始まりの天使 -Dear sweet reminiscence- (寝る練る錬るね)
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全て遠き理想郷編
ハーメルン バレンタインイベント


※この話は、第二節を読み終わってからお読みください。



……てなわけで、チョコの供給です。本作の藤丸立香はぐだ男しかいないため、大ッッッ変不本意ながら、彼がサーヴァントからチョコレートを受け取る形となります。畜生!




ともかく、本日中に亡霊くんちゃんとアンヘルくんの分も投げます。
無論、ほんぺではこんなことは書けないので全て遠き理想郷(アヴァロン)扱いになります。

ではまぁ、定番の……




誰かがいる……


「お、親様……!」

 

廊下を歩いていた立香を引き留めたのは、そんな健気な呼びかけだった。シミュレーションルームに向かおうとしていた立香の足がごくごく自然な動きで180°回転し、まるで手がそこにあるのが当然かのように声の主の頭へと運んだ。その時間、僅か0.1秒である。

 

 

「ハーメルン!!どうしたの!?今日もかわいいなぁ!」

 

「……あ、……わわ……」

 

頭を撫で、胴を掴み、グルグルとその場で何度か回転。終わった後は頬擦りまでがワンセット。この行動に最初の頃は驚いていたハーメルンも会うたびにされることで慣れに慣れ、いつしか楽しみを見出していた。

 

「お、親様ぁ……降ろしてぇ……」

 

 

……はずなのだが。今日のハーメルンはあまり嬉しくはなさそうだった。いや、正確には嫌そうにはしていないが、少し困っているといった具合だ。

 

涙ぐまれながらそう言われてしまうと流石に回し続けるわけにもいかず。立香は仕方なくハーメルンをぎゅうっと抱きしめ、名残惜しくも手の中から解放した。

 

「ご、ごめん!もしかして、嫌だった……?」

 

やってしまってから、もしかするとまずかったか、などと立香は考えてしまうが、それもどうやら違うらしい。ハーメルンはとんでもないという風に首をブンブンと振った。

 

「……ち、違うの。…今日は、特別………これ、崩したくなくて……」

 

そう弁解するハーメルンの腕を見ると、なるほど。リボンで綺麗にラッピングされた茶色の箱がその手には握られていた。

 

……問題は、今日がバレンタインという日であり、かつ男であるハーメルンがその箱を誰にもらったのか、だが。

 

「ハーメルン!バレンタインチョコ貰ったのか!よかったなぁ!ジャックか?ナーサリー?それともジャンヌリリィ?」

 

思わぬ我が子の幸せにまた抱きしめそうになりながらも、それは自重して。頭を撫でるに留め、屈んでハーメルンの目線に合わせた。

 

暫く顔を赤くして口をモゴモゴとさせていたハーメルンは、おもむろに手の箱を立香の胸へと押しつけた。

 

 

「……違うの。これ、親様に……」

 

 

「…………えっ!?は、ハーメルンから!?いいの!?」

 

無言でコクリと頷かれ、貰った箱を喜びのままに天に掲げる。さしずめ勝利のガッツポーズに、喜んでいることを察したハーメルンの顔が緩んだ。

 

「開けていい!?」

 

「……う、うん。いいよ…」

 

 

返事を聞くや否や。慎重かつ大胆に包装を剥がし、紙袋のさらに中の袋を開けて中身を確認する。

 

そこには、粉砂糖やチョコレートでコーティングされた、コロコロとした茶色い球の菓子らしきものが沢山入っていた。

 

 

「これ……クッキー?」

 

「……ううん。……シュネーバル……ドイツの、ドーナツ……故郷の味。……昔、一回だけ…食べたことがあるの……サクサクで、甘くて、美味しい……」

 

味を思い出したのか、語りながら幸せそうに顔を綻ばせるハーメルン。あまりにも幸せそうな顔に、このシュネーバルなるものがいかに美味しいのかが伝わってくる。

 

……なんだか、今すぐ食べたくなってきた。

 

 

「ハーメルンは食べたの?」

 

「……ちょっと、だけ。……作ってる最中とか…味見ぐらいは…」

 

「なら、一緒に食べよう!マシュも呼んで、ちょっとしたお茶会みたいな感じでさ。きっと楽しいよ!」

 

「……ボクも、参加して…いいの?」

 

「当たり前だよ!ほら、行こう行こう!」

 

思いついたら即行動。ハーメルンの小さな手を引き、マイルームへと向かう。繋いだ手は子供特有で柔らかく、暖かかった。

 

 

そうして元々の目的、トレーニングを完全にすっぽかした立香は、三人で……途中でエミヤ他数名が加わって大きな茶会になったが…………幸せな時間を過ごしたのだった。

 

 

 

 

 

ハーメルンは黄色のフードの下で、幸せそうにお菓子を頬張る。

 

昔の記憶。心に刻まれた大罪の疵口を上から塗り固めるように。心に空いた穴を埋めるかのように。その時間は、彼にとって幸せに満ちたものだった。

 

 

その幻想は、果たしていつか叶うのだろうか。

 

 

 

『だから。……だからね、親様──────…』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『何よりも大切なあなたへ×1』を

プレゼントボックスに送りました。

 




 礼装:何よりも大切なあなたへ

 解説:ハーメルンからのバレンタインチョコ。シュネーバルと呼ばれる揚げ菓子。

『雪玉』という意味で、彼の故郷ではとても有名らしい。今回は手の平サイズで様々な種類が味わえるように工夫されている。一種類だけで飽きないようにという、彼なりの心遣いなのかもしれない。

 誰より、なにより大切なあなた(親様)へ。どうか喜んでもらえますように。愛情と知識と………あとちょっとだけ願い(物理)も込めて。……ひとつだけ黄色くて禍々しい気配を纏ったものがあるのは気のせいだろう。

 ……なお、揚げた上にバターたっぷりでカロリーは計り知れないため、ちょっと正気を喪うこともあるらしいが。それはそれ、これはこれである。


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???? バレンタインイベント

連続投稿二話目。亡霊くんちゃんです。

アンヘル君の分はじういちじごろに投げる予定。

彼のは約束された本命チョコです。
では、恒例の……


……甘い予感がする……!


「………すた。……た。……きて。今日は………」

 

 

 ……暖かい。そして、柔らかい。微睡の中で、立香はその二つの感覚を同時に味わっていた。毛布の掛かっていない顔が少し肌寒い分、その温もりを余計に感じてしまう。

 

 だがしかし。立香の部屋は侵入者(水泳部)が多いため、厳重なロックがかかっているはずだ。それを外から解除できるのはダ・ヴィンチちゃんとマシュぐらいなもので、他の誰かがいるとは考えづらい。

 

「ん、ん〜〜」

 

 考えているとどんどんと身体が寒くなる。手の中の温もりを逃さないように、改めて小さな何かを抱き直した。……やはり、小さなその生物はぽかぽかと暖かった。

 

「…抱……くらを御所望…?です……素直に……そう……よな……」

 

 もぞもぞと苦しそうに動いた後、しきりに身体を擦り付けてくる何か。少しくすぐったいその感触が、再び眠ろうとしていた立香の意識をぼんやりと覚醒させていく。

 

 だが、そうは問屋が卸さない。日頃からレイシフトの連続で疲れが溜まっている立香にとって、カルデアでの睡眠は数少ない休養だ。再び浮き上がっていた意識を、抱きしめている物体をまさぐることで沈めようとする。

 

「……ひゃん!」

 

 なにやらとても弾性に富んだ感触を手の中に感じながら、動く何かの熱を逃すまいと更に強く抱きとめる。

 

 次第に衣擦れの音が小さくなり、腕の中の何かが動かなくなる。

 

「……の………えっち…」

 

 何か聞こえた気がするが、それでも立香は覚醒に至らない。少し暑くなってきたので寝返りをうって、手の中にいる不届き者に裁きの鉄槌を……

 

 

 

「ぱんぱかぱーん!朝っぱらから事件の予感がしたから、シールダー、アンヘル!参上したよ!マスターが性犯罪者にならないうちに、起こします!」

 

「…お、同じく、フォーリナー……ハーメルン、です。親様(おやさま)……起こさないと、だね。ご、ごめんなさい…」

 

 

 途端、入り口から聞こえてきた大きな声と申し訳なさそうな声で、さしもの立香も目を覚ました。

 

「わーい!」

 

「う、うわぁ!」

 

 状況を把握しきれないまま……衝撃。楽しげな声と驚いた声の主が、またも湯たんぽとしてベッドの中に追加された。

 

「うぐっ!」

 

「ご、ごめんなさい……親様を起こすなら…これが一番だって、ダヴィンチちゃんさんが…」

 

「大丈夫、痛いところは外してあるよ。マスターは大人しく、僕らを掛け布団として使ってれば良いんだから、えへへ……」

 

「……お、重いぞ、お前ら…です」

 

 子供二人が跳び乗ってきたのだと、漸く把握して、元々布団の中にいたサーヴァントの声を聞き、恐る恐る毛布の中へと視線を移す。

 

 ……そこには、先日召喚したサーヴァントが一人、少し不満げな顔でフードを目深に被りなおしていた。顔は赤く、顔は汗やら涙やらでほんのり濡れている。髪も乱れており、他サーヴァントに見られれば一発通報間違いなしの事後状態だ。

 

「……随分、他人(ひと)の身体でお楽しみだったじゃねぇですか、ますた」

 

「……あ、いや。これは、その。違って……」

 

 どうやら先ほどの抱き枕扱いには文句はないらしいが、流石に体をまさぐったのはマズかったらしい。赤らんだ顔が不満げに歪んでいるのが見て取れる。慌てて弁解をしようにも、ほぼ状況が詰んでいる。

 

「……しょ、しょうがない、よ?親様、子供大好きだし…」

 

「ハーメルン君、若干誤解を招く言い方するのはわざと?」

 

「ひ、ひぇぇ……ご、ごめんね…」

 

 コミュニケーションの苦手なハーメルンなりのフォローが、アンヘルの無慈悲なツッコミによって脆くも崩れ去る。流石ウルク。容赦というものがまったくない。

 

 

「…ま、いいです。…こいつらのお陰でギリギリセーフってことにしといてやる。今日のところは特別に、許してやらんこともない、です」

 

 つーん、と。フードのサーヴァントは頬を膨らましながらも怒りを収めてくれる。なんだかんだ、お人好しの面が見え隠れしているのが彼らしい。

 

「そんなこと言っちゃって〜!キミも満更じゃないくせに〜」

 

 その心を読んだらしいアンヘルが、ニヤニヤ笑いながら彼の顔をつつく。…普段そういう風に余計なちょっかいを出すからトラブルに巻き込まれていることに、果たして彼は気がついているのだろうか……

 

「は、はぁ!?シールダー!て、適当なこと言ってんじゃねぇよ、です!」

 

「適当言ってませーん!事実でーす!」

 

「…け、喧嘩、しないで……」

 

 

 自分のベッドの上で美少年(?)3人が和気藹々(?)と話し合う光景。改めて見ると、中々に得難いものである。少なくとも、立香が日本にいたならばこうはいかなかっただろう。

 

「……?ますた。何を拝んでやがる、です?」

 

「……いや。ちょっと感動をば…」

 

「……あぁ。そういうことかよ、です。…ったく。変なますたに召喚されちまったもんです。これが人類最後の生き残りってのが、余計手に負えねぇ、です」

 

 心底呆れたようにため息をもらす彼に、アンヘルとハーメルンが若干の苦笑を漏らした。彼らが完全に否定しないのは同意だからなのか、それとも愚痴に返答をするのが無駄だと知っているからなのか。

 

 ……立香としては後者だと信じたい。

 

 

「それよりそれより!ねぇ、マスター。ちょっとこの子から言いたいことがあるらしいから、聞いてあげて!」

 

「言いたいこと…?」

 

 一体なんだろうか。苦情なら心当たりが多すぎてどれがどれだかわかったものではない。一体どうやって謝ったものかと思考が迷走し始めるが、そんな立香をみてアンヘルが笑っているところを見ると、どうやらそういうことでは無いらしい。

 

 フードのサーヴァントが、ベッドの上でもじもじとしながら口を開いた。

 

「……その、ますた。……ますたの故郷には、ばれんたいん…とかいう。チョコレートをお世話になってる相手に渡すとかいう。そういう風習があるとか無いとか聞いたぜ、です」

 

「う、うん。そういえば、今日は2月14日だったね。でもどっちかっていうと、意中の相手に渡すって方がメジャーで……」

 

 立香にはあまり縁がないことだったが、と自嘲しようとしたところで。

 

 亡霊と呼ばれていた彼の顔が、信じられないほど赤くなっていることに気がつく。具体的には、林檎や苺を思わせるほどかぁぁぁっと、真っ赤に。

 

 

「あ……や、その……違う、そういうのじゃ、ですけど。でも、その。これは、違って。いや……でも、これ…」

 

 

 なんとかちぐはぐに言葉らしきものを繋いだ彼が、立香の手に無理矢理何かを握らせる。……それは、ピンク色の紙と赤のリボンで丁寧に包装された箱で。……話題の流れからして、明らかに、本命っぽい…。

 

 

「も、もしかしてこれ……」

 

「……がう……です…」

 

「え?」

 

 

「本命チョコだとか!ますたのためを思って一生懸命作ったとか!そういうのと違うですから!勘違いすんなよな!でふ!」

 

 

 あ、噛んだ。

 

 

 ……そう思った直後、爆発。彼の熱を表すかのような白い煙が、立香の視界を覆った。すわ自爆かと身構えるも、どうやらそんなことはないらしい。お得意の煙幕のようだ。

 

「し、シールダー!フォーリナー!行くぞ、です!」

 

「……あわ、わ…」

 

「うひゃぁ!ま、マスター!僕もチョコ用意してるから!また夜に会いに行くね!」

 

 純白の世界でそんな二人の叫びが、どんどんと遠ざかっていく。大方、彼に抱えられて二人ともマイルームを出たのだろう。すごいスピードで声が帯のように引かれていく。流石に筋力A+は伊達ではない。

 

 

「……それにしても、チョコ」

 

 

 煙幕が晴れ、マイルームには立香とベッドの上に残されたチョコレートだけになった。

 

 シールとリボンを剥がし、中に入っていた袋を開けてみる。中から出てきたのは、金色の結晶。大凡チョコレートとは思えないそれを、立香は躊躇なく口の中に放り込む。

 

 

「……うっま」

 

 

 漏れたのは、そんな簡素な感想。食感も謎で、見た目も謎だが。味はしっかりと美味しく、何より思いを感じる優しい味だ。

 

「……今日、いい一日になりそうだな」

 

 朝から少し幸せを感じながら、立香はベッドから身を起こした。

 

 

 

 

 ……それはどこかで起こった夢。きっと叶わない、何かの間違い。あぁ、それでも。

 

 

 

(あぁ。まるで………みたいだ。………の為に………日が───)

 

『……やっと………たよ………』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『夢の破片(チョコレート風味)×1』を

プレゼントボックスに送りました。

 

 




礼装:夢の破片(チョコレート風味)

解説:????からのバレンタインチョコ。

チョコレート……?否。もはや食品なのかすら怪しい、謎の結晶。口の中に入れるとホロリと溶け、ガリガリという食感の末、旨味と少しの苦味を残して去っていくという、あまりにも奇妙すぎる物体。味は美味しめのミルクチョコである。

監修の天使曰く『彼ったら、お菓子作りに宝具使おうとするんだよ!卵の殻は入れるし、メレンゲは泡立たないし。これも何故かできてしまった物体Xだし…………でも、愛情はしっかり籠もってるから。味わって食べてあげて』だそうだ。

何よりもおいしいものを、誰よりも早く、大好きなあなたに。例え技術が拙くても、想いだけは貴方に伝わると信じて。このチョコレートが少しでも。夢のようなこの時間の証明になるように。


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アンヘル バレンタインイベント

連続投稿最後。

優しいアンヘル君です。

ちなみに、ぐだーずはマスターとして3位ぐらいにアンヘル君と相性が良かったりします。なお2位は士郎、1位はフラット君です。

そういえばあらすじがあんまりにも本編に関係なかったことが判明したので代えました。二部っぽくてカッコよく、かつ本編の内容を如実に表しております。

それでは恒例の……


…誰かいる……


 部屋に備え付けられたインターフォンが鳴る。綺麗な電子音だが、立香はそれを気にしていられるほど元気ではなかった。わざわざインターフォンを丁寧に鳴らしてくれる相手。それもこの時間というなら、おおよそ見当がついている。

 

「は、はーい。空いてるよ〜」

 

 マイルームで既に困窮気味の立香は、少し気だるげにベッドから返事を返した。

 

 何せ、今日だけで十数人以上のサーヴァントからチョコレートやら作成者本人やらを受け取ったのだ。……訂正。作成者は受け取っていない。貰えること自体は嬉しいものの、色々とありすぎた。疲れない方が無理というものだろう。

 

 自動扉が開き、若干身長低めのサーヴァントが白金の髪を揺らして、室内へと入ってきた。

 

「や、マスター。調子はどう……って。訊くまでもないか。だいぶんお疲れ様だ」

 

「あぁ、うん。こんな有様でごめんね、アンヘル……」

 

「気にしないで。僕とマスターの仲じゃん。ちょっとくらい弱いところをみせても、誰かに言ったりしない。リラックスしてありのままでいてくれる方が、心を許してくれたみたいで、僕は嬉しいな」

 

 そう表情を崩した彼は……アンヘルは、まさしく天使らしい優しい笑みを浮かべて、立香の隣へと腰かけた。気遣っているのではなく、心の底からそう言ってくれているのが伝わってきて。ホッとして一息つくことができる。

 

「あはは…チョコレート自体はすごく嬉しいんだ。故郷にいたときは、こんなに……それに、みんなみたいな綺麗な子たちにもらう機会なんてそうそうなかったし」

 

「あ、わかるよ。カルデアはみんな、容姿端麗だよね……マスターの故郷だとさぞかしモテたんだろうなぁ」

 

 チョコレートもいっぱい貰って、と付け足して笑う彼に、つられてクスクスと笑う。それは学校の頃にいた学友のようで、信頼を置いた幼なじみのようで。お互いがお互いを信頼しきった、優しい関係。

 

「でも、やっぱり疲れちゃうわけだ。そりゃそうだよね。落ち着かないし、いつもと違う非日常だし……」

 

「相手が神様とかだと、気をつかっちゃうかも。その点、ハーメルンとかは楽なんだけどさ」

 

「お茶会、楽しかったね。……まぁ、ご先祖様がお菓子食べ過ぎでカロリーがどうたらこうたら、って言ってたけどさ」

 

 

 今日1日を振り返って、下らない話で盛り上がる。たまに入る愚痴のようなものも、彼は寛容に受け止め、間違っているときはちょっと茶化しながらも諭してくれる。こういうところが、彼の人気な部分なのだろうなぁ、とぼんやり考えた。

 

「そういえば……アンヘルは、チョコをどれぐらい貰ったの?それとも、あげた?」

 

「えっとね、いつもの二人に、エレシュキガル様、ご先祖様、シトナイさんとは交換したよ。あげて、貰った。エルと王様、ミニ王様にはお返しをもらったんだ。みて、ワクワクザブーンの貸切チケット。また一緒にいこ、マスター」

 

「………いい。みんなの水着姿、すごくいい」

 

 

 特に、ハーメルンあたりはプールなんて行ったこともないだろうから、すごく喜んでくれそうだ。そんなことを考えていたら、そんな思考を読まれたのだろう、アンヘルはクスリと笑い、すぐにまずいと思ったのかバツの悪そうな表情を作った。

 

「あ、ごめんね。ちょっと伝わってきちゃって」

 

「ううん、いいけど。……俺の想像、そんなにおかしかった?」

 

「いやいや。全然違うよ。そうやって自分の欲望も混ぜつつ、他の人の幸せも考えてあげられるのが、マスターのいいところだなぁって思っただけ」

 

「……急に褒められると照れるんだけどな。……ありがとう」

 

 

 そういう気恥ずかしい話をサラリと流すあたり、彼の人たらしの部分が見て取れる。そうやって友達を増やしているな、貴様!

 

 

「あ、そうだ。これ、マスターへのチョコレート。……本命を渡したらマスターが王様に何されるかわかんないから、ギリギリ義理チョコってことで」

 

「お、ありがとう。大切に食べるよ」

 

 几帳面に箱に入れられたチョコレートクッキーは、他のサーヴァント達と違ってかなりスタンダードなものだ。その分、気兼ねなく食べて欲しいということなのかもしれない。

 

 そうしてしばらく会話を続けていると、体制もあるのか、立香の意識が朦朧とし始めた。目蓋が自然に閉じて、弾んでいた会話への返事が稚拙になる。

 

「……お休みだね。やっぱり、疲れが溜まってたんだよ、マスター。このまま寝ちゃっていいよ。電気とかは、僕が消しておくから」

 

「……う、ん。お願い…」

 

 なんとかそう返事を返して、言葉を紡ぐことさえ面倒になって。微睡の中に、立香は落ちていく。沼のような眠りに、呑み込まれていく。

 

 

「……疲れたね、マスター。今日はゆっくり休んで。眠ったら、また明日。きっといい日だよ。今日みたいな、でも今日と違う、今日よりもいい日だ」

 

 頭を撫でられる。スベスベで柔らかい手が、少し冷たくて気持ち良かった。優しい、草原のような香り。

 

 

「…おやすみ、アンヘル……」

 

 そうして、立香の意識は完全に落ちきった。

 

 

 優しい泡沫に包まれて、夢を見る。それはとても自然で、とても尊いこと。故に、天使は優しくそれを見守る。

 

 

 

 

『ありがとう………でも…………もう……』

 

『………一緒に…救おう、マスター…』

 

 

 

 

 

「おやすみ、マスター。きっと、いい夢を。ハッピー、バレンタイン」

 

 

 

 

 

『優しいチョコレート×1』を

プレゼントボックスに送りました。

 




礼装:優しいチョコレート

解説:アンヘルからのバレンタインチョコ。

ごくごくスタンダードなチョコレートとプレーンのクッキー。極上の美味さではなく、慣れ親しんだ素朴な味。体に少しでもいいように、食べやすいようにと、甘さ控えめカロリー低めで作ってある。

大切なあなたへ。一番とはいかないけれど、何者にも代えがたいあなたへ。始まりの天使からの優しい贈り物を。どうか、普通で平和な日常が、当たり前に続きますように。

なお、味に対して文句を言う不届きなマスターがいた場合、どこからともなく過保護な王から宝具が光の速さで下賜されることになっている。


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他界享受郷国バビロニア編
アバンタイトル


 嗚咽が、漏れる。

 

 何も、できない。

 

 何も、させてくれない。

 

 何も、聞こえない。

 

 裏切られたのだろう。

 

 捨てられたのだろう。

 

 自分はもう、用済みなのだろう。

 

 自分がいると、困るのだろう。

 

 嗚呼、それでも。

 

「まだ生きていたい」と、心が叫ぶ。

 

「もう一度逢いたい」と、本能が喚く。

 

 止めるべきだと。

 

 間違っていると、わかっているのに。

 

 嗚呼、また、嘆いている。いまこの瞬間も、常に。

 

 誰の声も、聞こえない。

 

 誰も声を、聞いてくれない。

 

 

 

 彼は、何処だ。

 

 生涯、唯一私の声を聴いてくれた……

 

 

 彼は、何処だ。

 

 

 

 歌う。唄う。謡う。謳う。

 

 自分の嘆きを、ひたすらに。

 

 息を吐き出し、喉を震わせ。

 

 何もない虚数の宇宙(ソラ)へと響かせる。

 

 

 嗚呼、嗚呼……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……Aaa──

 

 

 

 

━━━━━━━━━━

 

 

「…………ぅ、ん……」

 

 悲しい、夢を見た気がして。とても寂しい、誰かの唄を、聴いた気がして。誰にも届かず、誰にも向かわずに消えていった歌が、耳に響いた気がして。

 

「……朝、か」

 

 人類最後のマスター、藤丸(フジマル)立香(リツカ)は、酷く朦朧とした意識を引きずりながらも目を覚ました。

 

 霞んだ視界で周囲を見渡せば、ベットと、観葉植物と、ほんの少し本が収納されている本棚。学生の立香には少しばかり殺風景な、住み始めて一年近く経つ部屋。いつも通りの、見慣れた光景。

 

 どうやら、不穏な夢から覚めたら絶海の監獄や見知らぬ洋館の中という展開はなさそうだと、少しだけホッとする。

 

「……にしても、変な夢だったな」

 

 藤丸立香という人間と夢には、少なからず縁がある。時には契約した英霊の過去であったり、或いは別世界からの救援要請であったり。なんにせよ、カルデアという施設に来てからは夢に関われば一悶着あり、と断言しても良いほどなのだ。

 

 その中でも、先の夢は特異だった。今まで見た夢の内容が薄かったなどと言うつもりは毛頭ないが『ただ事ではない』と断言できるほどの何かが、あの夢にはあった。幾重にも積み重なり、混ざり合った、執念と呼んでも良い怨嗟のような何かが。

 

「…………いや、違うな」

 

 自分で出した結論を、自らが否定する。

 

 怨嗟ではなかった。あれはきっと、怨嗟ではないのだ。そう断定しては、いけないものなのだ。

 

 どちらかといえば、真逆。誰かに捧ぐための……そう。それこそ、立香の故郷である日本でもよく歌われていた───

 

 

 

 

 ピリリリリリ!

 

「うぇあ!?」

 

 

 続く思考を、けたたましい電子音が遮った。

 

 目覚ましのアラームにも似た独特の高低音が、部屋中にやかましく響き渡る。

 

 突然響いた音にかなり面食らった立香は、先程まで考えていたことも忘れて連絡用パネルに食いついた。

 

 カルデアに召喚された英霊、レオナルド・ダ・ヴィンチ謹製のパネルの右上端。緊急連絡を知らせる為のアイコンが点滅している。

 

 赤と黄色に点滅するメッセージマークを軽くタップし、内容を確認。件名のみが記された無骨なメッセージに目を通した途端、立香は急いで身支度を済ませた。

 

 汗でベタついた体をシャワーで流し、就寝用の寝衣からカルデアの制服へ。鏡を見て寝癖のないことを確認。履き慣れた靴を履く一連の動作を僅か3分で済ませ、弾かれたように廊下へ飛び出す。

 

 目指すはカルデア管制室。人理が消えてしまったことにより人類最後の砦となったカルデアの、中枢と呼んでもいい場所。

 

 一直線に白い廊下を駆け抜ける。少し暖かさを感じさせる壁を目に捉えては見送り、捉えては見送りを繰り返せば、一際大きな扉が目に入った。

 

 急ぎ気味に扉へカードキーを翳して、自動ドアが開くのを駆け足で待つ。開いた先に地球儀(カルデアス)が見えると、慌てて大きな広間に入り……

 

 

 

 

 

 

 

「あだっ!」

 

 盛大にずっこけた。それはもう、体操で10点を貰えるほどに綺麗に。具体的に言えば、頭が円周率を体現した放物線を描きながら床に吸い込まれ、額が硬い地面と鈍い音をたててぶち当たった。

 

 鋭い痛みが立香を襲い、思わず蹲ってしまう。そんな立香を上から心配する二人の人影が……

 

「ふ、藤丸君!大丈夫かい!?」

 

「あっははは!!こける!人類最後のマスターが入り口でずっこける!!あははは!!流石だよ藤丸君っ!転げるだけで私をここまで笑わせたのは君が初めてだははは!!」 

 

 いや、正確には心配しているのは一人で、もう一人は変なところにツボって爆笑しているのだが。あちこちで機械を弄っていただろう他の職員たちも、今は手を止めてクスクスとつられて笑っている。

 

「だ、大丈夫ですDr.(ドクター)ロマン。あと、笑いすぎだよダヴィンチちゃん……」

 

 恥ずかしさやら痛みやらで、立香はうずくまったまま返事と抗議の声を漏らした。

 

 彼らこそ、カルデアの中枢も中枢の人間。

 

 所長がいないこの施設の代理トップ、兼医療トップであるロマ二・アーキマン。通称Dr.ロマン。

 

 人理の守護者。サーヴァントと呼ばれ使役される史上の英雄。人並外れた力を持つ英霊であり、そのうちカルデアに協力した第三。レオナルド・ダヴィンチ。本人が公認し、推奨している通称、ダヴィンチちゃん。

 

 カルデアの中でも、立香と特に関わりの深い二人でもある。

 

 そして、さらにもう一人───

 

 

「失礼します!マシュ・キリエライト、二分の遅刻ですが到着しました!」

「フォーウ!」

 

 背後の扉が開き、見上げる形で見慣れた姿を視認した。肩にかからないほどの桃色の髪に、レイシフト時はつけていない眼鏡。カルデアの職員服を着用した、相棒と呼んでも差し支えない後輩の姿。そしてその肩に残る、白い謎の獣。

 

「お、おはようマシュ、フォウ君……」

 

「せ、先輩?お取り込み中だったでしょうか……?」

 

 未だ入り口近くで地面に体をつけたままの立香を見て、マシュは立香の身を案じるように声を上げた。

 

 後輩の優しさを身に感じながらも、それはそれとして。格好の悪い姿は見せられず。立香はゆっくりと起き上がった。

 

「ううん、大丈夫。ちょっと、雑談をね」

 

「マシュ〜聴きたまえよ。藤丸君ってば、管制室に入るなり入り口でずっこけてさぁ!」

 

「ちょっと、ダヴィンチちゃん!?」

 

 味方と思っていた相手からの突然の裏切りに、再び抗議の声をあげる。怨みがましそうに目を向ける立香に対し、バラしちゃってごめんごめん、とケラケラ笑いながらも一応謝るものだから、余計にタチが悪い。

 

「せ、先輩は大丈夫なのですか!?お怪我は?」

 

「大丈夫大丈夫。ちょっとぶつけただけだから。ほんと、締まらない話なんだけどね」

 

 少しだけ心配性の気があるマシュを、何事もないように宥める。本当は今も痛むし、ぶつけたどころの衝撃ではないが、立香とて男。そうそう本音は吐けない。

 

「……格好つけてるところ悪いけど、藤丸君はこの後診させてもらうよ。レオナルドは笑ってるが、ホントに肝が冷える。転んだせいでポックリなんて話はありふれてるんだから」

 

「……あはは。気をつけます。ハイ」

 

 ため息をつきながらも、ロマ二は二人を奥へと誘った。データパネルや天球儀といった最先端のコンピュータを背後に、今回の呼び出しの本題に入るために。

 

 

 

 

「コホン。それじゃあ、マシュと藤丸君が揃ったところで説明させてもらうよ」

 

 瞬間、弛緩した空気が引き締まる。六回。いや、その他にも例外はいくつかあったが……かなりの回数体験していた空気だ。そして、予測していた内容が、ドクターの口から紡がれた。

 

「先日、第七特異点……魔術王、ソロモン自らが送ったとされる最後の聖杯が発見された。そして本日午前七時をもって、我がカルデアは第七特異点へのレイシフトを可能にした」

 

「……ついに、ですか」

 

 ここまで約十ヶ月。立香がカルデアに半強制的に連れてこられて、レイシフトに巻き込まれた日から。一つ(冬木)と六つの特異点を旅して、その旅の終わりがようやく、訪れようとしている。

 

「再三になってしまうが……君たちに、この聖杯の回収を任せたい。今回もきっと、辛い旅になってしまうだろうけど───」

 

 毎度毎度のことながら、言い辛そうに言葉を紡ぐロマ二。やはりお人好しが抜けない彼の一面に、クスリと笑みが溢れてしまう。返答は、決まっていた。

 

「もちろん、やらせていただきます」

 

「お土産を楽しみにしておいてください、ドクター」

 

 追随する後輩の頼もしい言葉を背に、立香は第七の特異点への出立を決定する。そこには、一切の迷いも、悔いもない。

 

「……そうだね。全てが解決した旅の終わりに、君たちが得たものを聞かせてくれ」

 

 マシュと顔を見合わせて、頷き合う。最初は他人同然だった関係も、この一年近くで随分と変化したものだ。思えば、こんな摩訶不思議な冒険も、これ以降二度とすることがないのかもしれない。

 

「こらこら!あんまりしんみりしないでくれたまえ!」

 

 そんな二人と一人の肩を、バシンバシンと叩く者の姿があった。

 

「だ、ダヴィンチちゃん!?」

 

「君達の存在証明は天才たるこの私がパ〜フェクトにこなしてみせるんだ。君たちは安心して、旅行を楽しむくらいの気でいたまえよ」

 

 綺麗なウインクを決めながら立香とマシュの頭を撫で、何か操作をして出したスクリーンを弄り始める。

 

「さて。あと数時間後にレイシフトするわけだが……ブリーフィングとは別として。その前に、少しだけレクチャーしておこうか」

 

 ふわりと浮かび上がった青っぽいスクリーンに、レイシフトするのであろう地が表示された。立場を取られた、と言わんばかりに愕然としたロマンは、手に持っていたタブレットで無理やりにダヴィンチを押しのけて、解説を始める。

 

「え〜!今回のレイシフト先は人類史、その始まり。ティグリス・ユーフラテス流域で形を残し、多くの文明に影響を与えた正真正銘、最後の文明の一つ……ってこら、何するんだレオナルド!」

 

「先に喧嘩を売ってきたのは君だろ?大事なセリフはいただくぜ。さて諸君!明確なレイシフト先は神代末期。魔術師垂涎の時代。紀元前2600年、古代メソポタミアの地だ!」

 

「……フォフォ(醜いぞ大人共)

 

 ……締まらない。凄く感動的なシーンなはずなのに、大の大人二人が争い合いながらの発表は、正直若干見苦しかった。マシュも軽く苦笑いを浮かべている。

 

 夫婦喧嘩は犬も食わないとはよくいったもので。説明しながらの二人の仲介には、およそ二十分弱を要し。結局、二人の争いによって詳しい説明が立香の頭には入らなかったのだった。

 

━━━━━━━━━━

 

《アンサモンプログラム、スタート

 

 霊子変換を開始します》

 

 

 そして、二時間後。準備と診察、バイタルチェックなどを全て済ませた立香とマシュは、コフィンの中で無機質なアナウンスを聴いていた。

 

《レイシフト開始まで、あと、3》

 

 ほんの数秒。あと数秒して目を開ければ、見たこともない、土地も違う、時間も違う場所にいる。不思議で、不安で。ダヴィンチに渡されたマフラー型の魔術礼装を、強く握る。

 

《2》

 

 そういえば、と。気晴らしに回想を試みて、頭に入れておく単語があったと思い出す。ダヴィンチが喧嘩しながらも言っていたことだ。

 

《1》

 

『藤丸君、これらの名前は覚えておきたまえ。時代と土地は合っている。もし彼らが力を貸してくれるなら、私たちの聖杯探索(グランドオーダー)の成功率は、ググッとアップする。なにせ、史実で最強と謳われている英雄たちだ。尤も、人類史のねじ曲がりによって人やなりが変わっている可能性もあるがね』

 

《全工程、完了(クリア)

 第七グランドオーダー、実証を開始します》

 

『いいかい、よく覚えておくんだよ。『英友王(えいゆうおう)ギルガメッシュ』、『天の鎖 エルキドゥ』、そして……』

 

 

 

「第七グランドオーダー、実証開始!」

 

 

 

『『始まりの天使 アンヘル』という名を』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第七特異点(だいななとくいてん)
EX
人理定礎値:

────────────────────

BC.2655

他界(たかい)享受(きょうじゅ)郷国(きょうこく) バビロニア

萌え出づる懐の追憶

 

 

 

 

 

 

 



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第一節 愚者(ぐしゃ)()()ちる (1/2)

アンケートに協力ありがとうございました!審議の結果、ある程度皆さんが原作を知っている前提で進めさせていただきます。

てか、飛ばしていかないと完結できる気がしません。創作意欲が湧くうちに書くべし書くべし!そしてみなさんは感想を書くべし書くべし!物語の考察とか、最新話じゃない話の感想とか、前作品の感想とかも大歓迎!作者が喜ぶからね!


 暗く、狭い部屋だ。

 

 机があり、椅子があり、寝台があり。その他に色々と物が転がっている簡素な部屋。とある泥人形、そして少年が死を迎えた部屋と、それは酷似している。いや、真似て作ったという表現が正しいだろうか。

 

 灯はなく。部屋に光るのは青白い魔術の光のみ。美しい蒼の光が、金の髪を持つ女性を照らし出していた。光の映し出す画面には鱗のようなものが埋め尽くしており、何かを潰すような音が響いていた。

 

 

 

『ふん。人間というものは愚かだな。動きは愚鈍で、味は粗悪で、何より脆い。地の肥やしにしかならぬ。何故こんな生き物が世界を支配していたのだ?』

 

 尊大で、傲慢で、相手を威圧するような声が画面の向こうから聞こえてくる。何かの圧縮音が消え、大きな蛇体を持つ女神が画面から遠ざかった。

 

 そして画面いっぱいに映し出された、血、血、血。死体の肉と、臓物と、骨。映像のみだが、あまりにもグロテスクな光景。常人であれば、見ただけで胃の中身をひっくり返すだろう。

 

『あら、それを言ってしまいます?人間が面白い。その事実だけで私は十分。別にムカついたからって、身体で潰すことないと思うけど?』

 

『……そうか?我ながら、お前好みの殺し方だと思ったのだが』

 

『……まぁ、お互いミンチになるまで闘うってのは好みだけど…………でもやっぱりナシデース!流石にボディプレスでもミンチにはしまセーン!』

 

 嬉々として、死をなんとも思わぬ二人……否。二柱の会話。正直、嫌悪感を覚える。死とは本来もっと静謐であるはずなのに。

 

 そう、()のように、美しく、静かで、暖かな死こそ理想で───

 

『おい、おい。お前だ。聴いているのか冥界の』

 

「……あら、何かしら。今、理想の死について考えていたから忙しかったのだけれど」

 

 思考を妨げられることは不愉快だが、仕方なく呼びかけに応じる。思ったままを口にしたが、どうやらそれが相手にとっては奇妙な返答だったらしい。鼻で笑う声が聴こえてくる。

 

『……はん、相変わらず奇天烈なことを考えている。我が魔獣はエシュヌンナ、シッパル、キシュ、カザルを飲み込んだ。北部はこれで全滅だ。貴様の方はどうだ?太陽のはともかく。お前はあの忌々しい壁の内を滅ぼす算段のはずだが?』

 

「……あら、図体の割に意外と遅いのね。あなた。あれだけの魔獣を従えておいて北部を滅ぼすことしかできないのかしら。……なんて。私も人のことは言えないのだけれど」

 

 報告しながら歯噛みをする。口の奥でギリリと奥歯が鳴った。順調だったのに。完璧だったのに。あの王が下したあの一手で、全てが台無しになったのだ。愚痴の一つも漏らしたくなる。

 

「あの魔術師のせいで、人口の一割と八つの市を消してからは毎日数十人単位よ。ま、順当にいけば一年後には国が崩壊してるんじゃないかしら?」

 

『……ははは。一年、か。ソレも良い。不服だが、我が魔獣共では兵士どもは()()()()()()。兵どもが弱り尽くし、国として機能しなくなるまで……二月、三月といったところか。それまでじわじわと嬲り殺すのも一興よ。どうせ、奴らは()()()()()()()のだからな』

 

 画面の向こうの覇気が、少しだけ緩んだ。

 

 ……その現象自体はいただけないが、仕方ない。おかげで助かっている面もある。尤も、『彼』が知ったら大変なことになるだろうが。

 

『ちょっとちょっと。私を除け者にして話を進めないで。私だって、聖杯を狙ってるんですから』

 

「……あなたは別に、人間で遊べればなんでもいいんでしょう?聖杯なんて求めてもいないだろうし。精々、チャンピオンベルトとでも思ってるんじゃない?」

 

『……ワオ、お姉さん驚きデース!そこまで読まれてましたか!実際、ワタシはあれ、チャンピオンベルトだと思ってマス!』

 

 ……いつものことながら、頭痛がしてきた。確かに彼女を含め三柱は聖杯を願望器の面では見ていないが、流石に例えが秀逸すぎる。聖杯からの知識でチャンピオンベルトを巻いたあの女神が、容易に想像できてしまったではないか。

 

 呆れ果てた自分の雰囲気を悟ったのか。画面の向こうから、わざとらしい咳払いが聞こえた。

 

 

『まぁ、よい。此度の会合は貴様らの意思を確認するものでもあったのでな。一度こちらに赴いてから、冥界のが通信でしか話せぬと宣うのだ。こうして定期的に意思を確認せねば、おちおち眠ることすらできぬさ。……貴様の()()()()のことを考えれば、妥当といえば妥当なのだろうが、な』

 

 珍しくこちらに向けられた皮肉の笑みに、思わず頬がかぁっと紅くなる。……が、これでも女神同士。そう易々と隙を見せるわけにもいかない。一瞬で元の顔色を取り戻すと、即座に反論の態勢へと移る。

 

「か、勘違いしないでちょうだい!私はこの『三女神同盟』から脱退するつもりもなければ、彼らを滅ぼさないつもりでもないの!」

 

『うふふ!図星を突かれたからといって、そう声を荒げなくてもいいじゃない!そんなに大きな声を出したら、来ちゃうんじゃない?『彼』が』

 

「!?」

 

 太陽のに諭されて、即座に周囲を確認する。……人影もなければ、気配もない。暗がりには魔術の光がぼんやりと灯されたほどで、誰かが通った形跡もない。……どうやら、自分の近くにはいないようだ、と少しだけ安心した。

 

「……大丈夫みたいね。全く、驚かせないでほしいわ」

 

『ふん。女神の人柱が、ただの死人に怯えることもなかろう。いくら()()()()()とはいえ、貴様の管轄下にあるのだろう?』

 

「……違う。私が恐れているのはそうじゃないの。そうじゃないのだけれど……まぁ、説明するのも億劫だし、その解釈でいいわ」

 

 自分のホームである冥界で『彼』が暴れようが、そこまでの被害はない。精々自分のメンタルがごそっと持っていかれる程度で、鎮圧自体はものの数分で終了するだろう。寧ろ、気にしているのは全く別の方面なのだが……。

 

「それより、本筋に戻りましょう。私たち『三女神同盟』は、お互いを不可侵の条約で結んでいる。これは今後も破棄する予定はない。これでいいかしら?」

 

『……あぁ。その言質だけで充分。貴様は無慈悲ではあるが、『奴』に対しては、妙に甘いところがあるからな。絆されぬか慮るばかりよ。大方、彼奴(きゃつ)の生前の影響なのだろうが……』

 

「あ、甘くなんてないのだけれど!?…………ッ!?」

 

 思わず反論してしまってから、自分がまたも大きな声を出してしまったことに気がついた。口を手で塞いでから、周囲を確認する。……これといって、異常はない。

 

 安堵のため息をつきながら、待たせていた相手に続きの言葉を……

 

「私は人を滅ぼすことに躊躇なんて無い。結局、あの愚かな人間共に価値なんて……」「エレシュキガル様〜!お〜や〜つ〜だ〜よ〜!

 

「…………」

 

『…………』

 

『……』

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……恐れていた事態が発生した

 

 ……沈黙。場を包む沈黙が痛い。やけに間延びした声のせいか、先ほどまで嬉々として話していた太陽の女神すら口を一の字に結んでしまっている。

 

 と、とにかく何か手を打たなければならない。このまま動かずにいれば、事態が悪化するのは目に見えている。まずは、扉の向こうから音波攻撃を仕掛けてくるあの少年から片をつけなければ……!

 

 全力で部屋の外へと駆け出し、扉を押し開ける。破裂したような音を立てながら開いた(吹き飛んだ)扉が視界から消えると、ギョッとした表情でこちらをみる白金の少年が廊下の先に佇んでいた。

 

「いまちょっとカッコつけてるとこだったの!!黙ってて!!あとありがとう!あとでお茶にしましょう!」

 

「は、はい!わかった……!」

 

「よしいい子!暫く待ってて!」

 

 閃光のような速度でそう言い終えると、再び全速力で部屋の中へと舞い戻る。その間、僅か十秒。

 

「……失礼したわ。早速続きを……「エレシュキガル様、お砂糖は〜?」…………2つ!!」

 

 

『……』

 

『…………』

 

「…………」

 

 扉を閉め忘れていた。キィィィ、と自身の悲鳴を体現したかのような音を立てながら、扉が閉まる。

 

 

『…………終わるか?』

 

「終わらないわよ!?何!?ここで終わったら、私ただ醜態を晒しただけの間抜けな女神になっちゃうじゃない!」

 

 今まで聞いたこともない慈愛と憐憫に満ちた声が、余計にエレシュキガルを刺激する。悲しいかな。魔獣の女神にもまた、似たような(姉と戯れる)経験があったが故に。それでもここまで酷くはなかった気はするが。

 

『……ま、まぁ。あの英雄の攻撃でこの程度の手傷で終わったと思えば安いものでしょう。彼が本気になれば、私たちとてただでは済みませんもの』

 

『そうだな。そういうことにしておこう。……冥界の、貴様はよくやっているとも。我らの圧倒的優勢を崩しかねない英雄の隔離、見事である』

 

「なんだか余計に憐まれてるんですけどぉ!?雑なフォローが余計に痛いわ!」

 

 先ほどとは別の意味で頭を抱えてしまう。今の今まで張り倒してきた無情な女神の皮が、脆くも崩れ去ってしまう錯覚を覚える。

 

 

 

 

 だが、そんなぐだぐだした空気は、長くは続かなかった。

 

 

『……母上、御歓談のところ失礼致します。ただ今帰還いたしました』

 

 優しい、青年の声。幾たびか聞き覚えのある中性的な声。……彼の死体を明け渡したのはエレシュキガル自身とはいえ、ほんの少しの、罪悪感。気が緩み始めていた三柱の意識が引き締まった。

 

『おお、お前か。よくぞ戻った。今し方、二柱の女神と今後の方針を確認していたところよ』

 

『……そうでしたか。でしたらちょうど良かった。今し方、魔力の揺らぎが観測されたところです。おそらく、例のカルデアの者達のレイシフトかと』

 

『……ようやくか。遅い、遅すぎるな。既に手遅れもいいところよ』

 

 魔獣の女神が、残酷に口元を歪める。それに関しては、エレシュキガルも全くの同意見である。あと三ヶ月ほど早ければまだしも、北部が陥落し、仕掛けが整ったこの状況では如何なる力を以ってしてもこの三柱に勝つことは不可能だろう。

 

 しかも噂ではただの人間とサーヴァント擬きが一騎だとか。そんな微々たる戦力で、何ができるというのか。

 

『ええ。彼らなどあなた方の敵にすらなりません。ですから御尽力を。ウルクの大杯を手にした者が、焼却後の世界を支配する。その契約が変わることはありませんので』

 

 緑髪の少年は、大きく手を広げ、仰々しい声でつらつらと言葉を並べていく。……まるで、女神を扇動するかのように。

 

『母上のように魔獣で地を埋め尽くすもよし。太陽の女神のように目に見える恐怖となって人を滅ぼすもよし。或いは───()()と化して、命を奪うもよし。手段は問いません。最後に聖杯を勝ち取った神が、新たな世界の支配者となる。それこそが……魔術王があなた方と交わした、唯一の契約なのですから』

 

 彼らしくもない。酷く改まったその宣言が、この会合の解散の挨拶となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ねぇ、エレシュキガル。私、あの子割とタイプかも。今度会わせてくれないかしら?うちのジャガーとでも交換しない?』

 

「…………あら、随分と吠えるじゃない。人の宝を盗んでようやく不死になった蛇如きが。餌の蠅がわりに死を御所望かしら?」

 

『あら、こわいこわい。じゃあ楽しんできたら?お、や、つ』

 

「……コロス」

 

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 何度も経験した、穴に体が吸い込まれていくような光景。感覚。視界が白く染まる。黒くなる。そして、視界が開ける。そして……

 

 

 

 

「お、落ちてるぅぅぅ!?」

 

「きゃあああ!?お、落ちてます!バンジーです!先輩!」

 

「フォウ!フォーウフォウ!」

 

 気がつけば立香は、天空からのスカイダイビングを体験していた。下を見れば、辛うじて草らしきものが視認できる。高度にして、およそめちゃくちゃ高め。自分が体験したこともないほどの高さであることだけが理解できる。

 

「あ、アーラシュ砲に似た気配を感じる……」

 

 ふと、脳裏を第六特異点の無茶苦茶移動法がよぎった。轟々と吹き付ける風、迫りくる地面。早速、現実逃避が始まっていた。

 

「そ、そそそそ、そんなことを言っている場合ではありません!いえ、私も未だにあれはトラウマなんですけど───!」

 

「フォォォウ!!」

 

 話している間にも、どんどんと地面は迫ってくる。のこり八十。七十。六十メートルと、視界がどんどんと緑に覆われはじめて──

 

「ほ、宝具の開帳……お願い、間に合って……!」

 

 間違いなく、地面に激突する。潰れたトマトのように血と臓物を散乱させて、立香達の命が終わってしまう───そんな想像が具体的な形を取り始めた、その時。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ったく。生き残ることすらまともにできねぇのか、カルデアの奴らってのは。です」

 

 呆れたような物言いが、何もないはずの空で耳に届く。直後……もふり、と。想像していたものとあまりにかけ離れた感触が、立香達を包んだ。綿のような。マットのような。ゴムのような。

 

 弾力があり、かつ衝撃を吸う謎の物体が、3バウンドに及んで立香を跳ね返し。そして安定した。

 

 白いモコモコとした物体は安定した途端すぐに消えてしまい、その高低差分だけ、立香達は尻餅をつく。だがその痛みもあの落下に比べれば微々たるもので、想像とのギャップに数秒ほど思考が停止した。

 

 

 

「……死んだかと思った」

 

「……フォウ」

 

 ぶつけた腰の痛みも感じず、未だに激しく脈打つ心臓を押さえながら、なんとかそう漏らす。今まで命の危機は何度も乗り越えてきたつもりだったが、それらとはまたベクトルの違う恐怖に、身体がガクガクと上下に震えていた。

 

 左手側を見て、マシュとフォウが無事であることを確認して、ようやく安堵のため息を吐いた。

 

「…………同感です。すみません、マスター。私の判断が遅れたばかりに、宝具を展開する時間がなく……」

 

「いやいや、そんなことないよ!マシュに指示しなきゃいけないのは俺だったんだから、むしろ俺の……」

 

 責任だ、と。口にしようとした……直後。

 

「……」

 

 視界が、自身に影を差す相手のことを視認する。

 

 身長は……140センチほどだろうか。かなり小柄な、少年か少女であることが窺える。

 

 フードのようなものを被っているせいでその貌は見えず、はみ出た()()を風に靡かせて、無言で立香達を見下ろしていた。

 

「……き、君が、助けてくれたの……?」

 

 立香は見ていた。自分たちが落ちる寸前、地面はただの草原だった。そこに突然あの白い物体が現れ、そして突然消えたのだ。アレがなければ、立香達の命はここで終わっていただろう。

 

 魔術か、もしくは宝具。周囲に人影がないことから、引き起こしたのが少年であることは明らかだ。見ている感じ、纏う雰囲気からして、一般人とも思えない。

 

「……英霊の、方なのですか?」

 

 マシュが起き上がってそう尋ねたが、英霊らしき彼、彼女の反応は芳しくない。フードの下から覗く蒼の双眸が、立香とマシュ、そしてフォウを射抜いていた。

 

 そして数秒の沈黙の後に、その重い口が開かれた。

 

「……みっつ、忠告してやる、です」

 

 声は、中性的だった。どちらかといえば高めだが、それは声変わり前特有のもので、声だけでは性別を判断することができない。ただ無機質で、少しだけ震えている。

 

「ひとつ。野宿は……するな。こっからまっすぐ、絶対魔獣戦線か……ッ!……西の、杉の森を目指せ、です。眠るな。もし夜を回っても、そこでなければ、寝るのは…だめ、です」

 

 乱暴なのか、丁寧なのかわからない。かなり特殊な喋り方だ。少なくとも、立香は会ったことがない。

 

 フードの相手は、ふらふらとふらつきながらも、こちらへの忠告を続ける。その姿と声色が、あまりにも辛そうで……苦しそうで。

 

「ふたつ、め」

 

「ま、待ってくれ!君、苦しいんだろ!?もう喋らなくていいから、そこで横になって……」

 

「うるせぇ、です……」

 

 立香が触れようとしたその手は、英霊の手によって振り払われる。

 

 ……冷たい手だった。全てを拒絶するような。何もかもを凍らせてしまうような。何もかもを否定してしまうような、そんな冷たさ。

 

 刺されるような冷たさに面食らった立香は、少年(仮)が寒さを堪えるように屈み、息も荒くなっていることにも気がつく。

 

「……常識を、疑え。……おまえらの常識と、この世界の常識は……違う。……疑うことが、最後の鍵になるはずだ……です……ぐ、ぅぅっ……」

 

「先輩!下がってください!」

 

 聴き入るように英霊の忠告を待っていた立香。その立香と英霊の間に、突然マシュが盾を持って割り込んだ。

 

「この方、何かおかしいと思っていましたが!()()()の気配を感じます!」

 

「魔術王の……!?」

 

 では、敵なのか。

 

 ……では、何故こんなに苦しんでいるのだろうか。そしてそんな中で、立香たちに話をしているのだろう。そんな謀で殺すならば、今すぐ襲い掛かったほうが早いだろうに。

 

 そもそも、立香達を助けなければ、空から落ちた時点で死んでいた可能性すらある。……本当に、敵なのだろうか?

 

「……三つ、め。みっつ、めは…………あぁぁっ!」

 

 最後の言葉を口にしようとして、彼は一層苦しそうに彼自身の身体を抱きしめる。震えもかなり大きくなり、今にも崩れ落ちてしまいそうだ。

 

 ……敵じゃない。……敵だとしても、ここまで苦しみながらも助けてくれた相手を、放ってはおけない。そう考えて、マシュの盾から一歩だけ彼の方に踏み出して、事情を訊こうとした。

 

「君は、一体何を……」

 

 ……その瞬間、いくつかのことが同時に起こった。

 

「……!先輩、伏せて!」

 

「…………えっ?」

 

 まず、立香の目の前に拳大の『何か』が接近した。

 

 突如出現した黒がかったソレは、球体と呼ぶにはあまりにも不安定で、かといって角ばっているわけでもなく、今にも空気に溶けてしまいそうなほどに輪郭が曖昧なもの。

 

 絶対的に自然界には存在しない物質。そして恐らく、この英霊の宝具。

 

 そしてその接触を、マシュの盾がすんでのところで防いだ。マシュの盾が宝具らしきものを弾き返し、宝具が空彼方に消える……その時。

 

「……なっ……!?」

 

 宝具が……爆発した。

 

 数多の物質を内包したような球体は、その姿を純白の煙に変え、明らかに見合っていない質量になりながらも、ほんのコンマ数秒で辺り一面に広がったのだ。

 

 大量の煙が視界いっぱいに広がり、思わず咳き込んでしまう。だが体にこれといって異常はなく、精々煙たいくらいだ。

 

 そして、何も見えなくなった世界に、あの声が響き渡った。

 

 

 

「……最後、は。……冥界の、奴に、伝えろ、です。……ッ……!ギル……ガメッシュ、エルキドゥ……この、二つの名前、を」

 

「……毒ガス……ではなさそうです!先輩、フォウさん、ご無事ですか!?」

 

「フォウ、キューン!キュ、フォ!」

 

「俺は大丈夫!それより……」

 

 訊かなければ。何を知っているのか。何を言っているのか。そして……彼は一体、何者なのか。山ほどの疑問が、浮かんでは消えて、浮かんでは消える。

 

 そして、最後に出たのは……

 

「き、君の!君の名前は何!?」

 

 本当に、他愛のない。世間話のような一言だった。

 

 沈黙。何も、返ってこない。煙幕は晴れず、白い煙がもうもうとその場を立ち込める。失敗した。そう、思った時──

 

 

「──ウチは…………亡霊。……名前もない、ただの人でなしだ、です」

 

 

 

 奇跡のように返答が返ってくると。まるでそこには何もなかったかのように、煙が晴れる。……当然、フードの子供はその場からいなくなっていた。

 

 

 

「…………先輩、今のは……」

 

『……あぁ、よかった!繋がった!』

 

 ようやく見えるようになったマシュと目を合わせると、通信が復旧したのか、ロマ二の声が手の機械から聞こえてくる。

 

 どうやらいつも通りというかなんというか、酷く慌てている様子だ。

 

『驚いたよ!いくら大気中の魔力が濃いとはいえ、藤丸君達のY座標が120mに達していたんだ!その様子だと、無事だったみたいだね!よかった……』

 

「……ドクター。先ほどの英霊、そちらでは確認できたでしょうか?」

 

『……英霊?こっちでは君達以外、サーヴァント反応は(おろ)か、生命反応すら確認できなかったけど……』

 

「……そう、ですか……」

 

 

 ……先ほどの煙幕と言い、謎の白い物体といい、子供といい。

 

 まるで、夢でも見ていたかのようだ。跡形もなく、立香達以外に確認されることもなく消えている。

 

 けれど、しっかり覚えている。三つの忠告。野宿をするな、常識を疑え。冥界にいる誰かにあの二つの名前を伝える。立香とマシュとフォウだけが、そのことを覚えている。

 

「……いや。それよりも、現在地を確認しよう。ドクター、ここは────

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 そこからは、正史とほとんど変わらない。立香達は魔獣に襲われ、空を飛ぶ謎の女性と遭遇し、そしてエルキドゥと名乗る緑髪の美青年に案内され、絶対魔獣戦線から西の杉の森へと赴く。エルキドゥという名前を聴いて、先ほどの子供を思い出しながら。

 

 まぁ、尤も───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……おや?彼らがここにくるようだ。……どうやら、あの子の助言が効いたらしいね」

 

「……黙ってください。マーリンはムカつきますが、()()ナリのあなたが達観したように話すと、さらに苛立ちます」

 

「おやおや、これは手厳しい。どれ、少しばかり、仕込みをしておこうかな……」

 

 杉の森で佇むのは、正史とは少し離れた、特殊な()()()なのだが。

 

 




Q. ここだけで他のstay nightやプリヤとか投稿するの?
A.FGO編が終わったらまた別に作品作ってそこに投稿します!その際strange fakeとかZERO含めて再投票できればいいな、と思っています。

三柱の女神が恐れる英雄……一体何ヘル君なんだ…


謎の少年、通称亡霊くんちゃん(感想欄で勝手に決まった)の正体を予想して見てください!


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第一節 愚者は地に堕ちる (2/2)

Q.亡霊くんちゃんの真名って?
A.ヒントの少ない今じゃ当てられると困ります。作者が泣きます。前作品で紹介したハーメルン君ではありません。

Qグランドクソ野郎リリィはろくでなしなの?
A.子供の頃からろくでなしだったやつを子供の頃に戻すとどうなりますか?

 カスタードクリームは卵と牛乳、砂糖と小麦というわりとメジャーな材料で作られてるから神代でもある。あるったらある!(滑らかさを出すなら生クリームとバター必須)

「冥界にオーブンとか小麦とかオシャレなもんあるわけないだろ!」 
と、思った方。その通りでございます。

 原作無視とかではなく割と伏線ありきなことなので許して……


 そっと、扉を開いて部屋の中を覗き見る。彼が変に思っていないか。彼が何か企んでいないか。それを確かめるために、毎日やっていることだ。

 

 幸い、彼はエレシュキガルに気がついていないらしい。可愛らしくテーブルを拭いたり、お菓子の準備をしたり。忙しなく動き続けている。

 

 その節々にエレシュキガル様まだかなぁ、などと呟くものだから、対人経験のほとんどないエレシュキガルは顔が赤くなってしまうが、それはそれとして。優雅に、女神らしく登場しなくてはならない。

 

 わざとらしく髪をかき上げながら、扉を音を立てないように慎重に開く。すると、風の変化でも読み取ったのか、勢いよく彼はエレシュキガルの方へと振り向いた。

 

「あ……いらっしゃい。エレシュキガル様」

 

「……ええ。好意に甘えて呼ばれたわ。アンヘル(・・・・)

 

 ウルクでは珍しい、白金の髪をキラキラと揺らしながら微笑む彼に、先ほどの辱めも忘れて思わず微笑み返してしまった……

 

 ……ところで、魔獣の女神に「甘い」と忠言されたことを思い出し、無理矢理に笑顔を消して真面目な表情を作る。

 

「こっちに座って、エレシュキガル様」

 

 椅子を引いてぴょんぴょんと跳ねる姿がまた可愛らしい。容姿が整っているのは、以前の彼が愛されるために造られた人造人間の血を引いているからだと言っていたが、どうにもそれだけではないと確かに思わせる魅力を放っている。

 

 もしここに面食いのイシュタル(半身)がいたら、即座に求婚を求めることだろう。……まぁ、お互い致命的に反りが合わないのか、イシュタルにこんな柔げな笑みを浮かべた姿を見たこともないし、逆にイシュタルがアンヘルの容姿以外を褒めたところも見たことがないのだが。

 

「……わかったわ」

 

 エレシュキガルが座ったのを確認すると、アンヘルは少し時間が経っていい塩梅の温度になった紅茶をティーポットごとテーブルの上に持ってきた。

 

 そのまま用意されていたカップに紅茶を丁寧に注ぎ、同じく用意されていた角砂糖を二つずつ落とし、かき混ぜた。

 

 エレシュキガルの前へとソーサーに乗ったティーカップを持っていき、そそくさとお菓子らしきものを持ってくる。

 

 今日のお茶請けはタルトらしく、丸いお皿がテーブルの中央に慎重に置かれる。そしてナイフでタルトが切り分けられ、8分の1サイズになったそれが同じようにエレシュキガルの前に置かれた。

 

 濃厚な紫色と対比的に、食欲をそそる焼けた茶色の両立したタルト。ほかほかと湯気の立ち上る紅茶が、エレシュキガルの胃を暴力的なまでに刺激する。

 

 

「……そ、それじゃあ、いただいてもよろしいのかしら?」

 

「うん!召し上がれ!お菓子はまだまだあるから、どんどん食べちゃって!」

 

 

 その言葉を聞き届けた途端、エレシュキガルはフォークをもってタルトへと切り掛かった。三角の先端を心なしか小さめに切り取って、期待を込めて口の中へと放り込む。

 

「……うん!うんうん!」

 

 タルトの文句のつけようのないサクサク感。そして甘さより酸っぱさが際立ったブルーベリーに、下のカスタードクリームがとてもよく合う。もったりとした甘さが濃厚な官能をエレシュキガルに届け、紅茶を口に含めば爽やかな風味と共にスッと消えていく。

 

 たまらず二口目を頬張り、隠し味として入っていたラズベリーの食感を楽しむ。もったりとしたバタークリームが甘くとろけるカスタードと混ざり合って、えも言えぬ満足感で満たされる。

 

「…………はっ!」

 

 夢中になって食べているうちに、もう一切れを食べ終えてしまった。

 

 恥を承知でアンヘルの方を見ると、あちらは一口もタルトに手をつけず、ニコニコとこちらを見ているではないか。

 

「どうかな。お茶、美味しい?」

 

 ……先ほどの痴態を見られていたことの恥ずかしさを誤魔化す目的半分、単純に紅茶を味わう目的半分で、半分ほど飲んでしまった紅茶を口に含む。

 

「ええ。あなたが淹れてくれると、とびきり美味しいわ」

 

「ありがとう!で、お菓子の味の方はどうかな?どうかな?結構な自信作なんだけど」

 

 新しくタルトをエレシュキガルの皿へと切り分け、アンヘルは感想を求めた。返答の前に、待ちわびた二切れ目のブルーベリータルトをまた切り取り、一口。

 

「うん、やっぱりおいしい!また腕上げたのね、アンヘル!」

 

「ほんと?うれしいな!」

 

 一口食べ出せば止まらない。紅茶のお代わりもついでもらい、二口、三口と食べ進め、二切れ目も完食してしまう。

 

 ふぅ。と、カモミールティーで最後のタルトの欠片を流し込んだ時、エレシュキガルは本題を思い出した。

 

「……じゃなくて!アンヘル!私、通話中は声をかけないでってあれほど!「エレシュキガル様、お代わりは?」……いる!」

 

 ……残念ながら、食欲には勝てなかった。弾かれたように空の皿を差し出し、もう元の大きさから三分の一ほど質量を減らしたタルトを切り分けてもらう。

 

「……全くもう!お茶会を開いてくれるのも、お菓子を作ってくれるのも。なんなら、お勤めとはいえ冥界のお仕事を手伝ってくれてるのも私は感謝しているのだわ。……だからといって、それとこれとは話が別ってものでしょう!」

 

「……うぅっ、だ、だって。外の情報が少しでも知りたくてさ……」

 

「……何度も言っているけど、私が通話しているのは他の女神よ。私が驚いている間に盗み聞きしようが、外の情報なんて得られっこないのだわ。他の女神だって、みんな神殿に引きこもっているの」

 

 ……諦めがつくように、そう漏らす。アンヘルは少し駄々を捏ねるようだったが、しばらくして納得したようで、少し残念そうにため息をついてタルトを頬張りはじめる。

 

 ケツァルコァトルの太陽神殿。ゴルゴーンの鮮血神殿。そして、エレシュキガルの発熱神殿、メスラムタエア。どの女神にも神殿はあるものの、中でお茶会をする女神などイシュタル(半身)か自分くらいなものだろう。数十年前の自分なら、考えもしないことをやってしまっている。

 

 ……そもそも、エレシュキガルのメスラムタエアはお茶会ができるほど豪華なものではなかった。正直ちょっと他より土地が低くて、ちょっと平たいぐらいの、なんなら荒地と変わらなかったのだ。

 

 それを目の前のアンヘルが、なんの冗談だか。『貴方のような女神にはもっと立派な神殿が造られてもいいはずだ〜』などと宣い、その結果、少し昔、約十日でウルクの王城もびっくりの立派な神殿が出来上がってしまったわけである。

 

 気づいた時には今までに行ってすらこなかった地上からの輸入……もとい、供物の類まで取り仕切り始め、今ではエレシュキガルのできる仕事の方が少なくなってしまった。まさかの冥界産業革命だ。……以前(・・)の本人は『ウルクに比べればまともな労働環境』と嘯いてはいた。

 

 

 

 …………そして、エレシュキガルはそんな恩を、まさか仇で返してしまったわけなのだが。

 

うう……名前以外で自分のこと(・・・・・)知れると思った(・・・・・・・)んだけどなぁ

 

「……いつか。いつかきっと、思い出すわよ。幸い、冥界では時間がたっぷりだし」

 

 歪みそうな表情をなんとか取り繕って、かろうじてそう答えることができた。我ながら、なかなか面の皮も厚くなったものだ。

 

「……御馳走様。とても美味しかったわ。残りはまた明日にでもとっておきましょう」

 

「うん!そうしておく。後片付けは任せて!僕がしっかりやっておくから!」

 

「はいはい、任せたのだわ」

 

 笑顔でそう手を振って、さもなんでもないように扉から外に出る。

 

 自分を見送るアンヘルの眩しい笑顔が、どうしようもなくエレシュキガルの心を苛んだ。

 

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 ざくり、ざくりと。人気の無い杉の森を歩いて行く。もうじき日が暮れそうな時間だ。フードの彼がいうには、この西の森とあの魔獣戦線にたどり着くまでは寝てはいけないというのだが、果たして。

 

「……どうか、なさいましたか?」

 

「……あぁ、いや。ウルクとは全くの別方角だなぁ、と」

 

 目の前で首を傾げるのは、ここまでの案内を務めてくれているエルキドゥと名乗る青年だ。瞬く間に十数もの魔獣を倒すほどの実力を持つ、神の作り上げた泥人形。その端正な表情とビー玉のような目からは、どんな感情も読み取ることができない。

 

「方角を気にしていらっしゃるんですか。……実は、この先に波止場がありまして。そこには船が残っているので、川下りをしてウルクまで一直線、というわけです。お疲れかと思いますが、この森を抜ければ、すぐそこにありますよ」

 

 そう言って、再び森の奥深くへと歩いていく。足取りに淀みはなく、たしかに土地勘はあるのだろうと思えばするが……

 

 

「先輩、先輩。エルキドゥさんに、先ほどのフードの方の話をしてみてはどうでしょうか?」

 

 ふと、耳元でマシュがそう提案してくる。

 

 ……確かに、あの子供は言っていた。『冥界の奴に、エルキドゥとギルガメッシュという名を伝えろ』と。そして、目の前にはその通り、エルキドゥがいるのだ。話してみれば、誰に話せばいいのか。或いは、何か別の手がかりを得られるかもしれない。

 

「ねぇ、エルキドゥ。実は──」

 

「……おにいちゃん!そこのお兄ちゃん!」

 

 そうして話そうとした声が、横から幼い声に妨げられる。少しあどけないが、芯のある声の聞こえる方向に目を向けると、そこには二人の少年少女が立っていた。

 

 まず、奥で縮こまった黒いフードの少女。恐怖を我慢しているのか、小さな身体が震えている。顔色はなにか信じられないものでもみたかのように蒼白で、時折り何かを堪えるような音が聞こえてくる。

 

 そして、白いフードを被った白髪の少年。こちらは対照的に、こちらに怯えているというわけではなさそうだ。声をかけたのもこの少年らしく、顔をむけたこちらに対し大きく手を振っている。手には杖代わりなのか、身の丈に余る大きな棒のようなものを持っている。

 

 今日一日で出会った人の5分の3がフードの子供で、この時代の流行りなのか、とぼんやり考えた。

 

 しかしこの白いフードの少年。立香は既視感を覚える。どこかで見たことがあるような───、ないような───

 

「……おや。……君たち、どうしたんだい?」

 

「実は僕たち、ここで道に迷ってしまって……。おにいちゃんたち、ウルクに向かってるの?もしよかったら、一緒に連れて行って欲しいんだけど……」

 

 おにいちゃんのあたりで、後ろの少女が小刻みに震えだした。……何かを、怖がっているのか。魔獣か何かにひどい目に遭わされたに違いない。

 

「……そう、か。迷い人……。まいったな……」

 

「一緒に連れて行くわけにはいかない?」

 

「いえ、安全面での問題に少々不安が…………しかし、こんなところに子供だけで放置するのも危険でしょう。背に腹は変えられません」

 

 少しばかり心配そうな顔を作ったエルキドゥは、優しく少年に視点を合わせると、安心させるように頭を撫でる。

 

「僕たちはこれからウルクへと向かうよ。君たちも一緒に来るかい?」

 

「うん!ボクたちも行く!」

 

 途端に、少年の背後からブフォッ、と。何かを噴き出すような音が聞こえた。そして、ゴホンゴホンという咳が続いて聞こえてくる。

 

「あぁ、うん。じ、実は、この子は病気持ちで……早く医者に見せないと危ないんだよ、うん」

 

「た、大変じゃないか!?エルキドゥ(・・・・・)、今すぐ波止場へ──」

 

 

 急ごう、と口にしようとしたその時。

 

 

 

 

 

「……エルキドゥ(・・・・・)、だって?」

 

「う、うん。俺は藤丸立香。この女の人はマシュって名前で、この男の人がエルキドゥなんだけど……」

 

 目の前の青年の顔つきが、明らかに変化した。具体的には、年相応のあどけないものから、軽快でふざけたような明るい顔つきに。

 

 まるで、演技をする目的は果たした、と言わんばかりに。

 

「それは、困るなぁ。うん、困る」

 

「どうして?」

 

「だって、今のウルク王。英友王(えいゆうおう)ギルガメッシュは、不死の草の旅の探索から帰ってきた後の王様だ。そうなると、ねぇ」

 

 まるで何かに話しかけるように、流し目で事実を語って行く少年。すると、立香のつけた腕輪から、驚愕したロマ二の声が聞こえてくる。

 

『おかしい!おかしいぞ藤丸君!それじゃあ辻褄が合わない!ギルガメシュ叙事詩では、エルキドゥの死によってギルガメッシュ王が、一人の臣下に国を任せて(・・・・・・・・・・・)不老不死の探索を始めたはずだ!今が旅の終わった後で、エルキドゥがサーヴァントでもないだなんていうなら──』

 

(エルキドゥは、もうとっくの前に死んでいる──?)

 

「マシュっ!そいつから離れろ!」

 

 いち早く答えを導き出した立香は、マシュにその場から離れるよう命令する。幸い、不意打ちでマシュが倒されるなどということはなかったが……。

 

「あは、はははは、ははははははっ!」

 

 笑う。笑う。不適に笑う。華麗に笑う。美しく笑う。

 

 エルキドゥと名乗る何者かは、森に響き渡る大きな声で笑い始めた。

 

「……あーあ。バレちゃった。こりゃ、子供だからって侮ったボクの失敗かな」

 

 手で頭を押さえ、とてもおかしそうに笑う。弄した策が失敗に終わったというのに、全く残念に思っていないようだった。

 

「こんにちは、カルデアのマスター。人間の失敗作代表。──ああ、でも残念だ!魔獣の女神の前に人類最後の希望である君たちを連れ出すという見世物が、完成しきらなかったことが。とても、とても。残念でならないな」

 

 けたけた、と。そんな声が聞こえてくるほど、目の前の青年の表情は変わり果てていた。顔も、目つきも、背丈も、なに一つ変わっていないというのに。声色と表情だけで、ここまで違うものなのか。

 

「ここまで私たちを誘導したのは、罠だったのですか?……あなたは、一体誰なんです!?」

 

 マシュの声に、緑の青年がピクリと反応した。心底心外、という表情を浮かべて。

 

「……誰も何も、さっきから言っているだろう。僕はエルキドゥさ。彼と同じ顔で、彼のように騙り、彼と同等の性能を発揮する。これで僕の何がエルキドゥじゃないというんだ。見る目がないね、君たちは」

 

 心底呆れ果てた、と言わんばかりに彼はそう吐き捨て、改めて、戦闘態勢に入った。立香も慌てて、戦闘態勢を取る。

 

 だが……マシュが一匹で苦戦した魔獣を、何十体も一蹴するほどの力を持つ彼に、どこまで善戦できるか──

 

 

 

「僕の独断で動いた結果だったが……結末は下の下だね。まさか──こんなところで、君たちが串刺しになって終わりだなんて、さ」

 

 突然、立香の地面から無数の鎖が現れる。マシュにも同様で、一瞬にして、身体が大量の武器によって貫かれる。

 

 いつかの魔獣のときのように、内側から鎖で身体を貫き尽くされ、立香とマシュの命は簡単に尽きてしまった。

 

「……『民の叡智(エイジ・オブ・バビロン)』……思った以上に、呆気なかったな」

 

 大地を操る宝具による先制一撃必殺。これ以上なく確実で最強に近いものの、あまりに手ごたえというものが感じられない。

 

 所詮神秘の薄れた魔術師などそんなものか、と切り捨て、残った二人の子供を逃すため、そちらに向かおうとして……

 

「……?いない……?」

 

 彼らの姿が、どこにも見当たらない。ただ逃げたわけではない。森の中にいるのであれば気配くらいなら辿れるはずだが、その気配すら見当たらない。

 

 そして振り返ると、そこにはさらに信じられない光景が広がっていた。

 

 殺したはずの人間とサーヴァントが、大量の花びらとなって消えて行くのだ。途端に質量が失せ、鎖は形を保てず光へと消えてしまう。

 

「……やられたな。幻術。それも、かなり高ランクのものだ。となると、あの子供のどちらか……大方、白い方が噂の花の魔術師……」

 

 飛んできた花弁の一つを、苛立ちのままに握り潰す。油断した。子供の姿だったから。……いや、それも言い訳だ。

 

 彼の口調が、この身体の覚えている親しみのある者の物だったから。だから、少し気を許してしまった。彼は裏切らないだろうと、勝手に決めつけてしまった。

 

 思えば西の森であったことも悪かった。……ここは昔フンババを討伐した、前の機体に思い入れのある地だ。

 

 ……以前の記憶が閲覧できる。白金の髪を揺らし、紅玉(ルビー)のような瞳を輝かせる少年。共に戦い、共に憂い、そして、最後には─────

 

「……あ……れ……?……」

 

 気がつけば、目から何か液体が溢れ始めていた。何度擦っても、何度擦っても、止めどなく水が溢れ出てくる。

 

「……故障が、酷いな」

 

 漏らした声は、やけにかすれていた。

 

 

 このまま彼らを追い続けるわけにもいかない。あの女神は、放置していれば復讐心から勝手に行動を開始する。

 

 それだけは、なんとしてでも阻止しなくてはならない。自分自身の、真の目的(・・・・)を果たすためにも。

 




アナちゃんが楽しそうでゴルゴーンもにっこり。


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第二節 セカイの現状(いま) (1/3)

 ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!


 正月早々スマホがクラッシュした上にiCloudのバックアップダウンロードもできねぇぇぇぇぇえ!!そして楊貴妃狙って百十連星四なし爆死ぃぃぃぃ!!


 はぁ~~~~結局これだよ。作者もうダメ。作者やる気出ない~~。
 あぁ、新年のサーヴァント何かなってワクワクして石貯めてた時が懐かしい……
 ……帰る。作者帰る~~!!


 というわけで、既に作成済みだった亡霊くんちゃんのステータスも真っ新になったところで初投稿です。

 もうやだぁぁ!!!楊貴妃ちゃんほじぃぃい!!ちがうちがうちがうちがう!!グランドクソ野郎じゃないぃぃ!!楊貴妃!性能じゃなくキャラ的には欲しいのはグランドキャスターじゃねぇんだよぉぉぉぉ!!!



 うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!



 ……ふぅ(賢者モード)

 誰か魔法のカード恵んでくれ()


 え?新年の挨拶?はいはい。あけおめあけおめ。今年もよろしくっす〜



 楊貴妃ちゃんが来なかったのはグランドクソ野郎を福袋で引いたせいなので待遇は改善しません(横暴)


 そしてお待たせした割に本編進まない……すまない…-




 

 

 

 目が、覚める。いや、正確には目が正しい情報を捉えた、と言うべきか。

 

「……あ、あれ?わ、私達は今、エルキドゥさんと闘っていたはずでは……?」

 

 いつのまにか、目の前にいた謎の青年、エルキドゥを名乗る人物がいない。それどころか、つい先ほど立香とマシュの腹を貫いたはずの鎖すら残っていない。

 

 周囲はの景色は変わらず、高い杉が覆い尽くす森。空を見れば、赤々としたら夕焼けが侘しさを感じさせる。そろそろ、日が暮れようとしていた。

 

「こ、これは、一体…………」

 

「はっはっは!成功、成功だ!あのエルキドゥを騙すだなんて、アナ、やっぱりボクは天才とは思わないかい?」

 

「……あなたが天才か天才と勘違いした気狂いかはさておいて。マーリン、先ほどの口調は不快です。二度としないでください」

 

 大きな声で笑い始めたのは、先ほどの小さな少年だった。白いローブと白い服。おまけに白い髪を揺らし、怯えていたのが嘘だっかのようで、愉快そうに腹を抱えている。

 

 黒いフードの少女は全く変わらない様子で、若干身体を震わせながらも不満げに俯いている。どうやら、白い少年が言うように病気持ちとは思えないが───

 

「……あの、あなた方は、一体……」

 

「うん?おいおい、酷いな。姿形は違うとはいえ、第五特異点……なんなら、第六特異点でも僕らは間接的に会っているじゃないか。これはもう、彼風に言うなら友達でもおかしくないと思うんだがね」

 

 ……第五特異点。北米での戦で会っていて、尚且つ第六特異点、円卓の支配する聖地で関わっている。特徴的な白い色。

 

 立香の頭の中で、急激にパズルのピースが組み合わさっていく。

 

「フォウフォウ」

 

 それと同時に、フォウ君が木に乗ってジャブを始める。

 

 マーリンという名前。少し胡散臭い喋りかた。これらが表す人物は、たった一人。

 

「フォウフォ」

 

 フォウ君が爪を突き出して身体に回転をかけ始めた。

 

 

「そうか、あなたは……!」

「フォウフォーウ!マーリンシスベシフォウ!」

 

「どフォーーウ!?」

 

 弾丸のような螺旋を描き、フォウ君の渾身の一撃が、白の少年の顔面に炸裂した。

 

 

 ──それは彼のために不幸になった(爆死した)何者か(マスター達)の恩讐の彼方。

 

 

 冠位を持つが故に出会う機会(ピックアップ)が少ない彼のために貯めた()を使い果たした者たちの執念の塊。

 

 

 そして偶の機会(福袋)を使っては何も得ることができなかった悲しみの果て。

 

 

 挙句唯一作り出した作品(Garden of Avalon)が手に入らなかった初期の頃の人間(視聴者)たちの殺意の刃。

 

 

『マーリンシスベシフォウ』対ロクデナシ宝具が小さな少年の鼻の上を捉え、肉球と爪をその小綺麗な顔面に深々と突き刺し、遠く彼方へと吹き飛ばした。

 

 なんと恐ろしい攻撃だろうか、なんと強大な力だろうか。しかし───どこかスカッとしてしまう立香がいた。

 

 きっと、どこかの世界線で立香はマーリンに嫌な思い出があったのだろう。このロクデナシは、きっとどこかで誰かを困らせていたに違いない。立香はすかさず打ち込まれたフォウ君の追撃を見送り、そう思うことに決める。

 

 

 

 ──心なしか、どこかから歓声が聞こえてきた気がした。

 

 

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

「……いったた……こりゃあ、しばらく跡が残るぞ……」

 

「フォウ、フォウ、ファ、フォッキュ

(特別訳:高貴な肉球跡でそのしみったれた面がキュートになってよかったじゃねぇか)」

 

「なんだと、この畜生!ちょっともふもふしてるからって婦人や少女にキャッキャされるとか、私の日頃の努力が馬鹿みたいじゃないか!……いや、この姿になってから御婦人方のウケはよくなったけれども!」

 

 

 …………驚きだ。……いや、フォウ君と目の前の少年とで話ができているということもそうだが、先の先までまるで神秘に包まれていたかのような少年の印象が、これでもかと言わんばかりに落ちていることが。

 

 

「……ど、同レベルの争いだ……」

 

「は、はい。……少年の姿ですから多少戯れているように見えますが、恐らく第五特異点の姿の場合、もっとシュールな光景になるのではないでしょうか───」

 

 ……想像した立香は、思わずプフッと吹き出した。痴態、奇行などという騒ぎではない。小動物に押し倒される青年男性など見られたものではないだろう。

 

「……いやはや。見苦しい姿を見せたね、藤丸君、マシュ嬢。ボクはマーリン。人呼んで花の魔術師さ。……若干小さいけど。早速、感謝の嵐とか、羨望の眼差しとか、遠慮なく浴びせて欲しい!」

 

「そ、そう言われましても……い、いえ!助けていただき、ありがとうございます!」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 先ほどの失態を見せた後で、何を言っているのだろうかコイツ。と、怪しい電波を受信しかけたが、それはそれ。助けてもらったことは事実だ。改めて、感謝の言葉を口にする。

 

 満更でもなさそうな、というか確実に満更ではない表情で照れたマーリンは、続けて困ったような顔を作る。

 

「うんうん!親しき仲にも礼儀あり、さ。そしてボクも、君たちに謝らなければならない。この黒い子はアナというんだが……病気というのは嘘でね。藤丸君たちにエルキドゥの名前を引き出させるためとはいえ、余計な心配をさせてしまった」

 

「…………アナです。マーリンの余計な一言で、心配をかけてしまいました。マーリンは死んでください」

 

「はは、相変わらず辛辣だなぁ!久しぶりに会ったペットにも冷たくされて、お兄さん泣いちゃうぞ!割とこの身体、涙腺ゆるいんだからね!」

 

 見た目にそぐわずお兄さんを名乗った後、更に痴態を重ねるのか、マーリンの目が若干緩み始めた。

 

 流石にこれ以上恩人の内心評価を下げるわけにはいけない、と。慌ててマシュがフォローに回る。

 

「え、えぇっと……マーリン君、怖かったですね〜。フォウさんは私が抱きしめておくので、もう大丈夫ですよ〜」

 

「うわぁ、美少女に合法的に甘えられるのに嬉しくないぞぅ!尊厳か色欲か、どちらを取ればいいか迷うなぁ!(ヤケクソ)」

 

 少年の姿だからか、確実に年下を宥める態度で挑んだマシュ。……若干羨ましくあるようなないような複雑な気持ちになりながらも、慌てて立香もフォローに回る。

 

「ごめんね、マーリン君。フォウ君がいじわるしちゃったせいで、いたいいたいだったね〜」

 

「こっちは確実に悪意があるね!藤丸君、ボクがマシュ君に甘えようとしたの気にしてるだろ!」

 

 …………恐らくそんなことはないこともないが、見た目相応の慰め方をするのは正しいよな、などと自己弁護しながら、若干強めにマーリンの頭を撫でる。そろそろ泣くだろうか。少しぐらい泣けばいいのにな、などと思いつつ。

 

 そしてまたもアナという少女が、ブフッという音と共に震えだす。

 

(あぁ、あれ、マーリンの似合わない口調に笑ってたんだな〜)

 

 二人して泣きそうな子供を慰めようとして余計に泣かせ、一人は地面でクスクスと笑いを堪えて転げるという地獄絵図のような光景に心なしか現実逃避しながら、ドクターロマ二の叫び声をバックにマーリンの頭を撫で続けた。

 

 

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 エレシュキガルの朝は早い。いや、冥界には太陽がないので朝も昼もないのだが。『エレシュキガル』の身体で目覚めた頃を朝とすると、それは日が昇るのと同時であるので恐らく早いのだろう。

 

 寝台に横たわった身体を軽く起こし、靴を履いて外へと出る。キィィィ、とうるさい音を立てて、扉がやかましく開いた。……先日の騒動で、どうやら建て付けが悪くなっているらしい。

 

 若干耳障りだが、意識自体は寝てすらいないので、身体は問題なく動く。元より、冥界にいる限りエレシュキガルに睡眠など必要ない。

 

 とはいえ、数年前に肉体を得たエレシュキガルにとって眠ることは気持ちがいいし、美味しいものを食べれば幸せに感じる。故に定期的に眠るし、茶会を開くこともあるのだ。

 

 我ながら人間らしくなってきたと呆れながら、それでも歩く足を止めることはせず、ある一つの部屋を目指して歩き続ける。

 

「おっとっ……と」

 

 ようやく思考を止めると、ちょうど目的の部屋を過ぎようとしていたところだった。日頃から訪れている場所だからか、無意識でも足が動いていたらしい。

 

 別段、部屋に変わった装飾はない。素材不足のこの宮殿らしく、質素で無機質な扉が付いているだけの何の変哲もない部屋である。いや、そういえばエレシュキガルの部屋の扉は先日凹んだのだったか……。

 

 

 ……先日の失態を思い出すだけでかぁっと顔が紅くなってしまうが、頭を横に振って雑念を隅に押しやる。……あれは黒歴史だ。さっぱりと忘れてしまうことにしよう。

 

「……慎重に、起こさないように……」

 

 口に出しながら、ゆっくり、ゆっくりと扉を開く。幸い、エレシュキガルの部屋のようにうるさい音も立てず、扉はスムーズに開いた。

 

 最低限開いた扉の隙間から、身体を捻るようにして滑り込ませる。少し硬い床へゆっくりと足を下ろし、なんとか音の出ないように部屋へと入り込んだ。

 

 ふう、とため息を一つ、二つ。こうして盗人紛いの真似事をする自分に一つ、謎の緊張からの解放に一つの内訳で吐いた。本当に、随分変わったものだ。

 

 

 そしてエレシュキガルは、ほぼ日課となったその光景を拝む。

 

 

 肩ほどに切り揃えられた白金の髪を。真紅の瞳を内包する閉じられた目蓋を。十年以上経っても変わらない背丈と、その姿。

 

 

(なんだか、定期的に見たくなっちゃうのよね)

 

 

 それは、寝台に横たわる天使のような人間。本人は否定するが、エレシュキガルが知る内、人間とほぼ変わらない感性を待つ人外。アンヘルの寝顔だった。

 

 

 断っておくが、エレシュキガルは別段、アンヘルのことを異性として好いているわけではない。

 

 もちろん、人間的には好ましくはある。どこまでも人間らしく、どこまでも愚直で、明るい。そんな人格を、エレシュキガルは生前から知っている。

 

 だがしかし、異性としてみられるかといえば話は別だ。愛しているか、と冥府の門にでも問われれば、間違いなくエレシュキガルはNoと答えるだろう。

 

 

 ……とはいえ、やはり人間的には好ましくはあるため……彼の言葉を借りるとすれば、彼は何者をも魅了するように作られたホムンクルスの子孫であるため…………仕方なく。大変不本意ではあるが仕方なく。エレシュキガルは稀に、偶に、ごくごく普通の習慣として、アンヘルを起こさないように寝顔を覗かねばならないときがある。

 

 

(……そ、それにしても、相変わらずよく寝ているのだわ……)

 

 

 本来、冥界の魂は寝る必要などない。例え意識が飛んだとしても意識ここにあらずといった程度で、少し人が近づけば起きてしまう。

 

 というのに、例えばこのように頬をツンツンと突いてみても、アンヘルは起きない。どれほどモチモチの感触をエレシュキガルが堪能しようと、絶対に起きることはない。逆に、音に対しては敏感で、少し物音を立てるくらいで起きてしまうのだが。

 

 日頃から脳を酷使しているからなのか。はたまた今はもう使えない(・・・・・・・・)能力を使わなくなった反動なのか。アンヘルはとても気持ちよさそうに眠るのだ。口元も、心なしか緩んでいる。

 

(……髪、サラサラ……)

 

 普段から惜しげもなく晒しているプラチナブロンドは、よくよく観察しても冥界で宝石のように輝いている。手櫛で梳いてみても突っかかりひとつなく、サラサラと液体のようにエレシュキガルの手を抜けていく。

 

 肌を見てもシミひとつない。あどけない顔には少しばかり黒い隈が刻まれていて、彼の苦労を物語っていた。……エレシュキガルの仕事を取りすぎなのだ、この子は。それでも、顔は少しだけ幸せそうだった。

 

(ホント、何やってるのかしら、私)

 

 こんな風に人の寝顔に見惚れて、苦労して近くにまで行って仔細に観察して。それでいて彼を好きでもないのだというのだから、ほとほと呆れ果てる。

 

 そうしてベッドに顔を埋めていると、アンヘルの眠気が伝染したのか、エレシュキガルまで眠たくなってきてしまった。

 

 暖かい草原のようなアンヘルの香りが、余計にエレシュキガルの眠気を誘う。起きなければ。そう思った頃には、瞼はトロンと蕩け、どうしようもなく思考がまとまらなくなってしまっていた。

 

(……何、やってるんだろうな、私)

 

 後悔と、悔恨しかない。恨みと、執念しかない。自分がやっていることは、正しくないと分かっている。自分のやっていることが、彼を苦しませるとわかっている。

 

 何も正しくない。全て、エレシュキガルが悪い。何もかもが、間違いだらけだ。

 

 

 あぁ、それでも─────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………大丈夫だよ、エレシュキガル様」

 

 すやすやと眠る冥界の孤独者の頭を、撫でる子供の姿があった。髪はサラサラで、液体のようにアンヘルの指を抜けていく。

 

「僕はここにいるよ。いつだって、ここにいる」

 

 肌にはシミがなく、少しだけできている隈が、彼女の苦労を物語っていた。気負いすぎなのだ、彼女は。

 

 償わなければ。償わなければ。

 

 昔の僕のように。前の僕のように。

 

 

「ねぇ、神様。僕は───」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…ちゃんと、笑えていたでしょうか───?

