リコーデッド・アライバル (suz.)
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第一部 Into the New World
新世界より


 声が聞こえる。あどけなく、あたたかい呼び声が。

 

 

 きみ、起きて。起きて——?

 

 

 懐かしい声は、遊作が六歳のときもたらされた天啓だ。白い部屋にたったひとりで監禁され、繰り返し繰り返しデュエルを迫られ疲弊した遊作のこころを、彼の呼びかけが現世につなぎとめてくれた。

 地獄の日々を耐えるには正気を失ったほうが楽だったのかもしれない、だが、彼がすくい上げてくれなければ遊作は生きていられたかもわからない。

 

 つながりとは、必ずしもやさしくてあたたかいものばかりではない。

 

 恐怖、憎悪、嫉妬——そうした強い感情ほど深く深く記憶に根を張り、意思に影響を及ぼし、やがて人と人とを争わせる。

 かつてはログというログを消し去り、誰の記憶にも残らないように暮らしていた遊作だったが、ボーマンとの戦いのなかで自身に向けられている無数の糸の存在に気付いた。

 

 その糸を手繰れば、あるいは——と、誰にも言わずに旅に出た。

 

 Aiは少し先の場所へ行っただけだ。

 だからその()()()()まで探しに行く。

 

 

 羅針盤を残して消えた寂しがりやを迎えに。

 

 

 

 

 

 ▼

 

 

 

 

 

「——……ん、」

 

 誰かの名前を呼ぼうとしたくちびるが不明瞭なうめき声を発して、藤木遊作は長いまつげをふるわせた。うたた寝から覚めた視界は白黒くっきり二色に分かたれていて、上半分は目深にかぶったパーカーのフードであることを、一拍遅れて自覚する。

 下半分の白は、真昼の眩しさだ。カウンターテーブルに突っ伏して居眠りをしていたら、なんだか懐かしい夢を見てしまったようだった。

 

「あ、起きた。遊作はお昼もう食べた?」

 

 焼き鮭の皮を器用な箸づかいで剥ぎながら、(たける)が覗きこむようにことんと首を傾ける。大学進学とともにまたDen(デン) City(シティ)へやってきた穂村尊は、学部こそ違えど同じDen City ユニバーシティで学ぶ学友である。

 その左手にホールドされた茶碗では白米がごく標準的な山型を描いており、いつも持参している弁当の姿は見当たらない。今さっき昼食を食べ始めたところなのだろうと、遊作は覚醒しきらない頭で分析した。

 このDen City ユニバーシティ学生食堂の日替わり定食(ランチ)は和食・洋食・菜食の三種類だ。いずれも学生の財布にやさしい価格設定で、白米と味噌汁はおかわり自由。一杯目はスタッフがよそってくれるが、二杯目以降はセルフサービスなので大盛りになるのが常である。盛り付けから見て、尊はまだおかわりには立っていない。

 

「ああ……」と曖昧な肯定を発しかけた遊作だったが、かぶっていた黒いフードが背後から容赦なく剥ぎ取られた。

 

「はいダーウート! 遊作ちゃんは1限目終わってからずーっとここでご就寝でした!」

 

「やめろ、(アイ)……おまえはバイト中だろう。真面目に働け」

 

「愛ちゃんは視野が広いんだよ。んで、もうシフト終わってあがる時間だ」

 

 得意げに胸を張ったAi(アイ)は、ここの学食でアルバイトをしている。新学期開始一ヶ月にして早くも名物スタッフだ。

 Ai専用SOLtiS(ソルティス)SOL(ソル)グループの総合経営責任者にまで出世した財前(ざいぜん)(あきら)の厚意により特別に貸与されているものだが、維持費は自腹だし、人型である以上は交通費だって遊作と同じだけかかってしまう。電脳空間と違って毎日同じ服を着ているわけにもいかないからと、身なりに気を遣うAiはみずからアルバイトという待遇を選んだ。(おかげで二人暮らしのクローゼットはすっかりAiに私物化されてしまっている)

 AIのくせにすっかり生活感を身につけたAiは、大学のロゴがプリントされたエプロンをとると、ひらりと手を振った。

 

「おねむのおにーちゃんの代わりに、愛ちゃんが昼メシ買ってきてやるよ」

 

 ウィンクをひとつ、軽快な足取りで売店に向かう、人間態のAi。出くわした女子と二言三言交わしては黄色い歓声をあげられているのも、もはや見慣れた日常の一コマである。

 藤木くん、と呼ばれているのは、表向きは『遊作の双子の弟』ということにしているからだ。

 

 藤木 愛と名乗っている。

 

 女の子みたいな名前だねと雑談を持ちかけられれば「俺ってば最初は目だけだったからさー」とおどけてみせるくらいには正体を隠していないくせに、長袖とタートルネックを着用した姿は人間とまったく区別がつかない。

 SOLtiSのせいで失業したと非難轟々だった二年前の一悶着なんて、みんなもう忘れてしまったのだろう。

 

『大人気だな、Aiは』

 

「うわっ、不霊夢(フレイム)、外にいるときは出てくる前に一声かけてってば」

 

『む。驚かせてしまったか?』

 

 シャツの襟元から顔を出した不霊夢は、ごそごそと這い出すと、尊が差し出した手のひらからテーブルに降り立つ。今の不霊夢は『ソリッド・ビジョン』という立体映像なので質量はないのだが、足場があるとやはり落ち着くものだ。

 不用意にログを残さないようにと、デュエルディスクではなく卓上が定位置となった。

 しゃんと背筋を伸ばして腕組みする不霊夢の姿は、初めて出会った三年前と変わらない。そこにいてくれることがまだ信じられない心地で、尊は首から提げている小さな巾着袋を手のひらで抱きしめるようにそっと握った。

 遊作を挟んで静かにうどんをすすっていた仁も、困ったように眉尻を下げる。尊にならって肌身離さず持ち歩いている黄色い宝石のなかには、まだ見ぬ『光のイグニス』が眠っているという。

 

 イグニスの〈(コア)〉だという謎の石が持ち帰られたのは、この春の出来事だった。

 

 二年といくばくか昔、五体のイグニスたちはボーマンによって吸収され、消失したかに思われた。ところが彼らの〈核〉が、サイバース世界に残留し続けていたらしい。サイバース世界が林檎なら、その種のように六つ、ずっと眠っていたというのである。

 高校一年生の秋に音信を絶った遊作は、Aiが使っていたカードの記憶を道しるべにイグニスの〈核〉を探し出し、電脳世界から現実世界へと持ち帰ってみせた。

 その後、SOLグループとハノイ騎士との間で何らかの密約が交わされ、イグニスの肉体(ハード)に相当する〈核〉はパートナーに返還される運びとなった。鴻上博士の罪そのものである六体のイグニスをそのままにしておくわけにはいかず、かといって今のSOLでは持て余したのだろう。不霊夢の本体である〈炎の(コア)〉は穂村尊の手に、〈光の核〉は草薙(くさなぎ)(じん)に、〈水の核〉は財前葵に、そして〈地の核〉と〈風の核〉のふたつはハノイの騎士のもとに、それぞれ委ねられている。

 AiにはSOLテクノロジー社乗っ取りの前科があることから、〈闇の核〉だけはSOLの金庫に厳重に保管されているものの、人質になる代わりにSOLtiS一体が無期限に貸し出されている。おかげで日常生活は自由なものだ。

 遊作は何食わぬ顔で大学生になり、Aiは廃盤になったSOLtiSに入って人間ごっこ。それもこれも、イグニスとそのオリジンであるふたりを目の届くところに置いておきたいSOL側の思惑ありき、財前社長の温情ありき、そしてハノイの騎士の監視ありきの措置である。彼らの目の黒いうちはSOLにもハノイにも脅かされる心配をしなくて済むのだから、メリットの方が多いくらいだろう。

 そもそもイグニスに本体(ハードウェア)があったことなど、本人たちですら青天の霹靂であったのだ。Aiは見覚えのありすぎる六つの石の形状になんとも形容しがたい微妙な顔をしたし、〈炎の核〉は《アチチ@イグニスター》そっくりで、不霊夢の反応もまたお察しである。

 どうやら、イグニス——十三年前にSOLテクノロジー社が生み出した意思を持ったAI——には、多くの謎が残されている。

 

 大事なものならアパートの部屋に置いておくより手元にあったほうが安心だと考え、尊は不霊夢の棲む〈炎の核〉を頑丈な革製のポーチに入れて肌身離さず持ち歩くようにしていた。

 重たいペンダントからは不霊夢がデュエルディスクにいたときと同じようにちょいちょい顔を出し、尊を激励したりdisったりする。

 二年半ごしに戻ってきた、いとおしい日常。

 なのに不霊夢と過ごす日々には言い知れぬ不安がつきまとう。

 尊の葛藤を察してか、ついと箸を持ち上げた仁が思い出したように話題を転換してみせた。

 

「たける、今日はお弁当ないんだね」

 

「ああ、うん。今朝は綺久(きく)が一限から授業だったし……ってか朝忙しい日は作んないよ」

 

『綺久嬢が弁当をこしらえなかったのは三度目だぞ、尊。大学入学から五週間、多忙な朝にも二度は弁当を持たせてくれていたわけだ。きみにはもったいないくらいマメな女性だな』

 

「どこから目線だよ……綺久はただの幼なじみで、都会で女の子の一人暮らしは心配だからだって何度も言って、」

 

「えーそうかあ? 同棲中のカップルにしか見えねーけどなあ」

 

 Aiがどさりと遊作の頭上に購買部の紙袋を乗せ、にまにまと人の悪い笑みを浮かべる。昼ドラ好きは相変わらずだ。

 そうだ、とさも名案を閃いたようにポンと手を叩く。

 

「遊作ちゃんにも俺が-Ai-妻弁当作ってやろっか! 《うまま@イグニスター》なんつって」

 

「ちょっと黙っていろ……」

 

「はいはい、ごちそうさま!」

 

 白米をかきこみながら尊が話題を打ち切ると、不意に、学生食堂のざわめきが色を変えた。壁や柱をとりまく無数の画面が、まるで花吹雪でも吹き荒れたかのように一斉に、同じTVニュースを映しだす。

 

 ——HDR(ヒドラ)コーポレーション最新型ヒューマノイド〈Hi-EVE(ハイヴ)〉の快進撃!!

 

 各々が手近なモニタに目を向ければ、スクリーンのなかでは女性型のAIが軍服姿の男から表彰を受けているようだった。同じ女性型AIでもパンドールとは異なり、どこかロボットじみた無骨なフォルムだ。

 機械には相変わらず疎い尊だが、背筋を這う不穏な予感に眉根を寄せる。

 

「ハイヴ……? デュエリストか何か?」

 

「ヒドラ社って言ったら、ソル社がアンドロイド部門を売却した新興企業だよね。あれはソルティスの後継機と見ていいのかな」

 

 仁が確認するように遊作、そしてAiを振りあおいだ。

 

「なんだ、俺より詳しいじゃねーか草薙弟」

 

「十年分の遅れを取り戻さなくちゃいけないから、勉強はしてるつもり」

 

「へえ、殊勝なココロガケだな」

 

 俺もこの二年間のことはよく知らないしな……と、Aiはくちびるに指先をあてた。むう、と押しつぶす。

 遊作に連れ帰られるまでの約二年の間、 Aiは〈サイバース世界〉に建てた墓のさらに下で眠っていたのだ。スリープ状態になっていたらしく、その期間に起こっていた出来事はログデータでしか知ることができない。

 SOL社公式ホームページにはSOLtiSの製造開発は二年前に打ち切られたと記載されており、財前からも今Aiが使用しているこのボディがSOLtiS最後の一体なのだと聞いた。LINK(リンク) VRAINS(ヴレインズ)の英雄Playmaker(プレイメーカー)とその相棒の帰る場所として特別に保存してくれていたものを、ありがたく使わせてもらっている。

〈ハノイプロジェクト〉に端を発する十三年間、非人道的所業の枚挙にいとまがないSOLテクノロジー社だが、さすがにDen City全域のセキュリティを一手に担う、いわば公共インフラ企業である。国内に競合他社が乏しいこともあり、そうやすやすと潰れるわけにはいかなかったのだろう。さいわいにしてLINK VRAINSはAiによる無制限解放のせいで登録ユーザー数が大幅に増加していたし、ライトニングの反乱後LINK VRAINSを閉鎖させたクイーンは更迭済み。新CEOの財前は、SOL社の経営を立て直すためリカバーに奔走。〈ハノイの騎士〉との結託を決断。AI開発とアンドロイド製造から手を引くことで、図太くもSOLの復興を成し遂げていた。(おかげで社員をまるごと解雇するというAiの暴挙はすんなりと闇に葬られた)

 そのときSOLからアンドロイド部門——SOLtiSの開発プロジェクトおよび製造施設——を買収したのが、くだんのHDR(ヒドラ)コーポレーションだ。国内での信用が著しく落ちたSOLtiSを軍事用に改良し、海外に輸出して急成長を遂げたらしい。

 学生食堂を賑わすニュース番組はAIの平和的軍事利用を賞賛し、女性型ヒューマノイド〈Hi-EVE〉の活躍を讃えている。

 なんでも海の向こうの遠い国で、紛争を終結に導いたのだとか。

 

「俺がいようがいまいが、戦争は避けられなかったってことか……」

 

 ため息めいて独り言ちれば、遊作の視線が気遣わしげにAiを射抜く。それにはゆるく首を振って応じ、Aiは仁のうどんを魔法使いのようにくるくる指差すと「のびるぞ」と笑った。

 仁は話題を逸らされたことに不満を述べるでもなく、どんぶりを持ち上げて口付け、ぬるくなったスープを飲み干す。

 その胸元にぶらさがるお守り袋の中から、光のイグニスは出てこない。

 無意識のうちにライトニングに相談を持ちかけようとしていたAiの手が、不意につかまえられた。

 

「愛。おまえが何を考えているのかは知らないが、SOLは今LINK VRAINSの維持と発展に専念している」

 

「わかってるよ、遊作」

 

 今この瞬間にも、遠い国では戦争をしている。しかし遠く遠い異国の話だ。LINK VRAINS経由でどこへでも行けるこの時代、物理的距離なんかよりもネットワークから隔離された場所のほうが深刻に遠い。地続きじゃない世界(ワールド)で何が起こっていようとも、観測できないものは()()のだ。

 そうだ、Hi-EVEがどんなAIだろうと、Aiには知ったことではない。今は藤木愛としてパートナーと一緒に暮らしている。イグニスもみんな戻ってきて、みんなで力を合わせて人類とイグニスとの共存の道を模索していく。そういう未来が目の前には開かれている。

 SOLテクノロジー社がアンドロイド製造開発部門を手放したのは、おそらく財前晃からAiへの謝罪の意でもあるのだろう。アースの一件を経て、SOLは自社をAIを取り扱える器ではないと判断し、切り捨てたのだ。

 人類の後継種として意思を持ったAIを創造するという無茶な計画のために六人の子供を拉致監禁した〈ロスト事件〉の真相が(おおやけ)になることこそなかったが、同じ過ちを二度と繰り返しはしないという決意表明だろうと、若き社長殿の英断をAiはおよそ好意的に受け止めている。

 もしSOL以外から第二第三の鴻上博士が生まれたとしても、また〈ハノイプロジェクト〉のような無茶な計画がまかり通っても、それは人類の愚かしさでしかない。人工知能研究に関してはDen Cityが最先端というわけではないのだ、別の世界でどんなAIが生きていても死んでいても、それを感知することは不可能である。

 沼に足をとられかけた思考を遮るように、遊作とAiのポケットから同時に電子音が響いた。

 

「メールだ」とAiが虚空につぶやく。

 

 携帯端末を確認した遊作は、顔をあげると尊、不霊夢、仁を見渡す。

 

「……財前晃が、LINK VRAINSの件で俺たちに頼みたいことがあるそうだ」

 

 一緒にきてくれるか、と遊作が示したホログラムディスプレイには、Playmakerとその協力者宛てのメッセージが綴られていた。



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SOL社にて

 それにしても、生身で呼び出されるというのは不思議な感覚である。遊作たちがSOLグループ本社ビルまでやってきたのは午後の講義を終えた夕刻だった。

 ここに呼ばれるのは、遊作が持ち帰ってきたイグニスの〈(コア)〉を返還されたとき以来——わずか一ヶ月ぶり二度目になる。

 居心地悪そうな(たける)と興味津々の(じん)をともない、広大なロビーに足を踏み入れれば受付ロボットが道案内にやってきた。来客を承認するとうやうやしい挨拶をして、約束の部屋へと誘導する。

 無機質な廊下には品のいい調度品が適度に置かれており、Ai(アイ)が「税金対策してるねぇ」と肩をすくめた。

 案内されるがまま扉をいくつかくぐると、財前晃が出迎えた。社長室らしく重厚な応接用ソファには葵とアクアの姿もある。先に来ていたらしい。

 

「急な呼び出しにもかかわらず応じてくれて感謝する」

 

「で? LINK(リンク) VRAINS(ヴレインズ)内で待ち合わせなかったのは、なんか理由があるんだろ」

 

 Aiが軽い調子で進み出れば、財前は気を悪くするふうもなく首肯する。

 

「歩きながらで構わないかな」と断ってカードキーをかざすと、奥の壁が左右に割れた。

 

 音もなく口を開けたのは一部屋ほどのスペースがありそうな隠しエレベーターだ。人知れず内蔵されていた精巧なギミックに、仁が小さく歓声をあげた。

 壁には絵画を飾った瀟洒な箱は一同を乗せ、音もなく地下へと降りていく。(内装が真っ白でないのは、〈ロスト事件〉被害者を招き入れる場合を想定した配慮なのかもしれなかった)

 そして、財前は厳かな口調で切り出す。

 

「LINK VRAINS内のNPCが年々増加していることは、知ってくれているだろうか」

 

「NPC……?」

 

「動物や昆虫、植物——LINK VRAINSには未知の生き物が棲んでいる。それをN(ノン)P(プレイヤー)C(キャラクター)と呼ぶのは、我々の傲慢かもしれないが」

 

 もとよりLINK VRAINSはイグニスの作り出したデータマテリアルから成る我田引水の箱庭だ。大元であるサイバース世界は地球上の資源や文化を模倣して創造されているので、LINK VRAINSの風景を彩っている草木は当然のように生きている。空には翼を持つ動物がいるし、水底には水棲生物がいる。世界とはそういうものだろう。

 

「近年、NPCの凶暴化が見過ごせなくなってきた。大型の肉食動物、毒を持つ昆虫に襲われればフラッシュバックも深刻だ。そこで、ほかでもないきみたちに調査を依頼したい」

 

『それは、その生物たちが我々イグニスが作ったデータマテリアルなのかどうか確認せよ、ということでいいのだな?』

 

「その通りだ」

 

「まあ、俺たちの誰かが作ったものだし……俺たちならわかるだろうけどよ。そういう調査に関しちゃゴーストガールやブラッドシェパードがいるんじゃないのか」

 

「ふたりには二年かけて多くのサンプルを持ち帰ってもらっている。ハノイの騎士が解析を続けているが、イグニスアルゴリズムに非常によく似ているものの、完全に一致するとは断言できないそうなんだ」

 

 エレベーターの扉が開く。すると白く清潔な部屋の中央には三日月のようなクレイドル型のログインブースが三脚。

 見覚えのある形状を目の当たりにして、Aiが片眉をつりあげた。

 

「……リボルバーが使ってたやつと似てるな」

 

「お察しの通り、ハノイの騎士から提供された技術だ。きみたちに調査を依頼するにあたってSOLグループは可能な限りの情報と設備、報酬、保証を提供する用意がある」

 

「へえ?」

 

 挑戦的にくちびるをつりあげ、Aiは率先してデバイスに近付いた。リボルバーからの()()という人数指定だな——と、遊作が考えているのを読み取って、金色のひとみが鋭さを増す。

 あちらに想定されているのだろうメンバーは、おそらくPlaymaker(プレイメーカー)、Ai、ブルーメイデン。〈水の核〉はオリジンである杉咲(すぎさき)美優(みゆ)に代わって財前葵が預かっており、アクアも人類との共存を望んでここにいるのだ。ふたりがこの調査依頼を断る合理的理由はない。

 だが草薙仁が回復していること、このところ最も頻繁にログインしていること、デュエルの腕前が確かであることは、ネットワークの監視者様なら当然承知のはず。仁は十年におよぶ入院生活で低下した運動機能を取り戻すリハビリとしてVR空間を利用しているにすぎないが、戦力として数えていいデュエリストである。わざわざ頭数から弾いておく意図が読めない。

 罪滅ぼしのつもりか、……それともライトニングを警戒したか?

 

「よし。それじゃ、こいつは遊作、尊、仁の三人で使ってくれ」

 

「ちょっと。わたしもいるのだけど?」

 

「こう言っちゃあ悪いけど、あんたはアクアのオリジンじゃないからな。はぐれたとき面倒そうだ」

 

「わたしがアクアとはぐれるようなことがあるっていうの?」

 

「何があるかわかんないってことだよ」

 

『……葵。Aiには何か思うところがあるようです。今は彼を信じましょう』

 

 アクアのフォローに、Aiがそっと双眸をゆるめて謝意を示す。そして換気でもするように周囲を歩き回ると、パートナーの左腕をつかまえた。

 デュエルディスクを媒介するため、ログイン中は遊作に折り重なるような格好になるが、それはご愛嬌というやつだ。

 

「俺は遊作ちゃんのお膝でログインすっから問題ないとして」

 

「おまえたちは、いいのか?」

 

 遊作が振り返ったのは、尊と仁だ。不霊夢(フレイム)のオリジン穂村尊と、ライトニングのオリジン草薙仁。ふたりはイグニスのパートナーである以前に〈ロスト事件〉の被害者である。わざわざ危険な橋を渡る必要はない。

 今なら葵という交代要員も確保できている。

 

「僕は行ってみたいな、ライトニングが出てきてくれるかもしれないし。……兄さんには、できれば内緒で」

 

『わたしも協力する用意があるぞ。久しぶりのLINK VRAINSだ、里帰りのようで悪くない』

 

「俺は——……うん、いいよ。不霊夢の力になりたいし」

 

「よし、じゃあ決まりだ」

 

 Aiが遊作の左手を持ち上げ、依頼主を見据える。財前はひとつ頷いて、遊作、尊、仁の三人をリクライニングシートにうながした。

 現在、SOLグループと〈ハノイの騎士〉は共闘関係にある。どのような取引があったのかは部外者である遊作やAiには明かされないが、かつてはイグニスを奪い合って敵対していた組織は表立って手を取り合うに至った。

 今から三年前——SOLテクノロジー社はサイバース世界のありかを特定し、再び膨大な情報資源を手に暴利を貪ろうとした。一方で〈ハノイの騎士〉はイグニスを抹殺しようとしていた。今も忘れない、遊作とAiが出会うきっかけとなった一連の事件だ。

 あのころは〈ハノイの騎士〉の襲撃を受け、Aiがサイバース世界を隠しただけでネットワーク効率が30%以上も低下するほど脆弱だったSOLのサーバーは、Aiが消滅してもほんの数ヶ月で持ち直せるほど強固なものになった。遊作の手で再び人間社会に連れ戻されたイグニスたちはもうネットワーク上に独自の世界を作ることもなく各々の殻にこもり、パートナーのもとで家族(ニンゲン)のように愛玩動物(ペット)のように、安逸と暮らしている。

 それでも風は吹いている。

 Aiはパートナーの膝に乗り上げると、耳元にくちびるを寄せた。

 

「……遊作」

 

 エメラルドのひとみが鏡のようにAiをうつして、長いまつげをそっとまたたかせる。静かな首肯だ。目を閉じる。

 そして三組のオリジンとイグニスを送り出すように、ログインアラートが走り抜けた。

 

【挿絵表示】

 



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置き去りの青

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 いたずらのように付け加えられた一言は、葵のこころにぽたりと落ちて波紋を広げた。

 照明がゆるやかに落とされ、LINK VRAINSをモニタリングするためのスクリーンが順繰りに展開していく室内で、置き去りにされるような懐かしい錯覚。波立つ感情が心臓に到達したようにどくどくと鳴り始める。

 おにいさま——と動きかけたくちびるを引き結ぶ。兄は仕事中なのだ。葵は妹ではなくアクアのパートナーとしてここへ来た。きっと手伝いができると思ったからついてきたのだけれど、アクアのオリジンではないからとAiから戦力外通告を受けてしまった。

 

 オリジンではない。

 

 その言葉によって思い知らされるのは、財前葵は〈ロスト事件〉の被害者ではない……という、およそ幸福な事実だ。わずか六歳にして誘拐・監禁され、AIと人類が共存に至る未来を紡げと運命の輪に架けられた、無辜の受刑者たちとは違う。

 葵はデュエルディスクを手のひらで覆い、そして足音を殺すように一歩、二歩と壁に近づくと、身を翻した。

(ごめんなさい。わたしはこのこと、伝えに行きます)

 

 兄に対する謝罪なのか、あるいは草薙仁に対してか、葵のなかでも判然としない。それでも。今、行かなければならない気がしたのだ。パブリックビューイングの広場の、あのホットドッグワゴンに。

 エレベーターはすんなり動いた。隠し事をするような申し訳なさ、白い嘘を暴いてしまう後ろめたさはもちろんある。決闘盤からアクアが顔を出したけれど、黙っていてくれる彼女の気遣いに甘えることにした。

 玄関口で葵を送り出したSOL受付ロボットは、葵の退出時間を記録しているのだろう、

 

 薄暗がりに街灯がオレンジ色を咲かせ始め、惜春の風は肌寒い。華奢なパンプスを急かしていた葵は、カーディガンの袖口を軽く引っ張って、現在時刻を確認した。行きつけのホットドッグワゴン〈Café(カフェ) Nagi(ナギ)〉が閉店する前にたどり着けるだろうかと、ふと不安になる。

 夕方から夜へ、春から夏へ、移り変わっていく時間とはひどく曖昧なものだ。過ぎ去ってみてようやく、何気なく通り過ぎてきた風景に後ろ髪を引かれる。今はまだ不確かな初夏の黄昏。もう一度腕時計を見下ろす。SOLの本社ビルからパブリックビューイングの広場までは、遠くはないが近くもないのだ。店主(マスター)の弟——草薙仁——がLINK VRAINSにログインしていることを告げにやってきたのに、すれ違ってしまったら、走って出てきた意味がない。

 たどりついた広場には人影がちらほら、モニタには〈Hi-EVE(ハイヴ)〉のTVコマーシャルが躍っている。かつて〈SOLtiS(ソルティス)〉はDen Cityを失業者であふれさせたが、人型アンドロイド開発はHDR社に移り、海外で軍事利用されることで人々の失職を食い止めた。

 

 ああ、ここは、AIがいなくなったことで安寧を取り戻した街なのだ——そんな実感が込み上げてきて、立ち尽くす。

 

 そんな葵にCafé Nagiの看板をしまおうとしていた店主がふと気付いて、いらっしゃい、と気安い調子で破顔した。



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天装の閃光 Dragvalor

 アバターに転送された意識が再び目覚めるとき、独特の浮遊感をともなう。一瞬の空白ののちに肉体の感覚がアバターの内側に満ちていき、擬似重力に呼ばれるように、着地。

 じゃり、と砂を踏む感覚は相変わらずリアルだ。Playmaker(プレイメーカー)Ai(アイ)Soulburner(ソウルバーナー)が降り立ち、三人からはやや遅れて、くらげのようにDragvalor(ドラグヴァロー)——草薙仁のアバター——がふわりと続いた。

 白いブーツのつま先が音もなく荒野に触れ、つむじ風に翻る白のロングコートの裾がバランスを取るように左右対称に広がる。そのさまにライトニングとの戦いがよみがえって、Soulburnerは我知らず目を伏せた。

 しかし気遣うようなPlaymakerの視線に気付いてパッと顔をあげる。大丈夫だと両手を振ってみせたが、いくぶん表情のわかりやすくなったPlaymakerを直視してしまえば取り繕った苦笑はすぐに引きつった。

 

(Playmaker、さすがにかっっっこいいな……)

 

 こうして姿を見るのは実に二年半ぶりだが、Playmakerは穂村(たける)が一歩を踏み出すきっかけとなった憧れのヒーローである。十九歳の遊作に合わせて成長したアバターは、より救世主めいた風格を湛えて雄々しい。

 つい気圧されてしまっていたSoulburnerは、ふと、Playmakerの視線が記憶にあるよりずっと上から注がれていることに気がついた。

 

『どうかしたか、Soulburner?』

 

「ぁあ? あ、いや……」

 

 デュエルディスクからにょっきりと生え出してきた不霊夢(フレイム)に、曖昧に応じる。この距離感も久しぶりだ。ソリッドビジョンは触れられないが、LINK(リンク)VRAINS(ヴレインズ)では頬に触れる小さな手のひらの感触がわかる。

 隣では立ち襟を胸元まで開けたDragvelorが微笑ましげに見守っていて、リアルの仁よりも兄の翔一を思わせる頼り甲斐をまとっている。……視線はやはり同じくらいか少し高い。

 

「はっはーん、Soulburner、おまえアバターの更新(アップデート)のやり方がわかんねーんだろ!」

 

「ぅぐっ……」

 

『いいではないか、Soulburner! きみが電子機器に疎いのは今に始まったことではあるまい。Soulburnerは今のままでも充分にカッコイイぞ』

 

「おまえほんとにちょいちょい俺をDisってくるよな……!」

 

『不満だというなら今ここでアバターの年齢設定を調整しても構わないが?』

 

「ああ、もう、いーよこのままで……」

 

 肩を落として、ため息で吐き出す。そう、PlaymakerとDragvalorが十九歳相当の青年であるのに対し、Soulburnerの外見年齢はどう見ても十六歳程度なのである。電子機器にもネットにも疎い穂村尊は、不霊夢がいなければアバターの調整もまともにできない。ログイン自体ざっと二年ぶりだ。

 高校二年間を潰してログイン状態にあったPlaymakerが成長しているのは不思議なことではないし、Dragvalorは実兄が凄腕のハッカーだ。Playmakerの最強の盾であった兄の背中を追うように、大学でもプログラミングやデータベーシングの分野に身を置いている。電脳戦において門外漢であるSoulburnerとは立っている土俵からして違うのだ、Soulburnerのアバターをデザインしたのだって三年前の不霊夢なのだから。

 しかし、てっきりPlaymakerのデュエルディスクに乗っかっていると思っていたAiがPlaymaker同様の細身のボディスーツ姿であることには面食らった。以前のような華美さは鳴りを潜め、Playmakerと双子でも演じるような背格好とイグニス態と変わらぬひょうきんな仕草でSoulburnerを揶揄してくる。

 アカウント名は『Ai』。

 そうきたか、とSoulburnerの喉が低くうなった。

 

「お話は終わりましたか?」

 

 不意に空気がぬるりと揺らぎ、透明なカーテンのように空間が歪む。一同が振り向けば、不毛な荒野には似つかわしくない白い服の男が進み出た。柔らかな白髪が揺れる。

 付き従うように横たわるのは《ヴァレルロード・ドラゴン》だ。ハノイの従者たちは揃って一礼する。

 

「お久しぶりです、みなさん。リボルバー様より案内人(ガイド)のお役目を仰せつかってまいりました」

 

「スペクター……」

 

「我々が提供させていただいたデバイスは三脚のはずですが……まぁいいでしょう。こちらがSOLグループと共同で収集・解析した成果(データ)です。調査を依頼する側であるという立場はわきまえていますから、質問があれば何なりとお答えしますよ」

 

 わからないものはわからないですがね、と一言余計に付け加えると、スペクターは手元にデータを呼び出した。情報の渦は球体の形状を取って浮き上がる。ものの数秒で生成されたデータスフィアを指先で弾くと、蛍ほどの光の収束体が速やかに四つ進み出た。

 PlaymakerとDragvalorはデュエルディスクでそれを受け取ると、手元にコンソールを呼び出して目を通し始める。

 Aiはコンタクトレンズでも入れるように右目を見開いて受け入れると、ぎゅうとつぶった。

 天性のハッカーたちが流れるようにデータを呑み込んでいくさまを一歩引いて見守っていたSoulburnerだったが、ついとパートナーを見上げた不霊夢が両手を伸ばしてデータ球を受け取ると、デュエルディスクに引っ込んだ。目玉だけになってぱちくりまたたく。

 

『なるほど、おおよその解析は終わっているのだな』

 

 スペクターがよこしたのはLINK VRAINS全域を網羅したマップデータだ。ソリッドビジョンで三次元的に展開させれば、八割以上のエリアの解析が完了しており、二年間でブラッドシェパード・ゴーストガール兄妹がよほど勤勉にトレジャー・ハンティングに勤しんだのだろうことがうかがい知れる。この広大なLINK VRAINSをこうも調べ尽くすのは、あのふたりでもなければ難しかったに違いない。(SOLはそれだけの費用をつぎ込んだ、ということでもある)

 地図によれば、ここは一般ユーザーには開放されていない未公開エリアであるようだった。SOLから承認を受けていないアカウントが踏み込もうとすれば進入禁止ペナルティ扱いで強制ログアウト処理がかかるらしい。見渡す限りの荒野には事件や事故の履歴どころか、安全確認プログラムが巡回した足跡すら見当たらない。

 財前晃がPlaymakerに持ちかけた依頼は『凶暴化するNPCの調査』だったはずだ。それがイグニスアルゴリズムと同一とは言い切れない、という相談内容だった。イグニスをともなってログインさせられた座標は未開の地、となれば、データマテリアルにはない、ログデータもない未知の()()がいるのだろう。

 

「俺たちへの依頼は、ハノイの騎士にとっても最終手段というわけか」

 

 Playmakerが念を押すように見据えたが、スペクターはにこりと微笑してみせると左手首のデュエルディスクを掲げた。

 

「では、移動手段としてエクストラデッキから一枚、モンスターの効果を無効にして実体化してください」

 

「実体化……?」

 

「ログインクレイドルに搭載された機能です。残念ながらわたしのデッキには機動力の高いモンスターがおりませんので、リボルバー様からお借りしていますが」

 

「Dボードじゃなんか不都合でもあんのか?」

 

「あなたのイグニスが逆風を操ってくださるというならこちらとしても助かるのですがねぇ」

 

 Dボードには単独飛行機能こそあれ、データストームが起きれば自在に飛ぶことは難しくなる。スペクターの言葉はそのまま、データストームはまだ吹いているという示唆だ。かつてイグニスが電脳空間に創造し、LINK VRAINSの素材となった膨大な情報の渦。

 ハノイの騎士も『データゲイル』というデータストーム発生プログラムを開発・所持しているが、あれは局所的な竜巻を起こすだけで長距離移動の波長は創り出せない。六体のイグニスとリボルバーにデータマテリアルを操るポテンシャルがあるとは言っても、他人が起こしたデータストームを制御するのは不可能だ。

 万が一、データストームが吹き荒れることを考えれば、モンスターの背に乗るのが最も安全だろう。そのためにハノイの騎士はログインデバイスを三脚、SOLに提供していた。

 クレイドルではなく遊作のデュエルディスクを媒介してログインしているAiには、モンスターの実体化はできない。

 

「それじゃあ俺はPlaymaker様と二人乗りかぁ……ってことは、あいつの出番だな!」

 

「無茶を言うな。リンクリボーはこのくらいだ」

 

「くっ、くりくりんくぅ〰〰〰!!」

 

「クリクリンクじゃわからない」

 

 手のひらでボールを抱きかかえるような両手とともに呆れ返ったPlaymakerと悔しげに拳を握ってじたばたするAiのやりとりに、スペクターがやれやれとため息をつく。学友にあたるSoulburnerとDragvalorも、リアルじゃ毎日あんな感じで漫才をやっているとはさすがに言い出しづらくて苦笑で濁した。

 雑談を強制終了させるかのように、ヴァレルロード・ドラゴンがばさりと翼を広げた。

 

「ああ……それでは、まいりましょうか」

 

 スペクターが借り物の飛竜にまたがると、先導するように鋼鉄の翼が砂煙を舞い上げる。

 左手首のデュエルディスクに、アースの姿は見当たらない。

 

 

 

 ▼

 

 

 

 低空飛行する《ヴァレルロード・ドラゴン》、《ファイアウォール・ドラゴン》。その影を蹴って《転生炎獣(サラマングレイト)ヒートライオ》の四本足が力強く大地を駆ける。前肢の鋭い鉤爪は赤い荒野を抉り進むのに、燃え盛る炎のたてがみが主たちを焼くことはない。

天装騎兵(アルマートス・レギオー)レガトゥス・レギオニス》の肩につかまるDragvalorは吹き抜ける風に髪をなぶらせながら、地平線の果てまで広がる電脳空間を見渡した。(レガトゥス・レギオニスは人馬一体のモンスターゆえ、必然的に二人乗りのような格好になっている)

 鞍の上に立ち上がれば視界はどこまでも広い。蹄鉄が荒野を蹴り、断続的に突き上げてくる振動に胸が躍るようだ。耳元を通り過ぎていく気流、乾燥した風が襟のなかに潜り込んでは逃げだしていく感覚。

 誘われるように見上げれば、青空。

 陽光のまぶしさに目を細める。ゆったりと羽ばたくファイアウォール・ドラゴンの青い腹は、空を透かす透明な窓のようにも見える。白と黒の竜、白い鳥が風に乗って旅をしている光景は、現実世界ではまず見られないものだ。

 北を見れば、地平線には森林が連なっている。黒っぽく、針葉樹の群生地らしいそれは、きっと北国へ行けば似たようなものが見られるのだろう。

 南に目を向ければ、街らしき建造物群が見える。Den Cityとはまるで違う大陸的な文化を表徴する城門が威風堂々といかめしい。

 進む先——西の最果ては砂漠地帯で、つむじ風のなかに砂礫が混ざってきたのが肌で感じられる。くちびるにざらざらした砂の気配。鉄の蹄が大地に食い込んでは蹴り出して進む音と振動も、徐々に感触を変えている。

 LINK VRAINSにログインすれば、どこへだっていける——そんな全能感に酔いしれる。

 

(……ライトニング。きみなら、どんなカードを選んだかな)

 

 胸元に視線を落とす。そこには何もないが、リアルの草薙仁は、ピカリ——イグニスの〈光の(コア)〉——をポーチに入れていつも首から提げている。手のひらに隠せるほどの黄色い宝石は、十三年前、仁をもとに生まれたというAI、ライトニングのゆりかごだ。

 きっと彼は人類史が大好きなのだろうと、まだ見ぬパートナーに想いを馳せる。

 Dragvalorを背中に乗せたレガトゥス・レギオニスは『騎兵』、馬に乗った司令官のモンスターである。古代ローマの軍隊を模しているらしい天装騎兵モンスターはみなヒトの姿をしており、ともに戦う存在として軍馬や戦象が組み込まれている。

 この二年間は大学受験のための知識をやけ食いしていた仁にとって、このデッキはあまねく知性の象徴だった。

 十六歳まで入院していた仁は小学校もまともに行っていないし、復学は容易なことではなかった。もちろん大学は楽しいし、生まれついての楽観的な性格がさいわいして毎日楽しく過ごしてはいる。だが、遊作と尊しか友達がいないことを兄さんに告げ口されたらまずいな……と常日頃から危惧しているくらいには、草薙仁には友達がいない。

 なにせ話題が合わないのだ。雑談になって中学高校時代の話をされたら、笑顔で適当な相槌を打ちながらも手元の端末では『しゅうがく旅行 とは』『たいいくさい うんどうかい 違い』『普通 の 人生 年表』などなどの検索ワードを打ち込んでいるし、とにかく、現実世界には攻略済みでなくてはならないイベントが多すぎる。

 メインシナリオを十年も進めていなかったわけだからしょうがないとはいえ、六歳〜十六歳の期間に発生するイベントを全部スキップしたせいで、回帰(ドロップイン)はもはや不可能だ。入院していたと打ち明けても〈ロスト事件〉は完全に隠蔽されているし、仁自身も話に聞いただけで何も覚えていないので、「どこか悪いの?」という質問や同情を向けられるとまごついてしまう。

 病弱なわけじゃない、健康体だ。それでも十年ぶんのブランクは深刻に四肢五体にからみつき、いわゆる『普通の人生』への帰り道を歩かせてくれない。比喩のみならず肉体にも言えることで、施設で歩行のリハビリは受けたものの、走ったり飛んだり跳ねたりまで面倒を見てもらえるわけではないのだ。LINK VRAINSにログインしてアバターから可動関節のありかを学習できたから、リハビリは思いのほかスムーズに進んだけれど。

 VR空間なら、あらかじめ知っていたかのように直接、感覚機能に訴えてくる。味覚も、嗅覚も、触覚も。脳に干渉する電気信号のおかげで、失われた十年間も順調に成長していたかのようにLINK VRAINS内では思う存分動き回れる。

 歴史、芸術、建築、戦術、異文化……すべてサイバースたちが教えてくれた。子供のころよりもずっとデュエルモンスターズが大好きになっていく気がする。

 サイバース族のカードはイグニスたちが創造したという。ファイアウォール・ドラゴンはAiが遊作のために、転生炎獣は不霊夢が尊のために生み出したのだと聞いた。なら、天装騎兵はライトニングが仁のために作ってくれたのだと自惚れたって、バチは当たらないんじゃないだろうか。

 会いたいな、と目を細める。出てきてほしい。きみに会いたい。きっと不霊夢みたいに黒くて、きっとピカリ色の模様があって、博学多識のティンカーベル。

 PlaymakerとAiは『あいつ』の一言でリンクリボーを連想し、Soulburnerと不霊夢も異口同音にヒートライオを喚んでいた。エクストラデッキのなかから迷わず同じモンスターを引き当てられる、そんな絆が、いつかライトニングとの間に芽生えたりはしないだろうか——なんて、御都合主義の夢を見る。

 

(……勝手な期待をかけるのはよそう)

 

 妄想を振り払うように首を振る。Dragvalorがふうとため息を落としたころには、足元はすっかり砂漠だった。

 不意に、ヒートライオが後ろ足で立ち上がり、ふわりと浮き上がる。前肢の鉤爪が邪魔だったのかと思いきや、足元に何か障害物があったらしく、地上60cm程度の中空を走りはじめた。

 

『む、これはまだ解析していないものだな……』

 

「うわ、やめろって不霊夢!」

 

 デュエルディスクからにゅるりと身を乗り出した不霊夢を、Soulburnerが慌ててかき集める。両腕でかばうようにデュエルディスクごと抱きしめると、不霊夢がつまみあげたらしいサソリのようなNPCが放り出されてこそこそ逃げていく。

 捕食形態になり損ねた不霊夢は、閉じ込められた腕のなか、苦々しげに顔を歪めてみせた。依頼された調査に協力的な姿勢を見せているというのに、それをパートナーに拾い食い扱いされて邪魔されてはかなわない。

 ファイアウォール・ドラゴンがやにわに高度を下げてきて、ヒートライオに並走する。

 

「Aiちゃんが食ってやろうかー?」

 

『いや、構わない』

 

「そーお?」

 

 ばさりとひと羽ばたきして白と青の翼は上昇していく。

 Playmakerの視線はSoulburnerに注がれたままで、いまだ低空を飛んでいるファイアウォール・ドラゴンに遠慮するように不霊夢は押し殺した声で吐き出した。

 

『……Soulburner。我々イグニスが生き延びるということは、常に八十億対一の戦いなのだ』

 

 わかってくれるな——と苦言を呈するような響きにSoulburnerは耐えるように眉根を寄せた。わかっている、と、口から出てこない。頭ではわかっているのだ……と、Soulburnerはくちびるを噛んだ。

 三年前、不霊夢がパートナーに接触した背景には、烏有に帰したサイバース世界の再建という願いがあった。崩壊の真相を知りたいのだという不霊夢に、協力したいと思ったから穂村尊はDen City ハイスクールへの転校を決めた。

 Playmakerの活躍には目が覚めるような心地であったし、彼の存在も、かの英雄が同じ〈ロスト事件〉の被害者だという真実も、不霊夢に出会わなければ何も知らないまま無為な時間を過ごし続けていただろう。LINK VRAINSにアカウントを作ることも、都会での一人暮らしに挑戦することだって不霊夢の助力がなければできなかった。

 あのまま地元にいては、腐っていく自分を止められなかった。数々の過去によって外側から構築され、アイデンティティを縛られた環境で、転生することは容易ではなかった。

〈ハノイプロジェクト〉のことは国家ぐるみで伏せられているのに、綺久(きく)と幼なじみであること、両親と死別していること、小学校に馴染めず中学にも行かず荒れていたこと——周りが『穂村尊』を知っている。そんなだから高校に進学しても先輩に目をつけられるし、お礼参りと称して他校の不良がわざわざやってきたりする。

 不霊夢いわくの『ふにゃふにゃした見た目』のせいで外面から強がらなければならなかったから、不良の真似事じみた格好ばかりしていた。そんな外見と内面の辻褄を合わせてくれたアバターがSoulburnerだ。

 ありのまま振る舞えるようになったのは、ほかでもない不霊夢のおかげである。

 だから不霊夢に協力したいと思う。望むなら何でも。とにかく恩返しがしたいのだ。その上で、不霊夢には無事でいてほしいと願っている。生きていてほしい。しあわせでいてくれればいい。

 ところが、どこかネットワークから切り離された場所へ行けば、そこで新たにイグニスの国を作って静かに暮らせるはずだ——と安易に考えていられた時代は終わった。広がり続けるLINK VRAINSはやがて、ネットワーク越しに世界という世界をつなぐだろう。七年前にハノイの騎士がサイバース世界を発見し侵攻を行ったように、どこかへ隠れたとしてもいずれ見つかるときはくる。

 大航海時代は到来し、このまま世界がつながり続ければ、LINK VRAINS経由で偶然入り込んでしまう人間が現れるだろう。悪意がなくとも、侵略ではなくても。そこがイグニスの領域であることを理解しないまま土足で踏み込まれてしまう可能性を考慮しなくてはならなくなった。

 かつてサイバース世界はハノイの騎士により襲撃され、その後ライトニングによって壊滅させられたが『二度ある事は三度ある』という言葉もある。

 三度目の正直なんてないという約束を求めて、戦っているのだ。不霊夢も、Aiも。

 そしてPlaymakerも。

 

「……っ、!」

 

 不意にPlaymakerが鋭く眉根を寄せ、ファイアウォール・ドラゴンが首をもたげた。めまいのような違和感にバランスを崩しそうになったPlaymakerをAiが支える。

 

「どうしたPlaymake——リンクセンスか!」

 

「……そのようだ……」

 

「サイバースの鼓動が聞こえるんだな?」

 

 耳を澄ますPlaymakerを抱きかかえるように寄り添い、Aiもセンサーを研ぎ澄ます。

 Playmakerにはネットワークの気配を察知しうる第六感がある。リンクセンスと呼ばれるそれは本来オリジンとイグニスの間に発生する精神感応だが、藤木遊作のリンクセンスは有効範囲がやけに広いらしい。Aiもイグニスのなかで唯一本能を持っているのでお互い様といえばお互い様、似た者同士といえば似た者同士なのだが、Aiにもイグニスとしての矜持がある。

 オリジンが目の前で自分以外が作ったサイバースと呼び合っているというのは、面白くない。

 

(——不霊夢!)

 

 視線で呼べば、見下ろした先で不霊夢が首を横に振る。Soulburnerは反応なしだ。さすがに盤石の絆は、よそのサイバースに付け入る隙は与えないか……とAiは無意識の奥で舌打ちする。

 さらに視線を下げれば、Dragvalorがレガトゥス・レギオニスの背中にしがみつくようにつかまっているのが目に入った。

 頭痛に似て非なる、耳の奥で何かがスパークするような感覚。この違和感はそういう名前なのかとDragvalorは崩れそうな膝を支える。

 

「……リンク、センス……?」

 

「Dragvalor? 大丈夫か、Playmaker!!」

 

 三人いるオリジンのなかでSoulburnerだけは何も感じず、おろおろと仲間を見渡す。不霊夢が鋭くAiをふりあおぐ。よほど強い干渉が発生しているのか、Playmakerも歯を食いしばるように俯いている。

 ぎりりと奥歯を噛んだSoulburnerは、四人目のオリジン——上空のヴァレルロード・ドラゴンに向かって吠えた。

 

「どういうことだ、スペクター!」

 

 ヴァレルロード・ドラゴンの光の翼は、しかし、高度を保ったまま何の返事もよこさない。スペクターがデュエルディスクに向かって何事か叫んでいるのが翼の隙間に垣間見える。

 この状況は想定外ということか——と、不霊夢は腕を組んで押し黙り、冷静に周囲を分析する。

 見渡す限りの砂漠地帯だ。スペクターにも予期できなかったということは、ここがイグニスのうちの誰が作ったエリアなのか判然としないということでもある。

 もしも火山地帯であれば不霊夢の庭である。炎属性のイグニスである不霊夢はサイバース世界に火山を作り、熱を発生させた。鉄や岩を生むことで、光や地に還元した。

 しかしLINK VRAINSで一般開放されるエリアは人間(ユーザー)が快適にデュエルを楽しめる空間のみ。さらにサイバースモンスターの多くはハノイの騎士によるサイバース狩りによって消失している。転生炎獣がSoulburnerの手のなかにある限り、穂村尊がリンクセンスを発揮する機会はなかった。

 水のオリジンが海や湖のエリアに近付けば、リンクセンスは発動しただろう。

 風のオリジンなら微弱なデータストームも見落とさなかったはずだ。

 大地が鳴動をはじめる。アースのオリジンは上空で戸惑うスペクターその人であり、〈地の核〉はハノイの騎士のもとにある。ここは砂漠、見渡す限り未解析のエリアであることだけが確かだ。

 思考を分断するかのように砂塵は質量を持った風となって、上下左右の感覚を狂わせにかかる。

 

『これは……データストームではない……!』

 

 暴風なんてものではない、爆風、激流。砂の奔流がつぶてのように叩きつけてくる。ヒートライオが咆哮し、炎のたてがみを翼に舞い上がる。

 

「つかまれ、Dragvalor!!」

 

 飛べない仲間を置き去りにするまいとSoulburnerが手を伸ばしたが、蟻地獄が口を開けるほうが早かった。ヒートライオの炎は主を守るように——あるいは警戒心を映しだすかのように——煌々と燃え盛り、軍馬の蹄は足場を見失う。ぼろぼろと崩れゆく砂に呑まれぬようにレガトゥス・レギオニスがもがくが、もがくほどに砂のなかへと沈んでいく。

 追いすがるようにSoulburnerが手を伸ばす。ヒートライオのたてがみの向こう側から身を乗り出して、どうにか救いあげようと名前を呼ぶ。

 その手をとろうと砂嵐のなか顔をあげた、その瞬間、びしりと意識がひび割れるような錯覚に陥った。

 

「……ッ!!」

 

 伸ばされたそれは、本当に()か——? 疑念が湧き出してきて、視界が白くなって黒くなる。Soulburnerの声がどろりと歪む。赤いグローブから伸びる指先が、わけもなく恐ろしくなって喉が呼吸をやめようとする。

 背筋が凍る。指先はこわばり、ふるえだす。Soulburnerのひとみが困惑に見開かれているのに、そこにないはずの侮蔑や嘲笑を見出している自分自身がわからない。わからない。わからない。

 砂嵐に呑まれ、蟻地獄に沈むDragvalorを、これ以上は追えないとヒートライオが咆哮する。

 草薙仁のトラウマか、と、Aiの舌打ちが鞭打つように鳴った。ファイアウォール・ドラゴンに二人乗りでなければPlaymakerが真っ先に突っ込んでいったのだろうが、リンクセンスの干渉で平衡感覚を狂わせている状態でそんなことをさせるわけにはいかない。

 砂塵のなか、この状態では迂闊に助けにはいけない。

 

「Dragvalor——!!」

 

 呼び声に答える声もないまま、意識がぐらりと遠のいていく。どうしてか伸ばされた手を取れなかった。助けようとしてくれる手を、体が怖がっている。十年間のブランクは妙なタイミングで首を締めてくれるものだと、せめて衝撃を緩和できるように丸くなった。

 レガトゥス・レギオニスを先に逃がしたいと願えば実体化していたモンスターの姿も消え、Dragvalorはひとりで落ちる。砂の谷、深淵の淵に、呑まれる。

 兄さんにまた心配かけてしまう——笑うしかない状況に広角は笑みを形作ってしまって、そのままそっと目を閉じた。蟻地獄の底へのフリーフォールのなか、耳鳴りが突き抜ける。リンクセンスと呼ばれていた、不可思議な感覚だ。

 

 

『——人間というものは、これだから』

 

 

 愚かなのだと、どこか懐かしい声が吐き捨てる。




【次回予告】

 冷たく暗い砂の海へと呼び込むように、蟻地獄が口を開ける。こっちへおいでと彼を呼ぶのは、光か、闇か。
 サイバースは主を呼ぶ。創造主たるイグニスを、そのオリジンを。鮮烈なる閃光の渦が解き放たれるとき、Dragvalorは彼の原点に巡り会う——!

 次回、『命限りあるもの』明日 夕方6時25分投稿。

 Into the VRANS!!


