シロナさんが星人に挑むようです。(完) (矢部 涼)
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サナダ星人
1.黒いボール


 勢いで始めました。
 並行で連載している作品もあるので、こちらの方の更新は不定期になる可能性が高いです。


 時代の変遷を、感じられずにはいられなかった。

 

「よくやったわ。ガブリアス、戻って」

 

 傷つき、瀕死になっている対象へボールをかざす。すぐにその体が光となって、開いたモンスターボールの口に吸い込まれていった。

 シロナは、勝利を喜んでいる対戦相手のトレーナーを、感慨深く見つめた。

 私も、あれくらいの頃だったかしら。

 図鑑をもらって、旅をして。チャンピオンになった。それから十年ほど、確かな実力を備えた幾人もの挑戦者を、退けてきた。苦戦もあった。それでも、完敗を喫したのは、これが初めてだった。

 彼を、案内しなくちゃ。時代に名を刻む、トレーナーを。

 自分と同じくらい、いや、それ以上に、共に歩んできたパートナー達への愛に溢れた人。

 この人ならば、チャンピオンにふさわしい。

 祝福の笑みを相手へ向けながら、これからのことを考えた。

 考古学者としての仕事は、もちろんまだまだ残っている。彼と共にあの異質な世界で出会った、異質なポケモン。その解明にも尽力する必要がある。ポケモンの歴史と神話には謎が未だ数多くある。だから、たとえ一つの責務が自分の背から降ろされたとしても、暇になるわけではないのだ。

 でも、少しくらい。

 彼女は案内をしながら、自分を打ち破ったトレーナーに見えないよう、顔を緩ませた。

 少しくらい休むのは、許されてもいいんじゃない?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……?」

 

 手に持っていたトランクが、床に落ちた。その音で、部屋にいる全員の視線が向かってくる。彼らはシロナがぼうっとしているのを少し観察した後、各々の反応を示し始めた。

 彼女を遠慮なく見て、口笛を吹く者。

 何かしら諦観のこもった目を向けてくる、捨て鉢な者。

 反対に、期待のまなざしを向けてくる者。

 一度見ただけで、すぐに興味を失った様子の男。

 そもそも彼女の存在を一切気にしていなく、床にうずくまっている人達。

 

「ええな、今度はガイジンさんか」

 

 髪をほとんど刈り上げている色黒の男が、声を出した。シロナの全身をじろじろと観察している。

 

「日本語、わかるか? キャンユースピークジャパニーズ?」

 

 後ろの方の壁によりかかり、煙草を吸っている長髪の男が笑った。

 

「順序、逆やないか。先に英語で話せや」

「細かいこと気にせんと。死ぬで」

「やかまし」

 

 シロナはとんとん、と自分の太腿を人差し指で叩いた。思考を整理するときの癖だ。

 こういう時こそ、博士の教えが役に立つ。

 事象には、受容、整理、分析の順で、臨むこと。

 受容。

 自分は今、確かにここにいる、わけのわからない所に。いや、どこかの一室には間違いないのだろう。だが、全く知らない者達が周りにはいる。そのほとんどが、妙な黒い服装をしていた。体にぴったりとはまっていて、所々にくぼみのようなものがある。

 モンスターボール?

 一瞬そう思いかけた。最も目を引く、中央にある黒い大きな球体。中に何かが入っているのか。しかし、開閉のためのボタンは見当たらず、表面から得られる手掛かりは全くない。保留。

 整理。

 明らかに、おかしい。確か、休暇を楽しんでいたはずだ。サザナミタウンで海底遺跡の調査を名目に、海水浴を楽しんでいたはずなのだ。それなのに気が付けば、こんなところにいる。順序の断絶。時系列に齟齬(そご)がある。

 分析。

 ここにいる彼らは、同じ人間ではあるようだ。しかし、何かが違う。まるで、自分と違う次元に生きているかのような。そう言った空気の違いが、シロナの警戒心を高めていた。男たちの話し方も、どこかおかしい。どこかの地方に、こんな喋り方があったかと、少しだけ調べてみる気になった。

 今得られる情報での思考は終わった。後は、収集に励むべきだ。

 

「すみません、よくわからなくて」

 

 シロナは頭にかけていたサングラスを外した。

 丸刈りの男は、虚を突かれたような顔をした。

 

「なんや、日本語ごっつ上手いやんけ。そのなりして、日本生まれ日本住まいってオチかいな」

 

 二ホン?

 

「ガイジンの姉ちゃんは、関東出身か? イントネーションがそんな感じやわ」

 

 カントー!

 思わず相手の男に詰め寄る。ここにきて初めて、聞きおぼえのある言葉が出てきた。正直言って、かなりほっとした気分だ。今のわけのわからない状況に一本、芯が通った気がしたからだ。

 

「オーキド博士を、知っていますか?」

「あん?」

「これは、おそらく、非常に強い力をもった、ポケモンの仕業だと思うんです。私だけでは手が足りない。誰か、博士に連絡できる手段を持っている人はいませんか?」

 

 反応は非常に鈍かった。

 ほとんどの者が何を言っているんだという顔で、シロナを眺めていた。

 

「なんやねん、こいつ」

 

 目つきの鋭い短髪の男が、あくびをする。

 

「ですから……」

「まあ、落ち着けや姉ちゃん」

 

 丸刈りの男がにやにや笑っている。

 

「またまたクセの強い奴が入ってきたもんやな。死因は何や? 薬でも、やりすぎたか?」

「…死因?」

 

 嫌な言葉を聞いた気がした。聞こえた言葉が、考えた通りの意味なら。

 

「ここには、一度死んだもんが集まる。姉ちゃんも、そうなったからここに来たんや」

 

 今度はシロナが、怪訝な顔をする番だった。死? それは、先ほどまでの心情とはあまりにかけ離れているものだった。サザナミの砂浜でのびのびと休暇を満喫していただけだ。その記憶はしっかりとある。急に自分が死んだと言われても、たちの悪い冗談にしか聞こえなかった。

 しかし、それは相手にとっても同じようだった。どうやら、自分の言葉はまるで本気で受け止められていないようだ。

 確かに自分でも信じられない。これだけの人数を同じ場所に集めるだけの力を持ったポケモン。可能性があるとしたら、まさに伝説級の存在としか考えられない。一般市民にとっては、おとぎ話も同然だろう。だから、彼らは信じようとしない。急にこちらが仮説を示しても、受け止められないのは当たり前だ。

 という、考えもあるが。

 シロナは、妙な予感がした。何かが、ずれているような感じがする。

 確かめる術はある。その方法は床に転がるトランクが持っている。

 それを拾おうと、視線を向けた時だった。

 

 ~♪

 

 突然球体の方から、陽気な音楽が流れ始めた。今の状況にそぐわない、ちぐはぐなメロディ。それは一通りのパターンのなぞっていきながら、徐々にフェードダウンしていった。

 

「新喜劇や。始まったなあ」

 

 誰かの悲鳴が聞こえた気がして、シロナは素早く顔を動かした。そうだ、この部屋が異質な理由。丸刈りの男のように張り切っている者もいる一方で、部屋の隅で泣きじゃくっている者もいる。明らかに、異常だ。違いは何なのだろう。興奮と恐怖が同居している。

 徐々にシロナは、嫌な予感を覚え始めていた。

 皆が、一様にして、黒い球体へと視線を集める。

 

 

 『てめえ達の命は、

 

  なくなリました。

 

  新しイ命を

 

  どう使おうと

 

  私の勝手

  

  という理屈なわけだス。』

 

 

 これで。と、冷静な部分は言う。これで、男の言っていたことの現実味が増した。この部屋にいる者は皆、そういうことになっているのだと。しかし一方で、まだ納得しきれない自分もいる。これが何か悪質な、悪戯なのではないかと、そう思いたがっている自分が。

 しかし、球体の声と文字は、それで終わりではなかった。

 

 

 『てめえ達は今から

 

  この方をヤッつけに行ってくだちい。

 

  サナダ星人

 

 

 妙な名称の下に、画像が表示される。

 ごく普通の、人間の男の顔だった。三十代ほどの男性。特にこれと言って目立った特徴はない。そこそこ使い古した様子のスーツを着ていて、目の下にはわずかにクマができていた。

 さらに、特徴という項目が続く。そこには、大した情報は書かれていなかった。小さいとか、弱いとか。それに、気持ち悪いとか。それはただの主観的な感想なのでは? という思いがした。

 

「小物くさいなあ。箸休めみたいなもんか」

 

 短髪の男が球体の側による。

 シロナは、質問したいことがたくさんあった。どうやらここの何人かは、何かしらの情報を持っているようだ。未だ死だの何だのは受け入れがたいが、とにかく疑問を解消した方がいいのは分かりきっていた。

 だが、またしても彼女の行動は中断される。

 球体の左右から、急に何かが飛び出してきた。思わずびくりとした。少し離れた所にいる。若い女性もまた同じ反応をした。シロナの方に目を合わせてきて、恥ずかしそうにする。

 飛び出したのは、簡易的な収容棚のようだった。そこには、いくつものアタッシュケースが詰め込まれている。あまり冷静ではない頭でも、その数が部屋の人数と一致していることは分かった。銀色の表面に、濃く文字が彫られている。

 慣れている様子の者達が、そこに群がり始めた。次々にケースを取り出し、中を検分している。それに続いて、第二派の者達が忙しなげに向かい始めた。そこまで来て、ようやくこの行動を自分もした方がいいのではないかと、思考が追いつく。

 だが、選ぼうにも途方に暮れた。ほとんどのケースには、具体的な名前が書かれていなかったからだ。何やら適当な言葉で、持ち主の特徴を揶揄しているものや、短いあだ名のようなものが使われている。それ故に一つの方法をとらざるおえなかった。最後の一つを、取るのだ。

 幸い二つ分もっていこうとするような輩はいなかった。他の全員がとったのを確認してから、シロナはぽつんと残されたケースを持った。あまり、納得のしていない気分で。

 

 アラサー猛獣使い(哀)

 

「あらさー?」

「思ったより、大人なんやね」

 

 横を見ると、先ほど一緒にびっくりした可愛らしい女性が微笑みかけてくる。

 

「これ、どういう意味?」

「アラウンドサーティ。ほぼ三十歳って意味や。姉さん、サーカスの一員か何か?」

「別に、そういうわけじゃないけど」

 

 考えるほど、この名称は気に食わないと思った。

 まだ、自分は二十七歳なのに。

 

「あ、私は」

  

 隣の女性が自己紹介をしようとしたところで、異変が起きる。彼女は悲鳴を上げて、消えかけている両腕を見た。

 シロナも、自分の体を確認する。手や腕に何も異常はない。しかし、腰のあたりが徐々に消失し始めているのが分かった。この光景は、どこか、憶えがある。そのおかげか、最後の冷静さまで失うことはなかった。

 床に転がるトランクを、即座につかむ。自分の体の感覚がなくなりかけていても、それをしっかりと握っていた。たとえ手が消えてしまったとしても、離しはしないと。

 腰の次に消えたのは、顔のあたりのようだった。視界が移り変わっていっても、シロナは、大事な荷物を握り続けた。

 

 

 全身が正常に戻ったころには、自分が屋外に出ていることを自覚した。

 はっきり言って、まるで、理解ができていない。

 部屋から出た記憶などない。一瞬で、別の場所、どこかの外へと、移動したのだ。他の者達の一部も、きょろきょろと落ち着かなさそうにあたりを確認していた。

 どこかの、駐車場。車やトラックが幾台か止まっている。日常の風景。

 アタッシュケースを置いて、中に何が入っているのか確認することに思い当たった。だがその直後に、何よりも確認すべきことがあることを思い出す。

 右手に握っていたトランクを、地面に置く。手が少しだけ震えていたので、開けるのに手間がかかった。その慌てようが実際に開く勢いにも表れてしまったようだ。勢い良く二つに開き、詰め込んでいたものが飛び出してきてしまった。

 

 「もう」

 

 中には、水着もある。白いものと黒いもの。自分にどちらが似合うかわからず、結局どちらも購入してしまったいわくつき。

 そして。

 まだ中身を確認していないのに、シロナは全身に安堵が広がるのを感じた。

 とりあえずは、彼らを外に出してあげよう。

 そうして、トランク内にある、七つのボールを取り出した。




 


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2.シロナの旅パ

 お待たせしました。やっぱり、二本同時連載は無謀ですね…。


 思い直す。

 周りの状況をよく考えるべきだと判断した。

 半々といった所か。落ち着いている者と、まるで状況についていけていない者。前者の中には、すでに歩き出している人もいる。何かに化かされたと言わんばかりに、苦笑いをしながら。

 嫌な感じなのは、そういった人達を笑いながら観察している集団だった。彼らを指差しながら、何かをやり取りしている。見えた範囲では、金銭のようだ。

 賭け? でも、何の?

 シロナは風景をよく見た。どうやらここは、かなり繁栄している都市のようだ。コトブキシティやヨスガシティとは少し違っている。雑多な道路。遠くに見える、多様な人混み。雰囲気的には、ギンガ団の本部があるトバリシティによく似ている。

 だが、肝心なところは異なっていた。どれだけ見回しても、いない。人と共存しているはずの存在。ポケモンの姿は、全く見られない。

 

「きゃあっ!」

 

 突然悲鳴が上がり、何かが弾ける音もした。

 遠くで、人が倒れている。頭が全て吹き飛んだ姿をして。

 シロナも声を上げかけた。だが、隣でもっと驚いている女性がいたので、何とかこらえることができた。それでも、激しくなった鼓動は戻らない。

 その人たちは、先ほどまで歩いていた。おそらく、帰ろうとしたのだろうか。彼らにとっては、この街は故郷なのだろう。警戒していたシロナとは違って、既に自分は解放されたのだと勘違いしてしまった。

 人が、死んだ。こんな簡単に?

 抱えているボールを、さらに強く抱きしめる。彼らの姿を見て、安心したい自分もいた。しかし一方で、このわけのわからない危険に巻き込んでしまう可能性も考えてしまう。 

 何かで撃たれたのだろうか。自分は、この場にいていいのだろうか。どこかへ、逃げた方が。

 足が動きかけたとき、そばで弾けるような音がした。

 さきほどのものとは違う。まるで、そう、雷が発生する時のような。

 見れば、既に何かが消えていくところだった。人の形をしている。黒い服を着た男の一人であることは確かだった。一瞬こちらを見てきたような気がしたが、確かめることはできない。

 

「運いいな、姉ちゃん。あんたに賭けてよかったわ」

 

 丸刈りの男が話しかけてくる。 

 シロナは、反応することができなかった。代わりに、その顔を呆然と眺める。

 この男は、何なのだろう。たった今、人が死んだというのに。まるでそれが日常であるかのようにふるまっている。いや、違う。楽しんでいるのだ。もっと、たちが悪い。

 そして、賭けのこともわかってきた。彼らは、おそらくこうなることを知っていた。

 

「何が、起きたの……?」

「ステージ外に出たからや。黒飴ちゃんが範囲を決めとる。出たらボン! 頭が爆発や」

 

 また笑い始めた男を、睨みつける。

 

「貴方達、知っていたんでしょう。どうして、教えなかったの? そうしたら、あの人達は」

「落ち着け。合理的判断ってやつや。仮に姉ちゃんが、ある程度離れたら死ぬから動くなと言われてたとしても、素直に従うか? 奴らは自分の家に帰る気満々やったで。聞くはずあらへんがな。なんでそないな奴にいちいち説明する労力さかないけないねん」

 

 言い返す口を開こうとして、自分の思考に沈む。

 ここがもし、カンナギタウンの広場だったとしたらどうだろう。自分は、今までのことを夢だと思って、すぐに移動しただろうか。そうかもしれないし、違うかもしれない。

 

「だからと言って、何もしないのは……」

「ジョージ、何しとん」

 

 短髪の男が、武器を携えて近づいてきた。黒い刀だ。そしてもう片方の手には、妙な器具を握っている。見える口の部分が、バツ印の形になっているものだ。

 

「はよせんと、また岡に根こそぎ持ってかれるで」 

「わってるわ。じゃあ、姉ちゃん。生き残れたら、連絡先交換してや」

 

 気取った姿勢で指を上下させてから、ジョージと呼ばれた丸刈りの男は去っていく。シロナは数秒その背中を見ていた。もやもやとした感情を持て余しながら。そのいかんともしがたい怒りで、先ほどまでの恐怖は少しだけ和らいでいた。

 シロナは、自分の判断が正しかったことを理解する。

 ここは、いや、この世界は、自分のいた所とは違うのだ。ポケモンがいない。人々は、別の何かと共に生きているのだろうか。

 そして自分の常識が当てはまらない世界にいるのだと仮定しても、今の状況はさらに異常であるとわかっていた。周りの者達の反応がそれを物語っている。彼らの中にも、ついていけていない者がいるのだ。

 そんな状況で、外に出したらどうなるだろう。

 先ほどの男たちの、雰囲気を思い返す。

 絶対に、良いことにはならない。

 彼女は辺りを見回して、移動することに決めた。できれば、人目がない場所。一人にならなければならない。

 そう考えて歩き出すと、慌ててついてくるような足音が聞こえた。

 それに構わず、シロナは建物の裏に回る。建築については、ほとんど未知の要素はない。ただ建材をポケモンも使わずにどのように運んでいるのかは、少し不思議に思った。

 人目のない場所にまで来ると、あの黒い球体から出てきたアタッシュケースを置いてきてしまったことに気がついた。だが、もうあまり興味はない。胡散臭いものよりも、今まで自分と共に歩んできたものを、信じるべきだ。

 

「待って。危ないんとちゃうん? 一人にならん方が…」

 

 ついてきたのは先ほどの女性だ。肩にかからない程度の黒髪で、シロナよりも一回りほど背が低い。愛嬌のある目もまた、彼女の切れ長の瞳と対照的だった。

 この人は、普通だ。

 とりあえずの判断をする。少なくともこの状況で、他人を気遣うだけの良心がある。信じてみるのも、良いかもしれなかった。

 

「私は、シロナ。貴方は?」

 

 女性はぱちぱちと瞼を動かしてから、言ってくる。

 

山咲杏(やまさきあんず)。やっぱりガイジンさんや。よろしく」

「アンズ。お願いしたいことがあるんだけど、いい?」

「うん?」

 

 腕に抱えている、赤いボールの一つを手に取る。

 

「なるべく驚かないで」

 

 少し迷ったが、結局七匹全てを出すことにした。

 モンスターボールを投げるときは、フォームが大事とされている。乱雑に扱えば、中にいるポケモンとの関係が悪くなることもある。無駄なく、それでいて華麗に。ポケモンバトルというのは、ボールを投げる時から始まっているのだ……。

 残念ながら、シロナはもうチャンピオンではない。そして今はかなり、特殊な状況だ。そしてすぐそばには可愛らしい見物客がいる。あまり事情を知らないであろう相手が。だから、「競技用」ではなく、「旅行用」のフォームを選んだ。ただの軽い下手投げ。

 そうして、サザナミタウンへの旅行の共として連れてきていたポケモン達が、目の前に並ぶことになる。

 

 ミカルゲ(メス)。

 ふういんポケモン。

 紫色のもやが揺れていて、その中に緑色の球体が端の輪郭に沿うようにして浮いている。中心部分には、同じく緑色の目と口が、悪そうな表情を作るように配置されていた。ただ、全体が完全に浮遊しているわけではなく、下の方にあるかなめいしによって、つながれている。

 

 ロズレイド(メス)。

 ブーケポケモン。

 緑色の胴体と手足。髪を模した白い頭部。目の部分にはまるで仮面のように葉が重ねられており、そのすらりとした体型からも、まるで異国のダンサーのような印象を受ける。右手には大きな赤色の花が咲き、即効性の毒がある。そして左手には青い花。こちらは遅効性の毒を持っている。

 

 トゲキッス(オス)。

 しゅくふくポケモン。 

 毛先の丸まった白い翼。三つに分かれた尻尾。こじんまりとした二本指の足。胴体部分には赤と青の三角模様が点々とあり、つぶらな瞳も相まり非常に愛らしい姿だ。頭の赤、白、青の三本角もまた、柔らかい雰囲気を与えている。しかしこの見た目でいて、人々に多くの恵みをもたらすとされている神聖なポケモンだ。

 

 ミロカロス(メス)。

 いつくしみポケモン。

 赤と水色のコントラストが見事な尻尾部分。そしてそこから滑らかに伸びるベージュの胴体。一本の角がある顔もまた強くはっきりとした瞳を持っている。目の端から伸びる桃色の触角がその姿に神秘性を与え、最も美しいポケモンだとも言われている。

 

 ルカリオ(オス)。

 はどうポケモン。

 見た目はスリムな犬が二足歩行しているような雰囲気だが,その佇まいには明らかに熟練した武の気配がある。顔に通った黒い線もまた、眼光の鋭さをさらに増幅させているような(てら)いがある。はどうをあやつり、一キロ先の生物の種類や心情を把握することができる。

 

 ガブリアス(メス)。

 マッハポケモン。

 頭についた二つの突起。背中から大きく飛び出た紺色のトサカのようなもの。そして両腕から外側に張り出しているエラが、まるで全体的に攻撃的なジェット機を思わせる。事実その飛行速度はあらゆるポケモンの中でトップクラスだ。腹の部分の鮮やかな赤色からも、狂暴的なイメージを受ける。が、シロナは彼女をそのような気性になるようには、育てていない。

 

 そして。

 

「わあっ! なんやあ」

 

 シロナは腕を組んだ。

 最後の一匹は、杏の体をぬるぬると登り始めていた。

 

 トリトドン(メス)。

 ウミウシポケモン。

 二本の下部分が膨らんでいる角。ナメクジのような外見をしている。上半分は緑色で、黄色の筋が入っている。下半分は水色だ。

 ナメクジと言っても、彼女は重さがほぼ三十キロある。当然杏が支え切れるはずもなく、見事に押し倒されてしまう。彼女の頬に、嬉しそうに三つの目を向けている。

 

「ぐえ……」

「やめなさい」

 

 シロナが言うと、トリトドンは目を大きく開けて、ずるずると杏の体を解放した。そしてシロナの足に角を擦りつけてくる。

 この子は、初対面の相手に対して壁を作らない。作らな過ぎて、今のような行動をすることが多々ある。特に女性に対しては積極的になる傾向があった。メスなのに。

 多少というか、かなり混乱した状況になってしまったのは確かだ。一番大きいのは、ミロカロス。体長が六メートルほどある。彼女を初めとして、とりあえず少しのスキンシップを取ってから、ほとんどのポケモンをボールに戻した。

 

「おんみょーん…」

「なあに?」 

 

 ミカルゲが、何かを言いたいらしい。ルカリオに向かってふよふよと漂ってみせる。そしてルカリオが、シロナの方に体を向けた。しきりに頭を叩いている。二、三回叩くと、両手を使って小さな四角を表現する。それを何回も繰り返していた。

 

「頭に、何かがある?」

 

 ルカリオはふんふんと頷く。

 頭。

 その言葉で、嫌な光景を思い返した。帰ろうとしたら、頭が吹き飛ばされた者達。まるで爆発したかのように。

 もしかして、爆弾の類か。それが、自分達の頭に仕掛けられているという可能性がある。

 

「ミカルゲ、サイコキネシスでどうにかできる?」

「…ぉーん」

 

 無理らしい。どうやら干渉することで危険が伴う、というよりは、そもそも干渉自体ができないようだった。

 シロナは戦慄する。本人の知らぬ間にその頭へ何かを仕掛ける。そしてそれは取り外しができないように厳重なプロテクトがかかっている。自分の常識にはない技術だった。かなり高度だ。転送といい、今起こっていることの首謀者は強大な相手だ。

 

「わかった。ありがとう」

 

 ミカルゲを戻し、シロナは二匹のポケモンに向き直った。

 

「警戒は怠らないで。私達には、敵がいるみたい」

 

 ルカリオとガブリアスは油断なく周囲を確認し始めた。戦闘になった時、頼れる両翼だ。ひとまずは心配のない彼らと共に、状況の解明に当たろう。

 そして、ぽかんと口を開けている杏に向き直った。

 

「やっぱり、初めて?」

「なん、なんやこれ。新種の動物や…」

「ポケモンっていうの。知らない?」

「初めて知ったわ」

「そう」

 

 人差し指と親指を顎に当てる。

 杏の言葉に嘘はない。ということは、もう確定だ。ここが自分の知らない本当に隔離された、辺境地ではない限り、ポケモンがいない世界なのは明らかだった。

 いや。

 

「ドウブツ?」

「え?」

「ドウブツって、何?」

「ど、動物は、動物やん。キリンとか。動いてる生き物のことや」

 

 訂正。

 ここはポケモンの代わりに、ドウブツとやらがいる世界なのだ。どういうわけかは知らないが、自分はそこに来てしまった。原因はどうあれ、何とかして帰る手段を見つける必要がある。

 

「安心して。皆いい子達だから。私達を守ってくれる」

 

 杏はシロナの顔をじっと見つめてから、息を漏らした。

 

「姉さん、不思議な人やなあ」

「とりあえず移動しましょうか」

 

 先ほどの駐車場まで戻ってくると、既にほとんどの人達が移動していた。少しだけ安心する。黒服の集団がいなくてよかった。彼らはどこか危険な気がする。未知の生物に対して、躊躇いなく危害を加えられるような。

 ルカリオが、耳を震わせた。ばっと振り返り、通りの奥の方を睨みつける。

 シロナもまたそこへと視線を向けた。彼の感覚は頼りになる。

 そして徐々に何かが近づいてくるのがわかった。

 ただの人間だ。男性。スーツを着ていて、カバンを片手に持っている。何かの帰りの用で、欠伸をしながらシロナ達の駐車場に歩いてきていた。

 初め彼女は怪訝そうに眺めていたが、やがてはっと目を見開く。

 同じだ。あの黒い球体に表示されていた画像と。サナダ星人。確かそんな名前だった。

 あれが、やっつけるべき敵?

 とてもそうは思えない。本当に普通の、人間だったからだ。彼はルカリオとガブリアスの存在にも目を向けることなく、シロナ達の間を通り過ぎようとしている。おかしい。彼は、自分達のことがまるで見えていないかのようだ。明らかに、視線を向けるくらいはしてもいい状況なのに。

 男性はただ前にぼうっと視線を向けて、足を動かしている。シロナがじっと見つめても、反応はなかった。そのまま目の前を通り過ぎていき、彼女の目にはもう背中しか見えなくなる。

 何だったのだろう。拍子抜けした気分で、シロナは杏と顔を見合わせた。

 

「ワウッ!」

 

 ルカリオの鳴き声。

 そう認識した瞬間には、後頭部のあたりに風を感じた。

 身を翻せば、ルカリオは既に着地している。そして、壁に激突した何かを睨んでいた。

 紐のような生物。それが黒い液体を出して苦しんでいる。異質なのは、その体を覆いつくすようにして、細い刃が重なっていることだった。今まで見たこともない何か。

 

「ルカリオ」

 

 遠くで、男性が倒れている。そしてその後頭部から、血があふれ出しているのがわかった。

 まさか、あの中にいたということか。

 そしてシロナの頭を狙った。それを察知した彼が、防いでくれたというわけだ。本当に危なかった。シロナは完全に油断をしていた。

 すぐさまトランクに向かい、そこから傷薬を取り出す。そしてルカリオの足の部分にできた切り傷へと吹きかけた。出血はあっという間に収まり、痕も少ししたら消えていくだろう。

 

「ありがとう」

 

 感謝を述べると、ルカリオは頭を差し出してきた。そして上目遣いで、何かを要求してくる。

 シロナは微笑みながら、その頭を優しくなでた。褒めてもらった彼は、少し悔しそうにしているガブリアスに向かって得意げに胸を張ってみせる。

 

「あれ、どこに行った?」

 

 杏の声に反応して、生物が叩きつけられた壁の方を見る。そこには、死骸も何もなかった。すぐさまポケモン達がシロナの周りを固めるが、それ以上動きがなく数十秒が経過した。

 周りをいくら見ても、周囲にはそれらしき生物がいない。逃げた。それとも、消えたのだろうか。これで、星人とやらを倒せたのだろうか。

 静寂だけしか返ってこない中、遠くで男達の笑い声がした。

 気は進まないが、結局は彼らから情報を引き出すしかないだろう。

 

「ここから、離れましょう」

 

 シロナは最後に少し振り返ってから、駐車場を出た。

 

 




 関西の人の話し方の表現が不安です。
 本場の人が見たら違和感ありそう。

 シロナの手持ちだとルカリオがぶっちぎりで好きですね。トゲキッスは……、レート戦で散々カモられたので、嫌いです(万年モンスタボール級)。


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3.こうかばつぐん

 お久しぶりです。
 ようやく別の連載が完結したので、こっちに集中していきたいと思います。とりあえずコンスタントに投稿できればなと、ゆるく決意してます。
 あと、一応閲覧注意です。


 騒がしいのは、住宅街の一角にある公園のような場所だった。

 到着したシロナは、一瞬棒立ちになる。

 

「うえ、気持ち悪いわー」

「右行ったで! さっさと撃てや」

「きんも」

 

 一番近い所で、特徴的な三人組が戦っている。全員、サングラスをかけていた。巨大な細長い虫を相手に動き回っている。虫の方は、既にぼろぼろになっていた。所々の肉が抉れ、妙な色の体液を飛び散らせている。

 サングラス達は、シロナにとって理解しがたい何かを生物に向けていた。それほど大きくない、筒のようなもの。ちょうど手の部分でほぼ直角に曲がっている。指先で小さなトリガーを押し込んでいた。するとその筒全体が光り、聞いたことのない駆動音を鳴らす。

 先端の方は四隅が突出していて、穴が開いていた。バツ印にみえなくもない。その口が虫に定められている。

 他方では、さらに大きなエンジン音が響いていた。見れば、円状の妙な黒いバイクが遊具の間を走り回っている。搭乗者はかなり若い男だ。少なくとも、シロナより一回りは年少だろう。彼は何やら興奮した様子で、サングラスが持っているのと同じような道具をあちこちに向けながら移動していた。

 受容が、大事なのだ。思考を停止してはいけない。

 そう思っていても、彼女は理解するのにまだ戸惑っていた。まるで、わからない。本当に自分は別世界に来てしまったのだ。何一つとして、馴染んだ光景がない。

 中には、あの黒スーツをだらしなく着崩している者もいた。恰好だけで言うなら、一番おかしい。茶色く染めた長髪の男は、脱いだ部分をぶらぶらと揺らしながら、飛びついてくる幼虫を避けていた。そして、握っている黒い剣を一閃させ、一匹ずつ確実に斬り刻んでいる。上半身を晒しながら。

 

「おいおい」

 

 声が、かかる。

 ジョージと先ほど呼ばれていた色黒の男が、物珍しそうに歩いてきていた。彼の持っている道具は、かなり大きい。持ち手が二つの筒の間にはめ込まれていて、後ろからは管がいくつか伸びている。

 見もせずに標的へ何かを撃ち込む仕草をした後、シロナに近づいた。

 

「姉ちゃん、死ぬで。星人に挟まれとる」

 

 轟音が、直後鳴り響いた。

 彼に向かってきていた虫の大群が、全て潰されていた。地面に円の形のへこみがはっきりとできていた。不可視の何かが、とても重い何かが降ってきたみたいだ。

 そしてそれを引き起こした道具がルカリオに向けられているとわかった時、さっと体中の血の気がなくなっていくのを感じた。

 

「ま、待って!」

 

 杏が、慌てた様子で前に出てきた。ジョージが握っている黒い道具が、下げられる。

 

「あ?」

「な、なんか勘違いしとるかもしれんけど、この子たちは違う」

「いやいや、意味わからへん」

「この姉さんがな、飼ってる奴だから! ペットなんや」

「そうなん?」

 

 ジョージは興味深そうな顔になった。ルカリオとガブリアスの両方を見つめてから、手を伸ばしてくる。

 

「お手」

 

 言われたルカリオは腕を組みながら黙っていた。目を細め、何をしているんだと相手を眺める。ガブリアスも憮然として、男を睨みつけていた。

 

「可愛くないペットやなあ」

 

 さきほどから繰り返されている用語の意味が、シロナにはよくわかっていなかった。だが、あまり良くない印象を受ける。この子達は自分の家族なのだと、訂正をしようとした。

 だが、開きかけた口は途中で止まる。

 まだ戦っている者達以外全員が、ぞろぞろと集まってきていた。

 

「ジョージ、なに悠長に話しとんねん」

 

 刈り上げている短髪の男が、同じ両筒の武器を抱えながら佇んでいる。その周りに、女性二人もついてきていた。どちらも、髪を長く伸ばしている。シロナ達を見る目は、あまり良いとは言えなかった。

 

「それもさっさと殺ろうや」

「ペットらしいで」

「は?」

「この姉ちゃんが、飼ってる」

 

 シロナの方を見ると、短髪の男は大げさに溜息をついた。かなり呆れているようだ。

 

「くだらん。薬でもやってるんやろ。転送されてきた時から、おかしい奴やった。鵜呑みにしてどうする」

 

 サングラス組の一人、髪をストレートに長く伸ばしている男が、バツ印の道具を持ち上げた。

 

「おかしいやろ。なんで犬が二足歩行しとんねん。どうせ星人や。早い者勝ちやな」

「話を、聞いて!」

 

 シロナは冷や汗をかいていた。明らかに状況がまずい方向へと転がっているのはわかる。このまま黙っていれば、この者達と敵対してしまうのは確実だ。まだ状況もよくわかっていないのに、その選択肢を取らされるのは避けたい。

 見た所、子供はいない。ほぼ全員が成人している。ならば、論理的に話せば少しは理解してくれるはずだった。

 怪訝そうな顔をする短髪に、視線を合わせる。

 

「証明をするから」

「あん?」

「この子達は、貴方達の味方。それを今から証明する。そこにいる残りは、私達に任せて」

 

 幸いなことに、その提案を真っ向から切り捨てようとする輩はいなかった。全員がこれからシロナが何をするつもりなのか、興味があるようだった。

 その、まるで観客のような態度に違和感を覚える。本当に、楽しむ気持ちの方が大きいようだった。彼らは今まで、命がけの戦いをしていたはずなのだ。ルカリオとガブリアスに向かって、殺意をほのめかす発言もしていた。なのに、すぐに切り替えて見物を始めている。

 自身に落ち着くよう言い聞かせながら、彼女は前へと進んだ。

 察知した虫の一体が、かなりの速度で張ってくる。大きな、芋虫の姿をしていた。体全体は濃い緑色で、牙のびっしり生えた丸い口から液体を垂らしている。それにも怯まないよう心掛けながら、発声の準備をした。

 何となく、直接触れない方がいい気がしていた。そういう感覚には従うべきだ。今までも、それによって助けられた時の方が、多かったのだから。

 

「ルカリオ、はどうだん」

 

 武を修めているポケモンが、青と黒の色を含んでいる肉球をかざした。その先の空間から、突如として青白い光球が形成されていく。人間の頭二個分ほどの大きさにまで肥大すると、即座に放たれた。

 ほぼ完璧な軌道、速度で、緑の虫に直撃する。すぐにその体へと大きな穴が開いた。血と考えられる青い液体があたりに飛び散る。

 

「うおっ」

「なんだあ?」

「ど、ドラゴンボールやん! 犬がかめはめ波しよった…」

 

 もちろん、シロナは油断していない。彼女の指示を、ルカリオは正確に理解していた。まだ動く元気のある相手にむかって、追加を撃ち込んでいく。

 どうやら、かなり生命力のある虫のようだった。体の一部が欠損しても、まだ俊敏に動けている。今度は飛んでくる光球の軌道から逃げるようにして、横へと這っていく。

 だが、無意味な行動だった。はどうだんは急カーブしていき、避けたつもりでいる虫に再び炸裂していく。今度こそ致命傷を負った相手は、すぐに動かなくなっていった。

 この技は、必中だ。必ず当たるということ。逃れることはできない。

 これで十分に証明できたのかもしれないが、念には念を入れる必要がある。まだ、ルカリオの方しか働いていないからだ。彼らはそこを突いてくるかもしれない。シロナにとっては、このわけのわからない敵も、黒スーツの男達も同じ枠組みに入っていた。自分達を脅かすかもしれない存在。

 

「下がってて!」

 

 まだ虫を潰している半裸の男と、バイクで走り回っている少年に向けて叫んだ。彼らは最初無視をしていたようだったが、ガブリアスが前に出てきたのを見て、何かを察したらしい。すぐに横へと離れていった。

 残りは数匹だ。大小それぞれの、色も形状も異なる虫達がある程度一か所に固まっていた。少し都合が良かった。ただし悠長にしていれば、すぐにこちらへ襲ってくる。あまり接近されると、力を発揮することができない。

 シロナは、少し不安になった。容赦をするつもりはないが、はたしてこの場所を破壊してもいいのかと。だが、迷うことはやめていた。たとえどんな状況になっても、躊躇わず選択をし続けることが肝要だった。

 目配せをしてきた、一番付き合いの長いポケモンにむかって、鋭く指示を出す。

 

「ガブリアス、りゅうせいぐん!」

 

 それは祈っているようにも見えた。

 ガブリアスは両手を合わせて、力を集中させる。そして彼女の体内から、赤い光が飛び出してきた。どんどんそれは大きくなっていき、仰ぐような体の動きによって空へと撃ち出されていく。

 光はさらに膨張する。そして、構成している要素が一変していった。実体を持ち始める。徐々に岩石が発生していき、大きな光を覆い尽くしていった。

 出来上がった岩は、いくつかの欠片へと分かれていき、ほぼ同時に降り注いだ。それは暴力の雨だった。受けた存在は、ひとたまりもないだろう。

 しばらく、土煙が上がり続けていた。シロナは意識を張り詰めさせながら、そこから何が飛び出してきても対応できるようにする。ルカリオ達も、油断なく煙が晴れるのを待っていた。

 もはや公園は、廃墟へと変わり果てていた。

 虫はほとんど生き残っていない。

 まだ辛うじて体を残している一体が、口を大きく動かした。そこから、人間が吐き出される。黒スーツを身に着けていない、普通の男性だった。シロナには見覚えがある。彼女と同じく、初めてこういう状況に巻き込まれた者の一人だった。

 既に、何をすべきなのかはわかっている。男性は、かなりの血を流していた。すぐに処置をしなければ、手遅れになってしまう。

 

「大丈夫ですか!」

 

 走り出しながら、憤慨も大きくなっていた。傷ついている人がいるというのに、周りの男達は動こうとすらしない。たとえどんな事情があるにしろ、彼らと深くは関われない気がした。どう考えても、シロナと根本的に食い違っている。

 男性は、震えながら這いずってくる。頭から血を流し、何かを言葉にしようとした。彼女はとにかく彼を助け出そうと、息絶えた虫を通り過ぎる。

 満身創痍の男は、叫ぼうとしたらしかった。だが、結局何を言いたかったのかわからなかった。言葉の代わりに、その喉が大きく裂かれる。派手な赤色をした虫が数匹シロナに向かって飛び出してきた。

 今度ばかりは、彼女も怯んだ。気が抜けていたせいもある。もう全滅したのだと、すっかり思い込んでいた。

 彼女の長い金髪が、ぶわりと舞い上がる。かなりの風を受けて、大きく流れていた。

 シロナは、ほっと息をつく。

 彼女を抱いているガブリアスは、完璧な着地をした。もう、公園の敷地外に出ている。

 マッハポケモン。

 その呼び名に恥じぬ動きしたのが嬉しかったのか、シロナに向けて得意げな笑みを向けてきた。まだ心臓がばくばくと鳴っていたが、家族に助けられたとようやく実感できて、泣きそうになる。自分の情けなさに対する怒りも、混ざっていた。

 

「ごめんね。ありがとう、ガブリアス」

 

 爆発音がした。

 シロナは生暖かい感触に包まれる。妙な臭いをかぎ取る。

 憶えはあった。

 彼女が小さかった頃だ。まだ進化前の、フカマルだったそのポケモンが、何かのはずみで指の一本浅く切ってしまったことがあった。その頃から応急処置について熱心に学んでいたシロナは、すぐに手当てをした。その時わずかにかいだ、血の臭いが充満した。

 

「ガブリアス?」

 

 目の前の視界が開けている。抱きしめられているのだから、相手の顔で前が見えないはずだった。

 大きく、呼吸をする。それでも力が抜けて、その場に座り込んだ。

 ガブリアスの体から、赤い虫が出てくる。それもまた、ほとんど欠損していた。自分の身を爆発させたことで満足したのか、全ての個体が息絶える。

 落ち着いて。

 シロナは自分に言い聞かせる。

 こういう時は、どうするんだっけ。

 まだ働こうとしない頭で、次の行動を決める。シロナは懐からモンスターボールを取り出した。開いた口をガブリアスに向けながら、操作をする。

 すぐに、持っていけばいいのだ。彼女は自分の考えに自信があった。もはや正常ではない精神状態で、ポケモンセンターのことを思い浮かべる。きっと、治してくれるはずだ。

 何も起きない。

 何度ボールを動かしても、体を戻っていかなかった。既に三分の二ほどが欠損しているガブリアスは静かに転がっていた。おびただしい量の血が、シロナの膝を濡らしていく。

 悲鳴が上がる。

 杏は、出会ったばかりの年下の女性は、別にガブリアスの方を見ているわけではなかった。その瞳はすぐに虚ろになっていく。何も映さなくなっていく。

 

「なんや、結局星人やんけ」

 

 彼女の胸を潰したルカリオは、口の端から涎をこぼした。そして、鳴き声を上げる。それは、今まで一度も聞いたことがないようなものだった。明らかに異常な吠え方をして、はどうを操る頼れるポケモンが動き出した。

 やめて、と思った。シロナは周りの音が全て遠くなっていくのを感じていた。

 男たちが、何度も道具を使う。

 ぎょーん、と駆動音が重なっていく。

 

「速いぞ」

「これじゃ当たらん、あれ使えあれ」

「何点?」

「……出た。五十五。まあまあや」

「欲しいなあ。ちょうど一回クリアーできそうやねん」

「知るか、早い者勝ちや。にしたって今回は小粒やな。ボスでこれかいな」

 

 耳に、衝撃を感じる。

 シロナは気が付くと、自分が塀に叩き付けられているのがわかった。呼吸が止まる、涙が出てくる。そして、片耳がもぎ取られていることに気がついた。

 からん、と付けていたピアスが落ちて、砕ける。かなり思い出のある品だった。売ってはいない。シロナが個人で店に頼んで作ってもらったものだ。ルカリオの耳を模したもの。これで彼とお揃いになると、喜んでいた記憶がよみがえってきた。

 ルカリオは唸っていた。シロナの耳を横に投げ捨てながら、笑う。

 どこか様子が違っていた。彼の目は焦点が合っておらず、耳穴から細長い触手が飛び出している。だらりと垂れ下がった舌は変色していて、そこから小さな目が生えていた。

 博士の。

 シロナは血の感触を頬で感じる。

 博士の教えが、今こそ役立つ。

 思考を止めてはならない。諦めてはいけない。

 あらゆる物事に対して、受容、整理、分析の順で臨むこと。

 受容。

 ある寒い冬の日。遭難しかけたことがあった。その時シロナはまだ子供だったから、同じくらい未熟なポケモン達と何とかして助け合うしかなかった。

 木の実を、フカマルと分け合った。その時の思い出は、ガブリアスとなった今でも大切にしてくれていた。定期的に、彼女とシロナは同じ木の実を分け合って、時間をかけながら食べていた。

 受容。

 殺している。

 殺した。

 ルカリオが、人を殺した。

 知り合ったばかりの女性は、目を開いたまま息絶えていた。ルカリオの容赦のない拳は、臓器を完全に破壊していた。

 受容。

 ガブリアスの頭がない。どうして?

 目を覚ましてくれない。ボールに、戻ってくれない。自分は、嫌われたのだろうか。パートナーとして、認めてくれなくなったのだろうか。

 受容。

 子供みたいで恥ずかしいと、考えていた。

 まるで子供だ。突拍子もない悪夢に情けなく参っている。段々と呆れてきていた。こんなことが、あるはずがない。夢に決まっている。さっさと目覚めればいいのに。シロナは、自分の寝坊癖が再発したのかと危惧した。いつまで妄想を真面目にとらえているのか、情けなく思った。

 受容。

 目の前のポケモンだったものが止まる。足が震え始める。

 

「わう…くううん、うう…」

 

 ルカリオは、自身の手を何度も殴りつけていた。血が出ても、繰り返していた。やめてほしい、とシロナは強烈に思った。そんなに苦しそうに泣いていたら、こっちも悲しくなってきてしまう。

 胸に熱いものが込み上げてきた。

 

「ルカリオ」

「くううん、くうううん……」

「ルカリオ、頑張って! お願い、戻ってきて。正気にもどって…」

 

 彼女は、我慢ならなくなって、抱き着こうとした。その肌に直接触れて、力を分けてあげたかった。とにかくそれだけを考えていた。

 首が、落ちる。

 男達が悔しそうに声を漏らした。

 

「おいおい、結局岡に美味しい所もってかれたやん」

 

 ルカリオの切断された頭に向かって、バツ印の道具が使用された。

 肉の弾ける音がする。

 シロナは下を向いて、吐いていた。涙も一緒に流れていった。同時に、体の全ての機能が溶けて、地面に沈んでいくようだった。

 

「画像と、全然ちゃうな。しょうもな」

 

 目だけを上げて、確認する。

 ばちばちと音を出しながら、男が出現するところだった。

 細目の男だ。癖のある髪の毛をそのままにさせていて、日焼けしたような肌は眼光の鋭さを少しも和らげてはいなかった。血に濡れている黒い剣をしまうと、シロナを一瞥する。

 そして踵を返し、通りの奥へと歩いていった。

 オカ、と呼ばれていた男が見えなくなるまで、彼女は顔を上げ続けることができなかった。目の前が歪んでいく。体全体が、押し潰されるようだった。

 放心しているせいで、自身に起きている異常にも驚かなかった。両足は、既に消えている。その消失はどんどん上へと侵食してきて、やがて視界が移り変わっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シロナは壁に寄りかかりながら、膝に顔をうずめていた。

 前にも聞いた、抑揚のない音声が響いている。何やら色々な内容を含んでいるようだったが、何も頭に入ってこなかった。

 

「おいガンツ、どないなっとるんや」

 

 オカという男が、黒い球体を蹴っている。それに対して他の者達がからかいを浴びせているが、まるで遠い世界のように感じた。特典、という言葉がルカリオを殺した男の口から発せられる。その意味も、わかろうとしなかった。

 さらに事態は進行していく。

 さいてん、というものが始まったらしい。シロナは耳を塞いだ。強く両手を顔の側面へと押し込んだ。それでも、耳障りな音声は入り込んでくる。完全に遮断することはできない。

 

「姉ちゃん、筋良いな。三十点ゲット」

 

 黒スーツを着ている者達しか、生き残っていなかった。前よりも随分と部屋の中は広くなっている。

 どうやら、終わったようだった。男達は続々と扉の外に出ていく。ジョージが話しかけようとしてきたが、途中で止めていた。つまらなそうにシロナを見降ろしてから、短髪の男と談笑しながら出ていく。

 最後に残ったのは、バイクに乗っていた若い男だった。シロナを数秒眺めてから、足を動かし始める。

 

「はあ? わけわからん!」

 

 サングラスの一人が、憤慨したように戻ってきた。

 若い男が怪訝そうに尋ねる。

 

「なしたん?」

「玄関、開かへん。まだ俺ら、閉じ込められてる」

 

 陽気な音楽が、鳴った。

 それに悲鳴を上げる余裕もない。シロナはひたすら床に視線を落として、夢が覚めるのを待っていた。サザナミの海岸の音がやってくるのを待っていた。

 黒スーツ達が全員戻ってくる。彼らのほとんども、あまり状況を理解していないようだ。

 

「嘘やろ。連続か」

「今まであった?」

「いや。おい岡、こんなパターンもあんのか?」

 

 ジョージに訊かれると、癖毛頭の男は肩をすくめた。

 

「さあ、知らん」

 

 再び、球体から声が流れていく。

 シロナはさらに聴覚から逃げた。前にいた、今はもう死んでいる者達のように、情けなく怯えることはしない。だが、彼女はそれ以上の逃避をしているかもしれなかった。あらゆる感覚を拒絶したがっていた。

 音声が耳を通り、何も残さず流れ落ちていく。

 そのはずだった。

 

『この方をヤッつけに行ってくだちい。

 

 ぽけもん

 

 世界が、ばらばらになっていく。

 ひどい頭痛が彼女をぎりぎり正気にとどまらせていた。

 

「今度は五体か。……ん?」

 

 シロナは、顔を上げる。

 そして前を見た。

 



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ぽけもん
4.シロナ 対 大阪チーム


 胸を押さえる。

 心臓が、荒く体内で暴れ回っていた。

 それ以上に、頭で音が鳴り響いている。どくどくと血が駆け巡っている。

 なぜか、耳の痛みがなくなっていた。触ってみると、元に戻っている。再生されている。だが、ピアスはなかった。もうどこにもないのだと理解した。

 

「ちょっと待て。まだ項目がある」

「五体やなくて、七体やん。統一性のない見た目やなあ」

 

 自分が今、まともに息をしていることが不思議だった。

 認識が、足りていなかったのか。シロナには判断がつかない。楽観視をしていたわけではなかったのだ。油断はしていないはずだった。だから、より良い方法を選んだ。一番戦闘に向いている彼と彼女に頼った。

 だが、結局何もかもが甘かったのだと、認識した。

 ジョージが球体に表示されている項目の最後の方を指差した。

 

「バッテンされとる。この二体は、倒さなくてもいいみたいやで。ん?」

 

 何かに気がついたかのように、シロナへと顔を向けてくる。それから、周りの者達も同じように彼女へと注目してきた。

 短髪の男が目を細めた。

 

「こいつら、見たことあるな。ルカリオと、ガブア、ガブリアス? この女が使ってたペットやんけ」

 

 煙草を吸い始めた半裸の男が、ゆっくりと煙を吐き出した。

 

「じゃあ、もう死んでるやん。しっかり見たで」

「お願い!」

 

 震える声で、叫んだ。

 それは男達へ向けた懇願ではない。シロナは七つのボールをきつく抱え直した。そのうちに二つは既に空っぽになっているが、関係がない。全てを守るように、身を固めた。

 黒い球体に向けて、はっきりと言う。

 

「わた、私を一番最初に転送して! 早く!」

「あ」

「おい、こいつ」

「なあ、どうするんや?」

 

 サングラスを掛けている中で、一番髪が短い男が道具を構えた。

 

「いや、そらやるやろ。点取らな。何かする前に…」

 

 最後まで、聞き取ることができなかった。

 既に目の前が開けている。徐々に下半身も形作られてきている。足の先まで出現したのを確認すると、立ち上がろうとした。だが、無理だった。力が入らない。逃げなければいけないということはわかっているのに、どうしても体は動いてくれなかった。

 膝をついていると、続々と他の者達も転送されてくる。

 周りは、また住宅街のようだった。ただ前と場所は違っているようだ。少しだけ、道が綺麗になっている。

 シロナは、ここへきて頼みごとをするような愚は犯さなかった。既にほとんど、黒スーツ達の性質は理解している。対象が決まったら、遊び感覚で殺しに行くのだ。どうなるかは、目に見えていた。だから、説得は無意味だ。

 無意識のうちに、ボールを一つ手に取っていた。投げようとして、ずきずきと胸が痛む。

 また、繰り返すのか。

 シロナは自分の指が固まって、開かないことに気がついた。振ろうとした腕が、氷漬けになったかのように停止している。

 彼らを戦いの場に出して、また犠牲にするのか。そうして家族が残らずいなくなるまで、続けなければいけないのだろうか。自分でも何かが矛盾しているのはわかっていた。何かが決定的に変わってしまったのが実感できた。なぜなら、今までは当たり前のように。

 駆動音。

 

「え、いや」

 

 筒を構えているサングラスの短髪は、見られていることに気が付いて少し照れくさそうにしていた。

 

「勘やけどな。そのボールごと、やればええんとちゃうか?」

 

 ばちん、と弾ける音がする。

 

「あぐっ」

 

 シロナは前に倒れ込んだ。転がる自分の指が、目の前にあった。頬に、血が付いていく。指を数本根元から破壊された彼女は、その痛みで一瞬動くことができなくなった。何とかして守らなければならないのに、自分から失われていく血液のことで頭が一杯になった。

 

「こいつやってどうする」

「うーんと、あれ。拷問みたいな? 星人の場所とか、知ってるやろ」

 

 シロナの片手が粉砕された衝撃で、一つのボールが宙を飛んでいた。それにも直撃したはずなのに、少しも傷はついていない。小さく弧を描いてから、静かに地面へと到達した。

 ボールの口が開き、光が出る。そして一瞬のうちに、白い鳥のような生物が現れた。

 

「お、こいつもや。早速出てきたな」

 

 トゲキッスの動きは速かった。普段はどこかぼうっとしていることもある子なのに、この時ばかりは全力で翼から浮力を発生させていた。男達の足元を飛び、シロナの体を拾い上げる。そしてそのまま、高度を大きく上げた。

 黒スーツ達は、次々と同じく黒い道具を光らせた。だが、その口が狙っている方向から常にトゲキッスは外れている。

 

「逃がすな!」

「きゅいきゅい~~~!」

 

 明らかに怒りの混ざっている鳴き声をあげ、トゲキッスは足元に光を生み出し始めた。やがてそれは雷へと変わっていく。ある程度の大きさまで作り上げると、思いっきり一つの対象へ向けて撃ち込んだ。

 若い男は、目を見開く。驚いていても反応はまずまずだった。すぐに横へと飛び、円のバイクから離脱していく。その男自体は無傷のままだったが、でんげきはが直撃したバイクは違った。煙を上げて、横に倒れていく。

 

「トゲ、キッス…」

 

 シロナは辛うじて声を出すと、完全に慌てふためているつぶらな瞳が向いてきた。救ってくれた動きは素晴らしかったものの、酷く動転しているようだ。うるうると涙をこぼし始めた。

 

「きゅい…」

 

 浮きながら、両の翼を合わせる。するとその頭上に光っている雫が出現した。ぽたりと垂れていき、シロナの欠損した手に落ちる。すると、今まで焼けるようだった痛みがあっという間に引いていった。いのちのしずくに覆われた傷口はほとんど塞がれている。血も止まった。

 トゲキッスはとにかくこの場からできるだけ遠くへと離れることに意識を向けているようだった。途中光っている縄のようなものが飛んできても、相手へ反撃をしようとはせず、ひたすら距離を稼ぐことに終始する。その背中に顔をうずめながら、再び泣いていた。自分の不甲斐なさがとことん嫌になっていた。

 男達が見えなくなってきた所で、何か見落としていることがあるのを感じた。

 その答えは、すぐにやってくる。

 シロナは息を呑んだ。突然、頭の方から電子音が鳴り響き始めたのだ。それはトゲキッスにも聞こえているようで、ぎょっと首を曲げて様子を伺ってくる。

 あのジョージという、色黒の坊主男が言っていた。黒い球体は、範囲を決めているのだという。いわば、戦場を。そこから出ればどうなるか。シロナも既にこの目で見ていた。

 

「止まって!」

 

 空中で急停止した後、ひとまず屋根に降り立った。まだまともに歩けない気もするが、少し休むだけの猶予はあるだろう。

 しかし、今の精神状態はまともではなかった。ずっと、心臓が痛い。味わったことのないほどの緊張が、少しの間彼女との頭を真っ白にさせていた。

 徐々に、どれだけ追い詰められているのかを理解する。

 あれの対象になったことで、自分の家族は狙われる。そして完全に逃げ切ることはできない。この住宅街の中に、閉じ込められているのだ。戦うしかないのか。だが、シロナ自身は無力だ。あんな武器を持っている者達には抗しえない。

 だから、頼るしかなかった。それで本当に良いのか、もうシロナはわからなくなっている。トゲキッスが翼を慰めるようにして擦り寄せてくれるが、あまり楽にはならなかった。

 

「まあ、落ち着けや」

 

 ぞっとする。いつの間にか、自分の首に黒い腕が回されていた。手を動かそうとするが、できない。震えるばかりだった。既に色々なことがありすぎて、シロナは状況に取り残されている。恐怖で、全身が固まっていた。

 

「おっとと。飼い主がどうなっても知らへんぞ?」

 

 癖毛の男は、剣をトゲキッスに向けた後、その先を一瞬だけシロナの首筋に当てた。その鋭利な金属の感触だけで、彼女は抵抗する気を失くしていた。

 さきほどまで、周りには誰もいないはずだった。それはシロナの思い込みだったということだろう。この男は、姿を消せる。だから接近するまで気づくことができなかった。

 

「そう怯えるなや。安心しろ」

 

 相手は体を離す。シロナは素早く身をひるがえすと、トゲキッスのそばに寄った。もしまたあの道具が使われたら、今度は躊躇いなく庇うつもりだった。これ以上、家族が目の前で死んでいくことは決して容認できない。

 

岡八郎(おかはちろう)

「…え?」

「俺の名前。そっちは? 時間がない」

 

 彼女は、少しだけ口を開けた。

 

「…シロナ」

「そうか。よろしくな。とりあえず、話があるんや。まず言っておくと、俺は今回どうこうするつもりはない。棄権みたいなもんや。お前のペットは狙わん」

「な、何なの…」

 

 忍耐が限界まで来ていた。シロナは両の拳を握りしめる。いっそ憎しみさえ抱きかけている相手へと、叫んだ。

 

「貴方達は、何なの? 何をしているの? どうして、こんなことに…。わけが、わからない。異常だわ!」

「落ち着けって」

 

 岡は欠伸をする。

 

「私は…」

「俺からしたら、お前の方が異常や。訊きたいことはたくさんある。けど、まずは聞け。お前の疑問に答えたる」

 

 トゲキッスの視線を、平然と受け止めている。彼の様子をちらりと確認したあと、岡は話を続けた。

 

「一種の、ゲームみたいなもんや。定期的に集められて、敵と戦わせられる」

「げーむ?」

「最後まで聞け言うとるやろ。俺達に共通しているのは、一回死んでるってことや。そういう事情を持った奴らだけが、あの玉に呼び寄せられる」

 

 また疑問を口に出そうとして、直前で思いとどまった。相手が、辛抱強いとは限らない。シロナには命を失った覚えなど少しもなかったが、今はそれが本題ではない。

 

「大体、命がけやな。今度死んだら、終わりや。ほとんど望みはない。逃げられないのも、わかっとるやろ? 外にばらそうとしたら頭が爆発するしな」

 

 ずきりと胸が痛む。空っぽのモンスタボールがやけに重く感じる。

 

「誰が、こんなことを…」

「知らん。色々と説はある。今話してもしゃあない」

 

 屋根の上に、腰かける。剣の柄の部分を指先で押した。すると、刃が一気に引っ込んでいく。柄だけになったそれは、岡の手の中に収納された。

 

「重要なのは、今回の決着をどうつけるか。わかるか?」

 

 シロナはまだ立っていた。一緒に座るほど、相手に気を許したわけではない。ひとまずは危害を加えてこないとわかったが、油断はもちろんできなかった。

 

「わからない」

「戦いには、いくつかルールがある。まず、星人、敵やな。それを全滅させるのが目的や。そして、制限時間が設定されている」

 

 岡はやや早口になった。

 

「一時間半。それを過ぎたら、強制的に終了する」

「どう、なるの」

「全員死ぬ」

 

 口を呆然と開けると、岡がにやりとしたのがわかった。

 

「うそ…」

「ご名答。嘘や。そんなことにはならん。別のペナルティがある。全員の点数がゼロになるってだけや」

 

 シロナは憮然とした態度をとった。こんな状況になってまで冗談を言うなんて、一体この男の精神構造はどうなっているのだろう。まともではないのは確かだった。危機感を強める。やはり、この男も他の黒スーツと同じくらい危険なのかもしれない。

 だが同時に、理解をした。

 

「つまり、それまで持ちこたえれば…」

「正解や。こっちにも一応事情があってな。信じなくてもええ。今回のゲームは失敗させたい。協力してくれ」

「…わかった」

 

 シロナは、気持ちを切り替える。いつまでも現実から逃げるわけにはいかなかった。もちろんまだ希望が見えてはいなかったが、とにかく今の状況を乗り越えることに専念しようとする。トゲキッスもまた、気合を入れるかのように少しだけ鳴いた。

 彼へ向かって、ボールをかざす。

 

「待て待て」

 

 岡が立ち上がった。

 

「なに?」

「その中に戻すんやろ? やめた方がええ」

「貴方に、何がわかるの?」

「お前よりは、今差し迫っている危険を理解してる」

 

 屈伸をして、再び剣を展開させた。

 

「そろそろ移動するで。その鳥に乗って移動した方がええやろ」

「貴方は乗せない」

「いらん。自分で移動できる」

 

 まだ、シロナは相手の考えがよくわかっていなかった。彼の意見にも、同意できる部分があまりない。

 

「この子は目立つの。とりあえず戻して、どこか隠れる場所を見つけないと」

「やっぱり、まだわかっとらんな」

 

 人の気配が、した。

 すぐに屋根から見下ろすと、通りの奥から黒い集団が走ってきているのが分かる。かなりの速度だった。トゲキッスの飛行でかなり引き離したと思っていたのに、もう追いついてきた。それに、さらにあり得ないことも起きていた。

 

「なんで…」

 

 いくらなんでも早すぎだ。彼らは、入り組んだこの住宅街を真っすぐ走っている。はっきりとシロナ達がいる位置を補足しているようだった。

 岡が隣に立つ。

 

「お前のペットの位置は、レーダーでわかるんや。俺達はそうして星人を探す。いくらこれだと思う場所に隠れても、無駄やで」

「じゃあ、どうすれば」

 

 一時間半という期限は、とてつもなく長く感じる。普段ポケモン達と休んでいる時はあっという間だが、今のような常に緊張を強いられる状況下では、永遠にも等しい。位置が常に知られているのなら、そのうち先回りされる可能性もあった。さらに、トゲキッスの体力も無限ではない。このままではやがて捕まるのがわかりきっていた。

 

「簡単なことや」

 

 トゲキッスに向かって、剣の柄の方をぞんざいに向ける。

 

「道具は、有効活用しいや。あと四匹持っとるんやろ? まあまあ時間が稼げるんとちゃうん?」

「何を、言ってるの?」

「見てたで。死んだ二匹も強かったやないか。あれは星人がたち悪かったな。普通は余裕で勝ってた。この鳥も、その他も同じくらいは使えるんやろ?」

 

 出てくる言葉が、信じられなかった。この男は褒めている。ルカリオを殺しているというのに、当たり前のように言っていた。だがそれに憤慨している時間などないことはわかりきっている。

 シロナは首を振った。

 

「意味がない。狙われてるのは、この子達よ。守らないと」

「よう言うわ。わかってんのか? 守られるのは、お前の方や。奴らは容赦しない。飼い主の方を先に狙うなんて定石やろ。な、お前もそう思うよな?」 

 

 言われたトゲキッスは翼をはためかせてから、しっかりとシロナを見てきた。それに対して、今は真っすぐ答えられない。シロナは、自分がポケモン達に命令できる立場にあるのか、自信がなくなっていた。ルカリオもガブリアスも、自分を守るために犠牲になった。これ以上繰り返したくないと思うのは当然だ。

 だが、目の前のポケモンは反対の意思を持っているようだった。きゅ、と短く声を発してくる。人間の言葉ではなくても、しっかり伝わってきた。まかせて、と瞳を輝かせながら言っている。シロナを守りたいのだと示してくる。

 黒スーツ達が、真下まで来る。何やら叫んでいる。このまま降りてこないつもりなら、建物ごと潰すつもりらしい。

 シロナは、一瞬だけ躊躇った。歯を食いしばり、今自分がどうするべきなのかを再考した。そして、抱えていたものを前に出す。震えていたが、腕は固まっていなかった。これで正しいのかと何度も疑問がわいてきたが、落ちていくボール達はもう止まらない。

 現れた家族達に、彼女は少し気圧された。

 彼らの色々な面を知っている。もちろん喧嘩をしたこともあった。家族同然の付き合いがあっても、それぞれが見せる激情には未だかつてないほどの迫力を感じた。

 ポケモン達はシロナを一瞥した後、背中を向けた。下に集まってきている者達を鋭く睨みつけている。そこには間違いなく敵意があった。シロナを脅かす存在は容赦しないと、はっきり示している。

 真ん中にいるロズレイドが、トゲキッスに向けて花を揺らした。左手にある青い花の方だ。途端、トゲキッスは少し冷や汗を流しながら、何度も首を縦に振った。そして彼はシロナに近づくと、背中に乗るよう身振りをしてきた。

 

「…時間を、稼ぐだけでいいの。危なくなったら、すぐに逃げて」

 

 彼女がトゲキッスに乗せられて飛び立つと同時に、他のポケモン達が屋根から飛び降りた。

 

「お、まとめてきたやん。一気にやれば大量得点」

 

 短髪の男が、筒が細長い形になっている道具を取り出した。そして、彼にとって一番近くにいるトリトドンへと狙いをつける。

 

「おんみょーん!」

 

 いつもの悪戯っぽい顔を崩し、冷たい怒りの表情を作りながら、ミカルゲが叫んだ。その紫色の煙のような体を揺らし、予兆に入る。

 横のポケモン達は、めんどくさそうに伏せた。

 直後、ミカルゲの体から黒い波動が発生する。瞬きする間もないほどの速度で、前方の全員に炸裂した。

 黒スーツ達が一人残らず、あくのはどうによって吹き飛ばされたのを確認したシロナは、そこで視線を切った。後ろ髪を引かれる思いはまだ消えず、何度も振り返ろうとした。だが、それは侮辱にもなるかもしれない。今は彼らを信じるしかなかった。

 ずっと一緒に歩んできたパートナ―達を。

 

 



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5.岡八郎

「思った通りや」

 

 下から、声が聞こえてくる。

 トゲキッスに運ばれながら、シロナはのぞき込んだ。

 まだ、慣れていない。彼の飛行速度は速い方でもないのだが、それでもかなりの風を感じるくらいはある。家々が、どんどん通り過ぎていく。

 だが、岡はついてきていた。屋根の間を飛び移りながら、走り続けている。同じ人間とは思えなかった。前へと進む勢いも、跳躍力も、常識を優に超えている。もしかすれば、見た目が似通っているだけで、本当はまるで別の種族なのかもしれない。ここは、ポケモンが存在しないの世界なのだ。どんなこともありえる。

 同時に、残された残りのポケモン達を心配する。他のスーツ達も同じなら、どうなるかわからない。最悪の事態になるかもしれない。

 

「おい、聞いてるか?」

 

 思考に沈んでいたせいで、岡が話しかけてきていることにも遅れて気がついた。

 

「何?」

「そろそろ、降りてもらうで。これくらい距離を取れば、十分やからな」

「どうして? もっと離れた方が…」

「目的地がある。そこはもう近い。歩きでもいける」

 

 屋根に再び降りたシロナは、腕を組んで、相手に怪訝そうな視線を向けた。

 

「だったら、尚更このまま飛んでいった方がいい」

「お前、アホちゃうか?」

 

 むっとする。先ほどからこの男の言葉は耳に余るというか、無視できないほどの棘が含まれている感じがする。

 

「どういうこと」

「その鳥と最後まで一緒にいたら、意味ないやろが。ここで別れろ。なるべくそいつには反対側まで飛んで行ってもらいたいな。そうすれば、お前の位置がバレずらくなる。ちょっと考えれば、わかることや」

 

 確かに、トゲキッスの位置も把握されている。シロナは納得しかけたが、相手の言葉がつまり彼を囮にすることを意味していると知って、渋い顔になった。

 

「きゅい!」

 

 しかし、肝心のトゲキッスは大きく頷いていた。少しも迷ってはいない。その意思に深く心を動かされたシロナは、彼を抱きしめた。

 結局自分は、彼らに頼るしかない。

 

「ごめんね。無理はしないで」

 

 決意のこもったまなざしを向けてきた後、トゲキッスは飛び立った。誰かを乗せていないせいか、その速度は増している。数秒もすると、建物の間に消えていった。

 

「行くで」

 

 自分の体が、思いっきり横にされて、持ち上げられるのが分かった。彼女は息を呑む。ほぼ無理矢理、岡によって抱え上げられていた。はたから見れば、それなりに思う所のある形になる。

 

「な、なにするの?」

 

 お姫様抱っこをしている岡は、平然と答えてきた。

 

「効率的やからな。お前、二回目になってもスーツ着てないんやろ。前代未聞や。それで生き残れてる。もっと掴まれ。落とされるぞ」

 

 自分の人生の中で初めての経験をしているが、その実感を得る余裕は残されていなかった。岡が走り出すと、トゲキッスに乗せられていた時以上の風を感じた。シロナは悲鳴を上げかけたが、岡の表情が少しも動いていないのを見て、負けず嫌いが発動した。

 

「ちょっと」

「あん?」

「前、言ってたこと。事情って、なに? どうして、私を助けてくれるの?」

 

 岡は少し沈黙した。それから、顎を前に動かす。

 

「詳しい話は、着いてからや。お前も現物を見ながら色々聞いた方がええ。ガンツの奴、今回は適当こいたな。近くに転送した」

 

 彼が示す先を見てみると、一見普通のマンションが建っていた。他に何かおかしなところがないかと目を凝らしたが、異常は発見できない。

 前に着くと、岡は適当に上を見ていた。到着したのだから下ろしてほしいと彼女は思っていたが、まだ何かする気のようだ。

 そして彼が急に飛び上がった瞬間、短い悲鳴を上げていた。かなりの浮遊感が全身に伝わってきている。岡はベランダの柵に足を掛けながら、次々と階を外から上がっていた。

 シロナは、早くこのよくわからないアトラクションが終わってくるように、祈り始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

  ◆

 

 

 起き上がってもまだ煙草を咥えているのを見て、少し呆れた。

 

「一本くれや」

「二千円」

「アホぬかせ」

「適正価格や」

「ハッパの方の基準で決めるな」

 

 結局、相手は何もくれなかった。

 別にええ、とジョージは前を向いた。

 立ち上がっているのは、彼も含めて四人。

 その内の、室谷(むろや)がめんどくさそうに対応していた。その女である中山美保(なかやまみほ)が、引っ張ってもらおうとしている。

 

「無理やてー」

「じゃあ、座ってろ。邪魔や」

 

 一応、この集団のリーダー的立ち位置にいる室谷が、ジョージの横に並んで歩き始める。先ほどからずっと煙草を吸っている半裸の男も進んでいく。皆からも黒飴からも、ド変態としか思われていない。

 さらに、バイクを破壊された(きょう)も武器を構えながら向かい始めた。

 残りは、まだ足が動かないようだった。

 ジョージは前方にいる妙な存在を注視する。

 あの紫が何かを発したと思ったら、飛ばされていた。幸いスーツが衝撃以外の全てを吸収してくれたようだったが、どうやらそれはジョージのような一部の者達だけらしい。中山と山田(やまだ)、それにドSの三人組は立ち上がれてすらいない。

 

「キョウ、何点や?」

 

 短髪の男、室谷が尋ねると、無言で若い男が小さな検査機を動かし始めた。そのグリップの底から伸びる管が、もう片方の手に乗せられている小型パソコンにつながっている。それなりに役立つクリア特典だった。事前に星人の得点がわかれば、やりがいも生まれる。

 京はすぐに答えてきた。

 

「だいたい六十五から七十の間」

「全部か?」

「せや」

「ほお」

 

 ジョージも少し感心した。一体だけならわかる。ボスなら、ありえる数字だ。今まで戦ってきた中でもそこそこ強い方の奴らが、四体も並んでいることになる。二つ落とせば、一回クリアだ。これはアツい、と心が浮き立ってきた。

 一体一体を、観察していく。奴らは追撃をしてこない。やけに落ち着いていた。いつもならどんどんこちらを殺そうとしてくるはずだが、一種の余裕がある。

 いや、と少し自らの考えを訂正した。落ち着いているとは言えないようだ。全員、明らかに憤りを表している。その威圧が実際に伝わってくる。

 彼の目が、真ん中に立っている個体に吸い寄せられた。

 今までに見たことないタイプの星人だ。数回前に植物に擬態する奴がいたような気もするが、それとはまた違った趣がある。

 

島木(しまき)さん」

 

 左右の手の部分にある色の違う花。知識の中にあるものをあてはめようとしたが、どれも違う感じがした。新種の植物なのだろうか。わずかに香ってきている甘い匂いもまた、今まで嗅いだことのないものだった。

 

「島木のダンナ。おい」

 

 それに。ジョージはさらに目を凝らす。足元を見ても、根が飛び出している様子はない。ならばどうやってそれは、栄養を吸収しているのだろう。光合成のみで生きていけるとは思えない。腕の菊の部分には、わずかに切られた跡がある。しっかりと剪定(せんてい)がされているということだ。後で飼い主を捕まえたら、質問してみようと考えた。

 

「じゃあダンナは、一番低い奴でええな」

「ちょい待ちい」

 

 我に返った彼は、隣の半裸の方を向いた。桑原(くわばら)は呆れたように一瞥してくる。

 

「何ぼうっとしてんねん」

「やかましいわ。俺は、そうやな。あれでええわ」

 

 真ん中の植物星人を指差す。

 桑原は、鼻で笑った。

 

「堅実やな。一番弱そうやんけ。ま、ゆずったる」

「お前は?」

 

 既に室谷と京は先に行っていた。彼らは、左端の二匹に狙いを定めていた。そこから目を離すと、半裸の桑原が何やら妙な顔をしていることに気が付く。

 

「なあ…」

 

 その視線は、右端の個体に吸い寄せられていた。ジョージも見る。

 蛇、と言えなくもない見た目をしていた。ただ違うのは、色がかなり柔らかい印象を与えてくるということ。ベージュの胴体から上の顔もまた、優しげだった。

 

「あれ、どこに穴があるんかな」

 

 島木ことジョージは、内心引いていた。

 桑原の目の色は、何度か見覚えのある雰囲気になっている。端的に言えば、彼はある依存症に陥っているのだ。だから、それを解消するためにはたとえ星人であっても躊躇わない傾向にある。ド変態の所以(ゆえん)である。

 

「お前まじか…」

「いや、ちょっとだけや。ちょっと興味あるだけ。気にならん?」

 

 確かにその星人は美しいとも言えたが、あくまでそれは動物として考えた場合の話だ。ジョージは、少しもあれに対して性的魅力を感じない。もちろん世の中にはそういう趣向の持ち主もいると理解していたが、この桑原に関しては雑食が過ぎると思っていた。

 ジョージは標的に視線を定めた。

 

「じゃ、決まりで。残りの鳥仕留めるのは、一番早く終わらせた奴だけな」

「ええな。ダンナよりはタイム縮められるわ」

「ぬかせ」

 

 攻撃は、全員が同時に仕掛けた。

 普通のと、ライフル型のガンが一斉に光る。正直もっと強いものを使えば一瞬で終わるのだが、余興は大事だと考えていた。それに自分が相手する植物は、かなり体が小さい。Xガンでも十分だと考えていた。

 だが、外れる。狙い自体は完璧だった。ただ相手が避けただけの話だ。

 

「速いぞ!」

 

 植物は既に横の壁に到達している。白い頭の房を揺らしながら、撃ってきたジョージを睨んでいる。それに、邪悪な笑みを返した。生意気だと、ジョージは思考を切り替える。

 他の個体もまた、避けているようだ。紫の煙は宙に浮かんでいて、京の銃口から逃れている。また、桑原が狙っている蛇も地面を素早く這いながら移動していた。

 予想通りではある。点数を見た時から、侮りはしていなかった。

 だが、逃げきれなかった個体もいるようだ。

 

「よおし」

 

 室谷が笑いながらジョージ達に目配せする。このままだと、白い鳥をもらう権利は自分が勝ち得てしまうと言いたげだ。

 それは、ウミウシともナメクジとも言えるような見た目をしていた。

 

「ぽ?」

 

 不思議そうな鳴き声を上げてから、その体の一部が破裂する。下の方の青い部分が飛び散り、三つの目が大きく開かれた。

 

「ぽわ~~~~!」

 

 ぐちょぐちょと結んで、ウミウシじみた個体は蠢く。急に緑色の光が発生したかと思えば、欠けた部分を覆った。見る見るうちに再生されていく。室谷のXガンによってつけられた傷は、消失した。 

 

「ああ?」

 

 室谷は目の端を吊り上げて、連射していく。ウミウシはそれなりの速度で避けようとしたが、悉くを食らっていた。だが、意味がない。内部から破裂していった部分が、即座に治ってしまう。

 

「この…」

「ぽわっ!」

 

 急に口らしき部分が開き、そこから水が吐き出された。かなりの勢いだったが、室谷は反応できている。武器を持ち変えながら横へと転がった。そして、ライフル型のXガンを撃ち込む。

 

「ぽぽぽ?」

 

 さきほどよりも大きな欠損をしたが、相手は平気そうだった。またあの緑光が輝き、一瞬で完治する。

 ジョージは、ほくそ笑んだ。どうやら室谷が一番の外れを引いた。たまにいるしぶといタイプの星人だ。時間を稼いでくれるのなら、ありがたいと思った。これで一人、百点争いから脱落したわけだ。

 植物の方は、かなり俊敏だった。こちらが使う武器の性質を即座に理解したらしく、常に動き回りながら近づいてきている。Xガンは、着弾までに多少のタイムラグがあるのが欠点だ。こういう敵には、あまり効果を発揮しない。

 ならば、と腰に手を伸ばす。相手も望んでいるようだし、接近戦に入ろう。黒い柄を取り出して、ボタンを押した。瞬時に刃が伸びて、刀が出来上がる。ジョージはこれの扱いに自信があった。威力も申し分なく、一番愛用している武器かもしれない。

 向かってきた植物へと、刃を振る。

 一撃目を、かわされた。

 横へ流す前に、迫りくる緑色を視認する。

 その周りには、光で包まれた葉が浮かんでいた。一つ一つが針のような鋭さを持ち、飛ばされてくる。数個が腕に当たって、呆気なく落ちた。残りはジョージによって全て斬り落とされている。

 

「手品やな」

 

 薙ぎ払いを、植物は飛んですかした。舌打ちをする。動きだけなら、あちらの方が上回っている。それなら、器用に戦えばいい。徐々にかわす場所を制限させていき、一太刀で葬る。刀の軌道を工夫する。

 植物は、花をかざした。刃が迫っているのに何を悠長にしているのかと思えば、いきなりそこから弾が放出される。黒い影のようなものがまとわりついており、どこかぞっとする印象を与えてきた。 

 かろうじてそれを避け、ジョージは反撃として突きを入れた。

 

「ちぃっ」

 

 だが相手はもう一段階多く行動している。側面に回られたようだ。顔を向け直す前に、視界を赤い花が覆った。

 とす、と花の中にある棘が頬に触れる。その時、さらに強い香りがしてきた。ぎりぎり気持ち悪くならない程度の甘さだ。バラの亜種かと思っていたが、この匂いは少し違う。さらに胸の方に青い花を当ててきた。だが、別に何ともない。

 腕として伸びている菊の部分を、掴んだ。

 植物はまるで予想していなかったと言わんばかりに、目を驚きの色に染める。

 

「なんやねん、だいたい」

 

 何となく刀の向きを変えて、柄の底の部分で殴る。吹き飛ばされた植物は壁に当たり、それでも素早く受け身を取った。頬の部分を片手で押さえながら、横に血を吐く。ジョージの方を鋭く見上げてきた。

 その生意気な瞳にも、苛々させられる。

 

「気持ち悪い。なんで植物が目を持って、根も張らずに動いてんねん。おかしいやろ。お前の飼い主は頭がおかしいわ。お前みたいなのを飼ってるなんてな」

 

 空中で、京がもがいていた。紫の煙は楽しそうに笑いながら、口を動かす。すると、京の体が一気に横へと飛ばされていった。壁も砕いていき、周りの者達から見えなくなる。

 

「あー、もうええわ」

 

 ウミウシから再び何かが発せられて、室谷の片手に直撃していた。すぐに氷が発生していき、Xガンごと彼の手を固めていく。トリガーを引けなくなったことを理解した彼は、ようやく復活した中山に向かって指示を出した。

 

「遊びは終わりや。さっさとやる。あれ貸せ」

「えー、グロいなあ。あれちょっと、可愛いのに」

「はよしろ」

 

 桑原もまた、自分の武器を変えていた。今まで使っていたXガンは、室谷と同じく凍らされている。どうやら蛇の方もそういう技を使ってくるようだった。

 手にしたのは、クリア特典の武器だ。大小二つの筒の間に持ち手がある奇妙な銃。誰が名付けたのかはわからないが、Zガンと呼ばれていた。

 半裸の変態が、煙草を口から取った。

 

「はあ、もったいな。まあええか」

 

