ナツキ・スバルが死んだ世界で (あいうえおにたろう)
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プロローグ
〇〇回目のナツキ・スバル


「がはっ…………」

 

 喉からこみ上げてきた液体を吐き出したスバルは、自分の未来を確信した。

 

「ったく……また失敗かよ」

 

 そのまま膝から崩れ落ち、地面に頭からダイブする。

 こうして腹を裂かれて倒れるのも既に二十回は超えている。おかげで倒れ方がだいぶマシになり、そこまで痛くなくなった。まあ、痛みに慣れてきた、というのもあるかもしれないが。

 

 場所は貧民街。

 スバルの周りには既に屍となった貧民街の連中がいる。

 スバルが街で盗んだ金で雇った者たちだが、想像以上に使えなかった。いや、エルザが強すぎたというべきか。とにかく、スバルを含めた十数人で襲い掛かってもエルザを殺すことはできなかったのだ。

 

「あなたって面白い人ね」

 

 エルザの言葉で現実に引き戻される。

 異世界に来たスバルが何度試しても超えることができない最大の壁だ。最初のボスにしては難易度が高すぎる。

 

「くそったれめ……」

 

 自然に口から出た罵倒は、エルザへのものか、もしくはこんな状況を作った運命へのものか。どうしようもない自分へのものかもしれない。

 

「もうすぐ死ぬのに、そんなに強気でいられるのね。こんな人初めてよ。ゾクゾクしちゃう」

「……うるせえ」

 

 こいつは毎回こうだ。人の死に際を見て、それを自身の喜びとしている。明らかな異常者。

 あの心優しい銀髪の美少女も、こいつに何回も殺された。

 

「てめえだけは、許さねえ……。絶対に……殺してやる」

 

 そう絞り出してやると、エルザは口角を吊り上げた。

 

「ああ、その表情! いいわ、すばらしいわ! なんて素敵な殺気!」

 

 どうやら殺気を受けても喜ぶらしい。この女の行動全てが殺してやりたいほどに憎い。だが、この状況からして今回は無理だろう。

 

 ──次だ、とスバルは気持ちを切り替える。

 

「次こそは、殺してやる……エルザ・グランヒルテ」

「あら、私の名前、知っていたのね」

 

 名前を知られたと知ったエルザが少し警戒する素振りを見せる。が、スバルはもう動くこともできないのだ。彼女がそれを再確認するまでに、十秒もかからなかった。

 

「いつ、どこで聞いたのか、とても気のなるのだけれど……」

 

 忘れられるわけがない。

 数十回も殺されている、スバルが最も憎む相手だ。

 

「ナツキ・スバルが、てめえを殺す」

 

 覚えとけ。

 そう言い切ったスバルの喉から、再び血液が吐き出される。

 

「それは楽しみね。スバルという人が誰なのかはわからないけれど、楽しみに待つことにするわ」

 

 歌うように言うエルザは、本当に楽しそうだった。気が狂っている。

 

「……」

 

 もう、口を開くことすら億劫になってきた。

 来た。自分の中の何かが、抜けていく感覚。

 スバルの下腹部に広がっていた熱が、急速に引いていく。

 

 ──俺が、必ず救ってやる。

 

 いつかの言葉を、思い出す。そしてスバルは、再び決意を固める。

 

 ──絶対に救ってやる。待ってろよ、サテラ(・・・)

 

 何度となく胸に刻んだ言葉を、再び誓い、そして──

 

 ナツキ・スバルは、命を落とした。

 



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第一章 波乱の一日目
ギザ十は持ってない


 ──どうやら俺は、異世界転移したらしい。

 

 アニメや漫画でよくある中世の街並みを前に、青年はそう結論を出した。

 目に映るのは、レンガ造りの建物、獣人、エルフ、竜車。いかにもな世界観だ。

 

 異世界転移。何故青年がそう結論付けたか。

 

 理由は簡単だ。転移する瞬間を青年が認知していたのだ。

 転移する前、青年はコンビニの前にいた。しかしコンビニに入る瞬間、店内の眩しさに一瞬目をこすった。その後目を開いた時にはこちらにいたのだ。

 一瞬で気づけた最大の原因は光量だろう。コンビニの前では深夜十二時過ぎのはずだったのに、こちらでは真昼なのだ。いくらコンビニが明るいと言っても、瞬き一つでそこまで変わってしまったとなれば、疑いようはない。もちろん、青年が夢または幻覚を見ている可能性はあるが、ここまではっきりと世界が変わる瞬間を体感した青年にとっては、その可能性の方が信じられなかった。

 

「うーん、どうするべきなんだ、これ?」

 

 まだこちらの人間とコンタクトは取っていないが、先程チラリと聞いた会話では、ある程度の言葉は聞き取れた。つまり、意思疎通は可能なのだ。

 次に服だが、青年の服装はパーカーに安物のスウェットと、こちらの世界では明らかにおかしい格好だ。こういった異世界ではなるべく違和感のない服装を入手することが良さそうだが……だからといって服を買おうにもこちらで日本円が使えるとは思えない。

 

「そうだ、お金」

 

 お金も生きていく上では必要だ。しかし現状、良い案は全く思いつかない。

 お金は人と関わっていくうちになんとかなる……だろうか。

 

「うん、俺のコミュ力に賭けよう。とりあえず情報収集だな」

 

 ものすごく不安になってきたが、心配してもしょうがない。

 一旦自分の中の情報を整理する。

 まず青年は、こういう転移ものには定番である神に会っていない。そのためこの世界に関する情報が全くない。

 

「見た感じ、あの城に王様が住んでるっぽいけど……」

 

 街の中央に見える城。あれがこの国、もしくは都市のトップが住まう場所だろう。見た目は中世ファンタジーにはありがちの城だ。

 できれば貴族や王族にコネクションを持っておきたいが、あまり高望みはしない方がいいだろう。下手に関わろうとして、不敬だなんだと捕らえられる可能性もある。もしくはスパイを疑われるだとか。どちらにせよ、自分から関わりに行くことはやめた方が良さそうだ。

 

「なら……普通にそこらへんの出店で聞くか」

 

 商人ならばおおよその情報は入るだろう。異国からの人間ということにすれば情報を教えてくれるかもしれない。そうして青年は街を適当に歩くことにした。

 しかしその足は、歩き始めて数分で止まることとなった。

 

「ん? なんだ、お前?」

 

 とある果物屋の前で、青年は立ち尽くしていた。

 果物屋に置いてある食べ物は、見た目はリンゴだ。しかし果物屋の男が言った言葉はそうではなかった。

 

「すみません、それ…………なんて果物ですか?」

「これか? 変なことを聞くんだな。これはリンガだよ、リンガ。兄ちゃん、リンガ知らねえのか?」

 

 果物屋の男──緑色の髪をした男は、そう答えた。

 

 

 ※ ※ ※

 

 

「……よりにもよってリゼロかよ」

 

 果物屋でリンガを断った青年は、偶然見つけた路地裏で頭を抱えていた。

 

 リゼロ。正式な名前は『Re:ゼロから始める異世界生活』。

 異世界ものでもトップクラスに過酷な設定の物語だ。作中の大抵のキャラは本筋に関わる関わらない関係なしに死亡フラグが立つ。一般人も大量に死ぬ世界だ。恐ろしいのは主人公でさえモブキャラ全員は救えないこと、一歩間違えば世界が壊滅する点だ。

 

「ここに来れたのは幸いだけど……」

 

 この路地裏はスバルが初めてエミリアと出会う場所だ。そして大抵のループでここに立ち寄る場所でもある。

 先程街で盗み聞きした話によれば、王選はまだ始まってないらしい。なんでも最後の候補──つまりフェルトが見つかってないという話だった。つまり今は、原作開始時にかなり近い時期らしい。

 

「運がいいのか悪いのかはわかんねえが……まずはスバルに会わなきゃだな」

 

 原作開始前であれば、待っていればスバルはここに来るだろう。

 開始された後ならば、今日か明日、遅くても明後日にはフェルト発見がこの王都中に告知される。そうなればロム爺の所へ行き行動を共にする。そうすることでスバルに巡り合うことができるはずだ。

 スバルと合流した後のことは色々と考えることができる。スバルの言うことに従って動く案や、もしくはこちらから展開を暗に伝えても良いかもしれない。

 

 ──どちらにせよ、今はここで待つしかない。

 

 そんなことを考え、路地裏でスバルを待とうと、方針を決めた時だった。

 

「変な服着てるが……育ちは良さそうだな」

 

 自分に言われたであろう言葉を聞いて、そして振り向いたところで──思考が止まった。

 

 ──なんで、お前たちが。

 

 口から出かけたその言葉を、青年はすんでのところで飲み込んだ。

 可能性はある。三人がスバルに出会う前にここを通っていたかもしれないというだけだ。

 

 青年の視線の先にいるのは、三人の男。

 小さい者、大柄な者、痩せている者、と皆容姿はバラバラ。しかし三人の表情には明らかな悪意があり、誰一人として友好的な者はいなかった。

 場所は大通りからにつながる薄暗い路地。周りは石の壁で覆われていて、逃げ場はない。

 

「よお、珍しい服装の兄ちゃん。悪いこと言わないから持ってるもの全部置いていきな」

 

 あまり質の良くなさそうなナイフをちらつかせ、痩せ気味の男が言った。

 

「なんで、だよ」

 

 青年の口から、戸惑いの声がこぼれる。

 最後の可能性をかけて周りを見回してみるが、スバルは見つからなかった。

 そこで、もう一つの可能性が、頭に浮かぶ。その可能性が抜けていたことに気づく。

 ──もうすでに、あのイベント(・・・・)は終わってしまったのではないか。

 

「なあ、一つ聞いていいか?」

「あ?」

「俺に会う前に、俺と似たような変な格好の男を恐喝しなかったか?」

 

 青年の問いに、一瞬考えをめぐらす男だったが、すぐにイラついた表情を浮かべた。

 

「そんな奴いねえよ。それよりはやく持ってるもの出せっつってんだ」

「頼む、よく思い出して──」

「そんな奴知らねえっつってんだろ! グダグダ言ってねえでさっさと持ってるもん出せ! 早くしねえとやっちまうぞ!」

 

 嘘をついているようには見えない。この三人がスバルと会った事実を隠す意味はない。何よりここまで声を荒げても関連ワードが出てこないということが示す事実。 嫌でも分かった。

 こいつらと、ナツキ・スバルは、会っていない。

 

「マジかよ……やばいな」

 

 トンチンカンとナツキ・スバルが会う前に、自分が会ってしまう。これはまずい事態だが、それよりもまずは目の前の状況だった。トンチンカンと自分の距離、この路地という環境。

 状況は良くないことは確かだ。 ここでスバルと彼らが出会っていないことも問題だが、自分がここで彼らと遭遇したこともまずい。青年は運動は苦手ではないが、喧嘩はほとんどしたことがない。

 

「見逃してくれたりは……しないか」

「お前、アホか?」

 

 どうすることが最適か。

 原作でスバルがここを切り抜けた方法は……。

 一つのシーンが思い起こされる。

 それを行うか一瞬考えるが、ジリジリと迫ってくる三人を見て、腹を決める。

 

 ──恥ずかしいけど、やるしかない。

 

 青年は大きく息を吸うと、声を裏がえらせ──

 

「誰かー、助けてくださーい!」

 

 青年は、精一杯の裏声でそう叫んだ。

 

 

 ※ ※ ※

 

 

 数分後。

 

「お互い無事でよかった。怪我はないかい?」

 

 そう言った赤髪の騎士は、男でも惚れるほどに爽やかだった。

 騎士の名は、ラインハルト・ヴァン・アストレア。リゼロでも最強格の騎士だ。

 

「いえ、大丈夫です。ありがとうございました」

 

 青年が丁寧に頭を下げると、ラインハルトはよしてくれ、とそれを優しく止めた。

 

「そんなに堅く考えなくても構わないよ。向こうも三対二になって優位性を確保できなくなっただけのことだ。僕一人ならこうはいかなかった」

 

 やはり、イケメンだ。顔も言動も、満点だ。文句のつけようがない。

 僕一人なら云々とか言っているが、ラインハルト程の強者であれば、あの程度のチンピラなどいくら集まっても負けることはないだろう。

 

「ラインハルト様、本当にありがとうございました。自分一人ではどうなっていたことか……」

 

 青年が咄嗟に裏声で助けを求めた結果、ラインハルトが駆け付け、トンチンカンは逃げていったという形だ。ラインハルトが来てくれたからいいものの、もし来なかったら……。考えるのはよそう。良い結果にならなかったのは確かだ。

 

「呼び捨てで構わないよ。騎士として人助けするのは当たり前のことだしね。気にすることはないよ。……名前を、聞いてもいいかな?」

「あ、そういえば……俺の名前は──」

 

 言いかけたところで、ふとある単語が頭をよぎった。

 

 『暴食』。記憶を奪う能力を持ち、相手の名前を知ることで周囲の記憶からその存在を消すことができる大罪司教の一人。

 もし、今後魔女教と相対することがあるならば──ここで本名を告げることは、かなり危険になる。記憶と存在を奪われた者は自力で目覚めることは不可能になる。存在を奪われただけならまだ救いはあるが、記憶を失うことは危険度が桁違いだ。

 事実原作主人公のナツキ・スバルは、それにより一時的にだが記憶喪失に陥り、そして何回か死んでいる。スバルは死に戻りを繰り返し記憶を取り戻すことに成功したが──青年も死に戻りできる保証はなかった。

 スバルがいればまた変わってくるのだろうが、青年はこの世界で、スバルと出会うことができていない。ならば──

 

「悪い、ラインハルト。俺の名前は、教えられない」

「……それは、なぜだい?」

 

 少し考えるが、嘘をつく理由は見当たらない。青年は正直に話すことにした。

 

「俺の、命に関わるからだ。ある人物と会うまでは、名前は言えない」

 

 青年の言葉にラインハルトは少し沈黙したものの、小さい笑みを浮かべて頷いた。

 

「……そうか。ならば深く詮索することはしないよ。嘘はついていないみたいだしね」

「ごめん」

 

 青年が頭を下げると、ラインハルトは誰にだって事情はあるさ、と笑顔で止めた。

 

「それでその探し人はどんな人なんだい? 服装を見る限り、君はこの辺の人ってわけでもないんだろう? 僕でよければ何か手伝うよ」

 

 明るい声でラインハルトが言った。

 空気を変えようとしてくれているのだろう。気配りまでも最優か。

 

「じゃあ、頼もうかな」

「わかった。それで、どんな人なんだい?」

 

 スバルの姿を思い浮かべるが、これといって特徴はない。ジャージと言ってもこちらでは通じないだろうし……。

 

「ええっと……そいつは俺と同じような背格好で目つきが悪くて…………あと結構なお調子者だ」

「なるほど。では見かけたり、耳に挟んだりしたら伝えるとしよう。それで、その人物の名前は?」

「ナツキ・スバルだ。恐らくあいつは俺のことをまだ知らねえ。俺が一方的に知ってるだけなんだ。だから、俺も日本出身だって伝えてくれ。それで通じる」

「わかった。それで君はどこに滞在するのかな?」

 

 ラインハルトの問いに、言葉が詰まる。拠点はまだ決めていなかった。どうしようかと考えていると、ラインハルトがもしかして、と口を開いた。

 

「まだ決まっていないのか? もし宿がないなら僕の屋敷に来るかい?」

「いや……それはさすがに迷惑かけ過ぎだ。助けてもらっただけで十分だよ」

「でも」

「大丈夫だ。当てというか、候補は……一応だけどある」

 

 当てと言ってもロム爺のことなのだが、多分なんとかなるだろう。なんだかんだ言って甘い二人だ。土下座すれば、見ず知らずの人間でも一晩くらいは大丈夫、なはず……。

 

「少し心配だが……君がそういうなら仕方ない。何かあれば近衛兵から伝えてくれ。できる限り力になろう」

「ありがとう、ラインハルト」

「では、目的地まで付いていこう。それくらいは、いいだろう?」

 

 笑みを向けるラインハルトに、青年は頬をかいた。

 

「ええっとだな……ここ、なんだ」

「ここ?」

「そう。俺の当分の目的地は、この路地裏なんだ」

「なるほど……」

 

 では、とラインハルトが指をたてた。

 

「君がここに居る間は、僕もここに居よう」

「え!? ちょっと、それは悪いって」

 

 断ろうとした青年だったが、ラインハルトは動く気配がない。

 

「僕は今日は非番の日なんだ。これは僕の趣味だと思ってくれたまえ」

「趣味が路地裏にたむろするって……怪しすぎるだろ」

 

 青年の皮肉にも、ラインハルトはどこ吹く風だ。

 

「わかったよ、じゃ、一緒にいてくれ」

 

 そう諦めた青年に、ラインハルトはにこやかに頷いた。

 

 

 ※ ※ ※

 

 

「来ねえな」

「ナツキ・スバルがかい?」

「ああ。今日じゃないのかもしれないな」

 

 あれから数時間が経ったはずだが、スバルは未だ現れない。

 この時間でラインハルトはいろいろなことを教えてくれたが、正直リゼロを知っている俺にとってはわかっていることが大半だった。

 

「ラインハルト、あとどれくらいで日は沈む?」

「ふむ。すぐというわけでもないが、それほどじかんがあるわけでもないな」

「おっけーわかった」

 

 青年はゆっくりと立ち上がった。

 

「もういいのかい?」

「ああ。スバルは日が沈んだ後はここに来ないからな。とりあえず俺は宿に向かうわ」

「そうか。ではついていくとしよう」

「すまねえな、休日を潰しちまって」

「僕が好きでやっていることだ。気にすることはない」

 

 数時間話して分かったが、ラインハルトは正真正銘のイケメンだ。何から何まで完璧で非の打ち所がない。恐らく現実にはこんな人間はいないだろう。そう思えるほどに完璧だった。

 

「場所はどこだい?」

「貧民街だ」

「貧民街……そこは本当に大丈夫なのか?」

「うーん多分、大丈夫だ。正確な場所は知らないけど……多分、見ればわかる。あの盗品蔵デカいしな」

 

 ロム爺の盗品蔵はその描写からしてもかなり大きい。見ればわかるだろう。

 そこまで考えて、青年は自分の失言に気づいた。

 

「盗品蔵……盗みをやっているということか?」

 

 そう言うラインハルトの表情は厳しいものだった。

 

「いや犯罪者って言ってもね? 多分盗みとかネコババとかの軽犯罪しかやってないと思うし……そんなに悪い奴らじゃないんだよ、うん」

 

 必死で弁明してみるが、ラインハルトの表情は変わらない。

 

「殺しとかはしてないだろうし、困ってる奴がいたら助けることもあったりすると思うし……だから、な? 会えば──」

 

 わかる。

 そう言おうとして、気づいた。フェルトは後のラインハルトの主君になる人物だ。ここでもしラインハルトが保護してしまったら、原作の流れが変わってしまうのではないか。

 そう考えていると、隣でぱちん、と音がした。

 ラインハルトが手を打った音だった。

 

「拍手……?」

「いや、気持ちを切り替えただけさ。君の言葉を信じて、会ってから決めるとしよう」

 

 そう言ったラインハルトの表情は先程とは違い、優しい、いつものものだった。

 

「とりあえずは、それで頼む。じゃ、向かうか」

 

 青年の言葉に、ラインハルトが頷いた。

 

 

 ※ ※ ※

 

 

「ここが貧民街だよ」

「何から何まで……本当にすまねえ」

 

 貧民街へ行くと言ったはいいものの、場所を知らなかった俺は、結局ラインハルトに案内してもらっていた。

 

「まあ、貧民街の場所を知らないのには驚いたけど……気にすることじゃない。さっきも言ったが──」

「趣味、だろ? ありがとな」

 

 いつか絶対に恩を変えそう。そう決めた青年は盗品蔵を探すべく歩き出して──たった数歩で止まった。

 

「ん? あれは……」

 

 ラインハルトも彼女(・・)に気づいたらしい。

 

「マジかよ…………」

 

 俺とラインハルトの数十メートル先には、銀髪のハーフエルフ──エミリアがいた。




誤字報告をしてくれた方、ありがとうございます。
とても助かります。


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不可解な邂逅

「エミリア……?」

「エミリア様……なぜ、このような場所に」

 

 青年の言葉と同時に、ラインハルトが呟いた。

 

 スバルよりも先に、エミリアと出会うとは……。

 

 エミリアがここに居る理由。

 ただ立ち寄っただけならば、特に何かする必要はない。

 

「あの様子は……ちょっと立ち寄っただけじゃないのは確かだな」

 

 あの様子もそうだが、この時期にエミリアがここにいるということは、すでにフェルトに徽章を盗まれている可能性が高い。

 だとすればなぜスバルが路地裏に現れなかったのかが気になるが…………それ以前に、だ。このままエミリアを盗品蔵へ行かせたならば、エルザの犠牲になるのはほぼ確実だろう。ならば、ここで動かないのはありえない。

 

「ラインハルト、事情が変わった。エミリアに聞きたいことができた。ちょっとついてきてくれ」

「それは、どういう……」

 

 何か言いかけたラインハルトを無視して、エミリアに向かって走り出す。すぐに後ろから追いかける足音が聞こえたが、止められることはなかった。

 

「ちょっと、いいかな?」

 

