在るべき死に場所を探して (アレの依存症)
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プロローグ

 


 僕は(すぐる)と名付けられた。決して満たされたとは言えない環境ではあったが、それでも母から余りある愛情を受けて育った。母は僕の相談にも乗ってくれたし、無理してパートの仕事を増やして苦しい家計を何とか支えてくれた。僕はそんな母を心から慕い、愛していた。

 

 では父はどうだろうか。....言うまでもなく最悪であった。ロクに働きもせず怠惰を貪り、酒浸りの日々。さらには何か気に入らないことがあればすぐに僕や母に手を上げると言ったような、絵に描いたような最悪の父であった。これが絵に描かれた仮想の父であれば僕はどれだけ幸せだっただろうか。

 

 特に父は母によく手を上げるシーンを僕はよく見た。手に持っていたお酒の缶を投げつけるだけで済めばまだマシな方であった。食事中にいきなりテーブルを蹴飛ばし、意味の分からない文句を母に言うこともあれば、ギャンブルに負けて帰れば母の稼ぎが少ないと噛み付き、殴る蹴るといった具合の時もあった。

 

 そんな環境下で過ごしていた母は当然の様に摩耗し、疲弊していくのが分かった。どうにかして母を守りたいという気持ちは強かったが、いかんせん非力な僕ではどうにもならなかった。力づくで父の暴走を止めようとしてもすぐに投げ飛ばされ、暴力の飛び火は僕にも幾度となく向けられた。それに飽き足らず母にも思いきり手を上げる父に僕は、筆舌に尽くし難い怨みを抱いていた。

 

 それでも母は僕にどんな時でも優しくしてくれた。僕が学校で虐められていた時も相談に乗ってくれた。不良どもにお金をせびられていた時、参考書を買うのにお金が必要と嘘を吐いていたことも母にはお見通しであっただろうに、全く詮索することはなかった。

 

 僕が高校2年生になった頃、いよいよ本格的に生活は困窮し始めた。母のパートの時間はどんどん増えていき顔を合わせられる時間はどんどん減っていったが、反比例するかのように食事は少しずつ量が減っていった。もっとも極力それを悟られないようにと、母は自分の食事の量を減らしてまで僕に少しでも多くの食事を出してくれていたのだが。

 

 

 

 そんな日々が続いていたある日の休日、いつもより少し遅い時間に起きると、枕元に手紙と封筒が置いてあった。この日は母はパートが入っておらず父は競馬に出ている時間なのだが、父はおろか母もいない。不思議に思い手紙を開けると、こう書かれていた。

 

 

 

 

 

 優へ

 

 理由があってお母さんは少し遠出をしなければならなくなってしまいました。

 だからお母さんは少しの間だけ家に帰ることはできません。でも優は強い子だからきっと大丈夫。

 しばらくの間色々大変だと思うけど....元気でね。

           

                                    お母さんより

 

 

 

 

 この手紙に加えてお守りも入っていた。手が震えた。そして僕はこれは母なりの別れなのだと一瞬で悟った。震えたまま手でもう1つあった封筒を開けると、中にはたくさんのお金が入っていた。恐らく銀行から下ろしてきた母の全財産だろう。

 

 堪えていたものが堪えられなくなり、幼子の様に大泣きした。僕なんかのためにここまでしてくれた母の優しさ、そして別れにきっと生まれてから一番泣いただろう。

 

 ひとしきり泣いて僕は、カバンの中に必要だと思ったものを全て詰め込んだ。こんな所はもう出よう。母の居ないこの家になんか居ても、きっと僕と言う存在が潰されてしまうだけに違いないから。

 

 身支度をようやく終えようかと思ったその時、荒々しく家のドアが開く音がした。

 

「チクショウ....結局全部スッちまった....クソッ!」

 

 玄関の方から声が聞こえる。父だ。普段よりも大分早く帰って来たらしい。慌てて出て行こうにも間違いなく見つかってしまうだろう。突然の出来事に僕は身動きが取れなくなってしまった。

 

「何だぁ?随分デカい荷物じゃねえか」

 

 父は僕を見つけてそう言った。ふと、感情が込み上げてくる。こいつがすべてを壊したんだ、と。これまでの怒りが爆発しそうにはなったが、ここで時間を食う訳にもいかない。そんなことを思っていると

 

「そういえばアイツはどうした?今日は家じゃねえのか」

 

 父が僕に聞く。

 

「お、お母さんは急に仕事は言っちゃったから今はいない」

 

 とっさに嘘を吐く。『ふーん、そうか。』とだけ言いその場は何とか凌げた、かのように思えたが

 

「んでその荷物は何だ?」

 

 と言って父はカバンを開けようとしてきた。

 

「こ、これは....!」

 

 見られまいと思って必死に抵抗はしたが、いつもと変わらず敵わなかった。カバンの中を見た父は僕をギロリと睨み付け

 

「なるほどなぁ、お前、ここから出て行くつもりだったのか。そんでどうするつもりだ?警察にでも行くつもりなのか?あぁ!?」

 

 そう言って思い切り僕を蹴りつける。小柄な僕は吹っ飛ばされてしまった。

 

「んなことが誰が許した?聞いてんのかクソガキ!」

 

 父は僕に追い打ちをかけるように殴りかかる。やばい、このままじゃ僕が殺されてしまう! そう思い僕は必死に父から逃げた。その時

 

「ん?なんだこの金?それに手紙か?」

 

 こんな声が聞こえて来た。その瞬間これまでの怒りの蓄積のキャパシティがついに限界を迎えた。アイツは僕と母を繋ぐ思い出にまで手を出そうとしている! きっと僕はそんなことを考えていたのだろう。そこから先のことはよく覚えていない。

 

 

 

 

 

 気が付くと、リビングに赤黒い液体が広がっていた。そしてその中心を彩るかのように父であったモノが横になっている。一目見ただけでもまずこれは生きている生物には見えなかった。

 

 相当な箇所を刺されていたのだろうか、一部のパーツは原形をとどめないレベルまで損傷している。近くには視るに堪えない色に染まった包丁が転がっている。きっとこれで滅多刺しにされたのだろう。

 

 自分の服を見ると、真っ白だったはずが汚らわしい父のそれの色で染まっていた。堪えられなくなった僕はトイレに駆け込んだ。

 

 口内に異物感は残ってはいたが、こうなってしまった以上はうかうかしている時間はなかった。急いで体を洗い流し、着替えた僕はカバンを背負い、まだ入れていなかった御守りだけはポケットの中にしまった。

 

 そうして僕は無我夢中で駆け抜けていった。足が限界を迎えても、肺が破れそうになっても僕はがむしゃらに走り続けた。

 

 

 

 

 不意にドン、と何かにぶつかった。後ろに倒れこんだ僕が見上げると、そこには件の不良のグループの姿があった。

 

「おう、どこ見て走ってんだよ!?」

 

 グループの1人が開口一番そう僕を怒鳴りつけ、そいつは僕の頬を思いっきり殴った。元々大いに疲弊していた僕はそこから立つこともできなかった。

 

「なんだ?いつにも増してひょろっちいな。そんなデカいカバン持ったまま走ってるからか?....そうだ、お前のマラソン手伝ってやるよ」

 

 そう言って不良のリーダー格は僕のカバンを川へ投げ捨てた。それで満足したのか、奴らは高笑いを上げてどこかへ去っていった。

 

 僕は倒れこんだまましばらくの間起き上がることができなかった。疲労もあったが何より、言いようのない絶望に打ちひしがれたからである。カバンの中には母から託されたお金と、そして何より手紙が入っていたから。

 

 もう僕にはできることが無かった。今の僕に残っているのは父親を殺した、という十字架だけであった。いや、せめてもの救いが1つある。唯一僕と母を結ぶモノ—お守りだ。ポケットに入った御守りをぎゅっと握り締めると、不思議とその時だけは何かあたたかいものが込み上げてくるように感じた。

 

 しかしそれは一瞬であった。冷たい冬風が僕の体の芯を冷やしていく。おまけに無一文と来た。更には手紙を失ったといったことへの精神的なダメージは、僕をこの世界から引き離すには十分すぎる要因であった。父、そして不良....今日一日だけで人間のありとあらゆる汚い部分を見せつけられた気分だった。結局、僕が信じることができる人間と言うのは、母だけなのである。

 

 だがそんな母のもう居場所の手がかりも何もない。もう母はいない。僕にとっての心の拠り所は完全に消滅してしまった。

 

 果たして僕が今この世界にいる意味と言うのはあるのだろうか?答えはすぐに見つかった— そんなものはないと。

 

 

 

 

 フラフラとした足取りで、僕は死に場所を探した。どうせならだれにも見つからない場所にしよう。そうだな....森の中とかが丁度いいだろうか。

 

 しかし、しばらく歩いても森は見つからない。なんだ、僕は十分に死に場所を見つけることもできないのか。自分の人生の幕引きさえままならないのか。僕は自分の生まれてきた星の下をも怨んだ。

 

 

 

 

 何時間も歩き続けた末、ようやくそれっぽい場所が見つかった。草木は鬱蒼と生い茂っており、灯りになるようなものはどこにもない。辛うじて誰かが通れるような昏い道は確かに人をあまり寄せ付けるようなものではない。まるで今の僕じゃないか。

 

 あとは奥へ、奥へと進むだけである。だがすでに足が棒になっていた僕はあまり進むことはできなかった。いや、最悪ここでずっと寝ていたら凍死でもしているんじゃないだろうか。

 

 そんなことを考え僕は気にもたれかかり眠りについた。完全に寝付く前、僕はある1つのことを謝った。

 

 

 

 

 ゴメン、お母さん。僕なりに頑張った。でもダメだった....今まで本当にありがとう—

 

 

 

 

 

 木漏れ日が僕を無理やり起こす。相変わらず寒かった。どうやら残念ながら僕はまだ生きているらしい。

 

 

 

 と、ここで一つ気になることがあった。周りの景色が昨日まで居た森とは明らかに違っていたのである。昨日まではなかった、それでいて見たこともないキノコが生えており、周りの木の種類も違う。

 

「ここは一体....」

 

 そんなことを呟いていると後ろの方から何かが草木を分けてくる音が近づいてきた。



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謎の世界

 ここはどこなのだろうか?昨日自分がいたはずの所よりも随分ジメジメとしている。決して、と言うよりおよそ居心地の良い場所には思えなかった。

 

 少し考えてある1つの仮説を僕は立てる。きっと僕は夢を見ているんだ。そうでなければこんな見たことのない所に自分がいるわけがない。試しに頬をつねると、痛みはあった。随分とリアルな夢である。

 

 少しの間うろついていると何やら後ろからガサガサ、といったような音が聞こえてくる。こんな森の奥深くだし野生の動物でもいるのだろうか?そんなこと考えながら歩いているとその音は次第にこちらへ近づいてくる。

 

 さすがに気になってきた僕は後ろを振り返った。....一瞬情報が理解できなかった。そこには僕の数倍もあるようなサイズのイモムシのようなものがあった。その瞬間に僕はこの世界が夢だと分かった。

 

 こんな生物がこの世にいるわけがない。そう思うと何かこの世界が滑稽に思えてきた。やがてそのバケモノはこちらの方へ襲いかかってきた。

 

 そうだ、もしかしたらいっそ夢の中と現実世界とでは生死はリンクしているのかもしれない。ここで死ぬ=現実世界での死を意味しているのではないだろうか?

 

 そうなれば都合が良い。僕は一切逃げる素振りも見せずにその場に突っ立っていた。すると

 

「危ない!」

 

 という声と共に何かカラフルな光か何かが飛んでくるのが見える。その光はバケモノを焦がした。バランスを失ったソイツはこちらの方へ倒れ込んできたが、僕はその場で突っ立っていた。

 

「なっ!?アイツ何やってんだ!危ないぞ!」

 

 さっきの声がこちらに注意をしてきたが、僕はそれを聞き入れなかった。というか助けてくれた人って女性だったのか―

 

 

 

 

 すぐに目の前が真っ暗になった。

 

 

 

 

 次に目を覚ますと僕はベットで寝ていた。

 

「もう起きたのか。しかしよく生きてたもんだぜ」

 

 女の人の声が聞こえる。やや語尾が不自然ではあるが。

 

「ここは....どこ?あなたは?」

 

 彼女に尋ねる。

 

「後者に関してはそれはこっちのセリフだよ。まぁその格好をみた限り外から来た人間らしいが」

 

「そりゃあ人間でしょう。逆にそれ以外がいるんですか?」

 

 体を起こして僕は言って、向こうの発言の主を見る。その姿に僕は少し驚いた。

 

 まるで魔女の格好である。よくイメージされるあのとんがり帽子に黒の服。....奇妙なコスプレである。

 

「それがいるんだな。むしろそれの方が多いとも言えるさ。ここには妖怪だって幽霊だって神様だっているもんだ。もっとも私は人間だがな」

 

 この女はメチャクチャなことを言うものだ。どうやら僕は夢の中で何かに襲われ、ちょっと、いや、大分電波な女の子に助けられたようだ。こんなコスプレの子があんなバケモノがいる中無事でいるというのは不思議なことだが。

 

「んー?その様子だとまだ信じてないみたいだな」

 

 怪訝な顔をしていたのがバレたらしい。

 

「まぁ仕方の無いことかもしれないけどな。とりあえず自己紹介だけしておくぜ。私の名前は『霧雨魔理沙』だ。お前は?」

 

 魔理沙と、名乗る少女が僕に尋ねる。

 

「....優です」

 

 小さく下の名前だけ名乗った。

 

「優か、よろしくな。つってもまぁすぐに別れることになるんだろうけど」

 

「どういうことですか?」

 

「そうだな、まずは根本から説明しなきゃならないな。もっともこれは優が外の世界から来たこと前提の話にはなるが....」

 

 さっきから外の世界とか妖怪とか何も要領を得ない。とりあえずここの説明はきっちり聞いておかなくては。

 

「まずここは『幻想郷』って言うんだ。さっきも言ったようにここには人間はもちろん、妖怪だって幽霊だって、あまつさえ神様さえもいる。多分お前が思っているようなモノとは違うだろうがな」

 

 そう言って魔理沙は笑う。こちらからすればまだ状況が掴みきれないので笑い所が分からない。

 

「そんな暗い顔すんなって、それでまぁ、たまーになんだがさっき私が言った『外の世界』からここに来る人間がいる。そのままこっちに住み着いたやつもいるが、そのほとんどはすぐに外の世界、つまりは元居たお前の世界に帰りたいって言うヤツばかりだな。何か『オオイタ』とか、『ナガノ』?とかから来たとか言うが、その辺はよく分からないがな」

 

 大分県、長野県のことだろうか?確かにその話を聞く限りは僕と同じような境遇にいる人間と言う人がいるようである。

 

「それでここからが本題だな。元の世界に帰るには幻想郷の東端にある『博麗神社』という所に行けばいい。そこに『霊夢』っていう巫女がいるからそいつに頼んでちょちょちょいっとやりゃ帰れるさ」

 

 何か肝心な所が端折られているような気がする。というよりも僕は未だにここが現実だとは思えないのである。これ程までに具体的な夢と言うのは今まで見たことがないが、もしかすると現実世界の方で僕は余程の極限状態なのだろうか?

 

 そうなると起きるのがやや怖い。もう少しだけこの滑稽な夢に付き合うとしよう。

 

「まぁさっきの事で分かるとは思うが、ここ『魔法の森』にはさっきみたいなバケモノもいるし、普通の人間からしたら居心地も悪い。だからここは私が案内してやる―」

 

「僕は戻りたくないです」

 

 きっぱりと僕は魔理沙に申し立てた。



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森の災難

「....へ?」

 

 キョトンとした顔で魔理沙は気の抜けた声を出す。

 

「帰りたくないです、あんな世界。それならここでバケモノに喰われた方がよっぽどマシです」

 

 改めてきっぱり魔理沙に言った。

 

「おいおい、あんまり冗談言うもんじゃないぜ」

 

 魔理沙は少し語調を強める。

 

「冗談じゃありません」

 

 負けじとこちらも返事をする。

 

「さっきも見たろ?ここには普通の人間じゃまず太刀打ちできないヤツらがうじゃうじゃいるんだ。実際にここに来て魔物にやられたヤツだっていたさ。お前にとってこんな実感のない世界で死んでもいいのか?」

 

「構いません。失礼しました」

 

 そう言って僕は家を出た。

 

「お、おい!」

 

 後ろから声は聞こえたが無視した。

 

 

 

 しかしここは本当に居心地が悪い場所である。瘴気、というかなんというか。長く居たら何処かおかしくなってしまいそうである。

 

 遠くから不気味な声なども聞こえてくるが、僕は一心に歩き続けた。夢から醒めないために―

 

 しかし、どこまで行ってもバケモノは見つからない。しかもかなりの時間何も食べていないのに空腹を感じないのである。喉の渇きもない。

 

 どうしてだろう、と考えていたがそれと同時に1つ考えが浮かんだ。その辺にキノコがウヨウヨ生えているなら、毒キノコのひとつでもきっとあるだろう。とりあえずそこらに生えてるモノでもつまんでいこう。

 

 手始めに足下に生えた見たこともない小さなキノコを口に運ぶ。

 

「うっわ、マズッ」

 

 正直食えたもんじゃない。それでも目に留まったものはとりあえず食べた。どれもマズくて吐き出しそうにはなったが、とにかく無理やり飲み込んだ。

 

 

 

 おかしい、確かにマズさに吐き出しそうなことはあるが、それ以外には全く身体に異常を来てしていないのである。ここに生えてるものが全部食用だと言うのだろうか。少なくともこの暴力的なマズさで食用となればある意味凶器とも言えよう。

 

 やがて食べ続けるにも精神的な限界が来た。飢え死にすることを考えると、下手に食べ物を口にしなければ良かったのだろうか。もしかすると、よもつへ食いのようにここの食べ物を食べたせいで戻ってくることができなくなったのかも知れない。そうなりゃ万々歳だ。

 

 と言うよりも、ここが仮に現実だとしたら僕の回りにいる人は皆が僕のことを知らない人ということになるであろう。いっそここで暮らしてもいいんじゃないか?