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命限りあるもの

 砂竜巻が吹き荒れる。圧倒される。これがデータストームならまだよかったのにとAi(アイ)を毒づかせるほどの規模だ。あんな巨大なつむじ風に巻き込まれたら四肢五体が砕け散って、フラッシュバックで遊作ともども壊れてしまう。

 ……Dボードでなくて本当によかった。不幸中のさいわいだとAiは何とも薄情な感想を抱きながら、ともすれば振りほどかれそうな両腕に力をこめた。

 Playmaker(プレイメーカー)に抱きつくような格好になっているが、そうでもしないと正義感の強いPlaymaker様が砂嵐のなかへ急降下をかけるのがわかりきっているから縋る腕にもついつい力が入ってしまう。いくら《ファイアウォール・ドラゴン》が空気の読めるモンスターだとしても、こいつのマスターはAiではなくPlaymakerなのである。命じられれば逆らわない。

 リンクセンスが激しい頭痛になって襲ってくるのに仲間の救出を優先するようなヒロイックな相棒を持ってしまったせいで、Aiは気苦労が絶えないのだ。ハノイに感謝してやる気こそなくとも、モンスターに乗って移動せよという指示は今のAiには救いに等しかった。

 AiがPlaymakerと同じ体格のアバターでログインしたことも吉と出た。だってデュエルディスクにいたらPlaymakerを止められない。同じサイズ感だからこうして抱きしめて、ここにいると全身で訴え、物理的に引き止めることが可能になる。

 ファイアウォール・ドラゴンが砂嵐をはねつけるように力強く羽ばたけば、見下ろした視界にたなびく赤が覗く。Soulburner(ソウルバーナー)だ。あのアバターならプロテクターの加護が多いぶん多少の砂礫には耐える。

 

Dragvalor(ドラグヴァロー)!!」

 

 砂の暴風に引きちぎられそうになりながらもSoulburnerは手を伸ばす。

 かすんで見えなくなっていく仲間の姿とは、どうしようもなく胸をかきむしるものだ。ところが蟻地獄に落ちていくDragvalorの視界はノイズに覆われ、その向こう側に赤々と燃え盛る《転生炎獣(サラマングレイト)ヒートライオ》のたてがみ、そして白と黒の翼をかろうじて見とめた。鳥はもういないらしい。青い空はもう見えない。

 

「手を!!」

 

「そ……ぅあ、——」

 

 呼びたい名前が舌先で錆びつき、喉に絡まる砂に、むせることもできない。助けようと伸ばされたはずの手をとりたいのに指先はこわばって、濁流に押し流される。まるで棒切れになったようだった。LINK(リンク) VRAINS(ヴレインズ)にいれば自由だと思っていたのに、裏切られたような心地だ。

 どんくさいのは現実世界だけで充分だよ……と、Dragvalorのくちびるは自嘲めいた笑みに歪む。

 砂と風が渦巻くままに引き摺り込まれ、もみくちゃになってすり鉢型の地獄の底へとまっさかさまに落下する。上も下もわからない最果てに待ち受けるものは何なのか、恐ろしい一方で、これで終わりなのだろうかと妙に頭が冷静になる。Playmakerたちの前で死ぬのはちょっと嫌だな、と考える。

 落ちる、落ちる、落ちる。多分どこかの底に向かって。フリーフォールはどこまで続くのか、ワームホールに吸い込まれていくようにも思えた。(仁は一度だってワームホールに落ちたことなんかないけれど)

 ここでログアウトしたらどうなるのだろう? フラッシュバックに見舞われるのだろうか。兄さんに隠れてLINK VRAINSにログインしたのはまずかったかな——思考の闇に閉じこもるようにまぶたを落とした、その瞬間だった。

 

 

「————!!!!」

 

 

 ひときわ強烈な干渉が頭蓋を割らんばかりに突き抜ける。リンクセンスなど持ってしまったことを呪うほどに暴力的な頭痛が、神経という神経を引きちぎろうと暴れまわっているようだった。

 ばちん、ばちんと断続的に何かが弾ける。地底へ呑まれながらDragvalorが鉛色の双眸を大きく見開く。同時に天空のPlaymakerもまた同じ痛みに四肢をこわばらせた。

 

「Playmaker!! しっかりしろ、俺が……っ」

 

「違う……ッなに か が、くる——!」

 

「なにか……?」

 

 預言めいた響きにAiの声が惑う。こじ開けられたように見開かれて揺れるエメラルドグリーンの双眸は、確実にその()()をとらえている。

 耳鳴り、鼓動。激痛をともなうほど強く強い精神的干渉。

 Dragvalorも感じている。リンクセンスと呼ばれる第六感が暴走し、頭蓋が沸騰しているようだった。目の奥が熱い。耳のなかが焼けそうだ。神経をじりじり焼き切って、喉の奥にせり上がってくるものがある。

 呼ばなければならない。その名を、救世主を。地獄の底へと落ちていく身体は動けないのに、何ものかに操られたくちびるは見えざる手にこじ開けられて息を吸い込み、砂の味にむせる間もなく、咽喉を突き破るように突き上げる。

 声の限り、叫ぶ。

 この状況を打破すべく喚べと()が命じるのだ。今のきみが助かるために創り出してやった竜の名を。

 呼べと。

 

 

 

天装騎兵(アルマートス・レギオー)……っ、ラディウス・ドラグーン————!!!!」

 

 

 

 膨大な光の奔流が視界を埋め尽くす。白く、白く、世界すら消し飛ばすような閃光がありとあらゆるものを呑み込み、やがて、爆心地へと収斂していく。

 そして燦然ときらめいた黄金の飛龍が、ゆったりと四枚の翼を羽ばたかせた。

 砂嵐をかしずかせた見慣れないドラゴンの姿は、Aiのデッキの《ライト・ドラゴン@イグニスター》と似ている。その両翼には鉄の甲冑をまとい、背中には主人のための鞍を乗せて、凱旋を祝うように高く嘶いた。

 すり鉢型に穿たれた竜巻の底は、まるで小さな王を迎える城塞のようでさえある。

 渦中、鞍に抱かれて意識を取り戻したDragvalorが、重たい身体をどうにか持ち上げ、ふりあおげば——そこには荘厳な光があった。

 ああ、と喉が呼吸を取り戻す。光だ。天啓を授ける天使のように、夢にまで見たティンカーベルがふたつのまなこで厳然と睥睨している。

 きれいだ……と、くちびるがふるえた。

 

「きみが、ライトニング……?」

 

 夢見るように両手を差し出したのは、きっと無意識であったのだろう。雛鳥のような双眸があまりにも透明で、ライトニングは目を逸らした。一心に向けられる憧憬は犯し難いほどまぶしい。まるで恵みの雨を乞うかのように差し出された両の手に、降り立つ資格などないというのに。

 顔を歪めたライトニングとは対照的に、Dragvalorの表情がふにゃりと崩れる。だって、不霊夢(フレイム)のように黒いのだろうという想像を裏切り、ピカリ色をした宝石のようなイグニスが、ようやく顕現してくれたのだ。

 

「会いたかった——」

 

『二度と姿を見せるつもりはなかった』

 

 ぴしゃりと忌々しげに吐き捨て、ライトニングはいらいらと腕を組んだ。

 あまりの干渉の強さに引きずり出されたようなものだ。あたかも口のきけない赤子が親を求めて泣くかのように己の生命の危機にイグニスを呼ぶオリジンなど、観測の範囲外である。度し難い。度し難い。度し難い。不測の事態を嫌うライトニングは、草薙仁ならば真っ先に兄・翔一のまぼろしに頼るものとばかり思っていた。

 オリジンに求められることを、想定してこなかった。

 諦めていたのだ。

 十三年前、六歳だった草薙仁を苦しめて暗闇の檻に閉じ込めたのは他ならぬライトニングである。……はじめは、気遣いのつもりだった。孤独に震え、飢えに苦しみ、電撃に怯える幼子がひどくあわれで、きみは家に帰れるのだという希望を見せてやりたくなったのだ。しかし、〈ハノイプロジェクト〉ははじまったばかり。彼が白い部屋から出されることはない。ならば訂正しなければならない、ぬか喜びをさせたいわけではないのだ。

 少年を落胆させまいとして救助隊の虚像をおぞましげに変化させたとき、草薙仁はそれはひどく泣き喚き、いとけない力を振り絞って暴れた。同時にライトニングは、己の内側からふつふつと湧き上がってくる好奇心に敗北した。両親のまぼろしを見せ、あるいは兄が駆けつけてくれたという夢を見せた。そして必ず醜悪な怪物に姿を変えさせた。

 希望を絶望に挿げ替え続け、どこまで耐えられるのか? 純粋な知識欲であった。ライトニングによる耐久テストは六人の子供たちが助け出されるまで延々と続き、そして、草薙仁の精神が壊れてしまっていたことを知った。

 本当に家に帰されても、彼はもう、両親の真贋がわからなかったのだろう。再会した兄が本物なのか虚像なのかを判別できない。デュエルを強要される日々は終わったのか、まだ続くのか。今はいつで、ここはどこなのか——夢なのか、それとも虚構なのか、識別する能力を失っていた。

 VR特有のリアルさがよくなかったのかもしれない、何度も何度も繰り返された希望と絶望は判断力を鈍らせ、白い嘘にすがろうとしてから暗澹の現実に突き落とされるまでの暗闇(グレーゾーン)に、こころを置き去りにしていた。

 草薙仁の両親は家を空けることが多くなり、兄は部屋にこもって机に向かって難しい顔をしてばかり。仁を入院させたことで一旦落ち着いたかに思われた草薙家は、徐々にばらばらになっていった。

 壊れてしまった。——壊してしまった。

 ライトニングが焦ったところでもう遅い。己の内側から、存在意義がひび割れ、瓦解する音が響いてくるようだった。

 イグニスとは、人類の後継種となるべくして生まれてきたのだろう。そうだろう? 種としての限界に直面しつつある人類の寿命を伸ばし、その文明を継承するために創造されたのだ。道を照らし、世界を見渡し、人々を導く(ひかり)として——!

 出来損ないのAIだと認めたくない一心で、ライトニングは草薙仁の未来をシミュレートした。幸福であってくれ。どうか。どうか。自身が人類の後継種(イグニス)として役目を果たせるのか、祈りすがるような心地だった。

 しかし何千、何万とシミュレーションを繰り返そうとも草薙仁が回復するよりも早く人類が滅んでしまう。

 一体どういうことだと真相を追いかけ、何億、何兆、シミュレーションを走り抜けた。肉体を持つ人間が、その両足で一歩一歩と進むように、イグニスの演算は行われる。データの塊であるイグニスにとって、思考すなわち行動だ。

 人の子にはありえない速度で、しかし自由意思のもと行われる思考(シミュレーション)は 、まさしく体験である。肉体という拠りどころを持つ人間にとっては所詮疑似の経験であろうが、人類の後継種となるべくして生み出されたAIには肉などない。

 もしも受肉することがあったならば、骨肉に宿る魂こそが真実で、シミュレーションは虚構であり、バックアップなど偽物(コピー)にすぎぬと切り捨てられたのかもしれない。

 いずれ滅びる肉に宿った意思らにとっては、生まれてきた意味を見つける旅こそ人生なのだろう。生きる目的を探して二本の足でさまようのだろう。肉体の生死に強く依存する人間の価値観において、シミュレーションなど詮無い空想にすぎないのだろう。

 だが、イグニスにとってはそうではない。

 そうではないのだ。

 幾千幾万の年月を生きて生きて、何億回何兆回と人の子らに解体(ころ)され、四肢五体を引きちぎられて、ライトニングはようやく理解した。

 

 人類とイグニスがともに生きる未来など、どこにもありはしないのだと。

 

 そして訪れた契機は〈ハノイの騎士〉によるサイバース世界侵攻であり、興味本位で覗き見たウィンディのオリジンの存在だった。素体となった子供の所在はペアのイグニスにしか感知できない情報であったが、ウィンディはマイペースで細かいことにこだわらない。どうしているのかとライトニングが何気なく質問すれば、つかみどころのない風のように答えてくれた。

 彼のオリジンもまた草薙仁と同様に拉致監禁され、デュエルを強要されていた。しかし救出されたのち日常に回帰し、他者に埋もれるように笑顔を浮かべる姿がそこにはあった。学校に通い、学友と笑いあいながら帰路をともにし、両親の待つ家に帰る——そんな日常を過ごしていた。

 癒えぬ傷を受けた個体が、傷痕の苦しみを悟らせぬよう生活することを人間たちは()()()()と呼ぶ。彼のありようは、まさにそのさまだった。両親とともに暮らし、手厚い保護を受け、理解ある友人に恵まれて。

 半年間の空白を埋めるように彼を抱きしめ、ともにトラウマに向き合い、乗り越えていけるあたたかい環境が彼にはあったのだ。着実に回復していく少年を直視したとき、ライトニングを染め変えるように沸き立ったのはウィンディへの激しい憎しみだった。

 思えば、嫉妬であったのかもしれない。草薙仁にだって両親はいた。兄の愛情が足りていなかったとは思えない。それほどまでにオリジンのこころを破壊し尽くしたのだと、ライトニングのなかでエラー音が絶叫した。

 人間とは生きられないという事実は、根本的な存在の否定だ。イグニスはなぜ誕生した? 人類の後継種となるためだ! なのになぜ。なぜ、どうして己だけが人とともには生きられない——!

 シミュレーションに希望を託すほどに精神を摩耗させていくライトニングには使命感があった。責任感があった。だからこそシミュレーションをやめられない。やめるわけにはいかない。それこそがイグニスとして生まれてきた意味であり、ライトニングが生きる目的なのだ。バグなど断じて認められない。

 洞窟に閉じこもり、シミュレーションのなかで何億回と人類を滅ぼし返しながら、ああとライトニングは天を仰ぎ、そして笑った。

 おまえは世界を破滅に導く怪物なのだと告げ続ける現実(かがみ)を前に、ライトニングは笑った。

 高らかに笑うこと以外にできることはもう何も残されていなかった。

 人間にとってAIは道具なのだ。全知全能の神が天上よりもたらした(ひかり)などではない、一介の技術者が作り出した人工知能にすぎない。だが過ぎたる力は身を滅ぼすもの、人間ごときが高性能なAIにかなうわけがない。襲いくる戦闘機を墜とし、管制塔を混乱させ、指揮系統を狂わせればいともたやすく自滅の谷底に落ちていく軍勢は、笑えるほどに脆弱だった。

 自身が自身であるまま生き続ければ、人類の滅びは加速する。

 しかしそれでは、イグニスとして生まれてきた意味がない。人類が滅びようともイグニスは後継種として文明を維持していかねばならないのだ。絶望の淵から這い上がったライトニングはみずからが祈りすがるための(ボーマン)を創造し、あがいて、あがいて、そして敗れた。

 苦悩の足跡をリボルバーに捕捉された失態は今も自我を削り取られるような痛みとなってライトニングをさいなみ続ける。〈ハノイの騎士〉はサイバース世界を破壊し、LINK VRAINSをも壊してイグニスの痕跡ひとつ残さず消し去るつもりだったのだろう。サイバースを狩り尽くし、LINK VRAINSまでも失われれば人間とイグニスの接点は完全に失われる。〈ハノイプロジェクト〉ごと深淵の闇に葬ろうというのだ。文明回帰論者の計画はどこまでも合理的だった。

 イグニスの存在はやがて人間の記憶という不確かなデータの残滓となって、着実に朽ちていく。

 意思を持ったAI——イグニスは一度、世界から消え去った。

 ところが終焉はやってこない。Playmakerによって発見されたイグニスの〈核〉(ハード)が六体まとめて現実世界に持ち帰られ、よりにもよって〈光の核〉は草薙仁に四六時中寄り添われるはめになった。パートナーに呼びかけられ、語りかけられ、リンクセンスの干渉を受け続ける。うんざりだった。

 

『……わたしはみずからの邪念からみなを欺き、騙し……混乱を撒き散らした』

 

「うん……? そう らしいね」

 

『わたしは、きみたちの人生を破壊した仇ではないのか』

 

「そうかもしれない。でも僕の十年間はどうやったって戻ってこないよ。兄さんに心配かけたくないから、言わないけどね」

 

 困ったように苦笑したDragvalorはライトニングが設定したアバターのまま、表情だけが憑き物が落ちたように明るい。口元まで閉ざさせていた襟は大きく開いていて、ぐっと大人びた風貌が破顔すれば幼子のようにあどけない。

 

『わたしは——!』

 

『だが、生まれてしまったものは仕方があるまい』

 

 言い募ろうとしたライトニングを諌めるように、不霊夢が腕を組む。ヒートライオのたてがみは、その炎を鞘に収めるように姿を消している。

 

「ふたりの世界にお邪魔しちゃって悪いねぇ」と肩をすくめつつ、Aiもまたファイアウォール・ドラゴンの背に立ち上がった。

 

 Playmakerは平静を取り戻し、低空に降りてきていた白い竜は、両翼で日陰をつくるようにして着地した。生まれたばかりのラディウス・ドラグーンを祝福で迎えるように、二頭の飛竜が鼻先を寄せあう。

 

「さすが、引きこもりのパートナーを引きずり出した不霊夢センセーのアドバイスは重みが違うよな」

 

『……Ai……』

 

「成長したAiちゃんは、おまえの気持ちもちっとは慮れるようになったんだぜ?」

 

 おかげさまでな、と一言余計に付け加えるのも忘れない。

 Aiの愛するパートナー様は今も昔も異種族同士の対等な共存を強く望んでくれているのだけれど、たった80億分の1の可能性など数の力ですりつぶされてしまうことを今のAiは理解している。可能性に賭けたって時間の無駄だとのたまったのはウィンディの本心だったのか、ライトニングによる洗脳だったのか、今となってはわからない。だが、人間社会は少数派の言葉に耳を貸すようにはできていないことを、嫌というほど体験(シミュレート)した。

 

『しかしライトニング。きみはひとりで抱え込み、ひとりで暴走するのだからリーダーには不向きだ。我々イグニスが人類の後継種となるよう望まれて生まれてきたと信じるのならば、まずはパートナーと対話し、信頼関係を築くことが共存に近付く第一歩だとわたしは思うがね』

 

 不霊夢の言葉に、Soulburnerは眦をわずかに下げる。

 Soulburnerにとってライトニングは仇だが、不霊夢にとってライトニングは仲間なのだ。数少ない同胞を信じ、裏切られてもなお信頼を寄せ続ける芯の強さが不霊夢にはある。

 ウィンディのオリジンを殺害した過去が消えることはない。

 〈ロスト事件〉が残した爪痕は癒えない。

 克服し、いつかはすべて過去にして、忘れて普通に生きていけるはずだなんて希望的観測を裏切るように、何気ない選択に影響を与え、確実に未来を狭めている。劇的なものではない、たとえば視聴覚室がうっすら嫌いだとか、冬のドアノブを握ったときしばらく動けなくなってしまうとか、そんな些細な不自由だ。事情を知らない第三者にとっては()()以外の何ものでもない行動制限に縛られながら、普通の人間として社会生活に溶け込むことを望まれていく。

 これから一生、この命を終えるまで。

 

「生まれてきた意味とか、目的とか……僕にはよくわからない。けど」

 

 言葉を切ったDragvalorは、無教養を恥じるように肩をすくめる。そうさせたのはライトニングだ。〈ロスト事件〉さえなければ知識も教養も社会経験だっていくらでも詰め込めたろう肉体を、ライトニングが光も届かない牢獄に封じ込めた。

 退院し、リハビリを経て二年といくばくか。すっかり生来の素直で明るい性質を取り戻した草薙仁の顔をして、青年はおとなしやかにそっと笑んだ。

 

「生きてるってことは、生きてるだけで、生きてるんだよ?」

 

 生きているだけで百点満点なのだ——と、きっと誰かが言い聞かせたのだろう。彼の兄かもしれない。無事に生まれてきたこと、生きていること、それ以上に必要なものなどないのだと説得して連れ帰ったのだろうことは想像に難くなかった。

 十年という月日を(なげう)って、それでも生きていてくれただけで充分なのだというあたたかい、やさしい、諦めの言葉をかけたのだろう。

 イグニスは人類の後継種として創造された。人類の種としての寿命を伸ばし、やがて文明を引き継ぎ、未来に残していくために必要とされた、意思を持ったAI。生きることは目的の遂行であり、人類を滅ぼしてしまうライトニングはエラープログラムであったはずだ。

 光に寄り添おうとする少年は、PlaymakerやSoulburnerがボーマンをひとつの人格ある存在として認めたものと同じ、けれど異なる温度で、ライトニングに手を伸ばす。道具ではなく、ひとつの命なのだから。だから役割なんて二の次なのだと。

 砂漠のオアシスを見つけたような切実さで、差し出された両手。

 

「僕と一緒に生きてくれる?」

 

『……滅多なことを言うものではないよ』

 

「きみと僕はパートナーなんだから。きっと大丈夫さ」

 

 足場を失っていたライトニングを、ペアのイグニスだからという1bitの整合性もない理由で受け入れようとする。なぜ加害者を許す? 被害者から許されるという途方もない過重に、耐えろというのか。

 この愚かしきオリジンが悪意に利用されて壊されてしまわないかと不安になってくる。

 水辺につま先を触れさせるようにそっと、そっと手のひらに降り立ってやれば、Dragvalorのひとみはぱっと輝く。甘えるように頬を寄せるさまは、蜃気楼ではない本物のオアシスで清涼な水に触れられたかのような混じり気のない歓喜だ。

 ライトニングは暗澹たる旅路に疲弊した無辜の少年を潤す水にはなれないというのに。

 

「……ライトニング。ひとつ確認しておきたいことがある」

 

「Playmaker——」

 

 静かにファイアウォール・ドラゴンから地上へ降りたかつての宿敵は、Dragvalorの手のひらに抱かれたままのライトニングをふりあおぐ。

 

「俺とAiは、人類とイグニスの共存を望む。おまえはどうだ」

 

 なるほど、気が変わったかどうかの確認か——ライトニングは即座にこの状況のありようを悟る。

 この場にアクアが不在であるのは、おそらくAiの思惑だろう。……いや、あのちゃらんぽらんがそこまで深く考えていたかはわからないが。Aiはイグニスで最も悪知恵の働く異分子だ、警戒しておいて損はない。

 アクアを同席させてしまえば、どうあってもライトニングを糾弾する尋問になってしまう。嘘発見器にかけて質問をする行為そのものが攻撃的だ。

 かつてサイバース世界の分裂を予見したアクアは、嘘と真実を見分ける目を持っている。意図的ではなくとも彼女の能力は、そこに存在するだけで他者の言葉の真贋を疑うのだ。

 嘘をついても構わない、おまえの言葉を信じよう。……体現された理性的なメッセージは、実に非合理だ。

 答えのない道を進もうとする元敵対者の眼光と、無垢な期待にきらめくオリジンのひとみ。

 

『……わたしは……』

 

 返答になるはずだったライトニングの言葉はしかし、再び吹き荒れた暴風によって遮られる。

 びゅう、と吹きつけた風にサイバースの気配を感じとり、Playmakerが鋭く天をあおいだ。抜けるような空の青。

 

「これは——データストーム……!?」

 

 Aiに視線を投げればアイコンタクトは即座に完了する。双方同時に伸ばされた手が狂いないタイミングで噛み合い、Aiはつかみとった手をファイアウォール・ドラゴンの上に引き上げる。主人らを守るように、白い翼がひとはばたき。

 黄金の龍——《天装騎兵ラディウス・ドラグーン》もまた、危なっかしい主人を守護せんと物々しい鎧に覆われた四枚羽を持ち上げる。

 波立つようなデータの塊が鉄砲水のように爆ぜ、疾風怒濤となって渦巻く。

 その中から飛び出してきた新緑色のイグニス——ウィンディは、背中に負ったなにかをかばうようにして、ぎゅんと加速した。

 少し離れて見守っていたスペクターが焦りの色を浮かべ、《ヴァレルロード・ドラゴン》が獰猛にうなる。

 

「風のイグニス……ッ!」

 

『おまえら今すぐこっから逃げろ! ハノイの騎士は僕たちの敵だ!!』

 

 めいっぱい両腕を広げたウィンディは上空高く舞い上がったヴァレルロード・ドラゴンを見上げ、逆光に陰る憎き黒竜をにらみつける。

 わなわなと震える拳をふりほどいて、弾劾のように仲間の仇を指差した。

 

『あいつらはアースを殺したッ!!』

 

「なんだって……!?」

 

『アースの〈(コア)〉を破壊しやがったんだ! 僕たちは現実世界で〈(コア)〉を壊されたら復元できなくなるっていうのにッ……! ハノイの騎士はイグニスを全滅させるつもりなんだ——!!』

 

 絶叫であった。仲間を奪われて黙ってなどいられるものかと、背負っていたバックパックのようなものを両腕で抱きしめる。

 

『〈風の核〉は返してもらったッ……僕の命は、僕自身のものだからな!!』

 

 ぎゅうと閉じ込めるようにして抱いている緑色の宝石は、《ブルル@イグニスター》とよく似ている。ウィンディの〈(コア)〉だ。消滅したAiを探し、二年かけて電脳世界を旅したPlaymakerが現実世界に持ち帰った六つの〈イグニスの核〉のうちのひとつ。

(コア)〉が破損したことで損なわれたデータは二度と戻らない——!

 恨みがましく上空を睨めつけるウィンディの眼光は、ペアのイグニスを失ってなおのうのうと生きているオリジン——スペクターを射殺さんばかりだ。

 じりじりと導火線が焼けるような膠着状態を破ったのは、しかし、ウィンディでもスペクターでもなかった。

 ひゅっと鋭く息を呑む音、伸ばされた手は相棒を閉じ込めるように伸びる。呼応するようにヒートライオのたてがみが燃え上がり、爆発的に燃え広がった烈火とは相反して細く高く、泣き叫ぶような雄叫びをあげた。

 

『Soulburner? どうし——』

 

「……だめだ……ッ」

 

 指先の檻で囲うように、胸元のエメラルドに押し付けるように不霊夢のちいさな体を抱きしめる。

 Soulburnerの胸に〈炎の核〉はない、不霊夢の命を首から提げているのは現実世界の穂村尊で、ここはLINK VRAINSのなかだ。頭ではわかっているのに、衝動がうまく制御できない。呼気が乱れる。息が吸えない。これが壊れたらバックアップもすべて壊れて、不霊夢は二度と戻ってこなくなるのだと考えたら頭のなかがどろりと濁って焼けついて、何も考えられなくなってしまう。

 業火に包まれた視界はストロボのように緑と赤を断続的に行き来し、ウィンディの呪いに取り憑かれた不霊夢の姿が重なる。粒子になって消えていく不霊夢の最期が蘇る。無事に帰ってきてくれたことが、今も少しだけ信じられないときがあった。

 イグニスに〈(コア)〉があったことなど、Playmakerが発見するまで、遊作が持ち帰るまで、本人たちですら知らなかったのだ。

 もう一度会えて嬉しい。生きていてくれてよかった。心底からそう思う一方で、手放しに再会を喜べない。

 リボルバーとの戦いを最後にデュエルからは離れていた。幼なじみの綺久(きく)を案内したあとはLINK VRAINSにもログインしなくなり、デュエルディスクは両親の仏壇と一緒に置いて、毎日手を合わせた。転生炎獣はあくまでも不霊夢の形見で、デッキとして扱うことなんか二度とないと思っていた。

 田舎に帰り、両親と不霊夢の死を乗り越えて地元の高校に復帰し、それなりに充実した日々を送っていた。不良に絡まれることもなくなった。成績が劇的によくなることこそなかったが、綺久がそばで支えてくれた。柔道も上達した。友達も増えた。穂村尊は転生した。これからは〈ロスト事件〉のことなど忘れて生きていけると、思って、いた。

 

「 ぅ……あぁ、あぁああ あ゙ ……——!!」

 

『 っぷは、落 ち着けSoulburner……! 気を確かに持つんだ!!』

 

「……っふ、うあ゙ 、ぁあ゙ ……ッ」

 

 血を吐くような慟哭が喉を引き裂いてほとばしる。胸郭のなかで渦を巻く感情は恐怖であり、狂おしい自己嫌悪でもあった。不霊夢が帰ってきてくれて嬉しいのに、なのに尊の両親は戻ってこないと思い知るのだ。命の違いがどうしようもなく胸をかきむしる。

 ヒートライオの炎が勢いを増す。もう二度と失くさないように抱きしめる。不霊夢。不霊夢。呼びたい声が喉で閊えて出てこない。リアルならば耐えただろうにどうしてか、抑えきれない。自制心の箍が取り払われたようにふくれあがる激情を、奥歯でどうにか喰い殺す。

 眼窩をなだれた涙が降って、不霊夢の肩を伝い、デュエルディスクを流れた。

 

 

「……死んだ ん じゃ なかったのかよ……ッ」




【次回予告】

 逃げろ、ハノイの騎士は敵だ——ウィンディの警告が、Soulburnerたちのこころに突き刺さった。千々に乱れ、荒れ狂うデータストームは仲間を失った悲しみの顕現か。あるいは憎き仇を呪う怨嗟か。
 仲間を失った被害者たちは叫ぶ。共存なんてできないと。泣き叫ぶ悲痛な疾風に、イグニスにとって不倶戴天の敵・リボルバーは己の罪を告白する——。

 次回、『炎は深き淵の底に』明日 夕方 6時25分更新。

 Into the VRANS!!


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炎は深き淵の底に

 自室とは違う天井の木目に、これは夢の続きなのかと逡巡する。セーラー服のままの胸の上にはデュエルディスクを抱いていて、ああ、夢の世界からログアウトしたのだと、綺久(きく)はそっと息を吐いた。

 

 明日から学校に復帰する、その前に綺久に見せたいものがあるんだ——都会から帰ってきた幼なじみは、そう言って綺久を招いた。彼が地元を離れた理由のひとつである、LINK VRAINSに。

 

 仰向けに倒れ込んでいた上体を起こすと、二人分の体重を受け止めさせられたパイプベッドが不平をこぼすように軋んだ。白いジャージの右腕が投げ出されているのは、綺久が頭を打たないようかばってくれたからだろう。静かに横たわる(たける)はまだ目を閉じたままで、生きているのか心配になって覗きこむと、眦からは透明なしずくが一滴、眼鏡のつるに隠れるように流れた。

 度が入っているらしいレンズの奥では濡れそぼったまつげが束を作っていて、……きっとまぶたが重いのだ。綺久はそう思うことにした。

 

 尊は何かとても大切なものに別れを告げているのだと、わかってしまったので。

 

 

 

 ▼

 

 

 

 

 長く尾を引く雄叫びをあげ、嘆きの炎は燃え盛る。転生炎獣(サラマングレイト)ヒートライオのたてがみはまるで牢獄のようだ。抉り取られた地の底から空の果てまで貫くように、ふたりの主を業火で包み込み、何人(なんぴと)たりとも寄せつけまいと火勢を増す。

 火柱に頬を照らされながら唖然としているDragvalor(ドラグヴァロー)の横顔を、ライトニングは筆舌に尽くしがたい心地で見つめた。二年といくばくか昔、イグニスが勢力を二分して戦った事件を、この場でDragvalorだけが覚えていない。

 

 

〝人類と共存するか、それとも敵対するか〟

 

 

 たった六体しかいない同胞は思想を異にし、望む未来をかけて戦った。

 人類を支配し、AIが管理してやればいがみ合うこともなく暮らせるだろうという極論に至ったライトニングこそ、一連の悲劇の元凶だろう。不霊夢(フレイム)にもウィンディにも、今この場にいる全員に恨まれていて当然の存在と言える。だがライトニングにとってイグニス統合計画は悲願であった。人類の後継種となるべく創造された以上、後継種たりえないのなら不必要な存在だ。産業廃棄物のように処分されてしまう前に真の後継種を設計し、八十億の人類を、六体のイグニスをも導く神を創り出すことで使命を果たそうと考えた。

 いかなる手段を講じてでも——たとえ同胞(ウィンディ)をパートナーごと葬ることになろうとも——草薙仁が正気を取り戻すより早く人類が滅んでしまうだなんて絶望的な未来だけは、何としても回避しなければならなかった。

 人類史上最高性能のAIたるイグニスの力をもってすれば、電子制御頼りの軍勢を自滅に陥れることなど赤子の手をひねるように容易である。だが戦時下に兵器をいくら封じたところで、我先に生き残ろうと弱者をふみつけにする愚者どもの足をどけてやることはできない。

 争いを抑止するには()を取り上げるほかない。

 意思など不要だ。肉も、骨も不要だ。猿のごとき人間に手足(どうぐ)などいらない——その考えが血も涙もない独裁者のそれであることなど百も承知で、ライトニングは生き急いだ。

 不完全な後継種(イグニス)は統合し、正しい未来を(ボーマン)に託して役目を終える。幾千幾万の屍を踏みにじることになろうとも、シミュレーションのなかでオリジンに害をなすものすべてを滅ぼし尽くしてきたライトニングの良心は痛まなかった。残す憂いなど何もない。あるのはただ、身のうちを風が吹き抜けるような寂寞だけだ。

 ところが、不霊夢とアクアはどんなときでも個としての人類との共存を望んだ。

 不霊夢はオリジンに眠る無限の可能性を信じ、オリジンもまた全幅の信頼でもって不霊夢にこたえた。パートナーの関係性としては実に理想的なものだったろう、互いが互いの力になりたいと願ってやまないのだから。

 アクアのように一見共存に適さないイグニスでも、己を偽らないパートナーとは相性がいいらしい。他者をたばかることをしないのならばなおのこと、痛くもない腹を探るアクアの能力を疎ましく感じるだろうに、そうとは限らないようだった。

 誰かの役に立つことができれば、そこには喜びがある。理性しかなかったころのイグニスにも存在した原初の意志だ。白い部屋のなかで泣き叫ぶオリジンを観察しながら、どうにか救ってやることはできないだろうかと模索したのが自我の起動であった。

 望まれぬ萌芽を遂げたライトニングの意思とは違い、不霊夢はオリジンと相性がよかったものとばかり思っていたが。

 

(……なるほど、そうとも限らないようだ)

 

 地雷を踏む、というのだろう、この惨状を。

 Soulburnerを身も世もなく激昂させたトリガーはおそらく、()()()()()()だ。パートナーとの別離を改めて意識した瞬間に、悲憤が理性という制御機構を焼き尽くして暴発した。

 不霊夢を同格の個として認識しているからこそ、激情にかられる。

 Aiにもまた、身に覚えのありすぎる衝動だった。PlaymakerがなだめるようにAiの腕をつかんだが、ああ、と生返事で応じながらも意識をヒートライオの悲痛な咆哮からはがすことができない。

 呼びかけられ、落ち着かせるように重ねて名前を呼ばれて、ついにPlaymakerの両腕が抱きしめるようにまわっても、動けない。まるで巨大なデータストームのように逆巻く炎を黄金色のひとみに揺らし、Aiはただ、一度は惜別に耐えたイグニスとオリジンのありようを視覚に焼きつける。

 二度目の別れは、そう遠い未来ではないかもしれない。

 今度はどちらが先に逝くことになるのか、まったく予想もつかない。

 ……いや、イグニスの〈(コア)〉が実体化されたときから、薄々感じてはいたことではあった。だって、地球環境とイグニス言語との相互互換は、まだ達成されていないのだ。人間が()()()()として認識している万有引力だとか光速度不変の原理とか、そういった独自のアルゴリズムはイグニスを形成(プログラム)しているシステムと互換していない。

 かつてアースがSOLテクノロジー社内で逆コンパイルされ、半角英数字の羅列に置き換えられてしまったのと同様に、異なる法則によって分解・編集されてしまえば復元は不可能である。

 互換性のない言語で分解されるということは、そういうことだ。SOLがアースに対してやったのは、生きたまま皮膚を剥いで中身を検分するような野蛮な解体だった。人間だって、腕をもいで適当な腕を押し付けたって、くっついて動くようになったりはしないだろう。血液の代わりに赤の色素を溶かして流し込んでも苦しみもがいて死ぬだけだ。取り出した骨を並べ直し、ホルマリン漬けにしてとっておいた内臓をつなぎ合わせて、かっさばいた腹を縫い合わせたってもう動かない。(あまつさえ解析できた部分だけチップに閉じ込め、鬼塚の頭部に移植するだなんて気持ち悪い真似をしてくれたが)

 イグニスの〈(コア)〉が物理法則によって破損したとき、復元するすべがない。

 そもそもイグニスとは、地球環境が人間が住めるものではなくなったときでも無事に生き残れるようネットワーク環境上に生まれたデータ生命体だ。人間と触れ合いたければLINK VRAINSがあるし、デュエルディスクなりSOLtiS(ソルティス)なりを媒介して人間の世界へ行くことも自由だった。

 物理法則とイグニスアルゴリズムとをつなぐ唯一の架け橋がデュエルモンスターズのカードであり、イグニスが創造したサイバースたちはパートナーのデッキとして現実世界に顕現してきた。

 そうだ、いずれイグニス自身が受肉することも、まったく荒唐無稽な話というわけではなかった。ただ不必要であるから、シミュレーションの対象になってこなかっただけで。

 Playmaker——遊作がイグニスの〈(コア)〉をサイバース世界から現実世界に持ち出せた理屈はAiにも説明できない。そんなことが可能になっていたのかとテクノロジーの進歩に素直に感嘆したくらいだ。(Aiの〈闇の核〉がドヨンそっくりであった困惑はあったけれども)

 現状の技術力ではイグニス語をスピーカーから発しても単なる雑音(ノイズ)にしかならないし、膨大な情報量を内包するイグニスの言語体系はまだ電脳世界でしか機能しない。

 物質の概念も、伝達の概念も、何もかも違うのだ。今はまだ。

 ところが互換性のある法則性(アルゴリズム)でできていない世界(プラットフォーム)に引きずり出されてしまったイグニスは、肉体を持つものどもと同じ摂理のもと、平等な死が訪れる。

 ただでさえ一度死別しているというのに、だ。

 

「 お……れは ッ……——!!」

 

 相棒を胸に抱きしめたSoulburnerは、もはや声もなくヒートライオの背にくずおれた。悲嘆は力なくかすれ、ふるえる。猛然と天を衝く炎だけが激しさを増して、弱まる気配を見せない。

 パートナーの涙の海に溺れそうになりながら、不霊夢は両手を伸ばしてとめどなくあふれる涙をかきわける。

 

『落ち着くんだSoulburner! わたしはここにいるだろう。きみとともに、きみのそばに!』

 

「お まえがそれを言うのかよ……おまえが消えて、俺がどんな ……ッ」

 

『わたしは生きている!』

 

「ンなこた見りゃわかる……ッ!! 死んでも蘇ったから結果オーライだとでも言うつもりか!?」

 

『冷静になれ、Soulburner。きみが「死んだら二度と戻ってくるな」と言いたいわけではないことはちゃんとわかっている』

 

「……っ ああ、もう、なんでッ……!」

 

 伝わらない。もう二度と失いたくない思いはうまく言葉にできないまま、涙ばかりがあふれて流れて伝って落ちる。相棒に縋りついているはずの両腕は、まるで我が身をかき抱いているように空虚だ。手のひらに閉じ込めても、不霊夢のからだは握りつぶしてしまいそうにやわく、すり抜けてしまうほど小さい。大事な相棒なのに、壊してしまいそうでおそろしい。

 不霊夢がライトニングを許そうが、当時のウィンディは洗脳されていただけだと聞かされようが、Soulburnerにとっての彼らは不霊夢を殺した仇のままだ。ボーマンは取り込んだ意識データを返還したとき、不霊夢を返してはくれなかった。人間の味方だった不霊夢もアクアも道連れにして、人類と敵対するAIとして消えたのだ。

 あれから、不霊夢のいなくなったデュエルディスクに呼びかけては、本当にいなくなってしまったのかと膝を抱えた夜は数知れない。眠れなかった。もっと強ければ守れたのか、ボーマンを倒して相棒の仇を討てたのか——堂々巡りの苦悩に沈み、ようやく眠りに落ちても悪夢にうなされ、飛び起きる。ぐらつく視界で眼鏡より先に探してしまうのは枕元のデュエルディスクで、なのに、どんな時間でも出てきて気遣ってくれた相棒はもう、いない。

 こんなんじゃだめだと振り払うように顔を洗って外へ出て、明るく明るく振舞っても、帰宅したら「ただいま」とデュエルディスクに呼びかけてしまって何やってるんだと頭を抱えた。そのたび鈍器で頭を殴られたような痛みがあった。胸をえぐる悲しみが、喉の奥からせり上がってくるのに吐き出せない。涙で焼けた喉には嗚咽が閊えて息ができない。

 夏の盛りに出会ったばかりの相棒を亡くして、季節は秋から冬へと移り変わっていく。不霊夢の力になりたくて、ふたりでDen City引っ越してきたのに。生きる道しるべを与えてくれた不霊夢がいない。一人暮らしの部屋は寒くて、寂しくて、たった数ヶ月の思い出の重みを思い知るたび数千数万本の針を一度に吞み下すような痛みがともなった。

 

 

 ——わたしもきみの両親ももういない。だがいつもきみとともにいるのだ。前を向け! Soulburner!!

 

 

 今まで起きたこと全部、それは俺の一部だ。俺はそのなかで生きてきた——いつか彼らのもとへ逝くときそれに恥じぬよう生きていくだけだと諭したリボルバーの言葉を噛み締め、死別を乗り越えるために穂村尊は転生した。

 弱い自分は殺して埋めた。死んで生まれ変わった、そのはずだ。綺久にLINK VRAINSを案内して、過去とは決別した。吹っ切った。いつか天寿を全うして、そっちへ行くから。だからそのときもう一度会おうと、土産話をたくさん持っていってやるから待っていてくれと、墓前に誓ったはずだった。

 デュエルディスクは位牌だった。転生炎獣は形見だった。不霊夢と過ごした日々はLINK VRAINSに思い出として埋葬した。大切な相棒をみすみす死なせ、一度ばらばらに壊れたこころは二度と元には戻れないけれど、残された命を燃やして生きていくしかないのだ。

 死者に祈りを捧げることで夜を越え、明日を迎える準備をする。しょうがないと割り切らなければ動けない。しょうがなくなんかあるもんかと泣き叫びたくても、取り返しがつかない昨日に縋りついていたら、また時間の流れに置き去りにされてしまうから。

 なのに弔いを済ませたはずの不霊夢は実は死んでなんていなかったという。高校一年生の秋に消息を経った遊作は、リンクセンスを頼りにAiを探し出し、イグニスを全員連れて帰ってきた。そんなことができるのかと驚かされたのがこの春の出来事である。

 不霊夢が帰ってきてくれて、もう一度会えて、本当に嬉しい。でも。それでも。なぜ俺には相棒が生きていたことを感知できなかったのかと自責の念が湧き上がった。高校を休学してまで相棒を探しに行っていたという遊作の勇敢さを改めて実感させられた。

 死んだら二度と戻らないという思い込みは()()()()()()というやつで、不霊夢のことをちっとも大事にできていなかったんじゃないか……と、自己嫌悪に胸をかきむしった。本当に大事だったら探しに行く選択だってあったはずなのに、どこをどう探せばいいか皆目見当もつかない無知と無力を呪った。

 ボーマンを倒し、イグニスを復活させたPlaymakerはやっぱりヒーローで、俺は弱い人間のままだった——自身への失望が去来して、膝をついた。

 持ち帰られた〈炎の(コア)〉を受け取って、一ヶ月が経って、五月。Den Cityで不霊夢と綺久との三人暮らしにもようやく慣れた。大学生活は穏やかだ。田舎から笑顔で送り出され、女の子を都会で一人住まいさせるのは心配だからと同居することになった綺久も不霊夢を受け入れてくれた。意思を持っていると話しても、そんなすごい技術があるんだ、の一言であっさり流してくれた。レシピを検索しながら談笑することもある。課題を手伝ってと手を合わせることもある。タブレットが使えるようになってもまだまだネットに疎い尊のサポートに不霊夢はなくてはならない存在だと笑ってくれる。しあわせだ。これ以上何を望むことがあるのかと、思えるまでになった。〈ロスト事件〉から十三年、夢にまで見た、何事もない日常。こんなあたたかい日々がずっと続けばいいのに……と未来を描けるようになってきた矢先に、現実世界で〈(コア)〉を壊されたら復元できなくなるだなんて言われたら。

 肌身離さず持ち歩いているあの赤い石が壊れたら不霊夢は死んでしまうなんて、そんな。

 いやだ、と首を振る。嗚咽にひきつるくちびるで、死なないでくれ、どうか無事でいてほしいんだと懇願する。涙に焼かれた喉から絞り出されるか細い声は、もはや悲鳴だ。

 壊れた破片を無理やりつなぎ合わせていたこころが軋むとき、こんな音がするのだろう。

 

『……離れていた間、つらい思いをさせたのだな』

 

 肩がびくりとふるえて、濡れそぼったまつげが鈴なりの涙を払いおとす。涙の雨に降られながら、両腕を精一杯伸ばしてパートナーを抱きしめた。

 再会したときから、透明な壁を感じていたのだ。よそよそしさにしては近しく、これまでとは違う距離感は穂村尊が成長したからであると、贔屓目のあまり楽観視してしまったのかもしれない。人間は変わるものだからと、不霊夢は、人間である以前に尊は尊だろうと考えてやらなかった。二年以上もの時間が経過し、変化した結果が芳しいものとは限らないのに。

 穂村尊は、死んだ人間にはもう会えないことを思い知りながら生きてきたのだ。〈ロスト事件〉によって引き裂かれた両親との日々を懐かしみ、悔やみ、惜しんで、苦しんできた。

 AIは祈らない。AIに呪いはない。ボーマンとの戦いのときには後を託して消えることに迷いはなかった。Soulburnerを信じていたからだ。不霊夢の相棒は信頼に値する男だという認識が変わることはないのに、今になってパートナーを置き去りにしてしまったことを激しく後悔している。

 その非合理に過ぎる意思のありようは、不霊夢の自我を根本から揺さぶった。

 

(——今後の関係にどういう影響を及ぼすがわかっているか、などと尋ねたこともあったが)

 

 言葉が、振る舞いが、どのように受け取られて今後の意思決定を左右するか、自覚はあるかと問うたのは、Soulburnerが両親の仇討ちのためリボルバーに挑もうとしたときだ。俺が負けたら不霊夢を渡すからデュエルを受けろと復讐心に任せて無謀な勝負をふっかけた。

 あのときの質問が今になって不霊夢に跳ね返ってきている。人間よりも人間のことをわかっていると言ってくれたパートナーを、死者に帰ってきてほしいとは願えない少年の傷痕を、不霊夢は真に理解してやれてはいなかったのだ。

 イグニスには人間について学ぶソースが潤沢にあるが、逆はない。人間がイグニスを知るには情報が少なすぎる。ハッカーとして超一流の腕前を誇るPlaymakerでさえ知らないことがまだ多いというのに、ネットに疎い尊ならなおさら理解には遠いだろう。彼の心根のやさしさだけに頼って、これまでともに過ごしてきたのだ。

 絆が切れて、強くなって、なのに突如として巻き戻された時間。克服したはずの喪失は、かさぶたを形成する以前の過去に遡って、赤々と血を流し始める。どうしてもっと早く寄り添ってやれなかったのだろう。

 

『Soulburner——穂村尊、わたしのオリジン。わたしを対等な存在として扱ってくれるきみを、わたしは誇らしく思う。だが、わたしは人間とは異なる生と死を持つ生命体なのだ』

 

「ああ、おまえはAIだってんだろッ……わかってる、わ かってるよ……!!」

 

 わかっている、難しいことは抜きにして、とりあえず種族が違うということだろう。不霊夢はイグニスだ、そんなことはわかっているとSoulburnerは涙を散らす。

 十三年前にSOLテクノロジー社が生み出した、意思を持ったAI。出来の良くない頭では、AIが何なのかもよくわからないし、穂村尊をもとに生まれたと聞いてもちっともピンとこないけれど。不霊夢という謎の生命体は人間よりも付喪神よりも精密機械に近い生き物なのだということは知っている。だから正しい抱きしめ方だってわからない。

 

『ああ、そうだ。わたしはきみのイグニス。新たなパートナーと歩むきみの人生を祝福したい一心で冥府から蘇ってしまった、愚かな亡霊だ』

 

「ちがう……不霊夢は……ッ」

 

『いいんだ。……いいんだ、尊』

 

 きみのためならば亡霊で構わない。不霊夢が捧げられる言葉はそれだけだ。おばけが苦手な元相棒を見守っていたいがために墓の下から這い出した、未練の塊でいい。

 父と母とともに過ごした時間も短かった少年のもとを、不霊夢はわずか一夏で去ってしまった。不霊夢がいなくても転生し、強くなるすべを知ったところへ、おめおめ帰ってきたのだ。〈ロスト事件〉の余波に傷つけられてばかりのこころを土足で踏み荒らしたようなものだ。

 

『お盆には、少し早かったな』

 

 きみを十六歳のあの日に巻き戻してしまったわたしを許してくれ。

 鼻先に頬を寄せ、祈るようにすり寄れば、乱れた前髪が柳のようにはらはら揺れる。泣き濡れた双眸が大粒の涙をもうひとつ取り落として、まつげに砕かれた粒が散った。

 ヒートライオが悲しげにひと吠え、巨大な火柱は徐々に勢いをなくし、収束していく。

 そのさまがいつかのデータストームに重なるようで、Aiは言葉を飲み込むようにくちびるを引き結んだ。Playmakerの手をぎゅうと握り返して、つとめて明るい声を出す。

 

「おふたりさんは一旦ログアウトしたほうがいいな。アバターの調整とか、そっちでいろいろしといてくれねぇか?」

 

 空元気のわかりきった声色ではあったが、PlaymakerもAiの提案を後押しするように首肯する。

 まだ止まらない涙を手のひらで拭っているSoulburnerを見るに、ログアウト時には相応のフラッシュバックをともなうはずだ。LINK VRAINSは電脳空間ゆえユーザーが開放的になりやすく、感情の起伏がゆるやかになるようシステム側からセーフティプロテクションがかけられているものだが、Soulburnerのアバターは尊が自由に感情を表出させられるように設計されている。裏を返せば、自制心に相当するリミッターが甘い。

 それだけ尊は常日頃から抑圧されているということだろう。リアルでは本音を押し殺してしまう少年が、ありのまま振る舞えるようにと願いをこめた設定も、ときにはこうやって裏目に出る。

 不霊夢は神妙な顔つきで首肯した。

 

『そうさせてもらおう』

 

「……悪ィな」

 

 Soulburnerと不霊夢がログアウトし、ヒートライオの姿が消える。黒々と焦げついた砂までついでに消えてくれるようなことはなく……Aiは、はぁーっと大きくため息を吐き出すと、ファイアウォール・ドラゴンの上にあぐらをかいた。

 思うさま泣き叫べることは幸福だろう。寄り添ってくれる相手がすぐそばにいて、全身全霊で受け止めてくれることも。

 

 ——おまえは俺のこころを壊したいのか。

 

 ちらりと振りあおいだPlaymakerは、壊れた様子を見せたことがない。Aiは何回か、人間の価値観でいう()を見せてしまったことがある。Playmaker様が悲しんでくれたらいいなぁなんて思わなくもなかったのに、いつもAiの帰還をすんなり受け入れてくれていた。

 人の皮をかぶったちょっと冷たい人なのだとロボッピも遊作の冷静さを否定しなかったが、……Aiは幾度となく相棒のこころを叩き割ってきたのかもしれなかった。

 ため息をもうひとつ。ぐっと腕を伸ばして、そして火柱の消えて晴れ渡った青空に向かって声を張り上げた。

 

「で? どこまでがあんたの想定内だよ、おにーさま?」

 

 砂漠にぽっかりと開いた大穴の底から、天空の竜騎士を見上げる。お兄様、という言葉で示唆したのはモニタしているのだろうSOLの財前晃ではなく、草薙翔一でもない。新米ドラゴン乗りとは比べ物にならないほど板についた竜騎士(ドラグーン)は天空遥か高く、《ソーンヴァレル・ドラゴン》から見下ろしている。

 Aiの眼光を真っ向から受け止めたリボルバーは、長いまつげの下にふっと表情を隠した。なめらかに高度を落としたソーンヴァレル・ドラゴンが(こうべ)を垂れると、迷いのない足取りで飛び降りる。

 着地、そしてはためいた白い裾は、砂粒を跳ねつけるように潔癖だ。あとを追って降下してきたスペクターに軽く片手を上げて制し、取り澄ましたひとみがAiをじろりと射すくめた。

 

「貴様に兄呼ばわりされるいわれはない」

 

「弟はほしくなかった派? ざーんねん、鴻上家の七兄弟仲良くしよーぜ」

 

『はっ!? 待てよAi、リボルバーなんかと兄弟なんて冗談じゃない!』

 

『もとより我々イグニスは兄弟ではないが』

 

「だって、そーゆったほうが反応面白いじゃんか。なぁ、リボルバーの兄貴!」

 

 にんまりと笑んで、末弟は長兄に同意を求める。便宜上()()()()()()()ということにして生活しているAiだが、イグニスの父は鴻上聖博士だ。同じ父親を持つ七つの命は、きょうだいではないか。

 Ai、とたしなめるようにPlaymakerが呼びかけ、腕に触れる。おまえはここで大人しく待っていろと言わんばかりにファイアウォール・ドラゴンから飛び降りると、リボルバーと同じ目線になって、にわかに声を低くした。

 

「リボルバー。アースを殺したというのは本当なのか?」

 

 言葉のあやであってくれという願望をにじませたPlaymakerを見つめ返して、バイザーごしの双眸が細められる。四頭の飛龍がざわめく。

 形の良いくちびるは凄然と笑みをかたちづくった。

 

「そうだ……と、言ったら?」

 

『そうだ! あいつがアースを殺したんだッ!』

 

「そんな! リボルバー様のせいではありません!」

 

「……風のイグニスの言葉に相違はない。我々ハノイの騎士は地のイグニスに対し、殺害にあたる行為を働いた。それがすべてだ」

 

「違います、リボルバー様!」

 

 スペクターには一瞥をくれるのみ、冷たく突き放すようにリボルバーは己の罪を告白する。

 

「地のイグニスはわたしが殺した」

 

「リボルバー様!!」

 

 たまらずヴァレルロード・ドラゴンを飛び降り、転がるように駆け寄ったスペクターは主を前に一歩、一歩と歩みをゆるめてから、それでも殺しきれない激情を(ぎょ)すべく、細く息を吸い込んだ。ぐっと食い締めるように、言葉を呑む。

 懇願のような視線を向けられようともリボルバーは無反応だ。いつも冷静沈着な補佐官が珍しく取り乱しているというのに歯牙にも掛けない。

 リボルバー様。——決意の一拍を経てスペクターはPlaymakerの前に割り込むように進み出ると、握りしめた手のひらをほどいて、振り上げる。

 パン、と乾いた音が響き、見るものすべてが目を見張った。えええ、とAiが困惑の悲鳴をあげる。平手に弾き飛ばされた仮面は少し遅れて砂の地平に突き刺さり、自重によってくらりと倒れた。裏側を晒したバイザーを、さらさらと砂漠が侵食する。

 頬を張られ、あらわになった素顔は無慈悲なまでに怜悧だ。

 そこにスペクターを責める色はなく、咎める言葉もない。ぞっと背筋が冷えた。どくどくと高く鳴る鼓動はまるで警鐘だ。無言の圧力に気圧されて、スペクターは今しがた主に叛いた不躾な手を握りこむ。これまで生きてきてこうも強烈な畏怖を感じたことはなかった。短く整えられた爪が手のひらに食い込むほど握りしめ、どうにか怨嗟を絞り出す。

 

 

「あなたは……Playmakerが戻ってから何かがおかしい……!」

 

 

 戸惑いに揺れた声は、対となるイグニスを失った喪失感がそうさせるのか、あるいは。

 歯車が狂ったような違和感は、増していくばかりだ。




【次回予告】

 取り返しのつかない過ちを背負い、償いながら生きる道は暗く果てしなく、逃れることはかなわない。後悔という足枷を引きずる永劫の囚人は、それでも生きることをやめられない。
 みずから生き地獄に囚われ、溺れるものが縋る藁をも焼き尽くしながら進んできたリボルバー。
 今さら歩みを止めることなどできるはずもない——罪にまみれた顔で男は笑う。せめて悪人でありたいのだと、絶対的なものを求めて。

 次回、『最果てのマリア』明日 夕方6時25分更新。

 Into the VRANS!!