 エミリアの元まで走った青年は、ぎこちない笑顔を浮かべて、そう尋ねた。

 

 

 ※ ※ ※

 

 

「こんなところで何してるの? 君は、貧民街の住人じゃないよね?」

 

 できる限り何でもないように尋ねた青年だったが、傍から見れば怪しさしかない。明らかに警戒したエミリアだったが、その後ろにいたラインハルトを見て、その表情は少し和らいだ。

 

「確かに私は貧民街の住人じゃないけど……あなたは誰?」

「誰かって…………通りすがり?」

 

 不審な顔をするエミリアに、ラインハルトが頭を下げる。

 

「申し訳ありませんエミリア様。私は──」

 

 一瞬、名乗ることを躊躇ったのか、ラインハルトが言い淀む。

 

「近衛騎士団所属のラインハルト・ヴァン・アストレアと申します」

「あなたのことは知っているわ、ラインハルト。有名だもの」

「恐縮です。こちらは私が先程出会った者でして……悪い者でないのは確かなのですが……」

 

 ラインハルトの説明に、エミリアが首をかしげる。

 

「で、その偶然出会った人とラインハルトがどうしてここにいるの?」

「あー、それは俺が貧民街に用があったから、ラインハルトに案内してもらってたんだ」

「ふーん、そう」

 

 青年とラインハルトを交互に見るエミリアは、一応は納得してくれたらしい。怪しまれたあたりからは心臓バクバクだったが、なんとか警戒を解いてくれたようだ。

 

「で、なんの用?」

「いやあ……こんなところで何してるのかなあ、と」

 

 青年の問いを、見るからに怪しむエミリア。そんな青年の横から、ラインハルトが割って入った。

 

「エミリア様は、なぜここに?」

「それは……」

 

 ラインハルトの問いに、口ごもるエミリア。

 

「あー……」

 

 青年は軽く唸りながら、額に手を当てた。

 この様子ならフェルトに徽章を盗まれたと見て間違いないだろう。

 

「実はね……なくしものをしちゃったの。でも、いいの。大事な物だけど、これは私の問題。手を借りるわけにはいかないわ」

 

 まあ徽章盗まれたなんて軽々しく言えることじゃない。だからといって、ラインハルトも王選候補者がこんなところに一人でいるのを黙って見過ごすことはできない性格だ。

 

「大事なものを盗まれたってことか?」

「え、えっと、それは……」

 

 青年が口を挟むと、エミリアが口ごもった。

 

「ならば、私も手伝いましょう」

 

 さすがに盗まれたと聞いて我慢できなくなったらしい。

 強い口調で言ったラインハルトだったが、エミリアは困った表情を浮かべた。

 

「うれしいけど、好意だけ受け取っておくわ」

「そうは言いましても……」

「気持ちは嬉しいわ。本当なの。でも、これは私の問題。自分で解決します」

「エミリア様……」

 

 全く取り付く島の無いエミリアに、狼狽えるラインハルト。見ていて少し面白かったが、事情を知っているだけに素直に楽しむことはできなかった。

 

「そのなくしたものってのはどんなものなんだ?」

 

 何食わぬ顔で聞いてみる。

 

「ええっと、小さくて……って、手伝わなくて大丈夫!」

 

 口車に乗せられるエミリアは素が出ていた。

 なんとも可愛らしい突っ込みだ。美少女がやるのだから、控えめに言っても見惚れるレベルだ。青年はスバルの気持ちがわかる気がした。

 

「小さいものですか」

「だから手伝わなくても……」

 

 小さいもの。徽章で間違いはないだろうが、青年は口にはしなかった。

 

「手伝うつもりはないけど……多分それ、俺が今向かってるところにあると思うよ」

「その、盗品蔵にか?」

 

 ラインハルトも思い出したらしく、青年は頷いた。

 

「うん、多分。小さい金髪の女の子が取ったんでしょ、それって」

「ええ!? な、なんでわかるの?」

 

 エミリアが驚いた表情を浮かべる。想像以上のオーバーな反応に言葉に詰まりかけるが、なんとか普通に返事を返す。

 

「実を言うと、俺もその子を探してたんだ」

「知り合いなのか?」

「いや、俺が一方的に知ってるだけ。あっちは俺のこと全く知らない」

「そうか……」

 

 ラインハルトはそれだけ言うと黙ってしまった。

 もしかすると俺経由で返してもらおうと思ったのかもしれない。

 

「でも、交渉はできる。向こうは物の価値とかあんまり知らないし……エミリアの盗まれたものが何にせよ、手順さえ間違えなければ返してもらえるはず」

「その、大丈夫なの?」

「ああ、交渉なら、なんとかなる」

「いささか不確定要素が強い気もするが……」

「大丈夫だ」

 

 妙に自信のある青年の言葉に、ラインハルトがそれなら、と青年の肩に手を置いた。

 

「早くその盗品蔵に行こう。誰かに先に取引される可能性もある。そうなってはマズイ」

 

 ラインハルトの言葉に、青年とエミリアは深く頷いた。

 

 

 ※ ※ ※

 

 

「なあ、ええっと……エミリアさん?」

「エミリアでいいわ。急にかしこまってどうしたの?」

「いや、さっきは気が動転してたもので……。あなたは王選候補者だってのに……全然敬意払っていませんでした。すみません」

 

 盗品蔵を探す道中。

 我に返った青年は、エミリアに申し訳なさそうに頭を下げた。

 王選候補者にため口を聞く身元不明の男。……うん、怪しすぎる。

 一緒にいたのがラインハルト以外の騎士だったら切られたりしてたかもしれない。そう思って今更ながら謝ったのだが──

 

「だからかしこまらなくったっていいってば」

「でもですね……いきなり馴れ馴れしく声かけたりっていうのは自分でもヤバいな、と」

「急に話しかけられたからビックリしたし……変な格好だなあって思ったけど、そんなことは気にしてません」

「そう、ですか?」

 

 恐る恐るエミリアの方を向いた青年だったが……次の瞬間、頬に柔らかい衝撃が走った。

 

「ぐへぇっ!?」

 

 勢いのままよろめくと、後ろで聞き覚えのある声が聞こえた。

 

「もー、うじうじとめんどくさい奴だなあ。黙って見てたけど、もう我慢ならないね」

「パック!」

 

 再びエミリアの方を向くと、肩の位置に灰色の小さな猫が浮いていた。精霊のパックである。

 

「……蹴り飛ばされたの?」

「そうみたいだね」

 

 肩をすくめながら答えるラインハルト。

 

「君がいれば僕は出る必要がないかと思ったんだけどね。もう見てられなくって」

 

 君とはラインハルトのことだろう。ラインハルトは小さく会釈している。

 

「ええっと……」

 

 青年とパックは初対面である。どう対応したものかと戸惑っていると、向こうから自己紹介を始めてくれた。

 

「ボクはパック。無難な説明をすると、エミリアの保護者だね」

「猫が保護者なのか……」

 

 正直な感想を述べると、パックが頬を殴ってくる。

 

「猫だと思って甘く見てるね? そういうやつには痛い目見せるぞー」

「うわああ……って痛くねえ」

 

 全く痛くない。それどころか、マッサージされているようで逆に気持ちいいぐらいだ。

 

「リアをナンパしたくらいなんだから、こういうところは素直に従おうよ」

「ナンパじゃないんだけど……まあ、わかったよ」

 

 おずおずと頷くと、それでよし、とパックも頷く。

 

「じゃあ、さっさと盗品蔵に向かうか」

「位置わからないんだけどねー」

 

 パックの突っ込みにうーんと唸る青年。

 

「……まあ、なんとかなるだろ。打つ手が無くなったら聞けばいい」

 

 原作だと、エミリアが一人で盗品蔵に行くルートもあった。人に聞いたか聞いていないかが知らないが、土地勘のない人間であるエミリアがたどり着けたのだ。ならば人に聞けばある程度はたどり着けるはずである。スバルも人に聞くことでたどり着いていた。

 

 ──スバル……!

 

「エミリア、一つ質問なんだけど……」

「ん?」

「ここに来るまでに、俺と同じような格好の青年に会わなかったか? こう、目つきの悪い」

「ぷふっ」

 

 俺が両手で目を吊り上げると、エミリアは小さく噴き出した。

 

「な、何だよ?」

「ごめんなさい、少しおかしくって」

 

 反対側を見ると、ラインハルトも何かをこらえるような仕草をしている。そこまで滑稽だったのだろうか。

 

「……笑いを取るつもりじゃなかったんだけどなあ。それで、会ったりしてない?」

「あってないけど……探してるの?」

「まあ、うん。会ってないならいいよ」

 

 もしかすると、とは思ったが会っていなかったらしい。

 ──ここまでスバルが関与してこないのは、いくらなんでもおかしい。おかしいが、だからといって何かできるわけでもない。

 

「本当にどこにいるんだよ……」

 

 そう言いつつ頭をかいていると、前方に見覚えのある建物が見えた。

 

「あ! あれって……」

「あれが、そうなのか?」

「多分な」

 

 三人の進行方向にはアニメでよく見た、あの盗品蔵があった。

 

 

 ※ ※ ※

 

 

「すみませーん!」

 

 青年が扉を開けると、中から気だるげな声が返ってくる。

 

「大ネズミに?」

「……大ネズミ?」

「知らんなら来るな。うちは知った奴としか取引しないんでな」

「……あ、思い出した」

 

 確か原作では、フェルトが盗品蔵に入る前何か言ってた気がする。かといってそんな細かいことまで覚えているわけじゃない。

 

「いや、ちょっと待ってくれ。フェルトと取引がしたいんだ」

「なんじゃ、フェルトの知り合いか?」

「ま、まあそんなもんだ」

「……入れ」

 

 恐る恐る扉を開けると、アニメで見た通りの酒場が現れた。

 

「思ったよりも広いな」

「で、どんな取引をしたいんじゃ?」

 

 ボロボロのカウンターの中に立つのは黒っぽい肌に強面の巨大な男。フェルトの保護者的な立ち位置の、ロム爺だ。

 

「フェルトが盗んだものを買い取りたい」

「ほー、さてはお前さん、フェルトに何か盗まれたな?」

 

 したり顔でロム爺が言うが、その予想は外れていた。

 

「そういうわけじゃないんだが……」

「なんだ、違うのか」

 

 つまらなそう表情を浮かべるロム爺。それに構わず、話を続ける。

 

「フェルトはいつ頃ここにくるんだ?」

「そのうち来るじゃろ。そんなに遅くなることはない。まあ、座って待っとけ」

 

 ロム爺は、そう言いつつ顎で椅子を指した。

 

「じゃあ、お言葉に甘えて」

 

 ゆっくりと座る。少しの間、沈黙が満ちた。

 

「お前さん、名前は?」

「え、名前?」

 

 突然の問いに、言葉を詰まらせる。

 少しこの世界に慣れてきた青年だったが、それでも、名前を言う気にはなれなかった。かといって、偽名を名乗る気もなく。結果やはり正直に言うことにした。

 

「えーっと、悪いんだけど、名前は無理なんだ」

「無理?」

「言えないんだ。命に関わる」

 

 青年の言葉に、一瞬ポカンとした顔をしたロム爺だったが、一秒後には大声で笑い始めていた。

 

「……何かおかしかったか?」

 

 ロム爺はひとしきり笑ったあと、息を整えつつカウンターから出てきた。

 

「大げさすぎるじゃろ、それは。久しぶりに笑ったわい。じゃあ、名前はひとまずいい。お前さんの出せる物はいくらだ?」

「いくら……それは」

 

 お金の話なら、聞いてみないとわからない。だが、今のエミリアが大金を持っているとは思えなかった。

 

「まあ、フェルトが持っている物よりは出せると思うぜ」

 

 だから、ここはハッタリをかます。

 まずは、フェルトが来るまでの時間を稼ぐ。そして、フェルトが来た後にラインハルト経由で、フェルトが王選候補者であることを見抜かせる。それが、青年の策だった。

 しかし──

 

「……もっとマシな嘘をつくんだな」

「嘘?」

 

 青年は、ロム爺の売人としての実力をなめていた。

 

「ハッタリがわからないほどボケて見えたか? 舐められたもんじゃの」

「嘘じゃない。これは本当に──」

「嘘つきで、尚且つ名前も言えないような奴と取引はできん。出てけ」

 

 それはさっきまでとは打って変わって、底冷えのするような声だった。

 

「こっちは信頼で商売してるんだ。名乗るってのはその第一歩なんじゃが……見るからに素人だったからな。そこは見逃してやった」

 

 まあ、とロム爺が言葉を切った。

 

「さすがにここまでわかりやすく騙そうとしてくる奴だとは思わんかったわ。騙そうとしてくる奴と取引できるか? できんじゃろ。そういうわけで取引はできん。さっさと出てけ」

 

 反論は、できなかった。

 

 

 ※ ※ ※

 

 

「どうだった?」

 

 盗品蔵を出ると、真っ先にラインハルトが尋ねてきた。

 

「すまん。ダメだった」

「徽章はあったのか?」

「いや、少女はいなかった」

「……そうか」

 

 楽観していた。自分の浅はかな考えに、腹が立つ。

 

「……二人に、一つ聞いていいか?」

「?」

「今更だけど、こんな奴なんかの情報を信じていいのか? 俺はまだ自分を証明するものを何も出してない。俺から見ても、怪しすぎる」

 

 青年の言葉に、エミリアが首をかしげる。

 青年は情報の出どころはおろか、自身の名前すら言っていないのだ。ロム爺に言われて実感した。青年は信頼に値するものを、何も示せていなかった。

 ならばなぜ二人は青年の言葉を信じるのか。

 

「あーそれはボクが大丈夫って言ったからだよ」

 

 青年が暗い雰囲気で問いかけた数秒後、明るい声が響いた。

 

「パックが……?」

「そそ。会ったときに少し会話を聞いてみて、悪意がなさそうだったからスルーしたんだ」

「僕も同じような理由だね。君からは悪意を感じない」

 

 ラインハルトとパックの言葉に、一瞬冗談かと思うが、二人の表情からそれが本気であると認識する。

 

「そんなことで?」

「僕は少し特殊だからね。人を見れば、その人がどんな人間かが大体わかってしまうんだ」

 

 ラインハルトが明るい調子だが、少し複雑な表情で言った。

 それが加護のことを言っているとわかったのは、数秒後だった。

 

「ボクは彼ほど正確にはわからないけど……まあ、人生経験かな」

 

 そう言いながらエミリアに目を向けるパックの表情は、今までのどれよりも優しげだった。

 

「エミリアは……」

「最初はちょっと怪しんだんだけど、パックが大丈夫っていうし……それに、ね」

 

 少しの間を置いて、エミリアは少し嬉しそうに続けた。

 

「信じたかったの。……普通に接してくれる人は、久しぶりだったから」

「……」

 

 その言葉に、改めてエミリアの境遇を認識し直す。

 銀髪のハーフエルフ。嫉妬の魔女と同じ姿というだけで忌み嫌われる境遇。そんなエミリアにとって、スバルは救いだったに違いない。だから尚更──

 

「早く、合流しないと」

 

 それを救う人物、ナツキスバルに会わせてやりたいのだ。

 だが、まずは──

 

「もう一度、交渉してみる」



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盗品蔵の出来事

「で、なんだ。今度は衛兵連れてきて脅そうって腹か、小僧」

「そう思われても仕方ないけど……」

 

 再び盗品蔵に入った青年の後ろには、エミリアとラインハルトが立っている。

 

「交渉するつもりではある、一応」

「…………」

 

 ロム爺はしばらく青年の方を見ていたが、諦めたようにため息を吐いた。

 

「話だけは聞いてやろう。で、いくらある?」

 

 当たり前だが、青年はこの世界の金銭を持っていない。

 先程確認したが、ラインハルトもエミリアも必要最低限しか持っていなかった。ラインハルトは一度屋敷に帰ればそれなりにはあるらしいが、往復する時間の余裕はない。

 と、なれば当然持ち金はないに等しいわけだが──

 

「こちらが用意するのは金じゃない」

「金じゃないじゃと?」

「そうだ」

 

 金じゃないならば、何を用意するのか。

 青年の手元にお金はない。スバルのように携帯もスナック菓子も持っていない。

 では、何を出すか。

 

「こちらが出すのは、情報だ」

「情報……?」

 

 反応したのはラインハルトだ。

 二人には、事前に何も話していない。ただその場にいてくれとだけ話してあるのだ。

 

「何を言い出すかと思えば情報か。さっきので懲りて少しはまともな話ができるかと思ったんじゃが……見込み違いだったようじゃの」

「まあ待ってくれよ。情報の中身を聞いてからでも遅くないだろ」

 

 青年の言葉に、ロム爺が眉をひそめる。

 

「どんな情報かは知らんが、生憎こっちはそんなもん求めてない。必要なのは毎日の酒に変わる金だ。金のありかでも教えてくれるとでもいうのなら話は変わるが……そうじゃないじゃろ」

「ああ、確かに今のあんたとフェルトには必要ないよ」

 

 フェルトの名前が出たところでロム爺と目が合う。

 

「だけど、未来のフェルトには必要な情報だ」

「フェルトに必要な、情報じゃと?」

 

 今度は、出てけ、とは言われなかった。

 

「もちろんフェルトがいらないと言えばそこまでだ。だけどフェルトにとっては、盗んだものよりも、百倍価値のあるものだと思う」

「その保証は?」

 

 保証はある。

 こちらは原作を知っているのだ。情報としての価値は高い。しかし、正直に言っても信じてもらえる可能性はゼロに等しいだろう。

 かといって嘘をついても、人を騙し慣れていない素人の青年がついた嘘などすぐに見透かされる。

 ならば──

 

「俺が誰より信頼する男からの情報だ。命を懸けたっていい」

 

 事実と、覚悟で乗り切る。

 嘘ではない。ただ、表現を変えるだけだ。

 

「……」

 

 ロム爺が黙ったことで、盗品蔵に静寂が訪れる。

 

 正直、フェルトにこれを言ってもいらないと一蹴されるだろう。それは青年も重々承知している。

 そもそも青年は、フェルトにとって価値があると言っているだけで、フェルトがそれを買うとは一言も口にしていないのである。

 では、青年の目的は何か。

 

 それは、時間稼ぎであった。

 

 フェルトが来るまでではない。エルザが来るまでの時間稼ぎだ。

 エルザがここにたどり着けば──ここにいるエミリアを見れば、迷わず皆殺しにしようとしてくるだろう。それはつまり、交渉の破談を意味する。それを見越したうえでの作戦だった。

 これが卑怯なやり方であると、青年自身も自覚している。しかしそれでもフェルトやロム爺、エミリアの命を救うためならば手段は選んでいられない。

 

「これはフェルトとの交渉だ。だから、フェルトが来るまでは待たせてもらうけど……いいよな?」

「……好きにしろ」

 

 ──ここからが、本番だ。

 青年は息を吐くと、エミリアに目をやった。

 エミリアは、盗品蔵の中を、物珍しそうにキョロキョロしている。

 

 ──ナツキ・スバルが彼らに出会うまでは、彼らを死なせるわけにはいかない。

 

 

 ※ ※ ※

 

 

「で、本当にその情報ってやつはあるのか?」

 

 盗品蔵のロム爺から一番離れたテーブル。そこに青年とラインハルトはいた。

 

「ラインハルトが心配するのも当然だけど……あることにはある」

「その情報源は、君が探しているナツキ・スバルからの情報かい?」

「ああ、そうだ」

 

 やはりか、とラインハルトがカウンターのエミリアに目を移す。

 エミリアはロム爺からもらったホットミルクを、やけどしないようにちびちびと飲んでいる。

 

「そのスバルって人は、どんな人なんだ? 差し支えなければ教えてほしい」

「スバルの話か……」

 

 魔女の残り香がついた身元不明の人間。それが、スバルの状況だ。青年も似たようなものだが、怪しさしかない。

 

「スバルは、熱心なエミリア信者だよ」

「エミリア様の……?」

「ああ。多分、誰も──エミリアすらも知らないんだろうけど、スバルはエミリアに助けられてるんだ。そこで一目惚れして、彼女を助けになるべく行動してる奴。それがナツキ・スバルだよ」

 

 スバルは最初のループでエミリアに助けられている。この世界が何回目のループかは知らないが、エミリア至上主義なのには変わりないはずだ。

 

「助けに……ということは、スバルはエミリアを王にしたいわけか」

「まあ、そうなるね」

 

 王選や、その候補者の話はラインハルトに路地裏で説明されている。

 

「一つ、聞きたいんだが……」

「ん、なんだ?」

「君は何故、スバルに会いたいんだ? スバルと君は知り合いではないんだろう?」

「あー」

 

 なぜ、スバルと合流したいか。

 深く考えていなかったが、自身の感情は大体予想がつく。

 

「多分、安心したいんだと思う」

「安心……同郷だからか」

「それもあるけど……ほら、俺って何も知らなかったからさ。今は虚勢張ってなんとかやってるけど、それもそのうち限界が来る。だからスバルと会って一安心して……で、共感したいんだと思う」

 

 青年は、事情が似ている誰かと分かち合いたかった。

 リゼロという過酷な世界で、仲間が欲しかった。

 

「ま、スバルは俺よりもすごいけどな」

「君の話を聞いていると、スバルという人物に会いたくなってくるね」

 

