青き空は蒼く遠く (鳥籠のカナリア)
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流動

いきなり変わった景色と、動かなくなった人たち。

あの時から……すべては決まっていたのかもしれない。

もしそうだとしたら…… 変えられたのかな。

そう思うと、どうしようもなく後悔した。

 

大赦書史部・巫女様検閲済み

勇者御記二百九十八年 十二月 十九日

 


 

 

 その日もいつもどおり過ごしていた。愛し愛される両親にお弁当を持たされ、日常という神樹様からのささやかな贈り物にありがたいと朝の挨拶で礼をする。神樹様、私たちを見守って下さりありがとうございます、おかげさまで今日も一日平和に暮らせます……そう言って祈りを捧げる。

 

 だが、誰一人としてその神樹様とやらを見たことはない。信仰しているのが偶像だったとしても、彼らは疑おうとはしない。神だから自分たちには見えない。人類に染み付いた神は徳が高く、人に見えぬものだとする考えは神世紀にも強く根付いていた。目には見えなくても、神樹様は守っている――だから、今日もいつものように終わる、はずだった。少なくとも、あの日までは。

 

 

 

 

 

 

 春。日本の風物詩である桜の樹が路傍に咲き乱れ、生命に命を与える息吹が吹く。そんな季節。

 

 日本では比較的過ごしやすい時期であり、この時期から学校が始まる。

 

 朝五時にわざわざ起床し、身を清めてから神社に祈りを捧げる人間が居るというのに、彼の朝に自分からすることといえば精々が朝に彼の睡眠を妨害するけたたましい目覚ましを止める程度。

 

 同年代の中でも朝に弱い。朝の風が心地よく、起床するのも比較的容易なはずのこの時期、彼は布団で惰眠を貪っていた。

 

「ほら、早く起きなさい」

「んん……あと五時間……」

 

 

 時刻は既に七時。この家庭では食卓を囲むには少々遅い時間。それに加えてこのやり取りを何度も繰り返している。

 

「いい加減起きなさい!」

「待って……待って……起きるから……起きるからぁぁぁぁぁぁ!」

 

 静止の声も虚しく毛布どころかベッドのシーツまで引っ張られベッドの真横に落下した。

 

 二度寝したかったのに──。

 

 そんな文句を母親に言おうとして、言葉を呑み込む。なにも言わずにじっと見られていたのだ。

 

 なにか言われるのかと震えていたが、しばらくするとため息を吐いて、起きたなら早くご飯を食べましょ。とだけ言って下の階へ降りていってしまった。

 

 足音が遠退くのを確認して肺に溜まっていた空気を吐き出した。

 

「たすかった……」

 

 彼はただの子供だ。少なくとも、今はまだ。

 

 

 

 

 

 

 着替えを済ませてリビングに下りると椅子に座って新聞を読んでいる父の姿が見えた。熱心に新聞に書かれているなにかを読んでいる後姿に対して挨拶をする。

 

「おはようございます。お父さん」

「おはよう。早起きだな瑞己(みづき)

 

 新聞を読む手を一度止めて、彼――葵瑞己(あおいみづき)に対して挨拶を返す。言葉に含みがあるのに気が付き、彼はムッとした。

 

「それってイヤミ?」

「嫌味なんかじゃないさ」

「嫌味みたいなものだと思うんだけどな……」

 

 気のせい気のせいと朗らかに笑う父親をスルーして母親のもとに行く。ほんの少ししょんぼりしたように新聞に顔を向け直した気がするが、彼は意図的にスルーした。

 

 台所の方では、上機嫌に鼻歌を歌いながら朝食の仕上げをしている母親が見えた。

 

「おはようございます。お母さん」

「おはよう。二度寝しなかったのね。偉いわよ」

 

 あれだけ強烈な起こし方をされればもう一度寝ようとは思わないのだが、少年がいつも惰眠を貪ってしまうため、可能性がないとは言えない。

 

「……ぼくも起きようと思ってるんだけど」

「結局起きれていないのだからダメ。思うだけじゃ結果はついてこないものよ?」

 

 まったくその通りだが、軽くあしらわれてむっとする。そんな彼を横目に見たのか、苦笑したあと困ったように頭を撫でる。

 

「ほら、拗ねないでご飯にしましょう。持っていってちょうだい?」

「別に拗ねてなんて……」

 

 ぶつぶつ言いながらも食器を運んでいくあたり、瑞己も本気で怒ってはいない。

 

 

 

 

 

 

 通学路にて見事に咲いている桜並木に思いを馳せて通学路を歩く。四月もそろそろ終わりの時期に差し掛かっているというのにこのあたりの桜の花はまだ散らない。他の地域の桜はもう散っているが、この地域の桜だけは散るのが遅い。

 

 彼は元来、花が好きだ。このあたりの年齢というと、遊び盛りで美しさに目を向けにくい年頃ではある。しかし彼は路傍に咲いている花々が、庭園の手入れが行き届いている花が咲いているのに美しさを感じていた。

 

 花々に見惚れるのを何度か繰り返しているうちに彼の学び舎である神樹館に到着した。現代には存在しなかったような名前。

 

 しかし、神樹、というのは元来存在する以上にこの世界において意味がある。

 

 今より約三百年前、突如として未知のウイルスが人類を呑み込んだ。そのウイルスによって人類はみるみるうちに減少していき、絶滅するかに思えた――が。

 