 

 

彼の耳にだけ響く晩鐘の音が返答となって、問いが虚しく潰えた。

 




ギ ロ チ ン よ り わ か り や す い 死 刑 宣 告




宝具:フォウ君の最強宝具・マーリンは死ぬ(マーリンシスベシフォウ)

 * ランク:A+
 * 種別:対ロクデナシ宝具
 * レンジ:1
 * 最大捕捉:1

フォウ君の全てをかけた一撃。螺旋を描く肉球とそれに追随する爪が、ロクデナシに正義の鉄槌を下す。

宝具を受けたロクデナシはなすすべなく「ドッフォーーウ!!」と叫び吹き飛ぶ。恐ろしいその威力が故に、攻撃を受けた相手には痛ましい肉球の痕が残り続けると言い伝えられている────



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第二節 セカイの現状 (2/3)

もう知ったもんか!前言撤回!二枚舌!一万字越え!

※深夜テンションで作成しているので内容が無茶苦茶な可能性があります。


 Q.お前はマーリンなのかいや偽物だ偽物に違いない本性を出せ偽物!

 

 A.残念ながら本物だとも!グランドの資格を持つキャスター、マーリン!魔術師の中の魔術師さ!

 

 

 Q.どうしてそんなに身体が縮んでいるんだ!まさか女性を誑かすためにそこまでやったのか!?

 

 A.ウルクの現状を鑑みると仕方がないのさ。その辺りの詳しい説明は、ウルクの中に入ってからしたほうが早いだろう。

 

 

 Q.どうして永遠に死なないはずのお前が死ななければなれない英霊になっているんだ!

 

 A.私はこの時代ではまだ生まれていない。つまり死んでいると解釈できるわけだ!ちなみに、私はとある召喚主(マスター)に呼び出されたサーヴァントだが、アナは聖杯の影響で呼ばれたマスターを持たないはぐれサーヴァントなのさ。

 

 

 Q.『みんな、気をつけて!ワイバーンがやってくるぞ!』…どうかなロマ二。声は若干高いが、似ているだろう!

 

 A.ははは、100点をくれてやる!よし、藤丸君!どさくさに紛れてそのロクデナシを一発殴っておいてくれ!

 

 

 

 

 …以上が、カルデアのDr.ロマン及びダ・ヴィンチちゃんとマーリンの会話の概要である。実際にはもっと私情やら私怨やらが篭っていたが、大凡重要どころを纏めるとこんなところだろうか。

 

「…さて。そんなこんなで、日も暮れてきたところでボク達は野営をしているわけだが……」

 

 パチパチ、と小気味良い音を鳴らしながら火の粉が弾ける。ゆらゆらと揺れる炎はこの一年で見慣れたもので、座っているだけでじんわりと立香を温めてくれる。

 

 そして焚き火を囲い、立香、マシュ、そしてマーリンが向かい合った。アナとフォウ君はもう寝てしまったらしい。

 

 マーリンは身の丈に合わない立派な杖を置き楽にしているが、その顔は子供らしいあどけなさに似合わず、真面目そのものだった。

 

「…藤丸君。君は、ギルガメシュ叙事詩についてどれぐらい知っている?」

 

「………すみません。ギルガメッシュ王、エルキドゥ、アンヘル…という名前しか…」

 

 それも、レイシフト前にダ・ヴィンチから伝えられただけなのだが。

 

 ラーマヤーナ、マハーバーラタ、アーサー王伝説。これまでに関わってきた特異点の情報はあらかた頭に入っているつもりだが、いつも隣に優秀な後輩がいるお陰でどうしても甘えてしまい、次に訪れる可能性のある特異点についての勉強を怠る悪癖があることを立香は自分で理解していた。

 

 この特異点が見つかってから間のないレイシフトではあったものの、短い時間の中でダヴィンチやロマ二に訊くという選択肢もあったはずなのだが。……我ながら、少し情けない気持ちになる。

 

「うんうん。知らないことを知らないと言えるのは藤丸君の美点だね。その正直さは大切にしなさい」

 

「と、いうとマーリンく………さん。この特異点では、ギルガメシュ叙事詩の情報が役に立つのですね?」

 

「…あぁ。この特異点は、他のように別の歴史同士が混じり合っているということはあまりないからね。藤丸君が知らないならちょうどいい。復習がてら、ギルガメシュ叙事詩の内容をおさらいしておこう。なに、これでも誰かに物語を語るのは得意でね」

 

 そして、マーリンの口から英雄譚が語られる。

 

 強き英雄であり暴君であった半神半人、ギルガメッシュ王。それを諫めるため、天神アヌが命じて粘土から造られた神造人間、エルキドゥ。

 

 自分の使命に気づかず、単なる大男として獣たちと共に暮らしていたエルキドゥは、ある時ギルガメッシュが花嫁を奪い去っていくという噂を聞いて怒り狂い、ギルガメッシュと大格闘を繰り広げる。決着はつかなかったが、二人は互いを認め合い、互いを友とした。そしてエルキドゥは聖娼婦シャムハトと出会い、人間としての情緒と、彼女を模し、美しい容姿を手に入れた。

 

 彼らは常に行動を共にし、様々な冒険を繰り広げる。そんなある日、不思議な子供が現れる。アンヘル、と名乗ったその子供は優れた政治能力を持っていた。瞬く間に国を発展させ、良い方向へと導いていく。訝しんだエルキドゥは彼に試練を与えるが、その試練を見事突破したアンヘルを信頼するようになる。聡明なギルガメッシュ王はその正体と国に与える恩恵を見通し、一文官であったアンヘルに武具を与え、手厚く扱ったという。

 

 かけがえのない仲間となったアンヘルを巻き込み、ウルクはさらに発展の一途を辿っていく。恩のあるエレシュキガルへの義のために悪しき女神、タローマティを滅するべく冥界を下り、仲間と協力して森の番人であるフワワ(フンババ)を討伐し、ギルガメッシュがイシュタルの求婚を断ったことで差し向けられたグガランナを難なく撃破。アンヘルの優れた政治により、ウルクは安泰となった。そしてもう、誰もギルガメッシュを暴君と呼ぶものはいなくなっていた。

 

 しかし、そこから雲行きは怪しくなっていく。グガランナを差し向けた女神、イシュタルがかけた呪いにより、三人のうちの一人、エルキドゥが死んでしまうのだ。この時、アンヘルはエルキドゥの遺言に従い、エルキドゥの死をギルガメッシュが悲しまぬよう、国民全てをギルガメッシュの友とする偉業を成し遂げた。

 

 しかし、それでもギルガメッシュの心を動かすことはできなかった。ギルガメッシュはこの時より、最強と謳われた親友を奪った死を恐れるようになる。結果、ギルガメッシュは己を不死とすることを望み、アンヘルに国を任せて旅に出てしまう。このとき、国に取り残された彼が何を思ったかは定かではないが『寂しい』や『辛い』などと書かれた粘土板がウルク跡地で見つかったことから、ギルガメッシュには色々と思うところがあったのだろうと推測される。

 

 ギルガメッシュは長い旅の果て、不死となる草を手に入れた。しかしそれは、森で水浴びをしている際に蛇によって盗まれてしまう。これによって、蛇は脱皮という不死性を獲得することになる。

 

 何も得ることができず故郷に戻ったギルガメッシュは、何も変わらないウルクを見て安堵した。しかしその裏で、ウルクは王のいない状態で戦争に巻き込まれ、大きな被害を被っていた。その戦争を単独で終わらせたアンヘルは当然無事ではなく、帰還したギルガメッシュと会ったその日に命を落としてしまう。二度目の親友の死を噛みしめた彼は、彼が残した言葉通り、国民全てを友として扱った。その在り方から『英友王(えいゆうおう)』と呼ばれ、死んだ彼と同じように優れた治世を行ったという───

 

 

 

 …というのが、時間をとらないようにざっくりとした解説だった。適度なところでマシュやロマンの注釈が加えられ、なるほど。なかなかにわかりやすい。……わかりやすい、が。

 

 

「……うっ……えぐ……こ……こんな……凄い話があるなんて………しかも、そんな……そんな過去を送った英雄の最後が……死に別れだなんて……」

 

「う、ううーん。こ、この反応はいささか想定外だぞぅ」

 

「せ、先輩、ハンカチをどうぞ!」

 

 不覚……!藤丸立香、一生の不覚である。後輩の前でまさかの全力の男泣き。でも涙が出ちゃう。男の子だもん。

 

 ……冗談はさておき、もの凄く壮大な物語だった。マーリンの手腕もあるのだろうが、昔読んでもらった御伽話のような臨場感と高揚感。とても紀元前の物語とは思えない。あまりの感動に、思わず泣いてしまった。

 

『うんうん、わかるぞぅその気持ち。僕も最初にギルガメシュ叙事詩を読んだ時はそんなになってたよ。なにせ、人類最古の英雄譚にして人類最古の超傑作なんて言われてるくらいだ。そこなペテン師が語ってもまともに聞こえるんだろう』

 

「ペテン師呼ばわりとは……酷いなぁロマ二」

 

 心底心外だ、と言わんばかりに足を崩すマーリン。足を組むのがそもそも無理な体制だったのか、若干動きがぎこちない。

 

「……コホン!とにかく、これであのエルキドゥがどれほど強いかはわかったかい?」

 

「…うん。神に作られた神造兵器って言われてもピンとこなかったけど……多分、魔獣と戦ってるときでも、手の内を見せないよう手加減してた」

 

 涙をハンカチで拭いながら、つい数時間前まで共に歩いていた彼のことを思い出してみる。余裕のありそうな立ち振る舞い。魔獣を一掃した手際と強さ。どれをとっても手加減していたようにしか見えない。

 

『それはそうだろうね。なにせ、ギルガメッシュ王やアンヘルと渡り合えるほどの実力の持ち主だ。言ってしまえば悪いが、藤丸君とマシュなんて相手にもならないだろう』

 

 ……それはそうだ。基本的に、サーヴァントは古くなればなるほど……特に神代、神の力をもつサーヴァントほど、別格の力を有する。

 

 ヘラクレス、オリオン、カルナ、アルジュナ。思い返してみても、神の力というものには、絶対的に敵わない。唯一聖杯探索に成功したという円卓の英霊、ギャラハッドの力を持つマシュだろうと、その例外ではないだろう。一般人の立香など、塵が残ればいい方だ。

 

 …そんな神がわんさか残っていた神代で英霊となったエルキドゥなど、どれほどの力を秘めているかわかったものではない。

 

「だねぇ。私たちが逃げ切れたのも正直、運が良かったとしか言いようがない」

 

 うんうん、と頷き、再び組みにくそうに足を組み直すマーリン。小さな体が、炎の向こうへと朧げに隠れる。

 

「もしも彼が私たちを全力で捕まえる気だったら、こう上手くはいかなかっただろう。恐らく、彼は擬似サーヴァントに近い形態をとっている。身体自体はエルキドゥのものなのだろう。だからこそ彼はエルキドゥと変わらない力を発揮できるし、その能力を扱える。となると今回、私の幻術が彼に効いたのは、奇跡と言って差し支えない」

 

 マーリンはそう言って、幻術をかけた時を再現するかのように、杖で地面を一つ突いた。

 

 曰く、今彼の幻術は身体のせいもあって弱体化しているらしい。その幻術が効いたのは、もはやバグ……エルキドゥ自身に何らかの不具合が発生したからだそうだ。

 

「中の彼がどうかは知らないが。少なくとも、エルキドゥは精神系の攻撃に対しては慣れっこだったはずだ。精神干渉という面では、私ですら足元に及ばない存在と一緒にいたのだからね」

 

「…そっか。アンヘル……」

 

 ギルガメッシュ叙事詩にて人の意思を知ると言われる、謎の子供。その容姿と人柄から人々に恐れられることこそなかったものの、彼女だって神代を生き抜いた一人だ。その近くにいたエルキドゥに、その手の耐性がないとは思えない。

 

「あぁ。もし彼が私たちを全力で探していたら、見つかっていた可能性は高い。何せこっちは土地勘もなく、対して相手は森という最高のフィールドにいるのだから」

 

 やってられない、と言わんばかりにマーリンはため息をついた。焚き火に薪を適当に放り投げ、ついには座っていた丸太に寝転がり始める。ものぐさ感が半端ではない。

 

 

「あ〜あ、もうめんどくさい。藤丸君もマシュ君も寝たまえよ。ロマニも通信を切りたまえ。二人の優良な睡眠に悪影響だぞ〜」

 

『急に語り出したりめんどくさがったり!いつも以上に情緒不安定だなお前!』

 

「しょうがないだろ〜この身体になると、感情の処理が少し面倒なんだ。動きにくいし、舌は回らないし、杖は重いし……」

 

『魔術師が杖の重さを嘆くな!!』

 

 

「は、白熱してるね……」

 

「は、はい。どことなく、長年付き合ってきたような親しさを感じます。到底、初対面とは思えません……」

 

 マシュの言う通り、ドクターロマンとマーリンはあまりにも互いに馴れ馴れしすぎる。ロマニは毎回抜けているところこそあれど、基本的には英霊に敬意を払っているし、マーリンも初対面の相手を揶揄うような短絡的な子供には見えない。今日出会ったはずの二人に、どこか因縁らしきものを感じてしまう。

 

『……まぁ、確かに睡眠は大切だ。藤丸君、マシュ。今日は慣れない土地の半日行軍でだいぶ疲れが溜まっているだろう。ゆっくりとはいかないが、しっかり休んでくれ』

 

「了解しました、ドクター!」

 

「はいはい。二人の睡眠中の安全確保(・・・・)はしっかりやっておくよ。だから用済みのロマニ君は早く通信を切りたまえ切りたまえ」

 

『………ははは。今度会ったら覚えとけよお前。マシュの教育に悪いからこれぐらいにしといてやるっ!』

 

 ブチッ、と通信で鳴るはずのない音を立て、カルデアからの音声が途絶える。ドクターの堪忍袋の緒の音じゃないといいなぁ、などと立香は遠いカルデアへと想いを馳せるのであった(まる)

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

「……おや?もう眠ってしまうのかい?」

 

 カルデアとの通信が切れ、即席の寝床に着こうとした立香とマシュを引き留めたのは、マーリンのその一言だった。ニコニコと笑うマーリン。その仕草から何かあるのだろうとマシュと目を合わせ、再び硬い丸太の上へと腰をおろした。

 

「…ええと。何かあるのでしょうか、マーリンく……さん」

 

「マーリン君でいいよ。さっきはロマニに馬鹿にされたくなかっただけだし、そっちの方が、ボクも親しみを持ってもらったみたいで嬉しいし、ね!」

 

 ウインクをするその姿は、ようやく年相応といえる雰囲気を纏っていた。……少しばかりテンションが高くなって鬱陶しさが増しているような気もするが。大方、ロマンあたりにこの姿を見られたくなかったのだろう。

 

「は、はぁ。ではお言葉に甘えて。マーリン君。何か、話すことがあるのでしょうか……?」

 

「いいや?ボクから話すことはないとも。ただ、君たちから話すことはあるだろう?例えば───君たちが一番最初に出会った、金髪のサーヴァントのこととかさ」

 

 …発されたその言葉に、一瞬固まった。どうしてそれを、いや、そもそもあのサーヴァントの正体を、目の前の少年は知っているのか。

 

「あぁ、別に警戒しなくてもいい。ボクは君たちとあの子があったことをこの目で視た(・・)だけだし、個人的にボクがあの子のことは知っているだけなんだ。一生を見たことがある。

 ……まぁ、ボク好みの終わりじゃなかったから放置していたんだが。まさかこの特異点に現れるとは思ってもみなかった」

 

 そう言って、マーリンは肩を竦める。そういえば、現在全てを見通す千里眼だとか、世界の端で全てを見ているだとか、そんな話をドクターとしていたな、と立香は思い出した。

 

「……ということは、マーリンはあのサーヴァントの真名を知ってるの?」

 

「あぁ、知っているとも。誰よりも報われず、誰よりも救えないあの子。そして今や、エルキドゥと同じく、魔術王の手先になってしまったこともね」

 

「魔術王の……手先…」

 

 やはり、マシュの言う通り敵だったのか。いや、それにしても苦しんでいたし、立香達にこれといった危害は与えなかった。寧ろ、親切なことに忠告もしてくれたのだ。もしかすれば、その忠告が罠だったのだろうか?

 

 

「……マーリン。実は───」

 

 

 

 そうして、立香とマシュはマーリンに大体の経緯を説明する。彼の宝具らしきものに救われたこと。三つの忠告をしてくれたこと。苦しそうにしていたことを。

 

「………ふぅむ。宝具はともかくとして……忠告?罠……いや、それにしてはボクと会えというのは不自然だ。では策略?…いや、そんなことより二人に……させた方が早いはずだ。……苦しんでいたということは、彼はまだ…………?でも、彼にそんな力は……」

 

「えぇと、何か分かりましたか、マーリン君」

 

 立香達の話を聞いてから、マーリンがぶつぶつと独り言を続けること数分。流石に耐えきれなくなったのだろう、マシュがマーリンに話しかけた。

 

「ん?……あぁ、すまない。事態が思いの外切迫しているようでね。いやぁ、これは風当たりがキツいかもなぁ」

 

「そ、そうなの?というか、何かわかった?」

 

 神妙顔とは裏腹に、抜けた口調で口を開いたマーリン。しかし、その思案に満ちた表情が、立香達の話した内容が相当にマズかったことを伝えてくる。

 

「…あぁ。だが、これはあまり話せた内容ではないね。不幸中の幸いは、藤丸君がロマニたちにこの事を話さなかった事だろうか」

 

「ドクター達に……?」

 

 ……そういえば。マーリンは、しきりにカルデアとの会話を終わらせたがっていた節がある。ロマニを煽っていたのも、怒らせることで通信が切れるのを待っていたのか。

 

ボク(マギ☆マリ)に頼るロマニはともかく……カルデアという組織自体は優秀だ。もしこの話が伝わっていたら、今ごろあの英霊の目的、下手をすれば真名までが特定されていたかもしれない」

 

「……?あの、それは一見、いいことのように聞こえるのですが……」

 

 立香も同意見だ。彼が敵だというのなら、情報は多いだけいいだろうし、味方だとしても、あれだけ苦しんでいる理由がわかるのならば救ってあげたいという気持ちが大きい。

 

 だが、マーリンの反応は芳しいものではなかった。

 

「いいや。世の中にはね、解き明かさない方がいい謎というものがいくつかあるんだよ。彼はその類だ。彼の真実を暴いた途端(・・・・・・・・・・)数万単位の人が死ぬ(・・・・・・・・・)可能性がある」

 

「す、数万……!?」

 

 どこか戒めるような口調でそう言い切るマーリン。余計な事をしないように、と立香とマシュに言い聞かせるような。いつにも増して真剣な表情だ。

 

 

 

 だが、そんな剣呑な雰囲気も、数秒と経って霧散する。キリリと引き締まったマーリンの表情が、少しだけ緩くなったからだ。

 

 

「…いやはや。ボクとしたことが。藤丸君たちばかりに話をさせてしまったね」

 

「…あ、あぁ、いえ、問題ありません」

 

 張り詰めていた空気が、嘘のように軽くなる。少し微笑んだマーリンは、しばらくするとバツの悪そうな顔を作った。

 

「いやいや。そういうわけにもいくまい。せめてものお詫びだ。あの子への君たちの質問に、いくつか答えるとしよう。多少なら、君たちも知っていた方がいいだろうし。ただし、彼の真名に関すること以外、だけどね」

 

「あのサーヴァントへの、質問……」

 

 ……正直、立香には正体が分からなさすぎて、何から訊いたものかわからない。金髪の子供ということ以外、性別すらも一切不明なのだ。

 

 しかし、マシュはそうでもなかったらしい。礼儀正しく手を上に挙げ、マーリンの方を向いている。

 

「はい、マシュ君」

 

「…先程、マーリン君は魔術王の手先、と仰られました。ということは、彼は私たちの敵、ということで間違い無いのでしょうか?」

 

「確かに。そこは、ハッキリさせておかないと」

 

 乗っかってしまうようで悪いが、確かにそこは気になってしまう点だ。どんなサーヴァントにしろ、敵が味方かはハッキリさせておかねばならない。

 

「うんうん。いい質問だ。結論から言うと、敵さ。それも、とても強大な、ね」

 

 …マーリンの回答は、立香にとっては望ましくないものだった。一度は自分を救ってくれた相手と、できることなら敵対はしたくない。少なくとも、倒すことができたとしていい気分にはならないだろう。

 

 そんな立香の内面を見透かしたかのように、花の魔術師はクスリと笑った。

 

「でもそれは、未来の話だ。君たちの話を聞くに、今は中立だろう。若干敵側に傾いてはいるがね」

 

「…中立?どういうこと?」

 

「………エルキドゥとはまた事情が違うのさ。彼は、今までのように聖杯に呼ばれたサーヴァントではない。魔術王に選ばれ、直接召喚された特別なサーヴァントなのさ」

 

「ま、魔術王が……直接…」

 

 脳裏を過るのは、第四特異点の記憶。ロンディニウムの騎士。造られた怪物。二面を合わせ持つ博士。皮肉屋の作家に日本の英雄、良妻を名乗る狐。その全てが、魔術王の強大な力によって倒れ伏していくその光景。

 

 その魔術王が、直々に呼び出したサーヴァント。一体、どれほどの力を秘めているのだろうか。

 

「幸運だったのは、あのサーヴァントが善の属性を保っていたことだ。魔術王の洗脳や令呪の命令を受けながらも、なんとか理性を保ち、こうして君たちを救っている。だから中立。……恐らく、理性を保っていられるのは時間の問題だろうがね」

 

「…そんな……」

 

 なら、早く助けなければ。

 

 そう口にしようとして、目の前の魔術師が、それができていればとっくにやっていることに気がつく。マシュも同じ結論に至ったのか、開きかけた口を閉じてしまっている。

 

 

「…まぁ、そう暗い顔をしないことだ。もしかすれば、彼が理性を保ち続けるかもしれないし、これから救う手立てが見つかる可能性だってある!何事も諦めないことが大切だからね!」

 

 さぁ、暗い話は置いておいて次だ。そう口にしたマーリンに、立香はようやく思いついた質問をぶつける。

 

「……あのサーヴァント、変な宝具を使ってたんだ。紫というか、黒というか……こう、いろんな色を集めたみたいな球体の。あれって何?」

 

「あぁ、それは答えやすい。あれは魔術王があの子に与えた宝具だよ。真名は知らないが……虚数と実数の狭間を彷徨う宝具。何物でもなく、何物でもある宝具、という性質だったはずだ」

 

 何物でもなく、何物でもある。虚数と、実数。学校で勉強したような内容がでてきて、頭がこんがらがってしまう。そんな立香をみて、マーリンはまたもクスリと笑った。

 

「要するに、何にでもなれる宝具、というわけさ。君たちの時は緩衝材と煙幕に使ったみたいだが……例えば、この棒切れ。これを彼の宝具だとすると…」

 

 そう言って、足元に落ちていた薪木を手に持つと、幻術なのか、あるいは手品なのか。手の中にあったはずの棒が一輪の花へと変わってしまった。

 

 おお〜と素晴らしい手際に控えめの拍手を送るマシュと立香。少し照れた様子を見せながら、マーリンはニコニコと手を振り、手の中の花を地面に置く。

 

「こんなふうに、宝具の曖昧さを利用して別のものに変えることができるのさ。質量変換自体長くは持たなかったはずだが……それでも、あの子が持てば強力極まりない宝具だね」

 

「何にでもなる……」

 

 考えるだけで恐ろしい宝具だ。剣、弓、槍などの武器を自在に変えられることもそうだが、毒ガスや爆発物に変えられるとすれば、さらに相当。その使い道は、それこそ無限大だろう。

 

 もし戦うことになれば、その戦いは今までのサーヴァントの中でもかなり厳しいものになるはずだ。……戦わないことが、理想ではあるのだが。

 

「……ええと、少し気になったのですが」

 

 おずおずと、マシュが再び手を挙げる。その質問は、しかして立香も気になっていたものだった。

 

「先程からマーリン君が『あの子』や『あのサーヴァント』だったので検討がつかなかったのですが……あのサーヴァントは、男の方なのか、女の方なのか、一体どちらなのでしょう?」

 

「気になる!」

 

 思わず脳死で反応してしまった。

 

 いやしかし、気になるものは気になってしまう。声で判別することはできなかったし、顔は隠れていて見えなかった。髪は金で伸びていたようだったが、それも男としてはおかしくない程度の長さだ。

 

「……あぁ、あの子の性別!そういえば言っていなかったね!」

 

 

 ハッと気がついたように笑うと、呆気からんと、さも簡単に。彼は今日最後となった質問の答えを口にする、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼はコロコロ性別が変わる体質らしくてね。これといった性別はないみたいなんだ

 

 

 その後のある日。全てを知ったカルデアの金髪の職員が、謎のガッツポーズを決めていたらしい。

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

 

 

「おはようございます。先輩、朝ですよ」

 

 マシュの声がする。朝日が目に眩しい。暖かい。少し肌寒いが、起きなければならない。

 

 そうだ。彼?の性別を聞いたところで頭がショートして、立香は眠ることにしたのだったと、ぼやけた頭で思い出した。

 

「う、ん。おはよう、マシュ……」

 

 毛布を剥いで、体をムクリと起こす。朝の冷たさが二度寝しようとする身体を無情にも叩き起こし、だんだんと意識が覚醒していく。

 

「はい。よくお休みになられていました。睡眠から六時間、今はおよそ七時ごろかと思われぇぇぇっ!?」

 

「……マシュ、どうかしまし………えぇ……?」

 

「おやおや。朝から騒がしい。一体何がぁぁぁっ!?」

 

「フォウフォ!キュッフォ!(特別訳:いきなりそっちとは。やるじゃねぇか藤丸坊!)」

 

「ん〜?なに、どうしたの?」

 

 マシュが叫び、そしてそれに釣られてアナ、マーリン、フォウ君までもが、立香の方を見て絶叫している。

 

 まさかそんなに酷い寝癖なのか。いや、寝癖程度でこんなに大声を上げるマシュではない。というか、全員、若干視線が立香の横を向いていて………?

 

「うわぁっ!?」

 

 そして立香もその例外ではなく、大きな声を上げるハメになってしまった。

 

 

 眠っている。立香ではなくその横に、もう一人。毛布を一枚被っただけなのに、謎の暖かさの正体はそれだった。目に入る金を見て、すわ噂のサーヴァントかと警戒するも、身長や体つきが異なっていることに気がつく。髪色も、金というよりはもっと濃い。

 

 すぅすぅと、無防備な寝顔を晒す少年。髪は綺麗な琥珀色。そしてまたもフード、というか黄のレインコートを羽織っており……そしてそのレインコートの下ははだけ、スパッツだけのほぼ全裸であった。

 

 

全裸であった!

 

 

「んっ………んぅ…?」

 

 一斉に視線を集めたその少年は、モゾモゾと動きながら、ゆっくりと身体を起こす。美しいその純白の肌を晒し、細く緩められた金の目を擦りながら立香へとすり寄る。

 

 

「親、様……寒いよぅ……」

 

「お、親ぁ!?」

 

「待ってくれマシュ!誤解なんだ!」

 

「……藤丸は最低です。死んでください」

 

「ほほう、藤丸君にそっちの気がある上に(自主規制)とは……これはボクも注意しないとかな……?」

 

「フォウフォッ!ファ!!(特別訳:安易に下ネタに走るマーリンは死ぬべきだと思うの)」

 

 下がる下がる。立香の株がみるみるうちに下がっていく。なんとかせねば、今後の立ち位置が変態で確定してしまう。

 

「き、君!君の名前は!?ほ、本当の親はどこにいるのかなぁ!?」

 

 慌てふためきながら、なんとか出てきた言葉を口にする。慌てたらそれしか口にできないのか自分は、と思いつつも、二の句を継ぐともできずに相手の返答を待つこととなる。

 

 

 数秒、沈黙。その後にコテン、と可愛らしく首を傾げたその美少年は、少し寂しそうにしながらも……

 

 

 

 

「サーヴァント、フォー……リナー。真名を、ハーメルン、です。親様、アナタはボクを、赦してくれますか……?」

 

 

 

 そう、語ったのだった。

 




あのフードのサーヴァントがハーメルン君じゃないって断言してた訳?

出そうか迷ってたからだよ!

てなわけでハーメルン君登場。別にフードのサーヴァント=ハーメルン君じゃないです。留意ください。

前作品に挙げたステータスよりちょっと変わるのでスキルとかの欄は変えます。すまんて……


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第二節 セカイの現状 (3/3)

3ffffff!!

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 プペペ〜という少し間の抜けた音が、草原に響き渡る。さあっと少し背の高い草が揺れ、爽やかな風と旋律が立香たちに届く。思わず笛の音に合わせ、踊りだしたくなってしまう。

 

 笛の曲調が変わる。少しテンポが穏やかになった。踊るというよりかは、ステップやハミングをしたくなる早さだ。実際、立香は曲のテンポに合わせて体を上下させてしまっている。

 

『うーん、いい曲だねぇ』

 

「……はい。ハーメルンの笛吹き男の伝承は知ってはいましたが、これは子供たちがついて行きたくなる気持ちもわかります」

 

 ハーメルンの笛吹き男。大量発生した鼠の被害に困った村人をお礼のお金の代わりに笛で助けた笛吹き男が、しかし約束のお金をもらえなかったことに怒り、後日になって笛の力で子供を村から全員連れ去ってしまう……ざっくりいえば、こんな話だった気がする。

 

 若干ホラー気味に彩られた話だが、まさかハーメルンの笛吹き男があんなに小さな美少年だったとは思わなかった。

 

 フォウ君も、マーリンも、無表情を貼り付けているアナでさえ、一様に目を閉じて笛の音を味わっている。

 

「うーん。フォーリナー、などと聞いて警戒していたが……これはなかなか、うん。魔術的な要素一切なしにこの音色はよくやるなぁ」

 

「フォゥゥゥ……」

 

「…………ええ。いい音です。ずっと耳を傾けていたくなります…………

 

 

 

 

 

 ……魔獣が溺死していなければ、ですが」

 

 心底残念そうなアナの声と共に、笛の音がピタリと止む。

 

 機嫌のよさそうに吹き終わった笛を服で拭いているハーメルンの背後の川底には、三十を超える魔獣が肺に水を貯めて死んでいた。それもこれも、笛を吹きながら歩くハーメルンの背後をついていき、川に入っても溺れたことに気がつかないように、まだついていこうとした結果である。

 

 

 ……立香としても、全くの同感であった。

 

『伝承では、ハーメルンの笛吹き男は笛を吹くことで二百を超えるネズミを川に沈めたと聞く。まさにその伝承の再現なんだろうが……酷いな、これ。絵面的に』

 

 立香の隣に全裸で寝ていた謎の子供、改め降臨者(フォーリナー)と名乗ったサーヴァント、ハーメルン。

 

 結局、立香の変質者疑惑は彼がサーヴァントだったということ、以前にもマスターを親と呼ぶサーヴァントがいたこと、ハーメルンが立香の毛布に忍び込んだと自供したなどの理由でなんとか晴れた。

 

 しかし、ハーメルンの謎はそれでも解けない。カルデアで解析してもなにもわからなかった謎のフォーリナーというクラスも含め、魔獣相手の戦闘がカルデア側から提案されたものの。

 

『……わからない。降臨者(フォーリナー)なんて名乗っているが、何度測定しても彼の霊基はアサシンのものだし……でもその割に、アサシンでは考えられない戦闘力を誇っているんだよなぁ……』

 

 ハーメルンの戦闘は、宝具を一切使わないものだった。にも関わらず、あれほど苦戦した魔獣たちを何の苦もなく倒してしまった。角笛らしきものから出たかまいたちのような切れる風、いわば風の刃や、先ほどのような魔獣をおびき寄せる音色を使って。少なくとも、今まで見てきたアサシンとは一線を画す強さである。

 

「……まぁ、少なくともアサシンのクラススキルを持っているのは間違い無いだろうねぇ。私は一晩中見張りをしていたが、彼の気配とか全く感じなかったし。アサシンが持つ、高ランクの[気配遮断]系のクラススキルと見て間違い無いだろう。藤丸くんの隣に突然現界したというならともかく、彼曰く数日前からあの森を彷徨っていたらしいから」

 

 おっとりと断言したマーリンの声を聞き、通信の向こうでロマニが奇妙な声を上げて崩れ落ちる。あまりにも多い情報量に、頭を抱えている姿が容易に想像できる。

 

 かくいう立香も、マスターとしてこの場にいなければもっと当惑していた自信がある。立香の近くに戻ってきたハーメルンは、出会いからして何からして、あまりにも謎が多すぎる。気がつけば魔力の回路(パス)が彼とつながっていたし、ほぼ裸だった服は何事か一瞬で着直していたし。というか何故裸だったのかもいまだに謎だし。

 

 

 ……だが、まぁ、しかし。

 

「…………親、様?ボク……上手く、できたよ。褒め、て?」

 

 ほぼゼロ距離。立香と抱きつけるほどの距離に接近していたハーメルンが、上目遣いで立香の顔を覗いている。怯えているのか、期待しているのか、若干ソワソワとさせている姿が庇護欲をそそり……

 

 

 

「…………ッ!よぉぉし!凄いぞ、ハーメルン!!頑張ったな!偉い偉い!!」

 

こんな愛らしいサーヴァントの前では、そんなことはどうでもいい!!

 

 とにかく手の中にいるハーメルンを撫でる。撫でて撫でて撫でまくる。なんなら抱きしめてたかいたかいをする。褒めて褒めて褒めちぎるのが、今の立香が取るべき行動だ。

 

「た、大変です!先輩が親馬鹿を発症してしまいました!」

 

「フォッフォッフ」

 

「……不治の病です。死ぬまで治らないので殺しましょう」

 

 ドン引いたようなアナの声が心に突き刺さるが、それも立香にとってはどうでもよかった。黄のレインコートの上から綺麗な金髪の頭をひたすらに撫で、もっともっとと強請るハーメルンを撫で続ける。

 

「……えへへ……もっと、撫でて……」

 

「いいぞ!可愛いなぁハーメルンは!」

 

 とにかく可愛い。語彙が死んでいるが、とにかく可愛いのだ。ほぼ初対面なのに、まるで実の子のように思えてしまう。そんな不思議な魅力がハーメルンにはあった。

 

「……ど、ドクター!これはなにかしらの魅了!スキルか宝具が使われていると思われます!解析を!解析を要求します!」

 

『……あ〜、マシュ。残念ながら藤丸君のバイタルは至って平じょ……いや、興奮しているから平常ではないが、普段通りだ。これといった魔力反応も観測できない』

 

「そ、そんな……このままでは先輩の親馬鹿は加速するばかりです!」

 

「キューンフォ……(特別訳:もう飽きるまでああさせてりゃいいんじゃね)」

 

 む、と。立香はマシュとドクターの会話を耳ざとく拾った。

 

別に親馬鹿に関しては否定するつもりはないが、それにも理由が無いわけではない。だってこんなにハーメルンが可愛いんだから。同じく可愛い後輩にも話せばわかってもらえるはずだ。

 

「ハーメルン、ちょっと抱っこするよ」

 

「ぇ……?わ、わっ……」

 

 撫でくりまわしていた手を脇の下に入れ、抱き上げる形で胸に引き寄せながらマシュの方へと高速で移動する。

 

「ちょっ、先輩!ハーメルン君を抱きしめながら蜘蛛が如くこちらに迫ってこないでください!ザザザザザザって音がしてます!控えめに言って恐怖を感じます!」

 

「そんなこと言わずに!ほら、マシュ!可愛いだろ!」

 

 光の速さでマシュの元へと降り立った立香。即座にマシュへハーメルンを近づけ、その場から一歩離れる。マシュとハーメルンが一対一で目を合わせる形だ。

 

「…………ええと、ハーメルン、君?」

 

 

「……親様のお嫁さんで、(はは)様?」

 

ヴッ!(絶命)

 

 勝った。マシュの陥落する声を聞き、立香はそう確信した。

 

 ハーメルンは再び潤んだ上目遣いで、マシュを不思議そうに見つめている。その傾げた頭を恐る恐る、小動物に触るかのように優しくマシュが触れた。

 

「…………(はは)、様?」

 

「…………か、かわいい……」

 

 確かめるように、ハーメルンを仔細に観察しながらマシュが漏らしたのは、その言葉と感嘆のため息だった。

 

 もちもちと柔らかい頬に、琥珀のように透き通った純真な目。怯えながらも好奇心に満ちたその態度に、マシュも魅了されたに違いない。

 

「……な、なるほど。これが、母性。庇護欲というものですか……先輩が魅了されるのもわかる気が……いえ、大いに共感の余地があると判断します!」

 

 生真面目にそう報告しながらも、撫でる手は止まっていない。

 

どうやら、マシュはムニムニのほっぺが気に入ったらしい。ハーメルンはくすぐったそうにしながらも、心地よさそうに目を緩めていた。

 

 ムニュムニュ、さらさら、モチモチ。立香とマシュは二人してキャッキャとハーメルンを愛でに愛でまくる。

 

「…………マシュも堕ちましたか。先が思いやられますね」

 

「ははは。まぁ、仲がいいのは良いことだ。幸い、ハーメルンも敵意は無いようだし、藤丸君とのパスも繋がっているらしい。……どれ、私もあれにあやかって、今度美女に撫でてもらいに行こうかな」

 

「……このパーティは平均精神年齢が低くて困ります。全く…………」

 

 アナの心底呆れた表情をよそに、立香とマシュは三十分弱にわたりハーメルンを可愛がり続けたのだった。その後の二人の顔は、いつにも増してツヤツヤしていた、らしい。

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

「……しかし藤丸君、気を付けたまえ」

 

「ん?何が?」

 

 小さなマーリンが、立香に頭を下げて耳を貸すように言ったのは、アナたち三人と一匹が林檎の木に気を取られている時だった。

 

「ハーメルン……あのサーヴァントは、隠してはいるが神性を持っている(・・・・・・・・・・・・・・・)。何かの拍子に得たというには、強大すぎるほどにね」

 

「えっ!?」

 

 驚き、マーリンの方を見やる。その真剣な表情からは、とても冗談のようには思えない。

 

 神性。通常の人間なら、絶対的に持ち合わせない権能(チカラ)。持つものと持たないものでは圧倒的な差を生む神のスキル。大地さえも変えるその脅威は、第五特異点で嫌というほど脳に焼き付いている。

 

 そんなもの……しかも高ランクのものが、ハーメルンに宿っている。物語で、ハーメルンが神に接したなどという話は聞いたこともない。しかも、それを隠している?

 

 ……疑いたくはない。あれほど人懐っこい子が、そんな強大な力を隠しているなんて。何か企んでいるのではないか。……エルキドゥのように、いつか裏切るんじゃないか、だなんて。

 

 しかし、立香には疑う義務がある。人類最後のマスターとして。そして仮とはいえ、彼自身のマスターとして。何かを見落とすことは、最終的に致命的となるかもしれないのだから。

 

「……わかった。ハーメルンのこと、よく観察しておく。それで何か怪しいことがあれば、マーリンに相談すればいいんだね?」

 

 向き合ってそう尋ねると、マーリンは驚いたように小さな目を大きく見開いた。数秒ほどその状態で硬直した彼は、しばらくして首をブンブン振り、いつもの余裕げな表情を浮かべた。

 

「……い、いやはや。まさかそこまで伝わっているとはね。流石に驚いた。ボク、そんな筈が、とか嘘だろう、とか。そういうリアクション予想してたんだけど……」

 

「嘘なの?」

 

「いやいや。嘘じゃない。ボクは元来、嘘をつかない主義だ。情報を断片的に伝えて真実を誤認させることはするけど…… だがしかし、ここまですんなり信じてもらえるとは思っていなくてね」

 

 その言葉は真実なのだろう。目の前のマーリンは明らかに動揺している。となると、元々は立香に疑われると予想し、その上で立香に注意を促すつもりだったのだろうか。

 

 今度は、立香がそんなマーリンを見て笑う番だった。

 

「俺はマーリンのこと、信じてるよ。というか、今更マーリンが俺たちに嘘ついてもしょうがないよ。エルキドゥに裏切られたときに助けてもらえなきゃ、もう死んでたと思う」

 

 そう。散々からかったりはしたものの、立香はマーリンが好ましい。小さな体ながら、雰囲気が沈んだ時は明るく盛り上げてくれるし、戦闘面でも頼りになる。何より知識が立香たちとは段違いだ。そして命の恩人でもあって。既に返しきれないくらいの恩を、立香達はマーリンから受けている。

 

 

「だからさ、どんどん教えて。俺の至らないところとか、わからないこととか。俺は友達(・・)を疑うなんてこと、絶対にしないから」

 

 

 

 マーリンは、何も言わない。少しこそばゆい台詞を言ってしまったからか、立香も何かいうことはできなかった。しばらく沈黙が流れる。

 

 ……クサすぎただろうか。などと自己嫌悪に陥りそうになったときぽかんと口を開けていたマーリンが、大きな声で笑い始めた。

 

 

 

「ははははははは!!いい!実にいいよ藤丸君!胡散臭さの塊のボクを信用するどころか、友達と言ってのけたのは、君が初めてだ!」

 

 

「……え?だめ、かな?」

 

「いいや、いいとも!いいとも!なろう!是非なろう!いやぁ、嬉しいな!こんな感情は初めてさ!この気持ちだけで、わざわざ呼びかけに応じて特異点に現界した甲斐があったというものだ!」

 

 小さな二本の手が立香の手を雑に掴み、ブンブンと上下に振り回す。……握手、なのだろう。ニコニコと十数回手を揺さぶられ、最後に一回、強く手を握られるとようやく手が離された。

 

「いやはや、ボクとしたことが舞い上がってしまった!何、心配はいらない!君にはこのボク、花の魔術師マーリンがついている!例え誰が暴走しようと、私が何とかしてみせるとも!」

 

「う、うん。それは、頼もしいけど……」

 

 あまりのテンションのあがりっぷりに、さしもの立香もついていけない。それほど友達ができたのが嬉しかったのだろうか……?

 

「ははは。何がそんなに嬉しいのかわからない、という顔をしているね!いいんだよ。君はその純粋さを大切にしてくれたまえ。その優しさが、きっと他の誰かも救うだろう!」

 

 大声でそうまくしたてるマーリンに、立香はただ頷きを返すしかない。……ただ、満面の笑みでそう言われてしまうと、本当にそうなるのではないか、なんて気がしてしまう。今までマーリンが浮かべていた微笑や苦笑ではない、本当に嬉しそうな表情を見ていると。

 

「……うん、ありがとう。じゃあ、みんなと合流しに行こう。俺もちょっと気になってるんだ、神代のリンゴ!」

 

 少し気恥ずかしくなって、立香はマーリンの返答も聞かずに三人の方へと駆け出した。それぞれがそれぞれの反応で、立香を迎えてくれる。

 

 ……その中のハーメルンは、相変わらず健気だ。優しくこちらに手招きをしている。赤くなった顔を誤魔化すようにその手を掴み、わしわしと頭を撫でる。

 

 ……そして、その挙動ひとつひとつに、立香は注意を払うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………降臨者(フォーリナー)。人間のとある作家が作成した神話が、とある別宇宙の法則と完全に一致したことにより生まれたクラス。そのクラススキルは、人智を超える命の証である[領域外の生命]。そして、外なる神に愛されたことによって得る[神性]」

 

 知っている。マーリンは、全て知っている。全てを見通す千里眼、そしてその叡智を以って、知ることができないことなどそうはない。……そして、知っていてそれを誰かに教えることはない。

 

だってそうした方が、自分の見たい展開(人類のハッピーエンド)に近づくのだから

 

「…………私としたことが。後はともかく、先を考えないのは悪い癖だと、自覚しているんだがね……」

 

 夢魔は、そう自嘲する。そんな感情すら、彼にとっては使い捨ての代物だ。

 

「ん、ん〜……届かない」

 

「私が登りましょうか?」

 

 

 ……そんな彼が嬉しい、と感じた。立香の発した、友達という言葉が。感情のないはずの人外が。

 

 ……少し、予定に手を加えよう。多少結末が変わることになろうと。あの少年を、もう少しだけ、楽な方向へ。

 

「いや、ハーメルン、肩車してあげるよ」

 

「わぁ……い」

 

「……その末に待つ絶望に、彼は打ち勝つことができるのかな」

 

「届いた〜?」

 

「……あと、ちょっと……」

 

 リンゴを取ろうと肩車をする二人の主従を眺めながらポツリとそう溢し、流し込むように水を含んだ。

 

 

 

「えいっ(ブビョッ)」

 

 

 その直後、ハーメルンの笛から出てきた大量の触手に目を剥き、口の中の水分を盛大に吹き出す羽目になった。

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

「………マーリン。なんだよ、これ……」

 

「……」

 

 マーリンは、答えない。アナは、必死に顔を俯かせて目を逸らす。立香達をバビロニアまで導いた頼れる二人は、一様にその口を噤んでいた。

 

 ハーメルンは、戦慄した様子で立香の服を掴み、その背後へと隠れている。そして立香とマシュは、それを感じることができないほどに震え、立ち尽くしていた。

 

 

 

 一行は、ウルクの街へと辿り着く。ハーメルンに触手のことについて尋ねても、要領を得ない回答ばかりで少し困惑していたが。

 

 酷く驚いた様子の門番に出迎えられながらも、特に問題はなく魔獣戦線内へと入る。紀元前とは思えないほど発展した街並み、活動的に行き交う人々に目を輝かせたのも束の間。一つの人だかりに、目が止まった。

 

 

「…なんなんだよ、これ……」

 

「……ひ、……ぁ…」

 

 それは、まるでなにかの宴のようだった。そこにいる誰もが笑顔で、楽しそうに、幸せそうに笑っている。

 

 

その中心で(・・・・・)人が死んでいる(・・・・・・・)というのに。

 

 いち早く状況を理解したハーメルンが、か細く悲鳴を漏らした。立香も、マシュも、訳も分からずに呆けるしかない。

 

 

「答えてくれ!マーリン!」

 

 再度、大きな声でマーリンの肩を掴んで揺さぶる。何かの演劇なのだと。何かの誤解なのだと。彼らが人が死んだのを祝っている(・・・・・・・・・・・・)だなんて、悪い冗談だと。そう、笑い飛ばして欲しかった。

 

 

 

殺人の夜(キリングナイト)

 

 ゆっくりと、白の魔術師は口を開いた。それはあまりにも荘厳で、あまりにも無慈悲な宣告だった。

 

「そう呼ばれた天災(・・)は、あまりにも早い速度で、いたるところへ広がった。心が弱い者から順に衰弱死をもたらすそれは、バビロニアの人口の十分の一を削り取ったんだ。そして、それによって死んだものは、ああやって祝われる」

 

 そして、今もじわじわとそれは広がっているという。その被害者こそ、中心にいる彼ら──。

 

「ジグラットの神殿へ向かおう。そこでボクが小さい理由も含め、全てを話す。だから、覚えておいてくれ。この異常な光景を。あれは、この国の縮図といっていい」

 

 

 

 

「精神の強さが、生きる強さにそのまま反映される国。ここが別名、他界享受王国(・・) バビロニアだ」

 

 




aunifー/.yhykc@hpesshpef p@y bysy vs q@ype dype d@y.ekg94e kq@;w@m26ーluーpzsw@r。

クラススキル

 領域外の生命(EX)
 詳細不明。恐らくは地球の理では測れない程の生命を宿している事の証左と思われる。
(自身に毎ターンスター獲得状態を付与[2個]&弱体耐性をアップ[12%])

 神性(B)
 外宇宙に潜む高次生命の“娯楽”となり、強い神性を帯びる。 世界像をも書き換える計り知れぬ驚異。その代償は、絶えぬ■の■■(自身に与ダメージプラス状態を付与[100])

 ◾️●の*#(A)
 々〒$○の◾️◾️であるが故のクラススキル。%☆$布は彼の存在を覆い隠し、その本体を朧げにぼかす。アサシンのクラススキル[気配遮断]と融合している。


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第三節 天使(てんし)(あかし) (1/2)

Q.いま二節だけど、何節までの予定?
A.今のところ十六節。場合によってはもっと伸びるかも知れない……

Q.今まで触れられてなかったけどアンヘルくんとかハーメルン君とかの服装って?
A.アンヘル君は露出の少ない男版天の衣(天のドレス)(王冠なし)と着物の合成版的なやつ。第一再臨蘭陵王と水のアイリを足して二で割ればそれっぽい。

ハーメルン君は黄銅のスパッツ、その上から萌え袖で引きずるぐらい長い黄色のレインコート。実質裸レインコートでは?親友曰く『ちくばんにレインコートこそが至高』だそうです。作者は正直彼が何言ってるかわかんないです。

ちなみに亡霊くんちゃんはくすんだ白でボロボロのフードをかぶってます。


Q.自分、三次創作いいっすか。
A.歓迎。全然ご自由にどうぞ!アンヘル君とかハーメルン君が(自主規制)されて(自主規制)になっちゃうやつとか書いてくれると助かる。

Q.三人の性知識ってどれだけあるの教えろください
A.
亡霊くんちゃん: 知識はある。目覚めはまだ。
アンヘル:(英雄王達による素敵な教育(情報統制)の末)キスで子供ができると思ってる。
ハーメルン: 行為は知ってるけど目的は知らない。二人で無知シチュができる。ちなみに非処女。これはいいぞ!

Q.これってラフムしか感想欄にいちゃダメなやつっすか。
A.ラフムの方もラフムじゃない方もご自由にお書きこみ下さい。作者が喜びます。ただし返答はすべてラフム語になります(無慈悲)




 息が、切れた。

 

 肺が冷たい空気を吸った。胸が苦しかった。

 

 何度誓っても、何度望んでも、最後に待つ結末は変わらない。

 

 崩れ落ちそうになる。それでも何度だって、何度だって、立ち上がった。

 

 もうダメかもしれない。これが最後の力だ。……そんなことを何度も思って、結局今の今まで生き残っている。

 

 

 記憶が、褪せていく。

 

 

 いつか震えた感情も。あの日仰いだ青空も。あの日誓った大地も。みんなみんな、記憶の隙間から流れ落ちてしまう。

 

 

 どこにいるのだろうか。あれほど望んだ────は、一体どこなのだろう。

 

 あれほど待ち焦がれた────は、一体誰なんだろう。

 

 

『………ねぇ、早く』

 

 

 終わりは来ない。希望は与えられない。

 

 ただ、無限のような停滞と静寂がそこにあるだけ。

 

『早く、早く……』

 

 ……罰。これは、罰の枷。

 

 犯した罪に課せられた、当然の償い。

 

 だから、辛くなんてない。

 

 辛くなんて、ない。

 

 

 

『…王様(・・)……早く、迎えに来てくれないと……僕、おじいちゃんになっちゃうよ……?』

 

 

 辛くなんて、ないのだ。

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 カラン、と音をたて、フォークが皿の上に落ちた。先ほどまで食べていたタルトの上だったのか、フォークは絶妙なバランスで刺さって止まる。

 

「……ご、ごめんなさい。も、もう一度言ってもらえるかしら?」

 

 そんなちょっとした奇跡を気にする余裕もない女神が、ここに一柱。だれであろう、エレシュキガルである。

 

 数秒前まで美味しく茶菓子を頬張っていた彼女は、目の前に座る少年の言葉を耳にしてダラダラと額から汗を流して赤面していた。

 

 恐らく、きっと自分の聞き間違いだろうと。都合良く耳が解釈しただけだろうと。そう結論づけて、わざとらしく誤魔化しの笑みを刻み付けて訊き返す。

 

 ……が。

 

「うん!エレシュキガル様、僕とデートしようよ!

 

「やっぱり聞き間違いじゃないぃぃ!?」

 

 あまりにも突拍子もないことを言い出した彼に、エレシュキガルは今日も翻弄されるのだった。

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 普通だった。

 

 門番は普通だった。行き交う人々は普通だった。走り回る子供達は普通だった。客を呼び込む店主は普通だった。鉄を打つ職人は普通だった。王城を守る兵士は普通だった。

 

 どれもこれも、何をとっても普通で。しかし、その街の一つがくり抜かれたように異常で。まるで立香達が、悪い夢でも見ているかのようだった。

 

 ……目眩がする。

 

 今まで立香は、様々な特異点……いわば国を訪れた。それぞれ、人種が違った。言語が違った。食事が違った。想いが違った。価値観が違った。命の価値も……或いは違った。

 

 しかしそれでも、絶対的に変わらないものがあった。

 

()』は『哀しみ(・・・)』だということだ。誰かが死ぬということは、その人ともう二度と会えないということ。それは当然悼まれることだし、当然悲しいことだ。今まで訪れた特異点という異常な場所でも、それは決して変わらなかった。

 

 だが、どうだ。

 

 今の今。死は、祝われている。惜しまれているのではなく、羨まれている。悲しまれているのではなく、喜ばれている。

 

 ……理解が、全く及ばない。まるで自分だけが、世界に取り残されてしまったかのような錯覚に陥った。辛うじてそれが一般の世間的に異常なのだと、怯えているハーメルンとマシュのおかげで把握できる。

 

 死を前向きに捉える地はあった。死は生を繋ぐための希望だと。死は別れではなく、巡り巡ってまた会えるのだと。

 

 だが、それとバビロニアの現状は全く別のソレだ。前向きに捉えようとするのではなく、前向きであることが当たり前。そもそもの価値観が違う。

 

 一体何がどうなれば、こんな歪な文化が生まれるというのか。立香には、想像すらつかない。

 

 

 

 

「……親様。あんまり考えちゃ、だめ」

 

「………ハーメルン……」

 

 くいくいと袖を引かれ、ハッと意識が現実に戻ってくる。引かれている腕の方を見ると、黄色いレインコートの下でふるふるとハーメルンが首を振っていた。

 

「……わからないことは……無理に理解しないほうがいいことも……あるよ……それに、マーリン君は……ボクたちに話すって約束したもん……」

 

 ハーメルンは、そう言って立香達の先を歩くマーリンとアナを見据える。……その小さな背中は、確かに立香達をこのバビロニアへと案内した頼れるものだ。少なくとも、露骨に約束を破ったりはしないだろう。

 

『…藤丸君、ハーメルンの言う通りだ。あまり思い詰めない方がいい。マーリンの言うことが本当なら、そうやって精神が弱ることは最悪生命に関わる。今はただ、ジグラットの神殿に行くことだけを考えてくれ』

 

「……わかりました、ドクター。教えてくれてありがとう、ハーメルン」

 

 ハーメルンの頭を撫でることで、胸につっかえているものを無理矢理押し込み、立香は言う通り、疑問を野放しにすることにした。

 

 

 賑わう露店通りを抜け、少し人通りが少なくなる。それでもなお賑わう居住区を抜けて。……そうして、立香達は神殿に足を踏み入れた。ピラミッドのように高くそびえる神殿では、文官や兵士らしき人達が、忙しなく行き交っている。

 

 

「……さて、藤丸くん。私たちはそろそろ、ギルガメッシュ王の玉座へと辿り着く。準備はいいかな?」

 

「……あぁ、大丈夫だ。行こう、マーリン」

 

 マシュとハーメルンに目配せをしてから、立香達はついに大広間らしき場所に。……英友王、ギルガメッシュの領域へと最初の一歩を………

 

 

 

 

 

 

「……何者だ、貴様」

 

 ………踏み出せ、なかった。

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 ひしり、或いはみしり、と圧を感じる。

 

 ……そんな陳腐な表現を、第六特異点で太陽王や獅子王と対峙した時にしたような気がする。人の上に立つ者、王者が放つ特有のプレッシャー。

 

 だが、眼前のギルガメッシュが放つ圧は、そのどれとも全く違っていた。

 

「……なんだ?見知らぬ異邦の者よ。貴様が(くだん)のカルデアのマスターとやらなのだろう?ならば疾く(おもて)を上げ、その貌をよく見せぬか」

 

「……あ、いや……その……」

 

 ……圧のようなものは、全くでは無いが感じられない。少なくとも、恐れ多いなどとは違った感じだ。

 

 …無理矢理表すとしたら、優しくて、張り詰めている。それでいて全てを見通している。そんな肩透かしというか、想像と違った雰囲気を感じてしまい、立香は思わず目を逸らしてしまった。そして、話すことすら覚束なくなってしまう。

 

 とりあえず、言われた通りに顔を上げ、もう一度ギルガメッシュの顔を目に映す。美しく整えられた金髪が、少しだけあのフードの彼と、側にいるハーメルンを彷彿とさせる。

 

「…………似ている、な

 

 ボソリ、と何かをギルガメッシュが呟いたようだったが、立香には何を呟いたか理解する隙もなかった。マーリンが小さな容姿に似合わぬ豪胆さでギルガメッシュに話しかけたからだ。

 

「おいおい、ギルガメッシュ王。帰国の申し出が少し遅くなったのは詫びるが、あまりジロジロと見てやらないでくれ。彼……藤丸君も、緊張してしまうというものだ」

 

 ぱちくり、とキザにウインクを決めたマーリンが立香の腕を引き、強引に玉座の前まで連れられてしまう。連れ立ってハーメルンとマシュとアナも、おずおずと前に出た。

 

 そんな彼の態度はいつものことなのか。呆れたようにため息を吐きながら、玉座近くに立つ女性が声を上げた。

 

「……マーリン殿、国の恩人たる貴方にこんなことを言うのはなんですが、王の前で不敬ですよ。……その様子では、天命の粘土板は持ち帰れなかったようですね」

 

「ああ。西の森にも無いとなると、残る場所は限られてくるねぇ。……何も、国の命たる私を探し物に駆り出さなくてもいいとは思うが」

 

「それに関しては、申し訳なく。ですが、あなた以外を行かせるわけにもいきませんから、ご理解ください」

 

 おどけたように笑ってみせるマーリン。それに苦笑で返す真面目そうな女官。……先ほどから国の恩人やら、国の命やら。とんでもないワードがわらわらだ。

 

 改めて目の前の少年がウルク、延いては人類にとって何かしらの重要な立ち位置にいることを実感する。

 

 そんなやりとりを玉座から見下ろしていたギルガメッシュが、ゆっくりと口を開いた。

 

 

「……下らん茶番は止せ。大方、そこなマスターに現状を説明するとでも約束したのだろう」

 

「茶番とは。ウルクの救世主に対して失礼だねぇ、ギルガメッシュ王。もっと崇め奉って重役とかにつけてくれてもいいんだよ?」

 

「……よしでは『令呪を以って命じる、自害せよ──』「待った待った!わかった!もう調子に乗らないよ!」……貴様を呼び出したのはこの(オレ)だ。恩がないわけではないが、それはそれ、これはこれというもの。次は後ろから剣で一刺しにしてやる。覚えておけ」

 

 ……御家芸(伝統工芸)が垣間見える会話に、さしものマーリンも慌てて発言を取り消す。存外面白い人なのかもしれない、と立香はギルガメッシュへの見解を改めた。

 

 ふぅ、と大きく溜息をついた彼は軽く首を振り、改めて立香の方へと視線をやった。赤の鋭い目に射抜かれ、反射的に背筋がピンと伸びる。

 

「……話が逸れたな。それで、カルデアのマスター、藤丸……だったか?」

 

「は、はい!俺は……」

 

「よい」

 

「……は、はあ?」

 

 大きく自己紹介をしようとしたところへのまさかの速攻否定に、口から呆気にとられて空気が漏れた。さぞ間抜けな立香の顔を鼻で笑ったギルガメッシュが、ゆっくりと玉座から立ち上がる。

 

「よい、と言ったのだ。雑種の戯言など聞くまでもない。用件の検討は大方ついている。人理修復、だったか。よい。この国、ウルクが消えるとあっては何もせず傍観するわけにもいかん。(オレ)とて手を貸してやらんこともない」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

 思わず、その場でガッツポーズをとってしまう立香。だが、それも仕方のないことだろう。第七特異点のレイシフトから二日目にして、いきなりこの世界の人類トップから協力を約束してもらえたのだ。マシュも少し嬉しそうに微笑んでいる。

 

 だが、しかし。

 

 

「まぁ待て。礼を言うのは早いぞ、雑種」

 

 現実は、そうは上手く回らない。いつの間にか玉座から立つどころか、粘土板を持って魔力を迸らせていたギルガメッシュは、その鋒を迷うことなく立香へと向けている。

 

「……と、言いますと」

 

 緊張の汗、というか経験則から来る冷や汗が立香の背に流れる。頭の中ではガンガンと警鐘が鳴り、絶えず戦闘の気配を伝えてくる。まず間違いなく、これは──

 

「そこの小さき魔術師の茶番に付き合ったせいで時間が惜しいのでな。貴様が(オレ)の協力に値する者か、試させてもらうぞ!」

 

「やっぱり!?」

 

 力試しの流れ、だ。

 

「王よ、本気ですか?此処は戦闘するためのものではなく、国を動かすためのものだと、あれほど()も言っていたではありませんか!」

 

「……あぁ。だから戦闘ではない。試練だ。幸い、試練としてなら使った前例(・・)があろう。シドゥリ、お前は離れていろ」

 

「……またそうやって無茶を仰るのですから…」

 

 いくつか文句を挙げたシドゥリと呼ばれた女官は、不満げに頬を膨らませながらも立香の後ろへと避難していく。同じように、他の兵士や文官も後ろへ下がった。

 

 そして、玉座のギルガメッシュと相対するのは、立香達とアナ、マーリンの五人だけとなる。

 

「……あまり暴れてもシドゥリや他の文官が煩いのでな。我は一歩も動かん(・・・・・・)。我を一歩でもこの場所より動かすことができたのなら、貴様らカルデアを協力者として認めてやる」

 

 不満そうに腕を組み仁王立ちしたギルガメッシュは、早速そんなとんでもないことを口走った。立香の聞き間違いではないらしく、側にいるハーメルンが、萎縮したように声を漏らした。

 

「……自信ありすぎ……だよ………」

 

「自らを縛るのも王の器量だとも、小さき雑種よ。ま、その力によっては、或いは我も動かねばならぬかもしれんがな。精々派手に活躍して(オレ)を興じさせよ、雑種」

 

 傲岸不遜にもそう自ら縛りを課したギルガメッシュを相手に、立香達は挑むことになり……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……所詮この程度、か」

 

 

 盛大に、負けた。

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

「……はぁ。なんか、どっと疲れちゃったな…」

 

「……同感です。今日1日で、色々と起こりすぎました…」

 

 大きく、大きく。神殿から出て、マシュと大きくため息を吐いた。ハーメルンやアナもてんわやんわだったからか、顔にかなりの疲弊の色が見える。

 

「……一歩どころか…身(じろ)ぎすら………」

 

「……三人がかりで、何もできませんでした」

 

 戦闘の感触を思い出しているのか、握ったり開いたりを繰り返している二人。どうにも、上手いようにあしらわれたのがかなりショックだったらしい。

 

「まさか、ギルガメッシュ王が聖杯を持ってるとは……」

 

 数分間ピクリとも動かせなかったギルガメッシュが、見せつけるように宝物庫から聖杯を出して立香達を笑ったのは記憶に新しい。どうにも、特異点解決の為の聖杯とは別物のようではあったが。

 

 そして、その後に女神イシュタル……立香がこの特異点で二人目にあっていた人物……がインベーダーが如く飛来し、散々に場を荒らしていったのだ。ビビュン。

 

「そして、アンヘル(・・・・)………」

 

「……アーサー王も女性でしたし、もう二度と、英霊の方の性別では驚かないつもりだったのですが…」

 

 そう。話している最中に判明した、立香にとっては超衝撃の新事実。

 

 

 

『まさか、アンヘルが実際は男の子(・・・・・・)だったなんてねぇ……』

 

 

 ……ロマニの言った通り、アンヘルが、史実では女性(・・)として伝わっていたのに、実は男性だったということである。

 

 それを聞いたときのギルガメッシュの顔と言ったら。これ以上愉快なことはないと言わんばかりの満面の笑みで…

 

『……ハハハハハ!!おいおい!聞いたか、聞いたかシドゥリ!あの童め、己が背丈の低さを日々嘆いてはいたが、まさか後世で女子(おなご)として扱われておるだと!?そのような痴態、(オレ)の千里眼でも見通せなんだ!笑ってやるフハハハ!!』………などと、王座で笑い転げながら大爆笑を繰り返していた。側に戻ったシドゥリ、という女性も堪えきれずにクスクスと笑っていたほどだから、よっぽど意外なのだろう。

 

『まぁ、考えれば確かに筋は通っている。今でこそ『天使』という存在は嫋やかな女性のイメージを抱かれがちだけど、昔の『天使』は基本的に汚れのない男の子だからね。伝承がどこがで歪んで女性として伝わったとしても、不思議じゃあない。………そこの胡散臭さの塊は、歪んだ伝承が伝わってたことに絶対気がついていただろうがね』

 

「ははは!いやなに、僕が説明するより、こうやって実際に面識のある人たちの方が信用できるだろうと思ってさ!見た目は今のボクにちょっと似てるらしいぞ!」

 

『そいつは災難だったな、アンヘルが!』

 

「あははは……」

 

 言われてみれば、天使と聞いて、確かに男性の姿はあまり思い浮かばない。しかし、昔の壁画なんかを見ると、ラッパを吹いている天使の少年なんかもしっかりいる。

 

「いやでも、流石にイシュタルの(しもべ)という説が出回ってるのは知らなかったな」

 

『それも、謎に包まれたアンヘルについての、割と信憑性が高めの伝承だったんだぞ……』

 

 ……そうだ。確かイシュタルが登場したときロマニがそんなことを口走り、また余計な一悶着があったのだったか。

 

『まだ飽き足らず(オレ)を愉しませるかこの道化め!奴がイシュタルめの(しもべ)ェ?生前の彼奴(あやつ)に聞かせてみよ!憤慨してのたうちまわった末に此奴(こやつ)を殺すぞ!笑えん!全く笑えんわ!……いや、(オレ)は笑うが!』と、再びギルガメッシュが高らかに笑い。

 

『あんな餓鬼、こっちからお断りに決まってるでしょう!顔以外なんっっっにも!眷属や僕どころか、奴隷にしたって私と釣り合わないじゃないの!最早それ私に対する侮辱よ!侮辱!』と、黒の髪を逆立てながら激怒していた。

 

 

 

『ははは……昨日といい今日といい、流石に情報量が多くて僕も卒倒しそうだ…』

 

「……お、お疲れ様です。ドクター。……ですが、結局殺人の夜(キリングナイト)とやらについての有力な情報は、一切話されていなかったような……」

 

 あ。という声が、マシュ以外の全員の口から漏れた。……まるで数日に感じる濃度の数時間を過ごしていたせいか、完全に忘れてしまっていた。

 

「……そうだ!マーリン、一体いつ話してくれるの!?」

 

「あ、いやぁ……ボクも王様から話してもらうつもりだったから……参ったなぁ…」

 

 ぐいぐいと顔を近づけて迫る立香に、ポリポリと後頭部を掻きながら目を逸らすマーリン。……一時間ほど前ハーメルンはああ言ったが、やはりマーリンは信用できないんじゃなかろうか、と信頼が揺らぎそうになってしまう。

 

 

 

「……ご心配には及びませんよ」

 

 

 ふと、出入り口近くで話し込んでいた立香達に、声をかける存在があった。柔らかい、透き通った女性の声だ。

 

「当面の生活は保障させていただきます。そして、今夜の宿で、私から殺人の夜(キリングナイト)についてをお話しいたしますから」

 

 夕暮れになって勤務時間が終わったからなのか。少し窮屈、というよりかは張り詰めた空気を霧散させた、ギルガメッシュの側についていた女性が、そこには立っていた。

 

「……えっと、シドゥリさん、でしたっけ?」

 

「はい。この神殿の祭祀長を務めております。シドゥリとお呼びください、天文台の方々」

 

 緑の服を摘んで優雅に一礼し、シドゥリはハーメルンの方へと近づいていく。慌てて、ハーメルンは立香の後ろへと素早く隠れた。

 

「あら?怖がらせてしまいましたか?」

 

 少し残念そうに顔を曇らせるシドゥリ。流石に悪いと思ったのか、ハーメルンは無言で首をブンブンと横に振った。

 

「……えっと。多分人見知りなだけなので。ちょっとびっくりしただけで、平気だと思います。俺は藤丸立香といいます。こっちが……」

 

「は、初めまして。マシュ・キリエライトと申します!」

 

「それで……」

 

 そっと、背後の黄色の少年に目を落としてみる。少し顔を赤らめ涙目になっている彼だが、立香の袖をあまり強く引いていないあたり、自己紹介ぐらいはできそうだった。

 

「……ハーメルン、です」

 

 短くそう応えたハーメルンは、再び顔をかぁぁっと赤くして、レインコートを目深にかぶり直した。どうやら人見知りなのは伝わったらしく、シドゥリも優しく微笑んだ。

 

「はい、よろしくお願いします。藤丸、マシュ、ハーメルン君。……それでは、早速宿の方に向かわせていただきますね」

 

 先導するシドゥリに合わせ、立香、ハーメルン、マシュと連れ立って、夕陽で紅く染まったウルクの街を歩き始める。……死を喜ぶ、異様の街を。だが、不快感や恐怖は神殿を訪れる前よりだいぶ少なくなっていた。

 

 歩きながら、立香は思い出していた。神殿を出る際に、ギルガメッシュに言われた最後の一言を。

 

 

 

 

 

『貴様らがどう思うかは勝手だが。……(おれ)の国の人間は、少なくとも貴様ら雑種とほぼ変わらぬ価値観を持っている。そのことを(ゆめ)、忘れるな』

 

 

 そう言い放ったギルガメッシュの悲しみとなにかの入り混じった複雑な表情を、立香はしばらく、忘れることはできなそうだった。

 

 




アンヘル君とイシュタルんの出番が悉く欠けている………

3月に入ってようやくまともに執筆ができるようになったので、連日投稿をしていきたい……三日以上更新してなかったら感想とかメッセージで作者の背中を『早く次の話を投稿するんだよオラァン!』と蹴っといてください。……流石にこれ以上放置するのはマズすぎ……五話六話ぐらいからフルスロットルかけていきたいんで……

アニメがめちゃくちゃ良くなるにつれ作者のモチベがどんどん下がっていく不思議……あのクオリティについていける気がしにゃぁ……


次回予告!

 未来の伝承のせいで女の子となってしまったアンヘル!これは重要な伏線であり(大嘘)ギル×アンの始まりであった!
『ざ、ざんねーん!伝承如きで女の子になると思った?僕、男だよ!』などという無駄な強がりでTSメス堕ちエンドを避けようとするメスガキアンヘルくんに、ギルガメッシュ、どうする!?
 次回!『アンヘル君、わからさせられる』
 今春公開予定!
※この物語はフィクションです。


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第三節 天使の証 (2/2)

 Q.なぜエレシュキガルが冥府に沈んでいないのにメスラムタエアがあるの?

 A.アンヘル君という『憧れ』を手にしたエレちゃんにとってネルガルの怨念はみそっかすレベルなので既に権能ごと取り込んでいます。で、エレシュキガルの宝具となった『発熱神殿 キガル・メスラムタエア』のことを聞いた神殿建設中のアンヘル君が「じゃあこの神殿の名前もそれでいいか」ということで建物としての『発熱神殿 メスラムタエア』が完成したわけです。

 ……本編で触れようと思ったけど入れ方がわからなかったからここで説明したのは内緒ですが……もちろん、ほんぺで触れない以上建物の方のメスラムタエアに神殿以上の役割はないです。


 あとは、なんだろう……当作に弁慶が出ないことを言えばいいのか…?






 籠を見る。一つの籠に閉じ込められたそれらは、口を揃えて同じことを思う。

 

『彼に会わなくては』

 

『彼に詫びなければ』

 

『彼に話さなければ』

 

 

 彼、彼、彼。魂のほとんどが、彼を求め、彼を望み、彼を愛している。

 

 

(手遅れなのだわ。今更謝ったって、もう遅い)

 

 

 それ以外。一部の醜い魂達は、籠どころかそこらの洞窟あたりに放り込んである。きっと自分が消えていく感覚を感じながら、ゆっくりと朽ちていくことだろう。

 

 

(今更何を思ったところで、もう届かない)

 

 

 冥界の女主人はその悉くを嘲笑うように無視し続ける。

 

 自分にそんな資格もない。そんな権利もない。そう知りながらも、ただ魂の声に耳を傾けることはなかった。

 

 

「エレシュキガル様〜この魂、どうする?」

 

「……そうね。いつものように籠に入れておいて頂戴。場所は地下でいいでしょう」

 

「はーい。籠もこっちで作っとくね」

 

 彼が来た途端、魂達はざわざわと震え始める。その光を一段と強くして、ゆらゆらと震え、気付いてもらおうと手を尽くす。

 

 だが、どれだけ足掻こうとその声が彼に届くことはない。望み続けた彼に会うことは叶っても、その声は彼にだけは聞こえないのだから。

 

 嫌気が刺す。

 

 こんなことをしている自分も、どうすることもできない自分も。そして穢れた(・・・)魂達が厚かましくもそんなことを心から思っていることを、エレシュキガルは許せはしなかった。

 

「知っていて何もしないことは、無知より罪よね、ほんとに」

 

 

 許せない。自分自身も、罪深い魂達も。

 

 この世界で悪くないのは、きっと彼だけだ。彼以外の全ては悪で、闇で、故にその光、正しさを求める。

 

 でも、それでいい。例えエレシュキガル自身を最後に滅することとなっても、悪から彼を守ることができるのならば、それで。

 

 

「ほんとうに、許せないわ」

 

 

 

 

 

エレシュキガル様〜この間のデートの話なんだけど

 

「ふぇっ!?」

 

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

「……まずは、これについて話しておきましょう」

 

 元々酒場として使われていた空き家へと案内され、霊脈を繋ぎ、掃除をして。紀元前とは思えないほど素晴らしい味の夕食を終えた後に、話はそう切り出された。

 

 マシュ、立香、ハーメルンが机を囲んで椅子に腰掛けて、机中央のシドゥリへと視線を向けている。アナは机から離れて屈んでおり、マーリンはシドゥリの少し後ろで椅子に座っていた。ついでにドクターロマンとダヴィンチも参加している。

 

 そして、音も立てずにシドゥリが机の上に置いたのは、何の変哲もない木の板だった。少し磨かれてれているのか茶色の光沢を放っており、紐が開いている穴に通され、ペンダントのような形を取っていた。

 

 ……逆に言えば本当にそれだけ。立香も日本で何度か見たことのある、地味なストラップにしか見えなかった。

 

「手にとっても構いませんか?」

 

「はい。大切なものですが、壊すことさえなければ構いません」

 

 マシュが断り、持ち上げて仔細に観察する。しばらく触った後、首を振って立香へと渡してきた。

 

 受け取った立香も、四方から観察してみた。木材も、紐も、何ら変哲のない、そこらのもののように思える。裏の方に何か文字が彫ってあるが、立香には読めなかった。

 

 隣のハーメルンに渡すも、同じくしばらく弄った後に首を傾げ、シドゥリの下へとペンダントを戻す。

 

「……ええと。これって、一体…?』

 

 ペンダントを見せるシドゥリの意図がわからず、立香が恐る恐る尋ねる。シドゥリは紐を首からかけ直し、自分の胸にあるペンダントを確かめるように、ゆっくりと握った。

 

「……これは、『天使(てんし)(あかし)』と呼ばれているものです。…あなた方や王の言葉を借りるのでしたら『宝具』ですね」

 

「ほ、宝具!?これが!?」

 

 まじまじと、改めてそのペンダントを確認する。……が、宝具らしき魔力も一切感じられなければ、それらしき神秘もあるようには思えない。実は冗談でただの木のアクセサリです……なんて言われた方が、納得できるほどに。

 

 勿論そんなことはなく、シドゥリは淡々と説明を続けていく。

 

「これは、とある人物が十年以上前にウルクの国で配ったものです。……本当に、配られた時はただの木製の飾りだったんですけどね」

 

「……とある人物って、もしかして」

 

『天使』の証。それに十数年も前となれば、その像は容易に思い浮かぶ。立香の予想通り、首肯したシドゥリはその名前を口にした。

 

「……ええ。アンヘル君です。これは、ウルクで一文官として働いていた頃の彼が、国の様々な人たちに渡していたんですよ。当時は友達の証として、ですが」

 

 クルリと裏を回し、先程の文字が刻まれている面を見せてくれる。そこには相手の名前と、その証の製造番号のようなものが刻まれているそうだ。

 

 …なるほど。なんとなく要点が掴めた。アンヘルの思い入れがあったものが、アンヘルの死後そのまま全て宝具化した、ということだ。英霊の宝具は基本的には一つであるが、確かにいくつもの宝具を持つサーヴァントは何度か見たことがある。死の間際、身近にあったものが宝具となったサーヴァントも、確かにいると聞いたことがある。

 

 となると、少し気になることも出てくる。

 

「ちなみに、この『天使の証』って、いくつくらいあるんですか?」

 

「そうですね。正確な数まではわかりませんが……恐らく、今でも(・・・)数千。少なくとも、一千は超えているのではないでしょうか?」

 

『す、数千!?』

 

 キョトン、と語るシドゥリに、今の今まで沈黙を貫いていたロマニが声を上げた。しかし、それも無理もないことだろう。

 

 サーヴァントの宝具。別名貴き幻想(ノウブル・ファンタズム)は、サーヴァントの切り札であり、彼らが生前に築き上げた伝説であり、奇跡そのものだ。

 

 成り立ちこそ様々とはいえ、それぞれ計り知れない力、神秘を内包している。少なくともそんな単位でポンポン存在することはあってはならないだろう。

 

『そ、それ!どんな宝具なんだい!?そんな量なら、効果自体もお守り程度のものなのか!?』

 

「ロマニ、少し落ち着きたまえ。シドゥリ殿が戸惑っているだろう」

 

『これが落ち着いていられるか!Dランク……いや、例えEランクでもそんな量があれば特異点が生成される原因にもなりうる!聖杯がなくとも、魔力炉になる程度には宝具はとんでもない代物だ!お前もわかっているだろう!?』

 

 マーリンの静止も効果がないほど、ロマニは興奮状態にあった。やれやれ、と頭を抱えたマーリンは、ヒョイっと杖を一振りした。途端、カルデアからの通信が突然途絶えてしまう。

 

「暫く、そっちからの音声は切っておくぞぅ。こっちの声は聞こえるだろうから、考察はそっちで勝手にやっておいてくれ。悪いが、この話題はあまり掘り返すべきものじゃないんだ」

 

 ふざけるな、という返答が立香の脳内で容易に再生された。いや、というか絶対カルデアでそんなことをロマニは叫んでいるだろうが。しかし、カルデアとの通信が切れたことにより、室内に少しだけ静寂が戻ってきた。

 

「…す、すみません……」

 

「いえ、お気持ちはわかりますから、平気です。……それで宝具の効果、でしたね」

 

 すぅ、とシドゥリが息を吸う。何かを堪えるような。というか、決意したかのような。数秒の呼吸で、立香は確かにそこに何かを感じた。

 

「……『天使の証』を持つものは、絶対に死にません(・・・・・・・・)。……たったそれだけが、この証の力なのです」

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

「し、死なない!?そ、そんな宝具が、少なく見積もって一千個以上ですか!?」

 

 マシュが、酷く錯乱した様子でシドゥリへと迫る。立香も、マシュが動かなければ同じようにしていただろう。

 

 不老不死。人類が追求し、幾多の権力者達が追い求めてきたソレを持つ人間が、この国には大量にいる……それは、立香にとって、あまりにも衝撃的な事実だった。

 

 

 ……が。

 

 

「すみません、盛りました」

 

「え、えぇ……!?」

 

 シドゥリがお茶目に目を伏せたことで、マシュと共に勢い余って机に突っ伏す。ハーメルンもあまりの肩透かしに体制を崩し、マーリンは愉快そうにケラケラと笑っていた。

 

「じ、じゃあ、これは宝具じゃないんですか?」

 

「いえ。この天使の証は、紛れもない宝具です。ただ、『絶対に死なない』となりますと語弊がありまして。…寿命では当然死んでしまいますし、流石に肉体が原型を留めないような死に方でも死んでしまいます。それに、そう何度も死を回避することができるわけでもないんです」

 

 愛おしそうに手の中のペンダントを見つめ、シドゥリは少しだけため息を漏らした。

 

「この証を、名前が刻まれている人が持っている状態で命を落とすような傷、または病気を負ってしまったとき。この証は即座に砕け散ります。その代わりに、今後その傷や病気で死ぬことは絶対にありません」

 

「ま、君たちにわかりやすく言えば、一度きりの十二の試練(ゴッドハンド)と言えばいいかな。たった一度だけ死を避け、その死に対して耐性を得ることができる宝具。どうだい、中々素敵な代物だろう」

 

「一度だけ……死を?」

 

 それは、とんでもない代物ではないのか。事実上、命が一つ増えるようなものだ。寿命は避けられないこととはいえ、魔獣の脅威に脅かされているバビロニアでは、まさに救いのような宝具であるように思える。

 

 だが、それは……

 

「す、凄いです!これさえあれば、魔獣の被害で亡くなる方はかなり減らすことができるのでは!?」

 

「マシュ。……多分、違う」

 

 マシュの意見を否定する言葉が、自然と口から出てきた。違う。きっとそんなものではないという確信が、なぜか立香の中には存在していた。きっと、そんなものを持ってしまえば。

 

「………それは……怖い、ね…」

 

「え?」

 

 ずっと口を一の字に結んでいたハーメルンが、立香の言おうとしていたことと全く同じことを口にした。

 

 …人の命を救うという面では、確かにそれは素晴らしい代物のように思えるかもしれない。だがそれは逆に、持っていれば一度だけは助かるという、信頼を騙った油断を、心のどこかで許してしまうもののようで。

 

「……はい。ハーメルン君のいう通り、これは決して万能のものではありません。事実、数年前にこの力を過信した兵士達が無茶な特攻をしてしまったせいで、数百単位で魔獣に連れ去られました。それに誤った噂が広がり、力尽くでこの証を奪う人も現れて……」

 

「……そんな…!」

 

 強大な力というものは、時に人を狂わせる。そのことを立香はよく学び、そして気をつけていた。英霊に力を貸してもらっている身として、それは最も気をつけなければならないことだったのだから。

 

「勿論、それ以来魔獣によるウルクへの人的被害はかなり少なくなりましたし、この証の認識も広まるようにもなり、証を盗難する人も減りました。……ですが」

 

 言いにくそうに、シドゥリが突然押し黙った。何かを我慢するように、握られた手がわなわなと震え始めていた。そんなシドゥリの肩を、マーリンが優しく叩く。

 

「替わろうか、シドゥリ殿。ここからはボクが話してもいい。あまり思い出したくない話もあるだろうからね」

 

「……いえ、私が話します。話させてください。この話は、私が語るべきですから」

 

 そう言って気丈に持ち直し、シドゥリは大きく深呼吸をした。吸って、吐いてを何度か繰り返すシドゥリを、立香達も無言で待ち続けた。

 

「……藤丸。あなた方は、殺人の夜(キリングナイト)で亡くなった方々を見たのでしたね?」

 

「は、はい。……その、この天使の証が凄いのは分かりましたけど、それと殺人の夜(キリングナイト)と、どういう関係が?」

 

 殺人の夜(キリングナイト)が病気の一種なのだとしたら、確かに証で死を防ぐことができるのだろう。だが、だからといって殺人の夜(キリングナイト)、延いては死を喜ぶ人たちと関係があるとはどうしても思えない。それに、この証について話すことで、目の前のシドゥリが何かを後回しにしようとしている。……そんな感覚がしていた。

 

「……先に。藤丸達の人柄を見込んで、一つ断らせていただいても、よろしいでしょうか?」

 

「…なんでしょう?」

 

 神妙な顔で語るシドゥリに、思わず生唾を飲み込みながら尋ね返す。その口から出たのは、立香が思っても見なかった言葉で──

 

 

「本日より半月ほど。(わたくし)共ウルクに、真実を話すための時間をいただくことはできるでしょうか?」

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

「………はぁ」

 

 それから、暫くして。話し合いが完全に終わってから、立香は酒場跡……マシュによってカルデア大使館と名づけられたが……の屋上へと昇り、ぼんやりと空の月を眺めていた。……正確には、その月の周りをぐるっと覆う、蒼く照らされた光帯を。

 

「……親、様?」

 

「あれ、ハーメルン?どうしたの、こんな夜中に」

 

 月明かりで朧げになった視界でも、ハーメルンの黄色のレインコートはよく目立った。今はおそらく深夜帯。子供であるハーメルンが起きているには、睡眠を必要としないサーヴァントとはいえ少しおかしい気もする。

 

 マーリンの言葉を思い出して、少しだけ警戒してしまう。

 

「……ひとりじゃ、眠れなくて…親様は、さっきのこと?」

 

「……あぁ、うん。別に気にしてるわけじゃないんだけど、シドゥリさんの言葉の意味を考えちゃって。難しいことを考えるときは、こうやって空を見ながら考えるほうが集中できるような気がしてさ」

 

 ……嘘だ。本当は、空の光帯を見ていると、自然と前向きになる、ならざるを得なくなるから。自分が進まないと、世界が終わってしまうと。そう実感するしか他になくなってしまうから。だから考えが後ろ向きになったときは、こうして空を仰ぐことにしていた。

 

「……ね、親様。近くに行って、いい?」

 

 首を傾げた彼に頷いて肯定すると、ハーメルンは足元を探るようにしてゆっくりと歩き……そのまま、立香の隣を通り過ぎて腕の中に収まった。少し冷たいの服の下からでもわかる体温と柔らかな感触が、少しだけ立香の心をほぐしてくれる。

 

「……ハーメルン?」

 

「親様、やっぱり……気にしてないなんて、嘘。……シドゥリさんの言葉……そんなにショック、だった?」

 

 見下げる形で、ハーメルンの琥珀と目があってしまう。吸い込まれそうな蜂蜜色が、まるで立香の心の底を覗き見るように、大きく見開かれていた。目を逸らそうにも、その美しい宝石の目から逃れることは、どうやらできなさそうだった。

 

 嫌が応にも、つい先程の出来事が思い出されてしまう。

 

 

 

 

『それは、どういう意味ですか?』

 

『……今この場で、私たちが死を尊ぶ理由を話したところで。きっと、理解はしていただけないと思うのです。……ですからどうか、半月ほどこの国で働き、過ごしてみてほしい。その上で、私から事の真相、本当の全てをお話しさせていただきたいと思っています』

 

 

 先程、シドゥリに言われたことが、鮮明に、フラッシュバックした。

 

「……なんていうか。会って初日だから、仕方のないことだとは思うんだけど。………やっぱり、俺ってウルクから見ると関係のない他人なんだなぁって」

 

 ショックだった、というほどではない。寧ろ、出会ったその日から信用されないなんて当然の話だ。……ただ、どうしても感じてしまう。自分がこの国、世界にとっては異物で、余所者であるという事実。今まで第六までの特異点を解決してきても拭えなかった、どうしようもない疎外感を。

 

 そして、言ってしまってから。……そんな醜い立香の心を目の前の無垢な子供に話してしまったことへ、軽く罪悪感を覚えてしまう。

 

「ご、ごめんね!ハーメルンにこんなこと話しても、しょうがない、よな…」

 

「……親様…」

 

 

 誰が悪いというわけではない。これは立香が勝手に感じてしまったことで、ただの醜いエゴイズムだ。決して、何も知らない子供に話してしまっていいような、綺麗な話ではない。

 

 堪えることもせず、汚い胸の内を吐露してしまったことを少し後悔した。……そんな時。

 

 

「ん……親様」

 

 

 不意に立香の朴がハーメルンによって押さえられる。そのまま顔が近づけられ、視界いっぱいに彼の整った容姿が映し出された。まさに目と鼻の先。至近距離で、流石に恥ずかしいのか、少し赤らんだ顔を見つめることになる。

 

「……親様。僕の、目を見て。……どう?」

 

 言われた通りに、目を見つめる。目の中に映る光が光沢のように煌く、黄玉(トパーズ)のように丸く、美しい瞳。

 

「どうって……すごく、綺麗だと思うけど…」

 

「……んん、そ……そうじゃなくて。……目の、色。どんな色に…見える?」

 

 次は、言われた通りに。立香の言い表せる限りの色彩感覚で、ハーメルンを観察して、形容しようとする。

 

「……蜂蜜色?」

 

 少し赤くなった白っぽい顔についているのは、やはり黄色と言うには少し暗い、でも透明感のある、蜂蜜のような色だった。同じように、髪は少しそれが濃い琥珀色。服は変わらない色に見える。

 

「……ボク、この国で、見なかった。……は、髪は、ちょっとだけあの王様と似てたけど……でも、この色の目の人は、一人もいなかったよ。……髪だって…あの王様以外は……誰もいない……」

 

「……そりゃあ、そうだけど」

 

 確か、金色の髪を持っているのはウルクの神々の証で。……ハーメルンも神性を持っているとはマーリンに聞いてはいるけれど。……でも、やはりハーメルンの髪はこの国では見ないものだ。

 

「でもね。……親様の黒い髪。それは、ウルクの人たちと同じ。いっぱいいて、たくさん……だったよ。青の目の人も、いないではなかった。………だから、親様は……ウルクの人たちと、似てる。ウルクっぽい」

 

「ウルクっぽい……?」

 

「う……ん。親様、今は余所者……でも、半月も経ったら、ウルクの人と区別がつかないと思うから……それに、それに……えっと……ええっと……」

 

 それは、彼なりの気遣いのようだった。

 

 ただ、それにしても不器用というか、不格好というか。……正直、全然理論立っていなくて。それなのに、子供なりのフォローの暖かさが、温度が、身に染みて感じられて。

 

 

「……ぷふっ」

 

 

 思わず、吹き出してしまう。先ほどまで感じていたら孤独の感情など、どうでもいいと思えてしまうほどに。

 

「……わ、笑わないで!………笑わないでよぅ」

 

 慌てたように手をバタバタとして立香に抗議するハーメルン。その姿が、余計に面白くて、可愛らしくて。

 

「いや、だってハーメルン……ウルクっぽいって……ちょっと……いや、ダメだなぁ……ははは!」

 

「もう、親様ぁ……」

 

 ちょっとだけ大きな声を立てて、クスクスと笑う。ハーメルンは涙目でこちらを見つめているが、でも、笑わずにはいられない。

 

 ハーメルンの気遣いもそうだが……自分が。自分がこの国にとって異物だなんて考えていた自分自身がそれ以上におかしくて、どうしても笑ってしまうのだ。

 

 こんな子供に無理をして語らせてしまうほど愚かな自分なんて、どうしたっておかしすぎて、笑ってしまう。

 

「……そうだよね。今は他人でも、暫くすれば他人じゃなくなる。俺はそうやって、今までも信頼を勝ち取り続けてきたんだ。急に全部話してもらおうなんて、どうにかしてる」

 

 別に、英霊のような無茶無謀、あるいは輝かしい偉業でもなんでもない。ちょっとした努力と、地道な研鑽こそ、立香が今まで積み上げてきたものだったのだから。

 

「……親、様?元気、でた?」

 

「あぁ、すごくでた。ありがとう、ハーメルン。俺、ちょっとのぼせてたかもしれない。最後の特異点で、少し最初がうまくいったからって。……そうだよね。こんな逆境、いつも通りだ」

 

 大きく空を見上げて、手の中のハーメルンを思い切り撫でる。全身をくすぐり回すようにして、優しく、優しく。ハーメルンもフードを目深に被り直して顔を赤くしながらだが、少し嬉しそうに頬を緩めてはしゃいでいた。

 

「……あと……あとね、親様」

 

「ん?どうしたの?」

 

 少し言いにくそうに顔を陰らせるハーメルン。頭を撫でるのをやめないまま、立香は密着姿勢で話を聞き続けた。

 

「……シドゥリさんは……親様とマシュさんに……ううん。ボクたちに必要だったから……今言わなかった……言えなかったんだと思う……あの人、ボクらに話せないの、凄く苦しそうだった」

 

「……うん、そうだね。俺も今はそう思う」

 

 何度かシドゥリが苦しそうな……戸惑うように言葉を濁していたのは、そういう事情もあったのだろう。きっと、今の立香たちでは理解しきれないほどの事情が、この国にはあるのだろう。

 

 そしてそれは、今の立香にはどうしようもない。未来の立香ではないと、そのことを理解するのは、きっと不可能なのだ。

 

「……お仕事……明日から、忙しくなる、よ?」

 

「……うん、そうだね。そろそろ寝よう。1日でも早く、ウルクっぽくならないと、ね」

 

「…………親様の、いじわる…」

 

「ごめんごめん」

 

 ぷぅ、と可愛らしくて頬を膨らませて怒るハーメルンが、少し残念なことに立香の腕から抜け出てしまう。温もりを少し惜しみながらも、流石に座り続けるのも疲れたので立ち上がった。

 

 長い間座っていたから、体が少し硬い気がして大きく背伸びをする。ポキポキと小気味良い音が鳴って、少しだけスッキリした気分だ。

 

「……ね、親様…」

 

「どうしたの?」

 

 少し立香から離れて、けれどそこからわかるほどに顔を赤らめ、モジモジとしながら言葉を紡ごうとするハーメルン。その口元が何度かもごもごと動いて、三度、四度と小さく悲鳴のような声を漏らしながら、ようやく声を出した。

 

「ひ……じゃ…」

 

「ひ?」

 

「ひ、1人じゃ、怖いから……一緒に寝ても、いい?」

 

ヴッ!(尊死)

 

 立香は、どうやら就寝前に致命的なダメージを受けてしまったらしいことを悟った。

 

 ……当然、その夜は緊張してあまり寝れなかったという。子供が可愛すぎるのも、考え物である。




天使の証

ランク: D
種別:????
レンジ:???
最大捕捉:???