 桑原と室谷が構える。

 ジョージは、体勢を整えた植物に向かって嘲笑をした。

 どうやら自分の挑発がかなり効いているようだ。よほど飼い主のことを言われたのが頭に来たらしい。勝気そうな瞳がさらに鋭く細められ、前傾姿勢に入っている。

 頭の中では、既に時間のことだけしかなかった。さっさとしなければ。他の決着がもうつきそうだ。こちらも急がなければ、まくられる。

 ジョージは刀を構えながら、地面を蹴った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ◆

 

 

 岡は一室の中に入った。

 部屋の中でシロナはようやく座り込む。壁に寄りかかった。あまり安らぐ気持ちになれないのは、トゲキッス達を心配しているからだけはない。

 シロナも、ここは憶えがあった。忘れるはずがなかった。先ほどまで、ほぼ同じ場所に座って、ひたすら重い悲しみから逃げていたからだ。

 目の前にある黒い球体は、左右に展開されていた。そこから、スーツケースが一個だけ残っている。シロナの分だ。今は、それを拾う気にもなれない。

 

「これは、ガンツ」

「名前があるのね」

「正式のものやないけどな。関東の方の奴らが名付けたらしい」

 

 シロナはわかっている。カントーと言っても、自分の知っている地方を指しているのではない。

 

「で? 事情を…」

「そうやな」

 

 岡もまた座った。シロナとしっかりと視線を合わせながら、ガンツから飛び出した棚に両腕をもたれさせる。

 

「こういうことは、もう何回も繰り返されとる。色々考えがあるが、ガンツは俺達に何かやらせたいことがあるらしい」

「星人を、倒すんでしょう?」

「そう」

 

 掌をかざす。

 

「星人を倒すと得点が貰える。百集めるとクリアや。それが基本」

「あの人達は、長いの?」

「あ?」

「だからその、強いのかってこと。こういうことをずっとしてきたのなら、確実に鍛えられていく」

「ああ、心配なんやな」

 

 自分でも、わかりやすいとは思っていた。だがそれでも岡に見透かされると、居心地が悪くなる。少し座り直してから、一応素直に頷いた。

 岡は天井を眺めている。

 

「それなりなのは確かや。まずあの黒人、おったやろ?」

「ええ」

「ジョージって呼ばれとる。本名は島木だったか。あいつは三回クリア。まあまあ冷静な方やな。判断をちゃんとする」

 

 指を折る。

 

「で、短髪のチンピラみたいな奴。室谷信雄(のぶお)。一応、あいつが皆を仕切ってるな。我が強いタイプで、声が大きいから引っ張っていきやすい。四回クリア」

 

 二本目の、人差し指を曲げた。

 

「見たくもない男の乳首を見せつけてる変態が、桑原。桑原和男(かずお)。二回クリア。もうちょいで三回目行くな。あいつはセックス依存症なんや。星人だとしても、発情したら遠慮なくやる。そういう所は、同じ男としては興味深く思ってるわ」

「…」

 

 シロナはさらに座り直した。迂闊に反応を漏らすのは良くないとわかっているが、岡の視線に対して真っすぐ返すことができない。鼻で笑いながら、岡は中指を折った。

 

「バイクに乗ってた奴は、キョウ。花紀(はなき)京。ヤク中や。どうしようもないクズ。二回クリア。あとは、サングラスの三人組か。それぞれ一回はクリアしてるはずやで」

 

 薬指。

 

「貴方は?」

 

 シロナが訊くと、相手は姿勢を正した。どうやらこの質問をされたいがために、長々と前置きをしていたらしい。両手を使って、数字を表した。

 

「俺は前々回で、七回目の百点を取った。つまり、このチームのエースやな」

「そう」

 

 興味はない、という態度をとると岡は無表情になった。片手で、黒い柄を弄び始める。

 

「どうして、私を助けるの?」

 

 シロナにとっては今までの話がこれに対する答えに関係しているとは思っていなかったが、岡は無駄な話をしているわけではないようだった。続く話で、理解をしていく。

 

「統計を、取ってるんや。あくまで自分の感覚やけど。まあ安定はしてへん。上下はする」

「何の、話?」

「星人の強さの話や。俺は、このガンツにはちゃんと意図があると考えとる。つまり極端な無茶はさせてこない。倒せそうな奴らに、倒せそうな星人をあてがっとる。わかるか?」

 

 返事は特に待っていないようだった。

 

「ここしばらく、中核のメンバーは減ってない。それでも傾向としては上昇してる。徐々に、対象の星人が強くなってるんや。ガンツだろうがそれを運営している何かだろうが、絶対に方針は変えない。そろそろ来る頃やと考えてる」

 

 シロナの疑問は、すぐに伝わった。

 

「こんな俺でも、死にかけたことがあった」

「ふうん」

 

 岡は何かを思い出すように、表情を険しくする。

 

「二回目と、六回目のクリアを達成した時。どっちもきつかった。ぎりぎりだった。二回とも、相手をした星人には共通点がある」

 

 態度はどうであれ、頭が回る男ではあるかもしれない。そこにはかすかに知性を感じた。シロナも同業の学者達とよく連絡を取り合うからわかる。同じ系統の話のまとめ方をしている。

 

「どちらも、百点だったってことや」

「つまり、それを倒せば」

「そう。一発でクリアや。けどな、甘くはない。もちろんピンキリはある。それでも苦戦したことには変わりない。どっちの時も、メンバーがごっそりと減った。ま、それは関係ないが」

 

 岡には、仲間意識というものが備わっていないようだった。というより、切り捨てているという方が正しいのかもしれない。話していると、多少なりとも人となりがわかってくる。

 

「そろそろなんや。多分また百点が来る。それもおそらく、えげつない奴が。今度ばかりは俺一人じゃ厳しいかもしれない。誰か俺と同じくらいじゃなくても、強い駒がいる」

 

 岡はシロナを指差した。

 

「そういうことを考えた時に、やって来たのがお前達や。わかったか? 戦力の大幅な増強が叶った。それに今回で、室谷達の得点をゼロにできる。奴らも囮くらいなら使えるしな。より長く、ガンツに縛り付けておける」

「でも、それは貴方も同じでしょ」

 

 まるで思いがけない指摘を受けたと言わんばかりに、岡は瞬きした。それから、苦笑をする。顔の前で、億劫そうに手を振った。

 

「まあな。でもいいんや。目の前のことより、先を考える。それが肝要や」

「そこだけは賛成できる」

「やっと同意してくれてありがたいわ」

 

 それから少し間が空いて、岡が球体へ顔を向ける。

 

「見てみ。割と経ってるな」

 

 黒い表面に、時間が表示されている。残り十五分とあった。シロナは少しだけ安心する。思ったよりも時間の流れは速い。ここで岡から説明を受けたおかげでもある。話を聞いている時だけは、緊張が少しだけほぐれていた。

 

「とりあえず、ここにいていいのね」

「そうやな。後少し、お前のペットが持ちこたえればいい」

「ペットじゃない」

 

 シロナは、腕を組んだ。

 

「あの子達は、私の家族なの。その言葉で片付けるのは、やめて」

「どうでもええわ」

 

 本当にどうでもよさそうだったので、シロナは話を続けようとした。この男に、自分のポケモンがどれだけ素晴らしいか語るつもりでいた。

 だが、中断させられる。

 球体の方に、動きがあったから。そして音声でも、はっきりと言ってきた。

 

『シロナをこロしたら、

 

 60てんあげルで』

 

 耳に痛いほどの静寂が、二人の間を漂った。

 時間を刻む音がやけに大きく響いている。彼女は自分の呼吸を聞いていた。徐々に乱れていくのを、自覚していた。相手の方を見ることができない。体を動かそうとしたが、足の力が抜けていた。全く予想外の事態に、頭が真っ白になっている。

 突然、岡が笑い始めた。その勢いに肩を浮かせるが、彼が小馬鹿にするような表情になっているのを見て、安堵がやってくる。

 彼は肘で球体を小突いてから、肩をすくめた。

 

「ほんと、ガンツはガバガバやな。そこばっかりは進化せん。これで俺がお前を処理する気になると思っとる」

「オカ…」

 

 お礼を言いかけて、とても大きな衝撃がやってきた。

 遅れて、自分の体が倒れていることに気が付く。シロナの体を掴んで押し倒した岡は、欠伸でもしそうな表情で、柄を出した。

 

「元から、そうするつもりやったのにな?」

 

 ボタンを押す。

 

「目先の利益も、将来の利益も総取りする。最善やろ?」

 

 刃が、シロナの首にあてがわれた。

 

 



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6.ガンツに囚われる

 あのすべすべしていそうな肌にこすりつけたら、どういう気分になるのか。

 桑原は既に叶いそうにない妄想をする。彼は、常に快楽を求めていた。溺れていると表現してもいい。

 捨てた煙草を、足で踏みつける。安物は駄目だ。いくら吸っても染み込んできてくれない。

 

「来世で会おうや」

 

 今まで見たことのない生物だった。単に蛇の紛い物と表現するには足りない。丸く、宝石のように輝いている瞳、桃色の触角。同じ色の、長く下まで伸びている房のような眉。主張する瞳とは対照的な、こじんまりとした口。息が漏れる。

 一番目を引くのは、それでも顔の部分ではなかった。ベージュ色の胴体は完璧なラインを保ちながら、水色の尻尾へとつながっている。尻尾の先に着いている濃い赤の模様もまた、非現実感を内包していて新鮮だった。

 絶対に穴があったとしたら。桑原は目をつぶる。想像する。ものすごく、締まるに違いない。今までにないほどの感触を味わえるだろう。

 だが、彼にも分別はあった。弱い星人ならまだいい。だが、この相手はそこそこ手強いのだ。拘束して行為をするのは限りなく難しい。合計百点以上を取れるチャンスも逃したくはない。

 だから、躊躇いなくトリガーを指で押した。両筒が光り、少し溜めるような間ができる。

 蛇は、どのような事が起こるのかある程度予測しているようだ。指定した座標から即座に離れていく。尻尾の先が出た直後、範囲内の地面が円状に大きくへこんだ。

 それくらいは予想の範囲内だ。既に桑原は、相手の速さに慣れていた。だから逃げる先を予測するくらいの芸当ができる。Zガンの狙いを今いる相手の位置からわずかにずらし、撃ち込んだ。

 懸命に這いずっているが、その範囲からはぎりぎり逃れることはできないだろう。相手もそれを理解したのか、動きを止めた。じっと、桑原の方を見てくる。少し股間が怪しくなってしまう。さすがにそのまま潰れていくところを見続けるのは躊躇われた。

 

「フォオオオオ」

 

 深い鳴き声を上げたかと思えば、上に顔を向けた。不可視の衝撃がやってくる方向を正確に理解している。だからと言って、何かができるとは思えなかった。

 蛇の顔の上に、何かが出現する。透明な板のようだった。綺麗な長方形をしており、かなり透き通った鏡とも表現できた。

 そしてそこへ、Zガンの弾が到達する。普通なら相手の全身を容赦なく押し潰していたはずの一撃は、なぜか止められていた。

 

「フウウ…」

 

 蛇はさらに表情を険しくした。姿勢が段々と低くなってきている。

 

「なん、や」

 

 桑原の呆然とした顔の先で、まだ相手は生き残っている。形成した板と、衝撃がぶつかり合って、拮抗している。だが、徐々に片方へ趨勢が傾いているのがわかってきた。蛇の体が少し地面にめり込む。その額に汗が流れていく。

 最後に大きく鳴いてから、板が上へとずれた。そして降ってきた衝撃が目に見える形となって押し出されていき、その方向を転換させる。

 

「は?」

 

 桑原が動けたのは、幸運だった。彼が多少、未知の事態に対する経験を積んでいたからだろう。だから、跳ね返されたZガンの弾を何とかして避けることができた。

 後ろへ飛んだ彼は、大きく体勢を崩していた。そのために飛んでくる氷の線に対応することができない。それは手から落ちかけているZガンへと直撃し、あっという間に凍らせていった。

 

「こいつ…、どんだけやねん」

 

 室谷が、さすがに驚いた様子でZガンを下ろしていた。

 既に先の地面はあちこちが破壊されている。上からの圧倒的な衝撃によって、無残な形に変えられた。

 

「ぽぎゅ……」

 

 最初に角が。そして顔、胴体、足の部分の順に膨らんでいく。ウミウシのような星人は、すでに何度もZガンの攻撃を受けているのにも関わらず、まだ再生をしていた。しぶといと言っても、限度がある。大阪チームにとっては初めての経験だった。この武器に対してここまで耐えられたことは。

 完全に元に戻ったウミウシは、目をほとんど三角にしながら、口をわなわなと震わせた。やや頬のあたりの色が濃くなり、怒っているようだ。

 

「ぼわああああああああ!」

 

 全身を、大きく震わせる。何かを発することはない。室谷は既に回避に転じていたが、何も飛んでこないことに遅れて気がついた。

 

「うお!?」

 

 だが、攻撃は既に開始されていた。室谷はその場に立っていられなくなる。スーツによって体幹も強化されているにもかかわらず、呆気なく転ばされるほどの揺れがやってきていた。それは、サポートをしようとしていた中山や山田にも影響していく。

 

「きゃあああ!」

「地震や! やば」

 

 だが、被害を受けているのは彼ら側だけではないようだ。蛇の星人が大きくウミウシに向かって叫んでいる。当然何を言っているのかはわからない。それでも同じく発生した地震に巻き込まれていることは確かだった。

 二つの氷の線が、交錯する。それらは室谷と中山が持っていたZガンに命中した。避ける余裕など、彼らにはありはしない。

 そしてウミウシと同じように怒り始めた蛇が、構えをした。身を低くしてから、大きく伸び上がる。

 現象は、即座に起こった。

 意気揚々と横取りをしようとしていたサングラス組の一人。長髪ストレートの男、木村が手に持っていた武器を放り投げる。大きく息を吸い込むと、目の前を覆い尽くしている巨大な波へ向けて叫んだ。

 

「はあああ? 嘘やろ! こんな、水も何もないとこでこのレベルの水とっ」

 

 最後まで言わせてもらえず、周りの者達も含めてほとんどが流されていく。住宅の一部も破壊されていった。そうでない家も、一階の部分が酷く水浸しになるだろう。その奔流をまともに受けた室谷達は、当然抵抗もできずに遠くまで消えていった。

 惨状を、ジョージは息を呑みながら見下ろしている。ぎりぎりで屋根に上り切っていた彼は、唯一難を逃れていた。

 大阪チームの中では。

 植物もまた、同じ屋根に立っている。さっそく何やら喧嘩を始めたウミウシと蛇を見てから、左右の花を震わせた。流し目を、ジョージへと送ってくる。最後はお前だと言わんばかりに。

 

「は…」

 

 彼は、刀を構え直した。むしろ幸運だと思っている。四匹全部を、いただくことができるのだ。さらに追いかけて鳥を仕留めれば、二回分ほどの特典が入手できる。高揚と緊張が絶妙なバランスで混在していた。感覚が研ぎ澄まされていく。今度接近すれば、相手の首をすぐに両断できるだろう。

 

「運が、回ってきたな。まずはお前や。一瞬でころしぃ……」

 

 呂律が、回らなくなる。

 

「ありゃぁ…?」

 

 舌の先が痺れている。そこだけではない。ジョージはその場に倒れていった。下半身も上半身も、麻痺してきている。立ち上がらなければならないことはわかっているのだが、少しも動いてくれない。

 ぎゅうううと絞るような音が聞こえた。目だけ辛うじて動かすと、肩の部分のスーツ穴からどろどろ液体がこぼれていた。

 ガンツスーツが、機能を失った。

 わかっても、それ以上のことを理解できない。どうしてそれほど攻撃を受けていないのにオシャカになってしまったのか。彼は歩いてくる植物をぼやけた視界の中で観察する。相手が、毒を持っていることは確かだった。まさか、何度か受けた棘の毒が徐々に耐久を削っていたということなのだろうか。

 何も結論付けることはできずに、ジョージは失神した。

 

 

 

 

 

  ◆

 

 

 ふんと鼻を鳴らしたロズレイドは、ゆっくり近づく。何度か相手の黒い肌を足で突いた後、思いきってすべすべした頭に乗っかった。たっぷり十秒は踏みつけた。

 そして、まだれいとうビームを撃ち合っているトリトドンとミロカロスを止めるべく、屋根から飛び降りた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ◆

 

 

 どうして、安全だと思い込んでいたのだろう。

 刃の表面は滑らかだった。シロナの絶望してる顔が映っている。相手の方は、特に感情を表に出してはいなかった。

 

「訂正させてくれや」

 

 岡は刀を持っていない方の手で、彼女を指差した。

 

「正確には、お前以外の新参に期待してる。素晴らしい、道具やな。けど、お前はいらん。普通の外人女や。お前を下手に生かしておくと、余計な損害を被るかもしれん」

「なん、で…」

「わかりきったことやろ」

 

 口の端を吊り上げる。彼女が腰に下げている鞄。その中に入っているモンスタボールへと、岡は視線を向けているようだった。

 

「お前には過ぎた武器や。俺が使わせてもらう。色々と予想外やったが、結果オーライや。どんなクリア特典よりも有効に使えそうやしな」

 

 結局自分は、何かにすがりたかったのだと理解した。この男は、正気を失い暴れていたとはいえ、ルカリオを葬ったのだ。どうして、一瞬でも信じてしまったのだろう。少し考えれば、何かを企んでいることくらいはわかったはずなのに。

 シロナは、また涙を流していた。とことん、自分に対してやりきれない怒りが沸いていた。それは岡に対する恨みよりもずっと大きかった。

 

「私の、ポケモン達は絶対に従わない」

「まあ、お前の想像力じゃわからんやろな」

 

 刃の先端が、ゆっくりと喉笛に定まる。

 岡は冷たい瞳をさらに細めた。

 

「いくらでも、方法はある。教える必要はない。むしろ奴らから進んで俺に協力してくれる。甘い飴を垂らしてやれば、簡単や。お前はまあ、天からそれをよく学べばええんとちゃうか? 次に役立てろ」

 

 その手に、力が入る。

 シロナは呻きながら目をつぶった。

 ばりんと、何かが割れる音がする。

 

「きゅいいいいい!」

 

 今までにないほど大きく、憶えのある鳴き声がしてきた。目を開けると、窓ガラスを割りながらトゲキッスが飛び込んできていた。

 岡は即座にシロナから離れた。壁際へと後退し、睨みつけてくるポケモンに向かって刀先を向ける。

 

「変に頭の回る畜生やな」

 

 トゲキッスは翼を掲げる。その先から、一瞬で雷が形成されていった。全力のでんげきはを、岡に向けて放つ。

 遅くはないはずだった。タイプ一致もしておらず、それほど彼にとっては得意ではないわざとはいえ、常人が反応できるほど甘くはない。 

 だが、狡猾な男は横へと飛んでいる。瞬きの間に、球体の後ろまで回り込んでいた。シロナもトゲキッスも、それで動揺することはない。

 なぜなら、無意味な回避だからだ。でんげきもまた、必中のわざだった。威力はやや抑えられている代わりに、どこまでも標的を追尾する。

 大きく軌道を曲げてきた雷に対して、岡は意外にも落ち着いていた。さらに部屋を移動しながら、ガンツから道具を引っ張り出す。バツ印の武器。

 体を傾けていきながら、岡は向かってくるでんげきはに何度か撃ち込んだ。少しだけ逃げ回ると、やがて雷の塊が飛び散る。

 どうやら内部からはじけたようだった。それを見て彼は一息つきかけるが、すぐに足を動かそうとした。

 ばらばらになった雷の全てが、止まることなく岡へと疾走する。少し乱されたくらいで、消えていくわけがなかった。得意ではないと言っても、トゲキッスはこれの修練に相当の時間をかけた。シロナも付き合ったことがある。その努力は、簡単に無駄になったりはしない。

 岡は、全身を硬直させる。その勢いのまま壁に叩き付けられて、膝をついた。

 まだ、立ち上がれているのを見て、シロナは驚愕する。確かにでんげきは中程度の威力しかない。メインの武器とはなりえない代物だ。だが、その欠点をトゲキッスは十分に補っていた。

 特性、はりきり。わざの命中率が下がる代わりに、その威力が増強される。必中であるでんげきはにとっては、メリットしかなかった。だからトゲキッスは優秀なアタッカーだ。彼に助けられたことが、何度もある。

 

「…やるな」

 

 岡は悠々と立ち上がり、走り出そうとした。

 だが、またもや途中でのけぞる羽目になる。

 あまり有効な回避とは言えなかった。トゲキッスの足の先から放たれていた青白い光球は、既に岡の手に直撃している。その衝撃で持っていた刀を吹き飛ばしていた。

 

「お前も、それ使えるんかい」

 

 同じく必中わざであるはどうだんを、トゲキッスは再び準備した。同時にでんげきはも形成させている。いっぺんに繰り出せば、もはや相手にとって逃げ場はなかった。ルカリオから教わったはどうだんを、放とうとする。それはまさに岡への攻撃として適していた。

 

「俺はなにしてんだか…」

 

 シロナは立ち上がる。

 あっという間に岡の姿は消えていった。どこかに逃げたわけではない。その場で一瞬のうちに消失している。

 

「気をつけて!」

 

 透明になった。どこかから奇襲をするつもりだろう。そう考え、トゲキッスに警告をした。

 だが、それを受けたポケモンは、必死の形相でこちらへと向かってきている。それを怪訝に思って、すぐに自身の認識の甘さを理解した。

 これは、ルールの定められた一対一のバトルではない。

 

「落ち着けって言っても、無理か」

 

 首に強く腕が回ってきている。まだ状況についていけていない自分を、叱咤した。さっさと自分はこの部屋から出ていかなければならなかったのだ。トゲキッスの戦いをそばで平然と見ているなど、愚かだった。

 シロナを捕まえた岡は、球体に擦り足で向かう。

 

「動くなや。わかるやろ? 一瞬で首をへし折ることくらいはできる」

 

 トゲキッスは途方に暮れた瞳をシロナに向けていた。だが、彼女にもわからない。この状況から脱する方法を、何一つとして思いつかない。ずっと、翻弄されていた。自分のせいでもあるかもしれないが、最初から一度も状況をまともに理解できたことはなかった。

 岡はガンツに寄る。シロナの首を掴みながら、溜息をついた。

 

「聞け。どっちもや。別に、この女を心から殺したいわけやない。わかるか? 別の道も残されている」

 

 シロナを掴む手が緩まる。

 

「もう、信じない…」

「聞けって。ちょっとというか、かなり俺の計画からずれ始めてる。この鳥が来たのがとどめやった。場合によってはお前を生かして、協力し合う関係になってもええ。その証として、有益な情報をやる」

 

 岡は、少し腰を前に曲げた。

 トゲキッスは油断なく構えたが、次の発言で目を大きく開いた。

 

「もう既に死んでいる、お前の家族を戻せる可能性がある。俺に完璧に従うのなら、詳しい方法を教えてやる」

「な…」

 

 シロナは、一気に思考がかき乱された。ルカリオと、ガブリアスが戻ってくる。その言葉だけが、ぐるぐると頭の中で動き回る。

 トゲキッスもまた、予想もしていない発言にさらに戸惑っているようだ。短く鳴きながら、考えるように斜め上を向いた。

 

「さすがに罪悪感わくわ」

 

 何かが射出される音。

 岡は見たことのない道具を握っていた。形状は今までのものとそう変わらないが、口の部分がY字になっている。そこから光の縄のようなものが放たれて、トゲキッスの全身に巻き付いていた。

 

「お前ら、御しやすいにもほどがある」

「きゅきゅ!」

 

 トゲキッスの声は、途中から聞こえなくなっていた。なぜなら、頭の部分から消え始めているからだ。

 シロナは悲鳴を上げる。ぞっとする光景だった。どんどん彼の白い体が欠けてきている。彼女は膝から崩れ落ちていった。血は出てきていない。だが、どちらにせよとても悪いことが起きているのは確かだった。

 

「いや、トゲキッス…」

「一匹くらいなら、まあええわ」

 

 トゲキッスは飛び立とうとしているようだったが、少し上がった直後、残っていた足の部分も消えていった。何の痕跡も残さなかった。この部屋には、二人だけが残される。

 シロナは無理やり立たされた。首ごと壁に押し付けられて、目の前に刃を突き付けられる。少し暴れたが、岡の腕力で無意味にさせられる。本当に、同じ人間とは思えなかった。

 いや。彼女は徐々に捻じれていく頭の中で考える。本当に彼らは、人間なのか? 身体能力以上に、その残忍さ、命に対する意識の希薄さがシロナと隔絶していた。

 道具。

 ポケモン。

 武器。

 道具。

 

「痛みはない」

 

 今になっても、目の前の男に対する憎しみよりもはるかに、何かへの怒りが大きくなっていた。それはすぐに恐怖を上回り、シロナの全身に力をあふれさせた。

 ふざけている。参加している人間以上に、これを、この枠組みを作った何か。

 

「ガンツ!」

 

 突然叫んだ彼女に少しだけ驚いたようで、岡は刃をわずかに下げた。

 シロナは今や彼に意識を向けていない。ただひたすら、横にある黒い球体へ燃えるような視線を向けていた。はっきりと何か考えがあるわけではなかった。だが、次々と湧いて出てくる激しい何かを吐き出さずにいられなかった。

 

「絶対に、許さない! 私を、私達を勝手に巻き込んでおいて、気まぐれに処理する。ふざけないで! 忘れないわ。忘れはしない。オカに殺されようとも、頭の中にある爆弾で殺されようとも、諦めない。私が死んでも、ポケモン達が絶対に報いを受けさせる。わかってるわ。お見通しよ。簡単には手出しできないんでしょ」

 

 多くの証拠があるわけではない。だがそれでも、シロナはほとんど確信していた。

 あの時、トゲキッスと共に飛んで逃げようとした時、電子音が鳴った。範囲制限に触れているという警告。しかし、その音は一つしか聞こえていなかった。シロナの頭の中からだけだ。トゲキッスの方は、静かだった。つまり何も埋められていないということ。反抗を防ぐための脅しができないということ。

 

「どれだけかかっても! うちの子達は見つけ出す。こんな…、ふざけたことを考えた奴ら全員、叩き潰す。待ってなさい。皆、優秀なんだから。逃げられはしない。全部、全部滅茶苦茶にして、自分達がどれだけ愚かな事をしていたか思い知らせてやるわ。ルカリオとガブリアスと、トゲキッスの仇を討つ。彼らが受けた痛みを何倍にもして返してやる! どうしたの? さっさと殺せばいい! 殺しなさい! 簡単でしょ? 頭の中の爆弾を操作すればいいだけ。あるいは、この男をもっとけしかければいいだけよ! やってみなさい。早く、ほら! やりなさい!」

 

 無意識の内ではあったが、その気迫はかつて十年もの間、リーグチャンピオンを防衛していた時に見せていたもの以上だった。彼女のこれまで得てきた経験の全て、感情の全てが込められたかのような叫びだった。このような事態に陥ってから流され続けたことへの怒りが全て、激しい言葉と共に放出されていた。

 岡が我に返ったように、手を動かした。 

 

「もうええ! 黙れ」

「うるさいもじゃもじゃ! さっきからずっとだらだら話が長いのよ! やるならさっさとやりなさい。怖いの? 星人とかいう化物は簡単に殺せるのに、女の首一つ斬れないの?」  

「調子に…」

「やれって言ってるでしょ! 怖くないわ。早く。やれ!」

 

 シロナは大きく息を吸い込みながら、目をさらに開けた。死の瞬間から、逃げるつもりはなかった。岡の瞳を捉える。彼の顔を視線で刺しながら、殺されるつもりだった。少しでも、相手の精神に楔を深く打つ心積もりでいた。

 だが、こぼれていく涙は止められない。それでも堂々としていた。心の中で愛しい家族たちの名前を繰り返しつぶやきながら、その瞬間を待った。

 刃の角度をさらに深くし、岡は口を少し開ける。細目に力を込めて、刀の柄を動かそうとする。

 妙な音が鳴った。

 ジジジと球体から線が出ていく。

 それが伸びていった先に、黒い靴が現れた。そこでは終わらず、足も形作られていく。どんどん上に向かっていった。所々穴の開いた丸い出っ張りがある、黒スーツの下半身が出来上がっていく。腹や胸はほとんど肌がそのままさらけ出されていた。そして最後に、呆けたような長い茶髪の男の顔が完成した。

 

「…ん?」

 

 桑原は、少しの間ぼうっとした後、ほとんど密着している岡とシロナを見やった。

 

「俺、邪魔か?」

 

 転送は終わらない。ぞくぞくと、外にいたはずのメンバー達が出現した。最後に目をつぶったままのジョージが形成されて、やや部屋が手狭になった。

 シロナは目の端から涙をこぼしながら、殺されかけていることも忘れて放心していた。先ほどまでの勢いが一時的にごっそりと無くなっている。気が抜けていた。

 大げさに、岡が息を吐き出す。

 それとなく球体を見ると、残り時間が一分の所で停止していた。

 ちーん。

 高い鐘の音がして、あの憎い平坦な音声が流れ始めた。

 

『それぢわ ちいてんを

    はじぬる    』

 

 画面が切り替わった。

 サングラスの短髪男が、頭を抱える。

 

「うっわ、ずっるう!」

 

 少々過剰なキラキラとした効果の入っている似顔絵。それは明らかに、シロナを示していた。

 その左横に、でかでかと表示される。

 

『シロナ姉さん

 

 100てん

 

 ごめんナ

 

 これで ゆるちテや』

 

 自分の得点が、表示されたということだけはわかった。だが、それ以上の意味を把握する前に、側にいた岡がどかりと座り込む。

 

「ほんま、糞みたいな運営」

 

 他の者達も、次々と発表されていく。シロナ以外の点数の変動はないようだった。一部の騒がしいリアクション以外は何もなく、全てが終わると全員が無言で彼女を注目してくる。

 

「何しとるんや?」

「え?」

 

 室谷がつまらなそうな顔で続けた。

 

「獲ったんやから、早くメニュー開けや。クリア特典、欲しいやろ」

「ぬわああ、追いつかれてもうた」

「いや、これは反則やろ。えこひいきされとる」

「チートやチート」

 

 サングラス達が騒ぐ中、シロナはふわふわした感覚のまま歩いていった。促されるままに、ただ言葉を繰り返す。

 

「ガンツ、百点メニュー」

 

 開かれた文字列は多くはなかったが、それでも全部読み切り、理解するのに永遠の時間がかかったような気がした。

 

『100点めにゅ~

 

1 記憶をけされて解放される

 

に よリ強力な武器を与えられル

 

Ⅲ MEMORYの中から再生でちル(じゃじゃん!)』

 

 口を、押えた。

 解放だとか、武器だとか。目につく言葉はたくさんある。それでも最初の二つはすぐにどうでもよくなってしまった。三番目の項目が、目に入った瞬間。

 再生。

 

「良かったな」

 

 岡がしたり顔で言ってくる。球体の端を足で押してみせた。

 

「多分、復活させられるで。選んでみろや」

 

 本当は真っすぐ走って、その小生意気な口を張り倒さなければならないのだろうが、今は別のことに意識が向いていた。シロナは弾けるような己の心臓を感じながら、何とか声を出そうと試みる。

 

「さん、ばん」

 

 移り変わっていく。

 そして、かなりの数の写真が表示されていった。ほとんどが人間のものだ。知らない顔ばかりだったが、目線が一番下までたどり着いた時、体全体が震える心地がした。

 ある。写真がある。いつ取られたのかはわからない。だがずっと共に歩んできた二つの顔が、隣合っていた。ルカリオとガブリアスは、例え画像の中だとしても、真っすぐ視線を向けてきているような気がする。

 

「どっちか、戻せるやん。犬の方にしてや。かめはめ波教えてもらいたいわ」

「バカ。刺々しい奴の方が強いやん絶対。合理的にな…」

 

 呑気な外野の声とは反対に、シロナはひたすら内奥で考えていた。どちらを、最初に生き返らせるべきか。今回は多分、特例なのだろう。次に百点まで溜めるのに、どれくらいかかるのかわからない。そもそも、本当に復活するのかも曖昧だ。また、騙されているのかもしれない。信じてはいけないのかもしれない。

 それでも、実際にやってみる価値はあった。もし本当に戻ってきてくれるのなら、これ以上の喜びはない。

 シロナは、写真たちを眺めながら、苦しそうに顔を歪めた。周りは開いた時間に段々と怪訝そうな視線を投げてきているが、構いはしない。彼女は、ひたすら己の責任について自問自答していた。何をするべきなのか。何の罪を、犯してしまったのか。

 だから、少し躊躇ってしまったことは、きっと後々まで自己嫌悪の源として残り続けるだろう。それも含めて、背負っていくと決めた。シロナは、自分のやるべきことを定めた。

 名を言う。

 他の者達はほとんどが驚いていた。何をしているんだと呆れられた。

 あっという間にガンツによって形成されていく。

 

「んん」

 

 目を開けた可愛らしい女性を見て、シロナは嗚咽を漏らしていた。感動と申し訳なさが合わさった何かによって、大きく乱されていた。本当に、再生された。確かな実感を得るべく、まだぼうっとしている杏へと抱き着く。

 

「わ、なに? え、姉さん?」

「ごめんなさい。嘘ついて、ごめんなさい…」

 

 この子達が、守ってくれる。

 シロナは確かに言った、言ってしまった。それが罪の始まり。結果杏はそれを信じたまま、ルカリオに殺された。たとえ彼が星人によって操られていたのだとしても、関係がない。自分には、義務があると考えていた。ここでそれを果たさない手はない。

 杏はかなり混乱しながらも、シロナを抱きとめてくれていた。それに甘えながら、視線だけを球体に向ける。

 待ってて、としっかり目で伝えた。宣戦布告のようなものをした手前、矛盾しているのかもしれない。だが今は、その可能性にすがるしかなかった。

 自分は、囚われたのだと理解する。

 ガンツに囚われた。

 だが、終わりはある。

 必ず助けると、愛しい二匹の顔写真に向かって口だけで伝えた。頷いてくれるだとか、笑って返してくれるだとか、そんな都合の良いことは思わない。恨まれてもいい。ただもう一度、貴方達の姿が見たい。そう、強く心に決めた。

 そして、まだ重大な問題が残っていることに今更ながら気がついた。

 はっとしたシロナに向かって、おずおずと杏が見上げてくる。

 

「どうしたん?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ◆

 

 

「きゅ?」

 

 まだ自分が死んでいないということに気がついて、トゲキッスは全身が浮き立つような気持ちになった。みっともなく涙をこぼす。ただ自身の命がそこにあるのだという実感が、近づいてくる存在達への気づきを少し遅れさせた。

 

「きゅい~」

 

 かなり崩壊が進んでいる住宅街の間を、仲間達が進んできていた。時には喧嘩し、時には切磋琢磨し合う仲だが、今はただただ会えて嬉しかった。その感情を全身で表現しながら、彼らへと抱擁しに向かう。大量の雫をこぼしていく。

 そうして主人のことを一時的とはいえ完璧に忘れ、はりきって飛んできているポケモンに向かって、ロズレイドは冷たい表情を投げかけた。左の青い花を揺らし、構える。その中にある棘には、遅効性の毒が含まれていた。

 つまり、じわじわと苦しめてやる、という意味らしい。 

 



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7.遠い日常

 まだ、自分の大切なポケモン達の安否がわかっていなかった。

 今まで彼らと戦っていたらしい室谷達に訊いてみても、満足な返事は帰ってこなかった。ただ、そのすっきりとしていなさそうな様子で察することはできる。少なくとも、無事ではあるようだった。

 シロナはマンションから出た後、全力で走ろうとした。

 だが横や後ろにいる者達へ警戒をする。

 

「どうして、ついてきているの?」

「帰る方向が、同じだからや。自意識過剰か?」

 

 堂々と言い訳をしているのは室谷だけで、あとの者達は無言でシロナの後にぴったりとくっついてきていた。杏はいい。彼女とは、色々としなければならない話もあるのだ。だが、ジョージや桑原などもいるのが不可解だった。何も言わずに別れたのは、岡とバイクに乗っていた京だけだった。

 

「私の子達を狙ってるのなら…」

「うるさいわ。もう終わったことや。どうせ殺しても点数にならん。ほら、見てみい。大事な家族とやらが走ってきとるで」

 

 室谷の指摘で振り向く。

 途端、シロナは駆け出していた。同じく相手達も、彼女に飛びつこうと勢いよく向かってきてた。

 最初にシロナの体に触れたのは、ミロカロスだ。全身へ瞬時に巻き付いてきて、口を何度もシロナの頬にくっつけてくる。おお、という興奮したような男の声が聞こえてきたが、気にならなかった。

 次に胸へ飛び込んできたのが、ロズレイドだ。彼女もまた普段は冷静な顔を一杯に輝かせて、両手の花を胸に擦りつけていた。

 

「おぉーん」

 

 ミカルゲもまた、緑の目口を緩ませている。かなめいしの部分を伸ばされた彼女の手に乗らせた。そして靄の部分を腕に纏わりつかせてくる。その時点で、シロナは全身の力が抜けて座り込んだ。安堵の涙を流しながら笑顔になった。

 ずるずると、トリトドンが遅めの到着をする。彼女の背中に角を擦りつけて、三つの目を細めていた。

 噛みしめるように彼らとの触れ合いを堪能した後、まだ奥の方からやってくる存在に気がついた。

 

「うそ…」

 

 最後に掴まってきたトゲキッスは、やや動きがぎこちなかった、それでも顔だけは元気で、その身の存在をたくさん感じさせてくれる。

 あの岡の攻撃によって何かされたのだろうかと思ったが、観察してみると違うことがわかった。羽が痺れているのは、毒のせいだ。同じくくっついてきているロズレイドが、トゲキッスに向かって威嚇をした。情けなく鳴きながら、トゲキッスは弁明をしている。

 もちろん、受けた毒はいのちのしずくやねがいごとで取り除ける。それでもあえてトゲキッスは残しているのだ。この二匹が喧嘩する時は、そういう暗黙のルールがある。

 恐れていたことが杞憂に終わって、シロナは長々と息を吐き出した。あの、犠牲者の写真の中には、トゲキッスのものがなかった。もしかしたらあのY字口の武器でやられたらもう取り返しがつかないのかと思っていた。どういうことかはわからないが、不発に終わったらしい。

 

「わあっ」

 

 トリトドンがまた自分の癖を表に出していた。シロナ達を微笑ましそうに眺めていた杏に上ろうとしている。

 

「かわいいなあ」

 

 シロナが注意すると、そんな言葉をかけてきた別の相手に標的を移したようだ。トリトドンは、手を広げている黒スーツの女性に喜々として向かっていった。

 

「スミちゃん! やめた方が…」

 

 もう片方の金髪の女性が警告するも、特に逃げようとはしていなかった。ゆるくパーマをかけた濃いグレーの髪をした日焼け肌の女性は、トリトドンが足にくっついても平然としていた。

 シロナは、今更驚かなかった。どうやら、全員が信じられないほどの力を持っているらしい。決して軽いとは言えないトリトドンが、軽々と持ち上げられていた。

 

「名前、なんて言うん?」

 

 何やら喜びの域が上限を突破し始めたトリトドンに顔を擦りつけ、女性が尋ねてくる。

 

「トリトドン」

「じゃあ、トドンちゃんやね。それともトリちゃん? それはないな。だっさいわ。あ、うちは山田スミ子っていうねん。大変やったなあ。男達に追い回されて」

 

 油断なく、観察する。スーツの腕の部分が、筋張ってきていた。力が集まってきているような見た目だ。仮説を立てる。もしかすれば、彼らの膂力は。そこまで考えて、念のために自分の分のスーツケースを持ってきて良かったと思った。検証ができる。

 視線を、感じる。見ると、先ほど注意をした金髪の白い女性が、睨みつけてきている。シロナが瞬きをすると、すぐにその視線は逸らされていった。

 ロズレイドが、シロナから離れてある方向を見つめていた。その先には、ジョージがいる。

 

「あ? なんやねん」

 

 シロナの腰をつついてくる。首を傾げると、急にロズレイドは間抜けな顔をした。舌をちろちろ出しながら、こてん、と倒れるふりをした。芸は細かく、全身を常にぴくぴく痙攣させている。

 

「お前…」

 

 シロナにとってはわからないが、それはジョージを煽るものだったようだ。彼は柄を取り出して、憤怒の形相でロズレイドに歩いていこうとした。その肩を、室谷がつかんで止める。

 

「やめえや。お前らしくもない。ま、とりあえずは」

 

 そしてシロナへ挑戦的に目を合わせてくる。桑原から煙草のようなものを貰い、口にくわえる。金髪の女性に火をつけてもらい、煙を出し始めた。

 

「過ぎたことは水に流そうや。お前のペット、そこそこやるな。安心してええ。もう手は出さん。ガンツの気まぐれに巻き込まれたとでも思ってくれや。これから、一緒に戦っていくわけやし…」

 

 ばしゃん、とその顔に水の塊がぶつかった。煙草の火が一瞬にして消え、水浸しになる。ほとんど同じ状態になっている顔を固定させたまま、室谷は目だけを動かした。

 

「ぽわぽわっ」

 

 トリトドンが口を開け閉めしながらにやにやしている。そして挑発するように上へとぴゅうぴゅう水を吹き出した。

 

「ミンチにして食ったろかあ!」

 

 怒りをあらわにしている室谷が、金髪の女性やジョージに抑え込まれているのを見て、シロナは奇妙な感覚に陥っていた。先ほどまで、むしろ敵として認識していた相手達だ。それなのに、もうそういう雰囲気ではなくなっている。彼らの切り替えの早さに半ば彼女も引っ張られていた。

 首を傾げているミロカロスを囲んで、サングラスの三人がしゃがんでいる。

 

「印は? どうやって結んだんや」

「火影になれるで、お前」

「螺旋丸もできたりする? ちょっと、試してみ」

「フォオ?」

 

 杏が、混乱したような顔で見てくる。彼女からしたら、訳がわからないのも当然だろう。シロナにとっても、整理する必要が出てきていた。今までずっとあった危機感のようなものが、すっかり抜け落ちてしまったのは確かだ。だから岡のことを思い返す。そうすれば少しだけ、意識を引き締めることができた。

 

「一万でええか?」

 

 既に黒スーツを着直している桑原が、急に言ってきた。

 

「えっと?」

「だから、それくらいが相場やろ。すぐ終わるから。一発で満足する」

「姉さん…やばい」

 

 先に意味を理解したらしい杏が、シロナの体を引っ張ってくる。

 

「関係ないやろ。なあ、頼むで」

「だから、何を言って…」

「こいつ、姉さんを買う気や。綺麗やからなあ。漫画でもそういうシチュエーションあるわ」

「な…」

 

 ようやく理解をし、シロナは別の危機感が大きくなっていくのを覚えた。実際、桑原の目はおかしいとも表現できる。どこか蕩けている。さっと下の方に目をやれば、明らかに股間が膨らんでいるのがわかった。

 シロナは後ずさる。

 

「変態!」

「あ? ちょっと待てや。お前、勘違いしとるな。お前じゃないねん。そこにいるお前のペットに用があるんや」

 

 桑原が指差した先には、サングラス達にたくさん言葉をかけられて辟易している様子のミロカロスがいた。注目されていることを知ると、桃色の触角を揺らしながら顔を上げてくる。

 そこへ、桑原は熱のこもった視線を投げた。

 

「メスやろ? ま、オスでもええけど。穴がどこにあるのか教えてくれるだけで十分や。あとはまあ、工夫するわ」

 

 シロナはある意味今までで最大の衝撃を受けていた。自分のポケモンが性的対象にされているのは理解できたが、それ以上頭に入ってこない。かつて、周りにはこんな男などいなかった。もちろん、シロナが知らなかっただけかもしれない。元いた世界であっても、このような男が下手に素を晒せば、排斥されるに決まっているからだ。

 

「ド変態!」

「女やから、わかんないか。それとも駆け引きか? ええで。しゃあないな。二万まで出すわ」

「今すぐ、離れて」

「足りない? なら、そうやな、五万で。破格やろ。しかも一発だけやぞ。どんな高級風俗でもそんな価格設定してないと思う」

「ミロカロス、こっちに来て」

「強情やなあ。まあ、焦らされた方が燃えるのは確かや。今日は妥協したる。お前で我慢するわ。一万五千、現金で」

「れいとうビーム」

 

 ミロカロスも同じ思いのようだった。狙いはしっかりと桑原の下半身に定められている。

 

「どわっ!」

 

 残念なことに、ある程度相手も反撃は予想していたらしい。氷の線は外れていき、桑原の後ろの塀を凍らせるだけに終わった。

 まるでシロナがとんでもないことをしてきたかのように、憤慨した。

 

「アホか! 股間に当たったらどうするんや! 絶対に不能になる。この年でインポとか、シャレにならん」

「あー、惜しい」

「いけ、二発目や。かましたれ。ゴミがインポのゴミになるだけやし」

 

 どうやら同じチームの女性達もまた、彼に対して思う所があるようだ。いや、とシロナは自分の認識を少し変える。もはや自分も、このチームに含まれている。共に何度も戦っていかなければならないのだ。

 彼らは、ひとしきりポケモン達を観察してから帰り始めた。それぞれちゃんと戻る場所があるらしい。

 ようやく連続していた戦いが終わっても、素直に休む気分にはなれなかった。それでも自分が追いつめられているのは変わりないことを認識していた。

 どこへ、帰ればいいのだろう。ポケモン達を見つめながら、途方に暮れる。もちろん最終的には元の世界に戻るつもりだ。だが、今差し迫ったものとして、泊まる場所が必要だった。

 

「もしかして、」

 

 救いの声がやってくる。

 体の向きを変えると、杏が心配するような表情で見てきていた。

 

「姉さん、家ないんか?」

「…ええ」

「なんか、事情がありそうやもんな。良かったら、うちくる? ちょっと狭いかもしれんけど、歓迎するで」

「いいの?」

 

 杏は、表情を真面目なものにした。

 

「命の恩人を路頭に迷わせたら、人でなしや。うちはそんなんになりたくない。…色々と、話したいこともあるし」

「ありがとう」

 

 深く頭を下げてから、シロナはポケモン達をボールに戻していった。全てを鞄に収め、空を見る。元の世界と変わらない夕焼けが、どこまで鮮やかに広がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それほど歩かなかった。杏は取り出したスマホで自分達の現在位置を把握し、迷いなく家路へと着いた。シロナは歩いている間、時折彼女が持っているそれを観察する。大体同じ機能、同じ見た目をしている。だが、アンドロイドなどという機種の名前は初めて聞いた。例として出てきたアップルなる会社も、知らない。

 

「未開地の部族、ってわけでもなさそうだしなあ」

「スマホなら、私も持ってる」

「見せて見せて」

 

 シロナは歩きながら、鞄から取り出した。特に奇抜な所もない。見た目だけなら、杏のものの方が目立っている。彼女はキラキラとしたシールなどを貼ったりしていて、かなり愛用していることが伺えた。

 

「デボンコーポレーション?」

「そういう、総合的な企業があるの」

「本当に、別の世界から来たんやな。全然知らへん」

 

 ややこしくなるのであえて説明しなかったが、シロナの持っているスマートフォンは一般に売っているものではなかった。特注品というわけだ。ややナルシスト気味なその企業の御曹司を思い出す。すごく気が合うというわけではなかったが、郷愁を抱かせるのに十分だった。

 電波は、立っていない。圏外になっている。ほんの少し、期待していた部分もあった。祖母にかければ、つながってくれるのかもしれないと。だが、無理のようだ。充電器も持ってきていたが、これからはあまり触らないようにした。万が一壊れたら大変だ。

 二十分ほど歩いて、杏は三階建てのアパートの前で立ち止まった。

 

「ここや。ついてきて」

 

 やや早足になる。間違いなく、彼女は気が逸っているようだ。それはポケモン達と合流できた時のシロナとほとんど同じだった。

 二階部分に上がり、一番奥の扉に向かった。ドアノブに手をかけると、ノックもせずに開けていく。

 すぐに慌ただしい足音が近づいてきて、今へと続く戸口から子供が飛び出してきた。

 

「ママ!」

 

 男の子と杏が抱き合うのを見て、シロナは少しの間固まっていた。まさか、息子がいたとは。かなり若いはずだが、杏にくっついている彼はもうちゃんと言葉を話せるくらいの年齢だ。出産した時の彼女を想像して、その苦労のほどがうかがえた。

 続いて、おとなしそうな黒髪の女性が戸口から覗いてくる。

 

「杏さん、どこに行ってたんですか。さっきやっと連絡がつながって…」

「ごめんな。(かける)見ててくれてありがと。その分の手当ても」

「いいですよ。でも、今度からはやめてくださいね」

「おおきに」

 

 女性はシロナをちらりと見てから、既にまとめていたらしい荷物を持って出ていった。事情を訊いてこなかったのは助かった。シロナ自身、どう説明したものかわからなかったからだ。

 進むと、居間らしき場所に出た。といっても、かなり手狭になっている。いくつかの机が並んでいて、その横に紙が大量に重ねられていた。

 

「だれ?」

 

 杏の足の間に掴まりながら、子供が尋ねてくる。

 

「ちゃんと説明するから。まずご飯にするわ。待ってて」

「わかった」

 

 少し慌ただしく杏が台所に向かうと、カケルという名の男の子とシロナだけが残された。彼女は何となく微笑んで、相手の目線まで屈みこむ。

 

「ごめんね。ちょっと、お母さんに泊めてもらうことになったの。いい?」

 

 人見知りをあまりしないようだった。恥ずかしがらずに、シロナの手を掴んできた。

 

「ん?」

「こっちきて。ママの絵見せたい」

 

 翔はすいすいとやや散らかっている居間を進んでいき、机の一つまでシロナを引っ張っていった。その上に乗せてある紙の一枚を取って、見せてくる。

 

「うまいよね」

 

 シロナの表情が固まった。確かに、下手ではない。むしろかなり上手いと言える。少なくとも記憶にある身近な者達の誰よりも、描写が優れていた。問題なのは絵の中心が女性で、それも裸になっていることだった。高校生くらいの若い女性だ。股を開き、指の先を

 

「…」

 

 結局、曖昧な笑みに逃げた。周りを見てみれば、そのような題材の絵がほぼ全てを占めているようだ。シロナは非常に居心地が悪くなった。

 

「どう?」

「うん、うん。いいんじゃないかな。こう、表情が上手いというか」

「えっちだと思う? それが大事なんだって」

「ど、どうだろう…」

「あ、ちょっと!」

 

 エプロン姿の杏が小走りでやってきた。翔から紙を取ると、机の上に戻す。

 

「担当に見せるやつなんや。あんまりさわらんといてな」

「はーい」

「姉さん、あと少しでできるから、そこに座ってて」

「わ、わかった」

 

 指定された席は多少スペースが空いていたものの、周りをいかがわしい絵で囲まれていた。そうしているとあのド変態のことも思い出されて、しばらく気持ちを落ち着けようと何もない空中を眺めていた。

 出されてきた料理は、カレーのようだ。少しだけ安心した。もしまるで馴染みのないものが出てきたらどうしようと思っていたところだ。実際に食べてみても、ちゃんと想像通りの味がした。そして自分がかなり空腹だったことを理解した。

 

「でな、どかーんって上から岩が降り注いだの。敵がいっぺんに倒されてな、姉さん、格好良かったなあ」

「うそみたーい」

「ほんとや。それで、ママの命も助けてくれたんやで。恩人やから、失礼のないようにしないといかんよ」

 

 スプーンを動かしながら、ようやく心が休まるのを感じていた。完全にすっきりしたわけではない。杏も似たような気分のようだった。息子に話していることも、事実から多少ずれている。だが、それは正しい行動だとシロナも賛成していた。

 テレビで、ニュースが流れる。オオサカの町の一部で、地震があったらしい。同時に、突発的な大雨も降ったようだ。住宅の一部に被害が出たと報道されていた。死者はいない。シロナと杏は顔を合わせたが、何事もなかったかのように食事が続けられた。

 さらにお風呂も貸してもらってから、肌着に着替える。実はもっと杏と話したいこともあったのだが、先に疲れがどっと来ていた。とりあえず、今日は少しでも休んでおくべきだろう。

 杏や翔の就寝と合わせて、シロナも居間に敷かれた布団に転がった。すぐに目を閉じる。色々と調べたいことも出てきた。明日から忙しくなりそうだと、意識を沈めていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 息を乱しながら目を覚ました。

 胸を押さえる。夢を見ていたようだった。それも、とてもおぞましいものを。内容は細かく憶えていないが、とにかく胸を引き裂かれるような悲しみと、恐怖が全てだった。シロナは呼吸を整えながら、目の端を拭う。

 喉も乾いたので、申し訳ないと思いつつ水を借りる。コップ二杯分ほどを喉に通した時、奥の部屋の扉が開かれた。

 

「そっちも眠れないんやね」

 

 冷蔵庫から缶を取り出すと、ソファーに座り込んだ。そして隣の部分を手で叩いて、シロナに促してくる。

 シロナもおとなしくそれに従った。このままでは朝まで一睡もできないと確信していたからだ。

 杏は、数秒の沈黙の後、ぽつりと言ってくる。

 

「また、あるん?」

「…多分」

「どれくらいで、来るんやろうか」

「あの人達は、大体一週間から二週間の間って言ってた。でも、わからない」

「そっか」

 

 膝を抱く。缶は開けられたが、口をつけてもいなかった。杏の表情が見えなくなる。だが、どういう感情を含んでいるのかは十分にわかっていた。シロナもまた、その一部を感じている。誰にだってある感情だ。

 

「いややな…」

「大丈夫」

 

 シロナは、二つのボールを投げた。この場所でも問題の無い、ロズレイドとトゲキッスを出す。二匹共、胸を張って杏を見ていた。

 

「信用できないかもしれない。でも、守るから。あのふざけた何かが終わるまで、アンズは死なせない」

「姉さんは、」

 

 杏は無理に笑顔を作る。

 

「本当に不思議な人やな」

 

 しばらく、トゲキッスの羽とロズレイドの頭を抱きながら、彼女は泣いていた。その背中を撫でる。少しでも恐怖が和らいでくれればいいと思っていた。同時に決意も新たにする。

 二十分ほど経ってから、ポケモン達を戻した。少々都合の良いようにしてしまったかもしれないが、シロナも十分に助けられていた。ほとんどの人生を共にしてきた家族たちの存在は、それだけ大きなものだ。

 

「最後に一つだけ、ええかな?」

「どうぞ」

 

 杏は赤い目で言ってきた。

 

「姉さんは、元の世界では何してたん?」

「考古学者。歴史を調べてるの」

「へええ。頭いいんやなあ。印象通り」

「この子達も含めた、ポケモンの歴史が専門なの。神話や、古代の文献を参考にして、起源を解明するのが使命」

「なんか、壮大やね」

「ええ、とても。まだ、何もわかっていないに等しい。どうしてポケモンが現れたのか。そもそもその名称にも謎があるの。誰が考えたかもわかっていない。限りなく古くから、付けられていたのは確かだけど」

「そう、なんや」

「やりがいがある。チャンピオンじゃなくなったから、そっちの方に集中しないと。まだまだこれからなの。あ、チャンピオンっていうのはね。……アンズ?」

 

 その頬が、シロナの肩に触れていた。すうすうと寝息を立てているのを確認して、シロナはゆっくりと彼女を寝かせる。翔が眠っている部屋から杏の分の毛布を取り出してきて、そっとかけた。

 彼女の寝顔を見ながら、明日からのことについて思いを巡らせる。

 とにかく、検証は大事だ。次に備えるためにも、ポケモン達と色々話し合う必要もある。だが、まずは、この世界で当分の間暮らしていくための絶対的な必需品を得なければならなかった。

 

「働かないと」

 

 確認は終わらせていた。驚くべきことにお金は、同じ円が使われている。だが、硬貨も紙幣も明らかに見た目が違っていた。さすがにシロナにもわかる。旅行用にある程度の蓄えは持ってきていたが、全て無駄になった。こちらでは絶対に通用しないだろう。

 考古学者であり、歴戦のチャンピオンを務めていた彼女も、ここでは無職に等しかった。

 



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8.元チャンピオンの労働

 起きてきた杏の息子の第一声は、意味を成していない驚きだった。

 だが、すぐ逃げ帰ることはしない。逆に両手を広げながら、腰を低くした。ずりずりと足を動かして、羽へと近づく。

 見られているトゲキッスは、シロナを伺ってきた。彼女は頷く。一鳴きした後、翼を翔に擦りつけた。彼は驚くのもそこそこに、我慢ならない様子で抱き着く。

 

「いいにおいする~」

 

 とたとた歩いていくロズレイドに引き寄せられるようにして、トゲキッスと共に別の部屋へと向かっていった。杏が微笑みながらその姿が消えるまで眺めている。当分は、ポケモン達が相手をしてくれるだろう。

 シロナよりも早く、杏は起床していた。どうやらあと一時間ほどで、仕事を手伝ってくれる人達が来るらしい。アシスタントというそうだ。

 

「本気なん?」

 

 困ったような目に対して、シロナはしっかりと頷いだ。

 

「昨日は色々とお世話になったけど、これからは甘えてられない。自分の生活費は自分で稼がないと」

「でもなあ…」

 

 両者とも、問題を把握していた。テーブルには、シロナの顔写真が入ったカードが置かれている。リーグカード。この世界に来る前に更新されて、ただのトレーナのものになっていた。あちらでは身分を証明してくれる大事なものだった。

 もちろんここでは役に立たない。保険証なるものを、シロナは所持していなかった。そして、この世界における戸籍も当然存在していない。

 

「口座もなし。現金受け取りで、身分証不要なんて条件、そうそうないと思うな」

「やっぱり、厳しいのね」

「姉さん、無理しなくてもええよ」

 

 杏は元気づけるように並べられた机を示してみせる。

 

「うち、これでもそれなりに稼いでるんや。今度もな、出版社の雑誌に載せてくれるってことになってる。余裕や」

 

 だが、シロナは察していた。事情は細かく訊けないものの,、杏達を養うべき存在の気配はしない。翔の父親とは、関係が切れているようだ。そしてシロナが起きてきた時、慌てて何かを隠していたのもわかっていた。銀行の名前が入った紙の束のようだった。

 家計にそれほど余裕がないのは、さすがに彼女でもわかった。だから尚更、頼りすぎるわけにはいかない。本当なら一晩でも泊めてもらえたのが奇跡で、シロナはすぐにでも出ていくつもりでいた。

 だがそれは、杏によって強い口調で止められた。いてほしい、と率直に言ってきた。あのガンツというものをちゃんと理解している人が側にいると、安心できるというのだ。そこまで言われれば、無理やり押し切ってでも出ていこうとする気力はなくなる。シロナにとっても、この場所は安らぐことのできる場所となっていた。

 杏はスマホを片手に、分厚い紙の本をめくっていく。どうやらそこに、求人が多く乗っているらしい。シロナも読んでみて、ちゃんと字を理解できることを確かめた。書かれている言語まで同じだ。ありがたい反面、一瞬本当に自分は別世界にいるのかと不思議になる。

 

「あった!」

 

 声に反応して、シロナはそこをのぞき込んだ。

 

「うーん」

 

 杏が唸る。確かに、シロナの望む通りの条件が書かれていた。それが唯一の求人だった。

 工事現場のサポート、と記してある。

 

「肉体労働かあ。姉さん、体力ある?」

「ええと」

 

 運動ができないというわけではない。かつての仕事の関係上、あちこちを移動して回ることもあった。だが、腕力に自信があるわけでもなかった。

 正直、ポケモン達の力を借りることも考えた。だが、まともに手足を持っていて、重い荷物を運べそうなポケモンは今ここにいない。ルカリオとガブリアスなら、大いに役立ってくれるはずだった。そして他で唯一まともな手を持っているロズレイドには、負担が大きすぎる。

 だがシロナは、既に心を決めつつあった。元々ハンデのある身で、仕事の内容を選り好みしていればきりがない。

 

「やるわ」

 

 杏はまだ、納得していないようだった。

 

「うちのアシスタントしてくれれば、給料として…」

「私、絵は全然駄目なの。それに、アンズには頼りすぎないって決めたから」

「でも、大丈夫なん?」

 

 シロナには、考えがあった。採用さえされれば、なんとでもなるという自信がある。感謝をするにはまだ複雑な感情がありすぎたが、ガンツから支給されているものはできるだけ使い倒してやろうと思った。

 ロズレイドを、呼ぶ用意をする。直接体を動かす仕事には、少々この長い髪が邪魔だ。今まで伸ばしてきたものを切ることに対して、シロナはあまり躊躇がなかった。

 

「で、これ、会社どこにあるの」

「もう行くんやね」

「行動が大事だから」

 

 杏は本に注目してから、安心するように言った。

 

道頓堀(どうとんぼり)やな。近い方で良かったわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 中に通してくれただけでも、感謝するべきだった。

 

「で、働きたいって?」

 

 シロナはとりあえず失礼のないよう、膝の上に両手を乗せた。相手の体はかなりごつく、視線も厳しかったが、もはやそれくらいで怯む程度の彼女ではない。元の世界でも、危ない目に遭う機会はいくつかあった。

 採用担当兼、現場監督らしい男は、シロナの全身をじろじろ眺めていた。それから、めんどくさそうに机に肘をつく。

 

「たまに、いるんや。うちの条件に目がくらんでとりあえず来る奴。今までたくさん来たわ。爺、学校やめたチンピラ、言葉の通じないガイジン。とりあえずお前は、まともに日本語が話せそうでよかったわ」

 

 日本。この国の名前。四十七の都道府県に分かれている。ここは大阪府。府庁所在地は大阪市。一応、基礎中の基礎と思われる知識は、午前中に仕込んでおいた。何かを調べて、それを頭に入れる作業は苦にならない。ましてや、それが未知のものとなればなおさらだ。

 相手の反応は悪い。一応、動きやすい服装にしてきたつもりだった。また、自分の金髪も耳を覆う程度まで短くしている。ロズレイドの腕は確かだ。この髪型にするのは、まだチャンピオンになっていなかった頃以来だった。初心を思い出すのはいいことだ。

 

「なんでもします」

 

 シロナが胸を張ると、監督は咳ばらいをした。

 

「自分がいうのもあれやけど、うちは酷いで。新入りにも遠慮のない仕事量が回ってくる。日給制で、たまに気分でばらばらになる。ほんとにあれやけど、ブラックもいいとこや」

「もらえるだけでも、ありがたいです」

「ええんか? お前は今、違法すれすれの労働搾取の現場にいるんやで? 事情はどうか知らんが、別の働き口を見つけた方がええ」

「別、ですか」

 

 男はさらに咳をした。シロナの胸の方に視線が行く。もっと酷い変態の顔を見たことがあるので、特に気にならなかった。

 

「身分証明がないのはきついかもしれんが、真剣に頼み込めば雇ってくれるやろ。なんだ、風俗とか行った方がよっぽど稼げるんやないか? お前なら」

「嫌です」

 

 初対面からお前呼びをしてくる豪快な監督は、表情を険しくした。

 

「冷やかしなら、容赦せんで。そんな細い腕でうちの仕事の何をできるって言うんや」

 

 望んでいた展開がやって来たので、シロナは即座に行動した。相手との間にある机の下に片手を入れ、軽く力を入れる。すると呆気なく会議用らしき長めの机が、持ちあがっていった。腕力のある男だとしても、一人では持ち上げられない重さだ。

 椅子から転げ落ちている監督に向かって、シロナは尋ねた。

 

「これでいいですか?」

「採用」

 

 自分の世界の基準に当てはめてもわかる。どうやらかなりいい加減な会社のようだった。これなら、スーツの力の頼っているのがばれることも心配しなくて良さそうだ。

 やはり、異常なのはあの男達ではなく、身に着けている装備の方だった。ここへ向かう途中でもいくらか試してみたのだが、自分の腕力が何倍にも増強されている。おかげで歩く速度などの調整にも慣れが必要だった。だが、これほど便利なものは今のところ考えつかない。

 いい人材が手に入ったとうきうきしている監督は、扉を開けて大声を出した。

 

「おい、ノブ! バイト組トップのお前が教えてやれ。新人や」

 

 そして、シロナは理解する。

 同じことを考える者も、当然いるのだと。

 

「げ」

 

 室谷が木材を抱えながら、彼女を見ていた。お化けにでも出会ったかのような反応だ。黄色いヘルメットと作業着が、そのチンピラの如き外見に良く似合っていた。

 げ、とシロナは心の中で同じ言葉を発した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とりあえず、仕事は真面目にやる人間のようだった。監督から指導費も込めてボーナスが出るとわかった時から、特に一生懸命取り組むようになった。

 

「違う。そこはそっちに運ぶんや! あれか? 意外とでかい胸が邪魔してやりづらいか? 諦めろ。誰も助けないで」

 

 明らかに報酬の有無に関係なく、室谷はシロナのいびりを楽しんでいるようだ。彼の声が一番大きく現場で響き渡っていた。

 シロナはこっそり息を吐き出しながら、おとなしく指示に従っている。労働自体は苦にならない。むしろ周りに合わせて疲れる演技をしなければならないのが、面倒なくらいだ。彼女と室谷以外のバイト達は言葉もなかった。本気で、疲労困憊している。

 そっちもスーツを着ているくせに、とさりげなく睨む。室谷はそれに気づいてやや動揺したようだったが、自身の方が立場が上であることをちゃんと思い出したらしい。結局シロナへの指導は夜になるまで続いた。

 その日分の給料をもらい、シロナは新鮮な達成感を味わっていた。こうして自分で積極的に動いて現物としてのお金を得るのは久しぶりだ。忘れていた大切な何かを取り戻せた気でいた。

 水色のノースリーブの上着に着替える時も、黒スーツは身に着けたままでいた。便利ではあるのだが、体のラインがくっきりと浮かび上がってしまうのが難点とも言えた。人前では簡単にさらせない。だが、そうしなければいけない場面があると思い当たって、気持ちが萎えた。彼らは、もうそういう羞恥心から解放されているのだろうか。

 

「おい」

 

 横を見ると、戸口に室谷が経っていた。扉へ気取るように寄りかかっている。

 

「お祝いや。飯行くで」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 連れて行かれたのは、近くの屋台だった。おでんという、今まで知らなかった料理を取り扱っているらしい。金属の仕切りで分けられた具材達が、ぐつぐつ煮込まれている。

 

「ほんとに、そのボールに入ってるんやな」

 

 室谷は既に顔が赤くなっていた。すごくお酒に強いというわけではないらしい。酔いにかこつけて触れてくるようなことがあれば、スーツの力を試す良い機会だと思った。

 

「そうよ」

「お前、どこの国に住んでたんや。アメリカの奥地とか?」

「シンオウ地方」

「酔ってんのか? 冗談にもなってないで」

「貴方もね」

 

 やかましい笑い方だった。酒と同時に、鳥の卵を丸ごと呑み込んでいく。シロナは水をしっかりと飲みながら、横目で室谷を見た。

 

「なんだか、普通だわ」

「ああ?」

「怖くないの? いつまた、命がけの戦いに巻き込まれるのかわからないのに」

「それこそ冗談にしても馬鹿馬鹿しいな」

 

 室谷は酔っていても、はっきりと答えてきた。

 

「お前は、狩りに怯えんのか? 獲物に対して、恐怖するのか?」

「…」

「むしろ感謝しとるで。あれはいい娯楽や。ストレス解消になる。昨日のは駄目だったけどな。お前のウミウシ、しぶといったらありゃしない。もっと素直な感じに育ててやれば良かったのになあ」

「トリトドンは、とてもいい子よ」

「あいあい」

 

 屋台の店主と、何やら親しげに話し始める。どうやら、ここの常連のようだ。そうであっても、ガンツのことは細かく話していないことは伺えた。この男なら話のネタとして早々に消化しそうだが、少しは思慮というものがあるのだろうか。

 それでもシロナは、まだ理解しがたいものを感じていた。この男も、初めは怯えていたのだろうか。四回クリアしたと、岡が言っていた。まだ計算は曖昧だが、かなりの期間室谷もガンツに囚われていることは確かだ。一度も逃げたいと思ったことは、ないのか。

 思考に沈んでいると、近づいてきた人の気配に少し遅れて気がついた。

 

「あんた、何してん」

 

 見覚えがある。金髪の女性。シロナのそれよりも、やや薄い色をしている。

 

「おお、美保。どうした、こんなとこで」

「どうしたも何も、夜会おうって言ってきたのノブやん。で、来ないから心当たりのある場所回ってたの」

「心配してくれてたんか。可愛いなあ」

「もう、帰るで。後で詳しく訊くからな」

「家で飲み直すかあ」

 

 室谷の肩を支える女性は、最後にシロナを見てきた。勝手に彼女の恋人と二人で飲んでいたことを謝るべきかと思ったが、その前に相手は前に向き直って去っていった。

 残されたシロナは、大根の端を噛み切る。それから店主に頼んで、いくつかの具材を包んでもらった。昨日は我慢してもらったが、さすがにそろそろポケモン達の腹も満たさなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ◆

 

 

 標的が動き出したことを確認して、足を動かし始めた。

 正直もう少し粘ってみるつもりだった。早く機会が巡ってきたことに安堵する。学校なんてものもないので、いくらでも時間はあった。とはいえ、さすがに相手をずっと追い続けるのは消耗する。

 京は散々だった前回の狩りを思い出していた。そして、無意識のうちに腕へ注射する。そうすれば、禁断症状はあっという間に抑えられた。

 端的にいえば、まるで歯が立たなかった。いくらXガンを撃ち込んでも効かなかったのだ。そしてZガンに変えようとしたところで、不可視の力に掴まった。その後は、もうなすすべがなかった。

 屋台から出た、金髪の外国人を追う。彼女は、後ろを全く警戒していないようだ。

 短髪のサングラス男、平が言っていたことを思い出す。

 そう、ボールごとだ。あの星人が入っている赤いボールを丸ごと破壊してしまえば、相手に行動させる間もなく殺せる。上手く狙撃してやれば、女の方も打つ手がないだろう。そして自分は、独り占めできるというわけだ。クリアを重ねられる。

 ボールを見ていると、段々腹が立ってきた。本当に、憎たらしい。あれはあの時、明らかにこちらを嘲笑していた。もがく様を笑っていた。

 

「ぉん?」

 

 そう、これだ。こんな感じの、紫の靄だった。

 京は悲鳴を上げながらひっくり返る。すぐに起き上がったが、その声で女の方もまた気付いたようだ。だが、その顔は特に意外そうではなかった。

 

「ミカルゲ、やり過ぎたら駄目」

 

 ふわふわと、紫が揺れる。

 シロナという名らしい女は、武器を構えた京を冷静に見てきていた。

 

「う、動くな!」

「貴方、バイクに乗ってた人ね。憶えてる」

「わああ!」

 

 腕が勝手に振らされ、握っていたライフル型のXガンが飛んでいった。自分の指がどうしようもなく震えていたせいでもある。今、目の前の脅威に対応するべきなのか、それともすぐにポケットから新しい薬を出すべきなのか、迷いが生じていた。

 

「家は? 危ないでしょ。親、心配してるんじゃないの?」

「関係ない。俺は、点を取りに来たんや」

「ちょっと待って」

 

 シロナはボールを投げた。そして、植物の見た目をした星人が出てくる。だが、もはや京にとってもそれを星人ととらえていいのかわからなかった。確かポケモンと、相手は呼んでいたような気もする。

 植物星人は京を花で示してから、シロナに向かって複雑に鳴いた。途端彼女の表情が引き締まる。

 

「ポケットに入っているものを見せて」

「はあ?」

 

 シロナの目は真剣だった。

 

「妙な臭いがするらしいの。貴方の体から、同じものを感じるそうよ。何をしているの?」

「関係、ないやろ」

「そうね」

 

 言葉とは裏腹に、京の体は拘束されていた。またあの、わけのわからない超能力だ。紫は平然と力を行使してきている。暴れても、無駄だった。

 彼女は素早くポケットから注射器を取り出すと、目を細めた。

 

「なにこれ」

「さあな」

「私は、心当たりがあるけど。昔、同じことをしようとしていた一団がいたの。あれはポケモンに対してのものだったけど、これは違うみたい」

 

 投げ捨てられる。彼女の足が、本来医療の用途に使われるべき器具を簡単に破壊した。

 京はだらだらと額から汗を流し始める。比喩ではなく、本当に頭が弾けそうだった。

 

「何するんや!」

「きみ、学校は?」

 

 貴方から呼び名が変わっていることにも、気づけない。

 

「そんなのどうでもええ。弁償しろ」

「こっちでも、教育は大事なんでしょ? どうやってきみは暮らしてるの? 親は?」

「知らんわ。どっちも死んだ。今は、女の家を転々としてる。別に困ってない」

 

 実際は親戚の叔母の所に居候させてもらっているのだが、なぜかシロナの前ではそのまま事実を言う気にはなれなかった。全くの嘘でもない。かつては、そんな暮らしをしていたこともあった。京は、かなりもてる。彼自身も自分の顔がかなり整っていることは理解していた。だが、ガンツという娯楽を手に入れてからは、そういうのも面倒になっていた。

 シロナは少しも引かなかった。腕を組みながら、さらに顔を近づける。

 

「だったら、尚更だめでしょ。血のつながっていない他人に、迷惑をかけないの。もう、それはやめなさい。絶対に幸せになれない」

「待てや。やっとるの、俺だけやないで。あいつらも! ノブやん達もハッパくらいはやっとる」

 

 少しだけ考えるような表情になった後、彼女は首を振った。

 

「あの人達は、いいの。判断ができる大人だから。自分から進んで、そういう道に入った。でも、きみは違うわ。まだ子供でしょ。元に戻れる余地がある」

「ふざけんな! 殺すぞババア!」

「…ちょっと、工夫が必要みたいね」

 

 ミカルゲと呼ばれた靄が、接近してくる。京は逃げようとしたが、シロナに抑えられていた。彼女も今はスーツを着ているのだ。本当に殺す気で抵抗すればわからないかもしれない。だが、既に彼は戦意を削がれていた。

 また超能力で、路地裏まで引っ張られる、そして誰の目にもつかない所までやってくると、ミカルゲが頭に触れてきた。

 

「なに、を」

「こういうのから更生するのに大事なのは、気持ちなの。今から、強力な暗示をかける。薬の代わりにすがりたいものを思い浮かべて。その女の人とか、何か別のまともなもの。上手く置き換えるから」

「やめろぉ…」

 

 そのアドバイスの一部を受け入れ、精神的な侵入を意志で防ごうとした。だが、そんなその場しのぎの抵抗は、虚しく終わる。

 

「うう…」

 

 不安だった。怖かった。自分の胸を満たしていた何かが、抜け出していく。そうすると、自分という存在がどこまでも流されていくようだった。今まではそういう感覚に陥っても、掴まっていられたのだ。薬から与えられた快楽が、繋ぎとめてくれていた。だが、もう違う。ズボンのポケットに入っている粉状の予備もまた、取り出されてしまった。

 

「苦しい、苦しい…」

 

 禁断症状が、限界まで来ている。本当に命の危険を感じていた。

 紫色の靄の一部が、頭の中に入り込んでくる。

 

「大丈夫よ、大丈夫。ここにいる」

 

 気がつけば、シロナに抱きしめられていた。優しく顔を胸にうずめさせられる。京は目も開けられなくなって、相手を突き飛ばす選択肢も思いつかなくなっていた。

 

「悪いのは、貴方だけじゃない。そうすることを許した環境。大丈夫。まともに戻れる。力を抜いて。別のものをたくさん思い浮かべて…」

 

 数日ぶりにまともな枕で眠っているような気がした。だが、頭の隅ではわかっている。すがっているのは、よく知りもしない女の胸だ。だが柔らかいことは確かだった。どうやら、シロナはかなり着やせするタイプらしい。今まで感じたことのない大きさで、京は頭を一杯にさせていた。降ってくる穏やかな声だけを耳に入れていた。

 徐々に、鼓動が落ち着いていく。止めどなく流れるようだった涙も、嘘のように止まった。しばらく呼吸が完全に一定になるまで、相手の抱擁を受け入れていた。

 いつの間にか自分がへたり込んでいることを認識したが、何とか立ち上がる。

 

「……離れろ」

 

 腕を伸ばして、シロナを拒絶した。彼女は抵抗しなかった。ただ静かに視線を合わせてきながら、何度か頷く。

 

「大切なのは、労働ね」

 

 京は顔を整えるのも忘れて、口を開けた。

 

「は?」

「きみも、スーツ持ってるんだもんね。安心して、まずは自分でお金を稼ぐこと。その感覚が大事なの。私の勤め先に頼めば大丈夫だから。一緒に頑張りましょう」

「お前、いい加減に…」

「私は、シロナ。いい加減憶えて」

 

 堂々とミカルゲをボールに戻し、彼女は歩いていった。こちらへの警戒は全くない。無防備な後ろ姿を晒している。今攻撃をすれば、有効だろう。

 その腰にあるボールに向けて、拾い上げた管付きのXガンを構える。それはバッグにあるパソコンとつながっていた。京自身が独自に改造したものだ。星人の点数が分かるようになっている。

 そう、まだ点数は表示されていた。しかも、上がっている。どの個体も上方修正されている。もうゲームは終わっているはずなのに、これはあきらかにおかしかった。ガンツの意図を、都合の良いように解釈するのならば。

 トリガーにかける指が、痙攣する。

 まだ、続いているということなのだ。仕留めれば、点数が入る。全部やればお得どころの話ではない。

 あるいは。

 京はわずかに汗を流した。

 この事実を、室谷達に伝える手もある。再び協力して相手の不意を突けば、一匹は確実に手に入るかもしれないのだ。やる価値はあった。むしろそうするべきだった。作戦としてはそれが最善だ。

 水色の上着の布地。

 わずかな香り。

 柔らかい、胸の感触。

 頭の疼きが収まっていった。それは薬にはまる前に感じていた爽やかさに酷似していた。

 

「…くだんな」

 

 Xガンを下げる。そしてバッグに全てしまうと、最後に遠ざかる彼女を観察してから、反対の方向へと振り返った。

 彼女の言葉。

 一体、薬への欲求が何に置換されてしまったのかは、あまり考えないようにした。昨日からずっと、何かに騙されているような感じがして、より非現実感が高まっていた。自分の頭がおかしくなっているのではないかと思うほどだ。ガンツという、よっぽど荒唐無稽なものに巻き込まれてからよりもずっと強い感覚。

 だから、気にもしていなかった。

 彼女の腰にあるボール達の姿が一瞬崩れかけていたのは、幻だと断定した。

 




 おっぱい星人になってしまった元ヤク中......。


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9.覚悟を決める

「あの女と、働いたで」

 

 具体的な名前を言われなくても、誰のことなのかすぐにわかった。どこか、釈然としない気持ちになる。女本人に対してと言うよりも、それに付随するものの存在が、じわじわと頭の隅で残り続けていた。

 

「そうなん」

「意外と、ちょろそうな女やった。あれなら、上手く道具として利用してもええかもな」

「味噌汁、出したか?」

「ああ、すぐ渡すわ」

 

 ジョージは会計をしに来た客に向かう。お釣りを渡しながら、さりげなく時間を確認した。上がりまでもう少しだ。

 室谷の方はこの牛丼屋のバイトが終わっても、まだ別の夜勤があるようだ。薬に使いすぎやろ、と心の中でごちる。工事現場の方と交互にシフトを入れているというのに、彼の貯金が潤っているという話は聞いたことがない。彼女である中山にもいくらか借金している始末だ。

 何事も、ほどほどが重要だと理解していた。あくまで麻薬は嗜む程度に。溺れてしまったら、意味がない。

 と言いつつ、ジョージはややそわそわしている自分を認識した。既に意識は帰った後のことに向けられている。朝寝坊したせいで、まともに世話ができなかったのだ。

 麻薬ではなく、別の何かにすっかりはまり込んでいることを、彼はあまり自覚していなかった。自身のことは、割と都合よく考えている。

 

 

 

 

 

 

 アパートへ向かう途中、電話がかかってきた。早足で進みながら、面倒そうに操作をする。

 

「なんや」

『あのな、明日空いてる?』

「無理。用事があるねん」

 

 向こうの山田は、溜息をついたようだ。

 

『また行くの? 二か月連続やん。とち狂ってるんとちゃう? それじゃあ、いつプラネタリウム行けるん?』

「その次の週でええやろ」

『そこまで経ったら、タイミングかち合うかもしれん。デートの時までスーツ持ってきたくない』

「じゃあ、スミも来ればええ」

「いや。もう何回付き合わされたと思ってるねん。飽きたわ。ああいう場所の匂いかぐだけで嫌になる」

「知らんがな」

 

 逆にジョージにとっては、星のどこがそんなにいいのかわからなかった。まだ一度も一緒に行ったことがないので、付き合ってもいいと考えてはいる。だが、その前に優先するべきことがあるのだ。

 それから彼女の勤務先の愚痴を多少聞いてから、電話を切った。今回は長引かなくて良かったと思う。アパートに着く前に終わってくれた。

 一階部分の一番手前にある扉の前で、鍵を出す。少し急いでいたために、取り落としてしまった。舌打ちを連発させながら拾い、開ける。

 