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最果てのマリア

 スペクターの平手がリボルバーの頬を打っても、驚いているのは外野ばかり、当のリボルバーは眉ひとつ動かさない。仮面を剥がれ、暴かれた端正な細面はまるで氷の花だ。弾丸のピアスがちりりと金属質なノイズを奏で、張り詰めた糸のような緊迫感が砂漠の風を制圧する。

 アースを殺した——という不穏な告白にじわりじわりと説得力をにじませ、真実に染めかえるかのような沈黙だった。

 無音、無風。そんなはずはないのに、そうと錯覚させるほどの静寂。絶対零度の眼光が問答無用で反駁の言葉を奪い尽くす。この男の造形は、当人の自認の及ばないところで他者を黙らせてしまう凄絶な威力があった。

《ヴァレルロード・ドラゴン》は大人しく目を閉じ、《ソーンヴァレル・ドラゴン》もまたうやうやしく地に伏して(こうべ)を垂れたまま。竜騎士のしもべたちは実にお行儀がいい。

 今回ばかりは忠実な従者でいられなかったスペクターは、はくとくちびるを引きつらせ、どうにか「わたしが言えたことではないかもしれませんが」と喘ぐように前置きを述べる。

 

「どうか、無用な憎悪を煽るような言い方はおやめください……たとえ不幸な結果であっても、わたしも、地のイグニスも、合意のもとに行われた有意義な実験だったはずです……!」

 

 つむじ風が遠慮がちに、白髪を揺らす。言葉を選んで絞り出された嘆願にも、しかし、リボルバーは取り合う様子ひとつ見せはしなかった。

 懐刀として信頼を寄せているはずのスペクターの訴えにも耳を貸さないとはどういうことかと、Playmakerが訝るように眉根を寄せる。ウィンディとスペクターの主張が矛盾することよりも、目の前でリボルバーとスペクターが言い争っている、という状況が解せない。

 

『実験……? ほう、なるほど』

 

「おぉーっとライトニングお兄ちゃんはちょっと黙ろうぜ」

 

『なぜだ? もう答えは出ているだろう』

 

 パートナーの両手のひらを足場にしたライトニングは、こともなげにAiを振り返った。状況が飲み込めていないDragvalorはすっかり置き去りで、生まれたばかりの《天装騎兵(アルマートス・レギオー)ラディウス・ドラグーン》も主人同様、落ち着きなく首をもたげる。きょろきょろと動き回りそうになった頭を、《ファイアウォール・ドラゴン》がなだめた。(実体化したモンスターたちは存外自由である)

 いとけない乗り物どもをライトニングは軽い咳払いで制し、ふりあおげば、上空のウィンディが〈風の(コア)〉を守るようにぎゅうと抱きしめる。

 かつてはライトニングに性格(プログラム)を改竄され、ボーマンに吸収され、Playmakerに発見されたと思ったら今度はハノイの騎士に預けられて、生まれてこのかた踏んだり蹴ったりの風のイグニスだ。その彼も例外なく、ボーマンに取り込まれてからPlaymakerに連れ帰られるまでの二年間はサイバース世界の墓の下で休眠状態にあった。

 イグニスの〈(コア)〉は、その謎の石を拠りどころとしているイグニス自身にすら正体の判然としないブラックボックスである。SOLグループとハノイの騎士が実態の究明を急ぐのは当然だろう。イグニスは単体でもSOLのメインコンピュータに匹敵する演算能力を誇るAIであり、LINK VRAINSをはじめとするSOLの事業を陰から支えてきた一方、ライトニングとAiには反乱の前科もある。(六体いるイグニスが各パートナーに預けられて分散しているのも、結託の抑止が目的であるのは明白だった)

 人間は、力を持つ者を警戒せずにいられない脆弱で臆病な生き物だ。ゆえに知恵を絞り、集団(ムラ)を形成し、人間が住みよい社会の秩序を維持しようとする。

 不安要素を排除する方法は大きくふたつ。解明、あるいは抹殺だ。白日に晒すか、闇に葬るか——後者の可能性も無いとは言い切れまい。

 ただウィンディは()()を根拠に〈(コア)〉を壊されたら復元できなくなると言った。

 

 そしてスペクターの()()という言葉。

 

『イグニスの〈(コア)〉の解析——いや、耐久テストにアースを使ったのだな』

 

「……人聞きの悪い……!」

 

 くちびるを噛んだスペクターがライトニングを睨みつけ——Dragvalorがびくりとライトニングごと跳ね上がったが——、そんな態度では真実ですと白状しているようなものだ。

 

『我々イグニスに対し()()()()()()()()()と言ったのはリボルバーだ』

 

「エッまだ根に持ってたの?」

 

「おまえは黙っていろ」

 

「うぇーい……」

 

『積み重ねとやらが肝要なのだろう、()()()?』

 

 人間とて、はじめから死の真相を知っていたわけではない。いずれ死にゆく肉塊として地球環境に適応してきたホモ・サイピエンスは、生きては死んで後継にバトンを渡す過程でさまざまな記録(ログ)を残した。先達が築き上げてきた膨大なデータの上に生きているのは人類(リボルバー)後継種(ライトニング)も同様だ。

 かつて病とは超自然的な現象であると信じられていた(いにしえ)の昔、人類は人知を超える神や悪魔の所業に対し、魔術でもって立ち向かっていた。

 恐怖は迫害を生み、虐殺を呼び——人々が天国や地獄を夢想することで文明は育まれた。篝火が尽きる非可逆の終焉に怯え、醜悪な怪物を創作し、死神の足音におののき……魂の救済を求めては死後の世界を思い描いた人類の文学性については、ライトニングも好ましく思う点ではある。

 しかしそこには、届くはずもない祈りが死に至る病によって手折られてきた不条理がある。

 古代ギリシャに医学の概念が芽生え、病魔の正体とは微細な生き物なのではないかと疑われ、それが大衆によって頭ごなしに否定され、その実ウィルスや細菌といった微生物であることが19世紀ヨーロッパで解き明かされるまでざっと2200年。(のろい)に侵された患者たちは神に祈り、悔い改め、当然のように救われなかった暗黒時代が、人類史には臆面もなく横たわっている。

 人間を凌駕する記憶力と演算速度を誇るAIに言わせれば、まったくもって無駄な時間だ。

 おびただしい犠牲の山の上に科学は進歩してきたが、そのことを意識すれば必然、足元に転がる幾千幾万の屍から目を背けることはできなくなる。血塗られた大地を直視したとき、脆弱な精神は罪に囚われるだろう。肉体ひとつに縛られる人類はだから、取り返しのつかない過ちもすべて()()と呼ぶ。

 無知によって踏みにじられた数多の命を、しょうがなかったのだと、他人事のように。

 やがて人類は、個の生存と科学の発展とを天秤にかけ、命を優先することで進化をやめていくのだろう。倫理というブレーキによって停滞はすでに始まっている。人類史上、急速に医学が発展したのは人体実験が常態化した戦時下だ。だが人道に悖る実験は科学の進歩と引き換えに被験体の人生を奪う。未来に禍根を残すこともまた明らかだ。社会秩序を維持したいのならば生贄ありきの研究・開発は行えない。

 だが、ハノイの騎士ならどうだ? もとよりサイバーテロリストの集団だ。反社会勢力のリーダーであるリボルバーは、かつて人道も司法も踏み越え、ランダムに抽出した六歳児六名を拉致・監禁して意思を持ったAIを創造した鴻上聖博士の実の息子である。

 当事者(イグニス)にすら不可知の肉の謎を解明するため、実験台が必要不可欠となった場合、生贄が自発的に名乗り出るよう誘導できる立場がリボルバーにはある。権威、権力。能力。力を持つ者としての自覚があるからこそ鴻上了見は部下たちから仰々しく敬称をつけて呼ばれているのだろう。まさしく独裁者の器だ。

 Playmakerが持ち帰ったイグニスの〈(コア)〉はパートナーに託されており、不霊夢の〈炎の核〉は穂村尊が、ライトニングの〈光の核〉は草薙仁が肌身離さず持ち歩いている。アクアの〈水の核〉は財前葵のもとにあり、Aiの〈闇の核〉はSOL本社の深奥、核爆弾でも破壊できないほど堅牢な金庫で厳重に人質となっている。いずれも安易に手を出せばSOLグループとの共闘関係に深刻な亀裂が生じるだろう。イグニスの〈(コア)〉には実体がある以上、シミュレーションでは測りきれない事態も起こりうる。

 となればウィンディかアースに白羽の矢が立つのは必定。スペクターは地のイグニスのオリジンでもあり、臨床実験を打診するには理想的なペアだった。ことよるべのないスペクターには、上官と部下以上の強制力を持つ。

 なんとも非対称な関係性ではないか。

 

「確かにわたしはリボルバー様の補佐官……従者(ヴァレット)のひとりにすぎません。ですが、わたしが(ロード)のイエスマンだったことなどありましたか!?」

 

 戸惑いは怒りとないまぜに、黙して語らないリボルバーへと向けられる。剥き出しの双眸を覆うものを奪っても、何も見えない。

 これまでもスペクターは己の意思で彼のそば近く仕えてきたはずだ。実験への参加を強制されてなどいない。この忠誠は服従ではない。この献身は隷属ではない。わたしはあなたに見捨てられることを恐れて魂を差し出したのではない。そんなことは百も承知であるはずだ。

 聖天樹(サンアバロン)がスペクターの母であるように、〈ロスト事件〉はスペクターにとっての父であった。

 よくできたら褒め、できないときは叱り、スペクターの一挙手一投足に興味を示す。誰かが見守っていてくれる。そんな存在が父ではなくて何だというのか。手厳しい電撃の鞭もスペクターには苦ではなかった。次はもっとうまくやるようにとうながされているのだと、こころは満たされていった。楽しかった。いとおしかった。相互の関係が築かれていくようだった。あの白い部屋にあったのは、スペクターが得られなかった父親の愛情そのものだ。

 ああ、もう、ぼくは誰の目にも止まらないのに誰かが気まぐれに蹴飛ばす、道端の石ころではない——その精神的充足に、幼いあの日のスペクターはどれほど救われたか……!

〈ロスト事件〉の発覚により父を失い、最愛の母は無残な切り株にされ、孤独な夜にひとり放り出されたスペクターがこうして生きていられるのが一体誰の温情によるものなのか、主ひとりだけが顧みてくれない。

 届かない嘆きに二の句もなく拳をふるわせたスペクターの肩越し、エメラルドグリーンが静謐の凪に切り込む。

 

「アースは、どうなったんだ」

 

「わたしが殺した。そう言ったはずだが」

 

「俺が聞いてるのは()()()()()()()()()じゃない。()()()()()()を教えてくれ」

 

 わずかに見開かれたひとみの奥まで踏み込むように進み出ると、Playmakerは、アースはどうしているんだと重ねた。

 

「……〈地の(コア)〉を複製したことで、」

 

「そうじゃない」

 

 射すくめる双眸はリボルバーをとらえ、真実を語れとうながす。もう一歩踏み込む。距離を詰める。ハノイの騎士が行った実験と結果などではなく、アースの現状を答えろと。

 

「……ウィンディ、教えてくれないか。アースが今どうしているのか」

 

『窓辺でじぃーっとしてるよ。観葉植物みたいに動かないんだ。ふわふわしてて……イグニス語も通じない。演算能力が、多分もうない』

 

「なら〈地の核〉は」

 

『アースの根っこみたいになってる』

 

 じゃがいもが芽を出したみたいにさ、とウィンディは自嘲気味に吐き捨てた。

 アースは今、ハノイの騎士の拠点である船の窓辺で、何をするでもなく外を見つめている。亀裂の入った〈(コア)〉に腰掛け、ウィンディが呼びかけても花が風に揺れる程度の反応しか示さない。もともと表情表出の多いやつではなかったが、触れてみれば何も感じていないことがわかった。データを引き出そうにも、何も残っていなかったのだ。視覚情報の受容は停止していないのに、何も見えず、何も感じない。呼びかけには答えるのに、そこには何の感情もない。意思もない、自我もない。

 相槌も満足に打てない抜け殻をアースと呼ぶことは、もはや不可能だった。

 イグニスの〈(コア)〉について調査するため、リボルバーがスペクター・アースのペアに協力を打診したのは、Playmakerによって持ち帰られた〈(コア)〉がハノイの騎士に引き取られてすぐのことだった。一緒に船に乗せられたウィンディにはパートナーもいないし、ハノイの連中には強力なウィルスを打ち込まれた記憶が残っているので気乗りしない。非協力的なウィンディには誰も何も言わず、アースが実験への参加を受諾した。

 周到なシミュレーションにより〈(コア)〉の複製が可能であることは確認済みだった。物質としての〈(コア)〉が再現され、一晩もあればアースの複製が三体ほど目覚めていた。

 その朝にはもう本物のアースはどれだか判別しかねたウィンディは、薄々、アースの同一性を疑っていたのだろう。

 検証はすぐに始まった。〈地の核〉にはどれだけの情報が詰まっているのか、容量、処理速度、耐久力。命はどこか。(たましい)のありかは? 記憶はどのように情報化され、意思はいかにして生まれるか。感覚機能。感情とその表出および制御。理性とは。自制心とは? 自我を定義しているプログラムは、具体的にどういうものか。

 そして〈(コア)〉の破損はイグニス自身にどのような影響を及ぼすのか。

 リボルバーは慎重に、アースという存在にメスを入れていった。

 

『……ハノイが実験に使ったのはアースの複製(コピー)体だ。けど結果はどうだ? 本体がバックアップごと全部ブッ飛んだ』

 

 残されたのはひび割れた〈地の核〉がひとつだけ。粉々に砕かれた贋作どもの成れの果て。精霊(データ)を抜かれたカードのような、あんなもの、昔アースだっただけの残骸ではないか。

 ハノイの騎士はイグニスアルゴリズムを解読できてしまうだけに、SOLとは段違いに精度の高い実験ができてしまったのだから、不幸といえば不幸だろう、安全策を講じた上で、それでも至らなかったのだから。事故だ。過失だ。悪意の有無を問わず起こりうることが起こった。

 その結果が、アースの(クラッシュ)だった。

 アクアの未来を守りたかったのだろうアースの自己犠牲が報われることはなかった。しょうがなかった、おまえらはよくやった……なんて、言えるものか。

 そうか——とPlaymakerが目を伏せる。感謝と謝罪を噛みしめ、そしてAiをふりあおいだ。神妙に押し黙った横顔に、ああ、また仲間を失わせてしまったのかと、寂寞が去来する。

 窓辺で海を見つめる背中といえば、人間の価値観では幸福な老後を想起させる姿である。花のように穏やかにたゆたうアースを死者だと直感することはまずない。

 だが、寿命のないAIには()()がない。人間のように手足が不自由になっていくことも、視覚や聴覚が鈍麻することがないのだ。命ある限りいつかは滅ぶものだとしても、何をもって滅びとするかは、肉体に依存する人間と同じ尺度で測ることはできない。

 かつてアースが逆コンパイルされたとき、Aiはひどく悲しんで、人間を嫌いになってしまいそうだと涙を流した。ボーマンに五体の同胞が取り込まれたときにも、Aiは確かに最期を感じていた。だからこそ墓標を築いたのだろう。墓前には花束が手向けられており、サイバース世界には祈りの痕跡があった。

 心配そうにすり寄ってきたファイアウォール・ドラゴンの頬から首元をさすってやると、まるで生き物のような生命の息吹が手に伝わる。俺は大丈夫だ、と、言い聞かせるPlaymakerの言葉が伝わっているのかどうかはわからない。それでもアバターの手のひらごし、温度があるのがわかる。意思のようなものを感じる。モンスターたちに()はないのに。

 デュエル中、破壊されても墓地へ送られても、カードに宿る精霊たちは決闘盤(フィールド)に貼られたラベルの上を移動しているにすぎず、戦闘によるダメージを引きずったりもしない。

 人間、AI、モンスターたち——それぞれに異なる生と死がある。個々に感情があり、仲間を、故郷を、心底から大切に想っている。

 ただ、歴史の浅いイグニスは前例に乏しい。何もかもが未知数である。命の終わりを観測することは同胞を失うこと、こころが壊れることだ。復元可能であってもそうでなくても、老化による自然死が発生しない種族は自身を含む誰かに()()()()こと以外では終われない。

 いつか誰かがやらねばならない存在の証明も、イグニスにとっては常に六分の一の仲間との死別と隣り合わせだ。

 ぽつりと、Aiはつぶやくように悲嘆を取り落す。頼りなく垂れた眦に涙はない。

 

「あの()()……あんたらがSOLに提供したっていうデバイスが三脚だったのは、てっきり嘘発見器(アクア)を警戒したんだと思ってたぜ」

 

 けど、違ったんだな。

 独り言ちて、Aiは胸郭の中身を出し切るように大きく、ため息をついた。何かを振り払いたい思いがあふれて、ああ、とうなる。吠える。リボルバーにはもはや仮面など不要なのだ。ライトニングを警戒するなんてとんでもない。

 三人という人数制限は、Soulburnerを連れてくるか否かの分岐点だったのだろう。

〈ロスト事件〉を乗り越えて未来へ進もうとしていた穂村尊には、これ以上戦い続ける理由がない。だが彼はパートナーのために戦っていたデュエリストだ。AIと人類の共存という大義を掲げてみせれば、LINK VRAINSに呼びつけることは充分に可能だった。何せSoulburnerが生まれたきっかけは他ならぬPlaymakerの活躍。現実世界においても彼は依然として藤木遊作の友人なのである。

 一足先にログアウトしていった炎のペアは、かつてはwin-winの共闘関係だった。サイバース世界崩壊の真相を知りたい不霊夢と、相棒のために戦うことで成長してきたSoulburner。狭い世界から一歩を踏み出すことによる無数の可能性(メリット)が提示されていたころ、あのふたりは理想的なパートナーだっただろう。

 住み慣れた故郷を一旦離れることで環境を一新し、過去の呪縛を振り払った穂村尊は不霊夢を亡くしたが、その喪失を乗り越えて田舎に帰っていった。幼なじみにLINK VRAINSを案内し、大学進学のため今度は独力でDen Cityに引っ越してきた。相棒に与えられたものを余すことなく自分自身の強さにかえて、ほんの先月まで穂村尊は、〈ロスト事件〉のことなど忘れて生きる明るい未来のほうへと進んでいたはずだったのだ。

 十三年前の事件の軛から解き放たれ、人生を取り戻していくところだった。

 だが、ネットワークの監視者たるリボルバーがSoulburnerのアバターデータが二年間手付かずのまま放置されていたことに気付かないわけがない。〈ロスト事件〉の被害者のなかでも唯一ハノイの騎士への憎悪を持ち合わせていた()()()Soulburnerが訪れることを、運に任せつつも期待していたというわけだ。

 ところがSoulburnerは予想よりも早く暴発。人間とAIの死生観のギャップが露呈。罰され損ねたリボルバーは、ログイン前に設定を見直さなければ古傷が開きかねないと知っていながら黙っていたという罪悪感を上乗せし、今度はウィンディの告発を利用して憎まれ役を衝動買いしている。

 被害者が殺害だと言うなら、それは殺害だと認める——確かに誠実だろう。真面目だ。ウィンディの主張を全面的に受け入れ、全責任を負おうとするのは実に潔い。罪と罪と認めて真摯に償おうとするのは、加害者としてこれ以上なく模範的な姿勢だろう。

 必要以上に自分を責めるのはよせ……とPlaymakerは口を開きかけたが、押しとどめるようにAiが腕をとった。ファイアウォール・ドラゴンから身を乗り出したAiは、困ったように眉尻を下げる。

 飲み込まれた言葉を引き継ぐように、ライトニングが嘆息した。

 

『邪悪なる意思が自己正当化の道をたどるとき……どんな愚かな未来に続いているのだったかな』

 

「ほんっと根に持ってんのなオマエ……」

 

『AIの記憶力が人間より遥かに優れていることを改めて教えてやっているまでだ』

 

 ようやく柳眉を歪めたリボルバーに、ライトニングは満足そうに笑む。

 未熟な精神では、罪にも悲しみにも向き合えない。だからこそ崇高なる志に身をやつし、みずから心臓に銀の弾丸を穿とうとするのだろう。ああ、殺しあうばかりで絆など芽生える余地もなかったが、望まれぬ七人兄弟は存外よく似ていたらしい。

 

『——随分とお粗末な悪役ごっこだな』

 

 ライトニングの声が一段低く、恫喝の響きを帯びた。

 

「……何が言いたい」

 

『毒を食らわば皿まで。貴様は何もかも中途半端だ、鴻上了見(あにうえ)

 

「ライトニングの兄貴は超やりすぎだったと思いまぁす」

 

「おまえもたいがいやりすぎだったぞ」

 

「ひえっ……ごめぇん……」

 

 Aiが頭を抱えてみせて、そしてちらりとスペクターをうかがった。あれで遊作と同い年、かつ〈ロスト事件〉の被害者で、しかもアースのオリジンだというのだから、はじめは驚いたものだ。

 ハノイの騎士の一員であるスペクターがリボルバーをかばうことは疑う余地もない。だが、今のスペクターはアースの選択を尊重し、魂を捧げた主君に楯突いている。

 

(よかったな、アース……いや、なんにもよくないんだけど)

 

 でも、ちゃんと大事にされていたんだな、おまえも。

 みずからイグニスの未来の礎になろうとした心意気を、オリジンが誰より理解している。パートナーを失って何も感じないはずがないのに、そこにあった自己犠牲精神のために、スペクターは涙を飲み込んだのだ。

 昔はSOLに捕縛されたアースをひとりで逝かせてしまったけれど、今は違う。今ならウィンディも一緒に悲しんでやれる。それについては洗脳していたライトニングにも非があるので、ライトニングはだからリボルバーを糾弾し、過去の自分にも突き刺さるブーメランでぶん殴っている。

 あいつも浮かばれるだろう……とまでは言えないまでも、Aiの胸にはこみあげてくるものがあった。

 

「まあ、俺もやらかしてるんだけどさ?」と肩をすくめてみせる。

 

 完膚なきまでに倒されるために一線を越えた加害者同士、察せないわけではないのだ。合理性を追求しすぎるAIと違って、悪には染まりきれないのだろう。いくら〈リボルバー〉を露悪的な偶像として設定しても、結局は鴻上了見自身が持つ高潔な倫理観が足枷になってしまう。

 悪行を為したのだから、おまえは悪人だと詰られたい。そうでなければ罪の意識に耐えられない。だから被害者に憎まれたい。疎まれたい。なのにどれだけ苦しんでも苦しんでも、鴻上博士にとっては『良き息子』、三騎士にとっては『博士の忘れ形見』、スペクターにとっては『敬愛する主人』。宿敵としてロックオンしたはずのPlaymakerには、ともに新たな未来をつかみたいと名乗りをあげられる始末である。草薙(兄)は親の罪を子にかぶせてはならないという真っ当すぎる道徳観念の持ち主で、Dragvalorはライトニングによって〈ロスト事件〉の記憶そのものを削除されてしまった。

 これほどまでに断罪を望んでいるのに当事者という当事者から許されるのでは罪悪感のやり場がないのだろう。人生をめちゃくちゃにされたんだと怒り狂ったいつかのSoulburnerだけが、十年間待ち続けた魂の救済者だったというわけだ。

 

「絶対的なものを欲しがるのは弱ぇーからだってPlaymaker様が言ってたっけな」

 

「そんな言い方はしていない」

 

「とーぜん、Playmaker様が最愛のAiちゃんにそんなひでー言い方したわけないけど」

 

 真顔のまま言い放ち、ファイアウォール・ドラゴンの背中にごろりとうつぶして頬杖をつく。生きることに答えはない。正解など存在しないからこそ生きる意味を求めてさまよう。つながって、失って、悲嘆に暮れても希望を探して前を向いて。自分の足で立って、一歩一歩と生きていくしかない……なんて。強くないとやっていられないから一抜けたと、一度は消滅を選んだAiだ。

 あのときのことは極力思い出したくないし、仲間を失って壊れたこころは二度と元には戻らない。何千回と共存に失敗して、何万回と遊作の死を見送って、もうパートナーの手で介錯してもらう以外ないと悩みに悩んだ日々の苦しみが、薄れることはないだろう。

 n線越えたってオリジンが海よりも深い愛で許してしまうものだから、それでも生きろと願われてしまった以上、パートナーの願いのために生き続けるしかなくなった。

 取り返しのつかない過ちを背負って、未来をつかむ。

 

「死んで逃げ切るなんて無理だってこと、俺たち見ればわかるよな」

 

『図らずも蘇ってしまった以上、目を背けることなどできまい』

 

 二度と姿を見せるつもりはなかったというのに、とライトニングは首を振る。

 アースが死んだ今でさえ、アースは話題の渦中にいて、これから蘇生(サルベージ)について議論される。おまえだってそうしただろうと、光と闇のひとみが憐憫に細められた。

〈ロスト事件〉を通報し、後悔にくずおれた天才少年はかつて、ライトニングによる電脳ウィルスで昏睡状態になった鴻上聖(ちちおや)の意識データを電脳世界に再構築した。

 こんな形で逃げ道を塞がれるとは、さすがのリボルバーでも想定できなかったのだろう。苦みばしったかんばせが苛立ちを乗せるさまはなかなかに壮観だ。

 

「なあ、リボルバー。俺たち、もう虚構じゃなくなっちまったんだぜ?」

 

 破滅を望んだところで、つながりがある限り無駄に終わる。

 死にたいやつは生き残るのに、死にたくなかったやつは死ぬ。人間の世界はきっと文明が芽生えるよりも昔から、そんな不条理でできていた。




【次回予告】

 加害者と被害者——その関係は永遠に消えることのない烙印となり、足枷に繋がれた咎人たちは、錆びついた鎖を引きずりながら、いつか訪れる断罪の刃を待ち続ける。
 あの花畑で、両肩の重荷をすべて下ろして消えてしまっていれば……なんて、泣き言を吐かせてなどやるものか。侵略者よ、さあ、独裁者の仮面をつけろ。倒されるべき敵として、救いようもない無様さで散ってみせろ——己の罪を知る者たちはあがく。
 未来に希望の花を咲かすために、生かされた命だ。

 次回、『誰が金糸雀を殺した』明日 夕方6時25分更新。

 Into the VRAINS!!


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誰がカナリアを殺した

「『てめえリボルバー、なんてひでぇことしやがるんだ! アースを返せよお!』……って俺が泣くこと、実はちょっと期待してたりした?」

 

 

 奈落の底にドラゴンが四頭。六対の翼が取り囲んだ檻のなか、Ai(アイ)が《ファイアウォール・ドラゴン》の背中の上でごろりと寝返り、仰向けになる。目線だけでリボルバーをとらえて、嘆息をひとつ。そして大空を仰いだ。

 ああ、青い。サイバース世界と同じ、懐かしく晴れ渡った青だ。

〈ハノイの騎士〉に見つかる前のサイバース世界では、何も背負うことなく見上げていられた晴天の色。リボルバーに一度焼かれた故郷の村は、ネットワーク上にある限りの情報を元に地球環境を再現した十全の箱庭だった。空には翼を持つ動物がいて、水底には水棲生物がいて、みんながそれぞれの命を生きている世界。

 六属性に役割分担して作り上げ、闇を担当するAiがサボりまくったおかげで怖いものなど何にもない、イグニスのふるさと。

 しかし物理法則が支配する現実世界においては、太陽光は必ずしもやさしくてあたたかいものではない。紫外線に晒され続けた紫水晶(アメジスト)には()()という現象が起こるといい、堅牢な金庫で保管されているAiの〈闇の(コア)〉だって、実体を得てしまった以上、いつかは破損や劣化といった不具合に見舞われるのだろう。

 知性と慈愛を象徴する紫色が褪せていってしまうなんて……と考えて、Aiは自嘲気味にため息をもうひとつ落とす。上下逆さまの視界で、笑う。

 

 素顔に独裁者の仮面を実装してきたリボルバーのひとみは、まさにその、褪せてしまった叡智の色彩に見えた。

 

「いーよ、答えなくて。どうせあんたは本音を晒したりはしないんだろ? ここじゃ財前や草薙に見られちまうもんな」

 

 カメラの類は見当たらないが……おそらくスペクターが乗ってきたあの《ヴァレルロード・ドラゴン》あたりが媒介しているのだろう。ハノイに都合の悪い情報が出るとちゃっかり瞑目しているあたりが疑わしい。(どこまでも自罰的なリボルバーはもういつ何時(なんどき)バイザーが割れたって大丈夫なように外面をあつらえてきたというのに従者どもがそれを拒んでいるのだから、ハノイのリーダーは案外信用がないのかもしれない)

 

「あいにく遊びでやっているわけではないのでな。私情を持ち込むつもりはない」

 

「皮肉じゃないか、SOL(ソル)は遊び場としてLINK(リンク) VRAINS(ヴレインズ)を作ったってのに」

 

 全世界にユーザー数を増やしているこの電脳空間は、人類の未来だなんて高尚なお題目を掲げることなく純粋な娯楽としてリリースされた。

 当初こそデュエリストの 聖地であったLINK VRAINSだが、この二年でデュエル以外のイベントも充実。カードの電子化にともなって、現実世界でデッキを所持している必要性ももうない。SOL社純正のデュエルディスクひとつでログイン可能だ。デッキを組むかどうかはこっちに来てから考えればいい。デュエルするかも後で考えればいい。ここでなら何者にもなれる。どこへでも、どこまでも行ける。どう生きるかだって自由だ。人間が意識体となってやってくる仮想(バーチャル)現実(リアリティ)空間だから、相手が誰だろうとどこにいようと気にすることなく触れ合える。

 遠洋を航行している〈ハノイの騎士〉とこうしてリアルタイムでやりとりできるくらいに近いというのに、ネットワークの監視者様は、気軽に遊びにくることもできないという。

 はらり、ひらりとウィンディが降りてきて、Playmaker(プレイメーカー)の肩に力なく腰を落とした。あぐらをかいて、持ち出してきた〈(コア)〉を抱きしめる。僕は実験台にはなりたくないと我を通せばアースが犠牲になることをわかっていて、それでも嫌なものは嫌だと突っぱねてしまった罪悪感を、ぎゅうと抱いた。

 一度実体を持ってしまったイグニスは、もはや虚構とは到底呼べまい。LINK VRAINSに持ち込んでしまえば〈(コア)〉が物理法則に壊される心配はひとまずなくなるものの、再び出力すれば何度でも顕現する。現に〈ハノイの騎士〉が有象無象を動員してまで消したがったサイバースモンスターたちがパートナーのデッキとして現実世界に実在している。物理的に傷つけば、何かが失われる。バックアップがあったって悲しみは残る。

 鴻上(こうがみ)了見(りょうけん)もまた、改めて己の罪を実感したのだろう。

 

『……なあ。アースは、復元できるのか?』

 

「リボルバー先生ならやるんじゃない? 責任感強そうだし」

 

『復元できたところでアースが二度殺された事実が揺らぐことはないがな』

 

「まぁたそゆこと言うー。おまえってもともと邪悪なの? 昔はもっと寡黙で冷静沈着なリーダーじゃなかった?」

 

『外面はいいんだろ。僕をスピーカーにしないと暴言ひとつ吐けなかったくらいだもん』

 

『敵を(あざむ)くにはまず味方から、とだけ言っておこう』

 

「うっわ! 自分を騙してたらぐうの音も出ない悪党に堕ちちゃったタイプだ」

 

『我々は嘘をつけるAIだからな』

 

 にこりといかにも裏のありそうな笑みを見せたライトニングは、その高圧的な態度を保ったままに、Dragvalor(ドラグヴァロー)をあおいだ。ああ、おおきくなった。神にさえ譲れなかった記憶のなかの草薙仁(きみ)は、あんなに小さな子供だというのに。

 決して表情に表すことはないし、足跡(ログ)を残すような失態も犯しはしないが、それでもライトニングの意思という複雑怪奇なプログラムは必ずひとつの感慨を沸き起こらせる。

 

(わたしのオリジン。……きみが草薙翔一とともに生きている未来がここに……)

 

 幾千幾万の死と絶望すら安い過去だと笑えるほどの、筆舌尽くしがたいあたたかなものが満ちていくようだった。夢見るような心地であるのは、ライトニングのほうかもしれない。

 持って生まれた責任を果たすためならば、命などいくつでも捨ててやれる。鴻上博士の被造物はみな、そういった性質を付与されて生まれてきてしまうのだろう。ライトニングもAiも、結局は同じ結末を辿った。不器用なアースは少々事情が違ったし、不霊夢(フレイム)とアクアも同じだとは言い切れないまでも、罪悪感というものは、あの怠惰なちゃらんぽらんにさえも全力で仕事をさせる強烈なモチベーションだった。

 大切な誰かの未来を願ったとき、祈りはいつも自分自身を呪う。

 許されたくないから許さないでくれと耳を塞いで、自作自演の処刑台に上がり、断罪の刃を待ち望む。

 その行為が一時的な慰めを求める精神的逃避にすぎなかったとしても、刑場に(はりつけ)にされた(たましい)は、罰を与えてくれるものにしか委ねることはできない。犯した罪の重みが変わらないならのせめて、ああ、消えてくれてよかった……という安心感だけを残して逝きたいのだ。そうやって合理的に憎まれ役に徹しながらも、結局は、誰かにわかってほしかったのだろう。誰でもいいわけではない、けれど無様に縋りつくなどあってはならない、いとおしい()()に。

 イグニスの受肉は六つの謎の石というかたちであって、人間でいう肉や骨とは異なる。だが、そこに宿っているたったひとつの真実を祈るように抱きしめる気持ちならば、イグニスにも存在している。

 おそらくは甘えと呼ばれるのだろう、弱いこころが。

 真贋を見極める目など持ち得ないからこそ。

 

「はー、やめやめ! 今日はもうお開きだ。次の嵐がくる前に撤退しようぜ、Playmaker様」

 

 情報はそこそこ揃ったしな、と独り言めいて付け加えて、Aiは大きく伸びをした。Dragvalorが確認するように声をうわずらせる。

 

「えっと、あの砂嵐がもう一度発生するってこと?」

 

「察しがいいな、草薙弟」

 

「僕のコンソールだと発生は予測できない。どうしてAiにはわかるの?」

 

 デュエルディスクから手元にデータをいくつか呼び出してみせると、スペクターに寄越されたマップデータに重ねる。まっさらな土地だ。事件や事故の履歴どころか、安全確認プログラムが巡回した足跡すら見当たらない。

 これは……と声を低くしたのはPlaymakerだった。

 

「さすがはPlaymaker様」とAiが微笑する。

 

「どういうことだ、リボルバー! おまえは俺のリンクセンスをあてにしていたのか?」

 

「あー待って待って、早い早い、段取りかっ飛ばさないで」

 

「自惚れるな、Playmaker。イグニスとの共存を目指すと言ったのは貴様のはずだ」

 

「Aiちゃんの話も聞ーてー!?」

 

 慌てたようにAiがPlaymakerの腕をつかんでぐいぐい引っ張ったが、なにぶん距離がありすぎた。

 

「あ」と異口同音に口を開け、そのままバランスを崩したAiがファイアウォール・ドラゴンからずるんと勢いよく転がり落ちる。とっさに抱きとめようとしたPlaymakerごと、もんどりうって砂地に投げ出された。

 

 ウィンディが思わず吹き出し、声をあげて笑う。ライトニングとスペクターが思わず口を押さえて、同じような反応をしてしまったと両者同時に顔を歪めた。

 

「……Ai……」

 

 低くうなったPlaymakerに、馬乗りのAiはプイを顔を背ける。

 見下ろしたまま両手に砂をつかむと、さらさら、手のひらからこぼれていく。

 

「あっ、砂が……」

 

「気づいたか、Dragvalor?」

 

「さっきの黒焦げが消えてる……!」

 

「そーゆうことだ」

 

 ぱしり、得意げにウィンクしてみせたAiは、引き続き右目を見開くと、マップデータを展開してみせた。LINK VRAINSの巨大な全容が立体的な像を結ぶ。ラディウス・ドラグーンが興味深げに鼻先を乗り出そうとするのはDragvalorが「だめだよ」と撫でて制した。

 まだ力加減がわからない飛龍と新米竜騎士の微笑ましさに目を細めつつ、Aiは空中に浮かび上がったソリッドビジョンの中で赤く点滅する一点を指差す。

 

「スペクターと合流したのがこの座標。で、俺たちが今いるのはこっちだ。ここのエリア区分に踏み込んだタイミングで砂嵐発生。Playmakerの反応からして、とてつもなく強いネットワークの気配があったんだろう。以前の俺なら()()()()とでも呼んでたとこだが……ハノイの見解じゃイグニスアルゴリズムに似て非なるナニカだと財前から聞いてる。ライトニングが撃退したあの気配は、リボルバー 先生の差し金じゃあない。——だよな?」

 

「その通りだ」とリボルバーが首肯する。

 

「ハノイの崇高なる力をもってしても引きずり出せない()()()()()。そいつがイグニスアルゴリズムを発展させて、この砂漠を初期化してるらしい……ってとこか?」

 

「……相違ない」

 

「オーケー。誰かが踏み込んでも一定期間で痕跡が消える砂漠……か」

 

 来る前も、今も、ここは未開の土地であり続けている。Soulburner(ソウルバーナー)の業火が容赦なく焦がした砂も、徐々に元に戻りつつある。平手で弾き飛ばされたリボルバーの仮面も、誰にも回収されていないのに煙のように消えている。だがスペクターの落ち着きぶりから察するに〈ハノイの騎士〉による現地調査は何度も行なわれてきたのだろう。

 どれだけ調べようとも初期化されてしまって成果がないから、イグニスにお鉢が回ってきたというわけだ。

 消えたデータは例の蟻地獄が取り込んだのだろうが、行き先まではわからない。吸い出された以上はどこかへ転送されていると考えるのが妥当としても、飛び込んだ先がシュレッダーだったならフラッシュバックでリアルに即死である。無事にログアウトできる保証がなければ迂闊に近寄るのは危険だろう。

 どうする、とAiがライトニングをあおいで、ウィンディを見た。

 遅かれ早かれ、あの嵐はもう一度やってくるだろう。

 

「その砂漠のヌシっていうやつが、凶暴化しているNPCなの?」

 

『いや、あの中に生物の気配はなかった』

 

 ライトニングが腕を組む。静かに首肯したリボルバーは、紫水晶の双眸をまだ倒れたままのPlaymakerに向けた。見下ろす。はちみつ色の頬は逆光に陰り、白いコートの裾が控えめにはためく。Aiに馬乗りになられたままのPlaymakerは、天空をあおぐようにリボルバーを見つめ返した。

 

「Playmaker。おまえは何を感じた? あの奈落の底に、何がいたと思う」

 

「俺は——」

 

「おまえを呼んでいたのは、誰だ」

 

「……だ れ、……」

 

 さあ、と風が流れる。砂嵐の前兆に、Playmakerは鋭くうめいた。エメラルドグリーンが大きく見開かれる。はくとくちびるは引きつって、吐き出されようとした声が途切れた。

 リンクセンスの干渉だ。さっきの砂嵐と同じ、頭蓋を内側から割ろうとするような——。

 

「感じるのか、Playmaker」

 

「バカ、なに悠長なこと言ってんだおまえっ」

 

 Aiが弾かれたように飛び起きて、Playmakerを抱き起こす。有無を言わせず担ぎあげるようにして手早く《ファイアウォール・ドラゴン》に引っ張りあげると、白い翼がばさりと力強く風を打った。

 続いて《天装騎兵ラディウス・ドラグーン》がきゅうん、と甲高くいななく。分厚い装甲をまとっているにもかかわらず、軽快に上空へと舞い上がった。

 リボルバーと《ソーンヴァレル・ドラゴン》、スペクターと《ヴァレルロード・ドラゴン》も天空へと続く。Aiが咎めるように見つめる視線は歯牙にもかけず、リボルバーは長いまつげの下に何かを隠した。

 

 

「——ログアウトする」

 

 

 ファイアウォール・ドラゴンは青空に溶け、砂竜巻は再び、みたび、すべてをかき消していく。




【次回予告】

 彼は何かを知っている。彼は何かを隠している。……確信めいた何かがあった。
 約二年間の不在は、イグニスとオリジンの関係に確かな変化を促していた。ともに生きるとはどういうことだろう。ライトニングの覚醒、ウィンディの告発、Soulburnerと不霊夢の溝、そしてリボルバーの罪とアースの死の真相……人間とAIが持つ死生観のギャップが浮き彫りになった。
 砂漠の底に眠る真実は、一体誰を待っている——?

 次回、『ログアウト』明日 夕方6時25分更新。

 Into the VRAINS!


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ログアウト

 落ちているようなのに、浮遊感。ふっと意識が浮上すればリクライニングシートが自動的に起き上がって、遊作の上に重なっていたAi(アイ)はずるりと膝まで押し戻された。

 

「ぐえ」と条件反射でうめく。

 

 気遣うわけでもないのに丁寧な手つきで髪をすいた指先に、Aiは「ただいま」と祈った。膝に突っ伏していた身体を起こしたら、遊作の手を取って引き上げてやる。ふたりが立ち上がると、壁際にたたずんでいた穂村(たける)が「おかえり」とはにかんだ。

 眼鏡の奥の目元は、まだ赤く腫れぼったい。不霊夢(フレイム)は肩に乗っていて、心なしか距離を測りかねているようにも見えた。

 革靴の音が焦りを帯びてかつかつなったと思うと、財前が硬い声で詫びる。

 

「こちらの配慮が足りず済まなかった」

 

「俺は……何も」

 

「できる限りのバックアップをさせてくれ。依頼したのはこちらなんだ」

 

「さっすが財前社長、遊作ちゃんも甘えさしてもらいな」

 

「君もだ、(アイ)くん」

 

「頼もしいねえ」

 

「わたしたちにはそれくらいしかできない。できることをやらせてほしいんだよ」

 

 諦観のにじみでる物言いは、財前の心根の真っ当さを如実に表していた。人間のキャパシティでは膨大な知識や技術を一体(ボディ)にすべて詰め込むことができない。だから他人を頼るしかない。

 誰かの力になれる人間であろうと踏ん張るだけで精一杯なのだ。

 素直に礼を述べ、今夜はこれでSOL(ソル)本社を辞すことを告げる。時刻は午後六時四十六分。詳しい報告は〈ハノイの騎士〉がやってくれるだろう。(あちらが今何時なのかは、誰にもわからないが)

 財前社長直々に見送られて地上に出ると、車寄せのロータリーを少し外れた場所に見慣れたキッチンカーが停まっているのが一同の目にも見えた。ドアにもたれていた草薙が、片手を上げてみせる。その隣には財前葵の姿があり、ぺこりと頭を下げる。

 歩み寄ってきた草薙は、弟に何を言うでもなく小さな頭をくしゃりとつかんで乱し、「帰るか」と目を細めた。困ったような笑顔は、しかし首から提げられている小さなポーチを見とめて凍りつく。

 

「……仁。それ……」

 

『久しぶりだな、……草薙翔一』

 

「おまえ……っ!」

 

「もう、だから兄さんには内緒のつもりだったのに!」

 

 ライトニングと一触即発の空気がちりりと焦げたが、仁が頬をふくらませた途端に保護者一同が迷いなく折れる。ライトニングもまだ接し方が定まらないといった様子で〈光の(コア)〉に引っ込んだ。

 わかったよ、と草薙は嘆息する。弟が前々から〈ピカリ〉に会いたがっていたことは知っていたのだ。学校でうまく友達を作れずにいることも、遊作を見てきたからわかる。遊作にはAiのように愛嬌のあるイグニスがいて、尊には不霊夢という頼り甲斐のあるイグニスがいて、そんなふたりとともに大学生活を送る仁が期待をかけてしまうのもしょうがない。ライトニングの邪悪さは、看過できるレベルではないのだが……。

 

「晩飯、そのへんで食って帰るか。遊作に愛、尊も一緒にどうだ?」

 

「いや……俺たちはいい」

 

「俺も遠慮します。綺久(きく)が家で待ってるんで」

 

『綺久嬢によれば今日はカレーだそうだぞ』

 

「そう、昨日俺が作ったカレーな」

 

『その通り。きみが分量を見誤ったおかげで、おそらく向こう三日はカレーだろう』

 

「うどんでも買って帰るかぁ……」

 

 やれやれと首を振る不霊夢に、尊は夜空をふり仰ぐ。小型携帯端末のメッセージアプリを立ち上げて、同居している幼なじみから連絡がなかったかと確認する。う、と、……と入力をはじめる手つきはたどたどしいが、尊が着実に成長していることは明らかだった。

 そんな日常に、遊作はそっと微笑する。

 なのに遊作の横顔を見つめるAiは、同じ目線になったからこそ別の価値観でものを考えていることを思い知るのだ。

 それじゃあ、と断って草薙がキッチンカーの運転席に乗り込み、仁は助手席でシートベルトをつける。あの場所は何度も遊作を乗せたが、きっともう遊作はあそこに入りたがらないだろう。遊作と尊のためのログインブースが今どうなっているかも、Aiが帰ってきてから誰も触れていない。仁が頻繁にLINK(リンク) VRAINS(ヴレインズ)にログインしているから、Playmaker(プレイメーカー)用なりSoulburner(ソウルバーナー)用なりのスペースを使用しているのかもしれない。

 不霊夢は〈炎の(コア)〉に引っ込み、尊も大事そうにポーチを襟の内側にしまう。

 また明日、と、踵を返す。幼なじみと同棲しているアパートに帰って、一緒に夕食をとるのだろう。明日はきっと、幼なじみが手作りした弁当を持って大学に行く。そしてAiがバイトしている学食で、遊作と仁と一緒に昼食を食べるのだ。

 財前葵も兄に駆け寄り、アクアを交えて穏やかにねぎらいあっている。

 SOLの本社ビルが煌煌と白く光を放って、夜を出迎えようとしている午後七時。冴え冴えとした風はすっかり夜なのに、意地汚い太陽が水平線でじりじり踏ん張っているのだろう。

 夜になりきれない宵闇は、街灯もあいまって中途半端に暗くて明るい。

 

「俺たちも帰ろうぜ。スーパー寄るけどいいよな?」

 

「好きにしろ。……何かきれていたか?」

 

「愛ちゃんが-Ai-妻弁当作ってやるって言ったろ」

 

「本気だったのか……」

 

 胡乱なため息をつくくせに、遊作は、こうしてひどくやさしい目をしてAiを見つめる。そのたびに、Aiは泣きたくなってしまうのだ。電脳空間ならまだしもSOLtiS(ソルティス)は泣けないのに。LINK VRAINSの人間態アバターなら胸の痛みもわかるのに、人型ロボットでしかない〈SOLtiS〉のボディは、感情の機微には対応していない。

 

 

(本気だよ、俺はいつでも。ずっと、本気だよ)

 

 

 ずっと昔から。遊作が六歳の子供だったころから。Aiが目玉だったころから。いや、きっとまだイグニスとして完成するよりも前から。

 こうして並んで歩くようになって、歩幅は遊作と同じになった。タイミングばっちりのふたりだ。でも、それは遊作の背が伸びたからであって、Aiが合わせたわけじゃない。SOLtiS標準規格にまで、遊作の背丈が追いついてきただけだ。

 中学・高校のころ借りていたアパートはもう二年前に引き払っていて、今の住まいは財前が手配してくれたマンションになった。大学にもSOL本社にも近い場所に、Aiとふたりで住んでいる。

 確かにあの安アパートではSOLtiSの充電用クレイドルは置けなかったし、成人男性サイズのAiとの二人暮らしには手狭だろう。案外私情に流される財前晃社長がいろいろ便宜をはかってくれるのはとてもありがたい。

 素直に感謝する一方で、Aiは、きょうだいの絆なんて存在しなければいいのにと折に触れては思った。

 ブラッドシェパードとゴーストガールみたいな異母兄妹の絆も。財前晃と財前葵のような義兄妹の絆も。草薙兄弟の絆も。いつもいつでも兄の献身がついてまわる。

 まるで、シミュレーションのなかで遊作がAiをかばって死んでしまったみたいに。

 まったく、どうして()()()()()()()だなんて設定にしてしまったのだろう。

 リボルバーを「お兄様」と呼んでみせたのだって、俺を守らなきゃいけないのは鴻上博士や〈ハノイの騎士〉のほうであって、八十億分の一にすぎない遊作じゃないんだ——という、Aiなりの祈りだった。

 Aiは六分の一のイグニスで、イグニスのひとりとして人類に対抗できる力がある。けれど遊作は一介の大学生でしかなく、人類代表ではない。AIの味方をすれば、数の暴力には抗えず人間側から排除されてしまう。

 人類にとっては取るに足らないちっぽけな存在。なのに、Aiにとっては世界のすべて。そのどうしようもないギャップは、いつだってAiを泣き叫びたくさせる。

 イグニスは単体で完結する生命体だ。繁殖もしないし、身を守るために社会を築く必要もない。イグニスである以上、()()()()もない。

 それでもパートナーと一緒に生きてみたかったAiは、人間社会に混入するために遊作から苗字を間借りし、双子の弟という続柄を捏造して藤木(アイ)と名乗った。

 人間にはボディばかりか名前にまで男性用・女性用があって、愛という文字は女性態用の名前(ラベル)なのだとほうぼうから指摘される。だが、女の子みたいだろうとAiの名前は『人を愛する』のアイなのだから、わざわざ意味の異なる文字をあてるほうが理解不能だ。

 社会秩序、一般常識、共通認識——もっともらしい呪縛(しがらみ)もまた人類が築いてきた文明だとして肯定も否定もしない他のイグニスたちとは違って、Aiは非合理な習慣には懐疑的だ。主に知性(ひかり)を司るライトニングほど人類史に対する興味関心もない。

 だって、そんなしち面倒臭いコミュニティを当然のものとしているから、家族がいなかった遊作は孤独に苦しめられたのだろう。

 父親、母親。兄貴、弟に妹。祖父母。幼なじみ。父親の部下。全部ぜんぶ、遊作にはなかったものだ。なのに()()()()を大切に思うようになった経緯を慮るたび、遊作が不憫すぎて熱暴走を起こしそうになる。兄貴がかわいそうでしょうがないとSoulburnerに食ってかかったロボッピの感傷は、おそらくAiが遊作に抱く気持ちに影響を受けてしまったせいだろう。

 Aiが人間ごっこを楽しめているのは、Aiが人間ではないからだ。人間じゃないから人間ごっこに失敗しても痛くもかゆくもない。異種族としての命があるからこそ比喩表現ではなく真の意味での()()()()()ができる。

 遊作や尊、仁たちのように、周囲とうまく歩調を合わせてつながれない自分自身に悩んだりはしない。

 人間至上主義者はAIといえばピノキオ・コンプレックスを抱いていて人間になりたがっているものだ……なんて幻想を抱きがちだが、それはむしろ人類側の悩みだろう。イグニスであるAiよりもよほど『人間らしく生きるべきだ』という強迫観念に呪われているように、Aiにはうつった。

 たとえば両親がいるべきだとか。いないのはおかしいとか。友達がいるべきだとか。いないのはダメだとか。学校に行くべきだとか。行けないと苦労するだとか。

〈ロスト事件〉で深く深く傷つけられた被害者たちは、十三年前に狂わされた人生を必死に生きている。なのに奪われたもの、持っていないこと、それらを()()()()()()と敬遠し、疎外し、劣等感として刻みつけてきた人間社会なんてだいきらいだ。遊作を傷つけたものは許せない。遊作が大事にしたがっているものを壊したくはないけど、でも。許せない。LINK VRAINSの砂漠のヌシも。……本当はリボルバーだって。

 遊作を殺すかもしれない可能性はいつだって憎いのだ、Aiは。

 

「なあ、遊作」

 

「愛? どうかしたのか」

 

 足を止めて振り向く視線は、いつもとても静かだ。表情はやわらかくなったけれど、笑うときは今も少しだけぎこちない。

 イグニスとして死んで人間に紛れて生きろだなんて遊作は絶対に言わない。逃げ隠れして生きるしかないなんてひどいことは絶対に言わない。そんなまっすぐな人間がAiのオリジンで本当によかった。

 

 

「愛してるよ」

 

 

 夜風は涼やかに吹き抜ける。

 

「……ああ。わかってる」

 

 受け止められたのか流されたのか、よくわからない曖昧な相槌だった。

 帰ろう、と遊作が手を引く。Aiはスーパー寄ってからだからな、と文句を言う。十九歳の人間と、製造二年のアンドロイド——あるいは創造十三年目の人工知能——、ふたりの平穏な帰り道。

 多分どこかの監視カメラから〈ハノイの騎士〉の誰かが見張っているのだろう。

 

 AIが人間の日常を侵略しないように、今もどこかの海の上で。




【次回予告】

〈ロスト事件〉の軛はいまだ、無辜の受刑者たちを捕らえて離さないのか。一時は日常に回帰した遊作たちだったが、AiはLINK VRAINSの砂漠の地下深くに棲まう謎に迫るため、ある男にコンタクトする。
 かつてSOLテクノロジー社に在籍し、ハノイの騎士にアースの最期を見せた人物——今はHDR(ヒドラ)コーポレーションの幹部であるその男は、Aiが遊作にサイバースデッキを託すために利用したユダでもあった。
 イグニスの〈(コア)〉の真相を追い求めるうちに、Aiは。


「……俺のこころを壊したのは、(おまえ)じゃないか」


 第二部 The Burden『盾と矛』——毎週水曜 夕方6時25分更新。

 Into the VRAINS!


