とある一人の真理到達 (コモド)
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Prologue

 

――prologue.

 

 

「そういえば、知ってる? 超能力者の第八位が長点上機学園に入学したって」

「あの長点上機に? なら今年の大星覇祭も長点上機の優勝かな」

「どうだろう? 第三位の御坂さんや第五位の食蜂さんがいるし、わからないよ」

「その二人がいたって去年は負けたじゃない。やっぱり強度が高いだけのお嬢様ばかり集めてるから、能力開発に優れてる長点上機には実戦だと敵わないんじゃない?」

「最低でもレベル3じゃないと入れないのよ? 最低でも実戦できて、果ては軍隊でも敵わないのが二人もいるのに。そもそも第八位って第六位と同じで見たことも聞いたこともないし」

「それもそうね」

 

 ――まったく、好き勝手言ってくれちゃって。

 

 御坂美琴は雑談する女生徒の当たり障りのない会話を耳にして、内心ため息をついた。

 中学二年生になった春。寒冷な冬が過ぎ、うららかな陽気に気の緩んだ女学生を悩ます春一番も、短パン常備の彼女には縁がない。

 代わりと言っては何だが、彼女は有名税に悩まされていた。

 学園都市でも五指に入る超名門・常盤台中学のエースにして、学園都市二百三十万人の頂点に君臨する八人の超能力者の第三位『超電磁砲』。

 殆どが表舞台に出てこない超能力者の中で、もっとも有名な彼女は、その日陰者の一人がよりにも寄って常盤台に並ぶ名門に入学したことで、さらに注目を浴びてしまう羽目になった。

 長点上機と常盤台は、学園都市の頂点を競い合う大星覇祭で毎年しのぎを削り合う好敵手にして犬猿の仲だ。

 そもそも校風からして、常盤台が最低でもレベル3の能力者であり世界で活躍できる万能さを尊ぶのに対して、長点上機は一芸に秀でてさえいれば良いという真逆な名門同士である。

 対立は不可避であり、周囲からもそのような期待が向けられていた。さながらプロレスのように。

 

(こっちは良い迷惑だっての)

 

 だがそれも学校や周りの話で、一個人にはあまり関係のない話題であった。

 御坂美琴としては、長点上機自体にさほど関心がなく、渦中の第八位にしても名前や顔どころか能力すら聞いた憶えがない。

 

(そもそも超能力者もあのいけ好かない食蜂操祈以外会ったこともないし……)

 

 高飛車で女王気取りの無駄にキラキラと輝く双眸を思い出すと、腹が立ってきた。

 こっちはどうでもいいのに向こうが意識していて鬱陶しいのだ。

 超能力者は御坂美琴を除いて、全員が人格破綻者だと言われている。

 その第八位も例に漏れず、まともな精神はしていないのであろう。

 

(そんな奴と関わり合いたくないし、無理やり絡められようとしても困るっての)

 

「あ、すいません」

「いえ、此方こそ」

 

 考え事をしながら歩いていたからか、対面の男子学生とぶつかってしまった。

 共に会釈をして通り過ぎる。長点上機の制服――渦中の学校の生徒だと思慮した美琴は、遅れてある異常に目を見開いた。

 美琴が接近に気づけなかった。

彼女のAIM拡散力場は微弱な電磁波を常に放出している。

 小動物が嫌がって逃げてゆくほどのそれは、接近する物体を感知して不意打ち、死角からの攻撃を対処できる程の精度を誇る代物なのだが、先ほどは気づけなかった。

 

(AIM拡散力場に干渉する能力? 電気を無効化する能力者? どっちにしろレアね。さすが長点上機ってとこかしら)

 

 前者ならば全能力者の、後者ならば美琴の天敵である。

 強度は推測でしかないが、超能力者の美琴に干渉できている時点で大能力相当だろうか。

 一芸のみのキワモノだけではなく、能力者としても高位な人材が揃っている。

 常盤台と同じ学園都市の五指なだけはある、と美琴が関心して歩きだそうとしたときだった。

 

「イテッ! どこ見て歩いてんだよテメエ!」

「ちゃんと前見て歩けや、ああ!?」

「すいません……」

 

 さっきの男子学生が、スキルアウトと思しきに連中とぶつかって絡まれていた。

 またぶつかったのかと、若干呆れながらも、高位の能力者なら問題ないだろうと静観することにした。

 もし戦闘向きの能力でないのなら助けに入るつもりで。

 

「お、おい、コイツ……」

「長点上機じゃねえか……」

 

 学生の制服を見たスキルアウトが慄き、途端に逃げ腰になる。

 強度という成績の階級で、学生のヒエラルキーは残酷なまでに明確なまでに決められていた。

 才能という、本来の科学の意義とはかけ離れた個人的素質の差が、この学園都市での六段階の階級。

 彼らは無能力者であり、才能のない己を呪いながらも能力者に負けじと肉体を鍛えたろくでなしだ。根底には能力者への劣等感が深く根付いている。

 学園都市で最も優秀な生徒が集う長点上機の証にたじろぐのも仕方ないことだった。

 が――

 

「すいません、よそ見をしていました。これからは気をつけますので、許してくれませんか?」

 

 高位能力者の割りに腰の低く、スキルアウトにへつらう学生に、余裕を取り戻す。

 歪んだ笑みを交わし合い、積もり積もった能力者への憎悪を当たり散らした。

 

「すいませんじゃねえよ! どうしてくれんだコラ!」

「謝れば許してもらえると思ってるのか、出来のいいお坊ちゃんはよぉ!?」

 

 学生の胸倉を掴み、怒声を張り上げ、凄んだ。

 周囲の学生は巻き込まれるのを恐れ、見て見ぬ振りを決め込んでいる、

 

「どうすれば、許してもらえますか?」

「あ? そうだな、金をもってこいよ。長点上機の学生ならたんまり奨学金もらってんだろ?」

「ついでにおれたちがスッキリするまでサンドバックになってもらおうか。なーに、すぐ終わるさ」

 

 美琴が気づいたのは、これ以上は拙いと美琴が助けに入ろうとした時だった。

 おかしい。不良数人に絡まれ、脅迫され今まさに暴力に曝されようとしているのに、学生には微塵の動揺も見られない。

 声も平坦で、気弱な印象もない。違和感に美琴が足を止めた。やおら学生の右手が、胸倉を掴むスキルアウトの腕に触れる。

 

「? な――」

「どうしてだ? どうしてこの街は、波風を立てないよう歩いていても、掃き溜めに溜まってる糞どもの方からよってくるんだ?」

「なに言ってんだテメエ!」

「テメエこそ誰に向かって偉そうな口きいてやがる、底辺のカスが」

 

 骨の軋む音がはっきりと響いた。

 細身の少年とは思えない膂力に仰天するスキルアウトが思わず手を離し、距離を取る。

 

「こ、コイツ……!?」

 

 突如豹変し、飼い犬に手を噛まれた気分のスキルアウトの腕に異変が生じた。

 少年に掴まれた部位が、少年が手を離してからも変わらない力で圧迫され続けている。

 骨の軋む音は絶えず響け、現状を把握できないスキルアウトは痛みと恐怖に声を張り上げた。

 

「うわあぁあッ! 腕が! おれの腕がぁぁぁ!」

「お、おい、何をされたんだ! おい!」

 

 恐慌状態の男を気遣う声も、もはや聞こえていない。

 残ったひとりに、少年が詰め寄った。

 

「ひっ」

「オレになんて言ったっけ? スッキリするまでサンドバックだったか?

 え? お前らがなってくれるのか? オレの苛立ちがスッキリするまでサンドバックに」

「ま、待ってくれ! み、見逃してくれ! おれらが悪かったよ。な?」

「あ?」

 

 平伏して命乞いする男を、ヴァイオレットの冷淡な瞳が見下ろす。無情な視線が無様に媚び諂うことすら許さず、足を振りおろそうとした。

 

「やめなさい。そいつらに非があるとはいえ、やりすぎよ」

「……」

 

 美琴の制止の声に、緩慢な動作で少年が振り返る。

 先ほど素直に謝罪した少年と同一人物とは思えない凄惨な目つき。

 敵意を向けられていることを察した美琴が帯電する。それを見た少年は、感嘆したようにほう、と息を漏らし、

 

「長点上機学園一年C組出席番号二十二番、二羽真理。六月七日生まれの十五歳。血液型はA型。

 趣味、特技は特になし。強いて言うなら見つけている途中ってとこ。

 囁かな自慢はこの目だ。綺麗な菫色をしてるだろ? 薬品で後天的に変色させられたんだよ。

初めは激痛に苦しんだけど、おかげで没個性的な容姿にならなくて感謝してる」

「……?」

 

 突然自己紹介を始めた少年に美琴が眉をひそめる。

 二羽真理と名乗った少年は、困惑する美琴に不敵に微笑んだ。

 

「ピンと来ないか。ならこう言えばわかるかな?

 超能力者序列第八位、能力名『流転抑止(アンチマテリアル)』――アンタのお仲間さ。

 常盤台の『超電磁砲』」

「……そう。アンタが噂の長点上機の新入生ってわけね」

 

 嘯く真理に驚きはしたものの、瞬時に思考を切り替え、平静さを取り戻す。

 第五位以外では初めて対面する超能力者。第三と第八では遥かに後者が格下だが、相手は謎の多い第八位。

 能力名も謎、その人となりも不明。先の不良に使った力はその『流転抑止』の一端であろうか。

 念動力に近い印象を受けたが、確証はない。緊迫する空気。学園都市の頂点に位置する超能力者、それも常盤台と長点上機それぞれのトップの対面となれば、事態はボーイミーツガールのような甘酸っぱいものではなく、戦略兵器同士の直接対決だ。

 歩行者、野次馬の誰もが動けず、恐々と二人の動向を見守っていた。

 

「で、その第八位が何の用?」

「用? オレに声を掛けたのはアンタだろ。オレの台詞を取るなよ」

「なら言ってやるわ。弱い者いじめなんて情けない真似はやめなさい。みっともないと思わないの?」

「弱い者? 弱い者ってのはコイツらのことか?」

 

 今なお絶叫するスキルアウトを指差し、美琴に確認する。美琴が視線で肯定すると、真理はくつくつと喉を鳴らした。

 

「――分かったよ。ほら」

「あぁあ――あ、あれ? な、治った……?」

「バイバイ、これからは悪いことしないようにね」

「う、あ、ああ。もうしねえよ」

 

 這々の体で逃げてゆくスキルアウトを見届けて、美琴は迸らせる紫電の勢いをさらに強めた。

 

「さて、これで――」

「ええ、邪魔者はいなくなったわ。場所を変えて――」

「心置きなく眠れる。あとは頼んだ」

「は?」

 

 好戦的な笑みが一転して、茫然としたものに変わる。呆気に取られる美琴をよそに、真理はうつ伏せに倒れ、ピクリともしなくなった。

 寝息だけが周囲に響き、遅れてざわめきが起こった。

 

「え? え?」

 

 事態が飲み込めず、おろおろと慌てふためく美琴。助けを求めるように辺りを見渡すが、全員が見ないふりを決め込んだ。誰も超能力者と関わり合いになどなりたくなかった。

 

「は? 私?」

 

 視線を逸らし、立ち去る人波の中で美琴は叫んだ。

 

「な――何でこうなるのよーーーっ!」

 

 

「いやー、ゴメンね。介抱してもらっちゃって」

「……いえ、別に」

 

 頬杖をつきながら、能天気な声で謝る真理に美琴のこめかみがひくついた。

 真理を引き摺って人目のつかない場所まで移動させ、目を醒ますまで待つこと一時間。

 目を醒ました真理は美琴に平謝りし、お礼がしたいと言ってきた。美琴も危険人物とは関わり合いになりたくはなかったのだが、個人的に超能力者の能力には興味があったので受けることにしたのだ。

 近場のファミレスで良いと美琴が言うと、真理は目を丸くした。お嬢様だから格式まで厳格な高級な店に行かされるものと思っていたらしい。

 美琴は学園都市開発の微妙な味の清涼飲料水(飲み放題)に口を付けながら言った。

 

「名前はマリなのね。シンリじゃなくて」

「うん。ゴメンね、紛らわしい名前で」

 

 繰り返し謝る真理。微妙に誠意がこもっていない。どうやら彼の口癖のようだ。

 

「超能力者第八位『流転抑止(アンチマテリアル)』……意訳すると、対物質か。名前からはどんな能力かさっぱり検討がつかないわね」

「そりゃ、キミみたいな解り易い能力は他の超能力者にいないよ。単純極まりない発電能力がレベル5相当の強度を持つこと自体が異常なんだ」

「褒められてるのか貶しされてるのか、判断に困るんだけど」

 

 半目で睨むと、真理は慌てて両手を振った。

 

「そんな、褒めてるに決まってるじゃないか。単純な能力ほど優秀なものだよ。電気は応用が効くし、何より単体で生み出せるエネルギーも桁が違う。レベル1から這い上がった気概も凄い。尊敬してるよ」

「そこまで言われると、かえって嫌味にしか聞こえないわね」

「ゴメン……」

 

 褒め殺しにされ、頬が熱くなり、ごまかすように努めて平坦な声で返すと、真理は俯いてしまった。

 どうもおかしい。違和感が拭えない。美琴と向かい合う真理が、先刻、スキルアウトを容赦なく甚振ろうとした少年のイメージとは到底結びつかないのだ。

 これでは退屈を解消してくれる好敵手を求めて振り上げた矛の下ろし所がなくなり、不完全燃焼で終わってしまう。

 美琴はジュースを飲み干すと、意を決して問い質すことにした。

 

「ねえ、なんかアンタ、初対面の時と印象が違いすぎて反応に困るんだけど」

「ゴメン」

「それよ。何で自分が悪くもないのに謝るのよ。私に啖呵切った時の度胸はどこいったの?」

 

 辛辣に指摘すると、真理は気まずそうに目を逸らした。本人にとっても不本意なもののようだ。

 

「あの……おれは何ていうか、気性の変化が激しい方で……一度頭に血が上ると、ああなっちゃうんだ。自分でも止められなくて……」

「極端ねえ」

 

 自虐的な性格から唐突に嗜虐的な気質に切り替わる。確かに、ある意味で人格が破綻していると言っても過言ではない。

 何もしなければ無害と考えれば、食蜂操祈よりはまともなのかもしれないが。

 

「そういえば、あの不良に念動力みたいな能力使ってたわよね? あれが噂の『流転抑止』の正体?」

 

 思い起こす。美琴の学園都市で三番目に優秀な頭脳は、一連の出来事の詳細を克明に記憶していた。

 触れた箇所を圧迫し続ける、不可視のベクトル。既存の能力で一番近いのは念動力だが、それだと美琴のAIM拡散力場を止められた説明がつかない。

 踏み込んだ質問をする美琴は、望んだ答えが返ってくると思っていなかったが――

 

「あぁ、そうだよ。ちょっとこれ借りるね」

「?」

 

 真理は美琴の飲み終えたコップを持つと、徐ろに美琴の頬にそれを押し当てた。

 

「うひゃあっ!? な、なにすんのよ!」

「ゴメン、能力の説明に必要だったんだ。仕方なかったんだ。だから落ち着いて!」

 

 前髪から放電する美琴をどうどうと宥め、どうにか着席させる。

 いきり立った美琴が渋々と怒りを鎮め、冷静になると、頬の冷たい感触が、今も残っていることに気づいた。

 触れてみると、明らかに温度が違う。手のひらの熱で温まる様子もない。

 

「これって……」

「温度や力といった形のないものを持続させることが、おれの『流転抑止』の能力だよ。

 カッコつけた言い方するなら、永遠性の付与ってとこかな」

 

 さらっと企業秘密を暴露した真理に開いた口が塞がらない。

 能力は確かに稀少で強力なものだった。百八十万人の学生の中でも類を見ないものであるのは疑いようがない。

 しかし――

 

「レベル5にしては、何か弱くない?」

「ぐっ……」

 

 美琴の率直な疑問に真理が呻いた。気にしていたようだ。

 レベル5は、学園都市が保有する最高戦力であり、その一人一人が軍隊を相手取って勝利しうる戦闘力を有している。

 美琴は言うに及ばず、直接的な戦闘能力を持たない第五位食蜂操祈でも、対人戦ならば無類の力を発揮する。

 それらを考慮すると、幾ら末席と言えど真理の能力は物足りないと評さざるを得ない。

 自覚のあった真理は沈鬱に頭を抱えて、ぼそぼそと呟く。

 

「おれだって何でレベル5なのか教えて欲しいよ……おかげで因縁はつけられるし、変な連中には狙われるし、散々だ」

「自分でレベル5になった癖に、なに贅沢なこと言ってんのよ」

「いや、おれは初めからレベル5だったよ。昔は第二位だったりもした。キミとか新しい芽が出てきて少しずつ降格させられて行ったけど」

「あれ、そうなんだ」

 

 自身がレベル1からレベル5まで上り詰めただけに、誰もが低い強度から始まるという先入観があった。

 実際、威力、熟練度、演算能力とは別に、その能力の価値から強度が高く設定されるものはある。

 瞬間移動能力者はその原理の複雑さから、自身と同じ重量の物体を移動させられるだけでレベル4という基準があるし、逆にポピュラーな発電能力者は、美琴がMAX十億ボルトの電撃に加え様々な応用が効いてレベル5だが、その下はレベル4でも美琴の放電を見ただけで気絶してしまう程の断絶した彼我差がある。

 レアな能力ほど発症例が少ないため、強度の基準が緩くなるのも当然と言えた。

 

「つまり、アンタの能力って、発現した時から何の成長もしてないってこと?」

「まあ、そうなるね」

 

 初めは上位にいたが、美琴らの出現によって追い抜かれた。

 そしてそれを悔いている様子もない。この学園都市の生徒には珍しく、彼には向上心がないように見受けられた。

 普遍的な学生は、精度、演算能力を少しでも高めるために死に物狂いで努力しているというのに。

 

「何か気に食わないわね、そういう態度」

「ゴメン。でも、おれには強くなろうとする理由が理解できないよ。精度を高めて何の意味があるの?

 高位能力者としての名誉? 下位能力者に威張り散らすため? 結局は研究者の金になるだけなのに」

「学園都市の生徒なんだから、成績を高めようとするのは当然でしょう? それが学生の本分だもの。

 レベルが全てとは言わないけど、レベルは生徒がこれまで努力してきた証、勲章みたいなものよ。それを誇るのも仕方ないでしょう?」

「おれみたいな初めから超能力者の生徒もいるのに?」

「……何がいいたいの?」

 

 弛緩していた空気が張り詰めていく。美琴の瞳が、彼の自慢の瞳を睥睨した。

 後天的に変異したという虹彩は、間近で見ると歪な紋様が重なり合い、不気味に濁っていた。

 次第に、根負けしたように真理が目を逸らした。

 

「熱くなってゴメン。そういう生徒もいるって判って欲しかっただけなんだ。

 おれは弱いから争いごとは苦手で……今年の目標も平穏無事に怪我なく過ごすことくらい。だからスキルアウトとかも嫌い」

「……まあ、普通の学生でアイツ等を好き好んでる人は少ないでしょうけど」

 

 無能力者判定に絶望し、努力することをやめ、無闇に暴力を振るう彼らは疎まれている。

 美琴もどちらかと言えば嫌いだ。だが、真理の気質は、そういう連中と似通っているようにも思えた。

 

「さて、そろそろ時間だからおれは行くよ。会計は済ませて置くから。ありがとう御坂さん、今日は助かった」

「あ、待って。連絡先教えてよ」

「? いいけど」

 

 訝しりながらもケータイを差し出す。美琴にはある確信があった。

 

(コイツ、何かを隠してる。私のAIM拡散力場を停止させるなんて、効果を持続させるだけの能力には絶対無理。さっきの発言といい、性格の変化といい、怪しすぎるわ)

 

 友人になるのは躊躇われるが、動向を把握しておくくらいは許容範囲だ。

 或いは彼こそが、美琴の不満を解消してくれるかもしれない。そんな期待もこめて。

 

「これでいい?」

「うん、OK。次があるか知らないけれど、縁があったらまた会いましょう」

 

 一足先に立ち去る。特徴的なデザインのケータイのアドレス帳に、二羽真理の名前が加わった。

 ――この邂逅を、喜ぶべきだったのか、悔やむべきだったのか。

四ヶ月後の美琴には判断がつかなかった。ただ、これ以後、退屈だった日々にひとつの波紋が広がったのは、否定しようのないたしかなことであった。

 

 



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二羽真理

 

 

「超能力者第八位、二羽真理。能力名『流転抑止(アンチマテリアル)』。長点上機学園一年生。ここまではアイツの言ってた通りね」

 

 常盤台中学の寮、その自室にて。美琴は能力を駆使してのハッキングを試みていた。

 彼の発言の矛盾を怪訝に思い、知的探究心に負けて、堂々と犯罪を敢行する精神は、バレなければ問題ないという自信に基づいてのもの。

 これも超能力者の明晰な頭脳と応用性抜群の能力に絶対の信頼がなければ思いつかない発想だった。

 長点上機のシステムに侵入した美琴は、彼に関してのデータが陳述された項目をピックアップして閲覧していく。

 

「彼が所属していた研究所以外での過去の経歴は不明。……この時点で怪しさ満点じゃない」

 

 初っ端から不自然な情報が出てきたことに、美琴の猜疑心はさらに膨らむ。

 読み進めると、また俄かには信じがたい記録が記されていた。

 

(入学時の身体測定の結果、情緒不安定等の精神疾患が確認された。これは他の超能力者に見られる精神異常ではなく、純粋な疾患である……か)

 

 どうやら、彼の変貌は単純に情緒不安定なだけのようだ。発言の節々から伺える気弱さから、長点上機ではメンタルの脆さが懸念されている。

 美琴にとっては、彼の人格など二の次で、彼の超能力の本質こそが重要なのであるが。

 

(あった。『流転抑止について』)

 

 美琴の目が目まぐるしく動き、その論文の詳細、要点を処理していく。

 

(――『流転抑止』、旧名『状態保存(クリアマテリアル)』は、対象に何らかの処理を加えることで永続性を与える能力である。対象は生物以外の全て。当初は永遠を実現する『賢者の石(エリクサー)』として注目を集めていたが、生物の生命に効果は見られなかった為、研究は縮小。

 作用時間は計測開始から十年経った今も効力の継続が確認されることから、『流転抑止』が死亡する、または効果を断つまで続くと推測される。これを応用して家電用品、食品産業に革命的な発明が成されることが期待されたが、何が永続性をもたらすのか、なぜ永続するのか判明せず、計画は頓挫する。これ以降、第二位、第七位同様にブラックボックス扱い)

 

「……要するに、何もわかってないってことね」

 

 能力開発ナンバーワンを謳う名門でも解明できていない現状に幻滅する。同時に、その能力の複雑さに戦慄した。

 外の世界とは数十年は科学が進歩していると言われる学園都市でも、ひとりの少年の正体に、未だ誰もたどり着けていないのだ。恐らく、本人ですら。

 あのAIM拡散力場を停止させる能力は無意識なのか、それとも、その作用こそが能力の本質、あるいは彼のAIM拡散力場なのか。何も判っていない。誰ひとり。

 

「にしても、『賢者の石(エリクサー)』ねえ。あれって卑金属を金に変換する物質だった気がするけど、永遠の実現なんて用途もあるのね。時代遅れといえば時代遅れな研究だけど」

「なにが時代遅れなんですの? お姉さまの下着のことですか?」

「うわあ!?」

 

 背後から顔を覗かせたルームメートの白井黒子に仰天して小型のノートパソコンを手放してしまった。

 美琴の電磁波でも感知できなかったことから察するに、瞬間移動で部屋に入ってきたようだ。

 ベッドに落ちたPCの画面を黒子が凝視する。

 

「第八位の能力についての論文ですか。やっぱりお姉さまも超能力者ですから、ライバル校のレベル5は末席と言えども気になりますのね」

「え、ええ。まあね」

 

 ハッキングしていたのは気づかれなかったようだ。黒子にとっての美琴が故意に罪を犯す人柄でなかったことが幸いした。

 いつだって心の中の理想の人物像は穢れないものだ。

 

「ふむ。あまり強そうな能力には思えませんわね。実用性はありそうですが、それでもお姉さま以上とはとても」

「だから八位なんでしょ」

 

 黒子の率直な意見に美琴も同意する。実際に真理と戦闘になっても、美琴は負ける気が微塵もしない。

 黒子ですら圧勝できるかもしれない。その程度の能力なのだ。

 もちろん、能力の価値は戦闘能力だけではないが、超能力者の触れ込みで比較すると、どうしても期待はずれな感覚が否めない。

 下手すると強能力者よりも弱そうだ。

 

「そうかもしれませんが……物質に永遠性を付与するって、夏場だと冷蔵庫の代わりくらいになりますけど、その他では利用価値あるんですの?」

「色々あるでしょ。薬品の効果を持続させるとか、化学反応を延々と繰り返すとか、用途によっては凄い利益を生むわよこれ。ただ、その方法と原因が解明できなかっただけで」

「なるほど……ん? ……お姉さま。これ、長点上機学園のサーバーに不法アクセスしてません?」

「あっ」

 

 美琴は黒子に説教される破目になった。黒子が理想のお姉さまなんていないことに気づくのはいつになるのか。

 

 

 二羽真理は穏やかな日常こそを愛している。

 二羽真理の日常はワンパターンだ。朝起きて、洗顔と歯磨きを済ませると、一切飲食することなく登校する。

 その道中で最低で二人とぶつかる。大半は謝り倒すか、長点上機の制服に気後れして相手が立ち去るかのどちらかだが、稀にスキルアウトのような不良と喧嘩になる。

 その際は激情して相手を追い払うのだが、その後は強い自己嫌悪に襲われる。レベル5に認定されたこと、激昂すると理性を失う自分の気性、レベル5に見合わない微妙な能力。

 よくトラブルに見舞われるのも生まれついてのものだった。生来のものである以上、この体質と折り合いをつけて生きていくしかない。

 割り切っていても、その覚悟を揺るがせるほどに現実は非情だった。

 

 能力開発に絶大な信頼のある長点上機には、様々な分野の天才、エリートが集っている。

 彼らはエリートである自覚とそれに見合う能力、そして常人と乖離した感性を持っていた。

 その学園都市の俊英たちの中でも、超能力者の存在は特別だった。

 二三〇万の八。外界から隔離された学園都市では、能力、レベルこそが全てという考えが根強い。

 その頂点に位置する彼らを全生徒は畏敬と畏怖、そしてありったけの嫉妬をこめて超能力者と呼ぶ。

 案の定、二羽真理は学校でも浮いていた。ここでは彼に好意的な人間はいない。近づいてくるのは打算的な思考を持った狐だけだ。

 これは真理に限った話ではない。美琴も真に友人と呼べる間柄の生徒はいないし、食蜂操祈にしても派閥を形成してはいるが、彼女が信頼している人物はその中にいない。

 圧倒的な力を持ってしまったがゆえに孤立は、どの世界においても起こりうる。

 二羽真理はその立場ゆえに孤高でいることを強いられた。

 

 二羽真理の過去は不透明だ。

 学園都市の記録には過去三年に所属していた研究所のデータしか残っておらず、本人の記憶には物心ついてからの出来事しか残っていない。

 親兄弟はいないことから置き去り(チャイルドエラー)であること、彼が肌身離さず身に着けているロケットペンダントのタグに刻まれた名前だけが判明したが、彼の過去は能力同様に明かされることがないままだ。

 だが、それでいいと真理は思う。過去になど興味はない。振り返って、立ち返って回顧に浸る感慨に意味があると思えない。

 けれども、学園都市で過ごす生活に未来があるとも思えなかった。能力者は外の世界に出られない。そして、この閉鎖された空間では大人の能力者が殆どいない。

 二羽真理の未来は暗く閉ざされていた。

 

今日も不良に絡まれた。道行く誰もが見て見ぬ振りをする。自ら火に飛び込むのは愚か者のすることだ。

 彼らの判断は実に正しい。それが誰かを見捨てることだとしても。

 

「おい、聞いてんのかテメエ!」

「あぁ、耳に障る濁声が近くで囀っていて、非常に鬱陶しい」

「あ!?」

「降り懸かる火の子は消されても文句は言えねえよな? あ?」

 

 憤る彼らは、真理の変化を見分けられなかった。そこに近づく勇気ある少年の存在にも。

 

「あの~。すいません、そいつ俺の友達でして……何か悪いことしたなら謝りますんで、そのへんで勘弁してもらえないでせうか?」

「あァ?」

「……」

 

 お洒落を意識して髪を逆立てた、真理と同い年くらいの黒髪の少年だった。

 人の機嫌を窺うようにへりくだった笑顔で、情けなく頭を下げながら近寄ってくる。

 

「ダチだぁ? 謝って許してもらえると思ってるのか? 随分とめでたい頭してんな」

「喜びな。テメエも仲良く私刑にしてやんよ。ざまあねえな、正義の味方気取りの馬鹿が」

 

 品のない声で笑う不良を前に、少年の顔が激情に彩られ、精悍なものに変わる。

 少年は拳を握り締め――

 

「そうかよ。なら俺も平和的に解決しようとは思わねえ。最後に言わせて貰うがよ――寄って集って一人を嬲りものにしてるクソ野郎に馬鹿野郎呼ばわりされる覚えはねえ!」

「いや、馬鹿だよ、キミ」

「……んん?」

 

 ――嘯いた瞬間、崩れ落ちる不良たちに思わず目を凝らした。

 立っているのは、標的にされていた気弱そうな男子生徒、真理だけだ。

 そしてその日、英雄と異物が出会ってしまった。

 

 

 上条当麻は変人だった。少なくとも、二羽真理にとってはそう感じた。

 自分はレベル0の凡人だとのたまう癖に、その右手には神の異能すら打ち消す異能があるという。

 レベル5の真理に仰天し、尊敬するような眼差しを向ける当麻に強い不信感を懐いた。

 学園都市の身体測定を持ってしても観測できない事象とあれば、それはもう科学ではない。

 遍く異能を無効化する能力者。科学を否定する、科学を超えた力。

 

