ゼロの使い魔 -エトランゼの憧憬- (鈴ノ風)
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001 来訪

 私が生まれた時、世界はすでに地獄だった。

 

 かつて、大きな災いがあったという。それがどういうものかを、私は知らない。ただそれは世界にとって致命的なものであり、それまであった世界を、根本から破壊してしまったという。

 私が生まれる前、災いの起こる前、世界は『平和』という状態にあったらしい。今では信じられないことに、命を奪い合う争いがほとんどなかったというのだ。あったとしてもそれは数か月か数十日しか続かず、人々はその一層の大半を『平和』という環境の中で過ごしたのだとか。

 当時は、それが普通だったのだと、亡き母は語った。『争う』という状況こそが異常であり、他者との交流は殺し合いでも奪い合いでもなく、話し合いで行われていたと。

 今は違う。人々は絶えず争いを繰り返していた。メイジも、人間も、エルフすら例外ではなく。砕け散った大地は食べる物も住む場所も乏しく、生きるためには誰かから奪い取る必要があった。

 誰もかれもがそうしていた。私もまた、その一人。

 物心つくころには、人を傷つける技術を身に付けていた。『売買』の概念より先に盗みの手口を知り、腹が減れば奪い、奪われそうになれば殺した。

 それが普通だと思っていた。少なくとも頭では。

 だがどうも、心の底ではそうは思っていなかったらしい。

 奪うたびに、殺すたびに、心に何か、重苦しいものがのしかかった。奪ったことを殺したことを振り返るたびに、心がやすりで削られるように痛んだ。

 時折、幼き頃に母が語った『平和な時代』が脳裏をよぎる。

 奪うことも殺すこともなく、奪われることも殺されることもなく、ただ生きることのできる世界。

 そんな世界で生きられたなら、私はもっと、幸せに生きられたのだろうか。

 苦しみも痛みもなく、微笑みながら生きることが。

 もし生まれ変わることが出来たなら、そんな世界に行ってみたい。

 『幸せ』というものを、知りたい。

 

 

 そう願っていたからか、それとも単なる偶然か。

 私の願いは叶えられた。

 張り付けたような笑顔を浮かべる、不気味なメイジの手によって。

 私は、別の世界に転生した。

 

 

 

 

●○●○●○●○●○●○●○●○

 

 

 

 

 トリステイン王国北部、帝政ゲルマニアとの国境近くに、ベランジェ伯爵家という貴族の領地がある。

 かの貴族は、かつては帝政ゲルマニアの貴族であった。トリステインとゲルマニアの戦争の際、ゲルマニアからトリステインに寝返ったという経緯を持ち、そのため誇りと伝統を重んじるトリステイン王国では大変に疎まれていた。

 また奇抜な人間を幾度か輩出する家系としても知られており、その汚名と悪名は度々王国の貴族たちの話題に上がっては、その表情を曇らせてきた。

 

 

 さて、このベランジェ伯爵家の当主、アンリ・ド・ベランジェ・ド・イーペル伯爵に娘が生まれたのは、トリステイン国王とマリアンヌ太后との間に娘が生まれた、その翌年のことであった。

 それまでベランジェ伯爵と夫人の間に子供はおらず、二人とも高齢であったことから、子宝には恵まれないのではないかと、二人とも意気消沈していた。

 そんなタイミングでの出産、目出度くないはずがない。

 伯爵家及び領地であるド・イーペル領では娘の誕生を祝う祭りが三日三晩にわたって行われた。

 伯爵も使用人も、乳母ですら祭り騒ぎに興じていた。そのためとうの娘を冷静に観察しようとする者は誰もおらず、娘が出産以後一度も泣かないことなど、誰も気にも留めなかった。

 オリアーヌ・ド・ベランジェと名付けられたこの娘の特異性に周囲が気付いたのは、オリアーヌが二本の足で立ち上がりだした、その後のことだった。

 

 

 

 

 

「お嬢様ぁ! オリアーヌお嬢様! どこにいらっしゃるのです?」

 使用人たちの叫びがベランジェ伯爵家の屋敷に木霊する。

 彼らは伯爵よりオリアーヌの世話を仰せつかった者達であり、最近活発に動き回るようになった娘に大事が無いよう、決して目を離すなときつく命令されていた。

 だからこそ彼らは、ミルクを取り換えようと目を離したわずかな隙にオリアーヌが姿をけし、大層慌てた。

 不幸中の幸いというべきか、伯爵も伯爵夫人も今日は家を空けていた。二人は狩猟を趣味としており、今日は娘に美味しい猪を御馳走しようと二人で森に出かけていたのだ。

 二人が帰る前に娘を探し出す。そうすればオリアーヌの逃亡は無事隠蔽できるだろう。

 幸い娘はまだ一歳。そう遠くに入っていないだろう。元いた部屋の中か、その隣りか。行ったとしてもそれが限界のはず。

 そう考え、使用人たちは住人がかかりで部屋を探索する。

 だが見つからない。家具や調度品を退かし、部屋の隅々まで探し回っても、娘は見つからなかった。

「どうしましょう従者長!?」

 メイドの一人が慌てながら上司に尋ねる。

 娘が姿を消してから一時間が経過した。今は仕事中の従者まで動員して屋敷中を探し回っている。にもかかわらず、オリアーヌは見つからないのだ。

「ぬぅ…………」

 ベランジェ伯爵家の従者長、シャルルの額に冷たい汗が流れる。

 もはや事態は伯爵にバレるだバレないだの次元ではなくなっていた。ことはオリアーヌの生命にかかわる。

 娘はまだ幼い。暖炉の火や尖ったものなど、危険なものに触れて怪我をする可能性は非常に高く、最悪の場合命を落とす事すらありうる。

「とにかく一刻を争う。屋敷中の者を集めろ。仕事は全部後回しだ。オリアーヌ様の捜索を最優先にさせろ」

「はい! わかりまし――――」

 従者の返事が終わるより先。

 ドタドタドタ! 彼らの頭上から騒音がした。

「なんだ!?」

 叫び、従者長は周りの者達と共に音のした上階に向かう。

 捜索中の誰かが棚でも崩したのか? それだけなら問題はないだろうが、もしオリアーヌがその下敷きになったとしたら?

