Dragon Slayer (裏腹)
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Dragon Slayer

 星降る夜――とは、よく言ったものだ。

 際限なく落ちてくる銀色は確かに輝いていて、街明かりに煌めく様相は、まごう事なき夜空の光そのもので。

 シンジョウは真黒い空を翔けながら、素肌を突き刺すような雪の冷たさに、十二月を見る。

 

「……一年も経てば、忘れるものか」

 

 或いは、初めから無関係なだけか。

 言いたい事の半分は言語にせず、白む吐息で濁した。

 リザードンの背中越しに覗き込むのは、クリスマスイルミネーションで飾り付けられたルシエシティの町並み。

 ほどなくして深夜に差し当たる時間でありながら、未だ街には一定の活気が残っている。緩慢に流れゆく銀世界を見下ろしながら、再び一息。今度は深く、長く。

 どうして自分がこんな真似をしているのか――ほんのり目を細める。皆まで言わずとも、そういう顔。

 周囲もきっと訊ねるだろう。何が悲しくて、聖夜に凍えそうな真冬の空を相棒と飛んでいるのか、と。

 事は数日前に遡る。

 

 

     ◇       ◆       ◇       ◆       ◇

 

 

 その日、シンジョウは突如としてヒメヨに呼び出された。

 待ち合わせ場所はバトルキングダム内のカフェ。バトルの申し出かと思い、手持ちも万全の状態にして赴いてみれば。

 

「二四日なんだけど、コスモスちゃんの誕生日なのよね」

「……は?」

 

 あらぬ方向からの切り出しで、とんだ肩透かしをくらったのを覚えている。

 

「……俺に、祝えと?」

「んー……半分正解で、半分はずれ、かな」

 

 頼まれれば、特段拒むことでもなかったが……隠された事情を知った時、彼の内心は忽ち渋くなった。

 

「コスモスちゃんね、お誕生日を祝われることを拒んでいるのよ」

 

 曰く、去年から。

 その言葉だけで、容易に察せた。

 

「プレゼント禁止は勿論、『誕生日』も禁句。おめでとうを言おうものなら屋敷を吹き飛ばす、まで言っちゃってね……」

「タブー、だな。さしずめ」

 

 全ては、直前に起こった“雪解けの日”のせいだ。

 

「要は、自粛。変なところで変なことまで覚えてきて……旺盛な好奇心も、考え物よ」

 

 期間は、ネイヴュが完全に復興するまで。

 これによって誰が助かる訳でも、何のためになる訳でもない。

 それでも人は不幸な身の上にあると、えてして幸福な者を恨みがちだ。ましてその対象が目立つ存在であればあるほど、余計にそのきらいが強くなる。

 悲しき哉、性であろう。

 そう考えれば、コスモスのその対応は妥当だったのかもしれない。

 

「本人がそれでいいと言うならば、周囲がどうこうする話でないような気もするが」

「言葉だけで全てが完結するなら、世の中喧嘩も戦争も起きません――あなたはよく知っているはずよ?」

「……返す言葉もない」

 

 言葉で語り合えない場所で、言葉で語らう以上のやりとりを生む。

 ヒメヨの出し抜けの鋭さは、そんなシンジョウという男の黙らせ方を、よく知っている。

 

「――ただでさえ、イベントが大好きだった子なの。平気な顔して過ごしているけれど、きっと寂しいと思うのよね」

 

 何度でも言える。ジムリーダーとしては最適な対応だ。

 しかし望まれたものであるのかどうかは、まったく別の話。

 本人の気持ちを聞かないことには仕方ないが、年頃の娘を子に持つ親の心というものも、一概に跳ね除けていいものではないだろう。

 

「だからね? 誕生日じゃなくて、クリスマスという体で贈り物をしようと思うの。どうかしら?」

「成程。屁理屈だが、あいつも多少そういうところがある。きっと文句は言わないだろう」

「ふふ、珍しく饒舌になっちゃって。ちゃんとわかってきたわね、あの子のこと」

 

 含んだコーヒーで噎せるという柄にもない姿は、後にも先にもヒメヨしか知らない。

 

 

     ◇       ◆       ◇       ◆       ◇

 

 

 コスモスに、クリスマスプレゼントを贈る――――ここまでは良かった。

 

『どうせなら雰囲気を大事にして、サンタさんみたいに渡しましょう!』

『……コスプレをするのか』

『そんな大胆なことはしないわよ。あの子が寝静まった頃、こっそり内緒で置いてくの』

『それはいいが……誰がその役を務めるんだ』

『あら、ちょうどいい人がいるじゃない。私たちのプレゼントを一度に持って、夜空を飛んで回れる、黒衣のサンタさんが』

 

 まさしく竜に乗ったサンタクロースが誕生した瞬間であった。

 

「(……いくら家人と打ち合わせているとはいえ、不法侵入だ。それも枕元に立つなど……十分に大胆じゃないか)」

 

