ロクでなし魔術師たちの奇妙な冒険 (焼き餃子・改)
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第一章 「非常勤講師と始まる物語」(原作一巻)
第一話 「それは『奇妙』な始まり」


「えっと……あったあった、忘れるところだった」

 

 大きな鏡に映っているのは銀色の長髪、なかなかの長身で細身だが筋肉質、そして―――魔術名門校、アルザーノ魔術学院の制服に身を包んでいる少年だ。

 少年は机の上に置かれていた『鉄球』を、普通学生が使うはずもないだろうホルスターに入れ、制服をパシパシ叩いて、どこか不格好なところがないか探っていた。

 しばらくして大丈夫だと判断したのか、少し古びた扉から外に出ようとしたところで後ろから声がかかった。

 振り返ると、そこにはベッドに横たわった少女の姿があった。少年と同じ銀色の長髪で、少しやつれてはいるが、明るい表情で少年に笑いかけており、

 

「レン兄さん、いってらっしゃい」

「あぁ、行ってくる」

 

 そう言って、少年―――『ジョレン=ジョースター』は家を出た。

 向かう先は、アルザーノ帝国魔術学院――――――

 

 

***

 

 ジョレンがアルザーノ帝国魔術学院に向かう道すがら、天幕の下に出来た日陰の椅子に腰かけている老人と、それに向かうようにして膝をついている少女がいた。

 同じようにアルザーノ帝国魔術学院の制服に身を包んだ、短い金髪の少女の名は『ルミア=ティンジェル』という。そして、ジョレンが見ている中でルミアがこっそりとした様子で言葉を紡いだ。

 

「《天使の施しあれ》」

 

 被術者の自己治癒能力を上げて傷を癒す―――白魔【ライフ・アップ】の呪文だ。ルミアの手から広がる癒しの光が、老人の手を包み込んでいく。どうやら指を切っていたようで、その傷が光によってみるみるうちに塞がれていった。

 

「本当は学院の外で魔術を使っちゃいけないので……内緒にしておいてくださいね?」

「聞こえてるぞ」

「えっ!? レン君!?」

 

 ジョレンが声を呆れたように声をかけると、驚いたように振り向くルミア。そしてばつが悪そうに苦笑いして

 

「あはは……えっと、これは―――」

「なんか聞こえたが、見えなかった。多分、聞き間違いだったな」

 

 そう言って、わざとらしく目を逸らすジョレンに、ルミアは驚いたように目を丸めて

 

「……ありがとうね」

 

 感謝の言葉を述べられたジョレンは、何のことやら、と言った様子で肩を竦めた。

 すると、その後ろから声が響いた。

 

「ルミアー!」

 

 ジョレンと同じような長い銀髪をはためかせながら走ってくる少女は、『システィーナ=フィーベル』。成績優秀でルミアの親友だ。

 

「あ……では、ごきげんよう」

「魔術の勉強、頑張ってな。そこの子も」

「えっと、はい、さよなら」

 

 老人と別れた二人にシスティーナがすぐ駆け寄ってきて、そのまま流れで一緒に学院に行くことになった。

 ルミアもシスティーナも学院では同じクラスで、魔術の勉強をしている仲だ。それなりに仲が良く、それなりの関係。嫌われているわけでも、嫌っているわけでもない。そこそこ話はするが、積極的に話しに行く程でもない、そんな感じだった。

 だが、こうやって登校途中に会うというのは珍しかった。

 

「珍しいな、いつもは俺より先に学院にいるはずなのに」

「ちょっと忘れ物しちゃってね」

「それも珍しい……なんか気がかりでもあったか?」

「まぁ……ヒューイ先生が急にやめちゃったからかな」

 

 そう言ってシスティーナは不安そうな表情をかき消すように、肩にかかった髪を下ろすようにした。

 ヒューイ先生とはジョレンたちのクラスの担任だった先生だったが、この前急に講師をやめてしまったらしい。理由は不明で、授業の評判もよかったために、それを惜しむ声も多かった。目の前のシスティーナのように。

 そして不安の種になるとしたら―――

 

「非常勤講師か」

 

 その後釜としてやってくる非常勤講師。つまりは穴埋めというわけだが、どんな先生が来るのだろうか、という期待と不安。クラスの皆が、今それを抱えている状況だった。

 

「ヒューイ先生ぐらいに熱心な方だったらいいんだけど……」

「まぁまぁ、そんなに気にしてばかりじゃなくてもいいんじゃないかな?仲良くやっていけたらいいな、とは思うけど……」

 

 二人が非常勤講師について、思い思いの事を喋っている。

 ヒューイ先生のような熱心な先生だったらいいとか、仲良く触れ合える先生だとか、確かにそういった先生が望ましいだろう。

 しかし、ジョレンは二人とはまた別の理想像を描いていて―――

 

「だぁぁぁぁぁ―――! 遅刻遅刻遅刻ぅぅぅ―――ッ!」

「「「え!?」」」

「邪魔だ、ガキどもぉ―――ッ!」

 

 そんな思考と会話を遮る悲鳴のような一声と共に、男が鬼気迫る表情でこちらに向かって走りこんでくる。

 それに恐怖の念を抱いたのか、システィーナが咄嗟に左手を構え―――

 

「《大いなる風よ》―――!」

「あぎゃああぁぁぁ――――――!?」

 

 まくし立てた呪文と共に放たれた風の黒魔【ゲイル・ブロウ】によって、男の身体は天高く打ち上げられ―――

 

「ああぁぁぁ―――!?」

 

 バッシャーン!とド派手な音を立てながら、広場の噴水に見事に落下していた。

 

「なんだったんだ、あの人……」

「え、えっと……でもどうしよう……魔術使っちゃった」

「謝った方がいいんじゃ……」

 

 三人が突発的に起こった間抜けな惨事にあーだこーだ話し合っていると、また派手な音と水しぶきを立てて、無駄にかっこつけたポーズを取りながら男が立ち上がった。

 

「ふぅー……ケガはないかい、お嬢さんがた? と男一人」

「すっごい、おまけ扱い」

 

 男の遠慮ない言い草にムカッとしながらも、ジョレンは男を見る。

 尻尾髪が特徴の、そこそこ高身長で筋肉質な男だ。年齢の差の分だけジョレンよりも背が高いように見える。

 

「あの……すみませんでした。咄嗟の事で……」

「私からもお詫びします」

 

 そうしているうちに、システィーナとルミアが頭を下げた。完全に遅れたジョレンがつられて下げようかというところで―――

 

「まぁ、そうだなぁ!俺はこれっぽっちも悪くねーけど、そこまで謝れちゃったら、しょ~~~~がないから、許してやってもいいかなぁ!?」

 

 このドうざいムーヴでジョレンの中の謝罪の気持ちは一欠片も残られず粉砕されてしまった。

 すると言い終わって間もなく、男の視線がルミアに向き、目にもとまらぬ速さでルミアを超間近でガン見し始め

 

「えっと……何か……?」

 

 動揺の中、出た言葉も無視して、色んなところを触ったり、覗いたりのハレンチ行為を働きまくる男。

 あまりにも慣れてそうな素早い手つきに、ジョレンとシスティーナが唖然としていた。

 

「ふーむ、気のせい……ん?」

 

 そして一通りチェックし終わった瞬間、不意に男の視線がジョレンがつけていたモノに向けられ―――

 

「え?」

「はッ」

 

―――た瞬間、システィーナが我に返り

 

「何やってるんですか―――ッ!?」

「ああぁぁぁ――――――!?」

 

 鉄球に手を伸ばそうとしていたジョレンよりも早く、【ゲイル・ブロウ】をぶっ放して、さっきの再現を行っていた。

 

「女性に無遠慮に触るなんて最低! レン、行くわよ!」

「お、おう……」

 

 完全に怒り心頭なシスティーナがルミアを引っ張っていく後ろでジョレンが苦笑いでついていく。

 また噴水に頭から突っ込んだ男を気にしながら。

 

***

 

 ジョレンはシスティーナの機嫌が直ってほしいと、地味に思っていた。それは割と席が近いから威圧感がこっちまで届く……ということなのだが。

 残念ながら、学院に着いた後、システィーナの機嫌は更に悪くなることとなった。

 

「遅いわ」

 

 授業時間が半分以上も過ぎた教室に教師の姿が見当たらない。

 完全に遅刻。それもとんでもなく非常識なほど遅い。

 成績も行いも優等生なシスティーナはそれがどうにも気に入らないらしい。ずっと額に青筋を立てて、何も書かれていない黒板を睨んでいた。

 その隣のルミアはそんなシスティーナを宥めようとしているが、焼け石に水だった。

 

「こうなったら生徒を代表して一言文句を―――」

 

 そんなジョレン的にはめんどくさくなりそうだからやめて欲しいと思うことをシスティーナが口走った直後、生徒全員が待ちわびていた人物が教室の扉を開いた。

 

「あ」

「「「あ」」」

 

 そう、さっき登校中のトラブルの元凶だった、その男が。

 

***

 

 これが俺が経験した、ある意味『奇妙』な出会い。

 ここから全てが始まったような気もするし、前々から始まっていたような気もする。

 立ち止まって、変わらなかった景色が、一歩踏み出して変わった気がしたんだ。そしてそれは俺だけじゃなくて、それに関わった皆が。

 今はまだ、最後にどうなるかは分からないけれど。

 これは『生長』の物語。そうであることを願う。



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第二話 「不真面目講師に『疑惑』の視線」

 本当に最悪の空気の中、現れた噴水飛び込みの男にシスティーナが思わず立ち上がり―――

 

「あ、貴方は―――」

「いや、人違いです」

「は!? ひ、人違いなわけないでしょ!?」

「いや、人違いですー」

 

 入ってきた男に対して、速攻で食ってかかるシスティーナだったが、全く相手にされていない。

 ジョレンもルミアも驚愕に目を剥いている。

 そんななか、男はマイペースにも自己紹介を始めた。

 

「えー、今回、非常勤講師となり、このクラスを受け持つことになった『グレン=レーダス』と言います。これから一か月間、皆様の勉学のお手伝いをさせていただきます」

 

 そんな様子のグレンと名乗った教師を見て、不服そうにしながらも再び席に着くシスティーナ。

 

「えっと、特技と趣味は―――」

「挨拶はいいので、早く授業を始めてもらえませんか?」

 

 若干、時間延ばしの意図も感じられる余分な自己紹介をシスティーナが切って捨てる。

 グレンも頭を掻きながらも、黒板に向かった。

 

「まぁ、そりゃそうだな……仕事だしな、と」

 

 そう言って、チョークを手に取り、黒板に大きく文字を書き始める。

 突如やってきた非常勤講師の初授業。大遅刻の後とはいえ、クラス全員がその様子に視線を向け、注目している。

 そんな中、ジョレンは別の場所で発せられた誰かの怒りの声を聞いた気がした。

 そしてたちまちグレンは黒板に文字を書き終わり―――

 

「今日の授業は自習にしまーす。眠いから」

 

 特大の『自習』の文字と共に教卓に突っ伏して寝息を立て始める、非常勤講師。

 最早クラス中が突然の理解不能な出来事を前に沈黙し、それをボケーッと見ている中、システィーナが勢いよく席を立ち―――

 

「ちょっと待てぇ!」

「あいてッ!?」

 

 次の瞬間には、全力投球で放られた教科書がグレンの頭に直撃していた。

 

***

 

「いて~」

 

 あの後、更にシスティーナからの怒りの鉄拳を喰らったグレンが書き綴っているのはよれよれの字による圧倒的にやる気のない授業の痕だ。

 

「んで、多分これがこんな感じになって―――」

「要領を得ない」

「はは……」

 

 システィーナの至極真っ当な意見にルミアは苦笑いで返すしかない。

 言葉による説明も分かりにくければ、解読不可能なよれよれの字から読み解くのはもっと分かりにくい始末。皆、一応はちゃんと先生の話に耳を傾けてはいるが、半分以上の人が既に呆れ果てている。

 そんな中、ジョレンの斜め後ろにいた大柄な男子生徒が話しかけてくる。名前は『カッシュ=ウィンガー』。

 

「こりゃダメだな……ジョレンはどう思う?」

「俺か……?俺は別に……」

 

 机に肘をつきながら、はぐらかすジョレン。

 本心は実は全然別だが、それをわざわざ言うこともない。と、判断したその時。

 

「あの……先生。少しいいですか」

 

 そう言って、立ち上がったのは小柄で大人しめの女子生徒『リン=ティティス』だった。

 

「おー、なんだー?」

「えっと……さっき教えてもらったルーン語の呪文の共通語訳がよく分からなくて……」

 

 案の定現れた分からない授業内容への質問に対し、グレンは頭を掻きながら、一通り教科書を流し見て―――

 

「あ、うん。俺も分からん」

「えっ!?」

「はは、すまん。自分で調べてくれ」

「ちょっと待ってください!」

 

 分からないの一言でばっさり片づけられそうになった時、横やりを入れてきたのはシスティーナだ。

 大分お怒りのご様子でグレンに向かって説教を始めた。

 

「リンの質問に対しての態度。教師としていかがなものかと思います」

「だーかーらー、俺にも分からんって言ってんだろ?」

「分からないなら分からないなりに、明日までに調べて返答するのが普通だと思いますが」

「でもそれなら、自分で調べた方が早くねーか?」

「な……そういう問題じゃ―――」

「あ、もしかしてお前ら、ルーン語辞書の引き方まだ教わってねーの?それじゃあしょうがねーよなぁ、じゃあ俺が調べて来るかぁ」

「な……辞書の引き方ぐらい知っています!もう結構です!」

 

 結局のところ平行線をたどるばかりだった、非生産的な口論もシスティーナが怒って切り上げたところで終わりとなった。

 その後も誰も理解できないだらしなさの塊のような授業は続いたが、それを真面目に聞いていた生徒はほんの一握りしかいなかった。

 

***

 

 そして次の授業は錬金術実験。担当監督は先ほどと同じグレン=レーダス先生。

 ……だったのだが。

 

「んで、何やったんですか」

「いや、ちょっと若気の至りでな……」

 

 食堂前で傷だらけでボロボロな状態で歩いていたグレンをジョレンはジト目で見ながら問いかける。

 

「ちなみに、どっかの錬金術の担当監督になるはずだった講師の人があろうことか女子更衣室に堂々と入り込んでボコボコにされた挙句、人事不省に陥ったんで、その授業は中止になった、って俺の耳には入ってますけど」

「あそこは昔、男子更衣室だったんだよ……マジで悪気は無かったの。悪気は」

「そういうことにしておきますよ」

 

 ジョレンは歩いてコックがいる注文カウンターに向かうグレンについていきながら、恩を着せるようなこと言った。

 ジョレンが気にしているのは、初めて会った時に、グレンが『鉄球』に視線を向けたことだった。

 

(もし、俺の鉄球のことをグレン先生が知っていて興味を示したなら……先生は俺が求める授業をしてくれる講師なのかもしれない……)

 

 無論、グレンのやる気のなさは筋金入りであり、もし本当にそういう授業が出来る人であっても、やってくれる可能性は限りなく低いだろうが―――とにかく今はどうなのか確かめなくてはいけなかった。

 

「ところで……もしかしてお前の昼飯って手に持ってるそれか?」

「え?」

 

 グレンが視線を向けているのは、ジョレンの右手が掴んでいる、袋に入った食パン一斤だ。

 ジョレンは見たところ、それしか持っておらず、おかずどころか、ジャムみたいな付けて食べるものも無いようだった。

 

「まぁ、そうですね。俺の家、貧乏なもんで。多く食おうと思ったら、パンだけで我慢するしかないですよ。学食なんて利用してられません」

「ふーん……んじゃなんか奢ってやろうか」

「は!?」

「そこまで驚かなくてもいいだろ……」

 

 目の前の人物のクズさと態度はちょっとの間だが、今まで見てきて嫌という程に思い知っていたので、その提案に驚愕して目を剥くジョレンだったが―――

 

「―――ん、そう。キルア豆のトマトソース炒めは二つだ」

 

 その間にグレンはジョレンの分まで注文してしまっていた。

 

「先生って意外と優しいとこあるんですね」

「意外とは余計だ、と言いたいところだが、実際そんなもんじゃねーよ?気まぐれさ」

 

 そう言って、一つ多く頼んだキルア豆のトマトソース炒めを渡してくる。

 ジョレンが持ってきたパンの多さに比べると、大分少ないがそれでもいつもパンだけたくさん食べていたジョレンの食卓が少し豊かになった。

 

「空いてる席は、と」

 

 ジョレンがちょっと感動してる間に料理を乗せたトレイを持って、丁度空いてる席の方向へ向かうグレン。

 それと同時にジョレンがその席の向かい側に座る人物を見て、まずいと思ったが、一足遅かった。

 

「失礼」

 

 忠告する前にその席に座ってしまっていた。

 ため息をつきながらも、グレンを追って、その隣に座るジョレン。

 まだ望みの情報は得られていないのだから。

 

「あ、貴方は―――」

「違います、人違いですー」

 

 着いた席の向こう側にはシスティーナとルミアがいた。

 システィーナはあからさまに嫌そうな顔をしており、ルミアはその様子を見て苦笑いしている。

 しかし、グレンはそれらの周りの反応を全く気にせずに一人でバクバク取った料理を食っていた。

 その量は、パンだけとはいえジョレンと同程度。グレンは所謂痩せの大食いと呼ばれるものなのだろう。

 

「わぁ、先生とレン君、凄いたくさん食べるんですね」

 

 このまま、沈黙に包まれたまま昼食が終わると思っていた最中、ルミアが会話を投げてきた。

 

「まぁな、食事は俺にとって数少ない娯楽の一つだからな」

「俺は単純にお腹が空くから……」

 

 元々ジョレンはいつも安物のパン一斤だけを買って中庭で一人寂しく昼食をしていたため、食堂のテーブルに座って食事すること自体が初めてだった。

 何を言ったらいいのか、若干迷ったが、とりあえず質問には返答して―――

 

「でも、レン君、パン一斤に炒め物だけって……」

「いつもはパンだけだったけど、先生が奢ってくれたんだ」

 

 多分、問題はそこじゃないんだろうが、ジョレンはいつもはもっと酷いラインナップなのを暴露しながら、炒め物をちびちび食べて、その間にパンを大きく千切って、口の中をいっぱいにしながら食べている。

 

「いつもパンだけなの……?大丈夫?」

「パンだけなのは昼食だけだし、大丈夫だ。家だと野菜とか肉とかも食べてる」

 

 そうは言うものの、ルミアがジョレンを見る眼は心配だということをガンガン伝えてくる。

 ジョレンがその視線に対し、若干の申し訳なさを覚えていたところ―――

 

「そういえば、お前、その鉄球はなんだ?」

「!」

 

 唐突に食いついた。ジョレンが聞きたかった、ことを向こうから。

 恐らく、グレンの方も噴水広場の時から気になってたのだと思うが、実に好都合だった。

 

「そういえば、ジョレンっていっつもその鉄球つけてるわよね、ホルスターなんかに入れちゃって。ファッションなの?」

 

 更に芋づるのように食いついてきたのは、さっきまでグレンを睨んで黙りこくっていたシスティーナだった。

 ジョレンの鉄球は入学当初からずっとついてたので、有名ではあったのだが、誰も聞きに来なかったので、いつの間にか忘れられるように話題に上がらなくなったという経歴がある。

 それでも、ずっと気になってはいたのだろう、無意識のうちにグレンに乗っかる形でシスティーナも話題に乗ってきた。

 

「別に大層なもんじゃないですよ。俺の尊敬する人が使ってて、俺もそれを真似してるだけで」

「尊敬する人って?」

「名前は知らないんだ。俺も会ったのは一度だけだし」

 

 ごとりと音を立て、鉄球をホルスターから外して机の上に乗せながら、説明した。

 嘘ではない。そして反応があるかと、ジョレンがグレンの表情を伺う。

 その間、数秒。グレンは置かれた鉄球を見ながら、ジョレンの話を聞いて―――

 

「ふーん」

 

 自分から聞きに来たくせに、そんなそっけない返事をしながら―――一瞬だけ、何処か複雑な表情をしていた。

 

(グレン先生……やっぱり……)

 

 やはり先生は、この鉄球のことを知っている―――ジョレンはその表情から、自分が求めていたことについての確信を得た。

 

(でも、それじゃあなんでだろうか……)

 

 きっとグレン先生は望む授業をしてくれる……少なくともそんな授業内容が出来るほどの力、知識はあるはずなのに。

 そこまでやる気が無いのは何故か。その疑問が食事中、頭から離れず、その後起こったグレンとシスティーナの喧嘩もそれほど耳に入ってこなかった。



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第三話 「求める『理由』に、決闘の行方」

「ただいま」

「おかえりなさい、兄さん」

 

 グレンがやってきた初日の授業が終わって、帰宅したジョレン。

 帰ってきた穏やかな声の方を向けば、ベッドに横たわりながら、分厚い本を読んでいる少女が目に入る。

 

「何を読んでるんだ?『リリィ』」

「推理小説です。魔導探偵ものはとても面白いですよ?」

 

 鞄を置いて、ベッドに腰かけるジョレンに向かって、はにかむリリィ。

 その様子を見て、ジョレンは申し訳なさげに目を閉じて―――

 

「悪いな、もうちょっと稼げれば新しいのも買ってやれるんだが……」

 

 そう言って、ジョレンはリリィの足をかかっている布団の上から撫でた。

 しかし、リリィには足を撫でられている。ひいては触られているという感触が無い。

 下半身不随だった―――触られたという認識は脳に到達しないし、脳からの電気信号も足には届かない。故に動かせない。

 昔、負ったケガによって患ってしまった後天的な障害だった。

 そのために滅多なことでは一人では外に出られないうえに、ジョースター家はかなりの貧乏でジョレンがアルバイトでお金を稼いでいるものの、本などの嗜好品に回せるほどの余裕がなかった。

 医療で治す方法もなし、魔術的な方法である法医呪文(ヒーラー・スペル)なら可能性はあるかもしれないが―――当然、そんな魔術治療を受ける金銭的余裕は皆無に等しい。

 法医呪文(ヒーラー・スペル)も軍用魔術の一種。それには守秘義務が発生し、一般人にはその利益が還元されないのだ。

 それでも法医術研究の大家は研究のために施術対象を求めているため、一般人に対する治療も受け付けてはいるが、受けるには通常の医療よりも更に多くの資金がいるのだ。例え、ジョレンが何百年と仕事をして稼ごうと決して稼ぎきれる量じゃなかった。

 治療を受けさせることも、退屈を紛らわすための嗜好品を買ってあげることも出来ない。

 何年も経ったとはいえ、定期的に苛んでくる無力感がジョレンの表情を暗く変えていると。

 

「ううん、大丈夫です。推理小説っていうのは、何回も読むとまた新しいことに気づけるんです。まだまだ読み足りないぐらいなんですよ?」

 

 それを察してか、慰めるように穏やかな声で話しながら、本のページを開いて見せてくるリリィ。

 

「そう、なのか……推理小説はよく分からなくて読んだことないんだが……」

「ふふ、兄さんはトリックとか騙されやすいですからね」

 

 とても楽しそうに笑うリリィを見ていると、心の中の暗い部分が吹き飛ばされていくようで。

 それと同時に、リリィに対して固く誓った。

 

「いつか、俺がお前を治してやるから」

 

 そう、それがジョレンが高い入学費を払ってまで、アルザーノ帝国魔術学院に通う理由。

 リリィの足を治すために、自分自身が魔術師に―――ひいては法医師になること。

 

「はい。いつまでも待ってますから、兄さん」

 

 それから、二人の間に穏やかな時間が流れていく。

 リリィが自分が面白いと思ったページをめくり、ジョレンに見せて、ジョレンがそれを見て、興味深そうに唸っている。

 1時間2時間と過ぎた頃、ジョレンが我に返ったかのように時計を見て。

 

「あぁ、もうこんな時間か……さっき材料買ってきたから、今日はシチューでも作ろうかな」

「本当ですか?私、兄さんが作るシチュー大好きです」

「普通のシチューだと思うが……まぁ、作ってくるよ」

 

 例え、貧乏と言えども、食事ぐらいはまともに食わせてやりたくて、学院に持っていく昼食はパンだけという謎の縛りプレイをしているが―――リリィの無邪気な笑顔を見てると、それも苦じゃなかった。

 ジョレンが買ってきたシチューの材料を鞄から取り出す時、ちらりと見えた教科書を見て思う。

 

(グレン先生をどうにかしないと……やっぱり、しょうがないよな……)

 

 法医師になる―――その目標は当然変わらない。

 でも、既存の法医呪文(ヒーラー・スペル)じゃ、完全に治しきれない―――恐らくだが、長期的かつ実験的な手段も用いなくてはならなくなるかもしれない。リリィの下半身不随はそれほどまでに深刻だった。それにもう何年も前の事だ。ケガをした直後に対処していればこうならなかったかもしれず、時間が経てば経つほど治療が困難になっていくのは、どの病気や障害でも変わらない。

 要は既存の手段だけを勉強していても、自分が望む力が手に入らないのだ。

 そして、今のアルザーノ帝国魔術学院は、詰め込み式―――習得呪文数の多さを競っているような風潮がある。

 今のジョレンが欲しているのはそういった知識や力ではなく、もっと応用すべき根本的な理屈だった。

 じゃないと新しい魔術治療を研究するのに、学院から卒業して独学でやらなきゃいけなくなる。

 元々何年かかるかも分からない治療をするために法医師になるのだ。早いうちから研究のために使える知識を蓄えておきたかった。

 そして、ジョレンが思うに、グレンはそういった授業が出来るはずなのだ。

 鉄球のことを知っていると思われる反応を示したグレン。だが、この鉄球のことを知る者は限られているはずだということを、ジョレンは知っている。

 

(もし知っているなら……ある組織と関係を持ってるはずなんだ。だったら、本当は凄い魔術師でもあるはず……)

 

 だが、グレンのやる気のなさはもうどうしようもない気がする。

 それでも、明日からどうにかグレンとそこそこでもいいから関係を持っていきたい。

 グレンが非常勤講師として働く一か月間の間に、少なくとも連絡を取れるまでには。

 例え、グレンが講師であるときに何も教えてくれなくても、もしもの時に相談できる人を増やすためにも。

 

(急に振って湧いたチャンスなんだ……掴み逃したくない……)

 

 明日から、どうやってグレンと交流していこうか、シチューを手慣れた様子で準備しながら、考えもまとまらぬまま、真面目に考え続けていた。

 

***

 

 が、そんなジョレンの努力の甲斐もなく。

 グレンは、やる気の欠片もなく、一般的にロクでもないと思われるような授業ばかりしていた。

 最初は一応、解読不可能であったとはいえ、ちゃんと要点を黒板に書きだし、要領を得ないとはいえ、教科書の内容を説明はしていた。ギリギリとはいえ授業の体裁を為していた。

 しかし、少しずつなけなしのやる気も削がれていったらしく、教科書を黒板に丸々写すだけになり、そこから教科書を千切り、黒板に貼り付け始め、遂には釘で教科書を直接黒板に打ち付けるようになった。

 行動も成績も優等生なシスティーナは毎日のように小言を言う始末。それ以外の生徒は最早グレンに対してなんの期待もしないようになってしまっていた。

 

「今日も昼寝ですか?」

「あぁ、食ったら寝る……これが至福なんだ」

 

 今や、グレンと他愛のない話なんてのをするのはジョレンだけになっていた。

 と言っても、特別に仲がいい。とも言えなくて。

 グレンはどうしてか、魔術的な話を避けようとしている節がある。あるいはあやふやにして誤魔化すか。

 おそらく何かがあって、魔術に対して何らかのマイナスイメージを持っていると思われるが、それがどんなものかも分からない以上、ジョレンにはどうしようもなかった。

 が、そんな具合で一週間が過ぎた時、遂に事態が動き始めた。

 

「いい加減にしてください!」

 

 最早、クラスの中では当然のように上がるようになったシスティーナの怒号だ。

 それが響いて、もう講師から日曜大工に転職したような見た目になっているグレンが教科書を打ち付けていた黒板から目を離して振り向いた。

 

「んだよ、だから言われたとーり、いい加減にやってるだろ?」

「子供みたいな理屈をこねないでください!」

 

 肩を怒らせながら、システィーナはずかずかと教壇に立つグレンに近づいていく。

 

「そんな授業を続けるというのなら、私にだって考えがあります」

「ほう? どんなだ?」

「私はこの学園にそれなりの影響力を持つ魔術の名門フィーベル家の娘です。私がお父様に進言すれば、貴方の進退を決することもできるでしょう」

「え……マジで?」

「本当です! 貴方が授業に対する態度を改めないというのなら、こうするしかないんです!」

 

 ぎょっとするグレンだったが、実際にそれ以上に驚いていた―――というより慌てていたのは、一連の流れを見ていたジョレンの方だった。

 

(ちょ……そ、それは洒落にならん!?)

 

 確かにグレンの態度は講師としてあるまじきものだ。だが、まさかこんなに早く、このような事態になるとは思ってもみなかった。

 ジョレンにとって、グレンが今のところ一番のチャンスなのだ。こんなつまらぬことでチャンスを潰されちゃ溜まったものではない。それに―――

 

「ならば、お父様に期待してますと、よろしくお伝えください」

「―――な」

 

 そもそものグレンが乗り気だった。これが最も致命傷。

 

「いやー、脅されて嫌々引き受けて見たけど、やっぱ無理でさー」

 

 が、そのノリノリなグレンが、逆に更にシスティーナを怒らせたらしい。

 

「痛ぇ!?」

 

 いつの間にかシスティーナは、左手に嵌めていた手袋を取り、グレンに投げつけていた。

 

「貴方にそれが受けられますか?」

 

 不意に静かになった教室の中で、システィーナはグレンを指さし、力強く言い放った。

 システィーナが手袋を投げた行為は、魔術師の中では常識である、魔術決闘の申し込みだった。

 

「マジか、お前」

「私は本気です」

 

 珍しく真剣な顔つきで、床に落ちた手袋に視線を向けるグレンに、躊躇わずそう宣言するシスティーナ。

 

「ダ、ダメ、システィ! 早くグレン先生に謝って、手袋を拾って!」

 

 ルミアがそう叫ぶも、システィーナの意志は固いようだった。頑として動く気配がない。

 

「何が望みだ?」

「私が勝ったら、その野放図な態度を改め、真面目に授業をしてください」

「辞表を書け、じゃないんだな」

「貴方がそれを望むなら、そんなことをしても無駄ですから」

「おいおい忘れてねーよな? お前が俺にそうやって要求する以上、俺が勝ったら、お前は俺の要求を呑まなきゃいけないんだぜ?」

「承知の上です」

 

 どうしても退く気がないらしい、システィーナを見て、呆れたような顔をするグレン。

 その一方で、ジョレンはどうやらグレンが辞めることにはならなくてホッとしていたが。

 

「やれやれ……こんな古臭いカビが生えたような儀礼を吹っかけてくる骨董品が未だに生き残ってるとはな……いいぜ?」

 

 そう言って、グレンはしゃがみ込んで、システィーナの手袋を拾い上げてしまった。

 

「その決闘受けてやる」

 

 そうして前代未聞。生徒対講師の魔術決闘が成立してしまった瞬間だった。

 

***

 

 ルールとして、使用できる呪文は、黒魔【ショック・ボルト】のみ。微弱な電気線を飛ばして、相手を感電させる、この初等呪文だけでの勝負となった。

 対抗呪文(カウンター・スペル)も使用不可なこの決闘において、最も重視されるのは詠唱速度だ。詠唱する呪文をどれだけ切り詰め、いかに早く唱えられるか。

 システィーナが勢いによって吹っかけたこの魔術決闘。2組の生徒のほとんどはグレンの勝利を疑っていたなかった。

 いくら講師としてダメダメでも一応は、この学院に所属する大陸最高峰の魔術『セリカ=アルフォネア』の推薦によってやってきた魔術師なのだ。かなりの実力があってしかるべきだった。

 

「システィ……」

 

 ルミアも心配そうに、これから始まろうとしている魔術決闘の様子を見ていた。

 その隣に、ジョレンがいるが、かなりぼんやりした様子で視線を決闘の方に向けているだけだ。さっき内心かなり焦ってから、ホッとしたので、この緊迫した状況で力が抜けてしまっていた。

 

「ねぇ、レン君……どっちが勝つと思う……?」

「え?」

 

 そのため、不意にルミアが話しかけてきて、すごく間抜けな声を出して、その横顔を覗いた。

 憂いの表情でシスティーナを見つめるルミアは、殺傷力のない【ショック・ボルト】のみのルールとはいえ、本気で彼女の事を心配しているようだった。

 

「まぁ……そうだな」

 

 ジョレンもグレンが勝つ……と思っている。いや、他のクラスメイトよりもグレンの実力に関しては信じていた。

 だが―――

 

「……五分五分?」

「え?」

 

 今度はルミアの方が間抜けな声を出した。

 確かに傍目から見れば、実力差はやる前からはっきりしているようにも見える。

 

「多分、グレン先生、やる気ないから」

「そ、そうなの……?」

 

 自分が真面目に授業をしなければならないかもしれない魔術決闘にやる気なしで応じるなんてことは普通ない。普通ないからこそルミアも訝し気にしている。

 だが、ジョレンから見て、グレンは魔術に関する敬意というのが全く感じられない。それを扱う魔術師に対しても。

 魔術決闘は確かに魔術師の中では歴史の古い儀礼だ。でも、それは所詮―――

 

「多分、魔術師的な話はあの人には通じないよ。普通の人から見て、魔術決闘はただの口約束だ。グレン先生は負けても、あーだこーだ言うだけで終わると思う」

「……グレン先生のこと、よく知ってるんだね」

「まぁ、皆よりは若干多く話したし」

 

 それは、実際には必死になってグレンと交流していたジョレンが分かった、数少ないことの一つだった。

 グレンはとにかく、魔術だとか神秘だとかに対しての敬意も好奇心もない。むしろ、それらを避けている、そんな人だった。

 そして遂に決闘が始まり、グレンが余裕ぶってシスティーナに先に呪文詠唱を譲った。

 ―――その後の結果は、おおよそジョレンが予想した通りだった。

 まさかの斜め上―――【ショック・ボルト】の一節詠唱が出来ず、システィーナの圧勝に終わるという点でジョレンの読みは外れたものの。

 グレンは子供っぽい言い訳をかまし、あまつさえクラスメイトの前で「だって俺、魔術師じゃないし」とまで言ってのけ、魔術決闘の要求を反故にして逃走した。

 この結果に、生徒たちはもう完全に呆れ果て、グレンに対して酷評するようなことを話し合っていた。

 ルミアは決闘が終わってすぐに、システィーナの方に向かい、システィーナはシスティーナで、もう完全にグレンに失望したらしい。

 

(まぁ、確かにあそこまでとは思ってなかったな……)

 

 グレンはまだ講師として残ることにはなったが、グレンから何かを教わることは絶望的になったとも言える。

 あそこまでやらかしてしまう人をどうにかできる気はジョレンにはなかった。

 どうしようもないと思いながらも、諦めきれない。そんな中途半端な気持ちを抱えながら、今日は帰ろうと、鞄を取りに一人だけ先に教室に戻るのだった。



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第四話 「一騒動後に『鉄球』の謎」

 二組の決闘騒動の三日後。

 グレンはあの後もやる気のない授業を結局続け、グレンの地に落ちた評判が少しでも回復することは無かった。

 

「はーい、授業始めまーす」

 

 その日も大幅に遅刻してきたグレンがだらしない授業開始の宣言をする。

 それを皮切りにクラス中が自分の思い思いの教科書を広げ、勝手に自習を始めた。

 グレンの授業を受けても何も得られないと、自分自身で勉強してた方が有益だという判断だった。

 あの決闘以前には、小言ばかり言っていたシスティーナも、最早完全に諦めたのか、何も言わずに自習を始めていた。

 そんな中、ジョレンは肘をついて、軽くため息をつきながらも、教科書を広げなかった。

 チャンスは目の前にあるが、それをどうにも掴める気がしない―――そんなもどかしい感覚の中で元々少なかった、既存の勉強のやる気をも削がれてしまっていた。

 そして、グレンもそんなクラスの皆に対して、何も言わない。

 

「あ、あの……先生。少し質問があるんですけど……」

 

 実にいつも通りの授業風景の中、クラスメイトの誰かがおずおずと手を挙げていた。

 初日の時に、グレンに質問をしてあっさりあしらわれていた、女子生徒のリンだった。あんな目に遭ったというのに、まだグレンの授業をしっかりと聞いていたらしい、良い子過ぎて尊敬に値する。

 

「んー?なんだー?」

「え、えっと……その……先生が触れた呪文の訳がよく分からなくて……」

「無駄よ、リン。その男に聞いても」

 

 だが、システィーナがリンの質問に横から割って入った。

 

「あ、システィ……」

「その男は魔術の崇高さを何一つ理解していない。むしろバカにさえしている。そんな男から学べることなんて何一つないわよ」

「で、でも……」

「大丈夫よ、私が教えてあげるから。一緒に頑張りましょう? あんな男は放っておいて、いつか一緒に偉大なる魔術の深奥に至りましょう?」

 

 そう言って、おろおろしてるリンに近づこうとするシスティーナだったが―――

 

「そんなに偉大で崇高か? 魔術って」

 

 無意識なのか、挑発のつもりだったのか。

 グレンがぼそりとそう問いかけていた。

 それを生粋の魔術師気質のシスティーナが聞き逃せるはずもない。

 

「何を言うかと思えば。偉大で崇高なものに決まっているでしょう? もっとも、貴方みたいな人には理解できないでしょうけど」

 

 そうばっさりと切り捨てるシスティーナ。いつもだったらここで終わりだ。グレンが適当にシスティーナの刺々しい言葉を流して終わるだけ。

 だが、今回は様子が違った。

 

「何が偉大でどこが崇高なんだ?」

「え?」

 

 何故か食い下がってきた。いつもとは、また違う反応。

 それを聞いて、緊急停止寸前だったジョレンの意識が急速に覚醒しだした。

 

(先生にとって何か引っかかる言葉でもあったのか……? 今の)

 

 魔術は崇高で偉大。それはこの学院に通う生徒や講師のほとんどが思ってることだろう。

 ジョレンはあくまでもリリィの障害を治すための手段として学びに来ているだけだが、他のクラスメイトは、魔術の神秘やらに魅了されている節がある。

 別に珍しい考えでもなんでもないはずなのだ。

 

「魔術ってのは、何が偉大でどこが崇高なんだ、と聞いている」

「そ、それは……」

「ほら、知っているなら答えてくれ」

 

 その質問に対し、返答が遅れるシスティーナ。確かにどうして偉大で崇高なのか、その根本的な部分を考えたことは早々なかったのも事実だ。だが、決してないわけではない、と。システィーナは自分の考えをまとめて―――

 

「魔術は……この世界の真理を追究する学問よ」

「……ほう?」

「この世界の起源や構造、この世界を支配する法則。魔術はそれらを解き明かし、自分と世界がなんのために存在するのかという永遠の疑問に答えを導き出し、そして、人がより高次元の存在へと至る道を探す手段なの。だからこそ、魔術は偉大で崇高なのよ」

 

 長々と得意げな顔をして、それを語るシスティーナ。それを言ってやった、としたり顔で見ているクラスメイトと、そもそも急展開すぎて間抜けな顔をしているクラスメイト、そして若干冷めた顔で見ているジョレン。

 そんな中で、グレンが返した言葉が、その場にいる全員に不意打ちを与えた。

 

「……何の役に立つんだ? それ」

「え?」

「いやだからさ、世界の秘密を解き明かして、それが一体なんの役に立つんだ?」

「だ、だから言ってるでしょう!? より高次元の存在に近づくために……」

「より高次元の存在ってなんだよ? 神様か?」

「……それは」

 

 すぐに返せない悔しさ故か、遠目から見ても震えているシスティーナ。

 だが、グレンは、そんなシスティーナに追い打ちをかけていく。

 

「そもそも魔術が人に何の恩恵を齎す? 例えば医療は病から人を救う。建築術のおかげで人は雨風凌げるし、農耕技術が無けりゃ、満足に飯も食えねぇ。だが魔術は? 何の役にも立ってねぇって思うのは俺の気のせいか?」

 

 その言葉はほぼクラス中に、そしてジョレンにも突き刺さった。

 何故なら、魔術の力が一般人に還元されないからこそ、今こうして自分はここにいるのだから。

 グレンの言葉がある意味真実であることを、ジョレンは身に染みて分かっていた。

 

「魔術は……人の役に立つとか……そんな次元の低い話じゃない。人と世界の本当の意味を探し求める……」

 

 システィーナが搾りだした言葉も、ジョレンの中には大層深く染み込んだ。

 自分がここにいる意味を、今まさに次元の低い話だとして、切り捨てられたような気がしたからだ。無論、システィーナは悪気があったわけじゃないことは知っている。そもそもシスティーナはジョレンの事情など知らないのだから。

 それでも、ジョレンが内心、気を悪くしていると。

 

「悪かった、嘘だよ。魔術は立派に人の役に立っているさ」

 

 グレンの唐突な手のひら返し。それは一体どういうことだと、固唾を呑んで見守っていたクラスの生徒一同が目を丸くした。

 

「あぁ、魔術はすごく役に立ってるよ……人殺しにな」

 

 そのグレンの昏い瞳と、薄ら寒く歪んだ笑みにクラス中がぞっとしている中、ジョレンだけは合点がいったと、その言葉に納得していた。

 

(つまり……先生が魔術を避けるのってそういうことなのか……?)

 

 グレンは少なくとも、魔術を人殺しにしか役に立たないものだと思っていて。それと関わるのが嫌で、今となって魔術を避けている。

 多少極論ではあるが、グレンからしたらそれが全てなのだと、ジョレンは納得していた。

 無論、その言葉の裏で何がグレンをそうさせたのかまでは、推察しきることは出来ないが。

 それでも、ジョレンは―――このクラスの中で唯一、必死になってまでグレンと交流、観察してきたジョレンはそれを見抜いた。

 

「魔術はそんなのじゃない! 魔術は―――」

 

 そしてグレンがまくし立てていた言葉に、システィーナが大声を出して、反論の言葉を紡ごうとするが―――

 

「お前、この国の現状を見ろよ。魔導大国なんて呼ばれちゃいるが、他国からしたら、そりゃ一体どういう意味だ? 帝国宮廷魔導師団なんて物騒な連中に多額の国家予算が突っ込まれている理由は?」

「―――っ」

「ほら見ろ、今も昔も魔術と人殺しは切っても切れない腐れ縁だ。魔術は人を殺すことで進歩してきたろくでもない技術だからな!」

 

 ここまで来ると、ジョレン以外にも、グレンが魔術を憎んでいると察することが出来た生徒が何人かは出てきたらしい。

 しかし、そんな様子を知らないグレンはヒートアップしてきたのか、更に言葉をまくし立てていく。

 

「全くお前らの気が知れねーよ。こんな人殺し以外に何の役にも立たない術を勉強するなんてな! こんな下らんことに人生費やすならもっとマシな―――」

 

 更に酷い言葉が出てくるのだろうか、と皆が身構えていた中、パシン、と乾いた音が鳴った。

 システィーナが涙を流しながら、グレンに歩み寄って頬を叩いていた。

 

「いって……てめっ!?」

「違う……魔術はそんなんじゃない……大嫌いよ、貴方なんか」

 

 そう言い捨てて、システィーナは荒々しく扉を開けて出て行ってしまった。

 圧倒的な気まずさと、それに伴う沈黙が教室中を支配していた。

 

「……本日の授業は自習にするわ」

 

 そう言って、ため息をつきながら、グレンも外に出て行ってしまった。

 その日、グレンが教室に帰ってくることはなかった。

 

***

 

 放課後、ジョレンは魔術実験室の前に立っていた。そのすぐ目の前では、ルミアが扉の鍵を開けて、中に入ろうとしている最中だった。

 授業中の騒動で、グレンが抱えていることについて、ある程度は察せたものの。

 だからどうすればいいのか、全く見当もつかなかったジョレンは、またさっさと帰ろうとしていたが、その時、すぐ近くにいたルミアに引き留められていた。

 そして、方陣構築の復習がしたい、というルミアの頼みを、ちょっとした気分転換のつもりで了承したのだが―――

 

「なぁ、ルミア。その鍵どっから持ってきた?」

「え、えへへ……じつはちょっと事務室に忍び込んで……」

 

 ぺろっと小さく舌を出しながら、鍵を見せてくるルミア。

 この瞬間、ジョレンはちょっとだけ安請け合いしたことを後悔していた。

 

「あ、大丈夫。もしバレた時は責任は全部私が負うから……」

「ここまで来て、そんなダサい真似はしない。さっさと終わらせちゃえば大丈夫だろ」

「そ、そうかな……じゃあ、早速始めようか」

 

 そうして、二人での方陣構築が始まった。

 しかし、ジョレンも別に方陣構築が上手いという訳でもなく。

 二人で四苦八苦しながら、どうにかこうにか、流転の五芒―――魔力円環陣を組み終えた。

 魔力円環陣とは、方陣に流れる魔力の流れを視覚的に理解するための、いわゆる学習用の魔術だった。

 

「それじゃ……《廻れ・廻れ・原初の命よ・理の円環にて・(みち)を為せ》」

 

 出来上がった方陣を前にして、ルミアが方陣起動の呪文を唱える。

 ―――しかし、方陣は起動しない。何の変化も見られなかった。

 

「あ、あれ? レン君、何か間違えてたかな……?」

「いや、そんな風には見えないけども」

 

 記憶に間違いが無ければ、方陣の形も触媒を置く位置なども合っているはずだ。

 原因が分からないトラブルに、ルミアが首をかしげて、ちょこっとだけ方陣の端を手直しして、また呪文を唱えた。しかし、結果は変わらず。

 

(このまま、何もしないで、これを続けさせるのもあれか……)

 

 なんというか、かっこ悪い。

 そう思ったジョレンは、不意にホルスターから鉄球を手に取り―――

 

「ルミア、ちょっと待ってろ」

「え?」

 

 ジョレンの方を向いたルミアが見たのは……

 

「そ、それは……?」

「シッ……ちょっと静かにしててくれ」

 

 シルシルシルシル……そんな音を立てながら、ジョレンの手のひらの中で『回転』している鉄球だった。

 指も動かしていないのに、まるで中に何かが入っているみたいに、鉄球が回転していた。

 驚いて声も出ないルミアを後目(しりめ)に、目を閉じて集中しているような表情をしているジョレン。

 しばらくの間、何の音もしていない魔術実験室に回転している音だけが静かに鳴り……

 

「……水銀が足りてないな」

「え?」

「振動の反響でなんとなく分かった。魔力線が断線しちゃってるんだ、だから多分、水銀を足せばなんとかなるはず、ほら早く」

「う、うん」

 

 ルミアが鉄球について問いかける前に、方陣修正を急かすジョレン。

 ちょっと意地悪だとも思ったが、かなり時間を食ってしまったので、早く終わらせないといけないことも確かだったので、ちょうどよかった。が―――

 突如、魔術実験室の扉が乱暴に開かれ、ルミアとジョレンが一瞬ビクッとしながら、その方向を振り返る。

 開かれた扉の向こうでは、グレンが仏頂面で立っていた。

 

「ぐ、グレン先生!?」

「……まさかグレン先生だったとは」

「おい、ルミアの反応はさておき、なんでお前は俺が来てること知ってたみたいな言い方してんだよ」

「今さっき、ついでに分かっちゃっただけですよ」

 

 回転を止めた鉄球をホルスターに再度しまい込みながら、こともなげに言うジョレン。

 さっき魔力円環陣を調べた際に、廊下から近づいてくる人の存在もついでに入ってきたのだ。

 そんなことは知らないグレンとルミアは訳が分からない、と首を捻りながらも、それにはこれ以上の追求はせず。

 

「ど、どうしてここに……」

「それはこっちのセリフだ。魔術実験室の生徒の個人使用は原則禁止だったはずだが」

「ご、ごめんなさい……実は私、方陣構築が苦手で、復習をしておきたくて……あ、でもレン君は私を手伝ってくれただけで、お叱りは私だけに……」

「おい、だから俺は……」

 

 ルミアが自分だけで責任を取ろうとしているなかで、ジョレンがそれを止めようとしていると―――

 

「別にお前らがここで何してようが、俺は構わねーよ。つーか、もうあとちょっとだろ、最後までやっちまえよ」

 

 そんな二人を見て、グレンは肩を竦めて、めんどくさそうに提案した。

 

「え、えっと……やっぱり、水銀が足りていない……んですか?」

「お?気づいてたのか、そのまま気づかないで終わるかと思ってたぜ」

「レン君が教えてくれて……」

「ふーん、お前って方陣構築上手いんだな」

「ルミアとどっこいどっこいだと思いますけど」

 

 実際はほぼほぼ裏技のようなことをして調べただけなのだが……まぁ、今はいいだろう、とジョレンは口を噤んだ。

 

「まぁいい。お前らがさっさとやらないなら、めんどくさいから俺がやるからな」

 

 そんなジョレンを無視して、グレンは水銀の入った壺を手に取って、手慣れた様子で方陣に水銀を継ぎ足していく。動かす手に震えもなく、まるで機械のような正確さで各ラインをなぞっていく。継ぎ足し終わったら、床に落ちていた手袋をつけて、方陣の綻んでいた部分を修正していく。

 しばらくして、修正が終わったらしい、何も言わずに立ち上がって、手袋を投げ捨て。

 

「んじゃ、起動してみろ。横着して省略すんなよ?ちゃんと五節でな」

「は、はい」

 

 ルミアは再び方陣の前に立つ。深呼吸をして、(うた)うように涼やかな声で呪文を唱えた。

 

「《廻れ・廻れ・原初の命よ・理の円環にて・路を為せ》」

 

 その瞬間、方陣が白熱し、視界を白一色に染め上げた。

 やがて光が収まり、鈴鳴りのような高温を立てて駆動する方陣が見えた。方陣のラインを七色の光が縦横無尽に走っている姿は魔力が通っている証拠だった。

 

「綺麗……」

 

 その単純に幻想的で美しい光景にルミアが思わず声を出す。

 ジョレンもその様子を一歩退いた位置から、黙って見ていた。一回見たことのある光景のはずなのに、今回のはまた一段と綺麗なような気がしたからだ。

 グレンはそれを冷めた目で一瞥した。ジョレンからしたら実にグレンらしい興味のなさだと思った。

 しばらくして、外の夕暮れの様子を見て、早く帰らないと夕飯が遅れると思ったジョレンは床に置いていた鞄を取って。

 

「俺は帰ろうかな」

「あ、レン君。今日はありがとう、おかげで助かったよ」

「別にそんなことはないと思うけど。それじゃあな、ルミアも気を付けて帰れよ。あと先生も気を付けて帰ってくださいね」

「俺は心配されるような子供じゃねーが、またな」

「うん、またね、レン君」

 

 二人の言葉を背中で受けて、ゆったりと手を振ってジョレンは魔術実験室をあとにした。

 状況は何一つ進展しなかった―――というよりも、もっと授業を受けれる可能性が減ったように感じたが。

 

(なんていうか、やっぱ根は優しい人だよな)

 

 ロクでなしでやる気が無くて、魔術が嫌いではあるけども。

 決して悪い人ではないグレンを見ていると、まだ可能性はあることが再認識できて。

 

(『できるわけがない』……わけじゃないもんな)

 

 そう確信できただけでも、今日は満足していた。



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第五話 「講師の『覚醒』と夢語らい」

「昨日は、すまなかった」

「……え?」

 

 翌日、1時間目の授業が始まる前。突如、教室内にそんな声が発せられた。

 それを言っているのはグレンで、それを受けているのはシスティーナだ。

 謝った。10日間の間、とてつもなくやる気のない授業とそれを反省すらしない図太さを見せつけてきたグレンが、昨日の事について、システィーナに謝っていたのだ。しかも授業が始まる前に教室に来ている。いつもなら遅刻していたはずなのに。

 クラス中が困惑していたが、一番困惑していたのはジョレンだった。

 しかし、同時に思い当たる節もあった。

 

(まさか……ルミアか?ルミアが先生を説得したのか?)

 

 いや、それしか考えられなかった。ジョレンが帰った後で、二人で何かを話したのだ。

 そして、グレンとシスティーナの話が一段落して、グレンは教卓の方へと歩いていき。

 

「それでは授業を始める」

 

 その言葉に、教室がどよめいた。

 ジョレンも驚きを隠し切れない。一体どんな話をして、グレンをその気にさせたのか全く分からないが―――

 

(……ありがとう、ルミア)

 

 今はその言葉だけが思い浮かんでいた。ルミアへの感謝の気持ちが。

 ルミアは全くそんなつもりはなかったんだろうが、ジョレンのチャンスをかなり近くまで引き寄せてくれた。

 これほど感謝すべきことはなかった。

 

「さて、と。これが呪文学の教科書だっけか」

 

 そう言って、ため息をつきながら、ペラペラとページをめくっていくグレン。

 

「いらね」

「「「え!?」」」

 

 次の瞬間には、ごみ箱に全力投球していた。

 ホールインワンされた教科書がごみ箱の中で音を鳴らす。その光景を見た皆はまた自習の用意を始めるが―――

 

「さてまぁ、授業をする前に言っとくけども。すぅ……お前らってさぁ、本当にバカだよな」

 

 わざと息を吸ってまで言った、その講師としてあるまじき暴言に教室中にイラつきが蔓延していく。ジョレンはいかにもグレンらしい言動だとも思ったが。

 

「ふん。【ショック・ボルト】程度の一説詠唱のできない三流魔術師に言われたくないね」

「さて、そんな馬鹿なお前らに【ショック・ボルト】程度の授業をしようと思いまーす。まぁ、本当はもう少し高度なこともやりたいけどー。学生のレベルに合わせないといけないからねー、しょーがないねー」

「はぁ!?」

 

 煽るようなことを言った眼鏡をかけた生徒『ギイブル・ウィズダン』も、それを更に上回るうざさの棒読みの煽りに思わず声を荒げてしまう。

 

 

「さて、【ショック・ボルト】についておさらいだ。詠唱する呪文は《雷精よ・紫電の衝撃以って・打ち倒せ》。じゃあ、この呪文を区切って四節にしてみると何が起こる?」

 

 黒板に呪文を書き、《雷精よ・紫電の・衝撃以って・打ち倒せ》、と区切って見せるグレン。

 しかし、それを答えられる生徒は誰一人いなかった。そんなことは教わっていないし、試そうとする生徒もいなかったからだ。

 

「おいおい全滅かよ? なっさけねーなー」

「そ、そんなこと言ったって、そんな所で節を区切った呪文なんてあるはずないですわ!」

「おいおい何言っちゃってるんだよ、完成形の呪文をわざと違えてても、これはれっきとした呪文だぜ?」

 

 そう言って、反論したのはツインテールのお嬢様『ウェンディ=ナーブレス』だ。だが、そんな反論をばっさり切り捨てる。

 

「その呪文はまともに起動しませんよ、必ずなんらかの形で失敗しますね」

「だーかーらー、完成形の呪文を違えてんだって言ってんだろ?そうなるのは当たり前。じゃあその失敗がどういう形で現れるかって聞いてんだよ」

「何が起きるのかなんて分かるわけありませんわ! 結果はランダムです!」

「ランダム!? お前、それマジで言っちゃってんのかよ、ハハハハ! 俺を笑い殺させる気か!?」

 

 クラスの中ではシスティーナに次ぐ優等生のギイブルとウェンディの二人がことごとく撃沈し、グレンに煽られる。

 しばらく待っていたが、とうとう答えられた生徒は出てこなかった。

 

「なんだ全滅か?んじゃもういい。答えは『右に曲がる』だ」

 

 そう断じて、グレンは四節で呪文を唱えた。すると【ショック・ボルト】が途中までは真っすぐ飛んだが、途中から不自然に右に曲がっていった。

 

「マジかよ……」

「信じられませんわ……」

 

 驚愕を禁じ得ない現象に、生徒たちは全員が口を開けて、それを見ているしかなかった。

 

「んで、確か五節にすると~、『射程が3分の1になる』」

 

 《雷・精よ・紫電の・衝撃以って・打ち倒せ》と区切って唱えると、確かに目測だが、射程がそれほどまで落ちて起動した。

 

「節を戻して、呪文の一部……そうそうこの《の衝撃》の部分を消すと、『出力が大幅に落ちる』

 

 《雷精よ・紫電   以って・打ち倒せ》と唱え、ジョレンに向かって撃ったが、ジョレンはほぼ何も感じなくて、目をパチクリさせていた。

 

「なんで俺に撃つんですか」

「いや、ちょうどいいところにいたから。まぁ、ショックボルトのことを『程度』とか言いたいなら、これぐらい出来ねーとな。まぁ、出来ても程度なんて言えるような呪文じゃ、本当は無いわけだが……」

 

 どや顔でチョークを指で回しながら、そう言って見せるグレン。

 生徒たちは腹立たしいことこの上ないが、それに対して反論することが出来ない。グレンには自分たちの見えない部分が見えていることが今ので分かったからだ。

 

「そもそも、なんでこんな意味不明な本を覚えて、変な言葉を口にしただけで不思議現象が起こるか分かってんのか? 

だって常識で考えてもおかしいだろ?」

「そ、それは……術式が世界の法則に干渉して……」

「とか言うんだろ? 知ってる。それがお前たちの常識だからな。でもおかしいだろ? 仮に世界の法則に介入、干渉するものだとして、なんでそんなことが出来るんだよ? これは人間が理解できる程度の文字の羅列でしかないんだぜ? しかも覚えなきゃいけない、それはなんでだ? と、ここまで言ってきたが、それを疑問に思った奴もいないんだろう、それがお前らの常識だったわけだしな。あぁいや、俺の知ってる中で疑問に思ってそうな奴が一人いたが、まぁいいか」

 

 そこまで言われて、とうとう全員が黙り込んでしまった。そのグレンの指摘がまさにその通りだったからだ。

 そして、その前口上で期待している生徒が一人―――そう、この時を待ち望んでいた、ジョレンだ。

 

(間違いない……やっぱりグレン先生は……)

 

「んじゃ、今日は【ショック・ボルト】を教材とした術式構造と呪文のド基礎を教えてやる。興味のない奴は寝てな」

 

 そうグレンは言うが、ジョレンを含めて、今この教室で眠気を抱いている生徒は誰一人いなかった。

 

***

 

 そこからのグレンの授業は素晴らしいの一言につきた。

 魔術は世界の心理を追い求めるものではなく、人の心を突き詰めていくもの―――ルーン語による呪文の本当の効果、魔術文法と魔術公式の解説……それら全てが理路整然とまとめられ、分かりやすくされた授業。今日のグレンの授業に文句をつけようなんて生徒は出てこなかった。

 

(これだ。これが学びたかった。この根本的な部分を理解したかったんだ)

 

 まだ全然分からない事だらけだが、ジョレンの胸中は喜びと次の授業に対する期待で満ちていた。

 リリィの足を治すための魔術的医療術の取得……既存の法医呪文(ヒーラー・スペル)だけでは難しいかもしれないほどの難治療。それを可能にするための研究。

 その研究の土台……魔術の根本的な理屈。それを説明してくれるような先生をジョレンはずっと待っていた。

 これで、少しだけでリリィの足が治る未来に近づけたのかと思うと、更にテンションが上がる。

 ―――それと同時に。

 

(やっぱりあいつのおかげだよな……)

 

 授業の中、ちらりとジョレンはルミアの方に視線を送る。

 彼女がいなかったら、おそらくグレンはやる気なしの授業のまま、何も起こさずに一か月が過ぎていたに違いない。

 ジョレンからしたら、感謝してもしたりないぐらいだった。

 

(何かこう……奢る?ぐらいはしたい……)

 

 と言っても、ジョレンに自由に使える金は少ない。

 学食一回分ぐらいなら捻り出せなくもないが、極力避けたいものである。

 

(こう学食より安上がりで、なおかつ奢る価値のある……)

 

 チラリと自分が持ってきた食パン1斤を見る。

 そして思った。これしかない、と。

 

***

 

 翌日の昼休みの時間。

 ジョレンは真っ先に、授業後で残された黒板の文字を板書しているルミアの方に行った。

 

「なぁ、ルミア」

「ん? どうしたのレン君?」

 

 首をかしげて聞くルミアに、すっと青色の包みを取り出して見せるジョレン。

 

「今日はちょっとだけ昼食を捻ろうと思ってな。サンドイッチを作ってみたんだが、作り過ぎたみたいで。よかったら、一緒にどうかと思って」

「え? えっと、板書取り終わるまで待っててもらえるなら……?」

「時間はあるからそりゃ、待つよ」

「うん、じゃあ早く終わらせるから」

 

 と言っても、もうほとんど取り終えていたようで、1分2分程度で終わった。

 

「学食のテーブル使うのはアレだし、中庭いかないか? ベンチに座って」

「うん、分かった、じゃあ行こうか」

 

 その後、他愛のない雑談をしながら、教室を後にする二人。

 その様子を見た教室にいた生徒たちは―――

 

(((普通、渡す方、男女逆では?)))