「ただいまあ。帰ってきたで」

 

 返事はない。事実、ジョージ以外でこの部屋に住んでいる人間などいない。犬や猫が慌ただしく駆けてくるといったこともなく、彼は居間まで進んでいった。

 まずはCDレコーダーを操作した。そしてお気に入りのクラシックをちょうどいい音量で流していく。

 バッハ作曲、G線上のアリア。優雅なヴァイオリンの響きを楽しみながら、小型のジョウロに水を汲んでいく。

 音楽が良いというのは、正直あまり信じてはいなかった。それで目に見える違いを感じたことがないからだ。だが、たとえ根拠がないとしても取れる手は全て試してみるのが、彼の流儀だった。

 

「~♪」

 

 鼻歌でメロディーをなぞりながら、水をかけていく。

 まずは、幹の部分が膨らんだ愛らしい観葉植物だ。ガジュマルという。幸福をもたらす精霊が宿っているとされているが、あながち迷信ではないと考えていた。その存在そのものが、多幸感をもたらしてくれているからだ。

 次に、ソファーの横に置いてある鉢へ向かった。南国のような雰囲気の幹、そして上方向にしゃきんと伸びている細めの葉。ガジュマルよりもかなり大きい、ユッカ。別名、青年の樹。部屋の雰囲気を柔らかくしている一因となっている。

 葉が中心の植物だけではない。横に長い棚の上には、色とりどりの花が並んでいる。サイネリアや、アザレアなど。水切れに弱い種類もあるので、今日のように一回でも忘れてしまった時は、バイト中でもはらはらしている。

 クラシックが響く中、植物たちを眺めながら、ジョージは一本取る。ローリングペーパーとフィルター用の厚紙でまかれた大麻を吸い始めた。

 

「あー、ええわ…」

 

 彼にとっては、至福の時だった。耳は高音質のクラシックを。そして植物達の香りを感じながら、ジョイントを吸う。これを維持するためなら、いくら金をかけても惜しいとは思わなかった。

 似合わない趣味だとは、自分でもわかっている。最初はほんの気まぐれだった。大麻栽培のことについて調べていたら、他の植物との違いについて気になり始めた。そしてあれよと言う間に、ずぶずぶになっていったわけだ。

 だが、今日はいつもよりも薬の効きも悪かった。原因はだいたいわかっている。

 度し難い、と考えていた。植物は、植物であるべきなのだ。けっして生意気な瞳が二つ付いた上、生えた足で平然と動いていいものではない。どこか引っかかるような気分が続いていた。それも全て、あの星人のせいだった。

 スマートフォンを起動し、明日の目的地を確認する。そうすると、鬱屈もすぐに晴れていった。

 いつもと気分を変えるつもりでいた。少し遠出をする。大阪府内にはそれほど多くはないが、調べたら興味の引かれる園があった。なるべく早起きをして、開いたらすぐに入るつもりでいた。

 翌日、その決断を後悔することになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

「初めて来たわあ」

「いっぱいあるー」

「凄い。色々な種類があるのね」

 

 ジョージの動きは素早かった。目の端に聞き憶えのある声と、見憶えのある姿を捉えた瞬間、トイレに逃げ込んでいた。個室に入った直後、どうしてこんなことをしなければならないのかという怒りがわいてきたが、堂々とシロナ達の前へ姿を晒す気にもならなかった。

 最悪な日だと、舌打ちする。せっかく来たかった植物園にいるというのに、少しも安らげない。

 大きく伸びている樹木を見ながら、どうしたものかと考え始めた。

 そして、思い出したくもなかった勝気そうな瞳と視線が合う。

 

「…」

 

 手すりに立っている対象を、ジョージは躊躇いなく払いのけようとする。だが、ロズレイドは容易く飛んでかわした。そして目の前を通り過ぎると、頭に重みがかかる。

 飼い主の度量が伺えるな、と苛々しながら腕を振る。だが相手はジョージのつるつるした頭の上を移動し、巧妙に避けていた。今の彼は、スーツを身に着けていない。ロズレイドの動きにまるで対応することができていなかった。

 

「乗るなボケ!」

 

 鳴き声を聞いた。どう考えても笑っている調子だ。さらにむきになって首を振るが、今度は肩の方に移ってきた。片手を叩き付けるも、結局自らの肩を痛めつけるだけに終わる。再び目の前の手すりに着地した彼女は、小さく舌を出す。ジョージは、ガンツの武器を携帯してこなかったことを酷く後悔していた。

 

「何してるの?」

 

 大声は、当然聞こえていたらしい。横から、シロナが歩いてきていた。ジョージに目をやると、少し考えるような顔になる。

 彼女によって再生された若い女とその子供らしき少年も、よくわかっていない様子で見てきていた。

 

 

 

 

 テラスにあるカフェで、コーヒーを頼む。

 

「どうして、こんな所にいるの?」

 

 シロナはちゃんと彼のことを憶えていたようだった。おそらく、ロズレイドのせいだろう。ボールから出ている所を誰かに見られれば騒ぎになりそうだが、彼女は器用に目口を隠して、植物に擬態していた。スリムな胴体や足は、シロナの手によって抱かれている。

 ジョージは頭をかきながら背もたれに寄りかかった。

 

「女や。女と来る時のために、下見しとった」

「几帳面なのね」

「でも、デートの場所がここって。よっぽど植物好きな彼女なんやなあ」

 

 杏という女が、呑気に言ってきた。

 二人は信じているようだが、一匹疑ってきている存在がいる。ロズレイドはこっそりと鼻らしき部分を動かしていた。熱心にジョージへと向けられている。そして何かに気がついたかのように片目を開けると、小さな口から息を吐き出した。

 シロナも、そんな様子に気がついたようだ。

 

「なに?」

 

 ロズレイドがにやつきながら鳴こうとしたところで、ジョージは席を立った。自分が頼んだ分の料金を乱暴に置くと、出口へと歩き始める。

 

「もう行くの?」

「下見は終わった。次のゲームは、ちゃんとやれや」

 

 もやもやとした何かが無視できないほど大きくなってきたので、限界を感じた。安らげるはずだった一日が最悪なものになってしまったことを悔やみながら、無視を続けようとする。

 シロナに密着していたロズレイドの姿が、外に出ても瞼の裏に残っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ◆

 

 

 

 呼吸が、乱れている。

 

「ふざけんなや…」

 

 空気が重く沈んでいた。全員が絶望しているようだった。

 

「一時間半、経ったやろ! 時間や! おい、黒飴、転送しろ。早く」

 

 室谷は片腕を根元ごともぎ取られていた。スーツのくぼみから、ゲル状の液体がこぼれている。彼の出血は酷く、限界が来るまでそう時間は残されていないと察せられた。腕だけではない。彼の耳も片足も食いちぎられていた。

 手を、離す。覆っていた視界が元に戻ると、そこには惨状が広がっていた。

 ちょうど、桑原が首を潰された所だった。上から降ってきた不可視の衝撃が、その肉を破壊するだけではなく、固い地面にも大きなへこみを作っていた。

 

「使われた! ちくしょう、人間でもないくせに…」

 

 ジョージは川の方に飛ばされる。それを救いに行こうとしていたトゲキッスが、伸びてきた手によって捕まる。自分の口が、甲高い叫び声を上げるのがわかった。白い羽がもがれていくのを眺めることしかできない。

 

「姉さん、お願い」

 

 シロナの肩を、杏が支えていた。血に濡れた頬に、雫が伝っている。

 

「百点のヤツは、うちらで止めるから。逃げて。帰らないといけないんやろ?」

 

 だがその言葉は虚しかった。既にロズレイドもミカルゲもトリトドンもミロカロスも、向こうの方で動かなくなっていた。家族達が全て殺された上で、どう故郷に戻ればいいのだろうか。どうやって、生きていけばいいのだろうか。

 化物が、近づいてくる。、室谷の首が飛ばされる。

 シロナを突き飛ばそうとした杏の胸が、大きく裂かれた。

 意識が、暗転する。精神もまた暗く沈みこんでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シロナはいつもよりも遅い時間に起きてきた。顔を洗い、寝癖を直すと、居間で杏がぽかんと口を開けて座っていた。

 

「酷い顔や。なんか、うなされてたな。大丈夫?」

「ええ。平気」

 

 本当はあまり平気ではなかった。最悪な夢を見たからだ。妙に現実味があって、起きた後も泥を呑み込んだかのような気持ち悪さが続いていた。

 トゲキッスを出すと、その全身を強く抱きしめる。不思議そうに鳴いてきたが、シロナは構わずにその羽へと口づけした。相手がくすぐったそうにしても、まだ続けた。

 

「姉さん、本当に大丈夫?」

 

 腰を下ろしてきた杏の体も、引き寄せる。最初彼女は戸惑っていたが、シロナの表情を見て力を抜いてくれた。

 最近、ほとんど毎日夢を見ている。それも悪夢を。内容は、どれも死が充満する酷いものだった。恐れていたことばかりが起き続け、どうにもならなくなった状況。最初は不安から来るものだと思っていた。大体の夢は、本人の精神によって形作られるからだ。

 一方で、不気味さを感じていた。実際、妄想に近いのは確かなのだろう。だが、おかしな点があった。転がっている死体には、ルカリオとカブリアスも含まれていた。本当にただの妄想である可能性もあるのだろう。それでも別の考えもぬぐえなかった。

 食事もして、ようやく落ち着いた頃、杏が提案をしてきた。

 

「今日、仕事ないんや。お休みってこと。銀行行ってから翔と映画見るんやけど、姉さんもどう?」

「そうね…」

 

 本当は夜からバイトがあったが、休むつもりだった。手持ちにはそれなりの余裕がある。外に出て、気分転換をする必要があると考えていた。

 

 

 

 

 

 わざわざ少し遠くへ出向かなければならないと、杏は文句を言っていた。

 税金というものの関係で、窓口に行く必要がある。だが、一番近い銀行はそれを閉めていた。シロナとしては移動距離が長いほど意識の切り替えに使えるので、さほど苦にはしていなかった。

 杏も、始めて来る支店らしい。中に入った後少しきょろきょろしてから、窓口へと向かった。シロナも翔と手をつなぎながら、ついていく。

 

「すみません、相談したいんですけど」

「受付番号順にお呼びしますので、少々お待ちください」

 

 七三分けにした細目の男が、丁寧に説明をしていた。普段は鋭そうな目つきも、上手く表情で和らげている。こうすると黒めの肌もまたマイルドな印象になっていた。

 彼は、上手く感情を隠しているようだった。シロナの視線を受けても、役員としての態度を崩さないでいる。

 

「オカ?」

 

 信じられなかった。受ける印象はかなり変わっている。だが肌の色と、目元の感じだけはごまかせなかった。シロナは何やら自分の口元が歪んでいくのを感じたが、直前で自制する。まだ受付を待っているお客もいたからだ。

 相手は横のメモ帳を取って、ペンを動かし始める。

 

「え、何? 知り合いなん?」 

「そっか。アンズはわからないわね。ほら、あれの。一緒のチームの男。ろくでなしよ」

「次の方、受付までお越しください」

 

 曖昧な笑顔を崩していない岡は、素早くシロナに紙片を渡してきた。ちらちら振り返りながら開けると、時間と銀行前の駐車場が記されている。

 理解をして、杏と共に席に座った。

 

「なんか、不思議や。あの中に真面目な人もいたんやな。あんなサラサラしてそうな髪で、星人と戦うんか?」

 

 周りの人の目がある状況でも、吹き出してしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 時間は、かなり遅かった。杏達と映画を見た後、しばらくスーツの検証や同じくケースに入っていた武器のことをじっくりと調べていてもまだ、余裕があった。

 夜の街を歩き、指定された駐車場に到着する。周りを見回していると、一台の車が光を点滅させた。

 横に来ると、窓を開けてくる。

 

「座れ」

 

 まだ岡は、仕事用のスーツを着ていた。髪型を少し崩している。どうやらかなりの量の整髪剤を使っていたようだ。その香りの残滓が、車内に漂っていた。

 

「何の用?」

「こっちの台詞や。どうやって、調べた? 脅してるつもりか?」

「偶然よ。私はアンズの付き添いで来てただけ。まさか、その確認だけでわざわざ呼び出したの?」

「ちゃうわ」

 

 岡は灰皿に煙草を擦りつけた。あまり煙は好きではないので、やめてほしかった。だが、話を円滑に進めるために我慢をした。

 窓の外に手をかけながら、顔も向けずに話を続ける。

 

「一応、言っておこうと思ってな。別に俺は悪くない。そうやろ?」

「貴方って本当に…」

「自分の命が大事なのは当たり前や。お前のペットを使えば、より安全性が増す」

「家族よ」

「でもな、その前に知っておくべきことがある。お前達の事情や」

「そう」

 

 灰皿を片手でぞんざいにどけた。

 

「何なんや、お前。星人か? 星人を使う星人なんて、初めて見るわ」

「私は、人間よ。そしてあの子達はポケモン。人と、ずっと共存している存在」

「そんなの、今ままで見たことないわ」

「私も、こんな世界知らなかった。訳がわからないのは同じ。気が付いたら、あのガンツに転送させられていたの」

「つまり、こう言いたいわけか?」

 

 岡は体を向けてくる。背もたれに手を預けて、鼻で笑った。

 

「お前達は、よくわからない別世界から来て、困っていると? 偶然話す言葉も一致していて、何とかなっているとでも?」

「じゃあ、ポケモン達の存在はどう説明するの? 私の狂った妄想という仮定では、処理できない事柄のはずよ」 

「こっちとしては、ガンツと結びつけるしかないんや。直前のことは、憶えてないんか? あの部屋に転送される直前、どのように死んだのか」

「だから、私は死んでないの。その記憶もない」

 

 相手の思考するような時間が過ぎていった。シロナはその間、ガラスの向こうで走っていく車達を観察していた。どちらの方が文明が発達しているのか、判断が付きづらい。それでもやはり、ポケモンの有無は大きな差を生んでいた。

 

「…それを、事実だと仮定して、進めていくとする」

 

 再び、煙草に火をつけた。

 

「どっちにしろ、お前の持っている武器は強力や。独り占めするのはもったいない」

「家族だって、言ってるでしょ」

「お前、自分に資格があるとでも思ってるんか?」

 

 岡は少しだけ笑みを強めた。

 

「未来が、ありありと見えるわ。お前はいつか、自分の家族を巻き込んで死ぬ。自分がトロいばっかりに、他の命も危険にさらす。宝の持ち腐れだと思わんか?」

「いいえ、そんなことにはならない」

「どこがや。今の自分を見てみい。一度殺し合いをした男と、性懲りもなく密室で二人になっている。自分の方は、何も準備せずに。また、俺が同じ行動をするとは思ってもいなかったんか?」

 

 岡が横の鞄に手を入れていた。

 シロナは動揺することもなく、彼の横顔を見つめる。

 

「本気?」

「あ?」

「本気で、私が何の備えもしてこなかったと思ってるの? それなら、貴方は複数の仮定もできない典型的な作業人ということになるわね」

 

 こんこん、と窓ガラスが角でつつかれている。岡が顔を向けると、ガラスの向こうでトゲキッスが睨みつけてきていた。先ほどからずっと車の上に留まらせておいたのだが、岡は気づいていなかったらしい。

 

「スーツ、着てないんでしょ? 本当に、やるつもり?」

 

 シロナのバックの口から、花がぬっと飛び出してくる。その先で、緑色の光球が形成されていった。エナジーボール。人間の体になど、当てたことはない。だがどういう結果になるのかは予想できていた。

 シロナが上着をめくり、黒スーツの部分を示す。それを最後に確認した岡は、鞄を閉めた。両手を頭の後ろにやる。

 

「オフの日でこれはないな。冗談や。学べているようで、何より」

「貴方の計画なんて、成功しない」

「ほう」

「意味がわかった。ポケモン達に対する飴の意味が。私を殺した後、その再生をたてに従わせるつもりだったんでしょ?」

 

 だが、既に彼らには言い含めていた。たとえどんなことがあっても、自分達を利用しようとしている者達の言うことは聞かないようにしろと。

 岡の反応で、それが正解だったと確信できた。

 

「なんや、頭はまともに働くやんけ」 

「いい? 私達は、協力しないといけないと思うの」

「お前が、俺に従うんだったらな」

「訊きたいことがある」

 

 シロナがどう考えても怪しい呼び出しへと応じたのは、内にある不安をなくすためだった。夢の内容を反芻しながら、やや声を潜める。

 

「百点の星人って、そんなに強いの?」

 

 その質問は、岡にとって予想外だったらしい。余裕のありそうだった表情が消えて、何かを探るようにシロナを見てきた。

 

「貴方は過去に二回、戦ったと言っていた。そんなに強大だったの?」

「そうやな。たくさん殺されたのは確かや。後に戦った奴の方が、強かったな。理不尽とも言えた」

「それくらいを想定したとして、」

 

 シロナは目の力を強める。

 

「今の私達で、勝てる? ポケモン達の力も合わせれば、突破できるの?」

 

 岡もまた、視線を鋭くしながら見てきていた。少し首を傾げて、もったいぶるように沈黙を作ってから、煙を彼女に向かって吐き出してきた。

 彼女が咳き込むのを眺めながら、言う。

 

「余裕やろ。俺一人でも勝てたんやで。正直あれよりも、お前のペットを同時に全部相手する方がきついわ。まずお前を殺して動揺を誘わないと、まあ無理やろな」

「そう」

 

 素っ気なく返事しつつ、わずかに乱れる鼓動を抑えていた。岡の言葉には、確信がこもっている気がする。少なくとも彼は、勝てるのだと信じている。それならあの夢は、本当に杞憂だということなのだろうか。

 いくら考えても、今は答えが出てこなかった。

 

「どうせだから、たくさん質問するわ。貴方達の行動原理について、わからない所があるのだけど」

「学者みたいな言い方やな」

「そうだから。つまり、貴方達のほとんどは、一回はクリアしたのよね?」

「説明したやろ」

「なんで、一番を選ばなかったの?」

 

 煙草の先端が、灰皿に擦りつけられた。

 

「解放ってことは、つまりガンツからのってことでしょう? 理解できない。どうしてわざわざ、こんなことを続けようとするの?」

「奴らのことを、真面目に考えようとしても意味はない。お前もわかってるやろ。楽しんでるんや。娯楽の一部として、遊び感覚で続けている。強い武器を手に入れて、さらに点を稼ぐ。それだけのこととしか思ってない」

「貴方は?」

 

 シロナの質問の対象は、一人だけだった。室谷達のことなら、もう多少は分かっているからだ。彼らに意味を求めても仕方がない。だが、この男は違うと思っていた。少なくとも、ただのストレス解消や暇つぶしで、七回もクリアするほど続けているとは考えられない。

 岡は、窓を閉めた。まだ煙草の先は少し燃えているが、もう吸う気はないようだ。

 

「昔から、投げ出すのが嫌いなんや」

 

 目で、先を促す。

 

「お前だって、憶えはあるやろ。一度参加した催しの、エンディングを見てみたいと思うやろ? それと同じや。このゲームの最後を見届ける。それが俺の目的」

「どういう、こと?」

「俺もよくわかってない。一応、仮説はある。一つは、星人が全滅すること。敵がいなくなったら、終わりやろ」

「それって…」

「まあ、途方もないやろうな。俺達だけやない。関東の方も、他の国も、同じことが繰り返されとる。結構前から、ガンツのゲームは続いてきたはずや。今になっても終わってないということは、これからもまだまだ終わらない可能性がある。もう一つは、」

 

 前のガラスから見える空を、指先で示してみせた。

 

「ラストミッションのクリア。カタストロフィとも、呼ばれとる。破滅や。その時が近づいているらしい」

 

 シロナは少しの間話を整理してから、声を出した。

 

「そもそも、星人って何なの? 元々この世界にいたわけではないんでしょ?」

「名前をそのまま受け取るなら、他の星の奴らってことやな。宇宙の先にいる。わかるか?」

「ええ」

 

 宇宙、銀河。その言葉には、あまりいい思い出がない。遠大な野望を語っていた男のことを考える。なぜか、背筋が寒くなった。

 

「貴方は、そういう理由でずっと戦いを続けているのね」

「そうや」

「でも、本当に?」

「あん?」

 

 相手の顔を真っすぐ見る。

 

「本当にそれだけの理由で、続けているの?」

「疑っとるんか? 生憎、これ以上面白い話はないで。これだけや」

 

 岡は感情を隠すのが上手かった。だが今の質問に対してだけは、やや目線が動いたようにも感じた。シロナは心に留めておく。この男の言葉は額面通りに受け取ってはいけない。

 

「そう。じゃあ、他の質問もするわ」

「おいおい。やけに時間かけるな。明日も仕事なんや。手短にな」

「さっき、他の所でも同じことが行われてるって、言ってたわよね。特に、カントーの方はどうだとか。あっちも、私達と同じような感じなの? クリアしてる人がたくさんいる?」

「いや、それがなあ…」

 

 嘲りも混じった苦笑が、その口から漏れた。

 

「てんで駄目や。間接的な情報しか伝わってこんが、特に東京チームはぼろぼろらしい」

 

 トウキョウ。日本の首都。この国の中心都市。イメージとしては、最も猛者が集まる場所だと言えた。だが、岡によると違うそうだ。

 

「数回連続の全滅になったそうや。二回生き残る奴もいないらしい。毎回事情のわからない奴だけが集められるから、生存率もお察しやな」

「そんなに…」

「ちょっと前なら、粒がいたらしいんやがな。そいつも死んだ。星人の強さが増すと運も絡んでくる。そこばかりは、どうしようもない」

「なるほどね。わかったわ。次ので最後」

「やっとか」

 

 シロナは真面目な表情で続けた。

 

「もじゃもじゃとサラサラ、どっちが本当の貴方?」

「知らん。さっさと帰れ」 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 完全に、楽になったとは言えなかった。

 だが、覚悟を決めるしかない。

 本能的に、わかった。首筋が粟立つような感覚。ちょうど、何度目からスマホ確認をしていたところだ。充電は可能だと証明されたので、取りあえず周辺を回って、電波がつながらないか試していた。それに疲れて、杏のアパートの前に戻った時だ。

 ちょうど、杏も出てきていた。彼女はシロナを見つけると、路地裏まで連れて行く。

 

「ほんとに? もうすぐなん?」

「多分。それ、ちゃんと着れた?」

 

 おそらく、最低条件だった。スーツを身に着けていること。そうしなければ、生き残ることは難しい。

 彼女は腰から胸のあたりを片手でなぞった。

 

「これ、ちょっとはずいなあ」

「でも、私達の生命線だから」

「姉さん、思ってた通り凄いなあ。やっぱりガイジンさんって、大きくなるものなん?」

「さあ…」

 

 いつもより、杏は饒舌だった。声の調子も高い。彼女の肩をゆっくり撫でてやると、その場にしゃがみ込んだ。

 

「大丈夫。私とポケモン達がいる。今度は、簡単よ。でも一応、この武器は握ってて」

「緊張する…」

「頑張りましょう」

 

 思った通り、足の先から転送が始まる。シロナは強く杏とボール達に触れていた。目の前が移り変わっていっても、力を抜かなかった。

 どうやら、彼女達は最後の方だったらしい。

 既に他の者達は全員、部屋に揃っていた。あらゆる性質の視線が向けられても、今度ははっきり堂々としていられた。

 

「二万でどうや」

「また、不能にさせられたいの?」

 

 胸のラインを遠慮なく見てくる桑原をあしらって、球体の前に立った。

 音楽が鳴る。

 どうやら、既存のメンバーだけで始まるらしい。シロナが初めて参加した回以前は、いつも新しく人が追加されていたという。だが、今回は違っていた。

 シロナは、まだスマホをしまえていないことに気がついた。戦いになれば、負担がかかる。この部屋に置いていけばいいかと、隅の方を見た。最後の駄目もとで、スマホのスイッチを入れる。ほとんど期待はしていなかった。

 息が、止まった。

 今までずっと表示されていた圏外が消え、電波が一本だけ立っている。他のどこで試しても成功していなかったのだ。だから、この事実には大きな衝撃を受けた。

 しかし、直後のことだった。

 シロナは大事なはずのスマホを取り落としそうになる。ついに連絡がつながりそうだという事実以上の強烈な何かが、黒い球体に表示されていた。

 画像。

 星人とされている画像を、認識する。

 文字と音声が、その名を示していく。

 

でぃあるが・ぱるきあ

 

 結局、どれだけ備えても。覚悟を決めても。

 どうしようもない事態はやってくるのだと、痺れる頭で理解した。

 



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でぃあるが・ぱるきあ
10.おのぼりさん


 把握していくほどに、力が抜けていく。

 

「がん、つ…」

 

 一度は持ち直したスマートフォンが、呆気なく床に落ちた。液晶に、やや傷がつく。もし本当に壊れてしまえば一大事なのに、シロナはまるでその心配をしていなかった。息を浅く吸い込んでから、ゆっくりと前へ進む。

 

「ガンツ、やめて。何をするの?」

 

 不思議そうな他の者達にも構わず、球体の画面に両手をついた。

 思えば最初から、これはシロナにとって冗談としか思えないことを課してきた。今回も、その一部なのだと仮定する。甘やかしたかと思えば、たちの悪い嘘でかき乱してくる。まさに悪質な悪戯だ。シロナは確信する。これを操作している何かは、間違いなく意思を持った存在だ。そうに、決まっている。

 

「姉さん? どうしたん?」

 

 杏の声も、今は届かなかった。

 

「表示を、切り替えて。そんな嘘はやめて。ガンツ、やめなさい!」

「おいおい、なんなんや」

 

 室谷が言ってくる。他の者達もまた、まるで他人事のように見物していた。シロナは少しの間呆けてから、思い出す。そうだ、彼らは、わからないのだ。ポケモンを知らない。そしてその神話についても。

 

 ディアルガ。

 じかんポケモン。

 それが生まれたことで、時間が動き出したという伝説を持つポケモン。

 

 パルキア。

 くうかんポケモン。

 並行して並ぶ空間の狭間に住むと言われている。それが呼吸する度に、空間は安定するとされている。

 

 どちらも、シンオウ地方を創造したとされる、神話のポケモンだった。世界そのものを創造したアルセウスの子供達でもあり、その姿と逸話は古くから畏怖と感謝をもって伝えられている。もはや、ポケモンという名称の枠で収まるかどうかも疑問だった。

 彼らは、神に等しい。

 かつてシロナも、テンガン山においてその力の一端を見た。利用しようとしていたギンガ団を率いる男と、自分を初めて打ち負かした優秀なトレーナーと共に。

 

「ふざけてるの? 無理よ! できるわけがない! 今すぐに、対象を変えて。どうして、そんなことをするの!」

「やかましいわ。急にとち狂ったか?」

 

 めんどくさそうに、ジョージが割り込んできた。球体に爪を立てようとしているシロナの手を引きはがすと、無理やり後ろへ投げ捨てるように押していく。

 自らを身下ろしてくる者達を見ながら、シロナは何とかして呼吸を整えた。だが、血が全て抜き取られたような顔の白さは変わっていない。腰が抜けて、まだ立ち上がることができない。酷い吐き気がしたが、増すのは捻じれるような胸の痛みだけだった。

 

「ど、どうしたんや…」

 

 すっかり恐怖しきっているシロナを見て、杏もまた同じ感情が大きくなっているようだった。数瞬前まで頼もしかったはずの相手が、急にこんな様子になったら誰だって衝撃を受けるだろう。その泣きそうな瞳を認識して、少しだけ調子を取り戻した。

 

「聞いて」

 

 そう言葉を出して、実際に顔を向けてきたのはほんの一部だった。岡や桑原などは、ガンツに表示されている画像を観察している。

 

「絶対に、勝てないわ。負ける。全員死ぬ。本物なら、無理」

「あん? この星人、知ってんのか」

 

 訪ねてきた室谷に対して、震えながら頷く。

 

「神話に出てくる、存在よ。戦うなんて…」

「マジかいな!」

 

 場違いなほど、能天気な声が発せられた。

 サングラスをかけている三人組が、歓声を上げている。

 

「何点になるんや? 百超えたりして」

「うひょおっ、特典一個確定やんけ」

「待て待て。二匹いるんやぞ。二個や」

 

 言葉すら、出なかった。彼らは恐れるどころか、むしろとても喜んでいるようだ。まるで素晴らしい獲物がやって来たとでも言わんばかりだった。

 そしてそれは信じられないことに、他でも同じだった。室谷達も、シロナほど深刻に受け取っている様子はない。挑戦的な笑みを浮かべていた。これからの戦いを、期待しているかのように。

 大きな溝を、感じた。今までで一番、別世界に来たのだという感じがした。元の世界の人達なら、決してそんな感情は抱かない。圧倒的な力を持つ神に対して、どう抗しえるのか。どうして、まともな敵として戦意を向けられるのか。

 

「違う! まだ、わかってないの? 私達でも、貴方達でも勝てないの。そういう話が通用する次元じゃない」

 

 確かに、彼らの持つ武器は強力だ。シロナでも見たことのないような技術が結集されて作られたのだとわかる。だかどんなに高機能だとしても、結局使うのは人間だ。スーツで強化されていたとしても、限界がある。

 室谷が薄く笑いながら、肩をすくめてみせる。

 

「落ち着けや。まだ戦ってもないのに」

「わかるわ。貴方達じゃ、どうしようもできない。私のポケモン達にすら勝ててないのに。どういう根拠があってそんなに自信があるの?」

「なんやと?」 

「おい、ちょっと待て」

 

 空気が緊張を孕みかけた所で、桑原がようやく声を発した。彼は首を傾げながら、ガンツに表示されている文字列を見る。

 

「そもそもこいつら、星人なんか? 最近、おかしいやろ。シロナ、お前が来てからずっと変わり続けてる。よく見てみろや。どこにも、いつものやっつけろみたいな文がない」

 

 室谷との睨み合いも忘れて、彼女は顔を向けた。事実、表示されているのは名前だけだった。そういえば、前置きのような文も流れていなかった気がする。

 まるで状況がつかめないまま、シロナは自分の手が欠けていることに気がついた。

 

「アンズ、」

 

 不安そうに見上げてくる彼女へと、素早く言う。

 

「私のそばを、離れないで。何が起きるのわからない。守るから。絶対に、そばにいて」

「わ、わかった…」

 

 同じくボール達も固く抱きしめる。スマホを拾っていないことに気がついたが、放置しておくことにした。既に体のほとんどが消えていっている。杏の顔が消失するのを見届けてから、シロナもまた完全に転送された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 周りの景色が認識できるようになると、すぐに行動をした。

 手早くポケモン達を出していく。五匹全てが、目の前に揃った。

 そして、違和感を覚える。

 

「あ…?」

 

 かなり建物が密集している場所のようだった。住宅街ではなさそうだ。雑多なビルには、看板がいくつも掲げられている。

 どこかの広場に、シロナ達は立っていた。人通りがかなり多い。正面にあるビルの上に、巨大なテレビが取り付けられていた。

 その映像では、ちょうどニュースが流れている。最近ブレイクしていたレイカという若い女優が、行方不明になっているという事件。その捜査を、警察はじきに打ち切ると発表した。アナウンサーの背後には、そのレイカらしき女性が笑う宣材写真が表示されていた。とても綺麗だったが、今はそれを気にしている余裕などない。

 

「おい、ここ…」

 

 意外だったのは、他の者達も戸惑っていることだった。しきりに周囲を見回して、確認をしている。まるで馴染みのない場所に放り出されたかのような。

 転送されたバイクに触れながら、京が地名らしき字が刻まれている看板を指差した。

 

「は? 東京やんけ。しかも、池袋」

「マジ? でも確かに見たことあるわ」

「俺、初やわ。へええ、都会って感じやなあ」

 

 イケブクロというのは初めて聞いたが、東京は知っている。つい最近、話題に出ていた都市だった。

 日本の首都。人の流れと物流の頂点。

 その話をした岡の姿は、既に消えている。

 大阪と、かなり離れていることは既に学んでいた。地理は興味深い題材の一つだ。ガンツによる転送は、想像よりもはるかに強力なようだった。一瞬で、日本の東の都市にやってきた。

 そして、予想外の事態はさらに続いた。

 

「うわ、なんだこいつら」

「コスプレか?」

「急に現れたぞ。人間?」

 

 おいおい、と桑原が辛うじて漏らした。

 明らかに、周りの通行人はシロナ達を認識しているようだった。スマホを向けて撮影している者もたくさんいる。やがて来るはずの脅威を一瞬忘れて、シロナも呆然とした。彼女はまだ経験が浅いが、ルールの一つとして理解していた。ミッション中の自分達は、誰からも見えないはずだったのだ。

 

「俺ら、見られとるぞ」

「なんかヒーローみたいやな」

「ガンツ、ぶっ壊れたんか?」

「え、戻れないってこと?」

「じゃあ、帰るついでに観光してくか」

「うち、つけ麺食べたいわ。ブログで見たやつ。魚介系の」

 

 呑気な会話も長くは続かない。

 シロナ達を囲んでいる人だかりに、動きがあった。大きく波打ち、人が走り始めている。どうやら、逃げているようだった。何かを見たのだろう。ほとんどが悲鳴を上げて、この場から離脱しようとしていた。

 シロナは、振り返る。同時に大きな衝撃音が鳴った。

 バスが、飛んでくるところだった。だが、シロナは少し後ずさるだけで逃げようとはしない。彼女達の大分手前に落ちたからだ。

 既に場は、喧騒で溢れていた。遠くからサイレンも聞こえてくる。横転したバスの窓から、何人かが転がり落ちていた。誰もが、酷い怪我をしている。血だまりの中で、誰かを助け出そうとする者もいた。

 運転席の部分から、誰かが飛び出してくる。その姿を見て、シロナはさらに混乱した。黒いスーツを身に着けている。自分達と、同じだ。

 その長い黒髪の男は、刀を握っていた。とても疲労している様子だったが、何かに向けて強い意思のこもった視線を向けている。

 だが、その彼は走り出すと同時に、もう捕まっていた。大きな手によって。

 

「同胞は、苦しんだだろう…。報いを受けろ」

 

 助けなきゃ、と思った直後、男の顔が弾ける。

 立っているのは、巨大な人型の生物だった。筋骨隆々の体以上に、その恐ろしさを増幅させているのが、顔の周りに生えている角だ。口からも歪曲した牙が長く伸びていて、凶暴性を疑うまでもなかった。かろうじて人間の要素が含まれていそうな両目は、既にそれが潰した男のことを捉えてはいない。

 

「よく聞け! 野次馬ども」

 

 地の底から響くような声が、発せられた。

 怪物はこの場にいる全員に向けて、憎悪を垂れ流している。

 

「俺はこれからこの街の人間を一人残らず殺す!!この街の人間がいなくなれば、次の街だ!!」

 

 牙の先から、涎が滴り落ちる。 

 

「俺は止まらない!! 止められるなら止めてみろ!! 虫ケラ共! 俺は、一人でもおまえら全体相手に勝ってみせる!! 全人類が相手でも、俺は勝ってみせるっ!!」

 

 その邪悪を、シロナはしっかりと直視していた。

 あれもまた、おそらく星人なのだ。自分達が倒すべき敵。これに対しては、文句がなかった。確かに排除されるべき存在だ。そう、確信できた。

 既に辺りは静まり返っている。嗚咽が漏れる音だけが、その静寂を破っている。周りの者達は、全員が絶望しているようだった。もう望みはないと、思い込んでいる。

 おそらく薬が染み込んでいるであろう煙草をふかしたあと、室谷はバスの上に立っている角の星人を見上げた。

 

「なにイキっとんねんあいつ。だっさ」

 

 そして彼らは、じゃんけんを始めた。

 シロナにはもう諦めがついている。どううやらあれに挑む者を一人、決めるらしい。どうせいくら強く指摘したとしても、改めないのはわかりきっていた。それほど彼らと共に長く戦ってきたわけではないが、最善の方法が何なのか、思いついていた。

 あれが今回の対象ということなのだろうか。だとしたら、本当にガンツは故障している。星人の名前を、あえて間違えて伝えた? シロナをからかうために。

 それが正しい推測であることを願いながら、ポケモン達へ目配せをする。既に準備は終わっていた。心の切り替えも。

 彼女はあいこが続いて声を上げている集団に向けて、高らかに言った。

 

「早い者勝ちね」

 

 走り出すと同時に、相手もこちらに気付いたようだった。バスから飛び降りると、牙同士をかみ合わせる。

 

「まだ、残りがいたか。関係ない。死ね、ハンタァァァ」

「そういうことなら、いただきぃ!」

 

 パーマのサングラスが、武器を構える。既にじゃんけんから抜け出して、真っ先に星人へと狙いを定めた。シロナの呼びかけに他も反応している。既に、そういう空気ができつつあった。全員が撃ち始める。

 だが、一発も当たらなかった。

 星人の動きがかすむ。シロナもまた、戦慄した。

 速すぎる。その残像はまるで線のように伸びていた。速さだけ見るなら、うちのポケモン達のほとんどはついていけないだろう。当然シロナ自身の動体視力では到底捉えきれなかった。

 

「当たらんわ」

「Zガン…いや」

「よっしゃ。首狩りじゃあ!」

 

 男たちは皆、刀を展開させる。それぞれが思い思いの構えをしながら、走ってくる角の星人へ向かい始めた。

 最初に斬り込んだのは、ジョージだ。その刃を避け、星人は彼の背後に一瞬で回る。その背中へと拳を構えた。

 鋭い気合と共に、室谷がその腕を切断した。だが攻撃はそこで終わり、反撃としてもう片方の拳が直撃する。

 

「ぎゃはは、ノブやん吹っ飛ばされてやんの」

「おらおら、こっちこいこっち! 俺にとどめさされてや、お願い~」

 

 星人は、轟くような咆哮を上げた。

 

「ハンタアアアアアアアア!」

 

 全員が、後ろへと飛ぶ。

 直後、星人の周囲で轟音が鳴った。宙から電撃が走り、地面を抉っていく。一瞬前までその着弾点にいた彼らは、好き勝手に騒いでいた。

 

「魔法やん」

「接近すんのむずそうやな」

「伸ばして使うかあ」

「順番に斬りかかろうや。お前らの刃に巻き込まれたら元も子も、ぶっ」

 

 冷静に言っていたジョージが、殴り飛ばされる。星人はさらに側面に回り込もうとしていた桑原へと、ひじ打ちをかました。彼はそれをぎりぎり刀で受け止めたが、衝撃は殺しきれない。上半身裸の変態も転がっていく。

 さらに正面の室谷へ向かっていこうとした所で、相手の動きは停止した。

 観察をして、星人の性質を理解する。最も脅威なのは、そのスピードだ。体が特別硬いというわけでもない。動きを制限させてしまえば、一気に弱る。

 という考えに沿って、既にシロナはポケモンへ指示を出していた。星人の両足が、凍っていく。トリトドンとミロカロスのれいとうビームが、見事に直撃していた。

 

「ぬぅうう」

 

 星人が、顔だけ振り返ってくる。その形相と目を合わせないようにしながら、次の段階へと移行しようとした。

 

「お前か!」

 

 だが、その前に相手の攻撃が始まる。星人はトリトドンに視線を定めると、拳を動かした。殴りつけるためではない。その動きと連動して、電撃が走る。星人自身の速度をも凌駕して、トリトドンに到達した。

 

「ぽぽ?」

 

 だが、効果はない。彼女は、じめんタイプも含んでいる。雷に対して、絶対的な耐性を持っているのだ。

 

「はどうだん、シャドーボール」

 

 トゲキッスが飛び上がる。

 ロズレイドは、両方の花を合わせながら、狙いを定めた。

 二匹から放たれた弾が、相手の胸と喉に炸裂した。

 

「キサマカアアアアアアアアアアアアアアア!」

 

 足の氷が、砕ける。

 シロナは当然、抜け出されるのも読んでいた。相手はもはや大量の血を流し、満身創痍だ。だから最後に自分の手で決めることにした。

 バツ印の武器を構える。ガンツから支給されたもの。今まで使ったことのないタイプの道具だったが、検証を重ねることでその利用法を解明していた。

 二つのトリガーを、同時に引く。上が標的を指定し、下で発射する。その瞬間、口の部分が光りながら展開した。

 直後、自分の体が持ち上げられるのが分かった。相手の状態は何も変わっていない。どうやら狙いを外したとわかったシロナは、一瞬パニックになった。

 星人の手によって、彼女の細い体が覆われている。スーツの力によって耐えられているが、わかりきっていることだった。必ず、限界がある。早く抜け出さなければ、潰されるのはそう遠くないだろう。

 

「死ねぇぇぇぇ」

 

 角と牙がおぞましい迫力を伝えてくる。シロナは歯を食いしばり、抵抗を試みた。

 星人の顔が半分、はじけ飛ぶ。

 手の力が緩み、シロナは下に落ちた。膝をつきながら、武器を構えている杏を認識する。

 同時に、星人の腰や肩も内部から破裂した。山田と金髪の女性、中山の攻撃も受けた相手は、既に息絶えているようだ。ゆらりと体を揺らしてから、前のめりに倒れていった。

 

「大丈夫?」

 

 杏の声が、二重になって聞こえる。

 シロナは、初めて知った。これが、自分の身で戦線に立つということ。強大な相手に接近して、命の取り合いをするということ。彼女は駆け寄ってくるポケモン達の方を見た。まだ、痛いほどの心臓の動きが止まらなかった。

 こういう、気持ちだったのだろうか。

 一番近くにいる、ロズレイドの瞳を見る。一見、彼女にも他のポケモンにも、怯えは感じ取れない。しかし、それは自分のエゴなのかもしれなかった。思い込みにすぎないかもしれない。今までも、もしかすれば。

 揺れる心情は、どっと沸いた歓声によって流された。

 中には、涙を流しながら喜びを爆発させている者もいる。今まで固唾を呑んで見守っていた全ての人々が、シロナ達を讃えていた。

 杏に立たせてもらったシロナは、少しの間黙って周りを見る。

 

「すげえよ、アンタ。やっつけちまった」

「助かった…」

「ありがとう、ありがとう」

 

 向けられる感謝に慣れていないのは、他の者達も同じようだ。今まで、ガンツにやらされていた戦いは秘されていた。誰にも、認識されない出来事だった。もはや違う。これがこの先どのような影響を与えるのかはわからないが、決して悪い面ばかりではないと、沈んでいた心が戻ってくる心地だった。

 

「わお、マジでヒーローやん」

「テレビ出れるんかな」

「流行る一言考えな」

 

 まんざらでもなさそうな顔で、長髪ストレートのサングラスが頭をかいた。そして、背伸びをしながら手を振り始める。その浮かれようは、そのまま天へと昇っていきそうだった。調子に乗るのも仕方がない状況とはいえ。

 そして、実際に彼の体が浮き始めた。

 群衆がざわめく。全員の視線が、上がっていく。

 他のシロナ達も同様だった。不可視の力が彼女達の動きを完全に封じ、徐々に上へと運んでいた。天へと、向かっている。

 例外なく、抵抗できないようだった。すぐ横に、弾ける音を出しながら岡が出現する。透明になってずっと潜んでいたようだったが、同じくこれは防げていなかった。彼らの中では比較的落ち着いている様子で、武器を離さずにいた。

 

「どうなってん?」

「やばっ、たっか」

「落ちたらどうする? 耐えられるん?」

「言わないで!」

「姉さん…」

 

 杏が見てくるが、シロナはどうすることもできない。

 ただ、この運ぶ力には心当たりがあった。サイコキネシスの作用と似ている。だが、この人数を同時に浮かせられるほどのものは、ミカルゲでも難しかった。かなめいしごと引っ張られているミカルゲは、心細そうに鳴いている。

 そして、さらに上空において、巨大な存在が出現した。

 シロナは、血の気が引いていくのを感じる。

 どちらも、五メートルは優に超えているだろう。

 全体的に深い藍色のような色調。四足を空中に伸ばし、顔や背中、胸部に鎧のような装甲を持っている。胸部の中心には、ダイヤモンド型の格が存在していた。

 もう一体の方は、二足で宙に固定されている。体の多くは白色になっていて、首や尻尾、下半身の真ん中のあたりは紫色の線が走っていた。背中から翼にも似た(ひれ)が飛び出しており、神々しさに拍車をかけている。

 本物だ、とシロナは確信した。

 ディアルガとパルキアは、東京の上空でシロナ達を待ち構えていた。パルキアの方が、口を動かしている。どうやら、サイコキネシスはそれが行使しているようだった。

 先ほどまでの感情が、しぼんでいった。

 ガンツは、こんな存在と戦わせようとしているのか。実際に見てわかった。やはり、無理だ。事実、こうしてなすすべなくそばまで運ばれている。どうなるのだろう。彼らの力で、呆気なく殺されるのだろうか。

 ディアルガの方が、圧倒的な咆哮を上げた。先ほどの星人のそれとは、比べ物にならない。このまま拘束が衝撃で外れ、地面まで吹き飛ばされるのではないかと思いかけた。杏もまた悲鳴すら上げることができず、目を閉じかけている。シロナは、意識だけは手放さないよう、多大な努力をした。

 その体のすぐ横に、穴が生じる。中身は青く光っていた。黒いうねりも、混ざっている。他のどんなポケモンでも作ることのできないものだと、直感した。

 

「やばない? やばない?」

「す、吸い込まれとる!」

「おいガンツ、転送しろ! 仕切り直しや!」

「やばいてぇ」

 

 穴は、引力を持っていた。誰も逃れることができずに、そこへと引きこまれていく。次々と前の者達が飲み込まれていくのを見て、シロナもついに目をつぶった。未知への恐怖が、彼女に現実の拒絶を強制させていた。

 うねりが、目の前に迫る。ポケモン達も悲鳴を上げる。

 そして頭が絞られる心地になって、意識が暗闇に落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「きゅう…」

 

 頬をくすぐる羽の感触で、意識が覚醒した。

 半身を一気に起こす。本来なら体を痛めてもおかしくはないが、あふれ出てくる力によって制御されていた。スーツの力は、こういう所にも作用する。

 トゲキッスの頭を撫でながら、シロナは立ち上がった。

 

「どこやねん、ここ」

 

 少なくとも、異質な世界に飛ばされたなどというわけではなさそうだった。空はちゃんと青く、所々に雲が広がっている。

 石の地面が、広がっていた。それは一種の道となり、横に広い階段へと続いている。

 シロナは、周りの建物が先ほどまでの場所とは違っていることに気がついた。あちらとは違い、これらは大体が木造だ。薄い赤の柱がいくつが経っていて、その意匠はかつて他の地方で見た形式と酷似している。

 ジョウト地方の、エンジュシティを思い出せた。古風とも言える造りになっている。

 既に他の者達も意識を取り戻している。シロナと同じくらい、今の状況に困惑している様子だった。

 

「見たことあんな」

 

 室谷がぽつりとこぼす。

 すると、他の者達も同意し始めた。

 

「そうやな」

「なんだっけ?」

「俺は、知らねえぞ」

「寺なんかに興味ないねん」

「確か、ニュースで…」

 

 あ、と杏が声を上げる。注目されると、やや気まずそうに続きを話した。

 

「ここ、羅鼎院(らていいん)やないか? 東京文京区の。あの門の感じとか、憶えとるもん」

「ラテイイン?」

「うんとな、寺や。いや、神社? とにかく、こっちのな、宗教に関係する建物やねん」

「そうなんだ」

 

 自分がいた世界でもこのような雰囲気を持つシティが、あるポケモンを信仰していた。思考が似ると、建物の形式まで寄っていくものなのだろうか。

 

「でも…」

「おかしいやろ」

 

 杏が俯いたところで、ジョージが刀で門を指す。彼はまるで、冗談でも目にしているような顔をしていた。

 

「ここは、確かにニュースになってた。でも、映像だとかなり破壊されてたはずや。しかもそれ、一か月以上前のニュースやで」

 

 静まり返った空気の中で、開いている門から何かが飛び出してきた。

 シロナは、既視感を覚える。先ほどの、バスのことが思い出された。あの時も、同じだった。かなり傷ついている様子の、知らない黒スーツの男が。

 あの角の星人に殺された人とは違う、もっと若い外見の男が、階段を転がり落ちてきた。誰も動かない中、シロナは走る。既に危険は承知していたが、その男の状態は酷かったのだ。片足を潰されていて、かなりの出血をしていた。

 

「トゲキッス!」

 

 言われなくても、自分の出番だとわかってくれていたらしい。彼がすぐさま飛んできて、いのちのしずくを傷口に向かって垂らした。あくまで出血を止める程度にしかこれほどの傷には効果がないが、それでも男は喋る元気を取り戻したようだった。

 

「ちく、しょう」

「今、治すから」

 

 シロナが声をかけると、童顔の男はわずかに呻き始めた。思わず、息を呑む。その表情は悲痛にまみれていた。涙が次々とこぼれてくる。

 

「みんな、みんな殺された。俺が馬鹿だった…。ちょうしに、乗ってたんだ」

「またかい。連戦ばっかやなあ」

 

 声に反応して顔を上げると、門から続々と何かが出てきていた。石像、と言えるようなものだ。だが、その造りの雰囲気には共通点がある。表情は違えど、同じ形式に沿って作られているとわかった。

 拳だけの個体もいれば、先端が三つに分かれた槍を持つ個体もいる。それらは全て、はっきりとシロナ達に戦意を示してきていた。人間、ではないのなら。シロナは整理をする。これもまた、星人なのか。先ほどの角の星人とは、また違った不気味さがあった。

 穴に吸い込まれるまで離さなかった武器を構えて、室谷達が走っていく。その流れを横目に、シロナは少しずつ傷ついた男の体を運んでいた。戦闘に巻き込まれないようにある程度の距離まで続ける。

 まだ、男の意識は混濁しているようだ。とにかく、トゲキッスのねがいごとが効力を発揮するまで、気絶させてはいけなかった。最悪、戻ってこれない可能性がある。だからシロナは、相手の意識を保たせるために質問をした。

 

「頑張って! いい? 私達が、何とかするから。聞いて。貴方の名前は?」

 

 声をかけると、相手は身じろぎした。額からかなりの量の汗を出しながら、薄く目を開ける。

 かすれる声で、答えてきた。

 それでも確かな芯を持っているような印象を受けた。

 

「くろの、けい」

 



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11.千手観音

 くろの、という男の容体が落ち着くのを待って、シロナは顔を上げる。

 

「何なんだ、あんたら」

 

 彼はもはやはっきりと言葉を発することができている。だが、まともに歩くことはまだ無理だろう。上から降ってくる光によって、徐々に再生が始まっているものの、正常に動作するには時間がいる。

 

「私達も、よくわかってないの。気がついたらここに飛ばされていた」

「どこから、来たんだ?」

「大阪。知ってる?」

「知ってる。けど、わけが…」

 

 くろのは目を閉じて、体を完全に横にさせた。呼吸は維持されている。一旦、脳が体を休ませるべきだと判断したのだろう。今くらいの段階になれば、意識を失っても死ぬことはない。

 シロナは、相手を細かく観察した。自分達と、同じようなことに巻き込まれている男。見た所、学生のようだ。京より少し年上かもしれない。こんな者も容赦なく戦いに行かせるガンツは、やはりろくでもないと再認識した。

 別のチーム、ということなのだろう。ここは東京だ。つまり、そういうことになる。岡の話によれば、東京チームは何度も全滅しているはずだった。今まさに、そうなるところだった。

 おかしいのは、東京には二つのチームが存在しているという可能性が生まれたことだった。前のイケブクロ、という所でも星人と戦っている存在がいた。どういうことなのだろう。やはり首都だけあって、担当がいくつかに分かれているのだろうか。

 あるいは。

 ジョージの言っていたこと。

 そして、ディアルガの力。

 諸々を考慮して、別の仮説も出来上がってきた。だが、シロナにはわからない。一体あの伝説のポケモン達はどうして、自分達を殺すこともなく飛ばしたのか。そこにどのような意思があるのか、今は推測すら出てこなかった。

 始まった戦闘に意識を向けると、まだ門の外に残っている者がいた。

 

「ええか?」

 

 ついていてくれた杏が、後ずさる。シロナもまた、微妙な顔をしながら体の前に構えを作った。

 非常に警戒されている桑原は、大して気にすることもなく言ってくる。

 

「提案があるんや」

「なに?」

「やめた方がええよ。変態の言葉を耳に入れると、腐るで」 

「なんやねん。俺なんかしたか? ずけずけ言われると傷つくんやが」

 

 桑原に微笑まれると、杏はさらに怯えるようにしてシロナの後ろに回った。シロナ自身としても、あまりこの男との会話は望んでいない。できれば、視界にも入らないでほしかった。

 

「別に、普通のことや。俺も、治してくれんか? 地面擦ってな。肩と腕痛いねん」

 

 自業自得だと、すぐに思った。

 確かに桑原は軽い怪我をしている。あの、角の星人に吹き飛ばされた時にできたのだろう。だがそれは、スーツをちゃんと全身に身に着けていれば防げたものだった。普段余裕をこいているから、足元をすくわれる。

 しかし拒否をしてさらに話がこじれるのも嫌だったので、シロナは頷いた。

 

「アクアリング」

 

 ミロカロスの口から、中量の水が吐き出される。それは空中に留まり、綺麗な輪を作っていった。それはゆっくりと桑原の方へと動いていき、彼の体にかかっていく。

 勢いよく、変態が立ち上がった。

 

「お? なんや、求愛行動か?」

 

 直後のれいとうビームをさっとかわして、自分の傷が治りかけていることに気がついたようだ。素直にシロナへお礼を言ってきた。彼女自身も、実験ができて良かったと思っている。本来このアクアリングはミロカロス自身へ行使するためだけのものだ。だが工夫をすれば、他者も癒せるのだとわかった。

 そこで満足すると思いきや、桑原はまだ門へ向かおうとしなかった。

 

「提案があるんやけど」

「お金なんて、いくら積まれても…」

「違う違う。俺もさすがに馬鹿やない。学んだんや。俺な、実はもうすぐでクリアできそうやねん」

 

 何やら自信満々の顔で続ける。

 

「まあ今回でサクッと百点にいけるやろうし、特典は何がいいか考えた」

「そう」

「思いついたんや。お前の、何だっけ? ルリオカとガブアリスのどっちか、生き返らせたる」

 

 たいして嬉しいとは感じなかった。予想外なのは確かだが。

 相手が何を考えているのか、手に取るようにわかった。

 

「その代わりに、な? ええやろ?」

「はあ…」

「命一つと、一発やぞ。破格や」

「いい? 私に頼むのがまず、間違ってるわ。ちゃんとこの子に直接意思を確認して。それが礼儀でしょ」 

「なるほどな。これで親の公認は得られた。ちょろいわ」

 

 桑原は、ミロカロスへとずんずん歩いていく。その長い胴体部分を舐めるように見つめてから、腰に両手を当てた。

 

「約束や。これ終わったら、まずは口でな。あ! つめたっ! いきなり乳首責めかいな。おい! どこいくんや。照れてんのか?」

 

 トゲキッスと顔を合わせてから、戦いの場へとシロナは向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 今までの経験で、ある程度惨状には慣れていた。

 とはいえ、門内の光景は酷いものだった。

 死体が、いくつか転がっている。どれも体の一部がちぎられていたり、頭が丸ごと潰されていたりと、残虐以外の感想を抱きようにない。

 シロナをぞっとさせたのは、死体にはスーツを着ている者も含まれていることだった。かなり体格がいい男らしきものもある。他にも、黒髪を後ろにまとめた背の高い女性や、可愛らしい茶髪の若い女性もスーツを着ながら息絶えている。彼らに共通しているのが、どれもスーツのくぼみから液体が漏れ出していることだった。

 つまり。

 彼女は目を逸らさないようにしながら、冷静を保とうとする。スーツにも、やはり限界がある。夢の内容でもあった。その力を失った瞬間、ああいう液体がこぼれだすのだ。

 自分達と同じような装備を持った者達がほぼ全滅しているのを見ても、シロナはそれほど緊張が増すということはなかった。

 なぜなら周りで起きている戦いは、はっきりと室谷達の方が優勢になっていたからだ。

 

「邪魔やって言うとるやろ!」

 

 室谷が文句を吐くのも構わず、トリトドンが石像を凍らせていく。それは数瞬前まで、室谷が狙っていた個体だった。彼の方は舌打ちをしながら、側面から向かってくるもう一体を両断する。

 あの刀は、かなり性能が良いらしい。相手が石の塊であっても、容易く斬れる。スーツの増強と合わさって、かなりの効果を発揮しているようだ。シロナはその武器も使ってみる価値があると考えたが、今は別の武器しか持ってきていないことを思い出した。

 バツ印と、Y字の武器を両手に持つ。

 Xガンと、Yガン。そう、呼ばれているらしい。ガン、という部分がどこから来ているのかは、杏に教えてもらった。どうやらのこの世界にはそういう名称の武器が元からあるらしい。金属の弾を打ち出す筒のようなもの。日本語では銃と言う。

 移動している石像に向かって、何発かXガンを撃ち込んだ。だが、当たっていない。先ほどもそうだったが、どうやら自分はこの武器に対する適正がまるでないらしい。

 

「おい」

 

 若い声が聞こえて、振り返った。ちょうど京が、バイクを止めている。倒れた細長い姿の石像にとどめを刺すと、挑むようにシロナを見てきた。

 

「下手くそやな。ペットは使えるのに、本人はだめだめやん」

 

 シロナは苦笑いをする。

 

「そうね。私にはちょっと、難しいみたい。きみは凄いね。よく当たる」

 

 虚を突かれたような顔をした後、京はなぜか歯ぎしりをした。シロナを一瞬見た後、指で彼女のXガンを示してきた。

 

「同時に引くなや」

「うん?」

「だから、トリガー同時に引いたら、狙いずれやすくなる。上のロックオンしてから、下で撃て。要領悪いな」

 

 言われたとおりにして、接近してくる一体を狙った。少しの間が空いてから、相手は内部から破裂していく。周りで、それを狙っていた者はいない。シロナの攻撃だけでそうなったのは明らかだった。

 

「本当ね。ありがとう」

 

 向き直ってお礼を言うと、既に京の姿はなかった。エンジン音を鳴らしながら、黒い円のバイクで端まで移動している。少し目で追って、もう薬を使っていないことを確認した。そのせいか、彼はどこか落ち着かない様子に見える。克服を助けた立場上、相談に乗る必要があるかもしれない。

 ただ、ずっとミカルゲについてこられているのは、不安そうだった。ミカルゲは、京を驚かせることに楽しみを見出し始めたらしい。バイクにくっつくなと叫んでるのを最後に見てから、シロナは他に集中した。

 あっという間に、向かってくる石像は数を減らしていった。中には、かなり大きな個体もいた。腰布のような形の石を巻いており、長い棒を振り回していた。同じようでいて少し違う見た目のもう一体も暴れていたが、後ろから伸ばされた刀によって首を飛ばされる。

 最後まで戦っているのは、ジョージだ。相手はかなり速い個体のようで、捉えるのに苦労している。

 彼の前を走りながら、ロズレイドがマジカルリーフを繰り出した。鋭い葉っぱ達が飛んでいき、石像の体に到達する。だが、刺さりはせずに落ちていった。

 

「引っ込んでろ。軽いんやお前のは」

 

 ロズレイドは、ジョージに向かって怒るように鳴いた。両者のやり取りを見て、シロナは少し意外に感じている。彼女、ロズレイドは、自分のポケモン達の中でもかなり気難しい方だと思っている。シロナには素直な面をたくさん見せてくれるのだが、他人に対しては少し壁を作る傾向があった。だが、あの黒い肌の男とは正面から接しているようだ。

 喜べばいいのか、心配すればいいのか。複雑な気持ちが渦巻いていた。

 ジョージの斬撃と、ロズレイドのエナジーボールが同時に当たる。耐えられるはずもなく、最後の石像は破壊されていった。内部は普通の肉みたいで、血を散らせているのがどこか不気味だった。

 

「なんやねんその顔。失せろ」

 

 ロズレイドの得意げな表情に向かって、ぞんざいにジョージは手を振っている。

 これで、一応の区切りがついたことになる。シロナはあの倒れている男の所まで戻るべきかどうか考えた。くろのが目を覚まして、勝手に動かれたら心配だ。

 しかし、その考えはすぐに消えた。

 周りの者達も、怪訝そうにあたりを見る。

 光の線が、あちこちに伸びていた。かなりの数だ。それらは転がっている星人の死骸へと注がれていく。

 変化は、すぐに起こった。

 見る見るうちに、石像全てが修復されていく。例外はない。門の両側にいた大きい個体も、再び動き始めた。シロナは言葉を失って、無意識のうちに後ずさっていた。

 おかしいとは思った。これらは、お世辞にも強いとは思えなかった。あの死んでいる東京チームの者達が対応できなかったのは、やや不思議に思っていたのだ。

 中央にある堂が、崩れていく。

 短髪のサングラスが、嬉しそうな叫び声を上げた。

 

「これ、もしかして稼ぎ場所か?」

 

 優に十メートルはありそうな、石像だった。頭の部分に、いくつもの丸い粒が重ねられている。前に構えている手や、その表情からは柔和な印象を受けるが、向かってくる巨大な足は明らかにシロナ達を潰す意思で動いていた。

 

「はー、大仏様ぶっ壊せるなんて、黒飴も粋なことするなあ」

 

 Xガンが、何度か撃ち込まれる。だが、その巨大な像の足に少しの傷をつけただけだった。あまりにも、体積が大きすぎる。少し破裂させたくらいでは意味がないだろう。

 さらに。

 シロナはようやく、これを乗り越えるのが難題だと把握した。

 大仏の傷は、すぐに治されていく。どこからともなくやってきた光線が、それを可能にさせていた。普通に処理することでさえ困難なのに、再生されたら勝てるわけがない。

 周りを囲む像を睨む。おそらくこうして、東京チームは削られていったのだ。一体一体がそれほど強くはないとはいえ、無限に向かってこられれば必ず限界が来る。シロナもまた、怯みかけた。どうしろというのだろう。

 だが、室谷は呑気に叫んだ。

 

「やれやれ。点数稼ぎや! 削れ」

 

 彼も言ったあと、すぐに石像の一体を切り伏せる。他のほとんどの者達も、さして動揺することなく戦闘を再開させた。

 

「待って。おかしいわ。このままじゃ、こっちがやられる。どうにかして、攻略法を見つけないと…」

 

 彼らとの関わりが、まだ浅いのは事実だった。シロナも十分、この戦いの恐ろしさが実感できている。だが、まだわかっていなかった。シロナより何倍もの時間、ガンツの戦いを生き残ってきた者達。一度はほぼ全員相手に自分のポケモン達が生き残った。そのせいで、多少彼らを過小評価していた面もあったのだ。

 

「あれやわ」

 

 ジョージが指差す。

 建物の上に付いている、灯だった。その中に、光が含まれている。注目したと同時に、そこから光線が飛び出した。桑原が倒した個体に振っていき、その再生を行う。

 

「全部撃て」

 

 言いながら、室谷もXガンを使用していた。男達が、次々とあちこちの灯を破壊していく。その行動が正解なのはすぐにわかった。石像たちが今までよりも明らかに勢いづいて、その妨害をしてきたからだ。

 

「あと、二、三回湧かせた方がええんとちゃう?」

「どうせまだ奥にいるやろ。反応がある。温存しとこうや」

 

 シロナは少し黙った後、まだ自分にもやるべきことがあるのを思い出した。既に再生できなくなりつつある石像達を破壊していきながら、呼びかける。

 

「トゲキッス、ロズレイド!」

 

 二匹はすぐに近づいてくる。シロナの指示を仰ぐような目をしていた。

 桑原を潰そうとしていた、大仏を腕で示す。たとえ相手の回復が封じられたとしても、厄介な相手なのは確かだ。Xガンなどでは、ほとんど効果がない。望みがありそうなZガンも、持ってきていないようだった。刀も同様に、有効打を与えるのは厳しそうだ。

 だから、ポケモン達の力に頼るべきだった。

 既にミロカロスが、大仏の足を凍らせようとしている。だが固定される前に、氷が割れてしまう。大きさとその膨大な力で、上手く足止めできていない。

 

「頼んだわ。お願いね」

 

 指示を出した後、トゲキッスは飛び立った。その上には、ロズレイドを乗せている。彼らはすぐに大仏の頭付近まで到達していた。

 当然、相手もまたそれを認識している。表情を少し引き締めて、片腕を構えた。彼らを一気に張り飛ばそうとしてくる。

 トゲキッスは少し汗をかきながらも、軌道を変えて避けていた。二撃目も、かわしていく。それなりに厳しそうではあった。その速度より、攻撃範囲の広さで脅威となっている。徐々に速度も上がりつつあった。大仏は、今やはっきりと怒りの顔で動いている。

 彼らにかなりの意識が向けられてしまっている。このままでは、溜める隙もないだろう。上手く放ったとしても、かわされる可能性がある。

 だからシロナは、踏ん張る準備をした。既に周りの石像はほとんど片付けられている。だから、今影響が及んでも問題ないと断定した。

 

「トリトドン、じしん!」

 

 地面が、大きく揺れていく。味方も巻き込む可能性のある強力なわざだ。シロナは少し頑張っていたが、結局耐え切れず転んでしまう。

 だがそれは、大仏も同じようだった。動きが止まっている。倒れるまでは行かないが、完全にトゲキッス達への攻撃はやめていた。

 ミロカロスのれいとうビームが、重ねられていく。たとえ片足の部分だけだとしても、大仏が容易に抜け出せないほどの氷になった。その上で、地面が未だに横に揺れている。そのバランスが崩れるのは、もう時間の問題だった。

 そうして相手が四苦八苦している間に、ロズレイドは集中していた。半分目をつぶりながら、両手の花を構えている。徐々に、そこへ光が集まりつつあった。太陽の光にも、似たものが。

 もし今が夜だったのなら、別の案を考えなくてはいけなかった。もっと時間がかかったかもしれない。生憎、天気を変えるわざを彼女のポケモン達は憶えていない。

 大仏が気付いた時には、既に完了されていた。

 太陽の力が凝縮された光。

 ロズレイドから放たれたソーラービームが、一瞬で到達していた。

 

「すっげ…」

 

 桑原が興味深そうに見上げている。

 既に大仏は、倒れようとしていた。頭の上半分が一気に削られれば、どんな生物もひとたまりもないだろう。じしんの揺れから立ち直りつつあったサングラス達が、慌てて逃げていく。          

 石階段の所へ、大仏は転がった。 

 その死骸に、全員が集まる。

 

「天罰下るんかな」

「こいつら、星人やろ。仏教って、まさかそういうことだったん?」

「なわけないやろ…」

 

 今度こそ、区切りがついた。シロナはほっと息をつく。連続で戦いが続いていて、段々と精神の負担が大きくなってきていた。

 だが、室谷達はまだ元気のようだ。

 

「南にたくさんいるわ。まだ残っとる」

 

 レーダーを見ている京に対して、室谷が不思議そうに言った。

 

「キョウ、お前薬やめたんか? よく症状でないな」 

「ど、どうでもええやろ」

 

 もう一度彼をそういう道に引き込むのはやめてほしいと、釘を刺そうとした。だがその旨を喋ろうとしたところで、京と目が合う。彼は全力でさりげなく口を動かしていた。声は出していない。ただ、やめろと伝えてきているのはわかった。

 首を傾げてから、降りてきたトゲキッスとロズレイドを迎えた。

 

「もう一つ、反応あるやん。北西か?」

「でも、よくわからん。固まってて。数は、そんなに多くないと思う」

「めんどくさいな。分かれて同時にやるか」

 

 彼らの多くは、数の多い方に行きたがっているようだ。少しでも多くの点を稼ぎたいらしい。シロナは、あえて少ない方を選んだ。まだ自分が戦いに慣れていないのは明らかだったし、もっと集中してポケモン達との連携を鍛えたいと思っていたからだ。この先に待っている、戦いのためにも。

 杏も、ついてくると言ってきた。彼女もまた、不慣れな身だ。何かがあっても自分が側についていればいいと、シロナは考えた。

 そして、別の考えもあった。南の方へ行くつもりのジョージ達へ、一部のポケモンも付いていかせることにした。ロズレイドとトリトドン、ミカルゲだ。

 シロナは将来に対しての不安を、少しでもなくそうとしていた。彼らが自分から、このチームの結束をちゃんとしたものにしようとするとは思わない。期待もしていない。だから、こちら側が勝手に歩み寄ることにした。

 

「この人達に負けないよう、頑張って」

「おぉ」

「ぼわわ!」

 

 相手の反応はほとんど芳しくなかったが、構わない。別に、仲良くしなくてもいいのだ。最低限共に戦うということをどちらも理解してほしかった。そうすれば多少は、チームとしての力も増していくと思うのだ。

 北西の方へ向かい始めたシロナは、室谷を見た。

 

「どうしてこっちを?」

「わかっとらんな」

 

 どこか得意げな顔で言う。

 

「あっちは、多分雑魚しかおらん。匂うんや。あの堂の中。ボスはさっきの大仏かもしれんが、そこそこの奴がいるかもしれん」

「あたしも、そろそろ大量得点したいな」

 

 室谷の隣で、中山が歩いていた。

 

「お前、ついていけるんか?」

「何言っとんの。もうちょっと頑張れば一回クリアできるよ」

 

 それから、シロナを少しきつく見てきた。さすがにわかってきている。この中山という女性は、明らかにシロナをよく思っていないようだ。思い当たる節も少しあるので、仕方がないと受け入れていた。

 

「まだ、聞いてないんやけど」

「え?」

「さっき、オニの星人に捕まった時。助けたやろ。うちが撃たなければ、死んでたやん」

「そうね。ありがとう。本当に助かったわ」

 

 実際に思っている通りのことを言っても、相手は微妙そうに押し黙るだけだった。こういう時、シロナも別に無理をして踏み込んでいこうとはしない。おそらくこちらがお礼を言うのを渋れば、さらに責めるつもりだったのだろう。だが今は、これ以上言い争いをしている時でもない。

 そして、警戒すべき対象もいた。

 半目になりながら嫌そうにしているミロカロスに向かって、桑原は色々とろくでもないことを言っている。彼も、こっち側についてきたようだ。その目的はだいたいわかっているので、さらに注意を強めた。

 その建物は、あまり大きくはなかった。だが、装飾はかなり豪華に施されている。まるで何かを丁重に祀っているような雰囲気があった。シロナもまた、実感していく。確かにこちらの方が油断できないかもしれない。

 中に入ると、石像達が並んでいた。

 全部で、五体いる。外にいた個体とは雰囲気が違っていた。サイズはそれほど変わらないのだが、身に着けている装備が豪華になっている。兜を被っている像もある。そのほとんどが武器を持っておらず、そこだけは拍子抜けする部分もあった。

 だが、シロナは圧倒される。

 中央の一体。明らかに異質な姿をしていた。何本もの腕が、背中から生えている。それぞれの手には、様々な道具が握られていた。中には短めの剣もある。他とは、雰囲気からして何かが違っていた。

 

「ちっさいなあ。当てが外れたか」

 

 室谷が文句を言った直後、その大量の腕を持つ石像がいきなり声を出した。

 

「君達も、そうなのかい?」

 

 ぞっとする。その声は、普通の男のものだったからだ。それが異質な石像から発せられているというだけで、不気味さが増大していく。

 真ん中の石像が、片目を開けていた。

 

「驚かせてしまったのなら、申し訳ない。一応、伝わってはいるかな? まだ慣れていないんだ。一応誰かの脳を読み取ってみたんだけど、これが普通なのかはわからなくてね。意味を、理解できてるかい?」

 

 桑原と室谷が、同時にXガンを使った。

 狂いなく、その石像に命中する。

 かに、思えた。 

 

「ふうん。やっぱりそうなんだね。災難は、続くものだ」

 

 その石像の前に、別の個体が立ちふさがっている。少しの間の後、それらは破裂した。まるで主人を守るような動きをした個体達は、血らしき液体を垂れ流して転倒する。

 そして続々と残りの二体の兜をした石像が飛び出してきた。

 反射的に、シロナは堂の外まで出ていた。Xガンを受けて倒れたはずの像が、再び立ち上がるのも見えていた。とにかく狭い場所で多くの敵と戦うのは、避けたかった。

 灯は、全て潰したはずだ。何かの光線が注がれた様子もない。直感する。彼らは、今まで処理してきた相手とは、明らかに違っている。その違いを理解しなければ、勝てない。

 他の者達も、上手く逃げられたようだった。そして、全員が外に出てきた石像達に注目をする。

 

「悲しいよ。私達は、何もしていないはずなのに」

 

 反応が、できなかった。

 並んでいる手の一つが、光った。そして放たれた光線がシロナの顔の横を通り過ぎて、誰かの悲鳴を上げさせる。

 室谷が振り向いて、叫んだ。

 

「おい、美保!」

 

 中山は呆然と、自分の腹に開いた穴を見ている。そして後ろへと倒れていった。

 シロナは躊躇わなかった。すぐにその体を抱きとめ、トゲキッスへ指示を出す。まずいのちのしずくで少しでも止血に専念する。そしてねがいごとで時間をかけて治療をする。

 もちろん、そんな余裕が残されていればの話だった。

 

「集中して! 彼女は、トゲキッスが治す!」

 

 それだけを聞いて、室谷は前を向いた。向かってくる二体を相手する。同時に桑原も、もう片方の組にXガンを向けた。杏は、震えながら多手の石像に武器を構える。

 

「どうして、滅ぼされなければならない? 君達のやっていることは立派な虐殺だよ。抵抗の権利が、こちらにはあるはずだ。だろ?」

 

 来る、と直感した。

 手の一つが、シロナへと定められている。その指先が光ったのを見た瞬間、既に言葉を発していた。

 

「ミラーコート!」

 

 ミロカロスが前に出て、透明な板を形成させる。果たして成功するかどうかは正直賭けだったが、上手くいった。板に光線が直撃するも、貫通はしない。シロナ達の前で止められたそれは、すぐに反転する。ミロカロスの強力なカウンターわざは、相手の不意をつけたようだ。

 撃ってきた石像に、光線が走る。右の手達の一部が、破壊された。

 杏と同時に、Xガンを使う。石像は素早く接近を試みたが、ミロカロスのれいとうビームによって止められた。

 手が、動く。握られた剣が飛ばされた。シロナはそれをはっきりと認識して、汗をかきながら横に転がった。

 腕に熱の感触。見れば、スーツの部分が綺麗に裂かれている。一瞬、頭が真っ白になった。これは、攻撃を防いでくれるものではなかったのか。あるいは、その剣は思っている以上に強力なのかもしれない。

 さらに何かをしようとしていた多手の石像は、一気に破裂した。

 同時に室谷達が、やや疲労しながら他の個体を破壊する。

 

「さっきの集団とは、ちょっと違うみたいだね」

 

 それで終わってくれるとは期待していない。

 その石像も、他のものも、全て立ち上がってきた。内側から肉が盛り上がるようにして、完全に体を再生させていく。おぞましい光景だった。もしかすれば終わりはないのかもしれないという恐れが、徐々に大きくなってきていた。

 冷静になれ、と自分に言い聞かせる。撃っても、斬っても一見効果がないように思える。ならば、別の手段で攻撃すればいい。

 既に中山の治療を終わらせたトゲキッスが、でんげきはを放った。それをかわした石像の軌道に合わせて、ミロカロスが氷を吐き出していく。それに見事、相手ははまった。シロナは武器をそれに向ける。

 Yガンから、光の縄が放出される。いい思い出のある武器ではない。本当に何か効果があるのか、疑問でもあった。だが、これならもしかすれば。

 正確に石像へと巻き付き、現象が始まった。

 

「うっ」

 

 その呻き声は、途中で消えていった。石像の頭は既にほとんど消えていっている。それはまるで、転送される時のシロナ達と同じだった。一体どこに運ばれるのかはわからないが、武器として支給されている以上、完了されれば討伐扱いになるはずだ。

 

「やっ、た…」

 

 杏が息を吐き出す。

 シロナもほとんど、勝ちを確信していた。その像の上半身全てが、欠けてきている。それが下にも到達し、やがて全身を消してくれるのはもうじきだった。

 

「うぅん……」

 

 その断面から、肉が盛り上がっていく。ただそれを眺めていることしかできなかった。敵が、復活していくのを。

 石像の体から完全に分離した肉の塊は、最初地面に転がっているだけだった。だが、徐々に蠢き始める。背中から太い腕を何本も生やしていきながら、ゆっくりと立ち上がった。頭の欠けている部分も徐々に埋められていき、やがて人の顔らしきものが出てきた。大量の顔面が、出来上がっていく。

 

「もしかして、弱いと思ってた?」

「気持ちわりーな。そういうとこだよ」

「俺は強者。お前らは、弱者だ」

「くろのクン、あの時どういう思いで私を…」

「加藤くんは私が守る。だから、貴方達は死んで」

「ふぅうぅう」

「ケイちゃん、逃げるんだ……」

「お前達の行き先は、地獄だ。如来様は全て見ておられる」

「わかるかい?」

 

 複数の顔が、同時にシロナを向いた。肥大した全身が動き始める。気持ちの悪い露出した肉のような色の体が、迫ってくる。

 

「君達も、一部になるんだ」 

 

 トゲキッスの放ったはどうだんが、光線によって破壊される。続くでんげきはも、それが拾い上げた剣に吸収されていった。

 シロナは固まった意識を何とか動かして、XガンとYガンを同時に撃った。

 だが、その時には目の前の光景が変わっていた。

 

「思うに、厄介なのはこれだね」

 

 ミロカロスは、腕の一本に捕まれている。指の部分が膨らんで、大きな彼女の体を捕らえている。シロナは懸命に狙いをつけるが、相手はそのポケモンを盾にしてくる。そのせいで、迂闊に撃てなくなった。

 

「ふむ。興味深い。手足を持たない生物、特に蛇なんかはこうして捕らえられると抵抗のしようがない。これにも、適用されるみたいだね」

 

 桑原が、こちらを見てくる。そのせいで相手をしている兜の石像に殴られた。が、体に当たる前に辛うじてスーツの一部が付いている手を盾にできたようだ。

 シロナは叫びながら、同時に酷く困惑していた。自分の頭がおかしくなっているのだろうか。追いつめられて、妙な幻覚が視界に入っていた。

 ミロカロスは、抜け出せるはずなのだ。彼女がもっと積極的に動けば、あれくらいの指からは逃れられる。だが彼女は、ろくにわざも出していなかった。出せない、というのが正しいかもしれない。

 その体が、歪んでいた。正確には、ぼやけている。まるでノイズが混ざっているかのように姿が不明瞭になり、彼女自身も苦しんでいるようだった。そのせいで、抵抗ができない。

 

「そして、反転バリアも方向と範囲が定められていると」

 

 腕や複数の顔面の口から、光線が発せられる。

 そのほとんどが、ミロカロスの体を貫通した。

 桃色の触角が、潰されていく。

 シロナは膝をつき、泣き叫ぶよりも前に、胸の中で炎が生じるのを感じていた。悲しみや虚しさよりも大きく、怒りと憎しみが次から次へとあふれ出てきた。

 

「この…」

「うおおおおぉおおおぉぉおお!」

 

 だが真っ先に、突っ込んでいく存在がいた。

 桑原は普段の飄々とした態度を完全に崩し、化物へ斬りかかっている。その勢いは、今まで見たことがないほどのものだ。

 

「俺の穴を! なにしてくれるんやあああ!」

 

 たとえ冷静ではないにしても、その動きは洗練されている。スーツを半分しか着ていないのにも関わらず、相手の光線を見事に避けていた。化物の周囲を素早く走り回りながら、既にいくつかの斬撃を入れている。

 

「膝びーむ」

 

 だが、一瞬で両足に穴を空けられた。

 桑原は倒れ、荒く呼吸している。

 そして四体を相手にすることになった室谷は、複数の殴打によって吹き飛ばされていった。いくらでも再生する相手に、彼も顔中に汗をかいていた。

 肉の化物が、表情だけは緩ませる。

 

「あと、四つの射出口があるんだよ。最後に有意義な知識を得られて、よかったね」

 

 シロナは膝をつきながら、既に動かなくなっているミロカロスの体を見ていた。これ以上どうすればいいのか、わからない。

 トゲキッスが前に出て守ろうとしてくれるが、彼も同様に動きが鈍っていた。苦しんでいた。その存在が不安定になる。

 あの悪夢が、蘇ってくる。

 杏も既に腰を抜かしていた。武器が手から落ちる。その横に寝ている中山は、まだ目を覚まさない。

 

「それじゃバイバイだ」

 

 ばちばちと、何かが弾ける音がした。

 シロナの横に奇妙な物体が出現する。人工物のようだった。

 一瞬、連想する。シンオウとは違う地方で言い伝えがある、昔のポケモン。レジシリーズと呼ばれている個体のいくつかと、特徴が似ていた。特にレジスチルと、レジギガスに。

 下半身は、人間のようだ。黒スーツを着た人と酷似している。だが、両腕が異常なほどに大きくなっていた。特に拳の部分が強調されている。黒い装甲が重なっている肘らしき部分からは、細い刃が伸びていた。