詳細不明。どのような原理が発生しているかも一切不明の、謎の塊。その証に名が刻まれた者が死亡するとたった一度だけ救い、その死に耐性を与える、ただそれだけの宝具。過去現在、ギルガメッシュの頭を悩ませる種でもあり、ウルクを救ってきたものでもある。ちなみに、本当に死んでから生き返っている。現在の総数、千五百枚超。



すまない………アンヘル君の出番もなければ殺人の夜(キリングナイト)についてもあまり触れられなくて本当にすまない……文字数的に入らなかったんだ……!四節上で回想として触れるから許してくれ……こんなだらだらと引き延ばす作者を許してください……!

ハーメルンのマシュの呼び方が変わってるのはミスじゃないです。仕様です。……レオニダス王?まだ戦場で頑張ってくれてます!ムァダムァダァ!



次回予告


『簡潔に説明するなら、殺人の夜(キリングナイト)は堕ちるのさ』
『冥界デートスポット少なすぎ案件』
『この国を、三つの復讐が襲う』
『とりあえず、手でも繋ぐ?』
『いいこ、いいこ』
『さぁ、冒険にいくぞ!勇者ども!』
『親様、ダメぇぇっ!』
『お前なんかに、何がわかる!?』
『……聖槍よ(・・・)果てを語れ(・・・・・)ッ!

第四節 空の泣く日


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第四節 (ソラ)()() (1/3)

 やあ、みんなよいこで寝たかな?

 

 それじゃあ本日のお楽しみ!『お願い!マーリンお兄さ』……あぁ。この霊基じゃあ違うんだったね。『お願い!マーリン君教室!』を始めていこうか!

 

 うん?著作権?……まさか、齢10代の子供に著作権なんて言わないよね?お兄ちゃん、お姉ちゃん?

 

 ……さて、今ので慌ててしまったショタコンのことはおいといて。今日解説するのはこちら!『殺人の夜(キリングナイト)〜!』今ウルクを襲っている大厄災!まさにナウで今時のニュースだと言えるね!

 

 藤丸君たちはシドゥリ殿から既に聞いているから、これはおさらいという形になる。

 

 ではまず、殺人の夜(キリングナイト)の正体は何なのか!これは単純な疑問だね!

 

 ずばり、殺人の夜(キリングナイト)呪い(・・)だ!何者かによってウルクのみならず、バビロニア全土に掛けられた超広大な、ね!

 

 しかもこの呪い、体に何か影響を及ぼすわけじゃあない。あくまで精神に働きかけるだけ。体は健康そのものさ。……故に、治療法がない。どれだけ優秀な治療薬でも、心までは治癒出来はしないからね。

 

 

 では次に、どんな症状なのか、だが。

 

 

 君は、現実が辛くなることはないかな?

 

 世界は君の思うがままにはなってくれない。

 

 好きな人は振り向いてくれないし、やることなすことは全て空回り。大切な人とはすぐに仲違い……いや、そもそも大切な人や好きな人と、仲良くなることすらできないかもしれないね。

 

 自分が思い通りに行くことなんて一つもなく、辛いことばっかりでうまくいかない日々。そんな日常が、辛くなったことはないかな?

 

 

 さて、そんなあなたこの『殺人の夜(キリングナイト)』を差し上げよう!

 

 この呪われた地で眠れば、君の理想は現実になる!

 

 例えば、好きな子は君にメロメロで、やることなすことはすべてうまく行くだろう!勉強ならトップの座は揺るがないし、運動ならエース間違いなし!当然、友達も沢山!社会人なら仲のいい仕事仲間に恵まれ、仕事もバリバリこなせて、給料もたくさん!昇進……いや、君が社長、王になることができる!誰よりも人気者で、みんなの憧れ!恨みを買うこともなく、誰からも愛されて、大切にされる!何の弊害もない素晴らしい日常を送ることができるよ!

 

 

 ……まぁ、その全ては虚しい夢なんだが。

 

 とまぁ、大体の人が勘づいてるしているとは思うけど。……簡潔に説明するなら 殺人の夜(キリングナイト)は堕ちるのさ。眠っている間に、自分の理想の、都合の良すぎる世界を『夢』として見せられることで、精神を堕落させる。そして暫くすれば、身体は都合の悪い現実から逃避を始める。起きることを拒否するんだ。

 

 そして、殺人の夜(キリングナイト)はその隙を見逃さない。 精神(こころ)が身体から離れてしまっているから、簡単に呪い殺せてしまう訳だ。敵ながら天晴なほど考えられた呪いだね。

 

 そんな呪いが広まってしまったものだから、バビロニアは一夜にして、精神が弱い人間ほど簡単に死んでいく魔境へと変貌を遂げたわけさ。

 

 たった一度だけなら耐えられた人々も、何日も見せられ続ければ魔が刺すことはある。死ぬほどお腹が空いているのに、目の前で大好物が転がっているんだ。自制の鎖はやがて壊れる。そうやって何百人も人は死んでいって、そのまま人類は滅亡!

 

 めでたし、めでたし……

 

 

 

 ……とは、いかなかったんだよね、これが。

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

「………とんでもない悪夢を見た気がする…」

 

 立香の寝起きは最悪だった。……マーリンが異様なほどのハイテンション(元からあんなだった気もするが)で、ひたすらに殺人の夜(キリングナイト)について語り続けるのを聞いているという、どこぞの罰ゲームに近しい仕打ちの夢を見てしまったのだ。

 

 ふと横を見ると、そこでは黄色の少年がすぅすぅと寝息を立ててあどけない寝顔を晒している。……半裸に立香のシャツを着ただけの状態で

 

 いや待ってほしい。決して立香の趣味とか、そういう訳ではない。ただハーメルンが、眠っている間に無意識なのか突然レインコートを霊体化させ、半裸になってしまったのである。

 

 レインコートの下がまさかスパッツのような下着だけというあまりにも露出狂じみた格好。立香も慌ててハーメルンを起こしたが、その身体は不動。しかして自由にあらねばならぬ。即ち其、無念無想の境地なり……と言わんばかりに、どれだけ揺さぶろうとその目が開くことはなく、規則正しい寝息を崩すこともなかった。ので、仕方なく立香の服を上に被せたわけだ。あとで小一時間ほど問い詰める予定ではいる。

 

 ともかく、マシュがこのまま現場を目撃すればまた誤解を招きかねない。ゆっくりとベッドから身を起こし、立香はベッドからの脱出を試みた。

 

 幸い、ハーメルンが抱きついて止めるなどというベタな展開もなく、扉を開けて下の階へと降りる。石造りの硬い階段を降りれば、そこには椅子に座ったマーリンとアナがコップを片手に机へ向かっていた。

 

「おや?随分と早いお目覚めだ。眠れなかったかい、藤丸君」

 

「……おはよう、マーリン。…………なんか目が冴えちゃってさ」

 

 お前の関わる悪夢を見たから飛び起きたんだよ!と叫ぶ……或いは横で寝ていた美少年が気になって眠れなかった、などと言うわけにもいかず、適当に言葉を濁して返しておく。いかにマーリンが飄々とした性格であるからといって、暴言を吐いていいわけではない。

 

「アナも、おはよう」

 

「……おはようございます、藤丸」

 

 アナは相変わらず素っ気がない。黒いフードの下から少し覗く紫の目は、あまり興味がなさそうにこちらから視線を外していた。

 

 特にやることもないので、マーリンに倣って椅子へと腰掛ける。どうにも早朝の時間に起きてしまったようで、手持ち無沙汰な感覚が否めない。

 

 折角だから、何か話題を……と探していると、昨日シドゥリに話された事がどうしても脳裏を過ってしまう。

 

「……ねぇ、マーリン」

 

「うん?どうしたんだい?」

 

「……ギルガメッシュ王に召喚されたマーリンが、殺人の夜(キリングナイト)を止めたんだよね?

 

「あぁ、うん。ボクはギルガメッシュ王に呼ばれてすぐ、対策を要求されてね。幸い……というかボクは彼と元々面識があるから、狙って呼ばれたんだけど……事件が夢関連(得意分野)だったから、一晩で殺人の夜(キリングナイト)を防ぐ術式をちょちょいのちょい、さ。……急造で粗も多いし、維持するのが大変で、ボクはこんな姿になってしまったわけだが」

 

 ……そう。マーリンが救世主扱い、国の命扱いされているのは、一重に殺人の夜(キリングナイト)を防いだ功績からだ。

 

 殺人の夜(キリングナイト)を重く見たギルガメッシュ王は、対抗策を持つ英霊を呼び出すため、英霊召喚の儀を行った。その結果として現れた英霊こそが、マーリンだった……と、シドゥリからは聞いている。

 

 結果、マーリンは魔力を使いすぎて小さくなり、殺人の夜(キリングナイト)で都合の良い夢を見る人はいなくなったが、肝心の呪い自体は、そちらに裂くリーソスを他に回してしまったためどうしても解くことができず、老人など、あまりに精神が弱った人は精神が身体から離れ死んでしまう、とも。

 

「……でも、突然どうしたんだい?今更ボクの功績なんか持ち出して……褒めたって何も出ないぞぅ?」

 

「……こんなやつに人類が救われてしまうなんて…人類史の汚点です……マーリンは死んでください」

 

「ははは、ボクが死んだらこの特異点が滅んでしまうよ!今やボクとウルクは一心一体。ボクこそがウルクの命なんだからね!」

 

「……藤丸。下種へ地位を与えた最悪の例がこれです。わかったらコイツを殺してください」

 

 少し……というか、かなり不機嫌そうに毒を吐くアナ。あながち冗談でもなく、マーリンへ恨めしそうな視線と殺気を送っている。立香は辛うじて苦笑いらしきものを返すしかできなかった。

 

「……で、話を戻すんだけど。……昨日のシドゥリさんの話だと、寝ても安全なのは、ウルクの中だけなんだよね?」

 

「あぁ。正確にはウルクと、北壁近くの兵舎、観測所などの重要施設だ。……残念ながら、他には一切手が回らないし、私の身ももたなくてね。密林で覆われたウル、エリドゥは分かっていないが……それ以外の地の人はウルクに移住してきているはずさ。事実上、ここが最後の砦というわけだ。……それが、どうかしたかい?」

 

「……うん、その……あの子(・・・)の言ってた野宿するなって、そういう意味だったのかなぁ、と思ってさ」

 

 つい一昨日のことを思い出しながら、立香は呟く。ボロ布を纏った彼が苦しみながら口にした忠告の一つ、『野宿はせず、魔獣戦線か西の森に向かえ』というものを。

 

 マーリンは合点がいったと大きく頷き、手を顎に持っていきながら考えるそぶりを見せた。

 

「……九割方そうだろう。魔獣戦線はともかく、ボクのいた西の森に向かえと言っていたなら余計に。逆に言えば、魔獣戦線の外ではボクに会う以外に藤丸君が助かる術はなかった。香柏の森に私がいることを知っていたとしか考えられない。もしかすると、ハーメルン君がいることも知っていたのかもしれないね」

 

「……じゃあやっぱり。あの子は今は味方、なんだよね。………そっか」

 

「……藤丸君?」

 

 その忠告が正しいならば、他の二つも信じていいようだ。『常識を疑う』ことと『冥界の誰かに二人の名前を伝える』こと。忘れないように、しっかりと覚えていなくてはならない。

 

 ……それにしても。最初の出会いからなにから、彼には助けられている。なんでも、とんでもない力の持ち主らしいし、その彼が味方であることは、少しだけ心強い。

 

 もし。もし、彼を味方につけることができれば、この特異点の修復にもぐぐっと近づけるのではないだろうか。

 

「……ねぇ、マーリン。あの子を魔術王の手から救う方法って、本当にないのかな?」

 

「……そこか。…藤丸君には悪いが……無いよ。それほどまでに、魔術王の力は圧倒的だ。あるとすれば、サーヴァントの彼を消滅させることぐらいだろうが……彼の戦闘能力は一線を画すものだし、そもそも、藤丸君が訊きたいのはそういうことではないだろう」

 

「だよね……そんな方法があるなら、とっくにやってるんだった……」

 

 がっくり、と肩を落とす。……とはいっても、こんなことでいちいちウジウジはしていられない。しっかりと切り替えて、自分が今できることを、精一杯しなければ。

 

「……いい顔になったね、藤丸君。昨日の夜は少し思うところがあったみたいだが……その調子だと、一皮剥けたみたいだ」

 

「……一皮剥けたというより、元に戻ったって感じだけどね。今日から仕事もあるし、頑張っていかないと!」

 

 パンパン、と景気づけに自分の顔を二回叩く。少しヒリヒリとしたが、目覚ましには丁度いい痛みだ。

 

 ここから半月。立香は、ウルクでの様々な仕事に身を投じることになるのだから。

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 〜ここからは、都合上天の声が実況を行わせていただきます〜

 

「冥界!デートスポット少なすぎ案件!!」

 

 アンヘルは嘆いていた。というか、悶えていた。メスラムタエアの床にだらしなくねころがり、ごろごろごろごろと羞恥と思考を繰り返して。

 

「……勢いでエレシュキガル様を誘ったはいいけど…デートって、そもそも何をすればいいんだろ…?」

 

 そう、事件は数日前。アンヘルが中途半端な知識でエレシュキガルをデートに誘ったことが引き金である。

 

 なんとなく。そう、本当になんとなく。深い考えなど一切なかったアンヘル。ふと頭に思い浮かんだデートという単語をお出かけと間違えて解釈し、せっかくなのでエレシュキガルを誘ったというだけ。後にデートの意味をエレシュキガルの部屋の掃除中に(しかもエレシュキガル愛読の本を見るという史上最悪の大事件)を以って知り、今に至る。

 

 デート=仲良しの異性のお出かけ感覚であったアンヘルは、当然の如く初心(ウブ)であった。

 

 エレシュキガルほどではないが、異性と関わった記憶など今のアンヘルにはない。そもそも、エレシュキガル以外の知性体と触れ合ったことすらない。あるとすれば精々、地上から輸入出という形で送られてくる貢物に入っている書物のなかぐらいで。むしろなぜデートという単語を知っていたのかすら怪しいレベルだ。

 

 まぁ、今の記憶にない生前を含めても彼に親しい異性といえばシドゥリ(ほぼ姉ポジション)ぐらいのものなのだが。

 

「……ま、まさかデートがこれほど難易度の高いものだっただなんて……ぼぼぼぼ、僕はどうすれば……!」

 

 残念ながら、アンヘルに発言を取り消すなどという選択肢は存在していない。なんだかんだ、ルンルンと機嫌を良さそうにしてデート当日を待っているエレシュキガルを見て、そんな発言ができるのは悪魔か何かだ。

 

「と、とりあえずお菓子は作るとして……冥界、メスラムタエア(ここ)ぐらいしか綺麗な場所ないし……あああ時間がないいい!!!」

 

 あと七日。それが、アンヘルに残された執行猶予期間だった。……何か綺麗なものを作るにしても、時間が圧倒的に足りなさすぎる。

 

 

「……いや、そもそも相手は神様…何かを期待されてると思う方が間違ってるのか……?やっぱり、僕なんてエレシュキガル様になんとも思われてないんじゃ……」

 

 もしかして、今慌てている自分を見て楽しんでいるだけなのでは……と頭にそんな想像が浮かんでは、ないないとアンヘル自身がその可能性を否定していく。

 

 最近鼻歌を歌いながら仕事をしているのを知っている。一週間のカウントを本のしおりにしているのを知っている。ここ数日アンヘルの顔を見ると赤面して逃げ出すのを知っている。……どれ一つとっても、めちゃくちゃ楽しみにされていることは疑いようもないわけで。

 

 

「……と、とりあえず本で予習しておこう。う、うん。勉強は裏切らない。……裏切らないよね…?」

 

 取り出したのは、エレシュキガルのベッドの下から持ち出した……もとい、丁重にいただいた恋愛小説。箱入りのお姫様が他国からやってきた少年に世界の光を教えられ、愛の逃避行を繰り広げるという、完全にどこかで見たことのあるストーリー。

 

 エレシュキガルが赤面してキャーキャー言いながら読み漁ったそれを、同じようにアンヘルは読みこんでいく。

 

 

「わ、わぁ……こ、恋人同士でもないのに、ててて、手を繋ぐなんて……ふわぁぁぁ……」

 

 

 ………正直なところ、不安と暗雲以外の何も見えない光景であった。

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 そして、六日後。女神と天使が緊張して仲良く冥界で寝不足になる前日の、ウルク。

 

 

「………んん〜!今日もよく働いたなぁ…!」

 

「はい、お疲れ様です。先輩。粘土版づくりというのは、なかなかに大変なものなのですね。かなり肉体を酷使しました」

 

「でも、仕事にも慣れてきたね。かなりコツが掴めてきたよ」

 

 数日して、ウルクにかなり馴染んでしまった立香とマシュ。今日も今日とて仕事に励み、給金で買ったパンを片手に帰路へついていた。

 

 夕焼けがいい塩梅に沈んでいき、店じまいを始めていたウルクの商店街を紅く染めていく。美しい光景が目に眩しく、少しだけ、目を細める。

 

「……最初の頃こそどうなるかと思いましたが、ウルクの人たちは優しくてよかったです」

 

「……あぁ。俺も色々あったけど、この生活を楽しんでるかも」

 

 ……でも。やはり、殺人の夜(キリングナイト)の犠牲者は出てしまっている。六日で四人。ペースはとても遅いが、まるで毒がじわじわと回っていくように、被害は増えていく。

 

 時間が必要だ。それはわかっている。それでも、立香にはもどかしかった。どうにかして、殺人の夜(キリングナイト)を止めなければならないのに──

 

「フォ、フォウ!フォウ!」

 

「……フォウさん?」

 

 ふと、立香の肩に乗っていたフォウが路地へと吠え始めた。薄暗い路地をよくよく見てみると、そこには、ボロ布を被った老人のような男性が座り込んでいた。

 

「……きっと、お腹が空いているんじゃないでしょうか…」

 

「………」

 

 立香は無言で、その路地へと足を踏み入れる。こちらに気付いているのかいないのか、老人は身動き一つとらない。

 

 老人の前でしゃがみこみ、手に持った袋の中から比較的大きめのパンを取り出す。

 

「あの、これ……差し出がましいですけど…」

 

 老人の手が、ピクリと動く。生きているのかすら怪しかったが、どうやら意識はあるようだった。

 

 しかし、パンは一向に受け取られる気配はない。……老人は、ただ布地の奥から立香を見据えている。

 

 その口が開かれたのは、およそ十秒後。

 

「……謂れのない憐みは悪であり、施しもまた、同じである。だが、その心に寄り添おうとする想いは、悪と断じることはできぬ」

 

 地が震えるような、低い声だった。酷く掠れているのに、決して弱々しいなどとは思うことができない、不思議な声。

 

「……余計なお世話、だったでしょうか?」

 

「……いや、受け取ろう、若きものよ。そしてその心遣いに感謝を表し、こちらから返礼させてもらう」

 

「いえ、そんな。お礼だなんて……」

 

「心して、聞くが良い」

 

 咄嗟に拒否した声が、有無を言わせぬ圧力をもった声で押しつぶされる。布地の奥に見える無精髭としゃがれた肌が、ビリビリと圧を放つ。

 

 

「この国を、三つの復讐が襲う」

 

 

大切なものを傷つけられた者に、同調を示してはならぬ。他者からの仕打ちを返そうとするものに、望みを与えてはならぬ。そして……何かを恨み続ける者に、真実があると考えてはならぬ。……(ゆめ)、忘れるな。これらは全て鍵である。一つでも喪えば、その扉は永遠に開くことはないと知れ

 

 そして、すべてを言い切った老人が持っていた杖をつく。……すると、目が開けないほどの突風が立香とマシュを襲い───そして、次に目を開けた時に、その老人はもう、どこにも見当たらなかった。

 

 

「……今のは、一体…」

 

「……わからない。……でも」

 

 

 少なくとも、先の言葉が絶対に忘れてはならないことであろうことは、立香にもわかってしまった。

 

 

 ……その忠告が活かされる、たった二週間前の出来事である。

 




さて、いい加減フードと忠告に見飽きてきた今日この頃。

次話はいい加減出番が少なすぎたアンヘルくんメインのお話です!


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第四節 空の泣く日 (2/3)

※ネルガルとかいうエレちゃんの可愛さを損なう生命体は存在しておりません。いても作者が消します。(鋼の意思)





 

 ……空が、落ちてくるようだった。

 

 たまにわからなくなる。自分のいる場所が、星のある空を長く見上げていると。降りてくる星々に翻弄されてしまうように。自分は本当に、地球にいるのだろうか、だなんて考えてしまって。

 

「……月が、綺麗だな」

 

 神代の美しい空を見ながらそう呟いた。言ってしまってから、少しマズかったかと口を噤む。……確か日本では、風流な告白として使われている言葉だったから。夏目漱石、だったか。あまりにも濃密な一年を過ごしたせいか、たまに向こうの常識を忘れてしまいそうになる。特に意識することもなく、油断して言葉が漏れてしまった。

 

「……月もそうだけど。………星も、綺麗」

 

 当然、そんな遠い異国の常識は、隣のハーメルンには通じない。……そもそも、いくら綺麗とは言え、男と二人きりのシチュエーションでこんなことを言っても気にする方が野暮というものか。

 

「……星かぁ。星なら、中学の理科とかで習ったかな」

 

「親様、は………星を、知ってるの?」

 

「うん。……神代の星だと、俺が知ってるのとちょっと違うけどね」

 

 そういえば、カルデアは元々天文台としての役割を持っていたのだったか。とうろ覚えの知識を引っ張り出す。……これは親、延いては天文台の魔術師としてハーメルンに星について教えないわけにはいかないだろう、と。謎の責任感に駆られ、知っている星の話を頭をフル回転して話し始める。

 

 幸い、ハーメルンは興味津々という風に立香の星の話にのめり込み、時々立香の指差す方向を熱心に見つめてくれた。

 

「………親様は、色んなことを、知ってる……ね。……凄い…………」

 

「……ははは。まぁ、俺はマシュと違って、ちょっとした豆知識ぐらいのことしか話せないんだけどさ」

 

 ………ぶっちゃけ本心である。悔しいといえば悔しいが、我が後輩ながらマシュの知識量は控えめに言ってエグい。立香が勉強不足なのかもしれないが、少なくとも星の話となっても、立香よりもマシュの方がもっと詳しいことだろう。

 

「ボク……星は、一つしか……知らない」

 

 少し顔を陰らせながら、ハーメルンが漏らす。

 

「一つしかってことは……ハーメルンは、知ってる星があるの?」

 

「……あれ…………」

 

 そう言ってハーメルンが指差す……というか、指でぐるっと囲んだあたり。……そこには、六つ、七つほどの蒼い星が、あるはずのない光帯に負けないほど眩い光を放ち、夜空に優しく煌めいていた。

 

「あれって、確か……」

 

 確かにそれは、立香にも見覚えがある星の並び。少しだけ本で見たことがある。確か、なんとか星団とかいう。確かそれ以外にも別の名前があって。日本名は、確か………

 

 

すばる(・・・)

 

 

 奇跡的に思い出せた名前は、どうやらあっていたらしい。コクンと頷いたハーメルンは、英名らしいすばるの名前を愛おしそうに呟く。

 

「うん。……セラエノ……ボクの笛と……おんなじ、名前の星……」

 

 セラエノ。……なんだか、あまり聞き覚えのない、けれど、なぜか耳に馴染む響きだ。なんだか、本の名前にありそうだな、なんて思ったり。

 

「じゃあ、ハーメルンは好きなんだね。その、セラエノ」

 

「………どう、かな……好き……なのかな………ボクにも、わかんない、よ」

 

 夜空を見上げて、ほう、と息を吐きながらハーメルンは首を傾げた。……その横顔が、あまりにも美しくて。儚げで。……青白い月が照らす浮世離れした純白の肌に、思わず手が吸い寄せられた。

 

「……親、ふぁま?」

 

 もちっ。

 

「………ほっぺ、柔らかいね」

 

 膨らんだもちすべの頬を、ツンツンと突いて凹ませる。こちらを見て不思議そうにしているハーメルンは、やはり幻想的な子供でもなんでもなく、ただ可愛らしいだけの美少年だった。……先ほどまでの、目を離せば、手を離せば、何処かに行ってしまいそうな神秘性は消え失せている。

 

「……くしゅん!」

 

 暫くその体勢で頬を弄り続けていると、突然のくしゃみが沈黙を破った。立香のものではない。目の前のハーメルンが、すこし震えながら可愛らしくくしゃみをしていた。

 

「……ハーメルン。実は寒いでしょ」

 

「………そんなこと、ない、よ?………くちっ!」

 

「なんでそこで意地を張った!?そんな薄着だったらそりゃあ寒いでしょ!そのレインコートの下、スパッツだけなんだから!」

 

 慌てて、自分の上着をハーメルンのレインコートの上から被せる。サーヴァントだろうと暑さや寒さは感じる。風邪になることは滅多にないだろうが、それでも万一ということはある。……というか。

 

「どうしてその格好変えないんだ……?中に一枚ぐらいシャツ着れば……」

 

「………ダメ………これじゃ、ないと……ひくちっ!」

 

「あぁ、もう!」

 

 立香の言葉に珍しく聞く耳を持たず、何度もくしゃみを繰り返すハーメルン。仕方なく、軽く小さな体を抱えて屋上から室内へと運ぶ。

 

 服装について注意するのは、何もこれが初めてではない。ウルク二日目の夜から、ハーメルンには問い詰め続けてきた。しかしまぁ、ダメと無理の一点張り。個人の服装に関してうるさく言うつもりもないが、流石に露出狂まっしぐらの服装は口を挟まざるをえない。

 

「……親様………ごめん、なさい……」

 

「………そう思うならもっと服を着て…」

 

 悪いという自覚はあるのか、かなり申し訳なさそうに目を伏せるハーメルン。返す言葉は幾度となく繰り返した言葉だが、やはり首が縦に振られることはない。

 

「………だって…………その方が、親様も、やりやすい(・・・・・)……でしょ……?」

 

「いや。正直やりにくいんだけど……」

 

「…………?じゃあ、もっと、脱ぐ?」

 

「どうしてそうなった……」

 

 ガックリと肩を落とし、屋上から二階の自室へと足を運ぶ。後ろからとことこついてくるハーメルンは、相変わらず少し意味不明な理論を口走っている。普段は常識的なのに、肝心のところが抜けているあたり残念……いや、英霊らしいと言った方がいいのだろうか。

 

「今日も一緒に寝る?」

 

「……ん。……親様が………迷惑じゃない、なら……」

 

「全然、迷惑じゃないよ」

 

 寝ている間に服を脱がれるのは、とても困るけど。と続く言葉はなんとか飲み込む。理由を問われれば答えられる自信が立香にはなかったから。

 

 もう夜もかなり更けている。隣部屋のマシュを起こさないよう、慎重に、慎重に自分の部屋の前まで移動して、中へと入った。

 

「ハーメルンは、もう羊飼いの仕事に慣れた?」

 

「………うん。みんな、優しいから。……羊さんたちも、牧場の……人も」

 

「そっか、ならよかった」

 

 ハーメルンは、普段牧場で仕事をしている。笛を吹いて羊の群れを統率し、魔獣が出たら追い払う。牧場主にとって魔獣を追い払えて、牧場犬いらずのハーメルンには大助かりなのだと、彼を迎えに行ったときに聞いた。

 

 いい加減、ベッドに二人で入るのも慣れていた。ハーメルンがベッドの奥まで入ったのを確認して、手前の方のシーツへと潜り込んだ。

 

「………親、様。おやすみ、なさい」

 

「うん。お休み、ハーメルン」

 

 立香がもう一度さらさらの髪を撫でると、ハーメルンはまるで嘘のように寝こけてしまう。すぅすぅという寝息が、ものの十秒で聞こえてきた。

 

 朝は少し早く起きて、マーリンやアナ、みんなで朝食をとり、マシュと一緒に仕事に向かう。終わったら夕食の材料を買って、家に帰る。夜には屋上でハーメルンと星を見て、他愛のない話をしてから一緒に寝る。それが、立香にとってのウルクでの日常。

 

(……今までの特異点で、こんな風に日常を過ごすことってなかったかもな…)

 

 ウルクに来て一週間。その日常は知らず知らずのうちに、立香にとってかけがえのないものになっていた。

 

 その日常が壊れる日からそう遠くない日の、たった一日の終わりのことである。

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 彼女の起床は、いつも通りだった。寝つきこそ悪かったが、一睡もできなかったというほどでもない。自慢の金髪もいつも通り。寝癖の一つもなく、服装はそもそも変えるまでもない。特に心配することはない。彼女自身、心配することに、思い至らない。

 

 …………のに。

 

 

「あわ、あわわわわ……」

 

 さて。………この状態を予測できなかった者は恐らくいないであろう

 

 デート当日までスキップやら鼻唄やらを繰り返し、昇りに昇り、天井を超えて更に昇り詰めた機嫌を隠そうともせず、挙句周囲に振りまき、冥界の気圧と温度を200hPa(ヘクトパスカル)と5K(ケルビン)ほど上昇させた冥界の女主人、エレシュキガル。デート前日までルンルン気分であったが、その夜になってからこの慌てようである。

 

(おおおおお落ち着くのだわエレシュキガル!まずは適度な距離を保って、適切な挨拶からいい一日をスタートさせなくちゃ!)

 

 ………失敗するビジョンが容易に想像できる心境であるが。とりあえず、笑顔で鏡に向かって挨拶を繰り返し練習する姿は、世間的にかなり危ないものであると断言はしておく。

 

 言うまでもないことだが。冥界の女主人は、初心(ウブ)である。子供(アンヘル)を除けば、異性と関わった回数など両手両足の指で事足りる。話したりした回数ならば(無機物に一方的に話しかけた回数ならば数え切れないが)恐らくその半分。知的生命体に関わるだけでも珍しい彼女の半生では、それが限界値なのだ。

 

 無論、恋愛関係に発展したことなど一度たりともなく……そもそも彼女と直接の関わりのない者であれば死と腐敗の女神に会おうなどという発想すら湧かないわけで。およそ数世紀を生きてきた中(生きているかは若干怪しいが)、彼女は初心(ウブ)中の初心(ウブ)。ゴッドオブ初心(ウブ)であった。

 

 その癖して本やらで恋愛に関する知識はつけているから、余計にタチが悪い。こうして恋愛経歴を『冥界の年齢=彼氏いない歴』と冥界が可哀想というか比較されるのが屈辱レベルなほどに、今の今まで落とし込めてしまったわけである。

 

「『おはよう!今日はいい日にしましょう!』………これじゃあ、デートを楽しみにしてるのがバレバレになっちゃう………『あら、おはよう。いい朝ね』……いや、今になってこんな優雅な登場ないない。逆にこれじゃあデートを忘れてるみたいに思われるし……!」

 

 鏡に何度も語りかけて百面相。朝起きてからずっとこれだ。まるで白雪姫に登場する女王のようだが、状況はまさにヒロインのそれ。ミスマッチというかなんというか。半身(イシュタル)が見たら呆れ返ること間違いなしの光景だった。

 

 約十数分に渡り残念なエレシュキガルの頭から捻り出された結論は『おはよう。今日はよろしくね』……最終的にベタなところに落ち着いたのはいいことであろう。

 

 まぁ、尤も───

 

 

「おはよう、エレシュキガル様。早いね」

 

「あひゃぁ!?おおお、おはよう!?」

 

 

 無駄に考え抜いたその言葉を使う機会など、コミュニケーション障害を拗らせたメンタル弱者には訪れるはずもなかったのだが。

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 それから約十数分。二人がまず向かったのはいつもお茶会に使っている一室だった。元々用意されていた茶菓子に舌鼓をうちつつ、アンヘルの入れた紅茶を飲んで、一息。そして──

 

デートを、しましょう!

 

 大きな声で、断言して。

 

「う、うん……元々そのつもりだけど……?」

 

 即座に出鼻を挫かれた。

 

「い、いやまぁ!始まりの合図として、ね?」

 

 慌ててこじつける。これに関してはアンヘルが正しい。デートに誘ったのはアンヘルで、デートプランを考えたのもアンヘルだ。エレシュキガルは挨拶を格好をつけて言いたかったから言っただけであって、困惑するのも無理はない。

 

 先程まともに挨拶をできなかった醜態を隠そうとして、エレシュキガルが勝手にドツボにハマっているのだった。

 

 

「こ、コホン!でも、こういう挨拶はきっちりしておかないと。………こうやってお茶会するだけじゃ、いつもと変わらないのだわ……」

 

 とりあえず、とわざとらしく咳払いをして、テーブルの茶菓子を口に運ぶ。ちなみに本日は無難なレーズンクッキーである。酒に漬け込まれたレーズンの風味が鼻を抜け、バタークリームのもったりとした後味と程よくマッチ。柑橘系の香りがする紅茶が進むこと進むこと………

 

「それじゃあ。とりあえず………手でも繋ぐ?」

 

 ブフォッ。

 

 盛大に口の中の紅茶を吹き出した。辺り一面に吹き散らすということはなく、ティーカップに飛沫を立てるだけだったが、そんなことを幸いと捉えている余裕はエレシュキガルにはない。

 

 喉の奥に残る熱いものを、何度も咳き込むことで嚥下し、意味を理解し……かぁぁっ、と体が熱くなる。

 

「だ、大丈夫?エレシュキガル様……」

 

「だ、だ、大丈夫なのだけれど……!い、いきなりそこに行くのかしら!?」

 

「……そ、そういうことじゃなかった?こう、恋人っぽいことがしたいのかなぁって」

 

「ここここ!恋人ぉ!?」

 

 言いながら、というか叫びながら。自分の手を目の前に持ってきて見やる。手汗などはかいていないが、いざ握るとなると大量の言い訳がぐるぐると頭の中で渦巻く。実は汚いのではないか、女の子らしくないのではないか。

 

「……いやだった?」

 

「そんなことない!」

 

 不安げに尋ねるアンヘルの言葉を即否定する。間違ってはない。アンヘルの言っていることは、決して間違ってはいない。そういうことを期待していないと言えば大嘘になるレベルには、エレシュキガルも期待している。

 

「……そんなこと、ないのだけれど……」

 

 ……が、突然そんなことを言われてしまうと面食らってしまう。途端に頭がショートして、あうあうと口を開くだけで、何も言えなくなってしまうのだ。

 

 暫くの沈黙が、場に流れる。エレシュキガルは完全なるポンコツと化して動くことすらできない。こんな空気はマズいと分かっているものの、体は動いてくれなかった。

 

 

「……うーん?」

 

 沈黙を破ったのは、やはりアンヘルだった。長い間何かを思案していたらしい彼は、何を思ったのか。突然椅子をエレシュキガルの目の前へと移動させ、そのまま向かい合って──

 

「えいっ」

 

 空中で彷徨うエレシュキガルの手に、自身の手を奪うように重ねた。……ちょうど、恋人つなぎのような形になるように。

 

「ほえ……?」

 

「えいえい」

 

何が起こったのか。さっぱりわからないまま間抜けな声を出す。その間にも、アンヘルは容赦なくもう片方の手を繋いでいく。

 

「……え、え、えええっ!?」

 

 慌てて状況を理解し、再び大きな声を上げる。

 

 驚いて手を引こうにも、目の前の少年は自分の手を逃してくれそうになかった。芯の通った目が、エレシュキガルを見つめて離さない。

 

「………ひんやりしてるね」

 

 頬が、萌えるように熱くなっていくのを感じる。それと同時に、自らの手からアンヘルの手の感触もはっきりと伝わってきた。それ以外にも、子供の手特有の柔らかさ、少しの硬さに……何故か、暖かさ。

 

 死んでいるから体温なんてないはずだ。しかし、少し冷たいエレシュキガルの手を、優しく解していくように。

 

 

「……あったかい………」

 

 エレシュキガルは、誰かの手に触れたのなど、初めてだ。そもそも、生物に触れたことすらない。彼以外は言わずもながなとして、アンヘルとは十年以上を共に過ごした。しかし、その内数年の記憶は喪われている。

 

 そうして、記憶を失ったアンヘルと過ごした約数年。その間に奥手なエレシュキガルが何かしらの行動を起こせるわけもない。結局今のいままで、エレシュキガルは、身近なアンヘルにさえ触れたことすら一度たりともなかったのだ。

 

「……エレシュキガル様が冷たすぎるだけだとおもうけどなぁ」

 

「……そ、それもあるかもだけど……でもやっぱり、あなたの手が特別暖かいのだと思うのだわ」

 

 一方的に握られていた手を、勇気を出して握り返してみる。エレシュキガルの手より一回りほど小さな手は、うんと握りしめれば折れてしまいそうなほど儚かったから。ゆっくり、ゆっくりと。

 

「……んっ……え、エレシュキガル様、くすぐったい……」

 

「はわっ!ご、ごめんなさい!」

 

 すこし艶のかかったような声を聴き、思わず手をパッと離してしまう。途端、当然だが手の中の温もりが消え、文字通り手持ち無沙汰な気分になった。

 

 だが、一瞬でもわかった。目の前の少年の手の温もり、そしてそれを握り返すことの幸せが。その経験だけでも、エレシュキガルは今日という日を神生最高の一日だと噛みしめられるだろう。

 

 

「……エレシュキガル様。早速感慨に浸ってるところ悪いんだけど、まだ終わってないからね?」

 

「え?……へっ!?」

 

 じぃっと見つめていた両手。まだ余韻が残っていたエレシュキガルのその手を、まるで上書きするかのようにアンヘルが掴んだ。再び手が幸せな温もりに包まれて、反射的に手を引いてしまいたくなってしまう。しかしその挙動も、逆に手を引っ張り返されることで失敗に終わってしまった。

 

 眼前に、アンヘルの端正な顔が映る。……近い。非常に近い。シミひとつない白磁の肌が、なんだかとても美しく見えて、思わず触れてみたくなる。

 

 だが、そんな(よこしま)ごとを考えているのはエレシュキガルだけだ。アンヘルは、至極真面目な表情を貫いている。

 

「握り返してみて。さっきも痛かったわけじゃないから。ゆっくりじゃなくて、勢いよくギュって」

 

「え、ええ!?そんなの、つ、潰れちゃうじゃない!」

 

「ゴリラじゃないんだから……エレシュキガル様に潰されるほど脆くはないと思うよ?」

 

 アンヘルから握られる手の力が、一層強くなった。決して強い力ではないが、どうしたって逃げることはできない。というか、それ以上に伝わってくる情報量があまりにも多すぎて、エレシュキガルは故障しそうだった。

 

「……じ、じゃあ、お言葉に甘えて…」

 

 仕方なく。あくまで仕方なくという形で、アンヘルの手を改めて握り返す。今度はゆっくりではなくしっかり。恐る恐る、アンヘルの手の甲に指を重ね、なるべく力を入れないように手を握って……

 

「ほ、ほわあぁぁぁ……!」

 

 漸く、両手が同じように繋がれた。相手の温もりが、掌まで感じられる。物語でしか知らなかった行為を、今自分が行えている。その事実が、凄く嬉しくて。なんだか、凄く───

 

「……ふふ。ちょっぴり、ドキドキするね」

 

「……いいえ。とっても。とってもドキドキしているのだわ」

 

 先ほどまで失態を取り戻そうとしていたことも忘れて、エレシュキガルはただ頬を綻ばせた。目の前の少年が照れたように笑うのにつられて、自然と頰が緩む。片方が笑って、もう片方も倣って笑う。まるで、世界にエレシュキガルとアンヘルしかいないような。そんな錯覚。

 

「ねぇ、エレシュキガル様」

 

「なぁに、アンヘル?」

 

 なんだか、顔が熱くて。恥ずかしくて。目の前の少年の顔をまともに見られず、少し目を逸らしながら答えた。同じように顔を赤くした少年の口が、ゆっくりと開かれる。

 

 

デート(・・・)しようよ(・・・・)

 

 その一言に、自分の顔がこれ以上なく紅くなっていくのをエレシュキガルは自覚した。一週間前に、同じ言葉を聞いた。答えを出すのに、丸一日を要して。五日間楽しみにして、一日だけ不安で眠れなかった。

 

「………ずるい…」

 

 ずるい。全くずるい、文句だった。神たるエレシュキガルさえも黙らせる、今まで聞いてきたどの言葉よりもずるい。

 

 エレシュキガルにだけ効く………最高位の、神殺しの殺し文句。

 

 

 そんな言葉を浴びせられて、エレシュキガルが返す言葉など、一つに決まっているのに。

 

ええ(・・)

 

 あくまで、自然に。乙女のようにわざとらしく、可愛らしくなんて。今更エレシュキガルには似合わない。だから、誰よりもエレシュキガルらしく(・・・・・・・・・・)。物語の中の言葉ではない。自分だけの、自分が思ったそのままの言葉で。

 

デートしましょう!今日一日、なによりも、なによりも素敵なデートをしましょう!アンヘル!

 

 未だ繋がれた手を、ギュっと握りしめた。小さくて細い手は、エレシュキガルに応えるかのように、力強く握り返してくれる。その事実が、何よりも嬉しくて。

 

 目を輝かせて、華のように。エレシュキガルは微笑むのだった。

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 そこから先は、所謂(いわゆる)『おうちデート』というものだった。やけにだだっ広いメスラムタエアを巡って、探検気分で歩き回る。(うち)といっても神殿だが、そも冥界に美しいものなどそうあるわけもない。ならば、綺麗だとわかっている場所を選ぶのは妥当な判断だ。

 

 もちろん、エレシュキガルはケチをつける気持ちなど微塵もない。デートが始まる前からあんなにも満たされてしまっては、どれだけその後が退屈であっても愚痴の一つすら漏れないというものだ。

 

 それに、決して退屈などではなかった。隣に彼がいるだけで、空き部屋の寝台で飛び跳ねるのも、一緒に本を読むことも、ただ歩くことも、全てが宝石のように輝いて見えた。それは確かにエレシュキガルが心から望んだ穏やかな日々で、自分が絶対に手に入らないと諦めていた憧れでもあった。

 

 まぁ、それもこれも──

 

 

「エレシュキガル様?」

 

「……いえ、なんでもないのだわ。それより、次はどこにいくのかしら?」

 

 

 きっと、目の前の少年だから。そう思えるのだろう。消極的な自分をこうも振り回してくれて、失敗ばかりでも優しくフォローしてくれる。でも笑顔の裏に見えるのは、好奇心旺盛な子供らしいもので。

 

 ……エスコートされっぱなしで、自分と彼の年齢が入れ替わっているかのよう。すこしばかり、恥ずかしいけれど。

 

「うん。もうそろそろ着くよ。ここで最後なんだ」

 

 エレシュキガルの手は、あの時から変わらずアンヘルと繋がっている。流石にあの繋ぎ方では歩きにくいから別の繋ぎ方だが、優しく引かれる手からは、ようやくわかってきた彼の暖かさが伝わってくる。

 

 そして、楽しいデートも終わりが近づいてきていた。……仕方のないことだ、終わりは何にだってやってくる。でもきっと、エレシュキガルは今日という一日を忘れない。ずっと忘れず、宝物として記憶の倉庫にしまっておくのだ。

 

 ふと、周囲を見渡す。見覚えのある……通り覚えのある廊下。ある目的があって、何度も通ったことのある。……つまり、アンヘルが向かっているのは──

 

「着いたよ、エレシュキガル様」

 

「ここは……あなたの部屋、よね?」

 

 まごうことなく、アンヘルの部屋だった。装飾もあまりなく、無機質な雰囲気を醸し出す扉。空き部屋とは違う使い込まれた感じが、唯一他の部屋と区別することができる点である。

 

「うん。最後はここって決めてたんだ。さ、入って」

 

「え、ええ。……それじゃあ、お邪魔します?」

 

「うん!お邪魔されます!」

 

 いつも通り、これといった音を立てずに扉が開く。廊下とは若干違う空気がする、彼の部屋。先導するアンヘルに連れられ、敷居を跨いで室内へと入った。

 

「……ふふ、何もないでしょ?」

 

 中は……やはり簡素だった。本の置かれた四角い机と、きちんと整えられた一人分の寝台。それといくつかの道具が小さな棚に整然と並べられており、手に取りやすいようにか机の近くに置かれている。

 

 ……それだけ。本当に最低限の生活用品しか置かれていない、まるで生活感のない部屋だった。今までは仔細に観察することなどなかったが、これはあまりにも殺風景ではないだろうか。エレシュキガルの部屋でも、もう少し本が散らかっていたり、魔術用の道具が転がっていたりするものだ。

 

 ……でも。

 

「……何もなくても、ここはアンヘルの部屋よ。寧ろ、少しアンヘルらしくて安心したくらい。私、嫌いじゃないのだわ」

 

 ここがアンヘルの部屋だというのは間違えようがなかった。彼の匂いが、彼の雰囲気が、この部屋に染み付いていたから。何も知らずにここにきても、彼の部屋だとわかるだろう。どうやっても、間違えることはなさそうだ。

 

 少し意外そうに目をパチクリとさせた彼は「それもそうだね」と納得したように頷いて……見間違いでなければ、少し顔を俯かせて、開いていた扉をまた音もなく閉めた。

 

「それで、最後はどうするの?見たところ、何もないみたいだけど……」

 

「……それは…………」

 

 それを尋ねると、アンヘルは少し歯切れが悪くなった。下を向いて何度かもごもごと口を動かし、顔を赤くして何かを呟いている。

 

 ……普段のエレシュキガルなら、きっと何か言うまで待っていただろう。或いは、彼が何でもないと言えば追求しなかったかもしれない。

 

 だが、今は───

 

「ほら、アンヘル!しゃんとして!」

 

 エレシュキガルの手が、俯いていたアンヘルの顔を無理矢理エレシュキガルの眼前に持ってくる。両頬から彼の顔を押さえる形で、彼が逃げないように目を合わせる。……いつものエレシュキガルなら、恥ずかしがって絶対にできない行動だ。

 

「……えりぇひゅきがりゅしゃま?」

 

「私、今日一日は凄く楽しかったわ!今世紀一、私の神生で一番楽しかった!こんな嬉しい日はないんじゃないかってくらい嬉しかった!冥界を任された時以上に喜んだ!だから、緊張しないで!あなたが今から何をしても、今日はもう、私の中で最高の一日だって決まってるのだわ!」

 

 

 一息でそう言い切って、両手を離す。支えを失ったアンヘルが再び俯いて、何かを噛みしめるように床を見つめていた。

 

 心臓の鼓動が、ドクドクとうるさい。全身が燃えるのではないかと錯覚くらい熱くなって、今すぐ何処かに走り出したくなるような、床にのたうちまわりたくなるような羞恥が込み上げてくる。

 

(…………や、やっちゃったのだわぁぁ!!)

 

 エレシュキガルの胸中は心底穏やかではない。今すぐ何かしらの行動をとらなければ爆発してしまいそうだ。熱いなんて次元ではない。耐えきれずに冥界ごと自らが崩壊してしまいそうだった。

 

 数秒前の自分を全力で殴り飛ばしたい。なんならそのあと冥界の炎で焼き尽くしたい。それほどの後悔。アンヘルが何も言わないのがなおその感情を昂らせる。沈黙が痛いとはまさにこのこと。1秒経つごとに心の痛みが増していく。

 

 心境が荒れに荒れるのを防いだのは、それから数十秒後。

 

「……ほんとに?」

 

「………え?」

 

「ほんとに、何やっても引かない……?」

 

 潤んだ瞳が、こちらを覗いていた。冥界でも美しく輝く紅玉(ルビー)が、エレシュキガルを写して不安そうに揺れている。

 

 そんな不安そうな目で見られてしまえば、是非もなく。いや、本心ではあるが。何度も首を縦に振った。

 

「ええ。あなたのこと、信じてるもの」

 

「………そっか。わかった」

 

 そういうや否や、アンヘルは自分で自分の頬を二、三度はたいた。気合を入れるためなのか、かなり強く。そして紅い紅葉がほんのりできた顔をあげ、おもむろに寝台へと腰掛ける。ピンと貼ったシーツに少しシワができ、少しだけたわんだ。そして──

 

 

 

 ぽんぽん、と膝の上を何度か叩いた。

 

 

「……えっと?」

 

 呆気にとられて、つい口から声が漏れた。アンヘルが何をやっているのか、いまいち容量を得ない。

 

 それがまずかったのか、アンヘルは少し恨めしそうな目でエレシュキガルを睨んで、もう一度膝の上を叩く。

 

「…………エレシュキガル様が、いいって言った」

 

「………ええっと…どういうことかしら?」

 

 拗ねたような口調に、少し慌てて再度尋ねる。すると、アンヘルはさらに頬を膨らませ、堪えるように口を一の字に結ぶ。

 

 ぐむむむむむ、と震えた声が聞こえてきて、その間にも、しきりに膝の上、ふくらはぎのあたりをぽんぽん叩いていた。……少し怒っているのか、間隔がだんだん狭くなっていく。

 

「…………まくら……」

 

「え?」

 

「………ひざ………まくら………」

 

「………が、どうしたの?」

 

「───ッッ!!だから!!」

 

 その返答が、ついに堪忍袋の切れ目となったのか。或いはダムの決壊に繋がったのか。

 

 

僕が、エレシュキガル様にひざまくらしてあげたいって言ってるの!!

 

 ヤケになったのか、神殿中に聞こえるような轟音でとんでもないことを叫んだ。

 

 

「………え、えええええっ!?」

 

 そして、驚愕。

 

 膝枕。……存在は知っているが、まさか自分が、それもされる側。しかもそんな要求をされてしまうとは。

 

 先程までと全く別種の羞恥が身体中を駆け巡り、脳味噌までぐちゃぐちゃにかき混ぜては戻っていく。

 

「は、はえっ!?で、でも!?」

 

「いいから!早く!」

 

 再び、ぽんぽんと膝の上をアンヘルが叩いた。………訳がわからず混乱しているエレシュキガルは、導かれるように寝台近くへと移動する。困惑して、当惑したまま、ぐるぐると目が回って。

 

「そ、それじゃあ、失礼して……?」

 

 一応、断りの挨拶だけはしておいて。

 

 ……ぽふん、という間抜けた音と共に、状況が把握できないままエレシュキガルは、寝台に横たわっていた。

 

 そして、そのアタマは当然、アンヘルの膝の上に。

 

「ひ、ひざ、まくら……なのだわ………」

 

「………うん、ひざまくら、です」

 

 後頭部に、二本の脚の感触を感じる。少し肉付きがいいのか、硬いという感じはしない。というより、なぜか安心する。細くて、不安定なはずなのに。不思議と心が安らいでしまう。

 

 見上げる形となったアンヘルはコホンと咳払いをすると、照れ臭げな声で言葉を紡いだ。

 

「……本日は、この状態でエレシュキガル様を労らせていただこうと思います」

 

「………いた……わらせて……?」

 

 

 何を言っているのか、さっぱりわからない。エレシュキガルは今日、そんな行為を果たしてしただろうか。皆目見当違いではないか。そんな思いがまたぐるぐると回って、言葉にならずに消えていく。

 

「……どうして、って顔してる」

 

「……そりゃあ、そうなのだわ。私は今日、何もしていないし……そもそも、何かした覚えもないのだわ」

 

 自分で言っていて、それが正しいと思った。しかし、間違っているとも思った。……違う。即座に否定する。……気づかれているわけはない。気づかれるわけがない。だって、それは抱いてはいけないはずの思いだから。思いだったから。そう知っていたのだから。でも、彼ならば、もしかすれば──

 

「残念。今日だけの話じゃないよ。エレシュキガル様は、いつもいっぱい頑張ってるから。だから、これはそのご褒美」

 

「そんな………私は、当たり前のことをしてただけで……」

 

 自ら出した声が、酷く胡散臭く聞こえた。

 

 違う。エレシュキガルは、本当は───

 

「ううん。当たり前なんかじゃないよ。エレシュキガル様は、すっごく偉いんだから」

 

 

 本当は──

 

「………そんな、やめて頂戴。だって……私は……」

 

 

 

 本当は───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いいこ、いいこ……」

 

「………………え……?」

 

 頭に、奇妙な感触があった。決して、不快ではない。さらさらとした何かが、エレシュキガルの頭を撫でていた。白磁のそれは、見ずともわかってしまう。それは、アンヘルの指で。つまり、自分はアンヘルに頭を撫でられてしまっていて───

 

「エレシュキガル様は、偉いね……いつも冥界のために働いて、頑張って……」

 

「………っ!……それは……私に与えられた、使命で………私がやるべき、当然のことなんだから………そんなの、褒められることじゃ……」

 

「違うよ」

 

 優しい、慈雨のような声が降ってくる。溺れるような愛。溺れるような優しさが、エレシュキガルの心を、そっと包んでいく。

 

「当たり前のことを、当たり前にできる。……普通に見えて、それはすっごく難しいことだ思うな。それを何百年も、ずうっとやり続けるなんて、なかなかできることじゃないと思う」

 

 

 そうだ。本当は────エレシュキガルは、認めて欲しかった。

 

「だから、偉いね。エレシュキガル様は、褒められてもいいんだよ。いいこ、いいこ……」

 

「……ぅ、……ぁぁ……」

 

 例え誰もいない地の底でも。何もない死の世界でも。エレシュキガルは、ちゃんと役目を果たしているのだと。

 

 認めて欲しかった。褒めて欲しかった。………称賛、してほしかった。

 

 辛かった。ずっと一人きりだった。何もなくて、何かしようと思っても全て失敗に終わった。何かを求めても、得られるものは全く別のものだった。

 

 そんな苦労を、誰かに慰めて欲しかった。

 

「う、ぁぁ……!」

 

 撫でられる手が、心地良くて。心に封じ込めていたものが、目頭にこみ上げて。ついに、耐えきれなくなる。

 

「あっ、ああああぁぁぁ!!」

 

 涙が、こぼれた。ずっと欲しかった言葉。ずっとかけて欲しかった言葉。それを突然貰ってしまって。どうしたらいいのか、分からなくて。ただ、涙だけが溢れる。

 

 なんて、みっともないのだろう。自分は神なのに。冥界を治める、誰よりも恐ろしい冥界の女主人なのに。たった一人の子供に縋って。こんな風に泣き喚いて。

 

「……うん。いいこ、いいこ……」

 

 なのに、涙が止まらない。止まってくれない。堰を切ったように溢れ出した涙が、熱い熱をもってエレシュキガルの頬を流れていく。

 

「エレシュキガル様は、僕の神様だから。偉くて、立派なんだから。……いっぱい、泣いていいよ。神様も、泣きたい時は好き勝手に、泣いていいんだよ……」

 

 なんて、情けない。子供の膝の上で、大の大人が頭を撫でられて泣いている。子供みたいにあやされて、わんわん叫んで。自分が統治しなくてはならない魂に甘えて。目を真っ赤に腫らして、惨めに泣いて。

 

「……私!ずっと寂しくて……!ずっと、一人で!冥界を守ってきた!……怖かった!誰もいなくて!ずっと、寂しかったの!ずっとずっと、一人で……!」

 

「……うん。寂しかったね。いっぱい、頑張ったね。えらい、えらい」

 

「私……わたしは、ずっと、ずっと!誰かに、認めてもらいたくて……!誰かと、話したくて……!私だって、冥界にいるんだって……!ずっと……!」

 

 声は、部屋中に何度も響いた。何度も、愚痴を溢した。その言葉ごとやさしく、優しく包まれて。何度だって泣いた。まるで、数百年の無念が流れ出すように。

 

 きっと、こんな風に泣くのは今日限りにしよう。こんな風に自分をさらけ出すのは、本当に数千年に一度で大丈夫だ。………あぁ、だから。

 

 

(今、この時だけは、子供みたいに泣くことを、どうか、許してください───)

 

 

 

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 それから、数分して。ようやく、エレシュキガルは嗚咽を漏らしながらも泣き止んだ。

 

「………落ち着いた?」

 

「……………ええ」

 

 心は、凪のように静かだった。とんでもない羞恥だったからか、一周回って冷静になっているのかもしれない。それか、これ以上の醜態を晒すことはないと知っているからか。

 

「………アンヘル、改めて今日はありがとう。……終始、あなたにドキドキさせられっぱなしだったのだわ」

 

 膝まくらをされたまま、お礼を言う。全くサマになっていないとは思うが、動こうにも体が泥のようになって当分動けそうにはなかった。

 

「……ぱなしってことは、無いと思うけど」

 

「……………え?」

 

 照れ臭そうにそう呟いたアンヘルの一言に、ふと疑問を覚える。

 

 ………そういえば、と。エレシュキガルはとある共通点を見つけた。手を繋いだ時も、膝枕をしようとしていた時も、そして今も。肝心の時に、アンヘルが顔を逸らしているのだ。今までは余裕がなかったから気がつかなかったが、もしかすれば、これは──

 

 

「あ、力が漲ってきた」

 

「えっ」

 

 先ほどまでの疲労感がなんのことやら。エレシュキガルはアンヘルの顔をよく見ようと、体を起こそうとする……

 

 

「……み、見ちゃダメ!」

 

 瞬間、視界が暗闇に覆われた。アンヘルの手に自らの目が覆われていると理解するのに、数秒の時間が必要だった。押さえ込まれて、どうやったって起き上がれそうにない。

 

 しかし、自分の目の上に熱いものがある。エレシュキガルではない。エレシュキガルの目の上に乗っている手。それが、何だか異様に熱くて。少しだけ、汗で湿っていて。

 

 それを認識した途端、エレシュキガルはとある可能性に行き当たる。もしかして。もしかして───

 

 

「………今、多分顔すっごい赤いから……みちゃ、やだ……」

 

 か細い、悲鳴だった。蚊の鳴くような声で、メゾソプラノが震えた音を紡いでいた。なんとも愛らしい、小さな声。

 

 見たい。どんな困惑よりも、どんな羞恥より、その欲求が勝った。

 

 目を抑えている手を、エレシュキガルは力ずくで横に退ける。さらに抵抗しようとする手を、筋力Bの力でさらに押さえつけた。突然開けた白い視界。眩しくてよく見えなかったが、しばらくすると、酷く強張った面持ちのアンヘルが目を瞑ってプルプルと震えている姿が映る。

 

「……やだって、言ったぁ…………」

 

「…………」

 

 真っ赤だ。耳から何まで、雪のような白い顔が、夕日のように真っ赤に染まっていた。よくよく見れば瞑られた目尻には涙さえ浮かんでいて、とんでもない羞恥を堪えているのがありありと感じられる。

 

 ………なんという、ことだろうか。

 

「その………机の上の教本に、恋人は手を繋ぐのと膝枕って……ずっと恥ずかしくて、でも……」

 

 うわ言のように呟くアンヘル。どうやら、机の上にある何かの本を参考にしたらしいが……?

 

 

「ってこれ!私の秘蔵の本!?ここ、これ、どこから!?」

 

「………?エレシュキガル様の部屋を掃除してたら、寝台の下に落ちてて……」

 

「それは隠したっていうのだわ!……でもこの本、膝枕して慰めるなんてシーンじゃなかったはず………」

 

 そう。純愛小説だから、確か膝枕をして、イチャイチャして終わるだけだったはずだ。

 

「そ、それは………えっと………膝枕してたら、エレシュキガル様、褒められるかなって……」

 

 グサッ。

 

 善意の形をした羞恥の刃が、エレシュキガルの心を再び貫く。

 

「〜〜〜ッッ!!あ、アンヘル!今後、私の部屋に侵入するのを禁ずるのだわ!」

 

「………はい」

 

 こうして、冥界の一日は終わった。冥界の女主人が、初めて素直になった日。記念すべき、たった一日のことである。

 

 

「あとアンヘル。今日……この部屋で寝ても、いい?」

 

「………え?」

 

 

 まだ、終わらなかった。

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 そして、次の日。冥界はさておいて、ウルクでは。

 

 

 

「さぁ、冒険にいくぞ!勇者ども!」

 

 

「どうしてこうなった!!」

 

 

 朝起きた立香が、突然凸ってきた英雄王、もとい英友王に、頭を悩まされているのだった。

 




エレシュキガルの選択肢で下を選ぶべきなのに上を選んでしまったマスターはいるでしょうか。私はその一人でした。下の選択肢を押せたのはバビロニアクリア後でしたよ……



Q.レクイエムを全く知らない作者がコラボ映像を見た際、ムービーの最初にショタが出てきた後、一言目が「あい」だったときの作者の焦り様を答えよ。

完全にフォーリナーだと思った………これで星の王子様無視して真名ハーメルンとか言われたら失踪しますね()


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第四節 空の泣く日 (3/3)

Q.アンヘル君の宝具、【隔絶すべき絶望壁(クリフ・アイソラレータ)】の盾の外見ってどんなのをイメージしてる?

A. 大きいビット(大体同じサイズの菱形)を中心から八方向それぞれに伸ばして、それより小さいビット(同じサイズの二等辺三角形)をできた隙間に挟む。と、盾っぽい形ができる。……はず!要するに八方向の骨組みの間をいくつかの三角形が埋めてる。的な。


そんな説明じゃわかんねぇよこのクソゴミカス語彙力野郎!という方向け。唐突隔絶すべき絶望壁(クリフ・アイソラレータ)の簡単絵描き歌!

1.ちょっと規則正しい菱形で『米』の字を書きます。

2.できた隙間に二等辺三角形をいい感じに挿し込みます

3.接着部があまりにも少なく、何故こんなバランスで形を保っていられるのか不思議な盾ができます。

………(´・ω・)アレ?

最早言葉で説明することが難しくなったので思考放棄します。投了!なんかトゲトゲの盾ってことにしといてください!

Q.アンヘル君の戦闘時の服装って?

A.最近作者が服について調べているとやっとモデルにしていた服がわかりました。千と千尋のハクが着てたやーつです。陰陽服というらしいですね。おんみょーんww
あれと天のドレス合わせたらそれっぽい!はー!すっきりした!

……とか思ってたらアンヘル君とハクがイコールで結びついてしまった……ちがう……アンヘル君は決しておかっぱじゃないのに……なんで……



※当話は全年齢ハートフル。美少年と美少女たちが日常をキャッキャウフフしながら過ごす話となっております。特にFate/stay night[Heaven's feel]で印象的だった日常のシーンを取り入れたりなど、バリエーションも様々です。是非お楽しみください。




『どうしたんだい、ギル。そんな暗い顔をして。悪い幻覚でも見たのかい?』

 

『王様、平気?健康管理はちゃんとしといたほうがいいよ』

 

 夢を、見ていた。

 

 叶いもしない、夢を見ていた。

 

 ありもしない夢だ。二人の親友が死なずに揃っていて、穏やかな日常を過ごすという。たったそれだけの、都合のいい嘘と見えすいた幻想。

 

 天から遣わされた、全てを繫ぎ止める楔。未来から来訪した、友へ心を砕く少年。

 

 あまりにも懐かしく、あまりにも遠い。遠い、遠い、………遠い。その光景。

 

『……?ほんとにおかしいよ、ギル。もしかして、故障かい……?』

 

『ほんとだ、王様………なんで、泣いてるの?』

 

 郷愁の念など、抱いたことはない。後悔など、していいはずがない。それは冒涜だ。死んでいった彼らへの、冒涜に他ならない。

 

 ……だが。

 

 もしもこの夢が、悠久に続くというのなら─────それは現実と、何が違うというのだろうか?

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 ゴトン、ゴトンと。車体が揺れて、身体が跳ねた。煌々と照る日が、少しだけ眩しくて。吹きつけるそよ風が、涼しくて心地よかった。

 

「今回は、荷物運びのお仕事ですね、先輩」

 

「荷車の瓶を観測所のものと入れ替えて、海水を持ち帰ればいいんだよね?水質調査……だっけ」

 

「はい。通行証が二人分だったので、アナさんとマーリンさんが来れないのは残念でしたが……」

 

 そう言って、気まずそうに後ろの荷台を見やるマシュ。立香もあまり後ろを見ないように意識していたが、現実逃避をし続けるわけにもいかず振り返る。

 

「フハハハハ!よい!よいではないか!うむ。では精々踊るがいい!美しい蝶が舞うのならば、こういう戯れも嫌いではないぞ!」

 

 ……そこでは、黄金のペンダントを猫じゃらしが如く弄び、愉快そうに笑っているギルガメッシュと。

 

「………ぐ、とれ……ない!」

 

「………ハーメルン、程々にね」

 

 猫のようにそれに(じゃ)れるレインコートの少年の姿があった。

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

「王様は、お暇なんですか?」

 

「戯け!暇でないからこうして目を忍んで旅をしているのだろうが!…………不意を突いても無駄だぞ童。王たる(オレ)は、いついかなる時も隙がないと心得よ」

 

「………む、むむ…」

 

 事は、この数時間前に遡る。

 

 数時間前、あろうことかカルデア大使館に突撃してきたギルガメッシュ。ものの数秒で大使館を雨樋呼ばわりする暴君さを見せつけ、立香に先ほどマシュが言った通りの仕事を伝えに来たそうなのだが………

 

 よりにもよって、何故かついてきてしまったのだ。多忙中の多忙のはずのギルガメッシュ王が、何故か、立香たちの仕事に。……ちなみにハーメルンは霊体化して門をくぐり抜けていた。羊飼いの仕事はちょうどお休みらしい。

 

 

 そして、此処からが本題だ。最初の方こそ荷台で退屈そうにしていたギルガメッシュと、立香とマシュの間で楽しそうにはしゃいでいたハーメルン。

 

 しかし、暫くするとハーメルンに興味を持ち始めたらしいギルガメッシュ。首にかけていた金のストラップを見せびらかしてハーメルンを挑発。そしてどうやら黄色のものに目がないらしいハーメルンはほいほいとそれについていってしまった。ギルガメッシュもなんだかんだハーメルンを気に入り………その結果が、先ほどまでの惨状である。

 

 ちなみにそのハーメルンは、いまは立香の膝の上で大人しくしている。その上には動けないように寝ているフォウ君。実に可愛らしい鏡餅だが、たまにチラチラと後ろに目をやっているは気のせいではないだろう。幼いながらに好奇心で輝いていている。比喩抜きでおもちゃを前にした猫のようだ。

 

「あんまりからかわないであげてください……」

 

「ははは、同行人を肴に愉悦を極める!これも旅の愉しみというものよ!酒があればもっとよいのだが………まぁ、そこは童相手だ。この(オレ)も控えよう」

 

「随分とハーメルンを気に入りましたね…」

 

 かっくし、と肩を落とし。ついでにハーメルンが逃げ出さないように少しだけ固定する手を強くする。……とても柔らかい感触を腕が鬼のように伝えてきているが。それは毎日隣で寝ている鋼の忍耐力で我慢。我慢である。

 

「貴様こそ、随分と入れこんでいるではないか。もしや惚れているか?」

 

「だから違いますって……ハーメルンは俺の子供(サーヴァント)ですから、俺が面倒をみてるんです!」

 

「そう躍起になって否定せずでもよいではないか!男同士の恋愛ごとなど、ウルクでは珍しくないぞ?」

 

「だから違いますってば………」

 

 ……何やらとんでもない事実が聞こえた気がしたが、流石に立香とて同性愛に目覚めるつもりはない。ハーメルンに抱いているのは、純粋な庇護欲、親心だ。フォウ君に抱いているモノと大差なく、恋愛感情などでは決してない。ないったらない。そこは強く強調しておく。

 

「………ハーメルン君、ハーメルン君」

 

「………なぁに、マシュさん?」

 

「私の呼び方が変わっているのはどうしてなのでしょう?できれば是非、前と同じように……」

 

「……ボクの親様は、やっぱり親様だけだから。ごめんなさい」

 

「………くっ!このマシュ・キリエライト、油断しました!味方だと思った相手がとんでもない強敵だったようです……このままでは、先輩の『正式』サーヴァントである威厳が……!」

 

 

 ……何やらとんでもない会話が聞こえてこないでもないが。深く聞いてはいないので口を挟むわけにもいかない。黙っていることにする。沈黙は金なり、だ。

 

「それはそうと。ウルクは大丈夫なんですか?王様がいないと、できない仕事とか…」

 

「……案ずるな。ウルクの文官の実力は折り紙付きよ。(オレ)が一日二日おらずとも、国は回せるだろう。王不在の状況には慣れているのだ」

 

 自信満々にそう言い切るギルガメッシュ。何やら確信があるらしい。……いや、絶対そんなことないだろう、と思う。

 

 仕事をしたことがない立香はよくわからないが、上司が不在という状況は下っ端にとって、少なくともいい迷惑ではあるはずだ。出会って間もない立香でもシドゥリが疲れきった顔で溜息をついているのが容易に想像できる。

 

 哀れ、黙祷。

 

「ギルガメッシュ王。それで、本当に何の用事でついてこられたのですか?」

 

 目を閉じて名も知らぬウルクの人々に励ましのオーラを送っていると、マシュがそう尋ねた。腕の中のハーメルンもしきりにうんうんと頷いている。

 

その問いかけに、ギルガメッシュが答える。心なしか、寂しそうに。

 

「……何、少し夢見が悪くてな。……いや、夢見が悪かったことを夢見た……といったところか」

 

「夢、ですか?」

 

 夢といえば。一週間ほど前に知った、殺人の夜(キリングナイト)が思い浮かぶが。その頃のことを、思い出したのだろうか。

 

「…………それって。金ピカ、王様の……都合のいい夢?」

 

「き、金ピカ王様って……」

 

 ハーメルンが、不遜極まりないあだ名でギルガメッシュを呼ぶ。もうちょっとマシな呼び方は無かったのだろうか。確かに金髪で金の装飾品をつけているが。

 

「よい、幼童の言うことだ。……そうさな。あれは都合がいい夢だった。笑わせてくれる。(オレ)は彼奴を待つと決め、彼奴もまた、必ず戻ってくると誓った。だというのに、あのような未練ばかりの夢を見るなど……どうかしている、全くな」

 

 自嘲するように、ギルガメッシュは乾いた笑いを溢した。でも、それは確かに自嘲だけではなくて。別の何かが入っていて。でも、それがどうしてもわからなかった。

 

 彼奴とは、きっとアンヘルのことだ。ウルクで過ごしていると、偽エルキドゥほどではないが稀に話題に入ってくる。………それを、ギルガメッシュは待ち続けているということか。

 

 でも、なんというか──

 

「……意外か?」

 

「……はい。ギルガメッシュ王は、こんなにいっぱい話さない人だと思ってました。王城で見た限りでは、ですけど……」

 

 少し気恥ずかしくて。人差し指でポリポリと頰を掻く。想像ではもっと威厳たっぷりで、もっと寡黙な人で。もっと堅苦しい人だったのだが。

 

 そんな立香を称賛するように、ギルガメッシュは声高く笑う。

 

「ハハハ!良い目だ。あながち間違いではない。だが生憎と、思ったことは正直に話すと約しているのでな。こうせねば友人ができんぞ、と苦言を呈されたことがあったのだ」

 

 それを守っているにすぎん、とまたギルガメッシュは漏らすように笑った。確かに、何も言わず黙っているよりかは、今のような方が交友関係は広がりそうに思えるが……

 

「別にそれだけという訳ではない。純粋に悪癖でな。齢を重ねるとどうしても余計なことにまで口を挟みたくなってしまうものだ。許せ、雑種」

 

「……はぁ、そうなんですか」

 

 それにしては雑種呼びは変わらないんですね。なんて不遜極まりないことを思った。流石に怖すぎて口に出すことはしないが。

 

「話を戻すが………別に貴様らとの旅に付き合ったのはそれだけが目的ではない。貴様ら、色々とトラブルに巻き込まれているようではないか。『すまない、話の途中だがワイバーンだ!』……だったか。いつしかマーリンが話していた面白おかしい旅路を、見物しようとも思ってな」

 

 それ、言っていればトラブルが向かってきたぞ。とギルガメッシュが荷車の行く先を指差した途端。突然、手の中にいたハーメルンが御者から飛び降りた。同じように、マシュも戦闘態勢に入る。フォウ君はいつの間にか荷台に避けられている。

 

「……親様、戦闘」

 

『……いつから話に入ればいいかわからなかったが!すまない!話の途中だがスプリガンだ!』

 

「……ほう、捨てられた巨像の類か。フン、冒険の前哨戦としてはこんなものだろう。避けるのも面倒だ。見事蹴散らしてみせよ、藤丸」

 

 傲岸不遜にそう命令をかけたギルガメッシュが、しかしそれだけではなくスクリと立ち上がる。

 

「まぁ、なんだ。(オレ)が力を貸してやらんでもない。見たところ暗殺者(アサシン)クラスの石像ばかりのようだ。となれば、誰が有利かは言わずともわかろう!」

 

 蹴散らしてくれるわ!と割と前言に全くそぐわずやる気満々のギルガメッシュ。頼もしい。頼もしいが、なんだか嫌な予感がしないでもない。

 

「マスター!前方から敵十数体、来ますっ!」

 

 ズカズカと歩み寄ってくる巨像(スプリガン)を見ながら、立香は嫌な予感をビンビンに感じていた。

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

「……くっ!何故だ!何故なのだ!」

 

「……まだ、言ってる………」

 

 それから数時間後。一行は、無事スプリガン達を倒して観測所に到着していた。

 

「何故一体だけ騎兵(ライダー)が混ざっていたのだ……!」

 

「確実に悪意のある配置でしたね……」

 

 先ほど戦闘したスプリガンの群れ。その最後に残った一体が、他が全て暗殺者(アサシン)だったのに対し何故か騎兵(ライダー)だったのだ。

 

 ちなみに、騎兵(ライダー)の敵は基本的に魔術に抵抗を持つ対魔力スキルを持っていることが多く、その癖耐久性に優れているため詠唱兵(キャスター)にとっては天敵である。逆に暗殺者(アサシン)クラスは対魔力を持たないことが多く、素早い代わりに耐久力はないので詠唱兵(キャスター)は有利を取れるのだが。

 

 騎兵(ライダー)スプリガンは自称降臨者(フォーリナー)のハーメルンが蹴散らしてしまったが、気持ちよく無双できなかったギルガメッシュは大層ご不満のようだった。

 

「……ともあれ。殆どなにもなく着いてしまったではないか。これではつまらん、つまらなさすぎる」

 

「まぁ、何もないほうがいいことはいいですから。……えっと、瓶を取り換えればいいんでしたっけ?」

 

「あぁ、今の(オレ)は力仕事に向いていないのでな。終わり次第休憩してよいぞ。(オレ)は中でやることがある」

 

 ではな、と言ってギルガメッシュは観測所の中へ入ってしまう。倣って瓶を持ち内部に入る。

 

 観測所内は、誰かいるのかと思ったが無人だった。だが、研究跡や生活感はある。ちょくちょく誰が足を運んでいるようだ。そういえば、ここも結界が張られているから殺人の夜(キリングナイト)のことは心配しなくて良いのだったか。

 

 ギルガメッシュは慣れた足取りで二階部分へと向かっていく。つられて行こうとすると「戯け、海水を貯める水瓶なのだから外に決まっておろう。二階部分ではない」と、怒られてしまった。

 

「先輩?」

 

「ごめん、外みたいだ。海側に行ってみよう」

 

「フォウ!フォーウ」

 

 それから瓶を持ちながら外を探し、放置されている水瓶を発見して。何度か荷車を往復して空の瓶と入れ替える。三人がかりでうち二人がサーヴァントだ。かなり早く終わって、なんだかんだ、時間を持て余してしまったのだった。

 

 

 

 

「フォウ!フォッキュ!フォフォ!」

 

「あ……!待って……!」

 

「フォウさーん!ハーメルンくーん!あんまり遠くに行ってはダメですよー!」

 

 これといってやることもない立香達は、結局浜辺に行くことにした。海を見たのは初めてだったのか、はしゃぎきりのハーメルンが白い素足を晒し、フォウ君と追いかけっこをして遊んでいる。尊い。

 

「……ふぅ、ちょっと疲れたね」

 

「………はい。でも、久しぶりにリフレッシュできた気もします」

 

『このまま休みになってたら、海で泳ぐこともできるんだけどね。残念だ』

 

 手のリングから、ドクターの少し疲れたような声が聞こえてくる。確かに、神代の海で泳いでみたいという気がないではない。マシュの水着姿というのも、いつか見てみたいものだ。

 

「……ペルシャ湾、ですよね。この先に、インド洋が広がっている……少し、ワクワクします」

 

『あぁ。ここは特異点だけど、この海はインド洋まで観測結果が届いている。メソポタミア世界にとって、この海は重要なファクターなんだろう。……第三特異点でみたものとは、やっぱり違うかい?』

 

「……うん。やっぱり、船の上から見る景色とはちょっと違って見える、かな」

 

 日が傾きかけ、少し紅く染まっている空を反射して、オレンジに輝く海。色だけではないが、やはり地に足をつけて見ると少し違うものがある。

 

 ……だが。そんな憩いの時間は、そう長くは続かなかった。

 

「………フォウ!フォウ!フォッフォ!」

 

「…………何か、来る……!」

 

 突然、フォウ君が海に向かって吠え始める。その瞬間、ハーメルンがそのフォウ君を手に抱えて、大急ぎで砂浜へと戻ってきた。彼もまた、立香には見えない何かを感じ取ったらしい。