 

 とか思ったとかなんとか。

 

***

 

 学院の中庭、広がる芝生に、色とりどりの花が植えられた花壇。弁当を持ってくる生徒などは、よくここに集まっていた。

 その隅の方にあるベンチに二人並んで座っているジョレンとルミア。

 ジョレンが包みを広げると、中からたくさんのサンドイッチが現れる。卵、トマト、ハム……それらの具材とレタスが挟んである、色んな種類のサンドイッチが少しずつ入っていた。

 

(いつも昼食に持ってくる食パン一斤に、食材を買ってきてどうにか出来た……学食よりは安いだろ、多分……)

「えっと、レン君? ボーっとしてどうしたの?」

「いや、ちょっと思い出し笑いを……」

「確かに若干笑顔だったけど、笑ってたって言われると微妙だったような……」

 

 残った食材は朝食に使えたし、などと内心回想に入りそうだったジョレンをルミアが引き戻した。

 

「でもなんで私を誘ってくれたの?」

「それは―――」

 

 それを聞かれて、正直に話した方がいいのだろうか? とか少し考えるが―――

 

「……まぁ、ちょっとお礼を」

「お礼? えっと……逆にお礼をしなきゃいけないようなことを一昨日したような……」

「いやまぁ、グレン先生をやる気にさせてくれたみたいだし」

「え?」

 

 差し出される理由も分からないお礼なんて怖いだろう、と思い、正直に話すことにした。

 案の定、ルミアは言われてキョトンとした顔をしている。

 

「ルミアだろ? あの後に、グレン先生を説得してくれたの」

「……ふふ、そんなことないよ。確かにシスティに謝ってあげてください、とは言ったけれど、ちゃんと授業をしてください、とは言ってないから」

「じゃあ、それだけ話して、先生が真面目に授業し始めたってことなのか?」

「それだけじゃないけど……聞きたい?」

「聞きたいけど……」

 

 悪戯っぽい笑顔をして、顔を覗き込んでくるルミアに、ちょっとだけ身構えるジョレン。しばらくその反応を面白そうに見つめた後で。

 

「じゃあ、私も質問していい?」

「質問内容による」

「その鉄球のこと、教えて欲しいな」

「鉄球か……」

 

 鉄球をホルスターから外して、手で持って、しばらく見つめる。

 別に話してはいけないというわけでもない、ただ聞かれなかったから、詳しくは説明しなかっただけで。

 食事中の会話としては、可もなく不可もなくか、と思ったジョレンは話すことにした。

 

「一昨日は、その鉄球で方陣の出来てないところを調べてくれたけど、どうやったの? それに指も動かしてないのに回転してたよね……」

 

 それに、好奇心で瞳を光らせて聞いてくるルミアから逃げられなさそう、というのもあった。

 

「別にこの鉄球自体は普通だよ、鉄を削って自分で作ったものだけど。特別なのは、使い方だけ」

「使い方……? あの回転のこと? どんな魔術を使ったの?」

「『魔術』じゃない、『技術』だ」

「え?」

「魔力の波動とかも感じなかっただろ? あれは単純に技術によって回転させていたんだ」

「そんなことが……」

「出来るよ。俺の尊敬する人が使ってたもので……見よう見まねで再現するのに3、4……いや、5、6年はかかったけど。それに、それでも劣化でしかないし」

 

 鉄球を見ながら、目を丸くするルミアに、実際に回転させて見せる。

 相変わらず、手も使わずに鉄球が動き、回転していく様子は本当に魔術のようにしか見えない。

 

「回転させると、振動が起こる。その『波紋』で色んな効果が起こせる。あの時は振動の機微で周囲の状況を読み取ったんだ。そうしたら方陣の足りない部分がなんとなく分かったってだけで」

「今、こうやって見ても信じられないよ……魔術以外でこんなことが出来るなんて」

「『人間には未知の部分がある』。魔術しかり、技術しかり……案外、超常的な現象もやろうと思えば簡単に起こせるのかもしれない」

 

 あの時、回転させた鉄球を携えて現れた男のことを思い出す。『人間には未知の部分がある』。これもあの男の言葉だった。

 ルミアも、その言葉を感慨深そうに聞き入って。

 

「うん、そうかもしれないね」

「今度はこっちの質問。さて、グレン先生に何を言ったんだ?」

「えっとね……私の夢を話したんだ。先生がなんで魔術を勉強しているのか、って聞いてきたから……」

「夢?」

「魔術を真の意味で人の役に立てたい……そのために魔術を深く知りたい……って」

 

 そう、ちょっとだけ照れくさそうにはにかむルミア。

 

「確かに人を殺せるような力である魔術なんて無い方がいい……でも、それが既に()()以上は()()ことを願うのは現実的ではない……だから考えないといけないんじゃないかって。それだけだよ? 私が言ったのは本当に」

 

 ジョレンの顔を見て、疑ってるんじゃないかとでも考えたのか、そうやって弁明らしきものを始めるルミア。

 しかし、ジョレンはその話を聞いて、一人、自分の夢について思いを馳せていた。

 リリィの足を治すために法医師になる。別にその夢に不満があるわけではない。それを恥ずかしいとも思わないが―――

 

「立派だな、その夢」

「え?」

「俺の夢よりずっと立派だ」

 

 ただ、自分本位な夢でしかない、と思わせられた。ケガのために障害が残ってしまったのを負い目に感じて、それを治したかった。妹の笑顔を見るためにも。それは完全な自己満足(エゴ)であることに違いは無い。

 それに対して、ルミアの夢がとんでもなく立派だと心の底から思っていた。

 そして、そんな直球な褒められ方をして、ルミアは鳩が豆鉄砲を喰らったようにポカンとしてしまっていた。

 

「えっと……レン君の夢って?」

「妹の足が悪くて……それをどうにか治すために法医師になりたかったんだ。だから、グレン先生の授業を受けたかった。あの人が他の講師とは違う授業をしてくれるだろうって、実は分かってたから」

「……」

「だからだよ、こうやってお礼なんてするの。でもどっちも自分本位なもので……だから、ルミアの夢は立派だな、って思っ―――」

「そんなことないよ」

「え?」

 

 途中で遮られて、今度ポカンとしたのはジョレンだった。

 対してルミアの顔は、非常に真剣―――というより、若干怒っているようにも見える。

 

「レン君の夢も立派な夢だよ、妹さんを治すために頑張ってるんでしょ?」

「う、うん、そうだけども」

「じゃあ胸を張っていいと思うよ。自分本位なのかもしれないけど、人のために頑張ってるんだし。それにそんなこと言ったら、私のも自己満足になっちゃうから……」

「う、うん?……うん……それならいい、のかな?」

 

 早口でまくし立てるみたいなルミアの論調に、若干変な声が出てしまうジョレン。

 

「それならよかった」

「はは……まぁ、グレン先生の授業でようやく色々分かってきたから……魔獣学院に入ってからようやく夢に近づけてるわけだし、自分の夢を否定してたわけじゃないよ」

「ん、そう? ……」

 

 そう、苦笑して卵サンドイッチを一つ手に取って、食べ始める。卵の甘みとちょっと塩っけのある調理がアクセントになっていて美味しかった。

 

「あ、そうだ」

「ん?」

 

 その様子を見ていたルミアが、不意に手を合わせて思い出したように口を開いた。

 

「私が法医呪文(ヒーラー・スペル)のこと教えてあげようか?」

「え?」

「他の分野は苦手だけど、法医呪文(ヒーラー・スペル)なら得意だし……どうかな?」

「いや、それは悪いっていうか―――」

「じゃあレン君も私の夢を手伝ってくれる?」

「は?」

「私がレン君の夢を手伝うから、レン君も私の夢を手伝ってくれれば、問題ないと思うけど」

「た、確かに理屈じゃそうだけども」

 

 ちょっと唐突な提案に思考がパニックになりかけるも、冷静に考えていく。

 ルミアの法医呪文(ヒーラー・スペル)の腕前はちょっとしたプロのレベルだと有名だ。確かに手助けしてもらえるなら、これほど頼りになる人もそういない。

 でも、自分は? ルミアの夢を手伝うとして、自分はそれで何が出来るのか?

 

「……でも、俺がどうやってルミアの夢を手伝うんだ?」

「私の夢は一人じゃ出来ないから……魔術が人を傷つけないために考えても、皆が聞いてくれなきゃ意味が無いから。一緒に頑張ってくれると嬉しいの」

「いやでも、システィーナとかいるだろ? 俺より優秀だし」

「私の夢はまだシスティには話してないし、レン君は知ってると思ったから」

「な、なにを……?」

「可能性を信じることを」

「は、はぁ?」

 

 よく分からない、という顔のジョレンを見て、微笑み、鉄球の方に視線を向け。

 

「5年以上もかけて覚えたその『技術』...出来ると信じてたんだよね? 信じてたから、5年も頑張れたんだよね?」

「……」

「もし、私が途中で夢を投げ出しそうになった時に、可能性を信じることをまた教えてくれたらいいな、って今さっき思ったの」

「……多分、お前は投げ出すような奴じゃないと思うけど」

「あはは、そう言ってくれるのは嬉しいけど、絶対はやっぱり無いから」

 

 ルミアの視線を追いかけるようにして、自分の鉄球に目を移すジョレン。

 当初はどうやって回しているのか見当もつかず、手あたり次第に試していった記憶は、未だに残っている。

 出来ると信じていた……確かにそうだ、と、ジョレンは今ルミアに言われてようやく気付いた。

 そして、微笑んでいるルミアの顔をしばらく見て。

 

「まぁ……お前が俺で良いって言うなら、手伝うよ」

「本当に?」

「あぁ、その代わりこっちも手伝ってもらうから。まぁ一緒に、な」

「ふふ、ありがとう、レン君」

「最初はこっちがお礼しに来たはずなんだけどな……」

「あ、そういえばそうだったね。お昼ごはん食べないと……いいかな?」

「そりゃ当然」

 

 包みごと、サンドイッチをルミアの方にも寄せると、ルミアがトマトサンドイッチを取って、嬉しそうに食べ始めた。

 

「あ、これ凄く美味しいね……レン君、料理出来るんだ」

「家で作ってるの俺だしな。まぁ、遠慮なくどんどん食ってくれ」

「うん! レン君もたくさん食べないとダメだよ?」

「そりゃもちろん食べるよ」

 

 そうして、しばらく二人でサンドイッチを食べる。喋っている時間が長くて、昼休みの時間が消費されたので、気持ち早めにだが、サンドイッチの味が良かったこともあって、すぐに無くなってしまった。

 爽やかな風が吹く中、食べ終わって重しが無くなった包みが飛ばされないように、すぐにたたんでしまい込むジョレンに、ルミアが笑顔で。

 

「これからよろしくね? レン君」

「あぁ、一緒に、だろ? よろしく頼む、ルミア」

 

 二人して言い合ってから、授業のチャイムが鳴る前に、教室へ戻っていった。



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第六話 「不穏を告げる『遺体』」

 グレンの授業はいつのまにか大人気となっていた。

 連日のように、殺到する他クラスの生徒たち。その授業の内容や、魔術理論の勉強のために他の講師まで授業を見に来るレベルだった。

 今となっては、昔のグレンの面影は―――若干は残っているが、もうほとんど気にしている人はいなかった―――はずだったが。

 

「……遅い!」

 

 今日は学院の講師や教授たちは帝都で行われる魔術学会に出るために、学院は休校日になっていた。

 しかし、グレンのクラス―――2組だけは、前任の講師であるヒューイがいなくなった際に授業が遅れたために、その穴を埋めるために臨時で授業が行われることになっていた。が、その当日の授業時間が過ぎても、グレンは現れなかった。

 

「まさか、今日が休校日だと勘違いしてるんじゃないでしょうね!?」

「あはは……まさかグレン先生でも、そこまでは……ないと思うけど」

「俺は全然あり得ると思うけどな」

 

 机に肘をついて眠たげに何も書かれていない黒板を見ながら、ルミアとシスティーナの会話に入るジョレン。

 眠気を誤魔化すためだったが、不意にグレンを話題にしたことで、ハッとなった。

 

「しまった、今日の授業でちょっと道具使うから、授業前に持ってきておけって先生に言われてたんだった」

「貴方も色々忘れるのね」

「そうなの? 私も一緒に行こうか?」

「いや、別に大変でもなさそうだったし、今のうちに取りに行くから、気にしないどいてくれ」

 

 昨日、授業が全て終わった後の眠気まじりの時に、グレンから頼まれていたことを思い出し、そそくさと教室を出て、道具保管室へと向かうジョレン。

 他のクラスの生徒も講師も教授もいない、閑散とした学院は、かなり新鮮だった。

 

「えっと、ここだっけ」

 

 別段なにもトラブルは起きず、道具保管室の扉を開けるジョレン。

 中には、掃除道具から、魔術的な実験のための道具まで至れり尽くせりであり、ざっと見渡すだけでも、眩暈がしそうな程に数が多い。

 

「この中から探せって拷問に近いよな……」

 

 そうぼやきながらも、部屋の奥まで入って、グレンから頼まれていたものを探し始める。

 呪文をかけて効果を見るための、魔導人形の類だ。30cmもないぐらいの大きさで、耐久性に比べて若干軽く出来ている。また、かなりゆっくりではあるが自動修復機能もついていて、何度でも再利用できるらしい。

 

「しかし、色々な物が置いてあるな……」

 

 確かに高級なものは置いていないが、まだ学生の身分でしかなく、かつ貧乏なジョレンにとっては目新しいものもチラホラ散見される。ここに滞在してるだけで、1週間は勉強になってしまいそうだった。

 

「まぁ、早く帰らないと先生も来ちゃうし……と」

 

 そう呟きながら、もっと奥へと入っていくジョレン。奥の方の棚には魔術的な加工がされた物品がいくつかあった。おそらくはそのあたりにあるはずだ、と思い、地面に倒れ込んでいる掃除用具なんかを押し分けながら進んでいって―――

 

「……? なんかある?」

 

 ジョレンが視線を向けた場所。扉から見て、奥。更にそこから右の隅に何か細長いものが落ちている。

 若干暗く、輪郭しか分からないが、何か他の物とは違う異質さを感じる。

 好奇心か、もしくは他の感情か……自分でもよく分からなかったが、それに突き動かされるようにして、ジョレンが手を伸ばし、触ってみる―――

 

「な、なんだこれ!?」

 

 ざらざらとした感触。だがそれだけじゃない、何か本能に訴えかけてくるような嫌悪的な感触。

 それを我慢して、外の光が当たるところまで持ってくると、それの全容が明らかになった。

 

「……あ、足……か? 人間の……」

 

 そうにしか見えない。足だ。人の遺体の足がそこにあった。何年何十年、いや何百年放置されていたのかミイラ化した人の足が、今ジョレンの手に握られていた。握ってしまっていた。

 

「うわぁぁ――――――ッ!?」

 

 大声を出して、即座に離すジョレン、しかしその声を聞いてやってくる人は誰もいない。

 そんな中、すぐに後ろに飛びずさり、離した遺体を一瞥する―――

 

「あ、あれ……?」

 

 しかし、目を向けたところには、既に人の足の遺体なんていうものは無かった。

 何もない、様々なものがごった返しになっているような道具保管室でしかなかった。

 しかし、さっきまで遺体を握っていたと思っていた右手には―――確かな感触が残っていた。

 嫌な感触だ。この感触が残るだけでも、気分が悪くなる。もしずっと握っていたら、どうかしていたかもしれない。

 いや、というよりも、遺体の幻覚などを見る時点で、どうかしていたのかもしれない。

 

「疲れてたのか……? 最近、結構勉強詰めだった……気もするし」

 

 グレン先生の授業は一秒だった欠かさずに聞いていたし、その後はルミアと法医呪文(ヒーラー・スペル

)についての勉強を一緒にしていた。グレンが真面目に授業をしてくれるようになってから、非常勤講師をやめるまでの間に、出来るだけ勉強を進めたくて、若干無理をしていた自覚はある。

 

「だからって、今のは……」

 

 今日ぐらいは、早く帰って休もうか……と密かに思いながら、再び道具保管室に入って、目的の魔導人形を手にして、せっせと教室に戻っていった。

 

***

 

 魔導人形を持って教室に戻ってくると、何やら教室内が騒がしくなっていた。

 グレンが帰ってきたのだろうか? と思い、扉を開いたジョレンが見たのは……

 

「《ズドン》」

「……え?」

「は……?」

 

 誰かが口から出した適当な擬音のような言葉。それが呪文だと分かるには、とてつもなく不似合いでふざけたものだった。

 しかし、その直後に放たれた光―――空気が切り裂かれる音と、その光が通った後から聞こえてきた、何かを穿つ音がそれが魔術であり、さっきのが呪文であったことを思い知らせてきた。

 

「《ズドン》《ズドン》《ズドン》」

 

 更に三閃。我に返ったジョレンが見ると、知らない男が二人立っており、システィーナに向けて男の一人が指を向けている。

 そして三連続させた呪文を唱えた直後、男の指から、またも光が三連続で続いてシスティーナに向けて発射された。それら全ては直撃はせずにシスティーナのすぐ横を通っただけのようだったが―――その後ろの壁には撃たれた数分の穴が開いていた。完全に貫通しているようで、穴から向こう側の景色が見えそうであった。

 

「そんな……まさか……い、今の術は……【ライトニング・ピアス】!?」

 

 その呪文をあと少しで喰らいそうだったシスティーナが呻くように呟いた。

 黒魔【ライトニング・ピアス】。

 指さした相手を一閃の電光で刺し穿つ、軍用の攻性呪文(アサルト・スペル)。【ショック・ボルト】と同じような見た目ながら威力、弾速、貫通力、射程距離全てが桁外れであり、魔術的防御を構えていなければ、かすっただけで感電して、即死するという、まさに殺戮の呪文であった。

 

「これで分かっただろ?俺たちがテロリストだって。この学院は俺たちが占拠しましたー、君たちは人質でーす、大人しくしててくださいーい。あ、そうそう逆らう奴は今のうちに頼むわ、殺しとくから」

 

 しかし、男はそう言うが、ここにいる全員が束になっても、この二人に勝てない、とこの場にいる皆が悟っていた。

 そして、今この場に来たジョレンには状況が全く飲み込めない。

 テロリスト? 人質? 色々と聞きたいことはあるが……

 

「おっと、道具取りに行ってくれてたの? サンキューサンキュー、はい手上げといて、んで動かないでねー、君も」

「……」

 

 何か言葉を発する前に、男二人に見つかり、今度は自分に向けて、その左手の人差し指が向けられた。

 黙って魔導人形を投げ捨て、手を上げてその場に立つジョレン。

 声は出さないが、心配そうに見てくるルミアの姿もここから見えた。

 

(手を上げた状態から鉄球を取っても、先に撃ち抜かれるだけか……)

 

 ジョレンが持っている物の中で、相手に対抗できるとしたら、鉄球しかない。

 しかし、その鉄球はホルスターに入れて腰に下げて吊るしてある状態だ。この体勢からでは必ず、相手の方が先んじて動けてしまう。

 

(今は耐えないと……ここぞというタイミングで……)

 

 そう覚悟を決めている中で、男はクラス中に向かって―――

 

「こんなかでさ? ルミアちゃんって女の子いるかな? いたら手を上げてほしいなぁー、もしくは教えてくれてもいいんだけどなー?」

(ッ!?)

 

 その言葉にジョレンは驚愕に目を剥いた。というよりも、皆そうなのだろう。誰もが困惑を隠しきれていない、無意識のうちにルミアの方に視線を動かしてしまっている生徒たちもいる。

 

「おー?ルミアちゃんはこの辺りにいるのかー。 うーん、どこだろ」

 

 そう言って、ルミアがいる一角にやってくる男。

 

「君がルミアちゃんかな?」

「ち……違います」

 

 顔を覗き込まれた女子生徒―――リンは、涙目になりながら、否定した。

 

「じゃ、誰がルミアちゃんか知ってる?」

「し、知りません……」

「ふーん、本当? 俺、嘘つきは嫌いなんだけど」

 

 蛇に睨まれた蛙のように、涙を流して震えていることしか出来ないリン。

 その奥では、ルミアとシスティーナが目配せをしていた。どうやらルミアが今にも自分から手を上げそうで、それをシスティーナが止めているらしい。

 

「あ、貴方たち、ルミアって子をどうするつもりなの?」

「ん?」

 

 再び突っかかってきたシスティーナに、男は面白そうに笑って近づいていく。

 

「お前、ルミアちゃんを知ってるの? それともお前がルミアちゃんなの?」

「私の質問に答えなさい! 貴方たちの目的は一体何!?」

「ウゼェよ、お前」

 

 次の瞬間、男のへらへらした顔が冷酷な顔へと変わり、すっとシスティーナの頭に指が突きつけられ―――

 

「私がルミアです」

 

 その時、ルミアが席を立っていた。

 

「へぇ?」

 

 そして、システィーナには興味を失ったと言わんばかりに、今度はルミアの方に近づいていく。

 

「そう、君がルミアちゃんなんだ……はは、実は知ってた」

「え?」

「実はゲームやっててねぇ、ルミアちゃんが見つかるまで何人殺せるかゲーム。いやぁ、一人も殺してないのに、自分からバラされるとは思ってなかったよ、でもまぁ、ファインプレー!」

「外道……!」

 

 ぱちぱちと拍手するチンピラ男に、ルミアは普段見せないような怒りの籠った眼を向けている。

 

「おい、遊びはその辺にしておけ、ジン」

 

 これまで黙っていたダークコートの男の方が突如口を開く、そしてルミアの方にゆっくりと歩いていく。

 

「私が娘を連れていく。お前は手筈通り、ここにいる全員に【スペル・シール】を付けてから拘束魔術で捕らえておけ」

「へいへーい、めんどくせーな」

 

 言葉通り、面倒くさそうに頭を掻きながら、チンピラ男は近くの生徒から手あたり次第に【スペル・シール】をつけていった。

 

「ご足労願えるかな? ルミア嬢」

「拒否権は……ないんですよね?」

「理解が早くて助かる」

 

 その様子を、一人だけ教室の扉のすぐそばで見ていたジョレンは、少しずつ動き出していた。

 

(今だ……今、あの二人は両方とも、俺の方に注意を向けていない……今のうちに……)

 

 そう思い、ゆっくりとジョレンは腰に吊るしてある鉄球の方に右手を―――

 

「おい、何やってんだ?」

「ッ!」

「え!?」

 

 その時、偶然か分かっていたのか―――チンピラ男が真っすぐこちらに指を向けて、歪んだ笑みを浮かべていた。

 それを見たルミアがその表情を青く染めるのと、男が次の言葉を吐くのは同時だった。

 

「あぁそう、抵抗する気なのかぁ?なら仕方ねーよなー、《ズ―――」

 

 呪文だ。たった三文字で放たれる【ライトニング・ピアス】を撃たれる。

 それを悟った時、ジョレンはすぐさま反射的に左手を男の方に向けていた。

 

「《雷精よ・紫電の―――」

「―――ドン》」

 

 当然、先に完成するのは男の呪文だ。その指から放たれた電光がジョレンに向かって行き―――

 

「―――衝撃以って―――」

「あ?」

 

 しかし、それはジョレンに当たらず、近くの壁を穿っただけだった。

 システィーナの時と同じ脅し。だが、ジョレンはそれを意に介さずに呪文を紡いでいる。男がまだ本気でないと見抜いていた。

 

「―――・打ち倒せ》ッ!」

 

 そして完成する、ジョレンの【ショック・ボルト】。確かに殺傷力は低い、学生用の呪文だが、少しでも相手を気絶させることでも出来れば、まだ勝機がある。

 

「よっと」

「なッ……」

 

 しかし距離が開いていたためか、放たれた電気は少し身を捻られただけで躱されてしまう。

 そして、男はその異様な笑みを更に深く深く歪めて。

 

「《ズドン》」

「ッ―――ァッ!?」

 

 もう一度放たれた雷閃が、今度は完全にジョレンに対して直撃した。

 その衝撃によって、ジョレンの身体が後ろに吹っ飛び、壁に打ち付けられ、重力に従い、ぐったりとうずくまるようになってから……動かなくなった。

 

「う、嘘……?」

「れ、レン君ッ!?」

「あーあ、骨のある若者だったのに、ここで人生の道が閉ざされちまうなんて悲しーことだなぁ?」

 

 その現実を直視できそうにないシスティーナに、思わず悲鳴のような声を出してしまったルミア、そして、何のショックも受けてないかのように、うわべだけの言葉を吐く男。

 しかし、どの言葉に対してもジョレンは反応を返さなかった。

 

「しかし、もしかして魔術的防御構えてて、実は生きてたーってなってても困るし、もう一発撃っとこうかな?」

「やめてくださいッ!」

 

 軽い調子で倒れ込んでいるジョレンに向けて、再度指を向ける男に対して、ルミアはすぐに我に返って一喝した。

 

「もし、そんなことをするのなら……私は舌を噛んでここで死にます」

「……ふーん、同級生君の死体でも、傷つけることは許さないってわけだ。はいはい、分かったよ、ルミアちゃん」

 

 しばらくして、全生徒に対する拘束措置も終わり、ルミアはダークコートの男に連れていかれ、システィーナもチンピラ男に強引に連れていかれた。

 

「レン君、ごめんね……?」

 

 連れていかれる直前に、ルミアがジョレンの横を通った時に、囁くように謝罪の言葉を発するルミア。

 だが、ルミアもシスティーナもダークコートの男もチンピラ男も気づくことは無かった。

 ジョレンのすぐそば……死角になっているところで。

 シルシルシルシル……と鉄球が回転していたことを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第七話 「『約束』のために死闘へと赴く」

 打ち付けられた身体中が痛い。全身がバラバラになりそうだった。

 少し動かそうとしただけで激痛が走り、脳がやめろと叫んでくるようだった。

 

『諦めるのか?』

 

 微睡むような意識の中で、誰かの声が響いてくる。

 

『諦めるなら諦めるならいいけどよォー。迷惑にならない形にしてくれねぇか?』

 

 男の声だ。その調子は飄々としているようで、どこか芯の通った、不思議な声だった。

 頭の中に風景が浮かんでくる。そこは裏路地で、ところどころに血が飛び散っている。

 そんな中、妹を背負っている自分と、二つの『鉄球』をその手に持った男がいる。

 男は、少しうんざりしたような、それでも、しっかり見れば、心配してくれているような、中途半端というよりは、その両方ともとれる不思議な表情をしてこちらを見ている。

 

「だって……そんなこと、でき―――」

『まさか出来るわけがない……なんて言うんじゃねぇだろうな?』

 

 男は読心術でも、超能力でも持っているのか、自分が言おうとした言葉を簡単にさらって先に言葉へと変えてしまった。

 不意に膝をつき、顔を自分に近づけて、男は更に言葉を続ける。

 

『分かってるのか? 出来るわけがない、は―――』

「四回、まで……?」

『……お前』

 

 男が怪訝そうな顔をして、こっちの顔を覗き込んでくる。

 しかし、一番不可解に思っていたのは自分自身だった。

 なんで、その言葉を知っている? だって、初めて教えてもらったのは、この時だ。言われる前に知っているはずがない……

 あるはずのない矛盾した記憶の中、男はもう完璧にうんざりした様子で頭を掻きむしりながら立ち上がって。

 

『分かってるなら、さっさと行きやがれ』

「俺は……」

『行くんだ、ジョレン=ジョースター。今、教えることは何もない』

 

 その言葉と同時に、男の姿も、周りの情景も全てが蜃気楼であったかのように崩れていく。

 

「……はい、ありがとうございました」

 

 これは現実ではない。自分が見ている夢なのだろう―――

 それは分かっていたが、不意に口から漏れ出た。今は記憶に無くても、あの時に言えなかった感謝の言葉が―――

 

***

 

「クソ……あの夢は、確か……つーか痛ぇ……」

「「「ジョレン!?」」」

 

 既に生徒全員が魔術的な拘束を受け、何もできなくなっている中、【ライトニング・ピアス】を受けてなお、立ち上がったジョレンに全員が驚愕の声をあげた。

 ジョレンの身体は至って無傷だ。壁に背中を打ち付けた衝撃で気絶しかけていたが、外の情報も朧気ながら覚えていた。

 そんな中で、一番鮮明に覚えていたのは、最後に聞いたルミアの声だった。

 

「あいつ……何が『ごめん』だ……なんでお前が謝る……」

「お、おい……ジョレン、大丈夫なのかよ……?」

「あぁ、この通り、死んでない」

 

 心配そうに声をかけてくるカッシュに、腕を回して見せるジョレン。

 かなり痛むが、動きに支障はない。走ることも出来そうだった。

 そして、立ち上がった瞬間、床の方から何かがジョレンに向かって飛んでくる。

 回転した鉄球だ。何も操作していないのに、自動的にジョレンの手に収まるように飛び戻ってきた。

 

「……」

 

 しばらくの間、手に収まった鉄球を見つめ……そして、教室の扉に手をかける。

 

「じょ、ジョレン……? どこに行くんだよ……」

「ルミア……とシスティーナを連れ戻しに」

「む、無理だろ!? 相手は軍用魔術を使うテロリストなんだぞ!? 絶対に殺される!」

「かもな……これもどこまで通用するやら、だし」

 

 手元で鉄球を弄って見せるジョレン。だが、誰も鉄球の効果など知らない皆に対しては、何の安心も与えることは出来ない。

 

「でも行かなきゃいけないんだよ」

「ど、どうして……そこまでして……?」

「ちょっとした『約束』があるってだけだよ、本当にそれだけ」

「は、はぁ?」

 

 そんな困惑の声を無視して、扉を開け、走り去っていくジョレン。

 

「お、おいッ!?」

「戻ってくる、きっと戻ってくるから」

 

 みんなの声を背中に受けながら、そう言い残し、廊下を走っていく。

 相手がどこに向かったのかは分からない。しかし、それでも見つけるために走っていく。

 

(ルミアの奴……自分のせいで俺が攻撃されたと思って、謝ってきやがった……)

 

 あのテロリストが来たのは、確かにルミアが目的だったからかもしれない。だが、それは違う。自分が攻撃したからだ。攻撃したから、反撃を受けてこんなことになったのだ。

 

(一緒にやろうって先に言ったのはお前だろ……!)

 

 その『約束』だ。これが大事なんだ。約束は『神聖』なものだ。それを反故にされても構わないが、それが自分の意志でない、強制的なものであるというのなら―――ただ強大な力に流されて反故にされるのだけは我慢ならない。ルミア自身の意志でないというなら、何度だって再度約束しに行ってやる。

 その思いがジョレンの中で『覚悟』となっていく。約束が反響するたびに、決意となっていく。

 そして、それと同時に一つだけ分かったことがある。

 

(あいつはいい奴なんだ……どこまでも良い奴だ。それだけは決して変わらないことがハッキリした。あの時、追撃を喰らいそうだった俺を、自分の命を賭けた脅しまでして助けた……俺はそれで逃げることだってできる。俺を逃がそうとしてくれていた)

 

 だが、それとこれとは話が別だ。ルミアに引けない一線があるように、ジョレンにも確かにそれがあった。

 

「これからお前のもとに向かうッ! 夢を叶えるまでずっと一緒だッ! 互いの夢を絶対に叶えるまでッ!」

 

 夢を叶えるための『約束』。

 始めて他の人から交わしてほしいと言われて交わした『約束』は、他の人が思うよりもずっと大切なものだった。

 

***

 

 ジョレンが行動を再開してから、数分が経過している。

 しかし、相手の姿を再補足することが未だに出来ていない。どういったルートを通ろうとしているのか全く分かっていないのだから、しょうがないとも言えるが。

 

「まずい……このままルミアをどっか手の届かない場所に連れていかれたら、どうしようもない……ッ」

 

 そもそも相手の目的が分からない。なんでルミアを誘拐した? なぜ殺害が目的ではない? 様々な事が開示されていない状況下で相手を追うことがどれだけ成功確率が低いのか、改めて思い知らされることになった。

 時間が経つほどに増していく焦燥に駆られ、再び駆けだそうとしている中で。

 

「その心配の必要はないな」

「ッ!」

 

 声がした方向を見れば、そこには教室での騒ぎの時にいた男の片方、ダークコートを羽織った男が立っていた。

 その眼はどこまでも鋭く細められており、ジョレンのような学生相手でも油断をしていない証明でもあった。

 

「まさか、ジンの【ライトニング・ピアス】を喰らって生きていたとはな……魔術的防御を構えていた形跡もなかったが、どうやった?」

「ふざけたことを聞いてんじゃあないぞ。教えるわけがないだろう」

「ふん、確かにな。今から殺す相手が生き残った術を聞いてもしょうがない、か」

 

 そう言うや否や、男は左手の人差し指をジョレンに向けた。

 それに反応して、ジョレンも腰につけた鉄球をすぐさま取り出し、構えて。

 

「《雷槍よ》」

「おらァッ!」

 

 男が【ライトニング・ピアス】の呪文を唱えるのと、ジョレンが鉄球を投げるのはほぼ同時だった。

 次の瞬間、雷閃と鉄球が真正面からぶつかり、火花を上げ散らかした。

 

「ふん、鉄球ごときがなんだと言う。【トライ・レジスト】でも付呪(エンチャント)してなければ、貫通して終わりだ」

 

 しかし、ギャルギャルギャルギャルギャルギャルと凄まじい音を立てて回転し続けている鉄球は貫通する様子が全然見当たらない。

 拮抗している。ただ投げただけの鉄球が軍用魔術と拮抗していたのだ。

 

「馬鹿な……!?」

 

 そして、バチィッ!!という音と共に鉄球も【ライトニング・ピアス】も両方弾かれた。鉄球は床へと叩きつけられ、【ライトニング・ピアス】は軌道が上へと逸らされ、天井に穴を開けるだけの結果となった。

 ダークコートの男が呆気に取られている中、床に叩きつけられても、静かに回転していた鉄球が、不意にジョレンの元へと戻っていき、それをパシィ、と受け止めていた。

 

「なんだ、その鉄球は……? どんな魔導機だ……!?」

「ふっ―――!」

 

 驚く男を後目に再び鉄球を投擲するジョレン。

 今度は何の障害もなく、真っすぐに男へと向かって行って。

 

「《大気の壁よ》―――ッ!」

 

 咄嗟に唱えられる黒魔【エア・スクリーン】。空気膜の障壁が男を中心に展開され、飛んできた鉄球をすんでのところで空気圧によって押しのけられるが、膜の外側で凄まじい回転を継続しながら、べったりと張り付いているようにも見える。

 鉄球が向かって行く力と【エア・スクリーン】の弾こうとしている力が均衡しているのだった。

 

「回転か……? この回転が原因なのか? この回転の力で弾いたり、食い込んだりしているというのかッ!?」

「うおおぉぉ――――――ッ!」

 

 驚愕に目を見開いている男に向かって、突進するように距離を近づけていくジョレン。

 パシュッと鉄球が右手に戻ってくると同時に、今度は更に近い距離から投球フォームへと移行する。

 

(俺の鉄球の撃墜飛投距離は本家の半分にも満たない……5~6メトラ、いや7メトラまで近づかなければッ!)

 

 それが最低限、相手を一撃で気絶まで持っていける距離。その有効射程距離までに近づかなければ絶対に勝てない。

 そして、目測6メトラ。ここからならいける―――

 

「させるか……《炎獅子よ》―――ッ!」

「ッ!? この―――まだッ!?」

 

 一節詠唱で放たれる黒魔【ブレイズ・バースト】。火球が着弾した部分を中心に、周りにダメージを与える、高威力の無差別範囲呪文。

 至近距離で対抗呪文(カウンター・スペル)無しで喰らえば、助かる可能性はほぼ0だ。それに周りに逃げ場がない廊下内―――躱すことはできない、防ぐしかない。

 それを悟ったジョレン、振りかぶって投げようとしていた鉄球を急遽、胸元まで持ってきて、それを両手で擦るように回転させ―――

 

「巻き込め―――」

「ぬッ……!?」

 

 瞬間、鉄球を中心に猛烈な空気の流れが出来る。それが【ブレイズ・バースト】の熱を遮り、威力を流れで巻き込み、乱気流に揉まれ吹っ飛ばされる気球のように、火球を圧倒的な気流によって散らしてしまっていた。

 ちょっとした熱は受けたようで、反射的に汗などをかいたようだが、実質的なダメージは0に等しいようだった。これには、流石の男も絶句するしかない。

 

「【ブレイズ・バースト】まで防ぐだと……!? なんだ……? それは一体なんだッ!?」

「『技術』だ。あんたには到底理解できない、な」

 

 言いながらジョレンは密かに勝機を見出していた。

 

(相手の呪文は全部防げる……! そしてこの距離ッ! いける、このままぶち込めるッ!)

 

 そのまま、相手のマナ・バイオリズムが整う前に鉄球を振りかぶり―――

 

「喰らってくたばれェッ!」

 

 投げ放たれた鉄球が回転によって生じた風圧を伴いながら、男の顔に向かって肉薄していく。

 

「『技術』か……なるほど、大したものだ」

 

 しかし、それがあと数十cmという状況になってから、男から驚愕も焦りも消え去った。

 

「確かにこれは、少し本気を出さねばならんか」

「は……?」

 

 そう言うが早いか、突如男の背後から、何かが前方に滑り込んできて、鉄球を弾き飛ばしていた。

 無論、回転の力によって、滑り込んできた何かも弾かれたが、ジョレン渾身の一撃が防がれたことに変わりは無かった。

 すぐさま戻ってきた鉄球をキャッチすると同時に、鉄球を弾いたものの正体が明らかになった。

 

「剣……? 浮いてる、しかも五本も……!?」

 

 宙に浮く剣の魔導機。自立して動く形でもあるのか、魔力増幅回路が組み込まれているようで、圧倒的な魔力が漲っているのが分かる。

 そして、鉄球を弾けるほどの質量と、咄嗟に防御に入れるほどの速度。しかも一本ではなく五本も起動しているこの状況。まず間違いない、まずい。一気に状況を逆転させられてしまった。これでは鉄球一つでは考えるまでもなく手数が足りない。押し切られるのが目に見えていた。

 

「さぁ、第二ラウンドと行くぞ、少年魔術師。さばききれるか?」

「くッ―――!?」

 

 鉄球を構える。構えながら打開策を考える、が―――

 

(ど、どうすれば……!? どうすれば相手に一発でも叩き込め―――)

「行け」

 

 考える時間は与えないと言わんばかりに、男の言葉を皮切りに一斉に向かってくる五本の浮遊剣。

 一本、先んじて突っ込んできた浮遊剣に、右手のひらで回転させた鉄球を直接押し付けるようにして防御する。

 

「グァッ!?」

 

 一瞬、火花が飛び散るが、すぐに衝撃によって、剣も鉄球を持ったジョレンの身体も弾かれ、後退させられる。

 その隙を逃さないとばかりに、今度は二本の剣が、左右から迫ってくる。

 左右からの同時攻撃に、一つしかない鉄球では防御しきれない。すぐさま、後ろに飛び下がるようにして、切りかかってくる剣を躱す。しかし、またその次に、残りの二本の剣が飛び掛かってくる―――

 

(だ、ダメだッ! 後ろに下がらなきゃやられる!? 距離を離されてしまうッ!?)

 

 もうとうに男との距離は、鉄球の撃墜飛投距離の外だ。ここから投げてもし当たったとしても、致命的なダメージにはならない。逆に防御手段を失ってジ・エンド確定だ。

 

「く、クソッ!」

 

 更に一歩下がって、上から振ってくるように飛んできた剣を避ける。避けられた剣が抉るように地面に突き刺さり、破片が周囲に飛び散った。

 

「こ、これしか―――」

 

 自分目掛けて飛んできた破片を、左手で咄嗟に掴み取り、すぐさま回転を加える。

 次々飛んでくる浮遊剣による波状攻撃。さばききるには武器が二つ以上ないと不可能に近い。苦肉の策というほかは無かった。

 今度は、左から横なぎに切りかかってくる剣を回転させた破片で受け止める、が―――

 

「―――ッ!?」

 

 回転していた破片に、剣が食い込んで、一瞬で回転が止められてしまう。そのまま、剣が破片を左手のひら諸共切り裂いた。

 凹凸(おうとつ)の多い破片では回転が不完全で、力が発揮しきれないのだった。

 

「クッ―――うおおぉォ―――ッ!」

 

 だが想定内―――手のひらが切り裂かれたことによって、出血している。その傷の部分を右手で持っている鉄球を回転させて押し付けた。すると、回転の力によって、流れ出た血が男の方向かって勢いよく飛び散った。

 

「ぬっ!? き、貴様、小細工を……!?」

(い、今だッ!?)

 

 剣の操作に気を取られていたのか、それとも剣自体が死角になったのかは知らないが、飛び散った血は男の眼に直撃し、一時的に視界を奪う。

 それを好機と見て、一気に距離を詰めるジョレン。相手の視界を奪った今、浮遊剣による迎撃は正確性を失った―――この一瞬の隙に相手の懐にまで詰め寄り、鉄球を喰らわせる―――だが。

 

「え……?」

 

 動かなくなったのは、五本の浮遊剣のうち、二本だけだった。残りの三本はさっきと変わらない動きを継続している。そのうちの一本が今まさにジョレンに刃を振り下ろそうとしていた。

 

「まさか、自動なのか……? この三本―――」

 

 ジョレンが言い終わらないうちに振り下ろされる剛速剣。咄嗟に身を捻って躱すも、やはり残り二本の剣が追随してくる。

 

(や、やられた……!手動のは二本、自動が三本だと……!?全く気付かなかったッ!)

 

 歯噛みしてももう遅い。見れば、男はもう血を拭い終えたようだ、ジョレンの方を忌々し気に睨んでいる。そして、視力が回復したということは、せっかく封じた二本の手動剣も機能を回復したということだった。

 

「ぜ、全然近づけないッ!」

 

 勢いを増す、五本の浮遊剣による波状攻撃。後退しながら躱し、躱しきれない剣は鉄球で弾く。しかし、その戦法は必ず終わりを迎えることを、ジョレンは嫌という程理解していた。

 

「あっ……」

 

 背中に何かがぶつかる。

 見るまでもない、壁だ。袋小路だ。廊下の終わり、逃げ場の終着点。

 これ以上後退することは出来ない。後退することが出来ないということは、今まで後退することで何とかさばいていた相手の攻撃を、もうどうすることも出来ないということだ。

 詰み(チェック・メイト)に嵌まってしまった。

 

「手こずらせてくれたな……」

 

 男が忌々し気な声音でそう言うと、浮遊剣が逃げ場のないジョレンを取り囲むような位置で待機する。例え、ジョレンがここからどんなアクションを取ろうと、必ず仕留められるような、完璧な位置取りだった。

 

「貴様の名を聞いておこうか、少年魔術師」

「……ジョレン=ジョースター」

 

 酔狂か何かか、それとも自分をてこずらせた相手の名前でも憶えておこうというのか、男の言葉に従いながら、ジョレンはどうにか、この浮遊剣の包囲網を突破する方法を必死に考えていた。

 一本目は避けれる。二本目は鉄球で弾ける。三本目は左手を切り落とされる覚悟で行けば、まだ死なずには済むだろう。じゃあ四本目は? もしいけても五本目は?

 ……無理だ、抵抗しきれない。どんな手を打っても、体の部位一つ二つを犠牲にする覚悟で特攻しても、必ず最後の剣で心臓を貫かれるだろう。

 

(やっぱり無理だったのか……? 俺じゃあ……)

 

 悲壮感が心を縛り付けてくるなか、包囲していた剣がゆるりと動き出して―――

 

「さらばだ、ジョレン=ジョースター。強き少年魔術師」

 

 鉄球を持っていない左側―――一番左端に浮遊していた剣が逆袈裟の形で斬りかかろうとする―――

 

(クソッ! すまねぇ、リリィ、ルミア、システィーナ……!)

 

 心の中を悪循環する負の感情のせいで、目をつぶってしまうジョレン。

 恐怖というよりは罪悪感、無力感によって取った無意識の行動だったが、ジョレンはそんな自分が猶更情けないと思った。

 だが―――

 

「あれ……?」

 

 ガキィンッ!と何かが弾かれる音が不意に響いた。

 そして、その後、衝撃が来ない。痛みも。

 不思議に思って、恐る恐るつぶっていた目を開けるジョレン―――

 

「な……なんだ? それは……一体……?」

 

 そこには、今までの中で一番、驚愕に目を剥いている男の姿と今まさに斬りかかろうとしていた左端の剣が弾かれていたところだった。

 見れば、男の視線は自身の下の部分に向けられている。

 それにつられるようにして、ジョレンも下の方に視線を向ける―――

 

「な、なんだこれ……!?」

 

 そこには、自分の右足の中から飛び出した『ミイラ化した足』があった。

 まるで自分の足が抜け殻みたいにめくれて、その中にミイラの足が入っていたのだ。しかも、自分の足を突き破られているはずなのに痛みも感触もまるでない。

 

「こ、これは……あの時の!? 道具保管室で見たミイラの足なのか!?」

 

 しかし、それしか考えられない。この既視感を持つ足を見たのは道具保管室以外にはなかった。

 一瞬だけ現れて消えたと思っていた、あれは幻覚ではなかった。自分の足の中に入っていたのだ。だから消えたように見えていた。

 パニックに陥りかけるジョレンの思考だったが、それを引き戻したのは、一つの声だった。

 

『チュミミィ~ン』

「は……?」

 

 すぐ横からだ。甲高い鳴き声のようなものが聞こえる。

 ほぼ放心状態のまま振り向いてみると、そこには謎の生物が浮かんでいた。

 全身はピンク色、短い尻尾に、その周りにはハートマークをかたどったような装飾。普段なら口があると思しき場所にはトゲが生えており、全体的にウーパールーパーを彷彿とさせる雰囲気があった。

 だが、何一つ状況が把握できない。こいつが現れたのはなんでだ? そしてなんで攻撃を弾けた―――

 その思考に正解を教えるかのように、自らの手からシルシルシルシル……と何かが回転している音が耳に入ってくる。

 

「な、こ、これは……!? い、一体、何が回転しているんだッ!?」

 

 見れば、自身の手の指の上で何かが回転している。右手は5個、左手には4個ついており、何故か左手の小指だけはそれがない。

 いや、ただ無いだけじゃない。何故か小指だけ本来あるはずのものが無くなっていた。

 

「まさかこれは……そうなのか? まさか―――」

 

 しかし、もう疑いようもなかった。

 爪だ。自身の爪が円盤のように回転してそこにあったのだ。



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第八話 「二つの『回転』。爪と鉄球」

 状況は完全に膠着状態へと入っていた。

 否、男が操作している浮遊剣は完全にジョレンを包囲しているし、ジョレンが変わらず不利であるこの状況ですぐさま攻撃に移らない理由も、ジョレンがこの包囲を突破するために、不意をついてすぐさま行動しない理由も、本来なら無い。

 今のこの膠着状態は、目の前で起きている現象を両者共に理解できていないからに他ならない。

 ミイラ化した足、突如回転を始めた爪、そして浮遊している謎の生物。

 全てが二人の手に余っていた。一介の学生に過ぎないジョレンのみならず、かなりの位階の魔術師であるはずのダークコートの男まで。

 

「なんだ……その右足も爪もなにがどうなってそうなっているッ!?」

「……?」

 

 理解できない、とばかりに問う男の言葉に、ジョレンは若干の違和感を覚える。

 

(あいつ……俺の隣で浮いている奴のことは聞かないのか……? まさか見えていないのか?)

 

 確かに、相手の視線は一回もこの生物に向けられてはいなかった。目に入っていないとしか思えない。この中で一番異様なのは、間違いなくこの生物であるのに、それには気を取られないというのはおかしかった。

 

「……どうやら、貴様も理解できていないようだな」

「……」

 

 押し黙るジョレンの姿に、男はそう判断したようだ。そして、その考えはほとんど正しい。

 

「貴様は……なんというか興味深い。魔術師として貴様を生け捕りにして、研究してみたいという欲が確かにある。だが、今回、我々がここに来た目的は別だ……そして、貴様のその力、実力。我々の目的を妨害し得る『敵』であることに違いはない。惜しいことだが……ここで始末するッ!」

(ッチ、来るかッ!?)

 

 男の宣言と共にまた、ゆるりと動き始める浮遊剣。

 ジョレンも咄嗟に右手のひらの中にある鉄球を回転させようとして―――

 

『チュミミィ~ン』

「なッ……!?」

 

 しかし、謎の生物が鉄球を回転させようとしていた右手に触ると、ジョレンの意志とは別に右腕が動き、今まさに振り下ろされようとしている浮遊剣に向けて、人差し指で指さした。

 この体勢では、回転させた鉄球を投擲することができない。防げない。

 この生物は敵だったのか―――そんな思考が浮き上がりそうになるも、次の瞬間、そんな考えは吹き飛ぶことになる。

 

『チュミミィ~ン』

 

 剣が振り下ろされる瞬間、それを指さしていた人差し指の爪が回転し―――ドン、という音ともに射出されたのだ。

 射出された爪は真っすぐ剣へと突っ込み―――まるで鉄球を使った時のように、剣を弾いていた。

 

「さっきと一緒だ……その爪! やはり射出出来るのか! 『さっき剣を弾いた時と同じように』射出出来るんだなッ!」

「そ、そうか……俺が目をつぶっていた時に剣を弾いたのはこれだったんだ……回転のエネルギーで推進力を得た爪……『爪弾』ッ! さっき弾いたのはこれだ、この爪のカッターのような回転はそういうことだったんだッ!」

 

 それを理解した瞬間、ジョレンの表情から迷いは消えていた。

 すぐさま、残り三本の浮遊剣に向けて、右手の小指、中指、親指を向けて、『爪弾』を同時発射した。

 射出の仕方などまるで分からなかったはずだが、今の一回の射出を見て、何故かその方法が本能のように、頭に浮かんでいた。精神的な操作によって打ち出せる爪が、さっきと同様に真っすぐの軌道を描いて、浮遊剣に向かって行き、ガキィン!と高い音を立てて、弾いた。

 

「クソッ……」

「うぉぉ――――――ッ!」

 

 五本の浮遊剣全てを弾いて、突破口が出来上がる。ようやく出来た穴をくぐるようにして、浮遊剣の包囲をジョレンが突破すると共に、男は浮遊剣全てを自分の近くに呼び戻してから、再び、ジョレンに向けて斬りかからせる。

 しかし、左手の指から発射される五発の爪弾がそれを次々と叩き落すかのように防ぐ。しかもよく見れば、撃ったはずの右手の爪が元に戻っている。普通ではありえない速さで再生しているのだった。拳銃のように弾切れを待つというのが不可能であった。

 

「《炎獅子よ》―――」

「今度は呪文か……ッ!」

 

 左手をジョレンの方に向け唱えられる【ブレイズ・バースト】。圧倒的な熱量を持った火球が近づくジョレンに肉薄していくが―――

 

「ふっ―――」

 

 今度は鉄球だ。鉄球がさっき【ブレイズ・バースト】を防いだ時と同じように、回転によって起こる空気の流れによって散らしてしまう。

 完全に防ぎ切ったと見るや、左の中指を男に向け、今度は間髪入れずに爪弾を発射した。

 

「《大気の壁よ》―――」

 

 すぐさま展開される対抗呪文(カウンター・スペル)、【エア・スクリーン】。だが―――

 

「馬鹿な―――」

 

 さっきの鉄球とは違い、回転した爪弾は空気膜の障壁を簡単に破って通過してきた―――破られた空気が割れた風船のように破裂し、霧散していく。

 

「クソ、鉄球とは違い、『鋭い』のかッ!? この爪はッ! 打撃というよりも斬撃に近いのか―――ッグゥ!」

 

 そして勢いそのままの爪弾が男の右耳を抉り飛ばした。

 男が出血した耳を右手で抑える。構わず、更に距離を詰めるジョレン。目測7メトラ―――再び、鉄球による撃墜飛投距離に入った。

 

(今度こそ―――)

 

 今度こそ、男の顔面に鉄球を叩き込んで気絶させる。思いっきり振りかぶって放つ渾身の一撃を―――

 

「《下僕よ・我が招致に応じよ》―――」

「呪文!?」

 

 それを唱えると、男とジョレンの間の空間に、虚空から何かが大量に出現する。

 それは骨で出来た動く人―――という様相。そして、盾と剣で武装しており、意志のような物はないはずだが、殺意のような雰囲気をジョレンの方に向けていた。

 そして、その数は5―――10―――15―――と、見ているうちにどんどんと多くなっていく。ありえない数の多重起動(マルチ・タスク)だった。

 

「『ボーン・ゴーレム』か!? 使い魔ってことなのか、こいつらはッ!?」

「やれッ! そいつを《殺せ》ッ!」

「ッチ―――」

 

 男の令呪(コマンド)により、即座に飛び掛かってくる無数のボーン・ゴーレム。

 すぐさま、ジョレンは左手の指五本から、爪弾を五発発射するも―――

 カン、という音を立てて、弾かれる。威力が威力なだけに、仰け反りはするものの、その骨の身体に何一つ傷をつけられない。

 

「つ、爪弾でもダメなのか!?」

「無駄だ、素材には『竜の牙』を使ってある。物理攻撃も三属攻性呪文(アサルト・スペル)も、そいつらには効かん。【ウェポン・エンチャント】でも付呪(エンチャント)するか? 最も、そんな時間は与えんが」

 

 背後では、弾き飛ばした浮遊剣が再び、ジョレンに切っ先を向けている。最早、後退することすら許されない構図へと変貌していた。前方には大量のボーン・ゴーレム。後方には五本の浮遊剣。それにこれだけの魔導機や使い魔を同時操作しながら、男は魔術での攻撃も可能だ。本来なら、ここから逆転なんて出来るわけがない。

 だが―――

 

(今の俺には、この回転がある……)

 

 右手に持つ鉄球と、今さっき発現した回転する爪を見て、物思う。ここまでダークコートの男を相手にして粘れたのは、間違いなく、この二つの武器のおかげだ。この二つの『回転』がここまで自分を導いた。

 一度絶望した自分に勇気をくれたのは、この『鉄球』だ。妹を治すための力には残念ながらならなかったけれど。最初に戦う勇気をくれたのは、間違いなく、この鉄球の回転の力で。

 今さっき、死地から救ってくれたのは、この『爪弾』だ。今も全く理解できない不可思議な力だけれど。それでも、自分の命を助けてくれたのは、間違いなく、この足と今も浮遊している謎の生物で。

 この二つが揃っていると、改めて感じた時、ジョレンの中にはもう迷いは現れなかった。

 

(ここまで来て途中で降りるなんてことは絶対しない! 『途中で投げ出すようなどうしようもない人間』にはもうなりたくないッ!)

 

 その思いに呼応するように、身体は動いていた。

 突如ジョレンは天井に向けて、両手を向け―――爪弾をなんと十発全て発射した―――

 

「なんだとッ!?」

 

 当然、十個の弾痕が出来る天井、そこから穴と穴が繋がるようにどんどん亀裂が走っていき―――

 

「うおらぁぁ――――――ッ!」

 

 魂が震えるほどの咆哮。それと同時に放たれる回転した鉄球が穴だらけの天井に直撃し―――ボーン・ゴーレムの真上で崩壊し、瓦礫が降り注ぎ、男の前にいた骨の兵士たちを生き埋めにしてしまった。

 

「ぬぅ……」

 

 天井が破壊された際に発生した粉塵で視界が塞がれている。

 しかし、一番の問題は降ってきた瓦礫の山のせいで、射線が遮られてしまったことだ。ここからでは魔術で攻撃することが出来ない―――そのため、位置を移動しようとした瞬間。

 

「おおぉぉ――――――ッ!」

「クッ!?」

 

 瓦礫の山を駆け上り、跳躍し、男の頭上を取ってくるジョレン。上から叩き落すように投げ放たれる鉄球。それをさっきまでのジョレンのように後退して躱す男。

 着地するや否や、男の横を通り抜け―――一閃。

 

「ァ―――これはァ……!?」

 

 突如、ジョレンが通り抜けた方の脇腹が出血した。見れば、ジョレンの回転した爪に血がついている。

 

「円盤のように回転した爪を本当にカッターのように……直接切り込んできた……!」

「とどめッ―――」

 

 脇腹を抑えてうずくまる男の背に向かって、右手の人差し指を向けるジョレン。今度こそ相手に致命傷を負わせる―――その意志でもって、爪を回転させる。

 

「まだだ、《来い》ッ!」

「!?」

 

 その呪文とも思えぬ、たった一言の言葉で、再び虚空の穴が開き、そこからボーン・ゴーレムが現れた。しかも、今度は最初からジョレンを取り囲むように。どこもかしこも骨の戦士で埋まっていく。

 

「……」

「もうどうしようもないだろう……お前の鉄球も! 爪も! 下僕であるボーン・ゴーレムには効かないッ! 追い詰めたぞッ!」

「あぁそのようだ。俺の回転じゃあ、周りの骨は倒せない……」

 

 鉄球が回転しだす。シルシルシル……と穏やかな音を立て、ゆっくりと、ゆっくりと加速していく。

 

「だけど、それだけじゃない。この技術(ワザ)はそれだけじゃない。今から見せてやるよ、その一部を……」

「御託はいいッ! 終わりだ、少年魔術師ッ!」

 

 そして、一斉に襲い掛かってくるボーン・ゴーレム。それらを前にジョレンは―――

 

「ッ!?」

「――――――ァァァァ!」

 

 くるりと男に背を向け、走り出した。

 何故? どうして? ボーン・ゴーレムは取り囲んでいるんだ、後退したところで同じだ、どの方向に逃れようとしても同じなんだ。そっちに向かえば、また距離が離れる。ジョレンからしたら、それが最も避けたいことのはずだ―――

 

「ッ? なっ、馬鹿なッ!?」

 

 瞬間、男の視界に一つ、別の景色が映し出されていた。

 そこに映し出されていた景色には、縛られている男が一人、立っている男の少女が一人ずついた。

 もしもの時のために起動していた、遠見の魔術に、一応の警戒を払っていた非常勤講師の男と、チンピラ男が連れて行った学院の女子生徒が立って―――生きて映りこんでいたのだ。

 そもそも、非常勤講師には別行動をとっていたもう一人の仲間が接触していた。本来ならば、そいつに殺されているはずだったのだ。

 しかし、何の誤算か―――非常勤講師は生きている。しかも無傷で、チンピラ男―――ジンも何もできずに敗北を喫していた。

 そして、その瞬間、男は目の前のジョレンを見て、思い至る。

 もし、目の前の少年がこの事実を知っているのだとしたら……?

 突如現れた救援とも呼べる存在。あの非常勤講師と合流しようとしているのだとしたら?