(――そういえば、そんな能力者を聞いたことがあるような、気が、する)

 

 超能力者の末席に数えられているが、真理は抜きん出た記憶力と明晰な演算力を持っているわけではなかった。

 能力判定でこそレベル5の数値を叩きだしているものの、素の頭脳は強能力者と大差ない程度。

 唯一無二の能力を持ちながら存在を認識されていないレベル0と、類稀な能力を持ちながら蔑まれるレベル5。

 果たして、どちらが幸せだったのだろうか。

 

「ちょ、超能力者様でございましたか! 上条さん出しゃばり過ぎましたでせうか?」

「なに驚いてんの? キミの方が凄い力持ってるのに」

「いやいや、上条さんは普通の男子高生ですよー」

 

 ふざけてるのかと思った。超常的な能力を明かしておきながら、自分は凡人だと宣う。

 もはや嫌味に聞こえた。でも――迷いなく人を助けようとした言動は、嫌いになれなかった。

 むしろ好ましい。事なかれ主義が蔓延する、弱肉強食の学園都市で、多勢に立ち向かえる人物が何人いるか。

 彼の腕っ節は常人より喧嘩慣れしている程度でしかなく、それが真理に上条の存在を深く根付かせた。

 世の中には、困っている見ず知らずの他人のために身を捨てられる者もいる。

 それを蛮勇を振りかざす命知らずの愚者と取るか、己の正義を貫く勇壮な英雄と見るかは個人の解釈次第である。

 

「上条、当麻だっけ」

「あぁ。えっと、あんたは……」

「二羽真理。長点上機学園一年生。よろしく」

「おう、よろしくな」

 

 右手を差し出して、友好の握手を交わす。

 四月二一日。その日、英雄と異物が交差した。

 

 



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真実の痕

「また会ったわね」

「こんにちは、御坂さん」

 

 学校からの帰り道で、二人は再会を果たした。どうやら縁はあったらしい。

 勝気な美琴と内気な真理。対照的な超能力者が対峙する。そこに居合わせた美琴の後輩――白井黒子は不機嫌さを隠しもせずに言った。

 

「お姉さま、この方は?」

「こいつが超能力者の第八位よ」

「……この方が?」

 

 真理を見る黒子の目は胡乱げだ。言外に、「こんなひ弱そうな男が?」と語っていた。

 確かに真理は華奢で、女々しい印象が強い優男だった。

 女子中学生の美琴と比べても覇気がなく、どこか所在無さげで、酷く頼り甲斐がなかった。

強いて褒めるならば、特異な菫色の瞳に恥じない美麗な容姿をしている所くらいだろうか。

 それでも尊敬する美琴と同列の超能力者なのだから凡愚な筈がない、と黒子は思考を前向きにして、超能力者は美男美女揃いなのか、と黒子は認識を改めた。

 

「ゴメンね、おれみたいなのが超能力者で」

「あ、いえ。別に不満があるわけでは」

「黒子、気にしないでいいわよ。コイツとりあえず謝ってるだけだから」

「はあ……?」

 

 心のうちが表情に出ていたのに気づき、あたふたとする黒子に美琴が辛辣に言う。

 どこか冷めている美琴に首を傾げつつも、事の成り行きを見守ることにした。

 

「ここは第七学区よ。前も近くで会ったわよね? 長点上機は第十八学区の筈だけど、なんでいるのよ?」

「第七学区に住んでるからだよ。治安がいいって聞いたから……デタラメだったみたいだけれど」

「それ、アンタが自分から巻き込まれてるだけよ」

 

 美琴が前に会ったときのことを思い出しながら言った。

 美琴にぶつかって間を置かずに不良に絡まれていた真理。真理が災難にあうのは、むしろ真理に原因がある。

 非難する美琴に、また真理は「ゴメン」と謝った。「謝るなっての」と美琴が叱る。その様からは、どちらが年上か判別がつかない。

 真理は黒子に目を遣った。不自然な虹彩の紋様に見つめられると、気の強い黒子でも気圧される言いようのない威圧感がある。

 

「……キミは、テレポーターかな? さすが常盤台だ。一年生にも優秀な人材がいる」

「え? はい、その通りですが」

「ちょっと待って。なんでアンタ、黒子がテレポーターだってわかったの? まだ紹介もしてないわよね?」

 

 黒子を遮って美琴が質す。真理は平素な声音を崩さずに答えた。

 

「おれはAIM拡散力場に触れれば、その性質から能力の検討がつくんだ。判定基準は曖昧で、正確性はないけどね」

「ふーん……」

 

 黒子は美琴の様子から、真理に強い猜疑心を懐いていることを悟った。質実剛健な美琴が、長点上機学園にサーバーをハッキングしてまで個人を探ろうとするのは、彼に何らかの疑いがあるからだ。

 そうでなければ、基本的に人当たりのよい美琴の辛辣な態度の説明がつかない。

 考えてみれば、確かに妙だ。黒子の読んだ『流転抑止』の報告書には、そのような記述はなかった。

 黒子も美琴と同じ疑問を懐き始める。二羽真理は意図的に能力を隠蔽している。が、それを他者に明かすことに一片の躊躇いもない。なぜ?

 

「遅くなって申し訳ありません。お姉さまのルームメイトの白井黒子ですの。どうぞお見知りおきを」

「あぁ、これはご丁寧に。長点上機学園の二羽真理です。小さいのに偉いね」

「……ナチュラルに人を苛つかせる天才ですのね、あなた」

「え? ご、ゴメン」

 

 どうも、黒子はこの少年を好きになれそうになかった。

 腰は低いが、謝意が感じられない。根本的に人と接するのに慣れていない、もしくは仲良くなるのを意図的に避けている節があった。

 

「アンタの能力なんだけどさ、他人のAIM拡散力場に干渉することもできるの?」

「そこまでの力はないよ。それに、AIM拡散力場に干渉できる能力はレアだからね。仮に可能なら、おれの能力はそっち主体の別能力で登録されてるよ」

「『流転抑止』はAIM拡散力場に干渉できないってことね?」

「うん」

 

 追求する美琴を訝しがりながらも、真理は自身の能力について言及した。

 やけに美琴は彼の能力に関心を懐いている。その執着ぶりは何らかの確信があってのものか。

 黒子も話題を振ってみることにした。

 

「第八位と言えば、妙な噂を耳にしましたの。何でも、第八位には双子がいて、第八位に喧嘩を売ると双子の片割れが現れてボコボコにされるとか」

「それはデマよ。キレると豹変すんのよ、コイツ。おまけに倒れるし」

「あはは……その節はご迷惑をおかけしました」

「本当に傍迷惑な御仁ですのね……」

 

 苦笑いを浮かべる真理を横目で睨む美琴と、それを見て呆れ果てる黒子。

 どうやら既に黒子の真理の品定めは済んでしまったらしい。もちろん、評価は最低だ。

 

「ん? ――そうか。キレさせれば……」

「御坂さん?」

「お姉さま?」

 

 顎に手を添え、ブツブツと思索し始めた美琴に二人が怪訝になる。黒子は嫌な予感がした。こうなった姉はろくでもないことを仕出かすと、短い付き合いで思い知らされている。

 止めなければ――

 

「お姉さま? 何をしようとしているか知りませんが、此処は天下の往来ですわ。危険な行為は――」

「えいっ」

 

 制止の声も虚しく、美琴の前髪から紫電が迸り、真理を直撃した。

 

「おおおおおおおお姉さま!? なにをしてらっしゃいますの!?」

「今……」

 

 動揺し、美琴の肩を掴んで揺する黒子とは対照的に美琴は冷静に真理を観察していた。

 一瞬だったが見逃さなかった。いま確かに、美琴の電撃は真理に触れた瞬間に掻き消えた。

 

(間違いない! コイツの能力は永遠性の付与なんかじゃない! それは効果のひとつ!)

 

 電撃を放たれ項垂れていた真理が、ゆっくりと面貌を上げた。その双眸に宿る火は、怒りに燻っている。

 眼光の鋭さは、一目に雰囲気が異なっていると悟れるほどだ。

 

「クソが……大人しくしてりゃつけあがりやがって……」

「え?」

 

 粗野な口調、荒んだ声音、眉間に刻まれた深い皺が彼の感情を如実に表していた。

 

「悪いわね。ちょっと試してみたくて。第八位にレベル5の資格があるのかをね」

 

 当惑する黒子を庇うように前に出て、美琴が挑発する。

 真理は目を眇め、

 

「資格? ハッ、前提からして間違ってるな、第三位。資格も何も、超能力者になれるヤツは初めから決まっている。資格があるヤツだけが超能力者になれるんだ。だから確認する必要なんて端からない」

「……なに、それ?」

 

 俄かには信じがたい話に、美琴の顔が強ばった。

 

「聞いたことがないのか? 『素養格付(パラメータリスト)』を。個人の強度の上限は最初の時点で判断できるんだよ。超能力者になれる素養があると看做されたお前は高度なカリキュラムが組まれ、結果的に超能力者にまで成り上がり、上限が低いヤツは低度なカリキュラムで伸び悩む。見事な格差社会だろう?

 お前が努力で超能力者になれた実例と宣伝されるのも、それを悟らせない為だ。救いがないと、才能がないヤツはみんな現実に絶望してしまうからな」

「――なによ、それ……」

 

 声が、手足が震えた。容赦なく誇りを剥ぎ、自信を抉る知らなかった事実。知らなければよかった現実。

 動揺する美琴の心理を見抜き、真理は嘲るように笑った。

 

「何も知らない憐れな木偶が。周りにちやほやされて勘違いしたか? え? 人は現状に満足した時点で成長を止める。偶々テメェの能力の方が金を生み出すってだけで第三位についたガキにおれが負ける訳がねえだろ」

「――上等。売られた喧嘩は買うわ。ただし、あたしが勝ったら、アンタが知ってること洗い浚い吐いてもらうわよ……!」

 

 余裕綽々に口元を釣り上げる真理と屈辱に歯を噛み締める美琴が睨み合う。

 もはや超能力者同士の抗争は不可避と言えた。

 

「お、お待ちくださいお姉さま! ここは街中ですわ! まだ一般人も多いこんな所でレベル5が戦うなんてなったら――!」

「退いてなさい、黒子。一般人を避難させて、アンタも離れるの」

「ギャラリーがいない方がいいか? そうだな。名高い常盤台の『超電磁砲』が観衆の前で格下とされる第八位に負けちゃ示しがつかないもんな」

「――ッ!」

 

 完全に逆上した美琴がコインを取り出し、強壮な紫電を威嚇する獣の如く放出した。

 それを見た通行人が恐慌して逃げ惑う。黒子も覚悟を決め、『風紀委員』の腕章を身につけた。

 

「お二方、それ以上の能力行使は現行犯として取り締まりますわ!」

「大能力者程度が? 笑わせんなよ。何でお前が大能力者でおれたちが超能力者か判ってんのか? どう足掻こうが敵わない彼我の差があるからだ。

 能力の性質、威力、演算力。全ての分野で隔絶しているから超能力者とその他で区分されるんだ。希少なテレポーターと言っても他に五七人もいる。ひとり再起不能になろうが構わないよな?」

「……それを、最も大能力者に近い超能力者が言いますのね。『風紀委員』としてあなたを捕まえます」

 

 陰惨に挑発する真理に黒子も応戦した。太もものホルダーから金属矢を抜き、演算を開始する。その瞬間だった。

 

「――あ、」

 

 ぐらりと崩折れた真理が、うつ伏せに地面に倒れた。そのまま微動だにしない。

 突然の出来事に狼狽する二人。美琴の視線が黒子の構えた金属矢で固定される。

 

「黒子……アンタ、まさか……」

「ち、違いますわ! わたくしはまだやってません!」

 

 美琴の焦燥した瞳から、妹分が殺人を犯してしまった絶望感が伝わってきて、黒子は千切れんばかりにかぶりを振った。

 いくら腹が立っても脳に金属矢を空間移動させるのはえげつなさすぎではないか。

 恐慌状態にあった通行人たちも、事態の展開に足を止め、不穏な様相を呈し始めた。

 

「ねえ、あの男の子……死んでない?」

「あの子がやったのか?」

「常盤台の生徒が、長点上機の生徒を……」

「殺した?」

 

「ご、誤解です!」

 

 蜘蛛の子を散らしたかのように離れてゆく一般人。手を伸ばしたまま固まる黒子をよそに、動かない真里に美琴が近づいた。

 触診する。

 

「寝てるだけよ、コイツ……」

「……」

 

 度重なる議論の結果、放置せずに介護することになった。

 黒子は一貫して川に放り投げることを主張したが、美琴がそれは可哀想と起きるまで付きそうと言うと、渋々と従った。

 本音を言えば、先の核心を突く言葉がなければ、美琴も路地裏のゴミ箱に叩き込んでしまいたかった。

 

 

「いやー、ゴメンね。またまた迷惑かけちゃって」

 

 ファミレスで向かいの座席に座り、後ろ髪を掻く真理に二人の怒りは頂点に達した。

 頬杖をつく美琴のこめかみには血管が浮き出ているし、隣の黒子のツインテールは逆立ち、文字通り怒髪が天を突かんばかりであった。

 

「お詫びに何でも奢るから!」

「黒子、ここで一番高いのってなに?」

「スペシャルデラックスジャンボパフェREMIXですの。でも二人ではとても食べきれませんわね」

「……」

 

 頭を下げる真理を無視して二人が注文を始める。黒子が近場のベンチにまで空間移動させ、目を醒ますまで介抱させられた二人は今までになく心を結託させていた。

 散々に挑発、虚仮にされた上で衆愚に誤解された分の苦労は払わせる算段だった。

 美琴に至ってはこれで二回目。自分がはじめに喧嘩を売った事実は綺麗に抜け落ちているが、黒子も真理への怒りが勝り、口には出さなかった。

 

「さっきの話だけど」

 

 注文した品が届いてから美琴が切り出した。バケツ一杯分はありそうな特大パフェに頼んだことを後悔し、黒子も顔が青褪めている中でのことだった。

 

「『素養格付』……って、なんなの?」

「なにそれ?」

「……っ! アンタねえ!」

「お、お姉さま、落ち着いて!」

 

 真理が首を捻る。惚けられたと美琴が激昂するが、真理はその様子に狼狽した。

 

「ちょ、ちょっと待って。それ、本当におれが言ったの?」

「は?」

「……? わたくしとお姉さまの二人が耳にしていますから、あなたの口から出たのは間違いないですが」

 

 真理は口元を手で隠し、思索に没し始めた。忙しなく視線を下方に彷徨わせる。

 記憶がないのは瞭然だった。

 

「……アンタ、多重人格なんじゃないの?」

 

 美琴が語調を弱めて言った。変貌と言っていい人格の変化は、別の人格が出ているとしか思えなかった。

 記憶に残っていないのが、その証拠だ。が、真理は首を振る。

 

「多重人格ではないよ。医学的にも、科学的にも、それは否定されてる。精神系の能力者に治療されたこともあるけど、効果はなかったな。まぁ、おれがおかしいってだけ。ごめん」

 

 美琴の胸にドス黒い感情が鬱積してゆく。一縷の隙もなく、真理は疑惑の塊だった。

 能力から始まり、発言の悉くが食い違う。どれが正しく、間違っているのかすら判断に困る。

 話していて不信感ばかりが胸中に蟠った。謝罪は人間関係を円滑にする効用はあるが、親交を深めることはない。

 相手に非がある際は胸がすく思いになるが、それで両者が歩み寄ることは稀であるし、意味もなく謝られても戸惑いを生むだけだ。

 真理がしていることは、関係に亀裂を生み、他者を不快にさせているだけに過ぎない。

 そして、それに気づいていない。

 

「……『素養格付』については知らないってことね?」

「うん。ゴメンね」

 

 また謝った。条件反射で口にしただけの、誠意などなく、ましてや心無い言葉だった。

 美琴は真理の言葉を信じないように自身を戒めた。だが、先の豹変した真理の発言は、とてもデタラメとも思えない。

 真に迫る、底知れぬ闇を覗いた感覚があった。信じないと決めたばかりだが、得体の知れない説得力があったのだ。

 

「ゴメン。時間だ。会計は済ませておくから、二人はくつろいでてね」

 

 携帯電話で時間を確認した真理が席を立った。伝票片手にするりと移動する。

 真理に近づくと、美琴のAIM拡散力場が再び停止した。やはり、何らかの干渉は受ける。

 美琴が独自で調査を進めることを決心した時、黒子が美琴の腕を指でつついた。

 

「お姉さま……これ、どうしますの?」

「げっ」

 

 注文した殆ど手つかずの特大パフェがテーブルに鎮座していた。

 嫌がらせに注文したはずなのに、自らの首を絞めることになるとは……

 美琴は逆恨みながら、ますます真理が嫌いになった。

 



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翼の計画

 

 七月に入り、初夏の猛威が学生を襲い始めた。燦々と照りつける日差しの強烈さは、如何に学園都市の科学力が優れていようと解決しようがない。

 だが、施設内で言えば世界有数の快適な空間が、外界の数十年進んだ空調技術によって確保されている。

 学園都市では部活動も盛んだが、専ら能力者による無能力者の蹂躙劇と化しており、部活動に汗を流すよりも、能力向上に費やした方が論理的と言う風潮が形成されていた。

 精神論は廃れ、身体よりも頭脳を鍛える方が強くなるからだ。だから、運動部なのに机で勉強をしているなんて姿も多々見られた。

 

 その学生の頂点に君臨する第三位の御坂美琴は、今日も常盤台の図書室で書物を読みあさっていた。

 積み上げられた本は十冊の山が二つ。数時間で読破するには多すぎる量だが、超能力者の明晰な頭脳では容易い。

 彼女は数ヵ月、この古書の匂いに満ちた空間で学園都市関連の書物を探し求めていた。

 黒子に違法行為に釘を刺され、仕方なしに正攻法で目当ての情報を得ようと努力している。が、成果はない。

 やはり、真理の虚言だったのか。あの紫の双眸と無駄に整った顔が思い浮かぶ。学園都市に無数にある都市伝説の類だとすれば悪質極まりない。開発を受けた時点で将来が決まっていると宣伝する悪質なものだ。

 超能力者になろうと努力する生徒の日々は無駄だと切り捨てる技術が存在していることになる。そう、もしに仮にこれが真実だとするならば、学園都市の上層部は絶対に漏らさぬように隠蔽するだろう。

 生徒の目につく場所には情報を置くはずがない。判ってはいるのだ。だが、黒子に監視されている身の上では大っぴらな行動は取れない。

 他にも真理の能力についての疑問もある。トゲトゲ頭の高校生の右手についても気になる。明晰な頭が回らなかった。

 

「あらぁ。御坂さぁん、なにしてるのぉ?」

 

 間延びした、男に媚びるような甘い声に美琴の顔が曇る。美琴は無視を決め込んだ。

 

「ふふ。なぁーんて。本当は知ってるけどぉ。連日、調べ物で大変みたいねぇ、御坂さん」

「図書館内の私語は厳禁って知らないの?」

「噂で聞いたんだけどぉー。何だか最近、御坂さんは長点上機の超能力者さんと仲良くしてるとか?

 それって常盤台への背信行為だと思うのねぇ」

 

 鼻がひくついた。美琴は関心がないのに、向こうは敵対心を持って接してくる。自然と身構えてしまう。

 能力の卑賤さ、厄介ぶり、下衆な手口は、美琴の知る限りで彼女を上回るものはいない。

 超能力者第五位、食蜂操祈。腰元まで伸ばした流麗な金髪を靡かせ、中学生離れした婀娜な肢体と麗しい容貌を振りかざす、いけ好かない女は、不遜な笑みを浮かべて美琴の隣に座った。

 

「で、実際はどうなのかしらぁ? お友達? 恋人?」

「アンタには関係ないでしょ」

 

 あれと親しい間柄と疑われるだけで虫唾が走った。だが、わざわざ教えてやる義理もない。

 冷淡な声音であしらうと、食蜂操祈は人差し指を唇に当て、「んー」と喉を鳴らした。

 

「人には言えない関係なのぉ?」

「んなわけあるか」

「じゃあー。私が盗っちゃっても文句ないわよねぇ」

 

 美琴が双眸を眇め、一瞥する。頬杖をつき、こちらを見つめる、星の瞬きに似た虹彩と眼が合った。

 

「常盤台の超電磁砲と長点上機の流転抑止が激突。学園都市の生徒が胸躍る最高の見世物だと思わなぁい?」

「相変わらず下卑た発想ね。やれるものならやってみなさいよ」

 

 業腹だが、手を出すわけにはいかない。しかし、気性から挑発には煽りで返してしまう。

 美琴が睥睨すると、食蜂操祈はくすりと笑った。

 

「なら、自由にやらせてもらうわぁ。御坂さんが吠え面かくのが楽しみ」

 

 お嬢様らしい言葉使えよ、と、立ち上がって踵を返す食蜂操祈に内心で毒づいた。

 自分が言えた義理ではないとは思わなかった。

 ふと、別の疑問が生じたからだ。

 

「アイツに『精神掌握(メンタルアウト)』って効くのかしら……?」

 

 

 放課後、真理は気温が落ちてなお蒸し暑い第七学区の一画を歩いていた。

 帰路につく生徒で賑わう街中を、フラフラと歩く真理の様子は浮浪者極まりなかった。

 容姿も数ヶ月前とは一変し、伸ばし放題の黒髪は蓬髪となって鎖骨にかかり、学生に埋没することなく浮いていた。

 それでも不潔な印象を与えないのは、生来の優れた容姿のおかげである。陰気な空気を撒き散らす真理に、華美な少女が正面からぶつかった。

 

「すいません」

「いぃえー。大丈夫ですよぉー」

 

 真理はいつものように視線を合わせることなく頭を下げた。敵意のない可憐な、間延びした声に顔を上げる。

 操祈が嫣然な微笑を浮かべ、真理を見据えた。

 

「お久しぶりです、真理さん」

「……ゴメン、誰?」

 

 ピキリ、と操祈が固まった。次の瞬間、叫ぶ。

 

「ハァーッ! ハァーッ!? 何で忘れてるの!? ありえないしぃ!」

「え……ゴメン。おれたちって顔見知りだったの?」

「私に! 精神疾患治療を依頼してきたでしょぉッ!?」

 

 自身を飾るのすら忘れ、取り乱す操祈に小首を傾げていた真理だったが、しばらくして唖然となりながら口を開いた。

 

「もしかして、運動音痴の?」

「最悪な覚え方なんですけどっ! 真理さんだって運痴じゃない!」

「ゴメン……」

 

 久方ぶりの再会が台無しだった。落ち着いた操祈は、コホンと咳払いをすると、羞恥から赤くなった頬を隠すように顔を背けた。

 

「相変わらず、人をイラつかせることだけは一人前ねぇ……ところで」

 

 向き直った顔には、人を食ったような微笑が張り付いていた。

 

「その眼、まだ見えてます?」

 

 紫色の瞳――薬物で後天的に変異させられた眼の下に、真理が手を添えた。憫笑する。

 

「うん。見えてるよ。視界は、狭くなってるけれど」

「気をつけないとダメですよぉ? 私だからいいですけど、真理さんは弱っちいから、こわーい人に絡まれてやられちゃうもの」

「あはは……」

 

 既に幾度となく絡まれている。その度に正気を失い、返り討ちに合わせる日々を思い出す。

 遡れば、お互いに眼がコンプレックスで打ち解けたことも、記憶の片隅にあった。成長期の恐ろしさを味わった気分だった。

 真理の知る操祈は、こんなに大人っぽい少女ではなかった。常盤台の教育の賜物かと、勝手に納得した。

 思い出に浸る真理を、操祈は無表情で見つめる。

 

「真理さんは、変わってないですね」

「うん。成長してないよね。ゴメン」

 

 苦笑して、夏には暑くて仕方ないであろう蓬髪を持ち上げた。操祈は嘘をついた。しかし、それに気づいていなかった。

 操祈の瞳から光が失せる。真理は不意に操祈の後ろを見て、声を上げた。

 

「御坂さん」

「うげっ」

「? 誰ですか?」

 

 視線の先には、美琴と黒子、そして柵川中学の制服を着た女学生が二人いた。美琴は顔を引きつらせ、黒子も露骨にげんなりさせた。

 が、真理と共にいる人物を見て、美琴と黒子が警戒心を表に出す。操祈は対照的に、優雅に髪を撫でた。

 

「アンタ、あれ、本気で……!」

「あらぁ、御坂さん。ご機嫌よう。こんな所でお会いするなんて奇遇ねぇ」

「白々しいですわね……」

 

 睨み合う常盤台の三人をよそに、真理はフラフラと四人に歩み寄った。美琴が紫電を出して牽制する。

 

「近寄らないで! アンタ、コイツに何かされてないでしょうね?」

「何かって?」

「酷いわぁ、御坂さん。私を疑うなんて。心が穢れてるんじゃないのぉ?」

「この……どの口が言うか!」

「イヤーン、こわぁい☆ 二羽さん助けてぇ」

 

 怒りの矛先が向いた途端、真理の背後に隠れた。ちらりと顔を見せ、舌を出すのも忘れない。

 美琴の怒りのボルテージがハイになった。

 

「胸かぁ? そんなに胸がデカイ方がいいのかぁ!」

「お姉さま! お心を確かに! 街中! 学生が多い時間帯に超能力者三人が喧嘩なんて洒落になりませんわ!」

「? ムネ?」

 

 

「オホン。こちらが超能力者第八位の二羽真理さんと、」

「第五位の食蜂操祈でぇす。よろしくねぇ」

 

 ケッ、と美琴が吐き捨てた。場所はいつものファミレス。美琴、真理、操祈の三人が並び、対面に黒子、佐天涙子、初春飾利が座っている。

 自己紹介を済ませた面々の反応は六者六様だった。黒子は気疲れして肩を落とし、初春は顔を輝かせ、涙子は感嘆の吐息を漏らし、美琴は不機嫌さを隠しもせず、操祈は眩い笑顔、美琴と操祈に挟まれた真理は困惑していた。

 初春は声を震わせて言った。

 

「は、八人しかいない超能力者の三人に会えるなんて、感激です……!」

「あの、握手してもらってもいいですか?」

「いいわよぉ」

 

 手を差し出す涙子に操祈は快く応じた。美琴の機嫌がさらに沈んだ。

 

「その、ついでと言ったら何なんですか、アドバイスとか、伺ってもいいですか?」

「アドバイス?」

 

 正面の真理が聞き返した。涙子は姿勢を正して首肯した。

 

「私、レベル0で……どうしたらレベルが上がるのか、この学園都市で一番優秀な方々に聞けばコツみたいなものが解るかなって思いまして」

 

 自虐を多分に含んだ嘆願だった。よりにもよって、真理に訊くのかと、美琴は苦渋に満ちた表情で涙子を見た。

 『素養格付』と言う、レベルの上限を測定するシステムが真に存在するとしたら、努力を否定することになる。

 勉強、特訓、練習。低い強度の者が超能力者の地位に恋焦がれて、研鑽する意味を水泡に帰す都市伝説。

 初めから超能力者だった真理に、コツなどわかる筈がない。何か失礼なことを言ったらぶん殴るつもりで真理の言葉を待った。

 

「君は、友達いる?」

 

 友達? 意外な第一声に全員が面食らった。動揺しながらも、涙子は頷く。

 

「え、は、はい」

 

 横の初春を見た。実際、涙子は友達が多い。親友の初春の他にも親しい者が沢山いる。

 真理は、「そう」と抑揚のない声音で言った。

 

「おれはいないよ。この二人もね」

「アンタと一緒にすんな」

「失礼ねぇ」

 

 反駁しようとする二人を無視して、真理は続けた。

 

「友達がいるってことは、周囲に埋没できるってことだ。つまり、自分を持っていないってこと。

 人に合わせて生きている。自分だけの世界が確立していないってことだ」

「え? えと……」

「『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』のことを言ってますの?」

 

 戸惑う涙子に黒子が補足するように質問した。真理が頷く。

 

「高位能力者になるほど、強烈な自我を持っている。同時に『自分だけの現実』も確固なものとして観測し、能力の土台としている。

 無能力者がなぜ無能力者かと言うと、普遍的な現実しか見ていないからだ。現実から乖離した、自分だけの世界を見つめられない者。つまり、正常なんだよ。良くも悪くもね」

「何よ。あたしたちは異常ってわけ?」

「精神病を患っているのと同義だよ。『自分だけの現実』を持ってるって言うのはね。

 普通の人は現実しか見ていない。妄想に逃避しない。でも、おれたちはその妄想の比重が大きいんだ。妄想と現実の区別がつかなくなるほどに能力は強くなる。高位能力者に変人が多いのは、その所為だ」

 

 不満そうに口を挟んだ美琴を閉口させた。美琴以外のレベル5の人格が破綻している噂を思い出したからだ。

 黒子にしても、露出の激しい下着を好んだり、レズビアンの気があったりと常人とは言い難い。的を射ている。

 

「自分を曲げないから、高位能力者に付き合える人は少ない。自然、友達も少なくなる。

 君にその覚悟はある? 好きな人との折り合いも付けられなくなって、みんな君から離れてゆくけど、それでもいいの?」

「う、あ……その、いきなり言われても、私……」

 

 長い髪の隙間から除く紫色の瞳に射抜かれて、狼狽する。止めようとする美琴。が、真理は瞑目し、柔らかい声音で告げた。

 

「なら、友達を大事にした方がいい。能力は短い間だけ威張れる要素に過ぎないけど、友達は一生の宝物だ。おれにはないものだから、自慢していいよ。御坂さんにもいないんだから」

「え、えと……は、はい!」

「ひとこと多いのよアンタは!」

 

 ちょっとは良いこと言うじゃん、と見直したらこれだった。どうも気に食わない。

 やはり真理は、自分よりも深いところにいる。そのモヤモヤとした疑念と憔悴が真理への印象に直結していた。

 それは、純粋にそりが合わない操祈とは異なるベクトルの嫌悪感だった。

 

 

「御坂さん、お願いがあるんだケドぉ」

「知らないわよ」

 