 

 そんなことを考えながら歩いていると、最初にここに来たときと同じようなあの草を掻き分けるような音が聞こえてくる。やがて僕の前に現れたのはさっきと同じような芋虫の姿のような、バケモノであった。声にならない呻き声を上げてこちらに襲いかかってくる。

 

 ここで改めて僕の目的を思い出した。今度はきっと魔理沙が来ることもないだろう。そして運命の全てを受け入れよう。

 

 ソイツは奇妙な動きをして僕のことを丸呑みにした。モワァッとした感覚が非常に気持ち悪い。そこから胃までの道はどこまでも耐え難い湿度と異臭に包まれていた。

 

 ようやく胃に辿り着いた頃には僕の胃液が逆流の限界を迎えていた。ものすごく強い酸の臭いを放つバケモノの胃液に浸からされた僕はとうとう耐えきれず、胃の中のものをぶち撒けた。

 

 やがて来ている服が溶け始めた。終を迎える場所としてはこの上なく最悪とも言えたが、これで最後を迎えられるのなら何でも良かった。バケモノの胃液が僕をドロドロに溶かして、この世から消え失せるのも時間の問題だろう。

 

 

 

 

 しばらくして様子がおかしいことに気づいた。服は上も下も完全に溶けきって、素肌で液に浸されているはずなのに、僕の体が溶けきる様子が無いのである。少々ピリピリした感覚はあったが、僕の体はずっと形を保ったままであった。

 

 さらにさっきまで活発に動いていたはずのバケモノの様子もおかしい。どんどん動きがなくなってきているのである。

 

 やがてドシーン、と大きな音をたてて僕の宿主は倒れ臥した。そこから動く気配も全くない。居心地の悪さに気も狂いそうだし、バケモノの胃から食道にかけて口までが平道になったため、とりあえず地上に出ることとした。何かが落ちていたようだったが、早く出たいと思っていたので無視して進んだ。

 

 

 

 地上に出ると急に体がピリピリしてきた。痛い! その一心で、僕は近くにあった水溜まりで体を洗った。

 

 幸いにも痛みは治まった。

 

 

 

 

「おいおいどうした!?何かデカイ音が聞こえたんだが....ってうわっ!どうしたんだお前!?」

 

 出るとすぐに魔理沙がいた。そりゃついさっきまでいた男が全裸になっていたのを見ればさっきの反応は当然だろう。むしろ可愛いくらいだ。

 

「....アレに食われました。けど何か戻ってこれました」

 

 とりあえずさっきあったことを話す。

 

「いやそうじゃなくて....とりあえずその格好だと話そうにも話せん。向こうの水溜まりで体を洗ってくれ。こっちで適当に服は持ってくるから。それとなんだが....あと一つ聞かせてくれ」

 

 怪訝な顔をして魔理沙が尋ねる。

 

「なんですか?」

 

「お前、うちの家の近くにあったキノコ....もしかして食ったのか?」

 

「あー....はいまぁそうですね。空腹だったんで」

 

 とりあえず適当に嘘を吐いておいた。

 

「....どうもないのか?」

 

「まぁ特には。味は食えたもんじゃないですけど」

 

「当たり前だ!あんなの食うヤツがどこにいるか!そもそもあれは生身の人間が食えば5分も経たずに死ぬようなもんだぞ!」

 

「じゃあ僕はどうして無事なんですか?」

 

「それは....それはまだ知らん。とりあえずその格好だと話すのもアレだ。少し待ってろ」

 

 そう言って魔理沙は僕が行った道を戻る。僕はポツンと森に取り残された。

 

「....もうどうでもいいや」

 

 魔理沙の指示を無視して僕は再びあてもなく歩き始めた。

 



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物盗りの悪態

 僕はまたあてもなく歩き始める。魔理沙いわく食べたら死ぬキノコを食べても平気だったり、バケモノに食われても消化されることがなかったりと何故かこの世界に来て不死身にでもなってしまったかのようである。

 

 小さな子どもだったり、ヒーローを夢見る者とすれば喉から手が出るほど欲しいと思うような力ではあるだろうが、生憎僕は自殺志願者である。この運命を導いた神様がいるとすれば、この上ないありがた迷惑としか感じられない。もしも母といられるのなら別にそれで構わない、いや、母の死に目を見るのはちょっと辛すぎる。

 

 と、そんな他愛もないことを考えていたが、この辺りで流石に自分が一糸纏わぬ状態でこんな瘴気に塗れた所を歩き回っているということが辛かった。寒さは特に感じなかったが、それでもせめて羽織るものの1つも欲しい。

 

 ここに来て気づいたのだがあのバケモノに呑まれてから辺りだろうか、辛くなってきた。元々精神的にしんどいところもあったが、今度は肉体的にもキツい。

 

 ここで自身を放ったらかしにしていても勝手に野垂れ死ぬだろうが何だろう、こんな自分も全く知らないような森で真っ裸で死ぬと言うのも....せめてもう少しマシな死に様を所望したい。

 

 死に場所を探し、死ねればなんでもいいと思っていた僕が今更死に様を求めるなんて傍から見れば僕はどれほど滑稽だろうか。思わず自嘲的な笑い声が小さく零れた。

 

 ずっと代り映えのしない所をずっと歩いていると、ふとこんな森には少し不釣り合いな建物を見つけた....香霖堂?と書かれている。何らかの店だろうか。何と読むのだろうか。

 

 だが店は閉まっている。誰もいないなら衣服の1つ盗んでしまってももう誰も追及しないだろうし、何より外的要因により歪まされてしまった僕の中の倫理観がそれを全く追及することが無かったのであった。

 

 だが幸運なことに店の外には何らかの服が干されている。ポケットのようなものもついており、それなりの着心地であった。と、そこまでは万々歳ではあったが残念なことに下がない。

 

 とりあえずどうしようもないので上を羽織って下も隠せるようにした。これで人前に出れば間違いなく不審者扱いだろうな。とはいえこれから誰かに会うことなど考えていないしどうでもいいんだけどさ。

 

 

 服を着たからだろうか。再び辛さをあまり感じなくなってきた。さっきまで一糸纏わぬ姿でこんな所をずっと歩き続けていた分、大分精神的に磨耗していたのだろうか。心と体が密接に関係しているというのは案外間違いではないのかもしれない。

 

 

 しばらく歩いているとさっきよりも道が開けてきた。瘴気や湿気も大分収まってきて前ほどの居心地の悪さもなくなってくる。少しして森を完全に抜けた。ずっと代わり映えのしない景色が広がっていたので少し解放感は感じられる。

 

 目的地もないのでとりあえず放浪でもしようか、と思っていた矢先に

 

「はぁはぁ....ここにいたか。というかウチのモノまで盗って行って....これではまるで魔理沙が2人いるみたいじゃないか....」

 

 後ろから聞き覚えのない声がする。魔理沙と言っているとなると、声の主もこの世界、もとい夢の世界の人間なのかどちらかは知らないが、僕とは違う人間なのだろう。だが今は誰かと交わりたい気分ではない。無視して進むことにした。

 

「おいおい、無視かい?ここまで居直ることのない盗人と言うのもいっそ清々しいものだな」

 

 そう言って声の主は僕の肩を掴んだ。振り払うのも億劫なので、抵抗はしなかった。僕はそのままさっきの香霖堂とかいう店に連れ戻された。

 

「それで、どうして君は僕のところのモノを持ち去ったりしたんだ?」

 

 特に理由もないので僕は何も答えなかった。

 

「はぁ....このままじゃ埒が明かないな。君ここらでは見ない顔だね。もしかしてどこかから迷いこんだのかい?」

 

「さぁ....」

 

 吐き捨てるように短く返事する。

 

「となると....もしかして君は外の世界から来たのかい?」

 

「さぁ....」

 

 返答も面倒臭くなってくる。物盗りへの対応は向こうの万引きの時とこことで大して変わらないようである。

 

「しかし魔理沙からは聞いていたが随分と強情だなぁ、何かあったのかい」

 

 ....きっとこれ以上ここで取り調べを受けても時間の無駄だ。椅子から立ち上がって帰ることにした。

 

「おっと、このまま帰したりはしないよ。せめて少しだけでも話を聞かせてもらおうか」

 

「僕から話すことなんてありませんよ、こんな現実かもどうかも分からないところで」

 

 ぶっきらぼうに吐き捨てた。ここに来て僕は大分人間性が変わってきた気がする。 

 

「夢かどうか、か。魔理沙から話は聞いていないのかい?」

 

「聞いてようが聞いていまいが、ここが夢かどうかと判断するのは僕自身です」

 

「そうかい?そう言いつつも君自身が一番ここが夢じゃない、と実感しているんじゃないかな?確かにこの辺りに棲むワームに呑まれて今もこうして五体満足でいられると言う状況じゃ、信じたくない状況にとって都合はいいかもしれないけどね」

 

「言いたいことはそれだけですか?僕はもう出て行きますよ」

 

 今度こそもう忠告も何も耳にいれるつもりはなかった。

 

「それが君の選択かい?それなら僕はもう止めはしないよ。ただし君もいつかは今君の生きている世界が現実だと言うことを直視しなければならなくなるだろう。とりあえず今だけはその服をあげるとしよう。それが無ければ身動きもそうそう取れないだろうからね。とはいえいずれ代金は払ってもらうよ」

 

 ....どうもこの店主は食えない奴だ。彼が何を言おうがここが現実か否かは僕の匙加減である。頭の片隅にツケの話が残っていたのは僕の中にまだ良心的な気持ちがあったからなのかもしれない。

 

 だがすぐにその感情は無くなった。というよりも無理矢理押し込もうと思ったのだろうか。ツケなんか誰が払うもんか。そう思った僕は店の戸口に唾を吐きかけた。



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底無しの虚無

 よく分からないあの店からしばらく歩いていくと、やがて完全に森を抜けた。そこから少し歩いていくとさっきの所よりもずっと活気を感じられる場所に辿り着いた。人の往来もあり、さっきまで居た森とはまた違った場所だろうか。

 

 そこの人々は僕たちがイメージする江戸時代の庶民のような服を着ているのがほとんどであり、ここにいるのは基本妖怪ではなく人間だろう。

 

 ここで改めて今の自分の格好に気づいた。一応一糸は纏っているがあくまで布を裸の上にかけているような状態である。向こうで穿くものも何かしらくすねておくべきだった。とりあえずあまりここの人たちとは関わらないようにしよう。格好も格好だし憐れみの視線を向けられるのはたまったもんじゃない。そう言うのはもう向こうの世界で嫌と言うほど経験してきた。

 

 

 

 

 

「おどろけー!!」

 

 

 

 不意に物陰から何かが出てきた。子供だろうか。

 

「....」

 

 突然の出来事に僕は反応できなかった。驚かせてきた?のだろうか。こちらの反応を見て向こうは納得していない様子である。

 

「うーん、やっぱりだめかぁ。見覚えのない人間だし可能性はあると思ったんだけどなぁ」

 

 その子は小さく呟く。人間、と言っている限りもしかするとこの子は人間ではなく妖怪の類なのか?少なくとも正気の人間ではこんなダッサい傘を持つこともないと思う。と言うかホントに気色悪いなこの子の傘。そもそも晴天だというのにどうして傘を持っているのか。いろいろ気になることはあった。

 

「な、何よ。そんなジロジロ見ないでよ」

 

 相手の子は決まり悪そうにしている。と言うかコイツは何がしたかったのだろう。何を目的に僕を驚かしてきたんだろうか。

 

「何が目的なんだ?ちびっ子」

 

 僕はそう尋ねる。度重なる災難や自分のこれまでの境遇の所為か僕の人間性は内側からじわじわ浸食され大分荒んできた気がする。

 

「ち、ちびっ子!?私は貴方よりも長く生きているというのに。これだから人間風情は....あと私にも『多々良小傘』って名前が—」

 

「あーもう分かったって。ここは基本人しかいないんだろ?どうして自称妖怪がこんなところにいるんだ?」

 

「なっ....私は人を驚かせるのが仕事なの!だからこうやってカモになりそうな人間を—」

 

「んで、ここ最近で成功した試しはあるのか?明らか負け癖がついているようだったが」

 

 小傘とかいう妖怪を僕は嗤う。

 

「う、うるさい!あなたには関係ないでしょ!」

 

「と言うかこんな時間にこんなところであんな驚かし方したって意味ないだろ。もっと何か、ロケーションとかあるんじゃないのか?こんな場所だったら墓場とかもあるだろうし」

 

 何だかあまりにもかわいそうに思えてきたせいか、馴れ合いを避けて来たものの何故かこちらがアドバイザーの様になってきている。

 

「う....ま、前はそこもナワバリにしてたけど今は止ん事なき都合があって....」

 

「ふーん、まぁ頑張れ。」

 

 それだけ言って僕は立ち去った。

 

「あっちょっと!」

 

 小傘が後ろで何か言って僕を引き留めようとしていたが無視した。さて、一応人間のテリトリーに来たのだが、引き続きあてもないのでとりあえずその辺りをうろつく。

 

 ぐるっと回ってみたが、時代錯誤な点以外は特別変哲のない場所である。ここから少し行けばバケモノ達の巣窟であるとは到底思えない。夢にしては作り込まれ過ぎているようにも思えた。

 

 ....ダメだ、僕はここを現実とは思いたくない。頬をつねれば痛いし、これまで経験がなかったとはいえバケモノの胃の中のあの不快感も非現実と思えないほどまだ鮮明に残っている。およそ平常では思い付かないようなセンスの傘を持った妖怪とやらもいる。

 

 色々なことをグルグルと頭の中が駆け回って処理が追い付かない。どうしようもないのでボーッとしていると急に小さな子供の声が聞こえる。さっきの小傘とかいう妖怪とは別物で、それも複数人の。

 

 声の方に意識を向けると、これまた古臭い格好の子供たち....ん?

 

 ほとんどが着物の子供たちであったが、所々に奇妙な格好をした者もいる。何か触手の生えたのもいるし、面妖な見た目の多くに羽のようなものも生やしている。人間のコスプレか?それとも―

 

 子供たちは学校の帰り道のようにそれぞれ色々と話しながら家路についているように見える。奇妙な格好の者らも例外無くだ。

 

 子供たちが帰っていく方を見ると先生らしき女性が見送りをしている。何だろうあの奇妙な帽子?は。

 

「君は何をしているんだ?ウチの生徒に手を出したらタダじゃ済まさないよ」

 

 先生らしき女性は挙動不審な僕の立ち居振舞いに気づいたのか、厳しめの口調で僕の方へ詰め寄ってくる。こんなよく分からない世界で変質者扱いを受けるだなんてたまったもんじゃない。

 

「そんなつもりはない。そもそもここがどこかも分かっていないというのにそんな馬鹿げた真似するもんか」

 

 こちらも厳しめの口調で返す。

 

「それなら構わないが....っと君はさっきここがどこかも分からないって言っていたかな?」

 

「まぁ、そうですけど。何か幻想郷だとか言う場所だとは教えられたが、正直受け入れられない」

 

「確かに無理もないか。それとなんだが....君その格好は一体どういう風の吹き回しで至ったんだ?やはり君は....」

 

「そうじゃない!服は....色々あって失った」

 

 あらぬ汚れた疑いをかけられた僕はつい感情的になってしまう。らしくない自分の言動に少し苛立ちを覚えた。

 

「となると引剥の類いか何かか?いや別に話したくなければ話す必要はない。しかしその様では多分行くあても今日の宿もないだろう?今日は私のところに泊まるといい」

 

 誤解があるとはいえ嫌な疑いは晴れ、向こうの反応も柔和になる。

 

「別にいいです。どっちにしろ僕には何も残ってないですから。もういいです」

 

 最後にダメ押しを踏んで僕は虚無主義者のように呟く。

 

「その発言は一教育者としては聞き逃せないな」

 

 再び向こうの口調が厳しくなる。口ぶりからするにこの人はあの子らの先生に当たるだろう。....人だろうか。さっきの傘を持った妖怪も見た目だけで言えば普通の少女とあまり変わらなかったわけであるし。センスは別として。

 

「とりあえず僕は行きます」

 

「待て、これからの君を考えるに私は君を一人にすることはできない。君が納得するまで私は退くつもりはない」

 

 様子を見るにこの先生とやらはそう簡単に折れはしなさそうである。もう断るのも面倒である。死にたいと言う目的立ったのがもはや自分がどこに向かっているのかも分からない。何になりたいのかも分からない。

 

 意欲を失えば人は死んだも同然といった旨の格言をしばしば聞くこともあるが、果たして今の僕は生きていると言えるのだろうか。

 

「....分かりました」

 

 脱け殻のように空っぽの返事をその女性に僕は投げ返した。



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苛立ちと激昂

 


 僕は彼女が教鞭を執っているらしい学校に連れて来られた。正直言って学校というものにいい思い出はそう無いのであまり見たい場所ではなかった。

 

「そういえば自己紹介が遅れた。私は『上白沢慧音』だ。ここの寺子屋で教師を務めている」

 

 そう言って慧音は手を差し出す。僕はその手を取らなかった。

 

「むぅ、中々強情だな君は。まぁそれは会った時から思っていたから構わないが」

 

 別に彼女に何を言われようが僕には構わない。どうせ深く関わることもないんだから。それに経験上僕はどうも教師と言う存在に対してあまり信頼を持てていないのである。ただでさえ他人と関わりたくないのにその上教師と来た。正直バケモノの胃の中とは違ったベクトルで居心地が悪い。

 

「とりあえずこの部屋にいると良い。狭いのは申し訳ないがそこは勘弁してくれ」

 

 苦笑いを浮かべながら慧音が部屋を指す。僕にあてがわれたのは、ちょうど寺子屋の教室の上の階に当たる場所のやや狭めの部屋だった。

 

 今はもう既に陽もほとんど落ちており、間も無く夜の帳が降りる寸前であった。

 

 結果として意志の無い僕はとりあえず居候することになった。空っぽになった僕はひたすら流されることになった。少なくともこのまま行き着く先にハッピーエンドは待っていないだろうよ。

 

 僕の目指すハッピーエンドは誰もかもがバッドエンドとして思い描くモノに違いないだろうけれど。と、ボンヤリと考えて僕は床に大の字になった。隅に重ねられていた布団は放ったらかしにた。

 

 

 

「おはよう、って布団敷かなかったのか」

 

 目を覚ますとちょうど慧音がいた。

 

「ああすまない。すぐに出るから気にしないでくれ」

 

 慧音はタンスから何かを取り出してそのまま部屋を出た。それからしばらくすると下の方から子供の声が聞こえてくる。寺子屋と言っていた訳だし、おそらく授業が始まったのだろう。まさかこんな世界でも学校を感じることになるとは文字通り夢にも思わなかった。

 

 聞くに基本的に僕が小学校にいた時辺りと学んでいる内容はあまり変わっていないようであるが、ちょくちょく珍妙な名前も聞こえてくる。

 

『こらチルノ!寝るんじゃない!』

 

 こんな具合である。特にこの『チルノ』とやらの名前がしばしば聞こえてくる。たまに『ルーミア』?とやらの名前も聞こえてくるが。

 

 下の授業風景は校内のカーストも、嫌なしがらみも無いもののように思えた。何となく授業を聞いていると昔が懐かしい。まだこの辺りの頃は僕も世界を信じていただろう。穢れもなく純粋に物事を受け入れて....

 

 おっと、そんな無駄なことを考えたって何の生産性もない。どうして今更過去に未練を残せようか。まだ完全に過去を捨てきれない自分が何か腹立たしい。こんな宙ぶらりんの状態で果たして死ぬことができるのだろうか。

 

 森で彷徨っていた時の僕は死に対して微塵たりとも躊躇はなかった。あの時に死ねていたら僕はきっと今思い悩むこともなかっただろう。そうなっては今こうやって宿借りをしている自分は何を考えていたのだろうか。何も考えていなかったのだろうか。昨日の僕は様々な出来事を通して最終的にどんな考えに行きついたのだろうか。

 

 今僕がほんの少しでも昔のことを懐古しているのなら、結局僕は人としてまだ生きているのだろうか。それなら結局僕は何がしたいのか。結果として僕は死への決心を鈍らされたのだろうか。僕があの時目指していた死のそもそもの目的は何なんだろうか。現世からの苦しみを逃れるための都合のいい手段なのだろうか。それなら別に死ななくたっていいんじゃないか。

 

 でも果たして僕にはそれ以外に道が残されているのだろうか。世界に絶望するくらいなら別に逃げても構わないはずである。じゃあこの世界に果たして二度と絶望することが無いのなら、死ぬこと以外の選択肢は残されているのか。じゃあ結局死ぬというのは何なんだろうか。

 

 考えれば考えるほど頭痛がする。今なら哲学者かぶれにでもなれそうだ。とりあえず一人で考えたい気分になった。もし慧音とやらが戻ってきたら嫌みの一つでもぶつけて出て行ってやろう。僕は久しぶりに感情に素直な気持ちで笑った。傍から見ればきっと謀りをする盗人のような歪んだものだっただろう。

 

 

 

 しばらくすると授業の方が一段落ついたらしく、再び下の方から子供たちの活気のある声が聞こえてきた。こちらへ来る足音も聞こえてきた。慧音だろう。

 

「すまない、時間が時間だからきっと腹も空いただろう。これでも食べなさい」

 

 そう言って慧音は藁に包まれたいくつかの大きなおにぎりをこちらの方へ置いた。僕はそれに手を付けず

 

「どうして僕を助けたりしたんですか」

 

 と、慧音を睨み付けて言った。

 

「だから昨日も言っただろう?今君を一人にする訳にはいかないんだ。」

 

 慧音は真っすぐこちらを見てそう返す。

 

「どうしてそう思ったんですか」

 

「それは、何だ、きっと良からぬ事を考えているんじゃないかと思ったんだ」

 

「余計なお世話です。僕に声を掛けたのは教育者としてのエゴですか?」

 

 皮肉たっぷりに僕は言う。

 

「....確かにそれもあるかもしれないがそれだけじゃない。私の個人的な感情だ」

 

「子供のしたいことを阻んでおいてそれがあなたの個人的な感情の行動ですか」

 

「君だけの問題じゃないだろう」

 

「もしかして僕の周りの心配ですか?そんなこと心配しなくても構わないですよ。僕には—」

 

 ここで僕は言葉に詰まった。恐らくその先を言うのは僕にとって簡単なことだろう。だがその先を言ってしまうと、ぼくにとってかけがえのない存在を完全に手放してしまうように思えたのだ。確かに大切な人は僕の前から姿を消した。だが、それが必ずしも今生の別れを意味しているわけではない。僕はどうしてもその希望を捨てきれなかった。

 

 突然黙り込んだ僕を見かねた慧音は心配そうに声を掛けて来た。

 