 それは最も避けなければいけない。今、目の前の敵にすら翻弄され、苦戦しているのだ。魔術戦の多対一は、ただでさえ不利だ。いくら大量の下僕を操り、軍用魔術を一節で起動し、複数の剣の魔導機を使えるとしても―――計算結果、敗北濃厚。しかも、自分は目の前の戦いに集中するあまり、非常勤講師がどんな手段でもってジンを下したのかを把握できていない。何らかの秘術を使ったのには違いないが、その性質を把握するチャンスを逃してしまったのだ。これでは余計に勝率が下がる。

 少年が非常勤講師と接触する可能性はどうやっても避けなければいけない。逃げられてしまった瞬間、終わってしまう、それだけは何としても防がなくては。

 

「ボーン・ゴーレム! そいつを止めろォ――――――ッ!」

「ァァァァァァァァ―――ッ!」

 

 烈風の如き勢いで走り、掴もうとしてくるボーン・ゴーレムの手を身を捻り、躱―――し、切れない。速さが足りていない。もう1秒もない時間で、腕を掴まれ、その後、大量のボーン・ゴーレムが次々と喰らいついてきて、身動きが取れなくなる。

 だが、ジョレンの烈火のような眼は未だに健在―――何の絶望も浮かんでいない。

 その眼を見て、男は確信していた。まだ何かあるのだと。目の前の少年にはまだ何かあるのだと、この短い時間の戦闘だけで、それが分かるまでになっていた。

 

「『筋肉には悟られるな』……!」

 

 絶体絶命の状況の中で、ジョレンがぼそりと何かを口走る。それは、相手に向けてというより、自分自身に言い聞かせているようで……

 次の瞬間、男は見た。ジョレンが何をしているのか。

 鉄球だ。鉄球がジョレンの足に当たっていた。凄まじい回転をしている鉄球がジョレンの足に食い込んでいたのだ。

 それが何を意味しているのか、男は嫌という程思い知らされてしまう。

 

「な、何ィ―――ッ!?」

 

 跳躍した―――回転していた鉄球が当たっていた足が不意に爆発的な力を出して、地面を蹴りこみ、跳躍し、ボーン・ゴーレムの包囲網を突破したのだ。

 通常の人間の肉体的構造からはあり得ない力み方。だが、それをあの鉄球が引き出したのだ。それがあの回転の力の一部だった。

 だが、これで終わらせるわけにはいかない―――

 

「ぬ、抜けたッ! これで―――ッ!?」

 

 ジョレンは、無理やりの跳躍から着地を決めてから、ボーン・ゴーレムと男の方に振り返る。

 だが、ジョレンの方も敵の底力を見誤っていた、ということを思い知らされた。

 浮遊剣―――一つの浮遊剣が先ほどよりも速い速度で突っ込んできて―――それを認識した時には、もうどうすることも出来ない距離であった。

 鉄球が戻ってきて、キャッチすると同時に、鉄球をキャッチした右手―――それと身体を繋ぐ右腕に浮遊剣がぶっ刺さった。

 

「グァァ――――――ッ!?」

 

 そのまま剣は右腕を貫通し、ジョレンの身体を引きずるようにして、突き進み続け、廊下の壁に釘のように自ら打ち付け、まるで画びょうでカレンダーを壁に留めるように、ジョレンを壁に縫い付けてしまった。

 右手に持った鉄球も、右腕が動かなくなってしまえば、投げることが出来ない。再び、いや前以上に追い詰められてしまった。

 

「く、クソ、まだ……」

 

 まだ諦めずに、フリーの左手の指の爪を回転させる―――

 

「いや、終わりだ。ようやくな」

「!」

 

 男がボーン・ゴーレムよりも前に出てきて、左手を構えていた。

 

「その鉄球を捨てろ」

「なんだと……?」

 

 そして、その要求の意図を読めず、ジョレンが困惑する。

 既に封じられた鉄球を更に捨てろというのだ。

 

「お前の鉄球……確かに隠された力があった。もう最早、投擲が出来ないからと言って、その鉄球を……『回転』を甘く見ることは出来ない」

「……」

「いいか、少年魔術師、よく聞け。左手をこちらに向けるな。そして鉄球を捨てろ。その両方を守れば、【ライトニング・ピアス】でとどめを刺してやる。急所を一撃で刺し穿ち、苦しみも何もなく殺してやる。だが、もし反抗の意を示すのなら、私は【ブレイズ・バースト】を撃つ。それも何度も、だ。一発では防がれる可能性が否定できない。即死ではないぞ。焼かれても1秒、2秒は激痛が走るだろう。最後の瞬間を苦しみによって幕を下ろすことになる。どっちか選べ……無論、どっちを選んだとしても結果は同じだがな。お前が動くよりも早く、私の呪文が先に完成する。試してみるか?」

 

 嘘ではないだろう。先に照準を合わせれば、爪弾の方が早いかもしれない。だが、今、自分の左手を動かそうとしたばかりで、指先が明後日の方向を向いている。先に撃たれるのは、相手の呪文。それは間違いなかった。

 だが……

 

「『捨てていい』のか?」

「……は?」

 

 それでもジョレンは不敵に笑っていた。

 その眼の光は失われていなかった。

 そして吐き捨てるような言葉に、男は思わず間抜けな顔をしてしまう。

 

「いいのか、と聞いているんだ」

「……」

「本当に『捨ててしまう』ぞ……?」

 

 それと同時に、ジョレンの縫い付けられた右手が鉄球を離した。

 重力に従って、自由落下を始める鉄球……それは1秒もしないうちに床に落ちるだろう。

 ……床に落としてはいけなかった、と男が知ったのは、もう落ちた後だった。

 

「ぬァ!?」

 

 回転していた。手を離すまでの一瞬の間に、回転が加えられており、落ちた瞬間、回転が床を削り出し、欠片が男に向かって飛び散った。

 反射的に腕を交差させて防御する。それが致命的な隙となる。

 

「《雷精よ・紫電の衝撃以って―――」

 

 混乱した思考の中に響いてくる、相手の呪文。【ショック・ボルト】だ。ならば、それに対して唱える呪文は決まっている。

 

「《霧散せよ》ッ!」

「―――ッ……!」

 

 黒魔【トライ・バニッシュ】。三属攻性呪文(アサルト・スペル)に対し、それを打ち消すための対抗呪文(カウンター・スペル)

 見事に先に完成した【トライ・バニッシュ】がジョレンの唱えようとしていた【ショック・ボルト】を完璧に打ち消していた。

 

「終わりだ! 《炎獅子―――」

 

 ドスドスドス―――【ブレイズ・バースト】を唱えようとしていた男の身体から、何かが刺さったような―――そんな音がした。

 次の瞬間、男は膝をついた。腿の辺りから血が流れ出ていた。何かが撃ち込まれ、足に力が入らなくなっていた。

 

「あが……が……っは」

 

 呪文を括れなかった。声が何かに遮られているようだった。

 何かがこみあげてきて、それを吐いた。血だ。喉を触れば、穴が開いていた。何かが撃ち込まれ、呪文を唱えられなくなっていた。

 ジョレンを見て分かった。爪弾だ。両足と喉に爪弾が撃ち込まれてしまっていたのだった。

 

「あんたは強いよ、あんたが何人魔術師を殺してきたのか、俺は知らない。考えつかないほど多く殺してきたんだろう。だからだよ、俺が【ショック・ボルト】を撃とうとすれば、間違いなく最適解で対処する。そう、【トライ・バニッシュ】だ。予想外のアクシデントで混乱して、突然入ってきた呪文という情報に、あんたは対処した。それに食いつかざるを得ない。あんたは『魔術師』を殺してきた人だから……魔術を全く使わなかった俺の事を最後まで『少年魔術師』なんて呼ぶくらいだったからな……」

「そこまで俺のことを見切って……貴様……」

「あんたみたいなのに、殺されそうだったことがあっただけだよ、クソ、痛ぇ......」

 

 集中力が切れたのか、ボーン・ゴーレムが退散していく。浮遊剣がその力を失って、ただの剣へと成り下がる。

 戦闘終了。

 その場に立ち続けていたのは―――ジョレン=ジョースターだった。



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第九話 「其の名は『スタンド使い』」

「う……ぁぁ……」

「―――ッ……痛ぇ……本当、死ぬかと思った……」

 

 学院の廊下の一角、そこには今までの戦いの痕がしっかりと刻まれていた。

 破壊された天井、そして落ちてきた瓦礫の山。様々な場所に刻まれた切断面。焦げ跡。そして、両腿と喉を撃ち抜かれ、息も絶え絶えに倒れ伏している男と、身体の至る所に傷跡をつけ、右腕に貫通した剣を刺されたジョレンがもっとも、それを雄弁に語っていた。

 しばらくして、ジョレンが右腕に刺さった剣をゆっくりと引き抜いて……

 

「《慈愛の天使よ・彼の者に安らぎを・癒しの御手を》」

 

 ジョレンが唱える、白魔【ライフ・アップ】。被術者の生命力を高めて傷を癒す法医呪文(ヒーラー・スペル)

 その力により、ゆっくりとだが、向こう側が見えそうなぐらいの穴が開いていた右腕が治癒していく。

 

「まさか……貴様のような子供に……殺される日が……来るとはな……」

「俺は殺す日が来るとは思わなかった……あんたみたいな人でもな」

「ふっ……その割には冷静だな……」

「……」

 

 沈黙……さっきまでの戦いの時にあった熱はどこかに霧散してしまい、ここには音も熱もない、静謐な空間が出来上がっていた。ただ時間が過ぎていく、過ぎていくごとに喉に穴を開けられた男から、生気が無くなっていく。

 

「……」

 

 それを察したジョレンは、男の身体に右手の人差し指を向け、ゆっくりと爪を回転させ始めた。これが発射されれ、そのまま狙い通りの場所に当たったなら、男は即死するだろう。

 

「待て……少年魔術師」

「命乞いなら聞かないぞ」

「違う……一つだけ、思い当たることがあったんだ……ッは……」

 

 止まらない血が、男の呼吸を妨げている。そんな中、途切れ途切れに紡がれる言葉に、ジョレンは黙って耳を傾けた。

 

「お前の……回転の技術は確かに知らなかった……だが、その……突如現れた死体の右足……そして、回転し始めた爪……私はその現象を聞いたことが……確かにあった」

「……それは?」

「『スタンド』だ……お前の爪が回転したのは、その『スタンド能力』というものに違いない……」

「スタンド……」

 

 男は不意に、服の袖を力任せに千切り捨てた。

 露わになった男の腕には、短剣に絡みついた蛇の紋が刺青(いれずみ)してあった。それをわざと見せるような体勢をとる。

 

「これは我が組織を示す紋……『天の知恵研究会』のな」

「……あぁ、それは知ってる」

「そして、天の知恵研究会の敵は、この帝国だけではない……貴様らは知らんだろうが、テロリストといえども、様々な組織が敵対・協力などをして、状況は刻一刻と変化している……その中の一つの組織に奇妙なものがある……魔術を基本使わない……そのくせに、魔術以上に不可解な現象ばかりを起こす……そんな組織がな。そして、その組織の連中は口々に自分たちのことをこう言う……『スタンド使い』とな」

「まさか、俺のも……?」

「その組織は我々が目的の物を追い求めるように、ある物を手に入れようと暗躍している……具体的なことは分からないが、奴らはそれを『聖なる遺体』と……」

「聖なる遺体……」

 

 ジョレンは自分の右足に視線を移す。自身の足に今も入っているであろう、ミイラ化した右足。もしそれが、男の言う『聖なる遺体』であるのだとしたら……

 

「もちろん、因果関係は分からない。だが、もしあの時、現れた足が聖なる遺体であり、貴様が突如発現した能力がスタンドであるのだとしたら……」

「……」

 

 もし、そうなら、この右足には確かな力があることになる。何を欲して、その組織が聖なる遺体を求めているのかは分からないが、これが本物の聖なる遺体だとするなら……

 

「俺は狙われるってことか?」

「……」

 

 男は無言でこくりと頷いて見せる。

 

「なんでそんなことを俺に言う? お前を負かした奴だぞ?」

「だからだ……我に勝利した貴様は間違いなく『強者』だ……魔術師としては絶対に私より劣る貴様がな……ただ、強者に対して敬意を払ったにすぎない……それに、敵対組織の情報を流したところで、不利益などあるわけあるまい……むしろ、潰し合ってくれれば、それほど喜ばしいこともない……」

「違いないな」

 

 敬意を払いながらも、自分の組織に有利になるかもしれない、という考えで話したという男に、ジョレンも逆に一種の尊敬の念を覚えながら、更に問いかけていく。

 

「じゃあ、最後に教えてくれ、その組織の名は?」

「組織の名は無いようだ……だが、我々の紋と同じように、その組織としての証を身体のどこかに刻んでいる……その形は―――」

 

 ―――べちゃり。

 

「……は?」

 

 呆気に取られるしかなかった。

 

「…………」

 

 ジョレンが自分の顔を触ると、べちゃべちゃしたものがついていた。それは赤色をしていて、目の前から飛び散って、顔についたのだった。

 

「おい……?」

 

 何かが飛んできた。一瞬だった。それは目の前のダークコートの男の脳天に真っすぐ飛来し―――

 

「おいッ……返事をしろ!天の知恵研究会ィィ――――――ッ!?」

 

 ジョレンの叫びも虚しく、さっきまで致命傷を受けながらも、まだ生きていた男は―――脳漿をぶちまけ即死していた。

 音もしなかった、何が飛んできたのかも把握できなかった。だが、それを受けた男は確かに目の前で、死んでしまったのだ。

 

「……」

 

 ゆっくりとそれが飛んできたと思しき方向を見る。

 ゆっくりと、ゆっくりと。その不安と、今起きたことが夢幻(ゆめまぼろし)か何かだと思いたいがために。

 だが、その儚い願いは無残にも打ち砕かれることになる。

 

「ッ!?」

 

 倒壊した天井が落ちて出来上がった瓦礫の山―――その向こうに確かに人影が見える。

 黒のフードを被り、顔を隠した男が、こちらに『拳銃』を向けていた。

 その拳銃はリボルバーともオートマチックとも見えるような特殊な形状をしていた。それが硝煙のようなものを上げて、銃口をこちらに向けていたのだ。

 そして、男は何も言わずに照準を今度はジョレンに向けて修正して―――

 

「ッチ―――」

 

 すぐに我に返ったジョレンは、射線を遮るようにして、瓦礫の山へと近づき、それを背にして、鉄球と爪と回転させる。

 射線が遮られれば、銃で狙撃は出来ない。必ず近づかなければいけない。そこを返り討ちにする―――

 

(来い……来いッ―――)

 

 シルシルシルシル……と聞こえ慣れた回転の音だけが響いてくる。

 足音がしない。近づいてきていない。

 

(馬鹿な……射線は通っていない。そこからじゃ俺は撃てないぞ……?)

 

 そこまで考えて、そもそもの不自然さにジョレンはようやく気付いた。

 先ほど撃たれた男は倒れこんでいて、瓦礫の山の向こう側から見れば、それこそ今のジョレンのように、射線は遮られていたはずだ。

 だというのに、男の脳天を撃ち抜かれた―――しかも一発で。それに、なんで発射されたはずなのに銃声がしなかった?

 切っ掛けから芋づる式のように溢れ出る疑問点の多さに、ジョレンの中に不安が湧き上がっていく。本当にここに隠れているだけで防げるのか―――

 

「ッガァ!?」

 

 その疑問を裏付けるように。同時に逡巡しかけた思考を無理やり引き出すかのように、ジョレンの身体に激痛が走る。衝撃が身体を、そして脳を揺さぶった。

 見れば、腹部に穴が開いてしまっていた。どくどくと流れ出す血と共に激痛が駆け巡り、無くなっていく血によって脳の思考が妨げられていく。

 

「な、なんで……? 位置を移動されたわけでもない……跳弾反射で飛んできたわけでもないのに……ッ!?」

 

 血を止めるために傷口を抑えてうずくまりながら、ゆっくりと瓦礫の山から離れていく。

 どんな手段を用いて狙撃しているのかなど、まるで分からないが、同じ場所に留まるのはまずい……その考えでもって、這いつくばり、床に血をまき散らしながらも、移動していく。

 次の瞬間、相手の様子を伺うために振り返った時に、ジョレンは襲ってきた攻撃の正体を目の当たりにした。

 

「なッ……?」

 

 なんと、音もなく発射された銃弾が瓦礫の山の横を通り過ぎたところで、急激にカーブを描き曲がり、さっきまでジョレンがいたところを抉ったのだ。

 魔術でも跳弾でもない、物影に隠れていたジョレンの狙撃方法―――それは、まるで弾丸自体がそんな機能を持つかのように、不自然に軌道を曲げていたのだった。

 

「そんなことが……!?」

 

 目の前で目撃しても、まだ信じることが出来なかった。あんな単純で、かつ不自然な現象がこの世にあるのか、と。

 しかし、自分だって今さっきそれを発揮したばかりなのだ。そう、おそらくあれが―――

 

(『スタンド能力』! そういうことなのか!? あれがスタンドなのか!?)

 

 だが、それを分かったところでなんだと言うのか。どうやってアレに対処すればいい?

 相手はあの位置から動かずに、弾道を操作して自分を狙撃出来る―――それは逆に、自分の方が爪弾や鉄球の射線を遮られている構図だということだ。自分から不利な地形へと移動してしまった。もっと早くに気づいて、距離を開けるか、詰めるか出来ていればまた変わったかもしれない。

 

(な、なんてミスを―――ッァ!?)

 

 悔やむジョレンだったが、今度は足から激痛が走る―――見れば、曲がった弾道が這って動くジョレンの左足を撃ち抜いていた。痛みで脳からの命令が誤魔化され、左足が全く動かない。

 絶体絶命だ。相手は決して近づいてはこない。今の位置から一方的に攻撃出来るのに、わざわざジョレンの間合いに入ってくる理由はない。だというのに、こっちの機動力をどこまでも削がれてしまっていて、近づくことも離れることもままならない。

 

(こ、殺される……ここまで来たのに……!?)

 

 音はしないが、今まさに撃鉄を下ろして、引き金に指をかけようとしている雰囲気が、見えなくてもよく分かった。自身を殺すために、ゆっくりと準備しているのが、否が応にも伝わってくる。

 

(運がない……クソ……)

 

 どうしようもない。対処のしようがない―――

 

「《猛き雷帝よ・極光の閃槍以って・差し穿て》ッ!」

 

 その時、前方から矢継ぎ早に唱えられた呪文が耳に入ってくる。

 三節詠唱ではあるが、これはれっきとした、黒魔【ライトニング・ピアス】の呪文で―――

 直後、放たれた雷閃が瓦礫の山の横を通過し、拳銃を構えていた男のすぐ横の壁を抉っていた。

 

「ッ……」

 

 そして、それを発射した人物を確認するや否や、男は廊下から窓を割って下へと飛び降りて去っていった。

 助かったのか……?と思ってすぐに、ジョレンもその人物の正体を見て。

 

「危なかったな……ジョレン、大丈夫か?」

「ぐ、グレン先生……はは、これが大丈夫に見えますか...?」

「全然見えないな、どれ……《慈愛の天使よ・彼の者に安らぎを・癒しの御手を》」

 

 咄嗟に減らず口も叩けて、ジョレン自身も安堵していた。まだ余裕がある証拠だ。

 

「じょ、ジョレン!? 貴方、なんでここに……!?」

 

 グレンがジョレンを治療している中、遅れてシスティーナがやってきて、驚愕に目を剥いている。教室でジョレンが【ライトニング・ピアス】で撃たれているのを見ただけで、起き上がったところを見てないので、無理からぬことだった。

 

「俺も驚いたぞ……敵に【ライトニング・ピアス】で撃たれたって聞いたんだが……」

「ちょっとした裏技で防いだだけですよ……と」

「お、おい!?」

 

 ジョレンは撃たれた足と腹部の傷が動くのに問題ない程度に治癒すると、震える膝をこらえて立ち上がり、ふらふらとどこへ向かうともなく歩き始めた。

 一瞬虚を突かれたが、それをすぐにグレンが手を引っ張り止めて―――

 

「どこに行くつもりだ」

「まだ……終わってないでしょう……」

「お前は休め」

「治してもらったんだから行けますよ。まだ……ッ」

 

 苛立ち交じりにグレンの制止を振りほどく。しかし、次の瞬間には、身体が前のめりになっていて……

 

「うぐッ……な、なんで……?」

 

 そのまま力が入らず倒れ伏す身体に、耐えきれずに疑問を投げかけていた。

 

「それほど、さっきまでの戦いがお前にとって限界を超えてたってことなんだろ」

 

 グレンは呆れたようにため息を一つつき、ジョレンの身体を引っ張り、壁にもたれかけさせるような体勢にして―――

 

「休め」

「ま、まだ俺は―――」

「後は俺に任せて、休むんだ」

「……」

 

 ゆっくりと、そして今まで一度も見たことないような真剣な顔で、言い聞かせるように。

 そんな見下ろすグレンの姿に、ジョレンは朧気に、過去の記憶の中の人影とそれを合わせて―――

 

「……後は任せました」

 

 目を閉じて、確かにそう言っていた。

 まだ敵がいるのに。それも別の組織の敵が。それがスタンド使いだというなら、ただの魔術師にはどうにもならないかもしれないのに。

 それなのに、なんで今、自分は動けないでいる? 何故行かせられるのか?

 

「あぁ、任せとけ。行くぞ、白猫」

「う、うん……分かったわ」

 

 そんなジョレンの胸中を知らない二人は、ルミアが連れていかれた場所を探すために、その場を離れていく。

 訪れる静寂。その中に一人、ジョレンは動けずに、それでも意識を保ち、静かに、ただ静かにそこにいた。

 

(まだ……ダメだ……)

 

 周りの全てが変化のない背景になった瞬間、限界を悟った肉体が、その機能を回復させるために、意識を無理やりにでも切ろうとしてくる。少しでも集中が途切れた瞬間、過剰な疲労のせいで意識を飛ばしてしまいそうだった。

 

(まだ敵がいるかもしれない……)

 

 一時撤退しただけで、また戻ってくるかもしれない。どこかから曲がる弾丸で狙撃されるかもしれない。

 

(まだ、意識を……)

 

 そんな途切れるか否かの境界に浮かぶ、曖昧な意識の中、10分……20分……30分と時間は過ぎ―――

 

(まだ……俺は……)

 

 ジョレンの奮闘も虚しく……遂に限界の壁に阻まれ……誰にも気づかれず、意識を暗闇に堕とした……



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第十話 「『過去』の惨劇にも陽は昇る」

 裏路地を走る人影があった。それは齢は10にも満たないような小さな少年で、更に小さい少女を背負って、泣きそうになりながらも必死に走っていた。

 その長い銀髪は薄汚れてしまっていたが、元は通り過ぎる人を引き寄せる水晶のように綺麗なものだったのは、一目で分かる。背負われている少女は、意識が無いようで、常に揺さぶられながらも目を覚ます様子がない。そして、ぽたぽたと少女の足から赤い液体が零れ落ちていく。少女は足を何かで撃たれ、応急的な止血だけされた状態で、背負われていたのだった。

 この二人の家は、今さっき、唐突に外道魔術師によって襲撃されていた。両親は既に惨殺されていて、二人で命からがら逃げ伸びていた。

 その家に外道魔術師が来るような物がなんだったかは、この二人を含めて誰も知らない。ただ裕福な家だということで金のためだったかもしれないし、両親が元々外道魔術師の協力者だったが、裏切ったことへの報復だったのかもしれない。貴重な魔道具があったのかも。ただ儀式の『生贄』に選ばれただけかもしれない。

 だが、とにかく二人にはそんなことを考えていられる余裕はなく、ただ限界を超えても、二つの足を動かし逃げるしか選択肢は無かった。それが、今まで二人がギリギリの中で生きていられた、たった一つの要因であった。

 だが、そんなか弱き命二つと言えども、それを見逃すような相手ではなかった。少なくとも『魔術師』という人種は。

 

「はぁッ……はぁ……あうッ!?」

 

 焦っていたせいか平坦な道で躓いてしまう少年。慌てて立ち上がろうとするが、少女を背負っているのもあってか、なかなかそれが出来そうになかった。

 その間にも迫ってくる、無機質とも呼べる複数の足音。それが今の少年にとって、最も恐ろしい。

 

「うぅ……」

 

 恐怖が逆に生存本能に訴えかけたのか、ゆっくりとだが再び立ち上がり、また道もろくに分からない路地を駆けていく。

 しかし、それがいつしか終わりを迎えることを、その時の少年は知らなかった。

 

「そ、そんな……?」

 

 路地の終わり、行き止まり。袋小路。逃走の終幕。

 ここに来て、もうどうすることも出来なくなってしまった。戻って、別の道へ行く前に必ず追っ手に鉢合わせてしまうだろう。

 ここまで苦しい思いをしてまで逃げたのはなんのためだったんだろう? せっかく生き延びれたと思ったのに……それはただこの絶望を呼ぶための『餌』だったのだろうか?

 『宿命』がゆっくりとゆっくりと取り囲んで、少しの『希望』で喜ばせておいて、逃げられなくして……そして、今近づいてきている足音のように、死の運命が追い付いてくる。

 

「ごめんな……ごめんな、リリィ……お前だけでも……逃げさせてやりたかった……!」

 

 そんな少年の悲痛な言葉も、誰も聞きやしない。慰めすらしない。

 そして、十数秒もしないうちに、『終わり』がやってくる。

 

「ようやく見つけたぜ、ガキ共」

「ぁ……」

 

 黒いフードを被った三人の連中が、歪んだ笑みを浮かべながらゆっくりとやってきた。まるで焦りもなく、こうなるのが必然だと言わんばかりに。

 そして、二言目を言う前に、早速左手を少年に向け―――

 

「んじゃ、死のうか」

「ぁぁ……」

 

 死ぬ―――嫌だ―――まだ死にたくない―――誰か助けて―――

 だけど、そんな思いが目の前の相手に届くはずもなくて。

 

「《貫け閃槍》―――」

 

 唱えられる、【ライトニング・ピアス】。超電力、超威力の殺戮の魔術が起動する。

 少年は魔術を知らなかったが、それがどんなものであるかは、目の前で喰らった両親が恐怖の顔のみで教えてくれた。同じものだ―――同じように殺されるんだ―――少年がその時思っていたのは、そんなことで。心の奥底で、そんなことを考えてるうちに死ねるなら―――とも思っていた。

 そして、発射された雷閃が一直線に少年の頭へと―――

 

「おい」

「は?」

「……?」

 

 少年は理解できなかった。

 上から何やら球体のようなものが降ってきて、それが【ライトニング・ピアス】を難なく弾き、それを追うようにして、青年がふわりと降りてきて―――少年と外道魔術師の間に立っていた。

 おかしい。さっきの呪文は両親を串に刺された鶏肉よりも簡単に刺し穿っていたのに。人の身体よりも全然小さい、ただの球体が弾くなんて。それに、なんで自分たちを助けて……?

 

「なんで……助けて……?」

 

 極大の疑問が、もう力の入らない口から漏れ出た。

 助けても何もないのに。自分が危険にさらされるかもしれないのに。

 喋る気力もなかったはずだが、ただただそんな疑問が、極限状態の中でも―――いや、極限状態だからこそ湧いて、そのまま言葉として放たれていた。

 だが。

 

「おいおい、なんか言ったか? 俺のケツとおしゃべりされてもよォー、おケツじゃ聞こえやしねぇよなァー?」

「……」

 

 そんな呑気極まりない返答に、少年はポカンと口を開けて呆けるしかなかった。

 

「な、なんだ貴様!? 何者だ!?」

「帝国宮廷魔導師団特務分室所属、執行官13『死神』の『ロートゥ=ツェペリ』だ。ま、覚えても覚えなくても、どっちでもいいぜ?」

「帝国宮廷魔導師団、だと……!?」

 

 帝国宮廷魔導師団……アルザーノ帝国の中で最強の魔導士軍団。帝国の力の象徴であり、最高の戦力、ということだ。

 そんな組織が出張ってきたことに外道魔術師は、一歩下がり、警戒している。他に青年の仲間がいないのか、それを探るために、周りを見渡していた。

 

「なんだァ? そんなにキョロキョロしてよォー、クソ落としてくる鳥でもいたかよォ?」

「貴様……なんだ、それは?」

「あ? 見りゃ分かるだろ、鉄球だよ、鉄球」

 

 見れば、青年の左手には鉄球が乗っている。そして、すぐ下の地面を見れば、そこで回転しているもう一つの鉄球が見えた。さっき【ライトニング・ピアス】を弾いたのは、この鉄球だったのだ。

 

「その鉄球にどんな魔術が付呪(エンチャント)してある? それとも、そういう機能を持った魔道具なのか?」

「はぁ? 何言ってんだよオタク、こりゃただの鉄球だ」

「嘘をつくなッ! ただの鉄球で私の【ライトニング・ピアス】が防げるわけがないッ!」

「別に鉄球が特別製ってわけじゃねーのは本当だぜ? 『技術(ワザ)』だよ」

「は……?」

「『魔術』じゃなくて『技術』だ。オタクらには到底理解できない、な」

「そんな馬鹿な……」

 

 認めがたかったのだろう。魔術とは神聖なもの、真の力なのだ。それなのに、魔術以外の力が魔術を凌駕する? なんという屈辱か。

 それが外道魔術師三人の共通認識だった。そして、それが帝国宮廷魔導師団だということで警戒していた三人の殺意に火をつけた。

 

「ほう?」

 

 三人は無言で青年に向かって、左手を構えた。

 

「おい、ガキ」

 

 それを見た青年は、振り向いて少年に向けて。

 

「俺が引き付けとくから、その隙をついてとっとと逃げな」

「……は?」

 

 この人は何を言っているのだろう?

 引き付ける? その隙をついて逃げる? 相手は三人もいるのに? ただの人間ではないのに?

 今、魔術の構えを取っている、外道魔術師たちがたった一言の呪文を唱えるだけで、あの左手から人智を超える威力の攻撃が飛び、ここら一帯を焼き払い、生命を根こそぎ奪っていくのだろう。

 それを嫌という程思い知らされていた少年はたまらず叫んでいた。

 

「で、できるわけがないッ!?」

「……」

「引き付けるって……三人を相手に……?それに、隙をついて逃げろなんて……あいつらの横を通り抜けろって……そ、そんなの……」

「今、『できるわけがない』って言ったのか?」

「え……?」

 

 少年は青年の顔を見上げた。その時、床を回転していた鉄球が、誰も触ってすらいないのに、シュパッと青年の右手へと戻っていく。外道魔術師たちがすぐにでも呪文を唱えそうな場面だというのに、青年は少年を真っすぐ見据えていた。

 

「「「《吠えよ炎獅子》―――」」」

「ウゼェな、《光の障壁よ》―――」

 

 押し寄せてきた三つの【ブレイズ・バースト】を、片手間に唱えた対抗呪文(カウンター・スペル)【フォース・シールド】で防いだ。

 

「なっ、魔術で防いだ……?」

「何、んなことで驚いてんだよ、帝国宮廷魔導師団が魔術使えねーわけねぇだろ?」

 

 一歩遅れたりしたなら、命が飛んでいたというのに、青年の口調や声音には緊張感の欠片もない。

 そして、外道魔術師たちをよそに、青年は少年に言った。

 

「ガキ、いいことを教えてやる。あと三回まで言っていいぞ」

「な、何を……」

「だから、『できるわけがない』って言葉をだよ。四回までだ……俺も親父からそう言われた。四回だ……今、一回言ったからあと三回まで言っていい」

「そ、それが一体なんだって……」

「いいから言えよ、ガキ。言ったら助けてやるぜ。あと三回言ったなら、お前が逃げ出す際に手助けしてやる」

 

 なんだ? 意味が分からない。なんでここでそんなことを言うのか、欠片も理解できない。

 だが、それを言えば助けてくれるなら―――

 

「できるわけがないッ! お、俺は普通の人間だ……あんな人たち相手に逃げられるわけがない、できるわけがない! 何だって言うんだよ!? こんな時に何を言ってるんだよ!? そんなこと急に言われたってできるわけがないッ!」

「今のは一回にしかカウントしねーからな。あと二回だ。あと二回言ったら、逃げる時に手助けしてやるぜ」

「な……ッ?」

 

 何なんだ? これは何かの「試練」なのか? そんなことしている間にも相手は動いているのに―――

 

「《力よ無に帰せ》―――ッ!」

「「《貫け閃槍》―――ッ!」」

 

 一人が唱えた、魔力相殺によって持続系の魔法を打ち消す【ディスペル・フォース】によって、青年が展開していた【フォース・シールド】が打ち破られる。そして、その隙を突き、二閃の【ライトニング・ピアス】が青年と少年に向かって飛来する―――

 

「う、うわぁ――――――ッ!?」

「ッチ、とっとと行かねーから……これ防いだらとにかく走れ」

 

 悲鳴を上げる少年をよそに、青年は両手に握った鉄球を指も使わずに回転させている―――それが一体どういう術理なのか……少年どころか、外道魔術師も分からなかったが、それがただ回転しているだけではないことは、この場にいる全員が理解していた。

 次の瞬間、左手に持った鉄球で直接【ライトニング・ピアス】を防ぎ、右手に持った鉄球は回転によるものか、シュルルルルと少年の方に吹っ飛び、直後に飛んできた雷閃の間に割り込んだ。バチィ!とその鉄球も見事に雷閃を防ぎ、また一人でに青年の手のひらへと戻っていく。

 

「す、すご……」

「今だ、行けッ! 走って、あいつらの横を抜けろッ!」

「は、はい……ッ」

 

 少年が少女を背負い直し、青年の横を抜けて駆けだした―――しかし、その速度は一般人の歩行よりも遅い。背負っている重量がまだ未熟な少年の身体には限界に近いのだった。

 

「そんなことを許すわけがないだろう、《氷狼よ駆けろ》―――」

「ッ!」

 

 たちまち飛んでくる、黒魔【アイス・ブリザード】。素で喰らえば、身体は一瞬で氷漬けとなり、同時に飛んでくる氷礫(ひょうれき)が身体を砕く。魔術の使えない少年には完全なオーバーキルである吹雪の魔術が少年へと向かって―――

 

「で、出来るわけがない……い、妹を背負っているのに、走り抜けることなんて……」

「なんだ……?」

「……?」

 

 シルシルシルシル……

 悲観に暮れる少年と【アイス・ブリザード】を唱えた外道魔術師がそんな音に気づいた。

 見れば、外道魔術師の足にはいつの間にか超速回転している鉄球がひっついていて。

 

「なァッ!?」

「えっ……?」

 

 瞬間、鉄球がひっついていた足が不自然に上がって、外道魔術師がバランスを崩した。結果、唱えられた【アイス・ブリザード】は明後日の方向に飛んで行って―――無傷。少年は無傷のままだ。

 

「『筋肉には悟られるな』ってな。今日もバッチリみたいだな」

「……」

 

 少年は茫然とするしかなかった。魔術だけでも手に余るというのに、今、突然現れた、魔術よりも不可思議な力。少年の頭はもうオーバーフロー寸前だった。

 

「おい、何やってる!? 走れ! 止まるんじゃあないッ!」

「ッ……はいッ!」

 

 青年の鋭い一喝に我に返り、再び駆けだした。

 しかし、相手は全く無力化されたわけではない。すぐに、それを阻止しようと動き出す。

 

「「《吠えよ炎獅子》―――!」」

「《貫け閃槍》―――!」

 

 今度は青年に二発の【ブレイズ・バースト】、少年に一発の【ライトニング・ピアス】が向けられる。

 青年が【ブレイズ・バースト】を防ぐために再び【フォース・シールド】を張れば、少年を助けることは出来ない。

 

「ひっ……」

「小細工だな。いや、その場で思いつく子供の創意工夫って気もするぜ」

 

 ギャルギャルギャルギャルッ! と凄まじい回転音を響かせながら二つの鉄球を投擲する。

 その回転風圧が難なく【ブレイズ・バースト】の火球を散らし、弾道が内側に寄るようになっていたらしく、途中で二つの鉄球が触れ、弾かれた片方の鉄球が再度【ライトニング・ピアス】に割り込み、弾き飛ばした。

 たった二つの鉄球で行われる、神懸かり的な防御。

 三人の凄腕の魔術師が集まっているというのに、彼の前では魔術の使えないただの子供二人すら殺すことが出来ない。

 その間にも、少年はゆっくりとだが、確実に距離を離していっている。このままでは確かに逃げられてしまう―――

 

「おい、ロートゥ=ツェペリとか言ったな」

「おう、なんだ?」

「真の知恵者である、我ら魔術師が本当に何も対策していないと思っていたのか」

「ッ!」

 

 素早く戻ってきた鉄球は青年の手のひらの中で、未だに回転を続けている。

 その回転の振動が、『波紋』が、周囲の状況を全てを鮮明に青年に伝えていた。

 空気の流れ、地面の細かい溝から、相手の脈拍まで、詳細に。それに、魔術師としての霊的な感覚も合わせると、周囲のマナすらも感知できる。そして感知した。少年が走っていく先に何があるのか―――

 

「おいガキッ! 止まれ!」

「え……?」

「【バーン・フロア】だ! 魔術罠(マジック・トラップ)が仕掛けられているッ!」

「は……?」

「ッチ、まさかそれすら探知するとは……」

 

 少年は、もう全て投げ出したかった。

 目の前に罠がある? そんな馬鹿な。だって、目の前には何もないじゃないか。何の変哲もない地面だ。それにさっき通ったばかりじゃないか。なのに。だというのに。

 きっと、本当にあるのだろう。自分には見えないだけで。他の魔術師には見えるナニカがあるのだろう。

 だが―――

 

「なんだよ……もうなんなんだよ……?」

 

 自分にはどうしようもないことが、周りにいくつもあって。

 どうしようもないことが、意味の分からない対処法で防御されていく様を眺めるしかなくて。

 自分に何が出来るというのか。これじゃあ結局―――

 

「何もできるわけがない……! こんな……こんなの……」

「ふん、《貫け―――」

 

 後ろの方で、呪文が唱えられる。それが完成したらもう終わりだ。

 前に進めば魔術罠(マジック・トラップ)が発動する。このまま留まっていても、【ライトニング・ピアス】によって脳天を貫かれ死ぬ。

 もうどうすることもできない。助かる道は閉ざされた。

 やはり自分には無理だった。何もできるわけが無かった―――

 

「言ったな。四回目を……」

 

 シルシルシルシル……と、今度は少年の足元から、さっき聞いたばかりの音が再び聞こえてきた。

 見れば、一歩下がったところに回転している鉄球が、滑るようにこちらにやってきていた。

 

「それを一歩下がって触れ」

「なんだよッ!? なんなんだよッ!? それを触って何になるって言うんだッ!?」

「……」

 

 もう少年は、全て放棄してしまっていた。

 絶望が少年の心の全てを支配していた。耳に入ってくる全ての言葉も絶望に染まっていく。

 見えない『何か』が静かに自分を取り囲んでいた。決して逃げられないように、気づかれないように。

 自分には何もできない。逃げることさえできなかった。希望で一瞬だけ喜ばせておいて……最後の最後、どうすることも出来なくなる……誰にも助けられなどしない……誰も助けなんて―――

 

「俺は『約束』は守るぞ」

「閃槍》―――ッ!」

 

 完成する【ライトニング・ピアス】が少年の元へと圧倒的な熱量を内包しながら向かって行く。

 しかし、それよりも早く―――閃槍が左手から発射されるよりも早く―――ただ何の工夫もなく真っすぐ飛んで行った鉄球が少年の元へと届き―――背負っていた少女を避けて、少年の肩に命中し、そのまま押し倒していた。

 

「あぐッ!?」

「な、何ッ!?」

 

 体勢が崩れたおかげで、少年はかろうじて【ライトニング・ピアス】を躱した。そして、何が起こったのか分からず、救いを求めるように青年の方に振り向いた。

 

「できるわけがない、を四回言う。俺の家の『掟』だが……今さっきお前と交わしたのは『約束』だ。絶対順守の『ルール』ではない。だが……俺はそれこそを守る。だから、お前が諦めようが俺はお前を守る」

「な……?」

「んで? お前はなんだ? 諦めるのか?」

「あぁ……」

「こういうことになるからよォー。諦めるなら諦めるならいいけどよォー。迷惑にならない形にしてくれねぇか?」

 

 初めて、その声音をしっかりと聞いた感じがした。

 それは飄々としているようで、どこか芯の通った、不思議な声だった。

 きっとそれは、今まで色々積み重ねてきたからだろう。だから、そんな声になるのだ。例え、どんな状況で、どんなに情けない声音になっていたのだとしても、この青年の声にはいつだって一本芯が通ったような感覚があるのだろう、と少年は感じていた。

 

「まぁ、でもお前が何も信じられなくなるってのも分からないわけじゃーねェ」

「お、俺は……」

「でも、だ。俺のことは信じられなくても、回転の力は信じろ。『回転の力を信じる』んだ」

「俺は―――」

 

 自分はなんて情けないんだろう。今、心の底からそう思った。

 信じられないだとか。もう無理だとか。何もできないだとか。

 そうじゃないだろう……今は、そういうことが大事なんじゃあないだろう。

 

「俺は……!」

「ッ……」

 

 確かに自分は何もできない子供かもしれない。

 でも、守ってくれる人は確かにいた……だというのに。なんで、自分は立ち止まっていたんだ?

 それがただの『口約束』だというのに、相手は守ってくれたのに。

 それを『欲した』自分が諦めるのか?

 なんて情けなくて……かっこ悪いんだろう。そんなの、死んだって御免だ―――妹にだって顔を合わせられない―――

 

「うおぉぉ――――――ッ!」

 

 雄たけび―――鉄球に押し倒され、倒れ伏していた少年が裂帛の気合と共に立ち上がった。

 そして、その後ろで今も回転し続けていた鉄球を後ろに蹴り上げるようにして、触って―――

 

「ッ!?」

「やっとか……遅いぜ、オタクさん」

 

 その瞬間、不意に少年が鉄球に触った方の足が爆発的な力を発揮し、跳躍したのだ。

 人間の肉体的構造上、ありえない力み方―――だが、重要なのはそこじゃない。

 

「あ……」

 

 少年がふわりと着地した、そこは―――魔術罠(マジック・トラップ)を飛び越えた先だった。起動していない。その範囲には一歩たりとも入っていない。跳躍しきっていた。

 

「「「馬鹿な……!?」」」

「よっとォ!」

「ガッ!?」

 

 それを確認するや否や、青年は驚愕する外道魔術師をいいことに、その中の一人の頭を踏み台にして飛び、また、少年との間に割り込むような位置へ滑り込んだ。

 

「ちょっとだけいい表情になったな、オタク。まぁ、俺ほどじゃねーけど」

「え……?」

「ほら、とっととまた走れ。後は全部俺に任せて、な」

「は、はい……!」

 

 シッシッ、と手を振って追い出すような仕草を取った青年のことを、少年はもう振り返らなかった。

 ただ振り返らずに走った。そうしていると、いつの間にか路地の外についていて、もう外道魔術師は一人も追っては来なかった。

 

***

 

 ……その後、何が起こったかは何も知らない。

 ただ、一つだけ言えることは。

 あの人が助けに来てくれなければ、今、自分はここにいなかっただろう、ということだけだ。

 今、自分が笑ってなどいられなかっただろう、というだけだ。

 援けに来てくれたのが、あの人じゃなければ、きっと今も情けない自分のままだっただろう。逃げっぱなしの人生を歩むだけの、誰にも見向きもされないちっぽけな人間だったのだろう。

 いや、今もそうなのかもしれないけれども。少なくとも―――

 

『ごめんね、レン君』

 

 ―――一歩は踏み出せるような人間にはなれたのだと思う。

 まだ、あれからあの人とは一度も会えていない。

 だからもし、次に会えた時は、目いっぱいのお礼と感謝の言葉を言いたいと思う。そう思える。

 『宿命』に追いかけられ、絶望していた自分に、例え本当に何もできなくても前に進むための『勇気』を教えてくれたから。

 だから、前に進まなくては……

 あの人が教えてくれた勇気で、あの人に会いに行くために―――

 

***

 

「うっ……うぅ……レン、君……」

「ん……あれ……」

 

 暖かい感触。懐かしいと思えるが、聞きなれた声。泣いているのだろうか? 嗚咽のようなものが混じっている。

 身体を動かせない。それに痛い。だけど、それ以上に何かがくっついているようで。

 

「ルミ、ア……?」

「え……レン君……? 大丈夫……?」

 

 目を覚まして、最初に視界に入ってきたのは、ルミアの顔だった。相当近い、それ以外の情報が全く入ってこない。

 身体を動かそうとして気づいた。ルミアが抱き着いていていた。自分を心配していたのだろうか、目には涙をたっぷりと溜めているようだった。いや、もう相当流した後だとも思うが。

 

「ジョレン起きたか? ま、俺にかかればこの通りってやつだな」

「グレン……先生」

 

 少しだけ顔を動かしてみると、その後ろに、多少の傷はついているが、無事な様子のグレンと、息切れし過ぎて、何もしゃべれない様子のシスティーナがいた。

 

「そっか……終わったんだ」

 

 それが実感できて、ジョレンはようやくホッと胸を撫でおろした。恐らくだが、あの逃げたスタンド使いは戻ってこなかったのだろう。完全に撤退していたのだ。狙いを達成したのか、あるいは……どっちにしても、今回の件はこれで終わったのだ。

 

「レン君……なんで?」

「え……?」

「なんで、こんな無茶を……?」

 

 そんな矢先、ルミアが泣きそうな顔のまま、そんなことを聞いてくる。

 そんなことは、もう決まっている。

 

「約束してたから……」

「約束って……」

「一緒に夢叶えようって……言ってきたのそっちじゃないか」

 

 それを聞いたルミアはまだ納得してないようで、もっと悲痛な顔をしてしまっていた。

 それを見て、若干慌てて弁解しようとするジョレンだったが、疲れ切っていた身体は全然言うことを聞いてくれそうにない。

 

「だからって……死んじゃったら、終わりなんだよ……!?」

「知ってるけど……それでも……」

「なんで……? なんでそんなに……?」

「嬉しかったから……」

「え……」

「約束……俺に持ってきてくれたのが、嬉しかったから……」

 

 言いながら、人はそれ一つのために命を賭けれるのだと、今更確認する羽目になった。

 

「どうしようもなく臆病で……何もできない自分にだけど……それでも約束してくれたのが、嬉しかったから……」

「レン君……」

「だから、あんなことで、その約束が切れるなんて、許せなかった……だけなんだよ……」

「うぅ……」

 

 ジョレンが話をしているうちに、ルミアはどんどんと眼から涙を溢れさせて……ジョレンに抱き着きながら、胸に顔をうずめて泣いていた。

 

「レン君……ありがとう……」

「それは……俺は何もしてないから、グレン先生に言っといてくれ」

「ううん、私も……助けに来てくれて嬉しかったから……」

「そっか……」

 

 ただ、涙を流していても、その表情は悲しげなものではなく、とても晴れやかなものだった。

 それを見ているだけで、自分が一歩を踏み出した意味はあったんだと思えて―――

 

「ちょっと疲れた」

「あ……えっと……」

「またちょっとだけ寝るから……また、明日会えたら、いいかな……って」

「……うん。また明日、ね?」

 

 静かに伝わってくる温もりの中、ジョレンはまた意識を堕とした。

 約束を守れた―――その重く疲れた体を包む、安堵感の中で。



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第十一話 「事の顛末と『後日談』」

 「アルザーノ帝国魔術学院自爆テロ未遂事件」から数週間が経過した。

 あの後、ようやく学院の結界を突破した帝国宮廷魔導師団によって、事後処理は全て請け負われ、ジョレンやグレンなどの負傷者は魔導師団専属の法医師によって治療され、近くの病院で療養することになり、人質たちも何事もなく開放された。

 傷は法医呪文(ヒーラー・スペル)でほとんど治療されていたため、療養は数日で済み、またいつもの学院生活が始まっていた。

 そして、帝国宮廷魔道士団が総力を上げて徹底的に情報統制をしたおかげで事件の詳細な情報を知ったのはごく一部の講師達や当事者の生徒達しかいなかった。

 端的に言うと、黒幕は二組の元担任だった『ヒューイ=ルイセン』によるもので、ルミアを転送方陣で転送すると同時に、自身の魂を消費して、この学院を爆破しようとしていたのだとか。

 しかし、学院内に敷設されていた転送方陣の書き換えが完了する前にグレンに意図を感づかれ、阻止されたことで今回の事件は終わりを迎えた。

 そして、今回の騒動の中心であったルミア=ティンジェルは―――

 

「まさか、三年前にご崩御なされたって聞いたエルミアナ王女だったなんてな……」

 

 授業が終わった後の放課後、生徒たちもすっかり帰っていなくなった、学院の空き教室で夕暮れに染まるメルガリウスの天空城を見上げながら、ジョレンがぼんやりと呟いた。

 ルミア=ティンジェル。それは国の中では悪魔の生まれ変わりとも言われ、差別される『異能者』であった。そして、その事が露見するのを防ぐために、表向きは病死としながらも追放された元王女であるということ。

 退院してからすぐに、学院長室に呼ばれたと思ったら、上の事実がジョレンとグレンとシスティーナには伝えられることになった。

 グレンは事件を解決まで持ち込んだ一番の功績者だし、システィーナはルミアと一緒に生活しているので、知っておいた方がいいだろうという判断だ。そしてジョレンも、外道魔術師一人を倒した功績者として、帝国政府の上層部から、ルミアの素性について極秘に聞かされたのだ。

 

「そーゆーことは学院内で呟くもんじゃねぇぜ? 誰が聞いてるか分かったもんじゃねぇからな」

 

 その声にジョレンが振り向くと、そこには呆れた様子のグレンが立っていた。

 そしてゆっくり、気だるそうに歩いてきて、ジョレンと並んで一緒に空を見上げ始めた。

 

「先生はこういうこと慣れてそうですもんね」

「? そりゃどういうことだ?」

 

 ジョレンの謎の物言いに、グレンは訝し気な顔になっていた。

 

「いや? 元軍属のグレン大先生は、機密事項とかちゃんと守秘義務守ってきてる口の固い人なんだろうなって思いまして」

「なッ!? なんで知ってんだ!?」

 

 グレンが驚愕に目を剥いていると、ジョレンは満足そうに目を細めて、腰のホルスターに留めていた鉄球を持ち上げて。

 

「これ」

「その鉄球は……」

「知ってる人はそれぐらいしか考えられませんから」

「やっぱ、それロートゥの鉄球かよ……」

「真似て作っただけだから自作ですよ。技術も真似た劣化版です」

 

 タネを知って、驚いて損したとばかりにため息をつくグレンに、ジョレンは笑いかけた。

 

「ロートゥ=ツェペリ……俺の憧れの人です」

「あいつがか? 言い回しとかかなりうざい部類に入ると思うんだけどな。どんな時も緊張感がねーような感じするし」

「はは……詳しいんですね」

「ちょっとは一緒に任務もした身だしな……帝国宮廷魔導師団なのに、使うのはほぼあの鉄球で魔術はオマケって感じだった。なのに、その魔術の腕も一流……他の奴らからはかなり妬まれてたな」

「そうなんですか……元気でしたか?」

「俺が除隊した時まではすっげぇ元気だったよ」

「それならよかった」

 

 グレンが除隊した時までは分からないが、それまで元気だったと聞けるだけで、こっちまで元気が出てくる。いつか会える可能性が少しだけ保証されたような気がしたから。

 

「そういえば、なんで先生は正式な講師になったんですか?」

「あ?」

「めんどくさがって、非常勤講師のまま辞めると思ってたんですけど」

 

 あの後、グレンが非常勤講師としての期限が過ぎた後、なんと正式な講師になって、二組の担当を続けていた。誰もが驚愕し、口々に真意を問い詰めたが、その時のグレンはのらりくらりとはぐらかしてばっかりだった。

 

「ま、ルミアの件もあるし、そのまま講師職にいた方がいいって上とセリカのお達しだ。セリカの方は定職に就けるなら丁度いいって考えだけどな」

「アルフォネア教授も苦労なさってるんですね」

「頼むから俺の前だけでもいいから、あいつの肩持たないで、傷ついちゃう」

「それだけですか?」

「……」

 

 ジョレンが真剣な眼差しで聞いている。それを見て、グレンもつられたように数秒、真剣に考えて―――

 

「ま、こういうのもいいかなって」

「それはシスティーナやルミアを見て?」

「その二人に限定するのは、俺がロリコンみたいになるからNGな。単純に二組を見ててだよ」

「まぁ、でも俺としてはプラスなんで動機はなんでも別にいいんですけどね」

「おい」

 

 聞いといてなんだ、という顔のグレンを差し置いて、ジョレンは床に置かれた鞄をひったくるように取って、教室の扉を手にかけ。

 

「もう帰るのか?」

「家で妹が待ってますし。最近、ご立腹なんで遅くなると心配させてしまいます」

「そっか、なら帰れ」

「グレン先生」

「なんだ?」

「これからもご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします」

 

 そう言って、グレンに対し正面を向き、深く、深くお辞儀をした。

 グレンがそんな気は一切ないのは分かっているが、それでも自分を助けてくれていることに変わりはないから。

 

「わーったから帰るならさっさと帰れ、めんどくせー教え子君よ」

「はい、それではさようなら」

 

 けんもほろろにあしらわれても、すっきりした笑みを浮かべ、ジョレンは走り去っていった。

 それを見送った後、グレンもふっと穏やかに微笑み……

 

「全く元気だな……ったく」

「おいグレン!? お前だろ、私の名義で勝手に商品なんて頼んだ奴!」

「は!? セリカ!? なんでここにいることがバレてんだ!?」

「さっき、お前の教え子だと言っていたジョレン=ジョースターという生徒が喋ってくれた! さぁ、《お仕置きだ》ッ、この馬鹿ッ!」

「あの野郎、何平然とチクってんだよ!? 違う、違うんだセリカッ! 強いて言うならそれは時代のせいなんだッ! 待てェ―――ッ!? 死ぬ! 死ぬから魔術やめてぇ―――ッ!?」

 

 直後にグレンの女々しい悲鳴とセリカが放った爆裂魔術のとんでもない爆発音が学院全体に響いた。

 その時は、帰り際のジョレンは楽し気な顔で帰っていったが、その翌日から、グレンに逆恨みされ一週間強制教室掃除を言い渡されることになったそうな。

 

***

 

「グレン先生……やっぱ子供だわ」

「あはは……災難だったね?」

 

 ある日の学院内の図書館。強制教室掃除の刑で学院に残っていたジョレンを見かねてか、手助けしてくれたルミアと終わった後もせっかくだから図書館で勉強をしようと言ってくれたので、夕飯前には帰らなくてはいけないものの、少しだけ時間をとったのだ。

 

「うーん……ここ、よく分からないんだが」

「どこかな? えっと、ここはね―――」

 

 静かな時間が過ぎる。気になるところはつらつらとノートに書き取り、分からないところがあれば、お互いに教え合う。その気になれば、ずっと過ごせそうな錯覚にすら陥りそうだった。

 

「ねぇ、レン君。その本は?」

「ん……」

 

 そんな中、それを打ち破るかのように、ルミアが静かに話を切り出した。

 ルミアが指さしているのは、ジョレンが取ってきた一つの本だ。勉強に使う本ではなく、タイムリーな話題が乗っている雑誌のようなものだ。しかも、オカルト的な話題に絞ってある。

 

「ちょっと調べておきたくて……ためになるかはよく分からないけど」

「それって……レン君が言ってた、その……スタンド使いっていうの?」

「そう、スタンド……それの手がかりになればと思って」

 

 そう言いながら、右手人差し指の爪をシュルシュルと回転させて見せるジョレン。すぐに回転は止まり、爪が元に戻る。その間に、最初出てきていたあの謎の生物は一切出てきていない。

 ルミアはその光景を目を丸くして見ていた。

 

「これと同じように、魔術とも技術とも違う力……もしかしたら『現象』とかその類にもなるのかもしれない。何にも知らないままっていうのも、怖くて」

「そうだね……急に発現したんだもんね……」

 

 ルミアがゆっくりと両手をジョレンの方に近づき、右手を優しくとり、撫でまわすように触る。それは、興味本位とか好奇心といったものではなく、単純に心配して、というのが見て取れた。

 ルミア自身も異能者という、スタンドとはまた違う不可思議な力を持っている。そして、その力のせいで追放されたという過去が、余計不安にさせているようだった。

 

「まぁ、大丈夫だよ。異能と誤解されるにしても、ショボいもショボいし、追放とかは多分ないから」

「そう、かな……? でも、それだけじゃないんでしょ?」

「……まぁ、それはそうだけど」

 

 ジョレンはルミアの素性を聞くときに、自身もスタンド使いのことや、ダークコートの男から聞いたスタンド使いだけの組織のこと、そしてその目的である聖なる遺体、それを体内に秘めてしまった自分を狙ってくるだろうことを正直に話した。残念ながら、それで聖なる遺体やスタンド使いに関しての有力な情報は得られなかったが、政府の中でも魔術に拠らない不可思議な術を使う組織のことは問題視されていたらしく、それがスタンド使いというものなのでは? という考えが出来るようになり、非常に助けになったらしい。

 

「私、心配だよ……レン君もなんて……」

「俺はまだいい方だよ、こんなでも戦う力ではあるんだから。でも、そっちは違うでしょ」

「うん……私にも戦う力があってレン君を助けてあげられたらよかったんだけど……」

 

 そう言って、ルミアは悲し気に俯いた。ジョレンの右手を触っていた、ルミアの手が引っ込められて―――

 

「大丈夫、ルミアは一番大事なもの持ってるし」

「え……?」

「勇気。俺が思う一番大事なもの」

 

 嘘ではない。落ち込むルミアを慰めたいと思ったのは確かだけれど。別に慰めるための嘘ではなくて。

 気が付いたら、ルミアの手を咄嗟にこっちから掴み引き留めて、そんなことを言っていた。

 

「俺の憧れの人が……まぁ、そんなことを直接言ってたんじゃないけど、俺に勇気を教えてくれたんだ」

「レン君の憧れの人が……」

「うん、あの人がいてくれたから、俺は今ここにいる……まぁ、そう、大したことはなかったんだけどね?」

「ふふっ」

 

 なんて、苦笑してあやふやに誤魔化すジョレンに、ルミアは笑って。

 

「あ、ごめんね? 笑っちゃって……」

「いや、笑ってもよかったけど、どこかに笑う要素あった?」

「いや、私たちって似た者同士なんだなって」

「え? どこが?」

「ふふっ、内緒」

 

 ポカンとしてるジョレンの手をするっと抜けて、ルミアは人差し指を立てて、悪戯っぽい笑顔で指を口の前に持ってきた。どうやら、完全に立ち直ったようだった。

 

「あ、そろそろ言ってた時間過ぎちゃうけど、大丈夫?」

「え? あ、ヤバい! 買い物も行かないと! えっと、今日はありがとう」

「ううん、私も色々教えてもらったし、これからも色々と助けてもらうと思うから」

「まぁね、俺もこれからも色々お願いすると思う」

「うん、『約束』だもんね」

「あぁ、『約束』だ」

 

 約束……あの事件の日、二人を結び付けていたモノ。こうやって、それを再確認できると、なんだか、あの時、戦ったのは間違いじゃなかったって思えて。それを想うと心が暖かくなっていくようで。

 

「えっと……またな?」

「う、うん。また明日」

 

 それがどこか照れくさくて、二人ともちょっと焦りながら別れることになった。

 ジョレンがそそくさと去ってから、ルミアも帰るために持ち物を整理しだして―――

 

「本当にありがとうね、レン君」

 

 もういなくなったジョレンに向かって、誰にも聞こえることもない呟きとして、感謝の言葉を残した。

 ジョレンもルミアも、本人に感謝を伝えられるのはいつの日か―――それはまだ、誰も知らない。

 

 



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第二章 「一波乱の魔術競技祭」(原作二巻)
第十二話 「『種目選択』のひと悶着」


 放課後のアルザーノ帝国魔術学院、東館2階。

 その時、二年次生二組の教室はびっくりするほどに盛り下がっていた。他のクラスでは魔術競技祭に向けて練習などをしていて、とても盛り上がっているというのに、である。

 

「はーい、『飛行競争』の種目に出たい人ー?」

 

 壇上に立っているシスティーナがそう呼びかけるが、誰も応じない。

 なんというか、もう静かにしないといけないのではないか、と誤認するぐらいの葬式ムードだった。

 

「じゃあ『変身』の種目に出たい人は?」

 

 やはり無反応。誰も応じることはない。遠慮している者、元々やる気のない者、色んな人の思惑が雁字搦めになっていて、自分勝手に手を上げるのが難しい雰囲気となっていた。

 

「はぁ、困ったわね……来週には魔術競技祭だっていうのに全然決まらない……」

「ねぇ、せっかくだし、皆で頑張って見ないかな?」

 

 壇上で項垂れるシスティーナに助け船を出そうと声を出したのは、書記をしていたルミアだった。

 しかし、それでも、この場の誰も応じようとはしなかった。皆、気まずそうにしていた。

 ルミアは少しばかり助けを求めるような視線をある生徒に向けるが……

 

「すぅ……すぅ……」

 

 その生徒、ジョレン=ジョースターはなんと居眠りをしてしまっていた。なお、眠る直前に、アルバイトがどうのこうのと言っていたので、それで寝不足だったのだろう。

 そして、誰も動かない生産性のない時間が過ぎていく中、うんざりしたような様子の眼鏡の男子生徒、ギイブルが遂に席を立った。

 

「無駄だよ、二人とも。皆、気後れしてるんだよ、他のクラスは成績上位者だけで固められていて、敗北必至なんだ。そんな戦い、誰もしたくないんだよ」

「でも、せっかくなんだし……」

 

 その言葉にむっとして反論しようとするシスティーナを無視し、ギイブルが続ける。

 

「おまけに今回、僕たち二年次生の魔術競技祭には、あの女王陛下が賓客(ひんかく)として御尊来になるんだ。皆、陛下の前で無様をさらしたくないんだよ」

 

 嫌味な言い方だが、それはこのクラスの生徒の心理を的確に突いていた。

 

「だからシスティーナ。そろそろ真面目に決めようよ」

「私は今でも真面目に決めようとしているんだけど?」

「はは、冗談上手いね。成績下位者にお情けで出番を与えようとしているのに?」

「ちょっと、貴方それ本気で言ってるの!?」

 

 怒鳴るシスティーナにギイブルは一歩も引かず、皮肉げな薄笑いを口の端に浮かべ、クラスの生徒たちを一瞥した。

 

「見なよ、君の突拍子もない提案のおかげで、元々、魔術競技祭に出る資格があった優秀な連中も気まずくなって委縮している。それでも、これ以上我儘を続ける気かい? さっさと全種目を僕や君のような成績上位者で固めないと、勝てるわけがないだろう?」

「勝つことだけが競技祭の目的じゃないでしょう? それに、それ去年やったけど、凄くつまらなかったし……」

 

 しかし、ギイブルはそんなシスティーナの言い分を鼻で笑い。

 

「勝つことが目的じゃない? つまらない? 魔術競技祭はつまるつまらないの問題じゃないだろ? めったなことじゃ魔術の技比べが出来ないこの学園において、本当に一番優れた魔術の技を持っているのは誰か……それを明確に出来る数少ない機会じゃないか」

「そ、それはそうかもしれないけど……」

「それに、今回の優勝クラスには、女王陛下から直々に勲章を賜る栄誉が与えられるんだよ? これにどんな価値があるか、馬鹿でも分かる。だから、大人しく出場メンバーを成績上位陣で固めなよ、これはこのクラスのためでもあるんだ」

「ギイブル、貴方いい加減に―――」

 

 騒ぎはそのまま際限なくヒートアップしていくものと、この場の誰もが思っていた。

 しかし、それは廊下の方からどんどん近づいてくる大きな物音によって一時中断され。

 

「……来た」

 

 いつの間にか起きていたジョレンが呟くと同時に、その物音の正体が、バンッ!と教室の扉を開けて入ってきた。

 

「話は聞いたッ! そういうことなら、俺に任せろ! このグレン=レーダス大先生様になッ!」

「ややこしいのが来た……」

 

 それは、バァーーンなんて擬音が可視化しそうな程に右手人差し指でシスティーナを指さし、左手で顔隠すような謎ポーズをかましたグレンだった。

 そして、早速システィーナから、魔術競技祭の種目が書かれた紙をひったくって。

 

「おうおう、やっぱまだ決まってなかったか。他のクラスはとっくに決めて練習に取り掛かってんのに、意識の差が丸見えだぜ?」

「やる気なかったのは先生でしょ!? 先日聞いたら、私たちで勝手に決めて良いって言ってたの先生自身じゃない!」

「え? そうだっけ?」

 

 まるで身に覚えのないといった様子のグレンに、システィーナが更に突っかかっていくが、グレン、それをザ・スルー。

 

「まぁ、そんな過去のことはどうだっていい。お前らに任せて決まらない以上、この俺様の超カリスマ魔術講師的英断力を駆使して決めてやろう。言っておくが……勝ちに行くぜ、お前ら」

 

 野心と情熱に満ち満ちた態度で、グレンが偉そうに宣言する。

 

「というわけで、まずは勝つための選出からだ。遊びは無しだ、心しろ」

 

 普段のやる気ない反面教師でしかなかったグレンの、この熱のある物言いに、さっきまで夜の人気のない裏路地並みに静かだったクラスがざわめきだす。

 

「ふーむ、白猫、これは毎年同じ競技なのか?」

「そんなことはないわ。新しい競技が勝手に出来ることもあるし、無くなったりも当然。同じ競技でもルールが変わったりもするわ」

「なるほど、生徒の応用力を試す意味合いもあり、か……」

 

 ざわめいているクラスを無視し、一人自分の世界に入り込んだかのように集中するグレン。

 何時間でもそうしていられるだろうと、周りに思わせるぐらいの考える石像ぶりを発揮していると、バッと顔を上げ、ニヤリと口角を上げた。

 どうやら、編成が決まったらしい。その様子を見て、やっと編成が決まるのか、と思う生徒と、どんな編成をするのか、と若干期待している生徒と半々な様子だった。

 

「さて、それじゃ一番配点の大きい『決闘戦』だが、これは白猫、ギイブル……あとカッシュだ。この三人で出てもらう」

 

 それを発表した瞬間、クラス中が驚きでどよめいた。何故なら、決闘戦は三対三の団体戦。常に各クラスの最強戦力が投入される競技だ。このクラスで成績上位者のトップスリーはシスティーナ、ギイブル、その次はウェンディのはずだ。しかし、投入されたのはウェンディではなくカッシュである。その理由が指名されたカッシュも含めて、全員分からなかった。

 

「次、『暗号早解き』はウェンディ一択。『飛行競争』はロッドとカイ。『精神防御』はルミアに頼む。それから―――」

 

 どんどんと決められていく種目。しかし、その中に使いまわされている生徒は誰一人いない。勝ちに行く、と宣言していたのに、どうしてこんな編成にしているのか、クラス中が困惑しながらも、種目は埋まっていき―――

 

「―――『変身』はリンにやってもらおう。んで、最後『バトルロワイアル』はジョレンに決定だ。よし、これで出場枠は全部埋まったな」

 

 結果。今回の競技祭の選出から漏れた生徒は一人としていない。誰もが、一回は種目に出るような編成になっていた。

 

「なんか質問ある奴はいるか?」

「私は納得いたしませんわ!」

 

 あるに決まってるとばかりに、声を荒げてウェンディが立ち上がる。

 

「なぜ私が『決闘戦』の選出から漏れているんですの!? 私はカッシュさんよりも成績は上ですわよ!」

「あーそれ。確かにお前は呪文の数とか魔力容量(キャパシティ)とかはすげぇが、要所でドジ踏むからな。たまに呪文も噛むし」

「な―――ッ!?」

「だから、『決闘戦』やるなら、運動神経と状況判断がいいカッシュが適任と判断した。その代わり、『暗号早解き』ならお前の独壇場だろ? 【リード・ランゲージ】は文句なしのピカ一だからな。是非とも、そっちで点数を稼いでほしい」

「そ、そういうことなら……仕方ありませんわね」

 

 すごすごと席に着くウェンディを皮切りに、何故自分がその種目に選ばれたのか、疑問を持った生徒が次々に手を上げて、グレンに問いかけた。

 そして、グレンはそれにちゃんと筋の通った回答をし続けている。それを聞いた生徒は一人ずつ、席に着き、どんどんとその数を減らしていった。

 

「一応、俺のもなんでか教えてください」

 

 そして、人がいなくなった時、さっきまで傍観していたジョレンが手を上げた。

 ジョレンが出ることになったのは『バトルロワイアル』。10クラスの生徒が一つの舞台に上がり、敵味方区別無しの戦いをして、最後まで生き残った人が勝者というルールだ。

 その配点は1位、2位、3位から順に配られ、それ以下の順位には配点無しだ。そして、これに出場した生徒は『決闘戦』には出てはいけないというルールが明文化されている。そのため、決闘戦には漏れたが、優秀、という生徒が多い。

 ジョレンは未だに【ショック・ボルト】も三節詠唱。魔術師としては、どうしても劣った部類に入る。この采配に疑問を持っていた生徒は多かった。

 

「まぁ、カッシュと同じで状況判断と運動神経がいいってのもあるが、一番の理由は武器使用ありってルールかな」

 

 そう、『バトルロワイアル』は非殺傷武器を使っての近接戦が可能なのだ。それがグレンがジョレンを選んだ理由だった。

 グレンはジョレンの鉄球を指さして、言う。

 

「お前は確かに魔術師としては劣るかもしれん。しかし、魔術戦ではお前は才能はある方だし、何といっても武器を使っていいんだ。鉄球を使う状態のお前に勝てる学生なんて、俺は想像したくねーな」

「なるほど、分かりました。んじゃ、俺はそれでいいです」

「じゃ、これで決まりってことでいいな?」

 

 満足そうに上げていた手を引っ込めたジョレンを見て、グレンが生徒たちに問いかける。

 どうやら、もう異論は無いようだった。確かに勝つと言う割には非効率的ではあるが、グレンはグレンなりに勝ちを考えた最強の編成をしたのだから。

 グレンが急にやる気になった内情は誰も知らないが、とにかくやる気になった講師が必死で考え出したこの編成で―――

 

「やれやれ、いい加減にしてくれませんかね」

 

 しかし、ここで異を唱える生徒が一人。さっきも色々言っていたギイブルである。

 

「そんな編成で勝てるわけないでしょう?」

「んあ? んじゃギイブル、お前はこれ以上勝率の上がる編成が出来るのか? 言ってみろ」

「先生……それ本気で言ってるんですか?」

 

 ギイブルからしたら、かなり間抜けなことを言っているグレンに対し、苛立ちを隠そうともせず、吐き捨てるように言った。

 

「そんなの決まってるじゃないですか! 成績上位者だけで全種目を固めるんですよ! それが毎年恒例で、どのクラスもやってることじゃないですか!」

 

 ギイブルの言を聞き、グレンの動きが時でも止まったかのようにピタッと止まる。それを見て、ジョレンは察した。

 

(あの人、さっきまで興味なさ過ぎて知らなかったな……?)

