絶世の美女が俺の恋人に!? 前世は王女様とその従僕。いや、全部マッチポンプだから! (里奈使徒)
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プロローグ

「ぐふっ!」

 

 俺の腹に、クラスメートの蹴りが当たる。

 

 腹の中から胃液が飛び散り、床にポタポタと流れ落ちた。

 

 はぁ、はぁ、苦しい。

 

 クラスメートから殴られ、蹴られる。

 

 今まで普通に接してくれていた級友から暴力を受けるのだ。身体も痛いが、心はもっと痛い。

 

 紫門(ゆりかど)の卑劣な罠にはまり、俺は孤立し嫌われている。

 

 俺は、クラス、いや、学園カーストの最底辺に落ちてしまった。

 

 こんな最底辺と友達になりたい奴などいないだろう。紫門(ゆりかど)と敵対してまで俺を助けるメリットはない。

 

 ただ…だからといって、人はここまで残酷になれるものなのか!

 

 紫門(ゆりかど)達のいじめを黙認する、それはまだいい。中には、けらけらと笑い楽しんでいる者、率先していじめの輪に加わり暴力を振るう者もいるのだ。

 

「……お前ら、頭おかしいぞ」

「頭がおかしいのは、てめぇだろうが!」

「そうだ。草乃月さんを襲うなんて許せん!」

「ち、違う。俺は襲ってなんかいない」

「言い逃れするな。恋人の紫門(ゆりかど)さんがどれだけ心を痛めたかわかってんのか?」

「貴様は、土下座だ。紫門(ゆりかど)さんの怒り、思い知れ!」

 

 紫門(ゆりかど)の腰巾着の一人、佐々木が怒鳴り、俺の頭を踏みつける。

 

 うぐっ!

 

 地面に打ち付けられ、額から血が出てきた。

 

 紫門(ゆりかど)は、その様子を見て、ニヤニヤと笑みを浮かべている。弱者を踏みにじり、他人を卑下することに愉悦を感じている、そんな表情をしていた。

 

 はぁ、はぁ、くそっ! 痛い、痛いぞ。

 

 なんでここまでされなければいけない。

 

「ゆ、紫門(ゆりかど)……」

「お、なんだ? 謝罪か?」

 

 紫門(ゆりかど)が愉快そうな表情で身を乗り出してきた。

 

「し、死ね!」

 

 俺は、せいっぱい悪態をついてやった。

 

「お~い、まだ元気みたいだぞ」

「す、すみません、手加減したつもりはなかったんですが……」

「真剣にやれ。俺の大事な麗良が怖い思いをしたんだ。こいつにはたっぷり反省してもらう。わかったな?」

「「は、はいっ!」」

 

 紫門(ゆりかど)の言葉で、佐々木達の暴力に苛烈さが増す。

 

 紫門(ゆりかど)ォオオ!!

 

 はらわたが煮えくり返る。

 

 悔しい、悔しい。悔しすぎる。

 

 そして、苦しい。

 

 殴る、蹴る、暴力の嵐だ。もう数十分は、リンチが続いている。悔しくて弱音を吐かなかったが、限界だ。これ以上は、身体がもたない。

 

「や、やめてく……」

 

 う、嘘だろ?

 

 顔を上げた俺の目に木刀を持った佐々木の振りかぶる姿が映し出された。

 

 佐々木の奴、紫門(ゆりかど)の期待によほど応えたいらしい。これは確実に一線を越えている。

 

 佐々木は、お調子者でサディストだ。殴っているうちに暴力がエスカレートしやすい。今回、紫門(ゆりかど)のためという大義名分もあるから、普段より容赦がない。

 

 あんなものを振り下ろされたら……。

 

 頭から血が噴水のように飛び出す姿が、脳裏に浮かぶ。

 

 やばい。これは死んだ、と思った。

 

 

 しかし――。

 

 

「やめろぉおお!」

 

 教室内に怒声が響く。

 

 クラスメート達がぎょっと振り返る。そこには、憤怒の表情を浮かべる麗良の姿があった。

 

 

 

 

 

「……貴様ら、何をしている」

 

 麗良の底冷えのする声が教室に広がる。麗良は怒りで顔を歪めていた。

 

「れ、麗良違うんだ」

 

 麗良を見るや、紫門(ゆりかど)は態度を一変する。好青年の仮面を(かぶ)り、麗良に近づく。

 

「麗良、聞いてくれ。君が襲われたと聞いて、心配で心配で、そしてあまりに悔しくて、怒りで我を忘れてしまった」

 

 紫門(ゆりかど)は、仰々しい態度で事のあらましを説明する。身振り手振り感情を揺さぶるようなセリフ回しを使う。クソな性格を知っている分、その偽善者ぶりがよくわかる。まるでベテラン俳優のようだ。

 

「白石の奴が許せなくて――」

 

 麗良は、紫門(ゆりかど)の言い訳に答えない。殺気の籠った目で紫門(ゆりかど)達を睨み続ける。

 

「で、でも、さすがにこれはやりすぎだったね。俺も今、彼らを止めようと――ひぎゃああ!」

 

 紫門(ゆりかど)が苦悶の声を上げた。

 

 麗良が紫門(ゆりかど)の股間を蹴り飛ばしたのである。麗良の膝蹴りは、的確にブツに当てていた。

 

 あれは痛い。

 

 同じ男だからわかる。同情はしないけど。

 

 紫門(ゆりかど)は、股間に手を当て地面を転がっている。激痛なのだろう、うんうんとうなっていた。

 

 昨日までクラス公認のカップルであり、紫門(ゆりかど)にあれだけホの字だった麗良。彼女の突然の暴力行為に、皆、口をあんぐり空けて驚愕していた。

 

 麗良は、そんな周囲の空気も我関せずと言った具合に、ツカツカと歩み寄ってきた。

 

「く、草乃月さん?」

 

 佐々木が怪訝な表情で問う――瞬間、

 

「べふえらぁあ!!」

 

 紫門(ゆりかど)の何倍も大きな悲鳴が上がった。佐々木も股間を麗良に蹴り上げられたのである。佐々木は一瞬宙に浮き、そのまま重力に従い床に落下した。倒れた佐々木は、白目を剥いてピクピクと痙攣している。

 

 紫門(ゆりかど)より重症かも……。

 

 正直、救急車を呼ぶレベルである。だが、誰も動こうとしない。麗良の剣幕に恐れをなしているのだ。

 

 静寂の中、紫門(ゆりかど)と佐々木の苦悶の声だけが教室に響く。

 

 麗良はそんな二人を無視し、床に倒れている俺の前に来る。

 

「大事ないか?」

 

 そう言って、麗良が愛おしそうに手を差し伸べてきた。シミ一つない白くすべすべの手が目の前にある。

 

 

 はは、助かった。

 

 

 まさに救いの手だ。

 

 

 体中あちこちが痛いが、骨は折れてないと思う。再起不能の大けがを負ったわけではない。ぎりセーフってところか。

 

 麗良の行動。

 

 罪悪感が少しこみ上げてくるが、こっちも人生が懸かってる。

 

「……ありがと」

 

 お礼を言い、麗良の手を取り立ち上がる。

 

 ポンポンと制服の埃を払い、額から出る血をハンカチで拭っていると、麗良がじっとこちらを見つめているのに気付いた。

 

「な、何かな?」

「よくぞ生きて……生きてくれた」

 

 感涙極まったのか麗良は、肩を震わせ抱きしめてくる。

 

 強烈なハグだ。

 

 おほっ、素晴らしい。密着すぐる。

 

 やわらかい。それにすごくいい匂いがする。

 

 レモン? バラ? 柑橘系の類?

 

 いや、そんなもんじゃない。もっと高級な香りだ。庶民の俺には、何が原料かよくわからない。ただ、安っぽいコロンじゃないのだけはわかる。

 

 高価な香水と美少女の匂いが混ざった、そんな香りが鼻孔をくすぐる。

 

 俺は変態ではない。変態ではないのだが、一生嗅いでいたくなる。

 

 う~ん、いい香りだ。

 

 なんかやばい。頭がくらくらしてきた。

 

 それに……。

 

 嗅覚だけでない、視覚もやばいことになってる。

 

 麗良の顔がすぐ近くだ!

 

 ただでさえ、こんなに接近して女の子を見たことないのに。

 

 心臓がバクバクする。

 

 輝く金の髪、磁器のような白い肌、切れ長の瞳、上品な唇。

 

 …間近で見るとよくわかる。

 

 すごい美人だ。それも特上レベルである。

 

 こんな絶世の美少女に俺は抱きつかれ、慕われているのだ。

 

 これは惚れる、惚れるに決まっている。

 

 俺は麗良をより抱きしめようと力を入れる――と、同時にズキンと頭に痛みが響いた。

 

 ズキッ、ズキッと痛みが走る。

 

 はは、そうだよ。

 

 俺は何をやってるんだ!

 

 痛みで冷静になった。

 

 この状況を作り上げた原因を考えたら、とても喜んでいられない。

 

 いじめを受けていなければ……。

 俺が普通に暮らしていれば……。

 

 何より"あれ"を使ってなければ……。

 

 絶世の美少女に惚れられるというこの"奇跡"に感謝し、あたふたしながらも舞い上がって喜んでいただろう。

 

 冷静になれ。これは虚構だ。

 

 麗良は嗚咽を交え、俺の胸で泣いている。

 

 王国の王女、レイラ・グラス・ヴュルテンゲルツか……。

 長年慕っていた忠臣ショウとの現世での再会だ。

 あの一章でのラストシーンから考えたら大泣きも当然の結果である。

 

 麗良、悲しいだろう。

 麗良、辛いだろう。

 

 麗良……って、これ、いつまで抱擁してたらいいんだ?

 

 冷静になった頭で考える。女子高生、それも特上レベルの美少女に抱きつかれるという、人が見たらなんともうらやまけしからん状況だ。いつまで続けていいものでもない。

 

 周りの奴らの反応は……?

 

 うん、先ほどよりも唖然としていた。これぞ驚愕の顔である。

 

 そりゃそうか。昨日まで麗良は俺をまるで汚物でも見るかのように(さげす)んでいたのだ。それが今日は麗しの恋人(ダーリン)のように振舞っているんだよ。

 

 戸惑うなと言うほうが無理だ。

 

 それから数分……ようやく落ち着いたのか、麗良からの抱擁が終わった。麗良は涙を拭うと、表情を一変する。

 

 そして、

 

「皆、聞け!」

 

 周囲に叫ぶ。声の通る透き通った声だ。そして、力強い。誰もが黙り、麗良の一挙一動に注目する。カリスマという言葉がこれほど似合う女性はいないだろう。

 

 静かになった教室で麗良が俺を抱き寄せ、

 

「ショウに手を出す輩は、この私が許さん!」

 

 先ほどよりも強く叫び睨む。異論を認めない鋭利で容赦のない視線だ。

 

「く、草乃月さん、一体どうしたんですか?」

 

 紫門(ゆりかど)の腰巾着の一人、宮本が緊張ぎみに尋ねる。紫門(ゆりかど)の側近として、このまま何もしないのはまずいと思ったのか、麗良の強烈なプレッシャーを受けながらも、勇気を振り絞り問い質した。

 

「どうしたとは? 言葉の通りだ。ショウに手を出す輩はこの私が容赦せぬ」

「だから、なんでそんな底辺の――ひっ!?」

 

 麗良の冷たい眼差しを浴び、宮本が悲鳴を上げた。その眼差しには強い殺気が込められている。

 

「……忠告しておく。今後ショウを侮辱した者は、明確なる私の敵だ。私と敵対したくなければ、言動には細心の注意を払うことだ」

「は、はは、敵って……じ、冗談ですよね?」

 

 宮本が、恐る恐る尋ねる。

 

「……冗談か。貴様は、私の本気をそう捉えるのだな」

「うっ」

 

 冗談であって欲しい、その思いから尋ねた宮本だが、それは火に油を注ぐ行為だった。麗良の眼差しはさらに鋭くなっている。その剣呑な空気にあてられ、宮本の膝はがくがくと震え始めた。

 

「そこの腰抜け然り。私の言葉をどう捉えるかは皆に任せよう。ここは自由の国ニッポンだからな。強制はせん。私の敵になりたければ、好きにすればいい」

 

 好きにすればいい、麗良のその言葉に周囲が少しざわつく。反応は様々だ。額面通りに受け取る者、言葉の裏を考える者、ただ、皆が共通している思いは、麗良を敵に回したくないということだ。

 

 頃合いを見て、麗良がさらに口を開く。

 

「ただし、敵になる者は、それ相応の覚悟をしておけ。敵は、全身全霊で叩き潰してやる!」

 

 麗良は、どう猛な笑みを浮かべている。獲物を狩る鷹のようだ。

 

 ここにきて、半信半疑だった宮本もようやく悟ったらしい。麗良にとって、俺がどういう存在なのかと、自分の言葉が麗良の逆鱗に確実に触れたんだと。

 

 宮本も上流階級の人間である。天下の草乃月財閥の一人娘に睨まれたら、社会的に終わる、それを誰よりもわかっているのだろう。その顔面は蒼白となり、今もがくがくと膝が震えていた。

 

 宮本の醜態を見て、他に続く者はいなかった。麗良の豹変に疑問は腐るほどあるだろうに質問せず、黙って気まずそうにうつむいている。

 

 麗良は、そんなクラスメート達を軽蔑した目で一瞥し、俺に改めて向き直る。その眼差しは慈愛と、贖罪が混じっていた。

 

「すまない。こんな状態のお前を……ほったらかしにしてしまった」

「い、いや、草乃月さんが謝ることじゃないよ。悪いのは紫門(ゆりかど)達だし」

「違う、違うんだ! 本当は……本当は、一番、罪深いのは私なのだ。知らなかったとはいえ、最も信頼すべき者を信じず、最も侮蔑すべき愚者を信じてしまった」

「そ、そう」

「ショウ、お前を傷つけた。深く深く傷つけてしまった。悔いている。どうか許してくれ」

 

 麗良は、深々と頭を下げてくる。麗良の顔は、後悔で苦渋に歪んでいた。

 

 いたたまれない。

 

「やめてよ、草乃月さんは関係ないから。謝罪なんて必要ないよ」

「そんなことはない。愚かな行為だった。私が私を許せない」

 

 それから俺が何度「関係ない。悪くない」と言っても聞いてくれない。麗良は、頭を下げたまま「愚かな私を許してくれ」の一点ばりだ。このまま麗良と問答を繰り返してたら、土下座もしかねない状況である。

 

 やめて、まじ勘弁して。

 

 土下座なんてされようものなら、罪悪感が……。

 

 しかたがない。

 

「そ、それじゃあ、コホン、あ、あなたの罪を許します。だから頭を上げて」

 

 こう言うしかなかった。

 

 すると、麗良がようやく頭を上げ俺を見つめてくる。

 

 上目遣いの涙目で、不覚にも可愛いと思ってしまった。

 

「ショウ、私の謝罪を受け入れてくれるのか?」

「う、うん」

「こんな愚かな私を許してくれるのか?」

「うん」

「では、前と同じように仕えてくれるのか?」

「……うん、仕えるというのはよくわからないけど、うん」

 

 本当はわかっているが、そう答える。

 

「そうか、感謝する。もう私は間違えない。お前を助け、お前を守る!」

 

 麗良が力強く言い、俺の肩に手を置く。

 

「いつっ!」

 

 ちょうど肩口の傷にあたり思わず叫んでしまった。

 

「すまない、まだ痛むのか?」

「大丈夫、少し傷に当たっただけだから」

「そうか、可哀そうに。ショウをこんな目に合わせて、奴ら許せぬ。お前が受けた屈辱は、私が必ず晴らしてやる」

「あ、ありがと。ただ、もういいよ。紫門(ゆりかど)もこれでこりたと思う。あとは普通に暮らしていければ十分だから」

「だめだ。あの程度では不十分。奴らには死すら生温い」

 

 麗良は憤怒を吐き出すように言う。

 

 あの程度って……。

 

 紫門(ゆりかど)は、いまだ床を転がり悶絶している。佐々木にいたっては、口から泡をぶくぶくと吹いて今にも死にそうなんだが。

 

「やりすぎると紫門(ゆりかど)に恨まれるよ」

「関係ない。例え世界の全てが敵になろうとも、私だけはお前の味方だ。お前のためなら、財も権も命さえくれてやる」

 

 昨日とは一変、虫を見る目から白馬の王子でも見るかのようだ。麗良の俺を見る目が、完全にハートマークである。もう別人と言っても過言ではない。

 

 やむにやまない事情があったとはいえ、オーバーパーツ「洗脳機械(ブレインウォッシュ)」、凄まじい破壊力だ。完全に前の人格を殺している。

 

 うん、やりすぎた……どうしよう?

 

 仕方がなかったんだと蓋をしていた心の中で、とうとう罪悪感が爆発した。

 

 頭を抱える。

 

 こんなことになったのも紫門(ゆりかど)のせいだ。使った俺の責任もあるけど。

 

 

 話は、三ヶ月前に遡る。



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第1話「俺は、平凡な高校二年生」

 眠い。

 

 (まぶた)がとろんとしてくる。

 

 昨夜は三時まで起きていたからな。ついついオンラインゲーム「王国戦争(キングダムウォー)物語」をやりすぎてしまった。

 

 王国戦争(キングダムウォー)物語、まじ面白い。

 

 

 王国戦争(キングダムウォー)物語は、中世の時代を舞台とした戦争ゲームである。プレイヤーは、国を富ませ、軍を編成し、敵国の領土を征服するのだ。プレイヤーは、王にもなれるし、王に仕える家臣にもなれる、わりかし自由度の高いゲームである。俺は、一人の女王に仕える参謀を選んだ。帝国の侵略によって滅亡寸前の王国からのスタートで、いわゆるハードモードである。俺は参謀として、国土を死守し、王国を滅亡から栄光に導かなければならない。

 

 昨日は、なんとか帝国の攻撃から砦を防衛できたが、兵糧が残り少ない。金も無いし、じり貧である。

 

 ハードモードやばいね。

 

 ノーマルでやり直そうかな――って、いかん、いかん、今は授業に集中、集中だ。

 

 ぱちぱちと瞬きを繰り返すが、やはり眠いものは眠い。

 

 昼食後でもあり、俺の他にもクラスの数人がうとうとしていた。他は、真剣に授業を受けている。さすが県下有数の進学校、真面目だ。

 

 高校二年になって始めての授業。

 

 さっぱりわからん。

 

 授業についていけない。高校一年の時もやばかったが、まだなんとかついていけてた。毎日予習復習をして授業に取組んでいたから。でも、なかなから上がらない成績と、ついていけない奴は置いていくとばりに成績上位者向けの高度な授業で、俺のやる気は徐々に低下していき……今では最低限の課題をこなしているだけとなった。

 

 毎日を漠然と過ごしている。

 

 せめてガールフレンドでもいれば、この乾ききった高校生活に潤いが出るというのに。

 

 顔はイケメンでなくフツメン。成績は下の中、まぁ進学校での「下」だから世の中の基準では「上」になるかもしれないけど……うん、つい言い訳を言ってしまった。性格は社交的ではない。オタク趣味もある。

 

 なまじ立派な高校に合格したから、大変だ。文武両道を掲げる南西館高校は、県内、県外から優秀な人材を集めに集めた学校だ。地元の中学で成績トップだった奴らがざらにいる。こんなエリート達の中で、少し頑張ったぐらいではたかが知れている。俺の成績は下から数えたほうが早い。

 

 さらに言えば、俺は運動も得意というわけではない、至って普通だ。クラスマッチ等の催しでも活躍できず、モブとして埋没する。

 

 つまり、何が言いたいかと言うと、俺のクラスカーストは下位ということだ。

 

 はは、厳しい……。

 

 そんな自虐ネタ言ってる俺だが、これでも健全な高校生だ。

 

 

 恋、してます。

 

 

 クラスで気になる人がいるんだよ!

 

 俺の斜め前の席にいる学校一、いや世界一の美少女、草乃月 麗良さんだ。

 

 父親は草乃月コンツェルンの社長、母親はフランス人でパリコレで優勝したこともある元モデル。ちなみに草乃月コンツェルンは、鉛筆から戦車の砲身まで扱う世界最大の商社である。

 

 つまり、麗良さんはハーフで、実家は超がつくほどの大金持ちということだ。

 

 麗良さんは、母親譲りの輝くような金髪と抜群のプロポーション。ぱっちりとした二重瞼に父親譲りの意志の強そうな目。鼻筋は、すらりと通り、白く歯並びもよい。甘い吐息が出そうな唇に……パーツを一つ一つ挙げてもきりがないか。

 

 とにかく麗良さんは、絶世の美少女といっても過言ではない。しかも成績優秀で常に学年主席をキープしている。才色兼備、優秀なクラスメート達が束になっても霞む女王なのだ。

 

 そんな麗良さんに次いで人気があるのが、小金沢 紫門(ゆりかど)

 

 紫門(ゆりかど)は、小金沢グループの御曹司だ。小金沢グループは、草乃月コンツェルンと比べればグレートは下がるが、総合商社でいくつもの傘下企業を持つ、大金持ちなのは変わらない。加えてイケメンで成績優秀、スポーツ万能、性格が最悪なのを除けば、パーフェクト超人である。

 

 まぁ、この二人は別格として。クラス初めの自己紹介では、剣道で県大会優勝や、全国絵画コンクール入選、中学時代は生徒会長を二期務めたとか普通に経歴自慢できる奴らがいっぱいいたね。

 

 ちなみに、俺の自己紹介について、趣味は読書、映画鑑賞、特技は無しってね。

 

 クラスメートは、鼻で笑っていた。

 

 けっ! 俺だって本当は誰にも負けてないんだぞ。言っていないだけで、とびっきりの秘密があるんだからな。

 

 そう、モブな俺が唯一誇れるというか普通でない経験をした。なんと小さい頃、宇宙人に(さら)われたことがあるのだ。どこの三文小説だと笑われるかも知れないが、事実である。

 怖い思いもしたが、どんな大金持ちだろうと絶対に入手できないとあるオーバーパーツを手に入れた。一度人に使ったことがある。その人は、まるで別人になってしまった。人の人生を変えてしまった。その人を殺したようなものである。

 

 言い訳はある。やむにやまない事情があった。

 

 でも、だめだ。

 

 楽天家で大雑把な俺でもやっちゃいけないことはわかっている。だから、二度と使わないと決めて押入れの奥に(それを)隠した。捨ててはいないよ。あまりに危険で、捨てるに捨てられない代物だからね。

 

 あれは……やばいよ、本当にやばい。

 

 人が持ってていい代物じゃない。

 

 洗脳機械(ブレインウォッシュ)

 

 その人の性格を書き換えることができる。

 

 必要なのはその人のDNA情報、毛髪の一本でもあればよい。

 

 あぁ、田中さん……。

 

 ずきずきと心が痛む。俺のトラウマ、古傷だ。

 

 フルフル、首を振る。もう考えるのはよそう。

 

 碌な目に合わなかった酷い記憶だ。封印する。

 

 とんでもない宇宙人のせいで、とんでもないことをしでかしてしまった。

 

 あの宇宙人、今頃どうしてるかな? 他の星でまた悪さしていないといいけど、

 

 少し昔を懐かしみ授業を半ばぼんやり受けていると、終業のベルが鳴った。

 

「ここ、復習しておくように」と最後に先生が公式に印をつけ、教室を退出する。

 

 十分の休憩時間に突入だ。

 

 友達同士でおしゃべりが始まる。教室内ががやがやと騒ぎ出す。話す相手がいない俺は、机につっぷし寝たふりをする。

 

 いいんだ、ぼっちでも。もう慣れた。

 

 ぐーぐー。

 

 寝たフリだ。

 

 目を閉じ耳を澄ますと、次の授業の話とか、テレビの話とか、クラスメート達の話す声が聞こえてくる。

 

 そして……。

 

「……白石が」

 

 誰だ? 誰か俺の名を呼んでいる奴がいる。

 

「……そうそう、白石は」

 

 話声から察すると……宮本と佐々木、そして紫門(ゆりかど)だな。

 

 性格最悪三人組が、クラスマッチの競技で俺をどうするか話をしているみたいだ。

 

 別に競技なんてどれでもいいが、強いてあげればサッカーがいい。ヘマしてもあまり目立たない気がする。

 

 紫門(ゆりかど)達は、あれやこれやと話をしている。俺の意志は、完全無視だ。

 

 まぁ、いい。わかってたよ。それで結局俺が参加するのは、なんの競技? サッカー?

 

 気になるので、さらに集中して聞き耳を立てた。

 

「それで白石の奴、どうしますか?」

「空いているのはバレーだが、バレーの点数は高い。できればバレー部の奴を続けて試合に出したいところだ」

「じゃあ、白石は補欠にしましょう。根回しはしておきます」

「あぁ、そうしてくれ」

「はい、全員参加なんてルールもありません。下手に参加させて足を引っ張られてもうざいですし、奴には、補欠が似合ってますよ」

「あぁ、ドンくさい奴は邪魔だ。どうせなら隅でスコアブックでもつけさせておくか。それなら少しは、クラスに貢献できるだろ」

「さすが紫門(ゆりかど)さん、冴えてます。白石の奴には、そう伝えておきますよ」

「そういやとうの白石は――ってまた寝てやがる」

「くっく、白石って、いつも寝てるな」

「友達がいないんですよ。哀れな奴です」

 

 あいかわらずムカつく奴らだ。

 

 俺のボッチを肴にして大笑いしている。

 

 紫門(ゆりかど)は、小金沢グループの御曹司だ。もともとはもっと格式の高い海外の高校に入学する予定だったらしい。それを麗良さんに合わせてこの南西館高校に入学したんだとか。

 

 宮本と佐々木もそこそこの家柄だ。親は小金沢グループの会社で勤務しており、奴らは幼少の頃から紫門(ゆりかど)に仕えてたとか。宮本達は、いつも「紫門(ゆりかど)さん、紫門(ゆりかど)さん」と媚を売っている、生粋の腰巾着だ。奴らにとって、紫門(ゆりかど)は絶対だ。紫門(ゆりかど)が黒と言えば、白も黒になる。

 

 つまり紫門(ゆりかど)が嫌いと言えば、それを排除に動く。

 

 俺は、ある時期より紫門(ゆりかど)から嫌われている。まぁ、雑魚とも思われているからあからさまに排除されることはない。俺如きに力を行使するのは、プライドが許さないのだろう。

 

 だから代わりに子飼いの二人を使って鬱憤を晴らしてくる。

 

 紫門(ゆりかど)が俺に悪感情を抱いたきっかけ、それはまだ予習復習を行い、なんとか授業に食らいつこうと必死になっていた高一時代にさかのぼる。高一時代、俺は、抜き打ちの小テストで紫門(ゆりかど)に勝ったことがあるのだ。

 

 俺の得意教科である歴史。その日たまたま山が当たり、九十八点を取った。紫門(ゆりかど)はたまたま体調が悪かったのだろう、九十六点だった。麗良さんは満点なので、順位は麗良、俺、紫門(ゆりかど)だ。試験では、麗良さん、紫門(ゆりかど)でワンツーフィニッシュを決めるのが常と言うのに。小テストとはいえ、不動の順位が崩れたのだ。紫門(ゆりかど)は周囲に気にしていないように見せていたが、目は笑っていなかった。

 

 それ以降、こうやってちょいちょい目の(かたき)にされている。器の小さい奴だ。

 

 直接小馬鹿にしてくるのは宮本と佐々木だが、裏で紫門(ゆりかど)が煽動しているのはわかっている。主犯は紫門(ゆりかど)だ。俺に調子に乗るなと、自分が上なんだと認識させるためにやっている。好感度が落ちないように自分の手下を使っているところも、ずるいやり方だ。

 

 はは、軽いいじめですよ。

 

 くそ、人の陰口なんて言ってんじゃねぇえええ!!

 

 思いっきり叫びたいが、気づかない振りをする。クラスカースト上位様と揉めてもろくなことにならない。

 

 無視だ。無視。

 

 どうせ団体競技は苦手だ。言われたとおり、スコアブックでもつけててやる。

 

 長いものには巻かれろ、だ。

 

 むかつくが、嫌なことは忘れる。精神衛生上良くないからな。

 

 そんなことより、明日は土曜日、サタディー、休日だよ。前々から楽しみにしていた「王国戦争(キングダムウォー)物語 拡張パッケージ版」の発売日でもある。

 

 早速買いにいこう。



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第2話「家政婦じゃないよ。モブ高校生は見ていた」

 土曜日の昼下がり。繁華街にやってきた。前々から楽しみにしていた「王国戦争(キングダムウォー)物語 拡張パッケージ版」を購入するためである。

 

 新宿駅を降りて、目的地までひたすら歩く。

 

 人、人、人の波に襲われる。

 

 それでもひたすら歩く。

 

 そして……。

 

 ふーやっと買えた。

 

 ゲームショップ「ばんっぱんら」……。

 

 ラインナップも豊富。価格もリーズナブルで学生の懐には優しい。言うことは、ほぼないんだけど、一つだけ!

 

 場所わかりづらすぎ!

 

 ググルで地図検索したが、道が入り組んでて何度も迷った。

 

 右往左往したよ。

 

 足が棒だ。ちかれた。

 

 明日は筋肉痛だろうが、まぁ、いい。目当ての物も買えた。

 

 帰ろう。

 

 ふん、ふん♪

 

 新宿駅を探して、数十分歩く。

 

 あれ、駅どっちだっけ?

 

 来た道を帰ったつもりが、見知った風景ではない。

 

 呼込みの怖そうなパンチパーマのおじさんがいる。ピンクのネオンが輝くエロそうな店がいくつもある。そして、昼間だと言うのに、色気ムンムンのお姉さんがそんなお店の前に立って通行人を誘惑している。

 

 この場所って……。

 

 そういえば、ここって歌舞伎町に近かったな。よくよく観察すると、「審査無し、十万円まで即決即金でお渡しします」と書かれたビラが電柱に貼られていた。他にも怪しそうな看板を掲げたビルがところ狭しと立ち並んでいる。

 

 ここ、一介の高校生が来ちゃいけないところだ。

 

 急いで別な通りに行こう。

 

 慌てて踵を返す。「そこの兄ちゃん、いい子いるよ」と呼ばれても無視だ。「え、どんな娘ですか? 巨乳っすか?」と聞き返したいのを我慢し、てくてく移動する。

 

 携帯を見ながら小走りで小道に入ると、今度はラブホテル街に迷いこんだらしい。休憩四千円、一泊六千円とか看板に書かれてある。通行人は、ラブラブのカップルばかりだ。

 

 ラブホテル街……。

 

 そういやラブホって構造どうなってんだろう?

 

 室内が鏡張りとかは、聞いたことがある。

 

 健全な高校生なら誰しも興味があることだ。

 

 こ、これはしょうがないよ。

 

 駅を探すうちにホテル街に迷い込んでしまった。不可抗力だね。刺激的な場所を歩き回って興奮してるのもある。

 

 マナー違反とは思うが、ついつい通行人を見てしまう。

 

 皆、可愛いね。

 

 黒髪ロングの清楚な子、茶髪に染めた活発そうなギャル、ショートカットのスポーディな少女等、様々だ。

 

 そして……。

 

 おっ! 今日一番の可愛い子!

 

 髪をサイドに結んだポニーテールの女の子。透明感のあるお肌と目鼻の整った顔立ち、笑った時のえくぼも可愛い。この子ならアイドルグループに所属していてもおかしくない。

 

 ポニーテールの女の子は、嬉しそうに男と腕を組んで歩いている。

 

 くぅ~うらやましいぞ。この男は、こんな美少女と、この後、しっぽりすっきりするのだ。

 

 相手はどこのどいつだ――って紫門(ゆりかど)じゃないか!

 

 羨ましすぎる男……それは、よく見知っている、クラスメートだった。

 

 金持ちでイケメンだが、性格最悪。そんな男が可愛い女の子と腕を組んで歩いている。

 

 紫門(ゆりかど)……なんか学校の時と違う。

 

 いつも女性に誠実な精悍な顔を装っているのに。

 

 今日の紫門(ゆりかど)は、服装といい、髪型といい、なんていうかチャラついている。耳にピアスまでしているのだ。ギャル男みたいだ。

 

 変装しているのか?

 

 まぁ、いいところのボンボンだからな。知人にばれたくないのだろう。

 

 チャラ紫門(ゆりかど)は、ポニーテールの女の子と仲睦まじげに話をしている。時折、人目もはばからず路チューもしていた。

 

 そして、予想通り、二人でホテルに入っていった。

 

 あいつ麗良さんがいるくせに……。

 

 女遊びして、浮気をしているのだ。

 

 俺の意中の人があんな屑野郎に弄ばれるのか!

 

 許せん。

 

 新作ゲームを買ってうきうきしていた心は一変。俺の嫉妬ボルテージが急速に上昇した。



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第3話「告げ口は男らしくないこともない」

 イライラする。

 

 あれからもんもんと過ごしていた。

 

 紫門(ゆりかど)の浮気現場を目撃した。イケメン高校生が、真昼間からふしだらな行為を行ったのである。ワイドショーでは、格好のネタだろう。

 

 俺は、特ダネを掴んだ記者だ。皆にも知る権利がある。

 

 ばらしてやろうか?

 

 日頃の恨み、嫉妬、理由はいくらでもある。

 

 ただ、麗良さんの周りにはとりまきが大勢いる。そんな人達の前で告発する勇気はない。

 

 それに告げ口って……普通にダサいよな?

 

 特に、嫉妬にかられての行動は、(みにく)いと思う。聖人を気取る気はないが、俺にも男のプライドぐらいある。紫門(ゆりかど)に文句があるのなら、堂々と主張するべきだ。

 

 でもな~

 

 ちらりと背後を振り返り確認する。紫門(ゆりかど)達が、ごにょごにょと俺の陰口を叩いているのがわかった。

 

 クラスマッチに向けた練習試合の件だ。

 

 俺がヘマをしたせいで、練習試合とは言え負けそうになった、そのことを言っている。補欠で本番はスコアブックをつけるだけだったのだが、練習試合には出してもらえた。紫門(ゆりかど)が推薦してきたんだよ。

 

 紫門(ゆりかど)の思惑はお見通しだ。クラスの女子、主に麗良さんへの点数稼ぎのためである。俺がポツンと隅っこでスコアブックをつけていたところに、絶妙のタイミングで声をかけてきた。

 

「白石も、参加してみるか?」ってさわやかな笑顔でね。

 

実際、紫門(ゆりかど)君、優しいぃい!!ってクラスの女子から黄色の声援をもらっている。麗良さんもうっとりして紫門(ゆりかど)の野郎を見ていたし。

 

 で、奴の恩情でバレーの試合に出たんだけど、ミスを連発した。

 

 紫門(ゆりかど)の件で考え事をしていたせいか集中できなかったんだよ!

 

 俺以外のメンバーの活躍でなんとか試合には勝ったんだけど、試合後、宮本と佐々木には、嫌みを言われまくった。

 

 まだ言い足りないのか?

 

 いつもは無視するが、今日の俺は機嫌が悪い。思わず睨んでしまう。

 

 紫門(ゆりかど)達は俺の行動に驚くが、それは一瞬のことだ。すぐにいつもの調子に戻る。にやにやと笑みを浮かべ、逆に睨み返してきた。

 

 やばい。

 

 すぐに目を逸らす。

 

 俺の小動物的な行動に満足したのか、紫門(ゆりかど)達の威圧が消える。そして、雑魚のくせに一丁前に睨んできたぞと高笑いを始めた。

 

 少し反抗したせいか、紫門(ゆりかど)達の俺への陰口がいつもより長い気がする。

 

 ぼっち、軽いイジメだ。

 

 もういい、やはり奴らは無視だ。無視が一番精神衛生上良い。

 

 あんな奴らより!

 

 愛しの人、麗良さんだよ。

 

 麗良さんは、机に座り携帯を操作していた。携帯のボタンをポチポチ押している、ただそれだけだ。だが、それがいい、素晴らしく良い!

 

 その所作が美しい。その姿に思わずため息が漏れる。

 

 入学当初なんてあまりの美しさに眠れない日々を過ごしたものだ。さすがに今は眠れないなんてことはないが、美しいものは美しい。

 

 麗良さんを見て和もう。

 

 美しいものをみてると、心が安らぐね。最近の俺のマイブームだ。

 

 それからしばらく目の保養をしていると、紫門(ゆりかど)が麗良さんに近づいてきた。麗良さんは紫門(ゆりかど)に気づくと、満面の笑みを浮かべ、楽しそうに話を始めた。

 

 紫門(ゆりかど)は、女性の前では優しい仮面をつけたまま外さない。物語に出てくるような甘いマスクの王子が、優しい言葉をかけるのだ。世の女性は虜になるだろう。

 

 紫門(ゆりかど)の上辺の人の好さに皆が騙されている。特に女子達だ。

 

 麗良さん、楽しそうだな……。

 

 ちっ!

  

 心の中で舌打ちをする。

 

 紫門(ゆりかど)のせいで俺のオアシスが汚された。

 

 紫門(ゆりかど)は紳士ぶっているが、弱者を苛める屑である。

 

 ……やはりだめだ。

 

 紫門(ゆりかど)が優しく誠実な男なら諦めもついた。俺は自分自身をよく知っている。俺はモブの中のモブだ。高嶺の花である麗良さんと釣り合うわけがない。ならせめて立派な男が麗良さんと付き合うのなら、良い。麗良さんも、幸せになれるだろうしね。だが、あんな屑が麗良さんと付き合うのは納得できない。

 

 告げ口は男らしくないと思っていたが、場合による。悪人とつき合って麗良さんが幸せになれるはずがない。麗良さんを救えるのであれば、真実を伝える意味もあるんじゃないか!

 

 男のプライドより、麗良さんだよ。

 

 よし、機会があれば告発しよう。

 

 

 

 ★ ☆ ★ ☆

 

 

 

 決意を固めて数日後……。

 

 日直だった俺は、担任から授業で使う資料を図書室から取ってくるように言われた。その資料は図書室の奥にある倉庫にあるということで図書室の中をぶらぶらとさまよっていると、麗良さんを見つけた。

 

 麗良さんは、本を読んでいる。

 

 珍しい。独りだ。

 

 こんなところにいたんだ。

 

 そこは、資料スペースの奥にあり、普段人があまり入らないところであった。

 

 机に椅子もある。静かに本を読むにはうってつけの場所であった。いわゆる穴場という奴である。

 

 麗良さんがその美しい指でページをめくる。

 

 本を嗜む麗人だ。金髪の美少女が何やら難しそうな本を、アンニュイな雰囲気で読んでいる。

 

 絵になる。

 

 写真を撮って雑誌に送れば、大賞撮れるだろ、これ。

 

 少しばかり見とれていたが、あることに気づく。

 

 周囲を見渡す。誰もいない。

 

 これは告発する千載一遇のチャンスじゃないか?

 

 「つき合う相手は選んだほうがいい」そう麗良さんへ忠告するつもりだ。

 

 麗良さんには、悪党とつき合ってほしくない。

 

 あまりに高嶺の花で俺なんかがつき合えるわけがないのは、わかっている。だが、紫門(ゆりかど)だけはだめだ。麗良さんにふさわしい優しくて誠実な男は他にもたくさんいるんだから。

 

 告発するぞ。

 

 うしし、いつも小馬鹿にしてくる紫門(ゆりかど)への報復にもなる。何より麗良さんを救える。

 

 そ、それにあわよくば麗良さんとお近づきになれるかもしない。麗良さんに感謝されて一回ぐらいデートできるかも。

 

 い、いかん、不純だ。

 

 俺は、忠告するだけだ。好きな女の子には、幸せになって欲しい。

 

 そうだろ?

 

 意を決し、麗良さんに声をかける。

 

 「あ、あの、く、草乃月さん」

 「ん。誰? あ~同じクラスの……」

 「……白石だよ」

 

 ショッキングな事実が判明した。クラスメートなのに、麗良さんは、俺の名前を覚えていなかった。

 ほぼ一年過ごしてきたのに……いやいやいや、麗良さんは高嶺の花だよ。何を期待している?

  

 これから好感度を上げて覚えてもらえばいいんだ。

 

 気を取り直せ。

 

 ショックを受けた顔にむりやり笑みを張り付ける。

 

 「で、その白石君が何の用? 今忙しいのよ。用なら手短に頼むわ」

 

 そ、そっけない。

 

 あまりに感情が籠ってない返事だ。

 

 それに麗良さんと目が合ったのに、すぐに目線を本へ戻された。本を置こうともしない。

 

 俺には読書を妨げるほどの価値がないってことか!

 

 地味にへこむ。

 

 い、いや、へこたれるな。

 

 告発して麗良さんを救うんだ。これは紫門(ゆりかど)の不貞を目撃した俺にしかできないことである。

 

紫門(ゆりかど)だけど」

紫門(ゆりかど)君! もしかして彼から何か言付けでもあるの?」

 

 今度は本を置いてくれた。声のトーンも違う。何より笑顔を見せている。紫門(ゆりかど)がそれほど麗良さんにとって価値がある存在なのだろう。

 

 あんな屑相手にそんな笑顔を見せるのか。

 

 これは同じ男として、けっこうへこむぞ。

 

 いや、頑張れ、俺。

 

 麗良さんを救えるのは俺しかいないんだ。

 

 すぅーと深呼吸をし、意を決して口を開く。

 

「違う。紫門(ゆりかど)は関係ない」

「じゃあ、なんの用?」

「あいつを信用しないほうがいいよ」

「……なぜそんなことを言うの?」

 

 先程とは真逆の冷たい声だ。麗良さんが敵意の篭った目で睨みつけてくる。

 

 好きな子から冷ややかな視線を浴び、胃がキリキリ痛み出してきた。

 

 コミュ障の俺には辛い状況だが、ふんばるんだ。

 

紫門(ゆりかど)、この前、他の女の子と歩いていたよ」

「……それで? 紫門(ゆりかど)君にも女友達の一人や二人いるでしょ」

「友達じゃないよ。腕を組んで歩いて、恋人みたいだった」

「見間違いね」

「見間違いじゃないよ。キスをして二人でホテルにも入ったんだ」

「出鱈目を言わないで!」

 

 今度は、席を立ち上がって睨みつけてきた。

 

 先ほどよりも強烈な吹雪のような冷たい視線を受け、俺の胃がマッハで悲鳴を上げる。

 

 き、気合だ、気合を入れて反論しろ、俺。

 

「い、いや、俺は見たんだ」

「嘘ね。クラスメートを陥れるような事を言って恥ずかしくないの?」

「嘘じゃない。本当だって」

「最低ね、あなた」

「い、いや、本当に……」

「これ以上私に話しかけないで。あなた気持ち悪いわ」

「う、うっ」

 

 麗良さんのあまりの剣幕に、それ以上は言えなかった。

 

 最後は尻すぼりになる。

 

 麗良さんの氷のようなひえびえとした目線と、怒りの声に耐えられなかったよ。

 

 とぼとぼと麗良さんの前から引き下がる。

 

 現実は非情だった。

 

 はぁ、勇気を振り絞って声をかけたのに。結果、麗良さんに嫌われただけだった。骨折り損のくたびれもうけとはこのことである。

 

 というか麗良さん、性格きつい。いくら紫門(ゆりかど)が好きだからって、あんな言い方しなくてもいいんじゃないか。

 

 気持ち悪いってなんだよ。

 

 少し幻滅してしまった。

 

 

 

 それから数日……。

 

 

 

 何事もなく平穏に過ごしていたら、

 

「よぉ」

 

 紫門(ゆりかど)が俺の肩を掴み、獰猛な声で威嚇をしてきた。

 

 どうして?

 

 これまで陰口は叩いてきたが、直接、紫門(ゆりかど)が何かしてきたことはなかったのに。雑魚の俺に構うのはプライドの高い紫門(ゆりかど)には、耐えられないはず。

 

「麗良から聞いたぜ」

 

 その一言で理解した。

 

 あ、あ、あの女、しゃべったのか!

 

 それがどんなにやばいか理解できないのかよ。

 

「少々つき合ってもらうぜ」

 

 ドンと背中を押され、よろよろと態勢を崩す。

 

 紫門(ゆりかど)達に強引に校庭裏に引きずり出されていく。

 

 校舎裏まで到着すると、すぐさま拘束される。

 

 左右の腕を掴んでいるのは佐々木と宮本。紫門(ゆりかど)の腰巾着だ。下卑た顔で、忠誠心溢れる家来を演出している。紫門(ゆりかど)に尻尾を振り媚びている犬達だ。

 

「迂闊だったよ。お前みたいなドン臭い奴に目撃されるなんてよ」

「く、草乃月さんから何を聞いたか知らないけど、俺は何も――うぐっ!」

 

 紫門(ゆりかど)に軽く蹴りを入れられ、思わずえづく。

 

「嘘をつくな。もうばれてんだよ。麗良はすぐにお前の名をばらしたぞ」

 

 麗良は、俺の立場を微塵も考えなかったらしい。そうだよな。紫門(ゆりかど)の歓心を買えるなら、俺の情報なんて紙屑より軽かっただろう。

 

 

 紫門(ゆりかど)が近づき、拳を振り上げた。

 

 殴られる!?

 

 思わず目を瞑る。

 

 こない?

