憑依學園剣風帖(東京魔人学園剣風帖×クトゥルフ神話) (アズマケイ)
しおりを挟む

鬼道編
憑依學園剣風帖


1998年4月某日

 

暖かく強い南風が吹いた。春一番が吹くかもしれないと朝のニュースでやっていたことを思い出す。きっとこれだろう。換気を終わらせるべく窓を閉めはじめる。静寂に包まれている図書室にて、あまりにつよい風に煽られてガタついている窓や錆び付いて閉まらない鍵に悪戦苦闘しながら作業に追われていた。

 

窓の向こうでは、ちらほら登校している生徒が見える。女子生徒は厚手のストッキング等を着用しつつもパステルカラーのコートや小物でだんだん春っぽくなってきた。男子生徒は悪ふざけしながら歩いているためか、団子になっている。今日から新学期だ。

 

東京都新宿区。屋上からは都庁が一望できるその場所に、創立当初からどういうわけか《魔人学園》という奇妙な通称がある高校がある。東京都立真神(まがみ)學園高等学校、図書室の主と化している私の所属する學園である。

 

(あああ......とうとうその日がきちゃった......)

 

嘆くのは心の中。思うのは自由だ。こぼすのはため息だけだ。この學園ですら人外がウロウロしているのでうっかり失言しようものならえらいことになるのである。

 

私が嘆いているのは、これから起こることを知っているからだ。気づいたらこの學園の校長の孫娘になっていたせいでほかの高校にいく選択肢など初めからなかったのである。

 

世紀末があと一年と迫り来る今年。新年早々、北辰が揃うわ、遺体の強奪事件が相次ぐわ、アマツミカボシの封印されている宿魂石が一夜で消失するわ、連日の様にあらゆるメディアで様々な怪奇事件が放送されている。

 

それは龍脈の活性化により奇妙な《力》に目覚めた人々がその《力》を悪用することで引き起こされていた。

 

そして今月中におそらくは呼応するかのように、その身に不思議な《力》を宿した転校生が現れる。彼を中心に《力》に目覚める高校生が次々と現れ、とてつもない動乱が東京都、いや日本全体を包み込むことになるのだ。

 

その動乱の中心に位置する事になるであろう、真神学園の4人はまだそのことを知らない。普通の学園生活を送っている。

 

がらら、と扉があいた。

 

「なに深刻そうな顔して外見てんだ、時諏佐(ときずさ)」

 

私はたまらず身体を強ばらせた。1番聞かれたくない人が背後にいる。

 

「い、犬神先生、はやいですね......おはようございます」

 

「あァ」

 

平然とタバコを吸っているところに時代を感じる。

 

「新聞なんか広げてどうした」

 

「今日もまた事件があったみたいだから気になったんです。こことか」

 

名刀の窃盗事件を指さす私の言葉に険しくなる表情は、心配してくれているのか、はたまた余計なことに首をつっこもうとして、と呆れているのかよくわからない。

 

彼は犬神杜人(いぬがみもりひと)先生。この世界はキラキラネームでなくても難解な漢字や読み方が頻繁にある。そういう人はだいたい重要人物であり、漢字が名を表すのはよくあることだ。

 

真神学園高校3年B組の担任教師で、担当は生物。新聞部顧問だ。ぶっきらぼうで無愛想な言動により、生徒たちからは敬遠されている。時々私の背後から現れて探りをいれるような言動をふっかけてきては、含みのある一言を残して去っていく意味深すぎて怖い人だ。なんでか3年間ずっと担任で困る。校長先生は孫娘が心配でたまらないようだ。

 

ちなみに犬神先生は読んで字のごとく、人狼である。ある人物との約束で、真神学園を守り続けているそうなのだが肝心の人間が誰なのかゲームが発売中止になったため私は知らない。

 

「生徒会の不正会計暴いたくらいじゃ飽き足らないのか、新聞部は」

 

「部費を理不尽な理由で削られたので正当な報復だって遠野さんが言ってました」

 

「ちゃんと部費は支給されたんだろう?」

 

「それでも資金繰りが厳しくて......」

 

「発行回数が多すぎるんだ。2人しかいないんだから、見合った活動をしろと何回いったらわかるんだお前らは」

 

投げやりに言われる。少しは大人しくしろと言外に言われている気がするが、私は直接言葉にされたことにしか反応しない主義なので気づかない振りをした。

 

好奇のまなざしと社交的な笑顔を浮かべる。

 

「だって、結構評判いいんですよ?真神新聞。気合いだって入っちゃいますよ」

 

犬神先生の視線がやわらいだ。肩を竦めて、タバコが2本目だ。

 

「新聞は戻しておけよ。活動は部室でやれ、部室で。続きは放課後にでもやれ。俺はいかないが」

 

「またですか、犬神先生。たまには顔出してくださいよ」

 

「勝手にやるだろ、お前らは。だいたい新聞部の顧問になるのは面倒をかけないという条件だったはずだが?」

 

「それはそうですけど」

 

「大人は忙しいんだ」

 

「そうですか......」

 

「そうだ、いい忘れてた。遠野に旧校舎にはいくなと言っておけ。美里を丸め込んでマスターキー盗むつもりだろうが、あまり面倒事は増やしてくれるなよ?わかったな?」

 

「はあい」

 

「なんだそのやる気のない返事は」

 

「はい」

 

「あまり問題ばかり起こすと校長に迷惑がかかるぞ?」

 

「それは言わないお約束ですよ、先生。それこそ大人の出番じゃないですか。期待してます」

 

「阿呆」

 

「痛い!」

 

わりと強めに頭を叩かれてしまったが、どうせこれから迷惑かけまくることになるのだ。同じだろうに往生際が悪いのはどちらだろうか。そんなことを考えていると睨まれてしまった。そして犬神先生はタバコを消すといなくなってしまった。

 

部室に戻った私は真神新聞の第1号を配りやすいようにまとめていく。部長が番記者とかルポライターとかマスコミ関連の職業でも目指しているため本格的なのだ。この手の話題をふると目を輝かせて語られる。いわゆる情報通だ。

 

「おっはよー、槙乃(まきの)」

 

「あ、おはようございます、アン子ちゃん。真神新聞、ここにまとめておきましたよ」

 

「ありがと~っ!さすがは頼れる副部長ね、やっる~!そうだそうだ、ねえ聞いた、聞いた!?今日、隣のクラスに転校生が来るんだって!!」

 

豪快に扉があいたかと思ったら我らが部長の遠野杏子(とおのきょうこ)が現れた。

 

「アン子」という愛称で呼ばれる眼鏡っ娘であり、真神学園の新聞部を一人で切り回す、好奇心旺盛で行動力豊かな少女だ。特別な《力》は持たないもの、東京に起きる様々な怪事件に首を突っ込み、情報面で緋勇龍麻たちをサポートすることになる。私が新聞部にいるのはそのためだ。

 

「え、転校生ですか?」

 

「ダメじゃない、槙乃~!情報は鮮度が命なのよ!あたし、さっき廊下で職員室はどこかって道聞かれたんだから!」

 

「ええっ、それ本当ですか?」

 

「そうなの、そうなの!あれはかなりのイケメンな気配がするわ!早速取材申し込んで写真取りまくらなくちゃ!今日も張り切っていきましょ!」

 

そういって遠野はカメラを探し始める。なるほど撮影した写真売りさばいて部費の足しにするつもりのようだ。いつもの事ながら要領がいい。そのうち隠し撮りがメインになるんだろう。

 

私はいつものカバンを持って新聞をありったけいれる。

 

「よ~し、新聞部いざ出陣!」

 

「おー!」

 

言うやいなやだっと駆けだした遠野が、あっという間に見えなくなってしまう。私は部室に鍵をかけてあとを追いかけはじめた。

 

「アン子ちゃん待ってくださいっ!階段走ったら危ないですよ!」

 

「大丈夫、大丈夫、慣れてるから~!よっと」

 

生徒がまばらなのをいいことに、遠野は全力疾走だ。私はうっかりぶつかって入れ替わるなんてことになったらシャレにならないのでペースは守る。

 

「槙乃おそーい!転校生見当たらないわ、職員室にいくわよー!」

 

待ちきれなくなってきたのか、手を掴まれてしまった。

 

「えっ、ちょ、アン子ちゃんっ!?」

 

「ほら早く早くはやくー!」

 

玄関近くだからか、生徒がたくさんいる。朝練が終わったらしい。周囲の視線が自然とこちらに向くのがわかる。私は手を振りほどこうとしたが、今の状態の遠野を止められる人間なんて誰もいやしないのだ。さすがは新聞部、部長、文化部にあるまじき走力と握力をお持ちで。

 

「いたい、いたい、いたいですよ、アン子ちゃん!」

 

「ごめんごめん。でもほら、走った甲斐あったわよ、槙乃っ!おーい!さっきの転校生くんっ!!!」

 

遠野の声に気づいたのか、職員室を開けようとしていた男子生徒が手を止めて振り返った。あたりを見渡して自分しかいないと気づいたようで、自分に指をさしている。

 

「そうそう、君だよ、君!よかった、間に合った~!あたしとしたことが名前名乗るの忘れちゃってごめんね!あたしは遠野杏子、アン子って呼ばれてるわ。この子は時諏佐槙乃。あたし達、新聞部なの。よかったら今日、取材させてもらえない?」

 

「あ、そうだ、これどうぞ。お近付きの印に。ほんとは1部50円なんですが、今回は特別に無料でさしあげます」

 

「えっ、ちょっと槙乃!」

 

「私があとで払いますから」

 

「もー、そういうのあんまり良くないんだけどなー!そういうのは部長であるあたしの仕事でしょ!払わなくていいよ」

 

怒涛の自己紹介と質問攻めにキョトンとしていた転校生だったが、私と遠野をみてうなずいてくれた。前髪が異様に長い以外は普通の男子生徒である。一昔前のギャルゲーの主人公みたいな外見だが、なにをかくそう彼が主人公である。

 

「初めまして、アン子さん」

 

「あ、呼び捨てでいいわよ」

 

「じゃあアン子。なんでアン子?」

 

「あー、アンズって書いてキョウコだからよ」

 

「ああ、なるほど。えっと、ときずささん......?」

 

自信なさげな緋勇に私は笑った。口頭では難しいだろう。

 

「時間の時に諏訪湖の諏、補佐の佐。暖炉にくべる槙に乃で、時諏佐槙乃です。筆記試験の度に殺意を覚えるレベルで長いし、いいにくいんですよね。よく言われるんですよ。だから私も槙乃でいいですよ」

 

「ありがとう、助かるよ。ええとじゃあ、あらためて。初めまして、アン子、槙乃。俺は明日香學園から転校してきた緋勇龍麻っていうんだ。こちらこそよろしくね。わざわざ戻って来てくれてありがとう」

 

「いいの、いいの~!転校生なんて珍しいからさ、是非とも取材させてほしいし!約束は早い者勝ちでしょ?緋勇くん絶対女の子人気凄そうだから早めに行動しとこうと思ってねー!ところでひゆうたつまくんか、漢字はどう書くの?」

 

「えーっとたしか、緋色の緋に勇気の勇で緋勇。難しい方の龍に麻雀の麻で緋勇龍麻」

 

「おお~、なんだかかっこいい名前ですね」

 

「漢字もそれっぽいのがポイント高いわ!記念に1枚取らせてよ。はいチーズ」

 

緋勇はどこか照れたように笑った。真正面からみた時だけ端正な顔立ちがみえるのはそういう仕様なんだろう。おかげで実はイケメンに耐性があるはずの遠野が固まっている。みるみるうちに赤くなっていくのがわかった。青春だなあ。

 

「私も1枚取らせてください。はい、チーズ」

 

いつまでも解凍を待っている訳にはいかないので私はデジカメで撮影した。遠野はカメラにこだわっているが私はデジタル機器の方が使いがってがいいので好きなのだ。

 

「はい、取れました。どうでしょうか?」

 

画面をさしだすと緋勇は笑ってうなずいてくれた。よかった。

 

緋勇龍麻の氣は融合と調和とでもいえるような柔らかく淡い《陽の氣》だけで構成された異様なほど清廉としたひかりだった。

 

なるほどこれが主人公のオーラ。貫禄が違う。人間は《陰の氣》と《陽の氣》が表裏一体となることで初めて人間たりえるのに、緋勇龍麻は《陽の氣》そのものだ。まるで神様である。

 

日本書紀に記述されている陽氣のみを受けて生まれた神で、全く陰気を受けない純粋な男性みたいだ。ここまで圧倒されるような氣を持っているとそりゃ人も魔も寄ってきやすいに違いない。

 

あたたかなやわらかいまなざしを感じる。にこやかに歓迎されている。よかった、緋勇龍麻は友好的な性格らしい。

 

纏う氣がやわらかにして凄烈な色を映し、輝くようなアクアマリンの形の定まらない宝石が刻々と新しく生まれでている。よっぽど嬉しいらしい。

 

そりゃあ父親の遺言で18年間普通の生活をしてきたのに、いきなり世界がやばいから救いにいってくれと土壇場で父親の親友を名乗る男からこの學園に送り込まれたら不安しかないだろう。

 

しかも親友はそれから話にかかわってこないし、この學園からの転校生は運命の糸を操るやばいやつで人を操れる《力》をもっていたし。挙句の果てに《力》が暴走して怪物になり目の前で消滅するわけだから。どんな學園だと不安で仕方なかったはずだ。

 

ずっとずっと新しい氣が絶え間なく生まれ続けている。テンションが高い。眩しいなあ。

 

ちなみに氣を見ることができるのは、《如来眼》という龍脈や氣をみる《力》によるものだ。

 

我に返った遠野があわてて撮影している。緋勇は首を傾げている。どうやらこの緋勇龍麻は前の学校ではイケメン扱いされていなかったために鈍感らしい。げせぬ。

 

すると扉があいた。

 

「ふふふ......転校早々お友達が出来てよかったわね、緋勇君」

 

「あ、マリア先生」

 

「おはようございます」

 

「おはよう、2人とも。ごめんなさいね、緋勇君に今から説明しないといけないから借りてもいいかしら?」

 

真っ赤なスーツのナイスバディな金髪美女が緋勇のクラスの担任である。

 

「ええ~」

 

「アン子ちゃん、私たちもそろそろ新聞を配りにいかないと」

 

「そうだけどー......」

 

遠野はがっくり肩をおとした。

 

「時間切れかあ、そっかあ。そうだ、緋勇君!昼休みにでもうちの取材受けてくれない?お近付きの印にお昼奢ってあげるから!」

 

「え、いいのか?」

 

「うんうん、それくらい必要経費!ね、槙乃っ!経費で落ちるよね!?」

 

「犬神先生に聞いてください」

 

「ですよねー!わかってるわよ、いっただけだから!あたし達、隣のクラスなの。というわけで昼休み、迎えに行くからよろしくね!じゃあまたあとでね!」

 

「うん、ありがとう2人とも」

 

緋勇とマリア先生は職員室に消えた。

 

ちなみにマリア先生のフルネームはマリア・アルカード。真神学園高校3年C組の担任教師で、担当は英語。 妖艶な美貌と面倒見の良さで、生徒たちからは絶大な信頼を受けている。主人公たちの「力」のことを知り、常にその身を案じることになる。そして彼女自身にも秘密がある。読んで字のごとく吸血鬼の生き残りであり、色々と悩んでいる妖艶な情婦でもある。私は今のところ目はつけられていないので安心している。

 

「さあて、配りに行きますか」

 

「そうですね、手分けして頑張りましょう」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖2

1980年12月22日。それは時諏佐槙絵(ときずさまきえ)にとって一生忘れることが出来ない日となった。

 

時諏佐家は代々倒さなければならない不倶戴天の敵がいた。その男の名は柳生宗崇(やぎゅう むねたか)。不死身の肉体を持つ紅蓮の髪をもち、恐るべき剣の腕と鬼道の力を持つ男だ。

 

一族に伝わる話によれば、江戸時代末期に柳生家の四男として生まれたが、父の死後の政争で暗殺されかけ、崑崙に救われて不死身の力を得た。龍脈の力で神になることを目論んで数々の陰謀を巡らし、自らの肉体に最強の《力》をもたらすとされた《黄龍》を降ろそうとするも失敗。邪龍と変生した末に、《黄龍の器》の始祖となった緋勇龍斗に討たれた。

 

しかし、不死の力をえていたために龍脈が活性化するたびに復活し、今なおこの世に混沌をもたらさんと画策しているのだ。柳生の目的はただひとつ、その身に《黄龍》を降ろして正真正銘の神となることだった。

 

現代においても龍斗の子孫たる弦麻を初めとした子孫たちと死闘を繰り広げている最中に事件は起こった。教師をしていた槙絵は、《如来眼》という《氣》を見ることが出来る《力》と時諏佐家のネットワークを駆使して仲間あつめに尽力したほか、後方支援の中核にいた。

 

槙絵には18になる娘がいたが、《如来眼》の《力》は隔世遺伝のため娘は事件について直接関わることはなかったが、学業に支障を来さない程度の手伝いをしてくれていた。最終決戦に向け、龍脈の活性化する場所が中国だと判明したため、槙絵たちは弦麻たちの旅路の準備にあけくれていた。

 

そんな矢先、身篭っていた弦麻の妻である迦代(かよ)と病院の付き添いをしていた娘が誘拐されたと連絡がはいったのだ。柳生の支配する組織の手のものだった。ただちに現場に急行した槙絵たちをまっていたのは、自分を庇って捕まったと半狂乱で保護された迦代だった。

 

研究所に突入した槙絵は娘が邪神を降ろす実験体にされ、命をおとしたことを知った。実はそれすら《力》の活性化をうながし、龍脈から自らの強化をはかる柳生の目論見だったとしるのは最終決戦のときである。

 

その研究所はすでに壊滅状態だった。大火につつまれていた。邪神降臨の儀式は失敗したのだ。そこにいたのは、亡骸となった娘を届けてくれた正体不明の女性だけだった。初めこそその歪すぎる《氣》に実験体の生き残りが保護されたのかと思ったが、彼女はその邪神だといいはった。

 

「ふたつだけ、聞いてもいいですか」

 

天野愛だと名乗った彼女はいったのだ。

 

「この子はあなたの娘さんですか、時諏佐槙絵さん」

 

「どうして私の名前を?」

 

「《如来眼》の一族かどうか、教えてください」

 

「ええ、そうよ。たしかにこの子は、私の......」

 

「この研究所は《如来眼》と《菩薩眼》の《力》の持ち主の《遺伝子》を《アマツミカボシ》の器に入れて霊体を降臨させる儀式をしていたんです」

 

「《アマツミカボシ》......!?」

 

その言葉に反応したのは現在に生きる陰陽師を束ねる、若き東の棟梁だった。青ざめていた。

 

「おそらく、この研究所には日本中の《アマツミカボシ》に関する史跡があつめられているはずです。そして《荒御魂》が封じられている《宿魂石》を核にして器がつくられました。それがこの身体。調べてもらってかまいませんよ」

 

天野の申し出に槙絵はきくのだ。

 

「つまり、あなたがその《アマツミカボシ》だというの......?」

 

「ただしくは《アマツミカボシ》の転生体です。私は《アマツミカボシ》ではない」

 

仲間うちにも死の女神の生まれ変わりである女性がいたため、槙絵たちに驚きはなかった。

 

「どうして、ふたりの《遺伝子》を使う必要があったの?」

 

「それは......」

 

天野は言葉を濁した。そして御門家の当主をみる。宮内庁が深くかかわっているのだと悟った槙絵はそれ以上の言及をやめた。最終決戦が近い今、対立の火種となる禍根は残すべきではないと思ったのだ。

 

天野は話し始めた。

 

「私はこんなふうに利用されるのを恐れてずっと逃げていました。こういう形で《アマツミカボシ》として《魂》を引きずり出されたとき、《アマツミカボシ》が激昴したんだと思います。《アマツミカボシ》は子孫の危機を誰よりも案じていたから。それにこの研究所が壊滅したのは、《アマツミカボシ》はある邪神に傾倒した狂信者だったのが原因です。《アマツミカボシ》の信仰する邪神とは違う教団がこの儀式を担っていた。《アマツミカボシ》を降臨させて傀儡にしようとした。《アマツミカボシ》は激昴して邪神を呼び、私が目覚めた時には全滅させた邪神が満足して帰ったあとでした」

 

「あなたは......これからどうするの?」

 

「私はこの世界に望まれて呼ばれた訳では無いですから、帰ろうと思います。2度目がないことを祈っています」

 

天野は研究所跡地に残されていた《門》を起動して、あるべき世界へと帰っていった。槙絵たちは天野の願いを叶えるために儀式に必要な資料を全て焼き捨てた。天野が憑依していた《アマツミカボシの器》は御門家が処遇を決めるということで事件は収束したのだ。

 

そして最終決戦にて弦麻が柳生と相打ちになり封印したことで全ては終わったかにみえた。

 

最終決戦の地となった龍脈を守護していた劉一族が何者かに襲撃されて子供4人以外全滅するという悲劇が起きるまでは。

 

柳生との戦いが次世代に引き継がせてしまったのだと生き残りたちは知ることとなったのである。そして。

 

「───────時諏佐槙絵さん、どうして......?どうして、娘さんを奪った儀式をまたやろうとしたんですか!正気ですか!?なんで誰も止めようとしなかったの!?あんたたち、なに考えてるのよ!!!」

 

儀式を行う寸前に降りてきてくれた天野はそういって叱り飛ばした。

 

「2度目を起こしてしまって、ごめんなさい」

 

愕然としている天野を前に槙絵は心の底から謝った。

 

「時諏佐家の女はもはや当主である私だけなの。《如来眼》の《力》を継承してくれそうな子がいない。だからどうか、力を貸してくれないかしら。私はもう《如来眼》の加護から離れてしまったから......」

 

《力》を継承しそうな者たちを育成する時間があまりにも足りなかった。そんな中、《如来眼》の《力》は老いた槙絵から失われてしまった。完全に詰む寸前なのだと聞かされた天野は目を丸くするのだ。

 

「それ、本当ですか」

 

天野は《如来眼》の役割についてよくわかっているようで、顔色をかえた。そして槙絵の手をとったのだ。

 

「───────わかりました。もとはといえば、娘さんを救えなかった私にも責任はあります。最後までお付き合いしますよ」

 

そういって笑ったのだ。その姿にかつての娘を重ねてしまい、槙絵は天野に抱きついて泣き出したのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖3

昼休みのことだ。

 

「───────マリア先生。この学園に来てから、もう3ヶ月になるんだ。この学園にも慣れてきたころだろう?同僚や生徒たちに慕われている、俺と違ってなかなかいい先生だと評判じゃないか。君もわかってる筈だ。俺の話がわからない訳じゃないだろう。だから今君は悩みが生まれ......」

 

「わからないわッ!傲慢で自分勝手で他人を傷つけてもおかまいなしッ!あなたこそ、それがわからなワケじゃないでしょッ!」

 

「......それだけ動揺しているということは図星というわけだな?たしかに人は弱い。だが、護るべきものがあれば強くも生きられる生き物なんだ」

 

「......だからなに?なんだっていうの?どうしてアナタにそこまで知ったふうな口を聞かれなきゃならないのよッ!それが愛だとでもいうの?」

 

「......さあな。だが、そう呼ぶ場合もあるだろうさ」

 

「アナタの口から愛という言葉が聞けるとは思わなかったわ」

 

「......。とにかく、だ。もう一度よく考えるんだ。まだ3ヶ月ともいえるんだからな、焦らなくてもいいんじゃないのか?」

 

「.....」

 

マリア先生は言葉につまり、そのまま踵を返して去ってしまった。

 

「......なんか、とんでもないもの見ちゃったわね」

 

ちゃっかり写真を取りまくっていた遠野がいうので、私はうなずいた。口許が笑っている。いいネタゲットだとでも思っているんだろう。2人がちらっとこちらを見たのは気のせいではない。2人にはバレバレなはずだが、昼休み中で人通りが少ない廊下を選んだとはいえあんだけ大声で話されたら誰か気づくことにも頭を回して欲しかった。というわけで今回は私も便乗したのである。我に返ったようでなによりだ。

 

人外同士の人間に対するスタンスがぶつかり合っているなかなかシリアスなシーンなのだが、事情を知らない遠野みたいな生徒や先生には痴情のもつれというか修羅場にしか見えない。フラッシュが水をさした形だろうが、これ以上白熱されると校舎内を案内されている緋勇がふたりの秘密を序盤で知ることになってしまうのでそれは2人にとってもいただけないはずだ。

 

「よーし、犬神先生職員室に入ったわね。行きましょ、槙乃」

 

「そうですね、はやく用事をすませなくてはいけません」

 

「そうそう、緋勇君に献上する焼きそばパンは確保出来たんだから、はやく行かなきゃ肝心の取材時間がなくなるわ!」

 

なぜ私達が昼休みにもかかわらず1階にいるのかというと、いざ取材に行こうとしたら、通りかかった犬神先生に呼びつけられてしまったのだ。次の生物の授業で使う教材運びをやれというご指名である。新聞部顧問の権限だからって使いすぎだと思う。実際は情報が欲しいんだろうけど。

 

「失礼しま~す!」

 

「失礼します。犬神先生、荷物を取りに来ました」

 

「ああ、お前らか。ちょうどいいところに来た。荷物ならそこだ」

 

「わかりました!さあて、運ぼっか槙乃」

 

「そうですね」

 

「早くしないと緋勇君の取材の時間が~っ!」

 

「緋勇?なんだ、もう次の新聞記事のネタか?そういや、隣のクラスの転校生の名前がそんなんだったな、たしか」

 

「緋勇龍麻君ですよ、犬神先生」

 

「そうなんですよ~っ!次の号はきっと売上記録更新してみせますからね!期待しててください!」

 

「緋勇、龍麻ね......」

 

犬神先生は歴代の《黄龍の器》と面識があるようだから思うところがあるようだ。どこか遠い目をしている。

 

「それがどうかしたんですか?もしかしてお知り合い?」

 

私の問いに我に返ったのか、犬神先生は頭をかいた。

 

「い、いや......そういうわけじゃなくてだな......莎草が転校した学校も明日香学園だったと思ってな」

 

上手いこと逃げたなと思ったら、遠野が食いついた。

 

「莎草ってあの3ヶ月前に英語の先生怪我させて入院させたあいつですか!?」

 

「先生、まだ戻ってこないまま、マリア先生来てしまいましたよね......」

 

「どうやったのかは知らないけど、あんだけ変な風に曲がっちゃったら戻らないわよね......。転校してくれてホッとしてたけど、そっか、緋勇君、明日香学園の......」

 

「ここだけの話、二度と教壇に立てないそうだ」

 

「ええっ!?」

 

「遠野、時諏佐。緋勇がもし莎草について話を聞きたがるようだったら、この学園にいる生徒はまともだから安心しろと言ってやれ。真神学園の生徒がみんなあいつみたいなやつだと思われたらかなわないからな」

 

「わっかりました~!任せてください!緋勇君にこの学園のいいところ、たくさん教えてあげます!ね、槙乃!」

 

「そうですね。せっかくうちの学園に来てくれたんだから、いい思い出たくさん作って欲しいですし。それなら、美里さんに声掛けた方がいいでしょうか?たしか、隣の席があいてましたよね?」

 

「それほんと?!美里ちゃんが隣の席ってことは、桜井ちゃんも声掛けてくれるだろうし......あーまずいわね、佐久間が喧嘩ふっかけるのが目に見えてるわ」

 

「京一君が声をかけてくれるのでは?」

 

「それで止まるようなやつじゃないでしょ?やばいわね、醍醐君今日来てるのかしら」

 

「教室にいなかったら、レスリングの部室に声掛けてみた方がよさそうですね。またサボって特訓してるのかもしれませんし」

 

「こうしちゃいられないわ、急ぎましょっ、槙乃!」

 

「そうですね。失礼しました」

 

「失礼しましたー!」

 

犬神先生は投げやり気味に送り出してくれた。

 

 

 

 

 

 

 

そして、速攻で生物室に荷物を置きに行った私達だったのだが、二階では残念ながら学校案内され中の緋勇と遭遇することが出来なかった。

 

ずっと背後に感じていたからみつくような独特の《氣》と視線に振り返ってみればクラスメイトがいた。

 

「う~ふ~ふ~、みつかっちゃった~。槙乃ちゃ~んには、かくれんぼはできないね~」

 

「ミサちゃん、こんにちは」

 

「こんにちは~」

 

「そんなところでどうしたの~?アン子ちゃ~ん。誰かさがしてるの~?」

 

「ミサちゃん、ちょうどいいところに!」

 

「霊研はもう終わったのですか?」

 

「うん、今日の分はこれでおしま~い。あ、もしかして、うちに用があったの~?ごめんね~?」

 

申し訳なさそうに間延びした謝罪をしてきたのは、裏密ミサ(うらみつみさ)。真神学園高校3年B組在籍、つまり私たちとクラスメイトでオカルト研究会会長だ。

 

得体の知れない少女だが、古今の魔術・呪術・占術に精通しており、彼女の占いは良く当たると評判である。ちなみ眼鏡をはずすと可愛い。 真神学園の男性陣に恐れられおり、彼らを生贄に悪魔を召喚することに定評がある。

 

卒業後は『新宿の魔女』という占い師でデビュー。高校時代とはまるで別人のように、すらりとした美人になっているのは別の話である。

 

「違うの。転校生の緋勇龍麻君見なかった?教室にいないみたいなんだけど」

 

「実は昼休み中に新聞部の取材をするために、お昼を一緒に食べようと約束しているんです。私達、犬神先生に頼まれた荷物運びをしていたらすれ違ってしまったようで」

 

「なるほどね~。緋勇龍麻君なら~、昼休みに入ってすぐに~うちにきたよ~」

 

「えっ、そうなの!?緋勇君って男の子なのに占い好きなんだ?なんか意外」

 

「怖がってる人多いですもんね」

 

「なにを占ったかは~秘密なんだけど~、うふふふふ~」

 

きらり、と裏密のぐるぐるメガネが光る。

 

「緋勇く~んなら~、京一く~んが~、校舎内案内してる~みたいだったよ~」

 

「そうなんだ、ありがとうミサちゃん。どっちにいったかわかる?」

 

「下かな~」

 

「ええと、最初にここにきて、次に一階......となると......。ああ、完全に入れ違いになってしまいましたね、アン子ちゃん。あとは三階でしょうか?」

 

「三階か~......なんだか嫌な予感がするわ。よりによってなんで京一が案内してるのよ。もー」

 

「行ってみましょう」

 

「そうね、緋勇君に京一の馬鹿がうつらないうちに!」

 

「教えてくれてありがとうございました、ミサちゃん」

 

「ありがとね~!」

 

「どういたしまして~。うふふふふふ。ねえ、槙乃ちゃ~ん。前言ってた新しい本、手に入ったから貸してあげるよ~。また今度霊研に来てね~」

 

「ありがとうございます。またお世話になりますね!」

 

「ばいば~い」

 

私達は三階に向かった。

 

「またオカルトの本借りるの?槙乃ってほんとに怖い話大好きよね。夜眠れなくならない?」

 

「あはは。なんだか惹かれるんですよね」

 

「そこだけがほんと謎なのよね、槙乃って。それ以外は好奇心旺盛ないいとこ育ちのお姉さんて感じなのに。オカルト絡みになるとほんとに生き生きするというかなんというか」

 

「あはは」

 

《アマツミカボシ》の転生体だから仕方ない。そうじゃなきゃ、なにがかなしくて毎晩毎晩儀式を行わなきゃならないんだって話である。この日のためにどれだけハスターの狂信者として呪文を会得したり、《アマツミカボシ》の《力》が引き出せるように努力してきたと思っているのだ。

 

裏密にはこの3年間お世話になりっぱなしなのだ。クトゥルフ神話に関する魔導書を借りたり、いろんな勢力の動向について尋ねたり。未来について知るのに悪魔の力を借りる場合は、どうやらティンダロスの猟犬の対象外になるらしいので大変助かっていた。

 

裏密は初対面のころからルシファーと同一視されることもある《アマツミカボシ》の転生体である私にとても良くしてくれている。

 

遠野がもったいないとぼやいたところで私たちは三階に到着する。教室にはいなかったため、緋勇たちが図書室にいったと気づいた。図書室にいってみるとカウンターから死角になる位置取りでしゃがみこんでいる男ふたりを発見した。遠野が走った。

 

「ホント最低!あんたは女性の敵だわ」

 

「げっ、そのこ───────ぐはっ!!」

 

なにかいう前に男子生徒が宙を舞った。緋勇と私はたまらず目をとじた。嫌な音がした。変な落ち方をしたようで絶叫が響く。

 

「アン子てめえ、何しやがる!オレの顔に傷でも付いたら、どうしてくれんだ。真神一の色男に傷が付いたら、かわいこちゃんが悲しむだろうが!」

 

「な~にが色男よっ!単なる色気づいたサルじゃない」

 

「んだと~!?」

 

「だいたいあんたの品のなさがうつったらどうするつもりなのよ!」

 

「おいそりゃどー言う意味だ、アン子!」

 

「えっ、京一お前、まさか俺に図書室でスカート覗かせようとしてたのか?信じられない。東京怖すぎる」

 

「京一~ッ!」

 

「おいおいおい、なにいってんだよ、緋勇!お前も薄情だな、さっきまであんなに乗り気だっただろうが!女の子がいるからって切り替えるの早すぎじゃね~かっ!」

 

「いやだってあの黄金ストレートはなかなか避けられないって」

 

「だからってなァ!!つかアン子ッ、サルってなんだよ、サルって!」

 

「先輩の彼女寝とった挙句に卒業式で大乱闘したアンタにだけは言われたくないわ」

 

「だ~か~らっ、俺はそういうつもりじゃなくて知らなかったっていってるじゃねーか!だいたいアイツらが最初に手を出してきたんだっての!単なる偶然だっていってんだろーが、人のはなしをきけ!」

 

「あんたと一緒にしないでよ、京一。あんたが緋勇クンに余計なこと吹き込もうとしてるだけじゃないの」

 

「だ~か~ら~っ!」

 

「まあまあ、2人とも落ち着いてください、ここは図書室ですよ。外に出ましょう?ね?」

 

いつまでも言い合いがおさまらないので私はふたりの間に割って入った。

 

「京一君、大丈夫でしたか?」

 

「時諏佐ァ......ほんとお前っていいやつだなァッ!心配してくれるのお前だけだぜッ!」

 

「あ、怪我して......」

 

「ん?あ~いいっていいってこれくらい。舐めときゃ治る。へへへ、ありがとうな!」

 

この男子生徒の名前は蓬莱寺京一(ほうらいじきょういち)。

 

真神学園高校3年C組の剣道部部長で、女好きで軽薄だが義理と友情に厚い、緋勇の親友兼相棒キャラだ。

 

剣術の達人で常に木刀を持ち歩いていおり、戦闘でも日本刀などを使用する。 ラーメンが好物で、特に味噌ラーメンが一番のお気に入り。おかげで今年一年、私達はラーメン屋が拠点となる運命である。

 

ちなみに裏密を怖がっている男子生徒その1である。

 

「騙されんなよ、時諏佐。緋勇もむっつりなだけでスケベだからなッ!可愛い女の子が沢山いて嬉しいって浮かれてるし、マリア先生の未知の領域(おっぱい)大好きだし、ここだって最後まで」

 

「天誅」

 

「ぐはっ!」

 

今度は緋勇の手刀に蓬莱寺が沈んだ。

 

「仕方ないわね、今日のところは槙乃に免じて許してあげるわ。外に行きましょ、外に」

 

「こんのやろォ......覚悟しろよ、緋勇。今に見てろ」

 

「やだなあ、なにいってんだよ、蓬莱寺。こういうのはバレないでやるもんだろ、バレた時点で意味が無いんだよ、愚か者め」

 

「ハッ......た、たしかに!俺としたことが大切なことを忘れてたぜ」

 

「それを口に出す愚かさったら......」

 

「まじでごめんな、緋勇。せっかくのスポット潰しちまって。埋め合わせは必ずするぜ」

 

「うん、楽しみにしてる!」

 

どうやらスケベに関してはオープンかむっつりかの違いがあるだけで、かねがね方向性は同じようだ。仲が良くてなによりである。

 

「で、なんの用だよ?新聞部が二人揃ってわざわざここまで」

 

「あの、京一君。緋勇君の校舎案内は終わりましたか?実は朝取材を申し込んでいまして、緋勇君をお借りしたいんですが......」

 

「そうそう、昼ごはんが報酬代わりだから必ずこなさなきゃならないミッションなのよ」

 

「えっ、そうなのか?なんだよ、緋勇。それならそうと先に言えよなッ!」

 

「でも2人とも来なかったからさ、忙しいのかと思って。それに蓬莱寺のおかげで迷子にならずに済みそうだよ。ありがとう」

 

「へへッ、ならいいけどなッ!」

 

「やっぱり......。ごめんね、犬神先生に雑用頼まれちゃって」

 

「そうなんです。ごめんなさい」

 

「よりによってあの野郎にかよ。......緋勇に嫉妬してんじゃねーだろうな?」

 

「犬神先生ってあの途中で話しかけてきた?」

 

「そうそう、白衣のタバコ吸ってる」

 

「あー」

 

「私達の担任で新聞部の顧問をしていただいてるんです」

 

「だからってこき使いすぎだよな~。こないだだって時諏佐呼び出されてただろ。嫌なら嫌っていえよ?」

 

「無理言って顧問してもらってますから......あはは」

 

「先生いないと部室として認めてもらえないから厳しいのよね~......はあ。あ、いけないいけない、はやく取材始めましょ。新聞部の部室に案内するわ」

 

「行きましょう、緋勇君」

 

「わかった」

 

「んじゃな、緋勇。またあとで」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖4

新聞部の部室にて、昼食もそこそこにICレコーダーを起動させ、私達は緋勇の取材をはじめた。

プロフィールは1980年1月1日生まれ。出身地は奈良県。身長は蓬莱寺より少し高く、体重は平均値。血液型はA型。

緋勇家は代々徒手空拳(としゅくうけん)の古武術を修める家系であり、緋勇を産んですぐ母が亡くなり、父が中国で修行中に亡くなったため親戚に引き取られて育ったという。

「としゅくうけん?」

「手に何も持っていないことをいうんだ。空手とかが近いかな」

「なるほど~。だから京一が男の転校生なのに珍しく世話をやいたってわけね。あいつ、そういうとこあるから~」

「緋勇君が武道に精通していると見抜いたんでしょうね。しせいがいいですし」

「野生の勘だと思うけどね~」

「あはは。醍醐君と仲良くなったのもよく似た理由でしたよね、たしか。喧嘩して」

「緋勇くんも喧嘩ふっかけられたらのしちゃってよ!」

「醍醐?」

「緋勇君、女の子にもてそうですから気をつけてくださいね。あなたのクラスにいる佐久間君はレスリング部の不良なんです。醍醐君は部長をしていますから、なにかあったら頼ってください」

「でもさ、槙乃。緋勇君が古武術使えるなら心配いらないんじゃない?」

「そうだな、心配してくれてありがとう。佐久間ならもう絡まれたよ。美里さんが好きみたいだな」

「あっちゃ~、やっぱり!」

「遅かったですね......」

「売られた喧嘩は買わなきゃいけない時もあるんだ。たぶん放課後あたりには呼び出しくらいそうだけど、その時はその時だろ?意地があるんだよ、男の子にはな」

笑う緋勇は余裕そうである。どうやらこの緋勇は幼少期に父方の親戚に引き取られてからずっと古武術をやっていたようだ。半年前に急ごしらえの古武術を仕込まれたわけではないらしい。

「なるほど、なるほど~。で、ズバリ聞いちゃうけど、緋勇君は高校三年生なんて今の時期にどうして転校してきたの?一ヶ月前にこっちにきたばかりだっていってたけど」

「俺が新聞部の取材を受けたのは、話を聞きたいからなんだ。情報通みたいだし」

「おっと、目付きが変わったわね。そっちが本命?」

「そうだな。俺がこの学園に転校してきたのは、今新宿を騒がせてる猟奇的な連続殺人犯を探すためなんだ」

「えっ」

「それってまさか高校生ばかり狙われている、未だに捕まっていない犯人のことですよね?」

「槙乃の大好きなオカルトがらみの事件だってずっと追いかけてるやつよね、たしか」

「それ、詳しく聞かせてくれないか?」

「わかりました。私が調べたところによると......去年の秋頃、男子高校生三人がある神社で惨殺されているのが発見されたことを皮切りに起きた事件ですね。今でも定期的に起こっているようですが、警察は未だに犯人の特定にはいたっていないようです。新宿を中心に起こっているようですね」

「そうなのか......」

「奈良に住んでた緋勇君がどうしてこの学園に?」

「実は......」

緋勇は口を開いたのだった。



「なにしてるんだよ、莎草(さのくさ)。痛がってるじゃないか、離してやれ」

 

ヘアバンドをしていて、目つきがわるく、女の子を物色している不気味な転校生。それが緋勇の第一印象だったという。手を掴まれていた女子生徒と引き離した緋勇は、転校してきたばかりの莎草を真っ直ぐ見つめた。彼女は駆け足で離れ、友人たちのところに泣きそうな顔をして駆け込む。

 

「なにやってんだよ、莎草」

 

「・・・・・緋勇」

 

「ごめんな、みんな。じゃあ行こうか、莎草。そろそろHRがはじまるし」

 

「うるせえ!」

 

「あ、いっちゃったか」

 

大げさに肩をすくめるとくすくすと教室内に笑い声が広がった。すると一人の男子生徒が近づいてきた。

 

「うちのクラスのことなのにごめんな、加勢できなくて。ありがとう。ええと、たしか隣のクラスの......」

 

「2のBの緋勇緋勇。よろしくな」

 

「オレは比嘉巽(ひがたつみ)っていうんだ。うん、よろしく」

 

「あ~ッ!もしかしてぶつかっちゃったあの時の!?」

 

「えっ、プリント拾ってくれたっていう?」

 

「うん!よかった~、お礼がしたかったの。見つけられてよかった」

 

「どっかで見たことあると思ったら」

 

「あの時はありがとう。放課後にお礼かねて喫茶店いかない?」

 

「え?そんなのいいのに......」

 

「私が気にするの!」

 

「あー、わかったよ。そういうことなら」

 

「俺もなんも出来なかったしお礼させてくれ」

 

「なんだよ、彼氏もちか。浮気はよくないぜ?」

 

幼馴染特有のいきのあった否定に笑う。

 

「じゃあ、どっかいっちまった莎草呼び戻さなきゃならないから、そろそろ行くよ。じゃあな!」

 

緋勇はその場をあとにしたのである。

 

 

翌日

 

 

「じゃあオレ、焼きそばパンとカフェオレな」

 

「オレ、ビビンバとお茶で」

 

「じゃあ俺も瀬間と一緒でよろしく」

 

「お前ら競争率たけえのばっか選ぶなよ!」

 

「いっつもチョキしか出さないお前が悪いか

 

恨み節をきかせつつ購買に駆けていく加瀬を見送り、緋勇は友人たちとしばらく談笑にふける。次の時間は生物だが、同じ階の突き当たりだ。わざわざ急ぐ必要もない。ちらり、と緋勇は視線を走らせた。女子が机を囲ってくっちゃべっている。それに気づいた瀬間がちゃちゃを入れた。

 

「ひーちゃんは誰見てるんですかねー?」

 

「ひーちゃんはやめろっていってるだろ」

 

たし、と教科書でたたく。中学生日記ではあるまいし、誰が誰を好きだとか恋愛模様で盛り上がるなんてどこまでお子様だと笑う。いてえ、と大げさに言った友人に、緋勇も含めてみんな笑った。緋勇は隣のクラスの女子生徒が好きである、ということは、仲間内では暗黙の了解だった。幼馴染でもなければ小中同じでもない。一方的な片思い。ほてる顔をごまかすように、緋勇は笑った。

 

その時だ。女の子たちの悲鳴がした。

 

振り返ると、莎草がいた。東京からの転校生だが、なかなかの無口でぼそぼそとしゃべるやつ。なんか暗そう、くらいしか緋勇は覚えていない。ちょっかいをかけるのは隣の席だからで、中身に引っ張り込めたらさぞかし面白そう、ともくろんでいるからなのだが。

 

なかなかつんでれくんは靡いてくれない。それに最近すねひねくれているのか、女子に対してよろしからぬことをしたり、不穏なうわさがたったりして、孤立を深めている。いくらちょこまかつきまわっても、いずれ払われてしまっていた。

 

じ、と女子生徒たちをなめるような視線で見ている。うわ、変態、とつぶやいた加瀬に、ぼそりと賛同の声。用もないのにクラスを眺め、女子を選別するように見ている。

 

耐えかねたのか、初恋の少女がずかずかと近づいていく。なんか嫌な予感がする雰囲気だと思った緋勇は席を立つ。

 

「あのさ、誰かに用があるの?よんであげようか?」

 

「・・・・・・・」

 

「・・・・・あの」

 

「・・・・・・・」

 

「何しに来たの?」

 

不信感があらわになるが、莎草はうっすらと笑みを浮かべたまま微動だにしない。はっきり言って不気味である。視線が集中しているにも関わらず意にも介さない。

 

「まあまあ、シャイボーイだから、見つめあうとうまくお喋りできないんだよな、莎草。いくらかわいい子が多いからってえり好みは遠巻きにやられよ。な?」

 

「・・・・・」

 

「緋勇くん?」

 

「そーいうわけだからさ、許してやって」

 

「うーん、まあそういうんなら」

 

「な?」

 

「・・・・」

 

「莎草?」

 

ぎろりと睨まれて緋勇は肩をすくめた。彼女はため息をついて、仲間内に戻っていく。しばらく莎草は立っていたが加瀬が返ってくるとそれを察したのか、すたた、と駆け足で後にしてしまった。やがて莎草は去り、そしてパシリのダチが返ってくる。緋勇たちは科学室に向かうことにした。

 

翌日のことだった。初恋の女の子がシャーペンを片目に突き刺し、昏睡状態になって病院に搬送されたのは。

 

「はは、冗談きついって比嘉.....なにいってんだよ」

 

落ち着いて聞けよ、と念を押されて告げられた事件に、緋勇は自分の顔が引きつるのを感じた。

 

「昨日いくら待っても来ないから、女友達に聞きまくってからかわれたってのに。今度はなんだよ、それ。約束すっぽかすようなやつじゃねえのに…自分からカラオケ誘っといてなんだよそれ、はあ?」

 

「緋勇」

 

きつく言われて、我に返る。

 

「わかってるだろうけど、変に気に病むなよ?」

 

「わかってるよ......」

 

受験ノイローゼなんて噂が立っているものの、事故なわけがないだろう、と緋勇は気が立っていた。自分で自分の目を突き刺すなんてどんな衝動だ。

 

あまりにも自分の知る彼女とかけ離れた衝動に、途方もない混乱を感じている。友人たちとどんな会話をして帰ったのか、緋勇は覚えていない。

 

そして自宅にかえり悶々としていたら来訪者がきたのだ。

 

「久しぶりだね、緋勇くん」

 

「先生......どうしたんですか?じいちゃんだったら、たぶん下の畑に......」

 

かつて道場をやっていた祖父の関係で緋勇家を訪れる人は多い。緋勇はあまり詳しくないのだが、本家と分家の関係ではないものの、いわゆる表裏一体、対となる系統の武道がある。先生、とよんだその人は、本家である「風祭家」の門下から独立し、今となっては東京の方で学校の理事長をしているお偉いさんだ。

 

緋勇の父の親友だったという先生は、よく父との思い出を話してくれていた。茶髪にパーマの掛かった長髪、そしてサングラス、あとどこかのやーさんのような風貌。間違いなく第一印象は、あれであろう。

 

「いや、今日は君に用があるんだ」

 

「え、俺に?わかりました」

 

「ああ、お邪魔するよ」

 

ことん、と湯のみが置かれる。

 

「最近変わったことはないかい?」

 

「変わったこと?」

 

「たとえば、そうだね、学校の同級生が奇妙な事故をおこした、とか」

 

「・・・・・なんで知って?」

 

やはりそうか、と憂いを帯びた表情で先生がつぶやいたので、訝しげに緋勇は見つめた。お茶がこころなし生ぬるく感じる。猫舌だからちょうどいいのだが、一息入れた先生が呼びかけたので顔を上げる。

 

「詳しく話すことはできないが、緋勇くん、これについては触れないでくれたまえ。静かに平穏を謳歌するんだ。いいね?間違っても、一時の感情で動いてはいけないよ?」

 

「どういう意味ですか」

 

「君のお父さんの遺言なんだ。普通の生活をどうか歩んでくれ。君はこちらの世界に来てはいけないよ」

 

「はあ。先生はいつもそうですね」

 

昔からどういうわけか祖父の門下に入ることにいい顔をしなかった先生は、ことさらに声を強めることがある。ほほをかいた緋勇は、こうして遠い眼をする先生が苦手だった。

 

こういうとき、彼はきまって父親の面影を見ている。緋勇の中では赤ん坊だった自分を抱いている17年前の父親しかしらない。いいね、と先生は笑った。

 

だが。

 

その翌朝、緋勇がお茶したばかりの比嘉の幼馴染の女の子が莎草率いる不良どもに拉致され。古武術の使い手だと聞きつけた比嘉に援護を求められた緋勇は、そこで奇妙な能力を発動させた莎草に完膚なきまでに叩きのめされた。瀕死の状態で先生に保護されるなど、その時の緋勇に予想できるはずもなかったのである。

 

 

気づいた緋勇は、先生の運営している道場の一室で目を覚ました。どういうわけか、体の違和感はあった。さんざん嬲られたにもかかわらず、思いのほか外傷の少ない体のおかげで簡単に動けていた。自分以外に保護された人間はおらず、どうやら別の場所に拉致されたらしいことを、さんざん問い詰めた結果ようやくはいた先生は、あわてて飛び出していこうとする緋勇を止めた。

 

「莎草は危険な《力》に目覚めている。君では無理だ。やめておきなさい」

 

「そんなことできるか!離してくれよ、先生!見殺しになんかできるわけないだろ、比嘉たちは友達なんだ!」

 

「君は何も知らないからそのようなことがいえるのだ。なんだっていつも自分のことを考えず周りのために危険を冒そうとするんだね。残される人間のことも少しは考えたらどうだ!」

 

「んなもんちゃんと一緒に帰ってくりゃいいだけの話だろ!勝手に殺さないでくれよ!」

 

「だから、君は無知だというんだ。いいかい、莎草は、陰の道に堕ちた。もはや我々のような人間でなければ、対抗はできないのだよ。もはや人ではない。魔人というんだ。人間はもともと陰と陽の気をもち、成り立つ存在だ。陰しかないものに待っているのは、跡形ない消滅だけ。君には耐えられんだろう、莎草はもう帰れない。倒すしかないが、あいつの能力は傀儡だ。非常にやっかいといわざるを得ん」

 

「俺だってじいちゃんから教わった武芸があります!先生のいう《力》って《氣》を用いた特殊な古武術のことでしょう?じいちゃんから教わりましたから!」

 

「......!緋勇先生、いつのまに......」

 

「だいたい父さんと重ねてみてる先生に俺を止める資格なんてないと思いますけど」

 

「............知ったふうな口をッ......。......しかたあるまい、どうしても、というなら、私の門下を倒してみなさい」

 

「まかせてください」

 

闘志にあふれた緋勇をだれに重ねたのか、複雑そうな視線をよこす先生に緋勇以外誰も気づいたものはいなかった。

 

みごと門下生を打ち負かした緋勇は、提供された情報をもとに比嘉達を救出しに向かった。そして数人の不良たちを完膚なきまでに叩きのめし、力におぼれている莎草と対峙する。

 

「なぜだ、なぜお前には糸が見えない!」

 

「糸?ああ、傀儡とかいうやつか。残念だな、莎草。お前とは仲よくなれるっておもってたのに。そんなみみっちい能力に頼らないでかかってこいよ。友達傷つけられて平気でいられるほど、俺は薄情なやつじゃないんでな。歯を食いしばれ、覚悟を決めろ」

 

緋勇を化け物を見るような様子で怯え出した莎草は、突然何かに呼応するように胸を抑える。いやだいやだと何かに怯えるように叫びはじめ、唖然としている緋勇に向かって手を伸ばした。

 

「《力》に目覚めたから、生き延びたのに!いやだ、いやだいやだ、こんなところで死にたくない!」

 

莎草が狂乱状態で叫ぶのだ。

 

狂気が満ちる。狂気と混沌の帳がおりる。何人たりとも逃れる事はできない。お前は相応しいか。闇の世界を生きる者に。《力》を持つに足りうるか。見せてみるがいい。愚かなる人の《力》を。見せてみるがいい。お前のいう人の《力》がどれほどのものか。

 

そういって、赤い髪の男につるんでいた友人たちを皆殺しにされたという。

 

まだ死にたくない、と叫んだ莎草に手を伸ばそうとした緋勇の目の前で、野獣の咆哮とともに、莎草は姿が変わってしまう。禍々しい肌の色をした、それこそ魔人というにふさわしい化け物の姿になってしまう。

 

絶句する二人にとっさに緋勇は逃げるよう指示を出した。

 

そして、心のどこかで助かるんじゃないか、と考えていた自分を叱責して、型をとる。これが初めての緋勇の封魔の戦闘となってしまったのである。

 

「で、俺は先生に無断で父さんの母校だったこの学園に転校してきたんだ。偶然にも莎草の転校する前に在籍していた学校だし、なにか情報がつかめるんじゃないかと思って」

 

「なるほど......」

 

「な、なななんですって~ッ?!うっそでしょ、ここまで槙乃の推理があたってるとか!面白くなってきたじゃない!」

 

「え?し、信じてくれるのか?」

 

「もっちろーん。莎草が連続殺人の最初の事件の被害者だってことは調べがついてんのよ、実は!」

 

「莎草君が不思議な《力》で英語の先生を怪我させたという目撃情報はあったんですが、本人に取材できないまま転校してしまいまして」

 

「犬神先生に止められちゃったのよね~、受験シーズンだから余計なことするなって」

 

「それから新聞記事を探したり、現場にいったりしていたんですが、緋勇君のようにはっきりとした目撃情報は初めてです。赤い髪の男、でしたか。なにか関係ありそうですね」

 

「よかった......じいちゃんの勧めで転校したとはいえ、ほとんど手がかりなかったから安心したよ。ありがとう」

 

緋勇は嬉しそうに笑ったのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖5 転校生完

放課後になった。

 

私達は緋勇がまた佐久間に絡まれていないか心配になって隣のクラスにいそいだ。なんだか教室がざわついている。

 

「なんだか騒がしいみたいですけど、どうかしましたか?」

 

「もしかして緋勇君になにかあったの?!」

 

「あ、槙乃にアン子ッ!大変だよ~ッ、そのまさかなんだ!緋勇君が佐久間たちに連れてかれちゃった!」

 

その時の状況をことこまに教えてくれてるのは桜井小蒔(さくらいこまき)。真神学園高校3年C組で弓道部部長。ボクっ娘で、元気で活発という対照的な性格ながら美里葵の親友でもある。6人兄弟の長女であり、弟想いの心優しく面倒見のよい姉でもある。弓術を身につけ、戦闘時には遠距離攻撃ユニットとして欠かせない存在。宿星は「悌星」。

 

「あ~もう!なんでこんな時に限って京一いないのよ~ッ!」

 

「ごめんなさい、私がいたのに止められなくて......」

 

「葵さんは悪くないですよ。隣の席だからお世話やいてただけなのに、勝手に嫉妬した佐久間君が悪いんですから。ね、元気だしてください」

 

「そうだよ~、もし緋勇君がいなかったら、葵が連れていかれたのかもしれないんだからッ!」

 

どことなく浮かない表情の女子生徒の名前は美里葵(みさてあおい)。真神学園高校3年C組の真神学園の生徒会長を務める才媛であり、容姿端麗にして品行方正、人望も厚く心優しい「学園の聖女」。うん、実に昭和の香りがする。

 

「そうだ、葵ちゃん。醍醐君を今すぐ校舎裏に連れて行ってあげてください!葵ちゃんがいけばきっと醍醐君も緊急事態だってわかってくれますよ!」

 

「それいい考えね。あたし達は先生呼んでくるわ!」

 

「それじゃあボクも葵と一緒にいってくるよッ!葵、いこう!」

 

「みんな......ありがとう。ええ、はやく緋勇君のところへ醍醐君を連れていかなくちゃ」

 

私達は手分けして教室を後にした。

 

「保健室の先生、呼んだ方がいいかもしれませんね」

 

階段途中で私は呟く。

 

「あ、やっぱり槙乃もそう思う?」

 

私はうなずいた。取材で先に緋勇龍麻の《力》について聞いていた私達はどう考えてもただの不良である佐久間たちがどうにかできるとは思えなかった。

 

「緋勇君はきっと《力》を出し惜しみしないはずです。私達があっさり信じたし、受けいれたから。醍醐君たちもきっとそうです。つまり」

 

「あはは、いい気味じゃない。人を好きになるのは勝手だけど自分から声をかけられないからって、仲良くしてる男子に嫉妬してリンチなんて男の風上にも置けないもの」

 

遠野は悪い顔をしている。職員室につくなりマリア先生ではなく犬神先生に声をかけ、一緒に来るよう急かしている。きっと頭の中では物凄い勢いで損得勘定が働いているはずだ。犬神先生がようやく重い腰をあげたとたんに廊下を走っていってしまう。きっと緋勇と助太刀に入った蓬莱寺の大暴れについて激写するはずだ。

 

「遠野のやつ、もう行ったのか......」

 

犬神先生は呆れている。

 

「校舎裏です。行きましょう、先生」

 

「そうだな」

 

玄関で靴をはきかえ、先を急ぐ道中で不意に犬神先生が私に言葉を投げた。

 

「今日転校してきた緋勇龍麻は......あれか。お前が待っていた5人目か」

 

私は笑ってうなずいた。

 

「そうですね、私が見つけた《宿星》の新たな継承者たちです。一堂に会するのはこれが初めてですね。蓬莱寺京一君、醍醐雄矢君、美里葵ちゃん、桜井小蒔ちゃん、そして緋勇龍麻君。これで5人目です。裏密ミサちゃんと私を入れたら7人だけど。よかった、ちゃんと来てくれて安心しました。これで肩の荷がひとつ降りました」

 

「......あいつらは無自覚ではあるが《宿星》の《力》に目覚めつつあるからな」

 

犬神先生の指摘通り、ある者は体の底から力がみなぎってくる不思議な感覚に戸惑い、己を見失うことのない本当の意味での強さを求め。ある者は漠然とした不安に何もかも見失いそうになる錯覚を覚えて、支えてくれる誰かを求め。またある者は大切なものを掴みとり、道を切り開いて進むために使わせてもらうと不敵に笑う。

 

運命の輪はすでに回り始めている。宿命という熾烈な戦いの渦に誰も彼もを巻き込みながら進むだろう。すべては《宿星》の導くままにというやつだ。

 

結局のところ宿命というやつは人の在り方でどうとでも変わるんだけども。

 

「古来より大陸に伝わる地相占術の風水において、《龍脈》とは巨大な《氣》のエネルギーの通路である。そのあまりに巨大な《氣》が及ぼす影響は、しばし歴史の中で人や時代を狂わせて来ました。《龍脈》の《氣》による影響が新宿の人間にも出始めています。古来よりその膨大な《氣》のエネルギーを手にした者は、この世のすべてを手に入れることが出来るといいます」

 

「今回の奴らは若すぎる......本当に大丈夫なのか」

 

「心置き無く戦えるように支援するのが私の役目ですから。違います?」

 

「《アマツミカボシ》が随分と付き合いのいいことだな」

 

「そういう約束じゃないですか。だいたい人のこといえるんですか、犬神先生」

 

「......ふん」

 

「あはは。今年、この東京に眠る《龍脈》は18年のサイクルを経て最大のエネルギーを蓄えつつあります。その《氣》の影響でやがてはこの東京は狂気の坩堝とかすでしょう。それらを統べて《龍脈》の《力》を手にして覇者になるのは誰か見届けたいと思います。覇者になろうとしている柳生を阻止するためにこの東京の《龍脈》により選ばれし《宿星》が再び集うわけです。《龍脈》より得た《力》を使い、定められた宿命に導かれて」

 

私は決意を新たにするのだ。

 

「本来《如来眼》に目覚めるはずだった人間は、18年前に母親が死んだことでいなくなりました。私が知る世界とはすでになにもかもが違っている。《アマツミカボシ》を降臨させようとしたのが誰かわからなかった以上、また何者かが暗躍するのは目に見えていますから。この世界に生を受けることが出来なかった女の子の名前を借りましたからね、少しでも彼女のようになれたらいいなと願っています」

 

「......そいつは初耳だな。《如来眼》の女が槙乃という生徒になるはずだったのか」

 

「あれ、いってませんでしたっけ。実はそうなんですよ」

 

犬神先生はなんとも複雑そうな顔をしている。

 

そして私達はようやく校舎裏にたどり着いた。そして広がる完全にのされた不良たちとぐったりしている今回の騒動の首謀者になるはずだった佐久間の暑苦しい光景。傷一つ負っていない緋勇と蓬莱寺。制止に入るどころか佐久間がやられるまでずっと待っていた醍醐。ハラハラしながら見ていた美里と桜井。そしてカメラかたてにホクホク顔の遠野。

 

「いや、もうひとつの通称を教えてやろう。誰がいいだしたのか、この学園はこう呼ばれるようになった。ようこそ、魔人学園へ」

 

次の号外はこの光景で決まりだなと私は思った。

 

 

1998年、東京。退廃と歓楽、希望と絶望の交差する街───────新宿。その街にある都立真神学園高校。旧い歴史をもつその高校に、ある日、1人の転校生がやってくる。

 

転校生の到来に好奇の瞳を注ぐ級友たち。学園の聖女(マドンナ)と呼ばれる美里葵も例外ではなかった。しかし、それを快く思わない佐久間という不良。

 

放課後、呼び出された平凡なはずの転校生はリンチを受ける瞬間、驚くべき技を見せるのだった。転校生、緋勇龍麻は《氣》を込めて戦う古武道の使い手だったのである。

 

なんてどうだろうか。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖6

旧校舎に肝試し感覚で入る生徒が後を絶たない。数日前から下級生二人組みが行方不明になっている。絶対に旧校舎には立ち入るな。HRで犬神先生が注意喚起している。

 

「特にそこの新聞部2人。いいな?」

 

「は~いッ」

 

「わかりました」

 

「全く......いつもいつも返事だけは1人前......」

 

ためいきをついた犬神先生の話を聞きながら考える。おそらく《龍脈》の影響を受けて突然変異を起こしたコウモリが巨大化して2人を襲ったに違いない。吸血だけで人を死においやったのか、それとも肉食になってしまったのかはわからないが、それが回り回って幽霊騒ぎとなり、暇を持て余している生徒たちの好奇心を刺激しているのだとすれば。それは遠野のスクープを探知する才能を刺激してやまない。もう既にソワソワし始めている遠野が私をちらちらみていた。

 

HRが終わるやいなや、私は遠野に連れ出されて部室に連行されていた。

 

「面白くなってまいりました~ッ!ね、ね、聞いた聞いた?また出たわね、行方不明者!そして幽霊の目撃者が増えてるし!」

 

転校生の緋勇について大々的に取り上げた号外が販売記録を更新した今、遠野はこの流れを断ち切りたくないらしい。いつになくやる気に満ちていた。にもかかわらず目立ったイベントがないために遠野は暇を持て余しているのだ。学校の新聞部だから学校に無理やりにでもこじつけなければならないため、いつでも2人しかいない新聞部は紙面を埋める出来事を求めている。

 

「目撃情報もだいたい集まったし、そろそろ行かない?」

 

「旧校舎にですか?」

 

「うん、そう!やっぱり記事は足で稼いでなんぼよ。ね!」

 

テーブルの上には生徒や教職員からかき集めた噂や目撃情報の取材記録が並んでいる。夜になると黄色い目が見えるとか人影が窓越しに見えたとか目撃した人の話を集めればキリがない。

 

「そうですよね。この噂を聞きつけて、面白半分で旧校舎に入る生徒もいるわけですから、どれだけ危ないか記事にすればみんな入らなくなるはずです」

 

「なるほど~、そんな感じでもっていけば犬神先生のお説教も回避できるかもしれないわね!さっすが槙乃!」

 

「正体見たり枯れ尾花っていいますしね」

 

「そうね!幽霊がいるならいるで大スクープになるし!どっちに転んでもおいしい!ほんとは夏になってからやりたかったんだけど、旧校舎取り壊されちゃうかもしれないしね。四の五のいってられないわ」

 

私達のいう旧校舎とは、真神学園敷地内にある木造の旧校舎だ。普通ならば取り壊して新校舎を立てるのが普通なのだが、今なお保存してあるのだ。さすがに放置するわけにはいかないからか、先日東京都と学校関係者との間で行われた会議で正式に決定されたばかりだ。旧校舎は大正時代に帝国陸軍の士官養成学校として建設されたが、戦後は真神学園の校舎となり、長きに渡って生徒達を見守ってきた。そのため今回の取り壊しの動きが在校生およびOBの各保存会に与えた影響は大きく、すでに歴史研究会とOB会が頑として東京都と学校側に対して反対運動を行っている。

 

実は旧校舎地下には軍の実験用の地下施設がある。下には龍脈の影響を受けた化け物たちがうようよしており、外に出ないように封印がされているのだ。東京都は知っているはずだが担当者が新規の人間なのか、この世界に生まれながら怪奇現象と無縁で生きてこれた幸福な人間のどちらかだろう。

 

旧校舎を壊すのはいいが、地下はどうするつもりなんだろうか。そっちの方が心配である。なにせ具体的になにをしていたのかはわからないのだ。ゲームが発売中止になってしまったために。

 

「鍵はどうします?私達じゃ貸してもらえませんよね?」

 

「いい考えがあるのよ、美里ちゃんにかりてもらうの。美里ちゃんなら私達を心配してついてきてくれるもの」

 

「なるほど」

 

「お礼はちゃんとするとして~......じゃーん。はい御札。祟られちゃいやだもんね」

 

「ありがとうございます。アン子ちゃん、先にいっててもらえませんか?私ミサちゃんに呼ばれているんです」

 

「わかった!後で合流しましょ」

 

私達はいったん別れたのだった。

 

「う~ふ~ふ~、槙乃ちゃ~ん、いらっしゃ~い。待っていたわ~」

 

霊研の扉を開けるなり裏密は独特の笑い声をあげた。

 

「わかってるわ~ミサちゃんにはなんでもお見通し~うふふふふ。うーんどうしようかなあ~、知らない方がいいこともあるわ~。どうしようかなあ~」

 

「ミサちゃん、ご機嫌ですね」

 

「うふふ、うふふふふふ。槙乃ちゃ~んの運勢は~、丑寅の方角に凶の暗示~。近づかぬが吉だけど~、行かない場合は大切な人に~流血の暗示~。背後からの刃に気をつけて~。ミサちゃんから言えるのはそれだけ~」

 

「それって旧校舎の方角ですよね」

 

「そうだね~。だから気をつけて~。これが~この前いってた本だから~持っていって~」

 

Song of Ysteというタイトルの洋書だった。ぱらりとめくってみる。

 

「ええとこれは英語......違うかな、たぶん、ラテン語ですね。ありがとうございます、ミサちゃん」

 

「どういたしまして~うふふふふふふふふ。実は~行方不明になった女子生徒から~もらったんだけど~ミサちゃんより~槙乃ちゃ~んの方が~向いてるって思って~」

 

「えっ、そうなんですか?」

 

「ふふふふふふふふ」

 

《これらはアドゥムブラリにほかならず、この生ける影は信じがたき力と悪意を備え、われらの知る時間と空間の法則に縛られることなし。彼らが楽しみとするところは、他の世界に住むものに恐るべき罠と種々の幻影をしかけ、他の世界に住むものを彼らの領域に引き入れることなり》

 

私は思わず裏密を見た。

 

「まさか幽霊騒動の原因って......」

 

《さらに恐るべきは、彼らがほかの世界や次元に送りこむ探求者であり、

いかなる世界や次元であれ、彼らはその住民の姿に似た、信じがたき力を持つ探求者をつくりあげて送りこむ。これら探求者を看破できるのは達人のみにて、達人の鋭き目には、彼らの姿や動きの完璧さ、尋常ならざる振舞い、異質なオーラと力が、探求者の歴然たる徴なり》

 

ここまで読んで私は遠野たちが無性に心配になってきた。

 

《聖人ジャルカナーンが語るには、これら探求者の一人がナイアグホグアの神官七名をたぶらかし、催眠の術くらべにひきこみたることあり。ジャルカナーンの言によれば、二名が罠にかかり、アドゥムブラリの世界に送りこまれ、影の生物に襲われたる後に死体がもどされたるとや》

 

冷や汗が止まらない。

 

《いかさま面妖なるは死体のありさまにて、一滴の体液とてないにもかかわらず、死体にはいささかの傷もなし。されどこのうえなく怖ろしきは、閉じることなき目と不気味に輝く斑紋にして、目は彼方を凝視しているかのごとくに見え、全身を覆う奇妙な斑紋はうごめくことをやめず》

 

「あの......これってここで行方不明になった生徒たちの末路とかいわないですよね......アン子ちゃん、先に旧校舎に行くって......」

 

「そうなの~?大変だわ~」

 

私は魔導書を握りしめた。

 

それは太古のクトゥルフ神話の魔導書だった。ディルカ一族という最も古い人類の魔術師の一族がかいたものらしい。

 

「......なんでこれを普通の学生がもってるの?」

 

「ほんとに~才能ある子だったのにな~」

 

「さすがは霊研部員......ただものじゃなかったんですね」

 

これはネクロノミコンやエイボンの書と並び称される魔道書だ。一般のオカルト愛好者や最低限必要な背景知識を持たない者にとって、この書物の大部分は退屈極まりなく、読んでも失望するだけだろう。そのほとんどはひどく曖昧なヒンドゥー語の詩の翻訳とありふれた哲学書を混ぜ合わせたようなもので、首尾一貫していない。

 

適切な読み方で解けばイステの歌はすべての偉大な宗教の根本的な教義を肯定するものである。

 

アドゥムブラリという邪神について詳細が載っているところばかり付箋がはってある。

 

それは何処かの次元で青みがかった靄に隠された深遠の奥底に棲息しており、そこを上る事は出来ず水平方向にのみ移動する。垂直移動は出来ないが別な平面に自分の位置を変える事がある。但しこれは意思に依り自在に行われている訳ではない。巨大で漆黒の塊のような姿で、中央から長い触角が伸びている。 イステの歌において「生ける影」と呼ばれ、時間と空間の法則からは自由で信じがたい力と悪意を持つと言う。

 

アドゥムブラリは人間にそっくりな彼等の使者を作って次元を超えて送り込む。これらはシーカーと呼ばれる。犠牲者たちはシーカーの催眠術によりアドゥムブラリの次元に送られ殺された後、体液を全て失い、眼を閉じる事がなく、全身をきらめいて蠢く斑紋に覆われた死体となって帰る。

 

別名〈異次元の吸血の影〉。

 

狂暴で無慈悲な性格で犠牲者を食べる前に狩りを楽しみなぶることもあるという。そして最後には触手をのばし体液をすべて吸い取ってしまうだろう。

 

そうかかれていた。

 

「ミサちゃんより~今の~槙乃ちゃ~んに~必要とされてるから~。今から~旧校舎行くんでしょ~?」

 

「......ありがとうございます」

 

私は笑うしかない。

 

「ほんとに壊しちゃって大丈夫なんでしょうか、旧校舎......」

 

「さあ~?」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖7

「おい、緋勇」

 

「誰かと思ったら京一か」

 

「へへへッ、一緒に帰ろーぜッ。こないだの埋め合わせにな、ちょっと」

 

「お、いいねいいね。ちょっとよる所あるから、それ終わってからになるけどいいか?」

 

「いーぜ、それくらい。実はさ、この時間学校帰りの女子高生がたむろしてる場所があんだよ。こう、アングル的に最高なんだよ、こう地べたにな?もう俺なんて考えただけでヨダレが......」

 

「なるほど、京一は太もも派か」

 

「う~ん、そういわれるとおっぱいも捨てがたい......」

 

「足は?」

 

「足かァ......そーだな、ニーソに勝るモンはねーだろ!」

 

「黒タイツも捨てがたい」

 

「うぐっ、そう来たか!でも絶対領域は聖域だと思うんだよ。ってか、おまえ、もしかして、美里を意識してんのはそういう理由か!」

 

「すぐそうやって結びつけるなよ。美里さんも迷惑だろ。いい加減にしろ」

 

「いや、ごめん、マジトーンで怒るなよごめんて」

 

「俺はただよさについて語ってるだけであってんな邪な目でみてない。見えないから想像力が試されるっつーのに!わかってないな、京一は」

 

「いや、それは違うんじゃ......?ぬををを......なんか力説されるとそういう気もしてきたぜ。つ、強ええ。───────っつーか、緋勇が俺、の想像をはるかに絶する変態なだけじゃねーか!」

 

「振ってきたのはお前だろ、京一」

 

「ってんなこといってる場合じゃねえ、はやくい......」

 

「緋勇くんッいたいた~ッ、帰ってなくてよかったわッ!ねねッ、考えてくれた?今朝の話ッ!」

 

「げっ、アン子ッ!?......お前なァ......いつもいきなり出るなッ!!心臓にわりぃだろーがッ!!」

 

「あらッ、京一いたの?」

 

「いたの?───────じゃねェッ!!はじめからいるだろーがッ!」

 

「京一、あんたカルシウム足んないんじゃない?大の男が細かいことうじうじ言わないの」

 

「お前なァ......」

 

「なに騒いでるの?」

 

桜井たちがやってきて、あっという間に緋勇の回りは華やかになった。

 

「バカはほっといて」

 

「あ?バカだと~ッ!?杏子てめェッ~!」

 

「あたし、緋勇君におりいって頼みがあって来たのよ。新聞部にはいらない?」

 

「な゛~ッ?!!」

 

「実は今この学園内で起きている一連の幽霊騒動について、新聞部で本腰入れてその謎を解明することになったのよ。で、この事件が解決するまでの間だけでもいいわッ!もう頼めるのは緋勇君しかいないのよ!!」

 

「やいアン子ッ!緋勇が何もしらねーことをいいことに、悪名高い新聞部に将来有望な転校生を渡せるかってんだ!だいたい新聞部の良心たる時諏佐はどこいった!」

 

「何言ってるのよ、この騒動はもはやミステリーよ!オカルトよ!怪奇現象よ!!新聞部が動かなくて誰がうごくってゆーの!?槙乃だったら専門家たるミサちゃんに話を聞いてから来てくれるからッ」

 

「......かといって緋勇を巻き込むのはどうかと思うぞ、遠野......」

 

「そうだよ、だって絶対にろくなことにならないよ。ね、葵」

 

「.....ええと......」

 

「葵?」

 

「アン子ちゃんに言われて借りてきたマスターキー、もしかして、旧校舎にいくために......?」

 

「あおい~っ!!」

 

「ご、ごめんなさい、まさかアン子ちゃんが旧校舎に行くつもりだとは思わなくて......」

 

「言ってる傍から美里を丸め込んでるな......」

 

「じゃ、あんた達が頼まれてくれるっていうの?」

 

美里から鍵をもらいながら遠野が辺りを見渡す。幽霊が大嫌いな醍醐と蓬莱寺は壊れた機械のように首を振り、桜井は美里の盾になる。これ以上親友を巻き込まれないようにするためだ。

 

「わかった、協力するよ。そのかわりに怪奇事件について必ず情報くれよな」

 

緋勇の言葉にあたりが凍りついた。

 

「えええええッ!!?」

 

「はいっ!?」

 

「緋勇君......怪奇事件て......?」

 

「なん......だと......?」

 

1番再起動が早かったのは蓬莱寺だった。

 

「ひっ、ひっ、緋勇ッ!!悪いことは言わねェから考え直せっ!この守銭奴に骨の髄までしゃぶられるのがオチだぞッくあっ───────!」

 

「ほんと?男に二言はないわよね、緋勇君!!そうと決まれば即行動よッ!レッツゴー!」

 

「あ、アン子のやつ、どこ蹴ってんだ......急所はだめだろ、急所はっ......男じゃないからって......痛みをしらねえからって容赦ねえなあ......ひ、緋勇は......?」

 

「つ、連れてかれちゃったよ......」

 

「あっというま、だったわ......」

 

「すまん、怒涛の展開すぎてついていけなかった」

 

「ひ、緋勇~ッ!!ばかやろう、お前らなにしてんだ、俺達も行こうぜッ!でないとアン子のヤローに食われちまうぜッ!!」

 

こうして蓬莱寺たちは旧校舎に向かったのである。

 

「だ......醍醐、顔色悪いぞ、お前......」

 

「お前もな......」

 

「たしかに気は進まねーがしかたねぇ......緋勇が変に感化された方がいやだろ......腹くくれよ醍醐ッ」

 

「あ、ああ......わかってはいるんだが、昔から霊の類はどうもな......」

 

「どうしたの、醍醐クン。顔色悪いよ?」

 

「桜井......いや、なんでもない......大丈夫だ」

 

「しっかし、改めて見ると不気味なところだよね。なんでこんなにボロボロなのに今まで取り壊さなかったんだろ?」

 

「歴史的に見て価値があるからと聞いたことがあるわ」

 

「へえ~」

 

「あ、みつけたッ!」

 

「なに、あんた達も来たの?少しは協力する気になった?」

 

「アホかッ!誰がお前の心配するかよッ!俺達は緋勇が心配だから来たんだよッ!でなきゃ誰がこんなとこ来ると思ってんだッ!」

 

叫ぶ蓬莱寺に遠野は笑うのだ。

 

「ふ~ん?ま、いいけど。でも参ったわね、ヘルメット3人分しか用意してないんだけど」

 

「ライトもな」

 

「準備いいなあ、オイ」

 

「結局みんな来てるんじゃない」

 

「女性陣がヘルメット被ったらいいんじゃないか?それでライトは俺達が......」

 

「でもヘルメット足りないし」

 

「う~ん、こうしてみると夜の旧校舎って不気味だねッ!でもボクなら大丈夫だよ、ヘルメットしてたら上手く弓が当たらないかもしれないし」

 

「そう?じゃああたしと美里ちゃんてことで」

 

「あ、ありがとう。アン子ちゃん」

 

「だって緋勇クンほっとけないんだもん。ね、葵」

 

「ええ」

 

蓬莱寺は何故か行く流れになってしまっている状況に軽く絶望している醍醐に声をかけた。

 

「よう醍醐。幽霊嫌いのお前が幽霊退治に参加するとはな。明日は雨か?」

 

「いってくれるな......ここまで関わったんだ、今更後にはひけんだろう......。それに、あいつは不思議なやつだとは思わないか?」

 

「やっぱお前もそう思うか?いつの間にか緋勇中心で動いてるもんな」

 

「ああ」

 

「んじゃあ、ちょっといってくるわ」

 

「ん?」

 

そして蓬莱寺は緋勇のところに詰め寄るのだ。

 

「だーもう、仕方ねえ。ここまできたら引きかえせねーからなッ、付き合ってやるよ!そのかわり!なんでそこまで新聞部に協力する気なのか話せよ、緋勇ッ!!さっき怪奇事件とか意味深なこと口走ってたの忘れてねーからなッ!今更俺達に隠し事はなしにしよーぜ。その怪奇事件とやらが、お前が転校してきた理由となにか関係あるんじゃねーのか?」

 

木刀を突きつけられた緋勇に遠野はいうのだ。

 

「大丈夫だと思うわよ~。ここにいるみんなは槙乃やあたしみたいに信じてくれる子達ばっかりだから」

 

「俺が転校してきた理由は───────」

 

そして、遠野が補足するのだ。

 

「その猟奇的殺人事件は高校の近辺が多くてね、しかも事件が起こる前兆として必ず不可解な現象が起こるとされているの。だからあながち無関係とはいえないのよね」

 

「な......」

 

「だから新聞部に入ろうと思ってさ」

 

「なんだよ、なんだよ、そういうことならなんで俺にいわねーんだよ、緋勇ッ!面白そうじゃねーかッ!俺も混ぜろよ!」

 

「おい、京一」

 

「だってそうだろ?緋勇のやつ一人で猟奇的な殺人事件解決するためにこの学園に一人で乗り込んできたんだぜ?師匠の反対押し切って!俺こういうやつ見ると手を貸したくなるんだよな~!」

 

「京一......」

 

「お前らもそうだろ?ここまで聞いて聞かなかったことにするやつがどこにいるんだよ?なあ?」

 

緋勇は蓬莱寺の言葉をうけて周りを見渡す。醍醐も美里も桜井も、そしてにひひと笑っている蓬莱寺もまた付き合ってくれる気満々なのだと気づいた緋勇は嬉しそうに笑ったのだった。

 

「幽霊騒動がまだ事件の予兆かはわからない。でも、調べるしかないよな。いこうか」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖8 怪異完

旧校舎に入る直前のことは覚えている。世界が白く塗りつぶされたのだ。

目が覚めると見知らぬ空間だった。緋勇たちは固い床に倒れていることに気づいて、続々と起き上がって辺りを見渡す。そこはどうみても旧校舎内部ではなさそうだ。穴が空いていて、地下に落ちてしまった訳では無いらしい。そこが無機質の部屋であることがわかった。

 

光源は見当たらないが、全体的にうすぼんやりと明るい。見たところかなり狭い部屋で、手を動かせば壁にぶつかってしまいそうに見えるが、不思議とぶつかることはない。まるで空間が歪んでいるような、認識でとらえられない歪さ・不気味さを感じる。

 

「見てこれ、なにか書いてあるわ」

 

壁にある黒板にはなにか書いてある。遠野がライトで照らした。文字は汚く、線の太さはまちまちで、まるで何かがのたくった跡のように見える。それは床に落ち、インク溜まりのような、影のかたまりのような黒い集合体になるとスルスルと床を這って台の下に潜り込んでしまう。ボードは気づくと風化しており、見る見るうちに粉になってしまう。

 

「なななッ!」

 

「なにあれ?」

 

緋勇は構えをとった。

 

「気をつけろ、なにかいるぞ!」

 

鋭い声が響いた瞬間に床から黒いものが緋勇たちの影を縫うように現れたかと思うとどんどん近づいてくる。

 

「なんだこりゃッ!?スライムか?」

 

「にしてはペラペラすぎない?」

 

緋勇の動体視力がその動きを正確に捉えて、転がっていた木片を投げつけた。バシャッと赤と黒の波紋がその塊に広がり、しぶきのように辺りに広がる。

 

「気をつけろ、底なし沼らしい」

 

木片が浮かんでこない。醍醐はひきつっている。美里たちは声にすらならない悲鳴をあげる。

 

「まさか人喰い影か?」

 

「でりゃ!」

 

蓬莱寺が近くにあったイスを投げつけた。飲み込んでしまった黒い塊はまたひとつ大きくなる。

 

「げ」

 

「物理攻撃は効かないのか、なら───────ッ!」

 

緋勇は緋勇家直伝の古武道の構えのまま、迅速に《氣》を練り上げる。

 

「これはどうだッ!」

 

桜井たちはソニックムーブをみた。一瞬にして黒い塊が蒸発してしまう。

 

「おおお!」

 

「よっしゃ、それが効くなら話ははええ!」

 

蓬莱寺も緋勇に習って《氣》を木刀に纏わせ、斬撃を放つ。さっきの一撃には劣るが黒い塊には効果抜群のようでどんどん体が小さくなっている。

 

「へ、平面しか移動できないようだな。なら......」

 

醍醐は機転を利かせて、山積みのテーブルを運び出し、並べていく。そしてその上に上るよう美里たちにいった。

 

「ナイスだぜ、醍醐!どうやらこいつらは机の上には登れないらしいなッ!」

 

次第に面積が小さくなってきた黒い塊は、細長い触手を伸ばしながらスルスルと物体の表面を這うように移動するのが見えるようになってきた。

 

「この調子でいけば......」

 

「きゃああああ!」

 

耳をつんざくような悲鳴が隣の部屋から響き渡る。緋勇は即座に扉をあけた。

 

「たすけてぇ───────!!」

 

そこにいたのは数日前に行方不明になったはずの女子生徒だった。体全体に青く輝く斑紋が浮かび上がり、今にも黒い底なし沼に飲み込まれそうになっているではないか。

 

「あぶないッ!」

 

緋勇はあわてて走り出す。

 

「こいつ、人間食いやがるのかっ?!」

 

蓬莱寺もあわてて追いかけていく。

 

「京一ッ!緋勇ッ!」

 

「醍醐はそこにいてくれ!お前だって俺達と似たようなことできるだろッ!」

 

「あ、ああ......」

 

美里は祈るように手を握り、遠野は落ちないよう必死でしがみついている。

 

「2人とも頭伏せて!」

 

桜井が射抜いた矢に付与されていた《氣》が女子生徒を背後から飲み込もうとしていた液体をはじき飛ばす。

 

「ナイスだぜ、桜井ッ!」

 

「大丈夫かっ!?」

 

緋勇が手を伸ばした瞬間に、怯えきっていた女子生徒が歪に笑う。頬に、胸に、手足に、青黒い斑紋が浮かび上がっていく。色味自体も大層グロテスクだが、不思議なことに痣はうっすらと光っている。きらきらと、それはまるで月に照らされる湖面のごとく、肌の上で輝いている。しかも緋勇のてから伝わる振動が波紋のようにゆたっているのだ。その輝く斑紋は動いている。きらきらと輝いて見えるのは、その表面が細かく波打っているせいだった。痣はじわじわと動き、僅かに場所を移動しているのだ。

 

「緋勇ッ!」

 

女子生徒の口が裂けた。皮を内側からむいて行くようにベリベリべりと剥がれていく。蓬莱寺は引きずり込まれそうになっている緋勇の腕を掴んでひっぱりあげようとする。

 

「こいつッ!」

 

「お前が罠に嵌めたのか......旧校舎に入り込んだ生徒をこうして食ったのか......」

 

蓬莱寺は緋勇の静かなる怒りをみた。

 

「許さない......絶対にッ!」

 

その怒りが爆発した瞬間に世界がひび割れた。世界がふたたび白亜に塗りつぶされていく。

 

《目覚めよ》

 

蓬莱寺は、醍醐は、桜井は、そして美里は、声を聞いた。

 

《目覚めよ》

 

緋勇は別の声を聞いた。

  

《戦いを通じて貴公の輝きに惹かれました。 願わくは…その輝きと共に在りたい。 これからは貴公に降りかかる厄災への 逆光となることを誓いましょう》

 

「この声は───────」

 

《我が逆光は汝のためにある─────── 天討つ赫き星》

 

気づけば緋勇たちは旧校舎の中に立ち尽くしていた。強烈な光が瞼を焼いている。どうやら誰かが校庭のライトというライトを付けたらしく、ここまで光が届いているのだ。

 

「槙乃?」

 

「槙乃!!なるほど、槙乃がやってくれたのね!」

 

校舎の窓という窓が内側から吹き飛んだ。

 

「きゃあああ!」

 

「な、何!?何このすごい音ッ!」

 

「まさか本当に幽霊のお出ましかっ!?」

 

「幽霊が出現する時に出るというラップ音......?ちがう......何かが激しくぶつかり合う音......ポルターガイスト現象かもしれないわッ!もしこれが本当にポルターガイストを起こせるほどの幽霊の仕業なら、この世に強烈な恨みを持った悪霊かもしれないってことよ!!気をつけて!」

 

「なっ!?」

 

「うわっ!」

 

「ちいっ、悪霊だか猟奇的な殺人事件だな知らねーがッ正体を表しやがれ!」

 

「京一!」

 

「この蓬莱寺京一様が暴いてやるぜ!」

 

「京一、危ない!」

 

「なっ!?」

 

「京一!」

 

「緋勇クン!!」

 

「......ててて、なにすんだよ緋勇ッ!」

 

「ガラス片が雨あられなのに突っ込むやつがあるか!」

 

「だからって蹴りとばすやつがあるか!《氣》めっちゃ込めやがって!」

 

「ごめんごめん、間に合いそうになくてさ、つい。ほら、立てるか?」

 

「ああ......」

 

蓬莱寺は立ち上がった時に感じた暖かいヌメリに血の気がひく。

 

「ば、ばかやろう、緋勇ッ!お前まで怪我してどうすんだ!ばかやろう、しっかりすんのはお前だ!」

 

「くそっ、誰かいるのか!?」

 

「ば、化け物!?」

 

「緋勇はそこで回復してろ!」

 

蓬莱寺は闇の向こう側を睨みつけた。星あかりだと思っていたが違うのだ。すべて無数の目がある。

 

「お前が全ての元凶かっ!許さねえからなッ!緋勇をあんな目に合わせやがって!たとえ化け物だろーがかかってきやがれ!!」

 

「京一ッ!」

 

「な、なに......今度ななに!?」

 

「あれみて!」

 

「コウモリ?」

 

「いや違うあれは───────」

 

「どこのバットマンだよ、おい!」

 

緋勇たちは無数のコウモリに取り囲まれていた。だが様子がおかしい。次々に障害物にぶつかったり、味方同士攻撃しあったり、酩酊状態のものもいたりしている。どうやら強烈な光にあてられて夜行性で目が弱いコウモリは目を回してしまったようだ。

 

「数が多すぎる。誘導するんだ。まとめて一気に片付けるぞ!」

 

緋勇の指示がとぶ。醍醐はうなずいた。昨日、ガチのタイマンを挑んだはいいものの、一方的に伸されてしまったことを思い出したのだ。緋勇はリングの縁に沿って移動して、醍醐が近づくのを待ってから《氣》を練り上げた足技で醍醐の巨体をふきとばしたのだ。醍醐に対して常にリングの内側に位置するよう心がけ立ち回っていたのが印象的だった。リングに背を向けている状態で攻撃されたら最後、一撃で倒されてしまうことがわかっていたのだ。

 

緋勇は次々に指示を出す。

 

「あの、緋勇君!私も、戦います......なぜか《力》が湧いてくるの。不思議な声を聞いてから。《氣》が使えるようになったみたいで」

 

美里の申し出に緋勇はなにができるのか聞いてから指示を出した。

 

美里は味方の防御を上げて桜井は後方支援。行動力の低い醍醐が彼女たちの壁となりつつ、近づいてきた敵をつぶす。緋勇と蓬莱寺は自分の射程範囲内で、なんとか蝙蝠をしとめる。全部緋勇の指示だった。

 

突然襲われる、という状況下で硬直した体は、指示されるということ以上の解凍方法はない。それだけに集中できるから、楽なのだ。余計なことを考えなくて済む。緋勇は射程範囲を把握しているのか、細かく指示を出してくれるので、今のところ目立ったダメージはない。

 

「きやがったぜ」

 

「・・・でかいな」

 

「どうするの、緋勇君!」

 

「なんでも言って!」

 

後方に控えていた巨大な蝙蝠が僕らの前に進み出てきた。

 

「《氣》を練って同時にぶつけてみよう。ひとり分じゃ微動だにしなさそうだ」

 

「よし!」

 

「まかせろ!」

 

有無も言わさない、でも不快に感じない声。ひきつけるものがあった。言われるがまま醍醐、蓬莱寺が同時に《氣》を放つ。緋勇もだ。その瞬間、放たれた《氣》が共鳴して融合したかと思うと足元に巨大な魔法陣が形成された。なんだなんだと驚いていると3人の脳内に知らない言葉が浮かんでくる。無意識のうちに呟かれた言葉は一気に形となり、大きなコウモリに襲いかかった。

 

一撃で粉砕した。

 

「な、なんだありゃ......」

 

「......すごいな、力がみなぎるようだ」

 

「な、なになにどうやったの3人とも!」

 

「《氣》を同時に敵にぶつけてみてくれ」

 

「わかった!」

 

「はい!」

 

すさまじい光に包まれた大きなコウモリが後ろに弾き飛ばされてしまう。

 

「美里さん」

 

「え、は、はいっ!」

 

「俺達似たような《氣》だから、できるかもしれない。やってみよう」

 

「わかりました!」

 

「いくよ」

 

「はい!」

 

緋勇の読み通り、《氣》はひとつとなり膨大なエネルギーが大コウモリを一瞬で消滅させたのだった。

 

「やった......?」

 

「やったの、ボクたち」

 

「助かった、のか?」

 

「よかった......」

 

「これで一安心だな」

 

「すごーいっ!すごいすごいすごいじゃない、みんな!!ありがとう、ほんとに一時はどうなるかと思ったわ!すごいじゃない、いつの間にそんなすごいことできるようになったのよ!?」

 

ものすごいテンションの遠野が桜井と美里に飛びついてくる。ハイタッチした蓬莱寺は緋勇にチョッカイをかけはじめ、たしなめる声に近付くと醍醐のところに向かう。みんなで生還を労ってから、コウモリたちについて話し始めた。

 

「幽霊騒動の正体はこいつね」

 

「それと、あの黒い気持ち悪いやつ!」

 

「あの変な部屋はなんだったんだ?」

 

「さあ?」

 

「あの目覚めよって声がたすけてくれたのかな?」

 

「目覚めよ?」

 

「ん?緋勇は聞いてないのか?目覚めよって変な声、俺も聞いたぜ」

 

「俺もだ」

 

「私も。だから戦えると思ったの」

 

「ボクもそうだよ」

 

「俺は違った。誰かが俺達の戦いをみていて、力になりたいって言ってくれた。一緒に戦いたいって。それで......」

 

「いわれてみれば最後に見た光はあのライトどころの眩しさじゃなかったな」

 

「影がなくなっちゃうくらいの光だったね」

 

「もしかしたら、そのおかげであの黒いものが倒せたんじゃないかしら」

 

「......ということは、あれか。今までの行方不明者は......」

 

「コウモリか、黒いやつに食われたか、だな」

 

重苦しい雰囲気があたりに漂う。

 

「───────ッ」

 

「美里さん?」

 

突然美里がふらつく。とっさに緋勇が抱きとめた。美里の体が強烈な気のオーラを放ち始めた。連鎖反応で崩れ落ちていく彼らは、いちように意識を失ったのだった。

 

「み、みんな大丈夫っ!?大変だわ、はやく槙乃に知らせなきゃ!」

 

遠野は大慌てで旧校舎をかけおり、途中で犬神先生に見付かってしまったことを謝罪する時諏佐と合流した。

 

そして。

 

「やっとみつけた!先生、犬神先生、こっちです!」

 

遠野が大声で犬神をよぶ。

 

「そんなに騒がなくてもわかる」

 

旧校舎の教室に入るなり犬神は目を見開いた。

 

「こいつら......」

 

時諏佐が1番近くに倒れている美里の脈をとり、呼吸をかくにんする。

 

「大丈夫です、遠野さん。気絶してるだけみたい」

 

「ほ、ほんとに?ほんとに?!よかったあああ......」

 

遠野はその場で泣き出してしまう。時諏佐は遠野を励ましはじめた。

 

(《宿星》の覚醒だけじゃなく、《方陣》まで使いこなすとはな......)

 

犬神の脳裏には緋勇一族の開祖となった青年が脳裏をよぎった。

 

(旧校舎全体の構造を把握するだけじゃなく、こいつらの状態の把握、邪神の祓いもやってのけるとは......これが《アマツミカボシ》の《力》、か。俺達の身勝手で呼んでしまったが......末恐ろしいな。明らかにこいつらの覚醒の速さも《如来眼》に引き摺られている。

約束を果たせなくなった時が来ないことを祈るしかないな)

 

そして息を吐いた。

 

「いつまでも寝られちゃかなわん。たたき起こせ」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

旧校舎地下

翌日の放課後、緋勇たちが新聞部を訪ねてきた。話したいことがあるらしい。隣の教室から無断で椅子を借用したものの、もともとそれほど広い部室ではないため、さすがに7人となると圧迫感がある。遠野は記事にするかはおいといて、私が個人的に調べてきた連続猟奇的殺人事件に繋がる事件がたてつづけに起きたため記録する気満々である。私もみんなの同意をえて録音することにした。

 

《狂気が満ちる。狂気と混沌の帳がおりる。何人たりとも逃れる事はできない。お前は相応しいか。闇の世界を生きる者に。《力》を持つに足りうるか。見せてみるがいい。愚かなる人の《力》を。見せてみるがいい。お前のいう人の《力》がどれほどのものか》

 

これが莎草が傀儡の《力》に目覚めるきっかけになった赤い長髪の男の言葉である。それを反芻するうちに、緋勇はあることに気がついたという。

 

莎草は赤い髪の男に《力》を無理やり与えられた、あるいは無理やり目覚めさせられたのではないか。ほかの3人の男子高校生が男に殺されて、莎草が殺されなかったのは、《力》に目覚めたかどうかではないか。つまり、赤い髪の男は《力》をあたえては猟奇的な殺人事件を起こし、連鎖的に《力》に目覚めた高校生たちに事件を起こさせているのではないか。そう考えたというのだ。《力》に目覚めないとどのみち死ぬ運命だったのだと。

 

莎草は《力》に目覚めたが、怖くなり事件について一切口外しなかった。しかし、傀儡という人の運命を操る糸を操作できる《力》は莎草のただでさえひん曲がっていた性分をさらにねじ曲げてしまった。やがて傷害事件を起こして転校となり、たくさんの人を傷つけた挙句の果てに自分の《力》を制御できなくなり化け物になった。

 

そう考えれば今の状況証拠と矛盾なく説明することができる。

 

「赤い髪の男に《力》を目覚めさせられたんだとしても、化け物になったのは莎草自身の問題だと思うんだ」

 

「つまり......《氣》をつかえていた小蒔たちはともかく、あの声を聞いてから《力》を使えるようになった私は......下手をしたら男子高校生みたいになっていたのかもしれないのね......」

 

美里の顔色は悪い。

 

「赤い髪の男に目覚めさせられたわけじゃないから大丈夫じゃない?美里ちゃん」

 

「でも......《目覚めよ》という声が誰だったのか、わからないままよね?」

 

「それは......」

 

「そういや、緋勇が聞いたっていう声の主も見つからなかったよな~、あのあと」

 

「大丈夫だよッ!莎草はひとりでずっと抱え込んでたけど、葵にはボクたちがいるじゃないか!悩みを共有できる仲間がッ!」

 

「そうだな。《力》に溺れたせいで化け物になるのだとしたら、冷静に話し合える俺達は恵まれているだろう」

 

「緋勇がいなかったら、わけのわかんねーまんま《力》に目覚めてたわけか......ゾッとするぜ」

 

「そうね......緋勇君が莎草君について話してくれなかったら、私は今みたいに落ち着いていられなかったと思う。ありがとう」

 

緋勇は首を振った。

 

「感謝してるのは俺の方だ。なんの確証もないまま奈良から飛び出してこの学園に転校してきた俺からしたら、本当に不安でたまらなかったんだ。受け入れてくれたみんなが《力》に目覚めたのは、みんなにとっては不本意かもしれないけど、俺からしたらうれしい」

 

「へへッ、なんだ。みんか不安だったんじゃねーかッ!話してよかったな!」

 

「そうだな」

 

緋勇は私たちを見渡した。誰も否定的な表情はのぞいていない。

 

「今わかってるのは、赤い髪の男が高校生たちを《力》に目覚めさせて、なにか企んでいることだけだ。みんなが《力》に目覚めてくれたことは俺は悪くないタイミングだと思ってる」

 

「そうだなッ、緋勇は一人じゃないんだ」

 

「そいつを追い詰めることかんがえたら、よかったのかもしれないな。少なくても俺達は戦えるわけだから」

 

「なるほど......たしかにそうだね。新宿にそんなヤバいやつがいるなら、《力》があれば家族や友達を守れるし」

 

「守れる《力》......私は戦えるような《力》ではないけれど、巻き込まれた人を助けられるもの。そういわれると目覚めてよかったかもしれない」

 

「なんで俺達が《力》に目覚めたのかわからない以上、それぞれが納得できるような理由を見つけるしかない。今はそれでいいとおもう」

 

緋勇の言葉にみんな頷いた。

 

「ものは相談なんだけど、今日も旧校舎にいってみないか?地下に陸軍の施設があるっていうなら、あのコウモリや黒い塊はそこにある何かのせいでああなった可能性がある。それに謎の声の正体もわかるかもしれない」

 

「そうだな、あの魔法陣みてーなやつ、他にもできるか試してみてーし」

 

「緋勇のいうことも一理あるな」

 

「ボクも賛成!今更危ないからって言われても仲間はずれはなしだからね?」

 

「私も連れて行って。この《力》をどうして授かったのか私も知りたいの」

 

「よーし、そういうことなら旧校舎の鍵、コピーしちゃう?美里ちゃん、また借りてきてよ」

 

「ええ......いけないことだけど、必要なことだもの。わかったわ」

 

「人目がなくなってからにしようね。部活終わりとか」

 

「そうだな」

 

「これで決まりだな」

 

みんなの話し合いが終わり、私は録音をやめた。

 

「ところで槙乃」

 

「はい?」

 

急に呼ばれた私は緋勇をみた。

 

「聞きたいことがあるんだけど、いいか?」

 

「はい?なんでしょうか?」

 

「実は気になって昨日帰る時に旧校舎をわざと遠回りして出てきたんだ。あらゆる壁にあったはずの何かが全部破壊されていた。そんなことが出来るのは、犬神先生か槙乃しかいないだろ。あの時助けてくれたのは、槙乃なんじゃないのか?」

 

「緋勇くん......」

 

私は目を丸くするしかない。たしかに旧校舎に入る直前に亜空間に転送されるトラップを感知した私は、別の所から入ってその亜空間を発生させていた邪神のトラップを破壊して回ったのだ。旧校舎を探し回っても緋勇たちが見つけられず、邪神を祓うしかないと思って弱点と思われる状況を作り出すために校庭の灯りをつけまくり、消えない不自然な黒い塊を見つけて祓ったのだ。

 

あの時は必死だった。無我夢中だった。犬神先生にスイッチを入れているところを見つけるまではなにを考えていたのか正直覚えていなかったりする。

 

「それに、俺声を聞いたんだ」

 

「こえですか」

 

「《戦いを通じて貴公の輝きに惹かれました。 願わくは…その輝きと共に在りたい。 これからは貴公に降りかかる厄災への 逆光となることを誓いましょう》」

 

「それは......」

 

面と向かっていわれるとなかなか恥ずかしいものがある。みんなの視線が集中するから尚更だ。

 

「あの声は君だろ、槙乃。あの時感じた《氣》は君のものだった」

 

「ほんとなの?槙乃」

 

「あはは......ばれてしまいましたか。実は私も《力》に目覚めたようなんです。私の場合は、《氣》を見ることができるので、皆さんがどこにいるのかはわかりました。でも皆さんの姿がどこにもなくて......。この本、行方不明になった女子生徒のものらしいんですが、血を吸う影という化け物が載っているんです。もしかしたら、と思って怪しいところを壊して回りました。幻覚や催眠術をかけるのが得意とあったので、結界が壊れたのではないでしょうか」

 

「なるほど......世界全体がひび割れたように感じたんだ。やっぱり槙乃が閉じ込められた俺たちを助けてくれたんだな、ありがとう」

 

「なんだよ、なんだよ、みずくせえなッ!なんで言わないんだよ、時諏佐ッ!」

 

「そうだよ、槙乃!なんで今まで黙ってたのさ!」

 

「後で話そうと思っていたんです。そしたら赤い髪の男の話になったので......私がずっと追いかけてきた事件だからつい聞き入ってしまいました」

 

「あー、そっか、なるほど。そうよね、オカルト大好きな槙乃だったら真っ先に喋ってくれるもんね、いつもだったら」

 

「だからってなあ......」

 

「あんな短時間で旧校舎中のトラップを?大変だっただろう。大丈夫なのか?」

 

「あ、はい。あの時は無我夢中だったので正直なところよく覚えていないのですが。大丈夫なようです」

 

「槙乃ちゃんもだったのね......!不安だったでしょうに、1人にしてごめんね」

 

「ありがとうございます、葵ちゃん。でもみんな助かったんですからいいじゃないですか。私はそちらの方が安心ですよ」

 

「そうか......そういうことなら、みんな《力》を把握するためにも一度旧校舎にいってみた方がいいのかもしれないな」

 

そういうわけで私たちは旧校舎の地下に初めて潜入することになったのだった。

 

そこで私たちはいけどもいけども最深部に辿り着かない恐怖を目の当たりにすることになる。《龍脈》の影響を受けておかしくなった動物や引き寄せられてきた悪霊たちを屠るうちに、みんな《力》の使い方がさまになってきた。敵の強さが増してきて、連戦と移動の疲労が蓄積してきたころ、私たちは一度外に出ることにしたのだった。

 

「あら、ずいぶんと早いじゃない。もっとかかるんじゃないかと思ったのに。どうしたの?忘れ物?」

 

まだ夕暮れの旧校舎と入口で待っていた遠野の言葉により、旧校舎地下はどうやら精神と時の狭間的なやばい場所だと気づいた私たちは顔を見合わせたのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

如月骨董店

「《ペンは剣よりも強し》!......な~んてよく言うけどねッ。実際のところその《力》を発揮できる場所なんて本当に限られてくるわ。槙乃の分かるでしょ?あ~あ、あたしにも、目の前の人や、大切な人を護れるイヤなヤツなんてバーン!......ッて、やっつけられる、そんな《力》があったらなァ~」

 

「アン子ちゃん......。そうですね、もしそうだったら私は真っ先にアン子ちゃんに相談していたと思います」

 

「やっぱり~ッ!そうじゃないかと思ってたのよ!オカルト絡みになると目の色変わったみたいに前のめりになる槙乃がめっちゃ大人しいから逆に心配しちゃってたんだからね~?あたしに気をつかってくれたんでしょ?バレバレなんだから!」

 

「あいたっ!」

 

「今の槙乃にはデコピンで十分よ。変なとこで遠慮しちゃってさ~。調子狂うじゃない。あたし達親友でしょ~?《力》があるかどうかで壊れちゃうようなヤワな強度じゃないでしょーに」

 

「アン子ちゃん......。あはは。ほんとにアン子ちゃんにはかないませんね......その鋭さはほんとに天性のものだと思いますよ。私がどれくらい助けられたか」

 

「や、やだ......たしかに変な遠慮はしなくていいとはいったけど、馬鹿正直に真正面から褒め殺しにしないでよッ!槙乃美人だから微笑まれながら至近距離で言われると心臓に悪いんだからッ!」

 

「なんでそんなに距離とっちゃうんですか、傷つきますよ」

 

「笑っていうことじゃないでしょッ!も~!」

 

遠野は私の肩をばしばし叩きながら笑うのだ。

 

「アン子ちゃんは《力》がなくても、私たちと一緒にいられるわけですから、《力》があったら戦う時も一緒にいられるのは間違いないですね。それだけのバイタリティがありますもん」

 

「でしょッ!?槙乃なら、わかってくれるって、おもってたのよ!《力》があれば、あたしも一緒にどこまでもみんなと歩いて行ける。そう、おもうんだけどね~......って、ちょ、ちょっとォ! 何であなたが、そんな顔するの? …もしかして心配してくれた?」

 

「そりゃしますよ、親友ですもん」

 

「フフッ、ありがと。でもきっと大丈夫よッ。もし───────あたしに《力》があったとしても、それに振り回される程、あたしはバカじゃないわ。むしろ振り回してやるのよ!」

 

「あはは。なんででしょうね、簡単に想像ができます」

 

「そしたらさ~、きっと槙乃とも方陣が組めると思うのよ。美里ちゃんや緋勇君みたいにねッ!」

 

「そうですねッ!」

 

「でね、槙乃。あたし達親友なわけじゃない?」

 

「はい」

 

「じゃあなんで王蘭高校の如月君の実家を知ってるのよ?あたし初めて聞いたんだけど?」

 

「如月君のおうちと時諏佐家って昔から付き合いがあるんですよ」

 

「幼馴染とかいうやつじゃないのそれ?」

 

「そうともいいますね」

 

「なんでそんな大事なこと今まで黙ってたのよ、槙乃~ッ!?」

 

「今のアン子ちゃんみたいなことになるからですよッ!バレたら最後骨董店に押し掛ける女の子で営業妨害になるじゃないですかッ!そんなことになったら怒られるのは私なんですよ!」

 

「うっ......一理あるわね」

 

「ただでさえウチの生徒にまた迫られたと愚痴られたばかりなんですよ、私。いつの間にか個人情報が流出してて、霊研で占ったら相性がよかったから恋人にしてくれとかなんとか」

 

「あ~......真神学園でも人気だもんね、如月君」

 

「だからこういう機会でもないと骨董店を他の人になんて教えられないですよ。私が出禁になるじゃないですか」

 

「ふ~ん」

 

「なんですか?」

「いや~、真神学園もなかなかイケメン多いけど、槙乃って噂聞かないから興味ないのはオカルト大好きなせいかと思ってたけど、如月君で目が肥えてるからなのね」

 

「それはないです」

 

「即答なんだ」

 

「幼馴染ですけど、お互いに意識はしてないですよ。だいたい如月君には彼女が......」

 

「えっ、それほんと?」

 

「彼女のひとりやふたりいるでしょう?」

 

「そっちか......」

 

「店先で立ち話をされる身にもなってくれないか?冷やかしなら帰ってくれ」

 

「あ、ごめんなさい、如月君」

 

「やれやれ......めずらしく訪れたと思ったら大所帯じゃないか。なんのようだい、槙乃さん」

 

「私がくる理由はいつも同じですよ、骨董店に用があるんです」

 

「いや、それはわかっているんだが......こんなに大勢なのは初めてだろう」

 

「ひとりじゃ運びきれなくて」

 

「なんだ?時諏佐家の蔵からなにか出てきたのかい?それなら電話のひとつでもしてくれれば......」

 

「出処不明の物品ばかりでして」

 

「......ほう?」

 

私が旧校舎の化け物たちが落としたアイテムを渡すと目の色が変わる。

 

「お茶を出そう。入りたまえ」

 

態度がガラッとかわった如月に緋勇たちは驚いている。

 

如月翡翠(きさらぎひすい)は元禄時代から続く如月骨董品店を若くして営む青年だ。美形であるため王蘭のプリンスと呼ばれているが、店の方が忙しく学校には通っていない。 仲間に武具やアイテムを調達してくれるが、友達価格のサービスは一切してくれない商売人の鏡である。

 

厳格な祖父によって厳しい修行を送ってきたせいか、性格は冷静でかつ実務的。使命感にとらわれやすく、仲間と衝突することもある。

 

先代店主であった祖父は彼に店を譲って数年前に失踪。母は幼い頃に他界、考古学者の父は音信不通で、以来ひとり暮らしを送っている。 徳川幕府に仕える隠密・飛水(ひすい)家の末裔で、水を操る力を持ち、その力で江戸の町を護ることを任務としている。

 

ノリの良さはあるが、仲間であろうと金は取る。 戦闘ではアイテム面では優秀だが、打たれ弱いのが難点。

 

時諏佐家と如月家は新政府の樹立に尽力した実績から今も太い繋がりがあるのだ。そのため如月は幼少期から私《アマツミカボシ》が時諏佐槙乃として《如来眼》の《宿星》の役割を負う為に養女になったことを知っている。彼が私をさんづけなのは、出会ったころから一切外見が変わらないホムンクルスだと知っているからだろう。

 

上客になると察したらしい如月は明らかに態度が改善する。自己紹介をはじめたみんなを見ながら、私は立ち上がった。如月は茶道部の部長だ。茶をいれるということは、準備がそれなりにいるだろう。座布団やらなんやら準備しはじめた私に如月は笑うのだ。

 

「あいかわらず君はよくわからないな......。どうしてそんな親しさでいられるのかよくわからないよ。君の世界で僕と親しかったとしても僕は君を知らないわけだから......複雑にはならないのかい?」

 

「世界が違っても如月君は如月君なわけですから。関係に変化はあれどまた仲良くしたいと思うのが友達でしょう?」

 

「初対面からそういう態度でこられると困惑するしかなくなるわけだが......」

 

「でも悪い気はしないでしょう?」

 

「まあ......否定はしないよ」

 

「私は《アマツミカボシ》の《妙見菩薩》の側面がよく現れていると言われたことがあるんですよ。《玄武》の《宿星》をもつ如月君に与える影響は甚大なものになるはずですからね。迷惑をかけるのはわかってるんだから、少しでも負担を減らしたいと思うのは当然では?」

 

「理屈ではそうなんだろう。だが正直、未だに自覚できないでいる」

 

「これから嫌でもわかりますよ。《宿星》の目覚めは始まりましたから。今日からずっとお世話になると思います。よろしくお願いします」

 

「───────!......ということは、君が連れてきた真神学園の友人たちはただの付き添いというわけではなさそうだね」

 

「そうですね。今日お邪魔したのは、みんなの装備や武器を一式揃えたいからでもあるんですよ」

 

如月は瞬き数回、口元が緩んだ。

 

「なるほど......悪い話じゃなさそうだ。ただ、客人は彼らだからね。いくら槙乃さんの紹介でも僕が力を貸すかどうかは見極めてからにさせてもらうよ」

 

「わかってます」

 

「まあ、悪い予感はしないがね。特に......あの輪の中心にいた緋勇君だったか?彼がリーダーなんだろう?集団の質はリーダーを見ればすぐに分かる。ただ......遠野さん、だったかな。彼女にはくれぐれも骨董店に関することは他言無用で頼むと伝えてくれよ」

 

「わかりました」

 

私は苦笑いするしかないのである。緋勇辺りに伝えたら芋ずる式にみんな総出で記事にするのは止めてくれるだろうから心配は微塵もしていないのだが。

 

「さて、お茶を運ぼうか」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

如月骨董店2

如月骨董店で装備一式を揃えることになった私たちは、装備の仕方なんかを教えてもらいながらちゃくちゃくと準備を進めていた。武器といっても最大25人も仲間になるだけあってすでに品揃えは豊富であり、如月が出さないだけでまだまだある。

 

小甲や日本刀、指輪、足甲、弓、槍、白衣、鞭、帯、忍び刀、銃、薙刀、鈴、バット、靴、リボン、西洋剣、青龍刀、花札、杖、扇。

 

「槙乃はどうするの?美里ちゃんみたいに《力》が中心だからやっぱり指輪?」

 

「そうですね......魔力を増幅させた方がいいと思うので。葵ちゃん、見せてもらってもいいですか?」

 

「指輪ならこのケースって如月くんが......」

 

「槙乃さんは刀の方が馴染み深いんじゃないのかい?時諏佐先生に師事してるじゃないか」

 

「えっ、それほんと!?」

 

「なら、そちらの方がいいんじゃないかしら?」

 

「槙乃剣道やってるの?」

 

「校長せんせってあれだろ?たしか北辰一刀流の師範だって聞いたことあるぜ?おい、時諏佐ァ~?なんでお前新聞部に入ってんだよ、剣道部入れよッ!女子部員が不足してんの知ってんだろ!?」

 

「......余計なことを言ってしまったようだね、すまない」

 

「ほんとですよ、如月君......」

 

私はためいきをついた。

 

「みんなに言わなかったのは、実力が伴ってないからですよ。いくら習う期間があってもおばあちゃんにため息つかれるレベルで下手くそなんですから、勘弁してください」

 

「へえ~?どんくらいしてんだ?」

 

「時諏佐家に養女に来てからだから......何年になるんだろう?ええと......」

 

「おい、京一ッ!」

 

「わあああ、槙乃、ごめんね!」

 

「なーに余計なこと聞いちゃってるのよ、このバカは!」

 

「わ、わりい時諏佐ッ!そういうつもりじゃ......」

 

「あはは、気にしてないですよ。別に隠してるつもりもないですしね。聞かれたから答えただけで。私とおばあちゃん似てないでしょう?私が養女に来たからなんですよ」

 

あっけらかんと笑う私にみんなホッとしたのか息を吐いた。

 

「時諏佐家の跡継ぎが誰もいないからぜひ来てくれって言われたから、今の私はここにいるわけです。それを隠すのはおばあちゃんに失礼ですから。......とはいえ、まさか養女になったその日からあらゆることを叩き込まれることになるとは思いませんでしたけど。あはは......」

 

遠い目をする私になにかを察してくれたようで、みんな同情してくれた。

 

「家族としてみてるからだとわかってるので辛くはないです。ただ才能がからきしだと日々痛感してまして......学校くらい好きにしたいんですよ......」

 

「だがな、槙乃さん。それは今までの平穏な日々だったからよかったんだろう。君たちのやろうとしていることは聞かせてもらった訳だが、近づかれたらどうする気なんだ?美里さんは武芸とは無縁なようだから、無理にとはいわない。だが君は護身くらいできるのではないかな?」

 

「うっ......それは......そうかもしれないですけど」

 

「時諏佐先生は《力》のコントロールをする上で接近戦に対応できるようにと。イメージしやすくなるようにと師事していると聞いたが......違ったか?」

 

「まったくもってその通りです、はい」

 

違うのだ。ほんとうは、違うのだ。ほんとうは、時諏佐槙絵の養女となることが決まり、今の実力を見せてみろと言われた時が原因なのだがいえるわけがない。前に憑依していた《如来眼》の持ち主が諸事情から如月に師事していたため飛水流の忍刀や体術、《ロゼッタ協会》による超実践的な各武術のいいとこどりみたいな戦い方だったために、槙絵の変な火がついてしまったのである。

 

オールマイティ、悪くいえば器用貧乏よりは特化の方が生き残れると経験則から私に対する指導は《力》をより効率的に扱うことに重点が置かれるようになっていた。北辰一刀流もその一環だと師匠はいいはっているがどうも違う気がしてならないのである。

 

「戦いに備えるという意味なら、刀の方を僕は勧めるね」

 

如月の指摘はもっともだから困る。

 

「......わかりました。一度、試してみます......」

 

「ならこっちこいよ、時諏佐。見繕ってやるからさ。こいつ持って試しに構えてみろよ」

 

蓬莱寺が嬉嬉として見つめてくる。渡された木刀を見つめ、私は息を吐いた。

 

《宝探し屋》としてのスキルと幕末の剣聖から直々に剣道ではなく剣術指南された蓬莱寺とは根本的になにかが違う気がするのだが......。

 

言われるがまま構えをとる。蓬莱寺が目を細めた。ニヤッと笑う。

 

「如月、どっかに大きな篭手ないか?」

 

「あるが......」

 

「よこせ」

 

「品物だからな、手荒なまねはよしてくれよ」

 

「大丈夫、大丈夫、ちょっと見るだけだからよ」

 

篭手を投げ渡された蓬莱寺ははめるなり、打ち込んでこいとばかりに促してくる。ちょっと待って、構えてる場所的にすでにどの型でもないんですけど?仕方ないので踏み込んでやる。

 

え?まだやんの?

 

長くない?

 

何分やる気なの蓬莱寺?

 

おーい、蓬莱寺さん?

 

聞こえてる?

 

もしもーし?

 

蓬莱寺は心底楽しそうに笑った。

 

「───────......お前さ、北辰一刀流だけじゃねーだろ?何齧ったらそんな型になるんだ?」

 

好奇心がうずいているのが透けて見える。

 

「北辰一刀流に居合い......?いや違うな、なんだこりゃ?剣道だけのやつがこんだけ動けるわけねーだろ」

 

「そうなんですか?」

 

「そうだよ」

 

「校長せんせおかしくねーか?こんだけ動けんのにためいきとかどんだけスパルタなんだよ。つーか伸びしろあるぜ、時諏佐。校長せんせの教え方と相性悪いんじゃねーか?」

 

「うーん......私はそうは思いません」

 

「なんでだよ」

 

「なんでって、方向性が違うからですよ。おばあちゃんは時諏佐家の跡取りとして、北辰一刀流の虚飾ない実践性を整理して教えてくれているのに、私が型の動きと違う癖がでちゃうから......」

 

「えええ~ッ、なんだよそれもったいね~なッ!?それも大事だろうけど弟子とるならそいつにあった指導ってのが不可欠だろッ?せっかく動けてんだから《氣》の使い方を重点的に教えた方が強くなれるってのに!せっかく《氣》の流れがみえる《力》に目覚めたのに、北辰一刀流の師範代のすることじゃね~なッ!?」

 

「あはは......買いかぶりすぎですよ、京一君。私には身体で覚えさせる方が向いていると判断したんだと思いますよ?技を出す動きが重要だからって」

 

「ん~......校長せんせの考えてることがよくわかんね~なァ......俺なら絶対《氣》の使い方教えるけどな~」

 

「えーっと、京一君。埒が明かないんですが、私に向いてそうなのはどれでしょう?」

 

「あ、そうだな、忘れてたぜッ、わりーわりー。えーっとだなァ.....緋勇、緋勇ッ!あとどんくらい金に余裕ある?」

 

蓬莱寺が緋勇のところにいってしまう。私はとりあえず木刀を如月に返した。

 

「あいかわらず変なところで飛水流の流れが出るんだな、君は」

 

「前の体の持ち主が如月君の弟子でしたからね、仕方ないですよ。癖は似るものです」

 

「う~ん......何度聴いても今の僕が弟子をとる状況というのがよくわからないな。不思議な気分だ」

 

「そりゃあ、2人も幼馴染がいれば如月君もだいぶ違う人生を歩むことになるんじゃないですか?私がいるのといないのとでは交友関係が違っていたように」

 

「そういうものだろうか」

 

「それも人の縁ですよ」

 

それにしても私の武器はいつになったら決まるんだろうか、長引きそうだから困る。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖9

私は生物の準備室に入った。犬神先生がビーカーでコーヒーを飲んでいる。

 

「失礼します」

 

「やっと来たか、時諏佐」

 

「遅れてしまってごめんなさい」

 

「なんだ、校長先生に稽古でもつけてもらったのか?」

 

「えっ、あっ......あ、あははははは......まあ、そんなところです」

 

竹刀袋を隠すように後ろに持ちながら私は笑った。

 

「とうとうばれたか」

 

「バレました」

 

「だから言っただろう、剣道部に入ったらどうだとな」

 

「いつ部活に出られなくなるかわかりませんから......そんな無責任なことできないですよ」

 

「ほんとうにお前は責任感がある生徒でなによりだ。もう少し肩の荷を他人に預けてもいいとは思うが」

 

「新聞部楽しいですよ」

 

「そうか......」

 

「はい」

 

「まあ、本人が好きでやっているのならどうこういうのは無駄だな。ところでだ、時諏佐。俺は蓬莱寺に言わせれば名前通り犬並みの地獄耳らしい」

 

「い、いきなりなんですか、犬神先生?」

 

「犬とはよく言ったもんだろう?蓬莱寺にしては上出来な嫌味だ。まっ、俺は名前通り鼻もきく。だからお前が何か企んででもすぐにわかるってわけだ」

 

「企んでって......私は黒幕じゃないですよ。誤解を呼ぶ言い方はやめてください」

 

「どうだかな......うまいこと緋勇たちを焚き付けてるじゃないか。こないだ熱心にみていた妖刀の盗難事件の記事と夜な夜な旧校舎に入ってるのは無関係だとでもいいはる気か?お前も知ってるとは思うが旧校舎は立ち入り禁止だ。余計な怪我をしたくなければ二度と近づくな」

 

「怪我ですまなくなるから潜ってるんですが......」

 

「それでもだ」

 

「私だけ安全地帯にいることは許されないでしょう、普通」

 

「そうだな、普通は。だがお前は普通じゃない」

 

「そうですけど......犬神先生、それは誰からの言葉ですか?」

 

犬神先生は笑った。

 

「わかってるなら話は聞くものだ」

 

私は肩をすくめた。

 

「前から思ってたんですが、やっぱりおばあちゃん、私に過保護すぎますよね。教職についているから、精神科なんていく暇もないはわかりますけど、狂気は治療しないと常態化したら戻れなくなりますよ」

 

「やけに詳しいじゃないか」

 

「覚えがあるんですよ、この手の狂気には」

 

「なるほど......だがそのトリガーたる君がどうにかしないとならない場合もある」

 

「え」

 

「北辰一刀流の鍛錬でだいぶ薄れてはきているが、君はいかに弱点を最小限のリソースで削りきるか、傍から見たらいかなる方向から即死を狙うみたいな流れになっている。自覚はあるか?」

 

「ええっ」

 

「常人の感性からしたらおかしいだろう。今まで何を相手にしてきたのかと不憫がらせもする。それだけ人間の弱点を狙うのは側から見てると狂気感じる」

 

「......おばあちゃんはまともなんですね」

 

「ああ、このうえなくまともだ」

 

「でも、私が心配なら北辰一刀流ではなくてもっと別のなにかを習わせそうだけど」

 

「ほう?」

 

「そもそも私の《力》による遠距離攻撃を潜り抜けて接近戦に持ち込まれた時点で、相手は私より実力が上のはずです。接近されたら攻撃範囲を私を中心に何度も打ち込めばいいのに、北辰一刀流一辺倒はおかしい。やっぱり狂気入ってますね」

 

私の言葉に犬神は薄く笑った。

 

「そもそも、お前がまっとうな対人稽古を経験しないから、校長先生はことさら不安になるんだ」

 

「......言われてみれば」

 

私は頬をかいた。現地調達が基本のサバイバル仕様の実戦剣術と化人相手の殺し合い経験を積み過ぎているといいたいらしい。犬神先生の指摘ももっともだ。

 

「北辰一刀流の師範代である校長先生だから相手ができる技量だが、それだけに心配がつきんのだろう。身体が追い付いていないのに技量と気迫と殺意が襲ってくるんだからな」

 

「娘が死んだのは稽古つけなかったからだと思い込んでるから、なおさら......?」

 

「わかっているじゃないか」

 

「困りましたね......その場合は、戦いが終わらないと療養ができないパターンじゃないですか......。私と同じパターン......」

 

「お前はその上飛水流の体術なんかを体得しているから、優秀なのは間違いない。だから教えれば必ずものにするだろうという期待もあってスパルタになるんだろう」

 

「あはは......まじですか......」

 

私は頭を抱えた。

 

私が基礎としてきた体術は基本「もっとも合理的に相手を無力化する」技が主体になるので、関節技・投げ技にむえても密着しざまに動けなくなる秘孔を押したり平気でする。剣のつばぜり合い中でも平気でやるので、槙絵が本気で頭を抱えた光景がありありと見えた。

 

「受け継がせたいことと受け継ぐことが乖離ありすぎるんだ。先祖と子孫でなんでそこまで乖離するんだ。やはり1700年は長すぎたか?」

 

「でしょうね......あとは認識の差、でしょうか。おばあちゃん言ってくれたらよかったのに。私は《アマツミカボシ》の《力》そのものが強力だから必要性を感じてなかったけど、おばあちゃんはやらないといけないことが多すぎると思ってたなんて。私、戦いが終わったら帰るっていったのに」

 

「なぜ今回の戦いで終止符が打てると断言できるのかがわからんな。もっとも力のあった幕末の先祖が倒しきれなかった存在を完全に倒しきるなんて想像できるのはお前だけだ。家を残さなければと躍起になるのは人として当然の流れだろう」

 

「ああ......おばあちゃんは初めからそのつもりだったんですね、私を後継者に......」

 

「どこまで鈍いんだ、時諏佐。そうでなけりゃ懸念示した宮内庁側の人間に圧力かけてまで養女にするわけがないだろう」

 

「鈍かったわけじゃないです。私を呼んだ時点で仲間が誰一人反対しなかったから、そうとう追い詰められているんだろうと判断したんですよ」

 

「たしかに誰もが追い詰められていたし、お前のおかげで精神的な余裕ができたのは感謝している。だが、そのために《宿星》が途絶え、知らない誰かに継承された場合、探し出すまでに誰かの手に堕ちたらと想像が容易にできるようになってしまった。ままならんな」

 

「おばあちゃん......」

 

「狂気に侵されていようが、今の状況では至極真っ当な親心だ。それだけは汲んでやれ」

 

ふ、と犬神先生が笑う。つられて振り返ると廊下に人影がある。

 

「中央公園の花見と歓迎会を兼ねた親睦会だったか?遠野とはしゃいでいたが」

 

「はい、京一君の提案で」

 

「なるほどな。桜か。お前は桜は好きか?」

 

「そうですね、春がきたなって思いますよ」

 

「そうか......俺は桜ってのが昔からどうも好きになれん。桜ってのは人に似ている。美しく咲く桜も一瞬のせいを生きる人も。だがどんなにうつくしかろうがいつかは散ってしまうのだ。俺には......俺には散りゆくために無駄に生き急いでいるように思えてならない。散り際を美しいというが、それは死というものを知らない人間の詭弁だ」

 

「なるほど。人間なのに犬神先生のような価値観を持ってしまうと悲劇しか産まないわけですが」

 

「さすが当事者がいうと違うな。たしかにそうだ、不老不死という妄想にとりつかれた奴らがもたらす狂気もまた悲劇しか産まない」

 

「犬神先生ってかなり知名度低い神格でも知っているんですね」

 

「隼人はしっているか?かつていた大和朝廷に対する反乱分子のひとつだ。つまりはそういうことだ」

 

「そうなんですか」

 

「とはいえ、俺も伝説上の存在として伝え聞いた程度だったがな。まァ、お前がいなかったら、この学園は存在しないわけだから、因縁ってのはどう繋がっているのかわかったもんじゃない」

 

「そうですね」

 

「だから、疎かにするなよ、時諏佐。人の縁ってのはいいこともあるが、わるいこともある」

 

「わかりました」

 

「いたいたいた~!こんなとこにいたんだ、槙乃っ!」

 

遠野の呼びかけに私は振り返った。

 

「旧校舎に入っただろう、遠野」

 

「あ、あははは......」

 

「時諏佐はその事情聴取で呼びつけていたわけだが......次はお前だな」

 

「明日!明日にしてください、犬神先生っ!」

 

「しかたないな......時諏佐。今回はこれくらいで勘弁してやろう」

 

「ありがとうございます。失礼しました」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖10

遠野曰く、緋勇の歓迎会は主賓の緋勇、提案者の蓬莱寺、そして醍醐、美里、桜井、遠野、私といういつものメンバーにマリア先生。裏密も誘ったのだが占いで不吉な暗示がでるからと断られてしまったらしい。緋勇はひどく残念がり、裏密は悪い気はしなかったようで代わりに状態異常を治すアイテムをもらっていた。ちなみにそれは熱烈に残念がらないともらえないから仲間になるフラグ立ては順調なようでなによりである。緋勇自身は毒効果の攻撃手段があるやつが襲ってくるんじゃなかろうかという顔をしている。気が気じゃなさそうだ。

 

実際、妖刀にとりつかれたサラリーマンが花見大会のど真ん中で日本刀振り回してどっから湧いてきたのかたくさんの野犬と大暴れするからだいたいあってる。

 

「あ、そうそう。槙乃、これミサちゃんからね」

 

「え、私にもですか?」

 

「うん。槙乃にも良くない暗示がでてるからって」

 

「えええ......」

 

それは真っ赤な水晶だった。ヘマタイトという粉末状になり水につけると真っ赤に染る面白い性質がある成分が僅かに混入し、その鉄分によって赤色の発色を示しているのだ。

 

《如来眼》で見てみるとこの赤水晶は内側からエネルギーが煌々と揺らめいている。割れたら内側から炎が吹き出しそうな勢いだ。どうやら《火神之玉》という火神の霊力が宿った霊玉のようだ。これは文字通り火のダメージを与えるアイテムである。こんな序盤に入手できるようなアイテムではない。

 

「ありがとうございます......」

 

こんな序盤に火が弱点の敵が出るとか言われてもこまるわけだが。緋勇に毒治癒のアイテム渡したから、サラリーマンと野犬がいるのは変わらないとして、追加で敵が現れるといいたいんだろうか。こんなことなら犬神先生の呼び出し無視して裏密迎えに行くんだった、と私はちょっと後悔した。

 

「そこでミサちゃんがいってたんだけど~、剣の暗示だって。それで思い出したのよ、こないだ槙乃がいってたやつじゃないかって。ね?」

 

遠野が後ろを歩いている緋勇たちに声をかける。幽霊が大嫌いな醍醐と裏密が苦手な蓬莱寺はオカルト研究会に連行されたことを思い出したのか顔色が悪い。緋勇がうなずく。桜井は不安そうな美里を励ましていた。

 

それは犬神先生に調べているのを見られて苦い顔をされたニュースだ。2週間ほど前、緋勇が転校してきた日だからよく覚えている。

 

 

今、国立博物館では全国から古い名刀を集めて日本大刀剣展をやっているのだが、そこに展示してあったはずの刀が一振夜のうちに忽然と姿をけしてしまったのだ。未だに犯人は捕まっていない。その盗まれた状況が異常であり、見回りの警備員も気づかず、防犯装置も作動せず、その刀が入っていたガラスケースもロックされたままで外部から刀に触れた形跡は一切無し。文字通りその刀はその場所から消えてしまった。盗まれた刀は室町時代の頃に鍛えられた無銘の刀だが、国立博物館に来る前に納められていた場所がいわく付き。

 

「日光の華厳の滝で古びた日本刀が発見されたのがその消えた刀らしいじゃない。滝壺の奥にあった祠の下に埋まっていた時点でフラグはたってたわけね、封印されてたのを掘り起こしたりするからよ」

 

「そうですね......私が調べた伝承と憶測に過ぎないのですが、日光東照宮の宮司となった男がその刀に操られたことがあり、その《力》を恐れて封じたと聞きましたし」

 

「うん、改めて聞いても明らかにヤバいやつだったわけね」

 

かつて戦国の世の頃にある一振りの刀があった。その切れ味は朝露を切るが如く、刀身は曇ることを知らず。まさに名刀と呼ぶに相応しい刀だったという。でも一方でその刀には不吉な噂がつきまとっていた。その刀は怨念に満ちた妖の刀で、人の血を求め、持ち主の生気を吸うといわれていた。室町時代、伊勢地方で三四代続いたある刀工が鍛えたその刀は江戸時代になり、徳川家に数々の悲劇的な死をもたらした。

 

家康の祖父、松平清康はその刀の持ち主によって殺された。そして父広忠もその刀によって傷を負い、さらに家康の子、信康が切腹に使ったのもその刀だった。

 

偶然かどうかはわからないが、それ以来その刀は徳川を祟る妖刀としてその大半が徳川によって処分された。やがて時代は移り、その芸術性を認められたその刀のうちの一振が後世、徳川との協議によって残されることになった。

 

残すためにはそれなりの条件があった。徳川を祟る妖刀といわれている刀だ。その刀を残す、封印する場所は、東照宮の膝元、つまり徳川の霊的聖地である日光東照宮の支配が及ぶ日光の土地が選ばれた。今までどこにあるかわからなかったが、今回華厳の滝で発見された刀はその妖刀の可能性が高いと専門家はみている。

 

「妖刀村正───────ほんとに実在するなんてね。あの時代は村正はクオリティが高すぎて全国の武将が買い漁ったからなにをするにも村正村正だっただけで、単純にそれだけ普及しただけらしいのに。幕末の志士があやかったのが広がったって思ってたわ」

 

「槙乃が気になってた事件だけあってオカルトじみてたな」

 

「でしょ?」

 

「槙乃ちゃん、槙乃ちゃんも、ミサちゃんの占いはその盗まれた刀が関係あると思う?」

 

美里に聞かれて私はうなずいた。

 

「他に剣の暗示と聞いて思い出せるような事件はありませんし」

 

「そう......そうなの......」

 

「何も知らないまま、巻き込まれるよりは頭の隅にでもおいておいた方が安心できませんか?葵ちゃん。誰かを守れると思いませんか?」

 

「誰かを......」

 

「葵ちゃんがいってたんですよ。素敵だなって思ったから使わせてもらいました」

 

「槙乃ちゃん......ありがとう」

 

「大丈夫、葵ちゃんが不安がるのは無理ないですよ。私みたいにオカルトが大好きだったり、アン子ちゃんみたいに好奇心の塊だったり、緋勇君たちみたいに初めから《氣》がつかえていた訳でもない。葵ちゃんは、ほんとに普通の女の子だった訳じゃないですか。しかも自分の《力》がどんなに怖くてすごいのか客観的にわかっちゃうんですよね。不安で怖くてたまらないけど、みんな誰も気にしてないように見えるから相談しにくいんですよね」

 

「それは......」

 

「緋勇君に相談してみたらどうでしょう?《力》については先輩なわけですし、ちゃんと話を聞いてくれそうですし、口固そうですし」

 

「槙乃ちゃん......ありがとう......。私、一度聞いてみる」

 

「ファイトです」

 

「ええ......ありがとう。頑張ってみるわ」

 

「おーい、2人とも!なにしてんだよ、置いてっちゃうよ!?」

 

校門前で1度解散し、6時になったら現地集合とのことだ。

 

新宿中央公園は、新宿区立の公園としては最大の面積を誇る都市公園だ。西新宿の近代的な高層ビル群に囲まれた場所にありながら、落ち着いた雰囲気で四季折々の豊かな自然が楽しめます。都庁と桜のコラボを眺められるのはまさにここだけ。

 

ソメイヨシノはもちろん、東京都庁を始め、そびえ立つ高層ビル群の中に、大都会のオアシスとして都民に親しまれている、緑豊かな公園でもある。フリーマーケットをはじめ、様々なイベントが開催され、夏に開催されるジャブジャブ池には多くの子供たちの姿がみられる。

 

姉妹都市である長野県伊那市の高遠コヒガンサクラが春の訪れを告げ、園内の植物が四季折々に彩る。そこには鳥や昆虫などの生き物も集っていた。桜特に濃いピンク色で非常にきれいだ。

 

さて、誰かもういるだろうか。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖11

 

「さあ~てッ、と。にっひっひっひっひ」

 

悪い顔をしながらでかい水筒を開けた蓬莱寺は、片っ端からビール缶をあけて中に注いでいく。

 

「醍醐たちにはああ言われちまったが......バレなきゃいいんだよ、バレなきゃ。やっぱ花見は酒がなきゃやってらんねーよなッ!」

 

うんうんひとり頷きながらどんどん空になった空き缶を隣に積み上げていく。

 

「泡が抜けて間の抜けた味になっちまうが......アン子の野郎、マリアせんせー呼びやがってェ。でもなァ、京一様がこの程度で諦めると思ってたら大違いだかんなッ!こんなん泡がたってる麦茶だ、麦茶ッ!30分も放置しちまったらほとんど麦茶だ!」

 

まだ未成年の飲酒に関する規制が本格的になる前なのが幸いだった。コンビニや商店で親の代理として子供が酒やタバコを買える。ついでに認証なしで自動販売機で普通に酒が買えたため、蓬莱寺のように山盛りビール缶を買い占めてもなにも言われなかった。

 

ぽいぽいゴミ箱に捨てながら水筒いっぱいにカモフラージュが完了した蓬莱寺は、立ち上がる。

 

「あーくそー、本当は緋勇たちと飲みたかったんだけどなァ、アン子のやつめ」

 

蓬莱寺が緋勇の歓迎会を兼ねた花見を提案したのは、野郎同士でそれにかこつけて酒が飲みたかったからだ。本能を優先しすぎて、ついうっかり醍醐が強さは心身の健全さからもたらされると本気で信じている真面目実直で頭が硬すぎるやつだと忘れていたたのがそもそもの失態だ。醍醐が仲間を呼んだ。美里、桜井、遠野、あたりはまあ誤魔化せば行けると思ったら、まさかのマリア先生である。あっという間に飲酒追放包囲網が完成してしまったのである。さすがに担任の前で堂々と飲むわけにはいかず、なくなくこんな苦肉の策をとっているわけだ。

 

「緋勇はあとで飲み直そうっていってくれたけどよ~、やっぱ花見しながら飲むのがいいんだよなッ!ったくみんなわかってね~ぜッ!」

 

バレたら没収だが望むところだ、隠れて飲む方が美味いに決まってる。全然懲りていない蓬莱寺はどこまでも能天気だった。

 

「さあて......これだけじゃまずいな。出さなきゃなんね~やつを用意しね~と......」

 

ガサゴソポケットから財布を探す。小銭がジャラジャラはいっている。露天のやつなら1つ2つは買えるだろう、たぶん。簡単に勘定してから歩き出す。

 

「んん?あれは......」

 

暮れていく空を背景に桜は輝いていた。夕陽を受け、花は淡い金色に縁取られ、風が吹くたびに花びらではなく光が零れ散っていた。

 

蓬莱寺に不遜な笑みがうかぶ。桜の花びらはくるくる舞いながら、または子供の頬に涙がころげ落ちるように、無造作に落下していた。その葉が風の吹くたびに震える。やや白っぽい裏を見せて翻る。枝々の間、葉の上を風が渡っていく。目には決して捉えることのできない風が今、ここにいると桜が教えてくれるのだ。

 

どこか暖かい夕日の一片が隠れているような春の長い黄昏の中で、心地よい春の宵の風がほほをかすめた。足音も人声も、春の暮れがたの空に吸われて、音が尖ってきこえず、やわらかい円みを帯びてきこえる。

 

夕陽の当たる斜面では、黄金色の木漏れ日が射している。それに負けないぐらい豪華な黄色い花をつけ、山吹が重そうに枝垂れていた。風のぬるい春の晩が――妙に蓬莱寺の血を駆り立てた。

 

「......時諏佐?」

 

声をかけようとして、寸での所で蓬莱寺はやめた。

 

《私の身体に宿る星よ。どうかこの場の氣をこの瞳に映らせたまえ》

 

なんと言っているのかは距離があってわからないが、その仕草には身に覚えがあった。

 

「はーはーはー、妖刀の《氣》を探して回ってんのか。真面目だねえ」

 

時諏佐が念入りに歩き回っているところからして、旧校舎でよくみる探知をやっているのだろう。時諏佐はアイテムの収集やわかりにくい地形に隠れている敵を探知するのが得意だった。薄暗い洞窟を延々潜っていくため、時諏佐の《力》はとても助かっていた。階層を下る度に仲間たちはバラバラに転移させられるためである。

 

「好きだねえ、ほんとに。そんけーするぜ」

 

ぽんぽん木刀で肩をたたきながら蓬莱寺は呟いた。

 

「ん?」

 

時諏佐がかけあしになる。

 

「なんだなんだ、なんか見つけたのか?」

 

ずううん、と桜の木々が揺れた。

 

「な、なんだありゃ......《氣》を、ぶつけたのか?」

 

桜が土砂降りの雨のように降り出す。

 

「───────っ!?」

 

蓬莱寺は全身の鳥肌がたつのを感じた。

 

「あ、あの野郎......旧校舎と全然戦い方違うじゃね~かッ!個人戦と団体戦の違いかもしれね~けどよッ」

 

いつもの時諏佐とは考えられないような動き......いや、一度だけ蓬莱寺は見たことがあった。北辰一刀流の実力をみせろと焚き付けて篭手を前に打ち込んでこいと誘ったときと全く同じだった。

 

時諏佐の《力》は、《氣》の流れを感知することができる、いわばナビゲーションに特化した《力》だった。支援としては絶大な威力を誇り、旧校舎に潜るには必要不可欠な《力》だった。北辰一刀流を叩き込まれただけあり、《氣》の練り方も攻撃の仕方もそこそこの水準には達していた。

 

時諏佐の《氣》は、なんというか鮮烈だった。美里のような安らぎを与える《光》でもなく、身を焼くような灼熱を伴うのに《炎》でもない、緋勇とよく似ていながら似て非なる、まるで太陽を直視するような強烈な《氣》だった。時諏佐本人の気質とはかけ離れていたが、蓬莱寺はあの日からなんとなくこちらが時諏佐の本質ではないかと思うようになっていた。

 

それが今や苛烈な太陽の灼熱のごとく《氣》が周りを満たしている。《氣》が変質したのだ。

 

《人の手には過ぎた力。神にすら届く刃》

 

《飢えたか。欲したか。訴えたか》

 

《ならば、くれてやろう。受けとれ》

 

《そして、ようこそ》

 

雰囲気が一転した。時諏佐がなにかしたのはわかった。時諏佐の《氣》のバランスがおかしい。蓬莱寺のいる場所からでもわかる。時諏佐の竹刀入れが宙を舞う。また桜の木が揺れた。

 

「なんだありゃ......野良犬?」

 

それは時諏佐が両断した瞬間に、ぶわっと黒いなにかがあたりに散ったことで違うのだと蓬莱寺は悟る。

 

「うっげ、なんだよあれ、きもちわりい!」

 

それは野良犬が擬態を解き、無数の蟲が群がって融合していた化け物だった。時諏佐が《氣》を纏わせた木刀ではじき飛ばし、焼いていく。連結させて構成した腕による鞭や、背中から生やした無数の触手をばっさばっさと切り捨てていく。だが耐久力は極めて高いようで、逃げてしまった。時諏佐は斬撃を飛ばしたが、蟲たちの一部を焼いただけだった。

 

「冗談だろ」

 

思わずそんな言葉がでていた。《力》を使うとき、蓬莱寺たちはかならず《氣》をためて、たかめて、練り上げて、放出する段階があるものだ。練度があがるたびにその時間は短縮されていくものだが、時諏佐は違った。なんというか、バケツをひっくり返したかのような乱暴さがあった。そうでなければ意識的に、あれ程素早く連続して桁違いの《氣》を撃ち出したことになる。どれほどの殺意があれば可能になるだろうか。

 

「いや、冗談なんかじゃねーな......俺は見た覚えがあるぜ」

 

旧校舎に潜んでいた吸血する影とかいうふざけた化け物に閉じ込められていたとき、結界を破壊したと時諏佐はいっていたがあの強烈な光はそんなもんじゃなかった。

 

「そうそうそうだ、思い出したぜ。あんとき感じた《氣》は......今の時諏佐と同じか。なるほど、緋勇がいってたのはそーいうことかッ!」

 

蓬莱寺は笑っていた。抗いがたい引力が自分を捉えていることを自覚する。

 

つまり、あれだ。時諏佐はああいう化け物と戦ってきたからあれだけ動けるのだ。蓬莱寺たちのように仲がいい友達が巻き込まれるたびにああやって倒してきたのだとしたら、殺意が濃厚になるのも当然だ。行方不明者を多発させたあの吸血する影に対する緋勇のように。時諏佐にとっては不倶戴天の敵なのである。

 

「なるほど......だからあんだけどっからでも殺そうとしやがるのか、自然体で。面白くなってきたじゃね~か」

 

蓬莱寺は足音を忍ばせながら、竹刀入れをぬく。そして《氣》をこめて走った。

 

「───────ッ!?!」

 

持ち手をはじき飛ばして切りかかろうとした時諏佐は蓬莱寺をみて目を丸くする。

 

「きょ、京一くんッ!?いきなりなにするんですかッ!びっくりしたじゃないですかァッ!!」

 

強烈な黄色が蓬莱寺を見上げている。めずらしく取り乱す時諏佐が面白いなんていじめっ子みたいな感情を抱きながら、蓬莱寺はいけしゃあしゃあというのだ。

 

「なんだ、よかった。いつもと《氣》が違うから、妖刀に取り憑かれちまったのかと思って焦ったぜ」

 

「えっ、あ、あー......はい、すいません、大丈夫です、はい」

 

「そーかそーか、安心したぜ」

 

「あの、京一くん......おろしてもらえません?」

 

「なんで」

 

「なんでって、」

 

「目、変な色してるじゃねーか。ほんとに時諏佐か?」

 

「いやだから、その、なんで今更!?私いつも変わってるじゃないですかァッ!もう2週間ほどたってますよねェッ!?」

 

「あれ、そうだっけか?」

 

「そうです、そうですッ!京一くんが今まで気づいてなかっただけで、私の《力》は瞳によるものだから、変わるんですッ!皆さんに聞いてみましょうよ、ねッ!ねッ!落ち着いてください!」

 

らしくない時諏佐に蓬莱寺は耐えきれず笑ってしまう。

 

「わりい、わりい、どうやらほんとに時諏佐みてーだなッ。どうしたんだよ?」

 

「よ、よかったあ......。それについては歩きながら話しますのでいきませんか?そろそろ集合時間に遅れますよ?」

 

「うわ、もうそんな時間かよッ!はえーな」

 

「あれ、蓬莱寺くん、飲みものもってきたんですか?」

 

「へ?......はっ、し、しまった~ッ!カモフラージュ用の食いもん買うの忘れたッ!」

 

「え、じゃあ中身は?」

 

「頼む、時諏佐ッ!その焼きそば、俺と割り勘で買ったことにしてくれこのとーりっ!せっかく用意したビール没収は嫌なんだよッ!」

 

「ビールですか......」

 

「頼む!時諏佐さまー!」

 

「あはは、わかりましたよ、京一くん」

 

「まじで!?」

 

「そのかわり、飲むのは打ち上げ後にしてください。たぶん花見中に飲んじゃうと妖刀もった人に襲われたとき、

うごけなくなっちゃいます。そしたら、野良犬に擬態してる蟲に食い殺されますよ」

 

笑顔でとんでもないことをいいながら、おまけのように時諏佐はいうのだ。

 

「あとでそのビール、わけてくれません?」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖12

歓迎会は、乾杯から。そして、たわいもない話が弾む。醍醐に迷子になったのかと心配され、遠野になんかあったのかと目をキラキラさせながら言われた。蓬莱寺が隣に座って、適当なことをでっち上げてくれたのはいいが背中を叩かないでほしい。痛い。

 

私と蓬莱寺は遅刻したため罰ゲームになった。ひだまりのうたを歌ったら、歌って踊れと言われたのでSPEEDのデビュー曲をうろ覚えてやったら、蓬莱寺がノリノリで舞園さやかのデビュー曲を熱唱してきた。なんで対抗心を燃やされるんだろうか、それがわからない。

 

美里と緋勇が何かあったらしいく、遠野に張り付かれて桜井にとめられていた。相談に乗っていたら、緋勇に抱きつかれたんだろう、たぶん。アオハルでいいなあ。

 

そんなことを思いつつ、マリア先生にすすめられたたこ焼きを方張っていると、保護者を兼ねているマリア先生が、緋勇君に話題を振った。うーん目の保養万歳。

 

「遠野さんから強い、と聞いたのだけれど、どうなのかしら」

 

「マリア先生に褒めてもらえるなんて、光栄ですね」

 

遠野は、まだネタが足りないのか茶々を入れる。マリア先生は強さについて、説いている。大人って、複雑だなあ、と思いながら、お茶を飲み干した。セクシーポーズを決める蓬莱寺に思い切りお茶を吹いたのは、不可抗力。酒飲むなっていったのに、飲んだんだろうかこの男。

 

縁もたけなわ、といったところで、恐れていた事態が起こってしまった。突如、悲鳴が夜桜舞う空を切り裂いたのだ。

 

私と蓬莱寺、緋勇はほぼ同時に立ち上がる。醍醐も様子を見に行きたいようで身を起こす。美里、桜井、遠野、と女子生徒まで立ち上がったことで驚いたマリア先生か危険だと止める。だか全員で説き伏せ、それでも説得させきれず、結局全員で駆け付けた。美里はマリア先生が心配なようだが、実は始祖の吸血鬼だから全然心配いらない。マリア先生のことは任せて、とカメラを構えながら意気込む遠野のこと、よろしくお願いします。

 

待ち受けていたのは、ゾンビのように青白く目が充血してギョロギョロしているサラリーマン。「無魂症」と呼ばれる生気を発しない体質でもないと、こうやって村正に操られる呪いを受けることになるのだ。そして今どき珍しい野良犬らしい野良犬の大群が私たちの前に立ち塞がる。

 

血塗れの村雨を片手に大暴れしており、手をつけられない状況である。血の臭いに当てられたのか、何匹もの野犬が花見客に吠えかかり、おののいて散りじりになった結果、そこの空間だけが異様な雰囲気を放っている。公園に、とても人間が発する声とは思えない、獣の咆哮が響く。

 

「へー、東京って野良犬いるんだな」

 

「いいえ、みたことないわ緋勇君」

 

「ほんとか?」

 

「うんうん、そんなわけないよ。ペットが脱走したとかならあるかもしれないけど、こんなに人を襲うような凶暴なやつだったらとっくに駆除されてるよ」

 

「みたところ狂犬病のようだな」

 

「初めて見たわ......」

 

「もし、いるとしてもこんなにいるなんて……おかしいわ」

 

一様に肯く仲間たちに、沈黙していた緋勇くんが進み出た。

 

「なるほど......ただの野良犬って訳じゃなさそうだ」

 

「たくさんいるな」

 

「どっからきたんだろう?」

 

桜井たちの言葉にげげげという顔をしている蓬莱寺である。

 

「なァ、なァ、時諏佐ッ!まさかみんな蟲とかいわね~よな?」

 

《如来眼》の影響で目の色がおかしくなっているからか、蓬莱寺は私がなにかいう前に察したらしく、まじかよッと言葉が返ってきた。

 

「蟲?」

 

「実はみんなと合流する前にこの人がいないか見て回っていたんです。そしたらこいつが襲ってきまして。見ていてくださいねッ」

 

あーだこーだいっている暇はない。実物を見てもらった方が早いだろう。私は距離をとった状態で木刀に《氣》を巡らせ、一番近くにいる個体にぶつけてみせた。激しい衝撃にさらされた野良犬は擬態がとけて無数の蟲が宙を舞う。巨大な蚊柱のようにも見えた。

 

私はわかるのだ。《アマツミカボシ》の本能がささやきかけてくる。ハスターの狂信者だった《アマツミカボシ》が情報提供をしてくれる。

 

こいつは《這うもの》、数千もの蛆や蟲で出来ている奉仕種族である。その蟲は何となく人の形に見え、絶えず蠢いているという。昔からホラー映画などを見ると芋虫状のものに覆われたような人間の姿を幾度となく見ることになることから恐怖そのもののように思える。

 

這うものたちは言葉を話すことはできないが文字を書くことはできるという。クトゥルフを崇拝していることから深きものどもとの繋がりもある。はい、アウトである。柳生の用意した刺客のひとりに深きものと繋がりがあるやつがいるのだ。もう緋勇たちに気づいて監視にきたらしい。

 

深きものはハスターと敵対勢力であるクトゥルフの勢力下にいる種族だ。《アマツミカボシ》の転生体であるせいか私の《力》はこいつらを相手にすると威力が増すらしい。《アマツミカボシ》の殺意は濃厚である。この身体をつくり、緋勇の母親を誘拐未遂し、時諏佐家の跡取りを殺した組織の気配がするというのだから無理もない話だ。《如来眼》も《菩薩眼》も《アマツミカボシ》が大切にする子孫のひとりなのだから。

 

「《氣》をうちこむとダメージがとおります。距離をとって絶対に近づかないでください。こいつは人を襲います。食い殺されますよ!」

 

私が叫んだ時だ。サラリーマンが笑い始めた。そして襲い掛かってきた。

 

「警察が来る前に片付けるぞ!」

 

緋勇の烈しい指示が飛んだ。

 

緋勇の指示で、すばしっこい野良犬たちをノックバック効果のある技を中心になぎ払う。団子状態にしてから、方陣で一気に殲滅する。詠唱を済ませた美里の援護で攻撃力を上げた桜井が遠距離から、私たちが届かない範囲を牽制してくれる。どうしても瞬時の移動が遅く、接近戦に特化している醍醐はおびき寄せの役を担ってくれる。これ以上頼りになる壁役はない。進み出てきたサラリーマンから一撃を食らい、うめく醍醐に、美里があわてて《力》をつかって回復する。

 

「せっかくの歓迎会を台無しにされたんだ。ただじゃおかないぞ」

 

緋勇は高らかに叫んだ。すると、にたあと笑ったサラリーマンが緋勇をみつめるのだ。

 

「百数年の時を超え───────今なお、衰えることを知らぬ切れ味よ......。そればかりではない。その刀身は、紅の鮮血を浴び、芸術の如き、げんようさを増しているではないか......」

 

うっとりとした様子で妖刀村正に指を這わせる。指先が切れてしまうが気にせず血を這わせていく。その不気味さに私たちは戦慄するのだ。サラリーマンは緋勇たちではなく、誰かをみている。そして村正を高々とかかげた。

 

「天戒よ......。常世の淵で、見ているがいい。貴様が護ろうとした、この街がお前の子孫によって混沌に包まれていく様をなッ......!!貴様の街は、人の欲望によって滅ぶのだ......。さあ......殺すがいい。くくくくくッ......あははははは!」

 

桜吹雪が舞い散る中、やけに堂々とした声が響き渡った。

 

「さあ、血を吸えッ!そして新たなる《力》をえるのだ!そしてこの街に───────東京に混沌と混乱をもたらすのだッ!」

 

血しぶきがまるで噴霧器で吹き飛ばしたように広がるにもかかわらず、流した者の痛みの強さとは比例しないらしい。サラリーマンがこちらに走ってくる。緋勇は戦闘態勢に入った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖13 妖刀完

《這うもの》たちをあらかた片付けたころ、数体を取り逃したと蓬莱寺が悔しそうに中央公園の桜並木を睨み付けて叫んでいるのが聞こえた。

 

サラリーマンと一騎打ちしていた緋勇は、ようやく決着がついたらしい。男の呻きがとどろいた。

 

そのときだ。

 

「なッ!?」

 

「きゃああッ!」

 

サラリーマンの頭が内側から裂けたではないか。まるでスイカ割りでもしたかのように目玉やらなんやらが飛び出し、粉微塵になってしまう。

 

「......虫?」

 

鳩程の大きさをし、半円の翅と5対の脚を持つ昆虫がサラリーマンの頭を突き破って現れた。頭部から3つの口があり、顔全体が巻き髭らしきものに覆われている。サラリーマンはただちに絶命し、その場に倒れてしまった。

 

「みんな、離れてくださいッ!こいつが頭を突き破ってでてきました!寄生していたのかもしれませんッ!!」

 

私の叫びにみんなあわてて走り出す。ちょっとでも近づいたら《氣》をぶつけてやろうと警戒しながら様子をうかがっていたが、そいつは羽音をたてていなくなってしまったのである。

 

「よ、よかった......なんだったのかしら、あの虫......」

 

「気持ち悪いな」

 

「ほんとだよ、夢に出ちゃいそう」

 

「そうね......さすがにこれは新聞には載せられそうにないわ......」

 

「あたりまえだろッ!なにいってんだ、おめーはッ!」

 

「槙乃、どうだ?」

 

私はしばらくしてようやく頷いた。

 

「いなくなったみたい」

 

「旧校舎全体探知できる槙乃が見つけられないなら、たぶん中央公園からいなくなったんだな。よかった」

 

みんなようやく息を吐いた。遠くでパトカーが聞こえてくる。私たちはあわててその場を後にしたのだった。

 

近くの神社で私は自宅に連絡し、車を手配してもらう。夜な夜な旧校舎に潜り込んでは新宿にある真神学園から北区の如月骨董店にいくため時諏佐の車は大事な移動手段だ。今回だって12キロもの距離を抜き身のままの血濡れの盗品を持ったまま移動したらさすがに警察に捕まってしまう。

 

しばらくしてワゴン車がやってくる。

 

「みなさん、どうぞ」

 

毎度の事ながらSPのみなさんお疲れ様です、と労いながら私は助手席に乗り込んだ。

 

そして深深と溜息をつく。あれは《這うもの》ではなかった。《シャン》という高度な知性と残忍な嗜虐性質を持つクリーチャーである。厄介なことになった。なにせ《這うもの》と《シャン》は信仰する邪神が違うのだ。《シャン》は《アザトース》というクトゥルフ神話でいうラスボス的存在を信仰する独立種族なのだ。

 

《シャン》は人間の脳に寄生するが、そのスピードはあまりにも早く、人間の脳を出入りする姿は肉眼では一瞬しかとらえられない。そもそも日光を浴びると死んでしまうので、夜中しか出入りしないから警戒さえすれば対応可能なのがまだマシだ。

 

寄生した人間にドラマティックな犯罪を行わせて破滅させ、立場が危うくなると手近な人間の脳に寄生する。寄生された人間は、夜になると心を支配されてしまい、いわばジキルとハイド、もしくは夜限定の多重人格となる。時には、宿主に遺書を書かせて自殺させ、その遺書を誰かが読むとアザトースが招来されるように罠を仕掛けたりもする。

 

《這うもの》より知能がある上に特殊能力で最たるものといえば情報操作(物理)だ。人間の脳に入りこみ、その記憶を読み取って、別の考えを植え付けることが可能である。とある犠牲者は悍ましい記憶を見せつけられ発狂に陥るなんてこともざらなのだ。

 

彼らはそんな正常と発狂の間を彷徨う犠牲者の姿を見て愉悦に浸り、完全に発狂してしまったら用済みとして捨てられる。今回も哀れなサラリーマンは用済みとして頭が弾け飛んでしまったということだ。

 

問題は《這うもの》と《シャン》が徒党をくんで暴れていた点にある。柳生側はそんなに勢力的に拡大しているのだろうか。本来ならただの野良犬とサラリーマンだったし、サラリーマンは気絶して後日窃盗と傷害で逮捕されるはずだったのに。

 

冷や汗がうかぶ。そんな私の後ろで声がする。

 

「あの男がいっていたテンカイって誰のことだろうな」

 

「子孫によって混沌にっていってたわ......一体なにが......」

 

「東京を護ろうとした、っていえばやっぱりあれじゃない?天海僧正。江戸時代に言霊によって守護していたっていうし」

 

「あ~、あの三日天下の明智光秀じゃないかって言われてる?」

 

「そうそう」

 

「そうなのか。俺は足利将軍家12代足利義晴の子だと聞いたことがあるが」

 

「出自にあいまいなところがあるから、情報が錯綜してるのね......。私は有力大名か家臣だったと本で書いてあるのを見たことがあるわ」

 

「つ~かよ、そもそも、そのテンカイってやつが天海とは限らね~だろ?東京を救ったやつがいて、子孫が利用されてんのがやべ~んじゃねえのか?」

 

「やっぱりそう思うか、京一?俺も考えていたんだ。あれは明らかに猟奇的連続殺人の兆候だ」

 

「頭から蟲、野良犬かと思ったら蟲......やべえ、しばらく夢に出そうだぜ」

 

「忘れよ、忘れよッ!緋勇君たちの予想が正しいなら、《力》に目覚める子がまた現れるはずなんだから、そっちのが大事だよねッ!」

 

「そうね~、ここだけじゃないかもしれないから、新聞片っ端から調べなきゃ。あとネットニュースも」

 

「問題は絶好の花見日和だったから、うちの学園の生徒じゃない可能性もあるってことだな......」

 

「そーだよねー、すごい人だったし」

 

「もし上手いこと会えたら、相談にのってやりたいな。仲間になってくれるかもしれない」

 

「お、それいいなッ!いつどこで誰がいきなり操られるかわかったもんじゃねえし、野良犬めちゃくちゃ頑丈だったしよ」

 

「そうだな。テンカイ......か。この東京のどこかにそいつの子孫がいて、《力》をえて利用されているのだとしたら早く会わないと......」

 

緋勇の呟きを聞きながら、私は目を閉じた。

 

九角天戒(こずぬてんかい)、それは150年前に柳生との宿命の戦いにおいて緋勇の先祖たちと活躍した男の名だ。真紅の総髪が印象的な凛とした若侍で、徳川に仇なしたり、虐げられてきた者たちが集まってできた鬼道衆の頭目にして懐の大きな人格者だった。部下たちからは絶大な崇敬を受けており、天戒もまた部下の一人ひとりに対して深い理解と信頼を与えていた。鬼道と外法を使い、かつて自らの一族を滅ぼした幕府に対して復讐の牙を研ぎ澄ましていたが、柳生との戦いをへて徳川側だった時諏佐の祖先率いる一味と和解して戦ったことがあるのだ。

 

150年は長すぎた。かつての仲間の家系は明治、大正、昭和、平成という長きに渡る日々の果てに散り散りになり、存続しているのかすら不明な家すらある。そのうちのひとつが九角(こずぬ)、サラリーマンが口走った言葉は本来柳生がいう言葉なのだ。

 

かつて復讐相手の門下と手を組んでまで柳生と戦った九角の末裔が柳生の手により敵に堕ちているのだから笑いたくもなるだろう。

 

私も時諏佐の養女になった時に真っ先にしらべたのだが、九角という一族の行方を調べることはできなかった。もともと迫害を逃れてきた者たちが集まってできた隠れ里だったのだ、新政府と繋がりなど期待できるわけもない。《如来眼》の《力》でも東京のどこにいるかわからない人間を特定することなんてできなかった。出来ていたらとっくの昔に動いているところだ。

 

緋勇の言葉に何度もうなずく私をみて、ハンドルを握りながら心配そうにSPの人がみてくる。私はとりあえず如月骨董店に向かうようお願いした。妖刀村正は如月に引き取ってもらうのが1番である。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖14

1998年5月6日水曜日

 

店内から甘い、くすぐるような音楽が聞こえてくる。紅茶やコーヒーほど同じ品が千変万化の味に変転する食品はない。喫茶店の存在は、バーなど足元にも及ばないほど歴然たる格差で、店ごとに味に個性の等級がひらく。アルタ前にある喫茶店にて、コーヒーを飲みながら私は先を促した。

 

私は美里に相談したいことがあるとお願いされて、一緒に帰る途中でよったのだ。

 

「ごめんなさい、槙乃ちゃん。新聞部で忙しそうなのに......」

 

「ううん、かまいませんよ。どうされました?」

 

「実は......」

 

美里はおそるおそる口をひらいた。

 

「最近、誰かに見られている気がするの」

 

「まさかストーカー?」

 

「わからないわ......ただ、人の姿がないのに視線を感じるの。《力》に目覚めてから《氣》を感じるようになったせいで、気にしすぎなのかもしれないけれど......」

 

「ああ、幽霊とか余計なものがわかるようになっちゃいますもんね」

 

「ええ......」

 

「区別がつかないと」

 

美里はうなずいた。

 

「なるほど、わかりました。たしかに私は《氣》を見ることができますから、幽霊か人間かわかりますもんね。だから私に」

 

「ええ......」

 

「いつ頃視線を感じます?」

 

「ええと......登下校の間とか授業中とか......休みの日だと勉強している時とか」

 

「なるほど。今は?」

 

ちら、と美里は窓を見た。

 

「......少し、」

 

「やっぱりですか」

 

「......もしかして、槙乃ちゃんも?」

 

「実は私もそうなんですよ。花見にいってからずっと」

 

「ほんとうに?私もなの。もしかして、あの時逃げた蟲が......?」

 

「いえ、あの時の《氣》とはまた違うようです」

 

私も外を見た。電線に、ビルの屋上に、やたらカラスがとまっているのがみえた。私が意識しているから見つけられるだけで、美里は不振な動きをする人間は見つけられないようで、ためいきをついた。

 

「......?」

 

私が上を見ているからだろうか、美里が不思議そうな顔をしている。

 

「どうしたの、槙乃ちゃん」

 

「カラスが......」

 

「カラス?」

 

「最近、多いと思いませんか、カラス。見られてるみたいで怖いです、私。やたらとこちらのことを観察しているみたいで......。気づいたころには、その監視してくる視線に耐えきれなくなって、カーテンしめてるんです」

 

「どのあたりの?」

 

「ほら、あそこの」

 

「......!!」

 

私が教えてあげると漠然とした視線の正体がわかったようで美里は目を丸くした。

 

「まさか......カラスが私たちを見張っているの......?」

 

「あるいはそういう《力》をもつ誰かに命令されている可能性がありますね。みんな、《氣》を発していますから......普通のカラスは《氣》なんてコントロールできないですよ」

 

「たしかに......。なんのためかしら」

 

「1番考えられるのは、やはり赤い髪の男でしょうか」

 

「お花見の時にバレた、とか?」

 

「考えられますね」

 

美里はしばし沈黙する。考え込んでいるようだ。

 

「小蒔は......みんなは、気づいているのかしら?」

 

「うーん、どうでしょうね。気づいていたら、アン子ちゃんの話をまともに取り合っていたと思いますよ。今回、アン子ちゃんが頼もうとしていたのは、渋谷の殺人現場にカラスの羽が落ちていたというものですから」

 

「うふふ......たしかにみんな乗り気じゃなかったものね」

 

「私たちだけの可能性も捨てきれませんが......《力》の持ち主に聞いてみないとわかりませんね」

 

「......どうして、そう思うの?」

 

「京一君あたりが気づかないと思います?」

 

「たしかに......。でも、そうだとしたら、どうして私たちだけなのかしら?槙乃ちゃんは蟲に真っ先に気づいたから警戒するのはわかるけれど......」

 

「私の場合はそうでしょうね。葵ちゃんは、その《力》かもしれません」

 

「私の《力》......?槙乃ちゃんみたいに戦えないけれど......」

 

「たしかにそうかもしれません。でも、葵ちゃん以外にいないんですよ。人の傷を治したり、不思議な加護を与えたりする奇跡を起こすのは葵ちゃんだけ」

 

「まだ会えていないだけじゃないかしら......」

 

美里は首を傾げる。

 

「この1ヶ月間、ずっと私なりに考えてみたの。なぜこの《力》に目覚めたのか。たぶんうちの家が代々敬虔なキリスト教徒だからだと思うの。日曜日は必ずミサに行くし、教会のイベントには家族で参加するし。お母さんに聞いてみたら、江戸時代にキリスト教が禁止されていたころからずっと信仰していたそうだから」

 

「葵ちゃんは、神様を信じているんですね」

 

「ええ、幼い頃からずっと聖書を読んできたから。それに方陣の時のように、初めて使う《力》の時に頭に浮かぶ言葉はどれも天使にかかわるものばかりなの」

 

たしかに、美里の《力》は、祈りを受けて現れた天使の名前があるスキルがほとんどだ。時には傷を癒し、時には不調を取り除き、加護をえて味方を支援する時もある。

 

「だとしたら、尚更目をつけられたのかもしれませんよ。カラスは堕天使の象徴だといいますし。葵ちゃんと私が潰されたら後方支援は壊滅して、緋勇君たちは苦境に立たされることになります。それに葵ちゃんは緋勇君、小蒔ちゃん、私......3人と方陣を組めるわけですから、標的になるのも不思議ではないですね。葵ちゃんは、葵ちゃんの考えている以上に私たちにとって要なんですよ」

 

私の言葉を聞いて、美里は驚いたような顔をしている。そこまで考えたことがなかったようだ。

 

「足でまといなんかでは決してないですよ、葵ちゃん。戦うことだけが《力》の在り方ではないです」

 

「ありがとう、槙乃ちゃん......」

 

「元気が出たようでよかったです」

 

「みんな、たぶんアン子ちゃんの話を聞きに王華にいってるのかしら......?」

 

「そうですね。私たちも行きましょうか」

 

「ええ」

 

「そうだ、その前に今回の依頼について、先に話しておきますね。ラーメン屋、すぐそこですし」

 

私はスクラップブックをさしだした。

渋谷住人を脅かす謎の猟奇的殺人事件という見出しの記事の切り抜きだ。ついに9人目の犠牲者がでたとある。すべての被害者が全身の裂傷、眼球の損失、内臓破裂による即死という共通項があるのだ。

 

カラスが人間を襲う事例としては、品川で巣立ちに失敗して路上におちたカラスの雛の近くを知らずに通った主婦が親ガラスに襲われている。主婦は全治1週間の怪我で病院に運ばれている。

 

他にも北海道で放牧中に出産された子馬が生きたままカラスの集団に食い殺された話もある。

 

カラスのくちばしや爪は猛禽類にも劣らない鋭さであり、肉や皮膚を切り裂くのはわけない。

 

「たしかにカラスは繁殖期になると凶暴化することが知られているけれど、それは雛を護ろうとするときくらいのはずでしょう?」

 

「その通りです」

 

たしかに普通はそうなのだが、今回の事件はカラスの捕食行動との共通点が多すぎるのだ。つまり、カラスが人を襲って、食べているということだ。カラスはもともと人間をも上回る雑食であり、栄養になるなら牛のフンから車に轢かれた猫の死体までなんでも食べる。カラスが集団で人を襲っているのだとしたら、それは《力》かもしれない。都心に住むカラスは2万羽と言われているのだ。一斉に人間を襲うようになったらえらいことになる。

 

「この事件......たしか、現場には必ずカラスの羽が散乱してるんじゃなかったかしら」

 

「さすがは葵ちゃん、詳しいですね」

 

「この殺人犯が《力》を使っているとしたら......」

 

「旧校舎に巣食う化け物、妖刀に魅入られ、蟲に洗脳された殺人鬼、に続く不可思議な事件です。警察による調査も行われていますが、迷宮入りになるのも時間の問題です。私たちがやるしかないですよね」

 

私たちはうなずいた。

 

「渋谷......たしかに新宿とはすぐ隣だわ......調べる必要はありそう」

 

「ですよね。というわけで、代々木公園に一緒に来て欲しい、と今頃アン子ちゃんはみんなに依頼していると思います。都心でくらすカラスの大半が寝床としているので、最近になって急に数が増えたって噂もあるから気になるんですよ」

 

「わかったわ、はやくみんなに合流しましょうか」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖15

「君は......待ってくれ、少し話を!」

 

私は手を掴まれて、足を止めた。そこには長身のイケメンがいた。栗色の男性だ。

 

「ええと......どちら様ですか?」

 

「......素晴らしい」

 

「え?あの......」

 

「はじめまして。こうして会うのは初めてだね、僕は時諏佐先生にお世話になったことがある私立冥燈院高校で生物を教えている比良坂英司というんだ。先生はお元気にしているかい?」

 

「おばあちゃんの?」

 

「ああ、先生は恩師なんだ。飛行機事故で親戚にたらい回しにされていたところを助けてもらったことがあってね。おかげで僕は教職につきながら化学を研究することが出来ているんだ。君のことは先生からいつも聞いているよ、槙乃君」

 

「そうなんですか!?は、はじめまして。私は時諏佐槙乃といいます。こちらは私の友達の......」

 

「はじめまして、比良坂先生。私は真神学園の美里です」

 

「そうか、仲がいいんだね。時諏佐校長先生のもとで学園生活が送れることはとても幸運だ。しっかり勉強するんだよ」

 

「はい」

 

「なにかご用ですか?」

 

「いや、急にすまなかったね。一度挨拶に行こうと思いながら行けていなかったから、そんな矢先に君が現れたものだから驚いたんだ。......これじゃあナンパみたいだな、すまないね」

 

「そうなんですか......よかったです。びっくりしました」

 

「怖がらせてしまったようですまない。近々妹と挨拶に上がらせてもらうよ。これが今の僕らの連絡先なんだ。先生によろしく伝えてくれないだろうか」

 

「あ、はい、わかりました。ありがとうございます」

 

私は名刺を受け取った。

 

「ごめんなさい、比良坂先生。私たち急いでいまして」

 

「ああ、わかった。呼び止めて悪かったね。気をつけて」

 

「はい、失礼します」

 

私はぺこりと頭を下げて美里と共に交差点を渡ることにした。ちら、と後ろをみると笑いながら手を振る比良坂先生がみえた。もう一度頭を下げて急ぐ。

 

「比良坂先生には悪いけれど、びっくりしたわ......」

 

こっそりと美里が小声で耳打ちしてくる。私は全力でうなずいた。変な汗をかいてしまったから、未だに心臓の音がうるさくて困る。なんでまたアルタ前の人がごった返している中で敵とわかりにくいエンカウントをしなくちゃいけないんだ。

 