 従者長は心臓が止まるかと思った。そのような事態にならないようあらかじめ従者たちには言いつけてある。だが誰しも失敗はするものだ。

「お嬢様、どうか御無事で――――!」

 そこにいる、とは限らない。だがそこにいたら最悪の事態だ。だからこそ彼らは階段を全力で駆け上がった。

 音のした場所は二階の書斎だった。ベランジェ伯爵はあまり本を読む人物ではなく、書斎とは名ばかりで半ば伯爵の物置と化している部屋だ。

 赤子を下敷きにするものなら溢れかえっている。

「お嬢様――――!」

 叫び、従者長は扉を勢いよく開ける。

 中は酷い有様だった。

 本棚、机、甲冑の調度品、様々なものが無惨にも壊されていた。

「…………賊か?」

 茫然と彼が呟くのも無理はないだろう。その荒れ具合は赤子を探していたとは到底思えない。もっと言えば何かを探すという行為からはかけ離れた惨状だ。

 伯爵を恨む者が嫌がらせをしてきたとか、そういった破壊を目的とした行動の結果としか思えない。

「従者長、一体どうし…………お嬢様!?」

 続いて入ってきたメイドの叫びで、従者長はハッとする。

 惨状にばかり目を取られていたが、よく見れば部屋の真ん中に、一人の幼子がいるではないか。

 少し癖のついた、暗い青色の長い髪は、ベランジェ伯爵の娘であるオリアーヌの特徴だ。

「お嬢様、ご無事ですか!?」

 従者長はすぐさまオリアーヌに駆け寄る。

 呼びかけられた娘は従者長に振り返った。

 琥珀色の、鋭い眼光が従者長を射抜く。

「お、お嬢様。お怪我はございませんか?」

「…………べつに」

 そっけない返答。いつものことだ。この娘は口を聞けるようになってから常にこんな感じであり、あまり感情というものをあらわにしない。

 従者長はオリアーヌの体に触れ、本当に怪我がないか触診する。一通り見て大丈夫そうだと判断し、彼は胸をなでおろした。

「ふぅ…………全く心配しましたよ。いいですかお嬢様。勝手にどこかに行ってはいけませんよ。危険です」

「かんがえとく」

 『分かりました』とも『嫌だ』とも、彼女は答えなかった。

 一体どこでそんな返事の仕方を覚えたのやら。従者長は頭を痛めた。

「…………えっと、それでお嬢様、これをやったものを見ましたか?」

 そういって従者長は荒れ果てた書斎を指差す。

 十中八九賊の仕業だ。ベランジェ伯爵家はとにかく敵が多い。これほど酷いものはまれだが、屋敷への嫌がらせというのは実は少なくなかった。

「わたしだ」

「なるほどそうでございましたか。つまりこれをやった賊はお嬢様と…………いまなんと?」

「わたしがやった。ためしうちがしたかった」

 そう言うと、オリアーヌは従者長に持っていたものを投げてよこした。

「っとっと!?」

 慌てて受け取る。

 よくよく見て見れば、それは杖だった。

 それはベランジェ伯爵の杖だった。

 正確には予備の杖。頻繁に狩りに行く伯爵は、度々杖を無くしたり壊したりしており、その時のために複数の予備を持っているのだ。

 オリアーヌが持っていたのは、その予備の一つ。おそらくはこの書斎に保管されていたものだろう。

「えっと、つまり、これはお嬢様がなさったと?」

「そうだ」

 オリアーヌは頷いた。

「まさか」

 従者長は信じられなかった。

 なるほどこれがメイジの仕業というならば、納得はいく。

 メイジは魔法という、普通の人間には扱えない力を持っている。土を金属に変えたり、炎を生み出したり、遠くの物を見たりなど、その効果は様々だ。

 従者長はメイジではないが、メイジである伯爵の魔法を何度も見てきた。

 以前倒れた木が道を塞いでいたことがあった。伯爵は魔法を唱え水の鞭を生み出すと、それで木をバラバラにし森に投げ込んだ。

 その時切り刻まれた倒木と、荒れ果てた書斎が、従者長にはダブって見えた。

「…………それは、その」

 従者長はなおも言いよどむ。

 魔法で部屋を破壊した。それは良いだろう。

 だがそれをこの娘がやったというのが、彼にはどうも信じられなかった。

 齢一歳の幼子が、書斎に保管された杖を探し出し、習ってもいない呪文を唱えて、魔法を発動させた。

 信じられるはずがない。そんなことはありえない。

 彼女に魔法を教えたものなど誰もいないのだ。このような破壊をもたらす魔法を教えたものなど!

 従者たちにメイジはいない。伯爵も夫人も、オリアーヌに魔法を教えるのはまだ早いとよく話していた。

 ならば独学で身に付けたということになる。

 メイジと杖の関係性を、ルーンの必要性を。

 齢一歳の子供が、だ!

「…………神童」

 震える声で口にする。

 幼くして聡明な子供をそう呼ぶことは従者長も知っていた。

 しかしはたして、そんな言葉でくくれるレベルなのか?

 学習能力が高いという次元ではない。それは最早、最初から知っていたとしか――――

「しゃるる」

 オリアーヌの言葉が、茫然とする従者長を揺り起こした。

「あ、お、お嬢様。何でございましょうか?」

「おなかへった」

 そう言うと、オリアーヌは従者長の返事も聞かず、書斎から出て行った。

「…………」

 従者長は黙って、その背中を見つめる。

 オリアーヌ。オリアーヌ・ド・ベランジェ。ベランジェ伯爵の一人娘。暗い青色の髪と、琥珀の瞳の幼子。

 生まれた瞬間以外一度も泣かず、ハイハイもそこそこに立ち上がり、言葉を覚えるとすぐ会話をし、感情というものをほとんど見せない。

 そして、異様な魔法の才能を持つ。

(オリアーヌお嬢様…………)

 従者長シャルルは、部屋を去るオリアーヌの小さな背中に、何か恐ろしいものを感じた。

 

 