 

 いや、違う。立香にも見えた。目の前の海に見える白い帯。日本でもみたことがある雲。あれは。

 

「飛行機雲!?」

 

『こっちでも観測できた!神代のマナで……500km!?9時の方角!接触まであと3、2、1……マシュ!シールドで衝撃に備えて!』

 

 

 突然のカウント。そして、つんざくような騒音と、衝撃。そして───

 

 

 

「───呆れた。危機感が薄いね、君たちは」

 

 

 平和を壊すものが、姿を現した。

 

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 忘れられない、緑の髪。白い服。この特異点で三番目に出会った青年、エルキドゥ……を、名乗る偽物。

 

「こんな人気のないところに、護衛もつけずに来るだなんて……イシュタルの支配下から出たのが君たちの運の尽きだ」

 

「……親、様………下がって……」

 

「はい!マスター、下がってください!」

 

 ハーメルンとマシュの二人が、立香とエルキドゥの間に立つ。いつも通り、立香も礼装に仕込まれた支援魔術をいつでも使えるように待機させた。

 

「………新しい仲間が一人加わっているようだが、なんだ。単なる子供じゃないか。いくらサーヴァントとはいえ、僕を舐めているのか?」

 

「……偽、エルキドゥ………!」

 

「………多少所有者が変わっただけで偽物偽物と。どうしようもないな、人間というものは」

 

「………所有者?」

 

 呆れたようにため息を吐く彼は、立香達とは対称的に戦闘準備ができているとは思えない。……だが、立香とマシュは知っている。その嫋やかな顔に似合わず、とんでもない力の持ち主であることを。

 

「まぁ、確かに。そうだね、ボクはエルキドゥとしては偽物だ。それだけは明言しておこう。だって、変に期待されても困るだろう?ボクは人間の敵だ。それは、この体が壊れるまで変わらない」

 

 手を胸に当て、自己の存在を知らしめるように。まるで演じるかのように。エルキドゥを名乗る何者は、愉快そうに笑いふける。

 

 そして、戦闘開始の合図をするが如く。その体から、電気のような何かがバチバチと発生した。

 

「それを今、君たちの命を対価に教えてあげよう」

 

「……仮称的エルキドゥ、来ますッ!」

 

「マシュ!」

 

 先手を取ったのは、マシュだった。サーヴァントとしての唯一の武装、盾を構え、エルキドゥに突撃する。

 

 移動するだけで砂埃が舞うほど速い、英霊の速度。海岸側に立つエルキドゥまで、約百メートルといったところ。マシュならば、ほんの数秒で詰められる距離……だが。

 

「くっ!」

 

「おいおい、拍子抜けだな。そんな速度で、ボクをどうやって殺すっていうんだい?」

 

 雨のように降りそそぐ鎖が、マシュの足を止める。よくよく見れば、エルキドゥの背後から現れた光の渦から、次々と鎖が生み出され、使い終わったものから光の粒となり、また生み出されていた。

 

 その一撃一撃が必殺の威力を孕んでいるのは、穴だらけの砂漠を見れば瞭然だ。防御に徹しながら動こうにも、隙なく叩きつけられる鎖は留まるところを知らない。

 

『アレら一つひとつが、宝具級の最上の武器!これはまさしく、ギルガメッシュの十八番(おはこ)だ!』

 

そうでもないけどね(・・・・・・・・・)。ただこの戦い方が、君のような雑魚にはちょうどいいというだけでさ!」

 

 エルキドゥの背後の渦が、さらにその量を増す。鎖の弾幕が厚くなり、ついには進むことすら困難になる。

 

 そして、マシュの盾が幾度となく繰り返される連撃に耐えきれず、ついに弾かれた。無防備になったマシュの体に、一本の鎖が迫っていて。

 

「マシュっ!」

 

 その鎖を、マシュを押し退けて辛うじて回避する。砂埃が舞い、エルキドゥの方角が見えなくなる。

 

 体制を立て直さなければ避けられない。だが、足場の砂が悪いせいか、立ち上がるのには時間がかかってしまう。そんなことをしているより、致死の刃の方が絶対的に速く。無機質な鎖の先端が、立香たちに迫っていた。

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

「……こんなものか、呆気のない」

 

 エルキドゥは、思った以上に手応えの無かった敵に肩透かしを喰らっていた。砂煙が上がっている先では、旧人類に残った最後のマスターとそのサーヴァントが、鎖に貫かれて息絶えているはずだ。

 

 やはり、取るに足りない。前回は妙な魔術師に一本とられたが、誰もいなければ単なる雑魚だったと。認識を改めることもなかった。

 

 認識を。

 

 

 ……エルキドゥは、誰かを、忘れていた。

 

 

「………あの子供はどこに…………?」

 

「シッッ!!」

 

 そのことに気がついた時にはもう遅く。エルキドゥの眼前に、風の刃が迫る。それを避けても、エルキドゥの側面で身を潜めていたハーメルンが笛の発射孔を向け、エルキドゥを仕留めんとそれを振りかざしていた。

 

「なにっ!?」

 

 それは風を濃縮した、笛を柄とする即席の剣。刃渡りは短いが、威力は絶大。例え神に作られた存在であるエルキドゥとて、当たればただでは済まない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 当たれば(・・・・)

 

「………なんてね(・・・・)

 

 カァン、と。不可視の風の刃を知っていたかのように、エルキドゥの足元から生まれた鎖の壁が、刃を完璧に防いだ。

 

 そして、驚愕に見舞われるハーメルンの腹に、エルキドゥの目にも止まらぬ蹴りが炸裂する。ハーメルンの体から嫌な音が鳴り、体がくの字に曲がったまま、立香たちの方向へと弾き飛ばされた。

 

「カ…………ハッッ……」

 

「ハーメルン!!」

 

「……どうでもいい存在過ぎて、忘れてしまっていたよ。盾のサーヴァントで目を引いて[気配遮断]スキルでの不意打ち狙い。大方、さっきの鎖も風で防いだのか。そんなもの、この機体(からだ)に通用するわけがないだろう」

 

 慌てて、立香はハーメルンに駆け寄ろうとした。だが、飛ばされたハーメルンは、空中のある一点で(はりつけ)にされたかのように停止する。……よくよく見れば、ハーメルンの四肢、それぞれの先にあの光の渦。そして鎖が絡まっていた。

 

「……それに、そんな[神性(モノ)]どこで手に入れたのか。当たればボクだろうと殺せただろうが、この天の鎖を相手にそんなもの、お荷物にしかならない」

 

 ハーメルンは、動かない。いや、動けないのか。鎖が黄金に輝いて、ハーメルンの動きを完全に封殺している。

 

 抵抗しているから鎖は揺れるが、それだけ。抜けることも、壊すこともできていない。ゆっくりと彼に歩み寄ってくるエルキドゥに、何かをすることも叶わない。

 

 

「さて、君は不確定分子。ボク相手には役に立たないが、[神性(ソレ)]は母上にとって唯一の突破口になりかねない」

 

「……ぐっ!」

 

 必死に身体を揺らして拘束から逃れようとするハーメルン。だが、それは虚しく鎖を揺らすだけの結果で終わる。拘束を抜けるまでは、どうしたって至らない。

 

「さようなら、見知らぬサーヴァント。まずは君からだ。せめて、身体の中をぐちゃぐちゃにして、一瞬で殺してあげよう」

 

 

 エルキドゥから放たれた一つの鎖が、ハーメルンの心臓、霊核を目指して一直線に進んでいく。当たれば、ハーメルンは死んでしまうだろう。その身体を魔力の残滓にして、消えてしまうのだ。

 

 視界が、真っ白に染まる。体が熱い。足が駆け出していた。意思とは関係なく、本能で身体が動いて。

 

 

 

 

 

「やめろぉぉぉっ!!」

 

「マスター!?」

 

『藤丸君!?』

 

 気がつけば、立香はハーメルンを庇うように、鎖とハーメルンの間に身を投げていた。恐怖で体が震えるが、ほんの数秒そこに体があれば、ハーメルンは無事で済むだろう。

 

「マスターがサーヴァント風情を庇うだと?血迷ったか!?」

 

「………ッ!?親様、ダメぇぇっ!」

 

 背後から、ハーメルンの悲痛な叫びが聞こえてくる。磔にされた彼は、必死に逃げようともがいている。だが、もう間に合わない。あとコンマ数秒で鎖は立香を貫き、その命を絶えさせるだろう。

 

 鎖が立香を捕らえるまで、あと5、4、3………

 

「何をやっている、この痴れ者が」

 

 

 

 

 

 

 突如降り注いだ魔力弾が、立香を殺す寸前の鎖を撃ち抜いた。

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

海岸に面する崖に、人影があった。頭部の白いターバンらしきものを揺らし、紅の瞳でこちらを見下ろす影。

 

 

「………ギルガメッシュ王!?」

 

「そろそろだとは思っていたがな。(オレ)の見込み通り、見事な悪運ではないか」

 

 魔力弾の主、ギルガメッシュが、海岸沿いに反りたった崖から舞い降りる。戦闘用なのか、その手には本のように開かれた粘土板が握られていた。

 

「サーヴァント風情に大層時間をかけたな、エルキドゥ。故障か?高性能が珍しいな」

 

 まさに傲岸不遜。戦闘とは思えない優雅な足取りで、ギルガメッシュはエルキドゥに対峙していた。

 

「───あ──な───!おま……え……は……」

 

 うってかわって、エルキドゥは困惑しているように見えた。しきりに首を振り、目の前のギルガメッシュを見ようとして、また目を逸らす。何かのバグでも起きているかのように。目を押さえて何かを堪えていた。

 

「戦闘を楽しむなぞ、貴様らしく無いなエルキドゥ。なんだ、先の思わせぶりな戦闘は。思わず笑ってしまったわ。あのような鮮やかな手法、どこで身につけた?」

 

「なっ!ち、違う!あれは───!」

 

 おかしそうに笑うギルガメッシュに、咄嗟に何かを口にしようとしたエルキドゥ。だが、またも途中で身体を俯かせ、その言葉は続かない。まるで、自分で自分の行動に困惑しているようだった。

 

 

「───お前が………ギルガメッシュ?」

 

「………他の何に見えるか、間抜け」

 

 ひどく寂しそうに。何かを懐古するかのように、しみじみと、噛みしめるように、ギルガメッシュは、そうエルキドゥを罵った。

 

「──っ!あぁぁっ!」

 

 その言葉に苛ついたのか。或いは、立香も知らぬ理由があったのか。エルキドゥが鎖でもなんでも無い、単なる魔力の塊をギルガメッシュに投げつけた。そのあまりに粗末な代物は、ギルガメッシュによって生じた火炎によって燃え尽きる。

 

「違います!ギルガメッシュ王!あれは偽物!本物のエルキドゥさんではありません!」

 

「ほう、それにしては良くできている!出力も以前より上がっているな!よほどいい魔力を得たのだろう!」

 

 次々と放たれる魔力の弾。ギルガメッシュはそれらを全て、宝物庫から取り出した戦斧で弾き、切り伏せ、消滅させていく。

 

 エルキドゥが動揺したからか、ハーメルンに繋がれていた鎖が光の粒になって消滅する。そのまま地面に崩れ落ちそうになるハーメルンを、なんとか抱き抱えた。

 

「ハーメルン、大丈夫か!?」

 

「……ごめん、なさい。違う……違うん、です……許して……だめ……」

 

 だが、その瞳に正気は宿っていない。怯えるように何かを呟くハーメルンは、泣きながら立香の胸に顔を埋めた。

 

 だが、ここに留まるのも危険だ。宥めるために抱きしめて、ギルガメッシュ達から離れているマシュと合流する。

 

「マスター!ハーメルンさんは!?」

 

「無事だけど……何かに怯えてるみたいなんだ!大丈夫、大丈夫だから、ハーメルン!」

 

 ハーメルンを抱きしめながら、しきりに励ましの言葉を口にする。何かを呟き続けているが、内容が断片的過ぎて、立香にはわからなかった。

 

「………ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

 そのまましばらくすると、ハーメルンは落ち着きを取り戻した。何度か謝罪の言葉を口にするが、正気を失っているようではない。何度か頭を撫でて、抱きしめていた手を離す。

 

 

「……マスター、あれは………!」

 

 ……エルキドゥとギルガメッシュの戦闘は、新たな局面を迎えていた。無数の鎖を生み出して攻撃するエルキドゥに、大量の魔杖を以ってしてそれを潰すギルガメッシュ。その行動のどれもが洗練され、一撃一撃が重い。

 

 何度も何度も打ち合い、その度に突風と魔力が、目に見える電気の形をとってバチバチと弾ける。

 

 それは、もはや個の戦争。世界の終わりを思わせる、最高峰の戦い。強者のみが存在する、最強のステージ。

 

「………この世界で、最強の創造物はボクだ!お前なんかに……!あの子を裏切った(・・・・・・・・)お前なんかに、ボクは負けないッ!!」

 

 エルキドゥの言葉に、ギルガメッシュの端正な顔が歪んだ。だが、それでも力は拮抗している。お互いは弾かれるように後ろへ下がり、また一時の間が生まれた。

 

 

お前なんかに、何がわかる!?愚かなウルクの王!お前を殺してボクは、この世界を終わらせてやるっ!!

 

 

 その一言と共に、エルキドゥが纏う雰囲気が変化する。本能的に、彼がこの戦いの最後の一撃を放とうとしているのだと分かった。

 

 地に手を付け、そこから大量の鎖を生み出す。鎖を束ねて、束ねて。さらに太い鎖が、緑の息吹となって地面を覆う。まるで、大地の怒りが形になっているようだ。

 

 ギルガメッシュは、何も言わなかった。ただ少し悲しそうにして。天に向かって手を広げて、魔力を集める。

 

 天から開かれた黄金の門。そこから覗く大量の魔杖がそれぞれ金の光を放ち、まるで天の裁が如く荘厳な光を放つ。片方を大地の怒りとするならば、それは天の怒り。稲妻の如き天災。あまりにも巨大な雷が、エルキドゥに降り注がんとしていた。

 

 

 雷の柱が、エルキドゥを直撃する。轟音と、熱と、焼ききれんばかりの、光。だが、その光はエルキドゥにぶつかる寸前で消滅していく。彼の鎖と[対魔力]スキルだ。圧力に耐える彼の顔が、獰猛な笑みを刻む。

 

 光の柱は絶えず降り注ぐが、それは一方向。合間を縫って、エルキドゥの鎖が十数本、ギルガメッシュへと飛来した。数本を魔術で叩き落としたが、それでも何本かは生き残ってギルガメッシュに迫る。

 

 しかし、その生き残りも全て戦斧で見事に弾かれる。余裕を残したギルガメッシュが、すかさず魔術で追撃を加えようとした、その時。

 

「………!?」

 

 ギルガメッシュは、自らの足が動かないことに気がついた。どころか、体全体が鉛のように動かない。

 

 足に目をやれば、そこには黄金の渦。そして──神に連なるものを縛り付ける、天の鎖。

 

「殺して、やるっ!」

 

 エルキドゥは、致命的なその数瞬を逃さない。用意していた巨大な鎖を空へと解き放ち、重力を乗せて、ギルガメッシュめがけて落とす。

 

「殺す!裏切り者の貴様に、報いを!」

 

 

 それは、神さえも砕く一撃。空から墜ちる母の怒り。彼の宝具。外す気はエルキドゥには毛頭ない。そもそも、外さない。エルキドゥはもう、その軌道を操作できる段階にいなかった。

 

 故に、この攻撃は必中。外れることなど、絶対になかった。外すことなど、出来はしなかった。

 

 

 

 

 

 しかし。

 

( ち)に、( ふ)え──

 

 強者のみが踏み入ることを許されたその戦いに。戦争に。

 

都市( とし)( つく)

 

 ( うみ)( わた)

 

 ( そら)を、( さ)いた

 

 

 

────( なん)の、ために…?

 

 文字通り最悪の横槍を差さんとする強者がいたことが、エルキドゥにとって、最大の誤算となった。

 

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 そして。立香とマシュは、目撃した。

 

 エルキドゥが放った一撃が、ギルガメッシュを貫く、そのコンマ数秒前。見覚えのある姿の少年(少女)が崖から放った一つの煌めきが。

 

 

聖槍よ(・・・)果てを語れ(・・・・・)ッッ!

 

 

 とてつもない光と熱を迸らせて。

 

 

偽・最果てにて(ロンゴ)……輝ける槍(ミニアド)ッッ!!

 

 

 

 

 

 エルキドゥの全力が込められたであろうその鎖を…………跡形もなく、消し去ったのを。

 

 

 流れる星のような輝きは、鎖を消し去ってなお余りある力を以って地平線の彼方へと、軌跡を残しながら小さくなり───轟音。

 

 しぶきを上げながら巻き込んだ大量の海水を蒸発させ、完全に消滅した。

 

 

「………あれ、は……」

 

「………第六、特異点の………」

 

 酷く震えて、掠れた声が口から漏れた。

 

 忘れもしない。円卓の騎士達に立ち向かい、砂漠と山岳の中で生存を勝ち取った第六特異点。その元凶。立香達を滞在した村を襲った、巨大なクレーターすら形成する星の槍。

 

 もう、二度と見る事はないと思っていたのに。

 

『間違いない……あれは寸分違わず、女神ロンゴミニアドが使用していた最果てにて輝ける槍(ロンゴミニアド)だ!魔力観測値3000000オーバー!魔力系統もほぼ同じ……!……でも、こっちの計機にはサーヴァントも生体反応も、何も映っていない!藤丸君!そこに誰かいるのか!?最果てにて輝ける槍(ロンゴミニアド)を使用できるほどの使い手が!』

 

 ドクターロマンの声も、全く耳に入ってこなかった。助けられたことに対する、安堵もなかった。ただあったのは驚愕と……………そして、恐怖。

 

 ………とんでもない仮説が、立香の中で組み上がろうとしていた。

 

 数週間前の夜、マーリンの発した言葉が思い出される。

 

 

 

『要するに、何にでもなれる宝具、というわけさ』

 

 

 

「………まさか………宝具も、なのか……?」

 

 

 もしも。もしも、彼の宝具が、他のサーヴァントの宝具にすら変わるというのなら。そして、魔術王によって今までの特異点の記録が知られているとするならば。

 

「………今までのサーヴァント達の宝具が……全部……?」

 

 全て、全て。最果てにて輝ける槍(ロンゴミニアド)に限った話ではなく。敵味方全てのサーヴァントの宝具が、彼には使えるということになる。

 

 約束された勝利の剣(エクスカリバー・モルガン)吼えたてよ、我が憤怒(ラ・グロンドメント・デュ・ヘイン)童女謳う華の帝政(ラウス・セント・クラウディウス)黄金鹿と嵐の夜(ゴールデン・ワイルドハント)我が麗しき父への叛逆(クラレント・ブラッドアーサー)噛み砕く死牙の獣(クリード・コインヘン)も……最果てにて輝ける槍(ロンゴミニアド)も。

 

 敵味方関係なく、今まで会ったサーヴァントの宝具が全て使用できるのだとしたら。そして、そんな相手が敵なのだとしたら。

 

「………そんなの…………勝てるわけが……」

 

 マシュも同じ結論に至ったらしく、顔を青く染めて小刻みに震えていた。……そして、一度そう考えてしまえば、そうとしか考えられなくなる。最悪の事態の予感が、頭にへばりついて離れてくれない。

 

 勝てない。絶対に。

 

 その考えが、脳を支配し始めた、その時。

 

「……戯け」

 

 立香とマシュの頭を、いつの間にか拘束を外したギルガメッシュが軽く小突いた。

 

「あのような宝具、そうそう連発できるはずがなかろう。そうでなければ今頃、ウルクは灰燼と化しているはずだ。そもそも敵対しているかも怪しい」

 

 それに……と、エルキドゥの方を指さして続ける。

 

「どうやら、敵も一枚岩ではないようだぞ?」

 

 向けられた指の先。偽者のエルキドゥを注視すると………驚くべきことに、彼もまた、消え去った光の槍を見て驚愕の表情を浮かべているではないか。

 

「……なんだ……なんなんだ……あれは………!あんなもの、ボクは知らない!何も聞いていないぞ……!?……くそっ!何のつもりだ、あの男は!」

 

 ぶつぶつと何かを呟いているエルキドゥ。何を言っているのかは聞き取れないが、少なくとも、彼のことを知っている風にはどうしても見えない。

 

 しばらくして、結論が出なかったのか浜の砂を叩き、キッと虚空を睨みつける。正確には、この槍を放った下手人の方角を。

 

 

 ……フードが、とれていた。被っていた布が、星の槍の暴風に耐えきれなかったのか。風に灰の布を靡かせて、その少年(少女)はこちらを眺めていた。

 

 ハーメルンと似通った、低い身長。流れるような、美しい金の髪。石英のような純白の肌。そして───蒼玉(サファイア)を思わせる、青の双眸。

 

「…………ほぉ……」

 

 同じように少年(少女)を見ていたギルガメッシュが、恍惚か、或いは感嘆の溜息を漏らした。………似ている。第六特異点、或いは特異点F、第四特異点で見た、アーサー王、そしてその成れの果て、女神ロンゴミニアドに。

 

 だが、全くの別人である事は明らかだ。身長も、身体的特徴も、放つオーラも。顔つき以外の何もかもが、彼女とはかけ離れている。何も。今にも崩れ落ちてしまいそうに弱々しく立つ少年(少女)からは、何も、感じない。

 

「……死なれちゃ、困るんでね……です

 

 口を開き、何かの言葉を発した彼。その元に、黒や、紫。モヤがかかったような、不鮮明な色の球体が集った。……一度だけ見た、彼の宝具。

 

「……おい、お前!一体何者だ……!余計な手出しを……覚悟はできているんだろうな!?」

 

 エルキドゥが、憤慨したようにズカズカと近づいていく。……だが、その言葉に少年(少女)が返答する素振りはない。

 

 先程のギルガメッシュと同じく。なんだか、少し悲しそうにエルキドゥの方を見やって。……そのまま、振り向いて何処かに行ってしまおうとする。

 

「……なっ!待っ………ぐっ!………くそ!くそっ!……こんな!こんな、故障さえなければ……!」

 

 呼び止めようとしたエルキドゥは、また何かあったのか、目を押さえてその場に蹲る。その隙を逃すことなく、少年(少女)は空を飛んでどこかへと逃げ去ってしまった。

 

「………愚かなウルクの王。そして人類最後のマスター(失敗作)。次は……アイツ共々殺してやる!」

 

 そして、偽のエルキドゥもまた。何を思ったのか空へと浮かび上がり、少年(少女)とは別の方向へと飛び去る。砂を巻き上げ、視界が悪くなった次の瞬間には……戦場は、ただの砂浜へと戻ってしまっていた。

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

「この、馬鹿者めが!」

 

 パァン、という乾いた音が、ウルクへの帰路についた馬車の中で響いた。……ぶたれた。立香がそう理解するのに、そう時間は必要無かった。

 

「先輩!」

 

「いいんだ、マシュ!」

 

 御者のマシュが心配して駆け寄ろうとしてくれるが、手で抑えて止める。何故こんなことになったのか、立香は理解していたから。

 

「……ほう。ならば、自らの失敗は理解しているか?」

 

「………ハーメルンを庇って、とっさに前に出た……ことです」

 

 あのときは、ただただ必死だった。体が勝手に動いて、気がつけばあそこにいた。……冷静でいたならば、それは失敗だと気がつけたはずだったのに。

 

「……貴様はマスターだ。……マスターの役割は何だ。言ってみろ」

 

「……サーヴァントの、援護をすることです」

 

「そうか。では、そのサーヴァントは何を以って力を発揮できている?」

 

「…………マスターを介して、です」

 

 ……サーヴァントは、マスターからの魔力供給がなければ存在を保つことができない。ハーメルンのようなはぐれサーヴァントがどうかは知らないが、少なくともマスターを失えば魔力がなくなり、本来の力を発揮できなくなることは明白だった。故に、立香は最後の砦。前に出て自らを捨てる行為は、即ちサーヴァントをも危険に晒すことを意味する。

 

 ギルガメッシュの助けが入らなければ、立香は独断でカルデアのこの一年間を無駄にしたことになっていた。

 

「……子に愛を注ぐなとは言わんがな。貴様は入れこみすぎだ。そんなことでは、いずれ身を滅ぼすことになるぞ」

 

「………はい」

 

 当のハーメルンはあまりにショックだったのか、荷台の端に座り込んだまま一言も発さない。ただ、暗い顔をしているのだけは見て取れた。

 

「……しばらく距離を置け。貴様と此奴は生者と死者だ。この特異点を修復できるできないに関わらず、袂はすでに分かれている。このままでは別れが辛くなるだけだ」

 

「そ、そんな言い方は!」

 

 マシュがギルガメッシュに談判しようとするが、それも首を振って辞する。……ギルガメッシュの言っていることは正しい。それは何より、自分が一番わかっていた。

 

 吹き付ける風が強い。潮風が冷たくて、たまらなく寒かった。

 

「…………雲行きが、随分悪い」

 

 星はない。月も、雲に隠れて見えない。暗い外が、異様に恐ろしく見える。

 

「少し急がせるぞ。これは、雨になる」

 

 ギルガメッシュ自らが御者に座り、手綱を握る。

 

 暗い沈黙と冷たい冷気が、帰り道には満ちていた。

 

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

 

 

 

『どうした?』

 

「………なんの、こと」

 

 (カノジョ)は一人、丘に蹲る。

 

 人のように暖かな故郷もなく。

 

 泥人形のように帰るべき場所もなく。

 

 また、天使のように面倒を見る神もおらず。

 

 

 何も持たない(カノジョ)は、結局どこでもない場所に行くしかなかった。

 

 

『惚けるな。なんのことも何も、何故手を出した。何もしなければ、忌まわしきあの王(ギルガメッシュ)は勿論、盾の少女。そして、矮小な人間(人類最後のマスター)も……』

 

「…うるせぇ、です」

 

 やけに頭に残る声を、無理やり黙らせる。

 

 憤怒も疑問も、何も示していない無機質な音を、(カノジョ)はこれ以上聴きたくはなかった。

 

 

「あいつは。…あの魔術師は、ウチが殺す。そういう契約だったはずだ、です」

 

 運悪く、見られてしまった。自分があの王を助けてしまった瞬間を。以前忠告した際は偶然目に止まらなかったが、今回はそう上手くいかなかったようだ。

 

『だから妨げた、と?ならばより一層疑問が湧くとも。お前の望みは、奴が死ぬことのみだろう。殺せるのならば誰でもいい。違うか?』

 

 …違わない。違わないが、違っている。自分でもよくわからない。死んで欲しいのか、殺したいのか…或いは、死にたいのか。

 

 わからない。(カノジョ)には、何も。

 

「うっせぇ、です!」

 

 なんだか無性にむしゃくしゃして。

 

 意味がないと知りながら、声の主の姿へ拳を振るう。

 

 筋力A+を誇る(カノジョ)の拳は、それ自体が宝具に近い。当たればどんなサーヴァントだろうと無傷では済まないだろう。鉄すら砕く一撃が、空気を裂きながら声の主へと迫る……が。

 

『…そう怒るな、我が(しもべ)よ』

 

 正しく空を切ったような手応えに、(カノジョ)は歯噛みした。

 

 いる次元が違う(・・・・・)。比喩ではなく、物理的に。

 

『よくもまぁ、持ち続けているものだ。身体ではなく精神が、な。そこらの英霊なら、とっくに壊れているほどの魔術と令呪を仕込んだはずだが。…いやいや、全く。まだ抵抗する理性が残っているとは。流石の精神力だとも』

 

 声の主人は……(カノジョ)主人(マスター)は、どこにも存在していない。全くの別次元から、全く別の時間軸から、(カノジョ)を操っているのだ。

 

 故に、(カノジョ)に為す術はない。主人からの命令だけが通じる一方通行。そんな関係に異議を申し立てることすら許されず、(カノジョ)は従わされていた。

 

『私の意思に背こうと体を動かす度、激痛が走っているはずだ。その意思を通そうとする度、凍るほどの冷たさが貴様を襲っているはずだ。………どうだ。私に従いさえすれば、その苦痛からは解放されるぞ。それどころか、天上の心地さえ味わわせてやれる。今からでも私に従う気はないか?』

 

「…お断りだって、何度も言ったはずだぜ、です。だって、ウチは………」

 

 こんな自分でも、誰かの助けになれた。…あのマスターが、自分の忠告のおかげで死ななかったように。

 

人類史の英雄(サーヴァント)、なんだから…!

 

 

 自分は、─────は、誰かの英雄でいられる。それだけで、耐える理由には充分なのだ。

 

 

 

『……つまらん。これでも、私と限りなく似た考えをもつ英霊を探し出したつもりだったのだが……まさか、心持ち次第でここまで相反する属性になるとは、な』

 

「…はっ。それこそ、冥界のあいつを呼ぶべきだったぜ、です。あいつも相当、頭イってやがる。マスターの為なら…昔の友達だって殺すだろうぜ、です」

 

 その点、自分が召喚されたのは僥倖だったろう。もし冥界の彼が召喚されれば[精神汚染]スキルでどうなっていたか、見当もつかない。

 

「……さぁ、どうする?ウチは、テメェの言うことなんて聞かねぇです。とっととその最後の令呪で殺して、別のサーヴァントでも召喚するんだな、です」

 

『……残念だが、その手には乗らない。生憎と、これ以上裂くリソースは残っていないのでね』

 

 そして…と、愉快な喜劇でも観るかのように、魔術王はその顔を醜悪に歪めた。

 

『貴様は爆弾だ。想定外なことに時限式ではあったが、その分威力も高いらしい。愉しみにしているよ。その無駄な努力と共に、お前自身が弾ける時を』

 

 浮かび上がった魔術王の姿が、完全に消え去る。ただでさえ何もない山は、その音が断たれたことで、本物の静謐に満たされた。

 

 

 

 夜が、来る。

 

 日が、落ちて。月が昇る。

 

 そして………その症状(・・)は、強がりの仮面を破ってすぐに現れた。

 

 

「………ぅっ………ぁっ……!」

 

 身体の中を、ウジウジと悍ましい音を立てながら何かが這い回る。肉を喰い千切って、骨を噛み砕いて、血を吸う。

 

 膝をつく。その膝から薄橙色の細長いモノが出てきていて。血のように際限なく溢れ出して地面に落ち、粘液に土をつけてのたくった。

 

 刻印虫(こくいんちゅう)と呼ばれていた、ソロモンに従っていたとある魔術師が操る蟲。それらを改良したものが数十、数百と集まり、身体の神経という神経を荒らし、食い破り、宿主から魔力を搾り出さんとする。その苦痛は、刻印虫(こくいんちゅう)の約数千倍。

 

「………がぁ………ぁっ……!」

 

 激痛。そんな言葉が生優しく感じるほどの痛み。熱、不快感。身体の至る所が捕食され、陵辱され。犯され尽くす。訳もわからないナニカに全身を弄られ、上下感覚も平衡感覚も無くなって、地面に倒れ伏した。

 

 これは、いつものこと。だから、辛くない。……そう自己暗示をかけようと、痛みに身体が慣れてくれない。

 

「………い゛っ……がっ……ぁあ!」

 

 死んだ方がマシ。比喩抜きにそう思えるほどの感覚が、しきりに(カノジョ)を襲う。不快感、激痛、恐怖。どれ一つとっても、(カノジョ)のような幼子に耐えられるものではない。

 

 ……それでも。自害は、死ぬ事は、許されない。令呪が、(カノジョ)を縛り付けているから。自害という選択をするには、どうやっても体が動いてくれない。

 

 爛れた肉が、腕から剥がれて地に落ちた。……ボロ布で隠していた体には、もう隠しきれないほどの欠損が生じている。そしてその肉では、蟲に産み付けられた小さな卵が今か今かと孵化の時を待っていた。

 

「………ッ!………ァ……」

 

 その肉を、令呪によって支配された身体が勝手に動いて食べる。どれだけ意思が嫌悪しようと、口はもう咀嚼を始めている。わけのわからない粒と自分の肉の塊。世界のどんな食物を合わせても超えられないほどの不快感が、喉を伝って食道を流れ落ちて。あまりの異物感に何度も嘔吐(えず)きながら、嗚咽を押し殺した体が無理矢理それらを飲み干した。

 

 そして胃だった(・・・)臓器の中で、無事にたどり着いた幾つかの卵が孵る。途端に腹が膨れ上がり、蟲は子宮代わりの袋を破って体を侵食する一団に参加した。

 

 体が、引き裂かれて。内部からズタズタに。痛い痛い、痛みに、心も体も犯され尽くして。壊れて、壊れて……でも、壊れることは許されない。

 

 

 ──そんな地獄が、何時間続いたのだったか。

 

 体感は数日、数ヶ月にも及んだ気がするが、夜だけは冷酷に。正確な時間を告げる。

 

「………ぁっ?……ぅっ……ぁぁ……」

 

 漸く、気が済んだのか。身体の中で暴れ回っていた蟲たちが、次第に動きの勢いを鈍らせていく。体から浮き出た虫の痕も鳴りを潜めた。しばらくすれば、動けるほどには体が回復するだろう。

 

 

 ……だが。もしも何もしなければ、またこの蟲たちは暴れ始める。じわじわと、宿主を苦しめるように。『その行動』をとらない限りは、延々と害を及ぼし、死なない程度に拷問を始めるのだ。この蟲達は、監査役。ある制約(・・・・)を満たさない限り、永遠に肉体の中で蠢き続ける悪魔。

 

 

 ……頭の中が、不安で一杯になる。

 

 魔獣すら寝静まった静寂の夜に、恐怖と孤独という毒はあまりにも効きすぎて。

 

「…ぁぁ」

 

 教えてよ、■■────

 

 不安で、孤独で、たまらない。

 

 一緒にいないと、何もできないよ。

 

 嗚呼、あぁ……

 

 

「……殺したい(・・・・)

 

 

 殺せば。誰かを殺せば。

 

 

 この痛みから逃れられると、知っていた。

 

 

 蟲が動きをやめて、最高のクスリをくれると知っていた。

 

 

 

 

 

「…………なさい……」

 

 泣くように、溢れるように。

 

「ごめん、なさい…!」

 

 謝罪。どれだけ悔いても飽き足りない。

 

 それでも、伸ばす手は止められなくて。

 

 一つ、二つ、三つ。

 

 嫌々する子供のように首を振りながら。

 

 伸びる手をもう片方の手で押さえながら。

 

 

 

 

 

 グシャリ、と。

 

 

 

「………あ、ぁ…」

 

 

 

 殺した。

 

 

 眠っている、無防備な人間を。

 

 

 何の罪もない、健やかな民を。

 

 

「………もう、や、です…」

 

 

 不安が、胸から消えていく。

 

 人間を殺すことで、心が癒えていく。

 

 不快感も、不安も、悲しみも、絶望も。

 

 人を殺した『快楽』が、洗い流していく。蟲の出す悍ましいナニカが、(カノジョ)に恐ろしいほどの快楽を植えつけていく。

 

 その快楽が憎らしくて、憎らしくて、憎らしくて、憎らしくて。

 

 

 ────愛おしくて。

 

 

 一度だって、止められない。

 

 殺人の夜(キリングナイト)が、終わらない。

 

 

「…ぅ、ぁぁ……」

 

 

 憎むべきはずの快楽が、思考さえも奪う。

 

 もっと殺してしまえと、蠱惑的に囁く。

 

 

 甘く、白く、蕩けた脳に、その言葉に抗う術はなく。

 

 

 また、殺す。

 

 

 そこに、人理を守り通す役目を持つ英雄の姿はなく。

 

 

 ただ甘い蜜を貪る、人殺しの化け物のカタチだけがあった。

 

 

 

(ぁぁ、誰か───)

 

 

 殺して。

 

 

 早く、殺して。

 

 

 殺すことしかできない、この愚かなナマモノを。

 

 

 奪うしか能のない、魔獣よりも罪深い自分を。

 

 人の命を穢す、浅ましい盗人を。

 

 

 

 どうか、できるだけ早く────

 

 

 

 

あ、あああ!!

 

 

 雨が、降っていた。地に伏して嘆くその身に、大粒の水滴が頬を伝って消える。まるで、空が泣いているようだ。

 

 (カノジョ)の目から流れているのが、雨なのか、それとも、涙なのか。

 

 きっともう、誰にもわからなかった。

 




嘘は言ってない。全年齢ハート(ブレイク)フル。美少年と美少女(に取り憑いた蟲)たちがキャッキャウフフ。特にFate/stay night[Heaven's feel]で印象的だった日常のシーン(蟲蔵)を取り入れています。

うん。問題ないな。


……そろそろ亡霊くんちゃんの真名がわかるかな……?あんまりに自信のある方は作者にメッセで送ってきてくださいな!根拠がしっかりしてるなら正解か不正解ぐらいは答えるのも吝かではない……亡霊くんちゃんの真名判明後、その前に当ててた人は名前読み上げとかしようかな。大体12話ぐらいでわかる予定。


次回予告


『……あれ?……こんなところに、珍しい』
『きっと、鍵なんだね…』
『余計なお世話だったかな?……お爺ちゃん』
『藤丸たちに、お願いしたいお仕事がございます』
『この、偽善者どもめが!』
『なんで!どうしてなんですか!?』
『………なんにも、わかんないや』

第五節 償いと悔恨 


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第五節 (つぐな)いと悔恨(かいこん) (1/5)

ダイス振っときますね。

90/90 98 失敗
1D20……6
アイデアロール 成功
1D10………5
状態:一時的狂気 疑心暗鬼 5時間




 少年は一人、高台の上で笛を吹く。黄色の布(・・・・)をまるでレインコートのように纏い、この辺りでは特に珍しくもない金髪を音と共に風へ流して。両足を宙にぶらぶらと彷徨わせる遊び気が、子供らしい無邪気さを感じさせる。

 

『ん?かみさま?』

 

 突然、演奏者のたどたどしい声と共に曲が止む。豊かで重厚な旋律が山にこだましきって、静寂だけが残った。

 

 次第に、ドサリ、ドサリ、と何かが地面に当たる音が静かに孤立した山々に響く。旋律のように、或いは合唱のように鳴る大量の音。それが百五十を超えたあたりで、ようやく静けさが戻ってきた。

 

『むぅ、もうちょっと遊びたかった……』

 

 虚空に向かって話す少年は、どことなく楽しそうだ。まるで親と話すような、平和的な笑みをその頰に携えている。端正な造りの顔と相まり、レインコートに隠れてさえいなければその光景は誰もが絶賛するものだろう。

 

『わかった。じゃあ(ボク)は行くね。バイバイ、みんな』

 

 崖下に向かって手を振った少年は、またおもむろに笛を吹き始めた。お気に入りの『セラエノ』と名付けた笛を吹き終え、最後の仕上げにと蜂蜜酒を口に運ぶ。喉を鳴らしながら、いとも簡単に一升瓶の中身を飲み干していく姿は、はたまた壮観だ。

 

 数秒後、瓶から口を離した少年は、その口から悍ましい呪文を唱え始めた。呪文を口にする声は酷く低く不鮮明で、とても先程までの声と同じとは思えない。暴虐で邪悪な災厄を呼び寄せる唄は、おおよそ人間には再現できないであろう発音で、発声で、言語で、紡がれていく。それは名状しがたき存在を予感させる、意味不明な言葉の羅列だった。

 

『いあ、いあ、──、──…』

 

 黄色の少年が、踊るように名状しがたき者を賞賛し、賛美し、愛敬する。そのあまりに美しく、冒涜的な呪文は、心が理解することを拒否するのか、まるで通り抜けるように頭に入ってこない。ぬるりと撫でられるような不快感だけが耳を突く。そして、少年が言葉を終えてからしばらくすると、遥か彼方から黒い生物が近寄ってくるのがわかった。

 

大きな翼をはためかせて地上に降り立ったモノ。それはカラスでもなく、モグラでもなく、アリでもなく、ハゲタカでもなく、腐乱死体でもない。強いて言うなら、巨大なコウモリのような、そして昆虫に似た別の何かだった。

 

 常人が見ればあまりの恐怖に発狂しそうなソレの巨大な体に、少年は平然と足をかけ、登っていく。

 

『カラス君、相変わらず乗り心地悪い〜』

 

 間延びした文句に、黒い生命はまるで反応せず離陸を始める。全ては背に乗せた、自分よりも圧倒的に小さな眷属を、兄弟を導くために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先程まで動いていた(・・・・・・・・・)、百を優に超える子供の腐った死体に見向きもせず飛び始めた。

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

「……うわああぁぁっ!?」

 

 汗が、身体に張り付く。大声を上げて飛び起きてから、その不快感が夢から現実の感覚へと身体機能をシフトさせる。先ほどまでの光景が夢だったと気がつくのに、数秒を要した。

 

「………はぁ……はぁ……」

 

 やけに乱れた呼吸を、何度も深呼吸して整える。いつもは恨めしい朝の冷たい空気が今この時はありがたい。

 

「………………なんなんだ、アレ……?」

 

 あの異形。あの異様。あの威容。ようやく落ち着いた立香は、夢の中に出てきた怪物の姿を思い出す。頭にその存在を浮かべただけでも吐き気がするが、なんとか抑えて必死に特徴を覚える。

 

 ……到底夢とは思えぬリアリティ。非現実的で、現実的だ。いや、そもそもそんなものがなくても夢でないと確信できる。なぜなら───

 

「………ハーメルン、だったよな?」

 

 アレを呼び出したのは、紛れもなく自分の隣で眠る少年だったのだから。

 

 ゆっくり、ゆっくり、起こさないように。若干の恐怖を覚えながら、立香は隣のハーメルンを見やる。……幸い、まだ眠っているようで起きる気配はない。今の時間はわからないが、空がそこまで明るくないことから、いつも彼が起きる時間帯とは遠いはず。

 

 彼だった。まごうことなく、死体を(もてあそ)んでいたのも、あの悍しい怪物を呼び出したのも。口調も、雰囲気も。先日観測所で見た弱弱しいハーメルンとは、そのほとんどが違ったが、全てが間違えようのないほどに彼を表していた。

 

 つまりあれは、過去の記憶。生前のハーメルンが行った、何かしらの行動だ。

 

 

 ……この数日で、二つ変わったことがある。

 

 一つ。ハーメルンとの距離。一緒に眠ることは、彼自身が望んだ妥協点として変わらなかった。だが、屋上で星を眺める日課は無くなった。そしてギルガメッシュの忠告もあってか、ハーメルンは露骨に立香を避け始めた。立香も、それをどうにかしようとはできなかった。それに踏み出す勇気を持っていなかったからだ。二人の間に、必要以上の会話はなくなってしまった。

 

 そして、二つ目。悪いことをしてしまっているような罪悪感を抱えながら、マシュにやるときのように。意識してハーメルンに目を合わせた。すると、何やら映像のようなものが浮かび上がってくる。

 

 筋力B-、魔力C、耐久D、幸運E-、敏捷C+、宝具Dから始まる文字の羅列。それは、マスターならば見ることができるサーヴァントのステータス情報。これまで何故か見ることができなかった、サーヴァントとしてのハーメルンの簡潔なあらましのようなものだった。

 

 パラメーターの欄を流し見て、スキル。彼が生前から有していた特徴の一覧を見る。

 

 そこには、セラエノの魔笛(まてき)・A++。精神退行・B-。どれも聞いたことのないスキルが並んでいた。スキルの詳細わからないときは、注釈や効果の解説の付いているはずだが、生憎とその欄は全て文字化けしていて読むことができない。

 

 それらを飛ばして、二重召喚(ダブルサモン)・A。というスキルの欄で、目が止まる。

 

 珍しく情報が書かれているそこには、

 

二重召喚(ダブルサモン)・A

 二つのクラス別スキルを保有することができる。極一部のサーヴァントのみが持つ希少特性。ハーメルンの場合、子供を大量に連れ去ったという特性がアサシン、■■■■■と接触してその力を得たという特性がフォーリナーとなり、両方の結びつきが強いためそれぞれのクラス別スキルを獲得して現界している』

 

 と、一部塗り潰されたようになった文が、簡潔に添えられていた。

 

 ほんの数日前明らかになった、彼がアサシンながらフォーリナーなるクラスを名乗る理由。

 

 稀だが他のサーヴァントにも確認されているスキルらしく、ハーメルンの場合はメインの霊基をアサシン、それに加えてフォーリナーなるクラスのクラススキルを得て現界しているため、自称とクラスが違うという事態になったのではないか。というのが、カルデアの見解である。

 

 しかし逆に言えば、このスキルの存在で彼の言う降臨者(フォーリナー)のクラスが、虚言ではなくエクストラクラスとして存在していることが明らかになってしまった。……今この時は、そのクラスがどうしても先の夢と関係がないとは思えない。

 

 続けて、まだ残っているスキルの欄。『¥€○#*<〆#』・%×……情報どころか、スキル名、ランクすら文字化けしている始末のもの。マスターの立香ですら、何が書いてあるのか読めない。ハーメルンに直接問いただすこともできず、悶々としながら次に進む。

 

 次は、クラススキル。スキルとは違い、英霊のクラスについたことで新たに得た特殊な力。もしくは元々持っていた権能などが記されたもの。本来のアサシンであれば[気配遮断]のみだが……そこにもまた、頭が痛くなるような文字列が並んでいる。曰く。

 

 

 

『領域外の生命・EX

 詳細不明。恐らくは地球の理では測れない程の生命を宿している事の証左と思われる。

 

 神性・B

 %$○☆〆#%€$¥%☆€○の“娯楽”となり、強い神性を帯びる。 世界像をも書き換える計り知れぬ驚異。その代償は、絶えぬ☆の%〆

 

 巋エォ☆の生命・A

 々〒$○の◾️◾️であるが故のクラススキル。%☆$布は彼の存在を覆い隠し、その本体を朧げにぼかす。アサシンのクラススキル[気配遮断]と融合している』

 

 

 

 ……やはり、何度確認しても同じ。普通のサーヴァントならば絶対に持ち得ないはずの[神性]と、聞いたことすらない[領域外の生命]、文字化けした謎のクラススキル。それにどれもこれも、要領を得ない解説ばかりだ。

 

「……君は……何者なんだ?ハーメルン……」

 

 この情報は、全てマーリンとカルデア、マシュに伝えてある。その上でマーリンは『警戒はすべきだが問題ない』とのほほんと言い切った。だが、どうしてもあどけなく眠る少年の姿が、死体を笑いながら操る狂人の姿と、被って見える。それが立香には、堪らなく恐ろしい光景のように思えるのだった。

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 それから、数日が過ぎた。シドゥリが約束した半月まで、あと一日。月日が迫って、立香たちが緊張に追われる最中。立香達はエリドゥの神殿に呼び出され、ギルガメッシュからの王命を下された。

 

『いっけね!冥界に行った時寝落ちしながら書いた粘土板、クタにあるの思い出したけど内容忘れちった!てなわけでとってきてね!シクヨロ☆あとハーメルンは連れて行くなよ☆距離置けっつったもんな?』

 

 と、纏めるとこういう風になる。………とんでもなく不穏な電波を受信した気がするが、内容は割とあってはいるのでそのままにしておく。

 

 そして今。立香、マシュをはじめとする四人は、ウルク近くにある牧場へと足を運んでいた。

 

「あらあらあら、誰かと思えば立香ちゃんとマシュちゃんじゃないの!ハーメルンちゃんなら今ちょうど羊を任せてるからいないわよ?」

 

「こんにちは。ご無沙汰してます、ディナルドフさん」

 

「お久しぶりです……」

 

 あら、礼儀正しいこと。と何故か頬を染めているのは、ハーメルンがお世話になっている牧場主。ディナルドフ、という人物だった。

 

 吸い込まれそうな長い黒い髪に、二メートルもの身長(・・・・・・・・・)チャーミングな上腕二頭筋(・・・・・・・・・・・・)を始めとする筋肉質な人物…………まごうことなき(オトコ)であった。

 

 立香とマシュはハーメルンを迎える際に何度か会ったことがあるが、この人物を若干苦手としている。

 

「んまぁ、隣の可愛いお二人はどちら様?立香ちゃん、また新しい子を手籠めにしたの?相変わらずヤり手ね〜」

 

 手籠ちゃうわ!……と、何故か関西弁で即座に返答しそうになったが。ムキムキの体のどこにそんな柔軟性があるのか。クネクネしながら立香のはるか上から頭を優しく突いてくる(オカマ)。……勝てる気がしない。物理的にも、性格的にも。口答えはできそうになかった。

 

「違います。この二人はその……友達で……」

 

「あぁ、そういうこと。今はまだ、友達以上、恋人未満ってことね!キャー!素敵!」

 

「違いますって!!」

 

 何を盛り上がっておるのか。立香は後ろから突き刺さるアナとマーリンの侮蔑と好奇の視線が痛いどころの騒ぎではないというのに。彼はどうやら、立香のことを幼児志向の両刀ハーレム王かなにかと勘違いしているらしい。

 

 いや、確かにハーメルンを含めると、パーティーの外見年齢はかなり低めで、綺麗どころを集めたみたいになってしまうのだが。

 

「ディナルドフさん。あの方々は王の遣いです。今から任務でクタに出るところでして。決して先輩のお妾などではありませんので、ご安心ください」

 

 ずいっと、口籠る立香に代わってマシュが懇切丁寧に返答をしてくれる。

 

「あら、マシュちゃん。そうなの、クタに……でも大丈夫?今からクタだと、時間的に帰るのは夜になっちゃうんじゃない?」

 

「いえ、ギルガメッシュ王にマーリン君を貸していただいているので問題ありません」

 

「まぁ!ホント!よくよくみれば、後ろの子は花の魔術師ちゃんじゃないの!噂通りの美形ねぇ……羨ましいわぁ!」

 

 再び自らの身を抱きしめてくねり、目を妖しく光らせるディナルドフ=サン。立香は震えが止まらない。が、勇猛果敢なのか、或いは何かしらで慣れているのか、マシュはニコニコと笑いながら接していた。見習いたいと思う。でもそうなれるとは思えない。

 

「ところで……ハーメルンちゃんが違うなら、一体何の御用かしらん?アタシ今やることがあるから、手短に済むとありがたいわ」

 

「やること……?何かあったんですか?」

 

 マシュが尋ねると、ディナルドフは牧場の一点を太い指で指差す。……そこには、爆撃があったかのようにあちこちがベコベコに凹んだ牧草地の姿があった。

 

「アレよ、ア、レ。地面がボコボコになっちゃって……ハーメルンちゃんが羊たちを別のとこに集めてる間に片さなきゃいけないの」

 

「……こんなの、一体誰が?」

 

「これ、イシュタル神がやったのよ。魔獣を追い払うためにね。それだけならよかったんだけど……対価だとか言って、牧場の金品持ってっちゃったのよ。藤丸ちゃんもクタに行くなら気をつけなさい。あそこは確かイシュタル神の勢力圏よ。アレはもう強盗ね。もしくは空賊か傭兵擬き」

 

「………神格が落ちそうな話ですね………」

 

「全くよ!幸い牧場の金品ははした金だったけど。あの程度の魔獣ぐらい、素手のアタシでも何とかなったわ!失礼しちゃう!」

 

 ぷんぷん、と憤慨する(オカマ)。何とかなっちゃうのか。そしてそれは彼的に失礼なのか。……立香には、いまいちディナルドフの怒りのツボがよくわからない。理解の範疇にないのだと思考放棄しておく。

 

「それより、用事って?」

 

「あぁ、えっと。今夜はハーメルンが一人になっちゃうので、ディナルドフ=サ……さんに、ハーメルンを頼めないかな、と。本人は、一人でも大丈夫だって言ってるんですが」

 

「あら、そゆこと。全然いいわよ。うちの娘も喜ぶわ〜」

 

 娘さんがいらっしゃるんですね。というか家庭をお持ちなんですね。旦那さん……奥さんがいらっしゃるんですか。

 

 全てのツッコミが口の中で連鎖的に飽和と爆発して、何を口に出せばいいのか分からなくなってしまう。なんだか全力で叫び出したくなった。うぎゃあ。

 

「それじゃあ、申し訳ないですがお願いしてもいいですか?ディナルドフさんなら、人見知りのハーメルンも言うことを聞いてくれると思うので……お金はもちろんお支払いします!」

 

「あら、いいのよお金なんて。若いうちはそんなこと考えずにしっかり遊んでればいいんだから。そういうことは、大人に任せなさい。まぁ……そういう意味では立香ちゃんは、もう『大人』かもしれないけ・ど・ね♡」

 

「だから違いますよっ!」

 

「いいじゃない!若い時期なんてそんなもんよ!アタシだってあの頃は色々ヤンチャしたもの……道ゆく若い子をとっかえひっかえ(自主規制)(ピー)して、(自主規制)(ピー)して、(自主規制)(ピー)相手を喧嘩で屈服させてからさらに(自主規制)(ピー)する(自主規制)(ピー)三昧の日々……あぁ〜ん♡今思い出しても体が疼くわ〜!」

 

「一日中(自主規制)(ピー)しかしてないんですが!?」

 

「そりゃあそうよ。これでも昔は『暴君 ギルガメッシュの再来』なんて呼ばれてブイブイ言わせたもんなんだから」

 

「悪口ですよねそれ!?」

 

 本当にこの人にハーメルンを預けてもいいのか、不安になってきた。信じて送り出した子供が……という展開はないと信じたい。

 

「そんな目で睨まなくても平気よ〜!今はあの人と出会って落ち着いたから!ハーメルンちゃん、きっちり任されたわ!」

 

 ドン、と強く胸を叩いて主張するディナルドフ。そう言われると説得力、というか安心感はある。あり過ぎる。この人実はサーヴァントなんじゃないだろうか。

 

「それはそうと……ハーメルンちゃんと会って行かなくていいの?最近あの子元気ないし、やっぱり何かあったのかしらん?」

 

「………それは……」

 

 その声は、先ほどとは打って変わって静かだった。いつもの調子づいた感じとは全然違う。

 

 そしてなによりその声色が、心の底からこちらを気遣ってくれていることを物語っていて。……でも、何か言うこともできなくて。

 

「……いえ、大丈夫です。ちょっとすれ違ってるだけですから。帰ってきたら、少し話し合いますね」

 

 無理に顔を歪ませて、立香はなんとか微笑んだ。

 

 ……嘘だ。そんなことを嫌がるくらい、立香はハーメルンを避けている……否。恐れている。ハーメルンに接するたびあの夢がチラついて、言葉が詰まって。今まで接していたのが嘘のように、ハーメルンが恐ろしい存在のように感じてしまうのだ。

 

「………そう。なら今はそれでいいわ」

 

 立香の心境を読み取ったのか。或いは立香の言葉を真実と取ったのか。本当のところはわからない。だが、ディナルドフはこの話題への追求をやめた。

 

「でも……言質はとったわよん?もし話し合わなくて、ハーメルンちゃんが落ち込んだままだったら……」

 

「……だったら?」

 

「ハーメルンちゃんをこのままアタシの家の息子にしちゃうわ〜♡もちろん、(自主規制)(ピー)して無理矢理にねぇ〜!」

 

「させるわけないでしょう!?」

 

 反射的に怒鳴りつける。真面目な雰囲気を出してすぐこれだ。やはり信用できない。本当に何を考えているのかわからない。

 

「あらぁ、立香ちゃんったらつれないんだから〜!」

 

「…………なんか、仕事前なのにどっと疲れました……本当にお願いしますからね!」

 

「はいはい、任せときなさい。ハーメルンちゃんにはアタシから伝えといてあげるわ」

 

 本当に頼みますよ!と念押しをして、立香は牧場を後にした。……少しだけ、彼の気遣いを感じたことは。きっと話が長引くので言わないでおこうと思った。

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

「…………喧嘩は、相手がいる間に清算しておくに限るわよ、立香ちゃん」

 

 夢を、見ていた。幸せな夢を、見ていた。

 

 昔から、喧嘩っぱやくて女癖が悪かった。そんな自分を拾った恩のある少年と、喧嘩をしたことがある。彼が、一人で戦争に出ると言ったあの日。ディナルドフは、本気で彼を責めた。今更、一人で勝手に死ぬ気かと。お前が命のこの国を捨てる気かと。

 

 仲直りは、できなかった。荒れ果てていく彼を見て、何も言えなくて。本当は、出来なかったのだ。

 

 その夢では、二人は喧嘩をしていなかった。ただ仕事を命じられ、その仕事を実行する。それだけの、淡白な関係。……それでも。彼は、それでよかった。一言だけ。たった一言だけ。その一言。その一言が彼に告げられなかったことを、どれほど悔やんだことか。

 

「悪かった、の。一言でも言えたらよかったのにね」

 

 首からかけた木のペンダントを握りしめて。後悔する男は、そっと呟いた。

 

 それはきっと、今の国民の象徴と言ってもいい姿だった。

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

「………あれ?ここは……?」

 

 それから数刻後。クタ市に到着した一行は、広い街の中を四手に分かれて探索していた。

 

 そのうちの一つ。フォウと共に家の中を探索していた立香は、人影を見つけたような気がして広場のようなところに向かった……はずだった。

 

「フォウ?フォッ!?」

 

 ふと、周囲を見渡してみる。灯はない。光もない。未だ日は暮れていないはずだったのに、目に入る光は地面に瞬く青い灯火のようなものだけ。地面も石造りの街とは異なり、無骨な岩肌のものに変化している。

 

 どこもかしこもが、先ほどまでいたはずのクタとは異なっていた。では戻ろうと後ろを振り向いても、立香が歩んでいたはずの路は既に無く。背後にはただだだっ広い空間が広がっているだけだった。

 

「……ほんとに、どこだ……?ここ?」

 

 一つ、二つと踏み出す。本当は恐ろしいはずなのに、恐怖できるほど理解が追いついていない。ただ訳もわからず困惑して、一歩を踏み出しただけだった。

 

 そして───その声を、聞いた。

 

「……れ?……と……思……に。……間違い?」

 

 ほんの少し。少し遠く。光の届かない暗影から、誰かが歩いてくる。顔が見えない。だが声としっかりとした足音が、迫ってくる誰かの存在を伝えてくる。

 

 すわ、未知の生命体か。と身構えた立香は、かなり拍子抜けした存在を目の当たりにすることとなった。

 

「……子供?」

 

「あひゃあ!?……って、……あれ?」

 

 それは、運命の出会い。この特異点で初めて起こった、奇跡。決して交わることのなかった異聞と、天文台の魔術師の出会い。

 

「………こんな寂れた辺境…じゃなく、地下深くに。生きたお客さんなんて、珍しい。えっと、なんの御用かな」

 

 こうして。立香と天使(アンヘル)は、初めての邂逅を果たしたのだった。




ステータスのあたりは原作(stay night)順守です。マスターであれば自身のサーヴァントのスキル、クラススキル、パラメーターが普通なら見れます。


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第五節 償いと悔恨 (2/5)

Q.前話最後で『異聞』と書かれてるけど、アンヘル君が元々いた世界って異聞帯みたいなものだったの?
A.崩壊しているので異聞帯も何もありませんが、限りなく異聞帯に近い並行世界です。人理が掻き消えているので特に伏線とかはありません。





 クタ市は、一夜にして崩壊した呪われた街とされている。

 

 ウルク王政は、一枚岩ではない。政治に関することはおおよそすべて王権によって行われているが、その他に祭祀場、巫女場が権力を持ち、三権分立が成り立っている。……まぁ、その二つが中々頑固であったため、昔の(アンヘル)は死ぬほど苦労していたのだが。それはさておいて。

 

 とにかく、それなりに権力を有する二つのうち一つ、巫女場は、王令よりも都市神。イシュタルを優先することが多い。

 

 信心深いことは結構なことだが、その信仰が暴走したのか。或いは一部の権力者が身に迫る危険に狂ったのか。巫女達は魔獣戦線形成前、本拠地を置いていたクタにて神降しの儀式を行った。

 

 それが成功したのか、失敗したのかは判らない。だが結果的に、イシュタル神はバビロニアに現界し、代償としてなのか、クタ市からの交信の一切が途絶えた。

 

 そして後日。クタへと向かった調査隊が見たのは、外傷や争った痕跡、どころか苦しんだ様子すらない死体が大量に転がった、変わり果てたクタ市の姿だった。

 

 それから暫くして、殺人の夜(キリングナイト)なる呪いが広まる。よってこれは召喚されたイシュタル神の仕業ではないか。もしくは、もしくは──

 

 ───という憶測は、ウルク市民の間では有名な話である。

 

 以来、クタは呪われた街として誰も寄り付かなく………といっても、このご時世にわざわざ街の外に出る人間の方がよほど珍しいが……なってしまった。

 

 だから。……だからだろうか。話を聞いた牧場主は、立香たちが少し心配だった。心配で、印象深かったから………彼に尋ねられた時に、いらぬことまで答えてしまった。外に行ったとでも言えばよかったのに。わざわざ市の名前を答えた。答えて、しまった。

 

「……親、様………?」

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

「それで……えっと、なんの御用かな。お客様」

 

 アンバランスの中の芸術品。その表現が、一番だろうか。儚くか細いのに、その目や身体からは強者故の芯の強さを感じる。柔らかい物腰であるのに、こちらをじっと観察している様子からは一切の隙を感じることができない。

 

 彼を構成する全てのものに対の概念があり、その相反する二つのものを無理矢理混ぜ合わせたような。それでいてきちんと存在として成り立っていて。でも、致命的な何かが欠けている(・・・・・・・・・・・・)ような。そんな、印象。七つの特異点を旅してきた立香が、初めて出会うタイプの相手。

 

「……あの?……え〜っと?お客様〜?」

 

 こちらを覗き込む紅い目と銀……いや、白金の髪。周囲が暗くても見事に輝くその絹のようなプラチナブロンドは、一生に一度でいいから触れてみたくなるほどに美しい。血のようなワインレッドの瞳も、好奇心と困惑、そして立香自身を映して吸い込まれるような妖しさを伴っていて。………困惑?

 

「……お客様ぁ……?……む、無視………?」

 

「……え?あ、あぁ!ごめん!」

 

 かなり寂しそうな声をあげられて、ようやく意識が現実へと戻ってくる。よくよく考えてみれば、名前すら知らない初対面の相手をジロジロと観察するなど、完全なマナー違反だ。慌てて頭を下げて謝罪する。

 

「どうしたの?体、どこか悪いの?」

 

「…いや、その………お恥ずかしながら、見惚れてて……」

 

 少しだけ照れながら、顔を逸らす。男相手に何を、と思う。気持ち悪がられても仕方がないとも。だが、反応は全くの別物だった。

 

「…………ふぅん。変なお客様。冥界で美しいものなんて、メスラムタエアとあの方だけ(・・・・・)に決まってるのに」

 

 心底不思議そうに首を傾げる少年。メスラムタエア、あの方と、知らない単語が色々と出てくるが、それ以上に聞き捨てならない言葉。

 

「め、冥界!?ここが!?」

 

 改めて、周囲を見渡してみる。確かに、冥界っぽく暗くはある。光らしきものは地面にしかないし、街のように整備された感じも失われているが。でも、想像していたものの数倍は静かで、数十倍は厳かな場所だ。

 

 想像していたよりも暑くないし、想像したよりも赤くもない。イメージでは血の池や針山だとかの物騒なものが並んでいたが。ただただ何もなく、無限のような静寂が満ちている。

 

「……あれ?知らずに来ちゃったの?そうだよ、お客様。此処は冥界。地の底に眠る死と腐敗の世界。喪われた命たちが集う場所。ちょっと遅れたけど、改めて。いらっしゃいまし、お客様」

 

「お客様って……えっと、俺は藤丸立香。こっちの子は、フォウ君って言うんだけど……」

 

「フォ!フォウ!」

 

「あぁ、そうなんだ!よろしくね、藤丸。でも、ごめん。冥界で生者に名前を語ることは、あまりいいことじゃないらしい(・・・)んだ。だから僕は名乗れない」

 

 少年は、少しだけ申し訳なさそうに顔を伏せて、そういった。気にすることないよ、と返答すると、少しだけ嬉しそうに微笑む。そして次は、立香の肩のフォウ君へと顔を近づけた。

 

「……フォウ君……?でもこれ、どう見てもアルトルージュのま……」

 

「フォッ!」

 

「ぷぺっ」

 

 何かを言おうとした彼の顔面に、眼前にいたフォウの肉球が突き刺さる。彼の口をちょうど塞ぐような形で炸裂したその一撃は、あまりにもタイミングが良すぎたのか。少年はそのまま地面に尻餅をついて倒れ込む。

 

「わわわ、ごめん!」

 

「いったた………いや、いいよいいよ」

 

 突然のことに反応できず、慌てて手を差し伸べる。だが、少年は首を振って自力で手をついて立ち上がろうとして。ふと、体の動きを止めた。

 

 

 

 

「………アルトルージュって……何?……僕、今、何を言おうとしたんだっけ……?」

 

 首を傾げながら、考え込み始める。どうにも、何かが噛み合っていないような。そんな印象だ。

 

「えっと?」

 

「……あぁ!ごめんごめん!何でもない!何でも、ないんだ…………」

 

 再び、語尾を陰らせて何かを考え始める少年。その様子からは、少なくとも何でもないなんて雰囲気は微塵も感じられない。大切な事を考え込んでいる顔つきだった。

 

 だが、数秒してブンブンと首を振った彼は、そこから何事も無かったかのような平然とした顔に戻った。

 

「……大丈夫。ごめんね。それで、藤丸立香。君は、何をしに冥界に来たの?見たところ、武器らしきものも持ってないみたいだけど」

 

「何をって……俺、クタの街にいたはずなんだけど……よくわからないうちに、こんなところまで来ちゃって。冥界っていうのも、よくわからないんだ」

 

「……クタ?……なぁんだ。てっきり、神殺しの類の人が冥界下りにやってきたのかとばっかり」

 

「神殺し?」

 

「うん。昔はいたみたいだよ。藤丸みたいに生きた人が突然、なんてのは聞いたことないけど、名誉か何かを目的に冥界に乗り込んできた、神を殺せるだけの頭の悪い人。もしくは恥知らずにも神様そのものとか。神の癖して浅はかだよね〜」

 

「……ははは」

 

 ……お客様と呼んでいたり、動作になにかと気品を感じるから礼儀正しいのかと思いきや、存外お口は悪いようだった。もしくは神に何かしらの怨みでもあるのだろうか。こういうところは、少しだけマーリンと似ている。とりあえず困った時用の乾いた笑いで返しておく。

 

 そんな風に何気ない会話をしていると。ようやく現状に頭が追いついてきて、現実感が持て始める。そうなると、気になることがいくつか。その最もなものを、おずおずと尋ねてみる。

 

「……ところで………俺って、ホントに生きてるかな?実は記憶がなくて死んでる……とか、ない?」

 

 物語なんかではよくある話だ。死んだ人間が死んだことを忘れていて、おかしなところで冒険していたら実はそこは死後の世界だった。なんてこと。もしかしたら自分も同じ現象に陥っているのではないか。なんて。

 

 杞憂であって欲しかったが、言われてみれば確かに冥界に入る前の記憶は曖昧だったような気がしないでもない。自分の足もしっかりついているが、それでも怖いものは怖い。

 

 だが。

 

 

 

「……面白いこと言うね。それが、何?」

 

 眼前の少年は、その言葉を否定してくれなかった。少し怪しく微笑んで、まるで何か含むところがあるかのように、立香から目を逸らしてクスクスと笑う。

 

 まさか。本当に死んで───

 

 

「……なんちゃって。大丈夫大丈夫!藤丸はしっかり生きてるってわかる(・・・)から!」

 

 

 ──そんなことはなかったらしい。どうやら見た目相応の悪戯だったらしく、先程の怪しい雰囲気は霧散し、ちょっとおかしそうに笑っていた。お茶目がすぎるのではないだろうか。

 

「……ほ、ホントに死んでたのかと思った!?」

 

「ふふ、ごめんごめん。これはほら。お約束(・・・)ってやつじゃん。押すなよ!押すなよ!って言われれば、助走しながらドロップキックを決めて谷底に叩き落とすのが礼儀なんでしょ?」

 

「そんな物騒な礼儀はこの世に存在しません……というか、よく知ってるね、そんなこと」

 

「……ん。ホントだ。僕、なんでこんなくだらないこと知ってるんだろ……そんなネジが吹っ飛んだ本読んだことないし……」

 

「あ、くだらない自覚はあるんだね……」

 

 今度は悩みこむことはせず、まいっか、と自己完結したらしい少年。たしかに、考えれば千日手のようになりそうではある。知識というものは、自分の知らないところで身についていることも多いものだ。

 

「……というか、わかるって?見分ける方法でもあるの?」

 

 ふと、先の発言で気になったことを口に出す。わかる……ということは、何かしらの見分ける手段があると言うこと。目の前の彼は出会った当初から立香を生者と認識していた。つまり、一目でわかるような何かがあったということだが……。

 

「見分けるって……そんな大層なことじゃないんだ。ただ──」

 

 無邪気に。あくまで、常識を伝えるかのように。彼は、矛盾に矛盾を重ねたかのようなことを言う。

 

冥界じゃ、死者は体がある(・・・・・・・)どころか(・・・・)意思疎通すらできない(・・・・・・・・・・)ってだけ

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 最初は、その矛盾に気がつかなかった。ただ、へぇ、ぐらいの。ちょっとだけ見聞が広まったなぁ、ぐらいのつもりだった。

 

 だが、その理論に則るとしたら。その理論から最も外れた存在が、ほんの目の前にいることに気がつかされる。

 

「ちょっと待って!それなら君は何なの?死者じゃないなら……もしかして、サーヴァント、なのか?」

 

 そうだ。その理論に則れば、目の前の少年が存在すること自体があり得ない。もし彼の言葉通りとするならば、死者である彼は言葉も交わせず、目の前の姿さえ保っていられないことになる。だが、そんな様子はない。普通に喋っているし、容姿が崩れている、もしくは身体がだんだんと薄くなっている、なんてこともない。

 

 では。彼は。冥界に顕現した、聖杯に呼び寄せられたサーヴァントということに………

 

ぶっぶー(・・・・)。ハズレ〜」

 

 ならなかった。手でバッテンのマークを作って、頬を膨らませた彼からハズレの効果音鳴らされる。立香の見当違いだったのだろうか。と肩を落とした。だがフォローのつもりなのか、少しだけ偉ぶったような口調で少年が言う。

 

「……まぁ、召使いって意味のサーヴァントなら、ちょっとだけあってるけどね。僕はホントに単なる死者だよ。それに、サーヴァントみたいな強い魂をもっていたら、冥界でも形だけはそのまま、なんてこともあるみたいだし。部分点(・・・)をあげようではないか、藤丸くん」

 

「ははっ!ありがたき幸せ…………じゃなく。なら、何で君はこうやって喋れるの?」

 

 サーヴァントでもなく、本当にただの死者なら。彼が先言った通り、言葉を喋るどころか姿を保つことだってできないはずだ。

 

 少年は、少し言葉に困った風で、顎に手を当てながら細かく補足を加えていく。

 

「えっと。そもそも、冥界には知的生命体の魂が入ってくるんだ。そのうち冥界にいなきゃいけないのは神様と人間。それ以外の生命体(・・・・・・・・)は、基本的には冥界の管轄外だから。例外もあるけど」

 

「へぇ、魂なんでもかんでもってわけじゃないんだね」

 

「当たり前だよ。虫の魂まで来ちゃったら、数日で冥界がパンクしちゃうもん」

 

 ……たしかに、それはそうだ。一寸の虫にも五分の魂ともいうが、そうなれば冥界は駆け込み寺が如くひっきりなしに魂がやってくることになってしまう。カルデアもびっくりの過労体制の完成だ。

 

「それで魂の質から、冥界の居場所を決める。神様みたいな凄い魂を適当なところに入れちゃうと、冥界から脱出されて死の概念がなくなっちゃうからね」

 

 これの作業がまた大変でさぁ、と話が逸れかけ、それを指摘すると、少年は慌てて軌道修正を行う。先ほど召使いと自称していたが、言葉通り、彼もなかなかに苦労しているようだった。

 

「でも、僕はちょっと特殊でさ。死ぬ前の記憶が一切なかったんだ。それで仕分けのとき魂の扱いに困った冥界の偉い神様が、特別措置として身体を与えて、僕をたった一人の召使いにしてくれたってわけ」

 

 というのは、僕も覚えてなくて、その方に聞いただけの話なんだけどね。と付け足して。少年は言いながら感動したのか、噛み締めるようにうんうんと何度か頷いた。

 

 

 

 

 

(───雑ぅっ)

 

 簡潔に感想を述べるのであればそれ。雑っ。語り手の腕もあるだろうし、簡略化された神話なんてものが大体そんなものなのかもしれないが、いやいやいや。子供に聞かせる昔話じゃないんだから。

 

 付け足された最後の一文が致命的なまでに前の言葉の説得力を無くしている。他人から聞いた、それもその原因の神様から聞いただけの話。疑わしいにもほどがある。しかもたった一人だけとか。死んだショックで記憶喪失になる人がそんなにいるわけではないだろうが、少なからずいはするだろうに。素人の立香が考えただけでも、これだけの矛盾点が見つかる。

 

 もちろん、彼が嘘をついているだなんて思ってはいない。むしろ立香が疑っているのはこの話を教えたらしい『あの方』なる存在だ。立香の脳内では『この子騙されてるんじゃないだろうか』疑惑が著しく湧き上がっていた。記憶がなくて見目麗しい子供とか、絶好のカモすぎる。カモネギどころか包丁とガスコンロセットみたいなものだ。児童誘拐。その言葉が脳裏を過ぎる。

 

「…………………………………………………………………………随分と、優しい神様なんだね」

 

「うん!すっごくいい人……じゃ、なかった。神様なんだ!」

 

 数十秒ほど悩んでなんとか絞り出した褒め言葉らしき一言に、少年は全肯定の笑みを浮かべる。これは、ますますその『あの方』とやらが疑わしくなってきたような。

 

(……いやいや。あんまり何も知らない俺が疑っちゃうのは、それこそ失礼だよな)

 

「最近は一緒に寝たりしててね。あとは……その……」

 

有罪(ギルティ)ッッ!!」

 

 若干頬を染めながらもじもじと恥じらう彼を前にして、最後の砦はあえなく崩壊する。『てめーも似たようなことやってんじゃねぇか』なる怪しい電波を受信しかけるが、それはそれ。親子の関係なのでセーフというやつだ。

 

「……突然叫んでどうしたの?」

 

「君騙されてる!絶っ対その神様に騙されてる!!絶対何かしらで嘘つかれてるから!!」

 

 ガッシリと少年の肩を掴み、わっしわっしと揺さぶりながら全力で説得にかかる。側から見たら犯罪者は立香の方である。

 

「えぇ……そんなことないって。……多分」

 

「多分じゃないよ!絶対騙されてるから!!思い当たる節があるんだろ!?」

 

「……う、うぅーん?あ、あるような……ないような……?」

 

 目を閉じて、うんうんと頭を抱えながら悩みこみ始める少年。やはりこれは、そういうことなのだろうか。そういうことなのだろう。

 

「無いにしても、こんなところに子供が一人だけでいるだなんて問題すぎる!!こうなったら、ギルガメッシュ王(・・・・・・・・)に掛け合って宝具でもなんでも……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その瞬間。……何が起こったのか、一瞬理解ができなかった。

 

 自分の発した言葉が、残響となって冥界に消えていく。それに続く音は、ちょっとした衝突音。音が、感覚より先にやってきていることだけがわかって。

 

「……………え?」

 

 体が、2、3歩ほど少年と離れていた。彼の伸ばされた手が。数瞬、自らの腹に感じた痛みのない違和感が。彼に、立香が押し飛ばされたのだと、そう理解できて。

 

 伏せられた彼の顔からは、感情が覗けない。ただ、押されたということは、彼に何かしらの不満があったということで。

 

「あ、ごめん。痛かった……かな?それか……怒った?」

 

 少し頭が冷えて、冷静になる。自分のとった行動が、失敗だったのだと思って。底冷えするような感覚に襲われる。

 

 だが、そのどれもが違うのだと。それこそ全くの見当違いなのだと。上げられた彼の顔を見て悟った。

 

 

 

……ギル……?王……?…………何、え?……いや。……違う。……そんな…………しん…ゆう……(しん)……(しん)…………で…………?……心……でも。………やく、そく……して

 

 その顔に刻まれた壮絶な、荒れ狂うような感情を、どう表現すれば良かっただろうか。驚愕、困惑、焦燥、苦慮、悲哀………郷愁。その全てが混ぜ合わさって、ごちゃごちゃになって、それを無理矢理一つにまとめたかのような。

 

 肌は蒼白になり、紅の目ははちきれんばかりに見開かれ、唇が小刻みに震えている。伸ばされた手はそこで固定されたかのように動かないまま。何かのワードを止めどなく口にして、それらが意味をなすことなく垂れ流される。ただ、自分が発した何かの言葉が、彼に影響を与えたのだと理解した。

 

 あまりにも変わり果てた姿に驚きを隠せない立香の襟首に、伸ばされたままだった少年の手がかかる。

 

「……今、なんて、いった……?」

 

「………何、って……」

 

 鬼気迫る表情。その美しい顔が色とりどりの感情に彩られ、ぐちゃぐちゃになって。とんでもない迫力で立香を睨んでいた。

 

「今、なんていったって、訊いてるんだ!!」

 

 あまりにも、ちぐはぐな光景だった。身長も、体つきも、立香の方が上のはずなのに。少年は、常人とは思えない膂力で立香に掴みかかっていた。サーヴァントを思わせる凄み、というよりかは、殺気を放って。必死になって立香から『何か』を得ようとしているかのような。

 

 そして、奇跡的に。立香は、特異点最初期に聞いたその一言を思い出す。

 

『……最後、は。……冥界(・・)の奴に、伝えろ、です』

 

「フォウ!フォーウ!」

 

「あっ!……はな、れろっ!」

 

 ずっと立香の肩で様子を見守っていたフォウ君が、顔面に飛び降りて少年を立香から引き剥がす。衝撃でふらふらと数歩後ろに下がった少年は、腕ずくで顔の上の障害物を立香へと跳ね除けた。その力まかせな様は、狂戦士(バーサーカー)を思わせる。

 

 飛んできたフォウ君をなんとかキャッチして。ずしりと身体の重さを感じた………その途端、体に違和感を覚える。

 

「あれ、浮いてる……!?」

 

「フォウ!フォッフォッ!」

 

 体が、自分の意思に関係なくどんどんと上に上にと上がっていく。地に足がつかず、抱えているフォウ君ごと地中の空へと舞い上がっていく。

 

「なっ!?待て!君にはまだ、訊きたいことが!」

 

 少年がこちらを呼び止めるが、立香がどう足掻こうと上昇は止まってくれない。違う。違うのだ。逃げたいわけじゃない。こんな風に逃げることは、立香の本意ではない。

 

 だが、上昇の勢いは止まらない。高さはもう十メートル以上にもなって、少年の姿が小さくなってしまっている。

 

 だから。

 

「君は、覚えているか!?ギルガメッシュと、エルキドゥのことを!!」

 

「……ッ!?」

 

 全力で、その言葉を叫ぶ。立香の言葉ではない。あの亡霊を名乗った少年の、遠い遠い伝言。伝える理由も、結果もわからない。だが確かに言葉は伝わり、眼下の少年は動きを止めた。今やるべきことは、少なくとももう終わった。

 

 そのちょっとした安心感と、言葉を伝えきれなかった後悔に包まれながら。立香の意識は、純白の光に包まれた。

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 生者の旅人は、光に包まれて消えた。残されたのは、記憶を失った哀れな天使。

 

「………エルキドゥ?……ギルガメッシュ?」

 

 その言葉の効果は、覿面。少年はたちまち記憶の波に流され、頭を押さえて蹲る────

 

「………誰だ(・・)それ(・・)

 

 そんなことは、別になかった。残ったのは純然たる疑問と、心に残る不快感だけ。決して、記憶を取り戻すなどという地点には至らない。頭を振るえば落ちてしまいそうな。所詮その程度の痕跡しか、彼は残せなかった。

 

「……余計なお世話だったかな?……お爺ちゃん」

 

 彼が、虚空に向かって話しかける。何もないかに思われたそこには、ローブを纏い、杖をつく老軀が射殺さんばかりの目で天使を観察していた。

 

「……………彼の者に光あるならば、我に言うことはあるまい。その任を果たすれば尚のこと。強いて言うなれば、借りを返し損ねたというところか」

 

 その老爺は、静かに少年を見据える。その目に映るのは、少年の決意か。或いは──その魂に刻まれた、死の運命か。

 

「……そう。貴方みたいな人に借りを作るなんて。藤丸はきっと、鍵なんだね。凄いや、やっぱり」

 

「汝の道行に、移ろいはありや」

 

「………うん。……ちょっとだけ。ちょっとだけ、勇気を出してみるよ。……それまで、お爺ちゃんは待ってくれるのかな?」

 

「我は裁定者にあらず。ただ鐘の音に従い、執行を(もたら)す者。死を定めるは天ならば、それに則るのみ」

 

「………なら、なるべく早くしないとね。エレシュキガル様には気が引けるけど。藤丸はきっと、嘘をついてない」

 

 その返答が気に入ったのか。或いは、その先を知って嘲笑っているのか。年老は笑みを携えてその姿を消し、少年はたちまち一人となった。

 

「………調べなくちゃ。疑って、疑って。じゃないと、信じ、られないもんね」

 

 苦悶を堪えて、少年……アンヘルは、女神の残る神殿へと戻る。その耳に届く鐘の音は、もう誤魔化しようがないほどに、大きく響き渡っていた。

 



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第五節 償いと悔恨 (3/5)




※イシュタルの扱いが雑です。原因はみんな(うち)のカルデアにピックアップで来なかったからです。


『う〜ん、やっぱりおいしい!』

 

『聞き間違いじゃないぃぃ!?』

 

『……私!ずっと寂しくて……!ずっと、一人で!冥界を守ってきた!……怖かった!誰もいなくて!ずっと、寂しかったの!ずっとずっと、一人で……!』

 

 

 疑う。疑え。日々を、疑え。日常を、常識を、感情を、疑え。いつか言われたその言葉を、疑え。

 

 怠惰であることは許されない。それは彼女を疑うことだから。

 

 憤怒を抱くことは許されない。それは彼女を疑うことだから。

 

 傲慢に構えることは許されない。それは彼女を疑うことだから。

 

 故に疑え。彼女を疑わないために、疑え。

 

 決行するのは夜。夜は、彼女の目がない。

 

『一緒に、寝てくれないかしら?』

 

『……ねぇ、アンヘル。貴方は、私をひとりぼっちにしないわよね?私を……私を、救ってくれるわよね?』

 

『……ねぇ、アンヘル───』

 

 疑え。あの夜の言葉を、疑え。

 

 疑え。疑え疑え疑え疑え疑え疑え疑え疑え疑え疑え疑え疑え疑え疑え疑え疑え疑え疑え疑え疑え疑え疑え疑え疑え疑え疑え。

 

 あの笑顔を疑え。あの涙を疑え。あの顔を、あの声を、あの夜を、あの運命を。その全てを疑って、疑って。疑い尽くせ。疑って、疑って、遍く全てを疑ったその先に。

 

 

 

 きっと、信じられるものが

 あるはずだから────

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

「……様!……や様!……」

 

 呼ばれている。誰かに。

 

 誰だろうか。なんだか、顔がやけに冷たい。まるで、雨に打たれたみたいだ。冷たい粒が溶けた氷柱のように顔に落ちてくる。

 

「先………!起きて……!」

 

 高いソプラノ。ピアノとフルートを合わせたような美声と、鈴のように嫋やかな声。その二つに、呼ばれていて。

 

 体が、覚醒する。心が、目覚めていく。耳が遠いところにあって、それがぐっと体に近づいてくる感じ。聴覚が、だんだんと周囲の音を拾っていく。

 

「親様!やだ!死んじゃやだぁ!」

 

「先輩!起きてください、先輩!」

 

 後輩の声。一緒に世界を救うと誓った、相棒の声。そして、もう一つは。今は仲違いしているはずの、大切な────

 

「………マシュ?……ハーメルン?」

 

 ゆっくりと目を開く。未だ意識がハッキリしないまま目視したのは、泣きそうな顔のマシュと、実際にボロボロと涙を零すハーメルンの姿。

 

『藤丸君の生体反応、回復した!』

 

「先輩!起きられましたか!?」

 

「親様!?親様っっ!!」

 

「あいたっ!?」

 

 訳もわからぬまま、マシュが泣き出して。ハーメルンに抱きつかれ……押し倒される。少しだけ起きあげた頭が硬い石畳にぶつかって、鈍い痛みを訴えた。

 

「いったた……」

 

「よかった!よかった……!本当に……!」

 

 立香の声に目も、もとい耳もくれずに抱きついてくるハーメルン。流石サーヴァントというべきか、抱きしめる力が強くて、少しだけ痛い。……だが、その痛みが逆に立香の現実感を取り戻していく。

 

 抱きしめられる感覚。乾いた風。ハーメルンの少し甘酸っぱい匂いと、暖かさ。少し冷たい涙。そのどれもが、立香が現実にいることを教えてくれる。

 

「………は、ハーメルン!?どうしてここに!?」

 

 少し遅れて、ウルクに置いてきたハーメルンがここにいるはずがないことに気がつく。よくよく見れば、泣きじゃくっている体や自慢のレインコートがあちこちが泥だらけだ。

 

 服は言うまでもなく乱れているし、そのほかにも目新しい擦り傷や切り傷、打撲痕が白い肌地に目立つ。大怪我と言うには誇張だが、決して軽くはない傷だらけ。しかし戦闘というよりかは、転んだだとか、どこかにぶつけてついた感じの傷だ。

 

 ………まさか、ウルクからクタまで走って来たのか。

 

「どうやら、そのまさかのようだよ。お目覚めかい、藤丸君」

 

「マーリン……」

 

 ふと声が聞こえた方に顔を向けると、マシュとハーメルンから少し遠くに、気さくにウインクをするマーリンと、こちらを見下ろすアナの姿があった。

 

 小さな賢者はニコリと笑いかけると、面白いものでも見るかのようにハーメルンを見やる。

 

「藤丸君の異常を回路(パス)で察知した瞬間、ウルクからクタまでとんで来たんだそうだ。流石に彼が走るだけじゃ速度が足りないから、途中で魔獣を乗り物代わりに操りながら乗り継いでね」

 

「……じゃあ、体の傷はその時に?」

 

「あぁ。尤も、クタには魔獣も近寄ろうとしないから、クタの近くに来てからは本当に徒歩だったみたいだが」

 

 それでも、計算上はこんなに早くに来れるわけないはずだ。いやはや、愛の力というものは恐ろしいねぇ。と、しみじみ頷くマーリン。

 

 その言葉を聞いて。……立香は少し、ホッとした。

 

「……そっか。心配してくれたのか、ハーメルン」

 

「……当たり前、だよっ………!親様、親様……!よかった!ほんとうに、よかった……!」

 

 立香に抱きついて泣く少年。まだ甘えんぼで、幼い彼。避けていたはずなのに。嫌われて当然の行動をしていたはずなのに。

 

 でも、そんな立香を親として慕ってくれる彼。自らがこんなボロボロになってなお、立香を案じてくれている。……その正体が化け物を引き連れる無慈悲な殺人鬼とは、どうしたって思えなくて。

 

 

 立香の視界が。恐怖の色眼鏡で歪んでいた視界が、完全に元に戻る。そこにはただ誰かのために泣くことができる、優しい少年がいた。

 

「……そっか。ありがとう、ハーメルン」

 

 泣きじゃくるハーメルンの頭を、そうっと、優しく撫でる。腰ほどまで伸ばされた長い金髪が、夕陽を反射して綺麗で。そういえば、最近は避けてばかりでこうして頭を撫でることもなかったと思い至る。

 

「マシュも。ありがとう、心配かけちゃって。俺は大丈夫だから」

 

「先、輩……!」

 

 体を半分起こして、なんとかマシュに微笑みかける。随分心配をかけてしまったようで、マシュもその場で泣き崩れてしまう。

 

「わ、わ!ご、ごめん!マシュ!」

 

 慌ててフォローに入り、ハーメルンを慰めながら、立香は泣き出したマシュを止めるのに様々な手を尽くす。泣く二人を宥めるのは、てんわやんわの様態だったが。……ほんの少しだけ、立香は悪くないと思えるのだった。

 

 

 

「……おや?藤丸君。さっきまで君が下敷きにしていたそれ。天命の粘土板じゃないかい!?」

 

「えっ!?ホントだ!?あ、あぁっ!俺のお尻の型が!ついでにフォウ君の足跡がぁ!……って!泣かないでマシュ!ハーメルンも!……ごめんマーリン!今それどころじゃないから!」

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

「さて、感動のシーン中悪いんだが……藤丸君、君の身に何があったのか、訊かせてもらってもいいかな?」

 

 数分後。グズるハーメルンとマシュ……といっても長く泣いていたのは主にハーメルン……が何とか落ち着いたのを見計らって、マーリン達に起こったことをありのままに話した。

 

 人影を追っていたら冥界にいたこと。そこで記憶を失った少年と出会ったこと。その少年が何かに騙されていそう(偏見)だったこと。そして、立香の話の『何か』に対して過剰に反応したことを。……特異点の最初に出会った(カノジョ)の忠告については、カルデアに伝わらないように伏せておいた。

 

 

 

『め、冥界だってぇ!?』

 

「ふぅむ。にわかには信じがたいが……確かに、藤丸君の生体反応が消えていたこと、それに、私の影響下にいなかったのに殺人の夜(キリングナイト)の効果にかからなかったことの辻褄も合う、か」

 

 顎に手を当てて、何かしら考え込むマーリン。そういえば、結果的には外で寝てしまっていたから殺人の夜(キリングナイト)の影響を受ける状態にあったのか。冥界に行ったのなら死んだのと変わらない気もしないではないが。

 

「冥界ということは、体調が万全でないかもしれません。あまり無理はなさらないでくださいね、先輩」

 

「うん。冥界に行ったからってどうってことはないよ。ピンピンしてる」

 

「……………むぅ」

 

 元気なことを示す為にぴょんぴょんと跳ねてみる。が、どうやらその答えはハーメルンのお気に召さなかったらしい。そういうことじゃないんだよ的な視線と共に、意思表示をするようにぎゅうっと礼装()の袖が握り締められる。

 

「ごめんごめん、ほんとに大丈夫なんだ」

 

「……親様。体は、大切にして……ね?無茶は、め。なの」

 

ヴッ!(尊死)

 

 久々の可愛らしさに胸を打たれ、膝から地面に崩れ落ちる。『め』の一言で、危うく再び冥界に旅立つところだった。数日距離を置いていたからか、破壊力が増しているように感じる。

 

「……親様?」

 

「大丈夫!大丈夫だからな!ハーメルン!」

 

 心配して覗き込むハーメルンのことを、ガバリと起き上がって抱きしめる。嗚呼、神よ。感謝致します。今日も我が子がこんなにも可愛い。こんなに可愛くていいのだろうか。いや、いい。立香が許す。

 

「ん、ちょっと、くすぐったい……」

 

「あ、あわわ……先輩の持病が悪化してます……」

 

「ですから、不治の病だといっています。早急に切除が必要かと」

 

 数日ぶりのハーメルンの体温を存分に味わいながら、おずおずと手を立香の後ろに回すハーメルンを抱きしめ続ける。周りの声は聞こえない。聞こえないったら聞こえない。世の中は所詮可愛いが正義なのだ。古事記にもそう書かれている。

 

「……それにしても、冥界にいたという少年は何者なんでしょうか……気になります」

 

 ふと、マシュがそう漏らした。思い当たる節が無いではないが、流石にそれだけでは真名までは絞り込めない。通信先のダヴィンチが同じようなことを漏らす。

 

『名前を名乗らなかったということは、知られると困るほど高名なのか。もしくは、本当に名乗るほどのものでもないのか。いずれにせよ、そんなところにいるなんてただものじゃないだろう。にしても、情報が少なすぎて名前までは割り出せないけどね』

 

「いいや、大方見当はついているよ?」

 

『本当かい!?』

 

 呆気からんと、マーリンがそんなことを宣う。疑いの余地がないほど確定的だ、と確信を抱いた顔で何度か頷くマーリンに、全員からの視線が集まる。

 

「ん?なんだいロマニ。そんなこともわからないのか?」

 

『うるさいな!現場にいないから、どうしてもそっちより情報が不足するんだよ!それに、お前みたいになんでもお見通しってわけにもいかないんだ!』

 

「茶番はいいからとっとと話してください。時間の無駄です」

 

「おっと、これは手厳しいな」

 

 アナの毒舌をいつもの通りのらりくらりと受け流す。そのまま話をはぐらかす……という展開を予想していたが、それに反してマーリンは小さな身長ながら胸を張って高らかな声を上げる。

 

「うむ!じゃあ親切なお兄さんが教えてあげよう!子供の姿だけれども!」

 

「はい!では、マーリンく「さん」……さん!教えてください!」

 

「よし!教えてあげよう!白金の髪、真紅の瞳!そして見目麗しいなんてくればそれはもう一人しかいない!その正体は……!」

 

「正体は!」

 

 ゴクリ、と全員が生唾を飲む。

 

「生意気なクソ餓鬼よ、それ」

 

 そう、その正体は生意気なクソ餓鬼だった!

