あの日の君につかれていた (柳野 守利)
しおりを挟む

1話目 過去の幽霊

 好きな人がいなくなってしまう。好きな人が誰かに取られてしまう。好きな人に、他の好きな人ができてしまう。

 

 こんな理由だったら、きっと俺も諦めがついたことだろう。君を想いながら過ごし、君を取った人を憎み、君の幸せを願ったことだろう。

 

 そんな単純で、明快な理由だったら……どれだけ俺は、救われるのだろうか。こうして毎日、消えてしまった君の思い出と面影を探したりなんて、しないのに。

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 気だるげな少年は、飽きることなくクラスの女の子を見つめていた。話しかけず、携帯をいじる振りをしてそれとなく視界の中に入れる。彼女───白鷺(しらさぎ) 佳奈(かな)はそれに気づく様子もない。教室の前の方で友人の女の子と話しながら、肩ほどある髪の毛を触ったりしていた。何か髪の毛に関する話でもしているのだろう。

 

 そんなことを考え始める自分に気づき、蒼桔(あおき)は呆れ果てた。どうあっても、前の彼女が帰ってくることはない。そんなこと知っているだろうに。

 

 日がな一日授業を聞き流し、記憶に残っている白鷺との思い出を振り返る。それが蒼桔 梗平(きょうへい)の日常になっていた。

 

(……また今日も、何も変わらなかった)

 

 日常とした風景が変わることがない。帰りのホームルームが終わって、生徒たちは慌ただしくなる。部活に行くために荷物をまとめて走り去っていく人。友人と話し込む人。誰かと待ち合わせをしている人。時間になれば、廊下は生徒でごった返してしまう。そんな中を帰っていこうとは思えず、蒼桔はいつものように白鷺のことを盗み見ていた。

 

 時間が経ち、白鷺の友人もひとり、またひとりと帰っていく。廊下が静かになった頃、教室の中に一人の男子生徒が入ってきた。ワイシャツの第一ボタンを開けて、髪の毛もワックスで整えている。帰宅部の男子生徒であり……白鷺の彼氏だった。彼は白鷺を見つけると片手を上げて爽やかな笑みを浮かべる。

 

「佳奈、帰ろうぜ」

 

「あっ、うん。じゃあまた明日ね!」

 

 友人の女の子たちも「また明日」と言い合い、白鷺は自慢の彼氏の手を握って教室から出ていく。その横顔は笑顔であり、それが他の人に向けられたものだと思うと、胸が苦しくなって仕方がない。

 

 もう誰もいない教室の入口付近をしばらく睨みつけたあと、蒼桔は力なく項垂れた。机に突っ伏して「イケメンのクソ野郎が」と小さく嘆く。離れた場所にいる女子生徒には聞こえなかったが、ちょうど後ろの扉から入ってきた男子生徒にはそれが聞こえていた。

 

 彼は困ったように表情を歪めると、突っ伏している蒼桔の体を揺らして、自分が来たことを知らせる。面倒くさそうに起き上がる彼の姿を見て、今度は苦笑いを浮かべた。

 

「お前のその恨み声も、何度聞いたことか」

 

「うっさい。ほっといてくれ」

 

「あのなぁ……俺だって結構気まずいんだよ。すれ違う時とか」

 

「お前はまだマシだ」

 

「だろうね。記憶喪失イケメン寝取られ物とか、どこの同人誌だよって話だし」

 

「マジでそんな展開なのが笑えねぇ。結局顔じゃねぇか」

 

 白鷺は記憶喪失だ。彼らが中学生の頃、彼女は事故にあってしまった。その時に頭を強く打ってしまったのか、彼女は幼馴染である蒼桔のことを、そして今彼と一緒にいる風見(かざみ) (りょう) のことを忘れてしまったのだ。

 

 それだけでなく……当時、白鷺と蒼桔は付き合っていた。同様に幼馴染である風見も普段から一緒にいて、三人揃って過ごすことは多く、その過程で白鷺の方から告白したのだ。

 

 今となっては、そんなことを欠片も彼女は覚えていないのだが。幼馴染の二人のことも。互いに好きでいたことも。神のイタズラだとでも言いたくなるくらい、ピンポイントで二人のことを忘れてしまっている。姿かたちこそ変わらないものの、当時の蒼桔にとっては昨日まで付き合っていた彼女との過去が全て消え去った挙句、向こうは何一つ覚えていないどころか友人ですらない。

 

 もちろん蒼桔は付き合ったままだと思っていたし、記憶が戻るようになんとか接触しようとしたが……その結果は酷いものだった。なんとか退院して教室にまで来れるようになった彼女に、蒼桔は必死に話しかけたが、彼女は困ったように首を傾げる。

 

『ごめんなさい。その……何も覚えていなくて。一応、友だちだったんだよね……?』

 

 そう言っていただけならば良かった。また明日も話しかけようと心に決めつつ、その場を去った後で……耳ざとく、彼女の声を教室の外で聞いてしまう。

 

『あまりタイプの人じゃないかな……』

 

 いや、おい、待てよ。なんだそれは。

 

 その場で叫び出さなかったのを、蒼桔は褒めてやりたいくらいだった。なんでそんなことを言うのか。仮にも好きでいてくれたんじゃないのか。

 

 だとしたら彼女は一体俺のどこを好きになったというんだ。一緒に過ごした時間によるものなのか。内面なのか。自分にも分からない魅力的な部分でもあったのか。

 

 仮にそれらであったとして……記憶が消えてしまった以上、彼女がそれを知る由もない。共に過ごした時間も全て消えてしまった。彼女にとって蒼桔は既に……その辺にいる男子生徒というカテゴリになってしまったのだ。母親は何度か説明したらしいが……本人にとっては赤の他人。それを認めようとはしなかったらしい。さすがに当時の蒼桔は泣いた。

 

「あぁもう、思い返すだけでイライラする」

 

「忘れちまった方が楽なんじゃない? ほら、向こうは忘れたままだし、思い出そうともしないわけで。ルックスだけで決める女だったってことだよ。梗平ならともかく、俺までハブられるとは思わなかったけど」

 

「やけに自信満々だな。前を見えなくしてやろうか」

 

「今のお前にしてやりたいよ。いい加減、現実を見た方がいい。あの子はもういない。俺たちの幼馴染だった佳奈はいないんだよ。フィクションよろしく、記憶が元に戻るなんて奇跡も起きない。向こうは思い出したくもないようだしね」

 

「やめろ俺の心を抉るな、頼むから」

 

 あれから二年が経つ。蒼桔も風見も、そして白鷺も自宅から近い進学校である坂上(さかがみ)高校に入学して、二年生になった。当時それほど頭の良くなかった蒼桔が、白鷺がこの高校を選んだと聞いて必死になって合格することができ、傷心していた幼馴染を放ってはおけないと風見も一緒になって勉強して合格した。

 

 結局高校生になってから白鷺との関わりはないが……いつまで経っても癒えない傷を持ち続ける蒼桔に、少なからず風見は辟易としていた。けれど、彼を一人にはできない。何かをしでかさないように、一緒にいてやるべきだと考えていた。昔からの縁でもあり、それはまったく苦ではないのが救いだ。

 

「ストレス発散でもしにカラオケ行く?」

 

「遠慮しとく。そんな気分じゃない」

 

「あらそう。なら、とっとと帰るぞ。いつまでもそこで不貞腐れてねーでさ」

 

 渋々といった様子で蒼桔は立ち上がり、大して荷物の入っていないリュックサックを背負い込む。リュックは重たくないのに、気分だけが重たいのはいつものことだった。

 

 廊下に出て、窓から外を見渡す。部活に励む生徒たちが必死になって自分を磨いていた。そんな未来もあっただろうに、いつまでも過去の女を引き摺っては不貞腐れ、何にも取り組む気になれない自分がいる。窓ガラスに映る自分の目元は覇気がなく、目には光が灯っていない。

 

 まるで、あの時過去の白鷺だけでなく自分まで死んでしまったように思えてしまう。いや事実、あの時から何一つ前進せず成長を辞めてしまっているのだから、それを生きているとは言えないのかもしれない。だとしたら紛れもなく、蒼桔 梗平という男は死んだままなのだ。

 

「……なぁ、綾」

 

「どした?」

 

「俺は……俺たち三人は、ちゃんと一緒に過ごしていたんだよな?」

 

 あの日々が夢だったのではないか。自分の妄想だったのではないか。そんなことはないとわかっているのに、不安で仕方がなかった。彼女はその一切を否定したのだから。

 

 相変わらず来る日も来る日も覇気のない友人の言葉に、風見は小さく頷いて彼の肩を叩く。

 

「当たり前だろ。忘れられるわけがない」

 

「……だよな。ちゃんと、俺たちは幼馴染だったよな」

 

「今はもう、俺とお前だけだ。佳奈のことは忘れろ。それが一番いい」

 

「……忘れられるわけ、ねぇだろ」

 

「まぁ……そうだよなぁ」

 

 やるせない無力感が二人を包み込む。当の本人だけは今もまだ彼氏と一緒に下校中というのが、非常に腹立たしいものだった。白鷺の彼氏は自分であるという気持ちもある。過去に囚われ続けているのは、残された二人だけだった。

 

 

 

~・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

「じゃあ、また明日な」

 

 そう言って風見は自分の家へと入っていく。蒼桔の自宅はその隣だ。白鷺の家もすぐ近くにあり、子供のころはこの三人の家のどれかで遊ぶのが基本だった。走り回り、ゲームをし、白鷺のおままごとに付き合い。そんな昔のことを、何度も思い出してしまう。

 

 今日みたいな日はダメだ。寝るまで考えてしまう。さっさと何かで気を紛らわそうと、蒼桔も家の中に入る。リビングで家事をしている母親に「ただいま」と告げて、二階の自室に向かった。

 

 部屋は比較的綺麗にしているが、伏せられた写真立てなんてものが目に入ってくる。見るだけで心が痛くなるが、それを捨ててしまおうだなんて思えなかった。中に入っているのは、中学の入学式の時に撮った三人の写真だ。笑い合っているのが、遠い昔の事のように思えてくる。

 

(……写真も何もかも、捨てた方がいいのかな)

 

 その踏ん切りはいつまで経ってもつくことはない。リュックを雑に置いて、カーペットの上で横になる。制服を脱ぐ気にもなれず、何もやる気になれない。こういう時は、寝るに限る。起きれば、こんな負の感情の悪循環は一旦止まるだろう。

 

(せめて、夢の中でだけでも……)

 

 あいつの彼氏でいられるのなら。それが無理なら、せめて自分のことを無視しない、昔の友だちのような関係に戻れたのなら。そんなことを願いながら、仰向けのまま目を閉じた。夕方を告げるカラスの鳴き声だけが、耳に届いてくる。

 

「梗平」

 

 不意に、誰かが名前を呼んでいる気がした。母親の声にしては若い。

 

「梗平、起きてよ」

 

 その声を聞いたことがある。いいや、よく知っている。教室で何度も耳にする声だ。

 

「もう、いつまで寝てるの?」

 

「……佳奈?」

 

 目を開ける。蒼桔の視界に入ってきたのは、横から顔を覗き込んでくる白鷺の顔だった。髪の毛が短めで、どこか幼さを感じる。それは紛れもなくあの時の、中学時代の白鷺 佳奈だった。

 

「やっと起きた。おはよう、梗平」

 

「……夢か? なんでお前、ここに……?」

 

 驚く蒼桔を見て、白鷺 佳奈は笑っていた。思わず飛び起きて、彼女の全体を眺める。中学時代の学生服を着た、当時の彼女の姿だ。

 

(……あぁ、間違いない。これは夢だ)

 

 彼女が目の前にいること自体おかしい。そう思って、自分の頬をつねる。けれど、変だ。痛覚がある。つまりこれは夢ではない。けれど目の前の彼女は現実味がなさすぎる。

 

 何が何だかわからず、頭がパンクしてしまいそうだった。そんな様子の彼を見て、彼女は笑っている。

 

「久しぶり、だね。元気にしてた?」

 

「いや……お前、なんで……記憶が戻った、のか?」

 

「そうじゃないよ。ほら、私の事触ってみて」

 

 触るって、どこに。そう言う前に、彼女は手のひらを向けるように差し出してくる。蒼桔も自分の手のひらを合わせ、握ろうとしたところで……彼女の手がすり抜けて自分の腕と重なってしまった。思わず腕を引いて、自分の手を見る。

 

「な、なんだ今の……」

 

 夢だ。これは間違いなく夢だ。そう思わずにはいられない。けれど、彼女は笑っていた顔を元に戻し、真面目な顔で言ってくる。

 

「夢じゃないよ。私はその……幽霊、みたいな?」

 

「幽霊、みたいなって……お前まさか死んだのか!? 帰り道で何かあったのか!?」

 

「違うよ。本物の私は生きてる。本物っていうと……なんか、変な感じはするけどね」

 

 訳が分からない。何度か彼女の体を触ろうとするが、どれも体をすり抜けてしまう。実態はそこにないのに、声だけはハッキリと聞こえてくる。これはまさかプロジェクターか何かで映し出された映像だろうか。でもそれなら何故会話ができる。何故こんなに簡単に表情を変えられる。本物なのか、偽物なのか。本当に……幽霊なのか。蒼桔には判断ができなかった。

 

「ねぇ梗平、頼みがあるんだけどね」

 

 未だに理解が追いついていない蒼桔に、彼女は座ったまま体を近づける。蒼桔の右手に、彼女の両手が重ねられた。確かにそこにあるような、不思議な感覚と共にひんやりとした冷たさが感じられる。

 

「私の記憶を、取り戻して欲しいの」

 

 目の前にいる中学生の白鷺の言葉に、思わず胸が高鳴ってしまった。これが夢であったとしても、この胸の鼓動だけは真実だ。彼女が記憶を取り戻したいと願ったことは……紛れもなく、彼自身も願っていたことなのだから。

 

 




一応幽霊でますから、タグにホラー入れておきますね。
また今回の作品も一人称と三人称の混合という形で書かせていただきます。

『日陰者が日向になるのは難しい』を読んでくれていた人へ。
異世界小説を書くとか言っていましたが……初めてプロットを徹頭徹尾書いて、ガチガチに固めたところ、キャラが全く動かなくてこれはダメだとなってしまいました。
本当に申し訳ない……。
私にはプロットなしで書く方が合ってるらしいです。
ちなみに、私の日陰者やクトゥルフを読んでる人は分かると思いますが……私がどんな作品を書くのかまぁだいたい分かりますよね。お気をつけて。

それでは、課題をこなしながらの不定期更新ですが、良かったら続きの方をご覧下さい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2話目 妄想

お久しぶりです。ようやくいろいろと終わって、公募にも出せて……小説を書く時間ができました。
けれど、どうにも間が開きすぎて、上手く書けなくて……場面転換するまでは前に書いてあって、そこから先は今日書きました。多分書き方とか違ってたりするかもしれません。
これから先も不定期になるかもしれませんが……よろしくお願いします。


 記憶を取り戻して欲しい、と彼女は言った。間違いなくそう聞こえた。いいや、これは夢だ、と何度も自分に言い聞かせる。起きた時に苦しむのは自分だ。期待するな。そんな奇怪なことがあってたまるものか。

 

 蒼桔はその言葉を信じたい気持ちもあったが、やはり目の前の光景がどうにも信じ難い。学生服を着た幼馴染の幽霊なんて、どうやったら現実だと信じられるというのか。けれども、部屋にかけられた時計の音や、窓から見える外の景色。伏せられたままの写真立て。それらは現実のものと相違ない。むしろ間違いを探す方が難しそうだ。

 

「記憶を取り戻して欲しいって……俺や綾との思い出とか、そういったものだよな」

 

 頼み込んでくる彼女を、そのまま放置するわけにもいかない。改めて向き直った蒼桔は、彼女の取り戻したい記憶について聞き返した。彼女は頷いて、もう一度言葉をなげかけてくる。

 

「君を好きだった頃の、あの記憶を取り戻して欲しい」

 

 射抜くような目で、彼女は訴えかける。不思議と、胸が軽くなったような感覚があった。心の中で何度も、あぁ……と言葉を漏らす。

 

 間違ってはいなかった。記憶は正しかった。彼女はちゃんと、自分のことを好きでいてくれたのだ。この二年間で何度も疑心暗鬼になり、友人や彼氏と遊ぶ彼女の姿を見ては心を痛めていたが……ようやく、確証を得られたのだと。

 

「……あぁ、もちろんだ。俺にできることなら、なんだってやる」

 

 本当に、なんだってやれるような気分だった。あの日以来、初めて気分が澄み渡っている気がしてならない。そして願うことなら、これが夢でありませんように。そう思いながら、また腕を抓る。やはり痛かった。その痛みが、どうしようもなく嬉しく思えてしまう。

 

「よかった。梗平なら、受けてくれるって思ってたよ」

 

 そう思っていたのはきっと事実なのだろう。それでもどこか心配な部分もあったのか、彼女の表情は柔らかなものとなる。優しく微笑む彼女を、それも自分に向けられたものを、久しぶりに見た。

 

 胸が痛い。嬉しさでどうにかなってしまいそうだ。この鼓動の速さも、何もかもが懐かしい。胸に沸きあがる衝動は、あの時から何も変わらなかった。

 

「正直、見てらんないよ。本物の私はどうしてあんな人と付き合ってるんだろうね。梗平がいてくれるのに」

 

「本物のっていうか……今のお前って、どういう状況なんだ? 本物の幽霊なのか?」

 

「なんて言えばいいんだろう……。あの事故の日、私は記憶を失ったでしょ? 私は多分、そこで分離しちゃったのかな。正直自分でもよく分からないけど……でも、私にはちゃんとあるよ。梗平との思い出が。もちろん綾くんのもね」

 

 彼女自身よくわかっていないらしい。ただ確かに事故に遭うまでの記憶は残っている。本物の記憶を持っているのは、私だと佳奈は言った。その言葉に蒼桔も頷く。今学校に通っている白鷺は、自分の知っている白鷺ではない。あの日を境に、彼女は大きく変わってしまった。自分が知っている彼女は、間違いなく目の前の方だ。

 

 彼女の現状を考えれば、あの事故で白鷺 佳奈を構成していた部分が死んでしまったのではないかとも思える。記憶を取り戻せないのは、分離してしまった彼女がここにいるから。ならばきっと、彼女が自分の中に戻ることができたのなら、記憶も戻るのではないか。

 

「記憶を持ってるお前が、自分の中に戻れたなら……記憶も戻るのか?」

 

「どうなんだろう……。記憶が戻るのと同時に消えるのか、それとも私自身が彼女の中に戻るべきなのか。どうしたらいいのかは、私にもわかんないや。初めてのことだし」

 

「そりゃ初めてじゃなかったら、それはそれで問題だな……」

 

「でもね……こんな状態だけど、不思議と怖くないんだよ」

 

 幽霊となってしまった彼女は、しかし怖くないのだと言う。気恥ずかしくなるほど、お互いの目線が交差する。彼女の目は逸らされることなく蒼桔の目を見つめ、そして柔らかな頬笑みを浮かべた。

 

「梗平とまた、会えたから」

 

「……あぁ」

 

 返す言葉は短かった。その短い言葉の中に、どれだけの想いが込められているのか、彼女自身もわかっていることだろう。二年間だ。彼女の記憶が失われてから、幾度の責苦を感じ、そして今ようやく自分が正しかったのだという確証を得るまで。とても長い時間のように思えた。事実、子供にとっての二年は取り返しのつかないものだ。

 

 これからやるべきことはただ一つ。目の前の彼女を、元に戻す。本物の白鷺 佳奈を取り戻す。例えどれだけ難しかろうとも、諦めたりなんてしたくはない。

 

「絶対に、記憶を取り戻してみせる」

 

「……うんっ」

 

 決意の言葉に、彼女は満面の笑みで返した。そして触れ合うこともできないだろうに、勢いよく飛びついて蒼桔のことをすり抜けていった。

 

 振り向いて恥ずかしそうに「触れないんだった……」と笑う。何をやっているんだ、と蒼桔も笑い返して……そして腕を広げて彼女を迎え入れた。触ることはできないが、すり抜けて重なった部分に、少しばかりの熱を感じられた気がする。

 

 きっといつか、本物の熱を与え合うことができるはずだ。それができるのはきっと……自分だけなのだと、蒼桔は感じていた。

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 幽霊である白鷺 佳奈は、蒼桔以外の人間には見えていない……らしい。少なくとも、夕食の時に両親は彼女のことが見えていなかったし、声も聞こえていないようだった。

 

 自分にしか見えない幽霊。それが以前付き合っていた女の子の幽霊だというのだから、嬉しいような、悲しいような。少なくとも今彼女を救うことができるのは、自分しかいないのだろう。

 

 夕食が終わったあと、また自室で携帯をいじる。幽霊の戻し方、なんて検索してみても……胡散臭いものばかりだ。当たり前といえば当たり前だが。蒼桔には霊感なんてものはないし、ましてオカルトに詳しい訳でもない。友人にその手の人間もいない。

