事など必要ないのだから。けれど、その必要のないものが時に心を救う事を知っていた。人類には余裕が必要なのだ、様々な意味合いで。

 

「最近では良く、ナインもサンドイッチを頬張っているじゃないか、良い傾向だ」

「一日一食と、彼女の中では線引きがあるみたいですが」

 

 ナインは一日一食、何かを口にしている。しかしそれは一日に一度までと制限をつけている様だった。まだ、人類に対する遠慮があるのだろう。確かに人類の食糧事情は芳しくないが、だからと言って食糧生産プラットフォームが明日、明後日に無くなる訳ではない。機械人形の一人分程度、大して変わらないと思ってしまうのは少々甘すぎるだろうか。しかし折角見つけた趣味趣向、機会を奪うのは余りに忍びない。

 

「なぁ刑部」

 

 そんな事を考えていると、ふとセブンが声を上げた。カップから口を離し彼女を見る。セブンは刑部を見ずに天井を仰ぎ、目を細めていた。それは何か、自分の中にある言葉を吟味しているようで、刑部は「はい」と答えながら言葉を待つ。ややあって、彼女は徐に問いかけた。

 

「これは何というか、仮定の話なのだが」

「えぇ」

 

 やや、躊躇いがちにセブンは云う。

 

「前世、というものがあったら……刑部は、どう生きていたと思う?」

 

 耳に届いたのは刑部の想像しなかった問いかけであった。少し驚いた様な顔をして、刑部は言葉を繰り返す。

 

「前世、ですか」

「あぁ、全く以って、その、現実的な話ではない事は理解しているのだが――たとえ話の一つとして考えてみて欲しい」

 

 セブンは天上を見上げていた視線を落とし、刑部の瞳を真っ直ぐ見つめた。どうにも、表情や視線からして面白半分や冗談混じり――という訳でもないらしい。刑部は深く考え込んだ。中途半端に答えるのは駄目だと思った。故に考え、考えて。

 

「――誰かの為に、生きるのではないのでしょうか」

 

 自分の納得できる、或いは自身のもう一つの可能性を示唆した。

 

「なんて、俺の願望込みですが」

「……誰かの為、とは」

「その前世とやらでは、人類がこんな状況ではないかもしれませんし、存外、人の役に立ちたいからという理由で今と同じことをしているかもしれません」

「それは、今と変わらないという事か?」

「いえ、全く同じという訳でもないんです、願わくば、真心からの生き方であれば良いと、そう思います」

「真心?」

 

 刑部の言葉に、セブンは疑問の声を上げる。

 

「空っぽの自分に絶望して、自分より上等な者の為に尽くすのではなく――己の意志ひとつのみで、誰かの為になりたいと、そう心の底から願える人生である事です」

 

 少しだけ笑みを零し、刑部は言う。そうだ、刑部は思った。自身の行動原理は単純にして明快、己に価値を認めていないからこそ、己より上等な人間が、或いは存在が死んで逝くことが許せない。例えその身を盾にしたとしても惜しくはない、欠落した自己愛こそが己を己たらしめる。そんな自分が刑部は嫌いだった、憎悪していた。だからこそ夢を語る、もし己に前世などという上等なものがあるのならば――せめて、その夢の中で位は自分も、なんて。

 

「刑部は」

 

 どこか夢見がちに、朧げな瞳でそう告げる刑部に対しセブンは口を開いた。刑部の瞳がセブンを捉える。その真っ直ぐな視線にセブンは一度視線を逸らす、しかし一度唇を噛み締め、再びその眼を真っ直ぐ捉えた。

 

「空っぽなんかじゃ、ないさ」

「――いいえ、セブンさん俺は……空っぽなんですよ」

 

 セブンの言葉に刑部は、緩く首を振って答えた。

 優しい人だと、回りをは云う。

 少し踏み込んだ人間ならば、それが優しさではなく破滅願望に近いものだと気付くだろう。現にセブンやナイン、天音、源、依織等、近しい人間は皆気付いている。

 別段、何か高尚な理由があって人を助ける訳ではない。人類の為なんて微塵も思っていないし、大切な守りたい人――【確固たる誰か】が居る訳でもない。無論、赤の他人より親しき人を優先する程度の情は持ち合わせているが、その赤の他人でさえ、刑部にとっては己より優先すべき人となるだろう。

 

 ただ、この世界には自分より上等な存在が多すぎるだけだ。

 

 皆、一生懸命生きている。誰かの為に、何かの為に、己の為に、命を削って懸命に生きている。藤堂刑部は一生懸命な人間が好きだ、一生懸命な機械人形が好きだ。人であろうと人形であろうと関係ない、精一杯己の生を全うし懸命に日々を謳歌する彼等、彼女等を分け隔てなく尊重し、好いている。刑部の笑顔は、そうやって作られたものなのだ。

 そして刑部は知っている。この、皆が必死になって生きている中で唯一、存在する価値のない人間を。

 刑部はそいつが大嫌いだ、心底軽蔑していて、嫌悪している。ウォーターフロントに生きる人間・機械人形を尊重し、好いていると言っても良い刑部が唯一信頼せず、嫌っている存在。ソイツにきっと存在価値などないのだ。どれだけ他人にその価値を認められようと、他ならぬ刑部という個人だけは絶対に認めないだろう。きっとソイツが無様に這い蹲って朽ち果てる瞬間を眺めるまで、刑部はその者に価値を認めない。

 もし刑部がソイツに価値を感じるとすれば。それは誰かの盾となって死ぬか、誰かの『願望』によって死ぬか。いつか味気ない、無機質な死がやって来るのなら。その手がこの頸を捉える前に、笑って『誰か』に殺されたい。そうすればきっと、ソイツにも価値があったのだと信じられるから。

 

 藤堂刑部は、伽藍洞なのだ。

 

「――そうだな、お前は、そういう奴だ」

 

 セブンはふっと、表情を崩して言った。それは悲し気な表情で、見ていると妙に胸がざわつく。けれど、どうにもこの性質だけは変えられそうにない。だから刑部は小さく俯いて、「すみません」と言った。セブンは謝るなとだけ口にして席を立つ。安っぽいパイプ椅子が軋みを上げ、セブンの手が刑部の頬に添えられた。

 

「多分、何度この口で言葉を紡いだところで刑部には届くまい、もっと自分を大切にしろだとか、お前の事が好きだと言っても、お前は変わらない、いつも通り平然と身を削って、私達を不安にさせるのだ、きっと、これからずっと」

「……そうかもしれません」

「否定はしないのだな」

「謝るなと、言われましたから」

「なら良い――口で駄目なら、体に教え込むだけだ」

 

 そう言ってセブンは刑部の唇を指先で拭い、微笑んだ。

 

 ■

 

 それは唐突だった。朝というには早すぎ、夜と言うには更け過ぎた時間帯。刑部とセブンは互いの手を握り締め、足を絡ませ眠っていた。刑部にとっては機械人形の温い肌が、セブンにとっては人の暖かい肌が丁度良く、互いに深い眠りに落ちていた。

 そんな眠りを妨げるように、ウォーターフロント全域に警報が鳴り響く。それはす凄まじい音量で、刑部は聴覚による異常から、セブンは直接送られた非常事態プログラムによって叩き起こされた。起き上がるのに数秒も要さなかった、半裸の状態で文字通り飛び起き、刑部は突然の警告音に早鐘を打つ心臓を抑えながら呟く。

 

「っ、な、何が――」

「刑部、感染体襲来の緊急警報だッ!」

 

 服を着込みながらセブンは叫んだ。プログラムで叩き起こされた分、セブンはこのアラートの意味するところを良く理解していた。椅子に掛かった刑部の衣服を彼に投げ渡し、手早く用意を済ませて扉に手を駆ける。

 

「ハンガーに向かうぞ! 急げッ」

「は、はい!」

 

 刑部は手渡された衣服を乱雑に着込み、セブンに続いて部屋を飛び出す。廊下はアラートで騒然とし、非常灯が爛々と赤く点灯している。警告音が長い廊下を木霊していた。刑部とセブンはそんな廊下を風の様に駆ける。駆けながら刑部は思った。

 ――速すぎる、委員会の予想では侵攻はもう少し後だった。

 ならこれは前哨戦なのか? 本命の前のひと当て、可能性がない訳ではない。しかし、非常警報を鳴らす程の侵攻が果たして前哨と呼べる程の規模なのか疑問が残る。刑部は堪らず、目前を駆けるセブンに問うた。

 

「ウォーターフロントに感染体が!?」

「分からん、だが警報が鳴ったという事は夜間警備隊だけでは捌き切れないと判断されたのだろう! モスキートも抜かれる筈だッ、もう取り付いている可能性は考えたくないな!」

 

 宿舎を走り抜けると、徐々に喧騒が耳に届くようになった。就寝していたAS乗り達がハンガーへと走っている。刑部とセブンもその中に混じり駆けた。途中、見慣れた人物が刑部とセブンの横へと駆け寄って来る。

 

「セブンさん! 刑部君!」

「! 天音ッ」

 

 寝癖をつけた髪をそのままに、天音は微妙に着崩れた衣服を引っ張りながら走る。

 

「これ、この警報って、若しかして……!」

「あぁ、感染体だ! 直ぐに戦闘になる、心の準備は良いな!?」

「っ、は……はい!」

 

 やや蒼褪めた表情で天音は頷いた。ハンガーに飛び込むと彼方此方から怒鳴り声、悲鳴、稼働音、機械音が聞こえてくる。壁は警告灯の赤色に染まり、待機状態にあったASが次々と起動し出撃して行く。セブン達は自分達の小隊に割り当てられたブロックに急いだ。

 

「! 皆さん」

「ナイン、来ていたか!」

 

 既にナインはキャットウォークに登り、自身のASに手を掛けていた。

 

「はい、つい先ほど」

「良し、小隊が揃ったのなら出撃だ、各員自身のASを装着しろ!」

 

 刑部達は了解と返し、自身のASの元へと駆ける。刑部の機体は丁度バックスの一人が整備を行っている途中だった。刑部はキャットウォークに足を掛けながら声を掛ける。

 

「あっ、刑部さん……!」

「俺の機体、使えますか!?」

「は、はい、整備は済んでいます」

「良かった、ありがとう!」

 

 駆け上り、刑部は滑り込むようにして機体着装部に体を捻じ込む。開いた装甲板を避け、垂れ下がった脊椎接続ケーブルを素早く首筋に差し込んだ。瞬間、グンッとケーブルが唸り刑部の背筋が弓なりに逸れる。脳が何かと繋がる感覚、網膜ディスプレイが機能し、耳に機体アナウンスが届く。

 

『脊椎接続確認、BTリンク起動、接続者確認――照合完了、OS起動』

 

 接続者である刑部の生体情報を読み取ると同時機体の動力炉に火が入り、各部が稼働を開始する。

 

『BTリンク、ニューロナノマシン間通信確認、ジェネレータ、アクチュエータ、FCS、ブースタ、ラジエータ、インサイド、エクステンション、稼働確認――AS起動』

「フック、外します!」

 

 ASの機動を確認したバックスが刑部のASを吊り下げていたフックを解除した。瞬間、ガコン! と音を鳴らし四脚ASは自由の身となる。固定ボルトを開放し、左右にぶら下げられた兵装を掴むと同時、刑部は叫ぶ。

 

「四番機、藤堂刑部、AS起動しました!」

『此方セブン、四番機の起動を確認した、二番機、三番機の起動も確認、各機聞こえるか?』

『はい、二番機起動済です』

『大丈夫です、三番機も起動完了』

『夜間警備隊と戦術リンクを行え、現在の戦況が一発で分かる』

 

 刑部は網膜ディスプレイにマップを表示し、夜間警備隊とデータリンクを行った。数秒後、戦況情報がダウンロートされマップに反映される。

 

「これは……」

 

 リアルタイムで更新される戦況。ウォーターフロントを中心として、赤い点――敵性反応が続々と増えている。ウォーターフロントに向かって感染体が押し寄せているのだ。その数は十や二十ではない、百や二百でも利かない。これは。

 

『この方角、FOB1の方面ですね、盾を失った弊害、いえ、それにしてもこの数は――』

『あぁ、海上防衛線を抜かれたのも当然だ、モスキートでの迎撃では到底手が足りん……これより私達はこの感染体の津波を撃退しなければならない――各員、弾倉は十二分に用意しておけ、退く場所のない文字通り背水の陣だ、私達が敗北すればウォーターフロントが堕ちる』

『文字通り総力戦、って事ですか』

『そうなるな』

 

 総力戦――すべてを掛けた背水の陣。ウォーターフロント、人類最後の砦に感染体が押し寄せている、その事実に刑部の表情が歪む。勝てるのか? 刑部の胸の内からそんな疑問の声が上がった。マップを見る限り赤い敵性反応は増え続けている、仮にこのまま増え続ければ明らかに人類側の持つ迎撃限界ラインを超える、そうなれば外郭甲板への侵入どころか『内側』への侵入さえ許す事になるだろう。一匹でも通せば、終わりだ。屍が感染体へと変異し、嘗ての第八区の二の舞となる。

 もしそうなるのならば――自分が、何としてでも。

 

『刑部』

「っ、はい」

 

 不意に声を掛けられ、顔を上げる。見れば網膜ディスプレイに映る小隊の仲間全員が自身を注視していた。ぎくりと、刑部は体が固まるのを自覚する。

 

『あの兵装は、使うなよ』

 

 口を開いたのはセブン、断固とした口調だった。その瞳は真剣で、深く刑部の瞳を穿つ。視線をそらすことは出来なかった、そもそも網膜ディスプレイに逸らすという行為は不可能だ。だからこそ真っ直ぐその瞳を見返し、小さく頷く事しか出来ない。

 

「……善処は、します」

『あぁ、それで良い』

 

 満足できる答えではなかった筈だ。けれど彼女は少しだけ安堵したような声を出し、口元を緩めた。

 四名はそれぞれASを動かしハンガーから身を乗り出す。武装を手に持ち、弾倉を積み込むと四人は出撃門へと足を進めた。

 

『小隊、出るぞ!』

「了解!」

 



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31話

 

「戦況情報から分かってはいたが何て数だ、あのFOB防衛戦に負けず劣らずだ……ッ! これ程の敵、何故早期侵攻を予測出来なかった?」

 

 前を走行するセブンがぼやいた。夜空に対空砲の光と誘導弾頭の六翼が尾を引き、その向こう側で無数の爆発を起こしていた。夜空に瞬く破壊の光、ウォーターフロントから放たれる光源なぞ必要ないのではないかと思ってしまう程にその数は多い。区画一つにつき向かう感染体はどれ程か、百や二百では数え足りまい。小隊は外郭甲板を走行しながら海上と空の敵を睨みつける。同時に、甲板に出撃警報が鳴り響いた。

 