 

 ジョレンとしては、グレンが素でクラス全員出場なんてことを考える人じゃないことを知っている。というか、そもそも魔術競技祭なんてガン無視を決め込むだろうとまで思っていたが、こうやってやる気満々で来た以上、単純にグレンに優勝しなければいけない事情が出来たのだろうと察していた。そうなると、グレンと言えども、類まれな程のプライドの無さによる意地汚い戦法を考え出すだろうとは思っていたが、まさか、そこまで知らないとは思っていなかった。だがまぁ、それでも何とかなるだろうとも思っていて―――

 

「ちょっと、ギイブル! せっかく先生が考えてくれた編成にケチつける気!?」

 

 だから、ギイブルの言葉に食ってかかるシスティーナにグレンが戦々恐々している姿がなんとも面白かった。

 というより、グレンがギイブルに対し念でも送ってるかのようなポーズが単純に面白いとも言えた。

 そして、その後に続いたシスティーナの熱演によって、クラスの雰囲気は盛り上がっていき、ギイブルはそれを皮肉げに冷笑して着席してしまい―――

 

「ま、せいぜいお手並みを拝見させてもらいますよ」

 

 その言葉に、内心逆ギレしている様子が目に浮かぶようだった。

 

「あはは、よかったですね。先生の目論見通りにいきそうですよ?」

 

 その言葉に、グレンはもう引きつった笑みを浮かべるしかなく。

 

「ま、せっかく先生がたまにやる気出して、一生懸命考えてくれたみたいですから、私たちも精一杯、頑張ってあげるわ。期待しててね、先生」

「お、おぅ……任せたぞ」

 

 ご機嫌な様子のシスティーナと、最早吐血するんじゃないかって程ギリギリの作り笑いを浮かべるグレン。

 

「なんか……噛み合っていないような気がするなぁ……」

 

 そんな二人の様子を、苦笑いで眺めていたルミアに、ジョレンが密かに賛同していた。



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第十三話 「図書室の『魔物』に場所取り騒動」

 二組の種目選択が終わった翌日の放課後。ジョレンは一人、図書室で呪文詠唱についての本がどこかにないかと探している最中だった。

 探しながら、ジョレンはグレンが昨日言っていたことを思い出す。

 

『はぁ……とにかく、お前が必要な練習を挙げるなら、それは詠唱省略以外にはない。戦闘に関するアドバイスは要らんと思うが、何としても、攻性呪文(アサルト・スペル)対抗呪文(カウンター・スペル)を一つずつだけでもいいから、一節詠唱出来るまでにしておけ。『バトルロワイアル』なんて、多対一の競技で詠唱遅れたらシャレにならんからな。お前は当面それだけでいい。いいな?』

 

 システィーナによって、かなりのやる気を削がれた後とはいえ、ちゃんとしたアドバイスを貰った以上、それは実践せねばならない。何といっても、いつもはアドバイスすらめんどくさがるような人なのだ。ジョレンとしては割と貴重な経験とも思っていた。

 

「さて、どれがいいかな……」

 

 図書室の中には、様々なジャンルの本がごまんとある。魔術学院という名の通り、魔術に関する書物は特にだ。そのため、必然的に呪文詠唱について書かれた本だけでも十数種類ほどある。

 そのジャンルが集められた本棚を探し出し、並べられた本を指でなぞりながら、自分に合いそうな本を探していく―――

 

「……? なんだこれ?」

 

 見つけたのは、呪文詠唱のジャンルのすぐ横。そこに一つだけ題名が書いていない本が並べてある。別に古い本で、題名の部分が削れてしまっているというわけでもなく、かなり新品そうに見えるのに、題名が書いていないのだ。

 手に取って開いてみると、まるで使われていないノートみたいに白紙が続いている。というか最後まで白紙だった。

 流石にこれは、誰かの嫌がらせだろうか? と図書室の受付にいる司書の人に渡そうと、歩き出した時。

 

「ちょ、ちょっと待ってください」

「え?」

 

 どこかから、声が聞こえた。しかし、周りに自分を見ている人は誰もいない。

 

「ここです、ここ」

「え? ん、ん?」

 

 耳を澄ませれば、その声はジョレンが持っている本自体から聞こえてきていて―――

 

「んー、よっと……」

「は? は? ハァ!?」

 

 それを認識した瞬間、本がムニュムニュと動き、膨ら始め、バラバラの帯のようになり、それが集まって人の形になっていき―――

 

「ふぅ、危なかったですよ。そのまま司書さんに届けられるところでした」

「は、ハァ――――――ッ!?」

 

 もう完璧に人間になってしまっていた。しかも、アルザーノ帝国魔術学院の制服を着ている。

 薄い色の長髪に長身、彫りの深い容姿をしており、その表情は無表情で何を考えているのか全く分からない。というか、何をしたのかすら、全然分からなかった。

 と、そこに大声を出したジョレンを注意するために、今行こうとしていた司書の人がやってきた。

 

「ちょっと、静かにしてください」

「は、はい……すみませんでした……」

 

 ジョレンが謝罪すると、すっと戻っていく司書。

 それはそれとして、という風にジョレンが本だった青年に向き直る。

 

「お、お前は誰だ? 何者だ? というか、何をしていた? どうやって本になっていたんだ……?」

 

 魔術には変身する系統のものも当然ある。白魔【セルフ・ポリモルフ】と黒魔【セルフ・イリュージョン】の二種類だ。

 しかし、【セルフ・イリュージョン】の方は変身したように見える幻影を作り出す魔術。触ったりしたら分かるものだ。しかし、ジョレンが触った感じは完全に本だった。【セルフ・イリュージョン】を使っていたわけではない。

 かと言って【セルフ・ポリモルフ】である可能性も考えずらい。そもそも、【セルフ・ポリモルフ】は別の生き物に変身する魔術だ。それに変身するものによって術式をわざわざ変えないし、そもそもの話、任意で元に戻るためには、そのための呪文を詠唱しないといけない。だというのに、喋れなくなる本に変身するとか(そもそも変身することが出来るのかは、今のジョレンには分からないが)ただの馬鹿でしかない。だというのに、変身解除の詠唱もなく戻っただけでなく、この青年は本の状態で喋っていた。もう何もかもが普通と違うのだ。

 そういう意図で問いかけると、青年は少しだけ考えたような仕草をして。

 

「まず、誰だ。という問いですが……わたしの名は『ラ・ミクリニ・グシ』。対外的には『ミクリ=ハザード』を名乗っています」

「今、対外的にって言った? 言ったよな?」

「わたしはマゼラン星雲にある星から、この星が住みやすい所か……? 人々は親切かどうか? 調べに来たのです。言葉は空で待っている宇宙船の中で学習して来ました」

「う、うん?」

「年齢は215歳。職業は宇宙船の整備士。趣味は動物を飼うことです。カバンの中にハムスターを飼っているのですが、今ここにはありません」

「お、おい! ちょっと待て!?」

 

 突拍子もなさすぎることをペラペラと間髪入れずに喋っているミクリを泡食って止めるジョレン。

 

「そ、それは何か? つまりあんたは、自分が宇宙人だとでも言うつもりか……!?」

「宇宙人……そう、その単語使えばよかったですね?『わたしは宇宙人です』」

「おいおい……」

 

 そんな馬鹿なことあるわけない……しかし、ジョレンはそれを完全には否定しきれないでいた。

 さっき、本に変身したこと。あれが十中八九魔術ではない以上、宇宙人ではない、と断定が出来ない。そして、もう一つの疑惑として……

 

「さっき、本に変身してたのは……?」

「わたしはなんにでもなれる能力を持っています。本だけじゃなくて、靴だとか、机だとかにも。宇宙人ですからね……わたしには皆さんのように帰る家がないので、ここで本に変身することで、寝泊まりしているんです」

「ここに住んでるってことか……」

 

 ジョレンはミクリの話を整理しながら、頭に残り続けている疑問について、どう確認しようか迷っていた。

 それはズバリ、ミクリが『スタンド使い』か否かということである。

 まだ、スタンドというものの性質を把握出来てはいないが、魔術ではない不可思議な力として、ミクリの変身能力もまたスタンドである可能性が否定できないのだ。

 だが、本人がスタンドと言わない限りは、自分では確認する術がない。それに、ジョレンについていた謎の生物のようなものも、ミクリの周りにはいなかったため、余計に判別が難しいのだった。

 

「ちなみに、クラスは二年次生の五組で、確か……今回、開催される魔術競技祭というのにも出る予定です」

「え、それマジ? それはそれで、ここで休憩していていいのか……?」

「今のところ、中庭は二組……?の人たちが使っていたので、今日は遠慮しようかと」

「あぁー……そうなのか……なんか悪いな」

 

 二組が四十一人全員で出るというのは、他のクラスの間でも、もう既に有名な話になっている。そのことに対し、他のクラスでは、ぶっちぎりで最下位になるだろうとして、ライバル扱いは最早、勝負前からされていないのだが。

 

「? 何故貴方が謝るのですか?」

「だって、俺二組だし……」

「あぁ、そうだったのですね。ということは、貴方も競技祭に出るわけですね? お互い、頑張っていきましょう」

「……あぁ、ありがとう。うん、お互い、頑張ろう」

 

 そんな今の二組の噂事情を知っている故に、見下されたりするんだろうか、とちょっと身構えていたジョレンだったが、ミクリの素直な応援に、毒気を抜かれたように、言葉を返していた。

 その折に、図書室の外―――中庭の方から、何か言い合いのような声が聞こえてくる。何かあったのだろうかと、二人が図書室の窓から見てみると、そこでは生徒同士が何やら、言い争っているのが見えた。そして、その片方は二組の生徒である。

 

「ちょっと何かあったみたいだ。んじゃ……えっと……」

「ミクリでいいですよ。こっちは貴方のお名前を聞いていいですか?」

「ん、俺はジョレン=ジョースター。それじゃミクリ、今日の所は失礼するな」

「はい、ジョレンさん。お気をつけて」

 

 ゆったりと手を振るミクリを背に、ジョレンは中庭へと駆けて行った。

 

***

 

「さっきから勝手なことばかり……いい加減にしろよ、お前ら!」

 

 ジョレンが中庭までやってくると、隅の方で複数人の生徒たちが、激しい怒声をぶつけ合っているところだった。

 片方は二組の生徒たち、そしてもう片方は今回の魔術競技祭において、優勝候補と言われる、一組の生徒だった。

 

「お、おい、何かあったのか?」

 

 その場の剣呑とした雰囲気にちょっと引きつつ、状況を探るために近づいていくと、雰囲気がより鮮明に伝わってくる。最早、誰もが相手に掴みかかっていきそうであった。

 

「あ、ジョレン! 聞いてくれ、一組の奴ら、あとから中庭に来た癖に、中庭から出ていけって言うんだよ」

「は、はぁ……なるほど」

 

 ジョレンのことを視認するや否や、言い争いの中で、二組の先頭だったカッシュが興奮気味にまくしたててきて、若干、その勢いに呑まれていた。

 

「うるさい! お前ら二組の連中、大勢でごちゃごちゃと邪魔なんだよ! 今から、俺たち一組が練習するんだから、どっかに行け!」

「いや、そこまで言わなくても……」

 

 一組の生徒たちもかなりの興奮状態で、頑として譲らない構えのようだった。図らずも両者の間に入り込んでしまったジョレンが、仲裁するのに、一瞬で困り果てていると。

 

「はいはい、ストップ~っと」

 

 いつの間にかグレンが来ていたらしく、ジョレンの後ろからひょこっと出てきて、取っ組み合いを始める寸前だったカッシュと一組の生徒の首根っこを引っ掴んで、引き離していた。

 

「うげっ……く、首が……」

「あがが……い、息が……」

「ったく、くだらねーことで喧嘩してんじゃねぇよ、沸点低いんだよ、お前ら」

 

 二人が暴れる気配が無くなったのを確認してから、グレンが手を離す。

 首を開放された二人がむせながら、地面に倒れ伏す。

 

「すみません、グレン先生。助かりました」

「お前はさっき来たばっかだろ、謝るのはお前じゃねーさ。ちょっと話つけとくから、お前は離れてな」

「は、はい」

 

 ジョレンが、すっと二歩ほど後ろに下がってから、グレンが仲裁すると、すんなりと上手くいった。カッシュも一組の生徒の方もかなりガタイがいいのに、グレンに腕力だけであっさり制され、委縮していたというのもあるだろうが、折衷案として、二組が端の方に寄ることで手打ちになりそうな時―――

 

「クライス! さっさと場所をとっておけと言っただろう! まだ場所は空かないのか!?」

 

 怒鳴り声と共に二十代半ばといった眼鏡をかけた男がずかずかと近づいてくる。彼が着ているそのローブに入っている(ふくろう)の紋章は学院の講師職の証だ。彼の名は『ハーレイ=アストレイ』。喧嘩していた方の片割れ、一組の担当講師だった。

 

「あ、ユーレイ先輩、ちーっす」

「ハーレイだ! ユーレイでもハーレムでもない! ハーレイ=アストレイだ、いい加減覚えろっていうか覚える気ないだろ、グレン=レーダス!」

 

 どうやら、グレンとハーレイの間では、このやり取りは何回もあったようだった。

 気楽に挨拶したグレンに、ハーレイが物凄い形相で詰め寄っていって。

 

「で? えーと、ハー……なんとか先輩も競技祭の練習ですか?」

「そんなに覚えたくないのか……まぁいい。競技祭の練習と言ったな? 当然だ。今回の競技祭に優勝するのは私のクラス、一組であり、女王陛下から勲章を賜る、その栄誉に相応しいのは私だ!」

「わー、すごーい、頑張ってください、先輩ー」

 

 傍目から見ても、完全にあしらう気満々なグレンの態度に、ハーレイは忌々しげな顔をするしかない。

 

「まぁいい、さっさと練習場所を空けろ」

「あー、はいはい、あの木の辺りまで空ければ大丈夫ですかね?」

 

 そう言って、グレンが指さして、大体の場所割りを提案するが―――

 

「何を言っている。お前ら二組はさっさとこの中庭から出ていけと言っているんだ」

「は?」

「え?」

 

 そんなハーレイの一方的かつ横暴な言葉に、その場にいる全員が凍り付いた。

 流石に、黙ってられなかったらしく、グレンが渋面で抗議する。

 

「ちょっと先輩……そりゃいくらなんでも横暴ってやつですよ」

「何が横暴なものか。貴様らがちゃんとやる気ならば、練習のために場所を公平に分けてやってもいいだろう。しかし、全然やる気などないではないか。そんな成績下位者を使い、勝負を最初から捨てている輩にはな!」

「―――ッ!?」

「勝つ気のないクラスが、使えない雑魚同士で群れ集って練習場所を占有するなど迷惑千万……分かったなら、さっさと失せろ!」

「……ハーレイ先生、あんた―――」

 

 その酷い物言いに、二組の生徒のほとんどは肩を落として、俯いてしまう。

 ジョレンも、流石にカッとなって、無意識に鉄球に手を伸ばし―――

 

「あぁ……ったくもう、どうしてこう次から次へと思い出したくない事ばかり……あー、やだやだ」

 

 その時、突如意味不明な事を呟いたグレンが、ジョレンよりも先に、ビシッと伸ばした人差し指をハーレイの鼻先に突きつけていて。

 

「お言葉ですがね。うちのクラスはこれで最強の布陣なんですよ。そんな風に油断していてウチに寝首をかかれないことっすね」

 

 そう、不敵な笑みを浮かべ、堂々と勝負宣言をするグレンに、ハーレイが一瞬怯み―――

 

「……く、口ではなんとでも言え―――」

「三か月分だ」

「は? なんだと……?」

「そんなに言うなら、三か月分だ。俺は、俺のクラスが勝つのに、給料三か月分を賭ける!」

「な、何ィ!?」

 

 グレンの宣言に、ハーレイだけでなく、周囲にいた人全員がどよめいた。

 ジョレンも流石に、グレンがここまでするとは読めずに、ポカンと口を開けてしまっている。

 

「き、貴様、まさか本当に……!?」

「さて、どうしますかね、先輩。三か月分は結構大きいですよ……? これで負けちまったら、先輩の魔術研究は大分滞っちまいますねぇ?」

「ッチィ……!?」

 

 そう、講師職は、高給取りに見えて、研究のための費用が少額しか下りないために、魔術研究のために自分の給料から研究費を出さなくてはいけないため、実際にはもっとカツカツの生活を強いられている。

 そのため、給料三か月分が完全になくなってしまうのは、かなりの痛手なのだ。

 苦し紛れの表情で、ハーレイが一組の生徒をチラッと見る。どうやら、生徒の前で、この賭けから逃げるわけにはいかないらしい。

 

「い、いいだろうッ! 私も、私のクラスが勝つのに、給料三か月分だ!」

 

 ハーレイもグレンのように、堂々と宣言し、それをグレンがニヤニヤと、まるで勝利を確信したかのような自信満々の反応をしている。

 

「流石、先輩。いい度胸っすね、いやぁ、ごっつぁんです、せ ん ぱ い」

「ちぃ……ッ! この私に楯突いたこと、必ず後悔させてやるッ!」

「ふっ……そりゃ、こっちのセリフですよ。コテンパンにしてやります、ここにいるジョレン=ジョースターがなァッ!」

「はあああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁァァァァ――――――ッ!?」

 

 突如、135度ほど曲がって飛んできた、言葉の魔球カーブにジョレンが今日一番の叫び声を出した。

 流石に耐えきれず、ガッとグレンの襟首をつかんで、ハーレイから離れたところまで引きずり、二人でコソコソと話し始める。

 

「ちょ、ちょっとなんで、あそこで俺の名前が出てくるんですか!?」

「だ、だって、ちょっと勢いで喧嘩吹っかけちまって、気が動転してて……」

「あんな自信満々だったのに、内心後悔ばっかだったんですか……」

「とりあえず、お前がリーダーだ、特攻してこいッ!」

「先生の自業自得じゃないっすか、巻き込まないでくださいよ!? っていうか、もうそこまで嫌なら恥も外聞も捨てて謝ったらどうですか!?」

「そ、それだッ! いいだろう、俺の固有魔術(オリジナル)【ムーンサルトジャンピング土下座】を見せて―――」

 

 グレンの動転ぶりが、ジョレンに伝達して、わちゃわちゃした論争がどんどんヒートアップしていく中―――

 

「そこまでです、ハーレイ先生」

 

 凛と涼やかに通る声が、そんな二人の耳に入った。

 

「それ以上、グレン先生を愚弄するなら、私は許しませんから」

「「あ」」

 

 その声の主は、いつの間にか駆けつけていたシスティーナだった。そして、ジョレンもグレンも、その登場に、もう何かを察していた。

 

「き、貴様、システィーナ=フィーベル!? 魔術の名門、フィーベル家の……ッ!」

 

 ハーレイは、システィーナの突然の介入に明らかな狼狽を見せている。しかし、ジョレンから見たら、それ以上に狼狽しているのは、ほかならぬグレンの方だった。

 

「そもそも、貴方の練習場所に対する主張は正当性がありません。グレン先生に対する侮辱も不当です。これ以上続けるなら、講師として人格的に相応しい人物がいることを学院上層部で問題にしますが、よろしいですか?」

「ぐぅ……ッ!? こ、この親の七光りが……ッ!」

「それに、今ここでそんな争いをせずとも、グレン先生は逃げも隠れもしません。ジョレンも同じです。先生のために、一生懸命戦うことでしょう……そうですよね、二人とも!?」

「お、おう……」

「え? あ、はい……」

 

 そして、どこか嬉しそうな、期待に満ちた表情でシスティーナに、グレンもジョレンも、もう否定することが出来ないでいた。

 

「くそ、覚えていろよ、グレン=レーダス! 集団競技になったら、まずお前のクラスから率先して潰してやるからな! そして、ジョレン=ジョースター! 貴様もだ、首を洗って待っていろッ!」

(なんでこんなにハードル上がっていくの? 誰か助けて……)

(えっ、俺も!? なに、グレン先生の苦し紛れの巻き込みにノってるんですか、ハーレイ先生!?)

 

 二人とも、心の中で、焦ったり声なき声を上げていたが―――

 

「おととい来やがれ」

「返り討ちにしてやりますよ」

 

 この世の中の抗えない流れに巻き込まれ、二人ともメンチを切って、喧嘩言葉を吐くしかなかった。

 

「ふふ、任せてください先生! 先生がここまで私たちを信じてくれているんだもの、私たちは絶対に負けないんだから! ね、そうでしょ、皆!」

 

 システィーナのあおりに、クラスの生徒たち皆が力強く頷いていた。

 その様子を見て、ジョレンは、内心落ち込みまくっているグレンの肩をポンと叩くことしか出来ない。

 

「や、やっぱり、噛み合っていないような……」

 

 そんな三人の様子を、ルミアは苦笑いで眺めていた。



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第十四話 「魔術競技祭の『開催』そして進行」

 魔術競技祭の練習初日の騒動から数日、グレンのクラス、二組はずっと練習を重ねてきていた。

 クラス全員で一個の目標に向かって、一致団結している二組は、この間、ずっと高い士気を保っていた。皆が、この一回きりの二年次生二組の魔術競技祭に向けて一生懸命だった。

 ジョレンも、一組から狙われることになるのを危惧すると同時に、この二組全体がもつ熱にも浮かされ、必死に練習を積んできていた。

 競技祭で使う、魔術の術式の調整も終わり、今日、初めて、呪文の一説詠唱をしようと、中庭に来ていた。

 

「すぅ……」

 

 規則的に息を吸い、集中力を上げながら、左手を構え、50メトラほど離れた木を狙う。

 

「《雷精の紫電よ》―――!」

 

 黒魔【ショック・ボルト】の一説詠唱―――それが、見る限りは問題なく軌道し、狙った木に向かって一直線に伸びていく―――しかし、直後に少しだけ左にずれ、狙いを外してしまった。

 

「ま、まだダメか……結構、上手く調整したと思ったんだけど……」

 

 見事に外れた【ショック・ボルト】を見て、ジョレンは苦い顔をするしかない。150~200メトラほど離れていれば、確かにかなり制御が上手くないと当たらないことが多いが、50メトラほどで当てられないとなると、実戦で使うには不安が残る。かといって、制御重視の三節詠唱では、不意の事態に対処が遅れてしまう。多対一の『バトルロワイアル』で、それはかなり致命的だ。

 

「『バトルロワイアル』のフィールドの直径は100メトラ……上手い人は端から端までの魔術狙撃だってやってくる……防ぐだけでじり貧になるのは避けたいところだな……」

 

 そのために、なんとか一説詠唱で、ちゃんとした制御をしたいところだが、練習しても、どうにも上手くいかない。そもそも、攻性呪文(アサルト・スペル)だけじゃなく、対抗呪文(カウンター・スペル)の方も一節詠唱を完成させないといけないのだ。

 

「こりゃ、あと数日以内に一人で完成させるのは無理か……」

 

 この手の悩みに一番頼りになるのは、やはりクラス最優秀生徒のシスティーナだろう。練習の間、彼女は他の生徒の競技祭用の術式の調整もやっていたし、少しアドバイスを貰おう、とジョレンはその姿を探しに一旦、校舎内に向かった。

 

***

 

 ジョレンが、一度二組の教室に戻ると、探していたシスティーナをあっさり見つけていた。と言っても、何故か教室に入らず、ルミアと一緒に扉から中を覗き見ているだけなのだが。

 

「お前ら、何やってるんだ?」

「あ、ジョレン。い、いや、別に……」

「ふふ、システィと一緒に、先生の横顔かっこいいなーって」

「な!? わ、私はそんなこと全然思ってないわよ!」

「あぁ、そうなの……」

 

 慌てているシスティーナに、曖昧な笑顔で返すしかなかった。

 前の事件で自分の知らない間に何があったのかは分からないが、システィーナの間でグレンへの感情にプラス的な変化があったようだ。もっとも、グレンの普段の態度のせいか、それを頑なに認めようとはしていないが。

 システィーナがこのところ、ずっとご機嫌なのは、グレンが珍しくやる気になっているからだろうと推測していた。

 

「ところで、ジョレン。先生日に日にやつれていってる気がするんだけど、何か知らない?」

「あー……うん。先生の名誉のために伏せとく」

「「?」」

 

 ジョレンの謎な返答に、システィーナもルミアも首をかしげるしかない。

 練習初日の騒動でグレンに巻き込まれた後、ジョレンはグレンがやる気になった理由を知ったが、ギャンブルで給料を全額スッて、魔術競技祭優勝クラスの担当講師に与えられる特別賞与を狙っているという、あまりにも酷いものだったので、口外しないことに決めていたのだ。

 そこで、ジョレンは本来の目的を思い出す。

 

「それはそうとさ、ちょっと一説詠唱時の魔術制御が難しくて、ちょっと相談したいんだけど」

「あ、そうなの? 分かったわ、一緒に調整しましょ、ほらルミアも」

「うん、分かった。私も手伝うよ」

「二人とも、ありがとう」

 

 こうして、システィーナとルミアの二人も交えて、改めて術式の調整や魔術制御の練習をすることになった。ジョレンは、グレンの体調の件から二人の興味を逸らせて、一石二鳥とも思っていた。

 そして再び、練習の日々が過ぎていく。三日、四日経っただろうか、遂に魔術競技祭の日を迎えようとしていた―――

 

***

 

 魔術競技祭、当日の朝。

 

「兄さん? レン兄さーん」

「ん? んぁ……」

 

 夜遅くまで、魔術制御の練習と回転の技術の復習をしていて、少し起きるのが遅れたらしい。車いすに座った状態の妹のリリィに、ゆさゆさと揺らされて、ようやく目が覚めた。

 

「ようやく起きましたか? 今日は魔術競技祭なんですよね? 早く準備しないと遅刻しちゃいますよ」

「あぁ……もうそんな時間か……ありがと、リリィ。ふぁ~」

 

 欠伸をしながらも、ベッドから降りて、ささっと着替え、顔を洗い、朝ご飯を作り始める。

 ほぼ毎日、このように、ずっと同じリズムで登校するまでの時間を過ごしている。学生とはいえ、自分が、今のジョースター家を支えていかなければならない立場になった以上、支障が出るほどに生活リズムを崩すわけにはいかなかった。

 

「今日はシンプルにベーコンフライドエッグにトーストだ」

「わぁ、美味しそう……! いただきます!」

 

 下半身不随の身とはいえ、リリィはそれでも明るく振る舞う。障害があるなんて微塵も感じさせないほどに。それが、ジョレンにとっても大きな救いの一つとなっている。

 ただ―――

 

「あ、そうだ。レン兄さん、今日は私も競技祭見に行きますからね」

「えッ!?」

 

 唐突な宣言に、あやうく飲みかけた水をこぼしかける。

 こういう時、リリィは本当に自分に障害があるなんて微塵も感じさせないほどアグレッシブに動こうとするのだ。それに救われている反面、それがある意味一番恐ろしかった。

 

「もー、そんなに驚かなくてもいいじゃないですか」

「いやだって、一人じゃ危ないだろ!? 段差だってたくさんあるし、変な人がいたら……」

「ふふ、心配性ですね。大丈夫ですよ、女王陛下だってフェジテにいらっしゃって、警備の人も張り切ってるみたいですし、こんな時に事件なんて起きませんから、後は私がこけないでいるだけですから」

「悪いけど、それが一番心配なんだけど……」

「ひ、酷いです、兄さん!」

 

 ジョレンの言葉で、半べそをかいて、拗ねてしまったリリィに、微笑まし気な笑みを浮かべながらも、どうしようかと少し真剣に考えていた。

 確かに、こんな人目が大量にある、このタイミングでテロだとかが起きることもないとは思うが、それを差し引いても、おそらく自分は敵組織の一つに狙われているのだ。このタイミングで無暗な外出は危険だと言わざるを得ない。

 あと、リリィは少々やつれていて細身だが、それ故に何か小動物のような可愛さがあるし、その綺麗な銀の長髪は目を引くし、その儚げな顔は実際、とてもよく整っていて、総合的に凄い美人なのだ。故に、大きなイベントごとの時に限って現れるナンパ男に遭遇しないかも地味に不安だった。

 

「やっぱりやめといたほうが……」

「嫌です! 兄さんの雄姿絶対見に行きますからね!」

 

 目に涙を溜めながらも、頑として言うことを聞かない態勢のリリィにジョレンはため息をついて。

 

「俺が出るのは午前の最後だから、その競技見たら、早めに帰るようにな」

「!」

 

 その言葉を聞いて、リリィの顔が太陽みたいな満面の笑みに変わって。

 

「はい! 分かりました!」

「全く……」

 

 そんなちょっとした調子の良さにちょっと呆れながらも。

 とても心穏やかに朝食を終え、ジョレンは魔術競技祭の準備が整った学院へと向かうのだった。

 

***

 

 魔術競技祭開催式が終わり、遂に競技祭の種目が始まった。

 最初の競技は『飛行競争』。学院敷地内に設定されたコースを一周事にバトンタッチしながら、何十週もする競技だ。

 そして、そのラストスパート。その時、その場にいる全員にとって予想外の展開になっていた。

 

『そして、さしかかった最終コーナーッ! 二組のロッド君がぁ、ロッド君が抜いたッ! そのままゴォオオ―――ルッ! なんと、『飛行競争』はあの二組が三位だ! 誰が、誰がこの結果予想出来たでしょうかァアアアアアッ!?』

 

 その結果に、周りから大歓声が巻き起こる。その発生源は主に、今回の競技祭に参加できなかった他クラスの生徒たちだ。どうやら、出ることは出来ずとも、こういった結果に何か共感できるものがあったらしかった。

 それに、その結果を信じれなかったのは、他クラスだけでなく、二組も同じだった。勝って当たり前だという感じの一位の一組はあまり歓声は上がっていないが、二組の残りメンバーはそれはもう、喜びの渦中にあった。

 そして―――

 

(うそーん……)

「先生も信じてなかったですね……? この結果……」

「うっ……」

 

 『スピード向上はいいから、ペース配分の練習だけしてろ』、なんていう指示を下していたグレン自身も、三位という好成績を残すことをどうやら欠片も信じてなかったらしく、呆然としていた。

 ジョレンがそれを指摘すると、図星と言わんばかりに顔をしかめて。

 

「幸先いいですね、先生! もしかして、この結果も先生の予想通りですか?」

「……と、当然だな」

 

 だが、そんなことは露ほども知らないシスティーナにそう聞かれれば、ぎこちないドヤ顔を浮かべながら、最初から知っていた風な雰囲気を出すしかなく。

 

「今回の『飛行競争』は一周5キロスのコースを計二十週する……確かに一周だけなら瞬発的な速度が重要だろうが、この長丁場じゃそうはいかない……飛行魔術はただでさえ、集中力が大事なんだしな……だから、俺が言ったのはただ一つ。ペース配分は死んでも守れってな……じゃねーと自滅するぞ、って。ふっ、楽な采配だったぜ」

 

 そんなグレンの後付け講釈を聞いた二組の生徒たちは、すっかり勘違いをしてしまっているようだった。

 そして、少し遠くの方で、どうやら『飛行競争』でギリギリのところで二組に抜かされてしまった四組の生徒が、その二組の生徒と言い争っているようであり―――

 

「クソッ、まぐれで勝てたからって調子に乗りやがって!」

「まぐれじゃない! これも全てグレン先生の策略なんだ!」

「んだと!? おのれ二組、いきがって……ッ!? これから四組は率先して二組を潰すからな、覚悟してろよッ!」

 

 なんて、不穏極まりない言葉もチラホラと聞こえてきて、グレンもジョレンも苦い顔をするしかなかった。

 とはいえ、初っ端三位という高順位を叩き出した二組。これにより勢いがついたようで―――

 

『あ、()てた―――ッ!? 二組のセシル君、三百メトラ先の空飛ぶ円盤を見事に【ショック・ボルト】で撃ち抜いた! これにより四位以内は確定! これも大きな番狂わせだぁああああ―――ッ!』

「や、やった……動く的に狙いをつけるんじゃなくて、動く的が狙いをつけている空間にやってくるのを待ってろっていうグレン先生の言うとおりだ……!」

 

 成績が平凡な生徒たちは、予想外の奮闘によって、そこそこの順位を取り。

 

「『騎士は勇気を(むね)とし、真実のみを語る』、ですわ!」

『いった――――――ッ! 正解のファンファーレが盛大に咲いたァ―――ッ! ウェンディ選手、『暗号早解き』圧勝ッ! 文句なしの一位だァ―――ッ!」

「ふぅ……いきなり神話級の言語が出たら、いきなり共通語に翻訳するのではなく、いったん新古代語あたりに読み替えろっていう先生のアドバイス、ドンピシャでしたわね……これには感謝しませんと」

 

 成績上位者は安定して好成績を取っていく。

 観客席の方も、二組が出場する競技では特に盛り上がっていた。やはりレベルが近い者が多く出場している二組の時は、見ていて熱が入るからだろう。また、どういう形で番狂わせが起きるのか楽しみにしている、というのも大きい。

 結果として、今の順位は三位。賭けをしている一組は当然の如く一位に君臨しているが、まだそこまで点差は開いていない。とはいえ、じりじりと離されているのも事実だった。

 ジョレンもグレンもそれを感じ取っていて、二組の待機席から、少し離れた場所で二人、壁に背を預け、相談していた。

 

「流石にこの辺りで一つ上の順位を取っとかないとマズいか……」

「先生、どうするんですか?」

「そうだな……次の競技はなんだった?」

「『精神防御』ですね……次に午前中最後の『バトルロワイアル』があります」

「ふむ……お前が万が一失敗した時のリカバリーも兼ねて、一発大きく取りたかったが、こりゃいけそうだな」

「? そうなんですか?」

 

 思わず、ジョレンは聞き返していた。

 何故なら、『精神防御』は魔術競技祭中トップクラスに危険な競技として有名だ。唱えられる精神汚染呪文を白魔【マインド・アップ】の呪文で耐えていく、という形式の競技なのだが、その呪文に耐えきれないと、最悪三日間ほど寝込む羽目になる。というか高確率でそうなってしまうのだ。

 そして、その『精神防御』に出る二組の選手はルミア……グレンの采配を初期から信じていたジョレンと言えども、この選出にはちょっと難色を示していたのだ。

 そんなジョレンに、グレンはちょいちょいと手招きして、顔を自分の方に寄らせ、コソコソと耳打ちする。

 

「あぁ、実はな―――」

「……そういうことだったんですか」

 

 説明を聞き終え、感嘆したような反応をするジョレンを後目にグレンがぐったりと壁に預ける体重量を多くしていると。

 

「ねぇ、先生……」

「んぁ?」

 

 その時、さっきのジョレンと全く同じことを考えていそうなシスティーナがグレンに近づいてくる。

 

「やっぱり、今からでもルミアを変えない……?」

「はぁ……?」

「だって、ルミアが出る競技は『精神防御』なのよ……!? 見てよ、舞台の方! 他のクラスは男の子ばかりよ!? やっぱりあんな過酷な競技、ルミアには無理よ!」

 

 そう、システィーナは指摘するも、グレンは全く意に介さない。

 そんな様子を見て、システィーナの後ろから皮肉げな冷笑を浮かべたギイブルもやってくる。

 

「ははっ……あなたも酷い人だ、先生」

「ギイブル……?」

「彼女を出したのは捨て駒ですか?」

 

 そう言いながら、ギイブルがグレンの顔をチラリと見るが、グレンに動揺してる様子はない。

 

「そ、それ、どういうことよ、ギイブル……?」

「ふん、彼女の隣を見てごらんよ」

 

 そう言って、指さす先には、周りの生徒よりも二回りも三回りも大きい、日焼けした浅黒い肌に赤く染めた髪の強面で筋肉質な男が腕組みをして立っていた。

 

「五組のジャイル。彼は前魔術競技祭の『精神防御』優勝者。それも他の追随を許さないほど圧倒的にね……他のクラスのいくつかは、彼が出ると知っただけで勝負を捨てにかかっている。ハーレイ先生の一組も同様だ」

「た、確かに気合入ってそうな人だしなぁ……」

「ま、彼の事はさておいて……そんな競技に彼女を放り込む……白魔術以外はそれなりにぐらいしかこなせない彼女を? どう考えてもおかしいでしょう、なら捨て駒しか考えられない」

 

 そのギイブルの遠慮ない物言いに、システィーナの顔が強張った。ジョレンも少しばかり、睨むようにギイブルを見る。しかし、ギイブルの言葉は続いていく。

 

「まぁ、今回の種目に白魔術が使えそうなものが無い以上、ここで彼女を捨て駒として使うのは実に合理的ですね? 吐き気するほど大した戦術眼だ」

「先生……嘘ですよね? まさか先生がそんなこと……」

 

 しかし、当のグレンは無言。何の弁解も言い訳もない。それが肯定の沈黙にしか見えず、システィーナがグレンを揺さぶろうと、手を伸ばすと―――

 

「やめろ、システィーナ」

「じょ、ジョレン……」

 

 それを隣で聞いていたジョレンが言葉で止めていた。そして、その理由を聞こうとするシスティーナに先んじて―――

 

「先生、今寝てるから」

「「は?」」

 

 その言葉にシスティーナとギイブルがポカンとした顔をした後に、グレンの顔を覗き込むと、確かに既に鼻提灯を垂らしてすやすやと眠りこけていた。ギイブルの話など、一ミリも聞いていなかったのだ。

 

「まぁ、でも今さっき先生から話を聞いた限りじゃ、大丈夫だと思うけど」

「え、ジョレン、先生から話聞いたの?」

「あぁ……とりあえず今は種目の方に集中しよう」

 

 そんなジョレンの言葉に、ひとまず種目の様子を確認しようと、システィーナもギイブルも舞台の方に目を向けた。

 

***

 

 競技開催までのわずかな間、皆に心配されている当人のルミアは、周りの様子を見て時間を潰していた。

 自分のクラスメイトが座っている観客席の方を見れば、システィーナとギイブル、そしてジョレンがこちらの方を凝視していた。

 

(まだ種目始まっていないのになぁ……)

 

 なんて思いながらも、少し自分に残っていた緊張が消えていくのが分かった。

 そして、向こうに大丈夫だと伝えようと、手を振ろうした時。

 

「……おい、そこの女」

 

 その言葉に振り向けば、仏頂面をしたジャイルがこちらを睨んでいた。

 

「悪いことは言わねえ。今からでも棄権しな」

「!」

「この競技はお前みてえな女子供に務まる競技じゃねえよ、三日間寝込むことになりたくなきゃ、とっとと失せろ」

 

 そんなジャイルの威圧的な恫喝だが、ルミアはそんなジャイルにもいつもと変わらない様子で笑いかけ。

 

「えっと、確か……五組のジャイル君だったよね? ふふ、心配してくれてるんだ」

「……あぁ?」

 

 そんな反応はジャイルも流石に予想外だったようで、一瞬目を丸くして。

 

「大丈夫だよ。クラスの皆も頑張ってるから……私も何か頑張りたいんだ」

「そうかよ。後悔しねえようにな」

「それに、ジャイル君の五組は今二位……私の二組は三位……もし、私がジャイル君に勝ったら……順位、入れ替わっちゃうね?」

 

 そう言って、ルミアは立てた人差し指を口元に当て、いたずらっぽくウインクした。それは誰にでも分かる『挑戦』の表れだ。それを見たジャイルはまるで獲物を見つけた肉食獣のような獰猛な笑みを浮かべ。

 

「……面白ぇ」

 

 そして、その直後にアナウンスが入り、ようやく『精神防御』の種目が始まる。

 今回はルミアが参加していることで、精神操作系呪文の権威、ツェスト男爵の変態的趣味が明らかになったり、その男爵が放つ精神汚染呪文が下心満載であったりと、別の意味でルミアが心配になってきてくる『精神防御』。

 しかし、紅一点のルミア。見事に精神汚染呪文を耐えきっていく。しかも割かし余裕に。

 それを見て、最初はジャイルの優勝を疑わなかった人たちも、少しずつ期待を胸に秘め始める。

 そして、ルミアを心配していた二組の三人も、これには驚くしかなかった。

 

「こ、ここまで強かったのか……彼女」

「す、すごい……」

 

 流石のギイブルも、これには動揺を隠せないようだった。

 隣で見ているシスティーナも、目を丸くしてしまっている。

 

「白魔【マインド・アップ】は素の精神力を強化するだけの魔術だ。だから元の精神力が強いほど……要するに肝が据わっているほど高い効果がある」

 

 そんな二人に声がかかる。さっきまで寝ていたグレンがようやく起きて、混乱している様子の二人に説明し出した。

 

「んで、二組の中であいつほど肝が据わっている奴はいない。だからルミアを出した。割と楽勝にいけるだろって思ってな」

「そ、そういうことだったのね……」

「でも、あのジャイルって生徒も大概みたいですよ」

「あぁ……こりゃ、もしもの時を考えておいた方がよさそうだな……」

 

 そんな密かな決意をグレンが抱く中、『精神防御』はまだまだ続いていく。

 そして、二十七ラウンド目から、精神を破壊する、最高峰に危険な精神汚染呪文、【マインド・ブレイク】が唱えられる。この時点で生き残っていたのは、ジャイルとルミアのみ。完全に一騎打ちの形になっていた。

 最初の【マインド・ブレイク】は二人とも耐えた。そして二十八、二十九、三十、と徐々に威力が上げられていく。

 そして三十一ラウンド目。遂に膠着した状況が崩れる。

 

「……ッ!」

 

 ぐらりと、揺れる身体。

 遂にバランスを崩し、がくりと片膝をついたのはルミアの方だった。

 

『つ、ついにルミアちゃんがよろめいたぁあああ―――ッ! それに対してジャイル君は全く動じていません! これは勝負あったかぁあああ―――ッ!?』

「大丈夫かね……? ギブアップするかね?」

「……いえ、まだいけます」

 

 ツェスト男爵がギブアップを提案するも、ギリギリながら立ち上がって続行の意志を告げるルミア。その姿に会場は大いに沸き立っていた。

 しかし―――

 

「棄権だッ!」

 

 突如挙がった宣言に、会場はしん、と静まり返った。見れば、グレンとシスティーナとジョレンが、いつの間にか舞台に上がっていた。

 

『……えっと? なんとおっしゃいましたか、二組担当講師のグレン先生』

「棄権だっつってんだ。二組は三十一ラウンドの時点で棄権だ、何度も言わせんなよ」

「な……?」

『な、なんと、二組はここで棄権……なんとも、あっけない幕切れになってしまいました……』

 

 それに対し、ボルテージがマックスになっていた観客席からブーイングの嵐になったが、グレンはどこ吹く風だ。

 

「よくここまで頑張ったな、ルミア」

「せ、先生! わ、私はまだやれます……!」

 

 はっと我に返ったルミアがグレンに抗議するが―――

 

「何言ってんだよ、ルミア。もうギリギリだったじゃないか。本当に三十二ラウンド目終わって立ってられたのか?」

「そ、それは……」

 

 ついてきていたジョレンの指摘にルミアがしゅんと俯いた。どうやら図星だったらしい。

 

「悪いな、ルミア。お前なら余裕で勝てると思ってたんだが、こんな化物がいるとは思わなかった。辛かっただろ、マジですまん」

「ううん、そんなことないです、先生。楽しかったです。負けちゃったのは悔しいけど、私も皆のために戦えているんだって気持ちになれましたから」

「……そうか」

 

 そんな二人のやり取りが終わり、どうにかルミアを観客席へと連れて行こうとシスティーナが肩を貸そうとしている中。

 

「なぁ、ルミア」

「? ……どうしたの? レン君」

「後は―――」

 

 やはり、まだ落ち込んでいる雰囲気のルミアを励ますために、ジョレンが何かを口走ろうとした時―――

 

「た、立ったまま気絶している……」

「「「「ん?」」」」

 

 立ったまま気絶しているとは誰の事だろうか? ルミアはまだ気絶はしていないし、その前に崩れているから、立ったままというのもおかしい。そう舞台に上がった二組が考えていると。

 

「ジャイル君が立ったまま気絶してしまっているね、完全に、これは」

『えーと? ということは……』

「ルミア君の勝ちだろうね。棄権したとはいえ、直前の三十一ラウンドを彼女はクリアして、ジャイル君はクリアできなかったのだから」

 

 そのツェスト男爵の言葉から、数瞬の間を経て―――

 

『……な、なんとぉおお―――ッ!? まさに大どんでん返し! 『精神防御』優勝は、紅一点、ルミアちゃんに決定したぁあああ―――ッ!」

 

 そのアナウンスを皮切りに、爆発のような大歓声が渦巻いていた。

 

「……マジかよ」

「こ、こんなことあるんですね……」

 

 そのあまりにも突然なことに、グレンもジョレンも呆気に取られるしかなくて。

 でも確実に言えることは、これで二組と五組の順位が入れ替わり、二組が二位に躍り出たということだ。

 

「おい、ジョレン。こりゃ責任重大だぞ」

「この二位を午後に繋げるためには負けられないってことですか」

 

 そう、ルミアのおかげで、最高潮にまで上がった二組の士気を午後に入る直前に落とすわけにはいかない。

 ジョレンの出場する『バトルロワイアル』には、それほどの意味があるのだ。

 

「期待してるぞ」

「えぇ、期待しててくださいよ」

 

 グレンの釘差しのような言葉に、自信をもって返答するジョレン、

 そして、『バトルロワイアル』の準備に入る舞台。ジョレンは丁度良く、一番早くその場で待機していた。

 グルグルと観客席を見渡して、おそらく来ているであろう、妹のリリィを探す。

 

(あ、いたな……)

 

 見れば、車椅子に座って大きく手を振っているリリィが見えた。その笑顔はここからでもとても活力のあるように映るほど明るい。それを見るだけで、こっちも元気が溢れてくるようだった。

 

「ねぇ、レン君……もしかして、妹さんってあの人?」

「あ、ルミア……」

 

 そうしていると、まだ観客席に戻っていなかったルミアが、ジョレンと同じ方の観客席を見ながら話しかけてくる。

 

「あぁ、あの銀髪のが、妹のリリィだ」

「ふふ、とても元気そうな妹さんなんだね」

「元気過ぎて、ここまで来ちゃったけどな」

 

 なんて呆れたように言うが、その声音に嬉しさを隠しきれていなかった。

 

「ねぇ、レン君」

「なんだ?」

「さっき、私に何を言おうとしてたの?

「あぁ、あれは……」

 

 別になんてことない。ただ、次は自分の番だったから言おうとしただけだ。

 準備もどんどん進み、他のクラスの出場生徒も舞台に上がってくる中、ジョレンはそんな相手たちを見据えながら。

 

「『後は任せろ』って言おうとしただけだ」

「! ……うん、頑張ってね!」

 

 ホルスターに留めていた鉄球をバシッと右手に持ち、相手に向かって立ったジョレンに、ルミアもリリィに負けず劣らずの笑顔で、応援して。

 

「おう!」

 

 それに応じる掛け声をあげながら、ジョレンも自分の戦いへと足を踏み入れた。



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第十五話 「魔術師+『α』の大乱戦」

 魔術競技祭、午前中最後の種目『バトルロワイアル』。その準備が着々と進み、出場選手も出揃い始めた頃、一番先に来ていたジョレンは一つ、他の事を考えていた。

 

(そういえば、ミクリはどの種目に出るんだろうか……)

 

 練習初日の日に遭遇した、自称宇宙人の青年、ミクリ=ハザード。彼も魔術競技祭に出ると言っていた以上、どこかの種目で二組のうちの誰かが彼と戦うことになる。

 

(特に可能性が高いのは……リンかぁ)

 

 恐らくだが、出場するのは『変身』。魔術ではない不思議な手段で完璧な擬態が出来るミクリは『変身』の種目に出場するんだろう。というか、それ以外が思いつかないほど、まだ彼の事を分かっていないだけなのだが。

 となると、対決するのは、二組で『変身』にでるリンということになる。彼女には頑張ってほしいところだ。

 

『さぁ、午前最後の種目『バトルロワイアル』! 準備が整いました! これより開始致します!』

 

 アナウンスが会場中に響き渡り、大歓声が巻き起こる。ジョレンが考え事をしている間に、どうやら出場選手も全員集まったようだ。

 そして、それを合図に集まった選手が一斉に持ってきた非殺傷武器を取り出す。

 ジョレンも、緊張感を身体に走らせながら、右手に持った鉄球を力強く握っていた。

 

***

 

「ジョレン、本当に大丈夫なの?」

 

 二組の待機用観客席で、舞台の方の見ながら言っているのはシスティーナだ。視線の先には、鉄球を持ったジョレンがいる。

 そして、視線を動かせば、様々な武器を持った他クラスの生徒が見える。9人中5人は木製の細剣(レイピア)、言ってしまえば木刀で、木製の槍を持った生徒が二人、どうやら格闘戦をすると思しきグローブを付けた生徒が一人いる。残り一人はどうやら無手のようだ。なんというか立ち姿からも覇気のようなものが感じられない、ただの棒立ちをしている。

 

「あんなにたくさん……しかも武器を持ってるのに……」

 

 ジョレンが申請した武器はもちろん鉄球だ。しかし、どう見ても、他の武器に見劣りする。投げて使うのだろうが、攻撃を防ぐことも出来ない。

 

「まぁ、この『バトルロワイアル』で問題になるのはそれだけじゃないだろうけどね」

「? どういうことよ?」

 

 そこに口を挟んできたのは、眼鏡男子のギイブルだ。腕を組み、非常に真剣な様子で舞台を見ている。

 

「さっきの『精神防御』で勝ち二位に上がった……というのもだけど、今、僕たちには敵が多いだろう? 先生が暴れたおかげで賭けをしている一組、最初の『飛行競争』で因縁をつけてきた四組……そして、ここで勝つことが出来れば再び二位に返り咲ける五組……少なくともこの三クラスは確実に彼を狙ってくる……もしかしたら他にもね。この『バトルロワイアル』に関しては、事前にどれだけ敵を作らないかが鍵になる……が」

 

 いつも涼しい顔をしているギイブルが、少し忌々し気な顔をして。

 

「それははっきり言って矛盾している。だって優秀な成績を取っていれば、狙われないわけがないからね。敵を作らないということは、目立つような成績を取ることを避けるということ。だが、それでは優勝なんて出来るわけがない。簡単に言えば、優勝に近いクラスほど上位に食い込むことが難しい競技っていうことだ。だから、『バトルロワイアル』は終盤である午後ではなく午前に行われる。とはいえ、それでもここで躓けば、優勝を逃すということも多い……つまり、優勝を狙うとしたら一番ルール的な意味で厄介になるのが、『バトルロワイアル』っていうことさ」

「そっか……でも、避けては通れない……確かに難しいわね……」

 

 システィーナも三人の相手を同時に相手取る場合を考え、それが厳しい状況だというのは、容易に想像ついた。魔術戦の多対一は不利極まりなく、また『バトルロワイアル』は『決闘戦』には出れなかったけど、優秀、という生徒が揃う。ということは実質四番目に優秀な生徒たちが戦う場、ということだ。実力の差も少ないとなれば、更に勝ち目が薄い。

 それに戦うのはジョレンなのだ。ジョレンは最近まで、呪文の一説詠唱が出来ないほどの腕前だった。ハッキリ言って、周りはその格上なのだ。そんな相手が三人となって、普通なら勝てるなんて考えられない。

 だが―――

 

「まぁ、あいつなら大丈夫だろ」

「そんな楽観的でいいんですか!? ジョレンだってケガしちゃうかもしれないのに……」

 

 眠そうに欠伸しながら、そんな呑気なことを言っているグレンにシスティーナが食って掛かる。

 

「ねぇ、ルミアもなんとか……ルミア?」

「……」

 

 ルミアはいつも以上に真剣な表情で舞台の方を凝視していた。そこには確かにジョレンへの心配もあるのだろうが、それ以上に、ジョレンへの信頼が見て取れた。

 勝てない可能性は確かにある。でも、それでも何かやってくれるという確かな期待が。

 それを見たシスティーナも、これ以上口を出すのを控えることにしたらしい。すっと静かになって、始まった『バトルロワイアル』の方に目を向けた。

 

「まずは『準備時間』か……」

 

 アナウンスを合図に始まった『バトルロワイアル』だが、場にいる誰も攻撃をしていない。

 舞台を歩き回り、最適な位置を探していたり、辺りに魔術罠(マジック・トラップ)を仕掛けていたりしている。

 『バトルロワイアル』の最初の一分間は『準備時間』として、攻性呪文(アサルト・スペル)や武器による攻撃が禁止となっている。この間に、位置取りを済ませたり、罠を張ったりして、本当の開始である『戦闘時間』に備えるのだ。

 しかし―――

 

「ジョレン、何やってるの……!?」

 

 当のジョレンは魔術罠(マジック・トラップ)だったり自己強化魔術を自身にかけていない。舞台の上をうろちょろして、一定の間隔で思い出したかのように、地面に膝をつき、何やら床を手で触っているように見える。

 

「この『準備時間』で色々な対策をしないと負けるわよ!? やる気あるの? ジョレンは!」

「おい、白猫。どうせこっからじゃ聞こえないんだから、キンキン騒ぐな」

「だって、あれじゃ―――」

「あいつはあれでいい。俺が保証してやる」

「え……?」

 

 よく見れば、グレンもルミアに負けず劣らずの真剣な表情をしている。それほどまでグレンに言わせるジョレンのあの行動の意味がシスティーナも、言葉は発しないがギイブルもよく分からなかった。

 

「よく見ろ、ジョレンが床につけてる手を」

「え?」

 

 グレンにそう言われて、見てみれば、ジョレンは床に手をつけているのではなく、手で持っている鉄球を床に押し付けている。ジョレンは、舞台のあちこちを移動して、それを繰り返しているのだ。

 

「あれに何が……? あの鉄球って魔道具ってわけでもないですよね……?」

 

 ルール上、武器は非殺傷に限られ、魔道具を持ち込むことは禁止されている。あの鉄球も審査を通って許可されたものである以上、特殊な効果を持つものであるのはあり得ない。

 

「そう、別にあの鉄球は何も特別じゃねぇよ」

「じゃあ、どうして……?」

「どうしてっつーか、お前ら多分勘違いしてるから、言っとくけどさぁ」

 

 グレンがめんどくさそうに後頭部を掻きながら。

 

「あいつの武器はそもそも鉄球じゃねぇよ」

「「は?」」

 

 そんな意味不明な言葉に、システィーナもギイブルもポカンとしてしまっていた。

 

***

 

(あれ……? おかしいな)

 

 舞台の上で床に鉄球を押し付けながら(まわ)っていたジョレンが違和感を覚える。

 

(なんで『八人』しかいないんだ……?)

 

 よく見てみると、自分以外の選手が八人しか舞台上にいない。二年次生のクラスは全部で十クラスなので、自分以外は九人いないとおかしい。

 

(いつの間にか棄権しちゃったんだろうか……?)

 

 なんて考えていると、視界の奥に大きな砂時計が目に入る。

 それはもう少しで全ての砂が落ち切ってしまうところだった。これは丁度一分の時間を計るための競技用の砂時計で、これが落ち切った時が『準備時間』の終わり。『戦闘時間』の始まりだ。

 

(そろそろ勝負に集中するか)

 

 そうして、そんな小さな違和感を頭の奥に押し込め、立ち上がる。

 どこにどうやって魔術罠(マジック・トラップ)が仕掛けられているのか、肉眼では把握しようがない。そして、周りを見てみれば、二人ほど、こちらの方を警戒しながら、近づいている生徒がいる。一組と四組だ。彼らが一番最初に飛び掛かってくるだろうことは、見れば分かった。

 そして、先に防御するために鉄球を回転させ始めたところで―――

 

『砂時計の砂が落ち切りました! これから『戦闘時間』の始まりですッ!』

 

 そんなアナウンスと共に、舞台上の全生徒が駆けだした―――その瞬間。

 

「「「なッ!?」」」

 

 『準備時間』中に仕掛けられた魔術罠(マジック・トラップ)が全て―――誤爆した。

 

***

 

「な、何が起こったの……!?」

 

 その様子を二組の待機観客席にいた皆は目を丸くして見るしかない。ルミアもこれは少々予想外過ぎたようで、周りと同じ反応をしてしまっている。この中で唯一平静を保っているのはグレンしかいない。

 

「やっぱ、やりやがったな、あいつ」

「ど、どういうことですか? 先生」

「ジョレンは回転の『振動』を『準備時間』中に辺りにばらまいていた。『戦闘時間』が始まると同時に仕掛けられた魔術罠(マジック・トラップ)全てを誤爆させるようにな」

「は、はぁ!?」

 

 そんな荒唐無稽な説明に、システィーナはもう呆れたような声を出すしかない。

 

「おそらく、場に仕掛けられていた魔術罠(マジック・トラップ)のほとんどが、人が近くに来た時に起動する『条件起動』だったはずだ。つまりそれは衝撃を感知する方式。それを振動……波紋を送り込むことで誤起動させたんだ」

「そ、そんなことが……?」

「出来るんだよ。それがあいつの使っている『回転の技術』だ」

「回転の……技術?」

「そう、技術だ。決して魔術ではない。それがあいつの武器だ。決して鉄球ではなく、あの『回転の力』そのものが武器なんだ」

 

 そう説明しながら、グレンは試合様子を見ながら、二ッと不敵な笑みを浮かべていた。

 

***

 

「くたばれ、《冬の嵐よ》―――!」

「二組め、《大いなる風よ》―――!」

 

 『戦闘時間』開始直後、誤爆した魔術罠(マジック・トラップ)に皆、呆然としていたものの、すぐに我に返り、一組と四組の生徒がジョレンに向かって面制圧系の呪文を同時に放つ。

 

「《光り輝く護りの障壁よ》」

 

 それを一説詠唱で起動した対抗呪文(カウンター・スペル)【フォース・シールド】で完璧に防ぐ。それと同時に右手のひらで鉄球がシルシル……と回転を続けている。

 

「「うぉおおおお―――ッ!」」

 

 【フォース・シールド】を展開して防いだのを見て、チャンスと思ったのか、二人が武器を構えて、挟み撃ちの形で突っ込んでくる。【フォース・シールド】の呪文は万能で強固であるが、展開している間、動くことが出来ない。それ故に、解除される前に武器で叩こうと突進してくる。

 

「ふッ!」

 

 しかし、全く焦らず、右から来た一組の生徒に鉄球を放つ。しかし、それは見切られたらしく、難なく木刀で受け止められる。

 

「!」

「ふん、こんな玉如きが何だって―――な、なんだ……?」

 

 しかし、木刀で完全に受け止めたはずの鉄球は叩き落されない。力を入れても、全く落ちない。むしろ刀に込めた力と拮抗しているのだ。ギャルギャルギャルギャルッと回転している鉄球が少しずつ押していき―――

 

「なぁッ!?」

 

 遂に木刀を逆に粉々にしてしまった。

 それを見て、四組の生徒が驚き、足を止めてしまったことで、ジョレンの【フォース・シールド】の解除が攻撃される前に間に合う。同時に、目にも止まらぬ速さで一組の生徒に近づき、粉々にした後、床に落ちても、まだ回転を続けていた鉄球を思いっきり蹴り飛ばし、一組の生徒の顔面にぶち当てていた。

 

「がふっ……!?」

 

 しかし、倒れない。『準備時間』中に白魔【ボディ・アップ】をかけて、身体を頑強にしていたらしい。戻ってきた鉄球に再び回転をかけながら、次のアクションを仕掛けようとしていると―――

 

「《雷精の紫電よ》―――!」

 

 

 これ幸いと背中を向けているジョレンに四組の生徒が【ショック・ボルト】を放つ。

 だが―――

 

「捉えているぞ」

「ぐぁあああ―――ッ!?」

「なっ!?」

 

 背後から迫る電光を後ろを見ずに躱し、その目の前に立っていた一組の生徒に当たってしまう。【ボディ・アップ】をかけていたとはいえ、二連続で強烈な攻撃を喰らってしまっては、流石に耐えれずに倒れてしまう。

 その光景に一瞬唖然とするも、すぐにマナ・バイオリズムを整え呪文を放つ。

 

「クソッ、《雷精の紫電よ》ッ!」

「遅いッ!」

「ぶっ……!?」

 

 しかし、二発目の電力弾も回転する鉄球で受け止められ、上へと弾かれてしまう。それを信じられないとでも言いたげな驚愕の顔で見ていると、すぐに投げ放たれた鉄球が四組の生徒の顔面に炸裂する。

 こっちは【ボディ・アップ】などを使っていなかったようで、すぐに気絶した。

 二人を同時に相手して、なお無傷のジョレンに周りの注目は集まっていく。見れば、他にも二人倒れ、残りはジョレン含めて五人の状況。『バトルロワイアル』は更に盛り上がりを増していく―――

 

***

 

「す、凄い……何よあれ……」

「言ったろ? 回転の力だって。あいつが鉄球にかける回転は魔術をも弾く。あの呪文がもしも【ライトニング・ピアス】であってもな」

「そ、それって……」

 

 グレンの言葉に、システィーナは見ていないが、それには思い当たる節がある。それは前に起こった自爆テロ事件で、テロリストたちにジョレンが【ライトニング・ピアス】で撃たれた時のことだ。

 システィーナやルミアを含めて、その場にいた生徒の全員が直撃したものだと勘違いしていたが、本当は回転させた鉄球で受け止めていたのだ。だから、致命傷にはならなかった。

 

「回転のかけ方は常に調整され、床に落ちたりどっかに飛んでった後も、回転の力で自動的にあいつの元に戻っていくし、回転によって生じる空気振動の反響を読み取って周りの状況を把握できる。背後から撃たれた【ショック・ボルト】を躱したのもそれだ」

「本当に魔術じゃないんですか……? そんなの人間技には見えない……」

 

 しかし、そんな説明を急にされても、すぐに信じることが出来ないほど、目の前で起こった現象は常軌を逸している。そのために、システィーナは何度も質問してしまう。

 

「本当は別の一族に伝わる秘伝なんだ。それも、『医療』ともう一つ、その一族の家業のために編み出されたな。あいつが自分で言っていたことだが、あれはそれを見様見真似で何年もかけて再現したものらしい」

「あ、あれ本当は『医療技術』なんですか!?」

「そう、れっきとした医療のための技術だ。俺も何度か本家本元の方を見たことあるしな……その本領は文字通り人体に及ぼす作用にある」

「人体に……」

 

***

 

(あと四人……! ここは一気に押し入る! 倒す!)