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002 入学

 オリアーヌ・ド・ベランジェには前世の記憶というものがある。

 今とは違う、別の世界で生きていたころの記憶。

 人もいてメイジもいてエルフもいてドラゴンもいて、だが『平和』が無かった、そんな世界の記憶。

 彼女はその世界で、メイジとして一人で生きてきた。

 父親は生まれる前に死に、母親は幼いころに死んだ。

 その世界では、よくある話だった。人々は常に争いを続けていて、どこかで誰かが死ぬことが、日常となっていた。

 親を亡くす子供など当然のように溢れ、彼らは子供と扱われることすらないまま、生きるために闘争に身を委ね、そして死んだ。

 彼女はそんな孤児たちの中では、運がいい方であった。幼いころに母から生きるすべを学び、少しばかり魔法の才能も有った。成人するまでは、何とか生きることが出来た。

 思い出と言えるものはなかった。ただ毎日生きるために必死だった。獣を見かけては狩り、人を見かけては襲い、食べ物道具を見かけては奪っていた。

 そんな彼女が前世で最終的にどうなったのか。なぜこうして生まれ変わっているのか。それは思い出すことが出来ない。

 思い出そうとすると、記憶に靄がかかったように、何かに妨げられた。

 唯一思い出せるのは、張り付けたような不気味な笑みと、開き切った人形じみた瞳孔。

 その人物が何かをして、結果この世界に転生したのだろう。オリアーヌはそう推測している。

 それ以上のことは分からない。実を言えば、彼女には興味もなかった。

 前世に思い入れなどないのだ。思い出すことに意味はない。必要な知識なら思い出せている。

 物の奪い方、人の騙し方、襲い方、殺し方。

 獣はどうすれば捕まえられ、どう調理すれば食べられるのか。

 魔法とはどういうものか。どんな呪文があるのか。どう使うのが最適か。

 すべて思い出せている。

 困ったことがあるとすれば、前世と今の暮らしがあまりにも違いすぎて、時折前世の記憶が弊害となってしまうことか。

 彼女は今ひとつ理解できていなかったが、オリアーヌの前世は、このハルキゲニアの貴族にとって『野蛮』としか言いようのないものだった。

 人を見れば敵と考え、物を盗むことにためらわず、杖を握ればどう殺すかを思考する。

 おおよそ人間の思考回路ではなかった。それは獣の思考だった。肉を見れば食うことしか考えない、腹を空かせた獣の考え方。

 本来ならばその性質は周囲との致命的な齟齬を引き起こし、どちらも得をしない陰惨な結末を呼び込んでいただろう。だが幸いなことに、オリアーヌがこの世界に来たとき、彼女はまだ赤子だった。その野蛮さを発揮する機会はほとんどなく、自由に動き回れるようになる時には、この世界での人間らしい振る舞いというものを、一応は身に付けていた。

 とはいえ、貴族としては未だ礼儀の『れ』の字も弁えない野生児に違いはないが。それでも、最悪の結末を回避する程度には、『平和』に順応していた。

 オリアーヌは新しい人生に感謝していた。

 人々は争いをせず、食べ物も住居も簡単に手に入り、明日を想いながら生きることが出来る世界。

 それはオリアーヌにとって『幸福』そのものであった。前世では絶対に手に入らない、人が人として生きられる世界。

 彼女は、この世界のありようを知った時、決意した。

 自分はこの世界で、『幸福』に生きるのだと。

 前世ではできなかった暮らしをして、前世では望めなかったことをするのだと。

 希望という初めての感情を胸に、オリアーヌ・ド・ベランジェは新しい人生を歩んでいた。

 

 

 さて、どれほど明るく未来に溢れていようと、それはオリアーヌ一人の都合である。

 周囲から見たオリアーヌ・ド・ベランジェは、まさに『問題児』を絵にかいたような娘であった。

 一歳児の時の逃亡と魔法の行使に始まり、ふらりと行方をくらませては森で獣を狩り、客人の子供と殴り合いの喧嘩をし、魔法を使っては家具を壊す。

 成長とともに落ち着いていくなら幼さゆえの過ちと周囲も納得するだろうが、彼女の場合はむしろ成長するごとに被害を広げていった。

 当然である。彼女の中身はすでに大人であり、根本的な人格は変わりようがないのだ。その根本から発生する問題は、残念ながら解決不可能であった。

 いかに変人を輩出するベランジェ伯爵家といえど、彼女の悪行は手に余った。

 オリアーヌ・ド・ベランジェがトリステイン魔法学院に入学することとなったのは、彼女が16歳の時であった。

 数多くの貴族子女が通い、諸外国からの留学生もいる、政治的に極めて危険なトリステイン魔法学院は、その危うさに反し道徳的教育に関してすこぶる評判が悪かった。

 そんな学院にオリアーヌが押し込められるのは、彼女の性格が招いた必然と言えた。

 

 だがそれは、周囲の都合。

 オリアーヌがトリステイン魔法学院への入学に心を痛めることは、ついぞなかった。

 

 

●○●○●○●○●○●○●○●○

 

 

 トリステイン魔法学院の入学式が行われたのは、フィオの月(四月)のヘイムダルの週(第二週)、その半ばであった。

 アルヴィーズの食堂に集められた九十人ほどの入学生たちは、皆一様に緊張の色を浮かべていた。一部を除いて。

 その一部というのは、ガリア王国からやってきた『風』のトライアングルメイジのタバサと、帝政ゲルマニアからやってきた同じく『火』のトライアングルメイジのキュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー。

 そして『水』のドットメイジ、オリアーヌ・ド・ベランジェの三人であった。

 三人は学院長のオスマンが格好よく登場…………しようとして失敗し、危なげな痙攣を見せる中、礼節やら何やらを無視し、思い思いに過ごしていた。

 キュルケはオスマンの抜けた態度に退屈さを感じて欠伸を噛みしめ。

 タバサは周囲の状況など知ったことかと読書に勤しみ。

 オリアーヌに至ってはウトウトと居眠りを始めていた。

 自由気ままにふるまう三人に周囲は白い目を向けるが、当然のごとく三人はそれを無視した。

 視線だけでは彼女らの関心を向けさせることさえできないだろう。

 で、あるならば。

「あなたたち!」

 彼女らの行動を諌めるには直接声をかけるほか手はなく、そしてその役を買って出たのは、三人と同じく新入生の、桃色がかったブロンド髪の少女であった。

 その言葉に、三人はやはり三人とも異なる反応を示した。

 まずタバサ。青髪の子の少女は同学年の諫言にそもそも反応しなかった。

 次いでキュルケ。赤髪の彼女は視線だけを声の主に向けた。

 最後にオリアーヌ。その反応は劇的だった。

 明らかに居眠りをしていた彼女は、自らに向けられた声を聞いたとたん、ガバ!ッと勢いよく顔を起こし、その鋭い琥珀の瞳を向けた。

 いや、動いたのは顔だけではない。彼女は懐から長さ30サント(約30㎝)ほどの金属製の杖を素早く取り出すと、机の下に隠した状態でそれを少女の方向に向けた。

 机の下で行われたその動作に気付いたのは、幾度となく修羅場をくぐってきた、タバサただ一人だけだった。

 周囲にはただいきなり顔を起こしたことしかわからず、三人に注意を飛ばした少女は、その唐突な反応にたじろいだ。

「…………何?」

 オリアーヌが問う。その声は眠気も相まって、不気味なほど無感情だった。

「い、今! 先生方が大事なお話をされているのよ! しっかり聞きなさい!」

 しかしこの桃色髪の少女も容易くは引かない。持って生まれたプライドの高さたるや浮遊大陸アルビオンさえ越えるこの少女は、こけおどしで引き下がるような大人しい娘ではなかった。