『水上部隊、第三から第八迄出撃! 第四、第五水中ゲート付近の部隊は退避して下さい!』

 

 出撃警報と同時に甲板のレッドランプが点灯し、甲高い電子音と共に水中に在る出撃ゲートから次々とASが飛び出してくる。凄まじい勢いで海水を割り、飛び出したASは水上型ASであり、着水と同時に素早く連射砲を構え防衛線を構築する。

 ナインはその様子を眺めながら告げた。

 

「FOB防衛線の時は、既に制空権を取られていました、まだ此方の制空権は奪取されていません、飛行型の脅威が無い分、まだ望みはあります」

「……そう、だよね、高射砲はまだ動いているし、部隊だってウォーターフロントの方が多いもの」

 

 ナインの言葉に天音は同意する。その口調は弱弱しいもので、事実を確認しているというより自分に言い聞かせている響きがあった。

 

「けれど楽観視出来る状況でもない……セブンさん、俺達の担当は?」

「いつも担当している外郭三十四番ブロックだ、しかし規模が規模だからな、必要に応じて足を動かさなければならない……来るぞ!」

 

 先頭を駆けていたセブンが足を止め、海上を滑るように移動する感染体を指差した。海上型ASは先のFOB防衛戦で大分数を削られた。全甲板をカバー出来るような防衛線の構築は不可能である。自然、その穴を突いて感染体は侵入して来る。高射砲やモスキートでカバー出来る量ではない――刑部はそう考え、連射砲を構えた。正面、闇夜に紛れる形で接近する感染体。

 

「シーバードか、厄介な……!」

「っ、十時の方向、ドルフィン! 二時の方向、マーメイド!」

 

 ナインが四方に目を散らし叫んだ。同時に機体が警告音(アラート)を鳴らす。マップを見る、赤いアイコン――敵性反応がどんどん膨れ上がっていた。これは。

 

「混成かッ、兵装自由(ウェポンフリー)、兎に角撃ちまくれ、撃てば当たるッ!」

 

 最早静観できる状況ではなかった、敵は空と海の二面からウォーターフロント目掛けて突っ込んでくる。凄まじい数だ、間髪入れず小隊全員が兵装を構え射撃を敢行した。銃声で耳が痛み、マズルフラッシュが網膜を焼いた。まるで真昼の如き光、ウォーターフロントから放たれる迎撃の光、そして甲板に並ぶASと海上を駆けるAS、それらの放つ砲光が夜を彩り、昼の如き明るさを齎していた。

 夜空を裂いて飛翔する弾頭、それらは目標に命中し次々と吹き飛ぶ感染体。体ごと引き裂かれる個体もいれば、頭や足、胴体を吹き飛ばされる感染体も居る。射撃は、面白い様に当たった。ウォーターフロントの夜間照明が上手く働いているというのもあるが、海上型ASの放った照明弾や砲火が夜戦を感じさせないというのが大きかった。小隊は最初、吹き飛ぶ感染体に優越感を覚えた。弾が面白い様に当たる、集弾性も悪くない、突撃して来る感染体は次々と弾け飛び海の藻屑と消える。空の敵も、海の敵も同じだ――しかし徐々に、歓喜の感情は反転する。

 

「ッ、何だ、こいつら……!」

 

 セブンがまるで、不気味なものを見たと言わんばかりに呟いた。

 弾が当たる、面白い様に当たる――否、【当たり過ぎる】。

 

「せ、セブンさんッ、こいつら、動きおかしくないですか……!?」

 

 天音が連射砲の引き金を引き続けながら叫んだ。射撃が面白い様に当たる、通常ならば喜ぶべき事だろう。しかし天音の表情は引き攣っていた。迫っていたシーバードの胴体に射撃が着弾し、そのまま海上を跳ねて暗い海に沈んで行く。だがもう、喜ぶ事は出来ない。

 

「弾が当たる、それは良い――だがこれは……?」

 

 刑部は呟き、眉間に皺を寄せる。何故、こうも弾が当たるのか? ナインは目を見開き、連射砲のマズルフラッシュに顔の一部を浮かび上がらせながら、隣のセブンに言った。

 

「セブンさん、この感染体群、回避行動を一切取りません」

「―――」

 

 迫り来る感染体は弾丸を避けようとしなかった。ただ、ただ、愚直なまでに突進を繰り返す。ウォーターフロント目掛けて一直線、脇目もふらず曲りもしない。面白い様に当たるのも当然だった、此方に向かって直進する敵に弾を当てる事など、例え夜戦であってもそう難しくはない。

 

「どういう事だ、何故避けない……!?」

 

 疑問の声が漏れる、何故、攻撃を避けないのか。見ればモスキートや高射砲の迎撃弾さえ避けずに突っ込んでいる。海上型ASの防衛戦も、今は機能している。これでは鴨撃ちだ。現状だけ見れば好ましい状況だろう――しかし、それが却って不気味で仕方がない。

 小隊の面々の表情が強張る。何が狙いだ、何をしようとしている、その緊張感が伝搬し、機体から鳴り響いた警告音に皆が肩を跳ねさせた。

 

「っ、セブンさん! 前方、大型反応ッ!」

「大型だと!?」

【警告――第一種危険指定感染体接近】

 

 全員が機体の指し示す熱源反応の先を見た。海に沈んだ数多の感染体、それらの死骸を押し退け浮上する巨影。海水が盛り上がり、その巨躯が赤黒く染まった海を跳ね除け現れた。

 

【エイハブ、出現】

 

 警告音声が無機質に告げた。

 巨大な鯨型感染体――エイハブ。

 

 小隊は一瞬、声を失った。その巨躯に圧倒されたというものある、しかしそれ以上に彼の感染体がこれ程までにウォーターフロントに接近していたという事実に打ちのめされていた。機体の無線で数多の機械人形が悲鳴を上げる。FOBを落とした大型感染体、感染体を内包した移動拠点ともいえるソレ。

 天音は顔を蒼褪めさせ、言った。

 

「エイハブ……例の新種っ、何で、こんな所にッ……!?」

「こんな所だからだろうッ、まさかウォーターフロントに直接乗り込んでくるとは!」

 

 素早く立ち直ったのは、機械人形の二人だった。連射砲の弾倉を取り外し、新しい弾倉を嵌め直す。瞳からは不屈の闘志が伺えた、エイハブをこれ以上侵入させまいという強烈な意志だ。同時に全員の機体にウォーターフロントからの指令が伝えられた。

 

「上層より指令、付近の部隊はエイハブを早急に討滅せよ!」

「無茶を言う……!」

 

 その巨躯に圧倒された刑部が吐き捨てる。改めて対面すると、やはり大きい、否、大きすぎる。全長、凡そ五十メートル――体感は、更に巨大に感じる。まるで小型のFOBが動き出したかのような光景。鯨に似た体格、異なる点は目に該当する部分に三つ、瞳がある事。計六つの瞳がぎょりと蠢き、刑部たちを見た気がした。

 

「無茶だがやらねばならんッ――総員攻撃、目標エイハブ!」

 

 セブンが叫んだ、その叫びに怯え竦んだ腕が条件反射で動く。訓練と云うのは偉大だ、どんな状況でも勝手に体が動く様に出来る。刑部は装填していた弾倉を弾き飛ばし、腰部にあった予備弾倉に換装した。確りと嵌め、自動コッキングが行われる。同時小隊の兵装が火を噴き、ほんの数十メートル先のエイハブ目掛けて弾丸が迸った。

 

「撃て撃て撃てェッ!」

 

 連射砲から吐き出された弾頭、それらがエイハブの外皮を叩く。刑部はエイハブの頭部、その瞳の辺りを狙った。眼球は柔い、何なら衝撃で破裂すらする。弾丸を防ぐ様な強度はないと推測しての事だった。しかし刑部たちが発砲すると同時、エイハブはその瞳を瞼で覆い隠してしまう。そして飛来した弾頭の悉くはエイハブの外皮に弾かれ、明後日の方向に散らばった。まるで花火の様に、集中する砲火は四方に散って行く。

 

「ぅ、か、硬い……!」

 

 引き金を引き続けながら天音が呟く。刑部は次々と弾かれる弾頭を見つめながら、叫んだ。

 

「セブンさんッ、連射砲程度じゃ内側に届かないッ! 貫通しないッ!」

「カテゴリーAの弾倉は!?」

「使っているよ! AP弾が貫通しないッ!」

 

 刑部は連射砲に嵌めた弾倉を掴みながら言った。先ほど換装した弾倉はエイハブ用にと取り付けていたAP弾であった。カテゴリーA、貫通力に優れた徹甲弾ですら外皮に弾かれる。いや、刑部は網膜ディスプレイにてエイハブの映像を拡大し、その外皮に注視した。

 全てが弾かれている訳ではない、その巨大さ故に注視しなければ分からないが、幾つかの弾頭は外皮に突き刺さっている。しかし、【貫通しない】――出血を強いる程の威力を発揮出来ていないのだ。

 

「……上の予想以上の硬度かッ」

 

 セブンが悔し気に呟き、連射砲のトリガーを離した。

 

「わ、私がやりますッ!」

 

 叫び、天音は肩部の火砲、その砲口をエイハブに向けAP弾を装填した。ひと際強い爆音と風圧、天音の機体が大きく揺れエイハブの脇腹に弾頭が突き刺さった。天音の砲撃はエイハブの外皮を貫き、流血を強いた。その事に僅かな歓喜の念を覚えるも、その被害は余りに軽微。エイハブは変わらず健在、微動だにせず。

 

「わ、私の火砲で辛うじて貫通するレベルですよ、アレ……!」

「どんなハードスキンだ……クソ、手持ちの火器ではどうしようも――」

 

 有効な攻撃手段を持たない小隊を嘲笑う様に、エイハブは行動を開始する。その瞳が再びぎょろりとウォーターフロントに向けられ、彼奴はゆっくりと大口を開いた。そして現れるのは報告にあった管――まるで爬虫類の舌の如く、長く細いそれがウォーターフロント目掛けて撃ち出される。刑部はそれを見て顔を蒼褪めさせた。

 

「ッ、あいつ管を……! ウォーターフロントに感染体を送り込むつもりだ!」

「やらせるなッ、外皮が幾ら堅かろうと内臓は柔い筈だ!」

 

 全員がエイハブへの直接攻撃を断念し、ウォーターフロントへと伸ばした管に射撃を集中させた。幸いその速度自体はまだ目で追えるレベルであり、目視出来ない程素早い訳でもない。小隊の射撃は見事にエイハブの伸ばした管を捉え、無数の穴を穿ちながら引き千切る事に成功した。中ほどから千切れた管は血を撒き散らしながらうねり、海中に消え、根元の方はエイハブの口の中へと戻って行く。

 

「や、やったッ! 管はまだ柔らかい、連射砲の弾丸でも抜けますッ!」

 

 天音が喜びの声を上げた。管は柔らかい、連射砲でも破壊可能。つまりそれは、エイハブの口内に攻撃を集中すれば、或いは。

 そんな事を考えたのが悪かったのだろう。セブンがその言葉を実行に移そうと、口を開きかけた時――エイハブの大口から、百本近い管が飛び出した。それを見た小隊の面々は絶句する。まさか。

 

「こ、コイツ……一本だけじゃなかったのか!?」

 

 セブンが呟き、連射砲を構えた。全員がそれに続き、我武者羅に狙いをつけて引き金を引く。兎に角、一本でも多く破壊しなければと動いたのだ。しかし、余りにも数が多い。幾ら貫通可能とは言え管自体が脆い訳ではない、行動不能まで破壊するには十発やニ十発では足りない。まるで悪夢の様な光景だった。エイハブの管は二、三本引き千切られようと構わず、ウォーターフロントに殺到した。その内の幾つかが他の外郭甲板に突き刺さり、ウォーターフロントに衝撃が奔る。

 

「駄目だ手が足りない、応援を――」

 

 刑部が叫び、オープンチャンネルで応援を請おうと口を開いた。途端。

 

『第二ブロックで火災発生! マーメイドが取り付きましたッ、高射砲が!』

『此方第十六、十七、十九小隊、第十四ブロックに敵が多すぎる、我々だけでは……至急来援を請うッ! このままでは弾がもたないッ!』

『モスキート第六砲塔停止、緊急冷却! 警邏隊は第六ブロックのカバーをお願いします!』

『カテゴリーAが足りないッ、バックスは何をやっている!? コンテナを、早く寄越せッ!』

『第二十一ブロック、高射砲停止! 高射砲停止! 弾込め作業に入る! 飛行型が多数接近中ッ、弾幕こっちに張ってくれッ! 再稼働迄――何やってんだッ、早く取り掛かれッ!』

『報告! 警邏第四飛行AS部隊全滅! 繰り返す、第四飛行隊全滅!』

『第二十外郭甲板海上防衛線壊滅、水没者多数! 救助を――』

『例の大型感染体だッ! 管が外壁を突破したっ、三十二甲板のバックスは退避しろッ! 感染体が侵入したッ、繰り返す、外壁突破ッ、甲板に感染体が侵入したッ!』

 

 阿鼻叫喚の地獄があった。

 刑部は中途半端に口を開いたまま、震えた声で呟く。

 

「無理だ――」

 

 こちらに応援を回す余裕が、どの甲板にもない。

 

「クソ、兎に角撃て! 管を一本でも破壊するんだッ! ナイン、飛行型の対処を……くそ、クソッ! どういう事だ!? 先のFOB防衛線の比ではないぞッ!?」

 

 セブンは連射砲の引き金を引き続けながら四方に視線を散らし叫んだ。エイハブの対処に注力し過ぎた。海上、空中から迫る感染体。もう目と鼻の先だ。対処しようにも数が――数が多すぎる。ナインは空中の感染体に銃口を向けた、右、左、上、下、どれだ、どれを狙えば良い? 数舜、その銃口が震える。

 

「ッ、上層より報告、内陸より感染体の群れが移動を開始したと!」

「なッ、馬鹿な!?」

「外郭四十番の部隊が迎撃に当たります!」

 

 マップ上の外郭四十番――そのブロックに存在する部隊が無数の赤と交戦を開始した。マップを縮小する。ウォーターフロント全域、それを囲う様にして迫り来る無数の赤、赤、赤。

 この赤い点は全て敵だ、百か、千か、万か。セブンがエイハブを睨みつけ、吐き捨てた。

 

「連中、遂に人類を滅ぼしに来たか……ッ!」

 

 敵も総力戦を挑んできた、そう考えなければ納得できない程の数であった。

 

「管がウォーターフロントにッ!」

「ぐッ……外郭で止めろ、絶対に中に入れるなァッ!」

 

 天音が叫び、セブンが連射砲を含めた全兵装を展開した。

 外郭甲板を抜かれれば基地内部、バックスへの攻撃を許す事になる。そして更にそこを抜かれれば――外側へ通じる障壁が唯一の盾となる。そしてそれを許した時点で、どれ程の人死にが出る事か、考えたくもない。