 翌日。銀行強盗を逮捕したり、操祈に挑発された美琴がブチ切れたり、それに黒子も参戦して取り返しのつかない事態になったり、巻き込まれた真理まで切れて危うくアンチスキルが出動しかねない事件に発展したりした、てんやわんやの騒々しい前日があった美琴は、昨日の今日で馴れ馴れしく話しかけてきた操祈を冷然と突き放した。

 向き合うと、また激昂してしまいそうだった。が、次に操祈が発した言葉に足を止める。

 

「二羽さんの秘密、知りたくない?」

「なに……?」

 

 振り返る。いけ好かない顔が、気に食わない笑顔を貼り付けていた。

 

「やっぱり興味あるんじゃなぁい。素直じゃないのねぇ、御坂さんは」

「うっさいわね。本題を話しなさいよ」

 

 苛立ちながらも先を促すと、操祈は笑うのをやめた。薄い唇が淡々と動く。

 

「彼の家に行きましょう」

 

 

 

 

 

 

 

「ちょ、ちょっと。本当に大丈夫なんでしょうね?」

「二羽さんはまだ授業中だから、心配ないわよぉ」

 

 学校を抜け出した二人は、第七学区にある真理のマンションを訪れていた。超能力者なだけはあり、学園都市でも有数の高級マンションだった。

 広大で豪奢なエントランスを堂々と通り、エレベーターに乗る。セキュリティは操祈の『精神掌握』で警備員を洗脳し、美琴の能力で電子機器系統を操作して抜けた。

 彼女たちがいれば、抜けられないセキュリティは皆無に等しい。問題は、家の主に遭遇しないかだけ。

 エレベーターが目的の階層で止まる。先に歩き出す操祈の背中に声をかけた。

 

「良く知ってたわね、アイツの家なんて」

「以前から調べてたもの。当たり前でしょー? 私の調査力甘く見ないでよねぇ」

 

 さも当然とばかりに言う操祈に、美琴の中で二人の過去に何かあったことを悟った。同時に真理の言葉を思い出す。

 

『多重人格ではないよ。医学的にも、科学的にも、それは否定されてる。精神系の能力者に治療されたこともあるけど、効果はなかったな。まぁ、おれがおかしいってだけ。ごめん』

 

「……もしかしてさ。アイツを治療した精神系能力者って、アンタのこと?」

 

 美琴の問いに操祈は足を止めた。美琴も追随して足を止める。操祈は小さく嘆息した。

 

「口が軽いって言うかぁ……そんなこと話しちゃうんだ。がっかりぃ」

 

 両手を広げて肩を竦めた。表情は窺えない。声音は平素と変わらないが、美琴には落ち込んでいるように聞こえた。

 

「そうですぅ。私が治療を担当して、治せませんでした。何か文句あるの?」

「いや、ないけど」

「だってだって! 二羽さん私の能力が効かないんだもん! 効かないのにどうやって治せって言うわけぇ!? ワケわかんない!」

「……アンタの能力も効かなかったんだ」

 

 素で取り乱す操祈よりも、その事実に驚いた。操祈の『精神掌握』は、学園都市最高の精神系能力だ。精神に関する事柄なら不可能はないとされる、十徳ナイフに例えられる程の正真正銘の超能力。

 それすら効かないのは――例えば、あのトゲトゲ頭の高校生の右手のような、科学を超えた不可解な何かなのではないか。

 半べそをかく操祈に、美琴は険しい表情で質した。

 

「アイツの能力について何か知らない? 前にアイツ、あたしの電撃も打ち消してた。絶対に物質に永遠性を付与する、なんて能力じゃない。AIM拡散力場にも干渉してるし、アンタの能力にも効かないなんて、おかしすぎるわ」

「……知ーらない。知ってても教えなぁい」

 

 くるりと背を向き、そっぽを向いた操祈に怒鳴るのを、美琴はギリギリのところで堪えた。

 本当に知らないのかもしれなかったし、或いは彼女も治せなかったことを悔いているように見えたからだ。

 操祈がある一室の前で立ち止まる。表札には、『二羽』とあった。真理の部屋だろう。

 

「開錠、お願いねぇ」

「はいはい」

 

 電子ロックを解除し、何事もなくドアが開く。目配せし、短く頷いて中に入ると、妙な臭いが鼻についた。

 生ゴミ等の不快な悪臭ではない。だが、嗅ぎ慣れた匂いでもなかった。最近、嗅いだ覚えがある。初めて入る異性の部屋に緊張しながらも足を踏み入れると、広々としたリビングが目に入った。

 何もない。最低限の家具以外は、ゴミひとつ落ちていなかった。清潔というより、無機質な部屋……どことなく、研究施設を連想させる、寂しい部屋だった。

 

「何か……小奇麗だけど、生活感がないっていうか」

 

 キョロキョロと物色していると、操祈が大型冷蔵庫を開けた。中には、大量の同一メーカーのミネラルウォーターが隙間なく詰められていた。他には何もない。

 背筋に薄ら寒いものが走った。やはり、異常だ。偏執的な悍ましさを感じる。美琴が引いている中で、操祈は無表情で淡々と探索を進めていた。

 トイレ、風呂と順々に見て回る。誇りひとつ、汚れさえもない。臭いの大元はここではないようだ。

 ベランダで家庭菜園をしているらしく、ハーブが大量に栽培してあった。また、どれも同一の種ばかりだった。

 鼻をつく臭気は――カメムシ臭だ。この葉の名前は何と呼ぶのだったか。思い出せない。室内に充溢する匂いは、これでもない。

 私室に入る。十二畳の洋室にはベッドと机があるだけだ。が、枕元に数冊の本を見つけた。どうやら読みかけのようだ。タイトルを見る。

『錬金術大全』、『ホメロス』、『魔女の森』とあった。西洋の、オカルトものが多かった。

 

「なにアイツ。こんなのが好きなの?」

 

 手に取り、頁を捲る。眉唾物の如何わしい陳述に頭が痛くなった。科学の街では、このような物事は好まれない。

 都市伝説が語られるのとは別の次元で信じられていないからだ。操祈は、それらをじーっと見つめていたかと思うと、やおら別室のドアを開けた。

 すると、入っていた時より感じていた臭いが急に強くなった。どうやら、臭いの大元は此処のようだ。美琴も入る。

 

 ――果たして、中にあったのは、視界一杯に堆く積まれたダンボールの山だった。書斎と思しき部屋は、足の踏み場もないほど隙間なく大小無数のダンボールで埋め尽くされていた。

 個数は数え切れない。物置としても限度がある。愕然とする美琴の横で、操祈は近くにあったダンボールを開き、中身を確認した。

 詰まっていたのは、本だった。年代はバラバラで、日焼けし傷んでいるものから真新しいハードカバーまで、ダンボール一杯に詰め込まれている。

 他のも同じで、どうやら此処にあるのは全て本のようであった。そこでハッとなる。

 この匂いは、図書館の匂いだ。この家は、紙の饐えた匂いが充満している。いったいどれほどの書物が貯蔵されているのか、想像もできない。確認していない部屋にも同量の本が置かれているのだろうか。

 もしかしたら、本当に小規模の図書館に匹敵する量があるかもしれない。真理が集めたのだろうか。だとすれば、何の為に?

 

「変わってるとは思ってたけど、ここまでとはね」

 

 つまりは、真理も超能力者だと言うこと。先日、自ら高位能力者に変人が多いと言ったことに偽りはなかった。

 この部屋には狂信めいた執着が充溢している。真理の異常の一端を垣間見た気がした。

 美琴がダンボールの数から蔵庫の冊数を推測していると、操祈は一冊の本を手に取った。そのまま動かない。

 気になった美琴も表紙を覗き見る。手垢に塗れ、煤にくすんだように色褪せたカバー。タイトルは、『Agamemnōn』とある。洋書であろうか。美琴には縁がないものであるので、さしてそれに興味をもてなかった。

 真理のオカルト好きが奏した収集癖によるものと結論付け、微動だにしない操祈に目を遣った。

 美琴は息を飲む。その美貌に浮かぶのは、美琴の知る操祈の顔ではなかった。悲哀と怒り、そして諦観に濡れた不安定な瞳が揺れている。

 この著書に何の意味があるのか。推し量ろうとする美琴に一瞥すらくれずに、本に視線を固定したまま、操祈は呟いた。

 

「そうね……変わっちゃったわ」

 

 すると、その本を小脇に抱えて、操祈は書斎をあとにした。慌てて美琴もあとに続く。

 

「ちょ、ちょっと! それ片付けなくていいの!?」

「大丈夫よぉ。読んでないから」

 

 そんなわけあるか、と叫びたいのを堪えて踵を返し、せめて体裁だけは取り繕う。一見しては誰かが入ったかはバレない筈だ。

 マンションを出るまで、二人は無言だった。所在なさげな空気の中で、意識は操祈の手にある本に注がれている。ボロボロの本と真理に何の接点があるのか。

 意を決して、美琴は尋ねてみることにした。

 

「ねえ、それ――」

「あげないわよぉ」

「要らないわよ!」

 

 ダメだ。どうしても売り言葉に買い言葉で喧嘩に発展してしまう。今の遣り取りで興味も失せてしまった。

 美琴は大仰にため息を吐き、学校をサボり、犯罪を働いてまで得た収穫が、本一冊と益体のないものだったことを後悔した。

 真理が変人だという確証と、食蜂操祈とは馬が合わないがはっきりとしただけ。無駄骨だったと嘆きたくなる。

 マンションを脱し、帰路につこうとしていたときになって、ようやく操祈は口を開いた。空は曇っていて、真夏なのに涼しい風が吹いていた。

 

「さっきの問いだケド」

 

 本についてか。気まぐれな彼女がまともな答えを口にするなど期待せず、話半分に耳を傾けた。

 

「二羽真理の能力は、永遠を実現するもの。それは間違ってない。問題はぁ、『眼』よぉ」

「眼?」

 

 もしや、食蜂操祈はかなり真実に近い……?

 詳細について訊こうと思った矢先、操祈は思わせぶりなことだけ言って帰ってしまった。

 追いかけて質問攻めしたが、はぐらかされた。不信感が鬱積した。

 

 



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天使のオークション

 

 学園都市が色めき立っているのを一般学生の誰もが感じていた。実しやかに語られる都市伝説、使用者のレベルを引き上げる道具、『幻想御手』の存在が認知され始めていたからだ。

 ネット上で飛び交う膨大なデマの中に真実味を帯びた情報が幾つかある。実際に強度が上がった者まで身近で出始めたのを見た生徒は、こぞって『幻想御手』を求めて探索を始めた。

 しかし、急激に力を得たことで増長する者も現れる。それに伴う治安悪化を懸念し、『幻想御手』を取り締まる動きもあった。

 学生による治安組織、『風紀委員(ジャッジメント)』と使用者のイタチごっこが日々、行われていたのである。

 『風紀委員』に所属する黒子と初春は当然として、義憤に駆られた美琴も奔走する中で、二羽真理もまた、何の報奨もない徒労と責務を背負わされてた。

 黒子のように使命を果たそうとしているわけでも、美琴のように己の正義を貫こうとしているわけでもない。超能力者としての有名税を徴税されるように、手頃な第八位を狙う輩が増えてきたのだ。

 その都度、逆上し、返り討ちに合わせるだけの降り懸かる災難に、真理は辟易していた。

 学園都市の超能力者の選定は、強弱で決まるものではない。その能力が如何に利益を齎すか、稀少で、研究対象として有益か、金銭基準でしか評価していない。

 彼らが何人超能力者を打倒しようが、無意味な徒労でしかないのだ。そう、勘違いした凡骨の残骸を真理が幾ら積み上げようとも。

 

「なぜだ……なぜ、こうも馬鹿は減らない? 脳を開発して、演算能力を向上させても、単純な知能を発展させなければ意味がないだろうに、なぜ未だに馬鹿は増え続ける?

 足りないんだ。焦燥が」

 

 平日の昼下がり。無造作に伸ばした蓬髪は、その胡散臭さを誇張させ、一目には浮浪者にしか映らない。

 清掃ロボットによって清潔に保たれた整然とした街並みに、ブツブツと独り言を呟く真理の姿は異様だった。不審な容貌はもとより、纏う雰囲気すら不穏で、陰鬱な怒気を孕んでいる。

 真理の背後の路地裏には、無謀にも超能力者に挑んだ哀れな男たちが昏睡していた。数歩、壁伝いに足を踏み出し、膝を折る。

 殺意につり上がった双眸が力をなくし、俯せに倒れた。湿った風に髪が舞った。

 

 

 佐天涙子は湧き立つ希望に胸を高鳴らせていた。無能力者である劣等感、送り出してくれた両親の期待、これから得る高位能力者への第一歩を叶えてくれる夢のアイテムを胸元で握り締める。

 ネットサーフィンをしている際に偶然入手した、噂の『幻想御手』の音源を携帯音楽機器に入れ、どうして試したものかと思索しては、この手に掴める栄光に動悸が収まらない。

 先日、学園都市の頂点に位置する、レベル5に出会った。それも三人。間近で接して、自分とはかけ離れた存在なのだと、諦観にも似た感傷に消沈した。

 

 二羽真理は言う。強度の代償に友を捨てろ。それは遊ぶ暇を惜しんで努力しろ、なんて生易しいアドバイスではなく、精神に異常を来たしてまで自分と向き合えという、忠告だった。

 美琴は否定したが、操祈は黙して反論しなかった。おそらく、正しいのは真理たちで、美琴は王道を進んできたから、曲がっていないだけなのだと思えた。

 あの不吉な瞳の紋様を見て、一瞬で気圧された。その不自然さの意味することは、凡庸な自分でも理解できた。後天的に変色する程の苛烈な日々を歩んだから、彼は精神性について言及し、普通でいることをすすめたのだ。

 先達の助言だ。説得力もあったし、恐怖も芽生えた。

 それでも、超能力への憧れは捨てきれない。間近で見た超電磁砲の威力と鮮烈なエフェクトが目に焼きついている。

 リモコンひとつで人心を繰り、永遠を生み出す異能の脅威を、今は知っている。憧憬は大きくなるばかりで消えてくれることはない。

 これを使えば、あの人たちに一歩近づける。夢見た力をこの手に掴むことができるのだ。

 早速、初春に自慢しよう。あの子だって低レベルの能力者だ。風紀委員に合格できる特能を持ってはいるけれど、本心では更なる強度を欲しているはず。みんなで上を目指すんだ。

 待ち合わせ場所への道程を早足で進み――伏臥位で倒れている二羽真理を見つけたのは、目的地に着く直前だった。

 

「あれ……真理さん?」

 

 顔は伺えなかったが、長点上機学園の制服と暑苦しい長髪は見紛えようがない。慌てて駆け寄って抱き起こした。

 

「真理さん!? だ、だいじょうぶですか?」

 

 タブーなのは知っていたが、咄嗟の出来事に頭が働かず、揺り動かす。すると、忽ち反応があった。

 瞼が震え、口が開く。安堵した涙子の顎を、やおら真理の右手が掴み、口を封じられた。

 

「むぐっ!?」

「……佐天、涙子?」

 

 当惑しながらも、名前を呼ばれ、何度も頷く。それでやっと手が離れ、耳元でがなり立てる心臓の音に驚いた。

 膝に頭を乗せていた真理が額に手を当てながら起き上がった。しばし、状況を整理するかのように一点を見つめ、パッと動き出す。電球を想起させる切り替えの速さだった。

 

「いやー、ゴメンね。助けてくれてありがとう。おれってなぜかバッタリ倒れちゃうことがあるんだよね」

「え……? それって大丈夫なんですか? 熱中症とかじゃ」

「心配かけてゴメン。でも平気だよ。ほら、この通り」

 

 空笑いを浮かべ、その場でジャンプする。確かに行動に支障はなさそうだった。

 胸を撫で下ろす涙子の右手に大事そうに抱えた音楽プレイヤーに目敏く真理が指さした。

 

「それ、何か大切なものなの?」

「別に高価なものって訳じゃないんですけど……実は、ネットで噂のあるアイテムをゲットしまして」

「アイテム?」

「はい!」

 

 超能力者の真理も知らない情報を涙子は得意げに語りだす。

 聴くだけでレベルが上がる魔法の道具。それを偶然手に入れたこと。それを今から初春に見せびらかしに行くこと。試しに使ってみようとしていること。

 全てを聞いた真理は、軽く握った手を口元にやり、唐突に言った。

 

「『幻想御手』か……それを超能力者が使ったら、どうなるんだろうね」

「あ、それは興味あります! 真理さんが使ったら、御坂さんを超えたりするんですかね」

 

 真理の提案に涙子も乗った。無能力者ですら格段に強度が上昇するアイテムだ。仮に超能力者が使えば、どれほどの向上が見込めるのか、妄想は尽きない。

 

「貸して貰ってもいいかな?」

「はい」

 

 快く差し出す。生来の人の良さもあるが、涙子は真理に悪い印象は持っていなかった。能力についてのアドバイスは貰えなかったが、人生の助言を授けてくれた。

 自分には仲の良い親友がいる。それは掛け替えの無いものだ。それを再認識する機会をくれた。

 人は失わなければ、その重要性に気付けない。友達がいない、と断言した真理のそれは、悲しいまでの説得力のある言葉で、今も涙子の胸にのしかかっている。

 でも、今は親友に加えて能力まで得られる絶好の好機なのだ。逃せるわけがない。真理なら、それも認めてくれると思えた。

 

「ふーん」

 

 イヤホンを耳に差し込み、視聴し始める。しばし瞑目し、音楽に集中してから、覚束ない手つきで外した。

 

「どうですかっ? パワーアップしてるな~って感じあります?」

 

 身を乗り出して顔を輝かせる涙子に、釈然としない面持ちで真理が言う。

 

「今のところは何も。試してみてなきゃわからないけど、おれの能力は一目で効果に現れるワケじゃないから、断言はできないな」

「そうですかー」

 

 がっくりと肩を落とした。ゲームのように数字でステータスが表示されたり、効果音が鳴って成長するワケがない。

 やはり偽物だったのか――落胆し、身を苛む失望感に居心地が悪くなる。音楽プレイヤーを受け取っても、使用する気も失せていた。

 顔を上げる。真理の瞳と目があった。不自然な配色にぎょっとする。何度見ても慣れない。血色の悪い唇が動く。

 

「キミさ、発育が良いよね。つい最近まで小学生だったとは思えないくらい」

「はい?」

 

 慮外のセクハラ発言に目が点になる。本当に真理が発したものか、周りに人もいないのに疑いたくなった。

 

「女の子はね、男の子に比べて成長が早いから、自分が先に大人になった気になって、上のものに夢見がちだ。

 年上の男性だったり、大人びたファッションだったり、好奇心旺盛で思慮が足りない。甘い言葉に乗せられて食い物にされる、そんな子どもをたくさん見てきたよ。キミもその一人だね」

「真理、さん?」

 

 矢継ぎ早に語る真理の意図が読めず、狼狽する涙子をよそに、真理は言葉を止めない。

 

「この『幻想御手』だっけ? 例えば、これに副作用があったらどうする? 電子ドラッグ紛いの代物で、音によって脳に刺激を与えて演算力を向上させる代わりに廃人になる――とか。

 そこまで考えなかった? 危険なものだって考えは及ばなかった?」

「あ……」

 

 浮かれていたから、危険性にまで頭が回らなかった。実際に真理の挙げた効用があるとしたら、視聴した真理の身に危険が及ぶ。

 青褪める涙子に真理が微笑んだ。

 

「分かればいいんだ。説教臭くなっちゃったね」

「え? でも、真理さんにそれで何かあったら……」

「それはオレの自業自得だから。正直言うとね、オレも興味あったんだよ。強度を上げるアイテム」

 

 悪戯っ子のように唇を釣り上げる真理に涙子の心が軽くなった。

 世間話をしながら、初春との待ち合わせ場所に同行する。饒舌な真理に少し戸惑うも、話好きの涙子には楽しい時間だった。

 こんな凄い人と並んで歩けることに優越感を懐いた。なぜ御坂さんと白井さんは、この人を目の敵のように接するのだろう。

 学園都市で八人しかいない超能力者なのに、無能力者に過ぎない自分にも目線を合わせて気遣ってくれるくらい優しい。確かに不気味なところもあるけど、それも魅力に映るのはアバタにえくぼなのだろうか。

 

「あ、初春だ!」

 

 親友の姿を見つけ、スカートを捲りに駆け出す。真理の目は、じゃれ合う二人を見つめているようで――何も映していなかった。

 

 

 一行が喫茶店に向かう道程で、ファミレスで話し込んでいる美琴と黒子、そして研究者の女性、木山春生を見つけた。

 件の幻想御手事件について相談に乗ってもらっている三人に勝手に混ざる。美琴と黒子の隣、木山の対面に真理が座った。黒子が露骨に嫌な顔をしたが、取り合わなかった。

 黒子が幻想御手の使用者を保護する旨を口にすると、額に汗を浮かべる涙子を庇うように真理が進言した。

 

「幻想御手についてなら知ってるよ」

「アンタが?」

 

 半信半疑の美琴に真理が頷いた。涙子に一瞬目配せし、言外に黙っているよう抑える。

 

「幻想御手は聴覚から刺激を与えることで脳の演算機能を向上させる音楽ファイルだ。原理は不明だけど、この方法で強度が上がる。回数に制限はなし。だから又聞きで使用者は爆発的に増えるって寸法だ」

「音楽ファイル? 聴くだけで強度が上がるなんてありえるの?」

「俄には信じ難い話だが……二羽くん、随分と詳しいな。もしや」

「あぁ、聴いたよ」

 

 それに涙子以外の目の色が変わる。目を細める木山と愕然とする三人。美琴が立ち上がる。

 

「どこで手に入れたの!?」

「オレを襲ってきた能力者から取り上げて、あまり効果がなかったから返したよ。だから現物は持ってない」

「効かなかったんですか?」

 

 多分に好奇心の含まれた声で初春が尋ねる。真理は声の主を探してか、僅かに間を置いて答えた。

 

「まだ試してないから、何とも言えないけどね。永遠の先に何があるかって、どう試せばいいのかな? 宇宙の果てに何があるか考えるのと同じで意味ないと思うがね」

「性格が凶暴に……って、もともと放し飼いの狂犬みたいなものでしたね」

 

 黒子の毒舌にも真理は悠然としている。木山はフム、とテーブルの上で組んだ手で口元を隠して言った。

 

「興味深いな。聴覚を刺激するだけで能力が向上するプログラムか」

「本当にそれだけで上がるの? アンタの憶測じゃない?」

「あ、なら聴覚を利用して強度を上げるアイテムで。聴覚を刺激なんて簡単な方法で強度が上がるなら、実験大好きな学園都市の研究者が気づいてない訳無いからな。

 ――ね、先生」

 

 呼びかけに木山も視線を上げて応じた。

 

「そうだな。聴覚に限らず、学園都市では多種多様な実験が日々行われている。五感に訴えかける類の実験などやり尽くされているだろう。

 だが、特定パターンの波長を聴かせることで脳の成長を促すのかもしれないな。私のような大人ならともかく、君たち学生の脳は日々成長しているからな」

 

 含みをもたせた発言に真理が小さく笑いを零した。美琴が真理を訝り、注視する。

 ――コイツ、こんな態度とるヤツだったっけ?

 

「しかし、仮に君の聴いた幻想御手が本物だったとして、それで君の能力に成長が見られないのは変だな。その持ち主は強度が上がっていたんだろう?

 何の変化も見られないのか? イチ研究者として、超能力者の中でも曰くつきの君の能力は非常に興味があるんだが」

「私の『定温保存(サーマルハンド)』の完全上位互換なんですよね。羨ましいです。同じ系統の能力で何もかも上回った方がいると、少し悔しくなっちゃうんで」

 

 初春が刺のある声で言った。全ての精神系能力者が束になっても敵わない『精神掌握』同様に、学園都市を探せば真理に似た能力者もいる。

 もしかして、真理も複数の能力を併せ持つ能力者なのではないか?

 過去にも閃いた推論を美琴が思索する横で、木山が手を組み直した。

 

「レアな能力だ。大事にするといい。超能力者は彼女もそうだが、軍事的利用価値の高い能力者ばかりで、他分野に役立つ能力は希少なんだ。

 特に医療関係などでは、君の能力は貢献するよ。状態を保つというのは、一概には容易に思えるが、外的要因、対象の変化も考慮しなければならないから、特に複雑な計算式が必要になる。

 だからこそ、それらを排して永遠を付与できる君の能力が注目されたんだが」

 

 濃い隈が不健康な印象を与える瞳に真理が映る。見つめられた真理は、小さく肩を竦めた。

 

「買い被り過ぎです。それに永遠なんて軽々しく言いますけど、オレが死亡しても効果が残るとは限らないでしょう?」

「だが、言い換えれば、君の脳髄が保つ限り、不変が約束されるということだ」

 

 物騒な言葉が口を衝く木山に美琴と真理以外の女子が怯んだ。

 科学者の悪癖なのか、没頭すると周囲に目がいかなくなるようだ。木山の声が不穏な響きを孕ませ、目つきも尋常ではなくなってくる。

 

「永遠は、ヒトの歩みに終生付き纏う命題だ。ヒトが文明を築いた頃から始まって、今に至るまで誰も答えを出せていない。錬金術、黒魔術といったオカルトで脚光を浴び、医学、科学の発展でヒトとモノの寿命は飛躍的に伸びた。

 それでも一世紀だ。ヒトの歴史の千分の一にも届かない。細胞の劣化、老化、死滅を防ぎ、不変性を得る秘密はどこにある? 酸化か? 化合しないよう処理するのか? ならば生体反応はどうする? 生物に付与できない鍵はどこにあるんだ?」

「専門の科学者でわからないことをオレが判るわけないじゃないですか」

 

 茶化す真理に木山が肩の力を抜いた。同時に空気も弛緩する。

 手を解き、背もたれに体を預けた木山は深く息を吐いた。

 

「すまない。熱くなってしまった」

「研究熱心な人なんですね」

 

 皮肉混じりに話す真理に木山も自嘲して笑った。額に手を当てる。気分を落ち着け、余裕を取り戻した木山は、再びテーブルで手を組んだ。

 

「それだけ君の能力が魅力的ということだよ。子どもでも夢想したことがある筈だ。不老不死、永遠の時を生きる妄想をね。年をとり、老いや死を間近に感じるほど、その存在を夢見るものだ。

 人間は死に恐怖を感じるようにできている。高齢になるに連れて死を受け入れるものだが……中には、その時間さえ与えられない幼い子どももいる。突発的な事故で命を落とす子どもが減る。それは、馬鹿らしいが、素晴らしいことではないかね」

 

 木山の言葉の意味を真に理解できた者はいなかった。

 彼女たちが年若く、身近で死を感じたことがなかったからだ。

 

 

 木山と別れ、涙子に真理が釘をさし、情報を整理するために支部に戻った風紀委員組とも別れたあとで、美琴と真理が二人きりになった。

 どうも調子が狂う。おかしいのはいつものことだが、今日の真理は輪にかけて変だった。

 甘くない砂糖を舐めてしまったような、かみ合わない感覚に顔が歪む。哲学的な木山の言葉に触発されて、先日の真理の部屋に一件が思い浮かんだ。

 バレてはいないと安堵して忘れていたが、そもそもコイツがあの部屋で生活しているかすら怪しい。生活感は皆無で、就寝以外の用途に用いられている形跡がなかった。

 あったのは、西洋のオカルト本だけ。美琴は内心、小馬鹿にしながらも口を開いた。

 

「ねえ、アンタって神様とか信じてるの?」

 

 真理が振り返る。薄墨を流したような藍色の空、紫眼が陰っていた。真理は、フッと嘲笑した。

 

「なに? お前、十字教にでも入信したいの?」

「違う! アンタがオカルト好きだから訊いてみただけよ!」

 

 激昂し、放電する美琴にも真理は動じなかった。確信する。コイツは美琴に『素養格付』の存在を匂わせた人格だ。

 美琴は既に真理を多重人格者だと断定していた。記憶の食い違い、言動の差異からしてそれ以外の何物でもない。

 真理の発言は参考にならない。美琴はこの人格を問い質すことにした。

 

「ねえ、さっきの話だけど――」

「神はいない。だが、神になろうとしている人間はいる。天使もいる。聖人も、使徒も、聖遺物も、天啓も、奇跡も実在する。

 オレたちの存在意義は、人が天使を創る為の小さな、小さな細胞としての役割に過ぎない。

 これで満足か?」

 

 美琴の言葉を遮って、真理が理解不能な言葉を宣う。知ったふうな口を聞いて、勿体つけた言動に怒りは募るばかり。

 目を眇めた美琴は、低い声で言う。

 

「『素養格付』について、この数ヶ月調べた。でも、学園都市の主だった施設には、そんな情報は一切ない」

「あるわけねえだろ。馬鹿じゃねえの」

「――ンの……!」

 

 歯を剥き出しにして美琴が怒りを顕にした。要するに、デマを掴まされたのだ。手のひらで踊らされていた事実が美琴をさらに苛立たせる。

 地団駄を踏む美琴に真理は冷徹な声で続けた。

 

「オレから忠告してやる。言っておくが、これは誂うつもりは微塵もない、純粋な善意からだ。

 無知は罪だが、知らないことが幸せなこともある。人を最も傷つけるのは、いつだって真実だ。だから、あまり首を突っ込むな」

「……それって矛盾してない? 思わせぶりなことだけ言って、こっちが関心示したら誤魔化して。

 アンタのやってることって、ジョーカーを見せつけて置きながら、別のカードを取れって言ってるようなものよ」

 

 チッ、と真理が舌打ちし、片手で顔を覆った。指の隙間から紫眼が覗く。

 これ見よがしに真理は大仰に嘆息した。

 

「オカルトに興味のないお前でも、神に近づいた人間の末路くらい知ってるだろう。一人は楽園を追われ、消えることのない罪を背負い、一人は蝋の翼を溶かされて地に墜ちた。

 人間のピラミッドの最下層は、ある意味で幸せじゃないか? 無知で酷使させられる底辺だが、彼らは数も自由もある。

 お前はそこに金も、地位も、名誉も持って暮らしているんだ。日々を享受して真っ当に生きるのが幸せだと思うがな」

「生憎だけど間に合ってるわ。あたしはね、目の前に餌をぶら下げられて黙っていられる性質じゃないの」

 