 にこやかに言うラインハルトに、そのうち会えるさ、と返す。

 と、その時盗品蔵の扉が叩かれた。

 

「フェルトか?」

「少し黙っとれ、小僧」

 

 カウンター内にいたロム爺がゆっくりと扉へ向かう。

 

「大ネズミに」

「毒」

「スケルトンに」

「落とし穴」

「我らが貴きドラゴン様に」

「クソったれ」

 

 ロム爺は満足げに頷くと、扉を開けた。

 

「待たせて悪いな、ロム爺。ちょっとそこで依頼人と会っちまってよ。だから──え?」

「……は?」

 

 嬉しそうに言うフェルトは、盗品蔵の中を見て固まった。

 恐らくエミリアを見て止まったのだろう。エミリアも少し怒った表情でフェルトに視線を合わせている。

 だがそんなことは、青年にとってどうでもよかった。

 それよりも、フェルトの口にした『依頼人』という言葉が問題だった。

 

「おい、まさか」

「おいロム爺! 今日は大口の取引があるから誰も入れるなって──」

「……あら?」

 

 フェルトの背後から現れた人物は、黒いマントを羽織った、妖艶な美女だった。

 見間違えるはずもない。

 『腸狩り』エルザ・グランヒルテ。

 それが彼女の名だった。

 

「はっ……」

 

 一瞬、青年の身体が強張った。

 想像してしまったのだ。――自身がエルザに腹を裂かれる未来を。

 次の瞬間、エルザの手元が光った。

 

「避けろフェルト!」

 

 青年が咄嗟に叫ぶ。そして──盗品蔵に、鮮血が飛び散った。

 

 

 ※ ※ ※

 

 

「すごいのね、あなた。絶対に殺したと思ったのだけれど」

「っあ……!」

 

 ぼとり、と重たいものが青年の目の前に落ちた。

 それを視界に入れた瞬間、吐き気がこみあげてくる。

 

「フェルト!」

 

 盗品蔵の中に倒れこんだフェルトには、左腕がなかった。

 フェルトを抱え込んだロム爺の顔は蒼白だ。

 

「フェルト、しっかりしろ! フェルト!」

「うぐ……ロム爺、ごめん……」

 

 フェルトの左腕は二の腕の途中で切り落とされていた。

 その傷口からは、絶え間なく出血している。青年はその光景をどこか別世界のように眺めていたが、フェルトの呻き声により我に返った。

 

「っ、エミリア! 治療! 今すぐにだ!」

「わ、わかった」

 

 突然の状況に固まっていたエミリアだったが、青年の言葉ですぐさまフェルトへ駆け寄る。

 

「少し、じっとしててね」

「な、んで……」

「うちのリアは今集中してるからね。黙ってたほうがいいよ、泥棒娘さん」

「っ……」

 

 パックがフェルトの額を小突くと、フェルトが苦し気に呻く。

 

「ちょっとパック! 意地悪しないの!」

「はーい」

 

 真剣なエミリアの口調に、パックが素直に離れた。

 と、その時、顔をしかめるほどの金属音が青年の耳元で響いた。

 

「うっ!?」

「悪いが、これ以上僕の目の前で誰かを傷つけさせるわけにはいかない」

 

 振り向くとラインハルトの背中が目に入った。その数歩先では、ククリ刀を弾かれたエルザが残念そうに自身の手元を見つめていた。

 自分が狙われたとわかったのは数秒後だった。

 

「彼が一番弱そうだと思ったのだけれど、あなたを倒してからじゃなきゃダメなようね」

 

 エルザが構えると同時に、その手に持つククリ刀がギラリと光る。

 

「助かった、ラインハルト」

「安心するのはまだ早い。エミリア様たちと一緒に少し下がっていてくれないか?」

「あ、ああ」

 

 エミリアの方へと駆け寄ると、エミリアは精霊術を使用してる最中だった。

 

「フェルトの様子はどうだ?」

「かなり危ない。一応止血はすんでいるけど、すぐにでも治療しないとマズいわ」

「そうか……」

 

 くそ、と青年は拳を握った。

 自分の反応が遅かったことが原因だった。エルザに怯んで、フェルトへの注意を一瞬送らせてしまったのだ。

 

「すまねえ、フェルト」

 

 フェルトの意識はもう落ちかけている。青年の言葉は聞こえていないかもしれない。それでも謝罪せずにはいられなかった。

 

 

 ※ ※ ※

 

 

「ラインハルト――『剣聖』の家系。騎士の中の騎士と戦えるなんて……とっても楽しみだわ」

 

 そう言ったエルザの表情は、宝石を目の前にした少女のように純粋で、そして狂気的だった。

 

「その黒い服装に、特徴的な刃物。君は、『腸狩り』だね」

「あら、知ってるのね。嬉しいわ」

「君の名前は王都ではかなり有名だよ。もちろん、危険人物としてね」

「その剣は使わないのかしら? 抜くぐらいなら待てるわ」

 

 ラインハルトが自身の腰にある剣へチラリと視線を向ける。

 

「この剣は抜くべき時以外は抜けないようになっていてね。残念だが、今回は使うべき時ではないようだ」

「それは残念だわ」

「なので──」

 

 ラインハルトが壁に立てかけてあった埃まみれの剣に、手をかける。

 

「こちらでお相手をしましょう」

「素敵ね。いいわ、楽しませて頂戴!」

「最後に尋ねますが……投降する気はありませんか?」

 

 返事はなかった。その代わりに、エルザはラインハルトへと切りかかる。

 

「仕方ない」

 

 そう呟くと同時に──ラインハルトが床を踏み抜いた。その衝撃波はすさまじく、盗品蔵の隅で治療していたエミリアが一瞬治療を止めるほどだった。

 

「っ!?」

 

 青年が戦いへ目を移すと、そこにはすさまじいスピードで切りあう二人がいた。

 目にもとまらぬ速さで四方八方から攻撃を繰り出すエルザ。一方ラインハルトの方はその場から一歩も動かずに、エルザの猛攻を捌ききっている。

 

「フェルトは、フェルトは助かるのか!?」

 

 フェルトを寝かせたロム爺は心配なのか、エミリアの周りで行ったり来たりを繰り返していた。

 フェルトの方は気を失っている。左腕からの出血は止まっていたが、その傷は今まで見たどれよりも生々しかった。

 

「ロム爺、静かにした方がエミリアも集中できるはずだ」

「それはそうじゃが……」

「今は、エミリアに任せるしかない」

 

 エミリアは真剣な面持ちでフェルトに精霊術をかけている。その横顔にはうっすらとだが汗も浮かび上がっていた。

 

「儂にできることはないのか?」

「できることね……ここは危険だから、一刻も早くフェルトを避難させてえが……出入口がああなっている以上きついか」

「ううむ……」

 

 ラインハルトとエルザの攻防は、ちょうど出入口の目の前で行われている。怪我人を抱えて通り抜けられるとは思えなかった。

 

「あれが終わるのを待つしかねえか」

 

 そう零すと同時に、エミリアの手元の光が消えた。

 

「とりあえずは終わったわ」

「フェルトは助かったのか!?」

 

 ロム爺の言葉に、エミリアは首を振った。

 

「まだ、わからない。できることはしたつもりよ」

「がんばったね、リア。あとは本職の人にお任せだ」

 

 優し気に言うパックに頷いて見せるエミリア。その顔は少しだけ疲れが見えた。

 

「ラインハルトに、もう大丈夫って言ってあげて。彼、私が治療をしていたから、気を遣ってくれていたの」

 

 ラインハルトが本気で戦うと、マナがそっぽを向いちゃうの。そう付け足したエミリアは原作通りだった。

 

「ああ、わかったよ」

 

 青年は大きく息を吸い込むと、ラインハルトへ向かって叫んだ。

 

「ラインハルト! こっちは大丈夫だ! やっちまえ!」

 

 ラインハルトはこちらへチラリと視線をやると──向かってきたエルザに剣を振りかぶった。咄嗟にククリ刀でガードするエルザだったが、ククリ刀ごと吹き飛ばされてしまう。

 

「本気ってわけね。何が見られるのかしら」

 

 受け身を取って構えなおしたエルザに、ラインハルトが静かに告げる。

 

「──アストレア家の剣撃を」

 

 次の瞬間、盗品蔵が光に包まれた。




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死亡通知

「これは……」

 

 空間が歪む。

 昔漫画でそういう描写を見た時は、正直ありえないことだと思った。

 しかし今のこの状況は、まさしく空間が歪むというのにふさわしかった。

 

「ラインハルトから光が……」

 

 ラインハルトの剣は光を纏っている。原作通りに行けばこのままエルザとの勝負に決着がつく。

 しかしその光は、鋭い金属音と共にすぐに消えることとなった。

 

「……速いですね」

 

 高速で背後にまわりこんだエルザの奇襲を、ラインハルトはエルザを見ることなく避けて見せた。全てが見えているのでないかと疑うほどの反応速度だ。

 

「隙だらけかと思えば、そうでもないのね」

「これでも騎士ですからね」

 

 必殺の一撃を阻まれたラインハルトは、剣を片手持ちに切り替えた。そして再びあの激しい戦闘が始まる。

 ラインハルトとエルザが撃ち合うたびに空気が震えていた。

 

「っ……」

「え? お、おい」

 

 隣のエミリアが倒れかけたのを、慌てて支える。

 

「……大丈夫か?」

「リアは今凄い消耗してるからね。大気中のマナ以外にも影響を及ぼすなんて、さすがは剣聖だ。君も感じるんじゃない?」

 

 エミリアの横にいたパックがそう言うが、何も感じない。困惑していると、パックが眠そうにあくびをした。

 

「もうそろそろ時間かな。ラインハルトに任せておけば問題ないと思うけど……」

 

 外に目をやると、日が落ちるころだった。

 原作ではラインハルトが本気を出す前──そもそも到着する前にパックは退場している。展開が早く進んでいるのは明白だった。

 

「リア、本当に危ないときは、オドを使ってでも僕を呼び出すんだよ」

「うん……わかった」

「それと……」

 

 パックが青年の方をちらっと見た。

 

「わかった。エミリアは守るよ」

「うん、頼んだよ」

 

 おやすみ、とパックは消えていった。

 これで、パックの援護は望めない。しかし状況はさほど悪くなかった。

 

「これでラインハルトがエルザを仕留めてくれればだいぶ楽になるが……そこまでうまくいくとは思わない方がいいか」

 

 もしもこの一撃を生き残った場合、原作通りに瓦礫の下から襲ってくることになるだろう。その時、フェルトやエミリアを守り切れる自信は、青年にはなかった。

 

「おいロム爺」

「な、なんだ?」

 

 ラインハルトの方を見ていたロム爺へ声をかける。

 

「ラインハルトがこの盗品蔵を吹き飛ばしたら、フェルトを抱えてすぐにここから離れてくれ」

「ここを? どこに行けばいいんじゃ?」

「どこかは……わからねえけど、とにかく近衛騎士団、もしくはその関係者がいる場所だ。フェルトは早く治療しないとヤバい。だが今すぐに近衛騎士団のフェリックスって奴に見せれば、絶対に助かる。もしかしたら腕も元に戻るかもしれない」

 

 フェリックスは原作で、一度は切り離されたクルシュの腕を元通りに治している。

 

「えっと、エミリアにもついてってほしいんだけど……」

 

 青年がエミリアの方を見ると、エミリアは少し心配そうな表情を浮かべている。今ならまだ、治せるかもしれない。

 

「道案内くらいならできるけど……あなたは大丈夫なの?」

「俺はラインハルトがいるから大丈夫だ。それよりもフェルトを優先させたい」

「わかったわ」

 

 エミリアが両手の拳を握って頷く。

 

「なあ、坊主」

「どうした?」

「見ず知らずの子供……それも貧民街の人間を連れて行っても、治療してくれるんじゃろうか……」

 

 確かにそうだ。

 フェリスはエミリアほどのお人良しではないし、そもそも今王都にいるかすらわからない。第一エミリアは敵陣営だ。エミリアがついていってもフェリスが助けるとは限らない。ならば──

 

「ラインハルトの関係者と伝えればいい。ラインハルトがどうしても救いたい人間ってことならフェリスも動くかもしれない」

「でもそれって……」

「大丈夫。嘘じゃない」

 

 今はまだ違うが、フェルトはラインハルトの将来的な主君だ。嘘ではないだろう。

 今はただ、ここを乗り切れればいい。後の尻ぬぐいはなんとでもできる。

 

 ──原作通りに進めば、今はそれでいい。

 

 できる限り原作に近い形で、自身の立場をスバルに引き継ぐ。それが、青年の目標だった。

 

「ラインハルトと一緒に俺も後で向かう。頼むぞ、エミリア」

「……わかった」

 

 エミリアが頷くと同時に、ラインハルトの方向から眩い光が発せられる。

 あちらの戦いももそろそろクライマックスだろう。

 目を向けると、ラインハルトがエルザを蹴り飛ばし、剣を振りかぶったところだった。

 

 ラインハルトの剣撃が、炸裂した。

 

 

 ※ ※ ※

 

 

「これは、すごいな」

 

 原作でその威力は知っていたものの、実際目の当たりにしてみると想像以上だった。

 

「ロム爺たちは……」

 

 青年の背後にあった壁は、風圧で吹き飛ばされている。その向こう側にフェルトを抱えて走るロム爺とエミリアが見えた。

 

「ちゃんと行けたみたいだな」

 

 三人が無事に戦線離脱できたことに一安心しつつ、ラインハルトの方へ目をやる。

 ラインハルトは破壊された盗品蔵の真ん中で静かに佇んでいた。ちょうど手に持つ剣が塵へと変わるところだった。

 

「おーい、ラインハルト! まだどこかにいるかもしれないぞ! 何か、他の武器を……」

 

 そう叫ぶと、ラインハルトは周囲を見回して頷いた。

 

「警戒は続けよう。だが、恐らくだが、彼女はここにはいないだろう」

「え? いや、まだわからないだろ……。瓦礫の下とか」

 

 周囲を警戒しながらラインハルトへと歩を進める。

 近づいてみてわかったが、ラインハルトは汗一つかいていなかった。

 やはり化け物だな、と思いつつ近くの瓦礫やらに視線を移す。見た限りでは動いている場所はなかった。

 

「その可能性はあるだろう。だけど、彼女はここにはいないと思う。僕の剣によって消滅したのならありがたいが、逃げた可能性も捨てきれない」

「なんでわかるんだよ?」

「強いて言うなら…………勘、かな」

「勘……」

 

 ラインハルトの勘。

 それはつまり、加護ということだろう。ならばエルザがここに居ないという情報は正しい。

 しかし、ここに居ないということは本当に逃げたのだろうか。それとも本当にラインハルトの剣で死んでしまったのだろうか。

 

「それよりも……エミリア様たちはどこへ?」

 

 青年のそばにエミリアの姿がないことに気づいたラインハルトが尋ねる。

 

「ああ、それなら先にフェルトを安全な場所で……」

 

 そこで青年は唐突に気付いた。

 原作で、瓦礫の下から飛び出したエルザが誰を狙ったか。

 

「くそ、エミリアか!」

 

 青年は気付くと同時に走り出していた。

 スバルが身代わりになったことの方が頭に残っていて、その攻撃で誰が狙われたかを完全に忘れていた。そもそもエルザの目的は、エミリアの徽章だ。なぜ、それに気づけないのか。

 

「……自分の無能が嫌になる」

 

 突然走り出した青年に、ラインハルトも追走する。

 

「いきなりどうしたんだ? 何か、気づいたのか?」

「エルザがエミリアを追ってるかもしれない」

 

 その言葉で、ラインハルトは全てを察したらしい。

 

「先に向かっているよ」

 

 そう言い残すと、人間とは思えないスピードで青年を追い越していった。

 

「頼む、無事でいてくれ……!」

 

 青年はただ、祈ることしかできなかった。

 

 

 ※ ※ ※

 

 

「ん……ロム、爺……?」

 

 どこか心地よい揺れの中で、フェルトは目を覚ました。

 

「フェルト!? 目を覚ましたのか!?」

「ロム爺、うるさい………」

 

 すまん、とやけにしおらしく謝るロム爺に違和感を覚えるが、自身の状況を思い出して納得する。

 エルザに腕を切られて、気を失ったのだ。そして今はロム爺に抱えられてどこかへ運ばれているらしい。

 

「よかった、目を覚ましたのね」

 

 どうやらフェルトが徽章を盗んだ銀髪の少女もいるらしい。

 理由は謎だが、フェルトが気を失う直前、この少女は切り飛ばされた部分を治療してくれていた。

 

「あたしの腕……やっぱ、ねえか」

「フェルトの腕は儂が持っとるわい。今、騎士団の凄腕にお前を診せに行くところじゃ」

 

 ロム爺の腰には、赤い染みが出来た、ちょうどフェルトの腕くらいの茶色い布の包みがある。

 

「だからそれまで頑張ってね」

 

 勇気づけるように言う少女からは、悪意を感じない。

 

「なん、で……」

「ごめん、よく聞こえない。でも、あんまり喋らない方がいいと思う」

 

 何か言いかけるフェルトを止める少女は、子供に言い聞かせるようだった。こちらを心配しているのだと嫌でもわかる。少女に言われずとも、フェルト自身も無駄に喋って体力を削るのは得策でないことをわかっていた。しかし、尋ねずにはいられなかった。

 

「なんで……私を、助けたんだよ」

 

 少女からすればフェルトはただの泥棒。あそこまで執拗に追いかけてきたということは、あの宝石の入った一品はかなり大事な物だったに違いない。そんな大事な物を盗んだ相手を、なぜここまで心配できるのか。それがフェルトには全く理解できなかった。

 

「えーっとね、私があなたを治すことで、あなたには恩ができるでしょ。それを逆手に情報を聞き出すの。命の恩人なら、嘘もつかないはずだから」

 

 少女は得意げな表情を浮かべている。

 フェルトは小さくため息を吐いた。

 

「それを、アタシに言っちゃ、意味ないだろ……」

 

 この少女は、超がつくほどのお人好しらしい。

 

「フェルト、あまりしゃべらん方が……」

 

 不安げに言うロム爺。

 わかった、と返事をしそうになるが、フェルトはそれを飲み込むと目を閉じた。

 と、その時、空気が揺れた。

 

「これは……」

 

 ロム爺の走るスピードが徐々に落ちる。そして、止まった。

 

「無事でしたか、エミリア様」

 

 爽やかな声に目を薄っすらと開くと、赤い髪の男が目に入った。

 

 

 ※ ※ ※

 

 

「こっちの方向にいるのはわかってるんだけど……やっぱラインハルトは化け物だな」

 

 青年は息を切らしつつも、ラインハルトが走り去った方向へ走っていた。

 こんなに走ったのは半年前の体力測定以来である。

 

「もっと鍛えとけばよかった」

 

 異世界転移するなどとわかっていればもっと身体づくりをしたのに、と青年は軽く息を吐く。

 まあ最も、リゼロを知っていただけマシかもしれない。

 

「知らなかったら即死してただろうしな」

 

 考えただけで恐ろしい。

 

「やめだ、やめ。こんなこと考えても意味ねえ」

 

 ひとまずはエルザの襲撃を乗り切る。そしてナツキ・スバルと合流する。

 今のこの二つのことだけに集中すればいいのだ。

 

「エルザはラインハルトが向かったからいいとして……スバルはどこにいるんだ?」

 

 ここまで原作に近い立場で関わっているのに、エミリアたちからスバルのことを全く聞かないのは明らかに異常だった。原作のどのルートでも関わっている三人組でさえ知らなかったのはさすがにおかしい。

 まさか原作開始前だったのか?

 しかし、それではエルザの襲撃の日が合わない。フェルトが前もって盗んだとしても、交渉の日まで早めるのは……あるのだろうか?