 是が非でも此処で止める、セブンは唇を噛み締めた。

 

『此方バックス03、外郭二十番から四十番にBOTを投入する、連携して戦え!』

 

 報告と共に、甲板リフトから車両型の機体が顔を出した。車輪に連射砲を乗せただけの無骨な機械。戦力としては数を集めて漸くAS一機に届くかどうか。それでも現状、手があるだけでもマシであった。

 

「焼け石に水だが、無いよりは良い……ッ!」

 

 告げ、セブンはBOTの命令権を行使。エイハブ以外の感染体の迎撃に充て、BOTは一斉に銃声を轟かせる。閃光と銃弾が夜空に煌めき、外敵を屠る。弾幕は張れる、エイハブの外皮を貫く事は叶わないが周辺の感染体を撃ち落とす事は可能。辛うじて敵の侵攻を押し留める。次いで、未だ伸び続けるエイハブの管も撃退していた。

 

「良いぞ、このまま彼奴の中にいる感染体を殲滅して――」

 

 僅かな希望、このまま耐え忍べば――或いは。

 そんな光を見つけた時、空中で迎撃した管の一つが内側から破裂した。血霧を裂いて現れる一際巨大な影。それは真っ直ぐ、小隊目掛けて落下攻勢に入っていた。直前に気付けたのは、本当に偶然だった。セブンは頭上を仰ぎ見るや否や、声も無く小隊に警告音を鳴らした。全員がアラートに反応しその場から素早く後退する。代わりに、轟音と金属音を鳴らして着地する巨影。闇夜に紛れ乍ら、ウォーターフロントの照明に照らされたその存在を見て刑部は茫然とした。

 

「――ドレッドノート」

 

 感染体の至る究極形態。

 アダルトを超える全長、肥大化した筋肉に硬質化した外皮。赤黒く光るそれは外殻と呼ばれるドレッドノートの鎧である。同時に、歪に捩じれた腹には大穴が空いていた。それは丁度、人間一人程度は丸々と呑み込んでしまいそうな――。

 惚けていたのは一瞬だった、しかしその一瞬が命取りだった。腹部に空いた穴が縮小を開始し、蠢いた。それを見た瞬間、セブンは叫び横へと跳んだ。

 

「ッ! 咆哮(ハウリング)――」

 

 砲撃。

 

 それは空気を撃ち出した――というには余りにも凶悪であった。セブンの立っていた場所がごっそりと抉れる。ほんの一瞬、聞いた事もない独特な重低音と共にまるで巨大な怪物に齧られたかのような惨状を晒す甲板。見えない砲撃、防御不可の絶対攻撃――これだ、これによって航空兵器が無用の長物になった。

 通常、ドレッドノートは内陸奥地にひっそりと生息しているものである。その数はアダルトより少なく、東京エリアに限っても十居るかどうかという程。それが、何故こんな場所に。

 

「突貫します――!」

 

 ナインが連射砲を投げ捨て、腰部の近接兵装を引き抜く。成体に勝るスキンを持つドレッドノートに連射砲は効かないと判断、咄嗟に唯一可能性がある兵装に切り替えた。

 

「機体出力、回路変更、兵装出力最大……ッ」

 

 唸る機体、網膜ディスプレイに高速のアナウンス。飛び上がり、ナインはドレットノートの顔面目掛けて腕を振り抜いた。

 ――プラズマ・パイル。

 閃光と共に射出される金属杭、ガゴンッ! と音を鳴らし排莢される長い空薬莢。同時に強烈な一撃はドレッドノートの顔面に突き刺さり、内部で金属杭に蓄積されていたエネルギーが放出、炸裂。ドレットノートの顔面は爆ぜ、吹き飛んだ。

 

「やったッ……!」

 

 普段滅多に喜色を見せないナインが口元を緩める。腕を振り抜いたままの姿勢で着地し、ナインは渾身の一撃であった事を確信する。超至近距離に於ける炸裂兵装、パイルバンカーによって金属杭を撃ち出し、その堅い外皮を貫く。同時に敵内部に侵入した金属杭を炸裂させる事によって致命的な出血、負傷を強いる兵装である。その性質上、破壊可能な範囲は狭く連射も利かないが、それを除けばドレッドノートにさえ有効な兵装である事が証明された。成体ならば、これで斃れる。

 しかし顔面を失った体は血を流しながら、悠々と腕を振り上げた。喜色を浮かべ、足を止めたナインを横合いから殴り飛ばす。回避は間に合わなかった、殺したと、そう確信していたが故の隙を突かれた。

 

「あぐッ!」

「ナイン!」

 

 ナインの機体は甲板の上を滑り、火花を散らしながらウォーターフロント外壁に衝突した。

 

『三番機被撃、左肩部装甲破損、メインフレームに損傷』

 

 装甲の厚い肩部に当たったのが良かった。殴られた衝撃で足が離れたのだろう、軽量機である事も幸いし、撃破には至っていない。しかし、衝撃で処理が飛んだのか外壁に叩きつけられたナインは返事を寄越さない。

 

「っ、これ以上ウォーターフロントに乗り込まれて堪るか……!」

 

 セブンは手にしていた連射砲を放棄。両腕の内蔵武装を稼働。拳と拳を打ち鳴らすとスパークし、極光と共に視界を白く塗りつぶす。手持ちの兵装で一撃必殺は狙えない、ならば足を止めるまで。ドレッドノートとは言え『生物』である事に違いはないのだ。

 

「足を止めるッ! 隙を見て撃ち込め、良いな!?」

「りょ、了解!」

 

 セブンの叫びに天音が応え、火砲をリロード。刑部も搭載された火砲を起こし、弾倉を装填した。

 セブンが両腕を顔の前に構えながら踏み込む。スラスターを利用した加速、宵闇を斬り裂く火花を散らしながら間合いを一瞬で詰めた。頭部を失ったドレッドノート――しかしまだ動く。目も耳もないのにどうやって接近を悟ったのか、迫るセブンに向かって無造作に腕を振るった。戦車の正面装甲すら引き裂く怪力、その勢いも相まって喰らえばメインフレームごとへし折られると予感する。セブンは振るわれ、迫るそれを地面限界まで身を屈める事で回避した。頭上を轟音と共に丸太を束ねた様な腕が通過する。

 兵装出力最大、ジェネレータ最大稼働。

 

「焦げ死ね……ッ!」

 

 下から抉る様なボディフック。拳がドレッドノートの左脇腹に着撃、瞬間閃光が瞬き紫電がドレッドノートの体を覆い焼いた。接触は一秒に満たない刹那、閃光は瞬きの間。素早く拳を引いたセブンは間髪入れず連撃を敢行。次は右拳、反対の右脇腹に着撃させ、スパーク。肉の焦げる匂い、着撃と共にドレッドノートの体が大きく跳ねる。筋線維が引き攣って上手く動けない筈だ、事実ドレッドノートは中途半端に腕を振り払った姿勢のまま震えるのみ。

 

「まだだァッ!」

 

 セブンは両手を組みASの駆動系に掛かっていたセイフティを解除、機体が唸りを上げ各関節が弾ける様に稼働。飛び上がり、大きく背を逸らすセブン。そして組んだ両腕をドレットノートの顔面があった場所、その千切れた首元に叩きつけた。

 着撃、閃光、弾ける紫電。上から超重量と共に甲鉄の拳を叩きつけられ、ドレッドノートは前のめりに体勢を崩し体を震わせた。流石に、今の一撃は堪えたか。

 

「セブンさんッ!」

「っ!」

 

 刑部が叫び、セブンが横合いに飛ぶ。そこに合わせる形で天音と刑部が火砲を放つ。轟音と緋色が飛び散り、ドレッドノートの右肩と左脇腹が千切れ飛んだ。確かな手応え、ごっそりと抉れた肉塊、通常ならば――致命傷だ。

 

「やっ――」

 

 やった、そう歓声を上げようとした天音の目前にドレッドノートが迫る。肩を抉られ、頭を失い、腹を抉られて尚――動く。振り被られた足――腕よりも尚太く、槍の様に引き絞られたソレ。真正面から受ければ、重装でもないASがどうなるかなど火を見るより明らか。

 たった一瞬、されど一瞬、天音は死を覚悟した。

 その目前に、割り込む影。

 

 ――やらせるか。

 

 刑部は天音の機体を横合いに弾き飛ばし連射砲を盾代わりに構え、両腕を胸の前で重ねた。咄嗟の防御行動、同時に着撃。繰り出された蹴撃は盾代わりの連射砲を容易く穿ち、装甲を拉げさせ腕部のフレームを歪めた。堪えれば死ぬ、直感でそう理解し、刑部は脚部の踏ん張りを緩める。思考は刹那、そしてドレッドノートは重装四脚を軽々しく吹き飛ばし、拉げ砕けた連射砲だった残骸が宙を舞う。天音の直ぐ真横を刑部の四脚が吹き飛び、通過した。天音が目を見開き、その残滓を追う。

 

「ッ、ぁ――!」

 

 何かを叫びそうになって、天音は代わりに肩部の火砲を至近距離でドレッドノートに向けた。ガコン! と次弾が装填される。蹴り出した姿勢のまま、ドレッドノートの腕が上がる。

 

「ぁぁ、ぁああアアアアッ!」

 

 砲撃、緋色の十字架が飛び散り、砲弾が着弾、炸裂。

 胸元、近すぎて外しようがなかった。

 装填していたのはAPではなくHE、傷だらけの今ならば内側に爆発が届くとの瞬時の判断であった。爆風で背後に押し込まれる天音、涙を流しそうな表情で前方を睨みつける。同時に、爆炎を裂いて現れるドレッドノート。今の砲撃で辛うじて繋がっていた片腕を失い、片腹を抉られ、爆破で焼かれ――尚、存命。

 血を撒き散らしながら動く怪物、その接近に天音は叫ぶ。

 

「な、何でッ、何で死なないの!?」

 

 理解不能だ、最早生物が生きていける状態ではない。頭部がなく、腕が無く、腹を抉られ、その出血で何故!? アダルトならば、もう三度は死んでいる! 錯乱する天音は再度砲撃を行おうと足掻く、しかしどう見てもドレッドノートが腕を伸ばす方が早い。

 

「天音ッ、退け!」

 

 体勢を整えたセブンが叫び、ドレッドノートの背後から迫る。腹部の穴が震える。それを見てセブンは悟った。背面を向けたまま咆哮(ハウリング)――砲撃だ。

 辛うじて体が動いた。機体を傾け、地面に擦り付けるようにして避ける。左肩部に見えぬ何かが擦過した、重低音が鳴り響き装甲が消失する。兵装ごと装甲を失った、しかし今止まる訳にはいかない。

 接近、距離は十分、腕を振り上げ――セブンは再び収縮する腹部の空洞を見た。

 顔が蒼褪め、空洞がゆっくりと震える。

 砲撃の連射――可能なのか。

 思考が高速で動く、この至近距離、回避の隙間は――ない。

 

「く――そッ」

 

 避けようがない、接近し過ぎた。冷徹な演算機能がそう結論付ける。まさか、こんな場所で果てる事になるとは。

 セブンは避けられぬ死を覚悟し。

 しかし横合いから衝撃。砲撃は真横を飛んで行き、背後の転落防止柵を抉り取る。セブンは地面を転がって素早く立ち上がり、今しがた自身を救った恩人に礼を叫んだ。

 

「ナインっ、助かった!」

「いえ――っ」

 

 セブンの傍に転がる軽量AS、横合いから飛び込み、その命を救ったのはナインだった。その機体は所々が抉れ、凹み、表面には無数の傷。左肩部は内部機構が露出しており、腕部もフレームが曲ったのか装甲が罅割れている。

 

「刑部さんは……っ!?」

 

 しかし、そんな損傷を気にする素振りも無く今しがた吹き飛ばされた刑部の容体を気にするナイン。刑部の吹き飛ばされた方に顔を向けると同時、小隊にアナウンスが届く。

 

『四番機、右腕部、左腕部に被撃、装甲被害甚大』

「っ、大丈、夫!」

 

 ナインと同じようにウォーターフロント外壁に叩きつけられた刑部は、しかし気丈にも立ち上がる。罅割れた装甲、フレームも歪み生身の方にもダメージがある。あの一瞬、まるで生身が殴られたかのような衝撃だった。肺の空気が全て抜け切り、臓物をい抜かれた様な。しかし踏みとどまらず、自分から飛んだのが良かった。衝撃を吸収せず、流れた為に致命傷には至っていない。しかし、あの一撃は装甲とフレームを貫通し、刑部の両腕に致命的な一撃を刻み込んでいた。青黒く変色し、血を流す刑部の両腕。折れたか――その腕を見て天音は沸々と、制御できない感情に胸が支配される。

 ドレッドノートを睨みつけ、涙を流しながら叫ぶ。

 

「っ、この、よくもォッ!」

「天音ッ、よせ!」

 

 守らなければならない人に守られた、その事実は天音が突貫を敢行するに十分な理由であった。踏み込み、至近距離で連射砲をトリガー、しかしドレッドノートは自身の体を庇う様に腕を閉じた。故に弾頭は傷に届かず、悉くが外殻に弾かれる。舌打ちし、再び火砲を向けるトリガー、しかしそれが脅威である事を学習したのか寸前で身を逸らしたドレッドノートに避けられてしまう。

 

「く、っ……!」

 

 下から抉る様な砲撃は身を逸らしたドレッドノートの外殻を擦り、宙の彼方へと飛び去った。残った腕を振り被るドレッドノート。凄まじい剛腕、絶対に受けてはならない。天音は体を傾けて一撃を躱す、しかし天音は至近距離での格闘戦の経験が殆どない。その経験不足から間合いを見誤り拳が火砲に掠めた。瞬間、砲塔が拉げ装甲ごと剥がされる。掠めただけでこれか、天音は顔を顰め連射砲を握り締めた。

 

『二番機、左肩部装甲破損、左肩部兵装喪失』

「ナイン、合わせろ!」

「はいッ!」

 

 天音の突貫を見ていた機械人形の両名は空かさず兵装を構え、背後から強襲を決断。

 しかしそれを予期していたかのようにぐりん、とドレッドノートの体が捩じれる。

 

「ッ!?」

 

 同時に跳躍、その巨体で何という動きを――そう口にするより早く、空気が震え頭上より重低音が鳴り響いた。砲撃だ、見ずとも分かった。

 二人は弾かれたように左右に分かれ、見えない砲撃を躱す。砲撃は甲板を抉り、戦車砲の直撃にも耐えるウォーターフロントの床を文字通り抉った。

 着地し空を仰ぐ、落下し迫るドレッドノートの蹴撃。狙いはナイン、弱っている方を狙ったか。咄嗟に回避行動をとろうとして――網膜ディスプレイに文字、『右脚部アクチュエータ破損』の項目。自動姿勢制御、破損部位の補填。