 パキ、とどこからか乾いた音が響いた。小枝が折れる音……いや、ガラスに罅が入った甲高い音が近い。

 明らかに温度が下がった。夕暮でアスファルトを焼く熱が冷めたわけではない。殺伐とした空気が肌寒くすらある。

 

「お前には理解できないだろうが、念のため言っておく。オレはお前の為を思って教えてやっているんだ。そこを測り違えるな」

「超能力者以外は見下しているアンタが? 薄ら寒いんだけど」

「違うね。オレは物事を冷徹に俯瞰しているだけさ」

「斜に構えて、現実を直視しないでいるだけじゃないの?」

 

 またどこかで音が鳴った。軋む音が耳に障る。睨み合った両者。幾度、こうした事態に発展したか定かではないが、衝突することはあっても殺し合いに及ぶことはなかった。

 それは今回も同様で、

 

「な、なんだ。やけに物騒だな」

「上条」

 

 腰が引け気味の当麻が恐々と呟いた声に真理が乗った。美琴から視線を上条の精彩を欠いた顔に移す。

 先日、無為な追いかけっこを繰り広げた相手と遭遇したことと、真理の優先順位が自分より高いことにむかっ腹がたった。

 

「よう、二羽。大変そうだな」

「そっちもな。いつになく顔が疲れてるぞ」

「あぁ。今朝から災難続きで……二羽は宗教に詳しいんだろ? 教会ってそんなに凄いものなのか?」

「聖霊が宿る聖なる場所だから、宗教的にかなり重要なポストを占めるな。大雑把に言えば、三位一体のひとつだ」

「へぇ」

 

 よくわかってない、気の抜けた返事で相槌を打つ。良くも悪くも普通の男子高校生の当麻には、宗教の話など寝耳に水だった。

 美琴を無視して話し込む二人に、額に青筋が浮かぶ。

 

「ちょっと――」

「宗教の勧誘でも受けたのか?」

「いんや。厄介事に巻き込まれたというか、天災が降ってきたというか」

「おい――」

「困ったことがあるなら、いつでも言えよ。金ならたんまりある」

「ありがたいけど、友人同士で金の話はしない方がいいと上条さんは思うんですよ」

「そうか?」

「あぁ」

「あたしを無視すんなやゴラァッ!」

 

 電流が迸り、周囲一帯の電子機器を軒並み破壊した。肩で息をする美琴と青褪める当麻、嘆息する真理。

 赤色を見た闘牛のような美琴を真理が諌める。

 

「学習しないな。昨日、無辜な一般市民に数十億の損害を与えたことを忘れたのか、第三位様は」

「アンタらが! あたしを揃って無視するのが悪いんでしょうがッ!」

「か、上条さんは関係ないですよね?」

 

 停電に加えて破損した電化製品の額を想像するだけで恐ろしい。金銭感覚が常軌を逸している超能力者に対して、しがない高校生に過ぎない当麻はあたふたと滝のような汗を流した。

 

「もう我慢できない。勝負よ! いつまでも逃げられてたまるもんですか! 今日こそは白黒つけてやるわ!」

 

 ビシっと指をさされた当麻は、それどころじゃないと首を巡らした。百二十万の警備ロボが、ものの見事にショートしていた。

 

「うわああああああ! 俺は悪くねえええええええ!」

「あ、ちょ!」

 

 一目散に駆け出す当麻に手を伸ばすが、宜なるかな。隙を突かれ、逃亡を許した美琴の手は空を切り、真理とともに取り残される。

 真理の白けた視線が痛い。

 

「本当にお前は学習しないな。押してダメなら引いてみろ。猿だって目的の為に道具を使うくらいの知恵はあるぞ、第三位様」

「……」

 

 八つ当たり気味に勃発した第三位と第八位の、喧嘩と呼ぶには派手すぎる衝突は、風紀委員の仲裁で幕を下ろした。

 

 



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タダイマ

「うぅ……どうしてだ。嫌だ。なんだ、これ。嫌だ……嫌だ……」

 

 七月二十一日。路上を歩く真理は、明らかに精神に異常をきたしていた。

 言いようのない不安と焦りが襲い、目の下には薄っすらとクマができていた。その不健康な様は、とても前日に超電磁砲と戦った第八位と同一人物とは思えない。

 異様な倦怠感に苛まれ、フラフラと真夏の炎天下を歩く姿は不健康極まりなく、蓬髪も相俟って不審者そのものであった。

 

「お?」

「あ……すいません」

「いや、オレも余所見をしていた。すまなかったな。自らの過ちを認められるのは根性がなければできねえ!

 弱っちそうな見た目なのにお前は見所があるな!」

 

 不眠で回らない頭に、その大声は障りが悪く響いた。見れば真夏なのに学ランを羽織った、外見も中身も暑苦しそうな男だった。

 意志の強そうな瞳と堂々とした態度は、時代遅れの番長のようだ。真理とは対極に思え、ひどく目障りだった。

 真理は、褒められた人間ではない。人を見る目のない、人に騙されて生きてゆく幸せものだと真理は認識した。

 

「んー。しかし、根性のわりに体は悪そうだな。具合が悪いのなら病院に送ってやろうか?」

「いい、です……じゃ」

 

 こういった類の人間と関わりあいたくなかった。厚かましく人の意見を無視して内面に入り込もうと深く関わってくる連中には辟易としていた。

 所詮は他人のくせに……俯きがちに足を踏み出す真理を、訝しげに男は覗き込んだ。

 枝垂れ桜のように垂れ下がる髪の下の顔を窺う表情は関心深げだった。

 

「……待て。お前、どこかで会ってないか?」

「気のせいですよ。おれはあなたのこと知りませんから」

「そうか。それならいいんだが」

 

 むう、と呻る男を無視して、真理はまた夢遊病患者の足取りで歩き出した。

 しかし、どこまでも縁は巡る。会いたくもないのに、知り合いに多く出くわす日だった。

 人通りの少ない歩道の端で路地裏を覗いているのは、最近知り合った佐天涙子だ。

 憔悴し、逡巡している様子の涙子を見て、真理は何が得策か思慮するが、うまく頭が回らない。

 そうこうしているうちに涙子が真理に気づいてしまった。

 

「ま、真理さ――」

「誰だッ!?」

「ひっ!」

 

 路地裏から響く怒声に涙子が恐懼し、怯え出した。なんて迂闊な少女なんだろう。

 品のない大声と声質から、声の主がスキルアウトだと判断して、おおかた恐喝や私刑の現場を目撃してしまったのだと推測した。

 震える涙子を横目に見る。どうして危機管理能力が欠如している輩が、この学園都市には降って湧いたように溢れているのか。

 危険だと思うなら離れればいいのだ。なぜ自分から厄介事に首を突っ込むのか。それに対処できる能力を有しているならまだしも、何も出来ない小人が。

 ――頭が痛い。血流の巡りが悪いせいだ。

 

「猿が火を覚えた程度で人に進化した気になっている……」

「ああ……!?」

「こ、こいつ長点上機の……」

 

 涙子を片手で制し、真理がスキルアウトの前に姿を見せた。

 スキルアウトの一人が、真理が超能力者であることに気づき、耳打ちする。ギョロ目に反社会的な風体のリーダー格の男は、最弱の超能力者と知り、口角を吊り上げた。

 

「ハッ、こいつが例の超能力者か? 噂通り気味が悪い奴だな」

「『偏光能力』……しょぼい能力だ。自分の姿を偽ることしか脳のない肥溜めの屎尿以下のカスが」

 

 真理が能力を批評し、謗る一方で、低レベルながらも能力を得た者さえ無価値と断じられるなら、無能力者は何を誇ればいいのか。そう喪心する涙子の悲嘆は察せなかった。

 初見で能力を見抜かれたスキルアウトが動揺する中、猫背で頭痛をこらえながら真理は距離を詰めた。

 

「果物は出来の良いものをより熟成させるために、不出来な実を間引く。そうして上限が引き上げられてゆくものだ。

 人と何が違う? 優秀な能力者は優れたカリキュラムで強度を上げ、間引かれたテメエらはこうして腐るだけ……肥やしにすらならないなら廃棄するべきなんだ」

「……ンの野郎!」

 

 逆上した男が殴りかかる。が、その手が殴りかかる姿勢で不自然に静止する。

 

「な、動か……ッ!?」

「身の程知らずが生きていられるゆとりがあるから、不出来な実が育つんだ。

 テメエらみたいなクズは、淘汰される仕組みでないと種は――」

 

 最後まで言い切ることはできなかった。突如、口を抑え蹲った真理は、地面に吐瀉物を吐き散らした。

 

「……!? かっ……はっ……! うっ……!?」

 

 隣接するビルのガラスが割れた。甲高い金属の摩擦音が轟く。能力が暴走している兆候なのか。

 

「真理さん!」

 

 スキルアウトの面々も続々と気絶し、嘔吐し続ける真理に涙子が駆け寄る。胃が空になるまで吐き続けて、なおもえづく真理を揺するが、涙子に気づいた様子もない。

 

「ふ、ざけ、るな……オレ、は……ッ!」

「真理さん……真理さん!」

 

 崩折れた肢体から力が抜ける。『幻想御手』事件は、取り返しのつかない大事件に発展していった。

 

 

 

 

「あいつが、倒れた……?」

 

 事の全容を美琴に知らせたのは、通報を聞きつけて駆けつけた黒子が、泣き叫ぶ涙子と倒れ伏す真理とスキルアウトを病院に運び、意識を取り戻した涙子とスキルアウトの事情聴取を終えてからだった。

 第一七七区支部に呼び出され、スキルアウトから幻想御手の情報を入手したとの吉報についで、知人の悲報を知らされた美琴の背中に冷たいものが走る。

 事態は、美琴の知人が倒れただけに留まらなかった。

 

「情報を聞き終えてから、スキルアウトも昏睡状態に陥りました。彼らは能力者ですが、それ自体は大した波紋にはなりませんの。

 問題は、二羽真理さんまでが犠牲になったことです」

 

 黒子の表情が苦渋に満ちる。

 

「末席とはいえ、超能力者――この学園都市の頂点の一人にまで被害が及んだとなれば、ここの上層部も生徒だけに任せてはおけないでしょう。

現在、治療が施されてはいますが、恢復の兆しは見られないとのことですわ」

「わ、わたしが悪いんです」

 

 泣き腫らして悲壮な表情の涙子が譫言のようにつぶやく。美琴と黒子が視線を向けても、それに気づく素振りさえ見せない。

 

「わたしが幻想御手を手に入れて、調子に乗ってたから……だって真理さんは危険なものだって気づいてた。気づいてて、それなのに……」

「佐天さんが気にする必要ないわよ。気づいてて使ったのなら、完全にあいつの自己責任。自業自得よ」

「お願いします、御坂さん! 真理さんを助けてください! お願いします……お願い……!」

「わっ、わかった。わかったから泣かないで、ね?」

 

 涙を流しながら懇願する涙子に縋りつかれては、如何にその相手がいけ好かない真理であろうと、助けないわけにはいかない。

 もとより、この事件を解決する気概はあった。皆を救うついでだ。それくらいなら、真理のために力を貸す気にはなる。

 だが――ふと、しこりが残る。涙子はいつ、これほどに気を病むまで、真理と親しくなっていたのか?

 美琴は、二人の接点をファミレスでの会話くらいでしか知らない。だからこの変化が不自然に思えた。

 気持ち悪いが、真理の顔立ち自体は悪くない。それで騙されているのか?

 得体のしれない不安が湧き上がったが、それは無視した。こうしている今も、多くの学生が被害に苦しんでいる。

 青い正義感に駆られ、美琴は走りだした。

 

 

 

 

 

 

「――そうか。もう露見したか。捜査の手が早いな。さすが、学園都市の生徒だ。優秀な人材が揃っている」

 

 証拠の手がかりを掴んでしまった初春飾利を捕らえ、愛車でドライブしていた木山は、幻想御手事件の首謀者であることが発覚したことを悟り、不敵に笑った。

 高速を時速百キロ超で猛然と疾駆する車内で何もできない飾利は、その態度を不審に思った。直にアンチスキルが木山を捕らえにやってくる。

 能力を持たない木山に抗う術はない。だが、この余裕綽々な様子はなんだ? 憔悴どころか、微塵の不安さえ懐いていない。いや、むしろ喜んでいる節すらある。なぜだ?

 疑問が口をつく。

 

「なにを笑っているんですか。もうすぐあなたはお縄につくことになりますよ」

「そうだな。君の言うとおりだ。だが、今回はそうはならない。私は、人の可能性の一端に辿り着いた」

「? 何を……」

 

 何を考えている? 追い詰められているはずなのに、どこまでも木山は不敵で清々しい。

 逃亡犯の往生際の悪さとは常軌を逸した、絶対的な自信が言動から滲み出ている。何が彼女をそこまで変えるのか?

 飾利の胡乱は、すぐに答えを出した。アンチスキルが敷いた検問を前に、車を降りて従順に投降する素振りを見せる。

 両手を上げ、悠々と歩み寄る木山を警戒したままのアンチスキルに、木山は目を向けた。

 遠目にも判然とするほどに充血した眼球が、ぎろりと彼らを舐める。

 

「たとえば、PCの動作が不安定になったら、君たちはどうする?」

「?」

 

 突如投げかけられた意図の不明瞭な問い。訝しがるアンチスキルの面々を前に、木山は悠然と語りだした。

 

「答えは素人でもわかる。メモリを増設して処理能力を向上させる。如何に優れたスペックを誇ろうと、それを処理する機能がなければ、ソフトは十全に機動しない。

 人も同じだ。脳の発達程度が演算機能として能力者の強度に重大な影響を及ぼす。如何に優れた能力であろうとレアな能力であろうと、それを動かす機能が完全でなければ真価を発揮しないのだ」

 

 掲げられた木山の手がゆっくりと下りてゆく。それを見て銃の照準を合わせるアンチスキルに再び木山が問う。

 

「第一位と第二位の強度が同等であれば、どちらが能力として優秀なのか盛んに議論されたな。

 では――第八位の能力を、完全に稼働させればどうだ?」

 

 硬質な物体が罅割れてゆくような音が周囲を満たす。耳を劈く空間が軋む音を最後に、その場にいた木山以外の人間は気を失った。

 

 

 

 

 

 

 

「……? 何があったの?」

 

 木山を追い、タクシーに無理な運転を強要させ、ついに検問を前に立ち往生する木山を発見した。

 が、様子が変だ。木山の前に立ち塞がっていたアンチスキルは、全員が地に倒れ伏し、木山の車に乗っていた飾利も失神している。

 健在なのは木山のみ。だが、戦闘が行われた形跡はない。不気味なことに、ただ木山だけが立っている。

 美琴に背を向けたまま、木山は天を仰ぎ、

 

「くっ――ははは! あはははははは! 掴んだ……辿り着いたぞ! これが……永遠! これだ……これさえあれば――」

 

 美酒に酔い痴れる女のような声だ。美琴は、木山が遂に目的を果たす手段を手に入れたことを悟る。

 美琴の前髪から紫電が迸る。臨戦態勢に入る美琴を察知してか、泰然と木山は振り返った。

 

「……やあ、来ると思っていたよ」

 

 その病弱そうな容貌には、人を食ったような笑みが張り付いていた。美琴の顔が険しく、双眸を眇めて木山を射抜く。

 

「ずいぶんな変わり様ね。この短い間で何があったの?」

「そうだな……簡潔に言えば、人類の悲願の成就に立ち会った者の心地になった」

「?」

 

 どれほど興奮しているのか。木山の発言は要領を得ない。どのような兵器を保有しているか定かではない現状――だが、一刻も早く捕まえなければ被害はさらに拡大する。

 美琴は総身から放出する紫電の出力を上昇させた。常人なら気圧される威嚇に、木山は動じない。

 

「君は眩しいな、御坂美琴」

「あら、電撃は怖いの? 安心して。すぐに眠らせてあげるか――ら!」

 

 人を絶命させない程度に加減した一条の電撃が木山に向かう。人間には反応すら叶わない速度で放たれた槍が、あろうことか、木山に命中する直前に霧散した。

 

「ッ! 消えた? なんで……」

 

 不意に、美琴を強い既視感が襲った。触れる前に電撃が掻き消える現象。

 あのツンツン頭の右手とも違う、未知の超能力。正体を探っても全く情報を掴めなかった、今は病巣にいる男の能力だ。

 だが、木山は科学者であり、能力開発を受けていない。だのに、なぜ――

 

「――十年前、学園都市中の科学者は、ある少年の出現に歓呼の声をあげた。

 その少年の能力は、あらゆる物質、事象に永遠性を付与し、この世に留めた。

 消失するエネルギーを固定する持続性、金同様に朽ちぬ不変性、不確かな事象の存在を証明する具現性……

 誰もが彼に夢を見た。永久機関の開発という物理学で否定され続けた命題の証明を確信した。

 そして、悉く失敗に終わった。能力名を『状態保存(クリアマテリアル)』。人類の可能性が潰えた先に見る、夢物語の力だ」

 

 訥々と語る木山は、自分の右手を見つめると、緩慢な動作で握りしめた。

 

「なぜ計画が頓挫したか分かるかい? 簡単だ。彼自身が、永遠に至れない欠陥品だった。

 原理が解明できない以前の問題だったんだ。彼そのものが、己の能力を理解できていなかった。

 たとえ、その能力が永遠に至る可能性を秘めていようと、発動するデバイスに不具合があるようでは満足する結果は生まれない。組まれたプログラムが優れていようと、それを動かすPCのスペックが十分ではないと動かないようにね」

「ご高説ありがとさま。で、それが何なのよ」

 

 その程度の情報は美琴も認知している。木山は回りくどい台詞回しで、嘲るように微笑んだ。

 

「単純な話だ。能力は本人の資質、強度は本人の演算能力で決まるということだよ」

 

 それも周知の事実だ。学園都市では知らない者などいない。なぜわざわざそれを今、ここで口にする?

 

「何も強度で能力の貴賎が決まる訳ではない。演算能力に左右される強度によらない価値もある。

 例えばキミは第三位だが、その本質は単純な電撃使い。第一位と第二位では、第二位の能力の価値こそ上だと唱える学説もある。レベル1の能力もキミが使えば超能力になる……それが素質と強度だ。

 念動力と空間移動では――どちらが希少で強力か、比べるもない」

「くどいわね。先を言いなさいよ」

「では、問おう。一万人の脳を統べるわたしが第八位の能力を使えば、どうなると思う?」

 

 瞬間、肌が泡立った。AIM拡散力場が迫り来る不可視の何かを感知し、反射的に横に跳ぶ。

 遅れて、鋭利な刃物が突き立てられたような音をたて、美琴が立っていたアスファルトが大きく断裂した。

 絶句し、その光景を見やる。明らかな致死性の攻撃を放った木山は、吟味するように自分の手を見つめていた。

 

「今のは……!?」

「ふむ……どうやら加減を誤ったらしい。軽く傷をつけるつもりでやってみたのだが……存外、過ぎたる力のようだ」

 

 汗が噴き出す。躱さなければ人体が断裂していた。威力は甚大極まりない。そして、発言から決定的な事実が美琴の頭に浮かぶ。

 

「アンタ、あいつの能力を――」

「誤解しないでくれ。彼の能力を手に入れたのは、完全な偶然だ。わたしの計画外の出来事だった。それは事実だよ。

 もっとも……誤算で望外の力を得たのは、嬉しすぎる想定外だがね」

 

 『幻想御手』で能力者の脳を並列に繋ぎ、演算力を向上させる。その力を、そういう理屈か、発明者の木山が行使できる。

 美琴にとっては最悪だった。真理の能力は、触れる機会が多々あった美琴でさえ検討がついていない。

 判明しているのは、近寄るとAIM拡散力場が機能しなくなることと、事象を永続させること、電撃は無効、そして先ほどの正体不明の斬撃。

 電撃が効かない以上、美琴は超電磁砲等の物理攻撃に頼らざるを得ない。しかし、殺さないように加減した威力で、果たして効果があるのか。

 美琴の思考が目まぐるしく動く一方、木山は陶酔しているようだった。

 

「やっとだ……これさえあれば、全てが叶う」

 

 白衣のポケットに両手を突っ込み、俯きがちにつぶやく。隈で彩られた不健康な瞳が美琴を射抜いた。

 

「きみは、魂の存在を信じるか」

「マグドゥーガルの実験? 非科学的な存在の証明を脳科学者が固執するなんて滑稽ね」

「否定派か。なら、意識とはなんだ?」

 

 投げかけられた問いに意表をつかれ、美琴は押し黙った。脳科学を専攻する彼女にそぐわない内容であったことと、その問答自体が答えを出すことに向かないものであったからだ。

 しかし、木山は真剣な声音で続ける。

 

「わたしの専攻分野風に言わせれば、大脳のシナプスの電気信号によって生じる生体反応、と言ったところか。

 では、今こうして向かい合うわたしたちの意思は、電気信号に過ぎないと言うことか? 敵対している感情も理由も、生体電流の反応の結果でしかないのか?」

「関係ない話で論点をずらして責任を逃れようとしている言い訳としか思えないんだけど。どう取り繕ったところで、アンタがやったことは犯罪に変わりない」

「そうだ。だが、そうすることでしか救えない命もある」

 

 美琴が押し黙ったのは、純粋にその気迫に呑まれたからであった。木山はポケットから手を抜き、ヒールを鳴らし接近する。

 

「植物状態にあっても意識が判然としている事例はごまんとある。大概が回復した者の体験談でしかないが、もしその意識を確立させることができれば、彼らは眠りから醒めるのではないか。

 永遠の命をとは言わない。人並みの生を、この力なら歩ませることが可能ではないか。一時、理論を追求して諦めた。それが今、この手にあるんだ」

 

 何かが罅割れる音がする。この不快な不協和音が能力発動の予備動作なのだろうか。身構える美琴を充血した瞳が見据える。

 

「悪いが、速攻で終わらせてもらう」

「舐めないでくれる? 仮にも第三位が、他人が使う第八位の能力に負けてたまるものですか」

「……別にきみを侮っているわけでもないんだが……まぁ、すぐにわかるさ」

 

 紫電が宙空で弾ける音と不気味な金属音が痛いほどに空間を軋ませ――

 ここに、演者を変えた超能力の衝突が実現した。

 そして――

 

 

 

「……オレ、のだ」

 

 同時刻。昏睡していたはずの真理が、目を覚ました。

 

 

 



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Bohemian Rhapsody

「先生! レベル5の患者が……!」

「ん?」

 

 カエル顔の医者の元に息せき切って駆けつけた看護師が告げた報告に、医者は目を丸くした。

 覚醒めるはずがない。彼の症状は他の幻想御手の被害者同様に昏睡状態だった。

 意識が戻る保証はなく、事件が解決するまで回復の兆しは全く見られず、自発的な覚醒の可能性は皆無だった。だのに、病室は蛻の殻で、剥がされた最新の医療機器の電子音が虚しく響いていた。

 

「彼の能力はたしか、『状態保存(クリアマテリアル)』だったね?」

「いえ……『流転抑止(アンチマテリアル)』だったかと」

 

 訂正され、ふむ、と唸る。これ以前にも何度か、検診を頼まれた覚えがある。

 そのときは、心療内科と精神科の両方を受診した。名前も憶えている。

 

「二羽真理くんだったかな? 探さなければいけないね?」

「あの、先生……」

 

 看護師が告げる言葉に、医者の眉が顰められた。

 

 

 

 

 

 

 

(電流のような不定形の攻撃は消されてしまう。なら、これで!)

 

 美琴の発する磁力でアンチスキルが携帯していた銃火器が宙に浮かび、木山を包囲した。

 全方位を塞ぐように展開する銃火器で逃げ場がなくなる。木山はそれを首を巡らせて見つめるだけだった。

 

「なるほど、直接的な手段に出たか」

 

 木山の頭上を中心に発生させた磁力に引かれ、一斉に銃火器が加速する。約十キロ近い重量の物質が重力も加わって凄まじい速度で飛来する。

 扉を殴打したような鈍い音が何重奏にもなって轟く。直撃していれば、大怪我では済まない。だが、銃火器が磁力を失い、落下すると、健在の木山が何事も無かったように立っていた。

 傷を負うどころか、一歩も動いていない。

 

「借り物の力で言うのもなんだが、単純であるが故に応用力に優れた君の能力と、限定的に超常の力を生み出す彼の能力では、この場において彼我の差は歴然としているよ。

 やはり、君では傷ひとつつけられない」

「その能力を持っている奴は、人の神経を逆撫でするようになるのかしら」

 

 淡々と話すのが余計に癪に障る。柳眉をしかめて嘯くが、内心は焦りで困惑していた。

 これでも無傷では、超電磁砲の威力に頼るしかない。だが、直撃を避け、風圧で気絶させる程度の火力で木山の正体不明の守りを突破できるのか。

 不安要素が多すぎる。思索の坩堝に溺れる美琴とは違い、木山は戦場に不釣合いな余裕がある。

 

「どうした? 打つ手なしか? なら、こちらから行くぞ」

「――ッ!?」

 

 電磁波が高速で迫り来る巨大な塊を感知する。回避すると尋常ではない風圧が美琴を襲った。

 美琴の華奢な肢体が僅かに浮く。身動きがとれなくなったその隙に、二撃目が放たれ、美琴を直撃した。

 

「が……あ、ぐっ」

 

 全身を強かに打ち付け、五メートルほど吹き飛ばれた。肺から空気を吐き出され、呼吸が困難になる。

 密度の異常な突風のような攻撃だった。局所的な大気の密度の変化が美琴でも肌で実感できるほどだ。威力は『空力使い』の強能力者程度だろうか。

 しかし、その原理は『空力使い』とは完全に異なる。まるで次元の違う場所から発生したかのようだ。

 起き上がろうとするが、膝が震えて力が入らなかった。這い蹲る美琴に木山が悠々と肉薄する。

 

「呆気無いな。他の能力を用いるまでもないとは。いや、副次的な能力に過ぎないこれで第三位を圧倒できる『流転抑止』が秀でているのか」

 

 ヒールの音が近くなる。接近されると拙い。『流転抑止』はAIM拡散力場を麻痺させる機能まで持つ。

 最悪、能力の行使不能までありえる。そうなれば、もう打つ手が無い。

 美琴はコインを取り出し、木山に狙いを定めた。それまでとは一線を画する規模の電流の凄烈さに足を止め、満身創痍の美琴を見つめる。

 

「噂の超電磁砲か。文字通り、最後の切り札だな」

 

 後が無い。加減を忘れ、最大出力で木山に目掛け、コインを射出する。

 眩いばかりの閃光が一面を染め上げ、逆巻く颶風が美琴を中心に発生した。

 その莫大なエネルギーでさえ、本筋の余波でしかない。一筋の閃光が木山に炸裂した。

 美琴が視認できたのは、そこまでだった。塵埃が舞い、視界が塞がる。

 もし直撃したのなら、肉片が残っているかもわからない。だが、あの防御が美琴の予想通りのものなら、怪我はしているだろうが命に別状はないはずだ。

 それ以上のものなら――ようやく感覚が回復してきたので、覚束ない足取りながらも立ち上がる。

 土埃が晴れ、目を凝らした美琴の顔が、絶望に染まった。

 

「うそ……」

「ふむ。思った程ではなかったな。これなら、後発組の暗部を相手にしても楽勝だろう」

 

 塵一つ、白衣にかかってはいない。木山は一歩も動いた気配すらなかった。

 超電磁砲を防がれたことなら、上条当麻の右手で経験がある。だが、あれは彼の不可思議な右手の異能があってこその芸当だ。

 なのに、木山はどうだ。両手をポケットに入れたままで、全力の美琴を相手にして涼しい顔をしている。

 自分を前座としか見ていない。このような扱いを受けたのは、超能力者になってから初めてだった。

 戦慄し、怪我によるものではない震えが止まらない。慄く美琴を木山が睨めつける。

 

「攻撃手段はすべて無効化されて、頼みの綱の超電磁砲も届かない。チェックメイトだ。

 わたしの邪魔をしないなら、いたずらに甚振ったりもしない。退きなさい」

「……冗談言ってんじゃないわよ!」

 

 だが、美琴は退かなかった。万策尽き、満身創痍でありながら戦意を失わず、木山の前に立ち塞がった。

 木山が嘆息する。

 

「……子供を痛めつけるのは趣味じゃない。だが、君ほどの高位能力者になると、優しく失神させてあげることもできない。

 諦めの悪い子だ。すまないが、わたしが目的を果たすまで眠っていてくれ」

 

 また、軋む音がする。美琴が対抗策を練るが、何も浮かばない。万事休す、と美琴が目を伏せようとした。そのときだった。

 車のドリフト音が聞こえる。徐々に大きくなるエンジン音に木山が視線を上げ、美琴もたまらず振り返った。

 猛進してくるタクシーが見えた。一般人を巻き込むことを木山が気後れしたのか、手を出そうとしない。

 タクシーは二人の五十メートルほど手前で止まり、人が降りる。その人物に二人が目を剥いた。

 

「……どういうことだ」

「アンタ、何で」

 

 タクシーが引き返し、唖然と孤立する人影を見つめる。乱れた長髪の下の相貌が鬼気迫る禍々しいものではあったが、見間違うはずがない。

 能力を奪われ、昏睡しているはずの真理だった。傍目にも病状は思わしくなく、今にも倒れそうなほど弱々しかったが、真理本人だ。

 患者服を着た真理は近づきながら、消え入りそうな声でつぶやく。

 

「オレのだ……かえ、せ」

 

 木山は、信じられないと我が目を疑いながらも、無理矢理に自分を納得させた。

 

「超能力者であるがゆえのイレギュラーか……? いや、能力はわたしが握っている。……自分の意識に『流転抑止』を使った? なら、仮説は完璧だったことになるが」

「ば……何で来たのよ! そんな状態で来られても足手まといにしか……来るな!」

 