 

 どうしたものか。悩んで眉間にシワが寄っていく蒼桔を見て、佳奈は周りをふよふよと浮かんでは笑わそうとする。久しぶりに見る明るい彼女の姿に、少しは気が楽になった。

 

「梗平、そんなに悩まなくてもいいんだよ? 早く戻りたい気持ちはあるけど……ほら、これはこれで、いろいろと楽しそうじゃない?」

 

「お前は珍しい体験してるからそう思えるんだろうけどなぁ……もしタイムリミットとかあったらどうするんだよ。いきなり目の前で成仏されたら敵わねぇぞ」

 

 そうなってしまったら、目も当てられない。悔いばかり残った挙句、生きることすら放棄しかねない。どれだけの時間が残されているのか分からないが、一刻もはやく彼女を元に戻さなくては。そして、白鷺からあのチャラそうな男を引き剥がすのだ。視界にすら入れたくないが、見てないところで何をしているか……。想像したくない。好きな人の初めてでありたいのいうのは、ごく一般的な気持ちのはずだ。

 

「あの野郎を早くどうにかしねぇと……。けど、今の俺じゃ近づくことすら難しい。説明したところで馬鹿にされるのがオチだ」

 

「……綾くんに相談してみるとか?」

 

「なるほど……確かに、動いてくれる仲間は多い方がいいな。多分まだ起きてるはずだし」

 

 まだ時間は深夜を回ってはいない。蒼桔は携帯で風見に一言連絡を入れると、部屋の窓を開けて待ち始めた。数分と経たないうちに、向かい合わせになった風見の部屋の窓が開かれて、タオルを首にかけた状態で彼は顔を出してくる。風呂上がりのようで、いつもかけている眼鏡は外されていた。

 

「珍しいな、なんか課題でわかんないところでもあったのか?」

 

「いや……その、ちょっといろいろあってな。ちょっと聞きたいことがあるんだけどさ」

 

 何から話したものか。とりあえず、隣から顔を覗かせている佳奈について聞いてみるべきだろう。本当に蒼桔以外の誰にも見えていないのか。いや、彼が声を出していない時点で、見えていないのも同然ではあるのだが。

 

 佳奈は呑気な顔で「綾くん、久しぶりー」なんて言っている。彼にはその言葉は聞こえていないようだった。念の為に、と蒼桔は彼女のいる辺りを指さして、風見に問いかける。

 

「なぁ、この辺に何か見えるか?」

 

「何かって……何さ。眼鏡はないけど、何も見えないぞ」

 

「眼鏡かけたら何か見えるようになったりとかしないか?」

 

「大して変わんないよ。何かあるんだろうなってことくらいは、なくてもわかるし」

 

「……じゃあ、やっぱ俺以外には見えてないんだろうなぁ」

 

 軽くため息をつく。これでは説明しようにも難しすぎる。例えば何か、薄らと見えるだとか、白くてモヤモヤしたのがある、だとか。そういったものがあれば、少しは説明のしようがあるものを。とりあえず一から説明するしかない。

 

 蒼桔は、家に帰ってから起きたことを自分なりに説明した。少なくとも風見とは十数年単位の付き合いであり、多少は信じてもらえるだろうと思いながら、今も隣に彼女の幽霊がいるのだと告げる。触ることはできないが、声は聞こえる。確かにそこにいるのだと。

 

「……なぁ、梗平。確かに俺は長いことお前と一緒にいるけど……正直、付き合いきれないよ」

 

 風見は予想に反して、まったく信じていないようであった。それもまた、仕方がないんだろう。逆の立場なら、蒼桔も馬鹿馬鹿しいと思っていたに違いない。でも、事実なのだ。蒼桔には彼女が見える。声が聞こえる。これは自分がどうにかしなくてはならないものなのだ。そしてそれを、望む人が少なくともここにいて、きっと彼女の両親もそれを願っていることだろう。

 

「頼むから信じてくれって。本当なんだよ」

 

「お前が長いこと苦しんでるのは、俺だってよく知ってる。ここまで重いものだとは思わなかったけど……行き過ぎた妄想だぞ、それは。一旦正気に戻れ」

 

 訝しむように彼は目を細めた。さすがに幼馴染からそういった目を向けられるのは少々堪える。しかし、ここで引き下がるわけにはいかない。身近で信用できて、白鷺との関係性を知った上で協力してくれる人は、おそらく風見以外いないからだ。けれども、どう説得すればいいのか。風見の方が蒼桔よりも頭はいい。それでいて理系クラス。何かしら強い根拠がない限り、信じては貰えないだろう。

 

「じゃあ……何か。お前に幽霊の佳奈がいることを証明できればいいわけだな?」

 

「幽霊なんて非科学的なものを、お前がどうやって証明するっていうんだ」

 

「……そうだ。お前が今から何か検索して、それを調べさせてくれば証明できるな」

 

「あのなぁ……そんなもん、やりようによってはいくらでも調べられるだろ」

 

 目頭を教えて「こいつホントもうダメだ……」と諦めたような声を出された。蒼桔にはこれ以外に証明できそうなものがない。なんとか信じてほしいと蒼桔は頼み込んだが、風見は苦々しく顔を歪めて、小さく首を横に振った。

 

「悪いけどさ……お前の精神状態を疑うよ。だって、そうだろ? お前以外に見えない。声も聞こえない。それがそもそもおかしい話だろ。お互い同じ時間を過ごした。確かに付き合ってたのはお前だったけど、それでも俺と条件はそんなに変わらない。お互い霊感もない。じゃあそんなの、お前の妄想だって話で終わるだろ」

 

「妄想なんかじゃねぇんだって! 頼むから信じてくれよ!」

 

「例えお前が検索したもんを知ってても、カメラなりネット傍受なり、方法はあるわけだ。俺ならそうするし」

 

「俺にそんな頭はねぇよ!」

 

「狂った頭なら何したっておかしくない。少し頭を冷やしたらどうだ。外走るか……いや、週末辺りに温泉でも入りに行くか。湯治が頭に効くのかはわからないけどさ」

 

「馬鹿にしてるだろ」

 

「……してるよ。そんな話を信じ始めたら、何もかも終わっちまう。佳奈が言ったから。その一言で、俺もお前も行動指針が決まる。俺にはその確証を得られないまま、な。変な教祖を信奉する信者みたいなもんだよ」

 

 風見の言葉に、返せる言葉はなかった。蒼桔にしか見えないのだ。世界でたった一人、彼女の言葉がわかる。そんなもの妄想だと捨てられてもおかしくはない。否、それが普通だ。むしろこんな話を聞いてくれるだけありがたいと思うべきなのだろう。

 

 けれど、これは真実だ。頼むからどうか、幼馴染である綾だけには信じてほしい。佳奈もきっとそれを望んでいる。そう思い、蒼桔は説得を続けようとするが……口を開く前に、彼の言葉がそれを遮った。

 

「第一、なんで今なんだ?」

 

 その質問に、蒼桔も佳奈も首を傾げた。言った意味を理解できていないのだと風見は感じ取り、説明を続けていく。

 

「変じゃないか? あの事故から二年は経ってる。なのに、なんで今更佳奈の幽霊が出てくるんだ? 幽霊の普通なんて知ったことじゃないけど、それって事故のあった日か、その数日以内に出てくるもんだろ」

 

「それは……佳奈も、わからねぇって。最近意識が戻ったって言ってる」

 

「……突けば突くほどボロがでるじゃないか。どう考えたって、現状に耐えられなくなったお前の妄想だよ」

 

「……妄想、だと? 隣にちゃんと、佳奈はいるのに……?」

 

 否定できる材料はない。むしろ、風見の方が正論なのだ。蒼桔にはこれが妄想ではないと否定できる根拠はなく、また佳奈の幽霊がいることを証明する根拠もない。

 

 風見に否定されて、佳奈は悲しそうな顔を浮かべていた。窓から体を乗り出して、何度も彼の目の前で手を動かしてみる。耳元で、彼の名前を呼ぶ。しかしいくらやっても……彼には何一つ届かなかった。

 

「……これは、妄想なんかじゃ……」

 

「……一旦寝なよ。疲れてるんだ、きっと。何度も言うようだけどさ……佳奈のことは忘れろ。それがお前にとっても……俺にとっても、いいことのはずだ」

 

 それだけ言うと、彼は窓を閉めてしまった。カーテンも閉められて、中が見えなくなる。彼を説得することはできなかった。いや、きっと何度繰り返しても、無理だっただろう。

 

 力なくベッドに倒れ込むと、心配そうな顔で佳奈が近づいてくる。彼女の体に手を伸ばしてみても、掴めるのは空気だけだ。

 

「……佳奈は、そこにいるんだよな」

 

「うん。ちゃんと……ここにいるよ」

 

 重ね合わせようとしても、重ならない手。誰も信じてはくれないのだろう。世界でたった一人だけ。そう思えて仕方がない。そして……普段一緒にいてくれた彼も、今回ばかりは力になってくれないだろう。

 

 これから、どうしようか。不安の膨れる蒼桔の手を、寝る時まで佳奈は重ねたままだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3話目 一人笑い

 翌朝。蒼桔は隣で手を重ね合わせながら眠っている幼馴染の姿を見て、いつもより穏やかな目覚めを迎えた。触れはしないが、その姿を見ていられるだけでも、今はそれでいいと思えている。

 

 学校に向かうため家を出ると、もうそろそろ夏が近づいてくるような、じんわりとした暖かさを感じた。いつものように風見と一緒に学校へ行こうとしたが、どうにも昨夜のこともあって気が進まない。今日ばかりは先に行こうと、連絡を入れて歩みを進めた。

 

 佳奈は浮くことなく、地面に足をつけて歩いている。服も学生服だ。一見カップルが歩いているようにも見えるのだろうが……他の人に、彼女の姿を捉えることはできない。

 

「そういえばさ、私の家ってどうなってるのかな」

 

「なんだ、見てきてないのか?」

 

「家の前まではいったけど……その、中に私と男の子がいてさ……」

 

「……気まずいか」

 

 蒼桔も苦々しく顔を歪める。年頃の男女が何をするのか興味がないわけではない。ただ、それを幼馴染が他の人としているのをどう思うのかなんて、考えなくてもわかることだろう。朝早くから嫌な気分になりつつ、最寄りの駅まで歩く速さを上げていった。

 

「……あのさ、梗平」

 

 どこか硬い声で、彼女は話しかけてくる。そっと顔を向けると、彼女の表情は遠くを見つめているように思えた。諦めているようにも見えて、蒼桔はそっと彼女の手に自分の手を重ね合わせる。それに気づいた彼女は、やんわりと表情を緩めて微笑んだ。

 

「私、自分のことを見張ってようと思う。もしかしたら、自分の周りにいることで気づけることもあるかもしれないし、それに……梗平は、私に近づくのは難しいでしょ?」

 

「なるほど……確かに、今の俺が近づくのは厳しいな」

 

「私なら見られることはなさそうだし、いろいろと自分でも探ってみようかなって。とりあえずは自分のことから、かな」

 

「なら、俺も他の方面で探ってみるよ。佳奈と接触できそうなら、話しかけてはみるけどさ」

 

 一応同じクラスなのだから、少しは接する機会もあるだろう……とは思ってみたものの、変わってしまった彼女と話した記憶はかなり前のものだ。向こうは蒼桔と話したがらない。周りにはいつも女子がいて、その子らは蒼桔と白鷺の間にどういった関係があったのかを知らないだろう。結託した女子に絡まれたら、白鷺どころか学校関係が終わりかねない。

 

 だからこそ、佳奈の提案は中々に有難いことであった。蒼桔の同意を得て、彼女はさっそくとばかりに家の方へと走っていく。その後ろ姿を見て、ここで離れたらまた会えなくなるのではと心配になり、一瞬手を伸ばして……ポケットにしまい込んだ。これは夢ではない。そうやって何度も確認しただろう。

 

(……不安だけど、学校に行くしかねぇか。ここにいたら綾に出くわしかねない)

 

 どこか寂しさを感じつつ、蒼桔は踵を返して駅へと向かう。すぐ隣には線路があり、それに沿って歩いていけば駅にまで辿り着ける。間違うことのない簡単な道程だ。いつもの電車は人が多く、歩いている時もそれなりに学生を見かけるが……今日はめっきり見かけない。部活のある人はもっと早い電車に乗るだろうし、ない人は蒼桔が普段乗る電車だ。それより一本早いと、こうも人が少ないものなのか。いつもよりも寂しげで静かな道を歩いていると……毎朝横を通り過ぎる公園に、学生服を着た女子生徒がいるのが目に入った。

 

(まぁ、ちょっと早めのに乗る人もいるよな……)

 

 この電車だといつもより二十分は早く着いてしまうのだが、たまにはそれもいいだろう。そのまま通過しようとした時……耳にその女子生徒の声であろうものが届いてきた。

 

「そう……困ったね。大丈夫……私が探すから」

 

 誰かと話しているらしい。しかし、誰と。公園にはその女子生徒しかいなかったはずだ。

 

 気になって彼女の方へと振り向く。女子生徒は膝を少し曲げて、斜め下を向くように話しかけていた。黒い眼鏡をかけ、髪をかなり伸ばしてはいるが、顔つきは生真面目そうな女の子だ。見たところ携帯を持ってる訳でもない。しかも、微笑んでいるように見える。

 

 怪しまれないようにゆっくりと歩きながらその光景を見ていたが……やはり彼女は地面に向けて話しかけていた。まるで、そこに誰かいるかのように。

 

(……あんな女の子でも、頭が変なところがあるもんなのか……いや、下手したら俺は周りからそういった目で見られるってことか)

 

 佳奈は他の人からは見えない。だというのに蒼桔と話していたら、周りからは変な目で見られることだろう。今後、佳奈と一緒にいる時はいろいろと気をつけなければならない。せめて携帯で電話してる素振りくらいはした方がいいだろう。

 

 まだ見えないイマジナリーフレンドらしきものと話している女の子には悪いが、おかげで自分のことに気づくことができた。せめて彼女自身の頭のネジが外れかけていることに気づけばいいが……しかし話しかけるには度胸が足りない。あぁいった手合いは話しかけたらアウトな気がする。

 

(……げっ)

 

 見られていることに気づいたのか、彼女がこちらを向いてしまった。蒼桔は何も見ていない振りをして、そそくさとその場から立ち去っていく。一瞬見えた不機嫌そうな顔のせいか、蒼桔の背中には嫌な汗が湧きでてしまった。

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 学校について席に座り、始まるまでの時間を待った。一年の頃は風見と同じクラスであったが、今はそうでないことが救いだ。未だに気まずい思いは晴れない。

 

 しばらくすると、続々と教室の中は生徒で満たされていった。白鷺も、教室に入ってきてすぐに友人の女子生徒と話し始める。その背後には、明らかに高校の制服ではない佳奈が立っているのだが……やはり誰一人として、彼女のことは見えていなかった。

 

 席に蒼桔が座っていることに気づくと、佳奈は笑いながら近づいてくる。それに答えるよう笑おうとしたが……公園で一人で話していた女子生徒のことを思い出して、口元を手で隠した。危ない危ない。油断してると変な人だと思われてしまう。

 

「梗平、口を隠してどうしたの?」

 

(……答えるに答えられねぇ)

 

 どうしたものかと眉間を指で抑えて……そうだとばかりに、携帯を取り出してメモ帳を開く。そして『周りに人がいる時は話せない』と書いた。彼女は一瞬不思議そうな顔をしたが、自分の境遇を考え直したのか、頷いて返してくる。

 

 その後更に『何かわかったか』と書くと、彼女は「ダメ。何もわからなかったよ」と残念そうに机に項垂れた。人の体はすり抜けるくせに、物には触れるのもおかしな話だ。

 

『どう考えたって、現状に耐えられなくなったお前の妄想だよ』

 

 昨夜言われた言葉が、頭を過る。彼曰く、都合が良すぎるのだと。目の前の光景を見ていると……確かに変だと思わなくもない。幽霊の勝手なんて知ったことではないし、そういう仕様ですと言われたら、はいわかりましたとしか言えないのだが。

 

 物に触れるのなら、自分にだって触れるだろうに。そう思って項垂れた彼女の頭を撫でようとしたが……そのまますり抜けて机を触ることになった。これが自分の妄想だという話に、反論することはできない。あの女子生徒同様、頭がおかしくなったのだろうか。

 

「大丈夫? 何か、悩んでる?」

 

 眉間に皺を寄せ始めた蒼桔を見て不安になったのか、佳奈は見上げるように見つめてきた。そういえば、付き合っていた頃もこんな風に見上げられ、ドキっとしたことがある。今もその時と同じように、心臓は跳ね上がっていた。

 

(……妄想、なんかじゃない。本物の佳奈なんだ)

 

 何度も疑心暗鬼になり、自問自答を繰り返す。それでもやはり信じたいのだ。彼女こそが本物であり、自分は間違っていないのだと。

 

 彼女を安心させるべく『大丈夫だ』と返す。このまま見ていたら変な気分になって、顔が無表情から歪んでしまいそうだったので……蒼桔はそっと窓の外へと視線を向ける。窓には、恥ずかしげに口元を歪める自分の姿だけが映っていた。

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 放課後になると、生徒は一斉に蠢き始める。蒼桔の日課になりつつあった白鷺観察は、未だに継続していた。佳奈の方は授業が退屈だったのか、欠伸をして体をぐっと伸ばしている。見比べてみると、多少は背丈だけでなく、いろいろと成長しているように思えた。

 

「んー、久しぶりの授業のような気がするー」

 

「それはそうだろうな」

 

 耳に携帯を当てて、電話してる振りをして返事をする。授業中の佳奈といえば、先生の話を聞いて眠たくなって机で寝るわ、蒼桔の前に立って邪魔をするわと、普段より賑やかな授業であった。邪魔とも言うが。

 

「にしても、高校生か……いいなぁー。私もクレープ食べながら帰ったり、カラオケ行ったりしたいなー」

 

「買い食いにカラオケ。まぁ、青春なんてそんなもんだよな」

 

 もっとも、どちらも今の自分は楽しくないのだが。難儀な人生を送っているもんだと、蒼桔は小さくため息をつく。それに釣られて、佳奈も息を吐いて羨ましそうに白鷺のことを見る。

 

「本当だったら、あそこにいるのは私のはずなのに」

 

「んで、その隣に俺がいるはずなんだけどな」

 

「それと、綾くんもね」

 

 またあのいつもの三人に戻れるのかな、と佳奈は小さく願望を漏らした。俺も同じだ、と蒼桔も返す。白鷺、蒼桔、風見。三人揃ってなくては、どうにも調子が出ない。彼らにとっての幼馴染というのは、そういうものだった。中々、稀有な関係性を築いていたものだ。

 

 それが崩れたのは……あの事故のせいだ。未だに運転していたあの女は許せない。白鷺だけではない。自分の未来まで奪っていったのだ。許せるはずもない。この手で殴り飛ばしてやりたかったくらいだ。金で解決できるような問題ではないのに……世の中、この手の物は金で解決してしまう。行き場のない理不尽な怒りは、未だに蒼桔の心な中で燻り続けていた。

 

「……あっ、彼が来たよ。確か……佐原(さはら) 辰哉(たつや)くんだっけ」

 

「あぁ、合ってる……帰宅部の、いけ好かねぇ軟派野郎だ」

 

 教室の前の方から入ってきたのは、白鷺の彼氏だった。悔しいがイケメンなのは確かで、それでいて軽い男だ。正直白鷺がアレと付き合っているだなんて思いたくもないが……世の中顔だという人もいる。クソが、と心の中で悪態をつくのも何度目だろうか。

 

「佳奈、今日は帰りになにか甘いもんでも買って帰ろうぜ」

 

「じゃあ……駅前のクレープにしようよ! 新作のプリンのヤツが出たみたいで、食べてみたいんだよね」

 

「よっしゃ、なら早く行こうぜ。あそこ意外と学生で混むからな」

 

 今から楽しみだと言わんばかりに、白鷺は破顔していた。「じゃあねー」といって、佐原と一緒に教室を出ていく。甘いものを食べたらこの胃のムカムカは消えるのだろうか。

 

「じゃあ、私は見張ってくるね。何かあったら……来てくれる?」

 

「どうやって知らせんだよ」

 

「こう……ビビっと、電波みたいな?」

 

「俺の携帯に怪電波送ってぶっ壊さないでくれよな」

 

 気の荒れている蒼桔を笑わせるためなのか、佳奈は指先を向けて電波を送ろうとする。変なポーズをとったり、力んだりしたが……全く何も感じない。けれども、気は楽になった気がした。

 

 彼女は恥ずかしそうに小さく笑ったあと、白鷺の後を追いかけていく。いつものように、教室に蒼桔は取り残されてしまった。白鷺の後を追いかけるというのもアリではあるが……どうしたものか。何かしら文献をあさるのもいい。そういったオカルトな手合いのものがあるのかは知らないが。

 

「……いつもの不機嫌ヅラじゃないのは、珍しいな」

 