 ナインは迫るドレッドノートの巨大な足裏を眺める。駄目だ、これは、避けられ――。

 

「あぁァアアッ!」

 

 天音がドレッドノートに突進した、横合いから機体をぶつける事で攻撃の軌道をずらす。襲撃はナインの直ぐ横に突き刺さり、天音は無理な姿勢で突貫したが為に着地も出来ず、甲板の上を転がる。ナインは素早く機体制御を取り戻し、後退した。

 

「天音ェッ!」

 

 叫び声、天音は咄嗟に背後を見る。このままもう一度突っ込んで、それで――そう考えていた彼女はしかし、飛来する影を見て泣き笑いを浮かべながらその場を飛び去った。入れ違う形で現れたのは刑部。スラスターを噴かせドレッドノートに接近、甲板を蹴り穿ち、今立ち上がろうとする彼奴に強襲を仕掛ける。

 

「くたばれェッ!」

 

 叫び、着撃。

 四脚に内蔵されている接地用パイルを飛び掛かると同時に射出、計四本のパイルバンカー、それが全弾直撃。正に四脚の飛び蹴りというに相応しい。ドレッドノートの体が後方へと吹き飛ぶ。凄まじい衝撃だった、さしものドレッドノートでさえ後退させられる程に。刑部の四脚が着地――自動姿勢制御、強制停止(キャンセル)――追撃。

 パイルを出したまま火花を散らして地面に着地、急停止、同時にスラスターにて加速。ドレッドノートに肉薄し、機体を回転させ脚部を撃ち出す。着撃と同時にパイルをトリガー、宛ら竜巻の如く打ち込む。回転し四本の足を器用に操り二撃、三撃、四撃と撃ち込む。四脚の接地用パイル、それ自体は兵装でない為プラズマ・パイルの様に炸裂させる事は出来ない。しかしその硬度はドレッドノートの外殻を穿ち、確実に出血を強いる。防ごうと両腕で体を守るも、その外殻ごと四脚の蹴撃は穿つ。超稼働の脚部が火花を散らし、関節部位が赤熱を始めた。警告音が耳元で喚く。

 

『四番機、脚部負荷甚大、関節部過熱、強制冷却まで十秒』

「ぶっ、とべぇェエエッ!」

 

 飛び上がり、再び同時四撃。凄まじい衝撃音と共に、重機同士が衝突したような金属音が鳴り響いた。穴だらけとなったドレッドノートの体が後方へと流れる。血塗れの刑部が笑う、流れたドレッドノートの体にセブンが合わせた。背後から音も無く接近し、腕を振り上げ。

 

「最大出力で叩きこむ……ッ!」

 

 スパーク。

 両腕をドレッドノートの背中目掛けて振り下ろし、紫電が迸りその動きを止めた。凄まじい閃光、同時にセブンが叫ぶ。

 

「ナインッ!」

「はぁぁあアアアアアアアッ!」

 

 ナインは搭載されていた兵装を装着、元は工兵用電動鋸(チェーンソー)。しかし、使えるのであれば何でも良い。飛び上がり、それを首元から斬り込む。軽量とは言えAS、その重量と勢いを加味すれば十二分に通用する。事実、盛大に火花を散らし金切り声を上げながらドレッドノートの体を半ばまで電動鋸は両断せしめた。ナインは素早くチェーンソーから手を離し、両腰部からケトルボムを引っ張り出すと電動鋸で露出した断面に張り付けた。トリガーを引き絞ると内側から固定ボルトが飛び出し、グリーンランプが点灯する。

 

「セブンさんッ!」

「あぁッ!」

 

 セブンはナインの声に応え、近接兵装を解除しドレッドノートの体を掴む。

 

「刑部ッ、天音!」

「――!」

『一番機、機体出力制限解除(ハイパワーモード)、制限五秒間』

 

 意図を察し駆け出す双方。そしてセブンがドレッドノートを全力で押し出し、その巨体が一歩よろめく。その瞬間に天音と刑部の両名は更に加速。バーニアを全開にし、ドレッドノートに肉薄。

 そして、全力の蹴撃。

 天音と刑部、両名の機体が放った蹴撃がドレッドノートを、その巨躯を吹き飛ばした。柵を突き破り、海へと放り出されるドレッドノート。しかしまだ動く腕を伸ばそうと足掻き。

 

「やれナインッ!」

「っ!」

 

 カチッ、という軽い音が鳴った。

 瞬間、刑部と天音の目前、今にも海に落ちて行くドレッドノートが――弾け飛ぶ。

 凄まじい爆炎と衝撃波が二人を襲い、下から噴き上げるようなそれに両名は逆らう事無く後方へと跳ぶ。緋色の尾を引いて落下するドレッドノート、ややあって大きな落水音が響き、小隊の面々は一瞬の光に目を焼かれながらも生を実感した。

 

「や、やった……!」

 

 虚空で燃えながら海に落ちて行く肉片、それらを見つめながら天音は歓喜の声を上げる。セブンとナインの両名は最後まで兵装を構え、燃え落ちて行くドレッドノートの破片を見送った。

 

「内側に張り付けて起爆しました、流石にもう動けない筈です」

 

 天音はその言葉に、思わずその場に座り込む。しかし、状況はまだ終了していない。刑部は拉げた両腕の痛みを噛み殺しながら叫んだ。

 

「エイハブは――!?」

 

 周囲を見渡す――あの巨躯の影さえ存在しない。

 ナインは冷静に周辺探知を行い、一体にエイハブ級の巨大反応が無いことを確認した。

 

「……反応なし、ドレッドノートを送り出した後に潜りましたか」

「くそッ」

 

 あれは、此処で沈めるべき対象であった。優先目標を逃したという事実に刑部は悪態を吐く。

 

「でも、どうしてドレッドノートが……内地の奥にしか居ないって話じゃあ」

「エイハブの体内でドレッドノートすら生産可能という事だろう、今は生き残れた事を喜ぶべきだろうな、兎角、まだ戦闘は終了していない、奴を退けられたのは僥倖だが、我々も他の感染体の迎撃に――」

 

 優先目標は逃した、しかし撃退に成功したというのも事実である。兎も角、あの巨躯から再び感染体が送り込まれる事は無い。今は波の如く迫り来る残党を迎撃しなければならない、そう動き出そうとして――小隊全員の機体がアラートを掻き鳴らした。

 

「ッ――!?」

 

 総員が、尋常ではない寒気を覚えた。

 それは予感であった――『来てはならないものが来る』、そう、悍ましい予感だ。

 

【警告 警告 警告】

 

 機体が警告を繰り返す。耳を劈く騒音、しかしそれに見合うだけの脅威が接近していると本能が警鐘を鳴らす。遅れて、ウォーターフロントに設置されていた外郭レッドランプが点灯、甲高い警告音が夜空に響き渡った。周囲の色彩に赤が混じる。赤い照明灯(レッドランプ)――それは本来、たった一体の感染体の到来を知らせる為に設置された警戒灯。

 

【搭乗者保護優先、内蔵ボンベ稼働、全装甲化による隔離処理を実行、搭乗者は直ちに最寄りの隔離施設へ避難して下さい】

 

 天音と刑部、その顔面を覆う様にして展開装甲が張り付いた。防御性能は最低限、ただ空気中の粉塵を隔てるだけの代物。口元にマスクが装填され、機体内部の緊急用ボンベより酸素が供給される。それを吸い込みながら、刑部は遥か遠くの夜空を見上げた。

 

【第一種危険指定感染体――感染蝶(バタフリー)、出現】

 



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蝶は蒼穹を超えようとした

 

【第一種危険指定感染体――感染蝶(バタフリー)、出現】

 

 迫り来る巨大な羽。ふわり、ふわりと上下する巨大な影。月光に照らされ、淡い光が鱗粉を幻想的に彩る。宛らそれは季節外れの雪が如く、ひらひらと夜空を舞っていた。頭の天辺から指先まで、まるで全身の筋肉が硬直したかのように動かない。脳が、現実を否定する。夜空を覆う様な巨大な二枚羽、それは夜空に溶け込み美しくも残酷な鱗粉を撒き散らす死を告げる蝶のもの。

 人類をこのメガフロートに追いやった元凶――名を、【感染蝶】

 

「冗談だろ……ッ!」

 

 腹から絞り出した声だった。愕然とする、ではまだ足りぬ。それはあってはならぬ事態であった。このウォーターフロントは人類最後の砦である。この場所に、嘗て日本と呼ばれた人類総てが暮らしているのだ。もし、あの感染蝶が刑部の立つこの場所にまで至ったら。

 最悪の想像が脳裏を過る。

 

『機体内蔵ボンベ残量――活動可能時間、凡そ二十分』

 

 網膜ディスプレイに機体内部の酸素残量が表示される。各ASに搭載されたボンベは緊急避難用のものであり、その容量は決して多くない。活動可能時間は二十分――そして刑部たちの恐怖を煽る様に、ゆっくりと感染蝶は前進を開始した。

 

ウォーターフロント(こっち)に来る……!?」

「止めろ、何が何でもッ!」

 

 天音が一歩退き、セブンが絶叫した。

 

「感染蝶がウォーターフロントに入ったら文字通り終わりだぞッ!」

 

 それに呼応するように、ウォーターフロント各地から火砲の閃光が瞬き、轟音が響いた。刑部たちもまた、手持ちの火器で迎撃を行おうと動き出し、銃火器が破損した者は予備のコンテナより補充・換装し抱え直す。しかし、引き金を引くより早く周囲にサイレンが鳴り響き、ウォーターフロント甲板の出入り口が次々と封鎖されていった。刑部は一瞬、閉鎖されるそれらに気を取られ動きを止める。感染蝶襲来に伴う隔壁閉鎖、酸素残量はニ十分。一度締めだされれば内部に避難する手段は、もうない。

 

【感染蝶の接近を確認しました、緊急防衛措置に伴いウォーターフロント外郭甲板閉鎖を開始、隔離処理を実行します、機械人形、BOT、無人機を除く、バックス、操縦者の皆様は直ちにウォーターフロント隔壁内部に避難して下さい、繰り返します――】

「っ、セブンさん!」

 

 ナインが閉まり行く隔壁に視線を向け叫んだ。格納庫、ハンガーへと通じる出入り口が封鎖されようとしている。左右のレッドランプが暗闇を照らし、煌々と輝いていた。闇夜に混じる赤色は酷く不安な気分になる。隔壁が降りる速度はそれ程早くない、ASの足ならば容易にハンガーへ戻れる、まだ間に合う。しかし迷っている程の猶予はない、セブンは天音と刑部に顔を向け叫んだ。

 

「天音ッ、刑部っ、二人は隔壁内部に避難しろッ!」

「でも――!」

「感染したいのかッ、早くしろ! 私達は機械人形だ、感染はしないッ!」

 

 セブンが必死の形相で、銃火器を抱えながら叫んだ。天音が何かを言おうとして、しかし唇を噛み言葉を飲み下す。セブンとナインの表情に、自身が何を口にしようと揺らがぬであろう決死の覚悟を悟ったからだ。

 戦場で言い争いをする余裕など存在しない、立場上彼女が上官なのだ、ならばその指示に従うは当然。しかし理解は出来ても納得は出来ない、それは二人を見捨てるという選択に他ならないのだから。

 仮に自分達が抜けて、守り切れるのか? 刑部は周囲を見渡し顔を歪める。

 四方から迫り来る感染体。前方より緩やかに飛来する感染蝶。どちらか片方だけでも手に余る、だというのに人間のAS乗り、バックスが基地内部へと籠り支援を打ち切る。外郭甲板とウォーターフロントは完全に分断される事になるだろう。補給も、支援も期待出来ない孤立無援の戦場。

 無理だ、その結論に至るまで時間は必要なかった。

 

「どう考えても無理です、残存戦力で感染蝶を撃退し防衛するのは――!」

「だからと言って我々が退く訳にはいかないだろうがッ!」

「刑部さん、早く行ってください、此処は私達が!」

 

 ナインとセブンが前に立ち、彼女の手が刑部を後ろへと追いやった。しかし、それでもと言い募ろうとする刑部の手を天音が握る。強く、彼女にしては強引な行動だった。互いのASが至近距離で衝突し、表面装甲が擦れて金属音が鳴る。甲鉄に覆われた顔面、網膜ディスプレイ越しに見える天音の表情に刑部は思わず怯んだ。

 

「刑部君!」

「っく……!」

 

 天音は今にも泣きそうな表情を浮かべていた。それはセブンとナインを見捨てる選択を飲み下したからか? それとも、今尚死地に留まろうとする己を想って? 分からない、だが言い争うだけの猶予が無いことは確かだった。

 

「クソっ! 何なんだ、何故堕ちないッ!?」

 

 セブンは夜空を彩る弾幕を網膜に焼き付けながら吐き捨てる。モスキートや高射砲が虚空を舞う感染蝶に攻撃を集中させている。その集中砲火は正に苛烈にして必殺、周囲の感染体には目もくれず火力を一点に注いでいる。あのエイハブの外皮と云え、この火力ならばと思う程。しかし、それでも尚感染蝶は健在であった。外皮が硬い? 否、そんな理由ではない。感染蝶の外見は虫のそれだ、連射砲ですら貫通を許してしまいそうなソフトスキンである。ならば、何故堕ちない?