 美琴の口から悪態がついて出た。もう自分には打つ手が無い。そこに無手の病人が来ても、どうしようもない。

 怪我をする者が増えるだけだ。そう訴えるが、真理は聞こえていないのか、ふらふらと肉薄してくる。

 

「……君の脳機能の大半は、わたしが使用している。能力の使用権も、わたしが握っている。

 なのに意識を保てるのか。やはり『流転抑止』は、概念にまで効力がある……ということなのか」

 

 吟味するように思慮に耽る木山をよそに、真理は美琴に並んだ。美琴の声は届いてない。

 真理はさらに歩を進め、木山に迫る。

 

「何かできるとも思えないが……不安だ。念には念を入れて、気絶してもらうことにしよう」

 

 木山が手をかざすと、突風が真理を襲い――命中する直前に、美琴が真理を押し倒して回避した。

 下にいる真理に触れてみて、今の真理の病状を察する。体温が異常に冷たい。まるで零下にいる人肌のようだ。

 木山を睥睨するが、圧倒的に有利な状況にいる彼女を怯ませることはない。そして、真理が万全に本来の能力を行使できるとしても、今の木山を打倒できるとは思えない。

 それほどに木山が振り翳す『流転抑止』は、超能力の常識を超越していた。この戦闘力すら副産物に過ぎないと言う、本質は何なのか。

 超能力者ふたりを見下す木山は、右手で額を押さえ、目を背けた。

 

「……わたしには、君が眩しい。無償で他人を救ける、か。その気概を、まっすぐに見られなくなったのは、いつからだったんだろうな」

 

 感傷に浸る余裕がある。美琴には抵抗手段がなく、このまま嬲られるしか未来はないのだ。

 苦渋に満ちた表情で睨むことしかできない美琴が、ふと真理が小さい声で喋っているのに気づいた。背で庇っている真理が、木山に手を伸ばす。

 

「……ehunjamk覚hnrdas」

「――え?」

 

 疑問の声は、その聞き取れない声と、同時に起きた異変によって生じたものだった。

 

「ぐぅ……あぁぁッ!」

 

 苦悶の悲鳴をあげ、木山が右目を抑えた。体を振り乱しながら、絶叫をあげて当然の激痛を懸命に堪えている。

 呆然とする美琴が真理を見るが、真理は意識はあるものの、顔を伏せていて様子が確認できない。

 ついに木山が膝をつき、美琴たちを睨んだ。絶句する。二人を睨む木山の褐色の瞳が、紫紺に変色している。

 激しく息を乱し、滝のように汗を流す木山は、正常な判断力が残っているのか、美琴から見ても危うかった。

 呻き声のように、木山が話す。

 

「馬鹿、な……一万人の脳を使っても……まだ、キャパシティが足りないのか……!?」

 

 木山の手が痙攣を起こし、立て続けに嘔吐した。美琴は変化についていけず、唖然と見つめるだけだった。

 木山は気力を振り絞り、その異常を抑えつけようと試みているようだが、手遅れだった。

 

「演算を……いや、これ、は、別、の……!?」

 

 ぐるりと木山の目が白目を剥く。失神した木山の頭上に、小さな光の玉が発生した。

 初めはひとつだった光は、二つ、三つと増殖を繰り返し、終には無数の瞬きとなり、収束する。

 

「なによ、これ」

 

 ――果たして、光から生まれたのは、顔のない赤子だった。

 生後間もない赤ん坊と変わらない大きさで、まっさらな面貌の奇怪な赤ん坊が、宙空に浮かんでいる。

 美琴の声に反応したのか。赤子の頬に紫の瞳が生えた。

 

「ひっ」

 

 その異様な光景に怯んだのも束の間。美琴を見つめる瞳を皮切りに、赤子が変異を繰り返してゆく。

 肋が肌を突き破り、背中からは無数の羽根が生えた。童女の笑い声がどこからともなく響く。その不気味さに、美琴を生理的嫌悪が襲った。

 

「うああああああああ!」

 

 反射的に電撃の槍を放つ。だが、それも不可視の壁に阻まれた。

 

「こいつも、『流転抑止』を使えるの……?」

 

 絶望感が全身を侵した。突然生まれた怪異な赤子。それが『流転抑止』を使う。

 気丈な美琴も足が竦んだ。赤子は、成長しているのだろうか。口ができると、歌を口ずさみ始めた。

 

『Adeste Fideles Laeti triumphantes Venite, venite in Bethlehem Natum videte Regem angelorum.Venite adoremus, Venite adoremus,Venite adoremus, Dominum』

「歌ってる……」

 

 怪物が童女の声で歌を謳う。その調べは、この凄惨な戦場で流れるには、あまりに優しい歌だった。

 美琴には聞いたことがない。だが、耳障りが良く、やけに記憶に残る。

 忘我として聴き惚れる美琴の脳裏に、記憶の奔流が飛来した。

 苦手な子供、教え子としての子供、最後の笑顔、血塗れの――

 

「木山、先生?」

 

 美琴が木山を見る。彼女は俯せに倒れており、完全に気を失っている。

 再度、赤子を見た。

 

「こいつが見せているの……?」

 

 そして流れこむ記憶の断片が、美琴の目を暗ませた。知らない景色が見える。

 途切れ途切れのシャシンは、いったい誰のものか。白衣を着た老夫妻、外国語で綴られた分厚い本、幼い食蜂操祈、白い独房、大事そうに小さな手に握りしめられたロケットペンダント――

 

「今の――」

 

 意識が戻る。見えたものは、真理の記憶だった。だが、何か違和感があった。

 決定的な間違いがあったはずなのに、それを掴む前に夢のように薄れてゆく。

 

『Cantet nunc io Chorus angelorum.Cantet nunc aula caelestium Gloria, Gloria In excelsis Deo Venite adoremus, Venite adoremus,Venite adoremus, Dominum』

 

 赤子は、変異を繰り返した後に、ピタリと動きを止めた。

 肉体の端から、空気に溶けるように実体を失ってゆく。全貌が透明に変化し、最後に断末魔の光と悲鳴を轟かせ、花火の如く弾けた。

 虚脱感が節々から力を奪い、美琴の腰が抜ける。呆けたように赤子がいた場所を見上げて、美琴が声を漏らした。

 

「なんなのよ……」

 

 それに答える者はいなかった。『幻想御手』事件は、首謀者木山春生の逮捕で幕を下ろす。

 そして、これをきっかけとして、学園都市を揺るがす最悪の事件が、幕を開けた。

 

 

 

 



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I don't wanna die.

 ――八月八日。

 

 幻想御手事件が解決し、昏睡状態にあった学生も目を醒ました。未だに体調不良を訴える者がいることが気がかりだが、一応は幻想御手事件終結したことになっている。

 美琴は街を歩くたびに好奇の視線を向けられることに苛立ちを覚えていた。自分が有名人であることは自覚している。

 それによって生じる嫉妬、羨望、憎悪の感情を浴びることは寛容しよう。

 だが、それに審議不確かな噂がつくと、我慢ならなくなる。それが、自分のクローンが密かに作成され、軍事利用されている。ましてやその実物を見たなどという輩まで現れる始末。

 ――あの日以来、美琴の心から疑念の燻りが消えてくれることはなかった。

 真理の記憶に現れた食蜂操祈にそのことを問い質そうと思うも、操祈は茶化して会話にならない。

 真理の記憶には齟齬があったはずだった。だが、その肝心な部分が、どうしても思い出せない。

 『流転抑止』に『超電磁砲』が手も足も出ずに敗北したこともそうだ。

 あの『流転抑止』が木山による一万人のネットワークがあったからこそ出来た離れ業であることは、重々承知している。

 承知の上で、尋常を逸した能力としての差があることを悟ったのだ。

 あの奇妙な赤子の悍ましさを、美琴は今でも時折思い出す。夏だと言うのに寒気で凍えるほどに、恐怖が染み付いていた。

 木山が語ることなかった『流転抑止』の真の能力と真理の過去。それをちらつかせられた美琴の心境たるや、餌を前に手を出すなと命令された犬の心情に近かった。

 喉から出かかっている齟齬が判れば、この気持も晴れそうなのに。と、その苛立ちの渦中の人物に街中で遭遇してしまった。

 

「……髪切りなさいよ」

「美容院に出向くのが億劫でな」

 

 制服姿の二羽真理は、鬱陶しそうに蓬髪を描きあげた。やつれた――ひと目、真理を見た感想がそれだった。美琴が見上げた真理の顔色は青白く、きわめて不健康であった。

 実を言えば、幻想御手以降で真理とひとりで会うのは初めてだった。何となく、顔を合わせづらかった。

 今日は、あのオドオドした人格ではないようだ。いつぞや挑発と意味不明な喩えで美琴を怒らせた、いけ好かない方だ。

 しかし、今は覇気がない。寝不足らしくはっきりと涙道は隈で縁取られ、猛暑の暑さで体力が消耗しているのか、立っているのも辛そうだ。

 

「久しぶりね」

「今日はいつもみたいに喚き散らさないんだな」

 

 ほら出た。皮肉めいた語りになぜか安心している自分に美琴が気づく。

 真理は目線を美琴から逸らして言った。紫紺の瞳は、眠気でまぶたが重そうだった。

 

「うるさい。佐天さんが会いたがってたわよ。暇なら、その辛気臭い顔でもいいから見せに行ってあげなさい」

「佐天涙子が? なぜだ」

「あたしに訊くな」

 

 薄々、感づいてはいるが、他人の口から語るのも憚れる。美琴には涙子の気持ちがさっぱり理解できない。

 身近な超能力者への憧れが転じてしまったのだろうか。それにつけても、真理に対して先立つのは不気味、不審等の負の感情だと思うのに。

 ――そういえば、真理に『素養格付』の存在を匂わせたのは、この人格だった。

 彼なら、自分のクローンの噂についても何か知っているのでは? 事実にせよ、捏造にせよ、情報は必要だ。

 

「ねえ、ちょっと話さない? 少し涼しいところで」

「……少しなら」

 

 さすがに暑さが堪えたのか、真理が誘いに乗る。空調が強そうなコンビニとも考えたが、真理が見咎めて手近なカフェになった。

 

「で、なんだ?」

 

 アイスコーヒーを注文して早々に真理が切り出した。この人格は、愚鈍な人格と比べて妙に聡い。

 思えば、超能力者らしくオドオドした人格も聡明な一面を見せたことはあったが、あっちは人の心の機微に疎い部分が多々見られた。

 だが、こちらの人格は、意図的に人を怒らせているように見える。上条当麻と親しそうだったのは、この人格だったのだろう。

 どちらも人付き合いが下手だが、無意識、意識的の違いがある。そうなると、あのツンツン頭はどれだけ懐が大きいんだと、普通に会話できていたことを思い出してちょっと引いた。

 美琴には、想像もつかない。

 

「最近、妙な噂を聞くのよ」

 

 美琴は、自分のクローンの噂の真偽を尋ねた。彼は、学園都市の深い闇に触れた人物だ。

 断片的に触れた記憶から、その確証は得ている。美琴についての情報を知っていてもおかしくはない。

 少しは期待していたのだが。

 

「……いや、知らないな」

 

 真理はアイスコーヒーのコップを揺らし、揺蕩う氷を見つめながら言った。

 表には出さないが、落胆する。

 

「そ。ま、元が信憑性皆無の週刊誌の都市伝説だから、しょせん噂だってのは承知してるけど、傍迷惑な話よね」

 

 ストローでアイスコーヒーを吸う。ガムシロップは入れたのに、苦味が強く口内に残った。

 

「女はそういう根拠の無い話が好きだな。元々、女は論理的な思考が苦手らしい。超能力者の女性は三人だが、全国的な理系の女子の数から見ると多く感じるな」

「その超能力者の女全員にアンタは成績で負けてるでしょうが」

 

 女性を愚弄する言葉に美琴が侮蔑で返す。真理は自嘲するように微笑むだけだった。拍子抜けする。

 万全なら、この人格は憎まれ口と減らず口を並べ立て、美琴を激高させるまで罵倒するはずだ。

 やはり、体調が思わしくないのだろうか。

 

「具合悪そうだけど、あれ以来、体の調子が変だったりするの?」

 

 被害者の何人かが、事件後も気を失って病院に運ばれたニュースは美琴も知っている。真理もそれが原因の体調不良なのか。

 真理はかぶりを振った。

 

「捜し物をしているんだ。大切なものを落としてしまってな」

「ふーん。手伝おうか?」

「いや、いい。見られると恥ずかしいものなんだ」

 

 そこまで言われると、否が応でも先に見つけて秘密を握ってやりたくなったが、真理の思い詰めた表情を見て、その気も失せた。

 何か違和感がある。調子が狂う。怒りよりも心配が先立つ真理など、美琴の知る真理ではなかった。

 真理が視線を上げる。

 

「お前も、根も葉もない噂に乗せられて厄介事に首を突っ込むな。一日にも盛大にやらかしたらしいな。蓮っ葉な女だ」

「うるさいわね」

 

 いつもの真理だった。だが怒鳴る気にもなれず、コーヒーに手を伸ばした。

 真理の容態は、素人目に見ても患っているのは明らかだった。衰弱してゆく姿を見ているのは忍びない。

 だが、この人格は強引に病院に連れ込んでも受診を拒否するだろう。そういう性格だ。

 だから、ぶっきらぼうに言った。

 

「他人に迷惑かける前に病院に言って見てもらいなさいよ。また佐天さんが悲しむから」

「彼女もお前と同じで無謀な馬鹿だ。夏休みの補修にふたりで行ったらどうだ」

「アンタ、病人じゃなかったら張っ倒してたわよ」

 

 あのとき何と言ったのかとか、能力の詳細とか、食蜂操祈との関係についてとか、垣間見た記憶の齟齬についてとか、問い正しいことは山ほどあった。

 そのすべてを心の奥に流し込んで、美琴は席を立った。

 この日ばかりは、これが正しいと思えた。

 

 

 

 

 

 

 ――八月九日。

 

 朝になり、ゲコ太のケータイに流れるニュースを見ると、学園都市の研究施設が三軒も昨夜のうちに破壊されたとの記事がトップニュースとなって報じられていた。

 

「物騒になったものね」

 

 幻想御手事件以降、学園都市の治安は目に見えて悪化している。元々、子供に強大な力を持たせることによって凶暴性が増したことが原因の衝動的な事件は多かったが、計画的な犯罪が最近になって増えた。

 学園都市のセキュリティが施された研究施設を一晩のうちに三軒も襲撃するのは、多人数で周到に計画を練ったものに違いない。

 そのような組織を警備員や風紀委員で事件を解決できるのか不安だが、黒子に咎められている。

 真理にも釘を刺された。だが、それも性分なのだから仕方ないだろう。扉がノックされる。返事をして扉を開けた。

 

「御坂、届け物だ」

「届け物?」

 

 部屋を訪れた寮監だった。行為能力者揃いの常盤台中学で恐れられている彼女は、怪訝な面持ちでA4サイズの白い封筒を手渡した。

 相当に分厚く、表には美琴の住所が書かれているだけで差出人の名前はなかった。

 

「早朝に寮に置かれていたらしい。開封はしていないが、どうやら不審物は入っていないようだから、お前に渡しておこうと思ってな」

「はあ」

 

 この手の類のものを貰うのは始めてではない。手紙は何通も渡されたことがあるし、資料を研究施設から届けられることもある。

 だが、これは郵便局を経緯しておらず、直接寮に届けられたようだ。美琴宛ということもあり、寮監は重要な極秘書類と判断したのかもしれない。

 黒子は朝から風紀委員の仕事で出かけており、一人きりの美琴は、寮監が去ったあとで封を切った。

 資料は少なくとも五十枚近くあり、ずしりと重量が手に負担をかける。

 

「質の悪いイタズラじゃないでしょうね……」

 

 半信半疑で目を通す。その一枚目のタイトルを目にした途端、美琴は凍りついた。

 

『絶対能力(レベル6)進化計画について』

 

 太字で書かれた文字を見つめ、時間だけが経過する。

 

「レベル6……?」

 

 与太話としか思えなかった。学園都市の最高位はレベル5の第一位だ。それより高位を作り出すなど――子供の空想としか思えない。

 そう否定する心とは裏腹に、美琴の指は資料を捲った。一枚目をめくると、その書かれた内容の異常性にまた手が止まらず、全容に目を通してしまう。

 

「実験には、第三位の劣化クローンを使用する……絶対能力に到れる超能力者に二万人を殺させる実験……」

 

 正気の沙汰ではない。この計画を企画した人物は確実に狂っている。人道を冒涜しているし、この計画が正しい保証もない。

 なのに、これを実行している輩がいる……? 美琴にはとても信じられなかった。

 だが、

 

「あのとき――!」

 

 思い出す。幼かったころ、病気の子供の治療のためにという名目でDNAマップを提供した。

 まさか、それが転用されたのか。

 

「……続きがある」

 

 計画の全容の他にも、まだ二十枚ほど残っていた。研究施設と思しき写真とその名前が記されている。

 その名前には憶えがあった。すぐさま携帯を取り出し、トップニュースを確認する。

 やっぱりだ。昨夜襲撃された施設は、絶対能力進化計画に関与している。

 だが、疑問が残る。これを作成した人物は何の目的で、この資料を美琴に届けたのか。

 この実験を知った美琴が必死になって止めようとするのを見越してのものか。

 もちろん、真偽を確かめて、事実なら止めるだろう。だが、思い通りに操られているようで癪に障る。

 美琴はさらにページをめくって、手を止める。最後の三枚は、次の事柄について纏められていた。

 

『万能物質の生成方法と人為的な原石の変異過程』

 

 

 

 

 

 

 

 

 資料をすべて見終えた美琴は、直ちに真理に電話をかけた。しかし、繋がらない。

 舌打ちすると、制服を着て寮を飛び出した。どうしてこうもあの男はこうも間が悪いのか。

 昨日の真理が脳裏に過ぎる。

 

『捜し物をしているんだ。大切なものを落としてしまってな』

 

 確かにそう言っていた。寝不足なのも、事件と関連付けると説明がつく。

 これを届けたのも、事件の犯人も、真理以外にない。あの男は、美琴に何らかのメッセージとして、これらの事件を起こしたのだ。

 必ず捕まえて、思惑を白状させてやる。

 真理のマンションに向かう。まだ寝ているのかもしれない。部屋に呼びかけても出ないので、セキュリティを破って部屋に忍び込んだ。

 もうなりふり構っていられなかった。しかし、寝室を覗いても真理の姿はない。この時間から外出したのか?

 出ようとして――今日は、あのカメムシ臭がしないことに気づいた。あのハーブは、後に調べてわかったが、コリアンダー、もしくはパクチーと呼ばれるハーブらしい。

 前は鼻が曲がるかと思うほど強烈な匂いがしたが、今はベランダでも栽培していないようだ。

 なぜ彼がコリアンダーを栽培していたのか分からないが、興味もなかった。

 それ以外の目ぼしい変化のない部屋を出る。生活感は、相変わらず皆無だった。

 

 

 

 

 

 美琴が部屋を出ると、空を赤い羽根が舞っているのを見つけた。

 珍しい。学園都市では生き物の痕跡を見かけることさえ難しいからだ。

 ゴミが発生すると、機械が掃除をしてしまう。稀に野良猫など見かけるが、美琴の発生する電磁波を嫌って逃げられる。

 しかし、日本に赤い羽根を持つ鳥が日本にいただろうか。一抹の疑問が湧いたが、すぐに忘れた。

 

 

 

 

 

 

 

 美琴が真理の居場所を突き止めたのは、正午を過ぎてからだった。

 思いついた場所を幾ら探しても、真理の姿は見えない。学校に登校もしておらず、手がかりがなくなった美琴は学園都市へのハッキングを敢行した。

 そして、真理が昨日から入院していることを突き止めた。入院した時間は、美琴と別れてしばらくしてからだった。

 病院で真理の部屋を尋ねると、自然と早足になる。制服は汗だくで、逸る足が抑えられない。

 引き戸を開ける。真理の病室は個室で、カエル顔の医者と上体を起こして話していた。

 

「アンタなんでしょ……」

 

 顔を見ると、まずその言葉が口を突いた。真理は突然の来訪者に目を丸くして、すぐに無表情に戻った。

 

「何のことだ」

「惚けないでよ! 朝の資料のことよ!」

 

 はぐらかされたと憤慨し、大股で真理に歩み寄る。カエル顔の医者が立ちはだかった。

 

「面会謝絶と掛札に書いてあったはずなんだがね?」

「いいです、先生。で、何の話だ」

 

 真理が促すと、医者も道を開けた。間近で見た真理の顔色は蒼白で、健常とは言い難い。

 話の腰を折られても美琴の興奮は収まらなかった。声が荒くなってしまう。

 

「三日前からの研究施設の襲撃事件の犯人、アンタなんでしょ!?」

「人聞きの悪い奴だ。勝手に人を犯罪者にするな」

「アンタ以外にありえないのよ!」

 

 ヒートアップする美琴を見かねてか、カエル顔の医者が口を挟んだ。

 

「彼が犯人というのはありえないよ? 彼は昨晩、ずっとここにいたからね?」

「こいつには幻想御手のときも病院を抜け出した前科があるじゃない!」

「うん。でも昨晩は検査のために一晩中脳波を測定していたんだよ? 幻想御手被験者の子供が続々と倒れているからね?

 彼も例外ではないから。その検査記録もあるが、見るかね?」

「なっ……」

 

 真理ではない。その決定的な証拠を突きつけられ、美琴の頭が真っ白になる。

 真理ではないなら、いったい誰が? 真っ先に思いついたのは食蜂操祈だが、彼女は真理に関しての情報を教える気はない、の一点張りだった。

 このような方法でも、仔細に記すとは考えにくい。美琴は一歩後退して、

 

「……ね、ねえ。『エリクサー』って、なんなの」

 

 問われた真理は一瞬、険しい顔になったが、すぐに戻った。視線を外に向けて、抑揚のない声で言う。

 

「馬鹿な研究者が架空の存在を作れると騒いで、全部が机上の空論で終わった笑い話だ。聞きたいなら、一から十まで聞かせてやる」

「いい……」

 

 もう知っている。美琴は踵を返して走り去った。静寂を取り戻した室内で、医者が言う。

 

「その目、移植するならいつでもやってあげるんだがね?」

「気に入っているんで、いいです。見えなくなったら考えますよ」

 

 白い羽根が病院の外で風に舞った。

 急患のようだ。ため息をついて退出する医者を見届けて、真理は外を見た。

 羽根はゆっくりと地に引かれていった。



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OK,Let’s do it.

 

 八月十五日。

 

 

 

「お化け退治?」

 

 上司に新たに下された依頼に、フレンダが首を捻った。薄暗い『アイテム』専用ステーションワゴンで若い女性の声が響く。

 

『そう。素性不明、電子セキュリティ無意味、能力不明で最近、たくさんの施設をぶっ壊して世間を騒がせてる幽霊を退治してきて』

「ふざけてるんじゃないでしょうね」

 

 麦野沈利が任務の詳細を語らない上司に不審そうに言う。上司はあからさまに不機嫌になった。物を叩く音が聞こえる。

 

『こっちが聞きたいっつーの! クライアントにも事情があんの分かるけどさー、もっと情報は子細に教えてくれないと困るのよ!

 あー、残ってる施設は二つだけど、アンタらは一つを死守するだけでいいから』

「ひとつ? では、もう片方はどうやって超死守するのでしょう?」

 

 パーカーを羽織った絹旗最愛が質問した。上司の機嫌が最悪になった。

 

『あーのいけ好かないスクールにも依頼したらしいよ。いい? 絶対、幽霊を退治しなさい。功労者にはボーナス出すから! わかった!?』

 

 音声が切れる。四人が顔を見合わせ、任務についての意見を出し合った。

 

「製薬会社が依頼とのことでしたが、この幽霊、関係ない施設も超破壊しまくってるみたいですね」

「最大で一晩六軒か。同時刻に起きてる襲撃もあるから、結局、複数犯って見解が有利だったみたいだけど」

「上層部は犯人の目星がついている、ってところかしら。暗部に所属する超能力者二人が任務に駆り出されたのを見ると」

 

 滝壺理后以外の三人が犯人像を推測する。滝壺は黙って三人の会話を聞いていたが、普段から積極的に会話をしないので三人も放置していた。

 

「麦野と第二位を矢面に立たせないと歯がたたない超強敵ってことでしょうか?」

「でしょうね。でも、具体的にどう対処すればいいかわかってない。とりあえずピンチだから、同等の相手を当てておけーなんて考えてるんじゃない?」

「相手は超能力者?」

 

 フレンダの言葉に麦野がふっと息を吐いた。

 

「だったら面白いのだけれど。世間の風評通りの性格なら、第三位か第八位かしら」

「ですが、第八位は街中で倒れて入院中という噂を超聞きましたよ」

「面白いじゃない。なら、わたしが第三位を倒せば任務完了ね」

 

 そう言う麦野の微笑に空恐ろしいものを感じて、フレンダと絹旗の背筋に悪寒が走った。

 

 

 

 

 

 同時刻、御坂美琴と妹達9982号が出会った。

 

 

 午後七時。病室の真理の元を、美琴が再び訪ねた。薄墨が広がった空の果てで、今にも落ちようとする夕陽が白い病室を山吹色に染めている。

 美琴は俯いていて、表情が見えない。脇には、書類を抱えていた。

 今日の真理は髪を束ねており、その白皙の美貌が顕になっていた。

 静謐が病室を包む。真理は美琴の言葉を待って、じっと見据えていた。紫紺の瞳に映る美琴が、ようやく口を開く。

 

「さっき、あたしのクローンに会った」

 

 語り口は訥々と、振り返る表情は絶望と半信半疑が綯い交ぜになっていて、悲壮に陰っていた。

 真理がまだ黙っていたので、美琴が続けた。

 

「あたし、計画を知っても、まだ信じられなくて、会ってからも何かの間違いじゃないかって。

 でも話してみたら、変な子だったけど、ちゃんと生きてるの。自分の意思を持って、普通に生きてて……なのに、他人の利益の為だけに殺される価値しかないのが、悔しくて」

「それで?」

 

 憮然と真理が言う。美琴は、手に持った資料を真理の膝に投げた。

 

「全部、書いてある。あの子たちが殺される順番、その方法、時間も!」

「そうか。親切な人間がいるんだな」

「……最後に、アンタのことが書いてあった。アンタ原石なんだって?」

 

 真理は資料に手をつけない。沸々と激情が煮え立ち、絶望を凌駕した。

 

「原石に手を加え、より能力を研磨して、能力者の演算能力と精度を向上させる計画が始まった。

 結果は失敗。被験者は虹彩の変色、虹彩筋の弱体化、精神異常を発症した。

 被験者の名前は二羽真理――永久機関を実現させておきながら、その理論を解明できなかった、学園都市最初の超能力者」

「懐かしいな。オレがここの頂点だったこともあった。もう何年も前だが」

「誤魔化してんじゃないわよ! こんな資料を作れて、あたしに届ける奴なんて、アンタ以外にありえないつってんのよ!」

 

 真理の胸ぐらを掴み上げ、その異様な双眸を間近で睨みつける。真理は動じず、眉一つ動かさない。

 否定も肯定もしない真理に美琴が声を潜めて言った。

 

「アンタ、あたしに何をさせたいの……? この計画を知らせて、止めさせたかったの? なら、何で自分だけで計画を壊そうとしてるの?