 

 そっと目を開けると、

 

「ぐはっ!」

 

 とたんに鳩尾(みぞおち)を殴られた。九の字になって腹を抑える。

 

 時間差かよ。えげつないな。

 

 苦悶の声を上げる俺の髪を掴み、耳元で紫門(ゆりかど)がささやく。

 

「麗良はよ。お堅い上に初心だからよ。なかなかさせてくれねぇんだ。でも、男だし溜まるものは溜まる。わかるだろ?」

 

 下種な言葉だ。

 

 ますます紫門(ゆりかど)への憎悪が募る。

 

紫門(ゆりかど)さん、言っちゃっていいんですか?」

 

 宮本がニヤニヤと笑いながら尋ねた。

 

「問題ない。ばれるような真似はしねぇよ。お前らもわかってるな?」

「もちろんです。誰にもしゃべりません」

 

 宮本が神妙に答える。佐々木も当然とばかりに頷いていた。

 

「白石、また告げ口してもいいぜ。ただ、誰もお前のような底辺の言うことなんて信じないだろうがな」

 

 紫門(ゆりかど)は、高らかに笑う。取り巻きの宮本と佐々木も一緒だ。

 

 完全に下に見てやがる。むかつく。

 

 三人でひとしきり笑った後、紫門(ゆりかど)の表情が変わる。

 

 そして、俺の胸倉をつかんできた。

 

「ったくよ。俺がどれだけ麗良と信頼関係築くのに神経使ってるかわかるか? お前の余計な一言で、万が一、万が一だぜ、麗良が疑ってきたらって背筋が少しヒヤッとしたんだ。それもお前のような底辺にこんなふざけた真似をしでかされた。この俺の思いわかるか?」

 

 ドスの効いた声だ。人一人殺しそうな怒りを滲ませている。

 

 こ、殺される。

 

 逃げたいが、胸倉を掴まれた俺は、動けない。その鍛え上げられた太い二の腕でがっちりと締め上げられている。

 

「まぁ、いい。結局、麗良は俺の言い分を信じた。誤解は解けたんだよ。どうだ、これが俺とお前の違いだ。下民と上民の差、身に染みたか?」

 

 そう言って、紫門(ゆりかど)は、掴んだ俺の胸倉を無造作に放す。

 

「だいたい、紫門(ゆりかど)さんに逆らうなんて。白石、頭おかしくなったのか? 自分がどういう目にあうか想像できなかったか?」

 

 宮本が俺に近づき、俺の脛を蹴ってくる。

 

 痛い。

 

 避けてもしつこく蹴ってくる。コンコンとローキックのように蹴られ、俺の脛は、赤く腫れていく。

 

「宮本、動機は予想できるぜ。大方、底辺のくせに麗良に惚れたんだろう」

「まじっすか! そりゃ身の程知らずにも程がありますね!」

「まったくだ。白石、お前のような底辺、麗良は歯牙にもかけないってのによ」

 

 紫門(ゆりかど)が心底あきれ果てた顔でそう言い放つ。

 

 くそ、俺が飛びぬけた才能もないモブなのは自覚している。だが、性格最悪なお前にそこまで言われる筋合いはない。

 

「お、お前こそ、麗良さんにふさわしくない」

「麗良さん、だぁ? てめぇ、底辺が気安く麗良の名を呼んでんじゃねぇええ!」

「あ、あぐぅ」

 

 痛みでうずくまる。紫門(ゆりかど)に思いっきり脛を蹴られた。

 

 脛を抑えて地面を転がる。

 

「あ~あ、馬鹿だな、紫門(ゆりかど)さんを完璧に怒らせちまった」

 

 宮本達が嘲る。地面でのたうち回る俺を中腰にかがんで面白そうに見ていた。

 

「雑魚に構うのは沽券に関わるから無視してたがよ。舐めた真似するのなら容赦しねぇ!」

 

 紫門(ゆりかど)が大声で脅す。宮本達も嗜虐の笑みを見せて追従している。

 

「ふっ、お前は今後俺のおもちゃだから」

 

 そう言って再度、紫門(ゆりかど)鳩尾(みぞおち)を殴られ、そのまま地面に落とされた。

 

 紫門(ゆりかど)達は、地面にペッと唾を吐き、そのまま後にする。

 

 残された俺は、しばらく茫然としていた。

 

 はは、ちくしょう。

 

 今日、俺は紫門(ゆりかど)に敵認定をされてしまった。



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第4話「いじめのストレス解消法」

 教科書を隠された。

 筆箱を開けると、中にあるシャーペンが二つに折られていた。

 後ろからゴミを投げつけられた。

 

 エトセトラ、エトセトラ……。

 

 現在、俺はイジメを受けている。

 

 こんな進学校でもあるんだ。いや、表面化していないだけで、いじめは、人間社会のどこにでもあるのだろう。

 

 もう誰も信じられない。

 

 紫門(ゆりかど)の扇動でクラスメートが一人、二人といじめの輪に加わっていく。

 

 甘かった。紫門(ゆりかど)の影響力はわかったつもりだった。でも、本当の意味で俺は、何一つわかっていなかった。

 

 カースト上位が動くとここまで凄いのか。

 

 俺と一言でも話をしたクラスメートは、ハブにされる。それが日直とか委員会とか業務上最低限必要な連絡さえも対象だ。誰だって我が身がかわいい。次々とクラスメートがよそよそしくなっていき、次々と攻撃的になっていく。

 

 つらい。日本では年間の自殺者数が年々増加しているという。そんなに死んでいるのか、という疑問を持ったが、なるほど今ならわかる。何もかもが嫌になる。生きることが苦痛になる。死にたくなる気持ちというものがわかる。

 

 やめたい、つらい。

 

 でも、学校に行かないと家族が心配する。

 

 学校に行く。

 

 いじめられる。

 

 耐える。

 

 なんとか終わる。

 

 この繰り返しだ。

 

 まるで拷問である。今日もなんとか終わった。

 

 長かった……。

 一日が本当に長かった……。

 

 何も考えたくない。ただただ泥のように眠りたい。

 

 ぼろぼろの精神で帰宅する。

 

「あ、父さん」

 

 父さんが帰宅していた。父さんは、リビングで夕刊を広げながら夕食ができるのを待っている。

 

 今日は、帰宅が早いな。いつも残業で夜九時を過ぎるのに。

 

 父さんは、草乃月財閥の系列会社に勤務するサラリーマンだ。草乃月財閥の系列会社というと、大企業で働いているイメージだが、父さん曰く、実態は違うらしい。系列の系列のそのまた系列の会社で普通の中小企業という話だ。

 

 それでも社員は数百名を越えているし、福利厚生も充実している。大学生の働きたい企業ベスト百にもランクインしたことがあるし、世間から見ても優良企業だと思う。

 

 そんな会社で一昨年、三十九歳の若さで父さんは課長に昇進した。給料は増えたけど、その分責任も増えて大変だと言っていた。

 

 俺も大変だと思うし、凄いかっこいいと思う。

 

 家族四人を養い、一戸建てのマイホームも購入して、毎日残業続きでも、嫌な顔をせず家族のために働いてくれるんだから。

 

 俺は、どれだけ父さんに甘えていたか身に染みてわかった。

 

 人は、苦境に陥って初めてわかることがある。それは、自分がどれだけ恵まれて生活していたか、だ。

 

 もっと勉強をしておけばよかった。

 もっと運動しておけばよかった。

 もっとクラスメートと話をして友達を作っておけばよかった。

 

 そうすれば、このいじめも違った結果になったかもしれない。

 

 俺が自己嫌悪に陥っていると、父さんが俺の帰宅に気づいたようだ。

 

「どうした、翔太? 早く上がれ。もうすぐ飯だぞ」

「うん」

 

 靴を脱ぎ、リビングに向かう。通学カバンはそのまま廊下に置き、テーブルの自分の席へと座る。

 

 台所からおいしそうな匂いがしてきた。

 

 今日はカレーか。

 

 母さんが作るカレーは俺の大好物だ。

 

 家に帰ってきたんだ、そう実感し涙が出そうになる。こんなところで泣くわけにはいかない。ぐっとそれを耐え、代わりにふーっと大きくため息をついた。

 

「学校で何かあったのか?」

 

 父さんが新聞をテーブルに置き、声をかけてきた。

 

 さすがに大きなため息だったか。

 

 このところ俺の顔があからさまに暗いのもあり、心配しているのだろう。

 

「べ、別に」

「本当か?」

 

 父さんの問いに答えられない。

 

 いじめられているとはとても言い出せない。親に心配をかけてしまう。かといって、なんでもないよ、というほど精神に余裕があるわけでもない。

 

 つまり、答えられないのだ。

 

 長い沈黙が続く。

 

 いつまでも息子が返事をしないことに、父さんは、疑いの目を増していく。

 

 これはさすがに、いじめられているのがばれたかもしれない。

 

 父さんも事情を察したようだ。

 

「先生に父さんから言う」

 

 父さんは、ズボンのポケットから携帯を取り出そうとする。担任の先生に直接電話で抗議をする気だ。

 

「い、いや、ちょっと待って」

「息子が悩んでいるのなら、解決するのは父親の役目だ」

「やめて、そんな事されたら余計に酷くなるよ!」

 

 担任を頼っても解決にならない。担任は、いじめを見て見ぬフリをしている。なにせ紫門(ゆりかど)の父親、小金沢グループの会長小金沢潤平は、親馬鹿で有名だ。息子が通う南西館高校にも多額の寄付をしている。

 

 噂によると、ウン千万円だっけ?

 

 それこそ、校長をはじめ教職員が最敬礼で迎えてもいいぐらいのとんでもない額だ。

 

 学費を払うだけ、成績もパッとしない俺と比べるまでもない。学校側は、紫門(ゆりかど)を完全に贔屓している。

 

 いじめを訴えても、聞き入れてくれないだろう。逆に名誉棄損で訴えられるかもしれない。

 

 必死に父さんを止める。

 

 はじめは、学校に乗り込んでいく気まんまんだった父さんも、俺が一つ一つデメリットを説明すると、考えを改めたようだ。

 

 父さんは、ふーっと大きくため息をつく。

 

「そうだな。翔太の言う通りだ。こういう問題は、親がでしゃばって解決するものじゃないよな」

「……うん」

「転校するか」

 

 父さんがポツリと言った。

 

「別に今の高校が人生の全てではないんだ。そこで(つまづい)ても他でやり直せばいい」

「他って、この時期じゃ無理だよ。少し調べたことあるけど、近くの高校は編入の募集はしていなかった」

「なら遠くでもいい。県外まで探せば募集しているだろう」

 

 父さんは、遠くでも今の家を売って家族皆で引越しをしていいと言ってくれている。

 

 うちは新築だ。俺が高校に入学すると同時に買った。近所には便利なスーパーもあるし、隣近所とも仲が良い。妹も自分の部屋ができて友達を呼べるってはしゃいでいた。両親は、安住の地を見つけたって喜んでいる。引越しは絶対にしたくないだろうに。

 

 家のローンもたっぷりあるだろう。

 

 俺が独りで遠くの学校に下宿するって手もあるが、それでもお金がかかる。

 

 これ以上、親に心配をかけたくない。

 これ以上、父さん達に甘えてどうするんだ。

 

 心を奮い立たせろ。何でもないように言うんだ。それが家族にとって一番いい選択だ。

 

 笑顔を見せろ。根性を出せ、俺!

 

 腹に力をぐっと入れ、表情筋をフル活動させた。

 

 せいっぱい顔に笑顔を張り付け、父さんに言う。

 

「あはは、冗談だよ。転校なんて父さん深刻になりすぎ。確かにクラスメートと喧嘩をして少しだけブルーになってたよ。でも、ただそれだけだから」

「本当か?」

「うん、喧嘩しただけだよ。そいつがこれからつっかかってきても、無視すればいい。そうだよ、いちいち反抗してたから喧嘩になってたんだ。これからは無視する。大丈夫。クラスには嫌な奴もいるけど、俺を心配してくれる友達も大勢いるんだ。俺は独りじゃない、大丈夫だから」

「本当なんだな?」

「本当だ!」

 

 俺も男だ。はっきりと父さんの目を見て断言する。

 

 父さんは俺の言葉を頭の中で反芻しているようだ。腕を組み、目をつむり考えている。

 

 俺は、そんな父さんに向けて必死で説得する。

 

 そして、根負けしたのかしぶしぶではあるが、納得してくれた。

 

 よかった。これでいいんだ。ほっと胸をなでおろす。

 

 ただ、父さんからは、どうしても我慢できなくなったらすぐに相談するように、約束された。転校していい、逃げるのは恥じゃないと、何度も力強く励ましてくれたのである。

 

 

 ☆ ★ ☆ ★

 

 

 あの日以降、父さんとは色んな話をしている。父と息子のコミュニケーションだ。父さんは、最近仕事が忙しくて息子と話ができなかったことを悔いていたみたいだ。どんなに疲れて帰ってきても俺と話をする時間を作ってくれる。

 

 久しぶりに楽しい時間だ。

 

 父さんには、悩んだ時やストレスを溜めた時は日記を書くのが良いと(すす)められた。日記は、なんか宿題みたいで少し億劫だと言ったら、それならばと小説を書くことを(すす)められたのである。

 

 父さんの趣味は小説を書くことだ。

 

 休日にノートパソコンを使って何か書いているのは知っていた。ただ、恥ずかしいからと今まで内容は教えてくれなかった。それが、とうとうその内容を教えてくれたのである。

 

 父さんは、職場のストレスを小説を書くことで解消しているそうだ。

 嫌な上司を悪役にして、性格の良い同僚や部下を正義役にする。現実は非情で正義が必ず勝つとは限らない。小説の中でなら勧善懲悪できる。

 

 なるほどと思った。

 

 俺も紫門(ゆりかど)達を悪役にして、奴らをコテンパンにする小説を書きたい。俺を信用しない麗良も小説に登場させてやる。紫門(ゆりかど)に騙される哀れな王女役だ。

 

 レイラ王女は悪役王侯貴族シモンに騙され、王国は滅亡の危機に陥る。そんな王国の危機に立ち向かうのは、主人公ショウだ。ショウは、佞臣が蔓延(はびこ)る王宮で孤軍奮闘する。

 

 うん、イマジネーションが沸いたぞ。

 

 この調子でいじめに加担した奴らは徹底的に悪役にする。いじめを見て見ぬフリをした奴らも同罪だ。

 

 最後は、正義の忠臣ショウの活躍で悪臣達を滅多切りにする。王侯貴族シモンは、これまでの大罪が明るみに出て極刑に処そう。

 

 火あぶり、いや、磔もよいかも?

 

 おぉ、いいね、いいね!

 

 紫門(ゆりかど)達がざまぁになる光景を想像したら胸が少しスッとした気がする。

 

 これは、いいストレス解消法だ。

 

 父さん、ありがとう。息子に自分の趣味を告白するのは恥ずかしかっただろうに、包み隠さず話してくれた。俺を思ってのことだ。涙が出る。

 

 学校でのストレスは、小説を書くことで軽減できそうだ。

 

 それにだ。よくよく考えれば何もいじめが一生続くわけじゃない。高校を卒業すれば、奴らとは縁が切れる。

 

 それまでの辛抱だ。

 



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第5話「ヴュルテンゲルツ王国物語」

 ストレス解消のため、俺はファンタジー小説を書き始めた。

 

 タイトルは、「ヴュルテンゲルツ王国物語」。地球儀に向けてダーツを投げたら、ドイツにあるヴュルテンゲルツ州に刺さったのがきっかけである。

 

 舞台は、絶対王政が定番の中世だ。キャラで王女を出すからね、この時代がいいだろう。シュライン・イーグルとか、いかにもなキャラ名をつけても違和感無いし。もちろん設定は、こだわるつもりだ。中世の文化、風習は丹念に調べて書く。曖昧な知識で書きたくはない。時には図書館に行ってネット知識が正しいか裏付けも取らなければいけないだろうね。

 

 次にキャラだ。

 

 一章の主要キャラは、三人。ヴュルテンゲルツ王国の王女「レイラ・グラス・ヴュルテンゲルツ」、悪逆王侯貴族「シモン・ゴールド・エスカリオン」、そして、レイラ王女に仕える従僕であり、本作の主人公でもある「ショウ・ホワイスト」だ。

 

 ショウ・ホワイストは、俺こと白石 翔太。王女レイラ・グラス・ヴュルテンゲルツは草乃月 麗良。悪逆王侯貴族シモン・ゴールド・エスカリオンは、小金沢 紫門(ゆりかど)をモデルとする。

 

 他のサブキャラは、クラスメート達だ。

 

 悪い奴は、国を売る敵側に。いい奴は、国を守る味方側とする。

 

 いくらぼっちとはいえ、高校生活を二年近く過ごせば、クラスメートの多少の性格はわかってくる。誰が性格が良く、誰が性格が悪いのか。特に、苛められるようになってからは、それが顕著にわかる。

 

 例えば、紫門(ゆりかど)の腰巾着、佐々木、宮本は、性格の悪い部類にあたる。奴らは、底辺カーストになった俺をあざ笑い、率先してイジメてくるからだ。奴らからのいじめはひどい。奴らは徹底的な悪に仕立て上げてやる。

 

 逆に性格の良い人は、隣のクラスの石橋君だ。

 武道の時間、皆にボコボコにされてた時、ひそかに助けてくれた。紫門(ゆりかど)に目を付けられる危険があったのに、先生達を呼んできてくれたのである。

 

 俺は、忘れない。

 

 他にも表立っては無理だが、陰で庇ってくれる人も少数ながらいる。そういう人達は、正義の味方、王国の忠臣として扱う。

 

 まぁ、ショウ側とシモン側のグループ分けをした結果、ほとんどの奴が国を売る屑野郎になってしまったが……。

 

 あとは、あらすじだ。

 

 主人公ショウは、幼少の頃より王国に仕える忠臣だ。酷い濡れ衣を着せられながらも懸命に王女レイラのために尽くす。シモンはレイラの婚約者だが、帝国の手先という設定だ。レイラを操り王国を売る。レイラは、言葉巧みなシモンに騙され国を大きく傾かせる。

 

 ショウが民衆を飢えから救った時も、シモンの手柄となった。飢饉の際、シモンとその仲間達は、酒池肉林を繰り返しただけだというのに。シモンは、贅を尽くした食事を揃え、逆らう者は皆殺しにした。

 

 佞臣に囲まれたレイラには、真実が見えない。

 

 シモンはやりたい放題だ。

 

 シモン達、売国奴の讒言によって、一人また一人と国の忠臣達が失脚し、佞臣達が権勢を振るっていく。

 

 重鎮達の政争、国王の暗殺、将官の謀叛。

 

 王国は、揺れに揺れる。

 

 そんな中、ショウは、数少ない仲間達とともに必死に国難に立ち向かう。そして、ついに悪逆王侯貴族シモンを打ち滅ぼす。

 

 それが帝国の罠とも知らずに。

 

 ショウもレイラも気づかない。

 

 帝国の魔の手は、王国に迫りつつあった……。

 

 

 

 筆を置く――マウスをクリックし、メモ帳を閉じる。

 

 一章は、こんなところか。

 

 プロットを書いてみてわかった。

 

 ショウ、まじ大変。こんな詰みの状態で王国を本当に救えるのか? ショウを野菜人のような戦闘チートにしたら可能だろう。だが、それはしたくない。

 

 小説の主人公ショウは、俺の分身として書きたい。俺の分身がシモンを倒し、レイラの眼を覚ませ、国を救うからよいのだ。主人公が俺とあまりにもかけ離れた設定だと現実味が薄れる。

 

 ショウは、レイラ王女に仕える従僕までしか決めていない。細かな性格はこれから考える。

 

 

 ☆ ★ ☆ ★

 

 

 およそのプロットができたので、キャラの詳細を決める。

 

 まずは主人公からだね。

 

 ショウは、俺の分身だ。できるだけ俺に似せたほうがリアルになる。

 考え事をする際に鼻を掻いたり、食事の際に迷い箸をしたり、よく親に注意された悪癖をショウの癖にした。

 

 性格については、自己分析が苦手だから、ネットの無料性格診断テストを何度もやってみた。時には有料でもやった。主観的にならないように、自分をよく知っている親や妹にも俺の長所、短所を聞いてみた。

 

 まじめ、几帳面、優柔不断……。

 

 それらを参考に何度も推敲して、そして、ショウは出来上がった。

 

 ショウは、「勤勉」であり、「誠実」であり、何より「勇気」がある。一見弱気であたふたするところはあるが、いざとなったらやる男だ。

 

 ショウは、俺の理想だ。

 

 俺の長所を抽出しているが、最大限に良さを引き伸ばしている。

 

 俺が頑張って頑張って、死ぬほど頑張ってやっと到達できるかどうか、こんな俺であったらいいという願望そのものだ。



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第6話「小説をネット公開してみた」

 「ヴュルテンゲルツ王国物語」の執筆は順調だった。

 

 現在イジメ真っただ中にいるので、ネタには困らない。

 

 ……自虐だ。

 

 ありとあらゆるイジメを誇張して小説の内容に盛り込んでいく。

 

 ノートを落書きされた。

 小説では、管理帳簿が改ざんされ、降格された。

 

 靴を隠された。

 小説では、先祖伝来の甲冑を盗まれ、あやうく戦で死にそうになった。

 

 椅子の上に画びょうを置かれた。

 小説では、迷宮で針山の罠に落とされた。

 

 自転車のタイヤをパンクさせられた、ついでにサドルを盗まれた。

 小説では、馬車で移動中に御者を殺され、あやうく崖から転落しそうになった。

 

 自分のロッカーに生ごみを入れられた。

 小説では、自身の領地に人食いの野獣を仕掛けられた。

 

 上履きの中に虫の死骸を入れられた。

 小説では、讒言で処刑された友人の生首を投げつけられた。

 

 ショウが危機に陥るネタがいくつも沸く。

 

 ただ、ヴュルテンゲルツ王国物語は国取物語だ。学校生活だけではどうしても足りない知識がある。内政や政治について、よくわからない。

 

 ネットで調べても、ふあっとした情報しか出てこないんだよ。

 

 そこで、父さんの小説である。父さんに許可をもらい小説を見せてもらった。

 

 父さんの小説をズバリ言うと、サラリーマンの生きざまがテーマだ。タバコとお酒が似合うハードボイルドな中年男が、無能な上司や頼りない部下に囲まれながらも、ぬるま湯に浸った殿様営業な会社を培ったスキルと溢れる魅力で立て直していくというストーリーだ。

 

 読んでると、派閥争いの醜さや市場調査の難しさ、目先の利益に惑わされず、いかにコンプライアンスが大事かってのがわかってくる。時折、魅力ある女性が出てきてオフィスラブちっくなシーンもある……母さんに見せられるかは微妙なラインだけど。

 

 まぁ、その辺は、某漫画の課長コーサクさんを彷彿させるね。

 

 とにかく、父さんの小説は、キャラが立っているし、自分の仕事をそのままモチーフにしているからリアルだ。俺の小説に不足している政治・経済を補ってくれる。ストーリーに時事問題も絡めてくるから勉強にもなる。

 

 ヴュルテンゲルツ王国物語でのショウの身近な危機は、いじめ体験をもとにしているけど、もっと大局的な政治・経済の視点は、父さんの小説からネタを拝借した。

 

 あと、父さんは、今まで恥ずかしくて小説の内容を黙っていたが、俺に見せてからはやたらと感想を聞いてくるようになった。

 

 俺は、正直に面白いって伝えた。すると、「具体的にどこだ? どの章のシーンだ?」ってしつこく聞いてくる。そんなに感想が欲しいならネットに公開して不特定多数から感想をもらえばいいのにって言うと、それはだめらしい。

 

 父さんは、小説に登場するキャラを実名で書いている。仕事の内容もフィクションもあればノンフィクションも含まれていて、ネットに公開すると、もろコンプライアンスに違反するそうだ。

 

 だからと言って、ネット公開するために、キャラを偽名にしたり仕事内容をぼかして書くのは、リアリティがなくなるから嫌みたい。

 

 なるほど、と思った。

 

 父さんは、俺に小説を見せてくれた時も、小説の参考にするのはいいが、ネットには公開するなって口を酸っぱくして注意した。

 

 もちろん、わかっている。

 

 そもそも俺は、ストレス解消するために小説を書いているのだ。ネット公開する気はない。

 

 それから父さんの小説を読んで、参考にして、さらに読んで、参考にして……そんな小説サイクルを繰り返しているうちに、ふと疑問に思った。

 

 父さんの小説に出てくるキャラは、生々しくリアルに描かれている。実名で書いて、その人の性格そのまんま書いているからそうなんだろうけど、そんなに様々な人の素性をよく知っているなって。

 

 ある日、疑問をぶつけると、父さんは笑って答えてくれた。

 

 よく知っているのは、自分の職場の周りだけだって。他は、草乃月財閥の総合本社に勤めていた経理の馬上さんに聞いたらしい。

 

 草乃月財閥の総合本社に勤める。それは、エリート中のエリートってことだ。社員は、一流大卒が当然で東大京大出身者がざらにいる。そんな中、馬上さんは高卒からの叩き上げで、下積みから苦労して経理部長まで上り詰めたんだと。まさに女傑。社員からは、女版今太閤って呼ばれてたみたい。

 

 そんな馬上さん、本社に三十年務め社内の裏事情をとことん知り尽くしてたんだとか。

 

 営業三課の山上部長は、愛人と出張しただの、

 営業二課の畑町次長は、空出張しただの、営業利益をごまかしてポケットマネーにしているだの、

 

 経理でベテランに達すると、数字を見るだけでだいたい人が何をやっているかわかるみたいだね。

 

 さらに馬上さんは、女性社員を束ねる存在で、女性社員同士のトイレや給湯所での井戸端会議の内容を全て把握していたという。

 

 例えば、山上部長は、部下へのパワハラ、セクハラがひどいとか。末広課長は、いつも割り勘でセコイとか、畑町次長がギャンブル依存症でやばいところから借金しているとか、大小様々だ。

 

 井戸端会議って、俺は根も葉もない噂話ってイメージがあったが、父さんに言わせると、わりかし馬鹿にはできないそうだ。

 

 女性というのは、ある意味男性をよく見ている。

 

 女性社員のほうが、下手な上司より部下のことをよく知っているぞって課長の父さんは乾いた声で笑っていた。

 

 はは……。

 

 とにかく聞いたイメージだと馬上さんは、皆から頼られるスーパー社員だ。会社が男性幹部ばかりな中、経理部長として会社をぐいぐい牽引していたみたい。それなのに、一昨年馬上さんは本社を依願退職させられ、父さんの会社に流れ着いたんだとか。

 

 原因を聞くと、馬上さんは派閥争いに巻き込まれたんだって。

 

 経理部長だった馬上さんは、不正を暴ける立場にあり対立する派閥の長の弱みも握っていたようだけど、草乃月財閥の社長、草乃月 涼彦はとことんの成果主義だったため、多少の悪さは見逃しても会社に利益を上げる者を重要視したんだとか。

 

 結果、馬上さんはあらぬ濡れ衣をきせられ会社を辞めざるをえなかったと。さらに馬上さんについた人達もクビは免れたが、弊職に回され冷や飯を食っているみたい。

 

 特に、馬上さんを最後まで庇った手島って人は、一番悲惨なんだとか。今まで仕事ばりばりこなしていた人が薄暗い倉庫で一日中、埃をかぶりながら資料整理をしているんだってよ。

 

 手島さんは、誠実でかつ、仕事もできる優秀な人なのに、この仕打ちだ。女性同士の井戸端会議でも、ほとんどが悪口ばかりなのに、手島さんだけは皆が褒めていたらしい。

 

 それって、父さん曰く凄いことみたいだよ。

 

 いい人が馬鹿を見るなんて、本当にこの世はクソだ。どこにでも悪い奴がいて、どこでもいじめが発生する。

 

 ちなみに父さんの小説では、この手島さんが良キャラで登場する。主人公の上司で唯一の理解者ってポジションだ。無能な上司陣の中で、この手島のキャラは光ってたな。

 

 と、まぁ、そんな感じで馬上さんは、紆余曲折を経て父さんの会社に再就職した。

 

 馬上さんと父さんは、あるプロジェクトで意気投合したらしく、飲み会があるとちょくちょくこの話をしていたという。馬上さんは飲み会のたびに、悔しくて悔しくてたまらないって愚痴ってたそうだ。

 

 父さんは、聞き上手だからね。馬上さんも、話が止まらなかったと思う。

 

 そういえば、飲み会帰りの父さん、ちょっと前から凄く疲れて帰ってくるようになった気がする。

 

 女傑の愚痴を聞くのは、さぞ大変だったろう。

 

 

 ☆ ★ ☆ ★

 

 

 学校から帰れば机に向かい、執筆する。

 

 書く、書く、書く。

 

 休日は自分の部屋に引きこもり小説を書く。ゲームや漫画を読む気分ではない。小説を書いている時だけが、いじめを忘れさせてくれた。

 

 そして……。

 

 小説を書き始めてから三か月が経過した。

 

 いつのまにか俺の小説「ヴュルテンゲルツ王国物語」は、百万字を越えていたのである。

 

 やった!

 

 思わずガッツポーズが出た。

 

 調子悪い時は、一日三千字も書けなかった日もあったのに。

 

 根気よく書き続けてよかった。

 

 正確には、百万七千五百二十三文字である。

 

 ふふ、ここまで何かに頑張れたのは、高校受験以来だ。

 

 達成感がある。

 

 そして、一つの欲求が胸の内からむくむくと湧き上がってきた。

 

 俺が書いたこの小説、他人が読んだらなんて評価するだろう? 傑作って褒めてくれるかな?

 

 小説は初投稿だったが、自信はある。ゲームも漫画も読まず、食事と寝る時以外はほぼすべて小説の時間に当てた。ストーリーも濃厚で、キャラも立っている。客観的に見ても面白いはずだ。

 

 うぅ、ネット公開してみたい。

 

 うずうずする。

 

 そりゃ、父さんからコンプライアンス違反になるって注意されたよ。当初は、ネット公開する気はさらさらなかった。だが、今は違う。

 

 俺の小説を誰かに読んでもらいたい。感想を聞きたい。

 

 もちろん父さんに読んでもらえば、感想をもらえるだろう。的確なアドバイスももらえるかもしれない。でも、俺は父さんに小説を見せる気はない。

 

 俺の書いた小説はファンタジー小説だが、人間関係をリアルに描いている。特に、主人公ショウは、俺のいじめ体験をネタにした様々ないじめにあう。

 

 父さんに見せたら、ある程度、察するだろう、俺がクラスでどんないじめにあっているか。

 

 絶対に身内には見られたくない。知人でもそうだ。

 

 だから、俺は考えた。

 

 俺を知らない不特定多数の誰かに感想をもらえばいい。父さんから注意されたけど、名前を適当な偽名にして、仕事内容をぼかせばいけるだろう。

 

 実名はやっぱりまずいもんね。

 

 ネット公開するにあたり、小説を修正する。

 

 あとは、小説投稿サイトを決めなければならない。

 

 どのサイトにしようか?

 

 熟考した結果、うってつけのサイトを見つけた。小説を書く前の俺でも知っている有名な小説投稿サイト「小説家王に俺はなる」である。プロアマ問わず気軽に投稿できるし、人気が出れば出版社から書籍化の打診もあるんだとか。

 

 凄いよね、ネット公開して人気が出れば、小説からコミカライズ、そしてアニメ化までされるのだ。

 

 夢が広がる。

 

 早速ユーザー登録し、投稿しよう。

 

 おっと、その前に規約をよく読んでおくか。

 

 マウスでクリックしてページをめくる。

 

 え~と、なになに?

 

 盗作、過剰な性的、暴力的、差別的、個人を特定する描写、複アカ全てだめらしい。違反すると運営が警告してアカウントが停止されるそうだ。

 

 まぁ、当然の内容だろう。要するに常識的なマナーを守ってればいいのだ。

 

 他いくつかの規約を読み、早速投稿してみた。

 

 ドキドキ、胸が高鳴る。

 

 さぁ、いかに?

 

 まるで宝くじの当選番号を見ている気分で結果を待つ。

 

 ……。

 

 …………。

 

 ………………。

 

 感想は来なかった。

 

 あれから数日経ったが、作品のポイントは0。ブックマーク無し、PVはたった二人、それもアクセス解析を確認すると、最初の一、二話だけで、そこで終わっている。

 

 一、二話って……まだ冒頭の冒頭もいいところだ。ここから話は面白くなってくるのに。

 

 なぜアクセスが止まる!

 どうして続きを読んでくれないんだ!

 どこか悪いところでもあるのか?

 

 そもそも、たった二人じゃ分析もできやしない。

 

 感想が欲しい、欲しい、欲しいぞ。

 

 誰か俺の小説の評価を聞かせてくれ!!

 

 忸怩たる思いを持て余しながら、さらに数日待ってみる。

 

 ……。

 

 …………。

 

 ………………。

 

 感想は来なかった。

 

 な、なぜだ?

 

 俺の小説は面白い、傑作のはずなのに。

 

 宣伝が足りないのか?

 

 投稿のたびにつぶやいて、後書きに書いて、活動報告で投稿の報告までしているのに……。

 

 原因がわからない。

 

 業を煮やした俺は、次の行動に移る。

 

 感想をもらえない場合は、どうすればよいかネットで片っ端から調べた。

 

 そして、見つけた。

 

 感想をもらえるサイト『辛口道場』だ。ここに投稿すれば、初心者でも高確率で感想をもらえるらしい。ただ、小説の質を上げたい、プロの小説家になりたい人向けのサイトのようで、シビアすぎという評価もある。

 

 少しそのサイトの感想欄を覗いたけど、確かに辛辣なコメントがあった。

 

 ……若干不安ではある。

 

 だ、大丈夫、俺の小説は面白い。

 

 辛口コメントもあったけど、面白いってコメントもいっぱいあった。この後の展開で具体的にどうすればよいかのアドバイスも書かれてたし、自分のためにもなる。

 

 それにだ。俺はとにかく感想が欲しいんだ。なんでもいい、反応をくれ!

 

 もう無視されるのは、嫌だ。

 

 ええい、ままよ!

 

 早速、そのサイトに投稿してみた。

 

 ドキドキ、胸が高まる。

 

 しばらく待つ。

 

 ……。

 

 …………。

 

 ………………。

 

 今度は感想が返って来た。

 

 感想きたぁああ!!

 

 さすがに噂通り早い反応だ。投稿して数時間だよ。

 

 ドキドキする。手が震えながらも、クリックして感想欄を開く。

 

 

 評価は……酷かった。

 

 

 投稿者:転生人子

 一言

 暗すぎる。憂鬱になった。

 一話の主人公へのイジメで切りました。

 

 

 投稿者:画欧ab

 一言

 むなくそ展開はおなか一杯、ストレスがたまる。

 

 

 投稿者:名無し

 一言

 つまらん。

 読む価値無し、ここから読むには料金がいるぞ。

 

  あ、あ……うっ、うぁあああああ!

 

 辛辣な意見が続いていく。

 

 確かに「ヴュルテンゲルツ王国物語」は、今の俺の心情を露にしている。ただただ救いようのない話が結構あるよ。でも、まだ序盤じゃん。最後まで読んで欲しかった。これは勧善懲悪物だぞ。最後はそういう胸糞展開を解消するように作っているのに。

 

 暗いとかつまらんとか容赦なさすぎる。そんな序盤だけ見て評価しないで欲しい。

 

 俺は、感想者へ胸の内を返信する。

 

『ここから面白い展開が待っています。つまらないとか評価する前に最後まで読んでくれませんか?』

 

 しばらくして、感想返しの感想が返って来た。

 

 投稿者:名無し

 一言

 お前は、類人猿か? ここの規約を読め!

 

 はぁ? なんだそれ!

 

 思わず椅子から立ち上がった。

 

 類人猿って、意味わからん。小説に関係ないだろうが!

 

 精神がごすごす削られる。

 

 猿って、猿ってなんだよ。

 

 俺は人間だ。

 

 このやろう! てめぇ屋上来い!

 

 それからこの「名無し」とやりとりを繰り返したが、向こうのほうが口が達者で言い負けてしまう。他の感想者からも「暗い」「つまらん」のオンパレードだ。

 

 ……ネットって、ここまで酷いのか?

 

 俺がこの小説を書くのにどれだけの時間と労力を費やしたと思っている!

 俺の苦労、俺の努力、わかって言ってんのかよ!

 

 それをつまらん、つまらんって酷すぎる。

 

 感情の赴くままさらに感想返しをする。

 

『寝る間も惜しんで書いた作品を、こき下ろすように非難されるのは、我慢できません!』

 

 しばらくして感想返し返しの返信が返ってきた。

 

 投稿者:画欧ab

 一言

 どんなに心血を注いだ作品でも駄作になることもあれば、鼻歌交じりに書いたものが傑作になることもある。それが、この世界だ。努力を示すのではなく結果を示せ。批判が嫌ならネットに公開しなければいい。

 

 なんだよ、それ!

 

 嫌なら見なければいいだろ。悪口を書いて楽しいのか。人を批判ばかりして、それで満足なのかよ。人は褒められて成長するんだ。

 

 思いの丈をぶつけるため、活動報告に投稿する。

 

『何が嫌いかより、何が好きかで語るべきでは?』

 

 すぐに返信が返ってきた。

 

 投稿者:名無し

 一言:いや、それパクリだから。通報する。

 

 おぉ、おぅ、ぐはっ!!

 

 なんでだよ……。

 

 くそ、くそ、くそ。

 

 あーいえば、こう言う。なんでそんなに悪意を持ったコメントができる。

 

 活動報告で思いをぶつけ……はぁ~もう、いいや。

 

 力がへなへなと抜ける。

 

 なんか疲れた。

 

 ただでさせ学校生活でストレスが溜まっているのに、ここでもストレスを溜めたくない。

 

 俺はすぐに『辛口道場』サイトから投稿作品を削除した。

 

 ちくしょう、ちくしょう。

 

 なんでいつも俺はこんな目にあう。

 

 ぽたぽたと涙がこぼれる。

 

 悔しい。

 

 悔しい。

 

 感情のままに掴んでいたマウスを壁に投げつける。

 

 ガシャンと音が鳴り、中に入っていた電池が飛び出す。

 

 電池が、コロコロと転がる。

 

 

 

 

 ……落ち着こう。

 

 深呼吸をして無理やり自分をリラックスさせる。

 

 もともとこの小説は、ネットに載せるものではない。評価で一喜一憂してどうする。小説を書く目的をはき違えるな。小説は、ストレス解消の一助になっているから書いているのだ。

 

 そうだよ、嫌な事は忘れて元の自分に戻るべきだ。

 

 小説を書く。

 

 机に座りパソコンを起動させる。

 

 マウスを元に戻し、エディタを立ち上げ、執筆の続きだ。

 

 次は、二章だから帝国の常勝将軍との初会合……。

 

 キーボードを打つ手が止まる。

 

 あれ、変だ。

 

 あんなに楽しかった執筆の時間だったのに、今は楽しくない。

 

 キーボードを打つ毎に、言われた批判を思い出す。

 

 つまらん、つまらんと何度も言われ、人格否定までされた。

 

 怖い。

 

 ネットの中でもいじめられるのは、耐えられない。

 

 小説書くのは、しばらく休もう。

 

 それから数日、抜け殻のように過ごした。

 

 学校でのいじめもあいかわらずだし、これからどうやってストレス解消すればいいのやら。

 

 

 ……そうだ。

 

 小説を書くのは無理だけど、読むのはいいか。執筆に集中していたから読むのは控えていた。気になる作品をいくつかブックマークして溜めている。

 

 本当は、ゲームも漫画も小説も読む気分じゃない。だけど、何かしていないと悪い方向に頭が回ってしまう。

 

 久しぶりに「小説家王に俺はなる」サイトにログインする。

 

 えっ!?

 

 思わずわが目を疑う。

 

 感想欄のところに赤字があり、光っているのだ。読むと「あなたに感想が届いております」の文字だ。

 

 まじで!?

 

 感想を必ずもらえる『辛口道場』ではない。「小説家王に俺はなる」サイトの感想だ。つまり、催促をしたわけでもないのに、感想をくれた人がいるのだ。

 

 嬉しい。

 

 すぐに感想欄を開こ――。

 

 手が止まる。

 

 また酷いことが書かれてたら……。

 

 見ないほうがいいかな?

 

 ネットに公開するのはもう懲り懲りだ。見も知らない人から攻撃されるのはつらい、つらすぎる。

 

 いや、でも批判ではなく応援のメッセージかもしれない。

 

 期待と不安が交差する。

 

 でも、希望にすがりたい。

 

 最後、これが最後だ。不愉快なコメントだったら作品自体削除してしまおう。

 

 恐る恐る感想欄を開く。

 

 投稿者:黒兎

 良い点

 主人公の心理描写がリアルでよい。

 世界観は一見陰鬱ではあるが、深く読み込めば希望があるのがわかる。今後の展開に期待。

 一言

 『辛口道場』から来た、黒兎よ。ずいぶん酷いこと言われたみたいね。

 投稿が止まっているようだから、ショックを受けているのかしら?

 まぁ、小説を書く者にとってある種の洗礼みたいなものよ。誰もが通る道、気にする必要はないわ。

 他が何を言おうが、面白かった。私は、続きを読みたい。

 P.S.

 文体から察するに、あなた小説を書き始めて間もないでしょう? よければアドバイスをしてあげる。

 気が向いたらメッセージを寄こしなさい。

 

 

 一瞬、何を言われたのかわからず頭がフリーズする。

 

 そして、

 

 おぉおおおおお! 超うれしぃい!

 

 嬉しい、嬉しい、嬉しいよぉお!

 

 胸の奥から歓喜が沸き起こる。

 

 たった一つの感想で勇気をもらえる、陳腐かもしれないが、今まさにその気持ちだ。

 

 黒兎さん、ありがとう!

 

 小説書くのをやめるのは、やめだ。

 

 俺は、何を勘違いしていたのだ。ポイントとかアクセス数とか関係ない。俺の小説を見てくれる人がいる。読者が一人でもいてくれるのなら、俺の小説を面白いと言ってくれる人が一人でもいるのなら、それでいいじゃないか!

 

 俺は、黒兎さんのために書き続ける。

 

 やるぞ!!!

 

 俺はその日、久しぶりに執筆を開始した。

 

 筆がのる。

 

 今までにない集中力を発揮し、その字数は一万字を越えていた。

 

 

 ☆ ★  ☆ ★

 

 

 あいかわらずクラスでのいじめは酷かった。味方はいない。クラス全員から疎外され、暴力を受けた。

 

 いいんだ。

 

 授業中に後ろから消しゴムを投げつけられようが、廊下をすれ違いに頭を小突かれようが、気にしない。

 

 大丈夫、卒業すればこの地獄は終わる。

 

 地獄のような日々でも、小説を書き、黒兎さんから感想をもらえたら元気が沸いた。

 

 小説と、黒兎さんと、大事な家族、それらが俺を支えてくれた。俺の精神はぎりぎり平静を保っていられたのである。

 

 後は、このまま無事に卒業できればいい。

 

 そんな願いを祈り、耐え続けたある日の放課後――

 

 認識が甘かったことに気づく。

 

 校舎裏で紫門(ゆりかど)に決定的な宣告を受けたのである。



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第7話「無敵のブレインウォッシュでなんとかする」

「卒業しても続くからな」

 

 校庭裏でいつものように殴られながらその言葉を聞いた。

 

「そ、それはどういう……」

「言葉通りの意味だ。最近ヘラヘラしているようだから、宣告しておく。卒業しても続くからな」

 

 卒業しても続く?

 

 意味がわからない。

 

 卒業すれば、もう俺との接点はないはずだ。いじめは、終わる。

 

 そして、俺はこんな屑達の事は忘れて、心機一転大学でキャンパスライフを謳歌するんだ。

 

「へっへ、紫門(ゆりかど)さん、こいつまだわかってないようですよ」

 

 宮本がニヤニヤと小馬鹿にしたように指さす。

 

 紫門(ゆりかど)は宮本の言葉を聞き、鷹揚にうなずく。そして、俺の胸倉を掴み耳元でささやいた。

 

「まったく馬鹿はあいかわらずだな。お前がどこにいようと関係ない。この制裁は卒業しても続くって言ってんだ」

「な、なんで!?」

 

 意味がわからない。胸倉を掴まれながらも疑問をぶつけた。

 

「なぜじゃねぇよ。絶対に許さねぇ。お前は、俺のサクセスストーリーを壊そうとした。下民が上級国民様に逆らってのうのうと生きていけると思ったか!」

 

 紫門(ゆりかど)は胸倉から手を離すや、俺を殴り飛ばす。

 

 地面に倒れ、ふらふらと立ち上がる俺に、

 

「終わりだよ、お前」

 

 紫門(ゆりかど)から冷酷な声で宣言された。

 

 がくがくと膝が揺れ、

 

 へなへなと腰が抜けた。

 

 終わらない? この地獄が続くのか?

 

「うっ、うぁああああ!」

 

 思わず大声を上げた。

 

 あ、あんまりだ。ひどすぎる。

 

 地面にうずくまり、嗚咽した。

 

 涙と鼻水で顔がぐしゃぐしゃになる。

 

「お前もバカだな。誰に逆らったかわかってる? 天下の小金沢グループの跡取り、紫門(ゆりかど)さんだぞ」

「あ~ぁ、無様に泣いて哀れだな。今までのように下民らしくヘコヘコしていたらよかったのによ」

 

 宮本と佐々木があきれた顔で言い放つ。

 

「俺はよ。どんな雑魚だろうと立てつく奴には容赦しない。わかるな?」

 

 紫門(ゆりかど)が泣きじゃくる俺を上から見下ろして言う。その顔は、悦に浸っていた。

 

 俺の頭の中では「卒業しても続く」という言葉がぐるぐると回っている。

 

 立ち直れそうにない。

 

 その間も紫門(ゆりかど)達は、俺をどうやっていじめるか算段を立てている。

 

 そして……。

 

「……というか、紫門(ゆりかど)さん、白石が俺達と同じ年に卒業って生意気じゃありません?」

「くっく、佐々木、お前面白いこと考えるな」

「へっへ、そうでしょう。白石には、誰に逆らったのか骨の髄まで教え込む必要がありますよ」

「その通りだ。よし、白石、お前は留年だ」

 

 はぁ? 何言ってんだ?

 

 自分の耳を疑う。

 

 にわかに信じられない。信じたくもない。

 

「白石、よかったな。お前、三年生を二回も経験できるぞ」

 

 宮本が俺の肩をポンと叩き、面白そうに言う。

 

「それとな白石、俺達が卒業してもヘラヘラしてられないぞ。俺の息のかかった後輩にきっちり言い含めておいてやる」

「あ、それなら俺の弟が適任ですよ。同じ剣道部なんで腕っぷしもあります。白石を軽くシメてやれますよ。それに弟にメールすれば、紫門(ゆりかど)さんが遠隔から遊べます」

「おぉ、それはいいな!」

 

 佐々木と紫門(ゆりかど)がげらげらと笑う。

 

「くっく、白石~紫門(ゆりかど)さんに感謝しておけ。俺達が卒業しても、後輩がきっちり遊んでくれるそう、だぁ!」

 

 宮本から強烈な蹴りを食らい、地面に倒れる。

 

 げほっ、げほっ!

 

 咳き込みながらしばらくうずくまり、

 

 顔を上げると、紫門(ゆりかど)達はいなかった。

 

 もういないはずなのに、紫門(ゆりかど)達の下種な笑い声が頭に響いてく。

 

 

 

 ちくしょぉぉぉ!

 

 あいつら留年させるだと? ふざけるな!

 

 そんな権限お前にあるわけ――あるわけが――あるんだよな。

 

 天下の小金沢グループの跡取り息子に不可能はない。教師を買収しても俺の進級を阻止するだろう。

 

 嫌だ。留年なんて親に顔向けができない。

 

 そんで紫門(ゆりかど)達が卒業しても、紫門(ゆりかど)達の後輩が俺をいじめるらしい。佐々木の弟なんて絶対に屑野郎に決まっている。

 

 また地獄が続く。

 

 嫌だ。学校に行きたくない。

 

 よしんばなんとかいじめに耐え、卒業できたとしても終わらないのだ。

 

 紫門(ゆりかど)達のあの様子なら俺が大学に進学しようが、就職しようが、お構いなしだ。紫門(ゆりかど)の手が緩まることはないだろう。その権力を行使することになんの遠慮もない。

 

 どうしたらいいんだ?

 

 俺は、夢遊病のようにふらふらと校内を歩き続けた。

 

 どこをどう歩いたかわからない。

 

 家にも帰れず、教室、廊下、下駄箱と移動し、いつのまにか図書室の前にいた。

 

 ここは……。

 

 思えば、ここが起因、あいつの告げ口が始まりだった。

 

 草乃月 麗良……。

 

 才色兼備の美少女、学年主席の才女で家は大金持ち、高校に入ってからの俺の心のオアシスだった人。

 そして、俺に欠片も興味がなく、紫門(ゆりかど)に夢中の馬鹿女だ。

 

 何気なく図書室に入り、奥の資料室に向かう。

 

 

 麗良がいた。

 

 また独りでいる。

 

 前回と同じように難しそうな本を読んでいた。麗良の周りには常に人が集まっている。独りになりたい時、こうして穴場である資料室に来て読書をしているのかもしれない。

 

 唯一のプライベート時間、邪魔をしてはいけないと考えるべきであろう。

 

 今はそんなことは考えられない。マナー違反だろうが、どうでもいい。

 

 元はといえば、彼女が俺のいう事を信じなかったのが悪い。盲目的に紫門(ゆりかど)を信じた。少なくとも紫門(ゆりかど)にチクらなければイジメに遭わなかった。

 

 美人で才女で、憧れていた。こんな人が彼女ならどんなに嬉しいかと何度も妄想した。もうそんな思いはない。麗良はイジメこそしなかったが、イジメを見てみぬフリをした。

 

 いじめをする屑な紫門(ゆりかど)を尊敬し、いじめられる弱者な俺をゴミでも見るかのように侮蔑した。同情もしなければ、うっとおしそうな眼差しを向けるだけだ。これでは、百年の恋も覚める。

 

 もう恋愛感情はない。

 

 原点に戻ろう。麗良と俺はただのクラスメートだ。いや、違うな。お互いに仲も悪いから、それ以下の関係だ。ただの知人、俺を庇う理由は一つもない。よくわかっている。十分にわかっているつもりだ。でも、それでも、草乃月財閥の一人娘である麗良に縋るしかないんだよ。

 

「草乃月さん!」

 

 大声で叫び、麗良の前に駆け寄る。TPOとか周囲とかを気にする余裕もない。

 

 せっぱつまっている。

 

 頼む、信じてくれ!