「…………興味がない」

「何よそれ! どこのだれか知らないけど、貴族なら貴族らしくしなさいよ!」

「いる…………ぺい…………オリアーヌ・ド・ベランジェ」

 『どこのだれ』という言葉を質問と解釈したオリアーヌは、その問いに答えようとした。

 だがオリアーヌは名前を覚えることが苦手だった。特に土地の名前は致命的で、未だ自身の生まれた領地の名を空で言うことが出来ない。

 それも前世の悪影響の一つだ。かつての彼女にとって、土地とは留まるものではなく過ぎ去るもの。

 僅かばかりの資源を求めて放浪することが日常であった彼女は、土地という概念に対する関心が極端に薄かったのだ。

「ベランジェ…………ああ、あの誰にでも頭を下げる」

「ベランジェ。へえ、あの裏切り者の」

 少女とキュルケが同時に反応する。

「…………あんたは? どこのだれさ」

 『名乗ったら相手にも名乗らせ、相手が名乗られたら自分も名乗れ』。それが、オリアーヌが父ベランジェ伯爵から教わった礼儀の一つだった。

「私はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールよ。まさかあの悪名高いベランジェのものと一緒になるだなんて!」

「ラ・ヴァリエール? あら、お隣さんとお会いできるなんて光栄だわ」

「お隣さん?」

「ええ。あたしはキュルケ・フォン・ツェルプストー。よろしくね」

「な、な、なんですってぇ!?」

 何やら騒ぎだすキュルケと桃色髪の少女、ルイズの隣で、オリアーヌはもう一人の少女、タバサに視線を向けた。

 そして同時に、杖も向ける。

「で? あんたはどこの誰さ?」

 オリアーヌは、タバサのみが彼女の杖の存在に気付いたことを察知していた。

 反応のよさ、立ち振る舞い、漏れ出る魔力。オリアーヌは理解する。この少女は強い。

 仮にここで殺し合いになったとすれば、この場で確実に脅威になる存在は二人。この青髪の少女と、オスマンの近くに立つ禿げ頭の教師。

 殺し合いは避けたい。それはオリアーヌの『幸福に生きる』という夢と相反する。

 だが培った経験と無意識が、彼女に無意識の戦闘準備を強い、杖を向けさせた。

「…………タバサ」

 タバサは短く、聞かれたことに答えた。

 その右手が、木製の杖を強く握っていることに、オリアーヌだけが気付いていた。

「…………」

「…………」

 二人の間に緊張が走る。

(…………やってしまった)

 オリアーヌは自身の失態を悔いた。

 殺し合いを嫌だと言い、幸福に生きたいと言い、しかしその願いに反する行動をとってしまった。

 いかに反射的なものといえど、非は明らかにオリアーヌにある。

 彼女が構えたから、タバサも構えたのだ。

(だけど、今更)

 今更杖は下げられない。下げて、向こうも下げる保証はない。

 一度向けられた杖はどちらかの血が流れるまで決して下げられない。それが前世の世界における常識だった。

 その常識がオリアーヌを縛る。

 下げればおそらく向こうも杖を下げるだろう。頭では分かるが、それを正しいと心で納得することが出来ない。

 下げれば殺される。その恐怖がオリアーヌの腕を、杖を、タバサに向けさせ続けた。

 二人がにらみ合い、数秒がたった。

 周囲がようやく二人の異常に気付こうとした瞬間。

 

「静かにしたまえ!」

 

 近くにいた教師が怒鳴った。

 その言葉はオリアーヌとタバサではなく、歴代の因縁が元で喧嘩を始めたルイズとキュルケに対するものだった。

 だが、殺気だった空気をほぐし、オリアーヌに杖を下げる機会を与えるのに、十分なものでもあった。

「…………」

 オリアーヌが杖をしまった事を気配で察し、タバサも杖を握る力を緩める。

「…………」

「…………」

「…………ごめん」

 オリアーヌは素直に謝罪した。

 『悪いことをしたら謝りなさい』。ベランジェ伯爵夫人が彼女に教育したことの一つだった。

「…………」

 タバサは答えなかった。

 ただ先ほどまでの緊張が無かったかのように、読書を再開した。

 



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003 難関

 オリアーヌが魔法学院に入学してからの一年は、彼女にとって多少窮屈ながらも有意義なものであり、その一方で、周囲にとっては散々なものだった。

 授業をサボる、学院内で狩った獣の血抜き解体をする、設備の一部を壊す、他の生徒と暴力沙汰になる。

 彼女はとにかく問題を起こし、その度に教師に呼び出された。

 カンカンになった教師がオリアーヌを呼び出す光景は、いつの間にか学院の風物詩となっていた。

 そして一年。

 オリアーヌやルイズたちが二年生となる直前。

 オリアーヌはかつてない難問にぶつかっていた。

 

 

●○●○●○●○●○●○●○●○

 

 

「まったく、どうしてこんなことになるまで放っておいたのかしら?」

「…………ごめん」

 トリステイン魔法学院の本塔、その一角の図書館に、ルイズとオリアーヌはいた。

 二人はお互いに向き合って机に座っていた。オリアーヌの周りには、本が山のように置かれている。

「とにかく。少しでも多く詰め込むわよ。今度の座学で落ちたら退学なんだから。ちょっとは頑張りなさいよね」

「わかった」

 そう、座学である。

 それこそが、十数年にわたり修羅の世界を生き抜いたオリアーヌに立ちふさがる、越えがたき難関の名だった。

 オリアーヌは実践授業に関してはそれなりの成績を修めていた。同学年のドットメイジの中では一番と言っても過言ではないだろう。場合によってはラインメイジにも匹敵する成績をたたき出した。

 だが座学は致命的だった。下から数えて、などと悠長な次元ではない。彼女の成績は下も下、一番下なのだ。

 テストで彼女が回答できる問題はほぼないに等しかった。固有名詞の記憶力が乏しく、歴史に疎く、伝統に無関心な彼女の解答用紙は常に白紙だった。

 トリステイン魔法学院はメイジとして必要な様々な知識、技術を教える教育機関である。だが座学が落第だからと退学させるほど厳しい学院でもない。

 そもそも名だたる貴族たちが通う学院なのだ。成績が悪いからと生徒を退学させたとして、その生徒が名門貴族の出であった場合、少なくないトラブルが学院を襲うのだ。かといって、家系であまり優遇しすぎては他の生徒や貴族たちに示しがつかない。