 人類を守るために動いたのは日本に存在する神々だった。日本は古来より神道に精通し、様々な宗教が伝来してきても根強い信仰がある。そんな彼らが死滅しては神も生きてはいけない。神々が存在できるのは信仰あってこそなのだ。

 

 そうは言っても年々薄らいでいた信仰心ではいくら神々が力を合わせても日本全体を結界によって守ることは出来なかった。そこで、一部の強い適正を持つものに神託を与え四国に人類の一部を避難させるように促した。そしてそれは見事に成功し、病によって人類が絶滅することはなかった。

 

 しかし、その結果、逃げられずにウイルスに感染してしまった世界人口の九割強がこの世から姿を消したと言われている。

 

 人々は自らを護ってくれた神樹様と神託を聴いた者たちに感謝し、その出来事を境に新たな暦として()()()と、神託を賜った人間たちの組織を大赦、と呼ぶようになった。

 

 このエネルギーや人間が生きるのに必要な食料などは神樹様が補給している、というのはどのような学校でも学ぶことだ。

 

 神世紀以前は宗教を一切信仰しない人間は多くいたが、神世紀現在において神樹様という絶対的存在が居るため、信仰しない人間はいない。

 

 

 

 

 

 六年一組。それが瑞己が通うクラス。陽当たりのいい南側の最上階ということもあり、午後の授業は少々厳しいかもしれない。

 

 教室へと入ろうとして引き戸に手をかけたが、なにやらクラスが騒がしい。

 

 そんなクラスから聞こえる声に「またか」と思いつつ扉を開き、級友に挨拶する。

 

「おはよう鷲尾さん。なにかあったの?」

 

 鷲尾須美。このクラスにおける整列係であり、厳格な性格の持ち主である。

 

 曲がったことが嫌いで、とにかく真面目。生活態度がよく、自分だけでなく他人であっても怠惰を許せないため……あまり好かれる性格ではない。

 

 現にクラスのうちの何人かは彼女のことが苦手な節がある。

 

「葵さん、おはようございます。特になにかあったわけではありませんが……」

 

 なにか言いたげに彼女の瞳は呆けたように頬を朱に染める一人の人間に向けられており、それだけで彼もなにが言いたいのか分かってしまった。

 

「……おはよう乃木さん。またやっちゃったの?」

「みーくんおはよ~。そうなんよ~……」

 

 バツが悪そうにほんわかした笑顔を浮かべる彼女は乃木園子。間延びした様子とは対照的に頭が良く、いいところのお嬢様である。具体的に言うとこの世界の中心である大赦の発言力が大きな二つの一族、その片方。

 

 そしてその事実は神樹館に知れ渡っており、そのこともあってあまり他の人間と居るのを見ない。

 

「今度はどんな寝言だったの?」

「お母様に怒られてた夢だったみたいですよ」

 

 頑張って怒らないようにしているのが伝わってくるような雰囲気を出しつつそんなことを鷲尾は言う。

 

 保健室でもないのに学校で寝る、ということが彼女にとっては許容し難いことでありこの態度も仕方ないのだが、授業中でもないのだからそこまで怒らなくても……と瑞月は思った。

 

 実際のところはそれを分かっているから鷲尾も小言を言わないのだろう。

 

「ほら、みんな席に着いて」

 

 扉の開く音と共に、前の方からよく通る担任の声が聞こえ、談笑を楽しんでいた生徒たちは慌てたように席に着き始める。

 

 担任の教師はいわば理想の先生だった。厳しくはあるが、その厳しさは生徒を想ってこそであり決して独りよがりなものではない。それを生徒も分かっているからこそ、彼女を嫌ったりすることはない。

 

 教壇に立ち、担任は教室内を見回して……ため息を吐いた。

 

「今日も三ノ輪さんは遅刻ギリギリで来そうですね」

 

 その一言に、クラス内が苦笑で包まれる。それと同時に廊下の方からドタドタと走っているような足音が聞こえて……ガラッと勢いよく扉が開き――

 

「はざーすっ!ギリギリセーフ!!!」

「三ノ輪さん、間に合っていません」

 

 三ノ輪、と呼ばれた少女を担任は出席簿で軽く叩く。教室がまた笑い声に包まれるのを聞きながら、瑞月も苦笑いしていた。

 

 三ノ輪銀。男子や女子といった性別の境なく友人の多い少女。快活な笑顔がよく似合い、その活発な性格と分け隔てなく接することから、男女問わず友人が多い。

 

 鞄を開いてなにやら間抜けな顔をしていたが、なにかあったとしても鷲尾や乃木と違い席が離れているため助け舟を出すことは出来ない。

 

 通過儀礼(いつもの)があったが気を取り直して瑞月が起立、と号令を出そうとした瞬間――まるで地震のような大きな振動が起こり、立てなくなってしまった。しかし、現在は西暦とは違って自然災害は一部を除いて発生しなくなったはず……。

 

「なに……あれ……」

 

 教室の中、窓の方から何やら強い光を感じ、そちらを向いて見えたものは全てを呑み込んでしまうような光。

 

 光は温かいものというイメージが強いが、あれに感じたのは恐怖。クラスのみんなはこのことに気がついているのだろうか。目の前の恐怖から視線を逸らすようにクラスの中を確認すると、他の人間には何も見えていないようで、生徒はもちろん、教壇に立っている教師も真顔で、()()()()()()()()()()()()()()()()()ような気すらする。

 

 真顔……? 少年は疑問に思ったが、目の前の光に恐怖し、身震いしていた彼は考えるまでには至らなかった。その真顔がなにを表しているのか読み取れれば、少年は周囲の本当に時が止まっていることに気が付いたのだろうが、生憎と少年がそれを知るのは少し先のことになってしまう。

 

「お役目が……始まるんだ……」

 

 クラスのどこからかそんな言葉が聞こえたが、それについて考える間も確認する間なくあたりは光に包まれて――。

 

 光が消えていった頃に見えたのは、変わり果てた世界だった。



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恐怖

大きな存在、大きな箱庭。……怖かった。

知らない方が幸せだったけど、知ってしまった以上は知らないフリなんて出来ない。

僕にも力があれば、力になれるかな?