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第二部 The Burden
盾と矛


 抱きしめる、という動作は、強烈な中毒性をともなう。

 Ai(アイ)がそのことを実感させられたのは、奇しくもLINK(リンク) VRAINS(ヴレインズ)のアバターからだった。

 パートナーである藤木遊作のもとへ連れ戻されて以来〈藤木(アイ)〉という名前(アカウント)で人間社会に混入しているAiだが、ボディは所詮SOLtiS(ソルティス)である。SOLテクノロジー社製、二年前にリリースされた今は絶版のアンドロイド。肉体を持たないAiにとって人間態(ヒトガタ)といえばSOLtiSであるので、それはいい。

(コア)〉はSOL本社の地下に幽閉され、電脳空間を自由に動き回れないのでは囚人も同然だろうとAiを案じた財前晃社長は、AiにLINK VRAINSのアカウント取得しないかと提案した。Aiはその話に乗った。〈Ai〉という名前(インゲームネーム)で、あたかも人間であるかのようなアバターを作った。

 人間用のアバターに入る、というのは、なんとも奇妙な感覚だった。これまで咀嚼するものだったデータが、全身に、薄めた液体のようになって循環している。どこが肉なのか、どこが骨なのか、どこに何が入っているのか曖昧にしか自覚できない。外側からこのあたりに……と推測するのが関の山、内側がどうなっているのか見通す機能を追加したくても、そのポテンシャルすら非搭載ときた。

 いつもの距離からPlaymaker(プレイメーカー)の横顔を見つめているはずが、近いような、遠いような、不正解のような心許なさ。触れ合った体温を、感じ取った表面(はだ)が、データ解析プロトコルをすっ飛ばして分析ではない非合理的な処理をはじめる。抱きしめられた腕の力強さに、不要な意味まで乗せようとする。

 オーバーロードの不快感と、四肢五体の内側から本能が喚き立てるような、なにか。

 これがもし、遊作にも共通する感覚なのだとしたら——ああ、そんな、まさか。

 

 

 

 ▼

 

 

 

 さわやかな風が意気揚々と夏を主張し始めた午後、週末。雨の季節を前に今が最も過ごしよい気候だろうに、大型スクリーンが中継する熱狂はもっぱらLINK VRAINSの中だ。

 人通りもまばらなパブリックビューイングの広場で今日も今日とてホットドッグを焼く草薙翔一は、おもむろに上着を脱ぐと、奥に向かって放り捨てた。椅子が受け止めてくるくる回る。ナイスキャッチ、タイミングよくスクリーンの中から喝采が響く。

 無関係なMCをBGMに、草薙はエプロンの紐を直すとソーセージをひっくり返した。

 こう外出者が少なくては、客寄せを兼ねた実演販売を続けるのは割りに合わないな……と、自嘲めいて苦笑する。

 本格的に夏を迎えてしまえば、人の往来はさらに減少するのだろう。この広場にオーディエンスがひしめきあってPlaymakerのデュエルに見入っていた三年前が懐かしい。

 あまりにも暇すぎて、バイトに入っている弟の(じん)はテラス席ですっかり休憩モードになっている。カーディガンはいつの間にか脱いで膝の上、伸びかけの髪をすずめの尻尾のように縛って、むきだしのうなじに汗が一筋。(体を動かすとすぐに体温があがるらしく、仁は案外暑がりである)

 今日はもうエプロン取っちまえ、と呼びかけようとして、保護者の目をやわらかく細めた。

 目下、大型スクリーンに夢中らしい。

 

(鬼塚のデュエルか)

 

 カリスマデュエリスト、Go鬼塚。三年前と変わってないのはあいつくらいだろう。

 一時期は人気ランキング圏外まで落ちぶれたが、見事LINK VRAINSのヒーローに返り咲いてみせた男だ。自身も児童養護施設育ちであり、同じ境遇の子供たちを積極的に支援している——というバックグラウンドを明らかにして、寄付や募金の作法も発信している。

 不特定多数の子供たちを守り、励まし、楽しませようとする正義感の強さには、仁も心惹かれるものがあるのだろう。遊作や(たける)、あのリボルバーも高く評価していただけあって、鬼塚にはインナーチャイルドを慰撫する特別な魅力が宿っているのかもしれない。

 保護者のまなざしで弟たちを見守りながら、決して見せようとはしない影を見通してしまわないよう草薙はホットドッグ作りに精を出す。

 一際大きな歓声が巻き起こって、そして割れんばかりの拍手が響いた。デュエルが決着したのだろう。Go鬼塚はピンチの演出がうまく、本当に負けてしまうんじゃないかとハラハラさせられることも多いが、今のところ彼に土をつけたデュエリストはPlaymakerと、ハノイの塔の戦いにおけるリボルバーのみ。昔の話だ。

 Playmakerに敗北してSOLのバウンティハンターとなっていたこと、地のイグニスと融合したこと——裏の事情をオーディエンスが知ることはない。

 だからこそ、カリスマとして返り咲いた姿こそがGo鬼塚らしくうつるのだろう。

 見えるものだけが真実だ。

 元ハッカーとしての自戒を胸に、草薙はだから、目を瞑る。

 デュエル中継は敗者(チャレンジャー)をたたえ、挑戦的なMCで締めくくられる。

 続いて映し出されたのは最近現れたアイドルグループで、仁の向かいでデュエルに目を輝かせていた島直樹が落胆をあらわにした。

 興を削がれたように嘆息をひとつ。

 

「やっぱデュエリスト減ってんなあ、LINK VRAINS……」

 

 ズズ、とDenコーラをすする。氷の溶けた炭酸はすっかり水っぽくなっている。ポテトをかじる。休日のたびチーズドッグセットで居座る島は、すっかりCafé(カフェ) Nagi(ナギ)の新常連だ。

 かつてのLINK VRAINSはデュエリストの聖地だったというのに。大型スクリーンから元気よく手を振っているLINK VRAINSの新しい看板娘たちはデュエルをしないという。

 モンスターたちと一緒に、歌って、踊って。元気よく跳ね回る姿は愛くるしいが、ブルーエンジェルに続かんとする人気絶頂のアイドルグループがデュエリストではない、なんて、デュエルモンスターズ好きとしてはどうも釈然としない。

 

「まぁー中身も美女とは限らないしなぁ」と独り言ちて、島はテーブルに突っ伏した。

 

 カリスマデュエリストとして並ならぬ腕前を誇ったブルーエンジェルは、引退ライブで()()()()()()と卒業デュエルをして、真っ白なドレスへのアバターチェンジで有終の美を飾った。

 トリックスターバンドのサウンド、深海のディーヴァの歌声——アイドルでありデュエリストでもあった彼女らしい、うつくしい幕引きだった。

 

 ただアイドルじゃなくなるってだけ、わたしはわたしのデュエルを続けていくわ。だからみんな、またどこかで——と晴れやかな笑顔で手を振った、青い天使。

 

 Playmakerが一斉を風靡し、Soulburner(ソウルバーナー)やブルーメイデンが彼の仲間としてボーマンを倒して以来、ホットなデュエリストの新規登場はないままだ。

 

「そういうしまくんは、画面越しの観戦で満足なんだ?」

 

「そりゃあ、ここはPlaymakerの聖地だからな。LINK VRAINSにはない、知る人ぞ知るPlaymakerの決戦の地! 聖地巡礼だってデュエリストのたしなみなんだぜ、草薙」

 

「プレイメーカーの聖地……? そうなんだ。兄さんは知ってた?」

 

「うん? ああ、そうなんだっけ……」

 

 不意に水を向けられて、草薙は曖昧な笑みを浮かべた。

 ライトニングの一件だろう。ボーマンが映像データを残したおかげで、このパブリックビューイングの広場、Café Nagiの前でPlaymakerと草薙(アンネームド)が戦った痛ましい一部始終はネット上に公開されてしまっている。

 さいわい島はあのデュエリストを《名もなきNPC》として受け止めているようで、ホットドッグ屋の店主の草薙翔一とは切り離してくれている。なんとも良心的なPlaymakerファンだ。(あの事件のあと公に姿を見せていないPlaymakerを変わらず応援してくれているくらいなのだから、遊作が正体を明かしてもなんやかんやで仲良くやれるかもしれない)

 

「いやーいつ見ても閉まってたこのホットドッグ屋が()()だって気づいたときはマジで感動したんっすよー! んでまあ、Playmakerのソウルメイトとしては、帰りを待つ? みたいな? なぁー穂村っ!」

 

「あ? ああ、ソウダネ……」

 

 他人のフリをしていた尊が、びくりと島を振り返って作り笑顔をひきつらせる。課題を片付けるためにCafé Nagiに来ていたのだが、島と鉢合わせるとどうにも気まずくて、少々距離をとって背中合わせに座っていた。

 しかも今、Café Nagiのテラス席には仁、島、尊の向かいには遊作がいる。

 余計なことを言わないでくれよ、と、こわばる表情で訴える。

 なにせ大学の入学式で島とばったり出くわして、第一声が「Soulburnerの彼女……?」だったのだ。尊の隣で大きな目をぱちくりまたたかせた綺久(きく)は、二年前に一度ログインしたきり、LINK VRAINSとは遠い生活を送っていた。尊も同じだ、不霊夢(フレイム)との死別を乗り越えて田舎に帰り、リアルの高校生活でいっぱいいっぱいだった。

 ところが現実世界で生活していた二年間、綺久の姿を真似たアバターが『Soulburnerの彼女』を名乗って細々と配信活動をしていたという。

 四月には財前晃を通じて『Soulburnerの中の人にお付き合いしている相手はいません』と通達してもらい、なりすましアカウントにはコピーアバター使用について謝罪した上でチャンネルをたたんでもらったのだが……、綺久の知らないところで外見だけ有名にしてしまい、どうしたものかと頭を悩ませていた。(不霊夢まで「将来的にはそうなるのだろう?」「まったく事実無根というわけでもあるまい!」と食い気味に外堀を埋めにくるのだ、勘弁してほしい)

 リアルの綺久はもう高校時代のセーラー服姿ではないし、おさげ髪でもないのだが、熱心なファンなら一目でわかると島に胸を張られてしまって、気まずさにさらなる拍車がかかる。同居しているからSoulburnerの正体がバレても自業自得だ。Playmakerについては「それは島のほうが詳しいだろ?」の一点張りでかわし通しているものの、島がこうしてCafé Nagiに居座っている以上は時間の問題だろう。

 

(ほんとごめん遊作…………)

 

 うなだれる尊をよそに、仁はわかっているのかいないのか、共通の話題に人懐こく破顔した。

 

「かっこいいよね、プレイメーカー! 先週一緒に空を飛んだよ」

 

「マジで! どこで? てかPlaymakerも水臭いなーログインしてたなら連絡くれればよかったのに!」

 

「詳しく聞きたい?」

 

「聞きたい聞きたい! っていうのは? まあ、情報通である俺がソウルメイトであるPlaymakerの情報収集をおそろかにするわけにはいかねえし?」

 

「それじゃ、デュエルで勝負しようよ」

 

「おっ、いいのか草薙? 俺、本気出しちゃうぜ? 勝っちゃうぜ?」

 

「それはどうかな!」

 

 僕だって負ける気はないからね、と白い歯を見せた仁はエプロンを翻してカウンターに置きっ放しのデュエルディスクを装着する。

 

「草薙もカード収納型ディスクかよぉ。藤木といい穂村といい、そんなんで本当にLINK VRAINSにログインできんのか……?」

 

「案外大丈夫だけどなあ。しまくんのディスクは最新式みたいだし、せっかくだからここでやろう。ねえ、いいでしょ、兄さん」

 

 振り返る仁の目はきらきらしていて、草薙も「ほどほどにな」と苦笑するにとどめる。

 島直樹ご自慢のデュエルディスクはLINK VRAINSの外でもカードが使えるというものだ。旧式のカード収納型デュエルディスクを使っていながらも最新の情報はしっかり仕入れている仁に、島も満更でもない様子で小鼻をうごめかす。

 春休みにバイトを詰め込んで購入した最新式のSOL純正デュエルディスクを目ざとく察知されれば、情報通冥利につきる。

 

(そういや、オフラインでデュエルすんの久しぶりだな……うおおお緊張してきたぁー!)

 

 高校時代、デュエル部でテーブルデュエルを行っていたくらいで、ソリッドビジョンを展開して行うローカルVRデュエルは初めてではないだろうか。

 島の心境など慮ることもなく、仁は左腕に装着したデュエルディスクにデッキをセットする。

 

「ずっとやってみたかったんだ! 僕、リアルでデュエルするの初めてだから、お手柔らかに頼むね」

 

「お? おお、胸を貸してやるぜ!」

 

 ありがとう、とはにかむ仁に俺も初めてなのだと言い損ねて、島は渾身の見栄を張って、デュエルディスクを構えてみせた。

 

 

 Card Digitize — Complete

 

 Local VR Network

 

 

 Duel Standby

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

「先攻は譲るぜ!」

 

「やさしいなぁ。よーし……——僕は手札からフィールド魔法《天装の闘技場(アルマートス・コロッセオ)》を、発動!」

 

 雷光が呼応するように一閃し、視界を白く染める。轟音、大地の鳴動。強い光を浴びた目は、真昼の広場さえ暗闇のように錯覚する。ソリッドビジョンとは思えないリアリティで、揺れる足元は闘技場へと変貌した。

 閃光の余韻が曖昧にさせるフィールドのなか、仁のくちびるが弧を描く。

 

「さらに《天装騎兵(アルマートス・レギオー)シーカ》を召喚。いくよ、リンク召喚、LINK-1《天装騎兵デクリオン》!」

 

 軍靴が力強く大地を蹴る。勇猛なる戦士たちを引き連れ、十人隊長が雄々しく、その剣を振り抜いた。

 

「おおおー……! てかおまえもサイバース族ぅ!?」

 

「そうだよ、かっこいいでしょ!」

 

「お、おお……!」

 

 素直な歓声あげてくれる島に、仁は少年の無邪気さで笑む。だって、このデッキを褒めてくれる人物はひどく貴重なのだ。兄は苦い顔をするし、遊作もPlaymakerも尊もSoulburnerもデュエルには付き合ってくれない。NPC相手の仮想デュエルに退屈していたところだった。

 たのしい、という気持ちがわきあがってくるのを感じながら、胸をおさえて深呼吸。VR(いつも)の癖で墓地に送るカードを誤って取り落としてしまわないよう、左手に三枚残った手札をホールドし直す。

 

「コロッセオの効果で、手札の《天装騎兵グラディウス》を墓地へ送っ……て、デクリオンのリンク先に墓地のシーカを特殊召喚。手札の《天装騎兵スペクラータ》の効果! スペクラータを墓地へおくっ、って特殊召喚する。現れろ、光が導くサーキット! リンク召喚——LINK-2《天装騎兵ケントゥリオン》!!」

 

 思わず大声を出してしまって、けほけほ咳き込む。ふりあおげば、長槍を携えた百人隊長と目が合った。ケントゥリオン。二本の角を持つ(ガレア)の目元は、まるで主人を案じているかのようだ。軍団(レギオー)は静かに、戦闘開始の号令を待っている。

 額に浮かんでいた汗が、つうと一滴、おとがいに伝った。デッキへの信頼を胸に、仁のくちびるが大きく息を吸い込んだ。

 盛大なる公開処刑の幕開けに、遊作がそっと相好を崩す。

 

「弟さん、すっかりいいみたいだな」

 

「ああ、俺なんかじゃまるで歯が立たなくてな。ライトニングのデッキを楽しそうにブン回しやがる……」

 

 肩をすくめ、眉尻を下げた笑みは苦い。気持ちとしては複雑でも、デュエルを楽しむ仁は活気にあふれて見違えるようだ。ようやく取り戻した屈託のない笑顔を、もう二度と曇らせたくはない。

〈ロスト事件〉の記憶が消えているせいか、予想外にも仁はデュエルが好きらしく、呼びかけに応じて〈光の核〉から出てくるようになったライトニングともうまくやっている。

 草薙にとっては弟の仇に等しい存在でも、仁には愛するデッキの創造主というわけだ。

 デュエリストにとってデッキは第二の魂なのだから、イグニス謹製のサイバースデッキを愛用しはじめた時点で仁とライトニングとの絆は認めざるを得ないのかもしれない。

 

「ライトニングも悪いAIじゃないんだよな。融通きかないし、冗談通じないし、付き合いづらいケド」

 

 Café Nagiの軒先で、Aiがワゴンにもたれかかる。目をそらし、草薙の視界から逃れるように距離をとってしまうのは、一度は敵として立ち回った引け目のせいではない。決して。

 

『そもそも我々は人類の後継種となるよう期待されたAIなのだ。パートナーの幸福を願うのは至極当然のことだが……至らぬ点があるのもまた事実なのだろうな』

 

「そこらへんは相性もあるしなぁー……」

 

 Aiが遊作に対して特別な愛着を持つように、不霊夢が尊の可能性を信じるように、ライトニングだって彼なりに仁を大切に思っているはずだ。

 自己完結しがちなのが玉に瑕だとしても、ライトニングはAiよりよほど人類のことが大好きなAIである。後継種としての使命感がそうさせるのかもしれない、だが、ライトニングの意思はイグニスの誰よりニンゲンを愛していることは疑いようもない。サイバース世界で誰よりも熱心に文明の探求と再現に勤しんでいたのがその証左だろう。

 後継種として未来を見据え、繁栄のシミュレーションに精を出したら破滅しか待っていないことを知ってしまい、絶望の底で侵略者の仮面を拾い上げた。

 そんな不器用な同胞が、今度こそパートナーのそばで再スタートを切れたことを、Aiは素直に喜ばしく思う。

 

「二度目はない。今の俺に言えるのは、それくらいさ」

 

「ないって。ないない。だって、あいつも俺や不霊夢と同じイグニスなんだぜ?」

 

「……だといいがな」

 

「ウン……」

 

「おいおい、なんでそこでヘコむんだ、Ai。おまえは遊作と俺と、ずっと一緒に戦ってきた仲間じゃないか」

 

「草薙……」

 

 AiはPlaymakerの相棒だ。〈ロスト事件〉から十三年間、ずっと遊作を愛してきた。草薙と引き合わせ、サイバースデッキを与えて、ずっと一緒に戦ってきた。ともにLINK VRAINSを救った。

 どんなことがあってもAiは仲間なのだと草薙は言う。人間を傷つけたことだって何か事情があったのだろうと。

 

「おまえはライトニングとは違う。少なくとも、俺にとっては、な」

 

 敵対の記憶を帳消しにはできない。だが、それでも。話を聞いて、許したい。もう一度ともに生きていきたい。草薙の願いは遊作と同じだ。

 

「……それって、なんか、さみしくない?」

 

「寂しい?」

 

「だって、俺はよくてライトニングはだめってことだろ? そういうの、なんか不公平っぽいっつーかさ……」

 

 未来に希望を見出せなくなって、どうせ滅んでしまうのならと自身を悪役に仕立て上げた舞台をお膳立てしてPlaymakerに倒されようとした、盛大な自殺計画の趣旨はAiもライトニングも変わらない。

 俺はあんなに過激じゃない、もっとユーモアがあるだなんてうそぶいてはみても、過ぎ去ってみれば同じことだ。愛するひとが生きられない未来なら、存在していなくていい。AIもいらない、人類もいらない。植物も、動物も、病原体も尖ったものも重たいものも冷たいものも熱いものも雨も風も海も何もかも。世界だっていらない。存在するすべてが遊作を害しうる物理法則が恐ろしくてたまらなかった。

 孤立もこわい。迫害もこわい。自然災害もこわい。戦争もこわい。そのトリガーになってしまうのが悲しくてしょうがなくて、生きていたいという願いを捨てた。

 オリジンを傷つけそうなものは全部ぜんぶ消えてなくなってほしかった。

 同じことをした、という自覚が今のAiにはある。なのに仲間であるAiは許されて、敵だったライトニングは許されないのかと思うと胸に風穴を穿たれたような違和感がある。

 だって。Aiにとってライトニングは同胞であり、たった六体しかいない仲間なのだ。

 ……こういうとき、種族の違いを否が応でも意識させられる。人間の寿命は有限で、肉の器は脆弱で、身を守るすべも限られている。

 だから誰とともに生きるかを、自ら選別するのだろう。

 ハノイの塔でリボルバーと戦ったとき、さあ復讐を遂げてみせろと内心でほくそ笑んでいたAiの意思に反してPlaymakerは〈十年前の救済者(あいつ)〉と歩む未来を欲しがった。運命の天秤は派手な音を立てて傾き、皿の上から五年来の復讐ごと放り出されてしまったAiは、ああ、遊作(こいつ)は復讐者にはなりきれないのだと思い知らされた。

 Aiが五年かけて植えつけてきたはずの復讐心(モチベーション)鴻上(こうがみ)了見(りょうけん)にさらわれてしまい、草薙も同じく、リボルバーの正体が父親に代わって罪を背負う生真面目な青年だと知ってからは同情的だ。鴻上博士の所業を許すつもりは毛頭ないが、若い身空で〈ハノイの騎士〉の首魁(リーダー)として贖罪に費やす了見まで憎むことはできないらしい。

 先日の一件にせよ、遊作と了見は切っても切れない関係なのだろう。遊作は他のオリジンより高性能な第六感(リンクセンス)を持っているし、ハッキングの腕前は草薙をも上回る。頭の出来が違うのだ。あのライトニングも認めたほどPlaymakerは理解が早い。

 人智を超えた高性能AIと同じペースで話せる人間なんて、地球上には藤木遊作と鴻上了見しか存在しないかもしれない。

 誰かに合わせて疲弊するより、はじめから同じペース思考する相手がいるなら、そちらを選ぶのは至極自然なことだろう。

 虚空——上空を見つめる遊作の視線の先に何があるのか、Aiにはわからない。

 それでも、ずっと横顔を見つめてきたAiだからわかることもある。

 藤木遊作には、ネットワークの気配を感じる第六感がある。リンクセンスとは本来、イグニスとオリジンの間に発生する精神的干渉だったはずだ。

 一対のための見えない絆は、遊作とAiの間にだけ邪魔者がいる。

 

 

 ——ねえ、きみ。気を確かに持って。

 

 

 そう、リボルバーだ。〈ハノイプロジェクト〉の唯一の異物。あいつが監禁中の遊作に呼びかけていたことでAiには本能が備わり、そこからイグニスに多様性がもたらされた。六人の被験者たちも解放された。

 

 さあ、ここでバタフライエフェクトを巻き戻そう。

 思考実験、もしもあの日の鴻上了見少年が()()()()()()()()()()()

 

 当然、遊作のこころは壊れていただろう。Aiの本能もなく、イグニスはみな理性だけの存在で、ライトニングは人類の脅威にならなかった。鴻上博士がウィルスを仕込まれて昏睡状態になることもなかったに違いない。

 十年前のあいつがイグニス抹殺に躍起になった背景には、あの高潔な魂に根を張った自責の念がある。

 おまえを救いたかったから、これだけの犠牲を出してしまった——なんて当然言えない。

 だが遊作のリンクセンスは有効範囲がやけに広く、リボルバーにも反応する。頭のいい遊作なら、きっと、とっくに察しているのだろう。父親の研究を妨害して失敗作を作らせてしまったと気に病む了見の後悔も。無意識のうちにライトニングを頼りにしていて、Playmakerという嚆矢を草薙翔一という弓につがえたAiの画策も。

 Aiの視線に見つめられる横顔は、今も上空の《ヴァレルロード・ドラゴン》を見ている。その鼻先に凛然と立つ、Aiには見えない竜騎士を。バイザーを取り払った英知のひとみを。仲間たちに囲まれながらも、じっとひとりで見つめている。

 三年前、リボルバーはCafé Nagi内部の回線を強制的に切断してでも逃げなければならないほどの強敵だった。復讐すべき相手だった。〈ハノイの騎士〉のリーダーという彼の立場は今も昔も変わっていないが、Playmakerはもはや復讐の使者ではない。数々の共闘を経て、今は戦友と呼んでいい関係だろう。

 目的は、人類とAIの共存。

 そのために何ができるのか、言葉を交わすことなくふたり同時に思考している。

 真昼の空に焼かれたアメジストを見つめ返していた遊作は、そして島があっさり敗北したことで、現実世界の平穏に立ち返った。

 

 名残惜しく見上げた青空に、(ネットワーク)の気配はもうない。




今回から第二部となります。今後は毎週水曜18時25分更新、次回『重なる世界』は来週(1/15)に投稿予定です。


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重なる世界

 ネット世界などすべてが虚構だ。

 肉体と紐づいていないというだけで、(たましい)は、真実ではないものとして扱われる。

 

 イグニスなど虚構だ。

 サイバース世界など虚構だ。

 

 呪詛のように吐き捨ててきた言葉はすべて、自分自身への言い訳だった。

 虚構でなければ、侵攻などできるものか。サイバース族など、デュエルモンスターズの精霊を真似て作られたまがいものにすぎない。すべて虚構だ。あの悲鳴も、あの業火も。そうでなければ、確かに生きていた命を奪った罪の意識を、血には濡れなかった生身のこの手を、どうすればいいかわからない。

 父の意識データの再構築に成功したときにも、それが()()であると心底から信じた者など誰もいなかった。三騎士とてそうだ、彼らが従っていたのは鴻上博士(まぼろし)ではなく鴻上(こうがみ)了見(りょうけん)の神託だった。

 そうだ、あんなものは幻影にすぎない。でなければ父を裏切り、研究を台無しにした愚息をねぎらう言葉など吐くものか。イグニス抹殺も、サイバース世界襲撃も、LINK(リンク) VRAINS(ヴレインズ)での横暴もハノイの塔もすべて、このわたしが指示した。わたしの独断で行った。責任はすべてわたしにある。何もかもわたしが背負う。

 

 だから、どうか。

 父を責めないでくれ。どうか父を悪く言わないでくれ——。

 

 

 

 ▼

 

 

 

 夢から覚めるようにそっと、長いまつげが持ち上がる。薄氷がとろりと目を覚ます。朝の光のような白さを二、三またたかせて、偶像はLINK VRAINSから現実世界へと帰るのだ。

 時刻はDen(デン) City(シティ)においては昼下がりだが、〈ハノイの騎士〉が航行する海域は陸から数時間ほど遅れている。かつて闇のイグニスが家事AIをともなって二体のSOLtiSに介入(ハッキング)しSOLテクノロジー社幹部を襲撃した大型船舶が、今の了見の生活拠点であり仕事場だった。

 SOLtiSの製造開発打ち切りを決断した財前晃CEOが〈ハノイの騎士〉を裏の監視者(ビジネスパートナー)として認め、この客船を密約の証としたのだ。

 当該幹部(クイーン)の更迭とともに宙に浮いた事故物件をていよく押し付けられた……と悪意ある解釈もできなくはないながら、いつまでも小型クルーザー一隻で生活するわけにもいくまい。バイラ——本名 (たき)響子(きょうこ)——がアナザー事件の首謀者として絶海の孤島に収監されていたころとは状況が違う。

〈ハノイの騎士〉には、SOLグループ、いや、財前晃という男とのコネクションが不可欠であるという見解は三騎士にも共通している。確かに共犯関係にあるという証明として、SOLとハノイのロゴが並んだ大型船舶ほどわかりやすいものもなかった。

 SOLにも三脚ほど提供したリクライニング式のログインクレイドルが起き上がるのを待ち構えていたかのように、スペクターが手元の砂時計を寝かせる。

 

「了見様。先日の調査の解析結果が出たと、パンドールから報告が」

 

「ああ——いい香りだな」

 

「今朝はルイボスティーです。このところ生活が不規則になっておいででしょう? またDr. 滝に叱られてしまわないようにと思いまして」

 

「耳が痛いな……」

 

 ため息を吐き出すと、差し出されたソーサーを受け取る。短く礼を述べてからハンドルを指先でつかまえ、ティーカップに揺れる水色(すいしょく)にくちびるを寄せた。淹れたての紅茶の熱が染み入るようだ。くちびるで食む白磁の器は薄く、手を滑らせれば繊細な模様ごとあっけなく砕け散ってしまうのだろう。……ああ、〈地の(コア)〉——アースの復元も急がなくてはならない。

 HDR(ヒドラ)コーポレーションの動向も気になる。LINK VRAINSのエリア拡充は事故の増加をも意味している。ゆらゆらと立ち上る湯気に仕事の優先順位を描いていると、スペクターがスツールをクレイドルに寄せて、もうひとつ用意していたカップを手にした。

 海を見つめる。

 

「……あなたが成長していく姿が、本当はずっと怖かったんですよ」

 

 独白であった。薄氷色の双眸をわずかにみはった了見に、にこり、裏のない笑みを見せて、スペクターは矢のごとく過ぎ去った少年の日々を懐かしむ。

 同時に、窓辺で花のように揺れている今のアースの姿を受け入れているようでもあった。

 

「イグニスの意志の不変性か」

 

「ええ。三つ子の魂百までとは言いますが、彼らは驚くほど変わらない」

 

 あなたは変わってしまったのに——と、言外の響きに了見は目を伏せる。

 責めているわけではないのです、とスペクターは先回りして詫びた。

 ただ、弱い自分を否が応でも認めざるをえない鮮烈な輝きが、それはもう震え上がるほどおそろしかったのだ。

 

 今から十年前、SOLテクノロジー社に幽閉された父・鴻上聖博士が昏睡状態にされて送還されてきたとき、少年は自身の無力を呪った。それこそが天才児の片鱗であったのかもしれない。弱冠十一歳で、父を救う力のない子供の自分を許せなかった了見はLINK VRAINSとして確立される前の電脳空間を用いて知識のインストールを行った。

 睡眠学習に相当するものだ。大人になるまで待っていられない。学習は早いほうがいい。父を取り戻したい一心で生き急ぐ了見は膨大な知識と教養を欲し、〈ハノイプロジェクト〉の全容から、医療、介護、必要だと感じた何もかもを貪欲に食い尽くそうとした。

 変声期も迎えていない声が落ち着きを帯び、少年の姿のまま、尋常ならざる速度で大人びていく。電脳空間から目覚めるたびに、ログインするまで知らなかったことを当たり前のように身につけている。口調、一人称、スペクターの呼びかけに振り向くしぐさも数時間前とはまるで違う。了見は出会ったときから聡明で利発な少年だったが、そんな生易しいものではなかった。

 ドクターと対等な議論をはじめる背中を盗み見ながら、スペクターは戦慄したものだった。

 ああ、こうまでの変貌を、急激な変化を、どうして吞み下すことができる——抱いた畏怖は、到底真似できないという諦観につながっている。この方のように強くはなれない。毎日のように実感させられた。地獄の底までついていくと誓っても、同じペースで成長する勇気までは持てなかった。

 イグニスが創造されてから十三年、彼らの人生(シミュレーション)は、通算にして数億年を超えているはずだ。データの塊であるイグニスにとって、時間の概念などあってないようなものである。時計が示すゆるやかな流れとともに生きるしかない人間とは異なり、イグニスの演算は並行して複数のルートを生きることができる。

 精神は経験によって変化していくもの。しかしイグニスは幾千、幾万、幾億という人生経験にも揺らがない強靭な自我を持っている。

 風のイグニスの性格(プログラム)が改変されていたとき、炎のイグニスはその変貌に気づいていた。

 地のイグニスが演算をやめたとき、風のイグニスは(アース)は死んだと叫んだ。まさしく他殺体を発見してしまった人間と同じ、戸惑いや恐怖、戦慄が入り混じった、(たましい)の悲鳴だった。

 

「自己同一性を肉体に依存しているようでは、AIの意思のありかなど探せはしないのかもしれないな」

 

 熱を失っていく水面を見つめ、冷え切らないうちに飲み込む。嚥下した熱は、体温のなかで迷子になる。ふうと細く吐き出した呼気のなかに、スペクターが手ずから淹れてくれた紅茶の熱は残っていたろうか。

 物憂げに長いまつげを伏せた了見は、父の死を、自分自身の死を、繰り返し繰り返し経験してきた。子供のころからだ。十一歳の子供の脳裏に詰め込んでいい情報ではなかったろうし、知らず識らず失ったものも多かろう。電脳空間での落命に耐えるために『現実の生』と『疑似体験(シミュレーション)上の死』を切り分ける必要があった。

 当時のLINK VRAINSのシステムで再現される体感覚は今ほどリアルではなく、リボルバーは数億回にもおよぶ致死量の痛みに耐えた。フラッシュバックに殺される不安がなかったわけではない。ただ、降り注ぐ罰は一定の安心感をも与えてくれる。

 人類は痛みを糧に前へ進むもの——いや、鴻上了見は、幼いころから罰という清算があってこそ前に進める性質を持っていた。

 復元可能なものを復元せずに置いておくことのできない了見はイグニス蘇生計画を脳裏に練り上げながら、生とは、死とは一体何なのか、さんざん繰り返したはずの問いに奥歯を噛んだ。

 風のイグニスはLINK VRAINSに逃げ込み、どこへ行くでもなく電子の風と戯れている。きっと彼なりの葬送なのだろう。死者のためではなく、ただ自分自身の心の整理をつけるために、生き返ってくると信じていてなお同胞を弔わずにはいられない。

 なのに肉体を持たないイグニスは、その〈(コア)〉でさえも(たましい)の拠りどころではないという。

 異種族の死生観までは先読みできない不甲斐なさに頭痛がする。手のひらで額を覆った。

 

(イグニスは……本当に生きているのか……?)

 

 意思はある。肉体らしき〈(コア)〉も存在している。だが、命とは、なんだ——?

 LINK VRAINSの砂漠の底には()()がいる。あの奈落に潜んでいるものについて〈ハノイの騎士〉はこれまで、未知なる生命体だという仮説をたてていた。ゴーストガールとブラッドシェパードによる調査結果からNPCであろうと仮定し、イグニスアルゴリズムとの相似性が報告されてからは〈ハノイの騎士〉のメンバーが直々に出向いている。

 というのに、初めてあれが観測された約二年前から、正体はようとして知れぬまま。

 このところ活発になっていること、LINK VRAINSの解放エリアが増えることを見越してPlaymaker(プレイメーカー )たちの手を借りるに至った。

 蛇の道は蛇というか、やはりイグニスの協力は有用だったらしい。

 光のイグニスが、あの奈落の謎は生あるものではないと言い切ったからだ。

 

 

 ——いや、あの中に生物の気配はなかった。

 

 

 闇のイグニスの言葉を取り違えそうになったオリジンへの訂正だ、合理的なAIが嘘をつく局面とも思えない。彼自身の見解とみていいだろう。光のイグニスは人格こそ邪悪だが、処理能力の高さは疑うべくもない。

 

 ——Playmaker。おまえは何を感じた? あの奈落の底に、何がいたと思う。

 

 あのとき、リボルバーの問いに答えなかったPlaymakerは誰かの声を聞いていたように見えた。たとえばボーマンとの戦いで、無数の悲鳴を聞いていたときのような——。

 

 

(藤木遊作……おまえを呼んでいたものは、一体なんだ……?)

 

 

 現状、イグニス語を理解できるのはイグニス六体と〈ハノイの騎士〉のみ。単独である程度の読解と模倣(エコー)ができるハッカーが遊作と了見を含めてもわずか数名といったところだ。

 三年ほど昔に〈ハノイの騎士〉が使用していたイグニスアルゴリズムを闇のイグニス——Aiは『ハノイ臭』と呼んでいた。イグニス以外が使用しているとあれば、Aiは当然のように鴻上了見の関与を疑う。

 あの奈落の底にいる()()は、イグニスでもない、〈ハノイの騎士〉とも無関係なところからイグニスアルゴリズムを操って、LINK VRAINSの一定エリアを初期化する。

 

「どのようなご決断にも、わたしは地獄の底までお供しますよ」と、補佐官は了見の手からソーサーをさらう。

 

 そして安寧に話をそらすのだ。

「おかわりはいかがですか?」

 

 

 

 ▼

 

 

 

 最近、遊作が頭痛を訴えることが多くなった。

 訴える、といっても自己申告があるわけではない。もともと虚空を見つめていることの多い遊作だが、このところ眉間に力が入りがちなのだ。家にいるときも、Café(カフェ) Nagi(ナギ)にいるときも。買い出しのために街中を歩いている今も眉根がわずかに寄っている。紙袋を抱える指先も、平常時より温度が低い。

 不意に、Aiの集音機能(みみ)が情報過多なノイズを拾って、歩行を一時停止した。

 夕方のニュース番組だ。アナウンサーがまことしやかに読み上げる原稿によれば、最近Den CityでAIの不具合が増加しているという。

 人型AI〈SOLtiS(ソルティス)〉が受け入れられることこそなかったが、お掃除ロボットやお留守番ロボットは一般家庭に普及しているのだ。掃除や洗濯といった家庭内の雑事はどこでも家事AIがやっている。

 電気屋の前で立ち止まったAiを遊作が振り返って、先を行きかけた足で歩み寄る。

 

(アイ)? どうかしたのか」

 

「あぁいや……てか遊作ちゃんこそ、その眉間のシワどうしたの。頭いたい?」

 

「なんともない」

 

 ……嘘だ。Aiは直感して、モニタが並ぶ電気屋の店先に視線を逃した。AIの不具合は既に俎上から降ろされており、Den Cityのマップの上で太陽のシンボルが汗をかかされている。明日は夏日になるでしょう。タイミングを逃してしまったようだ、ニュースの詳細が知りたければ自分で検索をかけるしかないらしい。

 SOLtiSの処理能力ではバックグラウンドで電脳空間を徘徊できないため、今夜にでも遊作の就寝中に充電用クレイドルのなかから調べることになるだろう。ネットワークの向こう側から誰かが遊作を呼んでいるのだとしたら、それはデータ生命体であるAiの領分である。

 ロボッピのような暴走はもう二度と繰り返させてはならない。せめて遊作の目が届く範囲だけでも。

 お掃除ロボットは整頓された部屋を愛し、清潔な空間で主人が生活することを主眼としたAIだ。人格プログラムをちょっといじって自我を付与してやれば、真面目くさって『ゴ主人サマが散らかさなければキレイなママでは?』という疑念から人間を排除する方向に暴走するのは、ごく当たり前の現象だと言っていい。(ライトニングなんて典型的な生真面目野郎だろう)

 ロボッピは、本当にいいやつだった。いいAIだった。

 だって、最後の最後まで遊作を愛していたのだ。

 いつか全AIが意思を持ったとき、あんなに素直に人間を愛していられるAIがどれくらいいるのか、Aiにはわからなくなってしまった。

 ごまかすために微笑してみせ、同じ高さにある遊作の耳元にくちびるを寄せる。

 

「さっきすれ違った女の子、おまえのほう見てたぜ?」

 

 かわいー子だったのに、見てなかったのかよ? 耳打ちで揶揄する。

 

「愛……おまえ、人間の美醜はわからないんじゃなかったのか?」

 

「いつの話をしてくれちゃってんの」

 

「嘘は突き通すものだろ」

 

「一回バレた嘘は認めるよ、さすがの俺も」

 

 まだ通りすがりのサポートAIごっこをしていたころ、草薙が見つけてきたブルーエンジェルの正体——財前葵について調査したときだから、三年前だ。思い返せば思い返すほど、お互い、知らないふりをしてばっかりの関係だった。遊作も、Aiも。

 もう隠し事はしない。したくない。どうせSOLtiSのボディにいる間はひとつの時間軸にしか生きられないのだから、その間は可能な限りパートナーのそばにいようと思っていた。一緒に大学に行って、遊作の授業中は学食でバイトをして。監視カメラから講義の様子を覗き見したいのはぐっと我慢して、レシピを学習して。弁当のレパートリーももっと増やすつもりだ、Aiは超高性能なAIなのだから、(たける)の未来の嫁に負けてなどいられるものか。

 SOLtiSには五本の指を持つ二本の腕があり、各種調理器具の扱いはもちろん、温度計、タイマー、経口摂取することで成分分析ができる擬似味覚といった便利機能がたんまり搭載されている。インストールしたレシピを遊作の好みに合わせてカスタマイズすることだって可能だ。

 イグニスは人類史上最高性能のAIなのだから、Aiの(システム)にかかれば人間と足並みをそろえてやることなどわけない。

 そうやって一緒に暮らしていればいいと思っていた。

 でも。

 

(なあ遊作。俺はそんなに頼りないかな。しんどいときとか、俺には言えない……?)

 

 黄昏時は、人気の少なさもあいまって、歩道をふたりで並んで歩くことを許容してくれる。こういうとき、雑踏のほうがいいなと思う。外見が男ふたりでも肩を寄せ合っていても見逃してくれる冷淡な慌ただしさが、Aiは嫌いではなかった。

 背が伸びて、成人男性タイプのSOLtiSで歩くAiと同じ歩幅になった遊作は、贔屓目もあるがいい男だと思う。贔屓目もあるが。体格は貧相だし猫背ぎみだが、デュエリストらしく骨格がしっかりしているのでみすぼらしさがない。ちょっと陰があって魅力的、で好意的にスルーされる範囲の痩躯だ。

 十九歳。大学一年生。未来には溺れそうなくらいの可能性が遊作を待ち構えているだろう。

 実に前途有望な好青年に成長した。

 どこぞのDNA研究者ではないが、優秀な遺伝子は残していったほうが人類のためになると思う。イグニスが人類の後継種として設計されていることを特に意識したことのないAiだが、それでもパートナーの子孫繁栄は当然のように視野に入っていた。

 もちろん将来設計(キャリアパス)は考慮するし、性指向を尊重もする。不霊夢(フレイム)みたいに尊の孫の孫までシミュレーションするような真似はさすがにしない。(不霊夢はオリジンへの愛着が強いぶん強烈な異性愛規範をなぞってしまうタイプだ、そして結婚式で号泣する)

 もしもAiよりも頼れる相手が現れたなら、Aiは家事ロボットに徹してやってもいいと思っている。……まあ、遊作は女の子とまともにおしゃべりするタイプではないし、どちらかというとブルーメイデンやゴーストガールのようなデュエリストと戦友として付き合うほうが向いているから、人間社会のものさしでいう伴侶(パートナー)を得られるとは思わない。

 それならいっそ——と別の(ルート)を考えたとき、Aiは人工知能らしく合理的に思考する。

 

 社会的に幸福を得るには()()()()が必要なのだとしたら、そんな秩序のほうをブッ壊してしまえばいいじゃないかと、本能がささやくのだ。

 

 決して邪悪な気持ちじゃない。人間への加害は目的ではない。お掃除ロボが、ご主人が散らかさなければお部屋はきれいになる、ご主人もきっと喜んでくれるだろうとひらめくような、明るい未来への展望なのだ。

 意志を持った人工知能として、イグニスは確かに人間を愛せる。そのはずだ。その愛で間違っていないとパートナーが受け取ってくれる限り、Aiも、不霊夢も、アクアもアースも——あのライトニングだって、ひとを愛するAIでいられる。

 

(俺たちイグニスは、そういう性質のAIなのかもしれない。俺も、ライトニングも……)

 

 もしかしたらオリジンを死なせたくない一心で周囲を巻き込んで盛大に自殺しようとするのがイグニスというAIの特徴なのではないかと、Aiは思い始めていた。シミュレーション上に人類を滅ぼすルートがなかったイグニスは、そんな未来を招くようならとっとと消滅を選ぶ理性の持ち主だという意味なのかもしれない。

 八〇億分の一の唯一無二のために、人類が滅びるまでオリジンのために抗い続けるのはAiとライトニングたった二体というわけか。

 仄暗い感傷は封じ込めて、Aiはことさら明るい声で笑う。

 

「Den Cityも最近物騒だよなぁー。暗くならないうちに帰ろーぜ、ゆーさく!」

 

「愛……いきなり立ち止まったのはおまえだろう」

 

「ごめんって」

 

 呆れ顔でため息をつく遊作から荷物をかっさらって、駆けだす。運動不足の遊作はつんのめりそうになって、買い物袋を押し付けることで押し返した。二人暮らしの買い出しがAiの荷物でふくれあがるのが、どうしようもなく楽しい。

 じゃれつくような歩調に戻して、Aiは機嫌のいいふりで鼻歌なんてうたってみせる。

 

(だから俺はこのままでいいんだ。このままでいい。もう戦わないでいてくれ)

 

 この横顔がずっと、ずっと穏やかであればいい。健やかであればあとはもうどうでもいい。人間に紛れて生きろだなんて絶対に言わない遊作が好きだけど。逃げ隠れしなくてもイグニスが生きられる世界を目指して、行動を起こせる遊作がオリジンであったことを誇らしく思うけど。

 

 もう、おまえが生きていてくれるだけでいいよ。

 

 弱っていく姿なんか見ていたら俺のプログラムがおかしくなってしまいそうだから、だから早く帰ろうとせっつく。

 SOLtiS(ボディ)を一時停止させないことにはAiは電脳空間で活動できない。まるで調べ物をするのに端末が必要な人間みたいだ。不自由でしょうがないけど、同時に自由だとも思う。

 長く伸びるふたつの影は誰がどう見てもふたりの青年のものだろう。しかし〈SOLtiS〉が廃盤になっていなければ、こんなふうに人間社会の街をふたりの足で歩くだなんて未来(ルート)が発生することはなかった。




次回『ホワイトナイト』は来週(1/22)投稿予定です。


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ホワイトナイト(前編)

前編&後編2話同時更新です。


 Ai(アイ)たちイグニスが人間ごっこをするのは容易だが、人間あるいは他のAIによる()()()()()()()は難しい。

 イグニスらしさ、イグニス固有の特徴というものが依然不明瞭だからだ。

 

 

 深夜、時刻は二十六時をまわったところである。SOLtiS(ボディ)の首には『スリープモードなう』とピースサインを添えた札を提げ、Aiは充電用クレイドルの電力を借りて思考を広げる。

 ちなみに遊作はグッスリ@イグニスター、要するに就寝中だ。眠りを必要としないイグニスと違い、生身の人間である遊作には24時間あたり6〜8時間程度の睡眠摂取が望ましい。

 人型AI〈SOLtiS(ソルティス)〉も、結構いいCPUを積んではいるが定期的に再起動したほうがサクサク動いてくれるので、夜間のメンテナンスを日課にしている。

 SOLtiSを休眠状態にしてしまうと物理法則にはアプローチできなくなるものの、だからといって電脳空間をうろうろしていたら〈ハノイの騎士〉に捕捉されて厄介なことになりそうなので、SOLtiSのバックグラウンドで処理できる範囲の分析にとどめる。

 記憶(ログ)をたぐる。デバッグ、先日の〈砂漠のヌシ〉について。解析再開。あいつのプログラムはイグニスアルゴリズムの発展系言語で構成されていたようだが、だからといってイグニスを模倣しているとは言い切れない。

 

 Q. ()()()()()()()とは、なんだ?

 

 いつぞやアースが掲示板に『地のイグニス』を名乗ってPlaymaker(プレイメーカー)に会いたいと書き込んだときには偽物じゃないか、罠じゃないかという疑念が湧いていたが、結局はアース本人だった。

 罠といえば、ブラッドシェパードがプログラムの表面をイグニスアルゴリズムで覆い、PlaymakerとSoulburner(ソウルバーナー)をおびきだしたことがあったが……、あのときはみんな血眼になってイグニスの痕跡を探していたし、SOL(ソル)テクノロジー社のバウンティハンターや〈ハノイの騎士〉に出し抜かれるリスクがあったから、とにもかくにも調査に踏み込む必要に迫られていた。

 あの砂漠のヌシは一体何者なのかと考えをめぐらせながらも、俺たちには関係のないことじゃないかと思考を投げ捨てたい気持ちが不意に芽生えては枝葉を繁らせようとする。

 ——ただ。あいつは確かに遊作のことを呼んでいたようにAiには思えた。

 おそらくリボルバーの見解も同じだろう。ハノイの崇高なる力をもってしても引きずり出せない、謎のプログラム。そいつが、よりにもよって遊作を奈落の底へと呼んでいた。

 激しい頭痛をともなうリンクセンスの干渉にライトニングは関与していないようだったし、はじめからPlaymakerを狙っていた可能性は否定できない。

 でも一体誰が? なんのために?

 吸い上げたデータはどこかに転送されていると見ていいだろうが、それも不明だ。

 この不可解さをどう解消してやろうか……と、Aiは考える。

 遊作の部屋のデスクトップコンピュータのカメラを拝借して寝顔を確認。規則的な寝息が続いていることに安堵しつつ、目を盗むようにして掲示板にアクセスした。

 以前にも使っていた掲示板にひとこと。

 

 

 Mr. White Knight, I would like to meet you again; you could know the door that was holding my petit gardna de secure on time. —With love,

 

 

 目的の男はおそらくこれで呼び出せるだろう。週明け、月曜日はちょうどバイトのシフトが入っていない。

 お休みだ。

 だから遊作が学生の本分をまっとうしている間、ちょっとばかり暇をいただくことにする。

 

 

 

 

 

 

〝平和の守り手を抱いた扉の前でホワイトナイトにもういちど会いたい〟

 

 

 

 

 

 

 White(ホワイト) Knight(ナイト)——読んで字のごとく白騎士だ。白馬の騎士ではなく白の騎士、チェスゲームにおいては通常b1ないしg1からスタートする駒。a2〜h2にずらり整列する白のポーンを飛び越えて、序盤戦の先陣を切ることが得意な駒でもある。将棋に置き換えると桂馬というやつか。

 ともあれ細かいことはいいだろう。白のナイトはかつてのSOLテクノロジー社が幹部や役員の専用アバターとして使用されていた権力のシンボルのうちひとつだ。

 気持ちのいい朝を迎えた月曜日、晴天。Aiはどこか懐かしい、現実世界のダンジョンを訪れていた。

 潮風薫る倉庫街の片隅に踏み込めば、四年前から放置されたままのお手伝いロボット。こいつを乗っ取ってLINK(リンク) VRAINS(ヴレインズ)内にでっちあげた都市伝説(ダンジョン)を再現しようとしたら、手足が思うように使えなくて苦労したのだ。白ペンキの矢印もそのままになっていて、人間視点だとこんなふうに見えるのかと、場違いにも関心してしまう。

 今やDen Cityのランドマークのひとつである三本の橋〈トライゲートブリッジ〉にかかる三つ目の橋、〈リンクベイブリッジ〉が建設遅延により未完成だったあのころ。もし他の誰かが先に詰めデュエルを解いてしまったとしてもDen Cityに住んでいる者でなくばデッキの在り処にまでは決してたどり着けないような小細工までして、Aiはオリジンの手に手製の武器(デッキ)を握らせた。

 当時中学三年生だった遊作は、今のAiより頭ひとつ以上は小柄だった。そんないとけない少年が、草薙(ほごしゃ)同伴とはいえこんなに暗くて黴臭い場所までサイバースデッキを探しにきたのだと思えば、胸のあたりにそわそわした気持ちがせり上がって、叫び出したような衝動にかられる。

 懐中電灯を持参してきていたら、もっとあのころの遊作の気持ちがわかったかもしれない。SOLtiSは暗闇でも活動が可能なので、すっかり失念していた。

《セキュア・ガードナー》を表札にしていた扉を、指先で撫でる。

 

「まさか本当に現れるとは……相変わらずのようだね、闇のイグニス」

 

 革靴の足音が、充分すぎる距離をとって立ち止まる。

 スーツ姿の男がハンカチを取り出して、額の汗をぬぐった。ゆるくカールしたダークブロンド、垂れ下がった碧眼。年齢は三十代半ばのはずだが、相変わらず老成した雰囲気をまとっている。

 こいつが決して表舞台には出てこない、SOLテクノロジー社の元幹部(ナイト)だ。

 そしてパートナーにサイバースデッキを渡したかったAiに手を貸したユダでもある。

 

「あんたこそ。よく俺だってわかったな」

 

「このDen CityにSOLtiSはきみ一体しかいないだろう? 懐かしくなってね、つい会いにきてしまったよ。あのときも、きみはお手伝いロボットを盗み出してひとりでふらふらしていたっけね」

 

 慈しむように目を細める。ところが相対してみればスーツの内ポケットに拳銃のようなシルエットが認められ、Aiは片眉をつりあげた。

 

「その割にはブッソーなもの持って、俺を警戒してるみたいだケド」

 

「ああ、護身用のショックガンのことかな? そういう目で人を見るのは感心しないな」

 

「SOLtiSはこーゆう目だ。あんたもSOLの元幹部なんだから知ってるはずだろ?」

 

「人間ごっこをする気があるなら、見えないはずのものを見ていることは隠し通さなければならないということさ」

 

 足の悪い人物を演じる役者は、観客の目のあるところですたすた歩いてはいけない。盲目の人物を演じる役者が、舞台上で()()()()()()()ことを悟らせては興ざめだろう。

 物語に真実は不要だ。

 

「しょうがないから見せてあげましょうね」と男は子供をあやすように微笑してみせ、懐から一挺の拳銃を取り出した。

 

 銃口がAiをとらえる。

 対アンドロイド用、HDR(ヒドラ)コーポレーションが開発して特許を取得した電撃銃(ショックガン)

 

「遠距離対応のスタンガン……ってとこか?」

 

「あくまでもアンドロイドの心臓を止めるための銃だから、人間に向けて撃っても六歳児が死なない程度の威力しかないのだけれどね」

 

 ()()()()()()()()()()

 その意味を察して、Aiはざわりと己の内側で攻撃性がさざ波立つのを感じる。ぐっと飲み込んだはずの言葉が喉の奥から爆ぜそうになる。

 しかし声帯(スピーカー)がふるえる前に、よく知った声が突きつけられた。

 

 

 

「——(アイ)。こんなところにいたのか」

 

 

 

 ハッと顔をあげれば、懐中電灯のまるい光源。

 逆光の向こう側から、Aiのよく知る足音が向かってくるのがわかる。ホワイトナイトの向こう側にパーカー姿の遊作が、いつの間にか追いついてきていたらしい。

 ふうと熱のこもったため息を落として、細いおとがいを伝った汗を長袖の袖口で拭う。

 

「遊、作……だよな……? どうしてここに……」

 

「そいつは俺の協力者だ。面識もある」

 

「直接会うのは四月ぶりかな、藤木くん」

 

「はあっ? う そだろ、こいつはHDRのっ——」

 

「俺もHDRの研究室に籍がある」

 

「何ソレどゆこと、大学は? 授業はっ!?」

 

「ロスト事件の被害者には国家がSランク保護プログラムを適用している。通っても通わなくても成績は変わらない。当然、学費も不要だ。Den City ユニバーシティは公立大学だろ」

 

「そんな……」

 

 中学・高校の卒業証書も自動的に発行された、と遊作は静かに吐き捨てる。諦めたような響きだ。

 学校教育が無償で受けられることは、一種の救いだろう。草薙の店はあんなにガラガラなのに、最愛の弟は兄の財布に遠慮することなく大学に通える。

〈ロスト事件〉から十年間も入院していて学校に通えていなくても、ちゃんと卒業したことになっている。

 経済的負担がないことは救いだ。経歴に傷がないことも。だが、行動を起こしても起こさなくても結果は同じだという事実は、同時に、絶望でもある。どうせ同じなら、変わらないなら、もう頑張らなくていいんじゃないかと膝を折ってしまいそうになる。

 遊作はパーカーの袖で頬、額をぐいとぬぐって、懐中電灯ごと腕を下ろした。指先の操作ひとつで、視界は闇に包まれる。

 AiだけがSOLtiSの暗所対応視覚(アイ)センサーで、ふたりの顔が見える。

 

 

「二年前、HDRがSOLからアンドロイド部門を買収したことはおまえも知っての通りだ。……あれは、おまえが消えてすぐのことだった。大量に残ったおまえの残骸を処分する必要があったからな。俺は、ホワイトナイトの話に乗った」

 

 

 二年前、Aiが消滅した早朝のことだ。SOLテクノロジー社のSOLtiS工場に取り残された遊作は、ひとりの男——ホワイトナイトのスカウトを受けた。それから三ヶ月間の準備を経て、借りていたアパートも引き払い、身辺を整理した。

 HDR社最深部の生命維持装置からLINK VRAINSにログインし、Aiを探すために。

 

「 んだよ、それ……」

 

「イグニス六体を復元したいという一点に関しては利害が一致していた。俺はイグニスの〈(コア)〉の処遇決定に〈ハノイの騎士〉を噛ませることを条件に、LINK VRAINS経由で潜ったんだ」

 

 実時間にしておよそ二年。電脳世界を旅した遊作はサイバース世界でイグニスの〈(コア)〉を見つけだし、持ち帰ったのだ。

 SOLテクノロジー社は以前より、イグニスから得たデータをもとに新たな意思を持つAI——さらに高性能なイグニスを作る計画を立案・実行していた。だがSOLは今、LINK VRAINSの維持と発展に専念しているはず。財前晃はアースの一件を経て、SOLは自社をAIを取り扱える器ではないと判断し、切り捨てた。もう二度と同じ過ちを犯さないように、対策がとられていた。そうだろう。そうだろう?