「どうした、何が—」

 

「うるさい!!」

 

 色々内に秘めた感情が堪えきれなくなり、とうとう僕は感情を爆発させた。ここまで不愛想で表情を出しなかった僕しか見てこなかった慧音は驚いて少しの間、口を開かなかった。

 

「アンタに僕の何が分かる!こんな訳の分からない世界でどうして素性も知らないアンタにこんな話を....!アンタに僕のことは関係ない!僕がどうなろうとアンタに関係ないんだよ!もう放っておいてくれ!」 

 

 そう言って僕は足早に部屋を出ようとする。

 

「ま、待て!」

 

 慧音が僕を止めようとしたが僕は聞き耳を持たなかった。

 

 

 

 

 

 一方少し時を遡りここは寺子屋の教室内。いつもの人間に加え、チルノとルーミア、大妖精が授業を受けていた。

 

「ふー、やっと昼休みだ。やっぱけーね先生の授業は退屈だー....」

 

「チルノが暇だからあえて寺子屋に行こうって言ったんでしょ。結局寝てたし」

 

「そうだよ、来たからにはちゃんと起きとかないと。....ルーミアちゃんもね」

 

「う、うるさい!どっちにしろ湖にいたってやることもないからいいんだよ....ってあれ?」

 

「どうしたの?」

 

「いや、けーね先生がいつもと違う方に行ってたからおかしいなーって」

 

「たまたまじゃない?気にすることじゃないと思う。」

 

「私も別に大したことじゃないと思うけど....」

 

「いや、これはきっと何かあるに違いない!ちょっと後ろの方着いていこう!今日は探偵ごっこだ!」

 

「えっ!?やめときなよ!」

 

「私はあまり気乗りはしないけど」

 

「じゃああたい一人で行くから。それじゃあ。」

 

「....まぁ私も暇だからついていくか」

 

 慧音の後ろをチルノとルーミアが尾ける

 

「えっ!?....私は....やっぱやめた方が良いよ」

 

「それならあたいとルーミアだけ行くから大ちゃんはそこで待ってたらいいぞ。

 

「え....う、うん....」

 

 大妖精だけは教室に残った。

 

 

 

 

「いいか、バレないように静かに行くんだぞ」

 

「分かってるってば、にしても先生どこ行くんだろう?」

 

「さぁ....っと、階段か。足音には気をつけろよ」

 

「はいはい」

 

 

 

 

「ここの部屋、か。あんまり見たことない部屋だな」

 

「ここに何か用だったんでしょ。多分何か道具でも取りに来たんじゃない?」

 

「しっ!何か聞こえる....」

 

 チルノがルーミアをたしなめる。ルーミアは少し納得いかない表情を浮かべたが一応静かにしていた。

 

「(けーね先生、だけじゃない....誰かいるみたいだな)」

 

「(何話してるんだろう?)」

 

 2人はそっと部屋に聞き耳を立てる。どうやら慧音は誰かと何か口論しているらしい、時間が経つにつれ少しずつヒートアップしていくのが聞いてて分かった。

 

 

 

 

『うるさい!!』

 

「!?」

 

 突然の大声に2人はブルッと体を震わせた。何とか物音は立てずに済んだ。その後も慧音の相手は何か大声でまくし立てている。

 

『もう放っておいてくれ!』

 

 最後にその声が聞こえてきて、こちらの方へ足音が近づいてくる。

 

「やばっ!バレる!」

 

「どうするの!?これ無理だって!」

 

 小声で2人は叫ぶ。そのすぐ後に一気にふすまが開けられた。 




 


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愚者の再考

 力任せに部屋のふすまを開けると、2人の人間....じゃない、何か羽が生えている。

 

「何だよ、何しに来たんだ」

 

 さっきまでの怒りに任せて2人に凄む。そのただならぬ様子のせいか、2人は少し押し黙る。すると

 

「どうしてお前達がここに居るんだ?」

 

 という声とともに言い知れぬ殺気を後ろから感じた。

 

「あ、えっと....け、けーね先生?」

 

 2人は怯えた表情を浮かべて震えている。そしてすぐに

 

「ごめんなさい!」

 

 と、頭を下げた。それを見た慧音は、やれやれと言った様子で

 

「はぁ、まぁ今回は大目に見てやろう。もうするんじゃないぞ」

 

 と、言って2人の頭をポンポンと叩いた。頭に触られた途端何故か2人が少しブルッとさせていたのは気になったが。どうやらさっき2人が黙っていたのは僕の様子を見たせいではなくて、後ろの慧音の殺気にあてられたせいだったんだろう。

 

 

 

「ところでお兄さん誰?人間?」

 

 何やかんやであの後、僕はチルノとやらに連れ出され、教室に引っ張り出された。ルーミアが僕のことを妙に人間なのかそーでないのかを気にしているようだが、何となくその理由は知りたくない。

 

 今は丁度昼休みの時間帯のようで嫌でも僕は注目の的となってしまった。もう好きにしてくれ。

 

「それにしてもどうして慧音先生と同じ所にいたんだろう....もしかしてそういう関係だったりするのかな?」

 

 人間の子供たちはそんな風な話で盛り上がっている。どこの世界でもこういう話はいい酒の肴になるようだ。正直鬱陶しいが相手したくない。相手をするにも値しない。

 

「それで結局お前はナニモノなんだ?もしかしてけーね先生の弟なのか!?」

 

 チルノと言ったか、正直コイツだけ色々感覚とか何かしらが大幅にズレている。

 

「んな訳無いだろ」

 

 思わず返事してしまった。

 

「おおっ、しゃべった。となると....いとこ?」

 

「お前ひょっとしなくてもバカだろ」

 

 小傘に会ったとき以上に哀れみの目を向けてチルノに言う。

 

「なっ!あたいはバカじゃないぞ!お前よりずーっと天才だからな!」

 

 僕は悟った。コイツは真性だ。真性のバカだ。いっそこのくらいバカであれば僕はこんなに思い悩むこともなかっただろう。これくらい本能に忠実にいられれば僕の人生はあとどのくらい彩りを添えることができただろう。考えるだけ虚しいものだ。

 

 

 

 

 ずっと空っぽで満たされなかった僕は退屈をほんの少しでも凌ごうと思い、チルノに

 

「なぁ、さっきお前自分のこと最強だって言ってたよな?」

 

 と、尋ねる。

 

「おお、そうだぞ!」

 

 期待通りの返事をチルノが返してくる。

 

「それならここの先生だって倒せるってことか?」

 

「え?」

 

 僕の発言を聞いたチルノは予想外、といった顔で聞き返す。

 

「いや、最強っていうくらいならきっと相当強いだろうなぁって思ってな。でもさっき見た様子だと相当あの慧音とかいう先生にビビってたみたいだし....」

 

「び、ビビってなんかないぞ!」

 

「それなら倒せるよな?」

 

「ぐぅ....」

 

 言葉尻を捕らえてジリジリと追い詰めていく。最後に僕はニヤリと笑って

 

「僕は最強のチルノが見たいなぁ」

 

 と、呟いた。

 

「そ、そうか!それならやってやる!」

 

 勢いづいてしまったチルノはそう言って慧音のいた方へと向かう。

 

「ダメだよ!」

 

 突然チルノの手を誰かがつかむ。見るとその子も羽が生えている。

 

「大ちゃん!放して!」

 

「ダメ!勝てる訳ないって!お兄さんもチルノちゃんに変なこと言っちゃダメです!」

 

 そう言って大ちゃんと呼ばれた子がこちらをじっと見る。なんだ、マトモな奴もいるのか。作戦失敗である。面白くない。

 

「一体どうしたんだ騒がしい」

 

 騒ぎを聞きつけたのか、慧音が教室の方へ来る。

 

「あっ、けーね先生!ここで会ったが100年目!いざ尋常に—」

 

「チルノちゃん落ち着いて!」

 

 少しの間騒ぎは収まりそうにない。これを見た慧音は一瞬で物事を理解したのか

 

「頼むからチルノに余計なことを吹き込まないでくれ....」

 

 とだけ、僕に言ってきた。なるほど、慧音は先生としての器量はかなりあるようである。しっかり人を見ているんだろうな。もう少しマトモな先生がいれば僕も楽しい学生生活が遅れたんだろうな。不意に理不尽な嫉妬が込み上げてくる。

 

「お前は良かったな、ちゃんとした『先生』に出逢えて」

 

 皮肉を込めてチルノに伝える。

 

「そーか?けーね先生の授業って退屈だしよく分かんないからそうは思わないぞ」

 

 言葉の表面だけを拾ったチルノが返す。ダメだ、皮肉さえも通用しない相手に真面目にに叱る気にもなれない。

 

「そうか、それならもっと私の授業が理解できるように補習を組んでやる。これで私の授業も分かるようになるだろう」

 

 言うことを失った僕の代わりに慧音はチルノを見て笑って言った。目の奥が笑っていない。

 

「うー....で、でも寝てるのはあたいだけじゃないじゃん!それならあたいだけじゃなくて皆も—」

 

「チルノは特に酷いからな。テストに2桁の数字をつけた覚えがない」

 

「ぐぅ、そ、それならあたいがコイツとテストでしょーぶする!それであたいが勝ったら補習は無し!じゃあダメ?」

 

 そう言って僕の方を見る。どうやら身の丈という言葉を知らないようである。もしかするとそういうフリをしていたんじゃないか....とか考えていたが、自らの首を絞めているこの様子ではやはり『真性』のようである。何となく考えるフリをしつつ僕は慧音の方をちらっと見る。

 

「....分かった、いいだろう。今回は特別に過去問を使用するぞ。チルノも1回解いたはずの問題だ。それなら尚更負けるわけないよな?」

 

 慧音はチルノの方を向き直って言う。

 

「おう!のぞむところだ!」

 

 案の定も案の定チルノは乗って来た。慧音は僕の耳元で

 

「すまん、少しだけ付き合ってやってくれ」

 

 とだけ囁く。何となく面白く思えて来たので僕も乗っかることにした。

 

 

 

 

 

「なっ....100点だと!?さては何かズルしたな!?」

 

「いやこれめっちゃ簡単じゃん。むしろ1回解いたこの問題でどうしてこの悲惨極まりない点数が出るんだ。」

 

「ぐぅっ....」

 

 ぐうの音『しか』でないチルノを見て慧音は

 

「と言う訳だ。もちろん補修の事を忘れたなんて言わないな?」

 

 そう言ってチルノの肩をポンと叩く。チルノは全身をブルっと震わせて

 

「うぅ....くっそー!次会った時は覚えとけよ!」

 

 捨て台詞を吐いた。周りにいる子たちはその様子を見て笑っていた。しかしここは何とも平和だろう。学校内のしがらみというのも無く、種族を問わず社会に溶け込み、そして人間もそれを迎合する....

 

 ここでもう一度僕が死にたいと思っていた理由を考えてみる。僕の死にたい理由は多分世界に幻滅していたせいだろう。こことは違って僕がこれまで生きていた世界は筆舌に尽くし難い苦しみと苛立ちが僕の周りを取り巻いていた。それなら当然そこから脱却をしたいと思うのは自然の摂理とも言えよう。

 

 だがここはどうだ。死に場所を探していた僕の前に突然現れたこの『夢』と僕が形容する世界。結局ここが現実なのかそれとも夢の中なのかは分からない。先程慧音に毒づいた直前に僕がグルグルと頭の中を巡らせていたことを思い出してみる。

 

 

 

 ....結局今の僕がここを死に場所とする理由はなかった。もちろん過去のことを一切合切忘れて、それを引きずらないといったことは全く保証できない。いや、きっと無理だろう。母のことだってある。

 

 さて、これからどうしよう。あそこまで慧音に啖呵を切った僕がどの面を下げてここに居られようか。

 

「失礼。さっきは....」

 

 そこから先は言えなかった。敬語を使うのは決まり悪かった。その一言を残してここを出ようとすると

 

「ちょっと待ってくれ。少しだけ話、いいか?」

 

 慧音が僕を呼び止め、僕を連れて奥の部屋へ向かった。



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居候と意義

 寺子屋内で色々あった翌日、いつもの人間の子ら、さらにはチルノと大妖精とルーミアに加えて、今日はリグルも来ていた。

 

「いやー、昨日は大変だったぞ。見たこともない人間のせいでけーね先生の補習がいつにも増してひどかったんだからな。今度あいつにあったらガツンと言ってやるんだ!」

 

「それはチルノちゃんが悪いんじゃないかなぁ....」

 

「私もそう思うけど。チルノがちゃんと授業受けてたら少なくとも引き分けかいい勝負に持ち込めたというのにさ。もっともその相手とやらをまだ見てないから何とも言えないけど」

 

「なっ....リグルまであいつの味方なのか!?」

 

「いやでもそうなっても仕方ないんじゃないかな。どっちにしろ勝てはしなかっただろうけどねー」

 

「ぐぬぬ....お前らー―」

 

「ハイハイ、 もうそろそろ今日の授業始めるぞ。チルノ、座りなさい」

 

 ヒートアップしてきたところで慧音が手を鳴らす。

 

「さて、今日はお前たちに話しておかなければならないことがある」

 

 いつもと違う慧音の導入に教室内が色めき立つ。

 

「なんだろ....もしかして抜き打ちのテストとか!?」

 

「いや、もしかすると今日は早く帰れるとか?」

 

 人妖問わずザワザワと噂をする。

 

「まぁ実際に見てもらった方がいいかもしれないな。おーい、もう入っていいぞ」

 

 

 

 

 慧音が『僕』を呼ぶ声がする。ここで僕が出てきたらみんなはどんな反応をするだろうか。特にあのチルノとやらは相当に驚くのではないだろうか。もしかするとまたあの時のように決闘を申し込まれるかもしれない。

 

 奥から教室に入ってきて僕は小さく頭を下げる。

 

「あーっ!お前は!」

 

 案の定チルノが真っ先にリアクションする。指差すなんて失礼な奴だな。

 

「まぁほとんど皆知ってるとは思うが、改めて自己紹介を頼む」

 

 慧音に紹介を賜り簡単に自己紹介をする。

 

「へー、おまえ『すぐる』って言うのか。よろしくな!次のテストは負けないからな!」

 

 チルノはまた僕を指差してくる。

 

「もしかしてこの人がさっきチルノが言ってた人?へぇ~、男の人だったんだ」

 

 昨日は見覚えのない妖怪?がいる。触手生えてるしマント?をつけていて滅茶苦茶目立っている。ザワつく中慧音がとうとう言う。

 

「えーっとなチルノ、やる気があるのはすごく喜ばしい事なんだが....彼は今日から生徒じゃなくて私と同じく『先生』という立場で迎えたんだ」

 

 

 

 

 

「ちょっと話、いいか?」

 

 先日慧音に言われ奥へ引っ込んだ僕は開口一番

 

「その、1つ頼みがあるんだが聞いてくれないか?」

 

 頼み?一体何だろうか。首を傾げる。

 

「実は君をここの先生として迎え入れたいんだ」

 

「....へ?」

 

 よく言ってることが分からない。僕が先生?一体何を言っているんだ。

 

「唐突で無茶な頼みだとは分かっている。だが、頼まれてほしい」

 

「一体どういう風の吹き回しで?」

 

 当然の疑問を投げ掛ける。

 

「まぁなんだ、生徒らにとって新鮮な刺激があるとよりいいと思った、というのもあるが、仮住まいのまま何もしないというのも君に退屈だと思ってな。大丈夫だ、君の知識があれば教えるのに苦になるような事はきっとないはずだ」

 

 慧音はそう説明する。しかし何というか、本当に藪から棒と言った風である。小傘とやらが出て来た時よりも数倍もびっくりである。

 

「いやでも分かると教えるって大分違うと思うんですけど....それにいきなりそうなった所で向こうは受け入れられるんですかね....」

 

「あいつらに関しては心配ない。そんな排他的なもんじゃないさ。それに関しては私が保証しよう。教えることだって最初は誰だって不慣れなものだ。きっと慣れていくに違いないさ」

 

 慧音から説明は受けるがどうも腑に落ちない。とはいえ完全なる居候でずっとここに居るのも正直どうかとは思う。異世界でリアルニート生活は正直笑えない。少々考えて

 

「分かりました。多分色々失敗はあると思いますが....宜しくお願いします」

 

 

 

 

 

 

 

 と言う訳で今に至る。新入生が来たとき特有のザワザワしていた空気が一瞬で変わったのを僕は感じた。

 

「へ?先生?」

 

 キョトンとした顔でチルノは僕の顔を見る。

 

「ああ、そうだ。まぁいきなりでお互い躊躇うところもあるとは思うが....そういうことだ」

 

「ぐっ....これで勝ったと思ったら大まちがいだからな!すぐる!」

 

 どうしてわざわざ下の名前で呼んでくるのだろうか。一応ちゃんと自己紹介はしたはずなんだが。

 

「というわけで、今日の算数の時間は私じゃなくて彼が先生だ。というわけで早く1時間目の準備をしておくんだぞ」

 

 そう言って慧音は奥の方へ行った。とりあえず僕もそっちの方へついて行った。

 

 

 

「これ大丈夫ですかね....明らか空気が変わってたような気がするんですけど」

 

 不安と不安と更に不安で慧音に尋ねる。

 

「構わないさ。それに君の思う『先生としての像』なんてあくまで偶像に過ぎない。授業が進むのであれば別に気味の好きな風にやればいいからな。向こうの世界では君は恐らく『先生』というものの在り方が気に食わなかったのではないか?」

 

 図星である。こちらの抱えている問題に一切干渉せず火中の栗を拾いたがらない先生というものが、僕は大嫌いであった。とはいえつい昨日までは気にかけてくれる存在にまで悪態を吐いていた僕がそれの善し悪しを語る資格があると言えるのかどうか分からないが。

 

「この経験を踏まえて先生というものに対する見方を180度変えてくれと言う訳じゃない。ただ君にとっての憎悪の対象になっているものがあるということが私にとって残念でならない。そしてそういったイメージを持っていた君だからこそ出来ることもあると私は思った。それこそそのイメージを大きく壊すようなものでも構わないさ」

 

 まっすぐに僕の目を見て慧音が説く。周りが見えている人だと思っていたがなるほど、僕の知ったつもりでいる先生なんかとは全然違う質のもののようだ。

 

「色々考えてくれてたんですね。ここまで先生が人のことを考えてくれているということが今まで無かったので」

 

「そうか?別段特にそんなことはないと思うが....まぁ私も長い間ここで『先生』をやってきたからもしかしたら向いているというのもあるのかもしれんな」

 

「へぇ、長い間ってどのくらいですか?」

 

「そうだなぁ、私自身君の数倍かそれ以上は生きているだろうし、ここに住む人間は大体見て来たと思うから多分—」

 

 ....ん?

 

「え?」

 

 何か聞き捨てならない言葉が聞こえた気がする。

 

「ん?」

 

 僕が素っ頓狂な声を出したのを聞いて慧音が首を傾げる。

 

「僕の数倍って....先生20代くらいじゃないんですか?」

 

 恐る恐る尋ねる。

 

「20代....?ハハハ!まさかそんな風に見られていたとは思わなかった。そういえばまだ詳しく私のことを話していなかったな」

 

 そう言って改めて慧音は言う。

 

「私の名前は上白沢慧音、ここの寺子屋の教師、そして『ワーハクタク』だ」

 

 ワー....ハクタク?

 

「すみません、後半よく分からないんですけど....」

 

「そうか、やはりあまり馴染みが無いか....それじゃあ狼男というのは知っているか?」

 

「まぁ、はい。満月の夜になったら人間がオオカミになる、みたいなやつですよね?」

 

「ああ、そして私もそれに近い存在だ。簡単に言えば『半人半獣』といった所だ。半分人で半分獣。別に狼になると言う訳ではないんだがな」

 

「」

 

 さらりと明かされる衝撃の事実に僕はあんぐりと口を開ける。確かに奇妙な帽子とか被ってるし、聞き覚えのない名前をしているとは思ったのだが。

 

「別にそんなに驚くこともないだろう。チルノや大妖精みたいな妖精もいれば、ルーミアのような妖怪だって寺子屋にはいる。君が思っている以上にここは人間と妖怪が共生しているんだ」

 

 あの羽はやっぱりコスプレじゃなかったのか。というかルーミアも人間ではなかったのか。もしかして執拗に僕が人間か否かを聞いていたのはその為だったのか?