 よって、どれほど座学の成績が最悪的でも、オリアーヌが退学になることは『通常は』ありえない。

 だが『通常』ではない要素が一つあった。

 オリアーヌの素行の悪さである。

 日々問題ばかりを引き起こすオリアーヌ。座学の成績がゼロのオリアーヌ。どちらか一方ならばいざ知らず、両方揃ってしまえば学院としても見過ごせなかった。

 『次にテストで不合格となった場合、オリアーヌを退学処分とする』それが七日前、学院長オスマンよりオリアーヌに告げられた最後通知だった。

 さすがにそれは困る。だがオリアーヌは勉学というものがとことん不得意で、いざ勉強しようにも何をどうすればいいのかが分からなかった。オリアーヌは周囲に泣きつくが、普段の素行が祟り、彼女に協力しようとする者はほとんどいなかった。

 幾人か、彼女に手を差し伸べたものはいた。タバサ、キュルケ、入学時に知り合った二人は彼女の助けに答えそれぞれ勉強を教えた。

 そしてタバサは一日、キュルケは二日で教えることをやめた。

 とにかくオリアーヌは出来が悪かった。十教えれば九を忘れ、次の事を教えているうちに覚えた一を忘れていた。

 そのくせテストには関係のない、どうでもいい知識ばかりは水を吸う土のように蓄積していく。

 タバサは無言で首を振った。そしてキュルケに投げ出した。

 キュルケは呆れながらオリアーヌの肩をたたいた。もし実家を勘当されたらゲルマニアに来いと誘われた。

 最終的にオリアーヌが頼ったのが、いま彼女の目の前にいるルイズであった。

 『ゼロのルイズ』と渾名されるほど魔法の才能が無いルイズであったが、座学は優秀な生徒だった。

 彼女の教え方は決して上手いとは言えず、何かにつけ癇癪をぶつけてくるが、何だかんだと頼られることが嬉しいのか、根気強く教えていた。

「じゃあ問題よ。“トゥールの戦い”に参加したガリア・トリスタン連合軍とエルフ軍のそれぞれの数は?」

「…………ガリア・トリスタン、七千」

「そうそう」

「エルフ…………五百?」

「なんでそうなるのよ! 二千よ二千! さっき教えたばかりでしょ」

「叩くな」

 オリアーヌの頭をルイズが杖で殴った。華奢な彼女の腕ではオリアーヌにダメージを与えることはできなかったが、それでも叩かれることは鬱陶しかったらしい。

 オリアーヌは不機嫌な顔をしながらルイズの杖を払いのけた。

「まったくどうしてこう…………でも四日前よりは上達してきたわね。この調子で詰め込むわよ」

「…………眠い」

 ちらりと、オリアーヌは図書館の窓の外を見た。

 とっくの昔に日は沈み、寮塔の明かりはほとんど消えていた。

「明日にしよう」

「却下よ」

 ルイズはにべもなく提案を切り捨てた。

「オールド・オスマンから夜中も図書館を使っていいと許可をもらったのよ。このまま朝まで勉強に決まってるでしょ」

「眠い…………」

「起きなさい」

「頑張る…………」

 口ではそう言うが、体は睡眠を求めていた。

「それじゃあ次は風石の…………ちょっとオリアーヌ?」

 オリアーヌは寝ていた。

 うつらうつらと舟を漕いでいた。

「…………」

 ぷつん。音が一つ。

 ルイズの堪忍袋の切れる音だ。

 ルイズは懐から杖を取り出すと、オリアーヌに向けた。

 そして静かにルーンを唱える。

 唱えたのは凝縮(コンデンセイション)。水系統の初歩的な魔法で、大気中の水蒸気を凝固させ水を生み出す。

 他のメイジならば、生み出された水がオリアーヌに降りそそぎ、その冷たさが彼女の眠気を吹き飛ばしただろう。

 だが、今呪文を唱えているのは『ゼロ』のルイズだ。

 どんな魔法も、コモンマジックですら『爆発』という結果に終わらせる彼女が唱えれば、吹き飛ぶのは眠気だけでは済まされない。

「『(コンデン)』…………」

「『ブレイド』」

 だがルイズの呪文が完成するより早く、オリアーヌが起き上がり、ブレイドの呪文を完成させ、生み出された魔法の刃を、ルイズの喉元に突き付けた。

「…………あ、ごめん」

 意識が覚醒し、自らの反射的行動に気付いたオリアーヌは、すぐ杖を収めた。

「お、おはようオリアーヌ。続きやるわよ」

「…………はい」

 目をこすりながら、オリアーヌは再び手元の本に目を落とした。

「次は風石よ。二千リーブル(約940㎏)のフネを1リーグ(約1km)飛ばす際に必要となる風石の総量は…………」

 教えながら、ルイズは自分の首筋に手を当てる。

 先ほど、オリアーヌのブレイドが当てられた場所を触る。

 傷はない。刃は寸前で止められ、皮膚さえ切れていない。だがオリアーヌが杖を止めなければ、その首は間違いなく飛んでいた。

(本当に、こいつは)

 首にあてた手が、震えていた。

 あの一瞬、突きつけられた死を、今更になって実感する。

(…………悔しい)

 ルイズの呪文などはるかに凌ぐ呪文の速さ。

 こと魔法の実践において、ルイズではオリアーヌに敵わない。

 『ゼロ』のルイズにとって、突きつけられた死より、突きつけられた実力差の方が、何倍も心に応えた。

「ルイズ」

 オリアーヌの声に、ルイズの意識が外を向く。

 彼女はルイズを見ていた。その鋭い、感情に乏しい琥珀の瞳が、真っ直ぐに。

「ありがとう。ルイズは、すごい」

 褒められた。

 そのことがルイズの心を一瞬喜ばせる。

 一瞬だけ。一瞬後には、ルイズの心は再びざわめいた。

「…………ふん、なによ!」

「叩くな」

 ルイズはメイジだ。そして貴族だ。である以上、魔法の腕前こそが彼女にとって誇りになるべきはずのものだった。

 だが現実はそうではない。ルイズは魔法を使えない。呪文を唱えれば爆発させるだけしか能のない、『ゼロのルイズ』。

 それが彼女だ。周囲が与えた、彼女の肩書だ。

 座学がどれほど優れていようと、その不名誉は拭えない。

 ましてそれを先ほどまさに魔法の腕前を披露した、オリアーヌに言われたところで。

 何一つ、喜べるはずが無かった。

「さあ! 次の問題行くわよ!」

「分、か…………ぐぅ」

「寝るなー!」

 