 

 紫門(ゆりかど)を止めてくれないと、俺の人生は終る。金持ちで権力がある紫門(ゆりかど)を止められるのは、同じ財閥の麗良しかいないのだ。

 

「な、なに? 今度はなんの用?」

 

 麗良は、俺の必死な形相に驚いたようだ。慌てて本を置き、その場から立ち上がる。

 

「わかるだろ! 紫門(ゆりかど)だよ。全部、本当の話なんだ」

 

 麗良の肩を掴み、大きく揺さぶりながら話す。

 

「は、はなして」

「嫌だ」

 

 逃げる麗良の髪をとっさに掴む。

 

 なりふり構っていられない。

 

 取り巻きもいない。これが最後のチャンスだ。

 

 必死に嘆願する。

 

「お願いだ。お願いします。俺の話を聞いて。信じてくだ――」

「やめてぇええ!」

 

 強引に振りほどかれた。

 

 麗良に力任せに押され、尻もちをつく。

 

「女性の髪を掴むなんて……あなた、頭おかしいの!」

「だ、だって」

「ふん、自業自得よ。紫門(ゆりかど)君を貶める真似をするから、苛められるのよ」

「だから違うって言ってんだろ! どうしてわかってくれないんだ」

「わめかないで。そんなことより私に暴力を振るったわね!」

「ち、ちが、暴力じゃない。君が話を聞いてくれないから、つい」

「もう沢山。あなたにはきっちりと償ってもらうから」

「えっ、償うって?」

「慰謝料よ。庶民のあなたにはびっくりする額かもしれないけどね!」

 

 そう言って、麗良が資料室を後にする。

 

 かなりお冠だ。あの様子だと、紫門(ゆりかど)はもちろん、クラスメートや教師、麗良の父親にもあることないこと言いふらされるかもしれない。

 

 まずい。

 

 慌てて麗良を追いかける。

 

 麗良は、すたすたと廊下を歩いていた。

 

「草乃月さん!」

 

 大声で叫ぶが、歩みを止めてくれない。それどころか歩くスピードが増した。振り向きもせず、速足で廊下を移動している。

 

 聞こえているくせに……無視かよ。

 

 俺と紫門(ゆりかど)では信頼度が違う。何を言っても無駄なのだ。わかっていたはずなのに。

 

 麗良は、俺が髪を掴んだことに腹を立て、慰謝料をたっぷり取るらしい。

 

 絶望が心を支配する。

 

 胸が苦しい。呼吸するのもつらい。あれはわざとじゃない、わざとじゃないんだ。逃げないで俺の話を聞いて欲しかっただけなんだよ。

 

 紫門(ゆりかど)が権力を行使し、庶民の俺をいじめるんだ。同じブルジョアの麗良に助けて欲しい。ただただそれだけなのに。

 

「無敵の財閥パワーでなんとかしてくれよぉお!」

 

 大きな声で叫ぶが、すでに麗良はいない。むなしくその声は廊下に響いただけであった。

 

 あぁ、あぁ……。

 

 肩を落とし、うなだれる。

 

 今日俺は、紫門(ゆりかど)だけでなく麗良にも敵認定されてしまった。

 

 

 ★ ☆ ★ ☆

 

 

 家に帰宅し、部屋に入るやいなや内からカギを閉める。

 

 椅子に座り、今日あったことを反芻する。

 

 おしまいだ。

 

 紫門(ゆりかど)よりも巨大な権力を持つ草乃月財閥まで敵に回したのだ。俺はこの先、生きていけるのか? いや、生きてはいけまい。

 

 だいたい慰謝料ってどれくらいだよ?

 

 百万? 一千万? ひょっとして億?

 

 少なくともはした金ではない。俺が一生馬車馬のように働いたとしても、返せない額だろう。

 

 まずい、まずい。紫門(ゆりかど)より麗良が問題だ。

 

 どうしよう?

 

 頭をかかえる。

 

 手がぷるぷると小刻みに震えていた。

 

 お、落ち着け、落ち着くんだ。

 

 打開策を考えろ。

 

 なにか、なにか手はないか?

 

 意味もなく室内を歩き回り、周囲を見渡す。

 

 なにか、なにか……。

 

 だめだ。何もアイデアが浮かばない。

 

 焦りで頭をがりがりかく。

 

 そして……。

 

 ふと爪に自分のではない毛髪がからみついているのに気付いた。

 

 そっと手に取り、じっと見る。

 

 金髪の長い髪だ。どうやら麗良の髪を掴んだ時に抜いたらしい。

 

 毛髪……手に入れた。

 

 あっ!?

 

 昔の忌わしき記憶が瞬時に蘇る。

 

 偶然とはいえ、麗良のDNA情報を手に入れたのだ。

 

 悪魔が(ささや)く。

 

 このままだと俺の人生が終わる。いや、俺だけの問題ではない。奴らは、外道だ。このままいじめがエスカレートすれば、大事な家族まで犠牲になるかもしれない。

 

 それでいいのか? お前は、それで納得できるのか?

 

 二度と使わないと心に決めていた。だけど、家族に迷惑はかけられない。

 

 いいだろう。

 

 もう限界だった。

 

 あぁ、そうさ俺はお前らと違ってただの庶民だ。本来、泣き寝入りするしかない下民だよ。

 

 でも、下民だって生きてるんだ。一生懸命生きてるんだぞ。

 

 下民、下民、うるさいんだよ!

 

 俺は、怒った。猛烈に怒ったぞ。

 

 上民(そっち)が権力を使って攻撃するのなら、俺も持てる全ての力を使って反撃しようじゃないか。降りかかる火の粉は、払わなければならない。

 

 立ち上がり、押入れの引き戸を乱暴に開ける。

 

 雑多にある小物類がしまってあるのが見えた。

 

 近くにある物を一つ一つ取り出し、奥から(それを)取り出した。

 

 四重にもラップで包んだもの。

 

 一枚、一枚、丁寧に剥がし……現れた。

 

 洗脳機械(ブレインウォッシュ)

 

 どこにでもあるようで、どこにでもない金属でできた箱である。

 

 パカッっと開けると、起動ボタンが表れた。

 

 やってやる!

 

 怒りの感情に従い、震える指でその起動スイッチを押す。



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第8話「小学生時代の回想(前編)」

 俺には、誰にも話していない秘密がある。

 

 あれは今から七年前、当時小学生だった俺は、一人で下校していた。すると、突然、突風が巻き起こり、ユーフォ―が目の前に現れたのである。突然の事態にガクブルする俺。思考停止していた俺を、ユーフォ―から一人の宇宙人が現れ、あれよあれよと連れ去ったのである。

 

 未知との遭遇。

 

 今だから笑い話だけど、人生最大の危機だったね。今、思い出しても背筋が凍る。

 

 俺を連れ去った宇宙人、仮にAとする。Aは、地球の住民を調べ、気に入った住民を採取していた。地球の感覚で言うならば、いわゆる密漁である。地球は星間条約を結んでいない発展途上星らしく、セキュリティは、がばがばで密漁等の悪事をやりたい放題できるとか。

 

 Aは密漁の常習犯で、運悪く俺はAのターゲットにされてしまったのだ。

 

 訳も分からず泣き叫ぶ俺。このままドナドナの如く地球をおさらばするんだと嘆いていたら、別の宇宙人が現れた。そいつは、Aよりも一回り大きい筋肉ムキムキの男で、別の大きなユーフォ―から無理やり乱入してきたのである。

 

 今度は、誰? と思ったらAの親だった。

 

 Aの親、仮にBとする。

 

 Bは、Aを見るや怒声を挙げてAをタコ殴りにした。その後、俺に「地球語」で説明を始めたのである。その言葉は、流暢な日本語で、子供だった俺でもある程度事情を理解できた。

 

 要約すると、「息子の罪を許して欲しい。示談にしてくれ」とのことだった。

 

 Aの行為は、地球で言う密漁に当たる。法律が定まっていない昔は、現地人の乱獲が横行していたようで、今は未開の星でも人を拉致したら罪になるらしい。宇宙にも人権団体、いや、どっちかと言うと動物愛護団体のほうがしっくりくるかな。とにかく、そういう団体が力を持っているようで、Aは刑務所に入るかもしれないとのことだ。特に、俺は未成年だから相当重くなるらしい。

 

 宇宙人は宇宙人なりに法律があって、違反すれば地球のように罪に問われる。まぁ、宇宙人の科学力を前にすれば、地球の科学力なんて赤子そのものだ。示談なんてせず証拠である俺ごと消せばいいと思った。だが、宇宙人の警察も優秀なようで、下手なごまかしは効かないとのことだ。証拠の揉み消しなんてすれば、さらに罪が重くなるんだとか。

 

 で、だ。

 

 当時、俺はただの小学生だ。宇宙人の要望を断る勇気なんてあるはずがない。

 

 Bの提案をすぐに受け入れたよ。

 

 そして、示談の結果、俺はAの私物を譲り受けることになった。

 

 Aの私物……。

 

 そりゃすごかった。

 

 例を挙げれば、

 

 地球破壊爆弾……文字通り使用すれば、地球を木っ端微塵にできる。

 

 キラーマシーン……気に入らない奴をボタン一つ押すだけで消せる。一度消したものは元に戻せない。

 

 無限増殖装置……物体を永遠に増殖できる。ただし、停止ボタンは無し。

 

 などなど。他にもたくさん紹介されたが、どれも使い方ひとつで人類が滅亡するようなものばかりだった。

 

 さすが地球人を密漁をするような悪人だと思ったね。

 

 はっきり言ってどれも要らなかった。

 

 あまりにデンジャーすぎる。

 

 何度も要らないと言ったが、Bは言うことを聞いてくれない。俺がウンと言うまでひたすら粘って交渉してきたのである。

 

 俺は、早く家に帰りたかったから、了承せざるを得なかった。

 

 俺が選んだ道具。

 

洗脳機械(ブレインウォッシュ)」……人を洗脳する機械。人間の脳の使用率は、十パーセント程度、残りの九十パーセントに設定した記憶をインストールできる。ただし、洗脳対象のDNA情報が必要。

 

 これがまだましだったのだ。



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第9話「小学生時代の回想(後編)」

 地球に戻れてほっと一息。

 

 無事に帰れて涙したものだ。

 

 手には、宇宙人の置き土産「洗脳機械(ブレインウォッシュ)」。

 

 正直、使ってみたいという好奇心もあったが、それ以上に人を洗脳するという恐ろしい機械に恐怖していた。ただ、捨てるにも捨てられず、押し入れの中に隠したのである。コンパクトサイズの金属箱だから、隠すのに不都合はなかった。

 

 このまま一生使わなければいい。

 

 そう思っていたが、皮肉にも試す機会が訪れてしまった。

 

 あれは宇宙人に浚われて半年後、ようやくトラウマも払拭し、普段の日常に戻った矢先の話である。

 

 友達とソフトボールをして遊んでいたら、ボールがうっかり空き地の外にこぼれてしまった。外野にいた俺はすぐさまボールを追いかけたが、間に合わず、ボールは近所の田中さんの家に入ってしまったのだ。

 

 田中さんは近所でも有名な家である。田中夫妻は普通にいい人なのだが、その一人息子「まさし君」が問題なのだ。まさし君は、いわゆる引きこもりという奴で、めったに家の外に出なかった。たまに外に出ても、碌な噂を聞かなかった。

 

 やれ、隣のクラスの男子がバットで追い掛け回されたとか。

 

 やれ、上級生の女の子がスカートをめくられたとか。

 

 やれ、駐車場に止めてある車を片っ端からコインで傷つけていったとか。

 

 枚挙にいとまがない。

 

 やばい、と当時の俺は思った。

 

 まさし君は、いわゆるキレた奴だ。

 

 家に入って見つかったら、何をされるかわからない。

 

 とにかくパッと入って、ボールを取って帰ろう、そう決めて田中家の庭に侵入したのだが、ボールを捜しているうちに奇声を上げている部屋に気づいた。

 

 なんだ、なんだ?

 

 その時の俺は好奇心を抱いた猫であった。

 

 恐る恐る窓を覗き見したのである。

 

 そこには、涎を垂らしながら意味不明な言語を叫んでいる男、大麻か覚せい剤か知らないが、薬でラリっているまさし君の姿があったのだ。

 

 衝撃で立ちすくむ俺。そして、うっかりまさし君と目があってしまった。

 

 やばいと思い、慌てて逃げたが、所詮は小学生の足だ。あっというまに追いつかれ捕まってしまった。

 

 まさし君は、小学生の俺の胸倉を掴み「不法侵入だ」と怒鳴った。さらに「今見たことは親にも警察にも誰にも言うな」と叫び、最後は「不法侵入の慰謝料で毎月1万円をよこせ」と脅してきたのだ。

 

 小学生にとって1万円は、大金である。そんな金は無いと泣きながら訴えても、まさし君は許さなかった。「無いなら、親の財布から盗んで来い。断るなら気絶するまで殴る!」と脅迫してきたのである。

 

 子供にとって、大人の暴力は恐怖そのものであった。だから、親にも警察にも言えなかった。

 

 どうしよう?

 

 悩んだ末、その時始めて「洗脳機械(ブレインウォッシュ)」を使おうと思った。まさし君を洗脳して、善人になってもらえばいい。人間の記憶は、性格に大いに影響する。いわゆる生い立ち、教育、その全てが記憶へとつらなるからだ。その記憶を善人にすればいいと考えた。

 

 使い方は、宇宙人に教えてもらっていたので、問題なかった。洗脳するためには、洗脳対象のDNA情報がいる。

 

 俺は、貯めていたお年玉から一万円を取り出し、まさし君の家に持って行った。その時、ついでにまさし君の部屋に置いてあった枕から毛髪(DNA)を手に入れたのである。

 

洗脳機械(ブレインウォッシュ)」を起動し、ストーリーを入れるところで、ふと思った。善人に記憶を書き換えるって、どうすればいいのかと。

 

 小学生だった俺が真っ先に思い浮かんだ善人は、両親や妹、いわゆる家族だった。

 

 例えば、父親の記憶に書き換える……まさし君がうちに来る、いやいや、本物の父さんがいるのに困る、今を生きている人の記憶ではだめだと思い直し、それはすぐに考えから消した。

 

 で、考えついたのが、偉人だ。立派な偉人の人格をインストールすれば、善人になるだろうと。

 

 偉人……一口に言ってもいっぱいいるが、当時の俺がまっさきに思い浮かんだ候補があった。

 

 それは、ずばり、田中正造である。

 

 あの日、学校で歴史発表会が開催されていた。題材が田中正造で、俺は、めっさ調べていたのだ。

 

 田中正造……。

 

 日本初の公害事件と言われる足尾銅山鉱毒事件で明治天皇に直訴した政治家。何度も投獄されながらも、民の側にたち半生をかけて闘ってきた男だ。

 

 不正はしない。私腹を肥やすなんてもってのほか。

 

 まさに政治家の中の政治家。弱者のために己の命を懸ける、信念の人だ。

 

 田中正造めっちゃいいじゃん!

 

 善い人になれ、善い人になれ!

 

 そう念じながら俺は「洗脳機械(ブレインウォッシュ)」にまさし君のDNAを入れ、田中正造の資料をやたらめったら入れまくった。

 

 結果……。

 

 まさし君は、善人になった。

 

 突然、「前世の記憶」が蘇ったといい、今までの自堕落な生活を改め、夜間学校に通い始めたのである。

 

 ニートだった暮らしとは真逆だ。

 

 大検に合格し、法大学を卒業、在学中に司法書士の資格を得て、こないだ見かけたときは、ある政治家の選挙演説でお手伝いをしていた。確かその政治家の秘書になったのかな。そのうち地盤を引き継いで政治家として立候補するとも聞いている。

 

 田中さん夫妻はすごく喜んでいる。息子が別人のように立派になったと。

 

 俺はいまだに笑えていない。

 

 本来まさし君は、政治家になるような人ではない。

 

 小学生を脅し、薬でラリって、煽り運転をする人生を送っていたと思う。

 

 今のまさし君は、まさし君であってまさし君ではない。

 

 俺は、「洗脳機械(ブレインウォッシュ)」でまさし君という個性を殺したのではないかと、自分は殺人者じゃないかって、ずいぶん悩んでたと思う。

 




【洗脳されなかった場合のまさし君の人生】
 ニート、薬物依存者、ジャンキーは、継続。七年前は、コカイン、マリファナ、ヘロインをたまにやって、パーになってたぐらいだったが、その後、薬物依存に拍車がかかる。警察沙汰になること数十回、最後は、ラリって無差別に車のフロントガラスを割っている最中に別な車に轢かれて死亡する。


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第10話「ブレインウォッシュの効果とは」

 もうなりふり構ってられない。

 

 「洗脳機械(ブレインウォッシュ)」を起動した。

 

 テクニカルな動きで小箱が揺れ、無機質なメッセージが流れる。

 

『洗脳対象のDNA情報を入れてください』

 

 懐かしい。七年前以来だ。

 

 「洗脳機械(ブレインウォッシュ)」の左側にある挿入口に洗脳対象のDNA情報を入れる。DNAは、地球上に同じものが二つとなく、その人そのものを表す証明書だ。

 

 麗良……。

 

 俺がいじめにあっているのも麗良が俺の話を信用しないのが悪い。俺への信用度を無理やりにでも上げさせる。慰謝料なんて絶対に払わないぞ。

 

 麗良の髪の毛を入れる。金髪の艶やかな髪の毛が中に吸い込まれていく。

 

『対象を認識中……』

 

 メッセージが流れる。

 

 大丈夫か?

 

 自分の爪に巻き込んでいた髪の毛だ。DNA情報が劣化していたら本人を認識できないかもしれない。

 

 少し心配していると、

 

『対象を認識しました』

 

 無機質にメッセージ音が流れた。

 

 よし、うまくいった。

 

 ぐっと小さくガッツボーズを出す。

 

 そして、洗脳機械(ブレインウォッシュ)から続きのメッセージが流れる。

 

『洗脳する内容をインプットして下さい』

 

 そして、キーボードが空中に浮かび上がる。

 

 洗脳内容……。

 

 昔みたいに偉人の前世をインストールしたら、ややこしいことになる。仮に麗良に「田中正造」の記憶をインストールしたとしよう。田中正造は、正義の人だ。クラス内のイジメを止めてくれるかもしれない。だが、偉人の記憶は、あまりに前と性格が変わってしまう。それは、「まさし君」で確認済だ。

 

 ある程度今の性格を維持するためにも、うってつけのものがある。

 

 俺が執筆中の小説「ヴュルテンゲルツ王国物語」だ。本小説に登場するキャラ、レイラ・グラス・ヴュルテンゲルツの情報をインプットすればよい。何せレイラは、麗良の性格をもとに作ったのだ。洗脳しても性格はそこまで変わらないだろう。

 

 そして、何よりレイラは、主人公ショウを絶大に信頼している。レイラの記憶をインストールすれば、ショウこと俺への信頼度ば必然的に爆上がりだ。

 

 ふふ、思えば……。

 

 小説を書き始めた時、無意識にこれを望んでいたのかもしれない。

 

 空中に浮かんだキーボードを使い「小説、ヴュルテンゲルツ王国物語に登場するキャラ、レイラ・グラス・ヴュルテンゲルツの記憶」と入力する。

 

 間をおかずして、メッセージが流れる。

 

『承認しました。次にヴュルテンゲルツ王国物語に関する情報をインプットして下さい』

 

「ヴュルテンゲルツ王国物語」の原稿をパソコンからUSBにコピーし、そのUSBを洗脳機械(ブレインウォッシュ)に入れる。

 

『認識中……』

 

 メッセージが流れる。そして、

 

『小説、ヴュルテンゲルツ王国物語の情報のインプットが完了しました』

 

 これで、およそはオッケイ。後は、

 

『洗脳するデータ量を設定ください』

 

 空中につまみが現れる。元の記憶と洗脳する記憶を調整する。

 

 これくらいか……。

 

 つまみを五割に固定する。

 

 麗良には、今まで生きてきた人生がある。むかつく奴だが、それを無碍にするわけにもいかない。やりすぎはいけない。六割以上にしてはいけないだろう。ただ、レイラの記憶は、幼少時から即位までは絶対に必要だ。ここでショウとの絆が生まれるからだ。

 

 洗脳する記憶量に値する小説のページを閲覧する。

 

 五割で小説でいうドルアガギール攻略までの記憶ってところか。

 

 どうせなら……。

 

 つまみを少し上乗せする。

 

 この記憶量は、帝国とのヴェルガーナ撤退戦でショウが壮絶な戦死を遂げるまでだ。厳密には、戦死ではないのだが、レイラはそう思っている。レイラがショウの生存を知るのは第二章からだ。

 

 これなら架空とはいえ、劇的な再会が期待できる。

 

『これでよいですか? インストールを開始します』

 

 メッセージが流れる。

 

 あとは、空中に映し出されたキーボードのEnterキーを押すだけだ。これで洗脳が完了する。

 

 ボタンを押せば、もう引き返せない。最終確認だ。

 

 迷いはない。

 

 草乃月財閥と小金沢グループ、天下の両財閥に敵認定されたのだ。もはや正攻法だけでは解決できない。禁断の手を使うしかないのだ。

 

 麗良……。

 

 イジメを黙認するだけでも腹立たしいが、麗良は「慰謝料」という形で俺も俺の家族も攻撃しようとした。俺の中での秤が「使用」に傾いた瞬間である。

 

 やる!

 

 Enterキーを押す。

 

『対象へのインストールを開始中……対象へのインストールを完了しました』

 

 はぁ、はぁ、やってやったぜ。

 

 これで俺の言葉も麗良の耳に届くだろう。紫門(ゆりかど)の好感度も極限まで下がったはずだ。麗良の敵認定は解除され、紫門(ゆりかど)に鉄槌を与えられる。



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第11話「私は、王女レイラ・グラス・ヴュルテンゲルツである!」

 草乃月 麗良は思う。

 

 楽しい。

 

 高校生活が充実している。

 

 私は、草乃月財閥の一人娘。小さい頃からお稽古、勉強で自由な時間がなかった。このままエスカレータ式に進学して親の会社に就職して、最後は親の薦めで見合いをして結婚をする。

 

 想像できてしまう、私の人生。

 

 中学卒業を前に、ふとそんな人生がつまらなくなった。

 

 もちろん、何不自由なく暮らしていけるのは、両親のおかげだ。その点は、感謝している、感謝しているのだが、一つぐらい我儘を言いたい。進路も将来も決められているが、学生時代、高校生の間くらいは自由に青春を謳歌してみたいじゃない。

 

 そのためにも進学予定の「鳳凰院高等学園」ではだめだ。鳳凰院学園は、名家の御曹司や政治家、医者、人間国宝の子供達が通う名門校で、進路や設備も他と一線を画している。

 

 屋上には天然芝と防犯カメラや校内エレベータなどの先進設備、カフェテリア、和洋中揃った学食、有名な作家の初版本もある大規模な図書館。

 

 ただ学費を払うだけでなく、ふさわしい品格がないと入学できない。選ばれし者しか入れない高校だ。

 

 ただ、一点校則が厳しすぎる。くだけた言葉遣いはだめ、放課後の寄り道はだめ、巷で遊ぶ色々な場所に出かけるのもだめ。常に紳士淑女たれ。これでは男女交際どころか男友達すらできないだろう。

 

 私は放課後に友達とタピオカを飲んで、カラオケに行ってみたいのだ。何より素敵な男の子とデートもしてみたい。

 

 あそこでは、絶対にできないだろう。

 

 いやだ、いやだ。

 

 粘り強く両親を説得した結果……。

 

 庶民が通う南西館高校に通えるようになった。当然、学業を疎かにはできない、首席を取ることが条件だ。地区有数の進学高らしいけど、所詮は庶民の学校だ。普段のレベルを発揮すれば、問題ない。

 

 そして……。

 

 高校に入学し、私は自由を満喫した。

 友達と他愛もないおしゃべり、放課後のショッピング、念願のカラオケにも行った。

 

 新鮮だった。

 

 庶民出身の子ではレベルが低く話が合わないだろうって、鳳凰院高等学園に通うはずだった友人も何人かついてきてくれた。持つべき者は友人よね。

 

 そして……

 

 紫門(ゆりかど)君。私の最愛の人。

 

 紫門(ゆりかど)君も私の我儘に付き合ってくれた。本当は海外の有名校に留学するはずだったのに、経歴を汚すことになっても、わざわざ私のために格下の高校に通ってくれたのだ。親切で笑顔がさわやかで素敵な人。

 

 少し強引だけど、好きだと言ってくれた。

 

 大切にするって、将来結婚しようって、キスされそうになった。

 

 キスは、びっくりして思わず拒絶したけど、嫌じゃなかった。ふふ、男の子だもん、しょうがないよね。次は大丈夫、私も覚悟を決めた、同じ気持ちだから。

 

 たくさんデートしよう。

 

 クリスマスの夜とかロマンテックにしたいなぁ。

 

 ふふ、今から楽しみ。

 

 あぁ、お父さんを説得して、よかった。

 

 学校生活が楽しい。

 

 ただ、不満を一つ言えば……。

 

 白石。

 

 もともと名前もうっすらとしか記憶していなかった。同じクラスになっただけ、話をしたことがない。話をする価値もない。そんな小物が紫門(ゆりかど)君を誹謗中傷してきたのだ。あろうことか紫門(ゆりかど)君が他校の女性とホテルに行ったなんて!

 そんなでたらめを言うなんて信じられない。

 

 紫門(ゆりかど)君に事情を聞いたら、生徒会の交流で他校の女性と会ったことはある。その様子を白石が面白可笑しく言ったんじゃないかって。じゃあ、白石はなぜそんなでたらめを?

 

 紫門(ゆりかど)君が言うには、私の気を引きたいから嘘を言ったらしい。

 

 ぷっ、思わず失笑した。

 

 くだらない。私の気を引きたいなら正々堂々と告白すればいい。まぁ、あんな小物、どうせ断るけど。

 

 本当、ばかばかしい。

 

 そして、腹が立つ!

 

 昨日なんて、見当違いの言葉を浴びせ、あまつさえ暴力まで振るってきたのだ。絶対に許せない。

 

 紫門(ゆりかど)君にそのことを言ったら、すごく怒ってくれた。私のために凄くうれしい。皆で制裁するって言ってたけど、楽しみ。

 

 ふふ、ざまぁみろって、こういう時に使うのよね。きっちりお灸をすえてもらおう。後はお父さんに頼んで、白石は退学にしてやろう。視界に入るだけでイライラするもん。慰謝料もきちんともらう。庶民には、少し高いかもしれないけど、あることないこと風潮して紫門(ゆりかど)君の将来を汚そうとしたんだもの、当然よね。

 

 あぁ~くだらない、くだらない。

 

 こんな茶番を見るため、お父さんに無理を言って入学したんじゃない。

 

 イジメられているって言ってたけど、イジメられるほうに問題があると思う。白石を見ていればわかる。顔も頭も性格も悪いなら当然の結果だ。

 

 はぁ~もうやめやめ、白石なんて小物、考えるだけ人生の無駄ね。

 

 せっかくの高校生活だもん。

 

 紫門(ゆりかど)君のことを考えよう。

 

 明日、返事をする。覚悟を決めた。キスの先だって、許しちゃう。

 

 少し遅めだが、ベットに入り眠る。

 

 

 

 ★ ☆ ★ ☆

 

 

 

 

 目が覚めた。

 

 知らない天井……いや、知っている天井だ。

 

 頭がボーっとする。

 

 私は……誰?

 

 麗良、レイラ。

 

 おもむろに頬を触る。濡れていた。夢で涙を流していたらしい。

 

 夢?

 

 あれは夢なの? いや、夢というにはあまりにもリアルすぎる。

 

 数千、数万、幾億もの人々の期待を一身に受けて立つ、その姿。

 

 王としての在り方……。

 

 友人からの薦めでとある漫画を読んだ。その中であった話に似ている。

 

 前世の記憶が蘇った少女は、元王国の王女で、隣国の王子と現代の日本で再会する話だ。

 

 私も前世の記憶がよみがえった?

 

 ううん、ただの夢。そんな非現実的な事が起こるはずがない。

 

 無理やり起きて、身支度をする。

 

 途中お手伝いさんに何か言われた気がするが、耳に入ってこない。

 

 学校に向かう。

 

 あれは……私は……。

 

 考えれば考えるほど、深みにはまる。

 

 校門に近づくと、見知った顔が見える。

 

「麗良さん、おはようございます!」

「麗良さん、おはよう!」

 

 クラスメート達だ。

 

「おは、よ……」

 

 挨拶しようとした手を引っ込める。

 

 今までと同じクラスメートのはずなのに。

 

 クラスメートの顔と、前世の記憶がマッチする。

 

 生々しい記憶だ。

 

 難攻不落と名高いヴュルテンゲルツ城が燃えた。

 裏切った重鎮達の手によって、燃やされたのだ。

 

 国王であるお父様を殺した。後を継いだ私も殺そうとした。

 

 日頃、私に都合のよい言葉で褒め連ねてた。宮廷での地位に固執し、ありとあらゆる力を行使し、気に入られる努力をしてきた者達。

 

 陰では私をあざ笑い、国を裏切っていた者達だ!

 

 笑顔で挨拶をするクラスメートの顔がぐにゃりと歪み、醜い笑みへと変貌する。

 

 それは、まるで国を傾かせた王女を陰でクスクスと笑っているかのようだ。

 

 やめろ、だまれ。

 

 眉間に皺を寄せ、その声に耐えていると、

 

 紫門(ゆりかど)が声をかけてきた。

 

「おはよう、麗良」

 

 昨日までは爽やかな笑顔だった。いつもその顔を想い耽っていたはずなのに……。

 

 今は醜悪な小鬼がニヤついているように見える。

 

 吐き気がした。

 

 醜い。醜すぎる。

 

 私は、このような奴に懸想し、あまつさえ接吻までしようとしてたのか!

 

 気持ち悪い。

 

 おえっ!

 

 えづく。

 

 地面に吐しゃした。

 

 はぁ、はぁ、はぁ。

 

 八つ裂きにしたいほどの憎悪で胸が焦げ付く。

 

 シモン・ゴールド・エスカリオン……。

 

 レイラの婚約者。ヴュルテンゲルツ王国の東部ワイインを領土に持つ大公。国の重鎮かつ王女の婚約者という身でありながら、裏で帝国に繋がっていた男。数多の罪なき女性を慰め物にし、民をいたぶり悦に浸る暴君。

 

 ワイインを視察した際の……。

 

 あなた、あなた!

 

 倒れる夫に縋りつく妻の悲鳴が響く。そんな嘆く妻をシモンは嗜虐の笑みを浮かべ襲う。傍らにいるその子達は、半狂乱になって泣き叫んでいる。

 

 あぁ、なんという悲劇だ。苛政は、虎よりも猛なり。シモンが治める東部は、地獄そのものであった。

 

 情景が頭に鮮明に映し出される。

 

 ち、違う!

 

 夢だ。夢に決まってる。現実と夢を混同するな。

 

 ぶんぶんと頭を振るう。

 

「麗良、調子でも悪いのか?」

「う、うん、ちょっとね」

「大丈夫かい? なんなら保健室まで連れていくよ」

 

 やめろ。近づくな。

 

「い、いい」

「遠慮するなって、俺とお前の仲だろ」

「いいって!」

 

 紫門(ゆりかど)が差し出した手を強引に振り払う。

 

「れ、麗良?」

「はぁ、はぁ、大丈夫だ、から……少し落ち着いたら行く」

「そ、そうか。無理するな。落ち着いたら教室に来てくれ。面白いもの、見せてやるから」

 

 そう言って、紫門(ゆりかど)がその場を後にする。

 

 消えたか。

 

 天を仰ぎ、ふーっと大きく息を吐く。

 

 はぁ~ほっとしたのもつかの間、

 

「麗良さん、さっきのは一体……?」

 

 紫門(ゆりかど)とのやりとりを怪訝に思った生徒が聞く。

 

「麗良さん、もしかして体調がお悪いんですか?」

「そっか。さっき吐いてましたし、風邪なら休んだほうがいいですよ」

 

 紫門(ゆりかど)が去ってからも、次々と声をかけてくる生徒達。

 

 やめろ、来るな。

 

 声をかけてくるのは、国を崩壊させた裏切り者達だ。

 

 うるさい。貴様らの声を聴くのは不快だ。

 

 これ以上話しかけるな。

 

「麗良さん」

「麗良さん」

「麗良さん」

 

 ………

 

 だめだ。もう我慢できない。

 

 これ以上、お前達の声を聞いていたら……

 

 これ以上、お前達の存在を許していたら……。

 

 殺したくなってくる!!

 

 殺意に委ねたまま、手を振り回す。

 

「ひぃ! な、何するんですか、麗良さん」

 

 殺気を込めて振り回した手は近くにいた生徒の頬を掠ったようだ。頬からたらりと血が垂れている。生徒は、驚き尻もちをついていた。

 

 はぁ、はぁ、はぁ、私は何をやっているんだ?

 

 これじゃまるで精神異常者じゃないか。

 

 驚く周囲をよそに、ふらつきながらその場を立ち去る。

 

 どこかで休憩しよう。

 

 中庭に入り、石段に腰を下ろす。しばらく休憩すれば落ち着くだろう。

 

 ……

 

 …………

 

 ………………

 

 だ、だめだ。

 

 時間が経てば経つほど、心はさざ波のように揺れる。

 

 脳内に、前世の記憶がどんどん洪水のように注がれるからだ。

 

 テンメリの大飢饉。テンメリ三年の冬、王国東部一帯を襲った大規模な干ばつのため、農作物の収穫が大幅に減少した。民は飢え、死者は十万人以上となる。

 

 民が飢えと病に苦しんでいる時、領主であるシモンは驕奢に耽っていた。さらには悪徳商人と結託し、わずかに残った食物を買い漁り、暴利を得た。

 

 南蛮の大乱。王国南部に位置するエイアンで異民族の反乱が起きた。南蛮国の首領毛獲率いる十万の蛮兵が王国南部の都市エイアンに侵攻したのだ。

 

 軍に多大な影響を与えていた大公シモンは、征南将軍にサッサ伯爵を任命。サッサ将軍は、国軍三十万を率いて鎮圧に向かうも、悉くこれに敗北。王国軍の士気を大いに下げた。

 

 ミナトガワの撤退戦。先年のカントの戦いで帝国軍に大敗を喫したヴュルテンゲルツ王国軍。勢いに乗る帝国は、王都ヴュルテンゲルツに進軍を開始。

 

 サッサ伯爵達の手引きにより、王国軍は、瓦解寸前に陥いり王都は帝国軍に占領された。そんな厳しい情勢で王と側近達は、王国西部のチョウアンに撤退を余儀なくされた。

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 あぁ、そうか。夢であるわけがない。

 

 あれは現実だ。私は、あの忌まわしき地獄のような世界を生き抜いた。

 

 ショウ、お前のおかげだ。

 

 テンメリの大飢饉の際は、寝食を忘れて難民救済にあたってくれた。各地にお助け小屋を設置し、炊き出しを行った。日頃から備蓄対策を行い、名宰相ぶりを魅せてくれた。

 

 南蛮大乱の際は、沈着冷静に鎮圧にあたってくれた。王国の東西南北に位置する異民族、東夷、西伐、南蛮、北緯、彼らの間で疑心を頂かせ楔を打った。季節ごとに移動を繰り返し、永住はせず、何度も略奪を行う異民族達。歴史、文化がまるで違うそんな異民族達に歴代の王は常に頭を悩ませてきた。そんな難しい問題を、異民族の部族長に会い、時に武力で脅し、時に貢物で和睦し、名外交ぶりを魅せてくれた。

 

 ミナトガワの撤退戦の際は、数百騎を引き連れ、帝国軍七万の部隊に突撃を敢行した。十八時間の合戦のうち、十二回の突撃を行い、帝国軍を釘付けにすることに成功、その名将ぶりを魅せてくれた。

 

 ショウ、お前が傍らにいてくれたからこそ、どんな困難も乗り越えることができた。どんな逆境でも、私は幸せであった。

 

 あぁ、思い出す。

 

 ショウの声を思い出した。

 

 懐かしい声だ。

 

 暖かく心地よい。私を気遣う優しい声だ。

 

 ショウの顔を思い出した。

 

 一見地味だが、よく見るとかわいく凛々しい。

 

 ショウの気性を思い出した。

 

 優しくて頼りになる。気遣いができて男らしい。

 

 幼少より私を支えてくれた大事な大事なショウ。

 

 そうだ。何を迷っていたのだ。

 

 私は、私は……草乃月 麗良ではない。

 

 ヴュルテンゲルツ王国第九十九代国王にして、希代の女王レイラ・グラス・ヴュルテンゲルツだ!

 

 帝国の侵攻にさらされながらも、佞臣達に寝首をかかれそうになっても、必死に国を守ろうとした。

 

 未熟な王であったが、ついてきてくれる者もいた。こんな私を支えてくれる者がいた。

 

 ショウ・ホワイスト。

 

 この男がいれば、どんな逆境でも覆せると信じることができた。

 

 王佐の才を持つ忠臣中の忠臣、そして、私の最愛の人だ。

 

 完全に思い出した。思い出したよ、ショウ。

 

 あぁ、ショウに会いたい。

 

 会いたい。

 

 ショウ?

 

 ショウはどこ?

 

 あっ!?

 

 白石翔!!

 

 昨日までの麗良として生きてきた記憶と混ざり、冷や汗が出る。

 

 クラスメートとして二年近く過ごしたけど、話したことは……なかった。話そうともしなかった。

 

 私は、彼を無視していたのだ。

 

 前世、あれほど支えてくれたのに。

 

 国を、民を、そして愚かな私を!

 

 うぅ、罪悪感で心が苦しくなる。

 

 ショウ、あなたに償わなければならない。

 

 ショウは?

 

 そういえば、さっき、シモン(クズ)が面白いものを見せると言っていた。

 

 私に対する制裁がどうのと……。

 

 私、昨日あのシモン(クズ)に何を頼んだ?

 

 思い出せ。

 

 ………

 

 あ、あ、あ、な、なんてこと。

 

 私は、なんてことをしでかしたのだ!

 

「ショウ!」

 

 勢いよく立ち上がり、中庭から飛び出す。

 

 急いで校舎に入り、教室の扉の前まで行く。

 

 そこには……。

 

 クラスメート達がいた。

 

 入口を見張るように立っている。

 

 知っている顔だ。

 

 『彼らに挨拶をし、教室に入る。席に座り授業を受けて、一緒に昼食を取る』

 

 いつものルーティンならこんな感じだ。だが、今は違う。もはや同じとは思えない。

 

 こいつらは我が身可愛さに帝国に寝返った売国奴共だ。

 

「麗良さん、おはようございます。へっへ、ちょうどいいタイミングですよ」

「そうそう、これからメインイベントですから」

 

 売国奴共が私に気づき、下卑た顔で言う。

 

 返答するのもけがわらしい。

 

 私は無言でドアの扉に手をかける。

 

「麗良さん、俺達は見張りをしてますから。存分に白石の奴を――ぐぼっ!!」

 

 みなまで言わせなかった。

 

 扉に手をかけていたその手を取っ手から放し、大きく上に振りかぶる。そして、その醜悪な面に思い切り拳を叩き込んでやった。ごきんと鈍い音が鳴り、売国奴は、鼻血を出して廊下に倒れる。

 

「れ、麗良さん、何を?」

「邪魔よ。どきなさい」

 

 売国奴共を睨みつけた。私の殺気に恐怖したのか、売国奴共は一斉に横に逸れ、道を開けた。

 

 拳についた汚い血をハンカチで拭い、再びドアの取っ手に手をかける。

 

 そのまま教室の扉を乱暴に開け、中に入った。

 

 ショウは?

 

 周囲を見渡す。

 

 あっ!?

 

 ショウは、教室の後ろで売国奴共にいたぶられていた。売国奴共は、ショウを囲んで殴る蹴るのやりたい放題である。

 

 なんてこと。

 

 私の大事なショウになんてことを!

 

 許せぬ!

 

 怒りでふつふつと頭が煮えたぐるのを実感する。

 

 そして……。

 

 裏切りの将軍サッサがショウの頭に木刀を打ち下ろそうとしていた。

 

 殺す!

 

 感情を抑えるのは、もう限界だった。

 

「やめろぉおお!」

 

 感情のままに大きく叫んだ。

 

 クラスメート達がぎょっと振り返る中、すたすたとショウのもとへ歩いていく。

 

「……貴様ら、何をしている」

 

 自分でも驚くぐらい殺気を込めた声だと思う。感情を表に出すのは、君主として失格だが、もう抑えられない。

 

「れ、麗良違うんだ」

 

 そう言って、売国奴の筆頭シモンが私の前に進み出てきた。

 

 あぁ、こいつは……。

 

「麗良、聞いてくれ。君が襲われたと聞いて、心配で心配で、そしてあまりに悔しくて、怒りで我を忘れてしまった」

 

 なんで、こいつは……。

 

「白石の奴が許せなくて――」

 

 現世でもここまでクズなのだ!

 

 言い訳をして、嘘をついて、何よりショウを苦しめている。

 

 前世、こいつのせいで王国の民、百万が犠牲になった。国を思う忠臣も、お父様も殺された。

 そして、ショウも、こいつのせいで長らく苦しんだのだ。

 

 最後は、ショウがシモン(クズ)を成敗してくれたが、その被害はあまりに大きかった。

 

「で、でも、さすがにこれはやりすぎだったね。俺も今、彼らを止めようと――」

 

 前世、お父様の墓前で誓った。

 

 再び出会えば、殺す!

 

 生きていることを骨の髄まで後悔させてやる!

 

 そう――誓ったのだぁああ!

 

「ひぎゃああ!」

 

 シモン(クズ)の股間を思い切り膝で蹴り飛ばした。前世、やりたくてやりたくてしょうがなかったこと、ついに実践できた。

 

 シモン(クズ)は、泡を吹いて悶絶している。

 

 くっく、これは最高に気分がよい。

 

 その後、売国奴のサッサも同様に制裁し、皆に宣言した。

 

「ショウに手を出す輩は、この私が許さん!」

 

 ショウ、世界が敵になろうとも私だけはお前の味方だ。




【洗脳されなかった場合の草乃月 麗良の人生】
 高校時代に小金沢 紫門(ゆりかど)との交際を開始、二十五歳で結婚するも、幸せな結婚生活を送れなかった。結婚するや紫門(ゆりかど)の態度が一変。毎日のようにモラハラ、パワハラを受け、三年後には離婚。その時のストレスで鬱状態となり酒に溺れる。三十歳の時に急性アルコール中毒で病院に運ばれ、まもなく死亡。


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第12話「最初のリベンジ、まずは賠償金だね」

 麗良と仲良く昼飯を囲っている。日当たりのよい学校の屋上を貸し切り、二人きりでだ。

 

 どうしてこうなった!?

 

 俺が宇宙人からの贈り物「洗脳機械(ブレインウォッシュ)」を使ったから。

 

 はい、一秒で論破。原因解明、終了です。

 

 あれ以来、学校では麗良と行動を供にしている。学校の登下校から始まり、昼食、移動教室、休憩時間全てだ。

 

 取り巻き達はいいのか?

 

 聞いたところ、売国奴達とつるむ気はないんだって!

 

 はは……。

 

 ちなみに紫門(ゆりかど)と佐々木は現在、緊急入院している。股間が腫れて全治二週間だとか。

 

 いい気味だ。実にいい気味だ。

 

 このまま紫門(ゆりかど)達も洗脳と言いたいところだが……。

 

 ちらりと正面にいる麗良を見る。

 

 麗良は、満面の笑みで俺を見つめていた。

 

 無防備な笑顔だ。

 

 まるで大恋愛の末に結ばれた恋人同士のようだね。

 

 うん、麗良を見ればよくわかる。これは、人格を殺す道具だ。以前とは段違いの態度。

 

 自重だ。自重しよう。

 

 欲望に負けるな。

 

 どうせ奴らは入院中で手が出せない。

 

 今は麗良が味方になってくれた。それだけで十分である。紫門(ゆりかど)達のいじめが無くなり、少なからず平穏な高校生活を送れるようになれば、彼女の洗脳を解けばいい。

 

 解き方はわからないけど……。

 

 する。なんとかするんだ。人の人生が懸かっているからな。

 

「ショウ、どうだ。美味いか?」

「う、うん、うまいよ」

「そうか、遠慮するな。おかわりもあるぞ」

 

 でんとテーブルに乗せられた五重のお弁当。松茸、キャビア、フォアグラと言った高級食材をふんだんに使用している。孔雀の形をした人参も職人技が光るね。

 

 麗良が用意したお弁当、いわゆる高級料亭の仕出し弁当である。それも総理大臣とかVIPが通う「超」がつく高級料亭のものらしい。

 

 聞いたときは、びびった。総理大臣って……場違いにもほどがある。一生縁のないところだよ。

 

 キャビアにフォアグラといった高級食物を、しがない高校生の身分で食せようとは思いもしなかった。

 

 はぁ~

 

 思わずため息が出た。

 

 いや、不満なんてないよ。俺が頼んだのに、文句を言うほど傲慢じゃない。

 

 麗良を洗脳したあの日、麗良は償いをすると言い出し、お金を渡そうとしてきた。諭吉さん、一枚じゃない、札束でだ。それも一束じゃないぞ。札束がアタッシュケースにぎっしりと詰まっていた。

 

 麗良のボディガードがいつのまにか持ってきたジュラルミンケースを見てびびったね。

 

 ドラマとかでよくあるジュラルミンケースを開けてバラバラと札束が零れるよね。あんな感じだ。

 

 あんなに大量のお金初めて見たよ。

 

 一千万はあったかな?

 

 俺は、パニクってたのに、麗良は涼しい顔で言ったよ。

 

 ひとまず現金は、これぐらいあればいいかって。さらに、これ以上はかさばるからって、俺専用のクレジットカードも用意してくれるってさ。

 

 草乃月銀行のプラチナカード。

 

 VIPしか知らない特別のカードで引き出すのに上限は無いらしい。十億ほど入金されてて、好きなだけ使っていいそうだ。足りなくなれば、補充もしてくれるってさ。

 

 ひくよ、ひきますよ。

 

 こんな大金をもらって、のうのうと生きていられるほど無神経ではない。俺は、小心者なんだ。

 

 麗良に「お金はいらない。勘弁してくれ!」と懇願した。

 

 何度も何度も頭を下げたよ。

 

 でも、麗良は、是が非でも償いをすると言って頑として譲らない。

 

 双方押し問答が続いた。

 

 だからね……。

 

 代わりにお弁当が欲しいとお願いした。妥協案である。

 

 ほら、よくあるだろ。

 

 可愛い彼女が何かのお礼にお弁当を作ってくるって。ドラマや漫画でよくあるパターンだ。

 

 おにぎりに卵焼きにタコさんウインナが入っている、そんな程度でよかったのに……。

 

 正直、草乃月財閥舐めてました。

 

 麗良が用意したお弁当は、あまりにゴージャスすぎる。

 

 テレビの特番でウン十万もする高級おせち料理を見たことがある。一つ一つの食材が天然物で、有名な料理人が腕を振るって作られたものだ。この弁当、それに劣ってない。それどころか完全に勝っている。

 

 あれでもウン十万するんだからな。

 

 この弁当、一体どれくらいするんだろう?