 

 

神世紀二百八十八年 四月 二十二日

葵瑞己の日記より抜粋

 


 

「どこだ……ここ……」

 

 見渡す限り樹木に覆われたこの世界はまるで御伽噺に出てくるような世界だった。七色の樹木は果てしなく続いており、一点に向かって伸びているが、どこから生えているかは分からない。

 

 足元には海が広がっており、遠方には青く光る橋のようなものが見える。

 

 空を見上げてみれば青空ではなく、星のようなものが散りばめられており、少年には幻想的ではなく、恐ろしく思えた。

 

 ここまでなんとか分析出来ていたが、彼は極度の緊張状態にあった。

 

 世界は創り替えられ、今まであったはずのものがなくなった。

 

 学校も、友人も、家も。なんの前触れもなく変化した世界で冷静でいられるわけはない。周囲を見渡した時点で、認めなくてはならなくなってしまった。

 

 ここが、これまでの世界とは違うと。

 

「うっ……」

 

 思わず口を抑えて蹲る。吐き気がして仕方がない。ここで胃液をぶちまけてしまえばどれだけ楽か――。

 

 それでも吐き出さなかったのは、この世界が元に戻るという可能性を否定してしまう気がしたから。それだけは嫌だった。

 

「世界はきっと……」

 

 戻るのだと。なんの根拠もないが、そう思うしかない。そうじゃないと、気が狂ってしまいそうだった。

 

 

 

 

 

 

 橋の方に向かって気が遠くなるようなほど歩いた。これまで歩いたどんな道よりも長く遠く。

 

 恐怖で震える足を引きずるのも限界で、吐き気が酷くなってきた。吐かないようにするのも、不安を押し殺すのも精一杯。

 

 それでもなんとか歩みを進めて少し経った頃……絶望(ソレ)を見た。

 

 二つの大きな球体を両脇に抱え、中央には軟体動物のようなシルエットが見えるが、これまでに見たことがある生物のどれよりもずっと大きい。

 

 十メートルを越えるであろう巨体と、その異形なシルエットが相まって生物ではないようにしか見えない。無機物のような冷たさしか感じないのだ。

 

 見れば橋の上を進んでいるようで、あの得体の知れない生物が発しているように見える様々な色の光が見えた。その光の色は、この世界を構成している樹木に含まれている色だと気が付いたとき、彼は世界をこんな風に変えてしまったのはあの異形の怪物だと直感的に考えた。

 

 しかし、彼は特別な力を持たない。ましてや強靭な精神を持っているわけでもないのだから、彼は黙っている見ている他ないというのに、彼は行動した。してしまった。せめて近くに行って、現状を確認しなければ――そう思って。

 

 それが、彼の運命を大きく変えてしまうとは知らずに。

 

 

 

 

 他の樹木と比べ、比較的高い樹木の上でしゃがみ込む。歩き疲れたというのもあるが、観察するためだ。

 

 人とは、未知に対して知ろうと行動を第一にしてしまう生き物であり、彼もまた無意識下でそれに従い行動していた。馬鹿と猿は高いところが好き、とはよく言ったものだが、傍から見れば確かに彼はソレだった。

 

 しかし、危険だと分かっていても行動したおかげでいくつか情報を得ることが出来た。

 

 まずひとつはあの異形の怪物は橋を直進していること。何故かは分からないが、あの身体に見合わない橋の上をご丁寧に橋に沿って侵攻している。あの怪物に知性があるのか、それとも単純に道があるからそれに沿っているだけなのか。

 

 二つ目だが……あの異形が発していたと思っていた三色の光は別の発生源らしいことだ。

 

 どうやらあの光は足元に居る小さな存在で、少年のいる位置からは顔を確認する事はできないものの、人間だったらしい。人数は……三名。

 

「良かった……他にも人は居たんだ……!」

 

 少年の恐怖心の根底にあったものは、一人でこの理不尽な状況に立たされていたもの。今まで見たものといえば、変わり果てた世界とあの異形の怪物だけ。

 

 彼の胸中にはこの世界には自分の他に人間は居ないんじゃないだろうかという不安があった。だが、確実に人が居る。運がよければここについて聞けるかもしれない。そのおかげで少しだけ希望の光が見えたように思えた。

 

 

 しかし、安心したのも束の間。どうやらあの三人は怪物と戦っているらしい。

 

 もし、あれに近付こうものならここについて聞くどころか自分の身すら危険だ。

 

 その事実を自覚した瞬間、()()()()()()()()()()()()()。視覚機関を確認することは出来ないが、確かにこちらを見た気がしたのだ。

 

「うそでしょ……」

 

 その事実が信じられなくて、思わず漏れ出た声。つまり、あの異形の怪物はあの三人の相手をしても、こちらを見る余力があるということ。

 

 まさか攻撃するつもりなのでは、そう思った瞬間には既に球体が迫っていた。

 

「くっ……」

 

 弾かれるように近くの樹木に飛び移ると、先ほどまで居た樹木は水で覆われ、着弾した周囲はまるで生気を失ったように色褪せてしまった。

 

 あれに当たれば自分の身がどうなるか分かったものではない!