 

 

 結局。

 ルイズの厳しい勉強会は1週間に及んだ。

 幾度となく叱られ叩かれたオリアーヌは、その苦労の甲斐あって、座学をギリギリのところで合格したのだった。

 



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004 召喚

 『春の使い魔召喚の儀式』といえば、トリステイン魔法学院において、神聖で重要な儀式の一つである。

 これは生徒たちの二年生進級を兼ねたテストでもあり、この儀式で呼び出された使い魔によって、彼らはそれぞれの専門課題を選別され、それぞれへと進級していく。

 『使い魔』とはメイジの杖であり盾であり、長き時を共にする大切なパートナーだ。そしてトリステイン魔法学院の生徒たちにとって、この儀式こそが人生最初の使い魔召喚なのである。神聖視され、重要視されるのは当然のことであろう。

 二年生へ進級することとなったオリアーヌら一年生たちは、その日クラス別に分かれて、この重要で神聖な儀式に挑むこととなった。

 

 

●○●○●○●○●○●○●○●○

 

 

 使い魔召喚の儀式において、多くの生徒は普通の幻獣を呼び出していた。

 カラス、ネコ、カエル、フクロウ…………なるほど、トリステイン魔法学院の生徒らしい、実に大人しく愛嬌に溢れた使い魔と言えよう。

 しかしオリアーヌの耳には、もっと強力な力を持つ使い魔を呼び出した者がいるという噂も飛び込んできた。

 『微熱』のキュルケは『サラマンダー』を呼び出したという。しかもその尻尾の火は鮮やかで大きく、十中八九火竜山脈の火トカゲであろうというのだ。

 そういった知識に乏しいオリアーヌにも、その火トカゲがどれほど貴重で、どれほど強いのかは理解できる。1週間に及ぶルイズの勉強会は伊達ではないのだ。

 そして『雪風』のタバサなどは『ウィンドドラゴン』の幼生を呼び出したとか。使い魔でドラゴンを呼び出せるメイジは稀らしい。『らしい』というのは、それが習ったことなどではなく、単に儀式前にルイズが自慢げに話していたのを聞いただけだからだ。

 

『見てなさいオリアーヌ。私はトリステイン魔法学院の、いえトリステイン王国の歴史に残る、偉大で強大な使い魔を召喚してみせるんだから!』

 

 儀式の始まる前、退屈を持て余して座り込んでいたオリアーヌに、ルイズはそういっていた。

 さて、では実際の成果はというと…………

「我が名は『ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール』。五つの力を司るペンタゴン。我の運命(さだめ)に従いし、"使い魔"を召喚せよ!」

 口語呪文。振り下ろされる杖。

 そして爆発。

「何でよ!」

「まじめにやれー、『ゼロ』のルイズー」

「うっさいやってるわよ!」

 周囲に小ばかにされ、怒鳴り返すルイズを、オリアーヌは遠目に観察していた。

「…………アレもか」

 爆発である。

 メイジにとっては重要であるらしい(オリアーヌも前世では使い魔など呼んだことが無い)『サモン・サーヴァント』の魔法でさえ、『爆発』という結果に収束させてしまう。その特殊すぎるルイズの才能は、オリアーヌには理解不能だった。

 他のメイジにとってそれは『無能』というほかないだろう。メイジにとって魔法とはただの特殊能力ではない。技術であり叡智であり、誇りなのだ。

 小物を動かす程度の『コモン・マジック』すら爆発という結果に変えてしまうのでは、それはメイジではなくただの爆弾魔だ。なるほど『ゼロのルイズ』と貴族たちが呼ぶのも必然であろう。

「あれはあれで、使えそうだが」

 それを言うと怒るのが、ルイズという少女だった。

 すこ残念そうに、オリアーヌは傍らの獣を撫でる。

 そこにいたのは一匹の成熟したオオカミだ。『スカーグレー』と名付けられたそのオオカミこそ、オリアーヌが先ほど召喚した使い魔だ。

 毛並みは灰色と黒、体高90サント(約90cm)ほどと大型で、156サント(約156cm)の小柄なオリアーヌならその背中に乗ることもできるほど。

 体のあちこちに小さくない傷跡があり、彼が幾度となく視線を潜り抜けた、歴戦の猛者であることを語っている。

「しかし、どうなるのやら」

 ルイズを見てため息をつく。

 ルイズが『サモン・サーヴァント』に失敗したのはこれで2度目だ。聞けばこの儀式は進級にかかわる重要なものであるという。このまま使い魔を召喚できなければ、ルイズは退学になる可能性も…………。

 実際にはもっと温情な措置を取られるのだろうが、しかし勉学と素行で退学を言い渡されそうになったオリアーヌにとっては、気が気ではなかった。

 ルイズは友人である。勉強を習って以来、たまに食事をしたり、度々一緒になって授業を受けたりもしている。

 キュルケに聞けば、それは『友人』という関係性であるらしい。

 『友人』。オリアーヌにとって、初めての他人との関係。

 前世では、他人と慣れ合う事自体あり得ないことだった。

 転生した直後こそオリアーヌを愛でた両親も、今では顔を合わせるたびに微妙な表情をする始末。

 だからオリアーヌにとって、ルイズという『友人』は、かけがえのない宝物だった。

 失いたくはない。

「でも、何も」

 オリアーヌはうなだれる。

 彼女にできることは何もなかった。

 ルイズは彼女に学業を教えた。だがオリアーヌはルイズに魔法を教えられない。

 そもそもなぜ、ルイズの魔法が『爆発』という結果をもたらすのか、オリアーヌはそこからして理解できなかった。

 だから教えようがない。

「…………始祖ブリミル」

 オリアーヌは以前ルイズに習った、始祖への祈りをする。

 古の時代にハルケギニアに降り立ったかの偉大なる魔法使いは、伝説の『虚無』を操り、人々に傾倒魔法を授けたとされている。

 その偉大さゆえに彼は『神』に等しい存在として崇められ、今なお続く一大宗教としてハルケギニアを席巻していた。

 その姿を描写することは忌避されており、ただ『両手を前に突き出した人型のシルエット』というあいまいな形のみが、像として信仰される。

 聞いた当初は、何千年も前の人間に対して『祈る』など、アホの作った迷信だと小ばかにしていた。

 だが、今のオリアーヌにできることは、そのアホの作った迷信に縋る以外なかった。

 オリアーヌは己の無力さを恥じた。

 『弱い』ということを、これほど苦々しく感じたのは、前世でも一度もなかった。

 