 不意に声をかけられる。いつの間にか隣には風見が立っていた。昨日言い争ったばかりだというのに、何も気にしていないようで、眼鏡の奥からのぞかせる瞳は優しげなままだ。

 

 今日は話しかけられないものだと思っていたばかりに、返事はなかなか喉の奥から出てこなかった。そんな幼馴染の様子にどこか物憂げな顔になった風見は、蒼桔の机に腰をかけて話を続けてくる。

 

「んで、結局どうなの。妄想は未だに継続中?」

 

「だから、妄想なんかじゃねぇって」

 

「……だったら、気分転換でもしてみよう。文化祭の時に配られたペア番号あったろ。あれで知り合いになった子がいてさ。一年生の間じゃ、寺生まれのTさんの孫娘と呼ばれてたらしい」

 

「ネットスラングみてぇな怪異じゃねぇか、寺生まれのTさんって」

 

「まぁ、呼ばれてたってだけだよ。今じゃ不思議ちゃんってことであんまり人が寄らないらしい」

 

 文化祭の時に、男女で別の色の番号札を配られた。それで知り合ったらしい。しかしなんともきな臭い話だが……理系真面目眼鏡の風見がそんなネット話を知っていることに多少驚いた。パソコンを普段いじっていたりするし、そういった話にも強いのかもしれない。まぁ、寺生まれのTさんというのは結構有名な話ではあるのだが。

 

 怪奇現象に襲われる一般人を、どこからともなくやってきた寺生まれのTさんが現れては「破ァ!!」の一言で片付けてしまうような話だ。そんなものの孫娘を紹介されたところで、どうしろというのか。むしろ蒼桔にとっては未だに付き合っていると思っている幼馴染を傷つけやしないかと不安で仕方がない。風見はそんなこと毛程も気にしてはいないのだろう。

 

「勘弁してくれよ。俺は俺で、いろいろと忙しいんだ」

 

「呼んだ手前、今からキャンセルするのもな……。とりあえず、一年の廊下まで行くぞ。付いてきてくれ」

 

「マジかお前。女の子に声かけるようなキャラじゃなかっただろ」

 

「誰のせいだと思ってんだよ」

 

 俺だってこんな馬鹿げたことしたくはない、と風見は困ったように頭を掻いた。その場から離れていく幼馴染の姿を見て、さすがに顔に泥を塗るわけにもいかないかと、不本意ではあるが蒼桔も後を付いていった。

 

 四階が一年生の教室だ。階段を昇ると、今から部活に行くのであろう元気な生徒の姿が多数見られる。一年生は入学したばかりというのもあって、随分と元気が有り余っているようだった。自分とは大違いだ、と息を漏らす。

 

「ほら、いたぞ。確かあの子だ」

 

 風見が階段の近くの壁に寄りかかるように立っている女子生徒を指さした。長い髪の毛で、眼鏡。無表情ともとれる仏頂面。その姿を、今朝見かけた記憶がある。

 

 その女の子は間違いなく、公園で一人笑っていた、あの女の子だった。




書くのをしばらく辞めてしまうと、一気に筆が遅くなるのがキツイですね……。
どうにもまだ本調子に戻れていない気がします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4話目 寺生まれのTさんの孫娘

 明るい女の子を見ていると、羨ましく思えて仕方がなかった。自分もそういった生き方ができたのならと、何度も考えたけど……そんな事をしたらきっと、すぐにでも死んでしまう気がする。

 

 明るいというのが基本ならば、明るくないというのは異変だろう。目に見えてわかる変化だ。それがバレてしまえば、ずっと付き纏われてしまうだろう。最悪殺されてしまう。そういうものだ。

 

 その明るさで、人を救い続けた姉さんは……結局、自分のことだけは救えなかった。当時の私には何もできなかったし、その場に居合わせもしなかったけれど……。

 

 ……人間というのは、自分だけは救えはしないのだと思い知らされた。唯一救えたであろう姉さんは、もういない。時折『地味な服ばかりだね』と笑う声が聞こえる気がして、うるさいよと独り言を呟く。そんな日々だった。

 

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 

 薄桃色の布団。その中で眠っていた彼女は、枕元に置かれた携帯のアラームで目を覚ました。布団から出るのに辛くない暖かさだ。薄寒いのは苦手だから、これくらいの季節がちょうどよく感じられる。

 

 体をぐっと伸ばしてから眼鏡をかけて、ベッドから離れていく。部屋を出ると、誰もいないリビングにポツンと置かれた朝食と弁当箱が目に入ってきた。仕事に行く前、父が作ってくれたものだ。目玉焼きと、昨日の残りの塩漬けレタス。あとベーコン。味噌汁はインスタント。手軽な朝ごはんだった。

 

 それらを食べ終わると、彼女は学校に行く支度を始める。黒色のパジャマを脱ぎ捨て、制服に着替え、荷物を纏めて玄関へ。まだ履き慣れないローファーに違和感を覚えつつ、玄関の戸を開けた。

 

「行ってきます」

 

 誰もいない家に向かって、そう告げる。しっかりと鍵をかけて、いざ学校へ向かおうとしたところで、軽く吹いた風に乗って誰かの声が届いた気がした。『行ってらっしゃい』と。

 

 優しげな声は、多分母のものだろうか。そうだといいなと思いながら、朝特有の気怠さを吹き飛ばすように、深く息を吸って吐き出した。

 

 駅へ向かうには、線路沿いを歩いていけばいい。わかりやすいし、方向音痴な自分でも迷うことがない。それに、入り組んだ住宅街を行くよりは、数が少ないのが有難かった。それでも、まったくいないかと言われればそうでもないけど。

 

 学校へ向かう生徒。会社に行くサラリーマン。ビシッとしたスーツ姿の女性。朝の散歩をしているおばあちゃん。電柱に寄りかかっている男性。線路の中で腰を低くしている人もいる。作業中……だろうか。あまり見ない方がいい。彼女はそのどれにも目もくれず、まっすぐに駅へと歩いていく。

 

「お母さん、どこにいるのー?」

 

 歩いている最中、不意にそんな声が聞こえてきた。こんな朝早くに迷子だろうか。そんなことはないだろうと思いつつ、彼女はその声の元へ向かっていった。

 

 声を出していたのはまだ小さな男の子で、小学生くらいだろう。駅近くの公園で、母親を探しているようだった。見回しても、近くにそれらしい人影はない。

 

(……仕方ない。遅刻しないといいけど)

 

 見つけてしまって、放っておくわけにもいかない。軽くため息をついたあと、彼女はゆっくりと少年に近づいていった。彼の方も気づいたようで、目を丸くして見てくる。

 

「君、こんなところでどうしたの。迷子?」

 

「あのね、お母さんがね、気づいたらいなくなってて……。探してるんだけど、見つからないの」

 

「いつ頃の話か、わかる?」

 

「わかんない。でも、お母さんと一緒にいたんだよ。昨日……一昨日……? よく、わかんないや」

 

「そう……困ったね」

 

 彼の話はあやふやで、理解しようにも難しかった。彼自身よくわかっていないのかもしれない。まだ幼い子供のようだし、なのに母親はどうしてこんな所に置き去りにしたのか……。

 

 時間はまだあるし、電車も次のに乗れば学校には間に合う。まだ近くにいるかもしれないし、手伝うだけ手伝ってあげた方が良さそうだ。

 

 彼女は膝を軽く曲げて、少年と視線の高さを合わせた。まだあどけない顔つきの子供で、見ていると微笑ましさを感じる。そんな彼を安心させるように、薄らと微笑みながら約束した。

 

「大丈夫……私が探すから」

 

「本当に? お母さんのこと、探してくれるの?」

 

「時間はかかるかもしれないけど……頑張ってみる」

 

 どれくらいの時間がかかるのかはわからないが、こんなところで一人にしておくわけにはいかない。被害が出てしまえば大変なことになる。部活をやっている訳でもないし、時間の空いた時に探せばいい。

 

 とりあえず、また近くに戻ってきていないか。そう思って周りを見回してみる。いるのは、泥酔しているかのように壁によりかかっている男性、車椅子の女の子、電柱の下で俯く女性。それと……不躾な視線を送ってきている男学生。変なものを見るようだったけど、見た途端にそそくさとその場から離れていってしまった。

 

 そんな対応をされるのは、もう慣れている。異質なのは自分なのか。それとも、いるのにいないものとして扱う彼らなのか。

 

 ……世間一般的な普通から外れた私こそが、きっと悪者なんだろう。間違いなんだろう。けれども……これが私の世界で、間違いこそが正しいもので。唯一似通ったものがあるとすれば、臭いものには蓋をして、醜いものをなるべく見ないようにするといった部分だけだろう。

 

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 

 学校生活はまだ始まって間もないというのに、彼女の周りには人はいなかった。中学の同級生にあだ名を言いふらされ、一時期は物珍しさに近寄ってくる人もいたが……人の興味というのは存外長くは持たないらしい。むしろ今は腫れ物のような扱いに近いのだろう。

 

 いつもは何もなく一人で家に帰るのだが、珍しいことに携帯にはメッセージが届いていた。それこそ初めの頃はひっきりなしだったが、今となっては落ち着いているのに。

 

 送り主は、まだ名前が独り歩きしていた頃に知り合った先輩からだった。文化祭で出会って、他の人同様に寺生まれのTさんの孫娘というのは本当なのかと聞かれ……一気に興味を失ってしまったのを覚えている。眼鏡をかけていて、所謂オカルトマニアみたいな人なんだろう。また話を聞きたくなったのか。なんてはた迷惑な話だろう。

 

 けれど、ここで断ってしまっては後々嫌な噂が広まったり、上級生に目をつけられるかもしれない。それは嫌だ。仕方なく、放課後に会ってもいいと返事をしたけど……まったく気乗りはしない。

 

 一年の廊下まで来ると言っていたけれど、そもそも顔を覚えているだろうか。先輩の顔は確か……眼鏡をかけてて……頭良さそうな……眼鏡……眼鏡。ダメだ、眼鏡しか出てこない。頭の良さそうな眼鏡ってなんだ。語彙力無さすぎか。

 

 朧気な姿形を思い出しながら、彼女はしばらく階段の近くで呼び出した本人を待ち続けた。放課後になってから、十分程は経っただろうか。下の階から二人組の男子生徒が上がってきた。佇む彼女に気づいたようで、そのまま近づいてくる。片方は、見てすぐに思い出すことができた。頭が良さそうに見える眼鏡の男だ。名前は、風見 綾だったはず。

 

 それと一緒にいるもう片方は……どこかガラの悪そうに見える男。いや、ガラが悪く見えるというだけで、実際は目元の隈とか、気怠げな表情とか、およそ生気の宿っていなさそうな目とか……死人の類かと思ってしまう。いや事実死人かもしれない。呼び出したのは風見であり、その隣の男はまったく聞かされていなかったのだから。

 

「えっと、音寺(おとでら)さん……で合ってますか? 文化祭の時に会った、風見です」

 

「……そうです。それで、私になにか用ですか?」

 

「ちょっと連れの……コイツのことで話があったんですけどね」

 

 風見が隣にいる男を指さした。驚いたことに、この男は生きた人間らしい。いないものとして扱おうとしていたけど……早計だった。

 

「蒼桔 梗平です」

 

「……どうも。音寺 (かえで)です」

 

 蒼桔のやる気のなさそうな挨拶に、彼女──音寺も小さく頭を下げるようにして返した。風見が会おうとした目的がこの男の為だと言うのならば、随分と本人にやる気がない。かなり面倒くさがっている様子でもあるし、色恋沙汰ではないだろう。そんな状態になっても困るには困るのだが。

 

「どうも梗平の奴は昨日辺りから頭が変になったみたいで……幽霊が見える、だなんて言うんですよ」

 

「バッ、お前いきなり何言ってんだ。そんな話真に受けるやつがいると思ってんのか!?」

 

「うるさい、一旦静かにしてろって」

 

 風見の言葉に、蒼桔は慌てていた。当然だろう。いきなり話したいことがあると呼び出しておいて、やれ幽霊だなんだと言われたら……正気を疑うだろう。もちろん、音寺もそんなものは信じていない。彼の発言も、幽霊だとかいうものも。

 

「……また、その手の話ですか。言っておきますけど、私には幽霊は見えませんよ。そもそも、幽霊なんているはずがないでしょう」

 

「ほら見ろ、呆れてるじゃねぇか」

 

「呆れもしますよ。何度も何度も……幽霊がいたら、地上は埋め尽くされているでしょうし、第一あなたが幽霊になったらどこに行くと言うんですか。更衣室か浴場でしょう」

 

「……ほ、ほらな。そもそも、これはもう俺の問題なんだよ。誰に何ができるって訳でもない」

 

 いいからもう行くぞ、と蒼桔はその場から去ろうとする。その後ろ姿を、音寺は見たことがあった。思い出したのは、朝の出来事。公園で子供相手に話しかけている途中、逃げるように去っていった男だ。変な目で見ていたことも、当然覚えている。

 

「……あなた、朝私のことを見ていましたよね」

 

「あ? あぁ……いや、まぁ……」

 

「何を、見ていたんですか?」

 

「そりゃ、公園にいた……音寺さんを」

 

 その言葉を聞いて、彼女は小さくため息をついた。まったく与太話だ。彼は幽霊が見えるだなんて言っていたが、そんなことはない。そうやってからかってくる人を、もう何度見てきたことか。

 

「……冷やかしですか、風見さん」

 

「いや違うんですよ。コイツ、幼馴染の幽霊が見えるって言ってたんですよ。それも、本人は生きていて……出てきた幽霊ってのは、二年前に交通事故で無くした記憶の部分を持っている、だとか」

 

「交通事故で無くした記憶を持った、幽霊?」

 

 疑問に少し首を傾げる。風見が蒼桔に向かって、説明してやれよと言う。渋々ではあったものの、彼は当時の事件と、そして見えているという幽霊の幼馴染について話してくれた。

 

 その話を聞いても、まったく馬鹿馬鹿しい話だとしか言いようがない。なにせ……。

 

「生きているのに、幽霊がいるというのは変な話ではないですか」

 

 ごく自然な答え。これに尽きる。死んだ訳でもない、まだ生きている人間の幽霊なんてものはいない。生霊という言葉もあるが、それとこれとは全く別物だろう。

 

「風見さんの言う通り、それがあなたの目に見えているのは……きっと妄想ですよ。精神的な疲労が溜まりに溜まって、幻覚が見えているんじゃないですか」

 

 妄想だ。何もかも全部。目に見えているのに、他の誰にも知覚できないのだから。それは紛れもなく妄想でしかない。何度も言われてきたその言葉を、そっくりそのまま彼女は蒼桔に伝える。

 

 しかし彼は、その言葉を受けてもまったく動じている様子はなかった。むしろ先程よりも生き生きしているように見える。気怠げな目は細くなり、まるで睨みつけるように音寺を見てきた。

 

「妄想なんかじゃねぇよ。これは……俺だけにできることだ。絶対にな」

 

 百人いたら、百人が妄想だと言う。そんなことは知ったことではないと、彼は言葉を振り切った。そして、これ以上話すことはないとでも言わんばかりに、その場から去っていく。

 

 階段を下りていき、その姿が見えなくなった頃……風見は大きなため息と共に頭を軽く掻いた。まったく、しょうがない奴だ……と呟く。そして彼女の方を見て、頭を下げて謝ってきた。

 

「ごめん、音寺さん。少しは他のことに気が向けばいいと思ってたんだけど……」

 

「他のことにって……どうしてそれが、私なんですか」

 

「いや、俺も幽霊なんてものを信じているわけじゃないし。音寺さんと初めて会った時に……なんだかホワホワとした不思議ちゃんだなって思って、今の梗平にピッタリかなって思ったってだけですよ」

 

「まさか……私に色恋を期待していたと」

 

「まぁ……そうですね。二年生だとどうしても梗平じゃ相性が悪いし、かといって三年じゃ受験も相まって手を出しにくい。なら、一年生で知ってる子はいたかなって感じで……思いついたのが、音寺さんでした」

 

「……最低ですね」

 

 音寺の歯に衣着せぬ物言いに、しかし風見はどこ吹く風といった様子で聞き流していた。かけていた眼鏡を外して目頭を抑え、困ったように呟く。

 

「別に俺のことはどうだっていいんだ。アイツが、あの頃にまでとはいかなくても、戻ってくれないと困るんだよ。だからまぁ……少しばかり、気にかけてもらえませんか?」

 

「……嫌です」

 

「ですよね……いや、時間かけてすいませんでした。あの馬鹿を追いかけるので……これで」

 

 そう言って、風見は階段を駆け下りていく。人の少なくなってきた一年生の廊下に、彼女はまた佇み始めた。

 

 とんだ騒ぎな上に、無礼な眼鏡だ。頭の良さそうな眼鏡ではなく、頭が悪いのを誤魔化した眼鏡に変えた方がいい。絶対に。

 

(……あの人は)

 

 先程、啖呵を切って去っていった男のことを思い出す。妄想だなんだと言われても、自分の目に見えるものを信じるのだと言い切った。その時の目の力の入りようは、死人が生き返ったかのように力強く思えるものだ。

 

 その姿は……誰に何を言われようとも、在り方を変えようとはしなかった姉に、少しだけ似ている気がした。




女性視点は書きにくいと前作言ったのになんでまた書いてるんですかねぇ……。
筆も遅いし、今回の作品もまた難しいです。
日陰者の序盤より書きにくいですね……。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

5話目 残音

 音寺にとって、友人と呼べる人物は少ない。いや、友人であると思っているだけで、向こうはそう思っていない可能性がある。昔から変な言動に加え、根暗で、何かに脅えていた少女だった。小学生の頃の友人も、気づけば煙たがるように離れていく。仲の良かった女の子も、男の子も、変人に近づこうとはしない。

 

 時折、多少の言動には目を瞑って、容姿目当てに近づく男もいたにはいた。まったく興味がなかった……わけではない。かわいいと言われ、素直に嬉しかったのを覚えている。ただ問題は、いつか離れていくだろうという確信めいたものがあったという点。

 

 私は変人であり、異物であり、異端である。例え私が世界を救っても、人を救っても、その場限りの感謝とともに離れていくはずだ。気味が悪いと、そう言うんだろう。

 

 気味が悪い。君が悪い。異端だ。傷んだ。幻覚だ。妄想だ。

 

『百人いたら、百人が妄想だと言うかもしれない』

 

 記憶の中の姉は、そう言っていた。夕方の歩道橋の上から、どこか遠くを見つめながら。もうすぐ消えていく光を惜しむように、僅かに手を伸ばしていた。

 

『けれど』

 

 姉はそう続ける。

 

『千人いたら、一人はこの手を掴んでくれるのかもしれない』

 

 街を歩けば一人くらいはいるだろう、と。いや、姉が言いたいのはそうではなかった。

 

 彼女は音寺に向き直ると、両手で優しく音寺の手を包み込んだ。そして微笑むように笑う。

 

『私はそのひとりだよ……なんてね』

 

 はにかむように笑う。通り過ぎる人々はその光景を見て、なんと思っただろうか。いや、それはどうでもいいことだ。

 

 通り過ぎるサラリーマン、子供、主婦。歩道橋の端の方で直角に首を曲げていた男が、羨ましげに光のない目を向けてくる。ニヤリと笑った気がした。

 

『今日はちょっと別の道から帰ろっか。そうだなー、駅前にあるクレープ屋さん、寄ってみる?』

 

 いつもの帰り道とは反対側。男から遠ざかる方向に、姉は手を引くように歩き始める。姉はいつだって……そうやって人を救い続けていた。

 

 誰も知らない物語。私だけが知る物語。知ろうともしない物語。

 

 その三日後くらいに、歩道橋の真下で交通事故が起きた。歩道橋から飛び降りた家出少女が、トラックに運悪くはねられたらしい。首があらぬ方向に、曲がっていたとか。

 

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 

 懐かしい夢とともに、音寺は目を覚ました。久しく見た姉の姿を思い描きながら、いつものようにひとりで朝食を食べて、支度をしていく。夢でとはいえ姉に会うことができて、朝から少しだけ上機嫌だった。学校に着くまでこの気持ちが消えないように、と思いつつ、玄関の扉を開けて外へ出る。

 

 履きなれないローファーで駅に向かって歩いていく。一定のリズムを刻むように、コトン、コトン、と音が鳴る。

 

 歩きながら、音寺は昨日の出来事を思い出していた。風見と一緒にいた、死人のような男。覇気はない、やる気もない、生気もないでスリーアウト。チェンジ。そんな男だった。目元の隈はかなりのもので、けれども口調は強め。そこは普通の男の子らしかった。

 

 そんな彼が、生きる活力に満ちた瞬間。自分の見えている幽霊は本物で、それを信じるのだと言いきった。姉と似ているようで、少し違う。でも真っ直ぐな心は、同じだ。あの時の目を見ればわかる。本当に心の底から信じているのだと。

 

(あおき、きょうへい……本当に、生きている人間の幽霊が見えているの?)