「あはは......タイミング的にそうですね......。おばあちゃん、教えてた生徒さんに慕われているみたいで、色んな人に声をかけられるからびっくりしてしまいます。未だに馴れない......」

 

「え、槙乃ちゃん、笑顔で受け答えしていたのに?」

 

「だって私のせいでおばあちゃんの評判が下がるのは嫌じゃないですか」

 

「うふふ。槙乃ちゃんて、そういうところが大人っぽくてあこがれるわ」

 

「ありがとうございます。あ、信号が......。急ぎましょう、葵ちゃん」

 

「ええ」

 

私たちは王華をめざして走り出した。

 

比良坂兄がこのタイミングで現れるとは思わなかった......。あとで緋勇に妹と会わなかったか聞かなければならない。バタフライにしてもなにがどうなっているのかさっぱり分からないから困る。

 

比良坂英司は、先程の自己紹介のとおり幼い頃に家族と共に飛行機事故に遭い両親は死亡し、誰も自分達を助けようともしてくれないなか、両親の遺体が燃え尽きるまで見続け精神の均衡を崩してしまった。そこで妹に異常な愛情を向けながら育て上げ、自分たち兄妹だけの世界をつくろうと、不死身の体にあこがれブードゥー教に傾倒し、病院から死体を盗み出しホムンクルスを開発している人間だ。緋勇が《黄龍の器》であることにいち早く気づいており、ブードゥー教から派生したゾンビから生成されるホムンクルスもどきの素体にするために、妹を接触させてくるのだ。死体蘇生や人体解剖の研究成果は、柳生の勢力にも通じていたことが示唆されている。

 

先程の話が嘘だと断じることが出来ないのは、18年前の仲間の中に比良坂兄妹の母親がいたからだ。これは私の目で確認している。それに《宿星》を継ぐ人間を探し出すために奔走していたころ、飛行機事故が起こった。訃報の電話がなり、しばらくして喪服ででかけていく槙絵を私は見ていた。亡くなったと聞いた槙絵が幼い兄妹をかつての仲間の忘れ形見だからと保護するのは何らおかしなことではない。私は両親の《宿星》は妹に受け継がれると初めから槙絵につたえ、どうするかは一任してあったからどうしたのかは聞いていないのだ。

 

比良坂は教員として独り立ちし、妹を引き取り2人は仲良く幸せに暮らしました、で軌道修正することが出来れば1番よかったのだが。遺体の盗難事件はあいついでいるし、彼がほんとうになにをしているかなんてわからない。信じたいのは山々なのだが、さっきの素晴らしいと呟いた時の狂気を見てしまった今となってはどうしようもない。

 

ホムンクルスとしては私は恐らく最高品質の実験材料になるだろう。ブードゥーは死者蘇生はできるがゾンビでしかない。大破して炎で焼かれた両親の遺体は用意できなかったはずだ。だから他人の身体でゾンビを用意して、死者の魂を呼び戻そうとしているのだとしたら、その方法は独学では限界がある。

 

私は邪神の加護をうけた狂信者たちの研究成果であり、魂を蘇生させて固着させるものも含まれている。この世界だと精神は体に影響をうけ、やがては融合してしまうため一度でも成功すればこちらのものなのだ。一般人の魂が耐えられるかどうかなんて、狂気に侵された化学者には些細な問題だろう。

 

そこに柳生が声をかけたのだとしたら。私はもうこの時点で嫌な予感が止まらないのだ。

 

「あ、みんないたわ!」

 

美里の声で私は我に返る。無事にみんなと合流出来たようだ。

 

美里が私に励まされてやる気を取り戻したことで、カラスに監視されていることを伝えている。蓬莱寺たちの反応を見るに、やはり《如来眼》と《菩薩眼》の監視が目的なのだろう、と察した私は息を吐いた。

 

18年前、《如来眼》の女の身体は生贄にささげることができたが、《菩薩眼》の女は誘拐未遂に終わったため、《アマツミカボシ》の完全復活が叶わなかったのだ。今の私の身体はそのホムンクルス、《アマツミカボシの器》だから未だ不完全な状態である。今度こそ成功させるために策をねっていると考えても不思議ではない。

 

さすがにまだ確証がないから話せないが、カラスに監視されているという証言は私も肯定する。カラスが《力》により操られているのだと緋勇たちが考える補強となったようだ。よかった。

 

「あれ?槙乃、なんかいい香りがするよ?」

 

「あ~、男もの香水なんか付けてどうしたんだよ、時諏佐ッ!まさか美里と一緒にかっこいい兄ちゃんでも捕まえてナンパされてたのかァ?」

 

「えええっ!?ずるいよ、ふたりともッ!ボク置き去りにして~ッ!」

 

「おいおい......」

 

「たしかに男ものの香水の匂いがするな。隅に置けないな、槙乃。お嬢様なのに意外と火遊びが好きなのか?」

 

「違いますよ、小蒔ちゃん。京一君も緋勇君も焚き付けないでください。アルタ前でおばあちゃんの教え子だったっていう高校の先生に声をかけられただけですよ。ほら」

 

「比良坂先生?ふ~ん、28歳かァ」

 

「恩師の子供とはいえ女子高生にアルタ前で堂々と声かけるとかやべーメンタルしてんなァ」

 

「ね、ね、イケメンだった?」

 

「イケメンはイケメンじゃないですか?ジャニーズ系の。ねえ?」

 

「そうね......うふふ」

 

「えー、見てみたいなァ」

 

「おいおい、何盛り上がってんだよ、お前ら。これから代々木公園に乗り込むんだろ~がっ!シャキッとしろ、シャキッと!」

 

そういう蓬莱寺は今からカラスに襲われている所を助ける女性ジャーナリストに鼻の下を伸ばしまくるわけだからとやかくいえないのだった。

 

ちなみにそれとなく緋勇に誰かにぶつからなかったかと聞いてみたが、そこまで田舎者じゃないと拗ねられてしまった。どうやら私たちが情報共有するのを見越して、今回は兄だけ接触したらしい。妹はまた今度だろうか。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖16

代々木公園は視線を感じる。この《氣》はただごとじゃないとみんな感じていた。空気が憎しみと憤りに溢れている。噂どおりのすごい数のカラスである。恐怖すら感じる。

 

道中で出会った天野絵莉(あまのえり)という美人のフリールポライターによれば、渋谷のカラス事件の容疑者としてある少年が浮かんだという。常にカラスを連れていて、代々木公園や近くの建設工事中のビルで頻繁に目撃されているというのだ。その鉄骨が剥き出しのまま放置されているビルは、作業員たちがカラスに襲われて事故が相次ぎ工事が中止に追い込まれているのである。

 

あやうく10人目の犠牲者になる所だった絵莉は、助けに入った私たちをみて、犯人が《力》をもった例の少年だと身をもってしった。記事にできるはずもないとわかった時点で情報提供して身を引いてくれた。フリージャーナリストは金銭的にもシビアな感覚でいなければ厳しい業界で生き残っていけないらしい。

 

ちなみに彼女はこれから私たちに情報提供や探索協力を行うようになる。常に毅然とした態度でオカルト事件にも臆せずに挑む心強い味方だ。そしてマリア先生とは友人関係で、遠野の憧れの人物であり、将来の雇先でもある。遠野のために名刺をもらうついでにサインを確保し、新聞部からの依頼だとアピールもしておいたので、次会うときは顔を覚えてもらいやすくなっているだろう。

 

そして私たちはその情報を元に建設途中のビルに向かったのである。

 

「クックック───────不浄の光に包まれし街───────。滅びを知らぬ、傲った(おごった)人間共───────。この街は、穢れてしまった。そして、人間の欲望は、留まることを知らない。人は、淘汰されるべきなのだ......。《力》を持つ者によって......。クックックッ......裁きの時が、ついに来たのだ......。さあ......行くがいい───────」

 

どこからか声が聞こえる。ビルの屋上に誰かいるのがわかった。あれが唐栖亮一(からすりょういち)、黒くて長い髪をした全身黒づくめの高校生である。渋谷にある神代学園に転校してきたが孤立気味で、3ヶ月前の2月頃に柳生により《力》をあたえられてから、自分は選ばれた特別な存在と公言するナルシストに拍車がかかった。環境破壊を憂い、ギターの音で鴉を操って人を襲わせる《力》がある。

 

「地上を這いずる虫に神の意志など理解出来るはずもない。そう、この素晴らしい《力》をさずけてくれた神さ......。カラスの王たる《力》をさずけてくれた......ね。僕は逃げもかくれもしないよ。さあ来るがいい、ビルの屋上へ」

 

挑発されたんだから行くしかない、と工事現場に足を踏み入れた私たちを止める声がある。

 

「───────こらっ、あんたら、そこで何やってる!?悪いことはいわない。ここに入んのはやめときな」

 

そこにいたのは、ケースにはいった槍を持ちながら、先に行くのを邪魔するように前に立った男子高校生だ。絵莉がカラスに初めて襲われた時助けてくれたという、金髪の男子高校生と外見的特徴がよく似ている。

 

それを指摘するとガシガシ頭をかいた。

 

「ん......?あんたら、あの人の知り合いか?よっ、と。だったらなおさらここに入れるわけにはいかないぜ。なにしに来たかはしらないが、大人しくおうちに帰んだな」

 

「ずいぶんでけぇ口聞いてくれるじゃねぇか。てめぇ、一体なにもんだッ!」

 

「人に名前を聞く時は、まず自分から名乗るもんだ。おいっ、そっちのあんたの方が話が分かりそうだな?」

 

「俺?俺は真神学園の緋勇龍麻、3年生だ。お前は?」

 

「緋勇龍麻か。物わかりのいいやつは長生きするぜ。俺は神代学園2年の雨紋雷人(うもんらいと)だ。とにかくここは近づかないこった」

 

まさかの後輩である。この時点で美里と私以外運動部のみんなの目付きが鋭くなる。意外と体育会系思考が多いのだ、このメンバー。特に蓬莱寺はタメ口呼び捨てが気に入らないようで、緋勇に無視していこうぜと怒り始めた。

 

「話を聞いてから考えよう、京一。わざわざ止めにはいるんだ、なにか理由があるんだろ?」

 

緋勇の助け舟にちょっとビビっていたらしい雨紋は安心したのか話し始めた。

 

長身金髪、一見強面だが正義感が強く義理堅い雨紋は、人食いカラス事件では単身被害者を助けるため奔走していたようだ。それというのも転校以来孤立していた唐栖に声を掛けて親友となっていたからで、《力》に目覚めて暴走する彼を止めるべく戦いっていたらしい。

 

なお雨紋は龍蔵院流と呼ばれる槍術の達人であるとともに、範囲攻撃を駆使し、雷撃を操る《力》を持つ。味方宿星は「雷軍星」。セクシーな女性が好みのタイプ。忍者に憧れを持っており、本物の忍者(公儀隠密・飛水家の末裔)である如月に対しては他の相手と若干態度が変わる。

 

ビルからギターの音がきこえる。雨紋は苦々しい顔をしている。

 

「なるほど、ギター仲間だったんですね?」

 

私の言葉に虚をつかれたような顔をする。

 

「あれ、違いますか?槍をするには変わったタコがあるなと思ったんですが」

 

思わず指をみた雨紋は苦笑いした。

 

「実はそうなんだよ。オレ様はインディーズバンドのCROWのギタリスト。あいつもバンド仲間でな......《力》を手に入れてからおかしくなっちまったんだ」

 

そこから雨紋の態度が軟化した。ようやく自己紹介できるようになって一安心である。神代学園はどうやら緋勇に伸されてから歌舞伎町で暴れた佐久間が謹慎明けにすぐ騒ぎを起こした相手だったらしい。醍醐が謝罪する一幕もありつつ、私たちは話をした。

 

「美里サン......?美里葵サン......、アンタが?ヤベぇな......アンタは近づかない方がいいぜ。唐栖がご熱心だからよ」

 

「え?」

 

「やっぱりカラスに監視させていたのは唐栖君だったんですね」

 

「......なんのために?」

 

「さァな......カラスの王となった暁には傍によりそうに相応しいとかなんとか......」

 

「なるほど、葵ちゃんの監視はストーカー目的だったようですね」

 

「ねえ......じゃあ、槙乃ちゃんは?」

 

「ん?アンタもカラスに監視されてんのかい?」

 

「はい、そうなんですよ」

 

「んん~、聞いたことないな、わりぃ」

 

「それはそれで気持ちわりぃな」

 

不気味がっている美里たちと私はとりあえず工事中のビルの屋上に向かった。唐栖は宣言通り向かいの鉄骨の上で無数のカラスたちと共に待ち受けていた。

 

「ここからはこの穢れた世界がよく見渡せる。神の地を冒涜せんと高く伸びる高層ビル、汚染された水と大気、そしてその中を蛆虫のごとく醜く蠢く人間たち───────。人間とは愚かで穢れた存在なんだ。もはや人間という生き物にこの地に生きる価値はない......」

 

そして彼はふりかえる。そこには《力》に魅入られた者特有の傲慢さと選民思想でみちている。雨紋が怒りにまかせて啖呵を切る。そこにかつていた親友の姿はないのだろう。半殺しにしてでも馬鹿なことはとめさせると意気込む。緋勇たちはその手助けをするために戦闘態勢に入るのだ。

 

「よくきたね。僕はもうすぐここから飛び立つのさ。堕天使たちを率いて人間を狩るためにね。それを邪魔だてするというのなら......相手になるよ」

 

カラスが一斉に飛び立った。私は木刀に《氣》を込める。

 

「《天討つ赫き星》」

 

空を灼熱が焼いた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖17 鴉完

夕焼けの逆光の中に黒々とした私たちの影がそびえ立つ。唐栖はこちらの顔はわからないはずだ。強い光が瞼をとおり抜けて暗闇を不安定に拡散させている。強い光によって、くらんだ目の網膜には閃光と点滅する星が飛び交い、目に沁みるほどの強烈な光は、輝きの色艶はたまらなく眩しい。

 

たまらず目を抑えた唐栖によりギターの音がやんだ。急な眩しさで、頭を思いきり殴られたみたいに目の前が真っ白になり何も見えなくなったのか、カラスたちは一部が逃げていく。

 

「───────ッ!」

 

残ったカラスは目が眩んだようで鉄骨に激突したり、味方同士ぶつかったりして落ちていく。

 

私は自分の《氣》を変質させて《アマツミカボシ》の《氣》を練り上げて放ったのだ。太陽神に逆らい続けた神を彷彿とさせるほどの強烈な《氣》は敵にとって脅威にほかならない。あまりにも強すぎる光は目を焼き、あるいは視界不良を起こし、カラスは空から落ちていく。

 

それはまるで神の使いという地位から堕ちて行く堕天使に似ていた。

 

「緋勇君ッ!」

 

私は叫ぶ。唐栖とカラスたちが暗闇しか見えない状態異常にかかったことを知らせる。

 

「ありがとう、槙乃」

 

長めの前髪から強烈な双眸が覗き、不敵に口元を釣り上げるのがみえた。緋勇は戦うとき、いつもとは性格がうって変わって目が煌めくのだ。

 

時折見せる烈火の強さに蓬莱寺や醍醐は全幅の信頼を寄せるようになったし、圧倒する計り知れない《力》が美里や桜井を安心させてきた。リーダーたりえるには充分なほど緋勇には《宿星》を束ねるだけの資質がある。今の時点でこれだ。それがこれからの戦いで急成長を遂げることになるのだから、私は期待をかけるのだ。

 

緋勇の圧倒的な《氣》が《如来眼》の《宿星》でなくても目に見えるような錯覚を起こしてしまう。人はそれを気迫とかオーラとかいうのだろう。目に見えるほど激しく体中から吹き出し、それは唐栖や私たちすらも飲み込んでいく。

 

その《氣》に《宿星》が呼応して、同調し、精神が昂ぶり、抑えきれない程に《氣》が高まっていく。

 

「いくぞ」

 

緋勇はその《氣》を急速に練り上げながらカラスに打ち出す。ぎゃあ、と短い断末魔が響いてカラスがいなくなる。先陣を切って、極めて不安定な鉄骨の足場もものともせずに緋勇は突き進んでいく。美里があわてて天使を呼び、防御力を上昇させる《力》を蓬莱寺にかける。

 

「わりぃな、行ってくるぜッ」

 

蓬莱寺は緋勇の死角から襲いくるカラスを先手を打ってはじき飛ばす。桜井が蓬莱寺でもカバーしきれないカラスを牽制し、反対方向から醍醐と雨紋が唐栖を目指す。

 

「アンタら、やるじゃねぇか」

 

《氣》を雷に変換し、槍で一気突き刺した雨紋は感心したように笑う。感電し、黒焦げになったカラスたちが堕ちて行く。醍醐は釣られて笑った。

 

「お前もな」

 

互いに背中を合わせてカラスと相対する。

 

「楽しそうだなァ、緋勇ッ!馬鹿と何とかは高いところが好きってか?」

 

木刀に膨れ上がる《氣》を注ぎこんで飛ばすと、回転が食わわった《氣》が放たれ、空を裂く。

 

「猿はなんとかが好きっていうしな」

 

「だあれが馬鹿猿だッ、誰がッ!おめェのことだよ、おめェのッ!ったく、お前の能天気さはいっその事あっぱれだぜ」

 

軽口を叩きながら蓬莱寺と緋勇は唐栖に迫る。誰もが緋勇の《氣》や行動に引き摺られる形でどんどん動けているのだ。旧校舎に夜な夜な潜っている成果といえた。

 

「まッ、お前といると面白いくらいに身体が動くからよッ!悪い気はしないぜ!」

 

カラスがまた弾け飛んで絶命した。

 

「唐栖ッ!」

 

雨紋は叫ぶが唐栖は笑うだけだ。ギターがまた響き渡る。カラスが次々と呼び寄せられる。どうやら《力》そのものを止めなければカラスによる援軍が留まることを知らないらしい。さすがに2万羽と真っ向勝負ができるとは思えない。新手に攻撃されつつ、緋勇たちは反撃に転じる。

 

「《癒しの風》よッ!」

 

美里が遠くから緋勇たちに回復の祈りを捧げる。祈りを受けて現れた天使の羽から降り注ぐ聖なる光がたちまち傷を癒していく。

 

「《天討つ赫き星》」

 

私はふたたび《氣》を変質させて《アマツミカボシ》と同調し、《力》を引き出す。空を焼き付くさんばかりの偽りの太陽が出現し、唐栖たちを灼熱が襲う。広範囲に渡る暗闇が訪れた。ふたたび行動不能になった唐栖に雨紋が槍を振るって真っ先に飛びかかった。体勢を崩しながらも、唐栖の顔には笑みが張り付いたままだ。

 

「この僕を殺すのか、雨紋?かつて親友と呼んだこの僕を。お前にそれができるのか?その瞬間にお前はこの僕と同じところまで堕ちることになるよ?」

 

「てめェと一緒にすんじゃねェよッ!殺さなきゃ勝てないのは雑魚のやり方だッ!オレ様は違うッ!」

 

「くっ......」

 

槍の穂先が閃き、雷鳴がとどろく。

 

「ビルの下に何人の死体が埋まってんだ、唐栖?誰に唆されたのかは知らねーが、人にはなァ、超えちゃいけないラインってもんがあるんだよッ!それがわからねえお前に教えてやるのが、親友のお前にオレ様ができる唯一のやり方だ!!!」

 

雨紋は跳躍し、雷気を帯びた槍で突き降ろす。

 

「《落雷閃》ッ!!」

 

特大の落雷が唐栖に襲い掛かった。

 

「あぶないッ!」

 

「おい、緋勇ッ!」

 

蓬莱寺の制止も無視してとっさに緋勇が走り出し、衝撃のあまりに鉄骨の塔から弾き出された唐栖の腕を掴む。雨紋もあわてて加わり、我に返った蓬莱寺や醍醐も引き上げる作業にくわわる。

 

私たちもあわててそちらに向かった。

 

「......なぜ助けたんだい......この僕を......」

 

美里が《力》を使って唐栖も含めて治療しているさなか、そんな疑問が投げられる。

 

「槙乃、唐栖の身体の様子は?」

 

「......大丈夫です、どうやら唐栖君の身体の中には蟲はいないようです」

 

「美里さん、どう?」

 

「ええ、傷のふさがり方も普通だし、《氣》の違和感はないと思います。槙乃ちゃんの《力》も合わせて考えるなら、大丈夫じゃないかしら」

 

「あとは報復だけ要注意ってことだな」

 

「......?」

 

「俺がお前を助けたのは話を聞くためだ。その《力》をあたえて、美里さんや槙乃を監視するようにいったやつの正体を教えてくれ。俺はそいつを倒すためにここにいるんだ」

 

「なんだ、なんだ。オレ様みてェに生まれ育った街を守りたいだけじゃなかったのかよ、緋勇。なんか訳ありなのか?」

 

「俺の目の前でクラスメイトが死んだんだ。唐栖みたいに《力》を与えられて暴走したあげく、《力》をコントロールしきれなくなって化け物になって死んだ。お前を助けたのはクラスメイトを助けられなかったからだ」

 

「化け物?」

 

「《氣》のバランスが一気に崩れて身体が原型を保っていられなくなったみたいだった。髪の毛ひとつ残らず消滅したよ」

 

緋勇の真実味にあふれた言葉を聞いて、唐栖はようやく《力》がどういうものなのか考えることなく使っていた自分が怖くなってきたのか青ざめていく。雨紋は舌打ちをした。

 

「今更死ぬのが怖くなったのかよ、唐栖ッ!てめーが今まで手をかけた人達はもう怖がることもできねーんだぞッ!!こんなことになる前になんでオレ様に相談しなかったんだよ、いつもみたいにさァッ!いいかげんにしろよ、てめェッ!!」

 

ああくそ、と爪が白むまで握りしめた雨紋は緋勇をみた。

 

「唐栖のことは任せてくれねえか?必ず警察に連れてくからよッ。それと、ここで知り合ったのもなにかの縁だ。次もこんなことがあったら、オレ様にも手伝わせてくれ!頼む!」

 

緋勇は笑ってうなずいた。

 

「これからよろしくな、雨紋」

 

「おう、緋勇......いや、緋勇センパイ」

 

「あっ、てめっ、なんで緋勇だけセンパイ呼びなんだよッ!!」

 

「なんでってフィーリングだろ、こういうのは」

 

「ふっざけんな~ッ!緋勇、俺は反対だからな、こんな礼儀知らずの後輩!」

 

「わーったよわーったよ、よろしくお願いします、蓬莱寺」

 

「名前が苗字に変わっただけじゃねェかッ!!」

 

私たちは笑ってしまったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖18

 

横殴りの冷たい風が吹きすさび、私の髪を弄ぶ。五感がやけに冴え渡るたび、私は夢の訪れを自覚した。この夢を見るのは1週間前からだ。私は今は瓦礫とかしている時諏佐邸の前で立ち尽くしている。始まりはいつも同じだ。

 

「いか、なきゃ」

 

現実感のない焦燥感に駆られて、歩き出す。情報が欠如しているが、私は衝動を抑えることができない。奇妙な高揚感と浮遊感に苛まれながら、直感的に前に進む。

 

すさまじい轟音が響いた。音のする方に目をやれば、すさまじい風が産み落とされる。巨大な影が私を横切り、瓦礫の大地を真っ黒に染めた。荒れ果てた空の向こうには、巨大ななにかが飛んでいった。

 

「はやく、いかなきゃ」

 

あの影の正体を私は知らないが、《黄龍》とは似ても似つかない禍々しさがあった。死の気配が拭えない。あの影のせいで東京が崩壊したとは思えないが、なにか関係があるはずだと私は確信していた。生まれ育った街は不気味なほどの静寂に包まれている。自然と早足になり、やがて駆け出す。ここは間違いなく私の知っている街だ。そして、この光景はやがてくる破滅の序章にすぎない。

 

遠くなっていく竜の産み落とす暴風に紛れて、何か聞こえる。

 

地面に突き刺さっている瓦礫の山を背に、揺らめく影が見えた。逆光で表情が望めないが、私より下の年いかない少年だろう。それは不鮮明なホログラムのように揺らめいている。声は不自然にノイズ混じりである。意識がもうろうとしているのか、とぎれとぎれで、か細い声だった。ウエーブがかった金髪とみどりの目をした少年だった。影だと思っていたのは、すっぽりと体を覆う黒のローブだとわかる。

 

少年は、ぽたぽたと足下を赤く染めていく。訴えるようなまなざしのまま、さらに荒れ狂う空と同化し、消えていく。少年だけではない。この世界ごと、消えようとしている。それが世界の終わりなのか、夢の終わりなのか、いつも私はわからない。ただ少年に届かないとわかっていながら手を伸ばす。

 

少年の輪郭すらおぼろげになっていく。私の決死の叫びがと届いたのだろうか。少年はほんのわずかなほほえみを浮かべる。

 

『――――うん、待ってる』

 

翼をもった少年は明らかに人外だ。どうして本気で助けようと思ったのか、夢から覚める度にそれが一番恐ろしかった。

 

「おはようございます」

 

「はい、おはようございます」

 

私が何時に起きても時諏佐槙絵は出勤の準備をとうにすませていて、私の朝の支度をみながら朝食の準備をしている。お手伝いさんはいるのだが、出来うるかぎり家族として一緒にいたいといってはばからない。私が朝食や弁当の準備をすることもあるのだが、それは頼まれたときだけだった。彼女の中では完璧なサイクルが完成していて、そこに踏み込まれることを嫌がるのだ。直接いわれたことはないが、彼女は完璧主義なきらいがあった。

 

「槙乃さん、眠そうだけれど大丈夫?また眠れなかったのかしら」

 

「今日も同じ夢をみました」

 

「東京が壊れて、翼をもった少年を助けようとする夢?」

 

私はうなずいた。

 

「《如来眼》に予知夢の類はなかったように思うけれど、《アマツミカボシ》の《力》まではわからないわ......」

 

「予知夢......」

 

「愛さんの話が気になって調べてみたのだけれど、古代宗教のドグマをまとめた本に面白い記述をみつけたわ。人は広大な夢の中に生き、個々の夢は神聖な魂との繋がりを表す。マオリ族の精神の支柱は夢である。彼らは夢を見たとき、重要な場面をシンボルとして土に描く。シャーマンがそれらを解釈し、部族の生活について決定を行う。しかし我々の調査では、予言的な夢が報告されることは稀であった。つまり、毎日見る夢は予知夢ではないのよ」

 

「誰かに干渉されているということでしょうか?」

 

「そうね。いつからその夢をみるようになったのかしら?」

 

「う~ん......唐栖君の事件の後だし、カラスにはもう監視されていないはず......。あ、最近、墨田区で夢が原因で不審死や自殺が相次いでいるので、アン子ちゃんと調査に何度かいってます」

 

「もしかしたら、それが原因ではないかしら。知らないうちにその《力》の持ち主と接触しているのだとしたら......。悪いことは言わないわ、一度桜ヶ丘中央病院に行きなさい。犬神先生には私から休むと伝えておきますから」

 

「あ、ありがとうございます」

 

「いいのよ。あなたは精神的な攻撃に弱いのだと教えてくれたからできることはしなくてはならないわ。あなたは私の希望なのだから」

 

私はSPの人が運転する車に乗り込み、病院に直行することになったのだった。

 

 

 

 

「どうしてこんなことになる前に来なかったんだい」

 

開口一番に私はかかりつけの医者である岩山先生に怒られていた。岩山たか子(いわやま たかこ)先生は新宿中央病院院長。表向きは産婦人科医だが、現代医学では説明不可能な怪我や病気も治療する心霊治療のエキスパートだ。真神学園のOGで、当時は担任の犬神に憧れる普通の美少女だったが、その容姿と引き換えに驚異的な治癒力を得るためにあえて肥満体となり、年齢も年をとらない犬神を追い越してしまった。

 

若くていい男が大好きで、大の女性嫌い(ただし高見沢についてはその能力を買っている)。京一の師匠とは顔見知りのようであり、京一にとっては悪夢に近い存在だ。

 

「アンタが時諏佐先生の娘じゃなかったらこんなもんじゃ済まないからね、全く......」

 

私がこの病院の設立にも深くかかわっているおばあちゃんの養女じゃなかったらもっと扱いが酷かったに違いない。さすがに誘拐された娘を殺害されたせいで《アマツミカボシ》のホムンクルスを養女に迎えるほど追い詰められていた恩師の気持ちを慮ると女嫌いもなりを潜めるようだ。ただしおばあちゃん贔屓のため私が無茶をすると当たり前だが小言が多くなる。

 

「こないだの定期検診の時は異常なんて見当たらなかったってのに、ちょっと合間があいたらこれだ」

 

「槙乃ちゃん、大丈夫~?」

 

「大丈夫じゃないみたいですね......」

 

心配そうに見つめてくるピンク色のナース服の少女は高見沢舞子(たかみさわまいこ)。新宿桜ヶ丘中央病院の看護婦見習いだ。性格は天真爛漫で言動はやや幼い。一人称は「舞子」で、年上であっても男子を「クン」、女子を「ちゃん」づけで呼ぶ。天真爛漫な言動の裏に深い思いやりの心を持つ。霊魂と会話できる特異な能力を岩山院長に見込まれており、彼女が裏で行う心霊治療にも携わる。ピンクの白衣姿で歌舞伎町界隈をウロウロしているため、風俗関係者と間違えられそうになることもあるらしい。新宿区の鈴蘭看護学校2年百合組で宿星は「仁星」だ。

 

「どこが大丈夫に見えるんだい。ホムンクルスであるにもかかわらず《氣》の力が弱まってるんだ。一体どんな状況に陥ったらそうなるんだい、全く。このペースで魂削り取られちまったら、死ぬよ。まずはなにがあったか話してごらん。診るのはそれからだ」

 

私は事情を説明した。

 

「墨田区ねェ......《力》に目覚めた者がいるってわかった時点でなんで自ら首を突っ込むんだか......。ただでさえ柳生に目をつけられてるってのに、飛んで火にいるなんたらじゃないか。ところでアンタは睡眠の状態を脳波であらわすのは知っているかい?」

 

「ノンレムとレムのことですよね?」

 

「そうさ。眠りはノンレムの最終段階でもっとも深くなり、そして醒めた時の脳波と同じ状態をレムと呼ぶ。このふたつの睡眠パターンが移行する時、人の体には急激な体内変化が起こる。眠りが浅くなると脳の動きが活発になる。つまり、循環機能の働きが増し、血圧上昇や脈拍増加が起こる。その時に恐怖や不安を引き起こす夢を見るとどうなるかわかるか?」

 

「───────......」

 

「機能の急激な変化が急激な圧迫や過度のショック、内臓出血などの症状を引き起こす。つまり───────このまま行けばお前は死ぬということだね」

 

岩山先生は苦い顔をする。

 

「《氣》の回復は上手くいったんだが、精神力が戻らないんだ。これは《力》ある者だけの仕業じゃないね」

 

「えっ、夢に閉じ込められてるだけじゃないんですか?」

 

「違うね、精神力と魔力がごっそりもっていかれてる。アンタだから眠いだけで済むが、普通の人間だったらそのまま覚醒の段階で障害がでて廃人に一直線だろうさ。恐ろしい話だよ。意識はノンレムでとどまったまま、無意識のうちに死ぬんだ。本来なら同じレベルに意識が留まることなどありえないのだがね」

 

私は思わず閉口した。

 

「今回の件は関わらない方がいいよ。......とはいえ、もう捕捉されちまってるからねえ......どこにいようが夢に誘われて終わりがオチか......。さあて、どうしたもんかね」

 

「ええっと~、入院ですか~?」

 

「まあ、ウチにいた方が応急処置はできるしね。泊まっていきな」

 

岩山先生にいわれ、私は受け付けに向かった。

 

「紗夜ちゃ~んッ、お客様だよ~」

 

「あッ......」

 

がたっとカウンターごしに研修中の札をつけた看護師見習いが立ち上がる。

 

「ま、槙乃さんッ!」

 

「紗夜ちゃん......どうしてここに?」

 

「え、あ、あの......」

 

「あれ~?紗夜ちゃん、槙乃ちゃんとお友達なの~?やった~、お友達がお友達だと舞子うれしい~」

 

「そうなんです......。わたし、実は高見沢さんと同じ品川区の鈴蘭看護学校に通っている2年生なんです。4月からアルバイトとしてこちらで......」

 

「そうだったんですか、驚きました。私、定期的にこの病院にお世話になっているんです。今まで会えなかったのが不思議なくらいですね」

 

「......そう、ですね。で、でもッ、こうして会えてわたし、うれしいです」

 

「私もうれしいです。これでまた紗夜ちゃんと友達になれましたね」

 

「......はいッ」

 

「槙乃ちゃんと紗夜ちゃんは~、どうやってお友達になったの~?」

 

「あ、それはですねッ、兄さんから聞いた話なんですが......私と兄さんが飛行機事故でお父さんたちが亡くなった時からずっと時諏佐先生が色々と手助けしてくださったそうなんです」

 

「時諏佐先生って、槙乃ちゃんのおばあちゃんの~?」

 

「はい。以前、アルタ前でお兄さんにお会いしまして。名刺を頂いたのでおばあちゃんに渡したら、この前の休みに連絡して遊びに来てくれたんですよね」

 

「あの時はありがとうございました。一緒にご飯食べて、お泊まりできて、楽しかったです」

 

比良坂紗夜(ひらさかさよ)は憂いを秘めた儚げな笑みを浮かべてわらった。比良坂、そう以前アルタ前で出会った比良坂英司の10才年の離れた妹で、その外見に相反するかのような最強無比の《力》を持つ美少女である。

 

その能力は歴史さえ改変し、死すら乗り越える奇跡をも起こすが、その《力》が発揮されるためには、緋勇龍麻との間に強い絆が結ばれることが必要だ。唄に《力》を乗せることができる能力者でもあり、宿星は「伊邪那美命」。

 

口には出さないものの、美里葵とは龍麻を巡って無意識的に反発し合う運命にある。

 

私は正直驚きを隠せない。本来比良坂紗夜が私たちの前に現れるのは、兄の命令で緋勇を誘拐するための前段階として一般人の振りをして現れるためだ。出会いを重ねるうちに本気で緋勇に惚れてしまうかどうかで彼女の《力》が覚醒するかどうかが決まる。覚醒しない場合、そのままフェードアウトする運命にあるのだ。

 

フェードアウトしなかった場合、品川区の桜塚高校から鈴蘭看護学校に転校して再会し、初めて仲間にすることができる。

 

今、この段階で鈴蘭看護学校に在学し、この桜ヶ丘中央病院にいるということはあれだろうか。私がおばあちゃんに情報提供したおかげで比良坂兄妹は少しでもましな人生を歩んでこれたんだろうか。そうだったらうれしいのだが。

 

「兄さんも会いたがってました。また今度、どこかに遊びに行きましょう!」

 

「そうですね、どこかお茶にでも」

 

ずいぶんと懐かれたなあと思う。比良坂兄妹からしたらおばあちゃんは恩人というか、ちの繋がらない親戚みたいなものだろうし、その養女であり邪険にした覚えもないので補正込みで好感度が高いのかもしれない。

 

こうしてみると妹は大丈夫そうなのだが、兄は妹を遠ざけているパターンかもしれない。どうも私を見る兄の目がただの好意には素直に受け取れないでいた。妄執というか執着というか、そういった言葉にしにくいぐちゃぐちゃとした感情が見えてしまっている。それが初恋をこじらせたヤンデレだったらまだマシなんだが、崇拝じみたものも可視化されてしまうあたり《如来眼》は因果な《宿星》である。

 

「......それで、どうしたんですか、槙乃さん。入院手続きはこちらになりますけど......」

 

心配そうに聞いてくる紗夜に高見沢はぜんぶ喋ってしまう。どうやらこの病院にアルバイトに入れたのはそれなりの理由があるからのようだ。おばあちゃんが推薦したのかと思ったがちがうのか。

 

「夢......ゆめですか......」

 

紗夜は考え込む。

 

「お昼休みになったら、病室にお邪魔してもいいですか?わたしの《力》で少しでも元気になってもらえたらいいんですけど」

 

えっ、もう《力》つかえるの?



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖19

「おッ、あいも変わらず揃ってるわね、皆の衆。おっまたせ───────ッ!」

 

「おせえぞ、アン子。時諏佐が入院したって言ったのお前だろ~がッ。なんでお前が一番おせェんだよ」

 

「なによ、京一ッ!辛気臭い顔してッ!あんたはのーてんきさだけが取り柄なんだからしっかりしてよねッ。せっかくのお見舞いが台無しになるじゃない」

 

「俺は、お前と違って、悩み多きふつーの高校生なんだよッ」

 

「あら、失礼ねッ。あたしだって悩みぐらいあるわよッ。たまには目覚ましや原稿から逃れて───────思いっきり眠りたいときもあるんだから」

 

「ははははッ、バイタリティーの塊の遠野の口からそんな台詞が聞けるとはな」

 

「お前にも人間らしいところがあったとはね......」

 

「なによッ。一体あたしのことなんだと思ってんのよッ!ふあァ~あ......。昨日だって一晩中原稿書いてたから眠くってしょうがないのよ。龍麻くんだって、一日中寝てたいこともあるわよね?」

 

「目覚まし止めて二度寝は最高だよな」

 

「やっぱり、そうよねェ。1日でいいから、誰にも邪魔されずに......いけないっ。ますます眠くなってきた」

 

「でも夢もみないでゆっくり眠りたいっていうの、ボクよくわかるなあ......」

 

「つうか、時諏佐はダウンしたのに、なんでおめェはピンピンしてんだよ」

 

「知らないわよ、そんなの~ッ!あたしに降り掛かったら調査できたってのに敵も空気読まないわよね~。まあ、覚めない夢は悪夢でしかないわけだけど」

 

最近、墨田区で原因不明の突然死や謎の自殺が多発しているのだと遠野はいう。初めこそ1週間で6人というペースだったのだが、いまや24人という尋常じゃないペースである。実は警察も公表していないのだが、仕入れた情報によると死んだ人間には、奇妙な符号があるのだ。夢を見ながら死んでいく人、夢を残して自ら命をたつ人。全ての人が夢に関わって命を落としている。

 

前日の夜まで変わりなかった人が朝の布団の中で冷たくなって発見されたこと。自殺者の中に夢に悩まされていた人が多かったこと。夢見のせいで気が狂って自殺に及んだ人もいる。しかも、その全ての事件が墨田区とその周辺で起きている。犠牲者は学校関係者や高校生に多い。

 

「槙乃がいうには幽体離脱の可能性もあるらしいのよ。植物状態の人をお見舞いにいった時にいってたわ。魂の一部が拉致されてるんじゃないかって」

 

遠野の情報に緋勇たちは顔を見合わせた。

 

「で、時諏佐はどんな感じだったんだ?」

 

「槙乃がいうはね、毎回同じ夢をみるらしいのよ。破壊され尽くした東京の真ん中で翼が生えた少年を助けようとするけど消えちゃう夢なんだって」

 

「へえ~、なんか変わった夢だね。天使っていえば葵ってイメージだけど。あ、そういえば、葵も最近変な夢みるっていってなかったっけ?」

 

「えッ......えェ......」

 

「それほんと?いつから?」

 

「ええと......たしか墨田区のおじいちゃんの家に遊びにいってから......」

 

墨田区。今までの話の流れのせいだろうか、嫌な予感がするらしい美里は顔色が悪い。その言葉に緋勇たちは顔を見合わせた。

 

「美里、どんな夢だった?よかったら聞かせてくれないか?槙乃が墨田区に調査にいってから繰り返し悪夢をみて入院したなら、美里も無関係じゃないかもしれない。心配なんだ」

 

緋勇に心配され、至近距離から顔を覗き込まれる。うっすらと顔を赤らめた美里はおずおずとうなずいた。

 

「また......この景色......。毎晩同じ夢ばかり......。ここは一体どこなの......。誰か......」

 

一面砂漠の世界が広がっていて、青い空ばかりが広がっているのだという。

 

《美里葵》

 

どこかで聞いたことがあるものの、思い出せない。男の子の声がする。声変わりはしているようだから、中学生以上の男の子の声がする。

 

「───────!?誰なの?」

 

美里が呼びかけても返事が帰ってきたことは一度もない。声だけが聞こえる。

 

《おいで》

 

その声の先には埋もれた公園の遊具があり、一番奥には砂まみれの玉座があった。どこかで見たことがある公園なのだが、広大な砂漠に遊具だけ埋もれていて、花壇も樹木もないために美里は思い出せない。

 

「あなたは、一体......」

 

《おいで、美里葵。僕のところへ》

 

「お願い......姿を見せて。私をここからだして......。お願い......」

 

「ダメだよ。そこが一番安全なんだ。だってボクが......このボクが見守ってるんだから。安心して、葵......。ボクが君を護ってあげる。誰にも君を汚させはしないよ......」

 

美里は怖くてたまらなくなる。体が動かない。いうことを効かないのだ。そして、このタイミングでいつも美里は体が金縛りにあい、気づいたら磔にされているのだという。

 

「ねェ......いつまでもそんな女相手にしてないで、そろそろ始めようよ」

 

少女の声が下からするが美里は体が動かないため、見ることができない。

 

「あ、亜理沙......」

 

「で───────?今日はどいつにするの?」

 

「や、やっぱり、あいつだ......。だって僕の上履きを焼却炉に捨てたんだ。ボクは止めてっていったのに......。あいつらわらいながら......」

 

「そうよ......。許しちゃダメ......。復讐するのよ......。おんなじ苦しみを味あわせてやるの......」

 

「う......うん......」

 

「あなたの心の苦しみを判らせてやるのよ......」

 

「ど、どんな風にしようかな......?」

 

「フフフッ、あなたの思うままに......」

 

「......」

 

「あなたの......望みのままに......」

 

「誰か......誰か......助けて......」

 

美里は必死で祈るのだ。

 

『聖者は十字架にくくられました。聖女はどうなるのかな』

 

すると決まって幼い少年の声がするのだ。知らない声だった。

 

『人間の分際でボクの領域を侵食するなんていい度胸してると思わない?』

 

恐怖のあまり涙で前が見えないために美里は少年の顔を見たことがない。

 

『せっかく君たちが夢の国と繋がらないようにしてあげてるのに』

 

ただ真横で囁かれているような近さである。

 

『ボクの世界を侵したんだ、それなりの報復は受けてもらうよ。助けて欲しいならいわれた通りに死んでみせてくれ』

 

それは舌をかみきってだったり、自分の《力》を使い果たして化け物になったり、毎回違うのだが死にたくない美里は必死だった。そして今日も美里は目を覚ました。

 

「話してくれてありがとう、美里。磔にされた挙句に死を強要されるのか......つらい夢だな」

 

頭を撫でられて、美里は泣き出してしまう。

 

「その少年が首謀者で、美里を慕っているが歪んだ保護欲から守ろうとしているようだな」

 

「で、その女が唆してるパターンだな?いい度胸してんな、俺たちに喧嘩を売るとは上等だぜッ」

 

「もしかして、それに怒ってる誰かが死を強要してるとか?」

 

「美里の夢というより、《力》の持ち主の夢の中に引きずり込まれているみたいだな。そして、さらにやばいところに迷い込まないようにしている誰かがいるんだが、かなり怒ってる」

 

「助けてくれるだけじゃないってのが日本の神様っぽいわね、必ず見返りを求めるあたりが」

 

遠野は今回の事件について調べるために本を読み漁ったようで、夢占いもどきをしてくれた。

 

夢の世界の砂漠は、大きく次の3つを象徴しているという。見通しがつかない状況、孤立、潤いのない状態。目の前に荒涼とした砂漠が広がる夢は、見通しがつかない状況を象徴している。未来に対する不安や恐怖を抱いている、あるいは絶望的なピンチに陥っている可能性を暗示している。

 

また、砂漠は孤立無援の状況を象徴することもある。誰も理解してくれる人が見つからず、自分の殻に閉じこもりがちになっている。

 

さらに、砂漠は生命の源である水が枯渇した状態、いわば、潤いのない暮らしを送っていることを意味する場合もある。早急に何かをする必要がある。

 

砂漠が目の前に現れる夢や、砂漠の真ん中にポツンといる夢は、周囲から孤立した状態に追い込まれるサイン。場合によっては、すでに孤立してしまっていることを表す。このまま行けば、苦しい展開になる可能性が高い。

 

「もしかしなくても、《力》の持ち主はいじめにあってるんだろうな。そして少女は《力》を使って報復するよういった理解者。美里を夢の中に連れていくのは現実世界がつらい場所だから守ろうとしている」

 

「もしかして、夢の中で死んじゃったら、その通りに死んじゃうやつ?」

 

「なるほど......だからいじめに加担したり、見て見ぬふりをした連中に報復しまくってやがるのか」

 

「でも、被害者多すぎない?もう100人に行きそうなんでしょ?」

 

「......その男の子が怒ってるんじゃないかしら」

 

「たしかにありえるかもね~」

 

遠野曰く。夢占いによると砂漠の夢で人にあうときは、その人物があなたを陥れている張本人であるという暗示。もしくはその人物があなたの救世主であるという暗示。

 

夢で見た相手の印象や会話の内容にも注目して、どちらの意味を表しているのかを判断する必要がある。

 

砂漠で出会った相手に対して良い印象を抱いた場合、それは貴方を助けてくれる協力者や支援者である事を暗示となる。困ったり窮地に陥った際にはその相手に応援をお願いする事で、乗り切る事が出来る。

 

砂漠で出会った人に対して何となく嫌な印象を抱くなどした場合、その相手が現実でも邪魔をしたり、物事が上手く行かない原因になっている。第一印象だけではなく、相手の話していた事やその内容なども良く思い出して、どちらの該当者なのか見極める。また人ではなく砂漠で動物に出会った場合も同様の解釈となる。

 

「どう思う?」

 

「......怖かった、とは思うの。でも、二人の会話を聞いているとどうも悪い人じゃなさそうだなとは思っていた、気がする......」

 

「幼い男の子は?」

 

「そちらの方がなお怖かった......普通の人間じゃない気がして......。2人は《氣》を感じ取れるけど、頭がね、《氣》を探ろうとするのを拒否するの。知っちゃいけない、気づいちゃいけない。心がそう叫んでいるようで......」

 

「つうか、美里を助けたいならなんだって磔なんだよ」

 

蓬莱寺の疑問に遠野は答える。

 

「磔にされて身動きが取れず、一方的に痛みや苦しみを味わっている恐怖は、今あなたが現実で置かれている状況を表します。苦しいのに逃げられないプレッシャーを意味しているのです。自分が十字架に磔になり死んでしまう夢は、運気好転を意味しています。物事がうまくいくことを示しています。辛かった試練を乗り越えて新しく再スタートがきれそうです。新しい自分、新しい生活に変わります。気持ちは先を見ているようです。ですって。案外夢占いだと死ぬことは悪いことじゃないのよね」

 

「つまり......私の深層意識がそうさせているということ?」

 

「ただ、それは夢占いの話だろ?美里は《力》のあるやつに何回も気に入られてるから、怖くなってるのもあるはずだ。無理やり夢の世界にとどめようとしているから、キリスト教徒の美里には、苦行、あるいは拷問のイメージでそうなっているのかもしれないな。まだ1ヶ月もたってないんだ、無理しないでくれ」

「......ありがとう、龍麻君......」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖20

ブラックホールみたいに深くて飲み込まれたら二度と戻れなくなりそうなほど甘い声がする。つややかで繊細な節回しだ。美しい鈴のような声で歌う。

そこに高見沢の哀しみを照らす太陽のような歌声が加わる。2人の声が優しく包み込むような春が来たような清らかなコーラスとなる。私は心が安らぐ歌声に心と身体をゆだねていた。

 

そのどちらもが存在感のある素敵な歌声だった。本当にそこから太陽がもう一度顔をのぞかせそうな気がしてきた。それはとてもあたたかいやさしい気持だった。2人は歌いながら笑顔で見つめ合う。目だけ合わせて、笑い合った。つられてくちもとが笑うと、歌も明るい笑顔の相になる。

 

いつまでもこの空間に、一度きりの生の音のなかで泳いでいたい。 誰もがそう思う。そういう天才の歌だ。 白くて、粒子が細かくて、甘くて、光り輝いていて涼しい風のような、そういうものでできた歌声だ。

 

さすがは方陣を組む2人である。相性は抜群なようでなによりだ。それなのに紗夜は園芸部、高見沢はソフトボール部なんだから意外というかもったいないというか。

 

私は拍手していた。こころなし、気分が軽くなった気がする。

 

「槙乃さん、顔色がよくなりましたね、よかった」

 

「ほんとだ~っ!」

 

高見沢に抱きつかれた。

 

「ありがとうございます、2人とも。とても気分がよくなりました」

 

「よかった......」

 

「すごいですね、紗夜ちゃん。そんな《力》があるなんて」

 

「えへへ......ありがとうございますッ。生まれた時からずっとそうなんです。この病院に来て、高見沢さんや岩山先生に受け入れてもらえて、ようやく自信が持てたんです。槙乃さんならきっとおふたりのように受け入れてもらえると思っていました。力になれて良かったです。あなたになにかあったらと思ったら怖くてたまらなくて」

 

「ねッ?ねッ?舞子の言ったとおりだったでしょ、紗夜ちゃんッ!槙乃ちゃんは優しいんだよ~ッ。初めてあった時も~、舞子が幽霊さんとお友達だっていっても~、気持ち悪いって言わずにすごいですねっていってくれたんだもん。ね~」

 

きゃっきゃ喜んでいる2人が可愛い。私はつられて笑ったのだった。

 

「槙乃、槙乃、気分転換してるところ悪いがこれるかい?高見沢もだ。アンタの《力》が必要になる。比良坂は受け付けにもどりな、また急患だ」

 

「えっ、あ、はいッ!」

 

「なんですか~?」

 

「急患?!」

 

「美里って子が倒れたらしいからね。アンタの友達なんだろう、槙乃?」

 

その一言で私は立ち上がる。岩山先生の後を付いていくと、ベッドに寝かされている美里とこれから治療が始まるからと追い出されたばかりの緋勇たちがいた。

 

「それほんとですか?」

 

美里の悪夢について話を聞いた私は驚くしかない。

 

「さっすが槙乃、わかったんだ?」

 

「ミサちゃんが槙乃に聞いてっていうだけはあるね~」

 

「ううむ......正直どちらもオカルトにしか思えんが......」

 

「深いこと考えない方がいいぜ、大将。せっかく時諏佐はオカルト嫌いだからってぼかして話してくれるだけ良心的だってのに。裏密なんかいつだって隙あらば深淵に引きずり込もうと画策してるじゃね~かッ」

 

「そうだな......ははは」

 

どうやら美里が倒れたとき、緋勇たちは裏密を頼った結果、こちらの病院に行くよう言われたようだ。

 

「ミサちゃんはオカルト全般で私は専門分野に特化していますから......あはは」

 

さて困ったことになった。今回の事件、どうやらクトゥルフ神話にかかわる神格がかかわっているようである。

 

「ヒュプノスってご存じですか?ギリシア神話に登場する眠りを神格化した神様なんですが」

 

とりあえず、一般人向けの話をしてみることにする。美里はキリスト教を信じているからクトゥルフ神話をそのまま話すとSAN値がやばいことになりかねないのだ。

 

ヒュプノスは兄のタナトスと共に、大地の遥か下方のタルタロスの領域に館を構えている神である。ニュクスが地上に夜をもたらす時には、彼も付き従って人々を眠りに誘うという。兄のタナトスが非情の性格であるのに対し、ヒュプノスは穏やかで心優しい性格であるとされる。人の死も、ヒュプノスが与える最後の眠りであるという。

 

一般には有翼の青年の姿で表され、疲れた人間の額を木の枝で触れたり、角から液体を注いだりして人を眠らせるという。

 

ヒュプノスはレームノス島の奥深い洞窟に眠っており、モルペウスをはじめとする三種類の夢の神、オネイロイが漂っているとされる。また、キムメリオス人の住むという世界の果ての島の近くに暮らすともいわれる。

 

ヘーラクレースを迫害するヘーラーに頼まれてゼウスを眠らせたことがあり、その後ゼウスに罰せられる所を母であるニュクスに助けられた。また、トロイア戦争の際にも、戦争からゼウスの気をそらそうとしたヘーラーに頼まれてゼウスを眠らせており、その後ヘーラーからパーシテアーを妻とすることを許された。

 

「おそらく、ヒュプノスが怒っているのではないでしょうか。夢を司る神様ですから、人間が好き勝手していることが我慢ならないのでしょう。神様からすれば、私たちの戦いなんて関係ないですから」

 

私の言葉にみんな顔を見合わせた。

 

「味方でもないし、敵でもないんだと思います。助けてくれただけ有情ではないでしょうか。私が思うに金髪の少年はあまりあてにせず、邪険にしなければこれ以上怒りをかわない。夢の世界に葵ちゃんを助けに行く以上、怒りをかうのは目に見えていますから、少しでも刺激しない方がいいと思いますよ。そうじゃないと夢の世界から出してもらえなくなると思います」

 

ちなみにクトゥルフ神話に取り込まれたパターンの神様でもある。眠りの中で魂が宇宙の秘密に迫る者に災いをもたらす存在とされている。

 

悠久に若く、美しい若者がヒナゲシの冠を被っている姿をしているといわれている。別名〈眠りの大帝〉。

 

しかしその本当の姿は悪夢のように歪んでいる恐ろしい存在であるらしい。美里が本能的に《氣》を読むことを拒んだのは懸命だ。SAN値が吹き飛びかねない。

 

ヒュプノスは現実世界とドリームランドというニャルラトホテプ(クトゥルフ神話におけるトリックスター)が支配するやばい世界の間にあるという眠りという境界に関係する存在だ。夢を見る人はヒプノスの領域を通って旅行しているのだというドリームランドでいくつかの非人間によって崇拝されている存在である。

 

夢見る人が夢のなかで問題を起こしたりしてヒプノスに目をつけられてしまったら、ヒプノスの思う通りの姿に変えられてしまうのだという。そうなった者は基本的にはもう二度と元の世界に帰ることができなくなり、夢のなかでヒプノスと永久に暮すことになるといわれている。

 

この世界においては、おそらくヒュプノスは旧神だ。クトゥルーたちを封印したりこの時空から追い出したのは彼等であり、彼等の中で唯一名前が判っているのはノーデンスだけだという説が正史となっていることを私は知っている。夢の世界だからヒュプノスは除外なんだろうか。

 

なにせ私は《天御子》が創造したウボサスラを模倣した生命体と接触したことがある。そのため旧神達が道具として作ったウボ=サスラが自分達の子供である旧支配者達を引き連れて叛乱を起こしたという歴史がこの世界においては正史だと知っている。

 

だから、ヒュプノスはドリームランドと現実世界とが繋がる前の空間を統括しているといいたいのだろう。今回の敵は夢の中に人間を引きずり込んでいる。それがドリームランドに繋がりそうになって、封印がとけそうになったものだからヒュプノスは怒っているのだ。

 

《如来眼》も《菩薩眼》もその源流は《アマツミカボシ》にある。その《アマツミカボシ》は旧支配者ハスターの狂信者だった。美里はキリスト教徒だとしてもヒュプノスにはハスター側の人間にしか見えないのだろう。そして

私は《アマツミカボシ》転生体な訳だがあの夢はあれか、クトゥルフかアザトースが目覚めるかもしれないから気をつけろ、なんとかしろって警告だろうか。それともヒュプノスが死ぬ時はクトゥルフかアザトースが目覚める時だから覚悟しろって意味だろうか。

 

美里が過酷な条件つきで助けてもらえたのはそのためだろう。さすがにそれを包み隠さずいうわけにはいかないので、私はオブラートにつつむのだ。

 

「海外の神様なのに、日本っぽい神様ねえ」

 

「私たちが日本人ですから、ヒュプノスもあわせているんじゃないでしょうか」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖21

《美里葵、おいで》

 

あの声に呼ばれたとき、美里は抗いようがない強烈な睡魔に襲われた。いつかのように緋勇に抱きかかえられ、みんなが美里の名前を呼んでかけよったのが最後の光景だ。

 

「そんな......。まただわ......夢じゃないのに、砂漠の中にいるなんて......」

 

震えが止まらなかった。

 

それは地球の果ての砂漠にも似た場所だった。どれほどの水を注いでも、注ぐそばから地底に吸い込まれてしまう。あとには湿り気ひとつ残らない。どのような生命もそこには根づかない。鳥さえその上空を飛ばない。何がそんな荒れ果てたものを《力》をえたという少年の中に作り出したのか。想像せずにはいられなかったのである。

 

「あなたにその《力》を与えたのは、誰なの?」

 

「うれしいよ、美里。僕なんかに興味を持ってくれるなんて」

 

「───────!?」

 

美里はあわてて振り返った。そこには一人の少年がいた。

 

「久しぶりだね、美里」

 

「あなたは......」

 

「やっと会えた......」

 

美里の問いかけに嵯峨野と名乗った少年は早口でボソボソと喋り始めた。嵯峨野麗司(さがの れいじ)は墨田区にある覚羅高校の生徒。典型的ないじめられっこで、学校でも街中でもいじめに遭い、家族も理解してくれず誰も助けてくれない状況だったという。

 

「そこにあの人は現れたんだ」

 

やはり赤い髪の男だった。名前もどこの誰かもしらない。美里のような《力》が欲しいかと問われて、復讐できると言われ、嵯峨野はその甘言に乗ってしまったのだという。目の前でたまたま声をかけてきたいじめっこの取り巻きを男は嵯峨野の目の前でなんの躊躇もなく殺してみせた。触ってすらいないのに取り巻きはふきとばされて、体が砕け散って死んだ。その時の爽快感、そして《力》による復讐ならこちらが罪に問われることはないと言われてなにかが壊れるのを感じた。

 

嵯峨野は1人ではなかった。男は嵯峨野に協力者をくれたのだ。

 

藤咲亜里沙(ふじさきありさ)という同じ覚羅(かぐら)高校3年A組、陸上部所属の女子生徒だった。嵯峨野を何度も庇ってくれた子だった。妖しくセクシーな美貌を誇る激しい気性の少女だ。

 

話を聞けば、弟がいじめられて自殺し、それ以来いじめをする連中に制裁を加えるなどしており、同じ境遇の嵯峨野麗司と出会ってからは彼に亡き弟を重ねていたという。彼女がいうには、嵯峨野のいじめは弟と状況が似すぎている。下手に善意の第三者が介入すると弟の担任のようにいじめの首謀者にでっちあげられて全ての責任をとらされて辞職してしまう。だから自分たちだけで解決すべきだ。手伝うから頑張ろうと言われたという。今の嵯峨野は今にも死にそうな顔をしているからと。

 

藤咲はわさわざ嵯峨野のために《力》に目覚めてくれたのだ。

 

「君のいう通りだったよ、美里!神様はいるんだ!」

 

こうして会ってからようやく美里は嵯峨野を思い出した。白鬚公園でいじめられていた高校生だ。暴力をふるわれ、カツアゲされ、ボロボロになって放置されていたところに美里はたまたま通りかかって介抱したのだ。汚れていたからハンカチで拭いてあげて、話を聞いて落ち着くまで待ったのだ。あまりに酷い怪我だったから、内緒にすることを条件に《力》を使った。その後のことが心配だったが、大丈夫だからと名前も名乗らずに嵯峨野は去ってしまったのだ。

 

嵯峨野はあの時とはちがい、目がギラギラしていた。

 

「美里、君のおかげで僕は生まれ変われたんだ。《力》を手に入れることができた!みてくれ、あの時僕を犬みたいにうつ伏せにして歩かせて、リードをひいていたやつらだ!」

 

そこには見るも無残な遺体となった男子高校生たちが積み上げられている。

 

「───────っ!?嵯峨野君がやったの?」

 

「そうだよ。僕が、僕がやってやったんだッ!」

 

「ほんとうに......嵯峨野くんが......」

 

美里は見えていた。今の嵯峨野にはあり、前の嵯峨野にはなかったもの。染み付いて離れない気配がする。サラリーマンに染み付いていた蟲の気配だ。《力》に溺れただけじゃなく、蟲に脳を侵されてから数週間のうちに徐々に精神を蝕まれ、今では悪魔的な儀式や拷問を喜んでやる狂人と化している。

 

「美里、僕はもう君なしでは生きられない。だから君を守るためにこっちの世界で二人で生きていくんだ」

 

それは完全に嵯峨野のエゴだった。美里の気持ちを無視した自分の考えの押しつけそれでは幸せになどなれない。それすらも気がつかないほど嵯峨野は追い詰められている。1度しかあったことがないはずの美里を唯一無二のよりどころにするほどに。

 

なぜ嵯峨野に赤い髪の男は《力》与えたのか。本当に望んでいたのは彼の復讐だったのか。その《力》で何をしてほしかったのか。嵯峨野だけではない。唐栖に対してもいえることでもある。わざと精神的に弱いものに《力》を与えている気がしてならない。蟲がうえつけられている以上、善意でないことはたしかだった。

 

「美里があの時《力》で守ってくれたように!今度は僕が守ってみせる!」

 

美里はこの瞬間に後悔が押し寄せてきた。きっと別れたあの日以降に赤い髪の男に出会って《力》を得たのだ。こんなことなら無理やりにでも連絡先を交換して向き合うべきだった。今更どうにもならない現実が嵯峨野と美里の間に横たわっていた。

 

「何故なの、嵯峨野くん......」

 

「なぜって、君が現実世界に生きている限り、僕の愛は夢のうちに消えてしまうけれど、君がここにいれば僕の愛は永遠に君のものになるからなんだ」

 

完全に破綻した思考と価値観で嵯峨野は生きていた。いざいじめっこを排除したはいいが、嵯峨野がちゃんとした学校生活を送るにはそれだけでは足りない。だから見て見ぬふりをしたクラスメイト、巻き込まれたくないからと密告した生徒、嵯峨野のせいだとまともに取り合わなかった先生。次々に《力》の餌食にしていったという。

 

そこにはかつてハンカチを受け取り、ありがとうといって笑った嵯峨野の姿はどこにもなかった。

 

「嵯峨野君......私は現実世界で生きていきたいわ。もちろん、あなたとも」

 

「どうして。今更もう無理だよ」

 

「遅くなんかないわ。あなたのように間違いをおかしたけれど、罪を償おうとしている人はいる」

 

「君の口から他の男の話なんて聞きたくないッ!」

 

「......」

 

嵯峨野の思考回路が蟲に弄り回されているのが透けて見える。冷静で打算的で無情な蟲は、人間の感情の理解不可能な非合理的活動に魅了されているようでもあった。それがもっと欲しくてたまらなくなり、嵯峨野の恐怖と苦痛から特別な快楽と、それに伴い合理的思考の完全な喪失を体験させることを好んでいる。人間の苦悶を創造し経験する事で得られる刺激に耽溺する蟲のせいで完全な性格破綻者になってしまっていた。

 

嵯峨野は激高して衝動のあまり掻きむしってしまう。

 

「怪我を......」

 

美里は《力》をつかおうとした。

 

「まちな」

 

邪魔してくる少女がいた。

 

「さわるなッ!いくら亜里沙でも許さないぞ!」

 

豹変した嵯峨野が叫ぶ。

 

「......ああうん、ごめんよ、嵯峨野......」

 

彼女が藤咲だろうか、と美里は思った。

 

「なんの用......?」

 

「美里を取り戻しに邪魔者が来たみたいよ」

 

「なんだって!?それは大変だ、美里はここにいてくれ。必ず撃退してくるからね!」

 

そういうやいなや嵯峨野と藤咲は居なくなってしまったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖22

曇天が迫っている。今日は快晴、降水確率はとても低い。行楽日和だと天気予報士が断言するくらい安定した空模様のはずだった。出かけるときは微塵も下り坂の気配なんてなかったのに。緋勇は不安げに空を見上げた。しばらく雨は降り続きそうだ。

 

コンビニで調達した安い傘をさしながら、緋勇たちは向かっていた。この激しさは通り雨だろう。しばらくすれば止みそうだ。

 

「ついてねー」

 

「不穏だね......やだなあ」

 

「そうだな」

 

「コンビニがあってよかった」

 

東京都内には幾多の公園があるが、都立東白鬚公園は、管理事務所もあり、きれいに整備された芝生や花壇がある。テニスコート、少年野球場、遊具広場と一通りのものはすべて揃っているのだが、なぜか雰囲気がくらい。ひたすらに寂しい氣がただよっている。

 

「グスンッ、グスンッ、そうなの~?つらかったね~ッ!もう大丈夫だからね~」

 

土砂降りの雨のなか、ピンク色のナース服の少女が泣いていると、どこかのホテルに呼び出された帰りかと疑いたくなるのは緋勇だけではないはずだ。高見沢は桜ヶ丘病院から白髭公園までの道中、ずっと何も無いところに話しかけては1人誰かと話し続けていた。

 

「おまたせ~。お友達が話してくれたこと、みんなにも教えてあげるね~」

 

高見沢はこうして情報収集をしてくれるので緋勇たちは止められないでいた。

 

なんでもこの公園周辺の学校ではいじめ問題が多発しているらしい。中には過激で執拗ないじめに耐えきれず自ら命をたった生徒もいたようだ。幽霊がでるといつしか噂になり、周辺住民は怖がっていた。

 

精神的な抑圧からおかしくなったり、自殺者があいついだりしたことで、祟りではないかと言われているらしい。夢にうなされたり、夢の世界から戻らない人が急増するという奇妙な現象が相次いでいることも一役買っているらしい。

 

そのせいか、都立公園で殺風景なところもない。広い割にやけに人影が少なく、荒涼という言葉が良く似合う。隅田川にかかる白髭橋と水上大橋の間にあり、向かいに視線を投げると東京ガスの何十メートルもあるガスタンクが何基もある。公園の真上を首都高速が走っている。隅田川沿いを蛇のように南北に長く伸びたこの公園は、歩いたらゆうに20分はかかるくらい広いのだ。

 

その先だとお友達はいっていたという。

 

「ここが......」

 

緋勇たちはアパート群のひとつの棟を仰ぎみる。

 

「夢の犠牲者が多い場所か......」

 

「やっぱりあれだよね。槙乃、ここに住んでる《力》の持ち主とすれ違っちゃったんだよ。相手も《力》が使えることわかったから、警告のつもりだったんだ」

 

「有り得そうな話だな」

 

「どっからでもかかってこいっての」

 

都営白髭東アパートは白髭公園に寄り添うようにして延々と連なる13階建てのアパート群だ。全部で20棟近くはあるだろう。新宿あたりの超高層ビル群とはまた違った建物の密集具合である。

 

「アン子がいってたね。このアパートが日当たりの良さを度外視してこの角度の立て方をしてるのは、防災団地だからだって」

 

「防災拠点市街地というやつか」

 

大地震や大火災の時に地域住民を白髭公園に安全に避難させる目的もかねて作られたアパートだ。いわば周囲から迫ってくる災害から住民を守る結界なのだ。墨田区は大地震が起きたときの二次被害では、東京一危険な地帯とされているためだ。

 

「なのに、その中でいじめかよ。牢獄じゃねーかッ。胸くそわりぃ話だぜ」

 

蓬莱寺はそう吐き捨てた。

 

「さあて、いくか緋勇。空き室に入ったが最後、二度とでてこれねーっていういわく付きのアパートによッ」

 

「ああ、必ず美里を助け出そう。みんな、気をつけてくれ」

 

緋勇たちが遠野から入手していた情報をもとにあるアパートの前に立つ。

 

「......あれは」

 

「どーした、緋勇?」

 

「なあ、京一。あそこ」

 

緋勇が指さす先には、少年がいた。真っ黒なローブを羽織っている、年いかない少年である。少年は傘も差さずに立っている。雨から逃げるように足早に行き交う人々は、誰も見向きすらしない。雨に濡れながら立っている。緋勇は目が離せない。時諏佐がいっていた少年とあまりにも似ていたからだ。

 

かちかち、と切れかけのネオンが少年を照らす。真っ黒なローブにすっぽりと覆われている少年の中で、ただ一つ鈍色に輝くものが見えた。ローブの中央に留め金としておかれている黒ずみ、錆び付き、すでに本来の輝きは失われているが、金属特有の光沢だけがきらりとひかる。

 

それは中央で五本に分岐した線状の星、あるいは中心に燃える柱をもった五芒星だった。

 

いつもなら通り過ぎてしまう日常でも、美里が攫われた夢の世界に向かうという非日常のただ中に緋勇たちはいる。

 

夢と現実が交差する不可思議な現象を前にして、緋勇はいつかの衝動が押さえきれなくなる。思わず傘を手に歩き出していた。蓬莱寺の驚いた様子も耳に入らないようで、いってしまう。蓬莱寺たちはおいかけていく。雨はいつの間にか小雨に変わっていた。

 

「傘はないのか?」

 

「かさ?」

 

差し出された傘を不思議そうに少年は見つめている。留め金をはずし、かちりという音とともに広げると、びっくりしたのか少年の目は猫のように丸くなる。体がこわばる。どうやら本当に傘を知らないようだ。

 

「ない。しらない」

 

「そうか?なら、貸してやる」

 

差し出された傘。少年はどう使っていいのかわからないようで、てっぺんをつかんでくるくる回してしまう。

 

「違う違う、こう使うんだ」

 

「こう?」

 

「そう」

 

うなずいた緋勇に、少年は笑った。

 

「でもいいの?ぬれない?」

 

「気にしなくてもいい。俺たちはあそこのアパートに用があるんだ」

 

「そう。ありがとう」

 

「なんだ、なんだ。トトロの真似かよ、緋勇。風邪ひくぜ?」

 

蓬莱寺が茶化しながら傘を差し出す。

 

「ねえ、キミ、ここのアパートの子?もうすぐ暗くなってくるし、おうちに帰った方がいいよ」

 

「そうだな。もしわからないようだったら、俺たちが探してやろうか」

 

「ほんとに?」

 

少年は目を輝やかせた。

 

1人が寂しかったのだろうか。家の場所はわかっているようだから、両親が働きに出ているあいだ、学童保育にいくでもなく放置されている子供なのかもしれない。

 

言われるがままついていくと、なんと高見沢がいっていた空き室ではないか。

 

「君は......」

 

少年が笑った。

 

《君の捉え方では、僕たちみたいな存在は、人の及ばぬ力を持つ存在でありそれの振るい方は必ずしも人にとって益では無い。神の理(ことわり)は人の理とは違う、という理解のようだね。実に好みだよ》

 

緋勇たちは言葉を失った。少年から尋常ではない《氣》の高まりを感じるからだ。体を構えることすらできなかった。

 

《もう諦めるしか無い自然災害的存在ゆえに自分達が神に祝福されているという感覚を持つのが難しい。それでもなんとか生かされている。神は完全にあらず。されど、無力ならず。共存共栄する相手でも信仰したり鎮めたりする相手でもある》

 

少年は緋勇の真ん前にたつ。

 

《君がそれを忘れない限り、これは輝き続けるだろう。あげるよ》

 

少年はローブの留め金をはずして、緋勇に渡した。

 

《2度目がないことを祈っているよ》

 

気づいたら少年はいなかった。ようやく《氣》の抑圧から解放された緋勇たちはホッと息を吐く。

 

「はああああ~、こわかったよ~ッ!緋勇君、すごいねッ!舞子怖くて話せなかったのに~」

 

「はあッ!?や、やっぱあれかよ、あのガキただのガキじゃなかったのか!《氣》が普通だったから今のいままで気づかなかったぜ!?」

 

「え~ッ!?みんな、触らぬ神に祟りなしって槙乃ちゃんから言われてたから、実践してるのかと思ったのに~!」

 

「それならそうと先にいってよ、高見沢サンッ!」

 

「ひ、緋勇......まさか、気づいていて、あの対応だったのか?」

 

醍醐に聞かれた緋勇は困ったように肩を竦めた。

 

「まさかほんとに傘を持っていかれるとは思わなかった」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖23夢妖完

砂漠の世界に突如現れた侵入者に嵯峨野は完全に気が動転していた。誰にも見つからない、誰にもいじめられない、究極的に閉じた理想郷のはずだった。現実世界から逃げ込んだ夢の世界という名の自分だけの安全地帯がいきなり瓦解したのだから無理もない。

 

緋勇たちが《力》の影響を受けないと知った途端、嵯峨野はヒステリーを破裂させた。狂いだしたような叫びがひびく。憤激ぶりはどこまでも陰性で、真っ黒に顔色が変わり、癇癪を起こす。つまらないことを並べたて、癇を立てて、藤咲と言い争いの末泣き出した。

 

罪を償えと迫られるや、もう生きていけないなどとヒステリックにわめき散らし、肥大しきった自己愛を抱きしめて「死」という安全地帯へ逃避しようとした。藤咲がしっかりしろと激励する。泣き声がヒステリックに高くなった。藤咲は思わず耳をふさぎたくなる。この声だけはどうも苦手だ。

 

「落ち着きなさいよ、嵯峨野ッ!こいつらは美里を取り上げて、アンタの復讐を邪魔しにきたのよッ!」

 

「そうだ......そうだよね......そうだよ、悪いのはこいつらなんだ......僕は悪くない......悪くない、普通にしてるのに因縁つけてごちゃごちゃとやってきたのはあいつらなんだ......」

 

嵯峨野は明らかに錯乱していた。緋勇たちと既に自らの《力》で屠ったはずのいじめっこたちを混同している。

 

「殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ」

 

「しっかりしなよ、嵯峨野ッ!こいつらは美里を奪いに来たやつだ!」

 

「───────ッ!!」

 

ぎょろり、と目が藤咲を向いた。藤咲は一瞬その瞳の奥に狂気をみてひるんだが、自分だけが嵯峨野の理解者だと自負する手前恐怖するわけにはいかないと思ったようで、嵯峨野を鼓舞する。

 

「殺さなきゃ......」

 

嵯峨野の世界が全力で緋勇たちを排除にかかる。嵯峨野が今まで受けてきたいじめの数々を具現化した有象無象が緋勇たちに襲いかかる。それは夢の世界の支配者たる嵯峨野の思う通りになんでも叶う世界のはずだった。

 

いじめっこのように恐怖で動けない中、ありとあらゆる責め苦を味合わせようと無数の手が緋勇たちに襲いかかる。だが、そうはならない。緋勇たちに近づいた一定の領域からそのイメージは具体像をもってあらわれ、ダメージが通るようになってしまう。

 

小学生、中学生、そして高校生、様々な姿の子供になってしまう。あるいは極めてチープな死神の姿になってしまう。

 

緋勇たちは金縛りなんてものともせず《力》を使う。夢の世界の支配者の権限はやはり通用していない。それに気づいた藤咲は、あわてて前に出た。

 

「どういう小細工を使ったのか知らないけど、アンタたちにはここで死んでもらうよッ」

 

藤咲はムチを振るう。その暗い行く手に向かって張り切り、今や決然とした意志を感じる《氣》は、強固な意思となり状態異常を伴って前線にたっていた緋勇に襲いかかった。

 

「させないよッ!」

 

叫んだのは桜井だった。ムチが弓矢に落とされ、たちまち弓矢は石化してしまう。

 

「怯える葵をこんな酷い目に合わせたんだ。君たちにどんな事情があろうと絶対に許さないッ!葵は返してもらうからねッ!」

 

弓を構える桜井の叫びに藤咲は舌打ちをした。

 

「それだけはできないわね、嵯峨野が望んでいることだから。ねェ、そこのアンタ。あたしのいうこと、わかってくれるでしょ?」

 

藤咲の標的は桜井の妨害が届く緋勇ではなく、射程外で死神と格闘していた蓬莱寺に向いた。藤咲の《力》は鞭を振るうことで麻痺・魅了などの状態異常にすることができるのだ。先程の石化を見ていた桜井が叫ぶ。

 

「京一、あぶないッ!」

 

「おそいねッ!」

 

いつもの蓬莱寺なら気づけただろう。避けられただろう。だが、《氣》を遠くに飛ばす術を思いついてからフル活用するようになっていた蓬莱寺は、群がる死神たちに目が向いていて、気づくのに遅れた。

 

「京一、大丈夫か?!」

 

近くにいた緋勇が叫ぶ。

 

それはなんという気持ちのいい音だろうか。定罰のような闇、膚をさく酷寒のような痛みが蓬莱寺を襲った。その痛みはたちまち快ちいい緊張した新しい戦慄となる。藤咲は残酷な調子でむち打った。

 

蓬莱寺が豹変した。いきなり緋勇に木刀を向け始める。

 

「あんのばか!ムチ打たれてるのに、なんで味方するんだよ~!!ドマゾだったの!?」

 

「あの馬鹿......魅了にかかったようだな」

 

「あはは、京一のタイプっぽいもんなあ」

 

緋勇は苦笑いのまま、いつもより動きがぎこちない蓬莱寺の技をわざとうける。木刀をつかみ、そのまま叫んだ。

 

「高見沢さん、頼む」

 

「はあ~いッ!まかせて!」

 

他を思いやる崇高な想いの結晶が蓬莱寺に安らぎを与え不調を取り除いていく。

 

「はっ、あ、あれっ!?緋勇ッ!?なんでお前、あれ!?!」

 

「目ェ覚ましたか、ドM」

 

「はいッ!?」

 

「さっさと自分の持ち場に戻れよ、ドMッ!変態!信じられない!」

 

「えっ、あの、小蒔サンッ!?」

 

「さすがに擁護できんぞ、京一。せめて敵数を減らして名誉挽回してくれ」

 

「なんなんだよ、醍醐までェッ!?」

 

「ああもううるさい、黙ってろ、京一ッ!今日一番の被害が京一のフレンドリーファイアなんだよッ!」

 

「まじで!?」

 

「あーもー、いいからいつもみたいに前線はってくれ、京一。あ、高見沢さん、京一の後ろにいてくれ」

 

「はあ~いッ!」

 

「明らかに2度目があると思われてるやつッ!!くっそ、てめー!なんつーことしやがるんだ、俺の好感度ガタ落ちじゃね~か~ッ!」

 

 

 

そして。ヤケになった蓬莱寺ややる気満々の桜井、冷静に仕事をこなす醍醐が死神たちを屠り。美里と時諏佐の役目をひとりでこなし切った高見沢の支援がさえわたり。ほぼ全力で緋勇は立ち向かう。たった一人の臣下すら倒されてしまった砂漠の王は、緋勇に追い詰められていくことになるのだ。

 

緋勇の胸にあるブローチは、夢の世界に来てから、まるで新品のごとく金色に輝いている。錆はおろか、腐食すら見つからず、勝利を重ねるごとに輝きを取り戻していったブローチは、緋勇の胸元で怪しく輝いている。

 

「いぎゃあああああ!」

 

嵯峨野がのたうちまわり始めた。

《力》でありったけの拒絶を示すが怪しい光が不自然に荒れ狂う《氣》の流れがそれを阻む。突然緋勇を中心に発生した光はどんどん威力を増していく。

 

世界全体が揺れ始めた。夢の世界が嵯峨野の精神状態に感化されて揺らぎ始めたのだ。頑強に作られているはずの夢の世界はみるも無惨に崩れ落ち、瓦礫に変えていく。

 

気づけば緋勇たちは白髭アパートの一室に立っていた。依然として緋勇の周りは無風状態であり、歩みにあわせて光は防壁のように包み込んでいるようだった。ブローチが妖艶な輝きを放つ。それは光の爆発だった。一瞬にしてすべてを灰や塵にかえるほどの衝撃のあと、嵯峨野の体からぶわっとなにかが立ち上がり、消え去る。真っ黒ななにかだった。《氣》でも妖気でもない禍々しいなにかだった。

 

「───────あれは、あの時の蟲!」

 

嵯峨野はその場に崩れ落ちる。

 

「嵯峨野ッ!」

 

藤咲はあわててそちらにかけよる。

 

「嵯峨野、嵯峨野、しっかりするんだッ!ねえ、嵯峨野ッ!!」

 

必死で叫ぶ藤咲の横にかけてきたのは美里だった。

 

「頭を揺らしてはだめッ」

 

「!」

 

「さっきまで嵯峨野君はあの蟲が頭に寄生していたのッ!どうなっているのかわからないからじっとして!」

 

「なッ......あ、あれが......?」

 

藤咲は目を丸くするのだ。鳩の大きさ程もある不気味で禍々しい《氣》を放つ蟲が緋勇たちを疎うような挙動をしながら離れていく。美里は嵯峨野に《力》を使い始める。見える範囲の傷は消えた。

 

「あの蟲は赤い髪の男が寄生させたようなの。そのままにしておくと、どんどんおかしくなっていって、やがては廃人になってしまうわ。そうなると頭を弾けさせて出てくるの。私達は見たことがあるわ」

 

藤咲は心当たりがあるのか青ざめていく。

 

「藤咲さん、嵯峨野君がおかしくなっていったことに気づいていたのね」

 

「それは......その......」

 

「それは嵯峨野君のせいじゃない。蟲のせい。赤い髪の男は初めからそれを見越していたの」

 

「じゃあ、まさか......昼と夜とで性格が豹変するのも、自分でやった復讐に昼になると懺悔してたのも、嵯峨野がそれだけいじめに追い詰められて壊れたからじゃないっての......?嘘でしょ......?あたしはてっきり二重人格にまで追い詰められてるもんだとばかり......」

 

「どこまでが嵯峨野君の意思で、どこまでが蟲による意思なのかはわからないわ。それは1度しか会わなかった私より、ずっと寄り添ってきた藤咲さんだけが知っている」

 

「それは......そうだけど......」

 

緋勇がブローチが纏う《氣》を練り上げて蟲に放った。蟲は一瞬で掻き消えてしまう。

 

「これで新しい犠牲者がでることはなくなった。嵯峨野だっけ、はやく桜ヶ丘病院に連れていこう。藤咲は医院長に事情説明頼むよ」

 

「あ、ああ......わかったよ......」

 

緋勇は嵯峨野を背負うと歩き出す。藤咲は美里につれられて、歩き出した。

 

「ねェ、緋勇君......どうして夢の世界にアンタらは入ってこれたんだい?嵯峨野は一人を引きずり込むのが精一杯だったけど、現実世界からは誰もいけなかったのに。だから見つかることなく復讐できてたのに。どうして?」

 

嵯峨野を背負い直しながら緋勇はいった。

 

「2度目はないって言われたからな」

 

「え?」

 

「今回だけだ、きっと。眠りの神様は人間に好き勝手されるより、あの蟲の方が嫌いみたいだ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

応援

いつだったか、兄からアルタ前で時諏佐槙乃に声をかけたと聞いたときは驚いたものだ。兄は高校教師である。恩師の養女とはいえ、女子高生にナンパ同然に強引に声をかけたというのだから、下手をしたら事案である。槙乃が恩師にどうつたえたのか、今は家族ぐるみで付き合っているから事なきをえたとはいえだ。

 

「槙乃さんはね、長いあいだずっと変わることなく僕の意識の中心にいたんだ。僕という存在にとってのひとつの大事なおもしの役割を果たしていたといっても過言ではない」

 

10代の頃から赤ん坊の紗夜の両親のかわりに生きていく決意をした兄からそんなことを言われて、紗夜が浮き足立つのは自然な流れだった。

 

「この思いは、苦痛に満ちた今までの人生を生き延びていくための、基本的な情景のひとつとなった。その情景は常に槙乃さんの存在が伴っていた。苦しみあえぎながら大人になっていく僕を、常に変わることなく勇気づけてくれた。大丈夫、あなたには私がいる、と告げていた。紗夜がいなくなったら世界が終わるが、槙乃さんがいなくなったら、そうだな......僕は2度目の死を迎えることになるんだ。精神的な、という意味になるんだけど」

 

ここまで言わしめるだけの理由があることを紗夜は把握していた。時諏佐槙乃は1歳しかかわらないのに、とても大人びた少女だった。時諏佐家に養女としてやってきてから、厳しい後継者になるための指導を受けながら生きてきた、ずっと兄に守られながら生きてきた自覚のある紗夜とは真逆の人間だ。

親戚に優しいお姉さんがいたらこんな感じだろうかと想像したくなるくらいには居心地がいいのだ。兄が似たような感情を抱いているのはすぐにわかった。女の子の連絡先を聞くなんていつもの兄ならば絶対にしないからだ。

 

「だからこそ、今の僕にはこれほど危険なことはない。この息苦しい世界で、胸の中に巣食った感情が、化け物になって孵化しそうになる。槙乃さんは僕とはまったく違う世界で暮らしているんだと思い知らされるんだ。どんどん不自然になっていく僕を嘲笑うかのように、世界はまわりつづけているんだ。妄想と現実を絡み合わせて、胸に巣食った感情を処理できずに、体の中に化け物を育てていくのに、槙乃さんは笑っている」

 

「兄さん、それを人は恋というんじゃないかしら」

 

「僕が?槙乃さんに?」

 

「うん」

 

「ははは......紗夜も面白い冗談をいうようになったな」

 

紗夜はおそらく生まれて初めて特定の女の子が気になってしまいぐるぐるしている兄を後押しすべく懸命だった。槙乃の退院日とお祝いの食事会を話したのはそのためだ。

 

「よかった......よかった、無事だったんだな、安心したよ」

 

「ありがとうございます」

 

槙乃はいつものように笑っていた。

 

槙乃と会った途端にその変化が兄のなかであまりにもはっきりしていたから、紗夜は顔が綻んだ。

 

教師と女子高生という立場が2人を隔てているのなら、妹の友達と妹の兄、いや保護者という形で紗夜があいだに入ることで変えてしまえばいい。

 

兄は教師の仕事があるから時間を合わせるとなると、どうしても遅くになる。夜のカラオケやゲームセンターや映画やレストランなんかは未成年は補導になるので保護者同伴が大前提になる。大義名分には充分だった。

 

「紗夜ちゃんは、好きな人っていないんですか?」

 

兄がドリンクバーを取りに行ってくれているあいだ、槙乃がそんなことを聞いてきた。

 

「えへへ......実はいるんです......気になる人が」

 

だからこそ、兄の変化に気づけたともいえる。突如頭がクリアになっていた。ずーっと目の前を覆っていた霧が晴れたような感じだった。なにが起こったのかわからなかったけれど、ああ、兄は今世の中がこんなふうに見えているのだろうかと思ったほどだ。

 

今の紗夜は人生のすべての味をかみしめるような気持ちでいつもいた。病院の受け付け越しでしか会えなかったから、一方的な片思いだ。さよならしたあとの夕暮れの切なさはありありと思い出せる。2人でいられる短い時間の病院の匂い、歩く速度すら速すぎて、流れていくようだった自動ドア。

 

すべてを細胞に刻み込む勢い、何もかもに勝てる意味もない確信。勝つために、忘れてしまわないために時の一粒一粒を慈しみ、情報として体に取り込もうとする頭の働き。 

 

恋によってあふれたエネルギーに見開かれた眼には、世界はそのままに美しかった。何もかもがよく見えて、はっきりしていた。一つ一つのものが、香り立つようにその存在の輪郭を際立たせた。

 

わくわくした気持ちが湧いてくるのが感じられた。目を閉じると目の前にマーブルのように渦巻くエネルギーの流れが見えた。ほんとうに今、何が起こったんだろう?と思ったものだ。兄を見てわかった。なるほど、兄が怖くなるのもわかる気がすると。そう思ったのだ。

 

「あの、槙乃さん。緋勇龍麻君て、どんな人ですか?」

 

槙乃は紗夜の片思いの相手が誰かわかっていたようで、色々と教えてくれた。その情報のひとつひとつを握りしめながら紗夜はイメージを固めていく。

 

「あの......お願いがあるんです。このことは、兄さんに内緒にしてくださいね。桜ヶ丘病院に出入りするってことは、あぶないことに首を突っ込んでいる子達だろうからかかわるなって言われてて」

 

兄の気持ちもわかるのだ。紗夜の《力》についていち早く気づいて、世間に向けてはかくしながら普通の生活を送るよう言われてきたから。保護者の視点でいえばそう考えるのも無理はない。それでも、もう遅いともいえるのだが。

 

「わかりました。約束は守りますよ」

 

「ありがとうございます。あ、そうだ。槙乃さんはいないんですか?好きな人。かっこいい人、周りに多いみたいだけど」

 

虚をつかれたように目を瞬かせた槙乃に紗夜は誰もいないんだなと確信した。そんなこと聞かれるとは思いもしないような顔をしている。

 

「私、オカルトの方が好きなんですよね」

 

趣味に没頭したいタイプなのは知っていたから予想の範疇だった。時諏佐家の跡取りとしてのプレッシャーや多忙な日々を思えば、少しでも自分の時間を大切にしたいというのはわかる。それだけじゃ収穫はないから紗夜はつつくのだ。

 

「じゃあ、どんな人がタイプ?」

 

「え?ええと......そうですね、ギャップがある人ですかね」

 

「ギャップ?」

 

「普段と打ち解けた後でギャップがある人だといいなあって思うかもしれない」

 

「怖い人が捨て猫保護してる、みたいな?」

 

「そうそう、そんな感じです。まあ......人を好きになるってそんな理性でどうこうなる話じゃないので、タイプを聞かれても難しいんですけど」

 

「槙乃さんのすきの傾向がそんな感じ、とか」

 

「そうですね」

 

「大人だ......」

 

「え?」

 

戸惑いがちにききかえす槙乃に紗夜は笑ったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

応援2

比良坂紗夜と遊んだあとは、いつも私は品川駅まで送ってもらい、新宿駅まで山手線で帰ることになる。山手線からは時諏佐家の人が迎えにきてくれる。夜も遅いから槙絵の気遣いはわかるが息がつまりそうだ。これから私は渦のようにうねり流れ、個々の存在を飲み込んでいく構内の流れに身を投じなけばならない。

 

「今日は楽しかったです。紗夜ちゃん、英司さん、ありがとうございました」

 

「わたしも楽しかったです。また遊びにいきましょう!」

 

「はい、ぜひ。携帯まで借りてしまってすいません」

 

「いや、もう夜も遅いからね。事前に連絡したとはいえ、ちゃんとしておかないと時諏佐先生に怒られるのは僕だ。気にしないでくれ。気をつけて帰るんだよ、槙乃さん」

 

「はい、新宿駅につく頃にはお迎えの車も来ていると思います。それじゃあいきますね。ばいばい、紗夜ちゃん」

 

「ばいばい!」

 

改札の向こうで手を振る紗夜に手を振り返しながら、私は山手線につづく通路を探し始めた。英司は紗夜になにかいうなり、ロッカールームのある場所に向かって行くのが見えた。

 

私はそれとなく壁の特大なポスターをみる振りをして様子をうかがう。

 

今夜に限らず、紗夜と遊ぶ時は時間帯の関係で英司に保護者として同伴になることが多いのだが、別れは決まって品川駅だ。英司は車の免許はもっていても車はないらしい。そりゃあ品川区在住で車をもっているのは、よっぽど好きか東京郊外が仕事場の人だろう。品川区内の高校が勤め先の英司はいらない。

 

「......また同じロッカー使ってる......」

 

嫌な想像が頭をよぎる。

 

あのロッカーを比良坂英司はよく利用する。どうやら誰かと取引をしているようだ。今まで英司はボロを出したことは無いから確信はないが、柳生と繋がっているのでは、という疑惑が拭えない私は勝手に考えてしまうのだ。

 

ローゼンクロイツ学長のジル・ローゼスか、はたまた柳生側の幹部か、支援団体や組織か。頻繁に利用しているようだから、よほど細かな取引をしている現場のようだ。

 

ちなみにジル・ローゼスとは表向きローゼンクロイツ学院の学園長として福祉家を装うが、正体はネオナチの幹部。超能力のある子供達を集め、第三帝国復活を企む敵だ。柳生の部下の支援を受けて水面下出活動している。

 

取引とはいっても物品を交換する程度のようで、カバンに入るサイズの荷物を入れたり、出したりしているだけのようだ。2人は直接顔を会わせないようにコインロッカーを使っているようだ。

 

人の多さが幸いしてか、誰も気にしている人間はいやしない。何を交換しているのかはわからない。

 

「考えすぎ......?いや、でもなあ......」

 

紗夜はどうも勘違いしている気配がするのだが、英司が私に向ける感情は紗夜が緋勇に向けるような微笑ましい感情ではない。それだけはたしかだ。

 

《如来眼》の感知する《氣》は大地と空と人が作り出す《氣》のため、感情が具に変化していく様子がよくわかるのだ。一般人はそもそも《氣》をコントロールできないから、目に見えるくらい変化はしない。《如来眼》が感知できる時点で《宿星》の《力》でなくても、英司は《力》にまで昇華された技術の持ち主であることが証明されている。

 

それが《アマツミカボシ》や比良坂の《伊邪那美》の《宿星》とよく似た《氣》の時点で、死に関係する秘術の魔術師であることを証明している。ブードゥー教に傾倒しているのは事実のようだ。

 

私がなぜブードゥー教だと断言できるのか。それは夕薙大和というブードゥー教の司祭に月光を浴びると老人になる呪いをかけられたバディがいるからだ。それがなければ、きっと気のせいだと思い込むことができていた。

 

だからため息が深まるばかりなのである。断じて恋煩いではない。

 

 

「ふっふっふっふっふーッ!証拠は上がってんのよ、槙乃ッ。いいかげん白状しなさいよ~。何回食事にいったり、遊びにいったりしてるの?」

 

「だから、何度も言うようにですね......誤解ですよアン子ちゃん。紗夜ちゃんと一緒に遊んでるだけです。紗夜ちゃんは桜ヶ丘病院のアルバイトで忙しいから、どうしても夜になってしまうんですよ」

 

「あのねェ、いっつもいっつもお兄さんがついてくるわけないでしょっ!土日に比良坂ちゃんと遊べばいいだけじゃないのッ」

 

「英司さんシスコンだし、紗夜ちゃんブラコンなんですよ」

 

「そうだとしても、水族館とか映画館とか高そうなレストランとか完璧にデートコースだからね、槙乃。わかってるとは思うけど?」

 

「アン子ちゃん、どこから入手したんですかその情報......あ、言わなくてもいいです。舞子ちゃんからですね?」

 

「そうよ?高見沢ちゃん曰く、最近の比良坂さんはほんとにうれしそうに槙乃のこと話すそうじゃない。お兄さんがどうとかってずっと盛り上がってるそうよ」

 

「紗夜ちゃん......なにやってるんですか......私は紗夜ちゃんがいなかったら英司さんと遊びには行きませんよ......」

 

「だから紗夜ちゃんが気を使ってるんじゃないの。わかってないわね~ッ、どこをどう見てもお兄ちゃん想いな妹さんじゃない。で、槙乃はどうなの?」

 

「どうって、どうも思いませんよ、そんなの......。紗夜ちゃんのお兄さんだとしか......」

 

「ふ~ん?にしては随分と悩んでるみたいだけど~?」

 

「悩んではいますけど、恋煩いではないです。断じてないです。安心してください」

 

「ほんとに~?じゃあこの写真はなによ、比良坂先生をこっそり見ながら溜め息ついちゃって~」

 

「───────ッ?!」

 

「あ、食いついた」

 

「これ、誰にも見せてないですよね、アン子ちゃんッ!?」

 

「もちろん。親友のよしみでアンタが一番最初よ」

 

「ほんとに?」

 

「ほんとのほんとに。でも槙乃の返答次第じゃ舞子ちゃん経由で比良坂ちゃんあたりに流してもいいかな~」

 

「やめてください、ほんとにお願いします。ほんとに勘弁してくださいよ。洒落にならなくなりますからッ!」

 

むふふ、と笑った遠野は私にネガごと渡してきた。

 

「最初っから素直になってればいいのよ。やっぱり比良坂先生が28歳なこと気にしてたわけだ?相手は優秀な科学者で高校教師でもあるわけだし?気持ちはわかるわ、校長先生の教え子みたいだし、慎重になるのもね。ただ素直にならないのはどうかと思うわよ」

 

「ほんとにそういうんじゃないんですよォ......」

 

ぐったりしている私に遠野は頭を撫でてきた。誰のせいだと思っているのだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖24

私達真神学園新聞部は、現在進行形で、目黒区内で頻発している女性の連続誘拐事件を追っていた。きっかけは新宿区桜ヶ丘中央病院でアルバイトをしている紗夜から相談を受けたからだ。夜、アルバイトから帰るのが怖い、どうしたらいいだろうかと。

 

進行性骨化性線維異形成症(しんこうせいこつかせいせんいいけいせいしょう)

 

舌をかみそうな病名だが、紗夜は取材ノートにわざわざ書いてくれた。

 

結合組織に発生する稀な遺伝子疾患であり、発症率は200万人に1人といわれている。2007年に日本においても国指定の難病として認定されるほどだ。ちなみに1998年時点ではIPS細胞の研究が本格化する前のため、まだ不治の病扱いである。

 

身体の矯正メカニズムが線維性組織に起こす難病であり、筋肉や腱、靭帯が骨組織に変化して硬化し、関節が固定されて動かなくなる。外科的治療は手術自体の侵襲によって周囲組織の骨化が促進されることになるために通常行う事ができない。

 

数年に渡って骨組織が増殖して関節を固定するため、患者は歩くことや食事、呼吸さえも自力で出来なくなってしまう。この疾患は一般に骨化することで内部組織を押しつぶし、最終的には死に至ることになる。患者は30歳までに身体を動かすことが出来なくなり40歳以上命を長らえさせることは稀である。

 

この病には特徴があり、短く大きな足の親指がある、生まれつきの外反母趾、進行性骨化性線維異形成症骨組織を構成するに至る最初の症状は10歳前に起こる。腫瘍状の塊が一夜の内に発生するといったものがある。

 

だが、今回桜ヶ丘中央病院に緊急搬送された男性をはじめとした、誘拐を目撃して警察に通報したり、犯人を追いかけたり、格闘したりした善良な市民は、いずれの症状もないという。にもかかわらずだ、この病気とよく似た症状だそうだ。

 

「藤咲さんの《力》によく似た状態異常ってことですか?」

 

「いえ......《氣》による治療も効果がなくて、かなり強力な呪術の類だろうって。細胞の組み換えが異常をきたしているそうです」

 

「やだ......それってあれよね、ガンみたいな?」

 

「はい、初期症状はガンに間違えられることもあるそうです。このままだと徐々に石化が進み、心臓が石になり、動きを止めたその瞬間に......。今は点滴と構成物質で石の進行を抑えていますが、完全に止めることができません。助けるには犯人を探すしか......」

 

私と遠野は顔を見合わせた。

 

「犯人と格闘しただけでこれってまずくない?誘拐された人たちどうなるのこれッ!?」

 

「たしかに......。無数の石ころが転がっていたのは、まさか犯人に触れた雨が石化したからでは?」

 

「しっかしあれよね。目黒区から新宿区にまで広がってるとなると、比良坂ちゃんが怖がるのも無理ないわ」

 

私の言葉により、紗夜はいよいよもって青ざめてしまう。不安そうに見上げられ、私はうなずいた。

 

「英司さん、仕事が終わるの遅いですもんね。どうしても都合がつかない時には電話してください、紗夜ちゃん。私が車出してもらいますから」

 

私の言葉にようやく紗夜は安心したように笑ってくれたのだった。そして、今に至る。

 

「それは~、邪眼(イビルアイ)の一種だと思うけど~。槙乃ちゃ~んみたいな~」

 

「そっか~、たしかに言われてみれば槙乃って、《力》使う時に目の色変わるもんね」

 

「みんな、逃げてくださいッ!私の目に封じられた邪鬼がッ!私が抑えているあいだに早くッ!」

 

「あははッ、いきなりなによ、槙乃~ッ。《力》使いながら言わないでよ、それっぽすぎるじゃないッ!」

 

「う~ふ~ふ~、槙乃ちゃ~んはァ~邪鬼程度だったら倒せると思うよ~」

 

「ミサちゃんにまで言われてるじゃないッ!あははッ!そーよねッ、槙乃の《力》だったらそこら辺の悪霊だったら焼き尽くしちゃいそうだわ」

 

「そ~そ~。邪眼っていうのは~、妖術、魔術の類の実施にあたって基礎となる重要な観念であって~邪悪なる方を施行する力や~視線によって、他者に邪悪な力を投射することのできる力をもつ~ということを表すオカルト用語なの~。エルワージーは~、邪眼は魔術の基盤であり、起源であると示しているし~。マクラガンは邪眼とは強欲と羨みをもった目であり~、強欲な視線は、巨石をもふたつに割るとしているわ~」

 

「ええとつまり、相手を石にすることは可能だし、睨むだけで呪いにかけたり、触っただけで人を病気にしたりできるってこと?」

 

「槙乃ちゃんもそうでしょ~?」

 

「たしかに槙乃は《氣》を見るだけじゃなくて、《氣》を操作することもできるもんね」

 

「そ~。メデューサが有名どころだけど~、もともと美しい地方の女神だったのに、嫉妬した中央の女神アテナによって醜い魔物に変えられたの~。美しい娘や女神たちへの羨望、妬み、恨み、つらみ、それら全てが無機質な石に変える力となった~。邪眼の持ち主の意思次第ってことね~」

 

「なるほど......上手く使えば槙乃みたいに使いこなせるってことねッ!」

 

「そうだよ~なんとかとハサミはつかいよう~」

 

「わかりやすいからって私ばっかり例えに使わないでくださいよ、2人とも」

 

「だって槙乃だし」

 

「槙乃ちゃんだし~」

 

私は肩を竦めた。変なところで意気投合しないで欲しいものだ。

 

「ってことは~、今回の犯人も何かを恨んだり、妬んだりしてる可能性が高いってことね」

 

「そうなるね~」

 

「ふむふむ、やっぱりメデューサよろしく美醜にコンプレックスがあって嫉妬ってことかしらね?どう思う?槙乃」

 

「う~ん、どうでしょう?たしかに誘拐された被害者の性別はみんな女ですし、可愛かったり、美人で評判だったりするみたいですが......。被害者の年齢の範囲が広すぎません?小学生の子も混じってるじゃないですか。女性ひとりでは難しいのでは?」

 

「そこつかれると痛いんだけど......誰も誘拐犯を見てないのが痛いわね、やっぱり。単独犯か複数犯かすらわかんないなんて」

 

「でも~《力》に目覚めた人が~メデューサみたいに魔物になる《力》だったら~、1人でもできると思う~」

 

「ミサちゃんの言う通りね。今までの傾向からして、《力》に目覚めた人はみんな同じ《力》に目覚めた人と徒党を組むか単独犯みたいだし。今のところ、同じ《力》に目覚めることは確認してないから、単独犯の線が濃厚か」

 

「誘拐はいずれも墨田区内で行われているから、近隣住民が犯人ですね。犯行の時間帯はいずれも夕方から明け方にかけて。平日の朝から昼間にかけて行われた形跡はありません。つまり」

 

「いつものごとく、あたし達と同じ学生か、似たような生活サイクルの人ってことね。う~ん、龍麻くん達に頼むにはまだ情報が足りないわ......」

 

「どうします?情報収集は手詰まり感がありますが......」

 

「う~ん、ここまできたらやるしかないわね」

 

「アン子ちゃん、嫌な予感がするんですが......」

 

「槙乃、実はあの写真ね、うちのパソコンにバックアップがとってあるのよ」

 

「───────ッ!!」

 

「お願いッ!」

 

「アン子ちゃん......」

 

「ね?ね?龍麻くんたちにやっつけてもらえば一石二鳥でしょッ?なんならあたしがやってもいいから守ってね?」

 

「アン子ちゃん、その聞き方はずるいですよ。《力》に目覚めてないアン子ちゃんにそんな危ないことさせられるわけないじゃないですか」

 

「だって相手はきっと《力》に目覚めてるのよ?槙乃が囮したらバレちゃうじゃないの。槙乃の《氣》は冬の金星だか北極星みたいだそうじゃない。夜に出歩いてたらバレちゃうわ。それに校長先生に怒られちゃうし」

 

「それはそうですけど......」

 

「そういうことなら、アン子ちゃ~ん。これあげる~。鏡の盾っていうんだけど~、ギリシャ神話でペルセウスがメデューサを倒したときに使った磨き抜かれた神楯をモチーフにしたアクセサリーなの~」

 

「ほんとに?ありがとう、ミサちゃんッ!」

 

「がんばってね~」

 

それは石化を跳ね返すアイテムだ。やはり裏密はよくわかっている。

 

「そうそう、槙乃ちゃ~んにも同じのあげる~」

 

「あ、私にもですか?ありがとうございます。助かります。如月君のところで買うと12万するんですよね」

 

「え゛ッ!?そんなにするの、これッ!?」

 

「売っちゃだめだよ~?命には変えられないんだから~」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖25

緋勇たちは遠野の頼みに押し切られ、連続誘拐事件の犯人を現行犯で捕まえるための囮作戦を毎日行うことになってしまった。仲間たちを集めて3つのチームにわかれて、囮をひとり、残りが見張り、あるいは周りの見回り、そして一網打尽にするというシンプルかつ気の長い話だ。面倒くさがっていた蓬莱寺のいう通り、なかなか犯人らしい人物像が見えないまま、1週間がたとうとしていたある日の夜のこと。

 

緋勇たちが待ち伏せする中、通行人を襲ったのは《力》に目覚めた人間ではなく、蟲が擬態した男だった。外のかわは人間そのもので、ただの暴漢かと思い、止めに入った瞬間に、緋勇たちはその邪悪なる《氣》に気がついた。女性を先に逃がして取り囲み、距離をとって攻撃してみると、噴き出したのは血ではなく、無数の蟲だった。明らかにこちらのことがわかっているからこその足止めである。

 

「剣掌・旋ッ!!」

 

遠心力を懸けて木刀の先より放つ発勁が竜巻上の衝撃波となり、大地を薙ぐ。

 

「だああ~ッ!こんにゃろッ、往生際悪すぎだぜッ!仕留め損なった!わりぃがトドメ頼むぜ、緋勇ッ!」

 

「まかせろ。───────円空発ッ!」

 

遠心力を懸けて放つ発勁が、波紋にも似た衝撃波となり、空を破砕する。ようやく仕留めることができた頃には、桜ヶ丘中央病院前の通りに出てしまっていた。

 

「あ......」

 

少女の目の前で蟲の大群は一瞬にして消滅した。

 

「なッ!?人ッ!?やっべぇ............見られちまったもんはしょうがねーか。なんにせよ、怪我なくて良かったぜ。驚かせちまって悪かったな、お嬢さん」

 

「ごめん、怖い思いさせて。大丈夫だったか、比良坂さん」

 

緋勇は紗夜のカバンの土埃をはらい、渡しながら手を差し伸べた。

 

「......ん?」

 

「誰かと思ったら、緋勇さんと蓬莱寺さん!」

 

「おおおッ、なんだよ、紗夜ちゃんじゃね~かッ。って緋勇、返り血かぶってんじゃねーか。紗夜ちゃんの制服が血だらけになんだろうが」

 

「そうか?」

 

「だあーっ、ハンカチ使えよ、いくらなんでも袖はねーだろ袖はッ」

 

「じゃあ貸してくれ、京一」

 

「......いや、俺も持ってねーんだけどよ」

 

「助けていただいて、ありがとうございます。あの、これ......ハンカチ......」

 

「ああ、ありがとう。借りるよ」

 

「ゲッ、パトカーの音だ!騒ぎを聞いたやつが通報したのかもしれねェッ!ずらかろうぜ、緋勇ッ!」

 

「ああ、そうだな。比良坂さんもはやく。また新手が現れるかもしれないからな」

 

「あ、はい」

 

「今日は災難だったな、紗夜ちゃん。まっ、悪い夢でも見たと思って早く忘れちまえ。な?」

 

「あ、ありがとうございます......」

 

「どうしてこんな時間に?今日はお兄さんがくるんじゃなかったのか?」

 

「いつもはそうなんですけど......病院に電話がかかってきて、兄さんが急に用事が出来てしまったみたいなんです。だからバスで帰ろうと思って」

 

「なるほど......それは災難だったな」

 

「しっかし、これでハッキリしたな。犯人は紗夜ちゃん並に可愛い子だったら小学生まで狙う変態やろーだってことが」

 

緋勇たちは遠野たちが囮作戦を決行しているであろう公園に急いだのだった。

 

 

 

 

 

 

《人の手には過ぎた力。神にすら届く刃》

 

《飢えたか。欲したか。訴えたか》

 

《ならば、くれてやろう。受けとれ》

 

《そして、ようこそ───我が領域へ》

 

魂の《氣》を《アマツミカボシ》の《氣》に無理やり変生させて、《アマツミカボシの器》たる身体に満たしていく。

 

「毎回思うんだけどさァ、槙乃のその呪文かっこいいよねッ。魔道士って感じがする」

 

「あはは、ありがとうございます」

 

「もう、小蒔ったら。こんな大事な時にゲームの話なんて」

 

「ええっ、だって~」

 

桜井と美里のやり取りに思わず私は破顔した。

 

「なァ、時諏佐」

 

「はい?なんですか、醍醐君」

 

「前から思っていたんだが、それは本当に必要なものなのか?時諏佐の《氣》が一気に膨れ上がって別の何かに変質していく気がしてならないんだが」

 

「えっ、そんなに危ない?ボクは逆に《氣》が槙乃に馴染んでく感じがするけどなァ。安定感がますっていうか」

 

「そうなの?私は《氣》が未だによくわかっていないから、そういうものなのだとばかり思っていたわ」

 

「心配してくれるんですね、醍醐君。私は大丈夫ですよ、これをしないと《氣》を上手く操作することができないんです。心配させてしまってごめんなさい」

 

「ほら、やっぱり~。なにもしないより、今の方がいいもん」

 

「そうなの?良かった......」

 

「いや、謝らせたい訳では無いんだ。気にしないでくれ」

 

私はうなずいた。醍醐はほっとしたような顔をしている。

 

《私の身体に宿る星よ。どうかこの場の氣をこの瞳に映らせたまえ───────妙見神呪眼》

 

《如来眼》の《宿星》が覚醒状態になり、私はこの公園全体の解析に入る。《力》に目覚めている人間がいないか、邪神につながる存在がいないか、変異はないか。《氣》の流れから調べていく。

 

平面空間が立体化していき、木々や花壇、遊具といったものが具現化され、そこに息づく動物たちも《氣》の色や流れ、塊の輪郭から判断できる。それ以外に異常ともいえる《氣》と輪郭のものがあるとしたら、それは。

 

私は危惧していた。シャンを頭の中に入れたり、這い寄るものを配下にしたり、柳生側は明らかに私達を殺しにかかっている。

 

嵯峨野やサラリーマンのようにろくに《氣》が扱えない人間が《力》に目覚めても使いこなせないため、シャンをいれているのだろう。

 

その《力》が使い手の性格や人間性と深く結びついてこそ初めて発揮される場合も、シャンは有効なのだ。頭の中に巣食い、頭の中を改変されても本人はどこまでが自分の記憶かわからなくなる。

 

問題は夜だけしか活動できないことだ。シャンにとって太陽の光は有毒であり、人間の頭の中にいようともその因果から逃れることが出来ないのだ。

 

そして、これから本格的に柳生側の人間が動き出す。外的要因により化け物......鬼になってしまう術式を埋め込まれている場合がある。今は廃人になった瞬間に頭が弾け飛んで死んでいるが、魂は天に帰るにはタイムラグがある。そこで《氣》を無理やり変質させたが最後、鬼になって死ぬのだ。

 

「......やっぱり」

 

「槙乃ちゃん?」

 

「どうした」

 

「なにかみえたの?槙乃」

 

「嫌な予感があたってしまいました」

 

「蟲か?ハトみたいな蟲か?」

 

「後者のようです」

 

「ええっ、それヤバイよアン子が!」

 

「大変、急がないとッ!」

 

「まずいな、龍麻がまだ来ない......」

 

桜井たちが急いで犯人のところに急行する。私は最後尾で呪文を唱える。

 

「時諏佐」

 

「はい?なんですか、醍醐君」

 

「時諏佐が校長先生に引き取られる前、なにがあったのかは知らない。だが、お前も俺たちの仲間だ。なにかあったら言えよ。アン子でも、龍麻でも、もちろん俺でも」

 

「ありがとうございます。いつか、その時がきたらお話します。まだその時ではないので......ごめんなさい」

 

「ああ、話すつもりがあるんならいいんだ。誰でもいい、こういうときは話すのが一番だからな」

 

「そうですね」

 

《星は夜だけにあらず。明けの明星、宵の明星は太陽あれば必ず逆光となる。───────北辰の加護》

 

公園全体に《アマツミカボシ》の《力》により、《陽氣》と《陰氣》のバランスを正常化していく。これで自ら変上することができる生粋の《魔人》以外は外的要因から《鬼》になることはなくなった。この結界を破られたり、領域から逃げられたらどうしようもないが、この瞬間からこの公園は私の領域となるのだ。

 

「いッくよー、葵!!」

 

「ええ、頼りにしてるわ、小蒔」

 

「ボクたちがふたり一緒なら、怖いモノなんてなんにもないよッ!!」

 

「うふふ・・・小蒔ったら。さあ───────」

 

「うんッ!!───────行くよッ!!」

 

「「楼桜友花方陣」」

 

2人の方陣が炸裂した。どうやら射程内の敵は固まっていたようで、大ダメージをくらい、一気に魅了状態となってしまう。

 

「よ~し、これで楽になったはずだよ!醍醐クン、槙乃ッ、よろしくね!」

 

「2人とも気をつけて」

 

美里が私達に防御力をあげ、毎回回復する祝福の加護を与えてくれる。桜井が倒しそこねた野良犬もどきの這うもの達を牽制する中、私達は向かうのだ。

 

「怖かったァ~!助けてくれてありがと!しっかしあれね。ピンク色のナース服によるコスプレに引っかかるとは小学生から女性まで性的範囲が広すぎて引くわ」

 

遠野がちゃっかり茂みに逃げ込むのが見えた。

 

「思ったより敵が多いですね、醍醐君」

 

「あァ、気をつけろよ」

 

「はい」

 

今回で犯人が判明すると思ったのだが甘かった。敵の数が尋常ではない数のため、捌き切るのに時間がかかりすぎてらなかなか犯人までたどりつけない。このままでは逃げられてしまうと焦った私は木刀に《氣》を込める。

 

「大いなる白き沈黙」

 

邪悪なる風を帯びた《氣》を放つ。空に巻き上げられた《氣》は、上空に引き回され、冷気を帯びて犯人目掛けて叩きつけられる。遠くで苦悶の悲鳴が聞こえた。腕を庇っているのが見えた。これで次は犯人を特定しやすくなるだろう。

 

「───────!!」

 

「醍醐君?」

 

「......いや、なんでもない」

 

犯人の声を聞いた醍醐が反応した。やっぱり中学時代の悪友だったから遠くからでもわかるんだろうか?もう行方がわからなくなってしまった犯人に、遠野が悔しそうな顔をする。どうやら手ブレがひどくて犯人が誰か全然わからなかったようだ。一生の不覚だと嘆いている。無事でよかったんだからいいと思う。石化でもされたらこっちが困るのだから。

 

醍醐が悲しそうな顔をしたまま立ち尽くしている。犯人は凶津煉児(まがつれんじ)、かつては醍醐雄矢の不良仲間だったが、自分の父親を刺したことを醍醐に通報され、少年院に送られていた。出所後に出会った柳生の配下に、触れたものを石化させる能力を得て、次々と人々を石にする事件を引き起こしているのだ。ちなみにゲームだと刺客を放たれて会心直後に死に、アニメだと大蛇に変生してしまう。嫌な予感はしていたのだ。

 

鬼になる奇術は何らかの謀略で手下にした九角天戒の子孫である天童(てんどう)の仕業だろうが、シャンの仕込みは九角の手下の仕込みだろう。九角天童に今は任せてあるのにこれだ。柳生は初めから他の人間を微塵も信用してはいないらしい。九角天童の部下は天戒の部下を組成させてあてがってあるのだが、生前の部下たちにシャンを操れる人間は誰一人いない。その皮を被っているのは誰だという話である。

 

凶津が会心する良心が残っているのなら、九角の手下に始末される訳にはいかないのだ。その手下が誰かわかればこちらも早急に動くことができるのだ。

 

「醍醐君、大丈夫ですか?なにか心配ごとでも?」

 

「時諏佐......」

 

「さっきの声になにか心当たりでもあるのですか?とても悲しそうな顔をしていますが」

 

「いや......そうか、俺は今そんな顔を......」

 

「醍醐君」

 

「なんだ?」

 

「秘密をかかえている私がいえることではないですが、私も真神学園からの醍醐君しか知りません。でも醍醐君は大事な友達だし、仲間だと思っています。なにかあったら言ってくださいね」

 

「ああ......話すつもりではあるんだ。だがまだ......覚悟ができなくてな。すまない。というか、それはさっき俺が言ったことだな?」

 

「あはは、ばれました?いい言葉だったから使わせてもらいました」

 

「お前な......。いや、俺自身、あの時からずっと秘密をかかえたままだから言えた言葉だしな......ありがとう」

 

「いえいえ。元気が出たならなによりです。小蒔ちゃんが心配ますからね」

 

「───────ッおま、い、いつから......」

 

「え、初めからですが」

 

「───────......いや、いいか。時諏佐はアン子と違って口が堅いしな......」

 

「はい、任せてください」

 

緋勇たちが合流するまで私達は遠野の所で犯人について話を聞くことにしたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖26

凶津を現行犯で捕まえることには失敗したが、遠野の証言により、詳細の情報を得ることができた。まず制服を着ていたことから男子高校生であること、派手な装飾をつけていたから不良であること。そして醍醐ほどの巨体の男であるということ。

 

凶津の声を聞いてから挙動不審気味な醍醐をみんな気にしていた。私も粘ってみたのだが醍醐ははぐらかすばかりで何も言わず、そのまま解散となってしまったのである。

 

そして、翌日の早朝のことだ。

 

「ちょっと、ちょっとッ!!大事件───────ッ!!」

 

「───────うるさいなァ。入ってくるなり、どうしたのさ、アン子」

 

「はァ、はァ、とにかく大事件なのよッ!!」

 

「うふふッ。アン子ちゃんったら、そんなに息をきらせて......なにか......あったの?」

 

「何かあったの?じゃないわよ、美里ちゃんッ!あッ、龍麻くんもいるのね。ちょうど、良かったわッ。えェと、あと......京一はッ!?」

 

「京一なら───────授業が終わったことにも気づかずにまだねてるけど?」

 

「寝てる───────!?」

 

「あッ」

 

「ちょっと、京一ッ!!起きなさいよッ!!こらッ、京一ッ!!」

 

「アン子ったら、すごい剣幕だね......」

 

「えェ......一体なにがあったのかしら」

 

「あ、京一のやつ、起きたみたいだよ」

 

寝ぼけている京一が張り倒された。

 

「さっそくだけど、京一ッ。昨日、何を見たのか話を聞かせてッ!」

 

京一は誤魔化そうとしたのだが、また張り倒された。醍醐がぼろを出してしまったために、緋勇は桜井、美里、私も呼んで昨日目撃した話を聞かせてくれた。

 

昨日の夜、真神の空手部員が一晩で襲われたというものだ。空手部は近々全国大会に向けた都大会を控えていたのだが、今回の件で出場を危ぶまれているというのだ。西新宿4丁目の路地で2人、花園神社と中央公園で1人ずつ。現場には激しく争った形跡もなく───────通行人や付近の住人から、西新宿署や派出所に犯人を目撃したという届けは出ていない。負傷した3人は巡回中の警察官によってすぐに病院に収容。現在、重症で面会謝絶。収容先の病院名は新宿区桜ヶ丘中央病院。

 

残りの1人は3人の高校生により送り届けられた。そう、緋勇、蓬莱寺、醍醐の3人である。

 

産婦人科に運ぶのはおかしい。負傷した男子空手部員の怪我が普通じゃないと考えるのが自然だ。桜ヶ丘病院は普通とは違った特殊な治療が可能な病院だ。

 

探偵のように事実を突きつける遠野に醍醐たちは観念して話し始めた。

 

 

「あーあーッ。こんなに暗くなっちまって......やっぱ部活はやるもんじゃねェなァ」

 

「おいおい、お前なァ。それが仮にも部長のいうことか?どうせ、月に1度くらいしか顔も出てないんだろう?」

 

「構いやしねェよ。実務は全部、有能な副部長がやってるさ。ッたく、あいつらも、お前らも、こんな時間まで、よくやるよ。どいつもこいつも青春の無駄遣いだぜ」

 

「はははッ。お前とは、青春の対象が違うからな」

 

「ふんッ」

 

「それよりも、今は空手部の奴らの方がはりきってるぞ。もうすぐ、全国大会出場をかけた、地区大会があるからな。今年こそ、目黒の鎧扇寺学園(がいせんじがくえん)に勝って、優勝できるといいんだが」

 

「その、がい......なんとかってとこは強いのかよ」

 

「あァ。ここ2年、うちと優勝争いをしている高校だ。一昨年は真神、去年は鎧扇寺が優勝している。空手部の部長も、今年は相当気合いがはいっているだろう」

 

「なるほどねェ。俺に言わせりゃ、お前らみんな不毛な高校生活を送ってるぜ。何が悲しくて、汗臭い男に囲まれた青春送んなきゃなんねェんだよ」

 

「はははッ。まァ、人それぞれと───────、」

 

悲鳴の先に駆けつけてみれば、真神学園の生徒が倒れていた。空手部の2年生だった。襲われた部員に特に外傷はなかったのだが、まるで石のようになっていた。鎧扇寺に襲われたといいのこした男子生徒はそのまま気絶してしまった。そして桜ヶ丘病院に連れて行ったのだという。すでに犯人らしき姿はなかった。

 

大会を控えた有力選手ばかりが狙われているのだ。容疑者は真神の空手部を潰したいヤツらの仕業と考えるのが自然だ。

 

そして、遠野は電脳研究会に持っていったデータを拡大処理してもらった写真を見せてきた。電研は文系のなかでも閉鎖的な部活だが、部長の秘密を握っている遠野はむりやりやってもらったらしい。そこには鎧扇寺の学生ボタンがあった。

 

「4人の容態はさっき1人の意識がもどったそうなの。石化はすすんでるけど、前よりゆっくりになってる。たかこ先生がいうには、一度に大人数を石化させるには限界があるんじゃないかって」

 

「だからそのスピードがおちたってことか」

 

「犯人の特徴なんだけど、やっぱりスキンヘッドで。こっからは新情報なんだけど二の腕に大きな刺青がある男らしいわよ」

 

遠野は取材メモを見ながらいうのだ。

 

「比良坂ちゃんと高見沢ちゃんから聞いた話なんだけどね、最近都内の病院で死んだ患者の遺体が消えるらしいの。桜ヶ丘ではそういう事件はないらしいんだけど、新宿近辺の他の病院は結構被害にあってるみたいね。目撃者は今のところいなくて、この件には警察も介入してないわ。病院は遺体が盗まれたなんてなったら信用問題だからなんとかもみ消そうとしてるって話よ」

 

なんだか熱が入ってしまったようだ。

 

「現実に起こりつつある怪奇事件の真実を、克明に伝えることにより、平和に溺没しきった社会に警鐘を鳴らすことがあたしの使命なの。逃げ惑う民間人の中を、命を省みずに報道のために進んでいく。安心して───────あくの秘密結社に捕まったとしてもみんなのことは喋らないから」

 

「悪の組織ってあのなあ」

 

「アン子ちゃん、なにいってるんですか。そんなときこそ私たちの名前をいってもらわないと助けられないですよ」

 

「おい、時諏佐」

 

「あァ、これこそがジャーナリストの鏡っ!そしてかけがえのない友情の姿なのねっ!ありがとう、槙乃っ!やっぱアンタは最高だわ!ジャーナリズムも友情も本来そうあるべきなのよっ!というわけで、荒事になりそうなそっちはどうせあたし、置いてきぼりになるわけでしょ?ならこっちの事件追いかけてみることにするわね」

 

嵐のように去っていったアン子を見送り、裏密が緋勇を気に入って仲間に加わったりしながら、緋勇たちは鎧扇寺学園にやってきた。空手部は体育館脇の道場にあるという。全国大会で優勝するだけあり、さすがに設備が違う。

 

中に入ると、ひとりの男子生徒が瞑想していた。彼の名前は紫暮兵庫(しぐれひょうご)、鎧扇寺学園3年だという。

 

「......そろそろ来る頃だとは思っていた。魔人学園の者だな?1度会いたいと思っていたよ」

 

「奇遇だな、俺たちもだ」

 

「俺に、選択肢はあるのか?力ずくでも聞き出そうって顔だぜ?......よっと。俺の名は、鎧扇寺学園3年の紫暮兵庫(しぐれひょうご)。空手部の主将をしている」

 

「そうか、俺は真神学園3年の緋勇龍麻。部活には入ってないけど、古武道を嗜んでる」

 

「緋勇とかいったか、いい目をしている。真っ直ぐな武道家の目を。嗜んでるとは謙遜だろう」

 

「どうだろうね」

 

緋勇はここにきた事情を説明し始めた。

 

「なるほどな......それでわざわざうちの高校に来て、真神の空手部と繋がりのあるここに足を運んだってわけか。迷惑な話だ」

 

紫暮は笑い飛ばす。蓬莱寺は挑発と受けとり怒るが緋勇が制した。

 

「あんたの所の生徒がどうなろうとうちには関係のない話だ」

 

醍醐がわってはいる。

 

「紫暮、単刀直入に聞きたいんだが、今話したことに心当たりはないか?」

 

「......俺が口で否定したとして、お前たちは信用できるのか?」

 

「被害者が碑文公園なのは話しましたよね」

 

「うん?」

 

「私は新聞部として調査をしている過程で鎧扇寺学園の生徒さんも朝練をしているのを見かけました。朝早くからだったら、見かけた場合もあるのではないかと思ったんです。その報復として擦り付けられた可能性があります。制服を盗まれた、といった被害は確認できませんか?」

 

「ふむ......残念ながら、うちの部員にも雑なやつがいてな。ボタンをなくした、なんてのはよくある話だ。制服を盗まれたとは聞いていない」

 

「そうですか......」

 

「あんたがどうだかは知らないが......その人数でわざわざここまできたということは、闘う覚悟があるということじゃないのか?新聞部だそうだが、武芸を嗜んでいるだろう?残念だが───────俺にはその覚悟を打ち消すほどの確固たる証拠がない」

 

「つまり、証拠はないがやってない」

 

「さァな......どうだ?俺のいうことが信用できるか?」

 

「俺の直感だと、あんたは嘘をついていないと思うな」

 

「ほう?会って間もない俺をそこまで信用するのか。器がでかいのか、はたまた、ただのマヌケか───────面白い男だな。だが、俺も武道家の端くれだ。拳を交えることで無実を証明してみせよう」

 

なんと紫暮はひとりで全員を相手するというのだ。そんな主将を慕わない部員がいないわけがない。加勢させてくれと部員がおしかけてきた。いくら無実を証明したいとはいえ、最後の大会にあらぬ疑いをかけられて私闘に付き合うのは人がよすぎると怒られている。

 

残念ながら被害者のことを思うと時間が無いため、実力行使となった。

 

「わははははっ、そんなでかい図体で情けない顔をするな。こっちも挑発したんだ。お互い様だ。実はな、醍醐って男と一度手合わせしてみたかったのさ」

 

紫暮はどこまでも快活な男だった。

 

「大会前の部員が襲われれば、当然関係者も疑われる。もしも鎧扇寺の部員が襲われていれば、俺も真神を疑ったろうな。もしかすると───────犯人は鎧扇寺の名をおごり、俺とあんたたちを戦わせて、潰し合うのを狙って、今回の一件をしくんだ可能性があるな。事実を知ってしまった以上、俺も無関係というわけにはいかん。俺も犯人探しを手伝おう」

 

「ありがとう、紫暮。これからよろしく」

 

「ああ。そうだ、参考になるかわからんが、数日前にうちの部員がこの当たりで不審な男をみたといっていたぞ。やけに派手な装飾をつけたスキンヘッドの男だそうだ。左の二の腕に大きな刺青があったとか。高校生くらいらしいがこの当たりじゃ見ない顔らしい」

 

いよいよ醍醐は顔色が悪くなったのである。杉並区にある高校生から果たし状がきたと遠野が追いかけてきてくれたのだ。私は青ざめた。紗夜が人質になっていると言われたからである。桜井がここにいるから安心しきっていた。動揺する緋勇たちをみて、意を決した様子で醍醐は口を開いたのだった。

 

「どんなに喧嘩が強くても、いくら頭の回転が早くても、人は───────大切な存在を前にして、時にどうしようもない自分の無力さを思い知らされる。俺はあの日───────あの時、どうすべきだったのか───────」

 

醍醐は5年前杉並桐生中学に入学した。自分がどれだけ強いのかを試すために相手を選ばず喧嘩ばかりだった。決して満たされない飢えと手に入らないなにかへの羨望に満ちた目だった。相手も自分も傷つけることしか知らないようだった。だから醍醐とつるむようになっていく。

 

醍醐は手加減や節度を覚えた。内なる狂気をどんな時になんのために使うべきなのかわかり始めていた。凶津の黒い炎は衰えを知らず、喧嘩をこえた暴力となっていた。チンピラの大将になっていた。障害、窃盗、婦女暴行、定職についていないアル中の父親との生活が拍車をかけた。醍醐は止めることができなかった。

 

中三の冬に逮捕状が出た。罪状は殺人未遂。父親は病院に運ばれて意識不明の重体。醍醐はかつてよくつるんでいた廃屋で見つけた。

 

助けてくれといわれた。

 

警察からか、すさんだ環境からか、壊れていく自分からか。わからなかった。醍醐とかつての親友はもはや理解者同士ではなくなっていたのだ。醍醐は自首するよう進めたが、お前は変わったと詰られた。醍醐は目を覚まさせるために喧嘩して醍醐が勝った。

 

警察が連れていく時、凶津は1度も醍醐を見ようとはしなかった。

 

「杉並区にいこう。俺にしかわからない場所ということは俺がやつと最後に戦ったあの場所しかないからな」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖27

廃屋の真ん中。不良たちがたむろするその奥で、凶津は不機嫌そうに穴が空いている天井を見上げた。

 

「気に入らねぇな......コソコソ俺の様子をうかがいやがッて。えッ、鬼道衆ッ!いるんだろ、でてこいッ!てめーにいいたいことがあるッ」

 

怒鳴る凶津に緑色のお面をつけた男が現れた。

 

「主があの男を本気で殺せるかどうかそれを見届けにな」

 

「......ならなんで、醍醐の惚れてる桜井小蒔って女を連れてこなかった。話がちげぇじゃねーかよッ!誰だこいつはッ」

 

指さす先にはぐったりとしている紗夜の姿があった。

 

「比良坂紗夜は醍醐の仲間だ。なんの不満がある?石にしないのか?人の情とは不思議なものよ。稀代の剣豪もそのために命を落としたという」

 

「そんなんじゃねェ......話が違うっつってんだよ。俺にこの《力》と《鬼》になる《力》をくれたくせに、その起動になるはずの女がいなけりゃ意味がねェじゃねえかッ!醍醐が本気で俺に向かってくる最高のシチュエーションには、桜井小蒔以外の人質は成立しねェんだよッ!直接関係ない女を狙って、あいつが疑問を挟む余地が出来ちまった瞬間に俺が《鬼》になるタイミングがズレちまうじゃねぇかッ!」

 

「ふん、くだらぬカタルシスに縛りおって」

 

「───────けッ、てめぇらにはわからねえだろうが───────

人間にはなあ、その情ッてやつを支えにして生きている。その情ッてやつのおかげで信じられねェ力が出せる時がある......。俺は───────醍醐に出会ッてからそうやッて生きてきた」

 

「ふッ、くだらぬ。やはり、曇ッた太刀で人は切れぬか」

 

「けッ。てめェのいうくだらねえ人の力ッていうのが、どれほどのものか見せてやるぜ」

 

「愚かな」

 

「醍醐の次はてめーだッ」

 

「しかし......その女を石にしなければ、他の女たちは醍醐が来る前に石になってしまうのではないのか」

 

「だから、なんでこの女なのかってきいてんだよッ」

 

「お前が比良坂紗夜も時諏佐槙乃も拒否するものだから代わりに手始めにさらってやっただけだろう」

 

「理由もなしで納得できるか」

 

鬼の仮面をつけた男は笑った。男はいうのだ。鬼を勘違いしているのではないかと。

 

鬼は民話や郷土信仰によく登場する逞しい妖怪とされている。一般的に描かれる鬼は、頭に二本、もしくは一本の角が生え、頭髪は細かくちぢれ、口に牙が生え、指に鋭い爪があり、虎の皮の褌や腰布をつけていて、表面に突起のある金棒を持った大男の姿である。

 

元々は死霊を意味する中国の鬼が日本に入り、日本に固有で古来の「オニ」と重なって鬼になった。「オニ」とは祖霊であり地霊である。

 

古来の鬼とは、「邪しき神」を「邪しき鬼もの」としており、得体の知れぬ

安定したこちらの世界を侵犯する異界の存在である。「おに」の語はおぬ(隠)が転じたもので、元来は姿の見えないもの、この世ならざるものであることを意味する。そこから人の力を超えたものの意となり、後に、人に災いをもたらすイメージが定着し、さらに陰陽思想や浄土思想と習合した。

 

社会やその時代によって異界のイメージが多様であるからで、まつろわぬ反逆者であったり法を犯す反逆者であり、山に棲む異界の住人であれば鍛冶屋のような職能者も鬼と呼ばれ、異界を幻想とたとえれば人の怨霊、地獄の羅刹、夜叉、山の妖怪など際限なく鬼のイメージは広がる。

 

「生まれながらにしてまつろわぬ民と蔑まれ、抑圧され、やがてその憤怒が変生を身につけるに至った者とは違う。おぬしがなる《鬼》は、憎しみや嫉妬の念が満ちて、変生(へんじょう)し、人が鬼に変化する術によるものだ。それすなわち、外法(げほう)という。仏教の法である仏法(内法)に対し、仏教から見た異教による妖術よ。生半可な覚悟でできるものではないわ」

 

男はいうのだ。人の道に背き、邪悪な心を持った者。真理に外れた教えに傾き、すべての結果には必ず原因があるという因果の道理はから外れる者。真理に反した道を生きるのだから、この世も未来も苦しまなければならなくなる。それでもなお消えぬ激情があって初めて人は鬼になる。お前はどうだと。

 

「俺は......醍醐を恨み、憎むことで鬼になるんだ。俺のこの邪手の《力》と奴らの鬼の《力》そのふたつがあればもう怖いものはねェ」

 

「嘘だな」

 

「なんだとッ」

 

「お前はまだわかっておらぬようだ。比良坂紗夜と時諏佐槙乃はお前の願いを邪魔だてする女だというのにまだわからないとはな」

 

男は嘲笑する。

 

「人は《氣》を陰陽のバランスを意図的に崩すことで初めて鬼となる。時諏佐はそのために必要な陰の氣を取り込めなくする術を使う。お前が以前逃げ延びる際に鬼になれなかったのはそのためだ。こちらが直接陰の氣をそそいでもいいが、お前の覚悟程度では理性を失っただだの妖魔としての《鬼》に成り下がるだろう。比良坂の《伊邪那美》の《宿星》はあやつらに加護をあたえる。それは最適な未来を掴むための加護、貴様が《鬼》となるのは2人を抹殺せねば話にならん」

 

「それは......」

 

凶津はいいよどんだ。

 

「時諏佐ってあれだろ......時諏佐槙絵っていうばーちゃんの孫かなんかだろ......」

 

「それがどうした」

 

急に威勢をなくした凶津に男は笑うのだ。

 

「所詮は人か。みすみす敵を見逃そうとするとはな。所詮は人のなせる業か」

 

「うるせえ、時諏佐を殺すってことは、3年前の俺の怒りすら否定することになんだよッ。そんな筋の通らねえことができるかっ!」

 

凶津は叫ぶ。

 

かつて時諏佐という担任に救われたから今度は俺がお前を更生させてやる番だと笑った担任がいた。昔やんちゃをしていたと笑い話をしては学校に来いと性懲りも無く自宅訪問を続けていた。生活保護などを進めて家庭環境を改善しようと口うるさい生活指導員の女がいた。3年間のうちに凶津の周りにはいつしか、まともな大人が手を差し伸べようとしていた。誰もがいうのだ。醍醐雄矢から話は聞いた。大丈夫かと。

 

そのすべてをアル中の父親が潰したのだ。暴力を振るい、怪我をさせ、追い出してしまう。そして、3年前のあの日、凶津は父親が担任の胸ぐらをつかみ、包丁をさそうとしていた。口論になり逆上しての強行だった。このままでは自分はおろか担任まで終わる。この男がいるせいで。そんなことがあってたまるか。

 

気づいたら凶津は父親を滅多刺しにしていて、担任が止めていなかったらトドメをさしていた。どのみち出血多量で意識不明の重体になったから、死ぬかもしれなかった。生き残ったと聞かされた時はしぶといやつだと本気で思ったものだ。

 

醍醐に出頭を促されたとき、かっとなった。途中から見限って距離をおいていたくせに、なにを今更友達づらして目の前に現れたのだと。会話の流れから喧嘩になり、負けたのは凶津だった。廃屋のまわりはパトカーで取り囲まれ、通報してからの時間稼ぎかと絶望した。その時は裏切られたと思った。

 

そして、執行猶予はついたが、他に余罪がありすぎて罪をすべて精算したころには3年の月日が流れていた。そして、目の前に現れたのがこの緑色の面をした男である。

 

「お前が《鬼》になれようがなれまいが、これからこの街はもうすぐ我ら《鬼》の支配する国になる。鬼道衆に賛同する《力》を持つものと《鬼》たちの支配する国に───────。そう、まもなく狂気と戦乱の波に包まれるのだ。醍醐は鬼道衆に仇なす《力》に目覚める運命だ。鬼道衆に殺されるか、お前に殺されるかの違いだ」

 

「うるせェ、黙ってみてろ」

 

「そんな虚勢がはれるのも夜の帳がおりるまでだ。お前は否応なく《鬼》となるのだ」

 

「ちッ、いつの間にか気持ちわりぃ蟲なんざ仕込みやがって。ぜってえ日が落ちるまでに決着つけてやる。そして覚悟が半端じゃねぇことを証明してやる。見てやがれ」

 

(......凶津さん......そんな事情が......)

 

紗夜は必死で祈るしかない。鬼の面の男のいう意味がよくわからないが、時間が無いのはわかる。

 

(どうか......龍麻さん......みなさん......間に合って......どうか、どうか、このままじゃ凶津さんが......)

 

まぶたの裏が真っ暗になるまで紗夜は祈り続けていた。ぱきん、となにかが壊れる音がした。

 

「ちィ、やはり《伊邪那美》の《力》に覚醒していたか......面倒な」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖28 友完

緋勇は悪夢を見た。間に合わない夢だ。

 

醍醐に案内されて、廃屋にたどり着いた時には全てが遅かった。どうやらハトのサイズの頭に寄生する蟲は、夜になると活動が活性化するらしい。緋勇たちの前に現れたのは、すでに蟲による記憶操作をうけ、精神を侵食され、自我を蟲の都合のいいように改変された凶津だった。

 

不良たちを倒し、凶津のところまで辿り着いたが、比良坂紗夜を人質にとられ、思うように動けない間に鬼道衆の風角(ふうかく)を名乗る鬼の面をかぶった男が強襲したのだ。鎌鼬のような《力》をつかう男だった。

 

《我々を狩る《力》を持つ小賢しい輩よ》

 

《夜の混乱は我々の至福》

 

《恐怖より生まれし闇は我々の糧》

 

《我々を否定する者よ》

 

《これ以上邪魔だてするならば、屠ってくれる》

 

風角は凶津に時間切れだと宣告した。

 

「これ以上は待てぬ。面倒ごとになる前に屠ってくれる」

 

風角は比良坂と時諏佐の首をはねた。この瞬間に緋勇たちは風角が凶津をそそのかして《力》を与え、事件を引き起こさせたあげくに、蟲の寄生による時限爆弾で後戻りさせないようにしたのだと知った。凶津は凶津なりの筋を通そうとして今のような事態に陥っているのだと知った。なにもかもが遅かった。

 

風角はいうのだ。時諏佐がいなくなった今、邪魔だてする者は誰もいないのだからこころおきなく《鬼》になれと。そこで緋勇はかつて莎草が成り果てた化け物が《鬼》になりそこなった妖魔だと知った。

 

また救えなかった。人として終わらせてやれなかった。絶望しながらも戦う緋勇たちに凶津から変異した妖魔はあまりにも強かった。

 

そして、世界が砕け散る音がした。

 

「 龍麻、龍麻ッ、なにボーッとしてんだよ。アン子が呼んでるぜッ」

 

蓬莱寺に揺さぶられて目を覚ました緋勇は、どういうわけか世界が逆もどりしていることを知った。いつの間にか放課後になっている。

 

蓬莱寺に緋勇ではなく龍麻と呼ばれていることにちょっと驚く。あの時は、蓬莱寺の目の前で緋勇が風角の《力》にトドメをさされる瞬間に初めて龍麻と呼んだはずだった。

 

「なんで名前呼びなんだよ、いきなり」

 

思わず返した緋勇に、蓬莱寺はあわてて飛び退いた。イタズラがバレた子供のような顔をしている。

 

「お、起きてんのかよッ!びっくりさせんなッ!」

 

「びっくりしたのはこっちだよ」

 

「いや~だってさァ、醍醐も美里も桜井もいつの間にか、緋勇から龍麻に変わってんじゃん?な~んか俺だけ緋勇ってのもなァ......と思って、ちょっと練習を......だな......」

 

「俺は最初から京一って名前で呼んでるんだから、そんな気にしなくてもいいんじゃ?幼稚園じゃあるまいし」

 

「うっ、うるせ~なッ!俺だってそこまで考えてね~よッ!ノリだ、ノリッ!」

 

緋勇に冷静に指摘されて気恥ずかしくなってきたのか、蓬莱寺は怒り出した。まわりの反応をみるに時間が巻き戻ったことを把握しているのは緋勇だけのようだ。なぜなのかはわからない。

 

でも、やり直すことができるのならば、やるしかないだろう、と緋勇は考えた。《力》に目覚めてから、緋勇はずっと奇妙奇天烈な出来事の只中にいるのだ。時をかける少女よろしく時間が巻き戻ったところで、なんらかの《力》が働いたのだろうと軽く受け止めた。判断するにしてはあまりにも状況証拠がなさすぎる。

 

緋勇はとりあえず遠野の話を聞くことにした。そして。

 

「待ってくれ、アン子。石になる速度がゆっくりになってるのか?」

 

それは桜ヶ丘中央病院に入院している真神の空手部員の病状についての話を聞いている時だった。緋勇はたまらず口を挟む。

 

「え?そうだけど。いきなりどうしたの、龍麻君」

 

「思ったんだ。なんで今のタイミングで石になる速度がゆっくりになるんだ?今まで速度なんか変わらなかったのに。まるで処理落ちみたいな」

 

緋勇の上手く言葉に出来ないニュアンスを拾い上げてくれたのは時諏佐だった。

 

「そういえば、女の子を誘拐していた時はいつも1人ずつでしたよね、アン子ちゃん。今回は一夜にして4人です」

 

「えっ、待って待って待って、ってことはまさか」

 

「そのまさかかもしれないぞ、みんな。アン子が今いったじゃないか。一度にたくさんの人間を石にするには限界があるから遅くなる。また遅くなったなら、誰かが今まさに───────」

 

その瞬間に椅子がものすごい音を立ててひっくり返る。衝動のあまり立ち上がったのは醍醐だった。蓬莱寺がどうしたんだと醍醐の肩を叩く。みんなの心配そうな顔を見渡して、醍醐が一番最初に放った言葉は、すまない、だった。

 

それから緋勇は迅速に動くようこころがけたし、誰も疑問を挟む者はいなかった。鎧扇寺の空手部に話を聞きに行くグループと凶津と醍醐の思い出の場所を虱潰しに回るグループにわかれ、初めから回るところを共有した。大体の移動時間からみんながいるところを把握出来るようにしておいて、みんなで凶津の居場所を探し回った。

 

そして。

 

「うるせえ、時諏佐を殺すってことは、3年前の俺の怒りすら否定することになんだよッ。そんな筋の通らねえことができるかっ!」

 

凶津が鬼道衆の風角に吠えているところに緋勇たちは遭遇することになる。醍醐は3年越しの凶津の真意を聞くことになり、時諏佐は予め緋勇が渡しておいた即死を1度だけ回避出来るアイテムにより、間髪で即死を免れることになったのである。

 

「お前は人質ぞ。奴らを抹殺するためのな。のう、《力》のある者共よ?これより先、お前たちが我々に抵抗することを禁ず。守らねば比良坂紗夜の首が飛ぶぞ」

 

「鬼道衆ッ!お前は黙ってみてやがれ、俺の戦いに邪魔すんじゃねェッ!」

 

凶津が吠える。

 

「......そうだな」

 

醍醐が返した。そして悠然と向かっていく。

 

「醍醐......?」

 

「俺達の喧嘩に、手出しは不要だ。そうだろう、凶津。掌底・発勁ッ!!」

 

特異の練気法と呼吸で高めた剄力を掌から遠間へと放つ気孔術が凶津を襲った。醍醐は緋勇が以前正体不明の少年からもらった蟲を追い払うことができるブローチを預かっており、そこから放たれる《氣》を込めて凶津にぶつけたのだ。

 

凶津はいきなりの攻撃に対応できず吹き飛ばされて壁に激突する。ずるずると地面に落ち、凶津は猛烈な吐き気がしたのかげえげえ吐き始めた。ブワッと黒いなにかが凶津から溢れ出したかと思うと、ハトくらいのサイズながら邪悪な《氣》をまき散らす蟲が出現した。

 

「......ちぃ、余計なことを......」

 

「破岩掌ッ!」

 

醍醐はすかさず蟲が新たな犠牲者の頭に寄生する前に、体内で練った気を、掌より一気に放つ。その威力は大岩をも砕くほどであり、廃屋の壁の一角が一瞬にして吹き飛んだ。

 

「これでいいだろう、凶津」

 

「あァ......久しぶりに効いたぜ......これで俺らの邪魔をするやつはいなくなったわけだからなァッ!」

 

凶津と醍醐が相対する。余計な邪魔だてをされないよう、緋勇たちは風角をとりかこんだ。

 

「ふん......心に影を持つ者を操ることなぞ造作もない。《鬼》に出来ぬのが悔やまれるが、まあいい」

 

風角が凶津を慕って集まっていた不良たちになにかを取り付かせた。襲い掛かってくる不良たちに緋勇は舌打ちをする。

 

美里と桜井、高見沢に後ろに下がるよう指示を出し、男性陣には壁になるよう叫ぶ。時諏佐と藤咲にはその後ろから追撃を頼む。桜井はこの状況を突破できる切り札だから温存しなくてはならない。美里に壁役たちの守備力をあげるよう告げ、襲いかかる者たちをのしていく。

 

桜井の一閃が風角の皮膚を掠め、一瞬の動揺を逃すことなく蓬莱寺と緋勇は風角に《氣》を叩きこんだ。ふっとばされた風角はそのまま跳躍して屋上にむかう。緋勇は比良坂をかかえて走り、美里と高見沢に救護を頼んだ。人質がいなくなり、自由が効くようになった仲間たちの動きが格段によくなっていく。蓬莱寺たちが不良を倒していく中、緋勇は風角を見上げた。

 

「風に乗りて歩むものよ」

 

時諏佐が風角に凍傷を負わせた。

 

「お前は絶対に許さないッ!雪連掌!」

 

体内で練った凍気を乗せた掌打が放たれる。雪中に咲く睡蓮の花を模しているそれは、凍傷によりさらなるダメージを産む。

 

「ぐっ......おのれ!」

 

報復に放たれた鎌鼬は強烈だったが、あえて緋勇はうけた。すぐに追撃しようとしたのだが、やはりまともに受ければ首が飛ぶレベルのダメージである。ふらついて軌道がズレ、激突した《氣》が瓦礫の雨を振らせた。

 

「くそッ」

 

緋勇は拳を壁に叩きつける。

 

「まあまあ、俺達が本気出せばこんなもんだって宣戦布告できたんだからいいじゃねえか。な、龍麻ッ」

 

緋勇は顔を上げる。

 

「龍麻君ッ......!」

 

美里があわてて《力》をつかい、治療を始める。

 

「よかった......無事で本当によかった......あえて受けたのだと思うのだけれど、無茶はしないで......」

 

「あァ......うん、ごめんな美里。ちょっと頭に血が上ってさ、つい」

 

緋勇は頬をかいた。

 

「護りたいものがあるから、そのための《力》だと信じていると教えてくれたのは龍麻君よ。だから、どうか、どうか一人で突っ込まずに私たちにも手伝わせてください」

 

「そうだぜ、龍麻。な?」

 

蓬莱寺の言葉に誰もがうなずいている。ようやく今回はうまくいったのだと実感が湧いてきて、緋勇はためいきをついたのだ。

 

しばらくして、醍醐と凶津の決着は、3年前の時と同じように醍醐に軍配があがり、比良坂が目を覚ました。桜ヶ丘中央病院に2人を連れていく道すがら、緋勇は風角の奇襲を警戒しているのか最後尾を歩く時諏佐に声をかけた。

 

「槙乃、凶津が《鬼》にならないよう術をかけていたってほんとなのか?」

 

「ほんとに効果があるのかは半信半疑だったんですが、効果抜群だったようですね。凶津君が無事でよかったです」

 

「そうだな。でも次からも鬼道衆は槙乃を真っ先に潰しにかかると思うから、気をつけてくれ」

 

「そうですね、今回はヒヤヒヤしました」

 

「ほんとだよ。今度は如月んとこで高い防具を買わなくちゃいけないな」

 

「えっ」

 

「なにが、えっだよ。俺が渡してたアイテムなかったら、死んでたんだぞ。なあ、みんな」

 

緋勇は笑いながら時諏佐を前に押しだす。2度目はないように気をつけなければならない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖29

 

それは四方をクリアガラスの障壁で覆われた収容室である。壁面には緩衝加工が施されていた。綺麗な花が咲いた植木鉢がおかれ、人が生活できるスペースが確保されている。真っ白なベッドに槙乃が横たわっていた。

 

槙乃ちゃんと呼びかけてみるが、反応はない。いないかのように扱われる。まるで幽霊になった気分だった。たしかに美里はそこにいて、五感も冴え渡り、現実と見紛うばかりの絶望感が迫ってきたのだが、映画やテレビを見ているようだ。美里は世界から隔離され、なにも影響を受けないかわりになにもできない。

 

槙乃は入院患者の服を着ており、無表情のまま起き上がる。傍らに置かれている薄いスリッパを履き、あたりを見渡す。収容室の周りは研究室が広がっおり、槙乃の目覚めに気づいた一人が誰かに言葉を投げる。防音のため言葉は拾えない。ぼんやりとベッドに座っていると、白衣を着た職員と思われる男女が入ってきた。立つよう促される。こくりとうなずいた槙乃はぺたぺたと職員の後ろをついてく。

 

美里はあわてておいかけた。

 

クリアガラスの扉の横には機械が取り付けられており、カードをスキャンするのがみえる。すれ違いに作業員の男たちが掃除用具を持って入っていく。収容室の清掃や植物の世話は彼らがしているようだ。

 

槙乃には、リュックを背負うようなひもが通され、リードを白衣の男がもっている。この男と女の腰には護身用の警棒やスタンガンが下げられていた。

 

つれてこられたのは、食堂である。渡されたトレーによそわれた食事を口に運ぶ作業を黙々と行う隣で、白衣の男女は様々な機械で槙乃を調べていた。二人の交わされる言葉は非常に難解で、理解することができない。こんな質素な食事では発育不良になってもおかしくないだろう。ここまで健康的に育ったのは奇跡といえた。研究対象だから最善の栄養価を与えてはいるらしいが、そこに彩りや食欲を増進させる工夫は皆無である。病院食の方がもっとおいしそうにみえるだろう。

 

 

食事が終わり、トレーが下げられる。白衣の男に促され、槙乃は立ち上がる。次につれてこられたのは、教室のようだ。テーブルと椅子があり、真正面には教卓とホワイトボード。そこでパソコンを広げていた白衣の女性が槙乃を出迎えた。付き添いの男女はすぐ後ろで待機している。槙乃は椅子に座る。ノートと筆記用具はすでに用意されていた。そこで1時間ごとに休憩を挟みながら、カリキュラムをこなす。お昼になるとまた食堂に戻り、食事を与えられる。そして、1時間程度の散歩と体育館のような施設で本格的な運動をこなし、ふたたび教室に戻る。まるで学校のような施設だ。常に白衣の男女が付き添い、槙乃がどこにも行かないようにリードをひいているという異様さをのぞけば。

 

 

午後からつれてこられたのは、どこかの演習室である。渡された機械を槙乃は左腕に装着する。アナウンスが響いた。前に進み出たマシンは緑色の光を放つ。

 

 

不自然な爆発を起こし、火花が散る。黒煙がくすぶる中、目を開けていられないまぶしい光がほとばしる。槙乃はいっさい表情を変えないまま、なにかの調査は終わりを迎えた。

 

背後でその模様を監視していた白衣の男女がやってくるが、槙乃は微動だにしない。機械を返却するよう促されるが、槙乃の意識はここにはないようだ。光のないまなざしをさまよわせながら歩き始める。口元は意味を伴わない、不思議な響きがこぼれ落ちる。

 

今まで冷徹に槙乃を見つめていたまなざしが凍り付いていく。悲鳴があがる。やめさせようと白衣が突撃するが、不自然に荒れ狂う風がそれを阻む。突然槙乃を中心に発生した暴風は、どんどん威力を増していく。

 

頑強に作られているはずの演習場はみるも無惨に崩れ落ち、瓦礫に変えていく。槙乃の周りは無風状態であり、歩みにあわせて風は防壁のように包み込んでいるようだった。 それは光の爆発だった。一瞬にしてすべてを灰や塵にかえるほどの衝撃のあと、待っていたのは大炎上する研究所、逃げ惑う人々、そして。 

 

 

 

 

 

「あ、葵ちゃん、おはようございます。珍しいですね、葵ちゃんがうたた寝なんて」

 

聴き慣れた玲瓏な、玉を転がすような音が響く。寒々しい心に暖かな波紋が幾重にも広がる。ゆっくりと、優しい音色が満ちていく。聞こえてきたのは、槙乃の声だ。

 

ふわふわとした感覚のまま、美里は目をさます。もっと夢と現実の狭間で微睡んでいたかったが、ゆさゆさとゆり起こそうとしている手を伸ばしたくなる。色白でほっそりとした指に、健康的な薄紅色をした手のひら。美里はゆっくりと目をさます。

 

「槙乃ちゃん?」

 

宝石のような輝きをした瞳が美里をのぞいていた。《力》をつかわれている。美里が体調不良かなにかと心配されているようだ。

 

今の槙乃は夢の中のいきる人形のような不気味さも、違和感も、なにもない。無邪気に黄色い瞳がほほえんでいる。

 

「あ、ごめんなさい、私......」

 

ここでようやく美里は生徒会の仕事が片付いて、教室に帰ってきたら日直の槙乃がいたから待っていようと思っていたことを思い出す。

 

「よほど疲れが溜まっていたんですね、お疲れ様です。中間テストの結果がようやく張り出されましたもんね。一位死守おめでとうございます」

 

「いえ......テスト勉強の疲れではなくて、その......」

 

「うなされていたようですが、大丈夫ですか?」

 

「私は大丈夫......今年に入ってから、いろんなことがあったから、精神的に疲れているのかもしれないわ......。いろんな夢を見るの」

 

夢見がいいとはいえない。今の槙乃をみたおかげで夢だと確信できた。でも目の前で学級日誌を書いている槙乃の過去をのぞき見てしまった。後味の悪さと後悔、後ろめたさがない交ぜになり、美里は首を振る。

 

あのときの槙乃の瞳はまるで深淵のようだった。こちらがのぞき込んだらのぞき返しているような、むしろ、手を伸ばして引きずり込まれそうな。あまりに妖艶で、恐ろしい、雰囲気があった。今の槙乃にはそれがない。だから安心できる。

 

「どんな夢ですか?」

 

「それがね......ほとんど覚えていないの。そのとき感じた感情だけが置き去りにされていくというか......悲しさとか、そういったものが漠然と胸の中に残ったままで......」

 

「葵ちゃんはやさしいですから。怒涛のように事件が起きますから、頭が整理するのに時間がかかってしまうんですよ、きっと」

 

「そう、かしら」

 

「きっとそうです」

 

「槙乃ちゃんの夢をよく見るのだけれど」

 

「え、私ですか?」

 

「えェ......鬼道衆に殺されかけたから、その時の衝撃が忘れられないのかもしれないわ......」

 

「ああ、なるほど......。心配してくれて、ありがとうございます。鬼道衆は初めて現れた敵ですからね。絶対に次はないようにしましょう」

 

「そうね......」

 

こういうところが不安でたまらない。美里は時諏佐になる前の槙乃を知らないし、真神学園の前の槙乃を知らない。だからあの異質な毎日によって精神をすり減らし続けた夢を当てにするのはばかばかしいが、あの現実と認識せざるをえない異常な感覚は、目が覚めてもぬけない。

 

美里はつい槙乃を頼ってしまう。無意識のうちに守ってもらうことが当然のように感じてしまう。明らかにおかしい感覚だし、やめようと律していても槙乃は悲しそうな顔をする。守ってあげないといけないと思っているようだから、もしかしたら。思い当たることが多すぎて、困ってしまう。すくなくても槙乃はふつうの女の子ではない。 いつでも槙乃は美里たちを守ろうと見えないところで足掻いている。そんな槙乃に報いたいのに、美里はうまくいかない自分が歯がゆかった。

 

美里は話題を変えることにした。槙乃が目の前にいるのに話をしないで槙乃のこと出悩むのもどうかと思うのだ。

 

「比良坂さんは、どんな感じなの?お兄さんと仲直りできそう?」

 

「それがですね......家出が長引きそうです。私がどうこうできる問題じゃなくなってきました」

 

「そうなの?」

 

「はい。私たちの《力》になりたい紗夜ちゃんと二度と危険な目に合わせたくない英司さんの喧嘩は平行線みたいです。おばあちゃんが互いに落ち着くまで、距離をおいた方がいいだろうって、うちでしばらく預かることになりました」

 

「比良坂先生の気持ちもわかるけど、比良坂さんの気持ちも嬉しいし......難しいところね......」

 

「そうですね......。少しでも《力》が使える仲間がいてくれると心強いですが、紗夜ちゃんは誘拐されていますし、鬼道衆は私のように命を狙っているようですし」

 

「私は、比良坂さんを守るためにも、私たちのそばにいて欲しいのだけれど......危険がつきまとうのは事実だものね......」

 

槙乃は困った顔をしている。

 

「英司さんからも紗夜ちゃんからも説得に力を貸してくれと言われてしまって......あはは」

 

「そうなの。槙乃ちゃんを頼ってしまいたくなる気持ちはわかるけど......それは2人の問題じゃないかしら」

 

「そうなんですよね......。さすがに私はそこまで2人の人生に責任は持てないですよ。力になりたいとは思いますけど」

 

「そこで力になりたいといえるのが槙乃ちゃんらしいわ」

 

「あはは、やだなあ。葵ちゃんだってそうじゃないですか」

 

「私は......私は、思うだけよ......そこに至るまでたくさん悩んでしまうから羨ましい」

 

「それでもです。恩を仇で返されても、酷い目にあっても、手を差し伸べるのが葵ちゃんです。ちゃんと考えて、立ち止まって、悩んでいるのなら成長している証じゃないですか。なにもおかしなことではないですよ」

 

「ありがとう、槙乃ちゃん。相談に乗ろうと思ったのに、いつも励まされちゃう......これじゃあ意味がないわ」

 

「あはは、ありがとうございます」

 

そんなことを話しているうちに、下校時刻を知らせるチャイムが鳴った。

 

「そろそろ帰りましょうか」

 

「そうね、そうしましょう」

 

学級日誌をもって槙乃はたちあがる。職員室によってからになるだろうか。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖30

「彼女は僕のものだ、頭のてっぺんからつま先の爪まで。あなたには渡さない。髪の毛1本たりとも渡しはしない」

 

真神学園の校門前で比良坂先生が誰かに電話している。槙乃は驚いたように瞬き数回、戸惑いがちに眉を寄せた。声をかけようか迷っているようだ。

 

「比良坂先生、あんなに怒鳴りつけたりして、どうしたのかしら......」

 

「..................」

 

「槙乃ちゃん......」

 

言葉だけ聞くなら紛うことなき修羅場である。比良坂先生には誰か想い人がいて、誰かと三角関係なのだ。美里は心配になった。比良坂と仲良くするにしたがって、槙乃は比良坂先生ともかなり親しくなっている。アン子がなにか心当たりがあるのか、比良坂先生と槙乃の関係を深読みしてからかっては槙乃に怒られているのだ。気になる人なのは事実だろう。明らかに槙乃が比良坂先生に向ける眼差しは他の男性に向けるものとはどこか違うものだ。

 

今の比良坂先生は、発狂している、といっていい。あこがれおぼれて、いわば恋以上の恋ともいうべきものを崇拝的にささげているようだ。美里が龍麻に向ける好きとは全然違う。激情をもてあまし、狂った独占欲が破裂している。ひょっとしたら、それが正しい好きなのかもしれないと思ってしまいそうなほど迷いがない。そのまっとうさに、眩暈がする。

 

比良坂先生は携帯を折りたたみポケットに入れた。

 

「......槙乃さんに美里さんか」

 

今気づいたようで、ばつが悪そうな顔をしている。

 

「どうされたんですか、英司さん」

 

「いや......紗夜が君を待っていないかと思ってね」

 

「紗夜ちゃんですか?紗夜ちゃんだったらたしか、小蒔ちゃんが......」

 

「小蒔がゆきみヶ原高校の友達と一緒に遊びにいくって......」

 

「ああ、そういえばそうだったな......すまない。ありがとう。頭がそこまで回っていなかったよ」

 

比良坂先生はためいきをついた。冷静さを取り戻したようだ。

 

「槙乃さん、紗夜をよろしく頼む」

 

「はい、電話がかかってきたら、また迎えをお願いしておきますね」

 

「ああ、そうしてくれ。紗夜は君のいうことなら聞くようだから......」

 

どこか寂しそうに比良坂先生はいう。比良坂がひとり立ちするのが寂しいのかもしれない。ここにいても仕方ないから、と帰ろうとした比良坂先生を槙乃が呼び止めた。時諏佐家にいれば紗夜は帰ってくるのだから話をすればいいと誘った。比良坂先生は迷っていたようだが、槙乃が押し切った。

 

「そうだ、君たちは奇跡を信じるか?」

 

帰りの道中で比良坂先生はそんなことを言い出した。

 

「奇跡ですか?」

 

美里は槙乃と顔を見合わせた。

 

「私は......幼い時から神様を信じています。だから、奇跡も信じています」

 

「葵ちゃん、キリスト教徒ですもんね。私は......そうですね。やれることをやった後なら信じてもいいかもしれません。起きたらうれしいし、起きなかったらそれまでです」

 

「ぼくは───────......君たちのように強い人間じゃなかったからな......奇跡なんてないと思って生きてきたよ。あるのは必然だけだ。運命論を信じている訳では無い。もし奇跡があるのなら、起こらなかった場合のことをどうしても考えてしまうんだ。大切な人を失うことになったとき、その死は意味がないことになってしまう。まったくの無駄死にだ」

 

「なるほど......」

 

槙乃はうなずいているが、比良坂先生は自分に言い聞かせているように美里には思えてならなかった。なにかいおうにも言葉が出てこない。美里は槙乃や比良坂を通してしか比良坂先生と話したことがないのだ。

 

「そうでなければ、あの日起きた飛行機事故で両親は死ななかった。父さんも母さんも紗夜を守ってしなずにすんだ。かつて僕には夢があった。医者になる夢だ。両親があんな死に方をしたから尚更かもしれない。医者になって苦しんでいる人を助けたり、誰かの命を救ってあげたかった。だが、それは紗夜が看護師になりたいという夢を話してくれたから、代わりに叶えてもらうことにしたんだ。紗夜には僕しかいなかったからな」

 

「英司さんが先生を選んだのはそういう理由からだったんですね」

 

「もう10年以上前の話だ。すまない、こんな話をして。ぼくは......いや、なんでもない」

 

その先も会話は続いていたが、美里は自宅に着いたので2人に別れを告げたのである。

 

その日の夜、美里の家に電話がかかってきた。時諏佐校長先生からだった。まだ槙乃が帰ってきていない。なにか知らないかとひどく狼狽した様子でまくしたてられ、美里は比良坂先生と家に帰ったのではないかと聞き返した。近くには比良坂もいるようで、会話が聞こえてくる。兄とも連絡がとれないと比良坂は半泣きになっている。

 

美里はすぐに龍麻たちに電話をして、早朝にでも槙乃を探すことにしたのである。警察に任せて一夜明けても見つけられないなら、と校長先生に言われたからだ。鬼道衆による被害拡大を懸念しているのだと察した。

 

 

 

健康的なレジャー施設に漂う《邪気》はどこからくるのだろうか。品川区民公園にて、美里たちはあたりを見渡した。

 

縦に約1キロ、横に約200メートルという縦長の憩いの場は、桜の広場、スポーツ広場、噴水広場、遊びの広場、潮の広場という5つのゾーンにわかれている。工場街、運河、高速道路、鉄道が背景にあるため、大都会の真ん中にある憩いの場といった雰囲気だ。それぞれに桜並木があり、テニスコートやグラウンド、プール、キャンプ場とリフレッシュできる充実した設備がそろう。

 

中央正面奥の水と石のオブジェは、子供の絶好の遊び場になっていた。その先を行くと勝島の泉の入口に抜けることが出来て、なにかのアートなのか巨石群が存在感を放っている。ストーンヘンジか墓場のように見えてしまい、美里はあわててかぶりをふる。今はそれどころではない。

 

さざなみたつ砂浜がよく見えるのは、人口池、勝島の海だ。初夏とあってか、運河から漂ってくる潮風もあいまって、涼みにきた子供たちの活気がたえない。レストランドルフィンが水面に張り出しているのを見ながら、美里は髪をかきあげた。

 

龍麻が仲間に手分けして《邪気》の正体を探そうと提案してきた。美里も龍麻と共に槙乃を探す。

 

「......槙乃ちゃん......」

 

美里は懸命にあたりを探した。美里は槙乃のように《氣》を探知することはできないから、考えるしかない。小手先の施設でなにかを隠そうとしても無駄だから、怪しい《氣》が流れてくる方向から施設を探すしかない。

 

ひたすらに探していた、その時だ。

 

「───────ッ!!」

 

強烈なデジャヴが美里を襲った。足を止めた美里は辺りを見渡し、少しずつ歩いていく。急に歩くのをやめた美里を不思議そうに龍麻たちがみている。

 

「ここだわ」

 

それは見た事があった。

 

「燃え盛る研究所から逃げ出したとき、最初に見えた景色は、ここの......」

 

伸ばした木の幹には、今なお消えない焼けたあとが残っていた。

 

「ということは、この先の......」

 

美里は反射的に振り返る。そして走り出した。美里の反応に何か見つけたと思ったのか、龍麻たちはその後をおいかけはじめた。

 

「あった......」

 

美里は森の中で不自然に平地になった場所に出た。焼け落ちたあと、埋め立てられたのか見るかげもないが、足元の砂利がどけられたあとがある。そこを掻き出してみると、地下への入口があった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖31

美里を送り届けてから、私は英司を見上げた。

 

「相談したいことがあるので、少し歩きませんか?」

 

私の申し出に驚いたようだったが、英司は快諾してくれた。私たちは時諏佐家を通り過ぎ、新宿駅に向かう。そして山手線にのり品川駅に降りた。ここからは英司の方がよく知っているから、と案内をお願いすると、英司は品川区民公園に向かい始めた。

 

「実は......私の下駄箱に、最近手紙が入っているんです」

 

「へぇ、モテるんだね。槙乃さんは」

 

様子をうかがってみたら、英司は一瞥もくれないまま歩いている。

 

「時諏佐槙乃あてだったら、そうだったでしょうね」

 

「君あてじゃないのかい?」

 

「天野愛あてでした」

 

私は真っ白な封筒から綺麗にたたまれたA4のプリント用紙を出した。

 

親愛なる天野愛様

 

君の活躍の噂は聞いています。渋谷の鴉、高い鉄骨の上での戦いは大変だったことと思います。そして、桜ヶ丘中央病院に、あなたの友達が入院した時には僕も心が痛みました。非力な人の力では、どうすることも出来ない事件でも、あなたはその知恵と勇気、そして《力》でもって立ち向かっていきましたね。僕は心の底からあなたを羨ましく思います。ぜひ一度直接あって話をしたいです。きっとあなたなら僕の申し出を受け入れてくれることと思います。いや、君は僕と会わなければなりません、僕を救うために。場所は別紙の地図を参考にしてください。今は使われていない古い建物です。必ずひとりで来てください。誰かほかの人に話してはいけません。君に選択の余地はありません。では、一刻も早く会えることを願って───────。

 

差出人はかかれていない。

 

親愛なる天野愛様

 

あなたにとって思い出深いところだと思います。ですが長らく来ていないと思うので、行き先を記しておきます。この建物の右に5メートル歩いたところに錆びた鉄のドアがあります。そのドアを開け、そこから入ってください。中に入ったら、中から鍵をかけてください。では、一刻も早く会えることを願って───────。

 

差出人はかかれていない。

 

親愛なる天野愛様

 

どんな約束であろうと最後まで叶えようとしてくれるあなたの誠実さに僕は心から敬意を表します。あなたはいつだって真面目に、実直に、誰の未来に対しても誠実であろうと勤めてきました。最適解を求めて奔走し、困難を克服し、時にはなにもできない自分に打ちひしがれながらもひたすら前に進んできましたよね。人は常に孤独であり、ひとりでは無力だと知っているから、たくさんの人を巻き込みながら、目的に向かって邁進してきましたよね。あなたが、あなた個人という存在がどれだけの人を救ったのか。僕はだれよりもあなたの存在理由について理解しているつもりです。約束は最後まで果たすという、たったそれだけのために。ぼくは本当はあなたの描こうとしている未来がみてみたい。あなたの《力》を見せてください。

 

最後まで差出人は書かれていなかった。

 

「さすがだね、天野愛さん」

 

「......やっぱり、あなたでしたか。英司さん」

 

「僕の手紙を受け取ってくれてありがとう。君の《力》をこの目で実際に見てみたくてね」

 

英司の歩みが止まる。

 

「見せてもらえないだろうか、君の《アマツミカボシ》の《力》を───────」

 

まるで葬列のように立ち並ぶ並木道の間を抜ける風が頬を掠めた。そよぐ木の葉の音も話し声のようで、夜の公園をより一層不気味なものにしている。

 

昼間は誰もが知る景色でも、日が落ちると公園は違う顔を見せる。ネオンから離れると、蛍光灯だけが頼りの深い闇に覆われた闇が広がっていた。まるで通行人だけでなく、平凡な日常さえも飲み込もうと待ち受けているようだ。

 

私は立ち止まって、公園の奥の漆黒の闇を凝視していた。

 

《如来神呪眼》

 

《氣》を《アマツミカボシ》の《氣》に変質させ、《如来眼》を覚醒させる。先程までそこは明かりも朧にしか届かない空き地のようなところだった。

 

だが、今は数人の人影が地中から生えているのがわかる。不自然な動きをしている。あちこちボロボロな服を着た男たちが群がってきた。その顔には眼球がなかった。鼻がなかった。耳がなかった。歯がなかった。くさりおちてしまい、所々骨がのぞいていて、腐臭がした。

 

「ゾンビですね」

 

私は竹刀袋を抜いた。

 

「曳光倶利伽羅(えいこうくりから)」

 

《アマツミカボシ》の《氣》を纏った木刀が、煩悩と無明を破り、魔を打ち倒す仏智の利剣となる。龍が巻きつき、炎に取り巻かれていく。

 

一閃が走った。

 

体重など関係ない。数メートル後方に吹き飛ぶなり、動けなくなり、グズグズにとけてしまう。私は走った。次々にゾンビを焼き捨て、土に返していく。やがて、公園はふたたび静寂を取り戻したのだった。

 

拍手の音がひびく。私は振り返った。

 

「さすがだよ、槙乃さん。期待以上だ。その眼はなんでも見通せるんだな」

 

私は頭を振る。

 

「その目に写るものだけが真実とは限りません。この世には常識では計り知れないこともあります。でも、人間は出来ないことを想像したりしない。それを知っているだけです。このゾンビたちはあなたの研究成果ですか?」

 

「ああ、そうだとも」

 

詳しい話は研究所でやろう、と英司は私を地下施設に招いたのだ。

 

「病院から手に入れた死体にちょっと手を加えたものなんだ。遺伝子工学と西インドに伝わる秘法の賜物さ」

 

「ブードゥー教ですね」

 

「そうだよ、さすがは邪教の狂信者の転生体だけはある。やはり君は僕の見込んだ通りの人だ。手紙のとおり、ぼくは君の助けを、君の《力》を必要としているのさ」

 

「私の《力》では魂の蘇生はできませんよ。葵ちゃんだって、完全体の《アマツミカボシ》だって」

 

「君にはできなくても、君自身がそういう存在じゃないか。君にできないはずはない。その身体の器に入って何年たつ?魂も精神も身体と融合しきれば可能になるものは多いはずだ。君と僕は仲間だ。君は僕に協力したいと思っているはずさ、僕を救いたいから。君のホムンクルスという器と《力》について、僕の人脈と研究成果でもって、もっと有効かつ合理的に研究する方法を提案したいと考えているんだ。きっと君の将来の手助けになるはずだ」

 

「不老不死をもとめた結果、いきつく果てはろくなものじゃありませんよ」

 

「......本当にかわいいよ、君ってやつは。この場に及んでも僕のことをどうにかできないかと必死で考えている。僕と君はこれだけ互いのことを思いやっているんだ、いいパートナーになると思うんだけどな」

 

私は首を降った。

 

「《アマツミカボシ》として、《天御子》の不老不死の研究に参加しておきながら?1700年前とはいえ、今の技術と比べてもなお最先端をいく超古代文明の生き証人であり、魂の蘇生の秘術に触れたことがありながら?」

 

「......よくそこまで独学で調べあげましたね、この国の血塗られた歴史に」

 

「調べるのは好きなんだよ」

 

「......《魂の蘇生》の秘術は、物部一族の秘術であり、宮内庁の管轄です。私はわかりません」

 

「もちろん、それはわかっているさ。だからこそ知りたくはないかい?人は何処から来て、何処へ行くのか。もっと別の進化の道を歩むことが出来たんじゃないか。君が協力さえしてくれれば、僕は悲願となるその謎を解き明かすことができるんだが。君のそのホムンクルスと揺るぎない精神力、そして《アマツミカボシ》の《力》があれば。そうすれば───────人は誰でも《魔人》というべき存在に進化できるよいになるのさ。わかってくれるだろう?天野愛さん」

 

「わかりません。私は《天御子》に狙われる身であり、《天御子》を倒すことでしか安寧が保証されません。もちろんあなただってただではすまなくなるし、私は実験動物になる気はない」