 くぼみがいくつも空いている、厚くなった肩を揺らしながら。

 それは拳を前に構えた。

 

「かかってこんかい」

 

 管が後ろに伸びているマスクから、岡の声がした。

 

 



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12.再会

「そうやなあ」

 

 今の状況にしては、場違いなほど軽い調子だった。それでいて、裏には絶対的な自身が伺える。この程度の修羅場など、数にも含めないと言いたげだった。

 

「今の俺に、スキがあったらなー」

「隙だらけだよ」

 

 肉の怪物が、光線を発する。シロナは目を閉じかけた。あれもまた、スーツの防護を完全に無視する攻撃だ。当たれば、終わり。

 だが岡は、そのまま前に進んでいく。光線は、その拳に到達していた。

 

「俺な、こう見えても、学生時代……」

 

 まるで蠅を落とすように、攻撃を弾いた。貫通することもない。その黒く大きな手には、傷一つついていなかった。

 スーツのあらゆるくぼみが発光し始める。静かな駆動音が、肩や腕から聞こえてきた。

 石像達が、一斉に向かっていく。進む岡の周りを囲み、同時に飛び込んだ。

 岡の腕が回される。

 

「ピンポンやっとったんやっ!」

 

 拳が炸裂した個体が全て、一瞬ではじけ飛んでいった。Xガンでも、刀でもなく、ただ殴打が直撃しただけで、ほとんどの体が潰されていた。残った一体の頭を掴むと、岡は振りかぶる。

 投げつけられた石像を、怪物は避けた。そして、たくさんの腕を構えながら、突進していく。

 異常な密度の攻撃を、岡はほとんどいなしていた。あれだけ大きな拳や腕を持っているのに、その動きは俊敏だ。位置を常に変え続け、怪物を翻弄していた。

 複数の顔、そして指先達から、光が溜まっていく。放たれた何本もの光線が、岡のマスクを狙っていた。

 彼は腕を盾にしながら、その全てを受けきる。

 そして、肘を綺麗に回転させた。

 

「いうとくけど、」 

 

 一瞬で、怪物が三等分される。

肘の部分についている刃が、きらめいた。

 流れていく肉片の一つを蹴り飛ばし、残りは両手で地面に叩き付けた。

 

「空手やっとるんや。通信教育のな…」

 

 両手の穴が、まばゆいほどの光を発する。そこから、光弾がいくつも発射された。転がる肉を容赦なく破壊していく。石の地面が、穴だらけになっていく。舞い上がる欠片のせいで、シロナは顔を庇わなくてはならなかった。

 あっという間の出来事だった。今までで間違いなく一番強い、どう攻略するのかもわからなかった星人が、無残な姿を晒していた。

 しかしシロナはそれで安心することはない。

 

「まだ、終わってない!」

 

 目の前に、黒い掌が広がった。かなりの衝撃を感じて、シロナは自分が投げられたことに遅れて気がつく。

 怪我は、しなかった。トゲキッスが慌てるようにして飛んでくるが、治療はいらないと手で示す。

 彼女をどかした岡は、再び石像の包囲網に囚われていた。

 その少し離れた所で、怪物が立ち上がっている。 

 そう、結局問題は解決していない。どれだけ破壊しても、再生される。いくら岡でも、永遠に戦い続けることはできない。おそらくあの特別製らしきスーツにも、耐久値がある。

 

「君が、ボスだね? よおし、さっさとゲームを終わらせよう」

「そうやな」

 

 マスク部分を相手に向けながら、手を掲げる。

 その射出口の先は、怪物を狙っているわけではなかった。

 もう片方の手で攻撃してくる石像達を破壊していき。

 再び光の弾を発射した。

 怪物は、明らかに変化を見せていた。石像から分離した時のような、肉体的変化ではない。全ての顔が苦渋に満ちていた。大きく動揺している。

 

「なぜ…」

 

 星人達が配置されていた堂を破壊していきながら、岡は言った。

 

「お前ら、わかりやすいねん。あれを背にして、戦おうとしなかったやろ? そんだけたくさん頭があると、馬鹿になっていくもんなんか?」

 

 淡い光が散らばっていく。怪物が叫びながら走るが、岡は既に堂の柱を全て破壊し終えていた。あっという間に崩壊が始まり、瓦礫が積み重なっていく。同時にその隙間から、全ての光が放出された。空へと昇っていき、儚く消える。

 もう、石像は再生されなかった。岡によって切断された胴体は治っていかない。

 シロナもまた、ようやく理解をした。

 どうやらあの建物が、驚異的な再生の基だったらしい。確かに、今までの再生をする光線もまた、北西からやってきたような気もする。この星人達を率いる者が住まう場所は、戦略的にも要だったのだ。

 怪物は、断末魔を上げた。

 岡に腹へと大穴を開けられたそれは、前のめりに倒れていく。

 

「なんてね」

 

 その体から、顔の一つが飛び出した。驚異的な速度で岡の背後へと回る。大口を開けて、そのマスクを食らおうとしてきた。

 

「ありがちやな。知っとる」

 

 彼はただ、肘を後ろへずらしているだけだった。

 それでも刃が、頭の真ん中を貫通する。

 シロナは、一瞬警告しようとも考えた。

 もはや怪物は、一体ではなくなっているからだ。飛び出ている顔の一つ一つが、細長い体を伴って分離していた。全部で、九体いる。そこから大量の手を生やしながら、岡を覆い尽くそうとしていた。

 

「うーん、もっとこう」

 

 岡は全てを防ぐのを諦めているようだった。その代わり、密着してくる個体を完全に潰すことへと集中している。両の拳を振るって、包囲を吹き飛ばしていた。

 だが、状況は変わっていないのかもしれない。破壊された個体はすぐに再生されていく。もう、その力は使えないはずだった。他の石像は完全に息絶えているというのに、それらだけは例外だった。

 表情はわからない。それでも、岡は少しも焦っていないとわかった。

 

「そのパターンも知っとる。漫画で見た。パクリか?」

 

 同時に四つの頭を掴む。握ったまま、掌の口から弾を連射した。どんどん肉がそぎ落とされていき、やがて赤色の丸い物体がさらけ出される。

 岡は躊躇いなくそれらを潰した。

 先ほどとは比べ物にならないほどの叫び声が、上がる。まるで前のは演技だったかのようだった。分離された肉が、煙を上げながら萎れていく。

 それからは、さほど時間もかからなかった。それぞれの個体にあるらしい核を完全に把握した岡は、特に危なげもなく処理していった。シロナは眺めながら、彼の言葉を思い出す。

 何が、厳しいというのだろう。彼は自分のポケモンを同時に相手することは厳しいと言っていた。だが、嘘だったのだ。おそらくルカリオとガブリアスも含めてようやく、対抗できるのではないか。冷静になっていないとわかりつつも、そう判断した。

 怪物は、最後の声を発する。それは、岡に向けられていなかった。

 

「のう、のうみそをくわせろぉぉぉ!」

 

 一体の欠片が、口を生やしながら抜け出していく。シロナは完全に油断をしていた。まさか今更、少し離れた自分を狙ってくるとは思っていなかったのだ。トゲキッスに指示を出そうとして、横から走ってくる影に気がついた。

 おそらく、室谷か桑原か。どちらかの武器を、拾っていたのだろう。

 くろのは、片足がほとんど機能していないのにもかかわらず、門の外からここまでたどり着いていた。そして、全身全霊で振りかぶり、シロナを食べようとしている化物に刃を刺し込んだ。

 切断された首が、宙に飛ぶ。

 それを、岡が狂いなく狙撃した。中にある核ごと破壊されていき、最後の一体が死んでいく。

 くろのは振った勢いのまま、前へと転がった。握られていた刀が、横に飛んでいく。それを確認することもなく、シロナは相手の傷の確認に向かった。

 

「言うたとおりになったやろ」

 

 その特殊なスーツから、岡が出てきていた。そして、血だまりの中にいるミロカロスを示す。

 シロナはそれに対して、まだ血の色が残っている顔を向けた。

 

「お前のせいやな。道具のポテンシャルを、いかしきれてない。あと何匹犠牲にすれば、学ぶんやろうな」

 

 黙って、歯を食いしばった。その通りだったからだ。まだまだ、不足の事態に対応しきれていなかった。いつも戦っていたのは、ポケモン達だったから。それは、この世界に来てからというわけでもない。今ままでも、ずっとそうだった。チャンピオンになるために、チャンピオンという地位を守るために、どれだけ傷つけただろう。どれだけ、痛い思いをさせたのだろう。

 だが今は、別の決意で溢れていた。変わりはしない。結局望みは変わっていない。息絶えているミロカロスの目を、閉じる。たとえどれだけかかっても、いなくなった家族達全てを取り戻すことには変わりなかった。

 

「う、う…」

 

 シロナは見る。転がっているくろのの足の先が、転送され始めている。じきに自分達も、そうなるだろう。

 戦いが、終わったということ。今度こそここの星人は全滅した。

 くろのは希望の無い顔をしながら、泣いている。

 

「どうすればいいってんだよ…。無理だ、もう、無理。加藤、ちくしょう。俺、一人だけに……」

 

 その絶望は、シロナも知っていた。もちろん、彼の気持ちへと完璧に寄り添うことなどできはしない。だが、察してはいた。彼はおそらく、まだ知らないのだ。

 うずくまっている彼の肩に、手をかけた。その感触で、くろのはわずかに顔を上げてくる。

 

「聞いて」

 

 力強く、シロナは言った。

 

「百点を取れば。選択肢が生まれる。その中の一つに、再生がある。今まで、ガンツに巻き込まれて死んだ誰かを一人、戻せるの」

「そん、なの」

 

 気休めの嘘だと思い込んでいる相手に向かって、さらに続ける。

 

「私は、実際に一人再生させた。この目で見てる。これからも、それを目的にするつもり。私の家族も、死んでしまった。だから、戻す。貴方もそういう存在がいるのなら、頑張って。私も頑張るから」

 

 首まで消えかけているくろのは、段々と目を大きく開いていった。その表情が、変わっていく。暗闇の底のようだったそれに、光が差していく。

 

「何度、何度だって…」

「ええ、そうね」

「やってやる。皆、加藤も岸本も、みんな。戻してやる」

「一緒に、やりとげましょう」

「ありがとう。あんたの、名前…」

「私は、」

 

 もう言っても無駄だということがわかった。耳が消えていく。そして最後に、力強い瞳をシロナに合わせながら、くろのは転送されていった。彼の決意に、シロナも大きく触発されている。彼がこの先どのような道を辿るのであれ、その望みがちゃんと叶うことを願った。

 南の方に行っていた他の者達が、やってくるのがわかった。シロナは、ポケモン達に合わせる顔がないと思っている。だが彼らの方は真っすぐ彼女に向かってきた。転がっているミロカロスへと涙をこぼしながら、労わるようにシロナの体を撫でてくれる。

 最後にミロカロス以外全てのポケモンをボールに戻してから、転送が始まった。シロナは最後まで空を見ながら、これからすべきことを考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 何もない、白い世界。

 狭間だ。これは、ほんの一瞬の出来事に過ぎない。

 

「何を、したかったの?」

 

 言いながら、おおよその検討はついていた。

 シロナに対するディアルガとパルキアは、何も言わない。

 ただ静かに、見下ろしてきている。

 そこにはもう、恐ろしさを感じない。相手には害意がないのだと、直感できた。ガンツはなぜ、彼らの名前を表示したのか。その細かい意図まではわからない。だが、その予想もまた頭の中には浮かんでいた。

 

「未来のことなのね?」

 

 ディアルガの反応はない。だが、シロナにとっては十分だった。

 

「じきに、百点がくる。強力な星人と、戦わなければならなくなる。その時の結末を、ずっと、見せていた」

 

 それが、悪夢の正体だった。ディアルガの力を考えれば、誰かに未来を見せることは可能だ。警告の意味合いが強いのだと思った。何かを変えなければ、同じ結末をたどるのだと。

 

「でも、あれには意味があったの? 私達を過去に行かせて、どうしたかったの? くろのという男は、何かに関係している?」

 

 答えは相変わらずない。だが、少なくとも役に立つことであるのはわかった。

 最後に、そもそも自分があの世界に来た意味を知りたくなった。この二体が関係しているくらいはもう理解できる。

 だが、時間が無くなったようだ。

 パルキアが小さく鳴いてから、シロナの視界は移り変わっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつも通りの部屋に、いた。

 

「今回は、長かったなあ」

「盛りだくさんやったわ」

 

 シロナは確認をする。メンバーは欠けていない。重体だった中山も、ちゃんと壁に寄りかかりながらガンツを見ている。それから視線が合ったが、すぐに彼女は顔を逸らした。

 例外なく無事なようだ。一匹を覗いては。

 採点が、始まる。

 今回ほぼ全員に大きな点の動きがあった。星人の数が多かったことにも起因している。

 百点を超えたのは、シロナも含めて三人だった。

 桑原はメニューを開く。

 それを横目に、シロナはひたすら考えていた。今の合計得点は百五点。努力すれば、一回でも相当稼げることは分かった。少なくとも、あと二回。絶対に犠牲を出さずに乗り越えなければならない。そうしなければ、永遠にガンツから抜け出せなくなる。

 

「三番。ミロカロスを再生」

 

 ばっと、顔を上げた。

 まるで名案が浮かんだかのような表情で、桑原は胸を張っていた。

 そして口を半開きにしているシロナにも構わず、形成されていく相手へと近づいた。

 

「シロナの言うとおりやな」

 

 ミロカロスは、まだ状況がつかめていないようだった。綺麗な瞳を揺らしながら、首を傾げている。そして目の前にいる桑原に対して、一鳴きした。

 

「フォオオ?」

「恩を売るのは、本人に対してが一番。俺の作戦は修正され、たった今成功した。さて、交渉や」

 

 言葉を失っているシロナを一瞥してから、ミロカロスへ笑顔を向けた。

 

「ええやろ? 俺は、命の恩人や。ここまでして頼みも聞いてくれないなんて、さすがに魅力もなくなるで?」

 

 さっと、ミロカロスは顔を青くする。だがすぐにわざを繰り出すことなく、シロナを伺ってきた。

 シロナもまた、複雑な心境でいる。もちろん、喜ばしいのは確かだ。桑原には別の選択肢もあった。あえてそれを選ばず、助けてくれたのだ。感謝することに何の迷いもなかった。その目的がわかっていなければ。

 助けられたのだということは、ミロカロスもわかっているようだ。いつものぞんざいな態度を桑原に向けずらくなっている。触角を揺らしながら、途方に暮れていた。

 桑原は頭をかきながら、にやりとした。

 

「俺も鬼やない。いきなりは厳しいか? 妥協したる。今すぐや。ちょっと、巻き付いてくれんか? 前もやってたやろ。シロナにやったのと同じくらい、思いっきりしてな」

 

 一気に要求の難易度が下がったようだが、気が進まないのは同じだ。だがシロナにはもうあまり口出しできることではなくなっていた。正直言葉以外は、今回桑原に関して責めるべき部分はどこにもない。彼もまた、働いていた。いなければ結末も変わっていた可能性がある。

 シロナが目を伏せると、ミロカロスが衝撃を受けたように目を見開いていた。それから悩まし気に顔を左右へ振った後、嫌そうな鳴き声を発する。

 

「強情やなあ。なら、俺にも考えが…」

 

 腕を組んでいた桑原は、直後転びそうになっていた。突然長い胴体が接近してくれば、気圧されるのも当然だろう。

 彼の足、そして腰を覆っていく。さらに首へと巻かせてから、ミロカロスは桑原を睨みつけていた。

 

「うわ…」

「きも」

「やっぱ、変態や」

 

 少し身を引かれてはいるものの、ちゃんと彼女に巻き付かれた桑原は、目を閉じながら寝っ転がり始めた。恍惚としている顔を、最後まで見ることができない。戻ってきてくれたと同時に、何か大切なものを失ったのではないかと、シロナはミロカロスを憐れんだ。

 

「あと、十五時間はこれで」

「フウウウウ!」

 

 すぐに離れたミロカロスは、口から水を勢い良く吐き出して、桑原を吹き飛ばした。力を抜いていたせいか、彼は抵抗もできずに壁へ激突する。頭を打ちつけたようで、床でしばらく悶えていた。

 シロナもまた、ガンツへ指示を出そうとする。まだ少し悩んでいた。どちらを、先に戻すのか。もちろんどちらも同じくらい愛している。相手の方も、順番で何かが決まるとは思ってもいないだろう。それでも、先に戻す方を決めるのに時間がかかっていた。

 

「三番や。ガブリアスを再生」

 

 理知的な男の声。

 信じられない思いで顔を向けても、岡は平然としていた。

 

「貴方、何を…」

「単純な話や。ガンツは、ガバガバやねん。こいつからちゃんと特典もらえるか、怪しくなってたからな。確実な投資をした」

 

 それから、何をしているんだという目で見てくる。

 

「お前もさっさとメニューから選べ。早く帰りたいんや」

 

 その思いを、正確に計ることはできない。だが、自分がこれから解決するべきだった問題が、一気に減ったのは確かだった。シロナは疑うべきなのか、はたまた素直に感情を示せばいいのか、混乱する心地でガンツを見た。

 目をつぶってから、静かに言う。

 

「三番。ルカリオを再生して」

 

 終わった瞬間、同時に抱きしめていた。

 ずっと謝りたくて、同時に焦がれるほど会いたかった家族を、腕の中に収める。この世界に来てから一番の幸せだった。もう我慢することはなく、シロナは感情を爆発させる。涙を大量に流しながら、彼らにしがみついていた。

 当然相手の方は、訳がわからないだろう。急に目の前にいて、泣いている主人に嫌な想像をしたようだ。同じく部屋にいる黒スーツ達へと、構えた。

 

「違うの。いいのよ。彼らは、敵じゃない」

 

 カブリアスの頭にキスをする。それからルカリオの耳に頬を擦りつけた。ルカリオの方は、複雑そうだ。彼はちゃんと覚えているらしい。肉球をシロナの片耳へと触れさせた。労わるように、申し訳なさそうに撫でている。

 

「大丈夫。ほら見て。まだ残ってるから」

 

 もう片方のピアスを揺らしてみせる。ルカリオはそれに向かって遠慮がちに鳴いてから、笑顔を向けてきた。

 

「待って」

 

 そして帰ろうとしている岡に、シロナは近づいた。彼女は首を振りながら、まるで初めて会ったかのように相手を眺めていた。

 

「なんて、言ったらいいか…」

「あ? なんやねん。気持ち悪い。俺が再生したから、それは俺のものや」

 

 ガブリアスを、指差す。 

 岡は鼻で笑う。

 

「文句はないよな? ちゃんと指示に従ってもらうで。お前のためやない」

「それでも、いいの」

 

 シロナは彼の瞳をしっかりと見た。その細目を認識した。

 柔らかく微笑む。

 

「ありがとう、オカ」

 

 お礼を言われた彼は、無言で横から振るわれたシロナの拳を防いでいた。決して惑わされることはない。

 無表情になった彼女に対して、岡は嘲笑う。

 

「そんなことだろうと思ったわ。わかりやすい」

 

 シロナが横に避けたと同時に、岡は派手に蹴り飛ばされた。たとえスーツの力があったとしても、ガンツの方へと呆気なくぶつかっていく。

 

「おお、貴重映像や」

「だっさいぞおかー」

 

 サングラス達がはやし立てる。

 いくら歴戦の男だとしても、ルカリオの動きにいきなり対応できるわけではなかった。足を下げた彼は、立ち上がろうとしている岡を睨んでいる。

 シロナもまた、清々した顔で言った。

 

「それはそれとして。すっきりしたわ。ありがとう」

 

 タイミングが良すぎた。

 おそらく岡は、ずっとそばで潜んでいたのだろう。彼女達が石像によって窮地に陥っている時も、ぎりぎりまで割って入ろうとはしなかった。星人の性質を確定させるために、観察の時間をより多くとった。合理的ではあるが、それに対してシロナが何も思わないと想定しているのなら、計画倒れもいいとこだ。

 岡は黙ってルカリオを通り過ぎていき、さっさとマンションを出ていった。それに対して少し舌を出してから、シロナもまた帰る準備を始める。

 

「あんな」

 

 おずおずと、声がかけられた。見ると、中山が気まずそうにしている。室谷に呼ばれているようだったが、シロナとの会話を続けるつもりらしい。

 

「あり、ええと、そうやな…」

 

 長い金髪を触ってから、挑むように目を合わせてきた。

 

「これで、ちゃらやから。あたしもお礼言わないし、あんたもこれ以上何も言わんといて。わかった?」

「?」

「ああもう! わかったから。すぐ行く。…ちょっと、神経質になりすぎてたわ。それだけ」

 

 そう結ぶと、足早に出ていった。

 今度はちゃんとその後ろ姿を見ていた。岡もあれくらい可愛げがあるのなら、少しはましな対応も取っただろう。

 シロナは、再びガンツに注目する。

 予想が正しければ、あと一回でいい。あと一回百点を取れれば、問題は全て解決する。

 一番の選択肢。解放。

 記憶を消されるという部分は気になったが、シロナにとっての解放が何を意味するのか。期待しないようにはしていたものの、もしかすれば元の世界にも帰れるかもしれない。とにかくもう一度百点を取って、それを確かめたかった。

 三つのモンスターボールを手に取る。

 

「お疲れさま」

 

 本当はルカリオ達ともっと触れ合っていたいのだが、杏と共に帰ってからでもいいだろう。今日はもう休みたい気分だった。明日から、対策を考えていこう。

 そう思いながらボールを操作して、気がついた。

 何も起きない。

 ルカリオとガブリアス、そしてミロカロスもまた、不思議そうな顔をしていた。見た所、彼らの意志は決まっている。シロナのボールに戻ろうとしているようだ。だが、何も変化が生じない。その体が光となって、ボールの中に戻っていかない。

 かちかちと何度も操作してから、シロナはこの事態に何とか対応しようと頭を動かした。

 他のポケモン、トリトドンなどを出してから、また戻す。そっちに異常はない。どうやら復活した三体だけが、ボールに反応しないようだった。

 ちゃんと了解を取りつつ、ボールをルカリオに投げる。彼にぶつかっても、それが開くことはなかった。虚しく地面に転がる。

 

「姉さん、どうしたんや?」

 

 杏がすでに着替えていた。彼女もまた、死地を乗り越えた。早く帰って息子に会いたいという気持ちが、様子にも現れていた。

 シロナは、何かの音を拾う。

 そして目を向けた時、自分が大事なことを忘れていたのに気がついた。

 部屋の隅に、スマートフォンが置かれている。転送される前に、置いていた。そして今、それは振動している。着信が来ている。今まで音沙汰もなかったものが。

 整理をするのは、後回しにする。とにかく今は、対応が必要だと思っていた。

 少し慌てて、スマホを拾い上げる。電話をしてきている相手は、祖母だった。それを噛みしめるように確かめてから、ボタンに触れる。

 何から話せばいいのか、わからなかった。

 

『シロナ?』

 

 こんな事態になるまでは、会いに行こうと思っていた。シロナは定期的に生まれ故郷であるカンナギタウンに滞在する。祖母の昔話を聞くのが好きだった。その時の声と寸分違わないもので、シロナの名前を呼んでくる。

 

「お婆ちゃん…」

 

 とにかく、何かを話さなければならない。いくらつながっているとはいえ、電波状態はかなり悪いのだ。早くしないと、勝手に切れてしまう恐れがある。

 

『どこに、行ってたんだい?』

「色々、あったの。信じられないことが、たくさん。そっちに帰ってから、話すね。今はただ…」

 

 祖母は、心配そうに言ってきた。

 

『そうかい。良いことなんだろうね?』

「そう、だと思う。多分」

『自分のポケモン達は、見つかったかい?』

 

 耳鳴りが、一瞬した。

 終わったと思っても、まだ続いているような心地がする。シロナは口を一度開けてから、閉めた。しばらく間を作り、やっとの思いで声を出す。

 

「え?」

 

 疑問を示すと、相手も怪訝そうに間をあけていた。

 

『大丈夫かい? 酷い取り乱しようだったの。サザナミタウンから急に帰ってきたと思えば、信じられないことを言って…』

「待って。お婆ちゃん、何を言ってるの?」

 

 杏が首を傾げる。

 ガンツの球体が、淡い光を受けている。

 相手の言葉を受け止めるのには、多大な労力が必要だった。

 

『ポケモンが、急に消えたって。それはもう酷かった。探しに行くと昨日の朝出ていったきり。心配していたんじゃよ。その様子だと、少しは落ち着いたみたいじゃのう』

 

 何も理解できないまま、物音がした。

 扉が開かれて、閉められる音。

 それは電話の向こうで聞こえていた。

 何かを言ってくる。そして、祖母はそれに対して正直に答える。さらに問答があった後、電話の相手が切り替わったのがわかった。

 

『貴方ね?』

 

 電話ごしだと少し違って聞こえるが、間違えようもなかった。

 その声は明らかに、自分と一致している。

 怒りのこもったような、冷たい調子で言ってくる。

 

『私のポケモン達を、どこにやったの?』

 

 違う。

 彼らは、自分の家族だ。

 

『私と偽って、お婆ちゃんを騙そうなんて。何をするつもりだったの? ギンガ団の残党?』

 

 自分は、シロナだ。

 元チャンピオン。十年もの間、その地位を防衛していた。

 

『貴方は誰?』

 

 私は、誰?

 派手に、スマートフォンが落ちた。杏が慌てるようにして駆け寄ってくる。その液晶は完全に割れており、電源も切られていた。杏が拾い上げて操作をしても、意味はない。完全に壊れているようだ。

 シロナはただぼうっと、その画面を見ていた。

 暗くなった液晶に、白い自分の顔が映り込んでいる。

 真ん中あたりに大きなひびが入っている。まるでその隙間から別の何かが這い出してくるような錯覚がした。自分の皮が、剥がれていくようだった。

 

 



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13.シロナという存在

 裸の女だった。

 地面に上に降り立ったそれは、肌を惜しみなく晒している。だが、一部の例外を除けば、決して情を抱かせるものではなかった。体のほとんどが、赤く染められている。数多の命を屠ってきたのだと伺わせる。おぞましい見た目。

 特に濃いのは、右手の方だった。血が、今もなお滴り落ちている。

 

「まあまあ面白いやつだった。お前達の中では」

 

 シロナは俯瞰しているような心地だった。悲鳴を上げている自分を、どこか他人事のように眺めている。

 相手の右手に握られている岡の上半身は、静かだった。死を前にした苦痛や、恐怖で表情を歪めてはいない。最後まで諦めなかったのか。それとも、何か反応を見せる暇もなく刈られたのか。

 

「点数を、つけるのだろう? ワタシもやろう。こいつは、二十点」

 

 女の口から出てきたのは、老人のような声だった。

 岡の頭が砕かれる。

 シロナの体は、後ろへ動いていた。逃げようとしている。だが、相手から目を離せない。その瞬間、絶対に殺される。その予感で、ただただ後ずさることしかできていなかった。

 

「オマエは…、何の点もやれないな」

 

 女の腕が動く。

 それから、何もわからなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 四つのモンスターボールを、投げる。

 アパートの駐車場は幸い、一台も車が停められていなかった。元から入居者は少ないらしいが、今の状況は多少の偶然が重ならなければ起きない。

 別に見られていもいいと思っていた。ポケモンの姿で騒がれること以上に、やるべきことがあった。

 シロナは、彼らから距離を取って座り込んだ。

 しばらく何も言ってこない主人に対して、ポケモン達は不安げにしながらも素直に待っていた。特に、ルカリオ、ガブリアス、ミロカロスの三匹は申し訳なさそうにしている。自分達のせいなのではないかと、思っているようだ。

 笑顔を作ろうとしたが、失敗した。現実から、逃げ続けることなどできない。何もかも忘れて、いつも通りに過ごせるほど彼女は単純になれなかった。

 杏の息子、翔がトゲキッスに最初に纏わりついた。それから始めて見るであろうルカリオやガブリアスに少々躊躇いながら近づいていく。

 

「アンズ」

 

 呼びかけると、相手は何かを言おうとしてきた。だが途中で止めて、翔の手を掴む。

 

「家に、戻るよ。これからな、姉さんとこの子達が大事な話をするんよ。彼らだけにしてあげような」

 

 心の中で感謝をしながら、正面を見る。杏達が中に入っていくのを待ってから、口を押さえた。結局、何を話せばいいのかまるでわかっていなかったからだ。

 だが、声は意思と反対にすらすら出てきた。

 

「貴方達は、騙されているのかもしれない」

 

 ルカリオが耳を立てる。今言われたことが、理解できないというように。他のポケモン達も、同様だった。

 

「私、がどう見える? ちゃんといる? シロナだと、思う?」

 

 全員がすぐに頷いていた。トリトドンがぬるぬると近づいてこようとしたが、それを手で制する。今もし彼らと触れ合って、あやふやにしてしまったら。絶対に、後悔することになる。シロナは、自分が許せなくなると考えていた。

 嘘かもしれない。誰かの、ガンツの悪戯かもしれない。だが、確かにあれは祖母の声だった。そして自分の声も聞き間違えるはずがない。

 記憶の齟齬が、さらに事実を肯定していた。何人かが、言っていたことだ。ガンツは、死んだ者を集める。そして、戦わせる。

 もし、それに例外があったとしたら? シロナが住んでいた世界と、ここは別物だ、ガンツは、自分という存在を引っ張ってくるために、特別な措置を施したのかもしれない。つまり、シロナ本人を呼ぶのではなく、その偽物を作った。

 だが、おかしな点もある。向こうのシロナが言っていたこと。あっちには、このポケモン達がいないのだという。さしものガンツも、彼らを複製することができなかった。だから、彼らだけは直接呼んだ。

 でも、何のために? どうしても、わからなかった。ちゃんと自分の本物も、呼んでくれれば良かったのに。もしかすれば、はっきりとした意味はないのかもしれない。自分を、苦しめるためにやっただけかもしれない。

 あるいは。シロナには、こっちの方が正しく思えた。犯人はガンツではない。

 自分だ。

 何か目的があり、ポケモン達まで強引に連れてきた。道具のように、彼らを利用しようと考えた。 

 突拍子もない妄想だとは思えなかった。なぜなら、ガンツのルールの中にとっかかりが含まれているからだ。

 百点メニューの一番、解放。

 それはただ戦いから抜け出せるというわけではない。その間の記憶も消されてしまうのだ。普通なら、デメリットなのかもしれない。苦しみを完全に忘れられるとはいえ、ガンツの巻き込まれた後に出会った者達とのつながりも、無くなってしまうのだ。

 だが、それをあえて利用する方法もあった。

 シロナは思考を進める。

 かつて自分は、別のどこかで同じことをしていた。ガンツのゲームで、戦っていたのだ。そしてクリアをして、解放を選んだ。それでも、満たされることはなかったのだろう。肝心の家族。ポケモン達がいなかったのだから。

 何度も、繰り返したのかもしれない。シロナは確かめていく。自分にとって、この世界における記憶はほとんどがガンツがらみだ。一番を選んでしまえば、ガンツに関連している記憶が消される。つまりこの世界での経験も全てなくなるということ。

 そして前の週で、彼女はついに成功した。ポケモン達を、呼び出す方法。具体的に何なのかはわからない。もしかすれば、ガンツと何かしらの取引をしたのかもしれない。それらの技術力を考えれば、頷ける話だ。

 であるならば、今回は何なのだろう。自分の知らない自分は、何を企んでいるのだろう。一体どんな、ろくでもないことにポケモンを利用しようとしているのか。

 自分は無意識のうちに、その計画をなぞっているのかもしれない。このまま最悪の事態になっていく可能性もある。

 ポケモン達の反応で、ようやく自分がかなり酷い顔をしていることに気がついた。

 それとも。

 頭が捻じれていく。

 そもそも、シロナという人間は、存在していなかったのかもしれない。ガンツによって作られた偶像。星人を倒していくために、星人を使う存在。知識もまやかしだとしたら、ポケモンという存在もまた、偽りなのだ。

 馬鹿げた考えだとは、思っている。だがその感情がいつまで続くのか、わからなかった。悪夢は、相変わらず続いている。破滅の未来が迫っている。

 顔を上げると、ガブリアスが目の前にいた。その鮮やかな腹の赤を見て、夢を思い出す。血のようだった。星人が目の前にいると、思考が降ってわいた。

 

「やめて!」

 

 一瞬後になって、シロナは自分の手を呆然と見る。

 何をしてしまったのか、理解する。

 

「バウウ…」

 

 腹を突き放されたガブリアスは、悲し気に鳴いた。シロナから、一歩距離をとる。

 ごめんなさい、という言葉すら出てこなかった。後悔が滲んできているというのに、その言葉を言えない自分を、嫌悪する。偽物らしいと、段々と仮定を真実であるかのように考えていた。

 他のポケモン達の視線にも、耐えられなくなってくる。今まで、一度もそうしたことはなかった。仮にも自分の家族を疑い、恐れることなど。

 

「わた、私には、資格が、ないの」

 

 シロナは立ち上がり、彼らからさらに遠ざかった。

 

「お願い、一人にして。どこかへ、行って」

 

 言葉は、内心とは違う方向を示していく。彼らといるのが苦しくなっていたのは事実だ。だが追い詰められている時こそ、それを克服して、家族のそばにいるのが一番のはずだった。今まで嫌なことがあった時も、シロナはそうして慰めてもらっていた。

 だがもはや自分がシロナなのか、実際に存在しているのか、わからなくなっている。チャンピオンというかつての経歴も、今は色あせていた。彼らを、ポケモン達を使う資格がないのだと、断定していた。 

 全員が、しばらく途方に暮れていた。だがシロナが目を伏せ続けていると、徐々に動き始める。翼をはためかせる。花を揺らす。長い胴体を擦らせていく。ぬるぬると離れていく。かなめいしが、浮き上がっていく。耳を伏せながら、二足で歩いていく。

 最後に残ったガブリアスは、シロナを見続けていた。彼女が銅像のように固まっていると、ゆっくりと背を向ける。

 本当は、追いかけたかった。その後ろ姿達に抱き着いて、その感触を噛みしめたかった。だが、自分への不信がそれを止めさせていた。このまま一緒にいれば、どんな苦難が彼らに降りかかるのかわからない。自分が何をするのか、何をするつもりなのか、怖くてたまらない。

 しばらくぼうっとした後、シロナもまた歩き始めた。アパートに戻る気分ではなかった。

 少し慣れてきた、街並みが見えてくる。

 大阪という場所は、雑多なものも含めて魅力だという気がしている。人々が往来し、ポケモンは全くいない。その光景を眺めていると、本当に自分が今までいた世界の存在が不確かになってくる。

 目的もなく歩き続けていると、人だかりができているのがわかった。

 そこから、ガブリアスが抜け出す。

 追いかけるようにして、スーツ姿の男が走り出した。

 

「力づくでも、ええ。一緒に来てもらうで。お前の力は使えるんや。ちょっと色々確かめさせてもらう」

 

 ガブリアスの方はかなり迷惑がっているようだった。彼女の姿を珍しがっている人々の視線にさらされながら、男から離れようとしている。

 そして、シロナを見つけた。

 それに対して気まずく思う前に、別の感情が沸き上がりつつあった。

 

「お前。ちょうどよかった。そっちからも説得しろや」

 

 岡はさらに続けようとして、珍しく戸惑いの表情を見せた。

 シロナは既にこらえきれていない。

 人の目がある中で、泣き崩れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

  ◆

 

 

 何となくその姿の有無を確かめた自分が、嫌になった。

 

「キョウ、ぼうっとすんなや。働け」

 

 このバイトの一応の上司であり、さらに別の所でも上の立場に立たれている室谷には、逆らえない。雑念を振りほどきながら、京は心の中で文句を言った。

 自分を誘った身の上でありながら、シロナはバイトをさぼっていた。あの女、ちゃんと社会経験を積んでいるのだろうか。自分の事を棚に上げて、まだ年だけなら学生の身分の男が思う。

 確かにいい働き口ではあった。土の臭いなどが不快なだけで、疲れもしない。ガンツスーツのおかげで、材木運びは大いにはかどった。だがそれを監督などに不審がられてもいけないので、疲れている演技は続行する。それだけなら、そこへの役者にも負けないとよくわからない自信が沸いてきていた。

 休憩に入ると、ほとんどが煙草を吸い始める。そのうちのいくつが違法なのか。京はもう、それほど関心を抱けなかった。ジョイントタイプの麻薬は元から好きではなかったのもあるが。

 それでも、そわそわしてくる。落ち着かない気分になる。何かが足りていないという、感触。麻薬中毒になっていた頃から馴染みのあるものだったが、今までよりもずっと弱い禁断症状だった。

 だが楽だというわけでもない。常に物足りない思いが、じわじわと精神をむしばんできていた。日に日に、大きくなってきているような気がする。早くどうにかしなければ、 せっかくの狩りにも影響が出ることはわかりきっていた。

 だが、思考が進まない。何をすればいいのか、思いつかない。

 もやもやとした気分のまま、バイトが終わった。決められた仕事をすぐにこなせるので、上がろうと思えば早めにできる。

 珍しく、京は他人の家に泊めてもらう気になっていた。というより、女のことを考えていた。人並みに性欲はあるが、今までは義務的な行為がほとんどだった。処理するためだけの相手を選んでいた時期もある。

 だが、今回は何かが違った。はっきりと別の目的が、自分の中で生まれている気がする。知っている女の中で、候補を並べる。そのどれもが大きめの胸をしていることに、彼はまだ気づいていなかった。

 そしてその一番最後のリストに、あの顔が浮かんできた時。

 嫌な鳴き声が、耳元でした。

 

「ひゃあっ」

 

 間抜けな悲鳴。女のような叫び声を上げて、京はバイクから転げ落ちた。危ない所だった。もし走っている途中だったら、軽傷では済まない。

 

「なんなんや…」

 

 バイクを立て直してから、その物体を睨みつける。

 ミカルゲというらしいその生物は、最初から京にとっては気に入らない存在だった。だがこの状況で目の前にすると、別の思いもある。

 どこか、それは底が知れなかった。百歩譲って、まあまあ可愛らしいと言えなくもない。その悪戯っぽい表情もまた、実際の狂暴性を上手く隠していると感じた。だが、それでも不安なのだ。どこか、ぎりぎりで踏みとどまっている印象。

 

「お前、主人はどうした」

「おんみょーん……」

 

 口元が悲しげに曲げられる。

 京はそれに対して、鼻で笑った。

 

「捨てられたんか。しゃーない。お前、きもいもんな」

 

 バイクが浮き始めているのを見て、慌てて抑えにかかる。薬に使う金がなくなったおかげで、どんどん貯金が多くなっていた。それにバイトも始めているので、愛用している機種を新調する余裕もあったのだ。だから、それを破壊されるというのは確かにぬぐいがたい恐怖だった。

 少し怒っている様子のミカルゲを拾い上げて、席に置く。

 

「わかったわかった。冗談やって。何があった?」

「ぉーん」

 

 何やらふるふると体を震わせているが、まるでわからない。伝えようとしているのは感じるが、たいしてポケモンと多く過ごしてもいない京にとっては、難題だった。 

 腕を組みながら、頭を捻る。

 

「喧嘩、とかか?」

「ぉお」

「シロナと、何かあったんやな」

「おーん」

 

 そういうことなのだろうと、勝手に納得した。でなければ、彼女がこれのそばにいないわけがない。

 京にとって不思議だったのは、そのことではなかった。彼女が自分のペットとどういう関係になろうが、関係ないと思っている。

 

「なんで、俺に来た? 邪魔なんやけど。これから、用事がある」

 

 本当はこれから誰かに電話して、会う予定だった。

 ミカルゲは、少し真面目よりの顔つきになって、少し膨らんだ。靄がバイクと京を同時に示し、大通りの方向に視線を向ける。

 

「…行けって? アホ。んで俺が」

 

 推測は、正しかったらしい。我が意を得たと言わんばかりに、ミカルゲはにやりとした。そして、何かの操作をする。

 京は突然鳴り始めたエンジン音に飛び上がった。薬をやめてから、自分は憶病になった気がしている。それはつまり元々の性格なのではないかという自身からの指摘は、無視をした。

 どうやらこのミカルゲによる超能力で、勝手にバイクが始動したらしい。

 

「やめ、やめろって! なんでや。俺、関係ないやろ!」

 

 ミカルゲはにやにやしている。その顔で、ようやく確信をした。

 真犯人は、この生物ということだ。

 よく考えれば、わかることだった。自分の頭を直接いじったのは、ミカルゲなのだ。だから、こんな妙なことになっている。京はその仮説を真実だと思い込んだ。

 

「くそ、お前。お前のせいで。こんなことなら、ヤク中のままの方がよかったわ。わかってるんか?」

「おんみょおおん!」

 

 元気に、答えてくる。そこにはただをこねる子供に対するたしなめも含まれている感じがした。額に、青筋が浮かぶ。

 

「ざけんな! 苛々するわ。ずっとやぞ。なんで俺が、あんな奴の…」

 

 薄々、自覚してはいた。

 何度も、夢に見るほどだった。一度それで自慰行為をしかけて、ベッドを転げまわったことがある。大体が埋もれている状況だった。顔をうずめさせて、そういうことをする。

 魂の叫びに対して、ミカルゲはさらに笑みを深めていた。わかっているぞ、と言いたげに。

 

「お前のせいや! 卑劣だ! 洗脳しやがって…。治せ、今すぐ。そしたら、従ってやる。ええか?」 

「ぉおん?」

「くそ、今更とぼけても無駄や」

 

 責めながらも、段々と嫌な考えもできつつあった。結局は、自分のせいなのではないかと。あの時、シロナに抱きしめられた瞬間、禁断症状の苦しさから逃れるために、その感触へと思いっきりすがりついた。そのせいなのかもしれない。本当は、別の想像をしていれば、また違う結果になっていたかもしれない。

 自分は、結局中毒から抜け出せていない。

 対象が変わっただけだ。薬から、あの胸に。シロナのそれに。

 

「赤ん坊やないか! 頭おかしい。だから治せ。まともにしろ!」

 

 ゆっくりと、バイクが動き始めていた。

 満面の笑顔で、ミカルゲがハンドルを遠隔操作している。アクセルにも意識が向いて、加速していくのは時間の問題だろう。

 京はまた悲鳴を上げながら、それに飛び乗った。ブレーキをかけようとしても意味はない。そしてハンドルもまるで自分の意思で動かせないことに気がついた時には、いつも以上の加速が始まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ◆

 

 

 まとわりついてくる子供に、笑顔で相手をする。

 

「くわばらせんせえ、聞いて!」

「おー、なんや」

「おれ、前のテスト満点やった。すごいやろー」

「頑張ってたもんな。でも前みたいに俺の授業で寝るなよー?」

「だって、夜更かししちゃったんだもん」

 

 休み時間は、生徒達との会話がいつも尽きない。彼らは、一応学校にも加えて、この塾へと通うだけの意欲は持っている。それを相手に教えることは、悪くなかった。金払いが良いこと以上のやりがいを見つけられれば、仕事は長続きする。

 もしガンツメンバーが今の桑原を見れば、おぞましい想像をしただろう。そこまで、守備範囲が広いのかと。職権を乱用して、めぼしい相手がいるかどうか物色している。

 だが、彼は別に年下が好みというわけでもなかった。もちろん追い詰められたらどうなるかわからないが、さすがに小学生に手を出すほど頭がやられているわけでもない。それ以上におかしい相手を現在狙っていることには、気づいていなかった。

 次の授業が始まるようなので、教室を出る。自分の担当である英語は、もうない。あとは書類を多少整理して、帰るだけだった。

 事務室に戻ると、作業をしていた女性が顔を上げる。

 

「お疲れ様ですー」

「おつかれ」

「桑原先生、仕事の後、用事ありますか?」

 

 同僚の女性は、少し落ち着かなげだった。

 人の良い笑みを浮かべながら、桑原は首を振る。

 

「いや。特には」

「じゃあ、飲みに行きません? ええ店知っとるんですよ」

「いいですねえ」

 

 あと、二、三回ほどだとは思っていた。実際、相手は悪くない。自分に対してそれなりの感情を向けてきているようだ。飲みに行くのは、これで三回目だ。上手くいけば今夜にでもホテルへ連れ込めるだろう。

 近頃そういう欲が高まってきていた。常にみなぎっているのは変わらないが、その限界が徐々に拡大している。本命を前に、一旦別で落ち着かせるのもいいかもしれない。

 

「じゃあ、店で合流しましょうか。まだ、授業ありますよね」

 

 女性は嬉しそうに頷く。

 

「そうですね。それが終わってからで。七時半くらいに」

「わかりましたー」

 

 残った仕事も終わらせて、桑原はビルを出た。

 中途半端に時間が空いてしまったので、どこか適当なカフェにでも寄ろうかと考える。

 河川が近くなってきた所で、大勢の人がスマホを向けているのがわかった。

 

「これ、スクープちゃう?」

「ウミヘビの一種か」

「おかあさーん、みて、かわいいー」

「綺麗やなあ」

 

 遠目でその姿を確認した瞬間、既に走り出していた。ワイシャツがやや濡れるのも関わらず、全力で向かう。既に先ほどした約束のことなど、頭から吹き飛んでいた。

 野次馬に見られて少し困っている様子のミロカロスへと、到達する。

 

「はーい、撮影は堪忍な」

「何やねん、急に」

「俺のペットや。可愛いのはわかるけどな、もう帰る時間や」

「珍しいの飼っとるなあ」

 

 周りの者達をはけさせてから、川に浮かんでいる相手を見る。ミロカロスは半目になってから、顔を逸らした。礼はしないという意思表示だ。だが、桑原にとってはそんなのはどうでもよかった。既にかなりの恩を、相手に与えているからだ。

 

「見世物に目覚めたんか? なら、おすすめの相手がおるで」

「フォオ…」

「十万やるわ。命の恩に加えてな。ん? どうや。お前の主人、金に困っとるんやろ? 貢献するチャンスが来たなあ」

 

 既に桑原は横に飛んでいた。今は、スーツを着ていない。なのでかなり先読みをしながら回避をする必要があった。そうでもしないと、相手の攻撃は避けられない。

 しかし、予想していた氷の線はやってこなかった。そのために、ただいきなり側転をした間抜けな姿だけをさらす羽目になる。

 持っている鞄に付いた土を払いながら、立ち上がる。

 顔を相手に向けた瞬間、一瞬思考が停止した。

 ミロカロスは、目をつぶっている。その端から、大粒の涙がこぼれていた。透き通るような雫が、その頬を伝い、水辺に波紋を作っている。しばし言葉を忘れて、桑原は相手の悲しみに見入っていた。

 それから、男としての勘が働く。ここで上手く慰めれば、ポイントを得られるのではないかと。

 ワイシャツのボタンを外す。そして、肌着を少し見せながら近寄った。

 

「どうしたんや。何か、あったんか? 言ってみ。俺とお前の仲やろ」

 

 ミロカロスは震えながら何度か鳴き声を発した。それを聞いているふりをしながら、その姿を視姦する。大方、どういうことが起きたのかは推測できた。

 神妙そうに頷いてから、はっきりと言う。

 

「シロナと、嫌なことでもあった?」

「フウウ」

「なるほどな。負い目を感じていると。自分が一度死んだせいで、彼女に負担をかけたかもしれない。だから自分は、嫌われた。なるほどな。きつい話や」

 

 綺麗な瞳を開き、はっきりと顔を上げる。その時初めて、彼女は桑原をまともに見たのかもしれない。

 

「フォオオオオ」

「どっちの気持ちもわかるなあ。お前はシロナを守りたいし、シロナはお前を傷つけさせたくない。羨ましいわ。よほどの信頼関係がないとそういうふうには思い合えん」

「フォオ!」

「そうやな。何も心配することはない。シロナは、お前をちゃんと愛しとる。他人の俺でも、わかるで。ちょっと言葉のすれ違いがあったくらいで、くじけんなや。どっちも冷静じゃなかったんやろ。もう一回、ちゃんと話せばええやないか」

 

 桑原にとってはただの推測、でまかせでしかなかったが。それが奇跡的にミロカロスの心情に合っていた。彼女はさらに岸へと近寄り、桑原へ向かって大きく頷いてみせる。

 その動きで舐めてくれないかと、前かがみになる。何とか冷静さを保ちながら、彼は川の先の方を指差した。

 

「そしたらもう、わかるやろ? ここでうじうじしててもしゃあない。行動や」

 

 一度桑原に向けて頭を下げてから、ミロカロスは前を向く。その顔は既に、悲しみから解放されていた。今までたどってきたであろう道のりを、戻ろうとし始める。

 桑原は、それに何とか並走した。

 

「待ってや!」

「フウ?」

「第三者が、必要だと思うわ。俺は部外者かもしれんが、役立つで。それに、お前は俺の頼みを受け入れる義務があるはずや。これでチャラにするから。な?」

 

 ミロカロスは、あまり迷わなかった。少しため息をついてから、岸に体を寄せる。触角を動かして、自分の胴体を示してきた。

 桑原が乗っても沈むことはない。どうやらこの生物は、水の中にいる時こそ真価を発揮するようだ。地上におけるものとは次元の違う速度で、移動を始めた。

 その風を満面に受けながら、桑原はほくそ笑む。

 人間の欲とは、果てしないものだ。つまりミロカロスの他にも、落とせる対象がいることに気がついていた。こうしてペットを華麗に助け、最後はシロナ自身を鮮やかに慰める。そうすれば彼女もミロカロスも、自分を意識し始めるに違いない。

 シロナも、なかなかの相手だと思っていた。その飼っている存在は厄介なものもいるが、本人自体は素晴らしい胸の持ち主だ。

 桑原は想像する。ミロカロスとシロナにサンドイッチされることを。

 前途には幸せが溢れていると、移り変わる景色を眺めながら思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ◆

 

 

 周囲の目があるところに留まり続けるわけにもいかなかった。

 ガブリアスによって高速で運ばれて、ビルの屋上に到着する。

 岡はその速度に晒されても、さほど動揺していないようだった。よく見れば、ガンツのスーツを一番下に来ているらしい。飛んでいる途中で噴水にでも向けて落としていれば、少しは狼狽えただろうかと、捨て鉢に考えた。

 

「ごめんなさい」

 

 カブリアスの腹を撫でてから、軽く抱きしめる。彼女の方も、優しく触れてきてくれた。

 

「おいおい、許可は取ったんか?」

 

 岡が煙草を吸いながら、指を向けてくる。

 

「はい?」

「それは、俺のものや。俺に許可も求めないで、何勝手に触っとるんや? お前の元の世界では、権利についての概念がなかったんか。世紀末やな」

「ふざけないで」

 

 自らの精神状態のせいで、岡の冗談も流すことができずにいた。きつく睨みつける。彼は平然としながら、煙草を捨てる。吸い殻を足で踏みつけた。

 

「お前、自分がどれだけ危険な事をしてるか、わかっとるか?」

「え?」

「最悪、お前だけやなくてそいつも死ぬところやったぞ」

 

 ガンツに関わることは、基本、秘さなければならないらしい。かつてメンバーの中で、調子に乗って武器を民間人に使いまくった者がいた。少しの被害を出した時点で、頭が爆発して死んだ。その法則が、シロナのポケモンにも適応されるかもしれないのだ。

 彼女は、自分がどれだけ愚かなのかを再認識した。自分だけではない。もしかすれば、生き返ったガブリアス達も、死ぬ可能性があった。ガンツによって再生された彼らには、シロナと同じ爆弾が仕掛けられたかもしれない。

 さらに気分が沈んだシロナは、柵に背中を寄りかからせた。

 岡がガブリアスと何かを話していたが、不発に終わったようだ。舌打ちをしながら、シロナの方に近づいてくる。

 

「まさか、他も外に出しとるんか? なんでそんなことに?」

 

 シロナは黙って岡の横顔を見つめていた。

 正直、気は進まない。だが、他に思いつかなかった。杏に話せば、おそらく過剰に心配される。自分が生き残ることだけに集中してほしかった。

 だから彼女は、ぽつぽつと語り始めた。自分が遭遇した事実を、全て岡に話した。途中で遮ることもなく、彼はつまらなそうに話を聞いていた。

 そして終わった直後、それまでとは打って変わって笑い始める。

 

「な…」

 

 自分の苦悩が馬鹿にされていると感じたシロナは、一瞬本気でガブリアスに指示を出しかけた。ギガインパクトを、憎たらしい男に向かって放ちかけた。

 岡はもう一本煙草を取り出そうとして、やめる。欠伸をしながら、シロナに向かって不敵な笑みを向けてきた。

 

「なんやそれ。フィクションにしても馬鹿馬鹿しいわ」

「貴方、言葉をもうちょっと」

「推論に推論を重ねたできそこないを、なして真実だと思いこめるんや? 少し考えれば、わかるやろ」

「わからないでしょうね。他人事だから」

「いや」

 

 岡は既に笑みを消していた。今まで見たことがないほど真摯な顔で、シロナと顔を合わせている。

 

「ところがそうでもない」

「…?」

 

 彼女の不思議そうな視線を受けながら、岡は言った。

 

「本当はな、巨大ロボが来る予定やったんや。海外の情報を鵜呑みにするなら」

「何を、言っているの?」

「確かにお前は死んでいない。ガンツに呼ばれたことは確かや。でも、俺達とは立場が違っている」

 

 懐に、握っていた煙草の箱をしまう。地面で潰された吸い殻が、まだ少し炎を残しているように見えた。

 

「お前とポケモンは、俺のクリア特典や。七回目のな」

 

 岡は少しも、冗談だとは思っていないようだった。

 

 

 

 



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14.嵐の前

 ショッピングの最中も、落ち着かなげに膝を揺らしている。

 中山はその様子を見て、今日何度目かのため息をついた。

 

「やり過ぎちゃう?」

「ええんや。くそ、外で吸うわけにもいかんしな」

 

 室谷の中毒ぶりには、嫌気がさしていた。麻薬を買うためのお金をせびってきたこともある。そういう時はわりと本気で別れることを考えるのだが、結局だらだらと続いていた。

 彼とは、ガンツに巻き込まれてから出会った。勢いもあったのだろう。そしてあんな状況下では、寄りかかる相手が絶対に必要だった。そうでなければ、とっくに自分は死んでいる。

 中山は空を見上げる。これでは、ダメ男から抜け出せい典型的なダメ女だ。そう思っても、既にうんざりした気分は引いていた。これでもいい、と考えてしまう所もダメなのだろう。

 いつまでも続かないことは確かだった。室谷の方はわからない。だが、自分は永遠に戦い続けられるわけではない。限界はくる。解放を選ぶ瞬間が、必ずやってくる。

 そうしてしまえば、室谷のこともきれいさっぱり忘れてしまうだろう。そこが縁の切れ目だと思っていた。お互いにわかっていて、付き合いを続けている。そういう割り切った関係でいることにも、妙な心地よさを感じていた。

 だから。たとえこんな室谷に対してでも。

 中山は複雑な気持ちになる。

 嫉妬くらいはする。特にあのシロナという外国人の女性が現れてからは、どこかで苛々している部分が常にあったような気がしていた。

 自分の染めているものとは違う、本物の金髪。かなりのプロポーション。何も思わない方が難しかった。良くないとは思いつつ、彼女に対して厳しい態度を取り続けていた。

 だが今は、よくわからなくなっている。こちらとは違い、相手の方は少なくとも嫌ってきていないようだ。むしろ、躊躇いなく命を助けてくれたこともあった。

 余計、自分自身の事がみじめに思えていた。ださい、とも感じる。だがお礼の代わりにあんなことを言ってしまった以上、今更会いに行って何かを喋るのも気が引けた。次のゲームが始まったら、一言加える程度でいいと考えていた。

 

「あん? なんやあれ」

 

 室谷もまた、空を見上げている。

 そちらの方向へ目を向けると、憶えのあるシルエットが近づいてきた。

 うずうずとしたものを感じる。本当にお礼を言わなければいけない相手は、別にいた。そして中山は、その存在のことは嫌っていない。むしろ積極的にコミュニケ―ションを取りたいと思っている。

 なぜなら、可愛いから。

 降り立つと、人々がざわめく。

 それも当然だろう。その鳥は、翼をほとんど動かしていないのにも関わらず、空を飛んできていた。さらにその背に複数の存在を乗せている。珍しい光景なのは確かだ。

 

「あ…」

 

 知っている顔だ。同じくガンツ内で出会った友人、山田が何かやり取りをしていた相手。どうやらシロナを住まわせているらしい、杏がこちらに気がついた。

 肩には、これまた愛らしい生物を乗せている。トリトドン、というらしい。どうやら杏はガンツスーツを一番下に着ているようだった。でなければ、トリトドンの重さで倒れているからだ。

 

「あんな、ちょっとええか?」

「急にどうした」

 

 室谷が膝を揺らすのも止めて尋ねると、相手はやや切羽詰まった顔で答えた。

 

「姉さん、シロナを、見いへんかった? どこかに行っちゃったんや。ちょっと追いつめられてるみたいやったから、心配で…」

 

 そちらもそちらで気になったが、中山は別の関心事に囚われていた。自らの羽で頬をさすっているトゲキッスへと、頃合いを見て近づく。

 

「なあ、ええと」

 

 彼女に気が付くと、つぶらな瞳を向けてきながら、首を傾げた。

 まるで狙っているかのような仕草に我慢ならなくなった中山は、無意識のうちに飛びついていた。そのふわふわしている体に顔をうずめる。

 

「ありがとうな。あたしを助けてくれて」

 

 杏から降りたトリトドンが、羨ましそうに鳴いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ◆

 

 

「火ぃ、ちょーだい」

 

 無言でライターを向けると、山田は煙草の先を近づけてきた。ベッドにこぼれてしまわないよう灰皿をちゃんとおいてから、ゆっくりと煙を吐き出す。

 

「暇やわ」

「知らんがな」

 

 とはいえ、ジョージも少し同じ思いでいた。こうして自分の家で過ごす時間も良いものだが、さすがに長く続けば飽きも出てくる。

 着替え終わると、山田はまだ枕に手をついていた。ジョージが端に腰かけると、微笑みながら掛け布団を動かす。

 

「また?」

「ええわ。水やりに行かな」

「うわ、萎える。ちょっとは気遣いほしいわあ」

「お前と違って、抱えてる命があんねん」

 

 設置されている鉢にジョウロを傾けていく。そして鼻歌も嗜んでいると、起き上がってきた山田が言ってきた。

 

「ひま」

「わかっとる」

「今日にせえへん? 今からでも予約取れると思うで。プラネタリウム」

「どんだけ行きたいねん。来週って言ったのお前やんか」

「でも、よく考えたら平日の方がすいてると思わへん?」

「今日はええ。めんどくさい。もっと手軽なことにしようや」

「えー」

 

 少しの間、山田は考えていた。その様子を尻目に、ジョージは世話を進めていく。彼としては、本当の意味で時間が空くことなどありえなかった。家にいれば、やることは無限に出てくる。植物達の変化を記録しているだけでも、時間はあっという間に過ぎていくのだ。

 山田はベッドから立ち上がりながら、何かを思いついたかのように表情を明るくした。

 

「あったわ」

「何が?」

「うち、やりたいことあった! 杏ちゃん、いるやろ?」

「ああ」

 

 正直すぐに死ぬだろうと思っていたが、その通りになった。だがすぐにシロナが生き返らせたのは、さすがに予想外だった。無駄遣いの典型と言える。ジョージにとっては、クリア特典を取らないなどという選択など考えられなかった。

 

「遊びに行こう」

「は?」

「もう我慢ならん! うちな、会いたいねん。トドンちゃんに。意外と近いから、手軽やん」

 

 結局はシロナのペットを可愛がるのが目的だとわかって、ジョージはうんざりした。興味がないというわけではない。良い暇つぶしになるのは確かだろう。あまり会いたくない存在がいなければの話だが。

 どのように説得しようかと考えた所で、インターフォンが鳴った。

 山田がわざとらしく胸を手で隠す。

 どうやら自分が出ろと伝えてきているらしい。ジョージは面倒くさそうに息を吐いてから、扉に向かった。二日前くらいに通販で新しい鉢を頼んだので、それが来たのだろうと思い込んでいた。

 開けても、目の前には誰もいない。

 怪訝に思って視線を下げると、堂々とした植物が立っていた。

 それは別にいい。

 問題なのは、ロズレイドが花から鞭のようなものを伸ばして、インターフォンに触れている点だった。

 

「なにしてんねん」 

 

 その鞭からは、少しだけ液体が滴っている。色からして、明らかに毒が含まれていた。それで、ボタンの所が濡れてしまっている。幸い塗装が剥がれ落ちるなどはしていないようだが、迂闊に触れられなくなった。

 

「どうしてここがわかった?」

 

 ロズレイドは片手の花を、自らの鼻の部分に当てた。それから、得意げに胸を張ってみせる。

 辛うじて、意味は分かる。匂いを、辿ってきたらしい。誰の、とは考えるまでもなかった。彼女はジョージの方をもう片方の花で示している。

 

「殴り込みか? 受けて立つで」

 

 言いながら、少し違和感がした。

 こうして挑発するように言っても、ロズレイドの勢いは変わらなかった。それどころか、いつもよりも引いているような気がする。彼女は何かを迷うような表情をした後、目を伏せた。言いたいことがあるのに、言えない。そんな様子だ。

 

「しつこい勧誘やなあ。うちに任せて」

 

 長引いているやり取りに別の解釈をしたのか、山田が後ろから手を伸ばしてくる。ジョージの肩を掴んで、そこから顔を出した。

 途端、嬉しそうな悲鳴を上げる。

 

「あらあ、お花ちゃんやん。遊びに来たんか? ええよ。たいして広くもないけど、上がってって」 

「おい、」

 

 その言葉と同時に、ロズレイドは前へと飛んでいた。防ごうとしたジョージの腕を見事にすり抜け、玄関に降り立つ。そのまま山田の肩に飛び乗って、奥へと進んでいった。

 それを苛々しながら見て、ジョージは入口を閉めた。

 どうやら、何かがあったのは確からしい。肝心の、シロナがどこにもいない。この植物がわざわざ単身で来たのには、事情がある。

 だがロズレイドはそれを伝える前に、別のことへと関心を向けたようだった。

 

「さわんな。これが本物やぞ」

 

 ソファーの横や、ベッドの隣の机の上。色々な所に置かれている植物に、興味をかなり示していた。匂いを嗅いでみたり、至近距離で観察したり。その花からいつ棘や鞭を出して、大事な植物を破壊するのか、気が気でなかった。

 ロズレイドは、棚の上にある花達にも関心示す。少し背伸びをしてから、ジョージを振り返ってきた。

 

「下手にいじるなよ。おい」

 

 近づくと、彼女は上に飛んだ。素早くジョージの肩に乗ると、さらに跳躍する。そして両足を彼の頭につけると、体を前に倒しながら、並べられている花達を見物し始めた。

 

「こいつ…」

 

 山田が、爆笑している。

 

「そうやなあ。そこ、居心地よさそうやもん。あはは、つるっつるや」

「やかましい」

 

 手でとらえようとする前に、ロズレイドは降りていった。そして、ベランダの方へと鼻を動かし始める。止める間もなく、すいすいと歩いていった。

 彼女が一番注目しているのは、赤い花だった。風通しのいい場所に置かれている鉢の中で、鮮やかな色の小さい花びらがいくつも重なっている。花が開いている期間がそれほど長くないので、近いうちに完璧なポジションを決めてから写真に収める予定でいた。

 赤いゼラニウムに、ロズレイドは盛んに鼻を動かしている。ハーブゼラニウムと呼ばれている、特に香りが強い個体だ。

 植えられている花と、感情が動くたびに上下する両手の花を見比べて、しばらくの間ジョージは黙っていた。それから言葉を失っている自分にもやもやとしたものを感じ、屈みこむ。

 ここまで近づけば、ゼラニウムの濃い香りがしてくるはずだった。甘い香り。だが、それとは別の何かの方が強く鼻に来ていた。小さく舌打ちをしてから、自信満々に言う。

 

「どや」

 

 ロズレイドは我に返ったかのように振り向いてきた。

 

「これが、見本や。お前みたいな紛い物とはちゃう。あるべき姿なんや。わかるか?」

 

 ふん、と彼女は目を細めた。相変わらず、生意気な態度を取ってくる。ゼラニウムを睨みつけてから、自身の方を示してみせた。

 ジョージは、眉をひそめる。

 

「なんや、あれか? 自分の方が綺麗だって、言いたいんか?」

 

 肯定するように、小さく鳴いた。

 

「ふざけんな。頭いかれてるんか? なわけないやろ」

 

 首を振ってから、さらに背伸びをする。まるで自分が一番だと言わんばかりに。その自信満々な態度に、段々とジョージも冷静ではなくなってきた。

 

「ええか、この世にどれだけ種類があると思ってる」

 

 両手を使って、その数を表現する。

 

「お前なんか、下の下の下や。井の中の蛙もいいところやで」

 

 相手の目つきが鋭くなる。

 ロズレイドも、挑むようにして両手の花を広げてきた。

 

「そこまで言うのなら、確かめようや。お前、来週空いてるやろ」

「?」

 

 ジョージは既に勢いで話を進めていた。

 

「近くに、穴場の園がある。お前が前に行った所よりは、規模が小さい。でもなかなか見られない種類も揃っとる。確かめるで。お前の伸びきったその鼻をへし折ったる」

「ちょっと待って」

 

 山田が割り込んできた。

 

「プラネタリウムは?」

「それは夜でええやろ。午前中はこっちや」

「なら、うちも行きたい」

「ああ? もう嫌になったって言うとったやないかい」

 

 ロズレイドを抱き上げて、白い頭の房に鼻を寄せる。山田はその香りを存分に楽しみながら、言ってきた。

 

「この子と一緒なら、楽しそうやもん。皆で行こ。な?」

「…」

 

 少し、我に返る。自分は今まで何を言っていたのだろうかと、後悔の念が湧いてきた。だが、どこか諦めの部分もある。ロズレイドの態度が気に入らないのは確かだ。自分が今まで心血注いできた趣味をけなされたとあっては、ここでやめるわけにもいかない。  

 何か別の思いもあるような気がしていたが、それ以上考えるのもやめた。

 ロズレイドはここに来た時のいつもと違う雰囲気をすっかり払い去り、ベランダの縁に飛び移った。山田に頭を下げる。

 そして数秒間ジョージと目を合わせてから、外に向かって飛んだ。

 ほとんど、心配はしていない。二階部分から降りた彼女は、地面にしっかり着地している。それからとたとたと大通りの方へ向けて走っていった。

 結局何のために来たのかはわからなかったが、あれに対する苦手意識が少しだけ薄れているのを自覚していた。避け続けることはできないのだ。ガンツのゲームが始まったら、いやでもその姿を見ることになる。 

 それからインターフォンを掃除するのに二十分かかって、やはりいけすかない植物だと思い直した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆ 

 

 

 シロナはその場に腰かけた。少し風が強い。髪を耳に掛けなおしてから、話を再開させた。

 

「どういうこと?」

 

 岡もまた一服していたようで、その問いかけを無視していた。だが煙草の先端をガブリアスによって削り取られ、一本丸ごと投げ捨てる。

 彼女の隣で柵に寄りかかった。

 

「まんまや。三回前、そうやな。お前が初めて来た時の前。俺は七回目の百点を取った。当然二番、強い武器を選んだ。でもサナダ星人の時、頼んでた武器とやらは来なかった」

 

 その言葉を、一つ一つ理解していく。

 

「初めは、ガンツらしいミスかと思ったんや。ムカつくけどな。けど、段々とお前を見て別の考えが浮かんできた。タイミングもちょうど良い。俺が求めた強い武器っていうのは、お前とポケモンのことだったんや」

「そんなの…」

 

 岡は、ガブリアスを指差す。

 

「つまり、最初からこいつも他のポケモンも、俺のもんやったってことやな。余計な遠回りしてたわ。しょうもな」

「そんなわけ、ないでしょ」

「態度、改めた方がええで」

 

 指先の方向を、シロナへと変えてくる。

 

「お前も例外やない。俺のもんや。よく考えたら、俺は天使やな。主人に堂々と逆らってるのに、お前を罰しなかった。もっと感謝してくれな」

「冗談は、もうやめて」

 

 シロナは立ち上がる。長々と息を吐き出しながら、横目で岡を睨みつけた。結局取って付けたような屁理屈を並べ立てるだけだ。少しでも期待をしていた自分が馬鹿らしかった。どうして、楽になれると思ったのだろう。この男から、まともな慰めなんて出てくるはずがなかった。

 

「じゃあ、別の考えもある」

 

 岡はたいして真剣でもなさそうな口調で続けた。

 

「お前が二人いるっていうのは、確かな事実。原因は、ガンツのミス。お前が確かに死んだと認識して、再形成した。けど、実は死にきれてなかったということや。判断を誤った。SFみたいな話やな。自分が、同時に二か所に存在している」

 

 シロナは、何も答えなかった。何の言葉も浮かばない。

 

「お前、生きづらそうやな」

「…何ですって?」

「これまで言った考え全部、間違ってる可能性もある。逆に一部は正しいのかもしれん。つまり、何もわからないってことや。いくら考えても答えの出ないものに、よく構えるな。俺だったら二分で発狂して、首吊ってるわ」

「貴方みたいに生きられたら、誰だって苦労しないでしょうね」

 

 岡は欠伸をしてから、空を見た。

 

「薄いな」

「なに?」

「何も考えてないやろ。実は。まともな思考してたら、よく知りもしない他人の生き方を羨むこともない」

「貴方、大丈夫? 言葉のあやにもそうやって反応するのね。生きづらそうで何より」

「…」

「…」

 

 シロナが最初に顔を背けた。

 

「お前って、ちゃんと働いてたんか?」

「はい?」

「あっちでは、何の仕事をしてた」

「考古学者。この子達ポケモンの研究よ」

「確かに、研究のしがいはありそうやな。正直どんな猛獣よりも使えそうや」

「貴方みたいに考えていた人たちの集団を、協力して潰したこともある」

「へえ。あっちの学者は警察紛いのこともするんか」

「ちゃんと、研究もするわ。ポケットモンスター。その名称の起源も探っている」

「どうせ誰かが適当に名付けたんやろ。もろ英語入っとるやんけ」

「それが、わかってないの。古くからある名家の一つが起源を主張していたけど、少し前に真っ赤な嘘だとばれた」

「馬鹿なことする奴もいたもんや」

 

 それから少しの間、沈黙が続いた。

 シロナは不思議に思う。いつの間にか、自分の肩にかかる重みがなくなっている。もちろん問題は変わらず立ちふさがっているが、過剰にそれで落ち込む気分ではなくなっていた。人との会話が一番の薬なのだろうか。あまり、それを認めたくはなかった。今だけは。

 顔を上げる。

 

「そっちは?」

 

 岡が柵から離れていた。

 

「貴方の事情、まだ聞いていない」

「何がや」

「ガンツの戦いをずっと続けている理由」

「話したやんけ」

 

 彼女は首を振ってから、しっかりと相手の瞳を覗き込んだ。

 

「もういい。嘘はたくさん。本当のことを話して」

「俺の職業からでも、わかるやろ、生真面目なんや。最後まで続けるだけ」

「再生のことについて、詳しそうだったわね。ガンツのミスっていう仮説も意外と筋が通っている。まるで、一度経験したことみたい」

 

 ある程度確信を持って言っても、相手は最初崩れなかった。無言のまま、何の感情も顔に出さず、前を向き続けている。その横顔をじっと見つめ続けていると、岡は目をつぶりながら頭をかき始めた。

 

「女っていうのは…」

「私だけ事情を話すのは、フェアじゃない。生真面目な勤め人なら、ちゃんとしなさい」

「うるさいわ」

 

 それからしばらく黙った後、岡はまるでそれが些事であろうかのように言い始めた。

 

「連れの女がいた。車の事故やった。それで二人同時に、ガンツに呼ばれた」

「そう」

「で、案の定天才の俺だけが残って、そいつは死んだ。その時の俺はまだ、色々と体裁も考えていたんや。相手の家に不信を抱かれたら、面倒になる。だから初回で百点を取って、そいつを再生させた」

 

 岡は肩をすくめる。

 そして、つまらない冗談を言うかのように苦笑した。

 

「それは、間違いだったわけや。俺の方は完全にお陀仏やったが、女は違った。かろうじて、病院で蘇生されていた。どうなるかは、わかるやろ?」

 

 シロナは、頷いた。

 

「まあ、最悪から一歩手前くらいのことにはなった。再生された女と、まだ生きていた女、二人が殺し合った。お互いの存在に耐えられなかったんやな。で、その責任を負わされそうになった俺は、少し出世コースから外れて支店の窓口担当になっとる。泣けるやろ?」

「なかなかよ。上手い作り話ね」

 

 岡は表情を消した。そこでようやく、シロナの顔をまともに見てくる。

 

「なんやと?」

「真実も混ぜてあるから、真に迫っている。でも、正直に言いなさい。その女の人は、貴方の婚約者だった。違う?」

 

 無言。

 

「大事な、人だったんでしょう? 許せないわよね。私だったらこう考える。星人もガンツも、どっちも悪いと。だから、最後まで生き残って目にものをみせてやる。そう、考えた」

「お前って、妄想が大好きなんやな。確かに、そういう仲ではあった。でもな、いわば政略結婚や。銀行がらみのな。お互い割り切った関係だった。そんな奴の無念を晴らすために、続けられるわけがないやろ」

「それならどうして、指輪を今でも大事に保管してるの?」

 

 今度は、ごまかせないようだった。

 目をいつもより少しだけ大きく開いて、何かを話そうとする。だが、声には出なかった。ただ視線だけは、疑問の念が強く表れている。

 

「車の棚に、あるんでしょう?」

「お前…」

「あの時、ミカルゲが教えてくれたの。一番奥に、しまってある。情の無い関係だったら、そんなのすぐ捨てるわよね?」

「……お前みたいな女がたくさんいたら、男は皆窒息して死ぬやろうな」

 

 冗談も、いつものような調子がこもっていなかった。煙草の箱を確かめて、もはや一本も残っていないことに気がついたらしい。最後の一本だった残骸を身下ろしてから、シロナの方を向いてきた。

 

「小さい頃から、知ってたってだけや」

「幼馴染ね。…ごめんなさい、少し踏み込み過ぎたかも」

「俺を、悲劇のヒーローに仕立て上げたいのはわかった。でもな」

 

 人差し指で、シロナの額を弾いてくる。ガブリアスが少し威嚇をした。

 

「状況だけなら、お前の方がよっぽど悲劇の主人公って感じやな」

「そうかも」

 

 手を伸ばし、カブリアスの頬を撫でる。そのくすぐったそうな様子を眺めていると、これまでの苦しみが縮んでいくような気がした。

 

「戻らないと。貴方も乗って」

「もうええんか?」

「ちょっと、楽になった。長い話に付き合ってくれてありがとう」

「謝礼はそいつでな」

「はいはい」

 

 来た時よりも少し速度を上げたが、結局岡は変わらず平常心を保っているようだった。いつかその表情を揺らしてみたいという思いが湧く。ルカリオに不意打ちでもさせようかと、遊び半分に考えていた。

 路地裏、人気のない所に降り立つ。そして通りに出ると、何やら大きな騒ぎが起きていることに気がついた。

 バイクの音が、近づいてくる。

 シロナの前に止まると、京は汗をだらだら流しながら、席から降りた。よろめいて倒れかけたが、ミカルゲのサイコキネシスによって支えられている。彼らを追いかけてきたようで、警察のパトカーが数台、通りの奥から向かってきていた。

 人混みの中から、ミロカロスが這いずってきている。彼女は少し疲れているようだった。その背に桑原を乗せているせいでもあるかもしれない。

 

「姉さん!」

 

 杏が、走ってくる。トリトドンを持ちながら。その後ろには、トゲキッスと中山が並んで向かってきていた。一番後ろの室谷は、とても面倒そうだ。

 

「俺やって!」

「俺や。俺が最初に見つけた。だから飼う権利は、俺にある」

「なあ、ドックフードとかでええか? 魚も食べる?」

 

 何やら聞き憶えのある三人組の声と共に。

 ルカリオは耳を塞ぎながら、困り果てて歩いてくる。

 シロナは、少しだけ我慢をしようとした。唇を固く結んで、顔に力を入れる。何とかして、こらえようとする。

 そして、ロズレイドが目の前に現れた。真っすぐシロナの腕の中に飛び込んでくる。

 大きく深呼吸をしてから。

 結局、涙がこぼれ落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 声をかけられて、自分が把握していなかったことを認識した。

 シロナはもう一度訊き返す。

 後ろの方で働いている作業員に声をかけてから、現場監督は平然と言い直した。

 

「だから、あともうちょいで終わりや。こことは別の担当に俺は移る」

「それは、つまり」

「元から短期のやつやったやろ。ちゃんと募集要項に書いたで。お前らバイトは全員、契約終了や。クビやな」

 

 まるで面白い冗談をかましたかのように大声で笑う彼に対して、彼女は難しい顔をしながら考え込んでいた。

 つまりもう少しで、自分は再び無職に戻ってしまうのだ。

 

「どうしましょう」

 

 室谷はさっさと帰ってしまったが、まだ残っている同じ立場の相手にこぼす。

 

「何がやねん」

 

 京もまた、準備を終えかけていた。だがまだ何かやり残したことがあるのか、シロナが着替え終えてもまだバイクの前にいた。

 

「ちょっと、考えましょう。次の職場」

「関係ない」

「きみも、クビになるでしょ」

 

 席に寄りかかりながら、彼は口を吊り上げた。

 

「困るのは、そっちだけやろ。俺は別に金なんて稼がなくてもええ。貯金はある」

「そうなんだ。何かに使うの?」

 

 意気揚々と話そうとして、途中で京は妙な顔になった。まるで何かに化かされているような顔になってから、苦々し気に表情を歪める。

 

「それも、関係ないやろ」

「きみは知ってる? 身分の証明とかなしで、働けるところ」

「知らんわ。どんな職場や」 

「うーん」

 

 シロナが唸っているのを、京はしばらく黙って眺めていた。その視線を最初彼女は気にせずに思考していたが、段々とそうでもなくなってくる。会話は一旦終わったはずなのに、行こうとしないのを不思議に思った。

 

「なあに?」

「探すか?」

「うん?」

 

 京は口を曲げながら腕を組んでいた。

 

「俺も、バイトしないのは不安や。将来を考えると、貯金はいくらあっても足りん」

「よく考えてるのね」 

「そういうの、やめろ」

 

 シロナが瞬きすると、咳払いをしてから続ける。

 

「お前のその、十歳かそこらのガキ相手にする時みたいな態度、不快やねん」

「ごめんなさい」

 

 彼女としても、指摘されて気づくことはあった。少し世話をした手前、いつの間にか彼のことをポケモンのように扱っていたのかもしれない。シロナは自分が親のような真似をしかけていることにも気がついた。まだ自分はそこまでの歳ではないはずだと、思い直す。

 

「ちゃんと、対等だと思ってるわ。きみのこと」

「それでええ。じゃあ…」

「きみに頼るのは、良くないわね。ちゃんと自分の事は自分でやらないと。ありがとう。話を聞いてくれて、助かったわ」

 

 素直に頭を下げてから、帰路につく。

 何か用のありそうな声がかかったが、既に思考に沈んでいるシロナには何も届いていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルカリオの拳を、ぎりぎりで避ける。

 返しで回し蹴りをしたが、相手に完璧に読まれていた。

 シロナは何とか飛んで対応しようとしたが、見事に足払いにかかる。たとえスーツで増強されていたとしても、相手の重心の崩しは受けきれなかった。倒れてから、ルカリオの肉球がちょんと鼻先に当たる。

 両手を挙げて降参を示してから、今の流れを再確認した。やはり、まだまだ甘い点がある。

 かくとうタイプの使い手は、トレーナー本人も鍛える傾向にあった。昔、シロナはそれを真似して、自分のポケモン達の中に混ざって訓練をしたことがある。その時の反省を生かして、今まではしっかりと線引きをしていたのだが、これからの戦いではそうも言ってられなくなると思っていた。

 たとえスーツを着ていても、まるでルカリオやガブリアスにはかなわない。やはり人とポケモンにはそういう面で隔絶したものがあると感じた。だが、せめて一緒の戦場に立っても足を引っ張らない程度の動きには到達したかった。それが、義務だと考えている。

 汗を拭いてから、夜の公園を後にした。

 アパートに戻り、生じた問題の対応をする。

 杏に相談の場を持ちかけた。シロナとしては、また新しい仕事を見つけるまでの間頼らせてもらうという旨を伝えるだけのつもりだったが、相手側はもっと真剣に考えてくれているようだ。

 

「こっちの仕事、手伝わへん?」

「でも、やっぱり無理かも。迷惑、かけるから。私本当に下手だもの。まだルカリオの方が上手いわ」

 

 翔の相手をしている彼は、自分の名前が出されて少しだけ耳を動かした。それを見てから、杏は腕を組む。

 

「でもなあ、ちょっと考えたんよ。絵方面じゃなくてな、別のサポートをしてくれるだけもええ」

「というと?」

「ちょっとな、考えがあるねん。姉さん、頭ええやろ。物語を考えるのも、いけるんとちゃう?」

「うーん」

 

 論文を読むことなら得意だ。そして、散文作品もいくつか読破してはいる。だが、自分で一から組み立てるとなると、さすがに自信がなかった。

 

「うちな、ちょっと夢があるんよ。今もな、楽しい。漫画作って金もらえるなんて、ありがたいと思ってる。でもな、いつまでも女の裸とか、えっちを描き続けるのも考えものや」

「そ、そうね」

 

「普通の話もやってみたいんや。でも、絵とは違って。話はてんで駄目やねん。何回か賞に応募したことあるんやけど、ぼろくそやった」

「たとえば…、いい話の種があればいいのね」

 

 シロナは提案をする。

 

「自分に起きていることを、題材にしてもいいんじゃない?」

「ああ…」

「えっと、ガンツのこととか。ある意味、どんなフィクションよりも貴重な体験をしていると思うの。それを上手く脚色すれば…」

「でもなあ」

 

 杏の気持ちはわかっていた。シロナも、本気で言ってはいない。

 

「怖いねん。描きすぎたら、消されそうな感じがする」

「確かに。設定は面白そうだと思ったんだけど」

「うーん」

 

 しばらく考える時間が続く。 

 シロナも、決して楽観視はしていなかった。今のバイトを見つけられたのが、奇跡なのだ。他で同じような条件で雇ってくれるところなど、そうはない。内容を考えないのなら、そういう店で働く道もあるのだろうが。それは本当に追い詰められたときの最終手段にしようと考えていた。

 ベランダに置いてある、ビニール製の器でできているプール。そこに辛うじて収まっているミロカロスを眺めて、杏は急に両手を叩いた。

 

「これや!」

 

 そのテンションの変わりように引いていると、シロナの手を握ってきた。その目は、いつもとは違う輝きで満ちている。

 

「騒ぎになったやろ。そこに関しては、良かったかもしれんよ。ぐふふ…、駅前はさすがに迷惑やろうから、もっと大きな広場やな。上手くいけば、テレビにも出て…、姉さんも綺麗やし。そこは万人受けも……」 

 

 絶対にろくでもない案だと感じていたが、杏の考えは意外と受け入られるものだった。むしろそれは、シロナの漫然とした将来の意識とも合っている。

 思い切ってみるのも、いいかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 見物客の中で一人だけ、目つきの鋭い男がいた。

 緑が基調の、複雑な模様の入った服を上下に身に着けている。どこかの集団に属していることは確かだった。

 

「自衛隊や。最近出動が多くなってたからなあ」

 

 杏が解説してくれる。

 どうやら、自治部隊の一種らしい。確かに、その服を見かけることはちらほらあった。最近は、物騒なニュースが続いている。実際に、民間人にも被害が出ていることもあって、警察だけでは対応しきれないこともあるのだろう。

 最近では、池袋の事件が印象的だった。

 黒いスーツを着た者達が、怪物と戦い、勝った。

 噂によると、その中にはあの有名なレイカも含まれていたらしい。ゴシップ好きではない者からしても、興味深い事案なのは確かだった。

 影響は、確実に表れているとシロナは確信する。自分達があの角の星人を倒したことは、完全になかったことになっているようだ。代わりに、東京のチームが成し遂げた。全滅することもなく。

 若い、学生らしき男の顔を思い浮かべる。過去で助けた彼が、上手くやったということだろうか。そうであることを願いながら、ミロカロス達に指示を出す。

 杏の提案は、ポケモンを見世物に使うことだった。もしかすれば、それをよく思わない自分もいたかもしれない。だが、今はまた違った観点で物事を見始めている。

 この子達は、星人でも、怪物でもないのだ。人と共存していける可能性を持っている。だから、こうして公衆の面前で披露することで、広まっていけばいい。ポケモンが、自分の家族がどれだけ素晴らしいか。

 ミロカロスが空中に輪を作る。水の部分が太陽の光できらめいて、何人かが歓声を上げた。同時に、設置された缶の中にお金が次々と放り込まれていく。最初は遠慮がちだったが、途中から杏は喜びっ放しだった。もちろんシロナは儲けのいくらかをちゃんと分けるつもりでいるが、杏はわかっていないのか、時々申し訳なさそうに静かになっていた。

 人々の驚嘆を前にしながら、シロナは考える。

 もしかすれば、戻れないのかもしれない。ずっと、この世界で生きていくことになるのかもしれない。

 だが、それでもよかった。痛感していた。居場所とは探すものではなく、自分で作るものなのだと。家族に会えないのはもちろん辛いが、乗り越えていけるという確信もあった。シロナ自身、この街を好きになり始めていたからだ。

 それに、杏達を放っておくわけにも行かない。まずはガンツがらみのことに決着をつける。それからどう生きていくべきなのか、模索していこう。

 緩やかな決意をして、シロナは心からの笑顔をポケモン達に向けていた。彼らもそれに答えて、最高のパフォーマンスをする。ポケモンコンテストには出たこともあったが、その時よりも楽しそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ◆

 

 

 土谷(つちや)は、今日何度怒鳴ったのか、数えるのをやめていた。

 作業員の不満を和らげるために、自分から率先して仕事をこなしていく。元気な者は全くいなかった。誰もが、体力の限界に近づいているらしい。

 

「何やあれ」

 

 一人が指を差してそう言ったが、そこに顔を向けても何もなかった。

 

「サボる口実か?」

「違いますよー。何か、変な生物が見えた気がして。絶対におかしい」 

「終わりやん。お前、幻覚まで見え始めとるやんけ」 

 

 今日はまた一段と、作業が多かった。

 それはほぼ確実に、優秀な人材が三人ともいないからだろう。彼らは疲れを知らない。上手く演技しているようだが、現場監督である土谷にとっては看破も容易かった。本当はもう少しそのからくりについて理解したかったのだが、彼らは全員、示し合わせたように休んでいた。

 

「どこに飲みに行くかなあ」

 

 ロッカー室に入ると、既に他の者達も着替えていた。

 

「監督。またあの店ですか?」

「ええやんけ。良い子がいるんや」

「俺、パスで。今日は寝たいっす」

「まじかいな。新田、お前は」

「うーん。そうですねえ」

 

 彼が悩んでいる様子を見ていると、突然腹に衝撃が来た。

 土谷は、自分の体に刺さっている刃を見る。それは、小型のナイフのようだった。

 

「俺は大量の退職金がいいですね」

 

 部下であり、一時的な同僚だった新田が、にたにた笑っている。そして武器を構えているのが、彼だけではないことに気がついた。

 土谷は、膝をつく。彼を他の全員が囲んだ。

 

「体よく働かせやがって」

「さっさととるもん取ったら、逃げるぞ」

「おい、こいつからケータイ取れ。通報されたら厄介や」

 

 他の所で、そういう事件が起きているのがわかっていた。だが、得てして人間は他人事が好きな生き物なのだ。手遅れになったその時まで、まさか自分がそんな目に遭うなどとはまるで考えない。備えようとしない。

 

「やめてくれ…、頼む」

「さようなら、監督」

 

 土谷に向けて、ナイフが振り下ろされる。

 組織的な強盗に対して、なすすべが無い男の姿だった。肩が斬り裂かれて、血が噴き出ていく。土谷は地面に転がって、見下ろしてきている男達の瞳を捕らえていた。醜い、人間達のさまを視界に収めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地下への道が、開かれる。

 歩きながら、滴る血を拭っていた。

 既に土谷の姿は変化し始めている。作業着は溶けるようにして腹の中へと吸い込まれていき、厚い胸板が縮んで、代わりに胸のあたりが盛り上がり始める。まあまあ大きさに自信のあった男性器もなくなっていった。

 妖艶な細目を開け閉めしながら、女は地下の空間で一番高い場所に座った。

 周りでは、食事がすでに終わりかけている。

 翼を生やした、天狗のような怪物。それが作業着を着た人間を貪っていた。反対側では法衣を纏った犬が、長い手を使って丁寧に体を裂いている。そして大きく口を開くと、死体に握られていたナイフごとかぶりついた。普通に胡坐をかいていて、まるで二足歩行でもしそうな犬だった。  

 女は、頬杖をついてから、静かに言う。

 手始めにこの地を、制圧すると。

 まるで老人のような、低い声だった。音量は小さかったものの、全員に等しく伝わる。それは声質のおかげではなく、ただその存在が放つ圧倒的な圧によって、遠くの方にも言葉が届けられていた。

 魑魅魍魎(ちみもうりょう)

 そうとしか表現できないほど、多岐にわたる化物達が、空間にはひしめいていた。全員が主に向かって頭を垂れ、拝聴している。そのほとんどが、言い伝えが残っている存在だった。

 女が邪悪な笑みと共に、短く言う。それはただの命令だった。同族以外の生命を、全て貪れという。

 答えは、様々な鳴き声だった。そのどれもが、狂喜している。ついに、雌伏の時が終わったのだと。自分達の時代がやってくるのだと、実感している。

 女もまた、少し楽しみにしていた。

 今までどんな場所を滅ぼしても、相手になる存在はいなかった。だが今回は、違うかもしれない。もしかすれば、胸の躍るような戦いができるかもしれない。

 小さな期待をしながら腕を振るう。その合図に合わせて、化物達は移動を始めた。律儀に並び、地上への階段を上っていく。

 暴虐が、始まろうとしていた。

 

 




 次回から、地獄のぬらり編が始まります。
 登場キャラクターも一気に増え、また原作とは別物の展開になっていくと思いますが、これからもお付き合いいただければ幸いです。


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ぬらりひょん
15.8(オクタ)バトル


 普通の夢と違う所は。

 これがちゃんと夢であると、自覚できている点だ。今まで見たことのあるものは全て、現実に起きていることなのだと疑わなかった。そして目を覚まして、ようやくそれがまやかしであることに、気がつくのだ。

 こういうタイプも、知っていた。

 ずり落ちそうになっている眼鏡を、掛けなおす。

 夢から覚めたと思えば、また夢の中にいる。それを何回か繰り返す。ありがちな内容だ。

 だから彼は、これが本当に起こっていることだとは、まるで思っていなかった。

 マンションの一室だ。そこは何の異常も見られない。

 だからより、中央に配置されている黒い球体の存在が際立っていた。何かを喋っているようだが、その内容も頭に入ってこない。

 周りには、様々な人間がいる。

 

「なあ、これ夢か?」

 

 隣で座っている友人が、同じく眼鏡に触っていた。外して、再び掛ける。それでも光景は変わっていないようで、盛んに首を捻っていた。

 

「俺らチャリで走っとるとき……、なんやダンプカーが幅よせしよって…」

 

 血だまりの中に、倒れ込んだ記憶がある。

 そうだ。確かに、自分達は大怪我をしたはずなのだ。頭を触る。どこにも、おかしなところはない。

 周りに人間の一部もまた、戸惑っているようだった。自分達がどうしてこんな所にいるのか、理解できていない。

 集団拉致。その可能性が頭に浮かんだ。眠らせて、強引にこの部屋へと運び込んだ。

 でも、何のために?