「我が名は『ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール』――――」

 

 ルイズの3度目の『サモン・サーヴァント』が聞こえる。

(どうか、今度こそ)

 

「五つの力を司る、ペンタゴン――――」

 

(今度こそ、ルイズに使い魔を)

 

「我の運命(さだめ)に従いし――――」

 

(私の『友達』を、助けてください)

 

「"使い魔"を召喚せよ――――っ!」

 

 呪文が終わる。

 杖が振るわれる。

 爆発は――――

「…………」

 爆発は起きなかった。

 はたっ、とオリアーヌは顔を上げる。

 誰もが見つめる先、2度にわたり爆発を繰り返した、桃色髪の少女の傍ら。

 そこにいたのは、おそらくルイズによって呼び出されたであろう――――

 

 

 ――――黒い髪をした、変な格好の少年がいた。

 



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005 狩り

 ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールが平民を使い魔として召喚したという情報は、瞬く間に学院中に知れ渡った。

 学生たちの多くはルイズを小ばかにした。『ゼロには貧相な平民がお似合い』などという侮辱ならまだかわいい方で、『失敗したからってそこらの平民を連れてきた』などと、不正を疑うような発言をするものさえ出る始末。

 そして呼び出された使い魔、『サイト』と名乗ったその平民も、主人たるルイズと上手くいっておらず、既に幾度か衝突していた。

 そういった状況のせいで、オリアーヌは使い魔召喚が終わって以降、ルイズと、その使い魔『サイト』と接する機会を逃していた。

 彼女が『サイト』と面識を持つのは、召喚の儀式が行われた翌日、昼食の厨房でのことだった。

 

 

●○●○●○●○●○●○●○●○

 

 

 昼間。

 多くの生徒たちがシュヴリーズの『土』の授業を受けている中、オリアーヌは授業をサボって学院近くの森にいた。

 いつものことである。しかしオリアーヌにとって、今回はただのサボりではなかった。

 自身の使い魔、『スカーグレー』の能力と、自分との相性を確かめるという、重要な目的があった。

 

 …………彼女自身にどんな目的があろうと、客観的に見てそれはサボりでしかなく、学院に戻った後に教師に説教をくらうのだが、それは別のお話。

 

 

 さて、まずオリアーヌはスカーグレーに『獲物を見つけたら知らせろ』と命じると、森に解き放った。

 父ベランジェ伯爵によると、こうして猟犬を放ち、獲物を見つけさせ、メイジがそれを狩るというのが、猟犬を使った狩りの基本だという。

 オリアーヌの前世ではオオカミは食べ物か食べ物に集る邪魔者に過ぎなかったため、そういった経験は新鮮であった。

 だから使い魔としてオオカミを召喚した時、ぜひ一度試してみようと心に決めていたのだ。

 スカーグレーが走り去った後、オリアーヌも気配を殺し、森の中を散策する。

 スカーグレーが獲物を見つけた時、すぐさま駆け寄れるよう、彼の気配を探り、付かず離れずの距離を保ちつつ、森を歩く。

(…………意外と、暇)

 気配を殺しつつ、スカーグレーの気配を探り続ける。常人にはともかく、オリアーヌにとっては呼吸するくらいに簡単な事だった。

 そのため、オリアーヌは退屈を持て余していた。

(しかし、あの使い魔)

 オリアーヌの脳裏に浮かぶのは、『サイト』と名乗ったあのルイズの使い魔。

 黒髪というのは、ハルケギニアでは珍しい。確か食堂で働くメイドに一人いたはずだが、オリアーヌが知るのはその一人だけだった。

 前世では、一度も見かけたことが無い。

 一体どこから来たのだろうか?

 珍しいのは髪だけではない。『ヒラガサイト』などという名前、発音からして全く聞き覚えが無かった。

 おそらくはオリアーヌの知らない言葉を話す、オリアーヌの知らない人間であふれた場所。

(…………なんか、ちょっと)

 オリアーヌの胸がざわついた。

 不快なものではない。むしろ心地よさすらある。

(『興奮』…………楽しんでいる?)

 全く知らない未知の世界。前世でも、今でも、目にしたことのない『何か』。

 それを想像するだけで、胸が高鳴る。喜びに似た感情が、彼女の頬を僅かに緩ませた。

(そうか、これが『好奇心』)

 初めて知る感情に酔いしれていると、オオカミの鳴き声が聞こえた。

「…………来た」

 スカーグレーの鳴き声だ。獲物を見つけたのだろう。

 気配を殺したまま、彼のいる方向へと駆け出す。

 右手に杖を握り、音もなく森を走り抜けながら、意識のいくつかを別の場所に向ける。

 左腕と、左の腰。

 それぞれに隠された『切り札』を意識する。

(左腕のは、いいか。右手(こっち)ので、事足りる)

 となると左腰。

 ポーチにしまってあるガラス瓶、その中身。

(獲物がドラゴンとかなら、必要)

 左手を腰のポーチに近づける。いつでも中身を取り出し、飲み干せるように。

 そうしているうちに、オリアーヌはスカーグレーに追いついた。

 獲物は大きなイノシシだった。体高は150サント(約150cm)を超え、口からは鋭い牙が伸びている。

 足も速く、その突進をまともに喰らえば、メイジすらただでは済まないだろう。

 よそから来た獣が森を荒らしているという噂をオリアーヌは思い出した。おそらくはこのイノシシがそうなのだろう。これほどの巨体、この1年間森で狩りをしたが、一度も見たことが無い。

「『マジックアロー』!」

 まずは小手調べ。

 魔法の矢を生み出し、イノシシに向かって飛ばす。

 イノシシは足こそ速いが、その移動はほぼ直線。予測して当てることはそう難しくない。

 『マジックアロー』は急所に当てれば人を殺すほどの威力を持つ。分厚い毛皮を持つイノシシを殺すことは不可能だろうが、その動きを鈍らせることくらいはできる。

「プギャアアア!?」

 オリアーヌの予測通り。『マジックアロー』はイノシシに直撃すると、イノシシを怯ませた。

 オリアーヌはすぐさまイノシシに近づく。

 遠距離の魔法であれほど巨大なイノシシを仕留めることは難しいだろう。ラインやトライアングルのメイジならともかく、オリアーヌはドットだ。

 少々危険が伴うが、一撃で屠るには、接近して魔法を使う必要がある。

 候補となるのは、杖に魔力を絡め刃を生み出す『ブレイド』の呪文だ。オリアーヌが得意とする魔法であり、岩でさえ両断する威力を持つ。イノシシの分厚い毛皮とて障害になるまい。