 

「天野愛さん、僕と手を組まないか?」

 

「嫌です。あなたが不老不死の理想をかかげている限り、私があなたの手をとることは無い。絶対に」

 

「無理をしないでくれ、愛さん。君の戦いはひとりではなし得ないだろう?」

 

「私はひとりじゃない」

 

「門をくぐらなければ、の話だ」

 

「私を必要としてくれた人はいます」

 

「ならなぜ、こんなにも君を救いたい僕の手をとってはくれないんだ?君は《如来眼》の役目を果たすという約束を守るためだけに、僕たち兄妹にどれだけ手を貸してくれた?自分の《力》だけでどれだけ護ってくれた?それがエゴだとして、それに報いたいのは当然の流れじゃないのか」

 

「あなたの独自研究が現存するどの進化形態にも当てはまらない生命体を生み出し、どの化学の力もなし得なかった領域に踏み込んだのは敬意を評します」

 

「《天御子》だった君にいわれるとは光栄だ」

 

「それでも死を恐れない時は来なかった」

 

「それは君たちが神だからだ。新たなる進化の可能性を人間は知ったとき、死は無価値となる。いずれ君にも理解してもらえる日が来るはずさ、君自身でもってね」

 

「......私はなにも出来なかったんですね」

 

「そんなことはないさ。僕は本当に君には感謝している。18年前の戦いのとき、僕はまだ10歳だったから戦いからは遠ざけられていた。つかの間の平和が訪れたが、僕が知っている大人たちはたくさん死んだ。生き残った両親とまた暮らせるようになり、紗夜が生まれ、大きくなり、僕も夢について考え始めた矢先に飛行機事故で死んだ。あっけないもんさ。あれだけの戦いを生き抜いたのに、事故でだ。両親の人生はいったいなんだったんだろうと今でも思うよ」

 

英司は笑うのだ。

 

「時諏佐先生にも君にも本当に感謝しきれない。恩で仇を返すようで本当にすまないと思っているよ。でも僕の人生は僕だけのものだ。誰のものでもない、僕自身のね。人間は脆い。すぐにあっけなく死んでしまう。悪いのは脆弱な人間の身体さ。強い魂を入れる強い《器》があれば、人間は今以上に強くなれる。そうすれば愛する者を失う恐怖から逃れることができる。死を恐れることもない。それを教えてくれたのはきみだ」

 

英司は廃屋を見渡す。

 

「だというのに、時諏佐先生たちが跡形もなく資料を焼き払ったものだから、なにもなくて困ったよ。おかげで君を造った組織と接触する羽目になった。やつらは君の価値を微塵もわかっていない。ふざけた話だと思わないか?どいつもこいつも本当にふざけてる」

 

「......ふざけてるのは、あなたですよ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖32 恋唄完

「何故信じてくれなかったんですか」

 

「信じたかったさ、信じたかったとも。だが君は実際死んでたじゃないか、緋勇君の機転がなければ即死だった」

 

「死んではいないですよ、今こうして生きてるんだからいいじゃないですか」

 

「ちがう、そういう意味じゃないんだ。いつまで鬼道衆を退けられるかわかったものじゃない。その遺体が学院長の手にふたたび舞い戻るなんてことになったら僕はもう耐えられそうにないんだ。頼むよ、頼むから、手を取ってくれないのなら僕の腕の中で死んでくれ。そのためにここを選んだんだ。君が生まれたこの研究所を。かつて《アマツミカボシ》が降臨し、君が目覚めた思い出の場所に───────」

 

槙乃と比良坂先生の言い合いは、美里の想像を絶するものだった。槙乃の夢を見る度に繰り返し目撃してきたあの研究所の成れの果て。それが品川区民公園の地下に広がる寂れた研究所だというのだ。つまり、あの夢はやはり槙乃の過去ということになる。

 

美里は2人の会話だけで大体の事態を把握してしまった。槙乃はかつてこの研究所で《アマツミカボシ》という聞き慣れないなにかを降ろすための実験体だったのだ。実験は失敗し、《アマツミカボシ》ではなく槙乃があの身体に憑依したことで、研究所は壊滅状態に陥った。その首謀者が学院長という人で、鬼道衆の仲間。槙乃が命を狙われるのは、外法を無効化する脅威である以外にもともとは実験体だったから、殺して身体を再利用しようとしているのだ。比良坂先生は槙乃のことも気にかけていたが、不老不死に魅せられており、《アマツミカボシ》の一部である槙乃を実験台にするために近づいた。槙乃は不老不死なんてろくなものじゃないと協力体制になることを拒否している。話し合いは平行線をたどり、今まさに決裂寸前といった状態のようだ。

 

美里は夢で見た光景と併せて龍麻たちに説明した。口に出さないとどうにかなりそうだったのだ。

 

「えッ......えッ......どういうことなの、兄さん......?え......?」

 

あまりにも残酷な事実を突きつけられて狼狽しているのは比良坂だ。比良坂先生も槙乃も鬼道衆に誘拐されたんじゃないかと今の今まで不安でたまらなかったのだ。可哀想なくらい挙動不審になっている。

 

「お医者さんになりたいっていってたのに、かわりに夢を叶えてっていったの、わたしのためだけじゃなかったの?兄さん......先生になってからずっとここで研究してたの......?嘘でしょう......?」

 

頭が3つあるのに平然と生きている犬、水中で呼吸ができる猫、2つ目の脳みそが外部で繋がっているカエル。不老不死を実現するために日夜研究にあけくれ、ブードゥー教を歪に捻じ曲げて解釈し、ゾンビを操る《力》をえた兄が目の前にいる。

 

「人が強くなる研究......兄さんがいってたのって、そういう意味なの......?パパやママみたいに死ななくてすむ研究って、わたし達みたいに辛い想いをしなくてすむ研究って、お医者さんにならなくても人を助けられる研究ッて......!!」

 

「紗夜ちゃん、しっかりして~ッ!大変、過呼吸になっちゃってる~!!誰か手伝って~!」

 

高見沢が比良坂を介抱しながら助けを呼ぶ。近くにいた藤咲たちが駆け寄る中、美里は槙乃を助けるために龍麻たちと部屋に突入した。

 

槙乃はもがき苦しんでいた。

 

「君が悪いんだ、君が僕の手を取らないから。僕だってこんな手、使いたくなかったのに───────」

 

中央に据え付けられた手術台の上に乗せられている槙乃に、龍麻がもらった《刻印》とよく似たレリーフがあった。あれだ、あれのせいで槙乃は苦しんでいるのだ。手術台の横には何本ものコードやテープ、拘束用の機材が並んでいる。

 

槙乃の顔は蒼い。

 

なんとか助けようと走り出した美里たちの目の前に、突然大きな塊が飛び出してきて、行く手を阻んだ。黄緑色に変色した巨体、異常な形に盛り上がった筋肉、うつろな目の男たちが現れた。比良坂先生は槙乃を抱き上げて奥にひきこんでしまう。

 

「槙乃ちゃんッ!」

 

「てめぇ、時諏佐から離れやがれ、変態教師がッ!」

 

「槙乃になにをする気だッ!」

 

「やァ、随分と来るのが早かったね。槙乃さんは君たちに一言も話さなかったのに」

 

「比良坂が教えてくれたんだ、遊びに行ったことがある場所を片っ端から。鬼道衆に誘拐されたなら、証拠がどこかにあるんじゃないかって。最後までアンタのことを心配してたんだぞ」

 

龍麻の叫びが木霊する。戦いの火蓋が切って落とされた。

 

 

 

龍麻の指示が飛ぶ。京一たちが眼前の敵を方陣で、あるいは強烈な一撃で屠る。巨体が力尽きたのか、ふらりとよろけた。地に伏した狂人の産物はどうやら死体と死体を繋ぎ合わせて、巨大な張りぼてを作り上げているようだった。直視することが出来ない美里は、戦いに集中する。それが槙乃を早く助けることが出来ると知っているからだ。

 

「オルムズドの光の粉~」

 

ミサが呪詛を唱え終えた瞬間に、二元論の光の神、アフラマズダが善悪を超越した存在として敵に審判を下す。

 

「───────ッ!」

 

槙乃を苦しめていたと思われる《彫刻》が弾き飛ばされ、粉砕された。龍麻は槙乃のもしもを警戒してか、装備していたブローチを美里に投げてよこす。たしかにあの《彫刻》が扱えるなら蟲の心配はいらないだろう。

 

「京一、たのむ!」

 

龍麻は巨体の敵に切り込んでいく。

 

「よっしゃ、任せろ!」

 

京一が練り上げた《氣》を拳に送り込み、遠心力をつけるように飛ばす。《氣》は螺旋を描き、龍麻のまわりの敵を吹き飛ばした。壁にぶち当たって動かなくなったのを確認してから、京一は駆け寄る。

 

「おい、てめェッ!槙乃の身体に何をしやがったッ!」

 

比良坂先生から槙乃を奪還した京一の殺気をおびた絶叫に空気が凍りつく。

 

その刹那、強烈な《氣》が美里の横をすり抜けた。いつの間にか近くに迫っていた敵が、断末魔をあげながら倒れる。振り向くと、雨紋と紫暮が、先ほど京一達が入ってきた扉の前に立っていた。遅れてすまない、と謝られてしまう。

 

龍麻の指示が飛ぶ。戦闘を早く終わらせて、槙乃を休ませなければならないから、京一が槙乃をかかえて逃げるのを支援するよう叫ぶ。醍醐も含めてカバーに入った。

 

美里の目の前で新たな方陣が次々と出現して、敵を薙ぎ払っていく。醍醐と紫暮から発せられた《氣》が強力な磁場を生み出し、強烈な一撃により光が爆発した。そこには岩のように固まった化け物が膝をついたまま動かなくなっていた。攻撃をした醍醐たちも、思わず顔を見合わせている。《氣》が似ている仲間を見抜き、指示をだす龍麻はさすがといえた。これで場があき、京一は美里のところに槙乃を連れてくる。

 

「あとは任せたぜ、美里ッ」

 

「はいッ!大丈夫、槙乃ちゃん?ほら、こちらに!」

 

「ふ、腐童が───────ッ」

 

その声に、現実に引き戻されたらしい京一は、怒りを込めて木刀を振り上げた。また戦場に帰っていく。

 

「槙乃ちゃん?」

 

美里は槙乃がふらつきながらも《力》を使おうとしていることに気づいて止めようとした。

 

「ダメです、止めないでくださいッ!こんな今にも崩れそうな地下で英司さんに《鬼》になられたら、英司さんもみんなもただじゃすまなくなるッ!」

 

「えっ」

 

「気をつけてください、みなさんッ!鬼道衆の気配がッ───────!!」

 

それは京一が比良坂先生を倒した直後だった。

 

「ちッ、役に立たないやつめッ!」

 

不気味な声が響いた。

 

「誰だッ!」

 

龍麻が叫んだ途端に周囲の壁や床、天井から炎の柱が吹き上がった。血塗られたような赤装束に身を包んだ般若の面が、炎の向こうに浮かび上がる。炎角と名乗ったそれは、耳障りな笑い声をあげ、美里たちを見下ろした。一連の事件の黒幕の一人は、一部始終をどうやら監視していたらしい。

 

「安心しろ、鬼道衆。僕は君たちの世話になるつもりないさ。もちろん、槙乃さんたちにもね」

 

比良坂先生はまだ《力》が残っていたのか、京一をはじき飛ばした。炎は情け容赦なく、比良坂先生と美里たちを引き裂いて行く。

 

「英司さんッ!」

 

槙乃の悲鳴が木霊する。

 

「どうしてですか、どうしてッ!死にたくないから今まであなたはッ!」

 

美里は何も出来ず、槙乃を引きずるようにして脱出口へとむかう。

 

「10年前......になるのかな。大型旅客機の墜落事故で、僕と紗夜は数少ない生存者となった。奇跡だと、ずっと紗夜には両親に守られたから生き残ったと言い続けてきた。実際は違うんだ。今際の際すらなかった。即死でバラバラになった両親は、遺体をかき集めるのにも苦労する有様だった。真夏の山の中、ひたすら紗夜を背負って下山したことを昨日のことのように思い出せる。これは僕の罪の証だ。わかってくれるだろう、緋勇君」

 

比良坂先生の言葉に龍麻は目を見開いた。

 

「紗夜の《力》を無駄にしないでくれてありがとう」

 

「まさか......」

 

「僕はいつも旅客機の中だったからな、やれることなんてほとんどなかった」

 

「あの時......あのとき、繰り返したのは......」

 

「そう、10年前のあの日、僕らは父さんたちの《力》で生き残った。《力》を持っていても死からは逃れられない。その瞬間に、僕は......比良坂英司は、死んだんだ。今なお救えなかった人たちの、見捨てた人たちの呪詛が僕を蝕んでいる。それでも懺悔しながらも生きてきたのは紗夜がいたからだ。紗夜の《力》はきっと君たちを守るために使われるだろう。もう紗夜はひとりじゃない、君たちがいる」

 

「なにいって───────ッ!」

 

「ありがとう、槙乃さん。さよならだ」

 

燃えさかる炎が槙乃の前から比良坂先生を奪った。美里の手を振り払い、走ろうとする槙乃を京一と龍麻が二人がかりでかかえる。槙乃は連れ出されていく。じっと見つめている槙乃に誰も声をかけることが出来ない。

 

美里が、そっと制服の上着を手渡して、何か言おうと口を開いたが、結局俯いてしまう。

 

「どうして───、英司さん......」

 

槙乃は泣いていた。遠くからサイレンの音が近づいてくるのに気付き、とにかくここから離れようと、京一は槙乃に声をかける。槙乃の身体がぐらりと傾き、膝をついてしまった。

 

「お、おいっ、大丈夫か、槙乃ッ!槙乃?」

 

一瞬だけ虚ろな瞳が京一を見つめた。何か言いたげに、唇を開いたが言葉になる前に体の力が抜けていく。

 

「気絶しちまったのか......、無理もねェな......」

 

頭をくしゃりと撫でたあと、京一が槙乃を背負った。

 

「とにかくこの場を離れよう」

 

龍麻の声にみんな頷き、早足で地下を後にした。少し離れた広場から、未だ鎮火しない煙を見上げる。

 

「槙乃ちゃん......みなさん......ごめんなさい、ごめんなさい、わたし、わたしッ......兄さんが......知らなかった......」

 

泣きじゃくる比良坂を宥めながら、美里はため息をついた。比良坂先生も鬼道衆を利用するつもりが、利用されていただけだった。《鬼》になることも、槙乃の手を取ることも拒否して、炎の向こうに消えていった。

 

「ずるいですよ、比良坂先生......」

 

人の絶望につけ込み、鬼道衆が何をしようとしているのかはわからない。目的が何であれ比良坂先生は、槙乃より自分をとったのだ。自分の想いよりも自分の悲願をとったのだ。そして槙乃を悲劇に巻き込み、目の前で死んだ。

そして槙乃に新たな傷を負わせた。お互いにその想いに気づいて名前をつける前に消えてしまった。ずるいではないか、これでは槙乃が......。

 

「どこまでふざけた野郎なんだよ......」

 

京一は舌打ちをする。

 

「鬼道衆…......必ず倒す。この手で、仇をとってみせる」

 

龍麻が新たな誓いを心に刻み込み、拳を握りしめた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

天野愛

比良坂先生からの手紙を読んでいた槙乃は、大切に折りたたんで天野愛様と書かれた真っ白な封筒にしまった。

 

「天野愛(あまのあい)、それが私の本来の名前になります。......こうして呼ばれるのは、おばあちゃん以外いませんでした。本当に、ほんとうに久しぶりだった」

 

そして握りしめていた封筒を3つ、机の傍らにおいた。

 

「話せば長くなりますが、順を追って説明しましょう。私はもともと《氣》という概念はあっても実在しない世界に生まれました。《氣》だけじゃない、あらゆる非科学的なものが存在しない世界です。概念はあっても空想の産物、すべてがオカルトと片付けられてしまう世界です。そのときの私は《氣》なんて使えない、単なるオカルトが好きな女にすぎませんでした」

 

懐かしそうに槙乃はいう。

 

「私はある日、《天御子》という名前以外何一つわからない奴らに拉致されて、この世界に来ました。そこで先祖がこの世界の出身であり、その組織から逃れるために次元をこえて逃げたのだと知りました。《氣》が存在しない世界なら、私の一族は一般人となんら変わりませんし、《天御子》も《力》が発揮できなかったようです。ただ、私はオカルトが好きで、そういういわく付きのところに行くのが好きだったせいで、《天御子》にバレてしまったんです。どうやら私は《アマツミカボシ》の先祖返りか、転生体か、理由はわかりませんが《アマツミカボシ》が降りてきやすいらしいんです。あぶないところを、ある組織に拾われて、色々あってそこで働く代わりに《天御子》を倒すために動き始めた矢先に、私は呼ばれました」

 

「あの、研究所に?」

 

槙乃はうなずいた。

 

「私の先祖はこちらの世界では《アマツミカボシ》と呼ばれています。日本神話にでてくるマイナーな神様です。実際は大和朝廷に最後まで抵抗して、最終的に茨城県の日立市でタケミカヅチに石にされて砕かれて死んだと言われている星見を信仰する一族だったそうです。実際はその神様の《力》を借りて次元をこえて逃げたわけですが。あの研究所は、なんらかの目的で《アマツミカボシ》を呼び出すために怪しい研究をしていたそうです。そして、この身体に流れる《アマツミカボシの遺伝子の記憶》によって、無理やり《アマツミカボシ》の《氣》を使って戦っていた私は《アマツミカボシ》と間違われてこの身体に降ろされてしまいました。色々あって、おばあちゃんに引き取られて。あの研究所がなんのためにあったのかわからなかったのでずっと探していたんです」

 

そして目を伏せた。

 

「英司さんに話を聞きに行ったのも、少しでも組織についてを突き止めるためでした。まさか、あんなことになるなんて思わなかった......」

 

龍麻が口を挟む。

 

「その《天御子》ってやつにも命を狙われてるんだろ?この世界にいても大丈夫なのか?」

 

「鬼道衆の背後に《天御子》が見え隠れしているので、同じですね」

 

「!」

 

「このホムンクルスの技術には《天御子》でなければなし得ないものが使われています。だから私はこの身体を作った組織を探していたんです。鬼道衆の仲間がこの体を作ったのなら、鬼道衆が私の敵も同じです。なら、少しでも仲間がいるこの世界にいた方がいいですよね」

 

槙乃の言葉に安堵が広がる。こんなことになってしまったから元の世界に帰ると言われたら、理由はわかるけれどやっぱり寂しいからだ。それに槙乃の《力》はとても心強い。

 

「そうか......そういうことなら、まだ《力》を貸してくれるんだよな?」

 

「もちろん。この街が平和になるまで、大切な人を守るために、一緒に戦いましょう。約束します」

 

槙乃はしっかりとうなずいた。

 

「私の事情はだいたいこんなところです。なにか質問はありますか?」

 

「天野愛か、なるほど。ところで、槙乃でいいのか?愛って呼んだ方がいいのか?」

 

「あはは、私はどっちでもいいですよ、龍麻君。私は基本的に誰かに憑依することになるので、ほんとの名前で呼ばれることは稀でした。槙乃って名前も私がつけた名前ですし、もう長いこと使ってるので思い入れもあるからどちらでも構いません。みなさんにおまかせしますね」

 

「で、だ。ほんとのところ、いくつなんだよ、槙乃。こっそり酒飲んであたり18じゃねーんだろ?」

 

「もとの世界では30過ぎでしたね」

 

「まじで!?」

 

「ただ、こちらの世界に来てからは20歳の男の子の身体だったり、今の体だったり、憑依先がバラバラなので今も感性が30のままなのかと言われたら正直自信がないです。この世界だとどうやら魂と身体と精神は長いこと同じだと融合してしまうようなので、今の私は18くらいだと思いますよ。ただ、ホムンクルスは歳を取らないので、この世界にいる限り、ずっと私はこのままですね」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

比良坂紗夜

品川区民公園は立ち入り禁止になった。近所の住民の通報を受け、現場にかけつけた消防や警察は、いつからあるのかわからない放火された地下施設をみつけた。そこから燃え残ったたくさんの遺体が出てきて大騒ぎになった。調査の結果、ほとんどが盗まれた遺体であり、なんらかの実験がされたことまではわかった。遺体が盗まれたのに届けを出していなかった病院が芋ずる式に判明し、連日メディアを騒がせている。

 

そして、前の日に行方不明になっていた新進気鋭の化学者であり、高校教師をしていた比良坂英司の遺体が発見されたことで世間は騒ぎになった。誰かに拉致されて監禁されたあげくに放火されたことが明らかだったからだ。ただ、施設を使用していた物的証拠も上がっているために、共犯者ではないかという疑惑がかけられている、と週刊誌は報じている。研究所は内側から鍵がかけられ、比良坂英司の遺体がもっとも損傷が激しかった。18年前も似たような事件があったためにカルト宗教との関係が取りざたされ、紗夜に関する情報は各方面からの圧力により一切流れなかった。

 

「ほんとによかったんですか、紗夜ちゃん。これでは学校にいけませんよ」

 

窓の向こうには何処から嗅ぎつけてきたのか、メディア関係者が集まっている。時諏佐家に紗夜がいること、直前まで私が英司といたことがバレているのだ。警察関係者の中に18年前の類似事件を覚えている人がいるのだろう。

 

ゲスの勘ぐりをするならば、カルト宗教に染まった比良坂英司が時諏佐槙乃を誘拐しようとしたが失敗したため、あの研究所で粛清にあい死んだことになる。大型旅客機の墜落事故はたった3年後に同じ事故を起こしたため、比良坂兄妹は当時かなりメディアに出たため、なにがあったのか興味をひくのだろう。あげくに恩師の養女である女子高生に手を出したとなれば、マスコミが首を突っ込まない方がおかしい。

 

だいたいあってるから困る。

 

興味本位で首をつっこんで18年前のように不審死が相次ぐ事態になったら沈静化するから沈黙を守ったほうがいいとはおばあちゃんの判断である。代理人の弁護士をたてて会見はしたのだから義務は果たしたと。経験者は行動が迅速で頭が下がる。

 

ためいきをつく私に紗夜はうなずいた。

 

 

 

「兄さんの犯した罪は、こんな事で贖えるものじゃないのはわかっています…......でも、身元不明の遺体のひとつとして、被害者の方と一緒に弔われるのは、絶対に違う気がする......。それに、被害者のはずの槙乃さんがマスコミに追いかけまわされるなんておかしいです。絶対。なら、わたしも......と思って」

 

「紗夜ちゃん......」

 

私はなにもいえなかった。

 

「英司さんは全部わかっていて、私に《力》を貸してくれと言いました。不老不死は《天御子》の悲願にも繋がる人類長年の夢です。だからどうしても手を取ることはできませんでした」

 

「兄さんは......槙乃さんより、不老不死をとったんですよね。好きより夢をとったんですよね。わたし......わたし......」

 

「焚き付けてしまったのかもしれません。手紙だけしか来ていなかったから、まだ実力行使するつもりはなかったみたいですし、私から話を切り出したのでもしかしたらと」

 

「そんなことないです。兄さんだったらわかってた。絶対わかってた。だって兄さんは槙乃さんのこと誰よりも見ていたし、知ろうとしてたし、それに」

 

「ありがとうございます、紗夜ちゃん。でも私が凶津君の事件のときに、もっとはやく鬼道衆に狙われている理由を考えるべきだったんですよ。そうすれば死にかけて英司さんに焦らせてしまうこともなかった」

 

「鬼道衆はわたしや槙乃さんを本気で殺そうとしているんです。そんなの......遅かったか、早かったか、だけですよ」

 

「そうですが......ああ、やっぱりダメですね。英司さんはぜんぶ自分のこととして終わらせてしまった。私は英司さんについて、自分の責任におえることがなにもない......」

 

「槙乃さんがそうやって兄さんについて考えたり、悩んたり、忘れられなかったり......それが目的なんだと思います......」

 

「紗夜ちゃん......」

 

「わたしには龍麻さん達がいるって......わたしまだ17なのに......まだ高校も卒業してないのに......そんなのってないですよね......」

 

紗夜は笑い泣きしている。

 

「ほんの少し前のわたしみたいに、兄さんが一番だったら......龍麻さんを好きになる前のわたしだったら......《力》で兄さんをやり直させてあげられたのかなって思うんです。でも、だめ......槙乃さんに兄さんがアルタ前で声をかけたのが先なんだから......やっぱり、何度考えても、無理だなってわかっちゃうんです」

 

「紗夜ちゃんの意思に関係なく発動する《力》のようですから......難しい話ですよね」

 

「兄さんは、ママの《力》で何回繰り返したのかわからないけど......ママたちも頑張ったんだろうなって思うんですよ。でも、できなかった。無理だった。もういっかい、事故について調べてみようかなって思います」

 

「私も手伝いますよ、紗夜ちゃん。調べるのは得意ですから」

 

そして、事故の原因が整備不良だと知り、私たちは鬼道衆の影を感じずにはいられなくなるのだ。3年前、全く同じ理由で大型旅客機が墜落し、多数の犠牲者が出たばかりだったからである。あれだけの惨劇を二度と起こさないようにしようと安全対策や体制が構築されて3年後に全く同じ事故が起きるなんておかしい。整備士が謎の自殺をしたこともまた疑惑に拍車をかけるのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

九角

 

 

 

私は《鬼道衆》という言葉について調べ直していた。直訳するなら《鬼道》を扱う人々となる。

 

《鬼道》とは、太古の昔に邪馬台国の女王・卑弥呼が国の統治に用いたとされる呪法である。

 

『三国志』魏書東夷伝倭人条によれば、親魏倭王天戒卑弥呼はこの国の女王であり、約30の国からなる倭国の都としてここに住居していたとしている。

 

倭国には元々は男王が置かれていたが、国家成立から70〜80年を経たころ倭国が乱れ、歴年におよぶ戦乱の後、女子を共立し王とした。その名は卑弥呼である。女王は《鬼道》によって人心を掌握し、既に高齢で夫は持たず、弟が国の支配を補佐した。

 

1,000人の侍女を持ち、宮室や楼観で起居し、王位に就いて以来、人と会うことはなく、一人の男子が飲食の世話や取次ぎをし、巡らされた城や柵、多数の兵士に守られていた。この戦乱は、中国の史書に書かれたいわゆる「倭国大乱」と考えられている。

 

卑弥呼の《鬼道》については幾つかの解釈がある。

 

卑弥呼はシャーマンであり、男子の政治を卑弥呼が霊媒者として助ける形態とする説。卑弥呼の《鬼道》も道教と関係があるとする説。卑弥呼の《鬼道》は後漢時代の初期道教と関係があるとする説。道教説を否定し、《鬼道》は道教ではなく「邪術」であるとする説。

 

《鬼道》の起源はとても古く、日本の風土や日本人の生活習慣に基づき、自然に生じた神観念であることから、縄文時代を起点に弥生時代から古墳時代にかけてその原型が形成されたとする説。

 

その他、《鬼道》についてシャーマニズム的な呪術という解釈以外に、当時の中国の文献では儒教にそぐわない体制を《鬼道》と表現している用法があることから、呪術ではなく、単に儒教的価値観にそぐわない政治体制であることを意味するという解釈がある。

 

 

 

 

ここまでが時諏佐槙絵たちのしる《鬼道》だ。

 

私が誰にも明かしていない真実として、この世界においては、《鬼道》は神羅万象を司る甚大な霊力《龍脈》を統べる唯一の方法だった。卑弥呼はその方法を《鬼道書》として書き記し、永き時を経て《九角》一族に受け継がれることになる。《陰の鬼道書》と《陽の鬼道書》の二冊には、この書き出しからはじまる。

 

《風水───────中国古来より伝わる地相占術。陰陽五行(木・火・土・金・水)により地相と方位を占い、相生相克の相によりキッ今日を観る。その源流は《氣》の流れ───────龍脈と呼ばれ、龍脈の流れが集まる場所は龍穴と呼ばれた》

 

《そして───────その龍脈を制した者は、陰と陽からなる太極を知り、神羅万象を司る事ができると云われた》

 

《この世の森羅万象は陰と陽からなる。その理を違えることはなんびとたりとも叶うことは無い。陰は陽を離れず。陽は陰を離れず。陰陽相成して、初めて真の勁を悟る》

 

つまり、卑弥呼は森羅万象を統べる触媒として《黄龍》を召喚し、自身が《器》になる。代々体が衰えるたびに転生を果たしながら邪馬台国を繁栄させた。それが《黄龍の器》の原型かつ、人工的につくりあげた呪術であり、《鬼道》の始祖にして開祖なのだ。これが柳生のもとめる不老不死の正体である。

 

《黄龍の器》の原型がこれだとするなら、いつから陰陽にわかれたんだろうか。普通に考えるなら150年前、九角天戒が柳生の事件のあとに一族以外の人間に《鬼道書》が渡ればどうなるか身をもって知ったのち、九桐家に《陽の書》を預け、《陰の書》を本家に残したあとだ。九桐家は《鬼道》について知りすぎた一族以外の人間を抹殺する任務を追うことになったため、基本柳生との戦いでは静観を決め込んでいるらしい。それがいい、《陽の書》まで柳生の手に渡ったら完全に詰んでしまう。

 

なお、そうなると150年前、いきなり現れた緋勇龍斗はなにものなのだろうかという話になってしまう。世界樹と間違われたり、人間なのかと疑問を持たれたりする彼こそが史上初の天然の《黄龍の器》なわけだから。その時にはまだ《黄龍の器》はわかれていなかった。150年のあいだにおそらくなにかがあったのだ。日本陸軍の士官学校だった旧校舎地下施設で、《黄龍の器》がふたつにわかれる、なにかが。

 

九角家を手中におさめた柳生が家宝の陰の書で《黄龍》を間違った手順で召喚したり、変生したりしたのが原因だろうか。士官学校時代の事件の当事者であろう醍醐の祖父が生きているころに来れたらよかったんだが、今更いっても仕方ない。

 

《黄龍の器》は陰陽にわかれてふたりいる。片方は緋勇龍麻でもうひとりは柳生が人工的に作った。

 

ほんとならこの事態を前に《鬼道の書》の安否について九桐家の末裔である龍泉寺を尋ねるべきなんだろうが、なんで知ってるんだと言われたら困る。それに10年前の時点で九角家が今どこにあるのか教えてくれなかったから伝言を残すしかないのが現状だった。誠意をつたえて信頼されるしか方法はない。

 

あなたがたの先祖である《鬼道衆》が蘇ったが、《如来眼》の《力》で見たかぎり、あなたがたとは似ても似つかぬ《氣》の持ち主ばかりだった。姿形に魂魄になにひとつ重なるものがない。だから《鬼道》に失敗している。《如来眼》と《菩薩眼》の一族や比良坂一家の惨劇を考えるとあなたがたも標的となりえるから気をつけてください。10年前から発してきた警告に《鬼道衆》復活のくだりが加わっただけだが、どれだけ受け入れてもらえているかは甚だ疑問ではある。

 

まあ、《宿星》の《力》に目覚めても彼らはまだ11歳前後である。柳生側の魔の手にかからないよう東京から遠く離れた地に身を隠してもらった方が安心できる。龍泉寺(雨紋の師匠にして基本消息不明の坊さん)からの連絡を信じるなら彼らは今東京にはいないはずなのだ。

 

にもかかわらず柳生が九角天戒に子孫が手に落ちたぞと高らかに宣言しているらしいから、正直今まで頑張って根回ししてきた意味はあったんだろうかと若干がっくりきている。

 

それを振り払うために私は今ここにいるわけだ。

 

「そろそろ休憩にしたらどうだい、槙乃さん」

 

「あ、如月君」

 

そこには呆れ顔の如月がいた。傍らには茶菓子とお茶がおいてある。

 

「ずっと蔵に閉じこもられると困るんだが......まだ今年の蔵の掃除をしていないのは知ってるだろう?」

 

「あはは、毎年お手伝いしてますもんね」

 

「なにを調べているのかくらい、そろそろ教えてくれてもいいのではないかな」

 

「あ~......はい、邪馬台国とまつろわぬ民の関係について。どこかに記述が残ってないか探していました」

 

「なんでまた?」

 

「《鬼道衆》の風角がいってたのを紗夜ちゃんが聞いているんです。《生まれながらにしてまつろわぬ民と蔑まれ、抑圧され、やがてその憤怒が変生を身につけるに至った者》だって。《鬼道衆》は一族を徳川幕府に滅ぼされたから復讐しようとしていたはずなのにおかしいなと思って、初めから調べてみたんです。九角家が卑弥呼の末裔なのは知ってましたが、よく考えたらおかしいなって。普通、天皇家に復讐しませんか」

 

「一般論としてだが、邪馬台国は大和朝廷の前に繁栄した国なんだ。大和朝廷の後は記述がない。つまり大和朝廷に滅ぼされたか、吸収されたか、政争に負けたかのいずれかだ。そして、神武天皇からの流れがこの国の歴史の中心としてあり続けてきたんだから、間違ってはいないだろう?まつろわぬ民だと自称するのは不思議じゃない。ただ、彼らもこの国の民という意識があったから、その矛盾に気づいたんじゃないか?」

 

「たしかに......この国の歴史において皇族、御落胤、そういった血筋でない者が真っ向から仇なそうとした人間は少ないですね。《鬼道衆》はそういう目的ではなかったのかな......」

 

「わざわざ九桐家や那智家、風祭家にいって《氣》を見せてくれと直談判したんだ。《鬼道衆》が末裔の彼らとはちがう自称の集団だと断じたのは他ならぬ君だろう?あの集団の魂魄がなにか調べたいにしても情報がたりないな」

 

「不安でたまらなくなってですね......あはは」

 

「気持ちはわかる。わかるが思い詰めすぎだ。少しは休んだ方がいいよ、愛さん。ほら、お茶。冷めないうちに飲むといいよ」

 

「ありがとうございます」

 

私は蔵から出ることにした。

 

その大和朝廷が《天御子》という超古代文明でもって乗っ取られており、大和朝廷や駆逐されたまつろわぬ民が実験場に送られて人体実験されたあげく、この国の各地に遺跡というかたちで墓守に封印されているのが問題なのだ。

 

邪馬台国と卑弥呼について調べ直した今、ある疑問が私の中に巣食っていた。かつて《天御子》だった《アマツミカボシ》は子を産む時死ぬ呪いから逃れるために実験に加わった。その時のクローン生成の実験体として邪馬台国から連れてこられた九角の一族の女が使われた可能性が捨てきれない。なにせ卑弥呼が代々新しい女を器にして転生し続けていて、その秘術が《九角》に伝わっているのなら代々器を排出してきた一族なのだろう。なら当主が男は納得がいく。卑弥呼の転生体がいないのが問題なのだ。《天御子》の魔の手から逃れたのが《鬼道書》だけな時点で闇は深い。

 

《アマツミカボシ》は政争に破れて追放された訳だが、その時の実験体の末裔がスサノオの一族に匿われた結果時諏佐家が生まれたなら、九角に帰ることが出来たのが菩薩眼の系譜なのだろうか。まあ、末裔は1人ではないだろうが、血はどこかで繋がっているのだ。《宿星》と《鬼道》の物語はいつもそうして紡がれてきた。

 

1人の女神が自身を分割して実験体に封印し、そのうちの《妙見菩薩》たる私の先祖が迫害から逃れるために次元を超えた。今、柳生は習合しようとしている。

 

150年前の人間がそんなこと考えつくわけがない。一体誰がそんなことを考えたのだろうか。

 

「今の愛さんは、かつての僕みたいな顔をしている。ほんとうに珍しいな」

 

「え?」

 

「翡翠よ、よく聞くのだ。我が如月家は江戸時代より徳川家の隠密としてこの東京(まち)を護ってきた《飛水家(ひすいけ)》の末裔だという誇りを忘れてはならぬ。そして、《飛水家》の血がもたらす《力》は邪を滅ぼすものだ。よいな、《力》を持つ者としての使命を忘れるでないぞ」

 

「それがお爺さんの?」

 

「ああ、それが祖父が失踪する寸前に僕に残した最後の言葉だった。隠密の名、飛水から来た己の名前にかけられた期待は、歳を重ねる事に実感している日々だよ。だから、君の重圧はわかる。でも考えても仕方ないこともあるんじゃないか?」

 

「そう、ですよね。ありがとうございます」

 

「そんなに九角家が心配かい」

 

「一度も現状を知ることができていませんからね......」

 

《アマツミカボシ》は末裔に対して平等に安寧を願っていることを私は誰よりも知っている。それが難しいこともわかってはいるのだ、わかっては。

 

ためいきをつく私に如月は肩を叩いた。

 

「そういえば如月君、なんでさっきから槙乃さんじゃなくて愛さんなんですか?」

 

「僕の幼馴染になるはずだった女性の名前を君が名乗っていると聞いたんだ」

 

「えっ、誰に」

 

「時諏佐先生だよ」

 

「え゛」

 

「この世界と君が来た世界はたしかに違うかもしれないが、こうあるべき、から離れた方が楽になることもある。人の縁は繋がりだ。会うべき人間は遅かれ早かれ出会うものだ。焦る必要はないよ、たとえそれが恋仲だったとしてもだ」

 

「───────はい?」

 

「......違うのかい?」

 

「違いますよ、断じて違いますよ。なんでそんな誤解を産んだのかはしりませんが......」

 

「......にしては、初めてうちに来た時も150年前の記録を見せてくれといっていたじゃないか。特に《鬼道衆》の」

 

「情報が少しでも欲しかっただけです。仲間は多い方がいいに決まってるじゃないですか。なにいってるんですか、如月君」

 

「......」

 

「......」

 

え、なにこの沈黙。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖33

比良坂英司の事件に関してマスコミの過熱報道が下火になり始めたのは、《鬼道衆》が本格的に動き始めて奇妙な事件が東京各地で起こり始めたからである。矢継ぎ早にセンセーショナルな事件が起きすぎて、迷宮入り一直線で続報がまったく望めない事件など世間はすぐに飽きてしまうのだ。おかげで私と比良坂はようやく普通の学校生が送れるようになったのだった。

 

そんなある日の土曜日のことだ。如月から朝早くに呼び出された私は如月骨董店にいた。

 

「朝早くに呼び出してしまってすまないね。実は愛さんに頼みたいことがあるんだが」

 

「電話でも教えてくれないなんて珍しいですね、如月君。蔵の整理という訳ではなさそうですけど」

 

「はは、それは違うよ。古美術の日干し、陰干しも兼ねてるからね。今のような梅雨の時期は向かない。実は......」

 

如月は声を潜めて話しはじめた。如月の一族は江戸時代から続く隠密、つまり忍者の家系だ。代々芝公園敷地内にある増上寺に埋葬された将軍たちの眠りを密やかに守護している。

 

浄土宗増上寺は、上野にある寛永寺と共に《江戸の二大寺》として多くの人に愛されてきた寺でもある。室町時代に建立された寺であり、徳川家康が江戸に入府した年に檀家として信仰したのが始まりだという。1698年の江戸城拡張工事にともない、この場所に移されて、徳川家の菩提寺として徳川家康の尊重を受けた。敷地の多くは太平洋戦争後に売却され、今は本堂の左奥にひっそりと立っているぐらい。ほかの将軍も日光東照宮、谷中徳川墓地、上野の寛永寺に眠っている。

 

ここは江戸城のほぼ南にあり、飛翔と発展を守護する朱雀の地を押さえる形で寺がたち、徳川家康の守り本尊がある。江戸時代から今に至るまでつづく東京全体の結界の一角を担っており、ここの封印がとけるということは、東京に魍魎が跋扈することになる。

 

そのため、見回りも兼ねて芝公園、あるいは増上寺をよく訪れ、《無》の境地を極めるために修行をしているのだが、最近視線を感じるのだという。

 

「まさかファンにバレました?」

 

「ファンて、また君は......茶化さないでくれ。今は真面目な話をしているんだが。そんな素人の不躾な視線ではなかったよ」

 

「修行中の如月君に声をかけるとか敵と勘違いしてくれっていってるようなものですもんね」

 

「まったく......気のせいではないさ。潮の香りと生臭い匂い、不気味な《氣》がたちこめていたからね」

 

最近、増上寺周辺の結界が弱まっているという。気になって調べてみたところ、ふたつ事件が起こっていた。

 

ひとつめはプールの失踪事件。今週に入っててから港区内のプールで行方不明者が出始めた。必ず失踪してから数日後にふらふらとさまよっているのを発見され、失踪してからの記憶がなくなっている。あるいは発狂しており、精神病院送りになっていた。

 

ふたつめは青山霊園で化け物が目撃されている。ひとつめの事件の被害者が青山霊園周辺で発見されている。化け物の目撃情報と失踪者が出始めた頃が完全に一致する。

 

ふたつの事件は関係がある。

 

化け物は体型は体に近いが、魚とカエルを融合したような不気味な怪物だった。頭部は魚そのもの、大きく飛び出した眼球にくすんだ灰緑色の光る皮膚。長い手には水掻き。それが静まりかえった夜の墓地をぴょんぴょんはねている。

 

「奴らについて、なにか知らないか?何度か交戦したんだが、どうにも水術の効きが悪い。僕は海外の化け物には疎くてね」

 

「なるほど。それはおそらく、半魚人の一種ですね。特徴を考えると深きものという種族だと考えられます。彼らは海底の地下都市で生活していますから、如月君の飛水流とは相性が悪いのでしょう。《鬼道衆》があえてぶつけてきましたね」

 

「やはりそうか......嫌な予感はしていたんだ」

 

「彼らは知能も人間と同程度で、人間と交配もできます。混血した個体は、成長によって姿が変化し、最初は人間なんですがそのうち彼らと同じになると言われています」

 

「.....行方不明になるのは女性ばかりだ」

 

「なら、生殖のためか......」

 

「あるいは結界をやぶるために、なにかを呼ぼうとしているか......か。なにをよぼうとしていると思う?」

 

「そうですね......あまり考えたくはないんですが、彼らははるか遠くの星から飛来した海の神に奉仕する種族なんです。古代に存在した都市ルルイエに封印された神に奉仕するために活動するために海底で生活しています。あらゆる水棲動物の支配者を崇拝すると同時に彼に仕え、必要とあらば、どんな用向きにもすぐに応じるため」

 

「その神の名は?」

 

「古代メソポタミア、あるいは古代カナンの神、ダゴンですね。マリとテルカに神殿が発見されています」

 

クトゥルフ神話についてはなるべく触れないようにしながら、私は如月に説明する。

 

ダゴンという神自体は、旧約聖書の中ではイスラエル人と敵対したペリシテ人の崇拝した神として悪神扱いされている。キリスト教ではよくほかの宗教の多くの神が悪魔に落とされている。古い神が次第に悪魔や怪物と貶められる事は、神話の世界では常にあることであり、もともとダゴンは邪悪な神ではなかったはずだが、ユダヤ教で悪神とされ、ユダヤ教から発生したキリスト教でも同様の扱いを受けたことから悪神として定着した。

 

ダゴンと目される海底巨人は、手足に水かきをもち、突き出した目、分厚くたるんだ唇をもちながら、全体の輪郭はいまわしいほど人間に酷似している。また、浮き彫りや文字を石に彫り付けるなどの行動もとり、人間とかわらない知性をもっていることがほのめかされる。

 

不死である「深きものども」が数百万年の齢を経て強大に成長したものである。その巨体は銀の鱗におおわれながらも半透明であり、首のない頭には閉じることのない単眼が備わる。水を蹴って泳ぐときはその脚は巨大な魚の尾のように見え、しばしば人魚と同一視される。月の光のもとでのみ、銀色にかがやく姿を大気中にあわらす。

 

「なるほど......召喚されたらやばそうだな」

 

「海があるとはいえ、こんな街の真ん中でダゴンを召喚されたらどうなるか、わかったものではありませんね。水の中では人間は到底深きものには及びません」

 

「縁とは不思議なものだ、この街には異形の《氣》をもったもの達が集う」

 

「私みたいな?」

 

「愛さん、僕は......」

 

「ダゴンの勢力と《アマツミカボシ》が信仰する神は対立しているとはいえ、広義的にいえば同じですから。私が使う時に変異する《力》と似ているから聞いたんでしょう?《アマツミカボシ》は狂信者でしたからね、転生体たる私の《氣》は誤魔化せません」

 

「......そうだな......ふと、君が浮かんだんだ」

 

「あたってます」

 

「そうか、やはりそうなのか。しかし、君も本当に大変だな、ほとんど不可抗力じゃないか。君は《アマツミカボシ》と同じ信者ではないんだろう?」

 

「あはは、ほんとですよ。いい迷惑です」

 

「なのに、その《力》を使うために、誰よりも詳しくならなければならないのか......難儀だな」

 

「慣れましたけど、慣れません」

 

「慣れたら終わりというやつか、お疲れさま。おかげでよくわかったよ、ありがとう。さて、僕はこれから深きものが増上寺周辺でなにをしようとしているのか、調べなくてはならないわけだが......愛さん、手伝ってくれないか」

 

「もちろん、乗りかかった船ですからね。任せてください」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖34

初夏の日差しが眩しい土曜日の昼下がり。芝公園の外れには東京プリンスホテルがあり、コーヒーショップは散策途中の立ち寄りに最適だ。ここは真神学園の生徒もよく訪れるそうだが、ナイスバディな女性に見とれている京一以外龍麻は見つけることができなかった。

 

「あッ、ごめんね、ふたりとも。もうこんな時間だわ」

 

「え~、もう帰っちゃうのかよッ」

 

「ごめんね、蓬莱寺君、緋勇君。あたし、これからバイトがあるの。ここは奢ってあげるから、ついでになんか頼んじゃって」

 

「いいって、いいって、そんなのッ!どこのバイトだよ~、近く?なら売り上げに貢献してやろうか?」

 

「ほんとに?ありがとう。あたし、芝プール前でアイス売ってるの。今度、お友達と来てくれたらサービスしちゃうわ」

 

「あああ~......ばいばい......」

 

「また今度いくよ、ありがとう。楽しかった」

 

「あたしもカッコイイ2人とお茶できて楽しかったわ。またね」

 

「いっちまった~......女子大のミカちゃ~ん......」

 

ナイスバディで露出度高めのお姉さんがニコッと笑ってからいってしまった。京一はしょんぼりしながらテーブルにはりついて交換したばかりの電話番号を眺めている。

 

「楽しかったな~、またねだって。でも次はないな、手馴れてる」

 

「ううう~やっぱり龍麻もそう思うか~?あしらい方にソツがない......ありゃ彼氏が出来たらバイバイされるパターンだぜ......」

 

「たぶんその番号もあやしいもんだよな」

 

「だよなあ~......俺もそんな気がしてたんだよッ!ぜってー元彼の番号だ。でも俺はミカちゃんを諦めきれない。ダメ元で電話してみる」

 

「頑張れ、京一。骨は拾ってやるよ」

 

龍麻は笑う。芝公園は都心とは思えないほどの静けさで、のんびり散策すると1時間近くかかったが、女子大生とたっぷりお話出来てよかった。なんだかんだで京一に若くて綺麗なおネエちゃんと知り合えそうなスポットに行こうと提案されるたびに、邪魔が入っていた。次に期待してる、と龍麻が先延ばしになった予定の度に京一を励ましていたら、今回は念には念を入れて上手いこと誘ってくれたのだ。横槍が入ってみんなでいく羽目になっていたから、朝から京一はご機嫌である。

 

「さァてッ、そろそろ暑くなってきたし、俺たちもいくか」

 

「また声掛けに?」

 

「俺さあ、いーとこ知ってんだよ。いーからちょっと耳かせ」

 

「なになに?」

 

「港区の芝プールッてとこなんだけどよ、近くの短大のおねぇ様方が穴場にしてるんだとよ」

 

「まさか、だから水着もってこいっていったのか?」

 

「なァに、このまま帰るのはなんだしって子を捕まえられりゃ、天国間違いなしッ。ナンパしほーだいッ!へへへッ......今年の夏は暑くなりそうだぜ。なッ、龍麻」

 

ばしばし京一が肩を叩く。

 

「随分と用意周到だと思ったら......お主も悪よのぉ、京一屋」

 

「いっひっひ、お代官様こそ」

 

「そりゃ美里たち連れてこれないわな」

 

「ったりめーだッ!」

 

2人が悪い顔をして笑いあった。しばらく雑談にふけってからコーヒーショップを出ようとしたその時だ。

 

「げッ、さっきまで天気よかったのに」

 

梅雨期の、雨の晴れ間特有の、あぶらっこい陽射しがさえぎられ、みずみずしい花の色がそのまま黒土にしたたるように、紫陽花の花に雨が降りしきる。梅雨どき特有の風を伴わないまっすぐな雨だ。花が雨に洗われて色を増している。それは次第に蒸し暑さが一挙に霧散するような豪快な雨にかわっていき、すべての表面も根も腐らせてしまうほど陰湿なものとなっていった。そのまま惰性のように降り続ける。

 

梅雨に入って雨ばかり降っている。朝も夜もなく空は灰色に暗く沈んで、一日中部屋の明かりを消すことができない。雨の音は耳鳴りのように絶え間なく、頭の奥で響いている。本当に夏が近付いているのだろうかと、不安になるくらい冷たい雨だ。

 

京一はわかりやすいくらいテンションが下がる。

 

「どこの雨男が歩いてんだッ、俺たちの素敵な昼下がりを邪魔しやがってッ!」

 

叫ぶ京一が天に目掛けて木刀を振りかざす。

 

「ん......?」

 

「おッ、見つけたか、龍麻ッ。らしくねーことしてお天道様の機嫌損ねやがったやろーがッ!」

 

「太陽が機嫌悪いのは、雨男のせいじゃないかもしれないぞ、京一」

 

「なんだ、なんだ?そっちのが面白そうじゃねェかッ!どこだよ?」

 

「あそこ」

 

龍麻が指さす先には如月と槙乃がいた。

 

「デートって訳じゃなさそうだなッ」

 

「槙乃が木刀持ってる時点で絶対ちがう」

 

「たしかに!しかも槙乃の《氣》が《アマツミカボシ》に変異しやがったぞ。なんかあるな、予定変更ッ!いくか!」

 

「ああ。槙乃が首突っ込んでる時点で《鬼道衆》関連だろうし、如月は幼なじみな時点でただものじゃないだろうしな」

 

京一たちは雨に濡れるのも構わず走り出したのである。

 

「なんだこの匂い」

 

「雨降ってなきゃ地獄だぜッ」

 

ちょっと生臭い鰹節のようなにおいのざらついた冷気がすべり落ちてくる。

 

気のせいかと思っていたら、近づくにつれてむれ立つ生臭い魚の香りは広がり続けた。荒い大海を生々しく連想させ、不愉快な感じを伴っていく。何かが腐るときの匂いに似ていた。それも魚とか肉とかが腐るときのような猥雑な匂いだった。

 

《玄天上帝方陣》

 

2人の声がした。《氣》が爆発したかと思うと、あたり一帯に激しい雨が降り始めたではないか。

 

「うっわ、天気が急変したのあいつらのせいかよッ」

 

「どうやらそのおかげで助かった人たちがいるみたいだ」

 

「へ?」

 

龍麻たちの目の前で半魚人たちがみるみるうちに人間になっていくではないか。あんぐり口をあけている京一と龍麻の前で2人は武器を持ったままマンホールの中をのぞきこんでいる。下水道が下に広がっているようだ。どうやら魚のような生臭い匂いはここからたちこめているようである。

 

「よかった......間に合ってよかったです。今回は助けられましたが、《鬼道》をかけられてから時間が経ちすぎていたら、間に合わないところでした」

 

「今回の事件はまだ始まって日が浅いからか......。初動の段階で君に応援を頼んでよかったよ。僕だけだったら間に合わないところだった」

 

「ほんとにそうですね。ただ、なにが目的なんでしょうか......地下に一体なにが......?」

 

「わからないな......ここまで広域になると古地図でも東京都に見せてもらわなければならないかもしれない。うちの蔵に古文書があればいいんだが」

 

話し合っている話題がなかなかに物騒である。京一と龍麻は顔を見合わせて、ニヤリと笑った。

 

「......君たちは一体何を言っているんだ?」

 

見られてしまっては仕方ないと思ったのか、思いのほかあっさりと如月は自分の身分を明かした。槙乃の正体がバレているのだから幼馴染である自分も龍麻たちに勘ぐられている自覚はあったようだ。

 

「さっきの話を聞いていたか?行方不明になった女性はみな、錯乱状態になるような目にあわされるんだぞ?君たちが勝手に行動する分にはどうこう言わないが、仲間である女性にまで要請するのはどうかと思うが」

 

「おいおいおい、槙乃を巻き込んでるおめェがいえることかよ、如月」

 

「む......」

 

「みんな、仲間はずれはナシだって追いかけてくるような子達ばかりなんだ。下手に黙ってると勝手に動いて行方不明になりかねない」

 

「......」

 

「特にアン子とかな」

 

「......愛さん」

 

「潔く諦めてください。まったくもってその通りなんですよ、如月君。特にアン子ちゃんは」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖35

私から連絡をうけた遠野は、土曜日の昼間だというのに芝公園に最短時間で飛んできた。予定があったらしいのに全部ほおり投げてきたらしい。さすがである。

 

「やっぱり持つべきものは親友よね~ッ!こんなに資料ありがとうッ!もうほんと槙乃は最高だわ~ッ!これで次の真神新聞の特集は決まったようなもんよ、これッ!」

 

ぎゅうぎゅうに抱きつかれた。さすがは私の正体がわかっても態度がなにひとつ変わらない安定の遠野である。

 

「つまり、増上寺の結界を壊すような何かが地下にあるわけね?古地図って、図書館、郷土資料館、研究機関が所蔵していることも多くてデジタル画像がインターネット公開されていたり、複製図が自治体史に収録されていたりすることがあるみたいなんだけど、ネカフェ行くより図書館の方が早いわ。港区が公開されてるかなんてわからないしね」

 

「そうですね、都庁は今日おやすみですから」

 

「うんうん。じゃあれっつごー!」

 

私たちが向かったのは、港区立郷土歴史館。自然・歴史・文化をとおして港区を知り、探求し、交流する拠点となる施設だ。建物は、昭和13(1938)年に竣工した旧公衆衛生院の姿を保存しながら、耐震補強やバリアフリー化等の改修工事を行い、安心して利用いただけるように再整備してある。

 

常設展示の東京湾と深くかかわり続けている港区の歴史を、環境、貝塚、内湾漁業の3つのテーマをとおして紹介している区画をざっと見て回る。そして真神新聞部の人間であることを明かし、職員に古地図を見せてくれとお願いしたら快諾された。遠野がお礼にこの資料館ネタにした号もつくらなくちゃねと笑った。

 

そしてわかったことがある。

 

青山霊園は以前から東京都が未払いなのを理由に一部区画を無縁仏に改装したりしてトラブルになっている。また公園化を目指して桜並木を伐採するのはいいのだが、それを建前に随分前から不自然な再開発をしているという。しかも古地図によればかつてその場所は陸軍が使用した敷地だった。なにをしようとしているんだろうか。

 

はいこれ、とA4用紙を渡される。遠野がネットで下水道管の埋設状況がわかる下水道台帳をコピーしてくれていたようだ。

 

「気になってたんだけど、この会社ずっと下水道工事を担当してるみたいなのよね。癒着してない?」

 

遠野が入札結果をみせてくれる。並ぶワダツミ興産という会社名に私は思わず閉口した。

 

「アン子ちゃん、今回の事件が解決したらやりましょうか」

 

「いいわね、いいわねッ、面白くなってきたわよッ!もえてきた~!さあて、あたし達も芝公園にいきましょうか。龍麻君たちに早くしらせなきゃ」

 

私たちが芝公園から増上寺に向かおうとしたさきで、私は青年とであった。

 

「フフフ......この世界は放蕩と死に溢れている。だが、それも美しき婦人たちの前では無に等しい」

 

「......?なんか、ぶつぶつ言ってるわよ、槙乃。やばくない?」

 

「君───────、今、僕になにかいったかい?」

 

「えッ、あ、あたし?いや、その、あたしは別になにも......」

 

「フッ......君は美しい顔をしているね......。まるで髑髏の上に腰掛けた乙女なようだ」

 

「......?」

 

「だが美しいものほど残酷で罪深きものはない。なんという惨劇。時こそが人の命をかじる。姿見せぬこの敵は、人の命を蝕んで、我らが喪う血をすすり、いと得意げに肥え太るのだ」

 

「なにかの詩......?」

 

「フフッ」

 

「ボードレールの詩ですね」

 

「そうなの?」

 

「そうさ、そうだとも。よく知ってるね」

 

私は説明する。19世紀のパリ生まれの象徴派の詩人だ。《悪の華》《人工楽園》など、破滅的、退廃的作風です広く知られる。象徴主義の先駆者で、ユーゴーには《新しい戦慄の創造主》と絶賛され、ランボーからは《詩人たちの王》とひょうされた。近代詩の父ともいわれている。

 

若き詩人、水岐涼が彼を信奉し、第2のボードレールて呼ばれるのも納得である。

 

「そう、まさにその通りさ。君なら僕を知っているんじゃないかな?詩人という高貴なる僕を」

 

「水岐涼君ですよね、はじめまして」

 

「ああ、なんたることだ!そうだとも、僕の心は今まさに歓喜に湧いている!それはキリスト受胎の告知に鳴らされた鐘のごとく!」

 

「ま、槙乃、相手にしない方が......」

 

「おォ....君は暗澹たる海原にて船を導く北極星......僕がまさしくその水岐涼だよ......」

 

遠野に動揺が走る。はたから見たらただの厨二病患者だから仕方ない。

 

「フフフ......僕の高貴な世界を理解出来る人間は少ない......。ところで───────君は海がすきかい?」

 

「海?好きですよ」

 

「海が好きな人間は、僕の詩を理解出来る人間だ。君のような人にあえて嬉しいよ。海は偉大なんだ。全てを生み出し、全てを無に返す万物の根源。大いなる時の輪廻の果てに、すべての生命は海に帰するのさ。海はすべてを飲み込む。穢れた人間も腐敗しきった世界も───────。今の世界は、一度海へと還るべきなんだよ。罪深き邪教を信じた報いをこの世界は受けなければならない。かつて、紅の花に埋もれた美しい世界を壊した報いをね。もうすぐこの世界は全て海の底へ沈むんだ。誰も逃れることは叶わない。この世界はもうすぐ海の眷属によって支配されるんだ。だからね」

 

水岐は私の手を掴んだ。

 

「どうかこれ以上手を出さないでくれないだろうか。これは僕達が成し得るべき手段であり、いつか達成されるべき目標だった。いつかのように横から口を出されると困るんだよ」

 

「えっ、あの、みず」

 

「ちょっと!水木だかなんだか知らないけど、さすがにいきなり女の子の手を掴むのはナシなんじゃない?」

 

「君は黙っていてくれないかい?僕は彼女に大切な話をしているのだから」

 

「!?」

 

「かつてこの世界はバラに溢れ、香気に満ちた風ふく場所だった。おォ、それが今じゃ草木はかれ、灰褐色の墓標に包まれた処刑場所のごとき惨状。人間はなんて罪深き存在なんだろう。フフフ......僕がここにいるのは、シテールに住まう咎人に贖罪をあたえるためさ。そして我が神にその哀れなる魂を捧げるのさ。君が邪悪なる神の信託により邪魔だてするのはわかっているよ、時諏佐槙乃さん」

 

私は体を強ばらせた。

 

「この地下に何が眠っているか知っているかい?ふふふ、異界への入口だよ。深く暗い海の底へ続く......ね。そこには偉大なる僕達の神が眠っている。僕はその神を召喚するために神の啓示をうけた。人間を本来あるべき姿にかえる《力》を手にいれたのさ。君もみただろう?あれは人間がその咎ゆえに与えられた真の姿だよ。人間は自らの欲望のためにこの世界を破壊してきた。獣を殺し、草花を枯らし、世界を黒き闇に閉ざしてしまった。破廉恥なる地獄のチョウジの如く我が物顔で。さもこの世界で生きているのが自分たちだけかのように。人間は滅びるべきなのさ。その贖い難き行いのためにね」

 

「私たちが邪魔するのがわかっててくちにするなんて随分と余裕ですね」

 

「ま、槙乃?」

 

「ふふふ、すまないね......つい。これは女神からの信託なのさ。君たちとはまた会える気がしているよ。君たちはどうやら芝公園にいくようだね。楽しんでくるといいよ」

 

そういって狂気じみた瞳のまま若き詩人はわらって見送ってくれた。どうみても深きものの狂信者です、本当にありがとうございました。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖36

 

「えっ、私もですか?」

 

「あったりまえでしょーッ!せっかく龍麻君が招集かけたんだから」

 

「でもアン子ちゃん、如月君が先約ですし」

 

「僕のことなら気にしないでくれ。どの道動くのは夕暮れで、遅かれ早かれ下水道に潜入することになるのだから。また会うだろう、討伐対象は同じわけだからな」

 

「でも......」

 

「僕と来るなら、やつらのアジトを突き止めるまではどのみち戦闘にはならないさ。むしろ、《鬼道》にかかった人達を戻したいなら、緋勇君たちといった方がいい」

 

如月は私たちが調べてきた資料を手にする。

 

「君たちのおかげで迅速に動けそうだ。時間に余裕が出来たんだ。深きものに変えられてしまった人々のことを考えるなら、緋勇君たちとだろう?大丈夫、ヘマはしないさ」

 

「それは心配してませんが......」

 

「な~んだッ、如月君はこないのね。残念」

 

「僕はまだやるべきことがあるからな。深きものたちの儀式を行うアジトでまた会うことになるだろう。この借りは必ず返すよ。ありがとう」

 

如月は去っていった。

 

「プールかァ......学校の水着しか持ってないんですが......」

 

「..................」

 

「京一君?」

 

「よし、如月のやつはいなくなったなッ。槙乃、槙乃、ちょっといいか?」

 

「なんですか、京一君」

 

「お前、前は男に憑依してたっていってたよな?」

 

「え?ああ、はい、まあ」

 

「それも20くらいの男にさ」

 

「そうですね」

 

「性別は違っても長いことその体だと男になっちまうともいってた」

 

「いいましたね、たしかに」

 

「ならッ!ならさァッ!お前にも男のロマンっつーのが手に取るようにわかった時期もあったんじゃねーのかよッ!!高校生にもなってスク水はねーだろ、スク水はッ!しかも芝プール行くのに学校指定の水着で行くやつがあるかァッ!!!」

 

「え、ダメですか」

 

「ダメに決まってんだろうがッ!10年間18歳しててそんなこともわかんねーのかよッ!校長先生過保護すぎんだろーッ!?」

 

「そんなこと言われましても......。私初めからプールに行く気はなかったんですが......」

 

「でも行くってなったんだから買いに行こうぜ」

 

「は、はあ.....」

 

「こ~ら、京一ッ!!槙乃になにいってんの、セクハラよセクハラッ!こんなバカはほっといて~、朝イチで槙乃、一緒に買いに行きましょッ!付き合ってあげるわ!」

 

「あ、はい、わかりました」

 

「てめーだって着せ替え人形にする気満々じゃねーかッ」

 

「やあねぇ、男がいうのと女がいうのは違うのよ、そもそもの話。明日集合だとしてよ?こーいうとき、いっつも遅れてくる癖になにを偉そうに......」

 

「うっ」

 

「遅刻魔は黙っててよねッ!」

 

「あはは......」

 

「ということは、待ち合わせの時間決めないといけないな。他のみんなは現地集合として、俺たちはまとまっていった方がいいだろ」

 

「明日は日曜日ですよね?葵ちゃんはたしか礼拝が10時半くらいに終わるはずですよ」

 

「なら、11時半くらいか。港区の駅前に集合だな。如月がいうように、深きものが現れるのはいつも夕方頃か......蟲といい、夜が好きだな、あいつらは」

 

「はい。芝プールは必ず行方不明者が出るので、きっと同じ時間帯に現れるはずです。それまではのんびりできるはずですよ」

 

「と言われてのんびりできるかって言われるとうーん。だけど、いつ現れるかわかんないもんね」

 

「そうなんですよ。プールの排水溝からなのか、術による転移なのかがわからなくて困ります。それを調べるだけでもだいぶ絞り込むことができますから、みなさん、無理して追いかけないでくださいね」

 

「プールいって、夜は青山霊園で肝試しかァ......普通だったら楽しくて仕方ねぇんだけどなー」

 

「首を突っ込むっていったのは俺たちだからな」

 

「そーだなッ、半魚人どもに綺麗なおネエちゃん奪われてたまるかってんだ!」

 

「それじゃあ、みんなに連絡をいれるとして。今日は解散しようか」

 

 

 

 

 

 

 

集合時間ギリギリについた私たちは、桜井からみんな似たようなタイミングだといわれた。そして、こっそりみんなで示し合わせて時間を調節し、美里と緋勇をわざと二人きりにしたのだと教えてもらった。どうやら昨日の電話の段取り通りに上手くいったらしい。蓬莱寺が遅刻ギリギリできたのはいつものことだが、遠野になじられたからか、遅れてはこなかった。

 

そして。

 

今私は紐を首の後ろで留め、前はクロスしているタイプの真っ白な水着とビキニだった。

 

「ほんとはスカートタイプがよかったのに......」

 

「なにいってんのよ。槙乃が選んだタイプだとフリルで全部隠れちゃうじゃない。隙あらばワンピースに逃げようとするんだからもー」

 

「そういうアン子ちゃんは控えめなのに......」

 

「あたしはいいの。槙乃がメインよ、槙乃が。これで売り上げに貢献してちょうだいね」

 

「まさか隠し撮り売りさばくつもりですか、アン子ちゃんッ!?やめてくださいよ、スリーサイズまでバレてるんですからッ!」

 

「あっはっは、あたしと水着選んだ時点でわかってたことでしょ~?今更よ、今更。ほら、いくわよ、槙乃」

 

ぐいぐい背中を押されて私はプールに落とされた。

 

「なにするんですかァッ!」

 

「ざーんねん、ポロリはなかったか~。解けやすいの選んだのに~」

 

「やっぱりッ!嫌な予感はしてたんですよッ!」

 

騒いでいると声を聞き付けたのか緋勇たちがやってきた。話を聞けば、私たちが1番最後らしい。

 

「ごめんごめん、槙乃があんまり嫌がるもんだから引っ張ってきたのよ」

 

「そのまま落としたじゃないですかァッ!」

 

「あはは、ごめんごめん」

 

どうやら逆ナンにきた藤咲や看護士仲間と遊びに来た紗夜と高見沢、深きものにワクワクしている裏密、マリア先生と遊びに来た天野さんと一通り巡り会ったらしい。舞園さやかの撮影会を見ることが出来たようで蓬莱寺は既にご機嫌だった。

 

美里と桜井が水着姿を見せていたところだったようだ。美里が少し頬を染め、恥ずかしそうに微笑んでいる。緋勇に褒められたらしい。桜井も醍醐に褒められて満更でもなさそうだ。みんな、プールに飛び込んできた。

 

「へえ~、大人っぽい水着選んだね、アン子」

 

「似合ってるでしょー?槙乃ったらワンピースとかフリル多めのパンツとかに逃げようとするから押し切るの大変だったんだからね」

 

「だからって、こんな際どいラインのセット選ばなくても......」

 

「うふふ、よく似合ってるわ、槙乃ちゃん」

 

「あ、ありがとうございます......」

 

私はプールに沈もうとしたが紐を引っ張られてしまう。解けそうになり、たまらず胸をおさえて遠野をにらんだ。

 

「なに隠してるのよ、ほら槙乃が1番最後なんだから。お披露目よ、お披露目」

 

「お披露目って、もう濡れてますけど......」

 

おずおずと立ち上がった私に蓬莱寺は無言のまま親指をあげ、緋勇は無難によく似合ってると笑い、醍醐は似合うんじゃないか?と若干どもりながらいった。

 

いつもの私だったら絶対に買わない水着だ。ありがとうございます、と笑った私はたぶん顔がひきつっている。

 

そこからはもう遠野に対する報復しかない。遠野に全力で水をかける。それに便乗して桜井が追撃し、逃げ回る遠野に縦にされてしまった美里は困ったように笑う。桜井は嬌声をあげている。

 

「おい、龍麻ッ!お前にも貸してやるから、醍醐を押さえろッ!!みんなで沈めてやろうぜ!」

 

蓬莱寺が醍醐に背中から飛びつきながら、近づいてくる緋勇の腕を掴み、引っ張る。

 

「ほら、手伝えッ!」

 

「よーし、醍醐は何人乗っても大丈夫かな~?」

 

「ばッ、馬鹿ッ!!やめろ、お前らッ!!」

 

「いいぞッ、京一、龍麻クン!!」

 

更に桜井が参戦して、大騒ぎになった。さすがに3人がかりでは190の巨体でも重いのか、醍醐がうめき声をあげてぐらつく。遠野が水飛沫をあびせて、私も美里もつられて笑った。そのうち醍醐が限界を迎えて4人まとめて後ろにひっくり返ってしまう。

 

大きな音を立て、水飛沫が上がる。

 

まだ太陽は高いままだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖37

今、美里の目の前で槙乃が《鬼道》を無効にして、深きものから人に戻すことが出来る呪文を唱えている。初めこそキリスト教の美里に遠慮してか、槙乃はあんまり見ても気持ちいいものじゃないと見せたがらなかった。だが、黒魔術に傾倒しているミサをみても、美里は邪教徒だと蔑んだりはしない。ここは信仰の自由がみとめられた現代日本だ。自分の先祖のように禁教時代の苦悩を祖父から聞かされていた美里は、気にしないでといった。むしろ興味津々だった。

 

じつのところ、どのみち利用客に見られないで武器を装備したまま隠れている場所がボイラー室しかなかったので同じだ。槙乃は目の前で今まで誰にも見せてこなかった《アマツミカボシ》の狂信者たる所以をみせてくれた。槙乃本人は仕方なくなっているから直視できたともいえる。

 

「ねえ、槙乃ちゃん。槙乃ちゃんは、《アマツミカボシ》の信じていた神様を信じているわけではないのでしょう?なら、どうして槙乃ちゃんに《力》を貸してくれるんだと思う?」

 

それは美里の純粋な疑問だった。美里は《力》が自分の信仰によるものだと信じているからだ。槙乃はしばし考えた後、口を開いた。

 

「たぶん、何とも思ってないと思います。路傍の石、取るに足らない存在。私たちがミトコンドリアを気にしないように、かの神にとっても私はそうでしょう。だから《力》を貸してくれている訳では無いです。今回のように敵対勢力と戦う機会が多いから、たまたまでしょうね」

 

「守ってくれている訳では無いの?《アマツミカボシ》が信者だったから」

 

「《アマツミカボシ》が守ってくれているのだと思います。かの神は強大すぎて私が《力》を借りるとなると自我が吹き飛んでしまい、体が耐えきれずに崩壊しますから。やっぱり邪神ですからね」

 

「そうなの......」

 

「《アマツミカボシ》の時代はその神にすがるしかなかったわけですから、なんというか、ですね」

 

槙乃はいうのだ。《アマツミカボシ》の《力》をつかうたびに、風がふくたびに誰かから呼ばれているような気がすると。逆らえないような強い力だ。春の風は大好きなのにそれがちょっと怖いと。

 

「そもそもこの呪文だってキリスト教の祈りとは根本的にちがいますし」

 

槙乃曰く。自分の脳をプッツンさせてテンションを異常な領域に固定するために良さそうな言葉をリズムよく口にしているだけ。お行儀よくそれっぽい事をおごそかに詠唱しているのは最初だけで、しまいには邪神の意識とシンクロして、意味不明な事をわめきちらすのはそのため。教科書を読みながら、一語一句間違えずに正しい発音で、なんてのは《アマツミカボシ》の信じる神には通用しない。そもそも人間が発音することが不可能な神の名前だから。

 

槙乃がやっている退散の呪文は本来、招来した人間が「ではそろそろ神様にはお帰りをお願いするという事で、なにとぞひとつ」的なアレであって、正義の味方が邪神を追い払うような呪文ではない。土下座して頭を床にガンガン叩きつけながら、みっともなく慈悲を乞うのが本来の退散呪文。神の前から全力で許してくれと見苦しく叫ぶのが退散呪文。成功すれば神は招来した魔術師に関心を失う。

 

「実際、逃げながら唱えてるでしょう?私」

 

それは美里にとって言葉を失うほどショッキングな内容だった。神様を信じているという事は少なからず助けてくれるという前提があるからかもしれない。だが、槙乃は助けてくれない神様を信じているという。それはまるで無条件に信じている両親からネグレクトされ始めた絶望に似ている。美里がもし神様にそんな態度をとられたらきっとまともではいられないはずだ。なんてつよいんだろう、と美里は思った。

 

「葵ちゃんにはあんまりいい話じゃないですよね、ごめんなさい」

 

「ううん、ちがうの。驚いただけ」

 

だからこそ《鬼道》を無効にできるんだろうな、と美里は思っていたのだ。この瞬間までは。

 

 

 

ごごごごご、と芝プール全体がゆれはじめた。みんな驚いてプールに上がろうとする。人並みに逆らいながら私たちはプールに向かった。プール中央で水柱がいくつも吹きあがっている。いつもは蓋がしてあるはずの排水溝が水圧に耐えきれず吹き飛ばされ、鍵ごと鉄の蓋が空から落ちてくる。

 

「あれは......」

 

「どうやら《門》を開いたようですね」

 

水のベールの向こう側には洞窟がみえた。下半身が触手をより集めたようなグロテスクな形態に変化している女がいた。触手は虹色のウロコなような組織でできていて遠目には美しい人魚の姿に見える。なにやら一心に歌っている。

 

あの女が若き詩人がいってた女神だろうか。

 

ルルイエへの門を開く能力を持っているようだ。深きものたちはどうやら元人間らしいがあの女にあう度に徐々にクトゥルフとの親和性が高まり、深きものに加速度的に近づいてしまうらしい。女の周りでは人や動物を誘拐して食らったりしている深きものになりかけの女たちがいた。

 

生臭く、あちこちに粘液が滴っている。中央には魔法陣のようなものが描かれ、その周囲には数本の燭台が立てられている。祭壇がある。

 

あちこちから人影が飛び出してきた。それらはぬめる皮膚を光らせながら、美里たちのところににじり寄ってくる。全身がテラテラとひかり、まるで魚のようなウロコで覆われていた。鋭い鉤爪がギラリと威嚇するように輝く。口元からは生臭い息を絶えず吐き出していた。

 

不自然な沈黙のなか、水音が途切れる。水柱が途切れ、蜃気楼の向こう側と空間が繋がってしまった。

 

ぴちょん、と天井の岩から落ちる水が海面に波紋を作る音すら聞こえてくる。深きものたちが辛うじて残っている陸の部分を伝って芝プールに次々と現れ、洞窟の奥へ女たちを誘拐しようとしてくる。

 

夕焼けにキラキラと、女が虹色に反射する。下半身はまるで複数の触手を撚り合わせたかのようだった。蛸のような触手、それらが絡み合い1つの魚の尾のような形状を作り出している。その触手は虹色のウロコをまとっていて、それは腕や首の方にまで広がっているようだった。

 

槙乃は動揺していた。だが、あれが水角なのかという驚きだとは美里は思いもしない。本来なら仕掛けてくるはずの新手の《鬼道衆》は、鬼の面すらつけず、熱帯魚になりかけの双眸をこちらに向けてくる。身の毛のよだつような美しさだった。同じ光景を見ていながら、やはり2人は見ている景色が違うのだ。

 

「......」

 

「槙乃」

 

緋勇に聞かれた槙乃は首を振った。

 

「ダメです、みなさん深きものの《氣》に体が融合してしまっている」

 

「そんなッ......それじゃあ......」

 

「私は《鬼道》に体が馴染む前なら正常化できます。予防もできます。でもそれ以上は......」

 

女はおぞましい神の姿が記されている彫刻を抱いている。まるでタコに似た頭部、巨大な人間のような身体の先には鋭い鉤爪を備えている。背中からはコウモリのような羽を生やし、ゼラチン質の触手の隙間から鋭い眼光が覗いている。

 

「槙乃ができないならどうしたら......」

 

「倒すしかねぇのか、くそッ!」

 

槙乃すらできないなら、もはや深きものに変えられてしまった人達は殺すしかないのだろうか。美里は無意識に手を握りしめていた。

 

芝プールは槙乃の《力》により《アマツミカボシ》の《氣》に満たされている。美里たちが深きものに変えられてしまうことはないが、致死的な状況の彼らはどうすることもできない。

 

なにか、なにかまだ手はないのか。なにか美里にも出来ることはなにか。美里は懸命に考えた。

 

その時だ。美里の両手からほのかに青い光が漏れ出した。その光は徐々に、徐々に広がっていく。身体は青い光へと変わっていく。やがて光は波紋を描くように広がっていった。

 

体から溢れる光がプールを照らした。ぽつり、ぽつりと光の粒が水界面を叩く。まるで雨のように美しい光はいつまでも消えずに光り輝いていく。

 

「美里」

 

「えっ、えっ、これは......わたし、いったい......」

 

深きものたちが苦しみ始めた。どろどろに皮膚がとけていき、人間の姿形を取り戻していく。槙乃すら諦めた深きものの《鬼道》を美里は解呪してしまったのだとみんな気づいた。残ったのは種族としての深きものたちだけだ。

 

「なんかよくわかんねぇが、あいつらだけ倒せばいいんだな!よっしゃ、腕がなるぜ!」

 

「あとは俺たちに任せてくれ」

 

「すごいよ、葵ッ!あとはボクたちに任せて!」

 

「葵ちゃん、すごいです。ほんとに、ほんとに、すごいですッ!!」

 

本気でもうダメだと思っていたらしい槙乃に抱きつかれてしまう。それは時間がたっても色褪せることなく美しく輝いていた。

 

「よくやった、美里。倒れている人達を頼む」

 

「───────は、はいッ!!」

 

美里は紗夜たちと手分けして倒れている人たちの介抱に向かった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖38

だんだんパトカーと救急車の音が近づいてくる。救出した人達のことをマリア先生たちに任せ、逃げるように芝プールを後にした私たちは、予め用意していたライトを持って芝プールの近くのマンホールから下水道に侵入した。なお、遠野は見張りである。

 

誰ともなく咳をしたものだから、あたりに反響した。気持ちは分かる。足場が不自然に濡れていて視界もかなり悪く、壁にはところどころカビや得体の知れない物が張り付いている。水の濁った匂いが漂う。異常なまでの生臭い匂いが辺りに立ちこめているのだ。全身が異常を感じてなんとか体に取り込むまいと抵抗しているのである。

 

私は呪文を唱えて《如来眼》を覚醒させ、下水道全体の構造を把握し、深きものたちが通った経路を探知する。潮の香りと腐臭、そして異様な《氣》の残滓が追跡を容易にしていた。

 

「《門》で一気に生贄を調達し始めたんだ。何をしたいのかはわからないけど、急ごう。これ以上犠牲者を増やすわけにはいかない」

 

「なによりこの事件起こしてる《鬼道衆》のツラをまだ拝んでねェからなッ!あのキミわりぃ人魚倒せばあの《門》はつかえねェっぽいし、あそこにいきゃ会えるだろ」

 

「如月君もおそらく向かっているはずです。これだけ一気に動き出したんですから」

 

「げェッ、まじかよッ!先にケリをつけられねェようにしきゃならねなァ、龍麻」

 

「そうだな」

 

「へへッ、ほんと龍麻が来てから退屈しねェぜッ。あんな奴らを相手に、思う存分ウデを振るってみたいってな」

 

「そりゃよかった。俺もそんなやつが相方で嬉しいよ」

 

「おうッ、気が合うな。俺もだぜ」

 

蓬莱寺たちがやる気をだし始めたのは、頭痛がしてくるような腐臭が鼻をつきはじめたからだろう。目的地に近づいているのだ。

 

「みなさん、そろそろです。気をつけてください」

 

私は待ち受ける《氣》の輪郭を見て叫んだ。その刹那、前方から下水道の汚水がさざめき、深きものどもが現れた。

 

頭部は魚そのもの。大きく飛び出した眼球に、くすんだ灰緑色の光る皮膚。長い手には水掻き。何度見ても吐き気をもよおす見た目だ。そして逆の選民思想をもって私たちを見下している。

 

その奥では別のプールから攫ってきたらしい女性を抱えて、支水道へ折れ曲がっていく。

 

「待てェ~ッ!その人を離せッ、化け物ッ!」

 

桜井が牽制のために矢をいった。その先には美里たちも遭遇したという水岐が現れた。

 

「えッ!?」

 

矢が止まった。汚水が自我をもったように矢を飲み込み、あたりに四散する。私たちは戦闘態勢に入る。水岐が怪しげな笑みを浮かべたまま、なにやら唱え始めたからだ。

 

「《星耀大放電》」

 

「雷光ブラスターッ!!」

 

雨紋が体内で高めた雷気を槍先より放つ。触れた相手を感電させる。私も《アマツミカボシ》の《力》を体内の電磁波に絡めて増大させ放つのだ。遠距離攻撃ながら、私の《力》の領域になると強制的に追加効果と貫通効果が付与される。水岐は麻痺状態になり動きが制限された。

 

たしかに私はハスターの狂信者の転生体だが、自分の力量を遙かに超えたことを、他人に強制するのは大嫌いだ。人間には持って生まれた限界があり、その枠を超えるだけの努力をした人間のみ、先に進むことが出来る。それを妨げるものは宿星すら許さない。そんな体の持ち主に憑依していたから、すっかり感化されたのだ。

 

水岐の身体から怖気がはしる《氣》が発せられる。それは何かを護るためにある《力》で全てを賭ける対象が私たちと相容れないのだ。ぶつかるのは必然である。

 

相手はなかなかに厄介な耐性をしていた。《氣》をぶつけるだけではだめなようで、ダメージを通すなら貫通を付与するか、電気属性の技で攻撃する必要があった。

 

「伏せたまえ!」

 

背後から鋭い声が飛んできた。私たちはあわてて屈む。頭上をすさまじい水流が螺旋を描き、まるで生きているかのような挙動をしたかと思うと水岐ごと周りの敵をまとめて押し流してしまった。壁に激突して動かなくなった深きものたち。水岐はふらつきながらも立ち上がる。だいぶ距離ができたことで私たちは形成を立て直す。振り返ると既に戦闘態勢に入っているち如月が立っていた。

 

「幻水の術ッ!」

 

どこからか、無数の水泡が現れたかと思うと深きものたちを包んでいく。相手は次々と混乱に陥り、仲間内で自爆し始めた。これでさらに時間が稼げる。緋勇たちは如月が作った隙を狙って反撃を開始した。

 

「愛さん、中に人は?」

 

「何人か」

 

「まだ間に合うか?」

 

「おそらく、今のタイミングなら」

 

「ならやることは一つだな」

 

「はい、如月君。私の《力》をあなたに預けます」

 

「北方を賜りし我らが守星よ」

 

「この《地》を乱せし鬼氣妖異の不浄を清めよ」

  

「「玄武黒帝水龍陣ッ!!」」

浄化の《力》を伴った激流があたりを斡旋する。巻き込まれた深きものたちは元の姿に戻ったものもいるし、私たちの《力》では及ばない領域にまで侵食されてしまった人もいる。ならば。私は美里を見た。美里も頷く。

 

芝プールで美里は《菩薩眼》の《力》が覚醒しかかっている。《鬼道》を解呪できたのは、ひとえに美里家が150年前から派生した九角の家系であり、世が世なら卑弥呼の器になっていたかもしれない人間だからだ。相手が《陰の鬼道》しか使ってこないために、美里に流れている九角の血がバランスを取ろうとする《氣》の流れに引きずられる形で《陽の鬼道》を無意識のうちに使い始めている。しかも美里家は150年もキリスト教を信仰してきたため、西洋の《聖なる力》と親和性が高い。ゆえに《陽の鬼道》が《聖なる力》として顕現しているのだ。

 

ここに《菩薩眼》の源流たる《アマツミカボシ》の《力》が加わればどうなるか。

 

「葵ちゃん!」

 

「はい!」

 

「私の身体に宿る星よ。どうかこの《瞳》に北辰の《氣》をうつしたまえ」

 

「私の《力》で誰かを救うことができるなら───────ッ!」

 

「「七曜星神方陣」」

 

私たちの方陣が深きものたちを包み込んでいく。深部まで《鬼道》に侵食されていた人が本来の姿を取り戻していく。次々倒れていく人間、そして迫り来る苦手な光を伴った攻撃に水岐は後退しはじめた。

 

介抱に向かう紗夜たちにあとは任せて、私たちは先を急ぐ。

 

芝プールの向こう側で見えた景色がいった。深きものたちにむかって、人間が本来あるべき姿だとか、みんなああなるべきなのだとか、見当違い甚だしいことを高らかに呼びかけを続ける水岐は正気を完全に失っていた。

 

「───────ッ!!」

 

私たちはその最も奥にある祭壇から、嫌な瘴気が溢れ出てくるのを感じて身構えた。虹色にかがやく人魚の傍らには鬼の面があった。やはり《鬼道衆》が一角、水角だったらしい。本来の水角は妖狐と安倍晴明のあいだに生まれた子供である。いったい彼女はなんなのだろうか。なんにを蘇生した死体になんの魂をいれたらけんなにおぞましい姿になってしまうのだろうか。それがわからなかった。

 

「…......おのれ…......忌々しき飛水の末裔よ…......未だ江戸を守るか......」

 

人魚がうめく。

 

「水岐よ......我の眷属よ......どうか我が宿敵を倒してくれ......」

 

人魚が唱える呪詛は《鬼道》ではなかった。おぞましき邪神の呪文だった。

 

水岐の身体が異形に膨れ上がり、深きものに変わっていく。美里はあわてて治そうとしたが拒否されてしまった。美里が悲鳴をあげる。それが、戦闘開始の合図となった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖39

七色に輝く尾びれをひたひたと叩きながら人魚が歌っている。

 

《星が正しい位置に揃う時、海の底の遺跡が海上にあらわれそこに眠る支配者が目を覚ます》

 

《生贄を捧げよ。星が正しい位置に動く夢の信託を得たのだ》

 

《生贄を捧げよ。私が儀式をしている夢を見たのだ》

 

《生贄を捧げよ。もうすぐ必要な物は揃うのだから》

 

水岐が深きもの、いや違う。一瞬似たような輪郭になったのだが、どんどん姿形が変わっていく。私は思わず息を飲んだ。深きものが見慣れてきた緋勇たちですら目を背けたくなるような異形が産声をあげたのである。

 

その姿は灰色にでっぷりと膨らんだ人型の塊であり、メタンガスの臭いのするゼリー状の体液を滴らせている。毛はなく、黄色い目は常に開いている。鋭い歯に触手のようなものが生え、耳がないため空気中の音を聞くことができないが水中ではよく音を聞くことができそうな、水生生物によくある発達した器官が飛び出していた。発する声は悍ましく吐き気を催すほどである。こんな姿になってもなお、水岐はクトゥルフを崇拝し、私たちに敵対しようとしているのだろうか。

 

「───────ッ!?」

 

水岐の様子がどこかおかしい。自分の手を見て、体を見て、ひたひたと身体のあちこちをみて、周りにいる深きものたちと明らかにちがう自分の姿に驚いているようだ。なるほど、水岐は深きものになると思い込んでいたのに、違う姿になったせいで驚いているようだ。

 

「これは......どうして......僕は、僕は......まだ生贄が足りないというのかい?そうか、君たちのせいか、君たちのせいで僕は生まれ変わることができなかったのかッ!!!」

 

致命的に深きものを履き違えている水岐は、矛盾の矛先を私たちに向けてくる。絶望は憎悪に変わる。殺気を漲らせて私をみてきた。私は首を振る。

 

「それは違いますよ、水岐君。その姿があなたのいうあるべき姿です。あなたはそこの女神に働きを認められたんですよ。《クトゥルフの従者》、それが今のあなたの姿です。あなたが信奉する神ダゴンはクトゥルフの従者にすぎません。ダゴンにクトゥルフの従者たりえるとして、あなたは同じ眷属として引き上げられたんですよ。なにを怒っているのです?ダゴンを信仰するということは、そういうことですよ」

 

私は説明するのだ。《アマツミカボシ》が私を通じて水岐にクトゥルフ神話における誉れの理由を説明するのだ。クトゥルフの奴隷はかつてはクトゥルフを崇拝する人間であったが、特別な儀式を続けることによって変容をしていった奉仕種族である。クトゥルフの祝福によって与えられたものは人間の肉体を犠牲にして得る永遠の命である。死にかけても灰色の、悪臭のするガスの雲になり、またたくまに治癒する体を持つ。

 

「おめでとうございます、水岐さん。あなたの願いはたしかに叶えられました。深きものたちと共にあなたは海の底で彼の主が目覚めるのを待つことになるでしょう。星が正しき位置に揃う時ルルイエは浮上し大いなるクトゥルフは目を覚ます。そのとき、ヒトの時代は終わり、あなたの願いは叶う。でもそれは今ではない。これからも来ない。来てはいけない。だから止めます。悪く思わないでくださいね」

 

水岐は私のいいたいことが正確に理解出来るだけの邪神の知識がないようだ。発狂したように違う違う違うと叫びながら、呪詛を唱え始める。下水道から汚水が螺旋を描きながら中に浮かび、こちらに向かって襲い掛かってきた。

 

「うわあッ!?」

 

「───────ッ!!」

 

「なんて力だッ!」

 

前衛をはっていた緋勇たちが苦悶の表情のままクトゥルフの奴隷を睨みつけた。濁りきった水の球体が塊となり頭上から押しつぶすような圧力をかけてきており、身動きをできなくなってしまったのだ。

 

身体が痺れたように動かない。行動を起こすのに必要とされる力を、身体からそっくり奪っていったようだ。

 

今の緋勇たちの体には奇妙なスペースが生じていた。それは純粋な空洞だ。自分自身の内部に生まれたその見覚えのない空洞に腰を下ろしたまま、そこから立ち上がることができない。胸に鈍い痛みが感じられるだろうが、正確に表現すればそれは痛みではない。欠落と非欠落との接点に生じる圧力差のようなものだ。

 

まるで深海の底におしこまれたみたいだった。濃密な闇が奇妙な圧力を加えていた。沈黙が鼓膜を圧迫していた。世界全体がそこでいったん動きを止められた。風もなく、音は空気を震わせることをやめていた。緋勇たちは次第にその空洞の底に座り込んでいく。

 

「体がッ......」

 

「なんだ!?」

 

「......!!」

 

私の《如来眼》は、彼らから《氣》がすさまじい勢いで水岐にうばれていく様子を映し出していた。まずい、 発動に必要な能力を緋勇たちから確保する気のようだ。なんの呪文からはわからないが、おそらく次にくるのは緋勇たちの最大戦力からくる大ダメージをともなった水球に違いない。

 

「水岐君を止めてください、大きいのが来ますよッ!!」

 

私はあわてて呪文を唱え始めた。どうこういっていられない。水岐をとめなくてはならない。

 

 

 

前衛を封じられてしまった私たちは、時間をおいて飛んでくるクトゥルフのわしづかみとこぶしのコンボによる水岐との戦いに熾烈を極めることになる。

 

そして、私たちは増上寺の結界を守ることはできたのだが、人魚を逃がしてしまったのである。

 

 

 

断末魔の絶叫を残し、水岐の身体が崩れ去る。後には不思議な光を湛えた珠が一つ残され、静けさが戻った。緋勇が珠を拾う。よく見ると、うっすらと龍の模様が浮き出している奇妙な球体だ。どんな効力があるものかは全く分からないが、《力》が封じられているのはたしかだ。

 

「槙乃、どう思う?」

 

「邪神由来のものではないですね、安全だと思います」

 

緋勇は気になるのかその蒼い宝珠を眺めていた。

 

少し離れたところで美里が人間の姿に戻すことができなかった水岐を助けられなかったと嘆いている。桜井が隣で励ましている。

 

「葵......ボク思うんだ。騙されてたんだよ、水岐君は。今までのみんなみたいに、《鬼道衆》にさ。ここにくるまで、どれだけの女の人を深きものから元に戻してあげられたと思う?水岐君のことは残念だけど、葵はなにもできないわけじゃないんだよ?」

 

「............ええ、小蒔のいうとおりだわ......そうよね......。わたし、嬉しかったの......。みんな、みんな救うことができるんじゃないかって、期待してたの......」

 

泣き始めてしまった美里を桜井が撫でている。私は美里のところに向かった。

 

「泣かないでください、葵ちゃん。まさか、あの人魚があの呪文が使えるとは思いませんでした」

 

「......!!」

 

「そんなにやばいの、あれ?」

 

「はい。葵ちゃんにはお話しましたよね?私だって、《アマツミカボシ》を介せずにかの神の呪文を使うと自我か吹き飛ぶって。本来なら長い準備期間を経て初めて発動できる儀式のはずなんです。それをあの人魚は即席でやってのけた。私たちが考えている以上に、《鬼道衆》はやばいのかもしれません」

 

水岐も《鬼道衆》に唆された犠牲者の一人にすぎなかった。邪神の本質を知らされないまま、繊細な心をもっているために自分の無力さを誰よりも知り、嘆いているにすぎない若き詩人に《力》を与えて、後戻り出来ないようになるまで取り込んだのだ。

 

私の話を聞いた緋勇が仲間たちに声をかける。

 

「今は俺たちが生き延びることを考えよう、みんな。生きていれば、生きてさえいれば、犠牲になった人達の仇もうてるんだからな」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖40 邪神街完

如月骨董店の入口は玄関も階段の手すりも各部屋のサッシも赤茶色に錆び付いている。細いヒビが毛細血管のように走る壁は汚水が染みこみ、淀んだ色に染まっていて新築当時の色彩が判別できないありさまだ。色んな古美術品が皆から忘れられた骨董品の壺のようにさも当然という顔をして坐っている。

 

うっかり手を伸ばそうものなら、古伊万里だ、有田焼だ、なんだと言われる。それだけで私は手を引っこめる。価値がわからない蓬莱寺あたりには1000万だなんだと具体的に相場を教えて暗に触るなといってくるのだ。

 

海千山千の骨董屋が特異なものを掘り出したい一心で時たま真赤な偽物に飛びつくことがあるが、如月には無縁の話だろう。

 

いつものように興味津々な緋勇たちが壊さないうちに如月は立ち上がる。

 

「君たちに話があるんだ。奥に入ってくれ」

 

騒がしい世俗の喧噪から離れた、 塵ひとつない茶室の清潔さは、それだけで私たちの心から現実を忘れさせてくれる。

 

何もない室内は、西洋の客間に飾られた絵画や骨董品のように人目をひくものはなく、「掛け物」の存在は、色彩の美しさより構図の優美さに心ひかれる。趣を極限まで洗練させることが目的であり、そのためにはいかなる虚飾も宗教的な崇敬をもって排除される。

 

なんとなくみんな正座だった。如月は茶菓子とお茶を出してから向かいに座る。

 

「今回の事件で《鬼道衆》の狙いがはっきりした。やつらは東京の結界を破壊しようとしている。魍魎を呼び込み、東京を壊滅させようとしているのだ。君たちのおかげだよ。水角を逃がした今、一刻もはやく捕まえなくてはならない。これで終わりではない。始まりのはずだ。ほかにも《門》は築かれているのかもしれない」

 

如月はそういって話を切り出した。

 

「東京の結界?」

 

緋勇の疑問に如月は頷き、如月家に代々伝わる古地図と今の地図を並べながら説明してくれた。

 

かつて徳川家康は、風水や鬼門を最大限に利用して、江戸城・皇居、そして江戸の街全体を風水や鬼門を緻密に計算して作らせた。それは天台宗の大僧正・天海の勧めだったと言われている。

 

天海僧正は、陰陽五行説にある「四神相応」の考えを元に江戸城を中心として四方結界を張り、北を守護する上野の寛永寺、鬼門(東北)を守護する神田明神、南を守護する増上寺、裏鬼門(西南)を守護する日枝神社を建築した。

 

「でも今回狙われたのは増上寺だったはずだよな、如月」

 

「ああ、緋勇君のいうとおりだ。それは増上寺は東京の守り神と言われおり、この増上寺から鬼門の北東に向けて直線上にはお寺や神社をずらりと並べ、不吉とされている鬼門の方角を寺や神社で封じ清めたからだ。北の結界を司るのは寛永寺だけではないんだよ」

 

如月はいう。江戸の三大祭といえば、湯島の神田神社の神田祭と浅草寺の三社祭と日枝神社の山王祭だ。これらの祭は江戸城の鬼門と裏鬼門を祀り浄める意味合いが秘められていた。

 

徳川家康は、江戸の霊的な守護のために徹底的に鬼門と裏鬼門を抑えていた。江戸城の鬼門と裏鬼門に寺社を置いて災いから守り邪気が入るとされる鬼門・北東の方角には寛永寺(上野)を置き、自ら住職を務めた。

 

東京都台東区にある寛永寺・根本中堂

寛永寺は東の比叡山を意味する「東叡山」という山号を持っており、平安京の鬼門を守った比叡山の延暦寺に倣っている。

 

さらに隣には上野東照宮を建立、そして浅草寺でも家康を東照大権現として祀るなど、鬼門鎮護を厚くした。また、邪気の通り道とされる反対側の南西、裏鬼門には増上寺を置いていた。増上寺には2代将軍・秀忠を葬っており、どちらの寺も徳川家の菩提寺とした。

 

さらに天海は、鬼門鎮護を厚くするために神田神社(神田明神)と日枝神社の位置を移した。神田神社はもともと現在でいう東京都の大手町付近にあったのを湯島に、日吉大社から分祀した日枝神社を永田町に移している。これら寛永寺・神田神社と増上寺を結ぶ直線と、浅草寺と日枝神社を結ぶ直線とが交差する地点に江戸城が位置していることから、天海による鬼門・裏鬼門封じの徹底ぶりがうかがえる。

 

「ほんとだ~、ちょうど真ん中だねッ!」

 

「なるほど......」

 

最後の抑えは江戸の外。現在の栃木県にある日光東照宮と、同じく静岡県にある久能山東照宮。どちらも祭神は東照大権現。神霊となった徳川家康だ。家康は死後はじめに久能山に埋葬され、後に日光の東照宮へ改葬された。自らが最前線となって江戸を守ろうという現れだったのろう。

 

ちなみに久能山東照宮は相殿に織田信長と豊臣秀吉も祀られている。家康による江戸守護への情熱が感じられるようだ。

 

「それだけじゃない。さらに天海は、鬼門・裏鬼門封じと地相といった陰陽道の力だけでなく、平将門公の地鎮信仰も利用しているんだ」

 

大手町の首塚で有名な平将門公。この地の近隣には神田神社があり、将門公の胴体を祀っていた。神田とは「からだ」に由来するとも言われている。天海は首塚はそのまま残した上で神田神社を湯島の地に移した。

 

実は、将門公の身体の一部や身につけていたものを祀った神社や塚は江戸の各所に存在し、それらは全て主要街道と「の」の字型の堀の交点に鎮座していると言われている。

 

首塚は奥州道へと繋がる大手門、胴を祀る神田神社は上州道の神田橋門、手を祀る鳥越神社は奥州道の浅草橋門、足を祀る津久土八幡神社は中山道の牛込門、鎧を祀る鐙神社は甲州道の四谷門、兜を祀る兜神社は東海道の虎ノ門

という配置だ。

 

これら主要街道と堀の交点には橋が架けられ、城門と見張所が設置されて「見附」という要所にした。天海はその出入口に将門公の地霊を祀ることによって、江戸の町に街道から悪霊が入り込むのを防止する狙いがあった。

 

天海は、民衆が奉じる地鎮の信仰と機能的な町づくりを上手く融合させた上で、江戸の町を守護する仕組みを見事にデザインしていた訳だ。

 

このように、江戸の町は街道や掘割といった機能面での仕組みに加え、天海の徹底した鬼門・裏鬼門封じと地相、地鎮信仰を使って構築されたもの。

一度は焼け野原になりながらも現在の東京の発展の理由のひとつは、天海が敷いた完璧な都市デザインがベースにあったからだ。

 

「ほんとかよ?」

 

「信じるのも信じないのも君次第だが、結界を破壊しようとしているのは君も見たはずだよ、京一君」

 

「まッ、俺は《鬼道衆》をぶちのめればそれでいいけどなッ!」

 

「うふふ、京一くんたら」

 

「お前は少しは話を聞け、せっかく如月が話してくれたんだぞ」

 

「いいじゃねェか、ようするに仲間になりたいっていってんだろ?まどろっこしいんだよ。なぁ、龍麻」

 

「まァな。でも、最初に首をつっこんだのは俺たちの方なんだ、お願いするのが筋だろ?というわけでだ。如月、あんたの隠密としての《力》と知識は俺たちの助けになると思う。力を貸してくれ」

 

「ああ、もちろん。君たちのやっていることはずっと見てきたし、こうして共闘させてもらった。僕の方から助力を請わなくてはならないのに、急かしてしまったみたいですまないね。これからよろしく頼むよ、緋勇君。そして、君たちも」

 

「ってことは、ここの品揃えも少しは安くなったりするの?」

 

「残念ながら君たちが持ち込む品物はいわく付きなものばかりだからね。維持管理経費に加えて無害にする術もかけなくてはならないからな、トントンなんだ。これ以上だと商売上がったりだから勘弁してくれないか」

 

「え~ッ!!」

 

「そのかわり、いつでも《力》になるし、必要とあらば何時でも店をあけてあげるよ」

 

「あんまり変わらないような......」

 

「それは言わない約束だ、緋勇君」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

夕立が近づいている

天野記者から江戸川区で連続猟奇殺人事件が発生しているという情報提供があった。被害者は若い女性ばかりでいずれも体の一部が残されている。いずれも死体は見つかっていない。検死結果は、刃物によるものではない。無理やりもがれたようなあとがついており、無理やりひきちぎったのではないかとのこと。ぬめりとてかり、そして魚の腐敗臭がいつも現場に残されているという。

 

「今度は江戸川区か......」

 

如月が顎に手を当てる。

 

「江戸城からみて真東だな」

 

「こないだは南で、今は東?」

 

「水角たちの動向を考えるならやっぱりあれか?江戸川大橋」

 

「如月、どこが狙われてると思う?」

 

「そうだな......この前話した結界の中核にある寺院とはまた別にいわれがある場所がある。五色不動というんだが......」

 

五色不動は、五行思想の五色の色にまつわる名称や伝説を持つ不動尊を指し示す総称だ。東京の五色不動は特に有名で、目黒不動、目白不動、目赤不動、目青不動、目黄不動の5種6個所の不動尊の総称。五眼不動、あるいは単に五不動とも呼ばれる。

 

江戸五色不動とも呼ばれており、江戸幕府3代将軍・徳川家光が大僧正・天海の建言により江戸府内から5箇所の不動尊を選び、天下太平を祈願したことに由来する。

 

なお五色不動は基本的に天台宗や真言宗の系統の寺院にあり、密教という点で共通しているが、不動明王に限らず明王は元来密教の仏像である。

 

現在、東京で「五色不動」を称するお寺は以下6ヵ所だ。

 

目黒不動 (めぐろふどう) 瀧泉寺 (りゅうせんじ)

 

目白不動 (めじろふどう) 今乗院 (こんじょういん)

 

目赤不動 (めあかふどう) 南谷寺 (なんこくじ)

 

目青不動 (めあおふどう) 教学院 (きょうがくいん)

 

目黄不動 (めきふどう) 最勝寺 (さいしょうじ)

 

目黄不動 (めきふどう) 永久寺 (えいきゅうじ)

 

「たしかに江戸川区にあるな」

 

「ここには僕がいってみることにするよ。緋勇君たちは下水道地図から近くの河川を回って見て欲しい」

 

緋勇たちはうなずいた。

 

「ちょうどいい、夏休みだからな」

 

緋勇の言葉に蓬莱寺と醍醐は気まずそうに目を逸らした。実はそろいもそろって張り出された補習名簿に名前があがっていたのである。不真面目な生徒の代表格である蓬莱寺はほぼ毎日。醍醐は蓬莱寺ほどでは無いのだが、レスリング部の部室で自主練という名前のサボりをよく行うためある種自業自得だった。

 

「君たち......」

 

如月は呆れ顔である。

 

「学校に行きすらしてないお前がいうなっての」

 

如月は笑ったまま言葉を返さなかった。

 

「なら、緋勇君たちは基本は午後から動くことになるんだな」

 

「ああ、そうなるな」

 

「わかった。予定を開けておくから、用があったら電話か、店にくるかしてくれ」

 

それが夏休み前最後のミーティングだった。

 

「で、朝からうちに一人で来た愛さんはずっと探しているものがあると」

 

「そうなんですよ、如月君」

 

「君はいつもなにかを探しているね」

 

「必要にせまられて、です。《鬼道衆》の危険度が私の想定のはるか上だったので、私も覚悟を決めたんです」

 

「残念ながら、君の欲しい古美術品は見たことがないな。一応、ツテを頼ってみるが、あまり期待しないでくれ」

 

「そうですか......」

 

私の夏休みは、ある儀式に必要な秘薬、魔法の石の笛の準備に費やされることだろう。《鬼道衆》があそこまでクトゥルフ勢力に染め上げられているとは思わなかったのだ。私も本腰を入れなくてはならない。緋勇たちが目の前でなすすべなく無力化されるのを見ているしかないのはもう嫌だ。水岐を倒さなければ前衛のみんなが全滅するかもしれない恐怖と戦いながら《力》をつかってわかったのだ。戦力はあるにこしたことはないと。

 

「差し支えなければ、なんに使うのか教えてもらえないか?」

 

「《アマツミカボシ》の信仰する神の使いを呼びたいんです。ミサちゃんが今こそ使う時だって終業式の日にくれたんですよ、この本を」

 

私が持っているのは、セラエノ断章というミスカトニック大学の教授・ラバン・シュリュズベリイ博士によって英語に翻訳された自筆の写本だ。

 

オリジナルはプレアデス星団の恒星セラエノ(ケラエノ)の第四惑星大図書館にあった破損した石板。石板には《外なる神》やその敵対者に関する秘密の知識が刻まれている。内容は、旧き印やクトゥグア召喚の術法、黄金の蜂蜜酒の製法が記載されている。

 

《ホイッスルに魔力を付与する》という呪文を使いたいのだが、問題は、この呪文を使うには、魔力を込める媒体として、銀と隕鉄の合金でできたホイッスル(呼び笛)が必要だという点だ。この合金製のホイッスルは簡単に用意できるものではない。基本的には不可能だから、古代の魔術師の愛用品などを見つける必要があるのだ。

 

魔力の込められていない、ただのホイッスルで召喚するとなると、成功率が高くならないので、いざという時にアテにできない。

 

一応抜け道として、《笛に魔力を付与する》呪文で代用する手がある。笛を必要とする呪文ならなんにでも流用でき、しかも、金属製の笛ならOK。ただし、儀式に必要な生け贄が多く必要なので、やはり自作するようなものではない。

 

「なるほど。たしかに成功しないと意味が無いな」

 

「ただ、アーティファクトにも程があるので、風魔ゆかりの笛があったら試してみる価値はありますね」

 

「ほう?」

 

「風魔は北極星を象徴する北辰妙見菩薩を信仰したことがあると聞いた事があります。もしかしたら......」

 

「そうなのか、風魔が......。忍びの端くれとして気になるところだな。他には何が必要なんだい?」

 

「蜂蜜酒ですね」

 

「蜂蜜酒?」

 

私は頷いた。

 

黄金の蜂蜜酒とは日本ではほとんど飲まれていないが、世界最古の酒で、ワインやビールが入ってくる前のヨーロッパではもっとも一般的な酒だった。その名前の通り、蜂蜜に水を加えることで自然に発酵し、醸造できる酒で、比較的作り方が簡単なため、穀物生産が発達する前からよく飲まれていた。そのため、古代の秘儀の象徴である。

 

海外では蜂蜜酒を不死の霊薬と見なし、神聖視していた。彼らは祭の時に、皆で蜂蜜酒を飲んで酔い、霊的な交流を行って共同体の絆を強めた。あるいは王は神聖な存在であったため、失脚した際には敬意を持って、王を蜂蜜酒で溺死させることが定められていた。死後向かう英雄の宮殿ヴァルハラには、蜂蜜の河が流れているとも言われる。

 

「まさか作るのか?」

 

「未成年で古物商やってる如月君が聞きます?」

 

「僕はいいんだ、表向きは祖父の手伝いにすぎないからね。でも君は違うだろう?」

 

「永遠の18歳なので法が適応されるのかは怪しくはありますが......」

 

「どのみちそこに記されている作り方はろくでもないものなんだろう?」

 

「いえ......蜂蜜酒自体は大したことありませんね。一般的な蜂蜜酒の作り方が書いてあります。口外できない成分が入っていますが」

 

「それは充分大したことあるというんだよ」

 

呆れたようにため息をついた。そして心配そうな顔をして私を見下ろす。

 

「しかし......あれだな。しばらく見ないうちに、また《氣》の性質が《アマツミカボシ》に近づいていると思ったら......。儀式を試行錯誤してるんだろう?」

 

「成功率を上げないと意味が無いですからね」

 

「《アマツミカボシ》の信仰する神の使いを呼ぶということは、また邪神に侵食されることになるんだろう?大丈夫なのか?」

 

「《アマツミカボシ》が子孫想いのご先祖さまじゃなかったらここまで捨て身な真似出来ないですよ」

 

「まあ、確かにそうかもしれないが......。君も気づいているだろう?君が《アマツミカボシ》の器として完成度を高めていくということは、美里さんの《菩薩眼》としての覚醒も早まるということだ。彼女はまだ《力》に迷いがみえる。外堀ばかり埋めるのは可哀想だ。君は美里さんたちを守りたいんだろうが......本末転倒にならないようにな」

 

「そうですね......フォローもしなくちゃいけないかな」

 

「ああ、悪いことはいわないから、そうしてくれ。その方が僕も安心出来るからね」

 

「午後からみんなで毎日江戸川区に行ってるんですけどね......」

 

「おや、そうなのかい?僕は毎回呼ばれている訳ではないのか」

 

「龍麻君がみんなのローテーション考えてるみたいですよ。被害者は女性ばかりだし、男女で固まるわけにはいかないからって」

 

「ああ、なるほど......それでか。さすがだな、緋勇君は」

 

「そうですね......今日から一週間ほどはおやすみなんですけど......」

「......?どうかしたのかい?まあ、たまには休まないといけないとはおもうが」

 

「龍麻君、奈良に帰るそうです。友達が亡くなったって」

 

「!」

 

「莎草君の《力》で昏睡状態に陥ってた女の子が、意識が戻らないまま亡くなったそうなんです。龍麻君にとっては《力》に目覚めるきっかけの事件だったし、その......初めて好きになった女の子だったらしくて......」

 

「初めて聞いたな......」

 

「私も新聞部の取材で聞いたきりでした。一度も話してくれないから、回復したとばかり......。今朝の電話でした。一週間後には必ず帰るって約束するから、如月くんにもよろしく伝えてくれって」

 

「そうか......それで君は......」

 

「はい。龍麻君の伝言、つたえにきたのもあるんです」

 

「そういうことなら、僕も調査を頑張らないといけないな」

 

「お手伝いしますよ、如月君」

 

「ああ、ありがとう。よし、今日からしばらくは店を休むことにしようか」

 

私は閉店準備の手伝いをしたのち、真夏の東京に繰り出すことになったのである。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖41

今日も今日とて如月骨董店を尋ねると珍しくすこぶる機嫌が悪い如月がいた。

 

「おはようございます、如月君」

「ああ、おはよう」

 

大きく息を吐いている。これは、どういう嘆息だろう。当惑。苛立ち。それとも、なにか言葉を探すための時間稼ぎだろうか。如月がここまで不機嫌な顔を見せるのは本当に久しぶりだ。

 

3年前以来である。いつもは音信不通で考古学者の父親が高校の入学式に保護者席でちゃっかり参加していたことがわかった日と同じくらい不機嫌だ。今まさに如月の心の中は暴風が吹き荒れているのだ。

 

「なにか厄介事でもありましたか?私になにか力になれることは?」

 

如月はいつもなら気を遣わせてすまないと笑って謝ってくれるのだが、私とは10年来の付き合いゆえの気兼ねのなさに甘えたい気分らしい。取り繕う様子もなく、焦立ち熱したように低い早口で呟いた。

 

「いや、大丈夫だ。もう終わったことだから。───────やはり関西弁は嫌いだ」

 

如月はそう吐き捨てた。その一言でなぜ不機嫌なのか事情を把握した私はうなずくのだ。

 

「今の時間帯になっても不機嫌なのは寝不足のせいですね。お疲れ様です」

 

「ああ......その通りだよ。ありがとう。久しぶりに本家と遅くまでやり合ったせいで眠れなかったんだ」

 

「なにか問題でも?」

 

「いや......用があったのは僕の方だからね。分家だなんだと蔑むわりに、柳生の事件には関わりたくないの一点張りだったよ。徳川家の隠密という誇りを忘れて一族の存続と権力争いにしか興味がない老害共め」

 

如月は今身体中に不快な熱がこもっていて、苛々の虫が多発的にうずいてならないようだ。起き上がって喚き散らしたい衝動や背中を走る神経の束を逆撫でされたような苛立ちを抑えこんでいる。

 

私は心配になった。

 

実は如月家は如月翡翠の家以外は一族総出で江戸から東京に移り変わる動乱の時代に京都に引き上げているのだ。ゆえに本家は京都にある。徳川家の隠密だった時代を捨て、京都に逃れた本家と東京に残り新政府と強いパイプを持ち影響力を残した分家、互いに譲れないものがあるために不仲を通り越して天敵のような状態なのだ。

 

如月の先祖は150年前の柳生との戦いに兄妹で参戦している。そのため、どちらが直系なのかはわからない。だが、本家からしたら、かつて優秀な公儀隠密だったが妹を守るため忍びの掟を破って抜け忍となった兄にしろ、兄を抜け忍にさせた妹にしろ、如月を名乗ること自体おこがましいという立場なのだ。今や徳川家の隠密として東京の霊的な守護を一手に担うのが抜け忍の一族なのだから皮肉にも程がある。

 

なのに如月がわざわざ本家に喧嘩になるのがわかっていて連絡を入れるなんてなにもない方がおかしいではないか。如月は私が全然納得してないのがわかったのか、困ったように肩を竦めた。

 

「心配するなというほうが無理ですよ、如月君。なにがあったんですか?如月君が本家に連絡をとるなんて......」

 

「だからいっただろ?あまり期待するなって」

 

「..................えっと、まさか......」

 

驚く私に如月は笑った。

 

「そのまさかさ」

 

「えええええッ!?き、如月君ッ、そんな、そこまでしてくれとは言ってないですよォッ!?わざわざそんな、ええ!」

 

「仕方ないだろう?他ならぬ君からの頼みなんだから。長年のコネをフル活用しても見つからないんだ。あまりにも見つからないから僕も意地になってね」

 

「えッ......えッ......えええ......そんな、絶対なんか言われるに決まってるじゃないですかァ…......」

 

「見つかったんだから問題ないよ」

 

「えっ」

 

「愛さんの予想通り風魔ゆかりの品だ。忍具に笛なんて聞いたことがないからな、きっとそうなんだろう。普通は指笛をするものだ。これで上手くいくといいんだが......」

 

そういって如月は私に桐の箱を出してきた。目を丸くしている私の目の前で何重にもつつまれた品を渡してくれた。

 

「ありがとうございますッ!」

 

「その反応をみるかぎり、ご要望には答えることが出来たようだね。よかった」

 

「すごい、すごいです、如月君ッ!ここまで魔力が籠ってて、なおかつ妙見菩薩の信仰が宿ってる笛見たことないです!」

 

「よかった。儀式の試行錯誤が続いたら君もそのうちタダじゃすまなくなるに決まってるからな。それなら成功率を上げないと意味が無い」

 

「ほんとに、ホントにありがとうございますッ!」

 

「本家に貸しが出来てしまったが、まあ必要経費だよ」

 

「本当にそこまで手を尽くしていただいてありがとうございますッ!どんなにお礼をいったらいいかッ!」

 

「そこまで喜んでもらえてよかったよ」

 

「おいくらですか?」

 

「そうだね、それなりの値段はつけさせてもらうよ」

 

「は、はい......」

 

電卓を弾く如月はゼロが増えて行くにつれて、わあ、という顔になる私に肩を震わせている。

 

「この一週間、僕の仕事に付き合わせてしまっているから......。あの時の事件でも君がいなかったら、ろくに攻撃が通らなかっただろうから......。さて、これでどうだろう?」

 

「よ、よかった......銀行に行かなくてもいいみたいです」

 

「それはよかった」

 

財布はすっからかんになったが、私は念願の笛をゲットしたのだった。

 

「ほんとはアルディバランが見える冬にやるべきなんですが、最近星空がおかしいので行けると思います」

 

「星の並びがどうとかいうあれか......人魚がいってたな」

 

「揃う前に人魚を倒さないといけませんね。やっとまともな成功率になると思います。よかった」

 

「そうだ、如月君。お礼になにかしたいので、思いついたら言ってくださいね」

 

「いや、いいよ」

 

「私が気にするんです」

 

「そうかい?わかった。なにか考えておくよ」

 

私はさっそく笛を身につけることにした。儀式は夜にならないと出来ないが、これからいつもの巡回である。

 

「まただな」

 

「またですね」

 

「どうだい?」

 

「脈も息も安定していますし、《氣》も正常ですから気を失っているだけですね」

 

「この鬼の面は......やはり《鬼道衆》の配下の忍びだな」

 

如月が無遠慮に転がした一人の身体を探り、装備やアイテムを回収していく。私も手伝う。緋勇とまた会ったら渡しておこう。

 

「どうします?」

 

「僕たちは行こう。いつものところに連絡しておくから」

 

「わかりました」

 

私は如月が携帯で電話し始めたので、近くの一人の《氣》を調べることにした。一体誰に倒されたのかわかればいいのだが。

 

緋勇の不在により如月と私は江戸川区の下水道地図を参考に、江戸川から最勝寺の目黄不動にいたるまでの道を重点的に巡回してもうすぐ1週間になる。明日から緋勇がこちらに戻ってくるとのことなので、報告することは山積みになりそうだ。ちなみに緋勇は桜井と美里の買い物に付き合う予定が入っているので、どうあがいても午後からである。

 

「......外傷は明らかに銃火器なのに気絶で済んでる。実弾が見つからない......。いつもの人ですね」

 

銃火器に《氣》をこめて打ち出すことが出来る《力》の持ち主により、《鬼道衆》の忍び達が裏路地など人目のつきにくいところで大量に転がっている現場を見るのは何回目だろうか。

 

雄牛の小さな目を射抜くが如き正確な、気弾による射撃だ。体内で凝縮させた《気》を込めて放ったのだろう。相手に反撃した様子がないから、抜き手を見せない程の早撃ちの名手のようだ。《氣》をコントロールすれば見定めた一点に全てを集中して放つ強烈な一撃を浴びせることもできるようで、壁に激突したのか伸びている者。《氣》は冷気とも相性がいいらしく、真夏だというのに凍傷がある者もいた。

 

ほとんど一撃で屠っているあたり、最近このあたりの誘拐事件や人体の一部が放棄されている事件を聞かないのは、《鬼道衆》の犯行を事前に食い止めている人間がいるということだ。

 

《力》に目覚めた正義感ある高校生がこういうことをするのは雨紋で前例がある。だから私たちははやくこの《力》の持ち主と合流して仲間になって欲しいと思っていた。《鬼道衆》は個人で挑むには凶悪すぎる。《鬼道》により《鬼》や邪神の奉仕種族に変えられてしまうと取り返しがつかないことになってしまうからだ。

 

今のところ、毎回事件があった痕跡しか辿れていない。夏休みのせいで制服を着ている人間の目撃情報がないからわからないのだ。せめて時間があまりたっていないなら《氣》の残滓から特定することができるのだが......。

 

「あら、あなた達はたしか、緋勇君の......」

 

「こんにちは、天野さん。槙乃です。お久しぶりですね。取材ですか?」

 

「ええ、そうなの。あなたたちがやったの?」

 

「いえ、私たちが来た時にはもうこの有様でした。《力》を使える誰かだとは思うんですが、それ以外なにもわからなくて。天野さんはなにかご存知ないですか?」

 

「ちょうどよかったわ。雨紋くんの時のように助けてくれた子がいたの。その情報を今から緋勇君たちに伝えようと思っていたから」

 

「ほんとですか?!」

 

「《鬼道衆》に襲われたんですか?怪我は?」

 

「ええ、私は大丈夫よ、ありがとう。その子が助けてくれたから」

 

天野記者は《力》の持ち主について、色々と教えてくれた。

 

名前は、アラン蔵人。私の見立てどおり《氣》をこめて弾丸としてうちだす《力》を持った、身長183センチに体重78キロの大柄な男子高校生。江戸川区の聖アナスタシア学園高校3年A組で、水泳部所属。女性が大好きでメキシコ人と日本人のハーフの陽気な少年である。日本史や日本文学に詳しいが、日本語の詳しい意味を判っていないことも多い。舞園さやかのファンでもある。

 

ナンパされたらしく、やけに詳しいプロフィールである。連絡先は下宿先のようだが、如月がかけてみても繋がらないようだ。

 

やはりアランだったか。そろそろだとは思っていたのだ。

 

アランは射撃の名手であり、風を操る『力』を持つ。宿星は「青龍」。そして8年前に故郷の村を発掘作業中に盲目のものという独立種族が復活して村を襲った。そのときに両親と兄弟と友人たちを失った過去を持つ。

 

実は先祖が150年前に妹の復讐の最中に海に落ち、日本行きの船に拾われて来日、柳生との戦いに参加した経緯がある。もしかしたら帝国時代もなんだかんだで来ているかもしれないので、約70年振りの来日である。

 

アランはさすがに遠すぎて来てくれるかどうかその時にならないとわからなかったから嬉しい。

 

「緋勇君達のことを教えてあげたから、明日の午後にでも真神に行くんじゃないかしら」

 

「なるほど、わかりました。教えて下さりありがとうございます」

 

私たちはその場で別れた。

 

「明日から緋勇君が帰ってくるんだったな。店にはいるから、なにかあったら声をかけてくれ。よろしく伝えてくれよ」

 

「了解です」

 

私たちは巡回を再開したのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖42

「ふっふっふっ、ありがとうね、槙乃ッ!これで二学期一発目の真神新聞の売り上げは決まったようなもんだわッ!さあ、犬神先生にもみせにいきましょうか」

 

緋勇が不在の1週間、午前中は如月の仕事の手伝い、午後は真神新聞部の活動に尽力していたため、ほぼ同時並行で情報収集と情報を共有する媒体である新聞の作成を行ってきた。なんとか緋勇たちが真神学園で補習をしている蓬莱寺たちと合流する前に渡せそうである。

 

「あ、ちょっと待ってよ?アラン君て龍麻たちを尋ねてくるのよね?インタビューできないかしら。そしたら結構美味しいことに......」

 

「どちらにしろ、私たちが新聞部だって話すとっかかりには必要ですし、OKしてくれるかわかりません。これをアラン君に渡しましょう。一応、これを決定稿にして犬神先生にもっていきませんか?期限は今日なんですから」

 

「まあそうね。よし、あとから差し替えも考えて......槙乃先にいっててくれない?あたし、あとから行くから」

 

「わかりました」

 

私は職員室に向かった。

 

「失礼します。新聞部の時諏佐です」

 

「よォ、時諏佐。新聞はできたか」

 

「はい、こちらです」

 

「まあ座れ」

 

「はい」

 

私は素直に隣の先生の椅子に座った。犬神先生は渡した新聞をざっと見て、今私たちがなにをしているのかだいたい把握したようで煙草に火をつけた。

 

「星空は最近見てるか、時諏佐」

 

首から下げてる笛をみるなり犬神先生がいうので私はうなずいた。

 

「お前は《星辰の正しきとき》ってのはなんだと思う」

 

「星辰ですか?星の配列の事ですよね。それが、正しいってことは、魔術的に意味のある位置に来る事です」

 

「最近、星の位置がおかしいのはきづいてるな?」

 

「はい」

 

「まさかとは思うがお前の仕業か?」

 

「......はい?なにいってるんですか、犬神先生。そんなことが出来たら、それこそ邪神の仕業じゃないですか。ある神の役割のひとつは《星辰の正しきとき》がまだ来ていないのに、強引な手を使って無理矢理星辰を正しく調整する事なんですよ?そんなことさすがにできないですよ」

 

私は笑ったが、犬神先生は笑いもしない。

 

「お前が見てるのはこの事件の犯人たちが起こしてるからこその星の位置だろ。地球と火星と金星が正三角形に並んで、その中心近くに水星がある。まさに軌道の流れを考えるならおかしい惑星の並び方」

 

「え、違うんですか?」

 

「違う。たしかに次に完璧に並ぶのは2043年9月16日のはずが、今来ているのは明らかにおかしいがな。俺がいいたいのは北辰だ」

 

「えっ、北極星ですか?私はかの神を目覚めさせる儀式をしている訳では無いですよ?」

 

「お前にそのつもりがなくてもだ。新聞部のくせに北辰の位置が動いたと騒ぎになっているのを知らないのか?」

 

「えっ......北極星が?え?」

 

呆れたように犬神先生が新聞記事をみせてくれた。北極星が昔のように僅かであるが動いているという国立天文台のコラムだ。

 

地球から見て北極星はほとんど動かないという特殊な性質があるため、世界各地では一般的に不動の星として認識されており、様々な伝承が残っている。ところがその中にあって、日本においては北極星は僅かだが動くことが、民間伝承として伝えられている。伝承とは次のようなものである。

 

江戸時代大坂に、日本海の北回り航路で交易をしていた桑名屋徳蔵という北前船の親方がいた。ある夜留守を預かる徳蔵の妻は、機織りをしながら時々夫を思っては北の窓から北極星を見ていた。すると北極星が窓の格子に隠れる時があり、彼女は北極星は動くのではないかと疑いを持った。そこで次に彼女は眠らないように水をはったたらいの中にすわって一晩中北極星を観察して、間違いなく動くことを確かめた。帰ってきた徳蔵に彼女はこのことを告げ、この事実は船乗りたちの間に広まっていった。

 

現在におけるポラリスの日周運動直径はおよそ1.4度だが、過去は3度の日周運動を描いていた。この伝承は、北極星の可動性を説いたものの一つである。伝承は瀬戸内海沿岸を主として広く分布している。

 

驚くべきことに、1997年末から北極星の日周運動は3度を超えるかなり大きな日周運動を描いているらしい。

 

「..................」

 

言葉が浮かばない私は新聞記事を見ているしかない。

 

「《アマツミカボシ》が妙見菩薩と同一視されてるのは知ってるだろうが、こいつの宿星《青龍》も関係があるんだ。またお前の影響力を受けるやつが増えたってことだな」

 

「え、《青龍》もですか?北極星から《玄武》と同一視されたのは知ってますが」

 

犬神先生は教えてくれた。

 

妙見信仰は北辰信仰と結びつくことにより龍蛇の伝を持つ。北辰とは北斗七星だが、その字のごとく、あるいは北斗七星の曲がりくねった形のごとく、龍(辰)になぞらえられる。

 

今でも妙見菩薩の寺に龍綱を作る催事を催す場所があり、かつては百村の旧家から選ばれる北斗七星になぞらえられる七人の男衆であった。相当に念の入った「北辰妙見の龍」だった。

 

まるで見てきたかのようにいう犬神先生に私はなるほどと頷くしかない。

 

「《アマツミカボシ》の信仰があろうとなかろうと、多少なりとも《宿星》は影響しあう運命だ。間違えるなよ、時諏佐。まちがえたとき、運命を共にするのはお前だけじゃないんだからな」

 

「そう、ですね。そうですよね。私、気をつけます」

 

「あァ、そうしろ。お前は今のところ報連相が出来ているようだからまだいいが......抱え込むようになったら終わりだぞ」

 

それは18年前、仲間に無断で柳生と相打ちになるために龍脈に続くはずの門を自分以外の人間が入る前に閉じてしまった緋勇の父親のことをいっているのか。

 

それともこの学園の守り人となることを決意させた女性のことをいっているのか。

 

私にはわからなかったが、犬神先生が私を担任の生徒として心配してくれているのは事実のようなので、素直にうなずくことにする。

 

「引き止めて悪かったな、いっていいぞ」

 

「失礼しました」

 

私は職員室をあとにして玄関に急いだ。犬神先生が促した窓の先に遠野が校門前に走っていく様子が見えたからだ。

 

 

 

 

 

 

私が急いで校門前に向かうと、いつものメンバーが勢揃いしていた。

 

「やァ、緋勇クンッ。夏休みをエンジョイしてるかい?」

 

「ひがみはよせ、京一」

 

「よォ、毎日補習ばっかの蓬莱寺クンッ。今日も元気にマリア先生に扱かれたかい?俺は両手に花でお出かけしてきたよ」

 

「龍麻も煽るな」

 

「龍麻てめぇッ!」

 

「いや~......日頃の行いが露骨にでるとはな~。夏休みになったら京一とも遊びたかったのにな~......まだ一回も遊びに行けてないのにな~......誰のせいかなァ~......??」

 

「そ、それは悪かったよ......だからってなァ!」

 

「ほんとに悪いな、龍麻。こいつは毎日補習なもんで、拗ねてるだけだ」

 

「誰が拗ねるかッ!ガキじゃあるまいし!クソッ、俺の高校最後の夏休みが無駄にすぎていく。浜辺でビキニのお姉ちゃんが俺を待ってるっていうのによォ」

 

「やれやれ。まあ、俺も京一も自業自得だからな。この夏は腰を据えて勉強するしかなさそうだ。それより龍麻、久しぶりだな。元気そうで安心したぞ」

 

「里帰り出来てよかったな、龍麻ッ」

 

「うん、ただいま。で、あそこはなにしてんだ?」

 

「いや、俺達も今来たばかりでな、わからん」

 

「俺らが来た時にはもうこうなってたぜ」

 

緋勇たちが不思議そうにみる先には遠野から生まれて初めての取材を受けて、有頂天になっているアランがいた。遠野は面と向かって美しいと連呼されたことはないようで、いつもの遠野はどこへやら。ペースを乱されてなかなか本題に入っていけないようである。

 

アランはハイテンションで陽気な外国人の皮を被っておきながら、邪神への秘めたる復讐を滾らせている冷静な面がある。周りを巻き込みたくない理性も残っているため、遠野のように首をつっこみたがる一般人には、こうやって煙にまいてしまう。貝のように口が固くなってしまう。なかなかに複雑な精神構造をしているので難しいところがあるのだ。

 

私は緋勇たちより先に遠野とアランのところに向かう。

 

「お待たせしました、アン子ちゃん」

 

「あッ、槙乃ッ!!よかった~、槙乃って英語できるもんねッ!通訳お願い。肝心なところ英語でしゃべられちゃってわかんないのよ」

 

「わかりました。任せてください」

 

遠野がカメラを構える。私は取材ノートを手にしたままアランを見上げた。

 

「はじめまして、アラン君。お待ちしてました。私は槙乃、龍麻君の友達です。天野さんから話は聞いてます」

 

「oh......エリーの友達ネ?」

 

「そうですね」

 

「HAHAHA、ありがとうございマース。ボクの名前はアランクロード、いいマース。聖アナスタシア学園高校の3年生デース」

 

がしっと手を掴まれた。そしてぶんぶん振られる。驚いているとアランがウインクしてきた。

 

「この街に来てからボク、ホントに絶好調デースッ!君のおかげデスネッ!風が教えてくれましタッ!ニンジャと一緒に戦ってましたよネッ!ベリーベリークールでしたヨ~ッ!君はマイビーナスデースッ!!」

 

「えっ、あ、あの......もしかして見てたんですか?」

 

「イエースッ!ニンジャ初めて見るから隠れまーシタッ!ニンジャは仕事中は見られちゃいけないッ!ボク、知ってまースッ!」

 

「嘘ッ、全然わからなかったのに」

 

「風が味方してくれまーシタッ!出会いはいつも劇的でなければナリマセーンッ!一生忘れないようにネッ!ボクはこの国に来るのは、ほんとにほんとに8年越しの悲願なんデースッ!!」

 

「私は忍者ではないですよ?」

 

「NONNON、ニンジャでなくとも一緒に攻撃できる方陣があるなら、ニンジャの仲間デースネッ!エリーいってマシタ。タツマは仲間、ニンジャも仲間、みんな仲間ッ!ベリーベリー素晴らしいネッ!ボク、ずっと仲間いなくて寂しかったんデースッ」

 

「アラン君......よかったです。私たちずっとあなたのこと探してたんですよ。会えてほんとに嬉しいです。できたら仲間になってはもらえませんか」

 

「WOW!!ボクも嬉しいネッ!」

 

感極まったアランに抱きつかれてしまった。思った以上に大歓迎されてしまった上に、あっさり仲間になることを了解してくれた。おそらく江戸川区の事件を一人で未然に防ぎながら、私たちが調査しているのをずっと見ていたからなのだろう。私たちが共に戦える仲間に値するか、ずっと見ていたようだった。

 

「ボクも早く事件解決したいネ。あいつら、ボクの村の仇を呼ぼうとしてる」

 

「えッ、それってどういう───────」

 

アランはウインクして私から離れていった。

 

「待ってくださ~いッ!マイスウィートハニー!」

 

どうやら美里と桜井が到着したようである。さすがは南米の血が半分入っているだけはある。女の子には必ず口説きに入らなければならないと本気で思っているようだった。美里だけでなく桜井も口説きにかかったために、面白くない醍醐と緋勇が二人がかりで止めにはいる。蓬莱寺が美里から引き剥がしながら緋勇の後ろに美里を逃がした。

 

「oh......ナンデソンナトコニ、カクレールデスカ?」

 

美里は緋勇の後ろに逃げ込んで、腕を掴む。

 

「龍麻......ごめんなさい、助けて......」

 

とうとう美里が緋勇を呼び捨てにした。好感度の威力を感じる。あの美里が緋勇を名前で君付けなだけで蓬莱寺たちが一瞬驚くレベルなのだ、呼び捨てにした時点でにやにやが止まらなくなる。一瞬固まった緋勇だったが、大きくうなずいた。美里は不思議そうに瞬きしている。

 

「oh......NO!ユーは誰デースカ?どーしてボクとハニーの邪魔するデースカ?」

 

「見てわかんないか?葵が嫌がってるからだよ」

 

緋勇は美里を隠しながら自己紹介した。緋勇に呼び捨てにされた段階でようやく自分が先に呼び捨てにしたのだと気づいたらしい美里が顔を真っ赤にしたまま固まってしまう。

 

「ォーッ、そんなコワーイ顔しないでくださーいネ。ボクの名前はアランクロード、いいマース。聖アナスタシア学園高校の3年生デース。ユーたちは、ボクのsweethoneyと1体どういう関係デースか?」

 

「大切な仲間だし、友達だし、それに......」

 

「oh......Jesusッ!ボクはただ、彼女と話がしたかっただけデース。迷惑かけるつもりなかったーネ......」

 

「あっ、あの野郎、決定的な言葉聞く前に遮りやがったぞ」

 

「NOッ!!それは誤解デースッ!レディたち逃げるからボク追いかけた。見失いたくなかったデース。やっと会えたボクの理想のヒトッ!!お願いデース。名前、おしえてくださーいネッ!please!」

 

「み、美里です......美里葵......」

 

「COOLッ!アオーイっ!!名前までbeautifulネッ!!アオーイッ。ボク、ちゃんと覚えマシータ。ついでにユーたちの名前も教えてくださーいネ」

 

「野郎はついでかよ、気持ちはわかるけどさ。俺ついさっき自己紹介しただろ......」

 

緋勇は呆れながら、みんなのことを紹介して回る。

 

「ユーは初めてあった気がしませーん!よろしくネ!」

 

「葵狙いだろ、なんかしたらただじゃおかないからな」

 

「だから誤解デースッ!!これでみんなの名前はちゃんとおぼえマシータ。これでボクたちみんなfriendデース。Goodfriends、仲良しネッ!ボクが日本に来た本当の理由は、《鬼道衆》がやばいやつを呼ぼうとしてると聞いたからデースッ!つまり、ボクも仲間デースッ!」

 

「───────はあッ?!!」

 

満面の笑顔でとんでもないことを言い放つアランに緋勇たちがとうとう固まってしまう。

 

「詳しくはマキノに聞いてくだサーイッ!ボク、難しい話は苦手デース」

 

散々引っ掻き回した挙句になぜこのタイミングで私に振るのか、これがわからない。ウインクするアランに私は面倒ごとを全部押し付けられたことを悟った。みんなの視線が集中するなか、私はおずおずと真神新聞を緋勇に差し出して話を始めたのだった。

 

 

アランは一部始終の説明のあとに、補足する形で話を始めた。

 

そもそも村にきた調査隊が今思えばあやしかったのだという。一度だけ浅黒い肌の男がとある研究のために採掘をさせてくれと依頼に現れた。業者がはいり、現地に職場が生まれて村は潤っていったが、たまに人がいなくなる。地中から不規則に並んだ不気味な穴の遺跡が見つかり、70cmほどの円形の碑文が発見され、そこには《鬼道衆》が呼ぼうとしているやばいやつの復活に関する予言が刻まれていた。 だが、アランは具体的にどんな予言なのかは教えてくれない。

 

「ボクの親は《力》が使えるから村では発言権があったけど、そもそも遺跡の発掘自体に反対したから肩身が狭かったネ。ボクは絶対に碑文を見るなといわれたヨ。友達がこっそり教えてくれたから知ってるケド。その友達も、採掘に関わった大人たちも、夢とも現実ともつかない奇怪な経験をした結果、おかしくなっていったネ。そして、ボクもその話を聞いてから、無数のリュウグウノツカイに貪り食われて、深海に横たわる首になり、身動きが取れないまま深海で永遠に生き続ける夢を見たヨ。みたい?なら教えるヨ」

 

あまりにも具体的な悪夢にみんな聞こうとはしなかった。

 

「八年前のある日、事件は起こってシマッタヨ。業者がそいつを復活させようとしたンダ。儀式は失敗したケド、ボクの村は滅んだし、《力》に目覚めたボクだけが生き残ったヨ。キドーシューってやつがなにかわからなかったから、ずっと日本語勉強してたネ。依頼者は浅黒い肌をしてたが、日本人だったヨ。今度はボクが教えてほしいネ。キドーシューってなに?」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖43

 

「みんなに案内したいところがアリマースッ」

 

アランがそういって案内してくれたのは、江戸川大橋だった。

 

「キドーシューの奴らはいつも、この真下から現れマース。忍びはホントにクレイジーネッ」

 

そういって案内しようとしたアランの真横をクラクションを全開にした車が横滑りになって飛び込んでくる。私たちはあわてて逃げ出した。轟音がした。壁に激突して黒煙を上げているひしゃげた車からなにかが走り去っていく。

 

「あいつら......ボクが邪魔するからッて、とうとう車を直接襲い始めたようデースッ」

 

私たちはあわてて車の中を覗きこんでみた。死後硬直が始まり始めた手があった。だらだらと血がしたたりおちている。

 

「追いかけるぞ!」

 

緋勇の言葉につられて私達は走り出す。あの人影は、間違いなく《鬼道衆》のものだった。追いつきそうな距離ではないが、見失うほど人外の速度でもない。なんとか影が消えたあたりをのぞいてみると、土手沿いに積み上げられた岩に人1人がやっと通れそうな程の隙間があった。

 

「アランがいってたのってここか?」

 

「そうデース」

 

「結構広そうだな、奥が見えない」

 

「やっぱあれかァ?こないだみたいに地下に洞窟が広がってて、結界を破るための儀式の祭壇とやべーやつ召喚する《門》が?」

 

「そうだろうな。よし、とりあえず今は準備してないから引き返して、今夜また真神前で集まろう」

 

緋勇の提案により、一度私たちは解散することにしたのだった。

 

 

 

 

 

夜になり、私たちは意を決して洞窟の中に足を踏み入れたのである。

 

「嫌な風が吹いてイマース。マキノもわかりますヨネ?」

 

「ここが───」

 

巨大な支柱はまるで鳥居のように鎮座していた。不気味な意匠の施された門は、青山霊園の地下とは違い、またある種異様な存在感を持ってそこにある。近づいていった先で、足元に描かれた巨大な魔法陣に気付いて固まる。

 

「きゃああああッ!!」

 

美里の悲鳴があがった。私も覚悟していたとはいえ、身体が震えるのを抑えることはできない。それは、23体にもおよぶ人間の身体だった。辺りに立ちこめる生臭さが、大量の血の匂いであることに気付いてしまった瞬間に、吐気が込み上げてきた。

 

水角と名乗った鬼面は私たちを笑い飛ばした。

 

「ようこそ、常世の淵へ───────。また会ったわね、あんた達。鬼道五人衆がひとり、我が名は水角。我らは鬼道を使い、外道に落ちしもの。幕末の世より蘇り、この世を闇に誘う者」

 

水角は思いの外若い女だった。あの時、不気味な歌をうたってきた時とは違う。これが人間の形態なのか、あの時も誰かを降ろしていたのか。人間なら私たちとあまり変わらない気がする。緋勇たちも戸惑っているようだ。

 

「まさかお前があの時の人魚か?」

 

「人の裸見といてそれ聞くの?しつこい男は嫌われるわよ。ねえ、人の首がもつ意味を知ってる?人間がものを見るのは何処?人間がものを考えるのはどこ?人間が......痛みを感じるのはどこだと思う───────?」

 

「まさか」

 

「人間の後頭部には全てが集まってるでしょう?鋭利な大気の刃に切断された頭は肉塊とかした己の身体を見る。最後の最後の瞬間まで───────じわじわと込み上げる苦痛と死への恐怖に蝕まれ続けるのよ。そして、最後に残るのは、切り落とされた頭一杯に詰まった恐怖と雪辱、生への執着。そして───────狂わんばかりに助けを求む、懇願の呼び声───────ッ!!それが《門》の封印を破り、常世より混沌を呼ぶ声となる」 

 

人間の儚い命を弄び、その生への焦がれを嘲る態度に、私たちの憤りは耐え難いまでに膨れ上がった。酷い瘴気が立ちこめ、ねっとりとした風が「門」から流れ出る。

 

「目を閉じてくだサーイッ!!」

 

アランの声が響いた。

 

「直視したらいけまセンッ!みんな、みんな石になリマースッ!」

 

黒い邪気の向こう側にシルエットがみえた。巨大なアンモナイト状の体から触手が生え、顔は下顎に目が付いているという極めて奇怪な姿をしている。また、海に浸かった体からは鋏状の巨大な腕が伸びている。

 

私たちは目を閉じた。名状したがたきおぞましい声が洞窟中に響き渡る。悲鳴があがった。《鬼道衆》の忍びたちの声だ。次々に石になっていくのがわかる。

 

「───────ッ」

 

「《門》を......《門》をはやく閉じなくてはッ!ボクの村の二の舞にはさせまセーンッ!Go To Heavenッ!!」

 

すべてを葬り去るが如き壮絶な一撃がアランの霊銃から炸裂する。わずかに開かれた《門》の片方が強引にしめられた。あとはもう片方を閉じるだけだ。アランは《氣》を霊銃にこめて連射するが、もう片方の門から溢れ出した電流を伴った闇が全てを飲み込んでしまう。またひとり、飲み込まれた忍びの断末魔が響きわった。どうやら一瞬で即死させるらしい。

 

「うふふふふ。闇を見たものは希望の灯を消され、闇に触れた者はその肉体を姿なきものに変えられる。いずれこの闇でこの街を全て覆いつくしてくれるわ」

  

高らかに宣言した水角は印を切る。

 

「20万年前よりムー大陸の聖地クナアの中心部にそびえるヤディス=ゴー山の頂に眠りし神よ。12名の若い戦士と12名の娘を生贄にして、今こそ我が身に降臨せよ」

 

「なにをする気だ!?」

 

「まさか、自分に《鬼道》をッ!?」

 

私の言葉に信じられないという顔で如月がみてくる。だがそうとしか考えられない。

 

「変生せよッ!!流れ過ぎ、移りゆく世の理から外れ、我が身、我が血潮に込められし外法の理を今解放せん───────ッ!!」

 

私は身の毛がよだつような恐怖に襲われた。あれは方陣だ。本来2人で行われるべき方陣だ。《外法》によりたくさんの人間を《鬼》に変える方陣のはずなのだ。九角の人間と配下の家系の人間がいて初めて成立する《鬼道》であり、方陣のはずなのに、かの九角天戒ですらひとりでは出来なかった《鬼道》なのに水角は平然とひとりで行っている。対象は周りにいる忍びでも私たちでもなく───────。

 

私の《如来眼》が水角は《門》の向こうにいるであろう邪神の最後の生贄となり、この祭場に邪神を降臨させようとしているのだと知らせていた。水角の身体に邪悪な瘴気が降り注ぐ。

 

私は動いた。今しかないと思ったからだ。今はまさに地平線の上にアルデバランが上る夜だ。この洞窟に突入する直前に忍ばせていた黄金の蜂蜜酒と秘薬をとかしたものを飲み、魔法の石笛を吹く。緋勇の装備しているエルダーサインが輝いた。誰もが目を閉じている今がまさに好機だった。

 

《いあ!いあ!はすたあ!はすたあ くふあやくぶるぐとむぶぐとらぐるん ぶるぐとむ あい!あい!はすたあ! 》

 

この世界に来てから何回唱えたかわからない《アマツミカボシ》が信仰する神の賛美歌。この召喚方法に応じる人間の明確な資格や条件は不明。少なくともハスターと敵対していないことが必要であるらしい。また、ハスターと敵対する神性や勢力に対し攻撃を加える目的であれば、応じてくれやすいようだ。

 

私は祈った。一心不乱に祈った。私のまぶたの向こう側に黒い影が横ぎっていった。

 

「───────ッあああ!」

 

水角の悲鳴が上がった。呪文がとまる。なにかがはじき飛ばされる音がして、私は目を開けた。水角が石の壁に激しく撃ちつけられ、呻いているのがわかる。

 

私の傍にはカラスでもなく、モグラでもなく、ハゲタカでもなく、アリでもなく、腐乱死体でもない怪物がいる。蟻または蜂と翼竜を掛け合わせたような怪物だ。

 

体長2・3メートルの巨大な怪物で、真空でも生きていられるほど生命力が強い。一見蟻のようだが触角は短く、人間のような皮膚と目、爬虫類のような耳と口、肩と尻の付根辺りにそれぞれ鋭い鉤爪が付いた手足を左右2本1対ずつ持つ。尻には「フーン」という磁気を操る器官があり、これを使って飛行する。

 

地球の大気圏内では時速70キロメートル程度だが、それだけだせれば充分だった。

 

「ありがとう、バイアクヘーッ!」

 

たしかに祈りは届いたようだ。私の言葉がわかるのか、バイアクヘーはうなずくような仕草をした。

 

「一緒に戦ってくれますか」

 

返事は声でもってかえってくる。私の声に気づいたのか緋勇たちが驚いたり、悲鳴をあげたりする声がしはじめた。

 

「《門》はまだ完全に開ききってはいませんッ!みなさん、まだ間に合います!この子は私が呼んだ子です、大丈夫、味方ですッ!水角が呪文を再開する前にはやく、はやくッ!」

 

最後は怒鳴りつけるような声になってしまったが、なりふり構ってはいられなかった。緋勇たちが戦闘体制に入ってくれる。

 

「邪魔だてをッ!」

 

忌々しそうに叫んだ水角は《外法》で次々と部下の忍びたちを《鬼》に変えていく。私も木刀を構えたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖44 鬼道完

私はただちにこの洞窟内の解析を開始する。

 

どろどろとした、固定をしらない闇がしみだし、粘着質性をおびてきた。やがてそれは身体のシルエットをつくりだし、立ち上がろうとしている。《門》の向こう側から這い出してきている全身が蠢くたびに無数の目がが開いては閉じる。触覚のようなものがざわざわと辺りを探っていた。

 

闇はいつしか地面に擦れた部分に水泡を立ってはグズグズと音を立ててはじけ、腐った肉汁のようなものが流れ落ちて、見る者を嫌悪感で震え上がらせる。そして一瞬でも触れた者を即死させる霧を発生させていた。

 

《門》をはやく閉じなくてはならない。だが直接閉じるには距離があり、水角と変生させられた《鬼》が行く手を阻む。

 

「みなさん、毒に汚染されている足場は変色しています。《門》の周りは瘴気に包まれていて、触れたら即死、向こう側を直視したら石化します。注意してくださいッ!」

 

私の解析結果にみんなから返事が聞こえる。緋勇は遠距離攻撃を得意とする仲間に声をかける。《門》を閉じるチームと水角たちを倒すチームにわかれることになった。アランは私の瞳が奇妙な虹彩を放っているのに驚き、まじまじと見つめていたがニヤリと笑った。

 

「それがマキノの《力》デスカッ?」

 

「はい、私の《力》は《氣》をみたり、大気を操作したりすることができるんです」

 

「なるほど。ボクの《青龍》の《力》が活性化しているのはそのせいですネッ!」

 

「やってみますか?」

 

「オーケイッ!」

 

「大いなる白き沈黙の神よ、その身を全てを切り裂く刃と変えて我に力をッ!」

「Be wind,Change in the tusk,and ruin an enemy!! 」

 

「「封神風吼方陣!!」」

 

地面に叩きつけるようにして魔の風を送り込むと、地を這いながら走る《氣》が、遠方の《鬼》を切り裂き、後方へと吹き飛ばした。そして、《門》が揺れる。衝動は走ったようだがまだ足りないようだ。

 

「なんだなんだ、面白そうなことやってるじゃねェかッ!」

 

食いついてきたのは雨紋だった。

 

「どーもセンパイ方とオレ様の《氣》は相性がわりぃみてーで、方陣となると置いてきぼり食らってたんだよな。アランとは気が合いそうだが、どう思う?槙乃サン」

 

「よくわかりましたね、雨紋君。どうやらお二人の《氣》は相性がいいようですよ」

 

「よっしゃ、槙乃サンのお墨付きなら発動しなかった、なんてショッパイことにはならなさそうだ。試してみようぜ!」

 

「WOWッ、面白そうネッ!」

 

「さて、オレ様とお前の意気がピッタリなとこ、見せてやろうぜ、アラン」

 

「オーケー、ライト。こっちは準備バンタンネ!!」

 

「よしっ、いくぜッ!!」

 

雨紋の見立てどおり、霊銃に電気を伴った《氣》が融合し、新たな効果をえて《鬼》たちを吹き飛ばしていく。そして、そのまま雷撃が衝撃波となって《門》に叩きこまれた。

 

「「ドラゴン・プラチナス!!」」

 

あと少しだ、あと少しで《門》が完全に閉じられる。

 

「小蒔ちゃん、アラン君と方陣をお願いします」

 

「ええエッ!?ボクもなのッ、なになに、アラン、みんなの《氣》と相性良すぎない?ボクは全然気が合う予感しないんだけどッ!?」

 

「オーライ、プリティガール!!サア、ボクの胸へ!!」

 

「まったく、こんな時になにいってんだよッ!!そんなことより、しっかり狙い定めてよッ!!」

 

「OK、コマーキ、ボクのガンさばき、信じるネ!!」

 

「へへッ、ボクも火龍の力、みせてあげるよッ!!いッくぞォ~ッ!!」

 

「「フレイム・スナイパー!!」」

 

火が轟いた。風の《力》により威力が増幅し、勢いよく《門》に襲い掛かった。があぁぁん、と轟音が響いた。《門》はとじられた。

 

「よかった......よかったヨ......一夜にしてあの黒い煙につつまれるのは、ボクの村だけで充分ダヨ......」

 

「まだよ~、無理やり召喚の儀式を中断するだけじゃダメ~」

 

「What?」

 

「そうですね、ちゃんとお帰り願わなければ」

 

「ミサちゃんも手伝うわ~」

 

「ありがとうございます、ミサちゃん」

 

「でも~、2人の魔力だけじゃ足りないかも~」

 

「えっ、あの、ミサちゃん?」

 

「なんかすっげえ嫌な予感が......」

 

「???」

 

「ごめんなさい、みなさんの魔力をお借りします」

 

「うふふふふ~、槙乃ちゃん、あの《門》くぐったことあるもんね~。起動の仕方知ってるもんね~。あの増幅装置に魔力を込めればいいんでしょ~?」

 

「そうです。いきますよ、ミサちゃん」

 

私はうなずいて呪文をとなえる。裏密が、嬉々として輪唱する。私たちの足元に光彩の魔法陣が現れた。

 

「それじゃあ~、始めるよ~」

 

「ちょッ、ちょっと待ってくれ、裏密サンッ!」

 

「槙乃、槙乃っ、待ってってば~ッ!」

 

「oh......クレイジーガールたちネ......ボクはそろそろ......」

 

「てめェ、アランッ!どさくさに紛れて逃げんじゃねェよッ!」

 

「うふふふ~」

 

「みなさんの《陽の気》があれば、いけます!」

 

「この魔方陣に流れ込んでくる~」

 

「かッ、身体の力が抜ける......」

 

「吸い取れ、吸い取れ~、どんどん吸い取れ~」

 

「みなさんの犠牲は無駄にはしません!」

 

「犠牲っていっちゃってるしィッ!!」

 

「めっ、眼が回る~」

 

「邪神退散ッ!」

 

「真・六芒魔法陣~」

 

吹き上げられた無数の光の螺旋が豪雨となって《門》に降り注ぐ。恐ろしいまでの威力と、神々しいまでに輝く光。

 

「う~ふ~ふ~」

 

裏密は恍惚とした笑顔を浮かべる。私は《門》が完全に沈静化するのを見ていた。一気に魔力を奪われた桜井たちがぐったりしたまま倒れているが必要な犠牲だった。

 

 

 

 

 

 

鬼の面が砕かれる音がした。

 

「───────ッ!!この《氣》はッ、まさかッ!!」

 

私は先程まで水角を満たしていた邪悪な《氣》が退散し、覚えがある《氣》を感知して振り返った。そして駆け出す。そこには普通の女性がいたものだから緋勇が固まっている。まさかここまでの惨事を引き起こしたのが同じ《力》をもつ女性だとは思わなかったのだ。《力》に目覚めた大人にあうのは初めてだった。それは私も同じである。

 

今の今まで霊氣の込められた水晶を核に《鬼道》により蘇生した遺体に《怨霊》を入れたのが自称《鬼道衆》だと思っていたのだ。まさか生きている人間だとは思わなかった。

 

「なんでですか!?嘘でしょうッ!?どうしてですか、那智さんッ!?那智真瑠子(なちまりこ)さんッ!?!」

 

私の叫びに凍りついたのは如月だった。

 

「槙乃、こいつのこと知ってるのかッ!?」

 

緋勇が叫ぶ。私はうなずいた。

 

「《鬼道》を扱える家系はそう多くはありません。もしかしたらと思って《氣》を見せてもらったことがあるんです。《鬼道衆》とは似ても似つかない《氣》だから安心してたのにッ!!そもそも水角の家系と那智さんは関係ないはずなのに!!」

 

「邪神の《氣》でカモフラージュしてたのか......!?」

 

緋勇たちに衝撃が走っている。

 

水角は那智の先祖ではない。雹という気位が高く、他者に心を許さない冷ややかな雰囲気の美女のはずだった。水を操る『力』を持つほか、人形を生き物のように操る巨大なからくり人形・ガンリュウに常に抱かれて移動していた。これは、かつて幕府に自らの一族を滅ぼされると共に、彼女自身も歩行の自由を奪われた過去を持つためである。

 

那智家は、150年前に実在した《鬼道衆》の桔梗という妖艶な雰囲気を漂わせる美女を先祖に持つ。彼女は九角天戒に深く忠誠を誓いその側に仕えていて、安倍晴明と女狐の間に生まれた女性で、陰陽道や外法に関する卓越した知識と技術を持っていた。水とはなんの関係もない。《力》としても親和性はないはずだった。一体どうなっているんだ。

 

子孫の那智真瑠子は、小田原の大学に通う普通の女子大生だった。当時祖父につれられて現れた中学生の九角天童に惹かれ、《鬼道》の研究に勤しむため通う九角とやがて一夜限りの関係をもった。子供を身ごもった直後に天童が緋勇たちに倒され、改心直後に柳生に粛清されて死んだのだが、その事情を知らされないままストレスのあまり子供が死産。親友が九角とあったことがあることを知り、嫉妬のあまり殺害。子供と愛する人間を一度に失って発狂した彼女は《陰の鬼道書》を入手して禁術に手を出し、さらなる悲劇を巻き起こす運命にあった。

 

だからこそ10年前から九角側に警告をしてきたのに。まさか九角天童と共に柳生側についたのだろうか。一体なにが......。

 

 

「ふふッ......その名前で呼ばれるのは、久しぶりだわ......」

 

那智は私をみて笑った。

 

「あんたね......あたしの家に《鬼道衆》を復活させたやつがいるから、気をつけろっていってくれたのは......」

 

「───────どうして、どうしてですかッ!?」

 

「《鬼》を......」

 

「え?」

 

「《鬼》を孕んだからよ......。あたしは知らないっていったのに、なにも知らないっていったのに、誰も信じてはくれなかった......那智家から追い出されたのよ......」

 

「そんなッ!?」

 

「むしろ、殺しにきたわ......。あたしは逃げるしかなかった。恋人すらいたことがないあたしが、一体誰の子を孕むっていうのよッ......深海に眠る邪神を召喚する悪夢ばかり見せられて、気が狂いそうだっていうのにッ!!」

 

那智は泣き出してしまった。

 

「《鬼》を産んだあたしは人間じゃなくなっていったわ。水の中でも呼吸ができる、おぞましい人魚に近い形へと姿を変えていったのよ。もはやあたしは魚も同然だわ。魚は陸では生きられないのよッ!!今なお邪神からテレパシーが送られてくるッ!知らない間に町の人を誘拐したり、殺して食らったり、ルルイエの悪夢を見て苦しんだわ。もう、もう疲れたのよッ!あたしはもう、もうッ!!!」

 

「那智さんッ、落ち着いてください、落ち着いてッ!!」

 

「もっとはやく、もっとはやくアンタ達に会いたかった......もうあたしはダメよ。もう無理なの。今やあたしはルルイエへの門を開くために身体が繋がってしまっているッ!あたしがいる限りどこかしらの《門》は開くッ!これ以上のシンクロと犠牲を防ぐために人魚たるあたしを殺さなきゃならないわ。ほら、はやくしなさいよ。手遅れになる前にッ!!!」

 

絶叫する那智を私はだきしめた。

 

「《如来眼》でわかるでしょ?あたしはもう手遅れなのよッ」

 

「那智さん......」

 

誰もが動けない中、私たちのところに歩いてきたのは美里だった。

 

「那智さん......」

 

「あんたが美里葵ね......噂には聞いているわ。気をつけなさい、《鬼道衆》はアンタを血眼になって探してるわよ」

 

「えっ」

 

「《アマツミカボシ》すらなし得なかった《鬼道》の完全なる解呪なんて脅威でしかないもの」

 

「......」

 

美里は足をついて手を握った。

 

「なんのつもりよ」

 

「......やってみます」

 

「無茶いうわ...... 那智家の《鬼道》ですら治癒しなかった呪いをどうやって解呪するっていうのよ。さすがにアンタでも無理よ......」

 

那智は殺されることでしか救いがないと思い込んでしまったために赤い髪の男に取り込まれ、ここまでの凶行に及んだらしい。女子大生にふりかかった陰惨すぎる悲劇に誰もが息をのんだ。

 

「今だって誰かから呼ばれているような気がするのよ。下手な真似はよしなさい、あんたまで目をつけられるわよ。あたしだっていつまで正気でいられるかわからない。大いなるクトゥルフの一部である本性を隠しきれなくなるのも時間の問題だわ。自覚のないまま人類を殺戮する化物に成り果てる前に殺しなさいよ。ほら」

 

「黙っていてください」

 

「......」

 

「槙乃ちゃん」

 

「わかりました。やってみましょう」

 

「......」

 

那智は黙り込んでしまう。柔らかな光が洞窟内を明るく照らしていく。如月が救急車の手配をするために携帯を取り出して外にでていく。蓬莱寺たちは赤い髪の男の残忍さに苛立ちを隠しきれず、岩を砕く音が響いたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

祭り1

時諏佐愛との関係を問われたとき、適切な関係を端的に表す言葉を僕は未だに見つけられないでいる。

 

まず前提として時諏佐家と如月家は昔から親しく往来し互いの生活に干渉し合っていた。特に時諏佐先生と僕の母は恩師と教え子の関係だったし、時諏佐先生は僕の祖父に《宿星》と《鬼道》の戦いの歴史を師事する立場だった。《如来眼》という《宿星》として、時諏佐家は代々柳生との戦いに備えて《宿星》の継承者をいち早く見つけ出して保護しながら《力》に覚醒するまで鍛錬するという一連の流れの中枢にいた。如月家は東京を守護するというお役目と《玄武》という北を守護する《宿星》のため、北東に位置する《鬼門》の異変にいち早く気づく。ゆえに自然と繋がりが強化されていったと聞いている。

 

年齢のひらきのある者が、桶の中の芋のようにもまれて、思いがけない友人関係ができてくるのは、かけがえのないものだ。そういって祖父は特に交友関係を制限はしなかったのだが、飛水流忍術を皆伝して先代店主が行方不明になってからは如月家最後の一人である僕に次なる戦いの責任ある立場が重くのしかったために、ろくに学校などいく機会はなかった。

 

東京中の結界と霊的な守護を脅かす者がいないか巡回し、飛水流の技術を磨き、骨董商を営みながら情報収集をして長年積み上げてきた繋がりと共有する。それだけであっという間に時間はすぎてしまう。

 

そんな僕の周りには若い世代の人間がほとんどいなかった。双子巫女や愛さんをのぞけば老人、あるいは大人ばかりだった。同年代の同性の友人が出来たのは初めてだから緋勇君たちには感謝しかないわけだが、それはおいといて。

 

双子巫女は幼馴染と言っていいのかもしれないが、愛さんは出会ったころから今の姿だから幼馴染にくくるには少々違和感がある。8歳当時の僕に愛さんは幼馴染かと聞いたなら、間違いなく違うと返ってくるはずだ。祖父の年の離れた友人、もしくは時諏佐先生の娘さん、お姉さん、そう親戚のお姉さんのような関係だった。

 

いつしか翡翠君から如月君に変わったことに気づいたのは、僕が愛さんの身長を追い越したころだ。大人のお姉さんが幼馴染になっていた。なのになんとなく距離ができた。

 

最初こそ寂しかったが世間一般でいう思春期に入ったから僕に気をつかっているんだろうと今なら思う。祖父から愛さんの複雑な事情を聞いてからは九角という男に操を立てているんだろうと勘違いをしてしまった訳だが......。正直僕は愛さんが恥ずかしがっているんだろうと思っていた。

 

水角の正体が那智家の少女だと発覚した時の狼狽ぶりから、僕はようやく本気で愛さんはこの戦いで全てに決着をつけるためだけに10年間必死で手を尽くそうとしたのだと知ったのだ。あまりに精神的ショックを受けて数日寝込んでしまったと時諏佐先生から聞いて心配になった僕は聞いたのだ。

 

そしたら、愛さんの来た世界では彼女は5年後に柳生の引き起こした悲劇による連鎖で精神に異常をきたし、今は愛さんの計らいで東京から離れている《鬼道衆》の家系の子供達を戦いに巻き込んでしまったというではないか。

 

愛さんは柳生の戦いだけでなく、そこから派生する悲劇すら回避しようと足掻いていたのだ。

 

僕は本気で凹んでいる愛さんを励ますのに精一杯だった。

 

たしかに僕と愛さんは家族の一員と言っていいくらい、何の気兼ねも要らない仲がいい関係だろう。互いに気を許した間柄だ。共に行動することが自然で、心から楽しんでいる。それ以上であっても、それ以下であってもならない。正五角形が長さの等しい五辺によって成立しているのと同じように。

 

遠慮のいらない、自分の延長線上にあるような存在である。手足と同じだ。そこには自他の区別がない。だから自分が起きていれば、相手も起きているはずだという思いこみがある。

 

そもそも普通を知らない僕が普通に話せるという感覚を会得するのは本来とても難しかったはずだ。笑わせようとか、盛り上げようとか、沈黙が気まずいとか、そういうことを一切気にしなくていいような、心拍数の変動が全くないような普通の会話ができる相手は、きっと、すごく、貴重だった。あたりまえだとどこかで思っていたのだ。

 

だから、裏密さんが《門》をくぐったことがあるから、運用方法がわかっているだろうと聞いたとき、愛さんがなんの躊躇もなくうなずいたことに僕は僕が考えていた以上の衝撃を受けるのだ。あの恐るべき邪神たちがくぐった《門》を愛さんは通ってこの世界にやってきて、全てを終えたらまたくぐって帰るつもりなのだ。そう突きつけられた。

 

同じ事件を追いかけているのに、ここまで見える景色が違うのだ。きっと僕はそのたびに今みたいになにもいえなくなるに違いない。そして思考を放棄して先延ばしするのだ。お礼がしたいから考えておいてと笑う愛さんにその先がいえないように。

 

そのたびに僕は思い出すのだ。祖父から受け継ぎ、先祖から脈々と受け継がれてきた飛水家の使命を果たすこと。この僕だけが受け継いだもの。飛水家のお役目。玄武の力。忍として身につけた技と、精神力。そして祖父の言葉を。

 

「忘れるでないぞ、翡翠。決して心たやすく動かされるな。迷いを見透かされるな。お主は、この東京を守護する最後の「飛水」なのじゃ」

 

ならば、そのお役目を果たすのになくてはならない人がいなくなり、お役目に支障をきたしかねない未来が迫っている場合、僕はどうすべきなのだろうか。ふとそんなことを思った。

 

 

 

 

 

 

 

「如月君、これ、どこに置いたらいいですか?」

 

暦の上では秋が近づいてきた八月下旬だというのに、今日も東京はあっさりと真夏日を記録していた。祖父の言葉にふと思いを馳せていた僕は、日干しにするよう伝えた。

 

如月家の蔵の掃除は1年に1度の恒例行事である。一人暮らしの僕では何日かかるかわかったものではないので、見かねた愛さんや神社の男衆が総出で手伝ってくれるのだ。残念ながら双子巫女は揃って部活の大事な交流試合であり、今年は不参加である。愛さんは龍麻たちの仲間になってくれるよう声をかけるつもりだったのか残念がっていた。

 

明らかに何か小動物が暮らしていただろう痕跡が所々にあることに憤慨する。どこかに隙間があるらしい。去年も修理したのにまたやられたようだ。僕を宥めながら愛さんは僕の指示通りに古美術品を出していく。日干ししたり、陰干ししたり、修理に出したり、処分したり、それだけで一日がかりだ。そして如月邸の一室にまとめ、次の日は1年分の塵や埃を大掃除である。数日がかりで蔵の掃除を終えた僕は、来てくれた人達にお礼を渡し、お見送りしたのだった。

 

「愛さんもありがとう」

 

「いえ......今は体を無心に動かしたい気分だったんで構わないですよ。そちらの方が気分が紛れるといいますか......」

 

「そうかい?なら......ものは相談なんだが、手伝って欲しいことがあるんだ」

 

「はい?なにかありましたっけ?」

 

「ああ、もうすぐ江戸の三大祭りだろう?」

 

「えっ、8月にありましたっけ?」

 

「深川祭りを神田祭の代わりにいれる場合があるのを思い出したんだ。鬼門とは関係なさそうだが、《鬼道衆》のことを考えるとなにもないとはいいきれない。たしかに山王祭と神田祭の二つは天下祭と呼ばれる盛大な祭りだが、もう過ぎている。深川八幡祭りと三社祭どちらを入れるかは意見がわかれるところだろ?」

 

「た、たしかに......言われてみればそうですね。なんで思いつかなかったんだろ」

 

 

深川八幡祭りは、富岡八幡宮(東京都江東区深川)の例大祭で、本祭りは3年に1度の8月15日を中心に行われる。富岡八幡宮は「深川の八幡様」と親しまれる江戸最大の八幡宮で、「神輿深川、山車神田」といわれたように、神輿振りが見どころだ。神輿の数は120基を超え、中でも大神輿ばかり54基が勢揃いして練り歩く「連合渡御」は圧巻。沿道の観衆から担ぎ手に清めの水が掛けられ「水掛け祭り」としても知られている。観衆も担ぎ手も一体となって盛り上がる熱い祭りだ、《鬼道衆》がなにか企むには格好の舞台のように思えたのか、愛さんはうなずいた。

 

万が一、その清めの水の飛び交う中、那智のように《水》の《力》を無理やり付与された人間が蟲の活性化する夕方に紛れ込んだらどうなるか。

 

「毎年200軒近い屋台が出るだろ?富岡八幡宮と永代通りに集中しているし、子供向けの屋台が多い印象だ。もし狙われるとしたら......」

 

「見回りした方がよさそうですね。なにもないならないで、普通に楽しめばいいですし。もうすぐ夏も終わりですもんね」

 

「愛さんもそう思うかい?よかった。龍麻君たちに連絡をよろしく頼むよ」

 

「そうですね。濡れてもいい服装でわかれて巡回した方がよさそう」

 

「そうだな」

 

その時はてっきりいつものように制服か私服だと思っていたのだが。龍麻君たちに話が回るうちに女性陣が盛り上がってしまい、なぜか昨日の夜になっていきなり浴衣による強制参加になってしまったと愛さんから連絡が入った時には笑ってしまった。

 

「なるほど、だから今日になってわざわざ僕のところに泣きついてきたと」

 

「ま、まさか浴衣だとは思わないじゃないですかァ......」

 

「桜井さん達の気持ちもわかるよ。僕のように日常的に着ている人間は少数派だし、普通はこんな時でないと着られないからね。時諏佐先生が卸してくれたのか?立派な浴衣と帯じゃないか。自分で着られるだろう?」

 

「……着れないから来たんですが、それは......」

 

ちょっと吹き出しつつ、愛さんをみる。

 

「意外だな…......。君は器用だと思っていたんだが、着物は着慣れないのかい?」

 

「……あまり…......着ないです......」

 

「おかしいな、何度か着物姿の君を見たことがある気がするんだが......」

 

「今日に限っておばあちゃんお出かけだし、お手伝いさんもおやすみなんですよ......」

 

「ああ、盆休みというやつだな」

 

「はい......」

 

「時諏佐先生に習ったことは?」

 

「あるはずなんですが記憶に残ってないんです......」

 

「まあ普通はそうだろうな。日常的に着ないと忘れてしまうだろうね。それにしても、あいかわらず君はテンパると距離を保つの忘れてしまうんだな」

 

「すいません......ほんとにすいません......着物といえば如月君というイメージしか浮かばなくてつい......」

 

いきなり桜井さんから電話がかかってきて頭が真っ白になってしまったとごにょごにょ言い訳をしている愛さんに僕は笑ってしまう。時諏佐家から僕の家まで最低でも30分はかかる訳だが電車に揺られている間正気に帰る瞬間はこなかったらしい。

 

「いつもの君しか知らない龍麻君たちが今のポンコツの君をみたら驚くだろうね」

 

「......ですよねー」

 

「仕方ないな、わざわざここまで来たんだから最後のチェックだけしてあげるよ」

 

「ありがとうございます、ほんとにありがとうございます」

 

愛さんは心底安心した様子で隣の部屋に消えた。しばらくして悪戦苦闘したんだろうなという痕跡がうかがえる姿で現れた。

 

「まあ......がんばったんじゃないか?」

 

「......あはは」

 

襟を直し、着崩れないように型を整えてやる。帯を回すために愛さんの身体に抱きつくような恰好になっても、じっと大人しく待っている。僕が気に過ぎているだけなのか、僕を信頼してくれている証なのか、奇妙な気分のまま支度を終えた。

 

「よく似合うよ、時諏佐先生のセンスは相変わらずだな。これくらい着れるようにならないともったいないよ、愛さん」

 

「......ほんとにそうですよね......がんばります......如月君もよく似合ってますね。新しいのですか?」

 

「ご近所付き合いというのは意外と大変なんだよ。まあ、僕は普段から着慣れているのでね、それもあるかもしれないが」

 

「なるほど」

 

「ちょっと待ってくれ」

 

「はい?」

 

「ところで愛さん、一応確認なんだがジャンバー用の防水スプレーは昨日のうちにやっただろうね?しないと悲惨な目にあうよ」

 

「..................」

 

「やってないんだね?」

 

「やるわけないじゃないですかァッ!昨日かかってきたんですよッ!?」

 

「なんで僕にその時点でかけてくれなかったんだ。そしたら教えてやれたのに」

 

「寝る前だったので頭が回らなくてですね」

 

「まあまあ落ち着いてくれ、普通はそうだよ」

 

「どうしましょう......ええ......」

 

「僕ので良ければ貸すよ。女性でも着れそうなものがないか探してみよう。僕は《力》の関係でかかさないから」

 

「ほんとですかッ!?ありがとうございます、如月君!!」

 

「待っててくれ、なにか見繕ってくるよ」

 

さてどうしようかとわりと本気で悩みながら僕は桐箪笥の部屋に向かったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

祭り2

鏡の前でまじまじと愛さんが自分の姿を見つめている。

 

「てっきり旅館でよくある安いやつかと思ってました」

 

「たしかに男女兼用の浴衣も泊まり客用にあるが、さすがにそのまま外は歩けないだろう?」

 

「えっ、じゃあ如月君が着て......?」

 

「そんなわけないだろ」

 

「なんで防水スプレーを......?」

 

「近所の商店街のおばさま方からよく頼まれるんだ。付き合いで何着か母が買ったはいいが、タンスの肥やしになっていたものを貸し出すのが毎年恒例なだけだよ」

 

「なるほど......なるほど?」

 

「いい商売になるんだ」

 

「あー、なるほど。着付けしてあげて、貸し出すんですね。如月君目当てなら人気ありそう」

 

「そういうことだから気にしなくていいよ」

 

 

 

最寄り駅の門前仲町駅で降りればすぐにお祭りムードに染まった富岡八幡宮に出会うことができる。

 

神社の境内から溢れ出した出店には、どこから沸いたのか不思議なほど人が集っていた。中の方からは大音量で音頭が流れてくる。太鼓は実際に誰かが叩いているらしい。子供の泣き声や喚声が混じる。賑わっているようだ。

 

愛さんはゆっくりと辺りを見渡している。普段通り、その表情は楽しそうだが緊張感は途切れる様子はない。ごった返す人の中、縫うように中へ進む。

 

 

ふいに愛さんが立ち止まった。僕も耳を澄ます。今、音楽と人々の喧騒の隙間をぬって届いたのは悲鳴だった。子供の悲鳴ではない。女性の悲鳴だ。盆踊りの会場となっている境内とは反対側の方から聞こえた。

 

僕は走り出した。愛さんも後ろから付いてくる。嫌な予感は的中した。

 

社務所の裏手の小さな林の中、掠れた悲鳴を上げ続けている浴衣姿の女性が、あられもない恰好で座り込んでいる。その連れと思われる若い男が倒れている。

 

