蒼海の魔狼 (夜魅夜魅)
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プロローグ

 星暦814年10月10日、北大海洋上

 

 

 陸一つ見当たらない大海原、無数の宝石のように煌めく満天の星空の下、水上航行する一隻の潜水艦がいた。ノーデンフェルト皇国海軍所属のフレイヤ級潜水艦第六番艦ジグムント、昨年配備されたばかりの新型艦である。そのセイルに見張りに混じって一人の女性将校が立っていた。新任のスティア・ノール准尉だった。銀髪碧眼の美貌の持ち主で軍服よりもドレスが似合う年頃だろう。

 

 軍隊は基本男性社会なので、女性兵の存在はまだまだ少ないが、近年自国を取り巻く国際情勢は悪化の一途を辿っており、人員の急拡大が行われていたのだった。特に女性兵は身体が小柄なので潜水艦に向いているとして積極的な公募が行われている。実際のところは深刻な兵員不足なので使えるなら女でも使いたいという軍部の意向だろう。スティア以外にも本艦には数人の女性兵が賄い担当や軍医として乗り込んでいた。

 

 

(綺麗な星空……。戦争しているなんて、忘れそうね)

 非番のスティアは息抜きに甲板に出ていたのだった。むろん脇には見張りをしている若い水兵達がいる。会釈をしただけで後は邪魔にならないように大人しくしていた。

 

 スティアの祖国――ノーデンフェルト皇国は隣国デルエステと戦争中である。我国の北部ツンドラ地帯に、デルエステ軍が突如として越境して侵略(武力進駐)したことにより開戦したのだった。スティアが所属する本艦は、デルエステ近海近くでの通商破壊作戦に従事していた。

 

「ノール准尉、艦長がお呼びです」

 ハッチから出てきた若い水兵が声を掛けてきた。

「わかったわ、すぐに行きます」

スティアは急いでハッチを降りて、狭い通路を潜り抜けて指令室に向かった。

 

 指令室内は小さな照明等だけが点いていて薄暗い。当番の士官以外は眠っているらしく艦長を含め数人しかいなかった。

「艦長、お呼びでしょう?」

スティアが艦長に声を掛けた。艦長と呼ばれた男は振り向く。高い背丈に鍛えられた肉体、端正な顔立ち、スティアと同じく帽子の下から銀髪が覗いている。

 

 目線を合わせた途端、スティアは少し恥ずかしくなった。それもそのはず、艦長、グリーサス・ノール大尉は自分の七歳年上の兄だった。平時ならば、親族で同じ部隊に配属される事はないが、戦争により軍は早急な人員拡大が要求されており、細かな配慮をしている余裕がないらしかった。むしろ人事部により新任の自分は意図的に兄の部隊に放り込まれた感すらあった。

 

「ノール准尉、これを頼む」

 スティアは兄から電報を渡される。数字と文字の組み合わせの乱文であり暗号化された電文は一見内容が分からない。スティアは実は計算が得意で、行列計算もある程度は暗算できるほどだった。暗号解読(デコード)暗号組立(エンコード)がスティアの役割だった。

 

「はい、お待ちください」

 スティアは指令室隅の固定机を借りて暗号の解読作業に取り掛かった。従来の換字式暗号に加えて行列演算を加えることでより強固な暗号としているのだった。むろん複雑な分、デコードには手間が掛かる。素早くデコードできるスティアはある意味、得難い人材と言えるのだった。

 

 

「艦長、解読完了しました」

「よし、持ってきてくれ」

 数分と掛からず行列式を解いた文章を兄に渡す。内容はわかっていたが、守秘義務があるのでスティアは余計な事は一切口にしない。直立不動のまま指示を待っていた。

 

 兄は副長や水雷長達上級将校を集めて新たに下された命令についてその実効性を議論していた。一番の問題は手持ちの武器(魚雷)が少ない事だった。

 

 出撃時、本艦には十六本の魚雷を積んでいた。二週間余りの哨戒および攻撃(サーチアンドデストロイ)により、大小の敵船五隻を撃沈破している。すべて商船、もしくは輸送艦であり、不意討ちの雷撃であるから戦闘というよりは狩りだった。魚雷の残りはまだあるようだが、そろそろ補給に戻ろうかというタイミングである。

 

「補給の為に母港に戻っている時間はありませんな。カラスの手配も時間的には厳しいかと……」

 カラスは友軍の弾薬補給船であり、待ち合わせ(ランデブー)をして洋上補給することで稼働率を上げてくれる有難い存在である。

「そうだ、手持ちの武器でやるしかない」

「一発必中が求められますな」

「そのとおりだ」

兄達幕僚は最初からやるつもりだった。

 

「航海長、航路計算を。ノール准尉は計算を手伝え」

「はい」

「それと計算が終わったら、返信を暗号化(デコード)してくれ」

 兄に命じられてスティアは動く。便利な人間計算機代わりにされている事に不満がないわけではなかった。

 

(ちょっとは褒めてくれてもいいのに……、お兄様)