 

 全く信じ難い。昨日も抱いた同じ感想に、音寺はため息をつく。生きている幽霊。なんて矛盾な存在だろう。それでも、彼は信じていると言い切った。その力強い言葉が偽りでないのなら、彼の目には何が見えているのか。それは本当に、彼の言う昔の幼馴染なのか。

 

 疑問は尽きない。首を突っ込む気はさらさら無かったけれど……夢で見た、姉の言葉が頭をよぎる。

 

『千人いたら、一人はこの手を掴んでくれるのかもしれない』

 

 それが私だ、と言っていた。誰からも信じて貰えない辛さを、私も姉も知っている。だから当時の私は、その言葉に救われた。

 

 別に、自分がそうでありたいと思うわけではない。たったひとりの人間の力なんてものは高が知れている。けれども、そのたったひとりという人間が、どれほど心の救いになるのかもわかっている。アレが幻覚や妄想に悩まされる類の人なのか、それとも本当に、彼だけに見えている幽霊なのか。

 

 悩み続けながら歩いていると、コトン、コトン、という音と共に昨日の公園までやってきた。そういえば……と音寺は足を止めて思い出す。あの男は通学路が同じだったこと。自分より少し後に、同じ道を歩いてきたこと。

 

(……風見さんに頼まれたから、っていうわけじゃない。ただ、あそこまで思い悩む人を見ていると……放っておいていいのか、悩む)

 

 気にしなければいいものを、これは一種の気まぐれだと自分を納得させて、しばらく公園で待ち続ける。携帯を開きながら、数分ほど待っただろうか。ようやく、その男が見えるところにまでやってきた。

 

 相変わらず覇気のなさそうな顔をしている。面倒くさく感じ始めてもいたが……音寺は、ゆっくりと彼の元へと歩みを進めた。向こう側も気づいたらしく、目の前までやってくると足を止める。コトン、という音も止まった。

 

「どうも、あおきさん」

 

「あぁ……っと、アレだ。寺生まれの孫娘だっけ」

 

「音寺です。もう忘れたんですか」

 

「会うこともないだろうって思ってたしな」

 

 どこか申し訳なさそうに、彼はそっぽを向く。本当にそう思っていたんだろう。思考の隅で悩んでいた自分が馬鹿らしく思えてきて、音寺は小さく息を吐いた。

 

「それで、あなたのいう幽霊さんは近くにいるんですか?」

 

「いや、今は自分のことを監視しに行ってる。てか、昨日幽霊なんていねぇって否定したじゃねぇか」

 

「えぇ、そうですね。幽霊はいないと思いますよ」

 

「……俺を馬鹿にしてるのか?」

 

「そういうわけじゃないです。ただ、ちょっといろいろと気になったことがあったので。とりあえず、学校に行きながらでも話しましょうか」

 

「……これは浮気じゃない、よな」

 

「そう悩んだ時点で、浮気だと思っているものだと思いますよ」

 

 そう言って音寺は彼が歩いてきた方向に向かって進もうとする。駅とは反対方向だ。学校に向かいながらと言ったのに、なぜ反対の方向に向かおうとするのか、蒼桔はその後ろ姿を追いかけながら問いかける。

 

 その問いに対して彼女は、何も思っていないように、努めて無表情を保つようにしながら、言葉を返した。

 

「電車はもう一本ありますから。少し、遠回りしませんか? その方が、いろいろと話せていいかもしれませんよ」

 

「なら別に、駅で話せばいいじゃねぇか」

 

「今日の私は、後ろを振り向かないって気分なので。向いた方向にだけ歩きたいんです」

 

「意味わからねぇ……」

 

 ぶつくさと文句を言いながら、蒼桔は彼女の隣を歩く。コトン、という音と共に来た道を少し戻って、途中で曲がって、更に曲がる。駅へと進路を変えながら、ゆっくりと遠回りに歩き続けた。

 

 道すがら話す内容は、そんなに込み入ったものではなく……普通の世間話のようなものばかりだった。

 

「そういえば、名前はどう漢字で書くんですか」

 

 名前を聞いただけで、漢字は知らない。聞かれた蒼桔は携帯で自分の名前を打って、彼女に見せた。蒼桔 梗平、という読み方が少し面白い漢字だ。梗というのは、『きょう』ではなく『こう』と読む場合がほとんどで、検索しても『こう』で登録されている。

 

「こうではなく、きょうって読むんですね」

 

「あぁ、らしいな。母親は花の名前をつけたらしいけど」

 

「花、ですか」

 

桔梗(ききょう)って花らしい」

 

「ふーん……」

 

 興味なさげに鼻を鳴らす。「聞いといて興味ねぇのかよ」と、蒼桔は文句を言ってくるが、音寺は知らん顔で携帯をいじる。桔梗、花言葉、で検索してみた。その結果で出てきたものが、どうにも面白おかしいもので、音寺は小さく笑いを零す。

 

「何笑ってんだよ」

 

「いえ、花言葉を見たら面白かったので」

 

「桔梗のか?」

 

「永遠の愛、みたいですよ。重たいですね」

 

 ついでに、今のあなたにぴったりですねと付け加える。彼は「うるせぇ」と言って歩みを速めていった。女の子が隣にいるのに、彼は歩幅を合わせることもしないらしい。

 

「だったら、お前の名前はどうなんだよ」

 

「楓ですか。調和とか、楽しい思い出、とか、節制や自制ですね」

 

「全然合ってねぇな。調和とか節制自制って感じじゃねぇ」

 

「……かも、しれませんね」

 

 この名前が似合うのは、きっと姉の方だっただろう。一瞬苦々しく顔を歪めて、元に戻す。運良く彼には悟られることはなかった。

 

 そのまま二人で小さな口論を繰り返しながら、コトンという硬い音と共に駅へと辿り着く。改札を抜けて、下りのホームへ。階段をおりてすぐの場所で立っていると、黄色い線の内側に、という聞きなれた音が耳を通り抜けていった。

 

 ホームは生徒や会社に向かう人が多い。それでも、更に上の駅に上っていけば、これとは比べ物にならないほど多いんだろう。学校の駅より下は、ここよりも更に田舎だ。下の方から来る生徒の、電車の時間が不都合だという話は何度も聞いたことがある。

 

「……なんか、改札辺りが騒がしいな」

 

 彼が言うように、先程から改札辺りが騒がしくなってきていた。おおかた、電車に乗り遅れそうになった学生が急いでいるのだろう。あと少しで電車は来るけれど、そんなに急ぐこともないだろうに。

 

「ここはいろんな学校の生徒が使いますからね。ほら、総合とか」

 

「まぁ確かになぁ。朝っぱらだってのに、やかましい連中だ」

 

 ポケットに突っ込んでいた手を出して、頭を搔く。音寺もその言葉に同意し、深くため息をついた。

 

 そうこうしていると、その騒いでいた生徒であろう男子が数人急いで駅のホームに降りてくる。コトン、コトン、という硬い音が強くなり始めた。どこかで聞いたことがあるような音だけれども、なんだろうか。

 

「あっぶねー、ちょーギリギリじゃん」

 

「お前が寝坊すんのが悪いんだろうがよ」

 

「バッ、階段で押すんじゃねぇよ危ねぇだろ!」

 

 どこの高校の制服かはわからない。彼らは軽い口喧嘩をしながら降りてきている。体を軽く押し、軽く叩き。そんなふうに小競り合えるような友人関係が、羨ましいと少しだけ思う。そんな普通の世界が、本当に羨ましい。

 

「だから危ねぇっての!」

 

 押されていた生徒の体が揺らめく。ちょうど階段を降りきった瞬間で、踏みとどまることができなかったんだろう。彼の体が、音寺にぶつかってしまう。背中側から、リュックごと押される形で。

 

 コトン、コトン、と音が聞こえる。遠くから。背後から。

 

 それは高校に入学して、よく聞くようになった音。電車が走る時に出る、レールとの接触音。レールの隙間を通る時に、コトンという音が鳴る。それだった。

 

 不意なことで体は前につんのめる。そのまま線路にまで落ちてしまうのではないか。あと少しで電車が到着する。轢かれて、死んでしまう。

 

「ッ……」

 

 体がぐんと後ろに引かれる。リュックを掴んで無理やり引いてくれたのは、蒼桔だった。そのまま力なく蒼桔の体にもたれ掛かるように、後ろ向きに倒れていく。彼はその体をしっかりと支えてくれていた。

 

「あっぶねぇな! テメェら駅で暴れてんじゃねぇぞ!」

 

 尻もちをついていた男子生徒に向かって、彼は怒鳴る。駅にいた人たちが見守る中、騒いでいた彼らは揃って頭を下げてその場から離れていく。少なくとも、もう騒ぐ様子はなかった。

 

「平気か?」

 

「……すいません、助かりました」

 

「あぁ。ったく、アイツら次騒いでたら通報してやろうか」

 

 彼は音寺の代わりに怒るように、文句を垂れ流していく。彼が引っ張ってくれなかったら、ホームの下に落ちていたかもしれない。

 

 音を立てるばかりで無害だと思っていた自分が恨めしい。どこからか舌打ちが聞こえた気がして、もう背後からは音が聞こえなくなる。聞こえてくる音は全部、ようやく駅に着いた電車の音で聞こえなくなってしまった。

 

「……先輩、舌打ちが聞こえませんでしたか」

 

「あ? まさかアイツら舌打ちしやがったのか?」

 

「……いいえ、たぶん気のせいです」

 

 彼は何も見えていない。聞こえていない。でも、昔の幼馴染の姿だけは見えるらしい。それが真実だとするのなら……羨ましくて、仕方がなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6話目 記憶通り

 音寺という後輩に会った次の日。蒼桔は風見よりも早く家を出て、また早めの電車に乗ろうとしていた。佳奈も一緒だったが、すぐに自分のことを監視しに自宅へと行ってしまう。

 

 風見は未だに蒼桔の言うことを信じてはくれず、医者に行けだの、気分転換でもしろだの、まったく見当違いなことを言ってくる。

 

 蒼桔の言うことは全く現実味がないことだ。そんなことは自分でもよくわかっている。それに愛想を尽かして見放さないのは、素直に喜ばしいことではあるのだが。敵に回らないだけ良しとするべきなんだろう。けれども、一緒に佳奈のことを助けてあげられる仲間は欲しいのが現状だ。蒼桔だけでは白鷺に話しかけることは難しい。

 

 これからどうしたものか……と考えながら、人の少ない通学路を歩く。やがて駅の近くの公園についたところで、公園の中から見覚えのある女の子がやってきた。肩程度の長い髪の毛に、眼鏡。真面目そうな顔。印象に残りやすいはずなのに、名前が出てこない。

 

 話しかけられ、素直に名前を忘れてしまったことを伝えたら、ため息をつかれた。それも仕方がないだろう。

 

「少し、遠回りしませんか?」

 

 学校に行くのに、道を少し戻って話をしよう、と彼女は言う。「今日の私は、後ろを振り向かないって気分なので」と意味のわからないことを言い出したが……事実彼女は、神経質な程に後ろを見ようとはしなかった。歩く時も、真横か少し後ろをピッタリとついてくる。

 

 そんなに後ろを見たくないのか、と尋ねてみた。そういう気分です、と返されてしまったが。風見が言うように、だいぶ不思議ちゃんらしい。真面目な顔で言うものだから、何かしら意図があるのかと思ってしまうが。

 

 彼女は駅に着いても後ろを向こうとはしない。まったくとんだ変人だった。寺生まれと言われても仕方がない気もする。

 

 そんな彼女がようやく後ろを振り向いたのは、慌てた学生にぶつかられて線路の方に倒れそうになり、引っ張ってやった時だった。恐る恐るといった様子で背後を振り向いた彼女の顔は、無表情というよりは怯えに近い。当然だ、危うく直ぐに電車がくる線路に落ちかけたのだから。

 

「先輩、舌打ちが聞こえませんでしたか」

 

 抱きとめた腕の中から離れると、そう尋ねてきた。ぶつかってきた学生は既に遠いところにいる。周りの音は電車の音でほとんど聞こえない。だというのに彼女だけに舌打ちが聞こえたのか。そんなに大きな音なら聞き逃すこともないだろう。

 

「いいえ、たぶん気のせいです」

 

 そういった彼女の表情は、暗いものだった。心の中で何を感じたのかは知らないが……多分それは、線路に落ちる恐怖ではなかったような気がする。

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 学校は友人と過ごせるある種開放的な場所だ。蒼桔は中学の頃はそう思っていた。あの事件以来、学校は窮屈で息苦しく、寿命を縮めるような場所に変わってしまったけれど。

 

 好きな女の子と同じクラス。小学校や中学校なら、それはもう感謝感激雨あられといった状態だろう。だが、今の蒼桔にとっては……目線はいつだって白鷺を追ってしまうし、その会話を耳が勝手に聞き取ってしまうし、その一挙手一投足を盗み見てしまう。そして心を痛める。

 

 思春期特有のソレなら、まだマシ……いや、どの道気持ち悪いことに変わりはない。幸いなことに、同級生でその事情を知るのはごく一部で、同中の人だけだ。だから彼が白鷺のことを見ていようが、あぁまだ諦めきれないのか、で終わる。

 

 だから彼が教室でいつまでも残り続け、白鷺が彼氏と帰るのを見送っていようが……特に誰も声をかけない。それが当たり前になっていたからだ。風見からは、真性のマゾヒストだと比喩されたが。

 

(……顔が良い奴が、羨ましい)

 

 放課後の教室で項垂れていた蒼桔は、白鷺と佐原の出ていったドアを見つめながら、そう考える。顔が良ければ、自分は白鷺に捨てられなかったのでは、と。

 

 しかしそれでは顔で選ばれたようなものじゃないのか。所詮顔で選ぶものだと言ってしまいたくはないが……本物の彼女は、なんで自分を選んでくれたのだろう。

 

 誰とも話すことができず、退屈な時間を過ごしていた佳奈は蒼桔の隣で体を伸ばしている。ポケットから携帯を取り出して、耳元に近付けたまま彼女に話しかけた。

 

「なぁ、佳奈はどうして俺を好きになったんだ?」

 

「えっ? どうしてって……どうして、だろうね」

 

「いやそこは答えてくれないと精神的に辛いんだけど」

 

「んー……よくわからないけど、でも好きだよ? 一緒にいるとドキドキしたり、嬉しくなったりするし……理由は、わからないかなぁ」

 

 曖昧な答えだった。でも、蒼桔も同じだ。彼女と一緒にいて鼓動が早くなるのも、顔つきが緩んでしまいそうになるのも。思えば自分が彼女を好きな理由も、ハッキリとはしない。

 

 告白されたから付き合った……付き合っていいと思った。それだけ長い間一緒にいて、お互いのことを知っていたから。だとしたらそれは顔を好きになったのではなく……。

 

「やっぱり……心、なのかな?」

 

「……多分、そうなんだろうな」

 

 同意すると、佳奈は笑って「同じだね」と返してきた。お互いちゃんと好き同士。その理由は、きっとすごく曖昧なものだ。似通った感想を抱いていた二人は、思わずくすくすと笑い合う。

 

 白鷺によって痛めつけられた心は、今はもう悲鳴をあげていない。やっぱり彼女といると落ち着くし、心が癒される。どうしようもなく好きだった。それだけは間違いない。

 

「今日は、一緒に帰るか。なんか……あの佳奈のことをどうこうするって気に、今はなれないし」

 

「でも、私は早く戻りたいな……何かないの?」

 

「あったらもう実行してるって……。文献があるわけじゃないし、その手のことを研究してるような人間は胡散臭そうだ。そもそも人脈もない。そっちは、何かなかったのか?」

 

「周りにいても、何も変化はなかったよ。向こうは私が見えるわけじゃないしね。触ってみようとしたけど、すり抜けるだけだったよ」

 

 彼女の方も何も収穫はないらしい。前途多難なことは百も承知だったが、いざ直面するとどうしたらいいのかわからない。

 

 早く彼女を戻してあげたいという気持ちはちゃんとある。だがそれができるかどうかというのは別問題だ。いっそのこと、ネット検索で当たった霊媒師を手当り次第訪問してみようか。

 

 とりあえずとばかりに、蒼桔は検索をかけてみる。けれども携帯の画面に映るのは胡散臭そうなホームページばかり。どれも詐欺に遭いそうな気がするが……。

 

「……またいつもの仏頂面に戻ったみたいだな」

 

 いつの間にか教室にやってきていた風見が声をかけてきた。椅子の後ろに回り込んで携帯を覗き見て、その画面に映るモノにため息を吐く。お前まだなのか、と口にしないでも聞こえてくる気がした。

 

「詐欺メールが飛んできても知らないぞ」

 

「消しゃいい話だ」

 

「一日五百近くのメールが届いてもか? 三分おきくらいに」

 

「……実体験?」

 

「触れるな」

 

「自分から言ったくせに何言ってんだお前」

 

 詐欺メールくらい誰だって経験ありそうだが、風見のはどうも面倒なものだったらしい。流石にメアドを変えたよと困ったように言う。三分おきに送られてきたらたまったものではない。

 

(……それにしても)

 

 いつもと変わらない様子の幼馴染に、蒼桔は距離を測り損ねていた。朝の登校も時間をずらして、昨日もロクに話さないどころか喧嘩腰になってしまったというのに、彼は全くそれを意に返さない。不思議どころか、奇妙だ。

 

 きっと周りからも変な人だと言われていることだろう。そもそも見た目からして蒼桔と風見は合わなそうだ。真面目そうな顔つきの眼鏡と気怠げな目つきの男。ピシッとした背格好と、若干猫背。

 

 どっちがいいと聞かれたら、大半の人は風見を示すだろう。よく見てみれば、コイツそこそこ顔もいい。それに気づくと途端に鬱陶しく思えてくる。イケメンは一種の天からの恵であり、罪だ。

 

「なぁ、今日は暇してるのか?」

 

「暇っていうか……」

 

「幽霊のことは抜きにしてだよ。暇だろ」

 

「あのな、俺にとっての優先順位の一番は佳奈に決まってんだろ」

 

「なら聞いてみなよ。カラオケ行こうぜってさ」

 

 俺は信じてないけど、と風見は言う。昔からよく三人でカラオケには行っていたが、流石に今行って楽しめるかどうかわからない。佳奈もカラオケは好きだが、今の状況で楽しむなら、一日でも早く戻って、生身でカラオケに行く方がいいだろう。

 

「……だってよ、どうする?」

 

 先程から風見の首元を触ろうとしている佳奈に尋ねてみる。風見の方を向いて話しかけたせいで、彼は一瞬気が動転して周りをキョロキョロと見回していた。

 

 蒼桔が彼女を指さして、お前の右側で遊んでると伝えると、風見も指さした方向に向き直る。怪訝そうな顔をしていた。やはり見えていない。

 

「私は……どうしようかな。でも、久しぶりに三人で行ってみたい気もする。それに、今なら二人の料金で三人使えるし、お得じゃない?」

 

「……行くってさ」

 

「なら、駅降りてすぐのカラオケ行こう。高校生なら部屋代ナシらしい」

 

 久しぶりのカラオケに、風見はどこか嬉しそうだった。佳奈も楽しそうに笑っている。

 

 ……昔から変わらなかったはずのその景色に、思わず目頭が熱くなってしまう。いつもの三人だ。嫌なことがあっても、なんとなく集まってしまう……いつもの、場所だった。

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 彼らが向かったのは、いつも通学に使う最寄り駅の正面にある大きなスーパーだ。八回建てのその建物は、しかしほとんどテナントが入っておらず、シャッターが閉め切っている。ゲーセンもついこの前閉まってしまった。そんな中で唯一活気があるのが、カラオケだ。しかも規模がそれなりに大きい。

 

 宛てがわれた部屋の中で歌うのは、男二人。風見の選曲チョイスはどこか首を捻るものばかりだ。演歌で九十点を越す歌唱力を知っている人は、きっと多くない。蒼桔も負けじと流行りのラブソングを歌ってみたが……八十点を越すかどうかが関の山だった。

 

「昔っからだけど、お前の選曲センスはなんなの。演歌からアニソンまで幅広くね?」

 

「俺が歌いやすいものをチョイスしてるからね」

 

「歌いやすい、ねぇ……そうだ、そろそろ佳奈も歌ってみるか?」

 

「うーん……でも、マイク持てないし……」

 

「なくても歌えるだろうさ」

 

 中学時代の佳奈の歌を思い出す。彼女も恋愛系の歌を好んでいた。ボカロ曲も歌っていたし、おそらく風見から勧められたんだろう。これ現役中学生が作ったんだって、と意気揚々と話していた。中学生で作曲はすげぇな、と蒼桔は返した記憶がある。

 

 そんな記憶を掘り起こしながら何を歌うのか尋ねると、返って来たのは当時流行っていたラブソングだ。たった二年程しか経っていないはずなのに、そういえばこんな曲もあったなと感慨深くなる。

 

「な、なんかマイクなしで歌うの……恥ずかしいね……」

 