 

 開始前に大量に張られていた罠もほぼ全て誤爆させ、関与し得ないトラブルの危険は極限まで削った。それが、ジョレンの行動を更にアグレッシブにしていく。

 舞台の端の方で、2、2で分かれて戦っている中、右の方の二人……六組と九組の方に駆けて行き―――

 

「《駆けよ風・駆けて抜けよ・打ち据えよ》―――!」

 

 同時に、三節詠唱で括った、黒魔【ゲイル・ブロウ】を放つ。風の鉄槌が細剣(レイピア)による剣術の応戦をしていた二人目掛けて向かってきて、ぎょっとして泡食ったように離れて回避した。それを見逃さず、そのうちの九組の生徒に向かって、更に肉薄していく。

 

「《雷精の紫電よ》ッ!」

「《災禍霧散せり》ッ!」

 

 追撃にと、唱えた【ショック・ボルト】だが、相手も流石に成績優秀者の一人。冷静さを取り戻し、三属性呪文を打ち消す対抗呪文(カウンター・スペル)、黒魔【トライ・バニッシュ】の呪文を唱え、雷弾を打ち消した。

 

「何ッ!?」

 

 しかし、その雷弾の後ろに隠すように放たれていた回転鉄球がそのまま飛んでくる。追加で対抗呪文(カウンター・スペル)を唱える暇もなく、咄嗟に腕を交差させてガードする。

 

「うぐぐッ……」

 

 鉄球の直撃を受けた左腕がみしみしと音を立てるが、若干遠くから放たれたからか、さほど威力がない。すぐに叩き落して、反撃の呪文を唱え始める。

 

「《白き冬の嵐よ》!」

 

 黒魔【ホワイト・アウト】。相手の四肢の感覚を奪い、行動不能にする冷気の衝撃。それが呪文詠唱により放たれる―――

 

「一手早いな、あんた」

「? 一体何の……?」

 

 ジョレンの言葉に疑問符を浮かべた瞬間、自分の身体に起きている異変に気が付いた。見れば、鉄球を受け止めた腕に、何やら渦巻いたような痕がついており―――

 

「なッ!? あぁッ!?」

「『筋肉には悟られるな』」

 

 その痕が今もエネルギーを持って、腕に残留していたのだ。回転のエネルギーが。それが、力を発揮し、腕をぐるんと巻き込むように勝手に動かし、左手を自分の方に向けてしまった。それと同時に【ホワイト・アウト】の呪文が解放され、自分自身に向かって冷気が迸った。その超至近距離の直撃を受けた生徒は、即戦闘不能に追い込まれてしまった。

 

***

 

「い、今……自分に呪文を……」

「あいつの回転の力は肉体に……『筋肉』に作用する。回転のかけ方次第で腕の筋肉を自在に操作できるってことだ」

 

 グレンの視線はピッタリと戦っているジョレンを追っている。その姿を見て、自分の元同僚そっくりだと、嘆息していた。

 

「で、でも、魔術的な力じゃないなら、本人が力を入れるだけで抵抗できるんじゃないですか……?」

「普通はな。でもあいつの回転の力は決して悟られない。筋肉は気づけないんだ。全ては回転の振動による反射的な行動であり、本人の意志とは無関係に行われる。例えるなら、めちゃくちゃ熱い鍋に気づかず触って、びくっと手を離すのと同義……分かっていたからといってそう簡単に抗えるもんじゃない。んなの、自分の神経弄ってないと無理だ」

 

***

 

「おぉぉ―――ッ!」

「ッ―――!」

 

 生徒の自滅と同時に、もう片方、六組の生徒が細剣(レイピア)を構え突っ込んでくる。簡単に呪文で攻撃すれば、今の筋肉操作を使われると思ったらしい。その動きに呪文を交えてこようとかの考えが一切見られない。

 それを見て、すぐさま戻ってきた鉄球を再び放る。凄まじい回転がかかった鉄球が真っすぐに相手へと向かって行く。

 

「ハァッ!」

「!?」

 

 それを細剣(レイピア)で受け止めた瞬間、六組の生徒は細剣(レイピア)を捨てた。細剣(レイピア)はまたも砕かれたが、ジョレンは無手。今なら呪文での攻撃が出来る。

 

「《残響為る咆哮よ》―――!」

 

 黒魔【スタン・ボール】。音と衝撃によって相手を無力化する圧縮空気弾を放つ攻性呪文(アサルト・スペル)が、猛烈な勢いで迫ってくる。

 

「《光り輝く護りの障壁よ》ッ!」

 

 【フォース・シールド】で受け止めた【スタン・ボール】が炸裂し、余波でジョレンの身体に圧力がかかる。しかし、それを意に介する暇はない、とばかりにすぐさま魔力障壁を解除し、次の呪文を唱え始め―――

 

「《雷精の紫電よ》ッ!」

 

 再び一説詠唱で放つ【ショック・ボルト】。今回の『バトルロワイアル』のためにジョレンが一節詠唱を出来るようにしたのは、【ショック・ボルト】と【フォース・シールド】のみ。これ以外の呪文は未だに三節詠唱のままだ。そのため、魔術戦に関しては、この二つの呪文を軸に戦うしかない。だが、何度も、この二つばかり使っていれば、流石に相手も感づいてしまう。

 

「《守人の加護あれ》―――」

 

 唱えられた黒魔【トライ・レジスト】。炎熱、冷気、電撃の三属性への耐性を得る付呪(エンチャント)呪文。【ディスペル・フォース】などの魔力相殺の呪文を唱えなければ、三属での攻撃は軍用魔術ならともかく、学生用の非殺傷系攻性呪文(アサルト・スペル)では、ほとんど通らないだろう。

 しかし、ジョレンは【ディスペル・フォース】を一節詠唱することが出来ない。呪文で攻撃するためには、どうしても【トライ・レジスト】を解呪(ディスペル)しなくてはいけない。となると、残りの攻撃手段である鉄球に重点を置いてくるはず、その立ち回りの隙をつくことが出来れば―――そんな思惑で、次なる呪文を唱えようと、六組の生徒が左手を構え治すと同時に―――

 

「勘違いしているみたいだけど―――」

「?」

「回転はあんたに底が測れるほど、浅い武器じゃないんだ」

 

 【ショック・ボルト】を放つ左手が不意に明後日の方向を向き、そのまま雷弾を撃った。それはすぐそこに回転しながら落ちていた鉄球にかすり、衝撃で鉄球がポーンと打ち上げられ、とすっと六組の生徒に当たり―――

 

「あがッ!? あがが……!」

「回転で足が捻じれるだろ? 初めから【ショック・ボルト】をまともに攻撃するために練習してなかったよ……! 鉄球に当てて、跳弾させたり、今みたいに鉄球を跳ね上げたりするのに使うつもりだったんだから……!」

 

 回転のエネルギーが身体を伝わって、足に到達し、その足が捻じれ、バネみたいになって固定されてしまう。そして、そのままバランスを崩して、元々舞台の端で戦っていたことも相まって、場外へ倒れ込んでしまった。

 そして、見れば、もう片方の戦いも終わり、あと一人。タイマンの構図へと変化した。

 しかし、残った一人……三組の生徒は、ジョレンの戦いぶりを見て、既に委縮しきってしまっていた。

 それでも、勝利するために向かってくる相手に向かって、ジョレンは右手のひらで鉄球をゆっくり回転させて構えた。

 

***

 

「もう一対一……これで二位以内は確定になっちゃった……」

「実質的に倒した数は四人。もう一人倒せれば五人。はは、暴れ過ぎだぜ、あいつ」

 

 観客席で行く末を見守っていたシスティーナとグレンも、その様子にホッと一安心したようだ。四人もほぼ真正面から打ち破ったジョレンなら、後一人も同じように倒せるだろう。一位通過はほぼ確定的なものだった。

 だが―――

 

「おい、ルミア? いつまで怖い顔して見てるつもりだ?」

 

 ルミアだけは、いつまでたっても観戦している最中の緊張感が抜けていない。

 まだ終わりじゃないと、思っているかのように。

 

「先生……私、見たんです……」

「ん? 何をだ?」

「実は―――」

 

 小声でルミアが告げた言葉に、グレンが驚愕するのと、全体の観客席から歓声が起こるのはほぼ同時だった。

 

***

 

『決まったァアアアア―――ッ! 二組のジョレン君、三組のウェル君も討ち取り、完全勝利を決めたァアアアアア―――ッ!』

 

 舞台を見ていたアナウンスが響き渡ると同時に、巻き起こる大歓声が、ジョレンを包む。

 少し間違えば、途中でやられていただろう死闘だった。そして、それを乗り切ったと感じた瞬間に乱れ始める息を整えながら、辺りを見渡す。最後にもう一度、リリィに手を振ってやろうと、観客席を見渡していると。

 

『ん? なんだ? おっと!? 『アレ』はなんだァ―――ッ!?』

「は……?」

 

 何かを見たのか、アナウンスの言葉を聞いた後に、舞台の上を端から端まで見渡すと。

 舞台を構成している石畳の一つが何やらうにょうにょ動いていて―――

 

「ま、待て……あれ、どっかで見たことあるんだが……?」

 

 ジョレンの嫌な予感は見事に的中した。

 そして、石畳は不意に帯状の何かを一気に放出して―――それが重なり、形作った人型が―――

 

「ふぅ……作戦成功ですね。ではジョレンさん。お手合わせ願いましょうか」

「み、ミクリ!? お前なんで、こんなところにいる―――ッ!?」

 

 あまりにも急展開過ぎて、ジョレンは驚愕しながら、悲鳴のような声を上げてしまうのだった。



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第十六話 「奇怪と戦う『奇策』」

 会場はもう騒然としてしまっていた。

 決着がついたと思われた『バトルロワイアル』。しかし、謎の青年が急に現れ、一人残ったジョレンと対峙しているのだから。それに、石畳から変身したかのように現れた。それは、開始前に既に舞台の石畳の一つとして潜んでいたということで―――

 

「お、お前……『変身』に出ると思ってたのに……」

 

 思考が混乱しているジョレンが呻くようにぽつりとこぼした言葉に、ミクリが反応して。

 

「『変身』……? あぁ、私の能力は複雑な構造を持つものだとか、自分以外の力を出すものには変身できませんからね、火薬ですとか、電気ですとかね。この星の人の顔は全部同じに見えるので、顔真似とかも出来ませんし。『変身』は見た目が大事だと思いまして、今回は辞退させていただきました」

「だ、だからってまさか『バトルロワイアル』になんて……」

「こうやって使えば、二位には絶対入れると思いまして」

「な、なんて、単純な考えを……」

 

 でも実際にその通りだった。誰も、完全に石畳に変身できるとは考えていなかったし、そもそも集まった際も影が薄すぎて、誰も気にしていなかった。それが、ミクリの作戦を可能にしていたのだ。しかし、はっきり言って愚策も愚策。もし仮に自身が変身していた石畳の上に魔術罠(マジック・トラップ)が張られたり、流れ呪文が偶然飛んでこれば、それで終わっていた。ミクリははっきり言って、偶然生き延びることができたのに過ぎない。

 だが―――

 

『えー、確認が終わりました……今、現れたのは確かに『バトルロワイアル』に参加していた五組のミクリ君です。なので、競技は続行! 二組のジョレン君対五組のミクリ君の一騎打ちとなりました!』

 

 アナウンスの宣言と共に、再び沸き立つ観客席。それが示すのは、ミクリの変身作戦が、その偶然を通り抜け、成功したという事実だ。

 どんなに失敗の可能性があろうと、ここに立っている以上は相手は上手だったということでしかない。

 こうなってしまった以上は、それがどんなに遺憾であろうとも、目の前の相手を倒すために行動しなければならない。

 

「でも、生き残ったという扱いになるなら、容赦はしないッ!」

 

 再び、回転させ目にも止まらぬ、滑らかかつ速い動きで投げ放たれる鉄球。ギャルギャルギャルギャルッという音を響かせながら、真っすぐミクリの顔面に向かって飛んでいく。

 

「えぇ、こちらも本気で迎え撃ちます」

 

 と言って。

 不意に肩からにゅーっと何かが生えて―――

 

「は!?」

 

 そのまま身体を後ろに逸らせて、肩から生えた腕を床につき、ブリッジのような体勢で身体を支えることで躱した。そして、鉄球が飛んで行ったのを見た後で、またにゅーっと腕を肩の中に戻し、棒立ちの体勢に戻っていた。

 それを見ていたジョレンも、観客も、全員が唖然としてしまっていた。

 

「《雷精の紫電よ》」

「え!? ちょ、ちょっと!?」

 

 しかし、そんなことは知ったことではない、と言わんばかりに、反撃の【ショック・ボルト】が放たれる。

 鉄球を投げてしまって、防ぐ手段がないところに、電気線が飛んでいき―――

 

「《光り輝く護りの障壁よ》!」

 

 それを咄嗟に唱えた【フォース・シールド】で防ぐ。しかし、それによって、足が止められてしまい―――

 

「《雷精の紫電よ》」

「ちょ、なんだよ、その動きは!?」

 

 それを即座に側面に移動してからの追撃【ショック・ボルト】で狙い打たれる。しかし、動きは棒立ちのままの水平移動なのが、とんでもなく集中を乱してくる。よく見れば、靴底に車輪が生成されていて、それによって移動しているのが分かるが、なんでわざわざそんな移動をしてくるのかが余計分からず、思考が混乱するのを余儀なくしてくる。

 間一髪のところで【フォース・シールド】を解除し、前に倒れ込むように躱し、転がる要領ですぐに立ち上がる。

 

「《雷精の紫電よ》《雷精の紫電よ》」

「クッ!? 普通に魔術上手いのがなんか腹立つ!」

 

 二連で放たれる電力弾が隙を晒し続けるジョレンに次々と向かって行く。ジョレンは転がった時の勢いを殺さず、そのまま横っ飛びして、丁度戻ってきた鉄球をキャッチし、二連で飛んできた電力弾を回転で弾き飛ばす。

 

「流石に身体能力が高いですね」

「はぁ……はぁ……そ、そっちも単純に強いな……動きの奇天烈さを差し引いても……」

 

 ジョレンの防御手段である鉄球が戻ってきた以上、安易に呪文で攻撃しても、突破できないと判断したのか、ピタリと呪文詠唱を止めるミクリ。そして棒立ちに戻ったミクリの周りを様子見するように、ゆっくりと周っていくジョレン。

 状況は完全に膠着状態へと移行していた。

 

***

 

 一方、二組生徒の待機用観客席では、見事に全員が困惑していた。

 事前に遭っていたジョレンとは違い、初見だったというのもあるが、ジョレンとは違い、スタンド使いだとか、魔術で説明のつかない不可思議現象に対しての耐性がないのが大きかった。

 そういう事情を知っている、ルミアやグレンも全く、目の前の状況についていけてなかったが。

 

「あんな人がいたんですね……こう、なんというか色々おかしいですけど……」

「あれがスタンド使いって奴なのか……? 絶対魔術じゃないよな、あれ、っつーか、結構ヤバいかもしれん……」

 

 相手の奇天烈さに目を奪われそうになるが、ここでの大事なところはジョレンが、ひそかに追い詰められているというところだ。

 さっきまで、合計五人もの相手を倒して来たジョレンは、体力が残り少ない。その上、相手はジョレンの鉄球の効果などを石畳に扮しながら、ずっと把握していたのだ。それだけでも、かなり不利な状況と言える。

 

「早いところ決めないと、押されるぜ……ジョレン……」

 

 若干焦燥の気が出てきたグレンと、祈るようなルミアだけが、目の前の戦いを正しく観ているのだった。

 

***

 

「《雷精の紫電よ》ッ!」

「《災禍霧散せり》」

 

 膠着状態から抜け出そうと焦って放った【ショック・ボルト】をミクリは淡々と【トライ・バニッシュ】で打ち消す。

 読み切られているというか、ミクリは必ずジョレンが行動してからそれに対して条件反射のように対応してくる。そして、それがまた全て絶妙のタイミングで行われる。

 見てから打ち返している癖に、コンマ1秒のラグもないのだ。歴戦の戦士という風格もないが、後の先を極めていると言っても過言ではない。

 そして、こっちが焦って隙が大きいような攻撃を繰り出して来た時だけ、反撃を撃ってくる。絶対に自分が危険を冒すような追い打ちはしてこない。そのため、ジョレンは鉄球を使っての攻撃を自重するしかない。もし軽率に投げ放てば、能力を使って回避され、防御手段の一つを失うことになる。その際に【フォース・シールド】で防御しようものなら、魔力を余計に消費する羽目になり、しかも車輪を使っての非常識な即時移動で動けない隙を突かれてしまう。

 しかし、もっとも厳しい状況なのは、ジョレンの魔力が既にいくらか消費されていることだった。このまま、この状況が続けば、魔力が先に枯渇するのはジョレンの方だ。

 

(どうにかして、あいつの体勢を崩さないとッ!)

 

 それが、焦ってはいけない状況でジョレンを焦らせる。とにかく、相手の対応を突破しなければいけない。

 右手の中に持った鉄球が再び加速を開始する。そのまま、正面切って突進をかける。

 

「《大いなる風よ》」

「ッチィ……!」

 

 ミクリがそれを見て、すかさず迎撃に放つ【ゲイル・ブロウ】。突風の波動が向かってくるジョレンに突っ込んでいく。

 次の瞬間、ジョレンが回転させている鉄球が更に加速する。鉄球の回転で生じる気流と【ゲイル・ブロウ】が真っ向からぶつかる。

 鉄球の回転の気流は、直線的に打ち破るような風ではないが、【ゲイル・ブロウ】の風を巻き取るような曲線的な風の膜で完全に防いでみせる。

 

「シィ―――ッ!」

 

 そして遂に一挙手一投足の間合いに入った。そして、鉄球を回転させている右手をそのまま、振り下ろす。

 

「ん」

「ッ!?」

 

 しかし、バシュッと帯状に分解され、小さなビー玉へと変身し、振り下ろされた鉄球を躱す。

 そして、続けて分解し、ジョレンの足元に入り込み―――

 

「『アース・ウインド・アンド・ファイヤー』―――」

「な、なァッ!?」

 

 一瞬で台車に変身し、ジョレンを乗せて勢いよく場外へと走り出した。

 急なことでジョレンは真っ白になりかける思考を、どうにか必死に繋ぎ止め―――

 

「《三界の(ことわり)・天秤の法則・律の皿は右舷(うげん)に傾くべし》―――ッ!」

「うげッ!?」

 

 黒魔【グラビティ・コントロール】。重力操作の魔術。咄嗟に自身にかかる重力を強め、下で自分を運ぼうとしている台車状態のミクリに超重量を課していく。

 走る速度が急激に遅くなり、遂には重量に耐えきれなくなり―――

 

「くっ―――」

「はぁ……はぁ……や、やったぞ……」

 

 再び帯状に分解し、ジョレンから離れた場所で元の人型へと戻った。

 しかし、ジョレンも自分の重力を強くしたせいで、かかった圧力で更に体力が削られていた。

 それ故に、このまま潰れてしまうのも時間の問題となってしまう。

 

「もう少しですか?」

「……どうだろうな」

 

 ミクリの探るような言葉も、脂汗を浮かべながら、曖昧にはぐらかすしかない。

 しかし、内心はとんでもなく焦りに焦っていた。とにかく八方塞がりとしか言いようが無かった。

 呪文での攻撃は完全に捌かれ、鉄球での攻撃も変身能力によって躱される。そして、そのまま変身によって反撃を喰らう。最大限、理解が追い付かなくなるような手段で。

 ジョレンは、必死に打開策を考えている中、不意に自分の指―――その先についている『爪』に目がいった。

 もし、自身のスタンド能力を使用したなら、おそらく勝てるだろう。殺傷力と射程があり、何よりも連続して射出出来る。相手の反撃を封じながら、安全に仕留めることが出来るのだろう。

 だが―――

 

(今回はそういう戦いじゃあない……俺が培った力で勝たなくちゃ意味がない……)

 

 何より危険だ―――そんなありきたりな考えによって、スタンド能力を使うなんてことは綺麗さっぱり頭から抜けていた。

 そして、一つだけ悟った。今、目の前の自称宇宙人を超えるためには―――

 

(あいつの奇怪さを超える奇策でもって、ぶつからなくっちゃあいけないッ!)

 

 そして、それを完成させるには―――

 

「《守人よ・(あまね)(さん)の災禍より・我を護り給え》」

 

 黒魔【トライ・レジスト】。炎熱、冷気、電撃の三属性からの攻撃に対しての耐性を得る魔術。

 それを使って強引に攻性呪文(アサルト・スペル)を防ごうというのか……と、ミクリが身構えた瞬間。

 

「うぉぉぉ―――ッ!」

 

 再び、先ほどと同じように鉄球を回転させながら、突っ込んでくるジョレン。

 それに対し、ミクリも全く同じ反応をして―――

 

「《大いなる風よ》」

 

 黒魔【ゲイル・ブロウ】を放つ。【トライ・レジスト】で耐性がつくのは、三属性のみ。風の攻性呪文(アサルト・スペル)を防ぐ力はない。

 しかし、ジョレンには鉄球がある。その回転の力で学生用の攻性呪文(アサルト・スペル)など、どうとでも防ぐことが可能だ。

 だが―――

 

「ッ!?―――うォォォァァァァ―――ッ!?」

「え……?」

 

 しかし、その【ゲイル・ブロウ】をジョレンは直接、身に受けて吹き飛ばされていった。ギリギリで踏みとどまって、場外負けは避けたが、全身を打ち付けられた衝撃で立ち上がることが出来ないでいた。

 

『おーっとぉ!? これはまともに入ったかァ―――ッ!? ジョレン君、立ち上がることが出来るのかァ―――ッ!』

「……」

 

 そんな実況の言葉も、吹き飛ばした張本人であるミクリには届かない。

 あの状況では、鉄球の防御は絶対に間に合ったはずだ。ジョレンはあえてしなかったのだ、防御を。だが、その真意が理解できないで、密かに困惑してしまっていた。

 

「ぐぐっ……!」

「……一体何故ですか?」

「……分からないか?」

「?」

 

 あまりに理解出来ないので、たまらずジョレンに理由を問うと、ジョレンはそのようなことを言うので、余計に混乱してくる。

 しかし、そんなミクリに構わず、ジョレンは言葉を続けた。

 

「なんで俺がこうやって倒れてるのか……『必要』だからだ。必要だから、こうやって這いつくばってるんだ」

「……!」

 

 その時、自然な体勢でジョレンが鉄球を地面に押し付けていた。ジョレンの身体で視覚的に隠されているような状態だったため、ミクリが鉄球を発見するのが遅れてしまう。そして、ジョレンが行おうとしている『何か』を防ごうと左手を構えた瞬間。

 

「『場所』を探るのに必要だから、這いつくばってたんだ……!」

 

 バッと爆ぜるようにジョレンが立ち上がり走り出した。

 その瞬間、ミクリは悟った。確かにジョレンは【ゲイル・ブロウ】を正面から受けたが、ダメージは軽減していたのだ。風の鉄槌に揉まれるように吹き飛ばされていた時、ジョレンは鉄球を回転させていた。最初は曲線的な気流の膜で完全に防いでいたが、二回目は吹き飛ばされながらも、その魔術で生み出された風を和らげるような気流を生み出していた。

 全てはミクリに【ゲイル・ブロウ】をまともに受けたと勘違いさせるために―――

 

「《残響為る咆哮よ》―――」

 

 自分からどんどんと距離を離していくジョレン。その狙いを阻止するために【スタン・ボール】を放つが―――

 

「《大気の壁よ》ッ!」

「えっ……?」

 

 一節詠唱での黒魔【エア・スクリーン】の起動。しかし全く調整も練習もしていない略式詠唱が成功するはずがない。

 

「ッ!?」

 

 爆ぜるように暴走した【エア・スクリーン】の空気圧力がジョレンの身体を締め付け、破壊してくる―――しかし、それでも空気膜だけは完成し、飛んできた【スタン・ボール】を防いでいた。

 

「【スタン・ボール】のダメージよりも【エア・スクリーン】の暴走によるダメージを選んだ……」

 

 ミクリはそんなバカげた発想に賭けるジョレンの胆力に舌を巻くしかない。

 そして、息も絶え絶えと言った様子で、ジョレンはある場所で立ち止まり、くるりと振り返って。

 

「足元見た方がいいぜ……?」

「……!?」

 

 ミクリが足元を見た時にはもう遅かった。

 鉄球だ。鉄球がシュルシュルと回転しながら、いつの間にか滑るように足元に来ていた。ジョレンを止めようと必死になっていたうえ、わざと一節詠唱で唱え暴走させた【エア・スクリーン】による防御などという暴挙に気を取られ、全く気が付けていなかった。

 そして、鉄球が足に当たり、強制的に跳躍させられる―――ジョレンがいる場所へと―――

 

「さぁ、一緒にぶっ飛ぶとしようぜ……?」

「な、何を―――」

 

 ミクリが着地してすぐに、ジョレンは胸元をグイッと引っ張り、足を一歩下げる。

 すると、起動した黒魔【スタン・フロア】。音と衝撃で相手を無力化する魔術罠(マジック・トラップ)の一種だ。

 それが、ジョレンとミクリの足元で解放され―――

 

「うおおおぉぉぁぁぁ―――ッ!?」

「グァァァァァ―――ッ!?」

 

 その衝撃で二人とも空中に巻き上げられた―――その足元は―――

 

「ま、まさか……!」

 

 場外だ。二人とも場外に叩き出される数秒前となっていた―――

 

***

 

 二組の待機用観客席では、皆が、そんな怒涛の展開に大興奮であった。

 ルミアもグレンも、ジョレンの取った行動。そしてその結果に驚愕するしかない。

 

「れ、レン君……魔術罠(マジック・トラップ)は全て誤爆させたんじゃ……?」

 

 ルミアの、独り言のような問いにグレンはハッとなり、気づく。

 

「そ、そうか……確かに『準備時間』中に張られた魔術罠《マジック・トラップ》は全て誤起動させた。でも『戦闘時間』の最初……張りなおした奴がいたんだ。混乱してたのか、戦略なのか分からねーが、魔術罠(マジック・トラップ)を張りなおした奴が……それを探り出すために、【トライ・レジスト】をかけてまで、相手の【ゲイル・ブロウ】を誘った。それを受けたように見せかけ、自然に倒れ、地面に鉄球をつけ、詳細に探るためにな……」

「で、でもこれじゃ相討ちに……」

 

 ルミアの指摘に、グレンは横に首を振る。

 

「あいつは、張りなおされた【スタン・フロア】をわざと起動する時、自身を一番中心に近く持ってきた。というか起動させたのはあいつなんだから、そうなるのが必然ではあるんだが……その分、ジョレンの方が強い衝撃を受け、高く吹き飛んだ……それがあいつの狙いだ」

「そ、それって……まさか……!?」

 

 グレンの言葉でルミアもその思考に辿り着き、吹き飛んだジョレンたちに目を向けて見たのは―――

 

***

 

「じょ、ジョレンさん……これが貴方の狙い……!?」

 

 そう、自分よりも『上』に打ち上げられたジョレンを見ながら、ミクリは言う。

 このまま普通に落ちていったなら、先に落ちるのは、低く打ち上げられた自分ということになる。

 先に場外負けの判定を喰らうのは確実にミクリの方だ。

 それを確信した時、ジョレンが疲れ切って弱々しいながらも、不敵な笑みを浮かべて―――

 

「『アース・ウインド・アンド・ファイヤー』―――!」

「ッ!?」

 

 しかし、そうはさせないとばかりに、自身の身体を帯状へと分解し、ジョレンを包み込むようにして―――『服』へと変身する。何の変哲もないローブのような服へと。

 そして、服と化したミクリは、自身の力でもって、グイッと引っ張り―――自身とジョレンを無理やり舞台上に戻す。ダメージを受け続けたジョレンは、おそらくこのまま叩きつけられれば、無事では済まない。立ち上がれずに負けの判定を喰らってしまう。場外に落とさなくては負けるのはジョレンの方だった。

 

「《駆けよ風・駆けて抜けよ・打ち据えよ》―――」

 

 ジョレンが三節詠唱で唱える黒魔【ゲイル・ブロウ】。風の波動が地面に叩きつけられ、再び変わる進行方向―――ミクリの力も(かな)わず、再び場外へ戻される両者。

 地面まで残り数メトラ。このまま落ちるのは確実だ。

 

「まだ……まだですよ……ッ!」

「ッ……!?」

 

 しかし、ミクリは咄嗟に変身を解き―――ジョレンの上で人型に戻る。

 その瞬間、ジョレンの顔が青ざめた。

 このまま、自身の身体を踏み台に跳躍されれば、先に落ちるのは当然ジョレンということになってしまう―――

 

「私の勝ちです、ジョレンさん……!」

 

 そして、ミクリが跳ぶために足に力を入れようとして―――

 

「え……」

 

 その時、ふわりと何かがミクリの方に飛んできた。

 

「俺、言ったよな……? 攻性呪文(アサルト・スペル)……普通の使い方するために練習なんかしてないって……!」

 

 鉄球だ。ミクリをジョレンの方に引き寄せるために回転を加えられていた鉄球が、今、空中に飛ばされているミクリの方に飛んできていた。

 

「ま、まさか【ゲイル・ブロウ】を放ったのは場外に戻すためじゃなくて……!?」

 

 その衝撃で未だに回転を続けていた鉄球を吹き飛ばし、回転の力とその衝撃によってこちらに飛ばすために―――そして、自分がジョレンよりも上を取ろうとしていることも読まれていたのだ。

 しかし、それに気づいても、それを避ける術はなく―――

 

「ぐ、ぐぅ……ッ!?」

 

 力を入れようとしていた足に鉄球が当たり、微弱ながら回転の力が伝わり―――ガチンッと足の筋肉が硬直して動かなくなってしまった。

 

「うォォォォォ―――ッ!」

「!?」

 

 その機を逃さず、ガシッとミクリの硬直した足を掴み、振り回すように足を自身の上から動かして―――

 その瞬間、二人とも、地面に叩きつけられた。

 舞い上がる土煙に遮られ、二人がどうなったのか、その瞬間を外部から見ることが出来なかった。

 そして、数秒して、徐々に土煙が晴れていって―――その時見たのは―――

 

「う、うげ……げほっげほっ……」

「く……うぅ……」

 

 場外で倒れ込むミクリの『上』に倒れ込んでいたジョレンだった。

 その瞬間、アナウンスが響き。

 

『合議の結果、ジョレン君より先にミクリ君の方が先に場外に落ちたと判定されました! なので、『バトルロワイアル』優勝は二組選手、ジョレン=ジョースター君です!』

 

 その言葉が認識された瞬間、全体から巻き起こる大歓声がジョレンとミクリを包み込んだ。それを受けて、どうにか起き上がろうとするが、ダメージを受けすぎて全く起き上がれず、弱々しい笑みを浮かべて、そのままぐったりしてるしかなかったが―――

 

「あ……」

 

 その視界の先に、とても嬉しそうにはにかむリリィの姿が映り―――

 弱々しいながらも、二ッと笑い、ピースサインを向けた。

 

「わたしの……負けですね……」

「はは……こんな自滅覚悟の作戦しないといけないなんて、ほぼほぼ負けてたよ……判定勝ちもギリギリだし……」

「それでも……負けって言われたので……」

 

 なんてジョレンもミクリも苦笑して言いながら。

 二人とも身体に力が入らず、助けが入るまで、数分ぐらいこのまま倒れてる羽目になっていた。



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第十七話 「限界講師に『弁当』の誘惑」

「この大馬鹿が!」

「いててて! は、反省してますって!?」

 

 『バトルロワイアル』が終わった後の二組の待機用観客席から怒声と悲鳴が上がっていた。

 グレンがジョレンに法医魔術(ヒーラー・スペル)をかけながら、ダメージを受けているところをギリギリ、と抓ったりして、ジョレンはその痛みで悶えていた。

 ジョレンがどうにか身体中を痛ませながら観客席に戻ってきてから、ずっとこんなやり取りが続いていた。

 

「わざと呪文を暴走させる奴がいるか!? それで死んでたらどうするつもりだったんだ!」

「いや本当、あれしか思いつかなかったんですよ! もうやりませんって!?」

 

 その言葉を聞いたからか、もうかれこれ十分以上はこんなことをやっていたからか、グレンは諦めたかのように大きく嘆息して。

 

「全く、前々から無茶する奴だとは分かっていたが、あれほどとは思わなかったぜ……とにかく、これからは気をつけろよ? 【エア・スクリーン】だったから、まだよかったものの、あれが軍用魔術だったりしたら目も当てられないからな」

「は、はい……」

 

 珍しいグレンのガチ説教に、少し誤魔化すように苦笑しながらも―――

 

(やっぱり、優しい人なんだよな……)

 

 なんて、また少しグレンの事を見直していて。

 グレンの方は、集まっていた二組の皆に振り返って。

 

「んじゃ、お前ら。これから昼休みの時間だからな。今のうちに十分休んだりして午後の部に備えろよ? んじゃ、各自解散だ」

 

 そんなグレンの音頭で、それぞれが別々の場所へと散っていき、グレンもどこかふらふらとどこかに行って。

 

「俺も、昼飯食べないとな……」

 

 一人取り残されたジョレンも、法医呪文をかけてもらったとはいえ、まだ痛む身体を引きずるようにして置いてきた弁当を取りに、自分が座っていた席まで歩いて行った。

 

***

 

 魔術競技祭、午前の部は全て終わり、今は午後の部の前の昼休みの時間となっていた。小一時間ほどある、この時間で昼食を取るために、学食に行ったり、学院街の飲食店に行ったり、持参した弁当を食べるために、それぞれの場所へ移動し始めていた。

 この中で弁当派であるジョレン=ジョースターも、『バトルロワイアル』で受けたダメージで身体中を痛めながら、どこか食べるところをさがして、競技場内を右往左往していた。

 

「あ~、腹減った~、死にそ~」

「……さっきまで、あんなにかっこよかったのに」

 

 そんな折に聞こえてきたグレンの情けない声に、今度はジョレンが嘆息するしかない。

 

「馬鹿野郎、お前……俺がかっこいいのは周知の事実だが、それじゃ腹は膨れねーんだよ」

「はぁ……はいはい、そうですね……」

「呆れたような返答しないで……」

 

 そんな痛ましいグレンを見て、ジョレンは少しだけ悩んだ後、手に提げていたバスケットをパカっと開けて、中身を見せ。

 

「まぁ、一つだけなら食べてもいいですよ」

「え、マジか!?」

「食いつき半端ないですね、先生……」

 

 グレンが所持金を全て散財して、このところ碌に食事も出来ていない事は知っていたが、まさかそこまで追い詰められていたとは知らず、少し引いてしまう。

 中身はなにやら、パンのようなもので色んな具材を挟んだサンドイッチのようなものが三つなのだが、どこかそれとは違う。

 

「これ、なんつー料理なんだ?」

「えっと、確かバーガーとか聞きました。今日ぐらいはまともな昼食じゃないとダメって妹が言うものだから、ちょっと奮発してみたり……」

「お前ってやっぱりシスコンの気があるよな」

「ほっといてください」

 

 自分としては、そんな気は一切無いのだが、やはり他の人からはそう見えるのだろうか。などということを考えている間にも、グレンは涎を抑えきれずにそ~っと中のバーガーに手を付けようとしていた。

 

「一つだけですよ」

「うっ……わ、分かってるって」

 

 二つ以上食べる気だったのか……とまた内心呆れながら、自分もここで食べようか、とそのあたりに座ろうとしていると。

 

「あ、あの……先生……?」

 

 ふと、聞こえた声に二人が振り向くと、そこにはどこか小動物的な雰囲気のある小柄な女子生徒―――二組の生徒の一人、リンが立っていた。

 

「んぁー? どうした、リン? 今、俺、飯を食いたくてめちゃくちゃ忙しいんだけども」

「そ、その……ちょっと相談したいことがあって……その……」

「相談?」

 

 グレンがジョレンの持っているバスケットに、ちょいちょい視線を奪われながら周囲を見渡す。

 

「その相談ってのは、ここじゃダメな感じか?」

「え? その、はい……できれば、人の少ないところで……」

 

 そう言われて、グレンは実に嫌そうな顔をして。

 

「しょうがねぇ、んじゃ場所を移すか……おい、ジョレン。戻ってくるのめんどくさいから、お前も途中までついてこい」

「はいはい、分かりましたよ」

 

 そうして、三人は競技場を後にし、中庭の方へ向かうのであった。

 

***

 

「しかし、リンの相談か……」

 

 ジョレンの視界に入っているのは、青々と広がる芝生や、端の方で色とりどりの花を咲かせる花壇など、おなじみの中庭の風景だ。

 そして、奥の方で、グレンとリンが何やら話し込んでいる。

 

(もしかして、ミクリの変身を見て、自信を失くしちゃったとか、そういうのなのかな……)

 

 『バトルロワイアル』でジョレンが戦ったミクリの変身。戦闘中でありながら、多彩なものへと変化し、ジョレンを攪乱し続けた。

 あれがスタンド能力と言われているものなのか、それともミクリが言っているように宇宙人の能力なのかは未だに分からないが、そんな魔術以外の不可思議な力を知らないリンにとっては、あれがとても高度な変身魔術のように見えただろう。

 もしミクリが『変身』の種目にも出るんじゃないか、と考えれば、少し気分が落ち込むのも分からない話ではない。ミクリ本人は『変身』には出ない、と言ってしまっているのだが。

 

(リンに伝えた方がいいのかなぁ……)

 

 なんて、一人勝手に葛藤していると。

 

「あ、ジョレン」

「ん……システィーナか」

 

 ジョレンと同じようにバスケットを持ったシスティーナが中庭を訪れていた。

 

「どうしたんだ? 皆、競技場の方で昼食とってるみたいだけど」

 

 そう言って、中庭を見渡してみると、他にはほとんど誰もいない。今日は競技場が解放されているので、そのまま競技場で弁当を食べている生徒が多かった。なので、わざわざ中庭まで来る人はそうそういない。

 

「あーうん……ちょっとルミア……と、あいつを探しててね」

「あいつって誰……?」

「そ、それは……」

 

 思わず、そう聞くと、システィーナは気まずそうに視線を逸らした。

 それを見て、ジョレンは不思議そうに首をかしげて。

 

「誰か分からないと教えるのも探すのもできないんだが……」

「うっ、そ、それは……」

 

 それを聞いて、システィーナはもじもじと悶えていた。

 もう何を言えばいいのか全然分からず、ジョレンはガリガリと後頭部を掻いて。

 

「こっちには、グレン先生とリン以外にはいないぞ?」

「え……えっと……」

「それ以外の人を探してるなら、多分他の所だぞ」

「うぅ……そ、その……実は先生になんだけど……」

「あぁ、そう……」

 

 とても恥ずかしそうに暴露するシスティーナを若干生暖かい目で見ることしかできない。

 このところ、システィーナのグレンへの好感度が結構高まっているように傍目からは見える。本人は全く認めようとしないが。

 しかし、バスケットなどと弁当をわざわざグレンに持ってきてる時点で意識はしてるんだろうが。

 

「で、それじゃ、あいつはどこにいるのよ?」

「ん……あそこに先生が―――」

 

 と言って、グレンとリンの方を振り向けば―――

 

「―――あれ?」

 

 そこに確かにリンはいたが、グレンの姿がない。

 というか、何故かそこにルミアがいて、リンと話している。

 

(あ、あれって……)

 

 だが、ちょっとよく見てみれば、ルミアの仕草がどことなく男っぽい。というよりもいつものグレンの仕草にぴったりだった。

 

「あぁ、あれ先生のへんし―――」

「あれ、ルミアじゃない? ちょっと行ってくるわね!」

「え? た、多分違うんだけど。ちょっと待て!」

 

 二人の元に向かうシスティーナを慌てて追いかけるジョレン。

 そんなこっちの様子に、さっきまで相談をしていたリンがいち早く気づいて。

 

「あ、システィ。どうしたの?」

「あはは、私、ルミアの方に用があってさ」

「あ、いや、俺は……」

 

 ちょっと焦る、ルミア(?)に気づかず、システィーナは笑いかけながら言った。

 

「早くお弁当食べよう? ルミア。言ったでしょ? 今日のお昼は私がルミアの分まで作っておいたって」

「え……? 弁当……?」

 

 その言葉に急に眼の色を変えたルミア(?)を見て、ジョレンはこれがグレンだと確信していた。

 そして、冷ややかな目を向けていると、不意にグレンと目が合って。

 

「うぐッ……うぐぅぁぁ……」

「え? ちょっとルミア? 何か苦しそうよ? どうしたの?」

 

 この時。グレンの中では一つの葛藤があった。

 このまま変身を解かずにシスティーナの弁当を掠め取る場合。その場合は変身がバレるかもしれないという多大なリスクを負わなくてはいけない。ジョレンは確実にそれを看破しているし、後ろにはさっきまで相談に乗っていたリンがいる。この二人から真実が暴露されれば終わりだし、この間に本物のルミアがやってきたら、その時点でアウトとなる。やるにはリスクが大きい。しかし、上手く行けば、自分が望む量まで食べることが出来るかもしれない。

 そして、二つ目は変身を解いて、前からの予定通りジョレンの方の弁当をいただく場合。この場合はリスクがほとんどない。システィーナを少し驚かせてしまうかもしれないが、十分に弁明が可能だ。貰えるのはバーガーと呼ばれる料理が一つだけだが、安心安全確実にご相伴にあずかることが出来る。

 グレンの脳内でこの二つのルートの可能性が比較されていく。そして、メリット、デメリットを身長に計算する。

 その時のグレンの脳の活動速度はまさに光速。那由他の彼方にあるものを観測するかのようにまで研ぎ澄まされた感覚と合わせ、今だけはグレンは人類史上最高の頭脳を持った個人に違いなかった。

 そして、コンマ一秒にも満たない時間。グレンの中で答えが導き出される―――

 

「あ、あれ……?」

「わ、悪いな、白猫。残念ながら、俺はルミアじゃない」

 

 ゆらり、と纏っていた【セルフ・イリュージョン】の幻影が薄れていき、出てきたグレンに、システィーナは目を丸くし、その後、我に返り、早速グレンに食って掛かる。

 

「ちょ、ちょっと!? あんた、ルミアに変身して何してたのよ!?」

「誤解だ! 俺はリンに変身の特別講義をしていただけで、別にやましいことは何一つない!」

「え……? それ本当?」

「う、うん、自信なかった私に、イメージを固めればどうにかなるって……ちょっと例としてルミアに変身してただけで……」

「そ、そうだったの……」

 

 今回ばかりはシスティーナの方が一歩引いた。正直に白状した効果が目に見えて現れて、グレンは内心ガッツポーズをしていた。が、システィーナの方は何やらいつもと様子が違う。

 

「そ、それじゃあ別にいいわ。ねぇ、あの……」

「な、なんだよ、白猫……」

「~~~っ! ふ、ふん……ねぇ、先生。昼食どうするの?」

「え?」

 

 そんなシスティーナに、思わず身構えていたが、直後に聞こえてきた言葉に間抜けな顔を晒して。

 

「も、もし、予定ないなら……分けてあげてもいいんだけど……」

「え、えぇ?」

 

 いかん、計算外だ。突如現れた不確定事項にグレンの頭がオーバーヒートしそうだった。

 そこにシスティーナがバスケットを開けて中身を見せてくる。そこにはとても綺麗にカットされたサンドイッチが一面に詰められていて―――

 

(よ、よく考えろ。グレン=レーダス。ここは冷静になれ)

 

 確かに予想外の出来事ではあるが、ここはそう複雑な場面ではない。二つの可能性があるが、それはシスティーナから貰うか、ジョレンから貰うかの二択である。言ってしまえば、そこまでの違いはない。あるとすれば、中身の違いである。

 システィーナが持ってきたのは別に何か特別なものなど入ってなさそうなサンドイッチだ。システィーナとルミアと恐らく三等分になるだろうから、その量は割かし多い。

 が、量に関してはジョレンのバーガーも同じと言っていい。三個ある中の一つを貰えるのだから。だというのなら、判断基準はハッキリ言って質ということになる。

 グレン的には食べたことのないバーガーというものへの期待は凄く大きい。ジョレンがどの程度料理出来るのかも分からないが、それはシスティーナに関しても同じこと―――とすれば……

 

「あーすまん。実はジョレンから分けてもらえることになっててな」

「え……」

「ま、お前はルミアと一緒に食ってな。それじゃあな」

 

 見た目的にあっさりとシスティーナの誘いを断るグレン。よく考えれば、システィーナがわざわざ弁当を持ってくるという時点でおかしかったのだ。何か狙いがあるに違いない。なんて考えつつ、ジョレンの方に目を向けて。

 

「あー……うーん……」

「? どうした、ジョレン」

「い、いや……」

 

 何故かジョレンがとてつもなく気まずそうな、なんというか今すぐにでも逃げ出したいと思っていそうな表情をしていて―――

 

(ま、まずい……先生、それはまずいって……)

 

 一方この時、ジョレンの方も葛藤の真っ最中であった。

 見れば、システィーナがとんでもなく不機嫌そうにこっちを睨んでいる。本人としては無意識だと思われるが、こっちとして見れば、とてもいたたまれない気持ちになる。

 そして、それにグレンが気づいていないのが致命傷だった。いつも説教されているグレンからしたら、ここでシスティーナが不機嫌になる理由も見当がつかないことだろう。

 

(かくなるうえは―――)

 

 決心した後のジョレンの行動は早かった。

 バスケットを両手で抱え持って、グレンとシスティーナを背にして、森に向かって全力疾走した。

 

「は!? え、ジョレン!?」

「あ、すみません、用事思い出しました! 先生はシスティーナの分貰っといてくださいッ!?」

 

 ポカーンとした顔のグレンとシスティーナを置いて、疾風の如き速さで森の中へ消えていくジョレン。

 

「え、えっと……あ、先生……ありがとうございました……それでは……」

 

 端の方でそれを見ていたリンも気まずさのあまり、感謝の言葉だけ置いて、どこかへ逃亡してしまい―――

 

「「……」」

 

 二人とも、ことの流れについていけず、沈黙して立ち尽くすしかできず。

 

「あ、あのぉ……白猫さんや……?」

「あ、あげないわよ、馬鹿! さっき余裕ありそうに断った癖に!」

「そ、そこをなんとかお願いします! 一生のお願いだからッ!?」

「うっさい! 自分でなんとかしなさい!」

 

 もうどうしようもなくなったグレンが懇願するが、システィーナは頑として聞き入れず―――

 

「えっと……何がどうなってこうなったんだろ……」

 

 遅れてシスティーナを探しに来たルミアは、苦笑してその様子を眺めているしかなかった。



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第十八話 「女王と邂逅し、家族の『思い出』を見る」

 学院中庭の端の方に位置するベンチで一人、バスケットを開け、自分で作った手作りバーガーを食べようとしていたジョレン=ジョースター。

 置いてきたグレンとシスティーナは上手くやっているのだろうか、などと考えながら、自分も初めて作った料理に若干のワクワクを感じながら、いざ一口目……と大きく口を開けようとしていたのだが。

 

「……なんでいるんですか、先生」

「いや、白猫が意地になってくれなくて……」

 

 ボロボロになりながら、糖分を含むとされるシロッテの若枝を咥えたグレンとバッタリ鉢合わせてしまう。この時、ジョレンはシスティーナの頑固さと好意が無意識だということを考慮していなかったことを後悔していた。

 

「大体お前のせいだろ!? あんな状況であげないなんて言うから!?」

「いや、システィーナがあげたそうにしてたんで……」

 

 しかし、すぐにぐったりとしてしまうグレン。どうやら、もう怒る気力もないようだった。

 そんな時だ。

 

「あ、先生~。レン君~」

 

 遠くの方から、ルミアが何かを大事そうに抱えながら、こっちに走ってきた。

 

「どうした、ルミア……何かあるなら15文字程度で頼む」

「えっと……先生に差し入れを届けに来ました」

「差し入れ?」

 

 訝しむように構えるグレンと、興味深そうに覗き込むジョレンに、ルミアは布包みを見せて。

 

「これ、サンドイッチの包みです。先生、最近はずっとお腹が減っているようだったので―――」

「ありがとうございます天使様! 喜んで謹んで頂戴いたしますゥ―――ッ!?」

「よ、よかったですね、先生」

 

 その救いを得た信仰者のようなグレンの姿に、ちょっと引きながらも、バクバクとサンドイッチを食べている様子を後目に自分のバーガーを一口頬張った。

 挟んだ具材はハンバーグ、チーズ、レタス、トマトなど、図書室の本に書いてあった一般的らしいものだけだったが、初めてにしては上出来なんじゃないかと思えるぐらいには美味かった。ただちょっとだけ、入れたマスタードが利きすぎてるな、と感じ、密かに修正ポイントに頭の中で書き加えた。

 

「ねぇ、レン君。それは?」

 

 そんなことを考えていると、ルミアが隣にちょこんと座って、バーガーを見ながら聞いてきて。

 

「ん、これはバーガーっていうものらしい。図書室の料理本の中にあったんだ」

「そうなんだ、とても美味しそうだね?」

「まぁ、美味しかったけど、ちょっと改善必要かなって。初めて作ったから」

 

 そう答えながら、ジョレンはふと、グレンが食べているサンドイッチとルミアを交互に見て。

 

「そういえば、ルミアはちゃんと食べたのか?」

「え、私?」

「だって、あのサンドイッチって―――」

「あ、ダメだよ、レン君」

 

 ―――システィーナが作ったのなんじゃ……と言おうとした時。

 ルミアの指がジョレンの唇に触れて。

 

「先生には秘密。本人の希望だから……お願いね?」

「……わ、分かった」

 

 いたずらっぽくウインクするルミアとの顔の近さに若干ドキドキしていると、唇に触れていた指が離れて……それが少しだけ名残惜しいような、恥ずかしさが前面に出てくるような。なんとも言えない気持ちになっていると。

 

「んーでも、食べたには食べたけど、ちょっと少なかったかな……なんて」

「そ、そうか……」

 

 様子が変わらないルミアを見て、少しずつ元の調子を取り戻しながら、バスケットの中に入っている残り二つのバーガーを見て。

 

「よかったら、一つ食べてもいいぞ」

「え? でも……」

「今後作る時の反省点が欲しいんだ。感想くれる人が多い方がいいから」

「そういうことなら……一つ貰おうかな」

 

 ルミアは渡したバーガーをしずしずと受け取って、小さくかじるようにバーガーを食べて。その直後、とても目を輝かせるようにして。

 

「凄く美味しいね……やっぱりレン君、お料理上手だなぁ……あ、でも、マスタード? かな……ちょっと多いかも……」

「やっぱりマスタードだよな……ありがとう、今度はもう少し調整するよ」

「でも、本当に美味しいよ。ありがとうね、レン君」

 

 はにかむルミアに、こちらも晴れやかな気分になっていると、その後ろからただならぬ気配を感じて。

 

「あ、ジョレンお前、俺にはくれなかった癖に!?」

「先生はルミアから貰ったサンドイッチ食べたじゃないですか!? それでいいでしょう!?」

「うっさい、俺の気分の問題なんじゃ! 俺にも一つよこせ!」

「それじゃ、サンドイッチ二枚ほどと交換しましょうか!? んー!?」

「うっ、く、クソ……!」

「ふふ……」

 

 もう食べ切ってしまって綺麗にたたまれた布を睨みながら呻くグレンと、取られないようにバスケットを大事そうに抱えて口論するジョレンを微笑まし気に見ているルミア。

 少しうるさくも、とても優しい時間が過ぎていく。

 しばらくして、ジョレンとルミアでバーガーも食べ切り、そろそろ帰ろうとしていた、その時。

 

「そこの貴方はグレン、ですよね? あの……少しよろしいですか?」

 

 そんな三人に不意に女性の声がかかる。

 

「はいはーい、全然よろしくありませーん、俺たち、今、すっごく忙し―――って、えぇぇぇぇぇぇぇぇェェェ―――ッ!?」

 

 グレンが女性の声が聞こえてきた方向に振り向くと、すぐに素っ頓狂な声をあげて。

 

「じょ、じょ、じょ、女王陛下―――ッ!?」

「えッ!?」

 

 ジョレンも見れば、そこにいたのはアルザーノ帝国女王アリシア七世そのものだ。魔術競技祭の開会式でも、その貴賓席にいた人物そのままであった。

 

「ど、ど、どうして貴女のような高貴なお方が、下々の者のたむろするこのような場所に護衛もなしで!?」

 

 突然現れた女王を前にして、グレンはいつもの傍若無人な態度がすっかり消えて、畏まって片膝をついて、その場に恭しく平伏していた。

 ジョレンも、突然のことで頭が完全にパンクしていたが、グレンの姿を見て、つられて同じように平伏して。

 

「あ、あの、その、さっきは無礼なことを言って申し訳ございませんでした……!」

「そんな、お顔を上げてくださいな、グレンも、生徒さんも……今日の私は帝国女王アリシア七世ではありません。帝国の一市民、アリシアなんですから、さぁ、ほら」

「いや、そうは言ってもその……し、失礼します……」

 

 アリシアの言葉にグレンは恐る恐る立ち上がるも、ジョレンの方は未だに頭がパンクしていて、平伏したままだった。

 それを見て、アリシアは、ジョレンの前でしゃがみ込んでくる。そんな、帝国の中でも一般人であるジョレンが体験することが一生出来ないだろう、と思っていた体験を今しているという事実を再確認させられていると、より近くから、アリシアの声が聞こえてきて。

 

「ほら、貴方も。先ほども言いましたが、今の私は帝国の一市民です。それに、魔術競技祭でも私的な訪問であるうえに、ここに足を運んだのに至っては更に個人的な要件なのです。立ち上がってくださいな」

「う……は、はい……」

 

 このまま平伏し続けているのも、やはりダメなのではないか。かといって、本当に立ち上がっていい者なのだろうか? 既に思考停止に陥りかけている頭の中で、そんな二択が延々とグルグル回っていて―――最終的に言われた通りに立ち上がることを選択。恐る恐るアリシアの顔を見た。すると、アリシアの方がジョレンの顔を見てハッとして―――

 

「……もしかして、貴方がジョレン=ジョースターですか?」

「えっ!? あ、は、はい……えっと、何か……?」

「先日の事件の時はありがとうございました。貴方は守ろうとしてくれていた……そう伝え聞いていますよ」

「守ろうとしていた、って……」

 

 それを聞いて、ジョレンは思い出す。前の自爆テロ事件の時に分かった事実のこと。恐らくアリシアが言っていることはそういうことなのだろう、とジョレンは思い至った。

 

「あれは……自分は結局何もできていませんから。そのことのお礼ならグレン先生にするのがよろしいかと……」

「いえ……謙遜することはありません。それに、守ろうとしてくれたことが嬉しいのです」

「そ、そうですか……その、ありがとう、ございます……」

 

 ジョレンは、終始軽い調子であるアリシアに困惑しっぱなしであった。絶対的に目上の立場であるのに、その本人は凄く気さくに話しかけてくるものだから、なんと言えばいいのか、こっちは常に混乱してしまっていた。

 そして、ジョレンの言葉を聞いて、ニッコリと笑うと、今度はグレンの方を向いて。

 

「グレンもその節はありがとうございました……会うのは一年ぶりですね、お元気でしたか?」

「い、いえ、とんでもないです。こちらはそりゃもう。へ、陛下はお変わりないようで……」

「……貴方にはずっと謝りたいと思っていました」

 

 ふと、アリシアは目を伏せた。

 

「あ、謝る……って、そんな……」

「貴方は私のために、そして、この国のために必死に尽くしてくださったのに……あのような不名誉な形で宮廷魔導師団を除隊させることになってしまって……本当に我が身の不甲斐なさと申し訳なさには言葉もありません……」

「いえいえ、全然、気にしてませんって! いや、ホントです! ていうか、俺ってぶっちゃけ仕事が嫌になったから辞めたってだけの単なるヘタレですから! マジで!」

 

 ぶんぶんと頭と両手を左右に振りながら、グレンはアリシアの謝罪を固辞して、周囲を見渡していた。誰かに見られたらどうなることやら、と思っていたが、都合がいいことに誰もいなくてホッとしていた。

 

「で、陛下……その、今日はどういった御用向きで……?」

「ふふ、そうですね。今日は……」

 

 グレンにそう言われ、アリシアは視線を横にずらす。

 その視線の先には、呆然と立ち尽くしていたルミアがいて。グレンもジョレンも、それにつられて、ルミアに視線を移していた。

 

「……お久しぶりですね、エルミアナ」

「………………」

 

 ルミアは無言でアリシアの首元に視線を彷徨わせている。そして、しばらくそうしていると、何故か不意に目を伏せて。

 

「元気でしたか? あらあら、久方見ないうちに、ずいぶんと背が伸びましたわね、ふふ、それに凄く綺麗になったわ。まるで若い頃の私みたい、なぁんて♪」

「…………ぁ……」

「フィーベル家の皆様との生活はどうですか? 何か不自由はありませんか? 食事はちゃんと食べていますか? 育ち盛りなのですから、無理な減量とかしちゃダメですよ?」

「…………そ、その……」

「あぁ、夢みたい。またこうして貴女と言葉を交わすことができるなんて……」

 

 そして、感極まったアリシアは、ルミアに触れようと手を伸ばす。

 だが―――

 

「……お言葉ですが、陛下」

 

 ルミアはアリシアの手から逃げるように、片膝をついて平伏した。

 

「陛下は……その、失礼ですが人違いをされておられます」

 

 そうぼそりと呟いたルミアの言葉に、今まで嬉しそうだったアリシアの表情は凍り付いた。

 

「私はルミア=ティンジェルと申します、恐れ多くも陛下は私を、三年前にご崩御なされたエルミアナ=イェル=ケル=アルザーノ王女殿下と混同しておられます。日頃の政務でお疲れかと存じ上げます。どうかご自愛なされますよう……」

「…………」

 

 慇懃に紡がれるルミアの言葉に、アリシアもグレンもジョレンも押し黙るしかない。

 

「……そう、ですね」

 

 そして、アリシアは寂しそうに、そして諦めたかのように、そう言って。

 

「あの子は……エルミアナは三年前、流行病にかかって亡くなったのでしたね……あらあら、私ったらどうしてこんな勘違いをしてしまったのでしょう? ふふ、歳は取りたくないものですね……」

 

 哀愁漂うアリシアの言葉に、グレンは複雑な表情で頭を掻いている。ジョレンは何か不安のような誤魔化すためか無意識に鉄球を力強く握っていた。

 

「勘違いとはいえ、このような卑賤な赤い血の民草に過ぎぬ我が身に、ご気さくにお声をかけていただき、陛下の広く慈愛あふれる御心には感謝の言葉もありません……」

「いえいえ、こちらこそ。不愉快な思いをさせてしまって申し訳ありません」

 

 しばらくの間、重たい沈黙が周囲を支配する。

 ルミアはもう何も言わなかった。アリシアは何かを言おうとはするが、口を開きかけて、とうとう口を閉ざした。

 そして―――

 

「……そろそろ、時間ですね」

 

 何もできないまま、未練を振り切るように、そう切り出して。アリシアはグレンとジョレンの方に振り返った。

 

「グレン。エル―――ルミアを、よろしくお願いしますね? ジョレン君も仲良くしてあげてください」

「……分かりました、陛下」

「……はい、分かりました」

 

 グレンが何か物言いたげな表情で見送る中、アリシアは静かに去っていき―――やがて、中庭から見えなくなって。

 ジョレンはその場に恭しく平伏したままのルミアを見ていたが、去っていくアリシアの背名に目を向けることはついになかった。

 

***

 

 魔術競技祭、午後の部が始まる。

 午後の部最初の競技は、念動系の物体操作術による『遠隔重量上げ』だ。白魔【サイ・テレキネシス】の呪文で、鉛の詰まった袋を触れずに空中へ持ち上げる競技だ。

 ジョレンはアリシアとの密会の後、グレンと一緒に消沈したルミアをつれて競技場に戻ってきていた。

 しかし、どうしても競技の観戦に集中することが出来ない。どうしても、ルミアとアリシアのことについて考えてしまうのだ。

 ジョレンは先のテロ事件の折に。ルミアの正体とその身の上の複雑な事情を帝国政府上層部から極秘に聞かれていた。

 わざわざ危険を冒してまでルミアに会いに来たアリシアのことも分かるし、そんなアリシアを拒絶したルミアのことも分かる。だが―――

 