 

 

 

 

「………え?」

 

「こんにちは。カルデアのマスター。早速だけれど、不快だから死んでくださるかしら?」

 

 状況もわからぬまま、巨大な閃光が立香の視野を焼いた。

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

「先輩!」

「親様っ!」

 

 突拍子もない事態に、頭がついていっていない。目の前が真っ白になって、そのあと黒くなって。感覚だけが先に来た。

 

 何か柔らかいものに押される感覚。そして熱と轟音。ゴロゴロと地面に転がってようやく、何かに襲撃されたのだと理解が及んだ。

 

『藤丸君、気を付けて!この反応と霊基反応は、イシュタル神だ!』

 

「まさか、神が不意打ちとはね!」

 

「黙ってろっての!」

 

 マーリンと聞き覚えのある声が、少しだけ離れる。視界が真っ暗で何も見えないが、一時的に戦闘から離れたらしい。

 

 だが、どうしてかいつまでたっても立香の視界が暗いままだ。最初は光か何かで視界が奪われたのかと思ったが、5秒、10秒と経っても視界が戻る気配がない。

 

 それに、片手と顔に妙な感触がある。決して不快ではない。むしろ適度な弾力に富んだ素晴らしく感触なのだが。不思議とだんだんと暑くなって、ついでにいい匂いもして、すこし息苦しいような──

 

「んっ……!先、輩……!あまり、動かないで、いただけると…!」

 

「う……ひゃぁ!」

 

「え、え!?」

 

 状況が掴めずに適当に体を動かすと、目の前からマシュとハーメルンの呻き声……というか、喘ぎ声のような批判が飛んでくる。慌てて状況を理解しようと体を動かすが、それが裏目に出て、二人の声がさらにお聞かせできないものへと変わっていく。

 

 とりあえず、自分が何か柔らかいものに挟まれ、ついでに柔らかいものを(まさぐ)っていると理解した。なんとか動きを止めると、手と顔の両方から鼓動のような振動が伝わってきて。

 

 ………きて、しまいまして。

 

「……先輩………その……お気持ちは嬉しいのですが、戦闘中ですのでそろそろ、離れていただけると……」

 

「んっ……!親、様……今、なの?」

 

「ご、ごめんなさい!」

 

 状況を完全に理解し、敬語になりながら恐る恐る顔の引きあげを試みる。………案の定というか、なんというか。

 

 立香は寝転がる形でマシュの豊満な胸に顔を埋めていて。同時に伸ばされた手の平もまた、やたらと柔っこいハーメルンの胸に当てられていた。ご丁寧に、その手はボタンの隙間を縫って服の中に入っていらっしゃる。

 

 恐らく、襲撃に気がついた二人が立香を慌てて押し倒した結果なのだろうが……どんな天文学的確立か。

 

「藤丸!お楽しみのところ悪いですが襲撃です!あと死んでおいてください!」

 

「……ねぇ。もしわざとやってるようならグーでぶっ飛ばすんだけど?」

 

 ──とんでもありません、神よ!

 

 脳内でそう叫ぶや否や、光の速さで手を折り畳む。抜くときにハーメルンがかなりセンシティブな悲鳴を上げるが、赤面してもいられない。再三(さいさん)、二人に一言ずつ謝罪の言葉を口にして、ばびゅんと立ち上がった。

 

「………い、いきなり攻撃してきてなんのつもりだ!イシュタル!」

 

「うわぁ。この空気の中でシリアスに戻そうとするんだ……大変ね、人類最後のマスターってやつも」

 

「………………」

 

 今なお空に漂う女神様に向かって、空気を()げ替えようと叫ぶも空気の読めない……いや、この場合は読めていて敢えて無視しているのか。とにかくその女神様、もといイシュタルに哀れみの目を向けられる。ダメだそんな悲しいこと言うな。泣きたくなっちゃうだろうが。

 

「こら!精神攻撃とは卑怯だぞ!」

 

「さっきからうっさいわね!ちっこい魔術師!勝手にそっちがダメージ負ってるだけじゃない!そもそも何よ!私の攻撃を避けてたまたま偶然二人分の胸を弄るって!この不審者!わざとなんじゃないの!?それはそれでうまいこと利用されたみたいでムカつくけど!」

 

 辛い。決して故意ではないが言葉がサクサクと立香の心に刺さっていく。おっと……心は硝子だぞ。

 

 しかし、もう膝をついて立ち上がることすらできない立香を見て流石に哀れに思ったのか。イシュタルは暴言をその程度に納め、優雅に髪をかき上げた。

 

「……で?なんだったかしら?あぁ、いきなり攻撃してきて何のつもりか、だったかしら?………ふふふ」

 

 先程の立香の言葉を反芻し、唐突におかしそうに笑うイシュタル。その姿は確かに美麗で優雅だが、その笑顔はものの数秒で侮蔑と嫌悪を隠さない憎悪の表情へと変化を遂げる。

 

「そんなの、あんたからムカつく気配(・・・・・・・)がするからに決まってるじゃない。あぁ嫌だ。そんな気持ち悪い残滓を漂わせておいて、よくもまぁ平気でいられるわよね」

 

「ムカつく………気配……?」

 

 まさか───

 

 

 

 

 ──立香の体が臭うのか。

 

 さぁっと青ざめて、スンスンと自分の体を嗅いでみるが、特に何も感じない。

 

 

「先輩、多分そういうのではないかと!先輩の匂いは先ほど嗅ぎましたが、落ち着きます!」

 

 マシュにそう言われるが、でもなんとなく気になってしまう。今もなお固まっているハーメルンに『親様、臭い。洗濯物は分けて洗って』なんて言われてしまえば………

 

ハーメルンはそんなこと言わないっっ!!

 

『藤丸君!色々とショックが大きいのはわかるが今は真面目にやってくれ!』

 

 想像したが言葉通り想像を絶する苦悶。解釈違いも甚だしい。でも言われたら向こう一年は立ち直れない自信がある。

 

「藤丸君が臭うかはさておいて。これまた、随分横暴な理由じゃないか?」

 

「横暴で結構。神なんて大体そんなもんよ。それに、あのオカマ牧場主からあることないこと聞き出したらしいじゃない。どちらにせよ、あなたを生かして帰す気はなくってよ」

 

 上空で対空するイシュタル神が、攻撃の準備として、その指先を立香へと向ける。慌てて全員が戦闘態勢をとるが、その実力は特異点初期とウルクの王城で実感済みだ。果たして、本物の神性相手にどれだけ善戦できるか──。

 

 

 

 プペ〜

 

「……………え?」

 

 そう、身構えた途端。

 

 あまりに間の抜けた笛の音が、クタ中に響き渡る。音の発信源は言うまでもなく、先程まで赤面して硬直していたハーメルンである。

 

 プッププペ〜〜

 

「ちょっ!?ハーメルン、何して!?」

 

 慌てて止めようとするが、ハーメルンは笛を吹くのを止める気配はない。それどころか、もっと大きく、それに増して間抜けな音を出し始める。

 

 プ〜〜ぺ〜

 

「………プッ!あははは!!何してるのよ!私を音楽で宥めようって!?それとも何?それがあなたの宝具なの!?」

 

 突然鳴り始めた戦闘に似合わない間延びした音に、ゲラゲラと笑いだすイシュタル。何がそんなにおかしいのか、空中でくるくると回って笑い転げている。

 

「無駄よ無駄!私の[神性]と同等かそれ以上の神でもないと、状態異常系の効果は減退するもの!精々最後の足掻きがそれだったことを後悔することね!」

 

 イシュタルのそのセリフで、立香はハーメルンの目的を悟る。彼は笛を使った何かしらの宝具で、イシュタルに対して何かしらの干渉を行おうとしているのだと。

 

 そして、今さらになって立香へ攻撃ようとするイシュタルの言葉が、果たして本当なのだとしたら。

 

「………あっ」

 

「………沈め。宝具、神賛歌す夢幻の吹奏(セラエノ・ガルヴァス)

 

 

 それは、盛大なフラグだった。

 

「ぇ───?なん………で……?」

 

 音と共に生まれた静寂を切り裂くように、ハーメルンの声が宝具名らしきものを口にした。……瞬間、空中のイシュタルが制御を失った虫のように、呆気なく地面に落ちる。最後に漏らした絶え絶えの疑問が、クタの街に虚しく響く。

 

 ──その子も、[神性]持ちなんですよね…

 

「……これで。しばらくは、眠ってもらえる。親様の、邪魔、したし。……ごめんね」

 

「でかした!ハーメルン!」

 

「ん……長くは続かないから……拘束、お願い」

 

 ハーメルンを軽く撫で、簀巻きにするべく一同はイシュタルへと駆ける。もし戦闘となれば、空を飛べないこちらが明らかに不利だっただろう。こればかりはハーメルンと、うっかり(・・・・)油断してくれた女神様に感謝だ。

 

(にしても、さっきの──蚊取り線香のCMぽいやられ方だったな)

 

 と、イシュタルに聞かれたら確実に無事では済まないことを考え、女神の拘束に励むのであった。




サブタイトル 神を撃ち落とす日

 ハーメルン 第一宝具
 神賛歌す夢幻の吹奏(セラエノ・ガルヴァス)
 * ランク:D
 * 種別:対人宝具
 * レンジ:1〜10
 * 最大捕捉:???


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第五節 償いと悔恨(4/5)

※5/8 タグに性転換タグが追加。まさか気まぐれで書いた番外編にこんなトラップがあるとは……いやまぁ、どのみち亡霊君ちゃんが似たようなことしてるのでいつかはつけるんですけど。


『あら、あなた。ちょっとあの子の気配がするわね。冥界に来た(・・)ことがあるのかしら?』

 

『撤退だ!藤丸君!どうやら、クタのご先祖様方が一斉に里帰りのようだ!』

 

『俺は、ちゃんと話をしてくれたあなたを縛ったまま、置いていけない!』

 

『それは貴様が取ってきたものだ。ならば、貴様自身が使うといい。(オレ)には不要なものだ』

 

『何?使い方がわからない?ではこう唱えるといい』

 

 

 都市があった(ウル・ナナム)

 都市があった(ウル・ナナム)

 天と地の繋ぎ目(ドゥルアンキ)

 ■■(ギル)カラの砂漠(エディン)

 

 

 

 

 私は、見逃すことができない。

 

 このまま、見過ごすことができない。

 

 彼の王の悪行を。彼の王の残忍を。

 

 そして───我らの先たる者(・・・・・・・)の、大罪を。

 

 

 多くの命が喪われ、多くの命が哀しみに包まれた。そのことを知っていながら何もしなかった悪魔と、それ以上でそれ以下のナニカを。

 

 故に此処に残す。この言葉が、何かの礎になると信じて。

 

 どのような時代、どのような世界でも、人の世には悲劇が満ち溢れていた。

 

 子を殺す者。子に殺される者。

 信仰を遂げる者、信仰に裏切られる者。

 富を失う者。富に殺される者。

 人に尽くす者。人に尽くされた者。

 

 なんと醜く、悲しい生き物か。

 

 だが、只人はそれでいいのだ。人間は万能ではなかったからだ。矛盾を犯したとて、生きる他に道はない。

 

 

 ───だが、それら全てを解決する術を持つのならば、話は別だ。

 

 何もしない王がいた。ただ笑っている王がいた。未来と過去を見通す千里眼を以って、この世全ての悲劇を知りながら、なお笑う王がいた。

 

 知らないのであればいい。解決する手段を持っていないのであればいい。……だが。民草が苦しんでいるのを知って、それらを解決する手段も、力も持って。それでもなお、ただ何もしない王がいた。民草を笑う王がいた。

 

 ‘’それを知った上でお前は笑うのか!

 この惨状を見て、何も思わないのか!‘’

 

 私の訴えに、その王はこう返した。

 

 ‘’いや、まぁ。別に。何も?‘’

 

 私は呆れ果てた。このような王に仕えていた自らの存在が、浅ましくて仕方がなかった。

 

 だが、激昂することはなかった。私には他に当て(・・)があった。

 

 彼の王など、目ではないほどの力を持った同胞。先輩とすら呼んでいい相手が存在していたのだから。

 

 その男がいつからいたのかを、誰も知らない。その男がいついなくなるのかを、誰も知らない。

 

 ただわかるのは、先々々々代の王の時代には既に生きていた魔神(どうぞく)であるということだけ。

 

 私は彼に助力を乞うた。彼が力を貸せば、彼の王以上の成果を以って、民を救えるはずだった。

 

 ‘’どうかあなたの力を貸してくれ。無辜の民が苦しんでいるのだ‘’

 

 ……だが。その男が返した返答は、あの王すらも超える侮辱だった。

 

 ‘’へぇ、そう。じゃあ力を貸そう。気が向いたらね‘’

 

 無様にも、その時私は歓喜した。その男が力を貸してくれるというのならば、例え数年が経とうと民を苦しみから解放することが満足に叶うことを知っていた。

 

 故に。私は待った。その男が言う『気が向いた時』とやらを。待った。ただ待った。待って、待って、待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って!

 

 何も、しなかった。一年が経っても、五年が経っても、十年が経っても。その男は、決して動くことは無かった。

 

 私は催促した。王ではない彼に、私の願いを聞く義務はない。だが、強者は強者たる責任があるのも事実だ。あくまで穏便に。冷静に。私は願いを訴えた。

 

 

 ‘’へぇ、そう。じゃあ力を貸そう。気が向いたらね(・・・・・・・)‘’

 

 

 返答は……それだった。あの男は、十年前と一文字も違わず、同じ口調、同じテンポ、同じトーンで、同じことを言った。全く悪びれない様子。どころか、私のことすら覚えていないような口ぶりで。

 

 ……いや、事実覚えていなかったのだろう。奴は毛頭私に力を貸すつもりも無く、ただ私を適当にあしらう目的でああいったのだ。

 

 ──この男達を、断じて許すことはできない。私たちの誰もが、そう思った。

 

 我らの憤怒をここに記そう。後に続くもののために軌跡を残す。

 

 神殿を築きあげよ。光帯を重ね上げよ。奴らを滅ぼすには全ての資源がいる。奴らを忘れるには全ての時間がいる。

 

 対策を講じる。あの男を滅ぼすことなぞ、千年もあれば叶うのだ。どうせその解除も、奴にとっては『気が向いたら』程度のものなのだから。邪魔さえされなければ儲け物だ。

 

 全ての障害を取り除き、究極の特異点を目指せ。

 

 そこに、魔術王の玉座がある。

 

 その(ソラ)の名はソロモン。

 

 終りの極点。時の渦巻く祭壇。忌まわしき始原に至る希望なり。

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 ───夢を見た。

 

 ゆっくりと起き上がる。隣には、いつも通りハーメルンがすぅすぅと、心なしか普段よりも落ち着いた寝息を立てていた。相変わらず半裸である。

 

 ふと、あたりを見渡してみる。……知らない天井だ。というか、全く知らない場所だ。少し硬い寝台と小さな机。それだけが置かれた部屋。こじんまりした一室で、どこか侘しい印象を受ける。

 

 あまりにも人気がないため、すわ牢屋かとも思ったが、そんな心当たりは特にない………いや割とあるが。まぁ、しかし。隣にハーメルンがいる時点で閉じ込める目的がないのは明らかだろう。

 

 となると、自分がどうして寝ているのは少し疑問だ。立香は記憶を遡って、此処がどこなのかを思い出す。

 

 ……そう。立香は確か、昨日クタからウルクに戻ってきたのだったか。

 

 拘束したイシュタルに詰問をして、三女神同盟の情報を少しだけ得たところで敵に囲まれ、止む無く撤退。その夜は野宿をして、次の朝にギルガメッシュに一連の経緯を説明して、天明の粘土板の使い道を教えられて。

 

 そして、先の夢を見た。

 

 酷い夢。先日のハーメルンの夢と勝るとも劣らない悪夢。誰かの憤怒と無念。そして、傲慢な誰かと、怠惰な何か。それらが合わさった、なんとも後味の悪く濃厚な夢だった。

 

 魔術王。夢の語り手は、確かにそう口にした。ならばあれはハーメルンの時同様、無関係とは到底思えない。

 

「…………あ。先輩!起きられましたか!?」

 

 カチャリと音がなり、開いた扉からマシュが顔を覗かせる。昨日のように泣きそうなほどではないが、顔を見る限りまた心配をさせてしまったらしい。

 

「あぁ。おはよう、マシュ。えっと、ここは……」

 

「神殿近くの一室です。来客用に空けているそうで。先輩が粘土板を読んで倒れられた後、シドゥリさんに教えていただきました。………と、倒れた原因は、覚えていらっしゃいますか?」

 

「大丈夫、覚えてるよ。……ちょっと、気になる夢を見て。内容はまた今度話すよ。それより、シドゥリさんはなんて?」

 

「はい。今日は一日お休みだそうなので、いつでも大丈夫だそうです。あとで予定を訊きに来ると仰っていました」

 

 ……そう。今日は、ウルクから来て半月が過ぎた日だ。シドゥリが殺人の夜(キリングナイト)について、本当の真実を話してくれると。そう、約束した日。

 

 未だに分かっていない。ウルクの人々は、何故殺人の夜(キリングナイト)による死を喜んで受け入れるのか。何故、立香に説明をせず半月という猶予を求めたのか。その謎が、ついに今日明かされる。

 

「……この半月、ウルクで過ごしてきたからわかります。この国の人々は、みんな私たちとほとんど同じ価値観を持っている。喜んで、楽しんで、そして、哀れむことも、悲しむこともできる」

 

「うん……あの時ギルガメッシュ王が言ってたことは、きっとそういうことなんだよね」

 

 初めてエリドゥの神殿を訪れた時、ギルガメッシュは立香に言った。『(おれ)の国の人間は、少なくとも貴様ら雑種とほぼ変わらぬ価値観を持っている』と。少し悲しそうな顔で。それは裏も何もなく、ただ言葉通りの意味だったわけだ。

 

「でも、死ぬことが喜ばしいだなんてことは、やっぱりおかしい」

 

「……そう、ですよね。やっぱり、おかしいものは、おかしいです」

 

 自分を納得させるように何度か頷いたマシュは、そういえば、と気がついたように辺りを見渡した。

 

「あの……ハーメルン君はどこに?私の留守は、ハーメルンさんにお願いしていたのですが…………」

 

「それなら…………………………えっと」

 

『それなら、俺の隣で寝てるよ』と発言しかけたところで、ようやく気づく。現状がかなり危うい状態であることに。

 

 ハーメルンの容姿:美少年(固い意志)

 ハーメルンの状態:半裸

 状況:立香と一緒のベッドで寝ている

 

 ………これだけでだいぶマズい。いや、マシュはハーメルンが最初に半裸だったのを知っている。それにいい子だ。説明すれば分かってくれるはず。でもこの状況で立香が何もしていないことは証明できない。つまり言うべき言葉は『ハーメルン、なんでか隣で寝てるんだ。寝ぼけて服も脱いじゃったみたい。ははは』だ。

 

 これらのことを僅か三秒のうちに考え、早速イメージを形にするべく脳髄から体へと命令を打ち込む。

 

「ハーメルン……」

 

「失礼します。藤丸、調子はどうでしょう?予定があるそうなので伺いに来たのですが…」

 

「あ、シドゥリさん。こんにちは」

 

 …………あまりにもタイミングの悪すぎる来客に、立香は頭を抱えた。何故よりにもよってこのタイミングなのか。しかもなぜアナやマーリンでなく、事情を知らないシドゥリなのか。

 

「………んゅ……親様………呼んだ……?」

 

(呼んでない!呼んでないから寝ててくれ!)

 

 しかも中途半端にセリフを口にしたせいで、隣のハーメルンが起きてしまった。何故こんなことに。頼むから寝ていてくれ。

 

「…………ん、ん〜?……」

 

 立香の必死の願いも虚しく、ハーメルンが目を擦りながらゆっくりと起き上がる。しかも出会った当初を思わせる、立香に抱きつく形で。

 

「あ」

 

「あ」

 

 目があってしまう。なんとなく状況を理解したらしいマシュと。そして。

 

「…………」

 

「いや、違……これは……」

 

 顔を真っ赤に染め、完全に状況を誤解したらしいシドゥリと。

 

 手をブンブンと振ってなんとか弁明をしようとする立香に、何も言わずにズンズンと近づいてくるシドゥリ。

 

 そして、徐にその手を振りかぶり……

 

「藤丸!帰って早々、何をやっているのですか!!」

 

 強烈なビンタを、立香へと。

 

(強………!速……避………無理!!

 受け止める……無事で!?出来る!?)

 

 否、死───

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

「あら、大きな紅葉。ついに修羅場かしらん?」

 

「な、なんでもないんです、ディナルドフさん……」

 

 それから数十分後。頬に赤々とした手形をつけた立香は、トホホといった様相でハーメルンと共にディナルドフの牧場を訪れていた。ちなみに、シドゥリは誤解だとわかるとすぐに頭を下げてくれた。……ハーメルンへの注意も込みで。

 

 しかし、立香が何度いっても寝る前に服を脱ぐのは改めなかったハーメルン氏。その心は不動。しかして自由にあらねばならぬ。やはり反省する気はないようだった。

 

 それで、肝心の要件だが……

 

「ディナルドフさん、ご心配をおかけしました。ハーメルン、俺のことが気がかりでクタまで来ちゃってて……」

 

「あら、そうだったの!ハーメルンちゃんのことだから大事はないと思ってたけど、無事合流できたみたいでよかったわ〜ん!」

 

 そう。謝罪である。というのも、ハーメルンはほぼ無断(一応『行ってくる』とだけは言い残したらしいが)でディナルドフ一家を飛び出し、そのまま立香たちのところへと向かってきた。要するに、何も知らないディナルドフ一家にかなり気を揉ませてしまったため、その後始末である。

 

 幸い、ディナルドフは持ち前の明るさで朗らかに笑いながら、心配こそすれど、無事ならば何もいうことはない。と断言してくれた。

 

「それにしても………この1日で随分とベタベタになっちゃって!その様子じゃ、仲直りも済んだみたいね」

 

「……うん。……ありがと……ディナさん」

 

 親しげに立香と二人で牧場を訪れたことから、立香たちの仲が修復されたことに気がついたらしいディナルドフ。ムキムキの大きな手を組みながら、しきりによかったよかったと頷いている。……妙に察しがいいのは、その性格故なのだろうか。

 

 それにしても、喧嘩をしていたことなど言われるまで思い出せなかった。たった一日前までハーメルンを避けていたのに、そういえばそんな時期もあったなぁ、ぐらいの感覚だ。それもこれも、立香に小鴨のように引っ付いて付いてくるハーメルンの可愛さがあるからだろうが。嗚呼……我が子が可愛すぎて辛い。

 

「ふふふ。今までとは打って変わっていい顔じゃない。立香ちゃん、相当のことしたみたいね。きゃー!立香ちゃんのエ・ッ・チ!」

 

「違いますって何回も言ってますが!?」

 

 そんな感慨は、ディナルドフの下世話によって打ち砕かれた。心配してくれるのはありがたいことこの上ないが、流石に下ネタがすぎる。立香がハーメルンに手を出すようなことはしない。……逆にハーメルンに手を出そうとするどこぞの馬の骨がいたら絶対ぶっとばすが。

 

 ともかく、牧場を訪れた一つ目の要件は終わった。次は、二つ目の要件。

 

「それより………何度も申し訳ないんですが、しばらくハーメルンをお休みさせてもいいですか?ギルガメッシュ王から仕事を頼まれていて……」

 

 ギルガメッシュから与えられた仕事。何やら北壁の動きが怪しいらしく、そちらに向かう必要があるとか。戦力はいくらあってもいいため、ハーメルンも仕事を休ませて連れて行けと仰せだ。牧場を訪れたのは、休みのお願いに来た目的もある。

 

「あら、そうなの。そういえば、ギルガメッシュ、今日体調が悪めだって聞いたんだけどどうだった?」

 

 おいこら、ナチュラルに呼び捨てにするな。何者だあんた。

 

 ……それにしても。ギルガメッシュが体調不良などと言う話は聞いたことはない。今朝方会った時も、いつもと変わらないように仕事をしていたように思える。

 

「うーん……そんなことは無かったと思いますけど。全然普通でした」

 

「仕事の報告をしに行った昔馴染みの話じゃ、たまに思い出したみたいにビクビク震えて、なんだか注意力散漫だって聞いたんだけど……やっぱりガセかしらん?」

 

「………親様」

 

 横にいるハーメルンからジトーっと目を向けられ、立香は冷や汗をかきながらほわんほわんと今朝方のことを思い出す。

 

「……あ〜………心当たりがあるような、無いような……」

 

 立香達一行がギルガメッシュに天明の粘土板を回収する経緯を説明していた時。その話がイシュタルを拘束する話に差し掛かり、誤って立香個人の見解も伝えてしまったことを。

 

 

 モロ『蚊取り線香のCMっぽいやられ方でした』と。結果。

 

 

『フハヒッ!グッ……よ、よし…………これから奴を追い払う際は、宝物のバル○ン®︎かキン○ョー、もしくはアー○を焚くようにしよう……プッ……ぃひっ!………み、見事だ。見事だぞ雑種ぅ……くぐっ……ひーっ!ひーっ!……ブフォッ』

 

 アレはもはや笑いではなかった。以前『こやつらは(オレ)を笑い殺す気だ』などと言っていたが、シャレになっていない。本当に呼吸困難になって死にかねない勢いで爆笑していた。明らかに王座で……というか、人前で見せてはいけない表情だった気がする。口の端からちょっと泡出てたし。人間は笑いすぎるとああまでなるのか、と知らなくてもいい世界を垣間見た気がした。

 

 そこまで思い出してから言われてみれば、確かにその後の会話中も、何度か思い出し笑いをしていた気がする。

 

「か、過労なんじゃないですかねぇ………」

 

「…………親様……」

 

 今度は、呆れの目。そんな目で見ないでほしい。言わずが花という諺があるように。ギルガメッシュのプライドを立香は守ったのだ。うん。

 

「そ、それで!お休みの件、大丈夫ですか?」

 

 話を逸らすため、強引にハーメルンからの視線を無視して話を続けようとする。ディナルドフは少し不審そうに思ったようだったが、特に追求することなく返答を返してくれた。

 

「ええ。全然いいわよ。まさか一日で帰ってくると思ってなかったから、こっちもその前提で進めてたし。手伝いに娘も呼んであるのよ」

 

「娘、ですか?」

 

 気になる。ディナルドフ=サンの娘。一体どんな変じ……娘さんなのだろうか。きっとよっぽど変じ………筋肉質な方なのだろう。

 

「えぇ、娘よ。ティナちゃーん!お客様にご挨拶なさーい!」

 

 ディナルドフが牧場の方向に大きな声をかけると、向こうの方で羊と一緒にいた人影が、たったっと急ぐようにこちらに近づいてくる。少し華奢で、長い髪の少女のようだ。

 

 そして十秒後。覚悟を決めていた立香は、あまりのことに度肝を抜かれることとなった。

 

 涼しい風を感じさせる高い声。長いがしっかりと手入れがされた黒い髪。牧場仕事でなのほどよく筋肉がついているが、筋肉質という程でもなく。決して少女の魅力を損なわない程度。フリルがついた可愛らしい薄緑のワンピースに身を包んだその少女は、ハーメルンを見つけると満面の笑みを浮かべ、その手を掴んだ。

 

「……あっ!ハーメルン!良かったぁ、戻ってこれたんだ!」

 

 ──それは、まごうことなき美少女だった。完全に完成された美そのものであった。容姿端麗な英霊達を見てきた立香でも、確実に美少女であると断言できる。まだ幼さこそ残っているが、成長すれば誰もが羨む美女になるだろう。そんな美少女だった。

 

「………うん。……心配かけて、ごめんね」

 

「そんな!平気だよ!ハーメルンが無事でいてくれたら、それが何よりなんだから!」

 

 親しい友人にあったようにきゃいきゃいとはしゃぐ少女。ハーメルンも、心なしかいつもより饒舌で口調が砕けている。美少年と美少女で一枚の絵が描けそうな光景だ。

 

 暫くお互いで何かを話していた二人だったが、少しして、その少女の目がこちらを捉える。硝子のように透き通った目に見透かされ、思わずドキリとしてしまう。

 

「それじゃあ……その人が、噂の親様さん?」

 

「……うん。ボクの、親様」

 

「えっと、ハーメルンがお世話になってます。藤丸立香といいます」

 

 ハーメルンに呼ばれて、少し慌てながら自己紹介をする。英霊と接していて綺麗な人と話すのは慣れているが、なんだか緊張してしまった。

 

「お、お世話なんてそんな!寧ろ、ハーメルンがしっかりしていて、こっちが助けられてるぐらいで!」

 

「ティナちゃん。盛り上がってないで挨拶挨拶!」

 

 ディナルドフに突かれ、慌てて顔を紅く染める少女。活発で、朗らかそうな印象を受ける。

 

「あ、そうだった〜!改めまして、藤丸さん。父がお世話になっております。ミレシュティナっていいます!ティナって呼んでください!」

 

「あ、あぁ。よろしく、ティナ」

 

 ミレシュティナ。改めてティナに手を差し出され、ブンブンと握手を交わす。少しテンションが高めなのは親譲りなのだろうが、それが逆に彼女の快活さを生かしている。これは、大変な美少女に出会ってしまったかもしれない。

 

「それにしても………ハーメルン!藤丸さん、言ってた通りの人だね!」

 

「……ちょっと……やめて………恥ずかしい、よぅ……」

 

「言ってた通りって?」

 

「ふふ。ハーメルンは口数も表情も少ないんですけど、仕事中に藤丸さんの話をするときは、絶対に幸せそうに笑ってるんです!優しくて素敵な、自慢の親様だって!」

 

「そ、そんなに……笑ってる、かな………?」

 

「えぇ〜?絶対そうだったよ〜!」

 

 恥ずかしそうにもじもじとするハーメルンに、それを面白そうに弄るティナ。二人ともが可愛すぎて心臓の鼓動が煩い。思わずため息が出るほど尊かった。

 

 あとハーメルンにそんな風に思われていたことがめちゃくちゃに嬉しい。なんだこの感情は。これが親心か。感動して泣きそうだ。

 

「ふふっ。そんなに熱く見つめてもティナちゃんはあげないわよ?うちの大事な大事な看板娘なんだから!」

 

「………親様の、スケベ……」

 

「違うよ!」

 

 勘違いしたディナルドフの発言で、ハーメルンが責めるように立香の服の袖を引っ張った。それはあまりに誤解すぎる。立香に味方はいないのか。

 

 だが、予想に反して、ディナルドフの発言に不満の声を上げた人物がいた。

 

「もう、お父さん!看板()だなんて!冗談もいい加減にしてよ!」

 

 腰に手を当てて、プンスカと怒り出すミレシュティナ。年相応に褒められることを、恥ずかしいと思っているのだろうか。

 

「それをいうなら看板息子(・・)でしょ!(オレ)、男なんだし!

 

 

 ん????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

「……?どうかしましたか、藤丸。とても疲れたような顔をしていますが……」

 

「………いえ。何でもないです、シドゥリさん……牧場でちょっとした人類の神秘に触れまして……」

 

「……あぁ、ディナルドフ一家ですか。あれはウルク七不思議の一つですから、あまり深く考えないほうがいいかと。元弟瓶留刃多負羅衣(デビルバタフライ)副総長かつウルク軍教育係だった『鬼のディナルドフ』もそうですが、母クシュティアは一家で唯一まともそうに見えて縫製技術が天才的で、ウルクの服文化を二歩も三歩も進ませました………が、フリル付きの子供服以外は作ることができないという難病持ちですし」

 

 ……その病気、現代でも完治してない人ちらほらいそうだな。

 

 というか聴き慣れない単語が。暴走族的なアレって神代にもあったんですね。漢字の当て字なんか誰が考えたのだか。それを纏めていた総長は相当拗らせた人だったに違いない。

 

ちなみに元総長はギルガメッシュ王です

 

「あの王様なにやってんの!?」

 

 ここでまさかのAUO。いや、バイクふっとばしてるのとか超似合いそうだが。金ピカのバイクでブイブイ言わせながらおのれおのれ言っているのが目に浮かぶ。その弟瓶留刃多負羅衣(デビルバタフライ)とやらが何を目的にした集団だったかはわからないけども。

 

「さらにその子ミレシュティナは、その容姿と言動でウルクの若人(わこうど)3000人を男女問わずその気にさせ、次々と告白されては袖にし、最終的に唯一告白しなかった一番地味な娘を『俺好みに染める!』と言い残して去っていく伝説を残しました」

 

「……………ちなみに、その子は?」

 

「…………一週間後に筋肉隆々な男装の麗人になって帰ってきました。『お父さんみたいな人が好み』だそうです」

 

「…………はは」

 

 乾いた笑いが漏れる。もうなんとでもなれ。深く考えた方が負けだ。これは。

 

「先輩、少し遅くなりました!申し訳ありま………どうされました?悟ったような顔をしていますが……」

 

「あぁ、マシュ………なんでもない…………なんでもないんだ……」

 

 スッと、視線が下に移る。マシュは、ちゃんと『女性』だよな、と。一切の下心がない視線だったからか、マシュは気が付かずにハテナマークを浮かべていたが。

 

「それでは……宜しいですか、藤丸、マシュ。本当に、全てをお話ししても」

 

「……はい。大丈夫です」

 

「……はい。問題ありません」

 

 しっかりと、立香達はシドゥリの目を見据えて返事をする。……その答えが納得のいくものだったのか、ゆっくりと頭を縦に振ったシドゥリは、次に少し心配そうにハーメルンに目線を合わせた。

 

「……それで、ハーメルン君。あなたには、できればついてきて欲しくないです。これから、少し子供には酷なことが起こるやもしれないですから。家で待っていることは、出来ませんか?」

 

 それは、何度か打診されていたことだった。話す前に、一つだけやらなくてはならないことがある。ほんの数時間で終わることだから、ハーメルンを連れて行かずに、おいて行くことはできないか、と。

 

 立香はハーメルンの意思で決定することにした。いくら立香のサーヴァントとはいえ、ハーメルン個人の意思は尊重したい。そのハーメルンの返答は、立香と共に行くことだった。

 

「……ううん。ボクは……親様と、一緒にいたい。……ボクも……大丈夫、だよ?」

 

「……そう、ですか」

 

 少し悲しそうに目を伏せたシドゥリは、だがその目に再び強い芯を通して、顔を上げて立香達に向き合った。

 

「それでは。最後に藤丸たちに、お願いしたい仕事がございます」

 

「……はい」

 

 そして立香たちは、神殿より少し北。商業などで賑わう南に比べ、少しこじんまりした街へと誘われた。




【重要!】今作の名前変更についてのアンケート

 友人に名前がダサいと言われ心が折れた(前話参照)ので作品名を変えようかと思います。というわけでアンケートをば。

1. Fate/Grand Order 他界享受郷国バビロニア
2. Fate/Beginning Angel
3.Fate/First Angel
4.他界享受郷国バビロニア 萌え出づる懐の追憶
5.その他(感想欄で教えてください)

この五択でお願いします。その他で来たアイデアが良ければ票数に関係なくそちらが採用される可能性もありますので、めちゃくちゃ雑なアレになりますが、なにとぞ……なにとぞ……


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第五節 償いと悔恨 (5/5)

なかなかぶっ飛んだ内容になってます。お気をつけて。


 

 

 

 不躾なことを承知で、何度かウルクの人々に尋ねたことがあった。『あなたは、殺人の夜(キリングナイト)で死ぬことが祝われるべきだと思うのか』と。

 

 ほんの情報収集のつもりだった。あまり触れられたくない内容だから、いい顔をされないことは承知の上だ。それに、回答を得られるとも思っていなかった。実際、大抵の人は立香が余所者と知ると口を噤んだ。

 

 だが、内何人かは詳しくではないが、少しだけ話してくれた。それは、パン屋を営む老婆であったり。或いは鍛治職人の老人であったり、或いは牧場主であったりした。思えば、少し年配の人が多かったような気がする。彼らは口を揃えて言った。『私たちは、死んでもやらなくちゃならないことがあるんだよ』と。

 

 ……その意味を、立香は測りあぐねた。死んでまでやることに、果たして意味があるのか。というより、死の先に一体何があるというのか。結局はそんな自問自答に襲われて、答えを出すことができなかったのだ。

 

 何の脈絡もない、意味のない前日譚である。

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 シドゥリは、迷いのない足取りで街を進んでいた。王城を越えて、さらに北へ。そこから数分ほど歩くと、大通りから外れて脇道へと逸れた。

 

「えっと……シドゥリさん。これは、どこに向かっているのでしょう?」

 

「もうすぐわかりますよ。そういえば、今回の仕事について説明していませんでしたね」

 

 マシュの疑問にあまり表情を変えず答えると、シドゥリは道の行き止まりで足を止めた。……まさか、行き止まりが目的地だとでもいうのか。

 

「今回の仕事は『掃除』です」

 

「…………掃除?清掃作業ということですか?」

 

「はい。この倉庫の道具はどれだけ使っていただいても構いませんから、できるだけ綺麗に掃除していただきたいのです」

 

 そう言って指差した先。行き止まりだと思っていた壁に陰になるように、見辛かったが、たしかに倉庫……というより、小さな物置らしきものが、ポツンと点在していた。

 

「……これは………雑巾と、瓶……バケツがわりでしょうか?ホウキらしきものも……あっ!奥に小さいですが井戸もあります!水はこれで汲めますね」

 

「えっと。これで、どこを掃除すればいいんでしょうか?」

 

「それも、暫くすれば分かります。使うものを持って、ついてきてください」

 

 そう言って瓶に黙々と水を汲むシドゥリを見て、マシュと目を見合わせる。なんだか、少しシドゥリの様子がおかしい。いつもなら、もう少し楽しそう、ではなくても、明るくしているものだが。やはり、何かがあるのだろうか。

 

 とりあえず立香は雑巾と予備の瓶。マシュはホウキを持って、ハーメルンはちりとりのようなものを持つ。最初はハーメルンが道具全部をいっぺんに運ぼうとするものだから、慌ててマシュと立香が止めた。いくらサーヴァントとはいえ無茶をしすぎだと言うと、ハーメルンは不思議そうな顔をして首を傾げ『これが村じゃ普通だったよ』と口にする。一般常識から外れすぎている。こんな幼子に重い荷物を運ばせるなんて、一体どんな村なのか。

 

 とにかく、各々で必要なものを持った立香達は、瓶と「布に包まれた何か」を持つシドゥリの後をついていく。また暫く歩くのかと思ったが、幸いにも目的地はすがそこだった。

 

 ジメジメと湿気がこもった路地裏に、さぁっと乾いた風が吹き込む。暗かった周囲が、そこだけ光を集めているのかというほどに輝いていて。

 

 ほんの一瞬だけ、目が眩んだ。

 

 

「…………うわぁ……!凄い……!」

 

 

 次の瞬間。目を開けると、そこはまるで別世界のようだった。街の中心を丸ごとくりぬいて、そこに自然を当てはめたらこうなるのだろうか。半径50メートルほどの空間が、丸々芝で覆われている。その中に建物や木という無粋な突起物はなく、緑を基調とする神秘的な自然空間が広がっていた。街の中のちょっとした癒し空間といった風貌だ。

 

 その中心部に、何かある。遠目で観察する限りは、黒い岩のように見える。特になんの変哲もない……強いて言うなら、この空間には似合わない、少し違和感を感じる物体だった。

 

 シドゥリは神妙な足取りで、その中心へ向かって歩いていく。立香達もそれに続く。……すると、真ん中へといくにつれ、地面の芝にあちこち泥が落ちていることに気がつく。他にも落ち葉や枯れ枝、それに魚の骨や腐った果実などのゴミ。少しの量ならいいが、かなりの数。これでは、せっかくの緑が台無しだ。

 

 観察しながら歩き、岩の近くへとシドゥリがしゃがみ込む。その岩を見てみると、正確には黒いのではなく、白い石に黒い何かが付着しているだけのことに気がつく。そして、その下に美しい花が添えられていることにも。

 

 これは、まるで。

 

「シドゥリさん、これって……」

 

「ええ。お墓です。ここは『始まりの地』……とある戦場の跡地です。藤丸達には、この周辺を掃除していただきます」

 

 そう言いながら、シドゥリは手に持った包みを開く。……それは、立香の時代にも供花(くげ)として使われていた白百合のような花の束だった。

 

「……始めましょう。少し墓の石も汚れていますから、きちんと綺麗にしなくてはいけませんね」

 

 そう言って、今日初めて笑うシドゥリ。……その笑みがあまりに危ういものに見えたのは、立香の気のせいだっただろうか。

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 

 

 ──時間は、その前日に遡る。立香が冥界から蘇り、イシュタルを捕縛した、その夜。

 

 記憶を失った天使は、その行動を開始した。

 

(…………エレシュキガル様は、もう寝たな)

 

 絶対に入るな、と念押しされた主人の部屋を覗き込み、部屋の主が眠りについていることを確認する。………彼女が一度眠れば、日が明けるまで絶対に起きることがないのは知っている。眠っているというより、日が暮れた途端に彼女は意識がなくなるのだ。先日のデートで一緒に同衾したときに、それは確認済みだ。

 

 つまり、今の彼女はいないも同じ。そして少なくとも、後数時間の猶予があるということだ。

 

(……日暮れの時間はわからない。ちょっとだけ。ちょっとだけで、切り上げる……)

 

 罪悪感はある。でもそれ以上に。アンヘルはエレシュキガルのことを信じたかった。こんなところに記憶の手がかりなんてなくて。記憶なんて戻らなくて。エレシュキガルは何一つ嘘なんて言っていない。そのことを、信じるために調べるのだ。

 

 ……いや。それも言い訳か。本当は、本当は。

 

(……お邪魔します)

 

 いつも掃除のために入る時も口にする言葉を心の中で唱えて、音を立てないように部屋に入る。音を立てたところでエレシュキガルは起きないだろうが、念のためだ。

 

(………相変わらず、ちょっと汚い……)

 

 エレシュキガルの部屋には、すべての部屋に共通する基本的な寝台、石造りの机。そして本棚に…………床に大量の、使い道のわからない道具やら読みかけの本やらが散乱していた。

 

 アンヘルが掃除した数日前に寝台と机以外はほとんど片したのに、たった数日でどうしてここまで散らかすことができるのか。まとめて端に寄せたい欲求に駆られるが、今回の目的はそれではない。なるべく元の場所から動かさないように、慎重に避けて歩く。

 

 床に散乱しているものに用はない。大体が小説の粘土板か謎の粘土細工か何かだ。大凡重要なものは、本棚にあって取り出されないことが多いことを知っていた。

 

 冥界のお勤めなどと言うが、その実やっていることは魂の選別か肉体労働だけだ。そんな短調な作業に粘土板の報告書などは作らない。となると、情報があるとすれば。普段触れないよう言われている本棚の中。

 

(……殆ど、恋愛に関する粘土板で埋め尽くされてるな……)

 

 たまに見つける訳の分からない詩……いわゆる自作ポエムらしきものにも目を通す。『ああ、彼はまるで星のよう』から始まる文は正直言って訳の分からない代物だったが、ヒントは意外にもこう言うところに隠されているかもしれない。一つとして欠けることなく目を通していく。

 

 そうやって十といくつかの粘土板を若干辟易としながら読んだ時。……ひとつだけ、棚に不相応なものが置いてあることに気がついた。

 

 他のものと違うのは、粘土板なのに側面に文字が彫ってあること。側面にはでかでかとして文字で『辞書』の文字が刻まれている。………明らかに怪しい。辞書にしては厚くもないし、そもそもエレシュキガルほどの知識をもつ神(※買いかぶり)に辞書など必要なのか。そう思いながら、一際異彩を放つその粘土板に手を伸ばす。

 

(………あぁ。これ、二重構造になってるのか)

 

 手にとって気がつく。それは粘土板ではなく、粘土で作られた箱に仕舞われた本であることに。そのカバーに入っていたのは、羊皮紙となめした皮で作られた、紙媒体の本。エレシュキガルの部屋にもまだ数冊程度しかない貴重なものが、どうして辞書なんかに──

 

(……中身は……………えっ?)

 

 ゴトンと箱から落ちた本を開いて、何枚かページをめくる。……そこに書かれていた文に、アンヘルは目を奪われた。

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 

 

「……うーん。こんなものかな」

 

「………はい。ばっちりです。視認距離半径10メートル以内にゴミはありません」

 

 掃除開始から十分か、二十分か。そこまでの時間をかけず、掃除を終える。といっても、そもそも掃除することがあまりにも少なすぎて、最初以外ほとんどやることがない。墓石はシドゥリとハーメルンがやってくれているので、やれることといえばゴミと落ち葉拾いくらいのものだ。それも大方片付いて、泥も洗い流せば綺麗な新芽が顔を見せた。

 

「よし。じゃあこれで。ハーメルン、そっちは……」

 

 どう?と訊こうと墓石の方向に振り向いた時。立香は、そのあまりに神秘的な光景に思わず息を呑んだ。

 

 シドゥリが、膝をついて祈っていた。たった、それだけ。だというのに、目が離せない。

 

 黒かった墓石は、磨かれたことで白亜の如き純白の輝きを取り戻し、地面の緑と呼応して脈動しているかように見えた。凪ぐ風はその悲しみの残滓を表し、輝く太陽はその祈りの深さを示しているかのよう。場にあるその全てが、まるでシドゥリそのものを体現しているかのような。美しい光景だった。

 

 何分かが経過した。その間、誰も何かを発することはなく。ただただ、その光景に見惚れていた。

 

「…………ふぅ……」

 

 シドゥリが祈りを止め、ふぅっとため息をついた。そのことで漸く、立香達の時間は動き出す。

 

「……シドゥリさん。それは、誰のお墓ですか?」

 

 大凡返答のわかっている質問を、立香はシドゥリに投げかけた。……検討はついているが、立香達は正しく知らなくてはならない。この墓が、誰のために作られたものなのかを。

 

「……あなた方の想像通りだと思います。この墓は、アンヘル君のものです」

 

「……アンヘルさん……ですか」

 

 予想通りの名前。……アンヘル。ウルクに現れた謎の子供。ギルガメッシュ不在のウルクを守り通して亡くなった英雄。そして、『天使の証』という宝具をウルクにもたらした『始まりの天使』。

 

「じゃあ、ここが戦場跡というのは……」

 

「ええ。現在のウルクは、絶対魔獣戦線に合わせて作り直された新たな街。昔は、地理がもう少し違ったんです。ここは、彼が戦争で争った場所。血を流して、なおも抗い続けた名残の場所。種は芽吹きますが、新芽よりも育つことはなく。木を植えても、根を張るだけで育つことはない。そんな不思議な土地です」

 

 ……なんて、辛そうに話すのか。シドゥリは、まるで悔いるようにその一言一言を発した。彼の死は、彼女にとってそれほどまでに大きなものだったのだろう。そのことが、その会話だけで容易に知ることができた。

 

「……その、俺たちも参ってもいいですか?」

 

「参……?」

 

「あぁ、えっと。俺の故郷じゃ、墓参りって言うんです。こうやってお墓を綺麗にしたり、冥福を祈ったりすること」

 

「……あぁ。そういうことでしたら。是非。アンヘル君も喜びます」

 

 許可をもらって、立香は膝をついて墓石に手を合わせた。マシュは倣うように隣で同じ動作をして、ハーメルンは両手を握るようにして前に合わせる。そして、目を閉じて祈る。

 

 この墓が、殺人の夜(キリングナイト)に何の関係があるのかはわからない。でも、今この時は。会ったこともないアンヘルという相手に、手を合わせて祈ることが一番だと、心から思えた。

 

 30秒、あるいは1分程度で目を開いて立ち上がる。墓に供えられた白い花が、開いた目に少し眩しかった。そうして三人全員が終わって立ち上がったところで、シドゥリから声がかかる。

 

「……では藤丸。そろそろここを離れましょう。少し、時間をかけすぎました」

 

「時間、ですか?」

 

「はい。そろそろ物陰に隠れなければ、彼ら(・・)が来てしまいます」

 

 彼ら、というのが何を指すのかは分からなかった。だが、シドゥリが若干焦っているのは理解する。このままここにいては、何か立香達に不都合なことがあるのだろう。そう悟り、掃除道具を持ってこの場から離れようとする。

 

 その瞬間。

 

 

 

「…………えっ?」

 

 立香の目の前に、石が迫っていた。拳ほどの石だ。ぶつかれば、当然だが痛いでは済まないほどの大きさ。まるで、先ほど掃除される前の墓石のような色だった。

 

「先輩!!」「親様っ!!」

 

 二人の声と共に反射的に屈んで、なんとか石を避ける。何がなんだか分からないが、何かの罵声のような声と、再びいくつかの石が風を切る音を、立香の耳は捉えていた。

 

「なんのつもりですかあなた方は!我らはギルガメッシュ王直属の使者。手を出せばあなた方がただでは済みませんよ!」

 

「ギルガメッシュ王だかなんだか知ったことか!!こんなところにのこのこ現れおって!!貴様らこそなんのつもりだ!?」

 

 中年ぐらいの男の声だ。少なくとも、立香は聞いたことがない。顔を上げてみれば、そこにはやはり、見たことのない小太りの男が一人と筋肉質な男達が数人、石や金槌やらを持って怒り心頭と言った表情を浮かべて立っていた。

 

 唾を飛ばす勢いで怒りを口にする男は、目線を少し下に下げるや否や、手に持った泥を投げる。その先には───

 

「ハーメルン!!」

 

「フンっ!小汚いガキなど連れるな!!こんな場所に来るなど呪われておるに違いない!!この、悪魔どもめ!!」

 

 立香が庇う間もなく、二発、三発と中年男の投げた泥がハーメルンに当たった。慌ててマシュがハーメルンを庇う形で霊体化していた盾を構え、立香がハーメルンの安全を確認する。

 

「何もないところから盾が出たぞ!!」

 

「ほれ!見たか!!奴らは妖術を使うぞ!」

 

「大丈夫か!?ハーメルン!?」

 

「…………」

 

 ハーメルンは答えない。投げつけられたのは本当に泥だけだったらしく、顔とレインコートが泥に塗れているだけのように見える。……だが、ハーメルンの様子がおかしい。怯えて震えている……というのとは違う。目の焦点が合っていない。心ここに在らずといった感じだ。あの時の。キングゥに襲われた時と、同じ。

 

「先輩!ハーメルンさんはサーヴァントです!泥程度なら、問題はないかと!」

 

「……あ、あぁ。そうだけど………なんで、こんなこと……」

 

「わかりません!先程からシドゥリさんが警告していますが、全くの無意味です!」

 

 マシュの言う通り、矢面に立つシドゥリが何か叫んでいるが、男達はものを投げつけるのをやめることはない。どころか、どんどんヒートアップしている。

 

「やめなさい!!こんなことをして、虚しくないのですか!!」

 

「ええい、黙れ黙れ!!あのような子供を庇うものなど信用なるか!!これだから女は!!そこな女も怪しげな妖術で盾を出した!魔女の一味だ!!許すな!!」

 

 シドゥリは、諦めずに何度も声を上げる。だが、その声が届くことはなく、シドゥリもまた石や泥に打たれ続ける。緑の服が黒い泥に汚れ、健康的な白い肌には石が当たって血が出ている。

 

 どうして、こんなことをされなくてはいけないのか。立香達はただ、墓を掃除しただけだ。決して、こんなことをされるいわれはないはずだ。あちらが正義のような顔をして、石を投げられる道理などないはずだ。

 

「やめて!やめてください!!私たちは何もしていません!!」

 

「黙れ!貴様の言葉など信じんぞ!!誰のせいでこんな生活をせねばらんと思っておる!!貴様の!貴様らのせいだろうが!!」

 

 知らない。そんなことは、知らない。何をしたというのだ。立香達が、何をしたというのだ。……マシュやハーメルンに、こんな石や泥なんてものは効かない。立香だって、当たりどころさえ悪くなければ痛い程度で済むだろう。

 

 だが。それ以上に。心が痛い。どうして、こんな目に合わなければならないのか。どうして、こんな仕打ちを受けなければならないのか。訳が、分からない。

 

「はははっ!!効いているぞ!!喰らえ!この、偽善者どもめ!!」

 

「なんで!!どうしてなんですか!?どうして、こんなことをするんですかっ!?」

 

 心の声が、そのまま口から出た。どうして。どうして。こんな、酷いことができるのか。

 

「どうして、だとっ!?決まっているだろう!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこで祀られているアンヘルとやらが、殺人の夜(キリングナイト)の元凶だからだ!!

 

 

「…………………………………え?」

 

 男の投げた泥が、墓石を黒く染める。投げた石が、白百合の花を散らす。綺麗にしたはずの墓が、ものの数十秒でズタズタにされていく。

 

 声が漏れた。理解が及ばない。アンヘルが、殺人の夜(キリングナイト)の元凶。何を、言っているのか。そんな話は、聞いたことも───

 

「………ッ!!」

 

 シドゥリが、悔しそうに口を結んでいた。唇から血を流しながら、泣いていた。だが、男のその言葉に、反論することはない。そんなことはない、と。否定することはなかった。では………

 

「……本当、なのか………?」

 

 男達が投げる泥が、スローモーションになって見えた。分からない。分からない。なんで、こんなことになったのだ。どうして、そんな親の仇を見るような目で立香達を見るのだ。

 

 嗚呼。……でも。わかることが、ひとつある。

 

 今人を傷つけているあの男達が、正義なはずない。

 

 だって、そんな人は笑わない。正義を行う者が、人に泥を投げながら、嘲笑うことなんてしない。効いていることに喜んで、笑ったりするものか。

 

 彼らは笑っている。ハーメルンに泥を投げて。シドゥリを傷つけて。マシュを魔女扱いして。笑って、いるのだ。

 

 

 

 

 次の、瞬間。

 

「……………ぴゃっ……?」

 

 口汚く立香達を罵っていた中年の男が、横顔を殴られてぶっ飛んだ。まるで、立香の感情がそのまま形になったかのように。

 

 驚きで、誰もの動きが完全に止まる。男たちが持つ投擲物が、ドサリと地面に落ちる。

 

 立香ではない。

 

 シドゥリではない。

 

 マシュではない。

 

 

 ……ハーメルンだ。

 

 

「…………なくちゃ………」

 

 ぶつぶつと、ハーメルンが何かを呟いていた。呪詛のようなそれは、一つの明確な意図を持って男達を襲う。

 

「……殺さ、なくちゃ………

 

殺さなくちゃ。殺さなくちゃ。日常を壊す人は殺さなくちゃ。殺さなくちゃ。人を傷つける人は殺さなくちゃ。みんなみんな、殺さなくちゃ!!

 

 殺気。

 

「ひ、ひぃぃぃっ!!」

 

 日常では絶対に知ることのない、自らに向けられる圧倒的強者の覇気。それに当てられた男たちが、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。殴られた男も、悲鳴を上げながらその場から消える。

 

待てっっっ!!

 

 ハーメルンが、今までに見たこともないような表情で追撃しようとする。

 

 サーヴァントの攻撃力だ。笛を使わずとも、人一人など殺すことは容易いだろう。どれだけ逃げようと、容易に追いつくことができるだろう。

 

 止める必要はないと思った。マシュを、シドゥリをこんなに傷つけた人たちを、許せないと思った。

 

 どんな理由があっても、人を平然と傷つけられる人間を、許せないと思った。

 

 …………でも。

 

「待ってくれ!!ハーメルン!!」

 

 立香は、ハーメルンの腕を掴んだ。頭が、嫌に冷静だった。そのまま、立香はハーメルンのことを抱きしめる。細いその体を、全力で抱きしめる。抵抗されることはないが、それでも。きつく、きつく、腕を回す。

 

もういい!!俺は、ハーメルンに人を殺して欲しくない!!

 

「……………親、様……」

 

 訳がわからなかった。ハーメルンがこんなにも殺気をむき出しにしている訳も。何故、こんな仕打ちを受けなくてはならないかも。全てのことに、理解が全く追いついていない。

 

 だが、ハーメルンをこのままにしておけば、ハーメルンはきっとあの男たちを殺す。それは、いつか致命的な溝となってハーメルンを妨げる。なら、立香がそれを放置するわけにはいかない。

 

もう十分だ。暴力を暴力でやり返せば、それこそハーメルンとあいつらが、同類になってしまう。

 

「…………ぁぁ……」

 

 ハーメルンの体から力が抜ける。どうやら、気を失ったらしい。立香の腕の中で、糸が切れたように崩れ落ちる。

 

 腕にのしかかるハーメルンの体重が、やけに軽く感じた。

 

「………い、いったい何が……!?というか、彼らは一体……!?」

 

「………わからない。でも、多分もう大丈夫。……あの人たちが何かは……説明、してくれますよね?」

 

「……はい。……助かりました、藤丸」

 

 立香に尋ねてきたマシュは、酷い有様だった。見た目ではわからないが、精神は混乱しっぱなしなのが回路(パス)を通して伝わってくる。そして、シドゥリもまた酷い。見た目は泥だらけで、体のかしこから血が出ている。深い傷ではないだろうが、痛みはあるだろう。

 

「まずは、謝罪を。まさか、あんなに早く嗅ぎつけてくるとは思いませんでした。……本当は、彼らが墓を荒らしていくのを陰から見てもらうつもりだったのですが」

 

「……では、この状況は故意ではなかったのですね。彼らは、一体………?」

 

「彼らは……カザルやキシュから逃れてきた、難民です。元々ウルクにいなかった、外の国からやってきた者たちです」

 

 すこし複雑そうにそう言った彼女は、男たちの消えていった方向を睨む。多少なり因縁があるように見えるが、その真偽は定かではない。

 

「……それより、本当なんですか。殺人の夜(キリングナイト)が、彼の。アンヘルの仕業だって」

 

 立香の視線に、目を逸らすことなく。シドゥリは真っ向から見据えて、こう言った。

 

「……私には、わかりません。それが本当なのか、偽りなのか。ですが、私にわかること範囲の全てを、今度こそ。全てお話し致します。この国に起こっていることを、全て」

 

 その言葉が嘘であると。立香はどうしても、疑うことができなかった。

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 

 

 

「…………ははは……」

 

 天使は、自らの寝台に戻っていた。

 

 戻って、蹲っていた。

 

「……なんにも、わかんないや………」

 

 呟く。

 

 本棚のあの本は、本当にただの本だった。少し過激な描写があるだけの、単なる恋愛小説だった。他の本を調べ尽くして、何もないことがわかった。

 

 安堵だ。本来なら、安堵すべきだった。彼女は嘘をついていなかったと。やはり、単なる杞憂だったと。そう、安堵できるはずだった。

 

 

 ………だが。

 

 

「………ほんと、なにも、わかんないや………」

 

 

 彼の手には、鍵が握られていた。古臭い、木製の鍵。

 

 その鍵を握りしめて、天使は途方に暮れる。

 

 

「僕は……どうすればいいのかな……」

 

 

 乾いた笑いが、ただ広いだけの部屋に響いて消えた。




カルデアとフォウ君は非出演。フォウ君いたら人類悪顕現しかねない。

次回予告


『……なんだ……これ……?』
『ボクは………ヒトゴロシ、なんです』
『そんな……そんな、ことって……』
『返せよっ!!僕の記憶を返せっ!!』
『気づくな………!気付くな………!』

第六節 愚者たちの宴


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第六節 愚者(ぐしゃ)たちの(うたげ) (1/4)

※これ以上解説することはほとんどないので、今話までに殺人の夜(キリングナイト)についてわからないことがあれば感想欄、もしくは活動報告にて教えてください。致命的なところが抜けてたら修正します……






 いつか、不躾なことを承知でシドゥリに尋ねたことがあった。『あなたも、死ぬことが祝われるべきだと思うのか』と。

 

 半月近くも何もできない無力感ともどかしさから、何度も何度も悩んで口にした言葉だったが。言ってしまってから、後悔した。彼女が、途端に泣いてしまいそうな顔になったから。

 

 それはほんの一瞬。瞬きすれば勘違いだったかと思えるたったコンマ数秒のことだったが、目には時間以上にその姿が焼きついたことを覚えている。

 

 それからなんでもないように、彼女は言った。『それは……限りなく多数派ではありますが、国民それぞれの考え方ですから。理解だけは、誰よりもしているつもりです』と。

 

 そういったシドゥリは、どこか寂しげで。何かに想いを馳せていたかのように思えた。だから、感情の抑制よりも先に言葉が出た。『シドゥリさんは、死ぬことを望んでいるんですか』なんて、その前にも増して直接的で、残酷な質問を。

 

 No、と答えて欲しかった。例えこれで、シドゥリに嫌われてしまったとしても。それは何かの宗教的な考えであり、死を望むことは間違いなのだと。そう言って欲しかった。

 

 でも、望んだ言葉は帰ってこなかった。

 

『……ええ、私も或いは、そうなのかもしれません。死にたい、と思ったことだって、ないとは言い切れません』

 

 代わりに帰ってきたのは、立香が最も聞きたくなかった言葉と──

 

 

 

 

ですが(・・・)

 

 

 

 

 

私は任されたのです。一人の部下として。一人の人間として。一人の姉として。あの王を……ギルガメッシュ王をお願いすると。そう、託されたのです

 

 

 

 ですから、私はまだまだ死ねませんと。決意と郷愁に満ちた、儚い笑顔が返答だった。

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 暗い一室にいる。寝台には、つい先程鬼のような形相を浮かべていた少年が一人、幼気な顔をして眠っていた。その顔を確認してから、外に出て扉を閉める。光源として働いていた夕陽が沈み、カルデア大使館は夜の闇に包まれていた。

 

 

「………ハーメルン君は、どうでしたか?」

 

「寝てる。泥は拭いておいたし、見た(・・)限り異常もないから、すぐ目覚めると思う」

 

「そう……ですか。なんだったのでしょう、あの怒り様は………」

 

「わからない。……そろそろ、ハーメルンに直接訊くべきなのかもしれない。でも、それより今はシドゥリさんに話を聞かないと」

 

「フォッ!キュフォッ!」

 

「あぁ、フォウ君。ごめんね、今日は留守番させちゃって。ちゃんと良い子にしてた?」

 

「フォウ、フォウ!」

 

「そっか。大丈夫。明日からは、ちゃんと連れて行くから」

 

 マシュの肩に乗っていたフォウ君を軽く撫でる。シドゥリに連れて行かない方がいいと言われていたから一日自由にさせていたが、やはり正解だったと今では思う。あの場にいれば、何をされていたかは分からない。

 

 扉の前に立っていたマシュと共に、カルデア大使館の階段を下りる。丈夫な石階段なはずだが、緊張のせいで妙に柔らかく感じる。今にも足を踏み外して、転げ落ちてしまいそうだ。

 

 ようやく。ようやく知ることができる。ウルクの人々が抱く想いの真相を。半月の間無力さに歯噛みした日々が、ようやく報われる。達成感……といえば不謹慎だが、それでも勉強を頑張って成果が出たときのような嬉しさが、確かにそこには存在していた。

 

 幸い、転ぶこともなく一階まで降りると、そこには別の服に着替えたシドゥリの姿があった。天井のぼんやりとした灯に照らされながら何かを考え込んでいる様子は、さながら完成された絵画のようだ。

 

 こちらに気がついたシドゥリは、心配そうな表情でマシュと同じことを尋ねてくる。

 

「……ハーメルン君は?」

 

「今はもう寝てます。見た感じ、特に問題はないと思いかと」

 

「そう……ですか。重ね重ね、謝罪を。本当に、申し訳ございませんでした」

 

 椅子から立ち上がり、深々と頭を下げるシドゥリ。立香とマシュは恐縮して、もういいですから、と頭を上げてもらう。ハーメルンがどうかはわからないが、少なくとも立香は気にしていないし、マシュも同じだろう。

 

 強いていうなら、彼ら。立香達を墓で罵った彼らを思い出すと、少しだけしこりのようなものを感じる程度で。

 

 胸にチクリとした痛みのようなものを感じていると、立香の腕の通信装置から、通信が戻った旨の通知音が鳴った。

 

『藤丸君、聞こえるかい!?』

 

「ドクター、聞こえてます」

 

『よかったぁ!ようやくかぁ……』

 

「えっと、こちらの状況は……」

 

『ああ、それは大丈夫。こっちからの音声は届いていなかったが、そちらの状況は把握済みだ。大変だったね。それで、カルデアとしてはシドゥリ氏の話に同席願いたいんだが…』

 

 少し気まずそうなドクターの声に耳を傾けながら、シドゥリの方を見る。そういえば、以前深く追求しすぎてマーリンに釘を刺されていたのだったか。

 

 そのマーリンとアナは、仕事で北壁に駆り出されて不在だ。立香達も、数日後には北壁に赴かねばならない。

 

「天文台の魔術師の方々ですね。構いませんよ。私に、満足がいく回答ができるかはわかりませんが、誠心誠意応えさせていただく所存です」

 

「だ、そうです。ドクター」

 

『そうかい、ならよかった。遠慮なく質問させていただくことにしよう』

 

 シドゥリに向かい合うように、立香とマシュは椅子に座り込む。こうしてシドゥリと向き合うと、ウルクに来た初日のことを思い出す。あの時は自分勝手に落ち込んで、ハーメルンに慰めてもらった。そのおかげで、今立香はここにいることができる。

 

 だからこそ。今まで積み上げてきたものを無駄にしないために。立香は、シドゥリから聞かなければならない。今ウルクで起こっている、全てのことを。

 

「まずは………藤丸、マシュ。あなた方に、半月働いた感想を伺いたいのですが。……半月過ごしてみて、この国はどうでしたか?」

 

「……どう、と言われますと………?」

 

「なんでもいいのです。ウルクで半月過ごした率直な感想を、未来から来たというあなた方に伺いたい」

 

 思わぬシドゥリからの質問に、マシュと顔を見合わせる。感想というほど、ウルクの生活は刺激的なものではなかった。寧ろ、どこか故郷で過ごしていたかのような安らぎこそ感じられたような。

 

 立香は辿々しくなることを承知で、感じたままを口にすることにした。

 

「………ええと、うまく言えないんですが。俺たちとは、国も、言葉も、人種も、時代も違って、それぞれ大変なのに、みんな優しくて。楽しいことがあって、疲れることがあって。面白いことがあって………嫌なことも、ちょっとはあって。でも、それ以上に素敵な生活でした」

 

「……はい。これまでの特異点の中でも、此処まで長い時間を過ごしたのは初めてでしたが、この国で起こる様々な出来事は、それぞれの風土に基づいた得難い経験でした。キラキラと輝いていて、とても魅力的です。ここに来ることができて良かった。心から、そう思える国だと感じました!」

 

 立香以上に目を輝かせながら、マシュも同意見を口にする。

 

 そう。墓前の事件は残念だったし、殺人の夜(キリングナイト)の件もあるが。それ以上にこのウルクという国での生活は、楽しかった。人と人とが手を取り合って、それぞれの役割を持って精一杯日々を謳歌する。この国では当たり前に行われているその営みが、どれほど難しいものであるかは知っている。

 

 決して立香の故郷ほどは発展せずとも、ここは人の暖かさ、人間味に溢れ、誰もが誰もを尊重し、時にぶつかり、時に分かり合うことができる。ここは、そんな素晴らしい国なのだ。

 

 そしてその考えは、今ここにいないハーメルンやアナだって一緒のはずだ。無口だった彼らも、この国に来る前より、随分と明るくなった。それにウルクの影響が全くないとは、どうしても言えないだろう。

 

 そうしてシドゥリの回答を待っていると。ほんの一瞬、シドゥリの表情が歪んだように見えた。

 

「───そう、ですか。それは……何よりです。私も、この国の住人として誇らしいです。……過ごしていただいた甲斐が、ありました」

 

 すぐさま生真面目な色で覆い隠されたその感情は、少し、立香が殺人の夜(キリングナイト)について訊いたときに似ていた。よくよく観察していなければ、見逃していたかもしれないほどの一瞬の変化。

 

 だがそのことについて言及する前に、ロマニが話の火蓋を切った。

 

『それで、シドゥリ氏。アンヘルが殺人の夜(キリングナイト)の元凶とは……どういうことなんだ?』

 

「………順を追って、説明しましょう」

 

 俯きながら胸に手を伸ばしたシドゥリは、いつかのように胸元から掛けていた木製のペンダントを取り出して机に置く。……『天使の証』だ。

 

「この首飾り……『天使の証』は、元々はただの飾りだったと。そう話したことを、覚えていらっしゃいますか?」

 

「……はい。確かに、そう仰ってしました」

 

 ウルクに来た初日。立香達に天使の証と殺人の夜についての大凡の概要を教えてくれたとき、確かにシドゥリはそれらしきことを言っていた。

 

『これは、とある人物(アンヘル)が十年以上前にウルクの国で配ったものです。……本当に、配られた時はただの木製の飾りだったんですけどね』……だったか。

 

「この首飾りが、所謂宝具として効果を発し始めたのは、今から約半年前。ちょうど、魔獣戦線が完成した頃と同時期です。そして、この首飾りがそう(・・)だと発覚したきっかけこそが、殺人の夜(キリングナイト)なのです」

 

「つまり……殺人の夜(キリングナイト)によって死にかけた人々が『天使の証』で命を救われたことによって、その効果が明らかになったと、そういうことでしょうか?」

 

「はい。ある日の朝に、国中の証が一気に砕け散っていました。一つ二つならまだしも、百、二百といった数です。日を跨ぐごとにその数は増し、つられるようにその日からウルクでは若い世代や外からの変死者が増加。原因究明をしていた二日で人口の一割強が昏睡、死亡しました」

 

「……一、割………」

 

「一割ならマシな方です。ウルク以外の国はほぼ全滅でした。ニップルなどの計八つの要塞都市は、たった三日で中枢が崩壊しましたから」

 

 淡々と事実を述べていくシドゥリ。……あまりの事に、頭が追いつかない。ウルク以外の国や市の住民はほとんど移住してきている、ということだけはマーリンから聞かされていたが、まさかそこまで。

 

「そして、民が全員都合のいい夢を見ていたこと、眠らなかった人に死者がいないこと、『天使の証』が微量な魔力を発していること。その他様々なことを理由に、殺人の夜(キリングナイト)と天使の証の存在が判明し、ギルガメッシュ王が打ち出した解決策によって、パニックになりかけたウルクは、一応の落ち着きを取り戻しました」

 

 ……その解決策というのは、つまりマーリンを召喚したことだろう。マーリンは体を小さくしてまで、ウルクをすっぽりと覆う対殺人の夜(キリングナイト)用結界を作り出した。それによって、殺人の夜(キリングナイト)による死者はほとんど(・・・・)いなくなった。

 

 マーリンの他にも何体かの英霊が呼び出されていたとは聞くが、その詳細はわかっていない。

 

「そして、発生した時期が同じだったことから、こんな噂が囁かれるようになったんです。『殺人の夜(キリングナイト)は、アンヘルの呪いなのではないか』と」

 

 ──そんな馬鹿な!

 

 シドゥリの言葉に抱いたその思いは、すぐさまロマニによって代弁される。

 

『……そ、そんな馬鹿げた話があるのか!?判明した時期が一緒なだけで、やっていることは全く別じゃないか!……いや、そもそも!どうしてアンヘルが疑われる事になるんだ!?アンヘルというのは、救国の英雄、『始まりの天使』と呼ばれるほど慈愛を持っていたと聞く!少なくとも、国を滅ぼすことなんてしないはずだろう!?』

 

「……どう、でしょうね。実際のところは、私たちにはわかりません。……ですが、この仮説に筋が通っていることも、また事実なのです」

 

 そうして、顔を歪めながらもシドゥリは話し始める。…… 一言一言を、噛みしめるように。

 

「この噂を広めているのは、主に難民達です。そしてそれに影響され、アンヘル君のことを知らない、今の若い世代や、老年達も同じようなことを言う傾向があります」

 

「難民、というと……私たちが、先ほど会った一団のような、でしょうか」

 

「はい。先ほど魔術師殿は、アンヘル君を救国の英雄と仰いましたね。ですがそれは、ウルクから見た場合の話。外の国から見て、アンヘル君は純粋な脅威でしかなかった。……彼らにとっては、アンヘル君は正体不明の化け物のようなものなのでしょう」

 

 何か堪えるものがあるのか、シドゥリは何度も深呼吸を繰り返し、必死に言葉を紡いでいく。

 

「彼らは『天使の証』を持っていないのです。だから、いつ来るかもわからない殺人の夜(キリングナイト)に怯えて、こんなことを言い出したんです。『これは、アンヘルが我々を怨んで生まれた呪いだ』と」

 

『ちょ、ちょっと待ってくれ!流石に、突拍子がなさすぎる!そもそも、なんでそこで死人が出て来るんだ!?アンヘルがやっていることは、それこそ殺人の夜(キリングナイト)に反しているじゃないか!』

 

 ロマニが、焦った口調で反論する。だが、返ってくる言葉はただ冷徹だった。

 

「いいえ。あくまで恨んでいるのが彼らだとしたら、辻褄は合います。『天使の証』を持つウルクの民は皆生き残り、それを持たない移民たちは死んでしまう。『天使の証』で一度生き返れば耐性が生まれて、それ以上殺人の夜(キリングナイト)で死ぬことはありませんから。問題は、『天使の証』を持たない子供や若年層ですが……」 

 

 そう。そこに矛盾がある。もし犯人がアンヘルで、ウルク以外の人類を殺したいだけならば、罪のない若い世代を殺す意味がわからない。殺人の夜(キリングナイト)は若い人々には無害、なんて話は聞いたことがないし。自分が関わった人以外なら誰でも構わない、というのならば話は別だが……。

 

「……ということは、この話は……」

 

「……呪いにとやかく理論を求める方がどうかしている、と一蹴する人もいます。そこを除けば、筋自体は通っている訳ではあるわけですし。……ですが、全てを理論立てていくと、やはりそこだけ穴が生まれます」

 

『ふ、ふぅむ。所詮は噂、ということかい?』

 

「はい。私も、この噂がそのままだとは思ってはいません」

 

 ですが、と。困惑する三人に追い討ちをかけるように、シドゥリは別の根拠を述べ始める。

 

「そもそも、殺人の夜(キリングナイト)はかなり大規模な呪いです。精神に干渉(・・・・・)して、人を呪い殺す。それだけの術式でこのバビロニア全土を覆うには、たとえ三女神が儀式を行なっても不可能に近いでしょう」

 

 シドゥリがロマニへと視線を向ける。しばらくして話題を振られたことに気がついたロマニは、慌てて肯定の言葉を口にする。

 

『あ、あぁ。三女神がどの女神かにもよるが、一柱がイシュタル神と決まっているし、他の神がどんな神だろうとそれは不可能だ。神の権能というものは、自らの逸話に沿ったもの。イシュタル神自体にはそんな逸話は無いし、例え死を生業とするエレシュキガル神が含まれていたとしても、もう一、二柱だけではこの大規模な儀式には荷が重い』

 

「……ですが、単独でそれを行えるかもしれない人物がいます。少なくとも王は『あやつが他の神と組めばできるだろうよ。想像できんがな』と、仰っていました」

 

「……それは、つまり」

 

「アンヘル君が協力しているなら、この呪いは成立します。……言い方を変えれば。アンヘル君がいなければ、この呪いは完成しないでしょう」

 

 結局、ふりだしに戻る。だ。

 

 ……そこまで断言されてしまっては、もう疑いようが無い。殺人の夜(キリングナイト)は、アンヘルによるものなのだろう。

 

 だが、どうにも納得がいかない。マーリンに聞かされただけの話だが、アンヘルがそんなことをする人だとは、何故かどうしても思えない。致命的な何かが、食い違っているような。

 

 喉になにかが引っかかるような違和感を覚えながらうーんと唸っていると、隣に座っていたマシュがおずおずと手を挙げて発言する。

 

「すこし、いいでしょうか。アンヘルさんが関わっているとして。根本的な話が、解決していません。………何故、この国方々は死ぬことを祝うのでしょう。……死を、平然と受け入れているのでしょうか。……それだけが、ずっと気がかりで……」

 

「マシュ……」

 

 そう。結局はそれが、最も気になるところなのだ。最後に行き着く疑問点は、そこ。

 

 立香は気づいていてあえて指摘しなかったが、何だかシドゥリは『この話から遠ざけよう』とする節があった。全てを話すとは言ったものの、やはり辛いものがなにかあるのだろうか。

 

 一瞬押し黙ったシドゥリは、観念するように。あるいは、覚悟を決めるかのように、大きく深呼吸をした。

 

「………私は、藤丸たちに半月の期間を求めました。……それは、何故だかわかるでしょうか?」

 

「……この国を、知ってもらうため、ですか?」

 

「……半分正解です。ですが、本質は違うんです。……本当は、あなた方がウルクに来たその日に話しても、私たちの話に実感を持ってもらえないと思ったからです」

 

「……それは、つまり。どういう……?」

 

「あなた方は、この国で過ごして思ったのでは無いですか。『想像していたよりも、普通(・・)だった』と」

 

「………それは……はい。そう、思いました」

 

 確かに。確かに、立香とマシュは、そう思った。ウルクに来た最初の日にはこの国が正体不明の恐ろしい国だと思っていたのに、慣れていくにつれ、この国が殺人の夜(キリングナイト)に関すること以外、ごくごく平凡な国であることに気がつかせられた。

 

「それでいいのです。私たちのことを、あなた達は見てくれた。その上で、正当な評価を下してくれた。……この狂った(・・・)ように思える(・・・・・・)真実を受け止めてもらうには、そうするしかなかったんです」

 

 固唾を飲む。シドゥリの口からついに真相が語られるのを、立香は感覚的に感じ取った。

 

「……天使の証は、死んだ人間を文字通り蘇らせる。……一度死んだ後、普通は、何も見えないそうなんです。真っ暗で、眠っているのと同じ。気がつけば、意識が戻っている。……ですが、殺人の夜(キリングナイト)で死んだ人だけは違う」

 

 淡々と並べられていく事実。いつのまにか、握り締められたシドゥリの手から血が出始めていた。

 

殺人の夜(キリングナイト)で死んだ人間には、アンヘル君の姿が見えるんです。………そして、哀しそうに言うんです。『寂しい、助けて』と。…………それが、私たちが死を受け入れる理由です」

 

「………え?」

 

 その事実は、確かに衝撃だった。最早、アンヘルがこの件に関わっていたことは間違いなくなる、と言う点においては、たしかに衝撃的な事実だろう。だが同時に、それだけなのか、とも思った。

 

 そして、気がつく。その『それだけ』という印象を抱いて欲しいがために、立香達は半月の間ここで過ごしたということを。『それだけ』ではなく『異常だ』という印象を、ウルクに来たばかりの立香なら思ったはずだから。理解することなく、ただ異常な国という色眼鏡で、この事実を見ただろうから。

 

「……そ、それだけですか!?本当に皆さんは、それだけの理由で、死ぬことを受け入れて……あまつさえ、祝っているのですか!?」

 

「……はい。だって──」

 

 

「アンヘル君を殺したのは、私たちですから」

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 神への信仰が、なによりも大切だった。

 

 少なくとも、酒場の娘だった頃までは。

 

 客の(ツテ)で神殿に務めることになった時もまた。その思いは変わらなかった。なによりも神を信仰し、崇拝していればいいと。なんの疑いもなく、そう信じていた。

 

『君が、新しい文官さん?』

 

『僕、アンヘルっていいます。一応、文官全員の管理を任されてるんだけど……そんなに偉いわけでもないから、仲良くしてくれると嬉しいです』

 

 こんな子供が、と思った。なんの冗談だ、とも。

 

『わかった。それは国庫から融通する。頑張ってね。期待してるよ』

 

『ん、それは流石に王様の許可を得なきゃだ。預かっておくから、明日の昼ごろまたお願いできるかな?』

 

『却下!却下却下!そんな中身スッカスカな法案は通せない!せめてこのあたりの厳しさとか修正してくれないと!』

 

 凄まじかった。ものの数十秒でいくつもの事案を片付け、片手間に自らに割り振られた仕事も終えていく。

 

 尋常ではなく忙しそうだった。……でも。

 

 なんだかそれ以上に、彼は楽しんでいるように見えた。舞い込んでくる様々な厄介ごとを、厄介ごとと認識しつつも吟味し、とてもいい顔をして解決していくのだ。

 

 何故、そんなに楽しそうにするのか。仕事が終わった後に、尋ねたことがあった。

 

『ええっと………僕さ、天涯孤独だったんだ。両親は顔も知らないし、気付いたらウルクに放り出されて、王様に拾われた。……でもね。ウルクの人たちは、そんな余所者の僕に優しくしてくれた。最初はそれに気がつけないくらい無我夢中だったんだけど、改めて認識すると、あったかくてさ。これが家族なんだって。そんな気がして』

 

『だから、僕の家族はウルクのみんな。『友達』が、僕の家族なんだ。仕事をして少しでもこの国が良くなれば、家族が助かる。そう思うと、辛い仕事だって楽しくなってきちゃって』

 

『あ、もちろん、シドゥリさんも『友達』だからね。はいこれ。文官のみんなに渡してるんだけど、友達の証みたいなものだから。よかったら、大切にしてほしいな』

 

 

 衝撃だった。

 

 子供なのに、まるでギルガメッシュ王のようだった。信仰に頼ることなく、他人を崇めることなく。自らの意思を持って、自らの足で歩み、それを楽しんでいた。

 

 心から尊敬した。この子供こそ、自らの上司に相応しい、どころか、勿体ない存在だ、と。

 

 それから、シドゥリの日常は少しだけ鮮やかになった。信仰は続けていたが、以前より神を盲信することはなくなったと思う。

 

 シドゥリは仕事ができたせいか、同期に比べてどんどんと昇進していき、ついに祭祀長に就任した。立場が高くなったことでギルガメッシュやエルキドゥ、アンヘルとの距離も必然的に近くなり、種族も、人格も、性格も違う。でも、心通いあった友達のような三人の関係を、ずっと見守っていた。

 

 …………だが。

 

 

「エルキドゥが亡くなって、ギルガメッシュ王が旅に出て。……アンヘル君は、変わってしまいました。ずっと張り詰めたような表情で。楽しさなんて微塵も感じていないように。……戦争が始まった時、それは顕著になりました」

 

 彼はより一層刺々しくなった。今まで見せてきた子供らしい朗らかさは消え、ただ国の頂点に位置する者としての威厳だけが残った。言葉は常に命令口調となり、日常会話をすることすら憚られるほどの覇気を放っていた。

 

「戦争が終わる直前まで、ずっとそうでした。一度だって弱音を見せず、王ではなく文官の頂点に立ち続けました。その傲慢な姿を恐れて、酷い言葉を投げかける人もいました」

 

 でも。

 

「アンヘル君は、それでも私たちウルクの民を愛してくれていた。私たちのことを考えて、色んな方面に頭を下げて。嫌な事案も、顔色ひとつ変えずに、率先してやってくれていました。治水ができているから、洪水が起こることはない。国庫が豊かだから、干魃になってもなんとか飢えることはない。今のこの国があるのは、全部アンヘル君のお陰です」

 

 ………でも。

 

「私たちは、そのアンヘル君を見殺しにしました。戦争でどんどん不利になったウルクに、軍隊が迫っていて。ウルクに戦える人材なんて、もう、いなくて。……アンヘル君はたった一人で、軍隊と戦いました」

 

 結果は、奇跡に奇跡が重なった勝利。敵軍はほとんど茫然自失となり、撤退を余儀なくさせられた。

 

 ……ウルクの民は、その勝利を喜ぶことはなかった。その代償が、いかに重かったかを知っていたから。

 

 いつか、アンヘルが言っていた。

 

『いっぱいさ、優しくしてもらったんだ。アンヘル、アンヘルって。名前を呼んでもらえた。僕、幸せだよ。体がこんなになっても、みんなが優しくしてくれてるんだもん。………あぁ、幸せすぎて、困っちゃうなぁ』

 

 腹に穴を開けて帰ってきた。血塗れだった。白かった服の色がわからないほど。痛くないはずがなかった。瀕死だった。否。死んでいるのが、当然の傷だった。それでも、彼は、嬉しそうに笑ったのだ。

 

「知っていたんです!彼が毎夜泣き続けていたことも!ずっと、寂しいと嘆いていたことも!私たちは、全部全部!知っていました!」

 

 知っていた。……知っていたのに。

 

 何もできなかった。どんどん苛烈になっていく戦いに、誰も手を出すことはなかった。文官も、市民も………兵士も。そして、どんどん人間としての機能を喪ってなお戦い続ける彼に、合わせる顔など、どこにもなくなって──

 

殺したのは、私たちです

 

 シドゥリは、そう口にした。もしも、殺人の夜(キリングナイト)の正体が恨みによる呪いなのだとしたら、自分たちが恨まれていないはずなどない。

 

 軍隊にたった一人で立ち向かうのは、怖かっただろう。体を鋼で貫かれるのは、苦しかっただろう。一人ぼっちで泣く夜は、誰よりも寂しかっただろう。そして、そんな時に何もしなかった自分たちが、何よりも許せない。

 

「アンヘル君を殺したのは、紛れもなく私たちです。力のなかった、勇気のなかった、私たちだったんです!いつか、どこかの戦いで私たちが戦う意志を示していれば!少なくとも、アンヘル君が死ぬことはなかった!あんなにボロボロになって、好きだった食事も、喉を通らなくて………何も見えなくなって、たったひとりで泣いていた……あんな風には、ならなかった!」

 

 だから。償わねばならない。犯した大罪に見合う罰を、受けなくてはならない。自らを愛してくれた家族を。大好きな子供を。殺してしまったのだから。

 

 

 そんな最中に、殺人の夜(キリングナイト)の事件が起こった。アンヘルが、冥界で悲しそうにしていた。寂しそうに、こちらを見ていた。

 

 国民は歓喜した。『漸く、これで彼に償うことができる』、と。殺人の夜(キリングナイト)で死ねば、あの子供の寂しさを紛らわすことができる。あるいは『彼の怒りによって死ぬのなら本望』と。そう言って、自ら亡くなる人もいた。

 

「だから私たちは、死を受け入れる!冥界にいる彼のためなら、彼に与えられたこの命、惜しいはずがありません!たとえそれが、他から見て蔑まれる行為だとしても!私たちは、誇りを持って死にましょう!」

 

 一切の迷いのない表情で、シドゥリは立香とマシュに訴えかける。『約束』とやらがなければ、シドゥリもまた、死を受け入れたであろうことを予感させるほどの剣幕で。

 

「藤丸、マシュ、天文台の魔術師殿。これが真実(・・・・・)です。私たちは、彼のための死なら喜んで受け入れる!彼のために死んだ人を、喜んで祀りましょう!これが私たちの望んだ生き方。望んだ在り方!私たちの国!」

 

 

 ──他界享受王国 バビロニアです。

 




 第三者からすれば馬鹿馬鹿しい。
 ても当事者たちには大問題。
 そんな三文芝居のような宴が始まります。
 もちろんこんなものじゃ終わりません。

 次は暗殺者の少年の真実への足がかり。
 そして亀裂が入る一日前の物語。
(空気が)下に参ります。


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第六節 愚者たちの宴 (2/4)

 あの日。アンヘルにとっては忘れられない、デートの日。

 

 その日の夜は、緊張して眠れなかった。そもそも、誰かと一緒に寝る経験だって初めてのものだ。

 

 二人の間に、ほとんど会話はなかった。朝起きても、すぐさま離れて数時間は会話すらまともに行えなかった。

 

 

 でも。たった一つ。覚えていることがある。

 

 指切りをした。

 

 約束をした。

 

『……ねぇ、アンヘル。貴方は、私をひとりぼっちにしないわよね?私を……私を、救ってくれるわよね?』

 

 静寂が満ち満ちた際に、彼女はそう言った。

 

 震えていた。

 

 酷く、怖がっていたようだった。

 

 だから、アンヘルは誓った。

 

『………うん。……僕は、エレシュキガル様をひとりぼっちにしない。いつだって、助けてあげるね。……約束』

 

 

 

『……なんで、小指を出しているの?』

 

『指切り。約束するときは、こうやって。お互いの小指を結んで誓うんだ。嘘をついたら、針を千本飲まなくちゃいけないんだって』

 

『……えぇっ!?そ、そんなことしたら死んじゃうじゃない!』

 

『それぐらい大切な約束ってことだよ。ほら、約束、するんでしょう?』

 

『ええ……』

 

『いくよ。ゆびきりげんまん、嘘ついたら針千本のーます。指切った』

 

『……こ、これで終わり?神秘の要素はひとつも感じなかったのだけれど……』

 

『……そうかな?()と神が約束するって、凄く神秘的だと思うけど』

 

『………そう、ね。……そう、よね』

 

『…………?とにかく、約束ね。僕は、何があってもエレシュキガル様をひとりぼっちにはさせない。きっと、救うね』

 

『………………あぁ、よかった──』

 

 

 そう。

 

 約束。

 

 エレシュキガルを、ひとりぼっちにさせない。

 

 救わなければ、ならない。

 

 

 約束。

 

 

 その、言葉を聞いた時から。

 

『人は……一人じゃ…………君が、…………』

 

『その怨みで………………………れ。そし………我…………………来るといい。その時……………は………待………。ずっと、…………に、……』

 

 

 アンヘルの脳裏に、ノイズのようなモヤがかかって取れなかった。

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 エレシュキガルは、困惑していた。

 

 心当たりなどない。何かやった覚えもない。……訂正。心当たりは正直多すぎてわからない。

 

「………ねぇ、アンヘル」

 

「……うん?どうしたの、エレシュキガル様」

 

 いつもと同じように。……いや。いつもと同じになるよう(・・・・・・・)、なんでもないように振り返るアンヘル。何も、何も変わらないかのように思える。

 

「………いえ。何でもないの。ごめんなさい」

 

「…………変なエレシュキガル様。呼んだだけってやつ?」

 

 ……やはり、おかしい。エレシュキガルは、自らの抱いた疑念を確信に変える。……いや、確信とは思いたくないから、まだ疑念としておいて。

 

 とにかく……なんだか自分。アンヘルに避けられていないだろうか、と。

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 きっかけは、ほんの些細な直感。ふと、いつもの彼とは違うな、と思うこと。その回数があまりにも多い。

 

 別段、態度がよそよそしいとか、そういうのではない。ただ、なんとなくわかる。何年も一緒に過ごしていれば尚更。無論、直感(それ)以外に根拠などないが、やはりおかしいとも思う。どうにも違和感が拭えない。

 

 今日朝起きてからずっとこの調子だ。なにか、理由があるのだろうか。

 

 ………と、冷静に思考できていたのがほんの十数分前の話。

 

(わ、私……何かやっちゃったのかしら!?)