鬼面の者どもが三人。こちらに気付いて、忍刀を構える。考えるより先に手は動いていた。即座に印をきる。那智の事件で被った精神的な被害からまだ立ち直って間もない愛さんたちのために提案した祭りの巡回だった。まさか本当に現れるとは思わなかったのだ。よりによってこんなタイミングで現れるとは本当にふざけた連中である。

 

「飛水影縫」

 

この術を前にした敵はいかなる防御も不能となる。言霊を利用した手裏剣術だ。影を手裏剣で縫いとめ、相手を動けなくする。そこに水を纏った僕は《力》を放った。

 

「水裂斬ッ!」

 

吹き上がる水の柱で相手を絡め取り水柱もろとも相手を断ち斬る。雑魚でしかなかった忍びたちを屠る。愛さんが来る頃には全て終わっていた。

 

「......失神してるだけですね、お楽しみ中に襲われたのかなァ......」

 

愛さんは困ったように笑っている。倒れていた若い男女は失神しているだけだった。二人の衣服の乱れは、どうやら《鬼道衆》どものせいではなかったようだ。

 

「神社の境内でこんなことをするからだ、罰当たりめ。愛さん、人がこちらに集まってこないうちに逃げようか。社務所の人達が気付いたかもしれない」

 

「2人はどうします?」

 

「放っておこう。外傷はないんだろう?なら直に目を覚ますさ。怒られて懲りた方が彼らのためだよ」

 

「せっかく来たのに遠回りで再入場かあ......」

 

「まったく迷惑な話だよ」

 

僕達は愚痴りながら神社の敷地内をぬけ、ふたたび出店がひしめきあっている通りに戻る羽目になったのだった。

 

「さすがですね、如月君。《鬼道衆》、当たりました」

 

「当たって欲しくはなかったけどね」

 

「ほんとですね......龍麻君達にはやく知らせないと」

 

「あんな所で何をしていたんだろうな」

 

「うーん......?水角の時とは違う色をした鬼の面でしたね。緑色ってことは......」

 

「以前の事件で名乗りだけしたやつだったか?そいつの配下だろうね。深川祭を台無しにする目的だったんだろうか。無粋なことを企む連中だ」

 

「そんなに結界が破りたいの......?こんなに楽しんでる人がいるのに......」

 

愛さんは指先が白くなるまで手を握りめた。

 

「那智さんだけじゃない。無関係な人まで巻き込んで......ほんとになにがしたいのよ......。そんなにあたし達の《力》を活性化して《陰の氣》を活性化させたいの......?なにが目的よ、ほんとに......」

 

「そうだな。愛の言うとおりだ」

 

「え、あの、如月君......?」

 

こういうところが愛らしいと思う。やはり、やはりこの人は......。だからこそ僕は───────。

 

「あっ、槙乃ッ!如月クンッ!」

 

「小蒔ちゃん!」

 

「よかった、鳥居の前で待ち合わせだったのに2人とも来ないから心配してたの。無事でよかったわ」

 

「ほらいったろ?警察のあれは2人が《鬼道衆》のヤツらをボコッたんだろうから心配すんなって。な、龍麻」

 

「そうだな、でも来てくれてよかった。もっと遅かったら探しにいくところだったよ」

 

「やはり《鬼道衆》の仕業なのか?警察がきて騒ぎになっているようだが」

 

愛は説明するために龍麻たちのところにいってしまう。

 

「私がついた頃にはきさら......いや、翡翠君が......。そうですよね、翡翠君」

 

「ああ、そうだね。3人ほどだから密偵かもしれないんだが......」

 

僕は龍麻たちのところに向かったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

九角2

那智家は京都の旧家であった。旧家という言葉には昔から続いている由緒のあり、特定の土地に根づいているという意味が含まれている。旧家というからには、数百年に渡って、先祖代々受け継がれた土地に住んでいることが条件となる。

 

したがって、華族の家であれば、明治維新や戦後の時代背景によって、住居を移転していることが多いので、旧家ではない。こうした家は、旧家ではなく名家という。

 

平安時代の大陰陽家として名高い安倍晴明を始祖とする土御門家は、「陰陽寮」の長官を世襲していたのだが、応仁の乱などの戦火を逃れるため、京都を脱出、全国各地に逃げ延びた。そのひとつが和歌山に逃れ、那智家と改めたのが始まりだ。

 

那智には安倍晴明が二人の式神をもって魔物たちを岩屋に狩り籠めた。花山法皇が那智に籠ったとき、天狗が様々な妨害をしたので、安倍晴明を招き、狩籠の岩屋という所に多くの魔物たちを祀り置いた。その後、那智の行者が不法を行ったりなまけたりしたときにはこの天狗たちが怒るのでおそろしい。安倍晴明は俗人ながら那智で千日の修行を行い、毎日、滝に打たれた。などの伝説が残る地として知られている。

 

応仁の乱が終結後も戦乱の世は続き、豊臣秀吉が聚楽第を建設した際の政争に巻き込まれるのを恐れて一族がふたたび都落ちの憂き目にあった。那智家がようやく京都に帰ることが出来たのは豊臣政権が倒れてからである。那智家では今でも土御門家の遠戚にあたる子孫や系譜の人たちが暮らし、今も陰陽道の数々の儀式を脈々を受け継いでいる。

 

跡継ぎとなるため、真璃子は幼い頃から陰陽道や《鬼道》を叩き込まれて育ったのだという。

 

「あたしが14の時ね、いきなり小田原に住んでる親戚のところに行けと言われたのは。詳しくは教えてもらえなかったけど、なんとなく何かあったんだろうなとは思ったわ。7歳の時にも小田原に1年間だけいたことあるし。あの時とみんなの雰囲気が似てたからよく覚えてる」

 

那智はそのまま小田原の大学に進学し、本家に一度も帰ることが出来ないまま気づけば10年の歳月が流れていたという。

 

「あたしは那智家の古文書をありったけもっていったわけなんだけど、どう考えても避難よね。冠婚葬祭や正月なんかの季節の節目の行事すら親戚のところでやるんだから筋金入りよ。あたしは何も知らされないまま普通の女子大生になっていたわ。《鬼道》や陰陽道の依頼は受けていたから、二足わらじではあったけど」

 

去年の春のことだ。九角を名乗る老人が尋ねてきた。彼は密書を携えており、今年も真理を見通す《力》を持った時諏佐家から予言が届いたといいながら那智に渡した。

 

ここでようやく那智はかつて霊力が衰えていた一族を再興させた先祖が《鬼道衆》という組織にかつて属しており、徳川幕府に仇なそうとした過去があること。そのせいで本家である御門と縁が切れたこと。最終的に討伐隊と和解したあとに解散した過去があること。ここ10年の間に何者かがかつて《鬼道衆》にかかわった討伐隊の末裔を殺して回っていることをしる。

 

那智家はかつて討伐隊の中核だった家から150年振りに接触があり、疑われているのかと思ったら、何者かが陥れようとしているに違いない。冤罪を防ぐために用心してくれといわれて戸惑っていることをしるのだ。根拠はちゃんと記されてはいたのだが、150年間ろくに繋がりもないのに全幅の信頼をおかれ、10年前からずっと気をつけろと言われて半信半疑で和歌山に避難させているのだと。

 

聞けば九角はかつての《鬼道衆》の頭目であり、今は東京にいるという。わざわざ手紙を届けにきてくれた当主を那智家は当然のように歓迎した。大学生だった那智が知らなかっただけで10年間ずっと恒例の行事らしかった。わざわざ古文書を読み解き《鬼道衆》の一族を探して回ったのが始まりとのことで、九角家と繋がりが復活したのだ。

 

そして、その日の夜から那智はルルイエの悪夢に苛まれることになる。初めこそみんな心配してくれたのだが、那智家でも九角家でも解呪出来ない呪いにより異形を身ごもってしまった那智に対する目はだんだん恐怖にかわっていった。日に日に不気味な人魚に変生できるようになり、《氣》の属性が変質し、夜な夜な記憶を失ってはまわりに死体が転がり、血肉の味が残る日が増えていった。

 

いっそのこと気がふれた方が楽だったのかもしれない。那智の次期当主として期待され、幼い頃から真面目に修行してきたがゆえの精神の強靭さが完全に裏目に出てしまったのである。

 

《鬼道衆》由来の《鬼道》をつかう正体不明の殺戮者に怯えるあまり、誰か裏切り者がいるのではないかと心のどこかで思っていた家族すら助けてはくれなくなっていた。

 

そして、今年の4月。《鬼道衆》が復活したという手紙が九角から届けられたことで那智家は極度の恐慌状態となった。《鬼》を孕んだと叫ばれた。九角家には九桐家という《鬼道》を外部に持ち出して使用した者を抹殺する使命をになう分家がおり、那智も《鬼》を産む母体となったことで対象になってしまったのだ。

 

那智は家を追い出された。その先で那智は赤い髪の男に拾われることになる。そして異形を身篭る術をかけたのはその男であり、那智の《氣》を無理やり《水》に作りかえるためだったと知らされた。もはや殺戮兵器に変異するのは時間の問題。世にもおぞましい異形を産んでしまった望まぬマリアとなった那智は、水角の面を被ることになる。

 

「那智さん......私が尋ねた時には、もう......?」

 

「そうね。あんたがあたしの《氣》を調べさせてくれと直談判に来た時にはもう......。《鬼道衆》の復活の直後にきてくれたのにね......待ってくれやしなかったわ」

 

「どうしていってくれなかったんですかッ!!」

 

「言えるわけないじゃないの。那智のお家騒動にまで巻き込むことになるのよ?九桐家にまで睨まれてみなさい、真神に乗り込まれるわよ」

 

「それでも......」

 

「まあ、正直な話、あの時のあたしには正常な判断なんて出来やしなかったわ。10ヶ月も化け物孕んだお腹が大きくなっていく恐怖が迫り来るのに狂えない。周りは四面楚歌、一年に一度の手紙の送り主だけがあたしを心配してくれてるだなんて笑えるじゃない。狂いはしなかったけどまともでもいられなかったわ。そうじゃなかったら水角の面をとることはなかった。あんたの恩を仇で返すような真似しなかった」

 

「そんな......九桐家から具体的なアクションがなかったのは、まさか......」

 

「お家騒動なんて醜聞、外部にそうそう話せるもんじゃないでしょ」

 

那智は皮肉混じりに笑うのだ。

 

「で、あたしはどうやって罪を償ったらいいの?償いきれるとは到底思えないんだけど。正直な話、まさか生き残れるとは思わなかったわ。《菩薩眼》を《鬼道衆》が血眼になって探す訳よね。九桐ですらせめて人間のうちに殺してやるって介錯申し出られるレベルだったのに」

 

「そんなのは治ってからにおし」

 

巨体を揺らして現れたのは医院長だった。

 

「あんた若いのによくぞまあ廃人にならずに人間の感性保ったまま生き抜いてこれたね。たしかにアンタがしでかしたことは極刑に値するが、この世には情状酌量の余地って言葉がある。それに他ならぬ緋勇たちがあんたに生きることを望んでるんだ。今は治療に専念するんだね。それまでアンタの全てはうちの病院のもんだ。好き勝手することは一切許さないよ」

 

「......わかったわよ」

 

那智は肩を竦めた。私は口がからからに乾いている自覚があった。

 

「那智さん、九角という老人はいつも一人でしたか?」

 

「......?質問の意図がわからないけど、そうね。郵送だと誰が見てるかわからないし、内通者がいるかもしれないから一人で来たといってたわよ」

 

「そうですか......。九角についてなにか聞いていませんか?」

 

那智は首を振った。

 

「東京のどこにあるかは知らないわ。那智家の誰かが連絡先くらいは知ってるかもしれないけど、今となっては......」

 

「他の《鬼道衆》と会ったことは?」

 

「ないわね。他にいるとは聞いていたけど。指示はいつもあの赤い髪の男だったわ」

 

「九角ではなく」

 

「そうね、九角じゃなかったわ」

 

「そうですか......」

 

「やけに聞いてくるじゃない。あたしみたいに心配してるやつがいるの?」

 

「私たちと同い年の少年がいるはずなんです」

 

「名前は?」

 

「天童。九角天童君」

 

「知らないわね。会えてないの?」

 

「会えてないんです。1度も」

 

「1度も?それってヤバいんじゃないの?」

 

「私もそう思います......ああもう、なんでお家騒動になっちゃうのよ......それどころじゃないでしょうに......なんで誰も自分の家について調べようとしないのよ」

 

私の言葉に那智は不思議そうにいうのだ。

 

「なにいってるのよ、自分の家のことは自分が一番よく知ってるわよ」

 

「どこがですか。《鬼道衆》と討伐隊が和解したのは、柳生というあなたのかつての棟梁を倒すために団結したからですよ。あなたはハメられたんです。九角さんも九桐さんもきっとそう」

 

「───────え?」

 

「私、送りましたよ?時諏佐家や討伐隊の末裔に伝わる伝承をまとめた手紙」

 

那智は青ざめた。

 

「知らない」

 

「えっ」

 

「なによそれ、しらないわよッ!?九角はそんなこと1度も!!」

 

「九桐は?!」

 

「九桐とは1度会っただけでそんなに話してる間なんてないわよ。相手はあたしを殺しに来てるのにッ!!」

 

「まさか......九桐は他の家が失伝してることを知らないんじゃ......?」

 

「それよりおかしいじゃない。なんで九角はアンタの手紙を素直に渡してくれなかったのよ。それがわかってればいくらでも対処出来たのに!本家がそんな体たらくじゃ分家も表立って動けないわよ!」

 

私は青ざめた。1番あってはならない可能性が浮上したからである。

 

「───────まさか、九角の当主が握りつぶしたんじゃ......」

 

那智の悲鳴があがった。

 

「やめてよ......本気でシャレにならないんだけど......もしそうならあたしは今までずっと呪いかけた術士本人に治療を受けてたの!?やめてよ......」

 

今にも泣きそうな那智は心当たりがありすぎるようだ。私は話を聞くことにする。那智の治療には避けて通れないのは事実だから。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖45

「槙乃ちゃ~ん、ちょっといい~?」

 

それは夏休み中の登校日のこと、私は裏密に霊研に呼び出されていた。

 

「実は~、槙乃ちゃ~んの運勢を占ってみたんだけど~、死の暗示が出たの~。心当たりはな~い~?」

 

「ぐ、具体的にはどんな......?」

 

「真神学園の制服着てたから~、たぶんいつものみんながいる中ね~。槙乃ちゃ~ん、炎角にやられてたみたい~。水晶が割れちゃったから~、それ以上はわからなかったの~。ごめんね~」

 

裏密はいうのだ。まれにその人が亡くなる瞬間の映像が見える時がある。基本的には、亡くなるのが見えても、その本人には言わない。ただ、気を付ければ防げそうだと感じる時だけ、本人に忠告する。

人の運命は産まれる時に、死ぬ瞬間も決まっていて、それを変える事は出来ないと思われがちだが、忠告が功を奏して、助かる場合があるなら口にする。裏密ひとりの力じゃ、いち個人の運命までも救う事は出来ないのかしれない。そこにそれ以外の助けが加わった時、その人の死の運命は、回避出来るのだ。それが裏密の持論だった。今回はさいわいそれに値したとのこと。

 

「死ぬ瞬間が見える場合~、ほとんどが3ヶ月以内の出来事なのよね~。ただ~、今回はほんとに近い時期みたいだから気をつけて~」

 

「わ、わかりました......ありがとうございます。ミサちゃん」

 

「うん~、あたしも槙乃ちゃ~んが死んじゃうのは嫌だからね~。火に気をつけて~」

 

「正直心当たりしかないんですが......あはは」

 

「ひとりには~ならないようにね~」

 

「了解です......」

 

炎角が私を殺しにくるような直近の出来事として、まず浮かんでくるのは佐久間関連だろうか。美里が緋勇と急速に仲良くなり、それにイラついた佐久間は今年に入ってから謹慎処分と問題行動を繰り返している。そのうち退学になるんじゃないかとの噂もたつレベルであり、レスリング部として醍醐から話しかけられるたびに荒れているのを目撃している。

 

炎角に目をつけられた佐久間は《鬼道》により《力》をあたえられ、桜井を襲撃して人質にとり、醍醐ひとりを真神学園に呼び出して戦うことになる。桜井がナイフを突きつけられて人質にされた醍醐の怒りが頂点に達した時、醍醐に眠る《白虎》の《宿星》が覚醒状態となり、《鬼》に変生してしまった佐久間を殺害してしまうのだ。醍醐は覚醒中の記憶がないため、佐久間が《鬼》になったことを覚えておらず、気づけば佐久間を殺していた。人としてしねただけマシだったのだが、醍醐は佐久間を勢いあまって殺したと勘違い、真面目実直な醍醐に耐えられるわけもなく、桜井の目の前からいなくなり、消息不明になる。そして数日後、登校してきた桜井から事情を聞いた緋勇たちは醍醐の行方を探すことになるわけだ。醍醐は師匠のもとに身を寄せていたのだが、その先にいるのが炎角なのだ。

 

普通に考えるなら、師匠、龍山邸での戦闘の際に私たちにまた魔の手が忍び寄るのだろう。佐久間の失踪から端を発するわけだ。用心に越したことはないなと考えていた矢先、私はホームルームで佐久間たち不良グループが昨日から行方不明になっており自宅にも帰っておらず、このままだと警察に捜索願を出すことになると犬神先生が話すのを聞いた。

 

「もし見かけたら先生に報告するように。いいな?」

 

はーい、とみんなが返事する中、私はすでに事件が始まっていたことに固まるのである。放課後のチャイムがなる中、ざわめきの中一人残された私はこんな時に限って夏風邪で休みの遠野にため息なのだ。一番頼りたい親友がいないのはつらいものがある。

 

とりあえず行動に起こすしかないだろう。私は立ち上がり、隣のクラスに向かう。その途中、部活に向かう桜井と醍醐、生徒会に向かう美里とすれ違った。つまり緋勇とサボり魔の蓬莱寺しかいないのだ。

 

「よォ、槙乃じゃね~かッ。一人でどうした、珍しいな。アン子はどうしたんだよ?」

 

「アン子ちゃんは夏風邪を拗らせてお休みなんです」

 

「へえ、そんなこともあるんだな。アン子が休みなんて珍しい。風邪とは無縁だと思ってた」

 

「だな~ッ!あいつも人の子だったのか」

 

「京一君、アン子ちゃんに怒られますよ」

 

「槙乃が黙っててくれりゃあいいんだよ!あ、マジでいうなよ!?余計な火種はごめんだぜッ!」

 

「あはは」

 

「どうしたんだ、槙乃?」

 

「いえ......実はおふたりに相談したいことがありまして」

 

緋勇と蓬莱寺は顔を見合わせた。

 

「か~ッ、真面目だねェ。佐久間がいなくなることなんかしょっちゅうじゃね~か。可愛いオネェチャンならいざ知らず、な~んで野郎の捜索なんざしなきゃなんね~んだよ......」

 

「でも、槙乃にでた死の暗示はどう考えても《鬼道衆》の仕業だろ、京一」

 

「そうだけどよッ!槙乃、そんなんだから佐久間みて~な野郎に勘違いされるんだぜ?」

 

「ん?なにかあったのか?」

 

「よく考えてみろよ、龍麻。今年に入ってから隣のクラスの新聞部が自分がトラブルを起こすたびに家に帰っているか電話してきたり、どこを拠点にしてたりするのか調べにきてたらどうおもうよ。新聞記事にするのかと思ってたらどうもそんな気配はないと来たぜ」

 

「それは怖いな」

 

「アン子だったらそ~だなッ!でも槙乃だぜ、槙乃。オカルト事件ばっか追いかけてるこいつが自分たち追っかけてるんだぜ」

 

「別の意味で怖いな」

 

「だろ~?俺だったらこの時点でなんかあんのか聞くからなッ!脈アリを疑ってもおかしかね~けど、思わせぶりな態度は全然みせね~し、ただの同級生を心配しているようにしか見えない。ぜってーなんかあると思うよな?」

 

「たしかに。槙乃のことだから、俺達には見えないなにかが見えてるのかもって考えるな。俺も」

 

「でも佐久間たちは槙乃の《力》をしらね~わけだ。槙乃は助けようと動いてるだけなんだけど、脈アリじゃね~かって思っちまうわけだ」

 

「なにかと思ったら、そんなことですか。《鬼道衆》のことを考えたら、私たちの周りにいる人達が巻き込まれる可能性が高いから気にかけてるだけですよ。思わせぶりな態度にならないように気をつけてはいますが、謝った上でお断りはしてますし」

 

「本人はいたって真面目だかんな」

 

「なんていうんだ?」

 

「私、オカルトが恋人なんです」

 

「槙乃らしいな」

 

「私、具体的なアクション起こされないと反応しない主義なんです。いちいち深読みしてたら新聞部なんてやっていけませんよ。ただでさえその気になれば相手の感情《氣》から読み取れるのに」

 

「なるほど......槙乃は意識し始めた時点でモロバレなわけだな」

 

「《力》は制御出来てますから大丈夫ですよ。発動さえしなければなにも変わりませんから」

 

「あんまりバッサバサと切り捨てるもんだからほんと学校以外の交友関係謎だったんだよな~。懐かしいぜ」

 

雑談を交わしながら、私たちは佐久間たちがよく屯している渋谷などを重点的に回ってみた。

 

「珍しい組み合わせだな、センパイ方」

 

「雷人君。どうかしたんですか?」

 

「いやァ、ちょうどいいや。真神の佐久間っているだろ?今どこにいるか知らねぇか?」

 

「!」

 

「奇遇だな、雷人。俺達も佐久間を探してたんだ」

 

「なんだなんだ、そっちでもお尋ね者なのかよ。こっちはいつだったか、歌舞伎町で返り討ちにあったのを根に持ってお礼参りにきやがってさ。ちょっとした騒ぎになってんだぜ」

 

「ほんとか?」

 

「おう、ウチの連中みんな病院送りになっちまってなァ」

 

「佐久間君......あと半年なのに退学になっちゃうかもしれませんね......」

 

「そりゃ違いねぇな。ずいぶんと派手に暴れたみたいだぜ。とんだ大立ち回りだ。俺は《選ばれたんだ》とかなんとかがなり立てやがってたらしい。ヤクでもやってんじゃねーかってレベルだ」

 

雨紋がいうには佐久間はかつて自分が負けた相手を片っ端から襲っているらしい。渋谷だけでかなりの騒ぎを起こしている。蓬莱寺たちはいつもと明らかに違う佐久間の動向に眉をひそめた。

 

「声が聞こえたんだってよ」

 

それはそれは得意げに語っていたそうだ。

 

《お主の抱くその怨念は、我らが鬼道の恩恵を得るに相応しい。限りなく我らに近き魂を持つものよ。さあ、解き放つのだ。そして、なぶり、殺し、そして喰らうが良い。おもいのまま奪うが良い......。恐れることは無い。選ばれし者よ。さあ、己の内に渦巻きし暗き念に身を任せるがよい》

 

《恨め───────》

 

《恨め───────》

 

《殺せ───────》

 

《さあ、堕ちるがいい───────》

 

《クックック......変生せよ》

 

《さあ、堕ちよ》

 

その言葉の導くままにうなずくと、その瞬間に佐久間はすさまじい頭痛から解放され、《力》を手に入れたというのだ。

 

「おいおいおい、まじかよ。それってまさか......」

 

蓬莱寺は笑い飛ばそうとして、そうもいってられないことに気づいてしまう。

 

「莎草と同じ......ッ!」

 

緋勇が殺気立つ。

 

「那智さんがやってた《鬼道》と同じ......!!」

 

私たちの反応に雨紋は苦虫を噛み潰したようなかおをした。

 

「やっぱりそうだよなッ!?ヤベぇと思ってたんだよ!で、肝心の佐久間はどこだ?」

 

「んなのしらねェよッ!今から探しにいくとこだッ!」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖46

佐久間の消息がわからなくなってから2日目の放課後、私達から事情を聞いた醍醐は難しい顔をしていたのだが、意を決したように顔を上げた。凶津の事件の時に言い出すのが遅くなったせいであやうく紗夜が死にかけたことがあったせいだろうか。それも緋勇が紗夜の《力》でやり直したからみんな拾った命があることを知ってるからだろうか。

 

「実は......みんなに会わせたい人がいるんだ」

 

「会わせたい人ォ?」

 

まるで恋人を紹介する前降りみたいな言葉に京一は茶々をいれる。その意味に気づいた醍醐は苦笑いした。

 

「まあ、俺の師匠みたいな人だ。爺さんなんだが世相に詳しい。西新宿のハズレに一人で住んでいる。俺が杉並から越してきたばかりでどうしようもない頃に世話になった人でな。易をやっているんだ」

 

「占い師かよ」

 

佐久間が見つからないからって裏密だけじゃなく占い師にも頼むのかよといいたげな京一にかちんと来たのか醍醐はいいかえした。

 

「龍山先生はただの占い師じゃないさ」

 

「龍山先生っていうんだな」

 

「ああ、新井龍山(あらいりゅうざん)、易の世界じゃ結構有名なんだ。普段は白蛾爺と呼ばれているそうなんだが」

 

「へー」

 

「実は前からみんなを連れていこうと思っていたんだ。あの人ならきっと俺達の力になってくれるはずさ。何回か手紙を出しているんだが返事がなくてな......《鬼道衆》のこともある。心配だからついてきてくれないか」

 

私たちは東京のど真ん中新宿にある竹林をかれこれ1時間は歩いていた。江戸時代からあるそうだ。面倒くさがりな蓬莱寺はともかく美里が平気そうな顔をしているのは驚きである。見えてきたのは廃屋寸前のボロ屋だ。

 

「まったく、爺爺とうるさい小僧よ」

 

「いらっしゃったのなら、返事をして下さらればいいものを。盗み聞きとは人が悪いですよ」

 

「何を抜かすか。ぱったり顔を見せなくなったかと思えば、こんなに大勢でぞろぞろと押しかけてきおって」

 

「あ、あのすいません、突然おじゃましてしまって」

 

「ほう......」

 

「雄矢、お主のこれか?」

 

「せッ、先生ッ!」

 

「ふぉふぉふぉふぉふぉ。あんたが美里さんだね」

 

「はッ、はいッ」

 

「ようきなすった。わしが新井龍山だ。白蛾爺と呼ぶやつもおるがの」

 

「初めまして、美里葵といいます」

 

「ふぉふぉふぉふぉふぉ、手紙に書いてあった通り、いい娘さんだ」

 

「なんだ、先生。手紙、よんでいたんですか?返事ぐらいくださいよ」

 

「バカモン。なんでワシがむさ苦しい男に手紙なんぞ出さなければならんのじゃ」

 

「いやあ、ははは......」

 

「ふん」

 

「美里さん、あんたは《力》に悩んでおるようじゃが......それはあんたの瞳によるものじゃ」

 

「え?槙乃ちゃんみたいにですか」

 

「いかにも。実感は湧いておろう?2人揃わぬ時と揃った時の《力》の差は」

 

「それは......」

 

「まるで鏡合わせのように対になる《力》よな。うつくしきかな」

 

龍山先生はみんなの自己紹介を聞いてからうなずいた。

 

「それにしても、縁とは不思議なものじゃ」

 

それは大きくなったかつての仲間の遺児が目の前にいるからだろう。緋勇は不思議そうに首を傾げた。

 

龍山先生は《鬼道衆》について話し始めた。《鬼道》とは邪馬台国の女王卑弥呼が《龍脈》の《力》をえるために確立した呪術である。原始的なシャーマニズム、巫女である卑弥呼が霊的存在の意志を聞き、神託や予言、奇跡の所業をなしえた。超自然的な脅威から人々を護ることにより信心を掌握し、絶大な権力を手に入れた。

 

卑弥呼は《龍脈》の交わる場所に自分の宮殿をたて、付随するように楼観という塔をたてている。それにより、より強大な《龍脈》の《力》をえたのだ。

 

「《龍脈》とは大地の霊気よ。卑弥呼は《鬼道》によりその《力》を使ったが、人が兄弟な《力》を使えばどこかしらにしわ寄せが来るものじゃ。やがてそれは《龍脈》の流れに乱れを生じさせた。太陽の化身たる卑弥呼の影に闇が生まれた。闇は人の欲望や邪心を映し、ゆっくりと息づき始めた。それこそが《鬼》と呼ばれし輩───────《龍脈》の乱れと《鬼道》の《力》が産んだ異形の者どもじゃ」

 

「龍脈の乱れが産んだもの......か......」

 

「そうじゃ。霊力の衰えた卑弥呼の死とともに再び倭国に戦乱が訪れたのじゃ。人の欲望が《鬼道》をうみ、《龍脈》の乱れが《鬼》を産む」

 

龍山先生は私を見た。

 

「お前さんには辛かろうが......心して聞くように」

 

「......はい」

 

「槙乃ちゃん......」

 

「那智さんたちにも連絡いれてたんだもんね......」

 

「......」

 

「卑弥呼が《鬼道》を修めてから1400年後、江戸───────徳川の時代じゃ。歴史の彼方に失われたはずの呪法を蘇らせることに成功したひとりの修験道の行者がおる。修験道とは山へ篭もり、自然に宿る神霊に祈りをささげ、苦行の末に験力、特殊な《力》をみにつけるための修行の道よ」

 

「......また《力》かよ」

 

「男の名は九角鬼修───────」

 

「九角か......」

 

「ここで出てくるのか......」

 

「......槙乃ちゃん......」

 

「槙乃がいってた《鬼道》を扱える家のひとつだな」

 

「未だに連絡が取れないっていう......」

 

「───────鬼修は《外法》にも精通していたという。《外法》とは仏に背く道、その道士は鬼神や悪霊を使役する呪術を使うという。九角はかねてから大地に流れる《龍脈》の《力》に目をつけており、その《力》を我がものにして江戸を支配しようと考えていた。そのために使ったのが長い修行で得た験力と外法として蘇らせた《鬼道》よ。そして、九角が幕府転覆のために組織したのが《鬼道衆》。人ならざる《力》をもった者どもじゃ。幾度かの徳川との戦いの果てに幕末期に滅びたと聞いていたが......。詳細はお前さんたちの方が詳しかろうな」

 

緋勇たちはうなずいた。緋勇たちには那智の事件のあと先祖の因縁や柳生については話していないのだが、《鬼道衆》が昔実在し、討伐隊も組まれたのだが後に和解して解散したことは話した。時諏佐家や如月家の記録に残っているのだから情報開示しないと元ネタの鬼太郎に出てくる妖怪たちで話がとまってしまうのだ。

 

《鬼道衆》に冤罪がかけられ、その謎を追いかけるさなかに真犯人が見つかったから、討伐隊と《鬼道衆》は団結した。その当時の頭目が九角天戒だった。

 

天戒という男がかつてこの街を救い、赤い髪の男がその末裔を陥れて東京を壊滅させようとしていることを覚えていたみんなは息を飲んだのを思い出す。

 

「繋がったな。きっと鬼修の子孫が天戒なんだ」

 

「復讐棚に上げて団結しなきゃならない敵か......どんなやつだったんだろうな」

 

緋勇の鋭い一言に龍山先生はうなずいた。鬼修については龍山先生の話したことまでしか記録は残っていなかった。

 

実際は関ヶ原以来の幕府の重臣・九角家の当主が鬼修である。幕府に背いて静姫を救いだし、二人の子供を残した。それが天戒と藍、九角家と美里家がわかれるきっかけとなった。

 

静姫は徳川の元側室で、菩薩眼を持つ絶世の美女。その力のために幕府に幽閉されていたが、九角鬼修に救い出されて結ばれ、二人の子供をもうけた。二人目の子供を産んだ後に命を落とした。

 

その後も九角家に伝わる鬼道で鬼修は幕軍に抗ったが滅ぼされた。息子は守れたが娘は幕府に次の《菩薩眼》だからと拉致された。以後《鬼道衆》は幕府に対する復讐と娘の奪還が主眼となるわけだ。当時としては自由な心を持つ一廉の人物であり、死後もその魂は妻と共に子供たちを見守っていた。

 

150年前の隠された歴史だ。いまや九角家にすら失伝している可能性があるのが皮肉にも程がある。

 

龍山先生は沈痛な面持ちだ。

 

「《鬼道衆》の末裔とは無関係な輩が名ばかりの《鬼道衆》を復活させて、末裔の血に流れている《血の記憶》を蘇らせ、面を被るよう迫る。それはなぜか。《鬼道》でも《外法》でも《鬼道衆》に名を連ねたもの達を完全に復活させることができなかったからじゃ。おそらく、九角はわかっておったのだろう。死したのち、傀儡に堕ちるのは間違いなく己ら《鬼道衆》だと。因果応報だとしても、その因果をねじ曲げるのが《鬼道衆》。ならば蘇生できぬよう処置をするのは当然のことよな。今のような事態になったとき、末裔と殺し合うことになるのは容易に想像できるというもの」

 

緋勇が口を開いた。

 

「莎草が......俺の友達が......。《力》か死ぬか選ばされ、《力》に飲まれて《鬼》になって死んだ奴がいるんですが。赤い髪の男が高笑いしながら、冥府の淵で末裔がこの街を滅ぼすのを見ていろといってたって......。まさか」

 

「......そういうことじゃろうな」

 

重苦しい沈黙があたりを支配した。

 

「ところで龍山先生、この玉はどう思いますか」

 

「《鬼》に変生させる玉......だったか。この龍の模様......五色の摩尼(ごしきのまに)やもしれんな。摩尼とは梵語で宝珠を意味し、徳川につかえた天海大僧正が江戸の守護のために使った珠よ。天台宗の東叡山喜多院に収められていた。密教では五色は宇宙の基本構造を表すとされ、九角が幕府転覆を企む中で使役した五匹の《鬼》が封じられている。《鬼》を封じたら宝珠は天海によって江戸の繁栄と天下泰平の祈願のために不動尊に鎮守した」

 

「不動尊!」

 

「如月がいってたやつだな!」

 

「それを《鬼道衆》は持ち出したのか」

 

「あの、龍山先生。それをつかって《鬼道》を施したらどうなりますか。水岐君は私や槙乃ちゃんの《力》でも治すことができなかったんです」

 

「なんと......なんと惨いことを......。それは宝珠に封じられた《鬼》と同化することを意味する。《鬼道》も合わされば想像を絶する苦痛がかけられた者には襲いかかり、《鬼》ならぬ《邪》そのものになろうな。もはや人間の欠けらも無い。それはお前さんたちの《力》でも無理じゃろうて」

 

「《鬼道衆》は邪神の《力》も行使してきました」

 

「そうか......那智家の少女に使われなんだのが奇跡じゃな」

 

「そんなに危ないものがまだ4つも......」

 

「うむ、お主らはその宝珠を持って不動を巡ってみることじゃ。それを狙って《鬼道衆》がまた現れるやもしれんからな。境内の奥の方に宝珠を収める祠があるはずじゃ、はやく封じなければならん。よいな───────命を粗末にするでないぞ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖47

「目青不動尊......まさか最勝寺だとは思わなかったな」

 

「如月君から聞いてたけど来るのは初めてだよね」

 

「正善寺かと思ったら転移してるとはな」

 

「結界の核を盗んで傀儡に埋め込んだあげくに自ら破壊させようとしてんだろ?やべえな」

 

「当時のことを知り尽くしているやつなんだろう」

 

赤い髪の男に体する謎は深まるばかりである。

 

私達は龍山先生の勧めに従い、五色の摩尼を江戸五色不動のひとつ、目青不動尊に返すために最勝寺を訪れていた。

 

五色不動尊は、徳川三代将軍家光が寛永寺創建で知られる天海大僧正の具申により、江戸府内の名ある不動尊を指定した。

 

江戸城鎮護のために不動明王像を造立し、王城鎮護の四神にならい江戸城の四方に配置したのが目黒・目白・日赤・目青の四不動である。これを後になって家光が、四不動に目黄不動尊を加えた五つの不動尊を「五眼不動」としてまとめあげた。五色とは東西南北中央の五方角を色で示したものだ。

 

不動明王は、密教ではその中心仏とされる大日如来が悪を断じ、衆生を教化するため、外には憤怒の形相、内には大慈悲心を有する民衆救済の具現者として現われたとされている。また、宇宙のすべての現象は、地、水、火、風、空の五つからなるとする宇宙観があり、これらを色彩で表現したものが五色といわれる。不動尊信仰は密教が盛んになった平安時代初期の頃から広まり、不動尊を身体ないしは目の色で描き分けることは、平安時代すでに存在した。

 

目青不動は世田谷区の天台宗数学院にある。もとは六本木の勧行寺にあったのだが、1882年に青山南町にあった数学院に移転。数学院は1910年に三軒茶屋に移転して、今の場所に落ち着いている。

 

「如月君に昨日聞いてみたんですが、不動堂本尊は秘仏として厨子に納められていて公開されていませんが、堂内では青銅製の前立の不動尊を拝むことができるそうです。だから気づかなかったと」

 

「まさか、その間に盗まれたのか?」

 

「いってみましょう」

 

私達は薄暗い堂内に入った。別にライトアップしているという訳でもないようだが、薄暗い堂内でお不動様の周囲だけほんのりと明るくなっているように感じられる。

 

「ここじゃないみたいだねッ!」

 

「なら、持ち出されても気づかない場所よね」

 

「龍山先生は奥の方にあるとおっしゃっていたが......」

 

「よし、行こうぜ。さっさと済ませちまおう」

 

境内はそれ程広くないが、うっそうとした緑に覆われていた。世田谷区の銘木百選に挙げられているチシャノキで、樹齢100年以上の巨木が私達を見下ろしている。

 

東急線の三軒茶屋駅近くの割には静かな雰囲気の寺院で、境内を地元の人が近道として通り抜けて行くような感じのお寺だ。

 

「さっきのお不動さん、屋根の頂点に宝珠がなかったですね。尖って手珍しい形にみえます」

 

「初めはあそこにあったのかもしれないな」

 

雑談しながら奥に向かうと、忘れ去られたようにひっそりと佇む祠があった。

 

「これじゃない?」

 

鍵もかかっていない扉をあけてみると、本来あるはずの中は空っぽで、なにか丸いものが長年置かれていたかのような窪みがある。

 

「持ち出されてから日がたってないな」

 

「水岐君の事件の前あたりかな」

 

「ホコリとか考えたらそうかもしれないわ」

 

「よし、置くぞ」

 

緋勇は慎重に五色の摩尼をおく。手を合わせて頭を下げた。そして扉をしめる。

 

「───────ッ!!」

 

私達は辺りを見渡した。

 

「な、なんだ......?」

 

「さっきと雰囲気が違うねッ!?」

 

「空気が変わったというか、なんというか」

 

「あるべきところにあるべきものが戻されたことで、結界が正常化したんでしょうか」

 

「もしかしたら、それがあの五色の摩尼の効果なのかもしれないわ。平将門が三大怨霊だったのを徳川が江戸の守護神として祭り上げ、霊的な守護を任せたように」

 

「なるほど~、使い方によっていいことにも悪いことにも使えるってやつだね」

 

「日本の神様は荒御魂と和御魂という2つの側面があるといいますから、あながち間違ってはいないのかもしれませんね」

 

「でもよォ、あんなとこで大丈夫なのか?また《鬼道衆》が襲ってきたら......」

 

蓬莱寺が軽口を叩いていたその時だ。目の前の祠が輝いたかと思うとその光は私達の手のひらに降りてくる。驚きのあまりじっとしていた私達の目の前で、あおき輝きは質量をもって姿を表した。

 

「なんだこりゃ?」

 

いつの間にか私達の手のひらにすっぽりおさまるほどの大きさの布袋があった。

 

「いつの間に?」

 

中をあけてみると粉末と《旧神の印》が刻まれた宝玉が入っている。私の袋には《旧神の印》は入っていないかわりに、魔力を感じるアーティファクトが入っていた。

 

「まさか、お礼とか?」

 

「まじかよ、しょぼいなッ!?もうちょっと奮発してくれてもいいんじゃないかよッ!」

 

「おいこら、京一ッ!」

 

その時旋風がとおりすぎた。

 

「うわっ!」

 

桜井が開けていた粉が舞い上がり、あたりに広がってしまう。

 

「あーあー......」

 

蓬莱寺が笑いかけた、その時だ。甲高い笑い声がした。弾かれたように顔を上げ、あたりを見渡すと鳥居の向こう側に異形をみつけた。

 

真っ赤に脈打つ巨大なゼリーにたくさんの触手が備わっており、ぷるぷると震えている奇妙な生物が鳥居の前に居座っていた。捕食中だったようで、触手の先には吸盤がついており、生き血を啜る口と大きな鉤爪も備わっている。血を吸う生物のようで、血を吸うことでその輪郭が真っ赤に浮かび上がっていく。

 

「きゃあああああッ!!」

 

いきなり現れた化け物に美里は悲鳴をあげる。

 

ヒステリックな笑い声がする。捕食されていた哀れな女性は虚空をかきむしるように変な挙動をしている。その体は不意に浮かび上がり体がねじれていった。骨が砕ける音がして力が抜けていく。首が裂け血が噴き出した。しかしその血は床を濡らすことなく、何者かによって啜られる音が響いている。

 

私達は見えていた。触手により囚われたものは逃げることはできない、身体をねじ切られ、血は飲み干されるその姿を。やがて女性はあらゆるものを飲み干され、粉微塵になって消えてしまった。

 

「な、なななにあれッ!?」

 

「まさかこの粉のせいで?」

 

「違いますね、私達は助けられたんですよ。これは見えないものを見えるようにする魔法の粉のようです。ミサちゃんが最近読んでる《ネクロノミコン》という魔道書に書いてあったはずですよ」

 

「ちゃっかり読んでるのが槙乃らしいな」

 

「役に立ってるんですからいいじゃないですか」

 

おそらく祠の神様がお礼にくれたのはイブン・ガズイの粉だ。アラビアの魔術師、イブン・ガズイが発明したもので、かけることで使用者の心臓が10回鼓動する間、不可視の存在を視認できるようになる。だが、一度かけた粉がずっと有効なあたり改良してあるようだ。

 

200年以上遺体が埋葬されている墳墓の塵を3、微塵にした不凋花アマランス を2、木蔦の葉の砕いた物1、細粒の塩1を土星の日、土星の刻限に乳鉢で混ぜ合わせる。調合した粉薬の上でヴーアの印を結び、コスの記号を刻み込んだ鉛の小箱に封入する。これで使うことができるようになる。

 

使いかたはひとつまみの量を、掌や魔草の葉身から諸霊の現れる方向に吹き飛ばす。諸霊が実体化する際には必ず旧神の印を結び、闇が魂に入り込むのを避けねばならない 。

 

「なるほど、だからあの子供がくれたのと同じのをみんなにくれたのか」

 

「私は《旧神の印》と相性が悪いからか、別のものが入っていました」

 

「えっ、でもそれって大丈夫なの?」

 

「大丈夫じゃなさそうですね......ミサちゃんが一人になるなってあの化け物のせいでしょうか?死因がわかってきましたね。密偵のようですし」

 

「気味の悪い密偵だな。《鬼道衆》みたいに手下の忍びじゃないあたり、あらてか?」

 

「ねえ、槙乃。あれって倒せるの?」

 

「優秀な魔術師が使役できる存在ですから大丈夫ですよ、きっと。あの粉は霊体を物質化することも出来るんです。ダメージは通るはずですよ」

 

私は《如来眼》を発動させる。

 

「どうやらあの一体だけのようですね」

 

私の言葉に緋勇はホッとしたように息をはいた。

 

「どうやらあいつは境内に入って来れないらしい。みんな、境内からでないように、距離を保って攻撃するんだ」

 

緋勇の指示に返事がかえってくる。私は木刀を構えた。

 

なんとか化け物を倒した私達が鳥居をくぐった瞬間に雰囲気が一転して、いつもの喧騒が戻ってくる。

 

「すごいな、異世界に迷い込んだようだ」

 

「あれが本来の効果なら、案外《鬼道衆》は近づくことすら出来ないのかもしれませんね」

 

「入ってこれない、か。なら、持ち出したのは一体誰なんだろうな」

 

緋勇は鳥居を1度だけ振り返った。もう祠が輝くことはなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖48

私達は世田谷区の駅に向かって歩いていた。

 

「ラーメンでも食って帰ろうぜッ」

 

「あ~、ごめん。明日、ボク早いから帰るよ。練習試合が近いんだ」

 

「ごめんなさい、私もそろそろ......先に電話いれるの忘れていたから、晩御飯作って待ってると思うし......」

 

「なんだよ、二人揃って付き合いわりィなァ」

 

「小蒔ちゃんも葵ちゃんも一人で帰るのは危ないですよ。特に小蒔ちゃん、さっき魔法の粉撒いちゃったから残り少ないですよね?高笑いが聞こえたら大変ですよ」

 

「うげッ、そうだった~ッ!高校最後の試合が近いのに......!どうしよう......」

 

「ミサちゃんがいう死の暗示があの化け物なら、今の私と同じくらい危ないですよ小蒔ちゃん」

 

「帰り道にうっかり会っちゃったら1人じゃさすがに逃げるしかないよね......」

 

「当たり前だろ~がッ!」

 

「俺達総出でなんとか勝てたレベルなんだぞ?絶対戦うなよ?」

 

「練習試合が近いんだろう、桜井。無茶なことはしない方がいい」

 

「なら、一緒に帰りましょうか、小蒔」

 

「どうしようかなァ......ボクもだけど葵も襲われたらひとたまりもないもんね......」

 

「なら、送っていこうか?」

 

「!!龍麻君が送ってくれるってさ~、よかったね、葵ッ!」

 

「ちょっ、ちょっと、小蒔ッ......」

 

「嫌なら駅まで送るよ、葵」

 

「あ、ありがとう......龍麻君......迷惑じゃなかったら、お願いします」

 

「龍麻君のこと呼び捨てにしたの葵が先なのに、また君づけに戻っちゃったね」

 

「もうッ!小蒔ッ!!」

 

「あははッ、やだなァ怒らないでよ、葵ッ!ボク、ホントのこといってるだけじゃないかァッ!」

 

にやにやした蓬莱寺が醍醐を小突いた。

 

「なにぼーっとしてんだよ。桜井が一人になるってよ、大将」

 

「むッ......き、京一......」

 

「桜井、醍醐が心配だから送ってやるってよ」

 

「お、おいっ!」

 

「え、ほんとにッ!?ありがとう、醍醐君ッ!実は心細かったんだ~」

 

「......あ、ああ、桜井がいいなら......」

 

「醍醐が一緒に帰ってくれるなら安心だよッ!ありがとう!」

 

「美里のことには機敏なくせに自分のことになると途端に鈍感になるのどうにかなんねーのかね、桜井の奴。醍醐が可哀想だぜ」

 

「醍醐君のアプローチがわかりにくいのもあるも思いますよ」

 

「だよなァ......まッ、荒れた中学時代だった訳だから女に耐性ね~のも無理ねぇが」

 

聞こえてるぞお前らという顔で睨まれてしまったが、私は笑って返した。

 

「って~ことは......」

 

「私は大丈夫ですよ、京一君」

 

「よし、一人寂しく食うよりマシだなッ!付き合いわりぃ奴らはほっといて行こうぜ、槙乃。ついでに送ってやるよ。お前、あの《印》つかえねえもんな」

 

「ありがとうございます、京一君」

 

「京一ッ、槙乃死んじゃうかもしれないんだから、絶対に怪我させちゃダメだからねッ!」

 

「言われなくても逃げるに決まってんだろッ!俺をなんだと思ってんだッ!」

 

「京一のことだから俺のことはいいから先にいけってあの化け物に向かっていきそうだよな。それ、逃げた先で槙乃があぶないパターンだからやめとけよ」

 

「龍麻までッ!うッ、ウルセェなッ!好き勝手いいやがって!」

 

「槙乃を変なことに誘うなよ」

 

「誘わね~よッ!家まで送るっていってんだよ!だいだい校長センセにバレたらやべ~じゃねェかッ!!」

 

「あはは。大丈夫、頼りにしてます、京一君」

 

「槙乃......ッ!ほんとお前いい奴だなァ......てめ~ら、少しは垢を煎じて飲みやがれッ!!」

 

ぎゃいぎゃい騒ぎながら私達は世田谷区の駅から新宿駅まで一緒に帰り、そこから別れたのだった。

 

「さァて、邪魔者はいなくなったか」

 

「やっと本題に入れますね。最近、バイアクへーの呪文のために蜂蜜酒ばかり飲んでるから舌がおかしくなりそうなんですよ。なんかいいのありません?」

 

「阿呆、幻覚みえるやべーやつ常用してりゃそうなるわ。大丈夫かよ、ヤク中じゃねーか」

 

「大丈夫です、桜ヶ丘中央病院の定期検診はパスしましたから」

 

「ぜって~バレてるぞ」

 

「バレてますね。おばあちゃんにもバレてますが、必要なことなのはわかってくれますので」

 

「アイテムでデバフかける酒飲むのはいいのに、普通の酒はダメなのか。めんどくせェな。旧校舎でバケモンが落としたやつとか、骨董屋で買ったやつのがやべーじゃねーか」

 

「京一君も同じですよね、それ?」

 

「今んとこ問題ね~からへーきへーき。さあて、今夜はどうすっかな~」

 

「まずはラーメンですね」

 

「そーだな、すきっ腹に強めの酒はやべーしなッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

王華に寄った私達はいつもの席に座った。

 

「なんか頼むか?」

 

「やだなァ、京一君。がっつり食べたら飲めなくなるじゃないですか」

 

「へへッ、そりゃそうだなッ!親父~、味噌ふたつッ!」

 

「あいよッ!」

 

私はセルフサービスのところから水をもってきた。蓬莱寺はすでに箸を並べてくれている。私が席につくなりの手垢の汚れが年季を感じさせるお手製感が満載のメニュー表をみながら蓬莱寺はいった。

 

「最初の頃、ここ来る時毎回頼むの違ってたよな、槙乃。俺は味噌一択でほかなんて考えたことね~けど」

 

「1回だけなら五目なんですが、何回もくるなら色々冒険したくなるんですよね、私。色々食べ比べた結果、ここは味噌のが美味しかったので固定ですが」

 

「わかってるじゃねェかッ。やっぱここのラーメンと言えば味噌だよな。でも基本は五目か~、醤油が好きなんだな?俺はもちょっと、こってりした方が好きだけどッ」

 

「五目は時々塩の時もあるんで、思わぬ発見があって好きなんですよね」

 

「えっ、まじか。五目といやァ、醤油のイメージだったぜ。そっか、塩かァ......俺はどうも、塩は苦手なんだよな。いいこと聞いた。五目はほかの客が食べてなかったら頼むのはやめとく」

 

「あははッ、塩が苦手なら五目はメニューに写真のってなかったら博打ですしね」

 

「そ~だなァ、せっかくのラーメンが好きな味じゃなかったらテンションさがっちまうぜ。まァ、そもそも俺は味噌しか頼まね~けどッ」

 

「味噌二丁おまちッ!」

 

「ありがとうございます」

 

「さんきゅ~!」

 

私達の前には顔全部が埋まりそうな大きなドンブリがおかれる。大切りのチャーシューが入っていてたっぷり煮込まれたスープもよくダシが出ている。味噌と他の旨味成分と見事に融合して、混沌として複雑で豊かな味を作り出している。王華のラーメンは真夏でも汗をかきながら食べたい類のラーメンだった。

 

「そーいや、アン子のやつは今日も学校来てなかったよな?」

 

「そうですね」

 

「その辺は大丈夫なのか?ズル休みしてて勝手に首突っ込んでたりしねーよな?」

 

「あァ、はい。おうちに電話したらお母さんが出てくれました。なかなか熱が下がらなくて寝込んでるって。代わってくれたんですが、たしかに声かすれてたし、辛そうでした」

 

「ははッ、さすがにズル休みってわけじゃなさそうで安心したぜ。あの野郎、桜ヶ丘中央病院に潜入しようとして紗夜ちゃん達に止められてたからなッ」

 

「あの化け物のこと考えたらおうちにいてくれた方が安心できますしね」

 

「そうそう。龍麻のことだ、ほかの連中にも声掛けてくれるだろうけど......明日はグループにわかれた方がいいかもなァ」

 

「魔法の粉も《旧神の印》も数に限りがありますからね」

 

「ものは相談なんだけどよ、そんとき槙乃と一緒にいってもいいか?」

 

「はい?私は別に構いませんけど」

 

「よっしゃ、決まりだなッ。龍麻には話通しとく」

 

「なんでまた?」

 

「なんでってそりゃァ......みなまで言わせんなッての。心配だからに決まってんじゃねェか。そもそも裏密に死ぬって言われてんのにその落ち着きぶりはなんなんだよ」

 

「それは......」

 

「前から思ってたが槙乃、おまえやっぱあれだろ。比良坂英司のこと引きずってんだろ。あれから自分にどんな理不尽な感情向けられても換算して動き過ぎだ。怒れよ、まずはよッ」

 

「京一君......」

 

「比良坂英司といい、那智真璃子といい、俺達よりあいつらにばっか感情的になってんじゃねェか。そんなに頼れねェかよ、ちと寂しいぜ」

 

「......」

 

「怒ってるわけじゃねえんだぜ、寂しいっていってんだ。それにさァ、このさい言わせてもらうがお前は事後報告がすぎるんだよッ!那智んとこに前から接触してたとか真っ先にいえっての!そりゃあ、《力》のせいで俺達より色んなことが見えてるかもしれねーが、一人で動いてる時になんかあったらどうするつもりだ。そりゃあ、幼馴染だし如月のが頼りになるかもしれねーが、今回が初めてだろ、お前からちゃんと俺達に頼ってくれたの。すんげェ嬉しかったんだぜ」

 

「......」

 

「まァ、ようするにだ。槙乃ばっかつええ敵と戦ってんじゃねェよ、ズリぃなッて話だ!」

 

だんだん自分のいってることが恥ずかしくなってきたのか蓬莱寺は茶化すように笑った。

 

「だァ~っ!なにやってんだ、俺の柄じゃねェッてのに!こーいうのは普通醍醐や龍麻がやることだろッ!」

 

「あははッ、ありがとうございます。そこまで心配させてしまったみたいですいません。それなら、次からは京一君にも声掛けさせてもらいますね」

 

「おう、わかってくれるならいいんだよ」

 

蓬莱寺は修行が嫌いだとうそぶいていながら、強くなりたい衝動がずっとくすぶっていた。緋勇と出会い、一緒に戦う日々によりその本音と次第に向き合うようになっていく。卒業式のあとは緋勇以外には誰もいわずに武者修行のために中国に旅立ってしまうところがある。どれも気になったことなのだろうが、蓬莱寺的には誤魔化すようにいいはなったことが本題なのだろう。

 

「なら、早速なんですが」

 

「おう、なんだよ」

 

「今回現れた化け物なんですが、使用者はたしかに優れた魔術師だと思います。制御出来なければ自爆するわけですから」

 

「なんか気になることでもあんのか?」

 

「吸血生物なのは間違いないんですが、人間一人を吸い尽くすのに約1分ほどの時間しか、かかっていません。早く気づかないと被害にあうわけです。なのに私、気づけなかったんですよね。《力》を使えばどこにいるのか、何体いるか、どんな姿なのかわかったのに。京一君の方が早かったじゃないですか。だから、稽古してもらえません?」

 

「稽古だァ?」

 

「いや、違いますね。いつでもいいので私と本気で戦ってもらえませんか?やっぱり環境が変わると衰えるものがあるんだと思い知らされたので」

 

目を瞬かせた蓬莱寺だったが、にやっと笑った。

 

「それがどーいう意味なのか、わかっていってんだろうな?本気かよ?」

 

「京一君が剣道ではなく剣術を習ったんだろうことくらいはわかりますよ」

 

「へへッ、そんなにいうなら1回手合わせしてから考えようじゃねェか。最近、佐久間のせいで旧校舎いけてねェし、龍麻も忙しそうで構ってくれねェから退屈してたとこなんだよ。どーする、時間あるか?」

 

「おばあちゃんに1回連絡いれときますね、心配しますから」

 

「つーことは酒盛りはまた今度かァ。さすがにそのあと探すとなると深夜回っちまうしなァ。校長せんせ怒るだろ」

 

「えっ」

 

「えってお前」

 

「えええええッ」

 

「お前なァ......忘れてるかもしれねェが一応俺も男だからな......??」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖49

4月に初めて旧校舎地下に広がる旧軍施設に潜ってから半年がたった。龍麻たち総掛かりでも大蝙蝠や野犬、蟲といった雑魚でしかないやつらに手間取っていたことを思い出す。今や京一は単身で旧校舎に突撃しても引き際さえ誤らなければ余裕で攻略できるくらいには強くなっていた。

 

「槙乃も今夜から共犯だからぶっちゃけるけどよ。実はずっと前から一人で潜ってんだよ、俺」

 

「えっ、そうなんですか?」

 

「あァ、合鍵をつくってちょちょいとな」

 

「あれ、龍麻君がもってるんじゃ?」

 

「業者紹介したの俺なんだよ」

 

「ああ、なるほど」

 

「新しい《技》練習するにしたって体育館は無理だし、俺んち普通の家だからできね~しなァ。それを龍麻に見付かっちまってからは二人で潜ってたんだ。俺らがやってんのは命かけた殺し合いなわけだよ、稽古じゃ間に合わねェだろ?」

 

「たしかに一理ありますね」

 

「だろ?っつーわけで、龍麻といつもやってんのはあれだ、ひたすら地下に降りてく単純なやつ。実践あるのみってな。ただ、槙乃とはまず手合わせって話だったからァ」

 

「つまり、この階層の敵を全て片付けてからですね」

 

「そういうことだなッ」

 

京一と槙乃は背中を合わせて敵と向かい合う。槙乃は《氣》を《アマツミカボシ》の《氣》に変質させてから《力》を解放する。瞳が奇妙な色彩を放ち、京一にはわからないいろんなものをうつす。京一はその様子を見とどけるまえに飛び出していた。

 

その動きにつられた敵に一瞬のうちに囲まれてしまう。京一は木刀を構えた。囲まれている敵を瞬時に薙ぎ倒そうと型をとる。

 

まずは格好のマトになりそうな位置にいた大蝙蝠に上段の構えから振り下ろす。剣技を習得する際、一番最初に学ぶ基本技だが、京一が一番多用する型でもあった。大蝙蝠は耳障りな悲鳴をあげて吹き飛ばされてしまう。

 

「よっしゃ、これでも喰らえッ!」

 

いい具合に団子状態になった敵めがけて、特異の連気法と呼吸で高めた剄力を剣先から遠間へと放つ。京一の視界から一瞬にして敵が消えた。

 

「よっしゃ、掃除終わりッ!どーだ、槙乃ッ。終わったかァ?」

 

いうまでもなかった。背後から真夏の太陽よりどぎつい光が爆発するように広がり、敵の断末魔が旧校舎にこだましたのだ。

 

「おわりましたよ、京一君」 

 

「おつかれ。じゃあ、はじめるか」

 

龍麻の鍛錬の真似事をする時のように京一はいった。龍麻は二人じゃないと組み手ができないため、京一も付き合うようになったのだ。初めから全力は出せない。だからだんだんとエンジンをかけていって、緊張から体をほぐし、自然に体が動くようになる。

 

そう、考えていたのだが。

 

「───────......やっぱやめだ」

 

京一はいった。そしてわらう。

 

切羽詰まった焦燥感が爆発的な殺意に変わる。終りなき鬼気は、京一に期待に満ちた目を向けさせた。互いに殺し合いたいほどのなにかを感じながら、それを言い現わす事もなく剣先を向ける。

 

「忘れてたぜ。槙乃のいう本気ってのは殺す気でかかってこいってやつだったなッ!」

 

「私の原点ですから」

 

「わかったぜ、槙乃」

 

なんの躊躇もなく首やらなんやら解体屋でもする気かという動きしかしてこないのだ。悠長なことをいっていたら負けるのは京一である。白羽が稲妻のように閃いた。いつもはやらない《技》も使わないとダメだと判断した京一ははやかった。

 

「諸手突きッ!」

 

「!」

 

見たことない動きに槙乃は目を見開く。京一は諸手上段を試行錯誤のすえに改良させた《技》を放つ。上段から斬り付け、突きに移行する連続技だ。弾かれた。

 

「まだだッ、八相発破ッ!」

 

八相の構えから繰り出す一撃は槙乃に対して斜め上段に斬りつけ、腹部への突きに移行する連撃で不意をつこうとしたがかわされた。

 

「剣掌・神氣発勁ッ!」

 

修練によって身につけた練氣法と呼吸法によって高めたより純粋なる勁力を剣先から遠間へと放つ氣功術が炸裂する。

 

「───────ッ!」

 

打ちあおうとした槙乃の意表をついた。弾かれたが後ろに弾き飛ばされた槙乃がバランスを崩す。

 

「追風・虎一足」

 

畳み掛ける。風の如く素早き抜刀で、足目がけて斬りつけようとした。足さえ使い物にならなくなれば反応が遅くなると踏んだのだ。

 

「ぐッ!」

 

槙乃の射程範囲に入った瞬間だった。槙乃は急所を狙ってきた。まさか《氣》を練らずに繰り出されるとは思わず反応におくれがでた。

 

「大いなる白き沈黙の神よ」

 

「いッ!?」

 

スレスレでかわしたが距離が近すぎた。槙乃の真下に魔法陣が形成される。京一は眼のある紫の煙と緑の雲をみた。宙に巻き上げられ、地表に叩きつけられる。

 

「テェなッ!?」

 

受け身すら取れない速度だった。激痛に顔を歪めた京一は、体の違和感にきづく。

 

「やっべッ」

 

先程のすさまじい冷気を伴った攻撃のせいで麻痺になってしまったようだ。槙乃の《技》は必ずなんらかの状態異常が耐性を持っていても貫通してくるため食らったら厄介なことになるのは予想していたがこうくるとは。

 

槙乃は動かない。京一が麻痺により動きに制限がかかったことに気づいたようだ。

 

京一の振り抜いた木刀の真っ向こうに颯然と蛍を砕いたような光が飛んだ。あッといった時にはそれが目前に迫る木刀だと気づく。

 

「───────ッ!!」

 

京一はふたたび吹き飛ばされた。

 

「思い出してきました。最前の方法は相手が動く前に削りきるか、封殺するか、なんにせよ行動力の暴力でねじ伏せるのが一番。ゆえに弱点を探さなければならない。それが限られたリソースを使い切る前に勝利をもぎ取る方法」

 

「きっついなァ......ッ!今度は混乱かよッ......」

 

打ちどころが悪かったのか、先程のひかりに目が焼かれたのか、平衡感覚が完全に死んだ。悪態をついた京一は乱暴に口元をぬぐった。

 

「俺も思い出してきたぜッ!いっつも怒られてたんだよなァ。相手を見誤ったら死ぬってのと、間合いを考えろッてよォ」

 

京一は立ち上がる。しっかりした手つきで、木刀を慎重に取りあげ、さもいとおしげにこれを眺めた。それ今回最後の覚悟に思いを馳せているかのように見えた。  

 

京一は型をとる。ゆっくりと木刀を右へ引いた。さらに今度は刃先の向きをかえてやや上に切り上げた。京一は顔の表情ひとつ動かさなかった。笑ったままだ。一瞬、白刃が空を舞ったかと思うと、重たい鈍い響きとともに、《氣》が放たれる。唐突に水を打ったような静寂が訪れた。

 

「剣掌・旋三連ッ」

 

「!!!」

 

遠心力を懸けて剣先に乗せた勁力を三連続で放つ。竜巻状の衝撃波が、天を切り裂く。警戒して反応が遅れた槙乃は大きく後ろに後退した。

 

けほ、と濁った唾液を吐き出す。槙乃は受身をとれたようで目立ったところに怪我はないが打撲はあるのか腕に違和感が残ったようだ。

 

明日はまた佐久間の捜索があるためにこれ以上は難しいと判断したらしい槙乃は攻撃をやめた。京一は残念に思ったがここには回復用のアイテムも美里たちもいない。これ以上派手にやればみんなにバレてしまうだろう。

 

「木刀しかないのが手持ち無沙汰になりますね。アラン君や翡翠君に道具かりようかな」

 

「ゲリラかなんかかよッ!ズリぃぞ、なんでもありになるじゃねェか!それなら《氣》をつかわねェとかハンデつけろよ」

 

「殺し合いにハンデもなにもないですよね?」

 

「いえてるが打ち合いだからなッ!」

 

「本気でかからないと京一君本気出してくれないでしょう?」

 

「まァ、たしかに槙乃がここまで殺す気でこなきゃセーブしちまってただろうな」

 

「私、10年のブランクがあるんですよ、京一君。やっぱり取り戻すには時間がかかるようです。もうちょっと付き合ってもらえませんか?」

 

「これでブランクとか、前の世界ではマジでなにしてたんだよ」

 

「あはは」

 

「まッ、次も付き合ってやるよ」

 

「ありがとうございます」

 

「さァて......明日なんて龍麻たちに言い訳するよ?」

 

「あはは......」

 

我に返った2人は顔を見合わせて笑ったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖50

うっかり伝え忘れていたのだが、あの化け物は吸血鬼と同じ特徴があるから、太陽がでているあいだは活動しないと私は龍麻たちに電話をいれた。さいわいみんな就寝前だったので無事だと確認できてなによりである。

 

たしかに見た目は吸血鬼とは程遠いがいくつか共有する点はある。奴らのような生き物を統合したものが吸血鬼として語り継がれているのか、それとも吸血鬼は別の種族として存在していて、たまたま同じ性質を持っているのかはわからないけれど。

 

マリア先生が吸血鬼だと知りながら、私はあえて言葉を濁すのだ。知りえない情報は見て見ぬふりをするに限る。マリア先生の夢である人間に対する復讐に加担することはできない。

 

《星の精》という名前だったと伝えたところ、桜井と美里が嫌そうな反応をした。そりゃそうだ、名前からはディズニーの気配がするのに実際は星から来た見えない生き物、血をいっぱいに吸ったうごめくゼリーの生命体である。しかも無数の触手が伸び、その先端に血をすうための口がついている。頭も顔もなく、あるのは心臓のように鼓動する触手とカギづめである。そんな夢に出そうな化け物ですら血は赤い。クスクスという気味の悪い笑い声とサラサラという砂が流れるような音で居場所の検討をつける事ができる。不幸な被害者がいればもっとわかりやすくなる。

 

彼らは日光に弱い。水の上を渡れない。鏡にも映らない。死なない。人間の血を欲す。銃撃はあまり効果がない。

 

倒したんじゃないのか、と言われそうだが、深きもの達だって不死の存在だ。倒れて動かなくなったから倒したと思っただけで、きっと今ごろ復活して密偵を再開しているに違いないのだ。

 

時諏佐邸で一応調べてみたが、《如来眼》では怪しい存在は見つけられなかった。

 

血を与えると、何者かわからない輪郭が見えてくる、全体が赤くて、赤い滴がしたたっていた脈動しうごめくゼリー状の塊。波うつ無数の触手のついた深紅の塊のような胴体。そして、触手の先端についた禍々しい口。宇宙から来た見えない生き物。血を吸ったために、見えない姿が見えるようになる、透明人間の亜種みたいな存在。

 

一体誰が、という疑問はつきない。《星の精》は《妖蛆の秘密(ようしゅのひみつ)》という魔導書にでてくる。16世紀の半ばに、ベルギーの錬金術師であるルードウィヒ・プリンにより執筆された。 彼は自称第九次十字軍の生存者で、中東で魔術を学んだという。 異端審問で処刑される前に獄中で執筆したのがラテン語原本である。 教会に発禁処分を受けたが、あんのじょう逃れた本が闇で出回ることになる。

 

シリアやエジプトなど中東方面の異端信仰や魔術について書かれており、「サラセン人の儀式」という章には古代エジプトの秘術が記されている。

 

主な記述は、エジプト神話の神様 オシリス、セト、アヌビス、セベク、ブバスティス、ニャルラトホテプ 、暗黒のファラオネフレン=カ、蛇の神様 イグ、ハン、バイアティス 、「星の精」の召喚方法(後述) 。

 

「《ニャルラトホテプ》だったらやだなァ......せっかくヒュプノスが領土のドリームランドに繋がりかけたのを阻止してくれたのに......。十字軍繋がりでローゼンクロイツあたりだったらまだ......うーん」

 

まだ情報がたりなさすぎる。私は判断を先送りにして寝ることにしたのだった。

 

 

 

翌日

 

 

 

 

今日はいよいよゆきみヶ原高校と弓道部の練習試合があると桜井がはりきっている。蓬莱寺は桜井が遊びに行くのはいつもその学校の友達だと聞いたことがあるはずなのに、どうやらそこまで考えたことがなかったらしい。荒川区にあるお嬢様校だと蓬莱寺が騒いでいる。都内でもお姉ちゃんのレベルが高いと噂だなんだ、紹介してくれとねだっては桜井ににのべもなく断られていた。

 

「なんだよいきなりッ!

今までそんなこと言ったこともなかったクセにッ!京一にだけは紹介するつもりないけどさッ!」

 

「んだと~ッ!?だって盲点にも程があるだろうがッ!まさかこんな男にお淑やかなお嬢様の友達がいるとは思わなかったんだよッ!!」

 

「誰が男だッ!!」

 

ちなみに桜井の友達は雛川神社の双子巫女、つまり如月と私の幼馴染なのだがいずれわかることだから言わないことにする。せっかく京一が昨日はなかった怪我の違和感を帳消しにするために騒いでくれているのだから話を折る必要はないだろう。

 

むくれた桜井は緋勇をみた。

 

「京一はほっといてッ!ひーちゃん、ボクの高校最後の試合、みんなと一緒に見に来てくれる?」

 

「え?あ、ああうん、もちろん」

 

えっ、という反応をしたのは美里だった。醍醐もぴしりと固まっている。ぽかんとしていた緋勇だったが、桜井が美里をみながらいたずらっ子みたいな笑顔を浮かべたので焚き付ける気なのだと気づいたらしい。なかなか前に進めない親友の背を押したいらしいが、それは悲しいかな醍醐に甚大なダメージを与えていた。

 

「転校してきた日にいってたよね、アダ名はひーちゃんだって」

 

「ふはッ、そーいやそうだったなッ!ひーちゃんかッ!いいじゃねェか、ひーちゃんッ!醍醐も呼ぼうぜ、ひーちゃんってさ」

 

「い、いや、さすがにひーちゃんは......」

 

「葵ちゃんも呼びましょうよ、ひーちゃん」

 

「ま、槙乃ちゃんまで......」

 

おろおろしている美里である。

 

「じゃあボクと京一と槙乃がひーちゃんねッ!」

 

「俺はどっちでもいいけど、それだと合わせて呼ばないと馬鹿にされてる感半端ないなこれ」

 

「じゃあボクはさっちゃん?」

 

「ほーちゃんかァ?きょーちゃんのがいいな。近所のおばちゃんに呼ばれてるみてーだけど」

 

「とーちゃ......ダメですね。まーちゃんで。あ、でもこれだと翡翠君もきーちゃんになっちゃうなァ......」

 

「うげッ、そーいや如月もきーちゃんになんのか?」

 

「龍君はダメですか?」

 

「はい、けってー!葵も呼ぼうよ、ひーちゃん」

 

「も......もう......小蒔......」

 

「まあまあ、葵は好きなときに呼ぶだろ。そんな急かすなよ、さっちゃん」

 

「はははッ、いよいよ男みてーだな、小蒔ッ!」

 

「誰がだよッ!」

 

「......なんかごめんね、た、たつま......」

 

緋勇は嬉しそうに笑った。

 

「もうそんな時期なんだな。頑張れよ、桜井」

 

「うんッ!えへへ、よかった。ボクがんばるよッ!なんたって醍醐クンに大事なお守り借りちゃったしねッ!」

 

桜井は醍醐が連戦連勝を重ねてきたお守りを借りたのが余程嬉しかったのか私達にも見せてくれた。

 

「タイショー、女に渡すプレゼントにおまもりはねーだろ!もっとまともなもんはなかったのか!」

 

「な、な、違うからなッ!?あのお守りは由緒正しき───────」

 

「あーはいはい」

 

「龍麻までッ......くそッ......」

 

「あーあー拗ねちまったよ、醍醐。おい、どこ行くんだよ、大将ッ!あーあー行っちまったぜ。からかいすぎたかな。まったく世話がやける野郎だぜッ。おい、醍醐!お前会場の場所知ってんのかよ、おーい!!」

 

「うふふ。口ではああいってるけど京一君、醍醐くんと小蒔のこと気にかけているのね」

 

「そうだな、すごく心配してるのがよくわかるよ。絶対認めないだろうけど」

 

「あの......龍麻はどう思う?2人のこと」

 

「凸凹コンビだけど案外上手くやるんじゃないか?」

 

「そうね.....うまくいくといいんだけど。ほら、小蒔って人のことには鋭いのに、自分のことになった途端に結構鈍いところがあるから。私たちもそろそろ行きましょうか」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖51

私達は桜井の最後の試合を応援しにやってきたはいいのだが、広大な敷地の女子校にすっかり迷ってしまった。どうにかこうにか校門に逆戻りである。

 

「だーくそッ、桜井の野郎なんで弓道場の場所書くの忘れてんだよッ!まったく、そそっかしい奴だぜ。ここでこうしていても埒があかねェし......。とりあえずどうするよ、ひーちゃん」

 

「また迷子になったらいみないし、だれかが校舎に入ってみるか?受付の人に聞いたらわかるだろ」

 

「よっしゃ、なら俺がッ!」

 

「きょーちゃんは俺達と大人しくしてような~」

 

「お前がいったら話がややこしくなるから絶対にいくな」

 

「だーくそっ、離しやがれ2人ともッ!お嬢様が俺を呼んでんだよッ!」

 

「あはは......じゃあ、聞いてきますから待っててください。葵ちゃん、あとのことは頼みます。ここ女子校ですから龍君たちだけだと怪しまれますし」

 

「ええ、わかったわ」

 

「おう、よろしくな、まーちゃん」

 

私は急いで校舎にむかう。受付の人にパンフレットをもらって印をつけてもらった。帰ってくるとなにやらトラブルになっている。こちらにまで声が聞こえてくる大きさだ。

 

「おいコラッ、そこのッ!!人のガッコでなに騒いでやがんだよッ!見慣れねぇ制服だな。どこのモンだ!?」

 

「なんだ、てめェ」

 

「こっちがさきに聞いてんだッ!返答次第じゃ痛い目みるぜッ」

 

「おい......なんだかすげぇ女が出てきたぜ」

 

「う、うむ......」

 

「こいつに比べりゃ、桜井の方がまだ、カワイイもんだ」

 

「桜井だって?お前ら、まさか小蒔の知り合いか?」

 

「あァ、さっちゃんは俺達の友達なんだ。クラスも同じだし、よく遊んでる」

 

「さ、さっちゃんッ!?めっちゃ仲良さそうだなッ??ふーん......そんなに仲良い小蒔の友達ねェ......。あいつにこんなガラの悪い友達がいるとはね」

 

「お前こそ、なにものなんだよッ!?ここはお嬢様校じゃねェのかよ」

 

「おッ、お嬢様じゃなくて悪かったなッ!!お前らこそ、用がないならさっさと帰れッ!!」

 

「なッ......なんだとォ~ッ!!」

 

「こら、よさないか、京一!!」

 

「きょーちゃん白熱しすぎだぞ」

 

「あ、あの......」

 

「ん?」

 

「私たち、今日は小蒔の最後の試合を応援にきたんです。ゆきみヶ原と方にはご迷惑はおかけしませんから、弓道場の場所を教えて頂けませんか?」

 

「......あんたもしかして、美里葵か?」

 

「えッ......は、はい」

 

「そうか。あんたのことは小蒔から聞いてるよ。へー、ふむふむ。なるほどねェ」

 

「あっ......あの......」

 

「小蒔が惚れるのも無理ねェなァ。噂通りの美人だぜ」

 

「あの......」

 

「はははッ、わりィわりィ。弓道場ならそこを左に行った建物の裏にあるぜ?急いだ方がいい」

 

ようやくついた私は笑うしかない。

 

「お待たせしましたッ!っ......て、雪乃ちゃんじゃないですかッ!」

 

「その声はまさか......やっぱり槙乃じゃねェかッ!?なんだよなんだよ、アンタら小蒔だけじゃなくて槙乃の友達だったのかッ!それならそうと早く言えよなッ!槙乃もだぞ、小蒔と友達ならなんで一緒に遊ばなかったんだよ、水くせぇなァッ!」

 

ばしばし肩をたたかれてしまう。

 

「小蒔ちゃんの友達って雪乃ちゃんたちだったんですね!知らなかったんだから仕方ないじゃないですか。でもまさか会えるとは思いませんでしたよ。てっきりもう会場にいるものだとばかり」

 

「いやぁ、オレもそのつもりだったんだけど先生から呼び出しくらっちゃってさ」

 

「なにィッ!?まーちゃん、お前こいつと友達なのかッ!?」

 

「まーちゃッ......!?おいおい槙乃、俺がいうのもなんだがマジで友達は選んだ方がいいぞ......?」

 

「んだとこらー!」

 

「まあまあ、京君もおちついてください。雪乃ちゃんは翡翠君と同じく幼馴染なんです。実家が織部神社という歴史ある神社で、巫女さんなんですよ」

 

「そうなんですか!?すごいですね」

 

「ありがとうなッ、美里さん。さすがは小蒔の親友だ。どいつもこいつもコイツか巫女ッ!?って反応しやがるからな、そこの木刀バカみたいに」

 

「誰がバカだよ、誰がッ!」

 

「おっとこうしちゃいられないな。雛乃と小蒔の最後の対決見に来たんだろ?時間が無いから案内してやるよ。きなッ」

 

そういって雪乃は私たちをよぶ。走っていってしまうものだから、私たちも全力疾走する羽目になったのだった。

 

「アン子とさっちゃん足して割ったら雪乃だな」

 

「まったく、類は友を呼ぶとはまさにこの事だぜ。槙乃も似たようなとこあるしよォ」

 

「ははは、とにかく急ごう。もう桜井の試合がはじまっているかもしれん」

 

ギリギリ間に合った最後の試合にて、桜井はあっとうてきな実力を見せつけた。あんなに離れた小さな的によくあてられるものである。みんなで感想をいいあっていると桜井がやってきた。

 

「お待たせしました、小蒔様」

 

傍らには雪乃そっくりの少女がいる。

 

「もうッ、様はやめてよ」

 

「ふふふ、そうは参りません。小蒔様はわたくしの大切な人ですもの。こちらが小蒔様がいつも話してくださるご学友の皆さまですの?」

 

「うん。同じクラスの葵と醍醐クン、それから緋勇龍麻クン」

 

「初めまして、皆さま。わたくし、織部雛乃と申します。今後ともよろしくお願いいたします」

 

「それで、隣のクラスの......」

 

「まあ、槙乃様。小蒔様のお友達でしたのね」

 

「えっ、そうなの槙乃ッ!?なんだァ、友達ならもっと早くにいってよ!」

 

「知らなかったんですよ~ッ!二人はおばあちゃんの繋がりで幼馴染なんです。翡翠君みたいに大事な話があるときくらいしか行かないんですもん。学校に来たのはこれが初めてなんですよ。だいたい私もさっき知ったばかりなんですよ、雪乃ちゃんに案内してもらって」

 

「あー、なるほどッ!ボクもよく相談に乗ってもらうもんね。わかるよその気持ち」

 

「こっちこそよろしくな」

 

「ええ、こちらこそよろしくお願いいたしますわ」

 

「あのー、桜井さん、誰か忘れてないでしょうか」

 

「あははははッ、雛乃。こっちが一応友達の京一ね」

 

「俺は一応かッ!!」

 

「ふふふ」

 

「それにしても、雛乃さんてさっきの人に似てるわ」

 

「うむ、俺もそう思っていたところだ。雰囲気は全然違うがな」

 

「あれ、もしかしてみんな、雪乃に会ったの?雪乃はね、雛乃の双子のお姉ちゃんなんだ。まっ、性格は雛乃と正反対だけどね。長刀部の部長で薙刀の師範代の腕をもってるから、京一なんて簡単にのされちゃうかもね」

 

「そいつは大袈裟だぜ、小蒔」

 

「あッ、雪乃」

 

「よッ」

 

桜井と雛乃のあいだに飛び込んできた雪乃は笑った。

 

「なあ、まーちゃんの幼馴染ってことは、やっぱり事情を知ってるんだよな?」

 

「あ、もしかして、2人とも《力》を?」

 

緋勇たちの言葉に2人は頷いたのである。そして女子校を後にした私達は、そのまま荒川区の織部神社にやってきた。400年前に立てられた立派な神社である。雪乃は雛乃が難しい話をする気配を察知するやいなや掃除をしてくると言っていなくなってしまった。

 

《力》について桜井は相談したことがあったらしい。

 

「わたくしと姉様は二人でひとつの《力》。弓と薙刀、携える武器は違えども志は同じですわ」

 

そういって巫女の姿で私たちを客間に通してくれた雛乃は、この神社の謂れを話し始めた。

 

この地方の武家にいた侍がいた。心優しく、民を思い、慕われていた。ある日、道に迷った女を助けた侍は変わってしまった。女に恋をしたからだ。女は都の姫君で、許されぬ恋だった。侍は自分の身分と無力さを呪い、この土地に眠る龍神を起こし、姫を奪うために三日三晩都に嵐を起こした。都の軍勢は侍の屋敷に攻め込んだが、侍の姿はなかった。そこにいたのは醜くもおぞましい異形のもの達。それはだいちの裂け目から現れた鬼と自らも鬼になった侍だった。やがて鬼はうちとられ、屋敷は焼かれた。そして、人々は屋敷跡に社をたて、霊を弔った。それか織部神社のはじまり。

 

どこかで聞いた話である。

 

「緋勇様、あなたは光も闇も共存する険しい道のりの陰の未来、あるいは光の下でみなが生きていく道のりの陽の未来、どちらをお望みですか?」

 

「じいちゃんがいってたんだ。この世の森羅万象は陰と陽からなる。その理を違えることはなんびとたりとも叶うことは無い。陰は陽を離れず。陽は陰を離れず。陰陽相成して、初めて真の勁を悟るって。光には影が伸びるようにきってもきれない関係だ。なら、陰の未来がいいんじゃないかな」

 

「へぇ、アンタのじいちゃんいいこというじゃないか」

 

「俺の親代わりだからな」

 

雪乃と雛乃はうなずいた。満足いく答えだったらしい。2人は仲間になってくれた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖52

 

佐久間が行方不明になってから1週間がすぎた頃。

 

「おっはよ~ッ!槙乃、待たせたわねッ!やっと治ったわよ、夏風邪ッ!」

 

「アン子ちゃん!よかった、心配してたんですよ~ッ!」

 

「いやあ、あたしとしたことが。まさかここまで拗れるとは思わなかったわァ。心配かけてごめんねッ!で、今おっかけてる事件てなにかしら?」

 

私はさっそく遠野に事情を説明するのだ。

 

「なるほど~......佐久間がねェ。いつかはやらかすと思ってたけど、ここまでやっちゃうかァ。ただの三下で終わっとけばよかったのに」

 

遠野は私達が調べあげた佐久間の動向をみながらいうのだ。

 

「お礼参りが終わってから音沙汰無しかァ。なるほどね。槙乃、ちょっとこれみてくれる?」

 

「火事ですか」

 

「そうなの。どうも近くで起こってるみたいなんだけど」

 

遠野は拡大写真をみせてくれた。いつものごとく電脳部をこき使っているようだ。

 

燃え尽くされている現場には、奇妙な幾何学模様が残されるといた。大規模、小規模にかかわらず火災が起こったあと模様があった。

 

「これは......」

 

「炎角が今回関わってるっていうじゃない?なんか魔術師もかかわってるみたいだし。なんか気になるのよね」

 

「すごいです、アン子ちゃん。全然気づかなかった」

 

「まあね。でも、槙乃だってすごいじゃない。龍麻達と人知れず沢山の事件を解決してるし、化け物を倒してる。あたしには、そんな力無いもん。だから、裏方に徹するの。最高の裏方にね」

 

「アン子ちゃん......」

 

「あたしに危険なことはして欲しくないって止めても無駄よ。本当に危なくなったときは助けてよね」

 

遠野はそう言って笑ったのだ。

 

「最近は新宿でまたこの幾何学模様増えてきたみたいね、気をつけなさいよ」

 

「幾何学模様......気になりますね。ミサちゃんもう学校に来てるかな?」

 

私は霊研にいくことにしたのだった。その途中で私はなんだかソワソワしている美里を見つけた。

 

「あ、おはよう槙乃ちゃん。小蒔と醍醐君みなかった?」

 

「おはようございます。えっ、まだ来てないんですか、2人とも?」

 

「そうなの......」

 

美里は心配そうに外を見ている。最近私達は一人で帰らないようにしていた。2人の時もあるし、みんなで帰る時もあったが、昨日はたまたま醍醐と桜井は2人で帰ったのだ。

 

「レスリング部室にはいってみました?」

 

「ええ......まだ鍵がかかっていたから、誰も......」

 

「心配ですね......葵ちゃん電話は?」

 

「いえ、校舎内を探してからにしようと思って」

 

「なら、私が校舎内を探してみます。葵ちゃんは電話かけてみてください」

 

「ええ、わかったわ。ありがとう」

 

私は美里と別れて校舎内を回ってみたが、さすがに予鈴がなる直前なのに2人の姿がどこにもない。走って教室に戻る途中、私は美里を捕まえた。

 

「ダメです、どこにもいません。マリア先生は欠席の電話は受けてるのに家庭の事情としかいわれてないようです」

 

「私もダメだったわ......小蒔も醍醐君も昨日から家に帰ってないみたい。ただ、2人とも昨日おうちに電話を入れてるみたいなの」

 

「えっ」

 

「龍山先生って覚えてる?」

 

「醍醐君のお師匠様ですよね?」

 

「ええ。知らなかったのだけれど、小蒔のお爺さん、龍山先生と知り合いらしくて。龍山先生から連絡があったから心配しなくても大丈夫だって......」

 

「今、龍山先生のところにいるってことですか?」

 

美里はうなずいた。そして、緋勇や蓬莱寺たちが来たことで事態は一気に動き出す。昼休みになっても2人が来なかったからだ。

 

蓬莱寺が今から2人を探しに行こうと言い出したのだ。《星の精》は今の時間帯なら密偵をすることはない。なら今しかないというわけだ。そしたら、美里が裏密に占いをしてもらったり、アン子に色々協力してもらったりしたらどうだといってきたのだ。緋勇が天野記者から情報提供してもらう手もあるといいだしたものだから、別れて中央公園にいくことになった。

 

「まーちゃんか......なんの用だよ」

 

「一人で行かせるわけにはいかないので」

 

「はッ、そーかよ。いや、お前が来るような気はしてたんだ。ひーちゃんは美里といってんだろ?女ばっかで探すとか《星の精》の餌食になるようなもんだしな。悪かったな。今は落ち込んでる場合じゃねェってのに」

 

「頼りにしてますよ、京君」

 

「......そうだな。しっかし、なんでなにもいわねェでいなくなったんだよ、醍醐も桜井も......。電話できるなら俺達に連絡よこしてくれたっていいじゃねェか......。俺達は仲間じゃねぇのかよ。俺達のこと仲間だと思ってなかったってのか」

 

「実は最近、中央公園近くで幾何学模様ができる火事が発生しているようなんです。気になりませんか?」

 

「中央公園?」

 

「考えてみたんです。龍山先生の家はたしか中央公園の先にありました。佐久間君の動向がわからなくなる直前、あの辺りで騒ぎを起こしています。毎回火事も近くで起きてた。もし帰りに佐久間君か《星の精》に襲われたなら、醍醐君なら龍山先生を頼るとは思いませんか」

 

「まーちゃん......そうだよな、あいつの考えそうなことだ。なら、行かなきゃいけないよな。あいつは心のどっかで俺達が来るのを待ってるはずだ。なんだって助けてくれっていわねえのかわからないが」

 

「なにか、あったんでしょうか?」

 

「なにって、なにがだよ」

 

「なにかが」

 

冷静さを取り戻したようでなによりである。

 

「真っ直ぐに向かいますか?」

 

「いや......ちょっと待ってくれ。まえ、如月に醍醐から目を離すな、あいつの《氣》は特徴的だからって言われたことがあるんだよ。あんときは気にも止めなかったんだけどよ」

 

「翡翠君が?気になりますね。ひーちゃんに声掛けてから、いってみましょうか」

 

「ああ。なにかのてがかりになるかもしれねェしな。よし、それじゃあ行こうぜ」

 

私達は北区に向かった。

 

「誰もいねぇな......おーい、如月ッ!ちっ、留守か......にしても不用心なやつだぜ。これじゃあ盗まれたってわからねェんじゃねェのか?」

 

「───────心配はいらないよ」

 

「どわっ!!」

 

「やァ、いらっしゃい」

 

「いるのかよ!いるなら返事くらいしやがれ!」

 

「すまない、ちょっと荷物の整理をしていたんだ。それにしても珍しい組み合わせだね、どうしたんだい?」

 

「ん?あっ、ああ......実はよォ、お前に聞きたいことがあってさ───────」

 

「店に入ってきた時からだいたい予想はついていたよ。やはりそうか」

 

「教えてくれッ!あいつになにが起こったのかっ!いったいあいつはどうなっちまうのか!」

 

「わかった───────僕が今から話すことをよく聞いて欲しい。これは君たちにとって、いや君たちの戦いにとってらふかく関わってくることだ......」

 

「人は生まれながらにして《宿星》というものを持っている。《星宿(せいしゅく)》ともいうんだが、元々は古代中国で星座を示す呼び名でもある。そして、人はそれぞれ天が決めたその《宿星》の運命のままに一生をおくると言われている。僕もそして君たちも《宿星》をもって生まれてきているんだよ」

 

「......」

 

「特に強い《宿星》をもつ人は大きな因果の流れの中にいるといってもいい。たとえば君たちのように───────。君は《四神》というのを聞いたことがあるかい、京一君」

 

「あー、玄武だ白虎だっていうあれか?」

 

「そうだ。醍醐君はその《白虎》の《宿星》をもって生まれた人なんだ」

 

「白虎ォ?」

 

東に流水あるを青龍

南に沢畔あるを朱雀

西に大道あるを白虎

北に高山あるを玄武

東に九なる柳もって小陽とし―――

南に七なる桐もって老陽とし―――

西に八なる梅もって小陰とし―――

北に六なる槐もって老陰とし―――

その四印もって相応と為し、

天地自然の理を示すもの也

 

かつて、この街を守護していた天海大僧正はそういった。

 

「そう。醍醐君はたしか杉並区の生まれだろう」

 

「あ、ああ」

 

「杉並区はこの新宿の西、白虎は西の守護の星をもっている。醍醐君は間違いなく白虎の《宿星》をもっているといっていいだろう」

 

「なんでそんなことがいいきれるんだよ!」

 

「僕にはわかるんだ」

 

「なんだよ、そりゃ」

 

「おそらくだが、不安定な《龍脈》の影響で急激に覚醒してしまったんだろう。彼は《力》にとまどっている。それは妖魔になりかけたわけでも《力》に飲まれたわけでもない。その誤解はたださくてはならないね。きっと《鬼道衆》は彼を狙ってくるだろう。急ぎたまえ、彼を救えるのは君たちだけだ」

 

「よし、まーちゃん。いこうぜ!」

 

「───────......。連絡先を教えてくれないか。なにかわかったら連絡するよ」

 

「あァ」

 

私達は如月骨董店をあとにした。

 

「あの時、もうちょっと話聞いてやればよかったか......?」

 

「なにかあったんですか?」

 

「あァ」

 

蓬莱寺は話し始めた。それは数日前の真神学園の屋上での出来事だ。蓬莱寺と緋勇は醍醐に呼び出されたという。

 

「なあ、龍麻、京一」

 

「なんだよ、大将」

 

「なにかあったのか?」

 

「お前たちからみて、最近の佐久間はどう思う?」

 

「しらねェよ。俺には男を観察する趣味はねェからな」

 

「そうか......」

 

「俺は今の佐久間しか知らないけど、俺が葵って呼び始めてから絡まれる回数が激増してるよ。降りかかる火の粉は払うけど、葵たちにまでやつあたりするのはいただけない」

 

「そうか......前はもう少し大人しかったんだがな......」

 

醍醐は空を見上げた。

 

「俺はな、2人とも。この頃よく考えるんだ。俺達がもつこの《力》はなんのためにあるんだろう......ってな」

 

「......」

 

「なんのためにか」

 

「《力》をもつ者と持たざる者───────、その違いは一体どこなんだろうって考えるのさ」

 

「ちッ。まあたお前はそんな辛気臭ェこと考えてんのかよッ。いーじゃねェか、別にどっちでもよ。別にあって困るもんでもねェだろうが。それによ、他人がもってねェモンもってるって事は、気分がいいじゃねェか」

 

「......はははッ。お前らしいな」

 

「醍醐の質問にはいまいちよくわからないところがあるから答えられないけどさ。《鬼道衆》や赤い髪の男みたいに持たざる者に持たせる奴がいるのが問題じゃないのか?俺達はたまたま《力》をもてたけど、《力》に飲まれて破滅したり、妖魔になって消えたり、俺達がいなきゃ人として死ぬことすら許されなかった人がどれだけいると思う?助けられたと思う?それだけで価値があると思うけどな。俺は二度と莎草みたいなやつを出したくない。だから俺はここにいるんだ」

 

「......龍麻には辛いことを聞いたな、すまん。お前のそういう所にはいつも助けられる。そう考えられるように俺もなりたいんだがどうもな......」

 

「ふんッ。ったりめぇだろーが、お前はひーちゃんじゃねーんだからよッ。美里もお前も余計なこと考えすぎだぜッ」

 

「......そうかもしれないな。だがな俺は思うんだ。人として生きていく上でこんな《力》は必要なのか......ってな。たしかに俺達はこの《力》のおかげで命を助けられたこともあった。だが、平凡な人としての生をまっとうできず、愛する者をも《力》のために失わなければならないとしたら」

 

「......」

 

「醍醐......」

 

「俺はそんな《力》は欲しくない。欲しいというやつにいつでも喜んでくれてやるさ」

 

「醍醐、お前......」

 

「俺はこれ以上何かを失うのはごめんなんだ」

 

「......」

 

「《力》を失って助けられない命より、失う命の方が怖いんだな、醍醐は。まあ、家族や友達危険に晒すしな......先生にもそうやって止められたよ。だから俺は一人できたわけだけど」

 

「龍麻は強いな......。俺は今の佐久間に凶津を重ねてみているのかもしれない。誤解がとけないまま、危うく死ぬところだったからな」

 

「醍醐......」

 

「......」

 

「ちッ、しょーがねェヤツだぜ。凶津が助けられたのは、紗夜ちゃんの《力》のおかげだ。忘れたのかよ、あんとき俺達一回死んでるんだぞ。ひーちゃんしか覚えてねェからんなあまっちょろいことがいえるんだッ!!」

 

「おい、京一」

 

「ひーちゃんは黙っててくれ。たしかに佐久間は俺達のことをよくは思ってねェだろうさ。特にお前と自分の実力差ってもんを感じてんだろーぜッ。お前があいつのこと心配してんのはわかるがよ───────、それが佐久間に伝わるかはわからねェぜ。やつにお前の気持ちを受け入れるだけの余裕はねェよ」

 

「......」

 

「そもそも水岐みてェに《力》をすでに手に入れちまってんだ。おせえんだよ。あんまりうだうだいってると、いざって時取り返しのつかねェことになるぜ」

 

「そうだな......」

 

「まッ、それがお前のいいとこなんだけどよ。あんまおもいつめすぎんなよ」

 

「そうだよ、醍醐。まずは佐久間を見つけるのが先だ」

 

「......」

 

「俺はなァ、醍醐。何が起こるかわからねェ日常の中で、絶対に護らなくちゃならないもん抱えちまったお前のがよっぽど心配だぜ」

 

「京一......」

 

「なんのための仲間だよ、醍醐。なんでもかんでも背負い込まず、ひとつくらい寄越してくれてもいいんだ」

 

「龍麻......」

 

醍醐は息を吐いた。

 

「すまん」

 

やれやれと蓬莱寺は夏空を見上げる。

 

「ぜってー他にはいうなよ、特にまーちゃんにはな」

 

「ああ、わかってるさ。余計な気を使わせてしまう。ただでさえ槙乃は前々から佐久間が《鬼道衆》に利用されそうだと心配していたからな」

 

「行動に起こしたのもまーちゃんだしな」

 

「実際利用されてんだから世話ねェぜッ!こっちがどんだけ探してるか知りもしねぇで!しかもまーちゃんの死相の原因だろ、今のタイミング的に考えてよッ!だーくそ、なんでどいつもこいつもッ!!」

 

蓬莱寺は苛立ったように叫んだのだった。

 

「えーっとォ......ごめんなさい......」

 

「いや......俺もごめんな。話してるうちに思い出しちまった」

 

「あはは」

 

中央公園に到着すると緋勇たちが待っていたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖53

以前きた時には抜けるまで1時間ほどかかっていたはずの龍山邸の竹林。それは昼間にもかかわらず真っ暗い、どこまでも暗い竹林だった。ここは一体どこだろうか。自分は誰で、どこへ行くのだろうか。竹はまっすぐのびていくだけ。立ち止まりながら、迷いながら、どうしようも無くなってくるほどの不安の先に現れたはずの龍山邸。櫛の歯のように生えている竹林にさしこんでいる太陽の光が、苔の生えた地面に、雨のようにそそいでいたはずの竹林の中の荒屋。実際は直線距離にして数百メートルも離れてはいなかった。

 

焼け野原である。何もかも無くなった荒屋の向こうには、空を焦がす真っ赤な炎があった。

 

竹がポンポンいっていている。焼けて弾ける音が響いていた。火は竹林に住燃え移り全焼、龍山邸敷地内をすべて飲み込もうとしている。バキバキッ、バキバキッと、ものすごい音がする。竹の割れる音と風にあおられて強くなる火の勢いに、恐怖を感じる。

 

乾燥した落ち葉は次から次に消したあとから煙をだしてまた発火を繰りかえしていた。

 

「これは......」

 

「小蒔たち、大丈夫かしらッ!?」

 

「あの野郎、なあにが大丈夫だよッ、クソッタレェッ!」

 

「まーちゃん、どうだ?入れそうな場所はッ!?」

 

私は《如来眼》により解析をこころみる。

 

「これは普通の火事じゃないです、呪術によるもの。周囲から認識を阻害する結界がはられていたんですが、それを無効にするために放たれたようです。消防車じゃ消えないですよ、術者を倒さないと!《鬼道衆》が襲撃した道があります、いきましょう!」

 

私は走り出す。なんの躊躇もなく火の中に飛び込むと不思議とその領域だけは周囲と隔絶されているのか、火にまかれることもなく平然と竹林が原型を保っていた。

 

「ぎゃあああ!」

 

男の声がした。そちらに向かうと赤い鬼の面をした忍たちがなにかを取り囲んでいる。

 

「......まさか、醍醐か?」

 

「話には聞いていたけど、本当に......?」

 

「はははッ、マジモンの虎じゃねーか」

 

見上げるほどの巨大な真っ白い虎が猛々しく咆哮した。竹林が揺れる。それだけで近くにいた忍びたちが吹き飛ばされてしまった。

 

「あれが《白虎》......醍醐君の《氣》そのものですね。自我はあるはずです」

 

全身は白いが、普通は黒い縞が残っている。これこそが細長い体をした白い虎の形をしている四神の一柱であり、西を守護する《白虎》なのだろう。姿はその名の通り白い虎であり、数百の獣虫(哺乳類)の王とされる。キトラ古墳では東洋龍のような長い身体で描かれている。

 

「西」という方角は、二十八宿(古代中国における星座)において西に位置する「奎・婁・胃・昴・畢・觜・参」を連ねたものを虎に見立てた事から来ており、五佐においては蓐収が同じ方角に当てられている。

 

「白」という色は、五行において西が金、金が白である事に関連しており、四神の中で、四神として定着するのが最後であったと言われており、それまでは麒麟や咸池(伝説上の池・海)が当てられる事もあったという。

 

中華圏ではライオンではなく、虎が百獣の王とされ、さらに白い虎はその中でも五百年を生きて霊力を得た誉れ高き獣の王とされていた。 ただし、儒教において最高の徳目は「仁」である。

 

中国の古代神話中で、妖邪達を最も恐れさせた、法力無限の四大神獣は、青龍、白虎、朱雀、玄武の四獣。西は白をなし、故に白虎は西方の神様で、青龍とともに邪を沈める神霊。同時に白虎は戦いの神でもあり、邪を寄せ付けず、災いを払い、悪を懲らしめ善を高揚し、財を呼び込み富を成し、良縁を結ぶなど多種多様な神力を持つので、権勢や尊貴の象徴でもある。

 

虎は百獣の王で、その猛威と伝説中の妖怪を打ち滅ぼす能力により、陽の神獣とされるようになり、よく龍と一緒に出てくる。"雲は龍から、風は虎から"といい、魔物たちが最も恐れる存在となったのだ。戦神でもあり、殺伐の神。邪を寄せ付けず、災いを払い、悪を懲らしめ善を高揚する。

 

「なにか様子がおかしいわ」

 

「さ......くま......。おれ......は......俺は......お前を......佐久間......」

 

「醍醐クン......?」

 

「小蒔!」

 

「触るな───────ッ!!俺に触るな、桜井......俺は佐久間を───────、俺は......」

 

「醍醐クンッ!!」

 

「お前もみただろう?さっきの俺の姿を......俺はさっきまで虎だった。そして佐久間をこの手で殺したッ!」

 

「違うよ、佐久間は妖魔になってたじゃないかッ!ひーちゃんと同じだよッ、莎草クンみたいに妖魔にッ!それに水岐クンみたいにあの宝玉転がってるしッ!ボクたちだけじゃ初めから───────」

 

「違う......違うんだ、桜井。俺は《力》が制御できなかったんだ......」

 

「待ってよ、醍醐クンッ!」

 

「......」

 

「やだよ、そんなのッ!!醍醐クンッ!!」

 

「あの野郎ッ、だからいったんだよ、くそったれ!!」

 

「醍醐君は私達に迷惑がかかると思って......」

 

「あいつは前からそうなんだよ!てめぇ勝手に決めつけんなってことまで背負い込んで自爆しやがるんだ!くそっ、そんなに俺達が頼りにならねェってのかよ!」

 

「京一君......」

 

「ほんとだよ......ひとりで苦しむくらいなら吐き出せってまえにもいったのにな。俺が莎草倒す時になんの迷いもなかったと思ってんのか。買いかぶりすぎなんだよ、醍醐は」

 

「ほんとだぜ......頭真っ白になりやがって......見つけ出して1発ぶん殴ってやらなきゃ気がすまねェぜ」

 

蓬莱寺はそういうや否や飛び出していく。

 

「おいこら、醍醐ッ!なあにひとりで師匠守ろうとしてんだよッ!ひとりだけでいいカッコしようったってそうはいかないからなッ!」

 

そして木刀を突きつけた。《白虎》は怯むように後ずさる。

 

「......京一......なぜここに......」

 

「俺だけじゃねェッ、みんなお前を心配してんだよ!なあ、ひーちゃん!」

 

「醍醐、さっきの話聞かせてもらった。大丈夫、まーちゃんによれば今の醍醐の《氣》は妖魔によるものじゃないってさ」

 

「龍麻......いや、ばかな、そんなはず......」

 

「如月がいってたぜッ!お前の《力》が不安定な《龍脈》のせいで急激に覚醒しただけだってよ!大丈夫、俺達はその程度で見捨てたりしねェよッ!」

 

「......」

 

《白虎》は沈黙する。

 

「話はあとだな、どうやら本命が現れたようだぜ」

 

「......佐久間だ......俺が殺したから......復讐に......」

 

「何度も言わせるな、醍醐。佐久間は《鬼道衆》に《5色の摩尼》を埋め込まれて《鬼道》をかけられたんだ。今日わかったことなんだけど、夜になるたびに佐久間が騒ぎを起こした現場で火事が起きてたんだ。初めからこのためだったんだよ。醍醐たちをやき殺す気だったんだ」

 

緋勇の言葉に《白虎》が咆哮する

 

「嘘じゃない」

 

「そうだよ~、醍醐く~ん」

 

裏密が笑った。そして話し始める。《鬼道衆》の忍びたちはその邪神にひれ伏すように下がる。その先には結界を崩壊させたヤマンソという邪神がいた。

 

別名:星々からの貪食者、外界での執拗なる待機者

 

炎の神性であり有名どころのクトゥグアというニャルラトホテプの天敵と強さは同等とされているが、時に自身の崇拝者の願いを聞き届けてくれるクトゥグアと異なり危険な存在である。

 

理由は二つ有り、一つはこの神の望みが人類の壊滅にある事で、その理由は不明である。もう一つは別名のとおり貪欲な捕食者であり、召喚者といえども安全ではないからである。それ故、ヤマンソの召喚時にはヤマンソの気を引けるだけの生贄を用意し、又、ヤマンソが出現する魔方陣の外に出られないようにしておく事が肝要である。それでも失敗して捕食される可能性が存在する。

 

ふだんは魔方陣を用いたクトゥグアの召喚時にクトゥグアの通り道となる外の次元に潜んでおり、地球へ至る道が開くとそこから出て来ようとする。これが、もう一つの別名の由来である。その為、魔方陣を用いたクトゥグアの召喚は速やかに行われなければならず、呪文を間違えたりして召喚に手間取っていると、ヤマンソが出現してクトウグアを召喚しようとしていた者を捕食(クトゥグアに殺されたとされている事件の幾つかは、実はヤマンソの仕業であると言われている)してしまう。

 

しかし、この事は逆に言うと敵が魔方陣を用いてクトゥグアを召喚しようとしていた場合、それを邪魔する事で敵陣にヤマンソを出現させ敵を捕食させる事か可能という事であり、それどころかクトゥグア召喚後であっても魔法陣がそのままであればヤマンソが出現する可能性も存在するのである。

 

これを利用して炎の生物たちを召喚した敵の魔道士を逆にヤマンソに喰わせた者もいる。この時、ヤマンソの怖さは炎の生物たちにも知られていたらしく、炎の生物たちは瞬時にこの次元より撤退している。しかし、基本的にヤマンソは人間と相容れないので、信者になるのならクトゥグアの方がずっとお勧めである。

 

裏密のいうとおり、巨大な炎の塊のようなクトゥグアとは対照的にヤマンソの外見は小さく、中に三つの花弁状の炎を見せる宙に浮かぶ炎環の形を取っている。

 

「これに記述があるの~」

 

裏密はネクロノミコンをかかげた。

 

「五芒星を描いて次元の扉を開く方法で容易に召喚可能なんだけど~、召喚者自身が喰われる可能性があるの~。だから~ヤマンソの気をそらす生贄がいるのよね~。たとえば~」

 

「まさか......」

 

「そのまさかよ~、槙乃ちゃ~ん」

 

裏密がいおうとしていることを悟ったのか《白虎》はいよいよ沈黙してしまう。唸りながら《鬼道衆》とヤマンソをむく。

 

「ヤマンソ降臨の贄にされちゃったのね~、佐久間く~んは~」

 

「貴様らァッ!!」

 

「そうだぜ、醍醐ッ!お前は佐久間を人として終わらせたかっただけだ。そうだろ?」

 

「佐久間の仇はとらせてもらう。お前らがいなけりゃ、ここまで落ちることはなかったんだからな」

 

「なんてことを......絶対に許せないわ」

 

「炎角はおそらくこの先にいるはずです。急ぎましょう」

 

私の言葉に《白虎》の瞳が揺れた。佐久間の贄から召喚されたヤマンソから逃げてここまできた醍醐たちは、炎角の刺客だという意識が抜け落ちていたようだ。結界が機能していない今、龍山先生の命が危ない。それを悟ったらしい《白虎》がはしりだす。

 

「ふたてにわかれようぜ、ひーちゃん!」

 

「わかった。ヤマンソは引き受けるから京一たちは先にいってくれ!如月たちの参戦はこちらの方が期待できるからな。頼んだ」

 

「おうよ!」

 

「葵ッ、気をつけてね!」

 

「小蒔も無茶しないで!」

 

「まかせて!案内するよッ、こっち!」

 

私達は急いで廃屋に向かったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖54

結界の崩壊が進むにつれて、竹林がだんだん火に巻かれていく。追い立てられるように私達は走った。

 

《いあ!いあ!はすたあ!はすたあ くふあやくぶるぐとむぶぐとらぐるん ぶるぐとむ!あい!あい!はすたあ!》

 

特殊な粉末が混入した蜂蜜酒を煽り、呪文を唱える。私の真下に魔法陣が形成され、召喚が成功した。

 

「バイアクへー、お願いしますッ!龍山先生を護ってくださいッ!!」

 

私の叫びにバイアクへーは禍々しい咆哮をすると風を産み落として空高く舞い上がり、私達のはるか先方にいってしまった。

 

しばらくして、私達は炎上する荒屋の前で炎角と対峙する龍山先生の姿があった。バイアクへーが炎角の《鬼道》から龍山先生の盾となってくれていたようだ。

 

「魔風の化身を寄越してくれたようで助かった。礼をいうぞ、槙乃さん。おいぼれ故に歳には勝てんのでな、ふぉっふぉっふぉ」

 

そのわりには元気そうだし、炎角もダメージを受けているようだ。

 

「フンッ......やっともどってきおったか、馬鹿弟子めッ!匿ってやったのにノコノコと危険に飛び込んでいきおって」

 

「先生......」

 

「やっと腑抜けが間抜けに戻りおったわ。桜井さんには礼をするんじゃぞ、男のくせに情けない」

 

「はい......」

 

《白虎》は私達と共に《鬼道衆》とあいたいする。

 

「《鬼道衆》てめえッ、一体何が目的なんだよッ!俺達の周りの人たちばっか巻き込みやがって!!」

 

蓬莱寺の叫びに炎角は高笑いした。

 

「貴様らはそんなことも知らずに《鬼道衆》の邪魔だてをしているのか?聞いて呆れるッ!《鬼道衆》は《菩薩眼》の《力》をもつ女を探しているのだ。こうして《龍脈》を活性化させていく中で《力》に目覚めている者の中に必ずいる」

 

「菩薩眼?」

 

「菩薩って、あの菩薩?仏様の?」

 

「菩薩は優しい慈悲の眼で衆生を見つめている。その名に相応しく、森羅万象を操り、あらゆる怪我、病毒を治癒し、死という因果すら克服することができる究極の《力》───────!」

 

桜井が反応した。

 

「もしかして、織部神社に奉納されている絵巻物に書いてあったやつ?!」

 

「知ってんのか、桜井?」

 

「ウンッ、ボク見たことあるよッ!鬼に攫われている女性が描かれていたんだ。鬼がそれを狙う理由は定かではないけれど、江戸時代に人と鬼の間で《菩薩眼》を巡る戦いがあったのはたしかだろうって。当時の書物には《鬼道衆》と呼ばれていたんだ」

 

「まさか、じゃあてめえらの目的は東京の壊滅よりも不安定な世相にして《龍脈》を乱し、《菩薩眼》の《力》を覚醒させることか!なんだって俺達の周りの人間をまきこみやがるんだよ!!」

 

炎角は高笑いした。

 

「《菩薩眼》の《力》が覚醒する時、かならずツイとなる《力》が覚醒するのだ。これすなわち《如来眼》!《龍脈》をみて、《力》ある者たちを見出し、時に助ける《力》!如来の目は三昧(さんまい)といって心を静めて乱れず集中している状態を表す禅定の相だ。そう、お前のようにな」

 

私は強ばるのを感じた。まさか、という視線を仲間たちから向けられる。ここで言及されるとは思わなかった。

 

「そう、天野愛......《アマツミカボシ》の転生体よ......。貴様こそが今回の《如来眼》の使い手。おのれ、なんのために時諏佐家の若い女共を殺して回ったと思っているのだ。その上で従来の計画どおり《アマツミカボシ》のホムンクルスを予め手中に収めれば貴様らのような邪魔だてをされずにすんだというのに!比良坂英司めッ!余計なことをッ!」

 

「やっぱり私を、《アマツミカボシ》を呼んだのは貴方たちだったんですね、《鬼道衆》」

 

「いかにも。我らは《鬼道衆》─────── 生まれながらにしてまつろわぬ民と蔑まれ、抑圧され、やがてその憤怒が変生を身につけるに至った者。我が名は《炎角》ッ!」

 

この男の中にある魂は私の知る炎角ではない。九角天戒の部下たる炎角は、火邑(ほむら)という両腕に機械仕掛けの義手をつけた男だった。獰猛な性格だが仲間に対しては情が厚い。

 

前歴は長州藩の志士だが、禁門の変で仲間と両腕を失い、爾来冷酷な戦闘機械として生きてきた。一度は陰の珠の力で変成、巨大な鬼と化すが龍閃組に倒され、志士の魂を取り戻した。

 

戦いの終わった後は高杉晋作の口利きで長州に帰参、新政府と旧幕軍との戦いに参加したという。

 

部下の名前は代々引き継いでいたらしいが、この男はどの代の魂なのか。それともあの宝玉に封じられた《鬼》そのものなのか。そしてあの体の本来の持ち主はいったい......。

 

「我らの邪魔をする愚か者どもよ!ここで一網打尽にしてくれるわッ!」

 

炎角が呪詛を唱え始めた、その刹那。

 

「風旋撩刀ッ!!」

 

高速で回転させた青龍刀から発生する真空の刃が相手を切り裂く。炎角は体を切り刻まれ、はるか遠方に吹き飛ばされた。

 

私達は呆気にとられたまま青龍刀をみる。それは一人の少年の手におさまった。

 

「おォッと、なんやなんや、危ないなァ。龍山先生に1回は挨拶しにいかなあかんおもて来たらえらい修羅場やんけ」

 

「て、てめェは...... 俺達になんか用かよッ!」

 

「おっと、そないな怖い顔せんといてーな。たしかに鬼の面被ったやつら倒してたら新たな敵現るってタイミングになってもーたけど違うで!なあなあ、いかにもヤバそうな呪文唱えとったからつい攻撃してもうたけど大丈夫やな?」

 

「う、ウンッ、ありがとう。大丈夫だよッ!」

 

「おかげで助かりました。ありがとうございます」

 

「こやつらは、《鬼道衆》という人を《鬼》に変える者たちよ。助太刀、感謝するぞ」

 

「よかったァ~!そっちはそっちでバケモンおるし十分怪しいから、迷ってもーたやないか!わい、台東区の華月(かげつ)高校2年弐組、中国から留学にきた劉弦月(りゅうしゅんゆえ)いうんや。よろしゅうなッ!」

 

「《鬼道衆》と一緒にすんじゃねェよッ!俺達は真神学園のもんだッ、怪しいやつじゃねぇ!」

 

「ほうほう、かの有名な魔人学園の!バケモン呼ぶとか変身するとかびっくり人間ショーやな、さすがは魔人やで!」

 

「ちがあうッ!!てめーだってさっき変な《力》使ったじゃねーか!似たようなもんだ!」

 

「えっ、そうなん!?これは中国4000年の歴史が産んだ我が一族に伝わる秘伝の術やでッ!」

 

「んなこと聞いてねーよッ!ちッ、こんな時にめんどくさいやつが来ちまったぜッ。助太刀はありがてーけど、おめぇにゃ関係ねェだろッ」

 

「あははッ、そりゃそーやッ。でもそない嫌な奴演じんでもいいで、兄ちゃん。龍山先生の命狙うやつはわいの敵や。首つっこんだんやから、参加させてーやッ!」

 

青龍刀を炎角に突きつけた劉はそういって笑ったのだった。

 

「おのれッ───────!」

 

炎角は忍びたちに命じて私達の前に向かわせてくる。

 

「バイアクへーッ!」

 

私は呪詛の続きを阻止にかかる。

 

「貴様から殺してくれるッ!」

 

「裏密の死相ってのはこのことかよッ!させるかァッ!」

 

蓬莱寺が遠心力を懸けて剣先から発勁を放つ。竜巻上の衝撃波が、大地を薙ぎ、炎角を捉えた。

 

「俺に任せて桜井たちは炎角を集中攻撃してくれ」

 

「わかったよ!」

 

「ありがとうございます、京君ッ!」

 

私と桜井は蓬莱寺の支援に入った。

 

「よっしゃ、虎君の手伝いしたろッ!実はな~?さっきの技以外わい、射程全部短いねん」

 

「と......虎君......?俺は醍醐だ、醍醐雄矢」

 

「おおう、喋った。で、本体は人間?虎?」

 

「人間だっ!今は《力》を使っているだけだ!」

 

「そうなんか~、虎まで学生しとんのかと思ったで」

 

「そんなわけないだろうッ!」

 

「怒らんといてーな、醍醐はんッ!飴ちゃん食べる?」

 

「いらん。戦いに集中出来ないから黙っててくれ」

 

劉の登場ですっかり緊迫した雰囲気が緩んでしまったが、私達はふたたび気合いを入れ直す。炎角が《鬼道》により新たなる邪神を呼び出すのを阻止しながら、縦横無尽にかけめぐる炎を退ける。

 

「風に乗りて歩むものよ」

 

《アマツミカボシ》が崇拝するハスターの眷属にして大気を象徴する神の名を紡ぐ。人間に似た輪郭を持つ途方もない巨体、人間を戯画化したような顔、鮮紅色に燃え上がる2つの眼のある紫の煙と緑の雲が風に乗って目にも留まらぬ速さで現れ、空高く忍びたちを巻き上げる。

 

地表に叩きつけられて麻痺する者、高空の冷気に馴染んでしまって地上が熱すぎて火傷する者、様々な状態異常とノックバック効果、ダメージが炎角たちを襲う。

 

「ナイスだよ、まーちゃんッ!」

 

桜井が強力で正確な矢筋で遠方の敵を確実に射っていく。火炎を伴った矢は火傷を負っている忍びたちに大ダメージを与えた。

 

蓬莱寺が距離を詰めてきた忍びたちをノックバックしながら倒していく。じりじりと戦力を削ぎながら、確実に炎角に迫っていった。

 

「さァ、その面をみせやがれッ!」

 

「クククッ......クククククッ......ふははははッ!」

 

「なにがおかしいッ!」

 

「見つけたぞ、やっと見つけたぞ、《菩薩眼》の女よッ!次こそは手中に収めて見せよう、かならずや───────ッ!」

 

蓬莱寺の強烈な一撃が赤い鬼の面を破壊した。

 

「───────ッ!?!」

 

そこには度重なるヤマンソの召喚により幾度も襲われたのか原型すら保っていない全身やけどの顔があった。

 

「申し訳ございません、御館様......この不始末はかならずやッ!」

 

炎角は印をきる。

 

「───────変生せよッ、我が血に眠りし神代の力ッ!赤酸漿の如く燃えさかりしものッ!血が海に澱みしモノ!今こそ焼き尽くすために変生せよッ!!」

 

炎の螺旋が炎角を襲った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖55 変生完

炎角の体を生贄とし、魔法陣から顕現していたヤマンソは、私が退散の呪文を完了したことで地球上から追放された。そのさいに喰われた炎角の体は全身が重度のやけどとなった悲惨な状態で倒れ込む。全身真っ黒であり、年齢や身体的特徴すらわからない有様だ。おそるおそる近づいてみるが息はない。私の《如来眼》も炎角の絶命を知らせていた。

 

「大丈夫かッ、みんな!」

 

「へへッ、おせえよ、ひーちゃん。今終わったとこだ」

 

「炎角は?」

 

「見たとおりだぜ。那智んときと一緒で自分に《鬼道》をかけてヤマンソを憑依させやがった」

 

「......ッ......ひどい......槙乃ちゃん、どう?」

 

「ダメです、酷い火傷でほぼ即死でしたね」

 

私の言葉に悲しげな顔をした美里がかけてくる。

 

「なんて忠誠心だ。そこまでやる価値があるのか......理解出来ん」

 

《白虎》は危機が去ったと悟った醍醐の心情により本来の姿を取り戻していく。いつもの醍醐がそこにいた。元に戻ることができて一安心である。

 

「へッざまあみやがれッ!俺達にケンカを売ろうなんざ、百億年早ェぜッ!」

 

「京一ったら調子いいなあ」

 

「へへへッ」

 

「みんな無事でよかった」

 

「みんな、すまん。色々迷惑かけて......」

 

「今更どの面下げて戻ってきたんだよ。いきなり姿をくらましたかと思えば、今度はいきなり現れやがって」

 

「京一ッ、そんないいかた───────」

 

「いいや、いわせてもらうぜ。こいつは前からてめェ勝手なとこがあんだ。なんでも自分一人で解決できるような面しやがって......こんなやつとこれからも一緒に戦わなきゃならねェなんてよ」

 

「......」

 

「そうだな......京一のいう通りかもしれん。俺がいればこれからもみんなに迷惑がかかる。龍麻......今までありがとう」

 

「ふざけんなっ!」

 

「......すまなかった」

 

「京一......お前は俺にとってかけがえのない友達だった。お前になにをいわれようと俺はお前のことを忘れない......もう会うことも無いだろうが......」

 

「いいたいことはそれだけか?」

 

「ん......あ、ああ......」

 

「そうか......」

 

「ならいい───────」

 

蓬莱寺の強烈な一撃が醍醐に炸裂した。

 

「醍醐、前もいったと思うが俺達はお前のなんだ?俺達は一緒に戦ってる仲間じゃねェのか?その仲間を信頼できねェで、これから《鬼道衆》のやつらと戦っていけると思ってんのかよッ!これからもお前の大切なものを護っていけると思ってんのかっ!」

 

「大切なものを......」

 

「俺達はお前の力になれねぇほど無力か?」

 

「そんな事は......」

 

「じゃあもっと俺達を信用しろ。お前は俺の......いや、俺達のかけがえのねェ仲間だからな」

 

「京一......」

 

「ふんっ」

 

「......く、くくくッ......俺も京一に説教されるようじゃ、まだまだ修行が足らんな......」

 

「あったりめェだッ!こうみえても俺は苦労人だからなッ!」

 

「ああ」

 

「けッ」

 

「ははは───────」

 

「京一、ありがとう。俺は......俺はお前たちに会えてよかった」

 

「ばッ、はかやろーッ!恥ずかしいこというんじゃねェッ!気色わりィやつだなッ」

 

「はははッ」

 

蓬莱寺たちが仲直りしている横で、美里が炎角のそばで《力》を使っていた。

 

「葵ちゃん」

 

「もう少し、もう少しだけ試させて、槙乃ちゃん。もしかしたら───────」

 

「炎角がいってました。《鬼道衆》の目的は《菩薩眼》という《力》をもった女だって。森羅万象を司り、あらゆる病理を治癒し、死者蘇生すらなしえる奇跡の《力》だって。それを覚醒させるためにわざと私達の周りの人達をまきこみ、ツイとなる《力》である《如来眼》の私を監視していたと」

 

「えっ」

 

「ヤマンソに変生する寸前に笑いながらいったんです。《菩薩眼》を見つけたって。かならずや手中に収めてやるって。葵ちゃん、もしかして......」

 

黄金色の輝きが炎角を包み込む。

 

「......わたしの《力》、《菩薩眼》ていうの?」

 

みるみるうちに火傷がひいていき、成人男性だと判別できるくらい治癒してしまう。それだけではない。私の《如来眼》が先程までたしかに絶命していたはずの炎角の鼓動が再開したことを《氣》の再生成により伝えてくる。

 

「佐久間君も酷い火傷で......見ていられなくて......槙乃ちゃんはいなかったけど、なんとかしなきゃって私......」

 

「すごいですね、葵ちゃん。どこか痛みませんか?体に違和感は?」

 

「いいえ......私、無我夢中だったから覚えてないの」

 

「そうですか」

 

「ねえ、槙乃ちゃん、この人は......」

 

「体も魂もほぼ蘇生できています。あとはこの人にどれだけ生きる気力が残っているか。桜ヶ丘病院に運ばないと......」

 

「あっ、それなら如月君が佐久間君のために呼んでくれたはずだわ。火事に巻き込まれて何人も怪我人がいるって......」

 

「なるほど、なら安心ですね」

 

「よかった......那智さんみたいに追い詰められた末の強行だったなら、死ぬしかないなんて嫌だと思ったの」

 

「葵ちゃん......」

 

「この人は死にたかったのかもしれないけど、また話を聞くことができたら、なにかわかるかもしれないと思って。私のエゴだとは思うんだけどどうしても我慢できなかったの」

 

私は美里の頭を撫でた。本来、美里はここまで《力》に覚醒しないはずだった。完全なる死者蘇生は150年前の御先祖にして《菩薩眼》の姫君と九角鬼修のあいだに生まれた美里藍しか出来なかった。私がいるだけでここまで覚醒してしまうのかと思うとなんともいえない気分になってくる。覚悟が決まっていないのにどんどん《力》が強くなっていくのはどんな気分なのだろうか。

 

「さっちゃんがいってましたよ、江戸時代、九角鬼修の《鬼道衆》が《菩薩眼》の女を誘拐する絵がかかれた絵巻物が雛川神社に奉納されているそうです。何が理由かはわかりませんが、かつて《鬼道衆》が葵ちゃんと同じ《力》をもった女性をめぐって徳川幕府と対立していたようです。気をつけてください、葵ちゃん。間違いなく、次から《鬼道衆》はあなたを狙ってきますよ」

 

「───────......」

 

「私達が守ります、必ず」

 

救急車のサイレンの音が、ドップラー効果で奇妙に歪みながら高まって来る

。パトカーや救急車のサイレンが近づき、周囲は騒音の渦となった。赤色灯の赤い斑模様を竹林の壁面にぐるりと投げかけ、サイレンだけがやんだ。直後、晴れた空から静寂が降りてきて、スポットライトのように救急車の回りに無音の空間を作りあげた。消防隊がただちに活動を開始する。

 

私達は龍山先生と共にこっそり竹林から脱出したのだった。

 

「緋勇龍麻......緋勇龍麻ァッ!?うっそやろ、こんな偶然あるッ!?わい、劉弦月ゆーんやけどッ、あんさんのおとーちゃんの弦の字もろたんやでッ!!つまり、あんたは義理の兄ちゃんやー!!」

 

感激のあまり抱きつく劉に緋勇はぽかんとしたままだ。

 

「ほ、ほんとかよ?」

 

「た、たしかにじいちゃんから父さんは中国で修行中に死んだって聞いてるけど......」

 

「その修行中の拠点がわいの村やってん!緋勇弦麻やろ?んで、龍麻の麻の字は弦麻はんからやろッ!?な?な?」

 

「そうだけど......」

 

「いやァ~、一度は会わなあかんおもて、姉ちゃんたちに黙って日本来たはいいけど全然どこにおるかわからんで困ってもーてなぁ。よーやっと手掛かり掴んで龍山先生んとこきたらまさか会えるとは~ッ!やっとわいにも運が回ってきたでッ!」

 

「えっ!?龍山先生、俺の父さんのこと知って......!?」

 

「若い頃、占いの修行のために世界各地を回ったことがあってのう......。占術の源流を求めていくうちに劉の村にたどり着き、そこでお前さんの父親と知り合ったんじゃ。懐かしいのう」

 

「もしかして、こないだ言ってた話したいことって......」

 

「うむ。あの時は《鬼道衆》の話が先じゃったからのう、落ち着いてからと思っておったんじゃが」

 

「なんだ、わざわざもったいぶらなくてもいいじゃないですか、先生。龍麻不安がってましたよ」

 

「なにか大事な話があるのかと思ってびっくりしましたよ」

 

「ふぉっふぉっふぉっ、サプライズというやつじゃ。劉から連絡は受けておったからのう。まさかこんな形で会うことになるとは思わなんだが」

 

「あっ、こいつと会わせるのがサプライズだったのか!」

 

「そーやねん!17年たって弦麻はんから一字わけたモン同士、いわば日本の兄貴分やんか?いよいよ会えるってウキウキ気分で龍山先生んとこ行ったら竹林が大炎上しとんやで!?んなもんびっくりして駆けつけるに決まっとるやんかァッ!下手したら会う前にみんな死んでまうかと思たんやでッ!?」

 

「そうだったのか......」

 

「なんだよ、そーいうことならそうと早くいえよなッ!うさんくせー登場の仕方しやがって!」

 

「かんにんや~ッ!つい目立ちたがりの本性がでてもーて......緋勇の仲間や思たらかっこよー登場しとかなあかんとつい気合いがなッ!」

 

「スタンバってやがったのかよ、てめー!早く助けやがれ!」

 

「ごめんて、京一はんっ!」

 

どつき漫才をはじめた蓬莱寺と劉をみながら、みんなつられて笑ってしまう。

 

劉はこうして笑って誤魔化しているのだが、18年前劉の一族が治めていた《龍脈》の地は柳生との最終決戦の場だった。緋勇弦麻は劉一族にとって英雄も同然であり、自分の身を呈して柳生を封印した弦麻の意志を受け継ぐことができず、力及ばずに柳生が復活、一族が全滅したことを心の底から悔いている。ゆえに劉がここまで緋勇や仲間である私達に好意的なのは並々ならぬ覚悟の現れでもあるのだ。

 

龍山邸の事件を目の当たりにして思うことがあったのか、首を突っ込む気満々のようである。

 

こうして事件は幕を閉じたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

劉瑞麗

夏から秋にうつりかわりはじめた。《鬼道衆》がいよいよ《菩薩眼》の《力》をもつ美里を狙いに動き出す。不穏な気配をひしひしと感じながら、私達は表向きは平穏な日常生活に戻った。

 

そんなある日のこと。おばあちゃんから来客があると聞いていた私は、朝からお手伝いさんに頼まれて茶菓子を買いに行ったり、掃除の手伝いをしたりと忙しかった。聞いていた時間よりだいぶ早く呼び鈴がなる。モニターをみると劉がいた。なんだか後ろをみながらそわそわしている。なにかあったんだろうか。私は玄関前の門に向かった。

 

「おはようございます、劉君。なにか御用ですか?」

 

「頼むッ!頼むで、槙乃はんッ!ねーちゃん説得して~やッ!!」

 

「え?お姉さん??」

 

門を開けるやいなや、劉が半泣きで私の後ろにかくれてしまった。今日の来客は誰かまだ聞いていないのだが、劉ではなかったはず。詳しく聞こうとしても劉は慌てるばかりで教えてくれない。驚いていると、私の前に誰か現れた。

 

「はじめまして、時須佐槙絵先生のおうちはこちらだろうか?私は今日お邪魔する予定の劉瑞麗(りゅうそいらい)というんだが」

 

そこには白いチャイナドレスをきた美人の女性がいた。劉とよく似ているのはお姉さんだからだ。

 

「あ、はい、こちらです。はじめまして、私は時須佐槙乃。おばあちゃんのお客様ですね」

 

「ああ、はじめまして。君が槙絵先生の?話は聞いているよ。《如来眼》の《宿星》として立派に務めを果たしているとか。随分早くにお邪魔してしまって申し訳ない」

 

私達は握手を交わした。

 

私の中では天香学園の保健医として潜入調査していた30歳の瑞麗先生のイメージが強すぎて25歳の瑞麗さんはものすごく新鮮だった。若い、なんというか若い、感性がなのかその服装のせいなのかはわからないがそう思った。

 

「そこの馬鹿のせいで約束の時間をずいぶん早めてしまってね。おい、阿弦(あーしぇん)!人に頼むやつがあるか、情けない」

 

「瑞麗(るいりー)ねーちゃんに勝てる気せーへんのやもんッ!」

 

「ええと......」

 

劉が姉から逃げるために私の肩をつかんで盾にするものだから私は苦笑いするしかない。

 

「兄弟喧嘩に巻き込んですまないね、槙乃さん。ちょっとこのバカ貸してもらえないだろうか」

 

「ええと......なにがあったんですか?お姉さんに無断で日本に留学したとはいってましたが」

 

「それどころじゃないから怒っているんだ!」

 

「ひゃいッ!怒鳴らんといて~やッ!」

 

「怒鳴りたくもなる!この馬鹿、私達が出稼ぎに村を出ているあいだ、まだ未成年だから学校に通うために唯一村に残っていたんだ。久しぶりに帰ってきたら村が跡形もない、《龍脈》につづく《門》はあいている、家族は全滅してる、弟の行方がしれないとわかった時の私がどう思ったかわからないのか!!」

 

「だ、だってわいが生き残ったのは土壇場で《宿星》に目覚めたからやッ!より強い《宿星》に目覚めた人らやないと《凶星の者》には勝てんてとーちゃんたちいっとったやんけッ!!実際、ワイより強いはずのみんな死んでもーたやないかッ!ならッ、とーちゃんたちでも抗いきれんかった敵との戦いに姉ちゃんたち巻き込むわけにはいかんやないかッ!」

 

「だからって連絡すらいれないやつがあるかッ!私達もろとも葬儀にすら参加させない親不孝者にさせてッ!!」

 

「うッ......そ、それは申し訳ないとは思うけどやァ......」

 

「全員分の名前を墓碑にきざんで、埋葬して、全部一人でやっただろう。なんで私達に連絡すら入れてくれなかったんだ、阿弦(あーしぇん)ッ!!」

 

「だ、だって~ッ」

 

私を挟んで姉弟喧嘩を始めてしまった2人にどうしようか考えていると助け舟がきた。

 

「なんの騒ぎかと思ったら......。瑞麗ちゃん、お久しぶり。お元気そうでなによりよ」

 

「槙絵先生」

 

「それにしても弦月君、さっきの話本当なのかしら?それは先生いただけないわね......」

 

「時須佐せんせ......」

 

「あなたが劉一族の代表として来日すると聞いていたから支援したけれど、話が違うんじゃないかしら。お姉さんと話をしなさいね」

 

「ほらみろ」

 

「ううう......」

 

しょんぼりした劉が瑞麗先生に回収された。玄関先ではなんだから、と客間に移動する。瑞麗先生は劉の説教は返ってからにするとのこと。

 

「ねーちゃん、なんで帰ってきたん?もうちょいバレんと思っとったのに」

 

「これはめぐり合わせとしかいいようがないな。今、私はある組織のエージェントとして活動しているんだが、今回のターゲットがローゼンクロイツ学院日本校なんだ。調べてみたらなかなかきな臭い団体でね、比良坂夫婦のご子息が繋がっていた形跡があるのに不審死しているからまさかと思って調べてみたら......」

 

「私が誘拐されたのがわかったんですね」

 

「その通り。1度話を聞こうと思って来日したというわけさ」

 

どうやら瑞麗先生はすでに<M+M機関>の異端審問官(エージェント)のようである。《魔女の鉄槌》エムツー機関は、バチカン市国を頂点とする退魔・封印を行う異端審問会だ。

 

中世以降のカトリック教会において正統信仰に反する教えを持つという疑いを受けた者を裁判するために設けられたシステムを現代に引き継ぐのが《エムツー機関》である。

 

薔薇十字団(ローゼンクロイツ)とは、中世から存在すると言われる秘密結社。公式にはフリーメーソンの第18階級とされている。17世紀初頭のヨーロッパで初めて広く知られるようになった。

 

1614年、神聖ローマ帝国(ドイツ)のカッセルで刊行された著者不明の怪文書『全世界の普遍的かつ総体的改革』とその付録『友愛団の名声』で初めてその存在が語られ、一気に全ヨーロッパで知られるようになる。ただし、この『友愛団の名声』の原文は、正式出版前の1610年頃から出回っていたとされる。

 

そこには、人類を死や病といった苦しみから永遠に解放する、つまり不老不死の実現のために、120年の間、世界各地で活動を続けてきた「薔薇十字団」という秘密結社の存在や、それを組織した創始者「R・C」あるいは「C・R・C」、「クリスチャン・ローゼンクロイツ」と呼ばれる人物の生涯が克明に記されていた。

 

1615年、同じくカッセルで、『友愛団の信条』が出版される。それはドイツ語ではなくラテン語によって書かれ、『友愛団の名声』によって宣言された「教皇制の打破による世界改革」を、さらに強調するものであった。

 

1616年、小説『化学の結婚』がシュトラースブルクで出版される。著者はヨハン・ヴァレンティン・アンドレーエだといわれている。そこには深遠な錬金術思想が書かれており、この文書に登場するクリスチャン・ローゼンクロイツこそ、先の2つの文書に書かれていた創始者「C・R・C」(クリスチャン・ローゼンクロイツ)であると考えられた。

 

フランセス・イェイツによれば、これらの背景には薔薇すなわちイングランド王家をカトリック、ハプスブルク皇帝家の支配からの救世主として迎え入れようとする大陸諸小国の願望があったという。なお、前述の怪文書の刊行から4年後の1618年にドイツを舞台とした宗教戦争である「三十年戦争」が勃発している。

 

1623年には、フランスはパリの街中に、「我ら薔薇十字団の筆頭協会の代表は、賢者が帰依する、いと高き者の恩寵により、目に見える姿と目に見えない姿で、当市内に滞在している。われらは、本も記号も用いることなく滞在しようとする国々の言葉を自在に操る方法を教え導き、我々の同胞である人類を死のあやまちから救い出そうとするものである。──薔薇十字団長老会議長」という意味不明な文章が書かれた貼紙が一夜にして貼られるが、結局、犯人は不明であった。

 

薔薇十字団は、始祖クリスチャン・ローゼンクロイツの遺志を継ぎ、錬金術や魔術などの古代の英知を駆使して、人知れず世の人々を救うとされる。起源は極めて曖昧だが中世とされ、錬金術師やカバラ学者が各地を旅行したり知識の交換をしたりする必要から作ったギルドのような組織の1つだとも言われる。

 

薔薇十字団の存在はやがて伝説化し、薔薇十字団への入団を希望する者だけでなく、薔薇十字団員に会ったという者が現れるようになる。また、薔薇十字団員を自称するカリオストロやサンジェルマン伯爵などの人物や、薔薇十字団を名乗る団体、薔薇十字団の流れを汲むと自称する団体も現れるようになり、当時の人々を惑わせた。現在でもそのような事例は続いている。

 

この流れのほかにも人智学から派生した「薔薇十字団」が南ドイツに現在でも存在している。本家からは完全に独立し、ある村の片田舎で毎週日曜日の午前中にはキリスト教のミサや礼拝に似た儀式を独自に繰り広げている。

 

 

 

薔薇十字団の創立者とされる伝説上の人物であるクリスチャン・ローゼンクロイツの生涯は以下の通り。

 

ドイツの貴族の家系に生まれた。貧乏のため5歳にして修道院に入り、ギリシア語とラテン語を習得した。後に友愛団をともに結成することになる3人の盟友もこの修道院の同僚であった。若くしてエルサレムへ巡礼に向かうが、その途中、アラビア半島の賢者について耳にし、ダムカルに向かう。ダムカルの賢者たちは、彼のことを長いこと待ち望んでいた人物として手厚く迎えたという。この時彼は16歳であった。

 

ダムカルでアラビア語、数学、自然学を学び、『Mの書』という書物をラテン語に翻訳、その後モロッコのフェズで「諸元素の住民」と呼ばれる人々と出会った。多くの知識を得た後ドイツに帰国し、3人の盟友とともに友愛団を結成して、さらに4人の同志を加えた。

 

ある時、ひとりの会員が彼の秘密の墓に通じる隠し戸を偶然発見した。その扉の上には「我は120年後に開顕されるであろう」と記されており、中に入ると、七角形の地下納骨堂の天井には永遠に消えることのないランプが輝き、彼の遺体は腐らず完全なままに保たれていたという。それは、死去の120年後と仮定すれば1604年のことであった。

 

薔薇十字団には、次のような6つの規則があると言われています。

 

無報酬で病人を治すこと

 

滞在する土地の習慣に従うこと

 

毎年1回「聖霊の家」に集まること

 

自分の後継者を決めること

 

「R・C」という文字を印章とすること

1世紀以上、薔薇十字団の存在を秘密にしておくこと

 

これが規則である。薔薇十字団の思想は、万物には調和が存在すること、そして調和が乱されるのは悪魔によるものとするもの。そして神聖なる数字を追究することで、完全性を目指していた。このような思想に対して特に強い影響を与えているのは、グノーシス、カバラ、錬金術、ヘルメス思想、中性とプロテスタントの神秘主義だったと言われている。

 

薔薇十字団の思想のうち特に中心となっていたのは、錬金術だった。錬金術は、薔薇十字団が求めていた完全なる普遍的な知識を得るためには欠かせない術だった。薔薇十字団は、旧約聖書の「創世記」に書かれている天地創造ですら、錬金術的な過程であったとしており、錬金術を習得することによって完全な存在として、天地創造を担う神のいる領域にまで高められると考えた。実際、薔薇十字団員は、万病薬の探求を行っていた。そして規則にもあるように、無報酬で病人を治療することを通して、社会改革をも目指していた。

 

薔薇十字団の思想に影響を受けた人々

薔薇十字団は、後の世に多大な影響を与えている。

 

その神秘性が構築されたローゼンクロイツの経歴や思想は、実に緻密で精巧である。

 

「ローゼンクロイツ学院はその影響を受けた資産家が作った孤児専用の学院で、日本校はジル・ローゼスという人物が代表をつとめているようだ。その特性上外部との接触が少ない。ただ、その孤児たちを世界中から受け入れているんだが、その方法がかなり悪質でな。私が調べた限り、誘拐、拉致、人身売買、あらゆる手段で持って児童を集めているようだ。そして、うちの組織と対立するテロリストがどうも支援している形跡があるんだ」

 

「テロリスト」

 

「こんな東京の真ん中で堂々と活動を活発化させているのは、おそらく柳生の勢力の庇護下に入っているからに違いないと思っているんだが......」

 

「なるほど、ソイライさんはだからうちに」

 

「ああ、瑞麗(るいりー)でいいよ。みんなにそう呼ばれてるからな」

 

「じゃあ、瑞麗さん。私、英司さんが学院長という人に電話していたり、品川区ロッカーでなにかやり取りしたりしているのを見たことがあるんです。《鬼道衆》だとばかり思っていたんですが、まさか......」

 

私の言葉に瑞麗先生は目を瞬かせた。

 

「なるほど、阿弦が頼りたがるわけだ。今回の《如来眼》はなかなか優秀なようだね」

 

「ありがとうございます。ところでそのテロリストって?」

 

「《カノッサ》だよ。《レリックドーン》というテロリストに今はいるんだが」

 

「ナチ親衛隊のですか」

 

「よく知ってるね」

 

「あんまりいい思い出がないんですよね......」

 

私の言葉に瑞麗先生は興味津々で笑ったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

劉瑞麗2

瑞麗先生が来日してから数日後、緋勇たちに会いたいということで私達は如月骨董店で待ち合わせをした。劉一族についてはまだ触れないつもりのようで、家出同然に日本に留学したことを怒られたのだと話した。瑞麗先生の今回のメインはローゼンクロイツ学院と《鬼道衆》の繋がり、そして《菩薩眼》である美里への注意喚起、緋勇たちに警告する意味があったようだ。

 

《鬼道衆》の背後に国際的なテロリストがいると判明したことで、どんどん敵の規模が大きくなっていく。それをひしひしと感じた緋勇たちは真剣そのものだった。

 

もっともあんまり話を聞いちゃない人もいたわけだが。

 

「なんだよお前の姉ちゃん美人じゃねーかッ!なんで紹介してくれねーんだよ!」

 

「やめとき、やめとき、瑞麗ねーちゃん料理からっきしやねん!キッチン前に立たせたらなにできるかわかったもんじゃないで!かーちゃん、立ち入り禁止にしとったもん!わいの借りとるアパートに押しかけてきたのかって、料理ができひんからやでッ!」

 

「弱点がある方が可愛いじゃねーかッ!」

 

「それだけちゃうで!わいが育てとった鶏夕御飯用にしめよったんや!かーちゃんたちにゆうてあの子だけは除外してもろとったのに!!そんな野蛮な女は京一はんにはもったいないで!」

 

「おい、阿弦。なんの話をしているんだ?私のことみたいだが」

 

「───────ッ!!」

 

「身内の恥をぺらぺら話すんじゃない」

 

瑞麗先生は少し恥ずかしそうにしている。その余波をもろにくらってしまった劉は頭を抑えたまま悶絶している。蓬莱寺は聞かなかったことにしてくれないか、といわれてぶんぶん頭をふっていた。鼻の下が伸びている。蓬莱寺の好みの女性像に近いんだろう。にやにやしている。仲間に姉を無条件で褒め倒されるのはむず痒いのか、それともとられるかもしれない意識からか、劉の減らず口はとまらない。

 

「ほらァ~すぐ暴力にうったえるゥ~ッ!」

 

「違う。これは教育的指導というんだ」

 

「あいたっ!」

 

やれやれといった様子でため息をついた瑞麗先生は私を見た。

 

「槙乃さん、本当にこいつは《宿星》に目覚めているんだろうか?」

 

「不安になるのもわかりますが、劉君の《力》は《宿星》によるもので間違いないですよ」

 

「うむ......そういわれてしまうと無理やり連れて帰る訳にもいかないか......」

 

「だからそーいっとるやんけ、最初からァッ!わいだっていつまでも子供ちゃうで、瑞麗姉ちゃんッ!」

 

「───────このッ」

 

「うぎゃッ」

 

「姉の心弟知らず、だね」

 

「ほんとね」

 

「美里はん、小蒔はん、堪忍してーやッ!わいはちゃ~んとわかってるで!わかっててやったんや!」

 

「なお悪いんじゃないか、それ」

 

「まったくだ」

 

「ふえ~んッ!」

 

「ふふ、どうやらここにお前の味方はいないようだぞ、阿弦。大人しく諦めるんだな」

 

しょんぼりした劉は渋々頷いたのだった。

 

「兄弟喧嘩はおわりましたか?」

 

「ああ......君が当代の如月骨董店の店主だろうか?営業妨害をしてすまないね。お邪魔しているよ。しばらくは私も利用させてもらうつもりで緋勇君たちに案内してもらったんだ」

 

「龍麻には連絡を受けています。ゆっくりしていってください。ただ、くれぐれも商品に傷は......」

 

「ああ、もちろん。そうだな......じゃあ、手始めにこの一帯のものを勘定してもらえないだろうか」

 

「え?」

 

「なにせローゼンクロイツの規模が大きすぎて移動と調査だけで資金はあるが手持ちがこころもとなくてね。所属の組織からの搬入はまだ時間がかかるだろうから、揃えたいんだ。カードは使えるかい?」

 

「いや......うちは現金だけ......」

 

「そうか、ならいくらだろうか」

 

如月の目が急にかがやきだした。

 

「す、すげぇ......大人買いだ」

 

「悪魔祓いの仕事をしているということは、その手の専門家だろう?その瑞麗さんが大人買いするということは、ここにあるものはそれだけの価値があったのか」

 

「値下げ交渉すらしないとかすごい......」

 

緋勇たちがザワついている。如月は毎回値引き交渉から入る緋勇たちばかり相手にしているからかみるからに嬉しそうだ。瑞麗先生は如月骨董店の品揃えが気に入ったのか、しばらくは贔屓にさせてもらうと笑っている。

 

ああ、なるほど。ここから国際的な市場に需要を見つけて進出を考え始めるわけか。インターネットに詳しい相方とはやく巡り会ってもらわなくてはならないがいつ学校にいくんだろう、如月。

 

そんなことを考えていると、瑞麗先生が私のところにやってきた。

 

「美里さんだけじゃない、槙乃さんもだ。気をつけるんだよ」

 

「そうですね......なぜ今更私を探しているのかわかりませんが......。不老不死が目的なら、死者蘇生ができる葵ちゃんならわかりますが、私の《力》にそこまでの......」

 

「実験を再開する目処がたったのかもしれない」

 

「《アマツミカボシ》のですか?」

 

「ああ。《鬼道》では《人の魂魄》の降魔は成功したが、《神霊》の儀式は失敗した。それが君が呼ばれて、《アマツミカボシ》を呼べなかった理由だろう。それが可能となれば話は別だ。君はかつてより《アマツミカボシ》と親和性が高まっているし、《宿星》が活性化している今、かなり成功が見込めるんじゃないか」

 

「......ローゼンクロイツ学院だけじゃ無理そうですね」

 

「だから私に調査をするよう辞令が降りたのさ」

 

「なるほど。瑞麗さんはそれが《レリックドーン》だと思っているんですね?幹部クラスの誰かが?」

 

「いや......うちもそこまでは掴めていないんだ。どうもこちらが把握している幹部クラスの連中に目立った動きはない。むしろ、日本校は業績の乏しさから閉校の危機にあった。たしかにジル・ローゼスの私財を投じて設立した当時はかなり話題になったんだが、噂の影響やきな臭い動きからどうも厳しい運営を強いられているようだ。《レリックドーン》としても見切る寸前だったようだから、《鬼道衆》の傘下に入ることで扱いが変わったようだ」

 

「......誰かいるんですね」

 

「そうだ、誰かいるんだ。《レリックドーン》から誰か派遣されている。私達が把握していない誰かが」

 

「......嫌な予感しかしませんね。でも、これで対応することができます。ありがとうございます」

 

「力になれたようでよかった」

 

「おばあちゃんに伝えてみます」

 

「......」

 

「瑞麗さん?」

 

「なぜだろうな、君はやけに行動に迷いがないように思うんだが。まさか心当たりがあるのかい?」

 

「あまりいい思い出がないっていったじゃないですか、つまりはそういうことですよ。ただ年齢的に考えてまずありえないはずなので裏取りしないといけない」

 

「なるほど、本来の世界で敵対したことがあると。君は国際的な機関に所属していたのか?」

 

「私が憑依していた男の子が、がただしいんですがそうですね」

 

「参考までに聞いても?」

 

「怒らないでくださいよ、《ロゼッタ協会》です」

 

「ほう、よりによって毎回私達に後始末を丸投げする《ロゼッタ協会》か。明らかに君は私達の組織にくるべき人材だと思うんだが......」

 

「色々あったんですよ」

 

「そうか......向こうの世界の私はずいぶんと控えめだったんだな」

 

「なんでそう思うんですか?」

 

「我ながら《M2機関》の非現実さは自覚している。それに来須が色々と迷惑をかけているようだからね、身内贔屓をさしひいても私を全面的に信頼してくれるのはなかなか戸惑いがあるんだ。時須佐先生すら私が入ろうとした時には難色を示したからな」

 

「なるほど......。あたってますね。あちらの世界でもこちらの世界でも、瑞麗さんは心強い味方であり大人でしたから」

 

「そうか。そういってもらえると嬉しいよ。ありがとう。これからよろしく頼むよ、槙乃。失望されない程度にがんばるとしよう」

 

瑞麗先生はそういって私を撫でたあと、勘定が終わったらしい如月のところにもどっていったのだった。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖56

本郷通りに面して、たくさんのお寺の中に南谷寺がある。南谷寺と目赤不動尊両方の門柱があるのですぐわかる。

本堂の右手に不動堂が独立していて、喧噪の本郷通りから一段下がった日だまりにある。かっての武蔵野の村々にあった素朴な堂の様式で、いかにも庶民的で、ほっとする。

 

扉は開かれていて、ろうそくが灯り、ほのかな光線の中に、厳しい御前立ちの不動尊を拝せる。手前に、「縁起」と「「江戸五色不動尊」(住所や道順を記す)が置かれていた。

 

目赤不動尊は、 もとは赤目不動尊と言われていた。 元和年間、比叡山の南谷に万行律師がいて、 明王を尊信していた。ある夜、伊勢国の赤目山に来たれとの夢見があり、赤目山に登り、 精進を重ねていた時、虚空から御声があって、一寸二部の黄金造りの不動明王像を授けられた。

 

赤目山を下り、比叡山南谷の庵室に安置した。しばらくして「黄土衆生の志願を起こし」関東に向かい、下駒込(いまの動坂)に庵を結んで、万民化益を祈念した。参詣の諸人は奇瑞を得て群参した。

 

寛永5年、三代将軍家光が鷹狩りの途中、 立ち寄り、「御徳御尋になり由来を言上したところ、府内五不動の因縁を以て赤目を目赤と唱へる様にとの上意が」あり、 現在の地を賜った。

 

後に、寺院を建立して、智證大師作 不動明王を御前立に安置した。以後、目赤不動尊として、 「年を超え月を重ねて利益日々に著しく参拝の諸人絶えること」がない。

 

「さってと───────、俺たちも急ごうぜ。さっさと祠を見つけて、宝珠を封印しちまおう」

 

「ああ......」

 

「また結界が正常化するわけだな」

 

その敷地内にひっそりと祠はあった。やはりなにかおかれていた形跡はあるが、中は空っぽである。

 

「あったあった、これだな。宝珠が光り始めた───────。ここに間違いねェようだな」

 

「こいつが《鬼》を封じていた場所なのか......」

 

「そうみたいだな。醍醐、なにか気になる?」

 

「......いや、」

 

「さあて、じゃあ封印するか」

 

緋勇たちは新たな魔法の粉とアーティファクトを入手した。

 

「なんだこりゃ?」

 

「鑑定してもらわないとわからないけど、鈴か?音がする」

 

「なにかしらの浄化作用でもありそうだな、いい音だ」

 

「よおし、今から学校いこうぜ。今から行けば1限目に間に合うだろッ」

 

「葵ちゃん、なんだか元気がないけれどどうかしましたか?」

 

「槙乃ちゃん......あのね、実は大事な時計を無くしてしまったの......」

 

「そういえば今日つけてませんね!」

 

「ええ......。昨日、ボランティア活動をしている母と一緒に大田区の文化会館で行われたバザーの手伝いにいったの。世界中の恵まれない子供たちのバザーで、収益金は孤児院を立てるための基金になるっていうから」

 

「なるほど......主催はどこが?」

 

「ええとたしか......児童養護施設だったかしら。大丈夫、ローゼンクロイツ学院とは関係なさそうだったから心配しないで」

 

「そうですか、ならいいんですけど」

 

「うふふ、ありがとう。心配してくれて」

 

「最近、落ち着いてますけど、いつなにがあるかわかりませんからね」

 

「それは槙乃ちゃんも同じでしょう?」

 

「まあ、たしかにそうですが」

 

「......龍麻と帰る機会が多いの、槙乃ちゃんたちの仕業でしょう」

 

「バレましたか」

 

「うふふ」

 

「うれしそうでなによりです。それで、腕時計はその時に?」

 

「ええ、そうなの。多分......。高校入学の時に父から贈られたものだったから、とても大切にしていたのに......」

 

「それは困りましたね」

 

「警察には届けたし、団体の方にも連絡をお願いはしているんだけど......色んな人が来ていたから見つかったらラッキーなのかもしれないわ」

 

「出てくるといいですね」

 

「ええ......」

 

「なにしてるんだよ、葵ッ!まーちゃんッ!遅刻してもしらないよ~ッ!」

 

私達はあわてて走り出したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「視えるか?」

 

老人の声がする。

 

「サラよ......何が視える?」

 

「女帝のカード......。大いなる愛に満ち溢れた女帝のカードが視えます。その近くに白き力のカードと戦車のカードが。そして、さらに近くに太陽のカードも......」

 

「......」

 

「光が包んでいます......柔らかく、暖かい光が......。ああ......あなたはいったい。ああ......」

 

「恐れることはない......女神よ。サラよ───────、ドゥルガーよ。お前は殺戮と破壊を招く女神。世界を視通す《力》をもつ、選ばれし者......」

 

「......」

 

「お前のその汚れなき網膜に焼き付けるのだ。大いなる《鍵》となる者の在り処を──────。その《鍵》を手にした時、我らゲルマン民族が再び世界を支配するのだ。誰だッ───────!?」

 

「あの......」

 

「マリィな───────、何の用だッ!」

 

「......」

 

「何だ、その猫は......」

 

「......拾った」

 

「拾っただと?」

 

「ウンッ。雨に濡れてかわいそうだったから」

 

「......捨ててこいッ!」

 

「......」

 

「聞こえなかったのかッ、捨ててこいッ!!」

 

「イヤ......」

 

「このッ───────」

 

「きゃッ」

 

「フンッ。出来そこないがッ......」

 

「......」

 

「フンッ」

 

「学院長様......」

 

「うむ......」

 

「女帝のカードが示す名が視えます───────美しき聖なる星に護られしその名は───────」

 

「名は」

 

「ミサトアオイ───────」

 

「ミサト......アオイ......。その者が真に《鍵》たる者なのかどうか───────今まで200人の《鍵》と出会ったが、真の《鍵》たる者に出会ったことはなかった」

 

「......」

 

「サラよ......。別にお前を責めている訳では無い......」

 

「......」

 

「わしは嬉しいのだ。総統の成しえなかった偉業を成す喜び───────。わしの老いた胸はその感動に打ち震えておる」

 

「......」

 

「さっそく、イワンとトニーを向かわせよう」

 

「お待ちください......」

 

「......?」

 

「あとひとつ......微かですが、何か視えます」

 

「......」

 

「ドラゴン......いえ、旅人を表す愚者のカード......深い霧のようなものに遮られてそれ以上は視えません......。それが、《鍵》にどういう影響を及ぼしているかはわかりませんが、何かを感じます......」

 

「ほう......お前の透視でも視えぬものがあるか」

 

「......」

 

「まあ、良い。気にかける程でもあるまい。それよりも《鍵》の場所は?」

 

「......」

 

「場所は......、シンジュク......。マガミガクエン......」

 

ビクッとサラが震えた。

 

「どうした?」

 

「月が......月のカードが見えます......近づいてはいけない......見てはいけない......これ以上はダメッ───────」

 

サラの本能がこれ以上の透視を拒否した。ジル学院長は驚いたように目をきつく抑え始めたサラを羽交い締めにする。なにかみてはいけないものを直視してしまったのか、パニック状態になってしまった。

 

「年老いて頭がイカれたか、ナチ親衛隊も堕ちたものだ」

 

呆れた様子で少年が扉ごしに呟いた。

 

「超能力を活性化させるために薬漬けにしても自我が崩壊せず自分を保つことができるマリィのどこが出来損ないだ。自分のいうことをきくマリオネットが欲しいだけだろう、自分より上の人間を作るのが恐ろしいだけだ」

 

「あ、ありがとう......」

 

マリィは無理やり追い出されて躓いたところを起こされた。

 

「......オニイチャン知らない人......」

 

「そりゃ知らないさ、僕はここの生徒じゃないからね。まだ12だ」

 

「エッ......!マリィがオネエチャン......?」

 

「年齢にこだわるならそうなるな、僕はまったくもって無価値だと思うが。人間、なにをなすかで価値が決まるんだ」

 

「......?」

 

「マリィはその猫を拾ってどうするんだ?学院長のいう通り捨てるのか?」

 

「イヤ......マリィ飼う」

 

「それでいい」

 

「え」

 

「自分のやるべきことがわかっているなら、時として反抗することも必要だ。マリィは出来損ないじゃない。学院長よりよっぽどうちに必要な人材だ」

 

「?」

 

「目的と手段が逆転し、見境がなくなること程虚しいものはない。見ているといいさ。学院長がどうなるのか。1度は諦めた研究を僕のおかげで再開するんだからせいぜいヘマをしないようにしてもらいたいものだね」

 

少年は笑った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖57

マリア先生に呼び止められた美里は、今日、職員室に幼い女の子から真神学園の女子高生の腕時計を拾ったという電話があったと知らされる。孤児院設立のバザーに参加していた人のはずだから誰か教えて欲しい、渡したい、といわれたらしい。とても張り切っている様子だったという。心当たりはないかと聞かれ、美里は正直にバザーのボランティアに参加して、父から贈られた愛用の腕時計をなくしたと話した。バザーにはボランティア部の学生もたくさん参加していたため、制服で参加していた美里をみて真神学園の生徒だとはわかったが名前まではわからなかったのだろう。

 

「うちに渡しにきたいって話なのだけど......」

 

「女の子がわざわざ届けに来てくれるなんて......。もう見つからないとばかり思ってました。ありがとうございます。喜んでって伝えてください」

 

「わかったわ、伝えておくわね。電話をくれたのはマリィ、マリィ=クレアちゃんだそうよ。なんでも孤児院の支援で中学に通えているから、バザーでボランティアに来てくれたり、寄付したりしてくれた美里さんの落し物だと知ってお礼がいいたくて電話したそうよ。らたどたどしいけど日本語が話せるみたいね」

 

「そうなんですか......孤児院の......」

 

「ええ、よかったわね、美里さん」

 

「はい。マリィちゃんですね、わかりました」

 

「そういうわけだから、放課後になったら玄関前にいてちょうだい」

 

「わかりました」

 

マリア先生は職員室に戻っていく。

 

「よかったね~、葵ッ!良い行いをしていれば、いずれ良い結果が起こるってやつだね!なんていうんだっけか、因果応報じゃないし、塞翁が馬はなんか違うし」

 

「それをいうなら善因善果(ぜんいんぜんか)ね。小テストに出なかった?」

 

「あ~、そうそう、それだッ!ボク、間違えて因果応報って書いちゃったんだよね~ッ。葵、ボクもマリィちゃんに会っていいかなぁ?どんな子か気になるよ!」

 

「そうね、いいと思うわ」

 

教室に戻る道中、そんなことを話していた2人は背後から視線を感じた。

 

「ふっふっふー、いいこと聞いちゃった~ッ!ねえ、それ取材させてくれない?アラン君の特集記事なかなか評判よかったのよね~ッ。可愛い女の子なら男子の購買率も上がるだろうしッ」

 

「ほんと抜け目ないなァ、アン子」

 

「うふふ、私はいいわ。でも、マリィちゃんは日本語があんまり得意じゃないみたいだから、取材させてくれるかどうかはわからないわ」

 

「いかにも英語話しちゃいそうな名前してるもんねェ......。よーし、また槙乃にたのもーっと。んじゃあとでね2人とも!放課後声掛けるからよろしく~ッ」

 

軽く肩をたたいて遠野は去っていく。美里と桜井は顔を見合わせて笑ったのだった。

 

 

 

放課後になり、美里たちが玄関前にいってみると、黒猫をかかえた小学生くらいの女の子が校門の前で不安そうな顔をしてウロウロしていた。金髪に緑の目をした女の子で、外国人学校に通っているのか見たことも無い制服を着ている。帰っていく生徒達からジロジロみられるのが怖いのか、それでも美里とすれ違ってはいけないと思っているのか。距離を保ったまま、髪の長い女子高生ならじっと見つめて美里かどうか確かめようとしているようだった。

 

「あの......」

 

弾かれたように少女は顔を上げた。

 

「もしかして、マリィ=クレアちゃん?」

 

「ウン......マリィ。マリィ=クレア......」

 

「私は美里葵。はじめまして」

 

「......まして......アオイオネエチャン......」

 

「こんにちは、マリィちゃん。ボクは桜井小蒔。葵の友達なんだ、よろしくね」

 

「コマキオネエチャン......」

 

「うん、そうだよ。その子可愛いね、名前なんていうの?」

 

「メフィスト......」

 

「そっか、メフィストっていうんだ。いい名前だね」

 

「ウン......アリガト......」

 

マリィはようやく笑顔をみせた。そしてスカートのポケットから腕時計を取り出し、美里に渡してきた。

 

「コレ......アオイオネエチャンの......?」

 

「ええ、そうよ。間違いないわ。ほら、後ろに名前が書いてあるでしょ?」

 

美里は腕時計を裏返して文字盤の真裏を指さした。そこにはローマ字で美里葵と書いてあり、誕生日が刻まれている。

 

「ウン......シッテル......ヨカッタ......。ダカラマリィ......コレ、トドケニキタノ......」

 

「小さいのにえらいね、マリィちゃん」

 

恥ずかしそうにマリィは俯いてしまう。口元は緩んでいるから嬉しそうだ。

 

「ねえ、マリィちゃん。新聞って知ってる?」

 

「シンブン......?ウン、シッテル......。毎朝、届クノ、マリィシッテルヨ」

 

「私達の学校でも新聞を作ってるんだけどね、マリィちゃんにお話を聞きたいそうなの。いいかしら」

 

「マリィの?マリィ、ナニモシテナイヨ?」

 

「お待たせしまし」

 

「そんなことないわよ」

 

「!」

 

マリィは驚いたように飛び跳ねたかと思うと美里の後ろに隠れてしまう。

 

「こら、アン子」

 

「アン子ちゃん、声が大きいわ」

 

「あいさつからしようって言ったじゃないですか、アン子ちゃん。抜けがけはなしですよ」

 

「おっと、ごめんごめん。あたしは大丈夫よ、マリィちゃん。新聞作る人なの、あたし達。あたしは遠野杏子、アン子でいいわ。こっちが」

 

「時須佐槙乃です。よろしくお願いします」

 

はいどうぞ、と私は真神新聞を渡した。それは学校の文化祭や体育祭を取材した時の特別号であり、毎年完売しているものだった。写真もカラーでたくさん使われるため、マリィでも楽しい雰囲気がわかるだろうと思っての配慮だった。マリィは食い入るように新聞を見ている。

 

「アン子オネエチャン......槙乃オネエチャン......マリィも......ココにのるの?」

 

「ええ、そうよ。マリィちゃんがいいならね」

 

「マリィはいいよ......メフィストもいい?」

 

メフィストと呼ばれた黒猫は逃げもしないで遠野のカメラをじっと見つめている。そして一声にゃあと鳴いた。

 

「よかった、準備万端みたいですね」

 

「よーし、それじゃあ撮りましょうか。桜井ちゃんと美里ちゃんの間にマリィちゃんが、はい、おっけー。そのまま、ハイチーズっ」

 

遠野は何枚か写真をとった。

 

「マリィちゃんにも出来たら送ってあげるわ。住所教えてもらっていい?」

 

「ウン」

 

遠野は取材ノートにマリィの住所を書き込んだ。

 

「じゃあ早速取材させて欲しいんですが」

 

私が話そうとした時、意を決したようにマリィが口を開いた。

 

「葵オネエチャン、槙乃オネエチャン」

 

「なあに、マリィちゃん」

 

「どうかしましたか?マリィちゃん」

 

「明日......」

 

「明日?」

 

「明日、学校イッチャダメッ!オニイチャン、イッテタカラ、マリィ頑張ルノッ!自分ノヤルベキコトガワカッテルナラ、反抗スルコトモ大事ダッテ言ッテクレタモンッ!!マリィ、葵オネエチャンにも、槙乃オネエチャンにも傷ツイテ欲シクナイッ!」

 

マリィに抱きつかれ、美里は驚きのあまりかたまるのだ。

 

「マリィ、マリィね、ローゼンクロイツ学院高等部ナノッ!ジル学院長ガネッ、2人を誘拐シロってミンナニイッテタノ!!!」

 

「えっ、マリィちゃん、高校生なの!?」

 

「ウン......孤児院デ......魔法カケラレタリ......オ薬ノンダリ......手術シタリ......マリィカワラナクナッチャッタノ......16ダヨ」

 

私達は顔を見合わせたのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖58

私立ローゼンクロイツ学院日本校は、生徒数380人、教員数は41名、大田区文化会館近くに位置する中高一貫校である。ローゼンクロイツ財団が運営し、孤児の救済と教育を目標にかかげる養護機関でもある。世界中から身寄りのない孤児を積極的に引き取り、手厚い保護のもとで熱心な教育と育成に取り組んでいるとされる。その英才教育と充実した施設から理想の福祉施設との呼び声も高い。またバザーを開いてその収益を孤児救済にあてる活動も熱心だった。孤児保護の観点から情報規制が非常に厳しいため、学校行事も一般には非公開となっている。学校側の発表によれば遠足や林間学校などごく普通のイベントが行われているという。

 

入学という制度をとっておらず、一部の選ばれた孤児だけが入学できるともいわれる同校は、夜中に少年少女のすすり泣きが聞こえるとの風聞もあり、一部のマスコミが調査に乗り出していた。

 

「もしかして、それってエリちゃん?」

 

「天野記者と知り合いか、さすがだな」

 

瑞麗先生はうなずいたあと、マリィをみた。

 

「マリィ=クレアさん。君はアメリカで×年前に誘拐されたようだね。家族から失踪届が出ているよ」

 

「ホント......?」

 

「ああ。これを見るといい。君の家族だろう。ずっと探しているよ」

 

瑞麗先生がマリィに見せた資料には小学生くらいの今と何ら変わらないマリィと仲睦まじい家族の写真がうつっている。どうやらマリィの家族は今なお娘の行方を探しているようだ。

 

「マリィ......ずっと......パパ、ママガ捨テタッテイワレテタ......マリィ、SPI使いダカラ......怖イッテ......」

 

「なるほど、そうやって子供たちの意識をコントロールするわけか......少年兵をつくる常套手段だな」

 

瑞麗先生はためいきをついた。私達の間に重苦しい空気がたちこめる。ローゼンクロイツ学院は国際的な犯罪組織のフロント企業のような側面があったようだ。

 

「......私、そんな団体の主催するバザーのボランティアをしてたなんて......」

 

「葵......」

 

「葵オネエチャン、ナカナイデ......オネエチャンガ来テクレタカラ、マリィ、葵オネエチャンガダレカワカッタンダヨ」

 

「......そう、ね。そうよね、私が行かなかったら、今頃マリィは......」

 

マリィはうなずいた。

 

「しっかし、マリィ、お前これからどうすんだ?ローゼンクロイツ学院に透視なんてふざけた超能力使うやつがいるんだろ?マリィのことバレちまってるぜ」

 

「人体実験で無理やり幼い子供のままにして超能力の開発か......怖気が走るな」

 

「このまま瑞麗さんに保護してもらってアメリカに帰った方がいいんじゃないか?」

 

「......ふむ、そうしたいのはやまやまなんだがな......《鬼道衆》の魔の手が海外にまで及んでいるのはアラン君の件で発覚しているんだろう?マリィさんを家族のところに送るのは可能だが、またマリィさんが誘拐される可能性がある」

 

「なんだって!?」

 

「《鬼道衆》を倒さない限り難しいということか?」

 

「いや......それだけではないさ。マリィさんはローゼンクロイツ学院において出来損ない扱いされていたようだが、それは超能力の発火能力と《力》を勘違いされていたからにほかならない。そうだな、槙乃」

 

「えっ、マリィちゃん、超能力者じゃないの?」

 

「《如来眼》で解析してみたんですが、どうやらマリィちゃんは私達と同じ《龍脈》の活性化により目覚めたタイプの能力者のようですね。拉致されたことで覚醒が早まったようです」

 

「比良坂さんと同じパターンか」

 

「......マリィ、ファイアスターターッテイワレテタ。チガウノ?」

 

私はマリィまで視線を落としながらいうのだ。

 

たしかにパイロキネシスは超能力の1つで、火を発生させることのできる能力である。誘拐される前のマリィは火の気のないはずの場所で火事の頻発する事件が生じている。無意識に発火を起こしたものなのは間違いない。初めは見つめた物がなんでも発火したらしい。

 

「でも、マリィちゃんのパパやママは怖がりましたか?」

 

「ウウン......ママモソウダッタッテ、《力》ノ使イ方教エテクレタヨ。マリィニ移ッタノヨッテ」

 

「パイロキネシスの能力者は10代の少年少女が多いんです。マリィちゃんが目覚めるには早すぎるんですよ」

 

「!!」

 

マリィはじわっと涙が溢れてきた。

 

「誰も......誰もママやパパのイウコト......シンジテクレナカッタッ!」

 

美里は抱きついたまま泣き出してしまったマリィの頭を撫でる。

 

「マリィちゃんのパパやママは、マリィちゃんのために色々教えてくれたのね。素敵なご両親だわ」

 

「ウン......ウン......」

 

「パイロキネシスの原理は、体に帯電された静電気が強力な電磁波となって放射され、発火を引き起こすというものです。右脳半球に電波による異常な周波数が計測されており、この電波が異常な能力を発現させたものと指摘されています。でも、マリィちゃんの《氣》の性質は小蒔ちゃんが火の矢を放つ時によく似ています。物質化する時にたまたま炎の性質をもってあらわれるから、結果としてパイロキネシスと勘違いされたんでしょう。ほんとうに今までよくがんばりましたね、マリィちゃん」

 

「ウン......」

 

「そっかあ......ボクは《氣》を頑張って練り上げなくちゃいけないけど、マリィはそんなことしなくても出来ちゃうんだもんね。すごいや」

 

「......マリィ、スゴい?」

 

「うんッ、すごいよマリィ。だってボクが出来るようになったのほんの最近なんだからね。集中力切らしたら出来なくなっちゃうし。でもマリィは簡単に出来るし、コントロールできるんでしょ?」

 

「ウン......」

 

「すごいよ」

 

桜井に頭を撫でられてマリィは嬉しそうに目を細めて笑った。

 

「オニイチャント一緒ノコトイワレタ」

 

「なあ、マリィ。さっきからオニイチャンっていってるけど、マリィのオニイチャンも誘拐されてきたのか?」

 

マリィは首をふった。

 

「コッチに来テカラ出来タオニイチャン。マリィのコト、カバッテクレタノ。マリィガココに来タノモ、オニイチャンガ逃ガシテクレタ」

 

「まさか、その子も誘拐されたの?」

 

「ウン......マリィニ、日本語教エテクレタオニイチャン。ズット前カラ逃ゲル約束シテタケド、マリィガ葵オネエチャンノトコ行キタイッテイッタラサヨナラダッテ」

 

「そうなのか。その子は大丈夫なのか?」

 

「ウン......オニイチャンハ、パパガオ迎エニ来テタヨ。青森ニ帰ルッテ」

 

「そのまま一緒に逃げてもよかったのに......わざわざ私に時計を届けに来てくれたのね、マリィ。ありがとう」

 

「ローゼンクロイツ学院のこと教えてくれてありがとうございます」

 

「ウン......マリィ、ミンナニお願いガアルカラノコッタノ......」

 

「なあに?」

 

「ワタシ......ワタシ......見タノ......」

 

マリィは話し始める。ローゼンクロイツ学院において行われ始めた大規模かつおぞましい実験を。そして命を落としていくクラスメイトたちを。マリィは出来損ないだから見向きもされなかったが、優秀とされていた女の子たちが次々に減っていく恐怖を。

 

「ミンナ......助ケテアゲテ......」

 

どんなにいじめられても、出来損ないと蔑まれても同じ境遇の子達を見捨てることが出来ないマリィに緋勇は任せろと頷いたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖59

「ここがローゼンクロイツ学院か......」

 

「堀が高くて、無機質で、なんかイヤな感じだねッ......養護施設っていうより、なんか刑務所か病院みたい」

 

「ああ」

 

「警備員が校門の所にたっているし、荒れた高校なのかもしれないな。全寮制とはきかないし」

 

「物々しい雰囲気だな。どうやって入るか」

 

「裏口から入れないか探してみよう、醍醐」

 

「そうだな。相手のことがわからない以上、真正面からいくにはリスクが大きいな。裏の方に回ってみようか」

 

「裏に入口はないみたいだね」

 

「そうだな」

 

「どーしようか」

 

「やっぱり正面から入るしか......ん?」

 

私達は非常階段の向こう側があいていることに気がついた。

 

「結構大きな高校なのに部活に残ってる生徒達全然いないね」

 

「......学校オワッタラ、校舎入ッチャダメナノ......選バレタ子達ダケユルサレテル......コッチキテ」

 

マリィが私達を案内しはじめた。迷うことなく向かった先には学院長室。

 