 

「あの、これいくらかかったの?」

「なんだ、気になるのか?」

「そりゃね、あんまり高いと悪いし」

「ふふ、気にするな。これは私の償いの一つだ。この程度ではとても償いにはならないが、お前のたっての頼みだからな」

「はは……そう」

「ちなみに値段は安くはないとだけ言っておこう」

 

 麗良がドヤ顔をしている。

 

 草乃月財閥が言う安くない……一千万円をとりあえずといって渡す家だぞ。

 

 うん、もう聞かないでおこう。

 

 聞いたらストレスで禿げそうだ。

 

 ポジティブ、ポジティブ。

 

 これ以上、考えたら負けだね。

 

 最近栄養を取っていなかった。ストレスでいつも胃がキリキリしてたから。

 

 この機会に美食を楽しもう。

 

 箸を取り、弁当をつまんでいく。

 

 海老、蟹、イクラ……。

 

 美味い、美味い。

 

 次はメインデッシュだ。

 

 西洋の至宝フォアグラを掴み、口に入れる。

 

 うっ!? うめぇ~。

 

 ほろりとほぐれるやわらかな食感、そして濃厚なソースが舌を刺激した。

 

 美味である。美味である。

 

 箸が進むよ。

 

「もぐもぐ、うまい、うまいよ。こんなに美味い飯は初めてだ」

「そうか、そうか、この程度のもので……清貧生活は辛かっただろう。安心しろ。お前に二度とひもじい思いはさせん」

 

 麗良がハンカチで涙を拭っている。

 

 いや、何気に家をディスってるな。清貧生活ってなんだよ。

 

 俺の家は普通だ。

 

 確かに毎日ステーキは食えないかもしれないが、月に二回は、好物のすき焼きとか食べてるんだからな。

 

 あまり中流家庭舐めないで欲しい。

 

「別に、ひもじい思いはしていないよ。普通に肉食べるし、こんなに高級じゃないけど美味しい食事もしている」

「あいかわらずだな。飢饉の時もそう言って、やせ我慢をしていた」

 

 飢饉って……事情を知っている俺だから大丈夫だけど、普通は頭おかしい奴って思われるからね。

 

 俺、言ったよな。ヴュルテンゲルツ王国なんて知らないって。いきなり前世の話とか言って、べらべら説明を始めた時は引いたぞ。まぁ、俺のせいだから仕方がないけどさ。

 

 とにかくだ。俺は、一応記憶が戻っていない設定だったろうが!

 

 つっこんどくか?

 

 うん、つっこんでおこう。麗良のためだ。

 

「麗良さん、飢饉って何?」

「ふっ、そうだった。記憶が戻っていないのだったな」

「うん、記憶は戻っていないよ。前世の話だったっけ?」

「そうだ。お前は私が最も信頼する家臣だった。前世、テンメリの飢饉という大規模な災害が発生してな。お前のおかげで多くの民が救われた」

「そ、そう……」

「あぁ、お前は、民を優先し、寝食を忘れて政務に取り組んだ。周りが休めと言っても休まずにな」

 

 麗良が誇らしげに俺を見る。

 

 うん、やめて。

 

 確かにそんな話を書いたさ。あれは一章の第三十話だった。

 

 飢饉が発生し、ショウはすぐに災害本部を設置し事態収拾に取り組む。いくつもの複雑で難しい案件を、ショウは三日徹夜して、二時間寝て、さらに三日徹夜して、を繰り返して事態解決に向けて対応していた。

 

 その間、ろくに食べずに水しか飲んでいなかったんだよ。いくつもの町を視察して、数少ない貴重な食糧を手に入れても、全て子供達に分け与えてやったのだ。

 

 極限の空腹を正義の心で乗り越えた男、ショウ。

 

 どんな超人やねん。

 

 聖人の中の聖人にしかできない。

 

 俺は、そんな立派な人間じゃないから。

 

 朝昼抜いただけでフラフラになる軟弱者だ。俺は、「翔」であって「ショウ」ではない。

 

 無駄とは思うが、わかって欲しい。説得してみるか。

 

「麗良さん、あまり前世の話をしないほうがいい」

「なぜだ?」

「いや、本当かどうかもわからないし……」

「事実だ」

「そうだとしても、麗良さんが周りから変に思われるよ」

「ふっ、周りからどう思われようが構わん。それよりも、こうやって前世の話をして、ショウの記憶が戻るきっかけになればと思ってな」

「麗良さん、正直、前世の話って言ってもピンとこない。き、きっと夢を見たんだよ。ね、だからもう前世の話は忘れたほうがいいよ」

「ショウ、今は何を言っているかわからないだろう。だが、そのうちわかる」

 

 麗良は確信を持った表情で答える。

 

 これ、もうあかんわ。ほんとどないしよ。

 

 思わずエセ関西弁が出てしまったよ。

 

 数日後……。

 

 俺の栄養状態が悪いと思ったのか、お弁当が日増しに豪華になっていく。

 

 まさか今日、ふぐ刺しを食えるとは思わなかった。

 

 職人さんが来て目の前でトラフグを捌いてくれたのである。

 

 天然物ですげーうまかった。

 

 明日は、ウナギの蒲焼だってさ。

 

 熟練の職人さんのスケジュールも抑えているんだとか。

 

 熟練の職人は、三ツ星ホテルの総料理長とか、その道、五十年のベテランシェフとかを呼んでいるんだ。料理で褒章を取っている人だよ。

 

 超忙しいだろうに。

 

 たかが高校生の昼飯を作りに来てくれるなんて……。

 

 また罪悪感が膨れ上がってきた。

 

 いい加減、やめるべきだ。

 

「麗良さん、昼飯はもう――」

「ショウ、手に入れたぞ。幻の宝魚が釣れたと連絡が入った。明日は魚料理だ」

 

 麗良が携帯を片手に嬉しそうに報告してくる。

 

 どこかの漁業団体と話をしたのかな。クルーザーも出勤しているのなら、かなりの金が動いている。

 

 うん、手遅れだ。既に断れない雰囲気が構築されている。明日も流されるまま平らげるだろうな。

 

 これ、どないしよ?

 

 そんな俺の心配をよそに、麗良が静岡県産の高級茶葉を使ったお茶を注いでくれる。

 

 すごい玉露だ。

 

 香りがすごい。

 

 ……と、とりあえず保留だ、保留。

 

 悩みを抱え込むのは、精神衛生上よくないのだ。

 

 お茶を飲んでまずは気を落ち着かせよう。

 

 お茶を受け取り、すすっていると、

 

「く、草乃月さん、準備が整いました」

 

 屋上の扉が開き、宮本が頭を下げてきた。

 

「……遅い」

 

 麗良がジト目で非難する。

 

「も、申し訳ございません」

 

 宮本が米つきバッタの如くペコペコと頭を下げる。

 

「ショウ、準備が整ったそうだ」

「う、うん」

 

 とうとう来たか。

 

 覚悟を決め、麗良と教室に向かう。

 

「うぉっ!!」

 

 事前にわかってはいたけど、驚きの声が出ちゃったよ。

 

 教室に入るなり、クラス全員から土下座された。

 

 男女の区別なく全員が地べたに頭をこすりつけている。

 

 うちのクラスは家柄が良いとか成績が優秀とか、プライドの高い奴らが多い。そんな奴らが底辺と目されている俺に土下座をしているのだ。

 

 納得していないだろうなぁ~。

 

 案の定、悔しいのか、プルプル肩を震わせている者がけっこういる。

 

 そう、あの騒動の日、麗良はクラスの皆を物理的に首を飛ばしかねない勢いで責め立てた。麗良の精神は、絶対王政の頃の王族そのものだ。躊躇なく元クラスメートを処刑するだろう。やると決めたらやる女だ。シャレにならない。俺は、麗良を必死に止めた。必死に説得し、なんとか慰謝料を取る形でケリをつけることができた。

 

 慰謝料は、今ある貯金全てと今後親からもらう小遣いの七割だ。

 

 普通こんな無茶な命令を聞く奴はいない。

 

 だが、普通じゃない状況ができあがっている。日本を牛耳っている草乃月財閥、そのご令嬢のご命令だからだ。聞かなければ、麗良に「敵」認定される。麗良が本気なのは皆、もうわかっていた。なにせあの紫門(ゆりかど)のキャンタマをつぶしたんだからね。

 

 皆、恐怖におののき従った。

 

 俺は、これからクラスメートからお金を受け取る。

 

 抵抗はないよ。

 

 こいつらには同情する義理もないし、義務もない。俺もお金を受け取らないというほど聖人でもない。

 

 イジメられていた時のノートや上履き代は正直バカにならなかった。湿布や絆創膏代だってそう。親には言えないから、貯金を切り崩していた。損害は発生していたのだ。何より心の傷は深い。

 

 遠慮なく頂いておこう。財布を受け取り、中から現金を抜く。

 

「ひ、ひっぐ……」

 

 金を徴収されたクラスの男子が泣いている。先週まで面白半分で俺を殴ってたのが、嘘のようだ。

 

 諭吉さんが一枚、二枚、三枚……。

 

 す、すげー、さすが坊ちゃん嬢ちゃんが通う高校だよ。金持ちだ。

 

「次だ」

 

 麗良に促され、俺の前に財布を出す。

 

 クラスの女子だ。

 

 男女の区別はない。

 

 皆、出し惜しみせずにお金を渡してくる。

 

 プライドの高い奴らまで、なんでここまでするのかって、疑問に思うかもしれない。実際、そこそこの家柄の子もいる。親の権威を利用して、麗良の要求を突っぱねようとしたらしい。でも、そういう輩は、麗良が、その持てる力を十全に使い、その家ごと潰しにかかったとか。彼らの弱みを握り、脅した。草乃月財閥には、CIA並の諜報機関があるって嘘か本当かわからない話を聞いたけど、あながち嘘じゃないんじゃないか。

 

 麗良曰く「彼らの弁慶の泣き所をがっちりと握っている。安心しろ」とのこと。公開された場合、破産、一家路頭に迷うぐらいの勢いだ。

 

 怖い、怖いよ。

 

 そうだな。恋愛経験がないため、小説内では、婚約者にボジれた残念王女に位置していた。

 

 だが、しかし!

 

 麗良は、もともと三国志武将で例えるなら、コーエイ準拠で政治九十、魅力九十二で設定したハイスペック王女である。麗良の設定には、図書館やネットで調べた帝王学の極意をまるまるぶっこんだからな。リアル孫権だ。

 

 そんな絶対王政で辣腕を振るっていた王女様だ。たかが高校生程度の首根っこをつかまえるぐらい訳ないだろう。

 

 そんな次第で続々と俺の前に積みあがるお金。

 

 項垂れて出ていくクラスメート達。 

 

 次は宮本だ。

 

 こいつは、まじでいじめ戦犯の一人だ。許す気は毛頭ない。

 

 俺は、寄越せとばかりに乱暴に宮本の顔の前に手を出す。

 

「し、白石、てめぇ調子に乗るんじゃ――」

 

 殴ろうとした手を黒服の男が掴む。

 

 黒岩さん!!

 

 黒岩さんは、そのまま無言で頷き、宮本を地面にたたき伏せる。

 

 一瞬の出来事だ。

 

 麗良のボディガード強すぎだね。

 

 ちなみに麗良のボディガードは、何人かいたが、黒岩さん以外は全員麗良にクビにされた。

 

 麗良のボディガード、皆どこか冷たかった。

 

 俺がイジメられていた時、馬鹿にした目つきで見ていたし、指を指して笑っていた人もいる。中には、麗良の恋人である紫門(ゆりかど)へのポイント稼ぎなのか、いじめに加わってきた者もいたのだ。

 

 とにかく麗良のボディガード達は、麗良と紫門(ゆりかど)だけに親切で他には冷たい。

 

 ただ、黒岩さんだけは違った。重そうに荷物を持っていた女子のお手伝いをしたり、見えないところで俺がいじめられないように配慮もしてくれた。ボディガードの仕事があるから表立ってではないけど、裏で手を回して守ってくれた。黒岩さんのおかげでいじめが少し減ったのだ。

 

 スキンヘッドでごつい体形にもかかわらず、気は優しく大人な性格の黒岩さん。

 

 だからね、黒岩さんは、小説で良キャラに設定し書いたよ。王女レイラを獅子奮迅の働きで守った忠臣としてね。

 

 王女の近衛隊士ブラック・ストーン。ミナトガワの撤退戦で、レイラ王女を庇って戦死する。

 

 敵の弓兵が雨あられのように矢を放ってきたところを、レイラ王女を背に仁王立ちになり、矢が当たるのを防いだ。全身ハリネズミになろうとも倒れず、ひたすらレイラ王女を守る。

 

 いわゆる弁慶の仁王立ちだ。

 

 ちなみに他のボディガード達は帝国に裏切るか、王女を見捨てて我先に逃げ出したことにしている。

 

 その影響だろうな。

 

 麗良がすっげー信頼している眼で黒岩さんを見ている。

 

 逆に黒岩さんは、少しおどおどしている。突然の麗良の変化に戸惑っているみたいだ。

 

 ただ、さすがにプロだ。動揺していようが、仕事は着実にこなしている。

 

 黒岩さん、もともと優秀な人っぽいから、麗良にますます信頼されているみたいだ。

 

 今じゃ黒岩さん、麗良の筆頭ボディガードに昇進している。

 

「草乃月さん、一体どうしたんですか! こんな白石のような底辺になぜここまでするんですか!」

 

 地べたに倒された宮本が必死に叫ぶ。

 

「どうやらお仕置きが必要みたいだな」

 

 そう言うと、麗良はカバンから特殊警棒を取り出す。

 

 まさか……。

 

 皆、まさかと思ったに違いない。

 

 この平和な日本で、学生が通う学び舎で、そこまでするはずがないと。

 

 俺は、草乃月 麗良という財閥の一人娘についてはよく知らない。だが、中世の絶対王政の世界で女王として君臨していたレイラ・グラス・ヴュルテンゲルツについては誰よりも知っている。

 

 何せ作者ですから。

 

 予想通り、麗良は躊躇なくその警棒を宮本の顔面に叩き下ろした。

 

 宮本の悲鳴が教室に鳴り響く。

 

 ゴキリと鈍い音が鳴り、鼻骨が折れたことがわかる。

 

 宮本は、大量の鼻血を出して、むせび泣き始めた。

 

「言ったはずだ。ショウへの侮辱は絶対に許さんと」

「あ、あぐぅ、あ、あ、ひどい。こんなに血が……鼻が折れて、ちくしょう。舐めやがって。ここまでされたら、俺も覚悟を決める。警察に言って……」

 

 宮本が恨みのこもった目つきで麗良をにらみつける。

 

 人ひとり殺しそうな視線だが、麗良は少しも意に介さない。それどころか、望むところとばかりに口角を上げた。

 

「面白い。警察か……では戦おう。草乃月財閥の総力を挙げて貴様をつぶす」

「はぁ、はぁ……う、訴えてやる。こんな暴力許されない、犯罪だ」

「そうか、ではまず法廷で戦おう。こちらは、法律のエキスパートを勢ぞろいさせておく。巨額の負債を抱えさせ、貴様の家をまずは破産させよう。破産して売るものもなくなれば、その身を裏稼業の者にでも叩き売ってやるか」

 

 麗良は、冷酷な表情でたんたんと述べる。

 

 脅しではない。本気だ。本気で宮本をつぶすつもりなのだ。

 

 絶対王政時の国王を舐めてはいけない。敵と決めたものは、三族まで滅ぼすのが定めの世界だ。

 

 麗良女王の気迫を受けて、平和な日本のただの高校生が太刀打ちできるわけがない。

 

 宮本は、顔色を真っ青にしてかたかたと震え始める。

 

 今更ながらに草乃月財閥の権力を、麗良の恐ろしさを再認識したようだ。

 

 そして……。

 

「うぅ、わかりました。申し訳ございません。私が間違ってました」

「おいおい、謝る相手が違うだろう。まだ、教育が必要か?」

 

 麗良が再度、特殊警棒を構えなおす。

 

「ひぃひぃ、すみませんすみません。そうでした。し、白石さん、大変申し訳ございません。償います。なんでも償いますから、どうかどうかお許しを」

 

 宮本が震える手で財布を渡してくる。

 

 同情はしない。俺も極限まで追い詰められ、ノイローゼ寸前だったんだから。

 

 宮本の財布を遠慮なく受け取る。

 

 これは、某有名芸能人が使っていた物と同じ、高級ブランドものじゃないか!

 

 高校生のくせに、けしからん。

 

 宮本の財布から現金を取り出す。

 

 うぉ、諭吉さんが分厚いぞ。

 

 宮本の財布の中身、すごかった。学生のくせにウン十万以上持ってたんだよ。紫門(ゆりかど)と佐々木が入院中だから、宮本がクラスでNo.1の金持ちだ。さらに宮本の通帳、カードまで使えることが決まったのだ。

 

 一気に懐が温かくなった。

 

 今までの貯金がお遊びに思える。黒字も黒字だ。

 

 どうしよう?

 

 高校生なのに車だって買えちゃうぐらいだ。



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第13話「さすがにドタキャンはまずいだろ」

 放課後、家に帰宅しようとした矢先、

 

「あ、あの、白石君、麗良さんと連絡を取ってくれないかしら」

 

 髪をロールに巻いたつり目の女性がおずおずとそう切り出してきた。

 

 彼女は、神崎祥子。鳳凰院中学出身で元麗良の友達だ。こいつの家も金持ちで生粋のお嬢様らしい。もともとは、鳳凰院高等学園に通う予定だったところを、麗良に誘われてここに入学してきた。

 

 顔はそこそこ可愛いが、性格が高飛車で好きになれない。

 

 前の麗良と同様に俺を完全に無視していたし、紫門(ゆりかど)に目をつけられてからは、一緒にいじめてきた奴らの一人だ。

 

 こいつが女子連中を巻き込み、他の男子達も悪乗りし始めたと言ってもよい。

 

 紫門(ゆりかど)ほどじゃないが、こいつもにっくき仇の一人である。

 

 もちろん小説では悪役に書いてやったよ。

 

 麗良が殺意を抱くには十分すぎるほどのエピソードを盛り込んでやった。具体的には、忠臣を陥れたり、帝国を手引きしたり、王国崩壊の一助を担ったと言ってもよい。

 

 そのおかげか麗良に蛇蝎の如く嫌われているという。

 

 麗良洗脳前は、一緒にカラオケ行ったりショッピングに行ったり、あんなに仲が良かったのに……。

 

 まぁ、原因である俺が言うことでもないか。

 

 とにかく神崎祥子は、麗良からひとしきり脅されびびってしまった。

 

 先の慰謝料ではたんまりもらえたし、俺への態度も従順そのもの。

 

 あんなに高飛車だった女が急変したのだ。

 

 一体どれだけ脅したのか気になりはした。

 

 麗良に聞いたら、それ相応の報いは受けさせたとのこと。

 

 うん、怖い怖い。

 

 語っている麗良の冷酷な表情を見たらね……制裁の内容は聞けなかったよ。

 

 で、今は、前世の記憶が戻っていない神崎をこれ以上責めても意味がないとのことで、完全無視しているとのこと。神崎からのラインも電話も遮断しているとか。

 

 麗良は、序の口の制裁だと言っている。

 

 それでも神崎は、びくびくトラウマのように震えているからね。

 

 記憶が戻ったらどれだけの目に遭わされるやら。

 

 処刑は確実、拷問も視野に入れる必要ありか……。

 

 まぁ、神崎がかわいそうというより、麗良を殺人者にするわけにはいかない。記憶が戻る、正確には洗脳するような真似は、しないと決めている。

 

 だから神崎は殺されず、このまま麗良に完全無視されたままということだ。

 

 完全無視……。

 

 それが今、神崎にとってまずい状況のようだ。

 

 話を聞くと、鳳凰院学園では定期的に「桜を眺める会」という催しがあるらしく、今年は、神崎がその幹事をやっているとか。

 

「桜を眺める会」は鳳凰院学園の伝統的な行事である。歴史を紐解くと、政財界のトップや経済連の会長などそうそうたるメンバーが出席してきた由緒正しい会だそうだ。

 

 もちろん毎年麗良は出席していたらしいが、今年は出席するかどうか不明。

 

 超VIPで目玉である草乃月財閥のご令嬢が会に出席しないなんてことになれば、幹事は面目丸つぶれになるらしい。

 

 神崎は、当然麗良が出席するつもりだと認識していたらしいが、突然態度を急変されたから、さぁ大変。

 

 慌てて麗良と連絡を取ろうとしても、けんもほろほろ。

 

 命の危険さえ感じたんだと。

 

 そこで、最近とみに仲が良い俺に白羽の矢が立ったというわけだ。

 

 麗良と連絡か……。

 

 実は、俺も最近麗良と会えなくなってきている。

 

 麗良が、ちょくちょく学校を休んでいるのだ。

 

 どうしても外せない仕事があるらしい。

 

 仕事って……受験勉強はいいのかって聞いたんだけど、鼻で笑っていたよ。

 

 前世の王宮において、魑魅魍魎と戦ってた政治の場に比べたら、受験なんて赤ちゃんのおままごとらしい。ハーバードだろうがオックスフォードだろうが、片手間で合格できると豪語した。

 

 さすがは政治九十二の王女だ。もともと東大志望の学年首席だったけど、才能に拍車がかかっている。

 

 既にいくつもの案件を処理したとか言ってたし、もう大人顔負けどころか敏腕経営者だよ。

 

 とにかくこのところ忙しい麗良に連絡を取るのは、俺も気が引ける。

 

 まぁ、電話やLINEは毎日しているんだけど……。

 

「お、おねがい白石君」

 

 神崎が手を合わせて頼んできている。

 

 電話ぐらい取り次いでやるか?

 

 でもな、慰謝料をもらったとはいえ、こいつにはさんざん恨みがあったし……。

 

「神崎さんにノートを破られ、男子をけしかられたときは本当につらかった。殴られ蹴られ、たんこぶがしばらくひかなかったんだよ」

「ひぃいい!! ごめんなさい、ごめんなさい。本当にごめんなさい。謝るから。何でもするから。麗良さんには言わないで」

 

 すごい勢いで頭を下げている。何度も何度も頭を下げ……あ、土下座もした。

 

 神崎の顔は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃだ。

 

「ひっく、ひっく、うぅ、私、私、麗良さんに嫌われたままじゃ、生きていけない。私、私、本当に後悔してるから……」

 

 芸能人の下手な謝罪会見なんて目じゃないぐらいに地べたに頭をこすりつけられた。

 

 はぁ~しょうがない。

 

 いじめをするようなクソ女だが、こいつが麗良に嫌われた原因が俺にあるのも事実だ。

 

 取り次ぎぐらいはしてやるか。

 

「わかった。電話してやるよ」

「本当!」

 

 神崎が喜色の声を上げて叫ぶ。

 

 携帯電話を取り出し、麗良に電話をかける。

 

 コール音が鳴る。

 

「ショウ、何か問題か?」

 

 ツーコールで出たよ。

 

 なんて早さだ。

 

 仕事しているんじゃないのか?

 

 携帯越しに会議中のような雰囲気が伝わる。がやがやと複数の会話が聞こえてくるから。

 

「いや、問題はないよ。それより忙しかった? 忙しいならまたかけ直すけど」

「ふっ、問題ない。お前からの電話以上に大切なものなどない」

 

 あいかわらずの好感度だ。何か英語も聞こえるし、お偉いさんが集まる国際会議中とかかもしれないのに。

 

「そ、そう……ただ頼みがあって」

「なんだ? お前の頼みだ。何でも聞いてやるぞ」

「それじゃあ――」

 

「麗良さん!!」

 

 うぉっ!! 俺が電話をしている最中に神崎が携帯を奪い取りやがった。

 

 すさまじい。まさに鬼気迫る勢いだった。

 

「麗良さん、麗良さん。私です。祥子です。ごめんなさい、ごめんなさい、私が何か悪いことをしたのなら謝ります。だからどうかどうかまた前のように――」

「……今、ショウと大事な会話をしている」

「うっ、うぅ、麗良さん、どうして、どうしてこんな男と……?」

「言ったはずだ。ショウへの無礼は許さんと。どうやら貴様には再度の制裁が必要のようだな」

「ひぃい! ごめんなさい。申し訳ございません」

 

 神崎が怯えて、携帯を返してくる。

 

 俺は携帯を受け取り、神崎から聞いた「桜を眺める会」の説明をした。

 

「まったく、あいかわらずショウは人がいいな。こんな性悪の売国奴相手に……」

 

 麗良はやれやれといった感じだ。

 

「ショウ、そこの売国奴に伝えておけ。会にはいけん。今、シンガポールだからな。それより、ショウ聞いてくれ。この国を支配する王国を構築する予定だ……本当はショウに会いたいのだがな、でも、今は少しだけ待ってくれ。私の作る王国は、将来お前の――」

 

 麗良からの通話を切る。

 

 いろいろつっこみたいことがある。

 

 まずは……。

 

 シンガポール!?

 

 海外かよ。どこまで飛び回っているんだよ。どこまで仕事してんだよ。

 

 しかも王国だとぉ!

 

 ここでヴュルテンゲルツ王国を再建する気か!!

 

 ブレインウォッシュこえぇえよ。

 

 あぁ、また悩みが増えそうだ。

 

 だが、とりあえずは……。

 

 びくびく震える神崎を見る。

 

「神崎さん、聞いてたと思うけど、麗良さん、会は不参加だって」

「ひっ、ひっ、うぅ、うあぁあああん。出席するって言ってたのにぃい! ひどすぎよぉおお!」

 

 神崎は、泣きじゃくりながらその場を走り去っていった。

 

 確かに。

 

 ドタキャンはまずいだろ。

 

 

 

 ★ ☆ ★ ☆

 

 

 

 それから麗良とはあいかわらずだったのだが……。

 

 会ったり会わなかったりの日が続いた。

 

 好感度は変わらない。

 

 ただ、会う頻度が徐々に減っていき、ついにLINEは未読、電話も留守電に入ることが多くなった。



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第14話「恋の予感? 第二のヒロイン、関内 愛里彩との出会い」★

 久しぶりに独りでの下校だ。

 

 今日も、麗良はどうしても外せない用事があるとのこと。もともと麗良は、いくつもの習い事や、会社経営にも携わっていた。俺にいつまでもかかわっている時間があるはずがない。

 

 麗良と電話もラインも繋がりにくくなっているけど、本来これが正常なのだ。

 

 めちゃくちゃ忙しいんだろうな、きっと。

 

 最近じゃボディガードの黒岩さんも俺でなく麗良につきっきりだしね。

 

 前に麗良と連絡が取れた時は、現状を心配したのか、臨時でボディガードを雇って寄こしてくると言ってきた。

 

 だが、断ったよ。

 

 いやいや、黒岩さんは別として、知らないごつい奴と一緒では気を遣ってしょうがない。俺は、草乃月財閥のご令嬢に取り入る得体の知れない奴だろうし、針の(むしろ)になるに決まっている。

 

 大丈夫、大丈夫。俺はもう安全だ。

 

 あれから紫門(ゆりかど)達も退院したらしいが、俺に手を出してはこなかった。

 

 あれだけ麗良に脅されからね。それが効いたんだろう、多分。

 

 ようやく……ようやくだ。普通の高校生活に戻れたのである。

 

 よかった。本当によかったよ。

 

 鼻歌を歌いながら駅に向かい改札をくぐる。

 

 ジリリと警音が鳴り、電車が近づいてきたことを知らせる。

 

 おっ、ちょうどいいタイミングじゃん、ラッキー。

 

 スキップ気味に歩いて、電車に乗る。

 

 車内は、それなりに混んでいた。

 

 俺は手すりに掴まり、ドアに寄り掛かる。

 

 ごとごとと電車が揺れている。

 

 家まで三駅だ。携帯をいじりながら暇をつぶしていると、電車が駅に止まり、女子生徒が数人乗ってきた。

 

 へぇ、堀恋高の制服だ。珍しい。

 

 堀恋高は、芸能科があって多数のアイドルを輩出している高校で有名だ。今も活躍するボーカリストや国民的歌手も堀恋高校出身である。拠点は、渋谷とか原宿とかでこの辺りではほとんど見かけないのに。

 

 ふぅん、皆、かわいいなぁ。

 

 芸能科の人達なのかもしれない。普通に道端ですれ違えば、振り返るレベルだ。

 

 特に、中央にいるツインテールの子は、可愛さが群を抜いている。人気アイドルグループでセンターを務めててもおかしくない。車内にいる男性陣もこの子に気づいて何度もチラ見しているし。

 

 いかん、いかん、あんまり見ているのは失礼だよな。

 

 慌てて目を逸らそうとすると、ツインテールの子と目が合う。

 

 瞬間、彼女がニコッっと微笑んできた。

【挿絵表示】

 

 

 か、かわゆぃ!

 

 て、天使がいるよ。

 

 俺? もしかして俺に微笑んだの? とうとう俺にもモテ期来ちゃった?

 

 い、いや、それは自意識過剰だぞ、翔。そんな都合のよいことがあるわけがない。

 

 いや、でも、俺を見てるよね?

 

 天使は、満面の笑みを浮かべて俺を見つめている。

 

 すごくかわいい。ほれそう。

 

 動揺する俺のもとに天使が近づいてくる。

 

 えっ!? えっ!? なになに? 本当に俺に?

 

 すたすたと歩いてきた天使が俺の前でピタッと止まり、上目遣いに俺を見てきた。

 

「え、えっと、お、俺に何か用ですか?」

「白石さんですか?」

「あ、はい、そうだけど、なんで俺の名前……」

「ふふ、名札つけたままですよ」

 

 あ、浮かれすぎて名札をつけたまま帰宅しているのに気づかなかった。

 

 慌てて名札を取り、カバンに入れる。

 

「はは、失敗失敗。それで俺に何か用ですか?」

「お話がしたいなって、タイプなんですよ」

「うへぇ、俺がタイプ? うそだぁ?」

 

 俺は普通のモブ顔だ。今までかっこいいとかイケメンとか言われたことは一度もない。

 

「ふふ、そんなに卑下しなくてもいいですよ。かわいい顔してます。それに、その制服、南西館高校ですよね?」

「うん、そうだけど」

「やっぱり。頭いい高校ですよね。私、頭のいい人って好みなんです。少しお話してもいいですか?」

「も、も、も、もちろん」

 

 これって逆ナン!?

 

 こんなことが人生であるんだ。この制服も役に立つもんだね。がんばって進学校に入ってよかった。

 

 そして、この天使としばし歓談することになった。

 

 むふふ、こんな可愛い子に逆ナンされるなんて!

 

 周囲の男性陣からの嫉妬を感じるぞ。

 

 天使との歓談がスタート。

 

 この天使の名前は、関内 愛里彩(ありさ)ちゃん。

 

 現在、地下アイドルグループ『LASH』のボーカルを務めているんだとか。『LASH』は、女子中高生を中心に人気急上昇中のアイドルグループだ。メジャーデビューはまだだが、既にファンが数千人にも達するらしい。

 

 特にボーカルの愛里彩(ありさ)ちゃんは一番人気で、彼女会いたさに徹夜してチケットを入手する人が急増しているんだと。

 

 ちなみにこの情報は、携帯で検索したらすぐにわかった。

 

 確かにね。この子は、絶対に売れるよ。

 

 会話も男の言って欲しい、くすぐる部分をついてくる。痒いところに手が届くというやつだ。

 

 明るいし、社交的だし、何より凄く可愛いのだ。

 

 あぁ、いつまでも会話していたい。

 

 愛里彩(ありさ)ちゃんと楽しく談笑していると、車内が大きく揺れ、バランスを崩す。

 

 電車が急ブレーキをかけたのだ。

 

 俺は慌てて、手すりを掴む。愛里彩(ありさ)ちゃんもよろけて転びそうになってたので、もう片方の手で愛里彩(ありさ)ちゃんの肩を掴む。

 

「あぶねぇ。愛里彩(ありさ)ちゃん、大丈夫?」

「えぇ、優しいんですね」

「あ、ごめんね。思わず肩をつかんじゃった」

「いいんですよ」

 

 笑みを浮かべた愛里彩(ありさ)ちゃん。引っ込めようとしていた俺の手を掴み、そのままお尻に持っていく。

 

 えっ!? 何が起こったかわからず一瞬頭がフリーズする。

 

 そして……。

 

「いやぁ――っ!」

 

 耳をつんざくような甲高い女の声が電車内に響いた。

 

「こいつ、痴漢よ、痴漢! 私のお尻を触ったの!」

 

 愛里彩(ありさ)が大声で俺を指さし、非難してくる。

 

「な、な、何いってんだ! 触ったって、あんたが無理やり――」

「ね? 嘘じゃないでしょ。こいつ私のお尻を触ったの。ひどい」

 

 愛里彩(ありさ)が俺の言葉の揚げ足を取り、周囲の乗客に同意を求めた。

 

「こいつ、痴漢か!」

「取り押さえろ」

 

 愛里彩(ありさ)の言葉をまに受けた周りの乗客数人が俺を取り押さえに乗り出した。鍛えてもいないモブの俺が、大の男数人がかりの力に抵抗できるはずがない。強制的に途中下車された俺は、なすがまま駅のホームで地べたに押さえつけられ拘束される。

 

「え、冤罪だ。誰か見てただろ? この女が俺をはめるところを。俺の手をわざと掴んでお尻に当ててきたんだ」

 

 俺は必死に訴えるが、誰も耳を貸さない。

 

 それどころか言い訳して逆切れしているみたいに思われた。

 

 あの場に乗客は何人もいたはずなのに、目撃者がいないだと。

 

 一体、何がどうなってやがる?

 

 答えを求めて頭をひねるが、事態を掴めない。

 

 そうこうしているうちに、騒ぎに気づいて野次馬達がどんどん集まってくる。

 

 ほとんどの野次馬が拘束され地べたに倒れている俺を、奇異な目で見ていた。そこから俺が痴漢して捕まっていると奴だとわかると、軽蔑の目つきへと変貌していく。

 

 片方の意見だけ聞いて勝手な奴らだ。真実は、冤罪なのに。

 

 そして、俺は見てしまった。

 

 野次馬達に紛れてほくそ笑む、紫門(ゆりかど)の姿を!

 

 やられた。

 

 俺は、紫門(ゆりかど)にはめられたのだ。

 

 あの女、紫門(ゆりかど)の仲間かよ。

 

 なんてことはない愛里彩(ありさ)は、天使どころかとんでもない悪魔であった。

 

 とにかく、この状況はやばい。

 

「俺はやっていない。信じてくれ」

「うぐっ、ひぐっ……嘘よ。ずっと私をいやらしい目で見てた。怖かった」

 

 愛里彩(ありさ)は、連れの友人の胸を借り、むせび泣きながら非難する。

 

 なんとうまいウソ泣きか。

 

 愛里彩(ありさ)の連れも、そうそうとうなずき俺を「女性の敵だ」と罵る。

 

 彼女達も明らかにグルだ。

 

 思い返してみると、こいつらは俺と愛里彩(ありさ)を取り囲むようにいた。いわゆる壁を作って乗客達に愛里彩(ありさ)の悪巧みを目撃させないようにしていたのだ。壁を崩したのは、俺が悲鳴を挙げられ、愛里彩(ありさ)が俺の手を掴んだ時だ。

 

 状況が俺を痴漢と言っている。

 

 目撃者は全員、愛里彩(ありさ)の味方だ。愛里彩(ありさ)は、被害者面して泣いたフリをしている。

 

 かよわき乙女の泣いている姿と無様なモブの俺。

 

 何を言っても無駄のようだ。

 

 野次馬も俺を罪人を見るような目つきで睨んでいる。

 

 ちくしょう、ちくしょう。

 

「放せ、放せ」

 

 ふりほどこうと必死に暴れるが、二、三人ががりで押さえつけられており、どうしようもない。

 

「暴れるな。往生際が悪いぞ」

 

 取り抑えているサラリーマン達も必死で俺を押さえつける。

 

 くそ、動けない。

 

 俺がじたばたともがいていると、群衆の中から一人の男が現れた。

 

 紫門(ゆりかど)だ。

 

「手伝いますよ。お仕事帰りの方のお手をわずらわせるわけにはいきません」

 

 紫門(ゆりかど)は、好青年の仮面を被り、さわやかに言う。

 

「あ、その制服、同じ高校の……」

「はい、同じ学校の生徒として悲しいです。僕が責任を持って罪を償わせます」

 

 サラリーマン達から引き渡された俺は、紫門(ゆりかど)から腕固めをされて再度拘束される。

 

「くっく、ざまぁないな」

 

 群衆に聞かれないように、耳元で紫門(ゆりかど)がささやく。

 

「くそ、紫門(ゆりかど)、こんなふざけた真似をして麗良さんが知ったら――」

「無駄だ。お前の犯罪現場は、ばっちり携帯で取らせてもらった。これを麗良に見せたらどうなるだろうな~」

 

 どうもなりはしない。

 

 お前が再度キャンタマをつぶされるだけだろう。俺と麗良の絆を舐めてもらったら困る。数十年、生死をともにした仲なのだ。捏造だけど。

 

 そうとは知らず、紫門(ゆりかど)は勝ち誇った顔で、饒舌に話を続ける。

 

「こんなに簡単にひっかかりやがって。親父のコネを使うまでもなかったな」

「なんだって!? どういう意味だ」

「あいかわらずバカな奴だ。俺がただただ大人しくしていたと思うかよ。親父に頼んで麗良の父親に話を通した。娘さん最近おかしくないですかってな」

「それじゃあ、まさか!?」

「そうさ、近頃とみに忙しいのは麗良が父親とやりあってるんだよ」

 

 まじかよ、やばいぞ。

 

「そんなことより白石、お前はおしまいだ。これを突きつければ、麗良の目も覚めるだろう。虎の威を借る狐も終わりだ」

 

 いや、それは全然心配していない。麗良の目は覚めないから。

 

 それより、麗良が父親とやりあっているというのがすごく気になる。もしかして草乃月財閥の権限が麗良から失われつつあるのか。

 

「この屈辱は、万倍にして晴らしてやるからな」

 

 紫門(ゆりかど)が殺気を込めてにらむ。

 

 そして、駅員室に着く直前、紫門(ゆりかど)は、見えないように近距離でドンと俺の鳩尾を殴ってくる。

 

 いてぇ、くそ。

 

 痛みで九の字に曲がる。

 

 痛みで苦しむ俺を無理やり紫門(ゆりかど)が駅員に引き渡す。

 

 駅員は、紫門(ゆりかど)から事情を聞き、俺はそのまま警察署に連れていかれてしまった。




関内 愛里彩のイメージ画像です。画像の著作権は、ももいろね様が保持してます。


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第15話「ヴュルテンゲルツ流剣闘術」

 レイラ・グラス・ヴュルテンゲルツは、思う。

 

 シモン(クズ)め、やってくれる。

 

 シモン(クズ)がお父様に私が悪い男に騙されていると報告した。しかも、虚実を織り交ぜてさも本当のように見せかけているところが、小賢しい。シモン(クズ)は、前世の頃より、こういう工作が得意だった。

 

 シモン(クズ)とお父様の仲が良いのも問題だった。お父様は、裏付けもろくに取らずにシモン(クズ)の言うことを信じてしまった。

 

 私は、厳しく詰問を受けた。

 

 どこぞの悪い虫にたぶらかされたかと、シモン(クズ)となぜ仲違いしたのかと。

 

 正当な理由はある。

 

 だが、お父様を説得するのは、非常に難しい。

 

 お父様の記憶はまだ戻っていないからだ。

 

 前世の話をしても頭がおかしくなったと思うだけだろう。

 

 だから、前世の話を抜きにして反論するしかなかった。

 

 お父様は激高し、私は携わっていた仕事も取り上げられ、身動きができない立場になりつつある。

 

 草乃月財閥の実権はお父様が握っており、私は、お父様の力を借りて「権」を行使していたにすぎない。

 

 これ以上「権」を奪われては、私は大事な「ショウ」を守れなくなる。

 

 覚悟を決めなければならない。

 

 お父様……。

 

 譲歩は、ここまでです。

 

 骨肉の争いはできるだけ避けたかったのですが、お父様が本気で動くのならば、私は全力で抗います。

 

 お父様の記憶は戻っていない。

 

 それは悲しいが、チャンスでもある。

 

 あの激動の時代に辣腕を振るっていたお父様ではない。この平和な日本でぬるく経営を担っている今のお父様なら十分に挽回できる。

 

 まずは、護衛のロックに連絡をして……。

 

「麗良」

 

 この忙しい時に一番会いたくない男が現れた。

 

 シモン(クズ)め、どうしてここに――ってきっとお父様ね。

 

 お父様は、このクズとの仲をしきりに深めたがる。

 

 私のスケジュールを教えたのだろう。

 

 あいかわらず憎らしい顔をしている。

 

 こいつはにっくき仇だ。

 

 殺したい。

 

 いや、だめだ。落ち着け。ここは絶対王政を敷いていたヴュルテンゲルツ王国ではない。法治国家ジャパンである。こいつを殺せば、刑務所行きだ。()るならば、綿密に計画を立てなければならない。

 

 今は雌伏の時、怒りを押し殺す。

 

 シモン(クズ)を無視して進む。

 

「麗良、待ってくれ」

「……放しなさい」

 

 シモン(クズ)が肩に手をかけてきたので、強引に振り払う。

 

 汚らわしい。

 

 ハンカチでシモン(クズ)が掴んでいた箇所を念入りにぬぐう。

 

「れ、麗良、どうして……」

「二度は言わせない。私の名をその汚らわしい口で二度と呼ぶな」

「白石は嘘を言っている。俺は、麗良一筋だ。信じてくれ」

 

 シモン(クズ)が、胸に手をあてて誓う。真剣な表情だ。誠実な男を演じている。記憶が戻る前のお花畑な頭をしていた私なら騙せただろう。

 

 前世の大公時代のシモンを彷彿させる。

 

 この表情に愚かな私は騙された。誠実な男なんだと、この男ならば国を守ってくれるだろうと。

 

 身分の差からショウを諦め、この誠実の仮面をかぶったシモン(クズ)を伴侶としようとした。政治的配慮からも、それが一番国にとってよいことだと信じたから。

 

 ふっ、それは大きな間違いだった。シモン(クズ)は、国に巣くう害虫そのもの、国を傾かせる原因であった。

 

 シモン(クズ)は、熱烈に訴えてくる。目で声でしぐさで。

 

 無駄だというのに、私はとっくにお前の本性を知っている。

 

 それにしても黙って聞いていれば、勘違いもはなはだしい。

 

 このシモン(クズ)は、私がお前の浮気に嫉妬して怒っているとでも思っているのか。

 

「誤解のないように言っておく。貴様がどこの雌猫と戯れようが、私には一切関係ない」

「ぷっ、なんだ。やっぱり嫉妬して怒ってたのか? 誤解だよ」

 

 何を勘違いしたのか、シモン(クズ)が軽口を叩く。

 

 そして、笑顔で近づき、

 

「それにしても、俺へのあてつけならもう少し人選を考えたほうがよかったんじゃないか? なにも白石のような底辺にしなくてもいいだろう」

 

 また私の大事なショウを侮辱した。

 

 こいつは百回殺しても飽き足らない。

 

「ショウを侮辱するなら殺す。言ったはずだ」

「お、おい、正気か? 本気であいつなんかを」

「本気だ。私の理性が残っているうちに消えろ!」

 

 シモン(クズ)に怒りのままに言い放つ。

 

 本来であれば八つ裂きにしても飽き足らないが、今は、シモン(クズ)への制裁より、お父様だ。

 

 早急に権限を取り返さなければならない。お父様相手に荒っぽい真似はしたくないのだが、小金沢グループも関与してきている、それも視野に入れないといけないだろう。

 

 携帯電話で指示をしながら、足早に進む。

 

「待ってくれ」

 

 シモン(クズ)が追いかけてきた。

 

 しつこい。また蹴り飛ばしてやろうか、そう考えていると、

 

「白石が今どうしているか、知っているか?」

 

 ショウ!?

 

 シモン(クズ)から聞き流してはいけない言葉を聞いた。

 

「ショウに何をした?」

 

 きびすをかえし、シモン(クズ)の正面に移動する。

 

 ショウ、無事なのか? シモン(クズ)に何をされた?

 

 自分でも驚くほど殺気を出しているのがわかる。

 

 カバンから特殊警棒を取り出し、シモン(クズ)へ向けた。

 

 ショウの身に危険が迫っているのならば、もはや法律がどうのとは言ってられない。今すぐこのシモン(クズ)を殺してショウを救う。法への対応は後で考えればいい。

 

「お、落ち着け。物騒なものを出すな。俺は何もしていない。本当だ。あいつが勝手にやらかしたんだ」

「信じない。何をした?」

「だから、したのは白石だ。これを見てみな」

 

 シモン(クズ)が携帯を見せてくる。

 

 携帯に保存されている動画が再生され、電車の車内が映し出される。

 

 車内には、十数名の乗客がいて、三人の女がいる。そのうちの一人が携帯で撮影をしている様子だ。一人の女が「紫門(ゆりかど)さん、任せてください!」と、くだらないシモン(クズ)へのアピールをした後、車内にいるショウが映った。

 

「ショウを監視してたのか?」

「監視? 人聞きの悪いことを言うな。お前が白石の奴をあれほど気に掛けるから伝手を使って調べてただけだ」

「調べる? ものはいいようだな」

「お前が悪いんだ。いきなり翔なんて名前呼びするわ、俺に暴力を振るうわ」

「言い訳はもういい。で、結局ショウに何をした? ただ女がショウと話をしているだけじゃないか」

「そうだ。話をしている。鼻を伸ばしてヘラヘラとだ。とても麗良に相応しい男とは思えない」

 

 ツインテールの女がショウに近寄り、話をしている。

 

 趣味、経歴など……。

 

 あからさまに腕を絡めたり、ショウに好意を寄せているように見せている。

 

 尻軽女め。

 

 ショウは、少しおどおどしているが、そんな尻軽女相手でも終始笑顔で対応している。

 

 相変わらずだな。

 

 こんな性格の悪そうなアバズレ、ショウの好みではない。そんな女相手でも礼儀を忘れないのだ。

 

 シモン(クズ)め、ヘラヘラ話している?

 

 ふざけるな!

 

 今は記憶が戻っていないので、頼りなく見える。だが、本質は違う。ショウは、誰よりも知恵と勇気を持つ素晴らしい男だ。そんな男に惚れない女なんていない。実際、ショウはモテた。

 

 大商人の娘、亡国の姫に始まり、ショウに助けられた女達。いつの世でも真っ先に犠牲になるのは、力のない弱者なのだ。

 

 皆、一廉の女だ。

 

 特に、ショウの腹心、右腕、懐刀と呼ばれた女。

 

 記憶が完全に戻っていないため、顔と名前はシルエットのままだ。

 

 でも、覚えている。

 

 あの女のショウへの思いは本物だ。私もあの女には、ずいぶんやきもきされたが、これはシモン(クズ)の仕込みの女だ。

 

 焦りや嫉妬が沸きようもない。

 

「くだらん。ショウは優しいから、こんな尻軽そうな女でも笑顔で対応する、ただそれだけだ。それより、知り合いの女を使ってこんな茶番を仕掛け、貴様の品性が下劣なのはわかったぞ。まぁ、もともと知っていたが」

「くっ。どこまで奴を信頼する。どう見ても女にのぼせ上った腑抜けの姿だろうがぁあ!」

「貴様のようなクズにショウの素晴らしさは、かけらも理解できないだろう。これで終わりか? もう行く、時間を無駄にした」

「待て、待て。ここからだ。ここからなんだよ」

 

 シモン(クズ)は携帯の動画の続きを見せてくる。

 

「へっへ、俺も驚いたよ。この後、この後だ。あいつとんでもないことしでかしてんだ」

「……早く言いなさい」

「あせるなよ。動画を見てたらわかる」

 

 シモン(クズ)の言い様に強い不快を覚え、衝動的に殴りそうになるが、抑える。

 

 ショウの身の安全が懸かっている。

 

 少しでも情報を得なければならない。

 

 それから携帯の動画を見ていたら、

 

 ショウが尻軽女のお尻を触り、尻軽女が悲鳴を上げたのである。

 

「なっ! 俺は、彼女に調査を頼んだだけだ。可哀そうに。奴が性欲に負けて襲ってくるなんて夢にも思わなかっただろう」

 

 シモン(クズ)が勝ち誇った顔で言う。

 

「白石は退学になる。電車内で痴漢行為を働いて警察に捕まったんだからな」

「……携帯を貸して」

「へっへっ、麗良もようやくわかったようだな」

「いいから貸しなさい」

「あぁ、いいぜ。存分に奴の醜態をチェックしろよ」

 

 シモン(クズ)から渡された携帯の動画を確認する。

 

 ショウと尻軽女が会話をし、ショウが尻軽女の尻を触る。

 

 動画ではそう見えるが、その間の映像がカメラのアングルでよく見えない。

 

 うまい編集の仕方だ。これだけを見たら本当にショウが痴漢をしたように見える。

 

 記憶が戻っていない私なら信じただろうな。いや、物的証拠がなくてもこのシモン(クズ)の言葉を盲目的に信じてただろう。

 

 なんとも愚かな女だった。

 

 このシモン(クズ)の手口は、わかっている。

 

 前世、嫌というほど実感した。

 

 このシモン(クズ)のせいで、王国は滅びの道を辿ったのだ。

 

 動画とか物的証拠とかどうでもいい。

 

 大切なのはショウ、ショウが正しい。

 

 私はショウを知っている。知っているのならば、答えはわかっている。

 

 ショウがシモン(クズ)にはめられ投獄されたのだ。

 

 ショウを救う。

 

 まずは、この捏造データを壊そう。

 

 シモン(クズ)の携帯を操作し、フォルダの中以外にもデータが入っていないか確認する。

 

 クラウド上、送信メールの添付ファイル、SDカード内など。

 

 いくつか削除したが、他にもありそうだ。

 

 調べるには時間がない。これは、シモン(クズ)の携帯ごと壊したほうがいいだろう。

 

「ほかにデータは?」

「なんで……そんなこと」

「いいから応えなさい」

「……俺の調査に協力してくれた子が持っている。それよりどうだ、白石の正体を知って幻滅したか?」

 

 けらけらと笑うシモン(クズ)を無視して、

 

 シモン(クズ)の携帯からSDカードを取り出し粉砕、そのまま携帯も力任せに二つ折りにし、バキバキに壊していく。

 

「なっ!? お前いきなりなにやってんだ!」

 

 シモン(クズ)が携帯を取り戻そうと手を伸ばしてきたので、すぐさま特殊警棒を使い、その鼻面に叩き込む。

 

「へぶらぁああ!」

 

 シモン(クズ)が鼻を抑えて絶叫する。

 

 私の大事なショウを苦しめて、許さない。

 

 倒れているシモン(クズ)の顔に何度も何度も特殊警棒を振り下ろす。

 

 その度に悲鳴を上げるシモン(クズ)

 

 実に気分がよい。

 

 警棒を振り下ろす毎に、心にこびりついている糊が消えていくようだ。

 

 ゴキッ、バキッ!?