 むろん、ここ(潜水艦)は仕事場であり、私情を持ち込んではならないのは分かっていた。

 

 

「艦長より全乗組員へ。これから帰投の予定だったが、本艦は艦隊司令部から仕事を命じられた。休暇を期待していた諸君には申し訳ないが、この仕事を済ませれば多少なりとも褒賞が出るだろう」

 兄は艦内放送で任務内容を明かした。

 

「その仕事の内容だが、南方の例の中立国からデルエステ北部方面に向かう艦がいる。そいつは巡洋艦クラスとの事だが、独航艦であり重要な荷物を積んでいるらしい。これを必ず沈めろとの事だ」

 兄は全乗組員に向けてマイクで任務内容を説明した。南方の例の中立国とは、建前上は中立国だがデルエステをあからさまに支援しているフェルレーア連邦王国のことである。フェルレーアはいずれ敵側として参戦してくるのは確実だろうが、現時点は戦火を交えていない。

 

 

 デルエステ側とて我ノーデンフェルト軍が通商破壊作戦として各海域に潜水艦を送り込んでいるのを知らないわけではない。それでも一隻のみで単独行動する敵巡洋艦、平時ならともかくそれだけで怪しさが満点である。何を搭載しているのかはスティアはむろん兄も知らないだろう。それでも我が軍にとっては絶対に沈めければならない対象なのだろう。

 

「進路転進、これより作戦海域に向かう」

 兄の号令とともに本艦は大きく舵を切った。艦は傾き、スティアは手すりに捕まって転倒を避ける。

(どうか、無事に任務を達成できますように……)

いままで相手にしていた商船や輸送船団とは違う相手なのだ。どういう戦いになるのかわからない。それでも兄と共に戦えることは、スティアにとっては何よりの喜びだった。

 

 

 

 

 

 我が国【ノーデンフェルト】皇国はズヒャルデン大陸の中央に位置し、西側の隣国【シアーハン】、東側の隣国【デルエステ】が存在し、古来から交通の要所として栄えてきた。大陸の南にはリュビ内海があり、対岸にはオクゼーラ大陸があり、その過半を領有するのが【フェルレーア】連邦王国と【ガンベッタ】である。中でもフェルレーアはこの世界最大の大国であり、世界各地に領土を持ち、経済力を背景に強大な海軍を保持していた。それ以外にも列強に名を連ねる強国として【シラス】国が存在する。かの国は大陸から数千キロ離れた東の大海洋に浮かぶ島国で、外洋が外敵から守る防壁となっているだろう。

 

 

【挿絵表示】

 

 ①ヤッハルケン(皇国首都)

 ②軍港ペンタキ (スティア達の母港)

 ③北部戦線主戦場 (デルエステ侵攻)

 ④イ・コン (皇太子夫妻暗殺事件の地)

 ⑤モルターニャ(デルエステ首都)

 ⑥ソラリス(フェルレーア首都)

 

 

 近年、急速に進歩を遂げる機械工業を他国に先駆けて導入した我がノーデンフェルトは、豊富な鉱物資源と近代化工業により国力を増していた。これには北方の広大なツンドラ地帯に眠る鉱物資源が寄与していた。大陸縦断鉄道を敷き、ツンドラ地帯から鉱物資源を大量輸送する事で発展の好循環が回り始めていたのだ。

 

 これを快く思わないのが、とりわけ隣国デルエステだった。溯る事70年。我が国の属国だったデルエステは、ツンドラ地帯の領有権を我が国に譲渡する条件で独立を果たしている。その条約には締結以前の一切の請求権を互いに最終かつ不可逆的に放棄する条項も盛り込まれている。これは当時デルエステにあった我が国の資産やインフラ(鉄道・橋・道路・ダム・学校・工場などの各施設)を無償譲渡するに等しく、デルエステからみれば非常に有利な条約だったはずだ。

 

 一方で放棄したツンドラ地帯は無人の荒野でその頃は資源もなく価値が低いと見られていたからである。ところが近年の採掘技術の向上によりツンドラ地帯は低価値どころか資源の宝庫である事がわかったのだ。

 

 もともと反皇国感情の強いデルエステの世論は不満が噴出し、ツンドラ地帯奪還が叫ばれるようになる。デルエステは軽工業では発展していたものの、機械工業化に遅れを取り、長らくの不況も追い討ちを掛けていた。デルエステ政府自らの失策を隠す目的で、安直な隣国敵視政策に採ったのだろう。

 

 そして5年前、デルエステ政府は70年前の条約の無効を訴えて、国際会議を提唱したのだった。それに同調したのが大国フェルレーアである。フェルレーアの狙いは急速に国力を増す我が国を苦境に陥らせ、対抗馬(ライバル)を叩く事にあるだろう。フェルレーアはデルエステに莫大な額の債権を持っており、仮にツンドラ地帯がデルエステの物になれば、自動的にフェルレーアに採掘権が渡る仕掛けのようだった。

 