 照れくさそうにはにかみながら、流れてきた曲と共に歌い始める。記憶の中にあった歌声とまったく変わらない。姿形が中学時代のものなら、歳をとったのは自分たちだけなのだろうか。そんな気もしてくる。

 

 相変わらず高い音でも外さない、いい歌声だった。歌いきった彼女は、恥ずかしくて火照ったせいか、額を拭っている。紅潮した頬で笑う彼女の姿は……やっぱり、かわいらしい。思わず蒼桔も頬が緩んでいく。

 

「……虚空を見ながらニヤけるのは気持ち悪いぞ」

 

「いるんだって、そこに」

 

「随分と懐かしい曲だったけど……俺には全く歌は聞こえないよ。マイク入れといたけど、音が入ってなかったし」

 

 採点をする画面には、音が全く入っていない。けれど、蒼桔にはちゃんと聞こえている。前と同じ、彼女の歌声が。

 

 風見に聞こえていないことがわかると、彼女自身わかってはいてもどこか悲しそうに顔を俯かせる。外から聞こえてくる若干音の外れた歌声が、捻れた彼らの関係性のようだった。

 

「……にしても寒いな。クーラー効きすぎてない?」

 

「わかる。ちょっとトイレ行ってくるわ」

 

「俺も飲み物取りいく」

 

 佳奈は待っているようで、男二人で立ち上がって部屋から出た。トイレとドリンクバーは途中の道で別れてしまう。蒼桔が道を曲がると、ちょうど向かい側からやってきた二人組とぶつかりそうになって足を止める。

 

「おっと……すいませ……」

 

 言い切ろうとして、言葉が詰まる。驚いた顔で立ち止まっていたのは……白鷺 佳奈と、佐原 辰哉の二人だったからだ。空のコップを持ったまま、お互い何も言葉が出ない。先に掠れるような声を出したのは、蒼桔の方からだった。

 

「……佳奈」

 

「あれ、佳奈の知り合い?」

 

「し、知り合いっていうか……その……」

 

 苦々しく顔を歪める蒼桔と、どこか面倒くさそうに言葉を濁らせる白鷺。お互いのぎこちない姿を見て、佐原は柔らかな表情を曇らせる。白鷺の体を半分隠すように、少し前に歩み出た。外れている第一ボタンや固められた髪の毛。軟派者だと蒼桔は比喩したが、いざ詰め寄られると体が強ばって仕方がない。イケメンは凄みも違う。

 

「佳奈に何か用?」

 

 何か用かって、なんだ。彼氏ヅラしやがって。心の中で毒づくも、それは言葉にできない。けど、このまま引き下がるなんて以ての外だ。俺が、佳奈の彼氏だ。そうやって顔面に言葉の右ストレートをぶち込んでやりたい。

 

「用って……俺は」

 

「梗平、ストップ」

 

 言おうとした言葉は、背後から近づいてきていた風見によって止められる。肩に手を置いて、強めに後ろに下がらせた。代わりに風見が蒼桔よりも少し前に出る。右手に持っているコップには、何も注がれていない。おそらく蒼桔の驚いた声と、その後のやりとりが聞こえて戻ってきたんだろう。

 

「俺たち、一応佳奈の幼馴染だったんですけど……昔の幼馴染のこととか、何か聞いてたりしません?」

 

「いや、俺は何も聞いてないけど」

 

「そうですか……ならまぁ、後で本人から聞いといてください。ほら、行くぞ」

 

「痛ッ……そんな強く掴むなって!」

 

 風見に引きずられるように、蒼桔はその場から離れていく。せっかく話せるチャンスだったのに、よくも不意にしてくれたなと暗い感情が蠢き始めていた。部屋の前まで戻ってきた風見が蒼桔に向き直ると、ようやく手を離してくれる。

 

「こんなところで喧嘩でも始める気なのか? せめて店の外でやってくれ。店員に通報されるのは御免だぞ」

 

「……悪かったよ」

 

 真剣な顔で言われてしまえば、確かにそうだと頷くしかない。これが風見でなかったら、胸ぐら掴んで、何邪魔してんだと怒っていたかもしれないが。

 

「……でも、幼馴染だったって、過去形にするなよ」

 

「お前はそうかもな。でも、俺にはもう過去のことだよ」

 

 俺はもう割り切っているんだ。そう言ってくる風見の顔を、蒼桔は正面から見ようとはしなかった。




日陰者よりも書きにくいので、感想などもらえると個人的にとても助かります……。

三分おきにメール? ありますねぇ! ありますあります!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第7話 今彼元彼ダレノカレ

 ある日突然、恋人から自分の記憶が消えてしまったら。そんな変な話をされても返答に困る。下手したら死別より難易度が高い。まぁ俺が被害をこうむった訳じゃないし。けど、まぁ一応関係者なわけで。馬鹿みたいに薄っぺらい関係者。佳奈が俺を選んだから生まれた事故みたいなもんだ。

 

 ……何も言わないのって?

 

 それはまた、お気の毒に。だってどうにもならないんだろ。もう二年経ってる。そろそろ……時効ってもんじゃないのかねぇ。

 

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 

 佐原が今付き合っている恋人、白鷺 佳奈には失ってしまった記憶があるらしい。その中には当時の恋人がいるのだとか。そんなことをつい昨日聞いたばかりだ。

 

(やだねぇ、そんなの。忘れるのは別れたあとでいいってのにさぁ)

 

 昼休み。飲み物を買うために一階の自販機まで佐原は歩きながら考えていた。つい昨日、カラオケで遭遇した二人の男子生徒。蒼桔 梗平と風見 綾。そして一緒にいた白鷺 佳奈。この三人が元幼馴染で、中でも蒼桔と白鷺は付き合っていた……が、その記憶を失ってしまった。幼馴染関連の部分だけ、すっぽりと。

 

 なんて奇跡だ。いや、そう呼ぶべきじゃないのかもしれないけど。まったく神様ってのは度し難い。苦しんでるのは佳奈じゃなくて、過去を忘れられない蒼桔だ。忘れてしまった佳奈にはそこに罪悪感を覚えることすらない。あの死人みたいな顔をした覇気のない男はずっと、過去に縛られたままだ。そんなもの、見るだけでわかる。

 

(もし自分が忘れられたら……いやぁ、どうすんのかねぇ。ストーカーのように付き纏う? それともすっぱり縁切って別の子を探す? でも待てよ。もし途中で思い出して、復縁を切り出されたら? その時別の子と付き合ってたらどうするよ)

 

 なかなか難しい問題だなぁ、これは。どこか上の空な佐原は、一階まで下りてくると、校舎の外に出てすぐの場所にある自販機の前に立ってポケットから財布を取り出した。そして中を開くと……眉をひそめる。小銭がなく、札も五千円。自販機ではくずせない。

 

(まずったなぁ。コンビニで小銭使ってたの忘れてたわ)

 

 誰かから小銭を借りてこようか。いやでもわざわざ借りてからまた戻ってくるのも面倒くさい。

 

 どうしたもんかねぇ……と、しばらくその場で呆然と立ち続ける。幸いとも言うべきか、困ったことにと言うべきか。知り合いどころか生徒すら誰も買いに来ない。校内の自販機の方が人気らしい。佐原が飲みたい缶コーヒーが外にしかないので、毎度ここに買いに来る訳だが。

 

(誰かに電話かけてみっかなぁ。窓から小銭投げてもらえばいいし)

 

 ひとまず借してくれそうなやつに電話をかけようとすると……校舎の中から出てくる足音が聞こえてきた。自販機の前にいては邪魔になってしまう。とりあえず離れようとして、途中で出てきた人物と顔を合わせることになった。すれ違うことができなかったのは、その人物が考え事の中心に近い奴だったからだ。

 

 眼鏡をかけた男。理知的な顔立ちといえばいいのか、真面目そうと言えばいいのか。ともかく、あの死人みたいな男とは波長が合わなそうだ。

 

(なんだっけな……風見鶏みたいな……って、そのままだ。確か風見だ)

 

 風に流されるままそっちを向くような、自己主張のなさそうな男。そんな感じで佐原は覚えていた。

 

 対面から向かってやってきた風見は、佐原が立ち止まるのと同時に足を止める。眼鏡の奥から覗き込んでくる目は、どうやら目的があってここに来たらしいというのを伝えてくる。

 

「確か昨日会った……風見、だっけ?」

 

「それで合ってますよ。あの後、佳奈から俺たちのこと聞いたんですか?」

 

「あぁ、まぁ一応ね。てか、敬語なの?」

 

「同い年でも、親しくはないでしょう」

 

「確かにねぇ」

 

 佐原は特に言葉遣いに気をつけてはいなかったが、風見は基本的に敬語らしい。別に同学年ならそんなもん気にしなくてもいいような気がする。特に学校なら。

 

 彼はその場所で立ち止まって話すのもなんだなと思ったようで、自販機の前までやってくると財布を取り出し、缶のリンゴジュースを買った。取り出し口から手を引っこ抜きながら、佐原の方を見て言う。

 

「佐原くんは何か買わないんですか?」

 

「いや、小銭がなくてさ」

 

「そうですか。なら、なんか飲みたいもの奢るんで、ちょっとばかり話を聞いてもらえませんかね」

 

「別にそんなことしなくたって聞くけどさぁ。なんつーか、奇っ怪な小説みたいな話じゃん?」

 

 あぁ、本当に。まるでフィクションだ。茶化すように笑う佐原を、しかし風見も薄らと笑い返した。蒼桔の肩を持つかと思っていたばかりに、肩透かしを喰らった気分になる。

 

「確かに、馬鹿げた話ですよ。よくある恋愛モノだ」

 

「お約束は記憶が元通りって感じ? あっ、俺これね」

 

 貰えるなら貰っておくとばかりに、佐原は飲みたかった缶コーヒーを指さした。嫌な顔ひとつせずに風見はそれを買ってくれる。受け取ると、早速とばかりに中身を飲んでいく。ちょうどいい甘さと苦味、酸味。微糖が好みな佐原にとっては至福の一缶と言ってもいい。

 

「ふぅ……それで、なんだっけ。話したいことがあるって?」

 

「あぁ……放課後、梗平と話をして貰えませんか」

 

「蒼桔と? えっ、今の状況で?」

 

 そんなもんどっからどう考えたって地雷じゃないか。佐原は目に見える爆弾を踏みに行く物好きではない。あからさまに嫌な顔をすると、風見の方も困ったような顔になってしまった。

 

「梗平は、今ちょっとばかり……鬱みたいな状態になってて。これはまた馬鹿げた話ではあるんですけど」

 

 それから風見が話し出した内容は、そりゃもう佐原にとってはお腹いっぱいな話だった。記憶喪失の幼馴染の幽霊ときて、自分にしか見えていないとか。むかーし読んだ漫画にそんなやつあったなぁ、と思い出した。もちろんそんな与太話を信じられるわけがないが、その上で蒼桔と話をして欲しいと彼は頼んでくる。

 

「面倒は起こさないよう釘は刺しておきますよ。いや、できればそっちからも釘刺してもらいたいですけど」

 

「えぇ……お前アイツの幼馴染じゃないの?」

 

 なんだってそんな、敵になるようなことをするんだ。そう問い返しても、風見はなかなか答えようとはしない。リンゴジュースで喉の奥を潤わせてから、彼は長いため息をつく。その表情は、何と形容したらいいのか。困惑、諦め、羨望、怒り、侮蔑や後悔。そんな良くなさそうなものが入り交じったような、そう……憂いを帯びた顔だった。

 

「早いところ、あの馬鹿を元に戻したいんです。佳奈のことを追っかけて学校を選んだ上に、更には妄想癖。付き合いきれないんですよ、こっちも」

 

「へぇー、結構お互いドライな感じ?」

 

「……さぁ、よくわかりません。幼馴染っていうのは本当に、よくわからない。だからまぁ、佐原くんが何かしらアイツの目を覚ましてくれるのなら、それは俺にとっても助かることなので」

 

「冷たいんだねぇ。幼馴染に幻想を見すぎたかな。ほら、漫画とかでよくある、お互い相棒だぜ、みたいな感じだと思ってたんだけどなぁ」

 

 何かあっても幼馴染だからで済ませられるような関係。そんなもんだと思っていた。だけどこうして実際、風見は蒼桔の行動理念とは真逆のことをしようとしている。彼はきっと佳奈の幽霊なんて信じちゃいない。本人も言うように、馬鹿馬鹿しい話なんだろう。

 

「でもまぁ、わざわざ俺のところにそんな話をしにくるのは、それなりに幼馴染のことを心配してるってことなんかねぇ」

 

「……まさか。自分のことしか考えてないよ……お互い、きっとね」

 

 残りのリンゴジュースを煽るように飲み干すと、彼は苦々しく顔を歪めた。酸っぱかったわけじゃないだろう。荒々しくゴミ箱に捨てて、すれ違いざまに「頼みますね」と言い、そのまま校舎の中へと戻っていってしまう。

 

 どうやら幼馴染というのは、そんな楽なもんでもないらしい。佐原も缶の残りを飲み干すと、ゴミ箱に捨てようとして……一瞬首筋をなぞるような、ぞわりとした感触に身を震わせる。

 

 寒気だろうか。それとも、こんな面白そうな話の中に自分がいるということに少なからず楽しみというか、好奇心を覚えているんだろうか。全身が逆立つような鳥肌は、しばらく治まらなかった。

 

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 

 放課後。佐原は白鷺に先に帰るよう連絡を入れてから、しばらく教室の中で携帯をいじっていた。教室に残る生徒は少なく、どんどんその数は減っていく。部活動に勤しむ姿を見て、楽しそうだとは思っても……肌に合わないだろうなぁ、と行き着く結論は面倒くさいだった。

 

 放課後に会ってくれとは言われたものの、教室に向かえば佳奈と鉢合わせになる可能性がある。それだと上手く話は出来ないだろう。なんと言えばいいのか、佳奈はあの二人と会いたくなさそうだった。まぁ、過去にわだかまりがある訳だし、気持ちはわからなくもない……だろうか。

 

(なんにしても、気の毒な話だよねぇ。幻覚見えるくらい好きなのに、本人は覚えてないなんて。いやもし本当なら。仮に記憶が戻ったら。寝盗られたりするのか? リアルに? うわぁ、マジで起きたら吐きそう)

 

 これはもう夜に耐性つけるべく読み漁った方がいいかなぁ。なんて馬鹿なことを考えながら、来るだろう人物を待ち続ける。珍しく教室に残り続ける佐原に、友人たちは手を振ってから教室を出ていった。そしてめっきり人がいなくなり、教室に佐原だけが取り残される。

 

 隣の校舎からは吹奏楽部の演奏が聞こえ始めた。窓から見下ろす景色は夕暮れに染っていて、部活に勤しむ生徒の姿が見えたりする。こんな時間まで残っていることも、中々ないだろう。それにしても、いつ来る気なのか……。

 

「……佐原」

 

「んっ? おぉ、来た来た。来ないかと思ってたよ」

 

 音楽のせいで空きっぱなしの扉から入ってくる音に気づけなかった。窓に背を向けて、入ってきた人物と顔を向き合わせる。

 

(……本当、死人みたいなツラしてんなぁ。かわいそうに)

 

 果たして自分が彼の立場なら、ここまで酷い有様になるだろうか。とても想像できない。机二つ分の距離はあるが、それでも目に見えてわかるくらい彼は疲れているように見える。

 

 いつものように平常心でいる佐原とは違い、彼……蒼桔はどこか居心地が悪そうだった。まぁ、そりゃそうだと佐原も思う。女の子の彼氏と元彼が出会って、ハイターッチってことはない。向こうからしたら息苦しいことこの上ないだろう。

 

「いやぁ、昨日は悪かったよ。佳奈になんか悪さしようとしてるかと思ってさぁ。目付き悪かったし」

 

「……随分とアレだな。記憶のなくなる前の彼氏と会っても、変にひねくれたりしないんだな」

 

「装ってるだけかもしれないよ? でもまぁ、ほら。事情が事情じゃん?」

 

 なんかおもしれェこと起きてんなぁと、佐原は楽観的だった。蒼桔からすれば死活問題だろうに、佐原はその柔らかな表情を崩さない。おそらく拍子抜けだと思われているだろう。

 

 争いたいわけじゃない。でも……じゃあ負けでいいって聞かれたら、そんなものもちろんノーだ。

 

「それで……なに話す? 佳奈の自慢話でもする?」

 

「ッ……あのなぁ、俺は真剣な話しにきてんだよ」

 

「いやこっちも真剣だけどね。幽霊が見えるんだーって言ってる奴と、佳奈の今の彼氏。どっちが真面目かって言ったら、そりゃ俺でしょ」

 

 そんなもん当然だろとばかりに佐原は言う。蒼桔も言い返したそうな顔をしていたが、散々っぱら周りの人に言われ続けたせいだろう。言葉は喉の奥から出てこようとはしなかった。

 

 両手を握りしめて震えるその姿に、同情しなくもない。まったく可哀想な奴だ。それでも見えている幻覚に縋って、記憶を取り戻そうとしている。

 

 ただ、問題がある。そう……致命的な問題が。

 

「蒼桔は、佳奈の記憶を取り戻したいんだっけ? そうすれば佳奈は自然と自分の元に戻ってくるだろーって」

 

「……そう思っちゃ、悪いのかよ。だって俺は」

 

「いや別に悪いとは言っちゃいないよ。たださぁ……わかるだろ? 仮に俺とお前が逆の立場だったらさぁ……」

 

 そんな話を易々と信じて、佳奈と一緒に過ごすことを許容するのかって。いや、そんなわけない。恋人ってのはそんなもんだ。どうしようもない独占欲ってものがある。それは蒼桔も感じているだろ。だからこそ、こうやって突っかかってくるんだ。

 

「逆だとか、そんな話じゃねぇんだよ。お前も聞いてんだろ。佳奈が、そう言ってんだよ! 記憶を取り戻したいって!」

 

 吹奏楽部の演奏をかき消すような、強い言葉だった。声が大きいというわけじゃなく、覇気があったってわけでもない。ただ、何か芯のあるような、強さがあった。

 

 睨みつけるように見てくる彼の目は死人のソレではなく、生き生きとしているように思える。しかし……だからこそ、佐原は思ってしまった。

 

(……追いかけることでしか、自分を保てないんじゃないのか?)