 

 鈍い音が響く。

 

 シモン(クズ)の顔は流血し、みるみる赤くなった。

 

 シモン(クズ)は、しばらく痛みで立ち上がれなかったが、攻撃が止まると、ふらふらと立ち上がる。

 

「あ、あ、くそ、いてぇ、いてぇぞ。あ、あ、ちくしょう! 俺の歯が!?」

 

 振り下ろした攻撃の一つがクリーンヒットしたようだ。シモン(クズ)の前歯が折れ、地面に落ちている。

 

 シモン(クズ)自慢の顔は歯抜け状態だ。

 

「くっく、いい顔になったじゃないか。お似合いだぞ」

「て、てめぇ、こっちが下手に出てたらいい気になりやがって! もう許さねぇ。ぶっ殺してやる」

 

 シモン(クズ)の額に青筋が浮かぶ。

 

 はぁ、はぁ、と息を乱してはいるものの、アドレナリンが大量に放出しているようで、しっかりと立ち上がる。

 

 シモン(クズ)は、今にも殺さんとばかりに殺気を込めて睨み、拳を握ってくる。

 

「麗良ぁああ! てめぇが財閥の娘だろうと容赦しねぇ。ぼこぼこに顔を腫れ上がらせてやる。嫌だと言ってもやめねぇ。俺に従順になるまで、何度も何度もぶんなぐってやるからなぁ!」

「ふっ、とうとう本性を現したか。いいぞ、それでこそ殺しがいがある」

「ほざけぇえ!!」

 

 シモン(クズ)が、ステップを踏みながら突進してくる。

 

 ボクシングスタイルだ。

 

 私は、カバンから特殊警棒をもう一つ取り出し、両手で構える。

 

 二刀の構えだ。

 

「二刀? くっく、素人が。麗良お前は俺のボクシングの腕知っているよな。プロのライセンスも取った。それがどういう意味かわかるか? わからないよな。だからこんな馬鹿な真似をした。今から教えてやる。プロボクサーのパンチがどれだけ痛いかってな」

 

 シモン(クズ)が、頭を低くし懐に入ってくる。ボクシングのワンツーを繰り出すようだ。

 

「ヴュルテンゲルツ流武技、三の太刀」

 

 右手の特殊警棒をシモン(クズ)の眼前に、左手の特殊警棒を上に構える。腰を低くし、相手を見据えた態勢だ。

 

「ぷっ、ヴェルなんだって? 麗良、やっぱりお前頭がおかしくなったんだな!」

 

 シモン(クズ)はニヤつくと、私の顔をめがけて右ストレートを放ってくる。

 

 勝ち誇った顔だ。自分の勝利を確信している目だ。

 

 甘いな。

 

 この技は、実践剣闘術だ。王宮に努める近衛隊長直々に習った。確かに私は剣を持って敵兵の首を獲ってはいない。戦闘のプロとは言えないだろう。それは兵士の仕事であり、王の仕事ではないから。王が戦場で剣を取ってはならないのだ。

 

 だが、嗜みとして剣術は習っている。

 

 嗜みとはいえ、数多の戦場を駆け抜けた近衛隊の隊長から直々に習ったのだ。

 

 前世、血反吐を吐くほどの訓練を行った。訓練とはいえ、何度も死にかけた。

 

 貴様のようなぬるい練習は、一度としてしない。

 

 プロのボクサー?

 

 ふっ、記憶が戻っていない貴様は一介の高校生だ。生き死にも経験していない。たかがボクシングをかじった程度のクズに負ける道理はない。

 

 私は、シモン(クズ)の右ストレートを一方の特殊警棒で弾くと、その勢いのままもう片方の特殊警棒でシモン(クズ)の顔面につきを入れる。

 

 シモン(クズ)は、もろに特殊警棒が当たり、勢いよく地面にたたきつけられた。

 

「あ、あぐ、はぁ、はぁ、いてぇ。死ぬほどいてぇ」

 

 シモン(クズ)は、痛みからか地面をのたうち回っている。

 

 特殊警棒についた血を拭いカバンにしまうと、シモン(クズ)の傍まで行く。

 

 シモン(クズ)は何をされるか察したようだ。みるみるその顔を青くしていく。

 

「あ、あ、まさか……」

「あぁ、そのまさかだ」

 

 私は満面の笑みをシモン(クズ)に見せる。

 

「や、やめ、退院したばか――」

「死ねぇ!」

「ぐへぇらぁああ!!」

 

 最後は思いっきりシモン(クズ)の股間を蹴り飛ばしてやった。

 

 泡を吹いて気絶するシモン(クズ)。このまま命まで絶つべきであろうが、今はまだ早計だ。権限を取り戻してから亡き者にする。

 

「ショウ、もう少しの辛抱だ。私が今助けに行く」

 

 シモン(クズ)をその場に残し、ショウのもとへ走っていく。

 

 



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第16話「出撃、関内 愛里彩を攻略せよ」

 警察署でカツ丼を食ってたら、いきなり釈放された。

 

 罪を認めなければ出さないって、あれほど脅していたのに。

 

 本来、逮捕・拘留・起訴されたら、保釈の申請を弁護士が行い、裁判官が許可した後に釈放となる流れなのだが……。

 

 麗良が裏で手を回してくれたのだ。

 

 警察の話では、当分出れそうになかった。

 

 草乃月財閥……すごい権力だ。改めて、実感する。

 

 麗良が助けてくれなかったら、いまだに警察署の中だった。

 

 麗良は俺を助けた後、すぐさまどこかに出かけて行った。まるでお助けヒーローのようである。

 

 どこに行くのか尋ねたら、親父さんに会いに行くらしい。草乃月財閥の巨大な【権】、紫門(ゆりかど)が言っていたように、麗良の権限が縮小されつつあり、直接対決し取り戻すそうだ。

 

 頑張ってほしい。すごく頑張ってほしい。

 

 なぜなら、俺はまだ完全に自由になったわけではないからだ。一時的に保釈になっただけである。

 

 あの悪女、関内 愛里彩(ありさ)が被害届を撤回しないかぎり、この問題は続く。

 

 示談が成立しないと前科がついてしまう。

 

 麗良……頼む!

 

 あれから一日以上経過した。何かしらの決着がついていてもおかしくない。

 

 祈る気持ちで麗良に連絡を取る。

 

 携帯電話を鳴らすが、出ない。

 

 留守電に繋がってしまう。

 

 まずい。

 

 成功したのか、失敗したのか、いまだ交渉中なのか。 

 

 何度か電話したが、麗良とは繋がらなかった。

 

 大丈夫だろうか?

 

 父親に勘当され、このまま修道院に無理やり入れられた、なんて状況も十分にありえる。

 

 麗良以外に俺の味方はいない。

 

 痴漢で捕まったなんで、人生終わりだ。社会的に終わる。

 

 高校は退学となり、世間から後ろ指を指されながらの生活を余儀なくされてしまうだろう。

 

 この保釈中になんとか解決しなければならない。

 

 麗良と最後に話した日、関内 愛里彩(ありさ)についての情報を入手した。

 

 俺を助けるために、麗良が伝手を使って調べてくれたのだ。たった数時間でだよ。ターゲットの住所から経歴まで……草乃月財閥半端ない。やっぱりCIA並の諜報機関があるんだな。

 

 麗良からの情報はこうだ。

 

 関内 愛里彩(ありさ)、十六歳。堀恋高校一年。地下アイドル【LASH】のボーカルを務める。飛びぬけたルックスでファンも多く、今秋にはメジャーデビューする予定。学校では、社交的で人当りもよく学年問わず人気を集めている。

 

 ただし、これは表の顔である。裏では非道な行いを繰り返した。

 

 愛里彩(ありさ)は、地下アイドルの無名時代に、ライバルを蹴落とすために色々やらかしたらしい。当時人気急上昇中であった新人ボーカリストは、不倫をしていると誹謗中傷され、アイドルを辞めざるを得なかった。【LASH】に入ってきた大型新人と噂の高かったメンバーは、万引きをしたと疑われ、グループを離れざるを得なかった。

 

 どれも愛里彩(ありさ)が裏で暗躍しておきたことだ。

 

 さらには、痴漢冤罪を繰り返して、世のサラリーマンから多額の示談金を得ているらしい。

 

 これらは、あくまで疑惑であり愛里彩(ありさ)が犯人であるという証拠はない。これ以上は、さらなる調査が必要で、時間とお金をつぎこまなければならないそうだ。

 

 麗良と連絡がつかない以上、もう調査は無理だな。

 

 大丈夫。住所はわかっている。直接、乗り込んで決着をつけてやる。

 

 愛里彩(ありさ)が痴漢をでっちあげて金を巻き上げているのであれば、その辺をちらつかせて被害届を撤回させればいいんじゃないか?

 

 メジャーデビューも直前の今、後ろ暗いことを指摘され騒がれるのは嫌なはずだ。

 

 相当したたかな相手に楽観的すぎかな?

 

 でも、他に案はない。まぁ、厳密には最終手段もあるけど……。

 

 麗良に頼れない。保釈中の間に決着をつけなければ! 刑が確定してしまえば、いくら麗良でもそれを覆すのは困難だろう。

 

 こうして自由に歩き回る時間もわずかだ。

 

 電車に乗り、横浜市内の駅で降りる。

 

 愛里彩(ありさ)の実家まで、ググるマップに従い、歩く。

 

 ここか……。

 

 洋風の外観。レンガ張りで、立派な邸宅だ。有名な建築家が建てたらしい。

 

 愛里彩(ありさ)め、普通にブルジョアじゃないか!

 

 痴漢冤罪を繰り返してまで小遣い稼ぎをする必要はない。

 

 遊びか? ゲームなのか?

 

 ムカムカと怒りが込みあがってくる。

 

 とにかくだ。

 

 愛里彩(ありさ)が帰るのを待つ。

 

 愛里彩(ありさ)の実家の入り口を見張れるように、近くの電柱の後ろに隠れる。

 

 途中コンビニで買ったアンパンを頬張り、牛乳を飲む。アンパンに牛乳が染み込み、絶妙の舌触りとなって空腹を満たしていく。

 

 もぐもぐ、うまい、うまい。

 

 昔の刑事の張り込みスタイルで、ひたすら待つ。

 

 それから幾ばくか……。

 

 愛里彩(ありさ)が帰ってきた。

 

 ツインテールの美少女が、通学カバンを片手に、てくてく歩いてくる。

 

 来たな。

 

 電柱から勢いよく飛び出すと、愛里彩(ありさ)の前に対峙する。

 

「あら、もう出てきたんだ」

 

 愛里彩(ありさ)は、俺の登場に目を丸くして驚くも、一瞬だ。その後は、口をニタニタと歪ませてゆく。

 

「あぁ、出たさ。誰かさんのおかげで、とんでもない目に遭ったよ」

「そう、その誰かさんには困ったものね」

「このアマぁあああ!!」

 

 愛里彩(ありさ)の反省の色無しな態度にキレてしまった。怒鳴りながら突撃する。

 

「キャーこわい! お巡りさん、痴漢よ、逮捕して」

 

 愛里彩(ありさ)が大声を出して、周囲に助けを呼ぶ。

 

 まずい。

 

 愛里彩(ありさ)に向かっていたが、慌てて急停止する。

 

 幸い、近所の人達は気づかなったようだ。警察は呼ばれていない。

 

「て、てめぇ」

「ふふん、私はか弱い女子高生であなたは痴漢容疑で捕まった男、自分の立場がわかった? 変なことしようとしたら大声出すわよ」

「くっ!?」

「それにさ、私、こんなのもってるのよ」

 

 愛里彩(ありさ)が鞄から何か黒っぽいものを取り出しだ。

 

 あれはもしや!?

 

 愛里彩(ありさ)は、にやりと笑みを浮かべ、スイッチを入れる。先端からバチバチと電流が流れるのがわかった。

 

 やっぱりスタンガンか!

 

「なんでそんな危険なものを……」

「ほら、私って超可愛いでしょ。僻み妬みって怖いよね、だから護身用にね」

 

 愛里彩(ありさ)からバチバチと電流が流れるスタンガンを向けられる。

 

 これじゃあ、迂闊に近づけない。

 

「それで、私に何か用――って、わかっているわ。被害届を撤回して欲しいんでしょ」

「……あぁ、その通りだ」

「いやよ。私怖かったんだから。女の敵は、絶対に許さない」

 

 何が怖いだ。

 

 ヘラヘラと笑って、とても怖がっているようには見えない。

 

「少しお前のことを調べた。ライバルを蹴落とすために誹謗中傷を繰り返したり、痴漢冤罪を繰り返して大金を巻き上げているな」

「へぇ~なかなかどうして……私の住所もばれちゃったみたいだし」

 

 愛里彩(ありさ)の目が細くなる。値踏みをしているような目だ。

 

「そうだ。全部調べた。お前の悪事は全部お見通しだからな」

「証拠はあるの?」

「あ、ある」

「あるなら見せて」

「今、ここにはない」

「そう、嘘ね」

 

 愛里彩(ありさ)は勝ち誇った顔で言う。証拠を持っていないと確認しているかのようだ。

 

 なぜ、ばれた?

 

 俺は顔に出やすいのか。

 

「う、嘘じゃない。それに、本格的に調べられたら困るのはお前だろう?」

「そうね、あることないこと吹聴されるのは気分が悪いわね」

 

 愛里彩(ありさ)は、しばし考え込んでいる。

 

 そして……。

 

「……示談にしてやってもいいよ」

「本当か?」

「えぇ、さすがにただじゃないわ」

「いくらだ?」

「五十万」

「はぁ? ふざけんなぁ! 誰が払うか!」

「じゃあ、この話は無し。そのあるっっていう証拠とやらで法廷で戦いましょ。バイバイ~」

 

 手をひらひらさせて帰ろうとする。

 

「待て、待てって!」

 

 宮本達から多額の慰謝料をもらっている。払えるには払えるが、それはそれだ。無実なのに大金を巻き上げられるのは、非常に腹が立つ。

 

「話を聞け。いくらなんでも学生がそんな大金持ってるわけないだろうが!」

「親に泣きつけばいいでしょ。ママ、僕悪いことしちゃったからお金出してって」

 

 こ、こいつ!

 

「親に迷惑はかけられない。だいたい冤罪なのはお前が一番わかっているだろうが? お前がそんな態度なら俺もとことんやってやる。へんな噂が立つぞ。メジャーデビューできなくなったら困るだろ?」

「ふぅ~ん、私を脅すんだ」

「そう取ってもらって構わない。拒否すれば、お前にもデメリットがあるはずだ」

「はぁ~やっぱり学生は貧乏ね。おじさん達は金払いよかったのに」

 

 愛里彩(ありさ)はやれやれとため息をつく。

 

 やっぱり、してんじゃないか!

 

「そうね~じゃあ五万円でいいわ」

「本当か」

 

 五万円なら払うのもやぶさかではない。今の俺はプチ金持ちだ。ムカつくが、穏便に済ませられるのならば、それでよい。

 

「えぇ、負けてあげるんだから、他にもしてもらわないとね」

「無罪の俺にこれ以上何をさせるんだ」

「とりあえず土下座してよ」

「土下座だとぉ!?」

「そうよ。さっきから愛里彩(ありさ)のこと、睨んでてむかつくんだよね。謝罪しなさい」

 

 ふざけるなと言いたいが、やはり穏便に済ませられるのならば、こらえてもいい。

 

 俺は、地面に座り頭を下げる。

 

 かたちだけ、かたちだけだ。頭をこすりつけるまではしない。

 

「これでいいか」

 

 かたちだけの土下座をして、頭を上げる。

 

「まだよ。次は、私の靴を舐めて」

「はぁ?」

「靴を舐めろって言ってんの。聞こえなかった?」

 

 愛里彩(ありさ)が足を前に出してくる。

 

 こ、こいつ、下手に出てたら、どこまでもつけあがってくる。

 

 さすがにピキピキと怒りがわく。

 

 落ち着け。穏便に済ませるのだ。

 

 今後、麗良の助力を得られるかはわからない。最終手段もできれば使いたくはない。

 

 紫門(ゆりかど)達からのいじめに比べれば、女子高生の靴を舐めるぐらいたやすいだろ?

 

 自分にそう言い聞かせると、

 

 愛里彩(ありさ)の足元まで行き、靴に舌を伸ばす。

 

 ちょんちょんと靴の比較的きれいな部分を舌でつつく。

 

「こ、これでいいかよぉ!」

 

 男のプライドが崩れたが、声を張り上げごまかす。

 

 愛里彩(ありさ)は、ニンマリと満足そうに笑みを浮かべ、

 

「やっぱりやめた」

 

 そう言い放ったのだ。

 

「おい、約束破る気か!」

「だからなに? 愛里彩(ありさ)の気が変わったの。やっぱり五万なんてはした金で示談なんてしないわ」

「てめぇ、靴までなめさせて、嘘かよ。悪事をばらすぞ」

「ばっかじゃない。私のバックには、小金沢グループの紫門(ゆりかど)さんがついているのよ。アンタのような小物がいくらわめこうが、無駄よ、無駄」

「て、てめぇえ!!」

「おっと、だめよ。おいたしちゃ」

 

 俺が殴りかかろうとすると、愛里彩(ありさ)がスタンガンで威嚇してくる。これでは、うかつに近づけない。

 

「く、くそ。ご、五十万かよ」

「ううん、百万に値上げした」

「はぁ?」

「さっき愛里彩(ありさ)を襲おうとしたから、ペナルティよ」

 

 こいつは、こいつは……。

 

 俺は、うぎぎと悩んでいると、

 

「百万ぽっちで、示談できるのよ。いいじゃない。いつまでもうじうじ悩んじゃって情けない。本当に学生は貧乏でや~ね。それに比べてサラリーマンのおじさん達は、金払いいいわよ」

 

 愛里彩(ありさ)は、サラリーマン達から示談金を受け取ったときのことを、自慢話のようにしゃべる。

 

 涙を流しながら悔しそうに払うサラリーマン達。奥さんも子供もいる。仕事を失うわけにはいかないから、泣く泣く払ったのだろう。

 

 無実なのに、奥さんにばらすと脅され、こうして屈辱的に靴も舐めたようだ。

 

 中には巍然と払わないと言った人もいたらしいが、そういう人達は、悲惨だ。痴漢をでっちあげられたあげく、仕事をクビになり、奥さんに離婚を言い渡されたとか。

 

「……お前には、良心がないのか?」

「ふふ、何言ってんのよ。愛里彩(ありさ)の靴を舐められたんだもん。ご褒美よね」

 

 まったく反省の色無しだ。

 

 こいつは、一体どれだけの人の人生を狂わせてきたんだ。

 

 家族のために働くお父さん達の無念がわかる。

 

 こんな悪女のせいで、つらかっただろう。屈辱だっただろう。

 

 善良なサラリーマンの人生を狂わせた罪、お前の人生で償わせてやる。

 

 こうなれば最終手段だ。ブレインウォッシュを使ってやる。

 

 まずは、あいつのDNAを奪う。

 

 どうしようか?

 

 あいつはスタンガンを持っている。無理やり髪の毛を抜きに行ってもいいが、避けられ反撃されたらやばい。

 

 むやみに突っ込んでも、一か八かの賭けになる。

 

 考えろ、考えろ。

 

 ……

 …………

 ………………

 

 くっ、一つだけ方法を思いついた。これなら愛里彩(ありさ)も油断するし、成功する可能性が高い。

 

 ただ、非常に情けないやり方だ。

 

 愛里彩(ありさ)を見る。

 

 にやけた面だ。まさに悪女。今後もこうやって弱者を食い物にしていくだろう。

 

 うん、男のプライドとか言っている場合じゃないな。

 

「わ、わかった。払ってもいい」

「ふぅん、やっと自分の立場を理解できたみたいね」

「あぁ、ただやはり百万は高い。で、できれば、条件として……靴ではなく直に足を舐めたい。それなら払ってもいい」

 

 愛里彩(ありさ)は、一瞬何を言われたかわからなかったようで、きょとんとしている。

 

 その後、腹を抱えてげらげらと笑い出した。

 

「うひゃっはっははは!! なによ、変態。あ~おかしい。そうよね、愛里彩(ありさ)って魅力的すぎるもんね。大金を払うなら、それぐらいしてもらいたいよね~わかる、わかるわ」

 

 愛里彩(ありさ)は、ひとしきり笑った後、靴を脱ぐ。

 

「ふふ、本当は、もっとお金を取ってもいいんだけど……サービスよ」

 

 生々しくソックスを脱いでいき、そのなま足を出す。

 

「はい、足指の裏まで丹念に舐めなさい。愛里彩(ありさ)の足を舐められるなんて、一生の幸運ね」

 

 計画通り。

 

 にやりと笑みがこぼれた。

 

 愛里彩(ありさ)は、ルックスにかなりの自信を持っている。

 

 世の男は、こういう提案をしてきてもおかしくないと思っている。

 

 完全に油断しているな。

 

 スタンガンを鞄にしまい込んでいる。

 

 あとは、舐めるふりをしてこいつの爪を食いちぎればよい。DNAを確保だ。

 

 愛里彩(ありさ)の親指を口に入れる。

 

 くやしいが、全然嫌な臭いがしない。それどころか美少女の生足を舐めるというこのシチュエーションに、少し興奮している……そんな自分に嫌気が差してくる。

 

 とにかくやるぞ。

 

 こいつの爪を食いちぎる。

 

 やるぞ、やるぞ、爪を、爪を……って爪を食いちぎるって、結構えぐいよな?

 

 大量に出血するだろうし、何より激痛だ。

 

 いくら悪女相手とはいえ、爪を食い破るのはちょっと二の足を踏む。

 

 小心者の俺にはけっこうハードル高い。

 

 俺が躊躇していると、

 

「なに、さっきからぼーっとしているの。ほらもっと喉の奥までつかってやるんだよ」

「うぐっ」

 

 愛里彩(ありさ)に足を喉までつっこまれて、むせる。

 

 ゲホ、ゲホ!

 

 こいつ無茶苦茶しやがる。

 

「なに、むせたの? だらしないわね」

 

 愛里彩(ありさ)は、サドっ気を出して俺の顔を覗き込む。

 

 こ、これは……。

 

 チャンスだ!

 

 俺は近づいてきた愛里彩(ありさ)の髪を強引に引っ張る。ツインテールの髪が大きく揺れ、ブチブチと何本か毛が抜かれた。

 

「いったぁああ! 何しやがる、てめぇええ! せっかくブローした髪が」

「ばぁ~か、ひっかかったなぁ!」

 

 俺は、これ幸いと舌を出して愛里彩(ありさ)を煽る。

 

「くそ餓鬼、くだらない事しやがって。もう絶対に許さない。あんた終わりよ。愛里彩(ありさ)怒らせたんだから。示談なんて絶対にしない。社会的に抹殺してやるよ」

 

 愛里彩(ありさ)は口汚くののしるが、気にしない。

 

 俺は、引きちぎった髪の毛を片手にひた走る。帰宅後、ブレインウォッシュを発動だ。



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第17話「暗殺者アリッサ・ビーデルの葛藤(前編)」

 愛里彩(ありさ)は思う。

 

 世界ってつくづく愛里彩(ありさ)を中心に回っている。

 

 紫門(ゆりかど)さんに、ある男をはめてくれと頼まれた。

 

 成功すれば、小金沢グループ所属の大手事務所でソロデビューさせてくれるという。

 

 ふふ、ついているわ。

 

 アイドルグループ【LASH】は今秋メジャーデビューが決まってはいるが、売れるとは限らない。抜群に可愛い愛里彩(ありさ)はともかく、他メンバーの容姿はたいして美人ではないから。私の足を引っ張って、失速する可能性は十分に考えられる。

 

 その点、小金沢グループ所属の大手事務所からデビューすれば、間違いはない。

 

 愛里彩(ありさ)のルックスに、小金沢グループのバックがつくのよ。

 

 夢が広がる。未来が想像できるわ。

 

 愛里彩(ありさ)は、トップアイドルになれる。

 

 そして、老若男女すべてのファンが愛里彩(ありさ)の美しさに感動し、褒めたたえるの!

 

 そのためにも今回の【遊び】も絶対に成功させなきゃね。

 

 紫門(ゆりかど)さんから渡されたターゲットの顔写真とメモを確認する。

 

 メモには簡単なプロフィールと住所が記載されてあった。

 

 名前は、白石翔太。歳は十七歳、南西館高校の二年生。江戸川区在住。

 

 ふ~ん、南西館高校って進学校よね。紫門(ゆりかど)さんも通っているみたいだし……。

 

 なるほど。

 

 顔は平凡だが、馬鹿ではなさそうだ。ただ、自信なさげな表情でわかる。お勉強はできても、女の扱いは苦手ってタイプかな。

 

 ふふん、モテない童貞君って感じね♪

 

 童貞君をからかうのも面白いのよね。

 

 いつもはさえないおじさんばかりだけど、今度はどんな風に遊んであげようか?

 

 後で美香と打ち合わせしておこう。

 

 翌日……。

 

 いつものやり方で、いつもどおり行い、童貞君をはめてやった。

 

 楽しい、楽しすぎる!

 

 童貞君は「やってない、俺じゃない!」と必死で叫んでいた。

 

 美香は、小遣い稼ぎにこれをやっているが、愛里彩(ありさ)は違う。

 

 うちのパパは会社の重役だし、お小遣いをたくさんもらっている。お金に不自由はしない。

 

 愛里彩(ありさ)の目的は趣味だ。

 

 おじさん達が必死に弁解する姿もおかしかったけど、童貞君の慌てた様子もウケたわ。

 

 私にデレデレだったのに、急に手のひらを返した時の童貞君の顔といったら!

 

 絶望に満ちた顔をしていた。

 

 あぁ、楽しい。

 

 世の中には、こんなにまぬけがいるってわかるだけで、身がゾクゾクする。

 

 あの後、童貞君どうなったかな?

 

 警察に連れてかれてたし、退学は確実よね。

 

 紫門(ゆりかど)さんが執拗に目をつけていたし、実刑判決受けちゃうかも?

 

 キャハ!

 

 可哀そう。本日の運勢は大凶ね。

 

 あ、違うわ。一瞬とはいえ、私のお尻に触れたんだもの、大大吉よ。ただ、一生の運を使っちゃたみたいだけど。

 

 ふふ、他人の不幸ってなんでこんなに楽しいんだろう。今日もぐっすり寝れそうね。

 

 家に帰宅する。

 

 自分の部屋に戻ろうとすると、妹の加奈がいた。

 

 黒髪を無造作に下ろし、寝ぐせもつけたままぼさぼさだ。分厚い眼鏡をかけ、ヨレヨレのティーシャツを着ている。

 

 あいかわらずのブスだ。

 

「ブ~ス、化粧ぐらいしたらどうなの?」

「……」

 

 妹は、ボソボソと何かを呟くと、無視して二階に駆け上がっていった。

 

「無視かよ」

 

 成績だけ(・・)はいいけど、女として終わってる。趣味はパソコンのオタク女。夜中遅くまで起きて、パソコンで何やらカチカチ打っているようだけど、何が楽しいのやら?

 

 まぁ、あんな根暗女よりも、紫門(ゆりかど)さんよ。

 

 紫門(ゆりかど)さん、約束守ってくれるかな?

 

 ううん、そんな弱気じゃだめ。

 

 タダ働きは、絶対に嫌だ。どんな手段を使ってでも守らせる。それこそ身体を使ってでもね。

 

 私の処女……できるだけ高くつり上げたかったら今まで守ってきた。

 

 そろそろ頃合いね。

 

 小金沢 紫門(ゆりかど)

 

 資産数十億とも言われる小金沢グループの御曹司。成績優秀でスポーツマン。ルックスもモデル級だ。

 

 顔、地位、能力、どれを取っても一級品で超絶可愛い愛里彩(ありさ)に相応しい男と言える。

 

 紫門(ゆりかど)さんと付き合い、抱いてもらう。

 

 ただし、できるだけもったいぶって愛里彩(ありさ)の虜にしてからだけどね。

 

 

 

 ☆ ★ ☆ ★

 

 

 

 紫門(ゆりかど)さんからの報酬を期待しつつ、家に帰宅すると、童貞君こと白石翔太が家の前で待ち構えていた。

 

 童貞君は、生意気にも愛里彩(ありさ)を脅してきた。

 

 被害届を撤回しなければ、愛里彩(ありさ)の悪事をばらすと言う。

 

 愛里彩(ありさ)には、天下の小金沢グループの紫門(ゆりかど)さんがついている。一介の高校生が何をわめこうが無駄だ。

 

 憐れね。現実がわかっていない。

 

 それにしても、愛里彩(ありさ)を脅すなんて許せないわね。童貞君には、少しばかりお仕置きしてあげよう。

 

 土下座させて、いつものように靴を舐めさせようとしたら、直に足を舐めたいなんて言ってくる。

 

 くっくっ、本当に男ってバカだ。

 

 いや、愛里彩(ありさ)が可愛すぎるのが原因よね。

 

 どんな男も愛里彩(ありさ)の魅力で骨抜きにされる。

 

 さぁ、とことん舐めなさい。愛里彩(ありさ)に逆らえない従順な犬にしてあげるから。

 

 そう愉悦に浸っていたら……油断した。

 

 まさか童貞風情が愛里彩(ありさ)に噛みついてくるなんて夢にも思わなかった。

 

 髪を強く引っ張られ、髪の毛が抜けた。舌まで出されておちょくられもした。

 

 許せない。

 

 愛里彩(ありさ)は、愛里彩(ありさ)をコケにする奴を絶対に許しはしない。

 

 あの童貞には逃げらたが、住所は把握している。

 

 自宅に乗り込んであることないこと吹聴してやる。二度とその町に住めないように、隣人、家族、全てを巻き込んでとことん追い詰めてやろう。

 

 怒り心頭のまま、乱暴にドアを開け家に入る。

 

 どんどんと足音を立てながら、洗面所に向かう。

 

 まずはあの童貞にやられた頭の傷を鏡で確認する。

 

 愛里彩(ありさ)の美しさは、一片たりとも損なってはいけない。早急に調べないと。

 

 洗面所に到着すると、(ブス)がいた。

 

「ブス、どきなさい」

「……死ね」

「あら、美しいお姉様に対する態度じゃないわね」

「……ドブス死ね」

「よほどしつけをしてもらいたいようね」

 

 今の愛里彩(ありさ)は超不機嫌だ。

 

 いつものように優しく言葉だけでは済まさない。

 

 カバンからスタンガンを取り出し、(ブス)に向ける。

 

「ふふ、五十万ボルトくらってみる?」

 

 バチバチと電流を流しながら、(ブス)の顔にスタンガンを近づける。

 

 (ブス)は、スタンガンに驚いたようで慌てて道を譲ってきた。

 

 そうそう。常にその態度を心掛けなさい。

 

 (ブス)を肘で押しのけ、洗面所の鏡で髪を引っ張られた部分を確認する。

 

 う、うそ……。

 

 頭皮が赤く腫れていた。

 

 ずきずき痛みもある。

 

 うまくケアしないと部分的にハゲるかもしれない。

 

「あ、あ、あぁああああ! くそぉおおおぉ、やろうがぁあああ!」

 

 思わず大声を上げた。

 

 洗面所に置いてあるコップや歯ブラシ、歯磨き粉を投げまくる。

 

 はぁ、はぁ、はぁ、ゆ、許さない。

 

 愛里彩(ありさ)の美貌を傷つける者は、だれであろうと許しはしない。

 

 愛里彩(ありさ)の人脈をフルに使って、とことん追い詰めてやるから!

 

 白石翔太、地獄に落としてやる!

 

 憤懣やるせなくその日はベットに入り、眠る。

 

 

 

 ★ ☆ ★ ☆

 

 

 

 目が覚めた。

 

 知らない天井……いや、知っている天井だ。

 

 頭がボーっとする。

 

 私は……誰?

 

 愛里彩(ありさ)、アリッサ。

 

 おもむろに頬を触る。濡れていた。夢で涙を流していたらしい。

 

 夢?

 

 あれは夢なのか? いや、夢というにはあまりにもリアルすぎる。

 

 アリッサは、スラム育ちの孤児だ。

 

 陽のあたらない、カビの生えた場所で育った。そこは一日太陽が差し込まず、常に湿気と冷気に脅かされていた。

 

 配給の食事も家畜の餌だ。それも、毎日食べられるかは運次第。そのまずい餌目当てに同じような浮浪者に襲われるからだ。

 

 周囲をびくびく気にしながら、カビの生えたパンを急いでかきこんだ。

 

 そんな状況である。

 

 数日食べられないなんてざらであった。

 

 いつもお腹が空いていた。いつも不安で怖かった。

 

 しかも、スラムは害虫がそこらじゅうにいた。そんな栄養状態が悪い中で刺されたら死ぬ。

 

 寝床を確保するのも必死だ。害虫を払い、ボロボロの布切れにくるまって寝る。

 

 ひもじく寒い地獄のような生活だ。

 

 銅貨数枚を巡って、殺し合いの喧嘩もした。人買いに追いかけられたこともあった。

 

 屈強な男が剣をかざしながら容赦なく襲ってくる。

 

 必死で抵抗した。

 

 あらゆる手段を講じて抗った。生きるために騙した、盗んだ、殺した。

 

 殺しては逃げ、逃げては殺した。

 

 こんな過酷な環境ではいつか死ぬ。間違いなく死ぬはずなのに、アリッサは生き残れた。

 

 救われたからだ。

 

 誰に?

 

 うぅ、頭が痛い。

 

 これって……いわゆるあれよね? 漫画やドラマでよくある話だ。

 

 前世の記憶が蘇ったとか?

 

 い、いや、ありえない。そんな非現実的な事が起きるはずがない。

 

 夢だ。う、うん、夢。

 

 嫌な夢だった。

 

 人を襲い襲われる毎日。

 

 髪は乱れ、服に返り血が大量に飛んでいる。

 

 生々しかった。

 

 殺戮を切り抜けるごとに、全身が血まみれで、その血の匂いでむせ返りそうになった。

 

 気持ち悪い。

 

 水でも飲んで落ち着こう。

 

 台所に行き、蛇口をひねってコップに水をくむ。

 

 透明で透き通った水だ。

 

 ごくごくと喉を鳴らしながら水を飲み、喉を潤す。

 

 お、美味しい。すごく美味しい。

 

 さらにもう一杯水を飲む。

 

 ぷっはぁああ!

 

 最高!

 

 スラムでは、上質な水を飲むなんてありえなかった。ボウフラの浮いた水があればいいほう。水たまりの泥水をすすって生きてきたのだ。

 

 蛇口をひねったら、美味しい水が手に入る。

 

 な、なんて贅沢なの!

 

 い、いや、何を考えているのよ。

 

 私は、スラム育ちではない。

 

 夢よ、夢。

 

 ……シャワーでも浴びて頭を落ち着かせよう。

 

 夢で全身が血まみれだった。血を洗い流すつもりで念入りに洗おう。

 

 お風呂場に行き、シャワーを浴びる。

 

 頭をごしごしと洗う。

 

 気持ちいい。

 

 シャワーの後は湯船につかる。

 

 バスタブ一杯にお湯をはり、肩までつかるのだ。

 

 あぁ、気持ちいい。

 

 こんな温かい水で身体を洗えるなんて夢みたいだ。

 

 スラムでは、身体を洗うお風呂なんて贅沢は考えられなかった。せいぜい濁った川の水で汚れを落とすぐらいだ。それも汚く臭い水でだ。鼻をつまみ悪臭に耐えながら洗う。冬なんて悲惨だ。あまりの寒さに手足が凍りそうであった。

 

 はぁ~最高♪

 

 風呂から上がり着替えを済ませると、窓を開けた。朝の涼しい風を感じた。

 

 いい空気……。

 

 深くゆっくり呼吸をする。

 

 平和だ。

 

 目を瞑り、鼻歌を歌いながらまどろんでいると、台所から母の呼ぶ声が聞こえた。

 

 朝食の時間だ。

 

 席に座る。

 

 食卓には、パン、ソーセージ、ベーコンにサラダと目玉焼きがあった。いわゆる洋食スタイルである。

 

 すごい豪勢だ。ピザまである。

 

 スラムでは考えられなかった食事だ。

 

 ごくりと生唾を飲み込む。

 

 こんなご馳走を食べていいの?

 

 震える手で箸を取り、カリカリのベーコンを口に入れる。

 

 ジューシー! 舌に肉汁の旨味が染みわたった。配給の家畜の餌とは天と地ほどの差がある。

 

 美味しい、美味しい、美味しいよぉ!

 

 無我夢中でベーコンを食べ終わると、次に、パン、ソーセージを口にいれる。

 

 はむ、はむ、はむ、ごぐっ、はぁ、はぁ、美味い、美味い。

 

 あまりの美味しさで涙が出てきた。

 

愛里彩(ありさ)ちゃん、どうしたの? そんなに急いで食べると身体に悪いわよ」

 

 母が心配そうに訊ねてきた。

 

「あ、あ、ごめん。あまりに美味しくて、つい」

「まぁ、珍しい。いつもはダイエットしてるって、あまり食べないのに」

 

 母が目を丸くして驚いている。でも「美味しい」と言われて、まんざらでもなさそうだ。

 

「はっはっは、いいじゃないか。無理なダイエットはよくない。愛里彩(ありさ)、パパの分もいるか?」

 

 父が自分の分のビザを分けてきた。

 

「た、食べる」

 

 食欲が止まらない。こんなのいつもの自分じゃないとわかっているのに止められないのだ。

 

「もうパパの分は、冷めてるじゃない。それは捨てましょ。新しいのを用意してあげるから」

 

 母がそう言って、ビザを捨てようとする。

 

「いや、捨てないで! もったいない、もったいなさすぎるよ」

「で、でも、愛里彩(ありさ)ちゃん、冷めたピザは美味しくないわよ」

「いい、いいから。それを食べる」

 

 強引にピザをもらって食べる。

 

 はぁ、はぁ、美味しい。

 

 チーズとサラミの香ばしさが食欲をそそる。ふんだんに使った香辛料、色とりどりの具材。

 

 これは、美味しすぎる。

 

 多少冷めていようが、それがなんだというのだ。スラムでは、カチカチに凍って腐ったパンだってかぶりついていたのだ。

 

「ふふ、愛里彩(ありさ)ちゃん、そんなに食べてブタになっても知らないわよ」

愛里彩(ありさ)ならブタになっても可愛い。大丈夫だ」

 

 父と母が微笑みながら話す。

 

 お父さん、お母さん……。

 

 うぅ、うぅ。

 

 食べていた手が止まる。

 

 スラムでは考えられなかった。

 

 ずっと独りだった。食事をするのも命がけだった。

 

 私には両親がいるんだ。

 

 こんなに美味しくて、こんなに安全で、こんなに温かい食事ができるなんて……私はなんて果報者なんだ。

 

 ぽたぽたと涙がこぼれてくる。

 

 嬉しくて幸せで涙が止まらない。

 

「あ、愛里彩(ありさ)ちゃん、急にどうしたの?」

愛里彩(ありさ)、どうしたんだ? なにがあった?」

 

 急に泣き出した私を見て、両親が身を乗り出して心配する。

 

「あ、あ、つい涙が出ちゃった。あまりに幸せだから……はは、何言ってんだろ、私」

愛里彩(ありさ)、驚かすな。いじめにでもあっているんじゃないかって心配したぞ」

「パパ、女の子は情緒が不安定になる日もあるのよ。愛里彩(ありさ)ちゃん、今日は学校を休みなさい」

「あぁ、ママの言うとおり休みなさい。そうだ。気分転換に買い物でもしてきたらどうだ? 父さんが小遣いをやろう」

「えっ!? いいよ、いいよ」

「なんだ、いつもの愛里彩(ありさ)らしくないぞ。ほら、遠慮するな」

 

 父が小遣いとして、五万円を渡してきた。

 

 いつもはもらって当然とばかりに何も感じないのに、今日は違う。

 

 心苦しい。父が汗水働いて得たお金だ。

 

「そんな大金もらえない」

「いいから取っておきなさい」

「ううん、私は十分にもらっている。だから、それはお父さん自身で使って。いつも大変なんだから、お母さんと一緒に美味しい物でも食べてよ」

「あ、愛里彩(ありさ)!? うぅ、お前からそんな風に言ってもらえる日が来るなんてな」

「パパ、子供は成長するものよ。愛里彩(ありさ)ちゃん、ママも嬉しいわ」

 

 父が感激して号泣している。母も泣いていて、目頭をハンカチで何度も押さえている。

 

 結局、両親があまりに感動するから、これ以上遠慮するのも悪いかと思い、もらった。

 

 増額されて渡された十万を持って台所を出る。

 

 私、どうしちゃったんだろ?

 

 階段を上っていると、妹の加奈がいた。

 

 加奈は、夜遅かったようで今起きたようだ。

 

 妹……。

 

 スラムでの生活だと考えられない。

 

 私には両親以外に妹もいるのだ。

 

 独りではない。

 

 私達は、姉妹なのだ。

 

 急激に加奈に対して、愛おしさがこみあげてくる。

 

 私の妹、加奈。

 

「あ、おはよう」

「……」

 

 手を上げて笑顔で挨拶をするが、加奈は無視して階段を下りていく。

 

「あ、待って――」

「それ以上、近づいたら刺す」

 

 加奈がポケットに忍ばせていた小型のナイフを向けてきた。

 

 その眼は家族に向ける眼ではない。

 

 私は、これを知っている。

 

 夢で見たスラム住人のそれと一緒だ。憎悪と嫌悪が入り混じった感情、敵を見る眼である。

 

 加奈……。

 

 自業自得という言葉が突き刺さる。

 

 今までの私の所業を思えば、加奈の行為は当然だ。

 

 嫌われるに決まっている。

 

 今まではそれでよかったのに、今はそれがすごく悲しくてせつなくなる。

 

 加奈ちゃん、ごめん、ごめんね。

 

 見送る加奈の背中に謝り続けた。

 

 加奈が行った後、部屋に戻る。

 

 ベットに行き、枕に顔をうずめた。

 

 私、本当にどうしちゃったんだろう?

 

 あれは夢、夢のはずなのに……。

 

 時間が経てば経つほど、脳内に前世の記憶がどんどん洪水のように注がれれてくるのだ。

 

 私は、アリッサ。

 

 天涯孤独の暗殺者だった。スラム育ちの殺し屋。金で雇われ平気で人を殺す。

 

 貴族を呪い、王を呪い、国を呪い、生きとし生ける者を呪った。この世の全てを根絶やしにしてやろうと、悪鬼羅刹に落ちるところを救われた。

 

 誰に?

 

 誰に救われたの?

 

 ……

 …………

 ………………

 

 そうだ。

 

 ショウ様だ。

 

 ショウ様に私は救われた。ショウ様のおかげで人間として生きることができたのだ。

 

 私に人としての心を、あたたかなやすらぎを与えてくださった。

 

 会いたい。

 

 ショウ様に会ってお礼を言いたい。

 

 あぁ、思い出す。

 

 凛々しく優しい。私の敬愛するご主君を。

 

 そうだ。何を迷っていたのだ。

 

 私は、私は……関内 愛里彩(ありさ)ではない。

 

 スラム育ちの暗殺者。フェイス・ホワイストの剣にして盾、アリッサ・ビーデルだ。

 

 あぁ、ショウ様に会いたい。

 

 会いたい。

 

 ショウ様?

 

 ショウ様はどこ?

 

 あっ!?

 

 白石 翔太!!

 

 昨日までの愛里彩(ありさ)として生きてきた記憶と混ざり、冷や汗が出る。

 

 私なんてことを、なんてことをショウ様にしでかしたのだ!

 

 大恩あるお方に非道の振る舞い。

 

 頭を勝ち割り、腸をえぐり取っても許されない大罪を犯してしまった。

 

 いますぐ自害してショウ様にお詫びを――いや、その前に、私は自分がしでかした不始末の贖罪をしなければならない。

 

 すぐさま私は鞄に入れてある携帯を取り出し、電話をかけた。



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第18話「暗殺者アリッサ・ビーデルの葛藤(中編)」

 携帯電話の通話を終える。

 

 警察に誤解だったと説明した。

 

 あれは、故意ではなく電車の揺れによる事故。パニックになり訴えてしまったが、後で冷静になると間違いだと気づいた。

 結果、警察をはじめ関係者に多大な迷惑をかけてしまった、反省していると締めくくった。

 

 涙ながらの説明が功を奏したのか、少し説教されただけで、無事被害届は撤回された。

 

 これでショウ様の痴漢容疑は晴れた。経歴に傷はつかず、警察に追われない。

 

 後は、ショウ様の痴漢冤罪動画だ。

 

 ショウ様がさも痴漢をしてたかのようにみせた動画が残っている。流出する前に回収しないといけない。

 

 今までの動画は、共犯の美香が管理している。うまく騙してショウ様の動画を削除させよう。

 

 問題は、小金沢 紫門(ゆりかど)へ送った動画分だ。

 

 奴は、執拗にショウ様を付け狙っていた。そうそうに動画を手放さないだろう。

 

 どうすればよい?

 

 色仕掛け、力ずく、すり替え……。

 

 いくつか方法を考えたが、どれも決定打に欠ける。多分にリスクを含んでおり、百パーセント成功するとは言えない。

 

 どの手段が最も効果的か?

 

 こういう難問に直面した時、ショウ様から的確なアドバイスを頂いていた。

 

 ショウ様なら必ずや素晴らしい案を考えてくださるだろう。

 

 一度ショウ様に相談を――って何を考えている!

 

 ショウ様にあれだけの無礼を働いておいて、どの面を下げて会いに行ける。自分がしでかした不始末は、自分で解決するのが筋だ。

 

 それに昨日のご様子では、ショウ様は前世の記憶がお戻りになっていない。今、私がのこのこ会いに行けば、敵意を剥き出しにし、お怒りになるだろう。相談どころの話ではない。

 

 前世の話をして、事情を説明するという手もあるにはあるが、こんな荒唐無稽な話を信用して頂けるわけがない。

 

 新たな詐欺と思わるのが関の山だ。

 

 あぁ、本当にどうすればよいのだ?

 

 アリッサは、昔から考えるのがあまり得意ではなかった。逆に記憶を取り戻す前の私、愛里彩(ありさ)は得意だったが……。

 

 そうだ。昔の私、愛里彩(ありさ)ならどうするか?