 

「……考えてもわかんないな。やっぱ情報量が少なすぎる」

 

 自分の頭では、これが限界か。

 青年がそう諦めた時だった。

 

「これ……血痕じゃねえか」

 

 道に微かだが、赤い液体が垂れているのだ。

 青年がそれに気づけたのは全くの偶然だった。ただ、なんとなく嫌な予感がして下を見たら気づいたという状況だった。

 

「……」

 

 血痕を見ると、横の小道へと続いている。よく見れば、青年が今来た道にも少しづつだが、血痕が残っていた。

 

「おい、誰か、いるのか?」

 

 恐る恐る声をかけてみるが、返事はない。

 大きく息を吐いてから、足を動かす。

 

「……」

 

 ゆっくりと、路地裏へ入ると、そこには血まみれのエルザが座っていた。

 

「あら、見つかっちゃったのね」

 

 エルザは青年に見つかっても落ち着いたままだった。それどころか、まさかとは思うが……少し安心したような様子でもあった。

 

「……てめえが、なんでここにいるんだよ」

 

 精一杯強がって放った言葉は、誰が聞いてもわかるほどに震えていた。

 

「あの騎士さんの一撃をもらったからなのだけれど……あなたも見ていたでしょう?」

 

 その様子は、青年も見ていた。

 ほぼ原作のリゼロと同じ状況だったのも覚えている。

 だがまさか、本当にエルザが重傷を負って逃げているとは思わなかった。それほどまでに青年は、エルザのしぶとさを信頼していたのだ。

 

「なんで、そんなに冷静なんだよ。俺が今お前を殺すかもしれないんだぞ」

 

 青年の言葉に、エルザは一瞬表情を消した後、くすくすと笑いだした。

 

「何がおかしいんだよ」

「だって──」

 

 エルザがこちらを見た瞬間、青年は思わず後ずさった。

 

「あなたじゃ、私を殺せないもの」

 

 殺気、というものを青年は初めて知った。人を殺すことをなんとも思ってない者が出せる気迫。それを青年の本能が感じ取ったのだ。

 

「……どういうことだよ」

 

 精一杯言葉を返すが、エルザの様子は変わらない。

 

「そのままの意味よ。重傷の私よりも万全のあなたの方が、弱いというだけの話」

 

 エルザは嘘をついていない。

 本気でそう思っているのだ。そして、青年自身もこの手負いの殺人鬼に勝てる気は全くしなかった。

 

「ラインハルトが、近くにいるかもしれないだろ」

「それはないわ」

 

 ハッタリも一瞬で否定されてしまう。

 

「近くにいるなら、あなたはそこまで怖がっていないはずよ」

 

 悔しいが、その通りだった。

 

「でも、その殺気はいいわね」

 

 エルザの言葉に、一瞬耳を疑った。

 

「……殺気?」

「そう。あなたの殺気よ。怯えながらも、相手を威嚇してるその表情。すごくいいわ」

 

 馬鹿にされている。

 しかし、こちらからは何もできなかった。

 近づけば殺されることは明白。かといって青年がラインハルトを呼びに行けば、その間にエルザは逃げるだろう。

 青年も本音を言えば今すぐにでも逃げ出したいが、エルザが重傷を負っているという絶好のチャンスに簡単に逃げられずにいた。

 青年がそう考えている間にも、エルザは何かを思い出すようにしゃべり続けていた。

 

「今日はいい殺気をたくさん浴びたわ。今までで一番楽しかった日かもしれないわね」

「……そりゃよかったな、クソ殺人鬼」

「うふふ、ありがとう」

 

 本当にいい日、とエルザは空を見上げた。

 

「欲を言えばナツキ・スバルに会いたかったのだけれど……それはかなわないみたいね」

「……は?」

 

 今、エルザは何て言った?

 

「私を殺すらしいのだけれど……あなたがそうなのかしら?」

「誰から、その名前を聞いた」

 

 自分でも、信じられない程落ち着いた声で、青年は尋ねた。

 

「私を襲ってきた、変な格好をした男からよ。背格好は……ちょうど、あなたと同じくらいだわ。もしかして、知り合いだったかしら?」

 

 それなら悪いことをしたわ、とエルザは言葉とは反対に、嬉しそうに言った。

 

「もう、殺しちゃったから」

 

 エルザは、本当に嬉しそうに、そう言った。




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無意味な抗い

 もう殺した。

 

 確かにエルザはそう言った。

 

 エルザが殺したと言ったということは、その人物は十中八九死んでいるだろう。

 

 ──だが、やっと見つけたスバルへの手がかりだ。

 

 殺された人物がナツキ・スバルという名前を知っていた、つまりエルザはスバルと──もしくは彼を知る者と関わっていたことになる。

 

「……その男は、どこにいる」

「覚えてないわ」

 

 興味のないことは覚えていられない、とエルザは当たり前のように言う。

 

「それにもう死んでるもの」

 

 死んでいても情報は得られるが、彼女からそれを引き出す手段はすぐには思いつきそうにない。

 エルザが覚えていないと言った以上、交渉も意味がない。

 

「…………そうかよ」

 

 口から出たのは、意味の無い相槌だった。

 と、エルザが息をついた。

 

「それと……教える意味もないのよ」

 

 エルザが立ち上がる。

 

「お話、楽しかったわ」

 

 エルザの手には、ククリ刀が握られていた。

 

 ──しまった。

 

 殺人鬼と、人気のない場所に二人。

 青年は今になって状況がどれほど危険なのかを再認識した。

 

「……動けないんじゃなかったのかよ」

「そうよ。私は動けなかった。()()()休んでいたの」

 

 時間を稼いでいたのはエルザの方だったのだ。

 

「……アホか俺は」

 

 青年が一歩後ずさると、それに合わせてエルザも一歩踏み出す。逃がす気はないらしい。

 

「こんなところで……死ねるかよ!」

 

 次の瞬間、青年は身体を反転させて走り出した。

 相手は重傷。いくらエルザとはいえ、まだ万全ではない。運が良ければ、逃げられる──

 

「っ!?」

 

 視界がぐらりと揺れる。

 

「直線的に逃げるのはダメよ。いい的になるもの」

「っあ……ああっ!」

 

 激痛と共に左足が動きを止めた。無理やりにでも動かそうとするが、どうあがいても踏み出せない。

 

「嘘だろ、おい……足が……!」

 

 左足にはククリ刀が深く刺さっていた。

 ククリ刀が刺さるふくらはぎは、まるで自分の身体ではないかのように重い。そして視認したことによって、痛みが増していく。

 

「っう……かは……つうっ……」

 

 今にも叫びたい衝動を抑えて、なんとか息を整えようとするが、呼吸は一向に落ちつかない。落ち着こうと深く呼吸をするたびに、心臓の音は大きくなっていく。

 

「はーっ……」

 

 息を吐くたびに襲う痛みに歯を食いしばり、なんとか耐える。気を抜くと、発狂しそうだった。

 しかし、青年がそれを我慢したところで、状況は変わらない。

 

「健気に頑張るその姿……素敵だわ」

 

 嬉々とした表情の殺人鬼が、そこまで迫っていた。

 

「人殺して、楽しいかよ……」

「ええ、楽しいわ」

 

 説得は通じない。

 相手は完全に殺す気だ。

 

「……ラインハルトが、すぐに駆け付けるぞ」

「それまでに逃げるわ」

 

 精一杯の強がりも通用しない。

 どうすれば──どうすれば、この窮地を凌げるのか。

 その時だった。

 

「ひっ」

 

 エルザの背後で、悲鳴が上がった。

 恐らく、それは偶然だったのだろう。偶々ここを通った。本当にそれだけだったはずだ。

 

「あら、お友達かしら?」

 

 エルザの目線の先には、路地裏で出会った三人組──トン、チン、カンが立っていた。

 

 

 ※ ※ ※

 

 

 エルザと三人組が出会う少し前のこと。

 

「エミリア様!」

「ラインハルト……!」

「お前は……」

 

 ラインハルトの声に、エミリアとロム爺が足を止める。

 

「よかった。ご無事だったのですね、エミリア様」

 

 エミリアのもとへ駆けつけたラインハルトは安堵の声を漏らした。

 

「腸狩りがエミリア様を狙ったかと思って駆けつけたのですが……どうやら、杞憂だったようです」

「こっちには誰も来てないわ。でも……」

 

 エミリアがチラリとロム爺の方を見る。

 

「ロム爺、早く……逃げなきゃ……」

 

 ロム爺の腕の中で、フェルトは訴えるようにそう繰り返していた。

 

「この子が逃げるって言ってて……。私たちがこの子とお爺さんを捕えようとしてると思ってるみたいなの」

「こちらにその気がないことは?」

「一応伝えたんだけど、信じてないわ」

 

 エミリアが目線を移すと、ロム爺が走りながらフェルトをなだめている。

 

「先程治療したのがエミリア様ということも伝えた方がいいかもしれません」

 

 こちらが協力的なことをわかってもらえばあるいは。そう思ったラインハルトだったが、エミリアは力なさげに首を振った。

 

「……それはわかってるみたい」

「……どういうことです?」

「だからね……治療した後で、私たちがこの子を捕まえると思ってるみたいなの」

 

 そういうことか、とラインハルトはため息を吐いた。

 貧民街で育ったが故に、人を信用できなくなってしまった少女。恐らくはそれに加えてこちらが王国関係者だというのもあるのだろう。彼らにとって王国関係者は、貧しい自分達を放っておく無慈悲で利己的な集団に他ならない。

 もしかしたら意地もあるのかもしれない。王国関係者なんかに借りを作りたくない、という意地が。

 そう考えてのことならば、こちらの善意は受け取らないだろう。

 

「君、名前は?」

 

 ラインハルトはできるだけ感情を込めずにそう尋ねた。

 フェルトはうっすらと瞼を上げると、ラインハルトを睨みつけるように見つめた。

 

「あんた……誰だよ」

「これは失礼。僕はラインハルト・ヴァン・アストレア。良ければ、名前を教えてほしい」

 

 ラインハルトが軽く頭を下げると、フェルトは小さく息を吐いて目を細めた。

 

「…………フェルトだ」

「フェルトか。ではフェルト、君に提案する」

「……?」

「僕と、取引をしないか」

 

 取引、と繰り返したフェルトに、ラインハルトが頷く。

 

「そうだ。僕たちは君がエミリア様から盗んだものを取り戻したい。だから、君と取引がしたいんだ」

「……」

 

 フェルトはラインハルトの提案を黙って聞いている。

 

「君が出すものはエミリア様から盗んだもの。こちらはその代金として君の傷を治療しよう」

 

 どうかな、とラインハルトが微笑んだ。

 

「借りは、作らねえ」

 

 拒否の言葉を口にしたフェルトにロム爺が顔色を変える。

 

「じゃ、じゃがフェルト……」

 

 だけど、とフェルトがロム爺を遮る。

 

「もう治療してもらったんだ……その分の対価は、払わなきゃな」

「取引成立ですね」

 

 その言葉に、ロム爺が大きく息を吐いた。

 

「よかった……」

「安心するのはまだです。早く治療をしなければいけないことには変わらない。エミリア様、今はどちらへ向かおうと?」

「騎士団の駐屯所に向かおうとしていたの。彼が、近衛騎士団のフェリックス? に見せれば治せるかもって」

「彼が……?」

「ラインハルトの関係者だったらもしかするとって言ってたんだけど……ラインハルト?」

 

 一瞬黙ったラインハルトだったが、エミリアの心配そうな表情を見て、すぐに頷いた。

 

「わかりました。ではこのまま向かいましょう。私が話を通します」

「ありがとう」

 

 いえ、とラインハルトは軽く頭を下げる。

 そういえば、とエミリアが後ろを振り返った。

 

「彼は、今どこにいるの? ラインハルトと一緒に行動するって言ってたけど……」

「こちらに向かってきているはずですが……」

 

 ラインハルトも今来た道を振り返るが、あの青年の姿はなかった。

 

「もしかして、道に迷っていたりしないかしら」

「子供でもないですし……いや」

 

 青年は今日この街に来たばかりだったと思い出す。ないとは言い切れない。

 

「私、ちょっと探しに……」

「いえ。自分が行きます。その方が良いでしょう」

 

 貧民街に詳しいわけではないが、エミリアよりはマシだろう。また人探しにはエミリアより自分の方が慣れている。

 本心を言うならば──エミリアのような立場の人物を貧民街に長く留まらせたくないというのもあった。

 

「すぐに連れてまいります。駐屯所には先に向かっていてください。エミリア様なら、門前払いされることもないでしょう」

「わかったわ」

 

 エミリアの返事を確認すると、ラインハルトは踵を返した。全速力でもと来た道を戻る。

 

「少し、嫌な予感がするな」

 

 エミリアの元にたどり着くまでに、ラインハルトはエルザと遭遇していない。だから青年も安全だと思っていた。

 しかし、ここまでの道はいくつか枝分かれしていた。

 もし青年が道を間違えて、その先にエルザがいたら。ないと信じたいが、ありえない事ではなかった。

 

「……マズいな」

 

 来た道を戻るにつれて、嫌な予感が増していく。

 さらに加速しようと、足に力を入れた時だった。

 

「!? あれは……!」

 

 目の前から走ってくる人物がいる。そしてその顔は見覚えのある者だった。

 

「昼間の……!?」

 

 昼間出会った三人組のうちの一人。その中で一番大きかった男が、息を切らしながらこちらへ走ってくるのだ。

 まるで何かから逃げるようなその様子に、ラインハルトの勘が反応した。

 

「待ってくれ! 少し、聞きたいことがある」

「あ、あんたは!」

 

 昼間の出来事があったため、男の逃走を想定していたラインハルトだったが、男──トンはラインハルトを見るなり、縋るように駆け寄って来た。

 

「た、頼む! 助けてくれ! あいつらが、あの女に殺されちまう!」

 

 尋常でないその様子は、命の危機を体験した者のそれだ。

 そして、()()()という言葉。

 

「わかった。案内してくれ」

 

 ──青年と、この男は関わっている。

 

 ラインハルトの勘がそう告げていた。

 

 

 ※ ※ ※

 

 

 トンがラインハルトに出会う数分前。

 思わぬ再会を果たした青年と三人組は、エルザが言葉を発するまで、固まったままだった。

 

「あら、お友達かしら?」

 

 エルザの言葉に反応したのは、三人組のやせた男、チンだった。

 

「ち、違う! 俺達は無関係だ!」

「そうなの? 彼を見た瞬間に表情が変わった気がしたのだけれど……まあ、どうでもいいことね」

 

 ──どちらにせよ殺すから。

 エルザの笑みに、三人が目が開かれる。

 そしてその瞬間、青年の脳裏に、悪魔のような考えが思いついた。

 これを行えば、青年の生き残る確率は上がる。だが──

 

「っ……」

 

 青年に、迷う時間はなかった。

 

「お前ら、早く逃げろ! せめてお前たちだけでも!」

 

 必死に、まるで大切な人物を逃がすように。

 青年は力の限り叫ぶ。

 

「こいつに捕まったら終わりだ! 殺されるぞ!」

 

 三人は意味が分からないという表情を浮かべている。

 当たり前だ。三人にとって青年は、カツアゲしようとして失敗した相手に他ならない。

 だがエルザには違って見えるだろう。

 旧知の友を逃がす、無力な善人。例えそこまででなくとも、エルザの好みに少しでも触れる状況を作り出すことができればいい。──青年より先に三人に殺意を向けるなら、それでいい。

 そしてその言葉を聞いたエルザは──青年の予想通り、笑みを浮かべた。

 

「うふふふ、逃がさないわ」

 

 エルザがククリ刀を握りなおし、三人の方を向く。

 

「俺達は、そいつとは関係ねえ! 本当に関係ねえんだ!」

「あ、ああそうだ! ここで見たことも言わねえ! だから!」

 

 エルザは答えずに、三人組の方へ歩き出した。

 

「いいから、早く!」

 

 追い打ちをかけるように青年が叫ぶと、三人は転がるように走り出した。

 

「逃がさないわ」

 

 エルザがククリ刀を投げると、三人のうちの小さい男、カンの背中にそれが刺さった。

 

「がはっ」

「カン!」

 

 カンが倒れたことに気づいた二人が叫ぶ。立ち止まりかけた二人を見て、青年は再び叫んだ。

 

「さっさと逃げろ!」

 

 この場で三人とも死んでしまってはダメなのだ。なるべく遠くで、青年から離れた場所で。

 青年からエルザを遠ざけなければ、意味がないのだ。

 

「逃げてくれ!」

 

 叫ぶたびに、傷口が痛む。

 

「くそ、すまねえ!」

 

 とうとう二人はカンを見捨てて、走り出した。

 これで、なんとか……。

 

「嘘だろ……」

 

 忘れていた。いや、再認識した。

 エルザはラインハルトには及ばないとしても、作中屈指の化け物だったことを。

 次の瞬間には、エルザは二人に追いついていた。三人組の大きい男を蹴り飛ばし、痩せた男を殴りつける。大男は近くの物置に、痩せた男は地面に顔から激突した。

 二人は、そのまま動かなくなった。

 

「……ちくしょう」

 

 一瞬にして、エルザは三人を倒してしまった。もう打つ手はない。

 エルザがこちらを振り返り、優し気に微笑む。

 

「くそ、まだ、まだだ……」

 

 何か、あるはず。

 エルザとの交渉。──無理だ。

 気を逸らしての逃走。──無理だ。

 エルザの殺害。──無理だ。

 無理、無理、無理。他の手段も、無理。

 

 青年の考える手、その全てが不可能だった。

 エルザがすぐそこまで来ているというのに、青年には何も思いつかなかった。

 

「うふふ」

「……何がおかしいんだよ」

「さっきの演技……もっと必死にしないとダメよ?」

「は……?」

「もっと必死に叫ばないと、騙せないわ」

 

 バレていた。見通されていた。

 

「……はは」

 

 ああ、そうか。

 最初から、生き残る可能性などなかった。

 今考えれば当然だ。

 スバルの生存は、いくつかの死に戻りの末の成功。未来を知っていても失敗するのに、なんの取り柄もない青年が一回で成功できるわけがなかったのだ。

 

「はは、ははは」

 

 俺も死に戻りができたならよかったのに。

 自分の死を悟って考えたのは、そんな浅はかな希望。

 

「……できたら、いいのに」

 

 そうだ。

 希望に縋る。

 それくらいは、いいじゃないか。

 ナツキ・スバルにできたなら、俺にもできたっていいじゃないか。

 

「諦め? いえ、折れちゃったのかしら。少しつまらないけど……まあいいわ」

 

 もう、エルザは目の前だ。

 しかし青年は半笑いのまま、その場から動こうとしなかった。

 理解している。青年に死に戻りはない。それでも、もう動く事はできなかった。

 絶望し、一度崩れた思考は、短時間では取り戻す事ができない。

 

「さようなら」

 

 エルザがククリ刀を振り上げた。

 

「そこまでだ」

 

 聞きなれた言葉が、通りに響いた。

 

「さっきぶりだね、腸狩り」

 

 エルザの後方に、赤い騎士が立っていた。




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ナツキ・スバルが死んだ世界で

 誰かの声が聞こえる。

 自分の名前を呼ぶ誰かの声。

 

「────」

 

 どこかで聞き覚えのある声。

 確か、この声は……

 

「──、───か?」

 

 そうだ。この軽薄で、おどけた声は。

 

「■■、おい、聞いてんのか?」

「ナツキ・スバル……」

「お、やっと返事した。大丈夫か?」

 

 声の主はリゼロの主人公、ナツキ・スバルだった。

 

「なんで、お前が」

「何でって言われてもなあ……」

 

 はっきりとしない声色のスバルは、ぼやけていて、うまく認識できない。

 近寄ろうとして、自分の身体がないことに気づいた。

 

 ──そうか、夢か。

 

 スバルの姿がはっきりしないのは、記憶が薄れてきているということだろうか。スバルに人の夢に入り込む能力はなかったはずだ。ならばここに居るスバルは、自分が勝手に作り出した幻、本物ではない。

 

「まあいいや。それでお前に話があるんだけど」

「……」

 

 どう反応していいかわからず黙り込んでいると、スバルが盛大にため息を吐いた。

 

「幻だってわかってるなら、もっと楽しむべきだと思うぜ。偽物だとしても俺は有名作品の主人公じゃん? アニメ化までして、人気爆発中の俺と会話できるなんて、それこそ夢みたいなもんだし、だったら楽しまなきゃ損だろ」

 

 偽物。スバルは今、彼自身のことを偽物と言った。

 どう反応すればいいのか、余計わからなくなってしまった。

 

「おーい。もしもーし」

「……」

「やーい、■■のバーカ。バカバーカ」

「……」

「うーん、さすがの俺もここまで無視されるとハートがブレイキングされそう……」

「……やっぱり少しうざいな」

「お! やっと喋ってくれた! ……けどちょっと冷たすぎない!?」

 

 いちいち大げさに反応するスバルは、自分の描くスバルそのものだ。

 

「まあいいや。それでお前に話があるんだけど……ってなんかデジャヴだな」

 

 この流れさっきもやらなかったっけ、とスバルは腕を組んで考え込むポーズを取った。

 

「……」

「うーん、やはり無反応。機嫌悪いの? もしかして俺のこと嫌ってる?」

「……お前は今、どこにいるんだよ」

「おおっと、そう来たか。唐突な質問だなおい……」

 

 スバルは再び考え込む仕草をした後、ドヤ顔で指を鳴らした。

 

「俺にもわからねえ」

「……」

「だって俺ってお前の夢の中の存在じゃん? お前が知らないこと知ってるわけない、ってこれこの手の話で結構お約束じゃね?」

「……そうかよ」

「うっわー淡泊。ラインハルトとかと話すときとキャラ変わりすぎじゃね?」

「……」

「まーた無視る。ひどいぜ、■■」

「……話したい事ってなんだよ」

「うーん、会話のキャッチボールがめちゃくちゃだぜ」

「……」

「あーもう! また黙っちまったよ」

 

 スバルはしゃーねえな、と頭をかいた。

 

「じゃあお望み通り、本題に入ります。ではまず重大な発表から」

 

 スバルがこちらを指さした。

 

「■■、お前本当は気付いてるだろ」

「……は?」

「言っとくけど、とぼけても意味ないからな」

「いや、何を言って……」

「いいか。俺はお前が作りだした、『ナツキ・スバル』だ」

 

 本気で分からない。

 そう言おうとして、言葉が発せないことに気づいた。

 

「お前が心の底で思ってること、もしくは無意識に考えないようにしていること。それを──」

 

 ──俺は知ってる。

 スバルはこちらを指さすと、表情を改めた。

 

「反論はいらねえ。言いたいことだけ言うからな。客観的になったフリをして、自分にいいように考えるな」

「──」

「本当は察してるくせに、それに気づかないフリをするのはやめろ」

 