 少なくとも、自分のような男がやっていいことではない。そう考えるからして、シンジョウはとてもとても気が進まない。

 これならサンタのコスプレでもして手渡しした方がまだましだったとさえ思う。

 が、どれだけぼやいても仕方がない。受けてしまった以上は、役割を果たさねばならないことに変わりはないし、責任もある。

 

「二三時四六分……間に合いそうだな」

 

 市街地上空から外れ、時計を確認。

 先程までの喧騒が嘘のように、静寂が訪れる。羽ばたくリザードンの翼に当たらぬようにして、携帯端末で執事『ブロンソ』へ、間もなく屋敷に到着する旨を伝えんとする。

 

「……?」

 

 シンジョウは眉をひそめた。自分が連絡するよりも先に、そのブロンソから着信が入ったからだ。

「どうしました」訝りながらも、ひんやり冷えたスチールを耳に当てる。

 

『シンジョウ殿…………今すぐ、備えを……』

「……何?」

『間もなく、そちらに――』

 

 次の瞬間だ。

 空気の渦が横向きになって、突っ込んできたのは。

 

「……――――!!」

 

 風の音の急激なうねりをいち早く感じ取ったリザードンのお蔭で、事なきを得た。

 シンジョウは回避行動、旋回の上でなおバランスを取って、プレゼント入りの袋を抱え直す。

 物騒な輩というものは、いつ、どこにでもいるものだな。そんな辟易交じりの独白と一緒に、正面へ向き直った。

 何者だ――その相手は発するまでもなく、簡単に正体を明かす。

 

「お前は……!」

 

 闇夜の暗さの中にあっても、確かに視認出来た飛竜の姿。

 山吹色の躰に、力強い翼。髭にも似た触覚に、立派な一本角。

 このシルエットを忘れるはずがない。

 かつての自分がトレーナー生命をかけて挑んだ、この相手を。

 全てを出し切ってようやっと打倒できた、この存在を。

 そして叶うならば、二度と戦いたくないとさえ思ってしまった、この強敵を。

 共に戦ったリザードンも主と同じく、目を点にした。

 

「カイリュー……!」

 

 シンジョウの呼びかけに応じるように、対峙する存在は雄叫びを上げた。

 間違いない。彼女が今しがた攻撃を加えてきた相手だ。この心音を乱すプレッシャーで、理解出来る。

 何らかによって屋敷で暴れ、ここまで飛んできた、といったところか。

 

「ああ、わかっている。あいつの意思は介在していない」

 

 静かに向けられた肩越しのリザードンの視線に、言葉を返す。

 傍らにコスモスがいない以上、単独行動は確定。しかし理由もなしに拳を振り回す存在でないのは、その気高さすら湛えた力を目の当たりにしているシンジョウは、痛いほどに知っている。

 何より眼が正気を語る。明確な意志を持つ。その上で、確実に自分を狙っている。

 

「……主を、守らんとしているのか?」

 

 いや違う。そうじゃない。

 たとえ言葉が通じなくとも、行き着く答えはただ一つであった。

 

「主の誓いを、守ろうとしているんだな」

 

 カイリューは、どこかの国では『竜騎士(ドラゴナイト)』と呼ばれるほど、主に忠実だという。

 もし主君が、傷を負った人々のために祝福を拒んでいる事を知るならば。

 いかなる恵みでさえ、悪と知りつつ突き放すことを是としているならば。

 騎士はそのために動くだろう。戦うだろう。

 黒衣のサンタでさえ、一翼の下に吹き飛ばすだろう。

 

「幸せだな。ここまで主を想うポケモンも、そうはいない」

 

 まったく羨ましいよ。言葉にするとリザードンが面白くない顔をするので、胸にしまっておく。

 

「だが俺にも、俺の使命というものがある。……柄ではないがな」

 

 逞しい勇姿を否定しない。されどシンジョウは、カイリューと対峙することをやめなかった。

 (ヒメヨ)が正しいだなんて毛頭思っていないし、(コスモス)が何を思っているかなんて、そんなものはわからない。

 

「本当のところは、気だって進まないさ」

 

 けれども。

 

「だがな――――俺がやることは、不思議とこれで正解な気がするんだ」

 

 何故だか自分のこの行動にだけは、底抜けの自信を感じられて仕方がないのだ。

 

「いくぞ、リザードン」

 

 雪空に、蒼炎が揺らめいた。

 冬風で、黒翼がたなびいた。

 聖なる夜に重なる二頭の竜の闘志は、季節外れの花火のように弾けたという。

 

 

 

 十分ほどの交戦、だったと思う。

 にしては壮絶すぎる相棒の傷を眺め「終わったら即ポケモンセンターだな」と溢し、歩き出すシンジョウ。

 二三時五八分にして、コスモスの屋敷の裏庭に降り立った。

 

「助かりました……ひとりでにモンスターボールから出てきた時は、どうなることかと。このお詫びはいずれ、必ずや……」

「構わない。優秀なガードマンだ、うんと待遇を良くしてやるといい」

 