 

「まぁそんな感じだ。とはいえ妖怪が無闇に人に手を出そうもんなら大事にもなるし心配することはない。っと、そろそろ授業が始まるな。君の担当はもう少し後だからゆっくりしているといい」

 

 そう言って慧音は教室の方へ行った。どうやら夢での想像なんかよりもよっぽどの世界に来てしまったようである。

 

 イレギュラーな形とはいえ、死に場所を探していた僕に皮肉にも居場所が見つかることになった。




 


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想起、それと怒号

 さて、とりあえず自分の授業の時間まで待っていろとは言われたものの、やはり緊張は収まらない。慧音曰く『自分の好きにやればいい』とのことだが、一体どうしようか。

 

 ここに居ると自ずと慧音の授業が聞こえてくる。歴史の授業だろうか。さっきまでザワザワしていた教室は静まり返っているようで、慧音が何かを書いている音しか聞こえてこない。なるほど、やはり先生として生徒に慕われているのだろうか、皆熱心に授業を聞いているようである。

 

 ふと授業風景が気になった。というか確かに皆熱心に聞いているようだが、話し方が堅苦しいというか、機械的と言うのは少し違うのだが、中々長時間聞いている分には辛そうである。ここの生徒は僕ら基準で言う小学生くらいがほとんどだったはずだが....

 

 待っていても退屈なので、こっそり隙間から授業の様子を覗いてみることにした。なるほど、一生懸命皆板書を取って....いない!

 

 7,8割方の生徒は机に突っ伏している。普通寝ている生徒がいたら先生は注意するものだと思うが、というか慧音の板書の量が異常だ。悉く僕らの世界で人気のないパターンのそれだ。

 

 慧音がつらつらと板書を書き連ねている間、ぽつぽつと生徒が起き始める。やがてチルノと一部を除く大半の生徒が起きて何事もなかったかのようにしている。

 

 一通り板書を書き終えた慧音は生徒の方を向く。チルノは寝ている。そして案の定注意を受ける。何となくチルノがマークされている理由が分かった。だがこれはこれでどうなのだろうか。

 

 やがて授業が終わった。号令が掛かり生徒らは休み時間に入った。とても懐かしい光景である。

 

「ふぅ、終わった終わった。にしても相変わらずチルノは授業態度に難があるな....一体どうしたものか」

 

 慧音さんそれチルノに限ったことじゃないですよ—と、口から出かけたが、あえて黙っておいた。それをバラしてしまうと何か色々大変なことになりそうというか、慧音の精神衛生上あまりよろしくないように思えたからである。少し前の荒れ果てた僕ならきっとそれをあげつらってバカにしていただろう。もっとも今はそんな気は起きないが。

 

「さて、次は君の担当だ。このプリントは一応今日の授業用のものだが、使うのも使わないのも君に任せる。頑張って来い」

 

 そう発破をかけて慧音は僕を送り出す。普通は教育課程だとかなんだかあるということを考えれば改めてやはりこれはかなりの無茶ブリなのではないかと感じる。

 

 

 授業の時間になり僕が教室に入る。だが、さっきの慧音の時とは違い大半の生徒はまだ休み時間の気分である。一部の人間、あと昨日『大ちゃん』と呼ばれていた子は大人しく準備をしている。

 

「おーい、もう授業始まってる時間だぞ。静かにしろー」

 

 僕がそう言っても中々静まらない。一体どうしたものか。とりあえず手始めにこれまで一番僕に絡んできているチルノの方へ向かう。

 

「何だよすぐる。あたいはまだお前が先生だって認めてないからな」

 

 そう言って僕の方を睨んでくる。『そうだそうだー!』と、周りからはヤジが飛ぶ。活発的な性な分、ちょっとしたリーダー的存在なのだろうか。

 

「そんなこと言ったってもう決まったことだ。授業するからとっとと準備しろ」

 

 僕もチルノの方を見返してキツめに言う。

 

「そうだよチルノちゃん、一旦静かにしよ?」

 

 ここで大ちゃん、と呼ばれてた子が思いがけず僕の方へ援護射撃を送る。思いがけずいい子もいるものである。だが当のチルノは全然話を聞こうとしない。どうしてだろう、この構図は見覚えがある。多分僕が中学生くらいの頃、先生の注意、騒音、馬鹿共の集まり、出来れば思い出したくない—

 

 

 

 

「うるせえ!!」

 

 気づけば自分でも思いがけず、大きな声を出してしまった。教室内の空気が一瞬で変わる。ハッとなったがもう時すでに遅しといった様子である。この空気を一言で表すなら『最悪』以外のものはない。

 

 どうしたらいいか分からず僕は少しその場で棒立ちになっていたが、そうもしていられない。周りを見るともうみんなが席に着き、俯いて静かにしている。

 

 とんでもない動悸に襲われ肩で息をしていたが、少しずつ僕を現実が引き戻してくる。そして少しふらついた足取りで教壇の方へ向かった。

 

 それから僕は授業をしていたそうだが、あまりハッキリとしたことは覚えていない。手元に会ったプリントを配ることもなくいつの間にか授業は終わっていた。

 

 授業が終わって僕は裏に引っ込んですぐ、途轍もない後悔の波に呑み込まれた。掴みで一番やってはいけないことをやってしまった。体育座りになって僕は頭を抱え込む。

 

「大丈夫か....?」

 

 僕の様子を見かねた慧音が声を掛けて来る。何かを答えようとするが言葉が出てこない。そのまま僕は空間に溶け込むかの如くじっとしていた。その間慧音は僕に無理に話しかけようとはしなかった。

 

 

 

 翌日、ここではいつもと同じように授業が開かれる。正直に言って相当に憂鬱である。昨日の授業がどんな風に進んだかも覚えてないし、何よりもどの面を下げて生徒らの前に現れればよいのだろうか。

 

「おはよう、よく眠れたかな?」

 

 こちらを見つけて慧音は声をかけてくる。

 

「まぁ、なんとか」

 

 大噓である。と言うか寝たかも分からない。いつのまにか今に至る、と言った具合である。だが頭はボンヤリとしていてマトモに何かを考えられそうにもない。

 

「大丈夫か?今日は私が出た方がいいかな?」

 

 まぁ嘘はバレバレだった。このザマならさすがにチルノにも見破られそうである。

 

「今日は....お願いします」

 

 作り笑いを浮かべてそう答えた。

 

 

 

 それからしばらく経って、僕は再び教壇に立った。初日とは大きく違って授業が始まる時間になるやいなや、教室内が静まり返った。重苦しい空気が場を支配する。僕は仏頂面をぶら下げて感情の無い一礼から授業を始める。

 

 参考書に書かれていることをそのまま辛うじて聞き取れるような声で読んでいき、ほとんど生徒に顔を会わせることもなく、ダラダラと黒板を埋めていく。

 

 『僕が一番嫌いな先生』を演じ切り、授業が終わって奥に引っ込むと生徒等の声がする。

 

「~~~」

 

「~~~」

 

 よく言っていることは聞こえないが、恐らく陰口だろう。恐らく授業の不満だろう。その声は次第に大きくなっていき、僕の心を呑み込んでいく。

 

 一体どうすればいい?もう取り返せないのか?ここでも僕は失敗してしまうのか?やり場の無い負のエナジーが僕を立ち込めていき、雁字搦めにする。

 

「~~~」

 

「~~~」

 

 また聞こえてくる。人妖問わずに不満が膨らんでいく。もうやめてくれ。これ以上はもう耐えられない。抑えていたヘドロの様に汚れきった感情のようなものが脳髄まで侵食していく。

 

 正気を失いリミッターが外れた僕はバッと立ち上がり、奇声をあげて走り出した。




 


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不安と衝突

 


「あぁぁあぁあぁぁ!!!」

 

 そう叫んだ僕はなぜか立っていなかった。夢うつつが曖昧だった僕はジワジワと現実に引き戻されていく。

 

「どうした!?」

 

 慧音が急いでこちらへ来る。まだ状況が理解できない。

 

「....寝覚めはともかく起きたみたいだな。今はまだ夜明け前だ。もう少し寝てるといい」

 

 慧音の言う通り、ついさっきまで寝てたようである。温かい布団の感触がようやく僕をこちらの世界へしっかりと引き戻した。窓から外を見ると確かにまだ真っ暗である。

 

「じゃあさっきのは....」

 

 ホントに夢だったのだろうか。どこから夢だったのかは分からない。もしかすると.... 僕は恐る恐る

 

「あの、僕いつから寝てましたか?」

 

 と、尋ねる。

 

「私が代わりに授業をして、終わる頃にはもうすで君は寝ていた。だから随分長く寝ていたようだね。まぁ前の日そんなに眠れてなかったみたいだから、仕方がないとは思うけどな」

 

 やはり嘘はバレていた。それを聞いて僕は恐る恐る尋ねる。

 

「....ホントですか?あの後僕は何も変なことは起こしていませんでしたか?」

 

 知るのは怖かったが、ちゃんと知っておかなければならない気がした。そんな僕の思いとは裏腹に慧音はキョトンとした顔で

 

「いや、特に無かったと思うが。あの時寝て今し方君が飛び起きたと言う訳だ」

 

 ....ホントにそうだろうか。もしかするとこちらに気を遣って本当にあったことを話さなかったのかもしれない。とはいえ今の状況からその真偽を明らかにするのは難しそうである。

 

「とりあえず朝までもう少し寝てた方がいい。今からずっと起きていてもキツいだろう」

 

 そう言って慧音は部屋を出ようとする。なんと言えばいいか分からず言葉に詰まった僕だったがとりあえず

 

「えっと....布団、ありがとうございます」

 

 とだけ言っておいた。それを聞いて慧音は少し笑って部屋を出た。

 

 

 

 その日の朝、十二分に寝ていた僕は頭の回っている状態で目を覚ますことが出来た。だが、なまじ頭が回る分モヤモヤした気持ちが収まらない。

 

「おはよう、流石によく眠れたみたいだね」

 

「ええ、まぁ。今日に関してはホントに大分スッキリ目が覚めたと思います」

 

「それで....今日はどうする?今日も私が出た方がいいか?」

 

 それが問題である。そりゃあ出る分には相当な勇気もいる。だからといってずっとご隠居、と言うわけにもいかないだろうし。

 

 ここで退いたらどうなる?時間が解決してくれるか?いや、そんな都合のいいことがある訳がない。僕だって昔は『いつかは何とかなる。』と、自分に言い聞かせて自分から何もしようとしなかった。その結果僕はどんな顛末を迎えた?母はどうなった?

 

 確かにどうしようもない状況ではあったかもしれないが、結果的に後悔と苦悩しか残らなかった。次の僕もそんなんでいいのか?それで満足すると思うかよ。

 

 

 

 

「....ちゃんと顔合わせて謝ってきます。そうしないと、何も進まないと思いますから」

 

「そうか。なら君にできることをやって来い」

 

 少し頼り無さそうではあっただろうが、毅然とした態度で答えた僕を慧音は力強い言葉で後押ししてくれた。後悔しないようやろう。ここで逃げに徹したら僕はまた『死ぬ』かもしれないから。

 

 

 

 いよいよ僕の持つ授業の時間になる。表向きはああ答えたものの内心バクバクである。とりあえずどうしよう。色々プランは考えたが、いざその時となると何も体が言うことを聞かない。こうなったらもう出たとこ勝負だ。

 

 震える足を無理やり進めて僕は教室へ入る。生徒はみんな僕を見るなり話す口を閉ざしてこちらの方に注目する。やっぱり普通通りには行かないよな。

 

「....」

 

「....」

 

 双方に沈黙が続く。こういう時何て言えばいい?どんな顔をすればいい?とりあえず突っ立ったままでは何も事態は好転しない。それだけは分かっていた。少し目を閉じて深く息を吸う。そして—

 

 

 

 

「すぐる!どうして昨日は来なかったんだ!」

 

 僕が何か言おうとしたその瞬間に大きな声が聞こえる。発言主はチルノだ。

 

「へ?」

 

 虚を突かれた僕は気の抜けた炭酸の様に張りのない声を漏らす。

 

「お前!なんで来なかったんだ!おとといからはお前が算数の先生だろ!昨日お前が来なかったせいで結局昨日はけーね先生のひまな授業を聞くことになったんだぞ!」

 

 ポカンと口を開けたまま僕は何も言えない。チルノ以外の生徒は当然この奇妙な空気に唖然とし、傍観に回っている。

 

「何も言えないのか!このバカ!」

 

 このバカ。この『チルノ』の言葉が一気に僕を奮い立たせた。今思えば言いたい放題言いやがって。

 

「んだと!?こちとらお前達にどんな面下げてここに来ようか散々悩んだというのに....なにが『暇な授業を聞くことになった』だよ!そんなのそっちのエゴじゃねえか!」

 

 瞬間湯沸かし器と化した僕は一気に抱え込んでいたものを爆発させた。夢の中であったような薄汚いそれとはまた別の何かだ。

 

「えご、ってなんだよ!あたいに分かる言葉で話せ!」

 

「だぁぁぁぁ!このバーカ!大体一昨日僕が叱ったのはお前達のほとんどが授業が始まったってのに静かにしなかったからだ!一体僕が何を決まり悪くする必要があったんだ畜生!」

 

 この僕の言葉を聞いて大多数の生徒が全身を震わせる。多分そのメンツが一昨日の狼藉に心当たりがある奴等だろう。

 

「お前は何を言ってるんだ!?あたいらが何か言われてると思ったらいきなり自分にキレて....」

 

「あぁもう!そもそも今日はこんなこと言いに来た訳じゃねーんだよ!一昨日は悪かった!」

 

 完全に勢いに任せて突っ走り流れるように頭を下げた。

 

「な、なんだよ!急に」

 

 突然謝罪をした僕を見てチルノは混乱している。元々頭のキャパが広い感じではないし、それが尚更状況を飲み込むのを遅れさせているのだろう。

 

「この前はいきなり怒鳴って悪かったってことだよ!」

 

「今も怒鳴ってんじゃん!」

 

「こ、これとあの時のとは話が別だ!とりあえず今日はちゃんと授業するからな!」

 

 あまりにも手荒ではあるが目的は果たせた。これで大丈夫だっただろうか。正か否かは結局のところ今は分からないが、少なくとも胸のつかえは取れた気がした。

 

 何とか『自分の意思で』授業を終え、裏に引っ込む。ちょうど昼休みに入るようで、教室内がガヤガヤし出す。何て言われてるんだろう。慣れない授業だし、夢の中の様にボロクソに言われているかもしれない。もしそんなことにでもなろうもんなら赴任とかこつけてまたどこかへ放浪することになりそうだ。

 

「今日の授業さー、」

 

 来た。この後に続く言葉は何なのだろうか。

 

 

 

「何か今までとは違ってよかったよねー」

 

 思いがけず好評だったようである。その後もそれなりに好意的な意見が聞いて取れた。度々不慣れゆえの苦い指摘もあり、心に刺さるものもあったが。

 

 

「お疲れ様。まぁ大分無理やりな形だったみたいだが、心配無さそうだな」

 

「すみません....どうしてもこういうのは器用なものじゃなくて」

 

「何、それが君のやり方ならそれでいいさ。それに授業の方も大丈夫そうだな」

 

「大分辛辣なご指摘を生徒様の方から受けてますけどね....」

 

「はは....まぁそれはこれから直していけばいい。この様子なら明日も大丈夫かな?」

 

「ええ、1日サボった分これからはしっかりやらせて頂きます」

 

 この一癖ある世界でも僕は何とかやっていけそうである。そう心の中で僕は期待していた。




 


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不服な遭遇

 


 あの日から少し経った日の午後、自分の担当の授業を終えて僕は人里をうろついていた。決して暇を出されたわけではない。ここの生活に馴染むため、と慧音が改めて人里を見て回ることを勧めてきたからだ。

 

 数日前まで荒みきった心だけで見ていた人里も、こうやって見ると風情があって良い所に見える....のかもしれない。

 

 この世界は人と人との繋がりが希薄で、空虚なあんな世界とは違ってみんなが中身のある営みを続けて....そんなように見えた。....ついさっきまでは。

 

 

 

 適当に歩いて回っていると妙な格好をしている人、かは知らないが、誰かに話しかけられた。というか多分人じゃない気がする。これまでの経験を踏まえた上でそう勝手に断言させていただく。

 

「すみません、少しお話伺っても宜しいでしょうか?」

 

 相手はまず僕にそう尋ねてきた。今までこの世界で遭ってきた人妖とはタイプが違う。僕は手短に

 

「いきなり何ですか?」

 

 と、少し突っぱねる。この世界にもキャッチセールスは存在するのだろうか。

 

「おっと、いきなり申し訳ありません。私、記者をさせていただいております『射命丸 文』と申します」

 

 そう言って向こうは何か手渡してくる。名刺だ。こっちにもそんな文化はあるのだろうか。

 

「記者?」

 

 名刺を見て僕は呟く。名刺の存在に続いてそんな職業がここにあることに少し驚いた。

 

「ええ、幻想郷で『文文。新聞』を発刊させていただいています。良ければ....」

 

 そう言ってこちらに新聞を渡してくる。そういえば何となく思い出した。誰かが焚き火として新聞を燃やしていたような気がする。どうやらそれは彼女のものらしい。

 

 思わず笑いそうになり手元を口で抑えて

 

「まあ....少しだけなら構いませんが」

 

 その言葉に向こうは目を輝かせた。

 

「ありがとうございます!では早速ですが....あなたは外の世界から来た、ということでよろしいでしょうか?」

 

「まぁ、いわゆる外の世界、ってことになるんでしょうかね」

 

「どのようにしてこちらへ来られたのですか?」

 

「どのようにも何も....知らないうちにこの幻想郷とやらに行ってしまってたようだから答えようもない。寝てて起きたらここに居た、これだけです」

 

「ほう....たまに偶然こちらの方へ来てしまう方もよくいらっしゃいますからきっとそのパターンでしょうか。....本当にただただ偶然ここに来たのですか?何かしらのきっかけがありそうに思えなくもないですが....」

 

「そもそもここに来るまでここの存在を知らなかったから意識のしようもない。森で寝てたらいつの間にか周りの風景が前と違うものになってたんだ」

 

「森で....寝てた?」

 

「色々あったんだ。....別に大した事情じゃない」

 

「そうですか。普通ならばそんな事態になるようには思えませんが....」

 

 

 

 何だろう、彼女の言葉に妙に引っかかるところがある。言葉の端々に何か含みがあるように聞こえるのである。

 

「それで今、あなたは寺子屋で教師をしていると聞いているのですが、本当なのでしょうか?」

 

「....その情報はどこから仕入れた?」

 

「生憎ですがその件に関しては口を割ることはできません。情報元を迂闊に出すのは私のジャーナリズムに反するので」

 

「へぇ、そうかい。焚火代わりの新聞の発行元でもその辺りの良識はあるんだな」

 

「なるほど、確かに最初は荒れていたというのもこの様子を見るに伺えますね」

 

 

 

 何なんだ、彼女は僕を無意識的に煽っているのだろうか。それとも僕が今こうやって腹を立てているのも向こうの掌の上だということなのだろうか。

 

「もう十分だろ。こっちは用もあるから行かせてもらうぞ」

 

「そうですか?まぁこちらとしてもあなたのことをこれ以上聞いたところで特にネタにするようなこともなさそうですし....分かりました。ご協力感謝します」

 

 強引な形ではあったが無理やり取材を抜けた。これ以上彼女と話していると迂闊に変なことを口走ってしまいそうである。

 

「あ、そういえば私の新聞は鈴奈庵にも置いてあるので良ければ是非」

 

 去り際、射命丸が僕に言う。

 

「鈴奈庵?何だそれ」

 

「あら、ご存じではありませんでしたか。もう少し真っすぐ行ったところに『鈴奈庵』という貸本屋があるんですよ。あまりこの辺りのこともご存じ無いみたいですし、一度立ち寄ってみてはどうでしょうか」

 

 それだけ言って射命丸は行ってしまった。飛んで。やはり人間ではないみたいである。

 

「一体何だったんだ....変な記事でも書かれようもんなら承知しねーからな....」

 

 僕は独り言をブツブツ呟く。とはいえ貸本屋か。正直少し興味はある。彼女に何か施しを受けたような気もして少し気は進まなかったが、とりあえず行ってみることにした。

 

 

 

 

 

 その頃、昼休みを迎えた寺子屋では授業からの解放で人妖問わず思い思いの時間を過ごしていた。

 