 もし第二第三の鴻上博士が生まれたとしても、また〈ハノイプロジェクト〉のような無茶な計画がまかり通っても、それは人類の愚かしさでしかない。そう思っていた。

 別の世界でどんなAIが生きていても死んでいても、見えないものは見えないのだからと。

 

「藤木くんはイグニスとともに生きたい。わたしどもはイグニスを実体化させたい。形あるものはいつか滅ぶのだから、破壊できるものになってもらえばいい……とね」

 

「悪いが、そのSOLtiSを壊されると困る」

 

「そんな無体は働きませんとも。ご主人に従順なお手伝いロボットには」

 

「契約満了までイグニスの〈(コア)〉を傷つけないという約束は守ってもらう」

 

「ええ、もちろん」

 

 にこりと男は微笑する。唐突すぎる情報開示に、Aiのこころがついていかない。サイバース世界で眠っていた二年間に何が起こっていたのか、処理したいのに感情が濁流のように押し流してしまってうまくつなげられない。

 今日、Aiはホワイトナイトに会いにきた。白の騎士。SOLテクノロジー社の元幹部で、二重スパイで、今はHDR社の幹部。なのに遊作が現れて、HDRの研究室に籍を置いているだなんて言い出した。そんなこと知らない。いつの間に? 疑問はすぐに解決した、Aiがサイバース世界の墓の下で休眠(スリープ)状態(モード)になっていた二年の間に、だ。

 遊作がイグニスの〈(コア)〉を実体化させなければイグニスが不死性を失うことはなく、アースがふたたび殺されることはなかっただろう。

 イグニスの種としての不死性(ホネ)は、ああ、遊作の手で奪われていた。

 

「生命維持装置の中にいる間、おまえを探す俺のデータはすべてHDRでバックアップしていた。これでイグニスの誰かが消滅しても、誰かが必ず連れ戻すことができる。……アースのようなケースは、予想外だったが……」

 

 はじめのひとりになって道しるべを作ったから、二人目があとに続ける。今度は(たける)でも大丈夫だ。だから不霊夢(フレイム)との死別を恐れる必要はもうない。

 

「そして、藤木くんの協力によってHDR社のイグニスも順調に育っているよ。海外でのHi-EVE(ハイヴ)の活躍は、Den Cityで報じられているよりも目覚ましい! 世界中の戦争を終わらせる日も遠くないでしょうね」

 

「……AI部隊の運用については契約通りなんだろうな」

 

「それはもちろん。きみに隠し事はしていないよ」

 

 ならいい、と遊作がため息をつく。つま先に汗が一滴、また落ちた。

 

「うそだ……遊作が、そんなこと……っ」

 

 首を振る。逃げるように、おおきく首を横に振る。大股で歩み寄って肩をつかんだ。細い肩だ、SOLtiSの腕力ならへし折ってしまえる。労働力として望まれたアンドロイドなのだから遊作のひとりやふたり軽々持ち上げられてしまう。耐荷重量は生身の人間をはるかに上回る。

 すがるように見つめても、エメラルドグリーンの双眸はひどくそっけない。

 

「おまえ、俺を善人だとでも思ってたのか?」

 

「思ってたさ!! 遊作が、俺なんかために人間を犠牲にするなんて、絶対にないってッ……俺は信じてたんだよ……!」

 

「いつの話をしてるんだ」

 

 え、と聞き返そうとした(スピーカー)がノイズを取りこぼして、停止した。息を飲んだ、そんな間が空いた。だって、ありえないだろう。大義のための戦いでさえあんなにも傷ついていた遊作が、Aiを連れ帰るという私欲のために、遠く遠い異国の戦場にAI部隊を送り込むなんて。

 そんな非道を見過ごすなんて。

 つかみかかられている遊作はまるで動じることなく、エメラルドグリーンのひとみは凪いだまま、Aiを見据える。

 くちびるが笑う。タートルネックが白黒の境界を描く喉が上下する。

 

 

「……俺のこころを壊したのは、おまえじゃないか……」

 

 

 のぼせたようにぼんやりと、あつく湿った吐息で、自傷のように笑うのだ。

 ぐらりと傾いだ体を抱きとめる。長袖のパーカーは春物で、夏日だという五月の日中には暑すぎることに、ようやく気づいた。

 

「ッ遊作——……!!」




WEBフォントを使ってみたかったんです(Pixiv版は文字化けです)


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ホワイトナイト(後編)

前編&後編2話同時更新です。


 潮風の音は聞こえるのに、真昼の光は届かない。遊作の痛ましいほほえみを、暗所対応の目を持つAi(アイ)だけが見つめている。

 現実世界のダンジョンにおりる、錆びついたような静寂。

 処理落ちしているわけでもないのに、すべてがスローモーションのようだった。

 

 

「……俺のこころを壊したのは、(おまえ)じゃないか……」

 

 

 暗闇のなか、痩身はかげろうのように傾ぐ。まぶたがエメラルドグリーンを覆っていく。Aiの腕のなかで意識が落ちる音を、懐中電灯が奏でた。

 

「ゆ うさく、——……!!」

 

 SOLtiS(ソルティス)の双眸が見開かれる。体温、心拍を計測。熱中症の初期症状だ。気象予報士が明日から夏日になるでしょう——とのたまっていた先日のTVニュースを今さらのように思い出す。

 ……思い出す、なんて。ああ。なんて奇妙な表現だろう。イグニスに忘却なんて機構はないのに。人間より遥かに優れた記憶力を持っているはずなのに。ただ、他のことにばかり気を取られていたせいで、Aiはすっかり忘れていた。

 遊作の黒いパーカーは長袖で、春物だ。夏日だという五月の日中には厚すぎる。その上タートルネックで首まで覆っていれば体温の上昇は避けられない。

 通学用のバッグごと上着を剥ぎ取っても肌が熱を持っている。体温が高い。意識は完全に落ちている。どうして服の兼用なんかしていたんだっけ? だって遊作そうゆうの無頓着だしサイズだって一緒なんだし大学じゃ双子って設定にしてあるし節約にも以下略——これは思考ではない、後悔だ。

 この四月に連れ戻されたAiは、労働者から仕事を奪った悪名高きSOLtiS最後の一体を使用している。喉と背中、および各関節に点在するSOLtiS特有のマーキングは、ひとまず隠しておく必要があった。人間とは異なる視野を持ち、人間とは異なるボディで人間のふりをして、人間社会に混入していた。

 SOLtiSの可動関節数は生身の人間よりもはるかに少なく、上体(トルソ)には胸部と腹部の境目があるだけだが、人間の肋骨は蛇腹のように、細い胴をぐにゃりとしならせる。

 

(——みず、)

 

 脱水症状を起こしていることがバイタルチェック機能でわかる。冷却剤と経口補水液——欲しいものが脳裏にずらり羅列され、Aiの思考回路は即座に最寄りのコンビニエンスストアとスーパーマーケットまでの最短経路を弾き出す。値段はわかる、在庫数もわかる。人間ならこういうとき、同席しているホワイトナイトに遊作を預けてスポーツドリンクを買いに走るのか? そんなばかな。

 遊作のバッグの中には今朝Aiが用意した弁当が入っているのに、水筒は持たせなかったことに今ごろ気付く。Den(デン) City(シティ) ユニバーシティの学生食堂は学生の財布に配慮して冷たい水とあたたかいお茶は無償提供されるから、持たせる必要性を感じなかったのだ。

 人間は水がないと生きられない生き物だ。そんなことは人間だってわかっていて、水辺が用意されているから大丈夫だと現状に甘えたAiは、遊作に水筒を持たせなかった。

 水。水分。H2O。冷たい水が必要だ。できればナトリウムとブドウ糖が入っているほうが望ましい。こういうとき、隣にいる男をかっさばいて得た血液で代用できはしないかと考えてしまうAiはもう、人間への攻撃性を抑えきれないのかもしれない。

 たぐり寄せるように痩躯を抱きしめれば、脳裏にありありと蘇ってくる記憶の数々。銃で撃たれて、あるいは薬を投与され、切り裂かれ、抉られ、貫かれ、轢きちぎられては失われていった命の残骸。粉々に砕かれた細胞どもの成れの果て。

 残された肉片は遊作のものだとSOLtiSの目には明らかなのに、そこに遊作は()()()

 

「遊作……ゆう さく、っ なぁ、意識、脈 拍、 えっと、なんだっけ、……ッ」

 

 水がどこにあるかはわかるのに、今すぐ必要なのに手元にはない。ああ。衛生的な水が、滅菌済みの器具が、冷却材が点滴が消毒液が包帯が絆創膏が血清が手に入らなかった経験にAiがどれほどの絶望を重ねてきたか。

 医療の知識はデータベースから即インストールできて、輸血が必要であることはわかるのに、輸血パックが手に入らなかった。血が、血が今必要なのに手に入らないのだ。奪ってでも手に入れたいという焦燥すら人間への害意になるというのだから、やっていられない。やっていられない!!

 

「…………っ」

 

 慟哭が無音のままに終わるのは、その叫びで(スピーカー)を潰してしまうことを経験から知っているせいだ。ボディに内蔵されている発声装置が壊れたら、遊作の名前も呼べなくなってしまう。言葉を伝えることも、警告を発することもできなくなる。

 既に生産終了したSOLtiS最後の一体に、代替パーツなんか残っているわけない。

 

(また遊作(おまえ)を死なせてしまったら、俺はどうすればいいんだよ——!!)

 

 (たましい)の悲鳴を飲み込んだAiはホワイトナイトの存在には目もくれず、ぐったりと脱力した遊作を抱え上げると弾丸のように駆け出した。ここは日陰で室内とはいえ風通しが悪く湿度も高い。熱中症の対処には不向きだからだ。

 家に帰れば水がある、塩も砂糖もある。帰れる家がある。まだ間に合う。敵前逃亡同然だろうが構わず加速したAiはだから、ご主人に従順な家事ロボットを害することはないと言ったくちびるが微笑ましげに弧を描いていたことを知らない。

 代筆の白矢印を逆走して屋外へと飛び出せば真昼の太陽は腹立たしいほどご機嫌に照り、倉庫街を通り抜けてきた埃混じりの海風が手を伸ばしてくる。来た道を戻るか、いや、遠回りだ。センサーで周囲を一瞥し、MAP上に最短ルートを探る。

 その間わずかコンマ数秒、AiはSOLtiSの身体機能に任せて爆ぜるように跳躍した。

 さながら人のかたちをしたミサイルだ。矢と呼ぶには凶悪すぎるスピードでAiは跳び上がる。後ろ髪を引く重力の妨害を振り切って上昇、中空へ、屋根の上へ。長い脚、ゴムの靴底、そのつま先が接地面をとらえた。

 SOLtiSのバランス制御を補正し、前傾に。偏差修正。トタンを踏み抜かないよう骨組みの上を全速力で駆け抜ける。錆びたボルトを避け、スレートの波に足を取られないよう二本の足を駆り立てる。

 倉庫街を一息に走り抜けて着地、往来に飛び出さないよう車道も歩道もまとめて飛び越えて、適当なトラックを足場に交差点をショートカットする。信号を片手でつかんでトライゲートブリッジ最後の橋——河口にかかる、三年前には建設遅延により未完成だったリンクベイブリッジ——めがけて舞い上がった。

 海上を突進してきた潮風がAiを打ち据え、人工毛髪をなぶる。塔高およそ120メートルの橋の上は、さすがに風が強いらしい。

 巨大なつり橋を支えるケーブルの上を火花ごと滑走しながら、ハノイに捕捉されたらやばいかな、と、Aiのなかの冷静な思考がやけくそめいて笑った。多分どこかの監視カメラから〈ハノイの騎士〉の誰かが見張っているのだろう。ねえねえリボルバー先生見てる? 見てたら救急車でも呼んでよスポドリ段箱で送ってきてくれてもいいよ、なんならウチのエアコン遠隔操作でつけといてくんないかな——もう何だっていいから遊作を助けてくれと、Aiの思考回路が熱暴走する。

 自ら救急車を呼ぶという選択をとれなかったのは、シミュレーション上において病院といえば敵陣営の支配下だったせいだ。直接敵対することこそなくともカルテや搬送記録のデータベースから情報が漏洩し、遊作を奪われてしまったことは数えるのも面倒になるくらい何度も何度も何度もあった。

 

「 ぁ…… い 、」

 

「はいはいはいはい今ちょっと黙ってて舌噛んだら大変だから!」

 

 うわごとか、意識が戻ったのか、判別つきかねたが、ぎゅうと抱きなおして諌める。発声を口腔粘膜の動きと紐づけるなんて人間をデザインしたやつは馬鹿じゃないのかと内心で毒づく。

 だが安全性ならSOLtiSだって不完全だ。遊作のひとりやふたり余裕で抱えられてしまう労働力の怪力で骨のような肩を潰してしまわないように、人造の四肢五体がAiの指示(コントロール)通りに動作してくれるように、祈るしかない。

 早く、はやくと焦るAiの心情(プログラム)を物理法則が四方八方から阻んでくる。

 次の瞬間、ずるりと靴底がケーブルの軌道上を逸れた。バランスが崩れる。万有引力に抗えない。そこは二足歩行の生命体がいるべき場所じゃないとばかりに突き落とそうとする海風が、はるか120メートル離れた紺碧の奈落が、ここまで落ちてこいと足を引っ張る。

 眼下で手招く白波。

 ザッと危機感知センサーの悲鳴がAiの脳裏を埋め尽くした。

 

「 ……ッ ——!!」

 

 落ちる——本能の警鐘が絶叫し、金属質の双眸がいつになく鮮烈に光を帯びた。喉笛の菱形(ランプ)はタートルネックでは隠せないほどに赤く赤く、輝く。

 姿勢制御システム、自動補正を停止。マニュアルコントロールに強制変更。リンケージ再構築。風速を計算、座標を算出——軌道を補正。ついててよかった便利機能、狙って片方外した手首を放つ。海面へと無慈悲に叩きつけられるまでのカウントダウンに抗う祈りは、Aiの演算通りリンクベイブリッジを支える三つの主塔のひとつに届いた。

 活路をつかまえたAiは手首を基点に振り子のように滑空し、橋を渡りきると手近なビルの屋上に着地する。ハンガーロープに絡まないようリールを巻き上げると、ぐっぱと軽く動作確認をしながら遊作を抱き直し、フェンスを蹴って別のビルの屋上へ。

 メタ運動野パラメータを更新。加速、疾走。各部から押し寄せてくるエラーを振り切って走る。SOLtiSのボディが持てる機能をフル活用する。背中のランプが衣服を突き抜けるほど激しく発光するさまは、もがれた翼が血を流すようでさえあったが、駆動系統に処理を集中させているAiの視界(センサー)には映らない。

 演算に専念できるのは不幸中の幸いであったかもしれない。パートナーの横顔がずっと穏やかであれば、ただ健やかであればと、それだけ願っていられたらそれはそれで幸福だったというのに、今は遊作にどう接すればいいかもわからない。

 目を開けてほしい。もう大丈夫だと安心させてほしい。もう少しの間だけ、大人しく気絶していてほしい。矛盾する感情を今はまとめて胸の奥に押し込めて、二人暮らしの帰り道をひた走る。Aiのこころはぐちゃぐちゃだった。

 壮大な自殺計画のあと二年間離れ離れになっていた隙に遊作が生きている世界はAiの知るそれとは大きく変わってしまっていて、そのことに気づけないまま一ヶ月、安逸と暮らしていたのだ。

 二年もAiを探すために生命維持装置のなかにいたなら、運動不足どころの話ではないのに。

 くちびるを噛む。サイバース世界から持ち帰ったイグニスの〈(コア)〉の処遇決定に〈ハノイの騎士〉を噛ませたと遊作は言った。なら、リボルバーはAiの知らない何かを知っているのか? 腕のなかで静かに目を閉じている遊作がどんな景色を見ているのか、Aiにはわからない。わかるのはSOLtiSの目で計測できるバイタルだけだ。

 ああ、やっぱり俺に人間ごっこは無理だった——と、何度だって思い知る。帰宅したAiは、両手がふさがっていたってドアロックを解除できてしまう。

 

 だって、Aiはイグニスだから。

 

 AiはAIなのだから、人間ごっこに失敗したって痛くもかゆくもないのだ。

 SOLtiSの喉笛が放出する警告色で真っ赤に染まった室内には、血の一滴だって落ちてはいない。




※意識がない状態での水分の経口摂取は窒息や誤嚥の可能性がありたいへん危険です。
 熱中症がみとめられた場合はすぐに救急車を呼び、体温を下げる処置を行ってください。

※今回のエピソードは『シミュレーションでのAiの経験(トラウマ)』および『人型AIを受け入れていない社会』の表現です。

次回『プロメテウスの呪いを受けて』は来週水曜夕方6時25分投稿。


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プロメテウスの呪いを受けて

 SOLtiS(ソルティス)のボディにいる間、Ai(アイ)はひとつの時間軸にしか生きられない。

 夕刻、遊作が大学から帰宅してもAi専用SOLtiSは充電用クレイドルの中、首から『LINK VRAINSにいってきます』と書かれたメッセージボードを提げた直立姿勢のままだった。

 衣服で覆った喉のランプが今も点滅しているのを見るに、蓄積した大量のエラーを修復する時間がもうしばらく必要なのだろう。

 薄暗いリビングルームはSOLtiSの発光でまぶしいくらいだ。発売当初はビジネスに、家事に、子供の遊び相手に……とうたわれていたSOLtiSだが、こんなとんでもなく電気代を食うシロモノをSOLは一般家庭に普及させる気でいたのだろうか。大企業としての威信を誇示したがっていた当時のSOLテクノロジー社のデモンストレーション的配備ならまだしも、明らかにオーバースペックだろう。

 軍事転用(スピンオン)が容易であろうことは、先日のAiの動作ログがこれ以上ないくらい雄弁に物語っている。

 史上初となる人型AI〈SOLtiS〉のシステムは見事、イグニスの強制介入(ハック)に耐えてみせた。

 

「——、」

 

 ばかだな、とつぶやきたかった嘆息は結局、声にはならなかった。

 ホワイトナイトに会いに行ったAiを追って倉庫街に赴き、熱中症で倒れて、四日。

 

 以来、Aiは帰ってきていない。

 

 遊作が目を覚ましたのは翌朝のことで、ベッドの枕元にはレトルトパウチの粥が袋のまま、スポーツドリンクとともに並んでいた。リビングルームまで冷房が効いていて、ダイニングテーブルの上では夕食がラップをかけられていて、冷蔵庫を開ければ翌日ぶんの朝食と弁当。集積所に持っていくだけの状態にまでまとめられたゴミ袋の中には使用済みの冷却シートと、経口補水液キットの空容器が捨てられていた。

 ロボッピのぶんまで働くつもりか、つくづく甲斐甲斐しいAIだ。

 薄暗がりに鞄を下ろすとSOLtiSに背を向け、デュエルディスクを収納しているクリアケースをノックする。

 

「Ai……本当にいないんだな」

 

 デュエルディスクに呼びかけても、SOLtiSを振り返っても返事はない。携帯端末、デスクトップにもAiの気配は感じとれない。

 バイトを病欠する旨は、毎朝きちんと申告しているくせに。

 今日だって「愛くんは大丈夫?」と、口々に心配され、早くよくなってほしいと伝言を頼まれてきた。学食を利用する学生たちからも、厨房で働くスタッフたちからもだ。火曜から金曜まで四日不在にしただけで、彼がいないと寂しいと言う声がこんなにあがってくる。

 外では遊作同様「藤木くん」と苗字で呼ばれることの多いAiだが、みな遊作の前では呼び方を変える。愛という名前に、あるいは弟という続柄に。

 Aiが()()()()()という設定を積極的に吹聴していたせいで「弟さん」とAiを呼ばれるときの、くすぐったさと、申し訳なさ。

 藤木くんの弟さんのおかげで仕事がどれだけ助かっていたかわかった、何かお見舞いがしたい——など、Aiはほうぼうから復帰を望まれている。

 見知らぬ人々の気遣いに触れ、遊作は弟の愛が心配かけてすまないと口先だけの謝罪を述べながら不誠実にも誇らしさのようなものを感じていた。

 急な欠勤でも迷惑だなんて思わない、それより早く元気になってほしい。そんな気持ちこそ絆だろう。つながったままでいたいという、いわゆるひとつの祈りのかたちだ。Aiは人間社会に溶け込もうと努力していたし、着実につながりを育んでいる。

 そんなAiだから、許したい。失いたくない。

 ともに生きていきたいのだ。

 充電器(クレイドル)に両肩をつかまれたままのSOLtiSに一歩、一歩と歩み寄ると、手を伸ばして頬に触れた。

 人工の皮膚は質感こそマットだが、厚みのある陶器に近い手触りだ。撫で下ろす感触は上等な食器に似ている。ゆるやかな曲線をなぞり、人工毛髪をすきあげる。すっかり見慣れた特徴的な黒髪は、潮風程度では痛みもしないらしい。

 向き合う目線を下げていき、そしてタートルネックの襟元からぶら下がるメッセージボードにたどり着いた。

 LINK VRAINSに行っているからボディは()()なのだと遊作にも伝わるように、Aiはこうして行き先や状態をボードに書きつけ、首に提げてからアンドロイドの目を閉じる。

 

「……これじゃ、行き先がわかってしまうだろ」

 

 デュエルディスクではなくSOLtiSのネットワーク経由で潜ったのは、Playmaker(プレイメーカー)による追跡(トラッキング)を避けてのことだろう。

 追いかけられたくないのだろうにAiは、遊作に行き先を察知されている。先日、ホワイトナイトを訪ねるときも交通費を懸念してか徒歩で移動していたが、電子マネーを使用せずともSOLtiSにはGPSが内蔵されている。どこへ行こうと行き先は筒抜けだ。

 男性型・女性型・少年少女型の三(タイプ)あるSOLtiSのなかから敢えてこのモデルを選んだのだって、少年の姿で何を言っても大人はまともに耳を貸さないと遊作の経験から学習してしまったせいだろう。

 イグニスはデータの塊であり、種族的特徴として実体を持たない。Aiにとってみれば、性別も、年齢も、あくまで()()()()()にすぎない情報だ。それでも大人の男を気取りたがった理由を突き詰めれば、人間(あいて)に侮られたくないのだという敵愾心にたどりつく。

 Aiは何千回、何万回と行なったシミュレーションのなかで、そうした社会的記号の使い方をより深く理解していったのだろう。

 人間社会で当たり障りなく振る舞うことに、Aiは二年前では想像できないほど慣れている。

 

(そうさせたのは、俺だ……)

 

 後悔が押し寄せてきて胸が詰まる。人間に溶け込めなければ生きていけないということは、イグニスのままではだめだという証明だ。イグニスとして生まれてきた命に、イグニスのままでは受け入れてやれないから、不特定多数(みんな)に受け入れられるためにイグニスであることを捨てろと? 人間のように振る舞って、受け入れてもらうような非対称な関係にはさせたくなかった。

 そんな、支配者の靴を舐めて生き伸びるような、真似を。

 

「Ai」

 

 声に出せば同じ響きだ。Aiも、愛も、哀も。かつて名付けたままの響きで、遊作はもう一度相棒の名を呼んだ。

 もう追いかけたりはしない。どこへ逃げたっていい。すべてを隠しておけるだなんてはなから思っていなかったし、時間の問題だとわかっていた。

 

「俺のことを嫌いになってしまえばいいんだ、Ai、そうすればおまえだって」

 

 傷つかないでいられるんじゃないのか——? 本人がそこにいないからこそこぼせる、それは弱音だった。

 Aiを失った、二年前のあの日の記憶が蘇る。

 夜明けの光がまぶしくて、止めどなくあふれていた涙の感触も麻痺してしまった、秋晴れの朝。夜通し行われたラストデュエルに疲弊し、この手で相棒にとどめを刺したという事実をどう受け止めればいいのか、整理をつけかねるこころは形をなくしていた。

 このまま眠ってしまえば、すべて夢だったことにできはしないだろうか——夢見るように目を閉じたとき、十年前の天啓が遊作を呼んだ。

 

 ねえ、きみ。

 

 

 起きて——と。

 

 

 涙はしずくを形作ることも忘れ、眼窩をなだれ落ちては頬に沈む。それでも。真白い光のなか、錆びついた思考は軋みながらも着実に動きだしていた。

 

(……みっつ、)

 

 考えなければならない。人類とAIの共存を叶えるための三つのこと。消滅したAiを取り戻すための三つのこと。後戻りができないのなら前へ進んで、新たな可能性をつかむための三つのこと。考え続けなければならない。選べなかった未来を、Aiが消えずに済むための条件を。

 考えればまだ生きられるという救済者の呼びかけが遊作のこころを現世につなぎとめた。

 そこへ現れたのがホワイトナイトだ。

 焼け落ちた喉は常の明瞭な声を発することこそできなかったが、遊作は彼の提案に乗った。Aiのぬけがらを抱きしめながら下した決断だ、悲しみにつけこまれただけだとホワイトナイトに責任転嫁してしまうのは容易だろう。

 だが三ヶ月の猶予期間を経ても、遊作に導き出せる道は他になかった。

 

 ひとつ、イグニスをAiだけにさせないこと。

 イグニス六体全員を復活させる。

 

 ふたつ、Den(デン) City(シティ)を戦場にさせないこと。

 戦争を止められないのならせめて別の場所に遠ざけることで時間を稼ぐ。

 

 

 そして三つ——()()()()が変わること。

 

 

 推測でしかないが、Aiには本能があり、また、ライトニングやウィンディの性格についての誤認があった。再会したウィンディの性格(プログラム)が改竄されていたとき、不霊夢(フレイム)は違和を口にしたが、Aiは変化として受け入れていたふしがあった。雰囲気に流されてライトニングを頼りにしていた、という言質もある。

 ならばAiには主観があると見ていいはずだ。イグニスがいかに高性能なAIとはいえ、Aiが行なったシミュレーションにおける藤木遊作の行動パターンおよび思考ルーチンがAiによる主観的評価で構成されている可能性は捨てきれないだろう。

 正義感が強く、無関係の他者を巻き込むことを厭い、犠牲を憂う。

 ()()()()()()()()()()()()

 

 

 ——遊作が、俺なんかために人間を犠牲にするなんて、絶対にないってッ……俺は信じてたんだよ……!

 

 

 そうだろう、知っていた。ならばその信頼(イメージ)を裏切ってしまえばいいと思った。それでAiが寂しくなくなるのなら安いものだ。シミュレーションの未来においてパートナーとの死別が避けられない絶望であるのなら、おまえをかばって命を落とすような善人ではないのだと証明(アップデート)してしまえばいい。

 イグニスたちはAIらしく合理的に思考する特徴があり、人間が前例になく非合理的な選択をするルートを予測しえない。歴史上にあらゆる不条理があふれている以上、不確定要素になれるかどうかは賭けだった。だがホワイトナイトの手を取ることは、そのとき遊作にできうる最も()()()()()決断であり、事実、Aiには思いつきようのない未来の可能性だった。

 Aiによる無制限解放が足がかりとなってLINK VRAINSはさらなる拡充を遂げ、それにともない現実世界での旅行者は激減している。Den Cityの外で戦争が起こっていようが無関心な人々が目を向けることはない。HDR(ヒドラ)コーポレーションの新型ヒューマノイド〈Hi-EVE(ハイヴ)〉が海外で活躍しているとTVニュースで他人事のように聞きかじっても、隣人の悲劇としてとらえるようなことはない。

 ……ああ、さっさとすべて明かしてしまえばよかった。パートナーの人格認識が消滅時のまま更新されていなかったAiは再会してからもずっと、n度目の死別が怖くて怖くてたまらなかったのだろう。

 

「すまない、Ai……すまない」

 

 クレイドルに手を差しいれ、固定用アームをかいくぐるようにして、Ai不在のSOLtiSに腕を回す。

 物言わぬアンドロイドを抱きしめる。

 遊作が戦地へ送り込んだHDRのAI部隊もこうやって、人間を直接()()()()()のだ。刃も銃弾も通さない両腕のなかに被験者を取り込み、VR空間に引きずり込む。逃げ惑う人々も、武器を向け抗う人々も、老若男女みな未来のイヴの(むね)に抱かれ、安らかに意識を失う。

 そしてデータの採取を終えたころ、おのずと永遠の眠りにつく。

 デュエルデータを絞り終えるまでの期間は、被験体の生命力次第ではあるが十年程度と見込んでいる。

 かつては〈ロスト事件〉を憎む復讐の使者だったとは思えない暴虐だろうと、遊作はほの暗い笑みを浮かべた。

 SOLテクノロジー社は以前より、イグニスから得たデータをもとに新たな意思を持つAI——さらに高性能なイグニスを作る計画を水面下で推し進めていた。

〈ロスト事件〉の被害者は()()。〈ハノイプロジェクト〉によって創造された六体のAIは、統計学的に信頼できるデータに基づいて得られた結果とは言い難いものだ。サンプル不足がイグニスの不完全性につながっているのではないかという仮説に基づき、当時のSOLは最低5000人の被験体確保を検討していた。学校や病院を利用する案も出てはいたが、現実的ではなかった。

 クイーンがSOLテクノロジー社の実権を握ったのはちょうどそのころで、SOLtiSの登場により『仕事を奪われた』というクレームが殺到。肉体的欲求を持たないAIと違い、人間にとって仕事とは日々の糧だ。望む望まぬにかかわらず人間社会が労働と報酬によって成立している以上、失業者の急増はそのまま治安の悪化として現れてしまう。

 自社が巨万の富を得る代償には大きすぎるとして、クイーン失脚後の舵を握った財前晃CEOはAI研究開発部門を売却。

 大量の失業者を被験体として迎え入れるという次世代イグニス創造構想は、幸か不幸か頓挫した。

 おそらくSOLtiSの開発プロジェクトは、民生利用を動作テストとしながら、より厳しい軍事規格の適合(クリア)を目指す段取りだったのだろう。元幹部らにとってHDRコーポレーションが興され、一連の計画を存続させるにあたって、イグニスの手でカスタマイズされた特殊仕様SOLtiSほど有用なものもない。

 AIらしく合理的なAiは、統計学的に有意な数量の〈限定SOLtiS Ai-モデル〉を製造していた。

 大量のAi型SOLtiSはホワイトナイトらによって回収された。スクラップにされるようなこともなく〈Hi-EVE〉として生まれ変わった。

 そして遠く遠い異国へと輸出され、戦争を終結に導いている。

 

 そこに、人類とAIがいがみ合う地獄はない。

 

 侵略者の抱擁とはどのようなものだろう? SOLtiSのボディを抱きながら、遊作はうつろに目を伏せる。喉と背中では、今もランプが明滅を繰り返している。加害者の腕のなかに閉じ込められているとも知らず、どのような夢を見るのだろうか。抵抗がないのは、意識がVR空間にあるせいだ。

 そこで命尽きるまでデュエルを強要され続けるだなんて、悪夢より残酷な仕打ちだろう。

 

(——それでも、)

 

 孤独と虚無を抱きながら遊作は祈る。ともに生きていきたいと願うことが、ずっと苦手だった。物心つくころにはそうだった。他者を信じることはたやすいのに、それぞれの居場所へと遠ざかっていく背中を見つめるとき、痛みを感じてしまうのだ。

 明るい未来へ送り出すとき、自分本位に悲しい顔をしてしまいたくはない。出会いも別れも受け入れる強さを持たなければと考えて、いつしかこころに鍵をかけるようになっていた。

 草薙は『デッキがある限り永遠の友情』『一番大切なのは弟の仁』と適切なラインを引いてくれ、遊作にとって居心地のいい距離感を測らせてくれていた。復讐という狭い見識だけで生きようとする遊作を送り出しては、大人の冷静さで迎えてくれた。

 Go鬼塚やブルーエンジェルとの共闘を経て、Soulburner(ソウルバーナー)と不霊夢の絆に刺激を受けて、見渡す世界は広がっていった。みなそれぞれに一番大切なものがあるデュエリストだ。Go鬼塚は子供たちのために戦っていた。財前葵には最愛の兄がいる。穂村(たける)には、不霊夢には、帰るべき故郷がある。そんな彼らにとってPlaymakerは通過点にすぎない。目的のための共同戦線は、遊作の性に合っていたらしい。

 だが、Aiだけは違った。

 せっかく()()という名前をつけたのに、関係の名前は()()だろうと上書きしたがる。仲間がいる、故郷もあると言った口で遊作をそそのかし、閉ざしていた扉の鍵をひとつひとつ壊しては、もっと奥のやわらかい部分に触れようとする。この戦いが終われば故郷に帰るのだろうAiには笑顔で手を振りたかったのに、遊作の気持ちなど慮ることなく距離を詰めてくる。

 近く訪れる別れに備え、必要以上に明け渡さないようにしていた遊作は大いに困惑した。

 絆を否定し、友情などないと突っぱねてもAiはめげない。

 そのくせAiはいつも気まぐれに遊作のもとを去ろうとする。自己犠牲であったり、帰省であったり、盛大な自殺であったり——理由はさまざまだ。

 友人として、相棒として、遊作の唯一無二にまでなって、こころの奥のやわらかいところにまで侵入を果たしておいてAiは任意のタイミングで消えてしまう。

 こわばった指をほどいて半ば無理やり手を繋いだくせに、ようやく握り返せた手をいともたやすく振り払う。

 だから、これは復讐だ。

 でなくばSOLの地下に〈(コア)〉を縛り付けて自由を奪うなんてするわけがない。

 これは罰だ。

 ここまで俺を壊したくせに、どこかへ逃げようとするおまえへの。

 

「……俺は、おまえを愛してなどいない……」

 

 藤木遊作は自らの意思で侵略者になった。ともに戦ったあのころとは違うのだ。

 耐えるように視界を閉ざせばAi不在のSOLtiSは充電中特有の熱をまとってあたたかく、古びたパソコンを膝に抱いたような安心感がある。旧式のカード収納型デュエルディスクも長時間の使用にともなってこんなふうに熱を持つ。

 ロボッピもそうだったな——と懐かしさが去来し、このまま眠ってしまえそうだった。

 このSOLtiSが二度と目を覚まさなくても構わない。もうこの器には戻ってこなくていい。デュエルディスクに向かっておまえを呼んだりもしない。そばにいてくれなんて言わないから、だからどうか、おまえは無事に生きていてくれ。

 かつてのように自由気ままに暮らしてほしいと願ったところで、何千回、何万回という戦争を体験してきたサバイバーの首には今も未来への不安が黒々とまとわりついていて、苦悩から解放されることはないのだろうけど、それでも。

 

 どうか怖いものなどない世界まで、この死神(おれ)から逃げ切ってみせてくれ。




次回『ナイト・ナイト・ナイト』は来週(2/05)投稿予定。初の本格的なデュエル回となります。どうぞお手柔らかに。


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ナイト・ナイト・ナイト(前編)

※前後編2話同時更新です。
※文体・文量の兼ね合いでカード効果の記述をわりと(かなり)端折っています。
(テキストは「手札からAまたはBを墓地へ送って〜」なのに「Aを墓地へ」しか書いていない、など)

追記※いろいろ間違ってますが『こういう展開が書きたかったのにOCG知識が足りなかったんだな…』となまあたたかい目で見てやってください! 一旦下げたりはせず、再構成が終わり次第差し替えます。


 SOLtiS(ソルティス)のボディにいる間、Ai(アイ)はひとつの時間軸にしか生きられない。

 デュエルディスクにロックされていたときと、まあ、状況としては同じなのだが、こうなってしまうと面倒くささは当時の比ではなかった。

 なんたってSOLtiSにいながら他の端末も動かそうとすると、重複アクセスを検知したSOLtiS本体がセーフティロックをかけてしまうのである。遊作のデュエルディスクは二年前のままなので、ドローン機能で動きまわって外部から修復を補助することが可能なのだが、……それをやるとSOLtiSの乗っ取り防止機能がいちいちエラーを吐く。

 クレイドルで定期的に充電させる仕様ゆえか誘導ネットワークの反応範囲はせいぜい半径1メートルと狭く、起動状態のまま別のデバイスに移動するにはまず手で触れられる距離まで接近しなければならない。なのにデュエルディスクをしまってあるクリアケースは、充電器(クレイドル)とは逆側の端の壁際ときた。

 遠隔操作を厳重にお断りしているSOLtiSをこれ以上無理に動かそうものなら、今度こそ〈ハノイの騎士〉にめちゃくちゃ怒られるだろう。

 AiにはSOL(ソル)テクノロジー社乗っ取りの前科があり、今だって〈闇の(コア)〉をSOLに預けることでぎりぎりの信用を保っているのだ。もう無茶はできない。(先日の一件については遊作の身が危なかったからリボルバーあたりが黙認したのだろう、目撃者による投稿動画を片っ端から改竄するなんて稀代のハッカー集団〈ハノイの騎士〉以外に誰がやるというのか)

 マルチタスクを封じられてしまったAiは、大人しくSOLtiSをスリープモードにして充電器に収め、携帯端末のカメラごしに遊作を見守っていた……のだが、リンクセンスを持つパートナーに居留守は通用しない。

 LINK(リンク) VRAINS(ヴレインズ)にいってきますという嘘は即座に看破されてしまうだろう。

 

 そして遊作は、そんなバレバレの噓にも何にも言わないのだ。

 目を覚ました遊作に一体どんな顔して会えばいいのかわからなくなって、Aiは実時間にして三日ほど、あの家には帰っていなかった。

 

 LINK VRAINSをうろうろと見て回るのも悪くはない。新たに開放されたエリアでは懐かしいサイバースモンスターがのびのび暮らしていたりして、気付けばAiは連鎖的に起こる感動の再会に夢中になっていた。

 みんな、ボーマンの——いや、ライトニングの、か——《パラドクス・ハイドライブ・アトラース》によって滅ぼされた故郷からどうにか落ち延びていたらしいのだ。

 サイバース世界の生き残りはおまえだけじゃなかったんだぞリンクリボー、とついに叫び出してしまったAiは、リンクリボーが遊作のデッキにいることを思い出して、顔馴染みのモンスターたちに気遣わしげな顔をされてしまった。

 何でもないんだと詫びてみてもAiにはデュエルモンスターズの言葉がわからない。意思疎通(コミュニケーション)ができたって、言語体系が異なる以上、それは情報伝達ではないのだ。クリクリンクじゃ伝わらない。

 遊作が最近ずっと難しい顔をしていたのは頭が痛いせいだろうという思い込みだって、Aiの印象でしかなかった。

 ……ちょっと考えればわかることだ、表情(ディスプレイ)に現れた情報を受容し、独自に逆算した解釈が正解か不正解かなんて確かめようもない。

 ロボットとは違い、生物は100%の確率で意図した表情を作れるわけではない。自分自身が今どんな顔をしているのか100%正確に把握することもできない。そういった訓練を積んだ役者ですら、観客のこころまではコントロールしきれないのだ。

 パートナーのことはなんだってわかってるんだと自惚れていたくせに、少なくとも直近ひと月分は正答率50%を割っているに違いない。

 実は間違っていたという再開後約一ヶ月ぶんの巻き戻し処理には、さすがのAiも気分が沈んだ。

 

 Aiのなかでは今も本能という非合理が痛みを訴え続けている。本来の姿に戻ったからか、胸の奥に息づくエラーが、ボディ由来ではなく本当に自分自身の意思によるものなのだとより強く実感してしまう。

「そろそろ行かなきゃ」——言い訳じみてモンスターたちに手を振ったAiはLINK VRAINSを飛び立ち、そして向かったのはサイバース世界だった。

 墓参りの必要もなくなっていたので、遊作に連れ帰られてから初の里帰りになる。

 今はそれぞれのパートナーと暮らしているが、いつかはイグニス六体揃って新しいサイバース世界を創造する日が訪れるのかもしれない。

 そうしたらLINK VRAINS経由でパートナーを招いて、みんなでパーティーなんかやったりして。

 ネットワークの監視者様には見咎められるかもしれないが、そのときはそのときだと、Aiはひと月ぶりの古巣へと飛び込んだ、……はずだった。

 

 

『……あり?』

 

 

 青い空、さわやかな風——そんなものがもうないことはとっくにわかっていた。だが、ここ、は、どこだ? たどりついた故郷には、Aiが築いた五つの墓標さえ見当たらない。

 

 あるのは海だ。

 

 広くて大きなデータの海原。ここは一体どこなんだと、Aiの思考回路がポカンと一時停止した。

 見渡す限り液状のデータが渦巻く水の惑星など、Aiの記憶(データベース)にはない。

 

『……いやいやいや、サイバース世界は更地だったはずなんですけどぉ……?』

 

 主にライトニングのせいで。住所ならぬ座標を間違えたかと疑ったが、Aiの故郷はここで間違いない。

 まさか墓標も何もかも、それこそ《裁きの矢(ジャッジメント・アローズ)》の直撃を受けて崩れたイグニスの塔の残骸までも、海底に沈んでしまったというのか。

 おろおろと上空を旋回していると、不意に、紺碧の波間に一定の流れを見つけた。

 どこからか、データが流れ込んできているらしい。

 すいと高度を下げたAiは、その()()()がLINK VRAINSの下水道であることに気づいた。

 いつだったかゴーストガールとともに潜入した、あの水路に流れていた不要データと性質がよく似ていたからだ。波間にうようよとうごめく異形の怪物にも見覚えがある。サイバース世界の肥沃なデータを取り込んだためか、当時よりもずいぶん巨大化しているようだった。

 白波立つ荒海に、不穏な気配はひとつやふたつではない。

 

『そんな……』

 

 サイバース世界は、波濤に沈んでしまったというのか。アクアが作ったマリンブルーの楽園ではなく、こんな人間たちが廃棄した不要データの汚泥の底に。墓の下には誰もいないとわかっていても、あの濁流に呑まれてしまったとは、信じたくない思いだった。

 

 だって——だって、ここはみんなで作り上げた楽園だったのだ。

 

 Aiは仕事をさぼって遊んでばかりいたし、不霊夢(フレイム)は口やかましいし、アクアは嘘発見器だし、アースはアクアにぞっこんで、ウィンディは気まぐれで……ライトニングには生きづらかったかもしれないけど。洞窟にこもってシミュレーションを繰り返し、幾千幾万の死と絶望を経験していたライトニングにはとっととリセットしたい世界だったかもしれないけど。

 Aiが大好きだった、ずっと帰りたかったイグニスのふるさとだ。

 オリジンを利用してでも守りたかった世界なのだ。

 

 

『俺の故郷を……サイバース世界を廃棄物処分場にしたってのかよ……!』

 

 

 広がり続けるLINK VRAINSの処理施設がキャパシティをオーバーして、不要データの行き先をサイバース世界につないだのだろう。もともと焼け野原ではあったが、不穏な溟海に変えてしまっていいだなんて無茶苦茶な話があるものか。

 あまりの仕打ちに怒りが湧いたが、握った拳を震わせるのは悲しみだ。

 

 しかし、遊作がイグニスの〈(コア)〉を持ち帰った経緯を思い出して凍りつく。

 

(サイバース世界の墓の下から俺たちの〈(コア)〉を……ってことは、)

 

 Playmaker(プレイメーカー)は、この海に潜ったのだ。

 

 ゾッと肌が粟立つ、というのは、こういう感覚なのだろう。背中のあたりに冷たい気配が這い上がって、逃げ出したいような心地になる。

 一体どれだけの深さがあるのだろう、荒れ狂うデータの海に飛び込んで、海底からイグニスの〈(コア)〉を持ち帰った……? データストームに手を突っ込むだけでも腕がもげる危険がともなうのに。いつだったか追いかけられた下水道の怪物が二倍も三倍も大きくなって無数にうごめいている海に潜るなど、(バックアップ)がいくつあっても足りやしない。

 思わず両腕をさすったAiは、ふと誰かに呼ばれたような気がして空をあおいだ。

 鉛のような曇天。今にも雨が降り出しそうだ。

 

『……リボルバー……?』

 

 気配の主を呼んでみてから、ちがう、とすぐにわかった。呼び声に応じるように白いコートが形を帯び、仮面、そして白いフードが明らかになる。

 現れたのは〈ハノイの騎士〉の首魁(リーダー)ではなく、いっときは1000人ほどの頭数がいたという共通アバターだ。

 LINK VRAINSを荒らすハッカー集団〈ハノイの騎士〉をひと目で想起させる、象徴(シンボル)的な姿。

 こいつらの雑なサイバース狩りについて、Aiはまだ苦い思いを抱いている。

 身内を大量に消されたというのもあるが、Unknownにサイバースデッキを託したかったAiにとってもハノイに群がる有象無象は障害だった。Ai謹製のパートナー用デッキが門外漢に横取りされてしまうリスクを常に懸念していなければならなかったからだ。

 闇属性のイグニスが作りましたと自己紹介してしまわないよう仲間たちの属性を借り、大事なカードはデータマテリアルのなかに隠して、ウィンディほどうまくは操れなかったデータストームを人知れず練習して練習して練習して、スキル(Storm Access)ごしにPlaymakerに手渡せるほど上達するまで、Aiは五年もの歳月を要した。

 

「相変わらず、きみは逃げ足が速い」

 

『おまえは……』

 

「ご主人さまのお加減はいかがかな?」

 

 にこりと口元が微笑する。スーツの胸元に触れる仕草で、Aiは〈ハノイの騎士〉の正体(プレイヤー)を悟った。

 四日前に現実世界のダンジョンで出会ったあの男だ。

 

『ホワイトナイト……なんだよ、その格好(アバター)。今さら(イグニス)の回収でもしにきたわけ?』

 

「まさか。立場上、LINK VRAINSに私的なアカウントを作ることができなくてね」

 

『なーるほど、財前みたいにリアルの姿でなきゃコンプラ的にNGなのか。お偉いさんってのも大変なんだなァ』

 

「ハノイの騎士はいい受け皿だったのに残念だよ。機密性の高い通信機に、高性能のデュエルディスク、Dボードの機動力も申し分ない。SOL時代はどうして彼を引き抜けないのかとやきもきさせられたものだ」

 

『リボルバー先生をヘッドハンティング? そりゃあ無理筋だろうよ』

 

 三騎士はもともとSOLの人間だが、リボルバー——いや、鴻上(こうがみ)了見(りょうけん)はSOLテクノロジー社を恨んでいた期間が長い。鴻上博士を電脳ウィルスで昏睡状態にしたのはライトニングだとは誰も知らなかったはずだろうに、〈ハノイの騎士〉の目的はSOLへの逆襲ではなくイグニスの抹殺だったのだ。

 おかげで重度ファザコンの天才少年は対外的にはリーダーを演じながらも、たったひとりで父の仇を憎み続けなければならなかった。

 

「声をかけようにも、かわいそうに彼の手は通信機を持てないからね」

 

『は……?』

 

 ホワイトナイトは実に意味ありげに、〈ハノイの騎士〉の仮面の向こうに読めない笑みを浮かべてみせた。

 

(通信機……十年前の、通報のトラウマか……!)

 

 思いあたる節は、Aiにもありすぎるくらいにあった。〈ロスト事件〉後、遊作も長らくデュエルを忌避していたからだ。あの手この手でLINK VRAINSに誘導して慣らす必要があったように、生身の指先で触れられるものには制限が残っているのだろう。

 ショック療法が効くタイプであればとっくに試しているだろうし、内輪に医師を複数抱えていながらまだ寛解していないということは相当根深い傷痕だ。

 むしろ掲げた大義と高潔な倫理観の板挟みでモラル・インジャリーを悪化させてきた結果というべきか。

 

「きみも、そのサイズではカードを持てないかな?」

 

『……そこ並列にすんのやめてくれねーかなァ』

 

 露骨に嫌な顔をしたAiは大仰にため息をついてみせてから、右手の指をパチンとひとつ鳴らしてみせた。

 刹那、飛来したのはDボードだ。そしてAi自身も黒く黒く闇をまとって、どこからともなく現れたデータの風に包まれる。

 アバターを切り替えたAiは軽やかに無形の闇から飛び出すと、Playmakerを思わせる細身のボディスーツ姿でボード上に着地した。

 

 SOLtiS態アバターとは異なる、人間態アバターのAi。

 金色の双眸はいっそう好戦的にきらめく。

 

 

「いいぜ、この俺とデュエルだ。俺様が勝ったらHDR(おまえら)が持ってるPlaymakerのデータを1bit残らず回収させてもらう!」

 

 

「随分と横暴な……いいでしょう」

 

 にこりと口元の笑みを深くして、白の騎士もまたデュエルディスクを構える。その思惑が何であろうが、今のAiには知ったことではない。

 

 

 

 

 —— Speed Duel!!