 

 その幻覚は、自己防衛ではないか。そう思えてしまう。だとしたら彼の恋は……愛は、なんて重たいものなんだろう。あぁ、なんて……救われない。それでもこの言葉を、佐原は彼に告げなくてはならない。

 

「……佳奈は記憶なんか取り戻さなくていいってさ」

 

「ッ……」

 

「アイツは今のままでいいって言ってる。わざわざ昔の記憶なんてなくても、生きていくのに支障なんてないってさ。お前も教室一緒なんだから見てるだろ? 友達だってちゃんといるし、不自由そうな顔ひとつない」

 

「だからって、そんなの……佳奈の親だって、記憶が戻った方がいいに決まってるはずだ!」

 

「それは決めつけだ。例えなくしたものが大切なものだったとしても、本人がいらないと言えば、その主張を尊重すべきじゃないの? 第一、そもそもの話……」

 

 自分らしくない言葉の昂りを押さえつけるように、佐原は一呼吸間を置く。だんだんと死人の目に戻りつつある彼に向けて、しかしこの意志だけは曲げてはいけないと、言葉を口にする。

 

「今の佳奈の彼氏は、俺だ。なのに佳奈のことを信じてやれないなんて、そんなの失格だろ」

 

 彼とは相容れないのだと、否定する。ことこの対面において、蒼桔は勝つことはできないだろう。なにせ……彼自身も、心の奥で納得しているからだ。あぁ、そりゃそうだろうな、と。

 

 そんな不満と納得のせめぎあいで顔を歪めている蒼桔を見ないようにして、佐原は机に置いてあった鞄を持って、その場から去っていく。

 

 教室を出る瞬間、流れる音楽にかき消されそうな声が、微かに耳に届いてきた。

 

「……俺だって……佳奈の、彼氏だ」

 

 あぁ、本当に。悲しい男だ。それでも対立するしかないじゃないか。それが、恋人ってものだ。彼氏としての責務ってものだ。佳奈が嫌がる以上、俺は佳奈の味方じゃないといけない。

 

 依然として教室の中で動こうとしない蒼桔の背を一瞥して、佐原は歩みを早めていく。階段をおりて、下駄箱までやってきた。そして自分の下駄箱にまで向かおうとして……その前で立っている女の子を見つけて、足を止める。

 

「……先に帰っててって言ったのに、待ってたの?」

 

 立っていたのは、白鷺 佳奈だった。手に持っていた携帯をしまい込むと、笑いながら「うん」と頷く。

 

「もうちょっと待ってこなかったら帰ってたけどさ。でも、待ってて良かったよ」

 

 恥ずかしそうに笑う。いつもなら嬉しい気持ちが満ちていくのに、どうにも居心地が悪い。しかしそんな顔を見せないように、佐原は後頭部をわざとらしく掻きながら「いやぁ悪いね。ありがと」とお礼を言う。

 

(……救われない、ねぇ。本当に)

 

 逆の立場にはなりたくないなぁ、と佐原は右手を包み込む柔らかな感触と共に実感していた。





誤字報告ありがとうございます。
とりあえず10万文字(20話程度)で終わらせる予定ですけど……これ書ききれるのかなぁ。また前作みたいに、力足りずに読者を説得しきれない、なんてことがないように頑張ります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第8話 帰り道

 風見に言われ、蒼桔は佐原と正面切って話をしたが……その結果は見るも無惨なものだった。夕暮れ時の教室には、蒼桔がポツンと一人で取り残されている。無力感に苛まれるように下を向き、誰とも知らない人の机に座り込んでいた。

 

 他の誰の目にも映らない幽霊も、その隣で慰めるように佇んでいる。「大丈夫だよ」「梗平は悪くないよ」と言葉を投げかけてくるが、そんなものも気休め程度にしかならない。

 

 この先どうすればいい。そんなことを何度考えても、答えは全く出ない。もしも綾みたいに頭が良かったら、もう少し別の考えも浮かぶのか。なんて考えても、ないものねだりだ。

 

「……俺じゃなくて、綾なら。もう少しマシな方法を思いついたのかな」

 

「でも……私は綾くんより梗平に助けて欲しいよ。それに、綾くんは……なんだか、乗り気じゃないみたい」

 

「んなことは、アイツが手伝ってくれなかった時点で知ってるよ」

 

「違うの。昼休みに佐原くんと話してるのを見てたから」

 

 見ていたって、と蒼桔は彼女に顔を向ける。確かに昼休みに佐原と話をつけてくれたことは聞かされた。だがどういった内容を話していたのかは知らない。ただ放課後に話し合いの場を設けてくれると言っていただけだ。

 

「なんだかね、悲しそうだったよ。梗平には付き合ってられないって」

 

「……笑い事じゃねぇだろ」

 

 どこか面白おかしそうに笑う佳奈から、蒼桔はそっと顔を背ける。右手で顔を覆い隠すと、ため息が手の隙間から外にこぼれていった。

 

 なんだって佳奈はこんなに能天気でいられるんだ。笑っていられるような状況じゃないのに。

 

「大丈夫だよ、梗平」

 

 触れるはずないのに、彼女は背中側から抱きつくように腕を首に回してくる。前に感じたような温もりではなく、暑くなった体温を下げてくれるような、ひんやりとした感覚が体を包んだ。

 

「梗平さえいてくれるなら、私は大丈夫。だから、頑張って」

 

 耳元で囁かれた言葉は、蒼桔の心臓を鷲掴みにする。下がったはずの体温はまた上がり始めていて、沈んだ心はまた少しばかり活力を得た。

 

 彼女には俺しかいない。俺がやらなきゃいけない。俺にしかできない。だから……沈んでいる場合じゃない。

 

 そうやって何度も心の中で自分を鼓舞した。大丈夫。大丈夫、と。耳元で、心で、何度も呟く。反芻させる。大丈夫。大丈夫だ。

 

「俺は……大丈夫だ」

 

「そうだよ。梗平は、まちがってない。だから……大丈夫だよ」

 

 首元に回された腕は、強く抱きしめるためなのか、首を少しばかり貫通していた。触れない。けれど、そこには確かにある。この奇妙な感覚だけが蒼桔にとって数少ない実感できる救いのようなものだった。

 

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 

 

 次の日になって、蒼桔は少なからず元気を取り戻していた。笑うことができるようになった蒼桔を見て、佳奈も安堵の表情を浮かべる。学校が終わる頃には、いつも通りに戻っていた。

 

 放課後になると、教室に佐原が迎えに来る。入ってきた時に一瞬視線を向けられた気がしたが、彼はいつものように柔らかな表情のまま白鷺と共に教室を出ていった。その後ろを佳奈がついていき、また監視をする。

 

 机に座りながら苦い顔をしていた蒼桔には、結局やるべきことが考えつかなかった。もう一度白鷺が事故にあったようなショックを受ければ、記憶が戻るのではと考えもしたが……そんな馬鹿なことをするもんじゃない。

 

 携帯を弄りながら、肺の中の空気を一気に吐き出した。窓の外はまだ夕暮れにもなっていない。三階の窓から見える景色はどうしてか色褪せて見える。

 

「蒼桔先輩」

 

 不意に声をかけられる。先輩と呼ぶような人はいなかったような気がするが……振り向くと、女生徒の制服と長い髪の毛が見えた。あぁ、そういえば、と。最近後輩で知り合いが増えたことを思い出した。眼鏡をかけた真面目そうな女の子。寺生まれのTさんの孫娘……というおかしな渾名がついた子だ。

 

「……二年の教室まで何しに来たんだ?」

 

「風見さんがここに行けって言っていたので」

 

 それを聞いて思わずまた深いため息をつく。あの馬鹿が、と心の中で罵った。そんなにも佳奈のことを忘れさせたいのか、と。こんな事に巻き込まれてる彼女の方もかわいそうだ。

 

 そんなことを考えている蒼桔の心を知らない彼女は、いきなり吐かれたため息で眉間にシワを寄せる。軽蔑するような目で見下ろされた。

 

「悪いな。あの馬鹿の言うことを真に受けなくていい。時間取らせて悪かったな、帰っていいぞ」

 

「風見さんも同じように言っていましたよ。あの馬鹿の言葉に耳を貸すなと」

 

「あの野郎人を馬鹿にしやがって」

 

「似たもの同士ですね」

 

 クソが、とまた心の中で悪態をつく。机の横にかけておいたカバンを手に取ると、そのまま立ち上がって彼女から離れる。教室から出ても、彼女はゆっくりと後ろをついてきて横に並ぼうとしてきた。

 

「風見の言うことなんて聞かなくていいぞ」

 

「……まぁ、せっかく教室まで来たので。帰り道も同じでしょう」

 

「俺はな、浮気だと思われたくねぇの」

 

「その肝心の幽霊さんはどこに?」

 

「……今はいない」

 

 またいないんですね、と訝しげな目で見られた。本当はいないんじゃないですか、と聞かれるが……蒼桔はそれに答えない。どうせ無駄だ。誰も信じやしない。自分ひとりだけでも彼女のことを信じてやれるのならそれでいいじゃないか。そうやって納得させる。

 

 先に帰れと言っても彼女は帰らなかったので、仕方なく二人で下校することになった。帰り道でばったり会わなきゃいいけど。なんてことを考えていると、本当に浮気してるみたいで嫌な気分になる。

 

 下駄箱で履き替えて、校舎の外へ。自転車で帰っていく人たちに抜かされながら、適当に話をしつつ長い坂道を下っていく。夏が本格的に近づいてきていて、照りつける日射で額にじんわりと汗が滲んでいった。

 

 蒼桔の髪は短めだからいいが、音寺の髪はかなり長い。本人も鬱陶しそうにしている。

 

「暑いんだったら髪切ればいいじゃねぇか」

 

「この長さがいいんです」

 

「そんな肩まである髪の毛、鬱陶しいだけだろ」

 

「髪はあるだけいいものなんです。知ってますか、女性の髪の毛には神様が宿っているんですよ」

 

「カミだけにってか? 変な迷信を信じてんだな」

 

「女性の髪の毛を入れたお守りなんて、かなり強い魔除けになるらしいですよ。いりますか?」

 

「喧嘩売ってんのかお前」

 

 冗談です、と長い髪の毛を触りながら言ってくる。人が幼馴染の幽霊で悩んでいる時に、魔除けグッズを渡してくるなんて。人によってはぶん殴られても仕方がない。もっとも、今の蒼桔はうだる様な暑さのせいでそんな気も起きないが。

 

 そのまま坂を下りきると、すぐ目の前には公園がある。学校が終わった小学生たちが楽しそうに走り回っていた。中には砂浜で円を描くように座った子どもたちが、おままごとのようなものをしている。地面に何かを書いたり、話をしたり。

 

(……昔は三人でよく遊んだんだけどなぁ)

 

 活発な蒼桔と佳奈、そして少し大人しめの風見。合わなそうに見えて、けれど昔からずっと一緒に遊んできた。元気の有り余るうちは蒼桔と佳奈の提案した走り回る遊びを。少し落ち着いてきたら風見の提案でゲームをしたりするようになった。

 

(……思い出してばかりだな)

 

 佳奈が記憶を失ってから、昔の記憶が蘇ることが増えた気がする。きっと忘れてしまいたくないんだろう。人は人のことを忘れる時、声から忘れてしまうらしい。今は毎日声を聞くことができるから、忘れることはなさそうだ。

 

「……先輩、小さな子どもって幽霊が見えやすいみたいですよ」

 

「だからなんだよ。あの中突っ込んで俺の佳奈を見ろってやれってか」

 

「通報します」

 

「まだ何もやってねぇだろうが」

 

「まだ……ですか」

 

 まだも何もしねぇよ、とため息混じりに言う。彼女は公園で遊んでいる子どもが気になるのか、じっと中を見つめるように歩いていた。

 

 ただ、少しばかり挙動が怪しい。蒼桔の体に隠れるように中を覗き込んでいるのだ。まさかとは思うが、そのような趣味をお持ちなのだろうか。別に非難するわけではないが……。

 

「音寺。手を出すのはやめておけ」

 

「……そう、ですね。いえ、なんでもありません」

 

「そうですねっつったか? 今言ったよな」

 

「先輩、クレープを買って帰りましょう。そんな気分です」

 

「誤魔化すの下手くそか」

 

 どうやら後輩は一部一般的でない感性を持っているらしい。まぁ元より寺生まれのTさんの孫娘とかいう名誉だか不名誉だかわからない渾名の持ち主だ。今更彼女の属性が増えたところで気にしない……こともないが、警察沙汰にならないよう注意だけしておくべきだろう。少なくとも蒼桔はそう感じていた。

 

「先輩、帰るまで何か延々と話してくれませんか」

 

「口を開くと変な性癖晒しそうだからって俺に任せるのやめろ」

 

「なんでもいいので」

 

「あのなぁ……あんまり、人に話すようなネタがねぇよ」

 

「なら幼馴染のことでいいですから」

 

 何故そこまで頑なに話題を振らせようとするのかわからないが、渋々と蒼桔は昔のことを話していく。彼女の言ったクレープ屋に着くまで、それこそ本当に延々と。

 

 子どもの頃、三人の中で風見だけ鉄棒で逆上がりができなかったこと。佳奈の作った初めての手作りクッキーを、固いと答えたら怒られたこと。上級生に絡まれた時、蒼桔と風見で立ち向かったらボコボコにされ、大人が駆けつけてようやく収まったこと。

 

 そういえばあの時の風見の顔や痣のついた体は笑えたな、と自分もボコボコにされたくせにその事を棚に上げた。お互いベソかいていたが、今では笑い話だ。

 

「イチゴチョコと、バナナクリームをひとつずつ」

 

 店について、蒼桔が注文をする。一緒に帰ることになったのは風見のせいなので、俺が払うと言って蒼桔は彼女の分のお金も出した。自分で払うと彼女は遠慮していたが、あとで風見に飲み物でも奢ってもらうといって、無理やり購入する。

 

 数分すると、二つ分出来たてのものを渡された。皮は暖かいが、中身はひんやりと冷たい。イチゴの部分を頬張っている音寺は随分と嬉しそうだった。この暑さだと酸味が美味く感じるんだろう。

 

 俺もイチゴにするべきだったか、と少し後悔していると、真横をぴったりと歩いている彼女が不意に話し始める。

 

「昔、姉とよくクレープを買っていたんです」

 

「へぇ、姉がいるのか」

 

「えぇ……いました。事故で亡くなったんですけどね」

 

「……思い出の味ってやつか」

 

「そうですね。もう、声すらも朧気ですけど……一緒に食べたクレープは、今でも美味しいです」

 

 そう言って大きく一口、クレープを齧った。口元についてしまったクリームやチョコを舌で舐め取り、また口へ運ぶ。蒼桔も同じように食べ進めていった。

 

 買い食いして帰るのは高校生の特権のようなものだ。本来ならいつもの三人でいるはずなのに……今隣にいるのは、最近会ったばかりの後輩というのが、なかなか変なものだが。

 

 こうして学校から話しながら帰っていると、不意に恐ろしくなる。彼女と話しながら帰るのは、それなりに楽しいものだったからだ。というのも、蒼桔はほとんど風見としか一緒に帰らず、普段から遊ぶような人もいない。ある意味、今の高校生らしい生活を楽しく思えてしまった。

 

 今もなお、幽霊の身のままで困っている佳奈がいるというのに。それが頭から抜けてしまいそうで、怖かった。

 

「先輩は、今でもずっと幼馴染のことが好きなんですか」

 

 暗くなっていたことに気づかれてしまったのか、そんな話題を振られる。幼馴染のことが、佳奈なのか、風見なのかはわからないが……どっちにしても、答えは変わらないだろう。昔っから変わらない。

 

「そうだな……なんか、当たり前ってものなんだよ。幼馴染ってのは、言葉にするのは簡単だけど、説明するのは難しいんだ」

 

 風見も、佳奈も、そう簡単には嫌いになれない。そんなもんなんだよ、と薄く笑い返した。

 

 クレープを食べきった後は、また適当に歩きながら話をしていく。二人が電車に乗り、最寄り駅にまで帰ってくると、辺りは少し暗くなってきていた。あと一時間もしないうちに真っ暗になるだろう。

 

 カラオケではなく、話していただけでここまで遅くなるのも珍しい。音寺の家のある場所は、蒼桔の帰り道の途中まで一緒のようだった。活気のない駅を出て、そのまま帰路を歩いていく。

 

 ロータリーを抜け、交差点を渡り、今度は歩道橋を渡らなくてはならない。歩き回って疲れていたが、階段をゆっくりと上っていく。

 

「なんか、悪かったな。風見からなんか言われるの迷惑だったろ。ちゃんと言っておくからさ」

 

「いいえ、別に。それなりに楽しかったですから」

 

 どこか素っ気ないような返事だった。お互いのことを知れるような話は多少なりともできた気がするが、彼女が笑ったりする場面は多くない。そんな性格なんだろう。

 

 階段を上りきり、反対側の歩道の方に歩いていく。そして階段を数歩下りた時だ。

 

「待って」

 

 不意に制服の裾を強く掴まれる。振り向くと、彼女は一歩も階段から下りないまま腕を伸ばしていた。掴んでいる力は強く、震えているようにも思える。街頭に照らされて見える表情は、どこか怯えているようにも見えた。

 

「あ、の……別の道から、帰りませんか。その方が、少しだけ長く……一緒に、いられますから」

 

 彼女の口から漏れ出た言葉は、あまりにも思ってもいない事だった。その表情と、掴む手……断るのは、少しばかりはばかられる。あんまりにも不意のことで、思わずどきりとしてしまった。

 

「……まぁ、別にいいけどさ」

 

 佳奈に言い訳くらいは考えた方が良さそうだ。そんなことを心の中で呟いてから、階段を上り直す。そして反対側から下りていき、いつもより遠回りの道で帰ることにした。

 

 彼女の家まで送り届けることにしたが……道すがら、彼女は掴んだ制服の裾を離そうとはしなかった。

 





私はきっと、死ぬ気で書かないといけない気がする。
そんな気分です。

感想、評価などしていただけると嬉しいです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第9話 こうべを垂れる、稲穂かな

 昼休み。音寺の携帯に風見から連絡がきた。放課後、蒼桔のいる教室に向かってくれと。別にそんなもの聞く義理もなかったけれど、幼馴染の幽霊が見えるという男には少なからず興味があった。それと、電車に飛び込まされそうになったのを、助けて貰った恩もある。

 

 思い返せば、アレは本当に死ぬかと思った。本当に、あと少し彼が助けてくれるのが遅かったら、線路に落ちていただろう。恩人ではあるけど……少しだけ羨ましい人でもあった。

 

 幼馴染の幽霊が見える、というのが本当なのであればの話だけど。

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 放課後になって、風見に言われた通りに彼のいる教室へと向かう。窓際の席で外を見ながら、黄昏ていた。声をかけると、怪訝な顔のまま振り向いてくる。

 

 どことなく、やつれているように見えた。風見から傷心中かもしれないと伝えられてはいたが、傷心というよりは憔悴しているように思える。軽口を叩ける程度には元気はあるみたいだけど。

 

 彼は風見から何も聞かされていないようで、そのまま一人で帰ろうとする。少しばかり話を聞きたいとも思っていたので、音寺はその後ろを着いて行った。昇降口を出る頃には、お互い並んで歩きながら他愛のない話をする。

 

 思えばこんな風に話しながら帰ったりするのも久しぶりだった。音寺にとって友人と呼べる人は少ない。一緒に帰る人もいない。高校生らしさを感じることができて、多少嬉しさもあった。

 

 けれど、暑さだけは勘弁してほしい。額や背中に浮かんでくる汗を感じながら、学校前の坂道を下る。長い髪の毛はこの季節には鬱陶しくてしょうがなかった。

 

「暑いんだったら髪切ればいいじゃねぇか」

 

 鬱陶しそうに髪を触るのを見て、そう言われてしまった。バッサリと切ってもいいが……髪の毛には霊力が宿るものだと姉に教わっている。なるべく綺麗に、長く、清潔に。そうすれば多少は効果があるかもよ、と言われたのを思い出した。

 

「女性の髪の毛には神様が宿ってるんですよ」

 

 髪は女の命。音寺にとってもそうだ。困った時は髪の先端を数束切って、祈りを込めて投げつける。たまに効くのだ、これが。迷信も捨てたものではない。

 

「……子どもは、こんな暑さだってのに元気だよなぁ」

 

 坂道を下りきると、目の前には公園がある。そこでは子どもたちが遊んでいた。彼はどこか懐かしむようにその光景を見ながら歩いている。

 

 小さな子どもには幽霊が見えやすいらしい。ほとんどは思い込みだろう。あぁ、そうだとも。だとしたらあんなに無邪気な子どもにはならないはずだ。

 

 円を描くように座る子ども。その中心に、細長い木の枝のようなものがある。高く高く、そして途中で曲がって稲穂のように膨らんだ先端が垂れ下がる。枝分かれしていて、まるで人のよう。

 

 彼の陰に隠れながら、見てはいけないと思っていても見てしまう。子どもたちの真ん中で蠢くそれを。

 

 稲穂がくるりと回る。逆さまになった空洞が三つ。丸が二つ。三日月ひとつ。

 

『ねぇ、行くね』

 

 笑う。わかっているんだろう、と。

 

「音寺。手を出すのはやめておけ」

 

 そっと顔を彼に向ける。何事もなかったように。何も見なかったように。

 

「……そう、ですね」

 

 笑う。何もないと。何も見ていないと。

 

『いい天気』

 

「先輩、帰るまで何か延々と話してくれませんか」

 

『ネコがいる』

 

「なんでもいいので」

 

『階段下』

 

「……仕方ねぇなぁ。幼馴染のことでいいって言うなら、昔のことでも話してやるよ」

 

『笑った』

 

 延々と、延々と延々と延々と。上から言葉が降り注いでくる。折れ曲がりそうな足でついてきて、折れ曲がった首をゆらゆらと揺らす。

 

「幼稚園の頃さ、鉄棒あっただろ。逆上がりやれって皆言われてさ、俺も佳奈もできたんだけど、綾のやつだけできなくてさぁ」

 

『会いに行くよ』

 

「そうなんですね」

 

『夜』

 

「今でも思い出せるよ。アイツできないからって意地になってさ。今じゃ想像できねぇだろうけど、泣きながら何度も繰り返してたんだよ」

 

『カバン』

 

「あの真面目そうな眼鏡の人が、ですか。意外ですね」

 

『開いてる』

 

 反応してはいけない。付き纏われてもそのうちどっかに行くだろう。何もないようにしないといけない。

 

 怯えてはダメ。振り向いちゃダメ。答えてはダメ。

 

 だからどうか話していて。私を自然のままにいさせて。ただの女の子として生きさせて。昔の話でもなんでもいい。受け答えさせて。怯える以外の表情を作らせて。そしてどうか、私の後ろに行かないで。前か隣にいて。

 

『聞こえてんだろ』

 

 先輩の昔話は止まることを知らなかった。恥ずかしい過去も話していた気がする。釣られるように昔のことを思い出していた。姉と一緒にいた日々。姉はきっと、こんな思いを無視しながら生きていた。なのに記憶の中の姉は、笑っている。強い人だった。

 

 あぁ……そうだ。クレープがいい。こんな時に食べたくなる。姉と一緒に食べた、あのクレープが。

 

「クレープ屋、空いてんな。いっつも学生が並んでんのに、珍しいもんだな」

 

「運がいいですね。先輩は好きなクレープはあるんですか」

 

「別に何が好きとかはねぇな。普段食わねぇし」

 

 二人がクレープ屋にたどり着く頃には、もう声は聞こえなくなっていた。その事に少なからず安堵し、メニューを見て何を食べるか選んだ。音寺はイチゴを、蒼桔はバナナを。

 