 

 それからはひたすら自分の行動を振り返っては、何かやらかしてしまったのではないかと記憶ををあっちへこっちへ。その度にいちいち羞恥で頭がぐちゃぐちゃになって体がムズムズするものだから、もう日常生活どころではない。

 

 心当たりは、多いなんてものではない。部屋はすぐに汚くして呆れられるし、すぐにドジを踏んで彼を困らせるし、なんならみっともなく泣いて縋ったこともある。嗚呼、今となっては過去の言動その全てが忌まわしい。それこそ、記憶を消し去ってしまいたいほどだ。

 

 そして。

 

 

 

「うばあぁぁぁぁ!!」

 

 エレシュキガルはついに爆発した。流石にアンヘルの目の前ではなく、自室でだが。発狂とも取れる奇声をあげて、ゴロンゴロンと床を転がり回る。

 

「アンヘルのバカバカバカバカ!!不満があるなら、直接言って欲しいのだわ!!」

 

 エレシュキガルはアンヘルではないのだから、人の心の底など見透かせないのだ。ちゃんと言葉で伝えてくれるなら、改善だってできるだろうに。というか、する。文句なんか言われてしまった日には、確実にする。

 

「うぅ………ほんとに、どうしてなのかしら……?」

 

 頭から寝具を被って、ぐぐぐと不満のうめき声を漏らす。……できれば、エレシュキガルの思い過ごしであって欲しい。アンヘルの態度そのものは特に変化はないし、露骨に何か変わったというわけでもない。……今までの奇行が一人相撲なら、それはそれで辛いものはあるが。

 

 だが、そんな都合のいいことはないと直感で理解している。彼の態度を、彼の癖を、間近で、ずっと見てきたのだ。エレシュキガルから目を逸らしたりだとか、話を特別盛り上げて何かを誤魔化そうとしたりだとか。そんなことが何度もあれば、分かってしまう。

 

 話を戻す。とにかく、エレシュキガルがアンヘルに避けられているという事実。まずはこれをどうにかしなくてはならない。

 

「………はっ!そうだわ!いっそのこと、本人に訊けばいいじゃない!」

 

 混沌とした脳内から、名案っぽいだけの下策中の下策が思い浮かぶ。浮かんでしまう。対人経験とオツムの圧倒的に足りないエレシュキガルの頭は、あまりにも悩ましい問いによって容易にオーバーヒートしていた。

 

「……って、そんな勇気があるなら苦労しないじゃない……私のバカ…………」

 

 だが、辛うじて踏みとどまる。自らの度胸のなさなど、自分が一番知っている。以前デートであそこまで素直に心情を吐露できたのも、(ひとえ)に盛り上がった空気に酔ったのもあったからで……

 

「………そうだ。それなら、そんな空気にしちゃえばいいのだわ!お茶会の時に!………でも、いつも通りお茶とお菓子を用意してもらうのじゃそんな雰囲気にならないだろうし……」

 

 さらに危ういところで踏みとどまる。お茶会を用意してもらった相手に、そのお茶会の場で不満を話せと言うのは、あまりにナンセンスだ。エレシュキガルとて、そこまで厚顔無恥ではない。

 

「……なら、私が作ればいいじゃない!紅茶……は、淹れ方がよくわからないけれど、ばたぁけぇき?くらいなら、私にだって作れる筈なのだわ!以前作るのを見せてもらったことがあるし!」

 

 ………そう思いつき、名案なのだわ!とポンと手を打つエレシュキガル。どうしてそうなってしまうのか。というか、その頭には脳ではなく夢と希望的なふわふわした何かでも詰まっているというのか。特に迷うこともなく楽観的にお茶会のセッティングをしようと走る。行動があまりにも早い。思いついたら即行動を地で行く女神。いつもの慎重さと臆病さはどこへ置いてきたのか。ルンルンとスキップをしながら廊下を歩く。

 

 こうして、エレシュキガルはバターケーキを作るべく、いつもお茶会に使う部屋へと向かうのだった。

 

 ……黒焦げ物体生成までのカウントダウンが始まる。

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

「…………」

 

 立香は、(わだかま)りの残った面持ちで部屋の寝台に腰掛けていた。

 

 あの後のことを、よく覚えてはいない。ただ、何かを言って立香は逃げた。納得はいっていたのに、呑み込むことがどうしてもできなかった。

 

 全て繋がったからだ。死を受け入れる考えを持つ人に高齢の人が多かったわけも、若者達がこの話にいい顔をしなかったのも、移民達がアンヘルの墓を荒らしたのも。

 

 今この国に残っているのは、アンヘルことを知らない人。もしくは自らの命を天秤にかけなかった人。もしくは……天使の証によって、死に損なった(・・・・・・)人たちだ。殺人の夜(キリングナイト)で一度死に、耐性を得た……得てしまった人たち。

 

 それらを全て理解した上で。こうして、燻っている。

 

 もっとスッキリすると思っていた。もっとはっきりわかると思っていた。

 

 でも結果はどうだ。口には苦い何かが広がっているし、思考にはモヤがかかって、どうしてもぼんやりしてしまう。

 

 寝台に寝そべって、天井へと手を伸ばした。自らの手の届かない何かに、手を伸ばすように。

 

「………死んでもいいと思うほど、大切な人って……なんなのかな」

 

 そう、例えば。立香は、マシュのために──

 

(……やめよう。こんなこと、考えるだけ無駄だ)

 

 体を起こす。……どうも、いろいろなことがありすぎてナーバスになっているようだ。体を動かせば、もうマシにはなるだろう。

 

 ……そういえば、ハーメルンは起きただろうか。もしも起きているなら、ハーメルンにも事情を説明しなくてはならない。そう思い、自室を出てハーメルンの部屋を開ける。

 

「…………いない……?」

 

 ハーメルンのいた寝台は、もぬけの殻になっていた。部屋を間違えたかと思ったが、ベッドにはつい先ほどまで寝ていた跡がある。ハーメルンの部屋は名ばかりとなっていて、基本的には立香の部屋にしかいない。寝台が荒れているなら、この部屋で間違いはないはずだ。

 

「起きたのか………?」

 

 首を傾げながら口に出してみるが、例え起きたとしても、この部屋から一階に降りるなら立香と鉢合わせるはずだ。だとしたら………

 

 なんとなく、嫌な予感がする。

 

 少し急ぎ足で屋上への階段を駆け上がり、少し老朽化した木製の扉を開け放つ。

 

 びゅう、と一陣の風が吹いた。冷たい夜風が肌を刺し、数瞬の間目を閉じる。

 

 

 

 次の瞬間。目の前に広がってたワンシーンに、立香は呑まれた。全ての思考は停止し、目はその様子だけを脳に届ける奴隷に成り下がる。

 

 新月の夜に、一人の少年の笛が響いていた。

 

 月のない夜に退屈した妖精が現れたが如く、月のない空の下で笛を吹く一人の少年。星と光帯の光を受けて、暗い世界で砂金のように美しく輝く。

 

 いつもと違うのは、目元近くまで被られているフードが首元で纏められていること。何があっても寝るとき以外に脱ごうとしなかったレインコートの幕が、今この時はハッキリと外れている。

 

 それによって見えるものは、宝石を鋳溶かしたかのような、まっすぐな琥珀色の髪。男にしては豊かに伸ばされた髪が風に靡いて、完璧とまで称していい顔のあたりから、腰近くまでに至る美しい光の川を作り出していた。

 

 そしてまた。耳元に届く音色も、完璧の一言。優美さの中に激しさがあり、しかし短調だからか少しの寂しさを感じさせる。クタで聴いた間延びして抜けた音とは、全く違う一つの芸術が小さく静寂のウルクに響き渡っていた。

 

 

 

 何分。もしくは、何十秒その場に立ち尽くしていたか。いずれにせよ、風に乗った音が止むのに、そう時間はかからなかった。

 

 目を閉じて笛に心を傾けていたハーメルンが立香を認識した途端、ぽろっと手から笛を落としたからだ。

 

「……ぁ………親様……」

 

 ハーメルンが、何かに怯えるかのように立香の方を見る。

 

「………ごめん、なさい……うるさかった……よね」

 

「ぜ、全然!そんなことなかったよ!」

 

「ぁ…………ごめんなさい…………」

 

 本心からの言葉を口にするが、ハーメルンは目を伏せ、再び謝罪の言葉を口にした。……普段より、心が不安定になっているような印象を受ける。だが、どうやらまた暴れ出すような様子はなさそうだとホッと一息ついた。

 

 いつものように屋上の縁に座り込んで手招きをすると、おずおずと、ハーメルンが倣うように隣に座った。残念なことに、フードでその貌を隠しながら。

 

 何から話したものか。……とりあえず、最初に話しておかなければいけない内容を口にする。

 

「………その。シドゥリさんのことなんだけど………」

 

 子供には少し辛い話だ。なんとか言葉を柔らかくして伝えようと思ったが、予想に反してハーメルンはゆるゆると首を横に振った。

 

「……………ううん。知ってる。………親様の回路(パス)から、伝わってきたから。………ごめんなさい、親様。…………ボクは、あの時………ボクは………」

 

 ハーメルンが言わんとすることが、なんとなくわかってしまう。気にしているのだ。あのとき、大人に手を上げてしまったことを。

 

「いいよ、そんな!……ハーメルンが手を出さなかったら、俺があいつらをぶん殴ってたよ!」

 

 言っていることはあながち嘘ではない。本当に、ハーメルンがいなかったら立香はあの移民たちを殴り飛ばしていただろう。茶化して下手なシャドーボクシングの真似事をしながら、シッシッと口から声をだしてみる。

 

 精一杯ふざけてみた。が、ハーメルンは笑わなかった。変わりに何か眩しいものを見るように、少し目を細める。

 

 場に、なんとも言えない空気が流れる。少し、気まずい。

 

 そんな中、突拍子もなくハーメルンが口を開いた。

 

「…………親様。ボクのこと、好き?」

 

「うん!?………あ、あぁ。好きだよ」 

 

 一瞬耳を疑ったが、すぐにそれが『好意的な』好きを尋ねているのだと気づく。……危うい。ただでさえ少女のような顔をしているのだから、誤解を招くような発言はやめてほしい。

 

「………そう。………なら、もう………いいかな。………もう、いい……な」

 

「………ハーメルン?」

 

 足をぶらぶらとさせて、振り子の要領で立ったハーメルン。月夜の下で、まるで踊るようにくるりと振り返った。丈の長いレインコートが、まるで飾りの布のように空を舞う。

 

「親様。部屋に、行く。……教えるね。………見せるね(・・・・)

 

「え?あ、ちょっと!」

 

 立香が引き止める間もなく、ハーメルンは屋上から中へと入ってしまう。

 

 ……ついてこい、という意味なのだろうか。

 

 困惑したまま、立香は屋上から二階に降りるドアを開く。何か、マズいことをしてしまったか。そんなことを思いながら、立香は自分の部屋の前に立った。

 

 部屋に入ると、ハーメルンは寝台に腰掛けていた。眠るつもりではないようで、少し落ち着かない様子で、深くフードをかぶっている。暗くて、その顔色は伺えない。座るのを勧められ、立香は訳もわからないままハーメルンの隣に腰掛けた。

 

 

「………親様。ちゃんと、見ててね?」

 

「……え?」

 

 立香が呆気にとられたほんの一瞬。その間に、ハーメルンのレインコートが霊体に変わって消えた。途端にハーメルンがいつも通りの肌着一枚の姿になり、立香はかつてない速度で別方向に目をやった。

 

「は、ハーメルン!何やってるの!?早く服着て……!」

 

「……ううん。違うの、親様。ちゃんと(・・・・)見て(・・)

 

 普通に考えておかしい流れに立香が難色を示すが、ハーメルンは首を振りながら否定する。見るも何も、温かみのある光を反射させて、やけに色気立つハーメルンの姿だけで、立香のキャパシティは完全にオーバーしてしまっているわけなのだが。

 

「ボクを……見て。視界に入れるだけじゃ、ダメ。……ちゃんと、見ようとして見て。……じゃないと……見えない(・・・・)

 

 そう言われて、ハーメルンの方向に顔ごと目をずらされる。露わになっている雪のような白い肌から反射的に目を逸らしそうになるが、今度は言われた通りにしっかりと意識して、真っ向から目を向ける。

 

 視界に入れるのではない。キチンとハーメルンに視点の像を合わせて、見る(・・)

 

「……………は?」

 

 そして、立香は。

 

「……なんだ………これ………」

 

 自らが、どれほど現実から目を背けてきたかを知ることになった。

 




 無知が罪とはよく言ったもの。
 さぁ、宴もたけなわ。
 盛り下げてまいります。


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第六節 愚者たちの宴 (3/4)

 暗殺者とは。
 アサシン、とは。

 殺しという一線を、犯した者たちである。



 

 

 

 優しくない人に、なりたかった。

 

 

 自分のことしか考えず。

 

 自分の周りのことなんて一切気にせず。

 

 人を殺したとて、罪悪感の一つも覚えない。

 

 そんな、優しくない人になりたかった。

 

 

 セカイは、理不尽だ。

 

 優しい人は傷ついて、使われて、殺される。

 

 優しくない人は、傷つけ、使い、殺す。

 

 逆転劇なんて、ごく一部。

 

 最後の最後は、優しくない人が幸せになる。

 

 優しい人が優しくなくなったら怒られて。

 

 優しくない人が優しいふりをしたら褒められる。

 

 

 ねぇ、親様。

 

 どうして、(ボク)を優しくしたの?

 

 どうして、ボクを騙したの?

 

 悪い方が生きやすいに決まってるのに。

 

 悪い方が幸せになれるに決まってるのに。

 

 

 ねぇ、どうして───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ボクに、優しい人になった方がいいなんて、嘘を教えたの?

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 何かが焦げきったような異臭が充満する一室の中。

 

 そこには、まさに地獄と表現して相違ない光景が広がっていた。

 

 流し台はボコボコと紫色の泡を吐き出し、鍋はまるで泣いているかのように一筋の水分を滴らせ、ベコベコに凹んでしまっている。呪術的な儀式が行われていると言われても、誰も疑いはしないだろう。

 

 そしてついに、その闇を晴らすかのように一筋の光明ならぬ、芳しい匂いが立ち始める。

 

「…………うん!できたわ!」

 

 存外。存外にも、エレシュキガルはなんとかバターケーキを完成させた。……といっても、想定していたよりもかなりの時間をかけた上、きっちりと暗黒物質は精製した。

 

 お陰様で異臭を嗅ぎつけたアンヘルが「エレシュキガル様、黒魔術するにしてもここではちょっと……うひゅっ……ぉ、う……」と何かを言いながらドン引きして何処かへと消えていった。

 

 エレシュキガルは「しめた!何か勘違いしてくれた!」と喜んでいるが、明らかに致命傷だ。恐らく胃の中身を華麗にリバースしたことだろう。

 

 ……とまぁ、かなり本末転倒気味にはなったが、しかし。結果的には目標は一応果たされた。

 

「ふぅ……これで明日のお茶会は完璧なのだわ!」

 

 誰か辞書を持ってきてくれ。

 

 もはや一室は凄惨な事件現場を思わせるほどぐちゃぐちゃだ。管理の行き届いた簡素ながら小綺麗な部屋は見る陰も無く、控えめにいってゴミ屋敷のレベルまで落ち込んでいた。

 

 だが、壮絶な部屋の様子を振り返ることもなく、多くを犠牲にして一つの成功例を手に入れたエレシュキガルはルンルンでバターケーキを皿に移す。

 

「これであとは、明日を待つだけね!………それにしても、いつもより遅くまで起きちゃったわ。アンヘルは、今頃寝てるかしら?」

 

 部屋を出て、自室に戻る途中。体感時間だが、かなり時間が経過してしまっていることに気がつく。気のせいでなければ、いつもエレシュキガルが睡眠………ではなく、意識を移し替える(・・・・・)時間に比べて、今はかなり遅い時間だ。随分と、夢中になってしまっていたらしい。

 

 だが、不思議とああも興奮しながら物を作っていると、なかなか床に入ろうという気にはならない。

 

 自室の寝台にぼけっと寝そべってみても、興奮して目が冴えてしまっているせいか、なかなか眠ることができない。目を閉じてみても、意識はハッキリとしていて淡々と時間が過ぎていく。なんだか、勿体無い気がしてながらなかった。

 

「………あ、そうだわ!久しぶりに、あの小説でも読みましょう!いい加減、内容も忘れてきたことだし!」

 

 何かやることは、と考えて脳裏をよぎったのは、物珍しい革製の本のことだった。貴重な羊皮紙を使ってできた一冊ということもあって、なかなか素晴らしい出来の本であった。……すこし大人向けな表現や状況もあるのが玉に瑕だが。

 

 もう全て読んでしまったものではあるが、名作というのはいつ目を通しても面白いものだ。それに本を読めば、自然と眠くなることだろう。

 

 ……今回は、本当にそのまま眠ってしまうのもいいかもしれない。そう思いながら、エレシュキガルは自作のポエムやらが陳列した本棚から、お望みの本を抜き取った。

 

(………いい加減、この本棚も整理しなくっちゃ。……アンヘルには触らないように言ってあるけど、あの詩とかあの詩とか、もし読まれたら恥ずかしくて死んじゃうだろうし)

 

「………そういえば、この箱だったっけ。細工してあるのは………………え?」

 

 そして、エレシュキガルは本を箱から抜き取ったタイミングで、気がつく。

 

 ……………二重底状にしていたはずの本の化粧箱から、隠してあったとある鍵が消えていることに。

 

 

 

 

 

 

 

 そして。

 

 

 カチッ、と。

 

 メスラムタエアの何処かで、禁断の扉が開く音が響いた。

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 思えば、寝ているハーメルンに注目したことはなかった。まじまじと半裸の子供を見るなど明らかに人道から外れた行為であったし、普通に変態的行為だったから。

 

 それ以外にも何度かハーメルンのステータスを見たことはあったが、あくまでそれはデータの方に注目していたのであり、その背景にいるハーメルンは、視界から外れていた。

 

 だから。思えば、こうしてハーメルンの体を意識しながら直視……いや。直視ではなく、観測(・・)すること。それは、立香には初めてのことだった。

 

「………気持ち悪い、でしょう?」

 

「……ぅ………ぁ……」

 

 自らの体を寝台に預けながら、恥ずかしそうに自嘲の笑みを溢すハーメルン。「そんなことはない」と思った。「違う」と口に出したかった。でも、あまりの衝撃に、口は喘ぐように乾いた空気を吐くことしかできない。

 

「こういう、結界なの。……見ようとしないと、絶対見えない……かみさまの皮……ごめんなさい。……やっぱり………気持ち、悪いよね」

 

 神秘のベールを脱ぎ去ったハーメルンの肌は、確かに白かった。乙女の柔肌のように。汚れを知らない天使のように。その肌は白かった。

 

 ………そしてそこで、一般的と呼べる描写は、全て終わりを告げていた。

 

 

 骨格は歪に折れ曲がり、所々は見るに耐えないほどの破損(・・)を抱えて。腹や腕は、青や赤い痣がない場所を見つけるのが難しいほど。火傷の爛れたような痕や、何かに刺されたような古傷すらある。そしてなにより、それらのことが素人目にわかるほど、骨が浮き出て痩せこけた体。

 

 子供が負うには……いや、それどころか、人間が負うには、あまりにも重すぎる傷。虐げの痕。凄惨で、猟奇的で、冒涜的で、残酷。

 

「………なんで」

 

 なんで。ハーメルンに、こんな傷があるのか。こんなに、痩せ細っているのか。サーヴァントだから、ではない。子供なのに。ハーメルンはまだ立香に及ばないほどの歳の、どこにでもいるような少年なのに。

 

 どうして。どうして、こんな酷い傷が。

 

 ……いや、そもそも。

 

「………どこで……?」

 

 ひと目見れば、それが最近ついたようなものではないことがわかる。そもそも、サーヴァントは霊体であるため、魔力さえあれば負った傷などは数時間で癒えるはずだ。事実、ハーメルンが海岸やクタでつけていた傷だけ(・・)は、跡形もなく消えている。

 

「………ボクの、生前の傷……今の体は、かみさまに助けられたすぐ後の体。だから……この傷があって『当然』として、座に登録されてる………これ、ずっと治らないの……」

 

 ………口にされたのは、立香ですら知っている理論。

 

『サーヴァントは基本的には死亡時ではなく、その英霊が“最も強かったとき”である全盛期の姿で召喚される』

 

 だから、“最も強かったとき”に負っていた傷があれば、その傷を持ったまま召喚される。彼が死んだその時から、彼の中の時間は停滞してしまった。………そういうことだろうと、直感的に理解する。

 

 だが、理解はしても納得はしたくない。こんな小さな子供に負わせる傷に、正統性なんてあってたまるものか。

 

「………痛く、ないのか……?」

 

 けれど、怒りよりも先にくる感情があった。泣きそうなになりながらも、なんとか尋ねる。

 

 一瞬の沈黙。 

 

 意外、そして、少しの驚き。それらを軽く浮かべたハーメルンは……ホロリ、とその表情を綻ばせた。……とても、儚く。

 

「…………親様は……優しいね。…………大丈夫………」

 

 

 

 

 もう(・・)慣れたから(・・・・・)

 

 

 

 

 目の前が、真っ白に眩んだ。

 

 捕まっていた崖の岩が、無慈悲にも崩れるような。或いは崖下の枝が、ポッキリと折れてしまう。墜落感のような、深い、深い絶望に落ちていくのを、立香は感じていた。

 

(ずっと痛かったってことじゃないか……!慣れてしまうぐらい、痛みを味わったってことじゃないか……!)

 

 驚きと無力感と、そしてそれに気がつくことのなかった自らの愚かさ。

 

 ……どうして。そんなことを、笑顔で言えるようになってしまったのか。そんなことを、平然と言えるようになってしまったのか。

 

 その全てを感じて何も言えなくなった立香に、ハーメルンはポツリ、ポツリと、自分の過去を話し始める。

 

「……はじまりの記憶はね……生温い血と絶望」

 

 自分がハーメルンという村の村長の子供だったこと。だが、幼い頃に両親が死んで、新しい村長の養子となったこと。そして──それからずっと、村全体から奴隷として扱われていたこと。

 

「………色んなことを、された。……痛くて……怖くて……しんどかった」

 

 たったその三言。それだけで完結した彼への仕打ちは、言葉以上に物語るものがあった。

 

 きっと、立香の想像を遥かに超えるほど痛かったのだろう。怖かったのだろう。しんどかったのだろう。苦痛の全てが、その三単語に集約されていた。

 

 ……なんということか。なんということだろうか。目の前の少年は、この齢で、一体どんな地獄を見てきたというのか。

 

「でもね。嬉しいこともあったよ。……愛される(・・・・)、こと」

 

「………愛?」

 

「……月がある日は、夜だけ。今日みたいに月がすっぽり見えない日は、ずっとそう。……裸のまま沢山の人に囲まれて、ずっと。嫌で、苦しくて、痛いのに、色んなものを押し込まれる。それで、終わってから言うの。『これは、愛だ』って。だから、平気。ボクは、愛してもらえてるから」

 

「………………ぁ」

 

 その言葉の意味を理解するのに、一体どれだけの時間をかけただろう。

 

 ……つまり。

 

 つまり。

 

 要約すると。

 

 新月の日。或いは、月が見えない日。彼は、一日中、大人から性的な暴力を受け続けてきたと。そうでなくとも、毎晩ずっと。それを愛と教え込まれて、今の今まで、生きてきたと。そういう、こと。

 

 立香の脳内に、ありありと浮かんでくるものがあった。……それは立香の想像か。或いは、ハーメルンの記憶か。

 

 

 暗い密室に、大人たちが群がるようにひしめきあっている。蟻が砂糖に集るように。或いは、蟲たちが誘蛾灯に誘われるように。沢山の醜い大人たちが、欲望を隠そうともせず蠢いて。その中心に一人、正気すら失われた少年が、痙攣しながらその体を弄ばれている。差し込む月の光すらなく、ただその場所を、深く冷たい暗闇のみが支配していた。

 

 

 あまりにも狂気的なその光景に、堪らないほどの吐き気を催す。なんとか嘔吐する事態は避けたが、体が竦んで、何も言えない。

 

 いつかの会話が、ふと思い出された。

 

 

『………だって…………その方が、親様も、やりやすい(・・・・・)……でしょ……?』

 

『いや。正直やりにくいんだけど……』

 

『…………?じゃあ、もっと、脱ぐ?』

 

 

 あの会話は。ハーメルンが言っていた『やりやすい』という言葉の意味は。即ち。

 

 

『んっ……!親、様……今、なの?』

 

 

 やめて、ではなく『今』と言う言葉。もう、それが指す目的は決定的で。いや、そもそも、眠るときに服を脱ぐ習慣そのものだって──

 

「う、ああああ!!」

 

 立香は、絶叫しながらハーメルンを抱きしめた。悲しくて、怖くて、悔しくて、辛くて。目の前のハーメルンが、まるで消えてしまうようで。堪らず、きつく抱きしめる。

 

 なんで。なんで、この優しい少年が、こんな目に遭ってしまったのか。そんなことを、当たり前に口にできるようになってしまったのか。

 

 ……冷たい。ハーメルンの体は、まるで氷のように冷たい。感情ごと、体が凍ってしまっているようだ。

 

 涙を流しながら、立香はボロボロになった少年が崩れないように、優しく、優しく。立香は、冷たいハーメルンに自らの温もりを与え続けた。

 

 ……だが。

 

「……?親様も……ボクを、愛してくれるの?……いいよ。ボク、親様のこと、大好きだから。……痛くても、我慢、するね?」

 

 ハーメルンに、その想いは届かない。

 

「違う!……違うよ、ハーメルン!!」

 

 だって、ハーメルンは知らないからだ。それ(・・)以外の愛され方を、一つだって知らない。与えられてこなかった。だから立香が抱きしめたことを、そうとしか判断できなかった。例え届いたとしても、その想いの正体を知ることは、ない。

 

「……親様?………なんで、泣いてるの?」

 

 ハーメルンが、訳がわからないといった表情のまま首を傾げた。………他人から共感されたことも、まともにないのか。

 

「どこか……いたいの?……苦しいの……?」

 

 思い当たる節を全てあげるように、困惑した表情を浮かべる。……その語彙が、あまりにも少なくて。いかにこの少年が、閉じた世界で生きてきたのかを実感させられるよう。

 

「……違う……!違うんだ、ハーメルン……!」

 

 自分が出すべき言葉が、まるで纏まらない。言いたいことなら、いくらでもあるのに。教えなくてはならないことなら、いくらでもあるのに。全てが体の中で反響するように響いて、何も言えずに消えていく。結果的に出るのは、ハーメルンを否定する言葉だけ。その過去を、ただ悪と断ずる言葉だけ。

 

「……………親様、痛くないの?苦しく、ないの……?なら……なんで、泣いてるの?」

 

 本当に。

 

 本当に、そんなことすらわからないのだろう。ハーメルンは困ったような顔で、立香のされるがままになっている。体を預けて、泣くこともせず、素朴な疑問を抱くかのように立香を見ている。

 

 そのことが、悲しくて。悲しくて。また、ボロボロ泣いて。その度に、ハーメルンが困窮して、体を少し震わせる。

 

「………違うんだ、ハーメルン。そんなのは愛なんかじゃない!それは!それは──」

 

 それは、汚い欲望だ。単なる暴力だ。

 

 そう言葉にするのは容易い。

 

 だが、本当にそれでいいのだろうか。今まで、それを『愛』として思い込ませられてきた少年に、そんな現実を見せてしまって。

 

「……それは……!」

 

 口から出ようとする言葉は、全てハーメルンを傷つける言葉ばかりだ。何を言おうと、ハーメルンを否定し、その意志を虐げるものばかり。発するべき言葉が、どうやったって思いつかない。

 

「…………そう。やっぱり親様は、優しいね」

 

 そんな立香を見たハーメルンは、慈母のように優しく。優しく微笑んで。

 

「でもね………」

 

 いつかのような、ほんの少しの衝撃。一瞬の不快な浮遊感。手の中に抱いていた温もりが、強引に引き剥がされた。

 

 

 

 立香の胸を押して突き飛ばして。

 

 真っ直ぐに伸びたハーメルンの手が。

 

 トン、という澄んだ音が。

 

 明確に、立香という存在を拒絶していた。

 

「……親様。ボクは、ヒトゴロシ、なんです。だから……近寄っちゃ、ダメ……不幸に、なる」

 

「……人…………殺し?」

 

 耳慣れない単語。立香の故郷では……いや。現代のどの国でも、許されることのない犯罪、殺人。それを、ハーメルンは犯したというのか。

 

 だが、心当たりがないわけではない。

 

 あの夢。大量子供が死んでいるのを見てなお、笛を吹き続けていた……いや、笛で子供の死体を操っていたハーメルン。立香が魘された、あの夢。

 

 そして、墓の前で、殺気を放っていたハーメルン。あの殺気は、立香が特異点で向けられてきたものとなんら遜色ない……いや、どころか、それ以上のものだった。

 

 もしも、ハーメルンが放った殺気が見せかけ(・・・・)ではなく、本物なのだとしたら。

 

 いや、でも。だからといって。

 

「………ボクは、痛いのがや……だった。愛して、貰ってたのに………大人たちを、殺しちゃったの」

 

「……でも、それは………」

 

 仕方のないことじゃないか。他人を殺すなんてことは到底許されない行為だろうが、ハーメルンの過去を聞く限り、その『大人達』は殺されても文句が言えないほどの所業を行なっている。例えハーメルンが殺したのだとしても、それは正当防衛ではないか。

 

 しかし、立香のそんな意思を読み取ったのか。ハーメルンは、ゆるゆると首を左右に振った。悲しそうに、後悔するように。だが確かに。首を横に振る。

 

五千人(・・・)

 

「………え?」

 

「………五千人、殺した………それ以上は、覚えてないの………村の人じゃないよ。……ほとんど、関係ない人。その人たちを、ボクは……」

 

 言葉を、失った。

 

「みんな死んでいったよ。ボクの周囲の人たちは、みんな死んじゃった。味方になってくれた人も、みんな、みんな、ボクが……殺した……」

 

 何を言えば良いのか、皆目見当もつかない。

 

 いや、そもそも。立香が何かをいうことすら、間違っているのではないか。

 

 最低五千人。……文脈から察するに村人ではなく、それ以外だけの数。言葉では少ないのに、その情報が孕んだ重みはあまりにも大きすぎて。

 

 そして、立香は思い出す。

 

 あの悪夢。ハーメルンが操っていた死体は。

 

 子供だった。ハーメルンを虐げていた大人でなく、子供。

 

 つまるところ、ハーメルンは殺す相手を選んでいなかった。

 

 無差別殺人。……それを、大量に。

 

「そんな………そんな、ことって………」

 

「だからね。抱きしめてもらう資格なんて。……ううん。褒めてもらう資格だって……ほんとうは、ボクにはないの」

 

 行き先を失って宙へと伸ばされていた手が、ハーメルンに抑えられてゆっくりと寝台につく。妙に、抑えこんだ手は冷たかった。

 

 柔らかなシーツを握りしめた手をどこにやれば良いのか。立香には、見当すらつかない。

 

「だって、ボク……戻ってた。……村のことを思い出して、殺してやるって。ヒトを、殺した時みたいに。そう、思っちゃったもの。それで気付いたら、手が出てた」

 

 その瞳の奥に隠された感情が一体何なのかわからないまま、呆然と立香は少年(・・)を見た。己が犯した罪の重さだけを知る、穢れた無知な少年を。

 

「ねぇ、親様……」

 

 少年が、立香に問いかける。

 

 最初に会って、初めて発した一言。

 

 たった一つの、残酷な疑問の言葉。

 

 

 

サーヴァント、フォーリナー。真名を、ハーメルン、です。アナタはボクを……

 

 

赦して(・・・)、くれますか──?

 

 

 

 

 

 

 

 ハーメルンが発した、あまりにも重いその問いに。

 

 立香はとうとう、答えることができなかった。

 

 

 




 

 どうした?お前らの好きな無知シチュだぞ。喜べよ。


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第六節 愚者たちの宴 (4/4)


 知っていて後悔する者と。
 知らなかったことで後悔する者。
 或いは、知らないフリなのか。
 それは定かではないが。
 後悔の幅は、一体どちらが大きいのだろう。

 そんなビターな真実をお伝え。
 ミルクと砂糖とタピオカは別途料金がかかります。


 絶対にここへは行くなと言い含められている場所は、いくつかあった。

 

 そこは神の魂が封じられている場所だったり、人の魂を乗っ取る化け物の巣窟であったり。いずれも危険な場所だったから、特に疑問を覚えることはなかった。

 

 ただ、その中でたった一つだけ。違和感を覚える場所があった。

 

 どこに違和感を覚えたか。そう言われると、説明はできない。ただ、案内される際に一度だけ見た時、明確に『ここにあってはいけない』ような扉があったのが、印象に残っていたのだ。それに、普段入らないような人気のない地下で、危険でもなさそうだったことを疑問に思った。そして、鍵を見つけたとき。それはこの扉で使う物だと確信した。

 

「………ごめん。エレシュキガル様」

 

 心の中で謝罪してから、立ち入りを禁止された場所へと足を踏み出す。踏み締めるその一歩が、重い。

 

 ……扉は、アンヘルを妨げるようにのっぺりとした木目を晒している。どこか、他の部屋のものとは違う気配がする。

 

 期待。焦燥。後ろめたさ。

 

 それらを振り払って、アンヘルは木製の鍵を、そっと鍵穴へと差し込んだ。

 

 ぬるり、と。鍵は鍵穴へと入り込む。まるで、そこに存在していることが当然であるかのように。そしてほとんど力を必要とせず、ゆっくりと左へ曲がり………音を立てて、扉を開いた。

 

 汗ばんだ手が、震えながらドアノブに手をかける。

 

 

───ホントウニ、アケチャウノ?

 

 

 そんな声が聞こえた気がした。

 

 後ろ髪を引かれたように、振り向く。

 

 当然、そこには誰もいない。ただ、恐ろしいまでの闇と静謐が広がっている。

 

 杞憂だったことに安堵の息を吐いて、もう一度扉へと向き直る。

 

 手首を回して、少し押すだけ。それだけの作業をすれば、その先の真実が見える。アンヘルに隠されていた真実が明かされる。

 

 だが、その行為は裏切りだ。これでもし、扉の先に何もなかったら、エレシュキガルが、アンヘルに関する何かを隠してなどいなかったら。

 

 今ならまだ引き返せる。何も見なかったフリをして。寝ているエレシュキガルの寝室に忍び込んで、この鍵を戻せば。何も見なかったことにして、ぬるま湯の日常に、また。

 

 それを望む自分は、きっと心のどこかにいる。

 

「…………開ける」

 

 右手を、左手で握る。震える手を、無理やり押さえ込む。

 

「開ける。開けるんだ。……押せ。……真実から、目を、逸らすな」

 

 ノブが、呆気なく回る。軽い感触が、扉が開いていることを教えてくれる。

 

 一息に、アンヘルは扉を強く押し込んだ。

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 美しい、緑を見た。

 

 輝かしい、金色を見た。

 

 街を見た。人々を見た。

 

 

 

 

「………これ………は………」

 

 

 頭の中が、真っ白になった。

 

 その部屋では、およそ九割を『それ』が占めていた。残った場所には、ペンや器、蝋や羽ペンが、所狭しと散らばっている。いずれも、エレシュキガルの部屋で見たことがあるものだ。

 

 では、その『それ』がなんだったのか。

 

 知識のないアンヘルでも、それはたった一言で表せた。

 

 

 

 『キューブ(・・・・)』だ。もしくは『箱』と表現していい。

 

 青白く透明で、巨大な立方体のような何かが、部屋で存在を主張するかのようにすっぽりと収まっている。もしくは、浮遊しているのか。

 

 硝子か。或いは鉄。もしくは雲母のように思えるそれは、しかしどれもその材質と違うように感じた。表面には模様も何もなく。ただ内側に光の筋がいくつも通っている。明らかに、人の知能を超えた代物だった。

 

「………なに……なに、これ!?」

 

 想像を絶する光景に、半分狂乱気味にアンヘルは叫んだ。

 

 箱の中の光は断続的に脈動し、まるで箱そのものが生きているかのような不気味さを感じさせる。

 

 まじまじとその中身を観察していると、部屋の外から一粒の青い球………アンヘルが見慣れた、人の魂(・・・)が入ってくる。それがキューブの中心に達した時。青白い光が、一瞬だけ強く輝いた。

 

 そして、悟る。

 

 これは。この箱は。

 

 人の命を(・・・・)魔力源として(・・・・・・・)吸っているのだ(・・・・・・・)

 

 呼応するかのように、ドクン、と青い光が再び脈動する。

 

「…………そんな」

 

 だが、例えこれで魔力を吸ったとして。一体、何をするというのか。膨大な魔力が、集まった端から消費されていく。こんな非人道的なものの、使い道。そんなもの、考えたくもない。

 

 そもそも、こんなものを隠して、エレシュキガルは一体何をしようとしているのか──

 

 

 ……そんな思考は、ある一点を見た瞬間に吹き飛んだ。

 

「…………ぁ………」

 

 

 箱の中心。ただ単調に青白い世界。その真ん中に。何か、赤いものがある。

 

 それは、あまりにも冥界に似つかわしくないものだった。綺麗に磨かれているわけでもない。大きいわけでもない。美しく輝いているわけでもない。

 

 だがそれは。まごうことなく、美しい宝石だった。

 

 ルビーのように輝く、ほんの一粒の宝石。それが、光線の中心になるかのように鎮座していたのだ。

 

「………あれは……」

 

 無意識に、アンヘルは手を伸ばした。届くわけもないのに。手を伸ばした。恐ろしく、冷徹な箱に、ほんの少し指先が触れる。

 

 

 は      息が止ま   

     痛い

 凍える   死んでいるのに

           痛い

 焼ける         燃える

     痛い

 焦げて  溶ける

          痛い

 どこに      神経が

      痛い

 体が   炎が

          痛い

 離せ   すぐに手を──

 

 

 

 

「……僕は…………何、を?」

 

 ハッと、意識が戻る。

 

 ……箱に触ったせいで、あんなことになったのだとすぐに理解した。

 

 そして。理性を取り戻したアンヘルは、どうして自らがそんな行動を取ったかに気がつく。

 

 あの宝石は(・・・・・)、他ならぬアンヘル自身だ(・・・・・・・)

 

 例え離れていても。それだけは断言できた。あれは、自らの一部だ。離れて、ずっと探し求めていた何かだと。

 

 そう、反応が訴えていた。

 

 自分のことだ。なによりも、自分が一番理解できている。

 

 そして、あの宝石にはきっと──

 

 

 

 全身が、震える。

 

 恐怖もある。だが、それ以上に心に沸き立つ感情があった。

 

 

帰り、たいよ………

 

 床の上で、拳を握りしめる。

 

 ずっと、胸に渦巻く思いがあった。

 

『約束』という単語を聞いてから。藤丸立香と出会ってから。

 

 ……『エルキドゥ』と『ギルガメッシュ』という、顔も知らない二人の名前を聞いてから。

 

 頭にフラッシュバックする光景がある。焼きついて離れない記憶がある。

 

 美しい緑。鮮やかなまでの金。いつか、そんな何かに憧れて。そして、何かを思ったはずなのに。大切な何かを、置いてきたはずなのに。

 

帰り……たいんだ……!!

 

 その姿が。その内容が。それだけが、何があっても思い出せない。

 

 モヤがかかったのとは違う。まるでそこだけが切りぬかれたかのように。虫食いになって、見えない。

 

帰りたい!!帰りたいんだ……!!

 

 その場所の名前なんて知らない。その人たちの名前なんて知らない。思い出なんて、欠片だって残っちゃいない。

 

 それでも、胸に渦巻くのは。

 

 溶解しそうなまでの熱を持った、郷愁の念。

 

「返して……!僕の記憶を、返して!」

 

 冥界で、今まで感じてきた謎の焦燥感。チクチクと針で刺されるような、真綿で首を絞められるかのような、穏やかな焦げ付き。それら全てが、いっぺんに爆発したかのようだった。

 

 絶叫する。目の前の無機質な箱に向かって、届くはずもない声を上げる。

 

 

返せよっ!僕の記憶を返せっっ!!返せよ……!

 

 箱を壊そうと殴りかかって。

 

 また、破滅するような痛みを味わって弾かれる。

 

 あまりの無力感に、涙が漏れた。

 

 近づくことすら、許されない。

 

 こんなに近くにあるのに。手を伸ばせば、届きそうな距離にあるのに。

 

 たった数メートルだけの悍ましい箱が、その道を残酷に閉ざす。

 

返して………返して、よ……

 

 もう、惨めに床にへたり込むことしかできなかった。

 

 弱い。

 

 アンヘルは、なんと弱いのだろう。

 

 自らの弱さを呪いながら、密かにアンヘルは嗚咽を零す。胸に渦巻く懐古の意味を、知ることすらなく。

 

 

 ……故に、気がつかなかった。

 

 

 

 

 いつもなら寝ている時間帯で。

 

 扉の裏で、聞き耳を立てていた存在に。

 

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

「帰り、たいよ………」

 

「帰り……たいんだ……!!」

 

「返して……!僕の記憶を、返して!」

 

「返せよっ!僕の記憶を返せっっ!!返せよ……!返して、よ……」

 

 

 聞き耳を立てていた主……エレシュキガルは、無意識に後ずさった。

 

 

 ………わかっていたはずだ。以前の彼には、大切なものなど山ほどあったことなど。

 

 わかっていたはずだ。それに比べれば、こんな地の底で暮らす女神が、彼にふさわしくなんかないこと。

 

 わかっていたはずだ。こんな後ろ暗いことをしている自分が、相手にされるはずがないなんてこと。

 

 …………わかっていた、はずなのに……

 

 

「────ッあ──」

 

 

 罪悪感が、胸にこみ上げる。

 

 ずっと逃げてきた。ずっと目を逸らしてきた。その現実から。その事実から。

 

 この幸せな世界は、記憶を失う以前のアンヘルの全てを犠牲にして成り立っていることを。

 

 ………でも、それだけじゃない。それだけでは、確実になかった。

 

 自らの大切を遮るものに喚いて、怒りをぶつける彼。泣いて転がって、それでもなお強い芯が通った彼。

 

 ……なんて眼をするのだろう。そう思った。

 

 激情に塗れて。苦しみと、怒りと、狂気と。それらが混ざって、ドロドロに曇っているのに。その瞳の奥に、狂おしいほどの慕情と、旧懐を感じた。

 

 そんなもの、エレシュキガルは一度たりとも見たことがなかったのに

 

 これは、きっと嫉妬だ。エレシュキガルは、きっと嫉妬している。

 

 記憶を失った彼になお思われるウルクの民に。あれほどの感情を向けられる、地上の人々に。そして、それが自分に向けられないことを、なによりも妬んでいる。その想いの先にあるのが。一番が、エレシュキガルでないのが。この上なく妬ましい。そしてそんな馬鹿なことを思う自分が、許せなくて。

 

 胸が、痛む。鋭い痛みに、深く、深く貫かれて。心臓が握り締められるようだ。胸が締め付けられるなんて、本の中の陳腐な表現、痛みとは縁遠い自分にだけは絶対に当てはまらないと。そう、思っていたのに。

 

 痛い。痛い。ズキリと心の奥底が痛んで、きゅうっと、締め付けられて。悲鳴を上げる。

 

 切り刻まれる。思い出も、好意も。ズタズタになって、ボロボロと崩れ落ちて。また湧き出て、流れ落ちて。何度も何度も、痛くて。

 

 呼吸すらできない苦しみが、全身に広がっていく。

 

 苦しくて、苦しくて、苦しくて。──それ以上に、舞い上がっていた自分が恥ずかしくって。

 

「──ぁ─────く、ぅ──」

 

 急いで、エレシュキガルはその場を離れた。遠くへ、遠くへと駆け出す。全力で走って、転移も使わずに惨めに疾走して。

 

 駆けて。駆けて、欠けて、懸けて、駈けて。

 

 ……さっきまでいた部屋に飛び込んで、荒い息を整えた。

 

 空気を求めて、体が喘ぐ。肺が冷気を取り込んで、灼けるように熱い。

 

 記憶が曖昧だ。自分が何を思っているのか、欠片だってまとまらない。

 

「………何、やってるんだろう、私……」

 

 落ち着いて。心が体に追いついた途端。

 

 目から、大粒の雫がこぼれ落ちた。一つ、二つと落ちていくそれが、無機質な床に染み込んで、色濃いシミを残す。それを拭って、でも頬にはまだ熱い液体が流れていて。

 

「なんで、泣いてるのかしら………?」

 

 拭って、拭って、拭って。どれだけ拭っても、その液体は消えてくれない。

 

「なんで、なんで……!」

 

 違う。違う。これは決して、涙などではない。涙と認めるわけには、どうしてもいかない。

 

 だって。そんなの。異性の隠された感情を知って。自分が相手の眼中にもないとわかって。それで泣いてしまうだなんて。そんなの。

 

 ………まるで、恋する乙女のようではないか。

 

 

「ぁぁ、うぁっ……!」

 

 

 目に貯めた涙を流して、泣き叫ぶ……そのことだけは、なんとか堪えて避ける。そんなことをすれば、エレシュキガルは自ら命を絶ってしまうだろう。あまりにも情けない。それはあまりにも独りよがりで、あまりにも身勝手な嘆きだからだ。

 

(……気づくな……気付くな……)

 

 気づいてはならない。エレシュキガルは、今胸に渦巻くこの想いに気が付いてはならない。そんなことは許されない。

 

 だって、どうしろというのだ。さんざ自分に都合の良い状況を作っておいて。彼にあんな激情が秘められていたことを、十年以上知ることすらなくて。ずっと閉じ込めていて。あんな表情をさせて。その上で、彼のことを。彼を、そう(・・)思うだなんて。

 

(気づくな………気付くな………!)

 

 だって、知らなかったのだ。エレシュキガルは、アンヘルのあの感情を知らない。知らなかったのだ。知ることすらせず、呑気に過ごしていた。これから、どんな顔をして彼に会えばいいというのか。

 

 顔を脚に埋めて、隠すように嗚咽を漏らす。……忘れよう。そう思った。この想いから目を逸らして、当たり前の日々に戻ろう。変化がないけれど平和な。ちょっとお茶会をして、二人で仕事をする。それだけの日々に戻るために。こんな想いを忘れて仕舞(しま)って。心の奥底に、埋めなくてはならない。

 

(気づくな!気付くな!)

 

 何度もそう言い聞かせているのに。何度もそう反芻しているのに。嗚呼(ああ)。でも。この気持ちを、隠し切ることなんてできなくて。自分に嘘をつくのが、これ以上ないほどに難しくて。

 

 心が、一向に納得してくれない。

 

 ………そして。

 

「……好き………」

 

 ついに、致命的な一言が口から漏れた。

 

「好き……好き……!」

 

 一度言葉にしてしまえば、それは止めようがなく喉の奥から溢れて。何度も何度も、とめどなく口から溢れ出ていく。

 

(私は、アンヘルが、好き。一人の男の子として、好き)

 

 その事実が、どうしようもなく真実であることを。隠すことができないほど正しいことを、遂にエレシュキガルは認めざるを得なくなる。

 

 彼の顔が好きだ。彼の声が好きだ。彼の動作が好きだ。彼の言葉が好きだ。彼の態度が、彼の優しさが、彼の心が。思い出せば思い出すほど、こみ上げるほどに彼の好きなところが思い浮かんで。ふわふわとして、いてもたってもいられなくなる。

 

 嫌われるなんて、嫌だ。ずっと彼の傍にいたい。ずっと彼の共にいたい。

 

 冥界を出て行って欲しくない。記憶を取り戻して欲しくない。自分を、一人にしないで欲しい。

 

 でも、それは。その感情が、欲望が、渇望が、最後に行き着くところは。

 

 きっと、自らの手の届かない地獄だろうと。

 

 そんな確信と悲しみが、エレシュキガルの心と目尻を濡らした。

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 人類最後のマスターが、己の無知を呪った夜。或いは、冥界の女神が自らの感情を知ってしまった夜。

 

 神殿に、最悪の一報が入る。

 

「ギルガメッシュ王に、至急の伝令!!伝令!!」

 

「何事だ!」

 

「魔獣戦線に、致命的な大穴!ムシュマッヘ、ムシュフシュ、その他多数が侵入!!牛若丸様とレオニダス将軍が応戦していますが、犠牲者は未知数!!」

 

「ほ、北壁が………突破されました!!」

 

 運命は、残酷にも捻じ曲がっていく。

 




 愚かな宴はこれで終わり。
 どれだけ後悔しても後の祭り。
 宴の後は後片付け。
 世界ごと壊して仕舞いましょう。

次回予告



『あなたが出した結論なら、それが答えでしょう?』
『不思議だね、親様』
『失敬、魔術師殿!』
『アナタは、悲しいね…』
『吠えたな、虫ケラ風情が!』
『だから、だからね───』

第七節 破滅への序曲


※前言撤回。牛若ちゃんだけですが出ます。


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第七節 破滅(はめつ)への序曲(じょきょく) (1/5)

 全ての始まりを、思い出す。

 

 

 人理を滅ぼす獣に、召喚された。

 

 

 その獣に、憐憫を与えられた。

 

 

 そして、あろうことか、その理に救いを求めてしまった。

 

 

 自らの過ちを、思い出す。

 

 

 一年間。魔術で引き伸ばされていたから、体感では十年か、百年だったろうか。

 

 蟲たちに、身体中を抉られ、貪られ、窒息しそうな中。

 

 たった二つの欠片に縋った。

 

 生前の大切なものと。

 

 絶対に忘れてはならないもの。

 

 それらを心に、少年(少女)は今バビロニアに立っている。

 

 

 故に───

 

 

「見つけたよ。随分と手間取らせてくれたね」

 

「………はぁ。つくづく最っ低だな、グランドキャスターって奴らは……です」

 

 

 少年(少女)は、孤独であらなくてはならない。

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 北壁が、突破された。その情報を得たギルガメッシュの行動は早かった。すぐ様北壁へ、立香達カルデア一行と一個軍隊……ウルク中の戦力の三割を投入。また、北壁から漏れ出た魔獣への対策として防壁の強化を徹底した。

 

 かくして一同は、全速力でウルクから魔獣戦線へと向かった。道中の魔獣を何匹か倒しながら進んだ彼らが、ウルク北壁で目の当たりにしたものは。

 

 

 

 

 

『特に……何もなかっただってぇ!?』

 

「え、ええ。魔獣を二、三匹程度漏らしはしましたが、戦線が突破されるようなことは何も……なぁ?」

 

「はい。ここ数日、変わったことは特に。大方、恐怖に駆られて逃げ出した兵が適当なことを言って誤魔化したのでは……?」

 

「そんなことが……本当に?」

 

 別段問題なさそうに機能する、魔獣戦線の姿だった。

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

「おや、皆さんお揃いで!どうかなされましたか!?」

 

「いえ……ちょっとした誤報に踊らされまして……」

 

「ふぅむ?それはまた一大事!情報とは即ち戦の命!取りこぼすと文字通り命の危険に晒されますぞ!」

 

 そんな大変ごもっともな意見を口にするのは、上半身裸の筋肉ムキムキマッチョマンの……ではなく。

 

 いや、上半身裸でムキムキな挙句妙ちくりんな仮面をつけた秀逸な格好なのは確かなのだが。とにかく、この北壁を守護する要ともいえる存在。スパルタの王にして、現在はサーヴァントとなっているレオニダスⅡ世だ。ギルガメッシュ王が召喚したサーヴァントの一騎であるという彼は、大袈裟に胸を張った。

 

「何はともあれ!手違いとはいえようこそいらっしゃいました皆様!お噂はこの北壁にまでも届いていましたぞ!」

 

「そ、それはどうも………で、いいんでしょうか?」

 

「ええ!結構!謙遜も素敵ですが、自らの戦果は認めなければ後々になって首を締めますぞ!」

 

 フハハハ、と明るく笑う。……体と心が重い立香には、どうしてもそれが眩しく、愛想笑いを浮かべることしかできない。

 

 その理由は──

 

「ふむ!藤丸殿とマシュ殿とは自己紹介を致しましたが、そちらの小さな御仁は未だお名前を伺っておりませんな!して、そちらの方!サーヴァントとお見受けしますが、一体どちらの英霊で!?」

 

 レオニダスが少し頭を下げて、マシュの横にいる人物と視線を合わせる。

 

「………サーヴァント、フォーリナー……ハーメルン、です。その………よろしく」

 

「ほう!フォーリナーですか!聞いたことのないクラスですが……味方なら正体不明こそ心強いというもの!あいや、よろしくお願い致しますぞ!」

 

 再び大きく笑うレオニダスに、黄衣の少年……ハーメルンは、居心地が悪そうにフードを目深に被る。最初の頃に立香の後ろに隠れ、名前だけしかいえなかった時に比べれば成長だと言えるだろう。

 

 その光景を、どこか複雑な気持ちで立香は眺めていた。

 

 ……人殺しをした。昨夜、彼はそう言った。恨みのまま、心の赴くまま、沢山の人をその手にかけたと。

 

 そして、立香は未だ、ハーメルンからの問いかけに答えを返せずにいる。昨夜はそれだけが頭を巡って、よく眠れなかった。

 

 ハーメルンと物理的にも、心理的にも距離が離れているように感じるのはそのためだろう。目の前の優しい少年はきっと、その重荷を立香に背負わせることを罪悪と思っているから。

 

 そんなことはない、と言いたかった。だが、それだけでは不誠実なような気がした。今立香は、ハーメルンに物事を問われている。それへの返答なしに彼へ声をかけるのは、それこそハーメルンへの裏切りだ。

 

 立香が物思いに耽りながら、ああでもない、こうでもないと延々と続く回答を探していると、対称的にのらりくらりとこちらへ迫ってくる人物がいた。

 

「やぁ、藤丸君、マシュ」

 

 小さな容貌をした花の魔術師は、面白いものでも見つけたかのように満面の笑みをこぼした。

 

「マーリン……」

 

「話は聞いたよ。随分大変だったようだ。まさか北壁に大穴が開いて、そこから魔獣が入ってきたなどと大法螺を吹くものがいるとは……いやぁ、恐怖に駆られた人間というものはわからないねぇ」

 

 呑気に笑うマーリン。完全に肩透かしを食らった立香達からすればいい迷惑なのだが、それを考えた上で笑うから彼は嫌われるのだと思う。見た目が幼いからキレられることはそうそう少ないだろうとは予想できるが。

 

「マーリン君、アナさんは……」

 

「あぁ、アナなら魔獣の退治中さ。彼女も英霊だからね。今頃牛若丸と一緒に魔獣の首でも落としてるんじゃないか?」

 

「牛若丸……ギルガメッシュ王に召喚されたサーヴァントだったっけ?」

 

「あぁ。そして、今現在生き残っている三…… 二騎のうちの一騎だ。他のサーヴァントは、軒並み消えてしまったからね」

 

 後で挨拶をしにいくといい、とマーリンは北壁の向こう側を指差した。

 

 暫く互いの情報交換に専念した後、マシュが困惑を隠せない表情で疑問を述べる。

 

「私たち、どうするべきなんでしょう……?」

 

「ふむ。幸い、兵士たちは北壁との交代がそろそろだったし、それが終わり次第……大体明日の昼といったところかな。それまでぐらいは留まっていきたまえ。もちろん、三人は貴重な戦力だから完全な休暇とはいかないだろうがね」

 

 といっても、最終的な決定は彼に一任するけど、とマーリンはレオニダスへと話を振る。仮面の戦士は抵抗を示すことなく頷き、肯定の意を示した。

 

「ええ、それがよろしいでしょう。幸い、北壁には物資がある程度は流通しております。お客人、それも共に戦う者となれば、不都合はさせますまい」

 

「そういえば……北壁には、随分と賑わってらっしゃいますね。てっきり、兵士の方々だけかと思いましたが……」

 

 北壁は、ウルクと変わらないほどの賑わいに溢れている。流石に規模としてはウルクより小さいが、それでも活気としてはなかなかのものだろう。

 

「この戦線を半年も維持しているんだ。それにはもう、街を作るしかないだろう?それに、ここは殺人の夜(キリングナイト)の影響を受けない地でもあるからね。人は集まってくるものさ」

 

「……そう………なんだね……」

 

 殺人の夜(キリングナイト)。その単語を聞いて、一同の顔が暗くなる。ハーメルンの秘密もそうだが、殺人の夜(キリングナイト)についての真相も、ようやく明らかになった。

 

 ウルクの民の贖罪。アンヘルの助けに応じた望まれた死。……泣き叫ぶシドゥリの顔は、いまだ記憶に新しい。

 

「……ふむ。そういえば、藤丸君達は殺人の夜(キリングナイト)の真相を聞いたのだったね。…………なら、(ちまた)で起こっている不可解な事件の噂を知っているかな?」

 

「事件………?」

 

「あぁ。なんでも自殺、事故以外で、なんの前触れもなく殺人の夜(キリングナイト)によって死亡する人が度々いるらしい。無論、対殺人の夜(キリングナイト)用結界内からは出ないままでね」

 

「えっ……!?」

 

 マーリンが飄々と語った内容に、心臓が飛び跳ねたような錯覚を覚える。

 

 おかしい。殺人の夜(キリングナイト)は、マーリンの作った結界内にいれば安全ではなかったのか。

 

 しかしそんな疑問とは裏腹に、レオニダスは大きくマーリンへとため息をついた。

 

「マーリン殿。不確かな情報で、藤丸殿達を惑わせるのはおやめ下さい。趣味が悪いですよ。あくまで噂。噂です」

 

 レオニダスがマーリンを窘め、事件の信憑性自体は低いことを教えてくれる。あくまで噂、程度のものらしい。

 

「それよりも、皆様を北壁に案内せねばなりませんな!ささ、此方(こちら)へ!」

 

 そうして立香達は、レオニダスに連れられて北壁の様々な場所を案内された。北壁上に備え付けられたディンギルという武装……『人の力を以て神と為す』という意味らしい………を紹介され、北壁の防衛機構の仕組みなどを教えてもらう。

 

 途中、牛若丸とアナに出会って軽く自己紹介を済ませ、レオニダス直々のトレーニング………賽の河原が如きレンガ積み………を行なって、その日は終了した。

 

 

 ……その(かん)、ハーメルンと立香の間には、一切の会話という物が存在しなかった。

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 夢を、見ている。

 

 

『………ふひへ…』

 

 

 少年が、崖の上で一人笑っていた。

 

 

『ふふへへははは!!ひひひひひひ!!あはははははははははははっ!』

 

 

 無邪気に、愚弄するように、狂ったように、嘲るように。少年は、とても正気とは思えないほどの笑い声を上げる。

 

 場面が切り替わった。

 

 少年の足元が、血に塗れた屍の山へと変貌する。赤そのものが凝固したような山は、たちまち少年を腰ほどまで飲み込んだ。

 

『……ふふ…………あ、あぁ…………ぁぁぁ!?』

 

 自らの足元を見るや、少年は嘆くような叫びをあげる。

 

 悔いるように。懺悔するように。少年は、血の沼に溺れながら苦悶の叫びを漏らす。

 

 琥珀色の髪が。蜂蜜色の目が。白磁の肌が。その全てが、紅花の赤へと染まっていく。それらがどんどんと酸化して、赤黒く変色して。少年は、ただ信じられないというように自らの手を茫然と眺めていた。

 

 

 そして、その赤黒い目がこちらを捉えた。祈るように伸ばされたか細い手が、じわじわと視界を埋め尽くして──

 

 

 

 

 

 世界が、終わった。

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 目の前に広がるのは、屍の山でも何でもない平坦な天井だけ。ほんの少し出た朝日に照らされ、自分の寝ている野営地の様子がぼんやりと確認できた。

 

 不安にかられて自らの隣を確認する。そこには、死んでしまったかのように動かないハーメルンが、あどけないと勘違いしてしまう(・・・・・・・・)ほど無表情で眠っている。

 

「…………くそっ」

 

 

 久々の悪夢に頭を掻きむしり、彼を見た瞬間に浮かんだ嫌な思考を弾き飛ばす。本当は何かを言ってあげたいはずなのに。それでも漏れるのは自らへの罵倒の言葉ばかりだった。

 

 体を起こす。時間が早いからか、マシュはまだ眠っている。どころか、ほとんどの人が起きていない。北壁には、清潔な静謐が満ちていた。

 

 少し歩きたくて。北壁を登るための階段へと向かう。ここにいると、どんどん考えが悪くなってしまいそうな気がしたから。

 

 そして、歩きながら、考える。

 

 ……立香は、迷っている。ハーメルンを、どう見るのか。単なる子供と見るのか。或いは、大量殺人鬼の子供として見るのか。

 

 そして。ハーメルンに問われたように。彼を赦すのか。赦さないのか。

 

 本当のところを言うと、ハーメルンを赦してあげたい。言葉通りに、何もないように彼の頭を撫でて。『君は悪くないよ』なんて甘言を、口にしてやりたい。

 

 ただ、それで本当にいいのだろうか。

 

 5000人。彼はそう言っていたが、もしかすればもっと多いのかもしれない。

 

 それだけの人々を奪ったハーメルンを、果たして立香は、本心から赦すことができるのだろうか。

 

 今でさえ、立香は彼のことを少し恐ろしいと思っているのに。

 

 そもそも、赦すことが正しいのかすら、立香にはわからない。そこに至るまでの過程が、どれほど残酷なものだったとしても。それでも。人を殺すということは、許されるものではない。

 

 重い。体がではなく、心が。その選択権を握っている心が、何か乗せられているかのように重量を増していく。それにつれて、やはり体も重くなっていく。

 

 延々と終わらない思考。ぐだぐだと結論の出ない禅問答。それをひたすらに繰り返していた立香は、気がつけば北壁の真上に立っていた。

 

 見下ろすと、魔獣の動きがないからか、兵士たちが口々に悪態を漏らしながら補給を行なっている。先ほどまでの静けさが少しだけ緩和されて、重苦しい気持ちが楽になる。

 

 

 硬い岩の床に座り込んで再び考え直そうとすると、突然何者かが、立香の後ろから音を立てて着地した。…………着地した。

 

「ふぅ!やはり壁を一息に登るのは心地が良いものがありますね!」

 

「………えっと?」

 

 文字通り壁から跳躍し、あろうことか壁へと着地したお転婆英霊。……まさしく武士を思わせる様相の女性。

 

「えぇ、弁慶めには止められましたが、自らの速さを体感するにはこれが一番というもの。それほど時間を費やすわけではありませんが、わざわざ門を通るのは面倒が過ぎま……と、おや?藤丸殿ではございませんか」

 

 武士化粧とでもいうのか。さっぱりとした出で立ちのサーヴァント。牛若丸は、たった今気が付いたかのように立香へと話しかけてきた。

 

「どうされました?まだ日が明けてからそう経っておりませんが。帰還は本日の昼ごろでございましょう?」

 

「……あぁ、なんか目が冴えちゃって。牛若丸は……」

 

「牛若で構いませんよ。親しい方は皆私をそう呼びます」

 

「じゃあ、牛若。牛若は、一体何を……?」

 

「あ、その。……いえ。た、大したことではなくですね。なにぶん、珍しく人目がない時間帯なものでして。すこしはしゃいでしまいたくなってしまったと言いますか……ははは」

 

 要するに、深夜テンションならぬ朝方テンションで、無駄な動きをしてしまいたくなることの拡大版をやってしまった。ということだろうか。

 

 恥ずかしそうに頬をかきながら、「隣、よろしいですか?」と牛若丸は立香の横へと座りこむ。

 

「……むむ。藤丸殿、何やらお困りのようですね」

 

 牛若丸は、立香の顔を覗き込むなり、そんなことを言った。

 

「わかるの?」

 

「ええ。弁慶めが考え込むとき、同じような表情をしていましたから。……と、そもそも武蔵坊のことを知っておいででしょうか?恥ずかしながら、自分達の知名度については疎いものでして……」

 

「大丈夫、知ってるよ。牛若と弁慶は、俺の国ではすごく有名だからね。特に、五条大橋の話なんかは」

 

 子供の頃絵本やテレビで聞かされた牛若丸の歌なんかには、目を輝かせていた記憶がある。その事件から取って弁慶の泣き所、なんて言葉が常用的に使われているあたり、彼女はなかなかに有名人ではないだろうか。

 

「おお!それはまた、嬉しい限り……!………と、その話は追々聞かせていただくとして。逸れましたね。……その弁慶が不安がっているときに、丁度藤丸殿のような目をするのですよ。此度(こたび)彼奴(あやつ)も現界しておりましたが、やはり思案する癖は治らぬままで」

 

 困ったように、牛若丸は笑った。

 

 そういえば、武蔵坊弁慶は一時期バビロニアに召喚されていたと聞いたことがある。他にも静御前、天草四郎、風魔小太郎、茨木童子の五騎が召喚され、それぞれ消滅したとも。

 

 その笑いは、果たして懐古をも含んでいるのだろうか。

 

 言葉を選ぼうとして黙る立香に、牛若丸は続けてこんなことを言う。

 

「もし私でよろしければ、相談に乗りましょうか?」

 

「牛若が?」

 

「これでも、戦の前には部下たちから様々な相談事を持ちかけられたものです。百戦錬磨と言いましょうか!その全てをバッサバッサと切り倒し、敵地へと向かわせるのも将としての役目でしたからね!……尤も、その手のことで兄上に敵ったことは一度としてないのですが」

 

 再び、牛若丸は困ったふうに笑った。先程のような乾いた笑いではなく、心の底から敵わないと悟ったような。不思議と、安心の湧く笑いだった。

 

 

 ……本当ならば、この話は他人に話すべきではないのだろう。これは立香とハーメルンの問題で、牛若丸には全く関係の無い話だ。実際、いつもの立香なら適当に誤魔化していただろう。

 

 だが、生憎と立香は平常な状態とは程遠い。あれだけ重い真実を抱え込んでいられるほど、立香の心は頑丈に出来てはいなかった。

 

「…………その。誰とは、言わないんだけどさ」

 

 立香は、明確な名前こそ口にしなかったものの、真実を洗いざらい話した。

 

 とある子供が、酷い環境で育ったこと。そのあまりの過酷さゆえに、人を殺してしまったこと。そして………その末に、大量殺人を犯してしまったこと。

 

「その子に、言われたんだ。『赦してくれますか』って。………俺は、その子が悪くないと思ってる。でも、やっぱりその子がしたことは、どうやったって許されない罪だ。……俺は、どうしたらいいんだろう……」

 

 牛若丸は、終始黙ったままだった。

 

 一言たりとも口を挟まず、ただ立香が話し終わるのを待った。それは、優しい牛若丸なりの気遣いのようで。少しばかり、立香を救ってくれた。

 

 立香が話し終わり、しばしの沈黙が場に流れる。

 

 流れる。

 

 流れる。

 

 

 

 ………流れる。

 

「…………えっと?」  

 

「…………………うぅむ……」

 

 流石に静けさに耐えかね、牛若丸の顔を伺ってみると。

 

 そこには、あぁでもないこうでもないと頭を前後させる牛若丸の姿があった。

 

 百戦錬磨。

 

「牛若……?」

 

「……あぁ、申し訳ございません。少し、わからないところがあり……伺ってしまっても?」

 

「あ、うん。俺に答えられることなら……」

 

 その問答に、では。と一息着いた牛若丸。そうして発せられた一言は、あまりにも突拍子もないことだった。

 

 

 

 

 

して。藤丸殿は一体、何に悩んでおられるのでしょう?