 ……。

 気づかない、フリ。

 

「まあそりゃ物事をいい方向に考えたくなるのはわかるぜ? 俺はお前だから、お前にそういうところがあるのも知ってる」

 

 普通ならそれはお前のいい所だ、とスバルは続ける。

 

「だけどこういう時には、あんまりよくないと思うぜ」

「──」

「結局、どう考えるのかは『俺』次第だな。つまり、もっと自分を信じてみてもいいんじゃね? ってことだ。あれ、ちゃんと話繋がってるかな? なんかフィーリングで話してたからめちゃくちゃな気も……」

 

 スバルはしばらく唸ったあと、まあいいか、と手を打った。

 

「そんな感じで、■■くんへのアドバイス的なやつでした。頑張れよ、『俺』」

 

 じゃあな、とスバルはゆっくりと消えていく。

 

「……っ」

 

 気づけば、喋れるようになっている。

 

 ──スバルが消える前に、何か。

 そう思い口を開くが、

 

「……」

 

 言葉は、出なかった。

 

 

 ※ ※ ※

 

 

 鈍い痛みで、青年は目覚めた。

 起きて数秒、それが足から来ていることに気づいた。

 

「エルザにやられたんだっけか」

 

 記憶が曖昧になっている。

 エルザに全てを見抜かれて、それで……。

 

 絶望して、諦めて、下らない妄想に逃げた。

 

「……全部夢だった、とかだったら良かったのにな。恥ずかしいことだらけだ」

 

 青年は小さくため息を吐いた。

 

「……今更落ち込んでも仕方ないか」

 

 ゆっくりと起き上がると、部屋を見まわした。

 

「どこだ、ここ」

 

 見覚えがない部屋だ。ロズワール邸ではなさそうだが……。

 と、廊下からこちらに近づく足音が聞こえてきた。

 

「お、目を覚ましたみたいだね」

 

 部屋に入って来たのはラインハルトだった。

 

「ラインハルト……」

「すまない。間に合わなくて。気づくのが遅くなった」

 

 ラインハルトが青年に頭を下げた。

 数秒して、エルザに襲われていたことだと気づく。

 

「待て待て。お前が謝る事じゃねえだろ。あれは俺の不注意が原因だった」

 

 お前が頭を下げることはない、と口調を強めると、ラインハルトが申し訳なさそうな表情を浮かべた。

 

「で、ここどこだ?」

 

 空気を変えるためにわざと明るい口調で尋ねる。

 

「ここは王都にあるアストレア家の屋敷だ。君は客人ということになっている」

「おお……なんかすまねえな」

 

 ラインハルトには世話になりっぱなしだ。いつか必ず恩を返さなきゃだな。

 

「俺はどんな状況だった?」

「僕が着いた時には、君は気を失っていた」

「……そうか」

 

 あの時、確かにラインハルトの声が聞こえた。そこから記憶がないということは、ほとんど同時に気を失ったのだろう。

 

「それで、腸狩りは捕まったのか?」

「いや、彼女には逃げられた。他にも怪我を負ってるものがいたから、そちらを優先させたんだ」

 

 怪我をした者。あの三人組のことだ。

 

「そいつらは?」

「一応手当はしたんだが……捕まると勘違いしたのか、目を離した間に、いなくなってしまったよ」

 

 彼らが死んでいなかったことで、罪悪感が少し軽くなった。

 

「フェルトはどうなった?」

「安心してくれ。フェルト様は無事だ。腕も、傷は残るが問題なく修復できるそうだ」

「フェルト様、か」

 

 その一言で察した。

 どうやらフェルトは原作通り王選候補者としてラインハルトに保護されたらしい。徽章もエミリアに返されたとみて間違いないだろう。

 

「フェルト様のこと、君は知っていたのか?」

 

 来るだろうな、と思っていた質問だった。今日の青年の行動は、見ず知らずの少女に対して過剰すぎた。

 

「……フェルトのことはほとんど知らないんだ。今日会ったばっかりだしな」

「…………そうか。ではこれ以上は聞かないでおくよ」

 

 詮索しないのは、ありがたかった。

 

「エミリアはもうロズワール領へ?」

「いや、まだこの屋敷に残っている。君のことを心配していた」

「……この屋敷にいるのか」

 

 エミリアが自分のことを心配してくれたことは嬉しい。

 本当ならば今すぐにでも礼を言いたいところだが──それよりも大切なことがあった。

 

「俺は少し行くところがある。エミリアには心配してくれてありがとうって伝えといてくれ」

 

 そう言って青年はベッドから降りようと足をおろした。

 

「わかった。だがまだ動かない方が……」

「うわっ!?」

 

 ベッドから立ち上がろうとして、青年はこけた。そしてこけたことによって足に痛みが戻ってくる。

 

「そういや足怪我してたんだっけか、俺。忘れてた」

「すまない。止めるのが間に合わなかった」

 

 手を貸しながらラインハルトが申し訳なさそうに言う。

 

「いやこれは全面的に俺が悪いよ」

 

 ラインハルトに手伝ってもらい、ひとまずベッドに座りなおす。

 

「松葉杖ないと無理かなあ、これ」

「しばらくは痛むだろうが、そこまで重傷ではないそうだ。すぐに治るさ」

「怪我が重くないのはありがたいんだけど……」

 

 エルザが殺した人物。それをなるべく早く確認しておきたかった。

 

「君が探してるナツキ・スバルのこと、だね」

「……そうだ」

 

 そのことだが、とラインハルトは表情を改めた。

 

「先程、貧民街でいくつかの死体が見つかった。全員が何らかの刃物で殺されていたらしい。大半の者の傷が腹部にあったことから『腸狩り』の仕業で間違いないだろう。問題は──」

 

 ラインハルトが言葉を切り、視線を落とした。

 

「その中に、ここら辺ではあまり見ない奇妙な格好をした者がいたらしい。どう見ても貧民街で暮らす人間ではない、とのことだ」

「それは…………」

 

 いくらかの沈黙の後、青年は口を開いた。

 

「それ、確認しても……いいか?」

 

 

 ※ ※ ※

 

 

「恐らく少し匂うだろうけど、それは我慢してくれ」

 

 そう言ってラインハルトに案内されたのは、屋敷から少し離れた近衛騎士団の駐屯所の一つだった。

 

「君が目覚めたらすぐに確認してもらいたくてね。我が儘を言ってここに置いていてもらったんだ」

「ありがとう、助かる」

 

 ラインハルトは駐屯所の入り口でそこにいた騎士らしき人と少し話した後、青年を手招きした。

 

「こっちだ」

 

 ラインハルトについて建物内に入っていく。しばらく歩くと、中庭のような場所に出た。

 

「ここは普段は騎士たちの鍛錬に使われる場所なんだ」

 

 屋根がないその場所は、それなりに広かった。

 そして、その地面には布がかけられた()()が横たわっていた。

 

「これは……」

 

 血の匂いと、少し酸っぱい匂いも漂っている。

 

「……胃酸か」

「ほとんどの死体は腹が裂かれていた。これでもマシになった方なんだ」

 

 ラインハルトは沈痛な面持ちのまま、それらに近づいていく。

 そしてその中の一つの前で、足を止めた。

 

「これが、さっき話した人物だ」

「……」

 

 ああ、()()()()

 布からはみ出ている足には、この世界には見慣れない、黒のスニーカーが──

 

「布を、取ってくれ」

「……わかった」

 

 ラインハルトが腰を落とす。

 

「彼も、腹を裂かれている。顔だけで、いいね?」

「ああ、それでいい」

 

 布が、ゆっくりとめくられる。

 黒髪が、その特徴的な髪型が、血の付いた額が、露わになっていく。

 そして──

 

「ああ…………こんなとこにいたのかよ」

 

 ナツキ・スバルが、そこにいた。

 

「死んでたなら、見つかるわけもねえよな」

 

 スバルがエルザに殺されるパターンはいくつかあるが、路地裏も、盗品蔵にも行かずに死ぬパターンは本編にはない。()()()()ないのだ。

 

「……IFなんて初見殺しもいいとこだろ」

 

 もしもの世界であるアヤマツルート。

 スバルが路地裏で助けを呼ばなかった場合に分岐するルートだ。

 あのルートで、スバルはエルザ攻略のために何十回と死んでいる。この世界も、そのうちの一つだとしたら。

 路地裏にも盗品蔵にも立ち寄らずに、エルザを殺そうすることも十分にあり得る。

 

「お前がいなくなっちまったら……」

 

 エミリアは、レムは、ベアトリスは、どうなるのか。

 本編ではスバルがいなければ、間違いなく彼女らは死ぬ。この世界が本編ではない以上、どうなるかはわからない。

 だが主人公を失った世界が、いい方向に転じるとは思えなかった。

 

 ならば、自分がするべきことは──

 

「もう、いい。布を戻してくれ」

「……わかった」

 

 再び、スバルの顔に布がかけられる。

 

「ラインハルト」

「……なんだい?」

「ナツキ・スバルの話は、誰かにしたか?」

「いや、まだしていないが……」

「ならよかった」

 

 青年はゆっくりと立ち上がると、ラインハルトに向き直った。

 

「俺は──」

 

 

 ※ ※ ※

 

 

「ここがフェルト様の部屋だ」

 

 ラインハルトに案内されたのは部屋の前には、メイドと思われる女性が二人立っていた。

 

「フェルト様の様子は?」

「起きてはいますが、やはり部屋には誰も入れてもらえなくて……」

「そうか」

 

 ラインハルトによると、フェルトは起きてからずっと人と会うことを拒絶しているらしい。

 ロム爺とラインハルトは入れてもらえるらしいが、ラインハルトの方は渋々入れている、ということだそうだ。屋敷を使わせてもらっている手前、気持ち的に強く出れないのかもしれない。

 

「フェルト様、入りますよ」

「チッ、お前かよ…………何の用だ?」

 

 中から聞こえた不機嫌な声は、間違いなくフェルトのものだ。

 

「彼が目覚めたので、連れてまいりました。彼も、フェルト様に会いたがっています」

「……入れよ」

 

 中に入ると、部屋の中央に置かれたベッドが目に入った。

 そこには、バスローブのようなものに身を包んだフェルトが座っていた。

 

「兄ちゃん、生きてたんだな」

「まあな。…………左腕、どうだ?」

「万全、とまではいかねえけど、とりあえずはひっついたぜ」

 

 ほら、と左腕をあげるフェルト。

 左腕はその全てに包帯が巻かれており、ぎこちないその動きは切断された事実を再認識させた。

 その様子を見て、自分の罪を理解した。

 

「……悪かった」

「え?」

 

 青年はフェルトの前まで行くと、膝をついた。そして、深く頭を下げた。

 

「フェルト、すまなかった」

「ちょっ、え、何してんだ兄ちゃん!?」

「フェルトの腕が切られたのは、俺が盗品蔵にエミリアたちを連れてきたからだ。あれがなければ、フェルトはまともに交渉できて、怪我を負うこともなかった。全部、俺のせいだ」

 

 自分の甘い見立てが。楽観視が。

 フェルトに重傷を負わせた。そして、何よりも。

 

「エルザの攻撃に気づいていたのに、怯えて反応が遅れた。もっと早く声を出していれば、フェルトは避けれたかもしれなかった」

 

 自分の恐怖で、声を出せなかった。躊躇してしまった。

 それが何よりも許せなかった。

 

「ええっと、何が何だか……とりあえず、顔上げろよ、兄ちゃん」

 

 それでも青年は頭を下げたままだった。が、

 

「下向いたままじゃ、話せねえだろ。だから上げろって」

 

 フェルトの言葉でゆっくりと顔をあげた。

 

「うーん、聞きたいこととか言いたいこととかは沢山あんだけど……」

 

 フェルトは頭をかきながら、自分を指さした。

 

「アタシは生きてんだ。腕もくっついた。だから気にしてねえよ」

「……」

「兄ちゃんがいろいろ動いてたのは知ってる。うっすらと聞こえてたからな」

 

 ありがとな、とフェルトは照れ臭そうに笑った。

 ああ、彼女ならきっと──。

 

「いい王様になれるな」

「……はあ? 王様?」

「なんでもない」

 

 言いたいことは言えた。

 青年は立ち上がると、ラインハルトの方を見た。

 

「ラインハルトも、いろいろありがとな」

「……その礼は、素直に受け取っておこう」

 

 そう言って、ラインハルトは微笑んだ。

 

「ちょ、兄ちゃんもう行くのかよ」

「すまない、フェルト。人を待たせてるんだ」

「……なら、仕方ないか」

 

 ああ、とフェルトの方に向き直る。

 

「フェルトが気にしてなくても、俺にはその腕の責任がある」

「だからそんなのはいいって」

「何かあれば、言ってくれ。俺にできることなら、なんでもする」

 

 フェルトは困ったような表情を浮かべると、

 

「……わかったよ」

 

 そう、小さく笑った。

 

「じゃあな」

 

 青年が部屋を出ようとすると、あ、とフェルトが声を出した。

 

「まだ兄ちゃんの名前聞いてない。教えてくれよ」

「ああ、そうだっけか」

 

 青年はラインハルトの方をちらりと見ると、フェルトの方へ向き直った。

 そして、笑顔を浮かべると──

 

「俺の名前はナツキ・スバル。無知蒙昧にして天下不滅の無一文だ」








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第二章 足掻きの一週間
自称『ナツキ・スバル』


 王都からメイザース領へ向かう街道。

 フリューゲルの大樹を経由するこのルートは、原作の三章でよく通る道だ。

 

「考えてみれば、一章と二章の間でもこの道は通るのか……」

 

 原作でもスバルはここを通っていたのだろうが、気を失っていた状態だったため描写する必要がなかったのだろう。

 

「どうかしたの?」

 

 一緒の馬車に乗っていたエミリアが、青年の独り言に首をかしげて尋ねた。

 

「なんでもないよ。ただの独り言」

 

 結局青年は、しばらく原作通りエミリアと共に行動することに決めていた。

 王都に残ることも考えたが、それではメイザース領で起きる魔獣騒動に対処できない。今はエミリアと行動することが最適だろう。

 

「ねえスバル」

 

 エミリアの髪からパックが顔を出した。

 

「なんでリアについてきたの? もしかしてうちの子に惚れちゃった?」

「エミリアが美人なのは認めるけど……悪いな、そういうわけじゃないんだ。少しメイザース領に用事があってね」

「用事? スバルの知り合いがいるとか?」

 

 エミリアが首をかしげながら尋ねる。

 

「そうじゃないけど……ちょっとね。ああ、あとできれば、名前では呼ばないんでほしいんだ」

「どうして?」

「俺は……この名前が、あんまり好きじゃないんだ」

「私はいい名前だと思うけど……わかった。スバ……あなたがそう言うなら、そうする」

 

 ごめん、と軽く頭を下げる。

 

「気にしないで。誰にだって嫌なことはあるもの」

「……ありがとう」

 

 目を伏せて礼を言う。

 これは青年の幼稚な我が儘だ。しかしそれでも、エミリアにスバルと呼ばれることの罪悪感は耐えられそうになかった。

 話が途切れて変な雰囲気になりかけたところで、パックが青年に尋ねた。

 

「それで、用事が終わったら君はどうするの?」

「そうだな……用事が終われば、すぐに王都へ戻るよ」

 

 ロズワール邸で雇ってもらえるならば原作のスバル通りの行動がとれる。しかしスバルがそこで信頼を勝ち取るには命がけで魔獣騒動を解決しなくてはならないのだ。一歩間違えれば魔獣に呪い殺されるし、その前にレムに撲殺されることもある。対処しなければならない問題が多すぎる。

 

「王都に戻るって……あてはあるの?」

「まあな」

 

 心配そうに尋ねたエミリアに、軽く答える。

 パックが何かに気づいたような視線を向けてくるが、無視する。

 正直に言えば、当てはない。取れる行動は、どこかで雇ってもらうしかないが……白鯨の情報をもとに、クルシュ陣営と交渉でもしてみるか。

 

「うん、大丈夫だ」

 

 自信ありげに青年が頷くと、エミリアは心配そうな表情は浮かべたものの、それ以上追及はしなかった。

 当てなどないことをここで言えば、エミリアは間違いなく青年を助けようとするだろう。エミリアと一緒に行動するうえでエミリア自身には何の問題もない。

 だがエミリアと行動すると、ほぼ間違いなくレムと関わることになる。そこが一番の問題なのだ。

 

 ──俺は、彼女からの信頼を得ることはできない。

 

 スバルは彼女を助けたいと、命がけでレムを助けた。その結果大量の呪いをもらうことになったが、あの命がけの行動があったからこそ、レムはスバルのことを信頼するに至ったのだ。

 最初から打算で動く青年では、絶対にレムからの信頼は得られない。

 そして──青年は、彼女を見たくなかった。

 レムを肯定し、救ってくれる存在である「ナツキ・スバル」。彼がいない──救われることのない彼女を見ていたくなかった。

 ため息を吐き、目を閉じる。

 

『……なるほどな』

 

 納得したような声が聞こえた。

 

『ようやくわかったぜ』

 

 自分勝手で、傲慢な考え。しかしそれが青年の本心だった。

 

『我が儘なくせレムたちを見捨てることはできない。しかもその理由は寝覚めが悪いからときた。……自己中すぎて逆に清々しいことこの上なしって感じだな』

 

 自分でもそう思う。

 

「俺は自己中でいいんだよ。それぐらいがちょうどいい」

 

 人が死ぬのを放っておけないと言えば聞こえはいいが、結局青年のそれは偽善だ。

 

「自分を認めることにしたからな」

 

 偽善でもいい。自分がしたいことをする。

 

「だから黙って見とけ、ナツキ・スバル」

『……わかったよ。ポテチでもつまみながら見ることにするわ』

 

 目を開けると、辺りは暗くなり始めていた。

 それ以降、声が聞こえることはなかった。

 

 

 ※ ※ ※

 

 

「ロズワール……って人の屋敷に来てほしい?」

「うん。どうしてもダメっていうんじゃないなら、一緒に来てほしいの」

 

 メイザース領に入った頃。

 青年はエミリアにそう切り出された。

 

「君の悪いようにはならないと思うよ? ロズワールは変な奴だけどそこまで嫌な奴じゃないし」

「うーん……」

 

 パックの言葉に小さく唸る。

 ロズワールと出会ってまず問題になるのは青年自身の立ち位置だ。

 青年は「ナツキ・スバル」を名乗り、エミリアを救っている。ここまですればロズワールは青年を叡智の書にある人物だと認識するだろう。しかしこれは叡智の書に青年自身のことが書いてなかった場合である。

 青年のことが叡智の書に書いてある場合、ロズワールの行動は全く読めなくなる。青年に協力的なのか、それとも敵対的なのか。

 一番楽なのは青年の状況を理解してもらう、つまり青年に「死に戻り」の力がなく、叡智の書の人物でもないことを知ってもらうことだが、ロズワールが青年の話を信じるとは限らない。

 

「だいぶヤバいな……」

「やばい?」

「ああいや、こっちの話。気にしないでくれ」

 

 心配そうにこちらを見るエミリアに、明るい声で返す。

 ロズワールのことを考えるのはいいが、エミリアを心配させていいわけではない。それとこれとは話が別だ。

 

「しかしロズワールの屋敷へか……」

「あ、よく考えてみるとさあ……」

 

 青年が返答に迷っていると、パックが小さく手を打った。

 

「ここは一応ロズワールの領地なんだし、挨拶ぐらいはしといたほうがいいんじゃない?」

 

 しといて損はないし、とパックは続ける。

 パックの言うことは間違っていない。間違ってはいないが、別にする必要もないことだ。

 

 ──エミリアの気遣いを無下にするなってことか。

 

 パックの言葉の意味を理解した青年は、二人に向けて頷いた。

 

「確かに、それもそうだな」

「! じゃあ……」

 

 明るい表情を浮かべたエミリアに再び頷いて見せる。

 

「とりあえず行くことにするよ。そのロズワールって人のところに」

 

 ──考えるのは、会ってみてからだな。

 そんな、逃避のような考えと共に青年はロズワールと会うことを決めた。

 

 

 ※ ※ ※

 

 

「見たくなかったんだけどな……」

「? お客様、どうかしましたか?」

 

 目の前を歩く彼女は、こちらに目を向け静かに問いかけた。

 ショートスカートのエプロンドレスに、まさにメイドと言えるホワイトブリム。そして青髪、片目が隠れた髪型。

 ロズワール邸の鬼姉妹。その片割れである少女が、青年の目の前にいた。

 

「なんでもない……です。ただの独り言です」

「……そうですか」

 

 興味のなさそうな態度を見て、少し安心する。もしもスバルがいないことで何かが変わっていたらと警戒していたのだがその必要はなさそうだった。

 レムの態度は事務的だ。原作登場時と一致している。

 原作通りなら、部外者である青年のことは良く思っていないだろう。ただ、まだ殺害しようとまでは思っていないはずだ。

 

 ──ロズワール邸は、なるべく早く出た方がいいな。

 

 今後のことを考えながら歩いていると、原作と同じ長テーブルがある部屋についた。

 中に入ると、まだ誰も来ていなかった。

 

「他の皆さまは、すぐに到着されるでしょう。それまでそちらの席でお待ちください」

「わか……りました。ありがとうございます」

 