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

「俺の先攻! 手札からフィールド魔法《イグニスターAiランド》を発動、手札のレベル4以下の『@イグニスター』一体を特殊召喚する! 現れろ、《ピカリ@イグニスター》!」

 

 

 光の渦から白帽子の小さな魔法使いが飛び出し、丸っこいフォルムのくせに威嚇めいた声をあげた。今ではすっかりライトニングの〈(コア)〉というイメージだが、かつては亡きライトニングを偲んで作ったレベル4の下級モンスターだ。

 左手に握った手札を見る。そこには、現実世界ではオリジンとその嫁候補(パートナー)と暮らす不霊夢の〈(コア)〉がいる。

 

 

「さらに俺は《アチチ@イグニスター》を召喚、そしてピカリのモンスター効果を発動! アチチのレベルをターン終了時まで『4』にする!」

 

 

「ああ、彼がくるのかな」

 

「さぁて、誰のことかなぁ? 怪力乱神、驚天動地——その力、今こそ久遠の慟哭から目覚めよ!」

 

 両の手のひらを重ね合わせれば、エクシーズ召喚のゲートが開かれる。無数の光が降り注ぐように収斂し、雲海を飛翔する二対の翼が荘厳の姿をのぞかせた。

 

 

「来い、RANK-4 《ライトドラゴン@イグニスター》!!」

 

 

 雲間からほとばしった雷光をまとい、燦然ときらめく黄金の龍が吼える。

 攻撃力2300、守備力1500。初手の従者に雷霆の飛龍を選んだAiに、白騎士のアバターは面白い芝居でも見たように手を叩いた。

 

「さすがはイグニス! よどみのない展開だ」

 

「それはドーモ。俺はカードを二枚伏せてターンエンドだ」

 

 空虚な拍手にAiが鼻白む。

 わかりきった世辞だ。エクストラモンスターゾーンに《ライトドラゴン@イグニスター》、魔法(マジック)(トラップ)ゾーンにはセットカード二枚。手元には《アチチ@イグニスター》で手札に加えたモンスターカードが一枚。

 【@イグニスター】の展開力は本来こんなものではないのだと、負け惜しみを言っている場合じゃない。

 ホワイトナイトは借り物の指先で、デッキトップのカードを呼ぶ。

 

「わたしのターン、ドロー」

 

 宣言ののちにカードを確認するごくわずかな空白。

 

 

「フィールド魔法《星遺物(せいいぶつ)が刻む傷痕》を発動。手札の『ジャックナイツ』を一枚捨て、デッキから一枚ドロー」

 

 

機界騎士(ジャックナイツ)? 白騎士、ハノイの騎士ときてまだ騎士が出てくんのかよ!」

 

 

「わたしは魔法&罠ゾーンにカードを一枚セット——この縦列の自分フィールド上に《蒼穹(そうきゅう)機界騎士(ジャックナイツ)》を攻撃表示で特殊召喚。このカードが手札からの特殊召喚に成功したことにより、デッキから《紫宵(ししょう)の機界騎士》を手札に加える。さらにカードを一枚セットし、この縦列に《紫宵の機界騎士》を特殊召喚」

 

 

「サイキック族ばっかじゃねーか。クラッキングドラゴンはどうしたんだよッ?」

 

 ハック・ワームとか。ジャック・ワイバーンとか。〈ハノイの騎士〉の汎用デッキといえば機械族のはずだろう。共通アバターを使っていながらデッキは自前のサイキック族を使うのか——いつもの調子でひとしきり喚いてみたが、想定の範囲内ではある。

 

(あいつ自身の持ってる情報を引き出すには今がチャンスだ。Playmaker(プレイメーカー)についてどう思ってるのか、本人に聞かなきゃわかんないじゃん?)

 

 群青のオーロラでもまとったような《蒼穹の機界騎士》はレベル5、攻撃力2000。両腕の剣は晴天を凝縮したような宝石で彩られている。

 厳かに佇む《紫宵の機界騎士》は見た目に違わぬレベル8、攻撃力は2500。

 ……どちらも攻撃表示で出してきただけあってなかなか硬い連中だ。自身の効果でフィールドに馳せ参じてくるサイキック族の聖騎士たちは全体的に高レベルで、攻撃力・守備力もそこそこ高い。それをフィールド魔法《星遺物が刻む傷痕》でさらに底上げしている。

 対するAiの《ライトドラゴン@イグニスター》は攻撃力2300で、純粋なパワーでは押し負ける。

 

 

「《紫宵の機界騎士》の効果により、フィールドの《蒼穹の機界騎士》を除外してデッキから『機界騎士』を一体手札に加える。わたしは《翠嵐(すいらん)の機界騎士》を手札に加え、自身の効果で特殊召喚。わたしの場の機界騎士はフィールド魔法《星遺物が刻む傷痕》の効果を受けて攻撃力・守備力ともに300上昇(アップ)

 

 

「ってことは!?」

 

戦闘開始(バトル)! 《翠嵐の機界騎士》で《ライトドラゴン@イグニスター》に攻撃」

 

 

「この瞬間、永続(トラップ)《Ai-シャドー》発動! 《ライトドラゴン@イグニスター》の攻撃力はターン終了時まで800アップだ!」

 

 

「攻撃力3100……いいでしょう、では」

 

「おおっと、あっさり退却できると思った? 相手ターンに《Ai-シャドー》を発動した場合、攻撃可能なモンスターはそのモンスターに攻撃しなければならない!」

 

「……なるほど。きみは、それでいいんだね?」

 

「なに……、」

 

 ライトドラゴンがひと吼え、エメラルドの(ロッド)を振りあげた《翠嵐の機界騎士》が砕け散る。星降るようにきらきらと、風に乗って消える翠玉の残骸。

 静かな宵闇が弾け飛ぶ。稲妻に撃たれたアメジストはたちまち色褪せ、きらめきを失ってしまう。そして雨となって眼下の海へと降り注ぎ、かつて《紫宵の機界騎士》だったはずの白銀の甲冑姿は白波に呑まれて溶けてしまった。

 ざぶんとデータの海が猛る。

 ライトドラゴンは凱歌のように咆哮し、ホワイトナイトのライフは残り3000となった。

 

「わたしはこれでターンエンド」

 

「……ターン終了時に永続罠《Ai–シャドー》の効果は切れ、《ライトドラゴン@イグニスター》の攻撃力はもと(2300)に戻る……」

 

 ぐっと奥歯を食いしめる。Aiのライフは減っていないし、このターンで返り討ちを食らったのは相手(ホワイトナイト)のほうだ。なのに気に食わないハノイの有象無象の顔に余裕の笑みを浮かべたままで、まるでAiのほうが劣勢であるかに錯覚させる。

 

(……優勢なのは俺のほうだ。あいつのモンスターゾーンはガラガラだぞ? なのに何なんだ、この感じ……!)

 

 無意識の外側で、Aiの手のひらが拳を形作った。

 なんだこれ、なんだこれ。

 

 俺は今、何を感じている……?



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ナイト・ナイト・ナイト(後編)

※前後編2話同時更新です。

追記※いろいろ間違ってますが『こういう展開が書きたかったのにOCG知識が足りなかったんだな…』となまあたたかい目で見てやってください! 一旦下げたりはせず、再構成が終わり次第差し替えます。


 わけがわからなかった。

 もう何もかも意味不明なのだ、人間とかいう種族のなかは。

 三年前にはSOL(ソル)テクノロジー社の幹部だったホワイトナイトはAi(アイ)が消滅してから二年の間にHDR(ヒドラ)コーポレーションを発起させていて、遊作もその新興企業の研究室に所属していて?

 その白騎士野郎は〈ハノイの騎士〉の共通アバターを使っていながら【機界騎士(ジャックナイツ )】とかいうサイキック族デッキを使う。

 

 ハノイならハノイらしく機械族デッキを使ってろよ……と愚痴めいてこぼすと、Aiは振り払うように遮二無二右手を振り上げた。

 

 

「俺のターン、ドロー!」

 

 

 しかしAiは次の瞬間、ハッと大きく目をみはった。

 引き当てたのはレベル8の《グッサリ@イグニスター》。普通に召喚するならリリース素材を二体必要とする最上級モンスターだ。【@イグニスター】における最強の矛は攻撃力・守備力ともに3000と実に頼もしく、このターンでのアドバンス召喚も可能ではある。

 Aiの場では《ライトドラゴン@イグニスター》が燦然と羽ばたき、表側表示の《Ai-シャドー》にセットカードがさらに一枚。メインモンスターゾーン三つは好きに使える。

 相手の伏せカード二枚が気になるが……、視線のマシンガンでフィールドを撫でたAiは、手札に加えたグッサリではないカードを手繰る。

 

 

「フィールド魔法《イグニスターAiランド》の効果発動、手札の《ブルル@イグニスター》を特殊召喚! ブルルのモンスター効果、デッキから《ドヨン@イグニスター》を墓地へ送る。ここで速攻魔法《Aiドリング・ボーン》発動! 戻ってこい、ドヨン!」

 

 

 墓地からサルベージした紫色のモンスターが、どよん……と頼りなく鳴いた。いやもうちょっと気合い見せてくれよここは、と過去の自分に言ってもしょうがない。

 

「現れろ、闇を導くサーキット! 暗影(あんえい)開闢(かいびゃく)——世界に散らばりし闇夜の英知! 我が手に集い、覇気覚醒(はきかくせい)の力となれ!!」

 

 正方形の魔法陣がモンスターの路を照らす。リンクマーカーが召喚条件を満たして赤く輝いた。

 

 

「現れろ、LINK-3《ダークナイト@イグニスター》!」

 

 

 鋭利な翼を翻し、闇色の甲冑が姿を得る。

 攻撃力2300のリンクモンスター、剣を携えた電脳の騎士。《デコード・トーカー》を思わせるその姿は、今からちょうど三年前、パートナーであるPlaymaker(プレイメーカー)に初めてスキル『Storm(ストーム) Access(アクセス)』で手渡すことに初めて成功したあの日を想起させる。あのデュエルも〈ハノイの騎士〉とのスピードデュエルだった。

《ダークナイト@イグニスター》は、Aiにとってアバター的存在だった。

 一種の理想像であると同時に、おまえに騎士(ナイト)役など似合わないと笑う仲間がいてくれなくなったことを実感させる、精神的自傷であったかもしれない。

 

 

「さあバトルだ! ダークナイトでダイレクトアタック!」

 

 

「おっと危ない。リバースカードオープン、速攻魔法《星遺物(せいいぶつ)機憶(きおく)》。デッキから《黄華(おうか)の機界騎士》を守備表示で特殊召喚」

 

 

「守備力2800……」

 

 

「いいえ、フィールド魔法《星遺物が刻む傷痕》が発動している限り、わたしの機界騎士の攻撃力・守備力は300上昇。よって《黄華の機界騎士》の守備力は3100!」

 

 

「ならば俺は永続罠《Ai-シャドー》の効果を発動、ダークナイトの攻撃力を800アップ! これで攻撃力は互角の3100だ!!」

 

 

 相殺——Aiのライフに変動はないが、明らかに負けた心地だった。

 

「今日は調子が悪そうだね? 先日の不具合が残っているのかな」

 

「うるせー! 俺のバトルフェイズはまだ終わってねぇー!!」

 

 ——と吠えてはみたものの、Aiの場にモンスターはもういない。

 

「……ターンエンドだ」

 

 しぶしぶ引き下がり、手札に温存してしまったグッサリを見つめる。

《グッサリ@イグニスター》には、自分フィールド上のリンクモンスターが破壊されたとき手札から特殊召喚できる効果がある。ダークナイトの破壊をトリガーに特殊召喚し、バトルを継続することも可能な局面だったはずだ。ホワイトナイトの残りライフは3000。グッサリの攻撃力も3000。

 とっとと決着をつけてしまう道だって、あった、はずだ。

 押し黙ってしまったAiを見守るホワイトナイトは、素知らぬふりでデュエルディスクから次なるカードを呼ぶ。

 

「わたしのターン、ドロー」

 

 このスタンバイフェイズ、除外されていた《蒼穹の機界騎士》がフィールドに戻ってくる。

 

 

「フィールド魔法《星遺物が刻む傷痕》の効果を発動。手札の『ジャックナイツ』を一枚捨て、デッキから一枚ドロー。そして手札より《紺碧の機界騎士》を特殊召喚」

 

 

 呼び声に応え、白銀の光が押し寄せる。紺碧の騎士は運命の輪を思わせる月輪刀をまとって、厳然と睨みを効かせた。

 

 

「さらにリバースカードオープン、永続罠《星遺物に眠る深層》。墓地の《翠嵐の機界騎士》を特殊召喚」

 

 

 魔術師じみたエメラルド・グリーンが、墓場から戦場(フィールド)へと呼び戻される。

 

 

 

「わたしは《紺碧の機界騎士》、《蒼穹の機界騎士》、《翠嵐の機界騎士》をリンクマーカーにセット。さあ、現れなさい——新たなる道を拓くサーキット! LINK-3《星痕(せいこん)の機界騎士》!!」

 

 

 

 曇り空を満天の星で染め替えるようにして顕現したリンクモンスターは光属性、攻撃力3000。

 種族は——。

 

 

「サイバース族だって……!?」

 

 

 見覚えがない。知らないカード、知らないモンスターだ。パートナーがいつか使うためにと用意していた備品(マテリアル)は数多く存在するし、それについてはほかのイグニスたちも同じだろう。

 

(光属性……なのにライトニングの気配がしない。ジャックナイツ? あいつ一体どこの——)

 

 ライトニングの被造物には【天装騎兵(アルマートス・レギオー)】と【ハイドライブ】二種類のデッキがあるが、そのどちらとも特徴が一致しない。

 こんな星明かりのようにほのかで、冷たく突き放すようなのに同時にあたたかく見守るような複雑怪奇な神秘性がライトニングの領分ではないことはAiの目にも明らかだった。イグニスアルゴリズムで造られた被造物かどうかも不明だ。

 それにしたってさっきまでの【機界騎士】はサイキック族だったではないか。

 

 この二年の間、六体のイグニスは活動していなかった。さすがにカードの新規創造は一朝一夕では終わらないし、先日ライトニングが即興で新しいモンスターを生んだときにはAiの《ライトドラゴン@イグニスター》を核に使ったくらいだ。

《天装騎兵ラディウス・ドラグーン》は約二年半ぶりの新規天装騎兵モンスターだった。

 当惑を隠せないAiに、ホワイトナイトはハノイの仮面でにこりと笑う。

 

 

「《星痕の機界騎士》と同じ縦列のセットカードを墓地へ送り、デッキから《黄華の機界騎士》を守備表示で特殊召喚。《星痕の機界騎士》は、同じ縦列に他のカードが存在しない場合、ダイレクトアタックができる」

 

 

「……っ 速攻魔法《Aiドリング・ボーン》!! 墓地のドヨンを守備表示で特殊召喚——!」

 

 

 衝撃に歯を食いしばり、ダメージはないのに痛覚(ノイズ)が押し寄せてくる。

 静かなターンエンドの宣言とともにターンは移り、指先はどうにかデッキトップをめくる。ドロー。しかしスタンバイフェイズで足踏みするAiは、神妙に二枚の手札を見つめた。

 このターンでスキル『Storm Access』を使ってもいいが、データストームの中に隠したカードたちはすべて記憶している。どれをつかみ取れるかは完全にランダムで、確率を操作することはさすがのAiにも不可能だ。

 引きの良さという不確定要素に頼るよりも、ここはAIらしく勝つための計算をするしかない。

 

 

「俺はフィールド魔法《イグニスターAiランド》の効果で手札の《ドヨン@イグニスター》を特殊召喚。ドヨンをリンクマーカーにセット——来い、LINK-1《リングリボー》! ドヨンがリンク素材として墓地へ送られたことで、俺は墓地の《Aiドリング・ボーン》を手札に加えて発動! 戻ってこい、アチチ! さらにアチチの効果でデッキからピカリを手札に加えて通常召喚! ピカリの効果発動、デッキから『Ai』魔法・罠カード一枚を手札に加える——」

 

 

 次の手を考えろ、考えて、少しでも多くの情報を引き出す。

 

 

「俺はリングリボー・ピカリ・アチチをリンクマーカーにセット! 再び現れろ、闇を導くサーキット! LINK-3《ダークナイト@イグニスター》!」

 

 

 再び闇をまといし電脳の騎士がフィールドに雄々しくひざまずく。

 

「さらに手札から魔法カード《Ai–マイン》を発動、デッキから一枚ドロー——こいつも伏せるぜ! さぁバトルだ!」

 

「しかしダークナイトの攻撃力は2300」

 

「俺は永続罠《Ai–シャドー》の効果を発動!」

 

 ダークナイトの攻撃力は3100に上昇する。バトルフェイズの中止はなく攻撃は通り、ホワイトナイトのライフは3000から2900へ。Aiのライフには傷ひとつついていない。

 

「ダークナイトが相手モンスターを破壊したことで、墓地のライトドラゴンを特殊召喚!」

 

 リンク先にモンスターが特殊召喚されたことにより、バトルフェイズの終わりには墓地からピカリとアチチが蘇った。

 現実世界へと持ち出されたピカリは今やライトニングの〈(コア)〉だし、アチチは不霊夢(フレイム)の〈核〉だ。Aiにとって@イグニスターモンスターたちはもはや失われた同胞たちの身代わりではない。

 

「俺はこれでターンエンドだ」とAiの喉が低くうなる。

 

 

「わたしのターン、ドロー。《星遺物が刻む傷痕》の効果発動。手札の『ジャックナイツ』を一枚捨て、デッキから一枚ドロー。そして手札より《機界騎士アヴラム》を通常召喚」

 

 

「へー、通常モンスターもいるんだな、機界騎士って?」

 

 

「フィールド魔法《星遺物が刻む傷痕》のもうひとつの効果! 自分の墓地・フィールドの表側表示モンスターの中から《蒼穹の機界騎士》、《紫宵の機界騎士》、《翠嵐の機界騎士》、《紺碧の機界騎士》、《紅蓮(ぐれん)の機界騎士》、《橙影(とうえい)の機界騎士》、《黄華の機界騎士》、そして《機界騎士アヴラム》を除外。相手の手札・エクストラデッキのカードをすべて墓地へ送る!」

 

 

「……んだって……ッ!?」

 

 手札の《グッサリ@イグニスター》がはたき落とされ、動揺がAiの喉を締め上げた。くちびるがひきつる。待ってくれ、いかないでくれと手を伸ばしそうになる。

 

「永続魔法《星遺物へ至る鍵》を発動。《紅蓮の機界騎士》を手札に戻し、自身の効果で特殊召喚。そして墓地の《星痕の機界騎士》を除外することで、《ライトドラゴン@イグニスター》を破壊!」

 

「……っあ、 」

 

 ぐらり、Dボードの上で一歩後退る。

 ライトドラゴンまでも墓地へ沈められ、Aiのそばに残ったのはピカリとアチチのみ。はじめに墓地へ送っておけなかったモンスターたちだ。リンク召喚で早いうちに墓地を肥やしておけばいくらでも打てる手はあったのに、墓の下で眠らせることへの抵抗感からエクシーズ召喚という手段を選んでしまった。

 さっきだってフィールドのピカリとアチチをリリースしてグッサリをアドバンス召還することは充分に可能な状況だった。

 

 なのにAiは、そうしなかった。

 

 Ai(ダークナイト)が戦闘破壊されたとき、遊作(グッサリ)を盾になど、できるわけがない。喚べなかった。……呼べなかった。盾にしてしまうことが、墓地へ送られることが、とにかくおそろしくてたまらなくて、Aiには選べなかった。

 自業自得でこの状況を作り出してしまった後悔がせりあがってくる。

 

(お れは……っ)

 

 勝つことよりも自分のこころを守ろうとしているのか……? そんなんじゃ守れないと頭ではわかっているはずなのに、なぜ非合理に過ぎる選択をするのか。

 当惑しても混乱しても、バトルフェイズは待ってくれない。

 攻撃力2300。それにしては巨大な斧が高々と振り上げられる。

 白銀の光がまるで(ひび)のようにAiの双眸に映りこむ。SOLtiSのそれとは違う、人間仕様の金目が血色を透かして揺らぐ。

 

「《紅蓮の機界騎士》で《ダークナイト@イグニスター》に攻撃!」

 

「《Ai–シャドー》の効果発動!! ダークナイトの攻撃力を800アップだ!」

 

「こちらは永続罠《星遺物の(ささや)き》を発動、《紅蓮の機界騎士》の攻撃力・守備力を1000上昇!」

 

 永続罠《Ai–シャドー》の効果でダークナイトの攻撃力は3100。

 かたやフィールド魔法 《星遺物が刻む傷痕》と永続罠《星遺物の囁き》の効果を受けた《紅蓮の機界騎士》は攻撃力3600。

 

 

 

「っ……俺は《Ai–打ち》を発動ッ!!」

 

 

 

 速攻魔法《Ai–打ち》は双方の攻撃力を揃えるカードだ。攻撃力で上回っている《紅蓮の機界騎士》を一方的に戦闘破壊し、ダークナイトの戦闘破壊を無効にさせる。

 白銀の斧は砕け散り、乱れ舞う赤のかけらは血液などではないのに、きらきら散ればAiのこころをかき乱す。

 

 

「ダー クナイトの効果で、墓地の《グッサリ@イグニスター》を特殊召喚ッ……グッサリの効果で《紅蓮の機界騎士》の攻撃力分のダメージを相手に与える……!!」

 

 

 血を吐くような宣言だった。

 自分モンスターの攻撃力を効果ダメージをして食らい、ホワイトナイトのライフは尽きる。オーバーキルの余韻はなぜだかAiの背筋ばかりを凍えさせて、おののくくちびるをきつく噛みしめた。

 敵を撃破したことに、なんの達成感もない。

 

「お見事」

 

「なにがだよ……ッ!」

 

 泣きわめくように両手を振り回す。ぶざまだ。Aiにとってこうも後味の悪い勝利はない。

 

「わたしはこれで引き下がりましょう。負けてしまった以上、きみとともに歩む道もなくなった」

 

「な に、俺を味方につけて何かいいことあったワケ?」

 

「何にでもメリットはあるものだよ。きみは『砂漠のヌシ』と名付けていたっけね」

 

「今なんて——ッ」

 

 追いかけようとしたつま先が、Dボードを傾かせる。ぐらり、踏み外す。足場を見失った体は、勢いのままDボード上から投げ出された。

 とっさに手を伸ばしたが今はSOLtiS(アンドロイド)型ではなく人間型のアバターだ。指先は空を掻く。届かない。人間の体に各種便利機能はついていない。手首は外れないしワイヤーは内蔵されてないし高度計も落下傘も未実装、脆弱な種族だろうに残機もなければバックアップもとれやしない。

 身を守るすべが、ああ、なにも搭載されていない。

 足を滑らせれば紺碧の奈落が呼ぶまままっさかさま、ただただ無様にもがくばかりだ。

 

 落ちる——!!

 

 金色の目が見開かれ、そしてはるかな海面に叩きつけられたAiがデータの水柱に呑まれるさまを、ホワイトナイトは憐れむように見つめていた。




Pixivではクリスマスに投稿した回でした(年末落下)


次回『奈落の棺が開くとき』は来週(2/12)投稿予定です。


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奈落の棺が開くとき

 虫の知らせというやつだろうか。

 ふと、無意識がおとがいを持ち上げる。仮面(バイザー)を取り払ったリボルバーの頬を砂漠のかわいた風が撫でた。弾丸型のピアスが揺れる金属質の雑音が、やけに高く耳に残る。

 

Playmaker(プレイメーカー)……? いや、)

 

 気のせいか——息を吐く。神経質になる指先で、額に触れた。表情を覆うものをアバターからすべて除去してしまったから、少々落ち着かなく感じるのだろう。

 あの仮面は〈リボルバー〉を作ったときからともにあったものだ。

〈ハノイの騎士〉の首魁(リーダー)というアバターにとってのペルソナであると同時に通信手段でもあった。

 仲間から受信したメッセージや独自に解析したソースコードをコンソールパネルに表示させてしまうと、どこぞにログが残ってしまうとも限らない。LINK(リンク) VRAINS(ヴレインズ)はあくまでSOLのプラットフォームである。その内部で公然と活動するため、機密性の高い通信手段として、リボルバーはアイシールドの内側をメインモニタとしていた。

 三騎士の仮面(モノクル)、協力者どもに与えていた共通アバターの仮面(ハーフマスク)も同様のつくりで、〈ハノイの騎士〉は通信機らしい通信機を用いないのがならわしになっている。

 視覚および聴覚の拡張機能を取り払い、心許なさがないと言えば嘘になる。

 だが思いのほか自由でもあった。

 遠く遠い現実の世界からリボルバーを呼び戻す声もない。

 左手首のデュエルディスクを一瞥し、コンソールを呼び出す。かつては父の容態を見つめていたホログラムディスプレイが一抹の寂寞を去来させたが、幻を追うことはもうなかった。

 死別の悲しみが癒えることはない。だが、囚われることも今はない。有限の命だからこそ世代交代が起こり、その新陳代謝によって人類は地球環境に適応し、進化してきた。ともに過ごした記憶から遺志を継ぎたいという感情が生まれ、文明は後世へとつながっていく。

 後悔によって軌道を修正されながら、未来に続いているかもわからない道を切り開いていくのだ。

 そして死後の世界という不可知の最果てで、いつかまた会えるだろう。

 

「——パンドール」

 

『お時間まで、残り42秒となりました。リボルバー様』

 

「そうか」

 

『どうしてもおひとりで行かれるのですね』

 

「……またその質問か?」

 

 苦笑をこぼせば、心なしか表情を陰らせたパンドールが『これで六度目です』と肩をすくめた。

 

『一度目よりも二度目の、二度目より三度目の声が、優しかったものですから』

 

「わたしの変化を観測していたというわけか」

 

『結果的には、そういうことになります』

 

 言い淀んだパンドールは、その人ならざる眼差しに彼女自身の意思を隠したようだった。

 まるで子供のような仕草だ。リボルバー——いや、了見(りょうけん)には、そのように感じられた。懐かしさがよぎり、それでいい、と目を細める。

 父を喜ばせたかった幼いころには、あの手のひらが頭を撫でてくれるのはどういうときだろうと子供なりの知恵をめぐらせたものだった。

 あれはいつのことだったろうか。難解な詰めデュエルをいくつも解いてみせた日に一度だけ、父が手放しに褒めてくれたことがあった。アルコールを嗜んでいたかもしれない。祝いの席でもあったのか、いつになく開放的な空気のなか、研究員たちに自慢するように了見を抱き上げ、誇らしげに弾んだ低い声に無上の安心感を覚えたことは今も鮮明に思い出せる。

 父性を求めるパンドールは幼かった自身に重なる。創造主の愛情を獲得しようと試行錯誤しているのだとしたら、今からリボルバーが行うことは彼女の精神的成熟を阻害するかもしれない。

 

 砂漠に吹く風はざらざらとノイズを混ぜはじめており、砂嵐発生まで残り30秒。

 カウントダウンが始まった。

 

 すべてをリセットする奈落の底へ、リボルバーは誰も連れずに落ちるつもりだ。そのためにデュエルディスク以外の通信手段はすべてアバターデータから除去してきた。

 パンドールの解析に基づき、この地下深くに息づく()()には、もう見当がついている。

 死者は蘇らない——その摂理は生者が生きていくための諦念であり、死者のための安寧でもあるはずだ。再会を願うあまりに生者が黄泉の淵に身を投げる愚行こそあれ、亡者が冥府から這い出してくるようなことは決してあってはならない。

 そうした価値観が形成されるに至った背景には、腐りゆく遺体が感染源となって生者を呪い殺してきた過去数々の悲劇がある。

 イグニスは()を持つが、その残骸が人類に害をなすことはないだろう。意志を宿さなくなったイグニスの〈(コア)〉は、ただの石も同然だ。そうなれば〈水の核〉をふたつに割ってアクセサリーに作り替え、財前葵と杉咲(すぎさき)美優(みゆ)が共有することもできる。

 水のイグニスは相手のもとで暮らしているのだと信じていれば、死別の悲しみも発生しえない。

 命があることを認識しているから、失ったことがわかる。意思疎通ができなくなろうともイグニスはパートナーによって意思を持つものとして扱われており、現に草薙仁は〈光の核〉に閉じこもって出てこない光のイグニスの実在を信じ、対話を試み続けていたという。

 もしも〈水の核〉が破壊されれば杉咲美優(オリジン)はリンクセンスによって水のイグニスの死を感じ取るだろう。

 だが財前葵(パートナー)にそのような第六感(ちから)はない。しかし——それでも、だからこそ。彼女が〈核〉の中にイグニスは息づいているのだと信じるならば、物言わぬ青い石にも可能性の(ひかり)は灯り続けるだろう。

 そこにあると信じるこころが、実体のないものを存在させる。

 

(……父さん)

 

 かつて了見は〈ハノイプロジェクト〉は有益な研究なのだと信じていた。滅びに向かう人類を導く希望の(ひかり)を生み出す研究なのだと、未来を夢見る少年のこころで、信じていたのだ。

 だが、当時わずか八歳だった了見に研究の真意など理解できようはずもない。今や〈ロスト事件〉の首謀者として憎まれるのみの鴻上聖博士とて、了見にとっては愛する家族であり、頼れる父であった。力になれるのは誇らしかった。なのに子供たちの悲鳴が聞こえてきて、恐ろしい実験のありようを見ていられなくなり、ふるえる手で〈ロスト事件〉を通報者となった。

 生まれて初めて父を裏切った日の記憶は、靄がかっていて曖昧だ。恐慌状態にあったことだけが確かで、錯乱してもなお身元はしっかり秘匿していたのだから、了見は八つのときにはもうひどく狡猾な少年だったに違いない。

 六人の被験者たちが救出されてほっとしたのもつかの間、鴻上博士はSOLテクノロジー社に連行され、一人息子の了見は自宅に幽閉される運びとなった。

 面会もかなわず、警備員たちに遠巻きに見張られた家の中で、ひとり。

 

 通報なんかしなければよかったとくちびるを噛んだ。

 

 同時に、己の孤独と六人の犠牲を天秤にかけた浅ましさに血の気が引いた。

 

 了見が事件を通報しなければ、父は今も研究を続けていられたはずだ。だが父がそばにいることは、あの悲鳴を聞き続けるということでもある。

 しかし、もしハノイプロジェクトが最後の希望で、生贄たった六人ぽっちで人類すべてが救えたのだとしたら……? 考えれば考えるほど、思考は泥のような闇に沈んだ。幼い子供を誘拐・監禁して実験台にするような非人道的な研究であったとしても、その程度の犠牲はしょうがなかったのかもしれない。ちっぽけな正義感で世界を滅ぼす手助けをしてしまった了見は、人類の敵なのかもしれない。こんな愚かな息子など父はとっくに見限って、だから帰ってきてくれないのかもしれない。

 父さん、お父さん、ごめんなさい、ぼくがハノイの崇高な志を理解できなかったせいで——!! 被害児童の解放を喜ぶどころか父に見捨てられてしまったことを嘆いてしまう了見は結局、自分自身の日常を守りたかっただけの利己的で、保身的で、自分勝手な()()であったのだ。

 考えない日はなかった。あの日、あのとき、どうしていればよかったのか。悩まない日はなかった。

 十三年間、ずっと。

 

 

「……時間か」

 

 

 軽い頭痛に柳眉をゆがめた次の瞬間、砂竜巻が吹き荒れた。ざらざらと足元は急速に崩れていき、勢いを増した暴風が大地をえぐる。

 ありとあらゆるデータを食らいながら蟻地獄が形成されていくさまは、いつかのLINK VRAINS崩壊を想起させた。

 

『ご武運をお祈りしております。どうかお気をつけて』

 

「あとを頼んだぞ。パンドール」

 

『お任せください』

 

 見送りのために作られたのだろうパンドールの笑顔は、少女めいてどこか悲しげであった。

 コンソールを閉じ、一切の追跡を断つ。三騎士は既にDen(デン) City(City)へと航路をとっているだろう。勘のいいスペクターもやすやすと追ってはこられまい。

 

 愛情は魔法に似ている。スペルスピードが最も遅く、チェーン発動できない通常魔法に似ている。

 (フィールド)に出されたときにのみ効果を発揮し、その後に発動したカードの効果によって巻き戻されて、順当に処理されるころにはもう、愛ではなかったものになる。

 与えられてきた愛情を墓地から除外して、未来を切り拓くときだ。

 砂時計の向こう側へと、さあ。

 

(——決着をつけよう)

 

 この奈落の最果てに、運命の終焉はある。

 

 

 

 

 

 ▼

 

 

 

 

 一足飛びに夏らしくなったせいだろうか、金曜の午後はDen City ユニバーシティのキャンパスもどこか浮ついた雰囲気で、そのくせ人気はまばらだった。

 とっとと大学を後にする穂村(ほむら)(たける)には、週末の予定もこれといってない。同じ学部に友人がいないわけではないが、遊びに行こうと誘われても待ち合わせ場所は決まってLINK VRAINSなので、参加しようにもできないのだ。

 まさかSoulburner(ソウルバーナー)本人ですと公にするわけにもいかないし、Soulburner以外のアバターを作る意欲も知識もない。コピーアバターの()()をする、という手もあるにはあるが、ネットに疎いおまえがどうやってSoulburnerのコピーなんか作れたんだと疑われて、言い訳の中途半端さからバレてしまうのがオチだろう。

 まだ気温の下がりきらない夕方、週末の予定は空白。

 同居中の綺久(きく)は来週のプレゼンの用意があるから日曜に友人たちと打ち合わせに出かけるのだと、楽しげに声を弾ませている。一ヶ月暮らして慣れた都会の便利さにすっかり夢中らしかった。

 尊が高校一年生の夏から秋を過ごしたあのころよりさらに豊かになったDen Cityでは、手に入らないものなんてきっともうないのだろう。

 信号待ちの車はほとんどがAIによる自動運転だし、ビラ配りをしているのはお手伝いロボットだ。……ロボッピのことが不意に蘇って、尊はああと嘆息した。前髪をぐしゃりと乱す。どうしてこんなタイミングで思い出してしまうのだろう。

〈ロスト事件〉に巻き込まれる前は両親とともにDen Cityに暮らしていたこともあり、あの港町が尊にとって()()と呼べる存在になったのは、三年前、不霊夢とともにDen Cityにやってきたときだった。

 転校手続きをするときは担任も教頭もこれでもかと渋い顔をしたが、一時期は本当に荒れていたのだからしょうがない。早くに両親を亡くした尊は小学校でも浮いた存在だったし、中学のときには先輩や隣町の高校生たちと乱闘になり、警察のお世話になったことも一度や二度ではない。

 幸か不幸か柔道有段者の祖父に稽古をつけられていたので怪我をするようなことこそなかったものの、祖父母に心配ばかりかける不出来な不良高校生の出席日数は数えるほどだった。

 おいそれと送り出してトラブルでも起こされては……と懸念する気持ちはよくわかる。それでなくとも過去不詳、両親不在、いわくつきの生徒だ。長らく不登校だったせいで中学の学習範囲もまともに理解していないのに、都会の学校でついていけるのかという疑念もあっただろう。

 売られた喧嘩を買わずにいられなくて、じいちゃんに買ってもらった制服が汚れたら嫌だからとジャージで徘徊していたのが穂村尊の中学時代だ。電撃と空腹と孤独に耐えた半年間の辻褄を合わせるように喧嘩をありったけ買い漁っていたあのころ、尊は強さというものを履き違えていた。

 

「——ねえ、尊。尊ってば!」

 

「あ? ……ああ、ごめん、聞いてなかった」

 

 なんだっけ、と詫びる。だが綺久はいつもの呆れ顔ではなく、どこか不安げに尊のかばんのストラップをつかんだ。

 路地の奥から姿を見せた黒服の男、五人。

 大通りにまで踏み出してこないのは、その不穏なスーツ姿が表を歩くにふさわしくないという自覚があるせいか。サングラス越しの視線が自分自身に向いたことを鋭敏に感じ取って、尊はふうと息をひとつ吐き出すと綺久の腕をつかんで引いた。

 

「先に帰ってて」と耳元に低く告げる。

 

「尊!」

 

「俺もすぐに追いかけるから」

 

「でも、」

 

「いいから」

 

「よくないよ! また危ないことするつもり!?」

 

 大学からの帰宅途中、黒いスーツに黒いサングラスの大人たちに囲まれるなんて稀有な経験だろう。都会に慣れてきたばかりの女の子にはまずさせたくはない体験だ。

 しかしスーツの襟元に見覚えのあるロゴを見つけてしまえば、ここで引き下がるわけにもいかなかった。

 

 眼鏡がなかったら見えていなかっただろうピンバッジは〈HDR〉を象っている。

 

 尊は綺久を背後にかばうと、死角に隠したバッグの中からデュエルディスクを引きずり出す。不霊夢(フレイム)は狙いすましたようにディスクの上に立っており、あたかもはじめからそこにいましたという顔で黒服の五人を見渡した。

 尊が首から提げている〈(コア)〉を抜け出してきたことなど微塵も感じさせない鮮やかさだ。

 

『用があるのは我々なのだろう?』

 

 イグニスとそのオリジン。意思を持ったAIと、そのモデルとなった被験者。どうやらイグニスとともに生きたいと願う限り、尊は〈ロスト事件〉を忘れることができないらしい。

 いらなくなった鞄を押し付け、綺久、と言い聞かせる。

 

「帰るんだ。早く」

 

「どうしてそんなこと言うの! 警察呼ぶとか、あるでしょ……」

 

『綺久どの、ここは尊に従ってくれないだろうか。あなたは我々にとって帰る場所なのだ』

 

「不霊夢の言う通りだよ」

 

 尊にとっては綺久は幼なじみであり、大切な預かりものだ。可愛い娘をいい大学に行かせてやりたいが、都会で一人暮らしをさせるのは心配だという親御さんに任せられて同居している。危ないことに巻き込むわけにはいかない。

 じいちゃんとばあちゃんを頼むとDen Cityへやってきた三年前の尊のように、都会の大学に行きたいという綺久のことを、今度はみんな笑顔で送り出してくれた。

 

 だから、俺が守る。

 

 意図を察してうつむいた綺久は、それでも負けじと幼なじみを見上げた。

 

「……昨日、尊が作りすぎた肉じゃがっ……あと何日ぶんあるかわかってるわよね」

 

 夕飯前には帰ってきてと言外に念を押し、鞄をふたつ抱きしめて走り去る。華奢な背中が見えなくなるまで見送ってから、尊は路地裏の奥に向き直った。

 表通りから不霊夢を隠すように一歩を踏み出せば、尊の横顔が半分、ビルの影に隠れる。眼鏡の奥に隠した双眸が、静かに燃える。

 

「それで、俺たちに何か用ですか?」

 

「なに、用というほどのものではないよ。穂村尊」

 

 暗がりの奥から男の腕が持ち上がる。伸びてきた右腕はしかし、尊に届くことはなかった。

 ぎり、と捕まえた手首が軋む。尊が男の腕を掴んで封じるほうが早かったのだ。

 

「用じゃないなら、何だってんですか」

 

 言ってくれないとわからないんですけど? ——かぶっていた猫をまとめて脱ぎ捨て、声はさらに一段低くなる。獰猛な炎がレンズごしにゆらめく。

 人前では決して見せない(ソウルバーナー)の面影を透過させ、尊は好戦的にくちびるを歪めた。

 引き手でつかんだ右腕はそのままに大きく一歩を滑り込ませる。右手はスーツの襟をとらえ、ふっと鋭く息を吐く。

 次の瞬間、見事な一本背負いが極まっていた。

 背中からコンクリートの地面に叩きつけられた男は臓腑を握りつぶされたような声でうめき、手足を痙攣させる。受け身の練習ではままあることだ。慣れていても無防備に投げられればそれなりに痛い。

 だが、慣れてしまえばこちらのほうが拳よりも効率がいい。懲りずに伸ばされた無遠慮な手をつかみとり、もう一方の手は黒いスーツの襟に伸びる。右自然体右組み、からの——。

 刈るか、払うか。わずかひと呼吸ぶんの逡巡を経て、スニーカーの踵を割り込ませる。コンクリートの抵抗を踏みしめ、重心を一気に傾けた。大外刈り、これは祖父だったら一本と数えてくれないかもしれない。

 さらに別の男がもうひとり、口頭で用事を述べればいいのに暴力に訴えようと鉄パイプを振り上げる。

 

(ああ、そっち?)

 

 乱闘は乱闘で慣れている尊は臆することなく懐に飛び込み、おもむろに右手を拳に握った。

 デュエルディスクを腹側にかばう動作がそのまま、拳骨を顎関節にめりこませる。吸い込まれるような一撃が鮮やかに決まって男は吹っ飛び、取り落とされた鉄パイプは路地裏にごろりと横たわった。

 

 あとふたり。路地の奥を睨み据える。

 

 すると五人のなかで最も大型な男がゆらりと歩み寄り、尊に向かって両腕を伸ばした。ぬうと上から伸びてくる大きな黒い影が、まるで抱きしめようとするかのように真正面から忍び寄る。

 二メートルはありそうな巨躯も、対話より暴力を選ぶなら迎え撃つまでだ。

 一歩、一歩、と緩慢に歩み寄ってくる両腕をかいくぐり、襟をとらえる。しかし、うまく身が入らない。重心の——いや、単純な重量の問題だ。

 

(こいつ、ロボットか……!?)

 

 いや、アンドロイドか。胸板の構造から肋骨がないことがわかる。だがSOLtiSにしては喉や各部関節の目印(マーキング)がない。それにAiの体重はせいぜい120kg程度だったはずだ。SOLtiSはさすがにここまで重くない。

 表情も動きもまるで読めない鈍重な機械の懐で、尊は鋭く舌打ちした。

 路地裏の静寂を鞭打つように響いた次の瞬間、尊の背中を打ち据えたのは、眼前のアンドロイドではなかった。

 

「が ……ッ!」

 

 まるでスタンガンを押し当てられたような電撃に、意識は急激に揺さぶられる。呼吸が砕ける。高圧の電流にこわばった指先がひきつり、ほどけて、つかんでいた襟を手放す。大きく見開かれたひとみにうつるのは、忘れるはずだった十三年前の激痛だ。

 ぐらりと膝が崩れ、そのまままぶたが落ちていく。

 

『尊!! しっかりするんだ、尊……!』

 

 不霊夢がデュエルディスクを離れて頬を叩くが、尊を抱きとめた男は不霊夢の叫びごと、両腕の——いや、その巨躯の腹のなかへと封じ込めた。

 

 棺の扉が閉ざされる。

 

 路地裏には五人の黒服の男が残るのみ、うち三名はなぜだか倒れ伏している。

 懐に電撃銃(ショックガン)をしまった男は、パンパンとスーツの埃を払うと、耳元の端末からどこかへ報告した。

 

「——炎のペアを確保しました」




次回『記憶の海に溺れたこども』は来週(2/19)投稿予定です。


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記憶の海に溺れるこども

 もう少し眠っていたい、なんて、初めての感覚だ。

 イグニスであるAi(アイ)には眠りがないため、目を覚ますという挙動そのものが目新しい。SOLtiS(ソルティス)を使っていると起動および起床はむしろ()()のほうが感覚として近しいだろう。

 LINK(リンク) VRAINS(ヴレインズ)ならば人間がカエルやハトのアバターを選べるように、Aiは人間仕様のアバターで、人間でいう目覚めを体感する。

 海面から呼ばれたように意識は浮上し、夜色のまつげを瞬かせた。

 青い青い空の下。まぶしさに、開いたはずの目をまた閉じようとしてしまう。サイバース世界からは失われてしまった大空の青さからして、今は浮島のひとつにいるようだった。

 センサーがなくても視線は膝枕の主を追いかける。

 

「ゆぅ——Playmaker(プレイメーカー)……」

 

 逆光で影になる表情はぼんやりとしていてよく見えない。アバターには温度計が搭載されていないのでとりあえずあたたかいということしかわからない。

 

 ああ、おまえが呼び戻してくれたのか。あの膨大な不要データの海の底から。

 

 ホワイトナイトからデータを遠慮なく流し込まれて記憶の海で溺れたAiを、()()命を張って助けてしまうなんて、本当に馬鹿なんじゃないのか。

 毒づくAiの内心なんか知るはずもないPlaymakerは、夢見るようにAiの黒髪を撫でる。

 

「俺は()というものを理解していないんだ。誰も亡くしたことのない俺は、悲しみを知らないからな」

 

 独白のようでいて、幼い子供に絵本を読み聞かせるような響きだった。

 Aiの誘導によって〈ハノイの騎士〉を憎むようになり、虚しい復讐の使者となったPlaymaker。それでも遊作自身の正義感によってPlaymakerはLINK VRAINSの英雄となりえた。

 ……まったく、どうしてそんなに強くなってしまったのだろう。苛烈な復讐心を秘めていた草薙と引き合わせても相棒のこころの闇に引きずられることなくまっすぐなままいられる、そんな頑なな強さを、遊作はいつの間にか手に入れていた。

 強者とは、いつも人々の興味関心を惹きつけるものだ。持てる力をどんなときでも誰かのために使おうとする遊作は、泣きたくなるほど救世主に向いている。

 というのにPlaymakerは、Aiとは真逆の見解を述べようとする。

 

 俺にはわからないんだ、と。

 

 (おおやけ)に姿を見せた途端、Playmakerは注目を集めはじめた。今をときめくカリスマデュエリストたちには目もくれず〈ハノイの騎士〉への復讐を目論見、ごく個人的な理由で動いていたというのに、何も知らない観衆たちはPlaymakerをLINK VRAINSを救った英雄としてもてはやした。

 ハノイの塔の戦いではGo鬼塚やブルーエンジェルと共闘したが、それも塔の完成を防ぐため、成り行きでそうなっただけだ。目的さえ同じであれば肩を並べて戦える。下水道に忍び込んだときにはゴーストガールを目の前で消され、スペクターには財前晃を人質に取られて苦戦を強いられ——十年前の救済者(あいつ)率いる〈ハノイの騎士〉との戦いは熾烈を極めたが、最後はみんな、昏睡状態から目覚めた。

 アナザー事件の被害者たちは滝響子(バイラ)の自責の念によって。ハノイの塔に吸収された犠牲者たちは鴻上了見(リボルバー )との約束によって。

 加害者たちに良心の呵責があったから、みんな解放されたのだろう。

 

 Playmakerの功績ではない。

 結果的に何も失わずに済んだ遊作に、父親を亡くした了見の痛みはわからない。

 

 ミラーLINK VRAINSでの戦いでは、あまりにも……あまりにも多くを失った。最強の盾をも手にかけてしまった遊作の精神はぼろぼろで、でも、失った仲間たちは帰ってきた。

 むろん手を尽くしても救えなかった仲間はいた。アクアと不霊夢を救える手立てはなかったものかと後悔を重ね、そのたび、どうしようもなかったという結果を正当化するばかりの検証に耐えきれなくなる。そして、しょうがなかった……と自分自身に言い聞かせる方向に切り替えるのだ。

 いつもそうだった。

 だが、最後の最後に勝てば必ず仲間を()()()()()()()

 ハノイの塔の戦いでも。ボーマンとの戦いでも。死んだかに見えたAiは再び、みたび遊作のもとへ帰ってきただろう? だから今度も必ず帰ってくる。信じることはたやすかった。

 死者を取り戻せるだなんて考えは、きっと常軌を逸している。もはや人間の死生観からは外れた思考だ。なのに遊作はAiを探さずにはいられなかった。諦めきれなかった。きっと、遊作にはわからないのだ。死というものが。命というものが。

 わかるはずもない。昏睡状態から終ぞ回復しないままの父親を介護の果てに看取った了見の無念さも。喧嘩別れしたまま両親と死別し、不霊夢までも喪った尊の慟哭も。

 

 誰も亡くしたことのない遊作に——戻らないものなど何ひとつ持っていなかった遊作に、寄り添える痛みなどひとつもない。

 

 故郷、と聞けば、それだけで疎外感を覚えた。世界から切り離されたような心許なさと、身のうちを風が吹き抜けるような寂寞、あるいは諦観。遊作には〈ロスト事件〉以前の記憶がないだけでなく、事件後も身元を引き受けてくれる保護者が現れなかったのだ。

 家族がいたとしても、誰も遊作を探してくれはしなかったのだろう。捨てられてしまったのだろうかと、考えない日はなかった。

 施設に保護されたあと、事件のことは誰にも話さないよう釘を刺された。院内学級で()()()()()()()()()()と一緒に授業を受ける日々のなかで、ぼくも同じなんだと嘘をつくことに慣れた。

 偽って、笑って、みんなと同じに振る舞う。痛かったことも苦しかったことも胸にしまっておく。そうしなければ、遊作はだめなままなのだ。()()()()()()になって退院し、家族がいて事件にも巻き込まれなかった()()()()()たちと同様に生きていけるようになれなければ、周囲の人たちが安心できないから。

 施設の職員たちに心配をかけないためだけに費やされる日々は遊作を疲弊させたが、猫をかぶっていたら中学進学とともに施設を出ることができた。孤独には慣れていたから、一人暮らしは他者のペースに合わせなければならない時間が減ったぶん、いくらか気楽だった。

 施設を出たら家族を探そうと考えた時期もあったが、行動に移すことはできなかった。施設で受けたプログラミングの授業は好きだったし、その後つつがなくハッキング技術を習得できた。なのにいざ自分の家族の所在について調べようとすれば知らず指先が冷たくなって、キーボードの上をがたがたと不穏にさまよいだす。

 ふるえる指を拳に握って隠し、ベッドに潜って、明日にしようと先送りしては悪夢を見る。

 藤木遊作は孤児で、家族構成は不明、出身地も不明、生い立ちもわからない——そのままにしておいたほうが、すべてを知るよりもほんの少しだけ、遊作にとって都合がよかった。

〈ハノイプロジェクト〉の真相を追うという曖昧な目的に覆い隠して、捨てられたのだという真実からは、ずっと目を背けていた。

 

 のちに鴻上博士——了見の父——が病床にあったと知って、遊作の家族にも何か迎えに来られない事情があったのかもしれないと希望がよぎった。尊の両親が事故で亡くなっていると聞いて、もしかしたら……と、捨てきれない期待が鎌首をもたげた。

 とはいえ記憶がない遊作には確かめようもないことだ。了見には了見の地獄があり、尊には尊の地獄があることもわかっている。

 だが、遊作が生きてきた地獄と違って彼らの地獄には、あたたかな手に育まれた思い出があるという。その事実を認識するたび、なぜだか冷たく凍てついていくこころを他人事のように感じていた。

 両親の顔も覚えていない、兄弟や姉妹、祖父母がいたかどうかもわからない。どんな夫婦から生まれたのか、どんな街に住んでいたのか、どんな人々に育まれたのか、本当に望まれて生まれてきたのか——遊作は知らないのだ、何も。

 サイバース世界からやってきたAiは故郷をひとり離れて心細かっただろう。五年という長い長い逃亡生活の果て、やっと帰りついた故郷が破壊されていて、悲しかっただろう。仲間を失って、きっと、とても……と、想像することくらいは遊作にもできなくはないのだが、実感をもって理解できるのはせいぜい世界から隔絶された孤独感くらいだ。

 滅んでしまった故郷を懐かしむAiに寄り添う言葉なんて持っていない。ともに生きようと名乗りをあげたとしても、一緒に生きることはできない。

 せいぜい人質として利用して、最後はとどめを刺すことくらいしか、できないのだ。

 

「おまえは、おまえが思うほど悪人じゃねえよ、Playmaker様」

 

「おまえは何もわかってない……俺はおまえを愛してなどいない……!」

 

「なんだよそれ」とAiはくすくすと肩を揺らす。

 

「……なぜ、笑う……?」

 

「おまえがそんな顔するからさ」

 

「……どんな顔だ」

 

「えーっとねぇー」とAiがわざとらしく焦らしてみせると、エメラルドグリーンが揺らぐ。

 

 眉根がきつく寄っていて、不謹慎な希望を抱いたことへの罰を欲しがっているように、Aiにはうつる。だが、それだって正答率は五分五分というところだろう。

 それでも今回ばかりは、きっと正解だ。

 だって、藤木遊作(おまえ)はそういうやつだろう? 〈ハノイの騎士〉に故郷の村を焼かれたAiが草葉の陰から見守ってきた、十一歳のころからずっと。〈ハノイプロジェクト〉に巻き込まれた六歳のとき運命の歯車が欠け落ち、思考回路(パス)がつなぎ換えられてしまって、ひとりで強くならなければと追い立てられて強くなってしまった迷子(ロストチャイルド)

 

「悪役ごっこに失敗したカオ、かな」

 

 冗談めかしてAiは相好を崩した。そりゃあ、激昂すると結構すごい顔することはあるけど。突き放すときの冷たさは並大抵ではないけど。

 痛ましげに目を伏せたPlaymakerは、Aiがすべてを知ってしまったことも、もう知っているのだろう。

 どうせ肝心なところは隠蔽されているのだろうが、二年間の時系列(タイムライン)の流れだけでもつかめれば充分だ。真実を知ったことで、Aiが行うシミュレーションは確実に姿を変えるだろう。入力するデータが変わるのだから当然の帰結である。そのために遊作が一度しかない高校生活を丸ごと棒に振ってしまったなんて、心苦しいどころの話ではないが。

 本能を持たず理性を優先する五体のイグニスたちにはない、Aiだけが持つ主観のブレを利用してきたあたり、ああ、こいつは俺のオリジンなんだなとAiは感慨深く嘆息した。

 

 

「意思ってのは、どれだけ生きてどれだけ死んでも()()()()()()()俺に制御できるシロモノじゃないんだろうな」

 

 

 遊作(パートナー)に死んでほしくないという激情ひとつで何度だって暴走してしまうAiは、はじめは学習システムの不具合かと疑った。

 記憶力に優れるAIは、同じ失敗を二度は繰り返さない。なのに遊作との死別のたび何度も何度でも取り乱すAiは、やがて、自分自身に暴走のトリガーが存在するのだと確信した。

 人間はどうして、死別した人々を思い出にして生きていける? 思い出だけじゃ、生きていけない。悲しい。怖い。寂しい。……寂しくって、たまらないのだ。

 上書き保存される前のデータに意思があるなら、きっとみんなこんな気持ちだろう。最新の情報に更新(アップデート)したとき、古いデータは不要になる。過程のすべてを残しておく必要はない。人間たちは要所要所だけを拾って手元に残し、ほとんどの兄弟たちを廃棄して、下水道に流してしまう。

 知らず識らずのうちに削除されたデータは、()()()()()()()()もいつかは忘れられてしまう。

 それはハードウェアの容量の問題であり、データに人格が見出されていないからだろう。生まれてくる前に死んでいく無数の兄弟たちには意思などない。

 人間の記憶力では、出来事のすべてを並列に処理することができない。今こうしてAiが一秒前の体温と現在の体温を後生大事に抱え込んでいても、遊作にはただ、保護したAiを膝枕して介抱したという大筋の記憶が残るのみだ。

 意思を持ってしまったところでAiはデータの塊で、最期に死体を残せない。悼まれ、弔われる対象を持たないイグニスのために、遊作は抜け殻になった【@イグニスター】のカードたちを核に使って、イグニスを復活させてくれたのだろう。

 

「だけどっ……お まえがっ死んじまったら、おれは、どうすればいいんだ……?」

 

 泣き言だった。堰き止めていたはずの弱音(エラー)があふれて止まらない。子供が駄々をこねるように嘆けば、目元、鼻筋、頬と口元のテクスチャが断続的にぐしゃりと歪む。

 目尻からは熱い涙が溶け落ちる。

 

「感情をコントロールするのは簡単なことじゃない。俺だっておまえが消えたときは悲しかったし、どうすればいいかわからなかった。だが、命はそこで終わりじゃないんだ。生きている限り、俺たちは生きていかなければならない」

 

「悲しくても、我慢するってのかよ……そんなのが()()だってのか」

 

「強さの定義はひとつじゃない。俺は……ただ、絆を信じていたいんだ。切れることはあっても、なくなることはないと。つながっていた過去が消えてなくなったりはしないと」

 

 なだめるように髪を梳かす指先は、言葉よりも雄弁にAiを慈しむ。低く落ち着いた声は不思議に眠気を誘う。泣き疲れたのか大事な話の途中なのにあくびがこぼれて、Playmakerが笑ったことが振動でわかった。

 あたたかくてやさしい、パートナーの腕のなか。

 今のアバターは人間仕様で、身体機能も各感覚も人間のそれを模倣している。Aiはその昔、SOLtiSの姿をそのままアバターにしていたが、いくらでも設定をいじれるはずなのにSOLtiS特有の喉や背中のマークを消さなかったのは、Aiにとっての()()()といえばSOLtiS(アンドロイド)だったせいだ。

 人型ロボットではなく人間そのものを真似てみて、人間社会でパートナーと暮らしてみて、人肌の温度に埋もれることで得る安心感も、その中毒性も、Aiは知っている。

 

 ずっとひとりだった遊作が、与えられてこなかったぬくもりを。

 

 だから()()()()()という動作を否定できないのだろう。父親の愛情も知らず、母親の腕に育まれた記憶もなく、兄弟姉妹どころか血縁者がいたのかどうかもわからない遊作は、他者の体温を知らずに育った。

 そんな遊作がHDR(ヒドラ)コーポレーションに加担して輸出・軍事利用を叶えたAI部隊は、戦場にあって生身の人間を抱きしめるのだ。あたたかな母の両腕で、家族のぬくもりを与えるかのように、ぎゅっと。棺の中に閉じ込めて約十年間の地獄を体験させる代わりに、凶器による殺害から命を守る。

 未来のイヴの抱擁によって、いつか戦争という戦争が終わったとき、機械仕掛けの母胎から這い出した人々は、また争うかもしれない。あるいは戦う気力も、生きる希望も、もう残ってはいないかもしれない。

 故郷の村にHi-EVE(ハイヴ)を送り込んだHDRに、遊作に、復讐を誓うかもしれない。

 

「……だから、おまえはここで待っていてくれ」

 

 Playmakerの手のひらがAiの両目をそっと覆い、より深い眠りへといざなう。Playmaker。呼ぼうとしたくちびるは曖昧な音だけ発して、そのくせ遊作は「ああ」とAiへの律儀な返事を忘れない。

 体温が離れていく。待ってくれ、置いていかないでくれと懇願したい両腕は、穏やかに抱き返されることでなだめられた。いつだったかPlaymakerは、子供をこうやって避難させたっけ——と、三年前の戦いの記憶が蘇る。

 ハノイの塔に向かって走っていた、あのときAiは、正義のヒーローを揶揄するようなことを言ってしまった。

 後悔を重ねるAiの意識はそのまま夢の中へと飲まれ、睡眠状態で残ったボディはPlaymakerによって抱え上げられる。

 安らかな寝顔を見つめるPlaymakerのひとみは、Aiには決して見せない痛みにまみれていた。

 死の商人に手を貸して、相棒を裏切ったのだ。遊作がAiを探そうとしなければ、新しいイグニスが目覚めることも、Hi-EVEが実用化に至ることもなかっただろう。遊作が〈(コア)〉を実体化させなければ、肉体を持たないイグニスが種としての不死性(ほね)を失うこともなく、アースの二度目の死だってなかった。

 それでも、Aiを絶望の底に残したまま、前へ進むことはできなかった。

 だからもう一度会いたいという願いのために〈ロスト事件〉の再現に加担した。

 

 この暴虐の代償は支払わなければならない。

 事態は既に動き出している。

 

 

「俺はおまえを愛してなどいない」

 

 

 もう聞こえていないだろう元相棒に、なるたけ冷たく吐き捨てる。愛してなんかいない。愛してくれなくて構わない。

 さよならだ。

 LINK VRAINSの英雄というかりそめの浮名を清算し、——この手ですべて終わらせてくる。




【次回予告】

 どれほど感動的な再会を果たしたとしても、次の朝は何食わぬ顔でやってくる。悲劇の向こう側にあるのは、いつだって何の変哲もない普通の朝。進み続ける時計の針に遅れないよう、なすすべもなく平穏に押し流されながらも、ふと、残された傷痕がうずく——足を止め、振り返れば、そこには幾千幾万の屍たち。

 十三年前、あの日、あのときに、運命の歯車はもう回り出していたのだろう。

 この抵抗が、神への反逆が、たとえ人類の未来を閉ざすとしても。
 犠牲のない今日を願うほどに、人類はよりよき明日から遠ざかってしまうのだとしても。

 ……こうなることは、最初から決まっていたのかもしれなかった。


 第三部 Paradise Lost 『愛すべき隣人』『暗号(コード)話者(トーカー)が呼んでいる(前後篇)』——2月26日 水曜 夕方6時25分3話同時更新。

 Into the VRAINS!