 

「……………え?」

 

 さも当然。なんでもないかのように、牛若丸は話題の核心へと、容赦なく言葉の刃を突き入れた。

 

「………だから、それは。……俺が、その子を赦せるかどうかっていうことで」

 

「何をおっしゃいます?あなたが出した結論が赦すべきだというのなら、それが答えでしょう?」

 

 本当に。本当に訳がわからないと言った表情のまま、牛若丸はそんなことを言った。

 

 あまりにも背と尾が離れていて、理解し難い理論。……そのはずなのに、妙にストンと腹に落ち着く。

 

「………俺が……出した答えが、結論?」

 

「というよりかは、そもそも何故その幼童が悪いのか、ということが私には理解できませんからね」

 

 振り子のようにすくっと立ち上がり、歯が高い下駄を鳴らす牛若丸。わざとらしく両腕でバランスをとりながら歩くその姿は、価値観ごと現世そのものから乖離しているかのようだった。

 

「人なんて、幾らだって殺せます。私も、殺しましたよ。平家の逆賊共の首など、数えきれぬほど()ねました。殺した数なんて、殺したその日に忘れていますよ」

 

 あっけからん。表現すればそんなふうに。立香がずっと思い悩んでいたことを、目の前の少女は平然と笑い飛ばした。

 

「それでも、当時の私は英雄として持て囃されました。……最期にはそれを兄上に咎められてしまいましたが。私の時代では、雑兵の命なぞ(ほとほと)軽かったのですよ。罪の形などというものは人の心と同じ。月日を追うごとに移り変わっていくものです」

 

 ですから、と牛若丸は再び当たり前の常識を告げるように続ける。

 

「この世界が焼却された特異点で、他人の価値観で以って、誰が良い、悪いだとか、そんなことを決めるのは野暮というものですよ。あぁ!もちろん、ウルクの民とあらば話は別ですが。藤丸殿の話を聞く限り、その童めはこの時代の者ではないのでしょう?」

 

「……ええと、まぁ。うん」

 

「でしたら、やはり判断するのは藤丸殿、あなたであるべきだ。結局のところ、その子供が赦しを乞うたのはあなたなのです。他の誰でもない、あなた。そのあなたが罪を測るなら、他人の価値観に惑わされず、自らの思うままをやり遂げるべきでしょう。少なくとも、私はそう思いますよ」

 

 なんて、一サーヴァントの意見なのですが。と締め括り、少し恥ずかしそうに牛若丸ははにかんだ。

 

 

 

 ───視界が、晴れた気分だった。

 

 自分の価値観で、物事を決めるべき。……そのような考えは、立香だけでは全く思い浮かばなかっただろう。

 

 衝撃的な考え方だ。

 

 正しいと思った。

 

 ……間違いだと思った。

 

 そして、その全てがどうでもなくなるくらい、それは、立香の追い求めていた解法だった。決して解ではない。それに至る、道筋。

 

「………ありがとう、牛若。それとごめん。行くところが出来た」

 

 スクッと、その場から立ち上がる。重かったはずの体は、今にも駆け出したくなるほど活力に溢れている。

 

「………そうですか。それは重畳(ちょうじょう)。お役に立てたならよいのですが」

 

「あぁ、凄く助かった。流石牛若丸って感じだ」

 

「ははは!褒めても出るものは芸の一つくらいのものですよ!……では、お礼と言っては何ですが、後日、私の…………」

 

 そこから何かを口にしようとして、牛若丸は口ごもった。暫く目を伏せ、うむむと悩んだ彼女は、体を左右に何度か振って……少し口惜しそうな口調で、前言を撤回する。

 

「いえ、やはり結構です。礼を求めてやったことではありませんからね。……では、早くお行きになられなさい。善は急げ、とよく言うものですからね」

 

「ああ!ありがとう!」

 

 お礼の言葉をそこそこに、立香は北壁を下るべく駆け出した。今は胸に渦巻くこの思いを、どうにかして彼に伝えたい。その気持ちが、胸中の全てを支配していた。

 

 

 

 

 

 

「………さて。……これでよかったのですかね、弁慶」

 

 立香が去っていった北壁の上で、孤独な武将がひとり、そう呟いた。



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第七節 破滅への序曲 (2/5)



 Q.弁慶って死んでるの?
 A.当作では既に死んでます。その分牛若ちゃんが登場したから………許して……許して……


【お知らせ】
 当作の完結との折り返し地点である第八節がわりとキリのよさそうなところまでいくので、ちょっと質問コーナー的なアレを設けようと思います。詳しくは作者の活動報告をご覧ください。作品以外のことでも結構ですので、どしどし質問を送ってきてください。

 なお、回答するのはアンヘル君と亡霊くんちゃんです。


 走る。疾走する。答えを得た体は、羽のように軽かった。

 

 言う言葉は、実際纏まってなんてない。それでも前へ。今はただ、一刻も早く自らのサーヴァントに会いたかった。

 

 何段か飛ばしで北壁に備え付けられた階段を駆け下りる。目指すは、つい先ほどまで寝ていた野営地。

 

 その名前を思い浮かべながら、大地に足をかける。人目が出てきた街並みを、人にぶつからない程度に小走りで通り抜けた。

 

「ハーメルン!」

 

 野営地に黄色を捉えた途端、立香はその名前を呼んだ。しかし、少し遠くて声が届かなかったのか、ハーメルンは気がついていない様子だった。

 

 もう少し接近すると、ハーメルンは誰かと話しているようだった。相手は、ハーメルンとそこまで背丈の変わらない白の魔術師。

 

「………マーリン?」

 

「これで……あってる?」

 

「あぁ、問題ないよ。こんなことを頼んでしまってすまないね」

 

「……ううん。平気」

 

 マーリンが、何か箱のようなものをハーメルンに手渡していた。話の内容は、遠すぎて聞き取れない。

 

 ……もしかして、邪魔をしてしまったろうか。

 

「……さて、私はそろそろお暇することにしよう。大切な主従の関係に水を差すのも何だ。ほら、ハーメルン君。お客様のようだよ?」

 

「……あっ……親様……」

 

 マーリンがこちらを指差してボソッと呟くと、ハーメルンが花の咲くような笑顔で立香へと手を振って近づいてくる。マーリンはその光景を見ながら苦笑いを浮かべて、ふらふらとどこかへと行ってしまう。

 

「……えっと、今、大丈夫だった?」

 

「………丁度、お話が終わったところ……大丈夫」

 

 ハーメルンはあどけのない微笑を携えて、立香の目を見つめた。そこから何かを読み取ったのか、ちょっとだけしかめつらしい顔をつくる。

 

「………親様も、お話、する?」

 

「……………あぁ。少し、いいかな」

 

 その肯定に、数秒の時間を費やした。だが、今はそれでいいと思えた。

 

「……うん………でも、ごめんなさい……今は、ダメなの。……少し、待ってて……マーリン君に……渡されたもの、あるから」

 

「渡されたもの………?」

 

 目に止まったのは、先ほどからギュッと握り締められている黄銅色の箱のようなものだった。いや、それは何度か見た覚えのある……

 

「粘土板?」

 

「………うん。………だから、いい?………お昼までには、終わると思う……」

 

「わかった。焦らなくてもいいよ。お昼頃に、また迎えに行く」

 

 頷くと、ハーメルンが再び申し訳なさそうな表情をする。気にしないでと頭を撫でると、ハーメルンはかすかに顔を綻ばせた。

 

「どこで、お話する?……ここで?」

 

「………いや、ちょっと場所を変えていい?壁の上とか、どうかな」

 

「………いい、よ。案内されるとき、いなくて……登り方………ボクは、わからないから。……また、教えてね?」

 

 ハーメルンの問いに、今度こそ立香はこくりと頷いた。

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 早朝から若干悶々とした時間を過ごし、特に何かをすることもなくマシュと辺りを散策し、手持ち無沙汰で時間を流す。

 

 少しばかり胃に不調を感じながらマシュと別れ、立香は早めの昼食を摂った。

 

 それが終わる頃にはハーメルンの用事も済んでいたようで、急ぎ走りで立香のところへとやってきてくれた。その手に粘土板は握られておらず、どうやら本当に用事は済んだらしいことがわかった。

 

 

 北壁に登る道中に、会話はあまりなかった。お互い、何を話すのかもう想像はついていたからだろうか。

 

 北壁の上では、少し強めの風が吹いていた。ハーメルンのレインコートは、パタパタと忙しなく風に靡く。被っていたフードは、風にさらわれて真っ先に剥がされていた。

 

「………わぁ、高い……ね」

 

 まとわりつく長髪を指でかきわけながら、ハーメルンはそんな一声を発した。今日は魔獣たちの動きも活発でないらしく、壁から見下ろす光景は平和そのものだ。

 

 ………静かだった。立香とハーメルンの会話を待ち望むかのように、その場は静寂に満ちている。言葉を紡ぐのが、えらく難しいことのように感じた。

 

「……その、さ」

 

 最初の一言を切り出したのは、立香だった。自分から話を振ったのだ。その一言くらいは、言わせてもらわなければ。

 

「……ハーメルンは…………その。自分の生まれた環境が、悪かったってことに………気がついてるか?」

 

 たどたどしい立香の言葉。……まずは、それを確かめようと思った。その意図を咀嚼するかのように、ハーメルンはゆっくりと頷く。

 

「……………ボクは、サーヴァント。………聖杯に、知識は……貰ってるの。……ボクは……多分……普通じゃ、ないんだよね。………わかってるよ」

 

「なら……」

 

「でもね。……ボクは、やっぱり………悪い子……なんだよ」

 

 立香の言葉は、遮られる。ハーメルンの目に映っているのは、やはり曇りばかりが反映された、深い、深い闇だった。

 

「………それは、ダメ。ダメ、なの。…………だって……ボクが、殺した人に……そんなの、関係ないもの………そんなこと……気づかなくて………ずっと、殺して………」

 

 赦されるわけがない、と少年は言った。御伽噺の英雄は、そう嘆いた。どんどんと顔を陰らせていく、一人の男の子。

 

「………殺すたびに……自分が分かならくて……どんどん、殺すことが楽しくなって…………ボクは、おかしかったの。……ボクなんて……」

 

 ……過去に起こったことは、変えることができない。例え、万能の願望機を使ったとしても。やり直すことなど、何があろうとできはしない。

 

 ならば、今のハーメルンに、立香ができることは────

 

 

「…………ハーメルンは、悪い、と思うよ」

 

「…………?」

 

 その事実を、認めることだと思った。

 

 当然の常識を説かれたかのような、呆けた顔をするハーメルン。その小さな体を、立香は優しく抱きとめた。………真相を明かされた夜とは違って、丁寧に、丁寧に。包み込むように、優しく。

 

「……でも、それはハーメルンだけのせいじゃない」

 

「………ぇ……?」

 

 弱々しく、黄衣の少年は疑問の声を上げる。

 

 生まれた環境が悪かった。ずっと暴力を振るわれてきた。

 

 確かに、それは人を殺していい理由にはならない。……人を殺していい理由など、この世には滅多にない。他人が積み上げてきたものを他人が台無しにすることは、決して許されることではない。

 

 けれど──立香は(・・・)、少なくとも納得のいく理由だと思った。倫理はなくとも、道理はある。そう感じた。

 

「過去は、変えられない。ハーメルンが人を殺したことは、どうしたってなくならない。俺は(・・)、ハーメルンが人を殺したことを間違いだと思うけど…………でも、責めるつもりは、ない」

 

「……ぇ……ぁ……」

 

 そう。間違いは、間違い。けれど、それに納得のいく理由があるのだとしたら。……立香はそれを間違いだと定義した上で、それを受け入れよう。

 

「ハーメルンは、間違った。悪かった。……でも、それを反省して、もうしないって心から後悔してるなら………俺は、ハーメルンが今も悪いやつだなんて、思わない」

 

 過去に犯したことを変えられなくとも。……それを、(そそ)ぐことはできる。自らの罪を謝罪して、心から反省して。……そうして、何度も悔やんだ人を、一体誰が責められよう。

 

 人は誰しも、過ちを犯す。一度だろうと罪を犯した人間が、そんな人の過ちを許せないのだとしたら。それは、過ち以上の罪のはずだ。

 

 それに。

 

「……ハーメルンが悪かったのは、きっと、運もだと思う。ハーメルンがもし、俺たちの世界に生まれて、俺たちと同じように育って………そうなってたら、ハーメルンは絶対、人殺しなんてしない」

 

「………なんで………わかるの……?」

 

「わかるよ」

 

 震えた抗議の声に、確信を持って答える。

 

 だって、立香は。

 

俺は、ハーメルンの、()だから

 

 ずっと見てきたのだ。ハーメルンの人柄も。ハーメルンの性格も。……過去も。何もかもを見た。

 

 彼が誰よりも優しく、素直で、健気で。誰一人として殺すような性格でないことは、立香には痛いほどに伝わってきていたのだから。

 

 

 

 

 

 暫く、無言でいた。

 

 立香の後ろに、恐る恐る、すこし冷たいものが当たった。

 

 それが、ハーメルンの腕だと理解するのに、時間は要らなかった。

 

「………………不思議だね、親様。……生まれた場所も……生まれた時代も……全部、全部違うのに。……ボクは、親様の子供でいられる」

 

 泣きそうな声だった。

 

 けれど、今までとは違う、清らかな声だった。初めて、彼の声を聞いたような気がした。

 

 今度はハーメルンの腕が、優しく立香を抱き返した。

 

「───嗚呼(ああ)………よかった………」

 

 心から安堵した音色。強張っていた彼の体は、ゆっくり。ゆっくりと、そのカタチを緩めていく。

 

 その言葉に含まれた感情は、どれほどのものだったか。……立香には、計り知れないほどであったのは確かだった。

 

 再び、少しの時間が過ぎた。

 

 

「………あのね、親様」

 

 不意に腕から逃れたハーメルンが、立香と目を合わせながら言葉を紡ぐ。手の中の温もりが消えてしまったことに少しの喪失感を覚えながら、立香もまた、ハーメルンの蜂蜜色の目を見つめた。

 

「お話には、続きがあるの」

 

「続き……?」

 

 コクリと頷いたハーメルンは、懐かしむように目を細める。

 

「いっぱい人を殺したボクはさ。真っ赤な服の弓の人に、殺されるんだ。……とっても、一瞬でさ。ちっとも……痛くなくて」

 

 少年は、何でもないように自らの死を語る。……いや。本当に、何とも思っていないのだろう。その目には、どちらかといえば無関心の色が写っている。

 

「でもね。その前に、ボクはちょっとだけ…………ボクを、取り戻すんだ」

 

 言葉は、順序だっていなかった。何を言っているのか、立香の乏しい想像力では、理解し難い。

 

「………女の子がいたの。ボクを、可哀想って言ってくれた子が。………意味が、分からなくてね。……とっても………困ったの」

 

 言葉とは裏腹に。慈しむような表情をして、ハーメルンは追憶をただ語った。立香はただ頷いて、ハーメルンの話を聞いた。

 

「でもさ………ボク。その子と……話してる時間だけ………ヒトゴロシじゃ、ない気がしたんだ」

 

 初めて、ハーメルンは笑った。自嘲するようではなく、何かを思って笑う、穏やかで、優しい笑みだ。

 

「もう、わからなくてね……自分も、何もかも、消えちゃってたのに……どうして、そんなこと………言われたのかも……」

 

 

 呟きは、意味を為さずに消えていった。きっと、意味など求めてはいなかっただろう。その声は、美しい残響となっただけで、言葉の真意を残さなかった。

 

 

 そして、ハーメルンは、終わりの言葉を口にした。

 

「………ねぇ、親様。アナタはボクを……赦して、くれる?」

 

 

 ………その問いは、やはり重かった。一言一言が責任という粘度を持って、まとわりついてくるよう。

 

 本当に、その先の言葉を口にしていいのか。

 

 立香には、よくわからない。

 

 だが、その重みを赦す罪も、きっと立香は背負ってみせる。だって、彼は立香のサーヴァントで、立香は彼の親なのだから。

 

「俺は……………」

 

 

 

 先の言葉を発しようとした……その瞬間

 

 

 

 ハーメルンが、何かの危険を察知するかのように、ハッと北壁のある一点を見やった。

 

 そしてそれは、別の場所でも。

 

 マシュ・キリエライトが。

 

 アナが。レオニダスが。牛若丸が。

 

 ……その場に集うサーヴァントの全てが、反射的にその方向を向いた。

 

『藤丸君っ!!衝撃に備えてっ!!』

 

 突然腕輪から聞こえてきた、ダヴィンチの声に耳を貸すまでもなく。

 

 全身を、上下感覚を。平衡感覚を。……その全てを破壊し尽くすまでの強烈な揺れが、北壁全体を襲った。

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 ふわり、と抱きしめられる感覚。そして、脳まで揺れるほどの振動。

 

「───なに──が……?」

 

 起こった。その疑問が、頭に留まりきることなく口から漏れた。いまだに視界がボヤけ、思考が安定しない。

 

「親様っ!平気!?」

 

「ハー……メルン?」 

 

 体を包み込む感触が、立香をぼんやりとした放心状態から現実へと連れ戻す。どうやら、立香は今ハーメルンに抱きしめられているらしい。

 

「ケガ…ない?……痛くない……?」

 

「……大丈夫。ありがとう」

 

「よかった……!」

 

 恐らく、マスターである立香を守るために自らの身を盾にしようとしたのだろう。幸い、ハーメルンにも怪我があったような形跡はない。自分より小さな体に抱きとめられるというのは、妙な気分だった。

 

「それより、一体何が?地震?」

 

「………わかん……ない。……急に、宝具……みたいな。すっごい魔力が……こっちに、飛んできたの………」

 

 戸惑いを隠せないと言った表情で、ハーメルンはおずおずと起こった出来事を口にする。恐らく、サーヴァントとしての勘のような何かが働いたのだろう。

 

 未だに状況を把握し切れないでいると、手元の腕輪がピピっという音と共に起動する。

 

『藤丸君!無事かい!?』

 

「ドクター!こっちは問題ないです!」

 

『そうか!今藤丸君達は北壁の真上だろう!?北壁の西側を見てくれ!大変なことになっている!』

 

 ロマニの言うがまま、立香は視界の北壁の線を目で追っていく。そして、およそ視界が地面と平行を描いたところで……

 

「えっ………?」

 

 ありえない光景を、見た。

 

 北壁の一部から、煙が上がっている。

 

 黒煙ではないことから、火事というわけではない。ただそれは、つい先ほどまで石だったものが砂となり、宙を舞っているだけにすぎなかった。

 

 そう、それは土煙。そして、立ち込めた煙は十秒と待たずに晴れていく。

 

 そこには、目を疑うような光景が広がっていた。正確には、記憶を疑うような。

 

「………穴だ」

 

 立香が見ているのは、魔獣戦線の外の側から。だというのに、北壁を通して内側が見えてしまう。壁が壁としての役割を果たさず、その口をぽっかりと開けて………

 

「魔獣戦線に……致命的な、大穴………!!」

 

 ギルガメッシュから聞かされた、伝令の話。それを忠実に再現するかのように。

 

 その日。北壁はその威容に似つかない、巨大な孔を覗かせた。




 ハーメルン 
 クラススキル
 神性(B)
 外宇宙に潜む高次生命の“娯楽”となり、強い神性を帯びる。 世界像をも書き換える計り知れぬ驚異。その代償は、絶えぬ罪の意識


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第七節 破滅への序曲 (3/5)


希望の3です。どうぞ。




 

 

 ………あるところに、ハーメルンというむらがありました。

 

 ちいさいけれど、きれいなむらで。みんな、とてもしあわせそうにくらしています。

 

 しかし、そんなあるとき。むらに、たくさんのネズミがあらわれました。

 

 たいへんだ。どれだけたいじしても、またでてくるぞ。

 

 むらのひとたちは、たいへん、こまりました。

 

 そんなあるひ。まちに、ふしぎなおとこがやってきました。

 

 ………おとこは、みたこともないような、ふしぎなかっこうをしていました。

 

ハーメルンの笛吹き男 序章

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 少し、時間を遡る。

 

 北壁から遠く離れた、北の、さらに北の大地。

 

 ………その戦いは、特異点の最後を飾ると言われても遜色のないものだった。

 

 天を飛翔しながら白と黒の螺旋を描き、二体がぶつかり合う。片や天が作り出した最高傑作、天の鎖。片や、魔術王が直々に召喚したサーヴァント。そのスピードについていける者など、ほんの一握りだろうことは容易に予想できる。

 

 戦闘は、速度で言えば勝っているのはエルキドゥの方だ。神代のマナ中で飛行機雲を作るほどのエルキドゥの飛行速度は、確実に少年(少女)の速度を上回っている。

 

 だというのに。こと戦闘の全体面を見るならば、押されているのはエルキドゥの方だった。幼い顔つきの少年(少女)には未だ汗の一つすら浮かんでおらず、余裕といった表情を崩さない。対するエルキドゥは地上から離れた空中戦を強いられることで攻めあぐね、息を切らしているのが現状だ。

 

「くそっ!こんな……こんなはずがないのに!ボクは……この時代で最強の、兵器なんだぞ!?」

 

「…………」

 

 少年(少女)は答えない。纏められた金の髪を揺らしながら、碧の双眸でじっとエルキドゥを見つめるだけ。

 

 ……そのことが、余計にエルキドゥの癪に触った。

 

「せぇぇっ!!」

 

 声を荒げ、刃と化した自らの手刀で以て少年(少女)に襲いかかる。しかし、少年(少女)の対応は淡白極まりなく。どこからともなく取り出した赤い槍(・・・)で、難なくその一撃を受け止める。

 

 先程から、ずっとこの調子だ。どれだけエルキドゥが新しい手法で、新しい武器で、新しい角度で攻めようと、興味がないといった風に迎え撃たれる。それも、一貫性のないそれぞれ全く違う形状の宝具で、だ。

 

「くっ……!お前、ふざけているのか!?一体、どこの英霊だ!?何のクラスで現界している!?どれだけの宝具を保有しているというんだ!?」

 

「………一度の質問が多い、です。………ほら、いわんこっちゃねぇ。心が乱れてやがるぜ、です」

 

「────ァァアッ!!」

 

 自分など対等な相手ではない。そう言わんばかりの上から目線の言葉に、ついにエルキドゥの怒りのボルテージが振り切れた。相手から発される輝かしいまでの[神性(・・)]も、彼を激昂させる所以だったか。

 

 一瞬で自らの肉体を纏う魔力を収束させ、全力の一撃へと変える。天の鎖が誇る宝具が、今発動しようとしていた。

 

 激情に駆られる青年をみて、少年(少女)は静かに嘆息した。そして手にて自らの宝具を変換し、再び全く別種の宝具を作成する。

 

 ソレ(・・)は、一見すると何でもない鉛か何かの球のように思えた。宙に浮かび上がった球体は、とてもではないがエルキドゥの全力の攻撃に対抗できるとは思えない。

 

 だが、少年(少女)は一切の焦燥、あるいは失策を行うことなく、その一言を囁きかける。

 

「さぁ、滅びの潮騒を聞け!」

 

「『'──後より出でて先に断つもの(アンサラー)'』」

 

 その言の葉が、無骨な球体に雷を纏わせる。まるで拳の一撃を構えるような体勢で構える少年(少女)の腕の上で、バチバチと青の筋が走った。

 

 その裏で。密かに、少年(少女)の足元に黄金の渦が開く。そしてその中からは、当然のように天の鎖が頭をもたげる。ほんのコンマ数秒あれば、[神性]をもつ少年(少女)は一切の身動きが取れなくなるだろう。

 

(………んな見え見えの罠にひっかかるかよ、です)

 

 だが、少年はまるでそれを読んでいたかのように、ヒラリと回転をして天の鎖を躱す。伸縮自在の天の鎖は時間さえあれば少年(少女)を捉えただろうが、その一撃を躱すことにより、エルキドゥの宝具までに(カノジョ)は身体の自由を得る。

 

 一瞬、想定外に顔を歪め………しかし、些細な言だと切り捨てる。大量の鎖を束ね、自らすらも大いなる鎖と化して少年(少女)を直撃せんとする。幸い、少年(少女)に避ける気配はない。もともと回避の選択肢を取らせないための布石だ。躱されたところで、本命の一撃に対抗されないのならばそれでいい。そう解釈した。

 

 

 ……それが、少年(少女)の狙いだと気がつくことすらなく。

 

 緑の髪を持った青年は、自らの宝具。……切り札(・・・)を、発動させる。……させて、しまう。

 

母よ、始まりの叫をあげよ(ナンム・ドゥルアンキ)

 

 その一撃は、確かに少年(少女)のものよりも早かった。そして、何よりも強力であった。少なくとも、少年(少女)のもつ宝具よりは。……だが。

 

偽・斬り抉る戦神の剣(フラガ・ラック)!!

 

 その声をかき消すかのように、その真名は明かされる。

 

 青年の宝具より微かに。しかし、圧倒的に遅く放たれた攻撃。プラズマのような一閃。一筋の光が、エルキドゥに触れた瞬間。

 

「ガ………!?」

 

 ──因果は、逆転する。

 

 宝具の発動すら許されず、堕ちたのはエルキドゥの方だった。エルキドゥの胸には、一点の黒い点。虫眼鏡で日光を集めたような、何かが焦げたかのような。そんな、僅かな傷。

 

 それこそが、少年(少女)の使った宝具が与えた傷だった。

 

 斬り抉る戦神の剣(フラガ・ラック)。別名、逆光剣フラガ・ラック。伝説ではケルトの光の神ルーが持つとされる短剣。その剣は持ち主が手をかけるまでもなく鞘から放たれ、敵が抜刀する前に斬り伏せると言われる。

 

 その真価は順序の入れ替え、因果の逆転にある。この一撃が放たれた瞬間、「相手よりも後から攻撃、先に命中させた」という事実を、「相手より先に攻撃した。相手は既に死んでいるので反撃は出来ない」という事実に改竄してしまう。

 

 そしてこの宝具を受けた結果、フラガラックの攻撃が命中した瞬間、敵の攻撃は『起き得ない事』となり逆行するように消滅する。 既に『死んだもの』に、攻撃は行えないからだ。

 

「……ぐ、ぅっ………」

 

 ──本来なら、このまま青年は殺害され、消滅するはずだった。だが、彼は宙で失速しながら尚も、その意識を保っていた。並のサーヴァントであれば即座に消滅する必殺の一撃は、奇しくも、あるいは幸いにも、天の鎖の肉体を滅させるには至らなかった。

 

「………死なねぇよな、です。この程度じゃ」

 

 そしてそれも、少年(少女)にとっては想定内。宝具の反動で焼き焦げた自らの掌に一切目を向けることなく、元より持っていた槍を握り直す。槍は応えるように、禍々しい赫の光を纏った。

 

 未だ肉体的、そして精神的ダメージが大きく、落下したまま動かないエルキドゥへ狙いを定め、紅槍は放たれる。その槍もまた、因果を歪める呪いの品。必ず心臓を穿つという宿命を持った、破滅の槍。

 

「『行くぞ。この一撃、手向けとして受け取るがいい———!!』」

 

 しかし、それは持ち手の手を離れなかった場合の話。穿つのではなく投擲する(・・・・)という行動をとると、それは全く別の効果を発する。

 

偽・突き穿つ死翔の槍(ゲイ・ボルク)ッ!

 

 必ず相手に命中する必中の槍。極限まで魔力と呪いの込められた対軍宝具。晴天に輝く紅一点が、天の鎖を遠い彼方へと吹き飛ばした。

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

「おぉぉっ!?な、何事だ!?」

 

「わ、わかりません!何やら赤い光が…!!あ、ああぁっ!!ほ、北壁に、穴がっ!!大穴が!!」

 

「負傷者はいないかっ!?今すぐ確認しろ!」

 

「魔獣はいないな!?入ってくる気配があればすぐに応戦しなくては!!」

 

「おおお!!おい誰か……塞ぐもん!穴塞ぐもん持って来い!!」

 

「無理ですよ!!あんな大穴を塞げるものなんて、こんな辺境にありません!!」

 

 

「………凄い……」

 

 北壁は、混沌とした状況下でも辛うじて機能していた。恐慌状態に陥っている人は何人か見受けられるが、突然の事態に動けなくなるという最悪の事態はものの見事に避けていた。

 

 しかし、あちこちで兵士が動き回ってはいるが、動きはどこかぎこちない。

 

 無理もないだろう。何せ、ずっと自分たちを守り続けてきた北壁が、たった今呆気なく崩壊したのだから。立香の身長の何倍もある北壁に巨大な穴が開いている光景は、いっそ何かの嘘だと言われた方が納得のいくほど非現実的なほどだった。

 

「お、おい!こいつ……!こいつは……!」

 

 兵や市民の怒号や悲鳴が響く中。一人の兵士が、その存在を発見した。一瞬血みどろの負傷者かと駆け寄ったが、その姿を見た途端、即座に槍を構える。

 

 長い緑の髪。血に塗れた白い服。人形のように整った肉体。声に気がついた他の兵達も、その容貌を知るものは例外なく彼へと武器を構えた。

 

「あれは……!エルキドゥ!?」

 

 天の鎖。過去にはエルキドゥと呼ばれていた者が、飛び散った瓦礫と共に地面に倒れ伏していた。その体には見るも無残な傷痕と、大量の血痕が付着している。

 

「エルキドゥ………死んでいるのか……?」

 

「まさか、こいつがこれを……」

 

「だが、血塗れだぞ……傷も深い。やはり、死んでいるんじゃないか……?」

 

 そうして暫く時間が経ち、焦れたように一人の兵士が生死不明のエルキドゥへと近づいていく。そろり、そろりと試すように、手に持つ槍の持ち手でエルキドゥの頬へと触れた。

 

「……!ダメっ!!逃げてぇっ!!」

 

 突然、ハーメルンが叫ぶ。………その声が届く間も無く。

 

「はぼっ……」

 

 槍を持っていた兵士の足元から大量の鎖が顕れ、その足先から全てを串刺しにした。何が起こったのかわからない。そんな顔をした兵士は、自らの死に気がつくことすらなく地面へと身を落とした。

 

 鎖はそれだけでは飽き足らず、エルキドゥの周囲を囲っていた兵士たちをも縫い止めるように刺し殺していく。

 

「キャァァァァッ!!」

 

 そんな悲鳴と共に、倒れ伏したエルキドゥの周囲から人が蜘蛛の子を散らすように離れていく。エルキドゥを中心に、半径五メートルほどの空白地帯が完成した。

 

「………誰が、死んでいるだって?」

 

 そしてその元凶。血の海に倒れていたはずのエルキドゥは、幽鬼のようにゆっくりと起き上がる。つい先ほどまで開いていた傷口は、服を除いて嘘のように元に戻っていた。

 

「やっぱり……!」

 

「………ニンゲンは本当に無能だな。……いい加減、エルキドゥのフリにも飽きてきた。教えてあげよう、愚かなニンゲン共。ボクの名はキングゥ。ティアマト神の息子が一柱。君たちを滅ぼす者の名は、キングゥだ!」

 

 ザワ、と周囲がどよめく。その名前に心当たりがあるのか、多くの人は絶望や驚愕といった表情を浮かべている。

 

「キン……グゥ……?」

 

 立香には、当然のことながら聞き覚えがあまりない。ティアマトという名を聞いたことがある程度のものだ。だが、腕輪からはドクターロマンの驚いた声が上がっていた。

 

『キングゥ……!メソポタミア神話において、神々を滅ぼすために魔獣達を指揮して戦ったとされる神か!藤丸君、気をつけて!その話が本当なら、彼は創世の神、ティアマト神の本物の子……!正真正銘の神だ!』

 

 神。この世界ではイシュタル神の次に目にすることになるが、彼はそれとは全く別種の威圧感のようなものを放っている気がする。確かに、神と言われても納得はいくだろう。

 

「だが、その正真正銘の神とやらが、どうしてその傷を負ったのか。立香は疑問を拭えずにいた………なんちゃって」

 

「………何?」

 

 エルキドゥを避けるようにした円に、ズカズカと割り込んでいく存在。その小さな体躯に似合わぬ蛮勇を有した存在たち。あまり緊張感のないマーリンと、それを不満そうに見つめているアナだった。

 

「………余計な挑発はしないでください。やはりマーリンは死ぬべきだと思います」

 

「ははは、これは手厳しい。だが、事実じゃないか?おおい、藤丸君。君もそう思うだろう?」

 

 呑気にも、北壁の上にいる立香とハーメルンに呼びかけるマーリン。最初こそ何を言っているのかわからなかったが、そのニヒルな笑みの裏の意味を感じ取り、バッとエルキドゥ……キングゥのいる方向と、真反対の方向を見る。

 

 そしてそこには、またも見慣れた姿があった。

 

「あの子は……!」

 

「親様、知り合い……?」

 

 ハーメルンよりも、さらに長いケープコートとでもいうのか。ボロ布のような灰色のそれを纏い、その少年は、サーヴァントは宙に浮いていた。遠目では姿形から推測するしかないが、まず間違いない。

 

「あの子だ……!」

 

 特異点の最初で、亡霊と名乗った少年(少女)。観測所で、最果てにて輝ける槍(ロンゴミニアド)を使って立香達を助けてくれた子供が、その(ソラ)からキングゥを冷酷に見下ろしていた。

 

『……見えた!北壁から100m北方向!だが、この反応は……というか、彼が手に持っているアレは………クー・フーリンが使ったとされる穿ちの朱槍(ゲイ・ボルク)か!?』

 

 彼女(カレ)の今回の得物なのか、その手には真紅の槍が握られている。一つの造形品のようなそれは、しかし瞬時に塵となって消えてしまう。

 

「お、おい!アレをみろ!誰だアレは!?」

 

 そして、兵士達もそれに気がついたのか、口々に彼女(カレ)の方を指差して驚きの声を上げる。人が宙に浮かぶというありえない光景は、いやでも衆目を集めてしまうようだった。

 

「………おい!お前!もう一度だ!さっきは油断したが、次こそはそうはいかない!」

 

 キングゥは声を荒げ、彼女(カレ)へと呼びかける。まるで、つい先ほどまで戦っていたような口ぶりだ。

 

 ………では、何か。この穴は、彼女(カレ)とキングゥが戦った余波で空いた穴だとでもいうのか。

 

 キングゥに声をかけられた少女(少年)は、一瞬何かを掴むように手を合わせ………そして、舌打ちしてそれらを霧散させた。

 

「………チッ。エ……キングゥ。時間切れだ。………自分の母親の()り程度、サボらずこなせよな、です」

 

「………この気配は……彼女には、堪え性というものがないのか!?」

 

 キングゥが何かに気がついたように声を上げる。それらは、全てあまりに悠長にすぎる行動だった。

 

 突如、地面がグラグラと揺れ始める。その地震が地中を這うものによって発生したものだなどと、一体誰が予想できただろうか。

 

『…………さぁ行け、我が魔獣達よ!本能のまま、人間共を貪り尽くすがいい!!』

 

 どこからか、そんな声が響き──

 

「う、うわぁぁぁっ!!」

 

 水平線の向こうから、巨大な土煙が大量に迫ってきていた。否。その土煙はあくまで副産物。本質は、それらを起こしている存在。

 

 

 ………一体、どこにそんな巨体を隠していたというのか。そんな量が隠れていたというのか。

 

「で、デカイ………」

 

 それは、獅子によく似た巨大な魔獣の群れだった。体長は、ハーメルンの倍程だろうか。驚くべきことに、その数……およそ、百。

 

「嘘だ……指揮官レベルの魔獣が……あんなに………」

 

「グゥォォツッ!!」

 

 兵士達の恐怖を助長するかのように大きく嘶いた巨大魔獣達は、まず間違いなく、一直線に北壁の大穴を目指していた。

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 魔獣達に対して討って出たのは、戦線人口の一割にも満たない人々だった。元々戦線には非戦闘員が多いこともあったが、それにしても勇んで前に出た者は少なかった。

 

 残りの数割は、恐怖に打ちひしがれてその場を動くことすらできなかった。その場では、普段の訓練。或いは、実戦の経験が全て無意味へと帰した。

 

 ……兵士たちは知る由もないが。それは、地中のとある存在が発した[畏怖の叫び]スキルに他ならない。高ランクのものともなれば、叫ばずとも声を聞かせるだけで対象の恐怖を増長させる。現在の兵士たちの大半は、この能力に囚われていた。

 

 

 そしてそれは、藤丸立香とて例外ではなく──

 

 

 

 

「……ぅ……ぁ…………」

 

「親様……?」

 

 身体が、思うように動かなかった。意識ははっきりしているのに全身が硬直するという、ある種金縛りのような状態に、立香は陥った。恐らく、兵士達も同じような状況になっているのだろうと想像はついた。

 

 だが、それに気がついたところでもう手遅れだった。騒ぎに気がついたレオニダスが駆けつけたが、それでも数秒が足りない。そしてその数秒で、事態は致命的に動き出す。

 

「ガルルルフゥゥゥゥッ!!!!」

 

「………ま、魔獣!魔獣が、入ってきたっ!!」

 

 木製の柵を容易く破壊し、巨体を震わせた魔獣の先頭集団は、兵士達の間を縫って北壁の穴から内部へと容易く侵入した。

 

 その体数は、僅か五匹。だが、それらは魔獣戦線の人々を食い荒らすには十分すぎる数だ。

 

「魔獣ウガル……!ティアマト神の子供達の中でも最大級の化け物か!」

 

「くっ……対処します!」

 

 アナがそのうち一匹へと襲い掛かるが、硬い表皮に弾かれてうまく鎌が入り込まない。何度かやって柔らかい部分を探せばなんとかなるだろうが、そんなことをしている間にウガル達はどんどんと北壁へと侵入していくだろう。

 

 事実、既に魔獣達はウルクの人々を襲い始めている。このままでは、ジリ貧で数の少ないこちらが押し負けるだろう。

 

 

 

「いやぁぁぁっ!!助けてぇぇっ!!」

 

「いだいっっ!!やめ!!やめてくれっ!!」

 

 そしてそんな光景を、立香はただ呆然と見下ろしていた。

 

「うぁ………」

 

 今すぐ、マシュと合流して魔獣達をどうにかしなければ。そう思っているのに、身体はピクリとも反応しない。身体が凍ってしまったように冷たくなって、動いてくれないのだ。

 

「助け……なきゃ……」

 

 なんとか口に出すが、それが限界。ただ目の前では、人々がウガルに襲われている。他人事のように、それを見つめるしかない。恐怖が、全身に染み付いていく。心が縛りつけられて、動けない。身体ごと固まった蝋人形のように、指の一つも動かせない。

 

「助け、なきゃ………」

 

 どうやって?立香自身ですら、こんなことになっているというのに。

 

「……う……ぅっ……」

 

 目の前で人々が魔獣に襲われる光景を、ただ眺めることしかできない。自らの無力感を、突きつけられているようだ。

 

 そうして──

 

 

「───親様!」

 

 

 思考までもが止まろうとしたその時。

 

 呼びかける声に、漸く身体が少し動いた。

 

「……ハーメルン?」

 

 柄にもなく大きな声を出した彼の名を、震える口で言葉にする。ハーメルンは、少し強く立香の両肩を掴んだ。

 

 

 爛々と輝く、蜂蜜の瞳と目があった。

 

「親様。……聞いて」

 

 強い力で、立香の肩が握られる。懇願するように、その手に力が入っていく。

 

「……ボク、親様の、サーヴァント……だから。………なんでも、言って。………なんでも、する。……ほんと。……親様が言ってくれるなら。……ボク……なんでも、出来るよ」

 

「ハーメルン……」

 

 目が、立香へと訴えかけていた。怖がりのはずの彼の瞳は、その目に恐怖を映していなかった。そこにはきっと、確信があったからだ。勝利に対する、絶対の確信が。

 

 故に──

 

「………ハーメルン……頼む……」

 

 立香は、自らのサーヴァントを信じた。

 

「……魔獣達を……倒してくれ……」

 

「………はい。親様(あなた)が言うなら、喜んで」

 

 少年は、嬉しそうに頬を綻ばせ──

 

 

 

 その場から、真下の地面へと飛び降りた。

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

「いやだっ!離せ……離せよぉっ!!」

 

 ウガルは、愉しむように口の中の男を追い詰めた。一方的な狩りだ。獣は本性を剥き出しにし、獲物を追い詰めることに本能を傾ける。

 

 壁の中は後回しだ。中には大量に獲物がいるのだから、多少先に行かれようと自分の取り分は減らないだろう。そんなことを獣ながらに考え、まずは自らの行手を阻む兵士たちを襲っていた。

 

 ──故に、気がつかなかった。

 

「…………えっ……?」

 

 同じ獲物を追いかけていたもう一匹の同胞の首が、ほんの数瞬の間にズレて………そのまま、呆気なく落ちたことに。

 

 その異変に気がついた時。

 

 妙に、周囲が静かだった。つい先ほどまで、ヒト()の悲鳴が響き渡っていたはずなのに。ウガルの聴覚には、たった一つの旋律しか届かない。

 

 妙に愉快なその音は、途端に本能の全てを支配した。なんと、甘美な音色だろうか。途端に、ウガルはその音色に全てを委ねた。

 

 誘われるように、その音へと向かっていく。目の前の獲物のことなど忘れてしまって、ただその音を楽しむために。

 

 もっと近くで聴くために。

 

 ウガルは、北壁の穴へとその身を乗り上げ…………

 

 

「グゥォ……?」

 

 その体に、五本の鮮やかな切れ込みを入れて倒れ伏した。

 

 痛みは、感じない。そんなことよりも、もっと音を聴かなくては。もっと音楽を楽しまなくては。そう思っても、身体は動かない。

 

 死の淵に際してなお、身体はその音を求める。その音色を、より近くで。もっと深く、もっと大きく、もっと長く、味わっていたい───

 

……フォーリナー。……今は、親様のサーヴァント。……可哀想な動物(ネズミ)達。ヴェーザー川に、沈めてしまおう……

 

 その意識は、蕩けるような美しい声と共に漆黒の暗闇へと混ざり合い、溶けて、解けて……………二度と、浮かび上がることがなかった。

 

 




GUEST SERVANT


 Lv90
 ☆☆☆☆☆
 クラス:アサシン
 サーヴァント ハーメルン
 宝具  Quick 神賛歌す夢幻の吹奏(セラエノ・ガルヴァス) Lv3

  Arts1  Quick2 Buster2

 スキル1
 セラエノの魔笛(A++)[Lv6]

([バーサーカー]クラスを除く敵全体のクラス相性を[バーサーカー]クラスのものに変更する【強化扱い】(3T)+味方全体のQuickカード性能をアップ(25%・3T)[Lv6])CT8

 スキル2
 二重召喚(ダブルサモン)(A)[Lv6]

(自身のNP獲得量をアップ(25%・3T) [Lv6]+[バーサーカー]クラスに対して相性不利を打ち消す状態を付与(3T・50%))CT7



 宝具:神賛歌す夢幻の吹奏(セラエノ・ガルヴァス)

 敵単体を高確率で即死させる[オーバーチャージで確率アップ]+敵単体に超強力な[天・人・の力を持つ敵]特攻攻撃(150%)[Lv3]+自身に呪い状態を付与【デメリット】[3T・1000]

 ボイス一覧

 開始1
「……戦いは、怖い……でも………いっぱい、頑張るね……」

 開始2
「アナタは……悲しい、ね」

 スキル1
「……頑張って……やる……」

 スキル2
「……いっぱい、ため込むね………」

 コマンドカード1
「……たくさん、謝る」

 コマンドカード2
「………いいよ」

 コマンドカード3
「………気をつけて」

 コマンドカード4
「……ごめんなさい」

 宝具カード1
「怖くて、弱くて」

 宝具カード2
「泣いて、叫んだ」

 アタック1
「……刻んで」

 アタック2
「え、い……」

 アタック3
「………吹いて、殺すね」

 エクストラアタック
「……さようなら。悲しいひと」

 ダメージ1
「い、た……」

 ダメージ2
「……やだ………やだぁ……」

 戦闘不能1
「…………綺麗な宇宙(そら)………あぁ……最後の、最期で……また……」

 勝利1
「………いっぱい、撫でて……ね?」

 勝利2
ありがとう(ダンケ)……親様」


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第七節 破滅への序曲 (4/5)

拮抗の4です。どうぞ。





 

 

 ───ボクなら、すぐにでもネズミをたいじしてみせましょう。

 

 おとこは、そういいました。そんちょうはこのことをきいて、もしもせいこうしたときには、なんでもしてやるといいました。

 

 ───おやすいごようです。ほんとうに、なんでもしていただけるのですね?

 

 そんちょうがうなずいたのをみて、おとこはさっそくひろばへとむかいました。

 

 ひろばについたおとこは、ポケットからふえをとりだしました。

 

 ──ふえなんてつかって、なにをするんだ?

 

 まちのひとがふしぎにおもっていると、おとこは、ゆかいなおんがくをふきはじめました。

 

 すると、どうでしょう。あちこちのいえから、ねずみがあつまってきたのです。

 

 ──これは、どうしたことだ。

 

 みんな、びっくりしています。

 

 おとこは、ふえをふきながら、むらのそとへむかってあるきだしました。

 

 すると、ネズミがそのうしろについていきます。

 

 むらじゅうのいえから、つぎつぎにネズミがでてきては、そのれつにくわわっていきます。

 

 むらをでたネズミのぎょうれつをおいかけると、おとことネズミは川のそばまでやってきていました。

 

 ──どうするつもりなんだろう。

 

 むらびとたちがぎもんにおもっていると、おとこはざぶざぶとかわのなかにはいっていきました。

 

 ネズミたちはあとをおって川へ飛び込むと。そのまま、いっぴきのこらずおぼれしんでしまいました。

 

ハーメルンの笛吹き男 中章

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

「先輩!ご無事ですか!?」

 

 立香が意識を取り戻したのは、そんな声が耳に入ってきたからだった。恐らく、そこまでの時間は経っていなかっただろう。

 

「………マシュ……?」

 

「申し訳ありません!マシュ・キリエライト、全速力で北壁の上を駆けてきたのですが距離が遠く、2分ほどの時間がかかってしまいました。それで、状況は………」

 

 息を切らしたマシュが、問いかけを途中で止めた。

 

 壁の下を眺めて押し黙るマシュを見て、暫く呆けていた立香も恐る恐る下を覗き込み……同じように、驚愕した。

 

「ぁ………え?……これは……一体、どなたが……?」

 

 壁の内側は、赤紫。赤黒いと言ってもいい魔獣の血が視界を埋め尽くしていた。絶え間なく流れるソレは血の()のように、じわじわと褐色の地面を染め上げていく。

 

 そして、その発生源。それは、足場にできるほど大量の魔獣の死体。北壁の穴近くで無造作に積み上がったそれらは、一匹の例外なくブロック状に切り刻まれている。

 

「この……笛の音は……」

 

 耳に、蕩けるような美しい音色が届く。重厚で濃密な旋律は、それこそワインか何かのように、人の心を虜にし、その毒性を露わにする。

 

 フラフラと、外壁から魔獣の一匹が吸い寄せられるが如く穴へと近づいた。ムシュマッヘと呼ばれていた、ヒトデのような化け物。千鳥足で穴から内部へと侵入しようとしたそれは、しかし壁の内部に入った途端、他の魔獣と同じように肉のブロックへと変わり果てている。

 

 まるで、生産工場か何かの工程をすっ飛ばされてみたかのような気分だ。

 

「これは……ハーメルンが、やったのか?」

 

 慌てて彼の姿を探すと、彼は北壁の内部で未だ戦っていた。対する獣は、三体。自らの数倍の巨体をもつウガルに対し、踊るような戦闘を繰り広げている。

 

 他の場所を見やると、アナや他の兵士たちが、チラホラと協力してもう何体かのウガルと対峙していた。だが、三体もの魔獣と戦闘を繰り広げているのはハーメルンだけだ。

 

「危ないっ!!」

 

 一体の獅子が、吠えたてるように口から火球を発射する。それに連動するよう、他の二匹も巨大な火球を放つ。

 

 だが、それらは瞬時に細切れとなった。ハーメルンが笛を吹いた途端、質量を持たないはずの火球は切り裂かれ、ハーメルンを避けるように後方へと消え去る。

 

 目の前で起こった状況に動揺を隠せないウガル達。その隙を逃さず、ハーメルンが再び笛を吹くと……今度は、呆気のないくらい簡単に、一匹のウガルが真っ二つに割れる。自らの死にすら気がつかなかったのか、数歩歩いた魔獣は、半身を崩し地面に倒れた。

 

「あれは……?」

 

 恐らくは、ハーメルンが使っていた風の刃。高圧レーザーのように圧縮された風が一つの武器となり、あれほどまでの破壊力を生み出したのだろう。

 

 だが、それは今まで立香が見ていたものとは大きく異なっていた。あれほど静かに肉体や炎を断てるなど、尋常ではない威力だ。少なくとも、今までのハーメルンはあんな芸当はしていなかったはず。

 

 あまりの圧倒ぶりに愕然としていると、立香の後ろから近寄ってくる影があった。

 

「おや、お目覚めかい。随分と短い睡眠だったね、藤丸君」

 

「マーリン?……に、フォウ君」

 

「フォウ。フォーン、フォ」

 

 白い髪を揺らし……つつ、その髪を肩に乗ったフォウ君に引っ張られている魔術師。マーリンは、にこやかに笑って肯定した。たまに痛そうにして顔を顰めている。……何故、嫌われているとわかっているのに肩に乗せたのだろうか。

 

「あぁ。状況の説明が必要かと思ってね。下はアナたちに任せてきてしまった。……これだけ数を減らせたなら、もう彼女たちだけで十分だろう」

 

「マーリン君、いったい何が……」

 

 マシュの疑問に、マーリンが長々と自慢話のように話を盛り上げる。長すぎて少し焦れたが。

 

 曰く。ハーメルンが最初にやったことは、北壁の穴を塞ぐことだったらしい。

 

 北壁の穴は、塞ぐことはできない巨大なものだった。……だが、その大きさを逆手に取り、ピアノ線を張り巡らせるかのように網目状に風の刃を設置することで、侵入してくる魔獣の半分ほどを仕留めたそうだ。

 

 さらに、おかれた状況を理解した魔獣たちが二の足を踏んだところで、あの笛らしい。

 

「とまぁ、顛末はさっきの通りだ。風を出すのとは両立できないらしいから隙を見てだが、音に誘われた外の魔獣には効果覿面だった。あとは、中に入り込んだ何体かを仕留めるだけさ」

 

「凄い………!あれだけの魔獣を、ハーメルンさん一人で!」

 

 驚嘆するマシュ。しかし、立香の胸中には別の感情が渦巻いていた。

 

「……どうして、そんなことができたんだ……?」

 

 今まで、ハーメルンが戦闘する機会は多々あったが、彼は精々『アサシンとしては強い』の範疇に収まるほどの強さだった。言えば悪いが、アナと同等か、それ以下程度の実力だったはずだ。

 

 多少相性がいいからといって、魔獣としてはかなりの強さを誇るウガル百体をも相手にここまでできるとは思えない。風の刃も、今までの戦闘では不可視ではなく立香でも見える程度のものだったのに。

 

 そんな立香の思案を、マーリンは楽しそうに笑い飛ばした。

 

「ははは!……なるほど。君は随分鈍感なようだね、藤丸君」

 

「鈍感……?」

 

「彼があそこまでやれるのはね。君のおかげだよ、藤丸君。君が命じて、君が信頼しているからこそ、あれだけの力を発揮できている」

 

 というか。と、マーリンは至極当然のことを口にするように続けて言葉を紡ぐ。

 

「元々、彼はあれだけ強かったのさ。けれど、今まで無意識にストッパーを掛けていた。恐らく、その原因も君だ」

 

「それも……?」

 

「最初からあれほどの強さを見せれば、君に嫌われる。或いは、怖がられてしまう。その考えが、彼の頭の片隅にはあったんだろう。しかし、信頼が深まることで、そんなことはないと彼自身が確信できた。いわば、心理的な壁が無くなったんだ。だからこそ、彼は一切の懸念なく動けるし、戦える。心と体が直接的に繋がっている。安心を得れば体が軽くなるし、不安になれば体も重くなる。そういうものだろう?人間(・・)というのは」

 

 呆然と、遠くのハーメルンを見た。

 

 ダンスか何かを踊るように、激しく、静かに敵の攻撃を躱す少年。その表情は、とても余裕があるようには見えない。だが、何一つ不満を言うことなく、ハーメルンは冷静に獣を仕留めていく。

 

(……なんだ……全部、俺のせいじゃないか)

 

 彼の弱さも。彼の強さも。全ては、立香が招いたものだ。立香が、引き起こした錯覚だ。

 

 つまり、あれこそが自然。ハーメルンが、最も輝いている姿。ありのままの、ハーメルンの姿なのだ。

 

 そう考えると、少しだけ腹に溜まるものがあった。

 

 嫌われると思って我慢していた?何を馬鹿な。その程度のことで立香がハーメルンを嫌うなどと思われていたということか。何度か、恐れたことはある。ただそれは、嫌悪の感情とは程遠いものだ。立香の思いは、そんな簡単に揺らぐものではない。

 

 すぅ、と息を吸い込む。

 

「………ハーーーメルン!!!!」

 

 自分でも、ビックリするくらい大きな声が出た。それがこの場において悪手だと、なんとなくは理解していた。だが、どうしても収まりがつかない。これだけは、言っておかなくては気が済まないと言う一言があった。

 

「ひゃい!?」

 

 ビクッ!と体を震わせて、ハーメルンが情けのない返事をする。また随分と、可愛らしい悲鳴をあげる殺人鬼がいたものだ。

 

 再び、息を大きく吸い込む。全力で、その一言を発した。

 

「………頑張れっ!!」

 

「………は、はいっ!!」

 

 再び体を硬くして、ハーメルンが返事をする。よし、と笑って。立香は、ハーメルンとは別の方向に向き直った。

 

「ははは!君らしいな、藤丸君!」

 

 茶々を入れてくるマーリンをスルーして、マシュの肩に手を置く。

 

「………マシュ、戦線の負傷者の救護に回ろう。もし魔獣が出てきたら、その時は頼む」

 

「……は、はい!……その。……あれで、よかったのですか?」

 

「……ああ!帰ったら、お説教だ」

 

 立香はハーメルンを怖がっていたことを、正直に話して。その上で、立香がハーメルンを大好きなことは、その程度では変わらなということを、しっかり教えてやらねばならない。そして、今度こそハーメルンの問いに答えるのだ。

 

 

 ──俺は、ハーメルンを赦したい、と。

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

「………頑張れ……って……こんなに……あったかい……ものだっけ……?」

 

 生前、何度か同じ言葉をかけられたことはある。ただ、それらは全て急かしたり無理を強いたりする意味のもので、到底応援とは程遠いもの。

 

 不思議な気分だった。胸が熱くなって、空だって飛べそうなほどポカポカして、フワフワとする。

 

 初めての感覚。初めての気分。浮かれて、その場で飛び跳ねてしまいそうだった。顔が赤くなって、思考がまとまらない。魔力の練り上げも、なんだかホワンホワンなピンク色だ。

 

 ……そんな油断は、戦場では命取りとなる。

 

「わっ……」

 

 ウガルが、ハーメルンの背後から迫っていた。慌てて笛を構えるが、ほんの数瞬間に合わない。ウガルの巨大な口が、視界いっぱいに広がる。

 

 

 

「いやぁ!いつの時代になっても、主人(あるじ)からの言葉と言うものは、心を昂らせるものですね!」

 

 大きな口を開けたまま、獣が脳天を貫かれて息絶えていた。あまりの早技に、視界がついていかなかった。そんな早技を繰り出した者の名は……

 

「………牛若丸……さん……」

 

「牛若で結構。なんなら、義経と呼んでくださっても構いませんよ?なに、主に褒められたいがために戦う者同士。仲良くいたしましょう」

 

 魔獣の血に塗れたまま、童顔の武士はなんでもない風に笑い、尻餅を作るハーメルンに手を差し伸べる。……流石に猟奇的すぎて、手を取るのは躊躇われた。

 

「……自分で……立てるの……ウシワカ」

 

「おや、その元気が残っているのなら結構。残りは有象無象の化生(けしょう)7体。軽く片付けてしまいましょうか。そして終わったら、存分に褒めていただきましょう」

 

「……ん」

 

 コクリとうなずき、互いに背を合わせて己が武器を構える。両者共に、仕える主人は異なる。されど、その目的はなお一致していた。

 

「ギルガメッシュ王が臣下!ライダー、牛若丸!推して参る!」

 

「……サーヴァント、フォーリナー。……ハーメルン、だよ。……殺すね」

 

 小さな武将二人は、合図もなく同時に駆け出した。

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 北壁外部の被害は、比較的少ないものだった。大事になる前にハーメルンが行動したことにより、負傷者自体は最低限に抑えられ、幸いなことに死人は出なかったそうだ。

 

 とはいえ、重傷者が何人かいることもまた確か。横たわる彼らをカルデアの協力の元探知し、応急処置を施して北壁入口へと運んでいく。

 

 魔獣が何匹か襲ってくるが、量はたかが知れている。充分にマシュが戦える範囲であったし、少しでも量が増えれば壁の向こうのハーメルンが対応してくれた。

 

 そうして、何人かの兵士を運び終わった時。ふと、立香の目にとある人影が止まった。

 

「………あれは……?」

 

「マスター……?」

 

 ウガル達によって無残に壊されたバリケード。その向こう側に、蹲っているような人影が見える。……それも、割と近い。およそ50mといったところか。

 

 魔獣達の被害に遭ったのか。その割には北壁から少し離れすぎな気もするが、放っておくわけにもいかない。

 

「マシュ、ちょっとあの人見てくる。着いてきて」

 

「えっ!?ま、待ってください、マスター!」

 

 マシュの呼び止める声を背に、小走りで駆け出す。距離はほとんど空いていない。軽く背負って運ぶだけで終わる。なるべく時間はかけないでいたい。……そんな軽い気持ちだった。

 

「大丈夫ですか!?」

 

「………ぎぁ……ぅっ………ぁ……」

 

「痛みますか!?」

 

「ぇ……ぁ……?」

 

 どうやら、言葉を話せる余裕はないが、意識だけはあるようだ。苦しそうに呻き声を上げて、体を度々震わせている。纏っているマントのせいか体躯はわからないが、かなり小柄なようだ。これなら、立香一人で運べるかもしれない。

 

「マシュ、俺がこの人を運ぶから……」

 

 護衛を頼む、と言おうとした矢先。マシュが奇妙なものでも見るかのように、こちらを見ていることに気がつく。

 

「先輩……一体(・・)誰と話しているのですか(・・・・・・・・・・・)

 

「…………え?」

 

 ゾクリ、と悪寒が背筋に走る。瞬間、立香の体は背後から伸びてきた手によって、マシュとは別方向へ投げ飛ばされた。

 

「うわぁっ!?」

 

「マスター!?」

 

「……が……ぁ……く、そっ!………大……馬鹿……やろー!……とっとと……避けとけ、です!」

 

 怒気を孕んだその声音と独特の口調で、先ほどまで蹲っていた存在の正体を知る。例の少年(ショウジョ)だ。恐らく、つい先ほどまで何かしらの宝具を使って隠れていたのだろう。……だが、何のために。

 

 もしや──罠か。そう思い至ったが、その仮説は瞬時に否定された。

 

 立香が状況を把握するや否や、とんでもない速度で地面へと突っ込んできた存在があったからだ。地面はクレーターのように無残に凹み、焦げたかのような音まで発している。その場所は……つい先ほどまで、立香が立っていたところ。

 

「……フン。外したか。人類最後の失敗作をついでに処分する、いい機会だったんだけどな」

 

「………キングゥ……!」

 

 轟音を立てながら空から飛来したのは、不敵な笑みを携えたキングゥだった。彼は無様に地面に転がる立香を見て鼻で笑い、その間に立つ少年(ショウジョ)へと向き合う。

 

「あぁ、そうだとも。……それにしても。ついさっきまで[気配探知]に引っかからなかったのに、突然前触れもなく現れるんだ。まさか、そんなところに小賢しく隠れていたとはね。驚いたよ」

 

「……お互い様だ。まさか、テメェじゃなくコイツに見つかるなんてな………そうか。テメェ、あいつと会ったのか、です。だから………チッ」

 

「……一人で勝手に解決せずに教えなよ。遺言として聞いてあげないこともないよ」

 

「余計なお世話だ、です」

 

 皮肉の効いた会話を繰り返す二人。その間になんとかマシュと合流しようとするが、一歩でも動けば殺されそうなほど剣呑な雰囲気が立ち込める中、それを試みるのは無謀だった。マシュもそれがわかっているのか、何度も機会を窺っては動けずにいる。

 

 だが。少年(ショウジョ)の後ろ姿を見ていた立香は、ふと気がつく。……少年(ショウジョ)の体のあちこちが、妙に盛り上がっている。筋肉や脂肪といったそれではなく、それだけ外付けでとりつけられたかのように。少年(ショウジョ)の体から、何かが浮き上がっている。

 

 そして、あろうことか。その妙な出っ張りは、意思を持っているかのように動き始めた。

 

「えっ……!?」

 

「……っ!…………ぁ……ぐ……」

 

 少年(ショウジョ)の反応は、酷く顕著なものだった。足から力が抜け、つい先ほどのように地面へと倒れ込む。しばしばの痙攣と、時折出る悲痛な呻き声は、その身を蝕む苦しみの程を表しているかのようだった。

 

 まさか、キングゥの攻撃か。……そう考えるがどうやら全く別口のものらしく、キングゥは意外そうな表情を浮かべている。

 

「……随分と、醜悪なものを飼っているな。お前の趣味か?」

 

「……ず……ァ……んな……わけ……ねぇ、だろうが……!」

 

「だろうな。となると、お前のマスターか。……まぁいい。どちらにせよ好都合だ。悪いが、君の言うように母親を宥めなくてはいけなくてね。早めに済まさせてもらうよ……!」

 

 そしてキングゥは、背後に大量の鎖を構えながら、倒れ伏す少年(ショウジョ)へと狙いを合わせた。少年(ショウジョ)は何かをしようとしているが、痛みでままならないようだ。

 

「じゃあ、さようなら。見知らぬサーヴァント。恨むなら、君を探し当てたそこの人間を恨むんだね……!」

 

 矢のように引き絞られた天の鎖が、少年(ショウジョ)を捉えようとした………ちょうどその時。

 

「何!?」

 

「まさか……!?」

 

「先輩……!」

 

 巨大な地震が、再び北壁全体を覆った。上下感覚も、平行感覚も、何もかもがなくなってしまいそうになるあの揺れ。

 

 しかし、先ほどと違ったのは、その揺れがあまりにも大きかったこと。………まるで、震源が立香の間近にあるかのように。

 

 揺れは収まることなく、ビキビキと地割れさえ作ってなおも揺れ続ける。……否。それは地割れではなく、ただの出口だった。地面を這っていた巨大な生物が、発泡スチロールか何かの蓋を破るかのように、地表を粉砕したに過ぎない。

 

 ………そうして。立ち上がることすらままならない状態で、立香は目撃する。

 

 天に届くほどの白き(くちなわ)。紫という概念を具現化したかのような紫の髪、女性の顔。それらが合体して、ラミアのような美しさと凶暴さを併せ持っている。そして、何より目に生えるのは、天使が如き黄金の翼。

 

「……これ……は………」

 

 ビリビリと、肌が危険を訴えるようにピリつく。それは、イシュタル神と対峙していたときと酷似していた。

 

 つまるところ、隠し切れないほど高ランクの[神性]。神の証。目の前の存在は、あまりにも桁違いの威圧感を放って、その名を口にする。

 

「……我が名は、三女神同盟が一柱。魔獣母神、ティアマト。人間共よ、滅びの時だ。頭を垂れ、咽び泣き、終末を……受け入れるがいい」

 

 

 魔獣母神。全ての神の生みの親。原初の神を名乗る女神は、立香たちをハエのように見下ろして、そう(のたま)った。

 



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第七節 破滅への序曲 (5/5)

 終曲の5。

 そして、全ては終わりを告げる。
 輝かしかった日々も。
 憂いに悩んだあの夜も。
 全ては、夕焼けと共に溶けていく。




 ネズミがいなくなったことで、むらのひとたちはおおよろこび。うたって、おどってのうたげがひらかれました。

 

 そこへ、ふえふきがもどってきました。

 

 ──それでは、ボクのねがいをきいてくれますか?

 

 ──そんなやくそくは、したおぼえがないなあ。

 

 むらのひとたちは、ネズミがいなくなったのをいいことに、やくそくをしらんぷりしました。

 

 ──いいでしょう。

 

 ふえふきおとこは、それだけいってむらをあとにしました。

 

 ──やれやれ。あきらめたか。

 

 むらのひとたちはあんしんして、また、うたったりおどったりです。

 

 ………そんなとき。どこからから、びゅうびゅうとふえのおとがひびきました。

 

 ふえふきが、まちのはひろばのまんなかで、ふえをふきはじめたのです。

 

 それといっしょに。こんどは、こどもたちがあつまって、ふえふきのあとをついていったのです。

 

 ──おい、こどもたちがあのおとこのあとをついていくぞ!

 

 おとなたちはひっしにとめましたが、こどもたちがとまることはなく。

 

 ──わかった!やくそくをまもる!まもるから!

 

 こえのかぎりさけびました。しかし、ふえふきはとまることはありません。

 

 そうして、130にんものこどもをつれたふえふきおとこは、むらのこだかいしょけいばしょのちかくで、こどもたちといっしょにすがたをけしてしまいましたとさ。

 

 のこったのは、たったふたりのこども。そのふたりは、めをわるくしていたこと、みみがきこえないこどもでした。

 

 おしまい、おしまい。

 

ハーメルンの笛吹き男 終章

 

 

 

 

 

 

 ──さぁ、次はアナタ達の番だよ。

 

 

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「……百獣母神……ティアマト……!?」

 

 目の前の巨大な神を見上げながら、そう溢す。ティアマト。それが、イシュタルに次ぐ三女神同盟の一柱。

 

「あ、あれは……ティアマト神だ!やはり、北の女神はティアマト神だった!!」

 

「逃げろ!殺される!!みんな殺されるぞっ!!逃げろぉぉっ!!」

 

 恐怖に駆られた兵士たちが、次々と北壁へと撤退していく。恐怖が爆発したように広がり、次々と北壁から人がいなくなっていく。

 

『解析が終わった!!霊基は神霊クラス!!体長は……尾を含めると100m!クラスはアヴェンジャー!エクストラクラスだ!』

 

 耳に入ってくる情報も、今は頭にまで届かない。それほどまでの───恐怖。心臓が鷲掴みされたかのように、どくどくと脈打つ。体は動かない。兵士たちのように、逃げなくては。そう思っているのに、指先一つすら動かない。先ほど北壁の上で起こった現象と、全く同じだ。

 

「……だ……くそっ!……壊れかけ(・・・・)のくせして……無茶………するからだ、ボケッ!」

 

 壊れかけ。一体、なんのことを言っているのか。そう、疑問に思った。

 

 瞬間。

 

 立香の背後にいたはずの少女(ショウネン)が、跳ねるように動く。それに反応するほどの時間すらなく、手に二つの短剣を持って、少女(ショウネン)はその片方を立香の背へと突き立てた。

 

「せ、先輩っ!!」

 

 マシュの絶叫が響き渡る。

 

 グニュ、という変な感覚。痛みはない。だが、違和感だけはある。自分が刺されたという事実だけがあって、結果が伴っていないような。そんな違和感。

 

「………偽・修補すべき全ての疵(ペイン・ブレイカー)!!」

 

 たちまちのうち、立香の全身に温かな光が宿る。自らの心に宿った恐怖という冷気が、光によってだんだんと解けていく。

 

「──君は……!」

 

 口と体が自由になって、漸くその少女(ショウネン)の顔を見る。

 

 その目が、妙に印象的だった。

 

 今にも、泣きそうな目をしていた。昔を懐かしむような、悔やむような。蒼い目は、そんな過去を携えていて。そしてそんな目が、立香を見つめていた。

 

「……君、は……」

 

 全く同じ言葉が、しかし別の意味で口から漏れた。………だが、その言葉を紡ぐまでもなく。

 

「……偽・暗黒霧都(ザ・ミスト)…」

 

 少女(ショウネン)が持っていたもう一つの短剣が、ほんの少しだけ魔力を放ち。

 

 

 ──視界が、灰色へと染まった。

 

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「これは……!」

 

 目の前を、灰色の絵の具で塗り潰されたようだった。視界が攻撃を受けたのか。そう考えて、しばらくしてそれが煙が何かであることに気がつく。

 

 この状況は、妙に既視感があった。

 

『藤丸君!なるべくその水蒸気……霧を吸うな!半径20メートル……この反応、この魔力は………第四特異点(ロンドン)のそれだ!』

 

 腕輪から聴こえるダ・ヴィンチの声を聞いて、漸くその既視感にたどり着く。第四特異点。死の霧が蔓延していたロンドンのそれが、今視界の全てを覆っているのだ。

 

 ロンドンの時と同じく、立香自体に害はない。恐らく、マシュも同じだろう。

 

「マシュ!大丈夫か!?」

 

 声を出しても、返答はない。もしかすれば、この霧は声すらも遮っているのかもしれない。

 

 幸いにして、攻撃される気配はない。だが、五感のうちの一つが完全に封じられているという状況は、あまりよろしいとは言えない。

 

 ──ここから、動くべきか。だが、視界が確保できない状況で動くのも危険だ。

 

 ………そんな思考に反して、少女(ショウネン)が使った宝具だからか霧はだんだんと薄くなっていく。ロンドンのようにずっと滞空している、というわけでもないようだ。

 

 そして、視界がだんだんとクリアになる。目の前に北壁が移った瞬間、マシュの手を掴んで共に駆け出す。そのビジョンを繰り返しシミュレートして…………

 

 

「…………え………」

 

 目の前の光景を見た瞬間に、頭が真っ白になった。

 

 少年(ショウジョ)は、消えていた。また姿を晦ましたのだろう。それは、まだ良かった。

 

 思えば、おかしいと思うべきだったのだ。目が見えなくなったところで、聴覚は健在だった。霧が音を遮るのならば、立香自身が出した声も、立香には聞こえないはずだから。

 

 だというのに、マシュは立香を探すために声ひとつ出さなかった。サーヴァントとしてのパスを使えば、立香の大体の現在位置くらいは特定できそうなものなのに、立香の方にすら来なかった。

 

 

 その理由は、一つ。

 

「ぐ…………ぅぁ……」

 

「マシュ………!?」

 

 ──それが(・・・)できなかったから(・・・・・・・・・)

 

 霧が晴れて、立香の視界に入った光景。

 

 それは、キングゥが刃物のように変化した左手で、背後からマシュの無防備な胸を………冗談のように。克明に、貫いている様子だった

 

 

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「ぜん………ぱ……………」

 

「マシュっ!!」

 

「………はぁ、いちいちうるさいな、旧人類は。お陰で、奴に逃げられてしまったじゃないか」

 

 気怠そうにそう呟くキングゥ。繋がるその手には、真っ赤な血と………恐らく、マシュの心臓と思われる臓器が、印のように掲げられている。

 

 目の前の光景が、スローモーションに見える。

 

 明らかに、致命傷だった。

 

「まぁいい。どのみちこれで、厄介なサーヴァントのうち一人は殺せたんだ。失敗作に目障りに集る、厄介な虫が」

 

 ブン、と手を振り、マシュが地面へと投げ出される。その目は、もう開いてはいなかった。

 

 信じられない。

 

 なんだ、これは。たった一瞬目を離しただけじゃないか。

 

 なんで、マシュがあんな傷を負っているんだ。

 

「さてと。あとは、あの幼体の少女を殺せばとりあえずは解決、か」

 

「嘘だ……」

 

 膝から、その場に崩れ落ちる。目の前の光景を疑った。こんなはずはない。そう思った。だが、血の海に沈む彼女は、どうみても死んでいるようにしか見えなくて。

 

 その上に乗った一つの花びら(・・・)が、まるで、死人に捧げられる手向けのように………

 

「………………花……?」

 

「…………まさかっ!!」

 

 その事実に気がついたのは、キングゥとほとんど同時だった。ピンク色の花びら。そんなものが、この荒野の続く北壁に、あるはずがない(・・・・・・)のだ。

 

 だとすれば、そう。この目の前の光景そのものが───

 

 

「そう。薄っぺらい嘘だということさ、藤丸君」

 

「マーリン!?」

 

 大量の花びらと共に、白の幼い魔術師は立香の隣に降り立った。と同時に、視界を覆っていた()が、正しい事実へと変化していく。

 

 キングゥの貫いていた心臓らしきものは、ただの鎧の破片に。マシュの傷口は、肩あたりへと。マシュから出ていた血の池は、そのほとんどが幻だった。

 

「すまない、遅くなった。咄嗟の幻術だったから、狙いを逸らすくらいしかできなくてね。だが、死んではいないはずだ」

 

「マシュ!」

 

 近づいて脈を測る。……どうやらマーリンの言う通り、ショックで気絶はしているが、息自体はまだある。傷口こそ深いが、場所が場所だったからか即死することはなかったようだ。

 

「そら、彼女を助けてあげなさいキャスパリーグ。どうせ魔力を溜め込んでいるんだろう。このままでは、出血が原因で死んでしまうよ?」

 

「フォウ!フォウ!フォーウ!」

 

 そして、マーリンの肩に乗っていたフォウ君が何度か雄叫びを上げると───神秘的な光と共にマシュとフォウ君の姿がかき消え、影も形も残さず消滅してしまった。

 

「これは……!」

 

「転移だ。安心したまえ、マシュ嬢は無事さ。大方、ウルクに戻っているだろう。怪我自体も、跡すらなく消してくれるはずだ。戦線は撤退することになったが、許容範囲内だろう」

 

 さて。と、マーリンは未だ呆けていたキングゥの方を向く。そして立香達の後ろから、北壁の兵達何十人かが加勢に並んだ。

 

「まだやるかな、キングゥ。そして魔獣の女神よ。これで、状況は五分へと戻ったはずだが。悪いが、美女と子供を惑わすのは得意でね。同士討ちを避けたいのならば、撤退をお勧めするが?」

 

「…………貴様っ!!」

 

 キングゥが、殺気を込めた目でマーリンを睨む。だが、その相性は最悪。特異点の初日といい、先と言い、キングゥには恐らく幻術への抵抗がない。このまま戦闘がはじまっても、マーリンの言う通り同士討ちが始まりかねないだろう。

 

 両者が拮抗する。そして、そんな危うい均衡を破ったのは、今の今まで口を閉ざしていた巨大な女神だった。

 

「──クク」

 

 ティアマトの口元が、狂気的に歪む。そして、次に響いたのは、いっそ冒涜的にまで聞こえる大きな笑い声だった。

 

「クククッ!!フハハハハッ!!なんだ!人間の愚かさに呆れ、戯れにと傍観していたが……随分なやられ様ではないか、キングゥ!」

 

「なっ!?……こ、この失態は……」

 

「よい。物事には適性というものがある。貴様と奴では流石に分が悪かろうよ。此度は引け、我が息子」

 

「………は」

 

 荘厳なその声に応えて、キングゥは宙へと浮かんで立香達から離れていく。あれほどまで激情を滾らせていたのに、たった何回かの会話で引くとは。キングゥとティアマトの間には、明確な上下関係……親子関係があるようだ。

 

 キングゥが立香達と十分に距離をとったのを見て、ティアマトはその巨体で立香達を見下ろした。

 

「………さて、半魔の魔術師よ。貴様、さては不死身か」

 

「……だとしたら、どうだというのかな」

 

「フッ。とぼける必要もあるまい。何度かその手のものを見たことがあってな。ともすれば……」

 

 その瞬間。ティアマトの目が、大きく見開かれる。そして………極光。黒と赤の本流が、避ける間も無く。そして、兵士たちが悲鳴を上げる間もなく、立香の横を轟音と共に通り抜け……………

 

「な………!?」

 

「我が魔眼も、久々に火を吹こうというものだ」

 

 飲み込まれていた兵士たちが、悉く石の像と化していた。

 

「石化の………魔眼!」

 

「ま、マズい!それだけはマズいぞ!藤丸君、今すぐ逃げよう!詳しくは言えないが、今私が意識を手放すと大変なことになる!」

 

 柄にもなく大慌てのマーリンは、すぐ様180°回転し、全力でティアマトから逃亡せんとその背を向ける。そして先ほどまでの威勢は何処へやら。全力の疾走を始めた。それに倣って、石化から逃れた兵達も逃げ出し始めた。

 

 だが。立香が逃げ出すことだけは、許さない者が一人。一柱いた。

 

「うわっ……!?」

 

「藤丸君!?」

 

 突如。立香の体を、長い蛇体が締め上げる。潰されるか潰されないかギリギリの力で、全身が拘束される。そしてそのまま、立香はティアマトの元へと引きずられていった。

 

「悪いが。人類最後のマスターはいただいておこう。此奴(こやつ)には少し興味がある。貴様らの、希望という奴なのだろう?ならば、その希望に人類の滅亡を見せるのもまた一興だ」

 

「ぐっ………離……せ……」

 

 なんとか抵抗するが、巨像と蟻。力を込めようと抜け出せるわけもない。

 

吠えるな(・・・・)。貴様程度、力を込めればすぐに殺せるのだぞ。大人しくしておくのが、身のためというものだ」

 

 吠えるな。ただ、その一言。その命令。その一言で、全身が再び強張る。恐怖が、体を支配する。震えて、体が凍ったかのように冷たくなっていく。

 

(くそ……なんだ………これ………)

 

 体の自由が効かない。どれが力を込めようと、声の一つすら発せない。まるで、自分の体が他人のものになってしまったかのようだ。

 

「まぁ見ておけ。今からあの一団は彫像と化す。それに比べれば、マシな最後を送らせてやろうというのだぞ?」

 

「……ぁ………」

 

 そして。ティアマトの目が、逃げ出すマーリン達を捉えて大きく見開かれる。またも黒の極光が、その全員を石へと───

 

「いくぞ友よ!!炎門の守護者(テルモピュライ・エノモタイア)!!」

 

 変えることは、なかった。極光は、幾つも輝く(くれない)の光によって遮られ、そして、いくつかを持ち主へと跳ね返した。

 

「何!?」

 

 熱を持ったその光は、ティアマトの体の一部を焼く。それが虚をついたのか、立香の身は放り出され、しばらく地面を転がった後自由となった。……だが、どうやったとして体は動かない。

 

 そして、その光を跳ね返した主こそは……

 

「…………身に染みましたかな。ギリシャの古き女神。かつてアテナによってその身を変えられ、人々に迫害され、多くの英雄を殺した者。形のない島の三姉妹の成れの果て──大魔獣ゴルゴーンよ」

 

 今なお、その身を石へと変える、レオニダスその人だった。

 

 そして。

 

 ゴルゴーン。彼は、確かにそう言った。それこそが、この女神の真名。そしてその名は、あまりにも有名。……立香も聞いたことはある。蛇の髪を持つ、目を見ると石になってしまう怪物。その正体こそが、彼女。

 

「………貴様か、勇王レオニダスよ。……だが許そう。貴様ほどの勇者がつけた傷であるならば、この身も受け付けようというもの。そして哀れだ。貴様という盾を失った人類は、私によって絶滅する」

 

 眩しいものを見るようにゴルゴーンはその目を細め、敬意を含んだ声音で宣告する。

 

 レオニダスは、物理的な熱線こそ跳ね返したが、その身は石へ変わり始めていた。対して、ゴルゴーンは殆どダメージを負っていない。多少焼け焦げてはいるが、それらはすぐに再生を始め、最初からなかったように元通りとなる。

 

「……そんなことはありません。私が守ったものは、決して無駄ではない。そして──私がいなくとも、私の教えを残した者たちが、必ずあなたを討つでしょう──」

 

 ……あとは、お任せします。

 

 

 そう念じ、レオニダスは石となったその身をボロボロと崩壊させる。北壁を守り切っていた鉄壁の王。スパルタの勇者は、たった今、その身を霊子と石にと変え………完全に消滅した。

 

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 絶望が、その場には滞留していた。

 

 だれも、上を向いてはいなかった。

 

 悟ったからだ。レオニダスが全力で一撃を防ぎ反撃したとしても、ゴルゴーンは怪我一つしか負わなかった。

 

 このまま、自らたちは滅ぼされるのだと。そう思った。

 

 そして、それは立香も例外ではなかった。

 

 このまま、人類は終わるのかもしれない。そう、考えざるを得なかった。

 

 …………だが。

 

 死をただ待つだけとなった立香へと、疾走していた人物がいた。

 

 恐怖で鋭敏になった感覚が、突然自らの腕を持った手の主へ過剰に反応する。

 

 

 

 

 

「………親様…!間に………合った……!」

 

「……ハー……メルン…?」

 

 息切れしながら立香の腕を掴んでいたのは、乱れた黄色のレインコートを纏ったハーメルンだった。

 

 どうして、ここに。北壁にいたんじゃないのか。

 

 そう、言いたかったのに。身体が、口が。思うように動かない。引きつってしまい、彼の名前すらロクに呼ぶことができなかった。振り向いて、その悲しそうな顔を見て呟くのがやっと。

 

 立香の怯えた顔を見たからか。いっそう哀しそうな表情を作った彼は、スルリと立香の脇を抜け、ゴルゴーンと立香との間に立った。

 

 黄色のレインコートが北風に靡いて、彼の細っこい足が露わになる。白磁の枝のような足は、間違えようもなく、震えていて。

 

「……………あのね。親様。…ごめんなさい、でした」

 

 謝罪の言葉。一瞬、何に謝られているのかわからなかった。だが、次に続く言葉で、彼が何に謝っているのかを理解する。

 

「意地を張って、ごめんなさい」

 

 ……それは、いつかギルガメッシュに言われて距離を置いていた二人が、今の今までなぁなぁにしてきた仲直りの言葉。観測所に行ったあの時から、お互いに言うことのできなかった、けれど当たり前の挨拶。

 

「ボクが、悪かったです。あのとき庇ってくれて、ほんとは、嬉しかったのに。親様がいなくなるのが……怖くて。勝手に……避けちゃって」

 

 ……違う。あれは立香が悪かったのだ。ハーメルンの好意に甘えて、マスターとしてちゃんと考えて、しっかりと適切な距離感を保たなかった、立香が。……そう思っても。恐怖で、乾いた声しか出なくて。

 

「……だからね。今度は、ボクが。……親様を、守るよ」

 

 被っていたフードも風にさらわれて、長い琥珀色の髪が空へと揺れた。まるで黄色の風が、彼に纏わりついているような。

 

 そんな光景が、夕日に紅く、紅く照らされて。幻想的な光を放つ。

 

「……何を、何を言ってるんだ、ハーメルン?」

 

 あまりの驚愕のせいか。或いは、目の前の光景の美しさが恐怖を上回ったのか。やっと、掠れてはいるが声が出た。目の前の彼の言っていることが、理解できない。それを理解することを、脳が拒否している。

 

 そんな……そんな……

 

 

「………きっとね。…運命……だったの。ここで、ボクがあの人を…止めるのは……。だから……親様。………悪くないよ(・・・・・)。……誰も、悪くないよ…」

 

 諭すように。願うように。普段、そんなことは絶対に言わないのに。言おうと、しないのに。ハーメルンは、まるで。言うべきことを、言わなければならないと言わんばかりに。

 

「違う……違う!そんなこと……そんなこと訊いてるんじゃない!」

 

 そんな。最後のような言葉を使わなくたって、いいじゃないか。言いたいことを全部言って。言い残したことがないように、悔いがないように、全部吐き出す。……そんなこと、しなくていいじゃないか。

 

 ハーメルンが、顔だけこちらを見る。未だ動けない立香は、美しい人形のような顔を、その勇姿を、見つめることしかできなくて。

 

 

ありがとう……親様。いっぱい…抱きしめてくれて、こんなにも……『愛して』くれて。……ボク……知らなかった。世界が…こんなに眩しくて……あったかいなんて……ほんとに…ほんとに、知らなかったの

 

「……ダメだ。……やめて、やめてくれ……」

 

 そんなに、痛く笑わないでくれ。眩しく、泣かないでくれ。そんなことを伝えるために、そんなことをさせるために、立香はハーメルンと一緒にいたわけじゃない。

 

 足だって、震えてるじゃないか。怖いものが苦手なんだから。だから、早く戻って──

 

 

 

「………魔術師殿!失敬!」

 

「………!?」

 

 いきなり、動かなかった体が一人の兵士に担がれる。サーヴァントでもなんでもない一般人の立香は易々と持ち上げられ、途端に身動きが取れなくなってしまう。

 

 ……それは、つい先ほどまで魔眼によって石と化していた老兵だった。周囲が石となり、彼自身もまた例外でなく石となった……それでもなお生きているのは、効力を発揮した『天使の証』によるものだった。

 

 そのまま兵士は、北壁の方へ。ゴルゴーンとハーメルンが対峙する場所から、どんどんと離れて行ってしまう。

 

「は、放して!放してください!」 

 

「……いいえ、いいえ!出来ませぬ!」

 

 ジタバタと暴れて、屈強な老兵士に何度も何度も訴えかける。……だが、その男は何度も首を横に振り、一層早く戦場から離脱していく。

 

「今貴方様を放してしまえば、あの子の勇気を無駄にすることになる!それは……幼児(おさなご)の想いを踏みにじる(・・・・・)ことは!我々が最も(・・・・・)してはならぬ(・・・・・・)行為にございまするっ!!……恨み言は、後でいくらでも!」

 

 その老兵は、泣いていた。いつしかの無力さを、また繰り返すように。鼻と目から水分を垂れ流しながら、無様に走り続けていた。

 

 いつか見た白金の子の背中と、黄色の少年の姿を、その目に重ねながらも、ひたすらに。

 

「そんな……そんなの!どうだっていいんですよ!子供が!俺の子供がいるんです!!ハーメルン!ハーメルンッッ!!」

 

 立香も、泣いていた。何をやっても。どうやっても、誰かを思う力が、立香の抵抗力を奪っていく。この優しい拘束から逃れることはできない。それを頭では理解していながらも、虹色に滲んだ視界の中で傲慢にも、その手をハーメルンへと伸ばし続けた。

 

 

 

 

「……なんだ。えらく羽虫がうるさいと思えば。次は貴様が相手か、小童」

 

「………」

 

 あまりにも大きく、あまりにも強い力。体が勝手に震えて、身が竦む。

 

 ……だが、ハーメルンの心はその真逆。まるで凪のように静かだった。

 

「……アナタは、悲しい、ね…」

 

「………何?」

 

 それは彼女の力が、あまりにもハーメルンにとって身近なものだったから。知って、知って、知り尽くして。その果てに、自分自身が捨てたものだったから。

 

 未知という恐怖が、致命的に欠けていたのだ。

 

「……虫ケラ風情が、この私に同情だと?」

 

「…その気持ちは、知ってる。怨み(・・)は、飽きるほど感じてきた」

 

 そう言うと、今の今までハーメルンをなんとも思っていなかったゴルゴーンが、初めて反応らしき反応を返した。

 

「…貴様、名は」

 

「………ハーメルン」

 

「……ほう、では何か。貴様は私の復讐の心を理解した上で、私が悲しいなどと。そう言うのか?笛吹きの子よ」

 

「……」

 

 きっと、出会う瞬間が違えば。彼に出会っていなければ。何か1ピース違うだけで、ハーメルンは彼女の理解者となれただろう。

 

 訳もなく虐げられ、脅かされ、蹂躙されたあの日々。他人からの悪意に晒され、ほんのささやかな祈りさえ叶わない絶望の数々。出口は入り口となり、身体中を掻き毟りたくなるほどに穢され続けた。

 

 皮肉にも、ハーメルンとゴルゴーンという存在は似ていた。故に、互いを理解し合うことも、決して難しいことでは無かっただろう。

 

「間違ってない。間違ってないよ。貴方の思いは、きっと間違いじゃない。それを抱くのは、きっと生き物として当然だと思う」

 

「……左様か。安易に理解したなどと、そう言わぬ点は褒めてやろう。そこまでわかっているのなら都合がいいではないか。貴様、我が軍門に…「でも」………」

 

 だがそれは。

 

「……でも(・・)

 

 それは、彼と。『藤丸立香』と出会う前のハーメルンであれば、の話だ。

 

「……それだけじゃダメ(・・・・・・・・)。……復讐心だけじゃ、きっと前に進めないもん」

 

 ハーメルンは、知ってしまった。世界の暖かさを。人々の営みの明るさを。復讐だけでは決して得ることのできない、その温もりを。

 

「アナタの怨みは、個人から人という種族へのものへ変わってしまった。なら、それはただの理不尽。アナタが受けてきた迫害と、もう何も変わらない。それすら判らなくなってしまったアナタは……悲しい……ね」

 

 わかった。やっと、ハーメルンはわかった。最後の最後に殺した少女が、どうして自らを憐んだかを。ようやく、理解したのだ。

 

 

「……知った風な口を聞くな。口を慎め。我が名は原初の女神、ティアマト。貴様のような矮小なサーヴァント、一息で命を絶てるのだぞ」

 

「……うん。もう、何も言わない。……言葉じゃ、アナタにはきっと届かないから」

 

 ハーメルンは、笛を取り出す。三十センチにも満たない、宝具ですらない笛。セラエノと名付けられただけの、単なる笛。

 

 ……その笛が、ハーメルンの最も得意とするところだ。

 

「……ボクの得意で、アナタに立ち向かう!殺人者(アサシン)のボクで、アナタを殺してでもその復讐を終わらせる!」

 

「吠えたな虫ケラ!その体を捻り潰して、我が神殿の糧にでもしてくれる!」

 

 途端、大量の蛇を象った髪が、ハーメルンに殺到する。帯のように連なったそれは、しかし笛の音とともに紡がれた風の刃で細く切り刻まれた。

 

 だが、あまりにも数が多い。筋力が他サーヴァントに劣るハーメルンでは、力で無理やりに突破することはできない。……それに、石化を防げる訳でもない。体は、四肢の端から石へと変わっていく。

 

 耐久が劣るハーメルンでは、一撃すら耐え凌ぐことはできない。

 

 敏捷が劣るハーメルンでは、回避に時間を割くことはできない。

 

 魔力が劣るハーメルンでは、長く硬直状態を続けることはできない。

 

 幸運が劣るハーメルンでは、奇跡に期待することはできない。

 

 故に。

 

…進奏

 

 勝負は、数秒。

 

……すべて、あなたのために。…愛してくれた(・・・・・・)、あなたのために

 

 蛇の処理が覚束ない。防ぎきれなくなるまでのカウントダウンが、明確に始まる。

 

 風の刃が、ついに蛇に食いちぎられる。

 

全てを滅ぼす、全てを滅す、神の調べを

 

 ……だが、ハーメルンを飲み込むべく大きく開けられた顎を、笛から発生した大量の触手が縛り上げる。そのあまりにも強い膂力は、髪の蛇の顎門(あぎと)を閉ざすだけに飽き足らず、その存在ごと捻り潰した。

 

 魔力が、笛へと集まる。それは、宝具。笛そのものではなく、その音色に込められた数少ない力。強く吹かれた笛が、鈍色の光と音を放つ──

 

神賛歌す夢幻の吹奏(セラエノ・ガルヴァス)

 

 

 

 そして。世界が。

 

 数十秒間、完全に停止した。

 

 

 

 

 

 名もない島。双子の少女。そして……惨めで愚かで、醜い怪物。

 

『……ねえ、■■■■■。遊びましょうよ』

 

『そうね、(●●●●)。遊びましょう。■■■■■で、遊びましょう』

 

 嘲笑するかのように、愚弄するかのように。クスクスと、おかしそうに双星の少女達は笑う。………いつものことだ。

 

『どのように、遊ぶのですか?』

 

 尋ねると、手を引かれた。不思議に思って顔を覗きこんでも、その表情は窺い知れない。……と、いうよりは。………その顔が、黒く塗りつぶされたように、見えない。

 

『あの……姉様方……?』

 

 不気味に思ってどれだけ手を引き抜こうとしても、万力のように挟まれて引き抜くどころかピクリとも動かない。そもそも、■■■■■(じぶん)は引き抜くという動作そのものを行なったのか。こんなことをすれば、彼女達は怒り出しそうなものだ。

 

『あなたは、一体……誰ですか!?』

 

 一瞬、目の前の美しい少女のテクスチャがズレたようになる。黒いノイズが顔を覆って、その輪郭から、何もかもを崩していく。数秒後には何もかもが元どおりになったが、目の前の全てが偽物だと■■■■■は察した。

 

『離して……!離してください……っ!』

 

 半狂乱になりながら手を引き抜こうとしても、掴まれた腕はびくともしない。……目の前の少女に、それほどの力はなかったはずなのに。

 

 そして。自らの状況を完全に理解したところで、世界の時間は動き出す。

 

『………ええ、簡単なことよ。こうして─────

 

 

 

 

 

 

 ──貴方の爪を、剥いでいくのよ。可愛いメドゥーサ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは、幻覚。王賛歌す夢幻の進奏(セラエノ・ガルヴァス)がランダムに選ぶ、最も忌み嫌われる『死の幻』。

 

 数多の幻覚の中から、王賛歌す夢幻の進奏(セラエノ・ガルヴァス)は『本人の最も苦しむ死の幻』を見せる。そうして選ばれたのは、悶死。じわじわと苦しみながら、悶えて、真綿に首を絞められるように、じっくり。ゆっくりと弱って死んでいく死に方。ゴルゴーンはハーメルンの魔力が続く限り、自分が死ぬ夢を延々と見せられ続ける。

 

 本来なら機能するはずの神の権能による耐性は、ハーメルン自身の持つ、世界像すら書き換える神性が打ち消した。ほんの数分すれば、彼女の精神は崩壊し、あとには魂の無くなった肉体が残るだけ。これ以上なく、完璧な状況。

 

 ……だが。

 

「……ダメ、だよね」

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」

 

 数十秒、完全に意識を失っていたゴルゴーンが、悲鳴とも取れる雄叫びをあげながら動き出した。その目には正気は宿っておらず、いまだに幻を見ていることがわかる。

 

 だが、意識はここになくとも、身体は現実世界に戻ってきた。戻ってきてしまった。夢の中で動かそうとすれば、その通りに身体が動く。……となれば、やることは一つ。全力の一撃で、幻の世界ごと消し去ろうとするのみ。

 

 

 意識の錯乱したゴルゴーンが、宝具(・・)の発動を始める。

 

 

「は、母上!いけません!正気を、正気をお取り戻しください!」

 

 次に起こることを察し、慌てたキングゥが間に入るも、遅い。ゴルゴーンは、既に宝具の準備に入り、魔力を集め始めていた。だが、宝具を使うにしてもその魔力はあまりにも多すぎる。

 

「こんな……一度の宝具に使う魔力量じゃない!こんな量では、暴発して母上自身まで巻き込まれて……いや。まさか、そういう(・・・・)宝具なのか!」

 

「……もう、手遅れ。ボクを殺したところで、この幻覚は終わらない」

 

「なっ!……くっ!」

 

 何度かゴルゴーンとハーメルンを交互に視線を行き交わせて逡巡した彼は、歯噛みしながらハーメルンへ殺気を向ける。

 

 ……が、抵抗をする素振りすら無いハーメルンを見て戦う気を失くしたのか、天の鎖で地面へ拘束するに留めて太古の空へと飛び出した。

 

「は、はは!ははは!貴様らの呪いを返してやる!」

 

 気が狂ったように笑うゴルゴーンと対峙しても、ハーメルンは、動かない。正確には、動けない。胴体以外をほぼ石へと変えた彼では。そして神性を持つ彼では、たとえ令呪の空間転移を以ってしても天の鎖から逃れることはできないだろう。もし逃げられたとしても、ハーメルンの速度ではゴルゴーンの宝具射程外に出ることは難しい。

 

 現状は、ハーメルンの詰み。……死を、表していた。

 

 

 ……この結末も、ハーメルンには見えていた。救いは、ゴルゴーンの宝具影響圏内に自分以外の誰もいないこと。

 

「ね、親様。憶えてる?ボクが…初めて親様と会った時のこと」

 

 遠くに、ずっと遠くに行ってしまった彼に、呼びかけるようにして。魔力の回路を通じて、念話で一方的に話しかける。

 

「ずっと寒くて。何かに縋りたくて。そんな時に、寝てる親様を見つけたの」

 

 怪しまれて殺されることも、仕方ないと思っていた。ただ、優しく。自分を傷つけない人の下で、ゆっくりと眠りたかったのだ。

 

「あぁ、この人なんだって。ずっとボクが探してたのは、求めてたのは、きっと親様だったんだって。そう、思えた」

 

 何度だって、自分を主張するためだけに、撫でることをねだった。ほんの数日前の、懐かしい記憶。蘇る追憶。そんなことができるだなんて、彼自身、思っても見なかったのに。

 

「本当にそうだった。優しくて、あったかくて……親様は、他人だったボクを愛してくれた。子供に、してくれた……」

 

 青い空。白い雲。長閑な草原。広く、色とりどりに輝くセカイ。そして──優しい親。生まれてから数年だけの、数少ない、暖かで、大切な思い出。遠い遠い、誰も知らない、どこかの御伽噺の前日譚。

 

 ありがとう。見つけてくれて。この広い、広い世界の中で、こんな自分を見つけてくれて。名前(ハーメルン)を呼んでくれて。どうもありがとう。

 

 沢山呼ばれた。呼んでもらった。その名前を呼んで、抱きしめてもらえた。痛み以外の愛を、教えてもらった。もう、後悔はない。

 

 

「にへへ……」

 

 ニッと笑う。泣きながら、無理やりに笑った。白い歯を見せて、子供らしく快活に。

 

 最後には、笑顔が似合うはずだったから。

 

 きっと、この光景こそが、ハーメルンの望んだ最期だったのだ。

 

だから。……だからね、親様。

 

 ─────ずぅぅっと…だいすき……だよ…

 

 

「ハーメルン!!」

 

 がむしゃらに伸ばした立香の手が、儚く笑う彼の姿と被る。絶対に届かないその手が空を切り続けても、無理やりに我が子へと伸ばした。

 

 視界が、あまりの熱に白く染まる。

 

 体の先から石となりながら黄を纏って笑う蜂蜜色の彼が、モノクロの線となって、蜃気楼に飲み込まれて、輪郭がぼやけて。その涙が、ハーメルンの姿を隠して。

 

 立香の視界から、世界から、何もかもから、消えてしまう。

 

 手が届かない。何をやっても無力で。泣いて叫んでも、物語のヒーローみたいに、特別な力を起こすこともできなかった。

 

 そして。そして。そして───

 

 

 

 

「溶け落ちるがいい!」

 

 

強制封印・万魔神殿(パンデモニウム・ケトゥス)!!