 

 他の人間に任せてしまうのは心苦しいが、あの異形に立ち向かえるほどの力は彼にはないのだ。そのことを、ようやく自覚した。

 

 早くここを離れなければならない。あの異形の次の攻撃が来る前に。……きっと次はない。考えろ、生き抜く方法を。隣の樹木はさっきよりも間隔が大きい。また跳躍して飛び移るのは彼には難しい。どうしよう……どうすれば……。

 

「っ……」

 

 まだ死にたくない。その僅かで、しかし確実な生への執着が彼の足を鈍らせた。

 

「なんで……」

 

 足が震えて動かなくなってしまった。これではアレに殺されてしまう! 

なんとか動かそうと躍起になるが、まるで石になったように動かない。

 

 

「動いて……動いてよ……っ」

 

 少年がそんな状態になっているのを怪物が見逃すはずもなく、無慈悲にも先ほどと同等、いやそれ以上の弾が飛んでくる。あれではたとえ足が動いても──少年は絶望し、諦めた。元より近付いた時点でこの結末は決まっていたのだ。それでも行動をしてしまった少年は自らを恨んだ。

 

 気付くには、あまりに遅すぎた――。

 

 目を閉じて、ただ死の時を待つ。

 

(死ぬって、どんな感じなのかな。痛くないと、いいな……)

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところが、どれだけ待っても痛みはやってこない。不思議に思い、目を開いてみると……。

 

 少年は、空を翔けていた。

 

 しかし、彼自身がやったわけではない。誰かに支えられている。その証拠に二本の腕が彼の体を包んでいる。

 

 そんな体勢を疑問に思い、恐れながらも視線を上に向けてみると──。

 

「鷲尾……さん……?」

 

 級友の、鷲尾須美だった。

 

 

 

 

 随分高く跳躍していたようで、目を開いてからも数秒は浮いたままだった。そこから何度も跳躍しているが……まるで人間ではないような跳躍力に、瑞己は困惑する。彼女が人間でないわけがないのだ。

 

 それに、体育の授業を通してだが、時折彼女の身体能力を見てきたがここまで秀でていたわけではなかったはず。だったらいったいどうして──。

 

 質問しようとして、また鷲尾の方を見て……敵の攻撃が迫っていることに気がつく。

 

「鷲尾さん! 敵の攻撃が……!」

「っ!」

 

 瑞月の声が聞こえたのだろう、次着地した際に横に跳んでなんとか回避する。

 

「葵さん、動けたんですか!?」

「そうみたいだけど……でも()()()()()()()()()()()!?」

 

 それではまるで、他の人間がここに居ない理由が分かっているようではないか。瑞月の予想は、あまり当たってほしくない人物によって当たってしまった。

 

「ここではみんな動けないはずなの! 私たち三人以外は!」

「他の二人は!?」

「三ノ輪さんと乃木さんよ! 二人とも戦ってくれているわ!」

 

 その言葉を聞いて困惑する。どうやらこの世界の真実を知っているらしい人物は、鷲尾の他に三ノ輪と乃木も居るようだ。いったいなんの繋がりが――。

 

 少し思案して、とあることに思い当たる。そういえば、乃木といえば大赦の中でも大きな家だったはず。鷲尾と三ノ輪という名字にも心当たりがある。どの家も大赦の中でも上位の家柄だったはず。

 

そしてこれは彼は知らないことだが、四国と本土を繋ぐ大橋、その防御柵に書かれた数家のうちの三家でもある。

 

 つまり、これは大赦の()()()ではないか。

 

 そう結論付けて鷲尾を見る。御役目、というのは内容こそ世間に公表されないものの、重要なことである。大赦がこの土地をよりよくするための政治の一つ、といっても過言ではないかもしれない。

 

 その内容は多種多様に渡るものの、共通しているのは大赦の中でも一部の人間にしか授けられず、授けられないまま大赦を退職していく人間も少なくない。それほどまでに大変名誉なことなのである。

 

 それを少女のうちに授かっているとすれば、素晴らしいことなのではないかと瑞月は思った。

 

 

 

 

 

 

 何度も跳躍を繰り返し、随分と遠方まで来た。こちらに攻撃が来ないところを見ると、三ノ輪と乃木はまだ戦っているのかもしれない。

 

「……多分、ここまでくれば大丈夫」

「ありがとう鷲尾さん」

「いえ……私の矢は敵に通じないし、このくらいは……」

「……?」

 

小声でなにかを呟いたが、誤魔化すように微笑を浮かべる。苦笑といってもいいかもしれない。

 

「……なんでもないわ。それより、私は行かなきゃ……」

「あっ……待って……」

 

 最後に一言声をかける間もなく、彼女は行ってしまった。

 

 ここで待っていろ、ということだろうか。

 

 それもそうだ。彼が居たところで事態は変化しないどころか悪化しかしないのだから。それに、鷲尾須美という人間は学友を見殺しにするような人間ではない。彼の安全を確保するためにもあそこにずっと居させてはならないという判断があってここに連れてこられたのだ。打算的な理由では決してないことは、瑞月にも理解出来た。

 

「あとはここで待っているしかないかな……」

 

 思わず拳に力が入る。自分の無力さが憎くてたまらない。どうしようもない無力感と苛立ちに苛まれながらもジッとする。

 