 彼は段々と混乱してきていた。わけのわからない自身の状況のせいだけではない。明らかに、空気の違う者達がいることに気がついたからだ。彼らはほとんど、動じていないようだった。

 かなり、強面の男もいる。黒人と間違えるほどの肌色をしている男も、壁に寄りかかっている。全員が確実に自分よりも年上だとわかったが、観察を進めていくと若い男もいることに気がついた。

 彼らに共通しているのは、妙な黒い衣装をしていることだ。かなりぴっちりとしていて、コスプレと思われても仕方がないような感じになっている。何人かがそれで笑っているが、相手は黙っていた。怖くなるほどの静けさだ。

 そして、そんな姿をしているのは、男性だけではなかった。

 

「それって、ちゃんと通じんの?」

 

 金髪で肌が白いギャルらしき女が、同じ髪色をしている外国人に話しかけていた。彼女達は、スマートフォンを見せ合っている。

 

「無理みたい。もう一回試してみる?」

「見たことない機種やなあ」

「やっぱり、杏ちゃん経由で連絡するしかないとちゃうか?」

 

 浅黒い肌の、これまたギャルっぽい見た目の女性が、腕を組んでいた。

 そして横の黒髪の女性も頷いていた。

 

「うちもそうした方がええと思うな。とりあえず、来週の土日あたりで」

「土曜日は用事あるから、その次の日でええわ」

 

 外国人が、顎に指を当てる。

 

「ここら辺に、海ってあるの?」

「ちょっと、時間かかるけどな。でもトドンちゃん達に良い思いをさせてあげると思えば、余裕や。早く一緒に泳ぎたいわー」

「あたしは、ミロちゃんも気になる」

「ミホなら、大丈夫だと思う。背にも乗せてもらえるわ」

 

 黒髪の女性が、急に声を潜めた。

 

「ちょっと。静かにした方がええで。ミロちゃん関連の話は…」

「それ、俺も行ってええか」

「ほら来た」

「きしょいねん。あっちいけ」

「待て。本人が許可したら、お前ら文句ないよな」

 

 本来なら、彼女達の浮き出ている体のラインにも、目が行ってしまうはずだった。特に外国人の女性のそれは嫌でも注目してしまうだろう。だがそれ以上に強烈な存在が、彼の意識をほとんど引き寄せていた。

 女達の会話に割り込んだ茶髪の男が、部屋の隅で体を寄せている生物に向かっていった。まるで蛇のようだ。それも今まで見たことがない種類の。

 そして、この場にいるのはそれだけではなかった。外国人の側に、二足で立っている存在がいる。片方は、青い犬とも表現できるような外見をしている。だがもう片方に関しては、あまり形容表現が思いつかなかった。ただ、どこか高性能のジェット機を彷彿とさせるようなラインをしている。腹の鮮やかな赤の部分が、印象的だった。

 我に返ったかのように、外国人はこちら側へと顔を向けてきた。

 

「聞いてください。貴方達は、戦いに巻き込まれました。とにかく、スーツを着てください」

「何してんねん、お前」

 

 強面の短髪男が止めようとしたが、彼女とジェット機が睨み返すと、舌打ちをしながら煙草に火をつけた。

 

「とにかく、着てください。死にたくなければ。スーツケースを順番に取っていって。自分のものだとわかるように、名前が刻まれていますから」

 

 先ほどからずっと現実感が湧いてこなかったが、何となく従った方がいい気がしていた。ほとんどが話半分に聞いていて、動こうともしない。中には彼女をじろじろ見ながらナンパしようとする輩もいた。

 

「どうする…?」

 

 友人が、見てくる。

 そんなことを言われても、自分もわかっていなかった。とにかく死にたくはないので、ケースを取りに行こうかと考える。

 動いた所で、急に音楽が鳴った。

 陽気なメロディー。馴染みのある構成。

 新喜劇や、と彼は夢見心地で思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ◆

 

 

ぬらりひょん

 

  特徴

 

  すごくつおい

 

  わルい

 

  しつこい     』 

 

 自らのできることは全てやったと、シロナは考えていた。

 次々と転送されていく者達を見る。今回は、かなり人数が多くなった。サナダ星人の時よりも、新入りが増えている。とにかく、全員の命が助かることが一番だった。もう、この戦いによる犠牲者は出したくない。

 彼女もまた、そう強く願っていた。そのために、ここしばらく修練に励んでいたのだ。どれだけ通用するのかはわからない。それでも、ポケモン達と共に立ち向かえば必ず、活路は開けるはずだった。

 画像を、注視する。

 禿げ頭の老人だった。顔の部分だけしか表示されていないので、どんな体をしているのかまではわからない。ただ、かなり痩せているであろうことは伺えた。

 当然油断はしていない。星人は姿を変えることもある。ただの年寄りだと思って行けば、とんでもない化物を相手する羽目になるかもしれない。

 だが、シロナは少しだけ安心していた。夢に何度も出てくる、女の顔ではないからだ。今回もまた、百点が来ないのだろうか。それでも手強いことには違いない。気を引き締めてから、手の先が消え始めている男へと向き直った。

 岡は最初彼女の方を見ていなかったが、やがて目を向けてくる。

 

「なんや」

「そろそろ、危ないかもしれない。貴方も、単独行動は控えて」

「心配してくれるんか? 頭でも打ったか」

「足元すくわれて、死ぬわよ?」

 

 消えていく最後まで、頷くことはなかった。今までずっと一人で乗り越えてきたという自負が、表れている。シロナも過剰に心配しているわけではなかった。ただ、夢が語りかけてくるのだ。岡の生首を、何度見たことだろう。将来、そのような危機的な場面がやってくる。それを防ぐためにも、彼の意識改革は必要だった。

 ポケモン達を見る。

 ガブリアス達もまた、ガンツに囚われた。彼らはもう、ボールに戻ることはできない。ここへの転送もシロナと同じように行われた。だが、再生が間違いだったとは思わない。こうして、共に戦うことができる。ようやく、全てが揃った気がしていた。

 ルカリオが、顔を動かす。 そして、怪訝そうに鳴いた。

 同時にシロナも、異変を感じていた。もう彼女達以外は全員、この部屋から消えている。なのに、未だ彼女の転送は始まっていなかった。

 組んでいた腕を解いて、振り返る。

 答えを求めるようにして、ガンツを見た。

 既に、タイマーが進んでいる。一時間半の制限。それを過ぎれば、戦いは強制的に終了となる。

 だが、その数字が徐々に薄まってきていた。シロナが数度瞬きをする間に、表示が消えていく。残り時間を示していたはずの画面が、移り変わっていった。 

 ノイズが、混ざり始める。

 先ほどの星人の画像が表れた。

 

ぬらぁぁぁぁぁりひょぉおぉぉぉぉぉん

 

 

 とくチょう

 

 

 だれも、かテ

 

 

 ない

 

 

 じヒ

 

 

     ぶか

 

 

  い

 

 

 

 えいえんに

 

 

 

  おワら

 

 

 

              なイ   』

 

 

 音声もまた、かすれていた。平坦な調子がより不気味さを増大させる。最後の方になると、もはやほとんど途切れ途切れで、意味が聞き取れなかった。

 だが、異常が起きていることくらいはわかる。ガンツの表示はもはや、ばらばらになっていた。星人の画像が割れていき、球体の隅へと散らばっていく。まるで意思を持った生き物のように、ぐるぐると回り始めた。

 シロナはあまりの事態に、一歩後ずさる。逃げなければという、根拠のない意思が大きくなってきていた。どうしてそんなことをしなくてはならないのか。ガンツは、確かに信用できない。だが今起きていることは決して、その悪戯ではないような気がしていた。

 

「ただの児戯ぞ」

 

 それは、明らかに電子音ではなかった。

 開閉している球体の横部分から、手が伸びていく。

 

「構えずともよい」

 

 老人のような声。

 出てきたのは、全身がつるつるになった、人間だった。ガンツの内部から伸びている管を取り外し始める。

 初めて見るわけではなかった。ガンツの球体には、核がある。中に人間のようなものが収まっているのだ。それは普段眠るように目をつぶっていて、誰かがつついても全く反応を示さなかった。

 なぜ、そんな存在が急に出てきて、話しかけているのか。

 シロナはやがて理解する。戦慄する。

 自分は結局、都合の良い苦難しか想定していなかったのだと。認識の甘さは、初めから少しも、改められていなかった。

 相手の頭から、急に血が噴き出した。大きな穴が、開いている。だが想定される中身は漏れ出してこなかった。脳味噌の代わりに、手が出てくる。骨ばった皺だらけの手だった。

 小人のようだった。ガンツの内部にいた存在を裂きながら出てきたそれは、ちょこんと球体の上に乗った。その間、シロナ達は少しも動くことができない。目だけでルカリオを伺い、彼が異常なほどの汗を流していることに気がついた。

 相手は、徐々に変化していく。体全体が伸び始めて、シロナよりも少し高い程度の慎重になった。顔からは、豊かな白髭が生えていく。口元を覆いながら、数センチほど顎の下まで伸びきった。

 

「歓迎しよう」

 

 その見た目は、先ほど表示されていた星人と全く同じだった。細長い体は押せばすぐに折れてしまいそうなのに、抵抗しようと思う気持ちが全く湧いてこない。

 ぬらりひょんは、腕を動かした。

 同時に、シロナ達の足の先が消え始める。転送が始まったのだ。まるで、狙いすましたかのようなタイミング。

 

「先兵よ」 

 

 ガンツが、乗っ取られた。

 その事実の重さを実感する前に、目の前の光景が移り変わっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 考える暇など、与えてくれないらしい。

 もしかすれば、最初に気付けたかもしれない。周りに広がっている街並みには、見覚えがあることに。バイトへ向かう途中にある大通りが、すぐそばに見えていた。

 だがシロナは、聞く。

 笑い声、のようなものを。

 発している何かを、探すまでもなかった。

 既に周囲にたくさんの影が、蠢いているからだ。それらは何一つとして同じ姿をしていなかった。共通しているのは、異形であるということだけ。人間の一部の特徴を持っていたとしても、他の部分が化物じみていた。

 少し離れた場所で、人が貪られている。大きな口を持つ一つ目の怪物が、男女を同時にかみ砕いていた。他の所で繰り広げられている光景にも、大差はない。人々は逃げまどい、捕らわれ、暴虐にさらされていた。

 囲んできている個体達は、シロナへと歓迎の鳴き声を上げた。待ちに待った獲物が、ようやくやって来たと言わんばかりに。

 既に転送されているはずのメンバーは、いない。そこで確信した。シロナは、ガンツによってではなく、あの星人に転送されたのだ。そこには容赦のない殺意と、好奇心があった。どれくらい彼女は戦えるのかと。

 シロナは受容した。

 今までのガンツにおける経験が、少しは役立っている。どんな未知の状況に追い込まれようと、問題が将来的に立ちはだかろうと、まずは目の前ののことに対応するのが一番大事だと理解していた。

 既に、ボールは投げられている。

 恐れが、和らいでいく心地がした。

 孤立したとは思わない。なぜなら、この通り。

 シロナの周りに七匹のポケモンが並んだ。全員が、一瞬だけ彼女を見てくる。そこには怯えなどなかった。自らの主人に対する、信頼だけが伝わってきた。

 化物の一体が、飛びかかっていく。それを合図にして続々と襲い掛かってきた。

 シロナは刃を伸ばす。ガンツソードと呼ばれているそれを、右手に構える。

 Xガンを、左に持った。

 最初の一声には、もう震えなどなかった。

 

「はどうだん、シャドーボール」

 

 トゲキッスとルカリオが、飛んでくる化物を撃ち落とした。貫通した二つの青白い光球は、他の個体も巻き込んでいく。取りこぼした敵は、ロズレイドから放たれた暗い色の光弾が処理した。

 

「あくのはどう」

 

 ミカルゲが大きく鳴く。その体から、円状に衝撃が広がっていく。既にシロナは飛んでいた。他のポケモン達も巻き込まれないよう。位置を調節している。

 それで、周囲の敵はほとんど押しのけられていった。転がり、隙のできた個体へと次々にXガンを使っていく。上下のトリガーを引く時は、タイミングをずらす。教えてもらったコツを、しっかりと実践した。

 怯まない個体もいた。やや大きなな体を持つ異形が、突進してくる。

 

「れいとうビーム」

 

 トリトドンとミロカロスが、同時に吐き出した。生じた氷によって、相手は足止めされる。そこへ向かって、ガブリアスが急速に接近していた。

 

「ギガインパクト」

 

 その殴打は、強烈な衝撃をもたらした。食らった個体は、声すら上げることもできずに爆散していく。その飛び散った肉片と血が頬を思いっきり濡らしたが、シロナは何も怯むことはなかった。

 相手の密度が、少し増していく。どうやら騒ぎを見て、少し離れていた怪物達も集まり始めたようだ。

 だからシロナは、右手に力を込める。柄のボタンを押した。

 

「伸ばすわ」

 

 その一言だけで、ポケモン達は理解したようだった。シロナが振るうのに合わせて、飛んだり、伏せたりする。

 生身の体だったならば、おそらく重くて使い物にならないだろう。ましてや片手で振り回すことなどできなかったに違いない。肩が外れる。

 だが今のシロナにとっては、容易いことだった。ガンツソードの刃が常識よりもはるかに長くなっていき、多くの体を斬り裂いていく。

 同時に、空を飛んだガブリアスとトゲキッスが、それぞれ避けた個体に対応していた。かえんほうしゃとでんげきはによって、破壊されていく。戦場に、様々な色が付いていく。

 あえて、近づいてこない敵がいるのにも気が付いていた。それらは口を開けると、中から妙な色の液体を吐き出していく。それに当たれば、どうなるか。想像するまでもなかった。

 

「サイコキネシス、ミラーコート!」

 

 ミカルゲとルカリオが、念じ始める。

 不可視の力によって、酸の液体が拾い上げられた。シロナへと向かうはずだったそれは大きく軌道を変え、横の怪物たちにかかっていく。先ほどとは違う、苦しみの叫びが上がった。

 別の方向では、ミロカロスのカウンターによって液体の方向が反転していた。飛ばしてきた個体にふりかかり、呆気なく溶かしていく。

 シロナは腕を振るってる中くらいの化物の懐へと飛び込んで、その顎を蹴り上げた。相手が怯むのに合わせて、牙が揃う口の中へと両手を入れる。全力で横に押し広げる。ガンツスーツが、駆動していく。筋肉のような盛り上がりをして、シロナの膂力を増強した。

 顔面を散々に破壊された個体が、後ろに倒れる。本当に倒したのかどうかを確かめもせず、彼女はポケモン達と共に進んだ。指示を出しながら、己の武器も利用した。

 妙な感動があった。

 同じ、なのだと思う。

 ボールによって出されて、戦う。

 自分がモンスターボールを投げて、ポケモン達を出して戦わせるのも。ガンツが、黒いボールがシロナを転送し、戦わせるのも、結局は同じことなのだと思い始めていた。どちらが責められるべきなのか、論じる必要はない。どちらも、良くないことだからだ。

 今までの自分は、意識もしていなかった。ポケモン同士を戦わせる。バトル。その頂点、チャンピオンに君臨するということ。その価値が、一体どれほどのものなのか。

 きっと、少しも、誇れることではなかったのだと思う。たとえポケモン達がそう望んでいたとしても、ひんしになるまで戦わせる。自分の勝利のために、使う。それはガンツがしていることと、どれだけの違いがあるのだろう。こうして並べて考えると、無視はできない。事実から、逃れることなどできない。 

 だが、自分は新たな境地に達したと思っている。

 アイコンタクトとハンドサインで、わざを使うのが誰なのか、指定する。わざわざ、名前を呼ぶまでもない。こんな所にまで、トレーナー同士のバトルにおけるルールを持ちださなくてもいいのだ。一対一の戦いでも、二対二の戦いでもない。少しでも、無駄をなくす。より多くの意識を、自分の事へ割けるようにする。

 ポケモントレーナーなどという枠組みに、収まっていいはずないと考えていた。シロナにとっては、もうこれがあるべき姿だった。小さな頃から、時折夢見ていたこと。自分の代わりに傷つくポケモン達を見て、考えたこと。

 一緒に戦えている。指示を出すだけの役割ではなく、直接協力して乗り越える。その一体感は、今まで感じたことがないほど強烈なものだった。そして二度とその誘惑からは離れられないのだと悟る。この世界に来てから、とんでもないものを知ってしまった。

 疲労は、なかった。

 それほど動いたとは思えないのに、なぜか静かになっている。遅れて、周りを全滅させたのだと気がついた。

 ポケモン達には、怪我はない。かなりの量を倒したというのに、反撃をほとんど貰わなかったのだと、鳥肌が立つような思いで理解した。

 民間人で、生き残りはいない。動ける者は既に逃げているのだろう。彼らを追いかけて保護するよりも、一刻も早く星人達を全滅させる方が確実だと考えていた。

 シロナは休むことなく、移動する。鼓動が聞こえるほど大きくなっているのに、不思議と視界は明瞭だった。理想的な緊張状態に身を置けている。

 そして、悲鳴を聞く。その方向へ視線を向ければ、かなり大きな個体が立ち上がっているのが見えた。

 

「田を返せええええっ!」

 

 全身に、筋組織が透けていた。その気色悪さと大きさを覗けば、人間と大差ない形をしている。だが、容赦をしてはいけない相手なのはわかっていた。

 その口に、子供が咥えられている。泣きじゃくりながら、食べられようとしていた。

 

「ドラゴンダイブ!」

 

 シロナの叫びと共に、ガブリアスが急降下する。もはや一個の砲弾と化したポケモンは、その化物の頭へと突っ込んだ。鼻から上のほとんどを削り取っていき、回転しながら着地をする。

 そして彼女もまた、走っていた。子供が、降ってくる。その地点を予測して滑り込んだ。スーツの力が作用し、完璧にキャッチする。

 

「きんにくらいだー……?」

 

 少年は、泣き晴らした目で見上げてくる。

 

「大丈夫?」

 

 シロナの姿を認識すると、首を傾げた。そして、何かを確信したように口を大きく開ける。先ほどまでの怯えとは打って変わり、嬉しそうな表情になりつつあった。

 

「ぴんくれんじゃーだ! すごい!」

「え…」

 

 驚いたのは、そのよくわからない名前で呼ばれたことではなかった。さきほどまでは必死になっていて気がつかなかったこと。その子供の服装は、見覚えのあるものだった。

 シロナと全く同じスーツを、身に着けていた。

 

「タケシ!」

 

 足音が、急速に近づいてくる。

 彼女は顔を上げる。

 向かってくる大柄な男を認識する。彼もまた、黒スーツを着ていた。 

 



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16.100点のヤツ……?

 ここから、書きたい場面しかないです。楽しい。


 駆け寄ると、少年の肩に触れた。

 

「お前、何しとうと」

 

 相手の男は、シロナを見るとすぐにその瞳を猜疑心で染めていた。すぐにタケシという少年を彼女から離そうとする。

 不可解なのは、シロナ自身も同じだった。彼らはどちらも、新しく加わったチームのメンバーではない。初めて見る顔だった。異常が起こっている。これまでとは違う何かが、進行している。

 ルカリオが、シロナの前に立った。睨んでくる男に対して一鳴きする。それと同時に、男の方も構えた。

 

「星人か?」

 

 その可能性を、シロナも今まで考慮していなかった。あのぬらりひょんがしでかしたことを考えると、ガンツのチームに化けて紛れ込むことも可能かもしれない。そして、内部から破滅させるのだ。

 周りのポケモン達も、集まってくる。少年以外の皆が、張り詰めた雰囲気になっていた。お互いの存在を疑い、危険が及ぶのではないかと考える。

 だが、均衡が崩れることはなかった。

 

「おい、いたぞ」

「じゃああれ、あいつ一人でやったんか」

「点取り損ねたわ」

「シロナー」

 

 一番先を、杏が走っている。それに室谷達も続いてきていた。彼らは、まだまともな戦闘をしていないらしい。転がっている死骸を武器でいじりながら、どかしていた。

 男は構えを解き、呆然と立っている。少年の方は好奇心しかないようだったが、それは子供ゆえの無邪気さだった。

 室谷が、目を見開く。

 

「なんや、お前ら」

 

 シロナもまた、状況の整理をつける必要があると考えていた。

 この場に、黒スーツの大集団ができあがることになるのだ。

 男が走ってきた方向から、様々な人間が歩いてくる。中年をとっくに過ぎた穏やかそうな男性もいれば、まだ学生らしき若いのもいる。一番前にいる男もまた、シロナよりは若そうだった。かなりの高身長で、オールバックの黒髪が印象的だ。

 シロナを間にして、両方の集団が向かい合った。

 

「あ…」

 

 オールバックが、間抜けな声を出す。

 ジョージと桑原も疑問を声に出した。

 

「なんやねん、こいつら」

「なんでスーツ着とんねん」

 

 シロナも、確認する。見た所、偽物ではない。特徴は完全に自分達の装備と一致している。握っている武器もまた、Xガンなのは確かだった。

 オールバックが、口を中途半端に開ける。

 

「どう、なってんだ?」

 

 あちら側にいる、サングラスをした黒子の男も頭をかいている。

 

「おいおい~~なんだよこりゃ」

「何?」

 

 最後に疑問を発したのは、高校生くらいの女性だ。かなりの美貌を誇っている。シロナはどこかで見たことがある気がしたが、それを思い出す余裕も今はなかった。

 ジョージが煙草を口から外す。

 

「東京弁やな?」

 

 強烈に、思い出されるものがあった。

 湧いてくる衝撃を処理するのが精一杯で、話に参加できない。東京。シロナにとっては、全くの無関係でもなかった。むしろ、大きく関わってくる。

 

「こいつらが、星人かもだぜ…」

「あぁ?」

 

 黒子の一言で、室谷が目を吊り上げる。

 

「そうか!」

「星人?」

「星人って、マジかよ」

「じゃあ、この変な生き物達も…」

 

 あちら側で、勝手に話が進んでいく。それを黙って見ていられるほど、こちら側のチームも大人しくはなかった。

 桑原が鋭い目つきになって、叫ぶ。 

 

「ざけんな! お前らが星人やろ!」

「こいつらが星人や、構えろ」

 

 ジョージが黙って、Xガンを動かす。

 このまま放っておけば、混乱が一気に増していくことは確かだった。シロナには、既に状況がほとんど理解できていた。武器を向け合うなど、無意味だ。しかも、殺し合いが始まりそうな雰囲気まで高まってきている。

 

「バウアアアアア!!」

 

 シロナが声を発する前に、そばにいたカブリアスが吠えた。正確に、主人の意図を理解してくれていたようだ。

 その声に圧されて、全員の言葉が途切れた。ほとんどの視線が、シロナ達へと向かってくる。それらを正面から受けて、彼女ははっきりと言った。

 

「落ち着いて」

「おい――」

 

 まだ何かを言おうとした室谷に、大量の水がかかる。それで咳き込んだ彼は、真下にいるトリトドンを睨みつけた。

 それを横目に、シロナはオールバック達の方へと向き直る。

 

「貴方達、東京から来たの?」

「え?」

 

 シロナというよりは、隣のガブリアスを呆然と眺めてから、答えてくる。

 

「そう、そうだ。あんた達は…」

「私達は、大阪で戦っている。ここは、道頓堀よ。どうして、ここに来たの?」

「いや、それがわからないんだ。ぬらりひょんだかを倒せとか言われて、転送されたらここで……」

「こちら側も同じ。つまり貴方達のチームと、合同になるということ? ガンツは、他に何か言っていなかった?」

「別に」

「待てよ」

 

 髪を横に流した男が、遮ってくる。未だ疑いが解けていない様子だった。彼は静かにしているポケモン達を指差す。

 

「あん、あんたの周りにいるそれは、なんだ? 星人、だろ。なんで襲ってこない。怪しいぞ。やっぱり、お前も星人だろ!」

「稲葉の、言う通りかもしれない」

「ちがうよ」

 

 大柄な男に寄りかかっていた少年が、ここで初めて発言をした。大きな手を握りながら、シロナに近づいてくる。彼女の腕に掴まると、嬉し気に持ち上げた。

 

「ぴんくれんじゃーだよ。たすけてくれた」

 

 そこで、全員が沈黙した。

 少年の一言で、どこか締まらない空気になる。シロナは無言で大男と目を合わせる。彼の方は少年を見下ろしてから、シロナの瞳を観察した。だがやがて落ち着かなげに顔を逸らしていく。

 

「おい、待て待てっ!」

 

 突然、桑原が素っ頓狂な叫びをあげた。驚異的な事実に今気がついたという様子だ。その視線は熱に浮かされたかのように、あちらの女子高生に向けられている。

 

「ちょい待ちぃや! あれ、レイカやん」

「ほんまに?」

「テレビに出とる、あの?」

「うわ~、俺むっちゃファンやねん」

 

 さっと武器を下ろして、桑原は歩いていく。シロナを悠々と通り過ぎ、レイカの前に立った。彼にしては珍しい、少し照れるような様子で、手を差し出す。相手の方は、きょとんとしてそれを眺めていた。

 

「握手して……ください。あ、ついでに連絡先も」

 

 光景は、目まぐるしく変わる。

 桑原は言い切る前に、華麗に後ろへと宙返りをしていた。たとえガンツスーツを着ていたとしても、万人にはできない芸当だ。

 

「フォオオ!」

 

 ミロカロスの氷をかわした彼は、腕を組みながら大げさに首を傾げた。

 

「あらら? それはなんや? どういう? 嫉妬ってことでええんか」

「フウウッ!」

「可愛いやっちゃな。安心せいや。お前が一番先や」

 

 さらに転がりながら水を避けていく。ミロカロス側としてはこれ以上被害者を増やしたくない思いでいたのだろうが、結局相手は全て都合よく受け取ったようだった。シロナは陰ながら当たるように応援していた。

 まだ圧倒されている様子の東京チームへと、向き直る。

 

「とにかく、これだけ人がいるのならありがたいわ。協力しましょう。今回の相手は多分……」

「おいシロナ、何ほざいてんねん」

 

 ジョージが前に出てくる。彼女の肩を掴むと、勝手に下がらせた。オールバックに向けて、鋭い視線を投げる。

 

「お前らはええ。観光でもしとけや。出しゃばんな」

「ちょっと、」

「お前も散々点を稼いだみたいだから、下がっとけ。ええか、ここは俺らの街や。勝手に入ってきて、取り分を奪うなんて真似はなしやで。星人は全部、俺らが倒す」

 

 さらに続けようとしたが、ジョージは妙な顔になる。それから口の端を震わせて、自身の頭の上に乗っかっている存在に怒鳴り散らした。

 ロズレイドは涼しい顔で花を揺らしている。

 

「いい加減にせえ! 乗るなって、いつになったら理解するんや? お前、ほんまに来週憶えとけよ。はっ、そのいけすかない自信がぼろぼろになるのが楽しみやわ」

 

 言いながら捕まえようと腕を動かすが、ロズレイドは巧みにかわしていく。その動きを見て、山田と中山が笑っていた。

 シロナは素直にそういう気分にはなれない。ジョージの意見に同意しているらしい室谷達に向かって、訴えかけた。

 

「聞いて! 今回はいつもと違うの。おそらく、時間制限がない」

「あ?」

「私が最後転送される前、タイマーが消えたの。多分、星人を全て倒すまで終わらない」

「いつも通りやんけ。むしろ怠い制限がなくなってよかったわ」

「それだけじゃない」

 

 呼吸を整えようと、少し間をあける。

 

「ガンツが、乗っ取られた。中身がいつの間にかすり替わってたの。あの画像の星人に。だから、どうなるかわからない。再生も、できないかもしれない。私達は固まって動くべきだわ。力を合わせて…」

 

 そこまで言って、ようやく気がついた。室谷達の人数は、計算よりも随分と少ない。シロナは周囲を見回してから、静かに尋ねた。

 

「キョウは?」

 

 杏が、答えてくる。

 

「いつもの単独行動や。なんやはりきってたけど」

 

 彼だけではない。木村、(はら)(たいら)の三人組も部屋にいた新入り達も全員、姿がなかった。シロナは室谷と視線を合わせる。彼は平然と見返してきていた。

 何かを言おうとして、やめる。彼らに、当たり前の良心を求める方が間違っているのだろう。よくあるフィクションのように、共に戦えば改心していくわけでもない。今の状況で、無駄に言い争っていられる余裕はなかった。  

 杏は、申し訳なさげに目を伏せていた。シロナは無言で首を振る。この集団の中で、彼女がはっきりと発言できるとは思えない。求めるだけ酷というものだろう。

 

「じゃあ、こうしましょう」

 

 シロナは後ろへ下がった。東京チーム側へと、寄った。

 

「貴方達は星人を倒して。残りは全部あげるわ」

「言い方に気ぃつけろや」

「私は、この人達と一緒に民間人を助ける。そっちの邪魔はしない。いい?」

 

 室谷は可笑しそうに顔を歪める。

 

「やっぱ、とち狂ったガイジンやな。勝手にせえ」

「ありがとう」

 

 強めに言ってから、オールバック達の方を向く。彼らは進む話にやっとのことでついてきているといった感じだった。ポケモンのことも知らない。だが、できている溝はこれから埋めていけばよかった。この世界に来たばかりのシロナも、状況にまるでついていけていなかった。

 だが、反応は相変わらず悪い。

 レイカが、遠慮がちに言ってきた。

 

「ごめん、なさい。貴方の申し出は素晴らしいと思う。けど、こっちも余裕がないの。自分達の命を守るので精一杯。だから、協力はできない」

 

 ほとんどの者達が、反論してこようとしなかった。東京側も、その意見を肯定しているらしい。確かに、彼らはどこか追い詰められているような感じもした。こちらとは違い、子供もいる。慎重になるのは当然だろう。

 そして一人一人を見た時、あることに気がついた。

 

「ねえ、」

 

 嫌な予感がしたが、それが当たってくれないことを祈った。

 シロナは、思い返しながら言う。

 

「貴方達のチームに、くろのって人、いた?」

「ケイちゃんを知ってるのか?」

 

 オールバックが、詰め寄ってくる。思いがけないことを聞いたかのような様子だった。

 

「彼の姿が、見えないけど…」

 

 彼らの反応を見て、少しの間目をつぶった。

 少なくとも。

 シロナは己の虚しさをごまかそうとする。

 彼は、成し遂げた。全滅するはずだったチームを、ここまでの人数になるまで立て直した。相当頑張ったのだろう。くろのがどれだけの働きをしたかは、東京チームの悲しそうな様子を見ればわかる。

 

「ケイちゃんは、死んだ。俺を生き返らせてくれたんだけど、ミッション外で…」

 

 これが、貴方達のくれたものなの?

 仕組んだと考えられるディアルガとパルキアに向かって、届くはずのない疑問を投げかけた。

 

 

 

 

 

 

 ポケモン達に向かって、指示を出す。

 

「まだ、逃げ遅れている人がいるかもしれない。見つけたら、なるべく助けて。でも最優先は自分自身の安全よ。危なくなったら、躊躇わず逃げて」

 

 頷いた彼らに向かって、シロナは少しの間視線を向ける。それから、まるでいつも通りの狩りだと言いたげに、軽く歩いていく室谷達を見た。

 鼻を鳴らす。彼らがこちらの言うことを聞かないつもりなら、責める道理もないだろう。シロナは決めていた。こっちが勝手に協力すればいいだけの話だ。

 

「皆を、守って。助けてあげて。お願い」

 

 最初に、トゲキッスが飛び立った。彼の腰には、三つのモンスターボールが付けられている。シロナにとってはもうほとんど用をなさないが、荷物にはなってしまう。とりあえずどこか安全な場所に置いておくように指示をした。さすがに廃棄するわけにもいかない。

 そばに残ったガブリアスに頷いてみせてから、移動を開始した。

 

「それは、一体何なんだ?」

 

 加藤、と名乗ったオールバックが尋ねてくる。彼だけは、シロナの考えにはっきりと賛同してくれた。かなり、新鮮だ。こっちに来てから出会う男はだいたい、見返りなしに誰かを助けようとはしていなかった。

 

「ポケモン。説明は、難しい」

「姉さんな、異世界から来たんや」

 

 杏が早足になりながら前へと出る。彼女も、シロナに付いてきてくれていた。だが、何となくわかる。杏には何か別の目的があるようだ。

 加藤が思わずといった形で立ち止まる。

 

「何だって?」

「すごいやろー。それなのにな、うちらのこと助けてくれるねん。そっちとは大違いや」

 

 杏が得意げに胸を張ると、加藤は怪訝な顔つきになった。

 

「どういう意味だ?」

「普通、ありえへんもん。見知らぬ人を助けるなんて。姉さんみたいな人がそうそういるはずがない。あんた、あれやろ。ギゼンシャ!」

「な…」

 

 とりあえずは、杏の案内で進んでいる。どうやら彼女は、途中で民間人がどこかへ隠れるのを目撃したらしい。まずそこから見回りを始めることになった。

 

「なんだよそれ」

「とぼけるあたりもたち悪いなあ。星人みたいや。ギゼンシャ星人」

「ち、違う」

「すぐに化けの皮はがれるやろなー。見ててあげるか。面白そうやし」

「勝手にしろ」

 

 加藤が早足になって、一番前へと位置を変える。反対に杏はその姿を見ながら、シロナの方まで下がってきた。 

 シロナとカブリアスに視線にさらされた彼女は、顔を押さえる。

 

「な、なんや?」

「アンズ…」

「その目は、なんやねん」

「アンズって、可愛いわね」

「…」

 

 彼女が並々ならぬ関心をあの男に抱いているのは確かだった。シロナの言葉にしばらく顔を赤くした後、ぼそぼそ言ってくる。

 

「なんか、格好良くない? むっちゃ好み」

「そうやね」

「こういうの初めてやわ。一目でまさか…、ん?」

 

 シロナもまた、口を押さえた。

 一転して、杏は余裕を取り戻している、にやにやしながら耳に手を当てた。

 

「姉さんも、可愛いなあ」

「…だって、貴方達の話し方、特徴的だもの。これだけ一緒にいたら、うつる」

「あはは」

 

 笑ってから、はっとしてこちらを向いてくる。

 

「あ、姉さん、約束やかんね。横取りは…」

「はいはい」

 

 また小走りになって加藤へと向かっていくその姿に、さすがにシロナも微笑ましい気分になった。彼女もまた新しい道を開こうとしている。その手助けなら、いくらでもしようと考えていた。

 だが、その笑みはすぐに消えていく。カブリアスの腹に少しだけ触れてから、徐々に大きくなってくる鼓動を落ち着けようとした。

 今回は、何かが違う。初めからそうだった。異常だった。

 岡は、言っていた。

 ガンツには、意図がある。倒せそうな相手に、倒せそうなチームを割り当てる。

 ならば、今回はどうなのだろう。シロナ達のチームだけではなく、東京からも人員が集められた。つまりそうでもしなければ乗り越えられないと、ガンツ側も判断したということ。

 今まで戦った星人を、思い返す。それらも強敵だった。油断などできなかった。必ず、犠牲が出ていた。それでも大阪チームだけで何とかなっていたのだ。

 一体、どれほどの。

 シロナは悪寒を感じて、早足で進み始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ◆

 

 

「そこや。エンターキー。なんや、メガネのくせに疎いやん」

 

 よく考えれば相手は年下なのではないかと、メガネは思っていた。

 だが、感謝をすべき部分もある。

 部屋からさらにどこか外へと飛ばされて、戸惑っている時だった。道頓堀という馴染みのある場所に出たことで、気が抜けたのだろう。帰ろうとし始める者達も出始めた。

 それでも、残っている男達がいた。初めから黒い衣装をまとっていた者達、彼らはすぐに移動を始めたが、メガネとその友人は残っていた。どうするべきか、何となく話し合っていた。

 しかし、襲撃に遭う。牛の頭を持った巨大な生物が、突如として橋から上がってきたのだ。咆哮を上げると、何かを放出し始めた。彼らはすぐに逃げ出したが、完全に無事でいられたわけではない。

 バイクの揺れで、吐き気がやってくるような気がする。隣で友人の頭が吹き飛び、そこから大量の蜘蛛が溢れてきた時は、本当にこの世の終わりだと思った。それからどのように逃げ、隠れたのかは憶えていない。そしてまた襲われそうになったところで、助けが入ったのだ。

 キョウ、という名前らしい。

 彼はかなり慣れている様子だった。こういうことは前から続いている。ベテランメンバーの中でも一目置かれているのだと、彼は堂々と言っていた。

 

「何点や?」

「え、えっと」

 

 京に渡された銃のようなものを、歩いている小型の生物に向ける。そしてそれとつながっているパソコンのキーを押して、読み込みが入った。

 一瞬で終わる。

 

「一点です…」

「そんなもんか」

「あ、あの」

「あん?」

 

 声色にしては柔らかい表情だった。どこか常に余裕がある。やる気にも溢れているようだ。ただ恐怖で流されているだけの自分とは、確かに大違いだった。 

 

「このまま、追いかけるんですか?」

「お前、インテリっぽいくせに脳足りんやな」

「えっと…」

 

 息を吐き出してから、相手は続ける。

 

「あれ尾行したら、もっと大物が釣れるかもしれないやろ、今回の奴らの拠点に行ける可能性だってある」

「そっちは、なんで、そんなに頑張れるんですか?」

「そりゃあ、点取るためや。百点取って、見返すんや」

「…え? なにを?」

 

 京は口を曲げた。

 

「黙れや。集中できん」

 

 やや理不尽な思いがした。

 そのあとすぐに、京は自分の言葉を忘れたかのように話を再開させる。どうやら、このわけのわからないゲームには、ゴールが設けられているらしい。合計百点を取ると、メニューを選べる。解放だったり、強い武器だったり。中には、死んだ人を生き返らせるなんてものもあるらしい。彼からしたら、馬鹿の取る選択肢なのだという。

 その説明を聞いていて、メガネは自分の考えを訂正した。この京という男は、別に落ち着いているわけではない。実はむしろ、浮足立っている。何を期待しているのかは知らないが、どうか自分の方に災難が降りかからないよう、祈った。

 やがて、異臭が強くなってきた。

 道頓堀の、川に近づいている。

 

「におってきたなあ」

 

 京はその時点でバイクを止めた。メガネも鼻を押さえる。肉が腐ったような臭いだ。こんなのが充満しているなんて、明らかに異常だった。まるで別世界に来てしまったかのようだ。

 小型の異形が、橋の下へと降りていく。水を辿っていきながら、下の広場へと到達した。それにずっと尾行をしていた彼らは、橋の上で伏せた。

 

「うわ…」

「おいおいおい~」

 

 京もまた、少し緊張しているようだった。

 川に面している広場、そして船着き場。

 そのほとんどが、埋められている。人型の化物だけではなく、想像できるあらゆる怪物がひしめいていた。膨大な数だ。あれを全部倒さなければならないのかと、暗澹たる気持ちになる。

 

「おい、貸せ」

 

 メガネが持っていたパソコンと銃を、京がもぎ取る。どうやら彼はここでも点数を確かめるようだった。

 そして、銃の方を強引に渡してくる。

 

「俺の言う方に、向けろ」

 

 どの個体の点を見たいのか、何となくメガネはわかっていた。

 なぜなら、それらだけが明らかに異質だからだ。生まれてこの方まともな戦いなどしたこともない彼でも、わかる。あれは別格だと。

 広場の奥、設置されている漁師用の建物の屋根に、複数体の異形が立っていた。

 

「まずは、あれや」

 

 京が指差したのは、犬のような顔つきをした相手だ。メガネは最近習っていた歴史で、見覚えがあった。まるで平安時代の人のような服装をしている。白い衣装と、黒い帽子。黒髪が左右に降ろされている。

 最も印象的だったのが、顔の部分だ。犬らしいつぶらな瞳。右目はまさにそうだ。だが、左の方は隠されていた。包帯のようなものが巻かれている。怪我をしているのも考えられるが、何となくそうではない気がした。

 銃を向ける。メガネも気になって、パソコンをのぞき込んだ。

 読み込みが長い。それだけで何かが違うとわかった。

 京は、息を呑む。

 

 85Point

 

「こいつが、ボスかぁ…」

「高いん、ですか」

「百点満点やからな。にしてもこれは、レアや」

「へえ…」

 

 確かに、と法衣の犬を見る。かなり、手ごわそうだ。あれを倒しただけで、クリア目前まで進めることができる。できれば自分が、という思いもあったが、その姿を見ているうちにそんな気もなくなっていった。勝てる気がしない。

 

「ま、まだ、いますけど」

「一応、確かめるか」

 

 次の対象は、犬の前に座っている鬼だった。

 騒いでいる異形達の前で、巨大な杯を傾けている。その赤ら顔はあまり脅威を感じないが、額から伸びっている一本の長い角が、油断できない怪物だと如実に示している。四本生えている腕もまた、一撃で自分の体を丸ごと潰せそうなほどの筋肉を付けていた。

 

「ひ…」

 

 悲鳴を上げかける。

 その鬼が飲んでいるのは、酒ではなかった。血だ。人間のあらゆる部位の体が大量に浸されていて、それごと口に入れている。一気に喉へと流し込んでいく。下っ端たちが大いにはやし立てていた。そこだけを見るなら、楽しそうな集まりだとも言える。

 何とか唾を飲み込んで、メガネは銃を向けた。

 

 86Point

 

 自分の眼鏡が、ずれそうになった。

 

「あ、れ…」

 

 京は無言のままだ。

 

「あの、高く、なってますけど」

「そういう、パターンもあんねや」

「今回って、どうなんですか? 難しい方だったり?」

「黙っとけ」

 

 仕草だけで、次を示す。

 段々とメガネも、わかってきていた。

 犬の隣に立っている対象。

 一言で言うなら天狗のようだ。背中から翼を生やし、高い鼻を持っている。首から大きな数珠を下げていて、信心深そうだった。だがこの集団の中に置いてしまうと、ただの飾りなのではないかと思えてくる。

 ちぐはぐなのは、その手に持っている巨大な棍棒だった。金属製らしき見た目をしている。普通、鬼の方が持つべき武器だった。天狗は違うのではないかと、首を傾げながら向ける。

 そして、血の気が引いた。

 

 88Point

 

 口を押さえる。緊張で、吐いてしまいそうだった。

 

「もっと、高く…」

 

 京の方も額から汗を流し始めている。彼にとっても予想外なのだと理解できた。ベテランでも、動揺する事態。メガネはさらに顔を青くした。

 ここまできたら、止まることなどできない。

 言われるまでもなく、残りの一体に照準を合わせる。

 一番前で、歓声に応えている個体だった。

 遠目だとよくわからないが、おそらく今まで見たことのないほどの美女だ。赤色で、刺繍の入った着物を身に着けている。彼女だけが、まともな人間の形をしていた。身長も一番低い。巨体が並ぶ中で、その普通ぶりは逆に目立っていた。

 自分達と違うのは、頭に生えている耳の部分だった。ふさふさと毛に覆われている。犬の耳とも、違う感じがした。見覚えはある。

 そして彼女から尻尾が生えてきて、ようやく狐のものであると気がついた。

 異形達がはやし立てる中で、どんどん尻尾が伸びていく。最初は一本だったが、あっという間にその数を増やしていった。

 五本。

 六本。

 それでも、止まらない。

 最終的に、九本の尻尾が彼女を彩るようにして揺れていた。その瞬間、その美貌にも磨きがかかる。まるでさらされている肌が、金色に輝いているかのようだった。

 メガネは、何となく思考する。

 今回の敵というのは、テーマがある程度統一されているのだ。

 妖怪。

 日本において三大妖怪の一つに数えられる女を認識しながら、そう納得していた。

 永遠にも感じられた読み込みが、終了する。

 

 92Point

 

「でよった…。こいつが、ラスボスや」

 

 京は長々と息を吐き出した。その言葉尻も、震えている感じがする。そしてライフルのような見た目をした武器を取り出した。

 

「そう、なんですか?」

「九十点台なんて、俺は見たことない。あれで確定やな」

「百点とかって、いないんですか?」

「俺が来る少し前に、出たらしい。大勢殺された。でもな、そうそうそんなのはでてこおへん」

 

 それ一匹を倒しただけで、即クリア。滅茶苦茶だ。そんな敵を出してしまったら、バランスが崩壊する。それを、黒幕側もわかっているのだろう。メガネは仮説を立てていた。漫画で見たことがある。これは一種のゲームで、自分達は仮想空間に閉じ込められている。そしてその様を、運営がほくそ笑みながら見物するのだ。

 ライフルを、京が構えた。その口が震えている。

 

「やるん、ですか?」

「そら、そうやろ」

「ぼ、僕達だけで…?」

「…」

 

 武器が下げられる。京は自らの両手を眺めると、思いっきり擦り合わせた。汗が飛び散っていく。大きく深呼吸してから、顔を俯かせた。

 

「正直やばい。こんなのは、初めてや。ボス級が揃いすぎてる。はっきり言って、最難関とちゃうか? 百点が出た時も、強いのはそいつ一体だけやったらしいし」

「だったら、応援を…」

「いや」

 

 顔を上げる。

 

「やる。お前も協力しろ。このスーツには、ステルス機能がある。姿を消せるんや。それを利用して、位置を悟られないように、狙撃する。二人で同時にやれば、成功率は上がる」

「うう…」

「逆に考えろ。あいつらのうち一体と、そこらの雑魚をちょっと片付ければクリアや。俺は強い武器、お前は解放を選べる。最高やろ」

 

 口をしばらく押さえてから、メガネは再び広場を伺う。本当はこうしているだけで場所がばれて、襲われるのではないかと気が気でなかった。だが、そんな気配はない。それらは、こちらに全く気が付いていないようだ。

 いけるかもしれない。

 そう思った時、変化に気がついた。

 

「ちょっ、ちょっと、待ってください」

「どうした?」

「その銃、下ろしてください。あの、あそこ…」

 

 怪物の中でも、さらに別格の存在達が立っている屋根。

 その一番上まで、九尾の女が移動していた。途端、歓声がなりやんでいく。耳に痛いほどの静寂があたりに充満した。

 女は、何かを言ったようだった。そして膝をつく。

 まるで、王に対する臣下の礼のようだった。

 見覚えがあると、メガネはぼうっと思う。

 その時は混乱していてよく覚えていなかったが、自分があの球体によって飛ばされた時にも同じものを見た。自分の体や、今はもう死んでいる友人のそれが、徐々に線によって消えていく。今考えるとそれはまさに、転送されていく過程だったのだと理解できた。

 それと全く同じ形で、人間が現れる。

 素朴な衣装だ。麻でできたような和服を着ている。その雰囲気に、老人の顔は似合っていた。長い白髭を撫でつけながら、九尾の前に立ち上がる。

 彼女達どころか、下で蠢いているどれにもあっけなく負けてしまうような貧相さだった。まるで死にかけの年寄りだ。

 だが、それに対して他の全てが明らかな畏怖と敬意を向けていることが、たとえようもなくそら恐ろしい感じがした。

 

「あの、あれも…」

「どこや?」

「あそこにいる、お爺さん? みたいなやつです。一応、確かめてみますか?」

「…ああ」

 

 再び、銃を向ける。バツ印の口を、小さな対象に向けた。

 もはや京も、パソコンにかじりついている。

 自分の呼吸がやけに大きく聞こえていた。頭の奥で、捻じれるよな痛みが大きくなりつつある。疲れているのだと、強く自覚した。朝からずっと学校があって、終わった後にこんなことに巻き込まれている。いつもよりもくたびれるのは当然だった。

 読み込みは、それなりに早く終わる。

 出た数字を見て、気が抜けた。

 

「……は?」

「あれ…?」

 

 京と同時に、疑問の声を上げる。

 こんな時なのに、思わず笑ってしまいそうだった。そういう自分を戒める。こういう結果でも、予想外なのは確かだ。見た所、小さな子供でも勝てそうな見た目をしている。それでもこれくらいの点数を得られるのなら、まさに救済処置とも言えるかもしれない。

 

「思ったよりも、低いですね」

「…」

「や、やっぱり、守られてる感じ? 一番やばいのは、あの狐ですよ。僕、知ってますもん。九尾の狐って、伝説にも出てきてて…」

「……は、…はあっ、はあ、はあ」

「でも、これも珍しいってことなんですよね? 小数も出ることあるんや。ん?」

 

 京はパソコンからはじけるようにして離れた。間抜けな形で後ろへと転がっていく。彼は呼吸を荒げながら、口を押さえた。

 

 314Point

 

「ミスやないですか? 小数点を表示し忘れてる」

「は、は、は、…ひ、ひぃ」

 

 京の動きは意外にも早かった。手に持っていたライフル型の武器を投げ捨てると、よろめきながらバイクへと戻っていく。ほとんど転がるように進んでいた。

 

「え、ちょっと」

 

 メガネは立ち上がったが、その時には既に遅かった。

 京は奇声を上げながら、円状のバイクを操作する。もはやその表情は、まともではなかった。血が通っている部分を探す方が難しい。そんな状態にあってもしっかりとハンドルを握り、標的がいる方向とは反対側へと走り出した。

 ただそれを、立って眺めていることしかできない。

 自分は、置いていかれた。

 単純な事実を呑み込むのに、十秒ほどかかった。

 

「なんで、でも。だって、小数…。百点満点じゃ。え、え…」

 

 パソコンの画面をもう一度確認する。

 そしてようやく、凍り付くような恐怖が上ってきた。

 

「さん、さんびゃくてん」

 

 京は言っていたはずだ。一番強いのは、百点の星人ではないのか。前に出た時、たくさんの犠牲が出たと言っていた。つまり最強ということなのだ。生半可な戦力では勝てない。

 だから、その三倍の数字を目にしても、実感はなかった。だが、体は理解しているようだ。震えが止まらなくなってくる。実は表示のミスなのではないかという思いが、再びわいてきた。希望を少しでもすくい上げようと、パソコンを見る。

 その画面が、真っ二つになった。

 

「あ…」

 

 上を見る。

 既に対象は、降り立っていた。

 その衝撃で、メガネは転がる。生身だったならば大怪我もしていただろうが、そこはスーツが守ってくれていた。そこだけは、あの外国人の指示を受け入れて良かった点だった。

 本当は。

 メガネは既に失禁している。

 本当は、さっさと自殺した方が良かったのではないか。そう、考える自分がいる。

 そんな萎れた人間を前に、天狗の怪物はさほど興味を示さなかった。

 どうせ、すぐに食らう命だからだ。

 

 



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17.波導の勇者とホストざむらい

 到着すると、既に戦いが始まっていた。

 どうやら、シロナ達よりも早く到着していたらしい。賑やかな三人組が、怪物の周りを走り回っていた。

 

「尻尾、尻尾がやばいでぇ!」

「あはははっ、なに捕まっとんねん」 

 

 短髪のサングラス、平が怪物の背中に埋められる。

 シロナは、Xガンを構えた。確かに、脅威だ。今平を捕らえた尻尾の動きは、彼女でも見えなかった。既にその怪物の背中の穴は、ほとんどが埋まっている。意識を失っている民間人がほとんどだった。

 

「私達が、あれを引き付ける。カトウはあそこにいる人達を」

「わかった」

 

 怪物は、駅の構内に顔を突っ込んでいた。その舌には、老人がからめとられている。今にも食べられそうだった。だから敵の頬を狙った。

 炸裂。

 怪物は、身を引いた。仕留めたわけではない。血を流しているが、その図体故に致命傷とまでは行かないようだった。シロナと杏に、注意を向けてくる。

 杏も少し怯んだようだったが、何とか武器を向けた。しかし直後、悲鳴を上げる。

 

「アンズ!」

 

 気が付けば、彼女は捕まえられていた。他と同じように尻尾に巻き付かれ、運ばれていく。背中の穴に、顔まで埋められた。

 加藤は、ちょうど子供を小型の星人から助けた所だった。同じく呆然と怪物を見上げている。

 シロナは何とか冷静に思考をした。天井が比較的低い構内に入ることができれば、敵の動きを制限できる。その後は彼と一緒に、集中攻撃すればいいだけだった。

 風圧を、感じる。

 来ることはわかっていたので、反射的に伏せていた。

 だが、無駄に終わる。事前に避けることを読んでいたのか、元から尻尾は低い軌道で向かってきていた。そのあまりの速さで、過ちに気付けないまま、同じ道を辿る。

 

「バウ!」

 

 だが、シロナには頼もしいパートナーがいた。

 カブリアスが飛び、かわらわりで尻尾を破壊する。そしてさらに加速すると、落ちていくシロナを拾い上げながら、怪物の顔に接近した。そして、強力な殴打を叩きこむ。

 

「ぐううう」

 

 相手は呻き声を上げる。既に片方の頬や目、鼻が潰されている。穴から血を吹き出しながら、再び攻撃を仕掛けようとするカブリアスに向かって、口を開けた。

 しかし、そこへ光の縄が巻き付く。加藤がYガンを使っていた。

 転送が始まり、化物の首が消失する。それを確認して、戦闘が終わったことを理解した。

 シロナはすぐに救助を行う。遅くに埋められていた平は、平気のようだ。

 

「いやー、そういえば前、指吹き飛ばしてすまんかったな。この借りは後で返すで」

 

 かなりの危機的状況だったというのに、三人組はさっさと次へと向かって行った。まだ、この戦いを娯楽だと思い込んでいるのなら、改める必要がある。その代償が自分達の命ではないことを願った。

 他のほとんどは、駄目だった。怪物の穴は酸のようなもので満たされていたらしい。捕らわれていた民間人達の下半身は、無残に溶かされていた。それでも休むことなく、全員を引き出す。どれだけ吐きそうになっても、死体をちゃんと並べた。

 

「大丈夫か?」

 

 スーツを着ている杏は、何とか無事だったようだ。ただ、精神の方は分からない。己を救い出した加藤を見て、口を少しだけ開けている。少なくとも負の感情ではないようだと、額の汗を拭いながら思った。

 怪物が動かなくなったことで、老人夫婦と子供以外にも民間人が出てきた。隠れていたらしい。シロナ達に涙を流しながらお礼を言ってくる。

 それに、加藤が微笑んで対応してから、移動を始めた。

 彼に対して、杏は色々と質問している。

 主に、彼自身の行動原理についてだ。シロナも、感心していた。自分達は大きな力を与えられている。そこには、責任が生じるのだ。誰かを助けるという責任が。だがそれを理解し、実際に行動に出る者などほとんどいない。それをまるで当たり前のように考えている所が、良い教育を受けたのだと感じられた。

 

「両親はいない。車の事故で…」

「そっか、兄弟は?」

「弟が、一人いる。俺がバイトして、アパート借りて。そこに住んでる」

「じゃあ、死なれへんな。どっちも」

「大丈夫」

 

 シロナはガブリアスを見てから、杏に笑いかけた。

 

「アンズは私達が守る」

「姉さん…」

 

 それから杏は、加藤へと得意げに向き直った。

 

「これがうちらのリーダーや。すごいやろ」

「ああ…、そうだな。でも、まだわからないことが」

 

 続く言葉は、喧騒で止まった。 

 ちょっとした広場に出た。そして、そこは今まさに戦場になっている。

 強大な人間がいる。その尻の部分から、蛇が何匹も生えていた。それらは別々の意思を持っているようで、ジョージ達を食らおうとする。だが、彼らはZガンを構えながら、巧みに攻撃を避けていた。

 シロナは、溜息をつく。怪物の叫び声よりも、彼らの楽しげな声の方が大きい。本当に、ただの遊びのようだった。

 

「なんなんだ。やつら、どっかおかしいんじゃないか」

 

 加藤がそう言いたくなる気持ちもわかる。おそらく、東京のチームの方がよほどまともな感性をしているのだろう。シロナも、心の底から同意していた。自分が経験してきた戦いも、全て楽しむ余裕なんてなかった。

 ただ、先ほどのは少し違ったと、思い返す。転送された直後に始まった戦い。ポケモン達との完璧な共闘。あれだけは、忌避するべきものでもないという気がしていた。だがシロナはそんな自分の存在を少し恥じている。またあれを味わいたいと思うのは、危険だ。必ず足元をすくわれることになる。

 杏が、説明をしていく。大阪チームのメンバーを紹介する。間には、共に戦っているポケモンの説明も混ざっていた。だから余計、加藤は混乱している。特に飛び回っているロズレイドへと注目を向けていた。

 

「で、何を隠そうこの美女が、シロナ姉さんや。二回クリア。ノブやんとかは認めてないけど、実質うちらを仕切ってる。うちの命の恩人」

「どれくらい、やってるんだ」

「まだ三回くらいや。うちらは多分、チームの中で一番の新人やな」

「凄いな、それでもう二回百点を…。こっちは一回クリアくらいしかいないな。最大でも、多分あいつ、西っていうんだけど。二回に届きそうなくらいだ。そっちの四回クリアの記録には全然かなわない」

「あ、忘れてたわ」

 

 杏が両手を打つ。そして、高い建物達を何となく見つめていった。

 

「ノブやんが一番じゃない。岡がいる。岡八郎。八回クリア。多分、どっかで観察してる。ステルスモードで潜んでる」

 

 シロナもまた、見つけられないとわかってもその姿を探す。悪い予感は、結局拭えていなかった。できれば彼も合流して一緒に戦えれば安心なのだが、説得するだけ無駄だということも十分わかっている。

 

「岡、八郎…」

 

 加藤が圧倒されているように繰り返す。

 シロナは、ガブリアスの方を向いた。もしかしすれば、考えすぎかもしれない。だが、万が一もある。

 

「場所、わかる?」

 

 ガブリアスは自信満々に頷いた。

 

「オカを、探して。一回確認するだけでいいから」

「ウウ!」

 

 嫌がることもなく、すぐさま彼女は飛び上がった。そしてあっという間にビルの上へと消えていく。 

 ちょうど、目の前の戦闘も終わっていた。

 彼らは一休みしながら、煙草を吸っている。だが実際は違うのだとシロナは把握していた。良くない薬だ。人を破滅させる。こういう場面を見たら、京はまたはまり込んでしまうかもしれない。悪い大人に影響されてしまう。

 ジョージが噴水の端に腰かけながら、煙を吐き出す。

 

「おるなあ、今回は」

「何がや」

 

 室谷の疑問にはすぐ答えなかった。ジョイントをはたき落とそうとしてくるロズレイドに構っているせいだ。無理矢理足でどかしてから、舌打ちをする。

 

 

「百のヤツがおる。ぜってーおる」

「……おっても八十五くらいとちゃうか」

「あれ見ろ」 

 

 シロナ達も含めた全員が、遠くの看板へと注目する。

 巨大な、お酒の広告が表示されている。その一番上、ビルの屋上近くに何かが立っていた。

 女だとわかった瞬間、シロナはぞっとした。だがよくよく観察してみると、あの悪夢に出てきた相手ではない。髪の色も、細かな姿も異なっていた。

 艶やかな、金髪だ。滝のように背中へと流れている。花の刺繍が入った赤い着物が、よりそれの艶を引き立てていた。

 人間ではないことは、明らかだった。生えている獣の耳が、遠目からでも存在を主張している。そして一本のふさふさとした尻尾を揺らして、無言でシロナ達を身下ろしてきていた。

 

「そーとーやとみたわ」

「ボスか。たしかにな」

 

 桑原は首を捻って、その女の足のあたりを眺めていた。あきらかに含みのある視線。ミロカロスがすでに準備に入っているが、彼は途中で笑って抱き着こうとしていた。氷の線が走っていく。

 

「やるか?」

「いや、ええわ。まずは周りを片づけてからやな。それからじゃんけん」

 

 ジョージが笑う。

 

「今日の俺は運ええからな」

 

 シロナとしても、今回の星人は今までと次元が違うのだと予測していた。だが、あの人外らしき女が本当に百点なのかはわからない。そう思わせるだけの雰囲気はあるような気がする。

 しかし、ぬらりひょんという存在も気になっていた。何せ、ガンツのプロテクトに割り込んできたのだ、もしかすればあの女が戦闘に長けていて、ぬらりひょんの方はサポート役なのかもしれない。ガンツによって最初表示される画像の星人が、ボスとは限らないのだ。今までの経験で十分に理解していた。

 少し目を離しただけで、その存在は消えている。ジョージ達は特に気にしていないようだった。どうせ戦うことになるのだからと、追いかけようともしない。それが正解なのかは、これからわかることだ。

 再び民間人の救出に向かおうとしたところで、エンジン音が近づいてきた。普通のバイクではない。ガンツによって支給されている特殊な機種の音がした。

 いつもよりも速く、円状のバイクが走ってくる。その運転の仕方には、違和感を覚えた。京がちゃんと無事でいることにはほっとしているが、なにかがおかしい。彼は途中でバイクを乗り捨てて、よろめきながら走ってきた。

 

「ん? あいつどうしたんや?」

 

 室谷の横を、京は通り過ぎる。荒い呼吸だった。顔色も悪い。その歩む方向だけは、定まっていた。真っすぐ、シロナへと向かってきている。

 加藤が少し警戒の表情をした。

 

「誰だ?」

「ああ、うちのチームのメンバーや。花紀京。二回クリア。ヤク中だったらしいんやけど……えええっ!?」

 

 シロナの方は、声すら上げることもできなかった。

 京は目をつぶり、彼女の胸に顔をうずめている。両腕はしっかりとシロナの背中へ回され、決して離そうとはしなかった。

 

「キョウ?」

 

 とりあえず声をかけると、彼は答えの代わりに頭を揺らしてきた。ガンツスーツを押し上げている膨らみに鼻をめり込ませて、大きく呼吸していた。それまで引きつっていた表情が、段々と緩んできている。寄りかかる力も大きくなってきていた。彼女は女性の中では背の高い方とはいえ、京とそれほど差があるわけでもない。もしスーツの力がなかったら、その重さで押し倒されていただろう。

 

「わあ、面白い絵面やなあ」

 

 山田が、スマートフォンで撮影を始めている。隣でジョイントを咥えている中山も、まじまじと観察してきていた。

 加藤は、どう反応していいのかわからないという顔をしている。

 シロナもさすがに、冷静のままでいることはできなかった。とにかく京を離そうとするが、彼は鼻にかかったような声を出してから、さらにしがみついてくる。

 山田の背中にひっついているトリトドンが、鳴き始めた。

 さらに十数秒ほど静寂があってから、京は顔を離す。

 

「ふう…」

 

 揺れているシロナの目と顔を合わせた途端、慌てたように後ろへと下がった。

 

「違うねん!」

 

 既に室谷達は別の場所へと向かっている。中山と山田、杏、そしてシロナ。女性率が多くなっているこの場では、否定したくなる気持ちが湧くのも当然だった。

 

「なんでもない。お前、調子に乗るなよ」

 

 彼は自分でも、何を言っているのかよくわかっていないようだ。相変わらずその表情は優れない。自分の中にある衝動を認めたくないという思い。それだけではないようだった。

 京は何かに気がついたかのようにはっとすると、再びシロナに詰め寄ってきた。彼女の腕を強く掴んでくる。

 

「は、はよせんと。やばいんや!」

 

 シロナは彼の変わりようについていけない部分も感じながら、何とかその瞳を覗きこんだ。

 

「どうしたの?」

「逃げんと。皆、殺される。今回は駄目や。やばすぎる。時間が過ぎるまで、隠れるしかない!」

 

 彼女を、バイクの方へと引っ張っていこうとしている。どうやら、乗せるつもりらしかった。

 

「待って。どういうこと?」

「追いかけてくるかもしれん。いいから、逃げるで。お前のペットなんて、いくらいても意味ない。終わりなんや…」

「説明を、して。それにいい? 多分だけど、今回から時間制限が無くなってるの。だから、星人を全滅させないと永遠に終わらない」

 

 その時の京の顔は、印象的だった。

 整った眉を下げ、目が一杯に開かれる。濃い、絶望の表情だった。目の端から涙をこぼし始める。そのままにしながら、顔を俯かせた。

 横に少しだけよろける。それを支えようとしたシロナは、再び重さを感じた。

 京が現実から逃避するように、彼女の胸に飛び込んできていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ◆

 

 

 感知しても、警戒を強めることはなかった。

 ただ少し、足を速める。このまま進めば間もなく鉢合わせるだろう。

 ルカリオは耳を立てながら、自らの周囲にも気を配っていた。道中何体かを仕留めた。民間人らしき姿はない。少なくとも、生きている状態のものは。

 本当は、別の意思があった。だが、シロナの望みに逆らうわけにもいかない。彼としても、より多くの命を救うことに異議はなかった。

 それでも、顔は浮かぶ。耳を覆い、肩にかからない程度の黒髪。丸みのある瞳。

 本当は、杏を守るべきだと思っていた。それが自分の義務だ。責任でもある。

 相手の方は、気にしていない風を装ってくれている。だが、さすがにルカリオにもわかるのだ。あまり彼女は、ルカリオだけの空間に長居はしない。表にはっきりと出さずとも、怖がられているのはわかっていた。

 それも当然だ。ルカリオには記憶がある。あのおぞましい星人に寄生されていた時、杏の胸を潰して、躊躇いなく殺した感触はしっかりと思い出せる。

 だから、償いが必要だった。今回、彼女を何が何でも守る。それくらいはしなければ、自身の主人であるシロナにも申し訳が立たない。本来は杏のそばにいたかったが、他のポケモン達を信じるべきだった。自分には、おそらく別の役割がある。

 反応は、近い。はどうを感じる。命の波動。かなり前から把握していた二つの反応は、既に目前にまで迫っていた。

 通りを、曲がる。

 相手もこちらに気がついた。

 

「おい…」

 

 黒い服を着ている。だが、シロナ達のような装備とは違っている。もっとゆとりを持たせた衣装だった。スーツであることには違いない。ガンツの方ではないものだ。

 煙草を咥えた金髪の男が、隣の女の肩を叩いた。

 

「…また?」

 

 どちらも、何も持っていない。だが戦意は十分に感じられた。それでもルカリオは構えない。

 なぜなら、同じだからだ。シロナ達人間とは、明らかに違ってはいる。普通の構造をしていない。だが頭の中に取り付けられているそれは、同じだった。ルカリオにも同じものがある。ということはつまり、仲間である可能性が高い。

 だから、腰に両手を当てた。

 

「なんだ?」

 

 男の方が、眉をひそめる。

 

「ワウ!」

 

 敵ではない、とルカリオは己を指して鳴く。

 女が金髪の男に視線を向ける。男は、じっと見つめてきていた。

 

「やんねーのか? やっと話の通じる星人が来た」

 

 星人、のことについても主人にたくさん教えられていた。倒すべき相手。脅威となる敵。だから彼は、その誤解を解こうと考えた。

 首を振る。すると相手は眉をひそめた。

 

「あんたらの上と話をしてきた。こっちとしては、ゴキブリ共を絶滅させたいだけだ」

「ウウ?」

「あ? なんだお前、あいつらの仲間じゃないのか?」

 

 ルカリオは、もっと積極的に伝えることにした。自分の頭を肉球で示す。さらに不思議そうにする相手の顔へも手を向けた。それを何回か繰り返してから、両手で小さい四角を作る。

 

「何してるの?」

 

 綺麗な長髪ストレートの女は、少し口を緩めていた。ルカリオの動作に、可笑しさを感じたらしい。あまり伝わっていないとわかった彼は、さらに忙しなく動作をした。確かにそれは、愛らしさのある動きだった。

 

「ワウ」

「共通語で話せ。何遊んでるんだ?」

「…くうん」

 

 男は目を細めてから、めんどくさそうに頭をかいた。

 

「あー、つまり? お前と俺達の頭についてか?」

 

 ふんふんと頷いてから、大げさに四角を表す。もはや腕全体を使っていた。女がくすりと笑みをこぼす。

 

「頭の中に、何かがあるってことじゃない?」

「何だよ。…あれか? お前、俺達に仕掛けられた爆弾について、知ってるのか?」

 

 大きく、頭を上下させる。

 

「お前にも、あるのか?」

 

 何度も振る。

 味方なのだと、わかってほしかった。ようやく伝わってくれたらしい。シロナの指示によれば、皆を助けろとのことだった。つまり、味方側全員をだ。自分と同じ境遇にあるのなら、それは立派な仲間だと考えていた。

 しかし、結局話し合いは失敗に終わる。

 ルカリオは少し遅れて気配を感知した。一生懸命になっていたせいで、気づくのに遅れてしまった。

 通りの奥から、二体が歩いてくる。

 

「ち…」

 

 

 男と女は、同時に手を構えた。その肌から武器が飛び出してくる。ルカリオは少しだけ感心していた。見たことのないわざだ。自分もおぼえられるだろうかと、頭の隅で考える。

 刀を構えた彼らに対して、やってきた存在は手を挙げた。

 相手も、男女で分かれているようだ。男の方は歯をむき出しにしており、かなり恐ろしい目つきをしている、瞬きをしていなかった。ルカリオがもし日本の文化に触れていれば、それが般若の面に酷似していると気づけたかもしれない。頭からは、二本の角が突き出ていた。

 女の方は、糸に近いほどの細目だった。それでも、同じく瞼を全く動かしていない。太い眉が特徴的だ。

 

「まて…」

 

 男の方の声は、ひどくかすれていた。

 

「まてまて…ヒトではないだろう……。おぬし達、ヒトではなかろう。なにがし…。それがし…。きでんら…」

 

 金髪の男は、事情を説明した。頭に爆弾が入れられて、そこから信号が発せられている。敵の信号のせいで、不幸なすれ違いが起きているのだと。

 ルカリオはその時点で、きな臭い流れを感じ取っていた。敵。ガンツによって施されたものから出ているのをそう捉えている。つまり金髪達もガンツと敵対しているということだった。この場にルカリオの味方は、一人もいないことになる。

 それを示すかのように、般若が指を向けてきた。

 

「わかった…。ともに、ゴキブリどもを駆除しよう。するのか? 我々と共に。ははははっ」

 