「あれ?何か落ちてる。何だろうこれ....」

 

 大妖精が何かを見つけた。

 

「どうしたんだ?大ちゃん」

 

「あっ、チルノちゃん。えっと、さっきあの先生が授業してたところの辺りにこれが落ちてたんだけど....先生のなのかな」

 

「うーん、どうだろ。というか何だこれ?....お守り?」




 


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再犯泥棒の疾走

 


「どうしよう、これ一応先生に聞いておいた方が良いかな?」

 

「うーん、とりあえず今日はもうすぐるもいないみたいだし、別の日にしよう。これはあたいが預かっておくよ」

 

「大丈夫?落としたりしない?」

 

「なんだよー。失礼だなー」

 

 そう言ってチルノはお守りを大妖精から受け取った。

 

 

 

 

 あれから少し歩いて僕は『鈴奈庵』に着いた。この辺りではあまり見なかったような店である。入ると一人の少女が店番をしていた。

 

「いらっしゃいませ!」

 

 店番の少女の元気な声が僕を出迎える。店の中には確かに様々な本が置いてある。だがそれよりも先に目につくものがあった。

 

「ん?これは....」

 

 見覚えのある紙が平積みされている。恐らく『ご自由にお持ち帰り下さい』のスタンスの類のものだろうが、ほとんど手をつけられている様子はない。

 

「この新聞は?」

 

 少女に尋ねる。

 

「ああ、これはさっき射命丸さんが持ってきた物です。何故か少し前にここに置いていったんですよ。もう少ししたら私にあまり見覚えのないお客さんが来る、って言って」

 

「なるほど、でもそれをそのお客さんであろう僕にバラしても大丈夫だったんですか?」

 

「あっ....」

 

 マズい、といった表情を店番の少女が浮かべる。

 

「まぁいいや、とはいえ確かにここは色々本があるな、何故か奥の方は心なしか物々しい感じがするが....」

 

「き、気のせいですよ」

 

 何故か妖魔本の存在をボンヤリと認識している様子を見て小鈴が少し慌てている。もっともボンヤリとそんな気がしただけでこの発言は僕にとって特に意味の無いものなのだが。

 

「ん?この本何か見覚えが....」

 

 異世界のはずなのに何故か僕の記憶にある本がある。それを見た小鈴が

 

「え....?この本をご存じなんですか?」

 

 と、意外そうな顔で尋ねる。

 

「いや、読んだとかそんなんじゃないとは思うんですけど、なんか図書館かどこかで見た覚えが....」

 

「えっと、ここでは幻想郷で製本されたものに加えて、外の世界から流れてきた本を少しだけ置いているんです。ということは貴方は....」

 

「まぁ、外の世界から来た、って感じですかね。最初よりは大分慣れてきましたが」

 

「そうだったんですか....!」

 

 そういった小鈴は何故か僕に期待の表情を浮かべている。

 

「えっと、どうしたんですか?何か僕の顔についてたりします....?」

 

「えっ?い、いやそんな事は無いですよ」

 

 もしかしたら外の世界の本を持っているかもしれない、なんて口が裂けても言えない。

 

「まぁこっちの世界の本とは言ってもあんまり知ってる本はないかな....ってこれは?」

 

「あぁ、一部新聞や雑誌なども置いてるんですよ。特に外の世界のそれは普通で走ることのできない外の世界での動向などが分かりますから。とても興味を惹かれるんですよ!」

 

 目を輝かせて小鈴が語る。

 

「へ―....色々あるんだなぁ。ベルリンの壁崩壊ってこりゃまた中々な....」

 

「あぁ、それですか。前々から気になってるんですけど、この『ベルリンの壁の崩壊』といい、『ソビエト崩壊』といい、外の世界の建築技術は少し未熟なんですか?」

 

「あー....うん、この崩壊ってのは建築物としての方かいとはちょっと違って—」

 

 

 

 

 

「なるほど!そういう訳だったんですね。そう考えるとその頃の外の世界は大分物騒だったんですね....」

 

「かも知れないね」

 

 思わず課外授業で主従が入れ替わる。

 

「しかし、こっちの世界はずいぶん平和なんだな。うちの世界であったような戦争も起こってないようだし」

 

「んー、それでもこっちでも色々ありましたよ。私が知っている限りでも空が紅い霧に覆われたり、冬が終わらなかったり....」

 

「なんか、色々次元が違うんだな....」

 

「まぁ、一応それも解決して今に至るわけですから....」

 

「ふーん、もう少しこの辺り見てもいいか?」

 

「ええ、もちろん!」

 

 小鈴の言葉に甘えて雑誌や新聞の記事の所に軽く目を通す。とはいってもほとんどのものが別に大きな事件のものを取り扱ったようなものとは違い、特別なことも書かれていない記事がほとんどである。

 

 少し見ていると、随分と日付の新しいものを見つけた。

 

「ん?この日付....僕がこっちに来るよりも後のものだ」

 

「確かについ先日くらいにみつけたものもありましたが、それでしょうか」

 

 僕がいない間、世界はどうなっているんだろうか、と言った風な少しマセた考えでその日の記事を見る。一面から一通り目を通していくも特別なことは起きてないようである。まぁこんなもんだろう。

 

 もう少しでTV欄、といったところまで読んでいたが、やはり特別なものは無さそう....

 

 

 

「ん?」

 

 少し目に留まることが掛かれていたのでそこを注視する。読み進めていくほど汗が噴き出してくる。手が震える。

 

「あの....どうされたんですか?」

 

 その様子を見て心配そうに尋ねて来た。

 

「おーい」

 

 向こうから声が聞こえてくる。慧音の声だ。だが記事を読んでいる僕にはその声はあまり届かなかった。

 

「あっ、慧音さん。こんにちは」

 

「おお、小鈴か。彼を見るのは初めてだろうな」

 

「ええ、最近外の世界に来られた方のようですね」

 

「それで....今はずいぶんと何かを読んでいるみたいだが....」

 

「ああ、新聞ですね」

 

「新聞?あの天狗のモノか?」

 

「いえ、外の世界のですね。あれはあの人がこちらへ来るより後に発行されたようなんでそれで読んでいるのかと」

 

「なるほど、って何か様子がおかしくないか?」

 

「ええ、途中までは普通に呼んでたんですけど、あのページになってから何か....気になることでもあったんでしょうか」

 

 慧音と小鈴というらしい少女が話していたが、その内容も今の僕には入ってこなかった。やがてその一角を読み終えた僕は

 

「すまん!少しこの記事借りる!」

 

 そういって記事を持ったまま走って鈴奈庵を後にした。

 

「えぇ!?ちょっと!?」

 

「何やってるんだアイツは!?」

 

 小鈴と慧音が驚いて僕の方を追う。だが僕は待つ気はなかった。今考えると別に突然どこへ行くかの目的地も無いのに、結果として僕は店に置いてあった記事を盗んでどこかへ全速力で走った。

 

 

 

 

 それからしばらくして、寺子屋の授業が終わる夕方、結局慧音は授業のため僕を追うのは後にしたらしい。

 

「(一体何がしたかったんだアイツは....あの記事に彼にとって何か重大なことでも書いてあったというのか....?)」

 

「せんせー!さようならー!」

 

 ボンヤリ考え事をしている中、いきなり生徒の声が聞こえてくる。虚を突かれた様子で慧音は

 

「お、おう。さようなら。気をつけて帰るんだぞ」

 

 と、返す。あの後少し考えたが、結局あの時の優の行動の理由に対する結論は出なかった。その日、慧音は優を探したが、見つからなかった。

 

 

 

「あれ?」

 

 寺子屋からの帰り、不意にチルノが不思議そうな声を出す。

 

「どうしたのチルノちゃん?」

 

「えっと....あの時に預かったお守り、無くなってる」

 

「えっ」




 


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予期せぬ情報

 


 時刻はまた昼に戻る。勢いに任せてあてもなく飛び出してしまったが、いったいどうしようか。冷静に考えてみれば、僕の起こした行動は店のモノを盗んで逃走している単なる泥棒行為である。

 

 だがそんなことさえも今の僕には考えるにも及ばなかった。この時の僕の感情はそれこそ筆舌に尽くし難いものであった。下手をすれば母を失ったことを知った時以上に。なぜならその時僕の抱いていた気持ちが喜びによるものか、それとも悲しみによるものか、それさえも判別することが不可能であったから。

 

 とにかく走った。最初は人里、またずっと走って人里を抜けた。今自分の居る場所がどこか分からない。ここに最初に来た時に居た森でもない。未知の場所である。

 

 気づくと僕は墓地の近くまで来ていた。あれからかなりの長い時間走っていたというのに、もともと体力のないはずの僕だったが不思議と疲れは感じなかった。これがランナーズハイ、というものなのだろうか。

 

 墓地の所に来た訳だが、だからと言ってなにかしようとも思わない。多分僕が突然走り出したのは『少しの間一人になって考えたいから』なのだと、今になって何となく思い始めた。ここなら人もそうそう訪れることはないだろう。

 

 小脇に抱えた新聞をもう一度広げる。そしてさっき見た記事を改めて読む。....僕の見間違いじゃなかった。やはりこの記事に書かれている名前は―

 

 

 

「おどろけー!!」

 

 不意に聞き覚えのある声がした。

 

「うわぁ!?」

 

 ガッツリ考え事をしていた中、突然の声に僕は不覚にも驚いてしまった。

 

「ほ、ホントに驚いてくれた....やったー!一本取ったぞー!」

 

 小傘だ。僕を驚かすことに成功して彼女は悦に入っている。それとは対照的なのは僕だ。

 

「貴方のアドバイス通りだわ!やっぱリロケーションって大切なのね!よしこの調子で....」

 

「....おい」

 

「え?」

 

 真剣に考え事をしていた最中にいきなり虚を突かれた腹立たしさと、八つ当たりついでの小傘に驚かされたことで僕の顔は真っ赤になっていたらしい。

 

「....二度と僕にそれをするな」

 

 僕の中で人生一凄味のある声だった。それに気圧された小傘は何かを感じ取ったのか

 

「....はい」

 

 とだけ、素直に答えた。

 

 

 

 

「それで今日はどうしたの?こんな人気のない所まで来て」

 

 小傘が僕に尋ねて来る。

 

「まぁ、少し気になることがあっただけだ」

 

「えっとなになに....『行方不明の女性、未だ見つからず』?」

 

 僕の見ていた記事の表題を小傘が読む。

 

「ああ」

 

「でもそれがどうしたのよ、というかこの新聞何か違うような気がする」

 

「そりゃあ元々僕が住んでた世界のモノだからな」

 

「てことはやはり貴方は外の世界から来た、ってことなの?」

 

「まぁ、そういうことになる。もっとも僕からしたらここが『外の世界』なんだろうが今は違うようだな」

 

「ふーん、よくそんなものこっちに持ってきたね」

 

「まぁ結果として貸本屋から盗って来たもの、ってことになるんだがな」 

 

「ちょっと、それって泥棒じゃない?」

 

「まぁ勢いに任せてやってしまった感じだがな。きっと返すよ」

 

「何か信憑性が無いねぇ....似たようなことを言ってる人間がいるからかな、まぁいいか。それでどうしてその記事が気になるの?」

 

「....この記事に書かれてる女性っていうのが、僕の母さんなんだ」

 

「え?」

 

「さっき言った通りだ。僕がこっちの世界に来る前に僕の母さんは居なくなった。その日の夜に僕はこっちに来たんだ」

 

「どうしてまたそんなことに?」

 

「まぁ、色々あったんだよ」

 

 そういって僕は目頭を押さえる。

 

「ふーん....そうなのね。ってどうして泣いてんの?」

 

「....この記事に母さんの写真あったから。久しぶりに母さんの顔を見たから」

 

「そ、そう。よっぽど貴方にとって大切な人だったみたいね」

 

「あぁ、そうだな」

 

「じゃあお父さんの方はどうなの?」

 

「....父の話はしないでくれ」

 

「....分かった」

 

 

 

 

 気まずい沈黙が2人を包む。少しして小傘が沈黙を破る。

 

「それで、何か分かったの?」

 

「まさか、あの時だって突発的に飛び出してしまったわけだし、今も何か考えが纏まればすぐに新聞も返すさ」

 

「ふーん、私ももうちょっと記事見てもいい?」

 

「どうせ役には立たないだろうけど、別にどうぞ」

 

「それじゃあお言葉に甘えて....」

 

 そういって小傘が記事を見る。

 

「うーん、記事には失踪したとしか書いてないか、他に手がかりは....あれ?」

 

「どうした?」

 

「いや、勘違いかも知れないけど....いい?」

 

「ああ、何か少しでも分かることがあれば頼む。元よりも期待はしてなかったからな」

 

「ホントに生意気ね貴方....えっと、ひょっとしたらこの写真の女性、少し前にここで見たかもしれないの」

 

「....え?」

 

「この写真の女の人が貴方の母親なんでしょ?この写真によく似たような人を見た覚えがあるの」

 

「どこで見た!?」

 

「うわっ!?ちょっと落ち着いて!何日か前だから今もいるかは分からないけど....人里で見た。その時も驚かそうとしたけど結局上手くは行かなかった」

 

「まぁそれに関しては仕方ないな」

 

「ホントに貴方は....ただ何か少し様子がおかしかったかな」

 

「どんな風に?」

 

「驚く以前に、私を見てもほとんど何か反応した感じが無かったの。何か感情が抜けてるというか、文字通り魂を抜かれてるみたいだった」

 

「ってことは....死んでた....のか?」

 

 小傘からの話を聞いて空っぽになったような声を思わず出してしまった。

 

「ま、待って。少なくとも普通に歩いてたし、死んでるとはまた違うと思うよ。まぁ幻想郷には幽霊もうじゃうじゃいるからその中の1人かも知れないけど....でもまだ死んでると断言するのは早すぎる。魂を抜かれてるっていうのもあくまで言葉のアヤだから」

 

「そ、そうか」

 

「それにここの幽霊は案外騒がしいのも多いからね。ライブするような幽霊さえもいるから」

 

「ホントにここは常識の尺度では測れないものばっかだな....」

 

「まぁそれに関してはいいわ。私から言えることはもしかしたら幻想郷にこの女の人がいるかもしれない、ということね。確証はないけど」

 

「そうか、思わぬ情報だった。ありがとう」

 

「な、なんか正直にそう感謝されると調子狂うわね....」

 

「こういう時くらいは素直に感謝を受け止めるんだな。もっともそっちは普段からはベビーシッターとしてしか感謝されることはないだろ?」

 

「ホント一言余計ね....まぁとりあえず、頑張って」

 

「ああ、わかった。流石にそろそろ新聞返さないと本物の盗人になってしまいそうだからな。とりあえず人里に戻ろう。....ん?」

 

 何かに気づいて僕は素っ頓狂な声を上げる。

 

「どうしたの?」

 

「いや、何かポケットに違和感が....まぁいいや、それは後で確かめるか。そんじゃ」

 

 そう言い残して僕は再び人里へ向かった。

 

 

 

 

 

 

 再び寺子屋組に戻る。

 

「ねぇ、チルノちゃん、結局お守りは見つかったの?」

 

「いや、見つからない....」

 

「これ、マズいかも。もしあのお守りが先生のもので、それが大事なものだったとしたら....」

 

「....」

 

「ねぇチルノちゃん、次に先生に会った時謝ろうよ。私もいっしょに謝るから....」

 

「うぅ、すぐるに謝るのは何か納得できないけどしょうがない....あたいは自分の失敗だって認められるんだもん....」

 

 チルノは肩を落として大妖精と歩いた。




 


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遺失物と秘密

 


 再びしばらく走って人里に戻った。結構な時間を全力で走ったというのに相変わらず疲れは感じない。とりあえず今は鈴奈庵を目指すことにした。

 

 少しずつ日が暮れてきているが、幸い鈴奈庵はまだ閉まってきていなかった。

 

「ん?あれは....あっ!」

 

 小鈴がこちらに気づいたらしい。何か言おうとしているのが見える。

 

「このドロボー!私の記事を返しなさーい!」

 

 小鈴の大声で周りにいた人が一斉に反応する。やがて鈴奈庵の方へ走っている僕の方へ視線が一気に集中した。

 

「ちょっと待ってくれ!僕はそれを返しに来たんだ。確かにいきなりこれを持ってどこかへ行ってしまったのは謝る!ほら、これだろ?」

 

 そういって抱えていた記事を小鈴に手渡す。

 

「え、ええ。これですけど....それにしてもどうしていきなりこの記事を....」

 

「まぁ、ちょっとな....」

 

「と、とりあえず今回は許しますけど、次からこのようなことは無いようにして下さいね?」

 

「ああ、気を付ける。本当にすまなかった」

 

 僕と小鈴のやり取りを見てザワついていた周りも少しずつ落ち着いていく。

 

「さて、とりあえず目的は達成したわけだし.、とりあえず帰るか」

 

 

 

 

 

「さて、『おかえり』と言いたいところだが....色々説明してもらおうか」

 

「え?」

 

「え?じゃない。一体どんな風の吹き回しであんなことをしたんだ?新聞記事を食い入るかのように見てるかと思えば、いきなりその記事を持ってどこかへ走り去ってしまった。この状況をどう説明する?」

 

「え....?あの時いたんですか?」

 

「いたも何もあの時私は小鈴と普通に話していたぞ?まさか気づいていなかったというのか....」

 

「まぁ、はい。ちょっとあの時は周りが見えてなかった感じですね....」

 

「とりあえず今日は早くに休むといい。何があったかは明日聞かせてもらう」

 

「....分かりました、今日は迷惑をお掛けしてすみませんでした。」

 

「君にも何か理由があってのことだろう、気にし過ぎないことだな」

 

 慧音は僕に優しく言った。言葉通り僕はいつもより早く床に就いた。

 

 

 

 翌日の寺子屋、僕の授業の時間になり教室に入ると一人の生徒が開口一番

 

「せんせー!なんで昨日は泥棒したんですか?」

 

 と、言った。その発言を皮切りに教室がざわめき出す。

 

「おーい、静かにしろ~」

 

 僕が手をパンパンと叩いて指示を出す。今日は過去のこともあり、割と早くに騒ぎは収まった。とはいえ今日は昨日のこともありあまり授業に身が入らなかった。

 

 授業が終わり、教室を出ようとすると、チルノと大妖精に呼び止められた。

 

「すぐるー!」

 

 いきなり呼ばれて少しビックリした。

 

「何だ?というかいい加減お前も僕のことを『先生』と呼んでくれてもいいんじゃないか?」

 

「そんなことはどうでもいいんだよ」

 

「どうでもいいってあのなぁ....」

 

「チルノちゃん、そろそろ本題に入ろう?えっと....その、ごめんなさい!」

 

 大妖精がいきなり僕に頭を下げて謝る。それで教室中の視線がこちらに集まる。昨日のドロボー騒動を思い出して僕も少し焦る。

 

「え?え?ちょっといきなりどうしたんだ?」

 

「えっと、実は昨日の授業が終わった後に何かお守りみたいなものが先生が授業をしてるところに落ちてたんですけど、今日それを届けようと思ってたんですけど....それを失くしちゃったんです」

 

 大妖精は目に見えて落ち込んだ様子で僕に言う。....お守り?