 もし、自分に力があったなら、きっと彼女たちの横で戦えるのだろうか。もし、自分に力があれば護られなくていいのだろうか。もし自分に力があったら――。

 

ありえないことだとは分かっていても、そう思わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

やがて世界には花弁が舞い踊り、眩い光に包まれ、元の世界に帰ってこれた。あの世界が夢だったのか、現実だったのか……それは隣に居る少女たちの傷を見れば分かることだった。

 

 そうして、ここから始まってしまうのだ。得るものなどなにもない戦いが。

 

 




前回、今回と原作キャラの出番少ないのは導入部分だからです。
全体を通してこういうわけじゃないので許して……。


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お役目

大赦の資料によると、過去に勇者になれたのはみんな女の子だったそうだ。

 

なぜ僕がこうなったのか。その原因はなんなのか、大赦でも研究が進められている。

 

大赦書史部・巫女様検閲済

神世紀二百九十八年 五月 二日


 

 勝利を喜び合っている三人の横で、瑞己は茫然としていた。本当に帰ってきたのかという疑いから周囲を観察してみたが、ここは四国と本土を繋ぐ大橋、その近くにある公園に間違いなかった。

 

 戻ってこれた……。

 

 安心感から腰に力が入らず、座り込んだまま立ち上がれそうにない。情けない姿ではあるが、あの現象を知っていた彼女ら三人と知らなかった彼では心境が異なる。こうなるのも無理はない。

 

 ようやく現実として認識が出来た頃、唐突に車のブレーキの音が聞こえてきた。そちらを向いてみると、リムジンが停車しており白い装束を見に纏った女性が出てきた。

 

 それは、瑞己のクラスの担任である安芸先生だった。

 

 先生は鷲尾たち三人を見て安堵の表情を見せた後──瑞己を見て、驚いたような表情を浮かべた。

 

「四人とも、この車に乗って」

「あの……」

「……今は色々聞きたいこともあるでしょうけど、私の言うことに従って」

 

 何故自分を見て驚いたのか。疑問に思った彼は質問しようと口を開いたが、有無を言わさない口調に口を閉じた。

 

 

 

 

 車に乗って数分、会話は一切なかった。

 

 気まずいのは苦手だと話を切り出そうとしても鷲尾はもの難しげな表情、乃木はニコニコ笑顔で三ノ輪は難しそうな顔をして首を傾げている。そのうえ、担任の目があるため瑞己から話を切り出すのは阻まれた。

 

 気まずい空気を続けること更に数分、車が停車したようで降りるように担任に促されて降車すると、大きな建物が見えた。

 

 普通に生活しているだけではなかなか訪れない場所──。

 

(大赦本部……)

 

 つまり、彼女ら三人と担任──瑞己以外の三人は大赦の人間なのだろう。

 

「三人は私と一緒に。葵くんは別の者が迎えに来るから、その人を待っていて」

「……分かりました」

 

 立場の違いからか、彼女らとは分けられるらしい。彼自身仕方がないことだとは分かっている。しかし、知らない人間と話すのは嫌なのか苦い顔をした。

 

 そんな彼には目もくれず、先生は歩き出す。その後ろ姿を見て慌てて三人がついていくのを見てため息をひとつ落とす。鷲尾や三ノ輪が表情を曇らせているのに対し乃木はというと、やはり自身のペースを崩さずにのほほんとした笑顔を見せて手を振ってきた。

 

「またね〜」

 

 乃木のおかげで少し緊張が解れるのを自覚しながら手を振り返す。彼女らの背中が建物に消えていくのを見て大きなため息を吐く。

 

「どうしたらいいんだろ……」

 

 急に連れてこられた挙句、ここで待っていろと言われて放置されるとは酷い扱いではないだろうか。まるで異物のような扱いに、彼は訝しんだ。

 

 しかし、あの三人とは人の立場とは違うのだから異物で間違いはない。

 

「葵瑞己様ですね?」

「うわっ!?」

 

 後ろから急に声をかけられて驚きながらも後ろを振り返ると、安芸先生と同じ白い装束の人間が立っていた。

 

 声からして男だろうが、先生と大きく違う点は、フードを被り、木のような模様があしらわれた白い仮面を着けていること。 顔に傷でもあるのかもしれないが、表情を窺えない。そしてなにより……声が平坦すぎるのだ。多くの場合、話すときは抑揚がつくものだが、この男にはそれがない。そのせいで、瑞己は男に対して疑いが生じていた。

 

「驚かせて申し訳ございません。……ですがどうかご容赦を」

「いえ……大丈夫です。それよりも、安芸先生に言っていた迎えの方はあなたで間違いないですか?」

 

 相手の年齢こそ分からないものの、声質や背丈から歳上であることは予想出来たため、咄嗟に敬語に変えた。

 

「はい。それよりもこちらに。あなたをお待ちです」

 

 変わらず平坦ではあるものの、少々急いでいるように口調が早まる。よほど高位な人物なのかもしれないと気を引き締めた。

 

 

 

 

 

 通された部屋は豪華絢爛といった様子だった。素人目にも分かるようなシックでありながら光沢のある家具の数々。その部屋と融合したような窓の障子。洋の様相を見せつつも、和と共存している部屋だった。

 

 その部屋の中央、二脚の椅子の片方に座りこちらを見つめている人影がひとつ。その姿には見覚えがあった。

 

「お連れいたしました」

「ああ。ご苦労だったな。下がっていいぞ」

「かしこまりました」

 