 全員の視線が、ルカリオに集まった。

 細目の女が、柄に手をかける。

 

「ほほほほほ。でもだめ。だめそれ。臭っ。臭い。殺せと、めいれい。あおい犬。めいれいされている」

「そうか」

 

 金髪が煙草を咥えたまま、手に力を入れた。

 

「じゃあまずは、協力してさっさと仕留めようぜ」

 

 既にルカリオは、壁に着地している。金髪が放った縦斬りを完璧にかわしていた。目を鋭くさせながら、上へと飛ぶ。

 

「うふふ。かこんで。かこむ。斬り刻む…」

 

 着地しようとしている地点に、細目の女が走り込んでいた。だが、ルカリオの方もそれは分かっている。片手を、構えた。

 はどうだんを、続けて放つ。一つは、待ち構えている女に。残りは背後を取ろうとしている般若を牽制するつもりだった。

 

「ははは。面白い。面白き…」

 

 だが二体とも、そのまま直撃してくれるほど甘くなかった。鞘から、刃を走らせる。青白い光弾が同時に斬られた。左右に分かたれた光が、消えていく。

 それでも、少しの隙を作ることができた。 

 ルカリオは顔を横に傾ける。

 頬をかすめていきながら、黒髪の女の刀が通り過ぎていく。鋭い突きだった。それは技術というより、優れた身体能力によって出されている鋭さだった。

 前へと、加速した。

 その女の顔を蹴りつける前に、ルカリオは思いっきりのけぞった。

 

「へえ…」

 

 金髪の男は煙草を横に吐き捨てた。

 追撃を加えてくる。

 おそらく。

 ルカリオは、引き伸ばされた時間の中で思考する。シロナの命令に忠実に従うのならば、ここは逃げるべき場面だ。数の差は、大きい。無傷では決して乗り越えられないだろう。だから彼女の、自分自身の命を大切にするという優先事項を考えるのなら、撤退した方がいいのだ。

 だが、こうも考えていた。このままこれらを放っておけば、後の障害となる。ガンツチームを、全て殺す趣旨の発言していた。もしかすれば、被害が拡大するかもしれないのだ。

 だから、今ここで対応する。

 杏の顔を思い浮かべながら、肉球を滑らせた。

 金髪の刀の腹。触れても刃で裂かれない場所に、ちょんと触れる。そのまま横へと押し出していき、衝撃を含ませた。

 相手は、何が起きたのかほとんどわかっていない。それもそうだろう。別に刀はスローで動いているわけではない。失敗すればそのまま斬り裂かれてしまうであろう芸当。振られている武器の刃を、手で受け流した。

 そして、はっけい。

 ルカリオは既に人体、物体の隔たりなく、その内部を直接破壊できる領域にまで達していた。しかし金髪の武器は、どうやら特別製のようだ。破壊するまでには至らない。

 それでも、生じた振動が持ち手をずらさせはした。連撃が止まる。

 もちろんここで、その隙を突くような愚は犯さなかった。

 相手をしているのは、一体だけではないのだ。

 極端に、姿勢を低くする。耳のすぐ上を、刃が通り過ぎていくのがわかった。その風圧で動揺することなどない。直接感覚するよりもはるかに前に、波動が伝わってきているからだ。万物共通の気配。それを感じ取れるのならば、不意という概念は無くなる。

 攻撃の密度が高くなりすぎる前に、ルカリオは離脱を選んだ。

 両足を伸ばしながら、回転する。左右に迫っていた般若と細目の足を払った。どうやら足の方はそれほど鍛えられていないらしい、一気に体勢が崩れる。

 立ち上がると同時に、ルカリオは両手も外側へと向けた。ほとんどタイムラグもなく、はどうだんが放出されていく。転びかけている両者へ、綺麗に当たった。

 塀へと飛ぶ寸前、脛の部分に熱を感じる。

 どうやら般若の方が、苦し紛れに二つ目の武器を抜いたようだった。主としている武器よりも刃渡りは短く、その分取り回しが軽そうだ。

 塀にかかる自分の血を見て、傷は浅いと判断した。彼らはおそらく、寄生するタイプの敵ではない。わずかな傷口からでも入り込んで、乗っ取ってくるようなあの星人とは違う。

 苦い思い出を噛みしめていると、細目の方が動いた。

 

「きゃああっ!」

 

 ルカリオは目を見開く。

 予想されていた攻撃は、来なかった。細目の女が抜いた刃は、黒髪の女の腕に到達している。あっさりと肉を断ち切って、かなりの血が流れた。

 倒れていく黒髪の女の視線。その先にいる金髪は、黙って般若達を眺めていた。

 二体とも軽やかにステップを刻みながら、鼻をつまんでいる。

 

「クサイクサイ」

「のう…。クサイのう」

 

 細目が、指を流していく。

 

「クサイ! ふふふ。ヤッパリクサイ!!」

「キデンら…、クサイぞ…。斬りとーてしょーがないわ」

 

 どうやら一番まともじゃないのは、この二体のようだった。当たり前のように裏切った彼らに対して、金髪が嘲笑う。

 その隣に、ルカリオが降り立った。

 

「ああ、そうかよ…。こっちもイカレタ奴らとは、やってらんねーな」

 

 囲むようにして、般若達は回り込む。刀を鞘に納める。

 人差し指を、見せつけるように立てた。

 

「まずは指一本!」

 

 そして刀の柄に、手をかける。

 ルカリオは、肉球を下に傾けた。

 目をつぶる。

 そうすればより、感知しやすくなるからだ。

 細目の放つ居合。

 普通の剣技よりもはるかに加速した攻撃が、ルカリオの手を狙っている。

 くん、と肉球を上に移動させた。それはまねき猫がするような、小さく控えめな動作だった。 

 小さなはどうだんが、既に細目の片足を破壊している。

 同時にその刀も、無理やり上へと軌道を逸らされていた。肉球の両面からはどうだんを放ったルカリオは、その手をそのまま前へと押し出した。

 

「ぐぎゃっ」

 

 胸に軽く届く。殴打の条件をまるで満たしていない。叩くというよりは撫でる勢い。だが、内部では全く別の現象が起きていた。細目の胸から、見た目からは考えられないほどの衝撃が伝播していく。

 呻きながら、嘔吐している。

 血に汚れる頬を、流れるように蹴りつける。

 全力でやったので、相手の体はすぐに塀に叩き付けられた。起き上がってくることはない。なぜなら、首が折れているからだ。細く覗いている目から光が失われていった。

 血の臭い。

 振り向けば、金髪は腕を抑えていた。はっきりと、切り傷が付けられている。少なくともルカリオの足のそれよりは深い。

 

「きょぉォオオオォォォォオオ!」

 

 相方をやられたことで、般若が激高している。

 相手は、二刀流だ。まずメインとなる太刀で、攻める。そしてもう片方の小太刀で間隙を突き、傷を与える。小太刀の方は受けもできるようだった。その猛撃に、金髪はやや押されている。

 ルカリオは、黙って見ていた。加勢するつもりはない。ただ金髪の目と合わせていた。

 先ほどの戦いでも、よくわかる。あの男はルカリオに対して本気で刃を振るってはいなかった。どのような意図があったにしろ、やはり完全な敵ではないと確信した。そしてまだまだ実力を隠していることも。

 見事な斜めの払いで、般若の両腕が飛んだ。それがとどめを刺されるまで、ルカリオはずっと金髪を観察していた。もはや敵の方には、まるで意識が向いていなかった。

 戦闘が終わり、両者は静かに向き合う。

 最初にルカリオが構えを解いた。

 長々と息を吐き出してから、金髪も武器を下ろす。

 そして自分の服を破ると、倒れている女の腕に巻き付けていった。

 ルカリオも、傷をのぞき込む。もう少し止血が遅ければ、危ない所だった。これ以上の処置をしないままでも危険だ。トゲキッスや、ミロカロスに診てもらう必要がある。

 一緒に付いてくるように腕で示したが、金髪は動かなかった。

 

「おい、これ…。ミッションとやらが終わったら、どうなる?」

 

 その疑問に、ルカリオもまたようやく思い出した。

 あまり、良い記憶とは言えない。自分はよりにもよってシロナの片耳を破壊してしまった。今でも夢に見ることがある。苦しくてたまらない思い出だった。だが話によれば、ガンツにおける戦いが終わった直後、何事もなかったかのように治っていたらしい。

 その旨を何とか身振り手振りで伝えると、金髪は黒髪の女を抱え上げた。

 

「終わると、全部元に戻んのか。わかった」

「ウウ?」

 

 女を指して鳴くと、相手は懐から煙草を取り出した。

 

「いや、別に…。俺の腕の傷、治したいだけだ」

 

 ルカリオは、耳を立てる。

 金髪もまた、振り向いた。

 遠くから三人が歩いてきている。

 

「お、いたいた」

「ラッキー、一人怪我してるやん。カモやな」

「あん? 待ちぃ」

 

 ルカリオが一番前に出る。そして向かってくるサングラス達に向かって、首を振った。彼らも構えていたZガンを下ろして、ぞろぞろ近づいてくる。

 

「犬ころやんけ。どした? 俺らと遊びたいんか」

「むしろ俺らからお願いするわ。まずは気の溜め方教えてくれな」

「ぶっちゃけ、俺どどん波の方が好きやねん。アレンジできる?」

 

 動こうとする金髪を、制止する。

 

「そいつ、何やねん」

 

 ルカリオは、自分の頭を叩いた。もしシロナだったら、鳴くだけで大体の意味は察してくれる。だからこれほど忙しない気分で身振りを繰り返すのは、ほとんど初めてだった。むしろ戦っている時よりも大変だと思っている。

 金髪がそれを見て、鼻で笑った。

 

「こいつは、俺が味方だって言ってる」

「どこが?」

「…俺は、東京のチームだ。別の奴らと、もう会ってるだろ」

 

 木村が、ぽんと手を叩いた。

 

「なるほどな。いたわ。なんやうちの大切な師匠が星人に襲われてるかと思ったわー」

「なんで師匠やねん。俺の先生や」

「俺の亀仙人や」

「フフフ」

 

 その時、ルカリオはこれまでにないほどの衝撃を感じていた。

 ありえないはずだった。自分の感知をすりぬけて、別の何かがいることなど。油断してもいなかった。こうして会話を聞きながら、もう接近してくる存在がいないことを確かめていたのだ。

 

「あんた、かっこええなあ」

 

 般若の死骸。その周りに広がっている血だまりの上に、女が立っていた。彼女は真っすぐ指を、ルカリオに向けてきている。

 匂い立つような女性だった。立ち姿までもが、常人から隔絶したものを備えている。赤い着物の裾を揺らしながら、足で赤い池に波紋を作っていた。

 

「どないしたら、そないにぎょうさん強くなれるん? うちの駄犬にも見習ってほしいわあ」

 

 穏やかな話し方で、気が緩むことはなかった。

 なぜなら相手はずっと、強烈な感情を向けてきているからだ。

 殺意を。

 獣のような耳を揺らしながら、女は地面に転がる刀を拾い上げた。ゆるり、という音が聞こえてきそうなほど遅々とした速度で、構える。

 その背後から、二本の尻尾が生えていた。

 

「うちも、試してええ?」

 



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18.ありえない死

 ルカリオは脅威を目の前にしても、判断を迷っていた。

 元の世界では、命の危機という言葉に対して、実感を得る機会がほとんどなかった。ある程度の高みに到達した存在にだけ許される、やや退屈な安寧。シロナと共に挑戦者と戦い、負けた時も悔しさだけしかなかった。チャンピオンを防衛できなかったという反省がほとんどを占めていた。

 だが、こちらに来てからは、違う気がしている。

 黒い球体の上に座っていた、老人を思い返す。まだ戦慄のようなものが残っていた。いくらでも隙を見つけられるのに、なぜか本能が警告してくる。すぐにシロナを連れて逃げろと、理性以外の全てが判断した。

 今歩いてくる女にも、それと似たものを感じていた。自分自身の命を優先する。主人の指示を第一に考えるべきだった。今度こそ、大人しく退却するべきだ。

 だが。

 

「でもなあ、不安なんよ。あんまりこれ、得意じゃなくて…」

 

 片手で、くるくると刀を弄ぶ。

 ルカリオが警戒するように一歩下がる。

 それとは対照的に、木村が軽く拍手をした。

 

「やべー、えっぐ。えぐいな。やりとうないわー。もったいな」

 

 他の二人も同様に、黒い刀を展開させる。

 

「刀もっとるやん」

「じゃあ、刀やな?」

「うひょー、斬り合いカッケ~!」

 

 サングラスの三人が一番前に出る。ルカリオは止めようとしたが、思い直した。もしかすれば、自分は憶病すぎるかもしれない。この場にいる全員で協力すれば、脅威を減らすことができる。シロナや杏へ及ぶ危険をなくせる。

 獣耳の女は、ふっと表情を消した。首を傾けながら、構える三人へと視線を流す。その目は明らかに冷たくなっていた。

 

「最後の言葉、それでいいん?」

 

 木村が振りかぶる。

 

「なに? いきっとんなあ。やっぱキメ~~~~っ」

 

 彼も首を曲げながら、にやにやと腕に力を込める。

 その瞬間、ルカリオは前へと飛んでいた。

 皆を、助けて。

 別に、何が何でも守りたいというわけではない。彼らは、一度シロナと敵対した。あろうことか彼女を傷つけたのだ。だがそれでもルカリオ自体に対しては、ぞんざいな扱いをしたことがなかった。

 褒められれば、嬉しくはなる。はどうだんを教えろという要求には困っていたが、少し稽古をつけるくらいならいいと思っていた。

 だからそれまでは、生きていてほしかった。

 

「秘剣、燕返し…。なんつって」

 

 ルカリオは、満面に血を浴びる。

 刃は器用に彼の肉球を避けていた。先ほどまで戦っていた般若達よりもはるかに速度があるというのに、途中で軌道を変えられるくらいはまだ余裕を持たせている。

 

「あらっ?」

 

 木村は前に倒れていった。その上半身だけ。

 そして下半身も地面に転がった時には、彼の頭が食いちぎられていた。

 反射に、距離を取る。仇を討つという思考よりもずっと強烈な悪寒が、離脱を選ばせていた。

 木村の脳味噌をすすっている女は、途中で嫌そうに口元を隠した。指の隙間から、舌がかいま見える。咀嚼しようとしていたものを上品に吐き出していた。

 

「あかんわあ。食えたもんやない」

 

 その目が、光ったような気がした。

 はどうを感じ、ルカリオは反射的にサイコキネシスを繰り出していた。

 基本的に身内とは対等だと思っている。特にガブリアスとは、お互い切磋琢磨し合う仲としての関係を築いていた。

 それでも、仲間であり師匠とも呼べる存在がいる。彼の苦手なエスパータイプへの対応訓練に協力してくれた、ミカルゲ。彼女から教えてもらったわざを防御に使ったのは、それまでの判断の中では最善とも言えた。

 だから、最小限の被害で済んだ。

 視界が半分消失する。

 残った方で、見ていた。

 原の首が捻じれていき、そのままもぎ取られる。

 平のうなじが破裂し、その傷が背中まで広がっていく。

 どちらも、ガンツスーツのメーター部分が割れていた。内部から衝撃を与えられたかのような破壊のされ方だ。首元のそれが粉々になると、くぼみ部分からゲル状の液体が流れ出してくる。

 液体は広がる血だまりと混じっていき、妙な色を作り出していた。

 

「はぁあ、美味し……」

 

 女は、蕩けた笑みで舌を伸ばした。今度は手で隠していない。その湿った舌肉の上に、ルカリオの右目を乗せていた。

 そして、金髪の男の人差し指と親指も口内に入れる。

 着物の裾から伸びている尻尾は、四本になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ◆

 

 

 走馬燈は、存在しない。

 死の危機に瀕しても、別にこれまでの思い出が駆け回ることはなかった。結局人伝に聞いたものには根拠がないのだと、メガネはあえて現実から目を逸らすような思考をした。

 終わる。終わった。既に死んでいるようなものだ。

 棍棒を肩に乗せている相手を見て、ただ涙を流すことしかできない。こんなもの、どう倒せというのだろう。

 手に持っているXガンが、いつもの間にか横に転がっていた。力が、抜けている。いつ落としたのかもわからなかった。

 へたり込んだまま、最後の瞬間が来るのを見上げていた。

 

「きゅうううううううう!」

 

 鳴き声が聞こえたかと思えば、白い弾丸が横から飛んできていた。

 それは天狗の脇に炸裂し、吹き飛ばしていく。

 

「え…」

 

 メガネは瞬きをした。足に力が戻り始める。

 見たことのない、生物だった。鳥の一種なのはわかる。だが既存の種類に当てはまらない見た目をしていた。つぶらな瞳、赤白青の三本角。浮いているのに少しも動かない、白い翼。

 

「きゅきゅっ!」

 

 必死で、何かを訴えかけてきた。翼の先で自身の背中を示している。

 未だぼうっとしている頭が、迫る足音で無理やり覚醒させられた。

 天狗の怪物は、全くダメージを受けていないようだ。ただ少し表情を険しくさせて、走ってきている。

 

「ひぃっ」

 

 叫んでから、夢中になってその鳥の背中に飛び込んだ。指示の解釈は、合っていたらしい。それもまた焦りながら、一気に空へと舞い上がった。

 後頭部を、呆然と眺める。

 これは、一体何なのだろう。

 星人ではないのだろうか。なぜ、自分を助けてくれたのか。

 危機を脱したという安心感で、既に彼は思考が進んでいた。そういえば、まだ部屋にいた時も人間ではない存在がいたような。まさか、その仲間なのだろうか。

 だが、それ以上は考えられない。

 なぜなら、後ろから羽ばたきが聞こえてきたからだ。

 

「うわあああっ!」

「きゅ!?」

 

 その鳥と一緒になって、悲鳴を上げた。

 天狗もまた飛んできている。大きな翼を高速で動かしながら、追いかけてきていた。

 

「はよう! もっとはよして! 追いつかれる」

「きゅきゅ、きゅいいいい!」

「鳴く暇あったら加速せなっ」

「きゅうううっ」

「ああ、駄目や。ぼ、妨害しないと。なんかしてえっ!」

「きゅい!」

 

 その鳥の足の先から、光の弾が形成されていく。青白いものだ。まるで有名な漫画の技のようだと思いながら、希望を込めてその軌道を目で追った。

 そしてまるで見当違いの方向へと飛んでいった。

 

「なにしてるんやあ!」

「きゅいきゅい!」

 

 むっとして、少し体を揺らしてくる。悲鳴を上げながら、メガネは体にしがみついた。

 どうやら、外れたわけでは無いようだった。光弾は普通ではありえない角度で曲がっていき、見事天狗の頭に直撃した。

 少し止まった後、相手は再び加速する。

 

「だ、駄目や! 効いてない。もっと、強いわざ…」

「きゅ? きゅううう!」

「な、なんで僕に怒るんや。今それどころじゃ…」

 

 別の咆哮が聞こえてきた。

 ちらりと振り向けば、天狗の憤怒の表情が明らかに近くなってきている。やがてその棍棒が届く範囲に接触するのは明らかだった。

 意識が、遠のきそうになる。

 あの武器に頭を潰されるか、さっさと飛び降りて楽になるか。究極の選択を迫られていると感じていた。ここまで追いつめられても何も決められない自分に、呆れる。結局生にしがみついていたくて、何も成せずに終わるのだ。

 雷のような音を、聞いた。

 薄目を開ける。

 ぐらりと、天狗がバランスを崩すところだった。その翼の片方が、焦げている。

 白い鳥の得意げな表情を見るに、それが何かしたのは確実だった。足の先に、閃光が弾けている。

 

「お前、それ…」

「きゅっ」

 

 どうだ、とばかりに笑いかけてくる。鼻から息を吹き出した。

 

「す、すごい! 雷もできるんか…。お前すごいなあ」

 

 他に何ができるのか、尋ねたくなった。

 天狗は一気に高度を下げていく。ほとんど墜落しているようなものだった。胴体などはかなり頑丈のようだが、翼は違ったらしい。それを的確に狙った白い鳥の頭を思わず撫でそうになる。命の恩人も同然だ。

 天狗が、吠えた。

 首の数珠が揺れながら、光っている。そして棍棒を握っていない方の手を、向けてくる。人差し指を伸ばして、鳥の方を示していた。

 その恐ろしい目に、光が灯った。

 メガネは大きな浮遊感を感じる。揺れに何とか耐えながら、左を見た。

 

「ああっ! そん、な」

「ぎゅ……」

 

 自分を助けてくれた鳥が、呻き声を上げる。その左の翼が折れ曲がっていた。何をされたのかはわからない。まるで不可視の力が無理やり攻撃してきたようだった。既にメガネは投げ出されている。鳥と共に、落下していった。

 高所から地面に叩き付けられるというのは、どれほど痛いのだろう。できれば即死になってくれた方がありがたかった。今からでも頭を下にした方がいいだろうか。

 そんな思考をする間に、地面が視界一杯に広がった。

 転がっていく。固い感触が上下左右に這いまわっていた。そしてようやく認識できるようになると、自分がほとんど無傷でいることにも気がついた。

 

「へ…」

 

 首もとや、胴体のあたりにあるくぼみ。そこから、液体がこぼれていく。スーツが、薄くなっていく感覚だった。体が一気に重くなる。

 天国ではないのは、確かだった。近くで辛うじて立ち上がろうとしている鳥の存在が、それを証明していた。

 慌てて駆け寄る。翼以外は、大きな怪我をしていないようだった。

 

「どうしよ…、病院、動物病院に」

 

 それが身に着けていた、荷物も散らばっている。妙な赤いボールも転がっていた。だが、役立つとは思えない。今必要なのは治療用の道具だ。

 鳥は、動こうとしている。痛いはずなのに、両の翼を合わせようとしていた。やめてほしかった。これ以上、痛々しいのは見てられない。しかも、自分を救ってくれた相手だ。だが何をすればいいのかわからない。連絡するためのスマホも、どこかへ行ってしまった。

 その鳥を一生懸命見ていたせいで、囲まれていることに遅れて気がついた。

 

「動くな!」

 

 いくつもの銃口が、向けられる。

 周りを見回して、緑の迷彩服を確認した。

 メガネは反射的に手を上げていた。だが、相手の集団は態度を変えない。遠くで、牛の鳴き声のようなものが聞こえていた。それに対して、自衛隊の者達は酷く怯えているようだ。

 

「何だ貴様は!」

「うち、撃ちますか?」

「所属を言え!」

「ちょっ、え、まっ」

 

 どう考えても同じ人間なのに、彼らは自分の事を完全に化物の一種だと思い込んでいるようだった。釈明をしようとしても、言葉が浮かんでこない。向けられる銃の圧力で、声が震える。

 自衛隊は、さらに近づいてきた。

 

「撃ちます!」

「命令を!」

「ん、ちょっと待て」

 

 もう駄目だと、諦めた時だった。

 一番前の方にいた男が、銃を下げる。そしてヘルメットを少し上げると、唖然としながら白い鳥を見てきた。

 鋭い目つきをしている。

 

「それ、まさか」

「軍曹?」

「やっぱり! 幸福の白い鳥だ。見覚えがある。皆やめろ。こいつに危険はない」

 

 その名称は、聞いたことがあった。

 まだ小さなニュースにしかなっていない。だが、印象的だった。見たこともない動物を連れた女性が、街の広場で突然ショーを始めた。メガネは詳しく見ていなかったが、友人がまたあったら見に行きたいと言っていたのを憶えている。

 その女性というのは、外国人だとも聞いていた。

 そこでようやく、結びつく。あの黒い球体の部屋にいた彼女。まさに特徴が当てはまっている。つまり彼女が飼い慣らしている動物達もまた、この戦いに参加しているということなのだ。

 妙な納得をした直後、ここに留まっている場合ではないと気がついた。

 メガネは慌てて立ち上がる。

 

「あ、あの、早く! ここから逃げないと…」

「どうした?」

 

 一瞬で、迷彩服の数人が潰された。

 呼びかけてくれていた男も、その中には含まれている。

 天狗は腕を組みながら、死体から足をどけた。低く唸り、起き上がった白い鳥を睨みつけてくる。

 

「駄目っ! 逃げ」

 

 銃声と咆哮が重なった。

 ただ呆けて眺めていることしかできない。暴力の渦が自衛隊を破壊していく。銃弾が、まるで効いていないようだった。むしろより怒らせる材料にしかないっていないようだ。天狗は霞むような速度で棍棒を振り回し、人間達を飛ばしていた。彼らの全てが、大きく体を欠損させて絶命している。足も同時に繰り出して、逃げようとしている者を潰していた。途中から、銃声はなくなった。やがて悲鳴も消えていった。

 

「あ、あ…」

 

 吐きそうになりながら、後ずさる。だが途中で腰が抜け、その場に座り込んでしまった。この場で生きているのは、もう一人と一匹しかいない。

 

「きゅ…」

 

 鳥は完全に立ち上がって、天狗を睨みつけていた。だが万全とはいえない。羽がまだ痙攣している。もう飛べないだろう。そこに徐々に光が注がれているのは気になったが、どちらにせよ間に合うとは思えなかった。ここでどちらも殺される。 

 天狗が動きを止めて、振り返った。

 メガネもまた、認識する。それは見憶えのある男達だった。

 彼らは、何かを構えている。二つの筒が合わさっているような銃だ。その細かな作りは、自分にも支給されていたXガンと共通している部分もあった。その先端が、駆動音を発しながら光る。

 白い鳥が、急にぶつかってきた。その勢いに押されるようにして、広い橋から飛び出る。

 落ちていく刹那、確かに見た。

 天狗が何かを察知して上に飛ぼうとした。

 だが、その前に衝撃がやってくる。

 おぞましい存在は、呆気なく地面に叩き付けられた。固い橋の表面にめり込んでいく。

 何とか階段を上り切ったメガネは、天狗の体へと近づいていく存在達を、ようやくまともに認識した。  

 煙草を咥えている半裸の男が、喋り出す。

 

「どや? 死んだか?」

「他におるんか? 百のヤツ」

 

 人相の悪い短髪の男が、驚いたように足を止めた。

 

「ちょっ…、またこのパターンか。こいつも…」

 

 天狗は、徐々に起き上がってくる。今まで着ていた山伏のような衣装は、既にずり落ちている。被っていた帽子もなくなっていて、口の端から血を漏らしていた。今までの比ではないほど表情を歪ませて、唸り始めた。

 半裸が、隣にいたベージュ色の蛇を止める。

 

「おい、下がっとけ」

「ぐるるあああああああっ!!」

 

 肌の黒い男が、再び両筒の銃を操作した。叫びながら飛びかかろうとしていた天狗が、再び地に付す。一緒に巻き込まれた棍棒には、傷一つついていなかった。

 

「こいつ…、百点か」

「かもな」

 

 短髪の男が、煙草を口から外した。

 さほど動揺もしていなさそうな様子で、宣言する。

 

「こいつは俺がやる」

 

 あまり納得していない様子の存在がいた。左右の花が印象的な生物だ。植物とは断言できないような、人間らしい形をしていた。だがそれも、黒い男によって引っ張られていく。天狗の近くには、短髪の男だけが残った。

 立ち上がろうと動く天狗に、次々と撃ち込んでいく。地面にできた円状のへこみがどんどん深くなっていった。強大な重力が、大きな体を押し潰そうとしている。

 

「うす~くなりぃや。紙になってまえ」

「ぐるる…」

 

 短髪の男が、操作を止める。そして少しだけ下がっていた。

 

「なんやねん。どいつもこいつも。あのナメクジだけかとおもっとったのに」

 

 まだ、天狗は動いていた。鼻の先は潰れ、胴体の骨もいくつか折れているようだったが、まだ少しも闘志を衰えさせてはいない。鼻から血を吹き出しながら、顔を上げた。口を大きく開けて、男を狙っている。

 

「死んどけ」

 

 銃が再び光る。今度は、いつもよりもチャージされているという感じがした。光がかなり強い。

 重力が降ってくる直前、天狗は既に動いていた。

 身を低くしたまま、転がっていた棍棒を立てた。その柄の部分に両の手を添えて、固める。

 一番高い位置にあった棍棒の先端へと、衝撃が到達した。

 

「なん…」

 

 柄が、地面に埋もれた。天狗の手もそれに巻き込まれて、指のいくつかがねじ曲がっていく。だが、それだけだった。しゃがんだその本体までは届いていない。棍棒が、つっかえの役割を果たしていた。考えられない強度だ。ただの金属で構成されてはいない。

 そして、あっという間の出来事だった。

 天狗は棍棒を持ち変えると、素早く振るった。範囲が広い。たとえ相手がすぐに反応して避けれたとしても、ぎりぎり当たらないくらいの距離だった。

 だが、そもそも短髪の男は精神的な衝撃から脱しきれていなかった。

 

「おい!」

 

 半裸の男が口を開けて、ぽとりと煙草を落とす。隣の黒い男もまた、目を見開いて驚愕を示していた。

 

「室谷」

「ノブやん…、まじかいな」

 

 スーツの防護など、まるで作用しなかった。

 もはやそれは、人の体の形を留めていない。棍棒によって、短髪の男は潰されていた。足とごちゃまぜになっている腕が、ぼろぼろの状態で伸びていた。その先の方だけが、人間らしい肌の色を保っていた。後は血肉の色で塗れている。

 メガネは、ずっと動けなかった。そしていつの間にか再び取り残されていることを、数秒遅れて把握する。

 天狗が、再び咆哮を上げていた。それはただの威嚇ではない。また数珠が光っている。その力の作用は、他の男達に向かったようだった。

 離れていた彼らと動物が、吹き飛ばされる。そのまま下の川に落ちていった。一瞬の出来事だった。

 白い鳥と、顔を合わせる。先ほどは勇敢な表情をしていたが、今はメガネと同じくらい泣きそうになっていた。翼が、震えている。いつの間に傷が完治していたが、どうやら飛べないことには変わりないらしい。

 今度こそ終わったと、メガネは絶望した。

 天狗はもはや表情を緩めている。息を荒げながら、彼らを見て笑っていた。そこには、凶暴な欲望も伺える。自分達を無残に殺して、食らうのだと目が言ってきている。

 

「わ、わああっ!」

 

 潰された死体。

 引き裂かれた迷彩服達。

 何もかもが非現実的だった。全てが夢だったと思いたかった。目をつぶって再び開ければ馴染みのある天井が写るのではないか。

 そんな逃避よりも迫ってくる重い足音の方が勝っていた。

 

「く、くるな。くるなああっ!」

 

 やけくそになって、手につくもの全てを投げ始める。欠けた地面の欠片などを、ぶつけようとする。

 天狗は真面目に避けようとしていなかった。片手で次々と弾いていく。もちろん、傷つけられるわけがなかった。あんな武器の攻撃を何発も食らっているのに、まだ歩ける余裕が残っている。尋常ではないタフさだった。だから、ベテランらしき男も呆気なく負けた。

 泣いて、鼻水を垂らしながら腕を動かす。もう投げ続けることしかできなかった。直接突進して、殴りに行く度胸もない。

 途中から目をつぶっていた。直視できない。近づいてくる巨体が怖い。だから途中で石などとは違う感触を感じても、構わず投げていた。

 もはや耐えられなくなって、うずくまる。こちらを潰そうと迫る棍棒を見たくなかった。最後の瞬間見るのが、震える自分の手なのかと、虚しくなる。

 せめて、人並みに経験はしたかった。メガネは呻く。知らないまま、死ぬことになるなんて最悪だ。本当にろくでもない人生だったと、走馬燈が駆け巡った。電撃のように思い出が流れていく。結局本当にあるのだと納得していた。

 そして、段々とおかしく思い始めた。

 いくらなんでも長すぎる。絶望で時間が引き伸ばされているのだとしても、既に自分が死んでいてもおかしくないほど経ったはずだった。

 

「あれは…」

「キッスちゃん?」

「う…」

「たくさん、死んでる…」

 

 女子率の高い集団の声が、近づいてくる。

 メガネは顔を上げた。

 二人ほど、男が混ざっていた。そのうち一方は憶えがある。かつて自分を助けて、捨てていった若い男だ。

 だがそれよりも印象的だったのが、スタイルの良い外国人の女性だった。例の珍しい動物使いだ。かつて部屋の中でスーツを着るように呼びかけていた。

 夢見心地で、天狗がいるはずの方向を見る。

 その巨体は消えている。まるで幻のようだった。

 動く存在を認識する。それは、生物ではなかった。

 ただの、ボールだ。

 赤いボール。

 それが揺れていた。左右に規則正しく傾いていた。メガネは思い返す。確か自分がやけになって投げたものの中に、含まれていたような。

 ボールは三回ほど動き、綺麗に止まる。

 かちり、と真ん中にあるボタンが光った。

 



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19.東京チームの死闘

 怪物が建物を破壊している。

 体の部分だけは、蜘蛛の形をしていると言えなくもなかった。巨大な足が何本も生えている。だが、頭だけは別の動物と酷似していた。牛だ。

 わかりやすいな、と岡はそのモチーフを既に理解していた。牛鬼。妖怪の中でそんなものがいたような気がする。銃を撃っている自衛隊の者達が潰されていくのを身下ろしながら、どうしたものかと考えていた。

 もし全てが予定通りに進んでいたら、迷わず倒している。クリア特典の中には、巨大な戦闘ユニットもあった。ありていに言えば、ロボだ。だがそれを入手することはできなかった。代わりに来た特典達がはたして役立つのか。シロナの顔を思い浮かべる。

 もちろん今の装備でも、勝てないというわけではなかった。だが、確実性に欠けるのだ。こういう戦いにおいて、賭けに出るという選択肢を彼は持っていなかった。それで死ねば、元も子もない。

 しばらくは、様子を見る。結論は出ていた。

 だから同じビルの屋上に降り立つ影があっても、無視をした。

 不可視化を維持する。

 それにも関わらず、ガブリアスは迷いなく向かってきていた。

 

「バウ」

 

 岡の厚い肩を叩いてくる。仕事の同期に対するような気安さだった。

 

「見えとんのかい」

 

 電気を発生させながら、ハードスーツ姿を晒す。相手はこちらが顔を覆っていても、誰なのか十分に理解しているようだった。手の先でマスクの部分をつついてくる。

 それを払うようにして前へと移動してから、岡は牛鬼へ膨らんだ手を向けた。

 むしろ好都合かもしれない。彼にはわかっていた。あの女の手持ちの中で、この個体が一番使える。計画していたクリア特典よりも、働いてくれるかもしれない。

 

「あれ、わかるか?」

 

 ガブリアスは頷く。

 

「一緒にやるで。お前は下で陽動や。適当でええ。注意を引いてくれれば、なんでも」

「ウウウ」

「俺? 当然、上や。こっちも空を飛ぶ手段くらいはある。あいつの弱点は頭や。さっさと破壊するに限る」

「バウウ?」

「何やねん。不満か。とどめは譲ってくれてもええやろ。俺が先に唾付けたんや。あのでかぶつを倒したい。ロマンやろ。同じ男なら、わかってくれるな?」

 

 瞬きした後、カブリアスは背中を叩いてきた。もちろん本気ではない。クリア特典である強力なスーツを身に着けている岡にとっては、触られたことすら気づかないレベルだった。それでも、その動作はちゃんと見えている。

 

「あ? 急にどうした」

「バウ…」

「…お前、メスなんか?」

「バアアア!」

「それは、あれや…。俺が悪かったな」

 

 わかればいい、というような顔をしてから、ガブリアスは飛んだ。そして敵の足元へと急降下していく。途中でその腕の振り降ろしも悠々と避けていた。

 とりあえず、指示は受け入れてくれたらしい。

 岡も隣に浮いているバイクへとまたがった。

 それは京がよく使っているものとは違っている。バイクの外側に、横の向きで円状の部位が取り付けられていた。内部には装甲が重ねられている。そこが、おそらく浮力を生み出す部分になっていた。彼にとってはそれ以上のことは別にどうでもよかった。

 画面を視線で操作する。ハードスーツの両手はバイクの両側に垂れていた。

 牛鬼が、吠える。顔を下に向けて、足を殴ってきているガブリアスを威嚇していた。その肉が削れていくのがわかる。遠目でも、自分の殴打に匹敵するくらいの威力はあるらしい。やはりあれだけは自分のものにしたいと思った。

 前へと加速していきながら、Zガンを構えた。その時には敵もこちらの存在に気が付いている。振るわれる腕に向けて、撃ち込んだ。

 肩口の肌が裂かれ、肉が露出する。だが腕ごと潰れていくわけではなかった。やはり、かなり頑丈だ。頭以外を闇雲に攻撃しても、遠回りになるだけ。

 少し浮上し、鈍くなった相手の拳をかわす。

 そして牛鬼は、口を開けた。遠隔攻撃の準備だ。普通のスーツを容易に貫通してくる蜘蛛の弾。だが岡の装備には通用しない。それでも無駄な攻撃を受けるわけにもいかなかった。目の前の相手が、本命ではないからだ。

 バイクから、飛び上がる。

 放たれた蜘蛛は乗り物だけに直撃し、吹き飛ばしていった。その飛行ユニットは大阪チームにおいて岡だけしか持っていない貴重なものだが、惜しいとは感じなかった。今回でまた百点を取れば、もっと貴重な武器や道具が手に入るからだ。

 牛鬼はさらに何かしようとしてきたが、途中でがくんと体を前に揺らした。

 ガブリアスが、その巨大な足をほとんど破壊している。Zガンでも満足な損害を与えられなかったというのに、彼女は涼しい顔で別の足に向かっていた。

 それを予定通りであるかのように受け止め、岡は顔に降り立つ。

 両腕に、力を入れた。スキャンした弱点を狙って、交互に殴りを入れていく。片足を首筋に刺して、自分の体を固定した。多少揺れても攻撃を止めずに済む。

 牛鬼は、断末魔を上げた。下では両足を無残に潰されていき、目の前では岡が拳を振るっている。散々なのは確かだろう。どうにかして彼を追い払おうとしたが、既にハードスーツの拳が頭の中まで貫通していた。

 さらに、傷は広がっていく。殴打は止まることがない。その一発一発が、強烈なものだった。牛鬼は右目が飛び出していっても、何もできなかった。頬がへこむ。皮ごと歯を折られる。衝撃が、脳へと伝わっていく。

 

「あ、おい」

 

 倒れかけている相手の上まで、ガブリアスが飛び上がっていた。既にほとんど破壊されつくしている牛鬼の頭に向かって構え、強大な衝撃を伴う正拳突きを叩きこんだ。

 同時に、岡のとどめの一撃も到達している。

 両側から頭を潰された哀れな妖怪は、既に息絶えていた。

 巨大な体を滑り降りた岡は、降ってくる彼女に向かって首を振る。

 

「何してんねん。今どっちやった?」

「ウウ!」

「いや、絶対俺や。俺がとどめやった。どうしてくれんねん。点数の計算がめんどくさくなるやろが」

 

 知ったことか、とガブリアスは近づいてきた。そして岡のスーツをじろじろと観察し始める。もはや両者の興味は、彼らの足の下にある大きな死骸から外れていた。お互いのことを見ていた。

 

「あんまり、でしゃばんな。いいか、俺の指示にちゃんと従え」

 

 ガブリアスは口を開ける。欠伸の真似をしているようだった。

 どうやらまだ、自分の立場が理解できていないらしい。とはいえ人間でもない相手にしつこく説くのも気が引けた。無駄な事は好きではない。

 無駄な事ばかりをしている女の姿が、脳裏に浮かんだ。もったいないとは思う。もう少し割り切れば、効率的に使うことができるというのに。岡にとってはわからなかった。人間でもない、危険な存在達を家族として扱うなど。

 これからの方針には少し迷いがあった。シロナを上手く懐柔すれば、それに付随する道具の力も利用できる。だが彼には躊躇いがあった。そもそも、なぜあの女と関わらなければならないのかと不思議に思っている。

 オカ。

 ハチロ―。

 一致するはずの無い声が、同時に重なって聞こえてくる。こういう幻聴がしたのは、本当に久しぶりだった。二回クリアした時には既に、何もかもが整理されていたはずだ。共通しているのは、どちらもややたどたどしい発音だということ。シロナも彼女も、日本人ではない点では同じだった。

 そういう自分を、「客観的」に分析する。つまり、頭がおかしくなってきているということだった。だいたい、シロナに少し見抜かれたからと言って、事情をほとんど話してしまったのは失敗だった。そろそろ百点が来ることを予感して、多少は冷静でなくなっていたのだろうか。

 今はもう違うはずだと、視界に表示されているレーダーを確認した。

 それなりに、星人は減ってきている。たった今、大きな反応に動きがあった。倒されたわけではない。その反応は消えず、妙な事に薄くなっている。始めて見るものだった。それの確認に向かってもいい。

 だが、岡には別の考えがあった。 

 初期から、自らに課していることだ。

 ボスは必ず自分が倒す。一番高い点を取る。事実あの異質な存在達がやってきた後も、それは守られていた。イレギュラーに動揺することなく、確実に得点を取っていた。

 今回も、それは変わらない。

 ほぼほぼ、百点なのは確信していた。ガンツの表示と異なる姿をしているのは少し引っかかったが、ぬらりひょんという名前には憶えがある。

 妖怪の総大将だという伝説も残っているが、その具体的な姿は定まっていない。色々な説がある。つまり、ある程度の変身能力を有しているのではないかと推測できる。別の妖怪に姿を変えていてもおかしくはないだろう。あくまで星人なので、参考程度にしか考えていないが。

 それは、おそらく岡のステルスにも勘付いていた。だが、攻撃してくることはなかった。一度すれ違った時があったが、意味ありげに視線を動かすだけで、何もしてこなかったのだ。ボスらしい慢心をしていた。

 反応を見て、それが一つの集団に向かっているとわかった。適当に戦わせておいた方がいいだろう。

 標的を決めて、岡は歩き始めた。

 その後を、ガブリアスがぴったりとついてくる。

 

「邪魔や」

「バウ」

「俺の道具にならないのなら、どっかいけ」

 

 相手はまた欠伸の真似をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ◆

 

 

 一番前を歩いている初老の男性が、立ち止まった。

 その頭から、電子音が鳴り始める。

 

「あ、れ?」

 

 慌てて足を動かして、一歩下がった。そしてついてきている全員へと振り返る。

 

「ここから?」

「うそ…」

「行けないんですか?」

「うん。さっきは大丈夫だったのに」

 

 沈黙が、少しの間続いた。それがいったいどういう意味なのか。誰が最初に気付いたのかはわからない。だが、一番先に声を出して言ったのは、レイカだった。

 

「エリアが少しずつ…、縮まっているのかもしれない」

「えっ…」

 

 呆然としたのは、若い男だ。それなりにからかい甲斐のありそうな顔をしている。少し意表を突けば、面白い反応を返してくれるだろう。桜井(さくらい)という名前だった。

 彼と同じくらい気になる存在である、サングラスの男。坂田(さかた)が額から汗を流した。

 

「じゃ、じゃあ、引き返すしか、ねえよな」

 

 桜井に匹敵するほど想定外の事態に弱そうな、気取っている男。稲葉はそろそろ我慢ならないというふうに、頭をかいた。

 

「待てよ…。おい、いい加減にしろ。なんでこっちに付いてくる?」

「ぉおん」

 

 ミカルゲはふよふよと漂った。流れのままにレイカへと近づく。彼女は戸惑っているようだが、逃げることはしなかった。別にミカルゲも、大したことをするつもりはない。そもそも何も干渉しない。自分の主人とどちらが大きいのか、確かめているだけだった。

 その視線を感じて、レイカは胸を押さえる。

 

「な、なに…?」

「ぴんくれんじゃーのだから、だいじょうぶだよ」

 

 タケシが、手を伸ばそうとしてくる。ミカルゲも当然それに答えるつもりではあったが、少年の腕を大柄な男がつかんで止めた。彼を肩に乗せている風は、未だにミカルゲを警戒してきていた。

 シロナの指示には、解釈の余地がたくさんある。とにかく同じ衣装をしている彼らも助ければいいと考えていた。それに、ミカルゲは自分の事を非常に社交的だと思っている。新しい人間達をみると、いつもわくわくするからだ。決して新たないじめ相手を求めているわけではない。

 今回の場合、特に桜井と坂田が気になっていた。それは、京に対する興味とは少し意味が違っている。脳の構造が、特殊だった。どこか自身と共通するものを感じるのだ。彼女には脳など存在していないが。

 どのようにして干渉を許可してもらおうかと、体を曲げながら考えていた。愛らしいと自分では思っている仕草を選ぶ。ミカルゲは、注目を集めるのも好きだった。決して自分の悪戯をより多くの人に目撃されたいと思っているわけではない。

 だが、ほとんどはミカルゲにはもう注目していなかった。彼女の後ろの方を見ている。

 ミカルゲもまた、体の向きを変えた。

 

「あ、いた。よかった…」

 

 通りの奥から、彼女の主人が歩いてきている。

 桜井が、不思議そうに言った。

 

「あれ、どうしたんですか?」

 

 シロナは少し疲れた様子で歩いてくる。

 

「ごめんなさい。私のポケモン達を探してて。ちょっと、おかしな事態になってるの。だから、それを確かめたくて」

「そっちは、大丈夫なんですか?」

「何とかなってはいる。犠牲はまだ出てないわ」

 

 レイカが少し気まずそうに笑う。

 

「良かったですね…」

 

 だが直後、彼女の顔は驚愕に染められることになる。東京チームの全員が、呆然としていた。

 突如として浮いていく金髪の女性を、目で追っている。

 

「なん、え…」

 

 坂田が一番早く気がついたようだった。ミカルゲを見てくる。

 

「お前、何してんだ?」

「ぉぉお」

 

 既にミカルゲは次の技も準備していた。相手をサイコキネシスで壁に叩き付けてから、あくのはどうを間髪入れずにぶつける。そうすれば有利に事が運ばれるはずだった。やり過ぎるくらいがちょうどいい。なぜなら、相手は。

 

「…フフ」

 

 女性は笑みを漏らしてから、何事もなかったかのように地面へと降りた。ミカルゲは一瞬訳がわからなくなる。拘束から抜け出された。

 だが、すぐに理解をする。つまり敵もまた、同系統のわざを使ってくるということだ。

 シロナの姿が、崩れていく。髪の色は変わらない。だが、黒スーツから赤い衣装へとあっという間に変化していった。刺繍の施された、綺麗な着物。

 他の者達も、相手の正体を認識したようだった。

 

「ええね。ちゃんとしたペットやんなあ。羨ましいわあ」

 

 ミカルゲには、それと似たポケモンを知っている。尻尾の数は少ないが。

 だが、同じだと思えなかった。伝わっている雰囲気が、あまりにも刺々しい。人間でもなく、ポケモンにも当てはまらない異質な存在だと、直感する。

 東京チームもまた、武器を構えた。

 それを見ても、狐の女性は変わらず余裕を保っていた。

 完成された細長い指を向けてくる。

 

「いーち」

 

 その人差し指は、風を差している。警戒するように彼は拳を前に持ってきたが、結局何かが起こるということもなかった。

 

「にーい」

 

 そして、今度はミカルゲに向けてくる。女はどこか酔っているようだった。笑みを深めると、隠しきれない血の跡が歯に付いている。 

 それから長い睫毛のかぶさっている瞳をきょろきょろと動かした。東京チーム全員を一人一人確認していた。

 やがて苦笑し、顎に指を当てる。

 

「もっといると思ったんやけどなあ。ざんねんざんねん」

 

 その仕草には少し嫉妬をした。ミカルゲの求めている可愛さと一致していたからだ。それに見とれたのか、稲葉が少しXガンを下げた。

 

「どうしたん?」

「あ…?」

 

 自分に言われていると気が付いた時、稲葉の手に震えが走った。

 女はにこにこしている。

 

「ええよ? 撃ってみ? どこを狙うのかは、そっちに任せるわ」

「こい、つ。星人だ。やっぱり…」 

 

 他の者達もそれはわかっているようだった。ミカルゲだけではない。相手の存在の異質さには全員が勘付いている。見た目に完全に惑わされることはない。自分達とは決して相いれない存在だと本能的に気づいていた。

 

「ほん、とうに?」

「多分、絶対…」

「撃つの?」

「人間じゃ、ないよね」

「早くした方が」

「俺がやる」

 

 稲葉がXガンを向け直した。動揺は抑えられているように見える。そして女の顔に狙いを定めると、深呼吸をしながらトリガーを引いた。

 銃口の発光や音と同時に、女は指を動かしていた。縦に長い円を描いている。

 

「あんた、だめよ?」

「…?」

「乙女の顔を潰そうだなんて」

 

 ばちん、と弾ける音がした。

 全員がその方向へと顔を向ける。

 稲葉は少し遅れて、自分の片腕を見た。それは地面に転がっている。根元が破裂したように欠けていて、すぐにおびただしい量の血が噴き出してきた。

 悲鳴が上がる。レイカが倒れようとする稲葉を引き上げたが、結局後ずさることしかできていなかった。

 彼らの後退に合わせて、狐の女もゆっくりと歩き始めた。五本の尻尾が、それと同時に揺れている。その目の色はやや赤くなり始めていた。

 

「うちなあ、ヒトの物語読むの好きなんよ」

 

 瞳の光が強くなる。

 

「特に、群像劇。あれええわあ。何がっていうとな、きゃらくたあがええんよ。自分の思い入れのある者達がそれぞれ動いて、やがて合流する。醍醐味やと思わん? うちも今、作ってる途中。めぼしいもん選んで、生かす。後でまとめて味わうために。だから…」

「あ……、え、え?」

 

 おっちゃんと呼ばれている、初老の男性が自分の体を見ていた。スーツに筋が浮き上がってきている。何かを持ち上げているわけでもないのに、力が込められていた。まるで、何かの力に抵抗しているかのように。

 

「余計な脇役は、さいなら」

 

 おっちゃんの両腕が捩じられる。既に、スーツの耐久は無くなっていた。それまでほとんど消耗していなかったはずなのに、あっという間に限界が来ていた。腕がもぎ取られて、破壊されていく。

 東京チームの者達は数秒固まった後、後ろへと逃げ始めた。何が起こったのかもわからない。触れられてすらいないのに、やられた。そういう状況で、わざわざ立ち向かおうとする存在はいないだろう。

 ミカルゲ以外は。

 

「ぉーん!」

 

 女は既に次の攻撃を仕掛けようとしていた。不可視の力に、サイコキネシスをぶつける。相殺することはできた。女の眉が、少しだけ上がる。

 

「あら、さっきのとは違うなあ」

 

 わざを使うのに、集中していたせいだった。ミカルゲは目の前にまで走ってきた女に対応が遅れる。これだけの力を遠隔で使っているというのに、さらにその身体能力もずば抜けていた。小さな足が高速で動き、かなめいしを横へと蹴り飛ばす。それに引っ張られて、紫色の靄も飛んでいった。 

 桜井が、必死で叫んでいた。

 

「駄目、駄目です。れい、レイカさん! これ以上は…。二人、やられっ、どうすれば」

 

 彼らの頭から、音が鳴っている。だんだんとそれは大きくなっていた。ある地点を超えれば、決壊するだろう。範囲外に出たことへのペナルティがやってくる。

 ミカルゲが蹴られたと同時に、一人が俊敏に動いていた。タケシを抱えた風が、既に女を通り過ぎている。彼女の力に捕らわれることなく、脱出することに成功した。

 女は当然それに気がついている。だが、攻撃しようとしてはいなかった。

 手を上げて、左右に振る。

 

「きばってな」

 

 上から、巨体が降ってくる。

 風はすぐに止まった。タケシを下ろしながら、厳しい顔で見上げる。

 四本の腕を持つ、鬼だった。額から一本の長い角が生えている。それは大きな杯を手に持つと、彼らを前にして何かを飲み始めた。

 顔だけ振り返って、女はそれを眺めていた。

 ぽん、と手を打つ。

 

「ええこと考えたわ」

 

 同時に、彼女の姿に変化が起きる。元は五本だった尻尾が、六本に増えていた。瞳の色がやや黄色くなり、瞳孔が細くなっていく。

 そして爪がより長くなった手を、動かした。

 何も起きていないのは、風だけだった。

 

「うっ!」

 

 桜井が、自分のスーツを身下ろす。既にくぼみから、液体がこぼれだしていた。何の負担もなかったはずなのに、耐久が無くなった。

 正確には、彼らのスーツのメーター部分が直接破壊されていた。割れている。

 

「がんつ、っていうんやろ?」

 

 狐の女はくすくす笑みをこぼしている。

 

「うちらを滅ぼそうとしている割には、だめだめやなあ。そんな弱点を晒してもうて…」

「そん、な」

 

 レイカが流れ出すゲルを呆然と触っていた。他のほとんども同じ様子だ。風だけが未だスーツの機能を保っていた。あえて見逃されている。

 

「生き残ったら、合格」

 

 鬼が息を深く吸い、頬を膨らませる。それに注目できたのは、風だけだった。後は狐女の方を見てしまっている。ガンツスーツを一瞬で無効化されたという衝撃が、迫る危機の認識を妨害していた。

 

「伏せろ!」

 

 弾丸のようなものが、いくつも吐き出された。塊になっているものは、途中で急に拡散していく。それらは、人間の頭蓋骨や他の部位の一部だ。鬼の並外れた肺活量によって加速し、東京チームへと直撃した。

 

「うあああ、あっ」

 

 風が走り、タケシを拾い上げる。庇いながら、横の建物に突っ込んだ。

 あとは逃げることができない。正面から受け止めることになる。スーツの防護がない状態では、体中に穴が開いて即死するだろう。

 だが、誰一人として犠牲は出なかった。

 骨の塊が空中で止まっている。

 既に体勢を立て直していたミカルゲが、操作をしていた。少しでも多くを防ごうと範囲を広げていた。それでも、全てをカバーすることはできない。一瞬のうちに広げられる範囲には、限界がある。

 その穴を埋めてくれた男達がいる。

 坂田は鼻から血を流しながら、同じ状態の桜井を見た。

 

「いい反応。ナイスだ」

「師匠…」

 

 女が笑みを消した。

 

「あら、駄目やないの」

 

 その目が光った瞬間、ミカルゲが反応していた。サイコキネシスとあくのはどうを同時に放つ。前者は相手の攻撃とぶつかり、そして後者が一見細い体に直撃していた。女は後ろへと下がっていく。

 

「タケシ…。待っとけ、すぐに倒す」

 

 少年の肩が欠けていた。ぎりぎり、間に合わなかったのだ。傷は深く、放っておけば失血死するまでそう時間はかからない。

 風が、鬼と向かい合った。相手の方はにたにたと無言で笑っている。右の方の腕二本が、杯を持って血を注いでいる。

 

「レイカさん、皆の止血を! 避難させておいてください」

「わかっ、た」

 

 桜井と坂田が並んで歩く。どちらも、平常心をぎりぎり保っているような見た目だった。本当はこの場から逃げ出したいという思いもあるのだろうが、それを許してくれるほど相手は甘くない。

 

「そういう、勝負やね。ええよ?」

 

 女が微笑んだと同時に、坂田が深呼吸をした。

 

「俺が、あいつの内部を切る。桜井と…変な生き物。あいつの攻撃を散らせてくれ。多分、あの狐は複数の場に干渉できる。何とか協力してくれ」

「わかり、ました」

「ぉんみょーん」

 

 ミカルゲはその指示を無視して、さっさと仕掛けた。

 己の周囲に、シャドーボールを二個出現させる。そして口の部分から、風を吐き出した。そこに銀色の鱗粉を乗せていく。

 全てを放つと同時に、サイコキネシスを繰り出した。出し惜しみはしないつもりだった。相手を拘束し、全てのわざを当てる。とくにぎんいろのかぜは、自身にも影響のあるわざだった。上手くいけば、強化できる。

 だが、届いた攻撃はなかった。全て女の前で弾けていく。相手の防壁を突破するのは困難らしい。サイコキネシスも同じ性質らしき力で抵抗されている。

 

「ぉぉぉおおおお」

 

 さらに、出力を上げた。相手は間違いなくかなり熟達したエスパータイプだ。こちらも身を削る思いでやらなければ、有効打は与えられないと判断する。

 女の尻尾が、動いた。一本が立ち上がり、その先をミカルゲ達に向けてくる。

 ゆっくりと片手が伸びて、その尻尾から毛を何本かむしりとった。ミカルゲの攻勢に逆らいながら、手に絡みついた毛に息を吹きかける。

 毛達はまるで意思を持っているかのように浮き上がり、鋭い針と化した。それらが全て高速で飛んでくる。

 

「止めろぉ!」

 

 坂田と桜井が、手を前に伸ばした。つかみ取るような仕草をする。普通なら肌を容易に貫通して顔に甚大な被害を与えるはずだった攻撃が、次々と防がれていく。だが、彼らは無傷というわけにはいかなかった。受け止めた手からは、血がわずかに流れている。

 

「いける、なんとかなるぞ!」

「本体を、押さえつけないと…」 

 

 ミカルゲは意識の半分を味方達に向けていた。正直、今までこんな人間には出会ったことがない。ポケモン達への愛を深めるあまり、同じわざを習得しようとする者もいた。だが知る限りでは成功例がない。まさかここにきて、二つも見つけるとは思っていなかった。

 ちょっかいをかけたくなるいつもの思いとは、別の何かが湧いてくる。シロナに対するものとはまた違う、仲間意識が強まっていた。彼らの脳を見るに、惜しい部分もある。まだ効率的に使える可能性が残っている。

 先ほどの、坂田の作戦に従った。

 潰すのではなく、より相手の動きを制限する方向に作用させる。そこへ、桜井の力も加わった。同じポケモン達と連携するのと同じか、それ以上のふわふわとした思いが強まる。少なくとも、悪い心地ではなかった。

 坂田が、目の端から血を流し始めた。負担がかなりかかっている。だがその分強力な攻撃が、女の頭の中で炸裂した。

 相手は、前のめりになる。一気にこちらへの抵抗が少なくなった。

 血を、吐き始める。

 

「あらあ、真っ暗やわ。音が消えてもうた」

 

 ここが攻め時だと、ミカルゲは大きく身を膨らませた。桜井もまた、力を攻撃に寄らせていく。相手の脳の重要な神経が半分も潰れれば、生命活動を保てなくなるだろう。 

 女の頬から、毛が生え始めた。髪の色とは違っている。白い毛だ。それは少しの量だけ生えていた。

 垂れた前髪の隙間から、より人間味を失った目が細まる。開けられた口の中では、尖った牙が並んでいた。

 艶やかな舌で、唇を舐めた。

 

「フフ、いくで?」

 

 臀部のあたりから、七本目の尻尾が伸びていく。

 最初に異変を感じたのは、坂田らしかった。

 

「ぐっ…」

 

 後ずさる。もはや口からも血を出していた。額から流れる汗の量は尋常ではなく、顔が破裂しそうなトマトになっていた。

 ミカルゲも、段々と変化を実感していく。明らかに相手の作用が増大した。優勢かに思えた力比べの状況が、逆転しかけている。それは残酷な真実を示していた。狐の女は、まだまだ本気を出していないのだと。

 

「あんまり、やりたくないんよ。どんどん、獣に近づいていくから…。ほら、歯ぁ、くいしばってな?」

 

 悲鳴を上げたのは、桜井だった。彼の指の一本が、捻じれていく。ミカルゲは即座に相殺しようとしたが、もはや他に注意を向ける余裕が無くなっていくことに気がついた。

 全体に、苦痛が駆けめぐる。

 

「その石…、砕いたらどうなるん?」

 

 力が及んでいるのは、かなめいしの方だった。まだまだ割れていく気配はない。だがこのままずっと続けば、どうなるかわからなかった。それは、根源的な恐怖だ。ミカルゲにとって唯一ともいえる恐れ。自身がばらばらになり、意識がなくなっていく未来。

 

「死ね、死ねぇ…、死んでくれ……」

 

 坂田の脳に、負荷がかかりすぎている。彼の手も破壊され始めている。それでも怯んでいないのは奇跡とも言えたが、結局相手には何のダメージも入っていなかった。先ほど視覚と聴覚を削り取ったはずなのに、当たり前のように回復している。

 塀の隙間から、レイカが震えながら戦いを見ていた。彼女にはもう、どうすることもできないだろう。今更割って入った所で、犠牲が増えるだけだ。

 風の体が、建物の二階部分まで吹き飛ばされていった。

 無傷の鬼は赤ら顔を緩ませながら、寝かせられているタケシを身下ろしている。今戦っている男をゆっくり味わってから、デザートにいくとでも言いたげだった。レイカは何とかタケシを運んで遠ざかろうとするが、腰が抜けて何もできない。

 桜井と坂田が、吹き飛ばされた。両者とも壁に叩き付けられる。

 そうなってしまったのは、一気に抵抗が消えたせいだった。重要だったミカルゲのサイコキネシスが中断されたからだ。

 狐の女が、首を傾げた。

 

「ぉん…」

 

 ミカルゲは、地面に転がっている。かなめいしは無事だった。だが全く動くことができない。その姿が、一瞬だけ崩れた。輪郭がずれて不安定になっていく。まるで、世界から剥がれ落ちかけているようだった。存在が拒絶されている。ここにいてはいけないのだと、何かに引っ張られる。

 

「もう、食ってええよ」

 

 女は、鬼に向かって顎で促す。もう戦闘は終わったと理解しているのか、多少つまらなそうに口をすぼめていた。

 直後、その全身が圧縮される。

 強烈な重力の塊が、彼女を地面に叩き付けた。

 もはや体の原型は残っていない。尻尾の先だけが、赤い断面を晒しながら転がっていた。

 鬼は察知し、即座に下がる。直前まで立っていた場所が、円状にへこんだ。

 

「ち…」

 

 レイカのすぐそばに、男が出現する。

 奥二重の吊り上がった目。細めの体。ガンツスーツの上に身に着けている制服。

 意識が朦朧としているミカルゲにとっては、知らない相手だった。大阪チームでも見たことがない。 

 

「貴方、は」

 

 レイカがその名前を呟く、

 西、と呼ばれた学生らしき男は、再びステルスに移行しようとしていた。

 

「まあいい。次でやれる。結局、俺がボス撃破か……。何点もらえんのか、楽しみだ」

「へええ、うちって、点数付けられとるん?」

 

 得意げな笑みは、すぐに苦痛で歪んだ。

 西の片腕を抱え込んだ狐の女は、すぐにそれをもぎ取った。まるで花を摘むような軽やかな動作だったが、肉が裂け、骨が引きちぎられたことに変わりはない。

 

「あっ、いっづ!」

「ずうぅっと隠れてはったから、何するんやろって楽しみにしてたのに。こっちは外れやったみたいねえ。もう飽きたなあ」

 

 ほとんど、裸のようなものだった。着物は既に血だまりの中でぼろぼろになっている。だが彼女自体は千切れた尻尾から完全に再生されていた。服が無くなったこと以外で目立つ違いは、その肌自体が光を灯し始めたことだ。さらに尻尾の数が、八本になっている。

 まともに動けるのは、レイカだけだった。だがそれはあくまで怪我の有無を考えただけの話だ。最初からずっと戦況を眺めていた彼女にとって、その精神への負担は計り知れないものがあった。じわじわと追いつめられていく様を、見させられたのだ。

 鬼が、彼女へ視線を向ける。その口の端から涎を垂らしていた。どうやら最初に食らう対象を決めたようだ。レイカへ向かって歩き始める。

 レイカは悲鳴を上げた。だが背中が塀に当たり、そのままずるずると崩れ落ちる。その様を、狐の方はもはや見てもいなかった。大きく伸びをしてから、ミカルゲのかなめいしをじとりと見つめる。

 鬼の手が、レイカの腰を掴んだ。彼女は泣きながら暴れるが、無意味な抵抗だった。そして開かれた口へと放り込まれようとする。

 鋭い加速音が、鬼を通り過ぎた。

 

「バウアアアア!」

 

 飛ばされたレイカの体をしっかりと捕まえて、ガブリアスは着地する。その目は油断なくよろけた鬼へと向けられていた。

 その内の一本の腕が、ぼとりと落ちる。ガブリアスのすれ違いざまのギガインパクトで、大きな傷がつけられていた。

 狐の女が、目を見開く。それは驚きというより、嬉しさの方が勝っているようだった。

 

「なあ、それうちにくれん? ちょっとまだ足りないんよ」

 

 さらに続こうとした言葉が、途中で止まった。尻尾達が、少しだけ立ち上がる。それは期待のようだった。振り向きながら、出現した相手に流し目を送る。

 ミカルゲは、その姿を始めて見た。誰だろう、というのが最初の印象だ。

 他の地方で、古くから伝わっているポケモン達の姿と少し似ている。レジシリーズのような。

 

「ま…、いつも通りやな」

 

 八回クリアの男が、バイクから降り立った。

 



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20.岡 対 白面金毛九尾狐(はくめんこんもうきゅうびのきつね)

「なんやごついのが来たなあ」

 

 女の言葉に、答えはしない。

 今までも、人間の言語を解する星人はそれなりにいた。これは岡の推測でしかないが、奴らは隠れ潜んでいるのだ。その中には当然、人間社会に溶け込んでいる者もいる。この女も、普段は別の顔で生活しているのだろう。 

 Zガンを横に投げ捨てる。だいたい、その動きはわかっていた。座標を指定しなければならず、またある程度のラグがあるその武器では、この相手には通用しないだろう。連発すれば威力も弱まっていくので、そのうち攻略されることは明白だった。

 スキャンが、完了される。その構造を把握した。一見不死身に近いのではないかと思うような敵だが、当然仕掛けがある。それを処理すればいつもと変わらない。首を斬り、頭を潰せば終わる。

 一瞬だけ、ガブリアスの方を確認した。ちょうど蹴りで相手の体を吹き飛ばしている所だった。その機動力には目を見張るものがある。低空飛行をしながら、完全に鬼を翻弄していた。

 

「ねーぇ、うちにちゃんと集中してぇな」

 

 その目に、光が灯る。

 構わず、前へと進んでいった。

 少しの抵抗を感じる。ハードスーツのくぼみが青白く光り、出力を上げていた。普通のガンツスーツを一瞬で破壊するほどの力。だが、この装備にはほとんど影響を及ぼさない。その輪郭が震えている。それだけの変化だった。

 狐の女は、片手を頬に当てる。その動きで豊満な体も揺れた。ただ岡には透過している画像しか見えていないので、その肌などを鑑賞することはできない。

 

「おっもぉ。そこはどうなん?」

 

 力が、マスクの部分に加わった。首回りとの接続部分が、確かに一番脆い。軋んできているのがわかった。完全に分離してしまえば、スキャン機能が失われる。

 だがその時既に、岡は間合いに入っていた。

 狐の女もまた、同時に手をかざす。彼の殴打に透明な障壁をぶつけた。ハードスーツにより強化された膂力から繰り出される攻撃であっても、止められる。拳の先が彼女の鼻先にまで到達していた。

 狙いは、別にある。

 掌を相手に向けた。そして弾を連射する。

 その動きは予想外だったようだ。女の体に穴が開いていく。不可視の力による防護を貫通して、高熱の弾が体組織を溶かしていた。顔のほとんどが血まみれになり、上半身と下半身が離れそうになる。

 辛うじて身を回転させ、女は回し蹴りをしてきた。念のためにそれを少ししゃがんでかわし、肘の刃を振るう。相手の首へと狂いなく到達した。一撃が入っても、それでやめることはない。素早く連撃を入れていく。

 最後に残った肉片を殴り飛ばして、確認を始めた。

 

「すごい、あっという間に…」

 

 レイカが立ち上がる。岡の方をまじまじと見つめてきた。

 

「貴方は、一体」

「死ぬで」

「…え」

「終わっとらんって、わからへんのか」

 

 悩ましい息遣いが、聞こえてきた。

 狐の女は綺麗な体を伸ばしながら、欠伸をしている。血がかなり失われたはずなのに、肌の色はむしろ濃くなっていた。それはより多くなった毛のせいかもしれない。素肌からの金色の光がその白さに影響を与えていた。

 もはや金の毛と言ってもいいほどのものに覆われた尻尾が、生えてくる。

 

「情熱的やねえ。期待には、応えんとなあ」

 

 九本の尻尾が、うねっている。彼女の髪もまたやや立ち上がってきており、不可視の力で固定されていた。その背景に、道頓堀の街並みがあるのはちぐはぐだった。はたしてこれが日常の光景なのか、おとぎ話の一場面なのか、判断がつきづらくなっている。

 彼女が再生されていく過程を、しっかりと観察していた。死を恐れるのは、どの生物も共通なのだろう。それにしたって同じパターンが続いていると思っていた。前回も、こういう相手だった。つまり、再生能力の基を特定してしまえば簡単だということだ。

 岡はもう一度、接近を始めた。

 相手も力を行使してくる。これまで以上のものだった。さすがに歩みが遅くなる。だが、耐久値にはまだまだ余裕があった。限界がきて、ねじられるということはない。

 それは女の方もう同じようだった。まだ、焦りというものが見えない。岡は足を速める。さすがにこれ以上強くなれば、面倒なことになる。この戦いが終わっても少しは星人が残っているのだ。万が一を考えなければならない。

 女から、接近してくる。既に超能力はやめていた。

 その両手の爪が、岡のマスクを狙っている。

 

「殿方のお顔、見せて?」

 

 鋭そうな爪先に拳を合わせた。

 女が、苦痛の叫びをあげる。

 かなり固い感触がしたが、特に問題なく破壊できたようだ。続く殴打で、腕ごと潰す。

 大きな隙が生まれた。それでも、岡は追撃をしなかった。

 狐の女の背後に回る。足で、浮いている尻尾を蹴り飛ばした。 

 獣のような呻きが上がった。

 続いて、硬質の刃で次々と尻尾達を刈っていく。相手は抵抗しようとしているようだったが、あまりの痛みで震えることしかできていない。

 真に重要なのは、首や頭を攻撃することではないのだ。スキャンした所、再生は常にこの女の尻尾から始まっていた。他の力を行使する時もそこの反応が常に大きくなっていた。あらゆる力の源が、尻尾に集まっているのだ。だからそこを先に破壊してしまえば、再生もできなくなる。

 五本。

 六本。

 そして七本目の尻尾を斬り刻んだところで、女が後ろへと飛んだ。それを捕まえようとしたが、すり抜けられる。ハードスーツの拳が超能力でややずらされてしまった。まだそれくらいの余力はあるのかと、冷静に分析をする。

 

「あぁ、たまらんわあ…」

 

 女の頬が、紅潮していた。熱を持った視線が岡を撫でている。早く攻撃を再開しなければ尻尾も再生される可能性が高い。だが岡は、何かの予感がしていた。様子を見た方がいいと、今までの経験が言ってきている。

 爪の欠けた手が、後ろへと伸びた。自身の尻尾を一本、掴んでいる。

 躊躇いなく、引き抜いた。

 

「んんんうぅ」

 

 喘ぎながら、ぼたぼたと血を落とす尻尾を前に持っていく。自分から残り少ない尻尾をさらに減らしたというのに、追いつめられている様子はなかった。むしろより、興奮が高まっているようだ。

 握られているた尻尾が、変化し始めた。まず豊かな毛が短くなっていき、その量も一気に少なくなっていった。全ての毛が消失した時には、肌の光沢が強くなっている。無機質な輝きだった。丸みの帯びた形が細く鋭くなっていき、立派な刃を作っていく。

 黄金の剣が出来上がっていた。派手な装飾はなく、柄と刃の部分の境界が曖昧だ。鍔がなかった。出刃包丁にも近い無骨さを持ち合わせている。

 

「ふぅ」

 

 重い息を、先端部分に吹きかけた。途端、刃の形が不安定になる。細かく振動しているようだった。さらに発せられる光が強くなり、よりその筋を捉えることが困難になる。

 情を煽るような動きで指を閉じていき、握りしめた。

 両手で剣を持っている。

 

「がっかりさせんといてな?」

 

 岡は拳をとっさに前へと伸ばしていた。

 その殴打をかいくぐり、女が懐に入り込む。

 即座に体を回転させ、肘の刃を振るった。

 激しい金属音。

 

「ふんふん」

 

 剣でしっかりと、ハードスーツの刃を受け止めていた。力を加減したつもりはない。尻尾をかなり削ったはずなのに、その膂力は増していた。というよりは、もしかすればずっと隠していただけなのかもしれない。

 今までは、得意ではない戦い方を選んでいただけかもしれない。

 動揺することはない。ここで止まることこそ、危機に直結する。

 太い腕を、横に薙ぎ払った。

 手応えはない。

 しゃがんだ女の体へと、もう片方の拳を振り下ろす。

 違和感。

 

「なるほどなあ」

 

 離脱を選ばされていた。

 すぐに自分の右腕を確認する。

 今まで感じたことのない感触の正体が、はっきりと表れていた。

 装甲が裂かれている。耐久に限界が来たわけでもないのに、ハードスーツの腕に傷がついていた。自分の体にまでは到達していないが、そこの部分だけは防御が裸になっている。真っすぐな斬り傷ではなかった。細かい震えが連続している不安定な形だった。

 

「ほら、いくで? 構えな」

 

 脅威なのは、一つだけだ。

 あの武器にさえ気を付ければ、ダメージを受けることはない。最初から全て安全に進んでいくとは思っていなかった。何しろ相手は百点に達すると考えられる星人なのだ。苦戦しないわけがない。

 岡は連続で拳を弾けさせた。

 

「もっともっと。のんびりしてる場合とちゃうよ」

 

 液体のように滑らかな動きをしていた。体の形自体は人間と似通っているというのに、その構造の限界を容易に超えているような速度で避けられる。さりげなく拳に足や手を擦らせて、上手く軌道を逸らしているようだった。

 そして、返しに刃を入れられる。

 無傷だった左手が、大きく裂かれた。

 

「ほらほら。さあさあさあ」

 

 発想を変える。

 拳に入り込んでいた剣を、捕まえる。地面に叩き付けて固定させた。一度女の顔を潰せば、残りの尻尾を潰す時間ができる。 

 しかし、掴んだはずの刃は無くなっていた。

 女が、逆さに立っている。

 その瞬間、片手に剣を再出現させた。

 移動できるんかい、と心の中で突っ込みをしながら、足を後ろへ動かした。

 

「だぁめ」

 

 刃が、一気に伸びる。急激に範囲の広がった斬撃が、マスク部分に直撃していた。

 レイカが、息を漏らす。

 

「あ…」

 

 岡は、鼻の先が熱くなるのを感じていた。

 表示されていた副次情報が全て消えている。相手の体が透過されなくなっている。

 それもそのはず。

 ハードスーツのマスクが、地面に転がった。

 深い傷ではない。それでも鼻が少しだけ斬られているのがわかった。出血を止めるなどという思考はわかない。そんなことをしている余裕がないからだ。

 すぐにさらされた顔を、腕で覆う。

 狐の女の笑い声が聞こえてきた。

 

「心配しなくてもええよ。そんな無粋なことはせえへん。よぉく見せて?」

 

 ハードスーツの機能が、やや低下している。

 なぜなら、相手の力に押され始めているからだ。両腕が動かされていく。守っていた顔を無理やり無防備にさせられる。

 女は少し舌を出した。見せつけるように自らの唇を濡らしていく。

 

「予想通り。ええ顔してるんやねえ。フフフ、涎がでてまうわ。安心してな? すぐには台無しにせえへんから。まずはその不格好な衣装から引きずり出して、手足をもぐ。ゆぅっくり、すすったる。あんたの味噌、甘そうやなあ」

 

 ガブリアスが、腕の一つに捕まっていた。すぐに抵抗して離れるが、直後横から迫ってきた拳には対応できない。塀へと叩き付けられていた。

 無意識に彼女の方を気にしていたと自覚した岡は、苦笑した。

 額の汗を、感じる。

 久しぶりの感触だ。

 緊張の方が強くなるのは、前の百点以来だった。だが、あの時はもっと酷かったと思い返す。こんなものではない。あれに比べたら、今回のは苦難にも含まれない。緊迫感も、初めて戦った時よりはずっとましだった。

 機能を解放する。

 背中から、大量の煙が噴き出した。それはすぐに岡と女を覆っていく。視界が白く包まれていく。岡は目をつぶって、手動による操作を行った。

 狐の女が、甲高い笑いを上げる。斬撃を絶え間なくハードスーツへと注ぎ込んでいった。

 

「気が変わったわ。腰から下は、いらん」

 

 拳が、落とされる。背中から伸びる管が全て斬られていく。ハードスーツの腕が破壊された。大量のくぼみから、液体がこぼれていく。

 女の手が霞んだ。

 光の筋がきらめき、そのスーツの腰部分に食い込んでいた。刃は止まらない。そのまま抵抗なく進んでいき、綺麗に断ち切っていた。

 ハードスーツが両断され、倒れていく。

 レイカは煙の隙間からそれを見て、口を押さえていた。強力な助けが入ったかと思えば、また追いつめられている。

 だが彼女はすぐに認識した。

 狐の女の腹から、黒い刃が突き出ている。

 

「う…」

「どや」

 

 緊急時に役立つ機能だった。ハードスーツからの脱出には、二つの方法がある。背中から直接開いて出るのが一つ。そしてこういう状況においては、もう一つの方が最適だった。

 スーツからやや離れた位置まで、瞬時に飛ばす。原理は理解していない。結果を把握しているだけで十分だと考えていた。上手く調節すれば、このように簡単に相手の背後へと回ることができる。

 ガンツスーツに、力を込める。刀の柄を、上へと押し込んだ。

 岡は気合の声を上げる。ある程度は、合理的だった。スーツの力を引き出すためには精神の集中も必要になってくる。そういう時このような方法は意外と役に立った。

 おかげで、ほぼ一瞬で刃は相手の顔まで到達し、そのままの勢いで頭を抜けていった。左右に分かたれた女の上半身から血が流れ出し、後ろへと倒れていく。

 息が荒くなっている。

 だが、まだ終わりではないとわかっていた。

 すぐに距離を取り、投げてあったZガンを拾い上げる。痙攣している狐女の体に向けて、連続でトリガーを引いた。

 二発撃ったのは、完全にカバーをするためだ。まず、尻尾が最初に潰れる。下半身の一部も重力によって粉砕された。そして少し遅れてやってきた次の弾が、残りの全てを押し潰していた。

 男の野太い叫びが聞こえてくる。

 建物の窓から飛び出してきた大柄な男が、鬼の腕の一本に掴まっていた。そして同じような状態のガブリアスと息を合わせながら、同時に腕をもぎ取る。

 鬼は明らかに苦しんでいた。その隙を両者は見逃さない。

 男の方が頭に組みつき、その両目に拳を突きいれた。

 暴れる鬼に対して、カブリアスが足の一本を折っていく。大きな体が倒れていくのに合わせて、男と共に頭を蹴りつけた。 

 こちらを見てくる。少し悔しがっているようだ。どうやら、岡よりも遅く倒してしまったのが気に入らないらしい。共に戦っていた男の肩を叩いてから、歩いてきた。

 

「終わった…」

 

 まだ少し離れた所に、反応がある。転送が開始されないのは当然だ。後は消化試合のようなものだと、岡は考えていた。次にもらえる特典は何だろうか。できればハードスーツをさらに強化できるような道具がいい。やはり重要なのは防御だ。耐久に不安が残っていると、戦闘に集中しづらくなる。

 ガブリアスが、膝をつく。どうやら見た目以上に傷ついていたらしい。それほど鬼の方も手強かったということだ。それを引き付けてくれたのだから、やはりガンツから支給される特典よりもはるかに役に立つ。

 同じく戦っていた大柄な男も倒れ始めていた。岡にとっては、関係の無い人間だ。他にも傷ついている者がたくさんいるが、助けようとは思っていなかった。

 顔に、固い感触がぶつかる。

 それが地面だと気が付いた時、あたりに霧が漂っているのを視認した。

 視界が、ぼやけてくる。

 その中で、確かに丸い個体が見えた。大量の気体を吹き出している。

 ちょうど、Zガンによる攻撃で破壊された所だった。狐女の血が溜まっている場所。彼女が確かに死んだはずの所。

 

『あーあ、初めてやわ。来世で会えたらええなあ』

 

 それは毒だと、すぐにわかった。胸の苦痛が増大していく。口の端から、血が漏れ出していく。目の奥に痛みが生じた。確実に体が蝕まれている。

 スーツに限界が来たわけではなかった。その防護を貫通し、直接体内に作用している。遅効性に近いもののようだが、猛毒だ。どちらにせよ、致死量に達しているのは明らかだった。

 転送を。

 そんな思考が湧いたが、ありえないと気づく。星人はまだ、全滅していない。

 段々とまともな考えができなくなった。

 だから、それは幻なのだろうと思っていた。

 終わってくれという願望が表れているのに過ぎない、虚しい夢。

 空から、何かが降ってくる。生物ではない。ちょうど手に収まるくらいのボールのようなものが真っすぐ落ちて、毒霧を発生させている白い石にこつんと当たった。

 石が、光に包まれる。そして、開いたボールの中へと吸い込まれていった。

 続いて降りてきたのは、二つ。

 それらは既に揺れの止まっているボールを見ている。

 