 風見のせいだから、と彼は気前よく奢ってくれるらしい。一緒に帰って良かったと思いながら、ゆっくりと周りを見渡す。

 

(……あの木の下、前にもいた。あの大きな顔も)

 

 遠くの木の下に長い首の人がいる。通りで俯いている顔の大きな子どもがいる。テナント募集中と書かれたビルの窓に、目と口のようなものが映る。

 

 そこでずっと佇んでいてほしい。そう切に願っていた。

 

「はいよ、お前のやつ」

 

 蒼桔がクレープを渡してくる。お礼を言ってから、それを口の中へと運んだ。バニラのクリームと、ほんの少しかかったチョコレート。そしてイチゴ。酸味と甘みが口いっぱいに広がった。

 

 どこか懐かしい味のような気もする。姉の声は忘れてしまっても、この味と思い出は忘れない。

 

「……なんか、こういうのっていいですね」

 

「あ?」

 

「買い食い。高校生っぽいじゃないですか」

 

「……まぁ、そうだな」

 

 元気のない声が返ってくる。きっと音寺が姉を思い出していたように、彼も幼馴染のことを考えていたんだろう。何を考えているのか、わかりやすい人だ。仏頂面で落ち込んでいる時なんて、特に。

 

 彼はいつまで経っても、その思いを捨てられないらしい。きっと同じ立場なら私もそうだろう、と音寺は心の中で答えた。

 

「風見も、佳奈も、そう簡単には嫌いになれない。そんなもんなんだよ」

 

 薄らとだけど、彼は笑ってそう答えた。自然と漏れ出てしまったような笑みだ。そういう関係の友人がいるのは、羨ましい。

 

 自分と彼は友人ではなく、先輩と後輩の関係だ。これから先友人になれるのかはわからない。ただ、この人には借りがある。それを返してあげないといけない。できることは、あるだろうか。まだ見たことはないけれど、幼馴染の幽霊にでも会ってみれば……何かしてあげられる事くらいはあるかもしれない。もし本当にいるのなら、だけど。

 

 お互いにクレープを食べ終わったあと、また少しだけ歩き回って買い食いをする。道すがら話す内容は、特に変わらない。お互いの身の上話だとか、昔の話だとか。蒼桔の話す内容には、いつだって幼馴染の二人が入っていた。

 

 そして暗くなる前に電車に乗って、最寄り駅へと帰ってくる。帰り道は途中まで同じだった。暗い道でひとりは好きじゃない。いつもは暗くなる前に帰っていたから、音寺は徐々に暗くなりつつある帰り道に、少しずつ心臓が早まっているのを感じていた。

 

 駅から離れていくと、蒼桔の話す内容は変わっていった。「なんか、悪かったな」と風見の提案に付き合ってくれたことを詫び始める。そのことに関して嫌だと思ってはいない。普通の高校生らしい放課後を過ごせて、楽しかったのは事実だった。

 

 二人がもう少し進めば別れることになる。歩道橋を渡って次の交差点が分かれ道だ。そこから先はひとりで帰ることになる。

 

(……嫌だなぁ)

 

 普段なら何もないのに、今日は嫌なものを見てしまった。こういう日はダメだ。恐怖は簡単には消え去ってくれない。かといって、彼に頼むのも気が引ける。心から好きな人がいるのに、そんな提案をすべきじゃない。

 

 どうしようかと悩みながら歩道橋を渡って、蒼桔は家の方向に続く階段を下りようとする。それに続こうとして、けれど思わず足を止めた。

 

 階段の下。何かが上ってきている。

 

 人と同じくらいの大きさ。全身シワだらけのように見える。拳ほどの大きさの眼孔と、顔の半分ほどもある大きく開かれた口。体からは考えられないほど肉のない細い腕で、両脇にある手すりを掴みながらゆっくりと上ってくる。口を開いているだけなのに、笑っているように思えた。

 

 アレはいけない。思わず彼の服を掴んだ。

 

「待って」

 

 いきなり掴まれた彼は、困惑した顔で見てくる。それもそうだろう。でも、ダメだ。嫌な予感がする。こういう時の勘は当たるものだ。

 

「あ、の……別の道から、帰りませんか」

 

 もう暗くなってきてるというのに、遠回りをしようと言う。彼は疲れているだろうし、早く帰りたいと思っていることだろう。これだけでは、ついてきてくれないかもしれない。

 

『たまには、こっちから帰ろうよ。そのほうがちょっとだけ長く一緒にいられるよ』

 

 記憶の中の姉の言葉を思い出した。昔、小学生くらいの頃だ。道にいた何かから逃げるように、そう提案したのを覚えている。伝えられた友だちは何故と思っていたが、姉の笑顔と頼み込む時のねだる様な表情に、断る人はいなかった。皆で笑いながら別の道から帰った記憶がある。姉はそうやって、自然と人を助けることが得意だった。

 

 けど、私にはそんな器用な真似はできない。たどたどしく、口からなんとか言葉を漏らす。姉の真似をするように。

 

「その方が、少しだけ長く……一緒に、いられますから」

 

 あぁ、まるで恋する女の子みたいな台詞だ。表情はきっとソレではないだろうけど。

 

「……まぁ、別にいいけどさ」

 

 彼は何故と問い返すことなく、階段を上ってくる。そして一緒に反対側から下りていった。そのまま遠回りをして、音寺の家まで一緒に帰っていく。幸いにもその道には何もいなかったが……後ろから何かが近づいてくるような気配だけはしていて、彼の服を離すことはできなかった。

 

 家の前までやってくると、ようやく手を離すことができる。家の明かりは点いていて、既に父が帰ってきているらしい。

 

「すいません、先輩。わがままを聞いてもらって」

 

「いや……別に構わねぇけどさ。じゃ、俺は帰るよ」

 

「はい……気をつけて」

 

 彼が帰っていくのを少しだけ見送ったあと、玄関の鍵を開ける。家の中へ上がる前に、玄関に置いてあった箱入りの塩を摘んで、扉の横に小さく盛っておく。気休め程度だけれども、ないよりマシだ。

 

「ただいま」

 

 リビングにやってくると、父が料理を作りながら待っていた。男手ひとつで育て上げてくれたけれども、仕事から帰って料理まで作ってもらうのは気が引ける。いつもは早く帰った音寺が作っているが、今日はかなり遅い時間だ。

 

 振り向いた父が、笑いながら「おかえり」と言ってくれる。カバンをソファに投げ捨てるように置いて、力なく座り込んだ。

 

「遅かったな。それに男の子の声が聞こえたけど……彼氏ができたのか?」

 

「ちがうよ。そんなんじゃない」

 

「違うのか……でも、ちゃんと友だちできたじゃないか。よかったよ」

 

 浅く笑う父に対して、別に友だちがいないわけじゃない、と小さく怒るように返す。今度うちに連れてきてもいいとか言ってるけど……そんな機会は多分ないだろう。

 

『きたよ』

 

 不意に外から声が聞こえてくる。締め切ったカーテンの向こうに、薄らと大きな稲穂のようなものが見えた。

 

「お父さん、今日はもう外に出ちゃダメだよ」

 

「……風呂に入ったあとで聞きたかったなぁ、それ」

 

 先に風呂入っときゃ良かったと嘆く父に、私もだよとため息混じりに言い返した。




やっとホラーっぽくなってきました
絵だと怖いけど、それを文字に移すと途端に怖くなくなる
紙面で恐怖を表せる人は、すごいと思います

予約投稿の日時間違えてて昼過ぎに投稿です……。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第10話 本物、偽物

 土曜日。学校が休みとなると、蒼桔にはやることがない。日課の白鷺観察もできず、昼近くまで寝て部屋でゴロゴロとするのが日常だった。しかし同じ部屋に佳奈がいるとなると、そうも言っていられない。

 

 昼食を食べ終えたあと。壁によりかかりながら座って、何をしようか考えていると、佳奈も同じように隣に座り込む。少しは見慣れてきてはいるものの、スカートを抑えながら座っている彼女の姿を見ると、どうにも足に目が行きがちだ。なるべく見ないように、部屋の窓へと視線を向ける。

 

「今日はどうしよっか」

 

「どうするってもなぁ……」

 

「休みの日だと、生きてる私とも会えないしね」

 

「……そもそもどうやって記憶を取り戻すかなんだよなぁ。この前やってた映画みたいに、思い出の場所に行ってみるとか?」

 

 蒼桔が観た映画では、記憶を失った妻との思い出の場所をひとつずつ巡っていって、徐々に記憶を取り戻していくという内容だった。それと同じように、本人をその場所に連れていけば何かしら記憶が戻るんじゃないか。手当たり次第だが、やる価値はあるだろうと思っていた。

 

「思い出の場所って?」

 

「そりゃ……」

 

 首を傾げて聞いてくる佳奈に答えようとして、けれども言葉が出なくなってしまった。思い出の場所と一概に言っても、何も出てこない。忘れているだけかもしれないが、別段そんな特別な思い出がある訳でもなかった。

 

「佳奈は、なんかないのか。ここ行ったら何か思い出せるんじゃないかーって場所」

 

「んー……思いつかない、かなぁ」

 

「彼氏との思い出の場所なのに?」

 

「彼女との思い出の場所を言えないくせに?」

 

「だって俺ら遊園地すら二人で行ったことないだろ。子ども会で行ったくらいじゃねぇか」

 

 地域の子どもが集まって遊園地や水族館に行くイベントのようなもの。当時小さかった三人で参加して、親同伴で見て回ったくらいしか記憶がない。そもそも中学生では遠出ができないのだ。

 

 何か特別なことをした記憶もない。誕生日にサプライズをしたこともない。至って普通に、手を繋いで帰ったり、一緒に遊んだりしただけだ。所謂、健全なお付き合いとしか言えない。

 

「それでも、なんかあるでしょ。特別な場所!」

 

「特別……特別ねぇ……」

 

 子どもの頃から、中学時代までの記憶を遡る。普段から風見も入れた三人で遊んでいて、小学校では当時の友人たちと混ざって遊んで、中学校ではカラオケに行くことが多かった。特別なことをした記憶はない。

 

 必死になって記憶を掘り起こして……思いついたのは、二つ。そのうちの一つはやはり恋人同士の定番、告白された瞬間だろう。あの時はそんなこと微塵も考えておらず、むしろ告白された瞬間に意識したと言ってもいい。そして自分の胸の鼓動に任せ、返事をした。

 

 男は自分を好きでいてくれる女が好き、だなんて聞いたことがある。けれど、きっと告白を許諾したのは、好きでいてくれたからじゃない。好きだったことを気づけなかった自分に、気づかせてくれたからだ。今ではそう考えている。

 

「それなら、あそこはどうだ。お前が告白してきた場所」

 

「えっ……と、どの辺だったっけ……?」

 

「お前なぁ、それ忘れるのかよ。ほら、アレだ。あの……テニスコートの裏手のさ」

 

「あっ、そういえばそうだった。あの林の道の中だよね」

 

「……そうだ、ふれあい公園だ。別の道から帰ろうってお前が誘ってきたんだよ」

 

 朧気だった記憶からようやく場所と名前を思い出した。佳奈も完全に思い出したようで「そうだよ、思い出した!」と言う。お互いの大事な記憶のはずなのに、しかも両方とも忘れてしまっていたことに思わず二人で笑い合う。似たもの同士だね、と。

 

「まぁともかく、そこにあの佳奈を連れていければいいけど……なかなか難しいだろうなぁ」

 

「……ねぇ、行ってみない?」

 

「お前が行っても意味ないんじゃね」

 

「意味はあるよ。お散歩デート、とか」

 

 お散歩デートって、何を呑気な……。そう言おうとしたが、それよりも早く彼女は立ち上がる。そして振り向きながら「行こ! せっかく思い出したんだから、もう忘れないように!」と触れないくせに手を差し出してくる。

 

 笑顔の彼女の姿に一瞬見惚れつつ、仕方ねぇなぁと澄ました顔で笑ってから、彼女の手と重ね合わせる。自力で起き上がると、お気に入りの黒の上着を羽織ってから家を出た。

 

 玄関から出た瞬間、中とは比べ物にならないほど空気が重苦しく感じる。暑かったけれども、シャツ一枚だと味気ない。せっかくのデートなんだ。少しは格好つけないと。そう思って、暑苦しさをなるべく考えないように、自転車の鍵を開けた。

 

「私は幽霊だから、怒られないもん!」

 

 佳奈はそう言って自転車の後ろに跨る。重さも何も感じないが、それでもハンドル操作は慎重に。ゆったりとしたスピードで、蒼桔と佳奈は思い出の場所へと向かっていった。

 

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 

 駐輪場に自転車を停めて、昔歩いた道を思い出すように歩みを進める。乱雑に生えた雑木林を切り開いて作った道だ。所々日陰ができて、そこに入ると涼しく感じられる。

 

 日射が直接当たる場所と、影の場所。その温度差に驚かされながら、時折すれ違う中学生らしき人たちを後目に、告白された場所を目指す。

 

 蒼桔の隣を歩いている佳奈は、学生服という場違いな服装ではあるものの、それがむしろ思い出に浸るにはちょうど良かった。軽快な歩みを見せる彼女は、暑くないらしい。幽霊ってのはこういう時羨ましいな、と辟易とした様子で言った。

 

「梗平に触ることはできないけど、便利な部分もあるよね。まぁ、不便な部分の方が多いけどさ」

 

「これで誰とも話せないとかだったら、やっぱり精神的にキツイだろうな」

 

「そりゃそうだよ。だから本当に……梗平が私のこと見えてて、良かったって思ってるよ」

 

 夏の陽射しを浴びて笑う彼女の姿。握ることなんてできないのに、蒼桔の宙ぶらりんな左手に右手を重ね合わせながら歩いている。

 

 暖かな笑顔と、ひんやりとした冷たい空気。彼女の相反するような雰囲気は日増しに強くなる気がした。夏の陽射しと、影のように。生きているものと死んでいるものを分けている境界線というのは、影のように曖昧なものなのかもしれない。

 

 だとしたら、自分は影を歩こう。彼女の隣を歩もう。そしていつか、暖かな陽射しの元へ連れていくのだ。

 

「そういえば、この辺だったっけ」

 

 舗装された道を歩いていると、彼女は周りを見回してから足を止めた。少し離れた場所から、テニスボールを打つ音が聞こえてくる。記憶の中でも、その音は聞こえていた。

 

 少し先に進めば分かれ道があって、真っ直ぐに行けばテニスコートの裏側へ。曲がると丘のようになってる場所があって、その頂上に休憩スペースがある。木で作られた、簡素な日除けとベンチがあったはずだ。告白されたあと、そこで話し込んだのを覚えている。

 

「ねぇねぇ、もう一度やってみない?」

 

「なにを?」

 

「告白」

 

 蒼桔から離れていき、少し歩いて振り向く。恥ずかしそうに笑っていた。その姿に既視感を覚える。

 

 ちょっと前に進んだと思ったら、急に振り向いて向かい合わせになって。それから……あの時……。

 

「好きだよ、梗平」

 

 恥ずかしさを噛み殺したような、真面目な顔でそう伝えられた。今もそう。あの時と同じように、蒼桔のことを見つめている。

 

 好きだよ、と。何度もその言葉を反芻させる。耳の奥にその音を止めるように、もう二度と忘れないように、脳に染み込ませる。

 

 忘れようとして、忘れられなかった。もう一度聞きたかったんだ、その言葉を。心の奥で切望して、けれど現実に打ちのめされて、表に出さないようにしていた。忘れた方が楽になれると、思い聞かせていたんだ。

 

 この幻想のような光景を、留めておきたい。思わず彼女の方に手を伸ばしていく。そして……。

 

「……なにやってんだ、梗平」

 

 背後から聞こえた自分の名を呼ぶ声に、現実へと引き戻された気がした。

 

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 

 

『最近、梗平の様子がおかしいんだけど、綾君は何か知らない?』

 

 家に電話がかかってきて、蒼桔の母親からそう聞かれた。それに対して風見は、何と答えるわけにもいかない。あなたの息子は今幼馴染の幽霊が見えているらしいです、なんて言えるわけがない。

 

『声を聞くとね、ずっと佳奈ちゃんの名前を呼んでるの。それに何だか……最近、家にいると元気がない気がして……。学校ではどんな感じ?』

 

 学校では、風見が見た限りでは普通だ。いや、死人のようにぐったりしていた時期もあったが、それは母親も知っている。それから痛みに慣れ、少しずつ現実に慣れようとしていた。心の防衛機能だって働いていただろう。嫌なことは忘れてしまう、という忘却だ。

 

 けれど最近、元気になってはいた。それが過去を振り切ったことで生じたものならどれほど良かったのか。まさか幽霊が見えるなんて、そしてそのせいで熱が戻り、生きる活力になりつつあるなんて、本当に馬鹿げた話だ。

 

『あの子、大丈夫かしら……。さっき公園に行くって外行っちゃったんだけど、綾君と一緒じゃないなら、他のお友だちかな』

 

 公園。それを聞いて思い浮かぶ箇所はいくつかある。自転車に乗っていたとしても、駅に向かう可能性だってある。けれど、高校の友人で蒼桔を公園に誘う人はいるのか。そもそも今の蒼桔に遊ぶような気があるのか。

 

(……ないな。だとしたら、ふれあいか)

 

 蒼桔と白鷺が付き合うことになった場所。風見もよく知っている。あの日は委員会の仕事で遅れていて、偶然帰り道で見つけた二人を追っていたのだから。

 

「……まぁ、多分大丈夫だと思いますよ。一応気にかけときます」

 

 お願いね、と声が聞こえたあとで、電話を切る。寝巻きの状態から私服に着替え、暑苦しい外へと繰り出した。自転車に乗って、あの場所へと向かっていく。

 

 汗が滲み出て、それをタオルで拭きながらこぎ続ける。ようやく着いた駐輪場で見つけたのは、蒼桔の名前が入った自転車だ。益々嫌な予感がしていて、風見は自転車を荒々しく停めるとすぐに鍵を抜いて走り出す。

 

 道行く人に何事かと見られるが、そんなもの気にしている余裕はない。道の先へと走り、やがて奥の方までやってくる。そしてようやく見えた。たった一人、ぽつんと突っ立っている男の後ろ姿が。

 

 道の真ん中で立ち往生する彼を他の人が見たらどう思うのか。人の気を知りもしないで。

 

 眼鏡を外して、流れ出ていた汗を拭く。そのまま歩き続けて、彼のすぐ後ろにやってきた。右腕を前に伸ばしている。あまりにも不審な行為に、警察にしょっぴかれても文句は言えないだろう。

 

「……なにやってんだ、梗平」

 

 体をビクリと震えさせ、彼が振り向く。どうしてここにと言いたげな顔をしていたが、それが言葉になることはなかった。

 

(……酷い目だ)

 

 その顔を、その目を、見ればわかる。疲れきった顔つきで目元の隈も悪化しているし、不気味に引き攣ったような笑みを浮かべていた。

 

 本当に、死人の方がマシな顔つきだ。なんでこんなクソ暑い日に上着を羽織ってるんだ。汗だらけじゃないか。しかもそれを拭うこともしない。

 

「……お前のお母さんが、心配してたぞ。俺から見てもわかる。お前、ちゃんと寝てるのか?」

 

 ため息混じりに話しかける。木々が作った日陰にいるが、息苦しくて仕方がない。暑さとはまた別の重苦しさがある。日向に比べたら涼しいはずなのに、汗が止まらない。

 

 蒼桔のいる日影と、風見のいる日陰は別のものだ。地面でひとつにならず、木々の間から零れた陽射しが分かつように線を入れている。まるで、お互いの立場が違うとでも言うように。

 

「関係ねぇだろ」

 

「……わざわざこんなとこ来て、何やってたんだ」

 

「……佳奈が、ここに来たいって言ったんだよ」

 

 またこれだ。風見も眉間にシワを寄せずにいられない。そんな馬鹿な話があるものかと、自分に言い聞かせた。信じてはいけない。そんな話を。

 

「いい加減にしたらどうだ。お前、前はもう少しマシなツラしてたぞ。なのに、最近になってまた……いや、最初の頃より酷い。鏡を見たことあるか? 自分のツラをよく見てみろよ」

 

「……うっせぇな。てめぇには関係ねぇだろ。そもそも、俺の話を信じていないような奴に、どうして俺が話を聞いてやんなきゃいけねぇんだよ!」

 

「関係あるに決まってるだろ。目を覚ませって。お前、いつぶっ倒れてもおかしくない様な状態だぞ!」

 

「知るかよ! 俺は、やんなきゃいけねぇんだよ! 本物の佳奈を、元に戻せるのは俺だけだ!」

 

 俺が信じるものはそれだけだ、と叫ぶ。死人のようなツラしてるくせに、その時ばかりは目に光が宿っている気がした。

 

 妄想が過ぎる。しかもタチが悪い。この男をこのまま放っておいたら何をするかわからない。下手したら、白鷺に手を出しかねない。そんな気迫がある。

 