 何か言ってよ。どうしたらいいか、分かんないのよ」

「お前はおれにどうして欲しいんだ? 慰めて欲しいのか? 励まして欲しいのか? 手伝ってくれと言わせたいのか? それとも助けて欲しいのか?」

「質問に答えろ! ……ねえ、全部、アンタの仕業なんでしょ?」

 

 問い質す声は、もう哀願に近かった。真理は、それでも表情ひとつ変えない。

 

「オレは何もしてない。その資料も知らないし、学園の外に出てもいない。これで満足か?」

「……! もういい」

 

 乱暴に手を離し、美琴が背を向ける。

 

「あの計画に加担する奴は絶対に許さない。あの子達が殺されなきゃならないのなら、必ず止めてみせる。誰の手も借りない」

 

 美琴が去る。静けさを取り戻した病室で、真理は大仰に嘆息した。

 外を見る。既に日は落ちていた。

 

「すいません、先生。規則を破ります」

 

 話す声は穏やかで、美琴が見れば別人に思えただろう。

 ――見えなかったものが、見えた気がした。

 

 

 

 

 午後七時半。

 

「ねー絹旗」

「なんでしょうか」

 

 施設の門番として警戒している二人は、暇を持て余していた。中を巡回する麦野と滝壺コンビに対して、二人は前線に配置された。

 近接戦闘向きの絹旗の『窒素装甲』は分かるが、罠にはめる作戦が主なフレンダには、この配置が不満だった。

 

「襲われる施設は結局、ここと向こうの二箇所だけなんでしょ? あっちに目標が行って、あたしたちは待ちぼうけってのもありえるんじゃないの?」

「そうですね、超ありえます。先にあっちでやられて、こっちには来ない可能性も超ありえます」

「うわー。それ最悪じゃん。麦野の機嫌も悪くなるし、お金も入らないし、時間の無駄だし」

 

 頭を抱え、天を仰いだ。彼女のリーダーである麦野沈利は、平素であれば温厚で頭も切れる実力者なのだが、逆上すると誰の手にも負えなくなる。

 超能力者で序列をつけられている影響で数字へのコンプレックスも強く、格上の第二位に負けた事実だけで機嫌を損ねかねない。

 どうにかして幽霊がこっちに来ないかな、とお化けに祈るフレンダに絹旗は少し呆れた。

 小さくため息を零して、目を開けると、雪が降っていた。

 

「え?」

 

 唖然として空を仰ぐ。真夏の空に雲はなく、青白い月と星空が広がっている。

 なのに、大気を滑って雪が降り注いでいた。

 

「なに!? 何なわけ、これ!?」

 

 事態に気づいたフレンダが動揺して視線を巡らす。よくよく見れば、それは雪ではなく、小さな白い羽根だった。

 羽根は見渡す限り、視界の範囲全土に降り注いでおり、その勢いは苛烈に、地面に積もりかねない量になっていた。

 ふと、赤い光が視界を塞ぐ。

 

「わっ!?」

「いったいなにが……」

 

 強烈な発光が収まり、目を開ける。二人が見たものは、地から空へと立ち昇る、一筋の赤い光の柱だった。

 あの場所は――『スクール』の連中が警護している施設だ。ということは、幽霊はあっちに出向いたのか。

 赤い柱の出現と同時に、さらに異変が生じた。降り注ぐ羽根が、白から赤に変わる。フレンダの混乱が極限に達した。

 

「ど、どうなってんの!? 結局これって何なわけ!? お化けの呪い!?」

「落ち着いてください! ひとまず、ここは麦野に連絡を――」

「その必要はないわ」

 

 振り向くと、麦野と滝壺が歩いて向かってきていた。フレンダが涙目になって歓迎する。

 

「麦野!」

「動揺しない。異常気象の原因は、あの光が原因のようね」

 

 今も空に立ち昇る光を、目を細めて麦野が見上げた。

 

「あの発光は第二位の能力によるものじゃない……ってぇことは、奴らは失敗したってことだ」

 

 確信していると、それを裏付けるように研究施設から爆発音がした。地面が揺れ、もうもうと煙を上げながら崩壊するのが見える。

 

「ハッ、ざまあないな、第二位。行くよ、あの光が幽霊の居場所だ」

 

 麦野が歩き出したのを見て、絹旗が止めた。

 

「待ってください。ここの防衛は?」

「ここで迎え撃つか、先に見つけて倒すかの違いしかないでしょ。それに……失敗した第二位様の間抜け面を拝みに行くのも一興じゃない」

 

 あ、これはヤバイ麦野だ。絹旗とフレンダが諦観して、その背中を追おうとしたときだった。

 微かに足音がする。小さいが、確かな足音に全員が足を止めた。

 

「まさか、幽霊からこっちに出向いてくれたのかしら?」

 

 麦野が大胆不敵に微笑する。絹旗とフレンダが臨戦態勢を取った。

 暗闇の奥から、徐々にそのシルエットが明らかになる。

 

「……お化けだ」

 

 その偉容は、滝壺の表現以外に形容しようがなかった。

 

 

 

 

 

 

「何が起きてんのよ……」

 

 殺害を止めようと実験場に向かう美琴が、真夏に降る雪を見て、足を止めた。

 部活帰りと思われる生徒や通行人も足を止めて、その異常現象を見て各々、驚きや感嘆の声を上げている。

 そして突如、学園都市を赤い光が覆い、一筋の光の柱が遠くに見えた。

 

「何だって言うのよ……!」

 

 体の震えが収まらない。絶対能力進化計画、妹達、真理。不明瞭な出来事が多すぎた。

 頭がこんがらがって、感情が制御できなくなる。暗澹と胸で濁る、この感情を何と呼べばいい。

 ふと、雪の色が変色していることに気づいた。赤い雪はどんどん勢いを増し、学園都市全土に降り積もってゆく。

 それに気づいた途端に、美琴の周囲の人物が、全員倒れた。

 

「ちょっと……」

 

 恐る恐る触れてみる。意識がない。揺さぶってみても反応がなく、この症状には憶えが会った。

 忘れるはずがない。鮮烈に残った記憶が、幻想御手を想起させる。

 だが、幻想御手のツールは、もうない。しかも一度に何十人も同時に昏睡するなど、以前の幻想御手では例がない。

 この赤い雪が原因なのか。

 

「でも……ごめん」

 

 美琴は、倒れる見ず知らずの人よりも、今にも殺されようとしている人を優先した。

 唇を噛み締め、走りだす。実験はもう始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

「……どうしたンだァ、オイ」

 

 人気のない絶対能力進化計画実験場で、一方通行は怪訝に眉をひそめた。

 彼の視線の先では、『妹達』9982号が眠っている。

 真夏に雪が降る異常気象と立ち昇る赤い柱の怪現象に目を留めていたら、実験相手の彼女が倒れていた。

 呼びかけても反応がない。この赤い雪のような羽根が原因なのだろうか。

 だが、体に触れたベクトルからその本質まで逆算する彼の能力でも、その性質が理解できなかった。

 しかし、反射する程の害もなく、放っておいてもいいと判断したのに、肝心のモルモットが倒れては意味が無い。

 彼の実験は、『妹達』と二万回戦闘を繰り返し、それを虐殺することで成立するのだ。

 無抵抗の相手を倒しても効果が無い。歩み寄り、その頭をつま先で小突く。

 

「聞こえてンのか、アァ? テメエが寝てたら意味ねェだろうが」

 

 ベクトル操作で強制的に覚醒を促すが、全身を痙攣させただけで意識の回復の兆しは見られなかった。

 舌打ちし、今後の予定を上層部に尋ねようとすると、そこに美琴が駆けつけてしまった。

 

「なンだ、いるじゃねェか」

「……あ、」

 

 赤い羽根が、9982号の上に降り積もり、肢体を隠す。頭部を一方通行に蹴られる光景が、美琴には殺されたあとに見えた。

 

「ああああああああッ!」

 

 雷撃の槍が一方通行の細身目掛けて迸り――放った雷撃が、時間を巻き戻したかのように逆流し、美琴の真横を通過した。

 命中したのに、一方通行は不思議そうに美琴の顔を眺めて、耳の穴を掻いている。

 

「あァ、変だと思った。お前、オリジナルか」

 

 この理不尽なまでに強大な力を振るう存在は、前にも出会った。だが、この男には理性が備わっているのか怪しい。

 二万人を殺す狂気の実験を顔色ひとつ変えずに実行する人倫を逸した第一位の超能力者。美琴の手に負える生き物なのか。

 

「この場合はどうすンだ? 予定外の殺人はダメなンだっけかな? つーか、この異常気象はなンなンだァ?」

 

 狂人じみた悍ましい笑みで美琴を値踏みする。こいつは、自分と『妹達』を大差ない存在としか認識していない。

 その絶望的な実力差は、彼にとって加減しようのない何気ない動作で済んでしまうほどに開いている。

 美琴の心に諦念が過ぎる。そこに、

 

「本当に、危機感のない馬鹿ばかりでイライラする……」

「あァ?」

「何で……」

 

 長点上機の制服を着た真理が、コンテナに手をついて体重を支えながら現れた。

 美琴の顔が涙で曇る。

 

「何で来たのよ……」

「いいか? これから起こることを良く見ておけ。馬鹿の末路だ」

 

 美琴を追い越して、一方通行に向かってゆく。止めようと手を伸ばした。見えない壁に触れて、道が遮られる。

 

「おいおい。目撃者はどうするンだっけ? あー……ダメだ。起きねえンだっけ。

 じゃあ――殺しても構わねえよなァ!」

 

 大地を爆散させ、一方通行が疾駆する。音速を超えて真理に肉薄し、その過剰な威力を喪失なく真理に炸裂させた。

 一方通行の両手が真理の腹に触れ、真理が倒れる。

 

「まりっ!!」

 

 美琴が走る。真理の能力による障壁は、真理が倒れると同時に消えた。

 それが意味することは――それが分かっていて、なお走る。倒れた真理を抱き起こそうとして、その刹那、澄んだ金属音がした。

 軽い金属が地面に落ちる音。美琴と一方通行の目が同時に引き寄せられる。

 そこには、いつか夢で見た、真理のロケットペンダントが落ちていた。

 

 

 

 

 

 

 ――『アイテム』と幽霊の遭遇から、時間を少し遡る。

 未だ研究員が働いている施設内への侵入を防ぐべく、『スクール』の三人が侵入者と対峙していた。

 狙撃手の一人は別棟から機会を伺っており、侵入者と直接対峙するのは垣根帝督と『心理定規』の少女、そしてゴーグルの少年の三人だ。

 だが、『心理定規』の少女は、侵入者を見るやいなや、早々に背を向けた。剥き出しの背中が露見する。

 

「あたしパス」

「あ? 何故だ」

 

 特に怒っている様子はなく、ただ純粋に疑問だったらしい。平静な声で質す帝督に少女は素っ気なく言った。

 

「彼、心がないもの。読めないとかじゃなくて、元からないの。だからあたしは役に立てないんで抜けるわ」

「……まあ、まともな生き物とは思えねえが」

 

 少女が『彼』と表現した侵入者を見る。それを何と形容すればいいのか。

 人の体の凹凸を削いで、存在感を希薄にしたのっぺら坊という表現が一番近い。

 顔がなく、肉体に起伏がないため男性か女性かさえ判別がつかない。その不気味な姿にゴーグルの少年は顔から血の気が引いていた。

 帝督はポケットに手を突っ込んだままで相対する。

 

「学園都市が作った新兵器か? 依頼もムカつくが、こんなものの後始末をしなければいけない自分にもムカつくな」

 

 未元物質を行使しようと演算を開始する。が、異変が起きた。ゴーグルの少年が、何の前触れもなく倒れた。そのまま反応がない。

 

(……なんだ?)

 

 それを皮切りに、『彼』に変化が生じた。右腕に電流が走ったかと思うと、指が生えた。

 それは生々しい人間の人差し指で、肌や爪、シワの一本一本まで細緻に構成された生体だった。

 帝督の顔が真剣味を帯びる。

 

「どうやら三流研究者の失敗作じゃねえみたいだな」

 

 合図を送ると、スナイパーが発砲した。狙いは数分違わず、標的の頭部と腹部に命中する。

だが、何の反応もない。飲み込まれた銃弾がどうなったのかさえ判らない。

とうとう垣根帝督が六翼を展開する。その凄烈なAIM拡散力場に反応して、『彼』が動いた。

生身の人差し指を振るう。すると、彼の背中の右肩甲骨付近から、白い翼が生えた。帝督が顔をしかめる。

 

「猿真似か。ちょっとムカついた」

 

 嘲るのも、次の瞬間には驚愕に変わった。『彼』の翼が羽根をばら撒いたからだ。

 警戒し、四枚の翼で防御したが、攻撃ではなかった。ばら撒かれた羽根は夜空に昇り、上空まで届いたかと思うと、忽ち増殖、拡散を繰り返して学園都市全土に羽根を散布した。

 

(……何がしたいんだ?)

 

 意図が読めず、かと言って手の内も読めないので手出しできない。

 攻め手を欠く帝督が様子見に徹していると、『彼』に変化が生じた。

 全身が罅割れ、中身が露出する。ヒトガタの内部はがらん堂で、人工物らしき逆三角形の部品が忙しなく回転している。

 帝督の整った顔立ちが凄惨に歪んだ。

 

「上層部……いや、アレイスターか。こんな悪趣味な道具を作り出す奴は」

 

 この学園都市を作り上げた魔術師の存在が脳裏を過ぎる。だが、好都合だ。

 この暴走している道具を回収し、その秘密を暴いて情報を得れば、アレイスターとの交渉権を獲得できるかもしれない。

 先ずは壊さない程度にダメージを与えようとした。が、ヒトガタの部品から赤い光が走り、周囲を赤く塗り替える。

 降り注ぐ赤い羽根を帝督が認識したときには、既に遅かった。

 急速に人間の部位が手足の先から構成されていく。筋肉や臓器、細胞や血管、神経が構築されて中身を埋めてゆく過程が鮮明に見えた。

 

「チッ」

 

 様子見に徹した自分を悔やみ、未現物質による攻撃を開始する。どのような原理でこの道具が動いているのか定かではない。

 だが、未現物質は現実の物理法則を塗り替えて、外界を既存の法則に従わせない。

 未現物質が作用すれば、この装置も機能を停止する――はずだった。

 

 あろうことか、未現物質は『彼』に触れた瞬間に機能を停止し、既存の法則に堕ちた。

 完全に生成された人体から、もう一枚の翼が生える。

 

 ――研究所が、崩壊した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 時間は戻る。『アイテム』の面々は、遭遇した幽霊に為す術もなく敗北した。

 研究施設は要所を破壊され、機能しない。任務失敗だった。

 しかし、それが麦野沈利を癪に障った。誇りを甚振られ、ただ一蹴して退けるのみ。

 傷ひとつ負わさずに麦野を嘲笑った。

 ――わたしがコケにされた? あんなのに?

 

「滝壺ォ! 奴のAIM拡散力場は記憶したな!?」

 

 こくりと頷く滝壺の腕を引き、案内させる。完全に頭に血の上った麦野を絹旗が止める。

 

「待ってください! 超危険です。この異常現象を見てください! あれが元凶としか考えられませんよ!」

「そ、そうだよ麦野ぉ。ヤバイって。あれ人間じゃないよ」

 

 青褪めた顔でフレンダが嘆願する。が、激情に駆られた麦野には抑えがきかない。

 

「邪魔すんじゃねえ! このわたしがコケにされたんだ。このわたしをコケにしやがったんだぞッ!

 ゴミ臭ェ肉を黒焦げにして犬に食わせても気が済まねえ!」

「ひいぃっ」

 

 癇癪を当てられたフレンダが哀れを催す悲鳴を上げる。仕方なしに麦野に追従すると、滝壺が示す先に、金色の少女がいた。

 

「あらぁ? どちら様かしら」

「退け、クソアマ。その両方の口に焼き印つけて何も話せないようにしてやろうか」

「やだ、怖い。私、弱いからその人たちに盾になってもらおうかなぁ」

 

 リモコンを押すと、麦野を除く三人が麦野と対峙する。その瞳は、金色の少女と同じ瞳をしていて、麦野は驚愕してから、少女を睨んだ。

 

「テメエ……」

「初めましてぇ、学園都市第四位さん。第五位の『精神掌握』です」

 

 食蜂操祈は優雅に髪を撫で、挨拶を済ませると、『精神掌握』を解除した。三人は何事もなかったかのように操祈と対峙している。

 麦野は心底不快そうに睥睨した。

 

「格下のカスが何の用?」

「取り引きをしに来たの」

「取り引きだぁ?」

 

 胡散臭いと麦野の柳眉が釣り上がる。他人の心を恣にする女の言うことが信用できる方がおかしい。

 元より、麦野は他人を信頼したりしない質だ。自分より格下の超能力者との取り引きなど応じるわけがない。

 

「すると思ってんのか?」

「そうねえ。でも、アナタには私の能力も通じそうにないし、そうするしかないのよ」

 

 困ったように嘆息する。分の程は弁えているのだな、と感心して鼻で笑うと、操祈は微笑む。

 

「でもぉ、こちらの提示するものを聞けば、アナタも呑まざるを得ないと思うんだけどなぁ」

「ハッ! 面白ぇ。言ってみな」

「第八位の秘密について」

 

 麦野の表情から色が消えた。操祈の美貌が艶めいた微笑で彩られる。

 食蜂操祈は、二羽真理を売った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――そして、舞台は絶対能力進化計画実験場に戻る。

 

 美琴の腕の中には、死んだ真理がいた。美琴の視線が金色のロケットペンダントに吸い寄せられる。

 夢で見た幼い真理が大事そうにしていた、恐らく彼の大切なもののひとつ。

 それがなぜここにある。美琴が手を伸ばした。開かれたペンダントには、幼い彼の写真と名前が書かれていた。

 

 一方通行は、真理と接触した自分の両手を訝しげに注視した。

 確かに能力は滞り無く発動した。だが、彼の演算通りならば、対象は全身の血液を噴き出して絶命しているはずである。

 なのに真理は表層上は無傷で倒れ伏している。この違和感は何だ?

 その違和感の正体は、すぐに判明する。

 

 美琴は、そこに刻まれた名前に我を喪った。強烈なフラッシュバックに眩暈と震えが止まらない。

 これだったのだ。彼と出会ったときと赤子の見せた記憶にあった現実との齟齬は。

 刻まれた名前が現実を示す。

 

『SINRI Hutaba』

 

 そうだ――初めて会った時、彼は確かにシンリと名乗っていた。その後に訂正されて間違いだと思っていたが、彼の本当の名前はシンリなのだ。

 では、マリとは誰だ?

 

「葛藤の果てにある答えは二つだ。絶望か、希望か。この二つしかない。この人生にシンリは希望を、マリは絶望を見出したよ。艱難辛苦汝を玉にす――おれは、この忸怩たる運命を挑戦と受け取った」

 

 酷く穏やかで感慨深い声に美琴が振り返る。宙空を歩く長点上機学園の制服姿の長い黒髪の男子生徒。

 夜闇でも視認可能な紫紺の瞳――違えようがない。今さら間違えるはずがない。

 

「男に生まれたからには、その悉くが頂点を目指すべきだ。なあ、第一位」

 

 蓬髪を掻き上げ、白い面貌を露わにする。空間が軋む音がした。美琴が名前を呟く。嘘であって欲しかった。

 彼は一笑に伏した。月明かりが全身を照らし――赤い雪が絶え間なく降り注ぐ中で、ついにマリは真理(クライン)を経て無限(メビウス)へと昇華する。

 

「挑戦を受け取れ。学園都市第八位――『無限錬成(エリクサーリング)』のな」

 

 



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真実の詩

 

「初春! 佐天さん!」

 

 一七七支部で風紀委員の仕事を手伝ってくれていた二人が昏倒したのを見て、黒子が救急車を呼んだ。

 だが、繋がらない。外を見ると、道端に多くの人々が倒れているのが確認できた。

 そこに降り積もる赤い雪……何らかのテロなのか。しかし、黒子には害がない。

 連絡を取ろうとしたが、既に風紀委員の大半が被害にあっているようで緊急時の連絡網も意味をなさなかった。

 

「何が起きているんですの……?」

 

 身震いが止まらない。だが、自分の務めは果たさなければ――幸い、警備員たちは健在のようで、人命救助が開始されていた。

 動ける自分が率先して助けなければなるまい。そう決意する黒子に、ふと最愛の姉の顔が浮かんだ。

 最近、多くの事件が発生して会える機会が少なかった。部屋に帰って見る美琴の顔は、どこか思い詰めていたように感じた。

 

「お姉さま、今どこにいるんですか」

 

 

 

 

 

 

「アンタ、誰よ……」

 

 震える声で質すと、マリはふっ、と嘲笑した。

 

「お前が言ったじゃないか。多重人格じゃないの、と。その通りだ。おれはシンリが生んだ別人格だよ」

「だったら何で実体が……」

 

 まだ判らないのか、とマリが蔑視の眼差しを向けた。憐れみすらあった。

 

「おれの届けた資料に書いてあっただろう。おれが六歳のとき、加工と称して人体実験がシンリに施された。

 その想像を絶する激痛から逃避しようと、ある日、その受け皿となる人格が発生した。それがマリだ」

 

 こいつが、あの資料を――美琴の中で記憶が繋がる。この一連の出来事は、こいつが作り上げた。

 だが、まだ腑に落ちない。美琴がシンリを抱く腕に力を込めて睨めつける。

 

「シンリはここにいるじゃない。なのにアンタが」

「それはなぁ、おれも奇跡だと思うぜ。何せ、シンリは殆どをおれに任せて、日常生活では滅多に表に出なかった。

 きっかけは、幻想御手でおれが取り込まれたことだ」

 

 そうか、真理が幻想御手に取り込まれても動けたのは、マリの意識が木山に奪われたから。

 美琴の中の謎が解れてゆく。マリは心底愉快そうに語りだす。

 

「取り込まれていたときは、おれも意識がなかった。だが、コイツは木山を打倒するために、おれの意識に『流転抑止』をかけた。

 覚醒したおれはAIM拡散力場を束ね、独立した存在となった! 新たな発見もあって、自由を得たおれは、夢を果たすことにしたよ」

 

 不敵な笑みが一方通行に向けられる。怪訝な一方通行に言う。

 

「そこの暫定一位を倒して、おれが学園都市の頂点に返り咲く。シンリが諦めた夢をおれが果たしてやる。なあ、ちまちま雑魚を倒してレベルアップするのも飽きただろ? 陰気な狂人気取り」

「テメエも数字がコンプレックスですかァ? 笑えるな、オイ」

 

 嘲笑する一方通行にマリの唇が釣り上がる。美琴にはまだ疑問が解けなかった。

 

「何で、あたしに、このことを」

「シンリが来るからさ」

 

 事も無げにマリが言った。

 

「独立はできても、おれはまだシンリのサブに過ぎない。シンリに会えば吸収される。分離する際に機能の大半を引き抜いたが、それ程に力関係がある。

 そのため、シンリの人間関係の中で、もっとも学園都市の闇に関わり、自ら首を突っ込まずにはいられないお前に真実を教えてやった」

 

 美琴を怒りと絶望が襲う。自分は、こいつの計画のために体の良いように利用されただけだったのだ。恐らくシンリが一方通行に殺されることも承知の上で。

 この苦悩も現実も、マリが力を得るための餌に過ぎなかった。マリは酔いしれるように言う。

 

「おれがAIM拡散力場を停止させるのは知っているな? これは全てその応用さ。

 そこで寝ているお前のクローンのように、おれは強能力者以下のAIM拡散力場を逆算して支配できる。

 今、学園都市の大能力者以上を除く全てのAIM拡散力場の集合体が、マリって訳だ。理解できたか?」

 

 哄笑する。

 

「シンリはこれが誘いだと分かっていた。なのに、馬鹿な正義感に走ったお前を庇うためにここに来ざるをえなかった。自分の愚かさを嘆くんだな」

「それだけの為に、全部を利用したっていうの」

「それだけ? 学園都市の存在意義はレベル6を生み出す以外にないだろうが」

 

 一方通行を見る。彼も否定しなかった。表で華々しく生きる美琴とその他の超能力者では、絶対的に価値観が異なっている。

 頂点に君臨する。その為ならば、他の全てが犠牲になることさえ厭わない連中の集まりが学園都市の闇だ。

 美琴が恐慌して悲壮に叫んだ。

 

「そんなことの為に……学園都市のみんなとコイツを犠牲にしてまで叶えなきゃならないことのなの! これが!」

「当たり前だろ。お前は生きたくないのか? おれに死ねと言ってるのか? 肥溜めで生きるドブネズミにとって、這い上がらないことは死と同義だ。

 なまじ堕ちるところまで堕ちて、中途半端に力を得た雑魚の末路を知ってるか? 知らねえだろうな、何でも与えられると思ってるお嬢様には」

 

 美琴を否定し、貶したマリは、美琴から関心をなくした。美琴が抱きかかえるシンリの身体に目を移す。

 すると、シンリの身体が宙に浮き、マリの元に吸い寄せられる。

 

「シンリ!」

 

 美琴が手を伸ばすが、またしても見えない壁に遮られた。シンリの身体に、マリが同化する。

 心臓の鼓動の音が、離れた美琴の耳にも届いた。

 

「く、くく……」

 

 喉を鳴らして、シンリの顔が笑みを象る。青白かった肌が血の気を取り戻し、瞳の濁りは一層強く、迸るAIM拡散力場の波動が肌で観測できるほどに強壮だ。

 シンリとマリが同化した途端、赤い雪がピタリと止んだ。空間が軋む。

 

「ヒャハハハハハハハハハハハハッ!」

 

 狂ったように哄笑したマリの右肩甲骨から、二翼が発生した。白と赤の羽根が同比率で編まれた血の斑模様の翼が、意思を持つように嘶く。

 濁った紫が二人を見下した。不協和音が気が狂いそうなほどに耳朶を叩く。その中にあって、マリの声は不思議なほどに響く。

 

「ホメロスの詩集を読んだことがあるか? その主人公は神々に運命を決められていて、その定められた道筋を歩む。残酷な物語だ。だが、彼らはその運命の中で己の意志を持って進んでいく。大いなる存在に命運を定められてなお、己の力と知恵で道を切り開いてゆくんだ。

 おれたちも同じだ。アレイスターの計画(プラン)に人生を決められた哀れなピエロ――でも、おれはそうはならない。自分の人生は自分で切り拓くものだ。

 他人の決めた路線の上でしか生きられないテメエは、頂点に居る資格はねえんだよ、一方通行!」

「ギャハ! いいねェ! その無謀な馬鹿さ加減、最高だぜ! テメェはどこぞの神話の神様みてェに二目には見れねェオブジェにして飾ってやる」

 

 異界の扉が開く音が聞こえた者が、その場にいただろうか。頂点と最下位が交錯する。

 美琴は――何もできなかった。

 

 

 

 

 

 

「マリは、自分がない子」

 

 赤い雪で視界が狭い中、食蜂操祈はシンリから別れた人格をそう評した。

 

「シンリさんが現実から逃避する為に、痛みの受け皿となった人格。主体性がなく、気弱で、臆病で、空気が読めなくて、何をするにも空回りして裏目に出る。そんな子」

「さっきから話を聞いていると、人格が三つあると超思えるのですが」

 

 質問する絹旗に操祈が艶美に唇を釣り上げた。

 

「その通りよぉ。シンリからマリが生まれて、マリから凶暴な人格が発生した。主人格がシンリさんなのは変わりないけど、精神の比重はマリが多くを占めていて、普段はマリが表で行動しているの」

「何でそんな簡単に人格が分裂するんだ?」

「多大なストレスに晒された人が取る行動は二つ。精神が壊れて人格障害を患うか、適応する人格を作り上げるか。大雑把に分けてこの二つの行動を取る。

 幾度なく加工されたマリは、その苦痛を乗り越える人格を作り上げた。暴力に曝されると、凶暴なマリという状況に適応した人格と入れ替わる。普通は自分とかけ離れた人格に悩むものだけど、マリは自分がないから、都合の悪いことは忘れるの。

 しばらくして、本当のマリと凶暴なマリの主従関係が逆転した。マリが危機に瀕した時にだけ現れるけど、二人の間のサブがマリって言う風にね」

「? 結局どういう訳?」

 

 フレンダが首を捻った。

 

「要するに、シンリさんとマリは別人で、マリと凶暴なマリが本来の意味での二重人格。二羽真理の肉体にシンリさんが二つ目の精神を能力で作って、今はそのマリにシンリさんは肉体を乗っ取られた。ここまで分かればいいわ」

「あ、分かりやすい」

「講義じゃねえんだぞ」

 

 ポンと手を叩いて感心するフレンダに麦野が睨み、操祈には釘を刺した。殺す相手の人格など興味はない。

 本題を話せと目で促すと、操祈は勿体振った口調で語りだした。

 

「シンリさんの能力を見て、科学者はこの能力を事象に永続的な効果を付与するものだと判断した。

温度や速度のような、特定条件下で状態を保つ類似系はあったから、皆その上位互換だと誤認したのよ。

でも、変じゃない? 何で、エネルギーは生まれ続けているのに、その元となる分子すら観測できないのか」

 

 尤もな話だ。化学反応を永遠に繰り返すのに外的要因を一切遮断し、さらに不変性まで加える。

 それは、この世界の原理ではありえない。つまり、

 

「――『第八位』の能力は、観測不可能な物質を、外から生み出し、この次元に固定すること」

 

 すべては、存在しないが故の勘違いに過ぎなかったと。

 

「眼で観測した事象と同一のエネルギーを放出し続ける全く新しい物質を、十一次元を介して誕生させ、三次元に作り出す。

 この世に存在しないので物質は観測できず、この次元の原理で動いていない為に枯渇しない万能物質(エリクサー)。

 無数の宇宙の原理を地球の次元に固定化、凝固させるのが、第八位の能力」

 

 それが永久機関の正体。地球の物理学で不可能な事象を別の宇宙の原理で生み出す。

 

「もちろん、そんな莫大な演算を人ができる訳がない。原石のシンリさんは、原理も分からずにできたみたいだけど、マリは本来の持ち主じゃないから使えば脳が処理しきれずにシャットダウンする」

 

 コンピュータと同じだ。だから木山が用いた方法を取った。

 

「今のマリは、学園都市の強能力者以下の者すべての脳とAIM拡散力場を束ねて実体を得た『人工天使』の紛い物。

 それがシンリさんの脳髄を得て、完全な能力を行使する。今はまだ、規模と慣れの問題から全駆動させた三分の一くらいの出力だけど、時間が経てば幾らでも万能物質を生成出来るようになる。倒すなら今しかない」

「ちょ、ちょっと待ってよ! それって虚数学区!? マジなら勝てるわけないじゃん!」

 

 喚き散らすフレンダに操祈は冷ややかな目を向けた。

 

「取り引き成立だゾ☆ 言うこと聞かない子には『精神掌握』しちゃうからネ!」

「ふざけてる場合じゃないっつーの! さっきでさえ全然歯が立たなかったのに、そんな能力の敵に勝てる筈ない――」

「行くぞ、滝壺」

「ええええッ!?」

 

 悠々と歩き出す麦野にフレンダが目を見開いて絶叫する。仕方なく後を追いながら、フレンダは麦野を引き留めようとする。

 

「ね、ねえ麦野。無理に面子を保とうとしなくていいんだって話聞いてた? 永久機関だよ、永久機関。結局、天使で人外だったわけで、私たちの手に負える相手じゃ」

「逆です。今しか勝てません」

「え?」

 

 絹旗が否定して、フレンダが少しだけ冷静さを取り戻した。

 

「奴はまだ万全じゃない。そして原理が複雑極まりない能力を行使せざるを得ない今が無二のチャンスだ」

「ど、どゆこと?」

「万能物質しか作れない、ってこと」

 

 滝壺が補足し、「あ」とフレンダが得心する。

 

「弱点も判明した。どこまで信用していいか分からねえが、借りは絶対に返す」

 

 鬼女の如き形相で、「ブ・チ・コ・ロ・シ・か・く・て・い・ね」と唇が動く。

 味方の時は異常に頼もしい麦野の自信に触れて、なぜかフレンダもやる気になった。

 遠く離れてゆく『アイテム』の面々を見届けて、操祈がつぶやいた。

 

「これでいいんですよね、シンリさん」

 

 操祈の足が破壊された研究施設に向く。彼女の意向は、まだ不透明だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハハッ、ハッ!」

 

 砂利を蹴りあげ、一方通行が散弾と化した石の群れをマリに放つ。

 マリは微動だにしない。ただ見ているだけだ。それだけで、無数の礫が弾かれた。

 

「!?」

 

 一方通行の顔に、初めて動揺が生じた。まただ。この不可解な感覚は。

 彼の能力は、観測した現象から逆算して限りなく本物に近い推論を導き出すというものである。

 学園都市最高の頭脳を誇る彼の真骨頂。それが機能していない。マリの能力が観測できないのだ。

 

「アテネの国立美術館にあるアガメムノンのマスクを知ってるか? あれは三千年前の代物だが、未だに酸化することなく純金の艶を保っている。人々は金に永遠を見た。錬金術が永遠性を追求していたのも、金が永遠の象徴だったからだ。黄金は朽ちない」

 

 不敵――そうとる他ない人の神経を逆撫でする笑みで、一方通行を見遣る。

 一方通行も嘲笑した。

 

「錬金術ゥ? 時代遅れのオカルトだな。金が酸化しにくいだけってこたァ科学的に証明されてるだろうが」

「あぁ、その通りだ。科学が進歩して、あらゆるオカルトが現実に堕とされた。だがな、第一位。憶えておけ。それはただの思いあがりって言うんだ」

 

 嗤う。不意に風が吹いた。微風程度の幽かな揺らぎだったが――それが、一方通行の肌を撫でる。

 

「な――」

 

 ありえない出来事だ。彼は無意識に有害なものと無害なものを選択し、有害なベクトルを反射している。これは有害に選択されるべき風だ。

 事実、現象として発生しているのに観測できない異常現象に目を見開いた。

 

「がっ……は……ッ! !? ッ!?」

 

 何が起きたのか理解できなかった。腹部に衝撃を受け、全身が宙に浮き、背後のコンテナに叩きつけられたのだ。

 脳に酸素が回らず、久しく味わっていなかった痛覚が動転し、思考が停止する。

 追撃の刃が一方通行の胴を切り裂いた。左肩から腹部までの切り口から血が噴出し、倒れる。

 勝負は、呆気無く終わった。

 

「く、ははは! ははははははは! ははははははは! ざまあねえな、一方通行!