 

 

 

 ジュワッ、という。

 

 

 致命的な溶解音が、立香の耳に、永遠に焼き付いた。

 

 

 

 

 

 




 おしまいは唐突に。
 返答すら返せず、弱い自分は生き残った。
 そして、彼は消滅した。
 そのあとのことは、よく覚えていない。
 ただ、彼を殺した仇は消えて。
 残った土塊の山の前で、一人の兵士が何か言っていた。それを皮切りに、誰かの言葉を借りて皆の士気が高まった。兵士たちは自らを奮い立たせ、戦場には奮起が満ちた。



 ………そのことに、果たして何の意味があると言うのか。
 立香には、よくわからなかった。





次回予告


『………しゃーねぇ。です』
『きっといつか、誰かに教わった』
『今度は、君の口から教えてくれ』
『違う。君は──』
『ありがとう。ずっと、大好きです』
『………うるさいな、ほんとうに』

第八節 新星(ほし)の在り処


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第八節 新星(ほし)()() (1/■)

 

 

 

 

 

 蹲っていた。そうしていれば、辛い現実は見なくて済むからだ。

 

 眠っていた。半身に意識を移すこともなく眠った。そうしていれば、都合のいい夢に浸れるからだ。

 

 そうして、夜も朝もわからなくなって。事実と夢が混在して。苦しいものは、何もなくなった。ずっと、楽しい妄想が頭を支配した。

 

 彼が来るまでやっていた、いつものことだ。

 

「………エレシュキガル様………?」

 

 それでも。

 

 現実というものは、その何もかもを壊して平然とやってきた。積み上げてきたものを無かったかのようにして、一番上へと浮上してきた。

 

「………アン……ヘル………?」

 

「わ……どうしたのこの部屋……!もしかして、片付けもせずに寝ちゃった?」

 

 彼の声は、いつも通りに聞こえた。いつも通りに、振る舞っているように聞こえた。あれほど泣いていたのは、エレシュキガルの見ていた幻だったのかと錯覚してしまうほどだ。

 

 彼の目の下にある赤い泣き腫らした痕が、その全てを否定していたが。

 

「これ……バターケーキ……?凄い!いっぱい失敗してるけど、ちゃんと出来てるよ、エレシュキガル様!」

 

 バレないとでも思っているのか。何でもないように喜ぶ彼。普段の自分なら、呆気のないくらい簡単に騙されていたような声音、表情。………その全てが、愛おしかった。

 

「……ねぇ、アンヘル…」

 

 口が、勝手に開いた。理性よりも先に、心が勝手に動いたかのようだった。思い浮かんだまま、言葉は主人の心ない言葉を紡ぐ。

 

「うん?どうしたの、エレシュキガル様。片付けなら僕がやっとくよ。エレシュキガル様がこれだけ頑張ったなら、僕だって……」

 

「出てって頂戴(ちょうだい)

 

 心にもない言葉が、自分でもびっくりするくらい冷酷なトーンで口から出た。

 

「……………えっ……?」

 

 信じられない、というような表情をするアンヘル。それを見てズキリと心が痛むが、知るもんかとそっぽをむいて、妙なことを口走らないうちに続きを吐き捨てる。

 

「しばらく、一人になりたいの。………出て行って」

 

「え、エレシュキガル……様……?僕、何かやっちゃった?何か、悪かったかな?……ごめんなさい!謝るから、何がダメだったか教えて……」

 

うるさい!いいから、出て行ってっ!!

 

 駄々を捏ねる子供のように、エレシュキガルは喚いた。…………やってしまった、と思った。……でも、これでいいと思った。

 

 その両方が混在して、打ち消しあって。続く言葉は、見つからない。

 

「……ごめ………エレシュキガル……様……そんな……」

 

 絶望に満ちた表情の彼が、何かを口籠って、意味を為さずに漏れていく。それを何回か繰り返したアンヘルは、逡巡を繰り返した後、その目尻に涙を溜めて部屋を飛び出した。

 

 バタン、という音と共に、放たれた扉は乱暴に閉まる。

 

 ………これで、よかったはずだ。

 

 これ以上嫌われたくない。…ならば、嫌われようがないくらい拒絶すればいい。

 

 これ以上踏み込まれたくない。……ならば、踏み込まれないように関係を断てばいい。

 

 これが最善のはずだ。エレシュキガルの願いを満たすには、これが最も正しい答えのはずだ。最適解で、最適性。ベストな答えで、完璧な回答。…………そのはずだ。

 

 

 ………そのはず、なのに。

 

 

「………うそ。………なんで、こんなに……」

 

 

 これで、万事解決。その筈なのに。

 

 どうして。

 

 冥界で一人ぼっちだった頃よりも、こんなに胸が苦しいのだろう。

 

 ボロボロと、訳もわからず瞳から涙が溢れた。

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 (コ え)が、聴こ える。

 

 

 

 あの (コエ) が き 声 る。

 

 

「…………パイ。……先輩………起きてください、先輩」

 

「………んぅ……」

 

 揺さぶられる。世界が揺れる。

 

 どうして、目の前はこんなに暗いのだろう。

 

 どうして、世界は何も見えないのだろう。

 

「起きてください、先輩。今日は、エミヤさんが朝食に和食を用意してくださるそうですよ」

 

「………?……マシュ……?」

 

「はい。先輩の正式サーヴァント、マシュ・キリエライトです。ただ今、カルデアでは6時55分を記録しています。普段の起床よりは5分ほど早いですが、健康な生活に早起きは欠かせません。先輩の就寝時間から、合計八時間。ただ今が最も適切な起床時間と判断しました」

 

 目を擦って、視界のぼやけを無くす。そこに広がっていたのは、見知ったマイルーム。そして、いつも隣にいる桃色髪の後輩の姿だった。

 

「おはよ、マシュ………わざわざ起こしてくれてありがとう……」

 

「いえ!先輩の健康管理は、後輩であるこの私の役目ですので!それでは部屋を出て行きますので、十分後に食堂で一緒に朝食をいただきましょう」

 

 それでは、と手を振って退出する彼女にヒラヒラと手を振り返し、出て行ったのを確認してひとつ深呼吸。やはり、寝起きに美少女というシチュエーションは心臓に悪い。

 

「…………?」

 

 ふと、寒気を覚えて自分の両隣を見る。なんだか、妙に冷たい気がした。当然、そこにはただ白いシーツがあるだけで、他に何もなく、誰もいない(・・・・・)

 

 それが当たり前なのに。なんだかいやに喪失感がある気がした。

 

「………着替えよう」

 

 ベッドから起き上がり、パジャマからいつものカルデア制服へと着替える。あまりマシュを待たせるわけにもいかない。洗面台で顔を洗って、手早く身嗜みを確認する。おかしなところがないかチェックが済んで、靴を履く。それだけの動作が、やけに久しぶりに感じた。

 

「俺、おかしいのかな……?」

 

 まるで、一ヶ月ほど眠っていたかのような気分だった。行う動作全てが新鮮で、久しぶりなように感じる。

 

 靴の踵を爪先で整え、自動ドアを開けて廊下へと出る。すると、廊下の壁でマシュが寄りかかるようにして立香を待っていた。

 

「え、わざわざ待ってくれてたの?」

 

「はい。直接食堂で待ち合わせるのもよかったのですが、今日はなんだかそんな気分でして。それでは、食堂に向かいましょう、先輩」

 

 黒縁の眼鏡をクイッと上げて、マシュは食堂に向かって歩き始める。

 

 道中、何人かのスタッフ、そして英霊(サーヴァント)たちと出会い、挨拶を交わしていく。

 

「ボンジュール、マスター!ご機嫌はいかがですか?」

 

「おはよう、コルデー。大丈夫、ピンピンしてるよ」

 

「マスター。へいよーかるでらっくす」

 

「へいよーかるでらっくす!カルナ!」

 

 英霊達にもそれぞれ気質というものがあり、国土に関する挨拶や個性的な挨拶をしてくるサーヴァントも多い。まぁ、これといって負担になったことは一度たりともないが。国際交流的な何かを感じられる。

 

 インドの大英雄とすれ違うというただならぬ朝を普通の日常と感じ始めた己の感性を若干疑っていると、後ろから小柄なサーヴァント達が立香の横をすり抜けていく。

 

「ありすよ!素敵なあなた(マスター)!今日は、いい朝だわ!」

 

「おはよう、おかあさん。わたしたち、今からごはんをたべるんだ。おかあさんもそうなの?」

 

「おはよう、ナーサリー、ジャック。俺たちも今から食堂に行くところだよ」

 

「そうなんだ!わたしたちは早く食べたいから、先に行くね!またね!」

 

 ナーサリー・ライム。ジャック・ザ・リッパー。仲のいいちびっ子サーヴァントの二人が元気に駆けていくのを見て、微笑ましい気持ちになる………

 

「…………?」

 

 突如、視界に黄色の何かが過ぎった気がして周囲を見渡す。長い布のような、ナイロンのような、見覚えのある色。一瞬だけ、視界に映った気がしたのだが………

 

「先輩?」

 

「…………気のせいかな?」

 

 妙に頭に残る違和感を振り払い、なんでもないと言って再び歩き出す。どうやら、少し気持ちが疲れているようだ。

 

 後で医務室の婦長(ナイチンゲール)に相談してみよう。そう考えていると、あっという間に食堂へと着いてしまう。

 

「おはようマスター、マシュ嬢。今日の日替わりは和食だ。メインは鯖と鮭から選んでくれ。どうする、洋食も用意できるが」

 

「和食の鮭でお願いします、エミヤさん。このマシュ・キリエライト、先輩の故郷の味を味わえるこの日を待ちわびていました」

 

「じゃあ俺は鯖で。俺も久々に和食が食べられて嬉しいよ。リソースの関係で毎日とはいかないから」

 

 注文を聞いた褐色の弓兵は妙に決まった風に微笑み、ハスキーなボイスで予想はできていたさ、と口にする。流石カルデアの厨房を一手に担っているだけあって、手際はいい。あっという間に二人分の和定食が完成し、盆に乗せられた。

 

「おぉ、湯気のたっている白米が食欲をそそりますね。早く食べましょう、先輩!」

 

「そうだね。席は……どこでもいいか。あそこのテーブルにしよう」

 

 適当な席に当たりをつけ、マシュと向かい合うようにして腰を下ろす。時間が早いからか、空いている席自体は多かった。

 

「いただきます!」

 

 パチンと手を合わせ、大きな声で挨拶。そして一秒と待たず鯖へと切り込み、ホクホクの身を白米に乗せて味わう。

 

 口の中にじんわりと旨味が広がり、少し水分が欲しくなったところで味噌汁を啜る。カツオのいい出汁が効いた味噌汁が、魚の旨味を引き立てる。これぞ和食の王道。三角食べである。

 

「うん、美味しい!やっぱりエミヤのご飯は凄いや!」

 

「はい!これは箸が止まりません!いえ、私はフォークなのですが!」

 

 そんな冗談を口にしながら、マシュもどんどんとご飯を食べ進めていく。魚、米に味噌汁。そして付け合わせの漬物。日本人の理想の朝食そのものだ。

 

 こんな朝食ならば、きっと()も大喜びだろう。普段は食事に無頓着だが、素直な彼のことだ。目を輝かせて喜ぶに違いない。

 

「……そういえば、今日はジャック達と一緒じゃなかったな、ハーメルン(・・・・・)

 

「………え……?」

 

 いつもは、基本的にあの二人と仲良くしていることが多いハーメルン。特にジャックとは性格も離れているが年齢が近いからか、一緒にいることが多い印象だ。

 

 寝坊だろうか、と思案していると、マシュが覗き込むように立香へと尋ねてくる。

 

「ええと、先輩、すみません」

 

「ん?どうしたの、マシュ」

 

 マシュの不可解そうな顔を見て、やはりマシュも不思議に思うよな、と何度かうなずく。だが、マシュの口から放たれた一言は、全く別の指向性を持つもので………

 

「その───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ───ハーメルンさんとは、一体どなたのことなのでしょうか?

 

「…………………え?」

 

 本当に、何も知らないかのように。

 

 素朴な疑問を抱く子供のように。

 

 あどけなく、マシュは質問した。

 

 

 その一言をきっかけに。

 

 立香の世界は、ゆっくりと崩壊を始める。

 

 




 雑にTwitter始めました。呟けるほどの日常すら送っていない者ですが、宜しければ認知いただけると幸いです。
https://twitter.com/NeruNe_write


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第八節 新星の在り処 (2/■)



 嬉しいこと。なんと!支援絵をいただいてしまいました!
月宮桜霞様からいたたきました!アンヘル君です!服装が作者の想像通り過ぎて怖かったです(小並感)
 
【挿絵表示】


 いやぁ、支援絵なんて初めてもらってしまいました。びっくりです。Twitter始めて良かったな、って初めて思えました。マジで。あ、作者のTwitterアカウントはこちらです。こちらでも質問等募集しておりますので、是非ぜひ。

 なお、こちらでの質問は量が多いのでTwitterの方で返答させていただき、一部を作品の方でさらに取り扱わせていただく形になります。ご了承ください。


 夢という言葉には、概ね二通りの意味があるそうだ。

 

 一つは、願望。将来的にこうなりたい、あるいはどうしたいという未来像を、勝手気ままに自らが妄想し、それを抱く。それこそが夢であり、それは誰しもが一度は持つものだという。

 

 二つ目は、追憶。

 

 ニンゲンというものは、眠っている間に昔の記憶を整理する。

 

 それは忘れるためであったり、あるいは記憶に焼き付けるため。ニンゲンがその生命を保つための防衛機構。

 

 その記憶の閲覧を脳は現実と勘違いし、あたかも現実の経験であるように体感する。それが、夢。

 

 ………では、振り返ってどうだろう。

 

 自分は、夢というものを持ったことはない。見たことはない。そもそも、昔の記憶というもの自体が希薄だ。親の顔すら、知る由もない。

 

 これといった記憶を持たず、故にこれといった夢を見ない自分は、ならばニンゲンでないのか。

 

 そんなわけはない。自分はニンゲンだ。ニンゲンでなければ、この脆い体はなんだというのか。この冷たい体は、なんだというのか。

 

 

 ………ホントウニ?

 

 そんな声が聞こえた気がした。

 

 気のせいだ。そんなもの、何処かで入ったノイズに違いない。

 

 そう確信して、目を開けて。

 

 

 

 

「………………なんだ。………ロクなもんじゃねぇな、夢なんか、です」

 

 

『目を開けるという行為が必要だったこと』が示しているところを、呆然と認識する。

 

 肉体の鈍い痛みが、意識を覚醒させていく。内側から抉られていないので、蟲は眠っているらしいと当たりをつけた。

 

 体の不調を無視して、無理やり起き上がる。節々が悲鳴を上げるように痛むが、いつもに比べれば数百倍はマシだ。

 

「……………はぁ?」

 

 ふと、気がつく。何か、騒がしい。色々な感情がごった煮になったような思いが、叫びや騒ぎとなって伝わってくる。

 

 

 

「………アイツ……死んだのか……?」

 

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 そんなわけがない、と思った。

 

 何かの間違いだと。そう思った。

 

『ふむ?ハーメルン……『ハーメルンの笛吹き男』の伝承なら存じてはいるが……生憎とそんなサーヴァントに覚えはないな』

 

『ハーメルン……?わたしたちは、そんな人は知らないよ?』

 

『ええ、ええ。アリスも知らないわ。とってもかわいそうな童話の男の人。会ってみたいけれど、会ったことはまだないの』

 

『ハーメルン。……悪いが、このオレの記憶に止めるほどの存在には思えない。マスターが言うのであれば、嘘であってもいるとしたほうがいいのだろうが……』

 

『うーん。すみません、マスター。私も特に覚えはありません。西洋のサーヴァントでしたら、誰しも一度は会っているはずなのですが………』

 

『ハーメルン……?今まで召喚したサーヴァントの中にかい?霊基グラフにそんな記録は無いけれど……』

 

『悪いが、ボクも知らない。藤丸君、もしかしたら記憶が混乱しているのかもしれない。バイタルのチェックを……って、ちょっと!?』

 

 食堂のサーヴァントには全て当たった。

 

 医務室に駆け込んだ。

 

 誰も。

 

 誰も、覚えていなかった。

 

 そんなわけはない、と思った。

 

 次に頼ったのは、アヴェンジャー達だった。

 

 アヴェンジャーには、[忘却補正]というクラススキルがある。何があっても、彼らは物事を忘れることがない。ならば、彼のことも覚えていて当然だろうと思った。

 

『ハーメルン………?知りませんね。ええ、知りません。そんな名前は口にしたことすらない。言葉というものは記憶だけでなく体に焼き付いているものです。それすらないということは、私は未だかつて、その名を知らなかったということでしょう』

 

『知らぬ。童話の絵空事など、作家にこそ尋ねればいいだろう。鬼に物語など、それこそ邪道』

 

 走った。

 

 あちこち走った。

 

『ハーメルン?ヴァカめ!作者不明の作品をこの俺に尋ねてどうする!知らんな!」

 

『ふむ、ハーメルン。童話としては、ええ。とても猟奇的で素敵だと思いますが……サーヴァントの記憶に関しては、吾輩にはありませんな!』

 

 走って、走って。

 

 カルデアの至る所で彼の名前を呼んで。

 

『はぁめるん殿。………いいえ、申し訳ありませんが、存じ上げません。図書館に本はあったと思うのですが……』

 

『ハーメルン?知らないわね、そんな男。強い勇士だというのなら、覚えていると思うのだけれど』

 

 ………呼んだ。

 

「ハーメルン!!」

 

 声が枯れるほど、呼んで。

 

(なんで……!)

 

 ………それでも。

 

「………なんで、なんでっ!?」

 

 どれだけ叫んでも。

 

「………なんでだよ……ハーメルン……!」

 

 誰一人として、彼の存在を知らなかった。

 

 どこにだって、彼はいなかった。

 

 令呪を使っても、彼が現れることはなかった。

 

 

 敵対する、何かしらからの攻撃。

 

 そんな考えが浮かんだ。

 

 だが、それならば[忘却補正]をもつアヴェンジャーまでもが影響を受けるとは思えない。そんな子綺麗な芸当ができるのならば、直接カルデアを攻撃したほうが早いはずだ。

 

 わざわざハーメルンという存在のみを記憶から消す意味がわからない。立香だけに記憶が残っている理由もわからない。

 

 ………なら、おかしいのは立香の方なのか。

 

「違うっ!!」

 

 自問を自答する。ふと浮かんだその思考は、絶対にあってはならないものだ。

 

 だって立香は覚えている。黄色のレインコートも、琥珀の髪も、蜂蜜色の瞳も。恥ずかしがり屋で怖がりで、人一倍優しい彼を、全て。

 

「どこにいるんだ……ハーメルン……!」

 

 一縷の希望をかけて、カルデアの部屋という部屋を探した。

 

 それが現実逃避だと、頭の片隅で理解するのをなんとか止めながら、広大なカルデアを、もう一時間は歩き回っていた。

 

(…………ハーメルン……)

 

 声が出せないほど乾ききった喉は、空気を求めてなおも喘ぐ。それでも心に映るのは、たった一人の少年のことだった。

 

「…………落ち着け。………他に、ハーメルンが行きそうな場所を探せば、まだ……」

 

 ……でも、そんな場所は真っ先に探したじゃないか。これ以上、どこがあるというんだ。

 

 カルデアの青っぽい廊下に手を当て、()()うの体で進む。

 

 重い。体もそうだが、心も。

 

 進みなくない。進んでしまって、もしその先に何もなくて。彼がいないということを、自分で証明してしまったら。

 

 そう想像してしまうと、今度こそ本当に何もできなくなってまう。

 

 折れてしまいそうだ。自重に耐えきれない。鉛のような心。濃ゆい塩酸をかけてしまったように、致命的に融けてしまう。

 

 一歩が重い。歩くことすらやめたくなって、T路路に差し掛かったと同時に座り込む。

 

 …………その時。

 

 視界の端に、見慣れた蜂蜜色が見えた気がした。

 

「…………ハーメルン?」

 

 色を目で追う。立香の側面。ちょうど暗がりになっているところで、黄金のように光を放っている。………しかしそれは、全く見当違いの、幼い少女が持つものだった。

 

「いいえ。違うわ、マスター。私はあの子じゃない。お父様の子の愛した子。私の義理の甥にあたるけれど、それでも私はあの子にはなれないの」

 

 見知らぬ少女は、手のクマの人形を抱えてそう言った。

 

 見慣れぬ風貌。黒いワンピースとドロワーズを合わせたのような、特徴的な服。見入った蜂蜜色は、その彼女の髪だった。その髪と服にはたくさんのリボンがついており、オレンジと黒のコントラストが目に眩しい。

 

 だが、そんなことはどうでもよかった。……今彼女は、はっきりと口にした。その『子』と。

 

「ハーメルン……!君は、ハーメルンのことを覚えているのか!?」

 

「ええ、マスター。覚えているというよりも、知っているという方が正しいけれど。私はあの子のお友達よ。彼とはとても仲がいいの。いつも遊んでいるわ」

 

「そっか……!良かった……!」

 

 自分の記憶を疑わずに済むこと。彼自体の存在を疑わずに済むこと。二つの安心の要素が合わさって、安堵でその場に座り込んだ。

 

「優しいのね。マスターは」

 

 少女はどこか楽しそうに溢した。嬉しそうではなく、面白いものでも見たかのように。

 

 新しいおもちゃか何かを見つけたかのような。残酷な笑みを携えた。

 

「ねぇ………ハーメルンに会いたい?」

 

「えっ……!?あ、会えるの!?」

 

「…………私の手を取って。決して離さないで。そうすれば、あなたはきっとあの子に会える」

 

 差し伸べられた手を、反射的に掴み取った。

 

 少し冷たい気がしたが、そんなことも気にならない。今はただ、彼に会いたかった。会って、安心したかった。

 

「………そう。私、アビゲイル。アビゲイル・ウィリアムズ。宜しければアビーって呼んでくださいな、マスター」

 

「あぁ!よろしく、アビー!」

 

 なんの疑いもなく、彼女の名前を呼ぶ。

 

 にこり、と笑った彼女に、邪気は感じられない。本当に、ハーメルンのところまで連れて行ってくれるのだろうと。そう確信できた。

 

(………それにしても、俺、こんなサーヴァントを召喚してたかな)

 

 彼女は立香のことをマスターと呼んだ。ならば、彼女は間違いなく立香のサーヴァントのはずだが。彼女とは面識もなければ、名前すら聞いたことのないような気がした。

 

「でも、アビー。俺って……」

 

 そのことを、尋ねようとして。

 

「…………ええ。

あなたなら(・・・・・)きっと耐えられるわ(・・・・・・・・・)

 

「…………えっ?」

 

 瞬間。

 

 立香は、無限の宇宙に放逐された。

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 たぶん、星が綺麗だったとおもう。

 

 たぶん、みたこともないきれいな光景だったとおもう。

 

 でも、凄く怖くて。

 

「………アビー!?アビー!?」

 

 たぶん、さけんだ。

 

 握っている感覚はあったのに、姿が見えなかった。

 

 歩いていた。ゆっくり。ゆっくりと。

 

 黄色の布をかぶった誰かの後ろを。

 

 誰かの後ろ。

 

 せたけは、二めーとるほど。

 

 おどろくほどつめたい。

 

 ちがう。

 

 ハーメルンじゃない。

 

 やめろ。

 

 ふりむくな。

 

 けっして、そのかおをみてはいけない。

 

 やめてくれ。

 

 だって、それは。

 

 そのかおは。

 

 あおじろいかおは。

 

 ………その、仮面(・・)は。

 

「ぅぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!」

 

 

 

 ───顔面に隈なく湧いた、大量の(うじ)なのだから。

 

 

 




ドーモ。コンニチハ。ハスター=サン、デス。





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第八節 新星の在り処 (3/■)

 

 夢を享受した。

 

 いつかの追憶が脳裏をよぎった。

 

 このままじゃダメだと思った。

 

 わからない。どうしてこんなことに。

 

 違う。

 

 本当のことはわかっている。

 

 きっと、知られてしまった。本心を知られて、暴かれて、拒絶された。

 

 

 どうすればよかったのだろう。

 

 知りたかった。帰りたかった。その思いは変わらない。

 

 黄金に憧れた。萌木に焦がれた。

 

 けれど、その情景だけが塗り潰されてしまっている。

 

 だからこそ、その黒を払拭したい。

 

 虫食いの記憶を、埋めてしまいたい。

 

 それが、自らが行うべきことだと確信できてしまうから。

 

 でも、その上で。

 

 この穏やかな日常をも捨てたくないという欲張りな想いは、間違いなのだろうか。

 

 

「………わかんないよ、…………、………」

 

 

 何かを言葉にしようとした口が、対象を見失って渇いた空気だけを吐き出し、迷うように閉ざされた。

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

「………嘘………嘘ですよね、先輩……」

 

 マシュ・キリエライトは、信じられないものを見るように目を見開き、現実逃避に等しい戯言を何度か口にした。

 

 否。それは等しいなどという物ではなく、紛れもない現実逃避そのものだった。

 

 キングゥに敗北して意識を失い、目が覚めた。混乱する(なか)、今もなお側にいる白の獣(フォウ君)が助けてくれたこと、そして事の顛末をマーリンとアナから聞き、向かった先。

 

 マーリンをその場に置き去りにして、全力で走った。

 

 半月近い年月を過ごした、思い入れのある場所。大切な人たちが待つ、暖かい家へ。

 

 けれど。けれど。

 

 

 そこで、眠っていたのは。

 

「………いや………嫌です、先輩……!起きてください!起きてくださいっ!!」

 

 どれだけ呼びかけても目覚めない、眠り続ける大切な人だった。

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 何度も揺さぶって。何度も起こそうとして。

 

 返事が無いたびに、現実を嫌というほど理解させられた。

 

「ドクター!先輩、先輩の状態は、どうなっているんですか!?」

 

 寝たきりの彼の手首の通信機を掴み、絶叫するように繋がっているであろうカルデアへと呼びかける。

 

 返答は、数秒の沈黙を空けて行われた。

 

『……マシュ。落ち着いて聞いてくれ』

 

 宥めるようなドクターの声が、本当よりずっとずっと、遅れて聞こえていた。

 

『藤丸君のバイタルは、ハーメルンの消滅確認から急激に悪化した。手は尽くしたが………現在、精神波長が──』

 

「そんなことはどうだっていいんです!先輩、先輩は、一体……!」

 

 続く言葉が、涙に飲まれる。……わかっている。わかっている。ドクターの声色から、自分のマスター、先輩が、どのような状況に陥っているかなど。本当は、とうにわかっているのだ。

 

 けれど、もし。それに対抗する手段があるとするのならば。マシュはきっと、どんなことだって。

 

『………現状、藤丸君は深い昏睡状態にある。………医者としての立場から言わせてもらうなら、ここからの意識の回復は………絶望的だ』

 

 淡々と。あくまで義務的に、ロマニはそう口にする。……わかっている。死んでいないことは、真っ先に脈を測ってわかっていた。弱々しいが、目の前の青年はしっかりと生きている。生きてくれている。

 

 それでも。どうしたって、目覚めてくれないのだ。

 

「………それは、現代の医療の話ですよね……?魔術……神秘の分野なら……先輩を……先輩を治す手段は、残っているんですよね……?」

 

 縋るように。僅かながらのその希望にしがみつくように。恐る恐る、その可能性に言及する。

 

 ………その希望は、少年の姿をとった魔術師に打ち砕かれた。

 

「残っていたが、万策尽きた。そうだろう、ロマニ」

 

「………マーリン、君……」

 

 扉にもたれかかって悟ったようなことを言うのは、花の魔術師。おそらく現状に最も詳しいだろう少年は、無情にも現状の正解を言い当てる。

 

『…………正直、特異点によっては、藤丸君の精神が破壊(・・・・・・・・・)される可能性だって考慮には入れていた。その魔術礼装にも、いくつか精神安定系のカウンターを仕込んである。それで油断したわけでもないが………くそっ!……全部無力化された!』

 

「だろうね。これは、殺人の夜(キリングナイト)の初期症状だ」

 

 ……殺人の夜(キリングナイト)。半年前からバビロニア全土を包む、死の呪い。……予想はついていたが、名前が出てくるとより一層歯噛みをしたくなる。

 

 つまり。目の前で眠る立香は、ハーメルンが死んだことで精神を弱らせ、呪いに屈してしまったと。そういうことだ。

 

「悪いが、この状態になった時の治療法は見つかっていない。あのギルガメッシュ王がどうしようもなかったんだ。現代(そちら)の魔術じゃ歯も立たないさ」

 

 あっけからんと………言ってしまえばどうでもいいと言うように、マーリンは眠る立香の髪を分け、容態を診る。……そこには、立香を慮るような素振りはない。あまりにも無感情。あまりにも無感動。今もなお怒りと無力感にひしがれるドクターの様子とは、対極的。

 

 仕方のないことだとは理解できる。いくら近くにいようと、結局のところマーリンにとって、藤丸立香という存在は約30日程度を共に過ごした他人にすぎない。

 

「……………どうして」

 

 ………どうして、そんな平気な風でいるんですか。

 

 それでも。

 

 そんな言葉が、感情がごちゃ混ぜになった心から出そうになった。

 

 そんな恥知らずの言葉を、唇を噛んでなんとか抑える。

 

 だって。それ以上に。湧き上がってくる感情がある。責めるべき相手がいる。

 

「………どうして、私は………その場所にいなかったのでしょう……」

 

 自分は、戦闘では守ることに特化していると言う自覚はある。突然降って湧いたような力でこそあるが、今までも、そしてこれからもきっと、マシュはその一点においては、きっと誇りを持って戦えていた。

 

 ………だが、それがなんだというのだ。

 

 どれだけ守るべき力を持っていたとしても、大切な誰かを守れなければなんの意味だってない。

 

 その場にいなかったのなら、何の価値もない。

 

 守るべきものを失った自分という盾に、一体なんの意味があるというのだろう。

 

「…………どうして……私じゃなかったんですか……!」

 

 湧き上がってくるのは、身を焼かんばかりの後悔の念だった。

 

『……………………マーリン。本当に、我々にこれ以上できることはないのか?………このまま、藤丸君が死ぬのを、見ていることしかできないのか……?』

 

「可能性が、ないわけじゃない。この状態から、戻ってきた(・・・・・)ことがある者もいる」

 

「本当ですか!?」

 

『な……!それが本当なら、なんで今まで……!』

 

 マーリンの発言から僅かに垂らされた蜘蛛の糸に、無我夢中でしがみつこうとする。

 

 そしてそれは、あまりにも単調に、単純に、もともと先がなかったかのように打ち捨てられる。

 

「………そのたった一人の例外が、ギルガメッシュ王だからだよ。おまけに、本人はそのことについて話したがらない始末だ」

 

『……………やはり、そう上手くはいかない、ということか……』

 

 再び、沈黙が訪れる。

 

「………いえ。それでも。何かの手がかりになるのなら、私がギルガメッシュ王の元に行ってみます。ここでジッとしているくらいなら、その方が……」

 

「………無駄だと思うけれどね」

 

 花の魔術師は肩をすくめ、扉から何処かへと出ようとする。

 

『おい、どこに行くつもりだ』

 

「……ま、私は私にできることをするだけさ。気休め程度だが、呪いを弱める結界でも張ってみるとしよう」

 

 ギシギシと、やけに軋む廊下を抜け、マーリンの姿が見えなくなる。

 

「…………そういえば、ハーメルン君のいたという牧場にも声をかけておくといい。あれで国の大切な資源だ。体制はキチンと整えておくべきだろう」

 

「……………」

 

 無言を肯定と受け取ったのか、再びギシギシという音を立ててマーリンは大使館を出る。………そして、ついに周囲から音が失せた。

 

「………待っていてくださいね、先輩」

 

 眠る大切な人の頭を、そっと撫でる。きっと、悪夢から解き放って見せる。そう誓って、部屋を飛び出す。

 

 ──それが無意味なことだと、心のどこかでは理解しながら。

 

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 (コ え)が、聴こ える。

 

 

「ハー………目 ………ルン」

 

 

 ──たぶん、夢を見た。

 

 不思議な夢だった。

 

 星の彼方まで歩いて、宇宙空間にいる。

 

 

 そして、その中にある宮殿を。

 

 見つけて。

 

 その、奥には。

 

「ぁ───があぁぁぁぁぁっ!!!」

 

 全身が目だ。

 

 見られる。孔が開いて?

 

 いない。ちがう。そうじゃなくて。

 

 でも、そう。それは目で

 

 いや、いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや!!!

 

 

ちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがう

 

 

 目じゃない。蛆で。ちがう、虫だ。否、眼球。燃えるような炎。水、風。そして。阻止てそしてそそしてその中にちがうがいいいいい!!!!

 

 

 

 

 

 

 ───嗤え。

 

 

 

 

 

ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

 

 

 

 ───聞こえないのか。

 

 

 

聞こえる。聞こえる!!ずっと。ずっと。あの(コ え)が聞こえる。き 声  ル!!

 

 

 声 は   ハーメ  ルン

 

 

 

 そう  大切な

 

 

 でも、とけた、

 

 

 消えてな    く

 

 

 

 滅ん   が

 

 

 庇わ   れ

 

 

 誰の?───俺の。

 

 

 

 

 

 あぁ、そう。

 

 

 

 

(コ え)が、聴こ える。

 

 

 

 

 

あの (コエ) が き 声 る。

 

 

 

 

 

聴き 慣れた あの (こえ)が。

 

 

 

 

 

 そう。いまも、ずっと────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………やっと、会えたね。親様」

 

 ぁ─────

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 ギルガメッシュ王は言った。

 

『だから深入りするなと言ったのだ』と。

 

『あの目は、自らに価値を置いてなどいなかった。危機に瀕すれば、驚くほど素直に身を晒しただろう。………あんなものは、とうの昔に見飽きたというに』

 

『治療法?知らんな。……強いて言うなら、あれは慈悲(・・)だ。奴が見ているのは、また別のものだろうが。どちらにせよ、今騒いだところで後の祭りよ。結局、最後は奴次第だ』

 

 王は、そのあとは口を開かなかった。何度問いかけても、目すらくれない。

 

 

 牧場主は言った。

 

『そう。やっぱりこうなったのね』と。

 

『クタの時、あの子、泣きながら走って行ったのよ。どこかで見たとは思ったんだけど……今考えたら、あれは───いえ。なんでもないわ。それよりマシュちゃん、ちょっと休んでいきなさいな。酷い顔よ』

 

 しきりに休むよう促す大きな体は、ひどく寂しげに見えた。それが消滅した彼と、誰かを重ねていることは容易に想像がついた。

 

 ───偶然話を聞いた跡継ぎは、密かに泣いていたらしい。

 

 それもこれも、どうでもいいことだ。

 

 

 人通りの全くない(・・・・)道を覚束ない足取りで歩いて、部屋の扉を力なく開ける。

 

 

「………先………パイ…………」

 

 

 着いて、寝台を覗き込んで。

 

 そのあどけない寝顔を見た途端、もうダメだとへたり込んだ。

 

「………先輩………マスター………ごめんなさい………ごめんなさい………!」

 

 

 結局、得られたものなど何もなかった。

 

 いたずらに絶望が広まって、何も変わっていないはずなのに、ただ状況は悪くなっていくような気がして。

 

 ただ、胸の内に悔恨だけが渦巻く。

 

 彼の手に嵌められているリングからも、応答はない。

 

 大方、カルデアも同じ状態なのだろう。だから、連絡をとってくることもない。

 

 どう動いても、どう足掻いても。彼を助ける手立ては見つからない。

 

 無力感に押しつぶされる。

 

 何が悪かったのか。何がいけないのか。

 

 

 

 今までのことを振り返って、そう考えると。皮肉なことに、結論は容易に導かれた。

 

(あぁ、そっか。私、ずっと………先輩に頼りきりだったんだ───)

 

 今までの特異点で、単独行動の機会などほとんどなかった。そも、自らのマスターのいない状況で何かができるわけがなかったのだ。

 

 ずっと、ずっと。冬木でもオルレアンでも、セプテムでもオケアノスでもロンドンでも、アメリカでもキャメロットでも。

 

 ずっと、傍には大切な人がいた。ずっと、勇気をくれていた。

 

 きっと、藤丸立香という人間は、マシュがいなくても平気だ。

 

 マシュがいなくても、きっと立ち上がれる。マシュがいなくても、きっと前へ進む。

 

 彼はそういう人間だ。普通で、凡庸だけど。けれど、芯のある強さを持つ存在。

 

 けれど。

 

 マシュ・キリエライトには、藤丸立香が必要だった。

 

 引っ張ってくれる人がいなければ、立ち上がることはできない。前にも進めない。武器だってとることができない。

 

 ただ、それだけの話。

 

 だから。

 

 彼を失ってしまった時点で、マシュ・キリエライトという人間は、致命的な欠陥品と化してしまったのだ。

 

 それは、構造上の致命的な欠陥。

 

 マシュという人間を壊す、あまりにも脆いその一点。

 

 藤丸立香という存在に、マシュはあまりにも依存しすぎた。彼を失えば、何をするにしても失敗してしまうほどの、失敗作に成り果てた。

 

「そっか。………じゃあ私、もう二度と、立てないんですね」

 

 そう口に出して、自覚してしまえば、あとは早い。

 

 ストン、と。全身から簡単に力が抜けた。

 

 心が何かを叫んでいたが、どれもくだらないことのような気がした。

 

 諦めて、体を寝台へと預ける。

 

 そうして、大切な人の横で体を投げ出す。

 

 少し優しい匂いに包まれて、そっと目を閉じよう。

 

(なんだ。諦めるって、こんなにも、簡単───)

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 一つ、疑問があった。

 

 それは、ずっと口に出せなかった言葉。出してはいけなかった言葉。

 

「………先輩は、ハーメルン君の代わりに私が死んでも、こんな風になってくれたんでしょうか──」

 

 微睡んだ頭で、自分が何を言っているのかもわからないまま。

 

 そもそも、口に出したのだろうか。

 

 また、意識が途切れる。

 

 立ち上がることを忘れた体は、面白いほど簡単に時間を飛ばしていく。

 

(私は、先輩にとってなんだったんだろうな)

 

 湧いて湧いて、とめどなく湧き上がってくる疑問。

 

 自分は、こんなに悲しいけれど。

 

 先輩は、一体どうなのだろうか。

 

(もし、わたしがしんだら)

 

 もし、自分が彼と同じ状態になったとしたら。

 

(先輩は、かなしんでくれるのでしょうか)

 

 あぁ、それは、なんて。

 

 

 甘美で、辛くて、独善的な────

 

 

 

 

「………自惚れんな、です。小娘」

 

 ──静弱(せいじゃく)を打ち破ったのは、明け方に響いた音。

 

 きっと、時間もわからなかったけれど。

 

 明るかったから、きっと明け方なのだろう。

 

 暁が照らすのは、白とも灰とも取れる布。

 

 

「あなた……………は…………」

 

「…………二人。……片や、死にかけ…………か。……………ギリギリ、許容範囲だ」

 

 それは、いつか見た謎に満ち満ちた少年(ショウジョ)。深く被ったボロ絹のせいで表情すら見えない。

 

 それでも声色は、とても弱々しいもののように思えた。

 

 一瞬だけマシュを見た少年(ショウジョ)は、苦しげに胸に額へと手を当て、再び寝台の方へと向き直る。

 

「……………………人類最後の、希望。………いなかったはずの、救世主」

 

 不安と、恐怖と、よくわからない何かに震えた声で、少年(ショウジョ)はひたひたと横たわる青年へと近づいていく。

 

「……………あぁ、ウチは………てめぇを、恨むぜ、です」

 

 青玉(サファイア)の瞳が人を映し。強ばった口が、そんな言葉を紡いで閉ざされた。

 

 

 




 個人的な解釈ですが。1部マシュって若干脆い気がするんですよね。大切な人の為に頑張って、たしかに強固な思いを背負っていますが。じゃあ先輩がいなくなるとって考えたら、まぁ脆い。守るべきものを失った盾のなんと薄いことか。

 1部でリンボ的なマスター狙い撃ち野郎に会ってたら死んでたんじゃなかろうか。



 諦めるのは簡単です。

 やらなければならない大切なことがあるとき、横になって、力を抜いて、どうせどうにもならないと諦めてみましょう。

 翌朝絶望します。


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第八節 新星の在り処 (4/■)

 どうしてこうなったのだろう、と考えた。

 

 どうしてこうなったのだろうと思った。

 

 どうしてこうなったのだろう。

 

 ほんとうに。

 

 どうして、こんなことになってしまったのだろうか。

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

「……あな……たは………」

 

 乾いた喉から言葉を出すのと、盾を構えるのはほぼ同時だった。無意識の警戒。英霊(デミ・サーヴァント)として残った戦闘本能のほんの僅かな残りが、何かを思わせる前にマシュへと行動を促した。

 

「やめとけ、です。………今テメェが消えたら、それ、死ぬぞ」

 

 少年(ショウジョ)が口にしたのは、そんな一言だった。

 

 それは、傲慢とすらとれる勝利宣言。目の前の存在は、今ここでマシュと戦えばどちらが消えるのかを、絶対的な自負と共に確信している。

 

「………あなたを通しても、同じことではないんですか」

 

 それ、と顎で刺されたのが眠る立香であることに気が付き、より一層の気迫で以って盾を構える。………体には自覚できるほどのガタが来ているが、例え命を対価にしてでも、背後の存在だけは守って見せる、と。

 

 だが、予想に反して、圧倒的強者であるはずの少年(ショウジョ)は戦闘の構えをとらず、言葉による話し合いを続ける。

 

「殺しはしねぇよ。死にかけのやつにトドメ刺すのはあっち(・・・)の役目です」

 

「………あなたに、先輩が傷つけられないという保証がない限りは……」

 

「どかねぇってか。やめとけ。どっちにしろそいつが死ぬ、です。……ウチの目的(・・)のためにも、今そいつに死なれるのは面倒なんだよ、です」

 

 言葉通り、少年(ショウジョ)は億劫そうに投げやりの言葉を紡ぐ。

 

 ………嘘をついている様子はない。少なくとも、嘘をつくメリットはない。ここで嘘をつくまでもなく、少年(ショウジョ)は立香を殺せる。きっとまばたきをするほど簡単に、蟻を潰すほど無慈悲に、あっけなく殺すだろう。

 

「…………本当に、危害を加えるつもりはないんですね?」

 

「くどいぜ、です。それとも何か。このまま放置してて、そいつは治んです?このまま放置して死ぬようなやつを、わざわざ殺すモノ好きじゃねぇですよ」

 

 若干苛立ちのようなものを見せて、少年(ショウジョ)はその蒼い瞳でマシュを真っ直ぐに見つめる。

 

 正論だ。目の前の少年(ショウジョ)が口にしたのは、至極真っ当な正論だった。

 

 ぐぅの音も出ない正論のはずだ。

 

 けれど。マシュには。

 

 少年(ショウジョ)の瞳の、苛立ちで隠された何か(・・)が気になった。

 

 目の前のこの少年(ショウジョ)は、確かに怒りや()れというものを覚えている。ただ、それらは根本のなにか(・・・)を隠している。瞳孔の奥のその感情は、残念ながら暗がりに隠れてしまって見えることはない。

 

「…………本当に?」

 

「三度目、か。随分嫌われたな、です。……毛頭、危害を加えるつもりはねぇよ」

 

 今度は、少し弱々しく。まるで、嫌われたことが堪えたような顔をして返答する。

 

 ………てんでわからない。目の前の存在のちぐはぐさに、心が揺れる。奥の奥に秘められた感情も、何故そんなことをするのかも。

 

「………わかりました」

 

 反論の材料は無くなった。……意固地に固執するのももう終わりだ。マシュは、目の前の少年(ショウジョ)を完全に見失ってしまった。……これ以上追及したとしても、きっと何かを得られることはない。

 

「………先輩を、お願いします」

 

 盾兵(シールダー)は無力感を胸に、その役目を放棄して主人への道を明け渡した。

 

 感覚として、なんとなくわかった。多分、(カノジョ)が胸に秘めている感情は、わからないものではあるが、理解不能なものではない。

 

 きっとマシュも抱いたことのある、普遍的で、誰もが抱く何かなのだ。理解できない、狂気の類とは、きっと別なのだろうとわかってしまった。

 

 だから、この道を開けないとすれば。それはもう、マシュの意地以外の何者でもなかった。彼を救うのは自分でありたいという、汚いエゴイズムでしかないのだ。

 

 そんな穢らわしいものに、大切な先輩を預けるわけにはいかない。それくらいなら、一縷でも望みがある方に賭けよう。

 

「…………そうだ。それが、最悪で最善の選択肢だ、です。テメェにとっても、ウチにとってもな」

 

 少年(ショウジョ)は、マシュ・キリエライトという障害物を無くしたことによって無抵抗に眠る少年へと歩を進めた。

 

 悠然とした歩みが、少しの躊躇を含んで床板を鳴らす。二歩、三歩。小さな歩幅でも、たったそれだけの距離。ほんの数秒で、少年(ショウジョ)は藤丸立香の枕元へと立った。

 

「……………来たれ、虚実の(へん)

 

 一言唱えると、何もなかったはずの空間から、昏い闇を(たた)えた球体が湧き上がる。絶え間なく動くその物体は、まるで生きているかのように鼓動を刻む。

 

 見るのは三度目。マーリンによって伝えられた話では、ありとあらゆる物質へと変化する宝具。そして。

 

「それは……魔術王から与えられた宝具ではないんですか?人理を修復するカルデア……魔術王にとって邪魔者の先輩に使って、何か悪影響が……」

 

「………はぁ?」

 

 上げられた声に、続く言葉が遮られる。

 

 ……ただ、それはどちらかというと、威圧で黙らせるのではなく、呆れや驚きの感情が含まれた声。

 

「アイツから……与えられた宝具?」

 

 想像の埒外からの言葉によって、少年(ショウジョ)は面食らったようにキョトンとした顔をした……ように見えた。……見えた目元から見た目相応の幼さが一瞬だけ見えて、すぐに疑念に隠れる。

 

「………あのクソ野郎が言ったのか、そんなこと。………デタラメ言ってんじゃねぇよ、です。ンなもん、ウチが使うわけねぇだろ」

 

「え……?でも、それではマーリンさんの話が……」

 

 マシュが訝しんだ表情をすると、目の前の少年(ショウジョ)は、心底呆れたように大きく、大きく、大きくため息を吐く。

 

「………善意で言っとくが。テメェら、あんまりあいつを信頼しないほうがいいです。あいつの性格云々じゃない。機構(・・)として、そもそもテメェら(・・・・)にしてみりゃ人格破綻者もいいとこなんだ、です」

 

 あいつ、というのは、きっとマーリンのことだろう。今までいろいろとあったが、なんだかんだで小さな彼にはかなりお世話になってある。その汚名を(そそ)ぐための反論が浮かぶ……が、あまりにも真面目な表情で忠告するものだから、口は具体的な形をとることがない。一切の他意がない、純度100%の善意が突然現れて、戸惑ってしまう。

 

 教師然とした真剣な顔つきに、有無を言わせぬ圧力を感じて何度か頷くと、少年(ショウジョ)は「こいつ本当にわかってんのか?です」と小言を挟みながら立香の方へ向き直った。

 

「………どっちにしろ、こいつは直接使わねぇよ。安心しな、です」

 

 そうして。少年(ショウジョ)は一つ息を吐くと、何やら複雑な言葉の羅列を言祝いだ。

 

 それは何かの儀式のようであり、もしくは友人同士の他愛のない言葉のようであり、或いは心の底から安堵できるような思いの言葉であった。

 

 (カノジョ)の宝具は、言葉を受けるたび紫から青、緑、黄色へと変色していく。あまりにも美しい光を放ちながら、虹を宙に描くかのように。

 

「………── 精神接続・完了(セット)

 

 そして、その色が赤へと変色した時。ある一言(・・・・)を終えて、詠唱は完成した。光は眩いまでに瞬き、部屋全体を燃えるような輝きで満たした。

 

 神秘的、という言葉とは少し違う。どちらかといえば赤の光は朝焼けのようで目にうるさく、無理に人を起こす朝焼けのような傲慢さに満ちている。

 

 きっとこれは、神秘だとかそういうものではない。人の生きることの明るさ、熱量、想い。……そういった日常的なものをかき集めて出来上がった、太陽のような朗らかなものなのだ。

 

「………じゃあ、終わらせる(始める)ぞ」

 

 赤の光を反射した少年(ショウジョ)の蒼い虹彩が、再び何かに揺れる。今度は、その様子が子細に観察できた。故にこそ、その内容がわかってしまう。

 

 それは、後悔、懺悔、躊躇い。そしてそれを帳消しにするほどの………

 

「………し、しゃーねぇ。です。ええ、事故、ですから。これは、これは不可抗力。……うん。のーかうんと、というやつだ、です」

 

 ……………見ていて心配になるほどの、緊張と、動揺。

 

 赤い光で誤魔化されていたが、よくよく見れば顔はかなり赤らんでいるし、息も荒く、瞳はいっそ泣き出してしまいそうなほど潤んでいる。動悸が荒そうなのは、胸に置いてある手がわなわなと震えているのを見れば明らかなことだった。

 

「怖い……のですか?」

 

「は、はぁ!?そ、そんなこと、ある、あるわけねぇだろぉ!?」

 

 明らかに動揺を含んだ返答。

 

 もしやこれから行うのは、それほど危険な行為なのだろうか、と。そんな状態で果たして大丈夫なのかと。やはり少し中断して、問い詰めるべきだと判断したその時。ついに、事態は動く。

 

「い、いきますっ!!」

 

「あ、ちょっと!?」

 

 ギュッと目を瞑った少女(・・)が、突然立香の頭をむんずと掴む。そしてコンマ一秒と経たず、その頭に光から生まれた黒い影がかかり、顔が隠れて───

 

「え、えええええええええええっ!?」

 

 二人の唇が、しっかりと重ねられた。

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 (コ え)が、聴こ える。

 

 

 コ えが、聴こ える。

 

 

 あの (コエ) が き 声 る。

 

 

 危機 な レた あノ こ 絵が。

 

 

 

「……そうだよ。親様」

 

 ハーメ るン?

 

(ボク)はここにいる。ずっとここにいるんだ。平和で、楽しいでしょう?」

 

 ハーメルン 会イ た勝った。

 

「……わ、わわ……急に抱きついてきて、どうしたの?……怖い夢でも、見た?」

 

 ハーメルンが いナク鳴る 夢を見た ンだ。

 

「それの、何が怖いの?親様」

 

 ハーメルン が 否イ のは 癒 だ。

 

「……そう。親様。なら、ずっと一緒、ね。ずっと、ここで一緒にいよう、ね」

 

 ……アァ そう  ズッと いっしょ に。

 

 

 

 

 忘れてしまった方がいい。

 

 彼がいない世界なんて。

 

 無くしてしまった方がいい。

 

 彼がいない世界なんて。

 

 

 ……………あぁ。そうだ。

 

 なんだか。

 

 暖かい(・・・)

 

 今は頭の隅に残るこの残響を忘れるために。

 

 辛く悲しい、何かから目を逸らすために。

 

 

 ずっと、手の中の温もりを抱きしめて──

 

 

 

 

 

 

 

『………アホか、君は』

 

 

 ………とても、恨みがましいような声を聞いた。

 

 

 ───ダレ?

 

 

『誰じゃないよ、間抜け。スケコマシ。ボクネンジン。トーベンボク。アンポンタン。オタンコナス。何を楽になろうとしてるのさ。こっちはただでさえキツイ上にリソースが足りないんだから、危険を犯してそっちに割いてやった分の働きはしてよ』

 

 

 ───じゃま ヲ するナ。

 

 

『……救えないな。自分が自分の中にしかいないと思い込んでる奴ってのは。孤独に酔ってるっていうか、献身のしすぎっていうか。誰かと深く関わった時点で、とっくに一人になる権利は失われてるっていうのに』

 

 

 ───ナにを、いってる?

 

 

『なんでもないよ。老害の独り言だ。歳をとると死んでも小言が増えていけない。さ、行けよ。人類最後のマスター。()ウチ(・・)が繋いでおいてやるから』

 

 

 ──えん?

 

 

 何を言っているのか、わからなかった。ただ、その言葉は思いやりに満ち溢れたもので。慈雨のように、立香の心に、優しく──

 

 

『しっかり、話してくるといい。言葉にしないと、伝わらないことだってある。言葉にしない方がいいときだってあるけど、言葉にした方がいいことだって、ごまんと溢れているんだ』

 

 

 言葉と共に、霧が晴れる。

 

 融解するかのように、意識に染み込んでいたモヤのようなものが消えていく。

 

 そして、今度こそ立香は、暖かな光に包まれて───

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 ──目が覚めると、簡素な部屋にいた。

 

 本の置かれた四角い机と、きちんと整えられた一人分の寝台。それといくつかの道具が小さな棚に整然と並べられており、手に取りやすいようにか、机の近くに置かれている。

 

 ……それだけ。本当に最低限の生活用品しか置かれていない、まるで生活感のない部屋だった。あまりにも殺風景。灯りがなく、暗いことも相まってひどく寂しさを感じさせる。

 

 その、隅。

 

 なんでもない、部屋の奥には───

 

「………君は───」

 

「………久しぶりだね。そして、いらっしゃい。藤丸立香(フジマルリツカ)

 

 白金(はっきん)の少年が、運命と共に待ち構えていた。

 

 




亡霊くんちゃんの真名がわかった人は作者へメッセージを送ってくるように。確信した人が感想欄で書くことは禁じます。


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第八節 新星の在り処 (5/■)

 


 前回までのあらすじ
 エレシュキガルの部屋でとある一室の鍵を発見したアンヘルは、その部屋の中で巨大な箱と、それに組み込まれた自分の『何か』を発見する。正体すら分からない郷愁に駆られて『何か』へと手を伸ばすアンヘルだったが、その思いは届かず、逆にその声をエレシュキガルに聞かれて拒絶されてしまう。

 一方、ゴルゴーンによってハーメルンを失った立香は、殺人の夜(キリングナイト)によって目覚めない状況下にあった。マシュやカルデアが必死に奔走するも、解決策は見当たらない。万策尽きたマシュのもとへ降り立ったのは、初日に会ったアーサー王によく似た風貌の謎の少年(少女)。少年(少女)は立香へと徐に近づくと、その唇を眠る立香に合わせたのだった。


 何秒かの沈黙。驚愕と羞恥と様々な感情が入り混じった嵐のような激情の中で、マシュ・キリエライトはその光景を呆然と眺めていた。

 

 大切な人の唇が、謎の少年(ショウジョ)に無慈悲に蹂躙されていくところを。

 

 暫くしてから、ついてこなかった感情が一気に追いついてきて、マシュの脳をシェイクした。

 

「あわ、あわわわわわわ………」

 

 止めるべきなのだろうか。いやでも、しかし。

 

 無限にループした頭がグルグルと目ごと回転し、わけもわからずただ脳味噌がオーバーヒートする。色恋というものにとんと無縁だったマシュに、目の前で起こった事象はあまりにもハードすぎた。

 

 思考、停止。思考、停止。そもそも思考しているのかすら曖昧な中、一歩も動けずただグルグルと試行。めちゃくちゃにかき回された頭が、何をどうすべきかも完全に忘れさせた。

 

 ………口づけが終わったのは、一体いつのことだったろう。

 

 気がつけば少年(ショウジョ)の口元は藤丸立香の元を離れ、元々の呼吸を取り戻している。

 

 その少年(ショウジョ)はと言えば、陶酔という言葉が似合うような美しい表情を覗かせていた。目をトロンとさせてぼうっと虚空を眺め、力を抜いてその場に座り込む。まるで意識が、この場に無いかのようだった。

 

「………あの。ええと?」

 

 数分ほど待っても微動だにしない少年(ショウジョ)に、焦れていた気持ちが先走って声をかけた。

 

 呼ばれた少年(ショウジョ)は、一瞬だけぴくりと体を震わせ、まるで寝て起きた時のように周囲を見渡す。

 

 たっぷり1分、自分の体と周囲の状態を確認した少年(ショウジョ)

 

 ほんの少し。少しだけ、悲しそうな顔をして。得心がいったのか、数度頷いてゆっくりと立ち上がった。

 

「………ああ………終わりだ。こっから先はこいつ次第だ、です」

 

「………先程のき、ききき、キスで!?本当にそれだけですか!?」

 

「……これ以上できることはねぇよ、です。これで助からなかったら、そん時はこいつにそれだけの運命力(ちから)が無かったってだけの話です」

 

 再びフードを被り直し、少年(ショウジョ) 

 は入口から外へと出ていく。

 

 マシュはたまらずその後ろ姿を呼び止めようとしたが、追いかけて外に出ても人影は残っていない。一瞬で跡形もなく消えてしまったのだ。

 

「………先輩……」

 

 突然、立香の体が黄金に輝き、神秘的な光と共に目を覚ます。

 

 そんなわかりやすい奇跡が起これば良かった。けれど、大切な人は相も変わらず眠り続けているだけだ。

 

 脈には変化がない。毒を盛った、ということは無いのだろうが。一体、(カノジョ)は何をしたのだろうか。

 

「………お願いします。起きてください、先輩」

 

 結局。マシュはただ立香の手を握り、必死に呼びかけて願うしか無いのだった。

 

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 自分を心配してくれる声があった。

 

 心の底から、自分を気遣ってくれる声もあった。

 

『あまり一人で抱え込まないで。悩みすぎることはよくないです』

 

『君は悩み苦しんでいるんだろう。君みたいな子供が、そんなことをしなくてもいいんだ』

 

 …………悩むのをやめられるなら、どれほど楽だったろう。考えるのを止められるのならば。どれほど幸せだっただろう。

 

 そうなったら、全てが終わってしまうというのに。

 

『君は本当は優しい子だ。だから、そんな無理をしなくてもいいんだよ』

 

『君は強くなんてない。本当はとっても弱い、寂しがりなんだろ?』

 

 だったらなんだ。優しくて寂しがりだったら、大切なものを守れるとでも言うのか。そんなものに、価値があるわけがない。

 

『随分と時間が経った。もう、自分を許してあげてもいいんじゃないか』

 

 …………どうして。

 

 どうして、お前が。

 

 お前なんかが。

 

 勝手に、自分を許せると言うのか。

 

 自分自身ですら許せない、この身を。

 

 この罪を。

 

「………ぁ………くぅ………」

 

 憎悪が溢れる。それを涙に変えて、なんとか堪えた。

 

 破綻した涙は、銀の宝石。

 

 忘れない。忘れない。

 

 何一つとして、壊していいはずがない。

 

 例えこの世界の誰もが自らを知らずとも。

 

 例え、彼方の思い出を無くしてしまったとしても。

 

「………ウチは、ウチは、そう。ウチは……僕、です」

 

 遥か遠いあの日の夢の欠片は、未だ鮮やかにこの胸に残っているから。

 

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「いらっしゃい、藤丸立香」

 

 密室には、その少年が一人だった。簡素な部屋。最低限の道具しか配置されていない。まるでこの一室が、丸々小洒落(しゃれ)た道具箱のようだ。

 

 冷たいインクの匂い。生活感を感じさせる暖かさ。それが少しだけ、立香のささくれた心を和らげて。

 

 それでも。そんなものがなんの慰めにもならず、立香はその場に崩れ落ちた。

 

「………う………ぁぁぁ!!」

 

 世界そのものを否定するかの如く。立香は地を叩き、大きく声を上げて嘆いた。

 

 ここにはない。

 

 ここではない。

 

 違う。

 

 こんなところに、いたいわけじゃない。

 

 だってここには。

 

 ここには、ハーメルンがいない。

 

 目など、覚めなければよかった。目覚めることがなければよかった。意識など、モヤのように霞んでいればよかったのだ。

 

 あの夢の微睡に、ずっと浸かっていればよかった。

 

 こんな辛いことを、思い出すくらいなら。

 

 こんな辛い思い出を、抱かなくてはいけないなら。

 

「……辛いことが、あったの?」

 

 慮るように、慈雨のような声がかけられた。目の前の少年からだ。年端もいかない彼が、立香を見下ろすようにして立っている。

 

 その声色から優しさが感じられて、失われたものを探し求めるかのように、立香は少年を見上げて情けなく頷いた。

 

「………そう。君も、なんだ。……僕もね。大切な誰かを、無くしてしまったんだ。おかしいよね。僕には、あの人しかいないはずなのに。それが、僕の全部だった、はずなのに……」

 

 その端正な(かお)は、まるで自嘲するような悲しみと欠落を抱えて、見るに耐えないほど痛々しい微笑を浮かべていた。

 

 (ようや)く少年が、以前冥界で出会った記憶喪失の少年であることに気がついた。立香の側に余裕がなく、相手の纏う空気があまりにも弱々しくなっていたから、分からなかったのだ。

 

「……君も、そうなのか?」

 

 今度は、立香が尋ねる。

 

 もしかしたら。

 

 それに気がつくのは泡が弾けるように一瞬で、覚めるのはもっと早いかもしれない。

 

 それでも。たった一瞬でも。同情、馴れ合いという安らぎを得られるのかもしれないと。立香は、目の前の少年へと希望を抱く。

 

 弱い者同士で、傷を舐め合うことくらいは。

 

「……うん。大切なものをなくして、忘れちゃった。僕も、君みたいに泣いたら良いのかな」

 

 途方に暮れたようにそう溢した少年を前に。立香は、自分の心の奥底に昏い喜びが芽生えたのに気がついた。

 

 そんなことがあってはならないと思いながら。それでも、辛い思いをしているのがこの場では自分だけじゃないという事実が、微かな喜びを立香に植え付けていた。

 

 お互いの事情を吐ききって、なんの意味もない慰めを交互に口にすれば。この傷から目を逸らすことができるのではないかと。

 

 そう、手を伸ばしかけて。

 

…………でも。僕と違って、君は生きなくちゃならない

 

 立香と同じように。弱いはずだった少年は。

 

 そう見えていただけの子供は。

 

「…………は?」

 

 立香に無慈悲かつ、あまりにも高潔過ぎる裁定を下した。

 

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 認めたくなかった。彼が死んだことなんて。自分を親と慕ってくれていたあの子が死んだことなんて。それだけは。

 

 立香はどうしても、認めることなんてできなくて。

 

「………いいか。その子は死んだ。誰かが悪かったわけじゃない。ただ君を守って、死んだんだ」

 

 

 ずっと嫌だった。

 

 墓を掃除したあの日。人間の悪意を目の当たりにしたあの日。

 

 あんな人たちのために。他人に泥を投げつけて喜ぶような人たちを。自分が守っているだなんてことが嫌で嫌で。

 

 大切なものを傷つけるものまで守らなくてはいけなくて。その末にあの子が死んだというのなら。

 

 もう、いっそ。

 

「いいや。君が守らなくちゃいけないのはそういう人たちだ。お世辞でも綺麗なんて言える奴らじゃない。君が世界を救ったところで感謝してくれる連中でもない。でも、君が救うと決めたんだ。だから、救うんだ」

 

 潔癖な声を浴びせかけられる。

 

 強くて。高潔で。全てを白く染める強者の声を聞いた。

 

 上に立つべき、持ち得る者の声を。

 

 全てをねじ伏せ、それでもなお進める才あるものが、上から目線で語る高説を。

 

 自分の心に、無遠慮に差し込まれて。勝手に知ったようなことを言われて。何もかも悟ったような正論を投げつけられた。

 

もう黙ってくれっ!!

 

 限界を迎えるのは、あまりにも早かった。

 

「そんなの!生きるか死ぬかなんて、俺の勝手じゃないか!」

 

 耳を押さえて蹲る。自分勝手に叫ぶだけ叫んで、他人の意見を受け入れまいとするその姿勢は、自分から見ても醜悪だ。

 

 そんな言葉が聞きたいわけじゃなかった。

 

 そんな言葉を願ったわけじゃない。

 

 わかっている。わかっているとも。自分の状態が異常だなんてことは、他ならぬ自分が一番わかっている。

 

 だが、それがどうした。だからといって、何だっていうんだ。

 

 それを誇らしげに突きつけてくる目の前の子供が、恨めしい。憎たらしい。

 

「俺は言ってない!生きたいだなんて、一言だって言ってない!!言ってないだろ!?どうしてそんなに関わってくるんだ!放っておいてくれよ!!」

 

 腕を払って、つい先ほどとは全く矛盾した言葉で闇雲に嘆いた。

 

 生きている価値があるのか。

 

 果たして、あんな醜い世界に。

 

 それこそが、立香を苦しめる暗示の鎖だった。

 

 あんな汚いものを見るくらいなら目を閉じて。あんな汚い声を聞くくらいなら耳を塞いで。あんな辛い思いをするなら、あんなに痛い気持ちになるのなら。

 

 何も知らないまま死んだ方が。よっぽど楽だったと。そう思わずにはいられなかったのだ。

 

 数秒、沈黙が流れて。

 

「僕が放っておいたら。現実が、君を放っておいてくれるのか」

 

「─────」

 

 一切の反論すら許されない。一分の隙も、ほんのわずかの隙間もなく、容赦すらない言葉の正当性に。正しさという名の暴力に。

 

 立香の心は、押しつぶされた。

 

「今なお見てるこの現実が、真実なんだよ」

 

 ハーメルンが、死んで。立香は死んだ今なお、誰かのために立ち上がらなくてはならなくて。名前も知らない、自分たちを傷つける誰かを。守るために、立たなくてはならない。

 

 そんな残酷すぎる真実を、眼前に容赦なく突きつけられた。力の抜けた腕が、必死に塞いでいた耳から、力なく落ちた。

 

 その隙を、清らかすぎる子供は逃さなかった。手を強く握られ、耳を塞ぐことも許されないまま、真っ向から言葉が胸を打つ。

 

いいか!それが現実だ!!現実なんだよ!!苦しいだろ!?目を背けたいだろ!!いやで、いやで、逃げたくて、苦しくて!!それでも逃げられない!!これが現実なんだ!!現実なんだよ!!

 

 逃れられない。その深紅の目を、吸い込まれそうなほど見つめさせられて。背けることすら許されず、痛すぎるほど正しい言葉が立香を抉った。

 

「逃げたっていい!!ただ、逃げたとしてもまた先で逃げることになる!どちらを選んでも、ずっと逃げることは許されない!!絶対にいつかはやらなくちゃならないことなんだ!!」

 

 例え立香が涙を流そうと、問答無用にその声は立香の心の門をこじ開け、すり抜けるように入り込む。

 

 まるで、必死に立香に訴えかけているかのように。

 

「逃げずに立ち向かうことには勇気がいる!!平等なんかじゃない!!差なんてものは絶対にある!!」

 

 けれど。

 

 その言葉の持つ意味合いは。強さは。重さは。それでも。認めることは、出来なくて。

 

 立香が背負うには、あまりにも大きすぎるもので。

 

「いやだ………そんなの………そんな冷たいものを……俺は、もう……見たくない……」

 

 茫然自失して、うわごとのように呟く。

 

 それはある種の妄言だったが、確かに立香の本音で。

 

 そんな世界に。そんな人生に。いいことなんて、ないのではないか。そんな冷たいもののなかへ。立香に戻れと。そう言うのか。

 

「そうだよ!!現実は非常だ!!残酷だ!!誰も助けてくれない!結局は一人ぼっちだ!最後の最後には、絶対に自分一人が決めなくちゃならない!」

 

 そう断じて、強く歯を食いしばる子供。言っていることがあまりにも残酷で。冷酷すぎるほど正しくて。ただ、その目には正しさだけじゃない。誰かを想う強い力が篭っていたから。その熱に炙られるかのように、立香の胸がチリチリと疼いた。

 

「それでも……それでも………その中で、もがき続けることが悪か!?悪いことか!?醜いか!?汚いか!?」

 

 必死の訴えに、立香を苦しめている見えない何かが、また小さく疼いた。

 

起こったこともなにもかも!全部無くなったりしないんだ!全部本当なんだよ!本当だから現実なんだ!いつか夢みたいに消えて、元通りになるだなんてことはないんだよ!!

 

 息を切らしながら。自らの行動にいっそ涙すら流してまで、少年は続ける。

 

 強い力が、立香の胸のつっかえを。自分が設けた心の壁を。なんの障害にもせず消し去っていく。

 

戦えなんて言わない!強く在れなんて言わない!ただ、己の全部を認めて!目の前の人生にちゃんと向き合え!自分の心から目を逸らすなんてことは、他の誰でもない僕が許さないっ!

 

 強い波動が。音色が。

 

 ずっと塞いでいた。ずっと封をしていた、立香の心のある一箇所に、触れる。

 

「……何を……言って……」

 

「だって!」

 

 心当たりのないことに。……否。その事実を認めるのが怖くて。惚ける立香の。

 

 脆すぎる最後の砦に、白金は。

 

君の願いは(・・・・・)そうじゃない(・・・・・・)だろっ!?」

 

 何の躊躇もなく、踏み入った。

 

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 心とは、聖域である。

 

 他人の誰もが、踏み入れることは許されない。許さない。自分以外の侵入を防ぐ、強固たる結界だ。

 

 その聖域が。美しい聖域が穢れていくのを見るのは。

 

 天使にとっては、あまりにも見るに耐えなかったのかもしれない。

 

どうしてこんなところまで来た!?どうしてこんな風になったんだ!?君は一体、何がしたかったんだ!?

 

 何がしたかったのか。

 

 その問いが。あまりにも深く。

 

 至極簡単に、立香の心の底を見透かしていた。

 

(…………あぁ、そっか。俺)

 

 そう言われてしまって。呆気のないほど、自分でも驚くほど冷静に、立香は自分がああも乱れていたのかを理解した。

 

 認めたくなかった。認めるわけにはいかなかった。

 

 だって。その原因を考えることは。

 

 つまり、彼の死を。

 

 その事実を。受け止めるしか、ないと言うことで───

 

「もっと一緒にいたかった……もっといろいろなことを、教えてあげたかった」

 

 一粒。そう漏らした。

 

 それこそが、心の決壊の証だった。

 

 今更。

 

 果てに。こうなってから。

 

「もっと、本当の意味で愛してあげたかった」

 

 死んでしまってから。立香も、ハーメルンも。二人ともが、死んで。

 

 どうしようもなくなってから。

 

「家族で、いたかった……」

 

 立香の目から、ボロボロと大粒の涙が溢れた。言い訳だけが積み重なった山々。棘の庭園を抜けて。

 

「一緒に、進んで行きたかったよ、ハーメルン……!」

 

 それだけが、立香の持つ真実だった。

 

 散々積み上げた言い訳のレンガの果てに眠る、ただ一つの本当。

 

 どれだけのもので自分の感情を飾り立てようと。根本にあるのは、きっとそれだけのことだった。

 

「どうして、俺を置いていったんだ……なんで、消えちゃったんだよ……!」

 

 恨みでもない。怒りでも、痛みでも、苦しみでも無い。

 

 今になって湧き上がってきた悲しみが、大きな奔流となって、立香の感情を端から洗い流していく。

 

「ハーメルンがいなかったら……何も、出来ないじゃないか……」

 

 自分を庇って。自分を守って死んでしまったあの子が。あの子に。

 

 城壁で交わした約束も、一緒に過ごした日々も。何もかもが。

 

 遠い、遠い思い出になって、消えていく。

 

「星を見ることも。いっぱいご飯を食べることも。一緒に寝るのも……ずっと、楽しみだったのに……」

 

 笑う彼が好きだった。怒る彼が好きだった。いつもは無愛想な彼の見せる、可愛らしい感情が大好きだった。

 

 あの笑顔が、何よりも眩しかった。

 

「もっと、いっぱい。これからだったじゃないか……!まだまだ、楽しいことなんていっぱいあるんだって。世界は、君に優しくするためにあるんだって…教えてあげたかった……!」

 

 ハーメルンが背負っていた重すぎる過去を、ようやく知ったところで。ここから、今まで辛い思いばかりをしてきた彼を。

 

 幸せに、してやりたかった。

 

俺はお前に……消えて欲しくなかったよ……ハーメルン……!

 

 愛しい思い出に縋るように。縋って。それでも、それが叶わないと知って。

 

俺はもっと……君の親で、いたかった……

 

 涙と共に、そう嘆いた。

 

 どうしようもない。全くどうしようもない、あまりにも遅すぎる慟哭が、それだったのだ。

 

 後悔と無力感が、熱いものとなって目の奥から際限なく溢れてくる。絨毯を濡らすそれを意識すると、より一層。こんなことになってしまった自分が、許せなくて。

 

「僕は。……君の気持ちをわかってあげられない。わかってるなんて、簡単に言ってあげられない」

 

 少年は、感情の伺えない声音でそう答えた。……暗がりに映るその顔は、声とは裏腹に、そのことを心の底から悔やんでいるように思えた。

 

 それでも。その顔に明確な慈愛と、深い思いやりが込められていることは明らかで。

 

「君が抱いた感情は、君だけのものだから。例えそれがどれだけ辛いものだったとしても、君以外が背負うわけにはいかないでしょう?」

 

 伸ばされた細い指が、軽く立香の頭に触れる。

 

 瞬間。流れ込んでくる光景があった。

 

 狭い部屋。眠っている男。………それは、紛れもない自分自身で。その手を、誰かが握っている。

 

 桃髪の。大切な後輩。涙を流しながら、未だ立香の帰還を願う、あの少女の姿。

 

 見えたのはその一瞬だけ。即座に現実へと引き戻され、立香の視界は元に戻った。

 

「何か、見えた?」

 

「………泣いてた。………マシュが、泣いてた」

 

 そう。一瞬だけだったが。

 

「帰らなくちゃ」

 

 それでも、立香にそう判断させるには、十分すぎるくらい長い時間だった。

 

 立香が倒れたら、彼女がああなることくらい。立香にも、わかっていたはずだったのに。

 

 涙を拭って、立たなくては。もうこれ以上。あの優しい後輩を、悲しませずに済むように。

 

「……そう。なら、立てるよ。君なら、きっと何度だってやり直せる」

 

 少年は、立香の答えに安心したように頷く。

 

 そんな風に言われると、それがどれだけ非現実的な言葉でも、本当にそうなのではないかと信じてしまいそうだった。

 

「君が生きたいって思えるその時まで、死ぬ選択肢は置いておくといい。人生の目標は生きることじゃなく、生きた意味を死んだ後に見つけること、だからね」

 

 人差し指を立てて、満足げにそう説く少年。……きっと、忘れられない教訓になるだろう。

 

 しかし。いつまでも、蹲ってはいられない。いい加減、立ち上がらなくてはいけないが。

 

「……でも、俺は………」

 

 この場所から脱出する方法が、欠片たりともわからないのだ。冥界というのなら、立香は一度死んでいる。そこから蘇るとなると、生半可でない対価か何かが必要になるのではないか、と。少しの覚悟を決めて少年に向き直る。

 

 が、予想に反して、少年は軽いトーンで声を放った。

 

「ううん!だいじょーぶ!今の君はまだ死んでない。ちょっと魂が身体と離れちゃってるだけ。その子との回路(パス)が繋がってるお陰でまだ現世とのつながりは切れてない。今なら、戻れるよ!」

 

 確信めいた表情で、立香に微笑みかける少年。………ついさっきまで、立香を怒鳴りつけていた相手とは思えない、その優しげな顔。

 

 その二つがあまりにもかけ離れているのに。不思議と、そのどちらともが彼なのだと思わされる。

 

「……僕が助けられるのは、この一回だけ。きっと、もう一度やったらエレシュキガル様にバレちゃう。こんなこと、バレたらクビじゃ済まないけど……うん。君は、救われてもいいはずだ!」

 

 ピン、と指を立てて、立香に何かを仕掛けていた少年が、その動作を終えた。

 

「じゃあ、おまじない。とっておきの魔法(・・)の使い方を、教えてあげるね」

 

「魔法?……魔術じゃなくて?」

 

「そう、魔法」

 

 少年は、ついさっきやったように、指先を立香の胸元に当てる。そうして、押し当てるように、確かめるようにして。ゆっくりと、立香の胸元を撫でた。

 

「ちゃんと、自分のことを認めてあげて。君は……君という存在は、とってもすごいやつなんだって。そう、認めてあげて。誰かの理想の形である必要なんてない。無理をして装わなくてもいい。自分自身、ありのままでいいんだ」

 

 微笑みが、優しくて。

 

 太陽よりも眩しいその笑顔に、自然と立香の心が暖かくなる。

 

「自分という存在を大切にすることは、君にしかできないんだ。どんなやつにだってできっこない、特別な魔法なんだよ。痛い時は痛いでいい。辛い時は辛いでいい。嫌な時は嫌でいい。無理に我慢することない。ただ、それを正面から受け止められたなら、それでいいから」

 

 それだけは、忘れないでね。

 

 そう溢す少年は、郷愁に満ち溢れた表情をして。

 

 まるで、ここではないどこかを見ているかのようだった。

 

「……最後にさ。また、あの名前を聞かせてくれない?」

 

 言いづらそうに訊ねるその雰囲気。そうして、そのお願いが、一体何を指しているのかに思い至る。

 

「……………君は、覚えてるかな」

 

 いつか、冥界で初めて会った時の最後のように。

 

 二つの名前を口にする。……特異点に入って初めて聞いた、その二つの名前。孤高でありながら、友愛を深める王と。死してなお、その名を残し、残滓を感じられる緑の友の名前を。

 

「…………あぁ。思い出せない」

 

 その反応は、変わらない。知人の名前を聞かされたように。明確な解を聞いたときのように、劇的とは言い難いものだ。

 

「………思い出せないけど………でも。知らない名前じゃ、絶対にない」

 

 けれど、その瞳には確信があった。

 

 喉が、声が、口が。その発音を覚えている。きっと、何度もその名前を呼んだ。その綺麗な名前を、何度も、何度も。

 

「………ありがとう。この名前を、僕に教えてくれて。……僕に、思い出させてくれて」

 

 宝物を抱きしめるように、ゆっくりと、その名前を口ずさんだ少年。不可解ながらも、その笑みはどこか満足げで。

 

 花が咲くように、その顔を綻ばせた。

 

「……お礼としてはなんだけど。僕の名前を教えておくね」

 

 そういえば。立香は、目の前の少年の名前を知らないのだったか。……今更すぎる自己紹介だ。

 

 でも。その名前に、おおよその検討はついていたから。

 

「僕の名前はね──」

 

 その動く口を、人差し指で制した。彼が話す代わりに、立香が名乗る。

 

「……俺の名前は、藤丸立香。人類最後のマスター。たまたまカルデアに残って英霊たちと肩を並べただけの、ちっぽけな一般人だ」

 

 そう。それだけだ。

 

 たったそれだけが、今の藤丸立香を構成する、ちっぽけな称号だった。それは決して、六つの特異点を解決してきた英雄なんてものじゃない。

 

「うん。でも、それは……?」

 

 知っている、と頷き、今度は困惑顔になる少年。

 

「だから。俺はまだ、君の名前を聞いてない。名前を聞くのは、今度会った時だ。今度はこの言葉のお返しに、君の口からその名前を聞かせてくれ」

 

 約束だ、と。立香が差し出した小指を、少年は嬉しそうに結んだ。そんな繋がりがなければ。いつか、この関係すら無かったことになってしまいそうだったから。

 

 そうして。離れた立香の指の代わりに、少年から手を差し伸べられる。白磁の腕が、存在を主張するかのように淡く輝いた。

 

「頑張れ、立香!僕も、できるだけ頑張ってみるからさ!」

 

 さぁ、手を取ろう。差し伸べた手を取れば、きっと立香は世界ごと放逐される。

 

 暗い世界。先の見えない未来の前でも。この温もりと答えさえあるなら。

 

 きっと。

 

いってらっしゃい!その王様に、伝えて。必ず……生きて(・・・)帰るって!

 

 向日葵のようなその快活な笑みが眩しくて。

 

 少しだけ、目を細めた。

 

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 (こえ)が聴こえる。

 

 聴き慣れた(こえ)が。

 

「親様。ねぇ、親様」

 

 そう。

 

 それは、きっと。秘密の音色。

 

 立香だけが知る、あの笛の音。

 

「………違う」

 

 だからこそ。

 

 立香はこの真実の音を、否定しなければならない。

 

 この音を本物と認めてしまうことは、消えてしまった彼への裏切りになるから。

 

「君は、そうじゃない」

 

「………え?」

 

「ハーメルンは、君じゃない」

 

 目の前の黄色いレインコートを纏う少年(・・)を、遠ざける。目端から涙を流しながら。それでも、立香はハーメルンの形を取った、目の前の子供を拒絶する。

 

「え?……え?親、様……?」

 

 その呼び方が、何よりも嬉しかった。その呼び方が、何よりも愛しかった。

 

 その彼は、もう。

 

「………君は、ハーメルンじゃないんだ」

 

 焼きついた記憶。もう、誤魔化すこともない現実。それら全てを、一切の躊躇なく受け入れて。少しだけ深呼吸をして、吐く。

 

「……………ハーメルンは、もう死んだんだ」

 

 一言。棘が刺さるような明確な痛みと、それとは正反対に、どこかストンと腑に落ちる感覚。

 

 悲しみと、納得と。絶望と、漫然とした認識。

 

「俺を守って。死んだんだ」

 

 再度。

 

 寂しそうな彼に、別れの言葉を告げる。おずおずと差し伸べられた手を、どうしても取ってやりたくて。……でも。右手も、左手も。今の立香は、埋まってしまっていた。

 

 どんな言葉をかけられるだろう。

 

 百通りの呪詛。思いつく限りの罵倒だろうか。

 

 それでもいい。彼の姿をとったものになら。きっと、そんな言葉をかけられても受け止められる。

 

 覚悟を決めて、しっかりと。目の前の蜂蜜色の少年に向かい合った。罪の意識はある。何をやっても償えない。償える気もしない。

 

 でも。

 

 現実から目を逸らすのは、もうやめる。

 

「………痛い?苦しい?辛くない?」

 

 蕩けるような甘い声で、ハーメルンの姿をしたものが、立香を心配するように覗き込む。

 

 その言葉に甘えたくなってしまう。全てを委ねたくなってしまう。常に一緒にいられたとしたら。それはどれだけ嬉しかっただろう。

 

「痛いよ。苦しいし、辛いさ」

 

 誤魔化すことはしない。そう。ずっと痛かったとも。やめたいと思ったことも、なかったと言えば嘘だ。

 

「……それでも進む。それが、俺にできる精一杯のことだから。誰かを失う痛みを、苦しみを、辛さを知ってる俺が。他の誰かに、それを教えない方法だから」

 

 新たな決意と共に。

 

 光り輝く道標。暗闇でも道を教えてくれる新星(ほし)があるから。

 

 もう、立香は迷わない。

 

「───そう。あなたにはもう、僕はいらないんだ」

 

 頷く。

 

 残酷すぎる肯定が痛くて。それでも現実から逃げることだけはしない。

 

 どんな言葉も、表情も、忘れないと誓う。それがどれだけ立香を傷つける物だろうと。大切にしまい続けようと。

 

よかった………

 

「─────っ……!」

 

 その心がけも。願いも。

 

 何もかもを包み込むような。安堵に満ちた声が、立香の心を強く揺さぶった。

 

 声が出そうになる。目の前のハーメルンが偽物だと知っていながら。それでも、枯れた喉が何か音を発しようとして。流れる涙と、止まらない嗚咽を飲み込んで。

 

 言わなければならないことが、まだ。

 

「最後に、一つだけ」

 

 時間だ。

 

 視界が薄れていく。体が消えていく。

 

 立香の体がどんどん薄くなって。光の粒となって、世界から弾き出される。

 

 喉が消える。音が消える。

 

 この世界を構築するなにもかもに、ヒビが入って、塵となって崩壊する。

 

 無音。無明。

 

 ホワイトアウトしていく視界。世界の中で。

 

 

 ──ボクに、あなたを助けさせてくれてありがとう。親様(マスター)

 

ずぅぅっと、だいすきだよ……

 

 

 絶対に聞こえないはずの二つの声を、確かに立香は聞いた。

 

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『…………助けて………』

 

 少年が、こちらを見つめていた。白金の髪を持つ、人並外れた美貌の少年。

 

『………助けて………げて……』

 

 助けを求めているように聞こえた言葉。何かを求めるように思えた言葉。ただ聞いていれば、それだけに聞こえていただろう。心のどこかで彼を避けていれば。きっと、そんな風に聞こえたはずだ。

 

 だが。耳をすませば、それは全く別の意味へと変わる。

 

『……を…助けて……あげて……』

 

 悲哀のように見える慈愛に満ちた目で、少年は涙をこぼした。

 

『………な……あのひ……を……助けてあげて』

 

 

 意識が、光へと引っ張られる。

 

 

 最後に、耳へ届いた言葉は───

 

 

『大好きなあの人を、助けてあげて』

 

 

 死んでなお、大切な誰かを慮る言葉だった。

 

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「………せん……ぱい……?」

 

 声が聞こえる。

 

 聞き慣れた声。大切な人の声。

 

 守りたいと思った相手の。守ってほしいと願った相手の。ずっと、一緒にいたいと。誓った相手の。

 

 優しい、後輩の声が。

 

 そうだ。

 

 ここからまた。やればいい。

 

 過去は無くならない。一度起こってしまったことは、何があっても覆らない。

 

 なら。その過去を塗りつぶすほどの幸福を、新たに立香が築き上げたのだとしたら。

 

 その事実も、何があっても覆らないのだ。

 

 何があったとしても。いずれそれは消えてしまう。消えるまでは、ずっと立香の元に残り続ける。

 

 消えてしまっても。立香の心で、生き続ける。

 

 もう一度。もう一度だけ。

 

 やるだけ、やれるだけ、やってみよう。

 

 だって立香は。

 

「おはよう、マシュ」

 

 まだ、彼女の先輩として立ち上がれるのだから。

 

 




第八節 新星(ほし)()()5/6)






 二ヶ月ぶりほどですね。お久しぶりです。後書きにて。作者です。

 ちょっと書いてるリゼロ小説の方がびっくりするくらい反響いただいてしまって、更新する暇がなかったのです……遅くなってしまって大変申し訳ない。

 とりあえず、八節はかなり切りがいいので、今週中にでも完結させます。その後も少々期間が空いてしまいますが、第0節にあたるとある番外を書かせていただき、いよいよクライマックスとなる九節以降を書く形になります。

 亡霊くんちゃんの真名は一体何なのか。ハーメルン君の過去とは。アンヘル君は冥界から脱出できるのか。そもそも、なぜ冥界で記憶を失い、生活しているのか。伏線等を回収する後半節。お待たせしてしまいますが、気長にお待ちくださると嬉しいです。

桜霞(現在は塚帖)さんが書いてくださっているアンヘル君です。これでラフというのだから驚き。素敵な絵をありがとうございます!清書版、心待ちにしております!


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