 我が国の周囲の国々に対してもフェルレーアは次々と工作した模様で、西のシアーハン、東のレアンツァもデルエステに同調するとは言わないまでも好意的なあり様だった。フェアレーアに靡く国が多い中で、唯一、大陸から遠く離れたシラス国は、法の遡及の問題点を指摘したのだった。

 

「条約の無効を訴えるなら、当然条約によって得た利益も返還すべきだろう。ノーデンフェイルトは貴国(デルエステ)の独立の際、多額の資産を放棄している。その請求権も全て復活する事になるが、如何に?」

「当時はツンドラ地帯が資源の宝庫とは知らなかったのだ。知っていればあのような条件で条約を結んでいたかは怪しい。これは正当な権利だ」

「それも含めて両国間のもめ事を解決する為に、『最終的かつ不可逆的に』の文言を入れた条約を結んだのではないのか? 貴国の方がこの文言を入れるよう提案したとの議事録も残っている」

 

 結局、国際会議が纏まるわけがなく、決裂に終わった。我が国としては因縁を付けられた手前、引けるわけがなかった。

 

 国際会議の翌月にはデルエステはツンドラ地帯近くの国境付近で陸軍部隊による大規模な軍事演習を開始、この軍事演習には少数とはいえシアーハン軍やフェルレーア軍の部隊が加わっていた事から、軍事的威圧があからさまだった。そして大陸各国は大規模な軍拡を発表し、一触触発の事態となっていく。

 

 

 こうした中、軍部や産業界とは違って融和的な文民と王族の一部が、友好的な話し合いを模索して皇太子をデルエステに派遣したのだった。しかし、そこで悲劇が訪れた。

 

 皇太子の乗った車はデスエステの中央北部カーライ湖畔で爆破されてしまったのだ。皇太子は重傷、皇太子妃は死亡、その他従卒以下二十名あまりが犠牲になるという痛ましい事件だった。

 

 無政府主義者(アナーキスト)と思われる一味が起こした犯行と思われるが、捜査に非協力的なデスエステ側に対して、我が国ノーデンフェルト軍は政府には事後承認の形でテロ殲滅と王族救出を名目に部隊を派遣。内政干渉と反発したデルエステは共同軍事演習で同国に派遣されていたフェルレーア軍部隊と共に軍隊を出動したのだった。デスエステ北部の町イ・コンで両軍が武力衝突することになった。イ・コン事変である。

 

 イ・コン事変以来、我が国国内では軍部が力を増した。ジムゾ・フェラー国防軍総司令官は宥和政策を取ろうとした文民一派に対してイ・コン事変の責任を追及する。国家の弱体は政府基盤に問題があるとして、ジムゾ・フェラーは軍政を敷く事を宣言、流血には至らなかったものの事実上の軍によるクーデターだった。ジムゾ・フェラーは軍最高司令の地位はそのままに皇国宰相を兼任し、総統職に就く事となったのだった。

 

 フェラー総統の就任からさほど日を置かずに、デルエステは期限付きでツンドラ地帯からの我が軍の一方的な撤兵を要求。当然ながら要求を蹴った我が国に対し、期限が過ぎるとデルエステ軍は大挙として越境し、侵攻(デルエステ側視点では自国領内への進駐)を開始する。これに対してフェラー総統は皇国全軍に断固たる反撃を命令、大戦が始まったのだった。

 




【登場人物】
スティア・ノール准尉
 銀髪碧眼、新任将校。喜怒享楽の表現が苦手。計算(暗算)が得意。主人公。年齢は二十歳前後。

グリーサス・ノール大尉
 スティアの兄、七歳年上。潜水艦ジグムントの艦長。若くして艦長に任命されただけあって非常に優秀な軍人。

ジムゾ・フェラー総統
 現ノーデンフェルト皇国の指導者。陸軍出身で杖を手にしているほどの高齢だが軍部に強い影響力を持つ。


【登場国家】
ノーデンフェルト皇国 …… 周辺国から敵視されまくりです。(幼女戦記でいう祖国ライヒ)。

デルエステ …… ノーデンフェルトの隣国。難癖つけてきやがりました。(幼女戦記でいう協商連合or共和国)

フェルレーア連邦王国 …… デルエステを裏で糸を引く敵国。強大な海軍を持つ大国です。(幼女戦記でいう連合王国+)



【あとがき】
フェルレーアは『進撃のワレキューレ』にも登場した国家ですが、あちらと違って本小説では敵国として登場します。開戦一年目ではまだ参戦していません。この『蒼海の皇女』はわたしの好きなゲームでもあります。プレイしたのはかなり前ですが(^^;)

ノール兄妹も原作の登場人物なのでオリキャラではありません。スティアが原作に登場する潜水艦ウルディアーナに乗艦する以前のお話になります。

ノーデンフェイルト皇国を巡る国際情勢は原作とほぼ同じですが、一部改変しています。開戦当初、強大な敵国フェルレーアはまだ参戦していないものとしています。

※換字式暗号 …… 一文字を別の文字に置き換える比較的単純な暗号のことです。


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