 おれが頂点だ! 学園都市第一位だ!」

 

 勝鬨をあげるマリを、美琴は呆然と見つめる。こんなにもあっさりと、美琴が初見で敵わないと悟った第一位を――

 息が上がり、平静を保てない美琴をマリが振り返る。

 

「さて、下準備は済んだな。退け」

 

 美琴の後ろには、赤い羽根に埋もれた9982号が眠っていた。今は、マリに意識を奪われ、起き上がることも敵わない。

 美琴は彼女を一瞥して、マリに言った。

 

「この子を、どうするつもり……?」

「殺すに決まってんだろうが」

 

 一縷の躊躇いもなく、マリが断言する。美琴の瞳に激情が宿った。

 

「殺す、ですって?」

「当然だ。こいつは絶対能力進化計画の為に作られたお前の模造品。活かしておくだけで反逆の芽になる。殺さなければならない」

「どいつもこいつも……」

 

 美琴の周りを紫電が走る。怒りに身体を奮わせ、正面からマリを睥睨した。吼える。

 

「殺されて当然の命なんてあるわけないでしょうがッ! たとえ造られた命でも、生きてるのよ、この子たちは!

 それを踏み躙る奴は、誰だろうと赦さない!」

「いるだろ。そこに」

 

 睨み合う。マリは眼を眇めて、絶望的な戦力に抗う少女を見た。

 

 

 

 

 

「あ、いた!」

「しっ」

 

 戦場から約三十メートル程離れたコンテナの上で、『アイテム』の面々はマリと美琴を視認した。

 滝壺の案内にしたがって、マリの死角を突けるポジションを確保する。

 状況を把握しようと一望して、二翼を生やしたマリと対峙する美琴。そして離れたところで倒れ伏す人影を見つける。

 

「あれ、第一位じゃないですか?」

「げ、第一位までやられちゃったの?」

 

 フレンダの顔が陰る。やっぱり無理かもしれない。圧倒的な能力を有する第八位の前に最強の第一位ですら敗れる。

 本当にこの四人+第三位で大丈夫なのか。不安が過ぎるそこを、ソニックブームが襲った。

 

「くっ……」

「な、なに?」

「第二位……」

 

 超音速で過ぎ去った白い翼が、マリの頭上で制止して、眼下の怨敵を睨む。

 

「探したぜ、クソッタレ」

「ハッ、良いツラだな。おれの猿真似でも覚えたか?」

 

 額から血を流した壮絶な形相の帝督を鼻で嗤う。現在の帝督の翼は一翼十五メートルほどまでに展開し、天界の光を想起させる神々しい光を放っていた。

 奇しくも翼の生えた超能力者が相対する。さらに、

 

「ここかぁ! 悪党がいると言う場所はッ!」

 

 空に垂直に立ち昇る爆発とともに、白い学ランを羽織った男子生徒が登場する。

 

「むっ! お前はあのときの!」

 

 ナンバーセブンス、削板軍覇。学園都市最大の原石。かつての同僚。

 マリが笑った。我慢できないと言わんばかりの、底抜けの笑いだった。

 

「こんな愉快なことがあるか! 雁首揃えて餌がやってきた!」

 

 そして両手を広げ、天を仰いだ。

 

「見ててくださいますかぁ! あなたたちの失敗作は! 今! 世界の頂に座します!」

 

 超能力者のAIM拡散力場に共鳴するように、翼が嘶く。

 最後の決戦の火蓋が落ちる。見守る操祈は、手向けのように、手袋を投げた。

 

 

 

 



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Agnus Dei.

「シンリに言われなかったか、第三位。テメエの力を弁えない馬鹿から早死するってな!」

「ッ!?」

 

 来る。別次元から別の理の物質を生み出すシンリの『流転抑止』をマリが学園都市の頭脳を接続して解明した、その真価。

 先ほどの一方通行への攻撃は、以前にも木山が繰り出した防御不可能の風の槌だ。美琴の電磁波で感知できる。回避に備える美琴の付近で、空間が軋んだ。

 

「きゃあ! ぁ、あぁあッ!」

 

 美琴の発した紫電とは全く原理の異なる電流が美琴を苛む。耐性はある筈なのに、美琴の知る電撃とは構成そのものが逸する別次元の異能。

 電撃は美琴の体内を蝕み、体外に逃げたあとも発生し続ける。体内の生体電流を乱され、身体を支えきれなくなった美琴が崩折れる。

 

「もうやられちゃったよ。あれ第三位でしょ?」

「今のを見ると、先程の第五位の人の話は超事実のようですね」

「あぁ。奴の能力の基点は、眼だ」

 

 操祈の話から推測された弱点は、シンリとマリは眼で視認した事柄に対してだけしか、能力を行使できないことだった。

 通常、対象を選定しない限り、能力は無差別に発動できる。だが、『状態保存』、『流転抑止』、『無限錬成』全てに共通して、発動するのに眼で観測する過程を要する。

 故に、一手遅れる。その能力が生み出し、齎すエネルギーは絶大だが、死角からの奇襲、不意打ちに弱い。

 確実なのは、背後から頭部を砕くこと。マリは人間を超え、人工天使とも言うべき存在に昇華している。

 だが、その完成を焦り、自身でさえ処理しきれないAIM拡散力場、演算機能を保有した弊害で、アップデートが追い付いていない。

 時間が経ち、その力を手中に収めた時点で、マリは真の天使に限りなく近づき、天界の理を振るうようになる。その前に倒さなければならない。

 操祈の話では、頭部に核となるコアがあるとのことだった。それを砕く。確実に『原子崩し』を命中させるには、隙を作らなければならない。

 

「滝壺」

「うん」

 

 麦野の目配せに滝壺が首肯する。体晶を取り出し、飲み込み、普段は眠そうに半開きの眼が瞠目する。

 

 

 

 

 

「貴様、シンリか!」

「違ぇよ。久しぶりだな、勘違い野郎。相も変わらず脳天気そうで羨ましい限りだ」

 

 軍覇は激痛に悶える美琴を一瞥し、双眸を眇めてマリを睨めつける。

 

「――シンリは、性格が捩じ切れていたが、他者に暴力を振るうことはなかった。その身体を乗っ取り、悪行を行う貴様は、断じて許してはならねえ存在だぜ!」

「正義と悪の二元論で成り立つ世界で生きていられる幸せな奴だ」

 

 一足飛びで両者間の距離を詰め、拳をマリの顔を目掛けて繰り出す一連の動作を、音速を超えた速度で行う。

 最大の原石の名に相応しい常識を超越した動き――それを、人を超えたマリの一翼が防ぐ。

 

「ぐっ……!?」

 

 軍覇の拳と翼が拮抗し、衝撃波が拡散する。が、軍覇が懇親の力で対抗しているのに、マリを覆うように展開したその血斑の翼は微動だにしない。

 

「力を持ちながら、その真価を追求せずに光に逃げた弱者が。テメエもシンリと同じだ。どこの世界に核兵器を持つ平和主義者がいる。力を振るう気がないなら、端から生きることを放棄しろってんだ!」

 

 翼が軍覇の拳を弾き、吹き飛ばされた肢体は七棟のコンテナを貫通してようやく止まった。

 

「与えられた能力を活かさないものに生きる資格はない。そうだな、第二位」

「あぁ。飛び切り無様な死を与えて資格を奪ってやるよ」

 

 恐らく大能力相当の透視能力者なら、空中に散布される未元物質を視認できたはずだ。

 『幻想猛獣(AIMバースト)』を経て天使へと到ったマリの翼から、帝督は自身の能力の本質を理解した。

 真価を発揮した未元物質なら、第一位どころか全世界の軍隊、いや世界中のベクトルを集めても敗れる心算はない。

 天界の無機の力を得た帝督は勝利を確信していた。

 

「ん? ……あぁ、なるほど。形がないのか」

 

 未元物質に触れたマリが感心してつぶやく。事象を観測してその叡智を知り得なければマリの『無限錬成』は作用しない。

 現在の帝督の未元物質は状況に応じて如何様にも効果・状態を変える真の意味での万能物質と化していた。

 対応能力が尋常ではなく、その変化に自身の現界処理に機能を割いたマリの演算能力では追いつけない。

 帝督が狂気を孕んだ笑みでマリを見下した。

 

「この世の現象に多次元の法則を組み込むのがテメエの能力なんだろ? なら話は簡単だ。異世界の法則で動く現象起こし、三次元物理法則に合わせなければいい」

「ハッ、おれに感謝しろよ? 以前のお前ならこの時点で死んでた」

「あぁ――テメエを殺してからな!」

 

 

 

 

 

「……ッ! ごめん……!」

 

 美琴の手が9982号の腕に触れる。マリの電流が9982号にまで流れ、痙攣したのち、美琴が付与した電磁力に導かれ、身体が浮いた。

 9982号の肢体は戦場を離れ、可能な限り遠くの金属コンテナに背中を強かに打ち付けてこの場を離脱した。激突の衝撃は怪我をするほどのものではない筈だ。

 それよりもここにいるのが拙い。美琴は、自身の身体を流れるマリの生み出した電撃による反射運動を演算して逆算し、それに加算して自分の電流で筋肉を刺激して動くという諸刃の剣で行動を可能としていた。

 既にその肌には痛々しい感電による火傷の痕が見られた。耐性があるにしても、この責め苦は苛烈だ。女子中学生が耐えうるものではない。

 だが、いま立たずしていつ立ち向かうのだ。マリひとりの野望のために百万人以上の生徒が犠牲になっている。彼らはマリが存在する限り覚醒めることはない。

 妹達もそうだ。一方通行のプランの為に創り出された彼女たちは、マリにとっては絶対能力進化計画で第一位のレベル6到達を促す邪魔者でしかない。有無を言わさず虐殺するだろう。

 自分がやるしかない。だが、どうやって倒せばいい? 木山にすら自分の攻撃は一切通用しなかった。今のマリは、あの木山よりもずっと格上だろう。

 どうすれば――苦悶する美琴の前で、第二位とマリの攻防が開始しようとしていた。

 

 

 

 

 

「テメエの知る現実はここにはねえ」

「現実? 現実は遍く平等に目映いばかりに広がっている。自分だけの現実ばかり見て視野狭窄になってねえか?

 神とも呼ぶべき高次元存在が見る現実が真の現実だ。お前が見ている現実は妄想と変わりない」

「抜かせ!」

 

 帝督の右の翼がマリに振り下ろされる。その速度は百分の一秒を超え、人体の構造上反応できる現界を凌駕した。それによって生じる物理現象が環境に発生しない。

 未元物質が周囲の物理法則を塗り替えたためだ。その翼の鉄槌を、マリの翼の一翼が受け止める。吹き荒ぶ衝撃波が美琴や『アイテム』を襲った。

 下々の存在など眼中にないと、マリと帝督が翼で互いを押し合い、その美しい外観からは想像もつかない金属が擦れる不協和音を轟かせる。

 

「……?」

 

 帝督が違和感に一瞬だが呆然とする。帝督の左の二翼が、現界が不安定になり点滅を繰り返している。

 どうにか立て直そうと錯誤するが、やおら完全に消失した。警戒して帝督がマリから距離を取る。マリは不遜に嘲る。

 

「おれが観たものが現実だ」

「……テメエが神とでも言うつもりか?」

 

 翼を再構築し、状態を立て直すが、明らかにマリが優位に立った。それを自覚し、負けるとは微塵も思っていないマリが鼻で笑った。

 

「人を超えてこそ絶対能力じゃねえのか?

 おれの眼で観たものは三次元の法則に則って支配される。変質したのは体質だけじゃねえってことだ。

 本当に神がいるとするならば、それが敷いた法則に堕天させるおれが正当だ。違うか、異界の物質使い」

 

 帝督が歯を軋ませ、屈辱に顔を歪めた。マリの能力が難攻不落な理由のひとつに、能力者の攻撃手段が無効化されることにある。

 あらゆる物理攻撃を消失させる力は、シンリも行使できていたものだが、現在のマリは人を超越した演算能力を備え、一方通行以上の防御力を有している。

 帝督では、二手届かない。半透明の茨の冠がマリの頭上に浮かび上がる。マリの天使化が、刻々と進行していた。

 

 

 

 

 

「滝壺、まだか!?」

「もう、少し……」

 

 玉の汗を流し、荒い呼吸を繰り返す滝壺が、掠れた声で返す。

 現在の滝壺は、『能力追跡(AIMストーカー)』でマリを構成する百万を超えるAIM拡散力場の中から、『無限錬成』のAIM拡散力場を特定する膨大な負荷の懸る演算を行使していた。

 彼女の能力は『体晶』を用いて意図的に能力を暴走させることで発動する。その負担は連続の使用に肉体が耐え切れず、いずれ崩壊に至る危険なものだ。

 その酷使を滝壺が堪えながら、

 

「――見つ、けた」

 

 本体の特定に成功した。これからAIM拡散力場を攻撃し、干渉の末に乗っ取る。

 更なる演算に移ろうと『体晶』を手に取る滝壺を――マリの瞳が見つけた。

 

「――ッ!?」

「見つかった!?」

 

 滝壺が失神し、崩れる身体を絹旗が支える。次の行動に移ろうとした最中、『アイテム』が立つコンテナが爆散し、身体が宙に投げ出された。

 

「チッ」

「わわ!」

「フレンダ、捕まってください!」

 

 麦野が自力で、絹旗が滝壺とフレンダを抱えながら『窒素装甲』の出力で着地する。その瞬間、麦野を除く三人を風が攫った。

 

「絹旗! ……クソ」

 

 状態を確認するまでもない。突風に突き飛ばされた三人は、崩壊したコンテナ群に巻き込まれ、安否不明だ。

 絹旗は問題ないだろうが、防御手段を持たないフレンダと滝壺は無事ではいまい。

 孤立した麦野をマリが侮蔑する。

 

「コソコソとしていた低能はお前らか。おれのAIM拡散力場を乗っ取るアイデアは良かったな。だが、それはおれの専門特許だ。で、どうする? 

正面からやって全く勝ち目のない戦いに赴く気があるか? まあ、テメエの頭と似た単純な能力じゃ千兆回やっても無駄だが」

「殺す……!」

「聞き飽きた」

 

 一陣の風が吹く。麦野が粒子波形の楯で防ぐも、楯ごと吹き飛ばされた。コンテナを突き破り、崩落したコンテナに巻き込まれて生き埋めになる。

 『無限錬成』により発生した攻撃はエネルギーを消失しないため、回避する他に防衛手段はない。

 マリが残る帝督を始末しようと眼を向けた矢先だった。

 

「すごいパーンチ!」

 

 予期せぬ方角からの衝撃波がマリを襲う。翼が受け止めるが、無効化できない。

 翼が弾いていなしたが、マリの表情が険悪に染まる。煤で汚れ、学ランを落としていたが、無傷の軍覇が威風堂々と現れた。

 

「解析できない、か……第二位とは違う意味で厄介だ」

「オオオオオオオオオオッ!」

 

 間髪をいれず、再び殴りかかる。振り上げた拳をマリの翼が防ぎ、防がれた瞬間に続く拳を連撃で繰り出す。

 淀みなく連続で行われる音速を倍する攻撃に、やがて翼の防御が追いつかなくなり、ついに翼を拳がすり抜けた。

 それを、マリの細く優美な指が掴む。

 

「ぐ、お……ッ!」

「いい加減目障りだ。眠ってろ」

 

 拳が砕け、骨が肌を突き破り、血が花火のように夜闇に咲いた。翼が振り下ろされ、左肩から左足にかけて切り裂く。

 銃弾が通じない鉄壁の肉体が、紙切れのように裂傷を負わされ、続いて弓の如く張り詰めた翼が、軍覇を弾き飛ばす。

 瓦礫に沈む軍覇を見届け、

 

「二羽ァァァアアアアアア!」

 

 『原子崩し』の光がコンテナを消滅させ、麦野沈利が這い上がる。鮮血で怜悧な美貌を赤く染め、鬼女の如き形相でマリに照準を定めた。

 ――麦野は、その刹那の出来事を理解できなかったに違いない。『原子崩し』の光玉が別の光に上書きされ、掻き消えた。

 『原子崩し』に似た光は麦野沈利の四肢の一部を削り、機動力を削いで消失する。

 

「……あ、あああああ!」

 

 両肩、大腿部の肉を削られ、俯せに倒れ絶叫する。滾々と血が噴き出し、彼女の思考力を奪った。

 壮絶な双眸が未だにマリを睨むが、マリは見向きさえしなかった。

 

「残りは二人か。まだやるのか? まあ、結果は火を見るより明らかだがな」

 

 コインを構え、マリを狙うも、マリが『無限錬成』で発した電撃が障害となり、電流を練れない美琴を嘲笑った。

 激痛を堪え、感電状態に電撃を重ねがけしても動く度胸には感心した。だが、それだけだ。

 筋肉の反射運動で痙攣しながらも立つ美琴の側に歩み寄り、美琴が自身に流す電流を停止させた。膝をつき、話すことすらままならない美琴を見下ろした。

 

「はっ、ハア……」

「安心しろ。殺しはしねえよ、お前らは。貴重なレベル5だ。居なくなれば世界の損失になる」

 

 だからもう邪魔するな。止めも刺さずに、帝督の元に向かう。これ以上の屈辱はなかった。

 血斑模様の二翼が、淡く発光する。まるで共鳴しているようだ。

 

「おれを殺す算段はついたか? その脳漿で答えにたどり着けたか教えてくれよ」

 

 帝督が憎々しげに歯噛みする。『眼』で未元物質を封殺され、肉体の攻撃力、耐久力は天使であるマリが遥かに上。

 天界の理に到った帝督でも、今のマリに敵うイメージが湧かなかった。

 考えられない。全世界のベクトルを操ったとしても帝督には傷を負わせられない筈なのに、今のマリはそれを凌駕して余りある。

 形成されてゆく茨の冠は、天使化へのカウントダウンなのだろうか。だとすれば、猶予はない。時間を置けば置くほどに、力の差は広がってゆく。

 しかし、打つ手が無い。手詰まりの帝督が閉口しているそこに、

 

「udsaugbaw殺mkvs」

 

二人以外の声が轟く。それは人間の耳では理解できない発声と言語で、殺気と無垢な暴虐を孕んでいた。

 音もなく起き上がった一方通行の両眼から、血涙が滂沱と溢れだす。既に意識があるのかもはっきりしない。

 不気味なほどに緩慢な動きで、天を仰ぐ。

 

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォッ!」

 

 獣がいた。咆哮をあげた一方通行の背中から、黒い翼が噴出する。帝督やマリのものとも異なる、明瞭な形を持たない揺蕩う黒翼が踊る。

 その正体を知り、戦慄する帝督と、ただ微笑するマリ。

 

「最後は暴走か。制御できない力が何になる」

 

 一方通行が伸ばした右手を振り下ろす。その動作だけで、膨大なベクトルの負荷が天上から降り注いだ。

 破壊の槌をマリの二翼が受け止め、負荷が掛かるたびにその発光が強くなる。共鳴する嘶きの音も鼓膜が痛みを訴えるほどに五月蝿い。

 これでは打ち破れないと悟ったのか、黒い翼がマリ目掛けて噴出した。怒涛の勢いでマリを粉砕するべく殺到する。

 

「――はっ」

 

 小さく笑うと同時に、マリの二翼の先端から、黒い光が生じた。発光を繰り返す翼のエネルギーが先端に集い、黒い光はさらに大きくなる。

 光は人体ほどの大きさに膨らんだ後に収縮し――黒い力場の奔流となって放たれたそれは、黒翼ごと一方通行を呑み込んだ。

 唖然とする帝督。それを数十メートルに達したマリの翼が薙ぎ払った。

 未元物質の結晶たる羽根が散乱し、地に墜ちる。白い羽根が視界を埋める。

 超能力者五人を相手にして、これを無傷で打倒せしめたマリは、勝鬨の哄笑を響かせた。残滓が美琴の耳朶に纏わりつき、底なしの絶望が思考を停止させた。

 

「第七位、第四位、第三位、第二位……そして第一位までもが、おれの『無限錬成』の前に跪いた!

 やった……ハハハハハハッ! ハハハハハハハハハハッ!! 到った! 辿り着いたぞ!

 おれが最強(レベル6)だ!!!!!」

 

 赤い羽根が舞う。絶大な『無限錬成』の効力と最高の演算能力、そして天使の力を前に、学園都市と世界はマリの元に平伏す。

 全ての趨勢が決したそこに、

 

 

 

 

 

「なにしてんだ、テメェ……」

 

 英雄が現れる。初めは友として、最後は――救世主として、彼は現れる。

 

「誰だ、お前は」

 

 心底興味なさそうに問うマリに、彼の形相が怒りに染まった。右手が軋むほどに強く握り締める。

 

「上条当麻――シンリの親友だ!」

 

 英雄と異物が交錯した。



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おかえり

 

『なあ、上条。お前はオレがいくら貸しをつくろうとしても、困っているのに、頑として断り続けたな』

 

 日が沈んでから、上条当麻の携帯電話に、二羽真理から着信があった。

 記憶のない当麻には、一週間ほど前に街を歩いていると話しかけられた、今にも倒れそうな男子学生という印象しかなかった。

 親しげに話しかけられ、適当に相槌を打つ当麻の目の前で彼は倒れた。

 そのときに名前を知り、当麻の着信記録には彼とのメール内容から、相当に親しい間柄であったことが判明した。

 記憶を失う前の親友――その人物からの電話に少々身構える。不審に思われてはならない。

 緊張して硬い声の当麻に対し、シンリの声はひどく穏やかだった。

 

『オレは友人というものを良く知らなかった。だから利害関係で信頼を築こうとしていた。

 けれど、お前はそれを全然良しとしなかったな。当時は理解できなかったが、今なら何となく、その理由がわかるよ』

 

 声音の色は機械を通してのものなのに、ひどく鮮明に聞こえて、当麻は胸騒ぎが収まらなかった。

 

『今の上条がどういう事情にあるのか、オレは判らない。お前はオレを頼ってくれなかったし、巻き込もうともしてくれなかった。

 お前にとってのオレは頼りなかったのかもしれないな。それだけは心残りだ』

 

 間をおいて、小さなため息が聞こえた。それが何を吐き出しているのか、それは本人にしか知り得ない。

 

『だけど、オレにとってのお前は違う。クソみたいな掃き溜めの街で、お前のような真っ直ぐな馬鹿に会えたのは、オレにとって望外の出来事だった。

 そんなお前に似たもう一人の馬鹿がな、これから死にに行こうとしているんだ。オレが止めに行くが、きっと最悪の結果になる』

 

 そのもう一人の馬鹿が誰なのかさえ、当麻には分からなかった。

 電話の向こうで笑っている気配がする。なぜ笑っているのかも当麻には検討がつかない。

 

『恥を承知でお前に頼む。助けてやってくれ。きっと馬鹿だから勝ち目のない戦いを挑むに決まってる。

 オレとお前の関係は無償の間柄だったけど、今回だけは、頼らせてくれよ、上条』

 

 そして、透き通るように何の憂いも衒いもない澄んだ声で、

 

『オレを殺してくれ』

 

 

 

 

 

「お前がやったのか、これを」

 

 死屍累々の超能力者たち。それが当麻には学園都市最強の能力者たちだとは判らない。

 だからこそ、凄惨な様相に見えた。

 

「あぁ、だから何だ」

 

 此処に来るまでに、何人もの無辜の学生が道端で昏睡していた。

 警備員を総動員しても救命活動が追いつかず、学園都市内の病院では収容しきれない惨劇がどこに行っても広がっていた。

 完全に麻痺した学園都市で、その現状を創り上げた張本人が嗤っている。

 殺してくれ、と。かつての友に頼んだ男の顔と声で。

 

「許さねえ……」

 

 強く握り締める右手の爪が肌に食い込み、武者震いに戦慄く。

 自然と脚が前に踏み出した。

 

「アイツの顔で嗤ってやがる」

 

 倒れる前に会ったシンリは、ぎこちない当麻の受け答えを見て困惑していた。

 その得も言えぬ表情に心を痛めた。その顔が下卑た顔で歪んでいる。許せなかった。

 

「随分と知ったふうな口を聞くな。親友? シンリに親しい者がいる訳が無い。アイツは、人間を見下している。

 超常の力を得て、無能なクズを心の底から蔑視しているのに、それと仲良くなりたいと本気で考える矛盾した捻くれ者だ。

 無限を実現する力を有限な人間が得た時点からアイツは歪んでいるんだよ。アイツがおれを作ったときに何を考えていたか教えてやろうか?

『こんなに痛いのは嫌だ。もっと遊びたい。同じ境遇の人が欲しい。だから逃げよう』だ。結局アイツには理解者など現れなかった。シンリは現実を逃避して自分だけの現実に引きこもった、哀れな――」

「それ以上、その薄汚ねえ口でアイツを語るなっつってんだクソ野郎ッ!」

 

 当麻が吼える。マリが双眸を眇め、AIM拡散力場の波動を感じない愚かな挑戦者を見定めた。

 

「オレよりシンリを理解している人間はいない。何せずっと同じ体を共有して生きてきたんだからな。

 どこまで愚昧なカスか知らねえが、テメエもシンリに踊らされた口か? 利用されてることにも気づかないのか?」

「利用? 利用って言ったか?」

「あぁ」

 

 激昂が血を滾らせる。他人を利用しようとするつもりの人間が、あのように静かな声を出せるものなのか。

親友と思っている人間に、『殺してくれ』と頼むものか。

 

「テメエは何も分かっちゃいねえ。分かっていたら、こんな無関係の人間を巻き込んでまで強くなろうとしない筈だからな」

「判っていて袂を分かったんだ。ヤツは最期まで自分と向かい合おうとしなかった臆病者だ」

「あぁ――もう分かった。もう囀るな」

 

 記憶にない感情が怒りの薪となり激情を燃え上がらせる。禁書目録との初めての邂逅でも胸に残っていたもの――

 記憶になくとも、心が憶えている。これは、『上条当麻』の怒りだ。

 

「その体から消えろ、三下」

 

 宣戦布告にマリが失笑する。愚かな勘違いだった。目覚しい能力にも恵まれていない底辺が、頂点に粋がっている。

 憐憫の情すら懐いた。空間が軋み、異界の風が当麻に吹き荒れる。それを、突き出した右手がかき消した。

 

「!?」

 

 マリが目の色を変える。不変にして絶対の力が、変哲のない右手に触れただけで消滅した。

 そして気づく。マリが赤い羽根に変えて学園都市に散布したAIM拡散力場の集合体に触れても、この男は昏睡して取り込まれていない。

 しかし、大能力者かと言えば、そうでもない。そのAIM拡散力場は存在を感知できないほどに微弱だ。

 確信と共に、その異能を見据える。

 

「そうか。お前が『鍵』か」

 

 記憶の端に付着する、正体が掴めなかった物の実物を前にし、油断が消えた。

 愚直にも直進し、マリに向かう当麻に右腕を突き出す。

 

「情けない話だ。こんなチンケな人間に頼らなければならないとはな」

 

 翼が鳴き、当麻が膝をつく。当麻でさえ、何が起こったのか理解できていなかった。

 不思議そうに足を見下ろす。大腿部にコイン大の穴が空いていた。出血し、同時に激痛が思考を焼く。

 

「あがッ……ぐっ、ああぁぁッ!」

 

 絶叫し、倒れる。無慈悲に降り注ぐ万能物質の槍が、四肢を地面に磔にする。唯一、『幻想殺し』である右手だけが無事だったが、もう身動きが取れない。

 

「なにも礼儀を弁えて正面から攻撃してやる必要もねえだろ。要は右手だけなんだろ? その厄介な能力は」

 

 嘲笑う。当麻の右手は天敵であったが、それ以外は喧嘩慣れした一般人と大差ない。

 如何様にも対処できる。彼ならもしかしたら――その異能を知る美琴の最後の希望を容易く打ち砕いたマリが、痛みに耐える当麻にゆっくりと歩み寄る。

 

「どうやら今夜のおれは、余程についているらしい。お前を確保しておけば、どこぞの神気取りの魔術師の機嫌も悪化するだろう。

 シンリは本当におれを理解してくれている。最後のピースも用意してくれるとはな」

 

 目だけをマリに向け睨むも、マリは冷然と見下すだけだった。

 もはや希望はない。完全な天使と化すマリの前に何もかもが平伏す。

 それに抗う者が、まだ一人。

 

「すごいパンーチ!」

 

 緊張感のない名前が、掠れた声で轟く。解析不能な不安定な力場が、マリを襲った。

 翼が弾くが、マリの形相が歪む。振り返った先には、左膝をついたままで、左半身から大量に出血しながらもマリを見据える軍覇が拳を構えていた。

 その瞳に宿る気炎は、一片の陰りもなく燃え盛っている。マリが足音を荒げてその身の程を弁えない愚者を降すべく接近する。

 

「眠っていれば過ぎ去るものを……どうして利する事柄を選べないんだ、こいつ等は。そんなに死に急ぎたいのか」

「人の……心の判らないお前には、永遠に分かるまい」

「分かりたくもねえよ。感情で左右されるテメエらの行動が不可解だ。両手足の腱を断っておくか? 後に己の選択を後悔して嘆くんだな」

 

 翼が振り上げられる。そこに、未知の物質が纏わりついた。不快にマリの眉が釣り上がる。

 

「学園都市で二番目に賢い男が、何を血迷っているんだか」

「勝ったつもりになって粋がってんじゃねーよバーカ! 偶然、力を得て付け上がった底辺の偽物が、神様気取りで見下してるのが我慢ならねえんだよ!」

 

 その六翼は健在だが、全身打撲に流血が痛々しい帝督の罵声にマリは嘆かわしくなり、かぶりを振った。

 

「おれの翼を見て、その位階まで辿りつけたくせにな。どうだ? 世界の真理を知った気分は?