「階段が......」

 

「地下へ続く階段か」

 

「なるほど、校舎に残るなってのはこのことか」

 

人気のない研究所の建物などというものは、臭いだとか、足音だとか、そんな木霊のたぐいだけが住んでいる、亡霊の館のようなものである。

 

そして、私達はその先でローゼンクロイツ学院の真の姿を目撃することになる。

 

「実験の様子はどうだ?」

 

「はッ。再粒子抽出機をテレモニターに接続。被験者の念波動を原子結晶化し、抽出、培養、増殖───────」

 

粒子断面および検出数値がモニター化されている。カプセルに封じ込められてしまった少女たちが液体の中に全裸のままゆたっている。停止した頭のどこかに、それらの言葉が意味も成さないまま浮かんでは消え、表情のコントロールを完全に放棄していて、マネキンのようだ。呆けた様子をさらしたまま、かなりの時間が経過しているのがわかる。

 

「ミンナ......」

 

マリィは泣きそうだ。

 

海の底を歩いているような奇妙な感覚が被験者を蝕んでいる。きっと誰かが話しかけてもうまく聞こえないし、誰かに何かを話しかけても、それを聴きとれない。まるで自分の体のまわりにぴったりとした膜が張っている。その膜のせいでうまく外界と接することができない。虚脱状態にしばしば陥る。体の中の何かが欠落して、そのあとを埋めるものもないまま、それは単純な空洞として放置されていた。体は不自然に軽く、音はうつろに響いているに違いない。

 

覚えがある感覚だ。10年前のあの日、あのカプセルポットにいたのは他ならぬ私だった。空間をふたつに区切り、その区切られた空間をまたふたつに区切った。そして何度も何度もそれをつづけ、最後に手のひらにのるくらいの小さな空間を作りあげた。頭の中身が、すとん、と音を立てて、その小さな空間にごっそりと抜け落ちたような感覚になる。

 

カプセルポットに並んでいる女の子たちはみんな昔の私みたいな顔をしていた。

 

「......研究員しかいないな」

 

「学院長はどこだァ......あの変態野郎はよッ」

 

「......コッチキテ」

 

マリィは誰よりもこの研究所を熟知している。超能力開発をする場所、強力な超能力の実験をする場所。実験体の子供たちの中にはマリィのように人間的な感情を押し殺している子供を見つけることはできなかった。薬物投与や魔術による心身の成長をとめられてどこにも異常をきたさないマリィが奇跡そのものなのだ。

 

オニイチャンがマリィを庇ってくれたおかげで、楽しいことに笑い、悲しい時に涙する表情豊かな少女として成長し、《力》も安定して強くなっていったのだろうと私は思う。学院における辛い日々の中でも優しさを失わずにいられたのはそのためだ。自分の《力》がなんのためにあるのかという両親の教えを守り、他者を傷つけることを拒み、友達を守り、信じようとした。マリィがオニイチャンにしてもらって心の底から嬉しくて、私達にしてあげたいと思ったことなのだ。

 

「マリィちゃん、オニイチャンはどうして逃げようといったんですか?」

 

「《鬼》......」

 

「鬼?」

 

「《鬼》ガクルカラ......アブナイから......絶対ニ逃ゲロッテ......ココ以上ニアブナイトコロニ拉致サレテ、化物ニサレルッテ......」

 

「《鬼道衆》のことを知っていたのか」

 

「ウウン......オニイチャン、《鬼道衆》ジャナクテ邪悪ナヤツらガクルッテ」

 

「......《レリックドーン》のことかもしれんな。奴らは平気で聖地を踏み荒らし、焦土と化し、すぐに逃げてしまう卑劣な連中だ。《ロゼッタ協会》もな」

 

「墓荒らしですからねー、あはは。耳が痛い」

 

「もし《鬼道衆》の戦いが終わって将来を考えるなら、是非ともうちに......」

 

その瞬間に大地が揺れた。私達は突然の衝撃に倒れることになる。なんだなんだと辺りを見渡す。バレたのかと思ったがどうやら違うようだ。

 

「───────......」

 

私は身に覚えがある《氣》に戦慄するのである。いつの間にか私達の前に1人の少年が現れたのだ。私は密かに唱えておいた呪文の効果を確認し、笛をふこうとした。

 

「───────ッ!?」

 

音がならない。笛をならしても音が出ない。私の呼吸する音だけが響いている。

 

「どうしたんだ、まーちゃん?」

 

「音が......鳴らないんです......。これじゃあバイアクへーが呼べない......」

 

「えっ!?」

 

「まさか、こいつ迷子じゃねーのかッ!?なにもんだっ!」

 

「気をつけてください。彼は......」

 

「何を驚いているんだい?」

 

小学生に見上げられ、私達は困惑するしかない。

 

「邪魔がくることはわかってたはずだろう?君達の《力》はサラの透視で見せてもらったんだ。君達が乗り込んでくることがわかっているなら対策するに決まっているじゃないか」

 

緋勇たちも驚いている。こんなに小さな小学生が敵だというのだ。

 

「特にそこの《アマツミカボシ》の転生体には邪魔されると困るんだ」

 

「───────......ッ!?」

 

「どうやら君は僕のことを知っているようだね。《アマツミカボシ》としてなのか、僕と会ったことがあるのかはしらないけれど」

 

小学生は笑う。

 

「君の《宿星》は《妙見菩薩》だったね、時須佐槙乃。占星術などにおける、人ひとりひとりの運命や根源的性質を司る星は、いわゆる人智を超えたところにある定め、運命、あるいは神の思し召しだ。道教由来の天体神信仰、陰陽五行説等が習合し、北斗七星・九曜・十二宮・二十七宿または二十八宿などの天体の動きや七曜の曜日の巡りによってその直日を定め、それが凶であった場合は、その星の神々を祀る事によって運勢を好転させようとする。平安時代、空海をはじめとする留学僧らにより、密教の一分野として日本へもたらされた占星術の概念だ。他の《宿星》はどうにも本来の《宿星》の概念とは異なる起源を持つようだからどうにもならないが......《アマツミカボシ》を無力化できればどうとでもなる。《鬼道》さえ邪魔されなければどうとでも。そうだろ?」

 

「......なにを、なにをするつもりですか」

 

「わかってるんじゃないのか、時須佐槙乃。もうしたんだよ」

 

「......」

 

「まーちゃん?」

 

「......ごめんなさい、ひーちゃん......私の《力》、なぜか使えなくなっているようです。なにも視えない......なにも感じない......私がわかるのはなにもできないということだけです」

 

「なッ!?」

 

「おいてめェッ、なにしやがった!!」

 

「星辰を動かしただけだよ。風神の眷属が呼べない位置に動かしただけだ。ついでに北辰もね。この瞬間から君の《力》は無力化された。《アマツミカボシ》の恩恵を受けていた君の仲間もだ。なにを驚いているんだい?僕達が君の一族を根絶やしにしたときと全くおなじやり方をしただけじゃないか」

 

「槙乃ちゃん、大丈夫?」

 

「......」

 

「まさか......まさか君が《レリックドーン》が派遣した人間か......?」

 

「《エムツー機関》のエージェントか、随分と来るのが早いじゃないか」

 

「こんなガキがテロリストかよ、嘘だろ......!?」

 

「よかったよ、退屈してたところなんだ。ローゼンクロイツ学院日本校は成果が出せなければ《レリックドーン》から足切りされる。僕はその視察に来てただけなんだが......ちょっとは楽しめそうだ」

 

少年は《宝玉》を取りだし、廊下に放り投げる。

 

「さあ、変生せよ。まつろわぬ民と蔑まれ、外法に堕ちた魂に今相応しい体を与えてやる。今こそ復讐の時だ」

 

それが《五色の摩尼》だと気づいた時、私達の前には新たなる邪神が立ち塞がった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖60

美里が私の異変をどうにかしようと、いつもは後回しにしている守備力などを上昇させる《力》を真っ先にかけてくれた。治してくれようとしたが、私が健康体そのものであると感覚的にわかったのか困惑している。これは状態異常ではない。今の私はいわば圏外状態のラジオなのだ。さすがに美里でもどうにもならない。それを伝えていると少年は驚いたように声を上げた。

 

「驚いたなァ......かなり動けるじゃないか。なるほど、今回の《菩薩眼》は《アマツミカボシ》より《キリスト教》と親和性が高いのか。150年にも及ぶ信仰の力は時に血の運命をも凌駕するというわけだ。なるほど、ジル学院長が欲しがるわけだな」

 

「え」

 

「《アマツミカボシ》も《菩薩眼》も不老不死の研究に不可欠な実験体を確保する母体として優秀だからな。その《宿星》さえ確保できれば、キリスト教と親和性が高い《菩薩眼》の方を欲しがるのは当然か、ナチ復活の足がかりには。しかし、天海大僧正の加護まであるのか......変生させるには骨がおれるな、ここは屋内だ。こいつだけじゃ足りない」

 

少年はふたたび呪文をとなえはじめる。私はすかさずイブングハジの粉をまいた。

 

「まさか......!」

 

「そのまさかのようですね」

 

少年は《星の精》を数体同時に召喚、従属の呪文を紡ぐ。私のばらまいたイブングハジの粉が小学生とは思えない異様な魔術師の側面を見せつけてくる。

 

「《菩薩眼》と《如来眼》の女を連れて行け」

 

迫り来る《星の精》、そして邪神に私と美里は緋勇たちに庇われるがまま後ろに下がる。

 

「愛ッ!」

 

如月は私に忍具をいくつか投げて寄こしてきた。

 

「少しでも殺傷能力があった方がいいだろう。使ってくれ」

 

「ありがとうございます、翡翠君」

 

私は早速迫り来る《星の精》の触手を弾いた。木刀と二刀流となるが10年前はマシンガンに日本刀に鞭にとあらゆる武器を駆使しながら《遺跡》に潜っていた経験上、こちらの方が選択肢が広がっていいのかもしれない。私本来の《氣》をこめるにしても《アマツミカボシ》の加護が失われた今となっては純粋に鍛錬していない普通の人間よりはマシ程度の威力しか見込めないが、やるしかない。私は美里の前にたち、《星の精》の攻撃を弾きながら距離をとる。

 

「掌底・暗勁」

 

中国武術において最大の火力を誇る八極拳。そこに発勁がくわわったらどうなるのか。しかも達人の域に達している人間が練り上げた氣が。その絶大な威力を目の当たりにした私は思わず振り返る。掌底より発せられた氣が、《星の精》のの全身を巡り、破壊したのだ。弾け飛んだ肉片があたりに四散する。大ダメージを受けたらしい《星の精》は明らかに精細をかいている。

 

「瑞麗さん!」

 

「失望されない程度にがんばるといっただろう?」

 

不敵に笑う瑞麗先生に蓬莱寺が口笛を吹いた。

 

「2人のことは私に任せて、邪神に集中するんだ」

 

心強い言葉に緋勇たちはうなずいた。

 

「いつまでその威勢が続くか見せてもらうよ」

 

小学生が笑った。

 

その瞬間に足もとがよろけるほどの風が息が苦しくなるほど吹き込んでくる。鋭い刃物を当てられたように痛い。烈風が大波のように吹き過ぎる。光を引き裂くような強風だ。

 

渦を巻いて通りすぎる。風に拒まれて前に進めない。

 

誰か大声で叫んで、走って行った。その声が強い風にすぐちぎり取られて、意味のない叫び声のように聞こえた。空気そのものをかっさらってしまいそうな激しい寒い風だ。吹き始めた暴風は一秒ごとに募るばかりである。

 

命がけに呼びかわす互い互いの声は妙に上うわずって、風に半分がた消されながら、それでも私の耳には物すごくも心強くも響いて来る。

 

凍りつくような沈黙の中に放り出された。風の音だけが施設内を彷徨していた。

 

形がない生きものが押すように、あらゆるものがたがたと鳴る。だが、その生きものは、硝子板に戸惑って別に入口を見付けるように、ひゅうひゅう唸うなって、この建物の四方を馳はせ廻まわる。

 

爆発の黒煙を、清掃員のような馴れた面持ちで片づけてしまう。規模が大きかったのか、今上がっている煙は、容易には絶えない。誰かが死の黒いインクを、地の底からこの世界に逆さまに垂らし続けているかのようだった。

 

なにか悪霊にでも取り付かれているような凄まじさがあった。異常な気配がある。まるで意志を持つ風だ。不可視の怪物が緋勇たちに襲いかかってきたのである。くりかえしやってくる。姿形を変え、よせてはかえし、静かに、激しくくりかえす。

 

「自分の知らない遠い祖先が犯した罪を知らぬ者共め」

 

それは怨念という名前の呪詛だった。人類が誕生し物事の「白」と「黒」をはっきり区別した時にその間に生まれる「摩擦」だった。

 

死んだような音色……その力なさ……陰気さの底には永劫に消えることのない怨みの響きが残っている。人間の力では打ち消す事の出来ない悲しい執念の情調がこもっている。

 

黒い息吹が立ちのぼってくるのだ。

 

「我らを不倶戴天の敵の守護に使うとはどれほどの屈辱か!」

 

それは《鬼道衆》の怨念が形を為したといっていい怪物だった。

 

「おのれ、天海大僧正めッ!許さぬッ!断じて許さぬッ!結界の加護など破壊してくれるッ!!」

 

畏怖の咆哮が響きわたる。どうやら《五色の摩尼》に封じられているのは九角鬼修の使役した《鬼》たち、あるいは《鬼道衆》たちの負の感情が変じた者らしい。

 

「御館様ッ、必ずや───────!」

 

「その御館様ってのは、九角鬼修か?それとも天戒?」

 

緋勇の言葉に《鬼》は怒り狂う。

 

「なにをいうッ!鬼修様に決まっておろう!」

 

「天戒の代に《鬼道衆》は徳川幕府に対する復讐をやめて解散してる。最後の御館様の意志を無視して先代の意志を優先させるのか?それでもやるのか?」

 

「なんだとッ?!ばかな、鬼修様の後継などいる訳がなかろうッ!!おのれッ嘘をいって───────!!」

 

どうやら《五色の摩尼》には徳川家光の時代に天海大僧正に封じられた《鬼》、もしくはその時代に権勢を振るった《鬼道衆》の魂が封じられているようだ。鬼修が静姫とのあいだに子供をもうけたのは幕末のころだから、知らないのも無理はない。激昴した《鬼》に呼応するように暴風が吹き荒れる。

 

私は美里と共に《星の精》と《鬼》の攻撃を受けないように必死で身を隠しながら、吹き飛ばされないように壁にしがみついていた。

 

耳元で高笑いが聞こえる。とっさに振り返るといつの間にか《星の精》が私たちのすぐ側にまで近づいていた。

 

「葵ちゃん、あぶない!」

 

私はとっさに美里を瑞麗先生のところに突き飛ばす。

 

「槙乃ちゃんッ!!」

 

美里の手が私に伸びたが、私は振り払った。幾重もの触手が私の四肢に絡みついていく。気持ち悪さに呻きしかでてこない。じたばた抵抗したのだが、拘束はより強固なものになっていく。仲間たちの呼ぶ声が聞こえるが、私を盾にされてしまい攻撃することが出来ないようだ。ああもうダメかもしれない。薄れゆく意識の中でぼんやりと考えたときだった。

 

「───────ッどうして、どうして私には《力》がないの!みんなを守れる《力》が!みんなを助けられる《力》が!!」

 

美里の悲鳴にも似た声がやけに凛とひびいた。強烈な閃光が私の前を横切ったかと思うと、《星の精》の悲鳴が響きわたる。私は拘束されていた触手もろとも落下する。寸での所で助けてくれたのは、天使だった。黄金色の剣を持つ大天使が私を抱いたまま《星の精》を両断する。一瞬にしてダルマになった《星の精》に瑞麗先生がトドメをさしたのだ。天使が触手から私を解放して美里の所におろしてくれた。

 

「槙乃ちゃん!!」

 

美里に抱きつかれ、そのまま泣き出されてしまう。窮地を脱することに成功した私達に緋勇たちはホッとしたのち、改めて《鬼》にむけて戦闘を再開したのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖61

美里の《力》が覚醒し、攻撃技を手に入れた衝撃は少年にも伝わったようだ。

 

「驚いたな、土壇場で《菩薩眼》が覚醒するとはね。《力》自体は本来龍脈をみるしか出来ないというのに、《黄龍の器》の増強効果はここまでするのか。ならば、まず潰すべきは君だね」

 

少年の言葉から次々飛び出してくる意味深な言葉を緋勇は問ただそうとするが、少年は笑うだけだ。印をきる。その標的が緋勇だと気づいたのはマリィだった。

 

「ダメッ!!オニイチャン、アブナイッ!!デュミナス・レイッ!!」

 

火の星の守護者であるデュミナスが放つ、灼熱の火球が少年を吹き飛ばした。

 

物理攻撃の通りが悪く、弱点や有効な手を模索していた緋勇たちは特殊な《力》が少年には通用するのだと気づいた。《星の精》と《鬼》は近接戦闘を得意とする仲間にまかせ、緋勇はマリィたちに追撃を指示する。個々人で相手をするより方陣による攻撃が有効だと判明し、広範囲を一網打尽にしながら次々と仲間たちは《星の精》を屠っていく。

 

マリィは驚いている。肩をたたいたのはアランだった。久しぶりに聞く英語で《氣》の相性がいい者同士が同時に攻撃をしかけるとああいうこともできるのだと説明している。

 

「I never pardon,if you go wrong!!」

 

マリィは嬉しそうにいった。

 

「OK. Don’t be too hard on me.small lady.Go along!!」

 

マリィとアランは脳内に走る内なる叫びを言葉にする。

 

「「ASH STORM!!」」

 

炎の螺旋がまたたくまにあたりに広がっていき、アランの《氣》が威力を上昇させながら敵に被弾させた。あっという間にあたりの敵は倒れてしまう。

 

「ヘーイ、ヤッタネリトルガールッ!」

 

「アリガトウッ、アランオニイチャンッ!!」

 

ハイタッチをしたマリィをみて、16さいとは思えない幼さの少女たちに遅れをとるわけにはいかないと仲間たちは気合いが入ったようだ。

 

「葵オネエチャンッ!マリィとやろ!!」

 

手を振るマリィをみて、私は笑って美里の背中をおした。

 

「私は大丈夫ですから、いってあげてください。2人とも同じ信仰の力があれば、新たな《力》を引き出すことができるはずです。今の葵ちゃんならみんなの足でまといにはなりませんよ」

 

「───────......はいッ」

 

力強くうなずいた美里がマリィのところに向かう。

 

「葵オネエチャンッ、行クヨッ!」

 

「いいわよ、マリィ。でも、大丈夫?」

 

「Don't worry!!マリィニ任セテッ!今度ハ、マリィガミンナヲ護ル番ダカラッ!Fire!!」

 

「ケルビムを巡りし、燃え盛る炎の輪よ。わたしたちに守護を!」

 

「アポカリプス・ケルプ!!」

 

そこには四つの生き物の姿があった。それは人間のようなもので、それぞれ四つの顔を持ち、四つの翼をおびていた。その顔は人間の顔のようであり、右に獅子の顔、左に牛の顔、後ろに鷲の顔を持っていた。生き物のかたわらには車輪があって、それは車輪の中にもうひとつの車輪があるかのようで、それによってこの生き物はどの方向にも速やかに移動することができた。

 

ケルビムの全身、すなわち背中、両手、翼と車輪には、一面に目がつけられていた。まさしく知の象徴である。ケルビムの一対の翼は大空にまっすぐ伸びて互いにふれ合い、他の一対の翼が体をおおっていた。

 

またケルビムにはその翼の下に、人間の手の形がみえていた。それが神の手だと知ったのは、美里とマリィの信仰の力が共鳴し、《氣》を昇華して灼熱の業火としてあたり一帯をもやし尽くしたからである。

 

《星の精》、《鬼》、そして少年諸共広範囲にわたって降り注いだ業火は邪気を祓う。天使というにはおぞましい姿だが、神にちかづくほど人間離れしていくことをしる美里とマリィの《力》は揺るがない。

 

一瞬にして《鬼》は消し飛んだのだった。残されたのは黄色の宝玉だけだ。

 

「......くくくっ、なかなかやるじゃないか」

 

マリィに不意をつかれたとはいえ、怒涛の方陣の連鎖にもかかわらず少年は平然としている。

 

「なんつー頑丈なチビだ......」

 

「こんな小さいのに......なんてやつだ」

 

「お前、一体......」

 

「僕かい?そうだな......ここまでやるなら教えてやってもいいかもしれないね。僕の名前は喪部銛矢(ものべもりや)、僕は神道に精通していてね、君達の攻撃が通らないのはそのためだ」

 

「ものべってあの仏教を巡って蘇我氏と争ったっていう?」

 

「そうだ、教科書で見た事があるだろう?」

 

「だからって俺たちの物理攻撃まで全然通らねえ理由にはならねえだろうが!」

 

「くくくっ、《鬼》に力で勝負を挑むからだよ」

 

「なッ───────?!」

 

「九角より歴史はくだるが、物部の一族も政争に敗れた後逆賊として《鬼》に変じるよう呪いをかけられたのさ。《鬼道衆》にも個人的に興味があったからローゼンクロイツ学院が傘下に入るのを許可したんだ。面白いものをみせてもらった」

 

「逃げる気かよ!」

 

「僕は足止めをしただけだからな、準備が整ったようだから失礼するよ」

 

「てめッ......」

 

「京君、これ以上近づいちゃダメですッ!!喪部は《星の精》あれだけ呼んでも平然としてるんです!まだなにかあるんですよ!」

 

「───────ッちい!」

 

「くくくっ、なんだ追撃しないのかい?残念だな、餌食にしてやろうと思っていたのに」

 

喪部はそういって視線をなげた。

 

「なあ、雷角」

 

「足止め感謝するぞ、物部の小僧。あとは我らに任せるがいい」

 

「そうさせてもらうよ。君達が生きていたらいい報告が聞けるだろうね」

 

「小癪なことを......」

 

「僕のおかげで実験が再会できたこと忘れないで欲しいな」

 

「......」

 

それじゃあ、と喪部はいなくなってしまう。マリィ曰く、ローゼンクロイツ学院の屋上にはヘリポートがあるそうで、そこに向かうのではないかとのことだ。

 

「待て!」

 

「行かせるとでも?」

 

私達の前に立ち塞がったのは、いつの時代の雷角だろうか。

 

九角天戒の時代の《鬼道衆》の雷角は御神槌(みかづち)という静かに暮らしていた信者たちの村を、幕府に滅ぼされた過去のある神父だった。その光景を悪夢で見ては、信仰と復讐心との狭間に苦悩する宣教師でもあった。

 

明治維新を迎え、キリスト教が解禁されたあと、御神槌は《鬼道衆》の村を離れた。その後、彼は横浜の礼拝堂で宣教師としてさらに多くの人々に神の教えを説いた。異国の書物も読むようになり、彼の豊富な知識は、宣教師としてだけでなく様々な分野から助けを求められた。ようやく訪れた平和により、心の平穏を取り戻し、悪夢を見ることはなくなったようだ。

 

その復讐心が形を為したにしてもあまりにも姿形がない。面影がない。この雷角は一体......。

 

そんなことを考えながら風魔の笛をふいてみるが、やはり空気の音が抜けるだけだ。喪部は敷地内にいる間は私の《力》を使わせる気はないらしい。

 

「二手に別れよう、私は奴に用がある」

 

瑞麗先生はそういって緋勇に言葉を投げた。

 

「学院長の実験をとめるか、喪部を追うか、か。学院長を探すなら雷角は引き受けることになるな」

 

さてどうしようか。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖62

喪部の後を追うにしても、ジル学院長の実験を止めるにしても、《アマツミカボシ》の《力》を封じられた私にできることはあまり多くはない。迷った私は《アマツミカボシ》の再臨を目論むジル学院長の実験を止めるために残ることにした。

 

雷角を緋勇たちにまかせ、私はマリィに案内されるがまま先を急ぐ。雨紋たち遠距離攻撃を得意とするメンバーがついてきてくれた。

 

地下施設の最深部だった。扉をあけると、野望に燃えるナチの狂信者が姿を現した。ジル・ローゼス・ヒルシュタイン。ネオナチ日本支部のローゼンクロイツ学院責任者はナチによる独裁国家再興を理想とし、特殊な能力をもつ少年少女たちを世界中から集め、生体兵器とすべく実験を繰り返した残忍なる狂信者である。

 

「貴様らは......」

 

にやりとジルは笑った。

 

「わざわざ来てくれるとは探す手間が省けたぞ、天野愛。《アマツミカボシ》の実験体を伴ってよくぞ我が元へ帰ってきてくれた。《菩薩眼》はどうやら後から連れてきてくれるようだな、よくやった」

 

拍手をされて私は不快になって首を振る。なにをとち狂ったこといってるんだ、この男は。

 

「帰ってきたわけじゃないです」

 

「ほう?じゃあなにかね?一度帰ったはずの君がそのホムンクルスに憑依しているのはいかなる理由があってのことだ?」

 

「私を望んでくれた人がいたから」

 

「やはりわしではないか」

 

「あなたではないです。断じて」

 

「訳のわからぬことを。わし以外にお前をその器に呼ぶやつがいるわけがない」

 

「いたから私はここにいる。あなたのような邪な願いではなかったから、《アマツミカボシ》の《荒御魂》ではなく《和魂》たる《妙見菩薩》の転生体である私が降臨できた」

 

「なにを訳の分からぬことを!」

 

「だいたいアジア人を蔑むあなたが何故《菩薩眼》や《アマツミカボシ》を探し求めるんですか?見下している人間に応じるほど私は暇ではないんですよ。ヨーロッパで邪神なり神話の神なり呼びつければいいだけの話でしょう」

 

「うるさいッ!」

 

「───────......《レリックドーン》には不死に近い存在がゴロゴロいるのにあなたは老人なあたり、失敗しつづけてきたんですね。哀れな」

 

「うるさい黙れッ!《アマツミカボシ》の《力》を封じられた今、君にできることはなにもないはずだ。さあ、見ているがいい。君の新たなる素体だ」

 

「それは物部氏の秘中の秘ですか」

 

「いかにも!《鬼道》は人間を降ろすことかしかできなかったのだ、神を降ろす術式が必要だったのだ!見ているがいい、これこそがわがローゼンクロイツ学院超能力戦闘部隊の新たなる《力》!」

 

「そうはさせない。愛たちを母体にしてナチ帝国の復活なんて許すわけがないだろうッ!」

 

如月が吐き捨てるように言った。

 

「トニー、イワン、サラの指示に従い迎撃せよ!」

 

ジルの呼びかけに従い、3人の子供たちが現れた。

 

一人はトニー・ワシントン。瑞麗先生の調査によれば、ニューヨークの孤児院出身で小柄で気弱ないじめられっこだったが、ジルの念動能力開発により、人間的な感情と引き換えに自信過剰で凶暴な性格に豹変した。誘拐事件の主犯格のひとりである。

 

二人目はイワン・ニコラス。超能力戦闘部隊のリーダー格で、ロシア駐独大使の息子だったが、6歳の時に組織に誘拐された。超能力実験の最初期の被検体のため成長がとまらず高校生くらいだが、唯一超能力を獲得した成功例。名門出身のためかプライドが高く、徹底した人種差別主義者であり、冷徹で非情な性格をしている。

 

そして最後はサラ・トート。千里眼の持ち主である。インドの寒村に生まれ、その能力に目をつけたローゼンクロイツ学院に買い取られた。もともと口数がすくない少女だったが、超能力実験や薬物投与により後天的な自閉症を発症しており、ジルにしか心を開いていない。

 

こんなに小さい子供たちが......とアランは舌打ちをした。マリィがみんな16歳くらいだというものだから、みんななおのこと嫌な顔をする。やりにくいことこの上ないが、彼らは誘拐されてからあらゆる手段でもって自我を破壊され、忠実な少年兵として教育されている。無力化しないと何度でも立ち上がってくる。マリィがそういうものだから、息を飲む。向き合うしかない。ローゼンクロイツ学院という組織は《鬼道衆》と手を組んでいるだけのテロリストたちなのだ。

 

「サラを真っ先に潰してください、みなさん。彼女は私達を状態異常にして2人をアシストしてきます。そのかわり盲目で貧弱だから真っ先に潰せばいけます。イワンは先読み能力があるので物理攻撃にしろ《力》にしろ、回避不能の攻撃で。トニーはイワンだよりの攻撃しかできません。直情的だから状態異常が有効な手です」

 

「───────ッ!?」

 

「《力》が使えないんじゃなかったのか!」

 

「......月の逆位置...... 真実への導きを与える、無名無形の見えざるもの...... 失敗にならない過ち、過去からの脱却、徐々に好転、未来への希望、優れた直感......あなただったの......」

 

「なんだと!?」

 

「どうやらアタリのようですね」

 

「!!」

 

「《如来眼》は《氣》をよむことができるのが本来の能力です。それを活かすも殺すも私の思考ひとつなんですよ。見ることが出来なくなっても、どんなふうに使っているのか、どんな装備をしているのか見ればわかりますよ、それくらい」

 

「このクソアマァッ!!なにも出来ないくせにッ!」

 

「そこまでわかれば充分だよッ、ありがとうまーちゃん!」

 

「あとはおまかせしますね、さっちゃん」

 

「うんッ!」

 

「だいぶ動きやすくなったな。愛、あとは任せてくれ」

 

「はい、私の命、みなさんに預けます」

 

「ああ、任された」

 

如月たちが敵陣に飛び込んでいく。私は緋勇から預かっていたあらゆる《力》が宿った宝玉を手にする。あとはジル学院長が最奥の機械を起動しようとしているのを逐一知らせて攻撃するよう指示を飛ばすことくらいだ。

 

ジル学院長が如月の攻撃により壁に吹き飛ばされた。時間稼ぎをしながら仲間たちがひとり、またひとりと撃破していく。

 

「おのれェッ!!」

 

最後のひとりになったジル学院長の絶叫が響きわたる。なんとかスイッチをおさせるまえに無力化することに成功したと思った、その時だった。

 

「ぐああああッ!頭が痛いっ!頭が割れるッ!!これはいったいッ!」

 

それはあまりにも久しぶりにみた光景だった。ジル学院長がいきなり頭をかきむしりながらもがき苦しみ始めたのだ。

 

「いやだッ!いやだ、死にたくない!まだわしはやれる!まだ負けたわけではない!!そうだろう、まってくれ、まってくれ、たしかに負けた暁には贄になると契約したがわしはまだッ!まだあああ───────ッ!」

 

悲鳴が歪んでいく。次の瞬間、ジル学院長の頭が内側から弾け飛び、いつか見た巨大な蟲が出現したではないか。そしてその蟲は不気味な音をたてながらとんでいく。私達は頭に寄生されないようあわてて距離をとる。蟲は動力源不明の機械に入り込み、そのまま消えてしまった。そして、スイッチは入れていないにもかかわらず、いきなりONのランプが点灯する。

 

不気味な起動音があたりに響きわたる。ごぽぽ、ごぽぽ、と不透明な液体がカプセルポットの中で波打ちはじめ、それはやがて膨張していった。嫌な予感がして私達は距離をとったまま見つめていることしかできない。

 

カプセルポットが豪快な音をたてて弾け飛ぶ。黒煙があたりに立ち込めた。私達はとっさに間合いをとろうと飛び出してきたなにかを目でおいかけようとしたが、それは叶わなかった。真っ黒ななにかが異様な速さでかけぬけていく。壁になにかが激突した音がして、急いでおいかけていくとなにかがぶつかったのか壁がひび割れていて、粘着質のなにかが残っている。そのヌメリは廊下に続いていた。

 

「急ごう!」

 

私達はあわてて階段を駆け上がり始めたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖63

「あれは一体なんだったんだ?」

 

途中で雷角を倒し、私達と合流してくれた緋勇が階段をかけあがりながら聞いてくる。緋勇たちは私達のいるはずの部屋から爆発音がして、なにかが飛び出してくるのを目撃したという。

 

「最初はまーちゃんに何かあったのかと思ったんだよ、気配が似てたから」

 

「でも、あれは......違ったわ」

 

触手に囲まれた一つ目を持つ巨大な深きもののように見えたという。その姿は人型をした蛙、もしくは触手に囲まれた単眼を額に持つ深きものの姿をしていた。

 

「あれは......そうだわ、那智真璃子さんの《氣》とよく似ていたような......」

 

「まさか、那智が産まされた邪神なんじゃ?」

 

「なら、どうしてカプセルポットの中に?《アマツミカボシ》を復活させようとしてたんだろ?」

 

「明らかに深きものに近い種族のようですね。私に似た《氣》ということは、その中に《アマツミカボシ》のなにかが降霊したのかもしれません。あの洗脳する蟲がジル学院長からそいつに寄生しました。本来なら敵対勢力同士反発するはずの器と魂が無理やり結びつけられているのかもしれません」

 

今の私は《如来眼》による解析が不能になっているためやつの正体がなにか全くわからない。

 

「外に出たらやべーってのはたしかだな!」

 

蓬莱寺の言葉にうなずくしかない。

 

屋上の扉はけ破られていて、荒れ狂う風が吹き込んできていた。人の形をしたヒキガエルが瑞麗先生たちと対峙している。その姿は皮膚が灰緑色になって膨れ上がり、四肢は骨がなくなってぐにゃぐにゃなタコのような姿になり、皮膚の表面は鱗のようになっておりただただ人間の面影を残す怪物だ。《鬼道衆》の忍びを捕らえて今から貪り食っている。もはや理性はなくひたすら破壊と捕食を行なっている。

 

瑞麗先生が攻撃をしかけようとしたその刹那、死体が無造作に投げつけられた。そして右腕が触手のように変化したかと思うとフェンスに向かってのび、絡みつく。そして翔んだ。

 

私達はあわててフェンスの向こうを見てみるが、眼下に広がるのは夜の帳が降りた大田区の街並みだけである。

 

「逃がしたか......」

 

フェンスは強大な力の踏み台になったためかひしゃげて歪み、今にも落ちそうになっている。ぬめりがまだ生暖かい。

 

「瑞麗さん、あれはいったい......」

 

「《レリックドーン》の連中が無償で切り捨てる寸前の下部組織に技術を提供するわけがない。喪部銛矢はわかっていたんだろうさ、こうなることをな」

 

「実験は失敗すると?」

 

「ああ......子供の姿をしていると侮った時点で私はいっぱい食わされたわけだ。やつは魔人というにはおぞましい。神だったころの先祖をその身に降ろしているのに自我が破綻せず、《鬼》におちた体も使いこなしている。いわば神が《鬼》となったのに堕ちる前の《力》も使えるようなものだ」

 

「逃げられましたか」

 

「ああ、すまないが......」

 

「12歳の頃からあんな実力があったなんて......」

 

「驚くしかない。《レリックドーン》はとんでもない人材を手に入れたようだな。あれは人体実験程度で手に入る類の《力》じゃない」

 

「ほんとですね......」

 

私も瑞麗先生もため息をついたのだった。

 

「厄介なことになったな......」

 

緋勇の言葉に私はうなずくのだ。

 

「でも、階段でみた時と屋上で見た時とどうして姿形が変わっていたのかしら......?」

 

「おそらく、《アマツミカボシ》の信仰する神も、深きものが信仰する神も、どちらも同時に呼ぶことができるレベルの劇薬です。喪部がいなくなったことで私の《如来眼》の《力》が復活したように、あれにも《アマツミカボシ》の《力》が活性化したんでしょう。ただ、この世界は体に精神や魂が最適化される性質がありますから、放っておけばやがて深きものの性質が表面化し、《アマツミカボシ》の《力》もコントロールできるようになるはずです。厄介なことになりましたね......」

 

「ああくそ!次から次とめんどくせーなァッ!!」

 

「《鬼道衆》はどこまでよんでいたんだろうな......」

 

「なにか気になることでも?」

 

「ああ、これで星見は終わりだと。てっきりまーちゃんのことかと思ったんだよ、《アマツミカボシ》は星見の一族だったって教えてくれただろ?」

 

その言葉に私は青ざめるのだ。

 

「まーちゃん、どうした?やっぱり《アマツミカボシ》の《荒御魂》が降臨したからなんか影響が?」

 

「わかりません......自覚がないだけなのかも......桜ヶ丘病院に検査してもらいます......」

 

「そうね、そうした方がいいわ。ひどい顔をしているもの。大丈夫?」

 

「......《アマツミカボシ》と完全に交信できなくなったのは初めてだったので、今更ながら恐怖心が......あはは」

 

ずるずる崩れ落ちる私に美里が隣に座って肩をさすってくれた。

 

「わかるわ。私も信仰心を否定されるような事態になったら、正気でいられる気がしないもの」

 

「ありがとうございます......」

 

「よく頑張ったわ、槙乃ちゃん」

 

「はい......」

 

「緋勇君、ジル学院長や戦闘部隊の処遇は私に任せてくれないか。君たちのことは伏せさせてもらうから。君たちはすべきことがあるだろう。面倒ごとに巻き込むわけにはいかないからな」

 

「いいんですか?」

 

「ああ、ジル学院長は死んだ。逃げ出した実験体の行方は気になるが、いつまでもここを放置するわけにはいかないからな」

 

瑞麗先生の提案により、私達はローゼンクロイツ学院から脱出することになったのだった。行くところがなくなってしまったマリィは一時的に美里の家に預けられ、公的な処理を《M2機関》を通じて行ったのち、寮に入るなりホームステイするなり選ぶことになったのだった。

 

 

 

そうして私達は帰路についたのである。

 

「愛、大丈夫か?」

 

付き添いを申し出てくれた如月と歩きながら、私は桜ヶ丘病院がある場所ではなく、中央区に向かおうと提案した。

 

「やはり気分が悪いわけじゃなかったか」

 

「翡翠君には適いませんね......実はそうなんですよ。現在進行形で《アマツミカボシ》の呪いに苛まれている存在を知ってる身としては気が気じゃないんです。あの場で話すわけにはいかなかったので」

 

「......まさか、秋月家の?」

 

私はうなずいた。如月は私の心中を察したのか複雑そうな顔をしている。

 

「だが、秋月柾希の呪いは《和魂》たる君のおかげで解呪できたじゃないか」

 

「でも薫ちゃんの脚は治らなかった」

 

「それは代償だ。本人も納得してたじゃないか。兄を助けた証だと」

 

「それはそうですけど......」

 

「秋月薫が《力》を使わなかったら、君がこちらの世界に来る前に死んでいた。秋月柾希が昏睡状態から目が覚めたが、秋月薫が死ぬはずだった兄の運命をねじ曲げた代償として足が不自由になった。兄の昏睡状態自体が呪いだったんだから、解呪して目を覚ます。本来死ぬはずだった運命を改変した代償は呪いの域を超えた秋月薫自身の《力》だ。解呪しても治らないのはわかっていたことだろう。治る可能性もある。本人にかかっているといったのは他ならぬ君だ。違うか?」

 

「違いません......違いませんよ。だから心配でたまらないんじゃないですか。明らかに脱走した実験体の標的は───────」

 

「少しは落ち着け、声が大きい」

 

「......ごめんなさい」

 

「とりあえず僕が連絡しよう」

 

「ありがとうございます」

 

「ダメなら時須佐先生に入れてもらおうか」

 

「そうですね」

 

私達が向かうのは東京都中央区にある都立庭園、浜離宮恩賜庭園(はまりきゅう おんしていえん)である。

 

東京湾から海水を取り入れ潮の干満で景色の変化を楽しむ、潮入りの回遊式築山泉水庭だ。江戸時代に庭園として造成された。園内には鴨場、潮入の池、茶屋、お花畑やボタン園などを有する。元は甲府藩下屋敷の庭園だったものが、徳川将軍家の別邸浜御殿や、宮内省管理の離宮を経て東京都に下賜され、都立公園として開放された。

 

その一角に結界がはられた場所があるのだ。そこには秋月薫という神秘的な絵を描く事で知られる天才画家で、星視の力を持つ車椅子の少女がいる。兄の柾希は敵に襲われて昏睡状態にあったが、柳生が差し向けた刺客たる《アマツミカボシ》の《荒御魂》の呪詛だったために私が解呪できた。よって意識はある状態だ。2人とも医学的には全く異常はないが、薫の足が動かない、柾希は徐々に回復してきてリハビリの最中である。

 

2人ともその強力な《予知》の《力》により柳生から真っ先に狙われる可能性があるため、浜離宮に設けられた結界内で御門らの守護を受けつつ暮らしている。

 

「そんなので大丈夫なのか?時須佐先生に言伝たら?」

 

「ダメです、時間がない」

 

「なら、せめて落ち着け」

 

「......はい」

 

如月になだめられてしまった。

 

「御門に会いたくない気持ちはわかるけどな」

 

「あっちも私に会いたくないと思いますよ」

 

「毎回思うが《アマツミカボシ》が反逆の民だったのは何年前の話なんだろうな。宮内庁がそこまで毛嫌いする理由がいまいちよくわからない」

 

「色々あるんだと思いますよ」

 

「その色々が秋月兄妹の解呪を遅らせたせいで足に不自由が残ったというのに愛のせいにするんだからな......」

 

「若き頭領だから、大変なんですよ、きっと」

 

「......本当に君は......あいわからずだな」

 

「だって、《アマツミカボシ》の《荒御魂》と《和魂》とはいえ、どちらも《アマツミカボシ》の一側面には変わりません。その転生体たる私が解呪するといったところで、信頼できるかといわれたら難しくはありませんか。信頼を得るのは大変なことですよ」

 

「秋月薫が言わなかったらなしのつぶてだったくせにな。今でもお礼もよこさない」

 

「あはは......。まあ、柳生との戦いのあいだは我慢してくれとしかいいようがありませんね」

 

「とりあえず連絡はついた」

 

「よかったです、門前払いされなくて」

 

そう、私は秋月兄妹の護衛である御門に嫌われているのだ。

 

理由は色々あると思う。

 

《アマツミカボシ》はかつて天御子という大和朝廷を傀儡として日本を掌握していた超古代文明の研究者の一人であり、私の存在そのものが神武天皇から脈々と受け継がれてきた皇室の根幹を揺るがす暗黒時代の生き証人であること。

 

秋月兄妹を襲った《アマツミカボシ》の転生体であること。なにせ皇神関連の人間関係の中核は柾希だった。柾希の周りに薫や御門、村雨がいた。互いのつながりに常に柾希がいた。柾希抜きにして成り立たないバランス関係だったこの関係が、柾希が昏睡状態になった事によって異常をきたす。薫が兄の振りをして当主におさまることになり、御門と村雨は薫に片思い中だからえらいことになった。

 

私が浜離宮を初めて訪れた時、秋月周辺の人間関係は、破綻寸前の関係を気力だけで保たせている状態だった。1角分崩れたらもう限界、緊張感の最中に《アマツミカボシ》の《和魂》の転生体が解呪させてくれと現れた。

 

3者3様に張るべき意地があり、しかも気を抜ける場所ってのがないから、当然どこかに無理が出ていた。その無理を吸収する遊びの部分が無かった。元来この面子の中では一番の庇護対象にあった薫が、自らの理想でもあり、保護者でもあった兄の代役をする訳だから年令も、性別も、強く意識して隠す必要がある。完全防備で隙が無い、自分が柾希でないという事から離れる事もできない。

 

そこにいきなり現れた私がその無理のぶつけどころになったというわけだ。

 

あの時のやり取りはあんまり思い出したくない。

 

「さて、ついたぞ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

憑依學園剣風帖64 魔人完

将棋の駒を動かすように、あまりにも機械的に事を運ぼうとすると、棋士が将棋に殉ずるがごとく策謀家は策謀に殉ずることになる。いつだったか苦々しげに御門(みかど)がいっていたことを村雨(むらさめ)は思い出した。

 

「あいつの姿が見えネェと思ったら、あの姐ちゃんが来てんのか。まーたやりあってんのかね」

 

「そうみたいだな。帰ってきたらまた荒れるよ、きっと」

 

「うへェ......勘弁してくれよなァ......。俺の宿星が北極星の別名だからって八つ当たりすんのはやめて欲しいぜ。別に俺はあの姐ちゃんの肩だけ持つわけじゃねーのによ。しかしあれか?薫がいねーが出てんのか?マサキとして?」

 

「そうだな、僕はあいかわらずこの身体だから。薫には迷惑をかけてるよ」

 

「まあ、ボチボチ行こうぜ。医学的に問題なくても身体は長いこと植物状態だったんだからよ。医者はリハビリは寝たきり期間の2倍かかるっていってたじゃねェか」

 

「ありがとう。まあ、本題に入ったら如月と一緒にこっちに来てくれると思うよ」

 

「お、まじか。如月きてんなら麻雀やろうぜ、麻雀。どうせ1時間は戻ってこねーんだから」

 

「そうだな」

 

「しっかし、あれだ。あんだけ嫌い抜いてんなら無理に会わなくてもいい気がすんだがねェ。それこそ芙蓉(ふよう)ちゃんに任せりゃいいじゃねェか」

 

「僕もそう言うんだけど、どうにも宮内庁管轄の機密情報だから会わない訳にはいかないらしいな」

 

「へェ、大変なこって」

 

世間話をしながら柾希はぱちぱちと将棋をうっていた。指先だけならかろうじて動くようになったため、リハビリを兼ねているのだ。

 

前後の事情をよく頭に入れて、細かく観察すれば、互いの動きがなかなか綿密に計算されたものであることがわかる。数手先まで読んでいる。類は友を呼ぶというやつで、村雨のように奇策を好むのは確かだが、しかるべきところに一線を引いて、そこから足を踏み出さないように気をつけている。どちらかと言えば神経質な性格と言ってもいいくらいだ。彼の無頼的な言動の大半は表面的な演技に過ぎない。天性の運だけで渡りあっている村雨は待ったが多くなってきた。

 

「いっちゃ悪いが最近はご機嫌うかがいのつまんねえ客人ばっかだったからな。余計にあいつもイライラすんのかねェ」

 

「そうかもしれないな、天野さんは晴明に遠慮して緊急の時にしか来てくれないから」

 

「いつもは時須佐のばあちゃんだからな」

 

ぱちん、と将棋盤が小気味よい音をたてた。

 

「はい、王手」

 

「うッ......まーた嫌なところ打ちやがったなッ」  

 

「お喋りに夢中になるからだよ」

 

澄ましたように笑う親友を睨んだ村雨だったが、どこをどう見ても足掻く要素が見つからない。

 

「くそッ、投了だ投了ッ!まいりましたッ!」

 

「あれだけ待ったかけといて?もう少し粘れよ、祇孔」

 

「無茶言うな!」

 

不貞腐れたように伸びをした村雨はついでに首を回した。骨が折れたような音がした。

 

「ここに打てばまだ勝機はあったのに」

 

「あん?」

 

「ほら、これをこうして、こう」

 

「うげッ、マジかよ」

 

「マジだよ」

 

「あーもうやめだやめ、全然面白くねェ。花札やろうぜ柾希。そんでもう一勝負だ」

 

「勝てないからって拗ねるなよ、祇孔。なんのためのリハビリだよ」

 

「勝負は駆け引きがなきゃつまんねえだろうがよ」

 

村雨は上着のポケットから花札を探り出し、あつでの束を突きつけた。

 

「だから、なんのためのリハビリだよ、祇孔。僕のリハビリなのに全力で勝ちに来ないでくれ。なんだって君の一番得意な花札で勝負をしないといけないんだ?」

 

「さっきまでお前が一番得意な将棋で勝負してたんだぜ?たまには付き合えよ」

 

「祇孔の負けず嫌いは筋金入りだな」

 

「類は友を呼ぶって言葉、そのまま返すぜ」

 

2人はニヤリと笑って、そのまま吹き出した。

 

 

村雨祇孔(むらさめしこう)は千代田区の皇神学院高校3年参組。華道部所属。 高校生とは思えない風貌の持ち主で、人生を賭け事に例えている。 運が非常に強いため、難関の皇神高校にも運によって入学している。

 

シニカルな言動と外見でわかりづらいが、義理堅い性格で、秋月柾希とは親友で、薫の兄貴分だ。そして御門晴明(みかどはるあき)と対等に話すことができる。

 

「失礼いたします」

 

すっと襖が開いて、二人よりやや年上に見える少女が如月と薫を連れてきた。茶菓子はおそらく如月たちの手土産で、お茶は薫がいれたもの。如月が薫の車椅子をひいてきてくれた。

 

「やあ、久しぶり。元気そうで安心した」

 

「天野さんの付き添いできたんだろう、如月。なにか緊急の用事でも?」

 

「詳しくは御門に聞いてくれた方が早いな。僕はとりあえず君たちが無事で安心した」

 

「おいおい、せめて簡単に説明してくれよ。晴明は説明の前に講釈たれるからいけねぇ」

 

「仕方ないな......」

 

「って芙蓉。俺の分は?」

 

「お前などに出す菓子はありません。以前天野様の分まで手をつけたではないですか」

 

「姐さんは笑って許してくれたからいいじゃねぇか」

 

「よくありません。恥を上塗りするような真似をして......」

 

「かーっ、あいかわらずかっわいくねェなァ......」

 

「可愛くなくて結構。お前に可愛く思われる利点などありはしません」

 

「芙蓉。祇孔に出さない方が失礼じゃないのかい、如月たちはきっとみんなの分まで持ってきてくれたはずだ」

 

「柾希様…......」

 

「祇孔も僕のお客だよ、芙蓉」

 

「…......かしこまりました」

 

しぶしぶうなずいた芙蓉は茶菓子をとりに下がっていく。

 

「祇孔もあんまり芙蓉をからかわないでくれよ」

 

「からかってんじゃねぇよ、向こうが喧嘩売ってくるから買ってるだけだ」

 

むくれる村雨の頬が微かに赤い。薫と柾希は笑い、如月は肩を竦めた。

 

「天野さんが浜離宮に飛んでくるなんて本当に珍しい。なにがあったんだい?」

 

「兄さんと心配していたんです。北極星がありえない軌道を描いていたから」

 

「《鬼道衆》に手を貸していた連中に、星辰を動かせる魔術師がいたんだ。そのせいで愛は《力》が一時的に使えなくなった。あやうく実験体にされるところだったんだ」

 

「なんだって?」

 

「天野さんは大丈夫なんですか?」

 

「ああ、今のところはね。愛はそれよりも《アマツミカボシ》の《荒御魂》が那智から生まれた邪神に降ろされた可能性がある方が心配だったようだ。君たちが危ないと。実際、《鬼道衆》の雷角が星見の一族は終わりだと笑ったそうだから無理もないが」

 

その言葉に秋月兄妹の顔が引つる。村雨も眉を顰める。柾希の家系には、代々星の動きから物事を予見する『星見』という力が伝わっている。村雨以上に天野愛という人間の数奇な運命について正確に理解している2人は、村雨や御門に話さないこともたくさんある。だからなにかわかったのだろう。

 

「なにか異変に気づいたらすぐに知らせてくれ、と言いに来たんだ。やつは《アマツミカボシ》の《荒御魂》が敵対勢力の奉仕種族の中に入っているようだ」

 

「はぁっ!?んなの暴走するに決まってんじゃねぇか!」

 

「その通り。おかげでローゼンクロイツ学院は大惨事だ」

 

「マジかよ」

 

「しかも《鬼道衆》の忍びを食らっていたから、かなり凶暴で殺戮の衝動をかかえている。しかも例の蟲に寄生されているから、夜間は特に気をつけてくれ」

 

「厄の塊みてーな野郎だな......」

 

村雨は息を吐いた。

 

「よくぞまあ、生き残れたなお前ら」

 

「本当にそうだよ。毎回が綱渡りの自覚はある」

 

村雨は親友をみた。

 

「柾希、せっかく如月がいるんだ。なんか何か気になる事があんなら、言えよ?俺たちは、お前の味方だからな?」

 

「兄さん......?」

 

「薫には見えて、柾希には見えねーってことはいつぞやのパターンじゃねぇか。話せよ、今すぐ。二度と親友を守れない無力さに泣くのはごめんだぜ」

 

「愛がまた御門に殺されそうになる事態は勘弁してくれ」

 

「......わかった」

 

柾希は重い口を開いた。

 

「あれは深きものの信奉する神の子だ。その中に《アマツミカボシ》の信奉する神の化身が降臨したことで、風と水の対立因子が器の中で絶えず争い、蟲毒状態にある。それを生贄にしたらどんな邪悪な神だって呼べるだろう。あれに理性はない。自我もない。あるのは無慈悲な天災が形をなしたような《力》だけだ。どちらが残るかはあまり問題じゃない。深きものの神が勝てば敵対勢力の天野さんたちに牙をむくし、《アマツミカボシ》が勝てば完全な存在になろうとして天野さんたちを狙うだろう。広がるのは共通して崩壊した東京だ」

 

「おいおい、随分とスケールがでけぇ話だな」

 

「《鬼道衆》はなにが目的なんだい?東京の壊滅じゃなく《菩薩眼》だったのでは?」

 

「結果的にそうなるんだ。《鬼道衆》は全盛期の《菩薩眼》、つまり、完全体たる《アマツミカボシ》の《力》が欲しいんだよ。そこに《鬼道》をつかえばどうなるか。わかるだろ?いつしか九角からいなくなった卑弥呼の転生体の再臨だ。《黄龍の器》が完成する前にその原型たる《鬼道》を完成させたいんだと思うよ」

 

その言葉に如月はたまらずため息をついた。

 

「つまり、愛たちが狙われるのは、あくまでも実験体にするためってことか」

 

「そうだね、本命はあくまで《黄龍の器》だ。緋勇君も気にかけてやってほしい」

 

「───────......言われるまでもなく、愛は誰よりも龍麻と美里さんを気にかけてるよ。最初からずっと。出会う前からずっと」

 

「如月、お前も大概苦労してんなァ」

 

「君がいうのかそれを?」

 

「さあて、なんのことやら」

 

村雨は誤魔化すように笑うと麻雀をしようと如月たちを誘ったのだった。

 

ちなみに御門と天野がやってきたのは、数時間後のことである。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

黒い数珠

緋勇は雷角がいい放った、知らない先祖の罪という言葉に妙なひっかかりを覚えていた。普通に考えるなら江戸時代の人々、いわゆる今東京に住んでいる人々の守護に打倒徳川の怨念を利用され、毒を以て毒を制せられたからこその怒りだろう。にしては、緋勇たちに向けられた殺意はどうにもそれだけではないような気がしてならなかった。

 

だから、久しぶりに実家に連絡を入れたのだ。まさか当たってしまうとは思わなかったが。

 

「《龍閃組》」

 

「そう、御先祖様が隠密として重要な役割を果たしていた。その功績が無視できなかったから、緋勇家は明治政府にとりたてられた。やがて2度の大戦を経て故郷に帰り、今の家があるんだよ」

 

祖父は今までろくに興味も示さなかった緋勇家の歴史について、孫がいきなり興味津々で聞いてきたからなんだか嬉しそうだ。

 

祖父はいう。隠密とは、主君などの密命を受けて秘かに情報収集などに従事する者。古くは忍者と同一であったが、近世に入ると忍者に限定されなくなり、そのころに緋勇家も隠密として従事することになったという。

 

「それって、もしかして九角鬼修?」

 

「......よくわかったな、龍麻。そう、《龍閃組》をはじめとした多くの隠密が結成されたのは、徳川家光・家綱公の時代にまで遡る。九角鬼修率いる《鬼道衆》とわしらの先祖は長らく戦っていたようだ」

 

身分的には低かったが、江戸中の風説を調査したり、領内外の情勢を探ったりしたらしい。

 

現代のような情報通信手段が発達していなかった当時、人がコツコツと足を運んで風聞を集めて廻ることが、最も重要な情報収集の手段であった。

 

「天海大僧正の進言だったと言われているよ。老中もお抱えの隠密がいたが、将軍自らが直接コントロールができる直属の諜報機関をつくり、ダイレクトに情報の収集を実行するための組織が必要だったんだ」

 

つまり隠密とは、小禄で決して身分は高くはないが、一般のイメージである人知れず諜報活動に従事するスパイで、その末路は哀れな使い捨ての役割などではなかったといえる。それどころか、江戸幕府を支える重要な役割のひとつとして認識されていた、とみるべきであろう、と祖父は結んだ。

 

「もしかして、《菩薩眼》と関係ある?じいちゃん」

 

祖父の息を飲む音がやけに大きく聞こえた。

 

「よくわかったな《鬼道衆》と徳川幕府は代々《菩薩眼》を巡って争っていたんだ。かの女性を手中に収めれば、天下は安寧だとつたわっていたからな。理由はわからんが」

 

「《菩薩眼》の《宿星》の子がいるんだ。死者蘇生までできるようになってる」

 

「なんと......それは驚いた。緋勇家の文献では1人しか確認されていない」

 

「先祖返り?」

 

「おそらくな」

 

「じいちゃん、《鬼道衆》のやつに先祖の罪がどうの言われたんだけどホントに和解したんだよな?」

 

「なんて暴言を言われたのかはしらんが間違いない。それだけはたしかだ、安心しなさい。決してお天道様に顔向けできないようなことはしていないよ。そうだ、和解の証の品を送ろう」

 

「和解の品?」

 

「そうだとも。当時の棟梁、九角天戒とわかちあったといわれる数珠、お前の父さんにも持たせたが帰ってきてしまった家宝だ」

 

そういって祖父は笑った。

 

「九角天戒と関係あったんだ、俺の家」

 

「なんだ、知ってるのか」

 

「......あんまり嬉しくない経緯で知っちゃったんだけどな......」

 

緋勇はため息をついて、《鬼道衆》との戦いや九角家と未だに連絡が取れないことを話した。

 

「そうか......。この数珠はな、互いに近くにいればどういう原理かはしらんが、わかる効果があると言われている。残念ながら150年間、再会した話は聞かんが......そういうことなら尚更今の龍麻に必要なものだろうな。大事に身につけておきなさい」

 

「わかった。ありがとう、じいちゃん」

 

「まさか九角の末裔とそんなことになっているとはな......《鬼道》と《宿星》の歴史は切っても切れない関係なのかもしれんな......」

 

「......そうだね。やりきれないよ」

 

「まあそういうな。因果というやつはいろんなことを起こすものなんだから。いいことも、悪いこともな。龍麻、くれぐれも気をつけてな」

 

「うん、ありがとう」

 

そして、数日後、不思議な《氣》が込められた数珠が届いた。

 

祖父曰く、この数珠が黒いのは、黒は他の色に染まらず、そのエネルギーも非常に強いパワーストーンが使われているためだという。手に入れる際も自分がパワーストーンに負けないか、今欲している確固たる物があるか確認しなくてはならないレベルであり、自我を確立して自分の進みたい道が決まっているときなどにとても良い色だという。

 

《鬼道衆》を解散したのち、自分の道を歩むよう村の人間に申し付けたという棟梁たる九角天戒に、緋勇家の先祖が故郷に帰る際に餞別として渡したのだという。

 

たしかにこの数珠はエネルギーを浄化・純化する力が強く、体が本来持っている力をさらに高めるようにサポートする効果があるように思えた。身体的に直接働きかけているのではなく、精神面を強くサポートすることによって身体も回復する、という効果だ。

 

また、現実的な感覚を研ぎ澄まし、高めていくという働きもあるようだから、なにかを極めるには最適な装備なのだろう。

 

祖父曰く、これだけの強い力を持っているパワーストーンなので、心や身体の調子が悪い時に身につけてしまうと、石からの強いエネルギーに負けてしまうこともあるから注意しろと言われた。これが身につけられるような人間だったんだろうことは想像にかたくない。

 

目黄不動 (めきふどう)がある永久寺を目指して緋勇は出発したのだった。目黄不動と呼ばれているのは、永久寺だけではなく目青不動の祠があった最勝寺もなのだが、以前いった時には似たような祠を見つけることが出来なかったため、消去法でそこだろうとみんな考えたのだ。

 

「この東京のどっかにいるんだよな、たぶん。この数珠の片割れもってるやつが......いや、持ってるとは限らないか。150年も前だもんな......」

 

東京で最も交通量が多いといわれる昭和通りと明治通り、この二つの道路の交差する大関横丁の交差点のすぐそばに永久寺はある。

 

「誰もいないな、早く来すぎたか......」

 

どうやら家宝を身につけているせいで気分がせいてしまったようだ。緋勇は仕方ないので近くにあった観光用のパンフレットを広げることにする。暇つぶしにと駅でもらってきたのだ。

 

永久寺の歴史をひもとくと、遠く14世紀南北朝騒乱の頃建立されたらしい。ただ当時は真言宗のお寺で名称も唯識院と呼ばれていた。このことは當山の板碑に書かれているのだが、板碑のいたみが激しくそれ以上詳しいことが判読できない。その後の歴史の流れの中でいくたびか戦乱などによって焼失し、再建を繰り返してきた。

 

時には道安和尚という高僧によって諸堂伽藍が整備され、名も白岩寺と改められ、禪閣として隆興をきわめたこともあった。また寺院名も時に大乗坊さらに蓮台寺と変遷を重ね、宗旨も先にあげた真言宗から禅宗そして日蓮宗と移り変わってきたようだ。

 

江戸時代に入って、出羽の羽黒山の圭海という行者によって天台宗の寺となる。さらに寛文年間、幕臣山野嘉右衛門、号して藤原の永久という人が諸堂を再建し境内地も拡張・整備され、寺院名も永久寺と改められ、中興の祖となった。

 

泰平の世となった寛永年間の中頃、東海道など五街道が整備され、街道の道中安全を祈願することが幕府によって命じられた。その時、上野寛永寺の天海大僧正の発願によって江戸府内の由緒ある古刹が五色不動として五街道沿いに定められた。

 

その際、南北朝以来の古刹であり、また日光街道(今の昭和通り)に面した永久寺が目黄不動尊として指定され、ここに南北朝以来の古刹は天台宗目黄不動尊永久寺として大成した。

 

現在の永久寺は、大関横丁の交差点のすぐそばだから時に自動車の騒音につつまれることもあるが、樹齢一千年を越える松の木が、御仏と共に訪れる人を静かに迎えているのが見える。

 

「なるほど......そんときに俺の先祖は《龍閃組》に入るために上京したのか」

 

なんだか不思議な気分だった。

 

「......?」

 

ふと数珠に目をやるとうっすらと光を放っているのがわかる。

 

「おい」

 

「!」

 

振り返ると強烈な赤が目に入った。

 

「テメェが持ってるその数珠......そいつをどこで手に入れやがった」

 

「どこでって、俺ん家に伝わる家宝だよ」

 

「んだと?そいつは俺の先祖が友と別れる時にわけたいわく付きの片割れだ。テメェが持ってていいもんじゃねェ」

 

「!!」

 

「......そうか、奪ったんだな。テメェか、テメェの先祖がそいつから奪いやがったんだな。でなきゃ、テメェが持ってるわけがねェ」

 

「まさか、お前は!」

 

「それはついで引き合う絆の証、九角家の家宝だ。九角を滅ぼした徳川の狗が持ってていいもんじゃねェんだよッ!テメェがもつ資格なんざねェッ!必ず奪い返してやるからな、覚悟しやがれッ」

 

「待ってくれ、名前は?俺は緋勇、緋勇龍麻。あんたは?」

 

「はあ?九角天童だ」

 

「俺の先祖のこと、なにも伝わってないのか?」

 

「なにを訳のわかんねえことを......。滅ぼしたのはお前たちだろうが」

 

「なんでそうなるんだよ!和解した証に俺の先祖が渡したんだ、その友ってのは俺の先祖のことだよ!」

 

失笑した九角は一瞥もくれずにそのまま行ってしまう。緋勇はあわてておいかけたのだが、境内には誰もいなかったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

菩薩眼

雷角を倒してから1週間がたった。

 

緋勇の御先祖様が《龍閃組》という徳川将軍家直属の隠密であり、《鬼道衆》と戦ったことがあること。和解して離別する際に餞別の証として渡した黒い数珠が九角家にも家宝として伝わっているのに、《龍閃組》との戦いと和解の歴史が九角家には失伝していること。九角天童に永久寺で敵対宣言されたという事実は私たちに非常な現実としてのしかかっている。

 

《鬼道衆》の殺意は日増しに増すばかりであり、忍びたちに監視されたり、襲われたりすることが増えてきた。

 

九角家当主である九角天童の祖父はいったい何を考えているのだろうか。柳生に与するに至る理由がわからず私は気が重くなるばかりだ。

 

《鬼道衆》はあと2人いる。ここにきてなぜか沈黙をつづけ、襲撃ばかりしかけてくるのが不気味でならなかった。

 

このままでは埒が明かないということで、天野記者や遠野と手分けして九角家について調べてみた。わかったことは以下の通りである。

 

九角家は天下分け目の戦いとして名高い関ヶ原の合戦より前から、徳川家の忠臣として栄えた名門だった。それが徳川家光の時代に幕命に背き、謀反を企てたとして一族郎党皆殺しの上、御家はおとり潰しの憂き目にあう。その時の九角家の長だったのが九角鬼修。

 

以降、徳川家茂の時代まで《鬼道》と呼ばれる外法を使い、江戸壊滅を目論んでいたと文献では伝えられている。それは地の底から《鬼》たちを甦らせる魔の神通力。九角鬼修は、幕府の隠密や配下の者たちによりその命を落としたといわれている。その子孫は怨恨の血筋を繋げるはずだった。

 

そのあとを継いだのが九角天戒、《鬼道衆》を復活させた正体不明の赤い髪の男に末裔が東京を壊滅させるのをあの世から見ていろと宣言された男。そして、敵対していた緋勇の御先祖がいた《龍閃組》という隠密集団と共に、《鬼道衆》に濡れ衣をきせて陰謀をめぐらせていた何者かを倒すために共闘。のちに《鬼道衆》を解散し、緋勇の御先祖から家宝の黒い数珠の片割れを託された男。

 

「九角鬼修がいきなり謀反を起こした理由も定かじゃないし、天戒の代からいきなり穏健になった理由もよくわからないわ。一体、なにがあったのかしら......」

 

「《菩薩眼》の女性を巡るにしても、葵ちゃんみたいに普通の女性だったと思いますしね......。普通に考えるなら鬼修はおとり潰しのあと、修験者となり《鬼道》に開眼、復讐のために《鬼道衆》を組織したと考えるのが普通です。お姫様に恋に落ちて《鬼》になったお侍さんが鬼修なら、お姫様は《菩薩眼》の女性で、攫ってから娶ったことになります。その人が大奥の人なら辻褄が通りますが、時代が合わない」

 

「ええ......《鬼道衆》を組織したのは家光の時代からで、《菩薩眼》の女性を攫う絵巻やお侍さんの話は幕末の時代でしょう?百数年の開きがあるわ」

 

「子供の九角天戒が《龍閃組》と共闘を考えるような棟梁だったと考えるなら、鬼修が《菩薩眼》の女性と出会って恋に落ちるくだりはあながち間違いじゃないのかもしれませんね」

 

「......ねえ、槙乃ちゃん。やっぱり変だわ。どうして九角家はその大切な話だけが伝わっていないのかしら」

 

「九角天童君が知らないだけ、の可能性が出てきましたね。赤い髪の男と九角家当主が繋がっているのはもう揺るがしようがない事実です」

 

「......孫を利用しているってこと?」

 

「あまり考えたくはないんですが、那智真璃子さんの悲劇を考えるなら避けては通れない事実ですね」

 

「......いったいどうして......なにが目的なのかしら......」

 

美里はためいきをついた。

 

「ところで、槙乃ちゃん。覚えてる?喪部って子がいってた、《アマツミカボシ》より150年の信仰がどうこうって話。私、気になって、おじいちゃんに電話で話を聞いてみたの」

 

「おじいさんに......?どんなお話が聞けましたか?」

 

「ええと、たしか、代々美里家はお医者様の家系だったらしいの。鎖国の時代も洋書を読む機会に恵まれていたから、その関係でキリスト教に興味をもってこっそり改宗していたみたい」

 

「そうなんですか」

 

「ええ、西洋の医学を勉強するためだから、英語の本を読んでも咎められることはなかったみたい。むしろ、その知識を認められて、当時の徳川幕府に仕えたこともあったみたいなの。ただ、美里家がキリスト教徒になったのはずっと前だから、150年前どころの話じゃないみたいで」

 

「それはおかしいですね、喪部はたしかに150年といっていたのに」

 

「ええ、だから気になって、調べてみたの。そしたら、ちょうど150年前にね、美里家の一人娘として戊辰戦争とか数々の戦場を渡り歩いて、今でいう国境なき医師団の走りのような活動をしていた藍という人がいるの。どうやら養子だったらしいんだけど、もしかしたら、その人が《アマツミカボシ》と関係あるのかもしれないわ」

 

「藍さんですか。なぜそう思うんです?」

 

「この人ね、開業医をしていた美里家の人に赤ちゃんの時に拾われたらしくて、両親が名乗り出なかったから引き取られたらしいの。幼い頃から人の傷をすぐに治すことができる《力》があったらしいわ。この人以外に、150年前にちょうどキリスト教徒になった人が見つけられなかったから」

 

「なるほど......よくわかりましたね、葵ちゃん。すごいです」

 

「うふふ、ありがとう。でも、槙乃ちゃんは《アマツミカボシ》の転生体だってことや末裔だってことはもうわかっているんだから、全然すごくないわ。私はようやく藍って人がたぶん《アマツミカボシ》の末裔だったから、私にも末裔の血が流れていて、《龍脈》が活性化して《力》に目覚めたんじゃないかって自分なりに理由が見つけられたんだもの」

 

「葵ちゃん、そんなことないですよ。私思うんです。自分の家について調べることができるのは、自分の起源について子孫に伝えるために代々大切に守り伝えてきたものがあるからです。私の実家は茨城県の日立市、《アマツミカボシ》が石になって砕かれた伝承が残る街にあるんですが、天御子に誘拐されるまで《アマツミカボシ》の末裔だなんてしりませんでした。1300年も前の話ですから失伝するのは無理もない話なんですが、正直な話、おとぎ話でもなんでもいいから残しておいて欲しかったですね。それだけ忘れたい過去だったのかもしれませんが」

 

「槙乃ちゃん......」

 

「私のいた世界はあらゆるオカルトが実在しない世界だといつかお話ししましたよね。だから、なおのこと憧れがあったんですよ。修験者に弟子入りして人間になれた鬼の夫婦や座敷わらしの出る家、普通の家だからそういうのとはほんとに縁遠くて、オカルトが好きなのに霊感がなくて。だからオカルトスポットに行くのが日課でした。まさか御先祖様がそういう平凡な日々を夢見ていたからだとは夢にも思いませんでしたが。それを思えば、葵ちゃんのおうちは、御先祖様がなにをしたのか、どんな人だったのか、伝えようとしていたみたいですし、本当に羨ましいです」

 

「槙乃ちゃん......そんなに自分のことを卑下しないで。私ね、嬉しかったの。本当に嬉しかったの。私が《アマツミカボシ》の末裔なら、槙乃ちゃんとはきっと遡っていけば同じ御先祖様にたどり着くじゃない?《菩薩眼》の《力》はほんとうに私がもっていいのか戸惑うくらい強大だけれど、ツイになる《力》の《如来眼》の槙乃ちゃんがいてくれたからなんとか受け入れてこれたの。その槙乃ちゃんと深い繋がりがあったんだとわかったとき、どれだけ励まされたと思う?」

 

「葵ちゃん......」

 

「その直後にあの子のせいで槙乃ちゃんが《力》を使えなくなった時、本当に怖かったわ。その繋がりが失われてしまったし、私じゃ槙乃ちゃんを守れない。《力》が使えないのに槙乃ちゃんに守られているしかない自分が本当に嫌だったの」

 

「その必死さに《菩薩眼》の《力》が応えてくれたのかもしれませんね」

 

「そうね......そうだととても素敵だと思うのだけれど、それだけじゃない気がするわ。あの子がいっていたでしょう?《菩薩眼》の《力》も本来は《龍脈》をみる《力》でしかないって。《如来眼》となにもかわらない《力》だって」

 

「たしかに言ってましたね」

 

「《黄龍の器》がどうとかいっていたし、龍麻を狙い始めたから、きっと龍麻の《力》が私に《力》を貸してくれたんだと思うの」

 

「なるほど。たしかに醍醐君が《白虎》の《宿星》ですから、《黄龍》の《宿星》があってもおかしくはないですね」

 

「やっぱり槙乃ちゃんもそう思う?よかった、私の考えすぎじゃないかって不安だったの。槙乃ちゃんの今の身体が《アマツミカボシの器》であるように、龍麻もなにかの器なのかもしれない。そう思うと急に私、怖くなってきちゃって」

 

「好きな人が急に遠くにいってしまいそうな気がして怖くなったんですね」

 

「槙乃ちゃん......」

 

「わかりますよ、その気持ち。それはきっと葵ちゃんの心に余裕ができて、周りを見ることができるようになったからこそです。大丈夫、葵ちゃんが強くなった証ですよ」

 

「うふふ、ありがとう。これでようやくみんなと一緒に戦えるわ」

 

これならみんなを庇うために一人九角のところに行く可能性はひくくなっただろうか。心配だからなるべく一人にならないように注意しなくてはならない。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

神託

下校時間を告げるチャイムが鳴り響く。

 

「ん、もうそんな時間か。時須佐、帰っていいぞ」

 

「あ、はい、わかりました」

 

新聞部顧問の職権乱用で授業で使うプリントやらなんやらの準備に駆り出されていた私は時計を見た。もうすぐ19時だ。外はすっかり真っ暗である。生物準備室においていたリュックやカバンを準備していると、思い出したように犬神先生がいった。

 

「そうだ、時須佐」

 

「はい?」

 

「お前にこいつをやろう。今日の手伝いの報酬だ」

 

「なんですか?......あれ、これって......」

 

「どうした」

 

「いや、その......どっかで見たことあるなあって」

 

「なんだ、持ってるなら付けておけばいいものを」

 

「あれは葵ちゃんと龍君が持ってるので」

 

「やれやれ......どうしてこう人間ってのはまずは自分を護ろうとしないのか。護られてるやつだって気が気じゃないだろうに。それが己の身を滅ぼすことだというのに、仕方のない奴だ。ほんとうにな」

 

「いつになく辛辣ですね、犬神先生」

 

「皮肉のひとつもいいたくなる。美里の相談に乗ってるようだが、お前もたいがいな夢をみているようだな」

 

「ちょうど良かった。相談したいことがあったんですよ、犬神先生。《如来眼》の《力》に目覚めた女性のなかに、未来予知ににた《力》に開眼した人はいませんか?」

 

犬神先生は首をふった。

 

「本来《如来眼》てのは《菩薩眼》の補助的な役割だ。人の《氣》をみたり、《龍脈》のエリア程度しかわからない。《菩薩眼》は《龍脈》の流れそのものがわかる。操作できる。桁違いな《力》だ」

 

「葵ちゃんはそこまで覚醒してませんが」

 

「お前がいるからだろうな。《アマツミカボシ》の転生体がいるんだ、それにくわえてキリスト教の影響もあって《菩薩眼》の《力》がだいぶ変質している。本来の在り方である必要がないから美里に合わせて開花している。予知の《力》に目覚めた人間にはお目にかかったことがない」

 

「そうですか......なら、やっぱり《アマツミカボシ》の《荒御魂》が私に見せているか、オディプスが警告してるんだ」

 

「阿呆、夢見に関しては素人の癖に自己判断ですませるやつがあるか。適当なことをいって誤魔化すのはお前の悪い癖だな」

 

犬神先生は私に無理やり鈴を握らせてきた。それは五色不動からもらったアーティファクトによく似ていた。

 

「精神攻撃に弱いと自己申告したのはどこのどいつだ。日増しに奇妙な《氣》に苛まれておいて」

 

「そんなにですか」

 

「いつからだ」

 

「龍君が九角君にあった日だから......前の土曜日からですね」

 

「なんで誰にも言わない」

 

「言う人を選んでるだけですよ。おばあちゃんたちには話しました」

 

犬神先生は舌打ちをした。

 

「犬神先生に言わなかったのは、なかなか今みたいなタイミングが来なかったからです。避けてたわけじゃないですよ」

 

「どうだかな......。まあいい。神託でもうけたか」

 

「いえ......《荒御魂》が私を探しているんだと思います。神は《荒御魂》と《和魂》が揃ってはじめて神たりえますから。神霊であっても陰と陽のバランスから逃れる術はありません」

 

「で、具体的にはどんな......」

 

頭上の明かりが突然、ばちっと音を立て切れかかり、それがますます穏やかさを失わせる。空に目をやれば、月も雲で霞んでいた。何もかもが凶兆に見える。

 

秋の不安定な空は雲でいちように覆われていた。不吉な未来を思わせる黒々としたものではないにしろ、不愉快な色だ。《鬼道衆》に毎日のように襲撃されては疲弊していく私達を見下ろしているような、そんな空だった。

 

「雲行きがあやしいな。車で送ろう。ちょうど校長先生に話したいことがあったしな」

 

「そうですか、わかりました。ありがとうございます」

 

「連絡いれとけ。迎えが入れ違いになると面倒くさいことになるだろう」

 

「あはは」

 

私は携帯を受け取り、時須佐家に連絡を入れる。

 

「どうせ寝てないんだろう。少し走るか」

 

「......ありがとうございます」

 

「俺に言うのが遅れたのはぼーっとしてたが正しいようだな」

 

「あはは......学校は数少ない安全地帯なのでつい」

 

「なら寝てろ」

 

「はい、そうします」

 

 

 

 

 

 

私は鬱蒼とした霧の深い森で目を覚ます。

 

「......いつもの夢じゃない......?」

 

壊滅した東京の真ん中でひとり取り残される夢ではないようだ。真神学園の制服でカバンはそのままだ。犬神先生の姿がどこにもない。周囲を見渡すと西洋的な白い教会があることに気づいた。その教会の裏の方には小さな墓地が見える。教会の入り口には建物の名前らしき看板がある。

 

「Limbo?複数形じゃないからダンスじゃなさそう......なんだっけ。あの世?」

 

キリスト教に精通しているわけではないが、宗教的な意味合いがあった気がする。イマイチ思い出せない。

 

「......なにこの匂い......」

 

私は鼻がひん曲がりそうな腐敗した匂いに顔をゆがめる。これは死体の臭気だ。おそるおそる匂いのする方にいってみると、小さな墓地の方だった。

 

「土葬にしても浅く埋めすぎじゃないのこれ......。あれ、いや違う?」

 

教会の裏の小さな墓場には、数十基のの墓が立てられていた。どの墓にも名前と寿命が刻まれ、その人を端的に表した言葉が刻まれているようなのだが、私は読むことができなかった。日本語でも英語でもラテン語でも他有名どころの言語でもない。類似する形がうかばない。魔導書の類なら読めなくても不穏な引力で意味が脳に焼きつけられてしまうから、きっと違うのだろう。不気味なのはたしかだが。

 

「───────......あれ?」

 

足が動かない。下を見ると足が物理的に短くなっている。驚いて振り返ると、私の靴や靴下が散乱し、皮膚やら肉やら欠陥やらが解剖されたあとみたいに延々と続いていた。

 

「ひッ......」

 

久しぶりに精神的にクる光景に体が引き攣る。バランスを崩して倒れ込んだ私は、地面が固まる前のコンクリートのように溶け出してゆく体になってしまったのだと思い知らされる。為す術もなく私は地面に転がる。そしてようやく気づくのだ。腐敗臭の正体は私自身だということに。

 

そして、腐敗した匂いを放って揺れているくさむらの先に。

 

「うわ......」

 

それはまさに死の舞踏だった。私と同じ状態になった様々な人影が行列をなしている。死の恐怖を前に人々が半狂乱になって踊り続けている。生前は異なる身分に属しそれぞれの人生を生きていても、ある日訪れる死によって、身分や貧富の差なく無に統合されてしまう。それを怖がりながら泣き叫んでいるのが見えた。体がいうことをきかないようだ。洋館から鐘の音がする。人々は不気味に踊り始め、次第に激しさを増してゆく。洋館のとびらがあいて、入口に西洋の彫刻が鎮座していた。

 

 

洋館の中は腐敗した肉のように黒く紅い唇をした人間が幾重にも折り重なっているのがみえた。うめき声が聞こえてくる。生きたまま腐りはじめているのだ。顔が一番酷い。損傷が目立つから、きっと顔から腐り始めたのだ。死んでいる人間は顔の外観を損なうほどに悪化しているから、致死的になったらこうなるのだ。どの遺体は腐敗してどす黒く変色し、生前の面影を完全に失っていた。

 

「あたしもああなるの?勘弁してよ......」

 

《このまま死んだらそうなるね》

 

「───────ッ!?」

 

私の背後に猛烈なプレッシャーが襲いかかった。《旧神の印》を体に押し付けられた時のような金縛りと強烈な圧迫感が迫り来る。一瞬私は呼吸を忘れた。視界の隅っこに黒いローブのようななにかがチラついた。やけに威厳のある若い少年の声がする。

 

《ここは夢の世界のはずなのに、どういうわけか辺獄と繋がっている。洗礼の恵みを受けないまま死んだ人間が死後に行き着く場所。イエス・キリストの死と復活、昇天によって天国の門が開かれる以前に、原罪を持ったまま小さな罪を犯した可能性もあるが神との交わりのうちに死んだ者が行き着く場所。地獄には行かないけど、キリストの贖いによって救われるまでは天国にも行けない場所だ。君たちの価値観からいえば、裁きを受ける前に滞在する場所といった方がしっくりくるだろう》

 

少年はひどく立腹なようで、言葉の端々にトゲがある。

 

《僕が警告していることに相手は気づいたようだ。まあ、君はそれなりの働きを見せたからね。報復のつもりかしらないが、困るんだよな。勝手に夢の世界と辺獄を《門》で繋がれると。このままじゃここがパンクするわ、ドリームランドの封印がとけるわ、大惨事になるじゃないか。このまま夢をみつづければ、君もあれになる。みんなあれになる》

 

指さす先には鐘の音がなりやむと同時に閉ざされた洋館の扉がある。

 

《あの建物はもともとここにはなかった。誰かが繋げたんだ。一瞬見えただろう?あの洋館の中にある入口にツイになる形であったヨーロッパの彫刻。あれが本体だ。グルーンていう旧支配者だ。月桂冠の冠を戴く美形の青年の形態を取っているから、そうは見えないんだけどね。ギリシア風彫刻と全く同じ姿なんだけど、身長は3m以上もある。あの洋館は空間が歪んでるんだ》

 

「......」

 

《その正体は木の枝を編んで作った粗末なボロを纏った大きなナメクジそのもの。でも、装甲を無視して犠牲者の体を腐敗させる接触攻撃を行う。だから絶対に勝てない。君が接触してないのにその有様なのは、僕が疑似体験させてやったからだ。経験しなければその厄介さは理解し難い》

 

私は気づけば五体満足になっていた。それでも言葉一つ発することができないのは、少年が《旧神》だからだろう。

 

《グルーンは何か媒体がなければ外の世界に干渉することができず、それを手にした人間に影響を与える。本来は海底に水没した都市の中にそびえる玄武岩でできた神殿の夢を毎日のように見せて、死に至らせる。奴らは夢の世界と辺獄を繋いで夢を見せたまま腐らせようと目論んでいるんだ。グルーンの見た目は僕とよく似ている。勘違いされては困るんだ、君達には門を閉じてもらわなくてはならない》

 

少年は私を起こす。黒いローブをつけた少年は、なぜかコンビニの傘をさしていた。

 

《瀧泉寺にいくといい。門を開いた不届き者たちがグルーンを番人にしている》

 

そして私は目を覚ました。

 

「おい、まきッ......」

 

揺さぶられていることに気づいて目を見開くと、ホッとした犬神先生がいた。

 

「いきなり死んだように眠り始めるから驚いたぞ、大丈夫か」

 

「あ、はい......やっぱりヒュプノスの呼び出しだったようです」

 

「神託であってたじゃないか」

 

「あはは......」

 

「また呼び出されないうちに帰るぞ」

 

カーナビは21時をさしていた。

 

「とりあえず話せ。忘れないうちにな」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

北斗七星

東京都目黒区にある目黒不動尊(めぐろふどうそん)は、瀧泉寺(りゅうせんじ)にある。瀧泉寺は日本三大不動、江戸五色不動の一つともされる関東最古の不動霊場であり、目黒という地名の由来になっているとも言われている。

 

 

目黒不動は、私達が巡ってきた中で一番大きなお不動さんだった。境内は台地と平地の境目に位置し、仁王門などの建つ平地と、大本堂の建つ高台の2段に造成されている。仁王門をくぐると正面に大本堂へ至る急な石段がある。石段下の左方には前不動堂、勢至堂などがあり、右方には書院、地蔵堂、観音堂、阿弥陀堂などがある。境内には不動明王像や仏さま、多くのお堂や龍神が祀られていた。

 

808年円仁という僧侶がが下野国から比叡山に赴く途中に不動明王を安置して創建したという。東国には円仁開基の伝承をもつ寺院が多く、そのひとつらしい。860年には清和天皇より「泰叡」の勅額を下賜され、山号を泰叡山とした。

 

1615年には本堂が火災で焼失したが、1630年寛永寺の子院・護国院の末寺となり、天海大僧正の弟子・生順大僧正が兼務するようになった時、徳川家光の庇護を受けて、1634年50棟余におよぶ伽藍が復興し、「目黒御殿」と称されるほど華麗を極めた。

 

「時須佐の話を聞いた時、一番気になったのがここだ」

 

地元だからと案内を買って出てくれた紫暮は境内にある滝に私達を案内してくれた。

 

「ここは独鈷の滝(とっこのたき)。浴びると病気が治癒する信仰があってな、江戸時代には一般庶民の行楽地として親しまれ、江戸名所図会にも描かれているんだ。落語の目黒のさんまは、この近辺にあった参詣者の休息のための茶屋が舞台だとされるくらいだからな。ただ、ご覧の有様だ」

 

本堂へと登る石段下の左手に池があり、いつもなら2体の龍の口から水が吐き出されているらしいが、テープが貼られ、近づけなくなっている。伝承では、円仁が寺地を定めようとして独鈷(とっこ、古代インドの武器に由来する仏具の一種)を投げたところ、その落下した地から霊泉が涌き出し、今日まで枯れることはなかったらしいが見る影もない。

 

「枯れてるね......」

 

「今月に入ってからいきなり出なくなったようだ。今年に入ってからだんだん水量は減ってきていたらしいが、いきなりだ。今まで枯れたことなどなかったのに」

 

私達は顔を見合わせた。敷地内にはやはり身に覚えがある祠があり、中はがらんどうで、かろうじて窪みが丸いなにかがあったことを教えてくれていた。

 

「噂では、水道工事をやっている会社がやらかしたらしい。目黒区とトラブルになっているようだ」

 

「まさか、その会社って......」

 

「ああ、ワダツミ興産だ」

 

 

 

 

 

「なるほどねェ~、だからあたしのところに来たと」

 

「《鬼道衆》と関わりがあるし、長らく下水道工事を独占しているって行政との癒着を疑っていたじゃないですか。どうです?」

 

「うっふっふ~、ちょうどいい所に来たわね。面白いことがわかったわよッ。コレ見てよ、コレ」

 

それはここ20年にも渡る東京都の下水道工事入札の一覧だった。

 

「こうもあからさまだとびっくりよね~、違う業者もあるんだけどほら、職員みんな同じでしょ?」

 

ホームページには「下水道事業排水設備指定工事店」の一覧が載っている。

この指定工事店になっていれば、その登録された市・町の下水道切替え工事ができる訳だ。年に1度主催する「下水道排水設備工事責任技術者試験」に

合格する必要がある。各社に1人でも合格した者がいれば、経歴書、身分証、登記簿、定款など必要な書類、定められた道具類の写真など、その市役所の規定に添った書類を全て集め登録の申請をすることになる。責任技術者と指定工事店は5年に1度更新手続きが必要なようだ。

 

その後、各市役所の下水道課の審査を経て指定工事店の許可がおりる。誰でもなれるかといえば、まずは試験に受からないことには始まらない。多少の経験知識がないと受からないようにはなっている。

 

だが、関係者が全員示し合わせてしまえばなんの意味もなくなるのだ。

 

「こうも《門》の近くの下水道ばっかり発注請負うとか疑ってくださいっていってるようなもんよね~」

 

「談合か」

 

「汚職だな」

 

「天野さんが張り切ってたわ~、《鬼道衆》の戦いを陰ながら支援できるって」

 

遠野曰く、2人で力を合わせて調べまくったらしい。

 

「表沙汰になったら大惨事になるわよッ!芋づる式にどれだけ逮捕者がでるかしら」

 

あこがれのルポライターの手伝いができて遠野は嬉しそうである。

 

ワダツミ興産による入札が過去20年で300件以上あり、うち半数以上で、落札が最低制限価格と同額となっていたことがわかったという。これは明らかに工事価格などが漏れている。

 

「この平成の世にここまであからさまな汚職事件はなかなかないわよ。どんだけ《鬼道衆》の協力者たちが紛れ込んでいるのかしらね。監査もなにも機能してないのよ?明らかにおかしいわ。で、これが最近手がけてるワダツミ興産の工事がこれよ」

 

印刷した紙を配りながら遠野がいうのだ。

 

「調べてみたら面白いことがわかったわ。この古地図をみて」

 

「北斗七星みたい」

 

「そ、あたしもびっくりしたわ。東京の北斗七星っていえば、平将門公が有名だけど、それだけじゃなかったのよ」

 

徳川幕府は江戸城の守護と江戸の都市計画にあたって、古来より信仰の対象となってきた北極星ならびに北斗七星の力を重用したようだ、と遠野はいう。天野記者の受け売りらしいが。

 

北天にあって動かない北極星、そのまわりを回る北斗七星は宇宙を支配する神とその乗り物として古来より信仰の対象となってきた。その信仰はわが国の仏教や神道にも取り入れられ、星を祀り、護国鎮守、除災招福の祈願がおこなわれてきた。

 

江戸の都市計画にも北極星、北斗七星の力が重用されている。単純に鬼門に神社仏閣を建立するだけでなく、神社仏閣が北斗七星状になるように計画を練ったのだ。

 

どの寺社が星に該当するかについては諸説があるが、都市計画をリードしていた天海は天台宗の僧であり、天台宗の優越性を人一倍信じていた。その天海が行った都市計画を調べたらしい。

 

条件は領有所持する朱印地の石高であり、現在地に遷座、寺社建立に至った経緯である。幕府の力の入れ具合と幕府の宗教政策の流れを見ようとしたのだ。

 

それは天海と家康、秀忠、家光が描いた都市計画の宗教的要、北極星、北斗七星を完成をみた。

 

増上寺、愛宕神社、日枝神社、神田明神、藏前神社、浅草寺、寛永寺が北斗七星、護国寺が北極星にあたるらしい。

 

「その近くの下水道工事、全部ワダツミ興産なのよね。事件の匂いがするわ。それに、江戸時代当初にあった江戸五色不動の位置、さらに江戸城、等々力不動尊の7つの点を線で引いてみると北斗七星の形になるみたいなのよ。北極星の擬神化である《アマツミカボシ》を執拗に降臨させようとしているあたり、柳生側しか知りえないなにかが東京にはあるのかもしれないわね」

 

遠野の言葉にみんな息を飲むのだ。

 

「なら───────」

 

みんな、私を見た。

 

「急いだ方がいいですね。《アマツミカボシ》は金星とも言われています。アマテラスの力が最も弱まる冬至がもっとも活性化するんです。このまま《鬼道衆》が沈黙を続けるのだとしたら、冬至を待っている可能性がすてきれない」

 

「それは、槙乃ちゃんの《力》も?」

 

「はい。ですから、私達が探している《荒御魂》も同じことがいえるはずです」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ワダツミ興産

私達はヒュプノスの瀧泉寺に行けという話をもとに、ワダツミ興産が行っている下水道の工事現場に踏み込むことにした。遠野からもらった現場一覧の地図をにらめっこしながらたどり着いたその場所は、瀧泉寺とほんとうに目と鼻の先という距離である。

 

目黒区や近隣住民とトラブルになっているにもかかわらず、中止になる気配はなく、むしろ当てつけのように工事の騒音が凄まじい。普通は防音対策に工事現場をかこう壁はかなり厳重にするよう気を使うものだが、私達が振動を感じたり、音に圧倒されたりするのだ。よほどの手抜きかつ突貫工事なのか、周りをかこう壁に描かれた幼稚園や保育園から提供された絵全体がが大きな太鼓のようになっている。

 

こうしてみると、東京は様々な音に満ちていることに私は気づく。

 

コンビニ、ファミレス、すれ違う人、公園脇、工事現場、昼間の駅、電車の中、ほとんど十歩ごとに音が変わった。人間っていう生き物は集まるとこんなにたくさんの音を出すんだと、私は今まで知らなかった。

 

その音の世界すらかき消してしまうほど工事現場はうるさい。かなりうるさい。頭が揺さぶられているような気分になるほどだ。互いの声すら聞こえなくて、ついつい声が大きくなってしまう。

 

下水道に用がなければわざわざこんなところに来るわけがない。耳を塞いで迷惑そうな顔をしている人、睨みつける人、通行人の誰もが工事現場を迷惑に思っているに違いないのだから。

 

周囲からの視線から完全に隔絶されているであろう壁の隙間から工事現場を見てみた。そこでは、今も私たちの街が造られ続けていた。ごうん、ごうん、と、空き地が潰れる音がする。

 

砂だらけの工事現場は、小さな砂漠に似ていた。私は砂漠をもがきながら沈んで行くキリンみたいなクレーンを見上げながら、作業員を用心深く見つめる。

 

《如来眼》の《力》で解析するためだ。

 

「......」

 

「まーちゃん、なにがみえる?」

 

「......やっぱり、彼らは普通の人じゃなさそうですね。深きものとまでは行きませんが、非常によく似た《氣》の持ち主たちです。混血なのかもしれません」

 

私の言葉に緋勇はやっぱりかと呟いた。深きものの血が流れている人間はある程度歳を重ねると非常に特徴的な外見の変化が現れる。ここにいる作業員たちはいずれもその特徴と合致していた。

 

それ自体は別に構わないのだ。人間社会に人知れず溶け込み生活をしている人外は意外といる。その受け皿として機能を果たしているというのなら、私達は驚きはするが深入りはしない。彼らの工事現場が東京の幾重にも張り巡らされた結界を破壊するために行われている疑惑があるから問題なのだ。

 

しばらく待っていると、まだ夕方ではないし、おひるも過ぎているというのに、どこからも工事の音はしなくなった。工事現場をかこう白い壁がこちらを見つめている。

 

覗き込んでん見ると、作業員たちが下水道の工事現場とは思えないぜんまい人形のように単純作業をいつまでも繰り返している。想像力を伴わない仕事は、肉体的には楽でも精神的には疲れる場合が多いが、それとは違う。

 

たしかにルーチンワークは、何も考えないロボットを作り出す。人の頭から、自分でものを考える回線を取り外してしまう。そういう脳死的な状況を求める連中も、少なからずいる。その方が楽。ややこしいことは何も考えなくていいし、言われたとおりにやっていればいい。食いっぱぐれはない。

 

単調な仕事は、続けているうちにけっこうハイになってくる。一定のリズムに乗っているうちにエンドルフィンだのエンケファリンだのの麻薬物質が脳内に分泌され出すのだろう。

 

一日中、ひたすら穴のなかに何かを運ぶ締め単純作業の繰り返し。流れるような作業ぶりを、ただただ眺めるしかない。誰もが機械と化している。

 

「なにしてんだ?こいつら」

 

蓬莱寺は困惑していた。

 

かつての深きもののように人を誘拐したり、生贄にしたりする様子もない。ただただ工事現場で怪しい行動をしているだけ。突入するような気分にはなれない。どうしようかと考えていた矢先。

 

「葵っ!」

 

いきなり美里がふらつき、倒れた。緋勇があわてて受け止める。美里が身につけていた鈴がなり始めたのだが、内側から弾け飛んで壊れてしまった。

 

「これは......」

 

「葵!大丈夫か、葵?」

 

「最近葵変な夢みるっていってたよ......お不動さんでもらった鈴が起こしてくれるからいいけどって」

 

「葵も?」

 

「まさかひーちゃんもか?」

 

「葵が見る夢が自分じゃない誰かになって江戸で暮らす夢なら間違いないな」

 

「あ、そうそう、それ!葵はお姫様になって大きな御屋敷に閉じ込められる夢なんだって。《鬼》がどうとかいう話なんだけど、葵がなにをいっても外に出してもらえないし、《菩薩眼》の《力》を強要されるし、《鬼道衆》に狙われてるにしても扱いが酷かったって。なにかを降ろす儀式の贄になれば待遇がよくなるからそれまでの辛抱だって言われたらしいよ」

 

「葵はあれか、鬼修に攫われたお姫様の夢か。《菩薩眼》つながりかな。俺はあれだよ、ご先祖さまになる夢だ」

 

「いつかのように、夢の世界にいったまま戻れないようです。助けにいかないと」

 

「!」

 

「よし、葵のこと頼む。桜ヶ丘中央病院に連れていってやってくれ」

 

仲間に美里のことを託した緋勇は私達と共に先に行くことにしたのだった。

 

「ヒュプノスはいっていました。人間への干渉はグルーンを象った像を使い、人間の夢の中で接触する。夢を見た人間は睡眠中に塩水や海草で溺れそうになりながら、徐々に狂気に陥る。最終的に夢を見た人間の魂は神殿へ引き込まれ、その生命活動が消滅するまでグルーンの拷問を受けることとなる。気をつけてください。美術館でよくある石像があったら必ず距離をとって触らないで。体が腐っていきますよ!」

 

私がみたヒュプノスの夢を思い出したのか、緋勇たちはうなずいてくれた。

 

そして下水道に潜入した私達は、茶色い鬼の面を被った《鬼道衆》の忍びたちと遭遇することになる。作業員の格好をしていることから、地上にいた人々なのだろう。私達に気づいて迎撃の準備を整えていたというわけか。

 

「こっから先はいかさんど!」

 

言葉足らずな男の声がする。

 

「誰だ!」

 

「おでの名は《鬼道衆》の岩角ッ!御館様の命令だ、お前らをここで倒すど!」

 

たくさんの忍びたちと現れたのは、巨漢の男だった。例によって天戒の部下が《五色の摩尼》により《鬼》に変じた時の残留思念と《五色の摩尼》に封じられている異形が150年の時を経て融合、岩角と名乗っているのであって、部下そのものではないはずだ。

 

部下は泰山という男だった。剛力を持つ巨漢だが、その心根は優しく穏やかで、動物と仲が良い。かつては木こりとして暮らしていたが、住んでいた山で見つかった金鉱を独占しようとした幕府の役人によって頭部に傷を受け、思考の一部を失ってしまっていた。

 

彼もまた曲折を経て柳生を倒すための仲間になったわけだから、こうして徳川幕府の恨みをはらそうとするのは異形が主人格だからにほかならない。

 

「こいつも誰かが面を被ってやがるのか?」

 

「雷角みたいに怨霊が体を与えられたかもしれないぞ」

 

「あのガキみてーなこと出来るやつがいんのかよ」

 

「まーちゃん、どう?」

 

「ダメです、あの仮面を破壊しないと解析不能みたい」

 

「わかった。はやく葵を助けに行かないといけないからな。そこを通してもらうぞ!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

静姫

町々は、夜になると、ひっそりと暗い闇につつまれてしまう。 古い京の町が、そのまま闇の中に息づいて細い道には車も人も通らず、人声も絶えてしまう。 江戸の町の夜がそこにはあった。周囲の環境と呼吸を合わせ、見事にひとつの日本の情景を作り上げている。

 

美里は格子窓からかろうじて見える風景を見ながら、ここがどこなのか考えていた。

 

座敷の芳しいヒノキの香りがする。澄み切った月が暗くにごった燭の火に打ち勝って、座敷が一面に青みがかった光を浴びる。雨戸がすっかり繰られて、まだ明けきらない朝の青い光とすがすがしい空気が、霧のように座敷の中に流れこんでいた。武装をした男たちが四方を警備していて、世話役の女達がしずしずと座敷を出入りしている。

 

 

脳細胞のように襖で仕切られた座敷はただひたすらに広かった。美里は仔犬のように座敷の隅に縮こまっていた。

 

 

座敷は雨戸がなく直接冷やされていた体で、室内は冷蔵庫のように冷えていた。

 

日がでていればうららかに座敷は燃えるように照るが、夜の帳が降りればほんとうに真っ暗になってしまう。菜種油のロウソクが唯一の光源だった。

 

 

座敷のあちこちで話が盛り上がり、お互いによその話し声に負けないようにと大声を出し合っているので、それらが混ざり合い騒音となって聞こえている。失望と怒りを掻かき交ぜたような声をして、座敷の中から「この馬鹿野郎」と怒鳴り声が聞こえる。いつも怒鳴っているのは、同じ男だった。

 

気まずくなった座敷の雰囲気を塗り替えるように、世話役の女たちが美里に構ってくれていた。八畳の座敷に余るような鏽さびを帯びた太い声がどんどん近くなっていく。座敷は、底のほうに気持ちの悪い暗流を潜めながら造り笑いをし合っているような不快な気分に満たされていた。不穏だ。

 

今日で1週間になる。連日見る夢はいつも続きからだ。いつも静姫と美里は呼ばれていた。雛川神社に奉納されていた絵巻物にでてくる九角鬼修に誘拐された《菩薩眼》の女性の着物によく似ている。大奥の姫に幕府の重鎮が手を出したのかと思っていたのだが、どうもこの女性の扱いはドラマでみたことがある生活ではなかった。どちらかというと幽閉されているといった方がただしい。

 

世話役の女は少ないし、逃げ出さないように警備は厳重だし、《菩薩眼》として知らない人間に《力》を使うよう言われて、使う。そんな日々だった。

 

最近、頻繁に尋ねてくる男がいるのだ。美里はあったことがないのだが、人を探しているとかなんとか。それは静姫でも藍でも葵でもなかった。知らない女性の名前だった。

 

もしかしたら、静姫の女性にここに閉じ込められていた女性なのかもしれないと美里は思っていた。

 

どうにも眠れなくて月を見ていた美里は、ロウソクの火がおよばない向こう側に誰かいることに気がついた。誰かを呼ぼうとしたが返事はない。

 

「お前に話を聞きに来た。終われば直ぐに帰る」

 

「......よく訪れているお客様かしら」

 

美里の意思に関係なく口が喋る。

 

「ああ」

 

「なにか御用かしら。《力》を必要としている人がいるとか?」

 

「いや、お前に聞きたいことがある。人を見ていないか」

 

「尋ね人?なら、時須佐家の《如来眼》の御息女をお尋ねになってはどうかしら。私の《力》では......」

 

「この屋敷を出入りしているのを見かけたのだ」

 

「この御屋敷に?」

 

男はよほど腕の立つ人相描きにかかせたのか、よくかけている紙を出してきた。

 

「......あなたとこの方のご関係は?」

 

「知っているのか」

 

「教えていただけないと答えようがありません」

 

「妹だ」

 

「......あなたは九角鬼修様?」

 

「ああ」

 

「......悪いことはいわないからお忘れになった方がいいと思います。でなければお命が」

 

「構わん。長らく徳川家にたてつく逆賊の身ゆえな、今更失うものなどありはしない」

 

「そうですか」

 

「《鬼道》に通じるがゆえに長命な我が身はともかく、家光殿に嫁ぎ、大奥に入ったはずの妹がなぜ生きているのだ」

 

「......《鬼道》ゆえ、と申し上げた方がわかり良いかしら。なぜ代々女性を大奥に嫁がせ、安寧の地位を築いていた九角家がおとり潰しになったのかと思っていましたが、見てしまったのですね。あなたが長命であるように、九角の秘技により長らえているのですわ」

 

「だが、あれは妹ではなかった」

 

「あなたの妹も、私も、《菩薩眼》に目覚めた女はみな、あの方の器になるのですわ」

 

「鬼道書にかかれている秘技のことをいっているのか?あれは世迷言では......」

 

「それは違いますわ。男性が《鬼道》を使えるようになさったあなたがなぜ分からないのです?あれはすべて真実ですわ」

 

「......あれは夢ではなかったのか」

 

「そうですね」

 

「......」

 

男は沈黙した。

 

「あの方はあなたの妹様の姿をしているだけで、長らくこの国を支えてこられた方ですわ。その密命のために私の体もいずれは」

 

「......怖くはないのか」

 

「なぜです?私は初めからそのつもりで生きてきました。そのためにこの《力》を授かった」

 

「......」

 

「あなたの妹様は九角家最後の女性でしたから、あなたの妹様を解放してさしあげる上でも必要なことなのですよ」

 

男は息を吐いた。

 

「妹はなにも言わなかった」

 

「そうですか」

 

「誰もなにも言わなかった」

 

「そういう暗黙の了解だったのですね」

 

「そこにたどりつくまで、百数十年もかかった」

 

「それはそれは......妹様が大切だったのですね」

 

「......なぜ妹は......」

 

「あなたは、覚悟がおありですか」

 

「なに?」

 

「神武天皇から脈脈と受け継がれてきた過去の血塗られた歴史をしり、この国の成り立ちと向き合い、この国の全てを敵に回しかねないことに手を出そうとしている自覚がおありですか。覚悟はございますか」

 

男は息を飲んだ。

 

「......九角家はそこまでの深淵に関わっていたのか」

 

「女性たちにだけ受け継がれてきた因習に手を出す覚悟はおありですか」

 

「......また来る」

 

「......2度目がないことを祈っています」

 

「名はなんという?」

 

「静姫と」

 

「そうか。ではな」

 

男はなにも言わないまま、去っていった。

 

美里は目の前で繰り広げられた応酬に沈黙しているしかなかった。行き交う情報の密度が濃すぎて、頭が受け付けるのを拒否していたのだが、ようやく訪れた静寂が思考回路を正常にしていく。

 

「あれが、九角鬼修......?徳川幕府はいったいなにを隠していたのかしら......。静姫のいうことが本当なら《菩薩眼》は一体......」

 

美里は考える。考えずにはいられなくなる。《菩薩眼》は《アマツミカボシ》というまつろわぬ民の末裔だとばかり思っていたのだが、その《力》以上に役目がかつてあったのだとしたら。それが槙乃が《アマツミカボシの器》であるように、龍麻が《黄龍の器》であるように、この国の成り立ちとかかわりがある深淵なのだとしたら。それがこれだけ聡明な静姫の自我を吹き飛ばしてしまうくらい強大な《力》を秘めた《人間》なのだとしたら。そう、《鬼道》は人間を降ろす呪術だ、神霊ではない。そんな人間がかつてこの国にいたのだとしたら。

 

「もし、生まれる時代が違ったら、私も......?」

 

美里は益々怖くなってきて、このために生きてきたと言い切った静姫の静かなる強さを感じざるをえなくなる。

 

「この夢が続いていったら、まさか......」

 

気づいてはいけないことに気づいてしまった。混迷と悲哀とが、足許に底知れぬ大きな口を開けている気がしてならない。美里はどうにかこの夢から脱出する方法を考え始めたのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

鬼道衆

岩角との戦いは、やつの実体は人間ではないのだと思い知らされるものだった。那智も炎角の末裔の男性も実体が人間であるために、ある種のリミッターがあったのだ。《鬼》に変生するにしても、《鬼》という実体を崩壊するまで暴れ狂うことはどうしてもできないのだ。雷角は違ったと緋勇はいう。岩角のように憤怒に狂気めいた殺気がやどり、《鬼》という実体を崩壊させながらも本気で私達を殺しにかかってきたというのだ。なにせ《五色の摩尼》に封じられていた異形には、実体などあってないも同然だったのである。

 

《鬼道衆》の忍びにしてはやたら頑丈だった男たちを伸した私達は、空気が張り裂けるような絶叫を上げながら襲いかかってくる岩角をかろうじて避けた。巨漢の大男はひとっ飛びで詰められるような間合いを取って、周りをじりじりと回っている。殺気が吹き荒ぶ異様な空間の中で、私は《如来眼》で岩角の《氣》の練り方を観察しながら緋勇に伝え、指示を仰いだ。

 

「───────ごろじでやるッ」

 

張り詰めていた緊張感の中、夜叉のような顔をした岩角が殺気を担ぎ、大股で向かってくる。紗夜の悲鳴で後ろを振り返った如月が繰り出す攻撃を刀で受け返し、印を切る。

 

「飛水影縫」

 

言霊を利用した手裏剣術により、影を縫いとめ、岩角は動けなくなった。

 

「如月、マリィ、醍醐、それにアラン!《氣》を岩角にぶつけてみてくれ!」

 

緋勇の言葉にうなずいた4人は麻痺して身動きすら取れない岩角を取り囲んだ。

 

「東に、小陽青龍!」

 

「南に、老陽朱雀!」

 

「西に、小陰白虎!」

 

「北に、老陰玄武!」

 

「陰陽五行の印もって!」

  

「相応の地の理を示さん・・・」

 

「「「「四神方陣ッ!!!!」」」」

 

あたりは一瞬にして焦土と化した。あまりにも強烈な一撃に巻き込まれた岩角はふらつき、足をついてしまう。

 

「よし、あと一息だ。まーちゃん、行けるか?」

 

「はい。私の身体に宿る星よ。どうか北辰の氣をこの瞳に映らせたまえ」

 

「「紫微大帝(しびたいてい)招来方陣ッ!」」

 

雨・風や星の動きなどの自然界の諸現象、さらには全ての鬼神たちを一人統括する極めて高位の神を模した強大な《力》の爆発だった。岩角の断末魔が聞こえる。

 

目の前で突然ものすごい音がした。それが爆発だと理解した時には、岩角の五感がまるで機能していない状態だった。何が起こったんだ。何も見えない。何も聞こえない。身体が動かない。俺は今どこにいるんだ。そんなことをのたうちまわりながら叫び、激しい痛みだけに叫び、それすら消え失せた。そして、完全な闇が訪れた。

 

光の後には《五色の摩尼》が転がっていた。緋勇はそれを拾おうとする。

 

「ひーちゃんになにしやがるッ」

 

潜んでいた敵の攻撃をたたき落としたのは、蓬莱寺だった。

 

「ここから先にお前達を行かせるわけにはいかないのだ」

 

現れたのは《風角》だった。たくさんの忍びを引き連れてのご登場である。

 

「食らうがいい!」

 

風角は印を切る。

 

産み落とされた風が意志を持って形をなす。つむじ風に乗って現われた怪異は私達の首を狙ってきた。避けても刃物で切られたような鋭い傷を受ける。痛みはなく、傷からは血も出ない。だが、時間が経つに連れて激痛と大出血を生じ、傷口から骨が見えた。死に至る危険性すらある攻撃にみんな目を丸くするのだ。

 

「たいへーんッ!大丈夫だよ~ッ

!いたいのいたいの~とんでけ~ッ!」

 

高見沢がすぐに救護に入ってくれる。

 

「みんな~!この傷は下半身に負うことが多いみた~いッ!30センチあたりに集中してるよ~!」

 

「ありがとう、舞子ッ」

 

「鎌鼬は30センチしか飛び上がれないようだな。なら」

 

警戒する場所さえわかれば見切りの成功率が急上昇する。

 

「おのれ......チョコざいな真似をッ」

 

風角が合図をすると同時に緑の仮面を被った忍びたちが現れた。

 

《鬼道衆》の風角は、本来代々九角家に仕える家系に生まれ、「嵐王」という当主が継ぐ名義の持ち主が名乗る名前でもあった。普段は鳥面に素顔を隠し、鬼道衆の頭脳として作戦立案や兵器開発に従事する。

天戒の代は、変人だが天才的なからくり師で、自ら製作した特殊服と仮面によって大宇宙党を組織した人物でもある。いかなる複雑な道具でも瞬時にその構造を理解する『千手』の『力』を備えていた。

 

少なくても風に特化した《鬼道》の使い手ではなかったので、雷角や岩角のように実体をえた怨霊そのものに違いない。

 

私は忍ばせていた秘薬を混ぜた蜂蜜酒を飲み、風魔の笛をふきならす。美里の魂が人質にとられてしまった以上、ここを突破するより他に方法はないのである。

 

「いあ! いあ! はすたあ!はすたあ くふあやく ぶるぐとむぶぐとらぐるん ぶるぐとむ あい! あい! はすたあ!」

 

滞りなくバイアクへーの召喚に成功する。

 

「バイアクへー、風角に専念してくださいッ!」

 

私の周りに冒涜的な風を産み落とし、《鬼道衆》の忍びたちを壁に突き飛ばしたバイアクへーは一気に加速して風角に襲いかかった。この隙に緋勇

たちが形成を立て直し、私も忍びたちの排除にとりかかる。

 

こうしている間にも砂時計が無慈悲に滴り落ちていくように、刻一刻と時間は過ぎていくのだ。美里の安否が心配だ。先を急がねばならない。

 

私は木刀を構えた。《鬼道衆》と戦うにあたって何よりも大事なのは、ためらいの気持ちを排除することだ。相手のいちばん手薄な部分を無慈悲に、熾烈に電撃的に攻撃する。一瞬のためらいが命取りになるのだ。

 

「風に乗りて歩むものよ」

 

私の心は妙にしんと底冷えがしたようにとげとげしく澄み切って、目に映る外界の姿は突然全く表情を失ってしまって、固い、冷たい、無慈悲な物の積み重なりに過ぎなくなる。その《氣》を練り上げていく。

 

心にあるのは無際限なただ一つの荒廃。その中に私だけが呼吸を続けている、それがたまらぬほどさびしく恐ろしい事に思いなされる荒廃が上下四方に広がっている。

 

波の音も星のまたたきも、夢の中の出来事のように、私の知覚の遠い遠い末梢に、すべての現象がてんでんばらばらに互いの連絡なく散らばってしまう。

 

その中で私の心だけが張りつめてじりじり深まって行こうとした。重錘をかけて深い井戸に投げ込まれた灯明のように、深みに行くほど、心は光を増しながら、感じを強めながら、最後には死というその冷たい水の表面に消えてしまおうとしているのだ。  

 

頭がしびれて行くのか、世界がしびれて行くのか、ほんとうにわからなかった。恐ろしい境界に臨んでいるのだと幾度も自分をいましめながら、寒さの募るのも忘れてしまって、戦場をかけるのだ。

 

木刀から忍びたちをまきあげ、天井に叩きつける。凍てついた体は一瞬にして行動不能となった。魔風を纏いながら、私は走る。

 

「イタクァよ、我に力を!」

 

そして目前の忍びにきりかかる。腕時計をみれば、滲んだ文字盤の上で軽やかに無慈悲に秒針が回り続けている。はやく助けに行かないと。私達は風角たちを確実に屠っていったのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

グルーン

風角を構成していた怨霊を撃破したことで、最後の《五色の摩尼》が出現した。緋勇がそれを拾い上げる。これは真っ白な宝珠だった。これですべての《鬼道衆》を撃破したことになる。

 

私達は下水道を進み、やけに明るい光が漏れている場所を見つけて近づいていった。

 

「なんか、やけに喉が渇かないか?」

 

「あ、たしかに。水が飲みたいかも」

 

「水に触りたいわ。シャワー浴びたい......」

 

「気持ち悪かったもんね、あの鎌鼬」

 

「ここ下水道だしな」

 

光が近づいてくるにつれて、妙な違和感がおこりはじめた。やけに喉が苦しく、発作が起こるのだ。肺に空気を取り込もうと酸欠の魚のように口をパクパクさせていることに気づく。眩暈がして、自分が死体を海に投げ捨てている幻覚を見た。

 

「まーちゃん、大丈夫か?」

 

緋勇に声をかけられた。よほど挙動不審らしい。

 

「みなさんは平気そうですね」

 

「愛、まさか邪神の影響を受けているのか?」

 

「......かも、しれませんね。さっきから気分が悪くて......」

 

「愛はあの印が使えないからな......加護がないも同然だ。どうする、戻るか?《五色の摩尼》を封印しにいくなら付き合うが」

 

「でも、これから《門》を閉じなければならないんですよ、翡翠君。ミサちゃんだけじゃさすがに......」

 

再び幻覚が私の視界にちらついた。先程投げ捨てた死体が、自分と同じ顔をしている。水死体が魚についばまれていく。やがて死体は真っ黒い神殿の前に降り立ち、その神殿から殺意と悪意をはっきりと感じとる。

 

「愛?」

 

「もう、遅いのかもしれません。誰かが私を呼ぶ声がさっきから頭の中に響いてるんですよね。今離脱しても、声のする場所へふらふらと勝手に動き回ってしまいそう」

 

「その声は邪神か?それとも《荒御魂》?いや、九角か?」

 

「わかりません......でもさっきから変な幻覚を見るから、たぶん邪神の類かと......今の私は蜂蜜酒を飲んだせいでトリップしやすい状態なので......」

 

「バイアクへーは頼りになるけどやっぱりまーちゃんへの負担が大きいな」

 

「そうだな......でも今の僕達には欠かせない存在だから難しい。タイミングが悪すぎたか......仕方ない。なにかあったら何がなんでも止めてやるからいこうか」

 

「ありがとうございます......」

 

私は先程の幻覚の話をして、その時感じた《氣》と同じものをあの光の先に感じると緋勇たちに伝える。おそらくあの先に夢の世界と繋がる《門》があるのだ。

 

「槙乃さん、大丈夫ですか?無理しないでくださいね」

 

「ありがとう、紗夜ちゃん」

 

高見沢と紗夜が手分けしてみんなの手当てにまわっている。岩角、風角の連戦だったのだ。疲労がちらつきもするが撤退する訳にはいかない。私達は体調が整ったことを確認して、光の先に進んだ。

 

「んだこりゃ......」

 

「今までで一番大きいな」

 

「まさに地下都市って感じだね」

 

「海底都市、そのものですね......」

 

「ううむ......かなり古いな。つまり、奴らはそんなに昔から......」

 

地下都市は原理不明の太陽が上の方にあり、昼間のように明るい。充分酸素もあり、息苦しさは感じない。屋根は崩れ落ち柱は折れているものの、神秘的な彫刻が施された建造物が沢山見えてくる。これは町、いや、大都会と言った方がいいのかもしれない。私達の目の前には広大な都市が広がっていたのだ。

 

「まーちゃんがいってた黒い神殿はあれか」

 

「彫刻がゴロゴロいそうだぜ」

 

「まーちゃん、どうする?近づいた方がいいの?《門》閉じるには」

 

「そうですね......あの《門》を閉じないといけないので」

 

「よーし、彫刻には近づかないようにしなくちゃね!」

 

私達は海底都市の中央にある真っ黒な神殿に続く広間をひたすら歩き、神殿の前にやってくる。玄武岩でできている立派な門だ。門の上の方に高さ3mほどの、月桂冠を被った美しい青年の浮彫を発見する。

 

「あれか、まーちゃんがいってた門番は」

 

「そうですね、あれが邪神の本体だそうです。気をつけて」

 

幼い頃は美少年であったに違いない彫りの深い彫刻的な顔立ちの彫刻は、胸の筋肉はギリシャ彫刻の特徴と似て括れていて、美を湛える顔をしている。

隙間のない極度にひき緊(し)まった表情だ。

 

横顔の美しい男だ。高めの鼻梁も、ゆったり微笑む唇も、彫刻すればどこかの外国のコインになりそうな精巧な仕上がり。特に顎から首までは、すがすがしく清廉、少年のように引き締まった完璧なラインを描いている。

 

邪神だとは思えない精巧さだ。

 

「待っていた。ずっと………待っていたぞ。お前たちがやってくるのを」

 

彫刻が喋った。

 

「退屈しのぎにおしゃべりでもしようじゃないか」

 

美しい青年の彫刻は玉座に座ったまま、私達に微笑みかけた。《鬼道衆》を撃破したことは《五色の摩尼》を緋勇が持っていることから、わかっているはずなのにグルーンは平然としている。嫌な汗が私達につたう。

 

「お前がヒュプノスのいってたグルーンか」

 

「G、L、O、O、N…......綴りがそうなら間違いないな。お前たちの世界ではこう書くのだろう?無理やり我が名を表記しようと努力しようとした形跡がみられる。実にいい名だ」

 

「なんで《鬼道衆》に力を貸したの?」

 

「贄を用意するには、我が信者に持たせた石像を通して、毎回夢から干渉せねばならん。それ以外でもお前たちに干渉してやろうと思っていたところに、あの男は現れた」

 

「あの男?」

 

「髪の赤い男だったな」

 

「!!」

 

「俺たちくらいの?」

 

「人間などみな同じに見える」

 

「ワダツミ興産の人達は《鬼道衆》だったのか?」

 

「ん......?なにを頓珍漢なことをいっているんだ......?そこにいるじゃないか」

 

グルーンは神殿内部の死体の山にチラリと目をやる。その中には目の前にいる美しい青年そっくりの像を握りしめた男性たちの腐乱死体があった。

 

「自ら望んでここにきた人間たちだ。来てくれたからには、もてなしてやらないとなぁ?」

 

グルーンは美しい顔に邪悪な笑みをのせて私達を見下ろした。その膨れ上がる濃厚な殺意と《氣》にあてられた私は、背筋に黒く冷たい水のようなものが広がった。

 

「まーちゃん、大丈夫か?」

 

「やばいです......」

 

「その様子だと幻覚や異変はやはりあの邪神のせいのようだな」

 

「そうですね、間違いないです」

 

私は《力》が使い物にならなくなるうちにと《如来眼》をつかう。本能的にグルーンを直視するのは避け、《門》全体に解析をこころみた。

 

「もう《門》を閉じるのか?せっかく来たんだ、もってゆっくりしていけ」

 

玉座に座ったまま楽しげに観戦する気のようだ。

 

「───────!!」

 

「悪く思うなよ、愛」

 

如月は有言実行だった。なんの躊躇もなく私の影をぬいとめ、大理石の床に転がされる。ぎょっとした緋勇たちだったが、グルーンが従者と思しき敵を召喚してきたため、察したようだ。やつらに拘束されてグルーンのところに連れていかれてキスのひとつでもされたら腐るのだ、きっと。

 

「バイアクへー、翡翠君のいうことを聞いてください」

 

如月の行動にどうしようかと私を見つめつていたバイアクへーに私は指示を出す。如月はいつの間にか私から風魔の笛を勝手にとっていた。

 

「うふふ~、まーちゃ~んは~、《門》の呪文に集中しようね~」

 

「はい......」

 

「ミサちゃ~んから~、呪文唱えるから~、繰り返してね~」

 

「わかりました......」

 

私は緋勇に《門》の解析結果をつたえ、呪文を唱え始めたのだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

グルーン2

「美里葵?ああ、この《加護》に護られている女か......」

 

グルーンは忌々しそうにつぶやく。

 

「我が領域に引きずり込んだというのに、何者かが邪魔をして手出しができないのでな。お前たちをおびき寄せる餌になってもらった」

 

グルーンの傍らには彼らが触れることのできない光に覆われた宝珠がある。あれがおそらく、美里の囚われた意識なのだ。《菩薩眼》の《力》がグルーンから美里を護っているようである。

 

「葵を返してもらうぞ」

 

緋勇はそう宣言して、グルーンの従者と相対する。装備している《旧神の印》が緋勇の《黄色の器》の《力》の増幅効果により強化され、緋勇家の家宝だという黒い数珠が劇的な効果をもたらす。緋勇の放った《氣》はグルーンの従者を吹き飛ばした。どうやら《旧神の印》が力を与えているようだ。

 

「ヒュプノスか......」

 

グルーンは忌々しそうに自らをこの地下都市に封印している諸悪の根源の名を紡いだ。

 

緋勇たちのもつ燃える目が中央に描かれたいびつな星の印がはっきりと浮かび上がり、鮮やかな虹彩に輝きだす。どうやら《旧神の印》が完全に活性化したようだ。

 

その光は緋勇たちを包み込む。どうやら攻撃に《旧神の印》による破邪の効果が付与されたようだ。それを《如来眼》で解析した私は緋勇たちにつたえる。

 

私はもうできる事はなにもない。如月の影結も《旧神の印》の効果が付与されてしまい、問答無用で動けなくなってしまうのだ。それに気づいた如月がどうしようか声をかけてきたのだが、グルーンの洗脳下にある私は自由の身になったらふらふら《門》の向こうにいくのは目に見えている。足でまといにしかならないからと断った。

 

「頑張ってください、みなさん」

 

私の言葉に如月はうなずいて、緋勇のところに向かった。

 

 

そして、グルーンとの熾烈な戦いが始まったのである。

 

 

《門》にうっすらと虹色の結界がはられたことに私達は気がついた。グルーンは新たな従者をこちらに差し向けることも、自らこちらに向かうことも出来なくなったようだ。青年は悔しそうに、美しい顔を歪める。

 

重厚な《門》が勝手に閉じていく。私達は下水道に引き返すため、広大な地下都市の長い一本道をひきかえす。後ろを振り向けば、部屋にはあの美しい青年の姿はなく、ぶよぶよした醜い皮膚を持つ、ナメクジに似た巨大な怪物が口惜しそうに、しかしどこか愉快そうに見つめている様子を見てしまう。おぞましい異形の神の姿に私は身震いした。彼らは追ってこないため、どうやら本当に部屋から出られないようだ。

 

どれほど時間が流れたかわからないが、目黒不動近くの工事現場に出られた時には、頭上に月の光がキラキラと輝いていた。

 

 

 

 

 

美里が目を覚ましたと桜ヶ丘中央病院から連絡を受けた私達は、その足で美里を見舞いにいった。

 

「葵よかった~ッ!目を覚まして!グルーンから誰かが護ってくれたみたいだけど、やっぱり心配だったんだよッ!」

 

桜井に抱きつかれ、まだ頭がボーッとしているのか戸惑っていた美里だが、緋勇から《鬼道衆》の連戦やグルーンとの戦いを聞かされて、うなずいた。

 

「助けてくれてありがとう、みんな」

 

美里は心の底から安心したように笑った。

 

「私ね、ずっと夢を見ていたの」

 

「夢?」

 

「ええ。私の前に《菩薩眼》だった人達の夢だったわ。みんな、女性だった。そして、縁あって結ばれて、子供を産む時に《菩薩眼》の《力》はその子に受け継がれるから、《菩薩眼》の女性は加護を失ったことで今まで回避してきた厄災から逃れることができずに死んでいったわ。護ってくれる人がいたら回避できるみたいなんだけど、《菩薩眼》はなんだか重要な役目をおった女性の憑依先だったみたいなの。だから、《菩薩眼》の女性は必ず徳川幕府が探し出して幽閉していたみたい。家の存続が約束されるから、覚悟を決めて生きてきた人が多いみたい。ただ、助けようとした人がいたみたいで」

 

「まさか、それが《鬼道衆》?」

 

「ええ......。実は、九角家がおとり潰しにあったのは、その秘密を知ってしまったからみたい。鬼修には妹がいて、結婚していて子供がいたのに無理やり離縁させられて大奥にいったみたい。仕事のために通りかかった御屋敷で妹をみかけて、話しかけたけど別人だと言われたらしくてね。不信感が募るきっかけだったみたいなの」

 

みんな、息を飲んだ。

 

「鬼修に妹の体に憑依している人がいると教えたのが、静姫という《菩薩眼》のお姫様で、色々あって徳川幕府から逃げ出したみたい。そして、2人の間には子供ができた。ひとりは天戒、もうひとりは藍。静姫は《菩薩眼》の《力》を藍に継承して、加護を失い、徳川幕府から逃げる日々の過労から亡くなった。藍を誘拐されそうになり、最後まで抗ったけれど鬼修は命を落とした。天戒は鬼修から聞かされることなく頭領となり、《龍閃組》を初めとした隠密との戦いに身を投じることになったみたいなの。そして、まだ赤ちゃんだった藍は町の開業医をしていた美里家に偶然ひきとられた」

 

「誰が教えてくれたんですか?」

 

「静姫が......」

 

「静姫?」

 

「九角家にも夢を通じて伝えたいことがあるみたいなんだけど、誰かに邪魔されてできないみたいなの。だから教えてくれたんだわ。静姫がいうには、《菩薩眼》の女性が次の世代に《力》を継承する以外の時に命を失うような事態になると、末裔を心配した《アマツミカボシ》が槙乃ちゃんみたいに降臨していたようなの。九角家は特に《菩薩眼》の《力》に目覚める女性が多くて、その恩恵に預かっていたみたい。だから、その歴史がねじ曲がって伝わった結果、《アマツミカボシ》を召喚しようとしているんじゃないかって」

 

「なるけど......だから《アマツミカボシ》の《荒御魂》を......。《アマツミカボシ》の中には戦いに勝利をもたらすとして守護神となった神の側面もあるんです。だからかもしれません」

 

「九角たちがどこにいるか、静姫は知ってるのか?」

 

「ええ......」

 

美里はうなずいた。

 

「等々力渓谷にある等々力不動尊。かつて九角家が住居を構えていたその場所は、鬼修が命を落として九角家が終焉を迎えた場所でもあるそうなの。意図的に歪曲して伝えられた伝承をもとに行動を起こしているのなら、避けては通れない場所だって」

 

「等々力渓谷か......」

 

「どうした、醍醐」

 

「龍山先生が古くからの友人と話をしていたときに、等々力渓谷にある別邸について盛り上がっていたなと今思い出してな。新宿にあったあの邸宅より規模は小さく、精神を鍛えるための修行場所だったらしい。今も使っているかはしらないが」

 

「ちょうどいいな。この宝珠を封印したら、龍山先生のところに話を聞きに行こう。たしか、今は雛川神社に身を寄せているんだよな?」

 

「はい、そうですわ。龍山先生は神主である祖父と古くからのご友人ですから。こちらに滞在していただいていますの」

 

「よっしゃ、こっちは龍山のじいちゃんに話は通しとくからよ。《五色の摩尼》の封印が終わったら、いつでも連絡くれよな、龍麻」

 

「よし、それじゃあ今日はこの辺で解散しようか」

 

「葵、大丈夫?帰れる?」

 

「私は大丈夫なのだけれど、岩山先生が一日休んでいきなさいって」

 

「そっかあ......」

 

「私も一度検査を受けた方がいいですね、きっと。《旧神の印》と相性がわるくて、加護を受けることができなかったせいでグルーンの影響下に置かれてしまったので......」

 

「僕が時須佐先生に連絡を入れておこう」

 

「私達が岩山先生にお伝えしますね!まっててください!」

 

紗夜たちが去っていく。

 

「俺も残るよ。《鬼道衆》は倒したけど、美里家が九角家から派生した一族で、《菩薩眼》だから狙われてるっていうなら、葵をひとりで入院させるのは心配だ。俺、一人暮らしだし」

 

「龍麻......ありがとう......」

 

「おうちに連絡いれないとまずいよな、どうする?」

 

「あ、それなら僕に任せてよ。うちに泊まることにすればいいしさッ」

 

「オニイチャンがノコルナラ、マリィもノコルヨッ!葵おネエちゃん心配ダモン!」

 

「マリィ、ありがとう」

 

「ウンッ!」

 

そういうわけで私達は桜ヶ丘中央病院で解散となったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

翡翠

私が精密検査を終えて扉を開けると待合室に如月が座って本を読んでいた。どうやら待っていてくれたらしい。私が呼びかけると近くにあった本棚に戻すためだろうか、立ち上がった。

 

「やァ、検査の結果はどうだった?」

 

本を戻してから私のところに歩いてくる。

 

「頭のてっぺんから足のつま先まで調べ尽くされましたが、医学的に問題は無いそうです。本命の《氣》による診察はこれからなので、まだ問題ないとはいいきれないんですが」

 

「そうか。ならよかった......ひとまずは安心だな。時須佐先生には連絡をいれておいたよ。真神学園はもうすぐ修学旅行なのか?色々忙しいみたいだから今から帰るより一晩ここに泊まらせてもらえとさ」

 

「ありがとうございます、私が連絡しなくちゃいけなかったのに」

 

「気にしないでくれ。僕が残ったのはそれだけじゃないんだ。君を無力化した時に《旧神の印》の効果があとから発動してしまっただろう?手加減していたのに余計に君を苦しませてしまったから、なにか後遺症が残らないか心配だったんだ」

 

「ああ、なるほど......。私は大丈夫ですよ。あの時はびっくりしましたよね、ほんとき。まさか翡翠君の忍道具まで効果があらわれるとは思いませんでした。あんなの初めてでしたし。ヒュプノスが干渉したことで私まで巻き添えをくったのかもしれませんね」

 

「ヒュプノスは美里さんにも辛辣な対応だったな、そういえば......」

 

「《旧神》には《アマツミカボシ》の末裔たちに対する扱いは一律なんでしょうね、きっと。しかも私はグルーンの影響下にありましたから、なおのこと警戒されたのかもしれません」

 

「そうか、なるほど......。僕が《力》を操作しそこねたのかと思ったよ。君の《力》の恩恵を如実にうけているからか、日増しに《玄武》の《力》は強くなっているんだ」

 

「あはは......余計に気にやませてしまったみたいですね。私は大丈夫ですよ、翡翠君。あなたが止めてくれなかったら、人質になったり、グルーンの従者になったりして大変なことになったと思いますし」

 

「そういってもらえてよかった。実は雷人君と一悶着あってね、不安になったんだ」

 

「えっ、雷人君とですか?」

 

「ああ......彼は槍使いだから僕らより前にいただろう?君の状況を把握していなかったんだ。グルーンが次々と従者を召喚している最中、僕は《如来眼》で解析していた君をいきなり攻撃したわけだ。傍から見たら、僕の方がグルーンの影響下にあると思われても不思議じゃない。そのことを失念していてね」

 

「雷人君が指摘したと」

 

「ああ。龍麻が仲裁に入ってくれたから事なきをえたよ」

 

雨紋に言われたのが相当ショックだったようで、如月はちょっと凹んでいる。なにせ如月が江戸時代から東京を守り続ける忍びの家系であることを知ったとき、雨紋は忍者は実在するんだと本気で大喜びしたのだ。それ以来、如月のことを尊敬しているようで、如月も初めて面と向かって嬉しいことをいってくれる後輩に満更でもない。そこにアランも追加されたのだが、アランは《青龍》の《力》が《アマツミカボシ》の影響下にいつもあることから、なにかあったのは察していたようで如月をフォローしてくれたらしい。

 

仲直りできたとはいえ、この際だから言わせてもらうがと色々言われてしまったようだ。

 

「それはまた......」

 

「こういうとき、同性の友人がいなかったから経験不足を痛感するよ。どうしていいかわからず本気で狼狽してしまった。龍麻がいなかったら話が拗れるところだった」

 

「あはは......それは大変でしたね。お疲れ様です。雷人君、ファンを大切にするバンドマンですからね、びっくりしたんですよきっと」

 

「ああ、それはひしひしと感じた。女性を大切にするのが当たり前なんだろう。わかってくれたからよかった」

 

「それは良かった。なにか私からもいいましょうか?」

 

「いや......大丈夫、そこまでしてもらわなくてもいいよ」

 

「そうですか、わかりました」

 

「......そうだ。君ならわかってくれてると思うけど、断じてやましい気持ちがあるからやった訳じゃないからな」

 

「わかってますよ、もちろん」

 

「ならいいんだ」

 

如月はうれしそうだ。

 

どうやら京一あたりにからかい倒されたようだ。いつもなら京一にちょっかいを出されてもスルーできるのだが、状況が状況だけに雨紋に訂正するのに必死になったせいでえらい目にあったと顔に書いてある。

 

いつになく疲れた顔をしているのはそのせいだったようだ。

 

同性の友人特有の下世話なやり取りに不慣れな如月がひとり被害を被ってしまったようである。ご愁傷さますぎる。

 

「私がグルーンの支配下にあった時点で無力化するなり、正気に戻すなりしないと大惨事になってたのは目に見えてますからね。翡翠君は正しいですよ」

 

「そういってもらえてよかった」

 

「エロい事妄想してたからどさくさに紛れて試したとか好き勝手言われたんでしょうけど、気にするだけ無駄ですよ」

 

「それはわかったから君まで蒸し返さないでくれ。おかげで僕が残る流れすら変な空気になったことを思い出してしまったじゃないか」

 

「いつものことなのに」

 

「いつものことなのにな」

 

「もしかして、話が拗れるって、それも含めてですか?」

 

「今思えばムキになりすぎたよ。むっつりだとかなんとか、自分のこと棚にあげてよくいう。愛、君は京一君と手合わせでもしてるのか?どうも彼は君と戦う羽目になる展開を期待していたような気がしてならないんだが」

 

「あー......あたってますよ、たぶん。京君が翡翠君にちょっかいかけたのはそのせいですね。ああ見えて仲間だろうと殺し合いになっても面白そう、が根幹にありますからね、京君」

 

「君が焚き付けたんじゃないだろうな?」

 

「人聞きが悪いですね......そうでもしないと本気になってくれない京君が悪いんですよ」

 

「君というやつは......!まったく......彼の師匠はとんでもない男だな......。現代をいきる一般人になにを教えたら、そんな精神身につけるんだ。あやうく僕まで勘違いするところだった」

 

「あれは生まれ持った才能ってやつですよ、きっと。生まれる時代を間違えてますが周りに知られたくないだけの常識はありますからね、京君」

 

如月は私をジト目で見ている。

 

「誤解に誤解が重なって関係がこじれたら、責任の一端は君にもあるわけだな。おせっかいと誤解の嵐が襲いかかってきた身にもなってくれ」

 

「人は自分の都合のいいように誤解するものですよ」

 

「あのな......」

 

「それにしてもおせっかいですか。やっぱり他の人からみたらそう見えるんですね。幼馴染だって龍君たち以外に言わないでよかった。ファンクラブの子に殺されかねない」

 

「愛、僕は今真面目な話をしてるんだが。というか自覚があるなら教えてくれてもいいじゃないか」

 

「翡翠君に気になる女の子が現れたら言おうと思ってたんですよ。いつもいってるじゃないですか、好きな人出来たら教えてって」

 

「別にいないよ」

 

「あはは。翡翠君が気になるなら如月君に戻しましょうか?」

 

「いや、そういう問題じゃないんだが......。......いやまてよ?よく考えてみたら、愛を渾名で呼んでる自分のことは棚にあげて好き勝手言われる筋合いなくないか?」

 

「ようやくいつもの翡翠君が戻ってきましたね。そうですよ、気にするだけ無駄なんですって」

 

「そうだな......考えすぎて迷走してたよ」

 

「あはは。そーいえば渾名で思い出したんですけど最初はひーちゃんにしようかと思ってたんですよ、龍君。でも翡翠君もひーちゃんじゃないですか。だから龍君にしたの忘れてました」

 

「なんでこの流れで思い出したんだ......?」

 

「なんとなく?そうそう、ヒス君は語呂が悪いし、翠くんだとポケモンみたいだなあって思って、いい愛称浮かぶまで待ってたら忘れちゃったんでした」

 

「ポケモンて。翠はメスのカワセミだからやめてくれ。そんなの翡翠でいいじゃないか」

 

「翡翠でいいんですか?」

 

「奇をてらわないでいいよ」

 

「なら翡翠で」

 

「切り替えはやいな」

 

「せっかく決まったんだから呼ばなきゃ意味ないじゃないですか」

 

翡翠は呆れたように笑ったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

九角天童

世田谷区内を流れる谷沢川の流域にあり、多摩川との合流地点のやや上流に1キロに渡って、深さ10から20メートルの渓谷が形成されている。それが等々力渓谷だ。等々力の由来は渓谷の中程にある不動滝が轟くほどであったとされるが、今となっては過去の話だ。かつては多くの修験者が修行に励んだという滝も今や一筋の水流でしかない。今聞こえるのは渓谷の頭上を横切る環八通りの車の騒音だ。

 

渓谷の入口は人ひとりがやっと通ることができる程度の広さしかない階段である。等々力渓谷の中程にある等々力駅から環八通りを渡り、少し行った先にあるのがその等々力不動尊だ。正式名称は明王院。

 

整然と配された本堂と弘法大師堂、能舞台造りの展望台。そこはかとない神聖なる《氣》が感知できる人間は多いだろう。

 

渓谷といえば奥多摩などの清廉な森に包まれた清流を思わせるが、東京都世田谷区にある等々力不動尊のある等々力渓谷も東京23区内にあるとは思えないほどの自然美に囲まれた静かな景観を呈し、東京を代表する自然の景勝地としても知られている。

 

四季折々の自然美がすばらしく、春は桜の名所としても有名だ。奥深い静けさのある景観を呈し、境内に隣接する等々力渓谷の自然や不動尊にまつわる仏様からあやかるパワースポットもたくさんある。

 

飛鳥時代の呪術者で、修験道の祖とされ、山岳仏教のある各山に伝説が多数残る役小角(えんのおづの)の夢の中にお不動様が現れて関東に霊地があることを告げた。そこで役小角はお不動様を背負って関東に入ると夢に見たものと同じ渓谷があり錫杖で岩を掘ると滝が流れ出した。そしてそこにご不動様を安置し、霊地としたことに始まる。岩から流れ出した滝はその後み枯れることはなく、湧出る水の音が付近にとどろき、この一帯の地名「等々力(とどろき)」となったという謂れがある。

 

風水は平安時代に安倍晴明が唐から日本に持ち帰ったのが歴史上の通説だが、奈良時代に役小角が開いた修験道にはすでに《氣》の思想に通じるものかあった。さらに不動明王は仏教、特に密教の仏尊である。役小角は800年代に成立した天台真言宗よりも早くからその思想をえていた。

 

創始者の役小角は陰陽道や密教の成立以前からその思想を体得していた、いわば先駆者なのである。等々力不動はそういう意味でも紛れもない《聖地》だったのは間違いない。

 

かつて九角家がこの等々力不動に住まいを構えていたと九角天童は今は亡き両親に聞かされて育った。両親が亡くなりこの敷地内にある柳生新陰流の道場主をしていた九角家本家に引き取られた天童にとっては、この地は庭も同然だった。

 

柳生新陰流といいながら、他の道場とは一切交流がなく、自称である可能性もあったが九角という名を決して名乗ってはいけないと厳命されていたため、そのせいなのだろうと思っていた。

 

「いいか、天童。お前は九角天童だが、今日からその名は決して公言するな。これ以上、わしは家族が迫害されるのを見とうない」

 

引き取られたその日のうちに戸籍から九角の字が消える手続きをしているときに、祖父はそういって天童の頭を撫でた。祖父の公的な名前は九角ではないため、養子に入った天童は自動的に九角ではなくなった。

 

忘れもしない。天童が8歳の時だった。共働きの両親の代わりに電話にでた天童はあたりまえだが九角となのった。その日、両親は帰ってこなかった。駆け落ちした娘夫婦の忘れ形見を引き取った初めて見る祖父は天童に九角の因果を話して聞かせたのである。

 

 

徳川家光公の時代に遡る。九角家は関ヶ原の戦い以前から徳川家の忠実な部下であり、天下を享受していた。遡れば卑弥呼にまでたどり着く由緒正しき家であった九角家は、その秘伝の呪術《鬼道》をもって徳川幕府を支えていた。卑弥呼の血が流れているからだろうか、代々九角家は女系であり、忠誠の証に女を大奥に入らせていた。

 

ある日、当主であった九角鬼修は、既婚であったが時の将軍に請われて大奥に入った妹が全くの別人として皇居を出入りしていることに衝撃をうける。なんと九角家が代々女をさしだすのは、ある役目をおった女の転生先として体を提供するためだったのだ。

 

九角鬼修はこの国の深淵を知ってしまった。神武天皇の時代から脈々と受け継がれてきたこの国の歴史に葬られてきた歴史を知ってしまった。大和朝廷は《天御子》という超古代文明に支配され、民は残虐非道の扱いを受けていた。代々九角家から女に憑依転生を繰り返して卑弥呼率いる邪馬台国も長らく戦いを続けていたのだが滅ぼされ、卑弥呼は自らの命と《鬼道》をひきかえに国をまもったが二度と帰らなかった。それから代々使える主に女を差し出す伝統が生まれたのだ。

 

卑弥呼は九角家を護るためになにも語らなかった。《鬼道》の秘技は一部を除いて失伝し、九角家の安全は女を差し出すことで護られていた。卑弥呼が徳川幕府の時代になっても影響力を残す《天御子》の下で働くことで繁栄を極めていたのだ。

 

九角鬼修はその禁忌に触れてしまった。不信感をもち、妹と再会しようとしたことが逆鱗に触れたのだ。九角家は謀反を起した冤罪をかけられ一族諸共皆殺しにあってしまう。そして九角家の女はその日から《天御子》に執拗に狙われるようになってしまった。女を差し出さなくなったからだ。

 

実は九角家の女は《天御子》の人体実験の被験体としては価値が高く、いつしかその末裔は《菩薩眼》という特殊な《力》を継承するにいたっていたのだ。

 

菩薩とは仏教の開祖である仏陀釈尊の滅後、広く衆生を救済するために遣わされた仏神のこと。《菩薩眼》とは、その菩薩の御心と霊験を有するものの証でもある。《菩薩眼》を持つ者は、大地が変革を求め乱れる乱世の時代の変わり目に顕現し、その時代の頭領となるべき者の傍らにて、衆生に救済を与える。そのため、時の権力者の姿をした《天御子》により《菩薩眼》を巡って幾多の悲劇が繰り返されてきた。《菩薩眼》の歴史は戦乱の歴史。九角鬼修は最後まで闘い、そして滅んだ。実の娘である《菩薩眼》の女を護るために死んだ。

 

「お前の母親もそうだ。老いぼれの耄碌だと信じてはくれなんだわ」

 

母の消息は未だに不明だ。父の遺体は道場に見るも無惨な形で送り付けられてきた。その葬儀を淡々とこなしていくうちに一気に老けこんでしまった祖父はそういって笑った。

 

だから、先祖の意に従い、《鬼道》を蘇らせ、その全てでもって《天御子》が今なお《菩薩眼》を求めているか探ったのだ。天童は愕然とした。より強い《宿星》の持ち主が《菩薩眼》たる《八咫》に目覚めるのだが、《菩薩眼》に1度でも目覚めた女が現れた家は様々な理由で途絶えているのだ。18年前に《菩薩眼》だった女の正家もなにものかの襲撃により皆殺しにあっている。今回、150年振りに《菩薩眼》に目覚めた美里家の女は奇しくも天童と同じ歳だった。やはり《天御子》が今なお暗躍しているのだろうか。

 

「───────《鬼道衆》が全滅しやがったか」

 

天童は顔を上げた。

 

「このまま《五色の摩尼》が封印されたら、せっかく不安定になった結界を破壊する機会が失われちまう。冬至を待ちたかったが、仕方ねえな」

 

そして印をきる。等々力不動に瘴気がたちこめはじめた。天童に迷いはなかった。天童はただ隠れなくてもいい生活が欲しかっただけだ。かつて抗い敗北し、片腕を失った祖父を少しでも安心させてやりたかっただけだ。

 

なにもしらないまま繁栄を甘受しているこの国の連中がどうしようもなく理不尽だから思い出させてやろうと思っただけだ。

 

「さあ、こい。この地に漂いし、怨念たちよ。この街に巣食うおぞましき呪詛に押さえつけられし者たちよ。形を与えてやる。目を覚ませ」

 

穢れた国の民であることを思い出させてやろうと。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

明星事変1

ぶちり、と嫌な音が響いた。それはなにかが千切れた音ではない。何か、生き物の肉が無理やりに断たれる様な、不快な音だった。短い呻き声をひとつ上げたかと思うと、何かはそのまま、糸の切れた操り人形の様にその場で地面へと崩れ落ちた。その肢体はぐったりと地面に横たわるものの、静かな呼吸が繰り返されていた。

 

ずるずると這いずりながらそれは半身を探して歩き回っていた。二息歩行のガマガエルの両手からは触手がいくつも溢れている。

 

よく見れば、点々とわずかではあるが、道路にぬめりが散っている。まるでそこだけが雨でずぶ濡れになったみたいな色をしており、濃厚な潮の香りを残していく。そのヌメリを辿れば、「関係者以外立ち入り禁止」と書かれた看板があり、その下水道の工事現場に入っていく。

 

しばらくは下水道の薄暗いジメジメとした通路がつづき、ある地点から打って変わって目がくらむほどの光が差し込んで来る。どうやら強烈な光源があるようだ。

 

そこには真っ赤な髪の男がいた。

 

「どうした、片割れを探しているのか。それともガワの信仰心がまだ残っているのか?」

 

男は侵入者の気配に気づくと振り返り、眺めてから愉快げに声を上げて笑った。男の背後には、先程目をくらませた光の正体が鎮座している。明るい光が激しく瞬き、激しく輪郭を変化させつづけている。次第に肥大化しはじめたそれを眺めながら、男はいうのだ。

 

「《アマツミカボシ》から置き去りにされた哀れな《荒御魂》よ。お前が探している半身はここから北にある桜ヶ丘中央病院にいるはずだ。お前が欲するものはそこにいる」

 

沈黙していた《荒御魂》だったが、無言のまま手を伸ばした。光は集束したかと思うと波紋を描いて広がっていった。激しい閃光と共に電気が《荒御魂》におそいかかった。ふらついた影法師は無様に転がった。

 

「誰も彼もに拒絶される哀れな憑依者よ。お前を受け入れてくれるものはここにはいない。それはお前が半端なかたちで覚醒しているからだ。さあ、目覚めるがいい」

 

男が手をかざして冒涜的な呪文をとなえる。背後の光がひと際強く輝きだし、白熱したプラズマが吹き出した。強大なエネルギー体が轟音を立ててあふれだす。《荒御魂》の触手が弾け飛んだ。吹き飛ばされた《荒御魂》はふらふらと立ち上がる。

「さあ、変生せよ」

 

かろうじて深きものの原型をたもっていた体がぶくぶくと膨れ上がり、みるみる内に膨張していく。奇妙な形をした触手が腕だけでなく、足も、腹も、全身が水風船の様に膨れ上がり、耐えきれなくなった体の表面を散り散りに破り捨てた。その中から現れたのは、幾重にも重なる触手の塊、まぎれもない異形の化物だった。

触手の異形となり果てた《荒御魂》は、目の前でうねる光へと全身をくねらせながら飛びかかった。ぶつかる度に地響きの様な轟音が響き、触手と怪しいプラズマが、混じり合いながら飛沫を散らす。轟音は増し、やがてぐらぐらと下水道全体が揺れはじめる。

 

光り輝くエネルギー体は抵抗していた。実体がえぐられ、電気となって四散していく。萎んでいく閃光が《荒御魂》に捕食されているのだ。激しい衝突音が鳴り響く。まばゆい光の集合体に絡みつく異形の触手の塊は激しくぶつかり合い、争っている様に見える。

 

やがて蠢く光の集合体は激しく点滅を繰り返し、そのまま四散して姿を消してしまった。その刹那、激しい閃光と煙の狭間から、幾重にも重なる巨大な触手が、噴き出す様に広がった。

 

巨大な異形の先端に触れ、壁は楊枝の様に容易く穴があき、地盤は粘土の様にえぐられた。とうとう地面に穴をあけてしまった《荒御魂》が跳躍する。

 

 

 

ふと目の前が暗くなった。それは月を厚い雲がかくした為ではない。そこには巨大な異形の先端があった。それがまるで意思を持って自分を見ていると誰もが本能的に感じるだろう。次の瞬間、全身を包む不快な感触に、自分がそれに取り込まれた事を理解する。次に感じたのは、みしり、という体の内側から響く音と、全身を包む激痛だった。圧に耐えられずに体中の骨という骨が悲鳴を上げる。そして、ついに。

 

ぐちゃり。初めて聞く、自分の体が潰れる音。それを最後に、通行人の意識は途切れた。

 

「いったか」

 

男は笑った。東京全体の亀裂が入った気配がしたからだ。等々力不動がある南から瘴気がたちこめはじめている。

 

「さすがは九角天戒以来の赤い髪なだけはある。才覚は匹敵するようだ」

 

かつて天海大僧正が敷いた《五色の摩尼》、そして北斗七星の《加護》をえるために敷いた神社仏閣の結界、これがいままさにワダツミ興産の下準備のおかげで《荒御魂》が覚醒した瞬間にやぶられたのだ。おそらく一夜にして該当の場所は焦土と化している。

 

「冬至を待って将門公の結界に手をつけたかったが、まあ上出来だ。あとは思う存分に殺し合うがいい。《アマツミカボシ》の末裔たちよ。そのためにわざわざ用意したのだからな」

 

神の霊魂は2つの側面にわけることができる。《荒御魂》は神の荒々しい側面、荒ぶる魂である。勇猛果断、義侠強忍等に関する妙用とされる一方、崇神天皇の御代には大物主神の荒魂が災いを引き起こし、疫病によって多数の死者を出している。これに対し、《和魂》は神の優しく平和的な側面であり、仁愛、謙遜等の妙用とされている。

 

荒魂と和魂は、同一の神であっても別の神に見えるほどの強い個性の表れであり、実際別の神名が与えられたり、別に祀られていたりすることもある。人々は荒魂と和魂を支えるために、神に供物を捧げ、儀式や祭を行ってきた。この神の御魂の二面性が、神道の信仰の源となっている。

 

また、《荒御魂》はその荒々しさから新しい事象や物体を生み出すエネルギーを内包している魂とされ、同音異義語である新魂とも通じるとされている。

 

和魂はさらに幸魂(さきみたま)と奇魂(くしみたま)に分けられる。幸魂は運によって人に幸を与える働き、収穫をもたらす働きである。奇魂は奇跡によって直接人に幸を与える働きであり、知識才略、学問、技術を表す。幸魂は「豊」、奇魂は「櫛」と表され、神名や神社名に用いられる。

 

幕末に、平田篤胤の弟子の本田親徳によって成立した本田霊学の特殊な霊魂観として、人の魂は天と繋がる一霊「直霊」(なおひ)と4つの魂(荒魂・和魂・幸魂・奇魂)から成り立つという一霊四魂説が唱えられるようになる。

 

たとえ神霊であっても陰陽の理から逃れることはできない。《陰氣》しかない神もなければ、《陽氣》しかない神もない。ゆえに18年前、《アマツミカボシ》の《荒御魂》が封じられていた《宿魂石》を核に《アマツミカボシ》の《和魂》を降ろすのは理にかなっていたはずだった。《アマツミカボシ》は完全な形で降臨するはずだった。《鬼道》が人間しか降ろすことができない呪術でさえなければ。

 

おかげで《アマツミカボシ》の《荒御魂》を降ろしたとしても、核となる《宿魂石》は《アマツミカボシの器》たる《和魂》の転生体が所持しているせいで、不完全なかたちでしか呼ぶことができない。

 

ゆえに、男は九角の当主にいったのだ。《アマツミカボシ》を完全な形で復活させたいならその不完全なまま呼べと。欠陥をかかえたまま降臨した《荒御魂》は半身を求めて東京を探し回る。きっと東京の結界も破壊できるし、焦土と化すことができる。かつて軍人だった時代に不老長寿の目論見を《龍閃組》の末裔たちに潰された復讐が果たせるだろうと。

 

孫を使ってまで復讐とは畏れ入るが利用価値があるから手を貸したまでだ。どのみち蟲が頭に巣食う当主の命は風前の灯である。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

明星事変2

最初に異変に気づいたのは、マリィだった。南の方角を守護する《朱雀》の《力》が東京に張り巡らされていた結界の異常を感知したのだ。不安そうに病室のカーテンをひらき、外を見るマリィにつられて緋勇と美里も外を見た。

 

季節外れの突風が吹いているのか、窓がギシギシ悲鳴をあげていた。雨が降り始めていた。

 

「なにか変な匂いがしない?」

 

美里がいうものだから少し窓を開けてみる。敷地内にある庭の変化が顕著だった。池の鯉がみんな腹を見せながら浮かんでいた。どうやら死んでいるようだ。しかも庭の木々や草花がひとつのこらず枯れている。昨日は綺麗な緑を見せていたし、秋に咲く花々が美里たちを楽しませていたというのにだ。

 

「あれは......」

 

緋勇は目を丸くした。桜ヶ丘中央病院とかかれている石碑や銅像がみるも無残な有様になっているのだ。溶けていた。上からだんだん溶けてきたようで根元には固まった痕跡がある。一夜にして強力な液体でもばらまいたのかと思ったのだが、範囲が広すぎる。緋勇は窓を開けて外を見た。民家や建物の上の方がやはり溶けていた。

 

「まさか、この雨のせいか?」

 

「えっ。でも、鉄筋を溶かすなんて......酸性雨でもなかなかないわ。聞いたことが無いもの」

 

「硫酸かなんかか......?たぶん異臭はそのせいだな」

 

マリィは怖くなってきたのか、美里の手をしっかりと握りしめた。

 

「......病院も金属製のところがボロボロになってる。一体なにが......?」

 

「ねえ、龍麻。曇りにしては暗すぎない?槙乃ちゃんに話を聞いた方がよくないかしら」

 

「そうだな」

 

緋勇はうなずいて、隣の個室にいるはずの槙乃のところに向かった。開けてみると、すでに如月も槙乃も違和感に気づいていたようで、窓をあけて様子をうかがっていた。

 

「ねえ槙乃ちゃん、外変じゃない?」

 

「葵ちゃんもそう思いますか?一夜にしてここまで広範囲を腐食させるのはおかしいですね。ただ、私の《如来眼》の範囲は病院敷地内が限界なので、なにかいるとしても特定はできませんでした。なにかいる気配はするんですが」

 

「やっぱり腐ってるのか」

 

「はい、今の東京はおそらく硫酸の雲で覆われています。硫酸の雲が太陽光をよく跳ね返すため、真っ暗なんですね」

 

「なんで硫酸?」

 

「《アマツミカボシ》は《金星》とも《北極星》ともいわれますが、《金星》は硫酸の雨が降るんですよ。《荒御魂》の《力》が強くなってきている証拠です。それに......」

 

槙乃が視線を投げる。また突風がふいた。

 

「《金星》はスーパーローテーションと呼ばれる高速の風が吹いていて、高度60kmで時速400kmにもなります。この奇妙な風は、《荒御魂》によるものですね」

 

「槙乃を探しているのか?」

 

「私と葵ちゃんを探しているのでしょう。強風が吹き荒れる中、硫酸の雨が横殴りに降るんです。ああもなりますよ」

 

「参ったな......これじゃ《五色の摩尼》を封印にいけない。龍山先生尋ねるにしても雛川神社は遠すぎる」

 

「等々力不動尊を目指すしかなさそうですね。南の方角の結界がやぶられてしまっています。このままだと......」

 

「ネエネエ、向ウノ雨ヤンダヨ?」

 

マリィの指さす先には晴れ間が見え始めた。

 

「......どうやらこちらに《荒御魂》が近づいているようですね。だから向こうは雨が止んだ」

 

「戦うしか......なさそうだな」

 

私達はうなずいた。

 

 

「まさか、また使うことになるとは思いませんでした」

 

私は印を結ぶ。一時的に魔術の成功率が上昇し、その隙を狙って呪文を唱え始める。

 

「空が......」

 

「槙乃オネエチャン、スゴーイッ!」

 

「この呪文は30分しか持ちません。半径3.2kmの範囲の天候を1段階操作できます。さすがに硫酸の雨の中だと車も出せませんからね。行きましょう、みなさん。もうこうなったら、《五色の摩尼》を封印しにいく猶予はもはやありません。等々力不動尊に行くのが早いはずです」

 

「愛、大丈夫なのか?ここから等々力不動尊は12キロ近くあるぞ。それに仲間を車で拾っていくにしても余計時間が......」

 

「はい......私の魔力でもギリギリになると思います。九角天童君との戦いは、おそらく参加することができません。みなさんを等々力不動尊まで送り届けたいと思います。みなさんに私の命お預けします」

 

「まーちゃん......」

 

「わかってください、龍君。他に方法がないんですよ。《荒御魂》と真正面から戦ったあとに等々力不動尊で待ち構えている九角君との戦いに全力が出せるとは思えない。温存すべきです」

 

「愛、その呪文は魔力があれば可能なのか?」

 

「え?」

 

「何とかしてみよう。ただ、一度骨董屋によってくれないか」

 

「準備整えなくちゃいけないしな」

 

私達は桜ヶ丘中央病院の人に車を出してもらい、一度北区に向かった。如月は緋勇たちが準備をととのえているあいだになにやら術を組み始めた。

 

「実践にたるかどうかはまだわからないが、やる価値はあるはずだ」

 

如月が出してきたのは、なんと式神だった。たしかに如月は5年後になると如月骨董店の販路を広げて多忙な毎日を送るため、式神に留守を任せるようになるが完成度はあまり期待出来なかったはずだ。いつも居眠りばかりで品物を盗まれたこともあるくらいだ。驚いている私に如月は笑った。

 

「愛にも見せるのは初めてだからな」

 

式神が魔力を肩代わりしてくれるかわりに本来の効果である受動的な効果が使えなくなるらしい。なるほどこれなら式神としては不十分でも威力がある。

 

「これなら私も参加できそうですね。ありがとうございます」

 

こうして私は式神に魔力を負担してもらいながら呪文を唱えた。空は厚い雲に覆われたままだが、雨が一時的にやんでいく。車に乗り込み、私達は仲間を回収しにでかけた。

 

 

東京中を車で移動してわかったのは、遠野と天野記者が調べてくれた東京の結界を司る神社仏閣が今日の未明に謎の破壊にあっていることだ。警察や救急車が縦横無尽に駆け巡っている。車のラジオは重軽傷者が出ていると知らせている。被害者はどれだけにのぼるのか。

 

南にいくにつれて、濃霧が濃くたちこめはじめた。これは瘴気だ。人間が吸うと《氣》のバランスを崩して病気になる類の瘴気だ。瘴気は硫酸の雨によるものではない。結界がやぶられたために呪いや祟りの類が南から東京に流れ込んでいるのだ。

 

「───────ッ」

 

「愛ちゃん、大丈夫?ひどい顔をしているわ」

 

美里が覗きこんでくる。

 

「《荒御魂》がすぐ近くにいるようですね。濃霧のかなたで低くせせら笑うのが聞こえてきます」

 

濃霧に塞がれた大都会の中へ踏み込むような一種の不安を浮かべている緋勇たちは息を飲んだ。濃霧が車のライトの光りをぼかしながら進んでいく。

 

私は《如来眼》を発動させた。

 

「やはり......来ましたね」

 

車が止まる。道路の真ん中に巨大な岩が出現していて、前に進めないのだ。

 

「《荒御魂》は《和魂》たる私を探していると同時に、《アマツミカボシ》の《荒御魂》の霊核そのものである岩塊、《宿魂石》を探しているのでしょう。欠落を埋めるために、《アマツミカボシ》が信仰した神の化身が憑依している。それはいわば私の心臓にあたります。渡したら私はこの世界にはいられなくなる。伝承によれば、《荒御魂》は、周囲の岩石を取り込み自身の肉体を生成することができるそうです。岩石を取り込み続ける限り肉体は際限なく巨大化し、一部が破壊されたとしても取り込み直せばすぐに修復が可能なほどです。でも、核がありませんから、蘇生回数は多くないはずです。むしろ、《アマツミカボシ》の信仰する神の化身の要素の方に注意してください」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

明星事変3

車から降りて、私達は目の前の巨大な岩に近づいた。

 

そして私達は見たのだ。人が現れたと気づいたようで、それは岩から姿が変わっていく濃霧の向こう側から私達の方へと泣き喚きながら近づいてくる、人間の歪んだ似姿のようなものを。目は鱗に覆われた厚い肉の中に埋もれて見えなくなり、骨のない腕を蛸の触腕のように私達に向かって振り回している異形の怪物を。深きものの輪郭はすでになく、その姿はハスターと名状しがたい直接契約を交わし、異形に変わってしまった狂信者の成れの果てに似ていた。犠牲者の皮膚は緑灰色を帯び、表面は鱗状だ。その肉体は人体を膨らませていながら、四肢は骨のないグニャグニャしたものになっていた。

 

あまりにも冒涜的な姿に、私は強い恐怖の念を抱く。これが私の半身といわれると不思議な畏怖が隙間なく取り囲む。ただひたすらに気味が悪い。そこに異様の光が宿っていた。私は迷惑とも嫌悪とも畏怖とも片付けられない微かな不安がわきあがる。

 

緋勇たちは私と同一視するにはあまりにも姿が違うからか、私を恐怖の目で見てくる者はいなかった。それだけで安堵できる。そんな私を見て、如月が大丈夫だといいたげにうなずいてくれた。

 

名状し難きものの憑依体は、ハスターと人間との間に結ばれた名状し難き誓約と引き換えに、この神によって創造される怪物だ。誓約の結果として、ハスターは名状し難き約束を結んだ者に憑依する事になる。この現象が生じると、グレート・オールド・ワンの精神は犠牲者のそれを圧倒し、そして彼の肉体を変形させてしまう。

 

憑依する肉体はまだ生きているものでなくてはならない。犠牲者が死んでいる場合もやはり肉体の変形は始まるが、数時間後には停止する。もし名状し難き約束を結んだ者が故人であった場合、ハスターは約束の期日より遅れた後、彼あるいは彼女の最も近い血縁者に代わりに憑依する。

 

ひとたび憑依が行われると、その結果誕生するのは常にあらゆるものに致命的な破壊をもたらし、時には単に殺して貪り食う事に満足するような怪物である。

 

ハスターに関係する大部分の呪文と同じく、この忌まわしき産物もまたアルデバランの位置に影響される存在であり、アルデバランが地平線に沈むか太陽が昇るかした暁には活動を停止して崩壊し始める。溶解して死ぬのだ。

 

ただ、今は硫酸の雨をふらせる厚い雲が邪魔をしていて、太陽は望めない。私がいつでもバイアクへーを呼べるようになったことから、太陽の光に遮られているだけでアルデバランの星辰の位置はずっと同じに違いない。

 

倒すしか方法はないだろう。

 

私は天気を変える呪文を唱えたあと、《如来眼》で解析をこころみる。

 

このハスターめいた怪物は犠牲者をその触手のような腕で捕まえようとする。攻撃が成功した瞬間に犠牲者は瞬時に口と耳から泡を吹いて、苦痛に満ちた死を迎える事になる。あるいは怪物は、先端に小さな口のついた触手のような指を犠牲者の体内に突き刺して体液を吸い出し、犠牲者が死ぬまで《氣》を吸収する事を選択する。そうやって吸収された《氣》はすべて怪物の欲する能力値に割り振られる事になる。つまり、犠牲者を得れば得るほど、このハスターめいた怪物はより巨大になっていくのだ。

 

逆に充分な犠牲者を得る事がなければ、日の出の際に起こる耐久力の喪失によって怪物は崩壊する。

 

名状し難きものの憑依体の本来の能力値さ、犠牲者を喰らうたびに増加し、アルデバランが沈むか太陽が昇るかするたびに減少する。減少する方法はない。ゆえにいつも全力である。

 

鱗とゴムのような肉は装甲である。《旧神の印》による《加護》を得なければ、まず攻撃は通らないはずだ。

 

そのことを緋勇たちに伝える。

 

「もし、この《荒御魂》が有能な魔術師だったなら、人間から名状し難きものの憑依体へと変身する以前に知っていた呪文を無尽蔵な魔力で使うことになります。実体は赤子なのが助かりましたね」

 

「あんまり嬉しくないな......」

 

「きっと《荒御魂》は私か、葵ちゃんを狙うはずです。ただ、《旧神》の《加護》が受けられない私は格好の的でしょうね」

 

私は《氣》を《アマツミカボシ》のものに変質させた。今まで《荒御魂》が私のところに真っ直ぐこなかったのはそのためだろう。《荒御魂》が気づいたようでその体を私のところに向けた。

 

「《アマツミカボシ》の《荒御魂》よ。私がわかりますか」

 

《荒御魂》は唸りをあげている。

 

「深きものに憑いた《アマツミカボシ》の《荒御魂》よ。私も死の星と呼ばれる惑星の輝きを背負う者。私はここにいる者たちの戦いを通じてその輝きに惹かれました。 願わくはその輝きと共に在りたい。 これからは彼らに降りかかる厄災への逆光となることを誓いました。あなたが立ちふさがるというのなら、私はあなたと戦います。たとえ同じ神を起源にもつ者だとしても。悪くは思わないでくださいね」

 

私は《荒御魂》の解析を完了した。

 

「雷属性には耐性がありますから注意してください。《旧神の印》による《加護》以外に明確な弱点も存在しないようです。触手が非常に強力ですが、しっかりと距離をとってください」

 

私は《氣》を滾らせる。そして蜂蜜酒をあおり、風魔の笛を吹き鳴らす。ハスターを称える呪文に反応しないのは、《アマツミカボシ》がハスターの狂信者であり、ハスター自身ではないからだろうか。バイアクへーは特に躊躇するそぶりもないため、やはり《アマツミカボシ》の《荒御魂》と名状しがたい憑依者はどこか違うらしかった。

 

「バイアクへー、吸血による攻撃を開始してください!」

 

おどろおどろしい声だけを残して、バイアクへーが飛び立つ。《荒御魂》に襲いかかり、その潤沢な《氣》を吸いあげようとしはじめた。一度吸血が始まればどちらかが死ぬまでやめないのだ。私はバイアクへーを支援するために《氣》を練り上げる。

 

「良いか、愛」

 

「はい、翡翠。私はいつでも大丈夫ですよ」

 

「北方を賜りし我らが守星よ───────」

 

「ふたたびこの世を乱せし、厄災をッ!鬼氣妖異の不浄を清めよッ!」

 

「「玄武黒帝水龍陣ッ!!」」

 

聖なる水が龍の形となり、《荒御魂》を締め上げ、北辰の《力》が一瞬にして凍りついていく。幾重も伸びていく水流が《荒御魂》の実体をズタズタに引き裂き、凍りつくことで膨張し、触手が四方八方に飛び散った。

 

凍てついた肉体が動きをはばまれる。バイアクへーにより《氣》を著しく奪われた《荒御魂》はバイアクへーを攻撃するのに熱心で気を取られている。緋勇たちはその隙をついて攻撃を開始した。

 

 

 

 

 

弾け飛んだ《荒御魂》が宙を舞うのを蓬莱寺たちが追いかけていく。その先の暗闇が不意にゆがんだ。私は戦慄した。

 

「待ってくださいッ!これ以上深入りしてはダメですッ!」

 

私の叫びに蓬莱寺たちは立ち止まった。暗闇から現れたのは、宙に浮かぶ、8本の巨大な蛸の足が捻じれ固まったような物体だ。その化け物は明確な殺意を向けている

 

「げぇッ、回復しやがった!」

 

「これで不充分なのか......やっかいな!」

 

「転移魔法が使えるなんて......」

 

一瞬にして違う場所に完全な形で出現した化け物を中心とする半径で原形をとどめている物はなにもなかった。道路も壁も電柱もなにもかも全てが破壊しつくされている。人がいないのが奇跡だった。

 

「みんな、このままでは危ないわ!下がって!!」

 

美里が叫ぶ。

 

「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神とあった。権天使の銀よ、我に《力》を!」

 

白銀の鎧に身を包み、善き魂を悪霊の手から護るために闘う権天使たちが出現した。彼らは国家及びその指導者層の守護。国家の興亡。悪霊からの守護を司る。矢をつがえ、そして《荒御魂》に向かって放たれた。

 

幾重もの聖なる矢が降りそそぎ、《荒御魂》をはるか後方へ吹き飛ばす。

 

「やるじゃねーか、美里ッ!助かったぜ」

 

「ありがとう、葵。今のうちに距離をとるぞ、みんな」

 

私は方陣の体制にはいる仲間を見守りながら、考えた。誰が《荒御魂》を回復しているのだろうか。たしかに自己蘇生はするがあのスピードで一度に完全な形まで回復するには誰かしら犠牲にならなければ難しい気がするのだが。

 

長引いてきた戦いを支援するため、私は天気を変える呪文をまた唱え直した。

 

その時だ。

 

たちこめる瘴気の向こう側にて、しわがれた声で何かを詠唱していること、金属の軋るような甲高い音が聞こえることに気づいたのだ。

 

暗闇の向こうになにかある。私は《如来眼》をこころみた。

 

「───────ッ!?」

 

移動呪文ではない。《荒御魂》が瞬時に移動したり、回復したりしているのは、誰かが《門》を使っているのだ。その《門》から溢れ出す瘴気がこの暗闇の正体だったのである。《門》の向こう側では、道場のようなところで鬼の面をつけた者たちが円陣を組み、一心不乱に祈りをささげており、不快な声を上げていた。魔法陣の前にはたくさんの死体がある。円陣の中心の老人がこれで終わりだとばかりに笑いだした。その目は焦点があっておらず、完全に正気を失っていた。

 

「まさか......まさか、身内を生贄に......!?」

 

呪文を詠唱している男たちの前には老人がいた。私は老人と目が合ってしまった。そこには狂気があった。僅かな静寂の後、轟音と共に《荒御魂》が跳躍し、私のところに近づいてきた。私は逃げる。さっきまでいた場所の近くにあった建物の壁が吹き飛んだ。まるで他愛もないことのようにあらゆるものを薙ぎ払ってゆく。触手が通った後に残るものは何もなかった。

 

「まーちゃん、こっちだ!はやく!」

 

なんとか攻撃の範囲外まで逃げ出した私は、あわてて緋勇たちに《門》の存在を告げる。

 

「復讐の時は来た。あやつらと同じ血族の者どもに死を与えてくれるッ!」

 

狂人の叫びがこちらにまで響いてきて、緋勇たちは《門》の場所を把握した。

 

「おっけぇ~。槙乃ちゃ~ん、呪文がんばろうねぇ~」

 

「今度は巻き込まれないようにしますね」

 

「2人も攻撃手がいなくなるのはキツイけど、いつまでも奇襲と回復を繰り返されたらこっちが持たない。まーちゃん、ミサ、頼んだ」

 

「わかりました」

 

「まかせて~」

 

「その間、僕達が守ろう。任せてくれ」

 

「みなさん、触手には気をつけてくださいッ!触れたら最後、即死しますよッ!かならず距離を保ってください!」

 

緋勇たちがうなずくのをみて、私はとりあえず《門》を閉じる詠唱を始めたのだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

明星事変4

刻一刻と時間がたつにつれて、生贄の数が増えてきたのか、《アマツミカボシ》の《荒御魂》に新たな顔が胸の肉を裂いて出現した。本来の顔はグラグラしながら揺れており、明らかに主導権を奪われている。その顔が咆哮する。意味がわから無い言葉を紡ぎ、触手がびたんびたんとしなった。

 

暴風が吹き荒れる。それは毒を含んだ魔の風だった。いくつもの竜巻が発生し、仲間を襲う。黄泉から強制的に帰還させる装備がなければどれだけ被害がでていたかわからない。美里さんが復活にまで手を回せばほかの回復が間に合わなくなる。まさに綱渡りだった。

 

「聖母の雫よ、癒しの風にのせ、仲間に祝福を!」

 

《アマツミカボシ》の末裔だからだろうか、効果をうけなかった美里さんがすかさず《力》を使う。生命を慈しむ聖母マリアの涙が複数の仲間へのいかなる状態異常をも取り除いていく。そして仲間を思いやる祈りを乗せた風が、離れた仲間の傷をも癒していった。

 

《荒御魂》の標的が愛から変わらないのはキリスト教を信仰してきた歴史が美里さんを《アマツミカボシ》の末裔でありながら、全くちがう《力》に成長させ、昇華させてきたからなのかもしれない。