 

 あまり身に覚えのないことに戸惑っていると、すかさずチルノが

 

「待て!大ちゃんは悪くないんだ!それを失くしたのはあたいなんだ....あたいが預かってたのをどこかに失くしちゃったから....大ちゃんは悪くないんだ!だからその....ごめん!」

 

 大妖精に続いてチルノも少し決まり悪そうに頭を下げた。突然の事態に僕はたじろぐ。

 

「えっと、ちょっと待ってくれ、まずはとりあえず頭を上げてくれ」

 

 僕がそう言うと恐る恐る2人が頭を上げる。

 

「まず、お守りだっけ。そもそもこっちに来てお守りなんて持ってた覚えは無いんだ」

 

「え?」

 

 2人が思わず声を上げる。

 

「だから、お守りなんてこっちに来て持ってなかったってことだ。もしかしたら僕のじゃなくて他の生徒のものかもしれない」

 

「なーんだ、すぐるなんかに謝って損した」

 

「あのなぁ....それで、お守りはどこで失くしたかというのは覚えてるか?」

 

「うーん、寺子屋の授業が終わって外に出てすぐに無いことに気づいたから、失くした場所であり得るのは教室の中かなぁ。昨日は帰るときまで外には出なかったし」

 

「なるほど、じゃあお守りの特徴ってどんなのかは覚えてるか?色だとかその辺りで」

 

「うーん、あたいはあんま覚えてないなぁ。大ちゃんは?」

 

「えっと、私もはっきりとは覚えてないんですけど、確か色は―」

 

 

 

 

「とまぁ、こんな風だったと思います。もしかしたら少し記憶違いがあるかもしれませんが....」

 

「なるほど....ありがとう。後でみんなに聞いてみよう」

 

 ざっくりとした特徴を聞いて確信した。このお守りは僕のものだと。

 

 

 

 教室を出て裏に引っ込んで考えた。あのお守りは僕がこっちの世界に来る前に母が僕に遺したお守りである。どうしてそれを2人が持っているのだろうか。というよりもどうしてこっちの世界にそれがあると言うのだろうか。

 

 色々分からないことが山積みである。とはいえ僕もこの世界に来てしまった訳だし、もはやこの世界の何が僕の中の常識の尺度で測れるかということから分からない。正直深く考えるだけ無駄なような気がしなくもない。

 

 ただ一つ言えることがあるとすれば、小傘の言っていたことがもし本当だと言うのならば、もしかすると母がこちらの世界に来ているのかもしれない、と言うことである。




 


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約束と誓い

 


 目を覚ますと眩しい光が窓から入ってきていた。どうやら昨日はいつの間にか布団も敷かず寝てしまっていたようである。何時くらいに寝たかは覚えてはいないが、普段よりは早い時間に寝たのだろう。そのまま下に寝たせいか寝覚めが特別いいということはなかったが。

 

 いつもより早い時間ではあったが、二度寝なんかもすることなく僕は起きた。しかし何かを忘れている気がする。だが昨日は色々あって最早どこからが『何かを忘れてる』の範疇なのかが思い出せない。

 

 漠然とそのことについて考えたが、思い出せなかった。しばらくすると慧音がやってくる。

 

「おお、もう起きていたか。それでいきなりで悪いんだが....」

 

 昨日の事についての説明だろう。この人の前で隠し事をするのも何となく気が引けるし、シラを切り通そうとしたところでいずれ見抜かれてしまうだろう。僕は昨日見た記事の事からその後の行動についてまで慧音に話した。

 

「なるほどな、それは確かに君にとっては居ても立っても居られない状況になるのも頷けるな」

 

「はい....とはいえ昨日の行動は少し短絡的だったかもしれませんでしたが」

 

「まぁそれについては否定はできないな。それで、君はこれからどうするんだ?」

 

 問題はそれである。もし母がここに居るとなれば勿論すぐに会いに行きたい気持ちではある。しかし本当にここに母がいるかということさえも未だに曖昧である以上、無闇に行動を取るのはあまり良くないのかもしれない。もしかしたら再び突発的な行動で多方面に迷惑をかけることになるかもしれないから。

 

「とりあえず、今はあまり行動は起こさないつもりです。少しずつ何か手掛かりを手探りで見つけていく感じで....でも普通に授業にも顔を出しますし、基本今まで通りで行くつもりです」

 

「そうか、分かった」

 

 その日は今までと同じように授業を行って、終わればいつもと同じように過ごした。度々件のことが頭をよぎることもあったが、自分の仕事に私情を挟むわけにもいかない。その時は気持ちを押し殺して平静を装っていた。

 

 

 

 その日授業が終わると、着ている服に何か違和感を覚えた。そういえば昨日小傘との別れ際に何か違和感があったような気がした。もしかして僕が何か忘れている気がする、というのはこのことだったのだろうか。

 

 少し確かめると、ポケットの所に何かが入っている。僕は中をまさぐって入っていたものを取り出した。

 

「....!」

 

 それを見て僕は震えた。少なくともこちらへ来てからは初めて見るものであった。だが、それと同時にここに在るはずの無いものであった。

 

 

 

 

 寺子屋の授業が終わり生徒らが帰っている。その様子をボンヤリと見ていると、チルノと大妖精、加えてルーミアが何故か僕のいる部屋へやって来た。思わぬ来客に少し驚く。

 

「ど、どうしたんだ?」

 

 僕は3人に尋ねる。ルーミアが最初に口を開いた。

 

「いや、チルノと大妖精から聞いたお守りの持ち主なんだけど、今日来てる皆に聞いてみたらそんなの失くした人はいなかった」

 

「そ、そうか」

 

 少し濁すような返事を僕は返す。それを見た大妖精が

 

「あの、ホントにあのお守りって先生のものじゃなかったんですか?」

 

 と、追及する。思わぬ状況に僕も少し平静を保つのが辛くなってくる。

 

「ねぇ、すぐるは何か隠してるんじゃないか?あたい達にまだ何か言っていないことがあるんじゃないか?」

 

 チルノとは思えない鋭い指摘に慌てる。正直、このことはあまり生徒には知られたくない。変に広まって騒ぎにでもなってしまえば後々大変だからだ。出来る限りこの問題については僕自身で解決して—

 

「やれやれ、ここに居たのか」

 

 いきなり声がした。慧音だ。

 

「うわっ!?けーね先生!?」

 

「『うわっ』とはなんだ失礼な。3人ともすぐに帰らないでいつもと違う方に行っていたから少し様子を見せてもらってたんだ。」

 

「ご、ごめんなさい....」

 

「別に謝ることはない。今回については彼に謝ろうとしていたんだろう?それを私が咎めることはさすがにできない。まぁいきなり何の連絡も無しに来たのは少し良くなかったかもしれないけどな」

 

「うー....」

 

「さて、少し状況を見せてもらったが、多分こうなってしまえばもう隠しきることはできないと思うぞ?」

 

「え?」

 

 慧音の言葉に僕は首を傾げた。

 

「チルノにこういったことで目をつけられたらどれだけ振り切ろうと思っても逃げ切れないだろうからな。変に隠し通すより今白状した方が身のためだぞ」

 

「白状ってまた物騒な....」

 

「やっぱり何か隠してたのか!すぐる!」

 

 チルノ尋問官からの鋭い追及が続いた。確かにこれがずっと続くとなると厄介この上ない。観念して僕はあのお守りが自分のものであったということ、そして今それが何故か手元にあるということを含めて洗いざらい話した。

 

 

 

「えーと、うーんと....どういうことだ?」

 

 話を理解しきれなかったらしいチルノが頭を抱えている。

 

「チルノちゃんには私が後で説明するよ。つまり先生のお母さんがこの幻想郷にいるかもしれない、ってことですよね?」

 

「まぁ、ざっとそんな感じだな。しかしお守りの件は私もそこまでは知らされてなかったぞ」

 

 慧音が少し納得できないといった様子で言う。

 

「お守りはさっき入ってたことに気づいたんです。最初はチルノたちが教室の中で落としたのを見つけたみたいなんですけど、それがいつの間にかなくなってたらしいです」

 

「てっきりあたいが無くしたかと思って焦ったんだぞ....」

 

「でもチルノの不注意もあったんじゃないかなー」

 

「ル、ルーミア!余計なこと言うな!」

 

「確かにチルノならすぐに失くしそうでもあるな」

 

「す、すぐるまであたいをバカにするな!」

 

 先程と違い、心地よい和やかな雰囲気が場を包んだ。

 

 

 

「でもなんでいきなりお守りが失くなったかと思ったらすぐるの所にあったんだ?」

 

 チルノが疑問符を浮かべる。

 

「それに関しては私にも分からないな。そこを考えるのは保留にしておこう」

 

「それで先生は、どうするんですか....?」

 

 大妖精が尋ねる。

 

「これについては慧音先生にも言った通り、基本的には今までと同じように過ごすつもりだ。あとこのことについてはあまりそちらの方で話を広げすぎないようにしてほしい。どこかで情報の食い違いとかも起こるかもしれないからな。」

 

「分かった、あたいは秘密にしておく」

 

「頼んだぞ」

 

 紅い夕日が窓を照らす中、僕は約束をした。

 

 

 

 その日の夜、僕は枕元にお守りを置いた。改めてしっかり見ると手書きの文字は少し掠れているが、やはり紛れもなくあの時に貰ったものだった。きっと母はここにいる、必ず見つけ出して見せる。雲一つない闇夜の下、そう静かに僕は心に誓った。



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不服者との協力

 


 その日の夜、僕は奇妙な胸の昂りのせいであまり眠ることはできなかった。突然書置きを残して消えた母、勢い余って手に掛けた父、死に場所を探してフラフラと彷徨った森....全てをはっきりとは覚えているわけではないが、ここに来た密過ぎる日が何故かつい昨日の事のように思えた。

 

 なぜだろう、母という存在が僕にとってより近いものだとチラつかされているように思えるからだろうか、もしもここに神様がいるというのならそんな運命の気まぐれなどどうでもいいから早く母に会わせてほしい。もっとも神様なんて存在する由もないかな、だが幸か不幸かここは今までの考え方では測ることのできない世界である。

 

 もしも存在するというのなら今すぐにでも顔を拝んで頼み込みたいものだ。『今すぐに母を見つけ出してほしい』と。

 

 なんて逸れたことを考えているうちにいつの間にか僕は眠っていたらしい。

 

 翌日、僕は自分の授業が終わり慧音と少し話していた。

 

「慧音さん、少し気になることがあるんですけどいいですか?」

 

「何だい?」

 

「幻想郷って、神様っているんですか?」

 

「ああ、いるさ」

 

 本当にいるのかよ、と言いたいところではあったが言葉を飲みこんで

 

「どんな感じですか?僕のイメージするような、なんかこう、すごい感じなんですか?」

 

「どうだろうね、確かに強い力は持っているだろうけど君の思うような物凄い神々しい存在かどうかと言われれば少し違うかもしれないな。神様とは言ってもどこか天の上とかに坐して私たちを見守るような存在ではないしな。」

 

「と言うと?」

 

「神様自身が信仰を集めるために自分から行動を起こすことだってある。たまに緑色の髪をした少女が何か演説をしているのを見たことはないか?」

 

 何となく心当たりがある。その頃は大分荒んでいた時分なので馬鹿馬鹿しいとしか思っていなかったが。

 

「彼女だって一応神様だぞ」

 

「え!?」

 

 慧音の言っていることが僕にはよく分からない。

 

「まぁ神様と言っても人間だが、いわゆる『現人神』と呼ばれるものだ。彼女が里に下りて何をしているのも信仰集めのためだ」

 

 最初は不思議に感じたが、思想を広めるために遠い場所に行くなんてそこら辺で聖書を持って何かを語っている人と変わらないじゃん、そんな風に思えて少し可笑しく感じた。

 

「神様の力は信仰あってのものだから彼女らも必死なんだろう、....まぁ色々的外れなことをしていたこともあったからな」

 

 慧音も僕につられたのか少し笑う。

 

「だから何か成し遂げようとして神頼みをする、というのも悪い事とは言えないが彼女らが目的のために動くという存在なら、イタズラに神頼みだけをするのはきっと意味のない事だろう。せいぜい気休めにしかならんさ。」

 

「まぁ、そんなもんですよね」

 

「まぁ何かを成し遂げるとは言っても気の持ちようは大切だからな。今度里に下りて来た時にほとぼりが冷めたらお守りの一つ二つ拾って帰ってもきっと罰は当たらないさ。彼女自身奇跡を起こせるらしいからな」

 

「奇跡ですか?」

 

「まぁ細かいことはよく分からないし、それに過剰に期待しすぎるのも良くないからな。『為せば成る為さねば成らぬ何事も』という言葉があるくらいだ、元々は君の世界で誰かの遺した言葉だろう?」

 

「そうですね、僕自身が動かないとやはりこれはどうにもならないから....」

 

「まぁ思い詰め過ぎることもない、無理は禁物だからな。とはいえ私だって君の味方だ。何かあったら頼ってくれても構わない」

 

「慧音さん....ありがとうございます。」

 

 僕が動かないと、このことは解決しない。例え避けたくなるようなことでも僕はしなければならないんだ、話を聞いて僕はそう感じた。

 

 

 

 

 

「あれ?貴方は先日の....」

 

 避けたい。すぐに道を譲ってでも彼女と話すのは避けたい。

 

「記者さんが何の用ですか。用が無いなら先を行きますよ」

 

 キツめの口調で射命丸に言う。あまり彼女とは話したくない。

 

「いえ、先日は貴方を記事にするつもりはないと言いましたが....あなたのことで気になることがありまして」

 

「何ですか?どんなガセネタを拾い聞きしたんですか?」

 

「人聞きが悪いですねぇ....私自身貴方の探し人について興味はあったのですが」

 

 無視して進もうと思った矢先に、聞き捨てならない言葉が聞こえて僕は足を止める。

 

「....その話はどこで?」

 

「天狗の情報網を甘く見てもらっては困ります」

 

 やはり人間ではなかったか。まぁ空飛ぶ人間だなんてそうそう居る筈もないのだが。

 

 しかし彼女は天狗か。いや、そんなことはどうだっていい。問い質したところでどうせ情報元の口を割るとも思えないし、何より彼女にデマゴギーでも流されて話があちこち飛んで行ったりでもした日には、随分な遠回りを強いられることになるに違いない。

 

 とはいえどうやってこの場面を切り抜けようか。妖精なんかと違い射命丸を出し抜くのは至難の業だろう。というか多分僕にはできない気がする。

 

 しかし沈黙を保ったところで解決に事が運ぶとは思えない。クソ、どう立ち振る舞えばいいだろうか—

 

「....へぇ、あんた天狗だったのか」

 

「そういえば私のことは名前と記者ということしかご存じではありませんでしたか」

 

「まぁ、うん。なんかこう天狗って鼻が長いやつとかのイメージしかなかったから。へぇ、ここって天狗もいるんだなぁ」

 

「....ちゃんと考えてモノ話してくださいよ。そこまで私との会話を避けようとしなくたっていいじゃないですか」

 

 やっぱりダメか。素面で射命丸と話すとなると相当にカロリーを消費しそうである。

 

「そんで、何を聞きに?都合のいい言質でも取りに?」

 

「まったく、信頼無いですねぇ。場合によっては協力も考えているのですが....」

 

 この発言に僕はピクリを身を揺らす。

 

「第一この件で嘘の情報を流したところで私には何のメリットもありませんし、それならいっそ『感動の再会』を記事にした方がよっぽどネタにもなりますから」

 

 やはり彼女の発言には何か人を腹立たせる要因がある。とはいえここでそれをぶつけたところできっと向こうの思う壺なんだろう。

 

「はぁ....協力って?」

 

「それは貴方次第です。あなたが『母親を探している』ということを私が記事にすれば、今よりもよっぽど多くの人の目にこの事が触れるでしょう」 

 

 確かにそういう利用の方法もあるだろう。だが、やはりどうも彼女を信用しきれない。

 

「そんなこと言って変なことを載せるんじゃないだろうな」

 

「はぁ、しつこいですね....分かりました。今回のこの件に関しては貴方のフィルターを通した上で書かせていただきますから。それなら構わないでしょう?」

 

「検閲みたいなもんか?」

 

 自分で言うには少し気が引ける。

 

「ええ、こちらとしても少し不本意ではありますが。それなら構わないでしょう?」

 

 少し考えてみる。前に『できれば内密にしてほしい』といった手前ではこれを呑んで記事にしてもらうのは少し決まりも悪い。それにできれば手を組みたくない相手でもある。とはいえ今の母がどこにいるかも知れない手探りの状況よりは手掛かりがある方がよっぽどに捜索も出来そうである。

 

 このまま僕自身が俯瞰した立ち位置のままではきっと物事は中々進まないだろう。しばらく考えた上で

 

「分かった」

 

 僕は首を縦に振った。

 

「では早速、貴方の母親についての特徴などを教えていただけませんか?」

 

「それなら一番手っ取り早い方法がある」

 

 そういって僕は鈴奈庵へ向かった。

 

 

 

 

「....というわけで、この新聞記事の顔写真を使わせてくれないか?」

 

 それは僕が前に盗んだ新聞記事だ。幸いその記事には母の写真が小さく載っていた。

 

「そうですね、この辺りのものはあまり他のお客さんの目にも触れませんし、それにこの状況なら役にも立ちそうですから....いいですよ」

 

 事態を理解した小鈴は二つ返事をくれた。




 


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急転

 


 最初に言っていた通り、射命丸はこの件に関しては大した色をつけることもなく記事にするようだったらしく、僕の目を通してもそこまで訂正させるような所はなかった。もっとも多少の脚色は謀っていたようだが。

 

 文屋の新聞による情報に期待と少しの不安を持ちつつ、記事の発刊を待った。

 

 

 

 数日後、待ちかねた記事がようやく出来た。僕自らが出向いて記事を配ることもした。もっともそれに対する人々の反応はあまり芳しいものではなかったのだが....いったいこれまでどんな記事を書いてきたと言うのか。

 

 さて、一番大切な目撃談であるが、僕自身あまり期待していなかった分、想定より上の成果はあった。だが目撃だんの分母が多い分、見つかった場所にバラつきが見られたのはかなり痛かった。

 

 多くの目撃談が寄せられることになったが、それらの多くに共通していたのが、『ボーッとしていた』だとか、『魂が抜けているかのようだった』と言うものが多くあった。これらの特徴は以前にも小傘が挙げていたものと同じである。

 

 見つかった場所がバラバラであった以上、同じ所に張り込んでいてもあまり効率は良くなさそうであったので、人里全体をターゲットに探すことにした。

 

 しかし、情報が出て数日間探すも中々見つからない。これまでの目撃談を聞くに白痴の老人にでもなってしまったかのようである。気まぐれに彷徨っているというのなら、確かに見つけるのは至難の技かもしれない。

 

 

 

 

 

 そんな日々が続く中、ある日思わぬ形で事態は動いた。

 

 

 

 

 寺子屋に通っている人間の生徒の一人が、僕の母親の心当たりがある、と言い出したのである。寺子屋の中ではこの話は慧音と一部の妖精らくらいにしか広まってないはずなのに。

 

 話を聞いてみると、その子の父親が珍しく新聞を持ち帰っていたらしく、気になってたまたま見た、とのことであった。普段は荒唐無稽な焚き火の種が実際にこのように役に立つとは正直思わなかった。

 

 話を聞くと、しばしば母らしき人物が立ち寄る場所があるらしい。今までの情報だとそういった規則性は見られなかったのだが....

 

 話の通りの場所に行き、しばらく張り込むことにした。どうやらその場所は僕が最初に小傘に驚かされた場所のようだった。それなら小傘が見かけたと言うのも成程合点がいく。

 

 

 1時間、2時間と時間は経つが現れる様子がない。人通りがそれなりにある分、目立つ様子の母がいればすぐにでも見つけられそうではあるのだが。

 

 それに当てもなく探すなんかよりこうやって少しでもヒントがある状況で探す方がよっぽど可能性がある―

 

 

 

 いた。




 ....


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無上の感情

 


 その時の僕は言葉よりも先に動いた。一直線に少しやつれた面影へ走り出した。人目も憚ることなく。

 

 周辺の視線がこちらの方に一身に集まるのが感じ取れた。世界が信じられないほどゆっくりと動いている。僕と僕を取り巻く速度の差に酔いそうな程に。

 

 お母さん、と叫ぶ。虚ろな表情を浮かべるその女性は顔をこちらに向ける。果たして僕がどう見えているんだろう。

 

 距離が近くなるほどにその顔は鮮明に見える。その面影は僕の中でどんどん大きくなっていく。母が僕を褒めてくれたこと、母が作ってくれた料理、母が父から僕を守ってくれたこと、その全てが僕の頭の中を駆け巡る。

 

 飛び付いて抱きついた。傍から見れば異常だろう。だがそんなことは構わない。不意に涙が溢れ出す。

 

 遺された手紙を読んだ時のことを思い出した。あの時の絶望と今の上手く表現できない気持ちはどっちの方が強いだろうか?