 弾が、悉くが当たらないのだ。

 感染蝶に近付くとまるで意志を持ったように逸れる。実に不可解な現象であった。砲弾が感染蝶に飛来し、その直前で緩く曲がり海水や明後日の方向に着弾する。周囲に舞う鱗粉、あれに何か仕掛けがあるのか。セブンは憎々し気に顔を歪め思った。現状、感染蝶の多くは解明されていない。感染蝶と遭遇し、生き残った者が少ないという事もある。しかし、弾を弾くならば兎も角、当たらないとはどういう事だ。ウォーターフロントにて迎撃を受け持つ面々には焦燥ばかりが募った。

 ゆらり、ゆらりと揺蕩う蝶。死を誘うそれがウォーターフロントに到着するのは時間の問題である。刑部は一度迫り来る感染蝶に目を向け、それから天音を見た。

 葛藤、胸内で幾度となく繰り返される言葉、問答。しかし、やはり結論は変わらない。刑部は一度唇を強く噛み、それから睨みつけるように空を仰ぎ見て、告げた。

 

「――駄目だ、俺だけ逃げることは……出来ないッ!」

「あっ!」

 

 天音の手を振り解く。強く握っていた筈の手がするりと零れ落ちた。何が出来るとか出来ないとか、そういう問題ではない。此処で逃げてはならぬ、もし逃げたらきっと自分はその事を一生涯掛けて後悔するだろう。そんな確信があった。

 しかし、そんな刑部の覚悟を嘲笑うかのように――或いは自身に突き刺さる攻撃を鬱陶しいと思ったのか、感染蝶は二度、大きく羽根を弾ませ鱗粉を撒き散らした。

 

「高熱源反応感知、これは……!」

 

 ナインが呟いた。網膜ディスプレイに表示される警告、見れば感染蝶が発光している――否、光を集めているというべきか。周囲に散った星々を見えざる手で搔き集める様に、徐々に強くなっていく閃光。凄まじい熱量、そして光量であった。恐るべきは一秒経つ毎にその光が大きく、巨大になっていくこと。まるで光を粘土細工の様に丸めた様だった。光は丁度感染蝶の頭程の大きさと成り、ウォーターフロントの方へと向けられた。

 

「ッ――総員、対衝っ」

 

 セブンが叫ぶのと、極光が放たれたのは同時であった。それは、何と表現するべきだろうか。凄まじい光が網膜を焼き夜を貫いた。そう認識した時には既に刑部たちは皆が皆体を硬直させ、光はウォーターフロント外郭に着弾していた。爆音と、何かが弾ける音、悲鳴、ノイズ音。それらが一斉に鼓膜を震わせ、一拍遅れて撃たれたのだと理解する。耳元から管制の叫びが聞こえた。

 

『警――ッ! ウォ―――ント、外郭――番、融解! 繰り返すッ、ウォーター――外郭甲――番、融解ッ! 外壁装甲板第五層まで突破されました! 次同じ箇所に着弾したら全層抜かれますッ!』

 

 金切り声、揺れる体。頭が働かない、耳鳴りが酷い。四脚である刑部は転倒こそ免れたが、ナインやセブン、天音はASのバランサー機能に揺すられ膝を着き、或いは目を白黒させている。ウォーターフロントが揺れた、このメガフロートが。刑部は揺れる視界を振って気付けをし、立ち上る黒煙に目を向けた、被害は――そして、言葉を失う。

 

「ウォーター……フロントが……」

 

 着弾したのは刑部たちの小隊から数ブロック離れた外郭甲板。立ち上る黒煙と蒸気、その区画が丸ごと【抉られていた】――そうとしか表現出来ない。

 赤熱した甲板、半円にくり抜かれたそれはあの光によって融解したのだろう。外壁には黒々とした円型の穴が穿たれている。凡そAS数機が並んでは入れる程の大穴。

 ウォーターフロントの外壁が射貫かれた、それは刑部に凄まじい衝撃を与えた。

 この外郭甲板の外壁を射抜かれれば向こうにあるのは防衛基地内部である。仮に、仮にだが、あの極光の着弾を許し続ければ外郭甲板と外側を隔てる第一防壁すら穿たれる可能性があった。もし障壁に穴が開けばどうなるか。感染蝶の鱗粉が入り込む、つまりウォーターフロント内部の感染。このままでは小隊全滅――いや、人類の存亡さえ不確かになる。

 覚悟が背中を押した。

 刑部は即座に口を開き、宣言した。

 

「――VDS起……」

「駄目ッ!」 

 

 だが、それを遮る者がいた。

 天音だ。彼女は刑部に飛びつき、尚もVDSを起こそうとする彼に縋りついて叫んだ。

 

「駄目だよ刑部君! それを使ったら刑部君がッ……!」

「――けれど今使わなかったらウォーターフロントが沈むッ! 此処には何万人もの人が生きているんだ! あいつを海に叩き落とすには、もうこの兵装しかないッ!」

 

 刑部は悲壮な表情で叫んだ。天音の涙にも、懇願染みた悲鳴にも動じない。やらねばならないと思った、その両目が緩慢に、しかし確実に接近する感染蝶を捉える。感染蝶を迎撃するモスキートや高射砲、或いはASによる砲撃。しかしその悉くが無効化される、意味がないと理解していても攻撃は止められない、あの極光による攻撃。あれをもう一度喰らえば外壁を抜かれる、近付けてはならないと理解しているからだ。既存の兵器の弾丸は彼奴に届かない、しかし――GSならば通じるかもしれない。

 一抹の望みを掛け、命を擲つには十分な理由だった。

 

「ここで、堕とさなきゃ――ッ!」

 

 ウォーターフロントが沈む。

 天音の手を払い、悲鳴を呑み込む彼女を無視し刑部は叫んだ。

 

「VDS起動ッ!」

VDS(ヴァンガード・ディフェンシブ・システム)起動(スタート)

 

 刑部の言葉に呼応し、機体はVDSを立ち上げる。背部の装甲が一斉に弾け飛び、脊椎接続に沿って円柱が飛び出す。赤く点滅し重低音を掻き鳴らし始めた円柱に合わせ、刑部の視界が点滅した。まるで鉛の海に沈むようだった、脳に走る鈍痛、スパークする視界、繋げてはならない【ナニカ】と強引に繋がる様な感覚。刑部は吐き出しそうになる悲鳴を呑み込み、充血した瞳で感染蝶を睨みつけた。

 

「刑部君!」

「天音っ、俺は――!」

 

 再び伸びた手を振り払おうとする。けれど天音の手は装甲に包まれた刑部の顔を掴み、正面を向かせた。視界一杯に天音の顔が映った。無論、網膜ディスプレイ越しの偽りのものだ。けれど涙に塗れ、それでも必死に取り繕うとする彼女の顔は痛々しくも確かな覚悟を秘めていると分かった。

 

「もう、撃つななんて言わない、刑部君、言っても止めてくれないって分かっているから、けれど私にも……私にも戦わせて!」

 

 切羽詰まった声だった。天音はコンテナから引っ張り出した連射砲の引き金に指を掛けて、それから刑部の機体を掴みながら早口で捲し立てる。

 

「出力を絞って、周囲の感染体を狙う必要はない、あの、感染蝶だけを狙って! 後は私達が……何とかするから、してみせるからッ!」

「………」

 

 それは懇願だった。いや、哀願と言うべきか。少しでも刑部の負担が減る様に、少しでも彼が長く生きられるように。天音は刑部の顔を掴み、涙を浮かべながら必死に願った。刑部はそんな彼女の懇願を聞き、逡巡する。本当ならば、最大出力で感染蝶を海面に叩きつけ、そのまま沈めてやろうと考えていた。そして周囲の感染体も同時に殲滅し、この状況を打開する――それが刑部の考える最善。しかし、感染蝶はあの巨体、そして正体不明の鱗粉もある。更に言えば周囲を取り囲む感染体、その数は嘗てのFOB防衛戦の比ではない。あの、四足共を屠った時の様な出力・範囲では効かないだろうという予感があった。文字通り死力を尽くし、全力でGSを叩きこむ必要がある。

 その代償は――決して安くはない。

 或いは、此処で果てるかもしれない。刑部自身はそれでも構わなかった、たとえ此処で果てる運命だとしても人類に貢献し、自身より上等な万人を救えるのならば後悔は微塵もない。喜んで骸を晒そう、屍を捧げよう。けれど目の前で己の顔を掴み、必死に懇願する天音の言葉を無視し断行するには――余りに情を交わし過ぎた。

 

「――分かった」

 

 刑部はゆっくりと頷いて見せる。頷いてしまった。此処で跳ね除けられないのが己の弱さだと思った。自分は、この弱さを捨てられない。けれど目の前で泣き笑いし、嬉しそうに自分を抱きしめる彼女を見ると――やはり、どうにも最後まで貫けぬのだ。

 

『DAD因子感知、GS射出力場算出、BT(ブレインタッチ)最大深度、射出位置……探知、認識、確定、完了、動力ライン正常稼働中、座標認識、ポイント、固定――安全装置解除(アンロック)、発射可能』

 

 天音は刑部の体を離し、名残惜しそうに指先を絡めながら数秒目を閉じ――駆け出す。もうその表情に先ほどまでの名残はない。どこまでも真剣に、生き足掻こうと、守ろうとする者の表情だ。

 刑部は思考に走るノイズをそのままに、両手を強く握りしめながら感染蝶を見上げる。的を絞る、周囲に存在する感染体は狙わない。それだけで処理は大分楽になる、範囲も威力も極めて限定的。感染蝶のみを狙い、周囲に散らばる鱗粉を削ぐ。何故、奴に砲撃が通用しないのか? 刑部はあの、感染蝶の周囲にて煌めく鱗粉に秘密があるのだと思った。限界まで先鋭化された五感、及び第六感が告げている。弾頭が感染蝶に着弾する直前、まるでそれを包むかのように鱗粉が発光するのだ。僅かな間、瞬間だが、刑部はそれを見逃さなかった。

 彼奴を海に叩き落とすまでは考えなくて良い、出力を下げ、限界まで下げ、鱗粉のみを叩き落とし火砲を通じるようにする。瞬間的な出力や範囲はそれほどでもない、しかし味方が感染蝶を仕留めるまでの間、己はGSを維持し続けなければならない。

 出来るのか? 刑部は己自身に問いかけた。否――出来なければならない。

 

「先生、俺に、力を……ッ!」

 

 刑部は小さく呟き、息を吸い込んだ。腹に力を籠め衝撃に備える。無論それは物理的なものではなく、己の脳に叩きこまれるであろう処理に対しての。円柱が唸る様に振動し、リングが発光を強めた。そして、刑部は己の中にある引き金を引き絞る。

 

『――Gravity Strike(グラビティ・ストライク)

 

 夜空に、重力の砲弾が炸裂した。

 唐突に、感染蝶の高度がガクンと下がる。同時に周囲を漂っていた鱗粉が一斉に掻き消え、感染蝶の羽の動きが鈍くなった。羽の動きが鈍ろうと墜落しないのは、やはり超常の力が働いているからか。兎に角、通常の(ソレ)と構造が異なるのは確からしい。

 

「ッ、これは――刑部!?」

 

 極光の攻撃で硬直し、感染蝶に向けて一心不乱に連射砲を放っていたセブンは唐突に動きを鈍らせ、高度を下げた感染蝶に驚愕し――VDSを起動した刑部を見て悲鳴を上げた。

 近場で同じように迎撃に当たっていたナインも、彼女と同じ表情をする。まさか、起動したのか!? 二人の表情にはそんな感情がありありと浮かんでいた。

 

「撃ってッ! 撃つんです、セブンさん! ナインッ!」

 

 しかし、そんな二人に対し檄を飛ばす存在がいた。天音だ。彼女は連射砲を手に感染蝶に射撃を加え乍ら涙声で叫んでいた。

 

「今、アイツは動けない、周囲を覆っていた鱗粉もないッ! 今なら絶対通る、通さなきゃいけないッ!」

 

 何が何でも通して見せる、撃墜してみせる、しなければならない。それは鬼気迫る勢いであった。ウォーターフロントから放たれる無数の砲撃、銃弾、先程まで不自然に防がれていた弾頭が真っ直ぐ飛来し、感染蝶――その躰を穿った。

 

「通ったッ――!」

 

 天音の歓声が周囲に響いた。感染蝶の外皮を突き破り、砲弾や弾丸は白い血液を散らす。それを見たセブン、ナインの両名は泣き言を呑み込み、即座に射撃を敢行。同時にウォーターフロント側も攻撃が通る事に気付き、更にその弾幕を密にした。次々と感染蝶の体に被弾する砲弾、凄まじい猛攻であった。先ほどまで鱗粉を煌めかせ、優雅に宙を待っていた感染蝶が見る見るうちに傷ついていく。羽が欠け、外皮が剥がれ、白い血を撒き散らす。

 

「攻撃が通る、これなら――ッ!」

 

 勝てると思った、GS発動から僅か十秒程度での決着。如何に強大な火力を持ち、極悪な感染能力を持とうと防御する術を奪ってしまえば鈍いだけの巨大な的でしかない。近付かれる前に堕とせる、そう思った。

 瞬間、感染蝶が悲鳴を上げる。発声する器官なぞどこにも見当たらないというのに、しかしそれは悲鳴と呼ぶ他なかった。甲高い、金切り声。途端、周囲の感染体に変化が起こる。

 

「! 周囲の感染体が一斉に行動を――ッ」

 

 海上や上空よりウォーターフロント目掛けて攻め入り、交戦していた感染体の行動が変化した。今の今まで感染蝶に攻撃を仕掛けていたASや高射砲に向かっていたのが、唐突に進路を変更、感染蝶の空けた穴や閉鎖されたゲートを破壊し、内部に侵入しようと攻撃を始めた。流石にウォーターフロント内部に侵入を許す訳にはいかない。感染蝶に放たれていた攻撃が周囲の感染体に割かれる、火力が分散する。それを見てセブンは舌打ちし、忌々し気に吐き捨てた。

 

「どこまでも悪足搔きを――!」

『警告、高熱源反応感知』

 

 機体がアラートを鳴らし、疑似鼓膜を揺さぶった。警告音に意識を引っ張られる形で海上の感染蝶を見る。GSにより鱗粉を数多の砲撃を受け、内側を晒しながら尚も堕ちぬ。彼奴は正面に球体状のエネルギー――先ほどの光と同じものを収束させ、放とうとしていた。拙い、セブンは連射砲を手に叫び形振り構わず感染蝶に砲火を浴びせる。しかし、堕ちぬ。砲弾は身を抉り、千切り、吹き飛ばしているというのに。

 感染蝶はその瞳をぐりぐりと動かし、己を縛り付ける存在に当たりを付けた。体が重い、頭上から何か巨大な質量が圧し掛かっているかのようだ。防御の為に撒いた鱗粉さえ、その質量によって海に叩き落とされた。それを為した小物はどれか――暫し逡巡し、その歪な瞳が刑部を捉える。四脚を駆り、奇妙な円柱を背中に生やした小粒の一つ。彼奴だ、感染蝶は頭上より己を押しつぶさんと迫るソレの発生源を本能によって嗅ぎ分けた。

 狙いはひとり、人間一人蒸発させる程度など全力を出さずとも――容易い。

 

「刑部さんッ!」

 

 ナインは感染蝶の狙いが刑部である事を瞬時に悟り、咄嗟に前に出た。あの、巨大な光から刑部を守ろうとしたのだ。しかし機械人形、AS一体分の壁など数秒と持たず蒸発するに違いない。ウォーターフロントの外郭甲板に大穴を開け、強固極まる外壁を貫通する威力だ。ASの装甲で防げる規模ではない。それでも庇わずにはいられなかった。ナインに続き、セブンや、天音でさえその身を盾にせんと動き出す。だがどれだけ壁を揃えたとしても――結果は変わるまい。

 斯くして、極光は放たれる。

 誰よりも早く飛び出し、その身を晒したナインは迫る光の波に目を細め、刑部は何かを口にしながらナインに手を伸ばした。例え届かぬと理解していようと、自分の為に命を捨てさせなぞしないと。

 そして、巨大な光は二人を覆い隠し――

 

「こうなると思っていたわ」

 