 

 ……

 …………

 ………………

 

 ……色仕掛けだな。

 

 多少、いや、かなり思う所はある。だが、愛里彩(ありさ)は、この手の方法が大の得意であった。

 

 学校のクラスメート、【LUSH】のファン、芸能関係者……。

 

 様々な男を手玉に取り、愛里彩(ありさ)に奉仕させていた。

 

 携帯の電話帳は、メッシー君、アッシー君、財布君とフォルダに分かれている。

 

 記憶を取り戻す前とはいえ、我ながらよくやったものだ。

 

 記憶を取り戻しアリッサとして生きようと誓ったが、ショウ様のためなら今一度、愛里彩(ありさ)に戻る。

 

 思い出せ。

 

 愛里彩(ありさ)の思考を、自在に男を操縦し、虜にする方法は……?

 

 意識的にスイッチを切り替える。

 

 キャハ! ウフゥ!

 

 作り笑顔を見せる。

 

 愛里彩(ありさ)は、常に思っている。

 

 世の中の女は、二種類しかいない。超絶かわいい愛里彩(ありさ)愛里彩(ありさ)以外のブスか。

 

 うん、こんな感じね。

 

 自分ながら反吐が出る性格だが、この女の特性は利用できる。

 

 まずは、紫門(ゆりかど)に連絡だ。

 

 携帯を取り出し、ラインを入れる。

 

 ……。

 

 反応がない?

 

 かなり媚びる文を送ったのに……。

 

 経験上、愛里彩(ありさ)に虜の男なら、数秒もしないうちに返信がくるはずだ。

 

 では、直接電話しよう。

 

 ……。

 

 繋がらない。

 

 電波の届かない場所か、電源がOFFになっている。

 

 もしかして着信拒否?

 

 いや、拒否られてはいないはずだ。

 

 紫門(ゆりかど)は、愛里彩(ありさ)を気に入っている。

 

 少なくとも一度も抱く前に、無視はありえない。

 

 ただ単に忙しいだけか……。

 

 とりあえず待機だな。

 

 その間に、美香への対策を行う。

 

 美香に連絡し、後日会う約束を取り付けた。

 

 美香を騙し、動画を削除する。美香がゴネたら実力行使も辞さない。

 

 それから数時間後……。

 

 携帯の着信が鳴った。

 

 携帯のディスプレイを見る。

 

 紫門(ゆりかど)からだ。

 

 すぐさま応答ボタンを押す。

 

「もしもし」

愛里彩(ありさ)か? 俺だ。紫門(ゆりかど)だ」

 

 っ!?

 

 紫門(ゆりかど)の声を聞き、記憶が大きく揺さぶれた。

 

 ……この声、知っている。

 

 どこまでも傲慢で、どこまでも嗜虐な悪魔の声を、知らないはずがない。

 

 我が主君ショウ様の敵だ。

 

 シモン・ゴールド・エスカリオン。

 

 ヴュルテンゲルツ王国の東部ワイインを領土に持つ大公。国の重鎮かつ王女の婚約者という身でありながら、裏で帝国に繋がっていた男。数多の罪なき女性を慰み者にし、民をいたぶり悦に浸る暴君。

 

 そうか。それでショウ様を執拗に狙っていたのか!

 

 前世からの因縁だ。記憶を取り戻さずとも、ショウ様が憎くて憎くてたまらないのだろう。

 

「どうした?」

「ううん、なんでもない」

 

 電話の様子から、シモンは前世の記憶を取り戻していない。

 

 記憶が戻っていれば、ショウ様の懐刀と呼ばれたアリッサに何らかのリアクションがあってもおかしくないからな。

 

 ひとまずは僥倖。アリッサではなく愛里彩(ありさ)としてふるまえる。

 

「それより、紫門(ゆりかど)さん、電話が繋がらなかったから心配してたんですよ」

「悪いな。携帯が壊れて新しいのに変えてたんだ」

「そっか。よかった。紫門(ゆりかど)さんに嫌われて無視されているんじゃないかって思ってました」

「ふっ、愛里彩(ありさ)にそんなひどい真似はしねぇよ」

「うれしい。それで愛里彩(ありさ)紫門(ゆりかど)さんにお願いがあって――」

「わかってる。メジャーデビューだろ? 約束は守る。感謝しろ」

「ありがとー」

 

 今更メジャーデビューにかけらも興味はない。

 

 だが、ここは素直に礼を言っておく。

 

「ただな愛里彩(ありさ)、事務所にお前をねじ込ませるのに、けっこう苦労したんだぜ。もう少し見返りが欲しいところだ」

「見返りですか? サイン上げましょうか?」

「けっ、サインはモテない豚野郎にでもくれてやれ。せいぜい夢見させて金を巻き上げてやれよ」

「うふっ、悪い人だな」

「くっく、それはお前もだろうが。それより、そろそろいいだろ、な? 次のデートは、朝まで付き合ってもらうぜ」

「……」

 

 下種が! 前世から変わらない。女と見れば、見境なく襲う獣め!

 

 そろそろ身体を要求してくるのは、記憶が戻る前からわかっていた。

 

 前の私は、できるだけ値をつり上げて抱かれるつもりだった。今の私は考えるだけでおぞましい。

 

 記憶が戻って本当によかった。

 

「なぁ、いいだろ? 服でも宝石でも欲しいものなんでも買ってやるよ」

「ありがとう。嬉しい。そういえば、私、欲しい服があったんだ」

「あぁ、好きなだけ買ってやる。だからな?」

「うん、いいよ。次のデートはそうしよう」

 

 微笑みながら肯定した。

 

 反吐が出るが、我慢する。

 

 これもショウ様のためだ。バカで浅はかな女、愛里彩(ありさ)に徹する。

 

「決まりだ。後で連絡する。それと愛里彩(ありさ)に頼みがあるんだ」

「うん、なに?」

「前にもらった白石のヘタレ動画があるだろ? もう一度送って欲しい」

 

 再送?

 

 あぁ、携帯が壊れたからか。でも、機種変更して、データ移動しなかったのか?

 

「うん、いいよ。でも、データ移動しなかったの?」

「……事情があってな。データが消えたんだよ」

 

 携帯が壊れて、データが消えたのか!

 

 これは重畳、データを取り戻す必要がなくなった。

 

 いや、まだだ。

 

 SDカードとか他の記憶媒体にデータが残っている可能性がある。

 

 念のためだ。データが本当に残っていないか確認しておこう。

 

紫門(ゆりかど)さん、SDカードにデータが残っているんじゃないですか?」

「残ってねぇよ。写真、メール、電話帳、データ丸ごとパァ~になっちまったんだ」

「すさまじい壊れ方だったんですね」

「あぁ、今思い出すだけでも腸が煮えくりかえりそうなぐらいな」

「何があったんですか?」

「……お前には関係ない」

「いいじゃないですか、教えてくださいよ」

 

 敵の情報は、できるだけ収集しておきたい。少し食い下がってみる。

 

「その話は、したくない。それより次のデートの話をしようぜ」

「え~聞きたい、聞きたい」

「うるせぇ、てめぇも俺を怒らせたいのか!」

「ち、ちょっと!?」

 

 突然、紫門(ゆりかど)が怒鳴り声を上げた。

 

 この男の本性は、よく知っている。怒鳴り声を聞いてもさほど驚くことでもないが、外面のよいこの男にしては珍しい。

 

「いいか! 男が、言いたくないと言ったら聞くんじゃねぇ! どいつもこいつも女のくせにやたらと俺に逆らいやがって」

 

 ブチ切れている。

 

 この言い様から判断するに、シモンの携帯を壊したのは女か?

 

 シモンの外面の良さと抜け目のなさは知っている。

 

 ただの女ではシモンを出し抜けない。

 

 データが全損するほど携帯を壊す、シモンの外面を壊すほどブチ切れさせる、そんな女は限られている……。

 

「おいコラ、聞いてんのか!」

 

 考察は後だ。

 

 シモンを落ち着かせなければ、これ以上情報収集できない。

 

 とりあえず平謝りだな。

 

「ご、ごめんなさい。許してください」

 

 嘘泣きは、愛里彩(ありさ)の十八番だ。

 

 嗚咽交じりにひたすら謝る。

 

 シモンはそれでも怒鳴るのをやめないが、ここで言い訳を言ってはいけない。

 

 相手が落ち着くまでひたすら謝り続ける。

 

 そして……。

 

 頭が冷えたのか、シモンの口調に落ち着きが見え始めた。

 

 ここだ。ここで言い訳を入れる。

 

「ごめんなさい。紫門(ゆりかど)さんを不愉快にさせた奴がいるなら、そいつに復讐するんでしょ? 愛里彩(ありさ)紫門(ゆりかど)さんのお手伝いをしたいと思って……だから」

「ちっ、それならそう言え」

「本当にごめんなさい。決して紫門(ゆりかど)さんを困らせようと、しつこく聞いたわけじゃないんです」

 

 健気に、優しく、相手を気遣うように……女の武器をフルに使う。

 

 電話越しでなければ、上目遣いで涙も流していただろう。

 

「……まぁ、俺も怒鳴って悪かったな」

 

 よし。紫門(ゆりかど)の機嫌が元に戻った。

 

 愛里彩(ありさ)は、こういう男と女の修羅場を何度も経験している。

 

 心にもないことをペラペラと……我ながら本当に感心する。

 

「私も無神経なことを聞いてごめんなさい」

「いや、俺も入院中でイライラしてたからよ。仲直りしようぜ」

「はい、喜んで」

「ふっ、お前は相変わらずいい女だぜ」

「ところで紫門(ゆりかど)さん、入院しているんですか?」

「あぁ、こうなったら腹を割って話す。お前にも協力してもらうからな」

 

 それからシモンにこれまでのいきさつを聞いた。

 

 シモンは現在、歯を折られ、タマを潰され、緊急入院していると言う。

 

 タマにかんしては二度潰されたとか。

 

 途中、笑いをこらえきれなくなったが、耐える。あくまで心配げに聞くのだ。

 

 そして、その喝采すべき所業をなしたのが、草乃月財閥の一人娘、草乃月麗良というのだ。

 

 草乃月 麗良……。

 

 恐らく前世のレイラ・グラス・ヴュルテンゲルツだろう。

 

 ふっ、あのバカ姫も記憶が戻ったのか。

 

 いつもショウ様を振り回す嫌な女だったが、こうなると頼もしい。

 

「それで具体的にどう復讐するんですか?」

「あいかわらずだな。そんなに楽しいか?」

「えぇ、人の不幸を見るのは、私の趣味ですから」

「くっく、本当に悪い女だぜ。だが、まぁ待て。あれで財閥の娘だからな。下手に手をだすと、しっぺかえしをくらう。やるなら慎重に、綿密な計画が必要だ」

「えぇ、いいじゃん。がんがん行きましょうよ。私もあらゆる手段を使ってお手伝いしますから」

 

 あのバカ姫に目を向けているうちは、ショウ様へ危害は加えないだろう。

 

 バカ姫はいいおとり(・・・)になる。

 

 シモンがバカ姫に目を向けているうちに、私が貴様を殺す。

 

「頼もしい限りだ。だが、今はおあずけだ」

「え~そうなんですか」

「我慢しろ。その代わりお前が喜びそうなイベントを教えてやる」

「なになに?」

「俺も入院してなければ、参加できたんだがよ。まぁ、現場はビデオで抑えるから。あとで一緒に楽しもうぜ」

「……意味深ですね。どんな内容ですか?」

「あぁ、それはな――」

 

 ……感情を押し殺し、通話を切る。

 

 シモンめぇえええ!!!

 

 あと、ちょっとで激高し、叫び散らすところだった。

 

 あいかわらずの下種野郎だ。

 

 シモンは、息のかかった愚連隊に命じて、ショウ様の妹ジャスミン様を襲うらしい。

 

 シモンの話から、あのバカ姫は父親との権力闘争に明け暮れているという。

 

 バカ姫の助けは、間に合わない。

 

 私が、お助けせねば!

 

 できるか……今の身体で?

 

 細い腕、細い脚。

 

 モデル体型を維持するために、極力飯を食べてこなかった。

 

 その場でジャンプをする。

 

 天井には届かない。五十センチほど宙に浮いただけだ。

 

 くっ、低い。

 

 圧倒的に筋肉が足りない。

 

 前世の私なら……。

 

 大人の身長と同じ高さの塀を軽々と飛び越えることができた。

 闇夜でも昼間のように景色を見ることができた。

 気配を消し、獲物の接近を感じとれた。その鋭敏な感覚は、忍び寄る刺客の衣擦れの音すら聞き逃しはしなかった。

 

 今の貧弱な身体で戦えるか?

 

 机の引き出しに入れていた定規を取り出し、剣舞してみる。

 

 いやッ! とぉお!

 

 ブンブンと振り回す。

 

 一、二分ほどしたら息がきれてきた。

 

 きつい。

 

 今まで動かしたことがない筋肉を使っているせいか、スタミナ消費が激しい。前世の戦闘スタイルを維持できそうにない。

 

 イメージ通りに身体が動かないのだ。

 

 ただ、身体の柔らかさと敏捷性は、まずまずの動きだ。

 

 ダンスをしていたのが、救いか。

 

 とにかく今の身体能力では戦えないのがわかった。防具と武器が必要だ。

 

 何かないか?

 

 まずは防具……クローゼットを開けてみる。

 

 なんでこんなに?

 

 ブランドの服が山ほどある。

 

 流行りのコートやスカートにブーツ……。

 

 一度も着ていない服もある。

 

 はは……。

 

 前世、憎悪の対象であった貴族そのものの生活だ。

 

 親がいて、家があって、金銭に恵まれている。

 

 そんな恵まれている現状に満足せず、遊び感覚で犯罪に手を染めていた。

 

 今の私を昔の私が見たら、どう思うだろう?

 

 きっと殺したにちがいない。残忍に無慈悲にえげつない方法で殺されていた。

 

 はぁ~ため息がでる。

 

 とにかく防具だ。

 

 こんなブランド服よりも鎖帷子が欲しい。

 

 クローゼットの中を探し、とりあえず動きやすそうな服に着替える。

 

 後は、武器だ。

 

 愛用だった短剣があれば……。

 

 愛里彩(ありさ)がそんなものを持っているわけがない。護身用のスタンガンのみである。

 

 手持ちの武器でなんとかするしかない。

 

 机や棚をひっくり返し、めぼしい物をバックに詰めていく。

 

 部屋を出て、階段に向かうと妹の加奈がいた。

 

 先ほどきまずい別れ方をしたばかりだ。

 

「あ、加奈」

「……」

 

 声をかけるが、加奈は無視して通り過ぎようとする。

 

「あ、待って!」

「しつこい。さっき言ったのは、脅しじゃない。本当だからな」

 

 加奈がナイフを向けて威嚇してくる。

 

 肉親に刃を向けてくる……並大抵の憎悪ではない。

 

 まずは、今までの行為を謝ろう。

 

「ごめんなさい。悪かったわ」

「ふ~ん、性悪女もナイフは怖いようね」

 

 加奈がナイフをちらつかせながら、にやりと暗い笑みを浮かべる。

 

「えぇ、怖いわ。だからやめて」

「だめ、絶対に許さない。お前を刺すことは決定よ。ふふ、せいぜいスキをみせないことね」

 

 加奈は勝ち誇った顔で、その場を後にしようとする。

 

「待って。そのナイフは渡して」

「警告はしたよ」

「加奈、私はあなたに酷いことをしてきた。自覚している。すぐに許してくれるとは思ってない。でもね、それとこれとは話は別。ナイフを持ち歩くのはやめなさい」

「あはっ、もしかして説教してるの?」

「お願い。武器を持っていると、自分が強くなったように思える。でもね、それは間違いよ。最後は、あなたがあなた自身を傷つけてしまう」

 

 前世、ショウ様に言われた尊い言葉だ。

 

 そのまま加奈に伝えてみる。

 

 スラム育ちの暗殺者だった私が人間の心を取り戻すきっかけになった言葉だ。

 

 加奈の心は、闇に包まれている。

 

 ショウ様に救われた。

 

 今度は私の番だ。誰かを救いたい。それが自分の妹ならなおさらだ。

 

 加奈にもこの思いが届けばいいが……。

 

「聞いたような口をきくなぁああ!!」

「ち、ちょっと!?」

「今更ビビっても遅い。むかついた。今日あんたを刺すことにした」

 

 どうやら品行方正なショウ様とクズの愛里彩(ありさ)では、言葉の重みが違ったようだ。

 

 私の言葉は加奈の心に響かなかった。

 

 加奈が狂気の目を宿して、襲い掛かってきたのである。



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第19話「暗殺者アリッサ・ビーデルの葛藤(後編)」

 加奈の顔は、憎しみで歪んでいる。

 

 ……まるで般若ね。

 

 長年に渡り、いじめられてきたのだ。それも実の姉からである。その蓄積してきた憎しみは、筆舌にし難いものであろう。

 

 私の血を見るまで治まりそうにないな。

 

 予想を裏付けるかのように、先ほどから凄まじい殺気をもらい続けている。

 

 まずい。

 

 ヴュルテンゲルツ流暗殺術の一つに【虎欧(こおう)】というカウンター技がある。

 

 相手の殺気に反応し、攻撃を返す。

 

 殺気が高ければ高いほど、この技は切れ味を増していく。

 

 加奈の殺気は、【虎欧(こおう)】を発動するのに十分すぎる量だ。

 

 加奈がナイフを振り回す度に、身体が無意識に動きそうになる。

 

 今は右に左に避けているだけだが、そのうち加奈を攻撃してしまいそうで怖い。

 

「死ねぇ!」

 

 加奈がナイフを右上から左下に切りつけてくる。

 

 軌道を予測し、最適の解を導く。

 

 相手の腕を掴み極め折る、そのまま喉にナイフを突き刺す。

 

 違う!

 

 手刀でナイフを弾き、相手の胸に突き刺す。

 

 違う!

 

 これもだめ、あれもだめだ。

 

 全ての予測が加奈を攻撃し、加奈が殺されるルートしかない。

 

 あぁ、なまっている。すごくなまっている。

 

 相手は、たかが中学生の女の子だぞ。

 

 前世アリッサは、王都最強の暗殺者(アサシン)であった。百戦錬磨の戦士相手でも手玉に取れたのに。

 

 日本で覚醒したアリッサは、とても前世のアリッサに及ばない。

 

 いや、何を弱気になっている!

 

 これからジャスミン様をお救いするため、荒くれ共相手に戦闘するのだぞ。

 

 か弱き女の子相手ぐらい無傷で無力化できなくてどうするのだ?

 

 さぁ、集中しろ。もっとだ。もっとイメージしろ。前世のアリッサを思い出せ!

 

 ……

 …………

 ………………

 

 だめだ。ビジョンが全て加奈を殺しにきている。

 

 手加減ができない。それだけ今のアリッサの身体能力が低下している証拠だ。

 

 とにかく反撃はできない。

 

 ビジョンに惑わされずにナイフを避ける。

 

 ナイフの刃が空を切った。

 

「ちっ、避けてんじゃねぇ!」

 

 加奈は怒声を放ち、続けざまにナイフを振るう。

 

 反撃のビジョンが制限をかけるため、動きがぎこちなくなる。

 

 二、三度と振るわれた刃の先が、(ほほ)をかすめた。

 

 やば……。

 

 思わず(ほほ)をさする。

 

 ……血は出ていない。ギリギリ避けられたようだ。

 

 ほっと息を吐く。

 

 ふっ、顔を気にするなんて、まるで昔の愛里彩(ありさ)みたいね。

 

 集中、集中……このまま避け続けながら、打開策を考える。

 

「くそ、くそ、くそぉお!」

 

 何度も避けられ続けて、イライラが頂点に達したらしい。

 

「うぅうあああ、死にやがれ!!」

 

 加奈が雄叫びを上げてナイフを振り下ろしてきた。今まで以上に力がこもっている。まともに刺されば、内臓に達するのに充分であろう。

 

 容赦のない攻撃に私の中のアリッサが反応した。

 

 左に半身で躱しながら、加奈の背後に回る。そして、その頸動脈を――っていけない、いけない。

 

 慌てて出した手を引っ込める。

 

「はぁ、はぁ、はぁ、小器用に避けやがって!」

「加奈、もうやめて」

「うるさい」

「話を聞いて」

「だまれ! だまれ! くそ、当たれ、当たれ、当たりやがれ!!」

 

 加奈がナイフをぶんぶんと振りまわす。

 

 疲れたのか、その動きは急速ににぶってきた。

 

 これなら……。

 

 タイミングを計って、加奈の懐に入る。そして、ナイフを振り回す加奈の腕を掴んだ。

 

「はぁ、はぁ、ちくしょう。放せ!」

「落ち着いて」

「嫌だ。放せ、放せ、放しやがれ!」

「お願いだから」

「はぁ、はぁ、放せ、はな……わかった。やめたげる」

 

 急に加奈が暴れるのをやめたので、腕を放す。

 

「落ち着いた? 今までごめんね。後で話し合いま――くっ!?」

 

 眼前にナイフが迫ってくる。

 

「ばぁかぁあ、死ねぇよぉお!」

 

 加奈が薄笑いを浮かべ、ナイフを投擲したのだ。

 

 この軌道は!?

 

 人間の急所である眉間だ。

 

 命の危機に私の中のアリッサがまたも反応する。

 

 身体が勝手に動く。

 

 ヴュルテンゲルツ流暗殺術【虎欧(こおう)】擲閃の技が発動した。敵が投擲してきたものを蹴り飛ばし、相手にぶつける。

 

 迫ってきたナイフの柄部分をピンポイントで蹴り、弾き飛ばした。

 

 ナイフが向きを変えて逆進する。

 

 やってしまった!

 

 一瞬で血の気が引く。

 

 間に合えぇえ!

 

 強引に蹴りの角度を曲げ、弾き飛ばしたナイフの軌道を変える。

 

 必死の業が効いたらしい。

 

 ナイフは加奈の頭上を通過し、壁に突き刺さった。

 

「はぁああ? なんだ、それぇ! 至近距離だぞ」

 

 加奈が目を丸くして驚いている。

 

「ごめんね。怖かったでしょ。本当はもっと上に軌道を逸らしたかったんだけど――」

「うるさい。それより答えろ。今のはなんだ?」

「……話せば長くなる。今は急いでいるから」

 

 加奈の頭を優しくなでなでして、階段に向かう。

 

「あ、待て」

「話は後で。それと、このナイフはもらってくね」

 

 壁に突き刺さったナイフを引き抜き、カバンに入れる。

 

 背後から加奈の呼ぶ声が聞こえるが、無視をする。悪いと思うが、事は緊急を要するのだ。

 

 玄関を出ると、ダッシュで駅に向かう。

 

 ショウ様の住所は、シモンから入手し把握済だ。

 

 電車とバスを使い、目的の町へ移動する。

 

 大分薄暗くなってきた。

 

 早く見つけないと。

 

 確かこの辺りのはず……。

 

 しばらくショウ様の自宅近辺をうろついていると、

 

「返してくださいッ!」

 

 女性の叫び声が聞こえた。

 

 この声は!

 

 声がした方向へ一目散に向かう。

 

「へっへ、これは俺が預かっておく」

「ひどい。携帯を返して!」

「嫌だよ~お嬢ちゃんが警察に連絡しようとするからお仕置きだ」

「何言っているのよ! あなた達が変な事をしようとしてくるからじゃない!」

「変な事ってなにかな? 具体的に教えてくれよ。手取り足取りさ」

 

 男がいやらしい笑みを浮かべ、少女ににじり寄っていく。

 

 ジャスミン様!

 

 久しぶりに見た。

 

 変わらない。

 

 前世の頃と同じ愛らしい顔だ。

 

 ジャスミン・ホワイスト……。

 

 ショウ様の妹であり、ホワイスト家を影から支えていた。目立った武功はなかったが、優しく細やかな気遣いができる人であった。事実、ジャスミン様は、多くの領民に慕われていた。

 

 現世の名は、白石真理香だったな。

 

 部活帰りなのだろう、ジャスミン様は矢筒を背負っている。

 

 ジャスミン様は、弓道部なのか。前世、ジャスミン様は、弓がお得意であったからな。賊の一人や二人に後れを取ることもなく、普通に射殺していた。

 

 まぁ、でも記憶がお戻りになっていない今のジャスミン様では、十分に弓を活用できまい。

 

 私がお救いしなければならない。

 

 どうする?

 

 相手は、大の男八人だ。

 

 戦う? それとも警察に通報するか?

 

「いや、離してッ!」

 

 ジャスミン様は、男達が用意した車に連れ込まれそうになっている。

 

 選択の余地はなくなった。

 

 警察に任せてたら間に合わない。

 

 全速力で走る。

 

 狙うは、ジャスミン様の手を掴んでいる男だ。

 

 ヴュルテンゲルツ流暗殺術【虎欧(こおう)】蹴撃!!

 

 勢いをつけたまま、男の背中に蹴りを入れる。つま先に十分に体重を乗せた一撃だ。

 

 男は、無防備の背中に蹴りを入れられ、無様に倒れこんだ。

 

 そのすきにジャスミン様に近づき背に庇う。もちろん奪われたジャスミン様の携帯も回収する。

 

 男達は、突然現れた乱入者に一瞬慌てたが、襲撃者が女だとわかると余裕を取り戻す。

 

 そして再びニヤニヤと笑みを浮かべ、私達を取り囲んできた。

 

「てめぇ、いきなり何してくれるんじゃあ!!」

 

 パンチパーマの男が居丈高に叫ぶ。

 

「お前、この女の友達か? 助けに来たってか? 命知らずねぇ」

 

 背の低いネズミ面の男が、ナイフをちらつかせながら脅す。

 

「おいおいお前ら待て待て。よく見たらすげーいい女じゃないか!」

「そうだぜ。へっへ、ここはお友達も一緒に楽しんでもらおうぜ」

 

 残りの男達が下卑た笑い声を上げていた。

 

 そんな男共に向かって、ニンマリと笑みを浮かべる。

 

 そして……。

 

 カバンから取り出したお手製の火炎瓶もどきを奴らに投げつけた。

 

「「へっ!?」」

 

 男達の間抜けな声が響き、ボォオッと火が燃え上がった。

 

「熱い! あちぃ!」

 

 男達が叫ぶ。

 

 男達は、服に飛び火しパニックになっている。

 

 ふぅ、まずまずかな。

 

 ここに来るまでのバスと電車の乗車時間で作ったにしては、よくできたほうだ。

 

 このスキだ。

 

「走りますよ!」

「きゃあ!! えっ!? 何? 何?」

「説明は後、早く!!」

「は、はい!」

 

 ジャスミン様の手を取り、ひた走る。

 

 男達は私達が逃げたのに気づくと、慌てて追いかけ始めた。

 

 背後から男達の声が聞こえてくる。

 

「おい、いつまで痛がってんだ? ほらさっさと立ち上がって追いかけるぜ」

「き、救急車、よ、呼んでく……れ」

「おい、お前本当に何しやがったんだ?」

 

 背中に蹴りを入れた男は、起き上がれていない。当然だ。脊髄に衝撃を加えている。立ち上がるのはしばらく無理だろう。

 

「くそ、髪がチリチリだ。顔がいてぇ!」

「ふざけた真似をしやがって、あの女ぁあ!」

「ぶっ殺してやる。捕まえてひん剥いてやろうぜ!」

 

 男達が、歯をむき出しにして追いかけてきた。

 

 ……

 

 はぁ、はぁ、はぁ。

 

 まいたか?

 

 慌てて逃げ込んだ茂みの奥で、呼吸を整える。

 

 ほんの数十分走っただけで息が上がった。

 

 こんなに体力がないのは、スラム時代の幼少期までさかのぼるわね。

 

 ジャスミン様も肩で息をしている。

 

「大丈夫でしたか?」

「はぁ、はぁ、あ、ありがとうございます。変な人達に絡まれて怖かったです」

 

 よほど恐怖だったのだろう、ジャスミン様は両手で肩を抱き震えていた。

 

 かわいそうに……。

 

 ジャスミン様を抱きしめ、胸の中にうずめさせた。

 

「あ、あの!!」

 

 突然抱きしめられびっくりしたのか、ジャスミン様が声を上げる。

 

「嫌ですか?」

「い、嫌じゃないですけど……恥ずかしい」

「嫌でないのでしたら、少し、こうしてます」

 

 私がスラム出身で辛い目にあった時、ジャスミン様にされたことだ。少しでも前世の恩返しがしたい。

 

 しばらく抱きしめていると、ジャスミン様が肩を震わせる。そして、大きな声で泣き出した。

 

「ふぇん、ふえん、怖かった。怖かったよぉおお!」

 

 ジャスミン様が私の胸の中で嗚咽している。せき止めていたものがあふれ出したのだろう、大粒の涙を流し続けていた。

 

 少しでも安心させたい。

 

 優しく頭をなでて、ジャスミン様が落ち着くのを待つ。

 

 しばらくして落ち着かれたのか、ジャスミン様がぽつぽつとこれまでの経緯や自己紹介を始めた。

 

「それなのにお兄ちゃんったらひどいんですよ。『どんくさいお前にできるのか?』とか言ってくるから弓道部に入ったんですよ」

「そうだったのですか」

 

 ジャスミン様は、すっかり落ち着きを取り戻した。

 

 取り戻しすぎかな?

 

 お互いの自己紹介から始まり、趣味、好きなアイドル、休日の過ごし方等、どどうの如く話が止まらないのだ。

 

 そうだった。前世のジャスミン様もこんな感じだった。大人しく慎ましやかではあるが、身内や親しい者には、天真爛漫にぐいぐい迫ってくるのだ。

 

「あ~それと愛里彩(ありさ)さん」

「はい、なんでしょう?」

「もう私達は、友達ですよね?」

「は、はい、僭越ながら」

「もう~固いなぁ~。愛里彩(ありさ)さんは年上で、初対面でもなく友達なんですよ。敬語はもうそろそろいいじゃないんですか?」

 

 本来であれば、不敬にあたる。だが、ジャスミン様は、前世の記憶が戻っていない。従者と主君の関係を説いても意味を成さないだろう。それにこの提案を蹴って不仲になれば、今後の護衛にも支障をきたすかもしれない。

 

 ジャスミン様、ご無礼をお許しください。

 

 心の中で謝り、口調を同年代のそれに戻す。

 

「そうね、それじゃあ敬語はやめるわ」

「そう、そう、そうしましょう。それとさ、ずっと気になってたんだけど、愛里彩(ありさ)さんって【LUSH】のボーカルのARISAさんですよね?」

「……うん、まぁ、そうだね」

 

 【LUSH】は、愛里彩(ありさ)の悪行を思い出してしまう。あまり触れられたくはないが、嘘は言えない。

 

「きゃあ! すごいすごい! 私すごい人と知り合えたんだ。あのね、それじゃあ今度――」

「ごめん、真理香ちゃん静かにして」

「ど、どうしたんですか?」

「あ~まずいね。見つかったみたい」

 

 男達がこちらを指さしながら走ってくる。

 

 私達の逃げた痕跡を執念で探し当てたのか、確実にこちらに向かってきていた。

 

愛里彩(ありさ)さん、ど、どうしましょう?」

 

 ジャスミン様が不安そうにこちらを見ている。

 

 これでは護衛失格だな。

 

 王都最強の暗殺者と言われたアリッサ・ビーデルとあろうものが情けない。

 

 襲撃された時の基本を思い出せ。

 

 味方が劣勢なら有利な地形におびき寄せる。

 

 まずは周囲を見渡す。

 

 茂みを抜けだせば、だだっ広い空間だ。

 

 これでは多対一に向かない。

 

 他にないのか?

 

 こういう時は、地元民に聞くのが手っ取り早い。

 

「真理香ちゃん、この辺に狭い路地みたいな場所ってある?」

「えっ? 狭い路地ですか?」

「うん、人が一人しか通れないみたいな」

 

 ジャスミン様は顎に手を当てしばし考え込み、思い出したようだ。

 

「それなら大京橋がありますよ。工事中で積載物がいっぱい置いてて、一人しか通れません」

「すぐに案内して」

 

 私達が移動すると、男達に見つかった。

 

 怒声を上げて追いかけてくる。

 

 大京橋に着くと、橋の影に隠れて男達を待つ。

 

「そ、それでどうするんですか?」

「真理香ちゃん、手鏡持ってる?」

「はい、持ってますけど……」

「じゃあ、それで奴らが十歩以内に来たら教えて?」

「えっ!? え、十歩?」

 

 要領を得ていないジャスミン様に詳しく指示を出して、その時を待つ。

 

 この橋は確かに狭く一人ずつしか入れない。

 

 カバンの中に入れていたあるものを握った。刃は出している。

 

 さぁ、準備は整った。

 

 敵は殺す。

 

 それから男達が大京橋に到着し、一人ずつ入ってきた。

 

「じ、十歩!」

 

 ジャスミン様が鏡越しに男が現れたのを確認し、声を出す。

 

 その瞬間、カバンに入れていたカッターを投擲する。

 

「ぐあぁぁぁっ!」

 

 カッターの刃が男の喉に刺さり、倒れる。倒れた男を乗り越えて別な男が現れた。

 

「じ、十歩!」

 

 ジャスミン様がすかさず声を出す、同じようにカッターを投擲する。

 

「ぐああっ!」

 

 先ほどと同様に、悲鳴とともに男が倒れこんだ。

 

 ジャスミン様の合図のもと、続けざまに連続で投げ続ける。

 

 辺りは薄暗い。私達が何をやっているのかわからないのだろう、次々と男達が罠にかかっていった。

 

 久しぶりに行った。

 

 スラムにいた幼少の頃は、体力がなくまともに戦闘なんてできなかった。だから、追いかけてくる敵を一人ずつ石を投げつけて撃退していたのだ。スラムで生き残るために必死に培ってきた技術だ。

 

 これで終わりか?

 

 橋の影から出て、確認する。

 

 橋の上で男達がうごめいていた。その数は八人である。

 

 数は合っているな。

 

 これで全滅だ。

 

「し、死んでるの?」

 

 ジャスミン様もおそるおそる顔を出し、様子を聞いてくる。

 

「ううん、死んでないよ」

 

 カッターの刃では殺すまでにはいたらなかったらしい。

 

 喉から血を垂らしているが、生きている。

 

「がっ、あぐっ……」

 

 ただ、カッターが喉に刺さり呼吸がしづらいのだろう。男達は、喉を掻きむしり苦しんでいる。

 

 自業自得だ。ジャスミン様を襲った罪、とことん思い知ればよい。

 

「あ、あの救急車を呼ばなくちゃ!」

 

 ジャスミン様が慌てて携帯を取り出す。

 

「ふふ、優しいのね。こんな悪党なんて、ほっとけばいいのに」

「違います。愛里彩(ありさ)さんのためです。このままじゃ正当防衛とはいえ、人殺しになっちゃいますよ」

「わかったわ。でも、私達は善意の第三者に徹しましょう。取り調べされるのも面倒だし」

 

 ジャスミン様も同意してくれた。警察と救急車を手配して、その場を後にする。

 

愛里彩(ありさ)さん、今日は本当にありがとうございました。愛里彩(ありさ)さんがいてくれなかったらと思うと、ぞっとします」

「ううん、そんなに頭を下げないで。それじゃあ、私はこれで」

 

 ジャスミン様を家まで送り届けると、そのまま踵を返す。

 

「あ、待ってください。家に上がってください。ちゃんとお礼もしたいですし」

「いや、でも……」

「遠慮しないで」

 

 ジャスミン様に手を引かれる。

 

 これは非常にまずい展開だ。

 

 今、ショウ様に会うのは、かなり気まずい。いや、気まずいどころではない。私はどの面下げて、ショウ様に会えるのだ。

 

「い、いや、真理香ちゃん、いいから。本当に本当にお構いなく」

「もう愛里彩(ありさ)さん、急にどうしたんですか? 上がってください。もう少しおしゃべりしたいです」

 

 ジャスミン様は、両手で私を引っ張って帰らせない。ほほをぷくっとふくらませて、帰ろうとする私を抗議している。

 

 ジャスミン様は、敬愛するご主君の妹君だ。ご要望はできるだけ沿いたいが、本当にまずいのだ。

 

「真理香、帰ったのか? 遅いから心配したんだぞ」

「あ、お兄ちゃんただいま。実はね――」

 

 ジャスミン様の帰りを心配して、ショウ様が玄関から出てこられた。

 

 あぁ、ショウ様、なんと凛々しい。お会いしとうございました。

 

 記憶を取り戻してわかる、ショウ様の素晴らしさ。

 

 理知的であり優し気な眼差し……。

 

 前世の頃から変わらない。

 

 愛里彩(ありさ)は本当になんてことをしでかしたんだ!

 

 昔の記憶を焼却してポイして、滅却したい。

 

 脳内で後悔しまくっていると、

 

「お前……」

 

 ショウ様とばっちり目が合ってしまった。

 

 ど、ど、どうしたらいいんだ?

 

「あ、あ、あのですね。こ、これには、深い深い事情がありまして――」

「お前、妹に何かしたのか?」

 

 ショウ様がすごむ。

 

 あぁ、そうですよね。そう考えるのが自然です。

 

 どう説明したらよいのやら……。

 

「お兄ちゃん、そんな言い方やめて! 愛里彩(ありさ)さんは、私が危ない目にあってたところを助けてくれたのよ。命の恩人なんだから」

 

 【危ない】【命の恩人】という言葉に、ショウ様は顔を青くされる。

 

 そして、ジャスミン様に事のあらましを執拗に尋ねていく。

 

 ジャスミン様の説明が終わり、ショウ様は安堵のため息をつかれた。

 

 妹思いのショウ様だ。心中をお察しする。

 

 その後、ショウ様はジャスミン様の頭をぽんぽんと叩くと家に入るように促す。ジャスミン様も汗だくで着替えたかったのだろう。少し渋っていたが、ショウ様にこの場を託し家に入られた。

 

 奇しくもショウ様と二人きりになってしまった。

 

 気まずい。でも、これは謝罪をするチャンスだ。痴漢冤罪なんて、ジャスミン様がお聞きになれば、混乱するだろうし。

 

「あ、あの先日は大変申し訳ございませんでした。信じてくれないと思いますが、深く深く反省しております。二度としないと誓います。もちろん痴漢の被害届は撤回してます。もうこの面は二度と見たくないでしょうし、今日は帰ります。許さないと仰れば、改めて償います。そ、それでは、私はこの辺で……」

 

 土下座をし、一旦帰ろうとしたが、

 

「待ってくれ」

 

 ショウ様に呼び止められてしまった。

 

「え、えっと、私は……」

「いいから家に上がってくれ。君は妹を助けてくれたんだろ?」

「は、はい。で、でも、私は許されざる罪を犯しました」

「気持ちはわかったから」

「えっ!? 今なんと?」

「わかったって言ったんだ」

「信じてくれるのですか?」

「信じるよ」

「えっ? いや、私が言うのもなんですか。え、その、こんな性悪でクソな女の言葉を信じてくれるんですか?」

「……うん、妹を助けてくれたのは事実みたいだし、何より……」

「何よりなんでしょうか?」

「え、えっと、何より――う、うん、そうだ。目が澄んでいる。この前会った時とはダンチだよ。は、反省したんだね。君は善人だ」

 

 なんという、なんということだ!

 

 二度とあのような愚行は犯さない。それは私が決めたことだが、他人がそうそう信じるとは思えない。何しろこれまでの行いが行いだからだ。事実、実の妹すら信じず、殺されかけた。

 

 だが、ショウ様は一目見ただけで私が変わったことに気づいた。さすがショウ様だ。記憶が戻らずともその慧眼は確かだ。

 

 現世でもショウ様の麒麟の如き才に感動し、そのまま家にお邪魔することになった。




【洗脳されなかった場合の関内 愛里彩の人生】
 痴漢冤罪を繰り返しながら、サラリーマン相手に大金を稼ぐ。相棒の美香は途中警察に捕まるが、愛里彩は持ち前の要領のよさで難を逃れる。その後、小金沢グループをバックにつけた愛里彩は、芸能界に華々しくデビュー。抜群のルックスと歌声でオリコン一位を獲得する。さらに大手事務所の後押しもあり、二十五歳で名実ともにトップアイドルになる。その後も多くのライバルを無実の罪で蹴落としつつ、オリコン一位を独占し、令和の歌姫と呼ばれる。三十歳を前に年商十億の青年実業家と婚約。人生の絶頂期を迎えるが、ここまで。今までの悪行を妹の加奈に暴露される。加奈は、持ち前のPCスキルで愛里彩の悪行を映像・音声で保存しておいたのだ。愛里彩は、週刊誌やマスコミに叩かれ、婚約も破棄。CMやドラマも降板させられ、莫大な違約金を要求される。逆上した愛里彩は、加奈に襲い掛かるもナイフで刺され重体。その後は、後遺症で車椅子生活を余儀なくされる。加奈は愛里彩の凋落を確認後、睡眠薬を飲み自殺する。


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第20話「ショウの右腕、アリッサ降臨」

 愛里彩(ありさ)の髪を引きちぎり、家に帰宅した。

 

 はぁ、はぁ、はぁ、ぜ、全速力で走ってきたから、苦しい。

 

 台所に行き、水道の蛇口をひねる。

 

 蛇口から水が勢いよく流れ、それをコップに注いでいく。

 

 コップに水が満タンになったら、口につける。

 

 ごく、ごく、ごくごく……。

 

 喉を鳴らしながら水を飲み、渇いた喉を潤す。

 

 ぷっはぁあ~やっと人心地ついた。

 

 口についた水滴を手の甲でぬぐい、階段を上る。

 

 自分の部屋に入ると、ドアのツマミを右に回し鍵をかけた。

 

 あの女……まじでやばい。俺が思っていた以上に厄介な性格をしていた。

 

 愛里彩(ありさ)のあの様子では、被害届を撤回させるどころの話ではない。このまま手をこまねいていたら、痴漢冤罪以上の害を受けるに決まっている。

 

 助けは期待できない。

 

 結局、麗良とは連絡がつかなかった。麗良パパとの話し合いが難航しているのだろう。

 

 俺は俺の力でなんとかするしかない。

 

 【洗脳機械(ブレインウオッシュ)】を使う。

 

 あの性悪女相手ならば、使っても罪悪感はない。あの女は絶対に反省しないし、これからも周囲を不幸にしていく。誰かが止めなければならないのなら、俺がやってやる。

 

 押し入れから小箱を取り出し、【洗脳機械(ブレインウオッシュ)】を起動した。

 

 テクニカルな動きで小箱が揺れ、無機質なメッセージが流れる。

 

『洗脳対象のDNA情報を入れてください』

 

 愛里彩(ありさ)の髪の毛を挿入口に入れる。黒に少し赤みを帯びた髪の毛が、中に吸い込まれていく。

 

 『対象を認識中……』

 

 メッセージが流れる。

 

 大丈夫。ごっそり抜いてきたからDNA情報に不足はないはずだ。

 

 そして……。

 

 『対象を認識しました』

 

 無機質なメッセージが流れた。

 

 よし!

 

 続きのメッセージが流れる。

 

 『洗脳する内容をインプットしてください』

 

 キーボードが空中に浮かび上がる。

 

 洗脳内容は、小説【ヴュルテンゲルツ王国物語】に登場するキャラだ。

 

 空中に浮かんだキーボードを使う。かたかたと「小説、ヴュルテンゲルツ王国物語に登場するキャラの記憶」と入力する。

 

 間をおかずして、メッセージが流れる。

 

 『承認しました。ヴュルテンゲルツ王国物語のキャラ名を入力ください』

 

 さて、どのキャラに設定しようか?

 

 ヴュルテンゲルツ王国物語、王国陣営の中でショウへの好感度が高い人物を上げる。

 

 レイラ・グラス・ヴュルテンゲルツ、シュライン・イーグル、ショコ・ゴッド、ヨブ・トリートメント、ティレア・ノ・ナヤッミ……。

 

 この中で女性であり、かつ洗脳対象と歳が近いのは、【レイラ・グラス・ヴュルテンゲルツ】と【ショコ・ゴッド】だ。

 

 王国の王女【レイラ・グラス・ヴュルテンゲルツ】は、麗良で使用済。

 

 であるならば……ショウの右腕であり凄腕の護衛【ショコ・ゴッド】だな。

 

 もともとは、麗良の友達の一人【神崎祥子】をモチーフにしたキャラだ。

 

 神崎は貧乏人を馬鹿にし、お金の大切さをわかっていなかった。だから、あえてスラム生まれの過酷な環境で育ったという設定にした。

 

 今回のターゲットである【関内 愛里彩】に合わせて、キャラの名前を変更しよう。

 

 【ショコ・ゴッド】を変更する。愛里彩(ありさ)だから、名はアリッサだ。性悪な女だから、姓はデビル、デビール、ビーデルか!

 

 よし、【アリッサ・ビーデル】に決定。

 

 コンセプトは一緒だ。アリッサは超貧乏なスラム育ちである。寒さをしのぐ家もなく、泥水をすすって生きてきた。

 

 ふん、今までどれだけ自分が恵まれた生活をしていたか実感するがよい!

 

 小説をアリッサ用に修正し、その原稿をパソコンからUSBにコピーする。コピーが完了したら、そのUSBを【洗脳機械(ブレインウオッシュ)】に入れた。

 

 『認識中……』

 

 メッセージが流れる。そして、

 

『小説、ヴュルテンゲルツ王国物語の情報がアップデートされました。対象をアリッサ・ビーデルに設定します』

 

 続けてメッセージが流れる。

 

『洗脳するデータ量を設定ください』

 

 空中につまみが現れた。元の記憶と洗脳する記憶を調整するのだ。麗良と同じ程度につまみを回す。

 

『これでよいですか? インストールを開始します』

 

 メッセージが流れた。

 

 後は、いつものように空中に映し出されたキーボードのEnterキーを押すだけだ。これで洗脳が完了する。

 

 ふ~いまだに緊張するな。

 

 震える指をEnterキーの前に置く。

 

 【ショコ・ゴッド】改め【アリッサ・ビーデル】。

 

 ショウが最も信頼した部下であり、王国最強の戦闘力を持つ。

 

 アリッサはその過酷な環境で育ったためか、誰も信用しない。信用できるのは己自身だ。そんな孤独な生き方をしてきたアリッサにぬくもりを与えた存在がショウである。

 

 アリッサのショウへの忠誠心は半端ない。

 

 洗脳が終われば、俺への敵意は完全に払拭されるだろう。

 

 あっ!? 忘れちゃいけないことがあった!

 

 俺が痴漢冤罪で捕まった時、麗良は犯人を絞め殺すかの如く怒っていた。

 

 これから愛里彩(ありさ)は、味方になる。

 

 味方同士で争うのは、愚の骨頂だ。アリッサの情報は、麗良にも共有しておかなければならない。

 

 キーボードを使用し、洗脳対象に麗良も指定した。

 

 これでよし。

 

 愛里彩(ありさ)への洗脳が完了すれば、麗良にも愛里彩(ありさ)がアリッサだと認識するようになる。

 

 準備は整った。

 

 Enterキーを押す。

 

『複数の対象者へインストールを開始中……対象者へのインストールを完了しました』

 

 やった。

 

 あとは結果を待つ。

 

 やれることはやったら、どっと疲れがでたらしい。その日は夕食後、すぐにベットに入り眠りについた。

 

 

 翌日……。

 

 

 起床し、机に座って考える。

 

 愛里彩(ありさ)は今、アリッサとなっているはずだ。アリッサなら自分がしでかした罪を反省し、被害届を撤回するために動く。

 

 頼む!

 

 被害届が撤回されないと気が気じゃない。

 

 昼飯もろくに入らず、祈る気持ちで時間をつぶす。

 

 

 ……。

 

 

 日が暮れかけた頃、携帯の着信音が鳴った。

 

 来たか!?