 

 ダメだ、気持ちの整理がつかない。今の僕はどうしたいんだろう。母に何と言えばいいのだろう。言いたいことが多すぎて一言では纏め切れない。

 

 抱きついて頬を埋めていた僕は顔を上げる。涙と鼻水できっとひどい顔をしているに違いない。だがそんなことも気にならなかった。

 

 どんな形とはいえ僕の気持ちに対して母からの何らかの愛が欲しかった。

 

 

 

 ....母は何も言わなかった。僕の顔は見ているがなぜ何も言わないんだ....?もしかすると今の僕と同じで言葉を探しているのだろうか。

 

 もう一度お母さん、と呼んだ。それでも何も返してこなかった。

 

 

 

 

 こんな現実認めてたまるもんか、まさかそんなことがある訳無い。嫌だ。嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ―

 

 

 

 

 僕を憐れむような周りからの視線を感じた。そこから今全力で走っている今の今までに至る経緯は僕の記憶の中から一切合切抜け落ちていた。

 

 そこにあるのは僕の服と拳が赤黒く染まっているという事実だけであった。でもそんなことはどうだっていい。どっちにしろ僕が心から慕っていた人物はすでにもう思い出の中でしか存在していない。例えどれだけ考えたとしても、思い出を数えても何もかも無駄でしかない。

 

 日が暮れても僕は走り続けた。この絶望を自分の中から払拭できるまで僕は立ち止まろうとしなかった。

 

 

 

 

 どれだけの時間を走っただろうか、僕はようやく足を止めた。忘れることが出来たからではなかった。単に走ることにうんざりしたからである。

 

 どうせこうなるとは分かっていた。諦めなければ状況が変わることはないということも上辺では理解しているつもりではあった。

 

 出来るもんか。最初に新聞で母のことを知り、可能性に懸けた僕がどれだけ今日という日を待ち詫びたか。

 

 その最高の瞬間に僕に示された答えは、この上なく残酷な答えとそれに伴う絶望であった。

 

 あれも無駄、それもこれもどれも何もかも僕の取ってきた行動はぜーんぶ無駄。おしまい。完成した芸術作品をメチャクチャにされたような喪失感が胸中だけでなく脳の髄まで支配していくのがわかる。

 

 そういや僕が最初にここに来たときは死ぬことを考えていたな。それなら結局今のこのシチュエーションと変わらないじゃないか。様々な工程を挟むことにはなったが、結果変わらないなら別に迷うこともない。どうやらここは僕がこの世界に来たときに最初にいた森のようだ。

 

 その辺に落ちていた尖った木の棒を拾って思い切り胸に突き立ててみた。そうするとほんの一瞬だけの激痛の後、何事も感じなくなっていた。外傷もない。何度も何度も繰り返したが、結果が変わることもなかった。

 

 最初に死に場所を探した僕はありとあらゆるものを失った挙句、とうとう死に場所までも失ってしまったらしい。無様で哀れが過ぎて乾いた高笑いが止まらなかった。

 

 この世界に来る前のことをふと思い出す。最後にいたのは地元の森の中だったと思う。それが今はこんなよく分からない場所に来て。

 

 そしてまた僕は死にたがっている。こんなに死にたがっているのなら僕なんか生まれてこなければよかったのに。

 

 時が経つにつれ空虚な感情から、根を張るかの如く万物への憎悪が芽生えた。

 

 目についた小動物や虫やらはできるだけ苦痛を与えて殺した。ここには人がいないというのが残念だ。

 

 ....ふと聞き覚えのある声がした。幻聴か?

 

「....るー、すぐるー!」

 

 アイツか。ここに来て初めて動物や虫なんかとは違った獲物が来た。

 

「お前....なにやってんだよ!けーね先生も、大ちゃんもみんな心配してるんだぞ!」

 

 チルノの言ったことに僕はなにも言葉を返さなかった。代わりといっては何だが、今の僕の虚ろな、なのに些か狂気を孕んだ視線をチルノの方へ向けた。

 

「....!」

 

 それを見たチルノは顔色を青くした。どうやら酷く怯えている。

 

 やがて僕は気違いのような声を張り上げてチルノの方へ一直線に向かった。何かを感じ取ったチルノは飛んで僕をかわす。勢い余った僕はその辺りに生えていた木に激突する。痛みは感じなかった。

 

 間髪入れず僕はもう一度チルノの方へ向かう。結果は1回目と同じだ。気に食わない。

 

「おい....お前どうしちゃったんだよ!」

 

 チルノの声は僕の耳には届かなかった。声というよりも音としか僕は捉えることが出来なかった。

 

「....絶対に元のお前にもどしてやるからな!」

 

 数度の攻防の末、そう言い残してチルノは飛び去っていった。やはり普通の人間ではないと獲物にするにはあまりにも苦しい。

 

 森を歩き回っては生物を見つけ次第殺していく。そんな生活が何日か続いた。生憎ヒトや妖怪はまだだが。

 

 やがてもうそれだけでは満たされなくなってきた。こんなちっぽけな殺戮では楽しくない。もう我慢できない。

 

 

 

 里に降りよう



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幻聴の実体

 どうせ今の僕に残っているモノなんて何一つなかった。思えば父を手に掛けてからの僕には何も残されるはずが無かったのだ。それをこのよく分からない世界で居場所を与えられて、それに満足した気になっていて....こんな特殊なケースで僕の存在意義が生かされているのを僕はいつの間にか当然のことだと勘違いしていた。

 

 平常時の倫理観は僕を理性的に生かしてくれた。それが今は何だ、もう自身の均衡を守るための口実なんて残されていない。リミッターが外れた僕には客観的な正常性などあるはずもない。

 

 それならばもう逃げも隠れもする必要もない。悪事なんてものは僕の中にはない。それを僕が悪だと判断しない限りは正しい行いなのである。例えそれが詭弁だったとしても誰がそれを止めてやるもんか。今の僕がどうなろうとも構う奴なんていない。万一いたとして僕の行いに口をはさんだところで今の僕は立ち止まるつもりもない。

 

 ふとポケットに手を入れると何かがあった。あの時のお守りである。....さすがに少し躊躇ったが、いまさら未練を残したところで何になるというのか。

 

 僕は一瞬だけお守りを握り締め、すぐに全てを断ち切るかの如く地面に叩きつけた。その瞬間、人としての生存証明とも言えるような、僕を取り巻く鎖のようなものが音を立てて消えていったのを感じた。

 

  

 

 何をされたって僕は死ななかったんだ。人間だって妖怪だってなんだって構わない。目にモノを見せてやる。

 

 

 

 

『あらあら、今の貴方には力も何も残っていないというのに....』

 

 

 

 

 ....幻聴だろうか。何か声が聞こえてきた気がした。声のした方を振り返ってみるが誰もいない。一体何だったというのだろうか。決意を固めた僕は走り出した。

 

 

 ....おかしい、これまではどれだけ走っても全く疲れを感じなかったというのに今はほんの短い時間を走っただけでもう体力が底を尽きそうなほどである。先程聞こえた幻聴らしきものが脳裏を過る。

 

 それの正体は知らないが、何か指図されているようで気に入らない。さっきの声を振り払うかのように頬を一度強く叩いて自分を鼓舞する。

 

 もう一度走り出したが、間もないうちに激しい横腹の痛みと吐き気で倒れ込む。初めて母のことを新聞で見たその時はこんなことにはならなかったというのに。あの時の方がよっぽど長く走っていたというのに。

 

 その後も何度も体を起こして気概だけで動こうとするも、全く体が言うことを聞かない。喉の奥に染み付いた味だけが今の僕の無力を示す。

 

 結局それからまともに動くことも出来ず数時間くらい経っただろう。もう動ける体力もない。飢えと眠気と疲労でもはや満身創痍である。

 

 ここまで疲弊はしていなかったとはいえ、ここに来る前の状況と今とが重なる。全てを諦め森に入って....それから目を覚ますとここに来て....

 

 ここで眠って、再び起きた時にはもしかすると元の世界に帰っているかもしれないな。その時はその時で好き放題させてもらおう。それこそ誰か一人でも僕以上、もしくは僕よりも不幸な目に....

 

 

 意識が遠のいていく。そのまま僕は深い眠りについた。

 

 

 

 ゆっくりと、意識が戻ってくる。何か温かいものに包まれているかのような....起きようとも思ったがもう少し寝ていたい。春頃の布団の中にいるような温もりを内側から....

 

 

 

 それから少しして目を開けてみる。周りの景色は変わっていなかった。少し休んだせいか、大分体力が戻ってきたような気がする、というよりもこの感じは.....

 

 試しにもう一度走ってみる。しばらく走りっぱなしではあったが、全く疲れを感じなかった。再び以前の僕に戻ったようだった。

 

 僕が里に降りようと再び走り出した時、何かが落ちたのに気付いて足を止めた。そちらの方に行った僕は目を疑った。

 

 

 

 そこにあったのは僕が捨てたはずのお守りである。どうしてここにあるというのか、そういえば似たような状況が過去にもあったような気がする....確かチルノがお守りの事を話してくれた時で—

 

『そろそろ気付いてくる頃かしら?』

 

 またどこかから声が聞こえた。前に聞こえた幻聴らしきそれと同じ声だ。声のする方を一応向いてみるがどうせ誰も....いた。見たことのない女性だ。陽もあんまり当たらないこんなジメジメした場所にも関わらず日傘を持っている

 

「....誰だよ、あんた」

 

 不躾に僕は尋ねる。相手は扇子で笑みを浮かべた口元を隠して

 

「貴方のことをしばらく見ていた者、と言ったらいいかしら?」

 

 と、答えた。正直何を言っているのかよく分からない。一つ言えることがあるとしたら、多分これも人間じゃないだろう。苛立ちを感じて僕はつっけんどんな態度をとる。

 

「要領を得ないな。言いたいことも無いならどっかに行け。そうじゃないと—」

 

「私を倒す、と言いたいのかしら?」

 

 言おうとしたことを言い当てられた僕は少しフリーズする。

 

「貴方が母親探しで人里で騒ぎを起こしたことも、寺子屋で授業を教えていたことも、あと来たての時にこの辺りに住む蟲に呑まれたこと、大体は見て来たけど改めてその辺りの話でも聞かせてもらおうかしら?」

 

 何者だコイツは....!?最後に行っていたことは魔理沙くらいしか知らないはずだというのに....どうせそこから話を聞いたといった所だろう。前にも天狗の情報網が云々と言ってたし、この狭い世界では案外情報がすぐに広まるんだろう。

 

 動揺を見せたくない僕は、そう自分に言い聞かせて無理矢理自分を納得させることが精一杯だった。

 

「それにしても死ねないというのは普通の人間には難儀なことね。どれだけ走ろうが疲れもしない。何を食べても死なない....普通に考えれば良いかも知れないけど死にたい人間からすればありがた迷惑な能力....」

 

「持って回った言い回しだな。何が言いたいんだ。」

 

「こうでもしないと私の言うことを貴方は信じないでしょう」

 

「....分かったよ。話は聞く」

 

 最初は腹の立つ相手だと思った。ブッ殺してやりたいとも思った。だが話をしているうちに、何となく彼女には勝てないような気がしてきた。ある種の勘でしかないのだが。

 

「そういえば自己紹介がまだだったわね。私は『八雲紫』。以後お見知りおきを」

 

「名前なんてどうでもいい。何が言いたいんだ」

 

「そうね、どこから話すべきかしら....とりあえずまずは貴方の持っているお守りについてから話させてもらうわ」

 

 今までは特にこんな怪しい相手の話を聞き入れようとも思わなかったが、紫がお守りについて話すとなるや否や僕は目の色を変えた。



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賢者の答え合わせ

「僕のお守り....本当に知っているのか?」

 

 食い気味に紫に尋ねる。

 

「ええ、まぁあくまで予想に近いものだけど....恐らく大方合ってるはず」

 

 そう準備置いて紫が話し始めた。

 

「そのお守りは貴方の母親が渡してくれたものね。でもその時はまだ普通のお守りだったの」

 

「その時はまだ普通?」

 

 僕は首を傾げる。この紫の口ぶりだと今僕のお守りは普通ではないというのか?

 

「ええ、そして何らかのきっかけがあって幻想郷へ貴方が来た」

 

「何らかのきっかけって何だ?」

 

「それについてはっきりとは分からない。外の世界の不特定多数のどこかでは人知れず幻想郷と繋がっていることがあるから、その中の一つに貴方が迷い込んだ、としか言えないわ」

 

 んな無責任な、と言おうとしたのを呑み込んで僕は話の続きを促した。

 

「そしてあなたがここに来るほんの少し前、別の人間が幻想郷に入って来た。誰だか判る?」

 

 紫がこちらに質問する。すぐに僕の中で『ある候補』が浮かんだ。

 

「....母さん?」

 

「ご名答。鈍くない人間との会話は疲れなくていいわね」

 

「....」

 

 どこか、どいうよりもどこかしこも掴みどころのない紫の言葉に僕は翻弄される。戸惑いながらも僕は紫に

 

「じゃあ僕が人里で会ったのは....?」

 

 と、尋ねる。

 

「ええ、ちゃんと本当の貴方の母親」

 

 紫が答える。あの時僕が抱き着いた、誰にも見せたくないような恥ずかしい泣き顔を見せた、その相手は正真正銘僕の母さんだったんだ。そう思うと再び込み上げてくるものがあった。

 

「貴方の母親がこちらに来てすぐの時も、あなたが見た母の姿と大して変わっていないわ。何を考えているかも分からないし、心此処に在らずといった様子ね」

 

「....前者は自分の事じゃないか?」

 

 言葉に少し詰まったが、思わず僕は紫に突っ込む。

 

「それで貴方の母親は人里の方へ行った。正直あの状況でここに棲みついてる奴らに襲われなかったのは相当幸運だったんじゃないかしら」

 

 無視かよ。というか話がどんどん逸れて言っているような気がする。

 

「あら、少しずつ話が逸れてきたかしら?そろそろ本題に入るわね」

 

 また本心を見透かされたかのようなことを言ってくる。どうも彼女と話すのは何か気が置ける。

 

「貴方の母親が『魂が抜かれているようだ』って言われてるのもあながち間違いではないのよね。だって実際に似たような状況になってるわけだし」

 

「....どういうこと?」

 

 思わぬことを言われて思わず聞き返す。

 

「貴方の母親の本体は今あなたが持っているの」

 

 一体彼女は何を言っているんだ?母親の本体?僕が持ってる?

 

「幻想郷に来てから貴方は色々変な経験をしてないかしら?そもそもあんなバケモノに呑まれてどうして今こうやって五体満足でいられる。どんな毒キノコを食べても無事でいられる。どれだけ走っても疲れを感じないでいる」

 

 そういえば魔理沙はあの時、僕が食べたキノコはものすごい致死性が高いみたいなことを言っていた気がする。

 

「じゃあそれって....」

 

「ええ、そのお守り。母親の貴方への愛情がそのままお守りに乗り移った、まさしく物に魂が宿っている状態。だから貴方を守りたい強い気持ちが貴方を何度も守った。何度も貴方から離れても、再三貴方の元に舞い戻って来た。....とは言っても貴方がそれを本当だと思えるかは分からないけどね」

 

 ここまで聞いた僕は言葉を失った。このお守りが母さん自体だったなんて....じゃあ前に僕が地面に叩きつけたのも....

 

 思わず手が震えた。

 

「でもこのお守り、もう力を失ってきてる」

 

「え....?」

 

 紫の言葉に再び僕は言葉に詰まる。

 

「正直、母親の貴方を守りたいという気持ちは貴方の想像以上のものだと思うわ。何度も死に目に遭ったり消耗するようなことが繰り返しであってもまだこうやって力を発揮したのだもの。....でもその気持ちとは別にそろそろキャパの方の限界が近いみたい。実際貴方がこうして今生きているのはまさしく奇跡に近いと思うわ」

 

 僕はお守りを両手で持って膝から崩れ落ちた。このお守りの効力が切れるということは....そこから先は考えられない。考えたくもない。

 

「これで大方の答え合わせはお終い。もう少し順序立てて説明するつもりだったけど、結局一気に話してしまったわね。それで....貴方はこれからどうするつもり?この薄暗い森の中で母親と一緒に添い遂げる?それとも—」

 

 紫の言葉を待つ前に僕はまた走り出した。しばらく走ったがまだ疲れは感じない。とはいえ限界が近いと言われた以上、あまり無茶はできない。とはいえ体力に配慮して歩いて行ったところで方向も分からない。そうなれば飢えのせいでどっちにしろ....

 

 

 

「あっ!お前は!」

 

 聞き覚えのある声が上からした。紫の声ではない。声の方を見ると今度は姿が見えた。....?箒?

 

「あん時以来だな。まさかまた生きて姿を見るとは夢にも思わなかった」

 

 確か彼女は、ここに来て最初に出逢った....そうだ魔理沙だ。魔女って本当に箒に乗って飛ぶのか。思わず少し感心する。

 

 

 

 ちょっと待て、箒で....

 

「こんな所で何してるんだ?ここは—」

 

「頼みがあるんだ。聞いてくれ」

 

 魔理沙が何か言おうとするのを遮り僕は懇願する。

 

「な、何だよいきなり....」

 

 思わぬ僕の行動に魔理沙は戸惑う。

 

「さっき乗ってたその箒って、2人乗りって出来るか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「残りは結局彼次第....どっちにしろ迎える最期が同じなら、少しでも彼にとって幸せな方が良いでしょう?」

 

 優を見送った後、そう言い残してスキマの中へ消えていった。



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再会、そして逃避行

 色々と拙いタイトルや前書きの弄り等もありましたが、結構なところまで漕ぎ着けることが出来ました。ここまで読んでくださった方々に感謝です。


「分かってたこととはいえ高いな、これはこれで神経磨り減らしそうだ....」

 

「ったく、お前の方から無茶を言ってきたんじゃないか....文句をつけられる筋合いはないぜ」 

 

「ああ、分かってる。だ、だからあまり揺らさないでくれ....」

 

「注文の多いやつだな。もうすぐ着くからそれまでの辛抱だ。ってお前こそ揺らすな!危ないだろ!」

 

「そんなこと言われてもこれは流石に....」

 

「だぁぁぁ!もう全速力で行くからな!しっかりと掴んどけよ!」

 

「え?ちょっと待って—」

 

 有無も言わさず魔理沙はスピードを上げた。

 

 

 

 

 時は少し遡る。

 

「はぁ?2人乗りが出来るか?」

 

「ああ」

 

 僕の質問に魔理沙は首を傾げる。

 

「一応聞いておくが....どうしたいんだ?」

 

「僕を人里の方まで運んでほしい。後生の頼みだ」

 

 そう言って深々と頭を下げる。

 

「なっ....いきなりそんな真剣に頼まれても困るぜ。大体どうしたんだよ。最初に会った時とは大分様子が違ったみたいだが」

 

「色々あったんだ。一から説明したら長くなるから頼まれてくれ」

 

 僕はそのまま押し通そうとする。最初に会った時と比べて相当に様変わりしたのと、真剣そうな様子に魔理沙は戸惑いつつ

 

「まぁ、出来んこともないが....」

 

 と、返事を寄越す。僕は頭を上げて

 

「マジにか!?」

 

 と、興奮気味に魔理沙に詰め寄る。

 

「お、おい!落ち着け!そんなグイグイ来んな。安心しろ大マジだ」

 

「それじゃあ、頼まれてくれるか?」

 

「ったく仕方ねえなぁ。このままだと何しでかすかも分からんし今回は特別だからな」

 

 断っても無駄だろう、と悟った魔理沙は止む無く頼みを受けることにした。 

 

 

 

 

 

「うわぁぁぁ速い速い速い!死ぬ死ぬ!」

 

「だからしっかりと掴んどくことだな。頼んだのはお前なんだからな!」

 

 いい気味、と言わんばかりに魔理沙が上機嫌そうに笑う。とにかく僕は全力で柄の部分を握り締め、目を閉じた。どうかこの地獄のような時間が早く終わってくれ!