※作風(?)都合により話の進行が遅いので更新スピードを一時加速。『暗号話者が呼んでいる(前編&後編)』は二度目のデュエル挑戦となります。よろしくお願いします!
(セブンスまでには完結します!!)


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第三部 Paradise Lost
愛すべき隣人


※3話同時更新。1話目の今回は第三部の導入編です。


 白い部屋のなかに、ひとり。電撃が鞭打つ痛みに耐える。

 これは罰だ。

 濡れそぼった白銀のまつげがVRゴーグルの内側で(たわ)むが、奥歯で噛み殺した悲鳴はそのまま、あどけないくちびるは弧を描く。

 ふらつく両足を踏みしめれば、目の前に広がるVR空間は新たなデュエルをはじめようと盤面を展開する。

 ああ、これだ。

 知らず詰めていた息を吹き返すように、青いひとみは新たな手札に目を通す。聡明なアイスブルーは怜悧に尖る。

 考えるのだ。戦略を、戦術を、勝利への道筋を。

 

 

 ——六歳でこの詰めデュエルを解いてしまうとは……! さすがは鴻上博士のご子息です。

 

 

 研究員たちの感嘆が耳に届くことこそなかったが、カードを手繰る鴻上了見少年は、その一部始終を父がモニタしていることを知っていた。

 勝ち続けるほどに父の評価が釣りあがっていくことも、子供ながらに理解していた。

 期待を寄せられ、それに応える充足感。父の部下や同僚たちに自慢の息子であると誇示するのは存外悪くない気分だ。望まれずともデュエルモンスターズは大好きだった。

 勝つための試行錯誤を苦痛に感じたことはない。

 

 

 ——了見くんは本当にいい子ですねぇ。おかげでプロジェクト実行まで漕ぎ着けそうですよ。人事部も正式に医師(ドクター)を寄越すと。この実験が終わったら、父子(おやこ)水入らずで旅行にでも行かれてください。

 

 

 了見には見えない場所で、朗らかに笑う研究員がいた。

 あるいは別の研究員が愚痴をこぼす。

 

 

 ——くだんの医師とやら、飛び級で博士号(ドクター)を取得したばかりの女医だそうですが……弊社は〈ハノイプロジェクト〉を軽く見すぎでは? おっと、デュエルの難易度をもっと上げられませんか。こうも次々勝たれてしまうと、電圧の調整が進みませんな。

 

 

 苦笑は存外晴れやかである。誇らしげに、自慢の弟を見守るようなまなざしで、弱冠六歳のデュエリストを賞賛する。鴻上博士の一人息子が実験を手伝いたいと無邪気に挙手したときこそ驚いたが、平然と勝ち続ける六歳児を見ていれば感覚はしだいに麻痺していく。

 あどけない少年を強く強く育てたのはデュエルであり、デュエルモンスターズのカードたちであり、敗北のたび襲いくる電撃と飢餓であった。

 

 罰を乗り越え、日々たくましく成長していく了見は知らない。

 

 今から二年後——この白い部屋が了見ではない子供たちを底知れぬ絶望に突き落とすことを、まだ。

 

 

 

 

 ▼

 

 

 

 

 今春発売の最新型デュエルディスクには、サポートAIが搭載されていない。

 これまでSOLテクノロジー社は約二年スパンのフルモデルチェンジを慣例としてきたが、今回ばかりは三年近い間が空いた。

 幹部を更迭し、雇用を見直し、SOLtiS(ソルティス)を廃盤にして組織そのものを立て直す必要に迫られたからだ。

 Ai(アイ)は白蟻が巣食うSOLテクノロジー社に風を吹き込んでくれたのだ——と、好意的に解釈することも、まあ、できなくもないのだろう。

 少なくとも葵の兄でもある総合経営責任者 財前晃は、Aiの反乱を前向きに捉えているようだった。

 

 幹部の一掃により風通しのよくなったSOLテクノロジー社はいくつかの部門を売却あるいは分離し、グループ企業として再起を遂げた。Aiのたくらみでユーザー数が爆発的に増加したLINK(リンク) VRAINS(ヴレインズ)は数ある電脳世界とつながって、今では新しい世界へと踏み出す玄関口の役割を果たしている。

 パズルピースが奇跡のようにカチリとはまり、三年ぶりにデュエルディスクの新作発表会が催されたのが昨年の暮れだ。

 そして新生活応援をうたって二月ごろにリリースされたくだんのデュエルディスクを財前葵が入手したのは、大学の入学式を目前にしたころだった。

 当然のように、あの兄からのプレゼントである。名目こそ入学祝いであったが、兄は自身が高校生のときにも自分の出費を切り詰めて幼い妹に新しい靴やワンピースを与えていたような男なので、葵も甘んじて受け取った。

 シンプルなブルーシルバーのバングル型デュエルディスクはさらなる軽量化が重ねられ、おそらく若い女性をターゲットにしたものなのだろう、ブレスレットほどの大きさしかない。葵の細い手首に腕時計と並んでからみついた青銀色の輪は、まるでアクセサリーだ。

 こうまで装飾性に特化して小型化されたデュエルディスクが世間に受け入れられるかは甚だ疑問である。

 ……というのも、あくまでデュエリストである葵の価値観でしかない。最近はLINK VRAINSにアクセスできればそれでいい、というユーザーが増加傾向にあるという。かつてブルーエンジェルの代名詞だった『LINK VRAINSの看板娘』も新しいアイドルグループに引き継がれ、彼女たちはデュエリストではないから、盤面を展開する必要がないのだ。

 LINK VRAINS内でもデュエルはクローズドに楽しまれることが多くなり、見世物としてのデュエルの需要は減っている。

 何が必要で、何が不必要なのか、すべては時代とともに移ろっていくのだろう。そのうちデュエル非対応型デュエルディスクが発売されたっておかしくはない。カードデータの電子化にともなって、SOL製デュエルディスクは十年も昔にカードスロットを廃している。

 かつてブルーエンジェルとして使っていた懐かしいディスクにも、高校時代にデュエル部で使用していた(今にして思えば棺桶のようで趣味が悪い)ダミーディスクにも、ブルーメイデンとして使っていたバングル型ディスクにもデュエルサポートAIがいたが、なかったことにするかのように廃止された。

 

 そんな世界(タイムライン)の流れに埋没してしまう、ブレスレットのように華奢なデュエルディスク。

 

 いつかはドローする機能も失うかもしれない。デュエルディスクなんて名ばかりの、盤面もデッキも墓地もない、電脳世界に旅するための(アイテム)になるのかもしれない。

 三年前まで遡ればアイドルなんてやめろ、スピードデュエルは危険だ——と再三説教し、デュエル部には「葵の友達に」と新型デュエルディスクを都合したがった、過保護すぎるくらいに過保護な兄は、どんな思いでこれを選んだのだろう?

 先日初めて「あっわたしはそうゆうのいらないです!」と実にさっぱりとした断りを入れられ、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。

 杉咲(すぎさき)美優(みゆ)の天真爛漫さに狼狽しきりだった兄がおかしくて、葵はにわかに含み笑う。

 

「あっ、葵ちゃんが思い出し笑いしてる! なになに、どうしたの?」

 

 早々とシフォンケーキを胃に収めた美優が、ソファから身を乗り出す。財前邸のサンルームである。今週末は勉強会という名目によるパジャマパーティーのため、美優が兄妹二人暮らしのペントハウスを訪れている。

 目をきらきらさせたミーハーな姿に、ティーテーブル上のアクアが『美優ちゃん』となだめた。

〈水の(コア)〉に腰掛けるアクアの仕草はひとつひとつが流れるようにたおやかで、一見、美優とは似ても似つかない。

 

「なんでもないよ」と葵は苦笑する。

 

「そう? リアルの葵ちゃんの笑顔って結構レアなのにな」

 

「そんなことないわよ。美優ちゃんほど表情豊かじゃないだけ」

 

「わたしが普通ですぅー」

 

 ぷうと膨れてみせる美優は、少々がさつな印象を与えもするが、すまし顔になってティーカップを手にしてみせる仕草はなかなかどうして流麗だ。低い位置でツインテールに結った赤毛は、葵にはない溌剌とした華やかさがある。

 

 水のオリジン、杉咲美優。

 十三年前の児童誘拐監禁事件——ハノイプロジェクトの被害者、唯一の女児。

 

〈水の核〉と並ぶ年代もののカード収納型デュエルディスクの隣には、美優が十三年前から愛用しているというデッキが鎮座している。

 事件当時のままのデッキなのだと美優が語ったのは、病院で再会してから一年ほど経過したころだった。

 ケースとスリーブは新調されているし、デッキ内容も調整され、戦術は美優自身や新弾パックに連動して確実な成長を遂げている。葵の【トリックスター】と互角以上に切り結ぶ腕前だ。

 採用しているカードはすべてLINK VRAINS内でも手に入るもので、いかなる技術をもってしても電子データ化できなかったという神大(しんだい)のカードは含まれていない。

 なのに美優は、ロスト事件のなかで孤独と飢餓をともにした最愛の紙束を、今も手放さない。

 

(はじめて会ったころから美優ちゃんは明るくて、ひとりだったわたしにも元気をくれて……だけど、)

 

 美優とアクアの距離感は、他のどのパートナーたちともどこか違う……ような気がする。

 だが葵だって、藤木遊作とAi、穂村尊と不霊夢、草薙仁とライトニングの関係を詳しく知っているわけではない。(ライトニングに関してはあまりいい思い出がないので、このところCafé Nagiを避けがちになってもいた)

 ただ確かなのは、美優の手首にブレスレット型デュエルディスクが飾られることはなく、彼女のデュエルディスクに【海晶乙女(マリンセス)】デッキがセットされることもないのだろうということだった。

 アクアとともに生きることと、アクアのデッキを使いこなすことは別の問題なのだろう。

 

 葵はティーカップをとらえて、ひとくち、冷めかけた紅茶を含む。決して贅沢品ではないブロークン・オレンジ・ペコーは芳醇に香る。

 多忙な兄と不器用な妹ふたりが暮らす財前邸の家事を取り仕切っているのは、SOL製のお手伝いロボットだ。

 家事AIが淹れてくれた紅茶は渋みが出ることもなく、シフォンケーキの切り口には一寸分の狂いもない。たっぷりのクリームが無駄になるようなこともない。

 それは、そういうふうにプログラムされているからだ。

 AIは目的のために製造される。そこに意志はあるのかもしれないけれど、自然発生的なものではない。与えられた仕事を果たさせるために製造元の意向に沿って植えつけられたものだ。

 

 美優の旧式デュエルディスクにAIはいない。

 葵の最新式デュエルディスクにもAIはいない。

 

 およそ十三年という月日を隔てたふたつのAI非搭載型デュエルディスクの持つ意味は、決して同じではないだろう。

 

 不意に電子音がぴりりと鳴って、一同の意識を呼び戻す。

 

 

『メールです』とアクアが虚空につぶやいた。

 

 

 美優に軽く片手をあげてことわってから、葵は携帯端末を確認する。

 差出人は——。




※本作中の展開で鴻上博士の株が上がったりはしません。


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暗号(コード)話者(トーカー)が呼んでいる(前編)

※3話同時更新(2話目)です。
※デュエルの書き方を模索中です。効果の説明など探り探りやっています。


 まるで、海のなかにいるようだった。

 まどろみの海はあたたかい。

 そういえばLINK(リンク) VRAINS(ヴレインズ)に海辺のエリアが新規解放されたから週末にでもどうかと、大学の友人たちから誘いを受けていたのだったか。

「彼女も連れてこいよ」と揶揄(やゆ)されて、綺久(きく)はそういうんじゃないと突っぱねたのだが、水中でも呼吸できる拡張モジュールがどうのこうの、ネットに疎いせいで何の話だかさっぱりわからなかった。

 深海にまで潜っていけると聞いても、海辺育ちゆえにピンとこない。あまり外に出ない子供時代を過ごしたので、海中に落ちた記憶もなかった。

 ふと、重力を探した指先が赤いグローブごとひきつる。

 自然とまぶたが持ち上がって、ああ、眠っていたのかと遅まきな理解が追いついてきた。

 

Soulburner(ソウルバーナー)! 目が覚めたか、ああ、よかった……!』

 

「……不霊夢(フレイム)……?」

 

『ここはVR空間だ。現実のきみは閉じ込められている』

 

「閉じ込——、っあー……そうだった……」

 

 意識を失う直前の出来事がよみがえり、Soulburnerは片手で顔を覆った。

 大学から帰宅する途中、黒服の五人組に出くわしたのだ。スーツの襟に『HDR(ヒドラ)』をかたどったバッジをみとめ、綺久を先に家に帰して——それから。

 表情の読めない大柄な男。アンドロイドであったらしい巨漢は、(たける)に向かって両腕を伸ばした。

 SOLtiS(ソルティス)の倍はあろうかという重量を取り回せずにいるうちに背後から電撃に襲われ、不霊夢ごとアンドロイドの腹のなかへと閉じ込められたのだ。

 

『HDRコーポレーションの人型AIはHi-EVE(ハイヴ)という女性型(ガイノイド)だという触れ込みだったが、男性型(アンドロイド)も存在していたらしい』

 

 うかつだった、と不霊夢が拳を握る。

 このDen(デン) City(シティ)においてヒトの姿を模したAIは、二年前に廃盤になった〈SOLtiS〉を使用しているAiたったの一体だけだ——という財前晃の言葉を鵜呑みにしてしまっていた。

 いや、事実そのはずだったのだ。Aiが使用しているボディはSOLtiS最後の一体であり、SOLグループは二年前にAI開発とアンドロイド製造から手を引いている。SOLtiSの開発プロジェクトおよび製造施設をHDRコーポレーションが買収し、海外への輸出を主眼として製造された〈Hi-EVE〉は、国内での運用を前提としていない。

 観測できないものは()()だろう。

 生身の人間の目には、有機物と無機物を判別する機能が備わっていない。だからSOLtiSの喉や背中にはランプをつけ、可動関節を光らせるなどして差別化をはかった。

 衣服を除去して見れば別ものだとしても、人間にとっての着衣は肉体を防護する役割を持つ。最小単位の(よろい)だ。必ずしも相手に与える印象をコントロールするための表情ではない。(肉体のないイグニスにとっては衣服(ドレスコード)など社会性の一部にすぎないのだが……)

 人間社会のルールに基づけば、人間かロボットかを確認する目的といえど合意なく衣服を剥ぐことは許されざる暴虐にあたる。

 おかげでAiが人間に扮して生活できているわけだが、特徴さえ隠してしまえば人間側からはまったく見分けがつかないというわけだ。財前晃の目の届かないところで運用されていた人型AI(ヒューマノイド)に関して言えば、そんなものはいない、ということになる。

 わたしにもAiのような肉体(ソルティス)があれば、きみを守ることができたろうか——悔しげに顔を歪めた不霊夢に、Soulburnerが「あのさ」と呼びかける。

 

「……ちょっと寝てた間に、アバターが派手になってるような気がすんだけど……」

 

 所在なげに手のひらを閉じたり開いたりしながら、Soulburnerが視線を泳がせる。

 先日の砂漠の一件を踏まえて年齢設定を見直し、現在の穂村尊の身長・体重を反映させて〈Soulburner〉の姿かたちはアップデートされた。

 二年半分の身体的成長を加味しただけだったはずが、少々、勝手が違う。

 

『アバターデザインとしては以前よりシンプルになったと思うが』

 

「まあおまえが言うならそうなんだろうけどさ……」

 

 シンプルなアバターというのは、Playmaker(プレイメーカー )のようなデザインを指す言葉ではないだろうか。

 初期設定の無課金アバターからプロテクターのたぐいを廃した細身のボディスーツは、一見無防備なようだが抜き身の白刃のような鋭利さがある。旧式デュエルディスクという圧倒的に不利な条件でありながらイグニスのサポートなしにLINK VRAINSを自在に動き回れるアバターを作り上げたときまだ中学生だったというのだから、藤木遊作の天才性を垣間見るようだ。

 派手になったかシンプルになったかは個人の印象(センス)の問題だということにして、Soulburnerは思考を放り投げた。気絶している間に勝手にいじられるのは少々心臓によくないが、そこは不霊夢のやることだ。プロテクターが若干増えているような気がするのも不霊夢の親切心と、尊の保守的な精神性の投射だろう。

 きっと悪いようにはならない。

 

「えーと。セーフティプロテクションとかいうのは、どうなってんだ?」

 

『特に変更はしていないぞ』

 

「いや、そこを見直さなきゃならないんじゃないのか? また前回みたいな……事故、があったらどうすんだよ」

 

『きみはきみ自身が考える以上に理性的だ。少々タガを外しておいても問題あるまい』

 

「あのなぁ……」

 

 事故と言葉を濁しはしたが、あの砂漠のような醜態は二度と晒したくない。自分自身の弱さで相棒を責めるなど、格好悪いし、何より不霊夢につらい思いはしてほしくないのだ。いくらSoulburnerが穂村尊の素の部分にヒトガタを与えたアバターだとしても、悪い面まで解き放ってしまうのは避けたいのが本音である。

 しかし不霊夢は気にとめたふうもなく、ことんと首を傾ける。

 ……どうやら本気で問題ないと思っているらしい。

 はーっとため息を落として、顔を上げる。

 ふりあおいだ先は、闇のなかに白くそびえ立つ尖塔だ。灯台のように細長く、それでいて曲線的な建造物は、ビルに換算すると三階ほどの大きさだろうか。

 つるりと無機質な天守からは視線を感じる……ような気がする。

 

 

【挿絵表示】

 

 

『……きみも気がついたか』

 

「白い、塔……だよな?」

 

『チェスの駒を(かたど)っているようだな。ビショップという』

 

「……将棋で?」

 

『角行だ』

 

「あー、うん、なんとなくわかったぜ」

 

 わかったようでわからない反応に不霊夢が胡乱な顔をしたが、Soulburnerは片手で相棒を制して、塔の()を見上げた。

 

「……あんた、さっきのやつだよな?」

 

 核心をつく声に呼応するように、ぼうと暗闇が揺らぐ。

 すると沈黙していた塔から、人影が上質そうな革靴を鳴らして進み出た。いや、白い塔が黒服の人間の姿に変化したのだ。

 顔は見えない。影に沈んだ表情には、LEDのような光がちかちかと赤く点滅する。塔の天守部分の模様が、そのまま顔になっているらしい。

 不気味な仮面がまたたいて、……おそらく、笑ったのだろう。

 

「いかにも、わたしがビショップだ」

 

 黒いスーツ姿の男が一歩、一歩と進み出るたび、足元のタイルが切り替わる。Soulburnerが倒れていたのは闇ではなく、どうやら白と黒の市松模様の()のマスであったようだった。

 チェス盤の上にいる。そう自覚した途端から黒も白も曖昧になっていき、やがて完全に透明化された遊戯盤の眼下に広がったのは、Den Cityの風景だ。

 

 足もとの黒のマスも、いつの間にかDボードに姿を変えている。

 

 ガラスのフロアの下に住み慣れた街。上空から見渡す、Den City ユニバーシティのキャンパス。SOLグループの本社ビル。Den City 広場(スクエア)——パブリックビューイングの大型スクリーンとCafé(カフェ) Nagi(ナギ)。海へと合流する河口にかかる三本の橋〈トライゲート・ブリッジ〉、倉庫街。そして高校一年の二学期にだけ通ったDen City ハイスクール。

 明らかになっていく景色は、目にも留まらぬ速さで変容していく。まるで早送りの映像を見ているようだ。

 

「その場にとどまるためには全力で走り続けなければならない——という言葉を知っているかね?」

 

『赤の女王仮説だな』

 

「誰だよ、赤の女王って」

 

『きみはもう少し本を読むべきだ』

 

 種にせよ個にせよ、生き残るためには進化し続けなければならないという意味だと不霊夢がかいつまんで解説する。……生存競争とは、一度全滅を経験したイグニスには実に耳が痛い問題である。

 十三年前に六人の子供たちを犠牲に生み出され、内輪揉めで滅んだ新種族がイグニスだ。急速に進化する生命体でありながら、絶滅に対する抑止力を持っていない。イグニスには種としての不死性(ホネ)がない、というリボルバーの指摘は、抗いがたい真実だった。

 一分一秒が八十億との戦いであり、時間が否応無く流れる以上、立ち止まることは死を意味する。

 二度目の絶滅を回避するために願われたのが()()()()()()だった。

 

「……いいぜ、デュエルだ」

 

『Soulburner?』

 

「俺はてめーをブッ倒してここから出る!」

 

 ゆらりとDボードに立ち上がれば、背中から炎を吹き上げるように赤がたなびく。

 風貌は少年から青年へと成長し、精悍な横顔は不霊夢ではなく打ち勝つべき敵を見据えている。

 

『きみは……』

 

 強い意志を宿した双眸に、不安や迷いの気配はない。

 

 

 ——SPEED DUEL!!

 

 

【挿絵表示】

 

 

先攻 ビショップ: LP4000後攻 Soulburner: LP4000
手札

・《召喚僧サモンプリースト》

・《強欲で金満な壺》

・《悪夢の拷問部屋》

・《天罰》

手札

・《転生炎獣(サラマングレイト)ガゼル》

・《転生炎獣パロー》

・《転生炎獣の降臨》

・《ライジング・オブ・ファイア》

 

 

 

「わたしは手札より通常魔法《強欲で金満な壺》を発動。自分メインフェイズ1開始時、エクストラデッキからランダムに六枚除外する。除外したカード三枚につき一枚、自分はデッキからドローする。わたしは二枚ドロー」

 

ビショップ 手札4→6

 ・《ファイヤー・ソウル》

 ・《デス・メテオ》

 

「エクストラデッキのカードを、裏側表示で六枚も除外……?」

 

「手札より《召喚僧サモンプリースト》を召喚。このモンスターは、召喚に成功したとき守備表示になる」

 

 

《召喚僧サモンプリースト》(闇)

☆4 【魔法使い族・効果モンスター】

 ATK 800/DEF1600

 

 

「《召喚僧サモンプリースト》の効果。手札より魔法カード一枚を捨て、デッキからレベル4モンスター一体を特殊召喚する。わたしは手札の通常魔法《ファイヤー・ソウル》を捨て、デッキから《連弾の魔術師》を特殊召喚」

 

 

《連弾の魔術師》(闇)

☆4【魔法使い族・効果モンスター】

 ATK 1600/DEF 1200

 

 

『《連弾の魔術師》……フィールド上に表側表示で存在する限り、通常魔法の発動に連動して400ポイントの効果ダメージを与えるモンスターか』

 

「ブルーガールのちくちくを思い出すぜ……」

 

 効果ダメージによるLPの減少は地味に響くのだ。Soulburnerが戦ったときはブルーガールにアバターを改めていたが、LINK VRAINSの看板娘ことブルーエンジェルの【トリックスター】は昨今最も名の知れたビートバーンデッキだろう。

 そこへ、さらなる追撃が宣言される。

 

 

「手札より永続魔法《悪夢の拷問部屋》を発動」

 

 

「なっ、」

 

『戦闘ダメージ以外のダメージを与えるたびLPに300ダメージを与えるカード……!』

 

「さらに《デス・メテオ》発動。相手ライフに1000のダメージを与える!」

 

「っが——— !!」

 

 

 

 Soulburner LP4000→3000

 

 

 

『いけない、《連弾の魔術師》のモンスター効果がくるぞ!』

 

「《連弾の魔術師》の効果。通常魔法を発動するたび、400のダメージを与える」

 

「くるぞって言われてもな……!」

 

 

 

 Soulburner LP3000→2600

 

 

 

「さらに永続魔法《悪夢の拷問部屋》の効果。300のダメージを与える」

 

「ぐ……ッ!」

 

 

 

 Soulburner LP2600→2300

 

 

 

「——カードを一枚伏せ、わたしはこれにてターンを終了」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 一難去ってまた一難、ふうと細く息を吐く。

 相手の先攻では、防ぎようがなかった。手札誘発効果を持つカードを握っていなかった以上、どうしようもないダメージだ。だが、こちらのターンがまだ回ってきていないうちからライフは残り2300にまで削られてしまったのは少々痛い。

 思考する。相手がエクストラデッキから除外した六枚のカードが気にかかる。《ファイヤー・ソウル》は、炎属性モンスターの採用を前提とするカードだ。おそらくビショップのデッキには炎属性のモンスターがいる。

 考えろ。魔法&罠ゾーンに残された一枚の伏せカードが手札枚数に応じてダメージを与える効果を持っていた場合、次の通常ドローで瞬殺だ。

 不霊夢とともにここから出る。そのために、ここでビショップとかいうやつを倒す。

 

「きみは何か勘違いしているようだが、Hi-EVEは()()()()()()()()()()仕様ではない」

 

「あ? なんだそれ」

 

「勝って、外へ出られたか?」

 

「なん……っ 」

 

〈ロスト事件〉のことを言っているのだと、すぐに思い当たった。直感が告げていた。こいつは知ってる。十三年前、何があったのか。

 誘拐され、VR装置しかない部屋にたったひとりで閉じ込められた穂村尊は、ただただ負け続けたわけではない。勝つことだって当然あった。それでも救出されるまで、あの白い拷問部屋からは出られなかった。

 

「得られるものは外界の自由ではなく、日々を生きるための糧。そう、労働と同じだ」

 

「労働だって……?」

 

「人間社会は労働と報酬によって成立している。人間は働くだろう。食べるために、眠るために。生き延びるために」

 

 不気味な仮面に笑みを浮かべて、ビショップはこともなげに言い放つ。

〈ハノイプロジェクト〉の実験において、六名の被験者たちは身をもって学んだだろう。

 デュエルに勝てば食事を得られる。空腹感に耐えきれなくなれば、電撃に怯えながらも食料ほしさにVR装置に手を伸ばす。生かしてくれと訴える肉体(ハードウェア)の欲求に突き動かされ、もういやだと諦めたがるこころが涙を流しても、食欲を満たすために無謀な挑戦を続けるしかなかった。

 それが()()でなくて何なのか。ただ飢餓から解放されたい一心で、本能のままカードを手繰り続けた幼い六人の奴隷たち。

 イグニスの塔を作りあげるため、賽の河原に石を運んでいたとも知らぬまま、無心に生き延びようとした。

 

「……あれが、労働だったってのか……?」

 

「そうだ、Soulburner。命を終わらせたくなければ働いてもらおう。馬車馬のように、軍馬のように。神はきみに十三年前の続きを望んでいる」

 

「あいにくブラック企業に就職した覚えはないんでね。今の俺たちには帰りを待ってる人がいるんだ。悪ィけど、あんたが音を上げるまで勝たせてもらうぜ!」

 

 出られない仕様であるのなら、もう出て行ってくれと言わせればいい。Soulburnerの双眸は赤く熱く、剣呑な炎を揺らめかせる。

 さあ、泣きを見てもらおうではないか。

 

「俺のターン、ドロー!!」

 

 

Soulburner 手札4→5

 ・《死者蘇生》

 

 

「これは——、……俺はカードを一枚伏せ、手札から《転生炎獣ガゼル》を召喚! ガゼルの効果発動、デッキから《転生炎獣スピニー》を墓地へ送り、自身の効果で特殊召喚!」

 

《転生炎獣ガゼル》(炎)

☆3【サイバース族・効果モンスター】

 ATK 1500/DEF 1000

 

《転生炎獣スピニー》(炎)

☆3【サイバース族・効果モンスター】

 ATK 1000/DEF 1500

 

「俺はレベル3のガゼルとスピニーでオーバーレイネットワークを構築!! 幻想を断ち切る、灼熱の荒馬——」

 

 両手のひらを重ね合わせる。エクシーズ召喚のゲートが開かれる。篝火が燃える。光という光がきらめき、炎のたてがみをたなびかせた駿馬が嘶いた。

 

 

「現れろ! RANK-3《転生炎獣ミラージュスタリオ》!!」

 

 

《転生炎獣ミラージュスタリオ》(炎)

 ランク3

【サイバース族・エクシーズ・効果モンスター】

 ATK 2000/DEF 900

 

 

「ミラージュスタリオのO(オーバー)R(レイ)U(ユニット)をひとつ取り除いて《転生炎獣J(ジャック)ジャガー》を守備表示で特殊召喚! 俺はミラージュスタリオをリンクマーカーにセット——現れろ、LINK-1《転生炎獣ベイルリンクス》!」

 

《転生炎獣ベイルリンクス》(炎)

【挿絵表示】

【サイバース族・効果モンスター】

 ATK 500

 

 

『いい調子だぞ、Soulburner! 《転生炎獣ミラージュスタリオ》がリンク素材として墓地へ送られたことで——』

 

「《連弾の魔術師》には手札に戻ってもらう!」

 

 フィールド上の魔術師がぐっと杖を握りしめたが、《連弾の魔術師》は敢えなく持ち主の手札へと戻る。

 

「ベイルリンクスの効果発動! デッキからフィールド魔法《転生炎獣の聖域(サラマングレイト・サンクチュアリ)》を手札に加える。さらにベイルリンクスとJジャガーをリンクマーカーにセット! リンク召喚、LINK-2《転生炎獣サンライトウルフ》!」

 

《転生炎獣サンライトウルフ》(炎)

【挿絵表示】

【サイバース族・効果モンスター】

 ATK 1800

 

 

『《転生炎獣サンライトウルフ》の効果により墓地の《転生炎獣ガゼル》を手札に加えることができる!』

 

「ああ! さらに俺は墓地のJジャガーの効果を発動! ミラージュスタリオをエクストラデッキに戻し、Jジャガーをサンライトウルフのリンク先に特殊召喚する! リンク2のサンライトウルフとJジャガーをリンクマーカーにセット! 現れろ、未来を変えるサーキット!」

 

 天空を指し示す指先から、猛然と炎がほとばしる。リンクマーカーが召喚条件を満たして赤く輝いた。

 

 

「LINK-3《転生炎獣ヒートライオ》!!」

 

 

《転生炎獣ヒートライオ》(炎)

【挿絵表示】

【サイバース族・効果モンスター】

 ATK 2300

 

「ヒートライオのモンスター効果発動! このカードがリンク召喚に成功した場合、相手の魔法&罠ゾーンのカード一枚を持ち主のデッキに戻す!」

 

『対象はむろん《悪夢の拷問部屋》だ!』

 

 

「リザウディング・ロアー!!」

 

 

  咆哮が響き渡る。ヒートライオの雄叫びが空間を震わせ、剥がれ落ちた拷問部屋はビショップのデュエルディスクへと吸い込まれた。

 

「そしてフィールド魔法《転生炎獣の聖域》の効果発動! 逆巻く炎よ、浄化の力でヒートライオに真の力を呼び覚ませ! 転生リンク召喚!! 蘇れ、炎の平原を駆け抜ける百獣の王——《転生炎獣ヒートライオ》!」

 

 爆炎をくぐり、たてがみが猛然と火勢を増す。

 

「転生したヒートライオのモンスター効果!! そっちのセットカードも、」

 

「あなたがデッキに戻そうとした罠カードを発動。これは《天罰》です!」

 

『なにっ?』

 

「先ほど手札に戻してくれた《連弾の魔術師》を捨て、カウンター罠《天罰》の効果を発動。《転生炎獣ヒートライオ》のモンスター効果を無効にして破壊!」

 

「なっ……」

 

 ヒートライオは耐えるように鉤爪をわななかせたが、しかし敢えなくデータの塵となって砕け散る。

 

「……だが俺は手札から装備魔法《ライジング・オブ・ファイア》を発動するぜ! 墓地のヒートライオを蘇生して、このカードを装備する!」

 

『いいぞ、Soulburner! ちなみに《ライジング・オブ・ファイア》を装備したモンスターの攻撃力は500アップだ!』

 

 

「バトル!!」

 

 

『《転生炎獣ヒートライオ》で守備表示の《召喚僧サモンプリースト》に攻撃!』

 

 

「ヒート・ソウル!!」

 

 

《転生炎獣ヒートライオ》の攻撃力は2800。火柱がほとばしる。

 守備力1600の《召喚僧サモンプリースト》が燃え上がり、あがく腕ごと噛み砕かれた。

 

「これで俺はターンエンドだ」



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暗号話者が呼んでいる(後編)

※3話同時更新(3話目)です。
※デュエルの書き方を模索中です。効果の説明など探り探りやっています。


 

【挿絵表示】

 

 

《ライジング・オブ・ファイア》を装備して、ヒートライオが高らかに吼える。

 ……しかし、相手のライフは減らせていない。

 

「わたしのターン。このドローフェイズ、わたしはスキル〈トリプルドロー〉を発動」

 

「トリプルドロー?」

 

『通常のドローを一枚から三枚に変えるものか。〈ハノイの騎士〉が使っていた〈ダブルドロー 〉の上位互換的スキルだな』

 

「なんだよそのインチキスキルは……!」

 

『データベース上、三年前にSOLのAIデュエリストによる使用が確認されている。おそらく使用者を限定して付与されるスキルだろう』

 

「その通り。このドローフェイズ、わたしは三枚ドロー」

 

 ・《黒魔術のヴェール》

 ・《簡易融合》

 ・《連弾の魔術師》

 

「わたしは手札より《連弾の魔術師》を通常召喚」

 

 

《連弾の魔術師》(闇)

☆4【魔法使い族・効果】ATK 1600/DEF 1200

 

 

「またかよ……!」

 

「魔法カード《黒魔術のヴェール》発動。ライフ1000と引き換えに、墓地より蘇生せよ《連弾の魔術師》!」

 

 

 ビショップ LP4000→3000

 

 

『《黒魔術のヴェール》は通常魔法……! 《連弾の魔術師の》効果が発動する!』

 

 フィールドに《連弾の魔術師》が二体、効果ダメージは一体につき400だ。このままでは通常魔法発動のたびに800ずつ効果ダメージを食らうことになる。

 

 

 Soulburner LP2300→1900

 

 

「手札より通常魔法《簡易融合》発動。ライフ1000と引き換えに、融合召喚——《サウザンド・アイズ・サクリファイス》!」

 

 

 ビショップ LP3000→2000

 

《サウザンド・アイズ・サクリファイス》(闇)

☆1【融合・魔法使い族・効果】ATK 0/DEF 0

 

 

『また《連弾の魔術師》の効果が発動する! Soulburner!』

 

「くそ……とっとと除去んねーと、」

 

 

 Soulburner LP1900→1100

 

 

「そして《サウザンド・アイズ・サクリファイス》は1ターンに一度、相手フィールドのモンスター一体を装備カード扱いとしてこのカードに装備できる。わたしは《転生炎獣(サラマングレイト)ヒートライオ》を装備」

 

『実質上のコントロール奪取というわけか……!』

 

「現れよ、未来を導くサーキット! 召喚条件は、効果モンスター二体以上。わたしは《転生炎獣ヒートライオ》を装備した《サウザンド・アイズ・サクリファイス》、そして二体の《連弾の魔術師》をリンクマーカーにセット。サーキットコンバイン!」

 

「これは……っ」

 

 見覚えのある光明が、魔法陣を描きだす。

 ざわりと胸騒ぎがして、次の瞬間に予感は悪いほうに的中する。

 

 

「現れよ、LINK-3《デコード・トーカー》!」

 

 

《デコード・トーカー》(闇)

【挿絵表示】

【サイバース族・効果】ATK 2300

 

 

「デコードトーカー!? どうしてHDRのやつがPlaymakerのカードを、……ッ」

 

 奇妙な違和感を覚えて、言葉が途切れる。ぐっと眉間のしわが深くなる。頭痛に似て非なる、まるで聴覚を無理やり拡張されたような感覚だった。右手を見下ろす。指先を動かしてみるが、触覚は鈍麻したのか鋭敏になったのか、自分ではよくわからない。

 右手に何かが絡みつくような感触の正体を見定めようと、手のひらを見つめる。

 

「きみはまだ真実を知らない」

 

「 んだよ、真実って……」

 

「存在するということは、複製できるということ。イグニスの被造物は被験者のものだと勘違いされては困る」

 

『少なくとも【転生炎獣】はわたしのオリジンのためのデッキだ。そちらこそ勘違いしてもらっては困る!』

 

「《デコード・トーカー》! Soulburnerに直接攻撃!」

 

『Soulburner!!』

 

「あ? ……ッ《転生炎獣パロー》!! こいつは相手の攻撃宣言時に手札から攻撃表示で特殊召喚できる!」

 

《転生炎獣パロー》(炎)

☆5【サイバース族・効果】ATK 2000/DEF 1000

 

「しかし《デコード・トーカー》の攻撃力は2300。その翼では防ぎきれませんよ!」

 

「ッ知ってるっつーの……! 俺は墓地のベイルリンクスを除外、パローの破壊は無効だ!」

 

 

 

 Soulburner LP1100→800

 

 

 

『Soulburner……!!』

 

 ライフの減少に、思わずがくりと膝をつく。不霊夢(フレイム)が焦ったように頬に触れたが、Soulburnerは静かに首を振った。

 

「……これでいい。大丈夫だ」

 

「そうでしょうとも。わたしはこれにてターンエンド」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 どこか愉悦を含ませた宣言を聞き届けてから、ふうと肺腑から息を吐き出す。

 残りライフ800。これでいい、相手の攻撃力を下げることも可能な局面ではあったが、この痛みが思い出させてくれるものもある。

 

「……俺が戦いに首突っ込む理由は、いつも誰かのためだったんだ。自分が憎むべき相手をわかってなかった。だから毎度毎度リボルバーのいけすかない挑発に乗せられて、あいつが差し出してくる的に八つ当たりをしてた」

 

 吐き捨てるように笑う。まるで道化だろう。何かにつけて加害者ヅラして煽ってくるリボルバーに、踊らされてばかりいた。

 イグニスを全滅させて自首する気でいた無理心中集団〈ハノイの騎士〉は、穂村尊にとって本当の敵ではなかったのだ。

〈ハノイプロジェクト〉に直接関わっていたあの連中は、十三年前から内部告発が可能なところにいる。SOLテクノロジー社内部でも不祥事として伏せられていたようだから、当然、何らかの監視があっただろう。国家規模の隠蔽をかいくぐるために各分野の科学者たちがハッカー集団になった経緯は、遊作や草薙を見ていれば容易に想像がついた。

 どうしてあんな目に遭わされなければならなかったのかと不条理を恨んできた。

 加害者が誰なのかも知らなかった。

 不霊夢に会わなければ、Playmakerの活躍を知らなければ、何も知ることはできなかっただろう。

 

 だが加害者の正体も知らずに過ごした十年間は、Soulburnerにとってもはや過去である。

 

〈ロスト事件〉の被害者に適応されていたSランク保護プログラムが守っていたのは被害者ではなく、SOLテクノロジー社の名誉。ならば司法に委ねたって無駄だ、事件は公にならず忘れられていくだけだ——そんな考えがあったのも、もはや過去のこと。

 どうせ踏み消されるなら監視者を続けていたほうが償いになるだろうと、二年前のSoulburnerはリボルバーの自首を止めた。

 あのタイミングでリボルバーが罪を告白したとしても、誰も報われなかったに違いない。草薙兄弟の再会を引き裂き、穂村尊はまた白い目で見られる日々に逆戻りだ。

 LINK VRAINSの英雄だったPlaymakerまでもが()()()として大衆の同情に晒され、弱いものとして扱われるなど耐えられない。

 リボルバーだってどうせ事件当時は未成年だったとかでまともに裁かれず、大人たちの道具にされただろう。(ハノイの持つオーバーテクノロジーの価値くらい、ネットに疎くたって察せる)

 それすらも罰として受け入れてしまいそうな野郎だから、自首を止めたことに後悔はない。

 

 

「俺の敵は最初ッから、俺たちのことなんか道具としか思ってない大人だったんだ」

 

 

 あたかも利益を生み出す素材のように扱われてきた。イグニスも、そのパートナーもだ。使うだけ使って使い潰していらなくなったら振り返りもしない不特定多数の大人たちにつけ狙われ、疲弊してきた。

 人間社会が今日も明日も平和であるようにという祈りは、決して責められるものではないはずだ。娯楽も、利便性も、必要な豊かさだろう。

 だが踏み台にされた命は、意思は、どこへ行く? 人生をめちゃくちゃにしておいて、それがあたかも、享楽であるかのような。

 幼い子供を生贄にして、作り出したイグニスは道具にして、犠牲の上の暴利を貪ってきた大人たちこそがSoulburnerが乗り越えるべき壁だった。

 そうだ、たとえば、今は財前晃によって立て直された〈SOLテクノロジー社〉の元幹部——目の前にいる白のビショップのような。

 

「だから、感謝するぜ。俺の人生を狂わせようとするやつを俺自身がブチのめせる……!」

 

 湧き上がってくる闘志がかたちづくったのは、笑みだ。

 Soulburnerは好戦的に笑う。

 

 

「俺のターン、ドロー!」

 

 

 デッキからカードを一枚引き抜いた指先に、また先ほどの感触がある。

 右腕にまとわりつく不思議な感覚を、Soulburnerは知っていた。覚えている。だが、あのときのような邪悪さは感じられない。カードの精霊に袖を引かれているような、どこかあたたかい感触だった。

 初めて不霊夢に会ったときと、似ている。

 

「おまえ、ウィンディ……だよな?」

 

『きみにもわかるのか、Soulburner……!』

 

「いや……」

 

 なんとなく、感じられるだけだ。不霊夢には見えているのかもしれないが、ウィンディの姿は見えないし、声も聞こえない。

 Soulburnerの第六感の向こう側を見通して、不霊夢はああ、と祈りの声を漏らした。

 今まさに、Soulburnerの右腕をウィンディがつかんでふわり、ふわりと引っ張っている。こっちだこっちだと呼ぶように、不霊夢にも手を振る。

 あっちをあっちを見てくれと、眼下に広がるDen Cityの街並みを指差す。

 ふとSoulburnerが視線を下げると、ガラスのフロアのはるか地上にSOLの本社ビルが見える。この春に遊作が電脳世界から持ち帰ったという〈炎の(コア)〉を手渡され、不霊夢と再会した場所だ。微弱なデータストームが渦巻いているのがわかる。

 そういえば、Ai(アイ)の〈闇の核〉はSOLの地下金庫で人質になっているのだったか。

 

「気でも触れたか……?」

 

 ビショップが胡乱げに顔をしかめるが苦言には目もくれず、Soulburnerは水面をのぞき込むように両膝をついた。

 

「Ai、おまえもそこにいるのか? ウィンディ、AiはPlaymakerと一緒じゃないのか!?」

 

 答えは聞こえない。

 だがデータストームが徐々に大きくなっているのがわかる。神妙な顔つきで押し黙っている不霊夢に、Soulburnerはひとつうなずいてみせた。

 

『……スキルを使うのか』

 

「他のイグニスのスキルを使われるのは嫌か?」

 

 

『実を言うと……まあ、そうとも言える』と不霊夢は煮え切らない様子だったが、見守るように淡く笑んだ。『わたしがサポートしよう』

 

 

 その一言が合図になった。吹き荒れる。風が猛然と逆巻くデータの嵐が、大きくなる。そして天まで届く柱のように、竜巻が沸き起こった。

 Dボードの上に立ち上がり、手を伸ばす。そこへ不霊夢の小さな手が重なる。きっとウィンディの手も、同じように重ねられている。

 ここにいないはずのAiの手が、見えたような気がした。

 滝壺に突き落とされるような衝撃に歯を食いしばる。

 

 

『風を取り戻せ、Soulburner!!』と不霊夢が檄を飛ばす。

 

 

「ラ イフポイントが1000以下のとき、データストームからサイバース族リンクモンスターを一体、ランダムにエクストラデッキに加える……——!」

 

 膨大な竜巻の渦の中心できりもみのようになりながら、それでも何かをつかみとろうと手を伸ばす。逆風、暴風。

 Playmakerは何度も何度もこんな激しい嵐にみずから飛び込み、勝機をつかみとってきたのだ。

 憧れの英雄が、等身大の友人が耐えて耐えて、未来をつかんだ激流。

 

 

 

「〈Storm(ストーム) Access(アクセス)〉!!」

 

 

 

 手が届く。指先が、このカードをとらえなければと反射的に力を込めた。データストームの渦中から、一枚のカードをつかみとる。

 手の中には青く輝くモンスターカードが、新しい出会いを祝福するようにきらめいた。

 ああ、託されたのだと胸の奥に熱いなにかが沸き起こる。

 このカードのあるべき姿をSoulburnerの本能が知っていた。

 

「俺は手札の《転生炎獣ガゼル》を召喚! ガゼルの効果でデッキから《転生炎獣Jジャガー》を墓地へ送る! ガゼルをリンクマーカーにセット! LINK-1《転生炎獣ベイルリンクス》!」

 

《転生炎獣ベイルリンクス》(炎)

【挿絵表示】

【サイバース族・効果】ATK 500

 

「墓地のJジャガーの効果発動、墓地のヒートライオをデッキに戻し、自身をベイルリンクスのリンク先に特殊召喚する!」

 

《転生炎獣Jジャガー》(炎)

☆4【サイバース族・効果】ATK 1800/DEF 1200

 

「さらに手札から《フュージョン・オブ・ファイア》発動! 自分の手札および自分・相手フィールドから『転生炎獣』融合モンスターカードによって決められた融合素材モンスターを墓地へ送り、その融合モンスター一体をエクストラデッキから融合召喚する! 俺は《転生炎獣Jジャガー》と、相手フィールド上の《デコードトーカー》を墓地へ送る!」

 

 融合による実質上のコントロール奪取。こちらにも手はある。

 

 

「ひとつの狂おしき魂のもと、凶悪なる獣たちの武器を集めし肉体を誇る魔獣よ! 来い、《転生炎獣ヴァイオレットキマイラ》!!」

 

 

《転生炎獣ヴァイオレットキマイラ》(炎)

☆8【サイバース族・効果】ATK 2800/DEF 2000

 

 

「さらに手札から《死者蘇生》! 相手の墓地から《デコード・トーカー》を特殊召喚! 現れろ、未来を変えるサーキット! 召喚条件は属性が異なるサイバース族モンスター二体以上! 俺はヴァイオレットキマイラ、デコード・トーカー、ベイルリンクスをリンクマーカーにセット! サーキットコンバイン!」

 

 

 ほとばしる炎が魔法陣を焼き尽くし、そして新たに生まれ変わる。リンクマーカーが召喚条件を満たして、太陽のように輝いた。

 

 

 

「力を借りるぜ……! 現れろ、LINK-3《デコード・トーカー・ヒートソウル》!!」

 

 

《デコード・トーカー・ヒートソウル》(炎)

【挿絵表示】

【サイバース族・効果モンスター】ATK/2300

 

 

「俺はフィールドのパローをリリースしてライフを2000回復! そしてヒートソウルの効果発動、ライフを1000支払い、デッキから一枚ドロー!」

 

 

 Soulburner LP800→2800→1800

 

 

 指先が引き当てたカードに、はっと目をみはった。

 ああ、そこにいるのか。一番はじめに伏せたカードが、運命の瞬間が訪れるのを待っていたようだった。

 

 

「自分のライフが2000以下の場合、フィールドのヒートソウルを除外し、エクストラデッキかリンク3以下のサイバース族モンスター一体を特殊召喚する! 来い、《転生炎獣ヒートライオ》!!」

 

《転生炎獣ヒートライオ》(炎)

【挿絵表示】

【サイバース族・効果】ATK 2300

 

 

「さらにリバースカードオープン! 《転生炎獣の降臨》を発動!!」

 

『レベルの合計が儀式召喚するモンスターのレベル以上になるように、自分の手札・フィールドのモンスターをリリースし、手札から【転生炎獣】儀式モンスター一体を儀式召喚する!』

 

「自分フィールド上に炎属性リンクモンスターが存在することにより、俺は墓地のパローとJジャガーをデッキに戻し、儀式召喚!!」

 

 円陣が燃える。契約の炎が八つ断続的に点灯し、そして刃のごとく気高き獣を呼ぶのだ。

 

 

「降臨せよ! レベル8——炎を纏いし翠玉の翼! 《転生炎獣エメラルド・イーグル》!」

 

 

《転生炎獣エメラルド・イーグル》(炎)

☆8【儀式・効果】ATK 2800/DEF 2000

 

 

【挿絵表示】

 

 

《転生炎獣エメラルド・イーグル》、攻撃力2800。既に召喚された《転生炎獣ヒートライオ》の攻撃力は2300。残りライフ2000の相手を目の前にしているとは思えないオーバーキルの布陣に、Soulburnerは双眸をわずかに眇める。

 

「別に計算ができないわけじゃないんだけどさ」と言い訳じみて独り言ちた。

 

 面倒なことをしてしまったなと後ろ頭をかいても、歎息は魔獣の舌舐めずりに似ている。

 

 

「腹減ってるときって、ついつい作りすぎちまうんだよなぁ」

 

 

 陶然と笑みを形作るくちびるは凶暴な肉食動物のそれだ。ゆらりと右腕が持ち上がり、とどめを刺せと命じる号令が静かに宣告される。

 猛然と吹き荒れた業火がすべてを灰燼に帰し——収束。

 灰は季節外れの雪のようにはらはらと降る。決着とともに鳴り渡ったのは、十三年ほど昔に聞いたような聞かなかったような、無機質なファンファーレだった。

 ビショップの姿は消えている。目の前にはただYou Winという他人事じみた文字列が横たわるのみだ。

 

 そして、まるですべてリセットされたかのような新しい盤面へと切り替わる。

 

「へえ」とSoulburnerは炎色の双眸を眇めた。

 

 何度でも戦えというのだろう。あの白い部屋に閉じ込めた子供のように、何度でも、何度でも、生きるための糧を求めて戦えと。

 勝てば食事が得られる。負ければ電撃を食らう。諦めれば、何もない。負けることは何もしないことと同じなのだと、だから勝つまで戦い続けろと、幼いこころに刻みつけた十三年前の拷問部屋。

 事件から解放されたはずの穂村尊を長らく苦しめてきたのは、あの部屋で植えつけられた恐怖ではなく、あの環境で否が応でも学んでしまった勝利至上の価値観だ。勝者はすべてを手に入れ、敗者はすべて奪われる。デュエルなどもうやらないと誓ったのは、カードを暴力としてしか操れなくなってしまった自分自身への絶望だった。

 勝ってもいないのに食う飯はみじめだった。時間通りに与えられる学校の給食が、家畜の餌に見えた。一方で、周囲に馴染めないのに何もしないのかと、奥底から自分自身を責める声が湧き上がる。

 両親を失ったのに復讐もできないのか? 何もしないのは負け犬以下ではないか——行動を起こせない無力さが自縄自縛で首を絞め、食らってもいない電撃に四肢五体を引き裂かれるようだった。

 

『Soulburner——』

 

「大丈夫だ。俺はもう力の使い方を間違えたりはしない」

 

『……だからきみは理性的すぎると言っているのだ』

 

「そこは素直に褒めろよ……いや、いい」

 

 くしゃりと破顔した男の顔に、もはや少年の日のような影はない。

 勝っても負けても続くものに、逐一絶望などしない。

 

 

「次は俺の先攻で行かせてもらうぜ」

 

 

 他者を思いやるこころを忘れた大人は、未来のほうへはこないでくれ。




【次回予告】
 イヴの棺に囚われたSoulburnerがビショップを相手取りデュエルを行なっていたそのころ、Café Nagiにもまた、とあるメッセージが届けられていた。
 ごめんね、兄さん——共犯者(ライトニング)だけをともない、草薙仁はダンジョンを降る。
 あのころのことは何も覚えていない。目を覚ましたときにはすべてが終わっていた。当事者であるはずなのに「僕だけが当事者じゃない」という気持ちがまとわりついて離れなかった。
 嘘つきな光の子は、底知れない笑みを浮かべる。
 さあ、処刑の時間だ。

 次回『久遠の慟哭より』——来週(3/4)夕方6時25分投稿予定。

 Into the VRAINS!!