 しかし、光が二人を呑み込むより早く、巨大な装甲板を抱えた依織が二人の前に飛び出した。手に持ったそれはASの全長を覆い隠す程の大きさで、彼女がそれを構えて飛び出せば背後のナインと刑部は影に隠れる。そして極光が――着弾。

 

「っ、く――ぅッ!」

 

 光が装甲板にぶちあたり、扇状に拡散する。依織は構えた装甲板より伝わる衝撃に顔を顰めた。先程、ウォーターフロントの外壁に穴を空けた光と比べ光は細く範囲は狭い。出力が下がっている証拠だ、しかし――AS一機で支えるには余りに強力な攻撃。衝撃に備える為に打ち出した脚部の固定ボルトが負荷限界で悲鳴を上げていた。

 

「く、草壁依織……ッ!」

「依織さん!?」

 

 突如現れた増援、ナインと刑部は驚きの声を上げる。依織はそれを尻目に両手に力を籠め、深く息を吐いた。

 

 草壁依織は感染蝶が出現する事を、『最悪のシナリオ』として想定していた。もし、自身の予測が正しいとして――相手の最終目標が人類の絶滅である場合、その最終手段には必ず感染蝶を用いると。

 人類が感染蝶と遭遇した回数は凡そ四回。一度目はユーラシア大陸防衛戦、二度目は北アメリカ大陸陥落時、三度目はアフリカ大陸せん断作戦時、そして四度目が――日本列島、北海道防衛戦時。

 たった四度、その四度で得られた情報はとても少ない。

 感染蝶が『感染体』を量産できる事、彼の蝶の鱗粉を取り込んだ者は【例え死亡しておらずとも】感染体に変貌する事、そして強力な熱攻撃を放つ事。間違いなく、人類にとっても強大過ぎる壁である。

 だからこそ依織は備えた――この装甲板は、その熱攻撃に備える為のモノである。たった四度の交戦記録、その記録から予想出来る熱量、攻撃規模を抽出し、研究廠に裏手で用意して貰った急造品。もし感染蝶が真っ先に狙うならば――彼に決まっている。

 

 ――グラフェン装甲、鋼鉄の十倍以上の強度を誇り、軽く、薄く、高い導電性、熱伝導性・耐熱性を誇る魔法の装甲。希少性の高いその材質をふんだんに利用し、これでもかという程に鋼材と噛み合わせ層を織った、実用可能な重量に落とし込んだ特別装甲盾。この盾ならば既存の兵装の火砲だって、真正面から耐えきって見せる。そう豪語した研究廠の友人に、依織は内心で毒を吐く。

 

 これは――長くは防げない。

 

 盾の表面がどろどろと溶け始めているのがセンサー越しに分かった。実弾ではない、エネルギー攻撃だというのに、脚部固定パイルが外郭甲板の床を削り機体が押し込まれる。腕部関節が軋みを上げ網膜ディスプレイに高熱警告のアラートが表示された。盾が抜かれるか、機体が飛ぶのが先か。

 

「ッ、く、仕留めてッ……早くっ!」

 

 長くはもたない、依織は前傾姿勢のまま盾を押し込み焦燥に駆られながら叫んだ。

 

「っ、撃て、撃ちまくれェッ!」

 

 セブンが声を上げ、小隊の面々は感染蝶に攻撃を集中させる。しかし、依然として周辺の感染体は狂乱した様にウォーターフロントへと迫る。火砲が感染蝶を削る、未だ極光を吐き出し続ける怪物は揺らがず。

 

「ぐ、っ……!」

「! 刑部さん」

 

 不意に、刑部の体が揺れた。ディスプレイ越しに見える刑部の顔――鼻血だ。赤く充血した瞳に加え、流血が始まった。幾ら対象を絞り出力を落したとは言えVDSは諸刃の剣。それも、こう継続した使用を行っては。

 

「大丈、夫、だいじょうぶ、だ……ッ!」

 

 歯茎を剥き出しにし、刑部は絞り出す。盾を支えながらそれを見た依織は内心で吐き捨てる。

 

 ――彼が力尽きるか、私が消し飛ぶか、或いは感染蝶が堕ちるのが先か。

 

 事、此処に至ってはどちらが先に事切れるかの持久戦となった。盾が抜かれる、依織の機体が崩れるか、刑部が力尽きるか、それは人類側の敗北を意味する。反対にそれより早く感染蝶を削り切れば人類が勝利し、生き残れる。

 

『警告、機体ラジエータ稼働限界、機体温度上昇中、接続者危険域まで凡そ二十秒』

 

 機体が発熱を始めた。冷却機構であるラジエータの処理可能な範囲を逸脱したのだ。機体関節のジョイントパーツが赤熱、盾を支える腕の関節、留め具が弾け飛び装甲板を打つ。地面に打ち込んだパイルに罅が刻まれ、依織の口から苦悶の声が漏れた。

 

「クソッ、堕ちろ堕ちろ堕ちろ! 堕ちろッ! 堕ちろォ!」

 

 火砲が煌めく、砲弾が炸裂する、感染蝶の体が穴だらけになって行く。しかし堕ちない、堕ちてはくれない。寧ろ体に穴が増える度、放たれる閃光が強く瞬く。何故だ、何故堕ちない!? これだけの砲火を受け、何故!? セブンは焦燥に駆られた。見た目は満身創痍、そうれはそうだ、ウォーターフロントの全力砲撃を十秒以上に渡って受けたのだ、無事である方が可笑しい。しかし、それでも尚感染蝶は健在。周囲の感染体の攻勢も激しくなる、これ以上時間を掛ければ――。

 

『警告、機体出力低下、腕部装甲破損、機体温度上昇中、フレーム融解の恐れあり、接続者は直ちに接続を解除し――』

『兵装G装甲板、第六層融解、第七層破損』

 

 依織の耳に盾が六層まで抜かれたとの報告が届いた、この盾は全十層、あと何秒持つか。

 周囲の攻勢により感染蝶への攻撃が薄くなるばかり。無理だ、このままでは依織の盾が射貫かれ、刑部も死ぬ。セブンはそう確信し――覚悟を決めた。肩部の装甲を排除し、兵装を投げ捨てる。そして直ぐ近くで連射砲を撃ち続けるナインに叫んだ。

 

「ナイン! 近接兵装を寄越せッ!」

「!? 近接なんて……どうするつもりです!?」

「良いから寄越せッ!」

 

 一瞬ナインの表情が歪み、逡巡する。しかし悩んでいる時間すら惜しい。ナインは腰に装着していたプラズマ・パイルをセブンに投げ渡す。セブンそれを受け取るや否や右腕部に装備しウィンドに命令を叩きこんだ。

 

『一番機、全装甲排除(フルアーマー・パージ)

 

 重装の装甲を全て排除。それは余りにも命知らずな選択。装甲を排除すれば残るのは最低限の装甲とも呼べないような、接続者保護用用の防護板と骨格のみ。セブンはそのまま転落防止柵を蹴り飛ばし、感染蝶に向かってバーニアを吹かせた。そして一も二も無く――跳躍、突貫。重量の嵩む装甲を排除し、味方の砲火を掻い潜っての接近を敢行。

 

「セブンさんッ!?」

 

 それを見たナインが悲鳴を上げる。今、感染蝶はGSの渦中にある。下手に近付けばGSに巻き込まれ海中に没すのは明らかであった。それが分からない筈がない。ましてや、味方の射線に身を晒すなど――しかしセブンはそれを見越し、感染蝶よりやや上方に機体を飛ばせた。火砲は識別信号によって自然とセブンを避ける。それにこの感染蝶を堕とすには後方からちまちまと削るだけでは足りない、そう確信していた。

 コイツを落とすには相応の覚悟が必要なのだ。文字通り、命を擲つ程の――今、矢面に立っている依織や刑部と同じ領域に踏み込まねば感染蝶は堕ちない。

 GS圏内に到達した瞬間、セブンの機体が軋みを上げ高度が一気に堕ちた。バーニア、スラスターは可動しているというのに、これが重力の渦。

 

「ぐッ……!?」

 

 急激に体が重くなる。機体が悲鳴を上げる。セブンの耳に機体が軋む金属音と共にアナウンスの声が響いた。

 

『機体過負荷、自動姿勢制御、重大な問題が発生しています』

 

 機体はGSの力に押し負け落下を開始した、狙い通り感染蝶の上部へと。

 

 ――私は、小隊の長だ。

 

「お、ぉ、ぉおッ……!」

 

 セブンはプラズマ・パイルを振り上げ、落下の勢いに身を任せた。

 機械人形であり、隊長である己が命を張らず――何が長か。

 守るぞ、今度こそ、絶対に!

 落下と同時にパイルを振り抜き、感染蝶へと着地・着撃。出力最大のプラズマ・パイルを叩き込む。感染蝶の頭部に青白い閃光が瞬き、一瞬で貫いた。感染蝶の外皮は見た目よりも固いが、ドレッドノートには及ばず。射出された金属杭は外皮を打ち貫き、更に内部に深く腕を突っ込む。白が視界一杯に噴き出し、顔や腕を一色に染め上げる。突きこんだ腕を更に深く、押し込む。右腕全てを感染蝶に突き入れるようにして、その肉を穿った。流石に頭部を穿たれたのは効いたのか、その巨躯がぐらりと揺らぐ。しかし、これで終わらせるつもりはない。

 

「冥土の土産に、くれてやる……ッ!」

『右腕部排除――警告、接続者の右腕部接続の解除が行われていません、接続者は直ちに――緊急排除コマンド確認、衝撃に備えて下さい』

 

 セブンはウィンドを開き強制コマンドを実行、己の右腕ごとASの腕部を排除させる。固定していたボルトが弾け飛び、肩口からASの腕部が切り離される。無論、そんな事をすれば接続者の体も道連れだ。その場に置き去りにする形で千切れるセブンの右腕、ぶちっと繊維の引き裂かれる音、強化骨格が引き抜かれる音が響き、その断面から人工血液が噴き出し感染蝶の白と混ざり合った。埋め込んだ右腕を眺めながらセブンは笑う。

 

『右腕部兵装、出力限界値突破――自壊処理』

 

 突き入れた兵装はセブンのAS管理下より切り離され内部エネルギーを暴走させる。本来これは自身の兵装が意図しない誘爆を起こさないよう、投棄と同時に自壊させる為のシステムである。それをセブンは即興の爆弾として利用した。感染蝶の中に突き入れたプラズマ・パイルが指令を受け爆散、炸裂。セブンのASを押し出すような爆発が起こり、感染蝶の頭部が大きく抉れ、弾け飛んだ。四方に白血を撒き散らしながら痙攣する巨影、見れば羽搏きは止まり。その姿勢が崩れ、極光が空へと逸れていく。

 同時に刑部のGSが停止、重力の渦は消え去り感染蝶の亡骸と共に海へと落下するセブン。このまま海面に叩きつけられるか――セブンがそう覚悟を決めた瞬間、感染蝶の亡骸を蹴飛ばし機体を掴んだ影があった。はっと、セブンは背後を見る。

 

「……天音」

「ッ、無茶をしますね、セブンさん……!」

 

 背後には、セブンの機体を掴んだまま浮遊するセブンのASがあった。飛行型ではないASに長時間の飛行能力は備わっていない。天音はセブンを回収し急ぎウォーターフロント外郭甲板へと降り立った。セブンは地面に足が着くや否やその場に崩れ落ち、千切れた右腕を庇う様にして顔を歪ませる。痛覚は切っていた、しかし腕が無くなるというこの違和感ばかりはどうにもし難い。

 感染蝶が海に落ちて行く――その様を見て、内心で安堵するセブン。

 

『VDS停止、GS射出力場生成装置停止、ライン減圧開始、緊急冷却――』

「ぐッ」

 

 同時に刑部の機体がアナウンスを流す。GSに続きVDSも停止し、緊急冷却措置が開始される。大量の脂汗を流し、ぐったりと上体を倒す刑部。

 

「刑部さん!」

 

 倒れそうになった体を咄嗟にナインが支えた。刑部の体は発熱し、異様な熱を持っている。彼の機体は蒸気を吹き出し、脊椎接続に至っては周囲の景色が歪んで見える程の排熱。ナインはそんな状態の彼を見てくしゃりと表情を歪めた。

 

「すみません、守るなんて言って、結局貴方にこの兵装を――!」

「良いんだ、これしか、なかった……それに」

 

 刑部は息も絶え絶えに呟き、自身の装甲に包まれた顔面を指先で叩く。

 

「鼻血だけで、済んだ……僥倖だ、俺は皆に守られたよ」

 

 ナインはその言葉に何と返せば良いのか分からなかった。中途半端に表情が固まり、泣き笑いのような顔を浮かべてしまう。

 

「俺の事より――」

 

 刑部は前に目を向け、指差した。赤く発熱した盾を投げ捨て、へたり込む依織。彼女は荒く肩を上下させながら何度も半ば溶けかけた両手の指を閉じては開いてを繰り返していた。痛覚が鈍い、甲鉄を溶かし皮膚に張り付いているのか、余り考えたくはなかった。

 

「依織、無事か?」

 

 天音に支えられ、辛うじて立ち上がったセブンが問いかける。依織は煤けた両手を暫く眺め、それから手を握り締め笑って答えた。

 

「えぇ、お陰様で……貴女もその腕、大丈夫なの?」

「問題ない、痛覚は切ってある、それに右腕一本であの感染蝶を堕としたんだ、表彰ものだろう?」

 

 応えるように笑うセブン、そして不意に周囲から音が遠ざかっている事に気付いた、見れば周囲を埋め尽くしていた感染体が次々と退いて行く。全員がその光景を見つめ、呟く。

 

「感染体が、退いていく」

「終わったのか」

「取り敢えずは……ね」

 

 セブンの言葉に依織は答え、重い溜息を吐き出した。ウォーターフロント中に鳴り響いていた砲火がゆっくりと形を潜める。終戦――エイハブこそ逃がしたが、ドレットノートに感染蝶の撃破。小隊の戦果としては十二分過ぎる。消えていく感染体に追撃の砲撃が放たれるが数は少ない、追い込むだけの戦力と気力が此処には残っていないのだ。ナインは刑部の腕を掴み、口を開く。

 

「それより早く刑部さんをメディカルセンターに、それと依織さんも……セブンさんはメンテナンスルームですよ」

「私は大丈夫よ、別段、熱かっただけだし――」

「何を言っているのですか、少なくとも感染蝶が出たのです、甲板に出た人間は一度検査を受けるべきです」

「……御尤も」

 

 依織は肩を竦め、ゆっくりと立ち上がる。感染蝶の鱗粉を内部に持ち込む訳にはいかない、少なくとも甲板に出たASは徹底洗浄しなければならないだろう。見れば既に複数の洗浄BOTがゲート付近に駆り出されている。甲板上には味方の死骸に感染体の死骸、機械の残骸、酷い物だ。依織はそれらから目を逸らし、指先から伝わる鈍い痛みに顔を顰める。

 

「天音さんも、依織さんと一緒に中へ……それと、刑部さんを頼めますか? 私はセブンさんをメンテナンスルームに」

「え、あぁ、うん」

 

 天音はナインの言葉に従い刑部の傍に駆け寄ると、ナインは入れ替わる形でセブンの肩を支えた。

 

「刑部君、大丈夫?」

「あぁ……前に比べれば、全然」

 

 天音に支えられた刑部はそう強がりを口にする。前に比べればなどと言うが、その前回は全身から血を吹き出しての昏倒である。比較出来たものではない。ナインはセブンの消失した腕に目を向け、目を細める。

 

「……随分と、無茶をしましたね」

「必要な無茶さ、それに刑部を――皆を守れるなら、無茶のひとつやふたつするとも、高々腕一本、安いものだ」

 

 そう言って笑みさえ浮かべるセブン。本心なのだろう、彼女からは後悔や悲壮という感情が全く伝わってこない。ナインはそんな彼女を見て、その覚悟に敬意を抱いた。同時に悲しい、とも思う。

 自分達は機械人形である、手足の代わりなど部品が在れば幾らでも替えが利く。故に切り捨てる事に躊躇いなどない――そんな筈、ないだろう。

 心ある彼女達は人間以上に己の体に固執する。特に、機械人形の真実を知った者ならば尚更。確かに己の体は機械である、腕の一本、足の一本、消失した所で組み換えれば良い話、それは確かだ。しかし、己の腕を、足を、眼球を、臓器を、組み替える毎に不安になる。

 その手足を付けた私は、私か?