 彼が一声かけるだけで、特になにか言うでもなく仮面の男は下がってしまう。この男の権力は本物だ。少なくとも、平凡なものではない。それが間違いないことは、今まで流れを見ていれば分かることだった。だからこそ、彼は信じられない。何故なら──。

 

「お父さん……」

 

 ──彼は、瑞己の父親だから。普段見ている父親の姿とはあまりに似つかない雰囲気に困惑する。

 

 彼にとって普段の父親とは、遊び心を前面に押し出してからかってくる人間だが、今の父親からはそんな様子は微塵も感じられない。

 

「さて、瑞己。驚いているだろうが……色々見て疲れただろう。まずはそこに座るといい」

「でも……」

「聞きたいことがあるのはその顔を見れば分かる。私の答えられる範囲で答える。だからまずはそこに座りなさい。立ち話は好きじゃないんだ」

 

 そう言って朗らかに笑って見せるが、分かった上でこの対応をしているとなると疑わずにはいられない。もしかしたら、自分を気遣ってくれているのかもしれないが実の父とはいえ信用出来そうになかった。

 

 とはいえ、このまま立っていては話が進まないのは事実。渋々座って姿勢を正す。

 

「瑞己、一度確認しておきたいことがあるんだが、いいか?」

「はい」

 

 背筋が伸びる。言葉が固くなる。父親は確かに目の前の人物なのに、別人のように思えた。

 

「あの世界を見たか?」

「……はい」

「……そうか」

 

 やはりか、という呟きと共にもの悲しげに瞳を伏せる。そんな父親の行動に彼は首を傾げたが、あの世界を見てしまうことは、親として良くないことだったからだ。

 

 何故なら、彼女ら以外に誰も動けないはずだから(戦える事の裏付けになるから)。息子が戦禍に巻き込まれようとしている。一人の親として複雑な心境だった。

 

 しかし、それも一瞬の出来事。どうやら父親は切り替えが上手いらしい。彼のことを父親は真っ直ぐ見て、話を続ける。

 

「……なあ、瑞己」

「なに?」

「お前は、選ばれた。いや、選ばれてしまった」

「……?」

 

 主語がないせいで言っている意味が分からない。いったいなにに選ばれたというのか。続きの言葉を待つように、静かに父親を見る。

 

 父親は迷ったように一度開いた唇を戻し──決心したのかゆっくりとその言葉を口にする。

 

「異形の怪物と戦える唯一の者。または人類の希望……勇者に」

「勇者?」

 

 伝説上の物語にしか登場せず、現実に居るなんて思いもしなかった勇者という存在。彼らはいつだって主人公で、危険を顧みず困った人々を助けていった。男の子なら一度は憧れるであろう正義のヒーローとも言える。

 

 しかし、彼は違う。彼は何も出来なかった。強大な力に平伏し、抵抗するでもなく立ち竦んだ。挙句の果てに他の人に迷惑をかけたのだ。勇者とは程遠い。

 

「この世界を護るために戦う人達のことで……御役目のひとつだよ」

「御役目……!」

 

 その言葉に、目を輝かせた。彼には責任感がある。同時に、なにかを成したいという欲もある。そんな彼が御役目に選ばれたというのだ。喜ぶのも無理はない。

 

 御役目という言葉で彼の心を釣った気がして、父親は心が痛んだ。それをなんとか表情に出さないように瑞己に気付かれないように目を伏せる。

 

 戦に駆り出す親の気持ちは、いつだって晴れないものだ。

 

 

 

 

 

 

 あの奇妙な世界は、敵が侵入してきた際に本来の世界を守るために神樹様が作り出した世界らしい。

 

 あの世界では全てのものが敵が持つウイルスから世界を守る免疫力に役立てられる。そして、その敵を撃退するのが勇者という御役目のようだ。

 

「……ここまででなにか質問はあるか?」

 

 その説明の最中で先程までの厳かな雰囲気は薄れ、いつもの父と息子の関係に戻っていた。話している内容はともかく、二人の間にある空気は柔らかい。

 

「……ひとつだけいい?」

「なんだ?」

「撃退するって言ってたけど、倒すことは出来ないの?」

 

 その瞬間、父親の表情は陰り、苦虫を噛み潰したような表情に変わる。

 

「出来ない」

「そう……ですか……」

 

 倒せない。即ちそれは、あの戦いが何度も繰り返されるということ。それはすぐかもしれないし、もっと先のことかもしれない。終わりがあるかも分からない。

 

「……さて、お前に与えられた選択肢は二つだ。何も聞かなかったことにして、いつもの我が家に帰るか。それとも……」

 

 戦うか。その言葉は父親の口から語られることはなかったが。

 

 ……正直、瑞己自身も悩む。移動してきたとき、横目で彼女たち3人を見た。生傷が痛々しさが、戦いの激しさを物語っているようで、思わず目を背けてしまったけれど。

 

(あんな怪我、したくない……痛いのはいやだ)

 

 人は痛みを恐れる生き物だ。それを避けられる道があるのなら、それを選んだ方が賢明なのは確かだ。しかしそれ以上に彼にはひとつの考えがあった。意思といってもいいかもしれない。

 

(あの三人が、友だちが痛い思いをするのはもっといやだ……)

 

 友達があんな目に遭うのは、見たいものではない。

 

 彼にとって、自分の身に危険が及ぶことよりも、友達が傷つかないことの方が大切だった。それがたとえ、取り返しのつかないことになるとしても。

 