 

あるいは、愛が《アマツミカボシ》の《氣》に無理やり変換させて、《力》をつかい、防波堤になっていることの方が大きいのだろうか。《荒御魂》の行動がパターン化出来ているのは、明らかに愛の功績だった。

 

《菩薩眼》の《加護》をうけた僕達は反撃を開始した。これなら何とかなるかもしれない、と思い始めた矢先だった。

 

「愛ッ!裏密さんッ、下がるんだ!」

 

愛が《如来眼》により支援者がいることに気づき、《門》を閉じようと裏密と詠唱を始めたからだろうか。あちら側のアトランダムに発生する《門》が開いたのは、なんと愛たちのすぐそばだった。僕はたまらず叫ぶ。僕の真横から飛び出してきたのは、京一君だった。

 

「地摺り青眼ッ!」

 

《旧神の印》による《加護》が京一君の《力》に装甲無視の貫通効果を付与する。青眼の構えから地をすべるようにして巻き起こす真空波を叩きつけるが、吹き飛ばされた距離から考えても《荒御魂》の射程範囲からは逃れられない。

 

「螺旋掌ッ!」

 

龍麻は体内で螺旋状に練った《氣》に、手の捻りを加えて放つ掌法の奥義が炸裂する。《荒御魂》が悲鳴をあげたが、あまり飛距離は稼げなかった。まだ足りない。

 

「水流尖の術ッ!」

 

出遅れた僕はあわてて印を結び、飛水流忍術を発動させた。吹き上がる幻視の水柱で、ダメージを承知で愛たちを吹き飛ばした。《荒御魂》は吹き飛ばしても、大きく仰け反るだけの予感がしたからだ。愛が裏密さんを庇う。《荒御魂》はまだ立ち上がってくる。

 

ダメージを回復するとき、こいつは岩になってしまうのだ。こうなるといかなるダメージも通らなくなってしまう。そして暗闇にとけていった。なかなか《門》をとじられない。また回復されてしまう。形勢を立て直さなくては。

 

フラフラの裏密さんを援護に入った仲間に引き渡す愛は呪文を唱えながら逃げていた。暗闇が出現したのは、愛のすぐそばだった。みるからに激高した《荒御魂》が跳躍して愛の目前まで驚異的な移動を見せる。触手が愛目掛けて襲いかかった。

 

「愛ッ!」

 

間に合わない。伸ばした手は空を切る。誰もが思った。その時だ。

 

《荒御魂》の触手により愛の胸が裂け、細かく割れ、そこに冷え冷えとした風が吹き込み、小さくざわめくような音を幻視する。美里さんたちの悲鳴があがった。

 

「くそッ!」

 

僕はせめて裏密さんたちは守ろうと即座に思考を切りかえ、水流による妨害に入る。彼女たちに迫っていた触手はひきちぎられて宙を舞った。

 

暗い深い穴に落ちていく感覚に襲われ、僕は必死で思考を遮断しようとした。僕達はまだ戦っている最中だ。ここで無防備に立ち尽くしたら即死級の攻撃が降り注ぐことになる。

 

愛が暗黒の中で二度と声も出なければ音も聞こえず、何も見えなくて、不安を覚えているとしても。その孤独を僕はもう救ってあげることができない。

 

家族という、確かにあったものがひとりひとり減っていって、自分がひとりここにいるのだと、久しぶりに思い出してしまったとしても止まるわけにはいかないのだ。僕はそういう運命だ。

 

感情を遮断しなければならないのに、心は別空間に移行してしまい、どうしても戻ってこれない。昔のような視点で、どうしても世界を見ることができない。頭が不安定に浮き沈みして、落ち着かずにぼんやりいつも重苦しい。

 

会いたかった。助けにいきたかった。僕は裏密さんたちが安全圏まで逃げたことを確認してから、荒れ狂う風に向かった。どうしてもなにか手や体や心を動かし続けなくてはいけない気がした。そして、この努力を無心に続ければいつかはなにか突破口につながると思いたかった。澄んでぴりぴりと冷たい空気の中でほんの少し「死」に近い所にいるように思えた。

 

自分がなんだかとてつもなく巨大なものと戦っているような気がした。そして、もしかしたら自分は負けるかもしれないと生まれて初めて心から思った。人が出会ういちばん深い絶望の力に触れてしまった。

 

こうやってひとは死ぬんだと思った。残された者の両手にありあまるほどの「そのひと」を残したまま、そのひとはもう二度とひっくり返されることのない砂時計になる。やがて記憶はどんどんこぼれていく。両手に何もなくなっても、もう、そのままだ。 憂鬱な気配は僕たちのあがきを冷ややかに見つめる。死の影。目をそらすと忍び寄ってくる無力感、気を許すと飲みこまれる不毛。せめて、人目だけでも。そう願った先で。

 

「───────ッ!?」

 

突風が吹き荒れた。風魔の笛が空高らかに鳴り響く。愛の声がする。バイアクへーを呼ぶ呪文だ。無事だったのか、と歓喜より先に湧き上がったのは、本当に愛なのかという疑問だった。愛は無傷だったのだ。《荒御魂》がはるか後方に弾き飛ばされていたのである。

 

誰も予想だにしない奇跡の事態だった。それゆえに飲み込めない。愛の姿をした誰かは、《氣》が太陽を直視しているような強烈な閃光と灼熱で焼かれそうになるくらいのエネルギーを放っていたからだ。愛にも片鱗はあったがここまで目がくらむような威力はなかった。

 

「あれは......」

 

はるか上空から飛来するものがある。何体ものバイアクへーが《荒御魂》目掛けて突撃してきたではないか。

 

「まーちゃん、呼べたのか!?」

 

「いや......そんなはず......」

 

だが、愛はたしかに笛を吹いていた。さらに高々と印をきり、なにやら聞いたことがない呪文を紡ぎ出した。

 

『神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。これにより時間が誕生した。名を───────」

 

おそらくは冒涜的な神の名だ。僕達の頭は理解するのを拒否した。

 

『神はまた言われた、「水の間におおぞらがあって、水と風とを分けよ」。その名は───────と───────」

 

平然と名前を紡ぐことが出来る愛は、果たして僕らのしる愛なのか自身がなかった。

 

「神はまた言われた、「天の下の水は一つ所に集まり、かわいた地が現れよ」。その名は───────」

 

好戦的に笑う愛を僕は見たことがないのだ。

 

「神はまた言われた、「地は青草と、種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ果樹とを地の上にはえさせよ」。そのようになった。さあ、降臨せよ神代の果樹の神。ヴルドゥーム」

 

この名前だけ聞き取れるということは、目の前のモンスターの名前なのだろうか。

 

「ヴルドゥーム?」

 

「なんだこりゃ、新手の邪神かよ?」

 

「いや......《荒御魂》を攻撃してるみたいだ。またバイアクへーのように召喚したのか......?」

 

いつの間にか、青白く膨らんだ、幹から枝状に分かれた根をもつ巨大な球根植物が出現していた。てっぺんには花のがくを思わせる朱色の部分があり、そこから妖精を思わせるモンスターが生えている。

 

このモンスターが発する甘い香りには催眠効果があるようで、《荒御魂》は幻覚に陥ったのかあらぬところを攻撃しはじめた。そのモンスターは明らかに《荒御魂》を攻撃しており、龍麻たちの味方だった。花から蔦のようなものを出し、《荒御魂》を攻撃する。愛の《力》ですら追加効果が無効化されていたというのに、あっさりこのモンスターは《荒御魂》を翻弄してみせた。それだけでとんでもないものだとわかる。

 

そのモンスターはさらに正体不明の怪物を呼び出し、《荒御魂》に追撃を命じ始めた。3つの頭を持った蛇みたいな怪物は、目の部分から舌に似た炎が吹き出しながら《荒御魂》を攻撃しはじめた。

 

邪神の従者や奉仕種族を呼ぶには無償などありえない。なにかしらの準備は必要だと愛が常々いっていたのはたしかだ。にもかかわらず今の愛はいきなりバイアクへーをたくさん呼び出し、さらに新たなモンスター、ヴルドゥームを召喚したではないか。僕は愛に呼びかけてみるが、愛は呪文を唱えるのに集中しているようで答えない。

 

「すご~い、槙乃ちゃ~ん。《門》の向こう側にも攻撃が届いてる~」

 

「!!!」

 

「ミサ、それほんとか!?」

 

「うん~!初めて見た~。呪文唱えてたおじいさんの手足が~、どんどん縮んでいったわ~。あっちは~、大混乱みた~い。これなら《門》、閉じれるかも~」

 

裏密は嬉々とした様子で《門》を閉じる詠唱を再開する。

 

「よ、よくわからないけど、今のすきに《荒御魂》を倒そう」

 

龍麻が動揺を無理やり押さえ込み、仲間たちに指示を出していく。僕は恐る恐る愛に近づいた。呪文は終わったというのに、愛は微動だにしない。なにやら印をきっている。

 

「君は誰だ?」

 

顔を上げた愛はにたりと笑った。

 

『子孫の繁栄と安寧を願わない先祖はいない。それを邪魔する者はたとえ同じ末裔だとしても2度目はない』

 

「まさか、君......いや、あなたは......」

 

『あの不愉快な蟲で先が長くないとはいえ、これ以上好き勝手されるのは我慢ならない。私がなんのために自ら分割して《力》を末裔たちに継承させたと思っている。それを───────」

 

愛の中にいる誰かはそういって冒涜的な呪詛を唱えた。暗闇が四散していく。空が晴れ渡っていく。秋晴れの空が広がっていった。

 

《荒御魂》が苦しみはじめた。愛の中の誰かは不敵に笑って空を仰ぐ。

 

『なによりも許せないのは我が神をこのような形で招来しようとしたことだ。その報いは受けてもらうぞ、九角───────』

 

それは暗闇に向けて投げられた呪詛だった。《アマツミカボシ》は僕を見た。意味深に笑うと目を閉じる。愛の力が抜けた。僕はあわてて抱き抱える。どうやら魔力を使い果たして気絶してしまったようだ。僕はホッとした。

 

《荒御魂》の体が崩壊し始めたと龍麻が叫んでいる。どうやら回復手段が絶たれたこと、太陽の光が弱点だったようだ。

 

これならなんとか突破できそうだ。僕は愛をかかえて一足先に戦線を離脱した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

明星事変5

現実の世界と夢の世界という二つの異なった世界が、私の意識を無音のうちに奪い合っている。まるで大きな河口で、寄せる海水と流れ込む淡水がせめぎ合うように。

 

不老不死の狂気に侵された男に絶縁を言い渡し、さっていく妻子の夢を見た。この男は卑弥呼の器として妻や娘をさしだそうとして拒否され、ならばと《アマツミカボシ》の器を作り出す実験体として妻をつかったのだ。そして娘は一般人としての生活をしていたにもかかわらず、歯牙にかかってしまう。道場敷地内にある立派な庭に埋められるたくさんの被検体たち。

 

「これは......」

 

私は10年越しに《アマツミカボシ》の2度目はないという最後通告と逆鱗の意味を知るのだ。夢というものは、人間の全身が眠っている間に、その体内の或る一部分の細胞の霊能が、何かの刺戟で眼を覚まして活躍している。その眼覚めている細胞自身の意識状態が、脳髄に反映して、記憶に残っているものを吾々は「夢」と名付けているのである。

 

これは《アマツミカボシ》がかつてみた光景なのだ。

 

「......九角天童君は知ってるの、これ......?蟲で先は長くないって《アマツミカボシ》いってたみたいだけど......まさかシャンに寄生されてるとか言わないわよね......?いつからよ......」

 

夢は微睡みとともに、ぼんやりと薄暮の中に溶ける山の景色のように曖昧になっていく。暖かくやわらかい泥の中にずぶずぶ入っていくような感覚だ。もどかしさが、奇妙な襟巻のように喉に絡み付く。浮かぶ端から、手がかりのないつるりとした意識の斜面を虚無の領域に向けて滑り落ちていった。

 

目覚めたときにはほとんど何も覚えていない。夢の微かな切れ端のようなものがいくつか、意識の壁に引っかかっていることはある。しかし夢のストーリーラインは辿れない。残っているのは脈絡のない短い断片だけだ。彼女はとても深く眠ったし、見る夢も深い場所にある夢だった。そんな夢は深海に住む魚と同じで、水面近くまでは浮かび上がってこられないのだろう。もし浮かび上がってきたとしても、水圧の違いのためにもとの形を失ってしまう。

 

気がついたとき、私は汗びっしょりなまま車の後部座席で横になっていた。

 

「愛、大丈夫か?」

 

朧気な輪郭が次第にはっきりしてくる。心配そうな顔をしている翡翠がいた。名前を呼ぶと安心したように笑いかけてくれた。

 

「よかった、目が覚めたみたいだな。みんな、愛が目を覚ましたよ。どうやら意識の混乱はみられないし、《氣》も安定している。後遺症はなさそうだ」

 

翡翠の言葉に歓声があがった。どうやら《アマツミカボシ》の《荒御魂》を無事に倒すことが出来たようだ。よかった。私は翡翠に背中を支えてもらいながら起き上がる。

 

「心配かけてごめんなさい。ここは?」

 

「もうすぐ等々力渓谷だ」

 

「!」

 

「安心してくれ、《荒御魂》は倒すことが出来たよ。君のおかげだ。どこまで覚えてる?」

 

「死にかけたことなら......」

 

「なるほど。一時的に《アマツミカボシ》が君の身体に降臨したんだよ。そして突破口を開いてくれたんだ」

 

「えっ」

 

「たくさんのバイアクへーとヴルドゥームという邪神を召喚したんだ。聞いたことも無い呪文を《門》の向こう側にかけていた。どうやら今の君を召喚したあの場に、九角家の当主はいたらしい。2度目は逆鱗にふれたようだ」

 

「《アマツミカボシ》がそんなことを?」

 

「ああ、その報いは受けてもらうと。君の魔力や《氣》を根こそぎ奪っていったようだね。うごけるか?美里さんが《力》を使ってくれたが」

 

「......はい、大丈夫なようです」

 

「よかった。本当に無事でよかった。本当にダメかと思った。《アマツミカボシ》が降臨しなかったら、僕達もダメだったかもしれないな」

 

「ありがとうございます。みなさんは大丈夫ですか?」

 

「ボクたちは大丈夫だよッ!」

 

「まーちゃんのおかげで助かったよ、ありがとう」

 

「等々力不動には行けそうか?車で待つか?」

 

「瘴気があたりにたちこめていますし、車で待つ選択肢はないですね。入口で私も降ります。《如来眼》による解析くらいならできそうですから。魔力を使い果たしたわりには体が軽いというか、気分がスッキリしているというか」

 

「そうか、よかった」

 

翡翠が頭を叩いた。

 

「まあ、この《氣》には目覚めざるをえないか」

 

「そうですね」

 

私もすぐその言葉の意味に気づくのだ。《鬼道衆》の《氣》だが、殺気は感じない。私達の様子を窺っているような視線が、四方から集まっている。仕掛けて来るつもりはないようで、あくまで監視のようだ。これ本拠地に乗り込むのだから無理もない話だが。ちらりと視線を走らせると、龍麻はなにか思い当たる節があるのか腕の黒い数珠を見ながら考え込んでいるようだった。彼らの目的を訝しんでいるのかも知れない。

 

適当な話をしつつ、私は《如来眼》で周りの《氣》を探るのだ。《氣》は揺らぐことなく、じっと私達を観察しているようだった。

 

この先は人通りの少ない等々力渓谷に続く細道へと入る。仕掛けてくるなら絶好の場所だ。周りを囲む鬼気が、明確な意志を初めて表したところで、私達は立ち止まり、大きく息を吐き出した。殺気が膨れ上がって、私達を包囲する。闇の中から、たくさんの鬼面が浮かび上がるイメージがうかぶ。やはり目的は私達の足止めのようだ。余程慕われている頭領らしい。

 

車がいよいよ等々力渓谷入り口に停車する。

 

「行くぞ」

 

龍麻の声を合図に、私達は車から降りた。数ばかり多い雑魚はさっさとご退場願うに限る。私はバイアクへーを召喚した。

 

「愛、三体も呼んで大丈夫なのか?」

 

「......呼んでおいてなんですが、まさか三体も来てくれるとは思いませんでした。《アマツミカボシ》の契約してる子達なのでしょうね。私は一体分しか《魔力》を消費していません。ありがたく使わせてもらいましょう」

 

先手必勝だ。数体まとめて吹き飛ばしてから、駆け寄る鬼面をみんなで撃破する。後ろに感じる鬼気には注意を払わない。その必要がないからだ。

 

後方から私に向けられていた殺気が、強烈に発せられた水流によって、捻れた叫び声と共に消滅した。

 

横をすり抜けて翡翠を狙おうとしていた鬼面に斬撃を喰らわせる。一瞬、隙の出来た私の右前方から飛びかかろうとしていた敵は、後ろから放たれた水流によって吹き飛ばされ、体勢を整える前に露と消えた。数刻と経たないうちに鬼面の姿は殆ど消え去った。

 

相変わらず遠巻きにしている忍びたちの視線を感じつつ、最後と言うことで、何かあるのかと思い身構えていたが、特に何も起こらない。私達は等々力不動へ向かうために渓谷へ侵入しはじめる。

 

そして私は、夢の話をみんなに聞かせるのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

再度の屈辱

言い争う声がする。

 

「......なんだよ、これはよ。嘘だろ......どういうことだ」

 

九角天童の声だと気づいて緋勇は走り出した。

 

「黙れよ、俺はアンタに聞いてんだ…………」

 

私達も慌てて緋勇の後を追う。

 

「うるせェッ!じいさん、アンタどーいうつもりだッ!なんなんだよ、こいつはッ!」

 

激高する青年の声が次第に大きくなってきた。

 

「たしかに東京ってヤツは、暑苦しくて臭せェ、汚ねェゴミ溜めのような街だ。生きている連中も死んでいる連中も、みんな同じように濁り、腐ってやがる。だが、このゴミ溜めで、何があっても自分だけは正しい道を歩いているッてな顔をして、生きるのがいいんだって教えてくれたのは他ならぬアンタだ!なのに、なんだよその姿は?この亡霊どもは?なんで、じいさん、アンタが母さんの亡霊を従えて───」

 

おそらく、九角家当主に引き取られて、親同然に慕ってきたのだろう。まさかの裏切りを前にして九角天童は明らかに狼狽していた。どうやら引き取られる経緯や九角家の復讐劇すら祖父から捻じ曲げられた話を聞かされて育ち、追い詰められた祖父が最終手段に手を出したために騙されていたことに気づいてしまったようだ。

 

大きな道場があった。その前の庭は穴だらけになっている。内側からなにかが這い出てきた土の動き方をしている。じいさんと呼ばれた男は一心不乱になにかを唱えていた。

 

九角天童は叫んでいる。

 

九角家を再興するだとか、天下を取るだとかそんなことはどうでも良かった。遠い昔、《天御子》に負けて今なお迫害されているとしても九角の力が弱かっただけのことだ。未だに、産まれるか産まれないかわからない女を護るためにひっそりと生きている必要は無い。九角家頭領として敬い、慕い、付き従い、護り、諫めようとする人間がいながら、耳を貸さずに復讐に全てを捧げるのは愛娘を奪われ、孫の未来を案じているからだと言われたから信じた。だから手を貸した。祖父だけに全てを任せたくはなかったからだ。

跡継ぎの天童に九角家の使命と、宿命を繰り返し語って聞かせたのは他ならぬ祖父なのにどうして。

 

どうやら男の周りには結界がはられているようで、天童では突破ができないらしい。がんがん叩いている。

 

「おれは......俺はアンタの力にはなれなかったのか、じいさんッ!だから見限ったのか。それとも初めから───────ッ!?」

 

九角家当主は答えない。天童は叫んでいる。祖父が両親を殺害して秘密裏になにかの儀式に手を出し、自分を引き取って復讐劇に加担させた。頭のどこかでは理解しているのに頭が拒否するのか、親にすがりつく子供のように泣き喚いていた。

 

どこまでも祖父は自分を愛してここまで育ててくれたから情が湧いてしまい、土壇場になって復讐劇にまきこむのがいやになったと思考が誘導しにかかるようだ。

 

「いいじゃねェかよ。ここまで弱くなった血を、一体何のために守るッてんだ。俺達は、俺達の思うままに生きりゃァいい。好きなだけ生きて、死ぬときゃ死ねばいい。何百年も前のことなんざ関係ねェよ!!土壇場で1人死ぬなんてなしだろッ!!」

 

中に入れてくれ、と天童は手からちが流れるのも構わず叩いていた。

 

「九角家を取り巻く下らねェ現実を作り出したのは、一体誰だ?誰を恨めばいい?誰に復讐すればいい?誰が一番悪い?このどうしようもねェ憎悪の念を、どうすればいい───?それを背負うのは老体には堪えるって泣いてたのは、じいさんだったじゃねぇかッ!だから全部、この俺が半分しょってやるっていったじゃねェかッ!!なあ、じいさん!!」

 

膨大なまでの怨嗟の念が膨れ上がるのを感知した私はバイアクへーを呼んだ。その悪意は形をなす。九角家当主の頭が吹き飛んだかと思うと、蟲が出現した。そして忽然と姿を消してしまう。

 

「蟲......!?こいつは......まさか、じいさん......あの男に!?いつからだッ!いつからだよ、じいさん!ヤツが何をしてェのか、俺達に本当は何をさせてェのか知らねェが、お互い利用するもんを利用すりゃいいって笑ってたのに、一切関わらせてくれなかったのはそのせいってことか!?なにがお互いの目的のためにだよ、ふざけんじゃねェッ!なに死んでんだよ、じいさんッ!!」

 

天童の叫びに私たちはなにもいうことができない。

 

「何かに怯え、隠れて細々と生き続けるより華やかに散った方がいい。生き延びて生き延びて干からびて死ぬより。盛大に、血と肉を生々しく引き裂いて死ぬ方がいいに決まってる。このまま東京に巣くう闇の一部になるのか

、原形をとどめない憎悪の念となるのか。それも一興だっていってたのは嘘だったのかよ、じいさんッ!アンタが死んだら俺は───俺は───俺は……ッ!!」

 

その場に崩れ落ちてしまう天童の目の前で、強固な結界の中で事切れた老人が喋りだした。

 

「来たな」

 

「!?」

 

「来たな、《龍閃組》の末裔達よ───────......いや、緋勇───────の同士たちよ」

 

「なんで俺のじいちゃんの名前......」

 

「俺のじいさんを知っているのか......!?」

 

「あの男達から受けた屈辱、失われた腕の痛み、忘れたことは無かった。今ここでお前たちを殺せばあの世でいい手土産になるだろう。ここでまとめて始末してくれる」

 

「じいさん......なにいってんだ、あんた......?」

 

愕然としている天童に老人から現れた蟲が標的を定めたた。私達が動く前に天童の持っていた黒い数珠が不思議な光を放つ。そして蟲をはじき飛ばした。

 

「九角天童さん、あなたに大事な話があります」

 

私の言葉にようやく我に返ったらしい天童は、緋勇たちがいることに気づいたようだった。

 

「《如来眼》の......。なんだ」

 

「あの女性たちは《鬼道》による蘇生じゃありません」

 

「なんだと?」

 

「もっと冒涜的な呪文です。《再度の屈辱》。呪文の使い手はかつて自分が殺した人間の亡霊を無理矢理出現させることができるんです」

 

「まさか......」

 

「そのまさかですね」

 

「じいさんてめぇ、どこまでッ───────!!」

 

天童が口を開いた直後。立っているだけで、背中に汗をかくほど烈しい殺気が結界から溢れ出した。ピシリピシリとひびがはいり、結界が弾け飛ぶ。

 

私達が身構えて見守る中、死んだはずの九角家当主がむくりと起き上がった。

 

「じいさん......」

 

「わしは鬼道衆の頭目であり、九角家の末裔」

 

全員を見渡すその眼は凍り付く程に冷たい。周りを漂っていた妖気が、実体を形作り始めた。

 

「こ…こいつらは…」

 

斃したはずの《鬼道衆》たち。そして、再度の屈辱により蘇生させられた女たち。

 

「これは復讐したいと願う憎悪、悔恨、怨嗟の念に集い、形を持たせてやった者たちよ」

 

暗い闇を見据え続けたような光を映さぬ瞳が、勝ち誇るように歪む。

 

「…目醒めよ───ッ!!」

 

妖気が膨れ上がり、その全てが変生する。

 

「さァ、始めるとするか。よく見ておけ、天童。これが外法というものだ」

 

「じいさん......ッ!?」

 

「俺たちを襲ったのはじいちゃんに恨みがあるからかよッ!!どこまでふざけた野郎だ!しかも蟲に孫を寄生させるつもりだったな?!自分の娘まで《鬼》にしてなんのつもりだッ!!」

 

叫ぶ緋勇に老人は笑った。

 

「そういってわしの前に立ち塞がった男とよく似ている───────そんなこと知る必要は無いだろう。お前たちはこれからしぬのだから」

 

私達は戦闘体制に入る。

 

「じいさん......」

 

天童の前にはかつて母親だったと思われる《鬼》が迫り来る。天童は黒い数珠を握りしめた。

 

「母さんが絶対に肌身離さずもっとけっていってたのはそういうことかよ。母さんが死ぬまで連絡すら取らなかったのはそういうことかよ」

 

乱暴に涙を拭った天童は緋勇にいうのだ。

 

「この《鬼》共は俺が片付ける。俺以外の連中に母さんをあの世に送らせたくないんでな。お前らはあっちに集中しろ。じいさんは人の触れちゃいけねえところを踏みにじりやがった。それだけは擁護できねえからな」

 

「......わかった」

 

緋勇はみんなに指示をだす。私は《如来眼》を発動させた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

再度の屈辱2

「───────天童様、申し訳ございません」

 

「その口ぶりだとじいさんの真意が九角家の総意みてぇだな......。まあ、1代でここまで立て直した九角家当主に真正面から楯突く輩はいねぇか」

 

薄暗い街灯の元、にぶい光を反射させて立つ鬼面に囲まれた天童は冷笑しきりである。

 

「跡継ぎといいながら、分家に挨拶すら行かせてもらえなかったからな。無理もねェが......。わかりやすくていいぜ。俺が死ねばじいさんが当主、俺が生き残れば俺が当主ってことだ。そういうことだろ?」

 

「問答無用…......貴方様の首、もらい受けるッ」

 

「雑魚は引っ込んでろよ。今俺は生まれて初めて殺したい相手が出来たんだから。てめえらはお呼びじゃねェんだよッ!」

 

叫ぶと同時に鞘を投げ捨てる。九角お抱えの鬼面たちも脇差を抜いた。敵が平正眼に構えたのを見て、天童は構え直す。

「まァまァだな。......だが、無駄だ」

 

天童は無造作に一歩踏み出した。反射的に鬼面が刃を斜めに引き、切り下ろしてくる。左斜めに入ってくる剣先に合わせ、刃腹で叩くようにして流れを変える。ほんの僅か、自らの刀に振り回されて体が流れ、右足が一瞬硬直する。浮き身を保てない相手をそのまま、左の脇腹から右肩に抜けるように斬った。骨を断つ感触など慣れたものだ。

 

「口惜しや…......これも、これも宿命なのか…......」

 

「赤い髪の男は《鬼道》に優れるが九角を滅ぼす因果ってやつか?修羅の因縁に惑い、堕ちる定め也?あの男がいってたな。お前はなにをしってる」

 

すでに男は絶命していた。天童は舌打ちをする。鈍い音がして、膝をついていた鬼面の首があっさりと胴体から離れる。生きた血の通わない身体から、どろりとしたどす黒い液体が流れたが、やがて本体ごと塵のように消えていった。

 

「あの男の傀儡が混じってやがったわけか。じいさんがあのザマだ、静観決め込んでるヤツらはまともだとして。お前ら全員が俺の敵ってわけだな」

 

天童は不敵に笑った。

 

「剣掌・鬼氣練勁」

 

独特の呼吸で高めた勁力に、殺意の波動を加え、特異な練氣法により威力を上昇させる。九角家の家宝が天童の能力値を劇的に押上げ、《氣》が洗練されていった。

 

「鬼道・高心」

 

《鬼道》によって得た力で、酒飲後の如き高揚感をえた天童は、インド神話における鬼神の《力》を得る。

 

「乱れ緋牡丹」

 

周囲に集まる敵の全てが切り刻まれ、その血痕で地面を紅に染めた。狂気の剣につきたてられた鬼の面が幾重にも重なる。天童が振るうと鬼の面が落ち葉のように散らばった。

 

「なんだよ、情けねえな。九角天童の首を取りに来てんだ。もっとしっかりしろよ。外法を見せるまでもねェとか言わせんなよ?なあ?復讐の水をさしやがったんだからよォ」

 

真っ当に生きてきた幼少期から今に至るまでの子供時代に植えつけられた倫理観が強ければ強いほど、それに忠実であろうとすればするほど、執着は強まるものなのだと天童は自覚していた。

 

四方から洪水のごとく押し寄せる情報のただ中で、いきなり真相を突きつけられ、お前は自由だと無責任に放逐されたところで出来ることなどたかが知れている。結局のところ、真実がどうであれ天童には九角家最後の末裔という拠り所しか残されてはいない。それをあの赤い髪の男に踏み躙られていたと知った今、狂乱した当主に従うお抱えの忍びたちを粛清するのは、次期当主になる上で必要な儀礼なのだ。

 

「《鬼道》でも《外法》でも蘇生できないようきっちり黄泉に送ってやるから安心しろ」

 

ずたずたに斬られて、伏せになっていた鬼の面は、もう虫の息もない。死骸は滅茶滅茶だ。胸いたを突いた痕ばかり七、八ヵ所もある。復讐的な虐殺だったが、気にすることなく天童は刀の血を払った。そして印を切る。遺体は一瞬にして四散した。

 

復讐の感覚は、数学の能力のように正確であり、等式の両方の項が満たされるまでは、何かやり残した感じを払拭することなど出来やしないのだ。ここにいる連中を屠り、そして黄泉から無理やり蘇らせられ、《鬼》に変生させられてしまった哀れな母親、あるいは知らない女たちの成れの果てという本命にとりかかった。

 

その時だ。天童ははるか後方ですさまじい《陰氣》の潮流を感じた。振り返ると祖父により蘇生させられた《鬼道衆》の怨念たちが変生により無理やり実体を獲たのか、緋勇たちと戦っていた。

 

「嵐巻き起こすは木鬼」

 

天童は舌打ちをした。

 

「業火で焼き尽くすは火鬼」

 

緋勇たちは仲間が豊富だ。故に《方陣》という《氣》をぶつけて広範囲の攻撃を作り出していると報告はあがっていた。

 

「大地を震わすは土鬼」

 

《鬼道衆》が同じことをしてくるとなぜわからないのか天童はわからなかったのだ。

 

「生死を司るは金鬼」

 

「おい、なにをぼーっとしてやがる、緋勇龍麻ッ!狙いはお前だ、来るぞ!!お前にここで死なれたらこっちが弔い合戦に集中できないじゃねぇかッ!」

 

「濁流に飲み込むは水鬼」

 

天童の言葉にようやく《鬼道衆》の真意がわかったのか、緋勇はとっさに《氣》を蓄えて自身の回復を優先した。

 

「あまねく天地の陰氣よ集えッ!!鬼道五行陣ッ!!」

 

天童の一言でなんとか耐えきったらしい緋勇に、美里が《力》を使うのが見えた。天童は息を吐いて、また前を見すえる。

 

「......てめェはたしか......蓬莱寺」

 

「なかなかいい腕してるじゃねェか、俺もまぜろよ」

 

「ふざけんな、どの《鬼》が母さんかわかんねーからあっちに集中しろっていったんだよ。緋勇の指示に従え」

 

「なんで孫のお前のいうこと聞かなきゃなんねーんだよ。どさくさに紛れてなにしでかすかわかったもんじゃねーからな。見張らせてもらうぜ」

 

「じゃあその差し出したやつはなんだ」

 

「《旧神の印》だとよ。まーちゃんから差し入れだ。蟲やらなんやらに邪魔されんのは気に食わねェだろ?」

 

「......《如来眼》の......?ちッ、まだどっかで狙ってやがるのか、あの蟲め」

 

蓬莱寺からひったくるように受け取った天童は、蓬莱寺が背中を預けてくることにギョッとする。さっきまで互いに殺す気満々だったというのになんのつもりだこいつは。へへ、と笑った蓬莱寺はいうのだ。

 

「その様子だとまーちゃんがずっと気にかけてたの知らねーみたいだな」

 

「......なんで時須佐がでてくるんだ」

 

「おめーの知らねー御先祖様の繋がりってやつだ。どーも九角家と龍閃組は一回共闘した事があるらしいぜ?そんで、それを文献で知ったまーちゃんは10年も前からお前らに気をつけろって警告してたんだってよ。お前のじーさんが邪魔したり、利用したりしたせいで、那智さんとかひでー目にあったり、東京から引っ越したりしてるみてーだけどよ」

 

「......《如来眼》のあいつが......10年も前から......?それに那智......?たしか、京都に養子にいった桔梗って女の末裔だったな。なにかあったのか」

 

「ほんとに知らなかったんだな......《鬼道衆》の水角はあの姉ちゃんだ。《アマツミカボシ》の《荒御魂》無理やり産まされたり、深きものにされかけたりひでー目にあったんだぜ」

 

「───────!?」

 

「おいおい、マジかよ......九角、お前は知らないことがちょっと多すぎるみたいだぜ。まーちゃんがずっとお前のこと心配してたのわかる気がする。早まんじゃねーぞ、お前が死ぬのはここじゃねーんだからな」

 

蓬莱寺はそういって笑った。天童は笑えなかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

再度の屈辱3 外法都市完

 

一度倒した《鬼道衆》は弱点もなにもかもが同じであると《如来眼》による解析結果がでた時点で勝負は決していた。亡者はそれ以上に成長することはないのだ。その対処法さえわかってしまえば4月から10月まで戦い抜いてきた私達の敵ではない。緋勇のたしかな布陣と指揮により、一体一体屠っていく。九角天童に対する態度は人により様々だが、私が解析中に《鬼道衆》の方陣の発動を予見してフォローしてくれたおかげで緋勇が助かったため、だいぶみんな軟化したように思う。こちらにきてから九角家の複雑な事情を垣間見たことも効いている。

 

もしかしたら、もしかするんじゃないだろうか。間違いさえしなければ助けられるんじゃないだろうか。蓬莱寺がうずうずしていたから《旧神の印》を渡してきてくれと背中を押してあげたから、上手いこといけば150年振りに九角と蓬莱寺の方陣が復活するかもしれない。

 

私の知る九角天童とだいぶ性格が違うのは境遇が違うのもあるのだろうし、仲間になってくれるかもしれない。はやる気持ちを抑えながら、私は《如来眼》によるサポートを続けた。

 

「おのれ、《鬼道衆》を破ったか───────」

 

おそらく戦時中の恨みを今まさに晴らそうとしている老人は、今までにない程の量の《氣》を発して歪んだ顔をしている。怨恨、嫉妬、無念、焦燥、憎悪。あらゆるどす黒い感情を封じ込めたようなえぐい《氣》である。

 

柳生流の名手だったのかもしれないが、刀を抜かないあたり《手足の萎縮》の効果は絶大だったようだ。片腕しかないせいで《鬼道》も印を切るには不自由するようだから、《アマツミカボシ》のいっていた報復はたしかに成果をあげている。九角家の滅亡いっぽ手前だっただけに、どれだけ怒りをかったのかわかる。なのに今なお向かってくるのだからどれだけ屈辱を味わったのか私は理解できなかった。

 

呼応するように、目がくらむほど禍々しい《氣》があたりをつつみこむ。闇を喰らい尽くし、つかの間の静寂が訪れた。九角家当主は烈しい闘気を背負い、立っていた。

 

「さあ来いッ!!この地に漂いし、怨念たちよ。このわしの中に巣くうおぞましき欲望よ───ッ!!この地に集めし全てを喰らい尽くせ─────!!そして、変生せよッ!」

 

鬼のような形相が正真正銘の《鬼》へと変わっていく。身体が膨れ上がり、牙が生え、皮膚は破れ、剥き出しの筋肉が赤黒く盛り上がる。人であった痕跡が一つ残らず消えていく。そこまでして何を得ようというのか。何が得られるというのか。誰も何も言わなかった。蟲による思考誘導もあったのかもしれないが、やつはあくまでも夜にしか活動しない。いつでも復讐に身を滾らせていた時点でジキルとハイドではない。この男は初めからサイコパス、あるいは破滅主義者、そのものだったのだ。

 

人の身体を捨て、大きな妖気に包まれ《鬼》は、互いを増長させるように混じり合い、あたりを包み込む。大気を揺るがす咆吼が、胸に突き刺さる。周囲の瘴気と共にあたりを塵と化しながら、《鬼》は笑った。

 

等々力不動尊全体が突如発生した黒雲によって月が見えなくなってしまう。その暗闇に紛れて姿を隠し、暴風雨を起こして雷電を鳴らし、火の雨を降らせはじめたではないか。

 

私は天気を操作しようとしたのだが、通じない。どうやらこれ自体が《鬼》のようである。空から降ってきた3振りの剣が私達の攻撃をことごとく切り捨ててしまう。

 

私達の戦いは熾烈を極めた。日月の様に光る眼で私達を睨み、天地を響かせ、無数の剣や矛の如き氷を投げつけてきたが、私達がすべて払い落とした。そして、攻撃に転じている間に方陣によるダメージを狙う。美里たちがそのために被弾するたびに回復をサポートした。

 

蟲による浸食を受けている魂は、《旧神》の《加護》を獲た緋勇たちの攻撃が貫通するようになっていく。

 

やがて雲がはれ、地に落ちた九角家当主が数千もの鬼に分身すると桜井たちが《氣》のこもった矢を放ち、鬼の顔をすべて射る。《鬼》は往生際悪く抵抗するものの、最後は緋勇の放った《氣》に首を落とされた。首は天へと舞い上がって緋勇に食らいつこうとしたが、美里が放った光が全てをやき尽くした。

 

「やった......のか?」

 

「《氣》が完全に消滅したようです。お疲れ様でした、みなさん」

 

私の言葉にしばし沈黙がおりた。瘴気がみるみるうちに収まっていく。九角家当主の魂も、この地に漂う怨念と化して、永遠の時を苦しみ続けるのだろうか。そんなことを思う。

 

立ちこめていた瘴気が晴れ始め、月の光が差しこんだ。本来等々力不動尊にあるべき清浄な空気が重い《邪気》を祓って行く。ようやくまともな呼吸が出来るようになった気がすると緋勇はひとりごちた。とりあえずの危機は去った。

 

しばらくして、ようやく現実が受け入れられるようになったのか、歓声がわいた。私は桜井や美里とハイタッチしたり、マリィと抱き合って喜んだ。翡翠に笑いかけると、静かに頷いてくれた。

 

蓬莱寺が九角をつれて戻ってくる。どうやら蓬莱寺は九角が気に入ったようだ。九角はめっちゃいやがってるが。

 

「人の《力》、たしかに見せてもらったぜ。俺達《鬼道衆》の完敗だ。じいさんみてぇに首をはねるなり、なんなり好きにしな」

 

そういって刀を預けようとする九角に緋勇は無理やり突き返した。

 

「お前には赤い髪の男のことを聞きたいんだ。生き証人を殺すバカはここにはいないよ」

 

「はっ。正気かよ、てめーら。その仲間だった俺を生かすってのか?」

 

「《旧神の印》を扱えるということは、邪神の影響下にない証ですからね。信頼できます。きっと《五色の摩尼》を盗んだり、結界に近づけない《鬼道衆》のかわりに行動を起こすのがあなたの役割だったのではありませんか?」

 

「チッ......負けちまった俺がどうこういう権利はねェか。それがお前らがいう審判だってなら受け入れるしかないんだな」

 

観念したらしい九角はためいきをついた。

 

そして話し始めるのだ。

 

この家に引き取られるまでの経緯。九角家に赤い髪の男が接触してきたのは去年の夏頃であること。私の読み通り、《五色の摩尼》を盗むなど結界を突破できない祖父たちのかわりに裏方にてっしていたこと。《鬼道衆》の動向は忍びから聞かされていたことしかわからないこと。九角天童は次期当主であって当主ではないからできることなどたかがしれていたこと。

 

「次は俺が聞く番だな。お前らは一体なんのために......」

 

今度は緋勇たちが話し始めるのだ。

 

「......ほんとにお前らは変わってんなァ......どこまでお人好しなんだ。この街の人間のために本気で命かけられるとか頭イカれてるぜ」

 

「そっくりそのまま返すよ、九角天童」

 

「けッ」

 

「九角、お前はこれからどうするんだ?赤い髪の男にようがあるなら、俺達と───────」

 

「その手をとるつもりはねェ。この瞬間から、俺が九角家当主だ。前の当主が死んじまった以上、まとめあげねえと頭領として失格だからな。分家にすら挨拶してねェガキが後をつぐしかないんだ。やることは多いだろうよ。さいわい、警察の世話になる証拠はなにも残らなかったからな」

 

「そっか......お前はなにもしないんだな」

 

「もともとじいさんがやるっていうから始めた復讐劇だ。本人が退場しちまった以上、俺が出来ることはなにもねェよ。いきな、《五色の摩尼》をはやいとこ封印した方がいいぜ」

 

「わかった。またな」

 

「───────......変わった野郎だ。さっきまで殺し合い寸前だったってのに」

 

「御先祖様が仲良くなれたんだ。なれない理由はないだろ。同じ敵がいるんだ。また会うことがあったら、その時はよろしくな」

 

瘴気を流し去る風が私達の髪を踊らせた。

 

「龍麻、みんな、帰りましょう。私達の真神学園へ───。」

 

緋勇たちは歩き出す。今だけは、《鬼道衆》との闘いに終止符が打たれたことを、素直に喜ぶべきだ。そしてまた明日から、来るべき災厄に向けて備えるのだ。妖気が晴れてすっかり澄み切った空気を吸い込み、私は空を仰いだ。

 

「ああ、そうだ。九角君」

 

「あ?なんだ」

 

「落ち着いたらでいいので、《天御子》について知りたいので連絡くれませんか。九角家に圧力をかけてきたのが本当なら捨て置けません。私がこの世界にいるのは、赤い髪の男に《天御子》の影がチラついているからでもあるんですよ」

 

目を見開いた九角だったが、ニヤリと笑った。

 

「いいぜ。仄暗いもん持ってるやつの方がよっぽど信用できるからな。あんたには色々世話になったみたいだから、恩はきっちり返させてもらう」

 

「それは良かった」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔人学園編
鞍馬天狗


1

「修学旅行、天狗のゆかりの地を巡りたいっていってたから~、調べてみたよ~」

 

「ミサちゃん、ありがとうございますッ!」

 

「ところで~、なんで鞍馬天狗なの~?」

 

「実はですね、150年前の戦いの時に《鬼道衆》側の仲間として鞍馬天狗に育てられたと自称する青年が仲間にいたそうなんですよ。們天丸って人が。鞍馬山の天狗に育てられ、その法力を使うことができた、女好きでお調子者の青年らしいです。さすがに京都にいけなかったので、現状を報告したくて」

 

「なるほどね~、元人間でも天狗ならまだ生きてるかも~?」

 

「生きてたらいいですね」

 

「う~ふ~ふ~、そういうことなら~、鞍馬寺に行く前に~、崇徳院ゆかりの地を行く方がいいかもね~」

 

「えっ、三大怨霊の?」

 

「崇徳院は~天狗の王って~いわれてるから~。日本にいる~1万2千ともいわれる~天狗の頂点なのよ~」

 

「そうなんですか!?知らなかった......」

 

菅原道真、平将門、崇徳天皇の怨霊は「三大怨霊」と呼ばれている。皆、悲劇の死を遂げてしまい、その後に数々の奇怪な現象が起こったことから、そのように呼ばれるようになった。

 

京都最恐の怨霊と称される崇徳院は、1119年生まれで父は鳥羽天皇なのだが、当時の上皇は崇徳院をとても気にかけており、崇徳天皇が3歳ぐらいになると、鳥羽天皇を強引に退位させ、父の譲位により5歳で即位させた。

 

鳥羽天皇は退位させられた白河上皇に対して恨みを持つようになり、また崇徳天皇のことも「叔父子(おじご)」と呼び、忌み嫌うようになった。

 

崇徳天皇が10歳の頃、白河上皇が亡くなると、父の鳥羽上皇が実権を握り始め、鳥羽上皇の子である近衛天皇を即位させた。この時、近衛天皇はわずか3歳、鳥羽上皇が受けた屈辱を崇徳天皇にも与えた。

 

鳥羽上皇は崇徳天皇に近衛天皇を養子にすることを勧める。崇徳天皇は天皇の「父」ということで、政治に関与していけるからだ。そして、崇徳天皇は近衛天皇に王位を譲った。

 

しかし、鳥羽上皇の罠があり、天皇即位の宣命には「皇太子」ではなく「皇太弟」(こうたいてい)と書かれていた。

 

つまり近衛天皇は崇徳天皇の「子」ではなく「弟」ということであり、崇徳天皇は政治を行えなくなってしまったのだ。

 

近衛天皇は病弱だったために、17歳という若さで亡くなり、近衛天皇には後継ぎがおらず、崇徳上皇はチャンスが回ってきた。崇徳上皇は、自身の子、重仁親王を即位させることを望んだが、ここでまた鳥羽上皇に邪魔され、崇徳上皇の弟でもある、29歳の後白河天皇を即位させてしまう。

 

このことがきっかけとなり、後白河天皇と崇徳上皇が争いを始め、1156年に「保元の乱」(ほうげんのらん)が起こった。

 

保元の乱の最中、鳥羽上皇が亡くなる。崇徳上皇は、最後はやはり父である鳥羽上皇を見舞いたいと訪れるが、対面を果たすことは出来なかった。鳥羽上皇は、自分の遺体を崇徳天皇に見せるなと言い残していたのだ。鳥羽上皇の恨みは相当なものだったのだ。

 

 

保元の乱は後白河天皇方が勝ち、崇徳上皇は讃岐国に流罪、崇徳上皇についた公家や武士も、軒並み実権を失うか斬首という厳しい措置がとられた。

 

その後、崇徳上皇は讃岐国で仏教を心の拠り所とし、五部大乗経(法華経・華厳経・涅槃経・大集経・大品般若経)のお経を書き写した。そして乱の犠牲者の供養と自らの反省を表すため、「私の代わりに、この写本を京の都に収めてもらえないだろうか」と後白河天皇に頼んだ。

 

しかし、後白河天皇は「呪いがかかっているのでは」という身も蓋もない言い方で写本を受け取らなかった。これには崇徳上皇も激怒し、舌を噛み切ったその血で国を呪う事を写本に書き足し、亡くなってから怨霊になったと伝えられている。

 

「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」

 

「この経を魔道に回向(えこう)す」

 

江戸時代には、物語のネタとして崇徳上皇の怨霊が使われるようになり、怨霊伝説が定着していった。

 

「たしか、有名な縁切寺ですよね。赤い髪の男の行方はあれ以来知れないですし、お願いしてみようかな」

 

「う~ふ~ふ~、その們天丸って人が~鞍馬天狗の配下なら~崇徳院が~社長か~会長ね~。効果あるかも~」

 

「あはは。でも先に決めちゃっていいんです?たしか他に3人一緒に行く子が......」

 

「心配いらないわ~だってえ~こないから~」

 

「えっ」

 

「風邪で~うふふふふ」

 

それはほんとに風邪なんだろうかと不安になったが、裏密は意味深に笑うだけでそれ以上教えてくれなかったのだった。

 

ずい、と顔を近づけられ、私は顔を強ばらせた。

 

「ミサちゃん?」

 

「うふふふふ~、まーちゃんとふたりなら、あたしの夢も実現するかも~」

 

「ゆめ、ですか」

 

「いい~?これから話すことは~、誰にも喋っちゃだめ~。ふたりのヒミツだからね~。実は~、あたしの秘文字占いによると~、この山にはあれがあるのよ~。徐福が秦の始皇帝のために探し求めた、あの不老不死の霊薬がね~。海中の神山でかの霊薬を手に入れた徐福は~、始皇帝の時代が永劫続くことを望みはしなかったの~。そして、始皇帝の目から逃れるために徐福は日本へと渡った~。そして、その霊薬が愚かな人間の手に渡らぬよう~、このあたりの山々の主であった大魔王僧正に託したって話よ~。うふふ~、これさえ手に入れば~、世界は永遠にあたしたちのものよ~」

 

「えええ......」

 

「鞍馬天狗はもともと鞍馬寺の御本尊、多聞天の夜の姿で~、魔王大僧正っていうの~。つまり~、その人に会えればいいのよね~。この大天狗は~、日本最大の大天狗で~、義経の剣技の師範だとも言われているわ~。絶大な~除魔招福の力を~持っているらしいわ~。人類救済の使命を帯びて~仏から地上に遣わされた天狗~。そうやって信仰されてるみたいね~。だから~、まーちゃんが会いたい人と縁があるなら~やっぱり~これは~運命なのよ~。うふ、うふ、うふふふふ」

 

「運命って大袈裟ですよ」

 

裏密は意味深に笑う。

 

「鞍馬天狗は金星からきたのに?」

 

「えっ」

 

裏密は嬉嬉として話し始めた。

 

鞍馬弘教立教後の寺の説明によると、鞍馬寺本殿金堂の本尊は「尊天」であるとされる。堂内には中央に毘沙門天、向かって右に千手観世音、左には護法魔王尊が安置され、これらの三身を一体として「尊天」と称している。

 

「尊天」とは「すべての生命の生かし存在させる宇宙エネルギー」であるとする。また、毘沙門天を「光」の象徴にして「太陽の精霊」・千手観世音を「愛」の象徴にして「月輪の精霊」・魔王尊を「力」の象徴にして「大地(地球)の霊王」としている。

 

鞍馬寺とは、どこにでも存在する「尊天」のパワーが特に多い場所にして、そのパワーに包まれるための道場であるとしている。「尊天」のひとり、「護法魔王尊」(サナート・クマラ)とは、650万年前、金星から地球に降り立ったもので、その体は通常の人間とは異なる元素から成り、その年齢は16歳のまま、年をとることのない永遠の存在であるという。

 

本殿金堂の毘沙門天・千手観世音・護法魔王尊はいずれも秘仏であり60年に一度丙寅の年のみ開帳されるが、秘仏厨子の前に「お前立ち」と称する代わりの像が常時安置されている。お前立ちの魔王尊像は、背中に羽根をもち、長いひげをたくわえた仙人のような姿で、鼻が高い。光背は木の葉でできている。多宝塔に安置の護法魔王尊像も同じような姿をしている。このことから「鞍馬天狗」とはもともと護法魔王尊であったと思われる。また、16歳とされているわりに歳をとった姿をしている。

 

「《アマツミカボシ》の転生体であるまーちゃんには気のせいではすまないよねー」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

鞍馬天狗2

いよいよ修学旅行当日である。

 

「うふふふふふ~、おはよう、まーちゃん。今日は~占いどおり~絶好の修学旅行日和~」

 

「おはようございます、ミサちゃん。そうですね、ほんとに綺麗な秋晴れ。班行動も支障ないですね、よかった。でもみんな災難ですよね。インフルエンザとか、入院とか」

 

「うふ、うふ、うふふふふふふふ~。ほら~、あたしの言ったとおりでしょ~、まーちゃん。みんな、これない~。だから、あたし達の邪魔をする者はいない~」

 

「あ、あはは......」

 

「今からいよいよ、あたし達の夢が動き出す~。わくわくする~」

 

東京駅から新幹線にゆられること2時間半、私達は京都駅にやってきた。班ごとにならび、先生たちの話を聞くことにする。

 

「───────それでは、ここからは班別の自由行動とします。各自が責任を持って行動してください」

 

「具体的には他人に迷惑をかけない。事故を起こさない。みっともない真似をしない。───────以上だ」

 

「それでは、各班とも夕食の時間までには宿に到着するように。では、解散」

 

私達は事前に旅のしおりに載せるために申請していたルートを辿って京都観光をすることになったのだった。

 

京都駅から烏丸線にのり、19分ほどゆられて今出川駅の南口を出る。南口にある案内看板に従って進んでいくと10分ほど歩いた先にあるのが白峯神社だ。

 

白峯神宮の社地は、蹴鞠の宗家であった公家、堂上家と飛鳥井家の屋敷の跡地である。摂社の地主社に祀られる精大明神は蹴鞠の守護神であり、現在ではサッカーのほか、球技全般およびスポーツの守護神とされ、サッカーをはじめとするスポーツ関係者の参詣も多く、社殿前にはさまざまなスポーツ選手から奉納されたボールなどが見られる。

 

「ここが白峯神社ですか......」

 

「う~ふ~ふ~、なんだか不思議なところ~」

 

白峯神社は、崇徳上皇が保元の乱に敗れて讃岐国に流され、その地で崩御した後、天変地異が相次いだことから上皇の祟りとされ、上皇が葬られた白峯陵の前に、上皇を白峯大権現として祀る御影堂が建立された。

 

幕末の動乱期、孝明天皇は異郷に祀られている崇徳上皇の霊を慰めるため、その神霊を京都に移すよう幕府に命じたが、まもなく崩御した。子の明治天皇がその遺志を継いで現在地に社殿を造営し、1868年に御影堂の神像を移して神体とし白峯宮を創建した経緯がある。

 

1873年には藤原仲麻呂の乱に巻き込まれて淡路国に配流され、その地で崩御した淳仁天皇の神霊を淡路島から迎えて合祀し、官幣中社とした。1940年に官幣大社に昇格し、神宮の号を許され白峯神宮と改称したそうだ。

 

「もっと禍々しいイメージでした。ここはなんというか、清廉な空気が流れていますね」

 

「サッカーブームで~、参拝客が増えてるからじゃないかな~?若い人が~多いから~神様も~満更じゃないんだと思う~。縁切寺や~五稜郭は~また雰囲気が~違う気がする~」

 

「金毘羅さんとかも行きたいですが、時間がないですしね......仕方ありません。今回はご報告に参りましたし」

 

「そうそう~」

 

私達はきっちりと参拝をすませる。せっかくだから色んなボールのお守りを買い、お土産を確保する。食べ物は宿にお土産コーナーがあったはずだから郵送の手続きをしなくては。

 

「あ、招き猫」

 

「招き猫のストラップがどうかしたの~?」

 

「え?あ、はい。この招き猫、玉がサッカーボールで珍しいなと思って」

 

「買うの~?なんか意外~。まーちゃん、こういうの好きなの~?」

 

「翡翠が好きなんですよ、招き猫。商売繁盛だから」

 

「あ~、なるほど~」

 

「修学旅行のお土産これにしよう。すいません、これください」

 

アルバイトと思われる巫女さんに会計してもらい、いよいよ本命の鞍馬寺である。

 

また烏丸線にのり、国際会館でおりる。次は30分近く待ち時間を経て、バスで30分ほどゆられてから上在地で降りて、8分ほど歩いたらようやく鞍馬寺である。

 

 

 

「鞍馬」という地名の由来には、諸説ある。一説によると、この地は鬱蒼としていて昼間でも暗い場所だったので、「暗く」、「魔」が住んでいる場所ということで「暗魔」と呼ばれていたそうだ。

 

その後、鞍馬寺の創建に関わった「藤原伊勢人」の夢の中に貴船の神が現れ、「北の方に霊地がある」という夢告を受け、藤原伊勢人は鞍を置いた白馬に導かれてこの地を探し当てることができた。そこから「暗魔」⇒「鞍馬」となった、という説がある。

 

また、別の説によると「クラ」はかつて谷や山中に露出した岩盤を意味していて、こういうところには神が出現する場所とみなされていた。つまり神の座くら。そして「マ」は場所や空間を意味する。そこから「クラマ」は「神のいるところ」ということになる。

 

「鞍馬」の由来は他にも多くの説あって、何が本当なのかはわからないが、鞍馬は平安京の真北に位置することもあり、都人にとって特別な場所だったのは間違いない。

 

牛若丸こと源義経は、7歳ごろからここに預けられ、武術の修行をしたといわれている。普通は寺に預けられると「信仰」の道を歩むことが多いが、義経の場合は武芸の道を歩んだ。その時代は僧兵という、武力を持った僧の集団も力を持っていた時代。鞍馬山も武の側面を持っていたわけだ。

 

平治の乱で父・義朝が破れ、兄・頼朝は伊豆へ流されるのだが、母・常盤御前はそういう中で義経を鞍馬に預けた。あえてこういう場所を選んだということは、いつの日か、源氏の再興を願ったのかもしれない。

 

そして、義経と武芸の稽古をしたといわれているのが、山の精霊、天狗だ。

鞍馬山ではところどころに義経や天狗にまつわる場所があって、その史跡巡りをするのも面白い。

 

鞍馬寺の入り口の仁王門にたどり着いた。ここで愛山費300円を支払って中に入る。入ってすぐのところにある普明殿はケーブルカー乗り場になっているが、今回は九十九つづら折りの参道から歩いて本堂へ向かう。

 

普明殿少し歩いたところに鬼一法眼社が見えてきた。

 

「鬼」という名前が入っているのもありますが、「法眼」というのも何か特殊な能力がありそうな名前だ。鬼一法眼は京都一条戻橋の近くに住んでいたとされる陰陽師。文武に優れる兵法家で、中国から伝来した兵法書「六韜三略りくとうさんりゃく」を秘蔵していた。それを牛若丸に授けたという。

 

六韜三略と言ってもピンと来ないかもしれないが、虎の巻という言葉は誰もが知っているだろう。実は、六韜三略に由来する。六韜三略の虎の巻は、兵法の極意が書かれている章だった。

 

武田信玄が鞍馬寺に「虎の巻」を見せてくれるよう求めたのは有名な話だ。信玄は兵法の極意が知りたかったというわけである。

 

一般に、牛若丸に兵法を授けたのは天狗だとされているが、実は陰陽師経由で鞍馬に持ち込まれ、牛若丸と天狗の伝説につながったのかもしれない。

 

奥にある赤い建物が鬼一法眼社の社殿だ。

 

 

鬼一法眼社の横には「魔王の瀧」というものがあって、ちょっとした瀧の上に魔王が祀られている。

 

鬼一法眼社の鳥居は、先に紹介した鳥居の写真を見るとわかるのだが、本殿のある方向ではなく、なぜか魔王の瀧の方に向いている。理由はわからない。

 

鞍馬寺本殿の地下は誰でも行けるのですが、御覧の通り真っ暗で不気味な雰囲気で行く人は少ないみたいだ。宝殿の一番奥には、鞍馬寺で信仰されている三尊尊天がいらっしゃって、壁には骨壺のようなものがずらっと並べられていた。

 

鞍馬山の教えというのは、人を含めてこの世の存在するあらゆるものは全て、宇宙エネルギー・宇宙生命の現れであって、私たちは宇宙生命によって生かされているということが前提にある。

 

ここで「宇宙生命」を鞍馬寺の本尊である「尊天」に置き換えると、わかりやすい。

 

つまり、私たちは生かされていることに感謝して、全ての生命を大切にし、自分達の生命を宇宙生命の高さにまで進化向上させるために力強く生きていこう!というのが鞍馬の教えだ。

 

 

本殿金堂に安置されているご本尊の前に置かれている御前立。普段はこちらがご本尊代わりとなっている。ご本尊は「護法魔王尊」、「毘沙門天」、「千手観音菩薩」が三身一体となったもので、「尊天」と呼ばれている。

 

境内で配布されていたリーフレットによると、尊天とは、この世に存在するすべてを生み出す宇宙生命、宇宙エネルギーで、その働きは慈愛と光明と活力となって現れる。

 

護法魔王尊:活力(大地の霊王)

毘沙門天王:光明(太陽の精霊)

千寿観世音菩薩:慈愛(月の精霊)

 

宇宙エネルギーの中でもパワーの強い、大地、太陽、月が信仰の対象というわけだ。このようなエネルギー体を信仰しているからこそ、鞍馬寺には大きなエネルギーが流れて、パワースポットになっているのかもしれない。

 

「毘沙門天」は四天王の一人で、東西南北四つの方角のうち、北方を守護する武神だ。四天王の一人として祀られるときは「多聞天」と呼ばれるが、一人だけで祀られる時は「毘沙門天」と呼ばれる。左手には仏舎利を納めた宝塔、右手には先が三つに分かれた三叉戟さんさげきという武器(または宝棒)を持つのが多い。境内にも毘沙門天の眷属である「虎」がいる。

 

こういう門前には獅子と狛犬が置かれていることがよくあるが、鞍馬寺では阿吽の「虎」が睨みを利かせている。

 

この魔王尊は650万年前、人類救済の使命を帯びて金星から鞍馬山に降り立ったといわれている。鞍馬山はそれ以来、護法魔王尊が波動を発する場所となったそうだ。魔王尊は16歳から年をとることがない永遠の命を持っている。といっても、本殿金堂に祀られている御前立像は、ひげを生やして鼻が高く、羽根が生えているという翁姿。

決して若々しいとは言えないが、魔王尊は姿形を自由自在に変えられるのだそうだ。魔王尊は、天狗の総帥なんです。

 

なんでもここは、大地のエネルギーと天のエネルギーが融合して、新しいエネルギーが生まれる場所なのだとか。

 

護法魔王尊の力が満ちているのはここだけではない。本殿金堂からさらに歩いて30分ほどの場所に、奥の院魔王殿がある。

 

本殿金堂までは毘沙門天信仰の形が前面に出ていましたが、ここから先は魔王尊の信仰、夜の信仰へと色が変わっていく。

 

今でも深夜になると魔王殿には行者が集まって、祈りを捧げたり、行を積んでいるのだそうだ。魔王尊は、昼は大地の底にいて、夜になると姿を現すのだとか。だから夜は山に霊気が満ち溢れるのだそうだ。夜の山ですから真っ暗闇で山道を歩くことになると思うのですが、なかなか興味深い話である。

 

 

本殿金堂の裏手にある門をくぐるとこの道があるのですが、くぐると空気がガラッと変わって、霊気を感じる。魔王殿へ向かおうとするものにパワーを発しているようだ。警告だろうか。

 

ここから魔王殿へ向かう道には、源義経の史跡が多く点在している。

 

まずは、入り口から2~3分歩いて、霊宝殿を過ぎたところにある「義経公息つぎの水」。

 

立札によると、義経公が毎夜、奥の院のある僧正が谷に剣術の修行に通ったとき、この清水を汲んで喉を潤したそうだ。義経は昼間は由紀神社近くにあった東光坊で学問を修めていた。夜になると天狗の住処とされる僧正が谷に行き、剣術の修行をしていた。平家打倒の思いを心に秘めて、毎晩ここから湧き出る水を飲んでいたのだろうか。

 

800年以上経った今も水は湧き出ているが、今も飲めるかどうかはわからない。

 

さらに進むと、「義経公背比べ石」がある。この地で修行をして十年余り、16歳になった牛若丸は、奥州平泉へ行くことになる。その時にこの石で背丈を比べ、自分の成長を感慨深く胸に刻んだ。石の大きさは120~130cmほど。ここを訪れた当初はちょうどこれくらいの背丈だったのだろう。

 

背比べ石あたりで山のピークに達し、ここから「僧正ケ谷」に入っていく。その下り道の手前にあるのが「木の根道」という、木の根っこが地表を這う不思議な空間が広がる。

 

場所によっては根が浮いている。なぜこんなに浮いているのかというと、このあたり一帯の砂岩が、マグマの貫入で硬化しており、表土が浅く、木の根が深く入れないのだそうだ。それでも生きている木の生命力はすごい。木の根の道をまっすぐ行くと、大杉権現社がある。

 

人の少ない場所ですが、ここは護法魔王尊のエネルギーが高い場所なのだそうだ。ここには、樹齢約1000年の護法魔王尊影向の杉が祀られていたのですが、裏に回って見てみると、木の中ほどから倒壊していた。昭和25年の台風で倒れたみたいだ。

 

この周りにはベンチがたくさん置かれている。

 

この場所は大杉苑瞑想道場とも呼ばれていて、瞑想をしに来る人も多いようだ。倒壊した後もなお、パワーを発しているということだろう。

 

木の根道を過ぎると下り坂で、下ると不動堂に到着する。ここに祀られている不動明王が祀られている。この仏像は、伝教大師 最澄が天台宗を開く前に、その志を遂げるために一刀三礼で刻んだといわれている。つまり、仏像を彫る木にノミを一回入れる毎に三回礼拝する、というとてつもなく時間がかかりそうな彫り方だ。

 

また、この場所は牛若丸が天狗と修行をし、兵法を授かった場所とされている。あたりを見渡すと背の高い杉の木だらけだ。天狗といえば、杉の木を飛び移る様子を思い浮かべるが、まさにそのイメージにぴったりな場所だった。不動堂のすぐそばには、義経が眠る義経堂がある。

 

義経は奥州で非業の死を遂げたが、その魂は鞍馬に戻ってきているという。僧正ケ谷をさらに下ると、ついに奥の院魔王殿に到着だ。

 

見てわかるように、奇岩がゴロゴロと転がっていて、魔王殿はそんな岩の上に建てられている。魔王はここに降り立った、といわれている。しかし実は、魔王信仰について書かれた古文書は一切ないそうだ。こういう奇岩の上に建てられているのを見ると、古代の磐座信仰につながるものがあるのかもしれない。

 

「魔王」という言葉の響きは物々しいが実際に来てみると怖い場所ではない。そもそも魔王は、地球を守るために降りてきたのだから、良い精霊に違いない。その証拠にここはたしかに霊地だった。

 

「うふふふふふふ」

 

裏密がさっきからテンションが高い。

 

「さすがは霊山と名高い鞍馬寺~。大天狗が居城を構えるだけはあるわ~。絶対に霊薬見つけ出してやるんだから~」

 

私は苦笑いしながら、裏密に参拝を先にしようとうながした。そもそも私は4月から10月までの《鬼道衆》との戦い、これからの柳生との戦いについているかもしれない們天丸に報告しにきたのだ。九角家を始めとしたかつての仲間の末裔たちは悲劇から守り抜いたから安心してくれと。あと半年間の戦いを頑張るから見守ってくれと。

 

ふらふらどこかに行きそうな裏密を捕まえながらとりあえず私は賽銭を弾んだ。ご利益はわりと期待している。

 

長い長い参拝をおえて目を開ける。ざあっと風が吹き抜けた。あたりを見渡してみるが誰もいなかった。

 

「あ~!!」

 

「ど、どうしました、ミサちゃん!?」

 

私があわてて振り返るとなにやら古い紙切れをみて驚いている裏密がいた。メガネをあわててかけ、まじまじとみている。

 

「うふ」

 

「ミサちゃん?」

 

「うふふふふ」

 

「あの、大丈夫ですか?」

 

「うふふふふふふふふふふふふ」

 

「み、ミサちゃん......?」

 

「やっぱり~あたしの読みは~あたってたみたい~」

 

「へ?」

 

「赤い髪の男のこと~、們天丸って天狗も~、気になってるみたいよ~」

 

「それってどういう?」

 

「実物は~くれなかったけど~霊薬の~作り方~教えてくれたみたい~」

 

「!?」

 

「うふふ~、まーちゃんは~なにがほしいっていったの~?」

 

「えっ......まさか、聞いてたんですか!?私、願掛けのつもりだったんですけど。昔の仲間の末裔は守り抜いたから安心してくれっていう報告と、最後まで戦いを見守ってくれって......」

 

「うふ、うふふ、うふふふふふふふふふふふふふ」

 

「ミサちゃん?」

 

「あたし、し~らな~い」

 

「ミサちゃん?!ちょっと待ってくださいよ、なんなんですか!?えっ!?」

 

「さ~、帰ろ~。集合時間までに宿に帰らないと~犬神先生に怒られちゃう~」

 

「気になることいい残しておいてかないでくださいよッ!ミサちゃーん!!」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

鞍馬天狗3

「えー...... 昼間にも話したと思うが、修学旅行中はお前たちが真神学園の看板だ。だから他人に迷惑をかけない。事故を起こさない。みっともない真似をしない。この3つは必ず守るように。毎年のことだが、不埒な真似をするやつが後を絶たないので、今年も先生たちが見回りをする。間違っても覗きなんて考えるなよ。以上だ」

 

犬神先生が殺気立っている。どうやら毎年真神学園の生徒たちは異性の入浴シーンを覗こうとするらしい。今年は蓬莱寺と緋勇が女湯を覗こうとしているところに遭遇するのだろう。ゲームだと再チャレンジすれば成功するはずだがどうだろうか。余計な手間をかけさせるなと言外に圧力をかけている犬神先生が、そのまま合掌の合図をする。

 

待ちに待った夕食の時間だ。夕食は田舎料理を今風にアレンジしたもので、なかなかおいしかった。特に小鉢ででてきた鯖の味噌煮はメニューになかったのかお膳からはみ出している。

 

「これって追加メニューですか?」

 

「ええ、そうやで。あちらの先生が是非と」

 

おばちゃんが促す先には犬神先生がいる。

 

「みなさん、可愛らしい方が多いもんで、天狗攫いを警戒しているんだと思いますわ。このあたりは、昔から天狗攫いが多かったんやで」

 

「天狗攫い......」

 

おばちゃんは教えてくれた。

 

天狗攫いは、神隠しの内、天狗が原因で子供が行方不明となる事象をいう。江戸時代において、子供が消息を絶つ原因は天狗とされていた。天狗が子供をさらい、数ヶ月から数年の後に元の家へ帰しておくのである。

 

天狗攫いから戻って来た子供は、天狗と一緒に空を飛んで日本各地の名所を見物させてもらった、などと話す。到底信じがたいことではあるが、当時としては実際にその場所へ行かなければわからないようなことをその子供が喋ったりするので、その子の言い分を信じるよりほかないということになる。また、天狗から様々な知識や術を教わったとする子供もいたという。

 

また長野県などでは、天狗にさらわれるという噂のある場所では「鯖食った、鯖食った」と唱えるとその難を逃れるといわれた。これは天狗が鯖を嫌いなためであるらしい。ほかの地方でも誰かが山で行方不明になった際、鯖食ったと呼ぶと戻ってきたという話がある。

 

「あ、だから鯖の味噌煮なんですか?」

 

「ここらへんにそういう風習はないんやけど、言われたらなるほどなあってなるわ。鞍馬山のモンモンさん参拝する生徒さんもいらっしゃるゆうし。東京の先生でここまで詳しい先生もなかなかおらんで。みなさん幸せやねえ」

 

「犬神先生、もしかして、自腹......?」

 

「ここだけの話、実はそやねんで」

 

お金のマークを描きながらおばちゃんが笑った。

 

「モンモンさんは昔から男の子の方が危ないからなあ」

 

「そうなんですか?」

 

「神隠しに遭って帰ってきた少年や男たちは「天狗の情朗」と呼ばれとったんよ。情朗は「陰間」、今でいう神隠しの犠牲者はそーいう可哀想な目にあった犠牲者なわけやね。天狗攫いは悪質な修験者さんや「山の民」がそーいうことのために美少年を拉致していたって話もあるから。食べとき、食べとき。今の時期は観光シーズンで色んな人が京都におるから、気をつけるにこしたことはあらへんよ」

 

「わかりました。ありがとうございます」

 

私は犬神先生の配慮をしっかり堪能することにしたのだった。

 

「おい、時須佐。少しいいか」

 

「はい?」

 

「お前らの班は、たしか鞍馬寺にいったそうだな。なにか変なことしてないだろうな?」

 

「え、なにかあるんですか?私、們天丸さんに今までのこと報告しただけなんですけど」

 

「......なるほどな」

 

「はい?」

 

「見守ってくれとかいったんだろう」

 

「!」

 

「あの馬鹿が考えそうなことだな」

 

「まさか、物理的に......?」

 

「まあ、こちらでなんとかするから気にするな。くれぐれも不用意にものを受け取るなよ。どんな曲解するかわかったものじゃないからな」

 

やれやれ、といった様子で犬神先生はさっていく。なんてこった、女湯を覗こうとするやつが増えただと......!?吉原に通いつめてた大天狗様がなんで女子高生の女湯覗くんだよ、150年のうちに趣味がかわったのか?それとも女ならなんでもいいのか?見境ないな、們天丸!?

 

たしかに們天丸は鞍馬天狗に攫われて天狗になったから、善悪の両面を持つ妖怪もしくは神のような存在だろう。本来なら優れた力を持った仏僧、修験者などが死後大天狗になるといわれる。そのため他の天狗に比べ強大な力を持つと。だが、們天丸は直々に鞍馬天狗に教えを乞うているのだ、義経くらいの実力があってもおかしくはない。

 

「金色の鳶に報告したから~、普通は~そんな真似しないと~思うんだけどね~」

 

「あ、ミサちゃん。なら、ほかに理由が?」

 

「あたしたち~、鯖の味噌煮食べちゃったから~近づけないんじゃない~?天狗って~鯖が大っ嫌いだっていうし~。犬神先生に感謝だわ~」

 

「あ、あはは......」

 

「中世以降~天狗は~天狗道に堕ちているから~不老不死だし

~仙人の如く様々な業を発揮するし~仏教に障害を試み~ものによっては国家を揺るがす~大妖怪だもの~。天狗の好きな物は~火事~辻風~小諍い~口げんかの後の組打~祭りの縄張り争い~当時のデモ~宗論のすえの殴り合いの喧嘩~。ろくなもんじゃないもの~」

 

「ミサちゃん、もしかして鞍馬寺に行く前に白峯神宮に行こうっていったのは」

 

「うふふふふふふふふふふふ」

 

「あはは......ありがとうございます?」

 

 

 

 

 

 

 

「まーちゃん、ちょっといいか?」

 

「はい?どうされましたか、龍君」

 

「実は、ここにくる途中でこの宿の近くに住んでるおばあさんに会ったんだ。この山、地主さんの許可なく不正な業者が勝手に不法投棄したり、開発したりして困ってるらしい。どうもヤクザが絡んでるらしくてさ、ちょっと俺たちで脅かしてやろうと思うんだ。夜中に抜け出すから、見回りの先生たちに口裏合わせしないといけないからよろしく」

 

「なるほど......わかりました。どんなふうに?」

 

私は美里たちも考えたのであろうアリバイ工作の方法を聞いたのだった。まあ、ヴィンパイアの始祖と人狼相手にはバレバレだとは思うが先生達もちゃんと偽装工作すれば見て見ぬふりをしてくれるに違いない。

 

「それと、モンちゃんから伝言。丑三つ時になったら中庭に来てくれってさ」

 

「モンちゃ......えっ、們天丸さんにあったんですか!?」

 

「しっ、声が大きい」

 

「あ、ごめんなさい......。ええと、いつあったんですか?」

 

「それはいえないなあ、男の約束だから」

 

「ああ、なるほど......だいたいわかりました。女湯の見張りをしてる犬神先生から天狗の隠れ蓑で助けてもらったんですね。男の友情育むにはうってつけでしょう」

 

「......もしかして、まーちゃん、《如来眼》で見てた?」

 

「さあ、どうでしょう」

 

「叶わないなあ......」

 

「まあ、犬神先生から会うなと言われているのに、これから会うわけですから私も共犯ですしね。黙っておいてあげますよ」

 

「さっすがまーちゃん話がはやい。ありがとうな。お礼はちゃんとするから」

 

「あはは、期待してます。上手くやってくださいね」

 

「りょーかい」

 

どうやら們天丸は緋勇龍斗の末裔である緋勇たちと会いたかったのもあるようだ。かなり仲良くなったのがうかがえる。丑三つ時に中庭、これだけたてば鯖の味噌煮の匂いも消えるというやつだろうか、待たせているなら悪いことしちゃったなあ。売店でなにか買っておいた方がいいだろうか。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

鞍馬天狗4 完

怪談話には、「草木も眠る丑三つ時」という言葉からはじまるものがある。今でいう真夜中の2時~2時半のことを意味する言葉だが、「丑三つ時」に幽霊が出るといわれているのは、陰陽五行説が由来といわれている。

 

陰陽五行説は、自然界のあらゆるものを「陰」と「陽」に分けたもので、さらに「自然界は木、火、土、金、水の5つの要素から成っている」という五行思想の考え方が結びついたものだ。

 

陰陽五行説では、鬼が出入りする方角は北東とされ「鬼門(きもん)」と呼ばれている。北東は「丑(陰)」と「寅(陽)」の境目にあたり、時間でいうと3時ちょうど。そのため、3時頃は鬼門が開いて死後の世界と通じたり、鬼や死者などが現れる時間とされ、不吉なことや良くないことが起きたりすると考えられている。

 

3時をまたぐ丑の刻と寅の刻全体(1時~5時)が良くないといわれており、陰陽五行説で「陰」である丑の刻は特に良くない時間帯といわれている、

 

さらに江戸時代には「丑三つ時」を語呂合わせで「丑満つ時」という字に当て、言葉遊びをしていたそうだ。

 

「丑満つ時」は「丑の方角(鬼門)の力が満ちてくる」という意味になり、鬼門の力が満ちて鬼や死者などが活発に動き回ると考えたのではないかといわれている。

 

それと合わせて、「丑三つ時」は深夜で、草や木なども寝静まるほど静かだったため、不吉で不気味なイメージが重なり、「幽霊が出る」と連想したのではないではないかといわれている。

 

そんな時間に人を呼び付けておいて、すでに夜中の3時になるのはどういうことなのだろうか。眠い目をこすりこすり待っていた私はぼんやり考えた。

 

「お~い」

 

いきなり聞いた事のない男の声がして、私は辺りを見渡した。中庭の木々がざわめいている。風がでてきたようだ。

 

「こっちや、こっち。あんさんの頭の上や」

 

声のした方向を見上げると、そこには眼帯をした男が太い木の枝に腰掛けていた。

 

「もしかして、們天丸さんですか?」

 

「せやせや、正解。大正解」

 

們天丸は木から音もなく降りてくる。高い下駄を履いているため、ただでさえある身長差がさらに明確になる。京都の舞子の帯のようにだらりと結んだ、赤い反幅帯がよく似合うイケメンである。ちゃらちゃらした、浮ついた軽薄さだけが目立つ遊び人のような風体はあいかわらずのようだ。

 

「いやあ、丑三つ時やいうたのにごめんなあ。やっとあえたで、よかったよかった。わいが們天丸やで、よろしゅうな」

 

「はじめまして、們天丸さん。私は時須佐槙乃といいます」

 

「んん?時須佐?」

 

「はい、時須佐百合は私の御先祖にあたります」

 

「あ~、いわれてみればそんな気も......気も?うう~ん、たしかにあの人も《如来眼》やったけど、うーん......なんか違わん?なんか《氣》が違う気がするで」

 

「すごい、そんなことまでわかるんですね。私、本名は天野愛というんです。18年前に《如来眼》の《宿星》を継承するはずの女の子が柳生側に殺されたせいで、跡継ぎがいなかったので、時須佐家に請われてこの世界に召喚された《アマツミカボシ》の《和魂》の転生体なんですよ。こちらの世界では、柳生側が作ったホムンクルスに憑依しているので、時須佐槙乃は便宜上の名前なんです」

 

「あ~、なるほどなるほど。平行世界の人間ってことやな、ようするに。そーいうことかいな。若いのに大変やなあ。ホムンクルスってことはわいや犬神先生と一緒で歳とらんやん。人間やのに大丈夫かいな」

 

「大丈夫じゃないんですけど、この世界は体に魂や精神が最適化されるので慣れました。柳生との戦いさえ終われば帰る予定なのでもうひと頑張りです」

 

「おー、すごいやる気やな。なるほど、だから150年前の繋がりを復活させようと頑張っとるわけやな、えらいえらい」

 

們天丸に頭を撫でられた。

 

「ところで時須佐家の跡継ぎおらん問題はどうする気なん?それ解決せんと帰れんのとちゃうん?」

 

「それは言わないお約束ですよ、們天丸さん」

 

「え~、それは大事やろ」

 

「私、《菩薩眼》の源流である《アマツミカボシ》の転生体なので、この世界にいるかぎり、子供が産まれたら《加護》が失われるんですよ。まだやる事あるのに死ねないです。《天御子》に命狙われてるのに」

 

「うっげえ、マジかいな。あの《天御子》の?なにしたんよ」

 

「《アマツミカボシ》は元《天御子》だったんですが、政争に破れて宗派の違いで抹殺されたパターンなんです。《荒御魂》が茨木の日立市に封じられていて、残りの《和魂》が私の世界に転移したんですよ」

 

「おーおーおー、まあたケッタイな家系やな、天野はん。お疲れさん」

 

頭をぐちゃぐちゃにされる。私を子供かなにかと間違えているんだろうか。

 

「え?だってわいからしたら、天野はんは赤子と一緒やで?」

 

「ナチュラルに心読まないでください」

 

「あっはっは、いい子はもう寝る時間やで。まあ、わいが悪い子になるよう唆したんやけどな。そーいや、龍麻はん達はみんな今頃部屋戻っとる思うで。まあ、犬神はんあたりにはバレバレやろけどな」

 

「えっ、それってまさか龍君たちをわざわざ部屋まで!?ありがとうございます」

 

「えーねん、えーねん。あのばあちゃんはいっつもわいらにお供えしてくれとるから、そろそろ動かなあかんて若い衆に発破かけとるとこやったんや。わいらがせなあかんことをやってもろて、天狗の仕業てしてくれたら申し訳たたんやろ?それくらいさせてや」

 

「そうですか......ならよかったです」

 

「せやせや。天野はんが教えてくれたおかげで龍麻はんたちに会いにこれたしな、感謝しとんやで。あんさんらにはえーもん見せてもろたしな、えらい懐かしいもんみせてもろたわ。《方陣》とか《力》とか《技》とかな。やっぱ人間はすごいな150年もあればあそこまで洗練したもんに出来るんや」

 

「あはは、えーもんはそれだけじゃないですよね?」

 

「当たり前やろ、なにいっとんねん。山があるから登るように、男は女湯があったら覗くもんやで。京一はんも龍麻はんもええ趣味しとるわ。酒飲める歳になったら語り明かしたいとこやで」

 

「そんなんだから犬神先生に警戒されるのでは?」

 

「ほんまになァ~、懐かしい《氣》につられて来てみれば、あの犬神はんが先生しとるやん。びっくりしすぎて木から落ちかけたわ。なにがあったん?あんだけ人間嫌いやったのに」

 

「私もよくは知らないんですけど、戦時中に時須佐家の《如来眼》の《宿星》の女性と恋仲になったとかならないとか。学園を守るよう言われて、今は守り人をしてるらしいですよ」

 

「あ~......あの地下のな。噂には聞いとるで。なんか柳生が軍の連中操って《龍脈》やら《黄龍の器》やら好き勝手実験しとったらしいやん。なるほどなあ、あの犬神はんがねえ。150年もあったら変わるもんかあ、やっぱ恋は偉大やな」

 

「ですね」

 

「ああ、なるほど。だからウチの学園の生徒に手を出すなってあんだけ殺気立つ訳やな。大切な人が遺した学園の生徒やからか~、なんやねん。ならそれくらい教えてくれてもいいやんか。なあ?」

 

「あはは......触られたくない領域ってやつじゃないでしょうか。私もさすがに直接は聞けないですよ。今の犬神先生はそれとなく私達をフォローしてくれてますし、見守っていてくれていますから、それで十分です」

 

「大人やなあ、天野はんは。《アマツミカボシ》やからかよーしっとんやね。しかし、あれやな。うっかり犬神はんに惚れたら悲劇なわけやな......」

 

「ああ、はい、何人かすでに......」

 

「やっぱりかーいッ!そんな気はしとったんや。女をなかしとる顔しとったもん!あーいう男はやけにモテるんが世の常や。不条理やなあ、世の中はハッピーエンドが1番やいうに。まあ、事情はわかったで。でもなあ、だからって鯖の味噌煮はないやろ、鯖の味噌煮はッ!おかげでこんな時間になってもたやないか!」

 

「あはは......ほんとに鯖嫌いなんですね」

 

「あかんねん、ほんま鯖だけはあかんねん。今は冷凍技術が発達しておいしいもん食べられるけど、昔はほんま鯖腐るの早かったしな。嫌な思い出は払拭できんねん」

 

「そんなにですか」

 

「そーなんや。もし、天狗にちょっかいかけられたら、鯖くったいうたら1発やで」

 

「あはは」

 

「あはは。あの、そろそろ本題に入りませんか們天丸さん。雑談も楽しいですが埒が明かないし。お話ってなんでしょうか」

 

「あー、わいとしたことがうっかり忘れとった。ごめんごめん。実はな~、崇徳院が直々に話聞いてこいいうねん。天野はんらの戦い」

 

「崇徳院が?」

 

「せや。こうやってわざわざ報告にきてくれたん、天野はんが初めてでな?150年前にわいが首突っ込んで以来やから興味わいたみたいやで」

 

「そうなんですか」

 

天狗の通力を持つ隻眼の遊び人はそういって笑った。天狗たちの頭だが脳天気な性格で女好きなところはあいかわらずらしい。

 

「というわけでや、詳しい話聞かせてくれんかな。4月から10月はなかなか長話になるやろし、同じ時間にどうやろか」

 

「私は構いませんけど、この宿には2泊3日しかいませんよ?」

 

「かまへんかまへん、何日かかっても。わいもついてくから」

 

「えっ」

 

「さすがに京都から東京は遠いさけな、仮宿どっかに探すから、時須佐家の中庭でまた会おな」

 

「いいんですか?們天丸さん、この山の大将なんですよね?持ち場離れても大丈夫なんですか?」

 

「大丈夫じゃないんやな~、これが。ほんまは若い衆が心配なんやけどさあ~......、ぶっちゃけ崇徳院直々のご依頼なわけやんか。辞退する度胸あるもんはこの国にはおらんと思わん?鞍馬の大将もおういってこいの即答やったで。ま、わいみたいにそこそこ偉なった天狗なんかこんなもんやわ」

 

どこか悲哀にみちているのはきのせいではないはずだ。

 

「お疲れ様です......」

 

「いや、ええねん。どのみち鞍馬寺だけでも報告はかならず崇徳院にあがるさけな......早いか遅いかの違いやもん。天野はんに会うのは必須事項やさけな、気にセンといて」

 

ウインクした們天丸は笑った。

 

「とりあえず今夜はこの辺で失礼するわ。そうそう、天野はん手だし?」

 

「はい?」

 

「これあげるわ。お守りにどーぞ。龍麻はんが心配しとったで、けったいなお守りは相性悪うて使えんて。これは大丈夫なはずや」

 

「あ、ありがとうございます」

 

們天丸は笑って私に握らせた。気づいたら誰もいなかった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

胎動1

11月のこの時期はどのお寺も七五三にの家族づれで賑わっていた。あの時とは違い、大自然の霊地としてあるべき姿に戻っていた。等々力の最も大きな魅力は、等々力渓谷をはじめとする大自然と共に在ることだ。四季の変化、多種多様な生き物の姿や鳴き声、都内にいるとは思えない安らぎと静かな時間を私たちに与えてくれる。等々力駅の改札を出て徒歩1-2分、等々力渓谷への入り口が姿をみせる。地上より気温が低く、木々の匂いと川のせせらぎでとてもリラックスができる地域の憩いの場となっている。綺麗な空気の中で深呼吸をしてみれば、きっと忙しい日常を見つめ直すことができるだろう。

 

 

現在の山門は、昔の満願寺山門を移築したもので、そこにはかつての満願寺の空気が流れている。等々力渓谷を擁しせせらぎのある境内には、四季折々に花が咲き、鳥が訪れ、春の桜や秋の紅葉の美しさは格別だ。自然の変化を楽しみながら、日本の伝統や文化に触れることができる。

 

玉川地域の縁の要として人々と共に、支え・支えられて1,200年もの年月を歩んできたこの場所は、時代の変化とともに改装や改築を重ね今の姿となったが、開創当初と想いは変わらないのだろう。それは、役小角の教えを広く大衆に広めることで、より豊かな人生を切り拓いてもらいたいという想いだ。

 

一日また一日と歴史を刻み、人々と共に歩んでいく寺院として、100年後、1,000年後も皆様の心の拠り所になることは間違いない。

 

 

満願寺の山号は「致航山」、院号は「感應院」、寺号は「満願寺」。本尊は金剛界大日如来、宗派は真言宗智山派で、開創は平安時代末。中興は室町時代で、吉良氏の居城であった兎々呂(ととろ)城の一角(現在地)に祈願寺として移築された。常法談林三衣(じょほうだんりんさんね)の格式の寺で、学問所・教育機関・本山としての機能を有していたという。

 

これが九角家の表向きの顔であり、九角天戒が《鬼道衆》を組織しながら徳川幕府を欺くために潜伏し、末裔たちにとっては本業となりつつあった姿なのだという。

 

《鬼道》で人心掌握をして不法占拠でもしているのではないかと密かに思っていた私は驚いたが、その反応を見た天童は呆れたような顔をしている。

 

「江戸時代と違って明治時代からは、俺たちみたいな居ないものとされていた民はこうでもしねェと生き残れなかったんだよ。戸籍とか徹底的に把握されてるからな。姿を隠すにしても制度は有効に活用しねぇとならねェ。めんどくせぇ世の中だ」

 

「そのわりにワダツミ興産とか行政にがっつり関わってましたよね。あなたたちは本当に強敵でしたよ」

 

「あたりまえだろ、緋勇とも父親とも祖父とも3世代に渡って戦い抜いたじいさんが築き上げたもんだからな。お前んとこのルポライターのせいで倒産しちまったからえらいことになってるようだな。まあ、負けた身だからどうこうはいわねえが、こっちで色々斡旋してるから心配するな」

 

「すっかり九角家当主の顔ですね、九角君」

 

「お世辞にもならねェよ。実際は分家の連中や昔世話になってた人らに頭下げて、なんとか寺の運営とか九角家の立て直しに奔走してるとこだからな。こないだまで顔すら知らなかったガキを若旦那やら大将やら御館様やらいいやがる。どうも九角家当主は、本来分家筋から《陽の鬼道》も習わなきゃならなかったらしいが、じいさんの代から途絶えてたってんであちらのジジイ共の期待が重圧ハンパねぇ」

 

ほんとに大変なようでため息は深い。私より先に出されたお茶を一気に飲んでしまった。

 

「そんなに忙しいのに大丈夫なんですか?もっと落ち着いてからでもよかったのに」

 

私は九角天童に呼ばれて、等々力不動近くの柳生流の道場改めて龍泉寺の道場となっている九角本家の客間に招かれていた。

 

「かまやしねぇよ。お前には引き取って欲しいもんがあるんだ」

 

「引き取って?」

 

「こないだからウチの渓谷に天狗がはいりこんでやがる」

 

私は思わず咳き込んだ。

 

「おかげでこっちはいい迷惑してんだ。東京に呼ぶならそっちで面倒みやがれ」

 

「も、們天丸さん、仮宿探すっていってたけどまさか等々力渓谷に......?」

 

「そのまさかだ。150年前の縁だなんだうるせえが知るかよそんなの。だいたい天戒が村を解散してから鞍馬にいったきり連絡もよこさなかったやつ養えるほど九角は今余裕ねえんだが?なのに分家共は役小角様の繋がりだなんだ喜んでるしよ......。そこまで世話かける訳にはいかねえってのに」

 

天童曰く、役行者は、日本の修験道の始祖にして、等々力渓谷に霊地を築いた九角家にとって大切な人間らしい。役行者の行跡については早く『日本書紀』に記載され、続いて『日本霊異記』『今昔物語』と彼の山嶽修行の厳しさと、無双の神通者であることが記載されている。

 

呪験を得てからの行者はほとんど山を住処として、木の実を食し、木の葉を行衣とし諸山を巡り、葛城山では山神一言主命を使役し、河内生駒山では二鬼を折伏し、大峯山中では前鬼・後鬼を従え、雲に乗る。水をくぐるは元より、その通力は止まるところを知らなかったという。

 

行者の神異と数々の呪験は国史の上でも認めるところで「神変大菩薩」の諡号が贈られており、また吉野熊野を結ぶ山伏の峯入道を開いた業績が、多くの末流を生み、彼の奇跡と伝説をより荘厳なものとしている。

 

そのような華々しい業績を残している行者だが、彼は大天狗の一狗としても数えられている。「石鎚山法起坊」がその狗名である。役行者の大天狗とあってはいかなる妖怪・魔怪の類も服せざるを得ないだろうとして、天狗の中でも別格とされている。

 

このように、大天狗となる者の中には、その前世に優れた業績や霊力や呪力を持つとされていた人物が少なくない。

 

そしてそうした事実が、人々の心にあった天狗の格を上げていき、ものによっては神仙、仏菩薩と同等の扱いをうけ、害を成す天狗にいたっては大魔王として扱われるようになった。

 

天狗がしばしば山伏の姿に見立てられるのは、修験者の驚異的な能力を畏敬したことからくるようだ。

 

ゆえに、九角鬼修が《鬼道》を復興させたのが修験修行によるものであるために、天狗との繋がりは切っても切り離せないのだという。

 

「なんだか大事になっちゃいましたね......なんかごめんなさい」

 

「全くだ」

 

「私、們天丸さんには見守っててください、としかいってないんですけど......」

 

「崇徳院にも参拝しといてか?」

 

「あはは......」

 

「少しは自分の立場考えろよ」

 

「今更すぎるんですがそれは」

 

九角は肩を竦めたのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

胎動2

九角家と《天御子》の因縁を聞かされた私は、天童たっての希望で彼の両親が埋葬されている裏庭にやってきた。《如来眼》による解析をこころみる。そして、首を降った。

 

「《天御子》の《氣》はおろか、形跡すらありませんね。どちらかというと、九角君の《氣》に近い。《鬼道》に精通した者の犯行でしょうね」

 

「───────......そうか、やっぱりそうなのか。なんとなくそんな気はしてたんだ。アンタの10年分の手紙を分家で読ませてもらった時に、どれだけねじ曲がった世界にいたのか思い知らされたからな。結局のところ、じいさんは娘の幸せより自分の意地を優先したってわけだ。とんだクソ野郎だ」

 

天童は感情を押し殺した声で笑うのだ。私に背を向けているから表情はうかがえない。

 

「それだけじゃねェ。あの男のために敵になりうる家に手を回して皆殺しにしてただけじゃねぇか。とんだマッチポンプだぜ。ようするに、緋勇の母親の生家やアンタの家に甚大な被害をもたらしたのもじいさんなんじゃねェか」

 

「ほんとうに......ほんとうに、強敵でした。あなたのおじいさんは」

 

長い長い沈黙が降りた。

 

「九角は、とっくの昔に《天御子》から解放されてたんだな。鬼修と天戒の2代にわたる奮闘によって」

 

「そういうことになりますね」

 

「なるほど......じいさんは《天御子》の遺産である不老不死に取り憑かれちまったわけだな。皮肉なもんだぜ。さあて、そろそろ聞かせてもらおうじゃねェか、天野愛。アンタと九角家の関係を」

 

私はうなずいた。

 

「なるほど......《アマツミカボシ》の頃から《力》を持った女は子供に《力》を継承すると加護を失っちまうわけか。それで邪神の加護を求める一方で、どうにか末裔が因果から逃れる術をさがした。この世界にいるかぎり無理だと悟ったわけか」

 

「そうです。《菩薩眼》や《如来眼》といった魔眼に自身の《力》を分割して、ようやく自分より強い《宿星》の友や伴侶がえられれば生きながらえるようになりました」

 

「で、それ以上分割できなかった《力》をもった《アマツミカボシ》が平行世界に転移したわけか。末裔たるお前はこっちに来ちまったわけだが、大丈夫なのか」

 

「大丈夫じゃないです。全然大丈夫じゃないです。《アマツミカボシ》より強い《宿星》の持ち主って思いつかないんで、うっかり恋に落ちることも出来ないです。私まだ死にたくないので」

 

「《氣》の概念が存在しない世界でようやくまともな人生歩めるが、戻ると《天御子》に狙われて《力》がつかえないから捕まるわけか。めんどくせぇな」

 

「ほんとにそうですよ、あはは」

 

「笑い事じゃねェだろ......俺は、」

 

天童がいいかけた言葉を飲み込んだ。そしておもむろに当たりを警戒し始める。

 

「どうしました?九角く......」

 

「静かにしろ。誰かが《結界》をやぶろうとしてやがる」

 

「!」

 

「等々力渓谷は九角家の者にしかわからねェ結界がはってある。奇妙な音がその知らせだ」

 

「奇妙な音、ですか」

 

「あァ、アンタには聞こえないだろうがな。いい度胸だ」

 

天童が目配せすると、いつの間にか姿を表した忍びたちが天童に深くお辞儀をするとさっていく。天童は空を見上げた。

 

「今宵の月は......満月か。暗殺にはむかねェんだがな」

 

物騒なことをいいながら刀を抜いたので、私も《アマツミカボシ》の《氣》を解放して、《如来眼》を覚醒させる。これでようやく私は結界の存在に気がついた。

 

「こういう満月だと身に凍みる秋風すらも心地好く感じるもんだが、てめェはあれか?死に場所を探しに来たか?」

 

なにかが砕け散る音がした。結界がやぶられたようだ。天童が忍びたちに下がれと命じる。抗議の眼差を一笑して歩き出す。

 

「怨嗟の念に取り込まれちまったか、じいさん」

 

「えっ」

 

「は、わかるに決まってんだろ。10年も世話になったんだ、すぐにわかる。

常世の河を渡るには、未練があるか多すぎたみてぇだな」

 

天童の視線の先には悪霊と思しきモヤがある。

 

「因果の渦と《宿星》からは、誰も逃れることは叶わねェらしいな。《アマツミカボシ》みてェな神ですらそうなんだ、人間なんざ無理に決まってる。それを知ってなにをなすかが大事なんだろうぜ、じいさん」

 

《氣》の高まりを感じる。私も助太刀に入る。怨霊が次々と《鬼》を生み出し始めたからだ。

 

《刻は、近い───この東京が、混沌と戦乱の闇に包まれる日は近いぞ、天童。その刻は、間近に迫っておる......》

 

異形は高笑いする。

 

「死人は大人しく寝てろよ、じいさん。今度こそきっちり黄泉に送ってやるよ。誰にも邪魔されねェようにな」

 

「お手伝いします、九角君」

 

「あァ、勝手にしろ。ただし、じいさんは俺の獲物だ。てェ出すなよ」

 

「はい」

 

「なあ、じいさん。あいにくまだ《陽の鬼道》が半端なんでな、楽に殺せねェかもしれねえが悪く思うなよ」

 

そして私達は今度こそ九角家前当主に引導を渡すため、戦い始めたのだった。

 

不可解な要素がいくつかある。なぜいきなり天童の祖父が復活したのか。なぜ九角家の結界を破れたのか。なぜ今、このタイミングで現れたのか。そして話のラインが錯綜している。どのラインとどのラインが繋がっているのか、それらの間にどのような因果関係があるのか、見きわめることはまだできない。

 

事実というのは砂に埋もれた都市のようなものだ。時間が経てば経つほど砂がますます深くなっていく場合もあるし、時間の経過とともに砂が吹き払われ、その姿が明らかにされてくる場合もある。今回はさいわい後者だった。

 

頭の中に記憶された世界中の物事や事象が一瞬にしてばらばらにほどけてしまったような気がした。すべてが細やかな断片として砕け、飛び散っていった。私の中に漠然と形成されていたある種の予感があらわれた。

 

偶然が何の因果関係もなく、予期せぬ出来事が起こるさまをいうのならば、これは明らかに偶然ではない。最初の偶然は許されるが、それ以降の連続は偶然では断じてない。季節の変わり目のように厳粛な事実がそこにある。事実がくもの糸のように絡まりあっている。情報を裏付ける確実な証拠だ。

 

目の当たりに見た飾り気のない真実、それはつかの間の平穏を経て、また厄災が動き始めたことにほかならない。それを知らせるために天童の祖父は遣わされたのだ。

 

「───────......あの野郎、どこまで人を馬鹿にすりゃ気が済むんだっ」

 

そう吐き捨てる天童は憤りを隠しもしない。

 

「おい、天野」

 

「はい?」

 

「帰ったら緋勇に伝えろ。まだなにも終わっちゃいないとな」

 

「九角君......」

 

「戦いの最中にお喋りは禁物やで、若旦那」

 

背後から飛来したなにかが《鬼》を一刀両断する。

 

「們天丸さん!」

 

「やーやー、今夜はちょっとはやいけど逢いに来たで、天野はん。元気?」

 

「お前もしゃべってんじゃねぇか」

 

「わいはいーねん、後ろに目がついとるさけな」

 

們天丸が扇を一閃、二閃することにより、激しい風が巻き起こる。それは鋭い刃となって敵を斬りきざんだ。にひ、とわらう們天丸に天童はふざける暇があったら真面目に助太刀に入れよと至極真っ当なことをいう。なんだか蓬莱寺といる時の天童を思い出す。們天丸や蓬莱寺みたいなタイプが苦手なのかもしれない。《氣》はあうから《方陣》はできるだろうに。

 

「そーいうことはちゃあんと会って言わなあかんやろ、若旦那。女の子に伝言さすやつがあるかい。あんさんは龍麻はんに借りがあるって常々ゆーてるやんか、今こそ返す時やで!」

 

「うるせェ」

 

「うるさくないー!わいは男の仁義っつーもんをやな!」

 

「黙ってたたかいに集中しろ」

 

「わいは集中せんでも負けんもーん」

 

「あはは」

 

「笑ってないで引き取れ、天野。元はと言えばお前が連れてきたんだろうが」

 

「まあたイケズなこというー!」

 

「ああもう黙れ、鯖食わせるぞ!」

 

「いぎゃーッ!!鯖だけは堪忍して、旦那ッ!」

 

なんだか緊張感がそがれてしまったが、私達はなんとか《鬼》たちを倒し、天童の祖父を黄泉に送り返したのだった。

 

「そのまま帰ってくるな」

 

「いややなあ、天野はん送るだけやで!寂しがらんでもちゃんと帰ってくるさかい安心して!」

 

「なにいってんだ、お前」

 

天童が私をわざわざよんで引き取れというわけだ。們天丸は天童がよっぽど気になるのか構い倒しているのがうかがえる。天童は物凄く嫌がっているようだが們天丸はやめる気配はなさそうだった。ご愁傷さまである。でも、九角家はなんとなく大丈夫そうな気がするので、們天丸にはそのまま等々力にいついてほしいと私は思ったのだった。

 

「ついでに今夜の話も聞いてまおか」

 

「あ、はい、わかりました」

 

話をする度になにかしらアイテムをもらえるのはなんか意味があるんだろうか?

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

胎動3

私は放課後に入るやいなや遠野に呼び出されて新聞部にいた。なんでもワダツミ興産による大規模な談合事件にひとくぎりがついたので、今まで後回しにしていた仕事を一気に片付けたいらしい。部会やPTAの広報誌に使う写真の提供や新しい真神新聞の修学旅行特別号の配布。真神学園は定期的に部活ごとにわかれて会議を行う通称部会があるのだが、私と遠野しかいない新聞部はサークル扱いなので対象外なのだ。今年も後輩が入ってくれなかったので私達が卒業したら廃部になる運命だが遠野はまだ4ヶ月あるからと新入部員を諦めてはいなさそうだった。

 

なんだかんだで慌ただしくしていると内線がかかってきた。

 

「はい、新聞部の時須佐です」

 

「犬神だが、そこに遠野もいるんだろう?どっちでもいいから職員室に来てくれ。PTAから追加の仕事の依頼だ」

 

「あ、はい、わかりました。すぐ伺います」

 

私は内線電話をもどした。

 

「どうしたの?犬神先生から呼び出し?」

 

「PTAから追加の仕事だそうです。いってきますね」

 

「あ~、たぶんイベントの写真でなんか使えそうなのないかっていうアレね。今日からたしか花園神社でお祭りあるじゃない?それの写真とるから待ってくれっていっといて」

 

「去年、生徒会のみなさんにお願いしたやつですっけ」

 

「そうそう、個人情報やら肖像権やら許可取りや加工がめんどくさかったやつね。今年はどーしよっかなァ、そーいや美里ちゃんたち部会の後遊びに行くとかいってたわね。撮らせてもらいましょっか。あたし、捕まえとくからよろしくね、槙乃」

 

「わかりました」

 

私は急いで職員室に向かう。犬神先生からの依頼は、やはりPTAの広報誌につかう写真の提供だった。遠野と決めたばかりの段取りを話すとPTAの役員に話を通してくれるらしい。たすかる。

 

「よォ、時須佐。ついでだからお前にちょっと話がある。応接室にこい」

 

「は、はい......?」

 

私はそのまま職員室の奥にある応接室に連行された。

 

「こないだの中間テストの採点をしてたんだが......いつもよりかなり点数が下がってる。最近眠そうだからそのせいだろうな。他の先生からも体調が悪いのかと心配されてるぞ。このままだと成績も下がりかねん。なにかとお前は過労の難があるからな、少しは周りを頼ることを覚えろよ」

 

「うっ、ご、ごめんなさい......」

 

「どうせあの馬鹿天狗のせいだろうが......もっと会う時間を早めるなり、機会を減らすなりしろ。お前の負担になるのはあっちも不本意だろうからな」

 

「はい......そうします......」

 

犬神先生はためいきだ。

 

「そもそも相手は大妖怪だ。先入観から好意的にみるのは危険だ、なにを考えているのかわかったもんじゃない。距離は保つように。いいな」

 

「はい」

 

「そのわりにはものを受け取ってるようだが」

 

「如月骨董店でちゃんと鑑定してもらってますよ。今のところ、私達を心配してくれてるだけですよ、きっと」

 

「......あの天狗がなんの目的もなしにものをあげるわけがないだろう」

 

犬神先生はどこか遠い目をしている。

 

「兎に角だ、くだらん事にばかり首を突っ込んでいないで、少しは勉強もしろよ。最低でもギリギリのラインを守ってるのと、今までの人徳からみんな心配してるが、ずっとこのままだと今後に関わる。それはお前も困るはずだ」

 

「はい......気をつけます......」

 

「学生の本分は勉強だということを忘れるなよ。話は以上だ」

 

肩を叩かれて私はがっくりと肩を落としたのだった。

 

「あんまり調子に乗って足元をすくわれんようにしろよ」

 

そして職員室から出ようとしたらマリア先生とすれ違った。

 

「あら、時諏佐さん。ちょうど良かったわ、少しいいかしら」

 

「はい?」

 

手招きされた私はそちらに向かう。

 

「実は気になっていたのだけれど、あなた達の取材に最近協力してくれているルポライターって天野絵莉っていわないかしら」

 

マリア先生が見せてくれたのは前の新聞だ。ワダツミ興産による大規模な談合事件について大々的に取り上げたのだ。名前は伏せているがフリールポライターのm記者とあるから察する人は察するのだろう。

 

「あ、はい、そうです。《力》に関する事件で知り合ったんですよ。私よりアン子ちゃんか龍君に聞いた方がわかると思います」

 

「やっぱりそうなの......わかったわ。実は絵莉は私の友達なのよ。最近忙しいとなかなか連絡がとれなかったのだけれど、こんなことに首をつっこんでいたのね」

 

「あはは......」

 

「遠野さんね、わかったわ。話を聞いてみないと」

 

「あ、でも私たち、これから花園神社に取材にいかないといけないんですが」

 

「あらそうなの?奇遇ね、私達も遊びに行く予定をしているのよ。新聞部の活動も兼ねているのなら、私も行きましょうか」

 

「ほんとですか?PTAの広報誌に載せる写真を取りに行くんですよ、今から。マリア先生たちが被写体になってくれるなら大歓迎ですよ」

 

「あらあら、私でいいのかしら?」

 

「もちろん。また売り上げ更し......あ、新聞じゃなかった」

 

「ウフフ、ならまた声をかけて頂戴。職員室にいますから」

 

「わかりました!」

 

そのまま新聞部に戻ってみると、美里と桜井が来ていた。部会が終わってから教室前で出待ちしていた遠野に連れてこられたらしい。緋勇は醍醐と蓬莱寺が先に教室に戻って、花園神社の祭りに現地集合と伝えているそうだ。遠野に話を振るとでかしたと言われた。隠し撮りして売りさばくより労力は格段にへったから喜ばれてなによりである。

 

「マリア先生も来てくれるんだッ!?やったね!」

 

「みんなでいった方が楽しいものね。PTAの広報誌って、去年みたいにアン子ちゃんたちが撮ってくれるのよね?なら協力させてもらうわ」

 

「よかった~ッ!ありがとうね、2人とも!美人に撮るから安心してよ。さあて、そうと決まれば着替えなきゃだよ、葵」

 

「うふふ、そうね。小蒔もよ」

 

「えっとォ~、僕はいっかなァ~ッて。浴衣きたらあんまりもの食べられないし、動きにくいし~」

 

「そんなこといわないの。持ってきているんだからもったいないわ」

 

「ええ~......」

 

美里に背中を押されて新聞部の奥に桜井もつれられていく。

 

「しまったわね、あたしとしたことが。こんなことなら夏祭りの時みたいに槙乃にも浴衣持ってきてもらうべきだったわ。まさか美里ちゃんと桜井ちゃんが浴衣学校に持ち込むとは思わなかった......。恋ってのはすごいのねェ」

 

「ええッ!?私は新聞部ですよ、アン子ちゃん」

 

「今年最後だし、あたし達が写ってる写真の1枚や2枚構いやしないわよ」

 

「どさくさに紛れて裏で売りさばくつもりですね?そうはいきませんよ、アン子ちゃん」

 

「うっ、ばれたか~......」

 

「もう、アン子ちゃん」

 

雑談していると可愛い浴衣姿の美里たちが現れた。

 

「さすが、様になってるわね~。龍麻君たちに見せるのがもったいなくなってくるわ。せっかくだから今のうちに何枚か撮らせてよ」

 

さっそく遠野が美里たちの写真をとり始めた。桜井は落ち着かないのか恥ずかしそうにしている。

 

「よく似合いますよ、2人とも。きっと龍君たち喜ぶと思います。はやくみせにいきましょう」

 

「マリア先生にも声掛けないとね~」

 

「なんか気合い入りすぎって言われないかなァ?雛乃たちが巫女さんのアルバイトしてるから、是非浴衣できてくれって言われたんだけど、やっぱり恥ずかしくなってきたよ......」

 

「似合うんだから問題ないですよ。もっと気合い入った人達がたくさんいるんですから」

 

「そうそう、はやく会場にいきましょうか。目立たなくなれば気になんかならなくなるわよ」

 

私達は美里と桜井をそのまま職員室に連れていく。

 

「アラ、可愛い浴衣ね、2人とも。よく似合ってるわ」

 

「ありがとうございます、マリア先生」

 

「えへへ、ありがとうございます」

 

「2人とも、制服も持っているのでしょう?遠野さんたちも撮影機材があるのなら、車を出してあげるわ」

 

「ほんとですか!?ありがとうございます~」

 

「ウフフ。そのかわり、少し寄ってもいいかしら?友達と浴衣でいくと約束しているの」

 

「マリア先生も!?やったー!」

 

「おそろいですね、マリア先生」

 

「マリア先生に美里ちゃん、桜井ちゃんの浴衣姿ッ!これはいいわ~、絵になる!いくらでも待ちますよ~。ああもう、ほんとになんで槙乃浴衣持ってこなかったのよ!」

 

「まだいいますか。それを言うならアン子ちゃんだって」

 

「あたしはいいのよ、持ってないもの。でも槙乃はもってるじゃない」

 

「そうね、こうなると残念だわ」

 

「ね~」

 

「葵ちゃんにさっちゃんまで......」

 

「ウフフ、今から時須佐さんのおうちにも寄ってあげましょうか?」

 

「え゛」

 

「いいですね~!」

 

「やったね、みんなお揃いだよッ!」

 

「えええッ!?」

 

「それなら、まずは時須佐さんのおうちに行きましょうか。案内してくれる?」

 

「はーい、それならあたしが」

 

「ほんとですか......ほんとに私も浴衣の流れですか......えええ」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

胎動4

花園神社(はなぞのじんじゃ)は、東京都新宿区にある神社である。旧社格は郷社。倉稲魂命(花園神社)・日本武尊(大鳥神社)・受持神(雷電神社)の3柱の神を祀る。

 

 

新宿の街の中心にあり、新宿総鎮守として江戸時代に内藤新宿が開かれて以来の、街の守り神として祀られている。また敷地内では各種劇団による催し物などが定期的に開かれ、新宿の街の文化の一翼も担っている事でも知られている。朱塗りの鮮やかな社殿は、参拝客の他、休憩場所や待ち合わせ場所として使われ、当社に人影が途絶える事がない。

 

創建の由緒は不明であるが、徳川家康が江戸に入った1590年にはすで存在しており、大和国吉野山よりの勧請と伝えられている。その後、当地に内藤新宿が開かれるとその鎮守として祭られるようになった。

 

元は現在地よりも約250メートル南にあったが、寛政年間、その地を朝倉筑後守が拝領しその下屋敷の敷地内となって参拝ができなくなった。氏子がその旨を幕府に訴えて、尾張藩下屋敷の庭の一部である現在地を拝領し、そこに遷座した。そこは多くの花が咲き乱れていた花園の跡であることから「花園稲荷神社」と呼ばれるようになったと伝えられる。また、真言宗豊山派愛染院の別院・三光院の住職が別当を勤めたことから「三光院稲荷」とも、地名から「四谷追分稲荷」とも呼ばれた。

 

近年は、消えつつある「見世物興行」に、境内を提供している。

 

そして、今私達が向かっている花園神社の酉の市は、江戸時代から続く年中行事で、開運招福・商売繁盛を願うお酉さまは、もと武蔵野国南足立郡花又村(今は足立区花畑町)にある鷲神社にその起源があるとされている。大鳥神社の祭神である日本武尊が東夷征伐の戦勝祈願をし、帰還の時にお礼参りをしたことにちなみ、日本武尊の命日である11月の酉の日に行われるようになった。商売繁盛の熊手を売る露店商のにぎやかな声は、師走を迎える街に欠かせない風物詩である。

 

仏教では、1235年の11月の酉の日に、日蓮が現在の千葉県にある小早川邸宅に滞在していた時、鷲の背に乗った鷲妙見大菩薩(わしみょうけんだいぼさつ)が空を駆けているのを見たことに由来していると言われている。その際には、国家の繁栄を予見するかのごとく、金星が光り輝いたそうだ。

 

毎年60万人もの人が訪れる市の日は花園神社名物の見世物小屋を観るチャンスでもある。

 

同社のご祭神は日本武尊(ヤマトタケル)で、その昔、東夷討伐の帰路に花又の地に立ち寄り、戦勝を祝したことが縁で、尊が伊勢の能褒野(ノボノ)で亡くなった後、神社を作りお祀りしたと伝えられている。

 

中世に後三年の役(1083年)が起きると、兄源義家を慕って清原一族平定に向かった新羅三郎義光が、武具を奉納し、戦勝を祈願したことから武神として尊崇されるようになった。

 

江戸時代になると、日本武尊のご命日といわれる11月の酉の日に、武家は綾瀬川を船で上り、町人は徒歩か馬を使って詣でていた。しかし、江戸より遠かったため、千住の赤門寺で「中トリ」、浅草竜泉寺で「初トリ」が行われ、吉原を背景とする浅草の大鳥さま、大鷲神社と隣接する鷲在山長国寺が繁昌するようになった。

 

「酉の市」は関東特有の行事だ。

 

日本武尊を祭神とし、尾州徳川家に祀られたと伝わる新宿大鳥神社は、花園神社の境内に鎮座されている。その社紋(神社における家紋)は、「鳳凰の丸」が用いられている。

 

だから、新宿のど真ん中にある花園神社は、江戸時代が始まる時から新宿の「総鎮守(守り神)」とされている神社なのだ。

 

「いよ~おっっ!!チャチャチャン、チャチャチャン、チャチャチャチャンチャン」

 

威勢のよい掛け声でにぎわう「酉の市」がそこにはあった。独特の雰囲気で大いに賑わっている。なんといっても裏手には歌舞伎町、新宿二丁目にも近い立地。ホスト風のイケメン、マツコデラックス風のオネエ、セクシーな若いお姉さん、長渕剛ちっくなおじさん、スーツを着た社長風の方々、色んな方々が集いながらも和気合い合いな雰囲気だ。

 

「貴方は人魚を見たことがあるか?」という問いかけに、

「テレビじゃみれない演芸の数々をご覧になれます」

 

もう気にならざるを得ない。ポケーっと見てるとお姉さんに声をかけられる。

 

「はい、お兄さん、見てらっしゃい!」

 

マイクをもって軽快なトーク炸裂の呼び込みのお姉さん。その呼び込みに吸い込まれるように人がどんどん入っていく。

 

お祭りといったら屋台だ。花園神社の酉の市は境内はもちろん、靖国通り沿いにもかなりの数の屋台がビッシリ並んでいる。

 

「おせ~ぞッ!おま......」

 

早く行きたがったのに醍醐と緋勇に止められていたのか、不満げだった蓬莱寺の機嫌が一瞬でよくなった。口笛すらふいている。わかりやすくてなによりだ。

 

「マリアせんせに、エリちゃん!それに桜井たちまでどーしたんだよ、みんな揃って!」

 

「こうして浴衣で揃ってこられると壮観だな」

 

「よく似合ってるよ、みんな」

 

男性陣の反応に桜井と美里はホッとしたのか笑った。桜井が美里を押し出すものだからふらついた美里を緋勇がささえにはいる。美里は恥ずかしいのか耳まで真っ赤だ。アラアラ、とマリア先生は笑っている。天野記者とマリア先生が友達だと知った蓬莱寺が喜んでいる。桜井は花より団子なようではやく行こうよ、と先頭になる位置にいた醍醐のところまで歩きながらみんなを促している。醍醐は生真面目な顔を崩してはいないが明らかに意識しているようで挙動不審気味だ。

 

「いい感じな写真が撮れそうな予感がするわ~。ほら、槙乃も行きなさいよ」

 

遠野に押されて私も桜井たちのところにむかう。桜井からPTAの広報誌に載るうんぬんを聞いたらしい醍醐は、遠野が浴衣でないことが疑問らしかった。

 

「いーのよ、いーのよ。浴衣なんか着たら自由に撮影できないじゃない。だいたいもってないもの、あたし」

 

「貸してあげますっていったのにこれなんですよ、アン子ちゃん」

 

「あたしはいーの、柄じゃないもの」

 

けらけら笑いながら遠野は私達を遠慮なく撮影している。そのうちのどれくらいがトリミングされて裏で売りさばかれ、新聞部の資金源になるのだろうか。

 

そうこうしているうちに桜井がたこ焼き屋さんの前に釘付けになっていた。

 

「おいしそーだねッ!」

 

「いいものみせてもらったし、おごるよたこ焼き」

 

「えッ、いいの!?」

 

「みんなで食べよう」

 

「いやった~!ありがとう、ひーちゃん!」

 

「もう、小蒔ったら。そんなにはしゃいだら浴衣がみだれちゃうわ」

 

「え?あ、ごめーん、つい」

 

美里が桜井の浴衣を整え始める。呆れている蓬莱寺たちを横目に緋勇は会計をすませていた。

 

屋台のラインナップはジャンボフランク、今川焼、じゃがバターお好み焼き、やきそば、甘酒、おやき・・等々という感じで種類豊富。きっと食べたいものを食べれるはずだ。

 

19時を過ぎると人もぞくぞくと増え、お祭りが一段と賑やかになる。やはり夜になるにつれ人が集まり、境内も露店通りもお祭りを楽しむ人で溢れている。

 

子供が大好きなわたあめや懐かしい味のベビーカステラ、カラフルなチョコバナナなどの甘い物や定番の焼きそば、お好み焼きの他にも、タレの違いを楽しめる鳥皮ぎょうざやあゆの丸焼きなどもある。

 

江戸時代や明治の文明開化辺りの歴史を辿っていくと名前を目にする「見世物小屋」は現代では廃れてしまい、今も興行をしているのは1社のみとなっているらしい。レトロな雰囲気の芸能を目で見て肌で感じられる絶好の機会だ。

 

遠野は焼きそばを緋勇にオネダリして、醍醐イチオシのくじ引きをして、指輪があたった緋勇は美里にあげていた。そのままりんご飴をおごってあげたりして仲がよくてなによりである。

 

「いい写真がとれたわ~、これは号外でも出そうかしらね?いや、裏ルートで捌いた方が......?」

 

物凄い勢いで脳内そろばんをはじいている遠野が安定で笑ってしまう。

 

「まーちゃん何食べる?」

 

「そうですね......人形焼にします?私も甘いものが食べたくなってきました」

 

「いいね~、餡子にする?クリーム?」

 

「どっちも買いましょう、せっかくですから」

 

沢山入ったやつを買おうとしたら緋勇に先を越されてしまった。

 

「そんな、悪いですよ龍君。さっきから龍君ばかり」

 

「気にしない、気にしない。みんなのお金なんだから」

 

緋勇はそういって笑った。どうやら旧校舎で稼いだお金を預かっている緋勇はちゃっかりここから出していたらしい。どうぞとさしだされ、私は有難くもらうことにしたのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

胎動5 完

時々辺りを伺うように見渡している緋勇が気になって声をかけた私は、裏密を酉の市に誘ったときに断られるついでに忠告されたことを知った。

 

「銀杏咲き乱れる秋の宵、相見える龍と鬼~。いずれも、その死をもってしか~、宿星の輪廻より解き放たれざる者なれば~。…心当たりがあるのなら~、用心と覚悟はしておいた方がいいかも~」

 

「ずっと考えてるんだけどさ、花園神社、銀杏が綺麗だよな」

 

「たしかに......」

 

私の知る流れだと竹の花から始まっていたのだが、龍山先生の邸宅は燃やされてしまい、今はない。それに九角の怨霊はこの前倒したはずだからまた現れるとは考えづらい。ゆえにここでなにかあるのは間違いないだろう。

 

「おーい、2人とも!おみくじひこうよ、おみくじ!」

 

桜井に呼ばれて、あわてて私たちは向かったのだった。巫女のアルバイトをしている雛乃によく振ったほうがいい結果が出ると言われて素直に応じた緋勇は大吉が出た。私も念入りにふってみる。

 

「わッ!!大凶!!まーちゃんまで大凶!?大丈夫??」

 

桜井が大仰に叫ぶものだから、さっきまで騒がれていた蓬莱寺まで覗きこんできた。ウッソだろお前、ここから大凶ってどんな流れだ!

 

十を生かして九に死す。絶望の淵より信じる道はひとつにあらず。一条の光見出し、新たなる境地、拓くべし。

 

「これどういう意味なんでしょう?」

 

「これは......いわゆる10回のうち9回は死を覚悟するような目に遭う、という意味ですね」

 

「うわあ」

 

「まーちゃん......」

 

「信じる道はひとつにあらず......解決方法はひとつではない......悪くは無いですね。視野を広くもてということでしょう。神社で起こることには、必ず何らかの啓示が含まれているものです。念のため、用心なさってくださいね。槙乃様も京一様も大凶は大凶でもこれから上り坂の大凶です。おみくじは現状を示しているといいますから、あとは運勢は登るだけですよ」

 

「あはは、ものはいいようですね。ありがとうございます」

 

私はおみくじを近くにあった結び場所に括りつけた。

 

「なんだ、この曲は?」

 

醍醐が足を止めた。縁日には似つかわしくない音楽が、どこからか流れてくる。桜井がその理由に思い当たって説明してくれた。

 

「ヒーローショーかッ!?そりゃあ案外、いいアイディアかもしれねェな!」

 

都心という場所柄か、神社としての荘厳さや重厚さなどのイメージの薄い処ではあったが、ここまで通俗的なイベントを平気で開催させてしまうとは俗物、流動、どこか旧くて、奇妙に新しくて、逞しさを感じさせるこの街らしい。

 

「なんなら、ひーちゃん、俺たちも観に行ってみるか?」

 

「そうだな、気になるし」

 

「へへへッ、お前もすっかりその気だなッ」

 

「やったー!いこいこ!」

 

桜井が喜び勇んで飛んでいった先にはかなり人が集まっていた。ご当地ヒーローのようである。

 

「───この世に悪がある限り!!」

 

「正義の祈りが我を呼ぶッ!!───」

 

古いTV番組のように陳腐な劇が繰り広げられる。ぱしん、と軽い衝撃が空気を伝わる。舞台に走る閃光は、中央でポーズを取る主役三人の辺りから生まれたようだ。カメラのフラッシュや、舞台の装置ではない。ほんの一瞬だが、あれは私達にはすっかり馴染みのものの《力》の発現によく似ていた。

 

私がそれを伝えると緋勇が声をかけようといったものだから、桜井以外はみんなちょっと引き気味だった。

 

ヒーローショーが終わり、楽屋を覗いてみるとやっぱりファンに間違われてしまった。

 

大宇宙戦隊コスモレンジャーの「自称」リーダーで熱血漢のコスモレッドこと紅井猛。野球部所属でバットとボールによる攻撃が得意。彼らは他の人みたいに怪しい力は無く、むしろ鍛え上げられた肉体が武器なので個々の能力はそんなに高くない。スーツも特別な能力がある訳でもない。彼らの真髄は《方陣》にあるのだ。

 

黒崎 隼人はコスモレンジャーのブラック担当だ。サッカー部所属でクールな人だけど会話するとちょっと熱くなったりする事もあって、そこいらへん

いかにもスーパー戦隊だ。サッカー部だけに蹴り技が多いですが、練馬ブラスターのような飛び道具系の技も一部あり。あと、行動力がサッカー部員だけにやたら高め。

 

コスモレンジャーのピンクは本郷 桃香。コスモレンジャーの紅一点で新体操部所属。他の2人に比べてちょっと弱めだけど、彼らがよく喧嘩するのをなだめるのは彼女の大事な役目。彼らコスモレンジャーの真価は方陣技にあり、3人揃ってのビッグバン・アタックが強力だ。

 

変身願望ではなく、ヒーロー願望なところが、前向きでいいと思う。前者と後者は微妙に違うのだ。ヒーローになりたいから変身するのでは無く、ヒーローになる、そのためには変身は不可欠という発想だ。

 

名前がベタだなとはいってはいけない。こちらの世界にも特撮はあるのでご両親が好きだったんだろうなと察してしまうが。

 

三人は、なかなか強烈なキャラクターだった。《力》が本気で自分がヒーローになったためだと信じていた。私達まで仲間かと勘違いして、ヒーローの名前を与えられそうになる。全力で拒否した蓬莱寺たちとは引き換えに緋勇はノリノリだった。

 

仲間にするか否かの話し合いは、緋勇以外はいまいち反応が悪く、さあ帰るかとなった矢先、悲鳴が聞こえた。いってみると人がみるみるうちに《鬼》になっていくではないか。

 

「ちょおッと待ったァッ!!」

 

「この世に悪がある限りッ!!」

 

「ぐ…おおォォおおオッ!!」

 

コスモレンジャーに囲まれた鬼が、苦しげな咆吼を上げた。紅井がポーズを決めた途端、烈しい光が紅井から放たれたのだ。

 

「正義の祈りが我を呼ぶ!!」

 

黒崎の身体から生じた光が、紅井のそれと融合する。

 

「愛と…!!」

 

桃香の光がそれに加わると、三人の足下にはっきりとした光の方陣が描き出された。光に押し潰されるようにして、鬼がまた膝をつく。それは、今までにも何度か目にした光景だった。

 

《方陣》は卓越した《氣》の持ち主が、近しい属性を持つ者同士協力して攻撃することにより、通常の何倍もの《力》が発現する現象を呼ぶのだ。《氣》をより高め、攻撃力が増す《場》が発生するとのことだったが、どういった原理なのかは解らない。彼らは少なくてもそれができるらしかった。

 

「勇気と!!」

 

「友情と!!」

 

安っぽいスーツと決めポーズが、彼らの体内から生じる光によって、神々しいまでに輝いた。

 

「みっつの心をひとつに合わせ…」

 

「今必殺の…ビッグバンアタック!!」

 

先ほどの舞台で聞いた古くさい決め台詞に、断末魔の悲鳴が重なる。やがて、その影が光と共に消え去る。

 

私達はぽかんとしているしかなかったのだった。

 

「WOWッ!素晴らしーネッ!!ボクも混ぜて欲しいヨッ!」

 

どうやら花園神社の酉の市は仲間たちも来ていたようで、駆けつけた仲間の中には食いついた人もいた。アランである。コスモレンジャーたちは大喜びだ。

 

「みんなッ、俺たちの新しい仲間だッ!!カモン!!」

 

「HAHAHA!!ボクが来たから、もう安心ネッ!!」

 

「よし、行くぞッ!!───────この世に悪がある限り!!」

 

「正義の祈りが我を呼ぶ!!」

 

「ラブ・アンド・ピース、守るタメ!!」

 

「四つの心をひとつにあわせ!!」

 

「今、必殺のメキシカン・ビッグバンアターック!!」

 

ふざけてるのに威力は《四神方陣》にひけをとらないものだから、蓬莱寺たちが固まっている。

 

「なんやなんや、おもろいもんしとるやん!」

 

「おおおッ!!ついにコスモレンジャーも5人の時代を迎えたか・・・頼りにしてるぞ、コスモブルー、コスモイエロー!!」

 

「よっしゃあッ!!・・・ッて・・・、イエローってわいのことかいな!?なんや、けったいなことになってもうたな」

 

「そして、ボクがブルー、ネ!!リューも、平和のために・・・スマイルネ!!」

 

「しゃーない、ここはひとつ、わいものったろッ!!」

 

「よ―しッ、行くぞッ!!───────大宇宙の名の下に!!」

 

「宇宙の平和、守るためッ!!」

 

「愛と―――!!」

 

「勇気と―――!!」

 

「フレンドシップ―――!!」

 

「五つの心をひとつにあわせッ!!」

 

「今こそ放て、絶対無敵の必殺技ッ!!」

 

「「「「「ビッグバンアタック・インターナショナル!!」」」」」

 

一瞬にして消滅した《鬼》たちに緋勇は目を輝かせている。

 

「よし、俺も!」

 

「ひーちゃんは俺たちと《方陣》あるからいいだろ!ほら、やるぜ醍醐」

 

「そうだな、負けていられない」

 

「えええッ!?グリーンやりたい!」

 

「ひーちゃん」

 

「龍麻」

 

「なんでお前ら、そんな対抗心もやしてんだよ、いきなりぃ!!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔獣行1

「愛はん、ちょっとええか?」

 

「はい?どうしました、們天丸さん」

 

「いやァ~、せっかく東京に来たさかいおもて、見物して回ったんやけどあれやね。柳生側はすんごい手間かけて東京の結界を弱体化させとんやね」

 

「へ?」

 

「不思議やってん。そもそもなんで《アマツミカボシ》をそんなに執拗に降ろそうとしとったんやろなって。んで、最後に手を付けようとしたであろう将門公の結界みて、あーおもてん。将門公は妙見菩薩信仰しとったから、北斗七星の結界は相当強力に機能したはずや。まあ、明治政府がずたずたにしてもたせいで、かつて程の《加護》はもうあらへんけどな。それでも《アマツミカボシ》を手中におさめてまえば、東京の結界は完全に機能停止して《龍脈》を汚染してまえば龍麻はんらの《力》もちゃあんと使えんようなる。いやあ、ほんとに危なかったんやなって」

 

「そんなにですか」

 

「うんうん。せっかくやから教えたるわ」

 

們天丸は教えてくれた。

 

平安時代の中期、関東武士の平将門は、京都の朝廷の圧政に反旗を翻し、関東に独立国家を築こうと戦を仕掛け、京都まで攻め入った。世に言う「平将門の乱」である。

 

将門は戦術に長けていたが、戦場でも武士としての礼節を重んずる武将であったが、朝廷側にその隙を突かれ、志半ばで弓矢に倒れてしまう。

 

反逆者として首を切られ、京都でさらし首にされた将門の首は、腐る事もなく、胴と離されているのに三ヶ月も呻き続け、その首は自らの意思で江戸に飛んで行き、今の東京の大手町一丁目に落ちたという。そこに誰かが、首だけになって江戸に帰ってきた将門を弔って、小さな首塚を作った。

 

そこから、首塚信仰が始まり、首塚の隣に将門公を祀った神田明神が出来た。

 

その後、将門の兜が戻り、江戸の地に兜神社が建ち、次は鎧神社だなんだと、半ば史実があやふやになるが、築土神社、水稲荷神社、鳥越神社などが建ち、神田明神と首塚を含めた7つの社ができた。

 

 

時は流れて、関ヶ原の合戦に勝利し、天下統一を果たした三河の武将、徳川家康が江戸に幕府を開いた。当時の江戸は、河が多く、水に恵まれた土地ではあったが、毎年氾濫して辺りは沼だらけの荒れ地だった。そんな土地に幕府を開くなどと、当時、征夷大将軍の位を授かった折に家康は、朝廷に笑われたと言う。

 

だが家康は、大規模な治水工事などをして、発展する土地に開拓した。そして、江戸の街を霊的な守りで固めるべく、将門の霊力を借りるべく、7つの社を、将門公が信仰していた妙見菩薩のシンボルである北斗七星の形に配置した。

 

 

家康は、将門公が作ろうとしていた江戸の都をリスペクトして、江戸幕府を開いたのである。そして更に遺言を残し、自らを日本の守護神として駿河国久能山に墓を作り、東照宮の柱として祀らせ、江戸の鬼門の方角に当たる日光に東照宮の本山を作らせ分祀した。江戸には寛永寺と増上寺を作り、神仏一体の守りを固めた。

 

かくして江戸は物理的な都市計画だけでなく、霊的な防衛機能を備えた都市となり、江戸の街は栄え、日本の歴史上、最も長い平和な時代になったのである。

 

 

 

そして、江戸幕府は倒れ、明治維新が起こった。明治政府は江戸を東京に改め、京都の朝廷を東京に移設した。朝廷に反逆した逆賊である将門に、東京を守らせる訳には行かず、霊的な防護を見直す事となった。

 

将門公を朝敵である為、天皇の治世になれば、将門の霊は怨霊となってしまう。

 

まず明治政府は、この北斗七星の中心部分に重なるように靖国神社を中心とした四角形の魔法陣を敷いた。雑司が谷霊園、谷中霊園、築地本願寺、青山霊園を結んだ結界崩しである。

 

さらに山手線で、両端の3つの星を外においやります。中央線でも神田明神と将門塚(旧神田明神)が分断されている。山手線と中央線って、陰陽の太極図って言われているらしい。隠の陽は歌舞伎町で、陽の院は皇居だそうだ。

 

 

 

そのため、九段坂に東京招魂社をを創設。現在の靖国神社である。

 

通常、守りの神社は鬼門に向けて鳥居を立てるが、靖国神社は東向きである。本殿から鳥居を結ぶ直線の先には、将門公を祀る神田明神がある。

つまり靖国神社は、将門公の怨霊から、皇居を守るために建てられたのである。問題は将門公と戦わせる為のその祀神。最初は幕末維新の犠牲者が合祀され、その後も戦没者などが次々と合祀された。靖国神社の鳥居は神明系だが、神明の神は祀られておらず、国のために戦って死んだ国民が、靖國神社の柱に合祀され、将門公の怨霊に対する盾として使役されているのだ。

 

そして明治政府は靖国神社を中心に、霊園を作り、死者を使った霊的防衛要塞を築いたのである。

 

明治政府は靖国神社が完成すると、神田明神の将門を祀神の座から降格させ、神田明神内に将門神社を作り、そこに封印してしまった。更に明治政府が将門の結界を弱める計画は、神社だけでなく、更に鉄の結界を用いて、北斗七星をズタズタに分断したのだ。その結界とは、山手線である。

 

長期の計画で、鉄の輪による結界の分断で、将門の力を弱めようとした。更に中央総武線で、八王子の天皇陵から首塚までを結んで、天皇の霊力を流す鉄の結界を敷き、首塚を北斗七星の結界から独立させた。

 

あと一区間で山手線の鉄の輪が完成するという大正12年、ついに将門公の怒りが爆発した。関東大震災である 。死者10万人を超える大災害は将門公の怨念がもたらしたと言われている。この災害により、山手線の工事は、大幅に遅れ、多くの建物が倒壊したが、将門の首塚は残った。

 

 

そして、震災復興計画で、首塚を整地して、大蔵省の庁舎を建て直す事が決まり、大正14年に山手線が完成すると、程なく現職の大蔵大臣が体調不良で入院。3ヶ月後には死んでしまった。その後も大蔵省と工事関係者14人が不審な死を遂げた。

 

これにより大蔵省の建設計画は中止となり、首塚を建て直し、神田明神から宮司を読んで、将門の鎮魂をしたのだが、正15年。大正天皇が47歳の若さで崩御。政府は天皇を将門から守りきれなかった。

 

戦後、焼け野原になった東京は、GHQにより首塚を整地して、駐車場にしようとしたが、ブルドーザーが横転し、GHQが政府関係者に説明を求めたが、将門やら祟りやら、古墳やら言っても分かって貰えなかったが「古の時代の大酋長の墓だ」と説明し、GHQを納得させた逸話が残っている。

 

また、築土神社は空襲で焼失し、靖国神社の鳥居の目の前に移設され、北斗七星の形は崩されてしまった。そして、昭和の末期、昭和59年。神田大明神の祀神に将門公を戻した。昭和天皇たっての希望であったと言われている。

 

 

「今、将門公を祀る場所は7箇所あるやん?一応見てみたんやけど、東京の守護神としては機能しとるね。全盛期には及ばんけど」

 

鎧神社は平将門の鎧が当社の地には眠っていると古来より言い伝えられている。総武線の東中野と大久保の間の線路の南側にあり、山手線により他の星々と分断されている。場所は東京都新宿区北新宿3-16-18。

 

水稲荷神社は将門調伏のための神社とされている。大隈重信の邸宅の裏に位置しており、毎日お参りしたそうで、早稲田大学を受験する人の参拝が多いのも特徴だ。こちらは新宿区西早稲田3丁目5−43にある。

 

筑土八幡神社は筑紫の宇佐の宮土をもとめて礎としたので、筑土八幡神社と名づけたられた。将門を祀っているそうだ。こちらは新宿区筑土八幡町2−1。

 

神田明神は当初は将門塚のところに神社があったが、江戸城幕府により、ここに移された。かつて伊達政宗が「神田の山」をけずって日比谷や銀座の埋め立てをしたそうだ。千代田区外神田2丁目16−2にある。

 

将門首塚は将門の首が飛んで行ってここに着地したという伝説があったところだ。戦後、工事で解体しようとしたところ、祟りがおこって工事が中止されたとか。東京都千代田区大手町1−2−1にある。

 

「ガラス張りの灯篭ができて、なんや観光地っぽくなっとるな」

 

兜神社は将門の兜を埋めたという伝説があり、江戸橋ジャンクションの南側にある。東京交通のおじさんたちのタバコの憩いの場所となっていた。かつての将門塚のように、すごく地味だ。

中央区日本橋兜町1-12にある。

 

 

鳥越神社は前九年の役のおり源義家がこの地を訪れ鳥越大明神と改めたそうだ。将門の首がここを飛び越したそうで、「飛び越え→鳥越」という地名がついたという逸話も残っている。台東区鳥越2−4−1にある。

 

靖国神社を中心とした四角形の魔法陣を敷いた。雑司が谷霊園、谷中霊園、築地本願寺、青山霊園

 

「ここいらがちょっときな臭いんや、気をつけや」

 

「青山霊園ですか......《鬼道衆》に入れられた那智真璃子さんが水角として《門》を開こうとした場所ですね」

 

「那智......桔梗はんの末裔やったね。なるほど、九角家のじーさんはどさくさに紛れてこの結界を強化もかねとったわけや、将門公の結界をずたずたにして更に弱めてから、ほかの結界を破って......そこに《黄龍》の降臨」

 

「......うわあ」

 

「ほんまうわあやで、まったく。帝国んとき、よう柳生倒せたなって話やん。あぶなかったなあ、愛はん。そこまで知らんかったとはいえ、冬至まで長引いとったらどーにもならんかったで。というわけで、これあげるわ」

 

「これって法螺貝(ほらがい)ですよね?」

 

「それは貝のこと。これ自体は法螺(ほうら)いうねん」

 

「ほうら?ほらじゃなく?」

 

「それは略やな、正式名称はほうら。古代インドのサンスクリット語やとサャンクハというんやわ。昔から世界各地で吹奏や合図のために用いられたんやけど、日本の法螺は密教僧によって唐から伝えられ、真言宗や天台宗の法会や東大寺のお水取りで儀礼の一つとして吹奏されとるね。わいやみたいな天狗や山伏の携える道具として知られとるけど、もともとは野獣を追い払うとともに魔を退けるためなんやで」

 

「へえー、そうなんですか。知らなかった」

 

「あはは。本来は法螺を吹くのは仏さんなんやけど、愛はんらはホラを吹くっていうやん?わいらが仏の説法を真似て立派なことを語っても、所詮は実行が伴わん、言行不一致やんか。それがホラになり、ウソになったんやろね。因みに演説も元は仏教語やで」

 

「そうなんですか?」

 

「うんうん、案外この国の人間は無意識のうちに神道なり仏教なりの価値観の中で生きとるってことやね。いいことや。まあ、この法螺は天狗のやから、如来の説法は聞こえへんけどな。

複数の状態不能を回復できるで」

 

「ありがとうございます」

 

「骨董屋にあるやつとはまた別モンやで。消耗品ちゃうしな」

 

「ってことはまさか、們天丸さんのですか?!」

 

「えーねん、えーねん。さっきの話聞いたら心配なるわ。十を生かして九に死すてなんやそれ」

 

「あはは......。でもありがとうございます。そんなに大切なものを......。消耗品とはなにがちがうんですか?」

 

「やってみ?」

 

「さすがにバレますって」

 

「あはは、吹こうとしたら頭ん中にやり方が入ってくるやつやから、心配いらんで」

 

「《方陣》と同じパターンですか」

 

「そうそう、心配いらんから安心し」

 

「ありがとうございます、們天丸さん。なんか毎回なにかしらもらっちゃって」

 

「えーねん、えーねん、天狗の好きなんはつむじ風いうやんか。《アマツミカボシ》は邪神とはいえ風の神さんにかわりないしな。愛はんも似たようなもんやで、ちゃんとせな罰当たるやろ」

 

「私は神様じゃないんですがそれは」

 

「愛さん通してみとるやん」

 

「そうです?」

 

「せやね」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔獣行2

私は們天丸に聞いた話を如月骨董屋を尋ねるついでに話して聞かせた。貸してもらった法螺貝を鑑定してもらうためだ。私の《如来眼》による解析では未知の《力》が秘められたアーティファクトであることしかわからなかったのだ。

 

私が風呂敷から出した法螺貝を見るなり固まった翡翠が再起動したのは、たっぷり時間が経ってからだった。

 

「............們天丸が本当にこれを?」

 

私は頷いた。

 

「私も驚きました。昨日はちょうど翡翠が仲間になった頃の話をしたあと、ついでに花園神社のおみくじや《鬼》に変生した人達について話したんです。そしたら、《将門公の結界》について教えてくれました。これから特に気をつけろって。その話のあと、貸してくれたんです。やっぱり大天狗からみても十を生かして九に死すはかなりやばい文言みたいで」

 

「これは......かなり価値がある代物だな。もしかしたら、ほんとに們天丸の愛用している法螺貝かもしれない」

 

「うっわあ......やっぱり本物なんですね......只事じゃないじゃないですかァ......。們天丸さんが直々に貸してくれるって、神通力でなにが見えたんでしょうね......。どんだけやばい危機が迫ってるの!?勘弁してよ!しかもそれが9回もあるとか命が何個あっても足りないんですけどッ!!」

 

たまらず叫ぶ私に翡翠は苦笑いした。

 

「笑い事じゃないですよ、翡翠」

 

「いや......すまない。君ならそうだよな、そうなるなと思って」

 

「はい?なにか他に意味が?」

 

「毎回、見返りもなくアイテムをくれるだろう?少しは下心を意識してあげた方がいいんじゃないか?」

 

「下心」

 

「犬神先生にも忠告されたとボヤいたじゃないか、さっき」

 

「いや、だって......ええ......?なんかピンとこないんですよ。たしかに天狗攫いは衆道の隠喩だっていうし、們天丸さんは吉原に入り浸ってたらしいので好みは広いんだと思いますけど。們天丸さんが私に......?うーん?」

 

「いつの間にか天野はんから愛はんに変わってるじゃないか」

 

「そんな事言われても、龍君や京君はすでに渾名ですよ?私だけ特別ではありませんし」

 

「どうだろうな、君以外に名前で呼んでいないようだが。普通、天狗が法螺貝を託すなんて聞いたことがない。法螺貝の音色には、衆生の迷夢を覚し、諸悪を祓う力があるといわれている。音を様々に組み合わせて、獅子吼に擬して仏の説法とし、悪魔降伏の威力を発揮するとされ、更には山中を駈ける修験者同士の意思疎通を図る法具として用いられているんだ。君の言う通り、心配なんだろう。とても」

 

「そういうものなんでしょうか......?們天丸さんのことだから、そんな回りくどいことしないで直球でナンパしそうですけど」

 

「なんでそんなに冷静なんだ、愛。僕が彼ならいたたまれないな」

 

「いやだって、ねえ?」

 

「ねえって言われても困るよ。なんだって他人事なんだ?」

 

「們天丸さんだったら、龍君の御先祖様はあの黒い数珠を九角天戒さんの友情をとって渡したようだから、リベンジしそうだなと思ってですね」

 

「150年前の?」

 

「150年前の。現にすごい勢いで龍君と仲良くなってますし、們天丸さん」

 

「いや......それは仲間の末裔と会えたから助けしたいんだと思うよ。龍麻は僕達のまとめ役だから自然と会話が多くなるんだろう。崇徳院直々の依頼だというし。でも崇徳院の依頼とはいえ、君から話を聞くことにこだわっているじゃないか」

 

「うーん......?やけに食い下がりますね、翡翠」

 

「そうかい?僕からしたら毎晩們天丸と中庭で密会してるのに、なにもない君の方が不思議だよ」

 

「ええ......そんなにですか......?うーん......。というか密会って」

 

「人目を忍んで中庭で会ってるんだから密会だろ」

 

「密会っていいたいだけでしょう、翡翠。だいたいなにかあったら、法螺貝見せに来ないですよ私」

 

「この商売柄、彼氏のプレゼント売りに来る女性は意外と多いよ」

 

「言い方にさっきから悪意がありますよ。違いますからね、翡翠。なにいってるんですか。言ってる傍から笑ってるし。からかわないでくださいよ、もう。だいたい、他にも美人な女性は多いのになぜ私を口説いていると思うんだか。們天丸さんは女好きだから私に良くしてくれるのもその一環にすぎないですよ、きっと」

 

「やけに饒舌だね、愛」

 

「なッ!?ひ、翡翠が変なこというからよッ!」

 

翡翠はさっきから肩が震えている。いつもこの手の話題になると私がからかうから意表返しのつもりなのだろうか。

 

いやだって、いつまでたっても学校で出会うはずのパソコン関係のビジネスパートナー兼相方(意味深)を紹介してくれない翡翠が悪いのだ。はやく2人二人三脚になって事業拡大するのをこの目で見たくて楽しみにしているのに。

 

忘れもしない。

 

九龍妖魔学園紀において亀急便のホームページを管理する女性の存在を知った瞬間に、私は推しから翡翠を外したのだ。報われる見込みのないその感情の火を、必死で踏み消そうとしたのが懐かしい。

 

いつか現れる女性がいるのだ。誤ったかたちで結ばれかけている自分たちの関係を、一旦解いて、正しいかたちに結わえ直す時は必ずくる。手に入れてすらいないうちに失うのだ。告白してふられたとか彼女ができたとか幻滅するわけではない。ただライフワーク化している永遠に続きそうな日常に期限があることを私は自覚している。私は帰るのだ。この戦いが終わったら。真神学園を卒業したら。そういう約束だから。だから私は明確に言葉に、あるいは態度にされなければ反応する気は微塵もないのだ。

 

人の気も知らないで、といいたくなるが未来予知になるので言うわけにはいかない。

 

「すまない、愛が面白いからつい」

 

「翡翠」

 

「ごめん」

 

私は肩を竦めた。

 

「それで、們天丸が話した《将門公の結界》というのは?」

 

私は掻い摘んで説明した。

 

「靖国神社を中心とした雑司が谷霊園、谷中霊園、築地本願寺、青山霊園を結んだ結界崩し、か。わかった。《五色の摩尼》や《将門公の結界》だけでなく、そちらも回ってみよう」

 

「翡翠だけじゃ無理ですよ、場所が多すぎます。明日龍君たちに話すので放課後まで待ってください」

 

「わかった。ここに来てくれるのを待っているよ」

 

「アン子ちゃんから天野記者に連絡を入れてもらいますので、少し遅くなるかもしれません」

 

「巻き込むのか?初めから」

 

「はい。そしたら私達に話を聞きに来てくれると思います。私達から情報提供しないと天野記者、いつも危険な目にあってしまいますから」

 

「君の親友みたいにか」

 

「そうなんですよ。それがアン子ちゃんたちのいいところなんですが。さっき言った結界崩しの場所でなにか異変が起きていないか、調べてもらおうと思いまして」

 

「なるほど。柳生たちがなにか仕掛けてくるとしたら、一人で行かせるのは危険だしな」

 

「そういうことです」

 

私はうなずいた。

 

おそらく次の敵は低俗霊からヤマタノオロチに至るまで、あらゆる霊を人間に憑依させることができる《憑依師》という《力》を持つ人間だ。

 

敵は幽霊を憑依させられ、理性がふきとび本能のまま暴れまくるたくさんの一般人。あるいは次々に操られていく仲間たち。

 

すでに劉が仲間になっていることを考えると心強いが、花園神社のおみくじや們天丸の法螺貝を考えると嫌な予感しかしないのだ。

 

「翡翠も1人では絶対に行かないでくださいね」

 

「わかってるさ」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔獣行3

「大変よ、大変よォ~ッ!!ついに掴んだわよォ~ッ!!」

 

「おはようございます、アン子ちゃん。そんなに血相変えてどうしたんですか?」

 

「ふっふっふ、槙乃はなにが大変かわかるでしょ?」

 

「昨日お願いしてたやつですか?」

 

「そうそうそれよ!文京、中野、豊島区を挟んだあたりの調査。池袋界隈で突発性の精神障害がおきてるわ。そして、大型の獣に襲われたかのような猟奇殺人もね。被害者のほとんどが男性みたいだわ。前者は道を歩いている人が突然奇声を上げて暴れだしたり、手当たり次第に人を襲ったりするらしいのよ」

 

「突発性の発狂ですか......これも誰かの仕業ですかね?」

 

「多分ね。あたしたちは少なくてもそう見るべきだと思うわよ。実際、警察や医学の見地からは集団パニックだかヒステリーだか原因は解明できないときお決まりのやつになりそうだし。それにあたしが今1番興味があるのは、発狂状態に陥った人がみんな口を揃えていう言葉よ」

 

「なんていってるんですか?」

 

「体の奥底から自分を呼ぶなにかの声に応えた。ただ本能の赴くままに身を任せた。そういってるのよ」

 

「本能の赴くまま、か。まるで獣ですね」

 

「個人個人の人間性を突き詰めていくと、必ずなんらかの動物霊にたどりつくっていうからね。そういうのをアミニズムっていうのよ。つまり、この事件を引き起こしているやつには、人間の本能に訴えかける《力》がある。あるいは、人間の大元である動物霊を操る《力》がある。そんなところでしょうねッ」

 

「人を獣に戻す《力》......かあ」

 

「獣になっちゃえば、悩むことも辛いことも、なんにもなくなる。ただひたすらに、本能の赴くままだものね」

 

「おうおう、朝っぱらからなに物騒な話をしてんだ。混ぜろよ」

 

「おはよう、2人とも」

 

「おはようございます」

 

「おっはよー」

 

「まァ、そうはいっても男ってやつは誰しも獣になる瞬間ってのがあるけどな」

 

「獣じゃ甘いわ。はっきりいってケダモノよッ!特にアンタたちは修学旅行で───────」

 

「へっへ、なにいってんだよ、アン子。俺たちは部屋にいたぜ?なあ、ひーちゃん」

 

「そうだよ、冤罪は勘弁してくれよな、アン子」

 

「むむむ、おっかしいわねェ......たしかにあの時いた気がしたのよ......」

 

「それはさておきだ。なに話してたんだ?」

 

「実はですね、們天丸さんから聞いたんですが......」

 

私は緋勇たちに話し始めたのだった。

 

「あれは~、憑き物の仕業かもしれないわよ~」

 

私が話し終わる頃、顔を出したのは裏密だった。

 

「えっ」

 

「それはまさか」

 

「その憑き物を自在に操れるやつが豊島を往来する人々に獣をとりつかせているのか?」

 

「たぶんね~。人間の素を見抜き~、それに相応しい霊をつかせることが出来るのは~、太古に滅びた憑依師と呼ばれた人々だけよ~」

 

「憑依師......どこかで見た気がするわ。たしか、平安時代に活躍した呪術師よね」

 

「うふふ~、さすがは美里ちゃんね~。憑依師は常に己の周りに動物霊を漂わせていて~、好きな時、好きな場所へと飛ばせるというわ~。犯人はおそらく憑依師の系譜を継ぐもの~。して、豊島に渦巻く強大な怨念をその糧として、《将門公の結界》を封じる結界崩しを汚染して~、変質させようとしているんだわ~」

 

「《将門公の結界》を!」

 

「気をつけてね、槙乃ちゃ~ん。あァ、それから~、憑依師と接触する時には気をつけてね~。あまり感情を高ぶらせると、霊の進入を容易くするわよ~。死にたくなければ、平常心~。うふふ~。お土産楽しみにしてるわ~」

 

「お土産?」

 

「なんだそれは......」

 

「うふふ~、秘密~」

 

「お前と話してると意味もなく不吉になってくるな......」

 

「こらッ!!そんなこといったら心配してくれてるミサちゃんに失礼だぞ、京一ッ!」

 

「うふふ~、心配とも期待ともいうわね~。頑張って~呪禁導師は、なかなかの強敵だわ~」

 

それが今回の敵である。現代利益追求の民間道教を源流としており、呪禁(じゅごん)という呪法と呪殺を得意とする。彼らが用いた呪術体系のひとつに厭味蟲毒(えんみこどく)があり、犬神作成の基本概念となった。

 

末裔の名は火怒呂丑光(ほどろ うしみつ)。

 

 

呪禁(じゅごん)とは、道教に由来する術(道術)で、呪文や太刀・杖刀を用いて邪気・獣類を制圧して害を退けるものである。

 

呪禁の中でも特に持禁(じきん)と呼ばれるものは、気を禁じて病気の原因となる怨気・鬼神の侵害を防ぎ、身体を固めて各種の災害を防止する役割があった。また、出産時にも呪禁が行われて母子の安産を図った。そのため、古代においては一種の病気治療の手段の1つとして考えられ、日本の律令制にも典薬寮に呪禁博士・呪禁師が設置された。

 

早い時期に呪禁に関する職制は衰微していき、同じく道術の要素を取り入れて占いなどにあたった陰陽道の役割拡大とともに、陰陽師が呪禁などによる病気平癒のための術を行使するようになった。

 

なお、呪禁職制衰退の背景には、奈良時代後期に続いた厭魅や蠱毒に関わる事件との関連も指摘されている。

 

呪禁師は道教の影響を受けて成立し、呪術によって病気の原因となる邪気を祓う治療などを行った。古くは仏教の祈祷と混同されて用いられた例もある

 

律令制においては呪禁も病気治療や安産のために欠かせないものとされ、呪禁師の中で優秀なものは呪禁博士(定員1名)に任ぜられ、呪禁生(定員6名)の育成に努めた。

 

だが、後に厭魅蠱毒事件の続発によって呪禁そのものが危険視されたこと、同様に道教の呪術を取り入れた陰陽道の台頭によって8世紀末頃には事実上廃止され、9世紀には呪禁師の制度自体が消滅した

 

 

蠱毒(こどく)とは、古代中国において用いられた呪術を言う。動物を使うもので、中国華南の少数民族の間で受け継がれている。

 

犬を使用した呪術である犬神、猫を使用した呪術である猫鬼などと並ぶ、動物を使った呪術の一種である。代表的な術式としてヘビ、ムカデ、ゲジ、カエルなどの百虫を同じ容器で飼育し、互いに共食いさせ、勝ち残ったものが神霊となるためこれを祀る。この毒を採取して飲食物に混ぜ、人に害を加えたり、思い通りに福を得たり、富貴を図ったりする。人がこの毒に当たると、症状はさまざまであるが、一定期間のうちにその人は大抵死ぬとされている。

 

 

古代中国において、広く用いられていたとされる。どのくらい昔から用いられていたかは定かではないが、白川静など、古代における呪術の重要性を主張する漢字学者は、殷・周時代の甲骨文字から蠱毒の痕跡を読み取っている畜蠱(蠱の作り方)についての最も早い記録は、『隋書』地理志にある「五月五日に百種の虫を集め、大きなものは蛇、小さなものは虱と、併せて器の中に置き、互いに喰らわせ、最後の一種に残ったものを留める。蛇であれば蛇蠱、虱であれば虱蠱である。これを行って人を殺す。」といったものである。

 

中国の法令では、蠱毒を作って人を殺した場合あるいは殺そうとした場合、これらを教唆した場合には死刑にあたる旨の規定があり、『唐律疏議』巻18では絞首刑、『大明律』巻19、『大清律例』巻30では斬首刑となっている。

 

日本では、厭魅(えんみ)と並んで「蠱毒厭魅」として恐れられ、養老律令の中の「賊盗律」に記載があるように、厳しく禁止されていた。実際に処罰された例としては、769年に県犬養姉女らが不破内親王の命で蠱毒を行った罪によって流罪となったこと、772年に井上内親王が蠱毒の罪によって廃されたことなどが『続日本紀』に記されている。平安時代以降も、たびたび詔を出して禁止されている。

 

やかて陰陽師にとってかわられた一族なのだ。

 

「翡翠にも話は通してありますから、《将門公の結界》を抑えている雑司ヶ谷霊園、青山霊園、築地本願寺、谷中霊園、靖国神社を順番に調べてみましょう」

 

「《五色の摩尼》や《将門公の結界》も心配だな、みんなには近いところから回ってもらおうか」

 

「そうだね」

 

私達は頷いたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔獣行4

 

雑司ヶ谷霊園、青山霊園、築地本願寺、谷中霊園、靖国神社。これらが約260年も続いた徳川幕府が終わりを告げ、明治政府が新たに鬼門封じを試みたさいに作ったとされる結界だ。明治政府は平将門公にまつわる7つの神社を分断するべく、靖国神社を中心とした結界を張った。

 

靖国神社は国のために戦死した人々を祀っている場所。谷中霊園は明治6年にできた神式公共霊園。雑司ヶ谷霊園も明治6年にできた神式公共霊園。築地本願寺は江戸最大の庶民の墓所。青山霊園は明治6年にできた神式公共霊園。

 

谷中霊園~青山霊園にかけては靖国神社を中心に正確な長方形となっている。つまりは人霊による結界を張ったということだ。この明治政府の結界によって、将門公の北斗七星の結界ラインは切られてしまった。

 

さらに霊的にもとても強い結界力を持つ「鉄」の線路で囲んだ山手線は明治16年に開業、明治42年に本格的に運行を開始した。

 

古来から日本は天変地異が続くとそれを一人の人間の祟りと考え、その人間を祀ることで災いを鎮めるということをしてきた歴史もあり、色々な要素が重なって怨霊という話になっていった。

 

いずれにせよ長い間、江戸(東京)の町を守っているのだからこれからも畏敬と感謝の気持ちを忘れずにお参りすべきなのだ。

 

その結界を悪意ある者が水面下で破ろうと暗躍している。考えるだけでゾッとする話である。

 

放課後になり、翡翠と合流した私達はまず雑司ヶ谷霊園を目指すことにしたのである。

 

 

「さっきからどうした、京一」

 

「あのよ~、アン子がいってたバケモンに食い殺されたのが男ばっかだっていうあれ、なんか気になるんだよな」

 

「怖いよね~」

 

「ちょっとコンビニ寄っていいか?」

 

「どーしたんだろ、京一」

 

しばらくして京一はグラビア表紙の少年誌をだしてきた。

 

「これから墓場に行くってのになに考えてんのさ、京一」

 

「ふざけてなんかねーさ、ほらみろよ」

 

京一がさしだしてきた雑誌には、今をときめく舞園さやか。今でいう清純派アイドルの走りみたいな女子高生の特集記事が組まれているのだが、イベントが行われたと書いてあった。

 

「京一、ファンだっけ」

 

「プールの撮影に連れてかれたなそういえば」

 

「ここみろよ、ここ!イベントあった場所と被害者がいる時間帯がぜんぶ一致してんだよ!」

 

「えっ!?」

 

「うそ!?」

 

「うそじゃねェさ。なーんかひっかかると思ったらやっぱりそうだ!ここんとこ《鬼道衆》やら赤い髪の男やらで忙しくてイベント参加できねーから悔しかったから覚えてたんだよッ!」

 

「ということは、まさか......」

 

「被害者全員さやかちゃんのファンに間違いねェぜ」

 

「もしかして、熱狂的なファンに《力》に目覚めた者がいるのでは?アイドルって結構いるっていいますし」

 

私の言葉に京一がひきつった。

 

「やっぱりかよォッ!!んな野郎がファンなんてさやかちゃんがあぶねえじゃねーかッ!こうしちゃいられねェ、憑依師のやつをはやいとこぶっ倒さないとなッ!!」

 

蓬莱寺がいつになくやる気満々である。

 

「けど、京一がそんなにさやかちゃんのファンだったなんて、ボク、知らなかったなァ。言われてみればたしかにいい歌歌うもんね」

 

「ドラマのテーマ曲がよく流れているけど、たしかに元気になれるわ」

 

「そういえば、さやかちゃんの歌を聴いた植物状態の人が目を覚ましたり、病気が治ったり、何だかすごい効果があるって話題になりましたよね。ヒーリングなんとかですっけ」

 

「なんとかテラピーみたいな?」

 

「心理的だけでなく、身体的にも効果があるらしいです。気になって《如来眼》で見たことあるんですが、どうやら彼女も《力》に目覚めて......」

 

「にゃにおー!?」

 

「わあ!?」

 

「まーちゃんの阿呆!なんでそんな大事なこと今まで隠してたんだよッ!!」

 

「隠してないですよッ!さやかちゃんはアイドルじゃないですか!そもそも会える保証なんてないですって!」

 

「うっ、そりゃそうだけどよ~。さやかちゃんと同じ《力》だって聞いたらテンションどんだけ上がると思ってんだッ!少なくても怖がる奴はいなかったはずだぜ!」

 

「た、たしかに......」

 

「まーちゃん、まーちゃん落ち着いて。ふーん、聞いてるとみんなさやかちゃん好きみたいだね。たしかにいい子なイメージ。ねェ、ひーちゃん。もしかして、龍麻クンも、こういうコが好みだったりして?」

 

「さやかちゃん?可愛いとは思うけどアイドルだしな、好みとはまた違うよ」

 

「俺の愛するさやかちゃんを侮辱するたァ、いい度胸だッ!!」

 

「そっかあ、やっぱり大人しめな子が好きなんだねッ!よかったね、葵!」

 

「え、ちょッ......小蒔....またそういうこと......。もう......」

 

美里は困ったように緋勇をみた。緋勇は笑ってかえす。美里はちょっと嬉しそうだった。青春だなあ。

 

そんな緋勇の肩を抱きながら蓬莱寺はお構い無しで舞園さやかの素晴らしさについて語っている。

 

京一が舞園さやかを好きな理由は、「奇跡の歌声」とまで言われる歌唱力や現実に居るのかと疑ってしまう程に愛らしい姿もある。それに加えてわずか十六歳にして「平成の歌姫」と呼ばれ、アイドルとして地位を確立し、学生生活もままならない程仕事をこなしているのに、TVで見る彼女はいつも明るく、素直で楽しそうである。

 

彼女の素敵な笑顔はとても優しく、どこか芯が通っているように思う。見る者全てに安らぎを与えるのは、そんなところから来ているような気がするのだ。

 

「京一くんがそこまでいうなら、本当会ってみたいわ」

 

「さやかちゃんみたいな子がボクたちの仲間になってくれたら、とっても心強いね!」

 

美里たちの言葉にだろーと蓬莱寺はご満悦な様子だ。

 

「ファンが《力》の持ち主ならはやいとこ倒さないとやべーぜ、早く行こうぜ」

 

その時だ。

 

何かが、何か見えては行けないなにかが見えた。慌てて視線でおいかけたが、特に気になるようなものも人間も見あたらない。

 

私自身何が見えたのか解らなかった。目の端に残る映像を必死で思い出す。確かに、「何か」が居た。「それ」が私の視界を横切っていった。

 

「まーちゃん、どうした?」

 

蓬莱寺に声をかけられた私は言葉につまる。

 

「いま、今なにか......」

 

如月も私の異変に気づいたのか歩みをとめた。

 

「愛?」

 

「いちゃいけないものが......」

 

緋勇たちが気づいたのか次々に止まっていく。私は冷や汗がとまらない。今の今まで忘れていた、恐怖の象徴の《氣》だった。今更ながらに本能が警鐘を鳴らし始める。

 

「愛?大丈夫か?」

 

「槙乃ちゃん、ひどい顔だわ、どうしたの?」

 

「憑依師を見つけたのか?」

 

「違う......」

 

「え?」

 

「違う......なんでいるの......なんでここにいるの、この邪悪な《氣》は、まさかッ」

 

私は如月たちの制止を振り切り走り出すのだ。私としたことがなぜ今の今まで忘れていたのだろうか、柳生側には《天御子》の影がチラついているのである。

 

舞園さやかはたしかに華やかな容姿と柔らかい人柄、そして妙なる歌声で今をときめくトップアイドルの美少女だ。その歌声には人々を癒す特殊な「力」が宿っている。霧島諸羽と親しく、彼を強く信頼している。 宿星は「八尺(やさか)」である。問題は櫛名田比売(くしなだひめ)の転生体であることだ。

 

そして霧島諸羽は文京区の鳳銘(ほうめい)高校1年D組。 礼儀正しく真面目な少年で、西洋剣術の使い手。同じく剣を使う蓬莱寺京一を先輩と呼んで深く慕う(友好度によっては緋勇龍麻にも先輩と呼ぶ)。舞園さやかと親しく、彼女の私設ボディガードを勤める。元々「力」は持っていなかったが、「さやかを護る」という気持ちから力が目覚める運命にあり、宿星は「忠星」であり、また「須佐之男命(すさのおのみこと)」の転生体でもある。

 

そう、《天御子》またの名を天津神という超古代文明に牛耳られた大和朝廷の天照の実の弟。実際は国津神ゆえに実験体にされたり、残虐な扱いを受けたりした民の有力者のひとり。その転生体がいるとして、放っておくわけがないのである。

 

そんな私を嘲笑うかのように、悲鳴が裏路地から聞こえた。私がかけつけるとその場に座り込み、動けないさやかと叩きつけられたのか苦悶の表情をうかべる霧島の姿があった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔獣行5

医院長の診断が終わり、診察室からでてくるなり、さやかと霧島は私達に深深と頭を下げた。

 

「助けてくださり、本当にありがとうございました」

 

「よかった......やっとまともに話を聞いてくれる、まともに力を貸してくれそうな人たちに会えた......。ほんとによかった......。よかったね、さやかちゃん」

 

「うん......霧島君が無事で、本当によかった......」

 

霧島とさやかは本当に心の底から安心したようで、桜ヶ丘病院の待ち合い室のソファに座り込んでしまう。私達がかけつけた時にはすでに敵は去った後であり、《天御子》の《氣》を感知した私は呪詛を警戒して2人を強引に桜ヶ丘病院に連れて行ったのだ。

 

「さあて、そろそろ本題に入ろうぜ?お前はさやかちゃんをずっと守ってるみてーだがあれか?幼馴染か?」

 

「とんでもないッ!!僕はさやかちゃんのボディガードを務めているんですッ!さやかちゃんとは同じ高校に通ってて、クラスも違うし、幼馴染だなんてそんな!」

 

「霧島君は私が《力》に目覚めてから、ずっと助けてくれているんです。こんなこと、誰にも相談できなかったから......」

 

「なにがあったのか、説明してくれるか?俺たちが力になれるかもしれない」

 

緋勇の言葉にさやかはうなずいた。

 

さやかが自分の《力》を自覚したのは、今年の4月。高校生になったのを節目に、アイドル活動を本格始動してからすぐのことだった。ファンレターで自分の歌を聴いたファンが感謝の手紙やメールをどんどん送り始めたことに始まる。病気が治った、元気がもらえる、好きな歌を聴いたら精神状態が向上するのはよくあることだと気にもとめなかったのだが、活動を拡大するにつれてお礼をいわれる回数が増えに増えた。芸能界の重鎮や裏を牛耳る人にまで評判がとどき、実際にその恩恵にあずかったらしく、さやかは知らないうちに優遇されるようになっていく。気づけばさやかの知らない間にその《力》は直接でなくてもテレビやラジオを介しても発現することが明らかになり、人気は宗教的な熱気を帯び始めた。

 

24時間テレビの番組で共演した重度の障害者の症状がよくなり、さやかの歌を定期的に聞きながらリハビリをすることで劇的な作用をもたらしたあたりで、いよいよさやかは自分の《力》を自覚するに至る。

 

マネージャーは素人モデルの頃から付き合いのある良識的な人であり、所属事務所が小さくさやかが唯一の看板のため大切にしてくれるのがさいわいだった。

 

「私が《力》に気づく前に教えてくれたのが霧島君なんです」

 

「僕、幼い頃から西洋剣術を習っているんですが、そのせいか《氣》がわかるんです。さやかちゃんをみてすぐにわかりました。さやかちゃんは武道を嗜んだことがないのに、《氣》による治療とよく似たことが歌によってできていたんです」

 

「紗夜ちゃんや舞子ちゃんと同じですね。歌に《氣》をのせることができる《力》」

 

「私の他にもいらっしゃるんですか!?」

 

「ここの病院の看護実習生だよ。みなかった?黒髪の子と、栗色の髪の」

 

「あ、さっきの治療をしてくれた人かな、さやかちゃん」

 

「きっとそうだわ。そっか......私だけじゃないんですね......よかった......私嬉しいです。今まで誰もいなかったから」

 

「さやかちゃんだけじゃないって知って安心しました。僕、《氣》はわかるけど、さやかちゃんみたいな《力》はないから悩みを聞いてあげることは出来ても、解決策を一緒に考えることしかできなかったから」

 

「ううん、いいの。霧島君のおかげでどれだけ助けられたか......」

 

「さやかちゃん......」

 

「やっぱり大変なんだな?」

 

「あれかァ?ファンに《力》をもったやつがいるのか?」

 

蓬莱寺の言葉にさやかは肩を震わせた。代わりに霧島が教えてくれた。

 

事の発端は今月11月に入ってからだった。さやかのファンイベントに参加した男はかならず毎夜夢を見るようになるという。その夢は、何者かが一歩一歩近づいてくる夢だ。はじめは気配だけ、次に足音、そして人影。ついにある晩その正体を見ることになる。毎夜近づいていたのは『頭部が無く、裸で両手に口のある太った男の姿をしている』化け物だ。

 

その身体は白熱しており、夢の中で有りながらもその化け物の持つ異様な熱さを感じる。夢から目覚めるたびにその胸にせり上がる<ある種の感情>が強くなっていく事に気付く。

 

それは途方も無く肥大する悪意。もし、その悪意を発露したいと願えば、それはきっとその名伏しがたい力を貸してくれる確信がある。

 

そして、ある日、暴発する。それはファン同士の小競り合いだったり、さやかと霧島がいるのを目撃しての嫉妬だったりが引き金だが、発狂するのだ。そして、化け物になってしまう。

 

「まじかよ、爆弾かなんかか?」

 

「憑依師は悪霊を好きなところに飛ばせるらしいですからね......」

 

「よく無事だったね、2人とも」

 

「霧島は大丈夫なのか?」

 

「僕も夢は見るんですが、なんとか。鍛錬のおかげかな......。発狂したやつはかならずさやかちゃんを誘拐しようとするから、逃げたり、やっつけたりするために頑張って鍛えてるので」

 

それでも夢見は悪いのか、霧島はため息だ。

 

《あれこそが誰しもが心の奥底で望んでいた姿》

 

戦慄が走る。

 

《滅びの道を加速する現代文明はまもなく終焉を迎える》

 

「この声はッ!!」

 

《そしてくる新しい混沌の世界には獣のサガを持つものこそ相応しい》

 

「知ってんのか、霧島!」

 

《生きるためにただその純粋で高尚な目的のために殺し合い、奪い合い、そして喰らい合う》

 

「僕の夢にでてくる化け物の声ですッ!」

 

《それこそが人間の本能であり、本性》

 

その言葉に私は立ち上がり、《如来眼》を発動させ、あたりを見渡す。

 

《この世紀末にこそ、人類はあるべき素へと帰るべきなのだ》

 

「───────ッアンタたち、今すぐ逃げるんだッ!!」

 

遠くで医院長の叫びが待ち合い室に木霊した、その刹那。玄関近くのガラス張りの壁が一瞬に吹き飛び、さやかたちの悲鳴があがる。

 

「近づいてきます、あの時の《氣》がッ!」

 

私は木刀を構えようとしたが、如月に手を捕まれて引っ張られる。私はようやく医院長が逃げろと叫ぶ訳が聞こえて走るしかないと知る。早く、と言われて走り出した。

 

「憑依師は人間に動物霊を憑依させた上で、蟲毒を行う気だッ!アンタたちが平気だろうと、取り憑かれようと、まともに相手した時点で術中にハマっちまうんだよ!!勝ち残った時点で魂が神霊に変質しちまう!そうなったら最期、人蟲(じんこ)だ!ここじゃだめだ、院内は狭すぎる!早くこっから逃げるんだ!」

 

粉砕されたガラスを踏みつけながら現われたのは、実体を持たないなにか、だった。《氣》の濃い部分だけがぼんやりと黒く濁り、物凄い勢いで近づいてくる。

 

「霧島ッ、あれがさっきお前たちを襲ったやつか!?」

 

「はい!」

 

「さやかちゃん、大丈夫なの!?」

 

「わかりませんッ!なんで大丈夫なのかわからないんです!でも私と霧島君はなぜか大丈夫みたいでッ!!」

 

「大したやつだぜ、霧島ッ!こっからでもやべーのがわかる!」

 

「あれは《天御子》の《氣》を伴ってる......どういうこと......?呪禁博士は《天御子》の一員だったの......?でも陰陽師に追われて姿を消したはずじゃ......!?ああもう、なんなのよッ!」

 

「なんでボクたち、追っかけられてるのー!?」

 

「赤い髪の男の差し金か、私が狙いか、だめだ情報が少なすぎます!」

 

転がり落ちるように病院を飛び出した私達は中庭に出た。

 

「やあっと見つけたで、蛇蠱(じゃこ)ッ!」

 