(でも、それじゃ……)

 

 ジョレンは手に持った鉄球を見ながら、ぼんやりと思い返す。昔、外道魔術師に襲われる前のジョースター家の日常を。

 あの頃は何もかもが優しくて、何もかもが幸せだったように感じる。

 父が厳しかったのは、自分を立派に育てたいという一心であったことが、幼かった自分でも理解できた。文武両道じゃなきゃダメだ、と勉強も修練も父が教えてくれた。あの時はやっていた修練は剣術で、その経験は今も生きている。今は鉄球を使っているけれど、平凡よりも運動が出来るのは、父のおかげだった。

 母が優しかったのは、自分を本当に大事にしてくれている証拠だと、実感していた。迷子になった自分をあまり強くない身体だったのに走って探し回ってくれていた。見つけてくれた時に、自分に泣くことを許してくれた。母の作るかぼちゃコロッケはとても美味しくて、自分が料理に興味を持ったのも母が教えてくれたからだった。

 一つ一つがとても眩しくて。そして何一つ、絶対にもう返ってこない。

 父も母も、もう会うことは出来ない。どれだけ焦がれようと、どれだけ願っても。

 ルミアはまだ母は生きている。例え、今は立場に天と地の差があって、過去に追放されていようと。まだ生きている。なら、まだ会える。会えるのに何もしないなんてこと、あってはいけない。

 

(それじゃ……やっぱり、ダメだろ……)

 

 そして、ルミアを探そうと決心した刹那、ジョレンの横を何か人影が通ろうとしていて―――

 

「あ……」

「…………ぇ……」

 

 咄嗟にその人の腕を掴むと―――びっくりしたような顔をしてるルミアで。それに気づくと、ゆっくり掴んだ手を離して。

 

「なぁ、ルミア」

「な、なにかな……」

「ちょっと話……しないか?」

「……うん」

 

 少し寂し気な表情ながら頷いたルミアと一緒に、ジョレンは騒がしいこの場を離れた。

 どこでもいい。ただ、少しだけ話しやすい静かなところを探して。



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第十九話 「小さな『決意』で大きな罪を犯す」

 ジョレンがルミアについていく中、ルミアはどんどん人気のない方に進んでいく。元々、魔術競技祭中で学院内は閑散としているが、それでも教職員だとか、参加も観戦もしていない四年次生などはほんの少し見かけたからだ。

 そして、学院敷地の南西端、学院を覆う鉄柵のかたわら、等間隔に植えられた木々の木陰に背を預けたルミアを見て、ジョレンも同じようにその隣に背を預けた。

 ここに来て、ジョレンは自分が勢いだけでルミアに話しかけてしまって、具体的に何を離したらいいのか何も考えていないことに気づいた。

 ルミアの方も、ジョレンの方から話しかけてくるのを待っているのか、何も言ってはこなかったが、不意に首に鎖を離し、衣服の下から何かを取り出した。

 

「それは……? ロケットか?」

 

 ルミアが取り出したのは簡素な作りをしたロケット・ペンダントで、ジョレンが見ている中でルミアはロケットの蓋を開けて見せる。しかし、その中には何も入っていない。空っぽだった。

 

「……昔は、誰か大事な人たちの肖像画が入っていたような気がするんだけど……いつの間にかなくなっちゃってて」

 

 それを聞いて、沈黙してしまうジョレンの隣で、それを握りしめた。

 

「これ自体、特に価値のあるものでもないのに……変だよね、こんなものを今でも大事に肌身離さず持ち歩いているなんて」

「そんなことはないと思う」

 

 ルミアの言葉に対して、ジョレンは即答していた。

 

「その中身を失くした経緯はよく知らないけど……今でも大事なものが詰まってるんじゃないのか?」

 

 そう言いながら、ジョレンは無意識に鉄球を握りしめていた。

 その様子を見たルミアは少し驚いたようにしてから、意を決したように。

 

「……レン君は私と女王陛下の関係について知ってるんだよね?」

「うん、あの事件の後に、政府上層部の人から」

 

 また、二人の間に沈黙が流れる。二人の髪が風にたなびき、一瞬だけジョレンの視界を塞いで。

 

「……結局さ……ルミアは女王陛下のことをどう思ってるんだ?」

「え……?」

 

 その少しの間に、ジョレンは思い切って言いたいことをぶつけ―――風が収まり、髪が降りた時、ジョレンの視界に入ったルミアの表情は―――とても寂し気なようで、困惑しているようで。それでも、ゆっくりと口を開き、静かに話し始め。

 

「……どう、なのかな……陛下が私を捨てた理由……分かるんだ。王室のために、国の未来のためにやらなければならない必要なことだったって。それでも……私は心のどこかで陛下を許せなかった……怒っているんだと思う」

「じゃあ、文句の一つも言いたいのか?」

「それもあるんだと思う、けど……あの人を再び母と呼びたい、抱きしめてもらいたい……そんな思いも、どこかにあるの……ずるい、よね……私」

「そんなこと……ないだろ」

 

 そんなジョレンの否定の言葉に、一瞬ルミアの言葉が止まるが―――すぐにまた言葉を連ねて。

 

「でも、あの人を母って呼んだら、私を引き取って、本当の両親のように私を愛してくれたシスティのお母様とお父様を裏切ってしまうようで……それが申し訳なくて……」

「……」

「だから、私、分からなくて……どうしたらよいのか、どうすればよかったのか……」

 

 そう言って、目を伏せるルミアに、ジョレンは少し、考えているかのような沈黙を経てから口を開いた。

 

「ルミアは……それを後悔しているか?」

「……? それは……?」

「後悔すら出来ない時っていうのがある。しても無駄だって身体が覚えてしまって、二度と後悔できなくなる時が」

 

 ルミアがその時、覗き込んだジョレンの顔には、確かに苦しんでいる様子だとか、後悔しているというものは感じられなかった。だが、その表情はどこまでも―――虚ろで。

 

「俺の両親は……昔、外道魔術師に殺された」

「!」

「俺の目の前で何もできずに殺されていった。妹も足を撃たれて、まともに逃げれるのは俺だけになって……俺は妹を背負って必死に逃げた。それだけしか出来なかった。両親の形見だとか、買ってくれたものだとかは何一つ持っていくなんてことは出来なかった。言ってしまえば、妹が唯一の忘れ形見だと言えるのかもしれないけれど……それでも、俺にとって家族の温もりっていうのか……お母さんもお父さんも……もう会うことは二度と出来ないから……」

「そんな……」

 

 ジョレンの言葉は悲壮感溢れるものだが、それを語る口調はそんなことはまるでない。どこまでも虚ろで、空っぽで、それが悲しさよりも更に深い絶望だったことをルミアに容易に伝えていた。悲しさも、怒りも、取り返しのつかないものが全て通り過ぎてしまって、そこに喪失感しか残っていない。後悔しても全く足りず、後悔そのものが無意味になってしまう。そんなジョレンの心境が痛いほど分かった。

 

「だからさ、ルミア。後悔してもいいんだよ」

「後悔、しても……?」

「後悔できるうちは、まだやりなおせる」

「ッ……」

「後悔も怒りも……何も残らないよりはきっとマシなんだよ。そこに何もなくちゃあ、どこに向かっていいかも分からなくなるから。俺は(さいわ)い、そんな俺を助けてくれた人がいたから、今こうやっていれるけれど。それも無かったら、そもそもここにはいなかっただろうから」

 

 それが自分が少ない人生の中でどうしようもなく思い知らされた一つの事実。後悔だらけの世界の中、それすら出来なかった自分が分かったことだった。

 

「後悔することはとても多いけれど、それすら出来ないなんてことが起きるよりはずっといい……可能性が途切れてしまえば、後悔も無意味になって、前がどこかも分からなくなる。後悔して歩けなくなるなんてこともあるかもしれないけど、きっと、それよりも残酷なことだ。もし、さっき会ったのが最後のチャンスなんだとしたら……ルミアも同じことを思うんじゃないか?」

「……」

 

 黙り込んでしまうルミア。今やルミアもアリシアも、いついかなる時も外道魔術師に命を狙われるような存在だ。アリシアの方も、王室親衛隊が護っているとはいえ、『もしも』が確実にある。自分に至っては護衛なんてものが無い分、特にだ。それを分かっているからジョレンはルミアに話しかけ、ルミアもそれが分かっているから、話を聞いても、今どうすればいいのか分からずにいる。

 

「……選べば、きっとどちらでも後悔する。もう片方を選べばよかったんじゃないか、って。でも選ばないことは、もっと不本意なところに流れて行ってしまうと思う。時間っていうのは止まらないから」

「……」

「でも、それじゃあ、どっちを選べばいいのかって思った時に……そうだな、本音を道しるべにしてみるのはどうかな」

「本音……?」

「前に進めなくなるのも、前が分からなくなるのも嫌なら……せめて、自分がしたいことを選べばいいんじゃないか? そうすれば、後悔しながらでも、前に進めるんじゃないか? 俺は……一応、今はそうしているんだけれど」

「……でも、私……自分の気持ちが分からなくて……」

「そう、か……」

 

 そう言われてしまえば、ジョレンも再び静かになるしかない。ルミアの気持ちが本当はどうなのかなんて、自分には分かりようがなく、それを導き出せるのはルミア自身か、それか何かの切っ掛けでもなければいけない。だが、ジョレンには自分がその切っ掛けを与えられるとも思えなかった、その時。

 

「何やってんだ、お前ら」

「「先生!?」」

 

 そんな二人の所に突如現れたグレンに二人が驚愕していると。

 

「ルミア、俺はな、昔は帝国軍に所属する魔導士だった」

「え? そ、そうなん……ですか?」

 

 そして、早速と言わんばかりに告げられたカミングアウトにルミアだけでなく、その事実を知っていたジョレンも困惑して。

 

「で、仕事柄、宮廷に赴く機会も結構あってな、今、お前が大事そうに持ってる物と全く同じ物を、宮廷内でとある偉い人が身に着けていたのを見たことがある。……意味、わかるな?」

「……ッ!」

 

 グレンが指さしたルミアの手に握っていたロケットをルミア思わず更に握って。

 

「今の今まで後生大事に肌身離さず持っていた、御揃いのそれ。捨てるタイミングなんていくらでもあったハズだ。……もう、答えはとっくに出てるんじゃないか?」

「答え……」

「恨み(つら)みでも文句でも、なんでもいい。まずは言葉をぶつけることから始めてみたらどうだ? さっきのお前みたいに向き合うことからん逃げるだけじゃ……さっきこいつが言ってたみたいに、不本意なとこに行っちまうだろ。散々向き合うことから逃げ続けてきた俺が言うのも……なんだけどな」

 

 ルミアはしばらくの間、無言で俯いた。

 その間に、グレンはジョレンに向かって。

 

「んじゃ、後は任せたぞ、ジョレン」

「え? そのまま先生がルミアの相談に乗ればいいんじゃ……」

 

 自分じゃ与えられなかった切っ掛けをいとも簡単に与えてしまったグレンを見て、ジョレンはもう完全に引き気味だったので、虚を突かれた顔をして。

 

「白猫に探してきてくれって頼まれただけだしなぁ、じっくり話聞ける奴が聞いた方が良いだろ、俺は戻るぜ」

「は、はぁ……」

 

 どうにも気の抜けた返事をしてしまったジョレンと俯いたままのルミアを後目にグレンはとっとこ帰っていく。そして―――

 

「私……怖いんだ」

 

 ぽつりと、ルミアは消え入りそうな声で、呟いた。帰りかけのグレンには何も言わず、今も隣に立っているジョレンに。

 

「私を追放した前日まで、あの人はとても優しかった。でも、私が追放されたあの日、あの人に呼び出されたら、国の偉い人たちが険しい顔でたくさん集まっていて……あの人は凄く冷たい目で私を見つめていて……まるで別人のように豹変していて……」

「…………」

「さっきのあの人はとても優しかったけど……また、いつ私に対して、突然、あの冷たい目を向けてくるかと思うと……怖くて……だから……その……」

 

 そして、意を決したように、ルミアは真っすぐにジョレンを見つめてきて。

 

「レン君……一緒についてきてくれないかな?」

「…………俺でいいのか? やっぱり先生を連れ戻してきた方が……」

「もう、何言ってるの、レン君」

 

 この期に及んでわたわたとしてしまっているジョレンに、クスッと笑いかけて。

 

「最初に話しかけてきてくれたのはレン君でしょ? 本当は……こう言うのはだめかもしれないけれど、とても嬉しかったんだよ?」

「そ、そうなのか……」

「だから、レン君がいいんだよ、ダメかな?」

「る、ルミアが俺で良いっていうなら、俺はいいけども」

「なら、よかった」

 

 ちょっと照れくさそうに視線を逸らすジョレン、おかしそうに笑うルミア。

 二人は今、とても穏やかな雰囲気に包まれていた。

 さて、とは言え、平民である自分がどうやったら再び女王陛下に会えるかなんて見当もつかない。さっきは本当にただの偶然だったことを再確認させられ、ジョレンは頭を悩ませていた。

 ―――その時、視界の中に何かが映りこむ。

 

「……ん?」

 

 よく見れば、何やら奇妙な集団が、自分たちに近づいてきているのが見えた。

 その集団は全員が全員、身体の要所を護る軽甲冑に身を包み、緋色に染め上げられた陣羽織を羽織り、腰には本物の細剣(レイピア)佩剣(はいけん)している。

 その数、総勢五騎。弧を描くような陣形を組み、通りの向こうから、足早にこちらへ向かってやって来る。

 

「あれって確か……王室親衛隊だったよな……?」

「そ、そうだったはずだけど……」

 

 王室親衛隊、それは帝国軍の精鋭中の精鋭だ。最も女王陛下に忠義厚い者たちで構成された、王室一族を何よりも優先して護衛する、王室の守護神たる存在だった。

 故に王室親衛隊は今回の女王陛下の学院訪問の際に、当然のように女王の近辺警邏と護衛を務めているはずだった。ジョレンも、貴賓席で女王陛下のすぐ近くにチラホラいたのを見ている。

 

「じゃあ、なんで女王陛下の護衛やらずにこんなところに……?」

 

 疑問に首をかしげていると。王室親衛隊の面々はジョレンたちの前で足を止め、ジョレンとルミアの二人を囲むように、音もない足捌きで素早く散開した。

 その少し異様な光景に、ジョレンは自然に腰に吊るしてある鉄球の近くに手を持ってくる。

 

「ルミア=ティンジェル……だな?」

 

 二人の正面に立った、その一隊の隊長格らしい衛士が低い声で問いかけてくる。

 訳が分からず、二人が顔を見合わせていると。

 

「……ルミア=ティンジェルに間違いないな?」

「え? は、はい……そうですけど……」

 

 念を押すように再び重ねられた問いかけに、ルミアは戸惑いながらも答える。

 そして、ルミアが応答した次の瞬間。衛士たちははじけたバネのように一斉に抜剣し、ルミアにその剣先を突きつけていた。

 

「―――ッ!?」

 

 自分に向けられた鋭い切っ先に、思わず硬直してしまうルミア。

 

「……どういうつもり、ですか」

 

 ルミアより一歩前に出たジョレンが、思わず出そうになったため口をどうにか(こら)えながらも、威圧的な声を発し、目を細めて相手を見据えた。

 

「傾聴せよ。我らは女王の意志の代行者である」

 

 一隊の隊長格らしい衛士は、そんなジョレンを忌々しそうに一瞥し、朗々と宣言した。

 

「ルミア=ティンジェル。恐れ多くもアリシア七世女王陛下を密に亡き者にせんと画策し、国家転覆を企てたその罪、もはや弁明の余地なし! よって貴殿を不敬罪および国家反逆罪によって発見次第、その場で即、手討ちにせよ。これは女王陛下の勅命である!」

 

 あまりの現実離れした言葉に、二人の身体が凍り付いたように動かなくなる。思考が混乱し、他の事の一切をシャットアウトしてしまっていた。

 そんな中、ルミアは肩を震わせながら、信じられないとばかりに口を開いて。

 

「わ、私が……陛下の暗殺を企んだ……? 手討ち……?」

「証拠は挙がっているぞ、大罪人。情状酌量の余地も弁明の機会もない。大人しく我が剣の露となってもらおう」

 

 隊長格の衛士が淡々と告げるのが事実であると、構えた白刃と濃密な殺意が伝えてくる。冗談ではない、と。

 

「抵抗することは勧めん。大人しく(おの)が罪科を認め、刑に服すならば、我らとて貴殿へ(いたずら)に苦痛を与えるつもりはない。可及的速やかにその命脈を絶つことを約束する」

 

 ルミアは額にびっしりと冷や汗を浮かべて顔色を蒼白にし、無言で俯いている。

 そして、大量格の衛士は、そんなルミアの前に立つジョレンに目を向け。

 

「そして、そこのお前。その娘は罪人だ。その娘を庇い立てするならば、お前も国家反逆罪で処分せねばならぬ。さぁ、その娘をこちらに引き渡せ」

「……ふざけたことは言うもんじゃあないですよ」

 

 もはやジョレンの言葉は敬語が後付けみたいになってしまっていた。それほどまでに苛ついていた。

 

「ルミアが陛下の暗殺を企んだ? それが本当なら、証拠を見せてもらいたいんですが」

「部外者に開示義務はないな。これはお前のような一般市民が触れてはならぬ、高度に政治的な問題なのだ」

「ふざけたことは言うもんじゃあない、って言ったよな?」

 

 衛士の一方的な言葉にかろうじて被せてあった敬語もポロリと剥がれ、完全に敵対的な態度を取り始める。

 

「それでも令状も裁判もなしに、その場で処刑? そんなのが通るもんか」

「ふん、帝国憲章をきちんと読んだことがあるか? 女王陛下は国家最高元首。その言葉はあらゆる法規を越え、全てに優先するのだ」

「法解釈議論でもする気か? そんなことをここで言い合うつもりはない」

「ふん、それは我らとて同じこと。どこの馬の骨か知らぬが貴様、これ以上、その重罪人を庇い立てするようならば、貴様も共犯者としてこの場で処分するが?」

「……いい加減にしろ」

「そもそも、女王陛下の忠実なる臣たる我らに対するその無礼な物言い、陛下に対する侮辱も同義。貴様にも立派な不敬罪が成立するのだが?」

「図に乗るもんじゃあないぜ、あんたら」

 

 両者ともに収まりがつかず、もうどちらが先に手を出すかというような空気になってきた、その時だ。

 

「待って、レン君!」

 

 ジョレンの後ろからルミアが叫んでいた。そして、すぐさま意を決したように言葉を重ねて。

 

「……おおせの通りに致します」

 

 手を震わせながらも、それを握りこぶしでどうにか抑えて、ルミアは毅然と言い放った。

 

「……は? ……ルミア、何を……?」

 

 ジョレンが一瞬、ルミアが何を言ったのか理解できずに困惑にまみれた顔で振り返って。

 

「恐れ多くも女王陛下に仇為そうとしたこと、今思えば、そのあまりもの不遜さには恥じ入るばかりです。ゆえに我が命を持って償いといたします。だから、どうか、御慈悲を。レン君は……この人は何も関係な―――」

「ふざけたことを言ってんじゃあないぞ、ルミアッ!」

「ッ!?」

 

 怒りのあまりにジョレンはルミアの声に被せるようにして叫び―――

 

「おい……」

「なッ……!?」

 

 振り向いた隙に乗じて、剣の柄でジョレンの後頭部を打とうとしていた衛士の腕を左手で掴み上げる。ジョレンの右手にはシュルシュルと鉄球が回転して収まっていて。

 

「あんたら、つまりは何か? 法を守れってことだよな? この国の法は絶対順守の『ルール』だ……それは守らなくっちゃあいけない。そういうことだよな……?」

「き、貴様、一体何を……」

 

 不意に思い出す、外道魔術師から逃げていたあの時―――突如現れた彼が自分にしてくれたこと―――

 

「確かに、ルールは『厳格』だ。だが約束は絶対に守らなくちゃいけないわけじゃあない。でもな、約束は『神聖』だ。だから俺はそれこそを護る。俺は約束を護る。他の誰もが諦めても、だ」

「ぁ……」

 

 ルミアの眼に映ったジョレンの眼は―――覚悟していた。

 自分が護りたいもののためなら、自分の命すら投げ出す覚悟。その護りたいものっていうのは最初に交わしたルミアとの約束で。そして、きっと―――

 

『ジョレン君も仲良くしてあげてください』

 

 アリシアが別れ際に放った言葉も、きっとジョレンは護ろうとしているのだ。ジョレンの中で、それも覚悟の一部となっていた。それがジョレンの眼から簡単に読み取ることが出来た。ジョレンはそういう人なのだと、ルミアはもう分かっていた。

 

「俺はルミアを護る。俺は『約束』は護るぞ……!」

 

 憧れの人から教わった意志の灯った眼で、ジョレンは衛士たちを睨みつけた。



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第二十話 「逃げ惑う彼らに『皇帝』は迫る」

 ジョレンとルミアが王室親衛隊に剣を向けられている一方。

 ルミアを探しに出かけて、あっさりとジョレンにルミアのことを任せて戻っていったグレンは、今鼻歌を歌いながら悠々と魔術競技祭の競技場に戻る最中だった。

 

「いやぁ、青春だなぁ」

 

 なんて19歳にして既にそんなおじさんじみたことを考え始めているグレンはたったかと中庭を突っ切り、もうそろそろ競技場の観客席の入り口が近づいてこようかという時。

 

「グレン、見つけた」

「あ?」

 

 グレンからして見れば、聞いたことのある懐かしい声が自分の右後ろ斜めから聞こえてきた。しかし、ありえねぇしなぁ、なんてぼんやり否定して、そのまま走り去ろうとしているところに。

 

「《万象に(こいねが)う・我が腕手(かいな)に・剛毅なる刃を》」

「おおい!? ちょっと待て!?」

 

 流石にその嫌という程知っている呪文を聞いては立ち去ることなんて出来ない。慌ててバッと振り返ると、そこには十字架型の大剣(クロス・クレイモア)を両手で握っている少女と、もう一人、鷹のように鋭い目つきをこちらに向けている青年が立っていた。二人とも黒を基調とした揃いのシーツと外套に身を包んでいる。その衣装が示すのは―――

 

「帝国宮廷魔導師団!? リィエルにアルベルトだと!?」

 

 それはかつてのグレンの戦友、帝国宮廷魔導師団特務分室の二人、《星》のアルベルトに《戦車》のリィエルだった。

 なんで魔術競技祭中にこんなところに? なんて考える暇もなく、リィエルは自身の得意技、高速武器錬成で作り上げた大剣を振りかぶりながら、グレンに突貫してくる。その速度に距離、既にリィエルはグレンの呪文が括られるよりも確実に先に大剣を振り下ろせるまでに近づいていて。

 

(う、嘘だろ……!? 本当に何が起こってんのか、全く分からねぇんだが……!?)

 

 そんな混乱で飽和した頭をどうにか冷静に戻す間も当然なく。そのまま圧倒的な力で振り下ろされた大剣がグレンを―――

 

「きゃん!?」

 

 その寸前にリィエルの後ろから飛んできた黒魔【ライトニング・ピアス】が見事にリィエルの後頭部に撃ち放たれていた。その威力と電気でリィエルはどさりと倒れ伏し、地面でぴくぴくと痙攣し始めた。貫通してないところを見るに、威力は手加減されていたらしい。

 

「久しぶりだな、グレン」

「あ、あぁ……? いや本当、どうなってんだ……?」

 

 【ライトニング・ピアス】を撃った張本人であるアルベルトが、どこか咎めるような冷たい声音で挨拶してくる。それもあるが、本当に急転直下の展開過ぎて、グレンは困惑していて。

 

「場所を変える。俺についてこい」

 

 アルベルトはリィエルを引きずりながら、一番近くで人の少ない迷いの森の方へ歩いていく。

 状況が読めず、グレンは頭を掻きながら、とことことついていった。

 

***

 

 そして、迷いの森の奥。アルベルトは念のためと言って音声遮断結界までつけて、遅れてついてくるグレンを待ち構えていた。リィエルは【ライトニング・ピアス】の威力が手加減されていたことや、生来の頑丈さも手伝ったのか、もうすっかり回復して感情の起伏に乏しい表情をこちらに向けていた。

 

「おい、一体どうなってんだ? なんでお前らがいる? リィエルが襲ってきたのは、一体なんでだ?」

「落ち着け、グレン。リィエルがお前を襲ったことについては俺は何も知らん。俺は俺の知っていることだけ話すぞ」

 

 そして、アルベルトは淡々と今起こっている事実をグレンに伝える。すると、グレンの表情が瞬く間に驚愕のものに変わっていった。

 

「なんだと!? 王室親衛隊が暴走!?」

「本当だ。俺が遠見の魔術や使い魔によって収集した情報によると、王室親衛隊は女王陛下を自分たちの監視下に置き、お前の教え子―――ルミア嬢を始末するために独断で動いている」

「な……!?」

 

 どんどんと出てくる自分が全く知り得ない危機にグレンは青ざめていた。あまりの大事に思考がパニックになりかけるが、ハッと思い出した事実にグレンは不意に駆けだして。

 

「待て、どこに行く?」

「グッ!? やめろ、アルベルト! 止めるんじゃねぇ!?」

 

 表情一つ変えず、腕をぐいっと引き留めるアルベルトにグレンは思わず叫び散らした。

 

「ルミアは南西端の方で今は他の生徒と二人でいるんだ!? このままじゃ手遅れになる!」

「ッ……」

 

 グレンから告げられたルミアの現状に、アルベルトも一瞬顔を強張らせた。

 

***

 

 ルミアはいついかこんな日が来るんじゃないかと常々思っていた。

 元々、三年前に死ぬはずだった自分が今、こうやって生きられていたことはただ幸運だっただけで。その幸運が切れた時、こうなるのだろうとルミアは理解していたのだ。

 市井(しせい)のの赤き血の一人に落ちたとはいえ、ルミアという存在自体がアルザーノ帝国にとって爆弾のようなもので。国を支える女王である母が、いつかなんらかの事情で、やむを得ず処分することを決意する日が来る。そう理解し、覚悟していた。

 このあまりにも突然な処刑宣告は、つまり―――そういうことなのだろう。

 そう、これは仕方のないこと。言ってしまえば、これは『運命』と誰もが呼ぶものなのだろう。

 だから、自分がやりたいことは―――もう出来ない。

 

(嫌……だな)

 

 こんな自分に本当の姉妹(しまい)のように接してくれたシスティーナ。本当の両親のように愛してくれたシスティーナの父母、仲の良かった学院の学友たち―――そして、グレン。先生にもっと色々なことを教わりたかったし、システィーナと色々なことをやってみたかった。三年前助けてくれた時の事を、思い出してほしかった。そして何より―――

 

(……そうか……最後だから、あの人は私に会いに来たんだ……)

 

 せめて最後に一度だけ、本当の母親に―――

 そんな自分の『本音』。分かり切っていた心に今更気づいて。

 もう後の祭りだ。『運命』は決まった。自分は大罪人として処刑されて―――それで全てが丸く収まる。

 

(でも……)

 

 だというのに。

 

「…………」

「貴様……」

 

 目の前の少年は。ちっともそうとは思っていなくて。

 いや、本当は思っているのかもしれない。これが私、ルミア=ティンジェルの『運命』なんだと。彼も本当は理解しているのかもしれない。

 でも、認めたくないのだ、彼は。彼は抗おうとしている。必死に。例え無力であっても。決まりきった『運命』に抗っている。そんな少年が目の前に立っている。自分を護っている。

 ジョレン=ジョースターはまだ諦めていなかった。

 

「去勢はよくないな、学生風情が」

 

 さっきまでジョレンが背後からの攻撃を完全に防いだことや謎の威圧感に圧されていた衛士たちが冷静さを取り戻し、次の瞬間、五閃の銀光に風切り音が唸った。

 気づけば、目にも止まらぬ早業で五振りの剣が、四方からジョレンの首筋や喉元に突きつけられていた。

 

「……」

 

 ジョレンは無言でその剣先を見つめている。動揺しているような感じはしない。が、この五人の衛士は確かに相当の練度の上に連携が完璧。この状況をひっくり返せるのは、大陸中を数えても数少ないだろう。

 

「この間合いで魔術師が何か出来ると思っているのか? そもそも、我らは耐魔術装備に身を固めている。我々には、お前たちお得意の三属攻性呪文(アサルト・スペル)も精神汚染呪文もそう簡単には通らん。それでもやるのか? 己が身一つで、我ら五人の精鋭と?」

「……」

「それに我らはここにいる五人だけではないのだぞ? 今はその娘を探すために方々に散っているが、総兵力は、さらに上だ。ここで一人で突っ張ってどうする気なのだ?」

「装備も人数も関係ないんだよ」

「何……?」

 

 風の音しか聞こえないと思っていたその場に、シルシルシルシル……という音がする。そして、すっと自然に上げられた右手から―――

 

「魔術は下手でも、俺には回転がある」

「「「がッ!?」」」

 

 何が起きるのかと身構えた瞬間、ジョレンの右手の五本の指全てから、一斉に回転していた爪がドン、と射出される。真っすぐ飛んで行った爪弾が五人の衛士の甲冑部分に命中し、甲冑にヒビを入れながら、衝撃によって後ろに吹っ飛ばした。

 

「な、なんだ……それはッ……!?」

「スタンド能力……っていうのらしいぜ? アテが外れたな? 魔術じゃなくて」

 

 甲冑部分への命中であるため、そこまでのダメージは無かったらしく、すぐに全員起き上がろうとしてくる。それを見越していたと、ジョレンが手に持つ鉄球の回転が加速し。

 

「走るぞ、ルミア!」

「え? う、うん……!」

「ま、待て……!」

 

 ガシッとルミアの腕を掴み、一目散に逃げていく二人を追おうとする衛士たちだが―――

 

「巻き上がれ……!」

「ッ!?」

 

 その直後、捨てるように放られた回転鉄球が地面に落ち、回転による気流によって凄まじい土煙を巻き上げ、衛士たちの視界を塞いだ。すぐに置いてきた鉄球が回転の力で戻ってくるが、土埃はそう簡単には収まらない。その隙にジョレンとルミアはどんどん距離を離していく。

 

「れ、レン君……なんて、ことを……王室親衛隊に手を上げるなんて……」

 

 ジョレンの勢いに呑まれて、思わず一緒に走り出していたが、思わず我に返って、徐々にことの重大さを把握し、ジョレンに固く震える声で問い詰める。すると、ジョレンは奇妙な程に静かな声で返答した。

 

「関係ない。そんなことは本当に関係ないんだ、ルミア。俺はやりたいことをやっただけだ。罪に問われるより、俺はそれが大事なんだ」

「で、でも、このままじゃレン君も殺されて……」

「だからって、あんなところで見過ごしたら……その瞬間に俺は死んでいた」

「え……?」

 

 そんなことを言い始めるジョレンにルミアは目を丸くして―――

 

「今の俺は……あの人に勇気を教わった。覚悟を教わった。俺を生かしてくれた……俺を見捨てずに助けてくれた……俺はもう、あの人に顔向けできないことなんて二度としたくない……したらあの人に助けてもらった今の俺は死ぬ……ゆっくりとゆっくりと何にもやる気のない人間に成り下がる……そんなのにはなりたくないんだ、俺は……あの時死ぬより、生きるか死ぬかの博打に賭ける方がマシだった、それだけだったんだ」

 

 それはさっきまでの王室親衛隊に見せていた威圧的で不敵な表情ではなかった。泣きそうで不安そうで……冷静そうな声に似つかない、とても弱ったような表情をしていた。きっと今も怖くて仕方ないんだろう。諦めることが。

 

「……レン君」

 

 どこまで似た者同士だったんだろうか。

 どっちも我儘だったのだ。助けたいから自分の命を差し出すなんて言う方も。助けたいから本来勝てない相手に立ち向かうなんて言う方も。どっちの意見も実は対立しているから、どうしてもそれが我儘へと変わってしまう。それも両方とも分かっていたのだ。

 どちらもたった一人の人に助けられて、ここまで生きることが出来たのだ。命を救われただけでなく、大切なことを教えてもらったのだ。

 そして、それだけは蔑ろにすることは出来ない。してしまったら、きっとそれは取り返しのつかないことで―――ジョレンは再び、後悔することも出来なくなってしまうのだろう。だから我儘を言ってしまうのだ。

 本当に―――色んなところが似ている。

 

「分かったよ……」

「え?」

「どうにかしよう、二人で」

 

 だから、せめて二人で。戦闘において自分は力になれないかもしれないけれど。とにかく自分も一緒に戦いたい。この少年と一緒に。

 そんな想いと共に発した台詞(セリフ)を聞いたジョレンはしばらく呆けたような顔になって、すぐに表情を真剣なものに戻してから。

 

「……あぁ、絶対にどうにかしよう、二人で」

 

 自分にも相手にも言い聞かせるようにルミアの言葉を繰り返した。

 しかし、そんなことをしている間にも、背後から土煙の煙幕から飛び出した五人の衛士たちが近づいてくる。

 

「見つけたぞ! 罪人ども!」

 

 前方の方から更に大量の王室親衛隊の衛士たちが突っ込んでくる。完全に挟み撃ちの形へと追い詰められてしまった。

 すると、ジョレンは学院を囲む鉄柵の方に目線を向けて。

 

「ルミア、【グラビティ・コントロール】で鉄柵の外に逃げるぞ、いけるか!?」

「う、うん!」

 

 二人同時に鉄柵の方へと駆けだして。

 

「「《三界の理・天秤の法則・律の皿は左舷に傾くべし》」」

 

 唱えられた【グラビティ・コントロール】の効果で自身にかかる重力を一時的に弱めて、鉄柵を大きく飛び越えて、そのまま学院の外―――市街地の方へと向かって行った。

 

「に、逃げたぞ!?」

「追え! 逆賊を逃がすな―――ッ!」

 

 背後から聞こえてくるそんな声から必死に逃げるために、二人はそのまま複雑に入り組んだ裏路地へと入っていった。

 

***

 

 ジョレンはルミアを引っ張るように駆け、裏路地を猛然と進んでいく。

 鉄球によるエコーで短い範囲ながら、地形を先回りするように把握し、どうにか追っ手を撒けたと確信したところで、休憩のために立ち止まった。

 

「こ、これからどうするの……?」

 

 そんな折に、ルミアから不安そうに問いかける声がかかる。

 ジョレンは少しだけ目を覆うように手を顔に当てて、考えこんで。

 

「まず……グレン先生と連絡を取ろう。グレン先生なら多分アルフォネア教授との連絡がとれると思う。貴賓席にいるアルフォネア教授にまで繋がれば、なんとか出来る可能性があるかもしれない」

「そ、そっか……じゃあどうにかして学院の方に戻らなきゃ……」

 

 今も王室親衛隊がうじゃうじゃいるだろう学院内だが、どうにかして戻ってグレンに事情を説明しないといけない。それが出来て初めて、何かしらの可能性が見えてくるはずだ。

 

「あぁ、安全を確認できたら、早速戻ろう。魔術やらなにやらを使って逃げに徹すれば……」

 

 その時。

 ザっという足音が背後から聞こえ、ジョレンは咄嗟に振り向き、ルミアもそれにつられて、その先を見た。

 そこに立っていたのは、フード付きのローブを被った青年だった。目元はフードに隠れ見えず、不気味な雰囲気を漂わせている。こちらに敵意があるようにも見えるが、明らかに王室親衛隊ではない。かといってチンピラという感じでもないのだ。

 訳が分からず、ジョレンとルミアが顔を見合わせていると。

 

「『皇帝(エンペラー)』」

 

 そう呟くと同時に―――

 

「ッ!? そ、それは!?」

 

 メギャンッという音と共に青年の開いた右の手のひらに瞬時に『拳銃』が生成された。そしてそのリボルバーともオートマチックともとれない奇妙な造形。まさにそれは―――

 

「れ、レン君?」

「ッ!」

 

 先日の学院自爆テロ事件の時に天の知恵研究会の口封じに来た男が持っていたスタンドと思しき拳銃と同じ形であった。そして、ルミアはそれが見えていないように不審げな声で。

 

「ルミア、下がれッ! あいつは―――」

 

 ジョレンがその続きを喋る前に男は神速の如き素早さで、拳銃を構え、流れるような手つきで四発撃ち放った。

 ほぼ無いような発砲音と共に放たれた四発の弾丸がジョレンに迫ってくる―――

 

(か、回転をッ!)

 

 回転させた鉄球でどうにか急所を撃ち抜かれるのは避けようと、鉄球を構えるが。

 

「なッ!?」

 

 その四発の弾丸は、すっとジョレンの横を通り過ぎて。ジョレンはすぐさま反射的に振り返って。

 

「ぇ……ッ……」

「馬鹿なッ……!?」

 

 何が起こったか全く理解できないという顔のルミアの両肘、両膝を―――正確無比に穿っていた。一つ間をおいてから思い出したかのように流れ出す血を見て、ルミアはようやく自分の身に何が起こったかを理解した。

 

「あ、あぁ……!」

「い、一体何を……―――ッ!?」

 

 次の瞬間、痛みに呻く声と同時に力が入らなくなった両手両足のせいで、崩れ落ちそうになるルミアの身体。それを必死に抱きとめようとジョレンが腕を伸ばそうとする最中。

 更にジョレンの横を通り過ぎたものが、そんなルミアを横抱きに攫った。

 ルミアを撃ち抜いた張本人が、ルミアを腕に抱え、ジョレンに対して正面に対峙する形になっていた。

 

「お、お前、一体……なんなんだァ――――――ッ!?」

「…………」

 

 たまらず叫ぶジョレンの言葉に呼応したように裏路地に一陣の風が吹き―――男のフードをばさりと取り払った。

 そこにいた青年は漆黒の髪に漆黒の鋭い眼。そこにギラついた殺意やら悪意やらはないが、その分、静かに濃密な程の殺気が漲っているのはルミアでも分かった。風貌はワイルドだが、雰囲気は至って物静か。そんな男だった。

 

「……俺の名は『チェック』。お前の知るスタンド使いの組織のメンバーだ」

「ッ!? す、スタンド使い……」

 

 ミクリのものとは違う、明らかなスタンド能力を持った相手。その確信がジョレンの身体を必要以上に緊張させる。

 

「さて、ジョレン=ジョースター……お前のことは色々と調べさせてもらったぞ……色々とな」

「……それは一体何のためだ」

「決まっている、貴様を殺し、我らが聖なる遺体を奪取する。奇跡を(もたら)す『聖人』の遺体をなッ!」

「奇跡……聖人だと……!?」

 

 くだらない言い合いをする気はない、質問なども受け付けない、とばかりに問答無用で拳銃をジョレンに向けながらチェックは宣言する。

 

「貴様を始末させてもらう。タロットカード『皇帝』の暗示を持つ、俺のスタンド『皇帝(エンペラー)』でな!」

 

 チェックの殺意が一層高まる。王室親衛隊から逃げながら戻らなくてはいけない状況で、決して退くことが出来ない戦いが今始まった。



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第二十一話 「反逆者の『爪』は皇帝に届くか」

 フェジテ、学院傍の市街地の裏路地の比較的奥。

 両肘、両膝を撃ち抜かれ身動きの取れなくなってしまったルミアを抱えたチェックと名乗る青年が圧倒的な殺意と共に『皇帝(エンペラー)』と呼ぶ拳銃をジョレンに向けている。

 

「れ、レン、君……」

「ッ!」

 

 少し殺意に圧されていたジョレンだったが、ルミアの消え入りそうな声を聞いて、ハッと我に返り、すぐさま左手の人差し指の爪を回転させる。それを見たチェックは心底つまらなそうな顔でゆっくりと『皇帝(エンペラー)』を持つ右手を動かし―――

 

「ふん……」

「な……あ、あんた……ッ!」

 

 静かに『皇帝(エンペラー)』をルミアの額に押し付けた。それを見たジョレンは静かに回転をやめた。やめなくてはならなかった。

 完全に人質に取られてしまった。この状態では撃てない。ルミアに当たる可能性もあるが、何よりも爪弾の殺傷力で相手が引き金を引く間もなく殺すとなれば、急所を完璧に撃ち抜かなくてはいけない。そんなのを、今の警戒心全開のチェックが許すはずがない。雰囲気だけでそれを察せられる。

 どうにかしなければ……そう思ったのも束の間。

 

「何ッ!?」

 

 チェックがくるりと踵を返して、右の角へ消えていく。始末すると言っておきながら、完全に逃げの姿勢を取る相手にジョレンの思考が混乱していた。

 だが、思考とは別に反射的に追いかけようと動く身体をどうにか押し堪えて数秒考える。

 

(……罠だ、確実に)

 

 考えるまでもない。このまま何の策もなく追いかけるのは絶対危険。左右両側を建物で挟まれた、この裏路地での銃撃は回避場所も少なく一発一発が致命的だ。自分のスタンド能力も似たようなものとはいえ、追いかける側はどうしても待ち構える側よりもワンテンポ遅れる。銃撃の練度もおそらく相手の方が上。何をとっても不利な要素しかない。

 ルミアは『餌』なのだ。ジョレンをその不利なフィールド、状況に誘い込むための。

 どうしても勝つなら、ここで追うべきではない。相手に殺す動機がない以上は殺されない可能性もある。

 

(でも―――)

 

 だが、殺される可能性も当然ある。ルミアを人質に選んだのは、王室親衛隊が暴走している今なら、殺しても王室親衛隊のせいにして誤魔化せるからだろう。結界のある学院内に入ってきた時のように、何らかの人知を超えた手段で築かれた情報網でそんな現状を知っていなければ、こんな都合の良いタイミングで襲ってくるわけがない。相手のことが何も分かっていない以上、殺されない可能性と殺される可能性はほとんどハーフアンドハーフ。

 そんな状況でジョレンがとる行動など決まりきっていた。

 

(助けに行かないわけにはいかないだろッ!?)

 

 例えどれだけ不利な状況であっても、立ち止まるわけにはいかない。このまま見失うのが一番の愚策。

 

(どうにか相手の隙を突かなくっちゃあいけないッ!)

 

 右手に鉄球を、左手に爪を。それぞれ回転させながら、チェックの後を追い、すぐさま駆けだした。

 

***

 

 刺客、チェックは負傷させたルミアを抱えて、裏路地を猛然と駆ける。駆ける。その優れた体さばきは、この男が何か気の遠くなるような修練を積んで得た技術であることが素人であるルミアからでも容易に分かるほど卓越している。魔術を使っている形跡はないが、並の人間どころか、今、問題になっている王室親衛隊にも、これほどの者はそういないだろう。

 そんな彼に向かって、捕まった状態ながらルミアは言葉を発した。

 

「あ、貴方は一体……何故私を……!?」

「貴様は駒だ。俺が勝つためのな」

 

 元々人質だというのは分かり切ってはいたが、改めてそう言われて、顔を悔しさで歪めた。

 スタンド―――自分には見えなかったとはいえ、あっさりと捕まって足手まといになってしまったことに、情けなさしか感じない。

 だが、どうにか自分も何かしなくては。おそらくジョレンは追ってきている。情報を集めるでも、集中力を削ぐでもいい。とにかく何か益を得るためにルミアは問いかけを続けようとして―――

 

「俺のスタンドのことでも知りたいか?」

「ッ!?」

 

 自分の思考を完全に読まれ、ルミアは歯噛みするしかない。そんなルミアに向かって表情の変わらない顔を向ける。

 

「度胸がある女だ。だが、スタンド使いでもない貴様が聞いたところで無意味だな。それに―――」

「がッ……!?」

 

 ガツッと音がするほど強烈に『皇帝(エンペラー)』の銃身で後頭部を殴打し、ルミアを一撃で気絶させる。意識を失ったルミアの身体がチェックの左腕の中でだらんと脱力する。

 

「駒として貴様は意識がある必要はない。命は必要あるがな」

 

 それと同時にすっと今までの激流のような動きを音もなく一瞬で止め、振り返る。

 

「はぁ……はぁ……チェックとやら……追いついたぞ!」

「ふん、ジョレン=ジョースター。やはり追ってきたな」

 

 チェックの速さに追い付くために、全開で飛ばしてきたジョレンは多少息があがっているが、それでも隙なく構え、左手の人差し指の爪を回転させ、右手の鉄球はすぐに防御に使えるように胸元の近くに持ってきている。

 そんなジョレンにチェックは不意に不敵な笑みを向ける。それをジョレンが不審がる暇もなく、チェックは話し始めた。

 

「なぁ、ジョレン=ジョースター。じゃんけんってやったことあるよな?」

「は……?」

「何事にも相性っていうのがある。グーはパーに負け、パーはチョキに負けるように、剣を持った兵士はそれよりも長い槍の兵士には大体負けるし、そもそも近接武器の兵士は距離があれば弓兵にやられる。距離を詰められれば、逆もまた然り。戦いの原則というものだ」

 

 戦闘の最中だというのに、悠長に話し始めるチェックにジョレンは呆気に取られていた。だが、殺気だけは何一つ変わっていない。今、不意を突いて、爪弾を発射しても、彼には当たらない。何故かそんな確信がある。

 

「俺の『皇帝(エンペラー)』だがな。はっきり言えば強くはない。あの学院テロ事件の時に貴様を仕留められなかったこと自体が俺のミスだった」

「なんだと……?」

「スタンド使いになりたての貴様には、あまりピンとこない話かもしれないがな。スタンド使いは魔術師みたいに力を固辞したりなんかはしないんだ。スタンド使いが能力を見せるのは、殺し合いの時ぐらいだ。変に知れ渡ると、能力から弱点もバレてしまうからな。だからスタンド能力は世に知れ渡ることはないんだ」

「……」

「それがさっき、俺が貴様らの前に不意を突いて現れた時に実害となって現れたわけだ。貴様は俺の能力について粗方知っていたから、不意打ちされても咄嗟に急所は防御しただろ? だからこの女にターゲットをチェンジしたわけだ。実はあの時の間合いは俺にとって都合が悪くてな。時間をかけるのはよろしくなかった」

「あの間合いって……」

 

 よくよく考えてみれば、最初に登場した時の間合い。そこまで距離は無かった。ざっくり言えば爪弾の射程どころか、鉄球の撃墜飛投距離の約7メトラよりも近かったぐらいだ。

 だが今は―――

 

「ッ!? まさか!?」

「俺の『皇帝(エンペラー)』はな。実はそんなに射程距離は長くない。こうやって近づかなくちゃあいけないんだ。でも、お前のスタンド能力である爪弾の10メトラ程度よりはまだ長いし、当然鉄球よりも長い。そう、つまりこの間合いだ」

 

 目測で測るなら、おそらく15メトラ前後。こっちの爪弾や鉄球は余裕で届かない。射程距離外だ。魔術なら届くが、【ショック・ボルト】は抱えられているルミアまで感電してしまうし、他の呪文も軒並み広範囲へと威力が届くためにルミアに当たってしまう。そもそも、呪文詠唱などを許してくれる相手ではない。そしてここが『皇帝(エンペラー)』の射程距離内だというのなら―――

 

(しまった! してやられたッ!)

「何回も貴様は負けると思っていたが……やはり貴様の負けだ」

 

 ジョレンが更に距離を詰めようとする前に、チェックは『皇帝(エンペラー)』の引き金を引いた。スタンドの弾丸が即射出され、真っすぐにジョレンの心臓へと向かって行く。

 

「うおォォォォ――――――ッ!」

 

 それと同時に苦し紛れに放たれる回転鉄球。それが弾丸へと肉薄していく。このまま激突すれば流石に鉄球が勝つ。回転の力に守られた鉄球は確実に弾丸を弾く。

 だが、鉄球に当たる寸前に、弾丸は円を描くように軌道が曲がり、見事に鉄球を避け、ジョレンの身体へと命中し、その威力を受け、しりもちをつくように倒れ込んでしまう。

 

「グッ……!」

「む……?」

 

 だが、命中箇所は脇腹だ。狙った心臓ではない。ちゃんと心臓へ向かう軌道に戻るように操作したはずだが、外れてしまっている。

 チェックは威力が足らず、自分のすぐ目の前で失速して落ちてしまっても、なお回転し続ける鉄球に視線を移し―――

 

「なるほど、回転か」

「……」

 

 すぐにその正体を看破した。

 確かに『皇帝(エンペラー)』の弾丸は鉄球を避けたが、回転によって生じた空気の流れの影響は受けていたのだ。チェックは鉄球を避け、ジョレンの心臓を穿つルートに沿うように操作していたが、その間、風という外部的な力を受け続け、軌道がずれてしまっていたのだ。故に致命傷にはならなかった。

 

「だが、寿命が数秒縮まっただけだな」

「ッ!」

 

 すぐさま、『皇帝(エンペラー)』の撃鉄を下ろし、引き金に手をかけ、銃口をジョレンに向けるチェック。今のジョレンはしりもちをついて倒れ込んだ状態からまだ起き上がれていない。今度こそ避けられない。

 とどめとばかりにチェックは引き金を引き、再び発砲する。魔術師の眼にも、そこまで容易くは捕らえられない速度の弾丸が放たれる。

 

「クソ、『爪』を……!」

「何……ッ!?」

 

 だが、ジョレンは両手の爪をたてるように地面に突き刺し、全ての爪を一斉に回転させる。すると、その回転の力でジョレンの身体が、そのままの姿勢で後ろに動き、軌道変化が間に合わず弾丸がさっきまでジョレンのいた場所の地面に撃ち込まれた。

 

(爪を回転させて車輪のようにして、移動したのかッ!)

「このまま―――」

「だがなッ!」

 

 弾丸を一旦回避して、距離を取ったジョレンが起き上がろうとしている隙を突き、再び『皇帝(エンペラー)』を3発連射する。ルミアを抱えているというのに、その連射速度は達人と言って差し支えないものだ。ほぼ同時に向かってくる弾丸に、ジョレンは鉄球を構え―――

 

「『爪弾』ッ!」

「無駄なことを……!」

 

 フリーの左手の指から爪弾を五発発射。それらが『皇帝(エンペラー)』の弾丸と接触しそうになるが、弾丸が収束するような動きで全ての弾丸が爪弾を避けた。今度こそ三発のスタンド弾がジョレンの心臓を穿つために接近する。

 

「かかったなッ!」

「ッ!?」

 

 だが、収束した三発の弾丸は、爪弾に続いて投げ放たれていた鉄球により上へとまとめて弾かれる。爪弾を避ける弾丸の動きを完全に読まれ、利用されてしまった。

 そして、パシッと戻ってきた鉄球をキャッチし、チャンスとばかりに今度はジョレンの方から距離を詰める。その距離、目測13メトラ。あと二、三歩で爪弾の射程に入る。

 

「うぉぉらァァァァァ――――――ッ!」

「何ッ……!?」

 

 だが、その距離で鉄球を投げ放つジョレン。身構えながらも、その意図が分からず困惑するチェックを後目に、鉄球の後ろでジョレンは右手の爪を回転させており―――

 

「距離が足りないのなら……ッ!」

 

 発射された人差し指、中指、薬指の爪弾が先に投げられた鉄球の後を追い―――

 

「ま、まさかッ!?」

「回転に回転を合わせればいいッ!」

 

 三発の爪弾が鉄球を後ろから弾き、後押しした―――更に爪弾の回転が鉄球に伝わり、弱まっていた回転すらも強化され、チェックの顔面に肉薄し。

 

「がッ……!」

「や、やった!」

 

 それと同時に起こった鉄球の急激な軌道変化を読み切れず、ガードが遅れ、顔面―――顎の下に鉄球を受けてしまう。衝撃で顔が上を向き、口の中が切れたらしく口から微かに血が飛び散る。撃墜とまでいかないだろうが、確実な隙だ。7メトラまで詰め寄ることなんて造作もないほどの。

 だが―――

 

「今のには不意を突かれた……だがな」

「?」

「俺に『上』を向かせたことは貴様のミスだ……!」

「何を―――」

 

 チェックの言っている意味が分からず、ジョレンが言葉を続けようとしたその時。

 

「ッ!?」

 

 突如、降る一つの銀閃。ジョレンが見れば、自分の左腕が縦に撃ち穿たれている。遅れて飛び散る血華(けっか)を見て、視線を上の方に向ければ、自分を攻撃してきたものがそこに浮いていた。

 

「あ、あれはッ!?」

「上にはまだ……『皇帝(エンペラー)』の弾丸が残っているッ!」

 

 爪弾で軌道誘導して鉄球で弾いた『皇帝(エンペラー)』の弾丸があと二つ。上からジョレンめがけて降ってきていた。上から雨のように降る弾丸とチェックが後から放つ弾丸を二つ同時に捌くのは無理だ。そんな技能はジョレンにはない。

 

「く、クソ、しょうがない!」

 

 咄嗟に右手の爪弾を裏路地の壁を形成する建物の木の板で覆われた簡易窓に撃ち込み、瞬く間に破壊して、その中に転がるように入り込んだ。上から降り注ぐ二発の弾丸は建物の屋根に少しめり込み止まった。

 だが、ジョレンには撃たれた左腕の痛みを気にする時間もない。後ろ手に床をつき、どうにか早く起き上がろうとする。

 

(早くしないと追撃が―――)

 

 そう思った瞬間に軌道を曲げて窓から入り込んでくる二発の弾丸。左腕は負傷で腕が上がらない。動かすために筋肉が撃ち抜かれていて、動かそうとしても機能しなくなっていた。右手は起き上がるために床についていて、咄嗟に使えない。

 

(しまった、焦り過ぎた―――)

 

 右手を床につかず、防御するために構えておけばよかった―――そんな後悔をしてももう遅い。弾丸の速度は自分の感覚では実際速すぎる。ここから何かアクションを起こせるわけもなく―――そのまま、弾丸が真っすぐジョレンへと―――

 

『チュミミィ~~ン』

「!? お、お前は!?」

 

 いつの間に現れていたのだろうか。

 ピンク色をしたウーパールーパーのような謎の生物。初めてこのスタンド能力が発現した時も出現していた生物が、今、こんな時になって再び姿を現していた。そして、その生物は小さな手をジョレンの左手に当て―――

 

『チュミミィ~~ン』

 

 何をするのか、と問いかける間もなく、生物が触れた左手が勝手に動き、その指から爪弾が五発、勝手に撃ち放たれ、『皇帝(エンペラー)』の弾丸を撃ち落とした。

 撃ち落とした後、呆気にとられながら、自分の左手を見てみれば、もう爪は回転していない。動かすことも出来なくなってしまっていた。

 

『チュミミィ~~ン』

「こ、こいつ……」

 

 この生物は本当になんなんだろうか? そもそも聖なる遺体というのも何か分からない。チェックは『奇跡を齎す聖人の遺体』と口走っていたが、それは結局誰の遺体なのだろうか? そして、それを追い求める意味は?

 

(分からない……分からないが……)

 

 ジョレンはふわふわと浮遊する謎の生物を見ながら思う。

 自分にスタンド能力を与えたこの遺体。だがそれだけではない、自分がピンチになった時だけ、身体を本人の意志とは無関係に動かすなどという、普通ではありえないことが起きるのは一体なぜだろうか。負傷していた左腕が動いたのも分からない。これが奇跡の一端だというのか。それに、もしかしたら―――

 

(リリィの足もこれで治るのか……)

 

 そう考えるジョレンの真正面に謎の生物がふわふわと動いてきて、こっちの顔を覗き込んで。

 

『チュミミィ~~ン』

「……奪われるなってことなのか……? それとも……」

 

 よく分からない。どれだけ考えても情報が足りない。だが―――

 

「可能性があるなら……」

 

 おそらく渡せば、自分はスタンド能力を失う。だが、ルミアは助けられるだろう。相手の狙いは聖なる遺体であって、自分たちの抹殺ではない。自分はどうなのか分からないが、ルミアは確実に助かると思う。

 でも、この先は? 例え、スタンド使いの組織が狙ってこなくなっても、天の知恵研究会は確実にまだルミアを狙ってくるのだ。それに今ここで渡して、今現在問題になっている王室親衛隊はどうする? 鉄球だけでさばき切れるか?

 

(できない、よな……認めたくないけど)

 

 この鉄球の力は何年もかけて、ジョレンが再現してきたジョレンの勇気の象徴だ。それでも力不足。それは学院自爆テロ事件の時に嫌という程思い知らされた。残念ながら、ルミアを守るには、この力が必要なのは明白だった。

 

(これからも、守ってやりたい……しな)

 

 なんとなく重ねてしまう。今のルミアの現状と、過去の自分を。異能者だから、などという理不尽に晒され、命を脅かされ続けるルミアを見て、約束もあるが、ただ単純に助けたいと思った。守りたいと思った。今だけじゃなく、これから何があっても。そのためにこの力が必要ならば、早々に捨てることを決めることは出来ない。最終手段だ。ならば―――

 

(どうにかして、あいつを倒す……この爪弾と鉄球で!)