 

 

 

「よし、着いたぞ。大丈夫か?」

 

「大丈夫な....訳ないだろ....死ぬかと思った....」

 

 もはや放心状態といった様子で、僕は虚空を見上げて中身のない返事を返す。

 

「だろうな、お前のために今回はとびきり速く飛ばしてやったんだから。正直私自身も結構ヒヤヒヤしたぜ」

 

「そうか....はは」

 

 まだこちら側に帰ってこれない僕は絞り出すように声を出す。少ししてようやく意識がこちら側に帰ってくる。

 

「大丈夫みたいだな。それじゃあ私はこれで失礼するぜ」

 

「あ、その前に1つだけいいか?」

 

 魔理沙が帰ろうとするのを僕は呼び止める。

 

「何だ?手短に頼むぞ」

 

「名前はよく覚えてないがあそこの森にある店、いい加減ツケは返しとけよ」

 

「うっ....さては霖之助から聞いたな?余計なお世話だぜ....」

 

 そういって魔理沙は飛び立って行った。これで僕の盗んだ服の分くらいは返せるだろう、魔理沙が本当にツケを少しでも返せばの話だが—

 

 

 とはいえようやく再び人里まで戻ってくることができた。とはいえ僕は、里で大暴れして最悪誰かしらを殺してしまっているかもしれない存在である。いわゆるお尋ね者って奴だ。身を隠しつつ母親を探さなくてはならない。そう考えると骨が折れる。

 

 母が見つかりますように....願掛けも込めてポケットにしまっておいたお守りを出して、目を瞑り握りしめた。

 

 

 目を開けると、何か様子がおかしい。お守りを握っている僕の手がぼんやりと光っている。一体何が起きているのだろうか。

 

 しばらくそのまま観察してみるが、ぼんやりと光ったまま変化はない。不思議に思った僕はもう一度ポケットにお守りをしまった。

 

 時間帯が昼過ぎのため、人の往来がかなり多い。この状況の中出来るだけ人目に付かないように移動するのは中々大変である。少しだけ移動するのもままならない。

 

 さっき光っていたのもあり、お守りのことがふと気になった。ポケットから出そうとすると相変わらず光っている、何故かポケットの中からでもハッキリと分かる程に。

 

 驚いて取り出してみると、やはり先程に比べてかなり強く光っているのが分かった。一体何が起きているのだろう。

 

 もう一度そのままで観察していると、光がどんどん強くなってきている。かと思えばまた少し光が弱まって―それの繰り返しである。

 

 しばらく見ていたが、埒が明きそうにもないのでもう一度探すことにした。相変わらずお守りは光の明滅を繰り返している。結局それ以上もそれ以下も―

 

 

 

 急にお守りが強く光り始めた。今までも多少強く光ることはあったが、それまでとは次元が違う。足を進めるとその光はどんどん強さを増していった。あたかも光が僕を導くかのように。

 

 『その時』は突然に訪れた。十字路を曲がってすぐの所、お互いに目が合う。

 

 ほんの少しだけ時が止まる。こちらに意識があるようには見えないが、果たして向こうは僕に気づいているのだろうか。何か話しかけようとするが言葉が見つからない。

 

 紫の言う通りだとしたら恐れることなんて何も無いのに。本当にあの人が僕の母親だと言うのに。どうにも決意が固まらない。とりあえず何か声をかけないと。えっと、何て言おうとしたんだっけ....

 

「あの、えっと―」

 

「居たぞ!アイツだ!」

 

 僕が母に何か言おうとした瞬間、少し離れた方から野太い声が響いた。しまった、注意力が散漫になっていた。

 

 思わず僕は母の手を掴んで走り出した。

 

「あっ、おい!アイツを捕まえろ!」

 

 マズい、傍から見ればこれって誘拐じゃないか。しかも完全に札付きのヤツが女の人を拐ってるだなんて、最悪婦女暴行だって疑われかねない。

 

 だがここで足を止める訳にもいかない。何となくここで捕まったらもう二度と母に会えない気がした。いや、多分気のせいでは無い、勘を越えた確信に近いものを感じた。 

 

 

 

 逃げて、逃げ回って、ようやく追っ手は撒けた。ここでふとお守りのことを思い出した。もしかするとこの逃亡で相当に力を使ってしまったかもしれない。

 

 ようやく足を止めて一度落ち着く。

 

「あの....えっと....」

 

 母は相当に疲弊していて状況を呑み込めてないようである。無理もない。素性も何も分からない人にいきなり走って連れ去られたんだから。

 

 さて、ここからどうしたらいいだろう。その最適解は今の僕には見つからない。それでもただ一つ、僕は万感の思いを込めて真っ直ぐに

 

「母さん」

 

 と、言った。




 


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僕のお話の さいご

 大変長らくお待たせすることになってしまいました....


 『母さん』と言われた母はキョトンとしている。もしかするとこれで以前僕に会ったことを思い出したかもしれない。だがそれが僕にとっての最終目標ではない。僕にとっての母さんを取り戻すことがゴールだ。

 

 また沈黙が場を支配する。永遠とも思える時間が静寂の下で流れていく。どれほどの時間が経ったかは知れないがお互いに立ったまま周りの喧騒と風だけが時が確かに進んでいるのを判らせてくれる。

 

 どうしたら思い出してくれるのだろう。決して良いとは言えない自分の頭を振り絞る。小さい頃の思い出話をしてみる。一緒に買い物に行った時に迷子になって大泣きした時のこと、小学校の運動会でのお弁当のこと、中学校の部活に応援に来てくれたこと、少し躊躇ったが父親のことも—。

 

 とにかく僕の中で少しでも印象に残っていた出来事をほんの少しだけでも記憶を呼び覚ませるように、そして共有出来るようにありったけのエピソードをつまびらかに話した。それでも母の反応は相変わらずで、自分のことを話しているなどつゆ知らず、赤の他人の話を聞いているかのような呆けた表情を浮かべている。

 

 僕は自分の無力をどこまでも憂いた。ここまで必死にやっても僕は母との思い出の一つさえも取り戻すことができないというのか。どうすればいいか分からずに僕は慟哭する。どれだけ泣いても止めどなく涙が溢れて来る。

 

 

 万策尽き果てて絶望に身を震わせた。不意に視線を下にやるとポケットの中のお守りがこれまでに無いほど眩く光っているのに気づいた。

 

 そうだ、まだ終わっていない。これが今僕と母を繋ぐ唯一の存在である。

 

 

 『手を出して』と、母に言う。よく分からない様子で母は一応それに従って両手を差し出した。震える手で僕は母にお守りを手渡した。どうかこれで少しでも何かを....

 

 

 

 刹那、辺り一帯を覆う目の眩むような強い光が一瞬迸る。僕は思わず目を閉じた。もう一度目を開くと、やはり母が立っている。しかしさっきの呆けた様子とは違い、僕を真っすぐに見て。

 

 

「....すぐる?」

 

 

 名前を呼ばれた。年月で計ればそれほどの長い期間では無かっただろう。だが僕にとっては途方もない年月を経て母から名前を呼ばれたように思えた。

 

「どうしてここに....というよりもここは―」

 

 母がそう言うのを遮る形で僕は抱きついた。今度こそ、母が僕のことを我が子だと認識した上でここにいる。母の方は状況を理解できていないとはいえ、尋常ではない僕の様子に何かを感じ取ってくれたのか、強く抱き返してくれた。

 

 

 しばらくの間僕と母はお互い抱き合っていた。

 

 

 

 

 

 

「いたぞ!あそこだ!」

 

 突然向こうの方から声が聞こえた。どうやらまた追手に見つかってしまったらしい。母は驚いて辺りを見回す。そして少し怯えた様子で

 

「今の声は....?」

 

 と、尋ねてくる。僕は

 

「話は後だ母さん!そこで待ってて!」

 

 とだけ、母に伝えた。

 

「おい!そこの女!ヤツから離れろ!さもないと酷い目に遭わされるぞ!」

 

 僕たちのことなど知る由もなく、向こうは的外れなことを喚いている。あんまりな言い草に相当腹も立ったが、今はそれどころではない。向こうは農具などの武器を持っているようで、捕まればひとたまりも無さそうだ。込み上げてくる感情を堪えて僕はまた走った。

 

 何とかして逃げ延びないと、向こうはもしかすると本気で僕を殺しに来ているかもしれない。記憶はないがあの時の僕の行動は、相当に向こうに危機感と憎悪を植え付けていたようである。

 

「あん時はどんだけ殴ろうが何とも無かったんだ。今度こそとっ捕まえてちったあ痛い目見せてやる!」

 

 逃げる最中、追手からの声が聞こえて来た。捕まりでもしようものなら....その先は想像したくなかった。

 

 

 

 

 普段の自分では信じられないほど逃げ回っていた。だが流石に体力の限界が近づいてくる。特別な力も何も残っていない僕を突き動かすのは気力だけだった。しかしそれでカバーできる範疇をもはや超えつつあった。捕まろうが逃げ切ろうが、形は違えどどっちにしろ死んでしまう気がする。内臓を吐き出してしまいそうだ。

 

 それなりに人通りの多い所へ逃げて来た。少し後ろを見ると、相変わらず追っては血眼になって僕を追っている。....どうやらそろそろ限界のようだ。少しずつ距離が詰まってきているのが分かる。数分後に僕は一体どうなっているのだろう。

 

 

 

 

 誰かの手が僕の襟元を掴んだ。そのまま後ろの方に引き寄せられる。ああ、とうとうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのまま引きずり倒された僕は、まず散々に蹴り倒された。腕で防ごうとするもどうにもならない。

 

「どうした?あの時みたいに抵抗はしないのか?」

 

 僕を嘲笑う声がそこかしこから聞こえてくる。当然と言えば当然かもしれないが誰一人として同情の声を上げる者はない。

 

 その後は体を起こされ、執拗に殴られも蹴られもした。この時点で僕自体は見るに堪えない有様であったにも拘らず、その手を緩める者もいない。『まだ足りない』といった声だけが聞こえてくる。

 

 

 

 

「ん?あの辺人が集まってるけど何かやってるのか?」

 

 不意に聞き覚えのある声と、こちらへ近づいてくる足音が聞こえて来た。それが聞こえた途端、僕はハッと目を見開いた。抵抗もした。ダメだ!あいつに今の僕を見られるわけにはいかない、そう思った。これは僕自身の名誉の為でも何でもなく、僕の『生徒』のために純粋にそう感じた。

 

 そんな僕の思いも抵抗も虚しく、見慣れた水色の髪と青い服とそれから奇妙な羽根が見えて来る。

 

「すぐ....る?」

 

 僕を見た瞬間虚ろな目をして名前を呼ぶ。その間も里の人間の暴力は止まることはなかった。

 

 

 

「やめろー!!お前ら―!!」

 

 チルノが全力で叫ぶ。その声が届いたのか、僕への手が止まった。

 

「アンタは....寺子屋にいる妖精か。それなら分からんだろうな。コイツがどんな人間で、何をしたかをよ。」

 

 一人がそう言って僕を蹴る。僕にはもう抵抗する気力も体力も残っていない。

 

「それは....」

 

 チルノは思わず口篭もる。だがその後

 

「で、でも!すぐるは悪い人間なんかじゃない!あたいがしょーめいする!」

 

 と、続けた。

 

「ふーん、話の通りやっぱりアンタはバカだったんだな。コイツのせいで何人死にかけたことか、妖精なんかには人間の社会なんぞ分からんだろうな!」

 

 別の一人がそう言って僕を思いきり踏みつける。それを合図にするかのように再び僕へのリンチが始まる。

 

「ちくしょう!やめろー!」

 

 チルノはチルノで能力を使ってまで止めようとするも、多勢に無勢といった様子である。

 

 

 

 リンチは続いた。短い間に僕への暴力を振るう者、そして止めようとする者は増え続けたが、完全に止まることはなかった。

 

 どれだけ血を流しただろうか。どれだけ骨が折れただろうか。どれだけ臓器が潰れただろうか。僕はもう身動き一つも取れない状態であった。そしてこの地獄はどれだけ続くのだろうか—

 

 

「何をしているんだお前達!」

 

 

 急によく通る声が響いた。その瞬間再び全員が手を止めた。それもさっきのチルノとは違った様子である。

 

「け、慧音さん....?」

 

 一人が恐る恐る口を開く。

 

「....今すぐにやめろ」

 

 憤怒に満ちた低い声で慧音は言った。

 

「しかし慧音さん、コイツは―」

 

「....さもないとお前達を全員歴史から消すことになる」

 

 反論しようとする人間に対し慧音が言うと、血気盛んだった人間も蜘蛛の子を散らすかのように逃げて行った。

 

 

 

 

 慧音にチルノ、それに大妖精ら寺子屋の生徒が血だまりの中で全身傷と血にまみれて横たわる僕を囲うようにしている。今から可能な施術を受けようがどうにもならないのは、誰の目からしても明らかだった。

 

「....とりあえず皆は帰るんだ」

 

 沈痛な面持ちで慧音が生徒に言う。だがそれを聞き入れる生徒は一人もいなかった。

 

「すぐる....すぐる!!」

 

 最初にチルノが僕に駆け寄って来る。どうにか何ともないアピールをしたかったが、体が言うことを聞かない。....自分の運命は自分が一番よく分かっていた。

 

「先生!」

 

 他の生徒らも僕の方へ駆け寄って来た。生徒の声に笑顔で答えてやりたいとも思ったがそれさえもかなわない。

 

「だい....じょうぶ....さ....」

 

 僅かに残った力を振り絞って笑顔で答えようとしたが、もはや声にもならない。作った笑顔もきっと相当醜悪なものに違いないだろう。僕の視界が狭まっていく。

 

「やだ....やだ!すぐる!死んじゃやだ!」

 

 僕だって今は死にたくないさ。そりゃあ最初こそ死にたいとも思ってはいたものの、ここには大切な生徒も、信頼できる同僚も、そして何より母がいる。こんなに素晴らしい世界、今になって手放したくない!

 

 

 

 そんな僕の気持ちと裏腹に『その時』は無情にもすぐそこまで近づいていた。この世界に来て、今が何よりも悔しい。なにくそここで、一番のお楽しみで全てが終わってしまうのがどうしようもなく悔しい。

 

 

 

 でも、ここを死に場所にできたのは....あんな世界よりも....ここで最期を迎えられたのは....

 

 

 

 

 優が心の中で紡げた言葉はこれが最後だった。人の往来がある中、生徒たちは人目も憚らず泣いた。慧音も悲哀の表情を隠せず、静かに涙を流していた。 



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某日の職場

 今回もまた短いです....申し訳ありません....



  一人の少年が死んでからしばらく経ったある日、小野塚小町は彼岸の四季映姫・ヤマザナドゥの仕事場を訪れた。

 

「何しにここに来たの?もうすでに休憩の時間は過ぎているはずだけど」

 

「やだなぁ、まだ少し残ってますって」

 

「そういう事にしておきましょう。それで、どうしてここに?」

 

「いやぁ、あたい自身気になることがありまして、ほら、少し前にここに来た外の世界の人間ですよ」

 

「ああ、あの人ですか。確かに色々な方々を裁いてきましたが割と印象にも残ってます。あの方について何か気になることでも?」

 

「何というか、情状酌量があるとはいえ思ったほど厳しい判決にならなかった、というか相当優しいもんだったなぁって思ったんですよね。らしくない」

 

「別に私は好きで罪人に対して厳しい判決を下している訳では無いわ。あくまでその人の生前の行いに相当した判決を下してるだけだから」

 

「まぁそうなのかもしれないんですけど、一応あの人間のせいで死にかけた人間も出たんですし、むしろ結構な重罪になり得るものかと思って」

 

「小町は私の下した判決に異論があるとでも?」

 

「うぇっ、そ、そういう訳じゃないですって」

 

「よもや大体何処かの書に記されているような、少なくとも数兆年単位の責め苦を受けさせるなんてそんな趣味の悪いことを私がするとでも?」

 

「いやまぁそこまで言ってるわけでは....ちょっと気になっただけですって」

 

「そうですか。ならば私からの説明は終わり。ここからの時間はある種、重罪人よりタチの悪い仕事をしない部下への叱咤に充てるとしましょう」

 

「えっ!?いやちょっと待ってください!もしかしてワザとこの機会を設けるために中途半端に話引き延ばしたんですか!?」

 

「別に私は小町がここに来るなんて今日は考えてもいませんでしたし、それは単なる小町の言いがかりでは?」

 

「うっ、ぐうの音も出ない....出来るだけお手柔らかにお願いします....」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ....相変わらず四季様の説教の長ったらしいったらありゃしない....ちったああたいにも温情かけてくれたらいいんだけどねぇ....」

 

 我々の感覚からすると説教というモノを遥かに超越した何かを終えた小町がブツブツと呟く。

 

「それにしてもあん時の幽霊みたいなのはホントいくら渡しても退屈しないからいいんだけどねぇ....そうすりゃもう少しはあたいだって真剣に働けるだろうに。例にも漏れず向こうは口無しだけど....次に来る機会があればそれはそれで楽しみだな」

 

 

 

「はぁ、全く小町の仕事ぶりには困ったものです....どうにかしたいものですが....」

 

 恐らく反省していない様子の小町の後ろ姿を見送った後、映姫はため息を吐いた。

 

「しかし、判決を下した以上後悔はないと言え今回に関しては小町の言う通り少しだけ私らしくないところもあったかもしれませんね....でも—」

 

 そこから先は何も言わなかった。




 恐らくですが次回で完結になると思います。妙な期間を空けないように精進したいと思いますので何卒、宜しくお願い致します。


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エピローグ

 地獄で与えられる罰というのに表向きでは強がってはいたが、内心は怯えている部分もあった。小町とか言う妙に明るい死神の話を一方的に聞かされていた分、閻魔からの判決は正直怖かった。突発的だったとはいえ多くの人間を傷つけてしまったのだから。

 

 どんな責め苦を受けることになるのか、そういえば生前は地獄の責め苦なんて―とか考えたが結局はただの強がりに過ぎなかったのかもしれない。もしくは精神が不安定だった分、気持ちが大きくなったのかもしれない。結局のところ僕自身は元来小心の者なのだと今になって痛感した。

 

 何かの書物で見た。地獄での刑期はほぼ永遠と言っても過言でない程の時間での苦痛に溢れたモノであるということを。

 

 だがせめてもの救いは、短い間だったとはいえ死ぬ前に母の優しさに触れられたことだ。この時間を得るための対価が地獄での罰だと考えれば何とか乗り越えられる気がする。そう自分を奮い立たせていた。

 

 

 

 ....そして今僕はここにいる。周りの景色は僕のイメージ通りの『地獄』である。だが当初思っていたよりは俗っぽい、というか案外秩序といったものも感じられ....いや、流石にそれは言い過ぎたかもしれない。

 

 こんな風に意外なイメージも挙げてみたが地獄は地獄、時間の感覚もない中での罰は覚悟していたとはいえ、流石に堪えるものもあった。この様相であるにも関わらず話半分に聞いた『旧地獄』が地獄として機能していた頃はもっと凄絶であった、ということは想像するにも恐ろしい。

 

 とまぁ、僕の責め苦を受ける話を聞いたところで毒にも薬にもならないだろう?だから今はこの位にさせてもらうよ。ちなみに閻魔様曰く、お勤めの終わる時期は決まっていないんだってさ。

 

 あと話は変わるけど、僕が死んで間も無くして母も死んでしまったらしい。多分僕が母の命のほとんど全てを使ってしまった所為であろう。残念ながら、というのも少し違うかな。この場合幸運なことなのかもしれないが『この場所』では母に会うことは出来ないそうである。

 

 お勤めを終えた僕はどうなるかはその時にならないと判らないが、きっと悪いものにはならない気がする。確信は無いがそんな気がした。

 

 

 

 人間の世界ではかなりの時が流れたある日、寺子屋は普段より少しだけ様子が違った。

 

「はい、これで転入手続きは終わりです。お疲れ様でした」

 

「ありがとうございます」

 

 慧音と転入生の母が何か話しているのを、子供はちょっと不安気に母の服の低い部分をぎゅっと掴んでいる。

 

「お子さん、お母さんのことが大好きみたいですね」

 

「そうですね、何をするにも私から中々離れなくて....実際明日からのことが不安なようで....」

 

 母親も母親で少し心配そうな様子を見せる。それを見て

 

「きっと大丈夫ですよ」

 

 と、慧音は自信げに笑った。

 

 

 

 翌日の寺子屋、転入生の噂はすでに広まっていたらしく朝から妙に騒々しい。

 

「おーい、朝礼始まるぞ。静かにしろー」

 

「けーね先生!今日新しい人が来るって本当なの?」

 

 前のめりにチルノが慧音に尋ねる。やれやれ、といった様子で

 

「この様子なら勿体ぶる事も無いみたいだな。....おーい、もう入ってきても大丈夫だぞ」

 

 慧音が呼ぶと新入生の子は緊張した様子で入ってきた。

 

「は、初めまして。僕の名前は―」




 何とか最後まで漕ぎ着けることが出来ました!拙文ではあったかと思いますが、この手のお話を最後まで書き切ることが出来たのは大変喜ばしく思っております!
 
 さて、ここまで読んでくださった方々には深く感謝申し上げます!またいつか何らかを書いていきたいと思っておりますのでその時またお会いできれば幸いです。


 それでは最後に、本当にありがとうございました!!


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