「や、やった!」

「きゅいっ」

 

 何やら喜び合っている男と白い鳥。手と翼を打ち合わせていた。

 

「オカ!」

 

 気に入らない女の声が最後に聞こえて、岡は自分の意識を手離した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ◆ 

 

 

 流れは、そう速くない。

 スーツの力で体勢を整える。

 そして水中でもがいている存在を見つけた。口から大量の泡を吐き出し、苦しそうに目をつぶっている。

 反射的に手を伸ばし、抱えていた。足を上下に動かして、岸へと泳いでいく。

 同時に、ベージュの体が高速で動いていくのがわかった。呑気に浮かんでいる桑原を拾い上げて、ジョージと同じ場所に上る。

 深く呼吸をしてから、咳き込んでいるロズレイドに嘲笑を向けた。

 

「お前、泳げないんか」

 

 返事は返ってこない。代わりに、赤い花の中から何かが射出された。

 

「ちょっ」

 

 それは知っている。毒の含まれている鞭だ。ジョージは横に転がって、ぎりぎりでそれを避けた。いくらスーツで無効化できる可能性があるとはいえ、確実ではない。

 頭がかっと熱くなったが、舌を出しているロズレイドを視界に収めると、真面目に対応するのも馬鹿らしくなった。

 

「恩を仇で返す植物なんて、お前くらいや」

 

 隣では、桑原が苦しむふりをしていた。ミロカロスに対して、人口呼吸を要求している。はたして彼女相手にその表現は正しいのかと、まだはっきりとしない頭で考えた。

 状況をまだ把握しきれていない。 

 見たことが事実なのかどうか、受け止め切れない自分がいる。

 

「なあ、おい」

 

 煙草が全て駄目になっているのを確かめ終わった桑原が、半身を起こす。

 

「どうするんや。これから」

「…やるしかないやろ」

「ノブやん、死んでしもうた」

「油断したからや」

「いや、あれそういうレベルの問題か?」

「…」

 

 正直、悲しさはない。それよりも自分の命の方を考えるべきだった。あの天狗のような怪物が百点なのは間違いないだろう。過去に一回だけ、遭遇したことがある。その時のメンバーの三分の二が殺された。ジョージも無傷ではなかった。手遅れになる前に、岡が決着をつけたのだ。

 

「岡に任せようや。どうせまたやってくれるで」

 

 それに返事をせず、ジョージは立ち上がった。

 そして、すぐに桑原の肩を叩く。

 

「なんや?」

 

 めんどくさそうに顔を上げると、彼もまた表情をひきつらせた。

 どうやら自分達は、船着き場近くにいるらしい。岸辺から階段を上った先。そこから、大群がぞろぞろと向かってきていた。異形の群れ。

 同じく、川の方からも魚介類に似た形をしている化け物が続々と泳いできていた。そのどれもが星人なのは間違いないだろう。明らかにジョージ達を認識し、狙ってきている。

 桑原が、大きく息を吐き出す。

 

「今回って…、あれか? ラストミッションなんか?」

「かもな」

「じゃあ、あれがラスボスか」

 

 その指が示す先を、目で追う。

 大群たちの一番後ろに、一際大きな個体がいた。一言で例えるなら、二足歩行の犬だ。それだけならシロナのペットの一匹と同じだと言える。だが、それの方が細長い顔をしていた。毛の色もクリーム色に近くなっている。古い時代の聖職者のような衣装を着ているのが、どこか不気味だった。そして何よりも、大きさが違う。身長がルカリオの三倍はありそうだった。

 その肩には、小柄な存在が乗っている。

 ジョージもまた溜息をついた。煙草が欲しくなったが、こちらも全滅している。

 ガンツが表示していた画像と、一致している。華奢な老人だった。白い髭を撫でながら、静かに彼らを見つめている。

 

「逃げるか?」

「いや」

 

 Zガンは、天狗のいた橋に置いてきてしまっている。ガンツソードと、Xガン。スーツに取り付けられていた装備を展開させ、構えた。

 

「やる。むしろチャンスや。あの天狗以外なら何とかなる」

「もう逃げられないわな。あーあ、やるわけね」

「同時に行くで。俺達二人…」

 

 桑原の前に、ミロカロスが出てくる。

 ジョージの肩に、ロズレイドが乗った。

 まあ、こういう時だけは認めるのも仕方がないだろう。戦力としては、ありがたい。足を引っ張らない程度に雑魚を処理してくれるのは、大歓迎だった。せいぜい道具としてそれなりに働いてくれればいいと、鼻を鳴らす。

 

「と、二匹ならいける」

 

 ミロカロスとロズレイドが、同時に技を繰り出す。

 それが開戦の合図だった。

 

 



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21.ラスボス

 男のシャツを引き裂く。それをサイコキネシスで器用に動かしながら、自分の片目に巻いた。

 

「八千円した。弁償しろよ」

「ワウ」

「おい、こっちの血もそれで止めてくれ」

 

 今、敵の襲撃が来ないのは幸運だった。ルカリオも、ヒカワという男も傷ついている。血もそれなりに失われていたので、万全の動きができるかどうかは怪しかった。

 布をさらに破って、ヒカワの手に巻いた。本当はもっと丁寧な処置をする必要があったが、そうする前に彼は立ち上がっていた。

 ルカリオは、意外と落ち着いている。自分では、かなわなかった。あの狐の女は、元から自分達を殺すつもりがなかったようだ。合格、と言ったきりどこかへ行ってしまった。それを追いかけられるほど、傷が浅いわけでもなかった。

 強い、と感じる。少なくとも今のままでは歯が立たない。ミカルゲなどの他のポケモン達と協力しなければ、危ない。早く合流しないと、全滅する可能性もある。

 ルカリオは歩き出し、ほどなく止まった。

 立ち止まったままでいるヒカワの方へと振り向く。

 彼は、黒い刀を握っていた。元々持っていた武器は狐女によって破壊されている。だから、木村が持っていた武器を拾ったのだ。

 

「これ、伸ばせるんだろ。どうしたらいい」

 

 思い返す。その刀は、シロナも使っていた。扱いを練習していた場面を何度も見ている。その記憶に従って、ルカリオは柄にある白いボタンを示した。

 ヒカワはそれだけで理解したようだ。段々と、ルカリオの身振りから多くをすくい取るようになっている。

 さっさといくぞ、と腕を伸ばす。

 だが、相手は相変わらず止まっていた。

 

「ウ?」

「あ? なんだよ。勘違いしてるだろ。なんで俺がゴキブリどもの仕事を手伝わないといけない? 勝手にやってろ。後は知らねえ」

 

 もしかして、怖気づいたのかと煽ることもできる。だがルカリオは黙ったまま離れていく背中を見送っていた。おそらく、ここから先は非常に厳しい戦いになる。嫌々一緒に戦われても、困ると考えた。

 通りの角に曲がっていくのを確かめてから、踵を返す。とりあえずはシロナとの合流が最優先だった。彼女を目指せば、おのずとその傍にいるであろう杏の安否も確認できる。

 顔を思い浮かべていると、足に力が宿った。早足になりながら、静寂が訪れつつある街を進んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ◆

 

 

 川の一部が、凍っていく。

 突如として水中にできた透明な壁に、多くの個体が止まることもできずにぶつかった。そうして隙ができた所に、ミロカロスはさらに氷の線を吐き出していく。

 水の中では、彼女を捕らえられる存在などいなかった。地上においても、発射されるのを見てからZガンの範囲をぎりぎり抜けられるくらいは動ける。それが自らの得意なフィールドになると、信じられないくらい加速していた。

 彼女が、川から来た化物のほとんどを処理していた。そちらは問題なさそうだ。

 確認をしながら、ジョージはしがみついてきた小人のような化物を殴り飛ばした。

 

「数だけやな、こいつら」

 

 囲まれているというのに、話す余裕もある。事実、相手のほとんどはジョージ達に近づけもせず倒されていた。

 桑原の斬撃をかわした個体に向かって、Xガンを撃つ。それがはじけ飛ぶのを確認すらせず、側面を突こうとしてきた敵を斬り裂いた。

 背後で、呻き声が上がる。

 ジョージに飛びかかろうとしていた個体が、ロズレイドに撃ち落とされていた。わざわざ顔を向けることはしない。どうせいけすかない表情をしているに決まっているからだ。

 

「伸ばす。伏せろ」

 

 ジョージは柄のボタンを押しながら、全力で横に振るった。手応えが連続していく。周りを囲んでいた化物達の胴体が、一瞬で寸断された。

 桑原が二匹の小人をまとめて突き刺した後、息を吐き出した。

 

「まあまあ疲れたわ」

「前座でそれやと、死ぬで」

「やかまし」

 

 彼らの前に、一体が降り立った。

 ジョージが鼻で笑う。

 

「お前だけか? 舐め腐ってるな」

 

 白い衣装の裾を揺らしながら、犬は黙って見下ろしてきている。他の星人達とは、雰囲気からして違うのがわかった。大幅に個体を減らされたのにもかかわらず、少しも動揺していない。

 そのさらに後ろの方で、老人が足をぶらぶらさせていた。それは参戦する意思がないようだ。首を傾げながら、呑気に眺めている。

 ジョージは構えた後、口を動かそうとした。

 俺がやる。

 そう言うつもりだったのだが、急に先ほどの光景がフラッシュバックした。同じことを言って、あっという間に殺された室谷の姿。彼とは違い、ジョージはまだ冷静な思考ができていた。

 

「さっさと倒すで」

 

 横の者達に笑いかけながら、既に腕は動いていた。

 縦の軌道で、刀が走っていく。

 相手の犬は、足を横にずらしてそれをかわした。かなり俊敏だ。

 桑原の横の薙ぎ払いを、飛んで避ける。

 それに合わせて、ジョージは突きを入れた。

 駄目押しとばかりに、ロズレイドが光弾を発する。

 その全てが、防がれていた。犬の体にすら、到達していない。不可視の壁に当たったかのように止められていた。

 犬が前へと飛ぶ。

 同時に、ミロカロスがれいとうビームを発した。だが、それも同じだ。足を狙っていたものの、当たらない。外れてはいなかった。着弾する前に弾かれている。

 犬の右手がぶれた。察知したジョージは、とっさに身を引く。

 頬が裂かれる。

 ガンツスーツは耐衝撃機能がある。だが、斬撃には弱いという性質も持っているのだ。

 はためく衣装の中から、刃が伸びていた。犬の腕には、あるべき手がついていない。細長い剣先のようなものが、代わりに取り付けられていた。

 

「当たるな! もってかれるで」

 

 桑原との連携で、徐々に相手を追い込んでいく。突き出された刃をかわし、伸びた腕を叩き切ろうとした。だが犬の目が細まると、ガンツソードは容易に弾かれてしまう。

 体を捻りながら、桑原はこちらを見てきていた。やばい、という意味だ。このままではじり貧だった。ダメージを入れられないまま、こちらの疲労だけが溜まっていく。

 本当に、今回は今までとは違うようだった。戦っている感触からして、この犬も百点なのかもしれない。それだけの星人が、複数揃っているのだ。

 関係ない、とジョージは歯を食いしばる。たとえ百点だろうとも、二百点だろうとも、自分なら勝てると言い聞かせていた。

 エナジーボールというらしいわざを弾かれたロズレイドは、直接相手に向かって毒の鞭をしならせた。だが、その先端分が切断される。

 

「おい!」

 

 Xガンを連射する。犬は機敏に動きながら、時折素直にその射撃を受けていた。相手の体に変化はない。この武器も効いていないようだ。

 だが、おかしな点があった。本当にどんな攻撃も無効化できるのなら、回避すらしなくていいはずだ。だが相手は時折その行動を挟んでいる。

 つまり、限界があるということだった。無限に防げるわけではないのだ。防御ごと体を破壊できるような一撃を叩きこめば、活路を見い出せる。

 桑原とミロカロスが注意を引いているのを見ながら、隣に立ったロズレイドへと素早く言った。  

 

「あれやれ。大仏の時の。ぶっといビームや」

 

 ロズレイドは空を差してから、難しそうな表情になった。正確には薄く出ている太陽を示しているようだった。ジョージは冴えた思考を進めていく。陽光の力を利用するということなのだろうか。そして、仏像の時のわざを思い返す。溜める動作をしていた。すぐに放てるというわけではないらしい。

 

「俺らが時間を稼ぐ。やれ」

 

 指示を出して、返事も聞かずに走った。

 背後から刀を伸ばしても、無意味だ。その犬の背中へと到達する前に、止められる。気合を上げて押し込もうとしたが、それが間違いだったことに遅れて気がついた。

 何とかぎりぎり下がったが、腹に熱を感じた。

 スーツが裂かれている。幸い浅い傷ではあった。

 

「ダンナ!」

 

 桑原の叫びで、動揺から立ち返る。

 気がつけば、大きな口が迫ってきていた。

 

「うおっ」

 

 横に飛ぼうとしたが、間に合わない。あっさりとジョージは咥えられていた。

 秒殺だ。

 まさか自分が、という思いが一瞬だけ強くなった。だがすぐに刀を逆手に持ち直し、思いっきり振るう。首を狙った。

 だが、相変わらず弾かれる。

 今の所、犬の牙をスーツが防いでくれている。だが、いつまでもつかはわからなかった。既にその圧迫によって、かなり苦しくなってきている。

 口の端から、涎がこぼれた。息ができない。段々と、力が入らなくなってくる。

 自らの体を噛み潰そうとしていた圧力は、直後消えていた。

 何とか地面に着地する。

 見れば、犬はジョージを吐き出して上へと飛んでいた。

 思わず舌打ちをする。どうやら、ロズレイドの姿もしっかりと目にいれていたらしい。彼女が必殺の一撃をしてくることも理解していた。

 ロズレイドから放たれた太い光線が、犬の足元を通り過ぎていく。その瞬間、敵は明らかに笑っていた。ジョージ達を嘲笑っていた。

 外れた。

 そう思った時、犬の腹に大穴が空いた。

 貫通したソーラービームが、橋の方へと飛んでいく。そして当たる前に消失していった。

 

「ミラーコート。やったか?」

 

 桑原が煙草を咥え直していた。

 彼の前に、ミロカロスが透明な壁を貼っている。かなりひびが入っていた。ジョージもかつて見たことがある。それでZガンの弾を反射していた。

 つまり一度外れたビームをあえてミロカロスが受け止めたのだろう。そして軌道を変えて、再び敵へとぶつけた。それにはさすがにジョージも感嘆せざるをえなかった。さも自分の機転だと言わんばかりににやけている桑原のことは、無視する。

 だが、直後そういうわけにもいかなくなった。

 伸びている光線が、桑原の肩に食い込んでいる。そして、呆気なくその腕を根元から破壊していった。

 

「グルルルル」

 

 犬が、片目の包帯を外している。露わになった目は、薄く光っていた。そこから出た攻撃が、桑原に致命的な負傷を与えていた。

 

「また、ビームかいな…」

 

 倒れていく桑原の体を、慌ててミロカロスが拾い上げる。彼女はすぐに口から水の輪を吐き出していた。だが、それで治り切ることはない。出血の勢いが収まっただけで、そのままでは死ぬだろう。

 これ以上、そっちへと注意を向ける余裕はなくなっていた。

 

「くそがっ!」

 

 とにかく移動を続ける。犬は次々とビームを発してきていた。はっきり言って、反則だ。見た目からしてスーツを貫通できることくらいはわかる。馬鹿みたいにまき散らされたら、接近は無理だ。

 だが、確実にこちらが与えた傷が響いているようだった。かなりの隙が生じる。犬は膝をつき、顔を俯かせた。血を吐いている。

 ジョージは、そこを見逃さなかった。地面を蹴り、一気に接近をする。

 その動きに反応して、敵はぎりぎりで顔を上げた。予想以上に立て直しが早い。

 そして彼と同時に走ってきていたロズレイドに向かって、目を光らせる。発せられた光線が、彼女の右の花に直撃した。

 弱々しい鳴き声を確かに聞く。彼女の花がもぎ取られ、腕の菊の断面から液体がこぼれ出していった。

 

「…死ね」

 

 ほぼやけくその攻撃だった。どうせ弾かれると思っていた。

 だが、もはや防護を貼る余裕もないほど、犬は消耗していたようだ。ジョージのガンツソードが首に食い込んでいく。血を吹き出しながら傷が開いていった。スーツの全身に筋を浮き上がらせながら、刃を進める。

 犬の首を両断した後、すぐにジョージは走り出した。

 ロズレイドは苦しそうに横たわっている。赤色ではないが、それが彼女にとっての血のようなものなのだろう。少なくない量が地面に広がりつつあった。

 

「おい…」

 

 どうすればいいのかわからず屈みこむと、突然残っていた方の青花がくっついてきた。そして妙な光を発し始める。

 ジョージは、膝をついた。なぜか全身が緩んでいるような心地がした。力が入り切らない。全て外へと放出されていくようだった。

 淡い光を発しながら、ロズレイドの花が再生されていく。緩やかだった出血も止まり、傷口があっという間に塞がれていった。

 すっと立ち上がった彼女に向かって、へろへろになったジョージは何とか睨みつけた。

 

「お前、吸い取ったんか」

 

 彼女はつん、と顔を逸らす。

 

「ふざけんなや! お前、俺の、あれを返せ」

 

 両手の花を震わせて、威嚇をしてくる。その動作で甘い香りがより強くなった。それを嗅いだジョージはぎりぎりで冷静さを取り戻す。

 既に水の上に浮かんでいるミロカロスに向けて、顎を動かした。行っていいという意味だ。その背に乗せている桑原を、すぐに他のポケモンがいるところへと運べば、まだ助かる可能性がある。彼女自身もそれはわかっているようで、素早く泳いでいった。

 

「まだ、やれるか?」

 

 ジョージは腰を上げた。彼の言葉に、ロズレイドは少しだけ鳴いた。当たり前でしょ、とでも言いたげだ。これでもし無理だなんて返事が返ってきたら、先に彼女を蹴り飛ばすつもりだった。自分の何かを吸収したのだから、やれて当然なのだ。

 

「なんぞ?」

 

 細い老人が、転がる犬の首をの周りを歩いていた。標的の星人。名前は、ぬらりひょんと言ったか。あきらかに、外れの個体であることはわかった。この場には京がいないが、必要ない。点数を確かめるまでもない。もう死んでいる犬の方が強いだろう。

 だが、雑魚ではないのかもしれない。油断はしないと、ジョージは刀を構えた。

 

「なんぞなんぞ。なんぞ、これ」

 

 今度は、ロズレイドの方へと視線を向けてきていた。指を振りながら、左右に往復してぴょんぴょん飛んでいる。

 動きはあまり速そうではなかった。

 

「同時にやる。ええか?」

 

 ロズレイドは腕から葉っぱの塊を伸ばしていた。一枚一枚に何かの力がこもっているようだ。剣のような形に固まり、横向きに構えた。

 ぬらりひょんの方も、ゆっくりと近づいてきている。遠距離から何かをしてくる様子はない。ただ興味深そうにつぶやきながら、首を横に捻っていた。

 間合いに入ったことを確認した直後、叫ぶ。

 

「せーのォっ!」

 

 ジョージは縦の軌道。

 ロズレイドはその隙間を埋めるように、横の軌道で刃を走らせた。

 相手は体を横に回転させる。手を使うことなく、側転をしていた。

 

「うっ」

 

 怯んではならないと思っても、声は出てしまう。完全に予想外だった。こちらの攻撃が完璧にかわされた。

 着地した隙を狙い、ジョージは再び武器を振り下ろす。押してしまうだけ折れてしまいそうな体の老人は、直後急激に縮んでいた。

 それによって、ロズレイドの一撃が頭の上を通り抜けていく。さらに同時に体の軸をずらし、ジョージの刀もすかしていた。

 即座に連撃を加える。

 ジョージが斜め上に斬り上げる。

 ぬらりひょんはくるりと回りながら飛び上がった。一瞬だけガンツソードに足を乗せて、さらに軌道を変えていく。

 宙に浮いたのを見計らい、ロズレイドがシャドーボールを放った。

 

「うむ」

 

 何かに納得したような声を出してから、ぬらりひょんは一気に足を伸ばす。元のサイズに戻った体の股下を、シャドーボールが通り過ぎていった。

 立った瞬間、ジョージの薙ぎ払いが入る。

 先ほどの犬の首よりも抵抗はなく、あっさりと胴体が真っ二つになった。

 息を呑む。

 空中に浮かんだ上半身と下半身が、形を変えていく。それぞれ小さな老人の姿へとなり、同時に着地した。

 ジョージよりも衝撃を受けていないらしいロズレイドが、口から紫色の塊を吐き出していた。それは山なりに相手へと飛んでいき、直前で破裂する。毒の爆弾のようなものだった。

 しかし、既にそこには相手がいない。

 再び飛び上がった二体が、合わさっていた。そして元の老人に戻ったぬらりひょんは、平然としながら逆立ちをしている。

 

「そうかそうか」

 

 足をつけると、ジョージ達に背を向けた。どこかへ歩いていこうとしている。まるで彼らへの用は終わったと言わんばかりに。

 荒い呼吸を、自覚していた。前の戦いよりもはるかに疲労がたまっている自分がいる。どこかを傷つけられたわけでもないのに、顔から大量の汗が流れ出していた。視界が、揺れているような気がする。

 その背中を刺そうとしたところで、目の前に花が現れた。

 彼の肩に乗ったロズレイドが、右の赤い花を伸ばしている。ジョージを遮っているようだ。

 彼女の口は、明らかに震えていた。目をたくさんに開きながら、何度も首を振っている。やめて、と言ってきているようだった。ここまでそれなりに一緒にやってきた。だから、その感情もある程度はわかる。彼女は、恐れている。既に戦意をほとんど失っているのだ。 

 そして無理だと、言ってきているような気もしていた。ジョージには、無理だと、もう勝てはしないと決めつけてきている。

 彼は、それくらいのことで乱される自分ではないと今まで思っていた。だが、なぜか今だけは頭に熱が上ってきていた。ロズレイドにそう思われたという事実が予想以上に自身の心へと作用したようだ。

 

「舐めんな」

 

 彼女を払いのけて、叫びを上げる。

 意識の集中。それがガンツスーツの力を引き出すうえで大いに役立つ。最大の出力を意識しながら、刀を捨てた。線の攻撃が駄目なら、もっと範囲を広くすればいい。全身を使う。

 彼女の切羽詰まった鳴き声も気にせずに、ジョージは走り出した。呑気に歩いていこうとするぬらりひょんの背中を目指す。相手はまだ、接近に気がついていないようだ。

 両腕を広げ、老人の体へと回した。顔と胴体に手を食い込ませ、抵抗できないようにする。相手はほとんどもがいていなかった。

 

「捕まえた!」

 

 そのまま、一気に力を込めていく。ぬらりひょんは呻いている。苦しんでいるのだ。このまま肉を押し裂き、逃げられないように破壊していけば、必ず仕留められる。ジョージは会心の笑みをロズレイドに向けそうになった。彼女の鼻を明かしてやりたくなった。

 溶ける感触が、する。

 既に腕の中の存在は、形を保っていなかった。肌色の塊になると、捕まえているジョージの腕の隙間からでろりと流れ出していく。

 彼が驚く声を発する前に、それは女性の体になっていった。分裂し、増殖していく。それらはあっという間にジョージの全身を覆い尽くし、さらに広がっていった。

 その柔らかい体に包まれること自体は、天国と言えるかもしれない。だが、徐々に圧力が強まってきていた。首元のメーターが、うなりを上げている。耐久を削られている。限界が来れば、あっという間に全身を潰されるだろう。

 暗くなっていく視界の中で、ジョージは何度も声を上げていた。こんなはずではない、という思いが腕に力を取り戻させる。

 叫びながら、握っているガンツソードを動かした。とにかく刃を走らせる。目の前を切り開こうと、横へ力を入れた。

 だが、苦痛が大きくなってくる。手の力も抜けていき、刀が引っ張り出されるのがわかった。握り続けなければならない。離したら、自分は死ぬ。

 結局、武器は外されていった。もはや何もできなくなった彼は、手の先が潰され始めるのを感じていた。それはやがて胸にも到達するだろう。女体に囲まれて圧死するなど、あってはならないはずだった。笑い話にもならない。

 最後に思い浮かべたのは、山田や植物のことだった。ゼラニウムの赤い色素が視界を覆う。香りがしてくる。

 よく見てみると、それは記憶にあるよりももっと濃い色をしていた。鮮やかな赤の花が飛び出してきたかと思えば、青い花も視界に入ってくる。強烈な香りが、意識を暗闇から引き戻していた。

 明るくなる。

 肉の壁が、はじけ飛んでいた。

 ロズレイドは四方八方に光弾を発している。とても焦った表情で、肉を弾き飛ばしていく。そしてジョージの体に足を付けると思いっきり押してきた。

 ふわりとした感覚。

 巨大な女体の塊の背中部分から飛び出たようだった。ジョージは何もできずに地面へと転がる。痛みはない。まだぎりぎりスーツの耐久が残っていた。

 と、いうのは錯覚だ。どろどろと液体がこぼれだす。手の方に激痛が走っている。確かめるまでもない。

 一緒に着地したロズレイドが、ジョージの腕を引っ張ってくる。

 

「お前…」

 

 自分が情けなくなること以上に、別の感情が湧いてきた。それをちゃんと自覚する前に、ジョージは何とかして自分の足で進み始める。それよりも速いロズレイドは、自らの速度を犠牲にしてまで引っ張ってきていた。

 巨大な腕が、降ってくる。

 事前に察知していたロズレイドは、振り向きざまに二種類の光弾を放った。エナジーボールとシャドーボールが炸裂し、相手を少し怯ませる。

 次の攻撃がやってくる前に、路地の隙間へと飛び込んでいた。

 

「はな、せ」

 

 ジョージは壁によりかかりながら、何とか前へと進む。嫌な汗が大量に出てきた。片手は完全に駄目になっている。骨がぐちゃぐちゃに折られて、血も止まっていなかった。

 ロズレイドは何度も飛び跳ねながら、ある方向を示している。そっちに他のポケモン達がいるのは彼も察せられた。

 

「わかってる」

 

 彼女は聞く耳を持たない。その瞳が潤んできている。

 それを紛らわすために、彼から質問をした。

 

「お前、はどうや。何ともないん、か」

 

 首を振りながら、少し雫をこぼしていた。

 その一生懸命な様子を見ながら、ジョージは理解し始めていた。

 今までの悩みが、全て解決した。

 結局苦手だったのは。嫌だったのは、この植物ではない。 

 その主人である、シロナだ。どこか胸がずっともやもやしていたのは、彼女のせいだった。

 強烈な、嫉妬。

 もちろん普通の植物も反応くらいは示す。水をやり過ぎれば体の色を変えて、異常を知らせる個体もいる。逆にあげないとその身を枯らせて恨みを伝えてくる。だがそれでも、限界はあった。成長が上手くいかない度、死なせてしまう度、ジョージはある種の空想をしていた。

 まさに。

 笑みがこぼれる。

 まさに、これは完成形だった。こちらの言葉を理解する。声を上げて不満を示してくる。表情をころころと変えて、悲しみも怒りも喜びもはっきりと伝えてくる。直接身振りを伴い、こちらに触れてくる。綺麗な両手の花を咲かせながら、今まで嗅いだどんな植物のそれよりも濃い香りを漂わせる。

 だからより、シロナへの嫉妬が募った。これに情を深く向けられている対象が変わってくれないかと、心の底で願うようになっていた。

 

「……最高やんけ」

 

 そう評した言葉は、肝心のロズレイドには届いていなかった。早足で先を進んでいる彼女は時折心配するように振り返ってくる。その揺れる白い房の頭を、何となく見つめた。

 

「お前、あれか? リボン、とか。抵抗ないんか?」

 

 彼女は首を傾げてから、ジョージの視線に照れたように目を伏せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ◆

 

 

 

 喜びは柄の間だった。

 トゲキッスはすぐに苦しんでいるガブリアスへと飛んでいく。そしてしずくをこぼしたが、何の変化もなかった。

 

「こっちもお願い!」

 

 メガネはただ、呆けていることしかできなかった。まさか、これほどの人数が同じような目に巻き込まれていたとは思っていもいなかったのだ。大阪と東京。二つの地域に住んでいる者達が、この道頓堀で戦争をしている。

 酷い怪我をしている者達は、トゲキッスのわざによって何とか一命をとりとめていた。

 問題なのは、ほとんど無傷の者達だ。

 彼らは一様に苦しんでいる。耳や口から血をこぼして、今にも死んでしまいそうだった。あの石から出ていた毒でそうなったのはわかっていたが。

 

「どうして、どうして…」

 

 トゲキッスが申し訳なさげに羽を畳む。

 シロナの膝の上には、岡という男の顔が乗せられていた。顔色が真っ青になっている。ほとんど呼吸をしていなかった。彼女の涙が頬にこぼれ落ちても、少しも反応を示さない。ガブリアスというポケモンや、大柄な男。そしてあの有名なレイカという女優も同じような状態だった。

 

「ど、どうすれば。何か、方法が」

 

 残る、一つのボールを握りしめる。自分の窮地を救ってくれた道具だ。触れていれば、きっとまた助けてくれると思い込んでいた。シロナに戻してと言われても、必死になって離さなかった。

 だが、何も思い浮かばない。このままでは、多くの味方が死んでいく。

 気がつくと、シロナが目の前に立っていた。

 彼女は目を赤くさせながら、メガネと視線を合わせてくる。

 

「賭けるしかない」

「え…?」

「この毒について知ってるのは、作った本人だけ。それに、治させる」

「で、でも」

 

 地面の上に置かれている、赤いボールを見る。今は静かだった。シロナによれば、再びそれを投げれば中身が出てくるらしい。

 

「そんなことしたら、僕達が、殺されますよ。相手がまともに話を聞くはずがない」

「もしかすれば、違うかもしれない。貴方は正規の方法でボールを投げた。相手はその中に入って、捕獲されるまで出ようとしなかった。わかる?」

「どういう、ことですか」

「契約のようなものが、成立したということ。貴方は、トレーナーになった。そしてそれは貴方のポケモンになった。貴方の指示になら、従うかもしれない」

「ですけど…」

「お願い。このままだと皆が危ない。やってみる価値はある。貴方が危なくなることはない。私が何とかして守るから」

 

 その言葉に、嘘はないように感じた。浮かんできたミカルゲが、シロナのそばで漂っている。その表情も、同じことを伝えてきていた。この場にいる全員が、メガネを見ている。何かが変わってくれるかもしれないと、期待している。

 記憶にある限り、彼の人生においてここまで何かを託されたことはなかった。思考が、狭まっていく。どうしたらいいのかわからない、ということはない。既にやるべきことは決まっていた。後は、受け入れるだけだ。もう散々、常識ではありえないことを見てきた。だから不信よりも、皆の命を助けるという使命感の方が勝っていると、自分では思っていた。

 

「やって、みます」

 

 ボールを拾い上げる。空のそれよりも、重いような気がした。実際は特に変わらないのだろう。それでも、投げるのには覚悟がいることだった。全員の緊張が高まっていく中、メガネは少し臆病な方法でやった。軽い下手投げ。

 その軌道が、やけにゆっくりと感じられた。本当はそれが地面に着く前に退散した方がいいのではないかと思っていたが、その思考の間に全てが終わっていた。

 よく考えれば、またあの石が出てくるのではないかと気づいた。トゲキッスの上に乗ってたどり着いた時には、そういう状態だったのだ。だからメガネは、それの元の姿について何の事前知識もなかった。

 だから、衝撃を受ける。

 女っ気のない彼だからこそ、目を背けるという意識すら湧いてこなかった。

 

「ん…」

 

 光の中から出現したのは、女だ。

 尻尾が九本生えている。

 前に見た、九十点台の星人だとわかっても、動けなかった。それほど、近くで見た時の美しさが際立っていたからだ。

 狐の女は閉じていた目を動かして、まるで最初からわかっていたかのように、メガネへと瞳を向けてくる。

 その瞬間、メガネはまた言葉を失っていた。

 おそらく、残忍で相いれるはずの無い存在。そのはずなのに、ただ見とれるとは違うような感じで惹き寄せられた。 

 その長く美しい睫毛を揺らしながら、女は泣いている。

 静かな涙だった。  

 



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22.メガネのガチパ

 自失している場合ではないと、思い直した。

 

「あ、あの」

 

 相手はまだ、頬を濡らしている。じっと、メガネのことを見つめてきていた。彼と同じくらい、呆けているようだった。

 何とか、声を絞り出す。

 

「お、お前がやったんや。皆を、治して…ください。毒を…」

「はあ……」

 

 狐女は、何度か瞬きをした。着物の袖を動かす。何か仕掛けてくるのではないかと身が引けたが、ただそこで涙をぬぐっただけだった。

 

「治せば、ええの?」

「そう、そうだ。そうです」

「わかった」

 

 ほら、やっぱり敵だろうと直後に言おうとした。だが、予想外の返事が返ってきて、メガネはまた頭が真っ白になる。彼女は、ちゃんと今の状況を把握しているのだろうか。自分が指示したことを、理解しているのだろうか。

 心配は杞憂に終わる。

 緩く手を上げると、口を動かす。途端、気体が大きく動き始めた。彼女から出てきた白い霧のようなものが、倒れている者達に絡みついていく。そしてその体内から、濁った塊を次々と引っ張り出していった。それらは全て空中で合わさり、彼女の尻尾の一つに吸い込まれていく。

 かすれた声を出しながら、岡が薄く目を開けた。

 シロナが涙を落としながら、すぐに顔を近づける。

 

「大丈夫? 私が誰か、わかる?」

「お前……、なんで、どういう」

「オカ?」

 

 彼は小さく口を動かした。表情を少しだけ変える。唇の端を持ち上げて、弱々しげではあるものの、不敵な笑みを浮かべる。

 

「なんで、泣いてるんや…。だっさいわ」

 

 シロナはその言葉を聞いて、怒りはしなかった。ただ安堵の表情を強めながら、ぽろぽろと雫をこぼしていった。

 

「ずっと、ずっと…」

「ああ…?」

「何回も夢を見た。貴方が、死ぬ夢。ただの夢じゃなかった。本当に起こるんじゃないかって、ずっと…」

「あい、かわらず、くだらないことで悩んでるんやな…。お前、らしい……」

 

 それ以上、岡は言葉を続けなかった。目をつぶり、力が抜けていく。上げかけていた手が落ちた。

 シロナが慌てて抱き上げるが、呼吸をしていることを確認できたらしい。すぐに優しく彼を寝かせていた。

 メガネは、その光景に少し感動を覚えていた。二人は、そういう関係なのだろうか。どちらにせよ、こうしてよかったと思えるような姿だった。

 他の者達の状態も確かめようとしたが、その前に何かが迫ってきた。

 顔を掴まれてから初めて、それが女の手だとわかる。ただメガネに到達する寸前、刃のように伸びていた爪が一気に引っ込んでいた。

 

「んぐぐ…」

 

 シロナ達も立ち上がる。異常に気がついた。

 メガネは、直感している。相手がその気になれば、すぐに自分の頭を潰せるのだ。いつでも、命を奪うことができる。ここへきて、醜い後悔がやってきた。自分なんかが誰かを助けようとするなど、おこがましかったのだ。

 

「ふぅん、なるほどなあ」

 

 狐の女は、彼の体を左右に軽く揺さぶっている。かなり楽しげだった。まるでこれから、宴が始まるとでも言いたげだ。

 

「やめなさい!」

 

 ミカルゲが、準備をする。シロナも一歩下がって、Xガンを構えた。再び始まろうとしている戦闘の気配で、場の空気が一気に張り詰めた。

 が、女の姿が変化し始めた所で、その雰囲気も崩れていく。赤い着物が変色し、きつく締まっていく。体のラインが、如実に表れ始めた。全身が黒くなっていく。髪もまた、同じ色に染まっていった。

 殺される、と半ば目をつぶっていたメガネは、直後顔が何かで包まれるのを感じていた。とても柔らかい感触だ。やや弾力もあるような気がする。

 

「こういうの、好きなんやろ?」

「え、え」

 

 自分を抱きしめているのは、明らかに知った顔だった。レイカだ。彼女とそっくりの何かが、メガネに微笑みかけていた。

 

「わかりやすい好みしとる。じゃ、移動するで。人目があるのは、いややろ?」

「ちょ、ちょお、なん、なんや。何してるんや」

「まずはお互いのことを知るのが大事なんよ。うちに全部任せてな?」

「はな、離れて! 当たって…」

「わ、ざ、とや。主様、可愛いなあ」

「うわあああ」

 

 どこかが壊れたような声を出しながら、メガネは腕を突き出した。本当ならそれくらいの抵抗などものともしないはずなのに、あっさりと女は解放した。

 

「うーん、やっぱり、これじゃ駄目なんか? もっと別の姿がええ?」

「そう、いうの。いいから。僕は別に、そういう…。と、とにかく。戻って。元に戻ってや」

 

 思いがけない言葉を聞いたとばかりに、女は瞳を大きくした。細長かった瞳孔が、やや人間のものへと変わっていく。

 

「本気で、言ってるん?」

「そ、そうやって」

「…元のうちが、好きなん?」

「え? えっと、まあ、そっちの方が…」

「フフ。しょうがないなあ」

 

 ゆるゆると表情を甘くし、女は元の着物姿へと変化していった。メガネはその間に腰を抜かしながらずりずり後ろへと下がっている。状況についていけていないのは、シロナ達も同じようだった。だが少なくとも、目の前の危険は無くなったらしい。

 狐の女は腰を低くすると、メガネの目線にしっかり合わせた。綺麗な腕を伸ばして、包囲網を作り出す。それはメガネを捕らえようと、今にも動き出そうとしていた。

 

「待ってや!」

「うん?」

「い、意味がわからん。お前は、敵やろ。何で急に、こんな」

「あんまり、変わっとらんよ。ほら、早く命令して?」

 

 その瞬間、女の目が光った。だが、何も起こらない。それは威嚇のようなものだった。シロナ達に対する敵意が、明確に表れている。

 

「主様の邪魔な存在は全部、うちが殺す。許可をくれれば、すぐにできる。さあ」

「や、やめろ。別に僕は、そんなことは望んでない」

「でも、うちが極楽へ運んでもいいんよ? 何もかもが、思いのまま。欲望の全てを叶えられる」

 

 メガネは息を一瞬詰まらせたが、すぐに首を振った。

 

「とにかく、この人達には、手を出すな。味方や」

「わかった」

 

 明らかに、おかしかった。相手の物わかりが良すぎる。ここにいる人たちの被害を見れば、嫌でもわかる。この星人は、残虐なのだ。人間達に容赦をしない。だというのに、今は飼い慣らされた犬のように指示を受け入れていた。

 メガネは呼吸を落ち着けてから、女を見据える。そうしようと思ったのに、数秒くらいで限界が来た。ほとんど露出の無い着物姿でさえ、直視し続けることができない。これは自分が女慣れしていないからだけではないはずだと確信していた。

 

「質問、してええか?」

「もちろん」

「お前、どうしてこんな、僕の言うことを聞くんや。さっきまでは違ってた」

 

 女は、何かを思い出すような表情をする。尻尾の先が、揺れていた。思わずその動きを目で追う。

 それに気をとられていて、いつの間にか相手の口が耳元にあるのを、遅れて気がついた。

 

「そうやってとぼけるところも、ええなあ」

 

 ふぅ、と吐息をかけられる。メガネは目が回りそうになった。実際に頭の中で何かがぐるぐると回っている感じがする。

 

「うちをさんざんに負かしておいて…、いけず」

「わか、わからん」

「初めての経験やったわあ」

 

 女はまた泣いている。今度は表情も一緒に動いていた。間違いなく、恍惚としている。そしてその濡れた視線が、相変わらずメガネへと固定されていた。

 

「最初はな、苦しかったんよ。うちも、最終手段使ったから。戻れなくて。でもな、そのうち色々な事が流れ込んできた。あんなのは…今まで見たことがない。表現できんけど、とにかくすごかった。それで我を忘れてるとな、背中から包まれ始めて、いくら抵抗しても無意味なほど強く、組み伏せられたんや」

 

 指先が、メガネの頬を撫でる。

 

「主様に」

「は、はあ?」

「うち、強いものが好きなんよ。美味しいってわかりきっとるし。でも、今まで味わってきたどんな高級なもんよりも、こう、胸に刻み込まされたわ。離れることなんて、できん。なあ……」

 

 網が、かかる。メガネは何もできなかった。彼女の両腕が回されて、抱き寄せられても身動き一つとれなかった。着物の上からでも、体が感じられる。特に包み込まれている腕が、熱を発していた。本当に目が回ってくる。

 

「主様が死ぬ時、ちゃんと言ってな? 頭からちゃんと、食べたる。フフフ、今から楽しみになってきたわ。どんな味がするんやろ」

 

 これは別に、助かっていないのでは?

 と、メガネは顔を真っ青にさせた。だが上手く抵抗できない。女から漂ってくる花のような香りのせいで、全身が弛緩していた。だが、一部は少し違うような気がする。

 何とか立ち上がり、微妙な顔をしているシロナを見る。彼女は何度か仕切り直すように頷いてから、周りに倒れている者達を示した。

 

「このまま、放ってはおけない。運ばないと。人手が足りない」

「あ、待て待て」

 

 ここで、ずっと黙っていた存在が声を上げた。若い男。メガネを捨ててバイクで逃げていった京だ。

 

「岡は、俺が運ぶ。ええな?」

「?」

「い、いいから。お前は別のやれや」

 

 シロナの胸のあたりを見てから、慌てて顔を逸らした。メガネとしては、複雑な心境を抱かざるを得ない。

 彼女は不思議そうにしてから、狐の女へと顔を向けてきた。

 

「…貴方も。協力して」

「いや」

 

 女は艶やかに笑った。

 

「なんで、価値もないヒトを助けないといかんの? それに、言葉には気をつけな。うちに命令できる権利があるとでも思ってるん?」

「あ、えっと、その。落ち着いて」

「はぁい。うちは落ち着いてますよー」

「ちょっと、離れてや」

 

 メガネの胸をつつく動作を、途中で止めた。

 それから面倒そうにシロナへと顔を動かす。

 

「うちよりも、力仕事に向いとるやつおるんとちゃうん?」

「どういうこと?」

「それ、投げたら?」

 

 女が指差したのは、メガネの腰に付いているボールだった。

 まじまじと、それを見つめながら手に取る。今まで、失念していた。一つの成功例が目の前にいるのだ。もう一体の方も同じようになるかもしれない。

 今度は、さほど躊躇わなかった。どれだけ信じていいのかはわからないが、狐の女が自分を守ると誓ってきていた。本当は別の目的があるのではないかと不安になったものの、もしかすれば戦力が増えるかもしれないという誘惑には抗えなかった。

 今度はもう少し大胆になった。普通に振りかぶって、投げる。少し勢いが強くなりすぎて、一度ボールは塀に当たった。そして跳ね返り、通りの真ん中に落ちる。

 さすがに、怯えはやってくる。前まで自分を殺そうとしていた存在なのだ。その巨体もまた、恐怖を増大させる一因になっていた。

 だが、天狗のような怪物もまた、涙を流している。強面でそうされると、妙な感じになった。よく見たら瞳は真ん丸で、愛嬌があると言えなくもない。翼を一度はためかせてから、膝をついた。

 それは、はっきりとメガネへの忠誠を示してきていた。

 

「お前もか」

「ぐる…」

「僕の言うこと、聞くんか」

 

 妙な気分だった。恐れもあるが、どこか興奮している自分もいる。特に人間など簡単に壊していそうな化物に膝をつかせていると思うと、それが自分の実力なのだと錯覚してしまいそうだった。実際にそう思いこまない所が、彼の小心さを表している。

 狐の女も同じく、礼をした。

 

「うちらは、主様のもの。最後の瞬間まで、その身を守護します。どうぞよしなに」

「きゅきゅっ!」

 

 ここで、ずっと出番を狙っていた存在がいた。

 意気揚々と、トゲキッスが彼らの前に躍り出る。何やら大きく胸を張っていた。翼もまた広げてみせながら、鼻息を荒くする。

 

「きゅい~」

 

 モンスターボールを示してから、さらにふんぞり返った。

 メガネでも、何となく意味はわかる。

 要は先輩だと言いたいのだ。確かにトゲキッスの方が、ボール住歴が長いと言える。彼はどこか、後輩を求めていたようだった。普段仲間達の間でどういう扱いを受けているのか、察せられる一幕である。

 だがさらに鳴く前に、その翼がむんずと掴まれた。天狗の怪物が、冷めたような表情でトゲキッスを後ろへと放り捨てる。怪我しないように配慮はされていたようだが、何の抵抗もできずに投げられていた。

 

「きゅむっ」

 

 そして彼が体勢を整える前に、不可視の力に捕まる。狐の女は薄く笑みを浮かべながら、手を動かした。トゲキッスが焦りながら、地面に押し付けられる。

 

「あ、ちょ。駄目や。トゲキッスは、僕の恩人…恩のある相手なんや。ええか?」

「ぐうう」

「はぁーい」

「特に、えっと、そこの天狗。まだ謝ってないやろ。トゲキッスの翼折ったことちゃんと謝らな」

 

 そこは素直に従ってくれるようだった。天狗は少ししゅんとしてから、いじけているトゲキッスに頭を下げた。それで少しは機嫌が直ったようだ。トゲキッスはいつものようにふわりと浮き上がった。ばしばしと天狗の背中に翼を当てている。

 ふと視線をずらすと、狐の女が頬を膨らませているのがわかった。可愛すぎると、メガネは少しの衝撃を受けつつ後ずさる。

 

「なん、なんや」

「別にぃ。ちょっと、不公平やと思ってな。なんで主様は、他人の子を名前呼びしてはるのに、うちらには何もなしなんかなと思って」

「お前達にも、名前あるんか」

「いや、それがないんよ。前の時は同種なんていなかったからなあ。うちはうち。この木偶は木偶。それだけで十分やった。でも、もう満足できん。主様、ええの頼むよ?」

「僕が、つけるんか」

「お願い」

 

 天狗の方も、何やら期待を込めて見つめてきていた。そこまで思われると、ぞんざいにはできなくなる。だが、自分のセンスに絶対に自信があるわけでもない。少し、時間がかかりそうだった。

 そして、咳払いが割り込んでくる。振り向くと、シロナ達が困った様子で立っていた。

 

「とりあえず、他の皆と合流しましょう。怪我人たちを運ばないと。まだ、敵は残っているから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オニテング。

 百鬼夜行星人。

 妖怪の大天狗がモチーフ。伝承通りじんつうりきを持ち、指定した座標を抉る攻撃ができる。だがそれよりも、直接肉体を使った戦いの方が得意。手に持つ黒い金棒は、あらゆるものを破壊する。

 

 キュウコン。

 百鬼夜行星人。

 妖怪の九尾狐がモチーフ。伝承においては絶世の美女に化け、権力者達に取り入って甚大な被害を及ぼしたという。彼女はオニテング以上に妖術に長けているが、同時にとても優秀な戦士でもある。その尾の一本から作られる御剣は、あらゆるものを両断する。

 

 自分では、大した思いつきではないと感じていた。ほぼほぼ見たままの特徴を名前に変換させただけだ。

 だが、彼女達はかなり喜んでいるようだった。それを見ていると、どこか罪悪感が湧いてくる。それに顔を背けて、シロナとのこそこそ話を再開させた。

 

「何を、するって?」

「だから、その。この戦いって、星人を絶滅させないと終わらないんですよね。なら、こいつらも殺さないといけないってことじゃないですか。相手にそれがばれる前に、早めに対応した方が…」

 

 シロナは予想に反して、眉をひそめていた。

 

「つまり?」

「ぼ、僕が命令をします。絶対聞かないと思いますけど、自分から、えっと、死ぬようにさせれば」

 

 とんとん、と肩を叩かれた。

 シロナは歩きながら、真剣なまなざしを向けてくる。

 

「聞いて。確かに、私も心のどこかでは賛成してる。合理的ではあるかもしれない。でも、貴方だけは、それを言ってはだめ」

「どういう…?」

 

 隣を漂っているミカルゲを、一瞥する。

 

「責任だから。一度ボールで捕まえて、言葉を交わしたのなら、絶対に貴方だけは彼らを信じなければならない。どんなことになろうと、味方でいないといけないの」

「でも、急にそんな」

 

 彼女は苦笑した。

 

「わかってる。これは、私の中のルールみたいなもの。でも、共存できるのならそれに越したことはない。貴方が鍵を握っている」

「うーん…」

 

 自分にそんな責任を負わされても困るという心情が、ほとんどを占めていた。横目で、歩いている両者を観察する。オニテングの方は、多くの怪我人を抱えていた。今の所、それに不満を感じている様子はない。キュウコンから少し離れた所で、東京チームの男二人が恐る恐る歩いている。

 サングラスと、若い男。彼らも少し怪我をしていたが、普通に歩ける程度には回復していた。彼らはキュウコンに被害を受けたようだ。彼女には恐れを、そしてメガネには大きな同情を向けてきていた。

 共存。

 自分の口の中で、言葉を転がしてみる。そんなことが、可能なのだろうか。もっとも、これからの戦いを生き残らなければ、今後のことを考える意味などないが。

 そんなメガネの複雑な心情を台無しにしているのが、京という存在だった。

 

「無理や」

「そんなに?」

「三百点なんて、ありえん。勝てない。挑んだら、死ぬ」

「でも、逃げられない。私達全員で、倒すしかない」

「だから、無謀やって。ちょっと、ええか。お前のペットで何とか、頭の爆弾処理できれば。一緒に逃げられる」

「それは…」

「俺は、死にたくないんや。…シロナにも、死んでほしくない。そういうことや」

「うん。それは、ありがとう」

「お前、ちゃんと意味わかってるか?」

 

 はたから見ても、京が彼女にそういう感情を抱いていることは明白だった。腕に触れて、胸へとの視線を隠そうともしない。シロナもわかっているのだろうが、どうすればいいか対応に迷っているらしい。

 メガネは一言言いたくなった。そもそも、こちらへの謝罪が一つもないというのはおかしい。だから、オニテングにでも頼んでシロナから京を引きはがしてもらおうとも考えた。

 だが橋の近くの通りに出た所で、異常を察知する。

 集団が、走ってきていた。黒スーツの集団だ。

 その姿を細かく認識する前に、もっと大きな影が視界に入った。

 

「なんだ、あれ」

 

 遠目で見ても、それが化物であることくらいはわかる。目を凝らすと、それは無数の女体でできているとわかった。高さが二階建ての家を優に超えている。かなりの速度で、黒スーツ達を追いかけてきていた。

 

「アンズ!」

 

 シロナが叫ぶ。

 メガネも見憶えのある黒髪の女性が、必死に走ってきている。その隣の者達も同じだった。中には、半裸の男性を抱えている人間もいる。髪をオールバックにした男だった。その周囲で、蛇のような生き物や、動物のような植物、そして青と緑のナメクジが慌てるようにしてついてきている。

 

「わ、わあああ!」

 

 京が後ずさる。そして、シロナの腕に強くしがみついてきた。

 

「絶対に、あれや。やばいいぃい。皆あれに食われて死ぬ…」

「そんなことには、ならない」

 

 シロナがXガンを構える。少し遠いが、早めに対象へと撃ち込んだ。

 だが、敵はそれに反応してみせた。

 その図体からは考えられないほど器用な動きをして、射線から逃れている。新体操のような体勢だ。

 

「もう、下がれない。逃げ続けてもだめ」

 

 振り向きざまに、蛇のような個体が口から氷の線を発した。ミロカロスというらしい。だが、その攻撃もまた相手が飛び上がったことにより外れる。確かに、恐ろしいほどの反応速度だ。正面からではまともにダメージが与えられない。

 なら、攻撃しなければいい。別の方法で倒しやすくする。

 メガネは、まだ冷静な方だった。最初の方はただただ状況に流されて、襲い来る敵に怯えることしかできなかったが、今は違った。

 

「あ、あれも、できるんじゃないんですか?」

 

 シロナが横目を向けてくる。

 

「このボールで、捕まえられるかも」

「かわされたら、意味がないわ」

「ぼ、僕が裏に回ります。他の皆がひきつけている間に、何とか」

 

 肩を掴まれて、勢いよく引っ張られた。

 目の前に、鬼気迫った美貌がある。

 

「何、考えてるん?」

 

 九つの尻尾。狐はコンと鳴く。だからキュウコンと名付けた女が、今までにない表情をしていた。それはメガネを諫めているようで、何かに恐怖している感情も含まれている。

 

「認められんよ」

「でも、そうだ。キュウコン達も手伝ってくれれば」

「無理や」

「どうして」

「元頭領様には、誰も勝てん。挑めば、うちらはみんな殺される。逃げるしかない」

「でも、範囲外に出たら、頭の爆弾が」

「うちが取り除いたる。脳に後遺症が残っても、大丈夫や。面倒みたる。ずっと一緒。だから、逃げるで」

「だ、だめや! そんなの、無理」

 

 メガネはキュウコンを押しのけた。彼女はそれに抵抗をしない。できない、と言った方が正しいようだ。

 オニテングの方も、首を振ってきていた。

 冷静でなくなっていく自分を感じる。たとえまだ完全に信用できないとしても、彼らの強さには頼っていた。なのに、逃げようとしている。まだ、どこかで躊躇いがあるせいなのではないかと思った。

 

「やっぱり…」

「?」

「わかった。頼るのはやめる。元は敵だったんや。期待する方が間違ってた」

 

 足が、少し震えている。確実にあの化け物は近づいてきている。

 メガネは、心配そうにやり取りを見守っていた白い鳥へと向き直った。

 

「トゲキッス。さっきと同じや。上から、落とす。いけるか?」

「きゅっ」

「よし。し、シロナさん達は、少しでも奴の注意を引いてください。すぐに終わらせます」

 

 キュウコンが一歩前に出て言葉を発しようとした。だがその前に、メガネはトゲキッスの背に乗る。一気に飛び上がった。

 自分の力で飛んでいるわけではないが、それは緊張を紛らわしてくれるほどの高揚感を与えてきた。体の全てが、空気にさらされている。飛行機に乗るのとはわけが違った。世界が、一気に広がっていく。

 相手は、気づいていないようだ。足元にいる者達へと注意が完全に向けられている。シロナ達が攻撃し始めたのも効いている。ほとんどが当たっていなかったが、回避に専念させている時点で、作戦通りだった。

 一人が、捕まった。ずっと誰かを庇っていたオールバックの男だ。凄いと思った。こんな時なのに、他人の命を守ろうと奔走できる。ああいう人間が、一番活躍するべきなのだろう。

 自分だって。メガネは、今までにないほど意思を燃え上がらせていた。何かの、誰かの役に立ちたいと思うことはある。自分にできることがあるのなら、やるべきだ。

 ここだ、と思うタイミングで投げた。投擲の勢いに加え、落下による加速で真っすぐ女体の化物へと向かって行く。

 腕が、動いていた。

 肝が冷える。

 どうやら、しっかりとメガネ達にも気が付いていたらしい。振ってきたボールをこともなげに手で弾く。

 失敗した、と思わず味方の方を見たが、シロナは力強く頷いていた。

 それでいい、と口だけで伝えてきている。

 次の瞬間、開いたボールの口から大量の光が飛び出してきた。それは化物を瞬時に覆っていき、そのサイズを縮小させていく。ものすごい勢いで、ボールの内部へと吸い込まれていった。

 改めて、凄い道具だと実感した。たとえ不意を突かなくても、相手の一部分に当てれば問答無用で捕獲する。反則級だった。だから、自分の命も救ってくれたのだ。

 妙な緊張と共に、メガネは降下した。トゲキッスの背中から飛び降りると、固唾を呑んでボールを観察する。

 二回。

 三回。

 逃げられる場合もあるのではないかと、覚悟していた。シロナの話によると、この道具を使っての捕獲には確率が絡んでいるらしい。だがどんな相手にしろ、ボールが三回揺れて、その動きが止まれば成功なのだ。

 既定の回数揺れた後の静寂は、永遠にも感じられた。腕の中に飲み込まれかけていたオールバックの男は何とか立ち上がろうとしている。そして杏に支えられて、転がるボールから離れていった。

 かちり。

 メガネは確かにその音を聞いた。

 だから、大きく息を吐き出す。

 

「よかった…」

 

 やったね、とトゲキッスが翼を擦りつけてくる。それに応えてから、静かになったボールへと歩いていった。中には止めようとしてくる者もいるが、もう安全だ。この段階になれば、後はメガネの指示に従うようになる。勝利したも同然だった。

 今度は、特に重さを感じなかった。いつも通りという感じがした。

 全員に向かって、ボールを掲げて見せる。とりあえずはもう少し様子を見てから、外に出してみるつもりだった。キュウコンと同じく、別の姿、もとい元の姿になって出てくるかもしれない。それに驚かないようにしようと心掛けた。

 

「あつっ」

 

 突然、手全体に熱が生じていた。

 メガネは思わず、ボールを落としてしまう。

 一瞬、わけがわからなかった。

 自分の左手が、丸ごと無くなっている。何かで焼き切られたようだった。

 血があふれ出していくのを見ながら、後ろへと倒れる。だが、予想していた固い地面の感触はやってこなかった。嗅いだことのある香りが、柔らかく受け止めてくる。

 

「主様!」

 

 キュウコンに抱え上げられながら、メガネは見ていた。

 ボールは、震えている。既に穴だらけだった。上半分の赤い塗装は溶け始めている。下半分の白い部分から、今まさに光が飛び出していた。光線が、その表面に穴を空けている。見る見るうちに、ボールが破壊されていく。

 わずかな煙を、上げ始めた。もはや球体としての形を失いつつあるそれは、ゆっくりと口を開かせていく。

 解放された光の中から、何かが出てきた。

 一体ではない。

 

「ふふふ」

「うむ…、むむむ……」

 

 一方は、見たことのある男だった。華奢な老人。忘れもしない。三百点を超える得点をたたき出した星人。

 彼は、少しだけ泣いていた。だが、次第にその表情が歪められつつある。邪悪な笑みに染まりかけていた。

 老人の頭に、女の手が突き入れられていた。そのせいで、彼はわずかに苦しんでいるらしい。何らかの操作がされているようだった。まるで老人を、まともな感覚に引き戻そうとしているかのような。

 そう、もう一体は女だ。裸の女。色気のある細目が、全員を見据えてきていた。老人と同じくらい細い腕をしているが、体の部分は違っている。

 お腹が、膨らんでいた。肥満ではない。手足は引き締まっている。

 妊娠しているのだ。わずかにお腹の先が震えていた。中にいる何かが待ちきれないとばかりに動いているようだった。

 メガネは大量の血を見たせいで、意識が朦朧としていた。

 その中においても、確かに見えた。

 シロナは、女の方に注目している。明らかに恐怖の視線を向けていた。

 まるで、逃れられない悪夢に出会ったかのように。

  



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23.散華

 仕組みを、理解した。

 成功はしていたのだろう。確かに、モンスタボールはぬらりひょんを捕らえた。

 だが、シロナにでも明らかだとわかるルールが、一つある。

 一つのボールには、一体しか入れられない。

 あの中には、二体いたのだ。だから片方が捕獲されても、もう片方が抵抗できる。内側から、ボールを破壊して脱出した。

 理解しても、受け入れるには時間がかかった。そんな現象など、未だかつて起きたことがないからだ。それはすなわち、相手が今までの敵とは一線を画しているということを示していた。

 

「興味深い。非常に」

 

 橋の柵部分に、老人が寄りかかった。腕を組みながら、シロナを見つめてきている。

 

「んん……、興味深いぞ」

 

 動いたのは、彼の方ではない。

 女だ。

 その姿が、消えた。

 反応することが、できない。

 異常な速度で接近してくるのはわかっていた。それなのに、足が動かない。その姿が散々見てきた悪夢の存在と一致していることだけが、頭の中を占めていた。

 杏が、悲鳴を上げかける。

 最後まで叫ぶことはできなかった。

 女の腕が、変形している。鋭い刃が飛び出している。その先が、杏の首を狙っていた。

 

「ふふ…、弱いのはいらない」

 

 風を、感じた。

 馴染みのある青い胴体が、飛び上がっている。

 杏を押し出しながら、女の顔を殴り飛ばした。

 

「ワウ!」

 

 一声吠えてから、ルカリオは追撃に向かう。その姿は少し変わっていた。布が巻かれている片目部分が痛々しい。少し血がにじんできている。彼はおそらく、相当厳しい戦いをしてきたのだろう。それでも動きは全く鈍っていない。むしろ加速している。

 女は下がりながら、考えるような表情をした。そして腹を押さえながら、橋の外へと飛び出していく。それが誘いだと理解しているらしいルカリオは、追いかけなかった。すぐにシロナ達の方へと下がってくる。

 女は橋の下へと着地し、さらに奥へと走っていった。まるで逃げているみたいだ。その姿が遠ざかるにつれて、シロナは冷静さを取り戻していった。

 

「ルカリオ…」

 

 立ち上がった杏に対して、ルカリオが手を伸ばしている。怪我はないか、と小さく鳴いた。

 

「ありがとうな。ごめん。ずっと…」

 

 肉球でそれ以上の言葉を遮り、鋭い目つきで老人を見やった。

 ぬらりひょんは、橋の真ん中まで歩いている。

 

「二体なんて聞いてないぞ」

 

 既にジョージは、まともに立つことができている。トゲキッスの応急処置で、出血だけは収まっていた。だが、潰れた片手はもう使えないだろう。スーツも限界が来ている。

 シロナは一度深呼吸してから、Xガンを握り直した。

 

「今のうちよ。早く、あれを倒さないと」

 

 敵の一番近くにいたメガネ。

 彼は、天狗よって抱えられ、運ばれている。そこへすぐにトゲキッスが飛んでいった。意識がほとんどない様だが、まだ命に別状はないようだ。

 

「何してるん?」

 

 氷のような声が、発せられた。

 先ほどまでかなり怯えていた様子の女。メガネがキュウコンと名付けた存在が、ぬらりひょんを強く睨みつけていた。

 

「うちの主様に、何してるん」

「おっ」

 

 呑気な声を出して、ぬらりひょんの頭が破裂した。

 シロナもまた、Xガンを相手に向けた。

 これで終わるとは思えない。なぜなら、体は一向に倒れていかないからだ。

 

「撃って!」

 

 加藤とジョージも、駆動音を鳴らす。

 その時には既に、ぬらりひょんは顔をほとんど再生させていた。だが次の行動をする前に、次々と体が欠損していく。Xガンの弾を何発もまともに受ければ、そうなるのは当然だった。肉片がいくつも散らばっていく。

 動機は、収まらなかった。シロナは自分のトリガーを引く指が震えるのを感じる。もう、相手は死んでもおかしくないほどの傷を受けている。一方的な状況だった。これで勝てるはずだった。

 

「うむ。いいぞ」

 

 信じられない速度で、ぬらりひょんは全身を完治させる。その再生の速度は、前に戦った多手の石像をはるかに凌駕していた。急所であるはずの頭を破壊したのに、倒れない。もしかすれば、別の部分に弱点があるのかもしれない。

 キュウコンが、そこで怯んでいた。攻撃の手を緩め、メガネの方へと下がっていく。本当にポケモンのようだと、シロナも思っていた。主人の命が最優先だと考えている。

 ぬらりひょんは軽やかに横へと飛んだ。直前までそれがいた場所に、金棒が振り下ろされる。

 オニテングが、大口を開けて威嚇した。

 

「興味深い」

 

 平坦な調子でつぶやきながら、オニテングの攻撃をかわしていく。

 二撃。

 三撃。

 

「いくぞ、ほれ」

 

 シロナには、ただ腕が伸びた所しか見えなかった。それだけの動作のはずなのに、ぬらりひょんの拳が容易にオニテングの胴体を貫いている。

 反撃に、金棒がその左半身を潰した。だが有効打にはならない。ぬらりひょんは体を回転させながら、巨体を蹴り飛ばした。その時には、破壊された半身が元に戻っている。

 オニテングは、自分から後ろへ飛んだようだった。それで多少の衝撃を殺しながら、メガネのそばへと寄る。その前で仁王立ちになった。口から血を漏らしながら。

 

「ほほほ」

 

 楽しげにそこへと向かおうとしたぬらりひょん。

 その体が、一瞬で穴だらけになった。

 シロナのXガンと、ルカリオのはどうだんが直撃している。

 ジョージが、橋の奥に転がっている武器へと走り出そうとしていた。

 

「Zガンで…」

 

 だが、止まらざるを得なくなる。

 

「なるほど」

 

 変わらずに立っているぬらりひょんは、今度はルカリオへと注目を向けていた。彼を見つめながら、ロズレイドのシャドーボールと、トリトドンのみずのはどうを避けている。

 そして、片手を前に出した。掌をシロナ達に向けている。その姿勢は、見覚えがあった。ルカリオのそれと、全く同じだ。

 その先から、肉が伸びていく。丸い塊になった。その後ろから管のようなものが伸びており、ぬらりひょんの手とつながっている。

 

「ほれほれ。こうか? ほれ」

 

 凄まじい速度で、撃ち出される。

 ルカリオは完璧に反応し、飛んできた肉の塊を蹴りつける。軌道は逸らされたが、それは妙な動きをした。

 狂いなく、ぬらりひょんの手元へと戻っていく。どうやら肉の弾を、管で引き戻しているようだ。その弾の形状から言っても、はどうだんを真似ているのは明らかだった。

 

「怪我人を! 遠くへ。お願い」

 

 シロナは、後ろの方で呆気に取られている男二人に頼んだ。桜井と坂田。彼らも無傷ではないが、何とかその指示に従って動かし始めた。

 第二射が、来る。

 

「ぽわわっ!」

 

 山田が狙われていた。それを庇うようにしてトリトドンが飛び上がる。肉が、その体に炸裂した。勢いがなくなったが、それでもトリトドンの体を大きく削り取っていく。

 痛々しい光景だったが、致命傷では全くなかった。すぐにトリトドンが再生されていく。しぶといのは、相手だけではない。こちらにも頼もしい戦力が揃っている。

 そのはずだ、とシロナは何とか鼓動を落ち着けようとしていた。恐れは、勝てる勝負も勝てなくさせる。冷静になるべきだった。

 三発目は、ミカルゲが止めていた。サイコキネシスで固定した所に、ルカリオがはどうだんを当てる。相手の弾は完膚なきまでに破壊された。

 ちらりと振り返り、運ばれていく者達を確認する。

 離れすぎても、だめだ。もしかすれば先ほど姿を消した女が、狙ってくるかもしれない。

 桜井の肩に乗せられている、岡を見る。

 絶対に、夢で見たような未来にはさせない。彼を死なせはしない。自分達で、倒すのだ。ポケモン達と協力して。

 橋の柵の上に、女が立っていた。

 目が、赤色に光っている。

 その姿の違和感に気付く前に、シロナは激痛を感じた。

 

「あっ、く」

 

 Xガンが、粉々になっていく。まき散らされた部品の一つ一つまでもが、潰されていった。

 それを握っていた手が、剥き出しになっていく。肉が裂かれ、骨が欠けていく。それは腕の根元まで侵食していった。

 肩へと到達する前に、ミカルゲが前に出ていった。おそらく、相手もまたサイコキネシスに似た何かを使ったのだ。それを何とか相殺し、ミカルゲは直後老人のぬらりひょんによって殴り飛ばされていた。

 シロナは何とか立ったままでいる。

 おびただしい量に血が流れ出しているのが、わかる。痛みが溢れすぎて、もはや何も感じなくなっていた。頭の奥で浮力が生じ、意識が遠のいていく。

 トゲキッスが、焦った声を出しながら飛んできた。既にしずくを投げている。それが当たっても、ほとんど痛みはましにならなかった。右腕を丸ごと破壊されたのだから、いのちのしずくの回復力では間に合わない。

 でも、何とか意識を引き戻すことができた。

 

「キッスちゃん!」

 

 中山が、悲鳴を上げる。

 トゲキッスの胸が、女の刃によって貫かれていた。引き抜かれて、遠くへと放り捨てられる。

 中山はそれを追いかけようとして、転んだ。

 正確には、上半身だけが前に転がっていた。

 彼女を両断した女は、その視線を別へと向ける。

 加藤が、何かを察知したように叫んだ。

 

「伏せろ!」

 

 腕の刃が、一瞬で伸びていく。 

 警告に反応できた者は、どれくらいただろう。すでにありえないはずの事態が連続していた。その衝撃を受け入れて、迫る危険に対処できるような者が、どれだけいるだろう。

 シロナは、何もできなかった。

 先ほどの自分の決意が、ばらばらに崩れていくのを見ていた。

 

「トドン……ちゃ…」

 

 幸運なのかどうかは、わからない。

 シロナは無事なままだった。

 トリトドンが、彼女にしては驚くべき速さの反応で、飛んでいる。彼女はポケモンの中でも素早い方ではない。俊敏に動けるというわけではないのだ。それでも、何とかして間に合っていた。山田の前に、体を移動させていた。

 

「弱い弱い…」

 

 女が嘲笑を漏らしていた。

 その腕の刃が、トリトドンを貫通している。

 後ろにいた山田の胸も、貫いていた。間に合ったが、結局意味はなかった。スーツの防護をものともせずに、刃を回転させる。山田の胸の穴が広がっていき、中身をあふれさせた。

 女ぬらりひょんは、一度後退した。それは、何かを警戒してのことではない。間を、空けるためだった。獲物に、実感させるため。これから全てが終わるのだと、噛みしめさせるための時間を作った。

 その目が、シロナへと固定される。

 

「ワウっ!」

 

 どう考えても、相手の動きは速くなっていた。もはやシロナでは、何が起こったのかすらもわからない。それなりの距離があったはずなのに、女は容易に接近してきていた。

 ディアルガ。パルキア。

 届くはずもない、言葉を浮かべる。

 シロナは、徐々に理解し始めていた。彼らがずっと、予知夢を見させていた理由。その意味。岡が死ぬ未来をしつこく印象付けてきたのは、そういうことだったのだ。

 どちらかだった。シロナと岡のどちらか。

 女は、ルカリオの顔を蹴り飛ばす。そして、斬り取った彼の左腕を食べていた。一瞬で、喉へと放り込まれていく。

 どちらかは、必ず死ぬ。避けられることのない未来。どちらがいいのか。どちらの方が、より確実に、勝利の可能性を掴めるのか。

 そんなものは、決まっている。シロナ自身には、戦いの才能がない。反対に岡は自分の力も使って、ずっと生き残ってきた。

 だがシロナは、そんなものを認めてはいなかった。誰かの思惑に乗せられるのは、うんざりだった。だから、素早く腰から刀を引き抜く。ボタンを押し、刃を展開させる。

 倒す。

 何が何でも倒す。

 そうして震えながら女を睨みつけた。

 おかしい点があることに、ようやく気がつく。

 女の腹が、引っ込んでいる。 

 引き締まった腹筋が浮き出ていた。先ほどまで大きく膨らんでいたはずなのに、もう見る影もない。

 出産を、終えている。それをするために一度離脱したのだ。

 直後、シロナは脱力していく自分を感じていた。

 

「ひょひょひょ」

 

 耳元で、笑いが聞こえる。

 背後に忍び寄っていた男。目元に浅い皺が刻まれている。中年の男のような顔をしていた。指を伸ばし、シロナの首元にあるメーターへと突き入れていた。

 三体目の、ぬらりひょん。

 体が、一気に重くなる。

 そしていつの間にか自分の胴体を拳が突き抜けているのが分かった。

 女の顔が目の前にある。細目が残虐に光っている。

 ポケモン達が、ふと浮かんだ。

 トリトドン。ロズレイド。ミロカロス。トゲキッス。ミカルゲ。ルカリオ。ガブリアス。

 最後に癖毛頭の男が視界に広がった。

 ごめんなさい、とシロナは心の中で謝った。

 頑張って。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ◆

 

 

「いやあああぁぁあああああ!!」

 

 甲高い叫びが上がった。

 杏が悲鳴を上げている。目の前で起きたことが信じられないとでも言いたげに、首を何度も振る。

 

「いやや! ねえさん、いや…。うそやああああ!」

 

 途中でその言葉は途切れていた。男に、彼女は抱え上げられる。

 オールバックの男は、全力で杏を投げ飛ばしていた。彼女は抵抗もできずに放物線を描いて、橋の下へと落ちていく。水に飛び込んだような音が、痛いほどの静寂の中で響いた。

 そして男も、すぐに端から下りていった。少しでも多くの命を救うための、行動だとも言えた。時には、逃げることも必要なのだ。たとえそれがほんのわずかな延命にしかならないとしても。結局は、最後に一人になるまで戦い続けなければならないとしても。

 

「……あ?」

 

 ずっと、怯えきっていた者がいた。相手の強さを事前に知っていたが故に、戦えば必ず負けると思い込んでいた男。

 だが杏の叫びを聞いて、京はゆっくりと顔を上げた。

 そして見た。

 何とかして、立ち上がる。

 その歩みはガンツから支給されたバイクに向かっている。

 

「おい…ふざけんなや……」

 

 もうその顔には、恐怖などなかった。それ以上の強烈な感情が、彼の顔を歪ませている。

 

「どうしろって…、この先、どうしろっていうんや。あいつなしで、俺はどう生きろっっていうんや! ふざけんなあああああああああああ!!」

「おんみょおおおおおおおおおおおおおん!!」

 

 バイクにエンジンがかかる。

 加速はあっという間だった。

 運転席から体を半分ほど出しながら、京はXガンを連射していた。

 

「む?」

 

 老人のぬらりひょんの体が、持ち上げられる。

 そして、四肢が一瞬で潰された。

 ミカルゲはさらに追い打ちをかけようとする。それに合わせて、京もバイクを走らせていた。

 女の細目が、光る。

 京は察知して、バイクから飛び出した。

 直後、車体が破壊されていく。もしそのまま運転席にいれば、同じ目に遭っていただろう。

 だが結局、大した意味はなかった。

 飛び上がりながら、両手のXガンを撃ち込んでいく。京は口の端から涎をこぼしながら、瞬きもせずに叫んでいた。標的達に憎悪を向けていた。

 

「死ね、しねええええええ!」

 

 二筋の光線が、走る。

 老人と女の目から発せられたそれが、京の首を破壊していた。まだ憤怒の残滓を残しながら、彼の顔は真っ白になっていく。地面に着いた時には、目を開いたまま動かなくなっていた。

 中年のぬらりひょんと、女が手を動かす。

 

「おぉおおぉお…」

 

 ひびが入っている。

 かなめいしが、割られ始めていた。ミカルゲはこれまでにないほど苦しむ。それでも、仕掛けてきている相手の腕を捻じ切るくらいの抵抗はしていた。

 一瞬で再生される。

 決壊がやってきた。その瞬間、ミカルゲは四散した。紫色の体が飛び散っていき、やがて薄くなる。最後にわずかな呻きを残してから、空気に溶けていった。

 ぱらぱらと、かなめいしの残骸が橋の上に降り注ぐ。

 

「ふむ、ふむふむ」

「ぽ……ぎゅ…」

 

 中年のぬらりひょんは、自分の片手を分解していた。そしてそれを、後ろから襲おうとしたトリトドンに突っ込んでいる。

 彼女は苦しんでいた。時々、その体に大穴が空く、再生されるのだが、徐々にその速度が遅くなっていった。トリトドンは苦し紛れに、水を吐く。それを楽しそうにぬらりひょんは飲んでいた。

 トリトドンは、内側から食い尽くされる。ぬらりひょんの手が、無数の小さな個体に代わっていた。それらが喜々として、彼女を貪っていた。完了されるまで待ってから、本体の方へと合流していく。

 

「こうか? れいとうびーむ」

 

 まだ、女の体から出てきたばかりのもの。多少濡れている指先から、高速の線が放たれた。

 それは真っすぐミロカロスへと直撃する。

 彼女は事前に、反射の板を貼っていた。だが、貫通されていた。

 ベージュの胴体が、凍っていく。ミロカロスの視線は、遠くに寝かせられている桑原へと最後向けられた。だがその美しい瞳も、氷漬けになっていく。

 

「ほれほれ」

 

 その氷の塊を、老人のぬらりひょんが砕いた。己の拳を肥大させて、叩き潰していた。飛んでいく欠片が、夕日を浴びて輝いている。地面に落ちて、さらに砕け散った。

 光景を、ジョージは眺めていた。

 戦いの終わりが近づいているのだと、曖昧な思考で考えていた。

 

「まだ、生きとる、か?」

 

 ロズレイドはわずかに鳴いていた。かろうじて、顔をこちらに向けてくる。体を這いずらせながら、寄ってくる。

 その強まる香りをかいでいると、少しは痛みが紛れるような気がしていた。

 血を吐き出しながら、ジョージは視線を彼女と合わせる。

 

「たの、む。頼む…」

 

 ロズレイドの目から、涙がこぼれている。

 

「おれ、おれを、早く。むりや、苦しいんや…。耐えられん」

 

 既にジョージの半身が、分裂したぬらりひょんによって食べられていた。だが流れ出す血を巧妙に止めている。自身の細胞を埋め込んで、再生させている。より痛みが長く続くよう考え尽くされた、残酷な行為だった。

 

「ぜん、ぶ。すいとってくれ。お前だけは、いきてくれ…」

 

 相手は首を振る。体液がさらにこぼれ出していく。

 

「おねがいや、俺を、死なせてくれ」

 

 ロズレイドは目をつぶりながら、両手の花を近づけてきた。その先が震えている。ジョージにも、確かに伝わってくる。

 何とかして、手をその白い頭に乗せた。

 少し、撫でる。

 吸収が始まった。明らかにロズレイドの状態は良くなってきている。だが、彼女の顔は酷いものだった。涙でぐちゃぐちゃになっていた。

 

「ああ、くそ。やっぱり……」

 

 これまでにないほど、ロズレイドの香りは強くなってきていた。彼女は花を動かしている。その中にある棘を、優しくジョージの頬に刺していた。

 どんな花よりも、甘い。だがそれでいて嫌になるしつこさはない。癖になる芳香だった。いつまでもかいでみたいと思わせるものだった。

 徐々に、視界が暗くなっていく。完全に暗闇へと落ちるまで、ジョージは相手の瞳を見つめていた。花と同じくらい、気に入っている輝きを心に刻み込ませていた。

 

「お前が、いちばん、きれいや」

 

 

 

 

 

 

 

 

  ◆

 

 

 ロズレイドは、鼻をすすった。

 そして、よりかかる。その黒い肌、つるつるとした頭を抱きしめる。

 甘えるように鳴いて、顔をジョージの頭に擦りつけた。

 それから、立ち上がる。

 隣に、仲間が並んでいた。

 ルカリオは、少しの間だけ見下ろしてくる。片腕になった彼は、筋肉を動かして無理やり出血を止めていた。その目が、青く光っている。はどうをこれまでにないほど強く、全身で感じている。

 ロズレイドはその肩に飛び乗って、ほどなく降りた。

 それだけで十分だった。自分達は戦うのだと、お互いに確認をし合った。

 最後まで、戦うのだと。

 

「ほほほほ」

「ふふふ」

「ひょひょっ」

 

 三体の化物が、二匹に笑いかけている。

 ロズレイドとルカリオは、真っすぐ向かっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ◆

 

 

 ナイフを、胸から引き抜いた。

 

「どうして、ハチロ―は私を殺したの?」

 

 少し、考える。

 それから言葉を出した。

 苦しげな笑みを向けてくる。

 

「でも、それも私だったよ。本物だった」

 

 お前が、本物や。

 

「なんで、私を殺したの?」

 

 お前を、殺そうとしたからや。

 

「じゃあ、質問するね」

 

 もう散々、したやろ。

 相手は一本のナイフを、自身の首に当てる。

 

「私は、本物でしょうか?」

 

 俺と一緒に、あれを経験した記憶がある。当然や。

 相手は微笑んでから、刃を引いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「止めてる」

 

 かなり悪い寝床だと言えた。

 そもそも浮いている。持ち上げられている。

 目を開けると、少し離れた所に地面があった。

 横を見る。

 若い男が、自分を運んでいるようだ。

 

「俺が! 今!! 止めてる! 早く向こうに逃げろォっ!」

 

 一気に体が揺らされた。

 岡は、確かに見る。

 サングラスをかけた男が、裸の女に対していた。顔中から、血を垂れ流している。何をしているのかはわからないが、目の前の脅威を確実に足止めしているのは明らかだった。

 

「いやだあっ! 師匠もっ! いやだああああ!」

 

 限界が来たのだろう。

 サングラスは既に持ち上げられていた。女の笑い声が聞こえる。

 そして、頭を潰されていく。泣いている若い男もそれを見て、悲痛の叫びを上げていた。

 両手を動かして、若い男を突き放す。

 いい加減、自分の足で歩きたかった。今までずっと、そうしてきたように。

 

「うっ、う……。…して、やる。ころしてやる。お前ら全員、殺してやる…」

 