 ──実際のところ、彼の頭は目先のことだけで頭がいっぱいだった。自分がいかに無力であろうと、力をあわせればなんとかなるのだと信じていた。

 

「急な話で、無理な話なのも俺たちは分かっている。だから──」

「戦うよ」

「──」

「戦う。僕がみんなの、あの三人の力に少しでもなれるなら、僕は戦うよ」

 

 拳を握りしめ、少しでも頼りになるような姿を父親に見せる。すべては自分で選択するのだと、父親は悪くない、決断したのはあくまで自分だというように。

 

 

「……そうか」

 

 そんな息子を見て誇らしそうに、それでもどこか悲しげな笑顔を浮かべた。

 

「勇者、瑞己。これからよろしく頼む」

 

 その言葉(呪い)を告げる。全ては人類を守るため。守護者を創るため。一人の人間より世界を優先するのだ。それが、大赦の人間である父親の仕事だ。

 

 



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歓喜

勇者になれるようになったと聞いたとき、これから戦いが始まるという実感より彼女らの力になれるという喜びの方が大きかった。

説明をされても重く受け止めず、聞き流していた。

この選択に間違いはないのだと、そう信じていたから。

 

大赦書史部・巫女様検閲済

神世紀二百八十八年 五月 十四日


 あの日から数日。その間、瑞己に大赦からの指示はなく、ただ平穏な日々を過ごしていた。まるで、あの出来事は嘘だったかのようにすら思える。しかし、確かにあの出来事はあったのだと、確かに記憶に残っていた。

 

「鷲尾さん、おはよう」

「おはようございます葵さん」

 

 不気味すぎるほど大赦からはなにも言われない。気になって聞いてみても待ってくれの一点張りでこちらの話を聞こうとすらしていない。取り付く島もないとはこのことだ。

 

 勇者三人に聞こうと思ったが、話してくれるかどうか。

 

 あまりに自分が知っていることが少ないことに不安を感じている。

 

 彼の父親の口振りから察するに、他の人間と比較して御役目の適性があるのは間違いないのだろう。あの世界で動けたのだ。説明がなくとも、なにかあるのは理解していた。

 

 だというのに大赦は踏み込むなという。鍛錬すらも禁止だと言われた。それは、彼の力が出来上がるまで妙なクセを付けられては困るといった理由もあるだろうが……きっと他にも理由はある。

 

 確かに、あの三人に大きな力を与えた根源――その調整は、個々に合わせたものにするため一筋縄ではいかないと言われた。

 

 しかし、調整をするといってもなんの進展もないのはおかしい。

 

 そんなことをぼんやりと考えながら授業を受けて帰宅する。それが、ここ最近の瑞己だった。

 

「んー……」

 

 しかし、やはりというか……どれだけ考えても分からない。大赦の人たちはなにをしているんだろう。そればかり考えている。三人が傷つくのが嫌で勇者になることを決意したのにこれではまた役立たずのままだ。

 

「どうにかならないかなぁ……」

 

 そう独り言を呟いても答えてくれる人はいない。

 

「葵さん」

「なに?」

「さっきから横でうんうん唸られていると……その……気になるのですが……」

 

 はて、自分は唸っていただろうか。たしかに考え事をしていたのは間違いないが、考えるときに声を出すような癖はなかったはず……。瑞己はそう思っていたのだが、わざわざ鷲尾が指摘してきたところを見るに、間違いないようで――。

 

「唸ってた……?」

「はい」

 

 うわぁ……と自責しながら頭を抱えてしまう。まさか考えているときにずっと唸っていたとは……。瑞己は傍から見ても分かるほど、その頬を赤く染めて自分の行動を恥じる。そんな彼を、鷲尾は眺める。その視線に込められた意味を探ることはしなかったが、不思議さや物珍しさが含まれていた。

 

「ごめんね……」

 

 もう少し周りに気をつけなくてはならないと自らを戒める。一人の時ならともかく、休み時間とはいえここは教室。周りには間違いなく人は居るわけだ。年齢に見合わず、妙にしかつめらしい――真面目と言い換えた方が適切だが――彼女がわざわざ指摘してきたのだ。かなりの時間そうしていたのだろう。

 

「そこまで気にしなくても……」

「そう?」

 

 鷲尾本人としても、少し気になった程度だったのだろう。とはいえ、あまりよいことではないため、今後気をつけるようにしようと、静かに反省した。

 

 それはそれなのですが、と改めたようにして鷲尾は瑞己を見る。その瞳の中には、少しだけ迷ったような色があった。

 

「なにか気になることがあるの?」

「んー……」

 

 話すべきか、悩む。大赦から遠回しに余計なことをするな、と言われている手前、下手な行動は出来ない。少なくとも、そんな考えは彼の中にはなかった。

 

「なんでもないよ」

 

 だから、彼が出来ることといえば精々が笑顔を見せて誤魔化すことだけだった。

 

 

 

 

 その日の日程が全て終わり、いつも通り帰ろうと教室を出ようとすると、担任に呼び止められた。どうやら勇者システムの調整の一環として、とある病院で検査することになっていたらしい。その話は一切が瑞己には伝わっておらず、両親と大赦の間で取り決められたことだった。

 

 当事者であるはずなのに、自分はなにも知らない現状に若干の歯がゆさを覚えながら、神樹館の駐車場に停車していた車に乗り込む。深々とは腰をかけず、少し浅めにシートに身を寄せてから運転席に座る人物に挨拶をしようとして、その人物を認識した。