 危ない。無意識で会話をしていると、タメ口になりかけてしまう。

 エミリアと気軽に話せているのもあるのだろう。しかし不必要に馴れ馴れしくして、彼女に不信感を持たれてはおしまいだ。

 

 現在エミリアはロズワールと話があるとかで席を外している。

 

 ──俺のことを話してるってとこだろうな。

 

 青年の事情や、王都であったことを報告しているのだろう。

 

「はあ……」

 

 ロズワールがどうなるかわからない以上彼に会うまでは行動方針も決めかねるのだが、それでもいろいろと考え込んでしまう。

 

 ──まあ、やることがはっきりしていることはいいことだな。

 

 レムの呪殺を阻止する。村人を守る。そして、メィリィを逃がす。

 メィリィの能力をここで失うのは避けたい。もちろんレムや村人を守る方を優先すべきだが、メィリィの能力は今後重要になってくる。しかし魔獣騒ぎで誰かが死んでしまえばメィリィを仲間に引き入れることも難しくなるだろう。

 

『結局、難易度高いってことだな。いや、レムとラムに疑われることも避けないといけないってことは……原作以上の難易度か?』

 

 ──原作は……そうか、考え方によっては原作以上か。

 

 恐らく村での青年の動きは、ラムの千里眼で監視されるだろう。そこで怪しい動きをすれば、捕縛、下手をすれば殺される。

 

『かといって屋敷に残ればレムりん撲殺ルートのフラグ立つし……あれ、これ超ハードモードじゃね?』

 

 後ろをちらりと見ると、レムが完璧な無表情で立っていた。

 

『これ完全に監視だよなあ。怪しい動きしたらダイイングだぜ』

 

 レムの信頼を得る方法が思いつかない以上、レムの側にいることは危険だ。

 どうすればいいのか、最適解が見つからない。

 

 ──てか、お前黙って見てるんじゃなかったのかよ。

 

『あーへいへい。レムりんとの二人きり邪魔されたからって怒るなよ』

 

 二人きり。

 確かにそれはそうだが、内心ビクビクしている青年にとっては嬉しくもなんともない。

 

「はあ……」

「お客様、どうかいたしましたか?」

 

 思わずため息をつくと、レムが尋ねてくる。

 

「なんでもない……です」

 

 振り返らずに答えるが、返事はない。

 そのまま会話が終了するかと思われたが、数秒後、レムが口を開いた。

 

「あの、一つお聞きしてもよろしいでしょうか」

 

 少し不安そうなレムの口調に、思わず振り返る。

 

「なんです……か……?」

 

 レムは、申し訳なさそうな表情を浮かべていた。

 予想外の反応にどう反応していいかわからない。すると、レムがおそるおそると言った様子で尋ねてきた。

 

「レムが、何かしてしまったのでしょうか?」

「……は?」

「いえ、レムに何か不手際があったのでは、と思ったのです」

 

 ──そういう方向に捉えたのか。

 

 どうやらレムは、青年がよそよそしい態度でいることが自分の不手際だと考えているらしい。

 

「ああ、申し訳ない。あなたには何の落ち度もありません。すみません、誤解させてしまって……これは俺の問題です」

「それならいいのですが……」

 

 レムはまだ納得いかない様子だった。

 何か理由を、と考えるがうまく思いつかない。

 

「えーっとだな……」

 

 どうしたものかと考えていると、部屋の扉が開いた。

 

「おんやぁ? 君がエミリア様の恩人かぁな?」

 

 このねっとりとした喋り方。間違いない。

 息を整えてから扉の方を向く。

 

「ようこそ、我が屋敷へ。なぁかよくできるといいね」

 

 道化の格好をしたロズワールは、そう言って笑った。

 

 

 ※ ※ ※

 

 

 各々が原作通りの位置についたところで、青年は切り出した。

 

「じゃあまずは自己紹介を」

 

 立ち上がりつつそう述べ、ゆっくりと辺りを見回すと、

 

「俺の名前はナツキ・スバル。無知蒙昧にして天下不滅の無一文です」

 

 原作のふざけた様子とは違い──ゆっくりと、「彼」の名前を口にした。

 

「ねえ、すごーく気になってたんだけど、なんでそんな変な自己紹介なの?」

 

 エミリアからの質問にあー、と言葉をこぼす。

 エミリアとメイザース領に行くことを決めた時も青年はこの自己紹介をしているのだ。スバルのテンションならばそういうものだと思われるだろうが、いたって普通の青年が二度もこれをすれば、さすがに変だと思われる。

 

「自分への戒めみたいなもんだよ。恥ずかしいけど、実際俺は字面の通りだし……自分で言うと自分が無力なことを再認識できるからさ」

「君ってさ、意外と悲観的だよね」

 

 パックの言葉に、知ってるよ、と返す。

 自分はスバルのように明るくはなれない。しかしできることはあるはず。

 そういう思いで、青年はメイザース領まで来たのだ。

 

「うんうん、君とは気が合いそうだぁね。じゃあ、早速本題に入るとしよぉーか」

 

 と、姿勢を正したロズワールだったが、ふと何かを考えこむような様子を見せた。

 

「これは確認みたいなものなんだけど、君はこの国のことをどれだけ知っているのかぁな?」

 

 ──これは……俺を「彼」と認識しているってことなのか……?

 

『どうなんだろうな。どっちともとれる発言だよ……な?』

 

 ──なんで疑問形なんだよ。

 

『いやだって俺基本なんにも考えてないし……。適当にしゃべってる的な?』

 

 ──じゃあ黙っててくれ。

 

『へーい、ベリーソーリー』

 

 結局、いろいろと考えたって、青年の凡庸な頭では何も思いつかない。

 ──やっぱりこれしかできねえよな。

 

「……ある程度のことは知っています」

 

 隠し事はしないで、正直に話す。

 ──俺には、これしかできない。

 

「……」

 

 ロズワールの表情に、変化はなかった。

 

 

 




評価をつけてくださった方々、本当にありがとうございます。


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無能の功績

「ある程度、知っている……ということは、エミリア様のことも?」

「はい、知ってます。エミリア……様が、どういう評判なのかも」

 

 言いつつ、エミリアを見る。

 評判の話は、エミリアにとって気持ちのいいものではない。気分が沈んでいるようなら謝罪をしようと思っていた青年だったが、エミリアの反応は真逆のものだった。

 

「様はつけなくていいって言ったでしょ」

 

 怒ったように頬を膨らませるエミリアからは、マイナスの感情は感じられない。

 

 ──杞憂だったってことか。

 

「そうだったな……。わかった」

 

 気を付けるよ、とエミリアに言うと、青年はロズワールの方へ向き直った。

 

「ふむ。では聞くが、君は如何なる理由があってエミリア様を助けたのかな? 君が助けるメリットは少ないと思うんだぁけど」

 

 もっともな質問だ。

 スバルの場合はエミリアの事情を知らなかったため、惚れたという理由で済ませられた。

 しかし青年の場合は事情を知っていることを彼らに伝えているため、その理由が通用しない。

 

「そうですね。メリットはほとんどないです」

「では、なぜ?」

 

 ──機転も利かない、大して頭がいいわけでもない俺にできることは、これしかない。

 

「エミリアに……あの場にいた人たちに、死んでほしくなかったから、エミリアを助けました」

「……それはまた面白い理由だね」

 

 ロズワールはうっすらと微笑を浮かべている。

 

『あの場にいた人? トンチンカンを囮にしようとしといて、よく言うぜ』

 

 確かに青年は彼らを身代わりにしようとしていたが、ラインハルトやエミリアはそうは思っていないだろう。それに加えて──

 

 ──今は、考えも変わった。

 

『一度死にかけて価値観が変わる、か。でもそれも自分の都合って感じだよなあ……。完全なる自己中だし……ま、バレないように、ファイト』

 

 聞こえてくるスバルの声に、小さく息を吐いた。

 

 ──大丈夫だ。俺は落ち着いてる。()()ついていない。

 

『それならいいけどさ。あ、こっからめんどいぞ。ここ乗り切った後考えてるか?』

 

 スバルの言う通り、このあとは少しめんどくさい質問が来るだろう。ロズワールが何を尋ねてくるかは大方予想がつく。

 

「一つ思ったんだぁけれど。さっきの君の言い方は、まるでエミリア様……もしくはその場の誰かが、命の危険に見舞われることを知っていたみたいに聞こえるね」

 

 やはり、そこを突いてきた。

 ロズワールは表情は柔らかいが、その視線は鋭かった。

 

『うっひゃー、自分がエルザ送っといてよく言うぜ。意地が悪いったらありゃしない。やっぱ俺こいつ嫌いだわ』

 

 ロズワールの質問は確かに意地が悪いが、青年は最初から言うことを決めていた。

 

「あなたの言う通り、俺は『腸狩り』がエミリアを狙うことを事前に知っていました。だから、エミリアに接触しました」

「その情報は、どこから得たんだい?」

「俺のよく知る人物から情報は得ました。ただ、彼がその情報をどうやって手に入れたかはわかりません」

「その人物の名前を聞いても?」

「名前は……『ナツキ・スバル』です」

 

 青年がそう言った途端、ロズワールの表情が固まった。

 ラムやレム、部屋に入ってから一度も会話に参加していないベアトリスでさえもこちらを見ている。エミリアは少し混乱しているようで、パックと顔を見合わせている。

 しばらくすると、ロズワールが咳払いをして、こちらに向き直った。

 

「いやぁ失礼。あまりに奇妙な話だったかぁらね。つまり君は、君と同じ名前の男からその情報を得たというんだね?」

「はい、そうなります」

 

 青年は、スバルから──スバルの物語から、情報を得た。教えてもらったとは言っていないし、間違ったことも言っていない。故に後ろめたいことはなく、胸を張ってそう言える。

 

「質問ばかりで申し訳なぁいんだけど、その『ナツキ・スバル』君と君は、なぜ同じ名前なのかぁな?」

「俺が勝手に彼の名前を名乗っているだけです」

「ほう、それは何故?」

「彼が、死んだからです」

 

 『ナツキ・スバル』が死んだ。だからこそ、青年は『ナツキ・スバル』を名乗っている。

 

「彼が行うはずだったこと、救うはずだった人間。彼がいなくなったことで失われるものを少しでも少なくしたい」

 

 ──彼の穴を埋める。

 

「もちろん、俺は全てが足りない。彼ができることも俺はほとんどできない。だけど、俺が残ってしまった以上、俺がやるしかないんです」

 

 ──例え、彼より結果がでなくても。

 

「皆に幸せになってほしい。だから俺は彼の名前を名乗り、ここにいるんです」

 

 ロズワールは青年の言葉を目を閉じて静かに聞いていた。

 

『何考えてんだか……あ、目開けた』

 

「なぁるほど。君の行動理由はよくわかったよ」

 

 最後の質問だ、とロズワールが青年を指さした。

 

「君自身の本当の名前はなんだい?」

「…………言えません」

「理由は?」

「……俺の名前を知っているのは、この世界で俺だけです。誰も俺の名前を知らない。名前を知られてはいけない相手がいる。知られないことで、最悪の事態は避けられる。俺の本当の名前は、俺が言わなければ、誰も知ることはないんです。だから例え信頼できる人間でも教えることはできません」

 

 すみません、と頭を下げる。

 ロズワールは腕を組んで何かを考えていたが、数秒して結論が出たらしく、数度頷くと小さく笑った。

 

「まだまだ聞きたいことはあるけど、ここまでにしておこうか」

 

 ロズワールは柏手を打つと、表情を戻した。

 

「話題を変えよう。メイザース領へは何をしに?」

「人探し……のようなものです。見つかるかはわかりませんけど」

「ほうほう。探し人ね。これはあれこれ聞くのも野暮かぁな。見つかるといいね」

 

 微笑を浮かべたロズワールに、どうも、と軽く頭を下げる。

 

「じゃあここからは、君がここに来たわけだぁけど……それはエミリア様に聞いた方が早そうだぁね」

 

 青年がこの屋敷を訪れたのはエミリアの提案によるものだ。

 元々青年は、ロズワール邸に立ち寄る気はなかった。最終的にここへ来ることはあったかもしれないが、現段階での予定にはなかったのだ。

 何を思ってエミリアが青年をここへ呼んだのか。薄々予想はつく。

 

「本当に、すごくすごーく、ものすごーく我が儘なんだけど……何かお礼が出来たら、って思っちゃったの。それで、私にできることって考えた時に、屋敷に呼んでもてなせればって…………ごめんなさい」

「そんなに縮こまらなくてもいいんじゃないかな。ロズワールはリアの後見人なんだから、もっと利用してもいいと思うよ?」

 

 原作ではスバルから言い出す報酬の話だ。

 

「エミリア様が謝る必要はありません。元はと言えば、王都でラムがエミリア様とはぐれてしまったことが悪いのです」

「でも、それは私がちょっと好奇心に負けちゃって……それではぐれちゃったから、私が悪いの」

 

 原作とは違い、ラムが自分の不手際を謝っている。そしてエミリアがそれに対して謝り返す。

 物語登場時エミリアは既に一人行動をしているが、本来はラムと一緒に行動するはずだったのだ。

 声は掛けなかったが、ここへ来るまでの竜車を引いていたのもラムだった。最初は驚いたが、よく考えれば原作でも言及されていることだ。

 

 しばらく静観していると、話がまとまったらしく、ロズワールが青年へと提案を投げてきた。

 

「ふむ。ラムが途中ではぐれてしまったことも、まわりまわって私の責任といえるかぁもだし……。よし、それじゃあ当家はスバル君にできる限りのことをしようじゃあなぁいか。なんでも、とまではいかないが、君の望みに添えるよう全力を尽くすと約束しよう」

 

 来た。

 エミリアを助けたことの報酬。

 スバルは自身を雇ってほしいと頼むが、確実に信頼を得られる自信がない青年は、スバルをなぞることはできない。

 

『どうすんのさ?』

 

 要求することは、ここに来た時点で決めている。

 

「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて、二つほどお願いがあります」

 

 そんなに難しいことではありません、と前置きを置いて青年は話し始める。

 

「一つは、ここから少し離れた場所にある村に、俺が滞在する許可を頂きたいんです」

「ふむ。それはいいけぇど……知り合いでもいるのかな?」

「いえ、いません。恐らく野宿になると思います。なので、それも含めて許可を頂きたいんです」

 

 野宿、と言ったところで、エミリアの表情が曇る。

 一つ目の要求は村に滞在する許可──言い換えれば、村で野宿をする許可だ。

 許可もなしに青年が村で野宿をしていれば、怪しさ満点だ。ロズワールたちも不審に思うだろう。だから、正々堂々と許可をもらったうえでそれを行う。

 

「野宿ねぇ……君もずいぶんと変わってるんだぁね。屋敷に滞在することも要求できただろうに」

 

 もちろん私は構わないよぉ、と笑うロズワール。

 しかし青年は苦笑いを浮かべながら首を振った。

 

「もちろん俺もそれが一番の理想です。ですが、身元もわからない者を泊めるのはそちらに迷惑が掛かります。本来必要ないことも、俺を警戒していることでしなければならないでしょう。俺もあなた方にそこまで迷惑をかけるのは申し訳ないと思ってます」

「なるほどねぇ。君が言っていることもわかる。でも遠慮はしなくていいんだぁよ。今の私はエミリア様の命が何より大事だ。そんなエミリア様を助けてくれた君になら、多少の不都合には目をつぶるよ?」

「ありがとうございます。そこまで行ってくださるのなら、野営に疲れた時はここを頼るとします」

「……その時は、こちらも歓迎するとしよぉーか」

 

 ロズワールはまだ何か言いたげだったが、一応は了解の意を示した。

 

「では二つ目ですが……」

 

 口にすると同時に、目の端でそれとなくベアトリスを確認する。

 次の要求はロズワールへというより、ほぼベアトリスへの要求だ。

 ベアトリスが話を聞いていることを確かめると、青年は話を再開した。

 

「俺がメイザース領を出るまでの間、俺の負った怪我や病気をできる限り治療してもらいたいんです」

「怪我と、病気?」

「はい。野宿をするうえで、寝ている間に魔獣に襲われるかもしれない。そんな時、ここを頼りたいのです」

「村の周りには結界が張られているから、自分から森に立ち入らない限りは大丈夫だぁけれど……それは理解しているみたいだね」

 

 森の結界のことや魔獣の話は、道中でエミリアから聞いている。

 

「念のためのお願いです。もちろん自分から森に入るなんてことはしませんし、何か問題を起こすつもりもありません」

「…………わかった。そこまで言ってくれるのなら、協力することにしよぉーか。当家は君が不調になった時、全力で治すことを約束しよう」

「感謝します」

 

 軽く頭を下げると、顔をあげてくれ、と声がかかる。

 

「本当はもっと礼をしたいんだぁけど、君が望まないのならしょうがないからね。まあ、何かあればここに立ち寄ってくれたまえ。私がいるかはわからないけど、それなりのもてなしはできるはずだよ」

 

 ロズワールは相変わらずの読めない表情で、そう締めた。

 

 

 ※ ※ ※

 

 

「ありがとうございました」

 

 深くお辞儀をすると、エミリアは複雑そうな顔で首を振った。

 

「お礼を言うのは私の方。本当にありがとう」

「そんな大げさにしなくてもいいって。ありがとうなんて言われるようなことは何にもしてねえし」

「あなたはそう言うけど、私はすごーく助けられたの。私にできることがあったら、いつでも言ってね。できることなら何でもするから」

 

 エミリアの言葉に少しドキリとしながら、青年は困り顔を浮かべた。

 

「ったく…………エミリア、そういうことはあんまり言わない方がいい。悪い奴に騙されるぞ」

 

 青年の言葉にエミリアの横で浮いていたパックも、うんうんと頷く。

 

「そうだよ、リア。スバルは悪い人…………じゃないと思うけど、あんまり感心はしないな」

「そこは断言してほしかったよ、パック」

「にゃははー」

 

 青年が零した言葉をパックは笑ってごまかす。

 軽くお仕置きをしてやりたいが、怖いのでやめておく。

 

「パックが迷うのも無理ねえけどな。俺身元不明、住所不定だし。……ま、そういうことだから、これからも気をつけろよ、エミリア」

「何がそういうことなのかはわからないけど……うん、頑張ります」

 

 背筋を伸ばしてそう言うエミリア。

 彼女は本当に素直だ。スバルがいないことで、誰かに騙されないかとても心配だ。もちろん、できる限りのことはするつもりだが。

 

「よし、俺は村に向かうわ。しばらくは村にいるから、そっちも何かあったら言ってくれ。俺にできることなんてほとんどねえけど、できる限りのことはするよ」

「うん、わかった」

「じゃあな」

 

 ひらひらと手を振ると、くるりと村の方向を向く。

 道はロズワール邸に来るときに覚えた──というか一本道なので、迷う心配もない。

 

「まだ来てないといいけど……」

 

 そう呟くと、青年は村に向かって歩き始めた。

 



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異世界ほーむれす

「……平和だな」

 

 青年は村を見回しながら小さく呟いた。

 昼前だからか、人は少ない。大人たちは仕事があるのだから当たり前だが、アニメで見慣れていた人の多い村とは少し印象が異なる。

 

 ──これは少し待つことになるな。

 

『メィリィ探しか。まあ、昼に一人で出歩いているとは思えないし……夕方ぐらいまでってことかね』

 

 ──そうなるか。

 

 小さく息を吐くと、青年は辺りを見回した。

 適当な木を見つけるとその根元に腰を下ろす。

 

「休むか」

 

 やることもないので目を閉じて体を休める。

 竜車でいくらか仮眠を取ったとはいえ、気を抜くと寝てしまいそうだ。

 

『実際寝てもいいんじゃね? まだメィリィがいないなら大丈夫だろ』

 

「寝てる間にメィリィが村に入ったらどうすんだよ」

 

 すぐ殺されるなんてことはないだろうが、それでも警戒するに越したことはない。

 死に戻りがない以上、いくら予防線を張っても張りすぎなんてことはないのだ。

 

「まあ、メィリィの件が済んだら、一休みするよ」

 

 ここを乗り切れば、三章──王都に舞台が移る。

 青年はスバルみたく王城に乗り込むつもりはない。あんな風に啖呵を切る勇気などこれっぽっちもないのだ。

 もちろん白鯨討伐の根回しなど、しなければならないことは多い。

 だが、今よりは楽になるはずだ。休むのはそこでいい。

 

 何にせよ、今は待つしかなかった。

 

 

 ※ ※ ※

 

 

「あれ、兄ちゃん誰?」

 

 青年が座って目を閉じていると、声がかかった。

 無邪気な、全く警戒していない声。

 目を開けると、村の子供が数人、こちらを覗き込んでいた。

 

「そんなところで寝てたら風邪ひくよ?」

 

 時刻は夕方手前くらいだろうか。太陽が少し落ちかけている。

 

「寝てるように見えただろうけど、寝てないから大丈夫だ。心配してくれてありがとな」

 

 声をかけてくれた少年に軽く笑いかけ、子供たちを見る。

 まだメィリィはいなかった。

 

『うとうとしてたくせに。俺が何回か声かけなかったら寝てただろ』

 

 ──あれは助かったよ。危なかった。

 