 

 そして、ジョレンは転がり込んだ家の隅の方に目線をやって―――

 

***

 

 ジョレンが他人の家に転がり込んだ後、チェックはただひたすらに待っていた。

 この間合いが最善である以上、自分から近づいていくなど愚策中の愚策。故にただ待つ。

 ジョレンが逃げる可能性は、こうやってルミアを人質に取っている以上、ほぼ無いと確信していた。それが相手もスタンド使いだから感じる一種の確信なのか、それとも多くの人を殺し続けてきた自分の勘のようなものなのかは本人も知らない。

 ただとにかく待つ。銃口を壊された窓に向けて、ただじっと―――

 

「来たかッ!」

 

 窓から飛び出し、一瞬よぎる影。その人影にピタリと照準を合わせ、滑らかな手つきで『皇帝(エンペラー)』の引き金を引く。三発の小さな銃声、火線が三つ飛ぶ。それが、人影の頭を何の妨害もなく撃ちぬいて―――

 

「な……!?」

 

 だが、手ごたえが何か違う。そう感じた時にはもう遅かった。

 

「こっちだ」

「馬鹿な。ジョレン=ジョースター!? ならば、あっちのは……」

 

 遅れて窓から飛び出して来たジョレンに驚愕しながら、自分が撃ち抜いた人影の方に目線をやれば―――それは撃ち抜かれて頭部から硝煙の煙を吐く、木製の人形だった。ただ木を削って作っただけの安易な人型の模型。

 

「爪弾で家の中にあった薪を削って作った!」

「小癪な真似をッ!」

 

 だが、すぐに正気に戻り、続けざまに四発。リロード要らずの『皇帝(エンペラー)』を連射する。それぞれが異なる軌道を描き、最大限に撃ち落されにくくしてある弾丸が、ジョレンに迫り。

 

「あ……」

 

 その時―――ジョレンは何やら不自然に驚いたような表情を見せ―――次に不敵な笑みを浮かべ。

 

「ッ!? ッグゥ!?」

 

 次の瞬間、そのままなんの防御もせず突き進み続けたジョレンは四発の弾丸に見事に身体を穿たれた。右足と右腕に一発ずつ、左肺に二発入っている。即死ではないが、明らかに致命傷。このまま行けば呼吸が難しくなり、弱り死ぬだろう。無論、そんなに待つわけもなく、すぐに追撃を撃つ構えだが、抵抗される可能性が限りなく小さくなったのは大きなアドバンテージだ。あとはとどめを刺すのみ。

 

「喰らえ、とどめ―――」

「《慈悲の天使よ・遠き彼の地に・汝の威光を》―――」

「!?」

 

 引き金を引く直前にチェックのすぐそばから聞こえてきたあり得ない声。そして、自分の方から放たれた癒しの波動が倒れ込む寸前のジョレンへと届いて―――

 

「レン……君!」

「あぁ、ルミア……助かった!」

(しまった、こいつ、意識を取り戻して―――)

 

 ルミアが唱えた白魔【ライフ・ウェイブ】。遠隔で治癒魔術を飛ばす、高位法医魔術(ヒーラー・スペル)だ。それを受けたジョレンの身体はみるみるうちに傷が埋まっていき、完治とはいかないまでも、動くのに十分なレベルまで回復していた。

 ルミアが意識を取り戻していることを向かってくる時に先んじて知ったジョレンは、これを頼りにして防御を構えなかった。ここで助からないほどの致命傷を与えていれば、法医魔術(ヒーラー・スペル)など意味はなくなる。甘えずに相手の心臓や脳幹を穿っていればよかった。だが、そんな後悔ももう―――

 

「入ったぜ……あんたッ!」

「クッ!?」

 

 目測8メトラ前後。鉄球の撃墜飛投距離ではないものの、きっちり爪弾の射程距離には入っている。そして、ジョレンは右手の人差し指の爪を回転させ、こっちに向けている。もうルミアに銃口を突きつけるより早くジョレンの爪弾は発射される。それをしようとした瞬間に撃ち抜かれる、もうその行為は無意味と化してしまった。

 

「『皇帝(エンペラー)』ッ!」

 

 最後の抵抗と言わんばかりに、チェックはスタンド銃の銃口を神風の如き速さでジョレンに向け―――

 

「これはもう……『爪』を超えた……『牙』だ。これからは『(タスク)』と呼ぶッ!」

 

 ―――ジョレンが回転させた人差し指の爪弾を発射したのはほぼ同時だった。



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第二十二話 「『覚悟』が必要な時」

 ドン、と何かが発射された音が裏路地に響いた。

 次に巻き起こるは血華(けっか)。それと同時に天へ昇る火線。回転して螺旋を描く火線。

 ジョレンの放った爪弾―――『(タスク)』は―――

 

「ジョレン……ジョースタァァ……!」

「!?」

 

 チェックは死んでいない。爪弾によってその右頬は抉り飛ばされ、口が千切れそうになっていた。そして、チェックの命の代わりに吹き飛ばされたのは―――

 

「え、『皇帝(エンペラー)』を弾いた衝撃で爪弾の軌道が……」

 

 クルクルと舞い飛んだ『皇帝(エンペラー)』の姿を見て、ジョレンが呻くように声を発する。チェックがこちらに向けた『皇帝(エンペラー)』の銃口は撃つためのものではなかった。爪弾の軌道上に置くことでわざと弾かせ、爪弾の軌道を若干ずらすためのものだった。

 

「まだ、だ……!」

「ッチ、待て!」

 

 再び距離を取ろうと踵を返して駆けだすチェックの背を左手の爪弾を全弾発射しながら追いかける。チェックはこちらをちらっと振り返り、すぐそばに合った曲がり角に入り込み、爪弾を避ける。その体の動かし方はルミアを抱えているというのに、ジョレンは距離を取られないように全力で走るのが精いっぱいで追撃の余裕が無い程に見事なものだった。

 

「このままじゃ……!」

 

 ジョレンの視界に入ってきたのは裏路地の終わり、大路地の風景だった。あと数秒もしないうちに、チェックは大路地へと出て人ごみの中に紛れることが出来る。そのまま逃げられるのも時間の問題だった。

 

「ジョレン=ジョースター……!」

「な……!?」

 

 そう焦ったジョレンを後目に、チェックはピタッと止まり、チラリとこちらを一瞥して。

 

「今から、この女を離してやるよ……」

「何!?」

「ほら、ジョレン=ジョースター。受け取れよ……」

「あ……た、立ち上がれない……」

 

 反論をする間もなく、チェックはルミアを突き飛ばすように大路地の方に放り出した。元々両膝と両肘を負傷して、どうしても立ち上がることのできないルミアの身体は突き飛ばされた勢いに抗えず、そのまま大路地へと―――

 

「どうした? 早く受け止めに行かないと―――」

「えっ……」

「ッ!? な……馬鹿な!? そんな馬鹿な!?」

「『他の男』に取られても俺は知らんぞ?」

 

 次の瞬間、どん、と大路地にいた人にルミアの身体がぶつかった。そして、ぶつかった人は咄嗟にぶつかったルミアの方に振り向いて。

 

「ルミア=ティンジェル!? こんなところにいたか!?」

「王室親衛隊だと!? く、クソ―――ッ!?」

「れ、レン君!?」

 

 その人の正体を見た瞬間、ジョレンは駆けだした。見れば、もう既にルミアに向かって抜剣しかけている。全力疾走でチェックの横を駆け抜け、射程距離内に入ったと同時に右手の爪弾を三発発射する。

 

「!? うぐぁ―――!?」

「ルミア、大丈夫―――」

「まぁ、もっとも……受け止めたところで、だな」

「こ、この……!」

 

 どうやら、王室親衛隊の衛士にとっても完全に予想外の出来事だったらしく、向かってくる爪弾には全く気付かずに全弾喰らって、倒れ伏す。

 だが、安堵は出来ない。見なくても分かる、自分の後ろでチェックが何を構えているのか。

 スタンド『皇帝(エンペラー)』。出し入れ自由、リロード不要、軌道操作可能の拳銃。その暗殺者のスタンドの銃口がこちらを向いている。振り返っての撃ち合いは絶対不利、勝ち目無し。ならば、取る行動は一つしかない。

 

(このままルミアを引っ張って、角に隠れる! 視界外に逃れられれば、まだ―――)

 

 まだ、一撃で急所は撃ち抜かれないかもしれない―――そして、すっ飛んで隠れるためにルミアの方を掴んで抱き寄せた時、その声は不意に耳に届いた。届いてしまった。

 

「あれ、レン兄さん?」

「ジョレンさん? こんなところに……」

「は……? り、リリィ……?」

「え……それって……」

 

 にわかに騒がしくなってきた大路地。その人ごみの中にいた。

 車椅子に乗っているリリィと何故かそれを押しているミクリがそこにいた。ルミアは振り向く前にその言葉を聞いて、呆然とした表情になっていて。

 その瞬間、ジョレンは悟った。ここで避けることは出来ない。だって、避けてしまったら―――

 

「死ね、ジョレン=ジョースター」

「レン君、今……!」

「ッ!」

 

 もう遅い。まだ裏路地側を見ているルミアの表情が氷点下を振り切ったかのように青ざめた。ルミアに『皇帝(エンペラー)』は見えないが、その引き金を引く仕草が目に入ったのだろう。避けることはできない。避けてしまったら―――目の前にいるリリィに当たってしまう。チェックはジョレンの目の前にいる人物を誰か知っている。

 狙っていたわけではないだろう。ここにリリィがいるのは単なる偶然だ。だが、偶然であっても、ここにいる以上―――利用されないわけはない。ジョレンが避けても弾丸操作は使わないだろう。ただ究極の二択を迫るのみ。

 

(お、俺は……俺は―――)

「!? レン君!?」

「兄さん? 一体何が―――」

 

 バッとルミアを突き飛ばした。リリィのいる方向へと。そして、チェックの方に振り返り―――

 

「ッガ……!?」

「レン君!」

「に、兄さん!?」

「ジョレンさん!?」

 

 次の瞬間、左胸に開く一つの穴。そのスタンド弾は普通の人には見えなくても、開いた穴はその場にいる全員が平等に見ることができて。

 ルミア、リリィ、ミクリの声が重なる中、ジョレンの身体が力を失い、重力に従って崩れ落ちる。

 だが。

 

「ッガフ……クソ……痛ぇ……」

「!? 馬鹿な!?」

 

 ガクリと片膝をついて、左胸を抑えるが―――まだ死んでいない。こみあげてくる血を吐き出しながらも、まだ完全な致命傷ではなかった。撃たれた場所は完全に急所。心臓をえぐるかといったところだったのに。

 

「そんなはずは……今の弾丸は心臓を傷つけたはずだ……なのに、なんで……」

「『覚悟』……したからな」

「なんだと?」

「『覚悟』だよ……あんたの弾丸を避けずに受ける覚悟……あんたのおかげだよ……あんたが追い詰めてくれなくちゃあ、この方法は取らなかっただろうさ……! 避けるのは元から悪手だったぜ……もし、足でもやられてたら、どうしようもなくなっていた……!」

 

 左胸を抑える右手からシルシルシルシルという音がする。それはルミアも何度も聞いた音で、チェックがもっとも警戒していたはずの音だった。

 

「回転で皮膚を硬化させた……! 同時に胸の筋肉を限界以上に収縮させて……弾丸が心臓に到達する前に止めさせてもらった……! 衝撃であばらの骨は絶対に折れたけどなァ……!」

「そ、そんなことが……だがッ!」

 

 再び『皇帝(エンペラー)』を構えるチェック。その左手が撃鉄を下ろすより早く―――

 

「ミクリィ――――――ッ!」

「!?」

「足だ! 俺の足を動かしてくれ、頼む!」

「ジョレンさん……!」

「あいつをぶっ飛ばす、頼む―――」

「ッ! 『アース・ウインド・アンド・ファイヤー』!」

 

 ミクリは状況を全く把握できてはいなかったが、ジョレンの姿、そして差し迫った危機を知らせるその声を聞き、咄嗟に帯状へと分解し、ジョレンの足へと巻き付いた。そして―――

 

「な、何ッ!? それはッ!?」

「うぉぉぉ――――――ァァ!」

 

 『ブーツ』に変身したミクリの力を借りて、ジョレンは跳んだ。4、いや5メトラほどの高さまでに跳び上がったジョレンの身体に、チェックは咄嗟に照準を合わせることが出来なかった。

 変身中であってもミクリ自身の筋力は発揮できる―――『バトルロワイアル』で服に変身したミクリがジョレンの身体を引っ張った時と同じように、ミクリの筋力を借りて、普通ではありえないほどの高さまで跳躍したのだった。

 

「馬鹿な、スタンド使いだと!? 他にもスタンド使いがいたのか!?」

「驚いている暇があるかッ!? チェック―――ッ!」

「くッ……だがッ!」

 

 結局、飛び込んだ場所は左右を挟まれた裏路地だ。回避場所は少ないし、何よりも跳躍時には決定的な隙が出来る。着地の瞬間だけは、どうすることもできない。チェックは冷静に着地予想地点に『皇帝(エンペラー)』の照準を合わせ―――

 

「やれ、『皇帝(エンペラー)』」

 

 数秒もかかった跳躍からの着地の瞬間、チェックは引き金を引いた。時間がゆっくりになったかと思えるような緊張感の中、放たれた『皇帝(エンペラー)』の弾丸が何の障害もなく、ジョレンへと向かってくる。だが、それを見てもジョレンは何の行動も起こさない。ただ、ぼんやりとその弾丸を見つめて―――

 

「レン君!? は、早く鉄球で防御しないと―――」

 

 ルミアの切羽詰まった声にジョレンは思い出したかのように口を開いて。

 

「違う、ルミア……鉄球で防御するんじゃあない。ここは……違う」

「え……?」

 

 そう言うや否や、ジョレンはゆるりと左手を構え―――

 

「《光り輝く護りの障壁よ》」

「ふぉ、【フォース・シールド】!?」

「!?」

 

 ジョレンの目の前に広く展開された黒魔【フォース・シールド】。流石のチェックも弾丸を引き付けられて展開された障壁には対応しきれず、『皇帝(エンペラー)』の弾丸は障壁に阻まれ、受け止められる。

 

「だ、だけど【フォース・シールド】じゃ―――」

 

 【フォース・シールド】では解除するまでは身動きが取れない。解除に数秒かかり、それまでに相手が再び銃を撃ってくるなど見るまでもなく分かる。

 だが―――

 

「そんなことはないぜ……? なぁ、ミクリ……!」

「えぇ、そんなことはないですね?」

 

 ガクッとジョレンの身体が一瞬揺れる。それと同時に、ブーツの底から―――車輪が生成されて。

 

「なんだと!? まさかッ!?」

「行くぞ、歯を食いしばれ、暗殺者」

 

 瞬間、凄まじい勢いで車輪が一人でに回転し、チェックへと突進しながら、【フォース・シールド】を解除して。

 残り5メトラ。ブーツになっていたミクリが不意に変身を解除して。

 

(クソ、爪弾どころか鉄球の射程距離内……! ここは『皇帝(エンペラー)』で撃ち落として!)

「なぁ、何か勘違いしてないか?」

「な、何を……?」

 

 チェックの問いに答えることもなく、ジョレンはただ拳を強く強く握りしめ、一歩。

 

「『アース・ウインド・アンド・ファイヤー』……!」

「お、おい……まさか……!?」

 

 ミクリが帯状へと分解して―――二つの『グローブ』に変身して、ジョレンの拳に装着されると同時に、二歩。

 

「歯を食いしばれと言ったぞ……!」

「じょ、ジョレン=ジョースタ―――ッ!」

 

 咄嗟に『皇帝(エンペラー)』を投げ捨て、両腕でガードするチェックに向かって、ゆっくりと弓を引き絞るように拳を振りかぶりながら、三歩。

 

「オラァ――――――ッ!」

「!? こ、このパワーは!?」

「ふん、ボディから顎にかけてがら空きになったようだぜ……!」

「ガフッ!? ァ……!?」

 

 ジョレン+ミクリのパワーで放たれる拳。左のアッパーカットで空いたガードの間に突っ込むように放った右のボディーブローがチェックの腹に深々と突き刺さり、そして拳を振り切った勢いで、チェックの身体が軽々と宙に舞い、後ろの壁まで突き飛ばして。

 

「な、なんで……ガッ……爪弾じゃないん、だ……!?」

「なんでだと……決まってる」

 

 血へどを吐き出しながら問われた言葉に、グローブも外れた拳を握ったり離したりしながら、ゆっくりとチェックの眼を見据えながら、ジョレンは答えた。

 

「リリィが後ろにいるのに……爪弾なんて撃つわけないだろ……」

「……それも……ッフ……覚悟、か」

 

 力なく壁にもたれ倒れつつあるチェックだったが、その視線から感じられる威圧感は未だ揺るぎない。ジョレンはそれを誤魔化すためか、単純にとどめを刺すつもりでか、鉄球に手を伸ばそうとして―――

 

「……それに、時間切れか」

「何……?」

 

 ふと、ジョレンはチェックの視線が自分に向けられていないことに気づき、チェックが見る先をゆっくりと追って。

 いつの間にか、自分とミクリのすぐ後ろに二人の人影が立っていた。

 一人は鷹のように鋭い目をした青年。細身だが骨太、立ち振る舞いの端々から冷淡さのようなものを滲ませていた。

 もう一人は人形のように無表情な少女。その綺麗な青い髪はうなじの部分で雑に括られており、何か人間的な生活の痕をそこから見出すのはとても難しい。

 そして二人とも、黒い特徴的な外套を身にまとっている。

 そんな突如現れた二人に驚愕の眼差しを向けていると、今度は遠くから一人の男が息せき切らせては知ってきて―――

 

「はぁ……はぁ……ジョレン! ルミア! 無事か!?」

「ぐ、グレン先生……」

「先生。来てくれたんですか……」

「お前ら、なんてケガしてんだ……!」

 

 グレンは一瞬、もう少し早く来れなかったことに悔し気な表情をするが、すぐにルミアの方から法医魔術(ヒーラー・スペル)をかけていく。そして、ジョレンの立っている先、満身創痍で壁にもたれている男に目を向けて。

 

「あ、あいつは一体何者なんだ……? あいつにここまでやられたのか?」

「えぇ……あいつはスタンド使い……この混乱に乗じて、俺に宿った聖なる遺体を奪いに来た、組織の刺客みたいで……」

「スタンド使いだと……? あいつが、か……?」

「スタンドはどうやら、普通の人には見えないみたいです……多分、同じスタンド使いにしか。俺にはあいつのスタンド……拳銃の形をしたスタンドが転がっているのが見えてますけど」

 

 にわかに信じられない、といった様子のグレンをチェックは無視して、黒の外套を纏った二人組を見て、まるで諦めたかのような儚い笑みを浮かべた。

 

「帝国宮廷魔導師団、か……これじゃあ、無理、だな」

 

 そうぽつりと呟くと同時に、ジョレンにだけは見えていた拳銃のスタンド『皇帝(エンペラー)』が光の粒子となって散っていく。

 二人には、それは見えていないはずだが、散ったと同時に男の方はチェックに向けて左手を構えた。

 

「宮廷魔導師団……? あの人たちが?」

「あぁ、俺の元同僚だ。特務分室《星》のアルベルト。《戦車》のリィエル。今回の王室親衛隊の暴走の調査のために来たらしいが、またこれはとんでもないタイミングだったな」

 

 グレンが裏路地の方を一瞥すれば、そこはとんでもない瘴気のようなものが漂っていると錯覚するほどに殺気で満ち溢れていた。アルベルトもチェックもどちらも殺意だけを滲ませ、それが裏路地という空間で濃縮しているようだった。

 一般人でも簡単に気づけるほどの殺気に当てられ、ジョレンもグレンも、普段能面のミクリも、ルミアもリリィも、全員が無意識に脂汗をかいてしまっている。

 そんな周りをよそにアルベルトは満身創痍のチェックに対して言葉を飛ばした。

 

「スタンド使い、か。話に聞くには、魔術でも観測できない不可思議な力を使う者。かといって古代魔術(エインシャント)でもない……。見るのは初めてだ。だが、そんなことは今は良い。何が目的だ? 聖なる遺体とはなんだ?」

「……言うと思うのか?」

「思わんな。だが、軍本部まで連れ帰れば自白魔術なりなんなりがある。それを使われるまで黙っているつもりか?」

 

 アルベルトは左手を油断なく構えながら、一歩踏み出す。チェックは絶体絶命の状況なのだ。身体中にダメージがあり、まともに立てなくなっている。ここから何か策を打ったところで、何か出来るとはこの場の誰もが思えなかった。

 しかし、チェックはその笑みを崩さない。最初、諦めているように思えたが、それは諦めたというよりも、結果が変わらないから、何もしないでいる、といった感じで―――

 

「それは無理……だと言っておこうか」

「…………」

「さっき、俺……時間切れだって言ったよな……」

「何の話だ」

「だから、そのままだよ。『時間切れ』だ。こんなにボロボロにされても横にずれるだけの力があってよかったと言ったところか……」

「な、何……!?」

 

 その時、ずるり、とチェックの後ろから誰かの手が伸びた。チェックの手ではない。だが男の手ではある。それが、ゆっくりと、壁とチェックの背の間からどんどん這い出てくる。その明らかに異常すぎる光景にさしものアルベルトも動揺を隠し切れず、反応が遅れてしまい―――

 

「何してるアルベルト!? さっさと撃て!」

「ッ、《雷槍よ》」

 

 グレンの一喝に押されるように放たれる黒魔【ライトニング・ピアス】。そのどこまでも真っすぐな雷閃がチェックの心臓を撃ち貫かんとした瞬間。

 

「《光の障壁よ》」

「【フォース・シールド】!?」

 

 チェックの背から這い出てくる左手がこちらを向き、背中から聞こえる誰かの呪文によって六角形(ハニカム)状の結界が展開され、心臓を貫くはずだった雷閃を完全に防ぐ。

 そして、唖然としている皆の前に、背中と壁の間の隙間から一人の人が遂に姿を現した。

 ウェーブがかった金色の長髪をなびかせ、動きやすい紺色のジャケットに身を包んだ大柄な美丈夫だ。その男は結界を展開したまま、目の前にいる相手を一瞥し、チェックに心配そうな声をかけた。

 

「首尾は……良くはないな。大丈夫か?」

「すまない……思ったよりもずっと手ごわかった、クソ……いくらか折られた」

「いいさ、生きていればいい。撤退する」

 

 短い応答を済ませると同時に男は【フォース・シールド】を解除し、ポケットから一枚の大きくて真っ白な布を取り出し、それで自分とチェックを覆い被せた。そして、結界が解除された瞬間、宮廷魔導師団の二人は押し付けられたバネが解放されたかと思わんほどの瞬発力で動いていた。

 

「逃がさない! 何もさせない! 叩き切る!」

「ッチ……《雷槍よ》」

 

 アルベルトが放つ雷光とリィエルのいつの間にか錬成されていた身の丈ほどもありそうな大剣を振り下ろす致命的な威力の攻撃が布で覆いかぶさっている刺客二人に殺到する。振り下ろされた衝撃で地面が抉れ、瓦礫が舞う中―――

 

「!? 手ごたえが無い……」

「馬鹿な……いなくなっている……だと?」

 

 既に布の下にいるはずの男二人は忽然と姿を消してしまっていた。まるでさっきまでのが夢か幻だったんじゃないかと言わんばかりに影も形も無くなっていた。

 だが、ジョレンもルミアも知っている。そんなはずはない、と。確かにチェックと名乗った刺客はいたし、おそらくチェックの背中から現れた男も本物だったのだ、と。だとしたら、可能性は一つしかない。

 

「スタンド能力だ……背中から現れた男の……」

「あ、あんなことまで……あれが、スタンド……」

 

 ルミアどころか、さっきまで見て戦ったジョレンも唖然とせざるを得ない。あまりにも今まで経験してきたこととは次元が違い過ぎて、どうしても疑ってしまいたくなってしまう。

 だが、一番理解出来ていないのは―――

 

「ねぇ……兄さん……」

「ッ!」

「兄さん、そのケガはどうしたんですか……? さっきの人はなんだんですか……? なんで、帝国宮廷魔導師団の人が……? さっきからそこで倒れている王室親衛隊の人は一体……? どう、なっているんですか……? 今……?」

「り、リリィ……」

 

 元々、リリィには関わらせまいと黙っていたこと。

 でも、この時。

 それすらも甘い考えだったということを、あの刺客二人は最後にジョレンに思い知らせていったのだった。



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第二十三話 「近づくための『一手』」

「兄さん……」

 

 リリィの心配する声が部屋の中でぽつりと不意に漏れた。

 時は少し過ぎ、ここはジョレンとリリィが住む家。だが、その様子は平時の時とは違う。窓の外を見れば、そこは虚空。何もなく、何もないところにこの家が浮かんでいるように見える。

 アルベルトが作った即興の異界。この件が終わるまで、万が一のために、と張ってもらったものだ。かなり高位の魔術師でも簡単には見破れない。王室親衛隊程度の魔術知識の持ち主なら、ほぼ確実に破れないらしい。また、重ねて防御結界を張ってあるため、見破れても侵入できるかどうかは別なんだとか。

 そこまで厳重に保護される中、その中に入っているのはリリィとミクリだけだ。もう一人―――一般人であるはずのジョレンは入ることは無かったし、自分から入ることを断っていた。

 それはジョレンが何か取り返しのつかないことに足を踏み入れているようで。そしてその覚悟をもう済ませているようだと、リリィは感じていた。

 

『リリィ、まだ待っていてくれるか? 絶対に戻ってきて、全部話すから……』

 

 保護される前にジョレンが残した言葉が脳内で反響している。今はその言葉を信じて待つしかなかった。待つしかないのだが―――

 

「心配ですか? ジョレンさんが」

「ミクリさん……」

 

 『バトルロワイアル』の競技を見てから、家に帰る帰り道でばったり出会ってそのまま意気投合して、折角なのでと家まで送ってもらっただけだったのだが、こんな状況にミクリも巻き込んでしまって、少し申し訳ない気持ちになっていた。

 

「その……本当にごめんなさい。ミクリさんまで巻き込んでしまって……」

「? 巻き込まれた、ですか? 何に?」

「そ、それは……送ってもらったばっかりに、ミクリさんもここに拘束されることになってしまって……さっきだって、兄さんと一緒にあんな怖そうな人と……」

「それは事故でしょう? 貴方が故意的に巻き込んだことなんて何一つないじゃないですか。謝らないでください」

「で、ですけど……」

「それに、私は何かジョレンさんの役に立ちたかったのです。あの時のジョレンさんには……何か決意めいたものを感じました。一時とはいえ、衝動的とはいえ、何かそれに役に立ちたかった。そう思ったのですよ」

「ミクリさん……」

 

 まだミクリのことについて、リリィはそう深くは知らない。ただ帰り道で世間話をした程度、知り合いというレベルでしかない。

 ただ、話している間、ミクリが浮かべていた笑みは、慰めようだとか心配をかけないようにだとかいう、気遣った笑みではなく、ただ事実、巻き込まれていないから心配することもなく笑っている、といった感じで、そんな飾っていない笑顔がリリィの心を少しだけだが軽くしていた。

 

「今はただ待ちましょう。ジョレンさんが戻ってくる時を」

「……そうですね。兄さんが戻ってくるのを……」

 

 ただ祈る。兄の安全を。この事件を無事に解決して、いつも通りの調子で帰ってくることを。

 今できるのは、祈ることと―――兄が何を告白しても受け入れる『覚悟』だけだった。

 

***

 

 さっきまで騒ぎがあった裏路地とは、また別の袋小路でグレン、ジョレン、ルミア、それに特務分室のアルベルトとリィエルはひっそりと集まっていた。

 沈黙がこの場を支配する中、アルベルトが少し顔をしかめながら、話を始める。

 

「あのスタンド使い……消えた二人は再補足できなかった。元々遠見の魔術は、一回見失うと再補足が難しいうえに、奴らは遠距離転送魔術を使ったわけではない。魔力の残滓もない中、観測も出来ないとなれば、見逃すのは必至だったな……とりあえず近くにいないことは確認した。今はスタンド使いの刺客については置いておこう。本題に入る」

「先生たちは今回のことについて、調べたんですよね……?」

「あぁ、お前たちを探しながらだったけどな」

 

 ポケットからグレンが取り出したのは半割れの宝石だ。

 

「俺が遠見の魔術や使い魔によって収集した情報によると、王室親衛隊は女王陛下を監視下に置き、独断でルミア嬢を始末するために動いているようだった」

「それで、この遠隔通信の魔導機でセリカに連絡を取ったが、あいつはどうも何もしていないみたいだった。そして、『俺にしかどうにもできない。どうにかして女王陛下の所まで来い』とだけ言って切りやがった。だから、俺たちはそれがこの状況を収束させるための目標とした。後はお前らを探すだけだってな」

「女王陛下の所まで、って……出来るんですか? 王室親衛隊が大量にいて、しかもその隣を総隊長のゼーロスさんが護っているんですよ?」

 

 王室親衛隊は確かにジョレンの爪弾や鉄球でもあしらえるが、実際は戦闘の達人であることに変わりない。数で押されてしまうと確実に負けてしまうだろう。それはグレンやアルベルトでも同様だ。そんな相手が密集している中を強行突破するなど出来るわけがない。

 しかも、その総隊長は40年前の奉神戦争で生き抜いた古強者のゼーロスだ。周りの兵士とは根本的に格が違う。どう考えてもこのルミア以外の4人だけでいける相手じゃない。

 そう考えていると、今まで聞くだけだったリィエルが急に口を挟んできた。

 

「大丈夫。4人いるなら突っ込んで全員斬ればいい」

「そう、ジョースターの言う通り、強行突破は論外だ」

「今、一人強行突破しようとしてる人いましたよね?」

「こういう奴なんだ、気にするな。とにかく、俺たちはグレンの作戦を実行することにした」

「先生の?」

「あぁ、【セルフ・イリュージョン】で入れ替わるんだよ、俺とルミアはアルベルトとリィエルに。アルベルトとリィエルは俺とルミアに変身して、囮になってもらうんだ。俺たちはその間に、会場に戻って、どうにか二組を優勝させれば、女王から勲章貰う時に警護の薄い隙を狙って突撃出来る」

「そっか……あれ? 俺は?」

 

 ジョレンは一瞬、納得しかけたが、そもそも自分が含まれていないことに気づき、抗議の眼を向けた。向けられたグレンは気まずそうに目を逸らして。

 

「だって、お前が最後まで関わりたいって言うなんて思わなかったしよ……」

「……それは」

 

 その言葉を受けて、今度は逆に俯くジョレン。

 グレンが思っていることは正しい。本来はジョレンのような一般人が関わっていいような案件ではなく、本当だったら、無理やりにでも保護され、ルミア達の安全を祈っているだけの立場だったはずなのだ。

 それなのに、ジョレンがここにいれる理由は、ここに残りたいというジョレンの意志をアルベルトが汲んだからに他ならない。

 

「でも、ここまで来て、指をくわえて見ているだけなんてできませんから」

「死ぬかもしれないぞ。相手は王室親衛隊。お前が思っているより戦闘が出来る奴らだ。それでも―――」

「それでも、です」

「……まぁ、テロ事件の時も勝手に突っ走ったお前にこれ以上聞くのもあれか」

 

 もう、大分前からジョレンが無茶する生徒だとは思っていたらしく、あっさり引くグレン。

 しかし、ビシッと咎めるような表情で人差し指をジョレンの鼻先に突きつけ。

 

「だが、今回は特別だからな? 次何かあった時は極力首を突っ込まないこと! 分かったな?」

「う……善処します」

「そうやって、逃げ道作っとく図太さは評価してやるよ」

 

 呆れたような声を出すグレン。話が終わったのを見て、今度はアルベルトが口を開く。

 

「だが、ジョースター。お前は誰に変身する気だ?」

「え?」

「俺とリィエルは王室親衛隊の陽動。危険が多いのはまずこっちだ。お前はグレンと一緒に女王陛下の前まで行く方がいいだろう。元々、お前もそっちに行くつもりだっただろうしな」

「う……」

 

 完全に自分の思考を見抜かれて、驚愕と困惑に塗れているジョレンにアルベルトは淡々と話しかける。

 

「だからそれはいい。お前の安全確保はお前の教師たるグレンの仕事だ。だが、それはそれとして、お前は誰に変身する気だ? 俺たちに関連する人物なら話もつけやすいし、怪しまれないだろうが、お前にそういった知り合いはいたりするか?」

「アルベルトさんたちに関連する知り合い……」

 

 記憶からさらう必要もない。一人だけいる。一人、この人しかいないと一瞬で確信できる人物が。

 

「……います。一人」

「ならばいい、あとは作戦を実行するだけだ」

 

 もう用は無いとばかりに、早速【セルフ・イリュージョン】を唱え、グレンの姿へと化けるアルベルト。傍目から見ると、本物と遜色ない、見事な変身だ。こういうところでも何か格が違うと思わせられる。

 そんなアルベルトの様子をぼんやりと見ていると、今まで隅っこで邪魔をしないようにと黙っていたルミアが歩み寄ってきて。

 

「レン君……」

「ん……?」

「ありがとう、一緒に来て欲しいって約束……守ってくれて」

「……当然だ。言ったことは守るよ」

 

 何より、この人に変身するなら、泣き言なんて一つたりとも言えるわけがない。

 それほどの人なのだから。本当ならそんな人に化けるなど、おこがましいったらありゃしない。

 でも、やらなくてはいけない。自分はその人を演じなくてはならないのだ。

 

「行くぞ……!」

 

 感情の制御は魔術師の基本。今まで教わった基礎中の基礎を使い、ゆっくりと精神を落ち着かせながら、ジョレンは【セルフ・イリュージョン】の呪文を唱えた。

 

***

 

 魔術競技祭もそろそろ佳境。終盤に差し掛かっている。でも、その会場は未だ衰えぬ熱気に包まれ、所々で一喜一憂のドラマが生まれ、その度に会場全体がヒートアップしていく。

 だが、その中で少し弛緩した空気が二組の間で流れていた。グレンがいなくなってからも奮闘を続けたが、今の二組の成績は下がり気味の四位。ルミアとジョレンが一位で獲得した点数のおかげで、まだ総合一位を狙える位置はキープ出来ているものの、相当に厳しい状態になっていた。事ここに至って、他のクラスとの地力の差が見えてくる結果となっていた。

 

「やっぱり先生がいないとダメなのかしら……」

 

 二組全体の士気が落ちていく中、システィーナさえもそんな思考に囚われ始めていた。

 そんな中、唐突にシスティーナは背後に、覚えのある気配を感じて反射的に振り返った。

 

「ちょっと何やってたの!? 遅いわよ、先生、じょ―――」

 

 つい、グレンとルミアとジョレンが帰って来たのかと思ったが、そこにいたのは見知らぬ三人組だった。

 長髪、鷹のように鋭い目つきをした少し大柄な男。

 帝国では珍しい青髪に、感情が消滅したかのような無表情の少女。

 それに肩まで無造作に伸ばした白髪、がっしりした体格で、何やら飄々としてそうな、それなのに厳格そうな雰囲気を漂わせている不思議な青年だった。

 前者二人は黒を基調とした上下のスーツにクラバット、白い手袋と帝国式の正装に身を包んでいるが、最後の三人目は皮のつば付き帽子にゴーグルを乗せ、旅人が着るような動きやすそうな服装に、マントを羽織っているなど、どうにも他二人と比べて自由な恰好をしている。

 そんな奇妙な三人組の登場に、二組の生徒たちは動揺を隠せずにいた。

 

「お前たちが二組の連中だな?」

「そ、そうですけど、貴方たちは……」

「俺はグレン=レーダスの古い友人、アルベルト。同じくこの女はリィエルだ。そして―――」

 

 アルベルトと名乗る青年がすっと視線を向けると、三人目の青年はクラス全体を見渡すかのように、くいっと帽子を上げて。

 

「ロートゥ=ツェペリだ。ま、よろしく頼むぜ、オタクさんら」

「今日は魔術競技祭の後、旧交を温めようとグレンの奴にこの学院へ招待されてな。この通り、正式な入院許可証もある」

 

 アルベルトの懐から、学院の校章である梟の紋が銀で箔押しされたカードを取り出して見せた。結界に包まれた学院内に入るには、その魔術符となるカードが必要不可欠なのだ。

 

「だが、奴は今、突然の用事に少々取り込んでいるようだ。……で、だ。唐突なことで戸惑うとは思うが、あの男は今しばらく手が離せないらしい。故に俺はこのクラスのことをグレンから頼まれた。今から俺がグレンの代わりにこのクラスの指揮を執る。そして―――優勝して欲しい」

 

 もう、アルベルトたちが来た時点でかなりざわついていた二組だったが、そんな訳の分からない申し出に、全員困惑してしまっていた。

 この学院に招かれざる客を弾く結界が張ってあり、それを通る正式な入院許可証を持っているということは信頼のおける人物ではあるのだが、どう判断すればいいのか、システィーナも手をこまねいていると、アルベルトの隣にいた小柄な少女がゆっくりとシスティーナに歩み寄って、その手を取って。

 

「お願い、信じて」

 

 その言葉と共に、システィーナはハッとしてアルベルトとリィエル。それにロートゥを代わる代わる見て。やがて、驚愕したような表情を見せ―――

 

「貴方たちは……」

 

 十数秒は経っただろうか。ようやく落ち着いた様子のシスティーナが意を決したようにアルベルトの眼を見て。

 

「分かったわ、アルベルトさん。貴方にこのクラスの指揮代行をお願いするわ」

 

 そんなことを決めるシスティーナにクラスの困惑の視線が一気に集められる。だが、システィーナは物怖じせずにクラスの皆に向き直って。

 

「大丈夫よ、この人たちは多分信頼できるわ。それに誰が指揮を執っても、私たちがやることは変わらないでしょ? 皆で優勝を目指す、それだけよ」

「で、でも……やっぱり先生がいないと俺たち……」

 

 そんな揃いも揃って弱気になってしまっている生徒たちに、ロートゥが静かに近づいて発破をかけるように言葉を連ねた。

 

「おいおい、オタクら。そんなんじゃグレンが帰ってきたらバカにされるぜ? いいのかァ? そんなこと簡単に許しちまってよォ~。恥ずかしくねーのかねェ? なぁ、アルベルト?」

「俺に振るな」

「それじゃ、しょーがねぇなァ。あいつがどんなこと言うかモノマネしてやろうか? 『お前らって俺がいないと全然ダメダメなんだなぁ? ごめんn」

「「「いえ! 脳内再生余裕なので結構です!」」」

 

 初対面のはずなのに、めちゃくちゃ遠慮のないロートゥの物言いといかにもグレンが言いそうな言葉と展開の予想は二組の闘志に火をつけたらしい。優勝できなかったら、グレンにバカにされるのはもちろん、下手したらこの全く知らない青年にも馬鹿にされる可能性があると感じ取ったからだろう。

 そんな様子を見て、ロートゥは一瞬、安心したように微笑んだが―――それを見た人はいなかった。

 

「さて、やるかァ、アルベルト?」

「ふん、言われなくても分かっているぞ、ロートゥ」

 

 青年二人が見据える先。女王陛下に近づくための一手を打つために。

 静かに、状況は動き出す。五つの幻を抱えて。



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第二十四話 「女王の眼前に『立つ』」

 魔術競技祭も終盤に差し掛かり、今、進行中の競技は『変身』。

 中央の競技フィールドに敷設された変身魔術実演用の円形舞台、既に盛り上がりが雑考長の競技場の、そのかたわらの選手待機用のテント内では、一人の女子生徒が緊張に震えていた。

 二組の出場選手、小動物系のリンだ。

 

『おおォ―――――――ッ!? ハーレイ先生の一組、セタ選手! 見事な竜に変身した―――ッ!? これは凄いぞォ―――ッ!?』

 

 その威勢のいい実況の声を聞き、リンがテントから恐る恐る顔を出して実演舞台に目を向けると―――そこには黒光りする鱗、雄々しく広がる翼、凶悪に光る爪牙(そうが)に、見る者を圧殺せんばかりの巨躯―――本物と見まがうほどの迫力に満ちた竜が出現していた。

 その再現度の高さにリンが言葉も出ないほどに怯え縮こまってしまっている。

 審査員の合計得点は37点。最高得点は40点だから、これはかなり高い数値だ。

 ここで自分が負けてしまったら、優勝は絶望的になる。ここでどうにか勝たなくてはいけないのだが、それでも足が動かない。どうすればいいのか思考がパニックになってしまう。

 

「あ、あわわ……ど、どうしよう……」

「おい」

「ひゃいッ!?」

 

 後ろから、無遠慮に投げかけられた言葉に、ビビり上がり、飛び上がって後ろを振り向く―――

 

「あ、えっと……ロートゥさんにアルベルトさん……」

 

 そこにいたのは、グレンの友人を名乗る謎の青年、ロートゥにアルベルトだった。そしてリンに言葉を投げかけたであろうロートゥがリンの顔を不思議そうに覗き込んでいる。

 

「どうしたよ、あんなのにビビっちまってよ~」

「で、でも……あんなに見事な変身……や、やっぱり私には無理なんじゃないかって……」

「ハァ? おいおい勘弁してくれよ。あの程度の変身が出来ないだって? 馬鹿いいなさんな」

 

 ロートゥはつまらなそうに目の前の竜の足を指さす。

 そこはどうやら変身が不完全で鱗がほんの少し禿げかけている部分だ。

 

「採点が最高得点じゃないのは、要所要所で変身が完全じゃないからだ。でかくて変身難度が高い竜をあそこまで再現できたのはいいが、あーいう細かいところまで手が回らなくて得点を落としちまってる。そんな変身にオタクが負ける? 大丈夫だ、もっと自信持てよ、どうせ失敗しても怒られるわけじゃあるまいしよォ~」

「で、でも、ここで私が負けたら優勝が……」

「おいおい、これは魔術競技祭。お祭りだぞ? 祭りに怒られるもクソもあるか。そんなみみっちぃこと言う奴がいるならすぐにでも鉄拳制裁してやるよ。だからま、楽しんでやればいいと思うぜ?」

「……」

 

 その言葉を聞いた途端、リンはロートゥの顔を覗き込んで目を丸くしていた。そして、しばらくして、リンはさっきまでの不安をかき消すように一つ深呼吸して―――

 

「分かりました! 精一杯頑張ってきます!」

「おう、完膚なきまでにぶっ潰してこい」

 

 そして、『変身』の競技はリンの順番となり、決意を込めて頷いたリンの背中をバシッと叩いて送り出した。

 

「へぇ、優勝狙うなら、ここで何よりも勝っておきたいのに負けてもいいなんて。ロートゥさん、なかなか剛毅なのね」

「はぁ? オタクさん何言ってんだ?」

「え?」

 

 リンが行った後でニヤニヤとやってきたシスティーナの言葉にロートゥは呆れたような顔を向けた。その反応が少し予想外でシスティーナは虚を突かれて。

 

「それはアルベルトの話だろ? 俺はそんな約束受けた覚えないから、純粋に楽しんでこいっつっただけだぜ?」

「え? えぇ?」

「それじゃーな。戻るからあとで結果教えてくれ」

 

 そう言って、そのままテントから出て二組の待機席に戻っていくロートゥにシスティーナは困惑を隠せなかった。

 次いで、戻る途中にすれ違ったアルベルトにも何も言わずに悠々と戻っていくロートゥの姿を見て、思わずアルベルト―――に変身したグレンは。

 

(あいつ、なんであそこまで完璧にロートゥを演じ切れてんだよ、完全にあいつそっくりじゃねぇか……)

 

 昔の同僚の姿を幻視しながら、疲れたように嘆息するしかなかった。

 一方、ロートゥ―――に変身したジョレンの方は。

 

(全然だめだ。本物のツェペリさんはこんなんじゃなかった……)

 

 演じることが出来るのは上っ面だけだ。上っ面の言葉だけ。そこには内容が伴っていない。自身の人生によって積み重ねられた、言葉の重みが無かった。絶望の淵から自分を救ったのがそれだっただけに、ジョレンにはそれの有無がよく分かっていた。

 

(やっぱり、自分はまだまだあの人には届かないんだな……)

 

 飄々と戻ってきて、悠々と自信ありげに壁に背を預けて、競技を見ている間も、ジョレンの中はそんなことばかり考えていた。

 それと同時に一つの感情―――絶対にあの人に追い付きたい、と強く焦がれながら。

 

***

 

 『変身』の競技はロートゥのアドバイスが功を奏したのか、時の天使ラ=ティリカに完璧に変身して、最高得点をゲット。それを機に士気を取り戻したのか、『使い魔操作』、『探知&開錠』の競技でも次々と二組は高得点を出していく。

 続く『グランツィア』の競技でも、高等戦術『サイレント・フィールド・カウンター』を完璧に決め、一組に逆転勝利。残りは魔術競技祭最大の目玉『決闘戦』のみ。これに勝てば二組は優勝し、逃せば恐らくは一組が優勝してしまう。最後の勝負が始まろうとしていた。

 

『さあて、いよいよ魔術競技祭、二年次生のブも大詰め! とうとう本日のメインイベント『決闘戦』の開催ですッ! ルールは例年通り三対三の団体戦。銃の参加チームによるトーナメント! 見事、頂点に輝くのは果たしてどのクラスか―――ッ!?』

 

 競技場の中央には円形の決闘場が構築され、その周囲に参加チームが集まっている。

 

『集うのは各クラス最強の三人! 皆、クラスの名誉を背負って正々堂々と戦ってくれることでしょう! なお、皆様ご注目のグレン先生が率いる二組は、この『決闘戦』で見事最後まで勝ち残れば、現在総合一位のハーレイ先生の一組に逆転勝利が可能です!さぁ、どうなるのでしょうか!? 目が離せません!』

 

 これですべてが決まる。

 裏では混沌を極めつつあった魔術競技祭でも、最後はシンプル。この競技で勝ったものが優勝。

 そんな単純な目標を達成するために、二組の『決闘戦』メンバーは準備を始め、その様子をグレンが連れてきたゲスト三人は、そのすぐ傍でその様子を見ているのだった。

 

***

 

 決闘戦は進む。どんどん進んでいく。進むごとにクラスが一つ一つ敗退していく。

 苛烈を極める魔術戦が続き、その中でも二組は勝ち星を重ねていく。五組と八組を下し、なんとか決勝戦まで勝ち進み、戦うことになった相手は―――

 

『決勝戦の相手は―――これが運命というものでしょうか、なんと因縁の相手、ハーレイ先生率いる一組! 真っ向勝負! この勝負を制した方が今魔術競技祭の優勝クラス! なんとも分かりやすい構図となりましたあぁぁぁ―――ッ!』

 

 絶好調な実況の声につられ、観客席も会場のボルテージも最早マックスだ。太陽に照らされるのと同時にその熱気を浴び、体温が徐々に上がった気もする。

 そんな、まるで灼熱のような会場の中でも、選手は動きのペースを崩さない。いや、むしろ熱気に押されてよくなった気さえする。

 最初の先鋒戦は二組カッシュVS一組エナ。互いに死力を尽くした戦い、魔術戦技能では一歩劣るカッシュも、どうにか喰らいついていたが―――エナの唱えた錬金【痺霧陣(ひむじん)】がカッシュを行動不能に追い込み、カッシュは惜敗。これで0-1となる。

 だが次の中堅戦、二組ギイブルBS一組クライス。時間が経つにつれて、表れてきた二人の実力の差により生まれた隙を突き、ギイブルが召喚【コース・エレメンタル】の呪文によって、アース・エレメンタルを召喚。クライスをその両腕で捕らえ、クライスが降参。これで1-1のタイに戻された。

 残り大将戦。二組の命運は大将システィーナに託されることになった。

 

「……やるわね、ギイブル」

「ふん、この僕がタイにまで戻してやったんだ。無駄にしてほしくはないね」

 

 システィーナがかけた一応の賞賛もスルーし、そんな釘を刺しに行くギイブルにシスティーナは呆れたように嘆息するしかない・

 

「それじゃ、最後行ってくるわね」

「あぁ、任せたぞ」

 

 意気揚々と戦いへと臨もうとするシスティーナにアルベルトは短くそう言葉をかけて―――

 

「どうやらグレンはこれで優勝できたら、グレンの金で好きなだけ飲み食いさせてくれるらしいしな」

「えッ!?」

「……急に何を言い出すんだ、ロートゥ」

 

 唐突に口走ったロートゥの発言に、二組の生徒たちはにわかに浮足立ち、アルベルトは冷ややかな目でロートゥを睨みつけているが、当の本人はそんな冷たい視線にも動じていなかった。

 

「いやだって、俺たちだって向こうから呼ばれたのにこんなことになってるわけだしよォ~~~。これぐらいはまぁ、当然だよなぁ? 見返りがあった方がやる気も出るだろうしよ」

「……まぁ、そうだな」

 

 内心、アルベルトに扮しているグレンは冗談じゃないとマグマのような怒りを爆発させる勢いだったが、それをした瞬間、計画そのものすらぶっ壊しかねなかったので、どうにか思いとどまり―――それが通じているのか、システィーナはアルベルトとロートゥの二人を見て、吹き出していて。

 

「なら、頑張るしかないわね! 任せておいて!」

 

 先ほど以上に意気揚々と舞台に上がり、システィーナは左手の手袋を外した。

 魔術師の伝統的な決闘礼式に従い、互いに一礼。そして―――

 

『それでは大将戦―――始めッ!』

 

 試合開始合図と共に、システィーナと一組のハインケルが同時に動いた。

 

***

 

「…………」

「アリス……」

 

 決勝戦で、魔術競技祭が最高潮の盛り上がりを見せる中、貴賓席は不自然にあわただしく、そして重苦しい空気が漂っていた。

 物々しい王室親衛隊の幹部衛士たちが貴賓席や、その周囲を固めていて、はた目から見ても何かがおかしいと気づくほどに刺々しい雰囲気だ。そんな中、アリシアはただただ祈るような面差しで、セリカは物憂げな表情で、決勝戦の様子を見守っていた。

 そんな中―――

 

(あの青年は―――)

 

 王室親衛隊総隊長ゼーロス。やや白髪交じりの黒髪にひげ、あちこち肌に刻まれた古傷がただならぬ気配を否が応にも感じさせる。その鋭い眼光は目がさらに鋭く狭められ、より威圧感を増している。そんな彼がいつになく気になっているのは、二組の待機席付近でやる気なさげに立っている語ゴーグルを乗せた、つば付き帽子を被った青年、ロートゥだった。

 

(……やはり)

 

 その視界にロートゥが腰にホルスターで吊っている『鉄球』を収めると、さらに一段とゼーロスの緊張感が増す。

 

(まだ、何かあるな―――)

 

 彼がここにいるということが、どれだけ不自然なのか―――ゼーロスはこの中で一人それを理解していた。

 

***

 

「《拒み阻めよ・嵐の壁よ・その下肢に安らぎを》―――ッ!」

 

 互いに手の内の魔術をほぼほぼ尽くしたかという時にシスティーナが、聞きなれない呪文―――先の事件の時に独自に編み出した改変呪文、黒魔改【ストーム・ウォール】を唱えた。

 

「なッ……!? なんだ、この呪文は―――ッ!?」

 

 そんな予想外の切り札にハインケルは咄嗟に【エア・スクリーン】を張るのが精いっぱいで、広範囲で動きを制限してくる、風の壁に対処できるほどの余裕もなく―――

 

「《大いなる風よ》―――ッ!」

「う、うわぁぁぁ――――――ッ!?」

 

 ダメ押しとばかりに唱えられ、【ストーム・ウォール】に上乗せされた黒魔【ゲイル・ブロウ】がギリギリで【エア・スクリーン】の防御を貫通し、ハインケルの体を場外まで弾き飛ばしていた。

 

 その瞬間、一瞬だけだが、会場中を沈黙が支配して―――

 

『き、決まった―――ッ!? 場外だぁぁぁぁぁぁ――――――ッ! なんと、本当に! あの二組が優勝したぁぁぁぁぁぁ――――――ッ!」

 

 次の瞬間、会場は、もはや敵も味方もなく総立ちで拍手と大歓声を送っていた。

 この場にいる人間のほぼ全てが例外なく沸き立つなか、アルベルトとロートゥはその様子を静かに、極めて冷静に眺めていた。

 

「ようやくだなァ? アルベルト」

「あぁ。あいつもよくやった」

 

 届くはずもないが、心からの賛辞をシスティーナに送るアルベルトは、ゆらりと貴賓席に目を向ける。

 もう間もなく、閉会式が始まる。

 

***

 

 ―――魔術競技祭閉会式は粛々と進んだ。

 競技場に学院の生徒たちが整列し、開式の言葉から始まり、国歌斉唱、来賓の祝辞、結果発表……つつがなく、なんの滞りもなくその工程を消化していく。

 いつも通りの閉会式、しかし今年だけ違うのは、二組の番狂わせによって、生徒のほぼ全員がまだ興奮冷めやらぬということと、今日は女王陛下がこの式に立ち会っていることだ。

 そして、いよいよアリシアが表彰台に立った。その背後にはゼーロスとセリカが控えている。王室親衛隊総隊長と大陸最高峰の第七階梯(セプテンデ)。今、この瞬間に、この二人を出し抜いてアリシアを害せる者は存在しない。

 

『それでは、今大会で顕著な成績を収めたクラスに、これから女王陛下が勲章を下賜されます。二組の代表者は前へお願いします。生徒一同、盛大な拍手を』

 

 進行者の放送が会場中に届くと同時に、拍手が上がる。

 たった一名の敗北者を除いて、綺麗に皆がしていた拍手がしばらくして、次々に途絶え始め、続いてざわざわと会場が沸き立ち始めた。

 

***

 

「……あら? 貴方たちは……?」

 

 表彰台に立ったアリシアは、生徒たちの間を縫って自分の前に現れたその人物たちを、目を(しばたた)かせながら見つめていた。

 本来ならここは二組の担当講師であるグレンが出てくるはずである。しかし、現れたのはグレンではなかった。

 

「アルベルト……? リィエル……? それにロートゥも……?」

「……来たか」

 

 知っている人物が急に現れたことに戸惑うアリシアをよそに、セリカはぽつりと期待していたことが当たった時のように不敵に笑った。

 その時。

 

「やはり来たな。ロートゥ=ツェペリ。いや、誰だ? 貴様は」

「「!?」」

 

 核心を突いてきたのは―――アリシアの背後に控えていたゼーロスだった。その眼光にはあふれんばかりの殺気が漲っており、どう考えても普通の事態ではないことを示していた。

 瞬間、ゼーロスの身体は既に爆ぜるかの如き速度で動いていた。抜いたことすら気づかぬ程の抜刀、ただ致命的な剣圧のみがロートゥに一直線に向かっていく。

 

「ッグゥ……!?」

「おい、()()()()!?」

「ッ……!?」

「貴様……!?」

 

 あまりにも予想外の展開にアルベルトとリィエルが息を呑む。

 間一髪ゼーロスの斬撃を『鉄球』で防いだロートゥは―――その姿が不意にゆらりと、まるで幻影のように揺らめいて―――瞬く間にそれはジョレンの姿へと変わってしまっていた。

 ゼーロスも流石に化けていたのが学院生徒だったとは読めなかったらしく、変身が解けた瞬間に目を見開き、シュバッと距離を取り、もう一つの細剣(レイピア)を抜刀し、隙無く構えている。

 その様子を見ていた、学園の生徒や講師陣は驚きを隠せない。誰も何が起こっているのか正確に把握できないでいた。

 

「ということは貴様らは……!」

「ッチ、まさかバレるとはな……でも、ここまで来たら関係ないぜ」

 

 ゼーロスがいら立ち交じりの視線をアルベルトとリィエルに向けると、二人もすぐさま姿がスーッと霞んでいき―――その姿はグレンとルミアへと、変わっていた。



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第二十五話 「それぞれが『尽くす』もの」

遅くなって申し訳ありませんでした。
少し落ち着いてきたので、ここからは少し早くなると思います。


 そよ風が吹き抜ける丘。緑一色の草原。日陰替わりの一本の大木の下で丘から遠くに見えるフェジテの街並みを見ている、二人の青年がいた。

 一人は身体の要所を軽甲冑で守った騎士風の装いをしており、緋色に染められた陣羽織―――王室親衛隊の陣羽織を羽織っている。その眼には若さゆえか、漲るほどの覇気が宿っており、若輩ながら、只者ではない雰囲気を滲み出している。

 もう一人は紺色の露出の少ない装束を着ており、腰の方には―――二つの『鉄球』を腰に吊るしている。その装束の胸元のあたりには、シンメトリーで広く細く枝分かれした大木のような紋章がついている。それが意味することを、騎士風の青年は知っていた。

 装束の彼の眼には、覇気のようなものが感じられない。だが、死んだような眼をしているというわけではなく、固い意志がその奥底にはしっかりと感じられる。ただそれを表に出そうとはしていないだけで。

 彼らは旧知の仲であった。それぞれが家ぐるみの付き合いをしており、幼少の頃から付き合っていた仲だった。しかし、今日から彼らはこれから自由に会えるような立場ではなくなっていく。

 騎士の青年はその類いまれな剣の才能と女王陛下への忠誠心の高さから、王室親衛隊に入隊することができ、装束の青年は自身の家業を今日から継ぐことになっていた。二人とも、今日が自身のプライベートを自由にできる最後の日ということで、幼少の頃に二人でよく遊んでいた、このフェジテ全体を眺められる丘に久しぶりに集まっていた。

 10分も20分も沈黙と爽やかな風が二人の間を吹き抜け、時間が過ぎていく。何も語らず、ずっと動かず、静かに流れる時をも無視するかのように、二人は街並みを眺めているだけであった。

 そうしている中、眉一つ動かさずに装束の青年が不意に口を動かした。

 

「ゼーロス。お前は王室親衛隊になったようだな」

「どうした、急に」

 

 前々から報告していたことをここで急に確認するように聞かれ、ゼーロスと呼ばれた騎士の青年は眉をひそめた。

 

「いや、なに。祝いの言葉の一つも無かったと思ってな。おめでとうと言いたかったが、どう切り出そうか迷っていた」

「あぁ……本当にお前は不器用だな」

 

 そんなことを真顔で言う友人に呆れながら、ゼーロスはその言葉が素直に嬉しかった。なんというか、相手がこんな調子のため、時間を空けて会うと、本当にどこまでも疎遠になった感じがしてしょうがなかったのだ。

 

「お前は見事に『忠』に尽くす人間になったわけだ」

「『忠』に尽くす?」

「そのままの意味だ。お前は王室親衛隊として女王陛下に忠誠を尽くす。それはそのまま忠誠そのものに尽くすことと一緒だ。忠誠を示すためならば死ぬのもためらわない。そんな人間になる」

「……確かに女王陛下に尽くすため……忠誠を示すためになら、命を懸けても構わないとは思っているが……何やら変に意味のある言い方だな」

「そういうつもりは無いのだが」

 

 なら感性が独特だということだろうか? それとも親や祖父母から教わったのか、どこかの本で読んだのか。

 いずれにしても、ゼーロスは友人がそういう言い方をするのを昔から、どこか不思議だと思っていた。彼がそういう言い回しをするのを不思議に思うのではなく、単純に友人のことをどこか不思議な人だと思っていた。

 いつもそんな彼に興味というか好奇心を持ち、話を続けるのが、この二人の日常だった。今日も、それに従い、ゼーロスは疑問に思ったことを問う。

 

「じゃあ、お前は何に尽くすというんだ? 同じ、女王陛下に……『忠』に尽くすわけではないのか?」

「違うな。私が尽くすのは『忠』ではない。言うなら『(つとめ)』に尽くすのが私の一族であり、私自身だ」

「……? それは何がどう違うんだ?」

「私が尽くすのは、あくまで『(つとめ)』。それがどんな内容のものであろうと、納得出来ずとも、ただ何も言わずに遂行する……女王陛下からの命令を正確に執行する……「法」は法……それがどんなものであろうと、法の審議に関わることはない。それが私たちの一族」

「…………」

「だがゼーロス、お前は違う……お前は『忠』に尽くす。それがどういうことか……? お前が守るべき者のためになら、法すら犯す覚悟があるということだ。例え自分が重罪人になることがあっても、それが女王陛下を守ることに繋がるなら、迷わずにそれを選び取れるということ……王室親衛隊に入るということは……お前はそういう人間になるということだ」

「……なるほど」

 

 彼の言葉はゼーロスにずしりと重りのようにのしかかってくる。それは別に自分が王室親衛隊の任務に不安を覚えているだとかそういうことではなくて。

 ただ目の前の友人が、この国のために、そして一族のために、自ら困難な道を選ぼうとしている、その覚悟がひしひしと伝わってきたからだ。自分はこのような人間と友人だったのだ、と。それが幸運だったとかそういうことじゃなくて、自分は覚悟のある人間の隣にいたのだ、という認識がゼーロスの(こころざし)を引き締めてくれていた。

 

「お前は強い人間だな、グリム」

 

 素直に思ったことを、改めてゼーロスは目の前の友人、『グリム=ツェペリ』に話した。すると、グリムはゆっくりと首を横に振った。

 

「別に何が良いとか何が悪いとかいう話ではないさ。ただ、少しずつだが、違う道を歩み始めているというだけで。この世には様々なものがあり、様々な人間がそれに尽くしている。『欲』に尽くす者。『自由』に尽くす者。本当に色んな者がな」

「……そういうものなのか。じゃあ、他人を羨ましく思うなんてことはないのか?」

「……私はツェペリ家に生まれたことに、女王陛下からの任務を仰せつかうことができることに誇りを持っている。持っている、が―――」

 

 その時、一瞬だけ。

 空を仰いだグリムの表情がほんの少しだけ憂いを帯びたものとなっていた。それこそ、長年付き合っていた自分でなくては分からないような、微妙な表情を。

 

「一つだけ、羨ましい。強い人間だと、私が思うものがある」

「それは……どんな?」

「……そうだな、例えるなら―――」

 

 それが、ゼーロス=ドラグハートとグリム=ツェペリの最後の会話だった。

 このすぐあとに奉神戦争が起こり、ゼーロスは戦場に向かうことになり―――戦争が終結し、生還した後も、二人はプライベートで顔を合わせることは無くなった。

 そして、そのまま時は過ぎ、いつの日か、結婚して子供ができた、と報告じみた手紙のみがゼーロスの元に届き、十数年して、彼が帝国宮廷魔導士団に入団したと聞かされることになる。

 その子供の名前は―――

 

***

 

「セリカ、頼む―――ッ!」

「ハッ!?」

 

 それは怒りのあまりか。それともただショックのためか。

 過去の情景を思い出していたゼーロスはグレンの叫びで現実に引き戻された。その瞬間、会場を警邏(けいら)していて、この場に居合わせていた衛士たちが、表彰台を中心に、グレン、ルミア、ジョレン、アリシア、ゼーロス、セリカの六人を囲んだ光の障壁によって完全に締め出されていたところだった。

 衛士たちが結界の障壁面を叩きながら何事かを叫んでいるが、その声は結界の中には入ってこないようだった。

 

「ほう? 音も遮蔽する断絶結界か。ずいぶんと気が利くな、セリカ」

 

 グレンの言葉と共に、セリカはにやりと笑った。

 そのセリカの左掌の先には、光の線で構築された五芒星方陣が浮かび、鈴なりのような音を立てて駆動している。

 

「……~~~ッ! 貴様、何者だ!? 我が友人、グリム=ツェペリの息子、ロートゥ=ツェペリに化けるとは……!?」

「「「!?」」

 

 突然変化した状況、そして憤怒と焦燥がゼーロスの中で入り交じり、消化しきれぬ衝動となって吐き出すように吠えていた。

 その言葉に、その場にいる全員が固まった。別にジョレンとしてはそんなつもりはない。というか知るわけがないことだが―――これはやってはいけなかったことなのではないか、そう思わせるには十分なほどに、震えあがりそうな咆哮だった。

 当然のように、その叫びに応える者などおらず、しばらくの間、沈黙が結界内を支配する。その様子を感じ取ったゼーロスは諦めたように歯噛みし、グレンら三人を睨みつける。その圧倒的な威圧感に思わずビビり上がりそうになるが、グレンはやせ我慢で不敵に笑って見せ、アリシアの方に向き直った。

 

「……へっ、まぁいい。陛下、僭越ながら上申させてもらうぜ。そのおっさんは陛下の名を不当にも(かた)って、罪もない少女を手にかけようとしていた―――そうだ、このルミアを、だ」

「…………」

 

 アリシアはグレンをじっと見つめている。

 

「陛下、安心してくれ。もう終わりだ。ルミアは無事に保護したし、陛下を拘束していた親衛隊の連中もうこうして結界の外。陛下を力で押さえつける不埒な連中はもういない。そのおっさんがアホみたいに強いのは知ってるが、流石に俺とセリカを同時に相手にはできねーだろ」

「おのれ……逆賊共……」

「ばーか。逆賊はどっちだっつーの。とにかく、あとは陛下が一言、下知(げじ)すれば終わりだ。おっさんも、この状況で陛下直々の勅命なら聞かないわけにいかねーだろ?」

 

 ようやく終わった―――その場の誰もがそう思っただろう。ゼーロスも、当初の目的を果たすことも、そのドロドロの感情の行き先を探すこともできず、苦虫を噛み潰したような表情をしている。

 

「ゼーロス」

「はっ……なんでしょうか? 陛下」

「その娘を……ルミア=ティンジェルを、討ち果たしなさい」

 

 それは本当に静かに、そして自然にアリシアの口から出た、予想外の言葉だった。

 

「……は?」

「…………」

「―――ッ!?」

 

 その言葉に、グレンは固まり、ルミアは青ざめ、ジョレンは俯いて無言になってしまう。

 そんな三人に構わず、アリシアは冷酷な氷の眼で、ルミアを見て、淡々と言葉を続ける。

 

「その娘は、私にとって存在してはならない者です」

「ちょ……陛下、何を言って……?」

 

 想像だにしていなかったアリシアの言葉に、今度はグレンが狼狽える番だった。

 

「いなければ良かった。愛したことなど一度もなかった。どうして、その子がこの世に存在してしまっているのか……我が身の過ち、悔やむに悔やみきれません」

「そ、そんな……」

 

 そんな母親の言葉に、流石のルミアも耐えきれなかった。

 

「まさか……ほ、本当にそう思っていたの? それが、あなたの本音だったの……? あの優しさは……? あの温もりは……?」

 

 がたがたと肩を震わせ、後ずさりしながら、それでも縋るように問うが―――

 

「ええ、全部嘘です。政務に疲れた時、気分転換に興じた戯れですよ? だから、私に逆らった愚かさを悔いて死になさい」

 

 淡々と突きつけられる残酷な言葉に、がくりと、遂にルミアが項垂れて涙を浮かべてしまう。

 

「い、いや、ちょっと待ってくれよ、陛下! なんでそんな心にもないことを……ッ!?」

 

 焦燥に身を焦がすグレンとは裏腹に、ゼーロスは力を取り戻していく。だが―――

 

「ふふ、ふふふははは……やっとわかってくれましたか、陛下。どうだ、下郎? これが陛下の真意だ。大義は我らに有る」

「ッ―――!?」

 

 そこに果たして事態が好転したことに対する喜びがあったかどうか。まるで憑き物が落ちてしまったかのように、静かにそう宣言するゼーロスの眼は明らかにさっきとは別物になっていた。

 怒りに燃えているようで、決して血走ってはいない。まるで怒りをそのまま結晶にしたかのような眼がそこにあった。

 そして、右手に構えた剣をゆっくりとジョレンの方に向けて言う。

 

「ジョレン……そう、ジョレン=ジョースターだな……? 『バトルロワイアル』に出ていた……一つだけ腰に吊るした鉄球、確かに使っていた。今思い出した」

「…………」

 

 無言。ジョレンはその言葉を聞いても、ずっと俯いたまま、何も言わない。

 

「貴様がロートゥ=ツェペリとどんな関係なのかは知らない。貴様がどうして我が国の処刑執行人の一族、ツェペリ家の秘伝……医療と『処刑』のために編み出した回転の技術を身に着けたのかは知らない。だが、ルミア=ティンジェルを庇い立てた罪、そして不当にロートゥ=ツェペリの名と姿を使った罪、到底許せるものではない」

「しょ、処刑……?」

 

 すっと耳に入ってきた初めて聞く情報に、涙で頬を濡らしながらも、ルミアはジョレンの方を向く。

 しかし、それでも―――ジョレンは微動だにしない。何も言わない。

 

「覚悟しろ。ルミア=ティンジェル、ジョレン=ジョースター、そして魔術講師よ。貴様ら相手に処刑執行人であり我が友人たるグリム=ツェペリの手を煩わせるまでもない。今、ここで我が剣の(さび)にしてくれる」