 若い男は、泣きながら何かを弾けさせた。

 周囲の空間が、歪んでいる。球体上の光が一瞬広がったかと思えば、すぐに消えていた。

 それを見て、星人らしき相手がはやし立てている。また、面白い奴がやってきたとばかりに喜んでいる。 

 三体が、揃っていた。

 味方の多くが死んでいる。

 まだ残っているのは、ルカリオとロスレイドだ。彼らは岡の姿を確認すると、すぐにそばまで下がってくる。

 これまでは。

 岡は自分がわからなくなった。

 これまでは、迷いもなく撤退を選んだ場面だ。どうやら、百点は他にもいたらしい。しかも、複数。明らかにリスクが大きすぎる戦いだった。点数を多く取るのは大事だが、自分の命はもっと大事だ。時間切れになるまで、隠れる選択肢もありだった。

 

「バアアアアア!」

 

 だが気が付けば岡は、ガンツソードを展開させていた。同じく目を覚ましたガブリアスと共に、大声を上げていた。

 

「ふふ、ふふふ…」

 

 細目の女が、何かを持ち上げている。

 中程度の長さの金髪が、その指に絡みついている。

 シロナは、ほとんど目をつぶっていた。恐怖や苦痛で、顔を歪ませてはいない。上半身だけになった彼女は、もうほとんど血を落としていなかった。背骨の白さが、浮き上がっていた。

 

「そいつは…、俺のもんや。俺の特典や。くたばれ…」

 

 自らを鼓舞させるような気合を上げながら、大柄な男が横に並んだ。

 

「タケシ…すぐに、今すぐ……」

 

 若い男が、電光のようなものを弾けさせる。

 ルカリオが、深く息を吸い込む。

 ロズレイドが複数の光弾を周囲に展開させる。

 ガブリアスが少しだけ浮いた。矢のような鋭い前傾姿勢を取る。

 それらに対して、ぬらりひょん達は楽しげに待ち構えていた。 

 



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24.究極生命体

 今までは、求めていたはずだった。

 強さを追及する。

 どんな猛者に対しても、臆さずに挑んできたつもりだ。

 だが風は、今だけは違うと思っていた。

 確信は持てない。だが、足の力が入らないのは確かだった。目の前の老人は、変わらず待っている。あちら側からは、決して仕掛けようとはしてこない。

 ほとんど、感じたことのない感情だった。地方で彼に敵う者はいなくなり、東京へと出てきた。それでも、彼の記憶に留まったのは一見少しも強くなさそうな玄野という高校生だけだ。

 他の者も、戦っている。敵はこの一体だけではないのだ。自分が、これを倒さなければならない。そうしなければ、他への負担が大きくなる。

 そして、大事な少年のためにも。タケシのためにも、彼はあえて笑った。お前など取るに足らないと、相手に向かって威嚇をした。

 老人は、ゆっくりと首を傾げる。

 

「ほっ。怖いのか」

 

 間髪入れずに、拳を放っていた。

 手応えは確かにある。相手の頬に直撃した。

 それで安心することはない。己の中にある技の流れを再確認しながら、風は連打した。叫びながら、殴り続けた。

 

「ほほっ」

 

 動きは速くない。相手の蹴りをのけぞってかわす。

 右の拳は、掌で受け止められた。

 怯むことはない。続けて、中段の蹴りを炸裂させた。

 相手は抵抗することなく吹き飛んでいく。素の力でも人体を容易に破壊する風の攻撃は、スーツによってさらに強化されていた。耐えられる道理は、ないはずだった。

 ぬらりひょんは、すっと立ち上がる。

 だが、よろけている。

 ぼろぼろになった両手を、お腹に突き刺した。

 

「ほほほほほほほほ」

 

 哄笑を上げながら、自らの内臓を引きずり出していく。同時に、風の与えた傷が一瞬で治っていく。

 もう一度タケシの顔を思い浮かべてから、風は走り出した。

 

 

 

 

 

 

  ◆

 

 

 ルカリオはわかっていた。

 憎しみだけではない。自分には、義務があると考えていた。

 

「ふふ、ふふふふ」

 

 自分だけが、この相手に対応できる。その速度に追いつくことができる。他へと被害が及ばないよう、何としてでも抑え込まなければならなかった。

 体調は、万全といえない。片目と片腕を失くしている今、限界がやってくるのはそう遠くないだろう。それでも、ルカリオは戦い続けると誓った。シロナと共にチャンピオンになってからも。彼女がそうでなくなってからも。この世界に、来てからも。

 特性、ふくつのこころ。

 傷つけば傷つくほど、怯めば怯むほど、すばやさが上がる。ルカリオには、恐れというものが存在しなかった。

 加速していく。

 残像しか見えていなかった相手の動きを、補足していく。

 肉球を、相手の顔に当てた。

 衝撃を加える。

 女ぬらりひょんは、停止した。血を吐いている。

 だが、そこへと追撃は加えない。

 ルカリオは即座に後退した。

 それでも、顔の一部に傷がつく。

 女は、腕を変形させた刃を構えていた。その鋭さは、どんな防護も斬り裂いていくだろう。だから、受ける選択肢は存在しない。全てかわし、反撃を確実に入れる。そうするしかなかった。

 少しの攻撃では、相手を倒すことはできない。トリトドンよりもはるかに再生能力が優れている。決定的な隙をついて、強力な一撃を叩きこむしかない。

 だが、ルカリオは理解していた。

 それは、自分の役割ではない。

 女の頭が、はじけ飛ぶ。

 ルカリオは、ガブリアスの目を見ていた。 

 ギガインパクトを炸裂させても、相手は倒れない。

 だが、妙だった。

 今までの再生とは、違う。明らかに遅くなっていた。目に見えるほど変わっている。

 つまり、これが突破口なのだ。

 片腕で構えを作りながら、ルカリオはさらに深く集中していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

  ◆

 

 

「ひょひょひょ」

 

 相手は、刀の上に乗っている。

 渾身の突きだった。連撃によって逃げ場を失くしていき、最後に決定的な一撃を叩きこんだはずだった。

 後退した岡は、把握する。

 相手は、これまで戦ってきたどんな星人をも凌駕する。この相手だけ見てもそうだ。そんな敵が、三体いる。全て倒さなければ永遠に終わらない。

 中年のぬらりひょんは、空中で静止した。

 

「固定しました!」

 

 桜井という名の若い男は、明らかに今までと様子が変わっていた。その力の強さも。

 すでに敵は、頭を潰され始めている。不可視の力で、圧縮されていた。

 岡はその隙を逃さずに、体を斬り刻んだ。

 斬ったそばから、治っていく。切断された肉同士が結合していく。

 完全に治った指が、岡へと向けられた。

 氷の塊が出来上がっていく。

 発射。

 だが、その直前で、指は破壊された。

 

「ぬっ」

 

 ロズレイドはさらに口から紫色の塊を吐き出した。

 それらは全てぬらりひょんの側で爆発する。

 そこで初めて、体がよろめいた。見た目通り、それは毒らしい。ぬらりひょんは苦しんでいる。

 

「弾けろ」

 

 桜井が目から血を流しながら、握り込むような動作をする。

 そして再びぬらりひょんの脳が破壊されていった。

 岡は心の中で舌打ちをする。

 このままでは勝てない。こちら側の体力が全て削られるまで、粘られる。

 どこかに、弱点があるはずだった。今までも、再生を得意とする星人と何度か戦ったことがある。その力をつかさどる部分を破壊すれば、処理するのは簡単になった。

 だが、この相手からは何も伝わってこない。多少は動きの癖があるはずなのだ。無意識のうちに弱点を庇う。ぬらりひょんに対しては、その考えが通用しなかった。まるで自分が不死身であるかのように、攻撃を受けることに躊躇がない。

 その相手に集中していて、反応できなかった。

 岡は巨大な拳によって殴り飛ばされる。

 幸いスーツが衝撃をほとんど吸収してくれたが、それでも橋の下へと落ちないようにするのが精いっぱいだった。

 老人のぬらりひょんが、風を押しのけながら笑っている。

 体勢を崩した風に向かって、細目の女が刃を伸ばした。

 何とかぎりぎりで、ガブリアスがそれを蹴り飛ばす。

 協力されるのは、かなり厄介だった。分断も一つの手だろう。

 だが、岡には別の考えがあった。

 高速で動いているガブリアスと、一瞬視線が合う。

 彼女も、わかっているようだった。

 

 

 

 

 

 

 

  ◆

 

 

 メガネは、みっともなく泣いていた。

 惨劇が起きた現場では、今もなお戦いが続いている。恐ろしくて、まともに見ることができなかった。どちらが優勢なのか、確かめるのが怖い。

 

「シロナさん、うう……、ごめんなさい、シロナさん…」

 

 彼は自分を責め続けていた。他にも、方法があったのではないか。もっとちゃんと様子を見てから、ボールを使えばよかった。安易に頼ったせいで、皆が殺されたのだ。

 

「もう一度、お願いするわ」

 

 キュウコンは表面上は冷静さを保っているようだった。だが、本当は違うのだろう。橋の上で戦っているぬらりひょんを時折怯えるように見えていた。

 

「許可を。主様の頭をいじらせて。がんつの爆弾を取り除けば、逃げられる。一緒に逃げるんよ。うちな、普段は人間に化けて暮らしてる。だから、大丈夫」

「そんな、そんなの…」

「それが最善や。今戦ってる人たちのことなんて、どうでもええ。主様が生きてくれればええんや」

「お前、お前が」

 

 メガネは、濡れた瞳で相手を睨みつけた。

 

「お前達が、協力してれば。死ななかったんや! なんで、僕なんかを。僕なんか、守らなければ、皆は…」

「そんなの、知らん」

 

 オ二テングが、呻く。腹から流れ出ている血は、止まっていなかった。それでもメガネの周りで待機していた。

 

「うちらは、主様の命を守るためにいる。他のことなんて、知らん」

 

 一見、本気で言っているようだった。キュウコンは美しい瞳を真摯に光らせて、メガネを見下ろしてきている。

 だが、ありえないと考えていた。少し前まで、彼らは自分達を殺そうとしていた。残虐なままなのは確かなのだ。だから、これは洗脳同然だ。二体は、ボールの力によって錯覚させられているに過ぎない。自分への忠誠は、嘘だ。

 さらに頭が痛くなったメガネは、もっと大きく叫んだ。

 

「じゃあ、命令や! 協力してくれ。皆を、助けてや。一緒に倒すんや!」

 

 最初に、オニテングが咆哮を上げた。そして、橋の上へと上がっていく。かなりの深手を負っているのに、その動きはまだ早かった。 

 ずきずきと、胸が痛む。まるで、道具だ。命令を全うするため、自らの命を削る。それをさせた本人であるメガネは、その姿を直視できなかった。

 キュウコンは、さらに身を寄せてくる。今だけは、その美貌にも惑わされなかった。彼女は、静かな表情でメガネを眺めている。

 

「うちは、動かんよ。主様のそばにいる」

 

 それが作られた感情なのだと、言いかけた。

 だが、それよりも戦況の方へと意識が向く。

 風という、大柄な男へと迫る拳。

 それを、オニテングが叩き潰していた。

 状況は、変わっていく。

 メガネは自分が情けなくなった。今戦っている味方は、凄い。想像もできない働きをしている。絶望的な相手に対して少しも臆さずに、攻撃を加えていっている。恐ろしくても、自然と目が引きつけられていた。

 

「不意をうて!」

 

 こういう戦いをずっとしてきたのだろう。岡という男には、迷いがなかった。何かがわかったのか、大声で全員に知らせている。

 

「こいつらの、意識外を狙え。再生が遅い! 叩き込める!」

 

 だが、一体の背後をついても変わらないようだった。

 外で見ているメガネだからこそ、より強く実感できることがある。

 ぬらりひょん達の連携は、完璧だ。どれか一つの不意を狙っても、必ず対応される。まるで、一心同体のようだった。視覚が共有されている。それは明らかだった。

 つまり。

 暗澹たる気持ちになる。

 三体の死角から、全員を一気に潰せるような攻撃が必要だということだ。無謀にもほどがあった。そんなのは、ありえない。存在するわけがない。

 あるいは、それぞれを分断させる手もあった。だが、相手が簡単にそうさせてくれはしないだろう。そして同時に、こちら側も分かれなければならない。他の助けが少なくなれば、各個で殺されてしまう可能性もある。

 だが、彼らは別の策を考えたようだった。

 

「今だ、潰せ!」

 

 桜井が、血を吐き出しながら叫ぶ。

 中年のぬらりひょんの目玉が、はじけ飛んだ。

 同時に、ガブリアスのかわらわりが女の顔へと食い込んでいく。

 そして最後に、オニテングの拳が老人の頭を潰した。

 彼らはとにかく、視覚だけを狙ったようだった。それで、相手の意識を狭める。再生はされるだろうが、少しの間を作っただけでも十分と考えているらしい。

 彼らは、一度に離脱した。

 岡がカブリアスに拾われて、橋の外へと飛び出す。

 ルカリオがとてつもない速度で走っていく。

 風と桜井が、水の中へと飛び込んだ。

 メガネは、ようやく気付く。

 もっとも、悟られないであろう方向はどこか。

 上だ。

 空に、いくつもの岩石が浮かんでいた。その中にはとてつもないエネルギーが内包されているように見える。その全てが、ぬらりひょん達へと向けられていた。

 敵もまた、何かしらの危険を察知したようだ。

 老人が離れようとして、大きな手に捕まった。

 逃れようと、光線を放つ。

 

「あ…」

 

 オニテングは、顔の半分を削られても離さなかった。低く唸りながら、かつての主を握りしめている。他の部分も酷いものだった。肉が裂け、骨が露出している部分もある。

 一瞬、やめてと言いそうになった。そんなことをする必要はなかった。オニテングは、本来ならば敵だったのだ。だから、そこまでする義理はないはずだった。

 だが、やめない。それは心から望んでいることのように、一体のぬらりひょんを押さえつけていた。今度は、メガネも何とか直視できていた。自分が命令した結果を、見届けていた。

 そこへと、二体が迫る。

 だが、中年と女のぬらりひょんは、巻き付いてきた何かによって止められた。

 ロズレイドは決然とした表情で、毒の鞭を彼らに刺し込んでいく。

 それから、離れた所にいるガブリアスを見やった。

 躊躇いもなく、頷く。

 

「…りゅうせいぐん」

 

 岡が言った直後、ガブリアスが咆哮を上げる。

 ぬらりひょん達は逃げることもできずに、暴力の雨へと晒された。

 メガネもまた、その揺れでうずくまることしかできなくなる。自分を、キュウコンが庇ってくれているのわかった。複雑な感情も忘れて、その着物に縋り付く。これで終わってくれと、涙を流しながら願った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ◆

 

 

 これほど、自分が無力だと思い知らされたことはない。

 加藤はただ、その光景を眺めていることしかできなかった。かつて、親友によって自分は生き返った。その思いに応えるためにも、戦う必要があると考えていた。

 だが、結局はこの体たらくだ。今までも、強い星人はいた。ぎりぎりの戦いがほとんどだった。それでも、今回の難易度はありえない。あまりにも、強すぎる。

 多くが死んでいくのを、見ていた。かろうじて杏を逃がすことができたが、それ以外は助けられなかった。そのあと始まった戦いにも入ることはできず。ただ杏と一緒に離れた所で息を潜めていた。

 

「うそ…いける? 倒せる……」

 

 やっと、体が動いてくれた。Xガンを握りながら、前へと走る。

 

「探せ! 少しの欠片も残すな!」

 

 橋は、ほとんどが崩壊している。凄まじい破壊の後だった。これに晒されれば、どんな生物も生き残れない。

 事実、直前までぬらりひょん達を押さえつけていた二体も、まともな形を保っていなかった。彼らは、自分から選んだのだ。犠牲になることを。

 飛び散った肉体に、次々と撃ち込まれていく。

 その場にいる全員が、息を荒くしながら確認をしていた。敵が全てがやられたかどうか、少しの違和感も見逃さないようにする。

 加藤も、目についた欠片は全て破壊した。油断してはいけないのもわかっている。相手の再生能力は異常だ。だから、少しでも残すようなことがあれば。

 

「うっ」

 

 疲労困憊の状態にある桜井が、息の詰まったような音を出した。彼は今にも倒れそうな顔をしている。力を使いすぎていた。

 その視線を辿って、全員が振り返る。

 

「お…、終わら…、終わらないよ。こんなの、終わらないよ……」

 

 蒸気を吹き出すような音が、加藤にも聞こえる。

 彼らの間で、肉が瞬時に形成されていた。それは人のような形をしている。残っていた全ての肉片が集まって、一つの個体になっていた。

 

「ふーっ、ふー」

 

 それははっきりと呼吸していた。

 どこか、悪魔を連想させる。頭の部分は人間の頭蓋骨と酷似していて、全身の筋組織がさらけ出されていた。血管か両手足に張り巡らされており、体の色を赤く見せている。

 背中からは、いくつもの骨が飛び出していた。それが翼のように見えている。肘から伸びている刃が、鼓動と共に揺れていた。

 風とルカリオが、最初に向かい始めた。

 ぬらりひょんは低く唸る。

 

「おまえは、おまえたちは、もういい。ふーーっ。もうわかった」

 

 風がその頬を殴る。

 体勢が崩れた所で、ルカリオが背後から回し蹴りをした。

 が、直撃する前に、その青い体が浮き上がっていく。

 ルカリオは、何も抵抗できないようだ。

 そして、ぬらりひょんの刃がその胸を貫いた。

 不可視の力によって、橋の外へと放り捨てられる。

 

「うおぉぉおおおおぉぉおおおぉお!」

 

 風が、その顎を狙う。

 だが、強烈な反撃を食らった。

 拳を一度受けただけで、大柄な体が痙攣する。そのスーツのくぼみから、液体がこぼれ出して行く。糸が切れたように、風は膝から崩れ落ちた。

 桜井の片手が、もぎ取られていく。彼はサイコキネシスで抵抗しているようだったが、それ以上の力で押し込まれていた。やがて、その目が閉じられていく。能力を使う限界が来たらしい。鼻から大量の血を流しながら、後ろへと倒れていった。

 ぬらりひょんの胸に、穴が開く。

 ガブリアスは、さらにその顔を蹴りつけた。

 飛び上がり、空中で相手の様子を見る。

 

「いいだろう」

 

 こともなげに傷を治したぬらりひょんは、背中の骨を蠢かせた。それは柔らかくしなっていき、まるで翼のような形になる。

 そして、いとも簡単に飛行を始めた。

 ガブリアスはさらに距離を取る。ぬらりひょんはそれを追いかける。両者の姿が遠くなっていき、やがてビルの向こうへと消えていった。

 

「ど、どうするの。どうすれば…」

 

 レイカが、Xガンを下ろしていた。もはや戦意はほとんど失われている。

 それは杏も同じようだった。

 

「逃げる、しか。逃げるしかない」

「駄目だ」

 

 加藤は既に、この戦いの結末がどちらかでしかないことを理解していた。相手を倒すか、こちらが全て殺されるか。

 シロナが言っていたことだ。

 制限時間が、なくなった。それは、大阪チームだけの事情なのかもしれない。だが、楽観視はできなかった。

 

「戦うしか、ない。俺達は最後まで、奴と…」

「で、でも、どうやって」

 

 一瞬だけ、痛いほどの静寂があった。

 

「今のうちに、離れて。どこか、見つからない所から、狙撃すれば」

「不意をつける。意識外から」

 

 杏の顔は途中から、苦渋にまみれていった。

 今考えられる中では、悪くない作戦だ。少なくとも、加藤にはそれ以上の案など考えつかなかった。だが、大きな問題がある。

 

「俺が、やる」

 

 レイカが口を押さえた。

 

「そんな…」

「俺しかない。俺が、奴をこの場にとどまらせる。その間に、遠くから撃ってくれ。早めに準備してくれると、助かる」

 

 最初は少し躊躇していた。だが加藤が何度も頷くと、彼女達は走り始める。どこかのビルの上から狙えば、位置はより捕捉されづらくなるだろう。

 静寂が戻った戦場で、加藤は己の鼓動を何とか落ち着けようとしていた。

 死ぬ気はない。生きたいと思っている。

 弟もいるのだ。今もアパートで、自分の帰りを待っているだろう。

 

「歩…」

 

 焦ったような足音が、近づいてきた。

 振り向いたと同時に、抱き着かれる。

 杏が、密着しながら泣いていた。ずっと自分をからかってきていた女性。

 彼女は、はっきりと加藤に向けて好意の言葉を口にした。

 

「死なないで。お願い…」

「ああ」

「帰るんやろ? 弟さん、待ってるんやろ? 絶対に生きて」

「当然だ」

「じゃあ、約束。これが終わったら、うちと息子、そっちの兄弟四人で暮らすんや。わかった?」

「約束する。一緒に暮らそう」

「絶対、絶対やで」

 

 彼女は何度も振り返りながら、離れていった。

 その後ろ姿を眺めてから、目をつぶる。

 深呼吸。

 落ち着こうと考えた所で、轟音が鳴った。

 

「なん、だ」

 

 ビルの一部が倒壊していく。

 何かが、暴れまわって回っているようだった。

 岩が飛び散っている。

 咆哮が、聞こえる。

 その激しい戦闘音が、ほどなくしてやんだ。 

 加藤は、息を呑む。

 ものすごい速度で、彼の前に異形が着地した。ぬらりひょんだ。

 

「くそ、くそっ…」

 

 恐怖で崩れてしまいそうな足を、押さえつける。

 ぬらりひょんの手には、首が握られていた。かつてシロナを星人から助けていた存在。パートナーとして、絶対の信頼を向けられていた相手。

 ガブリアスの瞳は、もう何も映してはいなかった。ぬらりひょんがぞんざいに投げると、血の軌跡を描きながら川へと落ちていく。

 心臓が爆発して、そのまま死んでしまいそうだった。それで楽になれたら、どれだけいいか。だが、加藤は責任を感じていた。まだ、生きている者がいる。ここで負けるわけにはいかない。絶対に、勝たなければならない。

 まだ、レイカ達は準備ができていないのだろうか。早すぎるのか。

 Xガンを握る手に力を入れた直後、頭が真っ白になった。

 

「ふーっ」

 

 ぬらりひょんの人差し指が、加藤の頭に触れていた。少しでも動かせば、彼を殺せるだろう。

 いつ動いたのか、まるで見えなかった。

 命を握られている状況で、手の力が抜けていく。Xガンが地面に転がった。

 

「ま、まて。待ってくれ…。話、話がしたい。質問が、したい」

 

 相手は呼吸を漏らすばかりで、何もしなかった。

 まだ、殺されていない。

 加藤はとにかく何かを言わなければと、頭を懸命に回転させた。

 そして、心の底から出てきた疑問を口に出す。

 

「質問したい…。応えてくれ。なぜ……、なぜ俺達は殺し合っているのか」

 

 苦し紛れの言葉だったが、相手は何かを考えるように顔をずらした。

 

「それを、お前達が言うのか。お前達が、質問するのか」

「わからないのか…。元々、こんな殺し合い、誰も望んでないんだ」

 

 さらにぬらりひょんは、顔を上に向ける。

 

「ふー、神の存在を、感じるか」

「質問に、質問かよ…」

「神は、どのような形か。人の形をしているのか」

「わから、ない。考えたこともない」

「神は、絶対の力を持つ存在」

「お前が、そうだとでも?」

「この世は、そのような個が生み出したもの。災害と同じだ」

「く…」

 

 相手の指が、前へと擦れていく。爪の先が加藤の額に食い込んだ。

 思わず、戦慄する。

 ぬらりひょんは、明らかに笑っていた。筋肉がむき出しになっている顔を動かして、邪悪な笑みを浮かべていた。

 

「だが、やがて終わる。神の時代は変わる。我々が、その頂へと到達する。未来に種を残し、種族としての力を洗練させ、理の外へといつか必ず回るだろう。あらゆるものを支配し、あらゆる命を貪る。ふーっ。光栄に思え。お前達は、その未来の礎となるのだ」 

 

 瞬間、相手の半身が破壊されていた。

 さらに、下半身にも大きく欠損ができる。

 始まったと、加藤は痺れる頭で理解した。

 すぐに離れる。

 勇気を出して振り返ると、ぬらりひょんは目を光らせていた。

 あたりが、破壊されていく。その放った光線によって、周りのビルが貫かれた。

 だが、それで確信する。ぬらりひょんは、射撃の位置を特定できていない。この調子でさらに畳みかければ、滅ぼせるかもしれない。

 加藤は、転がっている武器へと真っすぐ走っていた。今まで自分達が使ったこともない武器。Zガンというらしい。あれをとどめに使えれば、可能性が開けてくる。

 だが、もう少しという所で、両足に激痛が走った。

 宙を飛び、全身が撃ちつけられる。

 加藤は呻いた。

 両足が、切断されている。どうやら光線の一本が直撃したようだった。それでも何とか這いずって、武器を握る。

 だが、トリガーを引こうとしても、できなかった。出血により、力が入らなくなってきている。

 

「いやああぁあ!」

 

 加藤の前に、誰かが出てきた。

 杏だ。彼女は涙を流しながら、Xガンを連射する。光線をまき散らしているぬらりひょんにむかって、走っていく。

 

「駄目だ…、なんで」

 

 息子が、いるはずだった。こんな所で、自分なんかのために命を捨てる意味はないのだ。そのまま遠くから狙撃を続けていれば、無事でいられたのに。

 杏は、悟ったように少しだけこちらを振り返ってきた。何かを口にしようとする。

 その腰へと、光線が迫ってきている。

 彼女が声を出そうとしたところで、その体がずらされていった。

 

「ル…」

 

 青い犬のような生物が、杏の体を押し出していた。既に満身創痍だ。胸からの出血が特に酷い。橋の下から上がり、ここまで来れたこと自体が、奇跡だった。

 杏は柵に叩き付けられる。だが、痛みで目をつぶることはしなかった。

 

「だめ……」

 

 すでに、その犬はこと切れている。

 光線によって、上半身と下半身がばらばらになっていた。それでもその表情は、どこか安らいでいる。杏はぽろぽろ涙をこぼしながら、叫んだ。

 

「どうして!」

「く…」

 

 加藤もまた、己を鼓舞するように呻いた。

 何とかして、Zガンを握り直す。今度は力が入っていた。

 だが、駄目だ。ぬらりひょんの欠けた顔が、はっきりとこちらに向けられていた。

 気がついている。今から攻撃が来ることを、認識している。それでは意味がなかった。たとえ一度潰したとしても、すぐに再生されるだろう。今度完治されたら、もう何もできない。自分達は最後の一人まで、殺し尽くされる。

 腕に、激痛が走る。捻じ切られていた。Zガンが、下に落ちる。

 相手には、まだその力を使う余裕が残されていた。

 加藤は自分の死期を悟る。

 相手の目から、光線が放たれようとしている。

 それは真っすぐ加藤を狙っている。

 直前、その影に気がついた。

 ぬらりひょんの背後から、二つの刃が光る。

 黒い刀と、黄金の剣。

 岡と狐の女は同時に振り下ろす。

 ぬらりひょんの体が、斜めに斬り裂かれた。

 




 今日はあと1話投稿します。


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25.リセット

 ほとんど、ぬらりひょんの上半身はなくなりかけていた。 

 垂れ下がる目から、変わらず光線が発せられる。

 岡とキュウコンは巧みにそれらをかわしていた。側面へと滑り込み、さらに斬撃を加えていく。両者はかつて戦っていた敵同士だというのに、絶対にお互いの邪魔をすることはなかった。完成された連携だ。

 だが、それでも限界は来る。

 岡の両足に穴が開いた。

 半端に再生されていた片手からも、光線が出ていた。

 一人が脱落する。

 もう片方の腕も遅々とした速度で出来上がっていき、ぼろぼろな外見にはそぐわない速度でキュウコンの顔を掴んだ。

 メガネは、震えながらそれを眺めていた。

 いくつもの光が、彼女の顔を貫通する。

 そして倒れていく体を、ぬらりひょんは無理やり押し出していった。

 これで再び、それの周りには動く者がいなくなった。

 が、直撃する。

 レイカの狙撃が、ちょうどぬらりひょんの下半身を吹き飛ばしていた。

 

「ぬ、ぬ…」

 

 明らかに、今までとは違っていた。その再生が始まらない。どうやら無尽蔵に治せるわけではないらしかった。ついに、怪物の限界が来た。

 振り絞るような動きをして、ぬらりひょんは背中を震わせた。

 翼が、伸びていく。

 はためかせて、ゆっくりと浮いた。

 

「え…」

 

 攻めの動きではなかった。

 誰にも向かうことなく、ぬらりひょんは上昇していく。その動きは遅い。だが確実に、こちら側から遠ざかっていった。

 それには、別に誇りなどない。敵に背を向けることすら、手段の一つとして考えているのだ。そしておそらく、ぬらりひょんの頭には何の仕掛けも施されていない。ガンツが指定した範囲を抜けようが、咎められることはない。

 岡が、辛うじて体を上げる。片足は完全に千切れていたが、それでも、顔を遠ざかる敵へと向けていた。抑えきれない憤怒で、顔を染め上げていた。

 

「逃げんな!」

 

 息を大きく吐き出しながら、振りかぶる。握っていたガンツソードを、投擲した。その刃は真っすぐ、ぬらりひょんの背中へと定められている。

 だが、既に岡も限界が来ていた。

 スーツの効力が無くなっている。そのために、腕力が十分ではなかった。スーツで強化された状態なら容易に届いたそれも、敵には届かない。刀の勢いはなくなっていき、やがて落ち始める。 

 その柄が、誰かによって握られた。

 メガネにとっては、知らない男だ。

 普通のスーツを着た金髪の男が、ビルの二階部分から飛び出してきていた。そして落ちかけていたガンツソードを拾い上げる。

 

「ボタンを押して、伸ばすんだったか?」

 

 彼は計二本のガンツソードを持っていた。

 どちらも、瞬時に伸びていく。

 そして十字の形に動かした。

 二本の刃が、ぬらりひょんへと食い込んでいく。その翼も斬り刻まれた。

 光線が走ったが、その時には金髪の男は着地していた。すぐに横へと飛んでいる。

 

「落ちろ」

 

 苦しんでいる加藤の所まで這いずっていた岡は、既に武器を手にしていた。

 Zガンを、チャージする。

 ぬらりひょんも、わかっていただろう。指定された座標から抜け出そうとしていた。

 だが、遅い。

 やってきた重力の塊に押されて、あっという間に地面へと叩き付けられた。

 メガネはただ静かに泣きながら、見ていた。

 岡の叫びを。

 魂のこもった、咆哮を。

 連発で撃ち込まれていく。橋のあちこちに、穴が開いていく。衝撃が下にまで伝わり、川が大きく波打った。

 それでも、岡は続けた。

 指が動かなくなるまでトリガーを引き続けた。

 誰も言葉を発さない時間が、しばらく続いた。

 何も動かない。

 敵が復活する気配がない。

 

「どう、して」

 

 メガネは呆然としていた。

 彼はまだ、ガンツの戦いの経験が浅い。それでも、わかっている。戦いが終われば、おそらくあの部屋に戻される。そのための転送が始まるはずなのだ。

 だが、何も起こらない。

 ぬらりひょんは明らかに滅ぼされたのに、静寂が続いていた。

 下りてきたレイカが、途方に暮れたようにしゃがみ込む。

 

「ガンツ! 早く! どうして、転送してくれないの…」

「決まっとるやろ」

 

 メガネの前で、着物が揺れた。

 キュウコンは微笑みを向けてきている。

 その意味を知って、メガネは首を振っていた。

 

「いや、それは…」

「主様、命令を」

「でも、だって。お前は一緒に。別の、方法が」

「最後まで、しょうがないヒトやなあ」

 

 キュウコンは次々とむしり取っていく。自分の尻尾を破壊していった。そうして、自らの再生能力を殺していく。じわじわと命を削った。

 最後の一本を握りつぶした彼女は、膝をついた。

 メガネは、ようやく自分の中にある苦しい感情を認めた。引き裂くような罪悪感がどっとあふれてくる。

 

「ぼく、僕のせいや。僕なんかが、お前達を捕まえたせいで」

「うちは、敵だったんやろ? なしてそないな顔するん?」

「でも、洗脳みたいなもんやった! あのボールで、お前を…。利用して。ごめん、本当は嫌だったんやろ? 最後まで、こんな……」

 

 キュウコンはメガネの頬を手で撫でた。

 それから、顔を近づけてくる。

 耳に口を付けた。

 

「夢にでも化けて出たるわ。来世で会えたらええなあ。さいなら」

 

 彼女は剣を拾い上げて、最後にメガネへと満面の笑みを向けた。

 勢いよく、刃が振るわれる。

 目は逸らさなかった。その首が斬り裂かれるのを、ちゃんと見届けた。

 口を押さえながら、視線を動かす。

 

「うう…」

 

 既にレイカの頭が、消え始めていた。

 これがつまり、転送ということなのだろう。自分もやがてそうなるということは、メガネもわかっていた。

 泣き叫ぶ声が、聞こえる。

 杏がシロナとルカリオの遺骸にしがみついていた。ここから離れたくないという思いで、転送に抗おうとしている。だが、無駄に終わるのは明らかだった。

 シロナの死に顔を見る。彼女の言葉を、思い返す。

 確かに、自分は責任から逃げていた。オニテングや、キュウコンの気持ちから目を逸らすばかりか、信じようともしていなかった。ボールで捕まえた者としての責任。確かに、守るべきものだった。

 

「シロナさん、僕は、本当に…。貴方の言うことが、正しかった」

 

 満身創痍の男にまで、近づく。

 岡はほとんど目を開けていなかった。だがメガネの接近に近づくと、やや顔を動かす。

 

「岡さん、僕、やりますから」

 

 声が震えている。鼻水まで垂れてきた。今の自分など、見れたものではないだろう。

 それでも、メガネは決意していた。

 

「僕が、シロナさんを、再生させますから! 他の、ポケモン達も。全部。何度、何度も。どれくらいかかっても、全員戻しますから」

「うる、さいわ。黙っとけ、メガネ…」

 

 彼がどんな表情をしているのか、確かめることはできなかった。

 既にメガネの上半身が全て転送されている。

 周りの光景が移り変わっていくのを、放心して見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 球体がある。

 黒いボール。

 見覚えがあるとかと思ったら、あのモンスターボールと似ているような気がした。

 そのまま座る。

 これから何が起こるのか、わからない。だから、既に経験している者達を待つしかなかった。

 隣に、杏が出現する。彼女はメガネの方を見やってから、すぐに俯いていた。

 次に転送されてきたのは、半裸の男だ。髪を染めている。確か片腕を破壊されていたはずだったが、どうやらガンツはそういう機能も持っているようだった。 

 

「…あ? なんだこれ。俺……。終わったのか?」

 

 起き上がり、見回す。そして懐の煙草を取り出そうとして、全滅していることに気がついたらしい、めんどくさそうに、壁に寄りかかった。

 さらに転送は続く。

 メガネはほっと息をついた。怪我を全て治してくれるのなら、きっと助かると思っていた。

 岡は瞬きしてから、黙ってその場に座り込んだ。

 

「おい岡、これどうなったんや。ボスは倒したんか」

「…」

「なあ、これで終わりか。もう誰も、戻ってこないんか?」

「黙れや」

 

 杏が、すすり泣きを始めた。

 現実を否定するかのように、首を振る。

 

「全滅や…。姉さんも、ポケモン達も。皆、死んでもうた」

「は…」

 

 半裸の男はそれっきり、天井を眺めていた。

 重い静寂の中で、メガネは待つ。

 何か、事態が進行してくれないかと、願っていた。

 そしてその思いは、確かに届いた。

 杏と同時に、声を上げる。

 

「え」

「うそ…」

 

 まだ、転送は終わっていなかった。

 球体から線が伸びている。

 一体が、形成されていく。

 メガネはまた、泣きだしていた。 

 

「きゅ?」

 

 その白い体へと飛びつく。

 杏も同時に同じ行動をしていた。

 二人にしがみつかれたトゲキッスは、窮屈そうに身をよじっている。助けを求めるように岡へと鳴いたが、彼は無視していた。

 どうやら、致命傷を受けていたわけではなかったらしい。しかも、彼には治癒の能力がある。動けなくなっていたとしても、何とか命を繋ぎ止めていたのだ。

 

「良かった。お前だけでも、良かった…」

「キッスちゃん…」

「きゅう」

 

 彼もまた、人数の少ない部屋を見て状況を理解したらしい。つぶらな瞳から涙をこぼし始めた。翼を震わせながら、全身で悲しみを表現していた。

 そして、鐘のような音が鳴った。

 全員の視線が、球体へと向かう。

 

 

『それぢは、ちいてんを

    はじぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬ

 ぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬ    』

 

 何かがおかしいと、すぐにわかった。

 ガンツの表示が、乱れている。

 半裸の男が、立ち上がった。

 

「なんだっていうんや。おい! しっかりしろ」

 

 一度、表示が完全に消えた。

 ガンツが沈黙する。冷たい黒が、部屋の光を反射していた。

 メガネもまた、立ち上がりかける。得体の知れない恐怖を感じていた。ここから逃げた方がいいのではないかという、根拠のない思いが大きくなってくる。

 だが、ほどなくして表示が戻った。

 項目が、並んでいく。

 

『童貞メガネ

 

 0てん

 

 

 アンズちゃん

 

 0てん

 

 

 ド変態

 

 0てん

 

 

 岡

 

 0てん

 

 大きな音を立てて、岡が立ち上がった。

 

「どういうことや」

 

 メガネもまた、異常を認識する。

 自分はいい。確かに、自らの力だけで星人を倒したことはない。だが、少なくとも岡は違うはずだった。半裸の男も、絶対に一匹は倒していたはずだ。それでも、全員が平等に無価値となっていた。

 それだけではない。トータルという項目がある。それまでの戦いで得てきた合計得点の部分も、全員がリセットされていた。

 そうなのだ。メガネは違うが、他の者達はおそらく今までもガンツで戦ってきた。今回のと合わせて、百点を超えた可能性が高かった。今すぐに、シロナを復活させることができたかもしれなかったのだ。

 その可能性が、全て潰えた瞬間だった。

 

「おい、ガンツ! ふざけんなや! 点数を戻せ。俺は、百点の星人をやったはずやろ。加算しろ!」

 

 正確には、三百点越えの星人だ。

 どちらによ、ゼロのままなのは変わりなかった。

 岡は、何度も球体を蹴っている。鬼気迫る様子だった。どうやら彼のそんな調子は、今までにないものだったらしい。杏と半裸の男は、言葉を失ってそれを眺めていた。

 だがガンツは応答しなかった。いくら暴力を受けても、何も表示しない。

 つまり、終わったということだった。今回はこれでお開き。

 帰ることができるとわかっても、誰も動かなかった。

 岡はしばらくガンツに両の拳を乗せていたが、やがてすっと立ち上がった。

 

「関係ない。もう一回溜めるだけや。次でとる。百点とる」

「ま、待ってください」

 

 帰ろうとする体が、止まった。

 メガネは立ち上がり、岡を見据えた。

 

「僕も、とります」

「あ?」

「皆で百点をとれば、一気に戻せます。協力した方が」

「あー」

 

 そこで初めて気がついたかのように、岡はトゲキッスへと視線を向けた。

 当たり前のようにして、手招きをした。

 

「来いや」

「きゅきゅ?」

「何ぼうっとしてんねん。今日からお前は俺の道具や。次の戦いに向けて色々とおぼえてもらうで」

 

 トゲキッスはすぐに杏の後ろへと隠れた。彼女の肩から小さく顔を出して、はっきりと岡を睨みつけている。

 メガネも、根気強く言った。

 

「そういうの、じゃなくて。えっと。みんなでやるってことです。多分これからも、協力しないと乗り越えられない相手が出てきます」

「知るか。勝手にしろ」

 

 岡は鼻を鳴らしてから、戸口へと向かっていった。

 頭を振り絞りながら、その後ろ姿を見る。何とかして足止めできないかと、言葉を探していた。

 だが先に声を出したのは、杏の方だった。

 

「ええの?」

 

 岡は顔だけ振り返ってくる。

 それに対して、杏は堂々と言った。 

 

「うちらが先にシロナ姉さんを戻す。岡じゃない。ついでに、アンタについてあることないことたくさん言いふらすから。姉さんからの評価、ずたぼろにしたるで。ええの? そんなことになって」

 

 心底呆れた、という顔になって岡は前を向いた。

 それから数秒間、立ち止まる。

 その時間で、既に杏は勝利を確信したような顔になっていた。全部わかっているぞ、と言いたげに岡を見ている。

 さらに沈黙が続いてから、岡は溜息をついた。

 

「俺の、邪魔だけはするな。おこぼれくらいはくれたる」

 

 はたして上手くいったのかどうかはまるでわからないが、杏は満足したようだった。今度は引き止めない。トゲキッスと、意味ありげに視線をかわしていた。

 

「おいそれ、俺も参加してええか?」

 

 意外と、身長が高かった。

 そして杏とトゲキッスが異常に身を引いたのも関係している。メガネは、この半裸の男が実は一番ろくでもない相手ではないかと、直感していた。

 

「俺が一番先に百点取る。シロナは戻さんが」

「…え?」

「でも、あいつのポケモンの一匹は戻す。その条件なら、協力も考えるで」

「べ、別にそれでもいいですけど」

 

 横で、杏が何かを言いたげな顔をしていた。どうやら、ろくでもないことらしい。だがメガネにはまだわかっていなかった。相手がどのような趣向をしているのか。さすがにほぼ初対面で判断することはできない。

 その場に長居するわけにも行かず、彼らは全員それぞれの帰路についた。

 メガネはまだ、命がけの戦いから生き残ったという実感がわいてこなかった。それでも、家に帰ったらわからない。精神に多大な影響をきたして、寝込んでしまうかもしれない。

 それでも。

 悪いことばかりでは、ないのかもしれない。

 天狗と狐のことを思い浮かべながら、救急車やパトカーが行きかう通りを進んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 一時的なテンションというのは、怖いものだ。

 

「ああ…」

 

 学校でも、それなりに話題になった。

 いや、それなりどころではない。ほとんど、道頓堀で起きた事件でもちきりだった。それの渦中にいたとも言えるメガネにとっては、注目を浴びるチャンスだったかもしれない。だが、あんなものを思い出しながら、冷静に語れるとは思えなかった。よく話していた友達も、もういない。

 学校帰り、広場のベンチに座りながら、空を眺めていた。

 どうして、自分はあそこまではりきっていたのだろう。

 別に、強くなったわけではない。あのぬらりひょんと同じレベルがこれから来るかもしれないと思うと、膝が震える。勝てる気がしなかった。皆の前では意気込んだものの、次で自分が死んでもおかしくない。 

 

「なんで、あんなこと言ったんやろ。無理に決まってる…」 

 

 制服の下の、ガンツスーツを見る。

 確かに、凄いものだ。これで体育を乗り切ろうと思えば、すぐにヒーローになれる。 

 だが、代償は大きかった。

 あの戦いを、続けなければならない。

 メガネにとって、そのスーツは守り神でもなんでもなかった。何度も、これが呆気なく斬り裂かれ、死んでいく人々を見ている。つまり、死神と言った方が正しいのではないか。

 

「やばい、今から緊張してきた」

 

 くじけそうになった心は、ある姿を目にして固まった。

 その影は、段々大きくなってくる。気付いた何人かが、スマホを構えていた。感心したような声を出してから、ラッキーだの幸運だのと、喜んでいる。

 トゲキッスは、真っすぐメガネのそばへと降り立った。

 注目されても、あまり気にならない。そのポケモン自体に、メガネは集中していた。

 

「急に、どうしたんや」

「きゅい」

 

 翼の先で、膝を叩いてくる。

 少しだけ、笑ってしまう。

 どうやら見張りに来たと言いたいらしい。この恩鳥は、メガネが怖気ついていないかどうか、見張っていたのだ。その兆候を認識して、激励に来た。

 メガネは今日初めてと言っていいほど、心が安らいでいた。可愛いだけで正義やなと何となく思い、トゲキッスの頭に手を置く。

 

「なあ」

「きゅ?」

「僕を、乗せてくれん? ちょっと家まで」

 

 しょうがないなあ、とふんぞり返る。

 これにはメガネも思わずスマホを構えかけた。きゃーと黄色い声を上がる。その小生意気そうな感じが、多くの女子高生の心をわしづかみにするだろう。

 遠慮なくその背に掴まると、ざわつきが強まる。

 少しだけ得意げな気分になりながら、風を感じていた。

 眼下にひろがる大阪の街並みを眺めて、それからトゲキッスの後頭部に目を止める。

 自分は、どうなってもいい。次死ぬかもしれない。

 でも、これは。この存在だけは、死んでほしくない。  

 メガネは、持ち帰っていたXガンの練習をすることに決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ◆

 

 

「世界を、創り直す。そうしなければならない」

 

 遠大な野望を語る男の声。

 シロナは、その目の光をどこかで恐れていた。

 目的に向かって、猛進する姿。

 アカギの姿勢には、どこか同じところがある。彼女と共通している部分がある。

 今更、それを思い返してもあまり意味はなかった。

 白い世界。

 目を開けると、ただの色が周りには広がっていた。

 だが、無色ではない。

 そして、色だけでもない。

 合理的に考えれば、ここはもはや向こう側ということだ。

 そうでもなければ、説明がつかない。

 しがみついてくる、ポケモン達の姿を証明できない。

 ガブリアスに引っ張ってもらいながら、やっとの思いで立ち上がった。とても深く、重い悲しみから抜け出すのには労力がいる。家族の力を借りなければ、無理だった。

 一つ一つを、確認する。なぜか、トゲキッスだけいなかった。どういうことなのだろう。彼はちゃんと、あちらで上手くやっているのだろうか。

 皆は、乗り越えられただろうか。

 

「様々な、説明が必要でしょう」

 

 声がかけられても、驚きはない。

 なぜなら、それは最初から視界に入っていたからだ。

 そしてシロナは、自分の頬が濡れているのに気がついた。

 何の情動も伴わない、静かな涙だった。 

 

 



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かみ
26.これまで


 それは、人型のようだった。

 二体が、背中合わせになって並んでいる。どちらも腹の部分が裂けていて、中からいくつもの顔が覗いていた。縦にそれらは重なっている。どれも、シロナの知らない顔だった。

 手で、自分の顔を拭う。

 まるで、血だ。だが臭いは何もしなかった。赤い涙が、目からこぼれている。 

 これが、突拍子もない夢だと断ずることもできる。自分はとっくに死んでおり、何かもが幻なのだと。

 だが、相手の姿を見て、直感していた。

 口に出す。

 

「貴方が、ガンツを作ったのね」

 

 人型の顔の部分が、動いた。

 今までは空洞しかなかったのに、誰かの顔が回転しながら浮き上がってくる。それもまた、知らない他人だった。だからシロナは、臆することをしない。元凶を、真っすぐ見つめている。

 平坦な調子で、相手は喋り始めた。

 

「可能性の一つとして、存在はしていました。ですがほとんど、辿るはずの無い道だった。私は、貴方達に謝罪をしたいを考えています。これは全く、計画のうちに入ってはいなかった」

「私達を呼んだのも、貴方だと考えていい?」

「その通りです。正確には、貴方のポケモンをあちらから呼び寄せました。今の貴方自身の事については、よくわかっているでしょう?」

 

 その言葉で、確信を得た。

 やはり、自分は複製なのだ。本物のシロナは、今も変わらず元の世界にいる。消えたポケモン達を、探し回っている。

 何から訊けばいいのか、少しの間迷った。

 そして、最初に浮かんだ疑問を言う。

 

「どうして、こんなことをしたの? 貴方はなぜ、こんな戦いを」

「ある惑星系が、消滅の危機にありました」

 

 少し、女性寄りの声へと変わっていく。

 

「地球が移住先に決められ、もう三十年以上前から、少しずつ移住は始まっていました」

「じゃあ、今まで戦ってきた敵は…」

 

 星人。

 その名前には、何も間違いがなかったということだ。外からやってきた生物。限りなく広がる宇宙の先の外来種。

 

「地球の前は、私達の星が移住先になっていました。彼らを、私達は撃退した。それから、彼らは地球に移住先を変更したのです」

「でも、貴方はそれを良しとしなかった」

「地球の秩序を残すために、協力をしました。彼らを撃退するための最低限の軍事技術を、信号の形で伝えました」

 

 それが、ガンツ。

 あの黒い球体のことだった。

 事情はある程度わかった。だが、シロナにとってはまだほとんど明かされていない部分が存在していた。何も、解決はしていない。

 

「でも、なぜ?」

 

 シロナは胸を押さえる。他のポケモン達は静かに、彼女のそばで待機していた。

 

「それと私達に、一体何のつながりがあるというの? 私とポケモンは、地球の存在じゃない。無関係の私達まで巻き込んで、何がしたかったの?」

「訂正すべき部分があります」

 

 顔が回転していく。

 そして、髭の生やした男性のものへと変わった。声もそれに伴って、低くなっていく。

 

「貴方達が無関係だという部分には、誤りがあります」

「どこが?」

「私の口から話してもいいのでしょう。ですが、それは私の義務ではありません。もっとふさわしい存在達が、貴方のとのコンタクトを求めています」

 

 予感は、当たると思っていた。

 人型の横に、突如として穴ができる。黒いうねりに、青い光。見たことのあるものだった。

 そこから、複数体が出てくる。

 シロナは少しだけ、気圧されるものを感じた。

 

「ディアルガ、パルキア…」

 

 彼らは、変わらない威容でシロナ達を見下ろしてきていた。

 同時に、鳴き声を上げる。当然、彼女には意味が伝わらない。

 人型が話し出す。

 

「代弁しましょう。彼らは、義務があると言っています。世界のあらゆる秩序を守るために、これは必要な事でした」

「だから、どういう」

「脅威は、これからも出てきます」

 

 人型の指が、動き始める。

 

「地球は、人類はこれからも、外からの脅威に晒されることになる。何度か文明が崩壊し、再生される。繁栄していく。それでも、侵略者によって踏みにじられるでしょう。対話をする間もなく、人類は戦争を続ける」

 

 その指先は、はっきりとポケモン達を指差していた。

 

「ですが、いつか。果てしない時が流れたころ、邂逅がやってきます。住む星も違えば、よりどころとする常識も大きく異なっている。それでも、奇跡的に人類はそれらとの相互理解に成功します。初の共存が、成立する」

 

 シロナは、背筋が浮き上がるような感触を覚えていた。

 無意識のうちに、口を手で押さえていた。

 

「その異星生物達は、地球の動物の生態系に組み込まれていき、遺伝子もまた混ざり合っていきます。様々な進化を遂げ、やがてある到達点にたどり着くのです」

 

 ここまで言われれば、彼女もわかる。

 自分の、ポケモン達を見やった。

 

「じゃ、じゃあ…」

「それらが、到達点です。完璧に人類との意思疎通ができ、共に生きていける。貴方が元いた世界は、地球の遠い未来です」

 

 ディアルガとパルキアも、それを否定しようとはしていなかった。彼らは、初めから理解していたということだろう。だから、シロナに干渉をした。

 ならば、自分が呼ばれた理由というのは。

 同時に、人型が続けて話す。

 

「起きることのない、変化でした。本来、大阪のガンツチームは、貴方とポケモンがいない状態で戦うはずだった。それで、十分だったからです」

 

 あの恐ろしい、星人を思い浮かべる。

 

「壊滅はしたでしょう。それでも、勝てた。ぬらりひょんのとどめは本来、東京の加藤という人間がするはずでした。そういう未来になるはずだった」

 

 だが、実際は違うようだった。シロナは結末を知らない。

 

「我らにとっても誤算だったのは、移住してくる星人の内、二つの種族が運命から外れたこと。東京の羅鼎院に潜んでいた仏像の星人。そして、道頓堀のぬらりひょん」

 

 どちらも、シロナ達が戦った相手だ。

 

「想像以上の、進化を遂げていた。死ぬはずのない者が、多く殺された。特に、ぬらりひょん。彼らの種族は、通常の生殖で増えることはありません。同一個体が存在しないからです。ですが、例外がいました。ぬらりひょんは、(つがい)を作っていた。子を孕ませ、産むという行為を学んでいたのです」

 

 目で、続きを促す。

 

「そして生まれてきた個体は、親の能力を凌駕していた。一世代だけなら、取るに足らないでしょう。ですがもし、あのまま放っておいたとしたら。やがて、その力は我々も対応できないほどまでになる。全宇宙の秩序が、あの邪悪によって乱されたでしょう。地球も例外ではありません」

 

 指が下がっていく。

 

「脅威はそれだけではないのです。近いうちに、最も技術力の高い文明が侵攻してきます。貴方達が、カタストロフィと呼んでいるもの。そのカタストロフィと、百鬼夜行が同時に起きる。その事態だけは、阻止しなければいけませんでした」

「それで、私達を呼んだの?」

「はい」

「でも…」

「候補は、三人いました」

 

 名が連ねられていく。

 シロナ。

 ギンガ団を統率していた、アカギ。

 そして、シロナを初めて負かした若いトレーナー。

 

「貴方も含めたその三人が、もっとも召喚において都合の良い人材でした。なぜか、わかりますか」

「…」

 

 一つの想像をする。

 三人の、共通点。

 

「貴方達だけが、元いた世界から剥離した経験がありました。そのおかげで、成功したようなものです」

 

 アカギが引き起こしたこと。

 それによって、シロナ達は別世界に行った。

 ギラティナという、伝説のポケモンによって。

 その世界は、明らかに普通とは違う法則で成り立っていた。だから、シロナ自身の何かに影響を与えていても、おかしくはなかったのだろう。

 

「ぬらりひょんが倒されずに生き残れば、未来にも大きく影響しました。ポケモンが、存在しない未来も有り得た。ですから、無関係ではないのです。貴方は未来の人間として、その時代を守るために、戦う必要があった」

「でも、どうして、私が。候補の中で、選ばれたのは…」

「それは、やがてわかるでしょう。今伝えても、意味はありません」

 

 しばらく、言葉の出ない瞬間が続いた。

 既に涙は収まっている。隣のガブリアスが触れてくるが、シロナは思考の渦から帰れずにいた。

 まだ、わからないことがあった。

 

「私だけが、複製されたのは、どうしてですか? ポケモン達は、本物なんですよね」

「はい。理由は単純です。本来は、全て複製を作るつもりでした。貴方に対する許可は、下りていた。ですが、ポケモン達は駄目だと、拒絶されたのです」

 

 何に、と訊くまでもなかった。

 さらに、穴が開く。

 中か出てきたのは、ディアルガやパルキアよりも一回りほど小さい個体だった。

 それでも、シロナは膝が震えるのを感じる。

 四足の、生物だった。足の先が、黄金で染められている。それ以外の体はほとんどが白くなっていて、胴体部分にはこれまた黄金の輪にも近い物体が取り付けられた。四か所から、まるで時計の針のような突起物が出ている。

 

 アルセウス。

 そうぞうポケモン。

 何もない場所にあった、タマゴの中から姿を現し、世界を生み出したとされている。千本の腕で宇宙を作ったポケモンとして、シンオウの神話に描かれている。

 

 神が、そこにはいた。

 

「ポケモンに関しては、この方の管轄です。私では、判断のしようがなかった。ですので、結局本物を呼ぶしかなかったのです」

 

 緑色の目の中心に、赤い瞳がある。それは、シロナを静かに見つめてきていた。

 

「正直、危険な存在になる可能性もありました。そこは、謝罪をします。最初の方、私は貴方達を排除しようとも考えていました。別の、秩序を乱さないような案があるのではないかと」

「だから、ガンツを使ってポケモン達を殺させようとしたのね」

「何の、言い訳もできません」

 

 シロナは勇気を奮い立たせた。

 圧倒的な存在である。アルセウスへと真っすぐ視線を向ける。

 

「責任を取って。勝手に巻き込んだ私達を、戻して。杏達の戦いはまだ終わってないんでしょう? なら、手伝わなきゃ」

「それは、できません」

「どうして?」

「実際に目で見た方が、わかりやすいでしょう」

 

 映像が、突然空中に浮かんでくる。

 人型の手から伸びて拡大したそれは、光景を映していた。

 戦いの光景。

 黒スーツ達が、大勢殺されていた。

 そのカメラが、一つの集団に寄っていく。

 シロナは、泣かないよう努力した。

 

「これは…」

「次のミッションが始まっています。ラストミッション。イタリアという、別の国で最後の星人が暴れています」

 

 大阪チームも、そこにはいた。

 シロナは、こらえきれずに雫をこぼしていく。

 トゲキッスの上に乗って、メガネをかけている男が健闘していた。屋根の上で、杏と桑原が狙撃を続けている。岡が叫びながら、上に向かおうとしている星人を潰していた。

 結局、あれだけしか残らなかったのだ。多くが死んだ。もちろん、中にはまだよくわからない相手もいた。それでも、一緒に戦ったのだ。その点だけは、仲間だった。

 かなり厳しい戦場であることは確かだった。人種の違う者達が集まり、共に手を取り合っても、死体が積み重なっていく。その中で、岡たちは懸命に生き残ろうとしていた。

 

「貴方も、わかっているのでしょう」

 

 人型の言葉と同時に、トゲキッスが落ちていく。

 メガネが地面に転がってから、苦しんでいるトゲキッスに駆け寄った。その存在が、乱れている。輪郭がばらばらになっている。

 

「貴方自身は、いいのです。ですが、ポケモン達は本来、この時間軸にいていい存在ではない。綻びが必ず表れます。今回で、限界です。このままポケモンが存在し続ければ、取り返しのつかないことになる」

 

 アルセウスが、顔を動かした。

 人型の言っていることを、肯定しているようだった。そして、シロナに判断を求めてきている。決断を求めている。

 

「後悔していますか?」

 

 少し意味が取れなくて、顔を上げた。

 

「貴方は一連の戦いに巻き込まれたことを、悔やんでいますか?」

 

 シロナはすぐに口を開こうとして、映像に見入った。

 たった今、メガネの半身をもぎ取ろうとした星人が破壊された所だった。

 その死体を押しのけながら、同じ日本人がトゲキッスへと駆け寄る。

 若い、男だった。学生だ。だがその目には、確かな意思が燃えている。

 

「風という男が、百点を取りました。それを使ったようです」

 

 くろのはしっかりと、自分を治したトゲキッスのことを憶えていたようだった。その存在を守るために、戦い続ける。付いてきていた東京チームの皆が、合流していた。

 おそらく、前もそうだったのだろう。こうして、共に手を取り合って、ぬらりひょんも打倒したのだろう。

 シロナは目を拭いながら、笑顔になった。

 首を振る。

 

「いいえ」

「なるほど」

「確かに、苦しかった。たくさん、血が流れた。それでも、後悔はしてないわ。きっと私にとって、必要な経験だった。だって…」

 

 トゲキッスの調子が戻り、飛び上がっていく。

 どこまでも高く。

 

「変わらないって、わかったから。ポケモンは、そういう存在なの。人と人をつなぐ。どこにいても、それは変わらなかった。確かめられただけでも、十分」

 

 もういない、たくさんの人達を思い浮かべる。

 寂しさは、あった。もう一度会って、言葉を交わしたかった。

 彼らもそうだった。自分のポケモン達と関わり、素晴らしい関係を築いていた。だから、それでいいのだ。シロナは納得していた。

 

「もちろん、貴方も戻れます」

 

 シロナは映像に乗せていた手を、下ろす。

 

「貴方自身の記憶を、あちらの本物に移すことができます。ポケモン達と一緒に、元の世界に帰還できる。構わないのなら、このミッションが終わってからすぐに行います」

 

 シロナは眺め続けた。

 全員の転送が、開始されていく。喜び合っていた。戦いが終わったことを、ただ祝福していた。

 

「大阪チームの転送を、ここにつないでください」

「わかりました」

「お願いします」

 

 そして彼らの姿が形成されてきた時。

 やっと、胸がすっきりした。

 己の中の意思が、一つに固まっていくのを感じる。まだ、迷いはあった。おそらく、それなりに後悔することになる。反対の意見も出るだろう。

 それでも、シロナは笑顔だった。

 まだ状況を理解していない岡達に向かって、歩き出していた。

 



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終.これから

 最初に抱き着いてきたのは、杏だった。

 それからシロナを本物かどうか確かめるように、触り始める。

 苦笑しながら、優しく彼女を離した。くすぐったいからだ。

 

「ここは、何なんだ」

 

 桑原が涙を流しながら言う。

 そして、一匹に目を止めていた。

 ミロカロスは静かに、その視線を受け止めている。

 全員の状態が落ち着くのを待ってから、シロナは話そうとした。だがその前に、メガネがよろけながら前へと出てくる。

 

「さ、採点は?」

 

 言われても、人型は黙っていた。

 

「ぜ、絶対に誰かが、百点、取れてるはずです。だから、その、まずシロナさんを…」

 

 しばらく計算するような間があってから、声が降ってきた。

 

「百点を超えたのは、岡八郎だけです」

「百点メニュー。三番。シロナを再生」

 

 メガネと杏子が、素直に悔しがっていた。どうやら彼らの中で競争のようなものが生まれていたようだ。

 杏の手を握る。お礼を言うと、相手は当然のことだと言ってきた。本当なら自分が解放されるために頑張るべきなのに、シロナの命を優先してくれた。杏の息子にも申し訳ないと思いつつ、嬉しさが募る。

 メガネは、興奮したように早口で並べ立てていた。それを、トゲキッスが諫めている。彼らは、強い絆を結んだようだ。実際、先ほどの戦いで一番動いていたのは、彼らだった。

 桑原は既に別の方向へと向かっている。

 何かを口に出す前に、ミロカロスによって巻き付かれていた。そのまま彼は倒れ込んで、何かろくでもないことを言っているようだった。 

 ミロカロスは黙って聞いている。途中で離すことなく、可笑しそうに触角を揺らしていた。

 最後に、岡へと向き直る。

 たいして、表情は動かしていなかった。シロナの復活を口で言った時も、淡々としていた。これがまるで些事であると、考えている様子だ。

 対するシロナは、あまり冷静になれない。

 岡は不敵な笑みをした。

 

「お前って、泣き虫だったんやな。アラサーにもなって、ださいとは思わへんのか?」

「ごめんなさい。なんて、言ったらいいか…」

 

 震えながら、一歩踏み出す。既に両腕が動いていた。

 岡の姿が、少しだけ遠くなる。

 その警戒するような表情に、彼女は首を傾げた。

 

「…どうして?」

「引っかかるわけないやろ。前科あんの、わかってるか? お前の考えてることなんて、すぐにわかる」

 

 背後へと忍び寄っていた、ルカリオとガブリアス。

 彼らは同時に岡の背中をはたいた。もちろん傷つけるような勢いではないが、不意を突かれた岡はそのまま前へとよろける。

 それを拾い上げるように、シロナは抱きしめた。

 岡は最初固まっていたが、やがて手を下ろしてくる。

 

「ありがとう。貴方が生きていてくれて、よかった…」

「なあ、三秒数えたら突き放してええか?」

 

 再び、後頭部をガブリアスに叩かれていた。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ひとしきり再会の喜びを分かち合った後、シロナは本題に入ることにした。

 彼らは最初、あまり驚かなかった。

 元から、感じていたことではあったのだろう。ポケモンという、今まで見たこともない存在を連れている女性。別世界に住んでいるのだと、少しは思っていたのだろう。

 だが、シロナ達がかなり先の未来の地球に住んでいたとは、予想していなかったようだった。それには、さすがの岡もはっきりと驚きを示してきていた。やっと見たい顔が出てきたと、シロナは内心笑った。

 

「じゃあ、帰るん?」

 

 杏は悲しそうに言う。

 寂しいのは、シロナも同じだった。

 

「その選択肢も、あるんだって」

「でも、やっぱり。そうした方が、ええよ。親とかも、いるんやろ? 姉さんは、たくさん働いてくれた。いなかったら、絶対にうちは死んでた。だから、もう解放されるべきや」

「うん…」

 

 郷愁も強まっていた。

 元の世界。

 ポケモン達が溢れている世界に、戻りたい気持ちが強くなっている。

 だがシロナは、一人一人を見つめた。

 最後に、岡に目を止めた。

 彼は手を動かしている。手前から奥に、揺らしていた。

 さっさと行け、と伝えてきているらしい。

 少し口をすぼめてから、腕を組んだ。

 

「いいえ」

 

 その言葉を、他の全員が予期していなかったようだった。

 アルセウスもまた、足を動かす。シロナの真意を測るように、顔を傾けた。

 それを一瞥してから、シロナは続けた。

 

「戻らない。ここに、残る」

 

 杏は、嬉しさと虚しさが混ざったような、複雑な表情をした。

 

「え、でも」

「だって、オカがさっさと私に消えてほしそうにしてるから。逆に、行きたくなくなった。つまり、これはオカのせいね」

 

 岡は全員の視線を受けて、憮然とした態度を取った。

 

「なんやねん」

「っていうのは、冗談として」

 

 シロナは表情を真面目なものに戻す。

 それから、人型の方に向き直った。

 

「少しは、融通が効きますよね?」

「先ほど言った危険は…」

「わかっています。だから、ポケモン達だけは、戻してあげてください」

 

 今度は、ガブリアス達が驚く番だった。シロナのそばに、全員が集まってくる。その考えを理解しようと、顔を覗き込んでくる。

 

「私は別に、こっちにいても問題ありませんよね」

 

 人型が、アルセウスに視線を向けた。

 

「はい。特に危険はありませんが」

「そうしてください」

「ど、どうして」

 

 メガネが唖然としながら尋ねると、彼女は苦笑した。少しだけ虚しさも含まれている表情だった。

 ガブリアスの腹を撫でる。ルカリオの、頭に触れる。

 

「私は、きっと忘れないから。こっちで色々と経験してきて、色々と変わった。あっちに戻っても、きっと変わらない。その違いに、苦しめられることになる」

 

 未だに、あの感覚は鮮烈だった。

 ポケモン達と共に戦った記憶。命がかかっている状況で、お互いに直接助け合える充実感。

 そして、彼らに指示を出すだけに徹することへの、違和感。

 チャンピオンとして戦っていた頃も、そうじゃなくなっても、思ったことはなかった。ポケモン達の扱いに関して、疑問が浮かんでくることはなかった。

 だが、今は違う。もう無視することはできない。

 シロナはポケモン達に触れていった。

 

「あっちの仕組みに、追い詰められる。私は、それに耐えられない。ずっと疑問を抱えながら、暮らしていくことはできない。それに、大阪も好きだから。あの街も、私の故郷。杏達ともっと一緒にいたい」

「きゅう…」

 

 体を擦りつけてきたトゲキッスに、笑いかける。

 

「ごめんなさい。勝手なこと言って。でも、私は作られた偽物なの。貴方達は、あっちに戻らないといけない。あっちのシロナに、よろしくね」

 

 主人の意思が固いと、気づき始めたようだった。

 初めはその考えを変えさせようとしていたポケモン達も、徐々に受け入れていく。

 

「わかっているから」

 

 シロナは少し表情を引き締めて、人型に向き直った。

 

「嘘、なんでしょう? 私の今の記憶を、あっちには戻せない。そんなことをしたら、何かが変わってしまう恐れがあるから。でもそういうふうにしておけば、最後まで納得させたままことが進む」

「…」

「私も、嫌。もうあっちのシロナは、違う道を進んでいる。今更私が戻っても意味はない。それは彼女を殺すことも同然よ」

「騙していたことは、」

「いいの。わかっているから。だってガンツを作ったのは、貴方なんだもの。性格が悪いことくらい、予想できるわ」

「演出などは、全て人間が勝手に考えたことですが…」

 

 それ以上聞く価値は、感じなかった。

 アルセウスへと一歩近づく。

 相手は少し沈黙してから、目をつぶった。顔を、縦に動かす。どうやら受け入れる気になってくれたらしい。

 そしてシロナは、杏達のそばへと下がった。

 ポケモン達が、前に並んでいる。 

 それから、全員が飛び出してきた。

 ミロカロスが桑原へと体を向ける。不思議そうにしている彼へと一気に接近すると、その頬に口を付けた。一瞬だけのことだったが、十分に示していた。

 桑原は妙な顔をしてから、頭をかいた。

 

「ま…、あれや。お互い、良い相手を見つけるか。また会った時、紹介し合おうや」

「フォオオオ…」

 

 ミロカロスは大粒の涙をこぼしている。

 

「スマホがないのは、残念や。記念に残しておくのに」

「フウウウ!」

 

 吐き出された水を、桑原はあえて受け止めていた。

 人型が、少し高くなった声で言ってくる。

 

「最後に、何か望みはありますか。できる限りで、叶えられますが」

 

 シロナに抱き着いた後、ロズレイドは振り返った。そして、人型の方へと歩いていく。背伸びをしながら、何かを伝えていた。

 

「それくらいなら、可能です」

 

 物体が、出現する。

 鉢のようだった。その中で、花が咲いている。赤い小さな花びらが重なっていて、少しだけ特徴的な香りがしていた。

 

「大事なものなの?」

 

 ロズレイドは頷いてから、愛おしそうにその鉢を抱きしめた。どうやら、持ち帰るつもりらしい。それくらいなら、何の影響もないようだ。

 メガネとトゲキッスが、抱き合っていた。お互いにだらだら涙をこぼしている。どこか、似ている部分のある組み合わせだった。だからこそ、良い関係を築けたのだろう。

 

「ありがとな。本当に」

 

 杏は、トリトドンを肩に乗せながら、ルカリオに抱き着いていた。その毛の生えている頬に、キスをする。

 彼は離れた後も、時折その部分を肉球で触っていた。ミカルゲに、それをしつこくからかわれている。

 岡は、黙ってカブリアスの腕を見ていた。

 

「なんや?」

 

 ガブリアスが、素早く岡の手を持ち上げる。そして強引に、自分のそれと打ち合わせた。

 

「なんなんや…」

 

 それだけで満足したらしい。ガブリアスは最後に思いっきり岡の背中を叩いてから、シロナのそばへと戻ってきた。

 様々な触れ合いを見ながら、確信する。

 やはり、ポケモンと彼らが出会ったことは、間違いなく良いことだった。少なくともそこだけは、誇ってもいい部分だった。

 

「では、転送を始めます」

 

 シロナ達の姿が消失し始める。

 ポケモン達も同じだった。

 彼女はたくさんの重みを感じる。同時に彼ら全員が飛びついてきたのだ。その様々な香りや、感触を忘れないと誓った。生きている限り、頭から離れることはないと思った。

 結局我慢できずに嗚咽を漏らしながら、最後までくっついたままでいる。

 全てが消えるまで、感謝だけを口にしていた。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シロナはほとんど眠っていなかった。

 祖母から心配するような電話が何度もかかってきているが、それに出る気力もない。

 あちこちを飛び回って、結局またサザナミタウンに戻ってきていた。

 本当は、最高の休暇になるはずだった。チャンピオンの責務を下ろし、多少は気楽な休みを満喫する予定だった。

 だが、ビーチで眠ってしまい。砂の感触で起こされた。

 その時、気がついたのだ。

 ポケモン達がいない。

 最初はどこへ遠出しているのかと思ったが、夜になっても戻ってこないとわかって、異常を認識した。

 どこを探しても、いなかった。日数が重なっていくにつれて、シロナは段々と悪い想像を膨らませていた。

 もしかしたら、誰かにさらわれたのかもしれない。ギンガ団の残党が、自分のポケモンを狙った。

 その考えは、ほとんど当たっていたようだ。祖母にへと、妙な電話がかかってきていた。シロナ自身を偽る電話だ。

 その何者かが、元凶なのは間違いない。

 自分とそっくりな声をしているということだけが、唯一の手掛かりだった。それだけを頼りに、当てのない捜索を続けていた。

 砂浜を、亡霊のように歩いていく。

 家族が消えてしまった苦しみは、どんどん膨らんでいる。いっそ、海の中に深く入り込んでいけば、見つかるかもしれない。ミロカロスはどこまでも深く潜れるのだ。だから、溺れている自分を見つけたら、助けに来てくれるかもしれない。

 そんな捨て鉢な心は、遠くにいる集団を認めて溶かされていった。

 

「うそ…」 

 

 周りの人間も、驚いている。

 突如としてポケモンの集団が現れたのだから、当然だ。

 だがシロナは驚愕の前に、既に足が動いていた。

 

「みんな!」

 

 最初に、ミロカロスが巻き付いてくる。 

 続いて一気に、残りの全員が飛びついてきた。

 

「どこに、行ってたの…。すごく、心配した」

 

 怒りなど、湧いてこない。ただ家族が戻ってきたという実感だけが、全てを塗り替えていた。今までの悲しみも苦しみも、嘘のように消えていった。 

 全員がいることを確認してから、足取りも軽くホテルへと歩き出す。もうどこにも行ってしまわないよう、早くボールに戻してあげたかった。

 

「あれ」

 

 鞄の中から、ボールを全て取り出す。

 だが、一つだけおかしかった。

 ぼろぼろになっている。これでは、戻すことができない。確か、ガブリアスが入っていたボールだった。

 不可解な気持ちになりながら、ポケモン達が付いてきていないことに気がつく。

 踵を返すと、彼らは全員同じ方向を見ている。

 海の向こうを、じっと眺めていた。

 

「どうしたの?」

 

 シロナが尋ねると、彼らは動き出した。

 よく見れば、ロズレイドが妙なものを持っている。植物の一種のようだ。だが、シロナは今まで見たことがなかった。

 庭にでも埋めて、上手く繁殖させれば見事な花畑になるだろう。

 そんなことを考えながら、彼らの先導を始めた。

 違和感は、彼ら自身に対しても感じている。

 どこか、顔つきが違っている。だがそれは、悪い意味ではなかった。シロナから離れていた期間、何かがあったのだろう。それは彼らにとって、とても大きな影響をもたらしたようだ。

 どんなことがあったのか詳しく訊いてみたいと、シロナは浮足立った気分で微笑んだ。  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 未だ混乱が残る街を通り過ぎていきながら、アパートに戻った。

 隣の杏子は、途中からずっと何かを考えている様子だった。集中しているみたいだったので、シロナは何も訊かずに中へと入った。

 様々なことがあった。

 ポケモンがいなくなった後も、大きな戦いがあった。

 カタストロフィ。

 巨大な人間のような見た目をした種族が、巨大な宇宙船に乗って攻めてきた。

 東京が、最も大きな被害を受けた。ガンツに関係していた彼女達も召集されることになる。色々な戦いがあったが、シロナは何とか生き残れた。

 東京チームと、上手く合流できたのも大きい。そこでようやく彼女は、くろのとまともに共闘することになった。彼らも彼らで色々と事情があったようだが、誰かを助けたいという思いは同じだった。

 そして、カタストロフィは終わった。

 黒いスーツを着た者達によって、人類の危機は回避された。

 どうやらテレビのカメラも入っていたようで、その画面にちらりと映ったシロナはかなり認知されてしまったようだ。当然一番有名になったのは敵の将軍を倒したくろのだが、彼女もまた大阪の街において、声をかけられることが多くなった。

 それに何とか対応しながら、杏との買い物を終えてきた所だった。

 翔の相手をしながら、彼女はシロナの正面に座った。

 

「今日はカレーやなあ」

「やったあ」

 

 翔がテレビの前へと走っていく。元気を完全に取り戻しているようだ。ポケモン達がいなくなったとわかった時は、大泣きして手が付けられなかった。

 その後ろ姿を見ながら、シロナは話し始める。

 

「それで、彼とはどう?」

「え、ええ?」

「来週、会うんでしょ? よろしく言っといて」

「まあ、そうなんやけど。尾行とか、なしで」

「そんなわけ」

 

 とは言いつつ、少しだけ興味があった。加藤と上手くいけば、やがて自分は邪魔になるだろう。頃合いを見て、何とか自分の住まいを確保する必要があった。

 誰かの顔が浮かんできたが、無視する。

 察知したかのように、杏は半目になった。

 

「とか言って。姉さんの方は? 昨日会ったんやろ?」

 

 シロナは頬杖をついた。

 

「誰に?」

「岡と」

「知らない。誰? その人」

 

 唇を尖らせた。その様子を見て、杏は呆れたような表情になる。

 

「また、喧嘩したん? 好きやなあ」

「とにかく、そっちの話題はなしで」

「はーい」

 

 シロナは再び仕事探しに向かおうとしたが、杏が何かを言いたげにしているのを感じていた。椅子に座り直して、杏と視線を合わせる。

 

「どうしたの?」

「ちょっと、待ってて」

 

 杏は手を向けてきてから、部屋に向かっていった。何かを探すような時間が過ぎた後、数枚の紙を持って出てくる。

 全部を、広げて見せてきた。

 

「やっと、完成したんよ。驚かせたくて」

 

 シロナは、息を呑んだ。

 全部で、八枚の絵だった。

 ミロカロス、トリトドン、ルカリオ、ガブリアス、ミカルゲ、トゲキッス、ロズレイド。

 全てのポケモンが、杏のタッチで描かれていた。どれもが明るい表情をしている。

 そして、最後の一枚。

 そこには、シロナも混ざっていた。彼女を中心にして、ポケモン達が並んでいる。幸せそうな空間だった。

 全てを胸に押し抱いた彼女は、噛みしめるように言った。

 

「ありがとう…。宝物にする」

「まだある」

 

 だが、杏は何も出してこなかった。

 

「何?」

「前の話、憶えとる?」

 

 杏は真摯な表情をしていた。

 

「えっと」

「一般誌の枠が空いてるから、載せるかっていう誘いが来てる。もちろん、読み切りっていう形になるとは思うんやけど」

「マンガね。おめでとう」

「でな、これも言ったけど、うち話考えるの苦手やん? だから、姉さんにストーリー作ってもらいたいなあって」

「でも、それは…」

 

 一度は無くなった話だった。

 別にシロナも、物語を作ったことなどない。杏と同じような状況だった。

 

「私も、上手くできるかはわからない」

「大丈夫や。よく考えたら、創作する必要はない」

「どういうこと?」

「つまり、ノンフィクションや。姉さんが体験してきたことを上手く話にする。ポケモン達の設定を詰めていけば、絶対面白くなると思う。あれやろ、チャンピオンやったか。めっちゃドラマ作れそうやん~」

 

 どうして今まで気づかなかったのか、不思議なほどだった。

 確かに、杏達にとっては新鮮な要素が多いだろう。あっちでのことは、シロナにとっては当たり前だった。常識の違う世界においては、それもまた興味の引かれる事柄になる。

 

「原作考案の部分に、姉さんの名前も載せられる。ふふ…。編集さんも絶対オーケーするはずやで。シロナっていう名前は今、ホットなんや。その知名度を利用して…注目度を……」

 

 やるべきことなのかもしれない。

 彼らは、もういない。だが、その存在が完全に消えたわけではないのだ。

 その良さを、素晴らしさを、別の形で伝えていく。悪くなかった。

 

「で、タイトルは?」

「うん?」

「大事でしょ。まずはそれから決めない?」

「うーん。どうなんだろ」

 

 杏はそれから、不思議そうに瞬きをした。

 

「姉さん?」

 

 シロナは既に俯いていた。

 これは確かに、岡に泣き虫と言われても反論できない。 

 だがそれでも、耐えられないほどの衝撃がやってきていた。

 それは悲しみではない。

 寂しさから、来るものでもない。

 

「ど、どうしたんや。姉さん」

 

 杏が立ち上がり、駆け寄ってくる。

 よろけたシロナの体を、支えていた。

 

「大丈夫、大丈夫だから…」

「いや、でも」

 

 ようやく、理解をした。

 自分が、選ばれた理由。

 アカギやあのトレーナーではなく、シロナが呼ばれた意味。

 それは、彼女が携わっていたものに関係していたのだ。

 

「なんでもないの」

「そんなわけ」

「わかっただけ」

 

 シロナは鼻をすすりながら、震えていた。

 自分の背にかかった重大な責務の重さに、慄いていた。

 それでも彼女は、深く心を動かされていた。だから、泣きながら笑う。杏に向けて、解放されたような表情を浮かべる。

 

「私の…、使命が終わったの。それが、わかっただけ」

 

 学者としての悲願を叶えた彼女は、戸惑う杏にも構わず続けた。

 

「それで?」

「ええ?」

「タイトル。マンガの。決まった?」

「いや…」

「なら、私が決めていい? ちょうどいいの思いついた」

「何や?」

 

 あの人型が言っていたことは、間違いかもしれない。

 だが可能性としては、残っている。いつか来襲してくる星人の中で、人間と共存できる存在が現れる。そして地球の生物と配合を繰り返していき、とてつもなく長い時間をかけ、やがて。

 シロナは静かに言う。

 

「ポケットモンスター」

 

 やがて来る、その時代に思いをはせながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 最後まで読んでくれた方、ありがとうございます。
 書ききれたのは、読者と、素晴らしい原作のおかげです。書き溜めもないのに、一気に駆け抜けてしまいました。
 これからも何かアイディアがわいてきたら、投稿していきたいと思います。
 今まで、本当にありがとうございました。


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