『ぶっちゃけ寝ててもよかったような気がするけどな。そんなに警戒する必要は…………あるか? まだメィリィはいないみたいだから、子供たちとでも遊んでやれば? 名前当てゲームとかして驚かせてやれば、喜ぶんじゃねえか?』

 

 ──さすがに子供の名前は覚えてないな。ペトラぐらいしか名前がわからん。

 

『ま、お前が覚えてないのは知ってるんだけどな』

 

 そりゃそうだろう、と青年はため息を吐いた。

 彼は自分自身。知識は共有されている。

 

「兄ちゃん、屋敷の人?」

「いいや、違うよ」

「じゃあ兄ちゃん誰?」

「俺かあ……」

 

 この場合なんて説明するのが正しいのだろうか。

 

 ──旅人とは少し違うだろうし、かといって無職というのも間違ってはいないんだけど……さすがに嫌だな。

 

「うーん、ちょっとわからないな」

「自分のことなのにわからないの? 変な人」

「へ、変な人?」

 

 無邪気に言われると少し傷つく。

 しかし間違ってもいないため、青年は苦笑いを浮かべるしかなかった。

 

「ダメだよ、そんなこと言っちゃ。お兄さんに失礼だよ」

 

 オレンジ色の少女が怒ったように頬を膨らませている。少女──ペトラは青年が唯一名前を知っている子供だ。

 

「ありがとな、お嬢ちゃん」

「いいよー。私ペトラっていうの。お兄さんは?」

「俺? 俺は……」

 

 即座にスバルの名前が出ないところに、慣れないなと内心苦笑する。

 

「ナツキ・スバルっていうんだ。よろしくな、ペトラ」

「うん。よろしく、スバル!」

 

 ペトラがそう呼び始めると、周りの子供がスバルと連呼し始める。

 そういえばスバルは、村の子供たちに呼び捨てで慕われていたなと思い出した。

 

『この子たちには名前で呼ばれてもいいのか?』

 

 ──そりゃ正直誰にもスバルとは呼んでほしくないんだけどな。子供にそれを言うのは何か違う気がして……。

 

『めんどくせえ奴』

 

 そんなことは自分でもわかっていた。

 いや、わかっているからこそ俺の中の彼はそう言ったってところか。

 

 自分の一部である彼が、青年に再認識させたのだ。

 と、青年の肩がつつかれた。

 

「スバルは何か面白いことできる?」

「魔法とか使えるの?」

「どこから来たのー?」

 

 群がってくる子供たちをひとまず両手で押しとどめる。

 

「一旦ストップ! 一気には答えられないからな。ちょい待ちだ、ちょい待ち」

「わかったー、ちょいまちー」

「ちょいまちだー、ちょいまちー」

 

 ちょい待ちというフレーズが気に入ったのか、子供たちはそれを楽しそうに連呼している。

 

「まあ楽しそうで何より、か?」

『先生みたいだな。意外と向いてるんじゃね、と思ってみたりしてるんだがどうよ?』

 

 ──スバルほどじゃない。

 

『まあ俺はガキンチョどもには何故か好かれるからな! 純粋な子供たちは慕うべき人間がわかってるってことだな』

 

 突っ込む気力もないためスルーして、子供たちに意識を戻す。

 

「よし、なんでも答えてやる。手上げた人から順番にな」

 

 青年の言葉に、子供たちが我先にと手を上げる。

 

「はい、じゃあ俺!」

「はい! はい!」

「はいじゃあそっちの子」

「どこに住んでるの? 家はどこ?」

「家か……あれ、考えてみたらないな」

「え、家ないの? 何それ」

「変なのー」

 

『あれ? ……ホームレスじゃねえか』

 

 ──家がないことなんて、最初からわかってたことだろう。

 

『まあ、頑張れよ?』

 

 憐みの色が見える声に、青年は無視を返した。

 

 

 ※ ※ ※

 

 

 しばらく子供たちとじゃれていると、子供の一人が青年の袖を引っ張った。

 

「ねーねースバルー」

「ん? なんだ?」

「スバルは秘密守れるー?」

「秘密? ……ああ、守れるぞ」

 

 秘密、と聞いて内心身構える。

 メィリィ、子犬。この状況で子供たちの秘密になりそうなことは多い。

 もちろん他愛もないことかもしれないが、それはそれで親身に聞いてやることで子供たちからの信頼も得られる。

 

「じゃあスバルにも見せてあげる!」

 

 嬉しそうに青年の手を引く子供たちに心の中で謝りつつも、青年は笑顔を浮かべた。

 

「秘密か……楽しみだな」

 

 ──現金すぎて自分が嫌になる。やっぱり慣れないな、嘘をつくことには。

 

『……』

 

 青年の心の声に、返答はなかった。

 いつもなら茶化してくるはずなのに、と不思議に思いつつも、子供たちについていく。

 

「こっちだよ、こっち」

 

 子供たちに連れてこられたのは、村のはずれだった。魔獣たちの森からもかなり近い。

 

「ちょっと待っててね」

 

 子供の一人が茂みの中へ入っていく。

 結界の外ではあるが、かなりギリギリだ。もし結界が緩んでいたら、魔獣が結界を超えることもできるだろう。

 青年は表情には出さず警戒しつつ、子供の帰りを待った。

 しばらくして茂みが揺れた。

 

「ほらこの子! 見てスバル、可愛いでしょ」

 

 茂みから出てきた子供の腕に抱かれている()()を見て、青年は静かに唾を飲み込んだ。

 

「おお、可愛い犬だな。どこで捕まえたんだ?」

 

 見た目は可愛い子犬。

 しかしその正体は、原作でスバルやレムを殺した魔獣ウルガルムだ。

 

 ──落ち着け。

 

 何があってもいいように、心の準備はしておく。

 

「少し前にね、ここで見つけたんだ」

「人懐っこくて、すごく可愛いんだよ」

「昨日も一緒に遊んだしねー」

 

 嬉しそうに説明する子供たちは、子犬を心底気に入っているようだった。

 

「それは……良かったな」

 

 なるべく自然な笑顔を心がけながら子犬を見る。

 そんな青年に、子犬は愛らしい目でじっと見つめ返してきた。

 

「触っていいか?」

「うん、いいよ!」

 

 ──準備は、できた。

 

 差し出された子犬の顎辺りをそっと触ると、子犬は気持ちよさそうに目を細めた。そのまま撫で続けるが、様子に変化はない。

 少し撫でる動きを強めてみるが、子犬は気持ちよさそうにするだけで特に何もしてこなかった。

 

 ──まずいな。

 

 青年は内心焦り始めていた。

 子犬に噛まれ、その傷をベアトリスに見せることで、偶然呪いが発覚する。

 それが青年のシナリオだった。

 そうすることで“呪術の危険が村にある”ということをロズワールたちに認識させるつもりだったのだ。ここで噛まれなければその方針そのものが破綻する。

 多少強引にでも子犬が噛むようにしなければ。

 撫でるのをやめて、子犬をつねってみる。すると、子犬が少し嫌そうなそぶりを見せた。

 

 ──これなら、なんとか……。

 

 続けようとしたところで、青年の肩が叩かれた。

 

「そんなに強くしたら、この子も怒っちゃうよ」

「そうそう。いくら可愛いからってねー」

「兄ちゃん、そんなに犬好きだったの?」

 

 無邪気な反応を見せる子供たちに、意識が引き戻される。

 

『噛まれるだけならいいけど……本当に怒らせて、ここで正体現したらヤバくね?』

 

 ──……そうだな。軽率だった。

 

 ここで魔獣に暴れられると、青年では子供たちを守り切れない。

 青年にスバルのような体力はないし、機転もない。

 仕留められるかどうか怪しい状況で魔獣化させる可能性のある行動をとるのはあまり良い手ではなかった。

 

「ごめんごめん。ちょっとやりすぎたわ」

 

 子犬を撫でつつそう謝ると、子供たちは変なの、と笑った。

 

「噛まれないように気をつけろよ? 意外と痛いんだぞ、あれ」

 

 空気に合わせて茶化すように言ってやる。

 

「噛まれたことあるの?」

 

 聞いてきたペトラにまあな、と返しつつ犬に視線を移す。

 

「犬はいつ噛むかわからないからな……。仲良くしてると思っても油断ならねえ」

 

 するとペトラは大丈夫、と妙に自信ありげに答えた。

 

「大丈夫ならいいんだけど……やけに自身たっぷりだな」

「うん。あの子がいればね、噛まれることはないの」

「…………あの子?」

「名前は知らないの。今はいないんだけど……最近はよく一緒に遊んでるんだよ」

「どんな子なんだ?」

「おとなしい子だよ。でもその子とはすごく仲がいいの」

「子犬と仲がいい、か」

 

 ペトラの言う少女。

 メィリィだ、と確信すると同時に小さな焦りが生まれる。

 

『すでにこの村に来てたってことか。こりゃ出遅れたな』

 

 ──俺を警戒して姿を現さないのか、それとも別の理由があるのか。

 

『別の理由があったとしても、警戒はされてそうだな』

 

 メィリィにとって青年は、知らない土地から来た謎の人物になる。人柄、経歴、できること。全てが不明だ。

 魔獣を使って一騒動起こそうしているメィリィが、警戒しないわけがない。

 

 ──くそったれ、頭がオーバーヒートしそうだ。 

 

『攻略サイトだけ見て、初見でやる高難易度ゲームみたいだな』

 

 ──ゲームとは違う。一回も失敗できない。こいつらは生きてるんだからな。

 

 目の前の子供たちは楽しそうに子犬と遊んでいる。

 自分を殺すかもしれない相手と遊んでいる彼らを見て、一つの感情が沸き上がった。

 

「……」

 

 羨ましい。

 無邪気な笑顔が、青年にはとても羨ましく見えた。

 

 恐らく青年はこの先、無心で笑うことはできないだろう。

 付きまとう警戒心や、失敗できないという重圧。

 この世界の未来を知っていることで、起こる事件への対策も常に考えねばならない。そんな息苦しい状況から、青年は逃げるつもりはなかった。

 すべてを投げ出すことができるほど、青年は悪人でなかったのだ。

 しかし青年の比較対象は悪人ではなく、ラインハルトやエミリアだった。

 自分と彼らを比べて、自然に言葉が漏れる。

 

「俺は、屑だな」

 

 根っからの善人である彼らと青年。善性を比べれば彼らの軍配が上がる。

 

『トンチンカンのことを気にしてるのか。自分を優先するなんて割と人として普通にありそうなことだけどな』

 

 ──かもな。でも、この世界ではそうする奴が少ないんだよ。

 

 青年は自分を変えたかった。

 ラインハルトや、エミリア、そしてフェルト。彼らと出会って、自分もこうなりたいと思ってしまった。

 自分が凡人なことは理解しつつも、それでも、少しでも彼らに近づきたいのだ。

 

「結局、自己満足だな」

 

 ため息を吐いて、再認識する。

 ため息が出るということは、まだ完全には受け入れきれてないらしい。

 自分に呆れていると、子供の一人が近寄って来た。

 

「ねえねえ、今兄ちゃんなんか言った?」

「ん? ああ、なんでもないよ、ただの独り言だ」

 

 軽く否定すると、気になったのか子供たちが集まり始める。

 

「なんていったの?」

「教えてよー」

 

 興味津々と言った様子の子供たちを誤魔化すのは無理そうだった。

 

「犬が可愛いなあ、って言ったんだよ」

「ほんとー?」

「怪し―」

「ホントだって。なあ、ペトラ」

「ええ、私? ごめんスバル、聞いてなかった」

「知ってた」

「えっ……もう、スバルの意地悪!」

 

 ぷっくり膨れるペトラを撫でていると、

 

『PMK……』

 

 とスバルの声が呟いた。

 

 ──ペトラマジ可愛い、か。

 

『ロリコンじゃないから恋愛感情はないけど……守りたいこの笑顔って感じだわ』

 

 ──……。

 

『本当にロリコンじゃないからな』

 

 言い訳をし出したスバルの声に、青年は大きくため息を吐いた。



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傲慢と油断

 魔獣に噛まれないことで、青年の立てていた計画は崩れた。

 

『噛まれようとした分、村の子供達と仲良くなった……のはいいことじゃね?』

 

 子供達と仲を深めた事は良いが、見通しが立たなくなったことは変わらない。

 

「うまくいかないもんだな……」

 

 襲撃者の存在を自分を使うことでエミリアたちに知らせる。これが青年の基本方針だった。スバルの場合、毎回噛まれていたあの魔獣だが、それは運が悪かったということなのだろうか。

 そこまで思考して、青年は気付く。

 

「あ……しまった」

 

 スバルの特性は、青年とは違う。

 魔女の瘴気と、それにより魔獣から狙われるという副作用。それはスバルが嫉妬の魔女の寵愛を受けているから起こることであって、異世界から来た人間に誰でも起こることではないのだ。現に青年は、あれだけ子犬を触っても、噛まれていない。

 

「レムの態度がスバルより柔らかかった理由も、それか」

 

 普通の客人に対応する程度の愛想。そう考えればしっくりくる。

 原作のスバルは、魔女の瘴気を放っていたために、あそこまで冷たい対応をされ、警戒されていたのだ。

 

「完全に忘れてた……。気が抜けてるぞ、俺」

 

『俺ってやっぱり臭かったんだなあ……』

 

 わざとらしくため息をつくスバルを無視し、思考を巡らせる。

 原作のスバルの場合は死に戻りという切り札があったが、青年の場合は一つのミスが命取りになる。先日の王都のような、ギリギリの戦いはしてはいけないのだ。王都の事件を突破できたのは運によるもの。それを受け止めなければいけない。

 その上で、自分の状況と持っているものを利用して、魔獣騒ぎを解決しなくてはならない。

 

「時間もないし……やっぱりやるしかないか」

 

 それは青年が最終手段として考えていた案、ロズワールとの交渉だった。

 青年が取れる選択肢の中ではその後の状況変化が不透明なため、青年はあまり行いたくなかった。

 ロズワールはスバルのやり直し能力について、叡智の書を通じて限定的ではあるが知っていた。青年のことを、スバルだと思っている可能性がある限り、下手な行動には出られない。

 しかし、村の襲撃は何としても止めなければいけない。

 

 ──手札は少ないけど、やるしかない。

 

 ※ ※ ※

 

「それで、何の用事かぁーね?」

 

 ロズワール邸の一室。再び屋敷を訪れた青年は、作中でも使われていた大きな部屋でロズワールと対面していた。隣には双子メイドの片割れ、ラムの姿もある。

 

「見たところ、怪我はしていないようだけど……」

「はい、今回の件は違います。まずは、この席を設けてくださったことへの感謝を。話に応じてくださりありがとうございます」

「丁寧だぁね。私は全然構わないから、気にすることはないよ」

 

 再びありがとうございます、と青年は頭を下げる。

 

「それで、話というのは何なのかぁーな?」

 

 ──来た。

 ここからはほぼアドリブである。青年は一呼吸おいて、口を開いた。

 

「今後のあなたに関係する話がしたいんです。ですので、二人きりで話したいのですが……」

 

 ラムの方を見ると、ラムはこちらをキッと睨む。

 

「ロズワール様と見ず知らずの者を二人きりにはできません。いくらエミリア様の恩人といえど、許容できかねます」

「まあまあラム。とりあえずどういうことか、きこぉーじゃないかね」

 

 スバルくん、と青年に笑いかけるロズワール。

 二人きりにはなれなかったが、話を聞いてくれるだけでも第一段階はクリアだろう。

 

「今回、ロズワール様にお願いしたいのは、近くにある村の守護です」

「守護? それはどういう意味かな?」

「村人が一人も死なないように、守ってほしい」

「なぁーるほど。その言い方だと、何やら事件が起こることを確信しているように聞こえるね」

「それはそうでしょう」

 

 青年はロズワールを見据える。

 

「銀髪のハーフエルフであるエミリア様を王選候補として立てれば、事件が起こることは確実と言える。そして、それはあなたでも予測できるはずだ」

「ふむ。君が言いたいことはなぁーんとなくはわかるけど、それと私の質問とは話が別じゃないかぁね?」

 

 ロズワールの口元から笑みが消える。

 

「君の言葉は、事件が起きることを知っているように聞こえる。まるで、犯人がわかっているかのような口ぶりだ」

 

『ちょっと怖いな、ロズワール』

 

「それも、ナツキ・スバルという人物からの情報かい?」

 

 ロズワールの表情は、真顔に近い。感情や狙いが読めない。

 

「私は、村で事件や問題が確実に起きるとは考えていません。ですが、原因となるものが存在することは確かだと考えています」

「なるほど。随分と怖いことを言うね。……さっきも聞いたけど、それも君ではないナツキ・スバルの情報かい?」

「はい。確かな情報です」

 

 青年の言葉に、ロズワールが目を閉じる。

 ラムの方を見るとラムも、無表情のまま目を閉じていた。

 

『うーん、気まずいな』

 

 頭の中のスバルの声に、青年も沈黙で同意する。

 時間にして約五秒。青年にとっては、長すぎる五秒が過ぎた後。

 

「なぁるほど。情報の出所には疑問が残るけど、ひとまずは君の言うことを信じよう」

 

 ロズワールは緊張の糸を解いた。

 青年は小さく息を吐く。

 

「それで、私に村を守ってほしいというのは、具体的にどういうことなのかぁーな? 私にも予定や事情があるから、何でもできるというわけではないけど、とりあえず聞こうじゃないか」

「ありがとうございます。まずは、村周辺の警備の強化です」

 

 間髪入れずに言葉を続ける。

 

「村周辺の森には危険な魔獣がいると聞きました。村人を襲ってこないとも限らない」

「それについては問題なしだぁね。村を守る形で結界がある」

「ですが、村内部に魔獣の子供と思える子犬がいました。結界が完全でない可能性もある」

「ふむ、なるほど。それについては見直すとしよぉーか」

 

 しかし、とロズワールは指を立てる。

 

「君が言うほど村は危険なのかぁーな?」

「それは……どういう意味ですか」

 

 村には今まで大きな問題も起きていない。ロズワールが言いたいことはそういうことらしい。

 

「もちろん領民の安全は大事なことだ。しかし私にも優先順位というものがある」

「すぐには取りかかれない、ということですか?」

「いーや」

 

 ロズワールは口元に笑みを浮かべる。

 

「運の良いことに、ここしばらくはたまたま予定が入っていない。先ほどまで厳しいことを言ってきたが、私がここにいる限りは村を気にかけるとしよう」

 

 硬い雰囲気を解いたロズワールに、青年も力を抜く。

 

 ──とりあえず、戦力は確保だ。

 

 しかし、とロズワールは付け加える。

 

「急なアクシデントは私にもどうすることもできないかぁーらね。その時はラムとレム、そして君を頼るとするよ」

 

 わかりました、と青年は応じるとロズワールは立ち上がった。

 

「ラムもよろしく頼むよ」

「かしこまりました。ロズワール様」

 

 

 ※ ※ ※

 

 

「あ、スバ……ええっと……あ、あの!」

 

 ロズワールの屋敷の入り口で、屋敷を出て村に戻ろうとしていた時。

 

「エミリア?」

「エミリア様」

 

 エミリアが階段の裏から顔を出した。ラムがこちらに目を向けた後、頭を下げる。

 

「申し訳ありません。ラムは用事を思い出したので、これで失礼します」

「ラム、ありがとう」

 

 エミリアの言葉に再び頭を下げた後、ラムは屋敷の奥へと戻っていく。

 おそらく気を遣ってくれたのだろう。

 エミリアは青年を屋敷の一部屋に通した。テーブルと椅子が三つだけある、普通の小部屋である。

 

「スバ……あ、あなたは何か飲む?」

「ありがとう。でも今は大丈夫」

 

 わかった、と答えたエミリアの目の前にパックが現れた。

 

「ねえナツキ・スバル〜、君の呼び方決めない? リアも呼びにくそうだしさ〜」

「呼び方か……」

「……ナツキ、とか?」

「ごめん、それはやめてほしい」

 

 エミリアの提案に思わず反射で答えてしまう。

 

「君もわがままだねえ」

 

 パックが困ったように言い、首を捻る。

 

「自分の名前じゃないなら、それもしょうがないか」

「ごめん、パック」

「別にいいんだけど、何かリアが呼びやすい呼び名を考えてほしいかな」

「もうパック! もしよければ、だからね」

 

 ──自分の呼び名、か。

 

 この世界の来る前のあだ名はもちろん使えない。となると、ナツキ・スバルに関連したものにするのが良いだろう。

 

「ナツキ・スバルから連想するか……」

「スーちゃん、とか?」

「あはは、可愛いあだ名だね」

 

 流石リアだ、とパックが手を叩く。

 

「少し可愛すぎる気もするなあ」

「やっぱり、スバルじゃダメなの?」

「それは……」

 

 言葉を続けようとしたが、エミリアの真面目の表情に、青年は口を閉じた。

 

 ──エミリアにそう呼ばれたくないのは、俺の勝手なわがまま、エゴだ。

 

「偽名で、例え名乗りたくなくても、君が自称する限り、君はナツキ・スバルなんだよ」

 

 パックの言葉に、思考が揺らぐ。

 

「ダメ、かな?」

 

 エミリアの視線を受けること数秒。

 

「ああもう、降参だ」

 

 それでいい、と青年が言うとエミリアは眉を八の字にしながら口元を緩めた。パックもその様子を見ながらニコニコとエミリアの周りを浮いている。

 

「それで、何の用だったんだ?」

 

 照れくさくなった青年は、少し大きな声でエミリアに尋ねる。

 エミリアも呼び方を決めるためだけに呼び止めたわけではないだろう。

 

「あ、そうなの。ちょっとスバルに聞きたいことがあって」

「聞きたいこと?」

 

 うん、とエミリアは遠慮がちに頷く。

 

「聞いていいのかわからなかったんだけど……スバルって誰を探してるの?」

 

 エミリアの言葉に、身体の奥にひんやりとしたものが走る。

 

「それは、どういう意味だ?」

「ロズワールやラムから、村にいるスバルの話を少し聞いて、気になったの」

 

 ロズワールがラムやレムを使って青年を使って監視していたことは、青年も想定していた。彼らに、青年の目的が話したことがただの人探しではないことはおそらくバレている。その上で青年を見逃しているのは、ロズワールが青年のことを利用できると判断しているからだろう。

 

「それでね、私にも何か手伝えることがあればって思ったの。この間のお礼もまだできていないでしょう?」

「お礼だなんて……」

 

 エミリアは王都での出来事を言っているのだろう。しかしあの出来事はラインハルトのおかげで解決できたものだ。

 

「前にも言ったかもしれないけど、私に力になれることがあったら、何でも言って」

「ありがとう。その気持ちは嬉しいけど……これは俺の問題だ。だから、自分の力で解決する」

「本当に、大丈夫なの?」

 

 食い下がるエミリアに、少しの違和感を覚える。青年の認識では、ここまで深く踏み込んでくる性格ではなかった。少なくとも、今の関係性では原作でもそこまでではないはずだ。

 

 ──原作と変化してきているのか?