 初期素体で生産された己が『己』であるのならば新しい手足、新しい臓器、新しい目、鼻、口、耳を付けた己は本当に『己』であると言えるのだろうか。そんな漠然とした不安を抱くのだ。人間ならば遺伝子が、DNAが己を証明するだろう。しかし機械人形にそんなものは存在しない、生まれた時と全く異なるパーツを身に着け、内側の機構さえ組み替えられた自分をどうして自分と断じる事が出来ようか。

 だからこそ彼女たちは『己』に固執し、アイデンティティを求める。自分を自分たらしめる【何か】を欲している。確か人間は――それを心と呼んだか。

 

「それに……結局刑部には、VDSを使わせてしまった」

「……使用時間は長かったですが、対象は感染蝶単体に範囲も広くありませんでした、本人も前回ほどの負荷ではなかったと言っていました」

「それでも」

 

 ナインの言葉を切り、セブンは唸るような声で告げる。

 

「使わせてしまった事を、私は悔いているよ……」

「………そう、ですね」

 

 悲痛な表情であった、それはセブンも、ナインも。ややあって、ナインは視界を切る。慌ただしく周囲を駆けて行く仲間を見つめながら、口を開いた。

 

「でも」

 

 セブンを掴む手に力を籠め、ゆっくりと一歩を踏み出した。

 

「今は、生き延びた事を喜びましょう」

 

 





二分割しようと思いましたがどこで切れば良いのか分からないのでそのまま投稿しました。
ストックが切れたので暫く書き溜めします。


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33話

 

「回収機回して! 四番から十一番まで全部使うから! 後そこの無人機邪魔っ、誰こんな所に止めたの!?」

「タンカ! タンカ持ってきて、早くッ! 出血が酷いからっ、それと洗浄機!」

「人形は後回しにしろ! 先に人間だッ、搬送急げ!」

「落水した連中の引き上げ早く! バックスで手が空いている奴は第四甲板に!」

 

 ASを降りたセブンとナインの二人は肩を寄せ合い歩く。片腕を失ったセブンは覚束ない足取りで、それを補助する様にナインは歩調を合わせた。左右を慌ただしくバックスが駆けて行く、洗浄を受けやや水気の多い肌に触れながらセブンは告げる。

 

「忙しないな」

「仕方ありません、感染体が退いたとはいえ次いつ来るかも分かりませんから」

 

 周囲を見渡すセブンはハンガーに並び立つASに目を止め、寂しそうな色を表情に乗せた。視線を追えば其処には薄汚れ、破損したASが釣り下がっている。しかし同じように伽藍洞のハンガーも目立った。未帰還者――撃墜、或いは破棄されたASの居場所だった。

 

「ASも、減りましたね」

「内部侵攻を防いだだけでも、儲けものだ――だが、次は恐らく」

 

 言葉を途中で切り、セブンは沈痛な面持ちで俯く。並んだASは全体の三分の一程が欠けていた。今回の戦いでウォーターフロントは保有する戦力の三分の一を削られた。感染蝶を堕とせたのは確かに大きな戦果だ。しかしこの損失、次の戦いでは更に苦戦を強いられるのは目に見えている。

 

「次は、次こそは、刑部にアレを使わせず……ぐぅッ」

 

 セブンが不意に呻き、体を丸めた。痛覚を切っているのに痛みが走ったのだ、恐らく損傷によって痛覚遮断機能が上手く働いていない。ナインはそんな彼女の腕を掴み、肩に回して引き起こす。

 

「メンテナンスルームに行きましょう、今は修復に専念を、まずは腕を直してからでしょう」

「あぁ……そうだな」

 

 素直に頷き、顔を顰めながら歩き出すセブン。しかし、その進行方向より見知った顔が駆けてくるのが見え、二人の足が止まった。人影は忙しなく駆けまわるバックスの間を縫い、二人を見つけやや驚いた表情を見せる。

 

「! セブン」

「……源か」

 

 見知った顔は源であった。彼女は二人を見た後、セブンの消失した腕に視線を移し、その眼を細めた。

 

「その腕……やられたのか」

「あぁ、感染蝶にぶっ刺してやった」

 

 痛みを噛み殺し虚勢を張って笑い告げる、この程度何でもないと。強がりである事は明らかであったが、それ以上源が言及する事はなかった。彼女は二人の傍に目当ての人物が居ない事を認めると、やや焦燥した様子で問いかける。

 

「刑部は?」

「……VDSの反動で、今はメディカルセンターに」

「使ったのか……!」

 

 声は驚愕と、同時に怒りを孕んでいた。それは二人に対して放たれたものか、或いは自分自身に向けられたものか。その言葉に二人の表情が歪む。源は片手で顔を覆うと、強い後悔を滲ませながら絞り出すように言った。

 

「いや、同じウォーターフロントに居ながら駆けつけられなかったのはアタシも同じだ、テメェを責めはしねぇよ……だが、クソッ!」

「今回の使用は限定的で、負荷は軽いと本人が言っていた、何の慰めにもならないが、前回よりも余裕はある様に見えた」

「……そうか」

 

 セブンの言葉に源は数秒、深呼吸を繰り返し呼吸を落ち着ける。確かに何の慰めにもならない、事実ちっとも荒れ狂う感情は収まらない。強く唇を噛み締め二人を一瞥すると、踵を返した。

 

「アタシはメディカルセンターに行く」

「あぁ――源」

 

 そのまま二人の元を離れ、メディカルセンターへと足を速める彼女の背中にセブンは声を掛ける。人の行きかう喧騒の中でも、その声は源の元に届いた。足を止めた彼女は振り向かず、言葉の続きを待った。

 

「私個人としては、お前の事を好いていないが……気持ちは同じだと、信じて良いのだな?」

「………」

 

 ナインに肩を貸されたまま、セブンは真剣な面持ちで問いかける。それは彼女なりの『探り』であった。セブンという機械人形は源という機械人形を個人的に好いていない――だが、信頼という意味では逆だ。それは刑部という共通の守るべき存在を抱えているが故。彼女が真に刑部を想っている事は先ほどの表情からも良く分かる。だからこそ、今問わなければならないと思った。喧騒が周囲の音を攫い、源は答えない。ややあって彼女は僅かに肩を上下させると、肩越しに二人へ視線を投げ言った。

 

「アタシの行動理由は、ずっと前から変わっちゃいない、信じるのは勝手だ、アタシはアタシで勝手にやる……それだけだ」

 

 瞳からは何の感情も読み取れない、声色は平淡で抑揚がない。しかしその奥には煮え滾る様な信念が見え隠れしていた。源はそのまま振り返る事無く、今度こそ二人の前から去っていく。その背中を見つめながらナインは口を開いた。

 

「セブンさん」

「……近い内に、彼奴にも話す必要があるかもしれないな」

「それは」

「信頼できる味方ならば、増やした方が良い」

 

 誰が味方で誰が敵かも分からないこのウォーターフロントで、信頼出来る人物など片手の指か、多くとも両手の指で数え切れる程。ナインはセブンの言葉に反論せず、小さく頷くと彼女の腕を抱え直しゆっくりと歩き出した。

 

 

 ■

 

 

「ぐっ、痛ぅ」

 

 医療区画、メディカルセンター室内、白に塗れたその部屋で刑部は己の頭を抱えて唸る。途切れ途切れの意識を何とか保ち、洗浄を受けた後天音に抱えられこの部屋にやって来たのは僅か数分前。担当の医療人形は刑部の腕や頸にケーブルを刺し込み、負傷した部位を再生膜で覆って、後は部屋を出て行った。刑部の他にも今回の戦闘で負傷した人物がいるのだろう、そうでなくともメンテナンスルームに人手が欲しい筈だ。今回の戦闘でAS乗りである機械人形が大打撃を被ったのだから。

 

 刑部の方は幸い、体の方は重症ではない。其方は時間が解決してくれる、刑部は天音に頼み込み持ってきた貰った錠剤を口に含みながら笑った。鼻と目からは赤色が時折流れ落ちて止まらない、最初は一々拭っていたものの今は億劫でそのまま垂れ流していた。その為刑部の手元や衣服の一部は赤い染みが滲んでいる。

 視界もぼやけ、頭は焼けるようだ。

 

「……でも、前よりは良い」

 

 呟き、震える両手を柔く握っては開いてを繰り返す。気絶する程GSを使用した時の後遺症と比べれば可愛いものだ――それに今回は、何も摩擦していない。

 

 大丈夫、刑部は呟いた。頭の中に皆の名前を順次思い浮かべる、大丈夫だ、誰も忘れてなどいない。眠りにつかないのは恐ろしいからだ、今ここで意識を失って、次目覚めた時――何かの記憶を、誰かの顔を失っていると思うと恐ろしくて仕方がない。だから刑部は赤を垂れ流しながら震えた両手を何度も握りしめ、大丈夫と繰り返す。

 

「随分と無茶をしたな」

「! 先生」

 

 不意に声が響いた。大丈夫と呟き、自失していた刑部の耳に届いた声。はっと顔を上げ、扉に目を向ける。そこにはいつの間に入室していたのか、刑部が先生と慕う人物の姿があった。

 

「良い、楽にしろ」

 

 咄嗟に刑部は体を起こそうとするも、蓮華はそれを手と声で遮る。刑部は寝床に背を預けたまま、傍に立つ蓮華を見上げた。彼女の瞳から感情を読み取る事は出来ない。ただ蓮華は血を流し無数のケーブルと再生膜に覆われた刑部を見つめ、問うた。

 

「状態はどうだ」

「悪くはありません、出力を絞ったのが正解でした、常の四分の一以下の出力かつ、極狭い範囲での展開でしたから……鼻血を出す程度で済みましたよ」

 

 刑部はそう言ってへらりと笑い、それから自分が未だ血を流したままである事に気付き、慌てて口元を拭った。しかしそれは寧ろ赤を頬に広げる結果となり、刑部の左頬が血で汚れる。しかし本人はそれに気付かず、力なく笑い続ける。

 

「だから俺は無茶なんてしていませんよ」

「……お前の事ではない、小隊の連中の事だ」

 

 蓮華はそんな刑部を無機質な瞳で見つめ、溜息を吐き出す。

 

「皆の様子は、どうですか?」

「天音、依織共に大した怪我はない、草壁依織の方は両手に多少の火傷を負ったそうだが、まぁ命に関わる程ではない、感染蝶による変異の様子もなし、汚染値は基準以下だ」

「そうですか……良かった」

 

 刑部はそう言って胸を撫で下ろす。何度繰り返しても変わらない――蓮華は安堵する目前の男を見てそう内心で零す。自分より他人の心配か、それが妙に腹立たしく、蓮華は目線を逸らしながら言葉を続けた。

 

「セブンとナインと云ったか、機械人形の方も二日あれば素体修復も終わる、何なら今回の戦闘で機能停止した機械人形が掃いて捨てる程生まれたからな、補填用の素材には困らないだろうよ」

「吐いて捨てる程の余裕は、今の人類にありませんよ」

 

 蓮華の言葉に刑部は困ったような表情で言った。機械人形の欠損を補う為の素材、という意味であれば確かに困らないだろうが、そもそもの絶対数が不足しているのだ。補うべき機械人形が存在せず、その補間部品ばかりが溢れても仕方ない。完全破壊された機械人形の骸は再利用が出来る。しかし、だからと言って直ぐに機械人形が補填出来る訳ではないのだから。

 

「先生はFOBの方に?」

「あぁ、同じ時間帯に吾の居たFOB2にも襲撃があった」

「撃退は――」

「吾が居るのだぞ? 負ける筈があるまい」

「流石先生」

 

 胸を張る事無く、至極当然の事である様に蓮華は言う。その態度に刑部は微笑み、やはりこの人は強いなと思った。肉体的にも、精神的にも。

 

「でも、FOB2に襲撃があったという事は」

「無論、FOB3にも襲撃があった」

「……あそこの担当は惣流さん、でしたよね」

「そうだ」

 

 刑部の言葉に蓮華は頷く。基本的にVDSを搭載した四脚型ASは分散して配置される。そしてFOB2の防衛を担うのが蓮華であるとすれば、FOB3の防衛を担っていたのは惣流と呼ばれる人物であった。刑部は惣流と面識がある、少ないVDS搭載機だ、知らない筈がなかった。蓮華はじっと刑部の顔を見つめながら、何でもない事の様に告げた。

 

「彼奴は死んだよ」

 

 声は乾いていた――刑部は一瞬、息を詰まらせる。

 また一人、知人が死んだ。初めての事ではない、別段深い仲だった訳でもないが。顔を見知った相手が死ぬというのはどうにも、慣れる気がしない。

 

「そう……ですか」

「あぁ、出現した感染蝶とGSで相討つ形で」

 

 二人の間に沈黙が降りる。刑部の右目から血涙が流れた。それを指先で拭い、刑部は二度、三度、指先を握り締める。大丈夫だ、刑部はもう一度呟いた。

 

「……感染蝶が、FOB3にも?」

「そうだ、吾の防衛していたFOB2にも出現した、ウォーターフロントとFOB2、FOB3、同じ時間帯に、図ったかの様にな」

「あれが三体ですか、これでまだ本腰を挙げていないというのだから、堪らない」

 