 しかし、イノシシもただやられっぱなしではない。『マジックアロー』のダメージが残っているであろうに、すぐさま体勢を立て直し、オリアーヌに向かって突進してきた。

(問題、ない)

 それもまた予測の範囲内。

 オリアーヌは対抗するための呪文をすでに唱え始めている。

 それは『ウォーター・シールド』。水の壁を生み出す魔法だ。

 イノシシの突進を防ぎきる…………ことはたとえできなくとも、生き物というものは人間を含めて、唐突な事態に直面すると驚き、動きを止めてしまう習性を持つ。

 目の前に発生した『ウォーター・シールド』に驚いたイノシシは一瞬動きを止めるだろう。その隙に近づき、『ブレイド』で斬り殺す。

 例え止まらなかったとしても、水の壁はイノシシの視界を覆う。目標を失った獣の突進を回避するのはオリアーヌには朝飯前だ。

さて、『ウォーター・シールド』の呪文が完成しようとする、まさにその瞬間。

「ガルルルッ!」

 何かがイノシシに飛びついた。スカーグレーだ。

 スカーグレーの大きなアギトがイノシシの毛皮を食い破り、肉を切り裂く。

 イノシシはそのダメージを無視できず、思わず立ち止まった。

「…………上出来」

 オリアーヌはすぐさま『ウォーター・シールド』の呪文を止める。

 スカーグレーに吼えるイノシシの鼻先に立つと、『ブレイド』の呪文を唱え、その刃でイノシシの頭を両断した。

 

 

 

 

 イノシシの血抜きを終えると、オリアーヌは内臓を取り出してスカーグレーにあたえ、残った体を周りの木で作った即席のソリに乗せ、学院に運び出した。

「よくやったよ。スカーグレー」

「クゥゥン」

 褒められたのが嬉しいのか、スカーグレーは尻尾を激しく振った。

 当初の目的は果たされた。スカーグレーは優秀だ。使い魔として申し分ない。

「…………使い魔」

 脳裏に浮かぶのは、やはりルイズとその使い魔。

 二人はあまりうまくいっていなかった。貴族と平民だからだろうか。オリアーヌにはそういうものがいまいち理解できなかったが、両者の間に溝が存在するのは確かだろう。

 それが深いのか浅いのか。浅いのなら、オリアーヌはそれを埋めてあげたかった。

 使い魔とはメイジの大切なパートナー、らしいのだ。だったらそういう形に落ち着く方が最善だろうし、ルイズも負担が減るだろう。

(帰ったら、話そう)

 そうやって考え事をしながらオリアーヌは学院に帰還した。

 時間は丁度昼食時。学生たちで賑わう食堂を傍目に、オリアーヌは厨房に向かった。

 そしてそこにいるコック長のマトー親父に、イノシシの肉を渡す。

「ほぉ! こいつはまたデカいな!」

「終わったら、毛皮」

「分かった。んじゃこれ代金な」

 マトー親父はイノシシを受け取ると、オリアーヌにスゥ銀貨を数枚渡す。

「ありがと」

 オリアーヌは狩りをすると、その獲物をマトー親父に売っていた。

 この世界に転生して、オリアーヌは『お金』というモノの重要性をある程度学習した。

 実をいうとお金にはあまり困っていない。実家からの仕送りがある。そもそもオリアーヌは散財とはあまり縁が無く、仕送りはたまる一方だ。

 だが父ベランジェ伯爵曰く、『稼げるときに稼いでおくのも大切』とのことなので、こうして狩りの成果で商いのまね事をしている。

 貴族嫌いのマトー親父も、貴族でありながら自分たちを見下さず、こうして肉を卸してくるオリアーヌのことは気に入っており、時折肉の代金を少し多めに支払っていた。

「っと。そういやオリアーヌの嬢ちゃん、昼間まだなんだろ?」

「うん」

「じゃあ食ってけ」

 そういうと、マトー親父はオリアーヌに食事をよそった皿を渡した。オリアーヌは狩りで付いた汚れを洗い落とすと、それを受け取る。

 出されたのはシチューだった。貴族に出した食事のあまりから作られたもの。貴族が食べる物ではないが、オリアーヌは気にしない。すでに何度も肉を卸すたびに、こういった賄い食をもらっていた。

 そもそもの問題として、貴族の食事は、オリアーヌにはどうも合わないのだ。ルイズとの食事は楽しいが、堅苦しさは無視できなかった。

 だからこうしてもらう賄い食は、オリアーヌのお気に入りの一つだった。前世で食べる物は狩った肉か積んだ草で、調理など茹でるか焼くか程度。『味付け』という概念すら、生まれ変わって初めて知った。

 オリアーヌは壁に寄り掛かると、もらったシチューを食べ始めた。

 ガツガツと、上品さのかけらもない食べ方だが、マトー親父的にはその粗野な食べ方が、貴族でありながら身近な雰囲気を感じるからと、嬉しそうにしていた。

「マトーさん」

 厨房に一人の少女が入ってきた。

 ハルキゲニアには珍しい、黒髪の少女。このトリステイン魔法学院で奉公をする、平民の一人だ。

「どうしたシエスタ?」

「賄い食を一食いただきたいのですが」

「さっき食っただろ? なんだ足りんかったか?」

「いえ、そこに例の使い魔さんがいらして」

 オリアーヌが誰も気づかないほど小さく反応する。

「おなかを空かしてらっしゃるので、食べさせてあげようかと」

「そうか。わかった、ほらよ」

「ありがとうございます」

 シチューの皿を受け取ると、シエスタと呼ばれた少女は厨房を後にする。

「…………ありがと」

 オリアーヌは食べ終わった皿をマトー親父に返した。

「おう。美味かったか?」

「うん」

「そいつは結構」

 返事もそこそこに、オリアーヌは厨房から出る。シエスタが出て行った扉から。

 

「おいしいよ。これ」

「よかった。お代わりもありますから。ごゆっくり」

 

 外に出ると、シエスタが受け取ったシチューを、少年が食べていた。

「…………」

 シエスタと同じ、黒い髪。

 見たこともない、変わった服装。

「…………サイト」

 その名を小さく口にする。

 それは先日ルイズによって召喚された、あの使い魔の少年だった。

 



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