 痛快か? 爽快か? それとも自分では理解しきれない深淵に絶望したか?」

「黙れって言ってんだよ格下がッ!」

 

 

 

 

 

 レベル5の意地か、己の正義か。満身創痍の二人がマリと勝ち目のない闘いに挑んでいる隙に、当麻は右手を伸ばして四肢を串刺しにする万能物質を消し去った。

 身を捩るたびに血が噴き出し、激痛が意識を飛ばしたが、何とか自由にはなった。だが――

 

「……ッ! 動け! 動けって……ぐッ!」

 

 両太腿、左掌を貫通した大怪我が、四肢の機能を失っていた。激痛に力は抜け、刻々と流れる血が活力を奪い去ってゆく。

 もはや気力の問題ではなかった。構造的に無理が生じている。骨は無事だったようだが、人体として歩くのが不可能になっていた。

 這いずってでも、マリに触れさえすれば――だが、それも叶うまい。その前に再び串刺しにされるのが見えている。

 次は幻想殺しではなく、右腕を重点的に潰し、機能を削ぐだろう。理不尽な強敵とはこの身で戦ったことがある。

 だが、あれは違う。恐れがなく、気負いもなく、徹底して弱点を突いてくる。ハッタリも通じまい。

 どうすれば――

 

「大丈夫……な、ワケないわよね……」

 

 未だに帯電する電撃に苦しみながら、大怪我を負った当麻まで美琴が近づいた。

 当麻がハッと美琴を見遣る。右手を伸ばした。すると、一瞬でマリの万能物質が消滅し、美琴が自由を取り戻す。

 

「アンタ、やっぱりその手……」

「話はあとだ。頼む、何でもいい。どうにかして俺をアイツまで届けてくれ」

「は?」

 

 当麻の申し出に美琴がぎょっと固まる。戦場であることを忘れて叫んだ。

 

「む、無理に決まってんでしょ! 幾ら身長差がそんなにないって行っても、スピードも出ないし、接近する前に返り討ちよ!」

「じゃあ放り投げてくれてもいい。アイツに触れさえすれば、俺の右腕なら倒せる筈なんだ!」

 

 右手――美琴の視線が『幻想殺し』に注がれる。そうだ、今のマリは、AIM拡散力場の集合体だ。

 言ってみれば、能力の集合体。ならば、あらゆる能力を打ち消す彼の右手なら、天使に至ったマリも倒せるかもしれない。

 だが、どうやって? 超電磁砲のように射出するか? いや、無理だ。彼の体が持たない。

 しかし、自分の力では運べない。どうすればいい。思索する美琴の脳裏に、先ほど自分が思いつきでやった方法が浮かんだ。

 成功するか判らない……だが、やらなければ全てが終わる。

 美琴は当麻の左側に移ると、左腕を己の肩にかけ、体を支えた。当麻が苦痛に呻いたが、無視して集中する。

 

「た、頼むぞ……」

「あたしに右手で触っちゃダメよ。能力が使えなくなるから」

「は?」

 

 疑問の声を上げる当麻の泥だらけの顔を見つめた。紫電が、二人を包む。

 

「今からアンタの体に電気を流して、強制的に筋肉を動かす。アンタも走りなさい。その方が早いでしょ。少し痛いかもしれないけど、男なんだから我慢しなさい」

「……できるのか、そんなこと」

「わかんないわよ! でも……あたしたちがやらなかったら、沢山の人が犠牲になる! 返って来ない奴もいる! そんなの絶対に赦せないのよ!」

 

 遮二無二、感情を吐露して息を吐く。息を吸って、当麻を見た。覚悟は、決まったようだった。

 

「死ぬほど痛いかもしれないけど、いいわよね?」

「あぁ――」

 

 右手には流さないように慎重に電流を当麻の体内に流す。

 動かなった四肢を、美琴の能力が補い、傷だらけの肉体は、前に走り出した。

 

 

 

 

 

 

「おおおおおォォォォォォォッ!」

 

 当麻の裂帛の絶叫に、マリが振り返る。信じ難い光景が広がっていた。

 動けない当麻を美琴が支え、マリ目掛けて一直線に向かってくる。あまりにも無謀だった。

 紫電が二人を包んでいる。どうやら当麻の生体電流の反射を連続して起こし、当麻の肉体を走らせているらしい。

 無策に等しい自殺行為だった。こうしている今も、負荷のかかった当麻の傷跡からが大量に失血している。

 ショック死も危ぶまれる。滑稽だった。そうまでしてもシンリを取り戻したいのか。呆れる。

 

「どこ見てんだ格下ァ!」

 

 勝負の最中に余所見をするマリに憤り、白翼が頭部を貫こうと突き出された。

 

「見る価値もないだろ、お前は」

 

 マリの二翼が遮り、触れた先から未元物質が消失していく。目を見開く。続いて、無造作に振り払った血斑模様の翼が、帝督を沈めた。

 地面に赤い大輪が咲く。完全に帝督から興味を失い、マリは当麻への対処を思考する。

 

「電撃を……無駄か。厄介だな、あの右手は。なら、二度と立てないように脚を切っておくか」

「させるかよォォッ!」

 

 軍覇の右拳から放たれる力場がマリに触れる。また翼で弾けばいい。そう思慮して当麻への対処策を練ろうとし――

 

「根性が足らねえんだよ、お前は……」

 

 原理不明の力の波が、翼を弾いた。マリが目を剥いて防御を突破した軍覇を見る。

 先の一撃で力を使い果たしたのか、右膝も折れ、俯せに倒れた。顔を顰める。

 僅かに、ほんの僅かにだが、今の一瞬だけ軍覇は人工天使になろうとしているマリを上回った。

 世界最大の原石――その本質を知れば、学園都市の頂きにも届きうる力にマリが歯軋りした。

 

「窮鼠猫を噛むか……根本を絶たねばならねえらしいな」

 

 マリの意に答え、翼が光る。狙うは、上条当麻の身体を動かしている御坂美琴。

 過たず、当麻を支えていた美琴の右腕が、不可視の槍に突き刺された。身体が当麻を離れ、ぐらつく。

 側にあった温かさが無くなり、当麻が鬼気迫る表情で振り返った。

 

「おい――」

「行けッ!」

 

 後ろを向きそうになる当麻の背中を、離れ際に美琴の左手が押した。

 まだ、動く。美琴が離れても、美琴の電流操作は継続していた。当麻の身体を、美琴の意思が押し上げる。

 マリは舌打ちして肉薄する当麻を睨んだ。体内にある電流は観測のしようがなく、万能物質による支配も及ばない。

 目的を四肢の切断に変更する。焦る必要はない。右手にさえ気をつければいい。向かってくる速度は並みの人間と大差ない。

 対処できない疾さで、足と腕を削ぎ落とせばいいだけだ。翼が嘶く。

そこに――マリの死角から、マリと当麻の狭間を、一条の光が切り裂いた。

 

「ッ!?」

 

 土埃が舞い、視界が遮られる。振り向いた先には、『原子崩し』を放った麦野沈利が笑っていた。

 唇がマリへの罵倒を紡ぎだす。ザマアミロ――

 

「死に損ない共が……!」

 

 当麻を視認できず、万能物質が封じられた。だが、それがどうした。障害はこの翼で払えばいいだけだ。

 翼が風を起こそうと撓る。強大な風を発生させ、粉塵もろとも上条当麻を振るおうとして、未元物質が翼に干渉した。

 見れば、瀕死の帝督が息も絶え絶えで立ち上がっている。翼は未元物質の解除に機能を裂き、翼を振るうタイミングを失った。

 拳を振り上げた上条当麻が、煙の中から姿を現す。

 

(癪だが、退いて距離を取るしかねえ――)

 

 距離が近すぎる。接近を許しすぎた。正面から放てば、幻想殺しによって消される。背後から攻撃を放っても、振りかぶった拳はマリに届くだろう。

 距離を取り、状況を立て直す。それが最善だ。足を引き、背後に跳ぼうとした身体を――ベクトルが押しとどめる。

 

「――ッ!? この、雑魚がッ!」

 

 背中を襲ったベクトルに、退路を絶たれた。棺桶に片足を突っ込んだ超能力者が、マリの覇道を阻む。

 前には、夥しい出血で全身を赤く染めた当麻が、その『幻想殺し』を放とうとしていた。

 

「オオォォォォォッ!!!!!!」

「……! クソ――がァ!」

 

 翼が当麻を砕こうと振り下ろされる。突き出される拳との質量差、その神秘性の比重は比較にもならない。

 横から振るわれた一翼が、当麻の左腕を肘から切断した。当麻の頭蓋を砕こうとする翼の鉄槌が、『幻想殺し』と接触し――触れた先から、光の粒子となって宙に散ってゆく。

 

「――」

「アアアアアアァァッ!!!!!」

 

 呆然と、崩壊する翼を見つめるマリが、続けて迫り来る拳を止めようと、右手を広げた。

 砕ける掌――永遠に到った事象が、無に還ってゆく。

 『幻想殺し』は勢いのままに、マリの頬を殴りつけた。ほんの、触れたように過ぎない刹那の接触だった。

 

「……」

 

 当麻の肢体が崩れ落ちる。切断された左腕が地に落ち、致死量相当に達する出血が地面を薔薇色に染めた。

 右手が消滅し、翼が先端から消失してゆく己の姿をマリは忘我と見つめていた。

 顔が罅割れて、その内部が露出してゆく。ガラスが砕ける様に似た音で崩壊が始まる。

 彼の左顔面は既になく、無機質な内部が覗き、その核たるコアまでが、少しずつ動きを止めていた。

 百万人ものAIM拡散力場を束ねた天使が、その形を失い、持ち主の元に還ってゆく。

 

「クソが……クソがッ! おれは最強だった……! なのに貴様ら如き雑魚に……!」

「最強になりたいならなればいい。一人の人間として生きたい気持ちも、あたしは否定しない。

 でも、他人の命を犠牲にしてまで上り詰める頂点なんて、あたしは絶対に認めない」

 

 左腕を抑え、美琴が消え行くマリを睥睨した。もう声を放つ器官も残っていない。

 空へと消えていく無数の光の粒が燦燦と夜闇を照らし、その光が消えたところで、シンリの身体が、ゆっくりと地に落ちた。

 マリによって昏睡状態に陥った者達は、続々と目を醒ますだろう。

 自由になった光が、学園都市中に降り注ぐ。その淡い光の群れを見届けて、食蜂操祈は深甚に微笑んだ。

 

 

 

「おかえりなさい……真理さん」

 



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It’s A Beautiful Day

 

 

 空からは未だに星が振っている。

 それが結集したAIM拡散力場の粒だと思えば壮観だが、現状では感慨に浸る暇はない。

 美琴の腕の怪我は大したことはなかった。だが、マリを倒すべく特攻した当麻の怪我はこうしている今も悪化している。

 感電の後遺症と怪我に柳眉を顰めながらも、当麻の手当をするために近寄った。

 酷い――全身の至るところから出血し、左腕は綺麗に肘から先が綺麗に切断されている。

 気休めにしかならないが、まずは血を止めて、すぐに腕の良い医者に治療してもらわなければ、忽ち死に至るだろう。

 応急処置を施す美琴に影がかかる。見ると、足を引きずりながら帝督が歩いて来ていた。

 マリに痛めつけられた肉体は重傷であり、それは激痛に顔を顰めるその苦悶の形相と出血が物語っている。

 美琴は声を荒らげた。

 

「なにやってんのよ。アンタも大怪我してるんだからじっとしてなきゃ――」

 

 美琴の勘が冴え渡ったのは、つい先程まで戦場にいたからであった。

 やおら形成された白翼が横たわる真理を貫こうと振り下ろされたのを、立ちはだかり止めた。

 気丈にも現在、この場で学園都市最強の能力者になった帝督の前を塞ぐ少女を、凄惨な双眸が睨めつけた。

 

「なにやってんだ、第三位」

「こっちのセリフよ。あたしの目の届く範囲で無意味な人殺しなんてさせない」

 

 勇猛な声に帝督の眉間にシワが寄った。憤怒に彩られた顔が美琴を蔑視する。この無知な少女の的はずれな答えを心底信じられないといった表情だった。

 

「寝惚けてんのか? 無意味? 意味ならあるだろ。コイツが生きてるだけで学園都市にとっては災厄だってんだ」

 

 この惨状は、真理が生んだ別人格がもたらしたものだ。その被害は甚大である。

 一時的に学園都市の人口の八割が昏睡する異常事態を発生させ、都市機能を麻痺、加えてAIM拡散力場を束ねて人工天使へと存在を昇華させた。

 危険に過ぎる。幻想猛獣としてのマリはともかく、真理が実行できるかは不明だが、問題はそこではない。

 そこまでの事態を引き起こせる危険因子が生きていることが問題なのだ。

 絶対能力進化計画を妨害し、関連施設を破壊、さらに暗部に所属する超能力者を重体に追い込んだことから、後に上層部より処罰が下るだろう。

 その前に帝督が殺める。この無限を生み出す脳髄を利用する輩が現れないよう、徹底的に存在を抹消しなければ気が済まなかった。

 

「情に絆されたか? ハッ、甘ェんだよクソアマ。コイツが馬鹿の思い付いた実験で加工されている間に置き去りのガキが何人死んだと思ってやがる。

 置き去り相手に死ぬ限界を見極める臨床実験を何度も行って、そうして廃棄されてゆく何百人もの置き去りの屍の上に生まれたのがコイツだ!

 コイツが暴力を振るわない? 甘すぎて反吐が出るんだよバーカ! コイツ自体が殺人を許容したこの学園都市の被造物である以上、死ぬまで殺した奴らの罪はついて回るんだよ。死ぬまでな!」

 

 吐き捨て、美琴を睥睨するも、美琴も全く退かなかった。

 陽の当たる場所で生きる者は、こうにも愚かに頭の中も腐ってゆくのかと、帝督の堪忍袋の緒が切れた。

 

「退けって言ってんのが分からねえのか!? テメエが正義みてえなツラしてんじゃねえよ!

 コイツの存在そのものが不要なんだ! これだけやられて、まだ気づけねえってなら、俺が一緒に殺してやろうか!?」

 

 白翼を威嚇するように美琴の鼻先に突きつけた。そこに、新たな足音が訪れる。

 

「ストップ。あなたに連絡よ」

「……今さらやって来やがって。何様気取りだ」

 

 澄ました顔でケータイを差し出す『心理定規』の少女を憮然と出迎え、ケータイをふんだくると耳に当てた。

 話し声が聞こえる。しばしその内容に傾聴していた帝督の顔が激情に染まり、その眼光が真理を見据えた。

 

「ふざけんな! どこまで腐ってやがるんだ、テメエらは……!」

 

 ケータイの機体がミシミシと軋み、喉を振り絞って怒声を張り上げる。

 

「生かせって言うのか!? このクソ野郎をッ! 老いぼれ共が永遠の命に欲が出たのか! アレイスターの指示か!? 答えろッ!!」

「別に今に始まったことでもないでしょ」

「~~~ッ!」

 

 憤懣やるかたない帝督は、怒りに身体を震わせると、諭すように言い聞かせる電話口の相手の声を無視してケータイを地面に叩きつけた。

 傷の痛みも忘れて踵を返す。

 

「帰るぞ」

「手酷くやられたものね。迎えの車呼ぼうか?」

「黙れ!」

 

 『スクール』が去ってゆく。遅れて、コンテナの残骸の山が崩れ、両肩にフレンダと滝壺を背負った絹旗が現れた。

 絹旗本人は無傷だが、二人は額から血を流し、全身至る所が傷だらけで意識がない。

 

「お、終わったようですね……」

 

 動けなくなった二人を守るために戦闘の余波を避けていたらしい。戦場の跡地にまで歩いてきた絹旗は、四肢から出血し、俯せで倒れる麦野を見つけた。

 

「わっ、大丈夫ですか、麦野。見たところ超ヤバイくらい出血してますが」

「きぬ、はた……わたしを、アイツの所まで、つれて、いけ……コロス……コロして、やる……」

「超無理です。体の面積的に麦野を抱えられません。それに、もう能力も使えないみたいじゃないですか。というより、よく生きてますね」

 

 血の気が多いのが幸いしたようで、麦野も命に別状はなかった。輸血が必要なのには変わりないが、後遺症が残る心配もない。

 

 同じく、瓦礫を吹き飛ばして、一方通行が美琴の前に姿を表した。

 胸から腹にかけての出血をベクトルで操作して循環させ、折れた左足は能力で補って自力で歩いている。

 殺さない程度に手加減され、最強だった能力を破られた彼は、襤褸切れのように悲惨な姿で美琴の側を通り過ぎる。

 美琴は何も語らず、一方通行もまた黙して通り過ぎた。

 分かり合えるわけがない。だから、今はこれでいい。しばらく一方通行は行動に支障をきたした。

 絶対能力進化計画を司る主要機関もマリが潰した。妹達を虐殺する狂気の実験は停止せざるを得ないだろう。

 全く別の方法で天上に到達する手段を示したマリの、怪我の功名であった。

 誰が呼んだものか。救急車の音が聞こえる。涙を流しながら駆けつけてくる黒子の顔が目の前に飛び込んできた。

 救命士と医師に当麻ら怪我人を任せ、胸に縋り付く黒子をあやす。

 

 美琴が、ふと、右手に視線を落とした。

 ペンダントの中には、幼い真理が、見覚えのある顔と笑っていた。

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

Epilogue.

 

 

 

 

 

 

 残暑はまだ続いている。多湿のまとわりつく熱気が美琴の肌を苛んでいた。

 汗を拭う。照りつける陽光は、八月も終わりにさしかろうとしているのに弱まる兆しを見せない。

 外れることのない天気予報では、夏休みが終わってもこの暑さは続くようだ。億劫になる。

 

 あの夜――学園都市の超能力者と、ひとりの無能力者が食い止めた天使の事件は、対外的にはテロリストによる集団昏睡事件として処理された。

 大能力者以上の生徒は、空に降った赤い雪を鮮明に憶えているが、その真相を知る者は、八人に限られた。

 表向きには何事もなかったように事件は解決している。だが、一人の能力者が独自に人工天使へと至った事実は、学園都市には捨て置けない問題として伸し掛る。

 絶対能力進化計画が頓挫した今、上層部がどのように動くのか予想がつかない。

 その出方を張本人でもないのに窺う美琴だが、今のところは変動はないようだった。

 今日は黒子に連れられ、初春や涙子と遊ぶ予定になっていた。

 

「あ、御坂さーん!」

 

 待ち合わせ場所に行くと、私服姿の二人が快活に手を振っていた。『無限錬成』の後遺症もなく、無事に回復した二人が笑っている姿に微笑む。

 が、その横にいけ好かない奴を見つけて、美琴の機嫌が目に見えて悪化した。

 

「何でアンタもいんのよ」

「さっき偶然会っちゃたのぉ。せっかくだから一緒しようかなぁって思ってぇ」

「お呼びでありませんわよ」

「まあまあ」

 

 猫撫で声で美琴を煽る操祈に喧嘩腰な二人を、涙子と初春が宥める。基本的に、レベル5は仲が壊滅的に悪かった。

 とりあえず涼もうと、いつものファミレスに入る。毎回、中身が変わる謎の清涼飲料水を後輩の三人が気を利かせて取りに行き、必然的に二人きりなった美琴と操祈は、気まずい空気が流れた。

 頬杖をつき視線を合わせようとしない美琴と対照的に笑顔の操祈の対比が悩ましい。

 沈黙に耐えかねた美琴が、言葉を選びながら口を開いた。

 

「ねえ、アイツとアンタってさ……」

「あら、御坂さんったら、そんなに人の過去を詮索するのが好きなの? やらしいんだぁ」

「お~のれは~!」

 

 慎重に選んだ質問を言う前に、からかってはぐらかした操祈に怒りが沸々と湧き上がり、席を立って頬を上気させた。

 操祈は舌をちろりと出して、なおも美琴をからかう。

 美琴の知りたい過去は、克明に思い出せるほどに鮮明に記憶に焼きついている。

 今も、立ち返れば、そこにある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 二人が出会ったのは、ある研究施設の何もない無機質な実験室だった。

 頭に脳波測定機などの様々な機器を繋がれた真理と、科学者にモニターされながら対峙しながらしたのが始まり。

 詳しくは知らされなかったが、何でも当時最高位の超能力者が、度を越した人体実験で精神に異常を来たし、その治療の為に当時すでに精神干渉系で最高峰であった操祈に白羽の矢が立ったのだと言う。

 気乗りはしなかったが、自身の能力の進歩に繋がるとして従った。結果は、全く効果なし。

 『状態保存』で置き去りの一人の意識を元に作り出した『マリ』には、彼女の『心理掌握』も及ばなかった。

 

『無能が』

 

 善意で協力してあげたのに、感謝どころか挙句の果てに罵倒した真理と取っ組み合いの喧嘩になった。

 男と女で、操祈は極度の運動音痴だったのに、その時は簡単に倒せた。

 当時の一位を倒せたことで鼻が高くなったのも束の間、同じ部屋に押し込まれ、やはり口喧嘩の末に喧嘩になった。

 険悪な関係に変化が生じたのは、真理が弱視であることに気づいてからだ。

 真理は視野が極端に狭かった。それは、ドアや通行人と肩をぶつけたり、操祈が横に座っても気づいていなかったりと、些細なことから悟れた。

 真理は、弱みを決して操祈に見せなかった。

 ある日、実験結果を見て、真理の筋力が同年代の子供と比較して、異常に高い検査結果を見つけた。

 何度も喧嘩になっても操祈が勝てたのは、真理が手加減していたからだ。それに気づいてから、真理への認識が変わった。

 どっちにしろ、球技の才能がなかったり、手先が不器用だったりで運動音痴な真理と操祈は、張り合い、虚勢を張る相手になった。

 操祈が真理を理解した気になり、世話を焼こうとし始めた頃には、真理の興味の対象は操祈から別のものに移っていた。

 

『誰よ、先生って』

 

 真理は、研究者のひとりに懐いていた。地位と権威はあるが、この研究には天下りに近い形で派遣され、実際に真理の研究には関わらない名誉管理職のようなポストにいる男性だった。

 厳格で高齢者な彼は、何かと真理を縛り付けた。研究の合間にも、真理の能力への推論を言い聞かせ、実験が終わってからも真里を研究室に呼んで話し込んでいた。

 真理が帰ってくるのは、消灯時間ギリギリになってから。遊び相手のいない操祈の機嫌は、徐々に悪くなっていた。

 ある日、我慢ができなくなって真理と彼の会話を盗み聞きしたことがある。

 内容は、聞くに耐えない夢想話だった。真理の力を錬金術、黒魔術、果ては魔法などのオカルトと結びつけ、科学者にあるまじき論理の破綻した仮説を並べ立てて真理に語りかけていた。

 高齢になり、第一線から外された研究者のたわいない会話かと落胆した操祈だが、冗談のように笑って話しかける研究者の絵空事を、目を輝かせて聞いていた真理の顔が、操祈の瞼から離れなかった。

 自分はコンプレックスな瞳を、真理は誇らしげに語っていたのが、とてもイラついた。

 ――真理さんも変な眼をしてるくせに。

 

『まるで奴隷みたい』

 

 それからしばらくすると、真理は研究者の仕事を手伝うようになった。

 研究者は、聡明な真理に海外の論文の翻訳を手伝わせ、真理は実験が終わってからも二人の部屋で本に没頭するようになった。

 構ってもらえない操祈は、黙々と作業に耽る真理をそう評した。どれだけ罵倒しても真理は笑っていた。

 日に日に、二人の部屋にオカルトの古書が増えていった。操祈が目を通しても、科学に傾倒した彼女には眉唾もので真面目に読む代物ではなかった。

 だが、真理は誇らしげにその内容を語った。

 

『黄金って何千年も錆びないんだ。オレの能力と似てるよな』

 

 自分でも能力を理解していないくせに、自分の能力を黄金に例えた。

 それは奇しくも錬金術の命題の一つであり、彼の能力の本質を捉えていたことは偶然と呼ぶ他ない。

 時代の科学の範疇にないものは、全てオカルトでしかないのだ。

 

 いつも、『先生』は言っていた。

 

『私はね、君の能力に夢を見たんだ』

 

 分厚いメガネの奥が優しく笑い、実験で消耗した真理の紫紺の瞳を見つめて。

 

『いつか君が学園都市の頂点に立ち、私の目に狂いがなかったと証明してくれることを、寝る前にいつも考えるよ』

 

 

 

 

 

 彼は真理には厳しかったが、同僚であり、妻である女性には優しかった。

 彼女は非人道的な思想の持ち主が大半を占める学園都市の研究者の中にあって、良心のような存在だった。

 温和で、聡明であり、他者への配慮を忘れず、必ず夫をたてる賢夫人の鑑であった。

 こんなことがあった。

 バレンタインデーの日に、彼女が真理と操祈に手作りのチョコを渡すと、彼は、

 

『私にはないのかい?』

 

 と拗ねると、彼女は勿体ぶって微笑み、

 

『あなたにも用意していますよ』

 

 と、見透かしたように渡していた。二人に渡したものよりも豪華な包装に包まれたチョコだった。

 年甲斐もない遣り取りに操祈が胸糞悪い思いをするのに対して、真理はそれを羨ましそうに眺めていたのが印象的だった。

 真理は、そんな二人の遣り取りが好きだった。

 

 それからしばらくして、彼が亡くなると、真理は変わった。気弱な人格の『マリ』が表に出る時間が増え、暴力的な人格まで確認された。

 もはや操祈では解決できないと、プロジェクトは凍結し、二人は離れ離れになった。

 後に、真理が彼の後を追うように亡くなった彼女の遺品――『先生』の遺品の書物を受け取っていたことを知る。

 表の世界で生きる操祈は、真理の痕跡を辿ることしかできなかった。

 しかし、今年になって、長点上機に入学したことを知った。喜び勇んで名義を調べてみて、名前が『マリ』であることに疑念を持つ。

 美琴が接触した噂を聞きつけ、本人と会う決心がついた操祈の前後の心情の変化は、筆舌にし難い。

 

 そして――天使が降った夜に、操祈と真理は再会を果たした。

 脳機能の大半をマリに奪われ、毎晩、深夜徘徊を繰り返して、マリとロケットペンダントを探していた無理がたたり、当麻の前で倒れた真理は、美琴を救けるために第一位と戦うつもりだという。

 これから駆けつける英雄に、幻想御手事件で得た『流転抑止』の真実を伝えてくれと懇願して死地に向かう真理を、操祈は止めなかった。

 その情報を超能力者三人に売り、あの状況を築き上げた。

 真理にどう思われても構わなかったし、最後の最後まで顔を見せなかった報いだと心中は怒りで満ちていたが、あの光を見ると笑っている自分がいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 正直、今も真理を許してはいないし、絶対に謝るまでは水に流さないつもりでいる。

 でも、あの根性曲がりが自分から謝るかといえば、その可能性は限りなくゼロに近く、和解の道は果てしなく遠かった。

 その溜飲を、真理について話そうとしない操祈に怒る美琴を見て下げている。

 ニヤニヤと意地悪く笑う操祈にキレたのか、美琴はしたり顔で制服の胸ポケットから真理のペンダントを取り出した。

 

「あっそ。アンタがその気ならこっちにも考えがあるわ。これ、マリが持っていたんだけど――」

「――ッ! 返して!」

「うぇっ!?」

 

 運動音痴とは思えない素早い手つきで、見せつけるように手からぶら下げていたペンダントをひったくる。

 それを両手で胸元に隠して、死守した。美琴がテーブルから身を乗り出して奪い返そうと掴みかかる。

 

「ちょっと! それアイツに貸し作ろうとして返す機会うかがってたのよ!? 返さんかい!」

「油断する方が悪いのよ……!」

 

 ぐぐぐ、とファミレスであることも失念して取っ組み合う二人を見て、黒子ら後輩が慌てて戻ってきた。

 

「お、お姉さま! なになさってるんですか! はしたないですの!」

「離しなさい黒子! あたしは盗人に制裁を下そうとしてるだけよ! 風紀委員のアンタも手伝いなさい!」

「先に盗んで返さなかったのは御坂さんじゃなぁい」

 

 最終的に暴れる美琴を黒子と涙子が羽交い絞めにし、ペンダントの所有権は操祈が手にした。

 真理の所有物を手にしたことに一息つき、外を見る。

 ――どういう偶然か。ガラス越しに見る街の景色には、あの二人が並んで歩いている姿があった。

 目が合う。ふと思いつき、手にあるペンダントを、見せつけるように揺らしてみた。

 彼の目が見開く。それを見て、操祈は底抜けに意地の悪い顔で笑った。

 

 見たかったものが、やっと、彼女の目の前にあった。

 

 



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