 冗談交じりのやり取りを交わしながら招かれる、エイレム邸。ブロンソとメイドに案内されるまま屋敷内を歩くうち、コスモスの寝室の前に立っていた。

 立ち止まって、改めて頭と服の雪を払い落とす。

 カチャリ。メイドが合鍵で解錠した瞬間に、日付が変わった。

 付き纏う戸惑いを口内でかみ殺し、ドアノブを捻ると、すぐ向こうには見知った少女が眠っていて。

 

「どうぞ」

 

 もはや音にならない、口の動きだけの発話に促されるまま、足を踏み入れた。

 物にぶつからないよう、足音を立てないよう、気配を殺して歩く。

 なるべく見るまい。下手なことはするまい。そんなことを考えるうちに、あっという間に辿り着く天蓋付きのベッド。

 一人が寝るにはあまりに大きすぎるベッドだ、これならばプレゼントも置ける。

 

「(俺のは元々、そんなにスペースを取るものでもないんだがな……)」

 

 カーテンをそっとどけて、手のひらサイズの赤い小箱を置いて飾り付ける枕元。

 すう、すう。寝顔がこちらに向いていなくても、傍らで聞こえる寝息はしっかりと熟睡を教えてくれる。

 水のように柔らかい銀髪から、純白の肌が月を覗いていた。

 ふんわりと香るジャスミンの匂いで、出会った日の懐かしさを思い出す。

 

『コスモスと申します。勝ち続けるために生まれました』

 

 彼女は、門番の一族で。

 

『“ジーク”の意味を理解していらして? 勝利よ。私にはそれしかないの』

 

 最強のジムリーダーで。

 

『新しい手持ちを育てたの。お見せしたいから、またバトルしましょう』

 

 筋金入りの努力家で。

 

『聞いて、シンジョウさん。頂いたリザードンがメガシンカを習得したの、勿論Xよ。そのうちあなたを超えてしまうかもしれないわね』

 

 負けず嫌いで。

 

『シンジョウさん、私、世界を救ったの。伝説のポケモンにも出会ったのよ』

 

 ラフエルの英雄で。

 

『ねえ、シンジョウさん』

 

 それでも。だけど。どこまでいっても。

 彼女は――。

 

「(お前は……――)」

 

 気付けば青年の掌は、少女の頭に伸びていた。

 温もりが触れかけた時、漸く我に返って、急いで手を引っ込める。

「ああ、ダメだな。柄にもないことしてばっかりだ」――静寂の中に自責の嘆息を、一つだけ。

 ヒメヨの分のプレゼントも置いて、身を翻す。用が済んだらさっさと戻ろう、そうしよう。

 

「――夜這いにしては、随分と紳士的なのね」

「!」

 

 そんな自分を引き止めた少女の声に、シンジョウはひどく驚いた。

 

「……起きてたのか」

「いいえ。ぐっすり寝ていますよ。これは寝言です」

「そんな明瞭な寝言があるか……」

 

 ああ、やってしまった。額に手を当てる身振りから容易に理解出来るシンジョウの心情。

 だがコスモスは寝ているからして、その後ろ姿を見ていない。あくまで背中を向けたまま。何故なら熟睡しているから。これは寝言だから。

 

「ひどいわ。久しぶりに会いに来てくれたと思ったら、寝込みを襲うなんて」

「起こしたのは、というか、諸々を詫びる。サンタクロースのつもりだった」

「こんな黒ずくめのサンタクロース、子供たちが泣いてしまうわ。私も恐いから泣いてしまおうかしら」

「……すまなかった。邪魔したな」

 

 肩越しでさえ視認しないのは、せめてもの誠意だろうか。

 シンジョウは今すぐにでも消えたい内心を隠すことなく、足を前に出した。

「待って」そんな彼の焦りを止める言葉が発されたのは、数秒後。

 

「今、寝ています」

「ああ、知ってる」

 

 そう、彼女はどこまで行っても。

 

「だから、すぐに立ち去」

「寝ていて、何も聞こえない、から」

「?」

 

 どんな存在に、なってしまっても。

 

「『お誕生日おめでとう』って、言ってもいいよ」

「……!」

 

 一人の、女の子なんだ。

 

「――コスモス」

「……はい」

「誕生日、おめでとう」

「……――うん」

 

 大切な人に生まれを祝われるのが、嬉しいんだ。

 

 

 

 人は英雄に言う。

「遠い場所に行った」と。

「高みへ至ってしまった」と。

 

 されど彼女を知る者は、そうは思わない。

 何故なら彼女の傍には、竜を落とした戦士がいる。

 竜と化した彼女をいつでも少女へ引き戻してくれる、竜殺し(ジークフリート)がいる。

 

 だから、どんなに進もうが――きっと、関係ないのだろう。

 竜に笑顔を思い出させる、彼がいる限り。

 

 

 

「……これじゃあ、度胸があるのかないのかわからないわね」

 

「おかしな人」寝転がったままクスリと笑うコスモスが天井にかざした手には、プレゼントのシルバーリングが煌めいていた。



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