 

「約一週間ぶりでございます、瑞己様」

 

 ルームミラー越しに視線だけで挨拶してくる妙に平坦な声には覚えがある。大赦には仮面をずっと着ける決まりでもあるのか、仮面はつけたままだが……以前樹海化が起こった際に、大赦の本部で父親の元に案内してくれた人間だ。

 

 なにか返事をするべきだろうか。少しの間思案して、気の利いたことも言えそうになかったため最低限の礼節だけ通すことにした。

 

「……今回も、よろしくお願いします」

「こちらこそ」

 

 そう言って男が車のキーを入れて捻るとエンジンに命が灯り、微かな振動が身体を揺らす。しばらくすると、エンジンは呼吸を安定させ、振動も小さくなった。

 

「では、車を動かしますね」

 

 こちらに仮面を向け、宣言するとクラッチから足を離す。直後、タイヤが地面を擦る音が耳に届き、車が走り出す。

 

 同級生は指を差してこちらになにかを――他の三人と違い、瑞己のことは同級生に伝わっていないため――言っていたが、気にしないようにドアの窓から外を眺める。過ぎ去っていく景色、人々。徒歩ならば絶対に出せないであろう速度を維持して、車は進んでいく。

 

 車に揺られて数分、到着したのは大赦本部、その敷地内だった。また父親と話すことになるのだろうか。そう思っていた瑞己だったが、運転手の男に案内されたのは、大赦本部の一角……様々な機械やモノが所狭しと並び立てられた一室だった。

 

 部屋の中に居る人間の多くは科学者のような白衣を着ていたが、ごく少数、大赦の装束を身にまとっている人間も居た。

 

「瑞己様にはこれより勇者システム適合のため、試験をしていただきます」

「試験……ですか……」

 

 案内してきた男が仮面をつけたまま、今回の目的についての説明に入る。

 

 試験、と聞くとどうにも筆記試験が先に出てきてしまうが、そんなことをするとは思えない。勇者、そのお役目は強大な敵と戦うこと。筆記試験が関係するとは思えない。

 

「試験、と言いましても筆記試験ではございません。勇者システムを瑞己様に合わせるためのものです」

「つまり、調整……?」

「そう考えていただいて間違いないかと」

 

 試験、と難しい表現をしたが結局のところ瑞己に対応した勇者システムを実用前にテストしたい、というのが今回の趣旨だ。

 

 もし、実戦で急に変化がキャンセルされ、勇者ではなくただの人間の状態に戻ってしまえば、その人間が犠牲になるだけでなく周囲の人間の戦意にも影響してしまう。

 

 ただの人間があの場に居ることで及ぶ影響は前回の戦いで痛感している。だからこそ、その反省を次に活かそうと、こうして瑞己のシステムを調整しようとしているというわけだ。

 

「あまり緊張なさらぬようお願いします。……調整にも、影響しますので」

「そう言われても……」

 

 知らない大勢の人間に囲まれた一室に居るというこの状況だけで相当のストレスになる。それに加えて、相手のほとんどが仮面をつけて顔が見えないのが、少なからず彼の精神に影響を与えていた。

 

「いきなり連れてこられて、大勢の人間に囲まれて、不安になるのも無理はありませんが、ここに居るのは全員が大赦の者。警戒する必要はないかと」

 

 不器用な言い回しだが、少し辿々しくなっているところを見るに男なりに瑞己のことを安心させようとしているのは伝わってきた。あまり駄々をこねても仕方がないと一度深呼吸をして落ち着く。

 

「落ち着かれたようで安心いたしました。それでは、始めましょう」

 

 言いながらひとつの端末を差し出してくる。 

 

「これって……」

「はい。一般に普及している、ごく一般的な携帯端末です」

 

 少しこちらで改造していますが、と付け加えられたが瑞己にはあまり聞こえてはいない。

 

 人類を護るお役目に際して調整がしたいからと連れてこられて渡されたのはそこらでもよく見かける携帯端末。

 

(特別さがまったくない……)

 

 静かに肩を落とす。

 

「……起動していただけますか?」

「わかりました」

 

 促されて渋々起動すると、様々なアプリが入っていることがわかる。その中に一つ、気になるものが。

 

「この勇者システムっていうのはなんですか?」

「そのアプリこそ、瑞己様に神樹様が与えてくださる力です」

 

 端的に説明されたせいで理解が及ばない。説明を要求する前に仮面の奥にある顎が少し動く。

 

「通常、神の力をその身に宿すことは不可能です」

 

 そこで一旦言葉を区切り、瑞己の耳元に顔を近づけ、小声で囁く。

 

……神の力はあまりに大きく、あまりに無配慮で、あまりに残酷

 

 ですが、と付け加えるように瑞己の手元に収まる携帯端末を指差す。その様があまりに機械的で、瑞己は本能的に恐怖を覚えた。

 

「それが、人間にも神の力が扱えるようになるのです。そして、その力こそ我々人類に残された最後の希望。我々が世界を保つには、必要不可欠なものです」

「……人間に神様の力が使えるようになるのはすごいと思います」

 

 大和神話だけではなく、かつての世界に存在したありとあらゆる神様は強大な力を保持していた。その力の一端でも使えるならば、確かに素晴らしいことだろう。あの三人があの異形に立ち向えたのも納得出来る。だからこそ、彼の胸中にはひとつの疑問が生じていたが、それを胸の奥にそっとしまう。

 

 その言葉を口にしてはいけない。なんとなく、そう思ったから。



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