そこにいたのは劉弦月だった。不敵な笑みを浮かべて中国語の呪文を唱え始める。そこにいたなにか、改め蛇蟲はのたうち回るように広がったり、縮まったりしたあと、四散してしまった。

 

「消えた......?」

 

「来るのが遅れてごめんな、アニキッ!姉ちゃんが《将門公の結界》が危ないからて手伝いに駆り出されとってな~ッ!堪忍やで!」

 

「瑞麗さんに?」

 

「せや、機関通じてお得意さんから依頼があったらしくてな?嫌な予感したからバックレて正解やったで。よかったあ」

 

ほんとに怖かったらしく、劉は緋勇に抱きついている。

 

「すご~いッ!すごいよ、劉クン。ボクたち逃げるしかなかったのに」

 

「いや、《旧神の印》もっとる小蒔はん達やったら倒せるんやで?倒せるんやけど、距離保っとかんと倒したやつに取り憑くパターンやねん。めんどくさいやろ?なら根本から倒した方が楽やねん」

 

「いつぞやの蟲みてーなやつらだな!?」

 

「ほんまめんどくさいことばっかする敵や。はやいとこ《力》の持ち主倒さなえらいことになるで?どーすんのん、アニキ」

 

「そんなの、乗り込むに決まってるだろ。月(ゆえ)のおかげで対策はわかったんだ、今度は逃げずに戦えそうだしな。さやかちゃんたちから被害は聞いてるんだ、このままじゃまずいことくらいわかってる」

 

「さすがァッ!いうてくれると思とったわ。そーいうことなら話ははやいで、ほかの結界は姉ちゃんの同業者の人らが守ってくれとるさかい、わいらは乗り込もか!無許可やけどな!」

 

「いいのか?」

 

「俺たちのが邪魔にならねえか?」

 

「えーねん、えーねん。でっかい組織なんていつだって動くの遅いんや!待っとったら日が暮れて、蟲まで出てこられたら手に負えんくなるからな!」

 

「たしかに......呪術は夜がより強まりますからね。一理あります」

 

「みなさん、僕たちも連れて行ってください!」

 

「あの、どういうわけか、あの呪術に私達は耐性があるみたいなので......ご迷惑はかけません!だから、手伝わせてください、お願いします!」

 

さやかと霧島の言葉に目を丸くしたのは劉だった。

 

「アレに耐性あるって、あんさんらナニモンやねん!?まあた知らんとるうちにとんでもない子らと知り合っとんやな、アニキ。わいはいーけど、大丈夫なん?槙乃はん」

 

「大丈夫ですよ、きっと。今、《氣》を見せてもらいましたが、お二人共とても強い《氣》と《加護》を持っています。それも、憑依なんてはねのけるくらいつよい《加護》。私達に万が一があった時には助けてくれるはずです」

 

私の言葉に緋勇は2人の同行を許したのだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔獣行6

タイミング悪く雨が降り出し、途中のコンビニで買った傘をさしながら私達は先を急いだ。

 

目的地の最寄り駅はJR山手線の日暮里駅。まずは日暮里駅の南口を出て、僅か100メートルほどの場所に向かう。

 

そこは江戸時代、日蓮の弟子・日源によって1274年に開山された感応寺の墓所で、1833年に天王寺と改称された。この天王寺が有名になったのが、目黒不動、湯島天神と共に“江戸の三富”として富くじ(現在の宝くじ)が販売されたことだ。

 

この客を当て込んで茶屋が参道入り口に立ち並び、現在でもその名残から墓地関係者は中央園路にある花屋のことを「お茶屋」と呼んでいる。

 

こうしたこともあって江戸時代大いに繁栄した天王寺だったが、明治維新の後、政府は神仏分離政策を進め、神式による葬儀も増えた。

 

しかし、墓地の多くは寺院の所有であったため埋葬場所の確保が難しく、公共の墓地を整備する必要にせまられていた。1874年に明治政府は、天王寺の寺域の一部を没収し、東京府管轄の公共墓地として谷中墓地を開設した。

 

それこそが私達の目指す谷中霊園(やなかれいえん)。東京都台東区谷中七丁目にある都立霊園である。旧称の谷中墓地(やなかぼち)と呼ばれることも多い。谷中の寺町の中にあって、寛永寺や天王寺の墓地が入り組んで一団の墓域を形成している。

 

霊園の北側はJRの線路に接する高台となり、園内は明るく静かで、著名な画家や文学者、俳優なども眠っている。開設は明治7年で、面積は約10ヘクタール。 東京ドーム2つ分以上に相当し、およそ7,000基の墓がある。徳川家15代将軍慶喜や鳩山一郎・横山大観・渋沢栄一などが眠ることでも知られている。

 

 

様々な歴史や文化を垣間見れる谷中霊園は閑静な佇まいのなかでも、どことなく下町の親しみやすさのある霊園だ。あくまで霊園だから節度を持つのは当然だが、散策をするのも楽しいと思う人もいるようで、ちらほら人を見かけた。

 

 

「なんで谷中霊園だって思ったんだ、月(ゆえ)?」

 

「ええ質問やね、アニキ。明治政府が作った《将門公の結界》を弱体化させつつ新たに鬼門を封じる《結界》な、ここがちょうど中央の靖国神社からみて鬼門にあたるねん」

 

「鬼門......」

 

「なるほど、だからですか」

 

「どーやろ、槙乃はん。あたっとるやろか?」

 

「ええ、憑依師がなにか仕掛けているのか、《氣》の流れが明らかにおかしいです。こういう《結界》は《龍脈》の流れを利用するものですが、循環するはずの流れが明らかに澱んでいますね」

 

「ビンゴやな」

 

谷中霊園は寛永寺の敷地と隣接していることがますます私に緊張感をもたらしていた。実は寛永寺はいわゆる最終決戦の地にあたる場所なのである。今はまだ力を蓄えている時期だからだろうか、意を決して《如来眼》で解析を試みたが、敷地を横切っても憑依師による変異を超えるものは感知することが出来なかった。

 

私達は谷中霊園敷地内を進んでいく。

 

《氣》が淀み始めた。私でなくてもみんなわかるようになってきたようで、不安そうにきょろきょろしている。

 

 

「お前たち人間は、ボクの仲間をたくさん殺した。自分たちの都合だけで、ボクの仲間を、何万匹もッ!!」

 

「うふふふふ......美味しそうなお兄さんたちだこと......。どこから食べようかしら?頭から?手から?足から?ああ迷っちゃうわ......」

 

「君たち、俺たちの王を知らないか?殺戮と狂気を教えてくれた、我が王をッ!」

 

人間にしか見えない子供が私達を指差し糾弾したかと思えば、焦点があわないスーツ姿の女性が血みどろの口を拭いながら笑い出す。あるいは目が異様にギラギラした男性が自分は鳥だと主張するように両手をばたつかせている。

 

この広大な谷中霊園敷地内は、どうやら動物に憑かれた人間たちの巣窟になっているらしい。狂ったように笑いながら走ってくる子供たち。私達は妙な不安とざわめきに囚われている。

 

美里がなにかいると怯え始め、緋勇が明らかに警戒し始める。醍醐は取り繕いもせず、おどおどしながら怯えている。蓬莱寺は油断無く辺りを見回していると、人の気配が微塵もしない男たちも近づいてきた。

 

「君たち…......死にたいとおもったことあるかい?俺はあるよォ…。いつもいつもいつもだ」

 

焦点の定まらない目と、口の端から零れ続ける涎が、発狂していることを示していた。心にかかえたなにかしらの不満と、復讐を呟く男は、少年たちと口々に呪詛を吐き出しはじめる。

 

「やっぱり、食べちゃえばいいのかなァ。あのムカつく上司も、生意気な部下も、ノリが悪いパートもッ!」

 

「まさかこれが、みんな憑依された人たちなのッ!?」

 

桜井もさすがに10人を超えたあたりから僅かに怯えの色が走る。

 

「間違いないですね、憑依師の呪詛の巣窟だ」

 

私がそういった矢先、們天丸から預かっている法螺貝ががたがたと暴れはじめる。私は風呂敷を解いた。

 

「うおッ、なんやごっついもんもっとるやん、槙乃はん。どないしたん?」

 

「以前お話した們天丸さんからお預かりしたんです。きっと役にたつからって」

 

吹いたらいいんだろうか、と思うより先に法螺貝の音が勝手になり始めた。

 

「ぎえあああッ!」

 

「やめろッ!その音をやめろォッ!」

 

「やめなさいッ!お経を唱えるのをやめてくださいッ!頭が、頭が割れるゥッ!!!」

 

たくさんの人間たちがもがき苦しみ始めた。

 

「よし、今だ!今の隙にこの人達を呪縛から解き放つんだッ!手加減しながら闘ってくれ、みんな。絶対に近づくな」

 

緋勇が《旧神の印》に《氣》を込めて、《加護》を得る。そしてなるべく距離を保ちながら《氣》を放った。その一連の流れをみた仲間たちはうなずいて一斉に攻撃に入る。

 

們天丸からもらったお守りのおかげか、近づいてこようとする動物憑きが私のところに集中することはなく、一定の距離をもって唸っている。緋勇たちにも近づけないようだ。もちろん、耐性があるさやかたちにもだ。

 

 

 

「ウヒヒヒヒヒッ!!」

 

男の嘲笑が谷中霊園に響きわたる。

 

「こうなったらやるしかねェッ!!霧島ァ!!ビビるんじゃねェぞッ!!」

 

「は…......はいッ!!」

 

「霧島、京一と《氣》を一緒に放ってみてくれ。お前たちならできる」

 

「わ、わかりました!」

 

「行くぜッ───!!」

 

2人が放った《氣》が巨大な光を爆発させて目前のサラリーマンたちをまとめて薙ぎ払った。

 

「こ、これは......」

 

「《方陣》ッつーんだ、覚えとけよッ。しっかしやるじゃねェか、霧島。さすがはさやかちゃんの騎士気取るだけはあるねェ」

 

「あ、ありがとうございます、蓬莱......いや、京一センパイッ!」

 

「お、おう......?まァいいか。よし、迂闊に飛び込まずに距離保って攻撃してくぞ。諸羽、いいなッ?」

 

「わかりましたッ!」

 

私はなり続ける法螺貝をかかえたまま、《如来眼》で解析をしながらあたりを見渡す。まだ憑依師はいないようだ。それを伝えると、緋勇がうなずくなり、正面に立ち塞がる少年たちを攻撃した。翡翠も遠慮無く、動物つきたちをふき飛ばす。

 

そして、この闘いは別の意味で苦戦を強いられることとなった。

 

「ギャッ!!」

 

男が簡単に吹き飛び、壁に激突した。

 

「グルルルルルゥッ!」

 

すぐに起き上がり、また立ち向かってくるが、その足はおかしな方向にねじ曲がったままだ。

 

「───ッ。」

 

明らかに折れている腕で、戸惑うことなく反撃してくる。相手は、何かに憑依されてはいるが、元はただの一般人だ。特別鍛えてでもいない限り、《氣》を持った緋勇たちの攻撃に耐えられない。なのに、どれほど傷付いても退かず、攻撃をやめないので始末に負えない。

 

「わ、解ってたけどッ......やりにきいなァ、おいッ!峰打ちしてんだからさっさと倒されろよ、めんどくせぇなァッ!」

 

「本能のまま攻撃してるくせに生存本能は死んでるのかッ!?」

 

「まったくだ!」

 

蓬莱寺と緋勇は背中を合わせて愚痴る。蓬莱寺は刀を軽く持ち直し、敵に当たる寸前で峰打ちとする体勢は整え、きりかかる。緋勇も《氣》を放ったが、加減しているためダメージは微々たるものだ。

 

「ど、どうすればいいですか......京一先輩ッ!」

 

「どうしろって......」

 

勝手の分からない霧島が、子供に囲まれ、じりじりと後退している。

 

「来るな、来るなァッ!」

 

桜井たちも威嚇射撃を繰り返すが、敵は意にも介さない。醍醐は敵の首に手刀を入れ、気絶させたところだった。

 

「───霧島くんッ!!みなさん!私も戦います!」

 

「えっ!?さやかちゃん!?」

 

「大丈夫、なんとかしてみせます」

 

さやかは両手を胸に添えて息を吐き出すと、スッとその手を前に差し出し、歌い始めた。

 

さやかの透明なソプラノが谷中霊園全体に響き渡り、一瞬味方も、敵さえも動きが止まる。思わず見惚れていると、彼女の身体から神聖な光が溢れ出した。

 

動物憑きたちが苦しみ始める。次々と気絶し始めた。どうやら解呪に成功したようである。

 

「ありがとう、さやか」

 

「はい」

 

「法螺貝は鳴り止まないな」

 

「ですねえ」

 

ようやく前哨戦を終えた私達は先を急いだのだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔獣行7

谷中霊園敷地内に、ただの空き地が大人なら乗り越えられそうなフェンスにかこまれている。その空き地に男がいた。

 

「お前たちは知らないかもしれないが、ここには昔、立派な五重塔がたってたんだ」

 

誰に聞かれたわけでもないのに、男はいった。

 

「今は土台の礎石しかない。礎石の面積がほんとに小さい。こんなに狭い敷地に建っていたのかと思うとびっくりするよな」

 

私達は警戒を緩めない。憑依師なのか、憑依師に動物憑きにされた男か区別がつかないからだ。そんな私達を知り目に男は語りつづける。

 

「忘れもしない、1957年7月6日早朝に心中による放火で焼失したんだ。火の手は午前3時45分ごろに上がり、塔から50m離れた地点にも降り注ぎ、心柱を残してすべて焼け落ちた。焼け跡の心柱付近から男女の区別も付かないほど焼損した焼死体2体が発見された。のちの調査で男女は不倫関係の清算を図るために焼身自殺を図ったことがわかった。塔は再建されず、今はこうして礎石だけが残るのみ。なんとも脆いもんだ」

 

諸行無常を口にしているが、その顔にはニヤニヤとした笑いが浮かんだままだ。

 

「お前が憑依師か」

 

「そうだといったらどうする?」

 

ピリッと張り詰めた空気がただよいはじめる。

 

手駒を全て失った筈なのに、一体何を根拠にそれ程の余裕を保てるのか、私達はわからない。まだなにかあるのかもしれない。《如来眼》では解析しきれないなにかが。その警戒心が緊張感を昂らせていく。

 

「くくく、まったく単純な奴らで助かるぜ。あははははははははッ!!てめェら、もう終わりだな」

 

火怒呂と名乗った男は、呪術博士を排出してきた一族の末裔であり、冤罪により廃止したあげく弾圧してきたやつらに復讐するために騒動を起こしているのだという。赤い髪の男に協力して東京を混乱に陥れ、人蟲(じんこ)を作り上げた末に、それを生贄にしてさらに強力な呪詛を発動させるつもりらしい。

 

火怒呂としてはもっと秘密裏に事を運び、もっと手駒を増やし、多少の妨害など意にも介さない状態になってから動くつもりだった。

 

だが、私達や《エムツー機関》、宮内庁といった敵対勢力の初動がかなり早かったために、不完全なまま術を発動させるつもりのようだ。

 

自分の能力に自信があり、そのくせやけに慎重で用意周到過ぎる罠を張り巡らせているあたり、陰陽寮への恨みが透けて見えた。

 

「復讐なら陰陽寮のやつらにやれよッ!俺たち関係ないじゃねェかッ!!」

 

嗤笑に苛立ったのか、蓬莱寺がカッとなって啖呵を切ろうとした。その瞬間に蓬莱寺たちの体が不自然に硬直する。

 

「───!?」

 

喩えるなら「熱い闇」のようなものが、身体の奥の、更に奥底から急激に膨らんで、蓬莱寺たちの身体を数秒で捉える。私は憑依師が仕掛けたのだと悟った。

 

一瞬、感覚が周囲の全てから遮断される。普通に立っていた筈が、急に後ろに引っ張られ、部屋から引き摺り出された。

 

「うッ───!?」

 

「京一、大丈夫か!?」

 

意識だけが身体から遠く離され、身体の奥底から、自分ではない自分が目を覚ますのを感じるのか、蓬莱寺はうずくまった。

 

「小蒔、大丈夫ッ?」

 

「醍醐まで?!」

 

法螺貝の音が大きくなっていく。

 

「憎いだろう?喰らいたいだろう?己が欲するままに、殺したいだろう?そうするために必要だというなら、闇に堕ちてもかまわないだろう!!」

 

抑圧され続けていた獣の咆吼が全身を揺るがすために、火怒呂が叫ぶ。かろうじて残っている人間の心、理性が外へ出ようとする激しい欲望に浸食されていく。蓬莱寺、醍醐、桜井、ほかの仲間たちも次々と自分を抑えるために行動不能になっていく。

 

「さあ、魂の奥底の扉を開くのだ!闇の中に光る、今にも飛び出さんばかりの獣の眼で世界を見るがいいッ!」

 

法螺貝の音がいよいよ鼓膜がやぶれるんじゃないかというくらいまで大きくなる。

 

「うるさいッ!そのお経を唱えるのをやめろッ!!こいつらは獣に堕ちたのだッ!!」

 

「七十五靡ノ印ッ」

 

凛とした声が響いた。谷中霊園全体の《氣》が明らかに変化した。一瞬にして清廉な《氣》が流れ込んでくる。

 

「き、貴様はッ!!」

 

「熊野にある難所、七十五山を修めたる者にのみ伝する印や。高められた氣は、他者を助ける力となるってな。大丈夫かァ?」

 

にひ、と笑ったのは們天丸だった。いつの間にか私達と火怒呂の間にたっていた。

 

「法螺貝持たしといてよかったわ、ずっとお経唱えるのは手間やったけどな。わいもやること山ほどあったんや、間に合ったから堪忍してや?ところで、あんさん、いつの時代の火怒呂や。今の時代にこんだけ蟲毒極められるやつなかなかおれへんで?」

 

們天丸にそう言われた男はいよいよ口が裂けるくらい笑った。

 

それは、今は伝わっていない飛鳥時代の呪禁博士の名前だった。一説に役小角の一族の者とも言われる者らしく、医術の知識に優れ、また良く蟲獣を使役したという。諸国に疫病の広まったとき、これを癒すべく諸国を行脚したが、そのために疫病をもたらす者と讒言され、処刑され、一族は路頭に迷ったのだという。

 

死の間際自分を死に追いやったものたちを呪い、悪疫を都まで運ばせようとした。

 

しかし、功徳のある高僧が們天丸が唱えたお経により防いだために、復讐を達成することはできなかったらしい。

本来力のある呪者であり、呪禁博士を務めるなど尊敬を集めた人物であったが、最期の呪詛によって悪鬼としてのみ名を残すこととなった。その名もやがて多くの鬼たちの間に埋もれてしまい、近代に至るまで忘れられたという。

 

それを再現され、激高している。

 

「やっぱなァ......」

 

「誰に呼ばれたんですか?」

 

私は們天丸のいいたいことがわかって血の気がひくのだ。

 

蓬莱寺たちは們天丸のおかげで解呪できたようで、いつしか法螺貝はやんでいた。今にも暴れ出そうとしていた獣が、元々居なかったかのように、静けさを取り戻す。醍醐たちは汗ばんだ掌と、まだ収まりきらない鼓動だけが、今の葛藤が現実のものであったことを示している。

 

何が起きたのかは、すぐに分かった。火怒呂の策略に嵌ったのだ。裏密たちに注意されていた事を忘れ、感情が揺らいで、憑依師の術式の侵入を許してしまい、自らに眠る本能とリンクする「獣」の霊に取り憑かれたのだ。

 

「そうか......。今のが、獣の......」

 

顔をしかめ頭を振る醍醐を、軽く揶揄しつつ立ち上がる。そうする事で普段通りを装ったつもりだったが、心配そうに声をかけてきた美里の表情からすると、まだ相当顔に出ていたらしい。

 

「大丈夫だよ、ありがとう」

 

《力》を使おうとした美里を桜井がとめる。

 

「みっともねェとこ見せちまったな、諸羽」

 

蓬莱寺が皮肉をこめて笑うと、霧島は安堵の表情を浮かべた。

 

「この体の中に、俺の知らないもうひとりの俺がいる、か。霊云々よりも、そのことの方が嫌な後味だな」

 

醍醐の呟きに、悔しいが同意せざるを得ないと桜井たちはうなずく。

 

 

「へッ、俺の中に獣が棲むことなんざ、とっくに知っていたけどよ───振り回されんのは気に食わねェぜッ!」

 

「感化されちゃ意味ないですもんね」

 

「うっせえ!」

 

「......あの程度で心を乱し、低級な動物霊に引き摺られ、人ではないものの感情に囚われてしまった。僕としたことが」

 

「えッ!?翡翠もですかッ!?」

 

「抑えるのに精一杯だったよ」

 

「如月もだってよ!ひーちゃんと美里とまーちゃんはわかるぜ?でも、まじでさやかちゃんと諸羽がなんともねーのはまじでなんなんだよ!」

 

「さ、さあ......?僕にはさっぱり......」

 

「わからないですけど、皆さん無事でよかったです」

 

形成は逆転した。それに激高した火怒呂が術を発動させようとする。それは霊感のない仲間たちさえ、身体中の毛が逆立つような負の《氣》が充満していく。明らかに憑依されていると覚しき人の群れが現れた。

 

「稀代の憑依師の《力》、みせてくれるッ!!」

 

「あんさん、その赤い髪の男になにを吹き込まれたんや?」

 

ぎろりと眼を見開いた火怒呂にも臆さず口を開いたのは、劉だった。

 

「そいつはどこや。今、どこにおるんやッ!?」

 

その背から、烈しい怒り。憎しみのようなものをビリビリと感じ、私も思わず眉を顰めた。気持ちはわかるがまた憑依師の術中にハマっては意味が無い。私が動く前に們天丸が動いた。

 

「劉はん、気持ちはわかるけど相手があかん。あかんて、落ち着き」

 

だが劉は益々烈しい怒気を放ち、無造作に間を詰めていく。危うさを感じたらしい們天丸が無理やり押し留めた。

 

「あかんいっとるやろうが、じっとしとれクソガキ」

 

声が低くなり、劉は動きをとめた。どうやら神通力で無理やりとめたらしい。

 

「これ以上足引っ張んならオトすで。今が《将門公の結界》防衛の瀬戸際なんや、あんさんが一番わかっとるんやろうが。ちゃうんか?あ?」

 

「..................ごめん」

 

「わかりゃあいいねん、わかりゃあな」

 

ウインクした們天丸が劉を解放した。息を吐いた緋勇が仲間たちに指示をだす。私も気合いを入れ直して木刀を構えた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔獣行8 完

們天丸が火怒呂の憑依術をすべて引き受けてくれたおかげで緋勇たちは格段に動きがよくなり、動物憑きたちに有利に戦うことができるようになった。やはり近接戦闘を得意とする前衛が機能することで後衛の支援も援護射撃もまともに機能するのである。

 

私もようやく本来の役回りを果たすことができるようになった。谷中霊園全体を解析にかけ、敵の数や敵の攻撃範囲を把握し、緋勇に伝える。それを踏まえて緋勇が仲魔に指示をだす。的確さがもどってきた。これで戦況は安定する。

 

動物憑きたちを牽制しつつ、蓬莱寺たちは進路を確保しにかかる。この戦いを初めてからもう8ヶ月である。実戦を積み重ね、緋勇の指示にも慣れてきた。取り憑かれた人々との闘いも二度目なので、誰もが力の加減を学んだ。自分が何をどうすればいいのかわかっている人間は迷いがないから動きが的確だ。

 

じわじわとではあるが、動物憑きたちの群れが抑えこまれていく。

 

「一気に片付けるぞ、京一!《方陣》を頼む。霧島と、月(ゆえ)と!」

 

「えッ、わいもかァ!?」

 

「応よッ!!」

 

いきなり呼ばれた劉は目を丸くするが、蓬莱寺はその意図を察したのか劉を掴んでつれていく。霧島は把握こそしていないが蓬莱寺のいうことな素直に聞くあたり、あこがれのスイッチが入ったようだ。

 

「行きます、京一先輩、劉さん!!」

 

「しゃあないなァ。よっしゃ、まかしとき!!」

 

「いくぜッ!!」

 

緋勇の読み通り、《方陣》が炸裂する。

 

「「「真・阿修羅活殺陣!!!!」」」

 

真っ直ぐに飛来した《氣》の刃が動物憑きたちの垣根を崩す。

 

「よっしゃ、次はわいらの番やな」

 

「へッ!?」

 

「劉一族のモンやったらや、真言くらい言えるやろ?」

 

「真言?いえるけど......」

 

「よっしゃ、なら話は早い。やるでェ」

 

「えええッ!?」

 

「ナウマク・サマンダバザラダン・カン!!」

 

「あーもうやけやッ!どーにでもなれッ!ナウマク・サマンダバダナン・バク!!」

 

「ナウマク・サマンダボダナンインダラヤ・ソワカ!! 」

 

「オン・バサラダト・バン!!」

 

「「符戟・秘占封陣」」

 

本来、4人でやるべき《方陣》を2人でやってしまうのは們天丸のサポートゆえなのか、劉の才覚によるものかはわからない。ただ、この真言の源流たる仏教の教えがこの憑依師の復讐を阻止した実績があるためか、効果は絶大だった。一瞬にして動物憑きたちは解呪されて気絶していく。発動範囲から外れた敵は、さやかが歌に乗せた《力》によって解放されていく。

 

私達も敵を確実に手加減しながらも倒していった。

 

開いた道を蓬莱寺に促されて真っ先に駆け抜けたのは霧島だった。ずっとさやかを守り抜いてきた彼にとって火怒呂は絶対に許すことが出来ない相手なのである。それは私達もわかっていた。

 

「いろんな人を傷つけて、酷い目にあわせて、絶対に許さない!」

 

「おのれ、スサノオの転生体めッ!我が國を滅ぼした時のように、また滅する気かッ!」

 

「なにいってるんだよ、僕がスサノオだって?また訳の分からないことを!」

 

剣に《氣》を込め、火怒呂の脇から斬りつけると、すぐ後ろに回り込んでもう一太刀浴びせる。堪らず火怒呂は膝をついた。

 

「くッ!こ、混沌の、扉はもう少しで開くのだァッ!誰にも、誰にも邪魔はさせぬうッ!」

 

三太刀目を辛うじて受け止め、目を血走らせて反撃する火怒呂を霧島は剣で受け止めきる。さすがは一人でさやかを守り抜いてきただけはある。その実力は本物だ。振り下ろされる閃光がきらめいた。

 

「火怒呂、さやかちゃんや他のみんなを苦しめた報い、うたせてもらうッ───!!」

 

「うるせェッ!!」

 

火怒呂の《力》は完全に覚醒したスサノオの転生体たる霧島には通じない。その剣は振り下ろされた。避けようとして避けきれず、憑依師は谷中霊園の土地に沈んだのだった。

 

「諸羽」

 

「峰打ちです。京一センパイの見よう見まねですけど」

 

「へへッ、ばあか。木刀と西洋剣の模造品じゃ勝手が違うだろッ!明らかにダメージ入ってんじゃねえか!気絶してるけどよ。ま、よくやったぜ」

 

「ほんとですか?!ありがとうございますッ!僕、京一センパイみたいになりたいです!この調子で僕を弟子にしてください!」

 

「で、弟子だァッ?!」

 

「はいッ!」

 

キラキラした目で見つめられ固まる蓬莱寺を仲間たちが茶化し始める。そんなみんなを見つめながら、劉は緋勇にいった。

 

「あんがとな、アニキ」

 

「俺は月の兄貴分だからな。間違ったことしたら止めるのは俺の役目だろ?」

 

「へへッ」

 

今の劉に、もう怒気や憎悪は微塵も感じられない。こうしているとさっきの態度は気のせいな気さえしてくるが、勘違いではないと緋勇は知っている。あれは復讐の目だった。九角の祖父の目だ。們天丸が牽制しなければ、間違いなく憑依師の力でおかしなことになっていたに違いない。

 

「月、この国には俺たちがいるんだ。寂しくなったらいえよ?」

 

「うううッ、アニキほんまにええやっちゃな。あんさんならきっと、大丈夫や。わいこそ、ごめんな先走って」

 

「その前に、劉。ききたいことがあるんだ。お前さっき、妙なコトいってたよな?なんかすごくコワイ顔してたよな?で、なにが大丈夫だって?」

 

畳み掛ける緋勇に劉は我に返ったようで冷や汗だらだらである。えーっとお......といいながらあらぬ方向を見始める。

 

「わいの顔が恐いやてッ!?そらヒドイわァ~。こんなお茶目なわいを、恐いやなんてェ~」

 

「誤魔化すの遅いぞ、月」

 

「つっこみが辛辣ぅッ!!」

 

「ほら、月。素直に吐けよ、な?」

 

「気のせいや気のせいッ。頼むから気のせいにされてッ!これ以上ポカしたら、わい姉ちゃんに殺されてまうんや、かんにんしてえッ!!ただでさえバックレたことで説教コースやのにい!!」

 

「あ、そっか、瑞麗さんがいたな」

 

「やめて!姉ちゃんにはいわんといて!なんでもするから!」

 

「あ、今なんでもするって」

 

「やめて!!」

 

半泣きの劉に緋勇はニヤニヤしている。とうとう逃げ出そうとする劉を襲う影がある。

 

「この───、待ちやがれ、劉ッ!!」

 

「どあっ!?」

 

「こンの野郎~ッ、何隠してやがる!全部吐けーッ!!」

 

「堪忍してェなー京一はんッ!!わい、まだ死にたないッ!!」

 

蓬莱寺は軽く締め上げる。劉は割と本気で泣きそうになっていた。さすがに可哀想になってきたのか、いつもの劉が戻ってきたから安心したのか、醍醐たちがとめにはいる。そのうち、火怒呂は們天丸が預かるということになり、谷中霊園で別れることになったのだった。

 

みんな、ラーメン屋にいこう、といういつもの流れのまま、日暮里駅を目指して歩き出す。ただ緋勇だけは来た道を振り向き考え込んでいた。

 

「どうかしましたか、龍君」

 

「なあ、まーちゃん。今回の事件、《将門公の結界》はなんとか守れたけど、《結界》は《龍脈》を利用してるんだよな、たしか?《龍脈》......大丈夫か?汚染されてない?」

 

「......さすがですね、気づいてしまいましたか。《如来眼》でみた限り、めでたしめでたし、とまではいかないようですね。白に黒が混じったんです、そのままというわけにはいきません、きっと」

 

「そっか......やっぱりそうだよな」

 

緋勇は心配そうに谷中霊園を見渡す。

 

「なんで、五重塔になんか触れたんだろうな、火怒呂のやつ」

 

「なにかあるのかもしれませんね、調べてみましょうか」

 

「そーだな、俺もじいちゃんに連絡とってみようか。九角のじいちゃんとなんかあったっぽいしさ、なにか教えてくれるかもしれない。───────喪部がどんなに異様な存在だったか、改めて実感するよ。普通は火怒呂みたいに、本来の人格を塗り潰されて死ぬんだもんな。もしかしたら、九角みたいに復讐なんて望んでなかったかもしれない」

 

「そればかりはわかりませんね......私達は先祖しか知らない。火怒呂さんがどんな人でどんな生活を送っていたのか、今となっては知る術はありません」

 

「そうだよな......」

 

物憂げなままため息をついた緋勇は、気を取り直して笑顔になると私と蓬莱寺たちを追いかけはじめた。

 

悩んでも仕方ないのだ。私達はまだ情報が少なすぎる。

 

憑依師に膨大な力を与えた赤い髪の男の影をひしひしと感じながら、私達は谷中霊園を後にした。火怒呂もまた、何者かに踊らされたに過ぎなかった事実だけが真実だ。隠されたままの謎も、これからまだ続くであろう怪事件も、とりあえずは解決したことを喜んでから前に進みつつ悩むほかに道はないのである。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

如月翡翠

僕は落ち込んでいた。

 

們天丸が法螺貝を愛に預けたのは、どう考えても憑依師の事件を見越して託したとしかいいようがなかったからだ。あの法螺貝が憑依師による呪詛を抑え込み、僕たちが完全に愛たちと闘うことになる最悪の事態を防いでくれていた。

 

スサノオの転生体というとんでもない《魂》をもつ霧島君、おそらくスサノオの妻であるクシナダ姫の前世をもつ舞園さん、そして《菩薩眼》である美里さん、《陽の黄龍の器》である龍麻、《アマツミカボシ》の《和魂》である愛。5人しか正気を保つことができなかった。

 

僕を含めたほかの仲間たち全員が敵に回りかねない、殺し合いをしかねない状況だった。まさに愛の大凶の暗示そのものだったわけだ。

 

それを僕は。ため息しかでない。

 

相手は弥生時代に実在した稀代の呪禁博士として名を馳せた呪術師だったのだ。們天丸がいてようやく完全に防ぐことが出来るとはいえ、まんまと術中にハマってしまったことがショックだった。

 

強烈な《意思》に憑依された経験はあまりにも強烈で、思い出すだけで引き摺られそうになる。修行が足りないと最近鍛錬を増やしてみたが、ふとした拍子に思い出してしまうのだ。

 

あの憑依師は獣のように本能のおもむくままに殺しあえといった。だが、自然界において野生生物は必要以上に殺し合いはしないし、むしろ避ける。だから理性失った人間は獣ではなく鬼であると僕は思うのだ。あの時は誰もが鬼になりかけていたといっていい。

 

ゾッとする話である。ほんとうに火怒呂は恐ろしい敵だった。

 

思い返す度に、そもそもなぜ僕は們天丸を邪推したのかという疑問に突き当たり、その先を考えるのが億劫になって、ついつい先延ばしにしていた。

 

「こんにちは、翡翠」

 

そういう時に限って愛は現れるのだ。

 

基本的になにか新しく手に入れるとかならず愛は僕のところにやってくる。僕の審美眼や鑑定力を信頼しているからだと思うのだ。今まではその信頼に応えることになんの不満もなかったというのに、今は違う。誰からもらった、どこで入手した、という話を僕がしらないというあたりまえが心にささくれをもたらしていた。

 

憑依師に動物憑きにされたせいだろうか、理性で本能を抑え込めなくなっているのか。愛は終始真面目に相談してくるから、そんなくだらないことを考えている自分が心底嫌になる。

 

「龍君が気にしていたので調べてみたんですが、今回の事件で《将門公の結界》を始めとした《東京の守護》を担う《結界》を司る《龍脈》に少なからず悪影響が出たように思います。柳生の狙いが《陰の黄龍の器》の作成なのだとしたら、間違いなく似たような事件は続くはずです。気をつけなくてはいけませんね。あと8回は死にそうな目に会う訳ですから」

 

「そうだな......今回の事件で未熟さを痛感したよ。君のように憑依されないわけでも、京一君のように憑依されうる自分を自覚していたわけでもなかった。憑依される危険性を自覚できなかった自分が悔しい」

 

「翡翠まで憑依されるなんて......そんなに火怒呂は強敵だったんですね......」

 

愛は相手の強さを思い出して身震いしている。実際は、不倶戴天の敵でもある《天御子》の影がチラついた瞬間に動き出した愛においつくのが精一杯だった自分が嫌なのだ。

 

劉君の復讐心を愛は咎めなかった。愛自身、平凡な日常を過ごしていたある日、いきなり《天御子》に拉致されて実験台にされかけたところを逃げ出した過去があるのだ。愛は復讐に囚われても倒せるような敵ではないからか、終始冷静だっただけで、《天御子》の存在を感知すると愛は真っ先に向かう。10年間それを見ていた僕なのに、追いつくのがせいいっぱいだったのだ。

 

あの憑依師が《天御子》だったのかはわからなかったが、あれほどの実力をもつ人間たちの勢力なのだとしたら。今の僕はきっと太刀打ちできない。そういう意味でも不甲斐ないのだ。

 

僕が心底凹んでいることには愛も気づいたようで、心配そうにしている。

 

「火怒呂が五重塔に触れた理由、わかりませんでしたよね。なにかあるのか調べたいので、蔵をみせてもらってもいいですか?時須佐家の文献はあらかた調べたので」

 

「わかった。僕も手伝うよ」

 

「ありがとうございます」

 

愛の腕には見慣れない数珠がある。

 

「あ、これですか?昨日の夜、法螺貝をお返ししたら、また貸してくれたんですよ」

 

「これは......修験者の持つ念珠だな。このソロバン玉のような形の珠を繋いだ数珠は......イラタカ念珠だったかな、たしか」

 

「イラタカ念珠......」

 

しげしげと愛は眺めている。

 

「このソロバン玉のような形には、邪気を斬る魔除けの意味があったはずだ。山中とか他に仏具がないところでは、念珠を擦る際のジャリジャリという音で合図の代用もするのだとか。ありとあらゆるものに命が宿り、全てが礼拝の対象であり、そしてまたそこに神仏が宿る。修験道では、人間の力で作りえない山や川、滝、岩などに神仏が宿ると考えられ、自然の恵みに『感謝』して祈りを捧げるんだ。その時に使われる念珠だ、かなり《加護》が期待できそうだね」

 

「なるほど......うれしいといえばうれしいんですけど......火怒呂のことかんがえたら、うーん......」

 

「あはは」

 

「今回の件で們天丸さんが貸してくれるということは、なにか凶事の前触れだとわかりましたし......素直に喜べない......」

 

「間違ってもいうなよ?」

 

「いいませんよ......」

 

あんまり嬉しくなさそうな愛をみた瞬間に、無性にうれしくなる僕がいた。何十年もしまい込まれていたものが蓋を弾き飛ばして溢れ出ようとしているのは、なんともいえない切ない感情だ。

 

もうあまり燃えやすい部分は残っていなかったはずの心の中で、唐突に燃え立ち始め、勢いを増してゆく火だった。いつまで見て見ぬふりができるか、正直わからないでいる。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

餓狼1

夜の帳が降りてきて、闇が忍び寄り始める。街の喧騒に紛れた裏路地の先にあるちいさな死角にて、初老の男が死に物狂いで走っていた。ブランド物の品がいいスーツがぐちゃぐちゃになるのも構わず走り抜ける。なんとか逃げようとしていたのだろうが、その先は行き止まりだ。ここでようやく必死で逃げているつもりで、実は今の今まで誘導されていたのだと気づいた男は、絶望のあまり咳き込みが激しくなる。とうとう限界を迎えたようで、あちこちに大小様々な手傷を負ったまま崩れ落ちた。

 

「苦しいかい?」

 

影がさす。今夜は月のない夜のため、ひときわ世界は闇に包まれていて、男に恐怖をかりたてる。

 

「ひィッ」

 

「まあ、その苦しさは犠牲者たちの千分の、いや1万分の一にも満たないんだけど」

 

男の前に濃紺の学生服の青年が現れた。無表情なまま男を見下ろしている。

 

「その制服は......拳武館高校の......」

 

男はすぐに思い当たるのだ。それは固い信念の前には人を殺める事もいとわぬという、裏社会では恐れられている若き殺し屋たちの集団の名前だった。噂には聞いたことがある。

 

「誰からの刺客だ......?金は出す......。だから命だけは......」

 

「そうやって助けを求めた人間の手を払い除けたから今お前はここにいるんだろう?」

 

その男は青年のいっている意味がわからないようだ。様々な考えに取り憑かれ、ようやくたどりついた、たった一つの事実がある。それはこの目の前の青年に今から殺されるという非情な現実だった。この目の前の青年に。その思いは男の声を上ずらせ震えさせた。

 

「言えるわけがないじゃないよ。僕らにはクライアントからの守秘義務があるからね」

 

その長身の高校生の声は凛としていて、殺し屋とは思えない穏やかなものだった。男の視界には切れかけの街灯ごしにうつる青年の顔がちらついた。その出で立ちに似て端正な男だった。

 

「た、助けてくれ......」

 

男は懇願した。先程までたくさんのボディガードにかこまれて、長い高級車の後部座席から降りてきたのがまるで嘘のようだ。

 

「駄目に決まってるじゃないか。しかし、哀れなものだね。この場に及んで土下座でなんとかなると思ってるあたりが、さ」

 

高校生の涼やかな、この場には似つかわしくないくらいの声がする。そして一歩、その声が歩み寄る。それはやがて来る死への足音にも似ていた。もう逃げ場を失った男は、恐怖でまともでいられなくなってしまう。

 

「何でもするッ!君の欲しいものはなんだって用意しよう!金か?権力か?女か?」

 

男は哀願してくる。情けない姿だった。これが日本の政治の裏を動かすフィクサーの重鎮だと誰も思えないに違いない。そこにいるのは突然訪れた死に恐怖し、戦慄くだけの、ただの男だ。

 

「なんでも、ね......」

 

濃紺の学生服のその青年が、わずかに整った眉を吊り上げた。

 

「そ、そうだ......なんでも......なんでもだッ」

 

男は一筋の光を見出したとさっかくしたのか、青年の足にすがりついた。パニックになりすぎて、青年の機嫌が悪くなったことにすら気づけない。声が明らかにワントーン低くなったことに気づけない。

 

頭の中で繰り広げられる損得勘定すら見透かされ、青年を手玉に取ることなど簡単だという狡猾な大人の考えが、男の頭の中に巡っていることに嫌悪感を抱かれていることすらわからない。

 

返ってきた青年の声は氷の様に冷ややかだった。

 

「そうか......なら、死んでくれ」

 

「へ......?」

 

「あんたみたいなやつがいるから、僕は欲しいものが手に入らないんだ」

 

「な、ななななッ!?」

 

「だいたい、僕の欲しいものが分かるのか?あんたなんかに」

 

男は漸く気づくのだ。青年を取り巻く空気が、明らかに怒気を孕んで刺すようなものに変わっていることに。そして戦慄するのだ。今から殺そうとしている人間の神経を逆撫でし、地雷原で暴れ回っていたことに。男の目の前のその澄んだ瞳の中に、今までと全く違う色がある。

 

「あんたなんかに......与えられるわけがない」

 

まだ高校生であろう若き殺し屋が軽く拳を握ったのを男は見た。

 

「そうだな......一番苦しい方法で死なせてあげるよ。それが僕に出来るあんたへの唯一の手向けだ。地獄も少しは罪が軽くなるんじゃないかな?」

 

男を蝕んでいた恐怖心が頂点に達した、その瞬間に絶叫した。青年はいきなりの豹変にも動じず、ただ男を見つめている。青年の目の前でいきなり内側から男の頭が弾け飛び、ソフトボールくらいの大きさの蟲が現れた。

 

「またか......」

 

触手があふれだす。うんざりといった様子で青年はつぶやいた。

 

「人間として逝かせてやった方が温情だったんだ。これは残当な末路だね。唯一の欠点は本人が罪を懺悔しながら苦しみ抜いて死ねないことだ」

 

青年の放った鋭い蹴りの一撃は致命傷だった。男は倒れた。続いて、蟲目掛けて強烈な《氣》が放たれた。一瞬で蟲は蒸発した。体が完全に変異する前だったため、比較的楽に処刑できたと壬生紅葉(みぶくれは)は無表情に男の死体を見下ろしていた。その瞳には先程までチラついた感情の片鱗はおろか、何の輝きも色すらも無くなっていた。

 

「しかし......館長はずっとこんな連中を相手に闘ってきたのかな......。気が滅入るけど、敵はそれだけ強大ってことだ。僕も少しは力になれているといいんだけど」

 

壬生は早々に宣戦を離脱し、ポケットから出した写真に罰をつけながら館長と呼んだ男に連絡を入れる。後処理は館長のツテでいろんな組織がやってくれるから問題ない。殺せる人材の不足の方が深刻なのだ。

 

なにせ、《将門公の結界》をはじめとした東京の《霊的な防衛線》を破壊しようとあらゆる業界の有力者たちに蟲を寄生させている奴がいるのだ。壬生は病弱な母親の治療費を稼ぐためにこの高校にいるのだが、この蟲の傀儡を倒す《力》に恵まれたために今は館長直属としてずっと3年間動いていた。敵は正体不明で強大だ。放置すれば母親の平穏まで脅かされてしまう。だからこれは壬生なりの母親を守るやり方だった。

 

「副館長め、また不穏な動きをしているな。館長がこちらに干渉出来ないのをいいことに」

 

携帯には館長の許可がおりるはずもない任務をひけらかす同級生がいる。館長に贔屓にされていると妬む連中の1人だったはずだ。守秘義務もなにもあったものじゃないが、こうして副館長の動向が簡単に把握できるので壬生はそのままにしていた。

 

「これが今回の標的......?」

 

写真はいずれも高校生。たしか真神学園の制服を着た生徒たちだったはずだ。

 

「これはッ!?」

 

壬生は戦慄した。よりによって今回の標的は館長の今は亡き親友が残した忘れ形見の青年と、彼に引き摺られる形で壬生と似たような《力》に目覚め、表の世界で巨悪と闘っている高校生たちだったのだ。

 

脅す程度にいたぶるのか、一生病院生活か。壬生は携帯をみる。

 

「依頼されている内容は───────抹殺......?明らかに

館長のご意向じゃないッ!!まさか、副館長、あの男から依頼を受けたのかッ!?どこまでふざけた連中だッ!!」

 

激昴した壬生はまた館長にかけなおすために携帯を耳に押し当てる。そして、そのまま裏路地を去ったのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

餓狼2

初冬が冴え冴えと葉を落とした植え込みの上に懸かっている。ほんの少しだけ欠けた白い月が目の前に浮かんでいた。

 

右手には新宿の街の光が、左手には池袋の街の光が見えた。車のヘッドライトが鮮やかな川の流れとなって、街から街へと流れていた。様々な音がまじりあったやわらかなうなりが、まるで雲みたいぼおっと街の上に浮かんでいる。

 

店が入店している年季の入った雑居ビルが新宿の奥まった路地にひっそりと佇んでいる。大通りに出るとあれほど人間でごった返しているのにここだけは人を寄せつけない磁場のようだ。人通りがほとんどない。

 

新宿副都心の摩天楼は幾重にも重なる黒い影となってそびえている。

 

「もうすっかり冬だな」

 

白い息を吐き出しながら翡翠がいうので、私もうなずいた。

 

「すっかり遅くなっちゃいましたね。送ってもらってありがとうございます」

 

「いや、いいさ。今の時期は暗くなる時間も早いし、事件から日が浅い。愛になにかあったら僕が龍麻たちに怒られるよ」

 

「あはは。やっぱり、火怒呂の事件が尾を引いていますね......。おばあちゃん、最近忙しいみたいでほとんど家にいないんですよ」

 

「雛川神社もそうらしいな、宮司のおじいさんも龍山先生も不在がちだと雛乃さんたちが心配していたよ」

 

「陰陽寮や《エムツー機関》を初めとしたみなさんには本当に頭がさがります。劉君には申し訳ないですが、瑞麗さんのお手伝い頑張ってほしいですね」

 

「こないだみたいに、復讐に身をこがすのはいいが周りが見えなくなると心配だからな。親代わりの姉がいた方が冷静になれるかもしれないね」

 

「あの時はほんとにヒヤヒヤしました。們天丸さんがいてくれてよかった」

 

「......そうだな」

 

歩道の信号が赤になった。私たちは自然と無言になった。

 

「......」

 

「......」

 

信号が青になる。私たちは歩き出す。

 

「そうだ、翡翠。お腹すきませんか?」

 

「もう夜遅いしな......どこかで食べようか」

 

「おばあちゃんいないので、どのみち1人ですし。どうします?ラーメン?」

 

「いつもの?」

 

「あはは。たまには違うものにします?」

 

「そうだな、この辺りなら......。ついてきてくれ」

 

「わかりました」

 

私たちは和気あいあいと話しながら、それとなく目配せしあうのだ。

 

(気づいてるか?)

 

(あと、つけられてますね)

 

(一人......いや、二人か?)

 

(人間ですね、《如来眼》を発動するまでもない)

 

(忍びではないね、裏稼業の人間の気配はするが)

 

私が連れてこられたのは、創業が江戸時代の老舗の小料理屋さんだった。のれんをくぐり引戸をあけると、どうやら翡翠の祖父の贔屓にしていた店だったようで久しぶりに顔を出した翡翠に喜んでくれた。私を恋人かなにかと勘違いしたのか奥の座敷間に通してくれた。ついてきた女将さんに翡翠が説明する。

 

さっと表情を変えた女将さんが生真面目な態度になり、一礼して去っていく。ふすまを閉めて翡翠がいった。

 

「しばらく様子をみようか、動きがないならまた考えよう」

 

「すごいですね、時代劇みたい」

 

「忍びの僕にそれをいうのかい?」

 

「間近でお目にかかるのはなかなかないじゃないですか。やっぱり、ネットワークが今でも息づいているんですね」

 

「そうだね、それが強みでもある。守らなければならない共通の目的があればこそでもある」

 

「なるほど......」

 

私は翡翠に促されてほんとに夕食をとることになったのだった。

 

江戸時代創業ながら清潔感がある店だ。細かい部分を見ると歴史を感じさせられる部分も多々あり、レジを見ると今では見ないタイプ式のような機械で感動ものだ。

 

大将や女将さんはとても温厚なひときわ楽しい会話も弾んだ。どんな人たちがどんな会話をしながらここで料理を食べたんだろうと考えると感慨深いものがある。翡翠も祖父と何回もここに来たからか、思い出話に花が咲いた。

 

1時間ほどして、女将さんがそれとなく私たちの後をつけてきた人間について教えてくれた。数人の男子高校生くらいの若い青年たちだという。濃紺色の学生服が特徴であり、並々ならぬ気配をもっていることから、おそらくただものではない。

 

「濃紺色の学生服......」

 

「葛飾区の拳武館(けんぶかん)高校でしょうか?」

 

「いや、たしかあの高校の代表は......」

 

「鳴瀧冬吾さん、龍君のお父さんの親友ですね。でも、以前から副館長が不穏な動きをしているとおばあちゃんから聞いたことがあります」

 

「そうなのか?」

 

「はい」

 

「そうか......あの人は龍麻を柳生との戦いに巻き込むことを最後まで反対していたらしいからな......親友の遺言だと。だから今も忙殺されて学校まで手が回らないというのに、なんてことだ」

 

「学校運営に向かないから、と副館長を迎えたようですし、見て見ぬふりをすることもあったようですが......」

 

「よりによって柳生の依頼を受けたのか、副館長は。金に目が眩んだな......」

 

「待っているのは破滅しかないのに......」

 

私も翡翠もため息をついた。

 

さいわいなのは、女将さんに教えてもらった外見的特徴からのちに味方となる壬生紅葉ではなさそうということだ。

 

彼は沈着冷静で寡黙な青年で、法で裁けぬ悪を裁く暗殺者だ。集病気で入院している母親の治療費を稼ぐため、彼は自ら暗殺業の道を選んだ。母親には「特待生で学費はかからず、アルバイトをしている」と言って孝養を尽くしている。緋勇龍麻とは、時は違えど同じ師・鳴瀧冬吾の下で学んだ兄弟弟子。緋勇龍麻の身につけた徒手空拳の陽の技と対になる陰の技を身につけており、特に脚技に秀でる。

 

ちなみにあまりに人気が出たために、スピンオフ作品『妖都鎮魂歌』の主人公に抜擢されている。

 

翡翠は戸を少しあけた。

 

「......ダメだな、いつまでも張り付いている気だ」

 

「途中であきらめる気はないようですね」

 

「これは逃げ回るだけ無駄か......。仕方ない、裏から逃がしてもらおう。この先に公園があるからな、そこなら」

 

「そうと決まれば急ぎましょうか。あ、お勘定は......」

 

「ああ、ここは出しておくよ。今手持ちないだろう?あとで請求書渡すよ」

 

「ありがとうございます......。念の為お聞きしますけど、おいくらですか......?」

 

「まあ、1万円札があれば足りるよ」

 

「ひい」

 

翡翠は軽く笑って、私についてくるよう促した。女将さんにいわれるまま台所を抜けて生活スペースを通り過ぎ、隣のお店の敷敷地を横切り、全然違う通りに出たのだった。

 

「さあ、いこうか」

 

「はい」

 

私たちは足早に交差点を渡り、歩道橋をぬけ、公園に辿り着いた。

 

「どうやら、相手にもお見通しなようだな」

 

「囲まれましたね」

 

私たちは背中合わせになり、次々姿を現した暗殺者たちと向かいあう。

 

そのときだ。

 

「剣掌・鬼氣練勁 」

 

「!!」

 

「これは......」

     

誰か助太刀にきてくれたようだ。独特の呼吸で高めた勁力に、殺意の波動を加え、特異な練氣法により威力を増加させてくれたのだ。

 

「君は......」

 

「九角くん!」

 

「よォ、まさかこんなところで会うとは思わなかったぜ。緋勇の野郎に忠告しようと来てみれば、もう動き出しやがったのか」

 

そこにいたのは九角天童だった。

 

「ありがとうございます」

 

「お前には借りがあるからな、返させてもらったぜ」

 

「こうしてみると、葵ちゃんの《力》と似たものを感じますね」

 

「は、150年しか離れてねェんだから当たり前だろ」

 

天童はそういって笑った。

 

「わかってたんですか」

 

「九角は敵が多いんでな、忍びた血には情報収集を徹底してんだよ。前から怪しいとは思ってたが、やっぱりか。不審な動きをしてたから張らせて正解だったぜ。この九角天童の首も狙ってやがるんだからな」

 

「えっ、九角くんも!?」

 

「あァ。お前たちも、きっとそうだ。誰かが───────お前たちの暗殺を依頼したんだろうぜ。拳武館にな」

 

「!」

 

「知ってるって顔だな。まァ、お前をこの世界に呼んだ連中がかかわってるなら当然か?葛飾区にある拳武館高校。文武両道の進学校として名高いが、実際は裏社会に通じる人材を育てる暗殺者の育成機関だ。決して私利私欲のために動かず、仁義と忠義の名の下に社会のあくを裁く。聞こえはいいが要するに殺し屋だ。しかも裏社会と繋がってるから下手に近づいたメディアは痛い目みてからは触れねえ。まあ、懸命だな。国家公認の暗殺集団育成機関、ゆえに就職先も暗部ばっかりときた。そりゃ表立って公表できねえよなあ?そのおかげで平和をおうかしてる事が民衆にバレちまうわけだからよ。ゆえに警察も防衛省も御用伺いしなきゃなんねえ立場だ」

 

天童は暗殺者たちを見渡しながらいうのだ。挑発も兼ねているらしい。

 

「最近、内部で怪しい動きがあるらしい。内部分裂というべきか、少ない報酬と厳しい戒律によって支えられていた禁欲的な体制に反発が出始めたらしい。まあ、無理もねえ、今は平成だ。江戸時代じゃねぇんだからよ」

 

「なるほど。見てきたみたいにいうんだな」

 

「副館長、ナンバー2が不穏分子の中心人物で、館長の理念に反する仕事ってのを勝手に請け負ってるらしいなあ?ちと調子に乗りすぎてるようだが......」

 

「まさか、柳生が」

 

「そのまさかだ。法外な額の報酬を支払って依頼しやがったらしい。笑えるよな、緋勇の父親の親友が運営する高校が親友の忘れ形見を殺そうとしてんだからよ。お前がどう思おうが、やつらは譲らねえだろう。たとえどこに逃れようともかならず見つけ出して殺すんだ。なら、その前にぶちのめせばいい。そうだろ?」

 

不敵に笑う天童につられて翡翠も笑う。私も木刀を構えたのだった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

餓狼3

緋勇は浮かない顔をしている。朝っぱらからニュースでまた変死体が出たと遠野が騒いでいるからだと京一は思っていたのだが、どうもそうでは無いらしい。

 

「どーした、龍麻」

 

ひーちゃんはひっこめて、あえて京一は名前で呼んだ。

 

「なんかあったのかよ?襲撃以外に」

 

そう、龍麻たちは昨日の夜の同じ時間帯に、同じ高校の生徒たちによって襲撃されたのだ。みんな返り討ちにしたものの、それを聞いた遠野がメディアがタブー視している暗殺者集団だとはしゃいでいるのだ。

 

「京一、醍醐もちょっと屋上に来てくれないか」

 

京一と醍醐は顔を見合わせた。基本授業はかならず出席する真面目な龍麻が、相談のためだけにこれからの授業をサボるなんて初めてだったのである。これはいよいよなにかあるのだと思った2人は、二つ返事で返した。

 

チャイムがなるのも構わず教室から抜け出し、屋上にでるといよいよ冬本場なのか、寒くなってきていた。凍てついた風の吹くのもかまわず、龍麻はフェンスに身をあずけた。

 

「昨日、みんな襲われたんだよな?」

 

「ああ、そうだ」

 

「九角の話だと拳武館が怪しいらしいな?きなくせぇ話だけどよ」

 

「......いつか、俺がここに来た理由を話したよな。じいちゃんの弟子で俺の師範でもある先生には反対されたって」

 

「ああ、それがどうかしたのか?」

 

「実は......。先生は、鳴瀧冬吾 (なるたきとうご)先生は、父さんの親友だった人なんだ。東京の学校の代表をしてると聞いたことがあるんだ」

 

「なっ!?」

 

「おいおいおい、まじかよ。まさかそれって」

 

「昨日、じいちゃんに聞いたから間違いない。その拳武館だ」

 

「はああッ!?まさか、ひーちゃんの先生が暗殺依頼を出したってのか!?」

 

「信じたくない、でも知らなかったんだ。そんな学校があるなんて。瑞麗さんみたいな人かいるんだ、俺たちの知らない世界で先生が生きているのだとして、どうこういえる話じゃないのはわかってる。でもやっぱりさあ、喧嘩別れしてそれきりだからショックなんだよ」

 

「おおおちつけ、ひーちゃんッ!まだ先生だって決まったわけじゃねーだろ?な?」

 

「そう、そうだ。九角がいってたんだろう?拳武館は今館長派と副館長派でわれて内部紛争が起きていると。その流れで行くなら、館長に反発した人間があの赤い髪の男の依頼を受けた可能性も......」

 

「じゃあなんで連絡しても出てくれないんだ。じいちゃん通じて連絡してもダメ、電話もメールもダメなんだ。いや、わかってるよ。多忙な人だってことくらい。身勝手だってことくらい。勝手に東京にでてきたことがバレてから電話がひっきりなしにかかるから怖くなって着拒してたのに、なにを今更って」

 

「だからって殺しはしねーって、親友の忘れ形見なんだろ?ひーちゃんは」

 

「そうだ、先生はそんな人じゃないんだろう?だから龍麻は動揺しているんだ。違うか?龍麻の知る先生はそんな人か?」

 

「違う......違うけどさあ......」

 

よほどショックだったのか、すっかり意気消沈してしまっている龍麻を励ましながら、醍醐たちは肩を竦めたのだった。

 

 

 

 

 

 

そして放課後、なんとか落ち着いた龍麻をつれてラーメン屋でもいこうと玄関に向かった彼らの事態は急展開をみせる。下駄箱に入っていた封筒を開けた龍麻は目を丸くした。京一たちが暗殺者たちからの殺人予告が書いてあったのである。小難しい言葉が並んでいるが、ようするに始発前の× × × 駅に来なければ人質の命はない、とあるのだ。

 

「人質......?」

 

「誰だ?」

 

「......眼鏡、女子生徒......まさかアン子!?」

 

「いや、でも朝っぱらから暗殺者集団がどーたらって騒いでたじゃねえか」

 

「一応調べてみよう」

 

下駄箱は既に空っぽだ。嫌な予感がして新聞部に逆戻りした龍麻たちは、ひとりしかいない槙乃をみて汗がつたう。

 

「あれ、みなさんお揃いでどうかしましたか?」

 

「まーちゃん、アン子どこかしらねーかッ!?」

 

「アン子ちゃんですか?さやかちゃんの特別号の依頼がまた来たとかで増刷にいってますよ。電脳部」

 

「その依頼、どこから?」

 

「他校だとしか聞いてないですけど......?」

 

「......京一、電脳部いってきてくれ。醍醐は職員室にいって、誰が依頼をしてきたか犬神先生に聞いてきてくれ」

 

「おう!」

 

「ああ、わかった」

 

京一と醍醐があわただしく新聞部をさっていく。

 

「あの、どうかしたんですか?」

 

「これみてくれ、まーちゃん。アン子が誘拐されたかもしれない」

 

「なっ!?」

 

槙乃はあわてて脅迫状に目を通した。

 

「嘘でしょうッ?!なんでアン子ちゃんが?!巻き込まれないように、私たちと一緒にいるようにしてたのに!!」

 

「やられた......さやかちゃんの特別号貰いに他校から結構きてたんだな......。おびき出されたのか......」

 

「そんな......」

 

槙乃は気が動転していた。

 

この脅迫状を書いたのは、八剣右近という拳武館高校の生徒だ。真剣を使い、殺人が趣味という危険人物。 金で相手構わず暗殺を請け負う副館長の手下で、柳生宗崇の依頼により緋勇龍麻達の命を狙う。

 

得意の鬼勁(発勁の一種。魔人学園世界オリジナルの技術で氣の力に殺意の波動を加え、相手の死角から放つ)によって一旦は蓬莱寺京一に圧勝するが、復活し鬼勁を会得した彼に敗北。自分の敗北を認めず、その後、逃走先のある場所で八剣を見限った柳生に始末される運命にある。

 

本来なら、藤咲の愛犬が拉致され、それを探し回っていたさなか藤咲と京一が捕まってしまい、京一は敗北。その後脅迫状が届く流れなのだ。仲間が襲撃された時点でなにか仕掛けてくるとは思っていたが、まさか真神学園敷地内に入り込んでから遠野を拉致するとは誰も思わなかったのである。

 

「アン子ちゃん......」

 

脅迫状に遠野の写真が同封されている時点で、槙乃は真っ青になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「......で、あたしを囮にしてどうする気?そいつみたいにするの?」

 

「こいつかあ?自分より、実力の劣るヤツが、ちょっと愛想良いってだけで、チヤホヤされやがる。そいつがムカついた。だから、殺した。それだけよ」

 

「はあ?!」

 

「クククッ、ムカついたから殺ス。ムカつく奴を殺せる《力》、それだけが真実だ。こいつだけじゃねえ、いるんだよ。近くにさ…ムカつく奴が。てめーはそいつをおびき出すための囮だ」

 

「ふざけんじゃないわよ、なんであたしが!」

 

「俺がした事が理解できねぇだと? そいつは…クックックッ楽しい答えだぜ。お前は理解できねぇんだろうなあ、女。ムカつく奴…力も無ぇくせに調子イイ奴。お前よりも弱いくせに…仲間うちで大きな顔してる奴。殺っちまうんだよ。すっきりするぜ」

 

「仲間......?まさか、龍麻君たちのこといってるの!?ばかね、こんなことしたって、囮なんて卑怯な真似してる時点でアンタは龍麻君たちには勝てっこないわよ!」

 

「な、なんだと!?わかってねぇのはお前の方だ。力のねェ奴等がなんで評価される?俺の方が強いのになんで《奴》を?ち、ちくしょう! なんでみんな、俺を認めねぇ? 《奴》のどこが俺より優れてる? クソッ! クソッ! クソォ!」

 

いきなり癇癪を起こし始めた八剣に遠野は驚いて言葉を失った。

 

「クククッ…やっぱり、お前もそうか。弱い奴は群れたがる。だってなァ、そうしねぇと、強い奴に殺られちまうもんなァ!クククッ。お前も奴らの仲間だってことだ。弱っちい、どうでもいいクズのな。ダメだなお前、不合格だ。好きな事を好きなだけ…そのための《力》だぜ? それがわかんねぇなら、死んじまった方がいいぜ。その方がスッキリするぜ」

 

「ひっ」

 

「お前もムカつくな。死ぬか? 」

 

真剣を突きつけられ、遠野は口を噤んだ。ときどき刀にちらりと目をやった。八剣に促され、もう何を言っても無益だと悟ったらしく、黙ってされるがままになった。

 

手足が縛られ、ガムテープで身体が椅子に縛りつけられる。その安っぽさがよけいに残酷に見えた。任務に失敗した間諜が、机に縛りつけられて、拷問を待つ姿を想像させた。どんなに暴れようとも椅子から逃れられないその姿は、悲壮感の塊に見えた。

 

「さあて......てめーはただの撒き餌なんだ。黙ってろよ」

 

こくこくうなずいた遠野は、八剣が仲間たちに指示しているのを聞きながら、考える。

 

どうもこの男は誰かに実力を認めてもらえなくて《力》そのものに固執するほどコンプレックスになっているようだ。同じ刀使いなのか、暗殺者としてなのかはわからないが、この男の脳裏には誰かが横切っているようである。

 

遠野はため息をつきたい気分になった。

 

(だからってあたし巻き込まないでよ、もう~ッ!そりゃあ天野さんとか龍麻君たちの忠告無視して独断で動いたのは悪かったけど~ッ!特別号くださいって白昼堂々乗り込まれたらどのみち一緒じゃない~ッ!!)

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

餓狼4

いつの間にかうとうとしてしまい、完全に寝入っていた遠野は、月の光で目が覚めた。ようやく辺りが暗くなっており、完全に夜だと気づく。あまりの寒さに体を震わせながら、遠野は前を見た。

 

「......誰?」

 

誰かが廃ビルの窓を開けたようで、月明かりが差し込んでくる。そこにいたのは、八剣や見上げるほどの巨漢の男、暗殺者崩れの不良でもない、新顔だった。

 

「......君は......?緋勇龍麻の仲間じゃなさそうだな」

 

八剣と同じ制服を着ているが、遠野の姿を見るなり驚いて近づいてくる。学ランをかけてくれるあたり、気遣いができるやつらしい。ガムテープやらなんやらを取り外し始めた。

 

「あたし?あたしは真神の遠野よ。アンタと同じ高校の八剣右近ってやつらに捕まったの。暗殺者のくせに人質取らなきゃ始末できないあたり、大したことないのね。龍麻君たちに返り討ちにあっちゃって」

 

「......それは、ほんとうなのか?」

 

「暗殺者にあるまじき饒舌さだったわよ」

 

「......あの馬鹿......」

 

「あ、もしかして八剣右近がいってた《ヤツ》ってアンタのこと?自分の方が実力があるのになんで認められないんだって癇癪を起こしだからよく覚えてるわ」

 

「......八剣のやつ、そんなことを......」

 

青年はためいきをついて、遠野の拘束をときはじめた。

 

「うちの馬鹿がすまない。やつは思い込みが激しい上に勘違いから逆恨みするんだ」

 

「暗殺者に向いてないじゃないの、それ。その上殺人が趣味とか依頼人も安心できないわよね。傷にでもなったら新聞にでも書いてやるとこだったわよ」

 

「新聞?......まさか、真神新聞部の部員か?」

 

「あら、知ってるのね。部長なのよ、あたし。龍麻君が転校してから最初に協力するっていったの、あたしたちなんだから」

 

「そうか......緋勇君は君のような《力》はなくともバックアップしてくれる仲間に恵まれているんだな」

 

「まあね。なんか話せるみたいだから聞きたいんだけど今何時?」

 

「今は......2時だな」

 

「やっば!もうすぐだわ、あいつら終電後の地下鉄にあたしの引渡し兼ねて龍麻君たちをおびき出す気なのよ」

 

「なんだって?だが君はここに......」

 

「そんなの約束なんか果たす気ないに決まってるじゃない」

 

青年は舌打ちをした。

 

新宿駅の終電は1時、始発は4時である。

 

まず客の追い出し、売上計算、駅構内の封鎖で後は寝る。例えば終電が1時で始発が4時30分だと売上計算後の2時に就寝、3時30分起床、4時に扉開放となる。

 

封鎖された構内では下着姿でうろつく職員も居るし、ランニングしている者も居る。実の処、客の目が無いので構内禁煙にもかかわらず煙草を吸っている者もいる。

 

終電後に助役以上の役職のみに与えられる寮への送迎列車も走っている。費用は運賃から捻出されていて、遅番の一般職員は無給で駅構内の職員詰め所で仮眠。ちなみに先の深夜清掃員だと業務命令で作業員詰め所で待機していても無給で、嘔吐物や排泄物の処理も休憩時間だろうと呼び出される。勿論無給。

 

例えば3時に作業終了だとしても5時にならないとシャッターが開かないので2時間無給で拘束される。

 

 

遅番の駅員は終電車が終わった後は清掃を行い、駅のシャッターを閉めたり、照明や改札機などの電気を落としたりして寝る。翌日は初電車が走りだしてしばらくした時間に起きる。早番の駅員は終電車が走る前に寝て翌日は初電車が走る前に起き、遅番とは反対にシャッターを開けて機械の電源を入れて、自動改札機に釣銭を詰めたり、営業前に駅設備に異常がないか点検したりする。

 

この2時間の間に決着をつけねばならない。

 

「あたしがいないこと知らせないと、みんなきっと全力出せないわ。あんた、龍麻君を助けたいんでしょ?そうじゃなきゃあたしを解放したり、緋勇君だなんて親しげに言わないしね。連れてってくれない?」

 

「本気か?僕もまた人を殺したことがある暗殺者なんだぞ?」

 

「だからなによ。蟲に頭寄生されるよりマシだわ」

 

「君の尊敬する天野記者は100人の罪なき人々を救うために1人の悪党を殺すことは、悪しきことなのだと断じているのに?」

 

「そりゃ一般的にいえば悪いことなんでしょーけど、あんたしか、あたしは頼める人がいないの。龍麻君たちの危機を打開してくれそうな人がたまたま暗殺者だっただけじゃない。そんなの今は関係ないわ」

 

「ふッ、そうか。くだらない理想論だね。それが君の正義感だとしたら、僕たちの道はきっと永久に交わることはないね」

 

「なっ!?あんたに何がわかるのよ!」

 

「そうだな。僕にも本当は、正義とはなにかなんて、わかっていないのかもしれない。でも、悪い気はしないよ。君はいい人なんだろう、きっと。僕には眩しいくらいだ。だから、君の無謀な依頼を請け負おうじゃないか。名前は?」

 

「あたし?あたしは遠野、遠野杏子」

 

「遠野さんか。僕は壬生だ、壬生紅葉。拳武館の館長派にあたる人間だ。君たちが副館長派との内部紛争に巻き込まれてしまったのは、少なからず僕にも責任があるからな。協力させてもらうよ」

 

「わかったわ、なら今すぐ× × × 駅に向かいましょッ!八剣右近たちはそこを取引場所に指定してるのよッ!」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

餓狼5

拳武館の人間だとわかった時点で顔パスなのか、監視カメラをものともしないで終電後の静まり返った地下鉄に降りていく壬生。そしてその後ろをついていく遠野。2人の足音だけが響いている。おそらく暗殺業でよく使う通路なのだろう、と思いながら、言外の圧力でカメラは撮るなといわれたので遠野は大人しくついていく。こんなことなら、天野記者が愛用してるペンに似せた録音機を買っておくんだったと場違いなことを考えているのだった。

 

「ここからどうする?」

 

「大丈夫、× × × 駅敷地内に入ったんだから、槙乃ならきっとあたし達に気づいてくれるわ。行きましょ」

 

訝しげな壬生だったが、遠野の言葉がうそではないと直ぐに知ることになる。

 

「アン子ちゃん!」

 

時須佐槙乃は壬生と遠野がいるところをすぐに探知してかけつけてくれたらしい。あまり時間はかからなかった。槙乃に抱きつかれた遠野は背中をさする。

 

「大丈夫ですか?アン子ちゃん!怪我は?」

 

「大丈夫、大丈夫、心配いらないわ。あいつら、龍麻君を殺すことにご熱心であたしはおびきだす餌でしかなかったみたいなのよ。だから捕まったままどっかの廃ビルに放置されてたみたいでね」

 

「よかった......ほんとによかったです、無事でよかった......」

 

「この人が助けてくれたのよ」

 

「ありがとうございますッ!アン子ちゃんを助けてくれて、本当にありがとうございました」

 

「僕は依頼を受けただけさ、遠野さんのね」

 

「えっ」

 

「龍麻君たちがあたしのせいで死んじゃったら嫌だから、連れてって。そういったのよ。あたしはたしかに《力》はないけど、それなら度胸で乗り切るしかないじゃない?何も出来なかったら、ほんとに槙乃たちと一緒にいられなくなっちゃうもの」

 

「アン子ちゃん......」

 

「たまには戦うところ、見せてよねッ!みんな、あたしのことが気がかりで全力出せないんだろうし、早く行きましょ!槙乃ッ!」

 

「君は時須佐槙乃さんだね?館長から話は聞いている。僕は壬生紅葉、拳武館の館長派の人間だといえばわかってくれると思う。遠野さんの話を聞くかぎり、だいぶ僕達のことを調べあげているようだし。うちの内部紛争に巻き込んでしまって、ほんとうにすまない。遠野さんは僕が護衛するから、案内してくれないだろうか」

 

「壬生君......わかりました。そこまでいうなら、ついてきてください!2人とも」

 

槙乃は元きた道を引き返しはじめる。壬生たちも後を追ったのだった。

 

 

 

 

「みんな、心配かけて本当にごめん!あたしなら無事よッ!こんなやつらのしちゃって!!」

 

「アン子!無事だったのか!」

 

遠野の無事がわかった瞬間、《如来眼》を頼りに槙乃を×××駅を索敵するために離脱させていた緋勇たちの士気が一気に向上した。

 

「よっしゃ、こうなりゃ話がはやいぜ。なァ、九角」

 

「あァ、時間稼ぎにちまちま膠着状態に持ち込まなくていいってなら、大歓迎だ」

 

口火をきったのは、ずっと前線で全力を出すことができず、燻っていた蓬莱寺と九角だった。

 

「陽光断ち割る鬼道の剣───────」

 

「暗転切り裂く無双の剣───────」

 

「「陰と陽の剣氣、今ここにまみえん!!」」

 

「「二天鬼王殺!!」」

 

一瞬にして拳武館の暗殺者たちが弾き飛ばされていく。

 

「だいたい、鬼勁だっけ?九角の戦い方横で見てるんだ、んなもん脅威でもなんでもねえよ!習得にはちと時間かかっちまったがな!襲撃されたとき見切れたんだ、出来ると思ったのに手間取っちまったぜ」

 

「だいたい拳武館で学ぶ武術は、緋勇んとこの武術を除けば《鬼道衆》に伝わる武術じゃねえか。特にそこの八剣右近、てめーの剣術は九角家につたわる剣術だ。本家にかなうと思ってんのか。生意気な野郎には現実ってもんを見せてやる」

 

九角はそうとう鬱憤が溜まっているようで、攻撃に容赦がなかった。

 

「よーし、まーちゃん。やってやろうぜ、鬼勁もどき出来るようになったしさ。九角との《方陣》ができんなら、俺とも出来るだろ」

 

「そんな軽いノリでいいんです?」

 

「物は試しだ。な?準備はいいか、愛ッ!」

 

「いきなりなんですか、もう。上等です、行きましょう。京君」

  

「「剣聖ッ!!阿修羅活殺陣ッ!!」」

 

そんな槙乃たちをみながら、壬生は龍麻に近づいた。

 

「僕は拳武館の壬生紅葉。館長派の人間なんだ。君が緋勇龍麻君だろう?」

 

「どうして俺を?」

 

「僕は館長の弟子でね、君が祖父から古武道を習ったように、僕も館長から古武道を習ったのさ。僕はどうやら館長から《宿星》を引き継いだらしくてね、その相対する陰の古武道を。君の話はいつも館長から聞いていたんだ。大切な親友の忘れ形見だとね」

 

「先生がそんなふうに......」

 

「ああ、君は自覚ないだろうから教えてあげよう。風祭家から免許皆伝して学校で教えることを許された人から無条件に教えてもらえる、気にかけてもらえる。八剣のような拳武館の連中が嫉妬するような境遇だ」

 

「そうなのか......」

 

「なにやら館長について八剣から適当なことを言われているようだから言わせてもらうが、君のよく知る館長が真の姿だ。間違いない。その動揺すら八剣たちのやっかみから来ているんだってことを覚えておいてくれ」

 

「壬生......」

 

「今回の事件は多忙を極める館長のフォローができなかった僕たちに少なからず責任があるんだ。拳武館の内部紛争に巻き込んでしまってすまない。ここからは僕も手伝わせてくれ」

 

「ああ、わかった。ありがとう」

 

「落ち着いたらでいいから、連絡してやってくれ。ほんとに心配していたから」

 

「今回の事件で久しぶりに連絡しようとはしたんだよ」

 

「そうなのか?行き違いがあったみたいだな、僕からも伝えておくよ」

 

「そうしてくれると助かるよ」

 

龍麻はようやく元気を取り戻した。声にハリが戻ってくる。

 

「早速だけど、紫暮とあのあたりを片付けてくれ。2人の《氣》は似てるから、きっと《方陣》ができる」

 

「《方陣》か......はじめてだ」

 

「そうか、なら俺が先導しよう。いくぞ、壬生」

 

「お手柔らかにお願いしますよ、紫暮さん」

 

「おうッ!!」

 

「僕の華麗な技を見せてあげますよ」

 

「ふんッ、行くぞ、壬生!!」

 

「はい」

 

「「必殺!!武神龍撃陣!!!!」」

 

初めてとは思えない程の阿吽の呼吸だった。仲間たちも次々と《方陣》を発動し、仕留め損なった暗殺者たちをここの技で撃破していく。みるみるうちに目減りしていく暗殺者たち。その合間をぬって進んでいった龍麻に壬生が続いていく。

 

「いくか。父さんと先生がやったかもしれない《方陣》なんだな」

 

「ああ、もちろん。僕達が引けを取る訳には行かないよ」

 

「わかってるさ」

 

「陰たるは、空昇る龍の爪」

 

「陽たるは、星閃く龍の牙」

 

「表裏の龍の技、見せてあげましょう......」

  

「「秘奥義・双龍螺旋脚!!」」

 

18年振りに陰陽にわかれた龍の名を持つ古武道がひとつとなり、《方陣》を形成する。八剣たちを巻き込んで高々と螺旋を描きながら舞い上がった闇の《方陣》が炸裂した。

 

八剣たちは地下鉄の天井に叩きつけられ、一気に落下していく。一瞬だった。

 

龍麻と壬生は互いに笑う。拳を打ち上ったその姿はかつての師匠たちに似ていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陰陽師1

私は遠野と桜ヶ丘中央病院を尋ねた。

 

「あたしになんの用かしら」

 

「実は那智さんに見てもらいたいものがありまして」

 

「あたしに?」

 

「はい」

 

「那智さんにしかお願いできないことなんです」

 

「あたしに、ねえ。アンタ達には帰したくても返しきれない恩があるから、力になれるなら願ってもないことだけど」

 

私達はここ1ヶ月にわたり、転校生が行方不明になっている事件について説明した。《将門公の結界》を破壊しようとした事件から始まった連続失踪事件である。赤い髪の男と無関係とは思えなかったのだ。そして、長きにわたる調査の末に、そこに必ず落ちている紙切れを見つけることができた。だから私たちはここにいるのだ。これが唯一の犯人に繋がる手がかりだと私は那智にさしだした。

 

「これは......《ドーマン》ね。九星九宮、九字を表す、陰陽道で用いる代表的な呪術図形のひとつ。あたしの家のように安倍晴明を源流にもつ主流派は《晴明桔梗》とも呼ばれる五芒星を用いた《セーマン》を用いる事が多いわ。それをわざわざ《ドーマン》を記す辺りに怨念が渦巻いているわね」

 

那智は詳しく教えてくれた。

 

陰陽道は森羅万象について、その状態を陰陽で表す《陰陽説》とその性質を木火土金水のどれかに分類する《五行説》が統合された《陰陽五行説》により、星の意図を読み、あらゆる事由を解く《占術》から神仏、鬼神の力を借りてじゃを滅し、他を暗殺する《呪術》まで、あらゆる呪法を可能にした日本古来のオカルトだ。

 

中でも陰陽寮という宮内庁にある部署に抜擢された陰陽師の仕事は多岐にわたる。

 

「うっそー!陰陽師って今もいるんですか!?」

 

「いるもなにも、劉瑞麗の所属する機関のお得意様よ。《将門公の結界》といった日本の《霊的な守護》の最高責任者にあたるわ。今年に入ってからの事件の連鎖でてんやわんやになってんじゃないかしら?公的な立場でもあるから、説明責任もあるし、専門分野だから他に頼めない。はっきりいって地獄よね」

 

「うわあ......」

 

「代々頭目は安倍晴明の末裔である御門家の当主が世襲しているはずよ。那智は150年前の《鬼道衆》の事件で本家と縁が切れたはずなんだけど、あたしのとこにも仕事の依頼があるあたり、相当修羅場みたいね。やることないから手伝ったら、なんか気に入られたみたいなのよ。那智家に本家との繋がりを復活させてやるから、あたしを当主にしろって圧力かけてきたみたい。帰ってきてくれって本家分家総出で土下座にきたのよ。なにしてくれてんのって話だわ、まったく......」

 

那智はうんざりといった様子でぼやいた。

 

「あたしはまだ治療中だし、追い出しといて本家に圧力かけられたら戻ってこいなんてそんな虫のいい話ある?まあ、あたしが大学に復帰したいっていったら二つ返事だったから、どうしてやろうか考えてるとこなのよ。どのみちあたしは償わなきゃいけない罪があるし、それと向き合う方法を模索しなくちゃいけないわね」

 

そんな世間話も交えながら、那智は陰陽師の最高峰、陰陽寮についても教えてくれた。その始まりは古代日本の律令制において中務省に属する機関のひとつ。占い・天文・時・暦の編纂を担当する部署だった。

 

四等官制が敷かれ、陰陽頭(おんようのかみ)を始めとする幹部職と、陰陽道に基づく呪術を行う方技(技術系官僚)としての各博士及び陰陽師、その他庶務職が置かれた。陰陽師として著名な安倍晴明は陰陽頭には昇らなかったが、その次男吉昌が昇格している。

 

博士には陰陽師を養成する陰陽博士、天文観測に基づく占星術を行使・教授する天文博士、暦の編纂・作成を教授する暦博士、漏刻(水時計)を管理して時報を司る漏刻博士が置かれ、陰陽、天文、暦3博士の下では学生(がくしょう)、得業生(とくごうしょう)が学ぶ。

 

因みに天文博士は、天体を観測して異常があると判断された場合には天文奏や天文密奏を行う例で、安倍晴明も任命されている。

 

飛鳥時代(7世紀後半)に天武天皇により設置され、明治2年(1869年)に時の陰陽頭、御門家当主が世襲するようになった。

 

「その当主がなかなかの切れ者でね、明治維新によって江戸幕府が崩壊すると、新政府に働きかけて旧幕府の天文方を廃止に追い込んで、編暦・頒暦といった暦の権限のみならず、測量・天文などの管轄権を陰陽寮が掌握する事に成功したのよ。当時の新政府の中においては、富国強兵や殖産興業に直接繋がらないとみなされた天文学や暦法に関する関心が極端に低かったから。更に洋学者の間で高まりつつあった太陽暦導入のさいには太陰太陽暦の継続を図ったのよ。新政府にも天文や測量は科学の礎でありまた陸海軍の円滑な運営にも欠かせないという正確な認識が広まると共に、《霊的な守護》の重要性も高まったもんだから、地位を確立したわけ。ね、すごいでしょう?天地を読み、理に通じるといわれた陰陽寮は、最高の特殊集団でありつづけているし、今は特に霊的に封じられ、不安定な東京に溢れる怪異や呪詛を扱うプロよ。今が88代目だったかしらね。この呪符に残った残留思念からみるに、相手はその頭目にも匹敵するわね、あたしのような陰陽道に精通した人間だわ、きっと。これは式神に使われたものだもの」

 

「式神って如月君がやってるやつじゃない?槙乃」

 

「如月家も式神の術式が使えるのね。まあ、これは明らかに陰陽道由来の呪符だから、陰陽師が犯人だわ。高位の陰陽師になれば仮初の生命を吹き込み、まるで生き物のように変化させ、自在に操ることができる。これはその依代だったものよ。それも《龍脈》の力をとりこみ、半永久的に動けるもの。龍塔が刻まれてるわ」

 

「龍塔?」

 

「その名のとおり、龍の命、すなわち龍脈の《力》を二つの塔の強力な音叉効果で増幅させ、強制的にある一点に向けて押し流すポンプのような装置よ。龍脈の《力》が噴出するその一点、《龍穴》を手中に納めた者は、まさに永劫の富と栄誉を手にした。風水における一般的な解釈なの」

 

「なんか、都庁みたい」

 

「東京都庁のデザインは、大正時代、帝都の時代に軍部幹部が高名な風水師を集めて極秘裏に研究、建設しようとした《龍命の塔》の緻密な設計法をもとにデザイナーがリザインしたもの、似てるのも無理ないわ。都庁の施行前には高名な風水師がいたし、塔はもともと風水学上の分類では木性、木は水を吸い上げて成長するのが理だから、龍命の塔はまさに大地を流れるエネルギーという名の水を吸いあげて成長、発展させる文明の反映装置だったわけね」

 

「そうなんですか!?知らなかった」

 

遠野は目を輝かせた。

 

「これを使いこなす、《ドーマン》を愛用する流派といえばやっぱり芦屋道満の末裔に他にないわ。気をつけなさいね、緋勇君はもちろん、あんたたちも狙われているわよ。呪殺されないように気をつけなさいね」

 

「們天丸さんが数珠をかしてくれたのって、もしかしなくてもこのためですよね......」

 

「あら、そうなの?鞍馬天狗の愛弟子がねえ?神通力でなにかみたのかしら。なら、あたしもあげるわ」

 

「えっ」

 

「あたしはここから出られないもの。高見沢さんから聞いたけど、遠野さんまで巻き込まれたそうじゃない?赤い髪の男が本格的に動き出しているようだし、護衛替わりに式神のひとつやふたつ用意してあげるわよ」

 

「ほんとですか!」

 

「すっごいじゃないの、槙乃ッ!」

 

「なにか要望はある?」

 

那智ができる式神の種類は、陰陽道に鬼道もあいまってすさまじい数らしい。

 

「ついでだから緋勇君たちにも聞いてきてちょうだい。渡しに行くついでに、付き合って欲しいところがあるのよ。やっと外出許可が出たから」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陰陽師2

翌日の放課後、チャイムがなるなり3のCの教室に飛び込んできたのは遠野だった。教室では昼前に12月だというのに夏服で登校して来た京一が風邪をひいたのかくしゃみを連発している

 

「えへへへへへッ、みなさ~ん、ごきげんよう~!!」

 

「あら、アン子ちゃん」

 

「なんだ、遠野。いつになくご機嫌だな」

 

「えェ、そりゃあもう!!あ~ら、京一君。やっぱり風邪をひいたのねェ~」

 

「てめェ......、なにがいいたいんだよッ!」

 

「うふふ......いってもいいのかしら~?」

 

「お前、まさか......」

 

「えッ?なになにッ、アン子!!ボクたちにも教えてよ~ッ!!」

 

「んふふふふ~、そうね~、どうしよっかなァ~。ねッ、龍麻君は聞きたい?」

 

「そりゃもう」

 

「ふふッ、龍麻君も意外とゴシップ好きねェ。いいわよ、あたしが最高のネタを提供してあげるッ!本当なら、情報提供料っていいたい所だけど、やっぱりこういう話題は、みんなで笑い飛ばしてやるのが、ふふふ......1番よねェ~、京一くーん?」

 

「ま、まさか、お前......あの時、あそこにいやがったのかッ!?」

 

「お───────ほほほほほッ!バッチリ見せてもらったわよッ!アンタが───────、パンツ一丁で歌舞伎町を駆け抜けていくのをねェッ!!」

 

「うわああああああッ!!そんなデカい声で......!!」

 

「パンツで歌舞伎町をッ!?」

 

「京一君......」

 

「いくらなんでも、そこまで馬鹿とは......」

 

「なにやってんだよ、きょーちゃーん。さすがに俺も親友として恥ずかしいんですけどー」

 

「しッ、しょうがねェだろッ!!財布から学ランから何から何まで一切合切根こそぎあのイカサマ野郎に巻き上げられたんだからよォッ!!」

 

「京一君......それじゃあさすがに風邪もひくはずだわ」

 

「それにこの時期、ひとりだけ夏服登校だもんねェ~」

 

「くっそォ~ッ!!こうなったら意地でもヤツから全部奪い返してやるッ!」

 

「あら、相手は相当な腕の持ち主なんでしょ?所詮、素人がプロのイカサマは見抜けないと思うわよ」

 

「なるほどな、それで龍麻を頼った訳か」

 

「えッ......?それ、どういうことなの?醍醐君」

 

「龍麻には、古武道を通して鍛えた鋭い動体視力がある。それをもってすれば、微かな小手先の動きを読み取ることができるかもしれんからな。そうじゃないか?京一」

 

「ちッ、バレてたか」

 

「ふ~ん、面白そうだね。ねッ、ひーちゃん、ここは協力してあげたら?」

 

「仕方ないなあ、きょーちゃんの仇はとってやるよ」

 

「えへへッ、結局ひーちゃんは京一のこと、助けるんだよねェ」

 

「親友だしな」

 

「いささか甘やかしすぎのような気もするが......まあ、そこが龍麻のいいところだな」

 

「ひーちゃん......お前、ほんっとにいいやつだぜ!恩に着る!さすがは俺の相棒だッ!!」

 

「まァ、京一のことはいいにしても、たしか新宿区内には白い学ランの高校は無いはずだ。余所者にこの街でやりたい放題させておく訳にもいくまい」

 

「わざわざ新宿に出てきて、あくどい商売しようなんてほんと図々しいにも程があるよッ」

 

「まぁ、どうせ目的はイカサマ勝負で金品を巻き上げることだと思うけど、龍麻君、少し身の回りに気をつけた方がいいわよ」

 

「ひーちゃんがどうかしたのかよ?なんか、狙われるのがわかってるような口ぶりじゃねェか」

 

「アン子ちゃん?なにか、また事件が起こっているというの?」

 

「うん、確証はないんだけどね。ここひと月くらい、23区内で結構な男子生徒が行方不明になっているのよ。警察がそこに着目してるかどうかは定かじゃないけど、でも、あたしの調査によれば、行方不明になったこは全員、今年になってから今の高校に転校してきている。つまり───────」

 

「全員、転校生、というわけか」

 

「そうよ───────。もしも相手が《力》の持ち主で、意図的に転校生を狙っているとすれば、龍麻君を探していり可能性もなくはない」

 

「もしそいつが、その転校生狩りの犯人だとすれば、京一が狙われたのも俺たち、いや龍麻をおびきだすための罠かもしれんな。もしそうなら。皆で一度そいつの顔を拝みにいくか」

 

「うんッ、ここは向こうの誘いに乗ってみるのも手だと思うよ。アン子はどうする?ボクたちと一緒に行ってみる?」

 

「残念だけど、あたし、槙乃も誘ってこれから日本橋に行くの。そこでやってる大好きな画家の個展が今日までなのよッ!」

 

「画家の個展~ッ!?お前にそんなにまともな趣味があったのか」

 

「余計なお世話よッ!秋月さんは、あたしたちと同じ高校3年生なんだからッ!」

 

「あら、アン子ちゃんの好きな画家ってあの、秋月薫さん?」

 

「さすがは美里ちゃん!!やっぱり知ってるのねッ!中央区の超名門校、私立清廉学院1年の秋月薫!!今評判の車椅子の女子高生天才画家よッ!!大胆かつ柔らかな絵のタッチとあの浮世離れしたどこか儚げな風貌......もうッ、護ってあげたいって感じの美少女なのよ~ッ!!」

 

「アン子が京一になった......」

 

「薫ちゃんにはお兄さんがいるんだけど、これまたイケメンでね~、将棋の日本チャンピオンなのよ!!絵も上手だしね~、征樹っていうんだけどこれまたいい絵をかくの!!」

 

「ファンの心理というのは他人には全くわからん物だな......」

 

「な、何よォ~ッ!アイドルおたくの京一と一緒にしないでよねッ!!」

 

「誰がおたくだッ!!俺が好きなのは舞園さやかちゃんだけだッ!」

 

「ふん、好きなことにかわりないでしょッ!と、そんなことより龍麻くん、昨日連絡した話、みんなに伝えといてくれた?」

 

「あ~、ごめん。昨日、やっと先生と電話繋がって長話したら終わっちゃったんだよな」

 

「今の今まで忘れてたわね?もー、気持ちはわかるけど」

 

「え、なになに?」

 

「桜ヶ丘中央病院に転校生狩りについて調べるついでに話を聞きに行ったんだけど。那智真璃子さんがね、あたしまで襲われたこと聞いて、式神用意してあげるから要望とりまとめといてって言われたの。詳しくは龍麻君に聞いといてね」

 

「わかった、今から連絡とっとくよ」

 

「よろしくね~。そんなことより京一くーん。とりあえずあんたのパンツ姿は激写しておいたから、写りがよかったら後で焼き増しして校内掲示板にはっといてあげるわ」

 

「なッ!?やめろおおおおおおおッ!!」

 

「おーっほっほっほ!今度の新聞楽しみにしてなさいよね~ッ!それまでこれ読んでて」

 

遠野は最新の真神新聞を緋勇に渡した。

 

「この鬼ッ!悪魔ッ!お前には人の心がないのかッ!!」

 

「なんとでもいいなさいよ。あたしは新聞が売れればそれでいいんだからッ!それじゃ、あたし槙乃待たせてるから。じゃあね~ッ!」

 

「バカヤロ~ッ!ネガよこせー!」

 

「いやよ~ッ!」

 

蓬莱寺の声が階段から聞こえた気がした。

 

「いやァ~、わらったわらった。転校生狩り追いかけるついでに、まさかあんなスクープが撮れるなんてッ!やっぱり、あたし、ついてるわ~ッ」

 

「あはは......アン子ちゃんイキイキしてますね」

 

「お待たせ、槙乃ッ。いやだって、まさか那智さんから秋月兄妹の個展に誘われるとは思わなかったじゃない~?昨日は売上間違いなしのスクープもゲットできるし!京一と反対であたしついてるわ~!さあて、急ぎましょっか、槙乃。那智さんとは日本橋駅で待ち合わせよね、たしか?」

 

「そうですね!」

 

私達は顔を見合わせて笑ったのだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陰陽師3

私達は秋月征樹と秋月薫兄妹の初めての個展の最終日にやってきた。柳生の勢力にいつ狙われるかわからないため、本人たちはこないだろうが最終日とあってたくさんの客がいた。前々から来たかったのかもしれないし、偶然チケットを手に入れたのかもしれない。

 

受付の女性にチケットを渡すと微笑まれる。

 

「ありがとうございます、ゆっくりご覧になってください」

 

受付にはパンフレットがある。私達は迷うことなく購入した。

 

そこには2人の略歴と作風、そして受賞した賞が並べられていた。

 

「すごい。代表作、全部展示してるみたいよ、槙乃。ラッキーね」

 

興奮したように遠野がいう。

 

「誘ってよかったわ。遠野さんが誰よりも詳しそうだから。よかったら教えてくれない?あたし、興味はあったんだけどわからないのよ」

 

那智の言葉に遠野は力強くうなずいた。

 

個展は順路に沿って進んで行き、一周して戻ってくるようになっている。私達は一本道の個展を歩きはじめる。

 

少し進んで行くと奇妙な絵が目立ちはじめる。更に進むと、飾られている絵は異質さを増していく。もはや人の絵ではない。

 

「この頃、薫さんが病気の後遺症で足が動かなくなったり、お兄さんが事故にあったりしたからか、くらい画風が多いの。最近はほら、また明るい絵が増えてきたんだけど」

 

その制作時期は、私が秋月兄妹の解呪を試みた時期と一致している。もとの希望をどこかに見出そうとしている作品ばかりになってきて、私は嬉しくなった。

 

「ねえ、この絵、槙乃に似てない?前から思ってたのよね~」

 

遠野が指さす先には、曇天の空からさす一筋の光の先に佇む女性の姿があった。荒れ狂う嵐と相対する姿が描かれている。

 

「あはは、偶然ですよ、偶然」

 

「ま、そーだと思うんだけどね。こないだの戦いみてたらそう思ったのよ」

 

お礼として見せてもらったことがある、とは断じていえない。昏睡状態になる前、思い立ったように一心不乱に描いていた兄を秋月薫がみていたことが私を頼るきっかけになったのだ。

 

軽くスルーして広い空間に着く。そこには巨大な絵が立てかけられていた。

 

 

「どの世界にも裏と表、白と黒、光と影が存在する。しかしそれら対局に位置する二つは綺麗に別れることはなく、奇妙なバランスで今の現実を形作っている。さながら天地創造前の神話で、天地が別れることなく混じり合った混沌のように。日常を疑うことなく享受する者。生まれついて非日常を運命づけられた者。生きながらに宿命に縛られた者。彼らは今日も奇妙に成り立った混沌の世界を過ごす」

 

私がひどく惹かれたのは、そんな注釈がかかれた秋月征樹が描いた絵だった。秋月兄妹の描く絵は星見の《力》により、時期は不明だがあるかもしれない未来が描かれている。そのひとつひとつが予言として機能している側面があるため、解釈により見る人の価値観で評価が乱高下するのだ。私からしたら、未来予知をキャンパスに書き込むことが出来る才能が《宿星》に守られていてよかったと言わざるをえない。ほかの人間がこの《力》に目覚めたら、未来をみた事実を猟犬に探知されておいかけまわされることになるし、見た人間全員が被害者になる。とんだテロ行為である。

 

「薄明の空に浮かぶ眼よ、我らに視力を与えよ。我が捧げ物を取り、我らに力を与えよ。我が力を夜の涙に変えよ」

 

不穏なタイトルだ。

 

黒い法衣を着た男の周りを無数の羽を生やした蛇が飛んでいる。その背後にはそびえ立つ東京都庁。

 

「......これは」

 

私の脳裏にヒュプノスが頻回見せてくる悪夢がチラついた。

 

八号の風景だ。おそらく舞台は新宿の東京都庁前。世紀末を題材に空から大魔王が降ってくる心象風景だといわれたら納得しそうになる徹底的に破壊され尽くした東京の画だった。荒涼と見渡す限りに連なった瓦礫、高層ビルが崩壊し、東京都庁のみが地平線一面にのこる異様さ。みぞれぐものすきまから午後の日がかすかに漏れて、力弱く照らしていた。

 

単色を含んで来た筆の穂が不器用に画布にたたきつけられて、そのままけし飛んだような手荒な筆触。自然の中には決して存在しないと言われる純白の色さえ他の色と練り合わされずに、そのままべとりとなすり付けてあった。それでもじっと見ていると、そこには作者の鋭敏な色感が存分にうかがわれる。そればかりか、その絵が与える全体の効果にもしっかりとまとまった気分が行き渡っていた。

 

重い憂鬱が絵画を覆っている。

 

 

パレットナイフで牡蠣のように固くなった絵の具をバリバリとパレットの上で引掻きながら描いたのだろう。近くまできて、じっとみていると今まで気のつかなかった物の形や、色の精細な変化などがよく分る。

 

タッチの手本を印象派の画風に求めていると思われる秋月の画いた男は、まるで千代紙細工のようにのっぺりしている。明らかにそこだけ浮いていた。だから余計に存在感を放っている。

 

普通、人の肖像をかこうとする画家はその人の耳目鼻口をそれぞれ綿密に観察する。皺一つ、ひだの一つにまで神経を尖らせて理解しようとするはずだ。細部までかき込むには詳細を知らなければならない。おそらく秋月征樹の本能が直視することを避けたのだろう。だからわからない。だからぼやかす。

 

何でも無いものをここまで仕上げておきながらぼやかすわけがない。秋月征樹は、《星見》でみた風景にどこまでも忠実であろうとしている。主観に依って美しく創造し、或いは醜いものに嘔吐をもよおしながらも醜く誇張して描こうとはしていない。それに対する興味も表現のよろこびにひたっている様子もない。人の思惑に少しもたよらずに描こうと悪戦苦闘した形跡がある。これは秋月家の《星見》という未来予知の《力》を知っている人間には喉から手が出るほど欲しい絵画となるはずだ。

 

 

 

 

おそらく、この蛇は忌まわしき狩人。はラヴクラフト&ダーレス著『暗黒の儀式/The Lurker at the Threshold』の『スティーブン・ベイツの手記/』内において言及される奉仕種族である。

 

その容姿は巨大な空飛ぶ蝮と形容することができるだろう。ただ妙にゆがんだ頭部や大きな鉤爪のようなものがあり、弾性のある黒い翼で宙に浮かんでいる。

 

またこの生物は時に姿を消すことができるようだ。

 

こんな生物が無数に存在し、頭上を旋回しているとしたら、きっと恐怖すら忘れて見続けてしまうことだろう。

 

彼らは様々な神格に仕え、番犬として役割は果たしている。

 

空飛ぶ蛇というとなんとなくドラゴンのような容姿を想像してしまうが、そんなに可愛いものではないと記載しておく。

 

その姿はコウモリ、あるいは雨傘のような翼を持った巨大な黒いヘビかイモムシのような姿をしているというが常に変化しているのでどんな姿か認識するのは困難である、というのが正直な話だろう。

 

光に弱いという話もあるがそれは姿から来ているのかもしれない。

 

忌わしき狩人は主にニャルラトホテプの猟犬としての役割を果たしているが、どんなものでも正しい方法を知っていれば召喚することができるといわれている。

 

ここに描かれている男と思しき人影の髪は赤ではない。

 

「うっそでしょ......」

 

そこにいるのは、柳生ではない誰か、だった。直視しているだけで生存本能が警鐘を鳴らしてくるあたり、この絵に描かれた男は危険人物だ、と敵対勢力の人間だと《アマツミカボシ》がうったえかけてくる。

 

「こいつが......」

 

私は息を飲んだ。

 

赤銅色の皮膚に黒い髪、黒い法衣を着た男だった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陰陽師完

 

 

突然あたりが真っ暗になった。

 

「え、なになに!?」

 

「アン子ちゃん、ここにいてください!動かないで!」

 

私はあわてる遠野の手を掴み、《如来眼》を発動させる。サーモグラフィーごしの世界が広がる。不審な《氣》がないか私はあたりをみわたした。

 

「静かに」

 

那智の声がする。

 

「なにかいるわ」

 

悲鳴があがった。あちこちで襲われたのか、パニックになった人の波に飲まれそうになる。私達ははぐれないように通路を逆走し始めた。

 

先程までいた巨大な空間の中央に、どこか巨大なコウモリ人間のような化け物が鎮座していた。顔の特徴と言えるものは、三つの真っ赤に燃える瞳がひとつに合わさったもの。半実体に過ぎず、濃い煙のようなもので形成されている。必要とあれば固い物質を通り抜けて進むことが可能なようで、壁や美術品を無視して近づいてくる。そういった物体を持ち上げたり動かしたりすることもできるようでこちらに投げつけてきた。

 

私は《アマツミカボシ》の《氣》に変質させて、練り上げ、コウモリの化け物に放った。

 

「ぎいいいいいいっ!」

 

コウモリだからか、星明かりのように非常に薄暗い光にしか耐えることができないらしい。あらゆる眩しい光はに害を与える要因となるようだ。停電になったのも、完全な闇の中にしか現れることができないからだろう。

 

しっかりとした光は、さながら陽光が朝霧を焼きつくすかのように、化け物を崩壊させた。

 

襲われた人々が取り憑くかのように体内に煙状の肢を伸ばされ、精神的に捕まっていく。頭蓋骨のてっぺんに穴を開け、犠牲者の脳をむさぼり食う間に、肉や骨を燃やし、溶かしていく。犠牲者の身体は黒こげになり、黄色い染みの跡がついて取り残された。

 

怪物は犠牲者を掴んで連れたまま一緒に壁や他の固い物質を通り抜けて飛びはじめた。私達はあわてて走り抜ける。美術館から出さえすれば、まだ外は夕方のはずなのだ。

 

近づいてくるたびに、木刀で弾いてみたが装甲はないが物理的な武器は一切ダメージを与えないらしい。冷気、炎、電気といった属性の《氣》をぶつけてみたが、全くダメージを与えない。やはり、《アマツミカボシ》のもつ金星の《氣》だけが影響を与えるようだ。

 

「ここからはあたしに任せて。式招来・大物忌神(おおものいみのかみ)」

 

那智が印を切る。山形県の鳥海山に宿るとされる神が式神の依代を得て降臨した。

 

鳥海山は古代のヤマト王権の支配圏の北辺にあることから、大物忌神は国家を守る神とされ、また、穢れを清める神ともされた。鳥海山は火山であり、鳥海山の噴火は大物忌神の怒りであると考えられ、噴火のたびにより高い神階が授けられた。物忌とは斎戒にして不吉不浄を忌むということであり、夷乱凶変を忌み嫌って予め山の爆発を発生させる神であると大和朝廷は考えたらしい。

 

大物忌神は、150年前の那智の先祖である桔梗の祖母(安倍晴明の母)、そして桔梗の母たる狐が化身として知られる倉稲魂命と同神とされている。だから親和性が高いのだろう。

 

「生類の守護者たる大物忌神の名において、守護せん」

 

呪術に対する抵抗力を増す術が式神によって私達にかけられる。那智は印を結ぶことにより力を発揮するようサポートしていた。

 

「符咒・人形兵」

 

那智の周りを人型に切った紙が無数に出現したかと思うと、敵に向かっていく。宙を舞い、渦を巻き、体のそこかしこに張り付いてその行動を束縛した。

 

「符咒・剪紙兵」

 

意を込めた兵紙が、相手にまとわりつき、行動の自由を奪った上で、その生命力をこそぎ落とす。

 

そこに灼熱をともなった熱風が襲いかかった。怒涛のように天高く噴き上げる真っ白な煙が熱をつたえてくる。断末魔が木霊した。真赤な光をほとばしらせるは、黒い輪郭を闇の中に浮かべる。宇宙の始源に起こったビッグバンを思わせた。

 

絶命した敵は雪のように真白になっている。

巨大な法螺貝を吹くような、神の唸りだけが聴える。音は強くも弱くもならず、のそのそしていると、ハタとその唸りが止んで、爆発でもしそうな恐怖を私達に与えた。

 

やがて神は姿を消した。その焔色の周囲に、冷却した部分が、世にも鮮やかな黄色の鐘乳石のように凝固していた。それがすべて敵だと知った私と遠野は絶句するのである。

 

「あたしの《氣》の性質はかわってしまったんだけど、《鬼道衆》の家系との交流があたしの中の因果を深めたみたいなのよ。大物忌神が式神として降臨してくれるんだもの、驚いたわ。あたしの先祖は一体、なにものだったのかしらね」

 

安倍晴明と狐の妻とのあいだに生まれた娘だと知ったら、那智は驚くのだろうかとふと思った。

 

「すごいです、那智さんッ!なんか、すっごい陰陽師っぽい!」

 

「ぽいんじゃなくて、陰陽師なのよ、遠野さん」

 

「あ、そっか」

 

「実践で使うのは本当に久しぶりだったけれど、使い物になってよかったわ。《鬼道衆》にいたときは、深きものへの変生といった邪神との繋がりばかり深めていたから。おかげであの時の化け物に変生しなくても呪文は使えるのよ。《氣》ではなく《精神力》を使うから、化け物になった方が強力なんだけどね。さすがに病院に帰ったらバレて怒られそうだからしないわ」

 

「......逃げられたわね。視線を感じるわ。まあ、襲ってこないあたり監視なんでしょうけど」

 

那智はためいきをついた。私も姿こそ特定できないが《如来眼》の《力》が及ばない距離から監視されている気配がすると遠野に伝えた。

 

「え、どうしようあたし......」

 

「これ、肌身離さず持っておいて、遠野さん。大物忌神の式神。さっき効果があるとわかったから護身用にね」

 

「ありがとうございますッ!」

 

「槙乃さんも持っているといいわ」

 

「ありがとうございます、助かります」

 

私は式神の護符をカバンにしまい込み、騒ぎをききつけたマスコミや緊急車両が近づいてくる前に日本橋をあとにしたのだった。

 

那智を桜ヶ丘中央病院に送り届け、遠野を自宅まで送り届けた私は、その足で自宅に向かうことにした。その道中、ずっと監視の気配が付きまとっている。

 

今頃、緋勇たちは村雨祇孔と知り合ったあと、御門晴明の結界に守られている秋月兄妹に赤い髪の男と緋勇の父親たちの因縁を聞かされた。上手くいけば芦屋道満の末裔である親子にその結界に侵入されそのまま防衛戦となり、緋勇たちの実力を認めた御門たちが仲間に加入するはずだ。万が一上手くいかなくても、那智の力をかりることが出来そうなので私はあまり心配していなかった。詳しくはかつての仲間だった龍山先生を尋ねるように言われている流れを考えるならば、今は雛川神社に身を寄せているはずだが、外はすっかり夜である。時間が時間だから本当に向かったかどうか電話しなくては。

 

......正直御門と顔を合わせると精神的な疲労が半端ないので嫌なのだが、仲間は多い方がいいに決まっているのでそんなこと口が裂けてもいえないのだった。

 

 

「ただいま」

 

「おかえりなさい、愛さん」

 

「あれ、おばあちゃん。どうしたんですか?」

 

「悪いんだけど、今から雛川神社に一緒に来てくれないかしら。龍山先生から連絡があってね、緋勇君たちに18年前のことを話す時がきたと」

 

「!」

 

「愛さんのことも話さなくてはならないから」

 

「そうですね、わかりました。急ぎましょうか」

 

私達はあわただしく準備を済ませて車に乗り込む。私は槙絵に秋月兄妹の個展に柳生の仲間が放ったと思われる邪神を取り逃したことを話した。今なお監視されていることも。どうやら龍山先生側も似たような存在は把握しているようで、迎撃の準備はできているという。だが果たしてどこまで結界が持ちこたえられるだろうか。脳裏を赤褐色の男がチラついて私は身震いしたのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

龍脈1

「何故じゃ───────ッ!!何故、三山国王の岩戸を閉じたのじゃ!!あの中には、まだ、あやつが......」

 

「全ては、あの方が申し出されたこと......。御自ら、あの《凶星の者》を守護神の岩戸へと誘い出し、《力》を半減させたところでこの岩戸を閉じよ───────と」

 

「......」

 

「それは、我ら客家の者の意思でもございます」

 

「餓鬼が───────、己の身をていして、やつを封じる気だったのかよ」

 

「弦麻......」

 

「弦麻殿は、その身に変えてこの地を救ってくださった。我ら、客家封龍の者な、永劫───────弦麻殿の御名と、この岩戸を護り、伝えてゆきましょう。それが......我が一族に受け継がれる《宿星》でもあるのですから」

 

「......」

 

「あのクソガキめ、おれらには何も言わずに逝きおって。残された者の想いも少しは考えねェかッ!」

 

「......わしらだけではない。あの子にももう、何も残されてはいない......。父親の背中も、母親の温もりも......。この世界の継続と引き換えに、あの幼子は───────全てを失ってしもうた......」

 

「......」

 

「道心よ、お主はこれからどうするんじゃ?」

 

「そうだな───────。おれはもう少し、大陸に残ろうかと思う」

 

「そうか......。ならばわしは、一足先に日本へ帰るとするかの。この赤子を連れてな───────......。今から、あの男に顔をあわせるのがつらくてかなわん......この戦いの終わりは、あの時に匹敵する......」

 

「龍山......おめェには辛い役目を押し付けちまうが、その子のこと頼んだぜ」

 

「うむ。迦代さんの息子だ、《菩薩眼》の母と強い《氣》を持つ父の子だ。間違いなくこの子は......。じゃから、あの男に託すしかあるまい」

 

「そうだな......かつて《黄龍の器》だったあの男なら、きっと孫を立派に育てあげるだろうよ」

 

「出来ることなら、あの子には平穏な人生を送って欲しいんじゃがな......日本には《凶星の者》の配下が多すぎる......」

 

「そうかもしれねェな......。あの子の結ぶ縁が───────天地を巡る因果の輪が───────、決してその子を見逃してはくれねェだろうよ」

 

「......それでも、せめて、その時が訪れるまでは......古武道以外は、平凡な人としての平穏な暮らしを送らせてやってくれと頼みたい」

 

「......」

 

「宿命の星がけ、再び天に姿を現す、その時までは───────」

 

そして、龍山の話は終わった。

 

「そうして、日本へと戻ったわしは、奈良県にある《氣》を使う古武道の道場を営む本家、いわば父親の実家にその赤子を預けたのじゃ。それから、17年───────。お主は自らこの地へと戻ってきおった。お前さんの祖父から連絡を受けた時には驚いたわ。自らの意思で真神学園に転校するとは......。《宿星》という名の星に導かれ、自らの勇気で持って選びとった道じゃ。誇るといい、本当にお前さんは、弦麻ににておる。とてもな」

 

「龍山先生......」

 

緋勇は生まれて初めて、知らない父親のことをたくさん聞かせてもらったためか、涙ぐんでいる。

 

「龍山先生、俺がアイツに出会って、得体の知れない事件に巻き込まれて、真神学園にいくのは運命だったのか?」

 

「それは、少し違うのう。お前さんが緋勇龍麻たりえるのは、古武道を習い、祖父母に厳しくも愛情深く育てられ、奈良の田舎で自由に伸び伸びと育ったからじゃろう。人は一人では生きられん。そういう意味で、因果というものは縁として繋がったもの、緋勇龍麻という意思、環境、様々なものが複雑に絡みあい、ある程度の方向性をもちながら変わっていくものじゃ。それを人は運命というし、時に宿星という。人にはそれぞれ生まれもった星があるとな」

 

「宿星......」

 

「龍麻、お前さんは母親が《菩薩眼》である故に、父親が《氣》の強い男である故に、生まれながらに特異な《氣》をもっておる。それは時に人を惹きつけ、人ならざる者も惹きつけ、縁を結び、それは強い因果を産み、運命となり、宿星となるのじゃ。龍麻程の宿星は、人が生まれながらにして背負う定めにもつながる。死生命有り。富貴天に有り。古代中国において、人の進むべき道というのは、天命によって現世に生を受けると同時に定められておると信じられておった。それほどの強い宿星なのだ」

 

「運命、宿星、ねェ。けど、生まれた時から進む道が決まってるなんてよ、なんか......納得いかねぇよな?龍麻」

 

「そうでもないと思うよ?だって俺が緋勇龍麻である限り、きっと赤い髪の男を追いかけて東京に来てたし、奈良から出たことない俺が転校する学校なんて幼い頃に死んだ親の母校に決まってる。京一と仲良くなるのだって似たような流れだよ、きっと」

 

「へ、そうかよ。けっこう根性座ってんな、お前は」

 

「そりゃどーも」

 

「まァ、もし俺だったら何もかも逃げ出して、どっかへ逃げたくなっちまうかもな」

 

「ない」

 

「おい、ひーちゃん」

 

「それだけは絶対ない。一般人とはかけ離れた強さに焦がれてる感性してるきょーちゃんがそんなことするわけねーじゃん」

 

美里たちはつられて笑った。

 

「心配してくれたんだよな、ありがとう」

 

「まとめ役に凹まれたら困るんだよ、こないだみたいになッ!」

 

「おい、京一」

 

にやっと蓬莱寺は笑った。

 

 

 

龍山は少し笑ってから本題に戻った。

 

魔の星が出現して、龍脈が活性化し、その《力》を手に入れるために陰陽の争いが起こっている。それが赤い髪の男の正体だという。

 

龍山先生によれば、《鬼門》の方角から大いなる過ちと災いがこの地を震撼させるに至る。つまり、天下に異変が起きる予兆。かつて、弦麻が命を賭けて封じた客家の三山国王の岩戸は、東京からみて《鬼門》に位置する。大地の震撼とは、龍脈の活性化そのもの。敵が封印を解いて蘇った証である。今年は日本の東京に龍脈の《力》が集結するため、《力》を求めた敵が魔の星の出現と共に日本に現れるのは道理なのだという。

 

「お前さんは、《黄龍の器》と敵から呼ばれたことがあるそうじゃな。その意味するところは、こうじゃ。今こそ話そう。その特異な《氣》の意味するところを。そして、なぜ《菩薩眼》の女性が天下人に狙われ続けてきたのか」

 

古来より大陸に伝わる地相占術の風水において、《龍脈》とは巨大な《氣》のエネルギーの通路である。そのあまりに巨大な《氣》が及ぼす影響は、しばし歴史の中で人や時代を狂わせて来た。《龍脈》の《氣》による影響は森羅万象に及ぶ。ゆえに古来よりその膨大な《氣》のエネルギーを手にした者は、この世のすべてを手に入れることが出来るといわれた。その力を人は《黄龍》として崇めた。

 

「卑弥呼が古代日本における最初の《黄龍》を使う人間じゃった」

 

「九角んとこの!?」

 

「いかにも。《鬼道》とはすなわち《黄龍》を人工的に操作する術が全ての始まりじゃ。人工的に卑弥呼は一族の女に《鬼道》をかけ、自身が憑依することで国を守ってきた」

 

「そこまでしないと......生き残れなかったのか......」

 

「時代はくだり、150年前のこと。緋勇家の初代当主は生まれながらにして《黄龍の器》じゃった。古来より《黄龍》を降ろす器と操作する人間は別じゃった。《黄龍》を降ろしながら操作できる人間なぞ存在しえないとされてきた。それが突然生まれてきた。卑弥呼のみができたことが生まれながらの、しかも男が成し遂げた」

 

「なっ!?」

 

「《黄龍の器》ってそんな凄いの?!」

 

「のちに《菩薩眼》と強い《氣》の男のあいだに生まれた女は《菩薩眼》、男は《黄龍の器》になる可能性があるとわかった。後者は戦いのさなかに覚醒していくもので、平凡な日常を送るうえでは無自覚なままの場合も多い。他に複数の候補がいた場合、より強い宿星をもつ人間が覚醒するようじゃな。でなければ九角天戒が《黄龍の器》だったはずじゃ」

 

「!」

 

「そういえば、静姫は《菩薩眼》!」

 

「150年前、卑弥呼の《鬼道》により《黄龍》を手にしようとしたやつは扱いきれずに邪龍となり、お前さんたちの御先祖により倒された。じゃが《黄龍の器》の条件を帝国時代の戦いのさなかに研究したやつは、先に《黄龍の器》を手にしようと考えた。ほかの宿星と違い、全てを総べる《力》はわかれぬと考えたらしい。じゃが、そうではなかった。これより《黄龍の器》は先に《陰》が作られるようになる。全ては、九角天戒が《陰の書》しか渡らぬようにしたためだ。さいわい、今も。帝国時代の資料は戦後の混乱であまり残っておらぬが、失敗したところを倒すことができたようじゃ。そして、今。帝国時代から力を蓄え続けてきたやつは本格的に動き出そうとしておる。なにを考えておるのかはわからんが、龍麻、お前さんの《黄龍の陽の器》たる《力》は極端なまでに高まっておる」

 

「───────っ!!」

 

「まさか、これまでの戦いは......」

 

「その、まさかじゃ。やつはわざと事件を起こしておる。今年、この東京に眠る《龍脈》は18年のサイクルを経て最大のエネルギーを蓄えつつある。その《氣》の影響でこの東京は狂気の坩堝とかしており、《力》に目覚める者が増えてきた。すべての始まりは、お前さんが東京に来たからじゃ、龍麻。気をつけるんじゃ、やつは余程自信があるとみえる。一筋縄ではいかんぞ」

 

張り詰めた空気があたりをつつみこんだ。

 

「人はそれぞれ様々な星の下に様々な宿を背負い生まれてくる。それを知り、立ち向かい、乗り越えることこそが人が生まれ生きていくことの本当の意味じゃとわしは思うのじゃよ。龍麻、お前さんの両親は、お前さんの生きる未来のために闘い、そしてついにはどちらも帰らなんだ。大いなるふたつの《力》を受け継ぎ、自らの意思で邪悪と闘ってきたお前さんには、たくさんの仲間ができた。あとはやるべきことを知るだけじゃ」

 

龍山先生は私達に視線をなげた。自然とみんなの視線が私達にむく。

 

「まーちゃん!?なんで?しかも校長先生まで!」

 

「それはね、桜井さん。ここからは私が話さなくてはならないからなの。愛さんのことも、《如来眼》のことも、赤い髪の男との因果も......」

 

そして時須佐槙絵は話し始めるのだ。柳生という男と《龍閃組》、《鬼道衆》の戦いから始まる今に至るまでの戦いの歴史を。

 

そして。

 

「え、あ、待ってくれよ、校長先生。18年前にまーちゃんが帰ったって......10年前のはずじゃ?」

 

「それはね、緋勇君。私が呼んだの」

 

「えっ」

 

「そんな」

 

「《アマツミカボシ》の秘跡を集めて、降臨させる邪法を......ッ!?」

 

「校長先生が!?」

 

「今でも思い出せますよ。2度目がないことを祈っている、っていったのは、敵対勢力として召喚される可能性があるということです。まさかおばあちゃんが《アマツミカボシ》ではなく、私を呼ぼうとするなんて。しかも《アマツミカボシ》の怒りを買うとわかっている召喚方法で。そんなの、止めるに決まってるじゃないですか」

 

「まーちゃん......」

 

「私もこの歳になるとね、《如来眼》の加護から離れてしまったの。あの男との戦いで家族を失った私は、時須佐家唯一の女になってしまった。《菩薩眼》と違って《如来眼》は時須佐家以外に継承されたことがないから、全くの未知数でね。比良坂親子の悲劇を目の当たりにして、私は重責に耐えきれなくなってしまったのよ」

 

「私が前憑依していたのも翡翠の幼馴染だったので、《如来眼》の重要性はすぐにわかりました。だから私は協力したんです。《アマツミカボシ》は《如来眼》の源流ですから、私が現れたことで宿星の強さにより、《如来眼》は無事私に継承されたというわけです」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

龍脈2

「《アマツミカボシ》の一族の女が子供を産むと《宿星》の《加護》が離れて死ぬ。だから末裔たちに《力》を分割して継承させることで出産で命を落とすことはなくなった。ここまではお話したと思います」

 

「それが《菩薩眼》や《如来眼》といった《力》の源流にあたるって槙乃ちゃんが話してくれたものね」

 

「《アマツミカボシ》は大和朝廷に最後まで刃向かったから滅ぼされたんだったよな」

 

「本題はここからです。《アマツミカボシ》の一族は邪神の狂信者とはいえ、ただの人間です。どうやって《力》を分割したと思います?《力》とはその人の《氣》そのものに直結する、いわば魂魄の1部です」

 

「それは......」

 

「言われてみれば......」

 

「それこそが、かつて《アマツミカボシ》が《天御子》だった証と仰りたいのでしょう?」

 

「!」

 

いきなり御門の声がしたものだから、みんな驚いて辺りを見渡した。私は障子を開けた。五芒星が刻まれたカラスがそこにいた。

 

「御門さんの式神ですね」

 

「ここからは、私が話しましょう」

 

カラスが放った光が爆発したかと思うと、和室はいきなり異空間につながる。気づけば日本庭園のど真ん中にいた。

 

「御門、なんだよいきなり」

 

「申し訳ありません、緋勇さん。私も持ち場を離れる訳には行かないので、こうさせていただきました。それだけ緊急事態が迫っているということです。本来、日本の《霊的な守護》の最高峰たる陰陽寮の頭目のみが伝え聞いてきた、この国の隠された歴史を聞いたとき、あなた方はこちら側の人間となるのですよ」

 

「こちらがわ......?」

 

意味深に御門は笑うと話し始めるのだ。

 

《天御子》とは、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、日本神話において最初に登場する神からきている。この神は日本神話における天地開闢の際に、別天津神・造化三神の初めの1柱として宇宙に生成された存在である。

 

 

神名は天の真中を領する神を意味する。『古事記』では神々の中で最初に登場する神であり、別天津神にして造化三神の一柱。『日本書紀』の正伝には記述がなく、異伝(第一段の第四の一書)に天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)として記述されている。『古事記』『日本書紀』共にその事績は何も記されていない。そのため天之御中主神は中国の思想の影響により創出された観念的な神であるとされる。

 

平安時代の『延喜式神名帳』には天之御中主神を祀る神社の名は記載されておらず、信仰の形跡は確認できない。この神が一般の信仰の対象になったのは、近世において天の中央の神ということから北極星の神格化である妙見菩薩と習合されるようになってからと考えられている。

 

現在、天之御中主神を祀る神社の多くは、妙見社が明治期の神仏分離・廃仏毀釈運動の際に天之御中主神を祭神とする神社となったものである。また水天宮も天之御中主神を主祭神の一つとしている。

 

天之御中主神は哲学的な神道思想において重要な地位を与えられることがあり、中世の伊勢神道では豊受大神を天之御中主神と同一視し、これを始源神と位置づけている。江戸時代の平田篤胤の復古神道では天之御中主神は最高位の究極神とされている。

 

そのため、天之御中主神は中国の天帝の思想の影響によって机上で作られた神であると解釈されてきた。しかし天之御中主神には倫理的な面は全く無いので、中国の思想の影響を受けたとは考え難い。至高の存在とされながらも、信仰を失って形骸化した天空神は世界中で多くの例が見られるものであり、天之御中主神もその一つであるとも考えられる。

 

「1700年前、この地にその神を自称する集団が現れました。それが《天御子》、物部氏を始めとした神と人がまだ共に統治していた時代に突如現れた超古代文明の勢力です。大和朝廷の時代に現代と同程度、もしくは同じレベルの文明が突如出現したとして、戦争をして弥生時代の人間に太刀打ちできると思いますか?」

 

御門の言葉に誰もなにもいえない。

 

「そうして、大和朝廷は出来上がりました。まつろわぬ民と蔑まれた人々は国津神、あるいは妖怪、怪異と蔑まれ、捕らえられ、実験体にされました。数々の異能がこの国に溢れている原因のひとつはそのため。九角家も卑弥呼が捕らえられ、天御子の下に残って代々女を差し出して生き残ってこれたように。この国が神武天皇の時代から脈々と受け継がれてきたその源流は彼らにある。天御子だった物部氏からもたらされた神事が今の天皇家の祭事に深くかかわっているように、今なお影響力を残している。明治時代からは表立って動くことはなくなり、忽然と姿を消した。私も会ったことは1度もない。なぜ居なくなったのかすらしらない。ただ、彼らがいた事実を示す史跡はすべて宮内庁が管轄し、一般人は触れられないようになっています。一部を除いては、ですが」

 

御門は息を吐いた。

 

「本来この事実を知った人間は私たち側になるか、死ぬかの二択。なぜ私がそれをみなさんに話すのか、その事実を知り得る天野愛さんを抹殺対象にしないのか。それは、柳生に《天御子》の一人がかかわっているからです。否応なくあなた方は巻き込まれる可能性がある。秋月征樹様が星見の《力》でもってそれを予知してきました。ならば私ができるのは私たち側にすることです。拒否権など初めからありはしませんよ」

 

「御門さん、もしかして、秋月征樹さんが描いた作品に関係が?」

 

「ええ、そうです。あの絵にある男こそが《天御子》のひとり。死者をミイラにして復活させる技術を持ちながら、エジプトを追われた神官の一人。不老不死に魅入られた者によく似ている。柳生側にかならずあの男はいる」

 

「シャンを使役しているのは、あの男ですか」

 

「シャン?」

 

「あの蟲ですよ、龍君」

 

私は包み隠さず話すことにした。

 

私たちがずっと戦ってきた蟲は、魔術師が使役する地球上の生物でも、邪神の奉仕種族でもない。シャン、ことシャッガイからの昆虫は宇宙の最果てにある死に満ちた星シャッガイにある灰色の金属でできた都市に棲む知性を持つ昆虫族であり、独立種族。いわば宇宙人なのだ。

 

シャッガイが滅亡したのちはいくつかの星を巡り天王星(ルギハクス)に定着したが、宗教の対立から一部は地球の英国、ブリチェスター近郊にある町ゴーツウッド近くにある森を拠点としている。

 

口で食事をとることはなく光合成によりエネルギーを得ている。食事の必要がない彼らの楽しみはといえば奴隷に対する拷問なのだ。シャンの特殊能力で最たるものといえば情報操作。人間の脳に入りこみ、その記憶を読み取って、別の考えを植え付けることが可能である。

 

ただし活動するのは夜に限られ、犠牲者は昼になってふと自分の変化に気がつき困惑することがある。

 

とある犠牲者はシャンの見た悍ましい記憶を見せつけられ発狂に陥る。なんてこともざらなのだ。

 

彼らはそんな正常と発狂の間を彷徨う犠牲者の姿を見て愉悦に浸り、完全に発狂してしまったら用済みとして捨てられる。異常極まりない退廃的な嗜好を満たす事に終止し、様々な拷問機具を製造し、自分達以外の生物を虐げていた。

 

暫くして邪神信仰に傾倒し、過激なままに追求していった結果、邪神が顕現して滅ぼしてしまい、現在は宇宙を流浪する身になった。

 

幼虫から成虫へ変態するのに、数世紀掛かる程の長寿。 光合成により栄養摂取しており、エサを獲る為の手間がない為に、前述の嗜好を満たす事に時間を費やしている。

 

脳は三層構造になっており、3つの思考を行え、前述の口で3つの発言が出来る(これにより最多で3つの魔法を、同時に発動する事も可能)。 又、本当の意味で物質的な存在ではなく、人間等の生物を発見すると飛び掛かり、ターゲットの脳へ侵入し寄生する。

 

「シャンが従うってことは、あの男はシャンが信仰する邪神の狂信者かなにかですか」

 

「それはあなたの方がよく知っているでしょう。私に聞かないでください」

 

「あの男が《天御子》なのか、その末裔なのかで話がかわってくるから聞いてるんですよ」

 

「わかりません。代替わりしているのか、何らかの代替手段により延命しているのか。私が知るのは今なお我々からみても遥か未来の技術を平然と使ってくる集団の一人が明確な意志を持って柳生側に組みしているという事実だけです。むしろ、元《天御子》としてなにかないんですか?」

 

「あるわけないじゃないですか。あったら私は今ここにはいません」

 

私はためいきをついた。

 

「《天御子》内の宗教対立により《アマツミカボシ》は追放からの滅亡となるわけですが、シャンが信仰する邪神の狂信者がいたかと言われれば心当たりはあります。彼らはかつてエジプトの神官でした。当時の王がその狂信者であり、神の代行者たる邪神と契約を交わし、予知の力を奪うために殺害。その力は神官に移行し、彼らは化身に堕ちたんです。その時に流浪となり、日本に辿り着いた勢力だったんですよ」

 

「化身?」

 

「私が当事者なのか末裔なのか聞いたのはそのためです。その邪神に体を明け渡した存在に成り果てた者を人は化身というんです。私に常時《アマツミカボシ》が降臨して自我が吹き飛んだ状態といったらわかりやすいでしょうか。いや、違いますね。私に《アマツミカボシ》の信仰する神が降りてきて依代になってしまった状態です。もし柳生側についているのが当事者ならば私たちは邪神を相手しなければならなくなる」

 

重苦しい沈黙が降りた。

 

「ヒュプノスと会ってから、ずっと私は邪神の使役する翼の生えた蛇が空を飛ぶ壊滅した東京の夢を見るんです。ずっと警告だと思っていたんですが、いよいよ現実味を帯びてきましたね......」

 

「征樹様が見た《星見》そのものですね。《黄龍》の降臨と異界となる東京、あるいは東京の壊滅と邪神の降臨。どちらにせよ、私たちが戦わねば訪れる未来ということです」

 

ぱちん、と扇が鳴った。

 

「不本意です......非常に不本意ですが、今回ばかりはあなたと共闘させてもらいますよ、天野さん」

 

「そういってもらえてよかったです。この戦いが終わるまでは我慢してくださいね」

 

笑った私に御門は眉をよせた。

 

「まだいいますか、あなた......。本当に往生際が悪いですね」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

龍脈3

龍山先生は、新宿中央公園にいって破戒僧の楢崎道心(ならさきどうしん)を尋ねるよう私達にいった。18年前の戦いののち大陸に残ると会話していた仲間だという。

 

「やつは18年前、東京で柳生に造られた《黄龍の陰の器》を弦麻と共に倒した男じゃ。わしは大陸で弦麻たちと会ったから詳細はやつに聞いてくれんか」

 

緋勇はうなずいた。

 

「もう夜も遅い。明日にするとよかろう。気をつけて帰るんじゃよ」

 

「龍山先生も気をつけて」

 

「うむ」

 

緋勇たちがどうやって帰るか話しているさなか、槙絵に声をかけられた。

 

「愛さん。申し訳ないのだけれど、私はこれから龍山先生と御門君と大切な話があるの。これから本格的にうちに帰ることができなくなりそうでね」

 

「わかりました。しばらくは家に一人になるってことですね」

 

「初めはいつもどおり、そのつもりだったんたんだけれど......」

 

「なにかありました?」

 

「いえね?御門君とあなたから《天御子》について話を聞いた今、柳生がどれだけ本気なのかわかったわ。18年前、ここまで《天御子》がかかわってこなかったのは、きっと準備期間にすぎなかったから。でも今は違う。緋勇君の《宿星》をわざと高めることで仲間であるあなたの《宿星》も高まり、あなたの影響を受ける仲間たちもさらに《力》が強くなっている。さらに予知夢のこともある。今まで以上に一人になる時間が出来るのはどうかと思うの」

 

「えーっと、でもおばあちゃんは話し合いがあるんですよね?」

 

「そうなのよ。陰陽寮がかかわってくるから、あなたを連れて行っていらぬ軋轢になるのも問題だから......」

 

「でも心配と」

 

「ええ。だから、急でどうかと思うのだけれど、誰かのおうちに泊まってはどうかしら」

 

「えええッ!?でも、しばらくは忙しいんですよね?おばあちゃん」

 

「本当に申し訳ないのだけれど......」

 

「ええ......」

 

なんとか大丈夫だと丸め込もうとしたのだが、柳生側の強大な敵の正体が明らかになった今、時須佐槙絵の精神状態は狂気にも似たつよい強迫観念のスイッチが入ってしまったらしい。私が《天御子》に狙われていることはしっているのだ、最適解を今の今まで講じることができなかった自分を責めたてているのかつらい表情をしている。こうなると時須佐槙絵の意志を覆すことはてこを動かすより難しくなってしまう。

 

途方に暮れる私に美里が声をかけてきた。

 

「そういうことなら、うちの母に連絡しましょうか?」

 

「いーね、いーね!うちも聞いてみるよ!一回泊まりにおいで!」

 

「女性陣に任せるか」

 

「そーだなッ、さすがに俺今首つっこんでること家族にいってねーから連絡したらえらいことになるしよッ」

 

「うちも母子家庭だからな......」

 

「俺一人暮らしだけどさすがになー。他の女性陣に声かけといてくれるか?2人とも」

 

「りょうかーい」

 

「わかったわ」

 

「ありがとうございます、葵ちゃん。さっちゃん」

 

「へへッ、なんか友達の家泊まり歩くって家出少女になったな、まーちゃん」

 

「家族公認だから家出じゃないですけどね......」

 

「ありがとうね、美里さん、桜井さん。ほかのお仲間にもよろしく伝えてちょうだいな。いきなりごめんなさいね、愛さん」

 

「いえ......私も御門君に無断で《天御子》について話すわけにはいかなかったですから......」

 

「本当に仕方ないとはいえ、今までなにもなくてよかった、としかいいようがないわね。なにもなくてよかったわ」

 

美里たちが双子に電話を借りている。

 

「ごめん、まーちゃん!今夜は無理だって!明日からなら大丈夫なんだけどっ!」

 

「ごめんなさい、槙乃ちゃん。さすがに今からは難しいみたい」

 

「ですよね......急な申し出ですもん、仕方ないですよ」

 

ついでに他の子達も諸事情があったり、そもそも電話が繋がらなかったりでダメだった。

 

「龍麻、槙乃を......」

 

「馬鹿醍醐、なにいってんだ!」

 

「そーだよっ!いくらなんでもデリカシーなさすぎだよッ!」

 

「む......?」

 

蓬莱寺が醍醐を引きずっていく。

 

「ひーちゃんが桜井を泊まらせたらどう思うよ?そのうちめんどくせーしみんなに迷惑かかるからって同棲の流れになったら!」

 

「そ、それは......わかった。京一、すまん」

 

私は苦笑いした。さすがに1週間後のクリスマスに告白イベントを控えている美里と緋勇の間に水を差すようなマネはしたくない。

 

「明日から、でいいですよ、おばあちゃん。それより携帯電話貸してくれませんか。翡翠に話したいんです。《天御子》とか《アマツミカボシ》のこととか。龍君がみんなに話してくれるとは思いますが、翡翠には私から」

 

「そうね。心配だけれど、そうしましょうか。はい」

 

私は携帯電話を受けとり、電話をかけた。

 

「もしもし、如月です」

 

槙絵の携帯電話だからか、妙にかしこまっている翡翠に笑ってしまう。

 

「もしもし、愛です」

 

「愛?なぜ時須佐先生の携帯に?なにかあったのか?」

 

「実はですね、今大切な話が龍山先生からあったところなんですが......」

 

私は翡翠に《天御子》が古代日本においてどういう存在だったか。今なおどんな地位を築いているか。御門がどうして私を毛嫌いしているのか。《アマツミカボシ》が《天御子》の中でどういう存在で、どういう経緯で私の世界に逃亡するに至ったのかを全て明かした。

 

「..................」

 

「一気に話してしまってすいません、ついてこれていますか?」

 

「......すまない、想像以上に大きな話になったものだから、ぼんやりとしか」

 

「あはは。聞きたいことがあったらなんでも聞いてください。龍君たちが今、手分けしてみんなに似たような感じで仲間たちに電話をかけているところなんですよ。翡翠には私から話しておきたかったんです。ずっと幼馴染として私に協力してくれていましたから」

 

「そうか......わかった。話してくれてありがとう。あとでまたゆっくりと話してくれないか」

 

「そうですね、いくらでも時間はとりますよ。おばあちゃんが忙しいみたいで、しばらくは一人になるからと泊まり歩くことになりそうなんで」

 

「......たしかに、その話を聞いたあとで、今までどおりにはいかないだろうな」

 

「あはは......。さすがに急すぎて今夜は無理っぽいんですよね。明日なら、さっちゃんのところにお世話になれそうなんですが」

 

「今夜?」

 

「あ、はい。おばあちゃん、今から御門君と龍山先生と陰陽寮に用があるみたいでして。さすがに私はいけないです」

 

「......そうか」

 

「はい」

 

「今、どこにいるんだ?」

 

「今ですか?龍山先生のお話が終わったばかりなので、みんな雛川神社にいますよ。まあ、このまま帰ったら、また丑三つ時に們天丸さんとお話することになるので大丈夫だとは思いますが」

 

「..................」

 

「翡翠?」

 

「なあ、愛」

 

「はい?」

 

「うちに泊まらないか?」

 

「..................はい?」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

龍脈4

呼び鈴が鳴る。モニタの向こうには真神学園の制服姿の愛がいた。学校帰りにしては学生鞄といつもと違うカバンを抱えて、緊張した様子でそわそわしている愛がいる。あたりを気にしているのか、しきりに後ろをみていた。

 

「こ、こんばんは、翡翠。私です、愛です」

 

如月はすぐに柳生側の不穏な気配を感じ取る。この不躾な視線はずっとであり、愛が来てから殺意が濃厚になったから狙いは間違いなく愛なのだろう。監視はいつでも殺せるというメッセージらしい。愛がそれだけ警戒しているのかと思ったが、どうも様子がおかしい。いつもの愛ならそれすら織り込み済みで、如月は転がり込んでくる迷惑な幼馴染を招き入れる顔をするだけだ。なにをそんなに意識する必要があるのか。そこまで考えて如月は笑った。

 

必死で取り繕ってこそいるものの、かつて如月が幼い頃と今はまるで状況や意味合いが違うことに愛は気づいているのだ。さすがに幼馴染とはいえ18の一人暮らしをしている男子高校生の家に泊まりにいく意味を愛は知っているらしい。

 

如月はチェーンロックをはずし、ドアを開けた。

 

「いらっしゃい、待っていたよ」

 

「あ、はい、うん」

 

こくり、と素直にうなずいた愛は、おじゃまします、と入った。ドアを閉め、鍵をかけ、チェーンロックを付ける。一連の如月の動作とそれに伴う音に反応して顔が変にこわばるのは、今の如月と愛の関係に間違いなく変化が起ころうとしていることを如実に表していた。

 

客人用のスリッパをはき、如月に促されて歩く愛は神妙な顔をしている。どこか如月の様子を窺っているのは、どうきりだしたらいいものか迷っているからだろう。愛はとても真面目な性分だ。どこまでも真摯で誠実であろうとする。如月の意図を《如来眼》を発動させるまでもなく汲み取ろうとしている。

 

如月も分かっているので、いちいち指摘はしない。そうなったら今から大事な話を玄関先でしなければならなくなる。だから笑みは湛えているが、なにもいわない。その穏やかさになにかを悟った愛は、張りつめていた緊張が少しだけほぐれたのか、リビングに通されたとき、これ、と紙袋を渡した。

 

「これは?」

 

「翡翠、ご飯は食べましたか?おばあちゃんがよかったらって」

 

「いや、まだだね」

 

「そっか、よかったです。これ、美味しかったから、ここに来る前に寄って買ってきたんです。一緒に食べましょう」

 

「ああ、わかった」

 

夕食の準備に席を立つ如月に、愛も手伝うと立ち上がる。うちは基本和食だ。それを見越してなのか、お土産はメインになるものだった。味噌汁とご飯とお土産の惣菜と昼の残りの常備菜を配膳する。いただきます、と意味もなく2人手を合わせた。

 

「美味しいな」

 

食が進む如月に、愛はほっとしたように笑みをこぼした。適当に片づけ、落ち着いてきたころ。お茶をいれる如月の横で愛が和菓子を出してきた。これも時須佐先生の手土産らしい。

 

「電話で話してしまってごめんなさい。本当は今みたいに直接あってお話するような内容だったんですけど、龍君たちが雛川神社でみんなに連絡入れ始めてしまって。他の人に聞いたあとで私が話すのは違うと思ったんです」

 

「いや、いいよ。あのタイミングでよかった」

 

「そうですか、よかった」

 

穏やか過ぎる時間が流れ、愛もだいぶん緊張感が薄れてきたのか、いつもの愛がそこにいた。お茶を飲んでいる愛に、如月は目を細めた。

 

「時須佐先生はいつまで帰らないって?」

 

「はい?あ、ええとたしか、12月中は厳しいかもしれないって」

 

「あと3週間もあるな」

 

「そうですねえ。おかげで友達の家を渡り歩く家出少女になってしまいそうです。不良一直線ですね。犬神先生にバレたら怒られてしまいそうです」

 

「生徒手帳の禁止事項に書いてある不純異性交遊?真剣を竹刀袋にいれて持ち歩く君がいうのかい?」

 

「あはは......おかげで少し自由に動きにくくなってしまいました。ひとりになるな、と言われてしまって」

 

あーあ、と大げさにがっかりする愛である。それほどショックには見えなかった。如月の穏やかな笑みに愛は安心しきった笑みをうかべている。

 

「愛」

 

高すぎず低すぎない、知れた仲の人間のみに向けられる声で名を呼ばれ、愛は瞬きした。

 

色素の薄い前髪からのぞく瞳を細めた如月は、ともすれば嫌味に感じられるほど綺麗な笑みを浮かべる。声色は嬉しそうだ。

 

「来てくれてよかった」

 

「いえ......押しかけたのは私ですし」

 

「いきなりだったからね、断られるんじゃないかと不安で仕方なかった」

 

「翡翠、あの、」

 

「少し待ってくれないか?僕も先に言葉が出てしまったから、正直まだ頭の中でまとまっていないんだ。いや、勘違いしないで欲しいんだ。結論はある。そこにたどり着くまでの流れがね」

 

そういって如月はお茶を飲む。その言葉の意味を汲み取ろうとしているのか、愛はうなずいたまま真面目な顔をして沈黙した。

 

 

愛はこの10年間、如月がモテるわりに女の子の噂がないことが大層不満なようで、ずっと好きな人が出来たら教えてくれとからかってきた。それは牽制だったのかもしれないし、愛しかしらない未来において出会う運命の人とやらを指していたのかもしれない。ただ、愛は致命的な勘違いをしていた。

 

この世界の如月は愛の知る如月とは違い、初めから1人ではなかった。愛がいた。柳生と戦うという使命を誰よりも正確に受け止め、仲間を増やそうと尽力する《如来眼》の少女がいた。迫り来る脅威を過小評価も過大評価もせず認識して最適解を探して必死に足掻きながら進もうとする少女がいた。

 

まだ8歳だった如月に多大な影響をもたらしたのは間違いない。祖父は《如来眼》の《宿星》に真っ当に向き合い、使命を果たそうとする愛を気に入っていたし、かくあるべき、と如月に聞かせてきた。今思えば初恋だったのだ。

 

祖父が失踪していよいよ天涯孤独になった時も、父が突然高校の入学式に現れて荒れた時も、支えてくれたのは愛だった。愛からすれば、8歳の時に出会った少年が18歳になったところでなにも変わらないのかもしれない。基本的に愛は如月に対して保護者的な立ち位置を貫いていた。

 

恋人がいないのはもったいないと愛はうるさかった。端正に整った顔立ちとりんとした雰囲気を纏った如月は、成績も運動神経も非常に優秀で、そのくせ驕ったところも見受けられないという、絵に描いたような完璧超人である。あまり周囲に合わせず寡黙な性質のためか一目おかれつつ、様子見されていた如月だったが、構わなかった。

東京の守護という使命は1人が行うにはあまりにも難しく、多忙を窮めた如月は次第に学校に行かなくなっていったのだ。天涯孤独の身の上に店の手伝いをする苦学生という先入観が働いた上に時須佐先生の計らいもあり、特例処置がとられている。愛はよく学校に行けというが、学業に専念したら愛と接触する時間は確実に減るだろう。それにいつ龍麻たちの支援に回らなければならないか分からないことを考えたら、やはり優先順位はこちらになる。

 

ただでさえ、そんな状況だったのに、今回如月は聞かされたのだ。柳生との戦いは18年前以上に熾烈を極め、帝国時代、もしくは150年前に匹敵することが予想されると。つまり、それだけ死というものを強烈に意識せざるを得なくなったのだ。

 

その口が今日から家に誰もいなくなるといいながら、丑三つ時に会いに来るであろう們天丸がいるから柳生の襲撃は心配していないというのだ。さすがに同じことを們天丸にいったらなにかあるだろうことは容易に想像がついた。

 

考えすぎなのかもしれないが、妖怪が私物を人間に渡す行為はしばしば異種婚礼譚における事例でもある。法螺貝、数珠ときて、次は隠れ蓑か白装束か。ただでさえ們天丸は愛に近づきすぎているのだ。家に誰もいないし、しばらくは友達の家を渡り歩く、なんて口にしてみろ。次はなにかあるに決まっている。

 

それは如月の直感のようなものだったが、なにかあったら手遅れだという焦燥感があった。そして、自覚した焦り以上に焦っていた如月は口走ったのだ。泊まりに来ないかと。今更なかったことには出来ない。

 

如月は覚悟を決めた。

 

「愛」

 

「はい」

 

「今から大切な話をするんだ。ただ、話しながら考えるから長くなると思う。聞いてくれるかい」

 

「は、はい......」

 

愛は不思議そうに首をかしげる。如月は前を向いている。

 

 

愛は人当たりが抜群にいいから、社交的だ。交友関係はとても広い。愛は優しいから自分を慕う相手にはそれはもう大喜びで接する。だから人は集まる。いっぽうで、如月の隣を落ち着くと笑うのは嬉しいことだと思うくらいには絆されている。苛立ち始めたのはいつからかもう思い出せないでいた。

 

愛は神妙な面持ちで耳を傾けている。どんな言葉を重ねたところで結果が変わることはない。躊躇っていても仕方がない。どんどん言いづらくなるだけだ。

 

「愛、僕は君のことが好きだ」

 

如月は静かに呟いた。愛は目を見開く。心が軋むが、如月にとってはそれほど驚くものではない。やはりそうかと思っただけだ。

 

愛はとても聡く、他人の心の機微にも敏感な女性だ。ただ、《如来眼》による《力》が相手の無自覚な感情まで先読みしかねないため、味方にはめったにかけない。さらに自分に好意を寄せる人間に対しては鈍感になろうと努めたせいで鈍くなった経緯がある。

 

いつかこの世界から元の世界に帰るためだ。傷つけないようにあしらう、友人の恋愛相談的確な答えを与える。経験則から上手ではあるが、自分の影響力を過小評価しすぎているために如月の告白は驚きをもって迎えられた。言わないとわからないのだ、愛は。だからいう。

 

「君がこの戦いが終わったら帰るつもりなのは知っているし、今がそれどころじゃないこともわかっているよ。ただ、君がこのまま時須佐家に一人でいたら、們天丸がなにをするかわからないから先手をうたせてもらった。この戦いが僕の考えている以上に死ぬ可能性が高いなら、その前に伝えておきたいと思ったんだ。きっと後悔すると思ってね」

 

「翡翠......」

 

「君は昔から仲間には無防備すぎるところがあるから、ほうっておけないんだよ。さすがに僕も好きな女の子が夜な夜な男と会ってるのは正直嫌だったんだ。今まであったことは話し終えたはずなのに、だらだら們天丸は話を引き伸ばしているというし。その流れで君が長い間一人暮らし状態になるのに們天丸と会うというから我慢できなくなった。本当は全部終わってから、サヨナラする時に言えればいいかと思っていたんだ。でも無理だった。僕は僕の考えている以上に君のことが好きらしい」

 

「あの......」

 

愛は次第に赤くなっていく。

 

「まあ、待ってくれ。まだ途中だから」

 

「えっ、まだ......?」

 

「まだだよ。とにかくだ、僕は怖かった。10年間育んだ友情を、幼馴染という立場を壊してしまうのが怖かった。でもそうなると分かっていても、どうしても言わずにはいられなかったんだ。今言ったのは、待つのはやめたから。このままだと君になにもいえないまま死ぬ可能性があることに気づいたし、君がとられてしまう気がしたから。我ながら情けないよ、もう少し自分の意思で動けたらよかったんだが、今の今までずるずると引き伸ばしにしてしまった」

 

想いが口をほとばしる感じであふれ出し、じっと愛の目を見つめ、切々と、縷々と、思いの丈を訴えた。本音を引きずり出すような覚悟で言う。いくら言葉で打ち明けても、そこにあったギリギリの心情は半分も伝わらないだろう。でもいうしかない。今しかない。今更後には引けない。泊まらないかといったのは如月なのだから。

 

如月が今自分に求めているのは、自分の感情を愛にしっかり送り届けるという、ただそれだけのことだ。手を握り、指先を通して気持ちを伝えようとした。

 

「いつから、と言われたら最初からだ。ずっと、好きだった。君とあったときから」

 

愛は如月のような告白はされたことがないようで照れているのか、恥ずかしいのか、もう真っ赤だ。

 

「長いあいだずっと変わることなく僕の隣に君がいてくれただろう?ひとりで生き延びていくために必要なことだったよ、とてもね。苦しみあえぎながら大人になっていく僕を変わることなく勇気づけてくれたんだ。どれだけ支えだったか。指標であり、夜に灯る明かりであり、方角を知らせる磁石だったか。今ならわかる。それを失ったら、きっと僕は事実を受け止められず、正気じゃいられなくなる。だからいうよ。僕は君にずっとこの世界にいて欲しいし、帰って欲しくない。そのためならなんだってする」

 

「そ、そこまでいっちゃうの......?あたしまだ何も......」

 

「君に結論を急ぐ気は無いんだ。いっただろ?僕の結論は出てるんだ、そこまでにいたる過程がまだ思いつかないだけでね。だから、愛は気にしなくていいよ。そのかわり、僕は待たないけど」

 

「翡翠、いってることがさっきからむちゃくちゃじゃない......?」

 

「むちゃくちゃでもいいよ、君に伝わるならなんだって。何年の付き合いだと思ってるんだ。君が人の好意に鈍感になろうとしたのは、絆されて帰れなくなるのを危惧してだろうしね」

 

「バレてるし......」

 

ばつ悪そうに愛は目をそらした。如月はたまらず噴き出すのだ。穏やかな口の線や顎の輪郭が崩れて、小刻みに揺れる。愛が直視してくれないのは、普段の表情が崩れて年齢相応に笑うときが好きだからなんだろうなと如月はなんとなくわかっている。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

龍脈5

まだ薄暗いというのに目が冴えてしまった如月は窓を開けた。放射冷却でもあったのか、一気に冷気が流れ込んでくる。今日はきっと冬晴れだ。

 

その辺じゅうが凍って、柱の裂ける音が聞こえたり、床の上も土間も歩くとバリバリと鳴り、寒さが皮膚を刺すように感じられて、その辺のものすべてがピンピン響きあうばかりに冴えわたって来る。

 

冬の夜が霧のような霜を挟んでからりと明け渡ったようだ。明けたばかりの空が、朝の冷気とともに新鮮に輝いている。快晴の風の強い朝だった。人々は白い息を口から吐き、それを風が散らしていた。

 

ずいぶんと早く起きてしまった。布団を押し入れにしまい、身支度を整えて廊下に出る。隣の客間から音はしない。まだ寝ているのかもしれない。足音を忍ばせながら如月は階段を降りた。

 

明かりがついている。どうやら愛もあまり眠れなかったようで、如月より先に起きていたようだ。すでに身支度をすませ、脱衣場の前で誰かに電話していた。残念なような、ほっとしたような気分だった。

 

「待ってください、待ってくださいよ、紗夜ちゃん。あの、早まらないでください。なにもないです、なにもないですから。ねえ、お願いですから話を聞いてくださッ......あああ......切られちゃった......」

 

時須佐槙絵から持っているようにと言われたらしい携帯電話を前に愛はあたふたしている。メールを知らせるデフォルト設定のままの着信音にうんざりという顔をしながら確認し始めた。

 

「......ああもう、アン子ちゃんまで......。情報早いですよ、もう......。ひーちゃん、一斉送信したなァ......ッ!」

 

ぐったりしている愛に如月は話しかけた。

 

「おはよう、愛。早いね。どうしたんだい?」

 

「あ、おはようございます、翡翠。あ、うるさかったですか?ごめんなさい」

 

「いや?気づかなかったよ」

 

「そうですか、よかった」

 

「僕の方が早く起きたのかと思ったよ」

 

「あ~......その~......あんまり寝れなくてですね......あはは。ところで翡翠。ひーちゃんになにか連絡しました?」

 

「ああ、したよ?」

 

「やっぱり~ッ!うすうすそーじゃないかと思ってたのッ!なにさらっといってるのよ、翡翠ッ!?昨日はお楽しみでしたねメールが殺到してるんですけどッ!!なにいったの!?紗夜ちゃんにまでお泊まりお断りされちゃったんですけどッ!あたし、まだなにも......」

 

「昨日、いったはずだよ。僕は待たないし、君にはこの世界にいてもらいたいから、そのためならなんでもするって」

 

「外堀埋めるって意味だったの......?」

 

「僕が行動に起こしたから、みんな便乗してるだけで考えてることは同じだっただけさ。みんな、君に遠慮してたんだ。この戦いが終わったらさようなら、なんて嫌に決まってるだろ。いいよっていってくれるのは、次元を超えても君に接触できる人だけだ」

 

「知りたくなかったァ......」

 

「それはよくないことだな。知っておくべきだね。遅かれ早かれ、似たような流れにはなったんじゃないか?」

 

「マジか......マジですか......何度もいったじゃないですか。私がこの世界にいるのは《天御子》がこの世界にいるからですって」

 

「《如来眼》の継承者がいないから召喚に応じたんだろ?君がいなくなったら継承者が途絶えるじゃないか。なにも問題は解決してないよ」

 

「們天丸さんと同じこというし......」

 

「君がその問題を放置したまま元の世界に帰還するのはどうなんだって話だよ。君の良心は許すのか?」

 

「そ、それはァ......柳生を倒せば《宿星》に縛られる必要はないのでは?」

 

「目先の目的でいえばそうだね。でも《宿星》の戦いは柳生だけじゃないことは君が1番よく知ってるんじゃないか?」

 

「それは......そうだけど......あたし、そこまで責任もてないわよ......あっちの世界で待ってる人だっているのに......」

 

「次元に干渉できる君なら今すぐ帰る必要はないんじゃないか?10年もこちらにいるんだから」

 

「うううッ......」

 

「図星のようだね」

 

愛は頭をかかえている。

 

「いってる間に翡翠の家にお泊まりする流れになってるし......」

 

最後の着信をみて、愛は観念したのか肩を落とした。

 

「おばあちゃんまでえ......ッ!不純異性交遊はやめなさいねってそういう問題じゃないのに......。あたしまだ応えられないっていってるのにッ!」

 

「ほんとに迂闊というか、なんというか、そういうところが抜けてるな、愛は。雛川神社から僕の家に降ろしてもらったところをみんながワゴン車から見てたんだ。この流れになるのは目に見えてたんじゃないのか?嫌なら来なければよかったんだよ」

 

「陰陽寮についていった場合のいらぬ軋轢考えたら、消去法で降りるしかなかったのよッ!翡翠があのタイミングでいうもんだから、問い詰められて家に帰る選択肢潰されちゃったんだもん......!逃げたら逃げたでおばあちゃんが行方不明になったって大騒ぎしたら大変なことになりそうだったし、あの時は翡翠と話をしなきゃって頭でいっぱいだったしッ!」

 

「あいかわらず突拍子もない自体には弱いな、君は」

 

「誰のせいよ、誰の......」

 

「僕のせいだね」

 

「ああもう......」

 

「謝るつもりは無いからね」

 

「......わかってるわよ、それくらい」

 

「愛がタメ口なのはホントに久しぶりだな」

 

「敬語も忘れたくなるわよ、こんなんされたらさァッ!」

 

「仕方ないだろう?今の君に必要なのは楔だ。なんであれね」

 

「楔て」

 

如月は笑うのだ。

 

愛のために何かしてやりたい。そう如月が思うのは今までとなんら変わらない。どうして人は人に対してそう思うのだろう、と如月はふと思うのだ。自分の願いと愛の願いは同時には成立しえないから、何もしてやれないことを思い知ってもなお。

 

愛はそういう人間なのかもしれないし、好きだからしてやりたいのかもしれない。海が海であるだけで、よせてはかえし、時には荒れ、ただそこに息づいているだけで人にさまざまな感情を喚起させるみたいに、如月にとっては愛はそういう存在になっていた。がっかりさせたり、恐れさせたり、慰めたり、でも、もっと何かしたい。そう思うことを止めることができない。

 

しばらく会わないだけで何か大事なものが足らない気がして、胸が軽く疼くあたりもはや重症である。いや、今まで重症だったのに見て見ぬふりをしていただけなのかもしれない。だから余計に自覚した分歯止めが効かない。

 

愛が呆れたように、困ったように笑っている。そのかげりのない瞳で如月をみている。どうしてもそれを自分のものにしたかったのだ、と今ならわかる。

 

愛を見ているだけで、胸は重く厳しく締めつけられている。ふたつの壁のあいだに挟まれて身動きがとれなくなった人のように、そのまま進むことも退くこともできない。肺の動きが不規則でぎこちなくなり、生ぬるい突風の中に置かれたみたいにひどく息苦しくなった。これまでに味わったことのない奇妙な気持ちだった。でも悪い気はしない。

 

「だってそうだろう?過ぎて、振り返って、ああ懐かしいねなんて思い出の一コマになる程度じゃ、君は帰ってしまうじゃないか。いつまでも君がいない朝に怯えるのはごめんだからね、やるべきことはやっておこうと思っただけだよ。いつも君がやっているようにね」

 

「だからって不意打ちにも程があると思う......」

 

「不意打ちじゃないと意味がないだろ。君は不測の事態に弱いんだから」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

龍脈6

新宿区の西端を中央区との境になる神田川が流れている。そこから遠く副都心を眺めると、思わず言葉を失うほどに巨大なビル群がまるで地上に行き場を失ったかのように上へ上へと伸びていた。

 

それらを目標に歩みを進めると、初めにたどり着くのが新宿中央公園だ。その一角にある熊野神社でまず参拝をすませた。

 

熊野の熊は隈だった説があり、かつて辺境を意味していたという。つまり、《結界》としての神社なのだ。これを含めた公園が精霊地であり、都会人が疲れた心を癒すためについ足を向けるのがこの公園なのだ。

 

江戸時代には人口が拡大するにつれて飲料水の確保が難しくなり、多摩川から水をひいた。その排水施設がかつてここにあったという。明治時代に淀橋浄水場が整備されて近代的な給水事業となる前はここが東京の水場だったのだ。いわばここは生命を司る場の力が宿っているのだ。

 

「熊野神社あたりの《氣》と明らかに違うところを探しましょう。それが早いです」

 

「新宿中央公園広いもんな」

 

漆黒の闇に包まれる時刻になると、都心のオアシスはホームレスの住処に変貌する。その先に世俗を嫌った破戒僧が勝手に結界をはって住み着いているのだと龍山先生から教えてもらったのだ。

 

わざわざここに来たのは緋勇の歓迎会以来である。もしかしたら、あの時、楢崎道心(ならさき どうしん)は私たちのことをみていたのかもしれない。思えばここはシャンと初めて遭遇した、あらゆる意味で柳生との戦いが始まった場所でもあるのだ。因果を感じる。昨日から付きまとう監視の気配がより濃厚になった。私は《如来眼》を発動させる。

 

「このあたりですね」

 

私が一言発するや否やあたりの雰囲気が一転した。

 

あたりが急に霧に覆われ始めたのだ。緋勇たちは驚いて当たりを見渡す。周辺が視野の中に薄ボンヤリと浮かんできた。霧は相変わらず濃い。樹木が現実の世界とは思えないような、淡い影となっていた。緑がわずかに認められる。

 

濃い乳白色の霧の厚い層の向こうに、ひそかなバラ色の明るみがある。往き来の人や車が、幻影のように現れては幻影のように霧のうちに消える。

 

白い霧が濛々と渦巻くばかり。その感覚は不気味なものだった。影をもたない人間を見ているように。その暗がりから明かりが亡霊のようにふっと出現した。どうやら私たちの探している人が現れたようだ。

 

「さすがだなァ、《如来眼》の源流ってのは《菩薩眼》と同じくするってのがよくわかるぜ」

 

私たちの目の前に都会の身綺麗なホームレスの老人が現れた。スキンヘッドに黒いサングラス。真っ白な眉と髭。髭は胸のあたりまで垂れ下がり、綺麗に手入れされ、色んな色のヒモで結んである。袈裟を気崩し、破戒僧の格好をしていた。がりがりだがよれよれではない。やけに覇気がある老人だ。妙に隙がない。

 

「人はよォ、生きるべきに生き───────死すべきに死す───────本来はそんなもんよ。今、こん時にダラダラしてる───────そう見えても、そいつには未来に大切な───────用があるのかも知れねェ。人が人を───────《今だけ》で判断するのは、それこそ、手間を惜しんでる───────てなもんさ」

 

そういって老人は緋勇をみた。

 

「おめェは信じるかい?今、目の前で酒を浴びてるじじいがいう言葉でもよォ」

 

「信じるよ?じいさん、嘘をいってるようには見えないし」

 

「はっはっは、どっかの弦麻とは違ってひねくれた所がねえな。だいぶん素直な男に育ったんだなァ、おめーはよォ。じいさんの育てかたがよかったのかァ?こういう話はよ、おめェ…......半分に聞いておくのがいいのよ。半分にな......くくく、しっかしおもしれェなァ。こんなじじいの戯れ言に興味を持つってか?ま、悪い考えじゃねェだろ。人ってのは、もう少し───────余裕をもたねェとな」

 

「父さんのこと知ってるってことは、やっぱり......。はじめまして、俺は緋勇龍麻です。龍山先生からの紹介できました」

 

「くくく…......真面目な奴だな。俺のことはしってるだろうが、一応名乗るとすっかね。俺ァ楢崎道心だ。おめーらのことは龍山や槙絵からよーく聞いてるぜ。よくやってるそうじゃねぅか、若いのに大したもんだ。若ェうちは老人の話は聞くもんだ。そんで悩んで悩んで、それで結果がでなくてもいいさ。ただ、忘れんなよ。いつもおめェが正しい…......そういうワケじゃねェそういう事をよ」

 

ウインクする道心は上機嫌である。

 

「俺を訪ねてきた、か。なにか聞きたいことがあるんだな?はっきりと意見を持ってるなんざ、見所があるじゃねェか。だがよガキ、忘れんなよ。それだけじゃどーにもならねえこともある。ひとりでだめなら、誰かに相談しろ。な?俺たちはてめーの父親に全部背負い込ませちまった。愛する女をろくに弔うことも可愛い盛りの赤子の世話もさせてやれないまま死なせちまった。年寄りばっか生き残っちまってよ......ほんとうにすまなかったな」

 

緋勇は首をふった。

 

「そのかわり、俺の知らない父さんのこと、母さんのこと、教えてください。いっぱい」

 

「あァ、いいぜ。いくらでもな。で、本題は?」

 

「《陰の龍の器》を柳生側が作ってるそうなんですが、龍山先生は知らないから教えてもらえって」

 

「なるほどなァ...... いいぜ、教えてやろう。もう知っているとは思うが、150年前、柳生は自らが《黄龍の器》になろうとして失敗し、邪龍に落ちたところをてめーらの先祖に倒された」

 

私たちは頷く。

 

「緋勇龍斗は生まれながらの《黄龍の器》だった。この時、陰陽にわかれちゃいなかったのよ」

 

「えっ」

 

「陰陽は常に表裏一体じゃなきゃいけねえってこった。それを無理やりわけるからおかしくなんのよ。始まりは帝国時代だ。復活した柳生はよ、日本軍の上層部に上手いこと取り入って士官学校をつくった。地下には《龍穴》を利用して秘密裏に実験施設を作りやがった。そして、そこに通っていた学生たちを犠牲に、《黄龍の器》を作りやがったのよ。兵士になるような人材だ、適役が見つけやすいと思ったんだろう。想定外だったのは、150年前の教訓から2つで1つの《鬼道書》を九角天戒が分家にわけて託したことだ。そのおかげで《陰の黄龍の器》しかできなかった柳生はまた降臨の儀式に失敗し、またおめーらの先祖に倒された。旧校舎、とおめーらが呼んでるその場所がその跡地ってわけよ」

 

緋勇たちは目を見開いた。

 

「そこであった悪夢を今ここに再現してやろう」

 

「───────ッ!?」

 

「ひーちゃん!?」

 

「どうした?」

 

「えっ、えっ、なに!?」

 

「道心先生、これは?」

 

「俺たちはあん時地獄を見たのよ。なにせ、てめーのじいさんがいきなり俺たちを襲ったんだからな。柳生による強い精神干渉を受けちまったわけよ。あん時はどーにかなったが、どうもおめーらは俺たちと似たような状況になったことがないらしい。なら、一回試そうや、おめーらならどう対処する?」

 

どうやら道心先生は対象者の精神(思考、意思、感情等)に干渉し、捻じ曲げることができる超能力を行使しているらしい。宣言してくれるだけ有情ということだろうか。

 

「ひーちゃんッ!大丈夫か?」

 

緋勇の反応はない。

 

道心曰く、今は緋勇の意識を完全に乗っ取り、マリオネットのように意のままに操っている。さらに脳に道心自身の意識を侵入させることで、緋勇の意志を誘導している。だから緋勇は夢遊病状態らしい。記憶を一時的に消去・改竄することで、現実のようにリアルな幻覚を見せているという。

 

「さあ、どうするてめーら?俺たちん時のように、《陰の器》と《陽の器》が揃った以上、かならず柳生は仕掛けてくるはずだぜ?おめーらは龍麻を助けられるのか?」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

龍脈7 完

戦闘の要である緋勇が敵に回り、味方に動揺が走る。

 

「龍君の《氣》が《陰気》に覆われていますッ!祓わなくてはッ!みなさん、《氣》を込めて攻撃してください」

 

「!」

 

「へ、大丈夫だ。心配いらねーよッ!ひーちゃんはこん中で1番つえーんだ、俺たちが遠慮する必要なんかねェよッ」

 

「雪連掌」

 

緋勇の声がする。だが、いつもとは違う。雰囲気が違う。構えは同じなのに殺気に溢れていた。

 

「ッ!」

 

「京一ッ!」

 

「へへ、容赦ねーな!」

 

体内で練った凍気を掌に乗せて敵を打つ技。その一撃は、雪中に咲く、睡蓮の花を模して華麗である。それは次第に昇華されていく。

 

「深雪」

 

見たことがない型だった。体内の氣を、雪中にのみ存在し得る純粋なる凍気に喩えた技が蓬莱寺に追い打ちをかける。静かなる息吹が、逆にその威力を物語っていた。

 

蓬莱寺は急所ははずしたものの、なかなかのダメージのようで顔が歪む。

 

「秘拳・玄武」

 

掌打に込めた最大の凍気をもって、対象物を破砕する奥義中の奥義が炸裂した。

 

「京君ッ!」

 

蓬莱寺は乱暴に血を拭った。

 

「へ、なかなかきいたぜッ。こうしてひーちゃんとマジモンのタイマンはなかなかねえからいい機会だッ!俺に任せて、お前ら支援よろしくなッ!」

 

「まったく、無茶をする......」

 

「京君に引き付けてもらって、私たちでなんとかしましょう」

 

「わかったわ。京一君、頑張って」

 

美里が蓬莱寺の強化をするために《力》をかけはじめる。

 

「巫炎」

 

「げッ、違う技まで昇華しながら戦う気かよッ!?」

 

敵への掌打の一撃と共に、炎の氣を一氣に放出する技が炸裂する。巫女に降りる神の炎を模してその名と成す技は、なかなかに強力だ。また技が昇華され、洗練されたものになっていく。

 

「ひーちゃんもつえーけど、あれだな。ひーちゃんのじいさんの全盛期もすごかったんだなァ。けどよッ、秘拳っていいながらひーちゃんの雪連掌となんら変わらねぇじゃねーかッ!」

 

「なんだって?」

 

「なるほど......龍麻のじいさんは師匠な訳だからな。古武道を継承する時には自分の中で確固たる秘技となったものを継承するんだ。龍麻の技は龍麻のじいさんの完成系を習ったんだ。無駄がないのか」

 

「なるほど」

 

「火杜」

 

猛り燃える炎の氣で、相手を覆い尽くし、掌打で打ち抜く技が炸裂する。その一打は、まさに炎の一撃だが、蓬莱寺は受けきった。

 

「そーいうことかよッ!ならいつもの組手のがよっぽどタメになるわけだ」

 

「くるぞ!」

 

「本題はこっからか!」

 

「秘拳・朱雀」

 

それは繰り出された掌打の一撃と共に、吹きすさぶ火焔の渦を巻き起こす技だった。その攻撃の前にすべては消失する。

 

「聖女の祈りよ、とどけ」

 

美里が《力》をつかった。

 

「これは......」

 

蓬莱寺がニヤリと笑う。

 

「すげえな、美里。まだまだ動けそうだぜ」

 

私は目を見開いた。

 

「葵ちゃん、これは......」

 

「私もみんなを守りたいの」

 

聖母の奇跡を信じる真摯な想いが天へと届き、悲観や困難を打ち破る加護が得られる。行動力が全回復した。

 

「さあこいよ、ひーちゃんッ!こっから先はぜってー行かせねえぜッ」

 

蓬莱寺が木刀を構えて挑発するなり、緋勇は一気に間合いに飛び込んできた。

 

「いっ?!」

 

「龍星脚」

 

天道を駆け抜けんとする龍の姿を模した蹴りが炸裂する。その勢いは風を呼び、旋風を伴って敵を滅殺する。

 

「浮龍脚」

 

「このッ!」

 

虚空に躍る左右一対の必殺脚。駆け抜ける右脚を追い撃つ左脚の姿が、浮龍と称されるほどの威力だ。

 

「秘拳・青龍」

 

宙を抜く龍脚と、地を砕く拳撃が合わさった無双の連続技を捌ききる。さすがは蓬莱寺だ。

 

「秘拳・白虎」

 

投げつつ打ち込み、そのまま全体重をかけての膝、そして組技へと変化する千変万化の必殺技が炸裂した。

 

「ぐっ......体が馴染んできやがったな!面白くなってきやがったぜ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

緋勇は仲間たちの戦いのさなか、道心先生の術により、かつて祖父たちが体験した過去を幻覚を通して垣間見ていた。

 

士官学校の生徒が次々と失踪する怪事件を追いかけていくうちに、地下に軍部が秘密裏に作り上げた実験場があることが判明した。優秀な成績をおさめていた生徒たちが次々と犠牲になり、生き残った者が器として実験されていく。それは《アマツミカボシ》の《荒御魂》を降ろすために犠牲になった少女たちが入っていたカプセルポットに似ていた。そしてその向こう側にいる真っ赤な髪の男、柳生。そこは柳生が実質権力を握り、あらゆるものを掌握している地獄だった。

 

緋勇の祖父は道心先生たちと最終決戦に臨もうとして、《陰の器》たる少年の精神干渉をうけて体を乗っ取られてしまった。陰と陽はひとつになって始めて人間たりえる。人工的に器になった少年も、その影響により一時的に《氣》が著しく陽に傾いている祖父も、人間から外れた存在になりかけていたのだ。陰と陽はひとつになろうと足掻いている。このままではだめだとあがくが《力》が少年に吸収されてしまう。このままでは取り込まれてしまう。緋勇は必死で抵抗しようとした。そのときだ。

 

《万物は陰を負いて陽を抱き、沖気以て和を為す》

 

祖父がいつも緋勇に言い聞かせてきた言葉が聞こえてきた。

 

《陰陽互根───────それすなわち陰があれば陽があり、陽があれば陰があるように、互いが存在することで己が成り立つ》

 

祖父でも父でもない。緋勇の知らない男の言葉だった。

 

《陰陽制約───────それすなわち、提携律。陰陽は互いにバランスをとるよう作用する。陰虚すれば陽虚し、陽虚すれば陰虚する。陰実すれば陽実し、陽実すれば陰実する》

 

敵か味方かすらわからなかったが、殺意や憎悪は感じられない。

 

《陰陽消長───────それすなわち拮抗律。陰虚すれば陽実し、陽虚すれば陰実する。陰実すれば陽虚し、陽実すれば陰虚する》

 

緋勇に優しく言い聞かせるような言霊だった。

 

《陰陽転化───────それすなわち循環律。陰極まれば、無極を経て陽に転化し、陽極まれば、無極を経て陰に転化する》

 

緋勇は自然と声に耳を傾けていた。

 

《陰陽可分───────それすなわち交錯律。陰陽それぞれの中に様々な段階の陰陽がある。陰中の陽、陰中の陰、陽中の陰、陽中の陽》

 

《緋勇龍麻、お前の中にも陰はある。陽が強くなりすぎているから不安定になり、陰を求めている》

 

声は優しく説いて聞かせてきた。

 

《まず、体内の気の変化を天地自然の陰陽の変化に順応させて、体内の気が交合する環境を整えることだ。人の身体と天地は相似関係にある。天地自然の陰陽の変化として、一年の季節の変化がある。陰が極まって陽が萌す冬至、次第に陽が伸長していき極まった夏至、そこで陰が萌し、極まって冬至となる。このように自然の変化を陰陽の気の消長変化として捉え、それを人間の体内の陰陽の変化と対応させるのだ。陰を拒むな、お前の体は陰を恋しがっているだけだ。受け入れろ、そして力に変えるのだ。陰と陽はもともとひとつの《力》にすぎぬ。器は本来ひとつだというのに、お前の器には陽しかない。それは万物の理に反する》

 

そのとき、緋勇の中にあった《力》が覚醒の片鱗を見せた。選ばれし者のみに宿る秘奥義。四神を従えた黄龍が天駆ける。

 

「なんだ!?」

 

「ひーちゃん!!」

 

「秘拳───────黄龍ッ!」

 

「あのバカ、自分で練り上げた《氣》を自分の中の《陰氣》にぶつけやがった!」

 

「ひーちゃんッ!!」

 

崩れ落ちる緋勇に私たちはかけつける。

 

「無茶しやがって、なにしてんだよばか」

 

小突かれた緋勇はごめんと笑った。

 

「声が聞こえたかァ?クソガキ」

 

「道心先生......あれは......」

 

「初代からのありがたいお言葉だ、よーく覚えとけよ」

 

「しかし、無茶苦茶しおるなァ......てめーは間違いなくアイツの孫で弦麻の息子だ」

 

道心先生は笑ったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

封土1

1999年12月24日木曜日

 

柳生側からなんの動きもないまま真神学園は終業式を迎えた。不気味な沈黙にぞわぞわしているものの、転校生の連続失踪事件は解決したし、シャンに感染した人間による襲撃にさえ気をつければ、平穏そのものだった。終業式をおえて今日から冬休みである。もっとも、私は遠野と終業式の写真を見繕ってPTAや職員室に渡したり、次の真神新聞の作成に追われていたので気づけば夕方になっていた。

 

「はい、時須佐です。どうしました、翡翠」

 

「いや、今日は終業式だとは聞いていたけど、肝心の何時頃に帰ってくるのか聞くのを忘れていたからね。今大丈夫かい?」

 

「あ、はい、今アン子ちゃんと新聞部の打ち合わせをしてたんです。なにか用事でも?それともなにかあったんですか?」

 

「いや、今校門近くにいるから」

 

「......えッ!?」

 

私はいつもは暗幕がはってある新聞部の窓から校門をみた。こちらを見上げる翡翠がみえた。

 

「な、な、ななな......い、いつから......?」

 

「たまたま用事があってね、通りかかったものだから」

 

にやにやしながら私を見ていた遠野がそれに気づいて笑い始めた。

 

「ほら、槙乃ッ!彼氏待たせちゃダメよ、さっさと帰んなきゃ」

 

「えっ、でもアン子ちゃん、打ち合わせ......」

 

「そんなのメールでも出来るし、取材やる時は連絡するからいいのよ。今日やるべきことは終わったんだから。ほーら、はやく」

 

「でもアン子ちゃん1人で帰るのは......」

 

「いーのいーの、まだ犬神せんせ、残ってたし!遅くまで残るなら送ってやるっていってたじゃない。忘れたの?」

 

「うッ」

 

「馬に蹴られたくはないんだから、早くしなさいよねッ!だいたい、なにを今更もたもた、あわあわしてるのよ。如月君との距離感はずっとそうじゃない」

 

「いや、だってですね、今まではただの幼馴染でッ!」

 

「それはあんただけだったんでしょ?」

 

「それは......」

 

「だいたい今日はクリスマスイブじゃないッ!あー、あたしとしたことがうっかりしてたわ。ごめんね、槙乃ッ」

 

「アン子ちゃん、からかわないでくださいよ!もう!」

 

私はおいたてられて、カバンを投げてよこされた。落とした携帯を拾われてしまう。

 

「そーいう訳だから、今からそっちに行かせるわね~ッ!く・れ・ぐ・れ・も・槙乃のことよろしくね、如月君!槙乃泣かせたらただじゃおかないわよ~ッ!」

 

「わあああああッ!アン子ちゃんッ!なにいって!!」

 

「はいはい楽しんできてね~ッ!今度会ったら惚気話聞かせなさいよ~ッ!じゃあね、槙乃!ばいばーい」

 

私は新聞部から締め出されてしまったのだった。私の手元には未だに通話状態の携帯が残された。

 

「翡翠......」

 

向こうでは笑いをこらえている翡翠の声がする。

 

「翡翠ッ!」

 

「ああうん、ごめん。予想通りの反応すぎてつい」

 

「なんですか、いきなり......真神までくるなんて......」

 

「特に理由はないよ、たまたまだ」

 

「ほんとですか?」

 

「ほんとだよ、もちろん」

 

私はきられてしまった携帯にしばし沈黙して、玄関に向かった。

 

最近ずっとこんな感じだった。状況的に仕方ないとはいえ、女子高生が幼馴染の男の子の家に親公認の同棲生活をしているなんて漫画かアニメかゲームの話だと思ってしまう。一人になってはいけない、という現実が如月の行動力となっているのはわかる。

 

今の今まで如月の本心に気付かないふりをして軽率なことをしたな、と思うし、如月のことをどう思っているのかわからないまま同棲生活をしている今が正直不誠実だなと思う。今思えば何がなんでも拒否して如月の家の前で降りなければよかったのだ。他に代替案が思いつかず、如月ととにかく話さなければ、と頭がいっぱいで完全にテンパってしまった結果の今である。

 

何度考えてもどうすればいいのかわからないでいる。如月は18年かけて答えを出したんだから、返事はすぐじゃなくてもいいとは言ってくれているが、それとこれとは話が別だろう。

 

最近は、物思いにふけっているうちに時間が過ぎてしまっている。

 

「また考え事かい?」

 

「え、あ」

 

呼び止められて、ようやく校門前に来たことに気づく有様である。如月は穏やかに笑っている。

 

「こうして見ると嬉しいね。なぜ今まで我慢していたのかとさえ思うよ。君は必死で考えてくれている訳だからな」

 

「~~~~ッ!!」

 

私は真っ赤になるのを抑えることができない。

 

「ひとり暮らしから同棲を始めて、最初に感動したのが、ひとりじゃないことだな。当たり前といえば当たり前なことだけれど」

 

「そのうちひとりが恋しくなりますよ」

 

「どうだろう?君はそうだったのか?」

 

「同棲して1か月くらいは、朝も夜も一緒にいられるし、デートの待ち合わせをわざわざ決めなくても良いことが魅力だと思ったんですけど、1か月経ったくらいから、ひとりの時間がなさすぎることがストレスになってきますよ」

 

「なるほど。それを考えたらまだ気を使ってくれてるんだな」

 

「あはは......。ところでどこに行くんですか?」

 

「カテドラル教会にね、霊水をくみにいこうと思って。在庫が少ないから」

 

「めっちゃ遠回りじゃないですか!」

 

如月はなんでもないように笑った。

 

 

 

東京カテドラル聖マリア大聖堂。このカテドラルとは《最高権力者がいる場所》という意味がある。文京区にあるカトリックの東京大司教区教会だ。現代建築の粋をかんじさせる造りが象徴的だ。

 

女性の身体を思わせる独特な外観は上空から見ると《十字架》の形に見えるという。外装はステンレス、スチール張りで、燦然と輝いている。まさに社会や人心を照らすキリスト教の教えをわかりやすく示している。

 

高尚な表情をたたえる教会は、《強さ》が全面に押し出された《氣》が流れていた。

 

今、私たちはその敷地内にある《ルルドの洞窟》にいた。澄んだ霊力がうずまいているパワースポットである。湧き出た霊水を飲んだ者の病が治ったという奇跡を伝える《フランス・ルルドの洞窟》を1911年に再現したという。

 

 

 

1858年2月11日、村の14歳の少女ベルナデッタ・スビルが郊外のマッサビエルの洞窟のそばで薪拾いをしているとき、初めて聖母マリアが出現したといわれている。ベルナデッタは当初、自分の前に現れた若い婦人を聖母とは思っていなかった。しかし出現の噂が広まるにつれ、その姿かたちから聖母であると囁かれ始める。

 

 

聖母出現の噂は、当然ながら教会関係者はじめ多くの人々から疑いの目を持って見られていた。ベルナデットが聖母がここに聖堂を建てるよう望んでいると伝えると、神父はその女性の名前を聞いて来るように命じる。そして、神父の望み通り、何度も名前を尋ねるベルナデットに、ついに自分を「無原罪の御宿り」であると、ルルドの方言で告げた。

 

それは「ケ・ソイ・エラ・インマクラダ・クンセプシウ」という言葉であったという。

 

これによって当初は懐疑的だったペイラマール神父も周囲の人々も聖母の出現を信じるようになった。「無原罪の御宿り」がカトリックの教義として公認されたのは聖母出現の4年前の1854年である。家が貧しくて学校に通えず、当時の教会用語だったラテン語どころか、標準フランス語の読み書きも出来なかった少女が知り得るはずもない言葉だと思われたからである。

 

以後、聖母がこの少女の前に18回にもわたって姿を現したといわれ評判になった。1864年には聖母があらわれたという場所に聖母像が建てられた。この話はすぐにヨーロッパ中に広まったため、はじめに建てられていた小さな聖堂はやがて巡礼者でにぎわう大聖堂になった。

 

ベルナデット自身は聖母の出現について積極的に語ることを好まず、1866年にヌヴェール愛徳修道会の修道院に入ってシスター・マリー・ベルナールとなり、外界から遮断された静かな一生を送った。ベルナデットは自分の見たものが聖母マリアであったことをはっきりと認めていた。例えば1858年7月16日の最後の出現の後のコメントでも「私は、聖母マリア様を見るだけでした。」とはっきり述べている。1879年、肺結核により35歳で没し、1933年に列聖された。

 

ベルナデットが見た「聖母」は、ルルドの泉に関して次のような発言をしている。「聖母」はまずベルナデットに「泉に行って水を飲んで顔を洗いなさい」と言った。近くに水は無かったため、彼女は近くの川へ行こうとしたが、「聖母」が「洞窟の岩の下の方へ行くように指差した」ところ、泥水が少し湧いてきており、次第にそれは清水になって飲めるようになった。これがルルドの泉の始まりである。

 

ルルドには医療局が存在し、ある治癒をカトリック教会が奇跡と認定するための基準は大変厳しい。「医療不可能な難病であること、治療なしで突然に完全に治ること、再発しないこと、医学による説明が不可能であること」という科学的、医学的基準のほか、さらに患者が教会において模範的な信仰者であることが条件される。このため、これまで2,500件が「説明不可能な治癒」とされるが、奇跡と公式に認定される症例は大変少数(68件)となっている。

 

1925年にベルナデットが列福され、1933年12月8日、ローマ教皇ピウス11世によって列聖された。その後もベルナデットによって発見された泉の水によって不治と思われた病が治癒する奇跡が続々と起こり、鉄道など交通路の整備と相まって、ルルドはカトリック最大の巡礼地になり今日に至っている。

 

それを再現した、いわば人工的なルルドの洞窟のはずなのだが、なぜか泉が湧いているのだ。私の世界だと立ち入りできなかったが、自由に汲むことができるようになっている。不思議すぎるスポットである。

 

「やっぱりクリスマスイブだからか、人でいっぱいですねえ」

 

「そうだな。少し並ばないといけないみたいだ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

封土2

赤い瘴気が立ち込め始める。私は《如来眼》を発動して辺りを見渡した。

 

「柳生か?」

 

「おそらくは」

 

これは柳生の手下である六道世羅(りくどうせら)が《力》を発動した時に発生するものだ。今頃、美里とクリスマスイブを楽しんでいるであろう緋勇は大丈夫だろうか、と心配になる。

 

六道は逢魔ヶ淵高校2年B組。二重人格者で、時空を操る能力を持つ。緋勇龍麻と最初に出会ったときは大人しい性格だったが、後に柳生宗崇に操られ、凶暴な性格となって緋勇達を異次元に誘い込む。緋勇達に敗れた後、新宿中央病院に担ぎ込まれるはずだが、この世界ではいきなり襲ってきたのだ。主人格の安否もさだかではない。

 

 

六道とは、仏教において、衆生がその業の結果として輪廻転生する6種の世界のことだ。

 

天道(てんどう)

人間道(にんげんどう)

修羅道(しゅらどう)

畜生道(ちくしょうどう)

餓鬼道(がきどう)

地獄道(じごくどう)

 

このうち、天道、人間道、修羅道を三善趣(三善道)といい、畜生道、餓鬼道、地獄道を三悪趣(三悪道)という。

 

天道は天人が住まう世界である。天人は人間よりも優れた存在とされ、寿命は非常に長く、また苦しみも人間道に比べてほとんどないとされる。また、空を飛ぶことができ享楽のうちに生涯を過ごすといわれる。しかしながら煩悩から解き放たれておらず、仏教に出会うこともないため解脱も出来ない。天人が死を迎えるときは5つの変化が現れる。

 

これを五衰(天人五衰)と称し、体が垢に塗れて悪臭を放ち、脇から汗が出て自分の居場所を好まなくなり、頭の上の花が萎む。天の中の最下級のものは三界のうち欲界に属し、中級のものは色界に属し、上級のものは無色界に属する。

 

人間道は人間が住む世界である。四苦八苦に悩まされる苦しみの大きい世界であるが、苦しみが続くばかりではなく楽しみもあるとされる。また、唯一自力で仏教に出会える世界であり、解脱し仏になりうるという救いもある。地表の世界。三界のうち欲界に属する。

 

修羅道は阿修羅の住まう世界である。修羅は終始戦い、争うとされる。苦しみや怒りが絶えないが地獄のような場所ではなく、苦しみは自らに帰結するところが大きい世界である。

 

畜生道は牛馬など畜生の世界である。ほとんど本能ばかりで生きており、使役されるがままという点からは自力で仏の教えを得ることの出来ない状態で救いの少ない世界とされる。他から畜養(蓄養)されるもの、すなわち畜生である。地表の世界。三界のうち欲界に属する。

 

餓鬼道は餓鬼の世界である。餓鬼は腹が膨れた姿の鬼で、食べ物を口に入れようとすると火となってしまい餓えと渇きに悩まされる。他人を慮らなかったために餓鬼になった例がある。旧暦7月15日の施餓鬼はこの餓鬼を救うために行われる。地表の世界。三界のうち欲界に属する。

 

地獄道は罪を償わせるための世界である。地下の世界。三界のうち欲界に属する。

 

どこか違う平行世界に飛ばされるのかもしれない。私達は身構えた。

 

《見つけた》

 

「この声はまさか、《天御子》ッ!?」

 

《見つけたぞ》

 

「なんだって?」

 

《アマツミカボシの転生体よ》

 

「この声は間違いないです。気をつけてください、翡翠ッ!」

 

《今度こそ、その魂もらいうける》

 

性別不詳のくぐもった声があたりに響きわたる。

 

「愛ッ!離れるなよ」

 

「は、はいッ」

 

翡翠から伸ばされた手をとった直後だった。一瞬の浮遊感が私達を襲った。

 

《二度とふたたび千なる異形のわれらに出会わぬことを宇宙に祈っていた矮小なる人の子よ。己の悲運を心底恨むがよい》

 

 

 

 

 

目覚まし時計の音で目が覚めた。

 

「いつまで寝てるの、槙乃。起きなさい。今日から新学期でしょう」

 

知らない女性の声がした。驚いて飛び起きる。私の部屋だ。あわてて身支度を整えて階段をかけおりる。

 

「慎也はもういっちゃったわよ、槙乃も早くしなさいな」

 

「お、おはようございます」

 

「はい、おはようございます。なにどうしたの、敬語なんかつかっちゃって」

 

知らない女性がさも当然という顔をして家事をしている。

 

「さっさと食べちゃいなさい。おばあちゃんに恥をかかせちゃだめよ」

 

「おかあさ......?」

 

「なあに?」

 

「な、なんでもない......いただきます」

 

「変な槙乃」

 

くすくす笑う女性は間違いなく時須佐槙乃と慎也、姉弟の母親となるべき人だった。18年前に死んだ時須佐槙絵の一人娘だ。私はどうやら平行世界に飛ばされたらしい。あわてて私は学校に向かった。

 

「......《力》が......」

 

《如来眼》が発動できない。どうやらこの世界は柳生との戦いが発生しなかった世界のようだ。なら。

 

「......阻害されてる......?」

 

《アマツミカボシ》の《力》も上手く発揮することが出来ない。まさかと思ってカバンに入っていた携帯で調べてみた。ゾワッとした。

 

山手線はあるのだが、私の知る山手線ではなかった。まるで東京の結界をそのままに分断しないように出来ているではないか。しかも江戸時代と神社仏閣がなにひとつ変わらない場所にある。守護の結界がそのまま機能しているのだ。

 

「東京にいる限り異形が入り込めないってわけね......」

 

《アマツミカボシ》と交信できないということは、バイアクへーも呼べないし、《アマツミカボシ》の《力》も使えないということだ。私に残されたのは竹刀袋ひとつである。

 

「あれ、メール?」

 

見てみると蓬莱寺からメールが来ていた。今日の新入生歓迎会に向けた部活動紹介めんどくさくなったから副部長に丸投げしたのでよろしくと書いてある。剣道部副部長からも直前にごめんとあったので、ようやく私はこの世界の時須佐槙乃が剣道部の女子部長をしていることに気づいた。どうやら新聞部は遠野だけらしい。今日の部活動紹介のときよろしくねとメールが来ていた。

 

なるほど、それなら剣道の腕は期待できるのかもしれない。いざとなったら攻撃ぐらいはできるだろう。

 

歩いていると、着信があった。登録されていない番号だったが、すぐにわかった。翡翠からだ。もしかしたら、と思って私はすぐに電話に出た。

 

「もしもし、翡翠ですかッ!?」

 

私の声に翡翠は安心したのか息を吐いた。

 

「ああ、僕だよ」

 

「よかった、無事だったんですね!」

 

「君の方こそ。その様子だと無事らしいな、よかった。さっきまで本気で生きた心地がしなかったよ......。よかった......本当によかった......。ここは一体......?母が生きているし、祖父はいるし、父は仕事にいったと言われて混乱してるんだが......学校に行けと言われて追い出されてしまったよ」

 

「翡翠もですか?私もなんですよ。お母さんもお父さんも生きていて、小学生の弟までいるみたいなんです。《力》が使えないのは、この世界だと東京の霊的な守護が強固なまま残されている証です。私、《如来眼》も《アマツミカボシ》の《力》も使えなくて」

 

「そうなのか......僕も《玄武》の《力》

が使えなくなっているんだ。さいわい忍びとしての腕はそのままだから、この世界の僕も普通の人間程度なら戦えるらしい」

 

「私も剣道部の女部長やってるみたいなので、異形じゃなければ何とかなりそうなんですが......」

 

「僕達は平行世界に閉じ込められてしまったのか......?」

 

「おそらくは」

 

「一回、落ち合おう。愛。始業式に呑気に出ている場合じゃない」

 

「そうですね、分かりました」

 

私達は待ち合わせ場所を決めて、先を急いだのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

封土3

私達が現状を把握するため、近くの喫茶店で話していたときのことだ。如月の携帯に着信があった。公衆電話からだったが、今のこの状況を打開したくて、あえて翡翠は出た。

 

「龍麻か!ああ、僕もなんだ。近くに愛もいる。登校前に連絡入れたからこちらに合流したんだ。そうか、龍麻も......」

 

「龍君も来てるんですか!」

 

「ああ、六道世羅という女子高生に次元の彼方に幽閉してやるといわれて、《力》を使われたらここにいたらしい。あの赤い瘴気をみたらしいから、おそらくは......」

 

「《天御子》に遭遇はしていないんですね。でも赤い瘴気は目撃した」

 

「ああ」

 

「龍君なんて?」

 

「始業式が終わったらすぐに帰るつもりみたいだ。みんな、龍麻みたいな反応をしないからこの世界の住人みたいだと。僕達にはなしたいことがあるらしい」

 

翡翠から携帯を受け取った私は緋勇に聞こうとしたのだが、悲痛な言葉に遮られてしまった。

 

「葵がいないんだッ!」

 

「えっ、葵ちゃんが!?休みじゃなくてですか?」

 

「ちがう、ちがうんだ、在校してないらしいんだ。そもそも真神学園に美里葵って女子生徒はいないらしい。生徒会長は知らない子だった。一体なにが」

 

「なっ!?」

 

「まさか......柳生の戦いがなかったせいで、美里家が生まれなかったのか?!」

 

「えっ」

 

「いえ、待ってください。葵ちゃんはいるはずです。翡翠がここにいるんですから」

 

「一体どこに......」

 

「九角家......?」

 

「あ」

 

「まさか」

 

「美里葵じゃなくて、九角葵の可能性があるのか!?」

 

「じゃあ、静姫と鬼修が出会わなかった可能性が......?」

 

「こちらの世界だと結界が強固なままだ、《鬼道》がどこまで通じるか」

 

「まってくれ、そもそもなんで結界がここまで強固なんだ?」

 

「......まさか、《天御子》に女性を捧げる因習がまだ続いて......?」

 

緋勇の息を飲む音がした。

 

「とにかく、一回九角家にいってみよう」

 

「そうだな、等々力不動尊にいけばなにかわかるかもしれない!」

 

「俺もあとから行くよ。先にいってくれ」

 

「わかりました」

 

「2人とも、気をつけてな」

 

「はい」

 

「龍麻もな」

 

私達は先に等々力不動尊を目指したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

神聖なる儀式が今まさに執り行われようとしていた。

 

美里は髪は結い上げ額に天冠をつけ、上衣は太子間道のような赤地の縞織物の漢風の大袖での小袖にかさね倭文布の帯を結び。羅の菱文の裳をまとい、更には古式を残す麻地に丹土による文様のある貫頭の衣を着、その上に丹土鱗文の襷を掛け。玉と金銅の鈴のある首玉、金銅の耳環、革沓にもその上に金銅の覆いをつけていた。

 

歴史の資料集で見たことがあった。弥生時代の古代の貴族が着ていたと思われる装束だ。

 

六道世羅に襲われて赤い瘴気に飲まれた美里は、気づけばこの屋敷にいた。また静姫の過去夢を見ているのかと思っていたのだが、どうも違う。誰も彼もに葵と呼ばれるし、九角家がどうのという話を聞くし、老人たちに拝まれた。訳の分からないままたくさんの女性たちに世話をやかれ、ここに無理矢理連れてこられた美里は、儀式の中心にいる。

 

美里の意思など完全に置き去りにしたままで、巨大な木の前で儀式は執り行われていた。

 

《蒼天に輝く日輪は、いかなる陽をもってしても、大地に陰なる影を落とす》

 

美里のように仰々しい歴史がありそうな装束を着た男が詔を読み上げている。

 

《陰陽は相克にして相生なり。天地の理、大地の法、同じ運命として、万物の理なり》

 

この世界に来てから《力》が使えなくなっている美里は、抵抗しようとしてもたくさんの見張りに阻まれて外に出ることすら叶わなかったのだ。今日、美里はなにやら大変な儀式を行うらしく、その大役の重責に押し潰されそうになっているのだろうと解釈されてしまい、誰も美里の話をまともに聞いてはくれなかった。

 

そしてこの舞台上に上がらされてしまったのだ。この瞬間に、美里は体が自由に動かなくなった。どうやら逃げ出そうとしていることがバレたようで、周りでお役目を果たしている老人たちが《力》を使っているらしい。

 

どうしよう、どうしよう、こんなところで誰かに間違われたままここにいるわけにはいかないのに。美里の頭の中はそればかりだった。緋勇のことが心配でならない。それだけ六道世羅の《力》は強力だった。仲間に知らせてくれただろうか、緋勇は無事だろうか、自分は無事だと知らせなくては、そう思ってならなかった。

 

「───────......」

 

《人あるところに闇が生まれん。その闇を祓うために継承の儀を執り行う》

 

美里の体は意思に反して儀式に向かおうとしている。老人たちがいうには『古事記』で高天原の八百万の神々が天の安河に集まって、川上の堅石(かたしは)を金敷にして、金山の鉄を用いて作らせた」と記される《八咫鏡》によく似た5つの鏡が祀られている。

 

50cm前後の巨大な円鏡だ。

 

記紀神話によれば、天照大御神の岩戸隠れの際に天津麻羅と伊斯許理度売命が作ったとされ、『日本書紀』には天照大神を象って作られたことや、試しに日像鏡や日矛を鋳造したことが伝わる。天宇受売命が踊り狂い、神々が大笑いすることを不審に思った天照大御神が岩戸を細めに開けた時、この鏡で天照大御神自身を映して、興味を持たせ、天手力男神によって外に引き出した。そして再び高天原と葦原中国は明るくなった、という。

 

天孫降臨の際、天照大御神から邇邇芸命に授けられ、この鏡を天照大御神自身だと思って祀るようにとの神勅(宝鏡奉斎の神勅)が下された、という。

 

その八咫の鏡と同じ直径の大型の内行花文鏡が5枚祀られている。ほんとうに巨大な空間だった。美里はただ大量の玉類や装身具を身につけた弥生時代の巫女の姿で座っているしかない。

 

どこからともなく威厳に満ちた声が聞こえてくる。

 

《汝、酷なる鍛錬に耐え、太陽の化身となる術を其の身体に刻みし者》

 

《そして、九角の血をひき、我ら天御子に従事せし誉れある名を襲名せし者》

 

《まずは汝の天御子への忠義の程を示せ。それを以って其れを裁断す》

 

美里はゆっくりと立ち上がる。口が勝手に喋り出す。5つの鏡が中に浮かんだ。

 

(私は......美里葵......九角葵じゃないのに......!!)