 

 青年の選択によって各々の登場人物の行動が変化することはわかる。しかしエミリアに対する対応は、青年とスバルとで大きく変わっていない。

 

『この時点の行動はそこまで差をつけることも難しいだろうしなあ。エミリアたんの心模様がわからないことが悔しい……!』

 

 スバルの幻聴も青年に同意している。

 

 ──ならば、何が原因だ?

 

 黙り込んでしまった青年を、エミリアはじっと見つめている。

 ふと、気分を変えようと窓の外を見た。

 

「え?」

 

 目に入ったのは黒い煙。

 一瞬、何が起きているか理解できなかった。

 

「あれ、村……」

 

 青年の口から呟くように出た言葉に、エミリアも窓の外へ目を向ける。

 

「村が……!」

 

 煙が出ているのは、村の方向。明らかに尋常ならざる光景に、思わず席を立つ。

 

 ──襲撃? ……いや、それにしては早すぎる。

 

「ロズワールは!? 早くこのことを──」

 

 部屋を出ようとした青年だったが、その歩みは数歩で止まることとなった。

 

「待って、スバル」

「手を離してくれ、エミリア。今は時間が……」

「ご、ごめんなさい」

 

 動揺したように手を引っ込めるエミリア。

 その様子で、青年が感じていた違和感が増す。

 しかし、エミリアにそれを尋ねる時間はなかった。

 

「ごめんエミリア。今は時間がない。村の人たちがどんな状況かわからない以上、先に安全かどうかを確かめたい」

「そ、そうよね。うん、スバルの言う通り。ごめんなさい」

 

 下を向いて目に見えて落ち込むエミリアに、青年はでも、と言葉を続ける。

 

「俺は屋敷の中にあまり詳しくない。一緒にロズワールを探してくれないか?」

「もちろん。パックもお願い」

「うん、リアの頼みならドンと来いだ」

「助かる。ありがとう、エミリア」

 

 

 ※ ※ ※

 

 

 ロズワールを探して、屋敷の中を走る。

 

「とりあえず外の様子を確認したい。ロズワールは、すでに村へ向かう準備をしているかもしれない」

 

 屋敷の入り口へ着くと、すでにそこにはラムとレムがいた。

 

「ちょうどよかった。ロズワール……様はどこにいるか知っているか」

「ロズワール様は、つい先ほど急用が入ったため外出されました」

 

 淡々と答えるラム。

 

「外出!? なんでこんな時に──」

 

 言葉を続けようとして、気付いた。

 

 ──やられた。

 

 ロズワールの目的は、自分ではない誰か、エミリアの騎士となれる人物に功績を与えること。

 村を襲うタイミングはいつでもよいのだ。

 

 ──村を守ることが優先になって、抜けていた。

 

 ロズワールの協力は、見込めない。

 しかし、やるしかない。

 

『お前の成功すると信じて疑わない傲慢なところ、好きだぜ』

 

 どこかで聞こえたスバルの声は、青年の頭の中に妙に残った。




投稿期間が空いたにも関わらずお気に入り登録してくれた方、評価・感想をくださった方、ありがとうございます。

誤字報告してくださった方もありがとうございます。とても助かりました。


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もしもの話
双子の鬼と自責少年 一


「もしも」の短編です。

細かい設定が違うところがあるかもしれませんが、ご容赦ください。
また明確な恋愛描写はありませんが、物語の筋は鬼の双子×オリ主です。気になる方はブラウザバックでお願いします。




 気が付いた時には、青年は見知らぬ森の中にいた。

 

「あれ……?」

 

 辺りは見まわした青年は、言葉を失った。

 自分を落ち着けようと、ゆっくりとした呼吸を心がけながら自分の状態を確認する。

 格好はパーカーにスウェット。地面に倒れていたため少し汚れているが、それ以外は特に変わらないいつもの部屋着だ。

 どうして自分がここに居るのか。

 心当たりはなかった。

 

「どこだよここ……」

 

 辺りは暗く、明かりもない。

 人の気配がないのだ。

 この場所まで青年が一人で来たとは考えられない。となると誰かに連れてこられたのだろうが、その連れてきたであろう人間が見当たらない。痕跡すら見つからないのだ。

 人が入った気配のない、自然としての違和感がない森。いや、むしろその逆だ。自分という人間がいることが違和感を生み出している。

 ここでは自分が異物だった。

 

「どうなってんだよ……」

 

 自分の状況を確認して、青年はそう呟いた。

 遭難、とは違うかもしれないが自身が安全な状況でないことは確かだ。

 何をすべきかもわからずにいると、首に冷たいものが落ちた。

 

「うわ、なんだよ…………って、雨!?」

 

 ポツリ、ポツリと空から雫が降ってくる。

 これはまずい。今の気温はそこまで低くないが、雨に打たれれば体温も下がる。

 

「どこか雨宿りできる場所は……」

 

 ひとまず、目についた大木の影に走る。あの大きさならひとまず雨はしのげるはずだ。

 そう思い足を踏み出した時だった。

 

 腹の底から痺れるような轟音が、辺りに轟いた。

 

「雷!?」

 

 耳を塞ぎつつ辺りを見回す。音は大きかったが、近くではないようだった。

 

 もしも近くに落ちたなら、青年はどうすることもできないだろう。雷が近くに落ちるとどうなるかはわからないが、無事で済むことはほとんどないに違いない。

 

 ──雨宿りをするなら、小さいほうがいいか。

 

 大木ではなく、それよりもいくらか小さい木の方へ行くことにした。

 意味はないかもしれないが、しないよりはマシだ、おそらく。

 

「なんでこんなことに……」

 

 木の根元に座り込んでそう愚痴る。

 この雨ではあたりを見回ることもできない。しかしこの場所に座り込んでいるだけでは状況は改善しないだろう。

 

「携帯は……ない」

 

 ポケットを探るが、携帯どころか財布もない。ハンカチすら入っていなかった。

 

「はあ……これからどうしたら──」

 

 ひとりごちていると、一瞬にして閃光が広がった。

 

「わ!?」

 

 幾度か空が光ると同時に、爆音が周囲に響く。ビリビリと腕の産毛が震える。

 咄嗟に耳を塞ごうとしたところで、青年の動きが止まった。

 

「今のは……」

 

 音がした方を向くと、うっすらとだが煙が上がっていた。かなり近い。

 いや、そんなことよりも──

 

「声、だよな」

 

 青年の耳へ届いたのは、幼さの残る悲鳴であった。

 煙の方向へ足速に歩き出す。

 

 あそこに、誰かがいる。

 

 雷が落ちた場所に、誰かが。

 

 そこでふと、青年の足が止まる。

 雷が落ちたのならば、その人物は無事なのだろうか。もし怪我をしていたならば、早く手当てをしなくてはならない。何もわからない状況で見つけた、大事な手がかりだ。これを逃すことは、まずい。

 

 濡れるのも気にせず、青年は全力で走りだした。

 絶望的な状況を打破するかもしれない、情報。それを持った人物が、いる。青年は、さらに加速した。

 

 どれほど走ったのか。長い気もするし、短い気もする。落雷からの経過時間はわからなかったが、青年は自身にとって最速で煙の発生源へとたどり着いた。

 煙の元へと足を進め、そして──

 

 青年は思わず足を止めた。

 目の前には、幼い少女が座り込んでいる。

 青い髪に蒼い瞳。そして白い見慣れない服。

 服装やその姿は、現実離れしている。少女はこちらには気づいておらず、地面に落ちた木の実を見て落ち込んだ表情をしていた。

 髪の色や、服装はコスプレでもしているのか、というほどに派手だ。何かの行事だろうか。案外街は近いのかもしれない。

 

 どう話しかけようかと考え始めたその時。

 バキリ、と嫌な音が響いた。

 

「なっ」

 

 少女の近くの大木──雷が落ちて黒焦げになった木が、ゆっくりと傾き始めていた。

 このまま放置すれば……少女に当たる。

 

 不可解な状況での、唯一の手がかり。その彼女をここで失うわけにはいかない。

 故に青年は、地面を踏み込んだ。

 

 抱えて走り抜けるには間に合わない。少女が座っているため押し飛ばすこともできない。それならば──

 

「ごめん、マジでごめん! 本当にごめん!」

「え? ──きゃっ!」

 

 大木を見て固まっている少女を、踏み込んだ勢いを乗せた蹴りで、飛ばす。少女は見た目通り軽く、数メートルほど先まで蹴り飛ばされていた。

 そして自分もその場から離れようと、右足を再び踏み込もうとして──

 

「あ、れ」

 

 踏み込んだ感覚がない。

 地面に触れた感覚はある。ただ、反発がなかった。

 滑った、と理解した時にはもう立て直しは不可能だった。

 

 ゆっくりと視界が傾き始める。

 それと同時に、視界の端に燃える大木が徐々に大きくなっていく。

 

 ──あ、やばい。

 

 直後、痺れるような衝撃と共に、青年の意識は途切れた。

 

 

 ※ ※ ※

 

 

 目が覚めると、見知らぬ天井が目に入った。

 木でできた天井と、それなりに柔らかい地面。

 青年は自分がベッドに寝かされていることを理解した。

 

「いっ……」

 

 起き上がろうとして、身体中に激痛が走る。悲鳴を上げることはしなかったが、起き上がれそうにはなかった。

 どうしたものかと考えていると、部屋の扉が開いた。

 

「……あれ?」

 

 少女らしき声が聞こえる。

 ゆっくりと首を動かすと、青髪の少女が見えた。

 

 ──()()()()()()少女だ。

 

 何もすることができずにじっとしていると、少女が部屋から出て行く音が聞こえた。可愛らしい足音が部屋から遠ざかっていく。

 そんな逃げるようにしなくてもと思うが、それだけである。青年は動けないため、少女に弁明することすらできなかった。

 と、足音が戻ってくる。

 音が多い。今度は複数人で来たようだった。

 そして、扉が開く。

 

「ああ、目が覚めたんですね!」

 

 聞こえてきたのは、男性の嬉しそうな声だった。

 

()()()を助けてくれてありがとうございます。あなたがいなければ二人は……」

 

 こちらを覗きこんで来たのは若い男性だった。ひたすら謝る男性に青年は困惑の表情を浮かべる。

 

「あの、すみません。ええと、言っている意味が…………。そもそも、あなたは?」

「ああ、これはすみません。私はクオークといいます。あなたが助けた少女たち、レムとラムの父親です」

「助けた? 自分が、ですか?」

「ええ。あなたが助けてくれたと二人からは聞いたのですが……」

 

 クオークと名乗った男性は、青年が彼の娘たちを助けたと言った。

 しかし青年には何のことかさっぱりわからない。

 ──助けた? 誰を? そもそもどうして自分はここに居る? いや、それ以前に……

 

「名前は…………。すみません、俺の名前ってわかりますか?」

 

 ──俺は、誰だ?

 

 青年の質問は、クオークが答えることのできないものだった。

 

 

 ※ ※ ※

 

 

 記憶がない。

 そう理解したのは、青年が目を覚まして二日目のことだった。

 自分の名前がわからない。今まで何をしてきたかわからない。どうしてここにいたのかがわからない。

 ──自分の元の顔も思い出せない。

 

 青年は窓にうっすらと映る自分の顔を見て、ため息を吐いた。

 額から右目辺りにかけて、青年の皮膚はただれている。視界も一部塞がれていて見えづらい。まだ見ていないが、首から背中にかけても火傷の跡があるらしい。

 本当はもっとひどい状態だったらしいのだが、村の医者による治療──魔法でここまで持ちなおしたそうだ。

 

「魔法か。俺からしてみれば、ありえない話だけど……」

 

 魔法。この村では当たり前のことのように話されていた。

 青年自身、魔法という言葉に聞き覚えがないわけではないが、青年の認識では魔法は架空の存在だった。

 これは青年が記憶を失っているためなのか、あるいは……

 

「この村が特殊って可能性もある? いや、今はそんな事よりも……」

 

 この先の生活。それが、今青年が対処すべき問題。

 状況は最悪、とまではいかないが、悪いのは確かだった。青年は自分の手がかりが皆無なのだ。

 突然現れて、娘を助けてくれた、謎の人間。それがこの家での青年だ。

 今はクオークという男の家に世話になっているが、それも長く続くとは限らない。

 クオークは青年のことを知らなかった。赤の他人ということになる。そんな他人の世話を、なぜクオークは行っているのか。

 

 双子の少女を、青年が助けた。

 

 クオークはそう言っていた。

 青年はもちろん覚えていない。彼もその場を見たわけではなく、その助けられた娘から聞いたらしい。

 

「俺が見ず知らずの人をねえ」

 

 青年が助けた二人、レムとラムは青年と面識がなかった。見たことすらないという。となると、青年は赤の他人である彼女らを助けたことになる。

 青年はとてもじゃないが、自分がそんなことをする人間には思えなかった。

 

「あれ、起きているのね」

 

 扉をゆっくりと開けた少女が、表情を変えずに言う。

 部屋に入って来たのは桃色の髪をした少女だった。青年の聞いた話では助けた双子の姉で、ラムという名前だったはずだ。

 

「ラム、さん……」

「敬称はいらないわ。あなたは恩人だもの」

 

 ()()()のね、とラムはわざとらしく付け足した。

 その言い方に違和感を覚えた青年は、思わず口を開いた。

 

「あの……俺は本当に君たちを助けた、のか?」

「それは、どういう意味かしら」

「俺は自分がそんなことをする人間には思えないんだけど……」

 

 青年が何かの理由で大怪我をしたのは確かだ。

 何かの偶然で勘違いされてしまっているのではないか、と青年は続ける。

 

「あなたがラムたちを助けたのは本当よ。()()()()()ラムは、あなたの行為に感謝してる。だから、死にかけのあなたをここまで運んだの。村の人たちは皆あなたに感謝していたでしょう?」

 

 ラムが嘘をついているようには見えない。

 

「確かに、お礼は言われたな」

 

 この二日間で、いろいろな人がお礼を言いに来た。

 村人や村長、村の子供たちと、本当に様々な人が来た。しかしそのお礼のほとんどが、ラムを救ってくれたことに対するものだった。

 

 ──ラムを救ってくれてありがとう。

 ──ラムが生きてて本当に良かった。

 

「レムとラムは、この村で何か特別なのか?」

「特別……そうね。ラムは特別よ。この村の誰よりも」

 

 特別であることを、ラムは何でもないことのように言った。

 

「特別……レムは違うのか?」

「それは……」

 

 言葉が途切れる。

 それが答えだった。

 

「悪いこと聞いたな。ごめん」

「……謝らなくていいわ。レムが普通なの。ラムが他人とは違いすぎるだけだから」

「どこらへんが特別か、聞いてもいい?」

「才能よ。魔法のね」

 

 ラムが語った話は、にわかには信じがたい話だった。

 ここが人間ではなく、鬼という種族の集落だということ。

 鬼族では双子は忌み嫌われ、処分されること。

 レムとラムは本来処分されるはずが、ラムの才能のおかげで例外的に処分を免れたこと。

 そして、レムは自身の才能にコンプレックスを抱いていること。

 

「こんなところね」

「だから村人たちは、ラムのことをあんなに評価してたのか。ぶっちゃけ俺のことをからかってるのかと思ってたよ」

 

 滝を逆流させた話はさすがに馬鹿にしてるのかと思ったが、村人たちがあまりに真剣だったため疑問を口に出せずにいたのだ。

 

「魔法があるって知ったらなんとか納得はできたけど……そもそも初めて知ることが多すぎて……」

「でしょうね。鬼族のことは、本来人に話しちゃいけないことだもの」

 

 あなたも殺されるはずだったのよ、と付け加えられ嫌な汗が流れる。

 

「ラムを助けたから生かされてる、か」

「……そうよ」

「なあ、一つ気になったんだけど、死にかけるほどの状況って言ってたけど……それは魔法でどうにかならなかったのか?」

 

 とてつもない魔法の才があるラムが、死にかけるほどの状況。

 そんな状況を青年一人の力で変えることができるのだろうか。

 ラムが青年に助けられたと勘違いしていることもあり得る。

 そもそもそんな危険な状態になる前に、ラム自身でそれを解決できるような気がするのだ。

 

「そりゃ普通はそんな年だったら誰でも危なくなることはあると思うけどさ……」

 

 村人たちから聞いたラムの評価。

 ラムは魔法だけでなく身体を動かすことも得意らしい。

 組み手では大人たちに交じっても問題ないレベル、むしろ強い部類に入るとすら彼らは言っていた。

 

「ラムは、本当に俺に助けられたのか?」

 

 加えて、ラムの精神的な年齢。

 数日しか関わっていないが、それでもわかる。彼女は見た目の年齢に反して、精神が随分と成熟しているのだ。

 

「ラムの不手際があった。そういう風に皆は言ってたでしょう?」

 

 ラムの含みを持たせる言い方に、違和感を覚える。

 

「一から説明しないと、わからない?」

「…………さっぱりわからない」

 

 ラムはため息をつくと、青年へ寄ってきた。

 

「これは、ラムの独り言よ」

 

 ラムが小声で説明する。

 青年はラムを助けてはいない。しかしラムは青年を殺させないために自分が助けられたと嘘をついた。そうすることで、部外者である青年の命を助けたのだ。

 

「なるほど……?」

「……察しが悪いのね」

 

 しかしそうなると再び疑問が出てくる。

 ラムは何故、青年を助けたかったのか。

 

「なんでラムは、俺を助けたんだ?」

 

 ラムはしばらく黙っていたが、やがて呆れたようにため息を吐いた。

 

「あなたが、レムを助けてくれたからよ」

「俺が、レムを…………?」

 

 妹を助けた恩人を庇う。

 

 ──なるほど、理解はできる。

 

「レムを、俺が助けた」

 

 偶然か、もしくは何か特殊な理由があって、青年はレムを助けた。

 ()()()()()()()()()青年が助かるように、ラムとレム、二人を青年が助けたことにしたのだ。

 特別であるラムを助けた人物なら、扱いは変わる。

 

「ラムの恩人であるうちは、あなたは殺されないわ」

「……今の、聞かなかったことにした方がいいよな?」

「何のことを言っているのかわからないけど、その方がいいと思うわ」

 

 無愛想に見えて、意外と優しい人らしい。

 ラムを助けたというだけで生かされるとは考えにくい。ラム自身もそう頼みこんだのだろう。

 

「俺を助けてくれてありがとう。ラムのおかげで助かった」

「あなたがラムを助けたんでしょう? でも、一応礼は受け取っておくわ」

 

 とりあえず感謝は伝えられた。

 ……これで話を終えてもいいのだが、青年には少し気になることがあった。

 

「その……レムは、大丈夫なのか?」

「レムが? どうして?」

「ラムに迷惑をかけた、っていって落ち込んでるんじゃないか? さっきの話だと自己評価が低いように感じたんだけど……」

「……そういうところは察しがいいのね」

 

 ラムは軽くため息を吐きながらそう零した。

 レムは青年のところへもまだ来ていない。見たのは起きた時の一回のみだ。

 

「レムは優秀よ。ラムから見てもね。でも、レムはそれを認めない。今回のことも、全部自分が悪いと思ってるのよ」

「フォローできればいいんだけど……助けられた状況を知らない俺にできることはあんまりないよな。俺の記憶があればもうちょっと違ったのかもしれないけど」

 

 この状況だとな、とため息を吐く。

 

「悪いけど、あなたにできることはないでしょうね。すぐに解決できる問題なら、ラムが解決してるもの」

「……そうか」

 

 空中に向けられたラムの視線は、誰かを攻めるように鋭かった。




続きます。


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