 

 携帯を手に取る。携帯のディスプレイには、(サツ)の文字が表示されていた。

 

 警察だ。

 

 すぐに応答ボタンを押す。

 

 しわがれた声の担当刑事と話し、被害届が撤回されたことを知った。

 

 晴れて自由の身である。

 

 よかった。

 

 欲を言えば、ろくに取り調べもせずに痴漢と決めつけた刑事にも謝って欲しかったが、まぁいい。とにもかくにも前科者にならずに済んだのだから。

 

 ほっとしたら腹が減ってきた。

 

 そりゃそうか、もう夕暮れだもんね。

 

 階段を降り、台所に向かう。

 

 テーブルには夕飯が用意されていた。

 

 ご飯、みそ汁、ハンバーグ、エビフライ、自家製のヨーグルト……。

 

 ご馳走だ。俺の好物ばかり。

 

 近頃の俺は、気分が沈みがちで暗かった。母さんが気遣ってくれたのかもしれない。

 

 席に着き、好物のエビフライをむしゃむしゃ食べながら思案する。

 

 後は、紫門(ゆりかど)だな。

 

 奴は、蛇のように執念深い。今回の痴漢冤罪のように、何度も嫌がらせを続けてくるだろう。その嫌がらせの中には、暴力行為も含まれるかもしれない。

 

 麗良の力を頼れない今、こちらのカードはアリッサのみ。

 

 アリッサは、純粋な戦闘力では作中最強だった。だが、しょせんはそういう設定の記憶を脳にインストールしただけである。身体能力は、女子中学生の域を出ない。貧弱なボディが邪魔をして、そこまで強くはならないだろう。

 

 せいぜい格闘技経験のある成人女性程度か?

 

 少なくとも、アリッサお得意の暗殺術なんてできようはずがないのだ。アリッサでは、紫門(ゆりかど)を止められない。となれば、最終手段を使うしか……いや、だめだ。あんなに危険な道具を安易に使用すべきではない。

 

 既にまさし君と麗良と愛里彩(ありさ)、三人に【洗脳機械(ブレインウオッシュ)】を使用している。このまま誘惑に負けて使い続けてたらきりがない。

 

 確かに外道の紫門(ゆりかど)相手だ。

 

 自衛のため、義憤のため、正義のため。

 

 使う理由はいくらでも思いつく。だが、使わない理由は人柄が問われるという一点しかない。

 

 なんだそれぐらいと思うかもしれないが、人は品位を捨てれば、人として終わってしまう。

 

 『恥も外聞もない人間になるな!』

 

 真面目な父さんから教えてもらった言葉だ。

 

 これから先の人生、大なり小なり嫌な人間とはいくらでも出会う機会があるだろう。そいつらとかかわるたびに【洗脳機械(ブレインウオッシュ)】を使うのか?

 

 ここで楽な道を覚えてしまえば、二度と自力で解決できない。人として成長する機会を失ってしまう。

 

 人とはそういうものだ。

 

 安易に危険な道具を利用し続ければ、いつか自分にしっぺ返しが来る。

 

 【洗脳機械(ブレインウオッシュ)】は最終手段であり、できるだけ人間の知恵と勇気で乗り切るべきだ。

 

 夕飯を食べながら、心の中で葛藤していると、

 

 母さんが少し神妙な顔で相談をしてきた。

 

 妹の真理香が学校から帰ってこないと言うのだ。真理香の携帯に電話しても繋がらないという。

 

 電池切れか?

 

 以前も何度かあった。

 

 真理香は部活に熱中すると、帰宅が最後になる。携帯の電池が切れた場合、友人に携帯も借りられないから、直ぐに連絡を入れらないというわけだ。

 

 部活熱心なのはわかるが、あまり母さんを心配させるもんじゃない。

 

 母さんも心配しているし、あと三十分待って帰ってこなければ探しに行くか。

 

 少しそわそわしながら待つ。

 

 しばらくして、玄関からガタンと音が聞こえた。

 

 玄関のドアを開ける音だ。

 

 真理香が帰ってきたみたいだな。

 

 ったく心配させやがって……。

 

 サンダルを履き、慌てて玄関を出る。

 

「真理香、帰ったのか? 遅いから心配したんだぞ」

「あ、お兄ちゃんただいま。実はね――」

 

 真理香の顔を見て安心したが、すぐに目を見開き驚いてしまう。

 

「お前……」

 

 真理香の隣に愛里彩(ありさ)がいたからだ。

 

「お前、妹に何かしたのか?」

 

 昨日の今日だ。愛里彩(ありさ)から受けた屈辱の記憶が蘇り、とげとげしく問い質してしまった。

 

 その瞬間、真理香がすごい勢いで反論してきた。愛里彩(ありさ)は、命の恩人だと庇ってくるのだ。

 

 そうだな。冷静になれ。

 

 愛里彩(ありさ)なら妹を助けはしない。被害届も撤回されている。目の前にいるのは、愛里彩(ありさ)ではなくアリッサであろう。

 

 それから真理香に何があったのか事情を聞いた。

 

 聞くにつれて、顔が青くなっていくのを自覚する。

 

 くっ、治安がいい町だと思っていたのに……。

 

 要約すると、真理香は部活帰りにチンピラに因縁をつけられ襲われそうになった。すんでのところで愛里彩(ありさ)が現れ、チンピラ共を撃退し、真理香を救ってくれたんだと。

 

 まじかよ。

 

 確かに真理香をよく観察すると、ところどころ制服が汚れているのがわかった。必死にチンピラ共から逃げていたのだろう。

 

 可哀そうに……。

 

 ぽんぽんと真理香の頭を優しくなでてやる。

 

「大変だったな。シャワーでも浴びて休んで来いよ」

「で、でも…」

 

 真理香は、ちらりと愛里彩(ありさ)を見ている。何か話をしたがっているというか離れたくないという感じだ。よほど愛里彩(ありさ)、正確にはアリッサに懐いたみたいだな。

 

「とにかく着替えたほうがいい。お前、制服に泥がついているぞ」

「あっ!? そ、そうだね。先に着替えてくる。じゃあ、またあとでね、愛里彩(ありさ)さん」

 

 真理香は自分が汗だくの泥だらけ状態なのに気づき、あわてて家に入っていった。

 

 奇しくも愛里彩(ありさ)と二人きりになってしまった。

 

 ふむ、気まずい。

 

 俺は愛里彩(ありさ)の変化を知っているが、それは俺しか知らないことになっている。

 

 白石翔太と愛里彩(ありさ)は、表面上敵対しているのだ。

 

 俺は痴漢冤罪をかけられ、土下座をさせられた。愛里彩(ありさ)は、髪を引きちぎられている。

 

 さてさて、まず何を話そうか?

 

 戦々恐々していると、愛里彩(ありさ)が怒涛の勢いで謝罪をしてきた。それも土下座つきである。

 

 すごいな。

 

 これがあの性悪女の愛里彩(ありさ)だと誰が思う?

 

 知っていたけど、やっぱり【洗脳機械(ブレインウオッシュ)】は危険だ。そのあまりに絶大な効果を見て絶句してしまう。

 

 そして、愛里彩(ありさ)の大泣きの謝罪が終わると、愛里彩(ありさ)は、そのまま帰ろうとしている。

 

「待ってくれ」

「え、えっと、私は……」

「いいから家に上がってくれ。君は妹を助けてくれたんだろ?」

 

 愛里彩(ありさ)を呼び止めた。愛里彩(ありさ)には、まだ聞きたいことがあるのだ。

 

「は、はい。でも、私は許されざる罪を犯しました」

 

 愛里彩(ありさ)が真剣な顔で答えてくる。

 

 その顔は、まるで協会の神父に懺悔をする敬虔な信徒のようだ。

 

 本当にあの愛里彩(ありさ)とは思えない。

 

「気持ちはわかったから」

「えっ!? 今なんと?」

「わかったって言ったんだ」

「信じてくれるのですか?」

「信じるよ」

 

 自分でやったマッチポンプの結果だ。信じる以外の何物でもない。

 

「えっ? いや、私が言うのもなんですか。え、その、こんな性悪でクソな女の言葉を信じてくれるんですか?」

「……うん、妹を助けてくれたのは事実みたいだし、何より……」

「何よりなんでしょうか?」

 

 愛里彩(ありさ)が上目遣いにずいっと顔を近づけてきた。

 

 か、可愛い。

 

 思わずときめきそうになった。

 

 抜群のルックスは伊達じゃない。性格を除けば、アイドルの化身のような子なのだから――って見惚れている場合じゃない。

 

 と、とにかく、返答せねば!

 

「え、えっと……何より――う、うん、そうだ。目が澄んでいる。この前会った時とはダンチだよ。は、反省したんだね。君は善人だ」

 

 真実は話せなかった。だから、よくある名言っぽいことを言ってしまった。

 

 普通にすべってるよね。

 

 ただ、愛里彩(ありさ)は感動したみたいで、尊敬したような顔で俺を見つめてきた。

 

 や、やめて……そんな感激した目つきで見ないで。

 

 それから愛里彩(ありさ)を家に招き入れた。

 

 ツインテールの美少女が階段を上っていく。

 

 部屋に入れ、お茶を出す。

 

 愛里彩(ありさ)は、恐縮しながらお茶をすすっていた。

 

 改めてみると、本当に可愛い。

 

 あれ、これって俺は初めて自分の部屋に女の子を入れたんだよな?

 

 記念すべき日だ。

 

 テンションが上がってきた。

 

 漫画とかだと、これからイチャラブ展開があるんだが……っていかんいかん。

 

 何を不真面目なことを考えている。

 

 愛里彩(ありさ)に聞きたいことがあるから、家に上がってもらったのだ。

 

 真理香の話によれば、愛里彩(ありさ)は男八人相手に一人で倒してしまったという。お手製の武器を使ったとはいえ、強すぎだろ?

 

 ただ単に強者として生きてきた記憶がインストールされただけの中学女子だぞ。

 

 これが事実ならば、俺は【洗脳機械(ブレインウオッシュ)】の効果を過小評価していたかもしれない。

 

 真理香は今、風呂に入っている。妹が来る前に詳細を聞いておきたい。

 

「改めてありがとう。妹を救ってくれて」

 

 ただ、まずはお礼を言うべきだ。純粋に妹を救ってくれたことは嬉しかった。頭をペコリと下げる。

 

「い、いえ、そんな部下として――じゃなかった、人として当たり前のことをしたまでです」

「そ、そう。それでもなかなかできることじゃない。本当にありがとう」

「あ、頭を上げてください。それよりも私があんな悪行を、ショウ様に対して取り返しのつかない罪を犯しました。そちらのほうが問題です。ジャスミ―妹君を守れたことは誇りですが、まだまだ償いが足りません。一生をかけてショウ様に償う所存でございます」

「いや、それはもういいから」

「で、でも……」

「それより、男八人倒したんだってね。何か格闘技でも習ってるの?」

「いえ、今は習ってませんが、昔少々……」

「……昔って?」

「遠い昔です」

「はは、面白いね。そんなに昔なら幼稚園ぐらいになっちゃうよね」

 

 軽いジョーク口調で言ったが、愛里彩(ありさ)は黙ってうつむいたままだ。

 

 そして、意を決したらしい。

 

 決意めいた顔で口を開いてきた。

 

「ショウ様、前世のことって何か覚えてますか?」

「前世? クラスメートの女子もそんなこと言ってたな……今、女子中高生の間で流行っているの?」

「そうなのですか! そのクラスメートとは? お顔は? 名前は?」

「い、いや、だから」

 

 愛里彩(ありさ)の気迫に押される。煙に巻こうとしたら、ぐいぐいつめよられてしまった。

 

「お願いします。どなたなのでしょうか?」

「……草乃月 麗良だよ」

 

 俺はつくづく押しに弱い。特に女の子にはね。正直にゲロしてしまったよ。

 

「なるほど。あのバカ姫からお聞きになられてたのですか。それなら話が早いです」

「……君も同じことを言うのかな?」

「はい、昨日前世の記憶が戻りました。私はショウ様の腹心でアリッサと申します。ショウ様の身辺警護をさせて頂きました」

「身辺警護ねぇ」

「信じられないのは当然だと思います。私だって信じられません。ですが、事実なのです。実際、格闘経験の欠片もない私が大の男八人相手に勝てたんですよ。それが証拠です」

「仮に愛里彩(ありさ)の言うことが事実だとしよう。でも、鍛えていない身体で、そんな前世と同じ動きができるものなの?」

「それはできません。イメージに身体がついていけませんから」

 

 やはり! 俺の推測通りだ。

 

 ではなぜ男達を倒せたのか、原因を知りたい。話の続きを聞こう。

 

「じゃあ、どうしてチンピラ達を倒すことができたんだい?」

「ふふ、記憶が戻られていないショウ様は、そうお思いになるのは当然です。ですが、僭越ながらアリッサは王都最強の戦士でした。その戦闘ノウハウは持ち合わせております。今の状態を前世で例えれば、しびれ薬を食らった時と同じ感覚ですかね。ろくに飛べず力も出せない。ただ、そんな状況でも襲撃者から身を守った経験は幾度とありました。あの程度のチンピラ相手なら、目を瞑っていても倒せる自信はありますよ」

「ほ、本当に?」

「……正直に申せば、記憶が戻った当初は不安ではありました。この貧弱な身体でどこまで戦えるかと。ただ、徐々に感覚が戻りつつあります。問題ありません。また、同じ状況になれば、今回よりも手早く処理できるかと思います」

「す、凄いんだね、アリッサって」

「恐縮です」

「ちなみに聞くけど、愛里彩(ありさ)は、アリッサの記憶をどこまで覚えているの?」

「幼少期も含めてほぼ全て覚えておりますよ。今でも鮮明に思い出します。あの頃は、鳥でも魚でも狩って、器用にさばいてました。剣を使うことに対する怯えも興奮もありません、何事にも動じず、物陰に隠れていた刺客が一斉に飛び掛かってきても、普通に処理してましたね」

 

 処理(・・)って言葉がすごく気になるが、とりあえずわかったことはある。

 

 人の記憶って……俺が思ってた以上にすごい役割を果たしているんだな。

 

 まぁ、そりゃそうか。

 

 格闘技だって、事務仕事だって同じだ。記憶の蓄積が経験に繋がっているのだ。

 

 それから愛里彩(ありさ)としばらく話をしていると、

 

「あ~お兄ちゃんばかりずるい。次は私の番だよ。愛里彩(ありさ)さん、私の部屋に来て。おしゃべりしよ。珈琲を入れてくるから」

 

 パジャマ姿に着替えた真理香が部屋に入ってきた。風呂から上がったようだ。

 

「あ、まだ話が終わってない」

「べーだ。これから女子トークがはじまるのよ。お兄ちゃんは邪魔しないでよね」

 

 まぁ、いいか。

 

 聞きたいことは聞けた。

 

 とりあえず愛里彩(ありさ)と連絡先は交換した。いつでもアリッサの協力は得られる。

 

 【洗脳機械(ブレインウオッシュ)】の意外な効果もわかった。

 

 何より……紫門(ゆりかど)が外道のクソ野郎だと改めてわかったからな。

 

 愛里彩(ありさ)の証言から、今回の騒動が紫門(ゆりかど)の仕業だと判明した。

 

 話は繋がった。

 

 そうだよ、この町の治安がいきなり悪化するわけがない。だれかが裏で糸を引いてない限りな。

 

 そうか、そうか、そこまでやりやがるか。

 

 ふっふっと暗い笑みがこぼれてくる。

 

 紫門(ゆりかど)は電話越しにげらげら笑っていたという。自分も襲撃に参加したいとも言っていたそうだ。

 

 あの外道め! 俺だけでなく、とうとう家族にまで手を出してきやがった。

 

 一線を越えてきた獣に同情の余地はない。

 

 もう迷いはないからな。

 

 人間性を保つなんて綺麗事は言ってられない。

 

 こいつだけは許せん。

 

 愛里彩(ありさ)に妹の護衛を頼んだら、快く承諾してくれた。それどころか父さんや母さんにも目を見張らせておくという。

 

 有能すぎる。さすがはショウの右腕アリッサだ。

 

 家族はアリッサに任せておくとして、防御だけではじり貧である。

 

 ここは攻勢に出よう。

 

 愛里彩(ありさ)の話によると、紫門(ゆりかど)は病院に入院しているとか。それも一般人が面会できない超VIPの部屋にいるらしい。

 

 面会を利用してのDNA奪取は困難であろう。

 

 紫門(ゆりかど)が退院して学園に戻ってきた時が勝負だ。

 

 ラスボス紫門(ゆりかど)を洗脳して、この問題にはケリをつけてやる。



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第21話「暴走族【闇夜叉】の受難(前編)」

 ここはとあるシンジケートの一角。

 

「げほっ、げほっ! いてぇなぁ、くそぉお! 煙草も吸えやしねぇ!」

 

 男が悪態をつき、加えていた煙草を地面に叩きつけた。

 

 男の名は城島猛。暴走族【闇夜叉】を率いるボスだ。

 

 城島の喉には、包帯がぐるぐるに巻いてある。

 

 城島は、最近まで喉の怪我で入院していた。怪我がある程度治り退院したのだが、まだ十分に回復していない。煙草を吸うたびに、煙が喉を刺激し激痛を伴っているのだ。

 

 愛煙家の城島にとって煙草を吸えないことは、地獄の苦しみに匹敵する。

 

 許さねぇ。絶対に許さねぇ!

 

 城島の顔には、火傷痕がある。そのかさぶたがついた顔を掻きむしりながら、城島はこれまでのことを思い出す。

 

 最初は、運が向いてきたと思った。

 

 敵対していたチーム【紅蓮】のボスが事故で入院。いち早く情報を入手した城島は、チームを率いて強襲をかけた。結果、縄張りを楽に分捕れた。【紅蓮】の幹部は軒並み再起不能にしてやったし、【紅蓮】のボスが退院して戻ったとしても後の祭りだ。

 

 【紅蓮】は機能せず、既に瓦解している。

 

 族時代の節目だ。関東に一大勢力を築いた【紅蓮】は滅び、【闇夜叉】の名が一気に全国区となった。

 

 城島は、十五で族の世界に入り、数年で愚連隊の(ヘッド)に就任。その後着実に勢力を広げ、ついに関東の雄【紅蓮】まで滅ぼしたのだ。今や族の世界で【闇夜叉】の名を知らぬ者はいない。

 

 城島は、肩で風を切って歩く。城島の前を遮る者はいない。

 

 関東の新覇者となった城島であったが、その野望は留まることを知らない。

 

 もっともっとでかくなってやる!

 

 敵対勢力を次々と傘下に治めながら、組織を大きくしていく。そして、ついに総資産数十億といわれる天下の小金沢グループと縁を結べたのだ。

 

 縁の相手は……小金沢グループの御曹司、小金沢 紫門(ゆりかど)

 

 城島にとって紫門(ゆりかど)は、最高の相棒であった。

 

 紫門(ゆりかど)は、とにかく金払いがよい。些細な仕事でも成功すれば、気前よく金を払ってくれる。もちろんそれ相応の後ろ暗いことをやらされたが、問題なかった。なにせその後ろ暗い仕事が城島の趣味とマッチしていたからだ。

 

 城島が好き勝手に暴れても、小金沢グループの権力で守ってくれる。

 

 傷害、暴行、麻薬売買……。

 

 やばめの犯罪に手を染めてもお咎めなしとくれば、利用せずにはおれない。

 

 多少小間使いの真似をさせられようが、それがどうした?

 

 それを差し引いたとしても旨味がある。

 

 城島と紫門(ゆりかど)は、またたくまに蜜月の関係を築いた。

 

 ケチがついたのは……一週間前。紫門(ゆりかど)が一般人のガキを襲えと命令した日だ。

 

 チッ!!

 

 城島は、大きく舌打ちをする。

 

 嫌な予感はしていた。

 

 今まで好き勝手にやれたのも、同じワルが相手だからだ。不良同士の抗争に警察はあまり干渉しない。

 

 だが、一般人、それも中学生のガキを襲えば、さすがの警察も重い腰を上げずにはおれまい。

 

 城島は、不安を隠しきれなかった。

 

 本当に大丈夫なのか?

 

 城島は、何度も紫門(ゆりかど)に確認した。

 

 だが、紫門(ゆりかど)の返答は変わらない。警察の介入は、絶対に阻止するから思いっきりやれと言う。

 

 一株の不安を覚えつつも、相棒の紫門(ゆりかど)がそこまで自信を持つならと、承諾した。

 

 もともと弱い者虐めは嫌いでない城島だ。

 

 警察が介入せずに中学生の女を襲えるのだ。スレた不良女ではない、青い果実を。

 

 今まで我慢していた極上の獲物を襲える……その事実に城島は、歓喜した。

 

 信頼のおける幹部を集め、計画を練った。

 

 まずはターゲットの帰宅ルートを調べ、下校で独りになる時間を割り出し、襲った。

 

 今回は楽でおいしい仕事、そう思っていた城島だったが……。

 

 結果は、散々であった。

 

 ターゲットを捕捉、車に連れ込もうとしたら何者かに襲撃された。

 

 敵対チームの襲撃か!?

 

 身構えていたら、襲撃者の正体はなんと小柄な少女であった。

 

 それもツインテールをしたとびきりの美少女である。

 

 カモにネギ。ターゲットが増えたと喜んだのもつかの間……そいつは、とんでもなく狂暴なカモであった。

 

 精強で知られる【闇夜叉】の幹部達が、蹴られるわ燃やされるわ刺されるわ。

 

 顔や手に火傷を負った者、喉に傷を負った者、被害は多数。

 

 特に酷いのが、副総長のヤスだ。ヤスは脊髄に損傷を受け、全治三か月の重傷だ。

 

 ヤスは幹部の中でも群を抜いて強い男だ。伊達に副総長に任命していない。ヤスは、敵に鉄パイプで殴られようが、ひるまずに殴り返すタフガイだぞ。それをいくら無防備な背中を蹴られたからって、あそこまで一方的にやり込められるのか?

 

 ツイン女は格闘技を習っている、いや、あれはお上品なスポーツの動きではなかった。明らかに実践慣れした喧嘩の技だ。

 

 とにかくツイン女のせいで、幹部全員が重傷だ。

 

 まともに動ける者はいない。

 

 うちの精鋭が根こそぎやられ、チーム【闇夜叉】は機能不全に陥いった。

 

 幹部が不在なのだ。敵対チームから今まで奪ってきた縄張りは奪い返されるし、不審に思ったメンバーの脱退が相次いだ。

 

 ちくしょうがぁああ!

 

 さらにイラついたのが警察(サツ)だ。やっと退院できたと思ったら、次は警察(サツ)の取り調べである。

 

 誰にやられたか?

 

 開口一番、警察(サツ)の野郎が、つまらない質問を投げてきやがった。

 

 もちろん正直に言えるもんじゃない。

 

 関東に覇を唱えた天下の【闇夜叉】が、たかが女一人にやられたとでも言うのか?

 

 しかもその女は、可愛らしい制服に身を包んだ中学生だぞ。

 

 とんだお笑い種だ。

 

 ばれたら他のチームにとことん馬鹿にされる。いや、馬鹿にされるだけならまだいい。【闇夜叉】は武闘派で成り上がったチームだ。その武力の信用を失えば、傘下のチームが離脱する。それどころか襲撃を受け、下剋上されることもありうるだろう。

 

 城島は幹部共と口裏を合わせ、他チームとの抗争の結果ということにした。

 

 あぁ、忌々しいぜ!

 

 さんざんコケにしてくれたツイン女……。

 

 ここまで舐められたらチームの沽券にかかわる。

 

 ツイン女の名前も住所も知らない。

 

 だが、その友達であろう女のヤサは掴んでいる。

 

 白石真理香……。

 

 この女の身辺を洗えば、ツイン女の正体が浮上するだろう。

 

 浮上しなければしないで、それは構わない。やりようはいくらでもある。ツイン女にとって、白石真理香は大事な親友のようだ。白石真理香を人質におびき寄せればいい。

 

 ツイン女は、多少喧嘩に強いかもしれない。それこそ喧嘩自慢の男よりもだ。だが、それがどうした!

 

 ケンカは数だ。

 

 たっぷり罠をしかけて迎えてやる。

 

 そんで捕まえたら、とことん地獄を味わわせて、生きていることをひたすら後悔させてやる。

 

 城島は暗い笑みを浮かべ、報復の手段を考える。

 

 …………。

 

 それにしても遅い。

 

 退院祝いにと、景気づけに呼んだ女がこない。

 

「酒はまだか? 女はどうした!」

 

 テーブルに置いてあった飲みかけの缶ビールを投げて、怒鳴り散らす。

 

 返答がない。

 

 おかしい。

 

 チームが壊滅したといっても、まだまだ人はいる。

 

 人っ子一人いないのは説明がつかない。

 

 他チームの襲撃か?

 

 今、幹部が軒なみやられている。

 

 可能な限り情報を秘匿しているが、どこから漏れるかわからない。

 

 あるいは傘下チームの下克上の線かも?

 

 ……どれもありうる話だ。

 

 城島は懐に隠してある銃を手に取り、おそるおそる部屋を出る。

 

 ん!?

 

 部屋を出るや、城島は部下が倒れているのに気づいた。

 

「……襲撃を受けたか」

 

 ぽつりとつぶやく。

 

「正解」

「だれだ?」

 

 思わず漏れた独り言に反応した奴がいる。

 

「どこにいやが――ぐはっ!」

 

 振り返ると同時に横殴りの衝撃が脳を揺らした。

 

 意識が飛びそうになる。

 

 殴られた?

 

 誰に?

 

 強烈な一撃だった。

 

 頭の芯まで響くような痛みと吐き気に襲われた。

 

「……探すの、少しだけ骨だったわ」

「て、てめぇは!」

 

 霞む目を見開き、襲撃者を見る。

 

 あ、会いたかったぜ。

 

 闘志がめらめらと燃えあがるのを実感する。

 

 乱入してきたのは、今の今までどう殺してやろうか考えていたターゲットのツイン女であった。



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第22話「暴走族【闇夜叉】の受難(後編)」

「はぁ、はぁ、よ、よくも、まぁ、のこのこと俺様の前に現れたものだ」

 

 銃をツイン女に向ける。

 

 力が入らず、銃口が定まらない。殴られたダメージが予想以上に身体に残っている。

 

 足がふらふらして気を抜くと倒れそうだ。頼りになる部下もいない。全員ブチのめされて気絶している。十中八九、ツイン女の仕業だろう。

 

 本来であれば、撤退の一手だ。体力は完全でなく味方もいない。

 

 だが!

 

 歯を食いしばりツイン女を睨みつける。

 

 こんなクソ餓鬼になめられるわけにはいかない。

 

 俺は、関東の覇者【闇夜叉】の(ヘッド)だ。いずれは全国制覇を成し遂げ、裏社会を牛耳る王様になる。

 

 女子供相手に逃げるなどプライドが許さない。

 

 こんなもの劣勢でも何でもねぇ!

 

 銃のトリガーに指をかけ、力の限り威圧する。

 

「殺されてぇか?」

「うふっ♪」

 

 ツイン女は、笑みを浮かべている。

 

 荒くれ共を震え上がらせた俺の殺気がまったく通じない。

 

 この女!

 

 こっちは銃も持っているんだぞ。しかも、至近距離で銃口を向けている。

 

 なのに、なぜそんなに平然としていられる?

 

 俺が撃たないとでも思っているのか?

 

 まさかただのモデルガンとでも思ってやがるのか?

 

 舐めやがって!

 

 ためらうことなく引き金を引く。

 

 ズカンっと爆音が鳴る。鉄筋の床がべこりとへこみ、硝煙の香りが辺りを漂う。

 

 どうだ?

 

 俺は、やるときはやる男だ。

 

 ツイン女を見るが、顔色一つ変えていない。

 

 さっきの銃撃で、向けられている銃がただのモデルガンでないのは理解したはずだ。威嚇射撃とはいえ、俺の引き金が軽いこともわかったはず……。

 

 なぜだ?

 

 どんなに腕自慢で怖い物知らずな男でも銃には大抵ビビる。口では強がっても、怯えの色が目に浮かぶ。

 

 ツイン女は、顔色一つ変えず不動の姿勢だ。

 

 ……正気じゃねぇ。少なくともただの中坊ではない。

 

 天下の【闇夜叉】を壊滅に追い込んだとはいえ、相手は中学生の女だ。体格も小柄でどこか舐めていた節があったのは認める。

 

 こいつは、普通じゃない。

 

 今までぶちのめしてきた不良共とは格が違う。

 

 警戒レベルを最大限に上げる。

 

 まずは、情報だ。ツイン女の目的を知る。

 

「……で、お嬢ちゃん、こんな場所までわざわざ俺に何の用だ?」

「聞きたい?」

「あぁ、ぜひ聞きたいね」

「簡単に言うなら、後始末よ」

 

 ツイン女は拳を握ると、腰を低く落として大きく構えてきた。

 

「けっ、そうか。要するにもう一度俺と()ろうって言うんだな!」

「えぇ、そうよ。あんたのような男の性分はわかっている。下種なあんたが、逆恨みして襲ってこないように身体で教えてあげるわ」

「はぁ? てめぇ、ふざけんのも――」

 

 口上の途中、がんっと頭に衝撃が加えられ意識を失った。

 

 

 

 

 

 ここは……。

 

 うっすらと目を開ける。

 

 埃が多く薄暗い。

 

 鼻がひくつく。

 

 すえた臭いがした。

 

 目を凝らせば、地面に血痕がついている。

 

 なるほど。ここは、拠点の地下室のようだ。

 

 よりによってここか。

 

 この地下室では仲間内で薬をキメたり、敵メンバーをさらってリンチしたりするのに利用していた。

 

 やましい部屋であり、警察(サツ)に見つからないように入り口を隠していたが……。

 

 ツイン女め、よく見つけたな。カンがいいのか、いや違うな。部下の誰かが口を割ったのだろう。

 

「起きた?」

 

 状況把握に努めていると、不意にツイン女が声をかけてきた。

 

 その顔には笑みが浮かんでいる。完全に俺を舐めているのがわかった。

 

「て、てめぇ! うっ!?」

 

 動けない。

 

 椅子に座らされ、拘束されているのに気づいた。

 

 必死に身をよじるが、びくともしねぇ。

 

 後ろ手にワイヤーのような紐状のもので固く縛られているようだ。

 

「俺をどうする気だ!」

「慌てないで。手前にバケツが見えるでしょ」

 

 バケツだと!?

 

 確かに目の前にバケツがある。さっきは拘束されていた驚きのほうが大きく気づかなかった。

 

 大きなバケツの中は、なみなみと大量の水で満たされている。

 

 何の目的でバケツなんかを?

 

 嫌な予感がする。

 

 早くこの場から逃げねぇと。

 

 うぉおおおお!!!

 

 血管がはち切れるほど力を入れるが、拘束してるワイヤーは、少しもゆるまない。

 

「はぁ、はぁ、くそ。ほどけねぇ!」

「無駄よ。それは絶対に自力では解けない。それよりバケツを見てよ」

「あぁ? さっきからふざけた真似しやがって。バケツがなんだってんだ!」

「ふふ、なんだと思う?」

「知るか、ボケ。さっさとこれをほどきやがれぇ!」

「それはね……こうするのよぉ!」

 

 髪を強引に掴まれ、バケツ一杯に入った水に顔を潜らされた。

 

 口や鼻の穴に強制的に水が注ぎ込まれていく。

 

 く、苦しい。

 

 息ができない。

 

 数十秒だろうか水中に潜らされ、窒息死寸前で引き上げられた。

 

「ぷっはぁああ! はぁ、はぁ、ごほっ、ごほっ! く、くそ、なにしやがる!」

 

 息苦しさに耐え兼ね、大きく息を吐き出す。激しくむせ返った。

 

「バケツの意味……正解は、水責めよ。古典的だけど、経験上これが一番、調教(・・)に効くのよね」

「調教だぁ!? なめやがって。完全にキレたぜ。てめぇは、ただじゃおかねぇ。必ず地獄を見せてやる。お前もお前の家族も全員道連れにしてやるからな!」

「そう、地獄を見せるの……それは懐かしいわね」

「冗談じゃねぇぞ、本気だ。俺をただのチンピラと思うなよ。俺は、関東一円を傘下に収めた族の(ヘッド)だ。気に食わない奴は誰であろうと潰した。やり過ぎてぶっ殺した野郎もいる。俺は、悪の中の悪だ、わかったか! てめぇはそんな大悪党を怒らせたわけだ」

「悪の中の悪ね……まぁ、小悪党だろうと大悪党だろうと変わらない。私にとっては一緒よ。確実に屈服させてあげる」

 

 ツイン女は俺の髪を掴み、バケツの水の中へ顔を潜らせる。

 

 死にかけるまで水に漬けられ、引き上げて空気を吸わせると、またすぐに漬けられた。

 

 水責めでは、息を吸う代わりに水を飲んでしまう。その場合、腹を蹴られて水を吐かされもした。

 

 苦しい。

 

 水が減ったら補充されるので終わりがない。

 

 何度も何度も繰り返す……。

 

 水から引き上げられる度にツイン女を脅してみたが、変わらない。あの手この手趣向を変えて脅しても一緒だった。

 

 ツイン女は平静そのもの。

 

 だめだ。この女に脅迫をかけても無駄だと気づいた。

 

 方針転換する。

 

 次に水から引き上げられた時が勝負だ。

 

 そして……。

 

「ぷっはぁ! はぁ、はぁ、お、俺が悪かった。お前を見くびってた。好きなだけ金をやる。お友達にも手を出さない。だ、だからもうやめてくれ!」

 

 下手に出てみた。

 

 どうだ?

 

 ツイン女は、じっとこちらを見ている。

 

 水責めを一旦中断しているところを見ると、俺の態度の変化を見て話を聞く気になっているようだ。

 

 よし、ここだ!

 

 頭を下げるべきときは、躊躇せずに下げる。意地を張りタイミングを間違えば、死に繋がる。

 

 こちとら何度も修羅場を潜ってきたのだ。

 

 後ろ手に縛られて身動きできない。外部とも連絡が取れない。この状況はあまりに不利。不利な状況で戦うのはバカがやることだ。なだめすかして、この場を乗り切ったら百倍返ししてやればいい。

 

「へ、へっへ、俺がわるかったよ」

「そう、悪かったの」

「そうだ。反省している。もう二度とお前達にかかわらない」

「私ね、相手の心がわかるんだよ」

「はぁ? へっ、ならわかるだろう? これで終わりに――」

「あなたの場合、まだまだってところね!」

「ぐはっ!!」

 

 頭を強引にバケツの水の中に潜らされた。

 

 水責めの再開。

 

 くそ、頭を下げても変わらねぇ。何度も何度も水の中へ顔を潜らされる。

 

 苦しい。

 

 窒息しそうだ。

 

 引き上げられる度に懸命に息を継ぐ。

 

 はぁ、はぁ、はぁ、水責めがこんなに苦しいとは思わなかった。

 

「げはっ、ごぼっ、うぇ……もうやめてくれ」

「まだよ、まだまだ牙を隠している」

 

 ちっ、この場だけの言葉だと見透かされている。

 

「なんだよ、牙なんてねぇよ。かんべんしてくれよ」

「牙が抜けるまでやめない」

「……か、勝手にしろ」

 

 この女、半端なさすぎる。容赦ねぇ。

 

 本心は違うとはいえ、族の(ヘッド)がプライドを捨てて弱音を吐いているというのに。

 

 少しは動揺してもいいだろう。本当にこいつは中学生なのか?

 

 俺は、てめぇの親の仇じゃないんだぞ。

 

 怒りを持続させるのにもパワーが必要だ。

 

 ツイン女にとって、どれだけ大事な友人だったか知らないが、未遂だったじゃないか!

 

 殺したわけでもないのに、ここまで冷徹に追い込める者はそうはいない。

 

 苦しい、もう勘弁しろ。

 

 本当になんなんだよ、この女!

 

 完全にイカレてやがる。

 

 薬物中毒者(ジャンキー)、ホストを刺したメンヘラ女……イカレた奴は何人も知っているが、こいつは特にやばい。

 

 どうすればいいんだ?

 

 今も容赦なく水責めを繰り返すツイン女の顔をじっと見る。

 

 はぁ、はぁ、はぁ、いや、待て。

 

 違う、違った。

 

 ツイン女がこれまでかかわったイカれた奴らとは決定的に違うのがわかる。

 

 眼だ。

 

 いわゆる眼力というやつである。これは案外バカにできないものだ。

 

 相手の力量を図るときに都合がいい。

 

 こいつの眼、どこかで……どこかで見たことがある。

 

 どこだ? どこで見た?

 

 そうだ!

 

 ヨハネスブルグだ。

 

 数年前に薬の取引でヨハネスブルグに行ったことがある。

 

 そこで本物のマフィアと会った。ツイン女は、そのヨハネスマフィアと同じ眼をしている。

 

 やばい。とんでもない女に手を出してしまった。

 

 俺は、殺す殺すわめき実際は何もできない口先だけのチンピラとは違う。人をぶっ殺した経験はある。ただ経験者でも人を殺す時は何かしらのブレーキが入る。

 

 報復、刑罰、良心など、様々な要因でだ。

 

 ヨハネスマフィアには、それがない。たんたんと自販機のジュースを買ってくる気安さで銃の引き金を引く。数ドルの金欲しさで命が失われる、生まれた時から命のやりとりをしてきたのがヨハネスマフィア達だ。

 

 日本のヤンキーとは、立ってる土台が違う。

 

 奴らを怒らせたら命がない。だから、平身低頭で取引を行った。多少、こちらの分が悪い取引でも要求を飲んだ。奴らが恐ろしいからだ。何をされるかわからない怖さがあった。

 

 ここでは、俺は上にはいけない。

 

 だから、日本に逃げた。

 

 戦争も紛争も本当の意味での貧困もないこの日本でなら成り上がれると思ったから。

 

 なぜだ?

 

 なぜこんな平和ボケした日本で、こいつは奴らのような眼ができるんだ?

 

「い、いつまで続けるんだ」

「あなたの心が折れるまで続ける」

「こ、これ以上は……死んじまう」

「そう、死んだらやめてあげる」

「そ、そんな理不尽な……」

「ふふ、冗談よ。安心して。死なせはしない。死ぬぎりぎり一歩手前で攻めてるから」

「ぎりぎりって……死ぬ」

「大丈夫、人はそう簡単に死なない。昔からその辺の見極めには自信があるのよ」

 

 昔っていつの時代の話だよ。

 

 幼稚園か小学生の時か? ふざけるなよ、まじでつらいんだ。

 

「勘弁してくれ。あんたがボスだ。絶対に逆らわない。本当だ」

 

 戦意は無くなっていた。

 

 ボスにするというのはうそだが、この女に逆らわないというのは事実だ。

 

 こいつにはかかわらない。こいつはヨハネスマフィアと同等の化け物だ。

 

 もう俺の負けでいい。

 

 敗北を実感している。二度とかかわらない。

 

 なのに……。

 

「うげぇ、げふっ、げ、げぇ……お、お願、い……もう……あんたには逆らわない。本当だ」

「それはこちらで判断する。さぁ、続きよ」

 

 容赦なく水責めは続く。

 

「はぁ、はぁ、ゲ、げぇぷ……もう夜が明けてるんじゃないか……この辺で」

「ふふ、脆弱ね。まだ一日も経ってないわ。大丈夫、時間は空けてある。二日でも三日でも一週間でもあなたの調教が終わるまでとことんつきあってあげるわ」

「あ、あ、あ、死ぬ、死んじまうよ。ま、待ってくれ。俺が死んだら、警察沙汰になる。報復で大勢の族に、ね、狙われる。脅しじゃない、事実を言っているんだ。あ、あんただって生活があるだろう? はぁ、はぁ、困るよな? 頼む。許してく、れ」

「安心して。何度も言うけど、殺さない。それに仮にあなたが死んだとしても全然困らないわ」

「う、うそだ。今までのような平穏な暮らしはで、きない。地獄のような生活にか、変わるぞ」

「ふふ、嘘じゃないわ。警察? 族の報復? 私にとっては生ぬるい地獄ね。こんな些事、昼下がりの紅茶ブレイクと変わらない。脆弱なあなたには本当の地獄(・・)がどんなところなのか見せてあげたいわ」

 

 マジだ。

 

 この女は真実を言っている。

 

 族に喧嘩を売ろうが、銃で狙われようが、変わらない。本当の命のやり取りを知っている女だ。

 

 あ、あ、あ、本当の極悪マフィアがここにいる。

 

 その時、ヨハネスブルグの記憶がフラッシュバックされた。この女とヨハネスマフィアの顔がダブって見える。

 

「さぁ、続きよ」

「ひぃ!? もうやめてくれぇえええええええええええええ! 俺が悪かった。頼む、許してくれ。勘弁してくれぇよぉおお!!」

 

 心から屈服した瞬間であった。

 

 恐ろしい。この人と比べたら、小金沢グループの跡取りなど小悪党に過ぎない。紫門(ゆりかど)がどれだけ悪事を働こうが、子供のお遊びに見える。

 

 この人に逆らったら殺される。いや、殺されるだけで済むなら御の字だ。この人に逆らえば、文字通り本当の地獄を見ることになる。

 

 確信する。そう納得させられるだけの凄みをこの人から感じた。

 

「助けて、助けて」

 

 男のプライドなどとうに砕け散っている。

 

 恥もへったくれもない。幼子のように懇願し、泣きわめいていた。

 

「……まだよ。さぁ、始めるわ」

「あぁ、そ、そんな、助けて、神様」

 

 普段祈らない神に祈った。

 

 助けて、死にたくない。

 

 もう悪いことはしない。真っ当な人間になる。だから助けてくれ。

 

 必死に祈った。

 

 死ぬ、死にそうなのに死ねない。

 

 この人の言った通り、体力の限界ぎりぎりを攻めてくる。

 

 なまじっか体力がある己が恨めしい。

 

 いつまでこの拷問は続くんだ?

 

 あぁ、ここが本当の地獄だ。

 

 ……

 …………

 ……………………

 

 あれからどれくらい時間が過ぎたのだろうか?

 

 苦しい。

 

 それは当然、まだ水責めが続いているから。

 

 だが、苦しさが一定のラインを超えたところである種の達観に陥いった。

 

 この人は、なんでここまでできるのか……。

 

 水責めされている間、この人のことを考えていた。

 

 なんの揺らぎもなくたんたんと拷問している。拷問されるほうはもちろんだが、拷問する側にだって負担はある。それをこの人は、微塵も感じさせない。

 

 凄い。

 

 なんて美しい。

 

 もちろん容姿も美しい。アイドル級に整っている。だが、それより気になっているのは、この人のハートの強さだ。

 

 どこまでもタフだ。

 

 瞳の奥にしっかりとした芯が入っている。

 

 巷では、悪のカリスマが主人公の映画が流行っているらしい。

 

 今ならわかる。

 

 いつのまにか魅せられていた。

 

 ここまで度胸も腕っぷしもある女性がこの世にいたんだ。

 

 俺より頭もいい奴もいれば、腕っぷしも強い奴もいる。小金沢のように巨大なバックがついている奴もいるだろう。

 

 だが、それはそいつの武器ではあっても絶対じゃない。勝利するためには、絶対的なことがある。ハートが強くないといけない。正直、度胸だけは誰よりも負けない自信があった。

 

 でも、この人には負けた。

 

 完敗、大完敗だ。

 

 俺は死ぬだろう。でも、死ぬ前にこの人の名前が知りたい。

 

「あ、あ、あ」

「なに?」

「こ、このまま死んでもいい。ただ、一つだけ、一つだけ、はぁ、はぁ、一つだ、け」

「続けて」

「おね、がいがある。あ、あんたの名前を教えて欲しい」

「……」

「頼む」

「アリッサ」

「そうか…いい名だ」

 

 名前を聞けて満足した。

 

 俺に敗北の文字を叩きつけたのは、「アリッサ」という少女だ。

 

 そのまま意識を失った。

 

 

 翌朝……。

 

 ベッドで目を覚ます。

 

 拘束はされていない。

 

 目の前には、アリッサ様がいた。

 

「……殺さなくていいんですか?」

「牙を抜いたから」

「そうですか」

 

 自然と敬語で話してしまった。アリッサ様のカリスマに魅了される。体力が消耗してさえいなければ、ベットからすぐさま飛び起き、その場にひざまずいていただろう。

 

「この後、食事でもどうですか? 部下に豪勢な料理を用意させますよ」

「いい、帰るわ」

「ま、待ってください。じゃあ、これを」

 

 懐から携帯を取り出し、番号を伝える。

 

「いつでも連絡してください」

「ふふ、そう」

「へっへ、これからはあなたがボスです」

「近いうちに召集する。あなたはチームをまとめて待機してなさい」

 

 アリッサ様はそう告げると、そのまま出て行かれた。

 

 ついていく。

 

 関東をまとめたからなんだというのだ。今までの俺がいかにお山の大将であったかが実感できる。ヨハネスマフィアには苦い思い出しかなかったが、この人についていけば世界が取れる。

 

 闇夜叉は一回死んで、生まれ変わったのだ。闇夜叉はアリッサ様のチームだ。

 

 アリッサ様は、天下を取る。その一助となれるのならば、悔いはない。



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第23話「ナイスミドルからの刺客(前編)」

 紫門(ゆりかど)洗脳機械(ブレインウオッシュ)を使う。

 

 決死の思いで学校に来たが、肝心の紫門(ゆりかど)がいなかった。

 

 DNA奪取のために喧嘩も辞さない。殴り合い覚悟で気合を入れてきたのに、拍子抜けもいいところだ。

 

 愛里彩(ありさ)から紫門(ゆりかど)が入院中とは聞いてはいたが、かれこれ一週間以上も学校を欠席している。とっくに退院していてもおかしくないというのに。

 

 紫門(ゆりかど)の怪我は、俺が思っているより重傷なのかもしれない。

 

 いい気味だが、それはそれで困る。紫門(ゆりかど)のDNAを入手できない。

 

 紫門(ゆりかど)は女性を襲うような根っからのクズである。妹の真理香もあわやというところであった。ぎりぎり助かったからよかったものの、今思い出すだけでも(はらわた)が煮えくりかえる。

 

 紫門(ゆりかど)をこれ以上野放しにはできない。

 

 こうなれば方針転換して、学校でなく病院に直に乗り込んでみるか?

 

 こっそり病室に潜入して紫門(ゆりかど)の毛髪を盗んでくる……いや、無理か。

 

 紫門(ゆりかど)の入院先は、芸能人や政治家などが利用する超VIPな病院である。たしか前の総理大臣もここに入院してたんじゃないかな。だからセキュリティは他の病院とは一線を画している。素人がおいそれと侵入するのは厳しいだろう。

 

 俺はただでさえ紫門(ゆりかど)に警戒されているからね。

 

 一般ピープルの俺では、太刀打ちできない。

 

 コネでもあれば普通に入口から入れるかもしれないが、庶民の俺にコネなんてない。

 

 はい、嘘です。麗良という大コネがある。

 

 麗良の前では、大病院もただの診療所にすぎない。草乃月財閥の紹介状でもあれば、一発OKだろう。

 

 ただ、麗良とはいまだに連絡が取れていない。あいかわらず電話も繋がらないし、ラインも既読がつかないのだ。親父さんとの交渉……失敗した可能性が高い。麗良に期待するのはもう無理だな。

 

 残りの手札は愛里彩(ありさ)だが……。

 

 愛里彩(ありさ)では、そもそも病院のセキュリティを崩せないだろう。王都最強の戦士ではあるが、ハッカーの技術なんてないからね。真っ向勝負の力技となる。

 

 力技か。愛里彩(ありさ)に病院の警備員をけちらしてもらうのは可能だ。だが、すぐに他の警備員とか警察とかがすっ飛んでくるだろう。リスクが高すぎる。無理強いして、警察に捕まったらシャレにならない。

 

 それに愛里彩(ありさ)には家族のボディガードを頼んでいる。紫門(ゆりかど)の刺客がいつまた家族を襲ってくるかわからない。紫門(ゆりかど)と決着をつけるまでは、愛里彩(ありさ)にはボディガードに専念してもらいたい。

 

 じゃあ他に手札は……ってないよな。

 

 どうすればいい? なにが最適だろうか? 画期的な方法を思いつけるか?