 

《いま一度汝の一族の使命を説く。古来より汝は我が国の秩序を護らんと尽力してきた。其の使命は平成の世にまで受け継がれ、今は我が国の恒久なる繁栄を願う我らの傘下にて我が国の秩序を護らんと尽力している》

 

《汝に下される命は、龍脈を掌握し、我が国の民の心を乱す妖魔からこの国を守ることなり。人心の平穏なくして国家の繁栄を願うことなし、国家の恒久なる安泰がため人心を乱さんとするものを滅殺する。其れ即ち、汝の一族の使命なり》

 

《東京。我が国の最重要拠点の守護の大任のため、我が国の永久なる秩序の健在のため、礎となれ》

 

(誰か助けてッ!!)

 

美里が必死で願った時だった。大地が激しく揺れた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

封土4

 

儀式は失敗した。当然である。この世界の九角葵がどんな生活をしてきたのかは知らないが、中にいるのは平行世界の美里葵の魂だ。敬虔なキリスト教徒として150年間生きてきた美里家の一人娘である。敬虔なキリスト教徒に《鬼道》の開祖たる卑弥呼を降ろそうとしても、魂と親和性があるわけがないのだ。《卑弥呼の器》としては最上級かもしれないが、美里葵の魂を取り除かなければ不純物でしかない。

 

器を失った《天御子》の《魂魄》が暴発したのだ。一時的に東京全体の結界が揺らいだ。私達は《力》を使えるようになったと悟る。それは暴走しはじめた《天御子》の《魂魄》にも同じことがいえた。

 

「葵ッ!」

 

「龍麻ッ!」

 

卑弥呼の衣装のまま美里が走り出す。緋勇の腕の中に飛び込んだ美里は衣服の乱れなど気に止めることも無く、余程怖かったのだろう。そのまま泣き出してしまった。

 

「よかった、無事で」

 

「ありがとう、ありがとう龍麻。槙乃ちゃん、如月くん、私もうダメかと思った......。なにがなんだか......」

 

「この世界は柳生との戦いが行われなかった世界みたいなんです。だからこちらの世界の葵ちゃんは美里じゃなく九角として暮らしていたんでしょう」

 

「よかった......間に合ってよかった......葵は《卑弥呼の器》になるところだったんだ。手遅れになるところだった」

 

「私が......!?」

 

「静姫と同じですね、無事でよかった」

 

「そうもいってられないみたいだがな」

 

神聖なる儀式が失敗したために関係者たちの殺気が私達に向けられる。

 

《東に青龍、西に白虎、南に朱雀、北に玄武。そして中央に黄龍》

 

轟く女の声に動揺が広がった。

 

《日本に存在する龍脈は5本あり、いずれも富士山を起点としている。そのうち2つが東京に流れ込んでおり、相模原、町田、自由が丘、渋谷、赤坂を経て江戸城、今の皇居に流れ込み、もうひとつが都留、高尾、府中、吉祥寺を経て新宿。この龍脈の終着点が真神学園というわけだ。もっとも龍脈を活用した《天御子》の地は集中しているため全てがここに流れ込んでくる訳では無い。私が降臨できなければ、この地は魑魅魍魎が跋扈する魔都とかす。それは断じて許されぬ》

 

天香学園のことだろうな、と私は思った。あそこは《天御子》の遺伝子操作の実験場がある。下手をしたらこの世界では今なお機能している可能性がある。

 

《氣の流れを見よ。行き場をなくしたエネルギーが器を探しておるわ。さすれば自ずと道はさだまろう。精神を研ぎ澄ませ、氣を見定めるのだ。己の進むべき道は目の前にある。陰は陽を離れず、陽は陰を離れず、陰陽相成して初めて真の勁を悟る。己の使命を忘れるでないわ》

 

それは誰の言葉だったのか。私達は後ずさる。《力》がつかえない今、出来ることはなにもないのだ。

 

私達の目の前には、四神の柱を従え、金色に輝く体を持つなにかが実体化するのが見えた。それが美里に降ろされるはずだった《卑弥呼》だと気づく。それは、五龍の一体で、神の精とされる《黄龍》そのものだ。五行は土、住処は平原、方位は中央、四季は土用、つまり季節の節目を司る神そのものだった。

 

古代中国では黄色は貴人(特に皇室)を意味する尊い色とされ、その事から黄色みを帯びる黄龍も同様に尊く格が高い存在とされていた。

 

のちにこの地位に麒麟が当てがわれるようにもなった。 ちなみに年老いた応龍の事を黄龍と呼ぶ場合もある。

 

天上で風雨を操る龍が、なぜ『土』の属性を持って大地に宿っているか、少し疑問な部分もあるだろう。 これには諸説あり、特に皇帝の治世を手助けするうちに地上の穢れを吸いすぎて、天上に帰れなくなったという説が有名である。

 

また風水学において、大地の下に走る巨大な気の流れを龍脈(りゅうみゃく)と呼び、黄龍はもしかするとこの龍脈を擬獣化した存在なのかもしれない。

 

五行思想から土行であること、 または天地玄黄という「天は黒色であって、地は黄色である」という意味の四文字熟語からでもあるのだ。

 

《天地玄黄 宇宙洪荒(てんちげんこう うちゅうこうこう)》

 

ゆらゆらと黄金色の《氣》が陽炎のように揺れながら近づいてくる。

 

《それは人間にかかわりあう世界すべてを表現する言葉である。玄黄(げんこう)は、玄(くらやみ)から黄(まばゆく明るい色)まですべてを言っているので、明暗すべての色をいっている。なぜなら黄河があって中国の大地は黄色いからだ。古くから黒色は天の色で、黄色は地の色だった。だからいうのだ。天の色は黒く、地の色は黄色であり、空間や時間は広大で、茫漠としていると。我こそは《龍脈》を統べる者、《黄龍》を統べる者。この国を護るために必要な器、返してもらう》

 

「なんて《氣》なの......!?《力》が使えなくなって、気配すら感じ取れなくなった私でもわかるなんて!」

 

「それだけは出来ないッ!この世界の九角葵と入れ替わって儀式が失敗したのは同情するが、葵はあんたの《器》にはなれない。儀式に失敗したんだからわかるだろ!でなおしてくれ」

 

《それだけは出来ぬ......神聖なる儀式は完遂させねばならぬ。それがこの国のため》

 

「暴走してるくせになにいってるんだ!」

 

《その器の自我を排除すればどうとでもなる!》

 

「九角葵はその覚悟が出来てたかもしれないが、葵は葵だ。美里葵だ。あんたと親和性が絶望的にないっていってるだろうが!それに葵に死ねっていってるのか!ふざけるなッ!!!」

 

「アナタが九角家のために《天御子》に仕えてきたのは知っています。でも葵ちゃんは私達の世界の人間で、これから生きていかなくちゃいけない人で、私の友達です。アナタがそのつもりなら、看過できません」

 

「そちらにはそちらの事情があるのだろうが、九角葵の行方を心配しないで儀式を優先するあたり、彼女の待遇が伺い知れるというものだ。一人の女性にこの国を護れとはずいぶんとこの国が歩んできた歴史は綱渡りだったんだな。こんな簡単に瓦解する《東京の霊的な守護》などたかが知れている」

 

《なにも知らぬ不届き者め───────!!》

 

そのときだ。私の意識は黄金色の《氣》に塗りつぶされた。

 

「愛......?」

 

いきなり動かなくなり、《卑弥呼》と相対するように振り返った愛に如月は驚く。手をひこうとするが、そこに不敵な笑みが浮かび、発動できないはずの《力》が宿っていることに気づいて息を飲んだ。

 

重々しく威厳に満ちた声が響いてくる。

 

「愛......?いや、アマツミカボシ......?」

 

「さすがは《菩薩眼》の娘、私の末裔は優秀で助かる。儀式が失敗したことでようやく封印が弱まった。これで、お前たちも《力》が使えるはずだ。我が《加護》を得たのだから」

 

《アマツミカボシ》の言う通りだった。緋勇たちは今までになく《力》が、《宿星》が、高まっているのを感じる。

 

「緋勇龍麻はかつて世界樹と接続した先祖を持つ《黄龍の器》たりえる者ぞ、いささか陽に傾いておるがな......」

 

《そなたは我が国に反意を抱いた、伏ろわぬ神々の一柱ッ!太陽に劣らぬ輝きを放つ美星ッ!その実態は、硫酸の雨の降る死の星ッ!その背に死の星の輝きを司る悪魔ではないか!その加護を受けるだと......?!やはり貴様らはッ!!》

 

「勘違いするな、僕達は《天御子》ではなく人が国をつくった世界に生きているだけだ」

 

翡翠の言葉に《卑弥呼》は絶句する。

 

《国家に仇なす者どもめ!伏ろわぬ神々の牢獄に、もろとも封じてくれる!!》

 

「耄碌したか、太陽の名を持つ巫女よ。かつてはお前も《天御子》に抗い続けたというのに。このアマツミカボシ、死の星と呼ばれる惑星の輝きを背負う者。我が末裔に手を出したんだ、言ったはずだぞ。二度はないと。忠告はした。ふたたび私の輝きの逆光となりますか。いいでしょう、かつてのように太陽を食い破り法力が衰えたと暗殺されたあの時を再現してやりましょう」

 

《アマツミカボシ》は空に手を掲げた。

 

「《星の葬列》」

 

一瞬にして空は暗闇となる。太陽の加護を失った《卑弥呼》の霊体は純粋な《黄龍の力》しか使うことができなくなってしまう。

 

「───────星辰が揃った」

 

《アマツミカボシ》の《力》が強くなる。どうやら北極星を始めとした《アマツミカボシ》の信仰する神の《力》

と交信するための星の位置を無理矢理揃えたらしい。《菩薩眼》がさらなる強化をうけ、《アマツミカボシ》の影響下にある《玄武》の《力》が桁違いの《力》となるのを自覚する。そして。

 

「......これ、は......」

 

「よく覚えておくがいい、緋勇龍麻。これが《龍脈》。これが本来の《龍脈》を統べる《黄龍》の《力》。陽に傾きすぎたお前が本来あるべき《力》。この戦いで学ぶのだ、《力》の扱い方を───────」

 

《アマツミカボシ》がニヤリと笑う。緋勇はうなずいた。

 

そして、戦いの火蓋がきっておとされたのである。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

封土5

どうしようもない終末感が暗い夕闇のように胸にしずみこむ。

 

《卑弥呼》の魂魄の頭上に4色の巨大な球体が出現した。

 

「あれは?」

 

「《卑弥呼》が使役する《黄龍》の《力》が完全に目覚める前に倒すべきだ。あの球体には《朱雀》《白虎》《玄武》《青龍》の《力》が眠っている。使役する存在を抹殺すれば《黄龍》の《力》をとどめるものはなくなる。戦いが長引けばあの球体から4神が目覚めて、私達に牙をむくことになるだろう」

 

「あれが......」

 

「つまり、この世界における東京の《霊的な守護》を司る4神そのもの、ということだね」

 

翡翠は球体を指さした。

 

「朧気ながら中にいる四神が浮かんでいるよ。どうやら《アマツミカボシ》のいうことは本当らしい」

 

《卑弥呼》の魂魄はこの世界に留まる《器》を失ったことで《龍脈》を統べる《黄龍》の操作に失敗している。天変地異が始まった。

 

巨大な力でずたずたに引き裂かれ、ほとんどが瓦礫に飲み込まれていく等々力不動。先程まで儀式を行っていた祭壇を中心とした広範囲が瞬時に壊滅した。《アマツミカボシ》が緋勇たちを連れてワープしなければ今頃死んでいたはずである。

 

家屋や森林の破壊に留まらず、衝撃により地表ごと大きくえぐられ、直径ほぼ一kmにも及ぶクレーターが形成された。さらにはマグニチュードの揺れが伝わり、十五秒後には爆風が吹き抜け、山の広範囲が甚大な被害に見舞われた。

 

それは、戦争で大空襲を受けたあとの町そのものだった。

 

《卑弥呼》の魂魄がもたらす《黄龍》の《力》は更に激しさを増していた。今では雷鳴の中、雨も降り始めていた。雨は怒りに狂ったみたいに横殴りに私達を叩き続けている。空気はべっとりとして、世界が暗い終末に向けてひたひたと近づいているような気配が感じられた。ノアの洪水が起こったときも、あるいはこういう感じだったのかもしれない。

 

離れたところにいたはずなのに、閃光を見て数秒後に、爆音がきこえた。目の前の木々がさらさらと葉を震わせた。すべすべに磨きをかけてある御影石の墓は、閃光に当たった面だけざらざらに焼け爛れ、光の当たらなかった方は元のまま滑らかになっている。

 

雨のように火が尾を曳(ひ)いて降りそそぐ。《黄龍》が執拗に《アマツミカボシ》に襲いかかり、山を破壊する。

 

「いあ! いあ! はすたあ!

はすたあ くふあやく ぶるぐとむ

ぶぐとらぐるん ぶるぐとむ

あい! あい! はすたあ!」

 

《アマツミカボシ》の招来に応じて、バイアクへーが数体召喚された。

 

「このままではろくに近づけまい。足くらいにはなろうよ」

 

「の、乗せてくれるんですか?」

 

バイアクへーが鳴いた。

 

「大丈夫なのか?」

 

「時速70キロしか出せぬゆえな、振り落とされぬよう気をつけることだ」

 

そういって《アマツミカボシ 》が笑った。

 

「しっかりやれよ。壁くらいにはなってやる」

 

「《アマツミカボシ》、壁になるのはいいが愛にもしもの事があったら僕はお前のことを許せそうにない。だから、頼んだ」

 

「ふふふ......なにをぬかす。私を誰だと思っているのだ。だが、まあ、構わぬ。子孫の安寧を願わない先祖などいやしないのだ」

 

バイアクへーに乗った緋勇たちがそれぞれ球体に向かって飛んでいく。《アマツミカボシ》は一人空を見上げた。

 

「わたしは......」

 

「美里葵」

 

「は、はいッ!」

 

「お前の《力》はすでにお前のものだ。私の《力》はすでにお前の信仰する力により変質し、お前にしか扱うことができない領域にまで達している。だから、お前の望むようにしなさい。私はそれを最大限支援してやろう」

 

「私が望むように......」

 

美里はうなずいた。

 

「私は、わたしは戦います。信じるもののために。待ってくれている仲間のために。龍麻のために。そして、私達の世界の平穏を取り戻すために───────」

 

にやっと《アマツミカボシ》は笑った。

 

「よくいった。それでこそ我が末裔」

 

美里は身体の内側から今までになく《八咫》の《力》、またの名を《菩薩眼》の《力》が湧き上がるのを感じた。そこに恐れや不安はなかった。あるのはこれで龍麻たちと肩を並べて戦うことができるという確信めいた予感だけである。

 

「光よ───────」

 

掲げた手に光が収束していく。足元には魔方陣。1つ、2つ、3つ、4つ、5つ、回転しながら展開していく聖なる魔方陣。この世の終末のような凄まじい美しさを滲ませた空の色が広がる中、鮮やかなひかりが5つ柱となって大地と天空を貫いた。

 

「ジハード」

 

聖戦を意味する言葉だった。美里の《力》が天まで届き、世界の四方を守護する5体の大天使が召喚され、聖なる裁きが魔を滅する。その標的はもちろん四神が眠る巨大な球体、そして《卑弥呼》の魂魄そのものである。

 

ジハード、それは人が敵を打ち破り、悪を打ち滅ぼすことは神に定められた神聖な義務として意義付けられた律法だ。

 

この思想が終末思想と結びついて神と悪魔との最終戦争(ハルマゲドン)の観念と、『新約聖書』の「ヨハネの黙示録」を生み出した。

 

また、旧約聖書の預言者たちが伝えた異教徒を殲滅する戦いを鼓舞する神の言葉は、キリスト教の中に十字軍の思想を生み出し、キリスト教が世界中に広まる原動力となった。

 

その後、ヨーロッパのキリスト教国際社会は正戦思想や国際法思想を生み出して、戦争観を次第に世俗化させていくが、十字軍思想の痕跡を現在のアメリカ合衆国の「正義の戦い」「対テロ戦争」の思想に見出す論者もいる。その一例として、北の十字軍の専門家・山内進などを挙げることが出来る。

 

旧約聖書における戦闘は概ね、神託を得て・出撃し・戦闘に入り・都市を攻略し・虐殺し・聖絶した後、聖絶物である戦利品の分配、と言う手順を踏んで行われる。

 

今まさに緋勇達の前で神話の再現が行われたのだ。

 

血の混じった雹と火が地上に降り注ぎ、すべての青草が焼けてしまう。

 

バイアクへーがその好機を逃すまいと空に舞いあがる。そして、4つの球体を前に緋勇たちの戦いの幕はあがったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

封土6 完

私の意識は《卑弥呼》との戦いの途中で途切れていたのだが、ふたたび浮上することが出来たとき、翡翠の家の見慣れた天井だった。どうやら帰ってくることができたらしい。

 

「......ええと」

 

それほど強くない握手だった。一定の強さで翡翠は私の手を握り続けていた。その指には、患者の脈を測っている医師の、職業的な緻密さに似たものがあった。

 

何かを摑むように五本の指が私の手のひらを握っていた。それは、とてもしっかりとした握り方だった。力まかせに握りこむのではなくそっと包みこんでくるのに、少しもゆるぎがない。思いがけないほど確かで優しい感覚だ。

手をつないでいるだけで身体ごと包まれている安心感があった。

 

それだけで翡翠から向けられる好意がひしひしと感じられる。ここまで龍麻たちに送ってもらったのか、気づいたらここにいたのかはわからないが、寝かせてくれたのは翡翠だろう、きっと。

 

《君がいない朝に怯えるのはごめんだ》

 

やけにその言葉が刺さっていた。手を振りほどくのはどうかと思うし、だからといってこのまま起こすのも可哀想だし、とそこまで考えて私はまた寝ることにした。

 

また目を覚ますと誰もいなかった。身支度を整えて携帯をみるともう夕方である。ずいぶんと寝過ごしてしまったようだ。

 

「おはようございます、翡翠」

 

「ああ、おはよう。目を覚ましてくれてよかったよ」

 

翡翠は居間にいた。何事も無かったように笑って出迎えてくれた翡翠に私はこの世界に帰ってくるまでの話を聞くことにしたのだった。

 

「《アマツミカボシ》が......」

 

「ああ。なにか体に違和感はないかい?《加護》を与えるために君への干渉を強めたといっていたから、なにかあるかもしれない、とはいっていたよ」

 

《天御子》たる《卑弥呼》の完全体ではないとはいえ、霊体と戦うために《星の位置をうごかす》なんてニャルラトホテプクラスの邪神じゃないと出来ないことをやらかすなんてとんでもない存在だと改めて思い知ったのだった。

 

「《力》つかってみますね」

 

「ああ」

 

私は《氣》を《アマツミカボシ》の《氣》に変質させる。

 

「......すごい、こんなに強化されたんですか」

 

「わかるかい?《アマツミカボシ》の《加護》がなかったら、僕達だけで退けることはきっとできなかったよ。こちらの世界に帰るためにも必要な《氣》が絶望的に足りなかったのもあるしね」

 

「あ、なるほど!《門》を開いたんですね!」

 

「まさか、開かないように守護している僕がこちらの世界に帰るためとはいえ《門》を開くために奔走するはめになるとは思わなかったよ。おかげでこれからに生かせそうだがね。なかなかできない経験だったし。京一君たちが六道世羅を倒してくれたとはいえ、待っているわけにはいかなかったから」

 

「倒してくれたんですね」

 

「ああ、蟲を祓って桜ヶ丘病院にかつぎ込んだが意識が戻らないようだ。精神的なダメージが大きいらしい。柳生は......いや、《天御子》はなにをしたんだろうな」

 

「意識が......そうですか」

 

「それだけじゃない。僕達が行方不明になっている間に色々あったらしい。織部神社と靖国神社に泥棒が入って、死者や怪我人も出ているようだ。《東京の結界》付近にも不穏な動きがあるらしくてね。平行世界に僕達を幽閉しようとしたと話をしたら、相手はいよいよ本腰を入れ始めたということだ。秋月兄妹のことはこちらに任せて気をつけろ、と村雨から忠告があったよ」

 

「えっ、皆さん大丈夫だったんですか!?」

 

「織部神社の神主は重症だが一命は取り留めたらしい。今は面会謝絶で陰陽寮の警備がついているようだ」

 

「そうなんですか......」

 

「時須佐先生から伝言だよ。柳生との戦いが終わるまでは帰ってくるな、だと」

 

「..................えっ」

 

「僕も驚いたさ。でも、六道世羅という少女に才能があったとはいえ、時空を操る《力》を与えるんだ。次はなにをしかけてくるかわかったものじゃない。一人にならない方がいい」

 

「ええ......」

 

「もうひとつ、君に話さないといけないことがある」

 

「なんです?」

 

「携帯を見たのに気づいてないみたいだからいうけど、今日は12月31日らしい。そこまで言ったらわかるだろう?」

 

「えっ......平行世界にいったのはクリスマスイブでしたよねッ!?」

 

「僕も驚いたよ。どうやらあちらの世界とこちらの世界は時間の流れが違うようでね。もう1週間もたっていたようだ」

 

「マジですか」

 

「ああ、大マジだ。だから、僕達がいない間、京一君たちがよくやってくれたというわけだね」

 

「そっか......そうだったんですか」

 

「ああ。目が覚めたばかりで悪いんだが、今から靖国神社にいかないか?ここまで柳生側が不穏な動きをしている以上、これまでになく人が集まる場所は警戒するに越したことはないからね」

 

「靖国神社......《将門公の結界》を弱めながら、新たに構築された《鬼門封じの結界》の中枢にある場所ですね」

 

「ああ。今夜は大晦日だからね、一応見回りをしたいんだ」

 

「わかりました。......あの、翡翠、それは?」

 

「時須佐先生から」

 

「おばあちゃんなにやってるの!?」

 

「初詣にはまだ早いけど、厄落としをするなら相応しい格好で行きなさい、らしいよ」

 

「制服でいいじゃないですか、私達まだ高校生ですよッ!」

 

「僕は構わないよ、どちらでも。わざわざ仕立ててくれた時須佐先生の好意を無碍にできるかどうかにかかっているだろうしね」

 

「うっ......ずるいですよ、そのいいかたァ......」

 

「それに着るなら着るで君はきっと僕に助けを求めることは目に見えているからね」

 

「やっぱりィッ!!」

 

翡翠はニコニコしながら紙袋を渡してきた。どこをどう見ても冬仕様の着物だ。

 

「僕はここでまっているから着替えておいで。洋服にしろ、着物にしろ、同じだろう?」

 

「..................わかりました」

 

私は紙袋をもったまま2階に引き返す。携帯を取りだし、槙絵に抗議しようとしたのだが、先を見越したようにメールが来ていた。

 

「また御門君のところッ!?いや、襲撃に備えてるんだろうけど......ああもう!」

 

結界内では圏外になってしまうのだ。きっと通じないだろう。私はため息をついたのだった。

 

結局私は20分ほど格闘したのだが、やっぱり上手く着れなくて翡翠に泣きつくことになるのだった。

 

「なんだかんだで君なら着てくれると時須佐先生がいっていたが、その通りだね」

 

「だって、見るからに高いじゃないですか......そんなのさすがに......うう......」

 

「10年もたてば、一番君の扱いがわかっているのは時須佐先生なのかもしれないな」

 

「おばあちゃん......」

 

私はもう気力がだいぶん削がれていた。翡翠に着付けしてもらったせいで無駄に疲れてしまったのである。これからめっちゃ混んでいるであろう靖国神社に行くのだと思うとうんざりしてくるが、柳生のことを考えたら四の五の言ってられないのが悲しいところである。

 

長着からして、紅花染の手紡手織の紬生地という高そうな代物だ。薄い黄色がかった真綿の暖かな風合いや質感と共に、ある程度フォーマル感もある生地なので、おばあちゃんは結構重宝して袖を通していたのを覚えている。

 

帯は、翡翠曰く寒椿を染め上げた塩瀬九寸名古屋帯。羽織は飛び柄小紋で誂えた薄い水色がかった一着。小紋を一反を使った羽織なので、結構な重量感のある一着だが、重みからくる裾の落とし具合が最良で、自然とフォーマル感が出てくる一着、らしい。一級品らしいが全然わからない。高そう、としかわからない。

 

翡翠のおかげで水色の羽織に色味をおさえた薄い黄色の着物はなんとか形になっていた。

 

「あいかわらず君は変なところで律儀なんだな。嫌なら断ればいいんだよ。人の好意を真正面から向けられて迷惑だといえない性分なのはわかるけど」

 

「いや、だって......うう、そこまでわかってるなら......ああもう......」

 

そこにいたのは、冬仕様の着物を着た翡翠だった。淡い春色の小千谷紬に濃茶の角帯、別珍の足袋を履いている。本人曰く室内にいる分には、これで十分快適に過ごす事が出来るらしい。

 

着物の時の防寒対策のポイントは「首回りの防寒」で、着物で寒さを感じる箇所である、「首」「手首」「足首」の防寒をすれば、思っている以上に快適に過ごす事が出来るという。普段使いで着物をきるだけはある。

 

たしかにスヌードは暖かそうだ。和装の時にも合わせやすく、和洋兼用で使っているお気に入りらしい。手首は、九分袖&Vネックの暖か系肌着を着用している。

 

「着物は特別なものという楽しさと、日常の延長線上の楽しさがあると僕も時須佐先生も思ってるからね、君にも楽しんで欲しいんだと思うよ」

 

「おばあちゃん、いってましたね、そういえば。特別なものの時は徹底的に着物らしさに拘り、肌着類も和装専用を着て過ごし、準備の段階からその時を楽しめる。日常の延長線上の時は、出来る限り使いまわしの出来るものを取り入れて、心身ともに気負いのない装いを楽しめるって。私には敷居高いですけど」

 

「自分自身が心身ともに快適で楽しめるスタイルが一番大切なことだからね、無理強いはしないさ。さすがに今日はハレの日だからね」

 

「あはは......なにもないといいですけどね」

 

「まったくだね。さあ、いこうか」

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔人学園1

 

地下鉄九段下駅から徒歩5分。明治維新から大東亜戦争まで、246万余柱の戦歿者を祀り、国家のために尊い命を捧げられた人々の神霊を慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的に創建されたのがここ、靖国神社である。

 

桜の名所としても有名で、桜をあしらった合格祈願のお守りは縁起がいいと受験生たちに人気だ。

 

毎年初詣には約20万人もの人々が訪れることもあり、私達が早めにきたためまだ人はそこまで混んではいなかった。

 

参拝をすませた私達は、これで厄落としが出来たらいいのにと軽口をたたきながら敷地内を歩いた。初詣というにはまだ夜中まで数時間あるわけだから、今年1年の締めくくりにきたと考えた方がよさそうである。

 

「熱心にお願いしていたようだけど、愛はなにをお願いしたんだい?」

 

「何って、決まってるじゃないですか。みんな生きて帰ることが出来ますように、ですよ。もちろん、これからの闘いに終止符をうって」

 

「そうだな、まちがいない。僕達は勝たなくちゃならない。次の世代に柳生との闘いを引き継がせてはいけない。それはこれから犠牲者が増えるってことにほかならないからな」

 

「そうですね」

 

「それにだ、万が一そうなったら、君はその闘いに向けて18年間また闘い続けなきゃならなくなる。きっと僕の知らない子達と高校生活を送ることになるだろう。そんなこと、僕は耐えられそうにないからね。答えを聞かせてもらわなくちゃならないんだから」

 

「翡翠......私は......」

 

「今はまだいいよ。全てが終わったら改めて聞かせてくれ」

 

「..................わかりました」

 

境内にある「遊就館」では、英霊の遺品や遺書をはじめ戦争に関する史資料が展示されており、平和について改めて考える機会をくれる。

 

ただ、今は物々しい雰囲気につつまれている。つい先日、何者かが遊就館に侵入し、今の時期に行われている宝物殿の展示会にあった五十六ゆかりの品を盗んだのだ。しかも駆けつけた警備員が殺されたため、強盗殺人として捜査されている。凶器の形状から織部神社の神主が同じく五十六ゆかりの品を盗まれそうになり、犯人ともみ合って大怪我をしたため、連続強盗殺人としてニュースになっていた。

 

そのためか、宝物殿は立ち入りが禁止され、警察官が黄色いテープの周りをかこう異様な雰囲気に包まれていた。

 

「......どう思う、愛」

 

「柳生の仕業でしょう。道心先生によれば真神学園の創立には五十六たちが深く関わっていたといいますし、《黄龍の器》を完成させて行う一連の儀式の品が奉納されていたのではないでしょうか」

 

「やはりそう思うかい?織部神社の御本尊は僕も見たことがなかったからね、《龍脈》そのものを祀っていたのだとしたら納得がいくよ」

 

「いよいよですね」

 

「そうだね」

 

私は《如来眼》を発動させた。

 

「......《氣》の流れがおかしいですね」

 

「やはり、柳生がなにかしているのだろうか」

 

「靖国神社でこの《力》をつかったのはこれが初めてなので断言は出来ませんが、本来《将門公の結界》を弱体化させ、《鬼門封じ》の《結界》を展開するには《龍脈》の《力》は不可欠のはずです。でも、今の《龍脈》の流れは明らかにおかしいです。本来ここに集まるべき《氣》が別のところに流れている」

 

「どの方角だい?」

 

「あちらですね」

 

「都庁......新宿区の方か......」

 

「はい。あちらに本来こちらにくるべき《龍脈》が捻じ曲げられ、無理やり流れ込んでいます。相当強力な術式が使われていますね。これでは《結界》の強度が保てない」

 

「なるほど......だから陰陽寮や時須佐先生たちが連日家に帰れないほど奔走している訳だな」

 

「そうですね......。ここまでくると《東京の結界》自体がいつまで持つかわかりません。ここが破壊されたら、《将門公》の《結界》しか東京の《霊的な守護》を担うものがなにもなくなってしまう」

 

「それは怖いな......。そうか、新宿区......」

 

「実はですね、翡翠。ひーちゃんも気にしていたんですが、谷中霊園で火怒呂と戦った時に、彼は五重塔について触れたじゃないですか。結局あれはなんだったんだろう、と」

 

「五重塔か......。そういえば、征樹が描いた絵には都庁によく似た建物に黄金色の龍が巻きついていたな。《黄龍》を降ろすのに、塔がなにか関係が......?」

 

「聞いてみます?九角君に。この国で一番最初に《黄龍》を降ろした一族なわけですから、なにか文献が残っているかもしれません」

 

「そうだね、彼ならなにかわかるかもしれない」

 

「們天丸さんもいるはずですから、150年前のことなにか教えてもらえるかもしれませんし」

 

「ああ、そうしよう」

 

私は電話をかけた。

 

「なるほどな、いいセンスしてるじゃねぇか。今ちょうど古文書引っ張り出してきたところだぜ」

 

そういって九角は笑った。

 

「いいこと教えてやるよ。邪馬台国では卑弥呼が住んでいた神殿には必ず塔がたっていたらしい。《大地の氣》を集め、空高くに放出するためだ。地中にて起動し始めた塔は、大地のエネルギーを吸い上げ、一昼夜のあとに地上に姿を表す。塔の出現により、大地の力はさらに増幅され、天翔する龍の如く、一点の高みへとかけ上る。それを受けて、《黄龍》は降臨したそうだ。己を受けいれるに相応しい器の待つ場所へと。てめーはこないだまで、うちの一族が《天御子》側にいた世界にいたんだろ?等々力不動の祭壇にはなにがあった?塔みてーなもんはなかったか」

 

そう言われて私の脳裏にはまだ記憶にあたらしい祭壇がよぎるのだ。

 

「どうやらあたりらしいな。都庁がそれをモデルに作られたってんなら、そっからみてどこに《龍脈》は流れてる?そこが《龍穴》のはずだぜ。塔はそっから起動する。その中央が降臨の場所だ」

 

「新宿区に流れているようですね」

 

「なら、答えは出たも同然じゃねぇか。陸軍が新宿区にふたつも士官学校を設立してんだからよ」

 

「まさか、真神学園......?」

 

「そのまさかだぜ、如月。そしてもうひとつが......」

 

「天龍院高校ですね、今年廃校が決まっている」

 

「そういえば柳生は赤い制服を着ていたって話だったな」

 

まちがいない。龍の塔の起動位置に存在しているのだ。

 

「魔人学園てのは的を得ているわけか」

 

「私達が夜な夜な通っていた旧校舎がその真上にあるというわけですね」

 

「だからあれだけの化け物が......!」

 

その時だ。すさまじい揺れが私たちを襲った。

 

「大丈夫か、愛!」

 

「は、はい、なんとか」

 

「これは......ただの地震じゃなさそうだな」

 

「......《結界》が......」

 

「なにかあったのか?」

 

「......《結界》が悲鳴をあげてます......」

 

翡翠は息を飲んだ。

 

「このままじゃ壊れちゃう......」

 

「まずいな、どれくらいもちそうだ?」

 

「わかりません、わかりませんけど、数日もったらいい方じゃないでしょうか」

 

「来てよかった、地震が来てからじゃ遅かったな。九角のいうことが正しいなら一昼夜、つまり1月1日に《黄龍》が降臨するってことだろう。まだギリギリ間に合う。猶予はまだありそうだな」

 

「そうですね、今から帰って《黄龍》がどのあたりに降臨するのか調べなきゃ」

 

「真神学園と天龍院高校の間か......地図を見ないとわからないな」

 

私達は1度自宅に帰ることにしたのだった。道中で緋勇たちに連絡を入れる。どうやら龍山先生から似たような話をされたようだ。明日は忙しくなりそうである。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔人学園2

天龍院高等学校は新宿区西口近くにある都立校だ。真神学園と同じく陸軍が設立した士官学校の校舎をそのまま活用して開校された由緒ある学校であり、質実剛健たる人材の育成を目指していたが、生徒数の減少により数年前から廃校が決定していた。生徒数は163名、3年生のみが在籍しており、教員数は28名。

 

「おそらくこの学校の地下にも陸軍の負の遺産が眠っていたのでしょう。龍山先生たちのおかげで起動しそこねた《龍命の塔》の遺跡が。そこに柳生は目をつけた。かつて頓挫した計画を失敗しないように用意周到に準備をして、ひーちゃんを中心とした《宿星》

の過剰ともいえる覚醒を促し、《龍脈》を活性化させながら、東京の《結界》をずたずたにするために今まで暗躍してきた」

 

「そして、今、最終段階というわけか......」

 

翡翠は目の前の地図を眺めながら苦い顔をしている。

 

「《龍命の塔》......。征樹の絵によれば真神学園と天龍院高等学校の敷地から都庁が3つも4つも入りかねない高さらしいな。どれだけ被害がでるのか......」

 

「地震の間隔が短く、大きくなってきています。もはや止めることはできないですね。私達に出来るのは、柳生が《黄龍の器》を手に入れるのを阻止することだけです」

 

「ますます場所の特定が必須だな。《龍命の塔》がこの二校から建つとしてだ、中央と言われても交差するところに目立った建物はやはり都庁か。だが浄水場が昔あったところだろう?《龍穴》があるかと言われたら......降臨の場にはいまいちピンと来ないな」

 

「《龍穴》......もっとシンプルに考えたらどうでしょうか。あれだけ大きな塔が立つんですから、東京の霊的な守護は壊滅状態になります。今虎視眈々と狙っているであろう、魑魅魍魎も一気に流れ込んでくるはずです。その起点は、やはり《鬼門》では?」

 

「東京の《鬼門》封じといえば、やはり寛永寺だな」

 

「そうなりますね、火怒呂と戦った谷中霊園とは目と鼻の先になりますし、五重塔に意味深に触れたことを考えると柳生からなにか話を聞いていたのかもしれません」

 

「五重塔を《龍命の塔》になぞらえていたというわけか、なるほど」

 

「《龍命の塔》からみて《鬼門》にあたりますしね」

 

 

寛永寺は、寛永二年、慈眼大師天海大僧正(じげんだいしてんかいだいそうじょう)によって創建された。徳川家康、秀忠、家光公の三代にわたる将軍の帰依を受けた天海大僧正は、徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するため、江戸城の鬼門(東北)にあたる上野の台地に寛永寺を建立した。

 

これは平安の昔(九世紀)、桓武天皇の帰依を受けた天台宗の宗祖伝教大師最澄上人(でんぎょうだいしさいちょうしょうにん)が開いた比叡山延暦寺が、京都御所の鬼門に位置し、朝廷の安穏を祈る鎮護国家の道場であったことにならったものだ。そこで山号は東の比叡山という意味で東叡山とされた。

 

さらに寺号も延暦寺同様、創建時の元号を使用することを勅許され、寛永寺と命名された。やがて第三代の寛永寺の山主には、後水尾天皇の第三皇子守澄(しゅちょう)法親王を戴き、以来歴代山主を皇室から迎えることになった。

 

そして朝廷より山主に対して輪王寺宮(りんのうじのみや)の称号が下賜(かし)され、輪王寺宮は東叡山寛永寺のみならず、比叡山延暦寺、日光山万願寺(現 輪王寺)の山主を兼任、三山管領宮(さんざんかんりょうのみや)といわれ東叡山に在住し、文字通り仏教界に君臨して江戸市民の誇りともなった。

 

 

寛永寺の境内地は、最盛期には現在の上野公園を中心に約三十万五千坪に及び、さらにその他に大名並みの約一万二千石の寺領を有した。

 

そして現在の上野公園の中央部分、噴水広場にあたる竹の台には、 間口45m、 奥行42m、高さ32mという壮大な根本中堂が建立され、本寺(現東京国立博物館)には、小堀遠州による名園が作庭された。さらに清水観音堂、不忍池辯天堂、 五重塔、開山堂、大仏殿などの伽藍が競い立ち、子院も各大名の寄進により三十六坊を数えた。やがて徳川将軍家の菩提寺も兼ねて歴代将軍の霊廟も造営され、格式、規模において日本最大級の寺院としてその偉容を誇った。

 

ところが幕末の戊辰戦争では、境内地に彰義隊がたてこもって戦場と化し、官軍の放った火によって、全山の伽藍の大部分が灰燼に帰してしまった。さらに明治政府によって境内地は没収されるなど、寛永寺は壊滅的な打撃を受けた。

 

しかし明治十二年、ようやく寛永寺の復興が認められ、現在地(旧子院大慈院跡)に川越喜多院より本地堂を移築、山内本地堂の用材も加えて、根本中堂として再建された。

 

また明治十八年には、輪王寺門跡の門室号が下賜され、天台宗の高僧を輪王寺門跡門主として寛永寺に迎え、再出発した。幸い伝教大師作の本尊薬師如来や東山天皇御宸筆「瑠璃殿(るりでん)」の勅額は、戦争の中運び出され現在の根本中堂に安置されている。

 

「柳生の暗躍が透けて見えるな」

 

「それを考えると帝国時代はよく防げましたよね」

 

「ほんとうにな。こうして考えると、東京の《結界》が破られたとき、かつての江戸城本丸から見て上野の山は《鬼門》の方角に当たるのは大きい」

 

「今は皇居がありますからね」

 

「寛永寺は、今の東京に入り込もうとする邪気や怨霊を封じてくれている。《結界》がやぶられたら鬼門を封印する立地の最終防衛ラインになるからな」

 

「天海は寛永寺に幾重にも風水の守りを施し、《鬼門》を封じるために《黄龍》が降臨できるレベルの《霊地》としたのでしょう。今、まさにそれを逆手にとられているわけですもんね」

 

「この日本という国を守る《結界》をつくる大いなる氣の流れ、その龍脈の行く末に開く《霊地》だ。大地のエネルギーがすべて吹き上げる場所になっていてもおかしくはないということか」

 

「天海は徳川幕府のために、その途方もない力を利用し脅威を退けるために天海が厳重に封印していたわけです。それを利用されたら......《黄龍》を降臨させるにはこれ以上ないほどの環境ですね」

 

翡翠はため息をついた。

 

「とりあえず、龍麻に電話してみるよ」

 

「あ、じゃあ私もいいですか?《龍命の塔》が真神学園から出現するのなら、みんなに避難してもらわないと大変なことになります。電話しなきゃ」

 

「うん?でも時須佐先生は......」

 

「おばあちゃんが一番いいんですけど、今は《結界》の中にいて圏外だと思うので学校に電話します。たぶん犬神先生がいらっしゃるので」

 

「犬神先生......ああ、担任の?」

 

「旧校舎の守人もしてくださってるので、話は早いですよ、きっと」

 

「なるほど。じゃあ、手分けして電話しようか。事態は一刻を争うからな」

 

「はい」

 

私達はそれぞれ片っ端から仲間に電話をかけはじめたのだった。

 

「......おかしいな、京一君たちはすぐ出たのに龍麻が出ない。担任の先生に呼び出しがあったらしいがもう22時だぞ。さすがにおかしくないか」

 

「犬神先生も出ないです。職員室誰もいないのかなあ?」

 

「......」

 

「......」

 

私達は顔を見合わせた。

 

「一応、行きましょうか」

 

「ああ、龍山先生がいうように《龍命の塔》の出現が1月1日の24時なら、もう1日をきってる。さすがにこんな時間に生徒を呼び出すのはおかしいだろう」

 

私達は真神学園に向かうことにしたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔人学園3

「おい、遠野。いつまでやってるんだ」

 

「あ、犬神先生」

 

「もう22時だぞ」

 

「えっ!あ、ほんとだッ!もうこんな時間!やっば、すっかり忘れてましたーっ!槙乃がいない分頑張らなきゃって気合い入れすぎた~~~ッ!」

 

「お前な、新年早々体調不良になるなよ」

 

「だって卒業文集に載せる写真選びですよ!1枚たりとも妥協なんてできないわ!ここには3年間の記録が全部あるんですから!」

 

力説する遠野に犬神はため息をついた。

 

「俺はお前の送迎係じゃないんだが......ここのところ毎日じゃないか」

 

「えへへ、ごめんなさい」

 

「そんなに大切なネガなら、今のうちに全部持ち出した方がいいぞ」

 

「あ、朝から続いてる地震のことですか?たしかにやばいですよね、あれ」

 

「さっき職員室に緋勇がきてな、今すぐここから避難しろといってたぞ」

 

「えっ、龍麻君がですかッ!?」

 

「あァ、なにやら深刻そうな顔をしていたな。よくわからんが危ないらしいぞ」

 

その言葉に緋勇たちから度々柳生との戦いについて進捗状況を聞きながら、情報面で支援を続けてきた遠野は青ざめるのだ。

 

秋月兄妹の個展でみた、荒廃する東京の未来。この地震はその前触れであると遠野の第六感がどこかで告げていたのだ。羽の生えた蛇がたくさん空を飛ぶバットエンド一直線としかいいようがない光景。秋月兄妹が星見という未来予知の《力》を持っていると知ってから、遠野は不安を押し殺すためにわざわざ冬休みにもかかわらず新聞部に通いつめていた訳である。

 

龍麻がわざわざ危ないから逃げろと忠告したのだ。柳生の標的が真神学園なのかもしれないし、これからなにか起こるのかもしれない。未来を予知する仲間まで現れたのだ。遠野はあわててネガをケースに入れ始めた。

 

やれやれ、といった様子でそれをみていた犬神はそのうちいくつかをかかえた。

 

「これで全部か?」

 

「あ、パソコンも!」

 

「いつの間にノートパソコンなんか......電脳部じゃあるまいし」

 

「色々調査依頼されるからお礼として美里ちゃんに予算ねじ込んでもらったんでーす!正当な報酬ですよ!」

 

「おいおい......ちゃっかりしてるというか、なんというか。うちのパソコンより性能いいじゃないか......美里のやつめ。生徒会の顧問はなにをしてるんだ」

 

呆れた様子で犬神は肩を竦めた。こうしている間にも教室は大なり小なり揺れを感じる。

 

「家まで車で送ってやるから来なさい」

 

「はーい!」

 

「調子のいいやつめ」

 

「あいたっ」

 

犬神が職員室にカバンを取りにやってくる。

 

「......む」

 

「どうしました、せんせ」

 

「おい、遠野。お前また旧校舎の鍵持ち出したんじゃないだろうな?」

 

「えっ、やだなあ、なにいってるんですか先生!あたし、ずーっと新聞部にいたじゃないですか」

 

「......たしかにそうだな」

 

「えっ、まさか旧校舎の鍵が?」

 

「あァ」

 

「誰かきたとか?」

 

「いや、今日の当番は俺のはずなんだが......」

 

犬神は暗がりの外を見た。職員室に鍵をかけ、校舎内の戸締りをしてから外に出る。

 

「......」

 

「犬神先生、旧校舎の屋上にあかりが......」

 

「あァ、やっぱり誰かいるようだ。困ったもんだ、あそこはよくない。いけない。何度もそういったんだがな」

 

ガシガシ頭をかいた犬神は悪態をつく。

 

「すまんが......」

 

「あたしも行きますよ~~~!」

 

「おいこら」

 

「だって一人はあぶないって槙乃が!」

 

「......」

 

深い深い溜息の後、犬神はしぶしぶついてくるよう言ったのだった。

 

 

 

 

旧校舎は老朽化の影響か、地震のたびに校舎よりも揺れていた。懐中電灯片手に歩く犬神の後ろをついていく遠野は、外から見たあかりが近づいてくることに気づくのだ。

 

「!!」

 

窓の向こうになにかが通り過ぎた。

 

「どうした」

 

「先生、さっき窓の向こうになにか───────」

 

「ついてくるといったのはお前だ。今から引き返す訳にはいかん」

 

「は、はいっ」

 

 

 

 

《話したいことがあるから、今日の22時に旧校舎屋上に来て欲しい》

 

花園神社の初詣の帰り側にそんなことをいわれた緋勇は、柳生との決戦を控えた今、あまりのタイミングに嫌な予感しかしなかった。

 

だが、相手はマリア先生である。歓迎会で緋勇たちの《力》を目撃しながらも見なかったことにしてくれたり、それとなく学校を抜けだす手助けをしてくれたりした担任の先生だ。それだけではない。天野記者と友人だったために、彼女だけでなく緋勇たちが危ないことに首をつっこんでいることを知って心配してくれたり、怒ったりしてくれた。この一年間お世話になったことを考えると、どうしても無下にはできなかったのである。

 

旧校舎が《龍命の塔》が起動したら最期、倒壊するか破壊されるのは龍山先生の話や如月の電話から聞いていた緋勇は、職員室によって犬神にそれとなく忠告したのだ。詳しく話すわけにはいかなかったが、槙乃がなにかと頼りにしている先生でもある。詳しく聞かないかわりに意味深に笑って職員室から追い出されたのは気になるが、マリア先生のあとをついていくのが先だった。

 

旧校舎は地震で揺れている。屋上からは胎動している東京が一望できた。

 

「ねえ、龍麻君」

 

もうすぐ1998年が終わりを告げる。あと2時間で世紀末がやってくる。いつもと違う夜の下、マリア先生が緋勇に笑いかけた。

 

「先生は、あなた達にとっていい先生だったかしら?」

 

「はい。俺にとって、マリア先生はとてもいい先生でした。授業抜け出したり、危ない目にあったりして心配ばかりかけたけど、見守っていてくれてありがとうございました」

 

「ウフフ......卒業式はまだ早いんじゃないかしら?でも、そうね。そういってもらえて嬉しいわ。私にとって......最後の教え子になるであろうあなた達はほんとうにいい子達だった」

 

「先生?」

 

「龍麻君たちには申し訳ないのだけれど、私は冬休みあけにはこの学園を去らなければならないの」

 

「えっ」

 

「卒業式まで待てなくてごめんなさいね、私はまだ死ぬわけにはいかないから」

 

「マリア先生、どういうことですか?どこか体が悪いとか?」

 

「ウフフ......貴方はほんとうに優しい子ね、龍麻君。気づかないフリをしてくれるなんて。出会ったころから私の《氣》が異形であると気づいていながら、ずっと自慢の教え子でいてくれたもの。吸血する生命体が事件を起こしても、一度も疑惑をもった目で見なかったのはこの学校の子たちが初めてだったわ」

 

「マリア先生......」

 

「何も言わないままいなくなることも出来るのだけれど......。あなた達が5日程行方不明になっていると犬神先生から聞かされたとき、ほんとうに恐ろしかったわ。二度と会えなくなるのがこんなに寂しくて、おそろしいものだと思い知ったのはほんとうに久しぶり。それだけあなた達が大切な存在になっていたのね。だから、お別れだけはしようと思ったの。私の話、聞いてくれるかしら?」

 

「先生......。わかりました」

 

マリアの瞳に迷いはない。緋勇はいきなり告られた別れに戸惑いながらもうなずいたのである。

 

それは太古の昔から人類と共に進化してきた、夜の住人の話だった。かつて人類は昼に行動し、彼らは夜に行動する、いわば暗がりに潜む夜行性の人類と言える存在だったという。

 

しかし、人類がまだ狩猟採集民族であったころ、彼らは先に文明を手にした。夜に生きる彼らの数は激増し、今の人類と同じようにこの惑星を覆い尽くした。未だ人類には理解できないテクノロジーを手にして、頂点に君臨した。人類のことを類人猿と同じように扱い、超自然的な事象は人類の仕業と考え、彼らが日中寝ている間に聞き分けのない子供を人類が食べてしまうと言い伝えていた。

 

そして、ある日、唐突に彼らの文明は滅んだ。邪神の争いに巻き込まれたのだ。彼らが眠っている間に地球上の知的生命体は根こそぎ殺戮された。あるいは捕まり、彼らよりはるかに進んだ科学技術により彼らを狂わせた。隠れていた者たちさえも、根こそぎだ。彼ら自身の精神を破壊し、高次機能を阻害し、肉体を変質させる呪詛をかけた。彼らの文明は跡も形も残らなかった。こうして、この惑星に栄えた中で最も偉大な文明に関する知識を抹消された。マリアの一族のような僅かな存在だけがその影響から免れ、禁断の知識を保持した。

 

そして時は流れ、この惑星の支配者は入れ替わり、立ちかわり、今や人類がこの惑星の支配者として君臨するにいたっている。マリアが生まれた頃には、夜の一族はヴァンパイアと呼ばれ、怪異として恐怖されることもあったが、夜を奪われ続けたために今や人類の文明に溶け込むしか生き残る道はなかったという。それでも、宗教上、あるいは様々な思惑からその存在すら許さない人間、組織、機関はいる。逆に許容してくれる人間も、組織もある。自分が理由で人間同士が争うのは、夜の一族のプライドが許さない。逃亡生活のさなかに愛する人や家族や我が子を失ってきたマリアだから、なおさら緋勇たちに迷惑をかけたくないという。

 

「もしかして、俺たちのせいで?」

 

「ウフフ......今回ばかりは出来の悪い子でいてちょうだい、龍麻君。そうじゃないと、夜の一族の復興を条件に勧誘してきたあの男を断った私の立場がないでしょう?」

 

「なッ!?」

 

「私がここにあなたを呼び出したのは、忠告するためよ。柳生はたしかに危険だけれど、あの男に組みする男はさらに危険だわ。かつてこの国を支配した連中の一人だけはある。その昔、邪教に狂い、エジプトの歴史から抹殺された王と神官がこの国まで流れ着いたというわ。やがてその力でもって大和朝廷を支配し、かつてはこの国を牛耳っていた存在。なにが目的でまた姿を表したのかはわからないけれど、あなたがこれから対峙するのはそんな男なの」

 

「マリア先生、そいつのこと、知ってるんですか」

 

「名前だけしか知らないわ。深く知ることは理解すること。理解したら深淵に引きずり込まれることに他ならないもの。いいわね、龍麻君。あの男の言葉に耳を貸してはいけないわ。倒すことだけに集中しなさい。いいわね。あの男の名はネフレン=カ。かつて異形の神々によりもたらされた恐怖と狂気による信仰と政治を行い、エジプトの歴史から存在すら抹消された邪神崇拝の王よ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔人学園4

「東京の西の玄関口である新宿駅はね、明治18年に内藤新宿駅としてスタートしたの。今や1日の乗降客数は150万人を超えるわ」

 

マリア先生はそういって旧校舎から新宿駅付近の灯りを眩しそうに眺める。

 

「今でこそ周囲を飲み込んだビックタウンの1部でしかないけれど、当時はね、東口方面だけを中心に文化的に栄えていたのよ。この地域全体を俯瞰すると、皇居からの《龍脈》に垂直に駅がたっていたからだという話もあるわ。《龍脈》に平行ならそこから流れる《氣》もスムーズに流れるのだけれど、まるで分断するようにあるものだから、東口方面にだけ《氣》が溜まってしまうのよ。昔は《氣》の堤防も兼ねていたからだと思うわ」

 

「堤防、ですか」

 

「ええ。対極にある西口の開発が遅れたこともあって、今でも分断された《氣》は東口方面に《陽氣》、対極にの西口方面には《陰氣》が流れているわ。東京都庁を挟んで真神学園と対極にある天龍院高等学校に《陰氣》が流れ込むのは当然のことよね。だからね、龍麻君。《龍命の塔》は、真神学園側には《陽氣の塔》、天龍院高等学校には《陰氣の塔》がたつのよ。無理やり分断されているふたつの《氣》がようやく混じり合い、混沌を産む。そこには膨大なエネルギーが発生する。あと1日たてば東京の命運はあなたたちに託されることになるのよ。どうか頑張って」

 

「ありがとうございます。絶対に生きて帰ってきます。俺に大事な話をしてくれた、マリア先生にむくいる為にも」

 

「ウフフ」

 

しばしの沈黙が降りた。

 

「あけましておめでとう、龍麻君。そして、お誕生日おめでとう」

 

「えっ」

 

「つい長話をしてしまったわ、悔いが残らないように私の知りうるかぎりの情報を渡そうと思っていたらもうこんな時間ね」

 

マリア先生が腕時計を見せてくれた。0時を回っていた。

 

「18歳のお誕生日おめでとう」

 

「あ、ありがとうございます。覚えていてくれたんですね。俺もそれどころじゃないからすっかり忘れてたのに」

 

「ウフフ、転校初日に自己紹介してくれたのがついこの間のように感じてしまうわね。24時間後の今頃は戦場に立っているであろう龍麻君にこれを預けるわ」

 

「これは?」

 

「これは我が一族に伝わる家宝なの。私が生き残ったときに託されて以来、肌身離さずもっていたものよ。あらゆる厄災を退けてくれる指輪。あなたの大切な人に渡してちょうだい」

 

「な!?」

 

「ただし、貸すだけよ。大切なものなのだから。かならず返しに来てちょうだい。いつかあなたがこれを超える指輪をその人に渡してあげてね」

 

緋勇が受け取ったのは、夜の一族の叡智が詰まった指輪だった。あらゆる属性、状態異常の攻撃も反射する《加護》が宿っている。緋勇はそれを握りしめた。

 

「ありがとうございます」

 

「頑張ってね、龍麻君。私は信じているわ、あなたたちが勝利をつかむその瞬間が訪れることを」

 

「はい」

 

力強く緋勇がうなずいた。その時だった。

 

旧校舎全体がひときわ強く揺れた。

 

「───────ッ!?」

 

そして、旧校舎の地下深くから《氣》が流れ込んでくる。

 

「おかしいわ、《龍命の塔》の起動まであと1日あるのに!龍麻君、伏せなさい」

 

「!」

 

地震はやまない。さらに激しくなっていく。緋勇たちは都庁の真上に渦巻く雲を見た。そこから何かが這い出してくる。それが無数の黒い翼の生えた蛇だと気づくのだ。

 

「仕掛けてきたわね......それだけ《黄龍》の降臨の儀式を邪魔されたくないのかしら」

 

「ネフレン=カですか」

 

「ええ、そしてあれは《駆り立てる恐怖》。ネフレン=カが召喚したに違いないわ。くるわよ、龍麻君」

 

「はい」

 

緋勇は古武道の構えをとった。空から無数の《駆り立てる恐怖》が飛びかかる。

 

 

 

その時だ。

 

 

 

冷酷にして輝かしく、声量豊かで荘厳なまでに邪悪な《氣》がそこにはあった。いつの間にか、旧校舎の屋上にひとりの男が立っている。古代エジプトの衣装に身を包んだ浅黒い肌の男だ。

 

「あなたは......」

 

ぴりっとする殺意がたちこめた。

 

「久しぶりですね、夜の一族の生き残りよ」

 

「こいつが......!」

 

「はじめまして、《陽の黄龍の器》の《宿星》をもつ者よ」

 

「一体なにが目的で柳生に味方するんだ、お前は!」

 

「目的ですか。私の目的はただひとつ、この国に邪神の崇拝を復活させること。かつてこの国においても大いなる使者、星の世界を闊歩するもの、砂漠の王等様々な名を持つ我が暗黒の神は崇拝されていた。身の毛もよだつ供物が捧げられていた。最古の年代記でも黄泉の国の支配者や妖術と黒魔術の守護神としても語られているとおり、絶大な力を誇っていた。しかし、その崇拝は明治時代に入ってから急速に衰退して、私も力を失っていき、遂には弾圧を受けるまでに至った。あらゆる記録から我が神の名は抹消され、宗教体系においても我が神が持っていた属性や資質を別の神々に付与させるといった屈辱が行われた。表舞台から抹消されても私のような信者や崇拝はその後も密かに残り続けていた。今こそ、復活のとき!」

 

男は歪に笑う。まわりに、不快な、ある一種独特の雰囲気があった。

 

「───────ッ!?」

 

男の周りに突如膨大な象形文字、いわゆるヒエログリフの羅列を伴った魔法陣が出現した。その半透明な空間は、小規模な体育館並みの広さにまで展開する。そのほぼ全面に、当時の文字が書かれていたのだ。文字が刻まれている。その文字は彫刻の素人が刻んだようないびつな文字が、壁一面に並んでいたのだ。それはどこか呪詛を思わせた。

 

そして何より、床面に描かれた奇妙な印。基本的には歪んだ楕円形に十数個の平面図形を組み合わせたものなのだが、まともな人間が、というより人類が考え付くとは到底思えない代物だった。

 

それを見た瞬間に緋勇たちは本能的な恐怖を覚えた。人類が地上を這い回るサルに過ぎなかった時代に、暗闇から忍び寄る巨獣の牙に対して感じたであろう恐怖を。理解不能な存在の圧倒的な力によって、全身を引き裂かれる間際の戦慄を。

 

あの平面図形の中には何かが映っている。人類が決して見るべきではないものが。

 

それは、今住んでいる世界とは全く違うものだった。多くの大陸は半分以上が水没し、氷河に覆われ、代わりに新しい大陸が濁った海面に黒々とした姿を現している。太陽の姿が消えた空からは雨が絶え間なく降り続き、何とも形容しがたい轟音が鳴り響いてる。

 

やがて、視点が沈みかかっている大陸の表面に映った。迫りくる海が地上のおそらくかつては巨大都市だったらしい廃墟を洗っている。廃墟に蠢くのは人型をしてはいるが、どこか本質的なところで異なるカエルじみた奇形の生き物。これが別種の生物なのか、人類のなれの果てなのかは考えたくもなかった。

 

そして、カエルじみた生物とともに世界を支配するのは、悍ましい怪物の群れだった。直立歩行する巨大な蛸のような生き物に、カエル共が跪いている。空には人間の戯画じみた輪郭を持つ巨大な何かが舞い、その周りを奇怪な蝙蝠のような生き物が取り巻いている。海からは得体のしれない触手が伸びていて、その下には姿を想像するだけで吐き気を催すような怪物の影があった。

 

そして地上の海に浸食されていない部分では、おそらく人間の最後の生き残りらしき人々が、怪物を神として崇めていた。この石室にあったスフィンクスに酷似した怪物、黒い翼と三つの赤い目を持つ影、顔のない円錐形の頭部に伸縮する手足を持つ存在が、ボロボロの服を着た人間たちに崇拝されていたのだ。

 

よく見ると、ボロをまとった人々の中に、何故か一人だけ場違いな礼装に身を包んだ男がいた。浅黒い肌と端正な顔をしたその男は緋勇のほうを見て微笑みかけた。

 

その微笑は限りなく魅力的でありながら、同時に不快な嘲笑のようにも感じられた。緋勇はこの男が人間たちに崇拝される怪物共と同じ実体であることに気づいた。男はこちらに手を振っている。  

 

それを見た瞬間、緋勇の意識は現実に引き戻された。

 

「龍くんッ!!」

 

槙乃の声が沈黙を打ち破ったからだ。

 

「大丈夫か、龍麻ッ!!」

 

ようやく緋勇は自分が幻覚にかかっていたことを思い知るのだ。おぞましい光景だった。あの世界の再臨がネフレン=カの目的だと強烈に意識する。

 

「龍麻君になにをしたの!!」

 

「なぜ怒るのです?マリア=アルカード。あなたが聞いたのですよ、緋勇龍麻。私が柳生に組みする理由を。だから私は教えてさしあげた。質問にはきちんと答えるのが礼儀だ。違いますか?」

 

「だからって相手の精神力をごっそり奪って幻覚みせていい理由にはならないですよね」

 

「おやおや、手厳しい」

 

槙乃は殺気じみている。不倶戴天の敵が目の前にいるのだから無理もない。

 

「予告はしましたよ。あなたは幾度もヒュプノスから夢を通じて今広がるこの光景を目の当たりにしてきたではありませんか。《駆り立てる恐怖》が飛翔する空、そして壊滅する東京。まあ、それにはまだ時間がかかりますがね」

 

「まさか《龍命の塔》は新宿だけじゃおさまらないといいたいのか?」

 

「おや、なんのために《結界》をズタズタにしてきたのだと思っているのです?あれは終わりの始まりの合図にすぎないのですよ」

 

ネフレン=カは高笑いする。

 

「さあ、少しでも《龍脈》を活性化させなければなりませんのでね。あなた方にも協力していただきましょうか。ねえ?」

 

口が裂けるくらい口元を釣り上げた男は挑発するのだ。

 

「さあ、少しは楽しませてくださいよ。今回の《宿星》たちはまともに相手になるかどうか試してさしあげますよ。このネフレン=カ、直々にね!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔人学園5

 

まずは供給元を絶たなくてはならない。私は《アマツミカボシ》との交信を一時的に増幅させて《加護》を得た。

 

「星の葬列」

 

北辰の星辰が揃い、星辰の位置が変わったためネフレン=カの崇拝する神が休眠状態となる。一時的に彼と邪神の交信が途絶える。これで《駆り立てる恐怖》のさらなる増援や無尽蔵な魔力供給は絶たれた。

 

それに気づいたらしいネフレン=カは私を見て笑った。

 

「驚きましたね、《アマツミカボシ》の転生体よ。かつてのように邪神のみに許された所業にまで手を出し始めましたか。あなたはもはや人間ではなくなっている」

 

「そんなこと、今はどうだっていいですよ。あなたを退けて、この世界を守ることが私が召喚された理由なわけですから。人間じゃなくなるかどうかなんて、あとから悩めばいいことにすぎません」

 

私は《アマツミカボシ》の《加護》を緋勇たちにも与える。

 

「おもしろくなってきましたね。ならば、ふさわしい舞台を用意しましょうか、旧校舎では少々芸がないですからね」

 

ネフレン=カは呼吸するように呪文を唱えた。たったそれだけで、ノータイムで私達の世界は一変する。

 

あたりはまるで宇宙のように広い広い空間だった。遠くでは星々がきらめくのに、あたりは銀河系も何もない。ただ浮遊しているわけではなく、しっかりと足がついているのは平面の空間が存在しているからだろう。視認できないが謎のパネルが設置されているような感覚である。こつこつと冷たい音がする。音がする時点で宇宙ではない。息ができる時点で宇宙ではきっと無い。

 

私達は油断することなくぐるりとあたりを見渡した。張り詰めた緊張感の中、私は出来うる限りの《アマツミカボシ》と契約を交わしている眷属を召喚し、陣形を作る。

 

その刹那、突然の閃光と轟音がとどろく。反射的に私たちは目をかばった。強烈なまぶた裏の残像が消え去る頃、ようやく視界が回復した私たちがみたのは、視界を覆い尽くす《駆り立てる恐怖》を護衛替わりに従えるネフレン=カの姿だった。

 

 

「強壮なる使者よ。百万の愛でられし者の父よ。あなた様の臣、ネフレン=カはここにおります。どうかそのお姿をお表しください」

 

呪文の詠唱が始まった。

 

私は凄まじい違和感に身体を震わせた。声こそ人間だがその口調には別人のような威厳とカリスマ性を感じる。まるで人間の口を借りて別人がしゃべっているようだったのだ。

 

そして、その声に応えるかのように、この場には全く場違いな音が聞こえ始めた。澄んでいるが、どこか神経をかきむしられるような単調な音。それは、フルートの音に聞こえた。それに呼応して星が今まで鳴き喚いている。嫌だ。聞きたくない。あの音は人間が聞いていい音ではない。

 

私は《アマツミカボシ》の《氣》を変質させ、即座に一撃を放つ。《駆り立てる恐怖》が私の攻撃の壁となり、塵となって消えてしまった。

 

「崇拝している邪神を呼ぶ気です!止めてください!!召喚されたが最後、東京の壊滅だけじゃすまなくなる!!」

 

私の絶叫に如月たちも加勢してくれる。

 

私はずっと耳を塞いだかったが、たとえ耳を削ぎ落としたところで音はずっと聞こえ続けるだろう。そもそもあれは音ではない。人間の感覚では捉えられない何かが、音として聞こえているにすぎない。頭の中でなっているのだ。それが肥大化するにつれて、完全なる闇が近づいてくる。

 

星明りや月の明かりすら入らない暗闇だ。そもそもここはネフレン=カの幻覚なのか。私たちが蹲っている場所は本当に旧校舎なのか。そんな私の不安を嘲笑うようにフルートのような音は続いた。

 

《駆り立てる恐怖》を屠っていくものの、数が多すぎてネフレン=カに近づけない。こうしている間にもネフレン=カが唱える呪文の声が大きく、高くなっている。その声は、狂喜しているように感じられた。そして次の瞬間、空間におぞましい瘴気が入ってきて、一箇所に集合し始めた。全くの闇の中だったが、私は確かにそれを感じた。

 

そして瘴気が集まっていった場所には、完全な暗闇のはずのこの場所よりもさらに黒い影が表れ、その中に三つの赤い光が出現した。それは、目のように見えた。

 

「ナイアルラトホテプ......」

 

緋勇がつぶやいた。無意識だった。真の神は戻ってきたのだ。彼はその神官、ネフレン=カと共に世界を統治する。緋勇がみたあの石室で見た光景が再現される。

 

このままではいけない。そう思っているのに重厚なプレッシャーのせいで思うように体が動かない。もうダメなのかと本気で思った。その刹那。

 

「───────ッ!?」

 

緋勇のもっていた《旧神の印》が異様な光を放ったかと思うと、くだけちってしまった。

 

そして、その光から声がする。

 

《ドリームランドだからこそ封印を見逃し、統治を許したにすぎぬ》

 

《なにゆえ、この世界に舞い戻ろうとしている、矮小なる存在よ》

 

《この地にふたたび足を踏み入れることは我が許さぬ》

 

《本来、あるべき場所へと還るがいい───────》

 

ナイトゴーントはドリームランドと覚醒の世界の両方で見られる種族だ。解剖学的には人間に似ているが、皮膚はクジラの様であり、蝙蝠のものに似た翼を持ち、 顔がある筈の所には何もない。牛のような角と長い尻尾を持っている。 時々トライデントを持っているが、それ以外なんの道具も武器も持っていない。

 

夜鬼は通常荒涼とした、人類からずっと離れた場所で見られる。 彼らの領土に立ち入るものがあれば、夜鬼は彼らを奇襲し、空中に持ち上げる。 侵入者が抵抗するなら、大きい棘のある尾で攻撃し、抵抗を続けるならば、かなりの高さから落下させる。

 

抵抗しない者は、奇妙で危険な場所に連れて行かれ、ドリームランドに放置されることが多い。 口がないため喋る事もないが、意外にも知性はあり、簡単な言語であれば指示を理解できる。

 

夜鬼を召喚するには夜に旧き印を描いた石を必要とするが、召喚の手順を知っている者はいない。 つまりヒュプノスが召喚したのだろうか?

 

いや、《我が神》ではなく《我が》といっていたはずだ。

 

私は驚くしかないのだ。このナイトゴーントたちは明らかに《旧神》の《加護》を受けている。《駆り立てる恐怖》を咆哮ひとつで粉砕し、召喚されかかっていた《ニャルラトホテプ》の魔法陣をかきけし、呪文をかきけす力は本来ナイトゴーントにはないはずなのにだ。

 

驚く私たちなどいにも介さず、ナイトゴーントは《駆り立てる恐怖》を駆逐し始める。私達もあわてて戦いに参入したのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔人学園6

ナイトゴーントたちが詠唱しはじめた。青い無数ののっぺらぼうの羊たちが詠唱しはじめた。《駆り立てる恐怖》は次々に戦線を離脱し、蜘蛛の子を散らしたように逃げていく。ネフレン=カもまた苦しみ始めている。私達がナイトゴーントを倒すよりもはやく、あれだけいた敵がめべりしていった。

 

「まさか、まさかノーデンス......ッ!?」

 

ネフレン=カが忌々しげにナイトゴーントの奉仕する神の名を紡いだ。

 

その名は「漁師」「狩人」「捕まえる者」を意味すると考えられている。ゴート語の"nuitan"(獲得する、手に入れる)や"nuta"(捕まえる者、漁師)。

 

ノーデンスの信仰を示す石碑はランカシャーのコッカーサンド・モスとグロスタシャーのリドニー公園で出土している。こうしたノーデンスの信仰地においては青銅製の腕の像や眼科医の印象などが捧げられており、これはノーデンスが医神であった事を示している。また犬の像も多数捧げられていることからノーデンスの聖獣は犬であったされる。犬は傷を舐めて直してくれるという信仰があり、これはノーデンスの医神としての性質を表している。

 

ノーデンスがアイルランドに伝わった物がヌアザ、ウェールズに伝わった物がシーズ・サウエレイントと考えられている。また、アーサー王伝説における漁夫王は漁師としてのノーデンスの影響があると考えられている。

 

ノーデンス(Nodens)は、人間に対して比較的好意的な存在と解釈される旧神の一柱である。白髪と灰色の髭をもつ老人の姿で現れ、貝殻の形をしたチャリオットを操る、海の神のような性格を持つ。

 

また、幻夢境(ドリームランド)の地下に広がる暗黒世界「偉大なる深淵」を治めており、「偉大なる深淵の主」(Lord of the Great Abyss)とも、「大帝」とも呼ばれる。 夢にとり憑く黒く痩せこけた顔のない魔物、夜鬼(ナイトゴーント)を召喚して使役することで知られる。

 

 

神の思考、在り方は人間に理解できないとはいえ、外なる神に比べれば比較的人間に友好的である。

 

グレートアビスという広大な暗黒の領域の支配者であると語られており、地球上の人々からの信仰よりも、深い眠りの中にあるドリームランドという場所においての信仰が厚い神とされる。

 

彼を崇拝する奉仕種族・夜鬼(ナイトゴーント)らを従えて、彼らが変身したものに乗って移動する。

 

外なる神の使いナイアーラトテップと対立しており、それはそれぞれに関係する人間同士の代理戦争になる事もしばしばある。

 

ただし「友好的」と言ってもあくまで比較的であること、神であるがため人間とは尺度があまりにも違うことや、救った後の人間がどうなろうとノーデンスにとっては知ったことではないことも忘れてはいけない。

 

「ふふ、ふふふふ、ふ、正気ですか......?なぜあなたが人間たちに力を貸すのです?あなた方の安住の地を奪ってきた人間共を!」

 

《この男の先祖はかつての故郷と同じ氣をもつ者》

 

《それだけで貴様に殺させるのは惜しい》

 

《ゆえに邪魔だてさせてもらう》

 

「───────緋勇龍斗の末裔ですからね、この少年は」

 

ネフレン=カは忌々しげに緋勇の先祖の名を口にしたのである。

 

世界樹(せかいじゅ)とは、インド・ヨーロッパ、シベリア、ネイティブアメリカンなどの宗教や神話に登場する、世界が一本の大樹で成り立っているという概念、モチーフ。世界樹は天を支え、天界と地上、さらに根や幹を通して地下世界もしくは冥界に通じているという。

 

 

巨大なトネリコの樹であり、世界の中心に生える神聖なものであるとされている。世界樹の枝は遥か天高く伸び、それを支える3つの根ははるか遠い世界へと繋がっているという。

 

世界樹はこの世界と地下世界、より上方の世界を接続する役割を果たしている。また世界樹は、サモイェードのシャーマンたちに太鼓を与え、彼らが異世界を旅する手助けをしている母なる自然のシンボルでもある。

 

世界樹は四方位で具現化され、さらに中心に四重世界の中央世界樹が存在しており、これが地下世界の平原と地上世界、天界を結ぶ世界軸となっている。

 

世界樹は、その枝に鳥をのせ、根が地面もしくは水中へ延びる形で描かれていることが多い。また地下世界のシンボルである水の怪物の上に描かれることもある。また中央の世界樹は天の川を描いたものであるという解釈もされている。

 

それと同じ《氣》だといわれた緋勇は目を丸くするのだ。

 

私は緋勇にいうのだ。

 

「古来より大陸に伝わる地相占術の風水において、《龍脈》とは巨大な《氣》のエネルギーの通路と解釈されてきました。そのあまりに巨大な《氣》が及ぼす影響は、しばし歴史の中で人や時代を狂わせて来ました。《龍脈》の《氣》による影響が東京の人間にも出始めて、今に至ります。古来よりその膨大な《氣》のエネルギーを手にした者は、この世のすべてを手に入れることが出来るといいます」

 

「まーちゃん......」

 

「《黄龍の器》は本来そういうものなんですよ、ひーちゃん。今まさにこの東京に眠る《龍脈》は18年のサイクルを経て最大のエネルギーを蓄えつつあります。あと1日もすれば、その《氣》の影響でやがてはこの東京は狂気の坩堝とかすでしょう。それらを統べて《龍脈》の《力》を手にして覇者になるのは誰か。それをこの世界は見届けてきました」

 

「じいちゃんとか、ご先祖さまとか......?」

 

「覇者になろうとしている柳生を阻止するために、あなたが立ち上がったからこそ、この東京の《龍脈》により選ばれし《宿星》が再び集ったわけです。あなたの《宿星》に導かれて。ノーデンスが、《旧神》が、力を貸してくれるのは、あなたが《黄龍の器》に相応しいからに他なりません。自信をもってください」

 

私は、今はもう、自分の心に忠実に従いたいと強く思った。人に決断を促すのは、明るい未来への積極的な夢であるより、遥かにむしろ、何もしないで現状に留まり続けることの不安だ。後悔の訪れはまだ先であるはずなのに、既に足許は、その冷たい潮に浸され始めていた。そこでただ、目を瞑ってじっとしていることは出来なかった。

 

だから緋勇に語りかけるのだ。

 

「わかった」

 

緋勇の眼は、暫時の焦燥に揺られながらも次第に獣的な決意を閃かせていく。

 

「やるしかないなら、俺はやるよ。ノーデンス、力をかしてくれ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔人学園7

満月の空の下、無数の羽の生えた蛇が飛び交う東京の夜景をみながら、犬神は眼鏡を遠野に預けた。

 

「せんせ......?」

 

「どうやら来るのが遅かったらしいな。屋上では派手に闘っているようだ。今からいっても足でまといにしかならん。新校舎にもどるぞ」

 

「えっ、でも外は......」

 

「ここは震源地のひとつだ。奴らの目的はここだ、新校舎にさえ入れば安全だ。俺がなんとかしてやるから来なさい」

 

「は、はい......」

 

ただならぬ気配を感じたのか、遠野はうなずいた。

 

「俺はな、遠野」

 

「はい?」

 

「俺はこの学園の守り人として、この闘いの行方だけは見過ごすわけにはいかんのでな。《黄龍》や《龍脈》がどうなろうと関係ないが、大切な生徒や学び舎を荒らす輩はゆるさん。帰るのは遅くなるだろうが、かならず帰してやるから安心しなさい」

 

「......わかりました」

 

遠野はわきあがる疑問にすべて蓋をして、犬神に全てを任せることにした。犬神たちは旧校舎敷地内から外に出る。翼の生えた蛇がこちらに近づいてくる。

 

「今宵は満月、俺の魔力がもっとも高くなる夜だ。運がなかったな」

 

狼の遠吠えが真神学園に響き渡る。

 

「───────......犬神せんせ、人狼だったんだ......」

 

隠れているよう言われた遠野は、いくらかこまれようとも意に介さず、次々と一撃で屠っていく犬神をみて呼吸を失った、

 

「遠野、今だ。走れ!」

 

「は、はい!!」

 

遠野はあわてて新校舎に向かって走った。

 

新校舎にはなぜか蛇は近づいてこない。

 

「ここには《結界》がはってあるんでな、下手な建物よりよほど安全だ。目と鼻の先にあんな危険な建物があるんだから当然だろう?」

 

そういって犬神はタバコを1本すい始めた。

 

「あいつらがどうにかしてくれるまで暇つぶしに話でもしてやろう」

 

それは犬神の素性をあかすものだった。

 

日本では古来、ヤマイヌ(豺、山犬)、オオカミ(狼)と呼ばれるイヌ科の野生動物がいるとされていて、説話や絵画などに登場している。これらは、同じものとされることもあったが、江戸時代頃から別であると明記された文献も現れた。ヤマイヌは小さくオオカミは大きい、オオカミは信仰の対象となったがヤマイヌはならなかった。

 

ヤマイヌが絶滅してしまうと、本来の意味が忘れ去られ、主に野犬を指す呼称として使用されるようになった。

 

絶滅前はニホンオオカミと山にいる野犬を混同して両方「山犬」と呼んでいただろうとし、黄褐色の毛を持ち、常に尾を垂れているものがニホンオオカミであるが、両方とも人を噛むという点でどちらも人々から恐れられていたのだろう。

 

元からニホンオオカミは目撃例が少なく、また上記の通りヤマイヌとの差異も明確でない上、学術的な調査が行われる前に絶滅したため、生態については不明な部分が多い。

 

薄明薄暮性で、エゾオオカミと違って大規模な群れを作らず、2〜3から10頭程度の群れで行動した。主にニホンジカを獲物としていたが、人里に出現し、犬や馬を襲うこともあった。特に馬の生産が盛んであった盛岡では、被害が多かった。遠吠えをする習性があり、近距離でなら障子などが震えるほどだったといわれる。山峰に広がるススキの原などにある岩穴を巣とし、そこで3頭ほどの子を産んだ。

 

自らのテリトリーに入った人間の後ろを監視する様に付いて来る習性があったとされ、送り犬は、この習性を人間が都合の良いように解釈したために生まれた言葉だ。

 

日本列島では縄文時代早期から家畜としてのイヌが存在し、縄文犬と呼ばれている。縄文犬は縄文早期には体高45センチメートル程度、縄文後期・晩期には体高40センチメートルで、猟犬として用いられていた。弥生時代には大陸から縄文犬と形質の異なる弥生犬が導入されるが、縄文犬・弥生犬ともに東アジア地域でオオカミから家畜化されたイヌであると考えられており、日本列島内においてニホンオオカミが家畜化された可能性は形態学的・遺伝学的にも否定されている。なお、縄文時代にはニホンオオカミの遺体を加工した装身具が存在し、千葉県の庚塚遺跡からは縄文前期の上顎犬歯製の牙製垂飾が出土している。

 

 

日本では魔除けや憑き物落とし、獣害除けなどの霊験をもつ狼信仰が存在する。各地の神社に祭られている犬神や大口の真神(おおくちのまかみ、または、おおぐちのまがみ)についてもニホンオオカミであるとされる。これは、山間部を中心とする農村では日常的な獣害が存在し、食害を引き起こす野生動物を食べるオオカミが神聖視されたことに由来する。

 

ニホンオオカミ絶滅の原因については確定していないが、おおむね狂犬病やジステンパーなど家畜伝染病と人為的な駆除、開発による餌資源の減少や生息地の分断などの要因が複合したものであると考えられている。

 

江戸時代の1732年ごろにはニホンオオカミの間で狂犬病が流行しており、オオカミによる襲撃の増加が駆除に拍車をかけていたと考えられている。また、日本では山間部を中心に狼信仰が存在し、魔除けや憑き物落としの加持祈祷にオオカミ頭骨などの遺骸が用いられている。江戸後期から明治初期には狼信仰が流行した時期にあたり、狼遺骸の需要も捕殺に拍車をかけた要因のひとつであると考えられている。

 

なお、1892年の6月まで上野動物園でニホンオオカミを飼育していたという記録があるが写真は残されていない。当時は、その後10年ほどで絶滅するとは考えられていなかった。

 

「人になれるか、なれないか。人間というやつがこの地に現れたとき、前者を選んだのが俺たちで、後者が絶滅したニホンオオカミだ。未だになにが正しかったのかはわからん。ただ、江戸時代の狂犬病から免れる方法はニホンオオカミの姿しかとれないやつらにはなかったのはたしかだ」

 

「......絶滅させたのは人間なのに、なぜ真神学園の守り人をしてるんですか?」

 

「むかし、この学園を守ってた女がいたんだ。そいつに恩も義理も返せないまま逝っちまったんでな、俺にはそれしか遺されてはいないのさ」

 

遠野はその人が好きだったんですね、とはいえなかった。犬神が旧校舎屋上に閃く光をみて眩しそうに目を細めていたからである。

 

そこには、たしかに種族という壁に阻まれて大切な人と死に別れた男の、どことなく諦めた静けさがあって、そんな関係を告げたあとでも別に前と変わらない確固たる覚悟にもにた冷淡さもしくは親切さがあったからだ。

 

初恋の青年がタイムスリップしたご先祖さまかもしれないという秘密をかかえた遠野は、自分にも覚えがあったから茶化すことなど出来なかったのである。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔人学園8

「私はずっとお前たちのことをみてきた。ヒュプノスの報告もあった。だから力をかすに値すると判断したのだ。存分にその《力》を使うがいい」

 

ノーデンスの《加護》が緋勇たちに付与される。

 

「こいつがノーデンス......」

 

まさかノーデンスが直々に姿を表すとは思わなかった私は硬直するのだ。

 

ノーデンスは旧神と呼ばれる(比較的)善なる神々の中でも最高位に位置する存在だ。

 

貝殻の戦車をイルカや馬のような生き物に牽かせ、輝ける銀腕アガートラムで杖を振るう筋骨隆々の大魔導師。威厳に満ち溢れた豊かな髭、雷の如く響き渡る声。確かに善なる神々の大将にふさわしい存在であると言える。

 

深い魔術の知識や威風堂々たる老人の姿からはオーディンを、白銀しろがねの義手からはヌァザを、雷を振るうという逸話からはゼウスを思わせる神の中の神だ。

 

神が雷を振るって旧支配者と思しき存在を打ち砕く描写がネクロノミコンの中に有る。

 

そもそもアトランティス人は彼を魔術神コズザールと呼び、カルトという形ではなく一般的に信仰していた。

 

クトゥルフ世界のアトランティスの信仰は時間とともに節操無く変わっており、ニャルラトホテプの化身であるトート神(これも魔術神)によって建国されたかと思えば旧支配者によって滅ぼされ、邪神ガタノゾ……失礼、旧支配者のガタノソア信仰が強かった時代も有れば、旧神のバステトが強く信仰されていた時もあります。幾つもの王国が入れ代わり立ち代わり勃興したのが原因なのだ。

 

そんな中でカルトが無かったにもかかわらずよりにもよって魔術の神として広く信仰されていたノーデンスはやはり特別な力が有ったのた。ただ不思議なのはアトランティスに人の王国を生み出したのはニャルラトホテプの化身であり、同じくアトランティスでニャルラトホテプと対立するノーデンスが広く信仰されている点だ。

 

おそらくニャルラトホテプの化身であるトート神は彼なりの信念により人類に味方したニャルラトホテプであり、ノーデンスはその盟友だったのかもしれない。だとすればノーデンスがニャルラトホテプに対して敵意を抱いていたり、ノーデンスがニャルラトホテプと同じように夜鬼と呼ばれる奉仕種族(邪神に仕えるクリーチャー)を使役する理由にもなる。

 

彼は今は亡き友の力を受け継ぎ、友の悪しき半身達との永劫の戦いに身を投ずる戦士だ。

 

今回は本体に近いニャルラトホテプを信仰するネフレン=カが相手だから、敵対勢力である。だから、敵の敵は味方という《アマツミカボシ》と同じ立場だから協力してくれるらしい。

 

「すごい......」

 

「これが《旧神》の《力》......!」

 

それは緋勇たちに今まで以上にない程の高揚と力を与えているようだった。

 

《ハスターの信奉者たるお前にふさわしい加護はあたえてやれぬが、ナイトゴーントたちを貸してやろう。手となり、足となり、ふさわしい戦いを手助けするだろう》

 

ノーデンスに相当私達は気に入られたようだ。敵対勢力の信奉者の末裔であるにもかかわらず、私にまでナイトゴーントを貸し出してくれるとは加護の大盤振る舞いである。

 

本来、ノーデンスは比較的人間に友好的なだけで、たすけてはくれるがドリームランドに放置したり、自分の領土に連れて帰ったりするため、完全なる味方ではないのだ。

 

私達が柳生と戦いつづけてきたのを間近で見てきたからか。それとも世界樹と接続していた原始の《黄龍の器》の末裔がいるからか。旧神の神々は人間がこの世界の支配者となったときに愛想をつかしてドリームランドに姿をかくしてしまっているから、基本的にここまで全面的に庇護してくれるなんて思わなかった。

 

でも、力を貸してくれるなら、これ以上にありがたいことは無い。

 

私は退散の呪文を唱え始める。私の呪文に輪唱するナイトゴーントたち。だんだん呪文の《力》が強まっていく。

 

「私達でネフレン=カに憑依している邪神を引き剥がしますから、ひーちゃんたちはネフレン=カをお願いします!彼を倒さないと邪神の降臨が終わらない!!」

 

私の言葉にうなずいた緋勇たちが《駆り立てる恐怖》の肉盾を失ったネフレン=カに戦いを挑んだ。

 

ノーデンスがすべての攻撃に聖なる《旧神》の《加護》と《力》を与える。ネフレン=カの唱える呪詛はかき消され、あるいは反射し、緋勇たちの攻撃に《火》の属性を付与する。ネフレン=カに憑依している邪神が苦手とする属性に気がついた緋勇たちは、自分の火属性の技を優先するか、ほかの属性攻撃は避けて物理攻撃にきりかえ、その《加護》がいかんなく発揮されるようにと立ち回った。

 

あれだけ苦戦していたのが嘘みたいな流れだった。

 

さすがは《旧神》の最高峰に位置するノーデンスだけはある。相手がニャルラトホテプ本人ではなく、その狂信者が復活して化身と化している格差もあるのかもしれないが、今の今まで苦戦していた私達にはなによりも心強い《加護》だった。

 

「おのれ───────ッ!!」

 

ネフレン=カの殺意が《旧神》の《加護》が及ばない私に向いた。

 

「そうはさせるか」

 

飛んできた凶弾は真っ二つに切捨てられ、やき尽くされた。

 

「大丈夫かい、愛」

 

「ありがとうございます、翡翠。たすかりました」

 

「さあ、詠唱を続けてくれ。ここは僕に任せて」

 

「はい」

 

私は詠唱を再開する。

 

 

 

「大鳳」

緋勇が飛んだ。飛翔と共に、敵の頭上から襲いかかる打撃技。炎と化した一撃は、大鳳の羽ばたきとなり、すべてを撃つ。

 

 

私はこれまでで最も大きな悲鳴を聞いた。断末魔だった。ネフレン=カが一瞬にして大火に包まれていく。

 

ずっと耳に鳴り響いていた楽器の音色が不意に途切れた。かわりに金属と骨がこすれる不愉快な音色が私の頭の中にまで伝わり、やがては呪文の詠唱が止まった。

 

代わりに聞こえるのは、粘り気を持った液体と空気が混ざったときに出る、ゴボゴボという悍ましい音だった。呆然としてその音を聞きながら、私は震える体を無視して詠唱を続けた。

 

生暖かい液体が吹き出し、ネフレン=カは燃えながらびしょ濡れになっていく。そして一瞬後、ネフレン=カは音もなく倒れた。

 

一瞬にして体が崩壊し、ぐずぐずに腐っていく。水は蒸発し、骨だけになり、やがては骨すら残らず消えてしまった。

 

「......やった、のか?」

 

《人間の身でありながら、人間であることに縋り、それでいて不老不死を目指して一心不乱に周りに不幸を撒き散らし続けた男の末路だ。よく見ておくがいい。不老不死を願うのは人間の夢だが、叶えるには相当の対価が必要だ。他者によって払おうとする者の末路などしれている》

 

そこにはもう何もいなかったが、歪んだ楕円形に十数個の平面図形をあわせた模様、あの石室で見た奇妙な印があった。

 

「勝った......?」

 

《あの男は邪神により連れ去られた。戻ることはあるまい》

 

ノーデンスの言葉にようやく私達は勝利を確信して喜んだ。

 

《人の子よ......いよいよこの世を統べる者を選ぶ日が訪れる。お前がどのような決着を見せるのか、楽しみにしている。くれぐれも失望させてくれるなよ》

 

私達の視界は真っ白になった。

 

気づけば旧校舎ではなくグラウンド近くに倒れていた。大丈夫か、と犬神先生と遠野に起こされた私達は、旧校舎が倒壊するのを目撃することになるのである。

 

いよいよ始まったのだ。《龍命の塔》の起動が。

 

大事をとって今からでも遅くはないから休めと言われた私達は、犬神先生たちに家に送ってもらったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔人学園9

私達は疲労困憊だった。如月骨董店にに着いた頃には深夜2時を回っており、早く寝たいという思考だけが支配していた。お風呂に入って寝る支度をしておやすみなさいする。ただそれだけのルーティンだったため、次の日、昼の10時頃に起きてきたとき、緋勇がいることに一瞬固まるが、そういえば一人になるのは危ないし泊まれと私と翡翠で押し切ったんだったと思い出す。

 

「おはようございます、ひーちゃん」

 

「あ、うん、おはよう。まーちゃん、ごめん」

 

脱衣場の洗面台からどいてくれた緋勇に甘えて私は身支度を整える。事故を防止するために私は部屋で着替えるのがルールだったのだ。

 

「はい、どうぞ。昨日はよく眠れましたか?」

 

「寝すぎて頭がボーッとしてるけど、12時間後には戦いがまってるんだもんな。どうにかするよ」

 

「あはは」

 

「まーちゃんはどう?大丈夫か?俺たちはノーデンスの《加護》が受けられたからいいけど、まーちゃんはそうじゃなかっただろ?」

 

「ノーデンスがナイトゴーントたちを貸してくれたので、退散の呪文に必要な魔力をだいぶ肩代わりしてくれたようなんです。思ったより体が軽いです。これなら戦いに参加できそうです」

 

「よかった。戦いが続けざまになるけど、頑張ろうな」

 

「そうですね」

 

私達が話しているとこえがした。

 

「2人とも、ご飯が出来たから食べよう」

 

「おはようございます、翡翠」

 

「なんかごめんな、泊まらせてもらった上にお昼まで」

 

「いいんだよ、気にしないでくれ。ネフレン=カを倒せたとはいえ、本命はまだなんだ。なにかあったら大変だからと泊まるよういったのは僕だからね」

 

私はあわてて配膳を手伝うことにする。

 

「龍麻、新聞をとってきてくれないか?」

 

「わかった」

 

「翡翠、ひーちゃんの食器どうします?」

 

「ああ、そうだね。こちらの引き出しから客人用の食器をだしてくれ」

 

「わかりました」

 

緋勇が帰ってくるころ、準備は完了していた。

 

「いただきます」

 

私達は合掌して食べ始めた。

 

「誰かの家に泊まるの久しぶりだな」

 

「そうなんですか?」

 

「ほら、俺一人暮らしだろ?京一とか遊びに行く理由作るの楽だし、気を遣わなくていいからってよく入り浸ってたんだよ。なにかあっても家から抜け出すのに理由でっちあげなくていいからさ」

 

「なるけど」

 

「翡翠んとこはまーちゃんいるから気軽に泊まれなくなったしな。馬に蹴られる趣味はないんだ」

 

「龍麻」

 

「ひーちゃん」

 

「おー怖」

 

ケラケラ笑いながら緋勇は茶化してくる。私はためいきをついた。

 

「ひーちゃんだって人の事言えないんじゃないですか?会いたい人がいるんですよね?」

 

「そうだな。美里さんという人がありながら担任教師と一夜を明かすとか、どの面下げて逢いに行くのか気になるところだ」

 

「お前らもいたじゃん!誤解を招くようないいかたやめろよ!悪意あるなあ!」

 

「喧嘩を先にうってきたのはひーちゃんですよ」

 

「やめてくれ、そんな話広まったら柳生との戦いの前に女性陣に殺される!!」

 

私達は顔を合わせて笑ったのだった。

 

そして、緋勇はやはり美里に逢いに行くとのことで、お昼もそうそうに如月骨董店を後にしたのだった。

 

今夜の10時に如月骨董店前に集合して装備を一新したり、アイテムを買い占めたりしたいという。翡翠は品揃えを強化しておくよといったので、私も蔵からアイテムを並べる作業におわれることが確定したのだった。

 

 

 

 

 

緋勇を見届けてから、ふと思い出したように翡翠がいった。

 

「......愛はいいのかい?誰かに会いにいかなくても」

 

「え?なんでです?特に用事はないですけど」

 

「いや、君がいいならそれでいいんだ。決戦前の貴重な時間を僕と過ごしてくれるというのなら、それはそれとして嬉しいからね」

 

「!」

 

言われて始めて私は今の状況に気づくのだ。外堀を埋められて、すでに翡翠の家にいるのが当たり前になりつつある今、翡翠から離れて会いたい人がいないことに気づくのだ。それを指摘してニコニコしている翡翠の気持ちをいやでも察してしまい真っ赤になってしまう自分がいる。

 

「さも当然という顔をしていてくれるなら、これ程嬉しいことは無いね。でも、これがあたりまえだと思われると困るからいうけれど、僕は君のことが好きだからそう思うんだよ、愛」

 

「......わ、わかってますよ、わかって」

 

今まですっかり忘れていたんだけども。もうだめかもしれない。そんなことお見通しだとでもいいたげに翡翠は笑っている。

 

「今朝起きたとき、無償に不安になったんだ。《天御子》であるネフレン=カを倒した今、君がこの世界にいる理由はなくなったじゃないか。柳生たちとの闘いを前に、私がいなくても大丈夫だろうから、っていなくなりそうな気がしてね」

 

「さ、さすがにここまできといてそれはないですよ、翡翠ッ!私はそこまで薄情じゃないですッ!!」

 

「そうだね。今の君なら僕に返事をしないといけないし、場合によってはみんなにちゃんとお別れをいわなければならない、って考えるだろう。僕が気持ちを告げる前は、そうだな......ふとした拍子にいなくなって置き手紙だけのこしてあるような、そんな雰囲気があったんだよ」

 

「えええッ!?」

 

「なんとなくの話だよ、イメージの問題だ。卒業式まではなに食わぬ顔で登校しておきながら、卒業して別れ別れになった瞬間にしれっともとの世界に帰っていそうな、そんなイメージがつきまとっていたんだ。今はそんなイメージではなくなっているけどね。そういう意味では想いを告げてよかったよ。手遅れになるところだった」

 

「どんなイメージですか、それ。御伽噺の話じゃないんですから」

 

「でも少し前の君だったら、何も言わずに帰ってしまっていただろう?みんなのまとめ役が龍麻なら、愛は参謀役として的確なサポートをしてきたと思う。でもそれだけだ。新たな仲間が加わる度に仲間内の繋がりはどんどんできていったが、君はどうだい?最初から友達だった真神学園のみんなくらいじゃないか?ずっと仲間にしようと頑張ってきた《鬼道衆》の九角たちにすら仲間以上に仲良くなろうとはしなかったじゃないか。初めは僕と同じように使命に真面目に向き合っているだけかと思っていたけれど、僕にはどんどん他者と関わる大切さを説きながら、当の君は一線越えようとは一度たりともしなかった。やはり、君は初めから元の世界に帰ることを前提に立ち振る舞いを決めてきたんだね。前いっていたように、絆されると困るから。情が湧いてしまうと帰りにくくなるから。それはあたってる。君はほんとうにお人好しでほってはおけない性質をしているから予防線としては最適解だったと思う。気付いてよかったよ、ほんとうに。手遅れになるところだった」

 

「出来たら、もうちょっと気づくのが遅れて欲しかったです......」

 

「ほらやっぱりそうだ。僕が思いを告げたから、もう君はその段階でそれに向き合わないといけないと思ってる。一辺倒な終わりだけ考えていればよかったのに、それだけではダメになった。君には怒られるだろうけど、君の優しい性分につけ込ませてもらうよ。悪いけど」

 

「ほんとにタチ悪いですね、翡翠」

 

「こうでもしないとこっちを見てくれないからね。《如来眼》の性能と平行世界の知識により、君はどうも先読みする癖がついているようだから。君が考える如月翡翠から外れたことをしないとダメじゃないか」

 

「いや、たしかにそれはそうなんですけど」

 

「それだけ僕も必死ってことだよ。君はどうも言わないとわからないようだからいうけども」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

咆哮1

今日は午後から大雨が降ったり止んだりとなにかと安定しない天気だったが、ふと見上げた西の空が凄いことになっていた。

 

綺麗な夕焼けを覆うように,黒い影のようなものが西から東に放射状に伸びている。異常現象か、地震雲かと恐ろしくなったが、翡翠が単なる珍しい自然現象だと教えてくれた。

 

これは太陽が沈む西の空の地平線あたりに発生した雄大積雲や積乱雲(入道雲)の影が,大気中の微細な水滴やチリ・ホコリなどによって散乱されて光の筋となって目に映る「天割れ」もしくは「後光」という現象なんだそうだ。

 

夏になると地平線に見える入道雲がある。こ入道雲は高さ1万5000m近くに達することもあるので、ものすごく小さく見える遠くの入道雲でも影は空にしっかりと残る。

 

ちなみに、天割れが見られるのは、基本的には夏の日没時の西の空。夏のよく晴れた日の夕方、青空に、ひときわ濃くなった青い部分が大河のように東西に伸び、放射状に広がりを見せ、幅広くなる数本の影の筋となって見える。しかし、大気中に水蒸気が多いと、日没時の東の空でも確認できる。

 

沖縄の八重山地方では、昔から天割れのことを「風の根」と呼び、大風の兆しだとされてきた?天割れのなかでも反対側の地平線にまで達したものは「天女の帯」と呼ばれ、猛烈な台風が現れる兆しとして恐れられてきたそうだ。

 

天気は西から変化するので、西に積乱雲や積乱雲の集合体である台風があり、大気中に水蒸気が多ければ、後で天気が大荒れになることは確かだ。昔から言い伝えられている天気に関することわざは、実は天気のメカニズムと照らし合わせると、的を射たものが多い。

 

「今日が真夏ならなんの問題もなかったんだけどね。今は1月だ。真冬だ。普通ならありえない。これから色んな意味で大荒れになるのは間違いないな。なにかの前触れなのかもしれない」

 

晴れているところは黒く見え、大気の状態が不安定となって、積乱雲によく似た雲が真冬だというのに発生している。輝度の大きい白く見える雲がある。きっと積乱雲くらい高度があるに違いない。自然現象ではありえない光景なのは間違いないようだった。

 

そして、夜の帳がおりる。公共機関が使えなくなる前に集まることになり、夕方に如月骨董店にに集まった私たちは公共機関を乗り継いで移動を開始した。

 

「え、不発弾ですか?」

 

「地震が終わらない中で何個も発見されたから、広範囲にわたって避難区域に指定されたようなの」

 

「たぶん、カバーストーリーかなにかじゃないかな?」

 

「たしかに。不発弾がたくさん出たとはいえ、半径1キロ避難はなかなかないよな」

 

私の知らない間に行政は動いていた。おばあちゃんがなにかしたのかもしれない。

 

不発弾発見地点から、概ね半径1キロメートル以内の警戒区域(避難区域)及びその周辺道路において、交通規制を予定していると緊急アナウンスが入ったそうだ。もちろん、そこは真神学園と天龍院高等学校。規制範囲や規制時間については、関係機関と調整を行っていたのか、異様にスムーズに早く発表されたらしい。

 

警戒区域(避難区域)及びその周辺地域については、案内チラシを各家庭に配り、区ホームページ、こうとう区報、こうとう安全安心メール、ネットのあらゆる通信手段、ケーブルテレビ

コミュニティFMによる放送などを行っているという。

 

周辺住民は地震が1ヶ月近く続いてる上の不発弾発見により、早急に避難したらしい。

 

そして、最寄りの駅に着くやいなや、ずっと続いていた震源地不明の不気味な余震はとうとう本震に姿を変えた。

 

家が時化にあった漁船の帆柱みたいに揺れる。地震で地面が揺れるので、海上で波にもまれた者のように吐き気をもよおす人もいるようで、あちこちでけが人が出ているらしい。緊急の速報が流れ始めている。ラジオや街頭テレビもまた揺れている。

 

大地が波のように揺れる。高速道路を歩いているときの大型トラックが通り過ぎるたびの揺れによく似ていた。揺れというよりはうねりに近い。荒波の上に浮かんだ航空母艦の甲板を歩いているようだ。

 

地震のたびに家はガタガタと揺れて、私達は互いの顔が三つにも四つにもダブって見えた。

 

そのうち、かすかな揺れであっても、じつは大地震が来るまえの予震で、いまこの瞬間にも地響きが聞こえて大揺れが起こり、部屋の隅までふっとばされるんじゃないかと身がまえるようになる。妙な緊張感でもって私達は前に進んだ。

 

そして、寛永寺を目前にひかえた道路で揺れは最高潮に達した。ドーンと重く大地が鳴り、鳥が姿を見せないままけたたましくさえずった。街路樹が激しく梢を揺らし、杉の花粉が豪雪地帯もかくやとばかりにいっせいに降り注ぐ。  

 

地中から大木が折れるような音がした。大砲のような音が轟きわたる。轟然たる大音響が大地をつんざく。

大地が破裂するのではないかと思われるほど激しい音だった。

 

地響きが地の底で大太鼓でも打つ不気味さで、少しずつ少しずつ大きくなり、まっしぐらに接近してくる。

 

そして、私達は真神学園と天龍院高等学校がある方角に光の柱が走ったのを目撃した。巨大な力でずたずたに引き裂かれた瓦礫が大地から大空に巻き上げられていく。渦をまく光がひとつの巨大な塔を構築していく。

 

想像を絶する大きさだった。塔を中心とした広範囲が瞬時に壊滅した。学園敷地の破壊に留まらず、衝撃により地表ごと大きくえぐられ、直径ほぼ一kmにも及ぶクレーターが形成された。さらに五km離れた地点でも数秒後にはマグニチュードの揺れが伝わり、十五秒後には爆風が吹き抜け、新宿の広範囲が甚大な被害に見舞われた。

 

ラジオの速報である。

 

雷が空から幾重にもおちてくるのがみえた。それが雷ではなく、雷を伴った《氣》であることに気づけた人間はどれくらいいたのだろうか。大地から吸い上げられた《氣》は無理やり陰陽にわけられていたために、ひとつになろうと引き合う。やがて2つの巨大な塔の間に激しい《氣》のいきかいを示すように電流が走っているのが目視できるようになった。

 

「あれが......あれが《龍命の塔》......」

 

「真神学園、大丈夫かな......?」

 

「実はな、アン子が犬神先生から旧校舎なんて危ないものが目と鼻の先にあるから、大丈夫なように《結界》がはってある、と聞いたそうなんだ。真神学園は陸軍の士官学校だったし、今の校舎が建てられる時に《龍命の塔》のことを知らないまま建てたとは思えない。避難する場所に犬神先生が迷うことなく選ぶなら、それだけ安全だってことじゃないかな?」

 

「そういえば、今回、長い間地震が続いてるし、冬休みだからって避難所の開設とかやけにスムーズだったよね。ボクの家族もみんな避難してるもん。もしかして、このこと知ってる人がいるのかな?」

 

「九角君のところに使えてる人や関係者に話がいっているのも大きいと思います。九角君のおじいさんは、この《龍命の塔》を巡る帝国時代の戦いの当事者だったわけですから。その跡継ぎの九角君が古文書片手に説明したら、はやいと思いますよ」

 

「陰陽寮も動いているしな。校長先生みたいに、俺たちが知らないだけでなにもしらない東京の人々を守るために動いている人は沢山いるのかもしれない」

 

「なるほどねェ。なら、ますます負けられなくなったじゃねーか、なあ?ひーちゃん」

 

「ああ。じいちゃん、とうさんが決着をつけることができなかったんだ。今度こそ、柳生との戦いに終止符をうつ。すべて終わらせてやる。次に引き継がせる訳にはいかない。ただでさえこんなに被害が出てるんだ、失敗したらシャレにならない。まーちゃんの東京が壊滅する夢だって正夢になっちゃうからな。それだけはできない。させちゃいけない。いこう、みんな」

 

私達はうなずいたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

咆哮2

「クックック、ようやく来たな、緋勇龍麻。そしてその《宿星》に導かれし者たちよ。何度邪魔しに来ようと無駄だということを教えてやろう!」

 

赤い髪の男が高らかに宣言した。

 

その近くには四肢を拘束され、全身を禍々しい呪詛が染み付いた布で覆われた人間がいる。

 

「まさか、あれが《陰の龍の器》!?」

 

「人工的に《陰の龍の器》を作るのは骨が折れたぞ。ただの人間の中から素質がある人間を探し出し、実験を駆使して才能を引き出し、ようやく器たりえるまでに仕上がったのだ」

 

「天龍院高等学校の先生や生徒を犠牲になんてことを」

 

「フン、必要な犠牲に過ぎん」

 

「自分が《黄龍の器》になれないからって他の人を犠牲にするなんて、許すわけには行かない」

 

「黙れ」

 

才能がない、資質がない、と緋勇に言われたからか、柳生は激高する。

 

「さあ、儀式を始めるぞ───────」

 

柳生は高らかに宣言した。

 

魔法陣から《陰氣》が吹き出し、贄に選ばれた哀れな《陰の黄龍の器》を包んでいく。黒い《氣》が晴れた瞬間、畏怖の咆哮が響き渡った。

 

「さあ、《黄龍》よ。《陰の黄龍の器》に降臨し、緋勇龍麻たちをくらい尽くして完全体になるのだ!!」

 

柳生の言葉に呼応するように叫ぶなり、突風が巻き上がる。黒い龍が寛永寺のはるか上空に出現した。

 

それはまさしく暗黒、漆黒の闇というに相応しい《氣》だった。暗黒で鋭いなにかがそこにある。暗黒の空に稲光がぴりぴり裂ける。

 

「これ以上、お前の好きにはさせない!ここで全てを終わらせてやる!」

 

それを引き裂いたのは、緋勇の叫びだった。声には強い信念がこもっていたので、それは私たちの暗黒な前途を照らす光明のような気さえしてくる。

 

意識がひどく弛緩して、暗黒植物のようにふやけて、海のように底知れぬ暗黒に飲まれそうになる前途を照らす光明のようだった。

 

その《氣》の輝きを無心に眺めているうちに、私達の中に古代から受け継がれてきた記憶のようなものが呼び起こされていった。人類が火や道具や言語を手に入れる前から、それは変わることなく人々の味方だった。それは天与の灯火として暗黒の世界をときに明るく照らし、人々の恐怖を和らげてくれた。

 

それは時間の観念を人々に与えてくれた。その無償の慈悲に対する感謝の念は、おおかたの場所から闇が放逐されてしまった現在でも、人類の遺伝子の中に強く刷り込まれているようだった。集合的な温かい記憶として。

 

それが緋勇なのだと、《黄龍の器》の本来のあり方なのだと私達は改めて思い出すのである。

 

私達は柳生と《陰の黄龍》を相手に戦闘態勢に入ったのだった。

 

「この世に《黄龍の器》は2人も要らぬッ!」

 

禍々しい《氣》のたちこめている祭壇を前に柳生は叫ぶのだ。

 

泥水で育った蝮(まむし)は五百年にして蛟(雨竜)となり、蛟は千年にして竜(成竜)となり、竜は五百年にして角竜(かくりゅう)となり、角竜は千年にして応竜になり、年老いた応竜は黄竜と呼ばれる。

 

古来より、中国神話では帝王である黄帝に直属していた竜のことを応龍と呼び、4本足で蝙蝠ないし鷹のような翼があり、足には5本の指がある。天地を行き来することができた。水を蓄えて雨を降らせる能力があり、『山海経』大荒北経に記されている黄帝による蚩尤との交戦の描写には具体的な龍としては応竜が黄帝に加勢しており、蚩尤や夸父を殺したとされ、神々の住む天へ登ることができなくなり、以降は中国南方の地に棲んだという。

 

このため、応竜のいる南方の地には雨が多いのに、それ以外の場所は旱魃に悩むようになったという。

 

そう柳生は笑いながらいうのだ。

 

「さあ、目覚めよ《黄龍》よ───────ッ!!」

 

雷鳴が轟いた。大地が揺れた。地軸が狂ったような異常な天気がこの世の終りみたいな空にもたらされる。空が4つに裂けて、その割れ目からなにかが落ちてきた。

 

突如、寛永寺のはるか上空に巨大な球体、いや宝玉が出現した。東西南北を司る四神に対応した色の宝玉である。見上げるほどの大きさだ。

 

「まさしく、《黄龍》は神の精、天之四霊の長なのだ。天之四霊とは蒼竜、朱雀、玄武、白虎、いわゆる四神のこと。さあ、《黄龍》の目覚めだ。付き従う神獣たちよ、ここに偽物の《黄龍の器》たる緋勇龍麻たちがいる!《黄龍》の完全なる覚醒のために、《陽の器》たる緋勇龍麻を殺すのだ!」

 

あの宝玉に四神が封じられているというのなら、生まれ落ちた瞬間に真下の地上は大災害に見舞われることになるだろう。私達はゾッとするのだ。なんとしても四神の封印が完全にとける前に倒さなくてはならない。

 

立ち込める濃霧に私達は敵襲を備えて神経を研ぎ澄ます。感覚を鋭敏にする。敵の動きがスローモーション映像を見ているようにゆっくりと見える。感覚が獣みたいに冴えわたり、微妙な風の肌触りに空きを予感するほど、季節の感覚が研ぎすまされる。

 

「あの宝玉はそれぞれ四神の属性に対応した弱点があるようです。それ以外は吸収してしまう。みなさん、対応した技で攻撃してください」

 

私の声に返事が帰ってくる。

 

緋勇を先頭に私達は攻撃を開始した。

 

「さあて、はじめるか」

 

九角がいうのだ。

 

古来より「鬼は悪者を防ぐ門番」という、まったく反対の考えがある。特に寛永寺は江戸を守護するために「鬼門(北東の方角)」に建立されている。つまり文字通りに「鬼門で門番」をしているのが「鬼」なのだ。

 

当山の開山堂に祀られる平安時代の僧侶・慈恵大師良源大僧正は、大変に霊力があったことから時代が下っても厄除け元三大師として広く信仰され、なんとその姿が鬼となって魔除けをする「鬼大師」としても祀られるようになった。こうしたことから、開山堂の豆まきは「福は内!」のみで、「鬼は外」を言わないのが大きな特徴。

 

つまり鬼大師として尊敬されたり、門番であったりといった鬼を退治してしまうわけにはいかないと考えられたことで、「鬼は外」を言わないのだと伝えられている。

 

「つまり、この場所は俺たちにとっても戦いやすい場所なわけだ」

 

九角が笑う。

 

《鬼道》により、柳生の配下たちを次々と異形に変えていく。

 

「助けられた恩を今ここで返させてもらうわ」

 

那智真璃子はそういって妖艶に笑った。

 

「あんた達は宝玉に集中なさい」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

咆哮3

 

私達はただちに得意とする属性の技ごとにわかれて攻撃をしかける。水流や氷結が宝玉の中に溶けていく。吸い込まれそうな水色の濁流に潜む、なにかを明確に感じ取る。

 

「来ます!みなさん、気をつけて!」

 

私は声をはりあげた。その直後、どこからともなく発生した火の柱が襲いかかる。それを濁流が押し流した。私達は二本の脚で地を踏みしめ、背後から押し寄せる力に耐えた。

 

翡翠だった。

 

勢い良く通っていく川の堰が切れて濁流が流れていくような、騒々しさだった。激流が、目前を通過していく。洪水が宝玉の炎を砕き流す。流れはいよいよ、ふくれ上り、海のようになっていった。流れ入った水勢は底に当って、そこから弾き上り、四方へ流れ落ちて、縁から天然の湧き井の清水のように溢れ落ちていた。

 

坂になっている小径を滝のように流れている水勢が、骨と皮ばかりになっている復一を軽々と流し、崖下の古池の畔ほとりまで落して来た。

 

耳の注意を振り向けるあらゆるところに、濁流の音が自由に聴き出される。その急造の小渓流の響きは、眼前に展開している自然を動的なものに律動化した。聴き澄している大地ごと無限の空間に移して、悠久に白雲上へ旅させるように感じさせる。 

 

赤い宝玉から光線が放たれる。呪詛だった。だが、ノーデンスの《加護》を獲得した《旧神の印》が緋勇たちをあらゆり厄災から守り抜く。私は們天丸からもらったお守りがあらゆる状態異常をはじきかえす。無効化したり、反射したり、誰一人犠牲になる者はいなかった。

 

美里たちが回復魔法を発動しはじめる。私もその恩恵にあずかりながら、ふたたび《アマツミカボシ》の《氣》を練り上げて、契約している邪神の奉仕種族たちを呼び出したり、その《力》を刀に宿して宝玉に放ったりした。

 

ぴしり、と赤い宝玉にヒビが入る。ぱらぱらぱら、と煌めく赤が落ちてきて、やがて亀裂が大きくなっていく。私達はその破損箇所目掛けて怒涛の攻撃をしかけ、どんどん破壊していく。やがてふりそそぐ赤い破片が大きくなってきて、割れ目はとうとう半分にまで到達した。

 

「風にのりてあゆむ者よッ!我に力を!」

 

水による攻撃でびしょ濡れになっている宝玉全体を魔の風が攻撃する。まるで意志をもっているかのように、どんどん赤い宝玉を凍てつかせていき、そこに入り込んでいた水が凍りついて質量を増し、バキバキバキザキバキッという音が轟いた。

 

「今です!」

 

「へッ、これで仕舞いだッ!雷神降臨乱舞ッ!!」

 

神罰の執行者である雷神の気を纏いあらゆる邪妖を滅する乱撃が赤い宝玉に襲いかかる。

 

内側から光が溢れたかと思うと、赤い宝玉は消滅した。

 

「やりましたね、雷人君!」

 

「へへッ、槙乃さんたちのおかげだぜ」

 

「よし、朱雀の宝玉は片付いた。みんなのところに加勢しよう」

 

「はい!」

 

「おうよ!」

 

雨紋たちは玄武の宝玉に向かうようなので、私達は青龍の宝玉のところに向かったのだった。

 

 

 

 

純粋無垢、新たなスタートを意味する白。清潔感があり、万人に受け入れられる色でもある。無色透明は「水」と「光」を象徴する浄化の色だ。周りの景色や光が写り込むことでさまざまな表情を見せ、その美しさは無限に広がる可能性を秘めている。角度によって石の表面に白~青色の光の筋が浮かぶ不思議な宝玉だ。乳白色の中に青白い輝きを持ち、雲の切れ間から顔を覗かせる月の光が封印されているようでもあった。

 

それは見上げるほど巨大な宝玉であり、内側からなにかが蠢く気配がしなければ見入っていたに違いない。

 

「私達も加勢します。大丈夫ですか?アラン君たち!」

 

「待たせたね」

 

私達が加勢したことで《アマツミカボシ》の《宿星》の影響下にある仲間たちの《力》が大きく上昇していく。

 

だいぶダメージを与えていたようで、巨大な白い宝玉は、今にも砕けそうなほどにまでひび割れていた。

 

近くまで寄らなければならない方陣は使い物にならない。それぞれが射程範囲の長い、あるいは広範囲の属性攻撃をしかけているようだった。

 

私は《如来眼》で青龍の宝玉を見る。

 

「みなさん、もっと下がってください!青龍の宝玉による報復がきますよ!!」

 

私の叫びにあわててみんな後ろに下がる。しばらくして、内側から真っ白な光が放たれ、先程までいた石畳が一瞬にして丸焦げになった。スレスレで回避した村雨が口笛を吹くのがみえた。

 

青龍の宝玉は動かない。静止したままだ。こちらに動く様子はないから、射程範囲にだけ気をつければいいだろう。私がそういって攻撃をしかける。朱雀の宝玉よりダメージは与えられないが、ヒビは着実に大きくなっていくのがわかる。

 

ぱらぱらぱら、と真っ白な破片が空から落ちてくる。それごと吹き飛ばしながら私はさらに《アマツミカボシ》の《氣》を青龍の宝玉に叩きこむ。さらに粉砕された青龍の宝玉の破片が粉雪のように舞いちって、月光の下で煌めいた。やがて音もなく消えてしまう。

 

「愛がいなかったら、今頃大ダメージだったな。立て直すのが難しかった」

 

「力になれて良かったです。これが最後の戦いなんですから、頑張りましょう。もう一息です」

 

「そうだな、早く四神の宝玉を破壊して、《黄龍》と柳生のところに向かわなくては。いくら龍麻たちでもキツイだろう」

 

「そうですね、急ぎましょうッ!!」

 

本来はもっと小さな宝玉が《黄龍》の周りに4つずつ出現し、16こも出現する。すべて壊せば《黄龍》の降臨を鎮めることが出来るのだが、私達の前にある宝玉はあまりにも大きいし、ほかに宝玉が見つからないことから、これを壊せばいいのだろう。ただ、先程破壊した朱雀の宝玉の影響を《黄龍》や柳生が受けた様子がない。このまま放置すれば四神が降臨すると柳生が宣言した以上、破壊するのが先決なのは間違いない。だが弱体化が望めないことに一抹の不安を覚える。

 

それに柳生と《陰の黄龍の器》と《黄龍》は3連戦になるはずなのだが、今同時に相手にしているため戦力が分断されてしまっているのだ。はやく緋勇たちに合流しなければならない。

 

私は青龍の宝玉目掛けて一撃を叩き込んだ。

 

私達とは反対側からガラスが砕け散る音がした。振り返ると雨紋たちが加勢した玄武の宝玉が破壊されたようである。あとは白虎の宝玉だけだ。雨紋たちが連戦にもかかわらず疲れもみせずに仲間たちのところに向かうのがみえた。

 

「RIP Shot ッ!!」

 

アランの霊銃から全てのものに安らかな死を与えるという意味を持つ、最強の聖撃が放たれた。青龍の宝玉が一瞬の静寂ののち、一気にヒビが入り、砕け散る。歓声があがる。私達はうなずいて、白虎の宝玉に向かう者と緋勇たちに加勢する者とに別れたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

咆哮4

四神の宝玉を破壊した私達を待っていたのは、柳生と激戦を繰り広げる緋勇たちの姿だった。

 

「この時代の粋を集め、繁栄を極める巨大都市、東京───────。だが......貴様らが胡座をかくその足場こそ、数多くの屍で成り立つ虚飾の平和にすぎぬ。そして、日々の平和を貪りながらそれでいて、なにかにもがき、なにかを渇望する人間。なんと罪深いことか」

 

柳生は高笑いした。

 

「飾り立てられ、与えられた偽りの平穏ではその心の渇きは満たされぬだろう。よろこべ、秩序も平和もすべて混沌に帰し、強者のみが生き残ることを許される世を再びもたらしてやろう。《黄龍》の《力》が我が手中におさまった今、それすらも思うがままよ。名実共にこの柳生が覇者となったのだからな!」

 

そして、近づいてくる蓬莱寺たちに刀を振るう。《氣》が衝撃波となってはるか後方に吹き飛ばしてしまった。

 

「俺に向けられた憎悪に満ちた《氣》を否が応にも感じ取ることができるぞ。《宿星》とはいえ、所詮は愚かな人間にすぎないというわけだな。この憎悪こそが《陰の氣》となり、《陰の黄龍の器》の《力》を増幅し、より相応しい《器》たらしめているというのになあ?《黄龍》復活の最大の功労者となったお前たちには礼として死をくれてやろう」

 

柳生のいうとおり、《陰の氣》を含んだ大気が震えている。

 

「それは憎悪ではなく覚悟です。一緒にしないでください。殺意に似た感情であろうが制御できれば《力》は自分のものとして昇華されます。平行世界で《混沌》とはなんなのか、《陰気》

と《陽気》はなんなのか、《黄龍》とはなんなのか。それを卑弥呼にみせてもらったひーちゃんの方が《黄龍の器》に相応しいとなぜわからないのです?」

 

「なんだと?」

 

「人は《陽気》と《陰気》が合わさり初めて人たりえる。ひーちゃんはこの戦いで《陰気》を知り、《陽気》ばかりだった身がようやく中庸となっている。あなたは《陰気》のみで構築された体に魂、精神ではありませんか。もはや人ではない。人の姿をした鬼、魔にすぎない。人に討伐される運命です。諦めてください」

 

私の挑発に柳生が殺意を向けてくる。

 

突然溢れ出した凄まじい《氣》があたりに瘴気となりたちこめはじめた。

 

「時は熟した───────我が望みの運命が回り出す。さあ、《黄龍》よ。やつらを皆殺しにするのだッ!!」

 

寛永寺に妖魔が一気に出現する。柳生もまた刀を抜いた。はるか上空には完全体になろうと《陽気》を求めて緋勇を取り込もうと蠢く黄金色の龍がいる。私達は戦闘を開始した。

 

「教えてやろう、《氣》とはこう使うのだ」

 

柳生の扱う《氣》は質も量も私達とは桁違いだった。《黄龍の器》を掌握することで恐ろしい程に膨大な《氣》が柳生の手の上に凝縮していく。緋勇たちのわざがあっけなくかき消されてしまった。

 

「さあ、喰らうがいい」

 

《黄龍》が咆哮した。

 

私達は吹き飛ばされてしまう。防御すらままならない。すさまじい光線があたりを薙ぎ払っていく。一瞬にしてあたりは焦土とかした。

 

 

負傷者の血と全員の汗の臭いが混じり、奇妙な臭気を醸し出している。だが誰一人としてそれが気にならない。それを気にしている余裕はないからだ。仲間たちの焼け焦げる、新鮮な血のにおいがする。死人の異様な臭気が鼻をつく。

 

「天使の光よ!」

 

後方にいたことで《黄龍》の強烈な一撃を免れた美里が《力》を発動する。真摯な祈りを受けて現れた大天使が注ぐ神の光が、仲間たちの生命の危機を救う。一瞬にしてあたりは清廉な森のように《氣》が澄んでいき、濃厚な死の気配は遠ざかった。

 

「エン・ハロドの奇跡」

 

美里はさらに、かつて無慈悲な侵攻から祖国を護るべく闘う者たちに主が与えた加護と同じ、抑圧者に屈しない力を代行者として緋勇たちに与えた。

 

「祈りよ!」

 

さらに真摯な想いが天へと届き、悲観や困難を打ち破る加護が付与された。行動力が大幅に回復する。そして。

 

「審判の浄火」

 

神が放つ聖なる炎が全ての魔を焼き尽くす。寛永寺周辺をはるか上空から光の雨が叩き、魑魅魍魎たちを脳天からなにからあらゆる場所を容赦なく貫いた。不思議なことに光は私達を通り過ぎていく。どうやら美里の《力》により《加護》を得たために、どんな《力》をもつ仲間でも敵には認定されないようだ。敗走する敵とそれを追う仲間たちの声、そして攻撃の音が真っ暗闇の至るところから不気味に湧き起こっていた。

 

「さすがだぜ、美里。これで雑魚は一掃できたな!今度は俺たちの番だ!」

 

閃光に当たった面だけざらざらに焼け爛れ、光の当たらなかった方は元のまま滑らかになっている。その中を私達は走った。あいかわらず最後の審判の光は雨のように火の尾を曳いて降りそそいでいる。私達は大ダメージを食らっている柳生の眷属たちを確実に屠っていった。そして緋勇たちのために道を開けるのだ。

 

「ありがとう、みんな。あとは任せてくれ!」

 

「こちらが片付いたらすぐに助太刀します!頑張ってください!」

 

緋勇たちが寛永寺の本堂に突入する。異形たちの怒涛のような響きとなって聞こえてくるが、門は閉じられてしまった。

 

私達があらかた異形を片付けて、寛永寺に近づく。門をみんなで無理やりこじ開けると、柳生が緋勇の秘技《黄龍》によりトドメをさされた直後だった。

 

「ぐううううッ!」

 

緋勇たちが《黄龍》に弾き飛ばされてしまう。柳生を庇ったのかと思いきや、《黄龍》の巨大な口が柳生をもろとも飲み込んでしまった。血しぶきがとぶ。えぐい音がする。皮や骨がぐちゃぐちゃになって咀嚼され、飲み込まれる音がした。

 

「た、たべちゃった......」

 

「いったいなにが......?」

 

「術者が死んだら、《黄龍》は姿を消すはずでは......?」

 

「《黄龍》がおかしいの!いきなり柳生を攻撃したかと思ったら、御堂を破壊し始めて!」

 

「やっぱり《陰の黄龍の器》に無理やり押し込めたから降臨に失敗したのか!?」

 

「それは帝国時代にやらかしてるはずだ。柳生ならなにか......」

 

答えは私の《力》が教えてくれた。

 

「柳生は《黄龍》の《力》、《龍脈》の《力》を活性化させすぎたんです。それも陰陽を無理やり分けて高めすぎた。《龍脈》は安定を求めています。龍麻君の攻撃により《陽氣》が著しく高まったせいで、《陰気》を欲っしたんでしょう」

 

私が解説している間も執拗な襲いかかりで柳生は見るも無惨な姿に破壊されていく。《龍脈》により復活していた柳生は、《龍脈》自身により破壊されてしまったのだ。《黄龍》が狂気を氾濫させていた。

 

《黄龍》というものは、人間の生命をまったくごみのように無視して成立するらしい。火の海のようになった寛永寺にて、妖魔は《陰気》をもとめて《黄龍》によって蠅のように容易に、蠅のようにきりなく殺されていった。

 

激しい戦闘が繰り広げられており、腕や脚や目を失った妖魔が、見捨てられた亡霊のように通りをさすらっていたが、全て食い尽くされてしまった。

 

寛永寺敷地内の風景は、なんだか乱杭歯の口を思わせる、見たことのないものに変貌していた。 建物があったはずの場所が、ぶっきらぼうな更地になっているのだった。焼けただれた風景は絶望にみちている。

 

「まずいです、このままだと東京が!」

 

私の言葉に緋勇たちは青ざめる。

 

瓦礫の山壁に囲まれた世界に鎮座する《黄龍》が咆哮する。

 

「へ、面白くなってきたじゃねえか」

 

「つまり、だ。《陰の黄龍の器》になってる天龍院の先生か生徒がまだ核にあるから《黄龍》は消えないんだろ?なら、分離できれば......」

 

「でもただでさえ暴走してるのに、器から離しちゃって大丈夫なの?」

 

「やってみるしかない。俺がその受け皿になってやる」

 

緋勇の言葉に一瞬の静寂が訪れた。

 

「自我が塗りつぶされたらそれまでだ。でも俺は死ぬ気は無いよ」

 

力強い言葉だった。

 

そして、私達は最後の戦いに挑むことになったのである。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

咆哮5 完

私達が目覚めた《力》は《龍脈》の活性化による影響だ。そのため、私達も常に《龍脈》の何らかの影響を受けているわけだが、ましてや今はまさに《黄龍》復活によりその《氣》が私達に与える影響も大きくなっている。

 

通常では考えられない早さで体力も《力》も戻ってきているのだ。私達の《氣》の絶対量も上昇している証である。

 

《龍脈》の《氣》が私達に流れ込み、それだけではなく緋勇の《力》が仲間の《宿星》を強化しているのだ。《龍脈》はもう一人の覇者の資格を持つ《器》に目をつけている。《加護》を得た緋勇の《氣》の向上が加速し、その影響下にある《宿星》にも同調して波紋のように広まりはじめている。

 

これならいける。

 

「《龍脈》は古来よりこの世界に存在するエネルギーの概念です。《アマツミカボシ》の信仰する邪神のように宇宙のはるか彼方から飛来した存在じゃない。だから私の悪魔祓い、あるいはこの世界から追放する呪文は使い物になりません。私の《力》はあくまでその邪神からの借り物です。だから私の魔術は使えない。専門家にお任せします」

 

「貴女からというのが気に食わないですが......確かに事実ですね。やってみましょう。龍麻さんにその覚悟がおありなようですからね。だから───────......お手伝い願いませんか、《鬼道衆》のみなさん。們天丸さん」

 

あの御門がわざわざお願いをした。陰陽寮の若き棟梁にして仲間になってもプライドが高いためになかなか打ち解けられていなかったあの御門が。しかも150年前には本気で敵対していた勢力の生き残りである九角や那智たちに。私達はそれだけやばい状況なのだと再確認するのだ。

「等々力不動の管理運営を担う九角家は行者の修行をしているようですし、那智真璃子さんの実力は私も買っています。們天丸さんはいうまでもなく、この手のプロですから」

 

平然と答える御門はいつもの仏頂面のままだ。九角は肩を揺らして笑った。

 

「陰陽寮の若き棟梁が鬼にお願いとはな。高くつくぜ」

 

「那智家の人が聞いたら卒倒しそうな話しね。まあ、いいけれど。断る理由などありはしないもの」

 

「《黄龍》が暴れて壊滅する東京か。じいさんが望んでいた光景ではあるが、ここで阻止に協力した方が九角家のためになりそうなんでな。いいだろう、やってやるよ」

 

「ワイも断ったら最後、崇徳上皇に顔向けできんようになるから喜んで協力させてもらうで!」

 

暴走をはじめた《黄龍》が陰の器から溢れようとしている。原型を留めておくことが出来なくなり始めているのだ。空気までも吸い寄せられる。時間が無い。

 

御門が《黄龍》を前に印を結び始める。さらに《氣》が高まり、新たな《力》に開眼しようとしている《黄龍》を前に動じる様子は微塵もない。ここで食い止めなくては東京が壊滅するのだから、東京の霊的な守護の最終防衛ラインたる寛永寺をなんとしても守り抜きたいのだろう。

 

御門の周りに十二神将が出現し、御門に続いて真言を唱え始める。一人だけでは足りないらしい。

 

高速で渦巻く《氣》の壁が広がってきている。この途方もない《氣》こそが《黄龍》の正体なのだろう。

 

們天丸たちも呪文を唱える。結界が展開し、その中央に緋勇が立った。そして意を決したように叫ぶのだ。

 

「《黄龍》ッ!俺はここだ。緋勇龍麻はここにいるッ!」

 

龍がそちらにむいた。

 

「お前が混沌の象徴かどうかはしらない。でも、お前が俺に応えてくれるっていうなら、この世を喰らい尽くすなんてことはしないで、ずっとこの街を守り続けてほしい。俺の、俺たちの大切な人がたくさんいるこの街を」

 

牙をむく。

 

私達は地震計の針みたいに上下に揺れた。足もとに置いてある瓦礫が不吉な音を立て始めた。まるで頭蓋骨の中で脳味噌が飛び散っているような音だ。それは私達が揺れているのではなく、世界が揺れているのだと気づくのはすぐだった。

 

《龍命の塔》に絡みついていたとぐろを巻く《氣》の龍も雷鳴の化身も一瞬にして眩い閃光にかわったのだ。すべてがひとつに収束していく。《龍命の塔》もまた瓦解し、細かな粒子が気体となり、《氣》に変化していく。そして緋勇目掛けて一直線に濁流が降りそそいだ。蓬莱寺たちがとっさに向かおうとして、御門たちの結界に阻まれてしまう。

 

世界が真っ白に塗りつぶされた。

 

 

「龍麻ッ!」

 

美里がかけよる。

 

「ひーちゃん、大丈夫か!」

 

蓬莱寺がよぶ。

 

「ああ、うん......」

 

緋勇はめまいがするのかうずくまった。

 

「はは......今更腰が抜けた」

 

醍醐たちが笑った。

 

緋勇の視線が宙をふらつき、何を追っているのかと思えば、風で散った桜の花弁が舞い、落下する経路を眺めているのだと分かる。遊泳し、舞い落ちるそれは最終的にみんなの中間あたりの地面に落ち、それぞれの視線がそこに集まった。

 

「父さんが」

 

「弦麻さん?」

 

「父さんと母さんの声が聞こえたんだ。ずっと見守っててくれたみたいなんだ。俺だけだったら、きっとダメだった。父さんたちは今も《龍脈》と共にあるみたいで、すぐに声は聞こえなくなったけど、初めて聞いた」

 

緋勇は泣き出した。

 

「桜が......」

 

「《氣》を大地と大空に流したからだっていってた。きっと東京中が季節外れの満開の桜だろうって」

 

緋勇のいうとおり、天変地異のあとの満開の桜は大ニュースになるだろう。

 

満開の八重桜が、雲ひとつなく晴れ上がった空を背景に、時折、花びらを散らせてくる。桜の花びらが春風に乱れるように美しく舞う。桜の花びらが足元に散り敷いて、雪のようだ。桜吹雪が、夥しい数の蝶の乱舞に思えてくる。

 

夜が明ける。空を背景に桜は輝いていた。朝焼けを受け、花は淡い金色に縁取られ、風が吹くたびに花びらではなく光が零れ散っていた。

 

「なるほど、卑弥呼がまだこの国にいたころはこうやって《結界》を更新していたのかもしれませんね」

 

御門が意味深に笑う。

 

寛永寺を創建された天海大僧正は、「見立て」という思想によって上野の山を設計していった。これは、寛永寺というお寺を新しく創るにあたり、さまざまなお堂を京都周辺にある神社仏閣に見立てたことを意味する。

 

例えば「寛永寺」というお寺の名称は、「寛永」年間に創建されたことからついた。これは「延暦」年間に創建された天台宗総本山の「延暦寺」というお寺を見立てたものだ。

 

そのため、寛永寺のご本尊が薬師如来である理由は、延暦寺のご本尊が薬師如来であることを見立てたもの。また「清水観音堂」は京都の「清水寺」に、「不忍池辯天堂」は琵琶湖・竹生島の「宝厳寺」に見立てられるなど、上野の山には思想的な仕掛けが随所にされている。

 

こうしたなか、寛永寺は德川家の祈祷寺として創建された。天海大僧正は德川家のみのお寺ではなく、庶民が広くお参りできる寺を目指した。

 

そこでお考えになったのは、参拝だけでなく観光の要素。なんと天海大僧正は上野の山を桜で有名な奈良の吉野山にも見立て、桜の植樹を行ったのだ。

 

この行動は協力者を得て、植樹を始めてから数十年ほどで上野の山は江戸随一のお花見スポットとして知られるようになった。つまり上野に桜を植え、花見ができるようにしたのは天海大僧正と言って過言ではない。

 

「不思議なことに、今の時期、かならず桜の近くは立ち入りが禁止されていたのですよ。まあ、正月に花見なんて物好きはいなかったようですが。今、まさに《結界》が正常化されました」

 

「ひーちゃん、大丈夫ですか?《如来眼》で異常はみられませんが」

 

「ちょっとふらつくけど違和感はない、かな」

 

「とりあえず桜ヶ丘中央病院にいこうぜ。ひーちゃん。《黄龍》降ろしたんだからよ。ピンピンしてる時点で大したもんだぜ」

 

「うん、そうだな」

 

「そんで、特に異常がなきゃラーメンだ!」

 

「京一、さすがに今の時間はやってないんじゃない?」

 

みんな釣られて笑ってしまう。

 

ここまできて、ようやく柳生との長きに渡る戦いに終止符がうたれた実感がわいてきたのか、みんな穏やかな雰囲気が流れた。

 

とにかく桜ヶ丘中央病院に行くのが先だ。私は携帯を取り出す。25人もいるのだ、寛永寺から桜ヶ丘中央病院はなかなかに距離がある。《龍命の塔》の余波で公共交通機関は壊滅しているだろうから、移動手段となる車がたくさんいるだろう。きっと喜んでくれるだろうと思いながら、私は電話をかけたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

青い春の終わりに

1週間がたった。

 

天龍院高等学校は3月1日の閉校式を待たずに封鎖となった。1月2日未明に起こった地震により校舎が見るも無惨な形で倒壊し、校舎地下にあった旧日本軍士官学校跡地に発見された不発弾が爆発して周囲に甚大な被害をもたらしたためである。安全が確認できるまで封鎖は続き、1週間後には避難区域の指定は解除したが瓦礫の撤去が難航し、黄色いテープが貼られたままである。この地震により、卒業文集の編纂にあたっていたと思われる校舎内に残っていた教職員と数人人の生徒が犠牲になった。遺体がまだ見つからない生徒もいる。天龍院高等学校は閉校式を控えていたために、避難区域に指定されていたが思い入れのある生徒が勝手に入り込んでいたらしい。

 

「なるほど、カバーストーリーはそんな感じなのか」

 

新聞を読みながら翡翠はひとりごちた。

 

「洗脳が解けたから、生徒も先生もなにも覚えていないんでしょうね」

 

「ああ、なるほど......頭にいた蟲はネフレン=カのが使役していたからな」

 

「柳生の洗脳もあったかもしれませんが、倒すことができましたから」

 

「《陰の黄龍の器》の核になっていた人は結局、生徒なのか先生なのかもわからなかったんだよな」

 

「はい、帝国時代の資料がなにも残っていないので、その末裔だということしかわからないです」

 

「そうか......去年の10月に天龍院高等学校にいたことが決定打だったんだな......」

 

私は頷いた。遺体すら残らなかった。緋勇は《黄龍》を受け入れたときになにもみなかったそうだから、あの時既に彼、もしくは彼女の自我は《黄龍》に塗りつぶされてしまい、なにも残らなかったのだろうと容易に想像がついてしまう。私達にできることは名前すら分からない誰かのために手をあわせることだけだ。

 

「おばあちゃんが寛永寺にお墓をたてるそうです。墓参りにいかないといけませんね」

 

「そうだな。いつになるかわからないが」

 

「はい......《黄龍》がここまですさまじい存在だとは思いませんでした。真神学園の旧校舎だけが倒壊して、今の校舎や他の建物が無事だったのが信じられないくらいです」

 

「それもこれも旧校舎に封じられていた《龍命の塔》を監視しながら、生徒たちの安全を守ってきた時諏佐家を初めとした前の世代の人達のおかげなんだろうね」

 

「そうですね......。今回、旧校舎が崩れてしまったので、取り壊しで人目に触れる機会はさけられたので、次の建物にはより厳重な封印が施されると思います。ずっと誰かが監視しなきゃいけないのはかわりません。柳生のような輩がまたあらわれないとは言いきれないわけですから」

 

「そうだな。僕が東京の守護を担う忍びであるように、変わるものもあれば、変わらないものもある。そういうことだ」

 

「ええ」

 

私達は空を見上げた。如月の家は蔵がある中庭に桜が植えてあるのだが、柳生との戦いの後に東京中の桜が《龍脈》の《氣》が一気に大地に流れた影響をうけたせいで満開になっている。

 

「この調子だと卒業式前に桜は全部散ってしまいそうだね」

 

「そうですねえ」

 

私はあいかわらず翡翠の家にお世話になっていた。柳生との戦いは終わったのだが、新宿区が壊滅的な被害を局所的にうけたため、おばあちゃんは連日駆り出されているのだ。しかも時諏佐家もその影響を受けて倒壊の恐れがあると診断されてしまったため、避難している状態である。立て替えるにしても業者を捕まえることができず、まだまだ先になりそうである。

 

「もうすぐ冬休みが終わるけれど、宿題は大丈夫かい?」

 

「大丈夫じゃないです......」

 

「まあ、僕も色々休みがちだから救済措置でたくさん課題が出てるわけだが......」

 

私達はそろってため息をついた。

 

柳生との長きに渡る戦いに終止符がうたれた今、私達は高校生であるという現実に打ちのめされていた。平行世界に飛ばされて1週間も経過し、そのままネフレン=カ、柳生との戦いに突入してしまったため、実質1月からが落ち着いている有様だった。打ち上げと行きたいところだったが、皆それどころではないのでとりあえず冬休みの宿題をやっつけようとこうして格闘しているわけである。なんとも世知辛い話だ。

 

今もこうして互いに宿題に追われていて、休憩という名前の現実逃避に中庭の桜を縁側で眺めているというわけだ。

 

「......」

 

「......」

 

「翡翠からどうぞ」

 

「いや、君からでいいよ。僕は今すぐ話さなきゃいけないことじゃないからね」

 

「そうですか......」

 

私達は1週間こんな感じだった。気まずいけれど、嫌な気まずさでは決してなかった。

 

「私ね、考えたんですよ」

 

「うん、見ていたよ。ずっと考えていたよね」

 

「言わなくていいです、恥ずかしくなりますから黙って最後まで聞いてください」

 

「わかったよ」

 

私はジト目で翡翠を見てから、無性に恥ずかしくなる。

 

ふとしたきっかけで優しさを感じたり、ふいに見せてくれた笑顔が素敵だったりする。意識し始めるとドキッとしてしまう瞬間があって、それが積み重なる1週間だったように思う。好きかもと意識しはじめた自分がいた。いつも目で追ってしまうと気が付いた。

 

翡翠はその変化を感じ取ってニコニコしていた。相手につつ抜けになるほど羞恥ぷれいもないが、一度意識してしまうとどうしようもなかった。

 

何回も想いを伝えてくれていた翡翠と同じ時間を長く共有している今、このまま独り占めしたいと思った。冬休みが終わるのがいや、一緒にいて居心地が良く、共通点がいろいろあることが分かっていた。

 

それは、私の中で翡翠と一緒に過ごす時間がかけがえのないものになった証にほかならない。

 

「もっと翡翠、あなたと一緒にいたいと思います。僕の隣で笑っていてほしいと言ってくれたあなたのそばに」

 

「それじゃあ」

 

「はい。私、この世界に残ろうと思います。あなたと共にこれからを歩むために」

 

「そうか......そうか。ありがとう、愛」

 

「こちらこそ、それだけ想ってくれて、ありがとうございます。待たせてしまって本当にごめんなさい。これからもよろしくお願いします」

 

しっかり目を見て返事をした私に、翡翠はこちらこそ、と笑ったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

後日談

如月はあいも変わらず、先代当主こと祖父が残した骨董店の手伝いの建前で実際は店主をしながら暮らしていた。20歳にならないと名実共に骨董店店主だと名乗るには複雑かつ面倒くさい手続きが必要なのだ。それゆえに、資格をスムーズにとるために実務経験をつもうと、最近は代々付き合いのある同業者のところに顔を出していた。店を休むことも多い。

 

祖父は如月が自力で生活できるようになると、「旅に出る」といって家を出て以来連絡はない。如月はその時からずっと今まで通りに毎日を過ごしている。幼き頃から、己の《宿星》の為に生活サイクルの中に様々なことを組み込まれて来たため、なんの弊害もなかった。落ち着き払って生活していた。

それはまるで惰性にようにして繰り返されているかのように。

 

それでも身の回りの変化は起こるものだ。高校を卒業してから、愛は元の世界に帰らずこちらの世界に残ることを選んだ。愛が真面目に勉強に取り組む時間があったなら進学の道もあったのだが、こちらの世界に残ることを決めたのが土壇場だったこともあり、大学受験に間に合わなかったのである。前の世界と同じ職業に就きたいとプログラマーになるために専門学校に通い始めた。2年ですべてをものにして2年でインターンに行きまくると宣言した通り、夜遅くに帰る日々が続いていた。

 

すべては5年でものにするためだという。如月がエムツー機関を始めとしたお得意様との取引が進むにつれて、海外進出を考え始めたと相談した矢先だったから、如月はうれしさ半分、心配半分だった。

 

それを心配した槙絵が専門学校に近いから、という理由でまた愛を預けてきたのだ。まだ未成年の愛は学費を出してもらっている槙絵の頼みを断れないし、如月も愛とすれ違い気味で会えない日が続いていたから快諾したのだ。

 

「ただいま~」

 

「おかえり。そろそろ来るかと思ってお茶を入れようとするところだったよ」

 

同棲生活は互いに気を遣わないといけないからか、愛は実家暮らしよりも無茶な日程を組まなくなった。今日は早く終わったらしく、そのまま帰ってきたのだ。

 

如月はすでに定位置となっている縁側寄りの場所へ座っている。愛がコートをおいてよってきた。如月は煎れたばかりの緑茶を前に置き、隣へと腰を下ろした。愛は緑茶を一口含み息を吐いた。

 

「最近、大変そうだな。大丈夫か?」

 

「あはは......文化祭のチームリーダーになっちゃってね。みんなでプログラム作らなくちゃいけないの」

 

「なるほど。いつだい?」

 

「11月くらいだったかな?チラシできたら渡すからきてね」

 

「もちろん」

 

「あー、えと、それでですね、翡翠さん」

 

「なんだい?改まって」

 

「心配してくれてるとこ、ほんとに申し訳ないんだけど、みんなで打ち合わせと称した打ち上げの回数が増えそうでして......」

 

申し訳なさそうに愛は事前に申し出てくる。律儀というか、なんというか。愛にとっては如月との関係を考えたとき、なにもやましい事がないんだから先に情報を開示してしまえという感覚のようだ。

 

「わかった。あんまり遅くなるようなら連絡してくれ、迎えに行くよ」

 

「ほんとに?よかった。ありがとう」

 

愛はほっとしたように笑った。

 

「なあ、愛。アルバイトの時もそうだけど、僕にいちいち確認とらなくてもいいんだよ?そりゃ言ってくれた方がうれしいが、君にも予定があるだろ?」

 

「別に隠すようなことじゃないし。お互い予定知ってた方が楽じゃない?」

 

「まあ、たしかにそうだけれど」

 

「それに、断る口実出来てありがたいのよ。ほんとは打ち上げなんて面倒くさいことしたくない。お酒が出ない打ち上げほど虚しいものはないわ」

 

「これは20を超えたら迎えに行かなくちゃいけないな」

 

「あっ、余計なこといっちゃった」

 

「やっぱりそうだ、毎回遅くなるパターンだな」

 

「あはは......。まあ、冗談はさておき。翡翠と一緒にいるために進学の道を選んだわけじゃない?すれ違いからの別れ話になったらたまらないってだけよ」

 

「それは経験則?」

 

「進路より恋愛をとったことなかったもので。ほんと探り探りなのよ、あたし。不安で仕方ないの」

 

「そうか、奇遇だね。僕もだよ」

 

いつでも冷静沈着で静かに前を見すえている愛からは想像もできない言葉だった。誰よりも先を読み、そして臨機応変に考えをめぐらすことができる《如来眼》の《宿星》とは思えない言葉だった。如月との未来を選んだ時、自分のこの世界における身の振り方をあっさり決めてしまった潔の良さにはさすがだと思ったものだが、どうやら愛は愛なりに悩むこともあるらしい。如月は嬉しくなって笑った。愛はばつが悪くなってきたのか、目を逸らしてしまう。

 

「愛」

 

「なに?」

 

「ほんとうに、僕はなんで今まで言わなかったんだろうな。思えばもっと早くいえばよかったことばかりだよ」

 

「あたしは言わなきゃよかったばっかりよ、はずかしすぎてしねるゥ......」

 

どうやら愛はまた自爆したらしかった。

 

「お気に召さないかい?」

 

思いがけないほど近く。すぐ耳元に落ちた声と指先の感触に、愛は思わず呼吸が跳ねた。

 

「いや、その……いやとか、そういうのじゃなくて、その、なんというか……何が楽しいのかわかんないの......なんで笑ってんですかねえ、翡翠さんッ!?」

 

目元に朱を散らしつつ叫ぶ愛に如月は笑う。

 

「君のそういうところが楽しいんだ」

 

「身も蓋もないわね......」

 

如月が花が咲き綻ぶような笑みを向ける。こんな顔をさせてしまうのが自分であるということに未だに慣れないらしい愛はいいしれぬ胸の騒ぎを覚えるらしい。

 

「ああ、此処に鏡が無いのが残念だね。今の君がどんな感じなのか、みせてあげたいよ」

 

「やめてよ、なにそのいじめっ子の発想ッ!そんなんだから、京君にむっっ………」

 

愛はむっつりってからかわれるのよ、と最後まで言い切れなかった。耳朶を緩く弄んでいた指先が、項を辿って中へとするりと入り込んだのだ。ついでに開き掛かった唇を柔らかなものに塞がれた。

 

「…………っ!」

 

一瞬の困惑から迷いののち、愛は唾液を飲み込んだ。呑み込み切れずに唇の端を伝った雫を、ゆるりと舌がなめとっていく。襟から入り込んだ指は、鎖骨を辿って、胸の谷間を下り。

 

「え、あ、あの翡翠さんなに……を……?まだ昼間だよッ?!」

 

「もう学校は終わったんだ、いいだろう?まっすぐ帰ってきてくれたんだ、予定はないんだろう?」

 

「いや、たしかにそうだけどッ!そういうつもりでいったんじゃ」

 

「見られるのがいやなら、見えないようにしてあげようか?」

 

「!!!」

 

凍りついた愛はぶんぶん首を振る。

 

「なにを想像しているのかは知らないけれど、君が嫌がるようなことはしないよ。大丈夫」

 

「だ、大丈夫、大丈夫だから、いやってわけじゃないから......その、せめて2階......」

 

涼しげなその声で、言い切られてしまうと、ついうっかりと納得してしまいそうにもなるのだが、そのたびに流されそうになっては軌道修正した。如月は冗談と本気を同じテンションでいうためわかりにくいのである。

 

「そうかい?なら、いこうか」



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。