 吐き捨てるように、或いは絞り出すように言う。肩を落とし、唇を噛んで俯く刑部の首筋を蓮華は見つめた。少し強く握りしめれば折れてしまいそうだと思った。肌の白に、血の赤が混じっている今は特に。人間は――弱い。それは精神的にも、肉体的にも。

 

「委員会からの連絡にあった感染体の大侵攻――【これの後】が本命、なんですよね」

「恐らくは、今回の戦闘は本格的な侵攻の前の前座……そして次の戦闘こそが貴様の使い処となる」

 

 冷酷な宣言だ、しかし淡々と刑部は頷いて見せる。先任が逝った、そして蓮華という最大戦力を温存する為にも人類の切るカードは限られている。今回のGSはやや変則的であったが、どうにかこうにか耐え凌いだ。ならば後一発程度、己の命を全て使い潰す覚悟であればどうにでもなる。

 

「今回の戦闘でVDSによるGS攻撃が感染蝶にも有効である事が分かった、彼奴には今の今まで碌に攻撃が通らなかったからな――吾々は感染蝶に対する切り札に近い、尤も、使い捨ての切り札……否、これでは切り札とは呼べんか、棄て札と言うべきだな」

 

 どこか自嘲気味に蓮華は言う。確かに、切り札というよりはいつ使えなくなるかも分からない棄て札に近いかもしれない。それは刑部もそうだし、より適正に優れた蓮華にも当て嵌る。一度撃つ毎に壊れる確率はより高まる、全力で放つならば尚更。ならばより効率よく、使い所を見極めなければならない。そして自分はその尖兵として挑むのだ。

 

「――多少予定に変更はあるが、敵の大侵攻に合わせウォーターフロントを中心に最大出力でGSを放つ、範囲、威力、索敵数、共に尋常な計算量ではない、恐らくニューロナノマシンは焼き切れるだろう、脳過負荷は免れまい――発射中に絶命する危険すらある、やれるか?」

 

 蓮華は血に塗れ、青白い顔で俯く刑部に告げる。緩やかに顔を上げ、彼は笑う。力ない笑みだった、しかし其処に悲壮や後悔はない。

 

「根性で耐えますよ、先生にそう教わった」

「―――」

 

 一瞬、蓮華の表情が歪んだ。ミシリと握りしめた手が軋みを上げる。脳裏に過るのは刑部が未だ右も左も分からなかった新米時代、ASでの戦闘はおろか機動すら覚束なかった頃の記憶。

 

「刑部、貴様は――」

 

 込み上げた激情を吐き出そうとして、寸で踏み留まる。刑部はどこか不思議そうな表情で蓮華を見上げていた。

 中途半端に紡がれた言葉、二度、三度、声を発する事無く蓮華の口が開閉する。彼女らしからぬ葛藤。己は何を言おうとした? 蓮華は自身に問いかける。今更、何を問いかけるというのだ。『こういう風』に刑部を導いたのは己だろう、そういう風に言い聞かせ、鍛え上げたのだ。それを理解して尚、何を問おうと云うのか。

 胸に込み上げる自己嫌悪の念。しかし、蓮華の口は吐息を漏らす。

 ややあって、彼女は絞り出すようにして問うた。

 

「逃げようと思ったことは、ないのか」

「……逃げる?」

 

 彼女らしからぬ問いかけだった。まさか蓮華からそんな言葉が出るとは思ってもおらず、刑部は面食らう。蓮華という人物が『逃げる』という言葉を口にするなど、数分前の刑部に言っても信じなかっただろう。一度口にしてしまえば後は容易い、蓮華は視線を横に逸らしながら捲し立てる様にして言った。

 

「貴様一人でも、或いは他所の誰かを連れても構わぬが、此処から脱柵し安穏に逃れるという選択肢はないのか」

「……難しい事を言いますね、先生」

 

 数秒考え、刑部は苦笑を零す。

 

「俺は元々、身を削って生きていた人間です、必要に迫られた訳でもなく、ただ誰かに必要とされるからと、それが安心できる唯一の方法だからと……触れていないと、不安なんです、何故自分が生まれて来たのかすら分からなくなる、この性質は多分、死んだくらいでは治りません」

「……あぁ、良く知っているよ」

 

 暗に、逃げるつもりなどはないと――そういう事だ。その答えは予測出来た、そういう人間である事を知っていた。

 

「馬鹿な事を聞いた、忘れろ」

 

 口元を歪ませ、告げる。分かっていた事、なのに自分は何を今更。蓮華は顔を逸らしたまま、拳を軋ませた。

 

「そうだ、貴様は一度たりとも――」

「……先生?」

 

 刑部が彼女を呼ぶ。しかしそれに反応を返す事無く、蓮華は踵を返し扉の元へと足を進めた。足は鉛の様に重かった、それを引き摺って顔を見せぬまま呟く。

 

「反動が少なく済んだならば是非もない、次の感染体侵攻に備えて体を休めろ……良いな」

 

 

 ■

 

 

 ウォーターフロント襲撃から凡そ二日後の朝。未だ襲撃の痕が色濃く残り、厳戒態勢が維持されている中、休憩所に幾つかの人影があった。その人影はナイン、セブン、依織のものである。彼女達は常と異なる外行き用の私服に身を包み、顔を突き合わせている。突然セブンに呼び出され、仔細を聞いた彼女は訝し気な表情で問うた。

 

「本当に行くのですか? まだ警戒態勢は維持されていますし、今持ち場を離れるのは拙いのでは――」

「今だからこそだ、まだ小隊には補給期間が設けられているからな、合法的に内側に赴ける内に済ませておきたい、それに刑部のASの調整もあるし、多少時間にゆとりがあるのは今だけだ、また侵攻が探知され警戒態勢から防衛態勢に移った後では内側に行く暇がない」

 

 新しく装着した腕を確かめるように回し、セブンは云う。その言葉にナインは引き下がり、やや不満そうな表情で頷いた。

 

「……依織さんもご一緒に?」

「えぇ、私のASもまだ本調子じゃないから、そうでなくとも人間は色々と融通が利くの、今が攻め時よ、ナイン」

「はぁ、分かりました……お付き合いしますよ」

「悪いな、無茶をさせる」

「いえ、正直に言いますと、慣れました」

 

 どこか呆れた様子でそう告げるナイン。三人は笑い合って、静かに休憩所を後にした。内側へは基本的にモノレールを使用して向かう。ウォーターフロントは中央区、最終隔壁、内側(セーフゾーン)、第二隔壁、外側(アウトゾーン)、第一障壁、防衛基地、外郭甲板で構成されている。防衛基地から内側に直通で向かうには、第一隔壁、外側、第二隔壁を飛び越えなければならないので、外側と内側の各ブロックには専用のモノレールが用意されていた。防衛基地から許可があれば、基本的に誰でも利用できる。しかし、やや離れた場所にあるので少し歩く。ターミナルへ行くには、まず基地後方の検問所を抜ける必要があった。セブン、ナイン、依織の三名は設置された自動端末に許可証を翳し、それから顔をカメラに映す。ナインの分の許可証は既にセブンが都合していた。元々自分に拒否権などない事を知ったナインは辟易としたが、今に始まった事ではないので内心で溜息を吐くだけに留める。人通りの少ない検問所をパスし、基地を後にする。

 

 プラットフォームには、人が溢れていた。基地から少し歩き開けた空間に出る。高い天井に蛍光灯が並んでいる。昔を知る者がこの空間を見れば一昔前の国際空港の様だと言ったかもしれない。勿論、実際のそれと比べれば彩りは地味だし、電子掲示板や広告の類は驚くほど少ない、必要なものを必要な分だけ設置されたその場所は広さに反し酷く殺風景に見える。セブンは電子掲示板を見上げながら視線を右に左に揺らす、ややあってナインが掲示板の一つを指差し、「あれですね」と言った。

 内側行きの、最も早いモノレールだった。

 三人は発着場へと続くエスカレーターに乗りながら、周囲を見渡した。基地と比べるとやはり、人が多い。基地の人間以外にも、外側や内側の人間が出入りしているからだろう。基地では珍しい生身の人間も此処にくるとちらほらと目にする事が出来た。

 

「そう言えば内側はナインの古巣か」

 

 エスカレーターの肘掛に身を預けながら、セブンが言った。前に立っていたナインが振り返り答える。

 

「別段、私だけだとは思いませんが……依織さんも元々内側の出身では? 刑部さんもそうですし」

「えぇ、私もAS乗りをやる前は、内側に居たわ」

「そうだったのか、まぁ確かに依織は内側出身という感じがするな」

「セブンさんは余り内側に足を運んだ事がないので?」

「全くないという事はないのだが、如何せん機会がなくてな」

 

 同期の機械人形は度々通っている様だが、今では行く気にもならない。そんな時間があるのなら、刑部の傍に侍っていたい。そんな事を思い乍らセブンは答えた。ホームに到着すると丁度発車するタイミングだったようで、三人は慌てて駆け込み乗車。背後で扉の閉まる音を聞きながら、安堵の息を吐き出す。

 

「ふぅ、間に合った」

「もう少し、早く来れば良かったですね」

 

 ナインの言葉に頷きながら三人は比較的空いている車内を見渡した。椅子は壁に備え付けられた最低限の数のみ、そも機械人形は座る必要も無く、車内で座っている人間はいなかった。硝子越しに流れる風景を見つめ、セブンは呟く。

 

「……いつ見ても、物々しい景観だな」

 

 視線の先にはぐるりと街全体を囲むようにして障壁が張り巡らされている。此処から目に見えるのは第一防壁と呼ばれる防衛基地の背後に聳え立つ壁である。第二、最終障壁は敵の侵攻に合わせ展開され、街を区切り外敵の侵入を防ぐ。障壁はぶ厚く、まるで巨大なドームの様。上を見上げれば空模様が確認出来るものの、それが外のカメラによって撮影されたものをディスプレイ上で再現しただけの偽りの空である事を彼女は知っている。ナインはセブンの隣に立ち、その景色を眺めながら言った。

 

「万が一の時の障壁は必要です、それでも大型種がやってくればものの数秒で突破されてしまうのでしょうが」

「この障壁が機能する状況というのは、外郭甲板と防衛基地が抜かれた場合のみだから正直詰みね、そこから盛り返すだけの戦力は内側にないもの、一応気休め程度の自動砲台はあるけれど……BOTで処理できる数なんて知れているわ」

「守られているという心理的な安心感はあるだろうな、見えないというのは存外安心出来るものだ」

「っと、此処ですね、セブンさん」

「あぁ、降りるぞ」

 

 モノレールが目的地に到着し、幾人かの人に混じって三人はホームへと降りる。ホームからは直接階段が伸びており、そのまま検問所を抜け内側へと踏み込んだ。内側は基地と異なり人々の喧騒で溢れている。此処だけ見れば人口の減少など感じられない。道には幾つかの輸送車両と、空には配達ドローンが飛び交っていた。セブンは手元の端末を操作し、依織から共有されていたマップデータを表示し、翳す。

 

「此処から少し歩くな」

「向こうね、行きましょう」

 

 マップを参照し歩き始める三人。目的は指定された公衆端末へのアクセス。そしてそれは内側の中でもやや外側寄りの場所にある。比較的真新しく、清掃の行き届いた区域から歩いて十数分程。薄暗く、等間隔で設置された街灯のみが周囲を照らす区画へとやって来る。こんな所に端末があるのかと疑問に思い、再度マップを確認する。

 

「指定された場所はこの辺りだが……」

「あれじゃないかしら?」

 

 告げ、依織が指差す。その先には確かに、硝子に覆われたやや古い公衆端末が鎮座していた。四隅の塗装が剥がれ、地面と壁に一体化したソレは埃を被っている。余り使用される事がないのだろう。こんな路地裏、それも中央から離れた場所にあるのでは然もありなん。

 三人が近寄り、代表してセブンが端末にアクセスし操作した。

 

「確か番号は――貸金庫【B-34番】、暗証番号は【32897】だったな」

 

 呟き記憶していた番号を打ち込むと、暫くして駆動音と共に壁の搬出口から貸金庫が顔を覗かせた。貸金庫の大きさはほんの三十センチ四方、鍵の開く音と共に貸金庫のロックが解除される。セブンが背後の依織とナインに目線をやり静かに告げた。

 

「開けるぞ」

「……念の為、依織さんは下がっていて下さい」

「えぇ、分かったわ」

 

 ナインは後ろ手で依織を下がらせ、壁になる様にして立つ。万が一爆発物が入っていた場合、その熱波より彼女を守る為だった。ナインも最大限注意を払い、静かに貸金庫に手を掛ける。その重厚な見た目に反し貸金庫の扉は軽々と開いた。

 中に入っていたのは指先で摘まめる程の小さなメモリチップ。依織から聞いていた通りのもの、一応内壁や奥側に何らかの仕掛けがないか探ったが特にそれらしいものはなし。セブンはゆっくりと入っていたチップを取り出し、翳して見せた。

 

「……これが例の端末用のメモリチップか?」

 

 外見に可笑しいところはない。セブンは表裏を良く観察した後、手持ちの端末にチップを差し込もうとした。しかし、寸前でナインがその手を掴み苦言を呈す。

 

「迂闊に接続するのは危険です、セブンさん」

「大丈夫だ、コイツは使い捨ての端末だ、中にデータは入っていない」

 

 手持ちの揺らし、薄っすらと笑みを見せながらそう告げるセブン。まさかそんなモノを用意していたとは知らず、ナインはやや驚いた表情を浮かべながら言った。

 

「いつの間にそんな物を?」

「金は余っているしな、第一こんな回りくどいやり方をする相手だ、二重三重に足跡を辿る事になるとは思っていた、備えあれば憂いなし、だ」

 

 入っているのがメモリチップと聞いた時からセブンは万が一に備え、データの入っていない新品の端末を都合していた。無論、安くはなかったが必要な出費だ。下手に自身の端末に差し込みデータを抜き取られる、或いは破壊されるよりはマシだ。何の情報も入っていない端末ならば問題ないとナインが頷き、セブンは改めてチップを差し込む。するとチップの内部データを端末が読み込み、そのまま自動再生機能が働いた。

 

「これは……位置情報に、電子鍵か?」

「集合住宅の一室ですね」

「これの持ち主の住んでいる場所かしら?」

「いや」

 

 依織の言葉をセブンは首を振って否定する。

 

「恐らく此処に直接通信出来る類の何かがあるのだろう、其処まで取りに来いという事だ」

「――罠の可能性もあります」

「否定はしない」

 

 しかし、だとしても唯一の手掛かりらしいものを捨てる選択肢は取れない。表示された位置情報を記憶し、セブンは踵を返し歩き出した。

 

「行くぞ、どちらにせよ行かないという選択肢はないのだ」

 

 



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