「……本物って、なんだよ。じゃあ今の佳奈は偽物だって言いたいのか!?」

 

「本物じゃねぇだろ! 俺らの知ってる佳奈は、あんなんじゃねぇんだよ! お前もよく知ってんだろうがッ! 俺は、佳奈を元に戻せるのなら……」

 

「どうなってもいいってのかよ。偽物ならどうなったって構わないって、お前は言うんだな!」

 

「あぁ、知ったこっちゃねぇな! 俺には、本物の佳奈がいるんだ!」

 

「お前は……馬鹿か! 生きてる人間に、本物もクソもあるか! 今生きてる彼女が、白鷺 佳奈だろうが!」

 

 生きてる人間を否定する彼に対し、風見も言い返した。本物偽物ではなく、その過程も含めて今を生きる彼女こそが白鷺 佳奈という人間だと。

 

「仮に記憶が戻ったとして、今の彼女がどうなるのか考えたことあるのか!? 友人関係も変わってて、別の彼氏がいて、その記憶を全部消してでも元の記憶を取り戻すって言うのか! 人ひとりの人生を消すくらいの覚悟があるって言うんだな!」

 

「記憶を取り戻しても、今の記憶が消えねぇ可能性だってあんだろ!」

 

「じゃあお前は記憶が戻っても、アイツが佐原を選んだら認めねぇだろ! 偽物だって、糾弾するに決まってる! お前が取り戻したいのは、自分のことを好きな白鷺 佳奈だからな!」

 

 風見の剣幕に、徐々に蒼桔の勢いが衰えていく。歯を食いしばって反論の言葉を探しているが、見つからないんだろう。

 

 風見も、本当はこんな言い争いをしたくはない。けれど決別した身だ。蒼桔が傷心している間、自分で決意したことだ。それだけは曲げてはいけない。曲げられない。

 

「お前はあの二人のことをちゃんと見てないだろ! 偏屈な見方ばかりして、本質を見ていない! 佐原は普通に佳奈のことを好いてるし、逆もそうだ! お前は今の佐原の生活をぶち壊してもいいって思ってるんだろ! あんな奴知ったことかって、侮蔑の目でしか見てなかっただろ! 違うのか!?」

 

「さっきっから黙って聞いてりゃ、好き放題言ってくれんなぁ! えぇ!?」

 

 蒼桔に近づかれ、胸ぐらを掴まれる。お互いここまでの喧嘩をしたのは初めてだった。殺すような目付きで迫ってくる彼の剣幕に、思わず口を閉ざしてしまう。

 

「俺にとっては、アイツが……今隣にいる佳奈だけが、信じるべきものなんだよ! 幼馴染のくせに、テメェはその言葉を信じやしねぇ!」

 

 そんな見えもしないものを、良くもまぁ自信満々に言える。隣にいるだと。馬鹿馬鹿しい……怒りすらも込み上げてきていた。両手を強く握りしめ、一発ぶん殴ってやりたい衝動を抑えつける。

 

 胸ぐらを掴む蒼桔の腕を、風見は力強く掴む。そして彼の顔に肉薄すると、唾さえかかるような勢いで必死に言葉を繋いだ。

 

「おめぇの目ん玉は腐ってんのか! その目ぇかっぴらいて、よく見ろ! おめぇの隣に誰がいるのか、しっかりと現実を見やがれ!」

 

 勢いよく蒼桔の腕を振り払う。お互いふらつきながら離れていき、また睨み合う。ズレてしまった眼鏡を元の位置に戻して、風見は蒼桔のことを正面から見据える。

 

 見えもしないものに執着して死人のようなツラしてるよりも、こうして面と向かって口論した方が、よっぽどいいツラをしていた。死人が生き返ったような顔つきになっている。蒼白な顔つきに血の色が戻り、目付きだって鋭い。

 

 お前はそういう奴なんだよ。その言葉を、口に出すことはないが。

 

「……お前が言ってくるなら、何度だって言い返してやる。本物か偽物かなんて、不毛な問いかけだ。過去に縛られるな。じゃないとお前……そっちに連れていかれるぞ」

 

「見えもしねぇことを信じねぇと言った割に、言うじゃねぇか」

 

「口ではな。思っちゃいないけど……そのツラ見れば、お前も納得するだろうよ。鏡を見ろ。いもしねぇ誰かを見るんじゃなくて、その辛気臭いツラをした自分自身をな」

 

 踵を返す。背後にいる蒼桔は、動く気配がない。そしてまだ何かを言ってくるようなこともない。

 

 言うことは言った。それだけだ。そう言い残し、風見は足を影から日向へと踏み出していく。

 

 重苦しさは消えてくれたが……残り続けたしこりのような感覚は消えてくれない。一発ぶん殴ってやれば気は済んだかもしれないが……アレでも幼馴染だ。今殴ったらきっと遺恨が残る。

 

 ぶん殴ってやるのは、正気に戻ってからでいい。それくらいは許されるだろう。

 

 




書くの楽しかった。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第11話 男女の声

 日曜日。昨日風見に言われた言葉を少なからず引きずってはいたものの、それでも立ち止まることを良しとしなかった。白鷺 佳奈と蒼桔 梗平にとって記憶に根深い場所。それはもうひとつある。今回ばかりはひとりの方がいいだろうと判断して、蒼桔は昼過ぎになってまた外へと繰り出した。

 

 さすがに上着なんてものは着ない。シャツ一枚のラフな姿で、自転車をこぎ続けること十数分。車通りの少ない河川敷の道が目的地だった。春になると満開の桜が見ることができ、時が過ぎれば道が桃色に舗装される。今は青い葉をつけているだけだが。

 

 反対側の方からは車の通る音がひっきりなしに聞こえてくる。この場所で車の音が聞こえると……心の隅で燻り続ける、当時の怒りや虚しさが込み上げてきた。

 

(……今更ここに来たって、なぁ)

 

 自転車を停めて、ガードパイプに腰を下ろす。道行く人は少ないが、平日の夕方はよく学生がこの道を通る。蒼桔も通学路として使っていた道だ。

 

 そして……二年前の夕方、ここで事故が起きた。なんてことはない、交通事故だ。居眠り運転をしていた車に跳ねられて、佳奈は記憶を失った。少しでも庇うことができたならと考えたこともあるが……人間というのは、咄嗟の事態に反応できることは少ない。

 

 三人まとめて跳ね飛ばされ、一番外側にいた蒼桔は骨折、風見は打撲と擦り傷。一番内側にいたはずの佳奈は比較的軽傷だったが……頭の打ちどころが悪かったのだろう。以来、彼女の記憶は消えたままだ。

 

 このガードレールも、事故が起きたから設置されたもの。日中の通交量が少ないからといって設置されていなかったが、さすがに学生がまとめて引かれたともなれば、自治体も看過できない。

 

(この場所に、佳奈が来れば何か思い出すか? 事故当時のショックもかなり大きいだろうし……いや、佳奈が今までこの道を通らないわけがない。二年だ。さすがにこの道を使うことだってあるだろう)

 

 本人に確認が取れないのでわからないが、おそらく白鷺はこの道を使うだろうと思っている。いや、通り過ぎただけでは意味がないのかもしれない。この場所で、当時のことを話してみれば……何かしら思い出せるんじゃないか。そんな淡い期待ばかりが蒼桔の脳内を掠めていく。

 

「……先輩」

 

 俯いて考え事をしていた蒼桔の耳に、声が届いてくる。右側を振り向くと、細く健康的な素足が目に入ってきた。ジーンズのハーフパンツと、白を基調としたシャツ。肩下げカバン。そして眼鏡。

 

 学生服とはまた違った印象を与える後輩の姿に、思わずこんな知人いたっけかと見違えていた。相変わらず長い髪の毛が暑そうではあるが、彼女はそれを気にする様子はない。

 

「……よう。休日に顔合わせるなんて、稀なこともあるもんだな。何やってんだ」

 

「ちょっとした、探しものです。先輩こそ、こんなところで何をしているんですか」

 

「……前に話したろ。佳奈が事故った場所、ここなんだよ」

 

 まぁ身体的に一番ダメージを負ったのは俺だけど、と苦笑する。座ったまま動く気配のない蒼桔の隣にまで音寺がやってくると、ひとり分くらいの隙間を空けて横に腰を下ろした。

 

 相変わらずと言えばいいのか、彼女が何を考えているのか測りかねる。ふと思い出したのは、一昨日の帰り道だろう。もう少し一緒にいられるから、と遠回りして帰ったのは未だに強く記憶に残っている。

 

(……綾の差し金か。コイツそこそこ連絡取り合ってるらしいしな)

 

 教室にまでやってきたりと、随分と甲斐甲斐しい。けれど自分には佳奈がいる。そんな移気な性格はしていない。くっついて一緒にいようだなんて思ってしまえば、今の佳奈に呪い殺されても文句は言えないだろう。

 

(それで一緒にいられるなら、それはそれでアリか)

 

 なんて、親が聞いたら悲しむようなことを考えてしまう。もちろん蒼桔に死ぬ気はない。なんとかして佳奈を元に戻すのが最優先だ。

 

「お前、何か探してるんじゃないのか」

 

「なかなか見つからないものでして。少し、疲れました」

 

「外で歩いて探してるんなら、何か落としたのか」

 

「いや、そういうものじゃなくて……まぁ、人に言うものでもないですよ」

 

 話してくれないらしい。前に彼女の過去についても話してくれたが、そう多くはなかった。まだ出会ってそう日も経っていないから、仕方のないことではあるんだろう。

 

 お互いに二、三言話すと、しばらくの間沈黙の間が流れる。河川敷の下の方からは川のせせらぎが聞こえ、風が吹くと揺れる木々の音が遠くからの音を消してくれた。

 

 夏場に涼し気な風が吹く時の心地良さは格別だ。心に落ち着きを取り戻しつつあった蒼桔は、ゆっくりと深呼吸をしたあとで口を開く。

 

「なぁ、少し話をしてもいいか」

 

 蒼桔は正面を向いたまま、そう問いかける。彼女は視界の隅で半分ほどこちらに顔を向け、小さく頷いた。それを確認すると、つい昨日の出来事を手短に話し始める。

 

「昨日、綾に言われたんだ。今生きている人間を、偽物扱いするなって。俺にとっての白鷺 佳奈っていうのは、昔のアイツで、今の佳奈じゃない。だから俺は、本物を取り戻したかった。そしたら、お前にとって本物っていうのは、自分を好きな白鷺 佳奈だろって言われたんだ」

 

「……それで、どう答えたんですか?」

 

「……ぶん殴ってやりたい気持ちに駆られた。けど、実際……そうなのかもなぁって気もする。俺はきっと、佳奈が佐原を選んだら、認められない。認めたくない」

 

 だって、そうだろ。彼氏なんだから、と彼女に言う。頭に血が上っていたとはいえ、少し落ち着いてみれば彼の言葉にも理はある。当事者から少し離れた立場として発言する風見の言い分に、頷ける部分もあるのだ。

 

 だからといって、今さら謝る気にもなれないし、そもそも彼の言葉を否定しなければならない。そうしないと、自分が幽霊の佳奈にどう向き合うべきなのかわからなくなりそうだからだ。

 

 佳奈が本物だから、記憶を持っているから、蒼桔は彼女の味方でいる。生きている白鷺を、偽物だと糾弾する。それが当然の帰結だろうと、そう思っていた。

 

「俺の言い分と、綾の言い分。どっちだって間違っていないはずなんだ。お前なら、どうする」

 

「……先輩は、今の白鷺さんを偽物だと言うんですね」

 

「記憶を持った幽霊がいるなら、そっちを本物だと言うだろ」

 

「なら、今生きている白鷺さんは、一体誰なんでしょうか」

 

 それは……と言葉がつまる。偽物だからといって、存在しないわけじゃない。普通に生活して、勉強して、友人や彼氏と遊んでいる。その事実はどうあれ変わらないことだ。

 

「幽霊さんを肯定するために、今生きている人を否定する。それが先輩の道理ですよね。でも、普通は逆ですよ。彼女は、生きているんです。それを否定してはいけないんですよ。彼女もまた、ひとりの人間なんですから」

 

「……でも、俺はそう思えない」

 

「だとしても、ですよ。先輩の言うように、記憶がある方を本物だと言うのなら、それが元に戻った時……本物と偽物の記憶、両方を持った三人目の白鷺さんがいることになってしまいませんか」

 

 幽霊の佳奈を一人目として、今生きている白鷺を二人目にする。その二つが合わさった、元通りの佳奈は……果たして、本物と言えるのか。それはもう三人目といって差し支えないんじゃないか。彼女はそう言いたいんだろう。

 

「そして先輩は、それを否定しないといけない。先輩にとって、偽物はいて欲しくないから。純粋な本物が欲しいから。例え三人目が先輩を、それか佐原さんを選んだとしても、否定する。それが、道理ってものじゃないですか?」

 

「……それは、違うだろ」

 

「筋は通ってる気はしますよ。先輩がすべきなのは、彼女を認めることだと思うんです。本物とか、偽物とかじゃなくて。区別をつけちゃいけないと思います」

 

 区別するな。そう言われても、どうしようもない。蒼桔には明確な本物が見えているのだから。今更記憶のない白鷺のことを、ひとりの人間として見ろと、扱えと言われても……素直に頷くことは難しい。

 

 今まで散々、心の中で悪態をついてきたのだから。顔で選んだだの、あんな奴と付き合うなんて、と。

 

「先輩は、今の白鷺さんがどんな目にあってもいいと思っていますか?」

 

「……別に、どうなろうが知ったこっちゃねぇって綾には言ったよ」

 

「なら、怪我をしても? 目が見えなくなってしまっても? それか……死んでしまっても?」

 

「死ぬって……」

 

 別に俺はそこまで、と言いかけて気づく。それでは自分の言葉と矛盾するじゃないかと。

 

「先輩は否定してるんじゃなくて、否定したがっているんです。心のどこかでは、認めてしまっているんじゃないですか?」

 

 否定したがっている。どうとは言えない。ただ……蒼桔には、わからなくなってきていた。本物とはなんなのか。偽物はいるのか。佳奈が本物なら、今の白鷺は誰なのか。

 

 偽物ならどうなってもいいだなんて、それは結局誤りだったのではないか。目の前で彼女に何か起きたら、どうする。また車に跳ねられそうになったら、彼女のために身を挺することができるのか。

 

「……んな事言ったって、わからねぇよ」

 

「否定するのは簡単ですけど、認めるのは難しいことですから。今はじっくりと考えてみるべきじゃないでしょうか」

 

「………」

 

 額に右手を添えて俯く。肺の中身を一気に吐き出していき、ごちゃごちゃとしている頭の中を整理する。それでも、今の白鷺についてどう思うべきなのかという問いかけに対しての答えは出てこない。

 

 本物と偽物という区別をつけるな、という言葉を額面通りに受け取って反映できるのなら、こんなに苦労しない。

 

「……そうだ、先輩。この前送ってくれたお礼をしたいので、ちょっと家まで来てくれませんか」

 

「彼女持ちを家に誘うか、普通」

 

「何もしませんよ。ただちょっと、渡したいものがあるので」

 

 彼女は立ち上がると、そのまま彼女の家の方向に向かって歩き出してしまう。なんだかやましい気持ちもあるが、仕方なく蒼桔は後ろをついていくことにした。

 

 前に通った道とはまた別の道を通り、彼女の案内に従って十数分ほど歩いただろうか。つい先日見たばかりの、彼女の家が見えてきた。住宅街にある二階建ての家は、周りの家と比べても変わり映えしない。普通の家のように思える。

 

 フェンスを開けて敷地の中に入り、彼女は躊躇いなく玄関の戸を開けて「ただいま」と言う。すると「おかえり」「いらっしゃい」と中から男女の声が返ってきた。おそらく親がいるんだろう。その事実に蒼桔は家の外で待ってようとしたが……音寺に「入っていいですよ」と言われてしまうと、そうもいかない。意を決して、挨拶してから家の中へと入っていった。

 

 彼女の後ろを歩いていくと、リビングに辿り着く。ソファではまだ若そうな男性が座りながらテレビを見ていて、思わず萎縮してしまう。頭を下げて「お邪魔します」と言えば、彼も表情を柔らかくして「いらっしゃい」と言ってくれる。

 

「先輩、ちょっと待っててください。取ってきますので。あっ、椅子に座ってていいですよ」

 

「えっ、いやちょっ……」

 

 置いてくの、この状況で。待ってくれと言いたいが、彼女はそそくさとリビングから出ていってしまう。

 

 女の子の父親と一緒にいろなんて、軽い拷問か何かだろう。どうしたものかと視線を動かしていると、座っていた男性が立ち上がって、椅子に座るよう促してくる。座ると、食卓を挟んで対面に座った彼の方から話しかけてきた。

 

「君が、娘の言ってた蒼桔くんで合ってる?」

 

「あっ、はい。そうですけど……」

 

「そっか。最近いろいろと君の話をしてくるんだ。なんでも、幼馴染の幽霊が見えるとか。それにこの前、家まで送ってくれたらしいじゃないか」

 

「あぁ、まぁ……頼まれてって、感じっすけど」

 

「確かに……あの日はいたからねぇ」

 

 いた、とはなんだろうか。てかなんで幽霊のことまで話してるんだ。いや待て、そもそも何を話すべきだ。娘さんについて知ってることなんてほとんどないのに。渾名のことなんて話すべきではないだろう。そうなると本当に話すネタがない。

 

 とりあえずなんとか場をもたせないと。そう考えて、蒼桔は足りない頭で言葉をひねりだす。

 

「えっと……そういえば、音寺さんのお母さん、いますよね。一応挨拶した方がいいかなぁ……と」

 

「……ん?」

 

「えっ、いやさっき女の人の声が聞こえたもんですから……」

 

「……ウチは、今は一人しかいないはずだよ」

 

 変なこともあるものだね、と父親は笑っている。聞き間違いだろうか。いやでも確かに、女の人の声が聞こえたような気がする。いらっしゃいと言ってくれたはずだ。

 

 疲れているんだろうか。あははと軽く笑いながら、聞き間違いですかねぇと父親に言葉を返した。

 

「……君は娘から何か聞いてるかい?」

 

「何かって言うと……」

 

「例えば、家族のこととか、体質とか」

 

「……姉が、亡くなっているとは聞きました」

 

 それもつい先日聞いたばかりのことだが。しかしそれを聞いた父親は「そうか……」と小さく呟くと、肘を机に乗せて、両手を組むようにしながら蒼桔のことを見据えてくる。

 

 真面目な顔で睨むように見てくるものだから、何かしてしまったのかと更に萎縮してしまう。部屋の中は涼しいはずなのに、頬をツーっと汗が垂れてしまった。

 

「娘はいろいろと訳ありでね。できれば友だちとかもちゃんといてくれると有難いんだけど……君はどうかな?」

 

「えっ、いやその……け、健全な関係を築きたいと」

 

「じゃあ、幽霊が見えるってのは本当のことなのかな?」

 

「………」

 

 どう答えたらいいのかわからない。真面目に答えても笑われるだけだろう。かといって冗談ですよなんて言えば、それはそれで何を言われるのかわからない。

 

 頼むから早く戻ってきてくれ。部屋の外に行ってしまった後輩を心の中で呼ぶも、帰ってくる気配はなかった。

 

「実を言うとね……娘もそうなんだよ」

 

「……はい?」

 

「そういうのが見えてしまうんだ。多分君と同じようにね」

 

 そう言う父親の顔は、ふざけているようには見えない。真っ直ぐに睨むように見てくる眼光から目を逸らしたかったが、できなかった。

 

 しかし、見えているというのは本当なのだろうか。だとしたら佳奈が見えていてもおかしくはない。そう思ったが……音寺と会う時、今まで一度も佳奈が一緒にいたことはなかった。見えていたら、何かしら言っていたのだろうか。

 

「娘が言うには、見えているのは幽霊なんかじゃなく……怪異、だっけな。害を及ぼすモノが見えるらしいんだよ」

 

「……怪異、ですか」

 

「そう。だから君の言うことが本当なら、羨ましいと言っていたよ。見えるのなら、母や姉の幽霊に会えるのにって」

 

 母や姉、と彼は言う。この家には一人しかいないはずなのに、先程男女の声が聞こえてきた。だとしたらさっきの声は……まさか、そういうことなんだろうか。

 

 見えもしない誰かがいるというのは、こんな感覚なのか。風見の立場になった気がして、背中に嫌な寒気が駆け抜けていった。




課題があると毎日書くのは難しいですね。
土曜日のバイト中に、音寺のセリフが思い浮かんだんですよ。
もうこれしかない。これこそがパーフェクトで蒼桔の心に響く言葉だと思ったんですが、日が経つと頭からスポーンと抜けましてね。
えぇ、筆が進みませんでした。そして思い出せませんでした。
すまない音寺……本当に、いいセリフだったんだ……。
なんか曖昧な表現しか出来ずに申し訳ない……。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。