「くっ……!?」

「あぁ……」

 

 二つの細剣(レイピア)を抜刀して、ゆっくりと間合いを詰めてくるゼーロスに、グレンは脂汗をかきながら古式拳闘の構えを取り、ルミアは絶望のあまり力なく項垂れてしまっている。

 そして、また一歩ゼーロスが踏み出して―――

 

「言いたいことはそれだけか?」

「ッ!?」

 

 ドン、と何かが射出される音が結界の中に響く。ゼーロスが視線を向ければ、自分が踏み出した少し前の床が抉られていて―――ジョレンの方を見れば、右手人差し指の爪が無くなっている。

 そんな状態のジョレンの眼には―――あえて形容するなら黒い炎が宿っていた。怒りとも絶望とも違う、何か本質的に違う感情が炎として瞳に宿っていた。それを見たゼーロスは思わず一歩引いてしまう。

 

「き、貴様……何を……?」

「そう、命令……命令だ。あんたは今、命令に従ったことになった」

「は……?」

「確かに大義はあんたにある。俺らを殺しても罪にはならない。無罪だ。それともまだ裁判もやっていないから推定無罪か? まぁ、どうでもいい……関係ない。どうせ罪人になった俺にはもう関係はない」

 

 言いながら、ジョレンは両手を重ね合わせ、指に残った全ての爪を一斉の回転させた。その指先が向かう先は当然ゼーロスの身体だ。一点の曇りもなく、ただゼーロスの心臓を撃ちぬこうと待ち構えている。

 

「そこだ。今俺が地面に撃ち込んだ部分がギリギリ爪弾の『射程』……あんた……まだ推定無罪だが……今度、爪弾の『射程』に入ったら、即!始末してやる……!」

「ッ!」

「れ、レン君……?」

「ジョレン、お前……」

 

 そこに嘘やハッタリの類いは一片たりとも入っていない。本当にゼーロスが一歩でも射程内に入ってきたら撃ち殺す、と、その言葉に宿った意思が言っていた。それはルミアもグレンもそれを感じ取れる程に、強く濃い意思だった。アリシアとセリカも、無言だが、その異様な雰囲気に密かに息を呑んでいた。

 しばらく、誰も何も言わない奇妙な沈黙があった。そんな中、ゼーロスは自分でもびっくりするほどに冷静な心持ちで、ジョレンの姿を見ていた。ゼーロスはこう思っていた。

 

(まるで番犬だ……)

 

 本当に、今、この場、この状況に似つかわしくない感想だと、自分でも思っていた。しかし、それ以外に言葉が見つからない。

 ジョレンのすぐにでも自分を殺しにかかろうとする姿は、ルミアを守ろうという意思から来るものだ。しかし、それは決して騎士のようでも、ましてや用心棒のようでもない。獣、番犬のようなものだという感想がしっくり来ていた。

 だが、それでも―――その姿は、その瞳の輝きと呼べるものは―――美しいと感じるものだった。

 

(そうか……グリム、これが―――)

 

 最後に、丘でグリムが言ったあの言葉。あの言葉の意味が、ゼーロスには分かった気がした。

 

 

『一つだけ、羨ましい。強い人間だと、私が思うものがある』

『それは……どんな?』

『……そうだな、例えるなら―――それは『信』に尽くす者だ』

『『信』に尽くす……?』

『『信』とは、この世で最も移ろいやすいものだ。例え、一生の友情を誓った親友同士でも、何かの拍子に壊れてしまうような……信頼がこの世で最も信じられないものだ。だが……しかし、だ。もし、そんなものにも尽くすことが出来るような人間がいるなら……恐らく、それが一番強いんだろう。『信』に尽くせるような……そんな人間に、俺はなりたかったのかもしれない』

 

 

(彼が『信』に尽くす者、か)

 

 その漆黒の意思を見て、ゼーロスは素直にそう思った。そして、それを思った時、ゼーロスはふっと自嘲染みた笑みを浮かべて。

 

「!」

 

 とても穏やかな気持ちで、爪弾の射程内に足を踏み入れた。

 それと同時に無言で撃ち放たれる爪弾。真っすぐゼーロスの心臓を撃ちぬくため、飛来してくる螺旋状の火線があっという間にゼーロスの元へと届き。

 

「訂正しよう」

「「「!?」」」

 

 次の瞬間、咲いた銀閃。その一瞬の出来事に、その場にいる全員が目を疑った。だが、その事実が変えられることはない。銀閃によって貫かれた螺旋の火線が真っ二つに斬られ、消滅したことを。

 その様子に、さっきまで表情を微塵も揺るがせなかったジョレンも驚愕に目を剥いていた。

 そんな皆に構うことなく、堂々と爪弾の射程内でゆるりと双剣を構えなおすゼーロスは、続けて言う。

 

「お前たちは罪人ではない」

「は……?」

 

 急に手のひら返しのようなことを言い始めるゼーロスにグレンは呆気にとられる。

 

「逆にわしが罪人だ」

「何を……」

 

 わけが分からない、グレンもルミアもそう言いたかった。ゼーロスの言葉とは裏腹に、殺意は変わらずに自分らに向けられていたから。

 

「なぜ貴様らが罪人ではないのか……それはもう何もできないからだ」

「…………」

 

 ただ一人、ジョレンだけがその言葉を聞いても、表情一つ変えない。ただ彼我の圧倒的な実力差に呻くこともできず、睨むのみだった。

 

「貴様らはもう何もできない。わしが全員ここで殺す。この場所に残る罪はただ一つ、無辜なる国民を切り刻んだという罪だけだ」

「違う、この場所に残る罪は……あんたを撃ち殺したという罪と国家反逆罪だ。そんな罪はない」

 

 そんなゼーロスの物言いにジョレンは言い返す。グレンは分かった、これは予告だ。両者ともに相手を殺すという純粋な予告。この二人の間に他の余計な感情は無い。ただ相手の命に向かっていくだけの殺意のみ。

 

「先生、ルミアを頼みますよ」

「は……?」

 

 そんな二人の雰囲気にすっかり呑まれてしまっていたグレンをジョレンの言葉が引き戻した。

 

「殺すつもりでやっても、十数秒時間稼ぎできれば万々歳でしょう」

「ジョレン、お前……」

 

 無論、殺すつもりであることは疑いようもない。だが、そう断じるジョレンの表情はただ力不足に歯噛みしていた。

 

「先生にしかできないんでしょう? 教授がそう言っていたんでしょう? じゃあ、俺にできるのは、邪魔が入らないようにするだけですから」

「……死ぬなよ」

「それは先生にかかってますから」

 

 そう言うが最後、ジョレンは腰に吊るしてあった鉄球を右手で取り、左手の爪を回転させ、ゼーロスに向け、回転させた鉄球を胸元に持ってくる。

 次の瞬間、二つの殺意がぶつかった。

 



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第二十六話 「『決着』する騒動」

「ジョレン=ジョースタァァアアア――――――ッ!」

「うぉぉおおおおおぉァァァ―――ッ!」

 

 ゼーロスが床に亀裂が入る程に深く、深く踏み込んだ瞬間、ジョレンが放つ左手の五発の爪弾。円盤状の回転を纏いながらゼーロスの身体に突っ込む爪弾をゼーロスの眼は捉えている。

 

「ふッ―――」

「ッ!?」

 

 ゆるりと動いた右手の細剣(レイピア)。それをジョレンが認識した一瞬に重なった五つの銀閃。爪弾は一発も届いていない。自身の五感を軽く超越した速度で放たれる剣にジョレンが覚えるのは戦慄のみだった。

 

(同時発射した爪弾を右手の剣だけで全部斬られたッ! ま、間合いに入られたら、一瞬で負ける―――)

 

 絶対に間合いには入れさせない、と右手の鉄球を投げるために一歩引いて振りかぶろうとした時。

 

「させぬッ!」

「は、速―――」

 

 踏み込みからの前進、ただの基本動作のはずなのに、それを目で追うことが一切出来ていない。たった一歩で十数メトラも進んでくる相手に思考が吹っ飛びながらも、反射的に右手の鉄球を直接叩きつけようと顔面に向かって振り下ろした。

 

「その程度かッ!」

「!? がふっ……!」

 

 ゼーロスは難なく振り下ろされた鉄球を左の細剣(レイピア)の柄で受け止め、強烈な蹴りをジョレンの腹に叩き込む。

 圧迫されて、口から空気と内部が傷ついて漏れた血を吐きながら、数メトラ飛ばされ、起き上がることができなくなってしまう。

 

「く、クソ……力が……ッ!? ぁぁぁぁ……!?」

「すまない、ジョレン=ジョースター。だが、これで終わりだ」

「い、嫌ッ!? レン君!?」

 

 既に身体に力が入らず、床に倒れ伏していたジョレンの左手にゼーロスは容赦なく細剣(レイピア)を突き刺し、床に貼り付けにしてしまう。ルミアの悲鳴が聞こえるが、意に介さず、もう片方の細剣(レイピア)をゆっくりと構え、ジョレンの心臓に狙いを定めた。

 

「ま、まだ……」

 

 だが、それでもジョレンの眼には未だに漆黒の炎が宿っている。右手に残った鉄球でどうにかしようと、まだ回転をかけ続けている。そんな少年の様子を見て、ゼーロスは物思う。

 

(あぁ……やはり、まだ自分は甘かった……)

 

 今、もうとどめを刺そうかという状況にまで追い詰めた少年は、まだ自分を殺そうともがいている。足掻いている。それもあるが、何より衝撃を受けたのは―――自分よりも先に攻撃をしてきたことだった。

 自分は王室の家系を守る王室親衛隊だ。だが今、結界の外から多数の学生や講師や教授、果ては様々な国民が見ている中で、自分は女王の勅命を待っていた。だが、少年は違う。罪人になると分かっていながら、何の躊躇もなく自分に攻撃してきた。足などを撃つとかではなく、急所を狙って。

 別に少年に倫理観が無いというわけではない。わざわざ射程を示して忠告したのはその表れだ。決して進んで撃ち殺したいわけではなく、自分が追い詰めたからこその防衛行動だっただけだ。ただ、それでも、真っすぐに命を奪おうとする姿勢は―――命を奪うという行為に対する恐怖や嫌悪がありながらも、守るために躊躇せず、それを選択した彼の『覚悟』は―――間違いなく自分より上だった。自分は彼に負けたのだ、既に。

 なんということだろうか。王室親衛隊として女王陛下を守り続け、反逆者を殺し続けてきたのは自分だというのに、ことここに来て、今まで殺人など犯したことなどないはずの学生よりも覚悟が劣っていたのだ。

 恥ずべきはこれだ。自分が本当に恥ずべきは一度陛下に逆らっておきながら、さっきは陛下が命令を下すまで動けなかったことだ。状況的にそうせざるを得なかったとか、そんなことは問題ではなかったのだ。

 ただ事実としてあるのは、あの時自分は命を懸ける覚悟がなく、少年には命を懸ける覚悟があったということだけだ。少年が万が一、ここで自分を殺せたとしても、待っている未来は死刑以外にあり得ないのだから。自分だってそうなるはずだったのだ。だというのに、さっきは歯噛みするだけで何もできなかった。死とその後に後世に残る不名誉に怯え、足がすくんでいた様は本当に無様としか言いようがなかった。

 そして、それが―――

 

(そうだ、それがジョレン=ジョースター。『信』に尽くす者の強さなのだ……移ろいやすいものに、尽くすのが難しいものに尽くす彼は、その分、誰よりも強固な覚悟を持っている……死ぬことも、不名誉を被ることも障害にはなり得ない……グリムが羨ましがるはずだ……こんな強さを持つことが出来たなら、どれだけ良かったことだろう……)

 

 だが、それはないものねだりでしかない。ならば、せめて。目の前の少年に感化されたものではあるけれど。自分が本来あるべき未来の中で、自分の覚悟を見せよう。ここに集った三人の無実の国民を殺し、死刑を受ける未来を―――

 

「とどめだ、ジョレン=ジョースターッ!」

「レン君――――――ッ!?」

「クッ!?」

 

 構えた細剣(レイピア)を叫びと同時に振り下ろす。ルミアの叫びに呼応してか、ジョレンの右手も動くが、明らかに間に合わない。そして、そのまま剣先がジョレンの心臓を突く―――その時だった。

 

「陛下。その首のネックレス……綺麗ですね? 似合ってますよ?」

「「「!?」」」

 

 その時、グレンが発した意味不明の言葉に、ゼーロスもルミアもジョレンも硬直して、茫然とグレンの方に振り向く。セリカはニヤリと笑い、アリシアはぱっと微笑んでおり―――明らかにこの二人の反応はおかしかった。

 アリシアは確かに大きな翠緑の宝石のネックレスを着けている。だが、それに何かおかしな点は見当たらない。

 ジョレンが見ると、グレンは脂汗をびっしりかいてしまっている。ジョレンが戦っている間、必死に考え抜いて出た発言がそれのようだった。そして、その言葉に一番先に反応したのは―――

 

「魔術講師――――――ッ!」

「あんただよな、ゼーロス……今のあんた、何が起きてもすぐに対処するって意思に溢れてやがるからな……! でも、それが俺の推測を確信に変えてるんだぜ……?」

 

 即座にジョレンを拘束していた細剣(レイピア)を引き抜いて、今度はグレンの方へと突進していく。例え、拳闘が得意なグレンと言えども、ゼーロス相手では実力に天と地の差がある。だが、ゼーロスの行動が与えてくれたある確信が、グレンにさっきまでは無かった心の余裕を与えてくれていた。不敵な笑みを浮かべるグレンにゼーロスは肉薄し、首を跳ね飛ばそうと、右の細剣(レイピア)を構えなおす。

 

「『(タスク)!』」

「その術は効かんッ! 既に完全に見切ったッ!」

 

グレンへ迫るゼーロスに向かって、ジョレンは背後から五発の爪弾を放つ。しかし、背後も見ずに難なく交わされてしまう。

 

「ッチ、だ、だが―――」

「そして、鉄球を使うか? ジョレン=ジョースター」

「ッ!?」

 

 次の一手を見透かされたジョレンは、鉄球を振りかぶった状態で硬直してしまう。そして、そんなジョレンをゼーロスは一瞥する。その眼は一点の油断もない。不意を突くなど出来そうもない。

 

「無駄だ、その回転の生み出す力……わしが知っていないと思うか? 直接喰らわせてくるか? 波紋だけを飛ばしてくるか? どちらにしても、それよりわしの剣が早い」

「く……」

「まずは魔術講師を殺すッ! 喰らえッ!」

「ッチ、来るか!?」

 

 悔しそうに歯噛みするジョレンから視線を移し、構えた右の細剣(レイピア)を振り下ろす。グレンは咄嗟に魔術に使う左手を動かし、同時に右手をポケットの方に移動させようとして―――

 

 

 ―――その瞬間、結界の中全てが爆ぜた。

 

「「「!?」」」

 

 音が消えている。この場にいる全員の耳から音が奪われていた。何が起こったか? そんなこと分かるはずもない。誰も呪文など唱えていないし、呪文の代わりに指鳴らしで呪文を行使できるセリカも、ぴくりとも動いていない。むしろ、セリカも何が起こったか分かっていないようだった。

 そんな中、ゼーロスは再び背後のジョレンに視線を移した。ほとんど直観に等しい、ほんの少し湧いて出た考え。だがゼーロスにとっては確信に近いものだった。

 ジョレンは静止している。ぴたりと『両手を重ね合わせた』格好で止まっていた。そんな中、ジョレンの左腕にだけ、今もなお動いている物体があった。

 

「波紋は……『振動』だ」

 

 鉄球が回転してジョレンの左腕に食い込むように入っている。その回転エネルギーから出る波紋の形が身体を伝わって、ジョレンの両手にまで形として表れている。

 次第に耳に戻ってくる聴覚。間違いない。大音量の音を一気に叩きつけられたことで一時的に聴覚が麻痺していたのだ。だが、そんな音をどこから―――ゼーロスにはそんな考えも浮かんでこない。

 

「そして、音も『振動』だ。同じ波長の音は……合わさってより大きな音になる」

「ジョレン=ジョースター……まさか……」

「物体には固有の振動数がある。何かを叩く時に出る音ってのは物体によって決まっていて、それと同じ波長の音を受け続けると、振動が大きくなりすぎて耐えられなくなり破壊されることがあるらしい……同じ波長なら合わさるんだ……波紋の『振動』と手を叩いた時に出る音の『振動』の波長を合わせた……! ギリギリだったが、即興でも馬鹿でかい音になったぜ……!」

「は、波紋にそんな使い方が……!?」

「おい、余所見してていいのか……?」

「し、しまっ―――」

 

 ジョレンの言葉にゼーロスが、さっきまで狙っていた相手の方に視線を向けると、もう手遅れだった。

 

「ぉおおおおおおおおおおおお―――ッ!」

 

 現象の元を直観で感じていて、それを確認したからこその一瞬の隙。

 その隙に差し込むように動いたグレンの鞭のような上段回し蹴りが、容赦なくゼーロスの側頭部に叩き込まれた。

 

「―――っがぁあああああああああああ―――ッ!?」

 

 その威力でゼーロスが猛烈に蹴り倒され、地面を激しく転がっていく。

 

「へっ……助かったぜ、ジョレン」

「ま、間に合ってよかったですよ……本当に……」

 

 まだ、ゼーロスに蹴り飛ばされた痛みが取れず、崩れ落ちた体勢で力が抜けたジョレンを見て、グレンは法医呪文(ヒーラー・スペル)をかけようと近づこうとするが、すぐに自分が先にやることを思い出し、右手をポケットに突っ込んで、一枚のカードを取り出した。

 

「さて、これで大丈夫ですよ、陛下」

 

 そうアリシアに言葉をかけるグレンを、県を杖代わりに立ち上がろうとしているゼーロスが鬼をも射殺さんばかりに睨みつける。

 

「き、貴様……一体何を……!?」

「私は大丈夫ですよ、ゼーロス」

「へ、陛下……!?」

 

 アリシアはそんなゼーロスに優しく微笑みかけながら―――翠緑のネックレスを取り外して、投げ捨てた。それを見たゼーロスの表情が絶望に染まりかけるが、何も起きないことを認識すると、ゆっくりと落ち着きを取り戻して。

 

「どういうことだ……? 魔術講師、貴様がやったのか……?」

「あぁ、そうやって言うってことはやっぱり条件起動式の呪い(カース)だったか……ま、そんなところだな」

 

 グレンはゼーロスに自分が取り出した『愚者』のアルカナを見せて、言葉を続ける。

 

「おそらくは『勝手に外したら装着者を殺す』、『装着から一定時間経過で装着者を殺す』、『呪い(カース)に関する情報を新たな第三者に開示したら装着者を殺す』―――そんな条件で起動する、散々使い古された、信頼と伝統の三点式の呪殺具……解呪条件は『ルミアの殺害』……だが、俺の固有魔術(オリジナル)【愚者の世界】はアルカナに変換してある術式を読み取ることで一定効果領域内における魔術を完全封殺できる。呪い(カース)も結局は魔術だからな。【愚者の世界】の効果領域内じゃ条件満たしても起動できないってわけだ」

「……そんなことが……い、いや、『愚者』……? う、噂に聞いたことがあるぞ。宮廷魔導士団の……まさか、貴公があの……」

「さぁな? なんのことだかさっぱりだ」

 

 ぷいっとグレンはゼーロスに背を向け、佇んでいるセリカとアリシアの方に向き直る。

 

「こんなんが付いてたってことは、これはルミアを狙う何者かが、陛下の命を人質に仕組んだ事件……セリカも陛下の命を盾に手助けするな、と釘を刺されていたってことだ。でも、陛下? 嘘は程々にしてくださいよ。いくら俺に情報を伝えるためでも」

「え……? 嘘……?」

 

 そんなグレンの言葉に、ルミアがはっとしてアリシアを見る。

 アリシアはルミアの視線を受け、まるで悪いことを見つけられて叱られた子供のようにあいまいに微笑み返した。

 

「下手なこと言うと呪い(カース)が発動するからな……あと、事情を知っている俺には、あり得ないって分かる嘘を、しかも他の者には聞こえないはずの音声遮断結界内で言うことで、何かしら真実を喋ること自体がまずいって伝えたかったのさ」

「そんな……お、お母さん……」

「本当にごめんなさい……エルミアナ……」

 

 ルミアの頬に一筋の涙が流れる。それを見たアリシアは自分を責めるような、また娘が助かって嬉しいような、なんとも曖昧な表情をしていた。

 そんな不器用な親子を、ジョレンは床に倒れながらも、静かにその光景を眺めていた。

 すると、その視界に薄っすらと影が差し込まれ、ゆっくりとその影の元へと視線を動かした。

 

「ゼーロスさん……?」

「……わしも、君に謝らなければならない」

 

 静かにそう言ったゼーロスはまだ立つのは厳しいはずなのに、ゆっくりと頭を下げてきて。

 

「今回の件は、全てわしの独断で行ったこと……君の友人の命を狙い、君の恩師の命を狙い、そして君をも殺そうとした……到底許されるべき行為ではない……だが、本当に申し訳ないと思っている」

「ゼーロスさん……」

 

 その言葉を聞いたジョレンはゆっくりと首を横に振った。

 

「それは……ゼーロスさんが女王陛下を守ろうとしたからでしょう?」

「……だが」

「いいんですよ……結局、俺も同じです。ルミアを守るために貴方を殺そうとしました。それが事実です……だから、このことはお互い無かったことにしましょう。お互い生きてるんだから、何もなかったんですよ、きっと」

「……君は」

 

 そんな言葉にあっけを取られたような顔をしていたゼーロスが不意に微かにだが微笑んで―――ジョレンに手を差し出して。

 

「君はやはり強い少年だ」

「買いかぶり過ぎ、だと思いますよ」

「君が王女の友人で本当に良かったと思っている」

「それも買いかぶり過ぎじゃ……」

「買いかぶらせてくれ。わしは本当にそう思っているのだから」

「……分かりました」

 

 どうにも否定出来そうにないと感じ、ジョレンは諦めたようにつられて微笑んで、ゼーロスの手を取り、ゆっくりと立ち上がった。まだあちこち痛むが、いつの間にか、立ってられないほどではなくなっていた。

 ゼーロスはそれを確認すると、不意に真面目な表情になり、ジョレンに問いかけてきた。

 

「最後に一つ聞いてもいいか? ジョレン=ジョースター」

「なんですか?」

「君はロートゥ=ツェペリとどんな関係なんだ?」

「……別に知り合いだとかそういうわけじゃないですよ」

 

 ジョレンは力強く鉄球を握りしめ、毅然と言った。ゼーロスはただそれを静かに聞いている。

 

「ただ、宮廷魔導士団だったあの人に助けられて、一方的に憧れて……この回転も、あの人が使っていたのを何年もかけて真似しただけで……処刑に使うものだったなんて、実は初耳でした……ただ確かに、って納得は出来ましたけど」

「そうか……それで……」

 

 ジョレンの言葉に、ゼーロスは納得したように、一つ頷いて。

 

「……その回転の技術を誇りに思いなさい」

「? ゼーロスさん?」

 

 正直、この時ジョレンは怒られると思っていた。やはり友人の一族の技術を勝手に使っているのだから。

 だから、ゼーロスの言葉は予想外で虚を突かれてしまい、間抜けな顔をしてしまった。

 

「もし、君の回転を見て、ロートゥ=ツェペリがどう思うのかは分からない。だが、それでも、その回転を使えることを誇りに思うといい。そうすれば、きっと分かってくれる。わしはそう思う」

「そう……でしょうか」

 

 ジョレンにとって、勝手に使っていることをいつか受け入れてもらえるかは、再現をしようと思った時からの悩みだった。それを突き付けられたジョレンは俯いて、暗い表情になってしまう。だが、ゼーロスは確信したような顔で、言葉を続ける。

 

「わしは最初に君が変身しているのを見たとき、強い怒りを覚えた」

「そ、そうですよね……滅茶苦茶怒ってましたもんね……」

「だが、今では君がその回転を使っていることに『納得』している」

「え……?」

「もし不安に思っているなら……今、使えていることに誇りをもって研鑽し続けるといい。そうすればいつか、ロートゥ=ツェペリも『納得』してくれるだろう。君のような意思を持っている人間に使ってもらえることを」

「そう、上手くいくでしょうか……?」

「上手くいくまで、わしは応援しよう」

「っ……」

 

 そう言われて、ジョレンははっとして、ゼーロスの眼を覗き込んだ。

 それは、どこまでも澄んだ眼をしていた。そこにあるのは、感謝と一つの尊敬の念がそこにあった。その感情がすっとジョレンの底に染み込むように入ってきて、ジョレンはそれを受け入れていた。

 ジョレンは思った。これも一つの積み重ねによって出来る重みなんだ、と。ゼーロスには、何も言わずとも、人に自分の本心を伝える何かがある。それは自分が初めてロートゥと会い、その言葉を聞いた時と同じ感覚だった。様々なものを見て、経験してきた人特有の雰囲気が、確かにゼーロスにもあった。

 

「ありがとうございます、ゼーロスさん」

 

 その感覚を認識した時、ジョレンは静かに微笑んで、感謝の言葉を綴っていた。

 ルミアとアリシアの二人が二人だけの時間を過ごす中、ジョレンとゼーロスもまた、ある意味分かり合った者同士でしか過ごせない時間を過ごしていた。



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第二十七話 「月夜の下で『二人』は語る」

 魔術競技祭で起きた事件。そして、そこから派生した騒ぎは大ごとなく収まることになった。

 ゼーロスの投降宣言で暴走していた王室親衛隊は沈静化し、アリシアが学院生徒たちの前で自分の身に降りかかった事件のことを演説した。

 帝国政府に敵対するテロ組織の罠にかかったが、勇敢な魔術講師と学院生徒の活躍によって事なきを得たこと。

 セリカが張った結界によって、内部の会話などは聞こえていなかったことも幸いし、国難にかかわる危険な部分はさりげなくぼかし、華々しい部分をあえて美化し強調する―――世界を相手取る一国の女王の巧みな話術が、場にいた全ての者達を見事に欺いた。

 一時、居合わせた者達を不安と動揺が支配するが、それもすぐに落ち着き、最後に一騒動あったものの、魔術競技祭はここに無事終了することになった。

 

 それから時間もそれほど経っていない夕暮れ時の中、朱に染まった街中をジョレンは自分の家に向けて歩いていた。

 事件の途中、巻き込まれたことでアルベルトの工作で保護されることになったリリィとミクリに終わったことを伝えるためだ。それと―――

 

(リリィに全部伝えなくちゃ……な)

 

 学院自爆テロ事件の時から、自分の身に降りかかっていた奇妙な出来事。

 リリィを巻き込むまいとして黙っていたことだったが、一回巻き込まれてしまった以上は、もう隠し通せるものではない。リリィは元々そういうものを感じ取りやすい感性をしているし、首を突っ込んででも知ろうとする気質がある。逆にそのまま放置する方が危険だろうし、教えないという不誠実な態度なまま、ジョレンは何食わぬ顔で過ごせそうになかった。

 そのためにグレンとルミアが事件の後処理に時間を取られる中、ジョレンだけ無理を言って抜けさせてもらったのだった。

 そうこう考えている間に、ジョレンは自分の家の前までたどり着いていた。古い木造の家で、街の外れに建っている格安家賃の家。扉などはもうガタガタで定期的に修繕しないと取れてしまいそうな程にボロい。

 だが、そんな扉が今は鋼鉄の扉よりも重く感じていた。

 

(だ、ダメだ、こんなことじゃ……)

 

 この話をした後、自分はますます狙われることになるだろう。組織のメンバーを一回退けたということはそういうことだ。それなのに、こんな弱気でこれからリリィを守っていけるわけがない。

 しっかりしなくては。それに、自分が抜ける時に口添えしてくれたのは、あのゼーロスだった。あの人は本当に自分に期待してくれているのだった。

 それを裏切るわけにはいかないだろう。ジョレンはそう意を決して扉を開いた。

 

「り、リリィ? ミクリ? 終わったぞ、もう終わった……帰ってきたぞ」

 

 しかし、返事はなかった。

 一歩家の中に入って見渡しても、そこには人影すらなかった。夕暮れによって窓から奇妙に伸びた光が部屋の中を照らしているが、その陽の光に二人の姿が映ることはなかった。

 だが、普段の家の様子とは一つだけ違う物が代わりに映っていた。

 

「なんだ……? なんで、あんなところに()()が……?」

 

 一回も置いたことも触ったことのない木箱が見せびらかすようにドンと置かれていた。まるで人が一人丸々入れるような大きさの木箱が。

 既に今日だけで何回も襲撃されているジョレンは、すぐさま鉄球を右手でかっさらうように構えて、木箱のみならず周囲にも注意を向ける。

 次の瞬間、木箱がほんの少しだけ、ガタッと音を立てたのを、ジョレンは聞き逃さなかった。

 

「ッ!? おい……ふざけんな……この木箱……」

 

 間違いない、誰かが入っている。しかも、確実に隠れるつもりでこの中に入っている。そしてリリィもミクリもいない状況、これは確実に―――

 

(て、敵だ……他に考えられない。敵が中に潜んでいるッ……)

 

 ジョレンは一歩飛び退き、左手の爪を回転させ始める。

 この場には魔術の痕は一欠片も無い。敵どころか魔術学院の生徒であるミクリも魔術を繰り出していないということは、敵の正体はスタンド使いとしか考えられない。自らは魔術を使わずにミクリが反撃する間もなく制圧した、とするなら―――

 

(あいつら……ルミアの次はリリィを人質に俺を……!? 俺の中の遺体を取ろうってことか……!)

 

 そう考え着くと、どうしようもなく鉄球を握る右手に力が入る。怒りが腹の底から沸き上がり、力が入った葉が軋むかのような音を立てる。

 そして、木箱をガッと掴み、その上蓋に左手をかけ、右手の鉄球を回転させ、いつでも木箱の中で力を炸裂させられるように構えている。

 

(本当に相手がスタンド使いなら、この木箱を開けた瞬間、何が起きるのか分からない……スタンド能力の不可解さはもう、あの拳銃だけで嫌という程、身に染みた……)

 

 スタンド能力相手では、後手に回った時点で既に相手の術中でもなんらおかしくない。相手の得意な間合いに入れられているのか、それ以外のことなのかは分からないが、相当にやばい状況だろう。それは分かっている。だが―――

 

(クソ……リリィ、ミクリ、待ってろ―――)

 

 今回お世話になった学友と唯一の肉親が人質になったジョレンの頭の中から立ち止まるという選択肢は吹っ飛んでいた。何か仕掛けてくる前に、この鉄球を叩き込む。いつもよりも切羽詰まった状況から来る単純かつ明瞭な考えに基づいて、木箱の箱をバッと開いて、振りかぶるジョレンの眼に入ってきたのは―――

 

「あ、あれ……?」

「え、えっと、お兄ちゃん……バア……」

「……どういうことだ?」

 

 そう呟いたジョレンの表情は割と笑ってなくて、リリィは少し引きつったような笑顔でそんな訳の分からないことを言っており―――

 

「どうしたんですか、リリィさん。驚かすんじゃなかったんですか」

「あっ!? ミクリさん、まだ言っちゃダメですって!」

 

 そんなこんなでリリィが焦っていると、木箱が不意に分解され、一部分だけミクリの顔になっていた。明らかに『アース・ウインド・アンド・ファイヤー』の能力だった。

 

「……どういうことか教えてもらおうか? リリィ」

「ははは……」

 

 今日その時、リリィはジョレンの怒りを買うことになった。

 

***

 

 すっかり夜も更けて、家のランプをつけ、小さな部屋を優しい光が照らしている。

 しかし、その光の下でたんこぶを作った少女がしょげている姿は全く優しい光景ではなかった。

 

「はぁ、アルベルトさんが先に事態が終わったことを教えてくれたわけね……」

 

 思えば、アルベルトがかけたはずの魔術的な工作が既に無くなっている時点で気づくべきだった。そこは自分の落ち度とはいえ、この状況で心配させるようなことは本当に控えて欲しいと思う。

 

「ていうか、凄い仲いいな、お前ら……」

 

 嘆息しながら、部屋の隅っこでぼーっと突っ立っているミクリの方に目線をやって言う。ミクリも悪戯に協力していたはずだが、罪悪感のありそうな顔はほとんどしていない。思えば、なんで巻き込まれた時に一緒にいたのかも謎だった。鉢合わせるのはあるかもしれないが、そんなすぐに意気投合することなんて―――

 

「だって兄さん!? ミクリさんって宇宙人なんですよ、知ってました!?」

「あー……うん、知ってる」

「宇宙人と会えたなんて私、感激してしまって……色々、面白い話も聞けましたし!」

「俺も今、何かを理解したよ……」

 

 ジョレンはリリィが推理小説から来るミステリーやSFの類が大好物であることを思い出し、奇妙なほどあっさりと納得した。普通にリリィは人懐っこい性格をしているし、ミクリも相手の興味や好意を邪険にする性格はしていないから、短時間でもすぐに仲良くなるのは別におかしくはなかった。

 しかし、なんとも軽い空気で逆に話が切り出しづらいな……とジョレンが感じていると。

 

「兄さん……大事な話、あるんですよね?」

「…………」

「ごめんなさい、少しは雰囲気が軽い方が話しやすいと思ってしまって……」

「……ほんと、お前には敵わないよ」

 

 ふっと表情を緩め、リリィの頭を優しく撫でる。リリィはほんの少し、こそばゆそうに身じろぎしていたが、すぐに力を抜いて、ジョレンの手に頭を預けるように摺り寄せてくる。

 そんな兄弟の様子を見て、ほんの少しだけ無表情から微笑んだミクリは静かに外に出る扉に手をかけた。

 そして扉を開け、外に出ようかというところのミクリの背にジョレンは振り返らずに言葉をかけた。

 

「今日は本当にありがとう、ミクリ」

「いえ。お二人に何もなくて本当に良かった。それではまた……学院で」

 

 そう、静かに言うミクリの声音には確かな安堵と喜びがあった。助けられてよかったという安堵と喜びが。

 それを感じ取ったジョレンはミクリのその表情を見てもいないが、同じように微笑んで―――自分の身に何が起こったか、つらつらと語って聞かせた。

 リリィは最後まで、失望することも怒ることもせず―――ただただ静かに、穏やかにその言葉を聞いていた。

 

***

 

 ジョレンの話は10分もしない間に終わった。

 その間の時間は、決して常識的ではなく、平和的な話など何一つなかったが、それでもリリィは不満など言わず、ジョレンの身に起こったこと、これから起こるかもしれないことを全て聞いてくれた。

 話し終わった後に不安そうな顔はしていたが、それでも文句は言わなかった。それはきっと、ジョレンの覚悟を巻き込まれた時に既に見ていたからだろう。リリィにそれを妨げることは出来ないし、それをしたくもなかったのだ。

 そんな妹にジョレンは自然と小さく感謝の気持ちを述べていた。リリィはどうやらそれで満足したようで、無茶だけはしないで欲しい、とこれもまた小さく頼んでいて、ジョレンはそれに頷いていた。

 

 そして、話が終わった今、ジョレンは一人で夜の帳が降りた町の中を歩いていた。

 北地区学生街にある飲食店で、どうやら他の二組のクラスメイトたちは優勝後の打ち上げをしているようだった。

 本当なら、今日はもうずっとリリィと一緒にいるつもりだったが、打ち上げの話をうっかりしてしまった結果、行かなくてはダメだと半ば追い出される形で行くことになったのだった。

 しかし、ジョレンは店の方で何か起きている気がしてならず、向かう間、思わず嘆息してしまっていた。

 

「ここか……なんか、立派な店だな……」

 

 貧乏人であるジョレンには一回も縁は無いだろうと思っていたような店を前にして、今更ながら緊張してくる。やることはどうせ学生の打ち上げで、グレンの計らいで自分は金を払う必要は無いとはいえ、どうにも遠慮したくなる気持ちが溢れてくる。適当に店の隅で引っ込んでよう、なんて思いつつ、店の扉を開けると―――

 

「何やってんだ……?」

「あ、ジョレン。もうすぐお開きになる予定なんだけどよ……先生が……」

 

 入ってすぐに、ジョレンは中の様子を見て、訝し気な表情になりながら、すぐ傍にいたカッシュに問いかけた。

 見れば、確かに二組の生徒たちが飲めや歌えの宴会を繰り広げてはいた。

 しかし、その端っこのテーブルでグレンが悲しそうに突っ伏しており、その横には何やら眠りこけているシスティーナが毛布にくるまっていた。そして、ルミアがそんなシスティーナの世話を焼いている。あとは、足元やテーブルの上で転がっているお酒の瓶らしきものが少々。それだけで、お金関係にはシビアなジョレンは全て察することができた。

 

「あの様子じゃ、特別賞与とか賭けの分も全部吹っ飛んだな……?」

「あぁ、そうみたいだ……」

 

 カッシュの肯定の言葉に、ジョレンは身の毛のよだつような寒気を覚えながら、ご冥福をお祈りするしかなかった。

 

「あ、レン君、いつ来たの?」

「ついさっきだよ、本当に」

 

 そんなことをしていると、ジョレンが入ってきたことに気づいたルミアがとことこと寄ってきた。

 その晴れやかな様子を見ているだけで、もう心配は要らないことが容易に分かった。

 

「ねぇ、レン君。ちょっと外でお話したいんだけど……いいかな?」

「ん……まぁ、やることもないから俺はいいけども」

「……ありがと」

 

 そう呟きながら外に出るルミアに続いて、ジョレンも再び外に出た。

 外の風はやはり、寒々としていて、すぐにでも建物の中に入りたいと思わせてくるが、どうにもジョレンはこの空気を嫌いになれない。温もりはないはずだが、どこか落ち着く空気だった。

 見れば、ルミアが空を見上げており、ジョレンもそれにつられて空を仰いだ。そこには、雲一つない夜空に大きな満月が浮かんでいて、今、外にいるたった二人の少年少女を穏やかな光で照らしていた。

 

「妹さんとは、お話できた?」

「あぁ、話をしようってなったら、驚くぐらい楽にできた。やっぱりリリィには敵わないなって思ったよ……そっちこそ、話せたのか?」

「うん。あの後、お母さんと色々話せたよ……不満に思っていたこと、ずっと言いたかったこと、全部……そしたら、なんだかすっきりしちゃって……なんで私は意地なんて張ってたんだろうって」

「……まぁ、でも、どうにもならなくなる前に話せれてよかったな」

「うん……今日のことは先生と……レン君のおかげ」

「俺は別に……」

「なにもしてない、なんて言わせないよ」

「っ……」

 

 言おうと思っていたことを先読みされ、戸惑うジョレンにルミアは感謝と怒りを織り交ぜた表情で言葉を続ける。

 

「最初に話しかけてくれた時も……王室親衛隊の人から逃げていた時も……スタンド使いの人と戦っていた時も……ゼーロスさんと戦っていた時も……全部、全部、レン君は私のためにやってくれていた……私の……お母さんとの約束を……守ってくれた。だから、ありがとうって言わせて欲しいの。確かにグレン先生が来なかったら、上手くはいかなかったのかもしれないけど、レン君がいなくてもダメだったんだから」

「……本当か?」

「うん……今、こうやって私がいれるのは……間違いなくレン君のおかげだから……」

「でも、俺は最初から最後まで、相手の人を殺しかねなかった……そんな方法しか取れなかった……もし、そうだとしても、俺に感謝の言葉なんて―――」

「それでも、レン君は優しい人……私はそう思っている。レン君が何も悩んでいないわけじゃないって、もう私は分かってる。それでも、自分が守りたいもののために命を懸けれる……そんな優しくて強い人なんだよ……レン君は……」

「そう、なのか……そうだといいな……」

「そうだよ……そうなんだよ……」

 

 ジョレンの小さく消え入りそうな言葉に、ルミアは何度も何度も肯定の言葉を重ねてくる。

 どうにも何か今一つ自信が持てないジョレンの心にルミアの言葉が染み入ってくるようだった。それと同時に、ルミアが今ここにいることが、自分が守れたことの裏付けであるように思えて。そう思うと、自然と自分の中の暗い部分が光に照らされたみたいに小さくなっていって。何やら残っていた不安に思う気持ちは、今だけは無くなっていた。

 そして、しばらく両方とも何も言わない静かな時が流れ―――

 

「今、ここにいてくれて、ありがとう」

「最後まで、約束を守ってくれて、ありがとう」

 

 最後の言葉が偶然重なった時、二人ともハッとして、無意識に顔を赤くさせていた。

 そんな二人を月光はただ照らす。優しく穏やかに照らしている―――

 

***

 

 フェジテの街中の一つの建物の屋根に男が一人、横たわっていた。

 黒一色の服に、黒い髪色、瞳をしている青年だ。その右頬は抉り飛ばされ、今にも肉が千切れ、口の一部になろうとしているようだった。

 苦しそうに呻くと同時に、内臓を傷つけているのか、血をとめどなく吐き出している。スタンド『皇帝(エンペラー)』の本体、スタンド使いの組織のメンバー、チェックだ。彼は下にいる人から奇異の視線で見られながら、それを意に介さず、ただじっと横たわっていた。

 しばらくすると、屋根に奇妙な膨らみが出来始めた。それは屋根と同化しているような感じだったが、ゆっくりとゆっくりと膨らみ続けて、別の物質へと分離しているような、そんな奇妙な現象だった。

 

「……来たか」

 

 ゆっくりとその膨らみに視線を移して、それを確認すると、膨らみは不意に屋根と完全に分離し、一枚の布へと変わった。そして、今度は布がめくられ、その下から一人の男が、またこれも屋根から分離するようにして現れた。

 ウェーブがかった金髪。紺色のジャケットに身を包んだ大柄な美丈夫だ。彼もゆっくりと屋根と分離し、布の下から這い出てくると、チェックの方に心配そうな表情で駆け寄ってくる。

 

「大丈夫だったか、チェック? やはり、先に法医呪文(ヒーラー・スペル)で治療しておいた方が良かったんじゃあないか?」

「そんな、甘ったれたことが言えるわけがない……失敗したのに……ジョレン=ジョースターはどうだった……?」

「切り抜けたな……天の知恵研究会の策略も崩壊した。ジョースターは無事だった」

「そうか……もし殺されていれば遺体だけ掠め取れたかもしれなかったが……そう上手くはいかないか」

 

 その報告を聞いたチェックはようやく身体の力を抜いたように目を閉じた。その様子を見て、すかさずジャケットの男が法医呪文(ヒーラー・スペル)をかける。流石に頬の肉までは再生しないが、少しばかり楽になったのが雰囲気で感じられる。

 ジャケットの男は治療しながら俯いて、チェックに話しかける。

 

「すまない、チェック。お前は魔術師じゃないのに、私の我儘でいつも最前線に立たせてしまっている」

「ふん……魔術師じゃないからなんだっていうんだ。俺にはスタンドがある……」

「だが……」

「それ以上は言うな」

「…………」

 

 チェックの拒否にジャケットの男は反論することができない。俯き続ける男に、今度はチェックが声をかける。

 

「それに俺らの一派にとって最重要なのはお前のスタンド能力だ。安易にお前を最前線に立たせるわけにはいかないと、話し合って決めただろう。例えお前がどれだけ高位の魔術師で、規格外のスタンド能力を持っていようとな」

「……そう、だな……話し合って決めた……」

 

 そう言われても、男が俯いて隠していた悲しげな表情は微塵も揺るがなかった。

 

「……帰るぞ、また次の策を考えなくては。それにまだ場所を特定できていない遺体の捜索も」

「あぁ……そうだな、チェック」

 

 チェックの言葉にジャケットの男は短く応答して、ふわりと布を舞わせた。空気の抵抗を受けながら、布が二人を覆い隠す寸前、チェックは不意に屋根の下の通路の景色を見下ろした。

 そこには、車椅子を押す少年の背が見えた。その姿は間違いなく、昼の時、チェックが殺そうとしたジョレン=ジョースターに違いなくて。

 しかし、その腰には鉄球は()()()()()()()()。だが、その姿を見たチェックは思い出していた。ジョレンと対峙した時の、彼の殺意、敵意。学生とは思えぬ、目的に一直線に向かうが故にある確かな黒い意思を。それを思うと、チェックはどうにも苛立たしさが消えなかった。

 

「次こそは……ジョレン=ジョースター……」

 

 決して、眼下の少年には悟られず、漲るほどの殺意を滲ませる青年は―――ふわりと布に覆われ、そして、屋根から消え去っていた。



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幕間1 「スタンド使いたちの新生活」
第二十八話 「引っ越しはロクでもなくて」


おはようございます、焼き餃子・改です。
第二十八話、幕間まで書けたのは、皆さんが少なからず応援してくれたおかげです。
一万UAとお気に入り50突破、あと三つの評価を頂けて嬉しかったです。今まで見てくれた方、このお話を始めて見る方、本当にありがとうございます。

幕間を始めるにあたって、これからオリキャラがどんどん増えていくことと思われます。そのため、オリキャラの設定を書き上げた、ネタバレ注意の設定集を投稿しようかと迷っています。
なので、皆様に設定集を投稿して欲しいかどうかをお聞きして決めたいと思いました。期間はこの幕間が終わるまでとして、票数が多い方を採用したいと思います。

幕間は追走日誌の内容も書く予定なので、割と長くなる予定です。
是非お愉しみ頂けると嬉しいです。


 ジョレン=ジョースターが目が覚ました時、最初に見たのは見知らぬ天井だった。

 続いてゆっくりと寝ぼけ(まなこ)で見渡せば、そこは自分の家ではなかった。ボロボロで嵐でも来たらすぐに破壊されそうだった壁は綺麗で上質なものへと変わっており、足元も見てみれば華やかな文様が描かれた絨毯が敷かれていたり、明らかにジョースター家の財政状況じゃ買えないはずの質の高い調度品が部屋のあちこちに据えられている。

 そもそも、今自分が寝ていたベッドも新品だからか、ふかふかでしかもちょっと必要以上にでかい。いつもすぐにほつれて自分で縫い直していたような壊れかけのものではなかった。

 そして、隣へ視線を移すと別のベッドに自分の妹、リリィ=ジョースターが同じように寝ていた。どうやら寝心地が良いらしく、遠目から見ても分かりそうなほどに笑顔で枕に顔をうずめていた。

 ジョレンが一通り辺りの状況を確認して、思考も次第にクリアになっていくと、ほうっと息を吐くと同時にぽつりと呟いた。

 

「そうだ……そういえばそうだった……」

 

 ジョレンはぼんやりと自分の家のものではない天井を見つめながら、昨日起こったことを思い出していた。

 

***

 

 時刻にすると夕方を過ぎて、辺りが暗くなってきた頃だっただろうか。

 ジョレンは学園から帰ってきて、昨日は短時間の荷運びのアルバイトをして日銭を稼いで買い物をしてから帰ってきていた。

 そして夕飯の支度をしようかとキッチンで食材を袋から取り出そうという時だった。

 突如、ドンドンと扉が叩かれる音がした。本を読みながらまったり夕食を待っていたリリィも扉の方に顔を向けており、本当に誰かが訪ねてきたみたいだった。

 

「こんな時間に一体誰が……」

 

 そう言いながら、ジョレンは腰につけてあるホルスターから一つの鉄球を自然に取り出して、左手に隠すように持って、扉に向かった。いまやジョレンは偶然手にした謎の遺体のせいで、それを求めるスタンド使いと呼ばれる者たちの組織に狙われている。今、扉をたたいたのがその組織の刺客である可能性は十分に考えられた。

 できるだけ慎重に、かつ不自然ではないようにすっと扉を開けると。

 

「深夜遅くにすまない。俺のことは覚えているか?」

「あ、貴方は確か……アルベルトさん、ですよね?」

 

 そこに立っていたのは、長身痩躯で帝国宮廷魔導士団の黒い礼服を身にまとう鋭い雰囲気を持つ男、アルベルトだった。

 アルベルトは家の中に入ることもなく、淡々と入り口前でジョレンと会話を始める。

 

「さて、さっそくだが聞いて欲しい。お前たち、ジョースター家には……この場所から引っ越してもらいたい」

「えっ!?」

 

 その言葉のあまりもの唐突さにジョレンは思わず拒否するような声で驚いてしまう。そんなジョレンに付け足すようにアルベルトは言葉を続ける。

 

「正確にはジョレン=ジョースター、用があるのはお前だけだ。それに引っ越し先も既に用意してある」

「えぇ……? 一体どういうことなんですか……」

 

 そう言いつつも、ジョレンはアルベルトが来たこと自体で事の重大さをなんとなく理解していた。この帝国宮廷魔導士団特務分室の人間が来るということは、やはり軍上層部からのなんらかの命令である可能性が高い。

 

「お前は正体不明の聖なる遺体という物を手にしたことにより、今まで政府側が認識していなかったテロ組織に追われることになった。それに関しては看過しがたい、が……今の最優先事項は天の知恵研究会への対策となっている。こちらも戦力は無限ではない。お前の方まで十分な戦力を回すことは出来ない、とされている。スタンド使いとやらの詳細も結局今のところ不明なままでもあるからな。それにお前の話によれば、スタンド使いでなければ、相手のスタンドを認知できない可能性もある」

「それは……はい」

「だが、それで放置しておくことも出来ない……それは天の知恵研究会側に狙われている件のルミア嬢……彼女がスタンド使いに襲われたからだ。スタンド使いにとってはルミア嬢の能力は狙うべきものではないのだろうが……お前を追い詰めるために彼女を狙うという手段として彼女を抑えることは十分にあり得るし、魔術競技祭の時に、それは実際に行われた」

「それで、できるだけ自分を護衛しやすいところに置こうってわけですか?」

「察しが良くて助かる。政府内部は実際には様々な思惑が入り乱れる魔窟だ。お前を利用しようと目論む政治家も大量にいる。そんな奴らに隙を見せないためにも、護衛に余計な手間を割くのはなるべく避けたい、というのが我々の本音だ。引っ越しの手続きはこちらで済ませてあるし、向こうの許可も取ってある。後はお前の返事だけだ」

「……俺は…………」

 

 アルベルトの言っていることは分かる。それが自分の安全にも繋がることが。だがどうしても躊躇ってしまう。

 別の場所に移った後、自分たちの生活はどうなるのか。もしかしてリリィとは別の場所で離ればなれになってしまうのではないだろうか。そもそもジョレンには住処を移すという行為に若干のトラウマがあった。自分たちがこの家に住み始めた切っ掛けは小さい頃に家を外道魔術師に襲われたからだ。どうにも引っ越しという行為はあの時の惨状を思い出してしまうのだった。

 自然と暗い気持ちになっていたジョレンに不意に後ろからリリィが車椅子に乗って近づいてきて、声をかけてくる。

 

「いいんじゃあないの、兄さん。引っ越し」

「リリィ……お前は」

「兄さんは急に別の場所に移るの怖いもんね。ねぇ?」

「……人前でそういうこと言うんじゃあない」

 

 てへっと舌をちろっと出しながらはにかむリリィにため息を吐きながら、気持ちが少し楽になったのを感じていた。自分が何を思っているのか、リリィには全て分かっているという確信が今、一人ではないという実感をくれる。

 

「リリィはどうなるんですか?」

「一緒に来てもらって構わない。そちらの許可も既にとってある」

「そう、ですか……なら……分かりました」

 

 リリィが一緒に来るというだけで安心感が違った。ジョレンはさっきまでの躊躇いが嘘のようにするりと許可を出すことができた。

 その時だった。

 

「あ、えっと、レン君」

「……? ルミア?」

 

 ひょっこりとアルベルトの後ろからルミアが現れ、間抜けな顔をしてしまうジョレン。

 ルミアの方はなんだか申し訳なさそうな、恥ずかしそうな、曖昧な表情をしており、その様子を見兼ねたアルベルトがまた淡々と説明してくれて。

 

「さっきお前自身が言っただろう。我々、軍が護衛しやすい場所へと引っ越す、と」

「は、はぁ……確かに言いましたけど……」

「今、我らはルミア=ティンジェルとジョレン=ジョースターの両名を護衛しなければならない状況にある。ルミア嬢の方が優先順位が高いとはいえ、ジョースターの護衛も放置は出来ない。この状況で一番護衛が楽な住居を考えるなら―――」

「ま、まさか……」

 

 そこまで言われれば、ジョレンも感づく。つまり、今から自分たちが引っ越す先というのは―――

 

「一か所にまとまって貰う方が……強固な防御結界が張られている方が護衛するのに適している。フィーベル邸……ルミア嬢が今住まう家がそれらの条件を最も満たせると判断された」

「それ本当にあちら側許可したんですか……? システィーナの両親って魔導省の高官で今、不在って聞きましたけど……」

「コンタクトを少し取らせてもらって事情の説明はした。レナード=フィーベル氏、及びにフィリアナ=フィーベル氏の許可は頂いた」

「ルミアもそれに許可したって……?」

「う、うん……レン君が危険に晒される事態はなるべく少なくしてあげたいし……」

「う……」

 

 そう言われるとどうにもこれ以上追及しずらい。しかし、引っ越し先がフィーベル邸と分かるとどうにも躊躇う気持ちが再燃してくる。主に女性比率的な意味で。

 

「システィーナは……」

「システィも渋ってたけど、許可はしてたよ……一応」

「そう……」

 

 こうなったら自分から許可を出した手前、もう引き返せなかった。突然現れたアルベルトが持ってきた、この何とも言えない微妙な空気のまま、引っ越しの作業をすることになり―――それが完了したのが夜遅くのことで、その時にはもうへとへとで泥のように眠ってしまっていた。リリィはルミアに連れられて、フィーベル邸の方でシスティーナとも一緒に夕食を食べていたようで、引っ越し作業をしていたジョレンにも夕食を持ってきてくれていたが、食べている余裕もなかった。

 

***

 

 そして朝、目を覚ましてこの状況に至る。やけに腹が減っていると思ったら、昨日食べていなかったのを引きずっていたからだった。

 空腹感に蝕まれて、溜息を吐きながら、窓のカーテンを開けると、まだ明るいとはとても言えないような時間だった。時計を確認すれば、時刻は5時を少し過ぎたあたりで、外もまだ全然静かな時間帯だった。おまけに今日は学院も休みの日であり、こんな日まで早起きをしなくてもいいのに……と、自分の生活スタイルに文句を言いそうになったその時―――

 

「……そういえば、今日って朝早くからバイトを入れていた気が―――」

 

 そこに思考が行った瞬間、ジョレンがとった行動は早かった。

 すぐに動きやすい私服に着替えて部屋を飛び出し、軽く腹に何か入れようと食堂の方に向かった。

 向かおうとしたのだが―――

 

「クソ、広い!? どこだ、食堂は!?」

 

 ジョレンは引っ越しの作業に来た時から、この屋敷の広さに息を巻いていたことを思い出した。システィーナの両親も合わせたら四人暮らしになるはずだが、それでもこんなに大きくなくてもいいだろ、と思えるほどの大きさで、案の定あった一階の空き部屋がジョレンとリリィの部屋になっていた。

 そんなに長時間迷うほどとてつもなく広いわけではないが、部屋の多さは世間一般から見てかなり多いと思えるぐらいにはあった。ジョレンの両親が健在だった時に住んでいた家と比べても、その大きさは一目瞭然だった。

 

「確かバイト時間は6時からだったから……やっぱもう出ないと間に合わないよな……? も、元の家だったらもう少し余裕あったはずなのに……」

 

 もう既に現れ始めている引っ越しの弊害に頭を抱えながら、どうにかこうにか食堂までたどり着いたジョレン。だが、その必死こいた眼が見たものは―――

 

「ねぇ……軽く腹に入れられるものがないッ……すぐに食べられるパンとかがないッ!」

 

 昨日の夜から既に食べていないジョレンは既に限界を迎えそうになって、思わず慟哭してしまう程だった。

 悲しみの涙が頬を濡らそうと流れそうになった時、ジョレンの頭にバチッと一つの言葉が浮かび上がってきた。

 

「そうだ! そういえば、昨日の夕食! リリィが持ってきてくれてたやつ!」

 

 どれだけ冷えていても関係ない。そんなことを気にしていられる貧乏人はいないし、時間に追われているなら猶更だ。急いで自分の部屋に戻って、置いてあるはずの昨日の夕食に手を付けようと―――

 

「……無いんだけど」

 

 ―――手を付けようとした夕食は存在しなかった。正確に言うと皿だけはその場に残っていて、その上に乗っているはずの料理だけ無くなっていた。そして、皿の下にはメッセージ付きの羊皮紙が一枚。

 

『食べないまま寝ちゃってたので、もう食べちゃいました。 リリィより』

「り、リリィ……ッ……お、お前ェッ……アァッ……!」

 

 怒りと焦燥で声にならない叫びを出しながらも、ジョレンは考えを巡らせる。

 既に5時30分を切ろうとしており、今から出ないと絶対に間に合わない。既に血を吐かないといけない状況にまで追い込まれてしまっていることに、ぶつけようもない燃え滾る感情を生み出しながら、ジョレンはゆっくりと立ち上がった。

 

「し、しょうがない……行くか……」

 

 この屋敷を走り回ったこと自体が自分の体力を消耗させる誰かの罠なんじゃないのか、なんて思いながら、フィーベル邸の扉を開いて、バイト先へどんよりとしながら走っていった。

 

***

 

「えっと、あの二人、一階の空き部屋に入ったのよね……一回の空き部屋のどこだろう……」

 

 時間は1時間半ほど経ち、ちょうど7時というところ。システィーナは静かに起床して、昨日密かに増えた、この家の住人二人を起こそうと、着替えて一階へ降りてきていた。

 正直、システィーナはジョースター家の二人の引っ越しに否定的だった。それは単純に男性の住人が一人増えることがちょっと嫌だっただけだったが、ルミアがどうしてもとお願いしてくるので、仕方なく許諾していた。

 あとは学院の自爆テロ事件の際に、ジョレンの事情を少なからず知っていたので、引っ越しの必要性をすんなりと受け入れられていたことが、許可が出ることに繋がっていた。

 だが、始まりはそんなものだったが、実はジョースター兄弟が来てから、密かにノリノリになっていたことはルミアも知らなかった。リリィ一緒に夕食を食べて、明るい子だなと思い、密かに妹が増えたように思えて喜んでいたのだった。

 そんな興奮も冷めやらぬまま寝つき、そして起きた時にも止まっておらず、ちょっとウキウキで起こしに来ていた。

 

「あ、あった。この部屋ね……ちょっと、二人とも起きてる? 入るわよー?」

「ぁ……はーい。起きてまーす。入ってきても大丈夫ですよ」

 

 声をかけながらノックをすると、中からリリィの声だけが聞こえてくる。まだ寝てるのか、と思いながらシスティーナが扉を開くと、そこにはベッドに横たわったままのリリィだけがシスティーナに微笑みながらゆらゆらと手を振っていた。

 

「あれ、ジョレンはどうしたの?」

「多分、兄さんはだいぶ前からバイトに向かったと思いますけど……」

「え? バイトに……? 休みの日も?」

「むしろ休みの日だからですね……そうしないと生活費稼げないですし……」

「そ、そうなのね……」

 

 システィーナはちょっとウキウキし過ぎて、うかつになっていた自分を呪った。そういった事情も知っていたはずなのに、そういうことを言わせてしまったことが、少し許せなかった。

 

「大丈夫ですよ。事実なんですから、悪意が無ければ全然」

「そ、そう……なんというか凄く優しいのね……」

 

 そう言って笑顔でいるリリィに裏表のようなものは感じられない。そうやって暗い話のはずのものを簡単に笑い飛ばしてくれるリリィを見て、システィーナはジョレンがリリィを大事にしている理由の一端を理解できた。

 

「ふふ、貴女みたいな妹だからジョレンも必死になるんでしょうね」

「そうでしょうか……兄さんは誰に対しても真剣だと思いますよ?」

 

 自然な形でジョレンの話題へとシフトし始めていたが、その時、システィーナはジョレンの方のベッドの隅に何か小さな瓶のようなものが落ちていることに気づいた。

 

「これ、何かしら?」

「? ……何かの薬でしょうか?」

 

 どうやらリリィも知らないらしく、システィーナはちょっと嫌な予感がして、瓶を注視する。中には何やら液体が入っていて、何かの薬のようにも見える。ラベルは貼っていなくて、中の匂いを嗅いでみると、何やら植物のような匂いがした。普段、グレンの授業で自然理学についてにも詳しくなってきていたシスティーナは―――

 

「これ……バイケイソウの液を絞ったものかしら……?」

「バイケイソウって……確か有毒のものですよね?」

「そうなんだけど……これ、何に使おうとしてたのかしら……」

 

 首をかしげて考え込むシスティーナ。バイケイソウは人体には結構強い毒として作用する。もしかして、これを誰かに使おうとしてるんじゃないか……なんて考えが続いて沸いて出てこようとしていて。

 そんな胸中を察したのか、そうじゃないのか。リリィがハッと思い出したようで、システィーナに教えてくる。

 

「そういえば、それ今日のバイトで使うって言ってたような気がします」

「え……あ、これもしかして殺虫剤の代わりってこと……?」

 

 バイケイソウの毒は魔術師じゃない人たちにとって、殺虫剤として使われる代物だ。そういえば、今は暖かくなってきて、虫の発生シーズンでもあることを思い出す。

 

「今、兄さん農業のバイトと荷運びのバイト兼業してますからね……じゃあ、今日の仕事……」

「殺虫剤無しで駆除作業とか忙しすぎて死ぬんじゃないの……?」

 

 システィーナとリリィの中に小さな不安がぽつりと出来る頃―――

 

***

 

(わ、忘れたッ!? 無いぞ、おいっ……今日使う殺虫剤―――)

 

 ジョレンは農家の人からいつも渡される軍手をはめてズボンのポケットに手を入れた時、重大な失敗をしたことに気が付いていた。気が付かざるを得なかった。

 最近、農家たちの間ではバッタの大量発生に関しての情報が入っていた。遠くの地では既に農作物が食い荒らされ、甚大な被害が出ていることが既に分かっている。その一部だけらしいが、既にこの近くまでやってきているということで、今日は駆除作業オンリーで休憩を挟みながらとはいえ、6時間ほどぶっ通しで働くことになっていた。

 そんな仕事を昨日の夜から食事を抜いていてコンディションも万全じゃないのに、装備も万全じゃない状態でするなんて、ほぼ自殺行為であることは流石に誰でもわかる。

 でも、ここに来てそんな超致命的なミスを犯してしまったことに関して、本気で引っ越しの件を呪い始めていた。

 

(や、やるしかない……もう回転の力を使ってもいいから、今日の業務を終えるしかっ……ない……)

 

 そんな間抜けかつ悲痛な覚悟を決めているジョレンだったが―――そんなことをしているが故に気づかなかった。

 彼に注がれている視線に―――



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