 

 独りで考えていても埒が明かない。誰かに相談して第三者の意見を聞きたいよ。

 

 でも、誰に?

 

 洗脳機械(ブレインウオッシュ)や前世(偽)がからんでいる。警察にも友達にも家族にもうかつに言えない案件だ。

 

 強いて相談先を挙げれば、愛里彩(ありさ)だけど。

 

 愛里彩(ありさ)に電話……いや、今はあまり愛里彩(ありさ)に連絡したくないんだよなぁ~。

 

 数日前、愛里彩(ありさ)から電話があった。なんか俺の配下ができたらしい。

 

 配下!? 家臣!?

 

 どういうことだってばよ!!

 

 愛里彩(ありさ)に事情を聞くと、なんかね俺の親衛隊を作りたかったらしいんだよ。

 

 いや、このご時世、どうやってそんなもの作るんだよ? 作ったとして、どういう奴なんだよ?

 

 色々ツッコミどころ満載だったけど、なんか既に数百人いるみたいなんだよね。まだ顔合わせはしていないが、彼らの顔なら知っている。愛里彩(ありさ)から紹介動画が携帯で送られてきたから。再生してみたよ。

 

 ……体中に刺青をバリバリ入れた見るからに狂暴な人達だった。スキンヘッドやモヒカンカットした筋肉マッチョな奴らがギラギラした目つきで睨んでいる。

 

 お近づきになりたくない。というか一ミリも関わりたくない。

 

 怖い、怖すぎる。

 

 俺の人生にまったくかかわりがないと思っていたデンジャラスでバイオレンスな人達だ。

 

 そんな今にも「汚物は消毒だぁ!!」とか言いそうな連中が、愛里彩(ありさ)にペコペコ頭を下げているのである。愛里彩(ありさ)は崇拝されているようで携帯動画の中で「アリッサ大総長」とか呼ばれていた。

 

 一体全体、愛里彩(ありさ)はこんな奴らをどうやって仲間にできたんだ?

 

 強いからか?

 

 真理香の話では、愛里彩(ありさ)は、十数人の大の男を倒した実績がある。

 

 喧嘩自慢の男達を相手に次々とタイマン勝負で勝って、強さを見せつけたとか?

 

 少年漫画でよくあるタイマンしたら友達って奴ね。

 

 う~ん、いやでもいくら強くても愛里彩(ありさ)の見た目は、ただの可愛い中学生だ。そんな可愛いアイドルを族の(へっど)として敬えるのだろうか。こういう奴らって、男のプライドがやたらと高そうだし。

 

 それとも実はアイドルやってた愛里彩(ありさ)のファンだったとかね。それはそれで怖いけど……。

 

 とにかく携帯動画の中で、奴らは、愛里彩(ありさ)に絶大なる忠誠を誓っているみたいなのだ。特に、やばいくらい熱を入れちゃっているのが、舌にピアスをした全身入れ墨の男、名前は確か城島とか言ってたな。

 

 城島は、この集団の副総長みたいなんだけど、「アリッサ様に逆らう奴は殺す」ってまじな眼で演説していた。

 

 嘘じゃない。本気だよ、彼。なにせ愛里彩(ありさ)に舐めた態度をとってた男を、いきなり後ろから金属バットでぶん殴っていたからね。携帯動画が途中で切れていたから、その後どうなったかわからないけど、これだけは言える。

 

 この城島って男、絶対に人殺したことあるでしょ。間違いない。

 

 それぐらいイッちゃってる。

 

 そんな狂暴な男を従えている中学生の女の子。

 

 もうね、愛里彩(ありさ)が彼らに洗脳機械(ブレインウオッシュ)を使ったっていっても信じられるぞ。それぐらいありえない光景だった。

 

 そんでね、城島のヤンチャムービーが終わった後に愛里彩(ありさ)が言うんだよ。

 

「お見苦しいところをお見せして申し訳ございません。まだまだ練度が十分とは言えず、ショウ様には不十分な部隊とは思いますが、いかようにもお使いください」

 

 可愛い顔してそう言うんだ。

 

 使わないよ。というか使えない。

 

 俺は完璧超人のショウではないからね。彼らをアゴで使おうものなら百パー殺される。

 

 彼らと顔合わせなんて絶対したくない。

 

 だからね、なるだけ今は愛里彩(ありさ)に連絡したくないんだよ。連絡して顔合わせするなんて流れになろうものなら、俺の胃は死ぬ。

 

 はぁ~もういいや。

 

 いろいろ考えてもいいアイデアは浮かばない。

 

 幸い、麗良の脅しがまだ効いているようで、紫門(ゆりかど)の取り巻き達は学校で大人しくしている。

 

 ここは当初の作戦通り、奴が学校に復帰してから勝負といこう。それまでの辛抱だ。

 

 

 

 ★ ☆ ★ ☆

 

 

 

 あれから一週間……。

 

 紫門(ゆりかど)はいまだ退院していないようで、学校を欠席している。麗良も同様だ。

 

 麗良……。

 

 まぁいい。今日も何事もなく終わった。それを喜ぼう。

 

 さぁ、帰宅だ。カバンに教科書、筆記用具を入れて教室を出る。

 

 外靴に履き替え学校の門を出ると、太陽の日差しを感じた。

 

 温かな陽気に心が幾分軽くなったような気がする。

 

 平和だ。

 

 つかの間の平和だが、こんな生活がいつまでも続けばいいと思う。

 

 ……無理だろうな。

 

 胸中の不安を無理やり押し込めていたけど、考えてしまう。

 

 このまま麗良不在が続けば、さすがに皆も不審に思うよね。麗良の脅しも効果がなくなる。俺へのイジメが再発するだろう。いや、今まで抑えつけられていた分、イジメはさらにグレードアップするに違いない。

 

 くそ。紫門(ゆりかど)の奴、なにトロトロしてんだ。早く退院して学校に来やがれ!

 

 イライラしながら帰宅していると、一台の黒い車が目の前で停車した。

 

 すっげー高級そう。

 

 こんな町では一度も見かけたことがない。曲がる時に一苦労しそうな縦にバカ長い車だ。

 

 これ、ロールスロイスだ。

 

 金持ちの定番の車だよ。英室ご用達だよ。

 

 もしかして麗良かな?

 

 車に近づき、そっと窓を覗こうとすると……。

 

「うぁああ!」

 

 いきなりドアが開き、そのまま引きずり込まれた。

 

 誰だ? 誘拐? なぜ俺なんかを?

 

 いや、違う。次は俺がターゲットにされたのだ。

 

 しまった。油断した。

 

 愛里彩(ありさ)からの提案で、俺にもボディガードをつけるって言ってくれてたのに。

 

 それを主君命令を使って無理やりやめさせたのだ。だってヒャッハーな奴らと知り合いになりたくなかったから。

 

 いまだに顔合わせはずるずる引き延ばしてた。

 

 くそ、こんなことならボディガードを頼んでたらよかった。

 

 後悔先に立たず。

 

 慌てて車を降りようとするが、ドアはロックされたままだ。開かない。

 

 がちゃがちゃとドアを何度も引っ張る。

 

「開けろ。助けて!」

「落ち着け!」

 

 引きずり込んだ男がパニくる俺を一喝する。

 

 その短くも威厳の籠った声には、逆らえない圧のようなものを感じた。

 

「あ、あ……」

「落ち着いたか!」

「は、はい」

 

 多少落ち着いたところで、その男の顔を見る。

 

 四十代後半くらいの中年の男だ。ただ中年と言っても髪はびしっと決まっていて、体形はすごく引き締まっている。上質なスーツを着こなし、高級時計と高級靴が似合うイケてる中年って感じだ。

 

 ナイスミドルのお手本のような男である。

 

 よかった。この人はあまりに上品すぎる。紫門(ゆりかど)からの刺客ではないだろう。

 

 少しほっとする。

 

 でも、だったらこんなに強引に車に乗せてきて、誰なんだって話だ。俺の記憶にはない。知らない男だ。

 

「誰なんですか?」

「私は、草乃月涼彦だ」

 

 えっ!? うそ!

 

 草乃月涼彦って確か草乃月財閥の現社長の名前だよな。

 

 ってことは麗良パパだとぉおお!! なぜここに?

 

「白石翔太……娘がずいぶんとお世話(・・)になったようだね」

 

 麗良パパは、皮肉たっぷりに言う。この言葉が全て物語っている。

 

 あぁ、娘とのバトルが相当応えたのだろう。

 

 顔に笑みをはりつけているが、その眼は笑っていない。これは、相当俺に恨みを抱いている。

 

 どうやら紫門(ゆりかど)との最終決戦を前に最大の難関が現れたようだ。



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第24話「ナイスミドルからの刺客(後編)」

 帰宅途中、黒塗りの高級車に無理やり乗せられ拉致されてしまった。

 

 犯人は、ナイスミドルな男……草乃月財閥の現当主であり、麗良の父親でもある草乃月涼彦である。

 

 ここに麗良パパがいるってことは、麗良の交渉は完全に失敗したようだ。

 

 はぁ~これはけっこうまずい状況かもしれない。

 

 麗良、全寮制の修道院に強制入学とかさせられてないだろうな?

 

 麗良パパに状況を確認してみようか。

 

 でも、なんて声をかければいい?

 

 円滑な会話スキルを持ち合わせていないコミ障の俺には荷が重すぎる。

 

 うぅ、どうしよう?

 

 と、とにかくまずは落ち着くべきだな。車内でも観察しよう。

 

 うん、すごいな。

 

 車内は広々として小型の冷蔵庫がある。中に高級ワインまで入ってそうだ。シートはふかふかだし、エンジン音も静かで少しも座席が揺れない。

 

 さすがは高級車、普段乗っている我が家の車とは違いすぎる。

 

 見るもの触るもの全てが新鮮で非日常の空間だ。

 

 普段であれば大いに楽しめるところだが……。

 

 ブルリと身震いする。

 

 今の俺にそんな余裕はない。

 

 麗良パパから無言の圧力を受けているからだ。

 

 麗良パパは高級そうな葉巻を取り出し、口にくわえて息を吸いながら火をつけふかしている。

 

 張り詰めた空気が辺りを漂っている。

 

 こ、怖い。

 

 これが(ちまた)でコストカッターと恐れられている敏腕社長の力なのだろう。言葉を発せずとも、その存在感だけで空気をピリピリさせる。

 

 俺は就学生ではないが、まるでブラック企業の圧迫面接のようだ。この人の前では、木っ端就学生なんてビビりまくって何も言い出せないだろうね。

 

 うぅ、沈黙が辛い。

 

 何か言ってくれ。

 

 時間にして数分だろうか……。

 

 ようやく麗良パパが口に加えていた葉巻をトントンと灰皿に消し、その口を開いた。

 

「単刀直入に聞こう。娘に何をした?」

「えっ!?」

「……聞こえなかったのか?」

「い、いえ、聞こえてます」

「聞こえているならとくと答えなさい」

「は、はい、えっと何をしたって言われましても……そ、その、あのですね」

「……グズは嫌いだ。グズを相手にすると時間を無駄にする。だが、これは重要な案件なので、グズに時間を取ってやろう。もう一度聞く。娘に何をした?」

「な、何もしてません」

 

 実際は何かしているため、しどろもどろになってしまう。クロかシロかで問われれば、俺はクロである。いじめられて心神喪失状態だった。使うつもりはなかったけど、やむを得ず使ってしまった。言い訳はいくつもある。だけど、この人には通用しないだろう。

 

「本当か? 紫門(ゆりかど)君が言うには、君が娘をたぶらかすために(ヤク)でも盛ったんじゃないかとな」

(やく)!? そんなもの使うわけないじゃないですか!」

 

 (やく)は自分だけでなく周りの大事な人達まで不幸にする。そんな親不孝な真似をするわけがない。シートから立ち上がり反論する。

 

「嘘をついても無駄だ。私は警察の上層部とも懇意にしている。署長に頼んで君の家を家宅捜査させてもいいんだぞ」

「家宅捜索!?」

 

 まじか。

 

 (ヤク)はないが、宇宙人からもらったチート機械は持っている。

 

 万が一あの小箱を没収でもされたら……。

 

| あれはボタンさえ押せば、誰でも使うことができる。警察を通して、洗脳機械(ブレインウォッシュ)の存在が世に明るみに出てしまう。

 

「なんだ? そんなに青い顔をして図星だったか?」

「ち、違う。(ヤク)なんて使っていません」

「まぁ、そうだろうな。これでも私は現実主義者だからね。薬で精神を操る? 馬鹿馬鹿しい。現代の科学で惚れ薬など茶番だ。人の精神を捻じ曲げる薬などあるわけがない」

「そ、そうでしょ」

 

 た、助かった。

 

 麗良パパが常識人で助かったよ。

 

 家宅捜査されたらやばかった。

 

「だが、薬でなくても何かがあると私は睨んでいる」

「な、何かって?」

「それはわからん」

「わからないって……それじゃあ言いがかりですよね? 僕が何をしたって言うんです?」

「君の手口は不明だが、君が麗良に何かをした。それは絶対だ」

「し、証拠もないのに……」

「証拠ならある。事実、麗良は君のようなうだつのあがらない男にのぼせあがっているんだからな!」

「くっ、あまりな言い方ですね」

「事実だろ。学園長に聞いて君のことは調べた。成績も優秀とは言えない馬鹿者。身体も貧弱で頼りない。顔も家柄も凡百の一つだ。とても麗良とつりあう男じゃない」

 

 く、悔しい。

 

 麗良達とのスペックの差は実感している。だけど、面と向かってそこまで言うことないだろう。バカにするな。なんとか言い返してやる。

 

「庶民だって頑張れば、エリートに勝てるかもしれません!」

「そういうのはね、結果を出してから言うもんだよ」

 

 麗良パパがあきれたように言う。その眼は庶民をどこまでも馬鹿にしているように見えた。

 

「ひどい」

「ひどい? どちらがひどいか。近頃は君のおかげで娘と喧嘩ばかりだ」

 

 麗良パパは、ぽつりとつぶやいた俺の非難の言葉に反応する。

 

「そ、そうなんですか」

「あぁ、君をけなすと烈火の如く怒るんだよ」

「はは……」

 

 レイラのショウへの愛情を考えれば、ショウを貶めるなど自殺行為である。自分の父親といえども辛辣な言葉を放つだろう。

 

「笑い事ではない。私は娘に殴られたんだぞ。君にはわかるまい。手塩にかけて育てた娘から裏切られる気持ちは!」

 

 それはお気の毒にって言ったら火に油を注ぐよな。ケンカの原因は俺だし……。

 

 話題を変えよう。そうだ。この流れで麗良の状況を聞いてみるか。

 

「それで麗良さんは元気にしてますか? 学校を何日も欠席しているし、心配です。今どちらに?」

「君には関係ない。話す義理もない。話す価値もない。わかるな」

「そ、そんな……」

「それと娘の名を気軽に呼ばないでもらおう。非常に不愉快だ」

「は、はい」

 

 と、取りつく島もない。無理だ、これ。

 

「はぁ~悲しいよ。紫門(ゆりかど)君ならともかく、君のようなうだつの上がらない男の口から『麗良さん』なんて聞く日が来ようとはな」

 

 麗良パパは首を何度も横に振り溜息をつく。

 

 紫門(ゆりかど)め、ここでもそのエセ優等生ぶりを発揮するのかよ。

 

 どうして大人達は、紫門(ゆりかど)をたやすく信じるのか。

 

 言わずにはおれない。

 

紫門(ゆりかど)は最低最悪の男ですよ!」

「最低最悪なのは君だろ」

「違う。紫門(ゆりかど)はいじめをするようなクズです」

「君より紫門(ゆりかど)君を信じるよ。彼は品行方正で立派な青年だ」

 

 まただ。学校と同じだ。善人より悪人の紫門(ゆりかど)が支持されてしまう。

 

 悔しい、悔しすぎる。

 

「信じてください。紫門(ゆりかど)はクソです。女性を襲う犯罪者でもあるんですよ」

「そんな世迷言を信じるとでも?」

「本当なんです。娘さんも危ない目に遭うかもしれない。だから娘さんを守るためにも紫門(ゆりかど)をこれ以上信用しないでください」

「娘を守る? 凡愚な君が一端の騎士(ナイト)気取りか。そう言えば、娘は君を『翔』と愛称で呼んでいたな。まるで恋人同士のようじゃないか!」

「い、いえ、そんな……恋人じゃありません」

「当たり前だ」

 

 麗良パパが真顔で答える。

 

「当然恋人同士ではない。断じて違う。だが、娘は君のためなら死ねるそんな覚悟を持っていた」

「……はは」

「否定しないんだな」

「あ!? いえ」

「まぁ、いくら愚鈍な君でも娘から好意を受けているぐらいわかるか」

「は、はい」

「くっく、羨ましい限りだよ。私はまるで物わかりの悪い馬鹿者のように責められるというのに。君は娘から救国の英雄のように扱われる」

「そ、そんな違います」

「違わないよ。君は娘を骨抜きにしている」

「え、えっと……」

「さぁ、教えてくれ。落ちこぼれの君がどうやって娘の心を盗んだ? あそこまでどうやって人を惚れさせることができる? (ちまた)のプレイボーイなんて目じゃない。君はまるで恋泥棒、令和のルハンだよ」

「い、いや。そ、そんなルハンだなんて買いかぶりすぎですよ。僕はそんな大した奴じゃありません」

 

 かっこいい男の代名詞……憧れの怪盗ルハンと呼ばれて照れてしまう。

 

「謙遜するな。あれほどの覚悟を娘から見せられたのだ。君はルハン以上の盗人だ」

「はは、そんな照れますよ」

「はっははは、そんなにおかしいか?」

「はは、おかしいですよ。僕がルハンなんて言い過ぎです。それより考えたんですけど、麗良さんともう一度話をしてみたらどうですか? なんなら僕が間に入りますよ」

「くっく、あっはははは! 君は恋泥棒するだけでなく、親子の仲裁までしてくれると言うのか?」

「はい、僕でよろしければ」

「そうか!」

「はい、令和のルハンが仲裁しますよ」

「くっく、あっはははは! そうかそうか」

「あはははは! はい頑張ります」

 

 俺が笑い、麗良パパもつられて笑ってくる。

 

 不思議だ。あんなに険悪だったのに、わだかまりが解けたかのように笑い合っている。緊張の連続だったし、変なスイッチが入っちゃったのかな。

 

「「はは、はっはっはははははは!」」

 

 しばらく二人で大笑いする。

 

 そして……。

 

「若造がぁああ! なめるなよ!」

「がっ!」

 

 笑い声から豹変、激高した麗良パパにぎりぎりと首を絞められる。

 

「小僧、調子に乗るな」

「ち、ちょっと……く、苦しい」

「知ってることを話せ」

「し、知らない」

「親はな、子のためならなんでもできる。なんだってできる。どんなことでもだ!」

 

 麗良パパは、締め付ける力を徐々に強めていく。

 

 く、苦しい。息ができない。

 

「こ、これ以上は……し、死ぬ」

「ならば死ね!」

 

 こ、怖い。なんという迫力だ。

 

 これが草乃月財閥を巨大コンツェルンにまで押し上げた男の力か。麗良パパの本気モードは、ヤクザ顔負けだ。手に籠める力も半端ない。必死にもがいているのに、麗良パパの腕を一ミリも動かせないのだ。

 

 麗良パパは、俺の必死な抵抗をものともせず、さらに絞殺する力を強める。

 

「ごふっ!?」

 

 も、もうだめ。

 

 頑張って息を継いでいたが、限界が来たらしい。気管から変な音が出てきた。

 

 視界はぼやけ、意識がなくなる。落ちる……死んでしまう。

 

 失神する寸前、

 

「社長、そろそろ時間が……」

 

 運転手が運転をしながら背後ごしに話かけてきた。

 

 麗良パパは苦々し気に舌打ちすると、拘束した手を緩めていく。

 

 けほっ、げほっ!!

 

 激しく咳き込む。そして、大きく息を吸う。

 

 スゥーハァースゥハァー。

 

 数十秒深呼吸を繰り返し、息を整える。

 

 はぁ、はぁ、死ぬかと思った。まじで三途の川が見えた。

 

 殺す気か! 殺す気か!

 

「今回は警告だ。すぐに娘の傍から離れろ」

「い、いや、それだけですか?」

「それだけとは?」

「ひ、人を殺しかけておいて……」

「なんだ? 殺して欲しいのか? ならばもう一度、首を絞めてやろう」

「ひっ!?」

 

 麗良パパの淡々とした口調に血の気が引いた。思いっきりのけぞってしまう。

 

 クレイジーすぎる。あやうく死ぬところだった。

 

 ここは逆らわず、麗良パパに話を合わせたほうがいいようだ。

 

「わ、わかりました。娘さんと学校で会っても話しかけたりしません」

「勘違いするな。今更貴様が麗良と同じ学校に通えると思っているのか?」

「そ、それってまさか……」

「ふん、貴様の想像通りだ。学校に退学届けを出しておく」

「そ、そんな勝手に」

「もう一つある。貴様の父親はうちの系列会社に勤めているようだが、今日限りクビだ」

「なっ!? 父は関係ないでしょ」

「関係ある。貴様のようなクズを育てた。子の責任を親にも取ってもらおう。貴様達は、即刻東京から出ていけ」

「無茶苦茶だ」

「無茶じゃない。本来であれば、国外にでも追放したいところだがね」

「やめて下さい!」

「なら知っていることを話せ」

「し、知りません。一体何を証拠に僕を疑っているんですか?」

「……まぁ、いいだろう。何分忙しい身でな。今日の尋問は、これくらいにしておいてやる。家に帰って、じっくり考えることだ。正しい身の振り方をな」

 

 麗良パパが、恐ろしい形相ですごむ。

 

 改めて思う。金も地位もある巨大な権力者に睨まれたら、庶民はおしまいだ。

 

「ま、待って……」

「話は終わりだ。さっさと降りろ」

 

 車が路上に停止し、後部座席のドアが開いた。

 

 まずい。まずい。非常にまずい。

 

 権力者に家族が狙われる……というかもう狙われた。父さんが会社をクビになってしまった。

 

 俺のせいだ。俺がいじめられたせいで、家族を巻き込んでしまった。

 

 どうしよう?

 

 権力者に狙われていつまでも耐えられない。もっとえぐい拷問を受けたら隠していることを全部ゲロってしまう。洗脳機械(ブレインウォッシュ)がばれたら没収、いや、報復でどんな目にあわされるかわかったもんじゃない。

 

 草乃月財閥の社長だ。いくつもの企業を傘下に治めていて、日本の経済をけん引している。一国の総理大臣よりも権力があるって噂だ。

 

 紫門(ゆりかど)どころの話ではない。麗良パパは、最強で最悪の敵になりうる人物である。

 

 こうなれば紫門(ゆりかど)への報復は後回しだ。

 

 父さんがクビにされる前に決行する。

 

 機会は今しかない。

 

 麗良パパの肩口を見る。

 

 右肩にはない。

 

 じゃあ左肩は……ある!

 

 よし!

 

 麗良パパの肩を掴む。もちろん、毛髪が落ちている左肩だ。

 

「き、聞いてください。本当に何も知らないんです。父さんがクビになるなんてあんまりだ」

「くどい!」

 

 麗良パパは、俺が掴んだ手を振り払うと、すぐさま拳で頬を殴ってきた。

 

 痛い。頬がじんじんする。

 

 でも、手に入れた。

 

 麗良パパの毛髪だ。無くさないように、しっかりと手の中で握りしめる。

 

 その後、叩き出されるように車内から外へほおり出されてしまった。

 

 したたかに腰を打つ。

 

 アイタタ……くそ、覚えてろ。

 

 庶民の力を見せてやるよ。反撃の狼煙を上げる。【洗脳機械(ブレインウオッシュ)】発動だ。

 



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第25話「運転手、石橋真照の苦悩」

 

 俺の名は、石橋真照。VIP専属の運転手をしている。VIP専属の運転手と言えば、政治家を赤坂の高級料亭へ送迎しているイメージだ。実際、その通りで俺も経験がある。政治家のお偉いさんを乗せるのは緊張したし、時間通り目的地に着くように日夜運転経路を確認するのは大変だった。

 

 最初は新人議員の運転手から始まり、代議士、民自党の幹部、そして、今は、大企業の社長を相手にそれをやっている。

 

 仕事は大変だが、身入りはすごくいい。その収入の高さから、毎年求人の倍率は、千倍を超えている。

 

 俺は、他人より飛びぬけて秀でているわけでもなければ、特別な才能があるわけでもない。

 

 平々凡々な俺がそんな高収入な職に就けて、曲がりなりにもうまくやれている。

 

 それは、運がよかったからだ。

 

 もちろん死ぬ気で努力もしたが、努力だけでうまくいくほど世の中は甘くない。

 

 尊敬できる人と出会えた。その人の支援があったからこそ、今の自分がいる。

 

 手島さん……。

 

 俺の大恩人。

 

 仕事のやり方はもちろん、プライベートの事までたくさん相談に乗ってもらい、大変お世話になった。

 

 やり手で懐が深く部下達は全員彼を慕っていた。手島さんに感化された社員は一杯いる。

 

 手島さんの功績は数知れない。

 

 例えば、職場環境の改善だ。

 

 俺の職場である草乃月コーポレーションは、徹底した成果主義である。結果を出すために(うつ)になった社員は少なくない。

 

 手島さんは、サービス残業の廃止や労働時間の短縮、部署間を越えた相互扶助制度の構築等、会社に利益を出しつつも社員の生活を守るシステムを作った。

 

 細々としたことまで言ったらきりがないが、手島さんのおかげで救われた社員は大勢いる。

 

 いずれ手島さんが上に立ち会社の風土を変えていくと誰もが期待していた。

 

 あの事件さえなければ……。

 

 手島さんは、とあるプロジェクトが原因で閑職に追いやられてしまった。

 

 それは、利根川河川敷問題。

 

 河川に工場から流れた廃棄水が流れ込み、自然が破壊された。さらにその自然破壊は、その河川近くに住む市民にも大きな影響を与えた。その河川を生活用水に組み入れていたため、身体の不調を訴える住人が続出したのである。

 

 この問題に対し、とことん会社の利益を追求する草乃月社長と、あくまで消費者の安全や品質を最優先に考える手島さんグループとの対立が深まった。

 

 両者は争い、結果……。

 

 資本力も政界にも顔が効く草乃月社長が勝利した。

 

 反対派閥を粛正した草乃月社長は、プロジェクトを続行。被害住民達の訴えも、腕のいい弁護士軍団を雇いわずかな賠償金で和解させた。

 

 重度の障害が出た人もいたのに……。

 

 プロジェクト中止に伴う損害と被害者補償と天秤をかけたあげく、社長は費用対効果だと言って取り合わなかったのだ。

 

 はっきり言って、社長はクソだ。

 

 人情のかけらもなく、逆らう者には容赦しない。

 

 社長と対立した手島さん達は、閑職に追いやられてしまった……。

 

 【鉄の女】と畏れられた馬場さんですら、社長のせいで会社を辞めている。

 

 金に汚く出世のためなら人を陥れることに躊躇しない山上や畑町の野郎は、出世しているというのに!

 

 世の中は、ままならない。

 

 善人が苦しみ、悪人がのさばっている。

 

 手島さん……。

 

 あれほど仕事できる人が、今は飼い殺し状態だと聞いている。社長が自分に逆らった者の見せしめにしているのだ。

 

 手島さんには、言葉に尽くせないほどお世話になったというのに……。

 

 俺は、この冷血社長の運転手をしている。

 

 手島さんを裏切り、社長に媚を売っているのだ。

 

 生き恥をさらしている。

 

 理由は、金だ。

 

 金がいる。

 

 俺には宝がある。

 

 妻と子だ。

 

 妻とは幼馴染。これまでの人生、ずいぶんと妻には助けられた。

 

 告白して結婚して子供ができた。

 

 月並みな言葉だが、幸せだった。

 

 俺は、もともと天涯孤独の身で、家族と呼べる者は妻と子しかいない。

 

 大事な大事なかけがえのない大切な宝なのだ。

 

 なのに!!

 

 神様ってやつは、この世にいないのだろう。

 

 ……現実は残酷だ。

 

 もともと身体の弱かった妻、子供を産んで産後の肥立ちが悪かったのか入退院を繰り返すようになった。

 

 心臓に持病を持っていて悪化した。

 

 このままではもって数年、早急に心臓の移植手術をしなければならない。

 

 心臓の手術には、莫大な金がいる。優秀な医師と高度な設備が必要だ。

 

 方々手を尽くして調べた。

 

 その結果、草乃月財閥経営の草乃月病院だけが妻を助ける唯一の手段だとわかった。

 

 草乃月病院は、日本で一番巨大な病院で医師も設備も充実している。その分、巨額な医療費を請求するので、有名だ。

 

 妻は「無理はしなくていい。他のお医者様に任せましょう」と言ってくれる。

 

 普通の病院ではだめだ。それは妻もわかっている。恐らく妻は死を覚悟しているのだろう。

 

 いやだ。

 

 妻が死ぬのは嫌だ。

 

 息子だって悲しむ。

 

 何より俺がいやなのだ。息子の結婚式にも、そしてその孫の結婚式にも妻と一緒に出る。妻とずっとずっと暮らしていきたいのだ。

 

 そのためには悪魔にだって魂を売ってやる!

 

 そして、利根川河川敷問題で手島さんが窮地に陥った時、俺は手島さんを裏切った。

 

 手島さんの連座でクビにされそうになった時、なんでもするからやめてくれと社長(クソ)の足を舐める勢いで土下座をした。涙を流し、嗚咽交じりに懇願した。

 

 その間、社長(クソ)はデスクの上に両足をのっけてふんぞり返っていた。

 

 俺は、この社長(クソ)に首根っこを掴まれている。

 

 しかたがない。しかたがなかったんだ。

 

 毎朝、社長(クソ)を乗せ、後悔に苛まれながらも運転を続けている。

 

 

 

 ☆ ★ ☆ ★

 

 

 

 いつものように機械(マシーン)の如くたんたんと運転をしていたある日、社長(クソ)から業務外のルートを走行するように指示を受けた。

 

 珍しい。

 

 仕事以外の無駄を極端に嫌うくせに。

 

 社長(クソ)の言うがまま運転をしていると、通学路に出た。学生達が帰宅している。

 

 そして、ある男子生徒の前で停止するように言われ停止すると、社長(クソ)が力づくで車の後部座席に乗せてきたのだ。

 

 なっ!?

 

 思わず声を上げそうになった。

 

 誘拐と変わらないじゃないか!

 

 男子生徒はわけもわからずパニックに陥っている。

 

 それを社長(クソ)が恫喝し無理やり落ち着かせていた。

 

 無茶をしやがる!

 

 こんな暴力まがいの真似をして、一体全体彼に何の用があるというのだ。接点がよくわからない。

 

 社長(クソ)だって世間体がある。学生相手にそこまで無体な事はしないと思うが……。

 

 バックミラー越しに確認する。

 

 よかった。幸いと言ってよいのか、少年は落ち着きを取り戻していた。きょろきょろと物珍しそうに車内を見ている。

 

 ふふ、純朴で人の良さそうな少年だ。どこか息子を思い出す。

 

 ん!? あの制服は……。

 

 息子と同じ南西館高校の制服である。ネクタイの色から判断するに二年生か。

 

 息子と同学年だ。もしかしたら息子の友達かもしれない。そうであれば、学校での息子の様子を聞きたいのだが……。

 

 あの社長(クソ)が許さないだろうな。

 

 息子は、二カ月前ぐらいからか、暗い顔をして帰宅するようになった。心配して様子を聞いても部活で疲れているとしか言ってくれない。どんなに問い質しても心配しないでの一点張りだ。

 

 息子は問題ないと言うが、日に日に元気をなくしていく。そして、風呂場で全身痣だらけになっているのを見つけた。衝撃だった。駆け寄り必死に説得しても……それでも息子は口を閉ざしたままだった。

 

 業を煮やした俺は、悪いとは思いつつも息子の日記を盗み見ることにした。

 

 そして、やはりというべきか、日記によると、同じ部活の同級生達からいじめを受けていた。発端は、いじめを受けていた子をかばったためらしい。そのため、息子もいじめの標的にされたみたいだ。

 

 あの子らしい。

 

 正義感があって優しく、辛い目にあっている子を見て見ぬふりができなかったのだ。

 

 正直に言えば、相談して欲しかった。だが、息子の気持ちはわかる。

 

 妻は入院しているし、俺は夜遅くまで一日中働いている。親孝行な息子は、両親に負担をかけまいと黙っているのだ。

 

 そんな次第で息子の状況を少しでも知りたい。

 

 後ろに乗っている少年、白石翔太君に聞きたいが、社長(クソ)が白石君を脅していてそれどころではない。

 

 社長(クソ)はどうかしている!

 

 背中越しに聞いていたが、とんでもないイチャモンをつけていた。

 

 社長(クソ)社長(クソ)の娘と喧嘩をしていて、その原因を白石君のせいにしているのだ。

 

 意味がわからない。

 

 思春期の娘だ。父親に反抗ぐらいする。それこそさんざん威張り散らしてきた父親が反抗期の娘に殴られたなんてありえる話だ。今まで従順だった娘が変わったからと言って、それを他人のせいにするのか。

 

 しかも、薬だの洗脳だのわけのわからない言いがかりをつけた男が小金沢 紫門(ゆりかど)らしい。小金沢 紫門(ゆりかど)のことは、よく知っている。息子の日記に出てきた。

 

 息子をいじめている佐々木達の親分、こいつがどれだけ非道なことをしたのか、日記を読んでいて悔しさで涙が滲んでしまった。

 

 小金沢 紫門(ゆりかど)は、いじめを主導するクズ野郎だ。学校の成績は良いが、道徳心がない。

 

 社長(クソ)の娘は、最初は小金沢 紫門(ゆりかど)の恋人だったらしいが、今は白石君に鞍替えをしたとのこと。小金沢 紫門(ゆりかど)はハンサムらしいが、性格は最低最悪だ。純朴な性格の白石君に惹かれてもありえない話ではない。

 

 それなのに社長(クソ)は、白石君を認めず娘に何か悪さをしたのではないかと責め立てている。

 

 白石君の主張は正しい。

 

 仮に何か悪さをしたとするなら、小金沢 紫門(ゆりかど)だ。小金沢 紫門(ゆりかど)のようなクズなら交際中に社長(クソ)の娘に手を上げていてもおかしくない。DVをされて別れたとか。

 

 小金沢 紫門(ゆりかど)は逆恨みで、現恋人である白石君のことをあることないこと 社長(クソ)に吹聴したのだろう。

 

 社長(クソ)は白石君を信じるだろうか?

 

 難しいだろうな。小金沢グループの社長とうちの社長(クソ)はずいぶん親しい。小金沢グループの社長令息である小金沢 紫門(ゆりかど)の言い分を全面的に信じるだろう。

 

 案の定、社長(クソ)は白石君の言葉を信じない。それどころか社長(クソ)は白石君の首を絞め始めた。

 

 おいおいおいおい、やめろ!

 

 ふざけんな!

 

 速く止めないと!

 

 いたいけな少年の命が消えようとしている。

 

 車を止めて、後部座席のドアを開け、いますぐ社長(クソ)をぶん殴る。

 

 だが……身体が動かない。

 

 社長(クソ)を殴る。それは妻の命を諦めるに等しい。

 

 社長(クソ)は、執念深くいつまでも根に持つタイプだ。社長(クソ)を殴ろうものなら、再就職もままならない。それどころか妻の病院先まで邪魔をしてくるだろう。

 

 あ、あ、あ、でも……。

 

 白石君の顔色がみるみる青白くなっていく。

 

 なにか、なにか暴力以外で手がないか、必死に頭をひねる。

 

 そうだ!?

 

「社長、そろそろ時間が……」

 

 わざと混んでいる道路に入ってやった。

 

 めざとい社長(クソ)のことだ。道路の込み具合から目的地までの時間を計算しているだろう。

 

 次のアポイントは重要な案件のはずだ。

 

 白石君に構っている場合じゃないだろ。さっさと手を放せ。さぁ、早く取引先と調整しろ!

 

 俺の願いが通じたようだ。

 

 社長(クソ)は手を放してくれた。

 

 白石君はごほごほと苦しそうに咳をしているが、命には別状ないようである。

 

 ふ~よかった。

 

 無事に少年の命が救われた。

 

 それにしても、社長(クソ)は、ここまでのクソ野郎だったのか!

 

 それから社長(クソ)は白石君を殴って無理やり車外に放り出すと、何事もなかったかのような顔で車内に置いてある新聞を読み始めた。

 

 今さっきまで少年の首を絞め殺そうとしておいて、その態度はなんなんだよ。

 

「なんだ?」

「い、いえ」

 

 しまった。あまりな態度についつい社長(クソ)をバックミラー越しに睨んでいたようだ。

 

 すぐに視線を下に向ける。

 

「何か文句でもあるのか?」

「い、いえ、なんでもございません」

「ふん、わかっているだろうな」

「はい、もちろんです。社長の御恩を忘れたことはありません」

 

 社長(クソ)はふんと鼻を鳴らし、足を組むと新聞を読むのを再開する。

 

 つまり余計なことを話すなと釘を刺してきたのだ。

 

 話すなか……。

 

 社長(クソ)のあの剣幕から考えるに、今度は白石君を殺すかもしれない。

 

 く、くそ。

 

 ……この社長(クソ)は今、すこぶる機嫌が悪い。いつものように無言でいるべきだ。他人を助けている余裕は俺にはない。無心に仕事をこなしていくしかないのだ。

 

 白石君の苦しそうな表情を思い出す。

 

 ……っ、情けない。あまりに自分が情けなさすぎる。

 

 息子は自分がいじめの標的にされても、敢然といじめに立ち向かったというのに……。

 

 俺は、家族を理由に白石君を見捨てようとしている。妻にも息子にも見せられない姿だ。

 

 息子と同い年の子が狙われている。

 

 純朴な少年が恐怖で震えているのだ。父親もクビにさせられ、今にも泣きそうにしていたじゃないか!

 

 小金沢 紫門(ゆりかど)のことはよく知っている。息子を苦しめている元凶だ。白石君と小金沢 紫門(ゆりかど)、どちらが悪い男なのかはわかりきっている。

 

 ……意見ぐらいはすべきだな。

 

「あ、あの社長」

「なんだ?」

「先ほどの少年、白石君は悪くありません」

「君には関係ない話だ」

 

 にべもない。社長(クソ)は新聞紙を広げてこちらを見ようともせず、話を終わらせようとする。

 

 めげるな。社長(クソ)が愛想がないのはいつものことだ。

 

「聞いてください。私は小金沢 紫門(ゆりかど)という男がどんなに酷い男か知っています」

「誰が君の意見を聞いた?」

「申し訳ございません。出過ぎた真似をしているのは承知しております。ですが、言わせてください。白石君の言葉は正しい。悪いのは彼じゃない。悪人は、小金沢 紫門(ゆりかど)です」

「君も根も葉もない噂を流すのかね」

「嘘ではありません。真実です」

「妄言もたいがいにしろ」

「本当です。信じてください」

「君もしつこいね……そこまで断言するなら、何か根拠でもあるのかね?」

 

 具体的な証拠を見せなければ、疑い深い社長(クソ)のことだ、絶対に信じまい。

 

 証拠なら……ある。

 

 息子の名誉を守るため、誰彼構わず話すわけにはいかなかった。特に、こいつのような社長(クソ)に話すのは抵抗がある。

 

 だが、白石君の命がかかっている。

 

 武志、すまん。

 

 俺は、小金沢 紫門(ゆりかど)達が息子をいじめていることを伝えた。疑い深い社長(クソ)に信じてもらうには、息子の日記も提示する必要があるだろう。

 

「……というわけなんです」

「そうか。君の息子も南西館高校だったな」

「はい、ご息女とは別のクラスですが……とにかく小金沢 紫門(ゆりかど)がいじめをしているのは事実です。証拠なら息子の日記を見てもらえばわかります」

「まぁ、証拠としては不十分だがね」

「社長!」

「まぁ、クソ真面目な君が自分の息子の名を出してまで話したんだ。信じようじゃないか」

「本当ですか!」

「あぁ、紫門(ゆりかど)君はいじめをしている。それで、それがどうかしたのかね?」

「それでって……いじめをしているんですよ。どちらが悪人かわかりますよね?」

「ふっ、君は勘違いをしているようだ」

「勘違いとは?」

紫門(ゆりかど)君は、いじめをしている。君に言われなくても当然知っているよ」

「ご存じだったのですか!」

「当然だろ。学園は、大事な娘が通っているんだぞ。学園長を通じて、クラスの様子は手に取るようにわかっている」

 

 この社長(クソ)は知っていた。

 

 知っているのなら、なぜ止めない。

 

 白石君も息子も被害者だぞ。

 

「ご存じだったのならどうしてですか」

「ふっ、君は青いな。これはオフレコだぞ」

「は、はい」

「世間体があるから知らないふりをしていたが、率直に言おう。いじめ結構じゃないか。わが社をけん引してくれる婿殿には、それぐらい覇気があったほうが頼もしい」

 

 この社長(クソ)は、何を言っているんだ……?

 

 落ち着け。冷静になれ。

 

 立場を忘れて、怒鳴り散らすところだった。

 

 冷静に、冷静に事の是非を問う。

 

「いじめをしているんですよ。小金沢 紫門(ゆりかど)の性根は曲がってます。それなのに庇うんですか!」

「君はまるでわかっていないな。いじめはいじめられているほうが悪い」

「はぁ? そんなわけないだろ!!」

「静かにしたまえ。私を怒らせたいのか!」

 

 あまりな物言いに、つい言葉を荒げてしまった。社長(クソ)が不機嫌になって怒鳴る。

 

「大変、申し訳ございません」

 

 社長(クソ)の機嫌を損ねるわけにはいかない。

 

 頭を下げて謝罪する。

 

「無知な君に一つ教えてやろう。何度でも言ってやる。いじめはいじめられているほうが悪い。いじめを受けるのは、いじめを受けるだけの理由がある」

「わ、私の息子が悪いっていうんですか」

「悪いに決まっている」

「ど、どうしてですか!」

 

 声が震えた。

 

 怒鳴って殴りたい衝動を必死に押さえつける。

 

 敬語で応えた自分を褒めてやりたい。

 

「どもるんじゃない。いいか、いじめられる奴らを見てみろ。大抵、体力に頭脳、容姿、協調性全ておいて劣っている。自らを鍛えていない怠惰な証拠だ」

「それはあまりに一方的な考えです。能力は関係ありません。仮に能力に優れていても、いじめられることもあります」

「違うな。君は、筋骨隆々の男をいじめたいと思うか? 学年主席の男をいじめたいと思うか? 例えいじめたいと思う奴がいても、学園側がさせんよ。優秀な人材は、金の成る木だ。要するに、優秀な者はいじめを受けない。努力を怠った無能者には誰も手を差し伸べようとはせん。必然、無能な者がいじめられるに決まっているだろ」

「ち、違う。違います。努力をして必死に頑張ってもそれを認めない非道で心悪しき人達がいるからいじめが起きるんです。社長のお言葉はあんまりだ。被害者の気持ちを、痛みを欠片もわかっていない」

「くっく、被害者の気持ちねぇ~君なんかよりわかっているさ。どうして僕が? どうして私が? なんでイジメられるんだ? 誰か助けてくれ? そんなところだろ?」

「くっ、そうですよ。必死に生きて苦しみ助けを求めている人の気持ちです。その気持ちがわかるならどうしてそんなひどい事をおっしゃるのですか!」

「ひどくはない。なぜいじめられるかわからない、それは自己分析ができない馬鹿と言っているようなものだ。逆に聞こう? いじめられるのが嫌なら、なぜ現状を変えようとしない? なぜ戦いを放棄する?」

「それは、大勢が相手だからです。一人で抱え込んで孤独に打ち震えていて、抵抗できるわけないじゃないですか!」

「だから愚かなんだ。今の世の中、いじめを受けないためのツールは、たくさんある。なぜ、それを使わない。知らない? なら調べろ。人は、頭なり身体なりを鍛えて自己を守ろうとする。人間の本能だ。何も行動を起こさない者は、怠惰だよ。社会に出ても通用しない。わが社にとってもなんの益もない者だ。効率の悪い無能は、さっさと自殺してくれ」

 

 社長(クソ)が冷徹に言い放つ。

 

 ふぅ~ふぅ~殺す、ぶっ殺す。

 

 こんなクソが政治家になる? ふざけるな。こいつが政界に進出したら、日本は終わりだ。

 

 ハンドルを握る手がプルプルと震える。

 

 意地だ。こんな奴に負けたくない。なんとか言い返してやる。

 

「それは社長が金も権力もある、恵まれた立場にいるから、そう思えるんです。被害者の立場を少しもわかっていない」

「舐めるなよ。たとえ、私が貧乏人であっても変わらない。私はいじめを受けるような弱虫共とは違う。歯向かう者は全員叩きのめしてやる」

「社長のように立ち向かえる人もいるでしょう。でも、できない人だっています。それが悪いとは思いません。悪いのはいじめをしている人間です」

「なかなか食い下がるじゃないか。私に歯向かうつもりなのか?」

「い、いえ、そんなつもりはございません」

「まぁ、いい。暇つぶしに議論をしてやる。君の言う通り原因は、いじめをする側にあるとしよう。では、いじめの対策はどうすればいい?」

「対策ですか」

「そうだ。物事の原理は一緒だよ。原因がわかれば、対策を打てる。君の考えを聞いてやろう」

「そうですね、親や友達、信頼できる人に頼ることも一つの手だと思います。肝心なのは独りで悩まないことです」

「不十分だな。信頼できる人がいれば、本当にいじめは止まるのかね? 君の息子はいじめられているそうだが、信頼できる人はいなかったのか? うだつが上がらないとはいえ父親もいたんだろ?」

「そ、それは……」

「言わなくてもわかる。心配する親がいても同じだ。いじめは止まらない。いじめを受けている本人が変わらなくてはな」

「ち、違う。別に無理して変わる必要はないです。今の環境を変える方法だってあります」

「環境を変えても意味がない。変えた先でいじめられるのがオチだ」

「そうとはかぎらないでしょう」

「いいや、確信しているね。君の息子のような無能は、どこに行ってもいじめられる。君の息子が弱く、さらに言えば、君が息子を厳しく育てたなかったのが原因だな」

「違う。息子は弱くない。息子がいじめを受けたのは、いじめを受けていた友達を助けたからです。私は息子を誇りに思います」

「はっはっははは! 馬鹿だな。それで君の息子は、その友達を助けられたのかね? 違うだろ。一緒になっていじめられている。溺れている者を助けようとして自分も溺れたら本末転倒ではないか!」

 

 社長(クソ)が愉快気に高らかに笑っていた。

 

 今までも心を殺して仕えてきた。理不尽で屈辱な思いは何度もしてきた。

 

 こいつを殴れば、妻が死ぬ。妻がこの世からいなくなる。

 

 その思いで、心に蓋をしてきたのだ。

 

 だが、ここまで息子を侮辱されて……俺は!!!

 

「なんだその眼は? 不満があるなら、別にやめてもらってかまわないんだよ。君の代わりはいくらでもいる。だが、覚えておくといい。当然、会社の恩恵は受けられないぞ。懲戒免職だから当然退職金も無し。君の奥さんも、うちの病院から出て行ってもらおう」

「……やめてください」

「なんだって? 聞こえない。もっと大きな声で返事をしたまえ!」

「やめてください。失礼な態度を取って申し訳ございませんでした」

「よろしい。利口な生き方だ。安心しろ。うちの病院は世界に誇る大病院だ。君の奥さんの些細な病気など簡単に治してやれる」

 

 涙が頬を伝わる。

 

 こ、これくらいなんだ。多少嫌みを言われたぐらいだ。妻や息子の苦悩に比べたら屁でもない。

 

 運転をする。

 

 今日は失敗だった。社長(クソ)と感情をむき出しにして接してしまった。

 

 無になれ。

 

 俺には愛すべき家族が待っている。それ以外のことは考えるな。

 

 社長(クソ)に天罰が下ることを祈りながら、今日もまたクソッタレな仕事をこなしていく。

 



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