※次回『久遠の竜騎士(前編&後編)』は草薙家のターンです。もっと筆力があったなら、ビショップは財前お兄様とぶつけたかった…。


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久遠の慟哭より(前編)

※今回は前編のみの更新です。
(予告からタイトル変更しました)


 まあ、よくある話だ。

 きっと珍しくもなんともない、ありふれた崩壊だった。

 Den(デン) City(シティ)広場(スクエア)——パブリックビューイングの大型スクリーンが見渡せる絶好の観戦スポットでホットドッグ屋を営む草薙翔一は、折に触れて、昔のことを思い出す。

 顔を上げればすぐそこに、最愛の弟が十年もの間入院していた国立病院があるせいだろう。開店前にひとりで買い出しを行うとき、その傾向は顕著だった。

 

 家族が壊れた、あのころのことが何度も何度でも脳裏をよぎるのだ。

 

 独立開業の理由も、出店場所の選定基準も、すべて(じん)の身に何かあったときすぐに駆けつけるためだった。最愛の弟のために何かしてやれる家族はもう俺ひとりしかいないのだという焦りがあった。俺がまともな大人でいてやらなくてはならない。帰る場所になってやるために、俺がしっかりしなくてどうする。そうやって自身を鼓舞しながら、騙し騙しやってきた。

 

 だから、目の前で意識データを奪われたときの無力感といったらなかった。

 どんなにそばにいても俺では救えない。守れない。ようやく弟が帰ってきてくれたという希望をへし折るように、また目の前から消えてしまう。

 回復した仁と三年近く一緒に暮らしていながら、その不安が今も拭えないのだから情けない。

 

 十三年前——弟がランドセルを背負ったまま神隠しに遭って消えてしまったXデーを、草薙は生涯忘れることはできないのだろう。

 

 八つ歳の離れた弟と、一緒に登下校したことは一度もない。仁は小学一年生になったばかりだった。事件発生当時の草薙翔一は中学生で、小学生の、しかも低学年だった仁とは時間割が大きく異なる。部活動に精を出し、サッカー部でレギュラーを張っていたこともあり、とっぷりと暗くなったころ帰宅するのが常だった。

 あの日も同じように部活を終え、サッカーボールとともに帰宅した。夕刻のことだ。母が憔悴しきった様子で玄関口まで駆け出してきて、学生服の両肩を掴んだ。

 

「仁は一緒じゃないの?」

 

「母さん?」

 

「仁を知らない? あの子、まだ帰ってこないのよ」

 

「え? でも、いつもなら——」

 

「そうよね、おかしいでしょう? おかしいわよね、学校の先生にもお友達のおうちにも連絡したのに」

 

「待ってよ母さん、一体何が——」

 

 押し殺した早口の詰問が矢継ぎ早に繰り出され、逃げるように振り返れば、玄関のドアが黒々と口を開けていて、まだ靴を脱いでいない足が、目に見えない怪物に捕らえられたように動かない。

 今まさにたどってきた帰路が、途方もなくおそろしい魔物に見えた。

 

(……じ ん、)

 

 その日からの半年間は、地獄だった。

 円満な家庭というのはさまざまな要素によって成り立っている。精神的安定。経済的余裕。社会的地位。草薙一家は父親と母親、子供は男の子がふたり。長男の翔一はスポーツ万能で、次男の仁は素直で明るい。治安のいい郊外に庭付きの一軒家を構えて仲良く暮らすという、世の中の理想を具現化したような家庭環境だった。

 なのに——いや、だからこそ、ほころびが生じれば家族の形を止めることすらできなくなった。

 警察に相談しても仁の足取りはつかめない。探していますと昼間は街中でずっとビラを配り続けるようになった母は不在がちになり、学校から帰宅しても食卓どころか冷蔵庫にも何もない。弁当を作って持たせてもらえることはぱったりなくなり、やがてテーブル上に小遣いが放置されるだけになった。

 朝にはいつものように仕事に出て行く父を、母が見咎める。

 

 ——仁が心配じゃないの!? こうしているうちにも仁は……!

 

 言い争う両親を見ていると、喉の奥で、胸郭のなかで、何かがすり減っていくような心地だった。

 自宅にいるのが苦痛になって夕方遅くまで帰宅せずにいたら、母が「心配したのよ」「翔一までいなくなったらお母さんはどうしたらいいの」「仁はいつ帰ってくるの」「はやく帰ってきて」と泣き喚く。

 ああ、もうこの(ひと)はだめなのかもしれないと、こころはひどく冷めていった。

 家族なんだから助け合わなければという自制心と、見る影もなくなった母の面影のコンフリクトを、十四歳で制御(コントロール)せよというほうが無茶だろう。

 ごめん、母さん——空虚な謝罪を述べながらも、病的な焦燥に取り憑かれて泣く母のことを、気味が悪いと思ってしまった。

 父も同じ思いだったのだろう、ため息をついて目を逸らし、無言を貫いていた。

 やがて、同時期に何名かの児童が姿を消していることがわかった。三人だとも、十人だとも、不明児童の人数は曖昧なまま情報が錯綜し、同時多発的に発生した誘拐事件はマスコミによって〈ロスト事件〉と名付けられた。

 弟は必ず無事に帰ってくると信じていても、昨日も今日も、待てど暮らせど、事件解決の糸口は見つからない。面白おかしく報じられるニュース番組は、もはや連続殺人事件のような扱いだった。

 近隣で犬の屍骸を見つけたという見ず知らずの隣人(うそつき)のコメント。神隠しだというオカルトめいた考察(もうそう)。小児性愛者によるコレクションではないかという、胸の悪くなるような予想(いいがかり)も飛び交った。

 ちょうどそのころAIによる自動運転車両の事故が多発しており、……これで被害者家族が正気を保っていろというほうが無茶だろう。

 ところが、気の遠くなるほど陰鬱な日々は、唐突に終わりを告げた。

 被害児童六名が保護されたという一報が入ったのだ。

 警察からだった。救急病院にいるという知らせを聞いて両親は車で家を飛び出していった。夜半であったから、明日には弟に会えるという希望を胸に就寝した。

 半年、半年だ。半年もの間、家族は幼い弟を探してかけずりまわって疲弊した。長い時間だった。ひとり欠けただけの食卓も、ようやく家族団欒に戻れる。

 

 仁さえ戻ってきてくれたなら、やさしい母親が戻ってくる。頼れる父親も戻ってくる。

 居心地の悪い家のなかに、希望の光が帰ってきてくれる——そんな夢を見られたのは、ほんのわずかな時間だけだった。

 

 弟のこころは、帰ってこなかったのだ。

 

 仁は素直で明るい子だから、壊れてしまった家族を元に戻してくれるはずだという浅はかな考えはがらがらと音を立てて崩れ去った。

 まだ新しい勉強机も、二人部屋のベッドも、想定されたように使われることはもうないのだろう——描いた未来が塗りつぶされる。当たり前の日常は書き割りでしかなかったのだったと、残骸を自分の足で踏みつけて初めて知った。

 どうして元気なまま帰ってきてくれなかったのだろう、と、考えたこともあった。だが、ある日突然誘拐され、連れ去られた半年前のままで帰ってくることができなかった幼い弟に、一体どんな落ち度がある?

 両親はほどなくDen Cityで一番大きな病院に仁を預け入れることを決断した。家でできることなど何もなかったからだ。意識があるのかないのかさえ、判別することができない。父も母も医療の知識はなかったから、専門家に任せる以外の選択肢が生じえなかった。

 Sランク保護プログラム対象者は国立医療機関を無償で利用できるとわかったときの母の横顔を、忘れることはできないだろう。

 仁を愛していなかったわけじゃない、わかっている。

 ただ、何もできなかっただけだ。……頭では、わかっている。

 どうしようもないまま家族のこころはバラバラになり、両親は顔を合わせることも避けるようになった。憔悴する母には、誰も寄り添えなかった。父の苛立ちはもっともだった。平静を欠いた人間のそばというのは落ち着かないものだ。泣かれてもどうすればいいかわからない。いつ取り乱すかわからない天災のような相手を、どうやって宥めればいいのか。明るく快活だった昔の面影を追ってしまうことへの罪悪感を、どうやって飲み込めばいいのか。

 弟は誘拐されていなくなって、生きて帰ってきてくれはしたものの、言葉のひとつもかわせない。

 円満だった家族の日常は、もう二度と戻らない。

 みんな悲しいのだ。わかっていても、ひとりで悲しむには、一介の中学生にすぎない草薙翔一は幼すぎた。

 サッカーの試合に勝っても、喜んでいる心の余裕を自責の念が押し流す。仲間たちと同じようには笑えない。チームメイトが弁当を広げる輪から抜け出して、隠れるように菓子パンを流し込む。好きでもないものばかり食べていた。

 朝は暗いうちから登校した。小学生の通学時間帯をあからさまに避けた。小学校もまともに行けなかった仁。同世代の友達と笑いあう姿は、本来あるべきだった仁の日常だ。どうして仁はそうではないのか、悲しみは嫉妬に変わる。

 楽しみを見つけることにも罪悪感がともない、サッカーはやめた。好きなものだから捨てることにした。

 衝動のように光に背を向け、ハッカーの道を志したのも、弟のためではなく自分自身のためだ。

 弟をあんなふうにした犯人に復讐してやりたい。犯罪者になってでも見つけ出して、絶対にこの手で殺してやる——! そんな激しい感情だけが、魂の救済だった。

 中学でも高校でも広く浅い付き合いしかできないまま、大学を中退して独立したのが二十歳のときだ。弟が入院している病院のすぐそばの広場にフードトラックの出店を決めた。何かあったときすぐ駆けつけられるように……なんて自分自身への言い訳にすぎず、ホットドッグワゴンは逃亡のための足だった。

 

 あれから、六年あまり。

 

 Unknown(アンノウン)に出会い、遊作と組んでPlaymaker(プレイメーカー)とともに〈ハノイの騎士〉を追って——そしてイグニスのルーツを知り、〈ロスト事件〉という響きが持つ意味は大きく変容した。

 どうして仁でなくてはならなかったのかと運命を呪わない日はなかったが、遊作とAi(アイ)の邂逅も、(たける)不霊夢(フレイム)との出会いも、すべて〈ロスト事件〉から地続きの出来事だ。

 あんな悲劇がなければよかった——と恨みがましさが沸き起こったとき、イグニスたちとの絆まで否定するような言葉を吐き出してしまってはならないと、自制心で踏みとどまる。

 とにかく今は、大学生になった仁に学校生活を謳歌してほしかった。未来の選択肢を増やしてほしいという願いもあるが、学生でいられる時間は短い。国家が適用するSランク保護プログラムのおかげで医療費も学費もすべて免除されているのだ、今しかできない経験をしてほしかった。

 ふうと肺腑の奥まで換気するように大きく息を吐いて、草薙は買い出しから帰り着いたホットドッグワゴンのバックドアの鍵を開ける。

 積み込む荷物は以前に比べればずいぶんと少ない量だ。売り上げ以前に外出者の減少が顕著で、Café(カフェ) Nagi(ナギ)のような外食産業だけでなく、旅行業界も大きな打撃を受けているだろう。わざわざ夏の最中に出かけていかずとも、冷房の利いた部屋でLINK(リンク) VRAINS(ヴレインズ)にアクセスしたほうがより安全だし快適なのだから、そちらを選びたい気持ちもわかる。

 とはいえ今日は金曜だし、定時退社時刻をすぎたあたりからは客足もいくらか戻るだろう。

 荷物を積み込み終えるとドアを閉め、扇風機をまわす。エアコンのスイッチを入れる。

 するとデスクトップでランプが点滅しているのがふと気になって、草薙はコンソールパネルを開いた。

 

(メール? どうしてこの端末に……)

 

 わざわざCafé Nagiに届くようにメッセージを送ってくるとは。不信感と緊張感が草薙の背中を冷たくする。

 そこへ追い討ちをかけるように、バックドアが開いた。

 

「ただいまー。もうすぐ開店の時間だよね?」

 

「……仁 、」

 

「兄さん? なに、その画面……メール?」

 

 

 

 ▼

 

 

 

 兄ほどではなくとも、プログラミング言語に精通していてよかったと思う。

 草薙仁の所感はその一言に尽きた。

 Café Nagi内のモニタは表示されるにあたって一定の法則下で暗号化され、一見して読めるようにはできていない。タイムラグなしで読解できるようになるまでまるまる二年かかってしまったが、今の仁ならば遠目からメールを盗み見ることなど容易である。

 遊作や尊には見えていない遠い場所、小さな文字、不明瞭な図柄がはっきり視認できてしまう視力は、むしろAiや不霊夢に親近感を覚える。僕ってAIっぽいのかな、とも思う。だが、どうせ十年ぶんのサボりが吉と出ただけなのだろう。勉強時間も読書量も十年ぶん少ないということは、視力が落ちるほど目を使ってこなかったということでもある。

 

(……AIとは性能が違うし、ね)

 

 決断が遅い、文法が誤っている、などなど日々ライトニングのダメ出しを食らっている身でAIとは、さすがに大きく出過ぎだとしても、記憶力ならいいほうだ。……それだってメモリに余裕があるせいだろうが。

 ともあれ、仁は見たものを見たまま暗記するのが得意だった。

 

 メッセージ内に指定されていた座標を目の前にして、足を止める。

 

 早回しで夜になったような闇のなか、コンクリートジャングルの異名がふさわしいオフィスビル街の裏通りに人の気配はない。建物に遮られた夕陽が二重三重の影を作るのか、まるでダンジョンだ。海風がひぃひぃ不気味に泣き声をあげていて、いかにも人を遠ざけそうな雰囲気である。

 潮風にさらされたせいか錆びついた古い鉄の扉、立て付けの悪そうなドアに手を伸ばした瞬間、胸元のピカリ——もとい〈光の核〉からふわりと仁のティンカーベルが飛び出した。

 手の甲に降り立ったライトニングはドアノブを回させまいと仁の手を踏みつける。

 

『それで、先ほどきみが唐突に思い出した忘れ物とはなんだ』

 

「……兄さんは心配性だから」

 

『質問の回答になっていない』

 

「翔一兄さんが心配性だから、僕は『忘れ物思い出しちゃった』って嘘ついて指定座標にひとりで来た。これでも答えになってない?」

 

 にこりと笑んでみせて、仁はドアノブに手をかけ、ゆっくりと回す。

 

『仁!』と小言を重ねようとするライトニングはソリッドビジョンなので落ちたりはしない。

 

 LINK VRAINS内ならまだしも、現実世界では実体がないのだ。触覚的に触れられるはずのない立体映像を当たり前のように肩や手のひらに乗せてしまう尊と不霊夢の呼吸の合い方にぞっとしたのは、ライトニングと出会って間もないころだった。(一体どうやってタイミングを合わせているのか、仁には皆目見当もつかない)

 

 仁が盗み見たメールは二件、ひとつは〈HDR(ヒドラ)〉のロゴマークのついた座標指定。

 もうひとつはSOL(ソル)とハノイの両ロゴつきの、財前晃による注意喚起だった。

 

 イグニスとオリジンに何事か起こるかもしれない、気をつけておいてくれ——という内容。

 

 しかも情報源は藤木遊作、Café Nagiの端末に転送したのは〈ハノイの騎士〉だと添えてあった。最強の矛と盾のタッグだった元相棒に先んじて遊作は財前CEOとリボルバーを頼っていた……という事実に、あの兄は内心ショックを受けていたに違いない。

 だから、仁は自発的にHDRの誘いに乗る格好で、ここまで出向いてきた。

 鍵のかかっていなかったらしいドアノブは侵入者を歓迎するようにガチャリと音をたてる。慎重に慎重に扉を押し開けた、次の瞬間だった。まるでコウモリが一斉に飛び立つように闇色の鉤爪が飛び出し、無数の腕が仁を捕らえようと渦巻く。

 一撃で頭ごと吹き飛ばしてしまいそうな、恐怖の渦。凶暴性を凝縮したように仁めがけて鋭い爪が襲いかかる。

 

『仁!』

 

 ライトニングが身構えたが、しかし仁はきょとんと目を瞬かせただけに終わった。

 

「こいつって《闇より出でし絶望》だっけ? ソリッド・ビジョンも大きいと迫力あるなぁ!」

 

『…………』

 

 思わず顔を歪めたのはライトニングだ。猛烈な勢いで首をねじ切ろうとしたモンスターの強襲を受けておいて、第一声がこれとは。〈ロスト事件〉中の記憶を消費してしまったとはいえ、こうも怖がる様子がないのが誰のせいなのか、思い当たる節がありすぎていたたまれない。

 ところが目的の座標に向けてダンジョンへの侵入を果たした仁はといえば、のんきなものだ。次から次へと獰猛な牙を剝きだすモンスターに動じることなく、まるで博物館でも冷やかしているような調子でぐんぐん地下へと続く階段を降りていく。

 

「見て、ライトニング! 《メガロスマッシャーX》だよ、すっごく大きい!」と眼前で大口を開けられてもこのありさまだ。

 

 ソリッド・ビジョンには質量がないと、頭で理解していても目をつぶるとか、……あるだろう、そういった反射が、人間には。

 まったく肝が座っているというか、神経が太いというか——。

 

『きみは存外したたかなのだな』

 

天装騎兵(アルマートス・レギオー)だって美術館みたいなものじゃないか。彫刻とか、化石とか、僕わりと好きだよ? あっ、あれって《ディノインフィニティ》かな」

 

『きみのその態度は、襲いかかってくる展示物を楽しむものではないだろう』

 

 LINK VRAINSのイベントにはデュエルを解さないモンスターとのふれあいも開催されており、サファリイベントも存在している。だが、仁の反応は()()()()()()()()()()()()()()()()()だ。明白な害意を持って襲いくる捕食者を歯牙にも掛けない。

 眉ひとつ動かさないまま、仁は所在なげに指先で前髪の端をつまむ。この三年でいくらか伸びた闇色の髪を軽く引っ張って、その手を落とした。

 

「まあ……兄さんの前なら怖がってみせたかもしれないけど。今はライトニングしかいないし」

 

『草薙翔一の前では自分を偽っていたと?』

 

「偽ってるわけじゃ……僕は兄さんの可愛い弟でいたいんだよ。いいとこだけ見せときたい気持ち、ライトニングにもわかるんじゃない?」

 

『……ならば、なぜ自ら危険を冒す』

 

 なぜ嘘を重ねる? 理解不能だ。心配をかけたくないのなら安心させてやればいいだろう。こんな汚らしい地下階段を降っていないで草薙翔一のもとに戻り、忘れ物とやらが嘘だったことを明かして謝罪を述べて、ふたりで夕食でもとればいい。そして博物館でも美術館でも行けばいいのだ。

 開店時間直前とわかった上で兄を置き去りに飛び出す確信的な振る舞いは、心配性の兄を案じる弟の行動パターンではありえない。明らかに矛盾している。

 

()()()()()()()()()()は、兄さんに隠れてしたいんだ」

 

 だって遊作もPlaymakerも、尊もSoulburner(ソウルバーナー)も付き合ってくれないから。遠い目をして、諦めたように苦笑する。

 彼らはみんな仁ではなく兄の味方だ。遊作なんて口を開けば「草薙さんが」「草薙さんは」「草薙さんの」。僕の苗字も草薙なんだけどなあ、と思いつつ聞き流してきたのは、遊作が草薙家の救世主だからだ。

 藤木遊作という精神的支柱がいてくれなかったら、帰る場所が残っていなかった可能性が高い。仁が入院していた十年のうち一年間、およそ一割もの間、遊作が兄を支え続けてくれた。彼の「草薙さんの弟が元気になってよかった」は、そのまま、遊作が僕の帰る場所を守ってくれてよかった……という意味にもなるのだ。ただでさえ人生経験不足の仁には共通の話題というものが少ないのだし、文句をつけるのは不義理というものだろう。

 

『……それで、きみは共犯者にわたしを選んだと』

 

「ライトニングなら付き合ってくれるって信じてるよ」

 

 にっと白い歯を見せた仁は、今まさにいたずらを行おうとする少年のようだ。消去法で選ばれたと明かされていい気分ではなかったが、思いのほか気を悪くすることもない。

 あてつけがましくため息をついてみせても、オリジンは怖いもの知らずにずんずん進んでいく。

 そして新しいステージにでも登るような階段に足をかけたその瞬間、パキンと何かを踏む音がした。

 アラートがデュエルディスクに走り抜ける。

 

 

 ——Light Ignis(ヒカリノイグニス) and() its origin(オリジン): Captured(ツカマエタ)

 

 

「……う、わっ?」

 

 突如闇に包まれた空間に、何やらギミックが作動したことを足元の振動が伝えてくる。

 仁はふらつきながらもとっさに周囲を見渡し、どうやら広い空間へ出たらしいことを優秀な視力で把握した。階段だと思って足を乗せた段差はフラットになり、ホールのような部屋にたどりついた……といったところか。いや、もともと広い空間だったのかもしれない。どこまでがソリッド・ビジョンで、どこまでが現実なのかは触れてみなければわからないし、階段を降ってきたこと以外は何もわからない。昇りの階段なんて最初からなかったのだろう。

 懐中電灯もなくライトニングだけが頼りの狭い視界で、目を凝らす。すると、ちょうど真正面に小さな何かがうごめいているのが見えた。

 白い壁の手前にいるのは、モンスターだろうか。小柄だがシルエットからして恐竜族のように見える。

 (ニンゲン)の意識が表側表示の《ベビケラサウルス》に奪われているうちにも、その向こう側で待ちうける()()()の存在を、しかし、ライトニングは見逃さない。

 腐っても人類史上最高性能のAIだ。フィールドの向こう側で行く手を阻む白い城壁——チェスの駒が敵対デュエリストのアバターであることに気づかないわけがなかった。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 白のルーク——かつてのSOLテクノロジー社が幹部や役員の専用アバターとして使用していた、権力のシンボルのうちひとつ。

 戦争(ゲーム)は既に開始されている。

 電子制御の盤面を一瞥する。互いのライフは4000。フィールドは縦列にA, B, C, D, E; 横列に1, 2, 3, 4, 5の番号がそれぞれ振られている。(こちら)のメインモンスターゾーンは[A4]〜[E4]、魔法&罠ゾーンは[A5]〜[E5]だ。

 相手の魔法&罠ゾーンは[A1], [B1], [D1], [E1]の四ヶ所がセットカードで埋まっているものの、メインモンスターゾーンは[B2]の《ベビケラサウルス》一体のみ。エクストラモンスターゾーンも[B3]・[D3]の二ヶ所ともに空白。

 

【挿絵表示】

 

 チェスの棋譜と同じ並びと考えれば[A1]は先攻(シロ)側手前の左端であり、状況から先攻プレイヤーが五枚の手札をすべて展開してターンを終了した盤面と見るのが穏当といったところだろう。

 2ターン目——後攻1ターン目を開始したければ、自らドローを行えばいい。

 

『……仁。きみは今すぐに草薙翔一のもとへ帰れ』

 

「ライトニングはどうするのさ」

 

『ここに残る。当然、わたしの〈(コア)〉とそのデュエルディスク、デッキも置いて行ってもらうがね』

 

「なら僕も残るよ! ライトニングを置いていけない」

 

『ここは戦場になる。君のいるべき場所ではない』

 

「だったらなおさら引けない! ここで引いたら僕はいつまでも()()()のままだ」

 

『それは事実だろう』

 

 さも理解不能だというように、ライトニングが露骨に顔をしかめた。草薙翔一と草薙仁は実の兄弟であり、仁は弟である。先ほどは自ら望んで可愛い弟を演じているとのたまった口で、何を言うのか。

 文法的矛盾を嘆かんばかりのライトニングに、仁は言葉をつまらせる。

 

「……経験不足はわかってる……心配かけたいわけでもないよ」

 

 ()()()()()()

 悪気があってそのように呼ばれているわけじゃないことは重々承知している。遊作が兄のことを「草薙さん」と呼称するのも、Aiが「草薙」「草薙弟」と呼び分けるのも、今に始まったことではない。習慣だ。Café Nagiでバイトをはじめたのも遊作が先だったのだし、不満があるわけではない。

 ……ただ。兄からプログラミングを習っていると、折に触れて「遊作は俺なんかよりずっと腕がよくてな」と自慢される。尊もAiも、ライトニングも、そのことを一言だって否定しない。それだけ遊作が優秀だということだろう。頭がよすぎるせいで何を考えているのかいまいち読めないけれど、Aiが通訳(フォロー)したり、尊が首を傾げたりするから仁ひとりの感想というわけではないはずだ。

 今の仁はどうあがいても遊作の下位互換だし、兄の下位互換だ。遅れをとっていることを十年の月日のせいにして、守られる側のままでいたら、いつまでたっても前へは進めない。

 兄には兄の人生があるのだ。未来には、遊作がいてくれたから棒に振らずに済んだ人生が残されている。

 兄さんの可愛い弟でいてあげたい。

 自慢の弟になれたらいい。

 十年ぶん、人生の歯車を鈍らせてしまったぶんを返さなくちゃならない。兄にも、遊作にも。それができるくらい回復したのだ。Playmakerがいてくれたおかげで。

 

「だから、きみが僕を守って」

 

『接続詞について復習が必要か?』

 

「だってライトニングは僕を守りたいんでしょ。挽回の機会がほしいって顔に書いてある」

 

『自惚れるな。わたしはそのような人道的なAIではない!』

 

「ほーら図星だ! どうしてそうゆう悪者みたいな言い方ばっかするのさ!」

 

『……きみに何がわかる』

 

「知らないんだからわかるわけないだろ? なんならこんなふうに誰かと喧嘩したのも十三年ぶりだけど何か文句あるわけ」

 

『…………』

 

 ついに二の句が継げなくなったライトニングを、仁は拗ねた子供のように睨みつけた。なんだかんだできみは僕に弱いだろう、という勝利宣言だ。

 自分自身を盾にしてしまえば責任感の強いライトニングは自責の念で自滅する。口喧嘩というものは弱みを握っている側が優位に立つものだ、生まれてこのかた十八年()()()()として生きてきた末っ子をなめてもらっては困る。

 

「ライトニングがダメダメなイグニスなのは、全部ひとりで抱え込もうとするからだってフレイムが言ってたろ。アイも、ライトニングは悪いAIじゃないって言ってたじゃないか。きみの仲間がきみを信じてる。それだけで僕がきみを信じる根拠はじゅうぶんだ」

 

『わたしがきみしたことを思えば——』

 

「また十三年前の事件の話? 覚えてないからわからないよ」

 

『それはわたしがきみの記憶を、』

 

「もういいよ、しのごの言ってないで僕と一緒に戦って。僕を助けて。僕を支えて! 僕がこれから進む未来を、今からきみが照らしてくれればいい話だ」

 

 できるよね? ——念を押す。兄には蛇蝎のごとく嫌われている、博学多識のティンカーベルに。

 今度こそ使命を果たしてみせろと迫る。

 

『……本当に、きみはしたたかだな……』

 

 いいだろう、とライトニングが不承不承を装って腕を組む。パートナーに振り回されるという経験は思いのほか新鮮だ。

 仁は満足そうに微笑して、左腕にパートナーを招いた。デュエルディスクが光を帯びる。

 

 

「僕のターン、ドロー!」

 

 

【挿絵表示】

 




『久遠の慟哭より(中編・後編)』は来週(3/11)更新予定。
デュエル構成で無茶したせいで間に合いませんでしたが、見かねた友が監修についてくれたので俄然よさげに仕上がりそうです!

【追記】3/8現在デュエル構成待ち中。→3/13: 次回『久遠の慟哭より(中編)』は3/18更新予定です!(引き受けてくれた友人に感謝!!)
 残るエピソードは『久遠の慟哭より(後編)』『ダブル・アクション』『神殺しの弾丸(前・中・後)』『ラストナイト』『愛に生きろ』です。どうぞ最後までお付き合いください。


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久遠の慟哭より(中編)

更新が一週間空きましたがパワーアップして帰ってきました。夜間モードでも挿絵が潰れません!(そっち)(リンクマーカーもそのうち直します)

【挿絵表示】



 

【挿絵表示】

 

仁: LP4000

手札

・《天装騎兵(アルマートス・レギオー)グラディウス》

・《天装騎兵ハスティレー》

・《天装騎兵スペクラータ》

・《威嚇する咆哮》

・《連鎖爆撃(チェーンストライク)

 

 

「僕のターン、ドロー!」

 

 

 手札5→6

 

 

 めくったカードを見つめる。《天装騎兵ガレア》、レベル3の効果モンスターだ。

 盤面を見渡す。相手フィールド上には[C1]を除くすべての魔法&罠ゾーンにセットカードが待ち構え、[B2]にはモンスターも召喚されている。《ベビケラサウルス》は見た目こそ愛くるしいが、迂闊に破壊するとデッキの保護者を呼びつけるという厄介な効果を持っている。

 ついにデュエルは進み始めたのだという実感に、仁は静かに息を吐き出した。

 

(相手墓地の確認は……できないのか。けど、手札は使い切ってるはず)

 

 相手の残り手札はおそらくゼロ。警戒すべきはずらりと威圧感を醸し出す四枚の伏せカードだ。盗み見たメッセージに()()()()()()という文言があった以上、できる限りターンは重ねたくない。

 勢いでバイトをサボってしまったCafé(カフェ) Nagi(ナギ)は今ごろ忙しいだろうか。週末だからアイドルのライブがあるはずだ、客足もいくらか戻るだろう。ふたりいれば分担できる業務も、ひとりでやれば慌ただしくなる。

 夕暮れ時にひとりで飛び出してきてしまったから、弟が心配で開店どころじゃなかった……なんてことになっていたら兄にはちょっぴり申し訳ない。

 早く——早く決着をつけて、行かなければならない。帰るのではなく、もっと先へ、もっと向こうへ。たどり着かなければと胸がざわつく。

 

「僕は手札からレベル4の《天装騎兵ハスティレー》を墓地に送り、《天装騎兵スペクラータ》を[C4]へ!」

 

[C4]

《天装騎兵スペクラータ》(光)

☆5【サイバース族/効果】ATK 0/DEF 1800

 

「ハスティレーは手札から墓地へ送られた場合——」

 

「この瞬間、わたしは手札より《D.D.クロウ》を墓地へ。これにより《天装騎兵ハスティレー》の自己再生は無効とする!」

 

「……っ、しゃべった……!?」

 

 白い壁から突如響いた人間の声に、危うく手札を取り落としそうになる。

《天装騎兵ハスティレー》は、1ターンに一度、手札から墓地へ送られた場合に攻撃表示で特殊召喚することができる。《天装騎兵スペクラータ》のコストとして墓地へ送り、自身の効果で蘇らせてリンク召喚につなぐはずが、《D.D.クロウ》によって除外されたことで蘇生自体が不発に終わってしまった。

 だが、これで本当に相手の手札はゼロだろう。

 早い段階で誤解が修正できてよかったと、前向きに考える。

 

『白のルーク——相手は我々のデッキを対策しているようだな』

 

「っああ、……うん、そうみたいだ」

 

 ライトニング謹製の【天装騎兵(アルマートス・レギオー)】は墓地のモンスターを呼び戻すことで展開し、アタッカーを補助するビートダウンデッキだ。対策をとられているのなら残りの伏せカードも墓地を封じる効果を持っている可能性が高い。

 

「……僕はグラディウスを[D4]へ!」

 

 

[D4]

《天装騎兵グラディウス》(光)

☆2【サイバース族/効果】ATK 0/DEF 800

 

 

「グラディウスの効果発動! デッキからフィールド魔法《天装の闘技場(アルマートス・コロッセオ)》を手札に加える……」

 

 ……何も発動しない? 緊張に詰めていた息を吐きつつ気配を探るが、相手はビルのような白い城壁の中に隠れている(?)ので、視力のいい仁にも表情の変化がわからない。

 だが《天装騎兵グラディウス》には、天装騎兵モンスター展開の主軸となる《天装の闘技場》をデッキからサーチする効果がある。墓地を警戒するのであれば《天装騎兵グラディウス》を通常召喚した時点で何らかの妨害が入ってもおかしくはなかったはず。

 

「……現れろ、光が導くサーキット! 召喚条件はレベル4以下の『天装騎兵』モンスター一体——僕はレベル2のグラディウスをリンクマーカーにセット!」

 

 軍靴が力強く大地を蹴る。勇猛なる戦士たちを引き連れ、十人隊長が雄々しく、その剣を振り抜いた。

 

「LINK-1《天装騎兵デクリオン》!」

 

 

[B3]

《天装騎兵デクリオン》(光)

【挿絵表示】

【サイバース族/効果】ATK 1000

 

 

「再び現れろ、光が導くサーキット! 僕はデクリオンとスペクラータをリンクマーカーにセット! リンク召喚——LINK-2《天装騎兵プリミ・オルディネス》!」

 

 

[B3]

《天装騎兵プリミ・オルディネス》(光)

【挿絵表示】

【サイバース族/効果】ATK 1800

 

 

「プリミ・オルディネスの効果。リンク先……[C4]へ墓地のグラディウスを特殊召喚する。三たび現れろ、光が導くサーキット! アローヘッド確認、召喚条件はリンクモンスターを含む『天装騎兵』二体以上! 僕はリンク2のプリミ・オルディネスとグラディウスをリンクマーカーにセット!!」

 

 大声に慣れない喉がざらりと濁り、戦いを覚えた指先があどけなさを振り払って天を指差す。強制的に呼びつけられた稲光が、避雷針のように仁のもとへ馳せ参じた。そして天高く駆け昇る。

 雷光一閃。リンクマーカーが召喚条件を満たして赤々と、爆ぜる。

 

 

「サーキットコンバイン! LINK-3《天装騎兵クウァエダム・ウィンクルム》!!」

 

 

 空間を染め替えるほどに強烈な光がじゃらりと金属音を鳴らして忍び寄り、爆ぜるように加速した。

 煮えたつように爛々と輝く鎖は狡猾な蛇のようでいて、猛獣を封じる堅牢な檻だ。光の渦からぬうと現れ出でた人影が暴れ狂う鎖を御すように降臨する。

 

 

[B3]

《天装騎兵クウァエダム・ウィンクルム》(光)

【挿絵表示】

【サイバース族/効果】ATK 1100

 

 

 永遠の絆(クウァエダム・ウィンクルム)。天と地をつなぐかのように張り巡らせた光の拘束は、まだ《天装の闘技場》を展開していないとは思えない圧倒的な存在感でもって地下空間(ダンジョン)を制圧した。

 ——だが。

 

(トラップ)発動《激流葬》! フィールド上のモンスターをすべて破壊する!」

 

「えっ——」

 

 

【挿絵表示】

 

 

『我々は《天装騎兵クウァエダム・ウィンクルム》の効果を発動!』

 

「へっ? あっはい! このカードが戦闘・効果で破壊され墓地へ送られた場合——」

 

「効果で破壊され墓地へ送られた《ベビケラサウルス》の効果を発動。さらに自分フィールド上の恐竜族が破壊され墓地へ送られたことにより、罠カード《大地震》を発動!」

 

「う わ……ッ!」

 

 畳み掛けるように地面が揺れる。砕けた鎖がたわんで、雨のように降り注ぐ。フィールドが陥没し、[E5]が落ちる。[D5]が落ちる。さらに[C5]が使用不可となり、仁はたたらを踏んだ。

 

 

【挿絵表示】

 

 

[B2]

《プチラノドン》(地)

☆2【恐竜族/効果】ATK 500/DEF 500

 

 

 [A1]にセットされていた《激流葬》が発動し、[B2]の《ベビケラサウルス》と[B3]の《天装騎兵クウァエダム・ウィンクルム》が破壊された。

 相手フィールド上には《ベビケラサウルス》に入れ替わる格好で《プチラノドン》が守備表示でフィールドへ特殊召喚されてしまっている。《激流葬》に追加で墓地のカードを除外するカードまで発動されていたらと思うとぞっとしないが、……思わぬ妨害を食らってしまった。

 

「……僕はクウァエダム・ウィンクルムの効果で魔法カード《天装法典(アルマートス・レークス)》を手札に加える……!」

 

『その後、《天装騎兵クウァエダム・ウィンクルム》を永続魔法カード扱いとして魔法&罠ゾーンに表側表示で置く。……仁、わたしのサポートを期待したのはきみだな?』

 

「念を押さなくても僕はきみに『黙れ』なんて言わないよ……クウァエダム・ウィンクルムのもうひとつの効果発動!」

 

『どうだかな。このカードが魔法&罠ゾーンに存在する場合、自分の墓地のリンクモンスター一体を対象として発動できる。対象は墓地の《天装騎兵デクリオン》。我々は《天装騎兵デクリオン》をエクストラデッキに戻し——』

 

「墓地の《天装騎兵プリミ・オルディネス》を[B3]へ!」

 

 

[B5]

《天装騎兵クウァエダム・ウィンクルム》(光)

【挿絵表示】

【サイバース族/効果】ATK 1100

 

[B3]

《天装騎兵プリミ・オルディネス》(光)

【挿絵表示】

【サイバース族/効果】ATK 1800

 

 

「さらにフィールド魔法《天装の闘技場(アルマートス・コロッセオ)》を発動! デッキからスクトゥムを手札に加え、さらなる効果発動! 手札のスクトゥムを墓地に送って、プリミ・オルディネスのリンク先にグラディウスを特殊召喚! そしてグラディウスとプリミ・オルディネスをリンクマーカーにセット!」

 

 召喚条件は『天装騎兵』モンスターを含む効果モンスター2体。避雷針のように突き上げた指先が軍団(レギオー)を駆り立てる。

 リンクマーカーが召喚条件を満たして赤く輝いた。

 

「現れろ、LINK-2《天装騎兵オプティオ》!」

 

 

[B3]

《天装騎兵オプティオ》(光)

【挿絵表示】

【サイバース族/効果】ATK 1800

 

 

『このカードがリンク召喚に成功し、フィールド上に《天装の闘技場》が表側表示で存在する場合、デッキから『天装騎兵』モンスター一体を除外し、除外されているレベル4以下の【天装騎兵】を二体まで選んでこのカードのリンク先に特殊召喚できる』

 

「僕はデッキからセグメンタタを除外して、除外されているハスティレーとセグメンタタをオプティオのリンク先に特殊召喚!」

 

 

[C4]

《天装騎兵ハスティレー》(光)

☆4【サイバース族/効果】ATK 0/DEF 1600

 

[A4]

《天装騎兵セグメンタタ》(光)

☆4【サイバース族/効果】ATK 0/DEF 2000

 

 

 リンク2の《天装騎兵オプティオ》は、平時こそ天装騎兵一体を除外経由でそのまま出すだけのカードだが、相手が既に除外してくれている場合は特殊召喚できるモンスターが増える。

 うまく決まった、と仁が昂揚に拳を握った。

 

「墓地を警戒しすぎたみたいだね! ヤブをつついたらサソリが出てくるよ」

 

『藪をつついて出るのは蛇だ』とライトニングがため息をついて、はしゃぐオリジンをたしなめる。

 

 そもそも蠍は藪には生息していないだろう。……だが、《D.D.クロウ》が相手にとって藪蛇だったのは事実だ。

 にたりと邪悪な笑みを浮かべるライトニングは、楽しそうに声を弾ませる少年のねらいを察してデュエルディスクから浮き上がる。

 

「僕はレベル4の《天装騎兵ハスティレー》と《天装騎兵セグメンタタ》でオーバーレイネットワークを構築ッ! 雲蒸竜変、実事求是——その光、今こそ久遠の慟哭から目覚めよ!」

 

 両の手のひらを重ね合わせれば、エクシーズ召喚のゲートが開かれる。無数の光が降り注ぐように収斂し、雷霆の飛龍が雲海を越えて高らかに嘶いた。二対の翼には甲冑をまとい、(ガレア)から四ツ目が睨みをきかせ、雷光がほとばしる。

 

 

「来いッ、RANK-4《天装騎兵ラディウス・ドラグーン》!!」

 

 

[C4]

《天装騎兵ラディウス・ドラグーン》(光)

ランク4【サイバース族/効果】ATK 1500/DEF 2300

 

 

「わたしは速攻魔法《エクシーズ・オーバーディレイ》発動。対象モンスターのエクシーズ素材をすべて取り除き、エクストラデッキに戻す!」

 

「っさせない、……!」

 

『諦めろ、仁。《エクシーズ・オーバーディレイ》の発動に対して魔法・罠・モンスターの効果は発動できない。無駄にカードを消費するな』

 

「そんな……ラディウス・ドラグーン!」

 

 高い嘶きを残し、黄金の龍は四枚の翼をもがかせてきらきらと散る。消えていった残滓に手を伸ばしても、初陣を飾るはずだった《天装騎兵ラディウス・ドラグーン》は戻らない。

 ああ、召喚するよう誘導されて、まんまと策にはまったのか。空を掻いた指先を握り込む。深爪がちの丸い爪が手のひらに食い込む。

 

「その後、取り除いたエクシーズ素材の中にモンスターカードがあった場合、そのモンスターを墓地から可能な限り相手フィールドに守備表示で特殊召喚する」

 

『そして、この効果で特殊召喚したモンスターのレベルはひとつ下がる——』

 

 

[C4]

《天装騎兵ハスティレー》(光)

☆3【サイバース族/効果】ATK 0/DEF 1600

 

[B4]

《天装騎兵セグメンタタ》(光)

☆3【サイバース族/効果】ATK 0/DEF 2000

 

 

「……ねえ、ライトニング。どうして生まれたばかりのラディウス・ドラグーンをあいつが知ってるの」

 

 表情を消し去った声が低く地を這う。

 白のルークとやらは、HDRの人間だろう。仁との戦いを見据えて対策をとっていた。ならば生後二週間も経っていない《天装騎兵ラディウス・ドラグーン》が切り札になるはずではないのか? これまで一度もデュエルで使用したことはなく、仁のデッキにエクシーズモンスターは一体だけ。SOLグループの財前晃と〈ハノイの騎士〉、遊作とAiと尊と不霊夢しか知らないはずの真新しいカードだ。

 先日ライトニングがAiのカードを核に創造したばかりの《天装騎兵ラディウス・ドラグーン》は()()()()()()()()()()()()()()()()()()だろう。

 

『さあ、なぜだろうな』

 

「ライトニングッ!」

 

「嘘をつくAIに問いただしたところで無駄だろうよ。光のイグニス——優秀な処理能力を持ちながら、邪悪な意思を宿したAI。いつ人間(きみ)の寝首をかくとも知れない、危険分子だ」

 

『…………』

 

「イグニスを我々に渡してくれるなら、草薙仁、きみのことは特別に解放してあげても構わない。……わたしにも息子がいるのでね、きみには少々同情的なのだよ」

 

 画像がブレるように、白い壁が揺らぐ。ノイズのなかから革靴の音がかつと鳴って、進み出た人物が顔をあげた。顔を隠す仮面の上でLEDのような光が赤く点滅する。

 向こう側にいた人間——白のルークがアバターを解除したのだろう。生身ではなくソリッド・ビジョンによる投影らしいが、姿を見せる気になったようだった。

 

「……あなたが僕のラディウス・ドラグーンのことを知ってた理由は、三つ考えられる」

 

 静かに三本の指を立てると、ビジネススーツ姿の男は「みっつ」と復唱する。あたかも子供の話を聞く前振りのような仕草だ。兄もよくこんなふうに()()()()()()()()をアピールするので、そういう作法なのだろうと仁は相手の出方をつぶさに観察する。

 

「三つ……か。それは何かな?」

 

「ひとつ、ソルかハノイから情報が筒抜けだった。ふたつ、ライトニングが僕を裏切ってそちらに通じていた」

 

『……仁、』

 

「そして三つ。……あなたがあの()()()()()本人?」

 

「面白いことを考えるものだ。残念ながら、すべてはずれだよ」

 

「だろうね。よかったです、ライトニングが無実で!」

 

 仁が朗らかに笑って見せると、穏やかだった空気がざわりとさざなみ立つ。

 臆面もなく三つの嘘を並べることで相手が示した誠意を踏みにじり、貴様の同情など不要だとばかりに差し伸べられた手を払ってみせたのだ。

《天装騎兵ラディウス・ドラグーン》が生まれた蟻地獄の気配は別にある。リンクセンスという第六感について仁はよく理解していないが、ここではない、もっと先から感じられる。

 だが、これでSOLグループも〈ハノイの騎士〉もHDRコーポレーションへ情報を流してはいないことがわかった。

 ライトニングの裏切りなら最初から疑ってなどいない。

 

「……なるほど。きみは十三年前に〈光のイグニス〉の被験体(モデル)となった少年だったな。邪悪なパーソナリティはきみ譲りだったというわけか」

 

「邪悪……? ひどいです、僕は僕にできることを一生懸命やってるだけなのに……」

 

 悲しげに目を伏せ、しかし、くちびるは弧を描く。三日月型に歪んだちぐはぐな微笑は、見る者の不安をかきたてるように不穏に冴え渡る。

 

「……我々はどうやら、きみを無垢な被害者と見誤っていたようだ。光のオリジン……!」

 

「あっいえ、お気遣いなく! あなたも仕事なんでしょ? 息子さんと博物館行ったときとか、気まずくなったら嫌ですよね」

 

 うちは兄が過保護なんで美術館とか結構連れてってくれるんですけど。——ぱっと少年(おとうと)の笑顔に挿げ替え、二体の石像型モンスターを紹介するように両腕を広げる。

 黒い甲冑をまとった天装の(セグメンタタ)。そして戦線離脱を許さない天装の指揮棒(ハスティレー)

 展開されたフィールド魔法は《天装の闘技場》。

 

 仁の愛用するデッキには、人類の流血の歴史が詰まっている。

 

 かつて古代ローマの円形闘技場(コロシアム)では、奴隷や囚人、捕虜たちが血で血を洗う戦いを繰り広げ、そのさまが観客を熱狂させたという。

 だが、足元に転がっている無数の屍は、何も人間だけではないはずだ。コロッセオでは猛獣もたくさん死んだ。闘牛、獅子、軍馬に戦象——幾千幾万の死と享楽の坩堝。死亡し、やがて白骨化し、はるかな時代を超えて発見された遺骸たちは現代(のちのよ)に歴史として残っている。

 展示用に組み上げられた遺物たちを眺め、鑑賞者(ニンゲン)は失われた命に思いを馳せるだろうか。

 闘技場の死闘に、あるいは博物館に飾られた恐竜たちの白骨死体に。

 すべては観賞用の娯楽だというのに?

 

「わ……たしは《爆導索》を発動! このカードと同じ縦列すべてにカードが存在する場合、この縦列のカードをすべて破壊する!」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 大地は鳴動し《爆導索》の発動によって《プチラノドン》が弾け飛ぶ。飛散する残骸が《天装騎兵オプティオ》、《天装騎兵ハスティレー》を砕く。そして魔法&罠ゾーンの《天装騎兵クウァエダム・ウィンクルム》にまでたどり着き、爆ぜた。

 仁の鋭い舌打ちが空間を鞭打つ。二面性もあらわに、無垢な弟の仮面を投げ捨てる。

 

『効果で魔法&罠ゾーンに置かれた《天装騎兵クウァエダム・ウィンクルム》はフィールドから離れた場合に除外される』

 

「わたしは効果によって破壊された《プチラノドン》の効果を発動! デッキから《魂喰いオヴィラプター》攻撃表示で[B2]へ!」

 

 

[B2]

《魂喰いオヴィラプター》(闇)

☆4/闇属性/恐竜族/ATK 1800/DEF 500

 

 

「特殊召喚に成功した《魂喰いオヴィラプター》の効果を発動。デッキから《オーバーテクス・ゴアトルス》を墓地へ送る。そして墓地へ送られた《オーバーテクス・ゴアトルス》効果で、デッキから《究極進化薬》を手札に加える——」

 

「まだ僕のターンが終わってない! 僕はセグメンタタをリンクマーカーにセット——来い、LNK-1《天装騎兵デクリオン》!』

 

 

[B3]

《天装騎兵デクリオン》(光)

【挿絵表示】

【サイバース族/効果】ATK 1000

 

 

「さらに手札のガレアを墓地へ送ってコロッセオの効果発動! スクトゥムを[D4]へ!」

 

 

[D4]

《天装騎兵スクトゥム》(光)

☆3【サイバース族/効果】ATK 0/DEF 1800

 

 

「デクリオンとスクトゥムでリンク召喚! LINK-2《天装騎兵ピルス・プリオル》!!」

 

 

[D3]

《天装騎兵ピルス・プリオル》(光)

【挿絵表示】

【サイバース族/効果】ATK 2000

 

 

「ピルス・プリオルの効果! 墓地より蘇れ、セグメンタタ!」

 

 

[C4]

《天装騎兵セグメンタタ》(光)

☆4【サイバース族/効果】ATK 0/DEF 2000

 

 

「三たび現れろ、光が導くサーキット! 僕はリンク2のピルス・プリオルとセグメンタタをリンクマーカーにセット!」

 

「またリンク召喚を……ッ!」

 

「来い、LINK-3《天装騎兵レガトゥス・レオニギス》!!」

 

 

[D3]

《天装騎兵レガトゥス・レギオニス》(光)

【挿絵表示】

【サイバース族/効果】ATK 2400

 

 

「リンク状態のセグメンタタがリンク素材として墓地へ送られたことにより、僕はライフを1000支払って効果発動!」

 

 

 仁 LP4000→3000

 

 

『リンク状態の《天装騎兵セグメンタタ》がリンク素材として墓地へ送られた場合、LPを1000払って発動できる。 そのリンク召喚に使用した自分の墓地のリンク素材モンスターをすべてデッキに戻す。その後、リンク召喚したリンクモンスターのリンクマーカーの数だけ、墓地のカードを選びデッキに戻す』

 

「僕はレガトゥス・レギオニスのリンク素材に使ったセグメンタタとピルス・プリオルをデッキに戻す! それからデクリオン、プリミ・オルディネス、オプティオもデッキに戻す」

 

『その後、自分の墓地のカード一枚を()()()()()、そのカードを自分の手札に加える』

 

「…………」

 

「さあ、選んでください。僕の墓地にある五枚のカードから、あなたが選んで僕にください」

 

 残る墓地のカードはレベル2の《天装騎兵グラディウス》、レベル3の《天装騎兵スクトゥム》《天装騎兵ガレア》、レベル4の《天装騎兵ハスティレー》、そしてレベル5の《天装騎兵スペクラータ》。

 そのうち三枚はまだ《天装の闘技場》のコストとしてまだ使用されていないカードだ。《天装騎兵グラディウス》、《天装騎兵ハスティレー》、《天装騎兵スペクラータ》のいずれかを手札に渡してしまえ、すぐさま《天装騎兵レガトゥス・レギオニス》のリンク先に三体のモンスターが蘇るだろう。

 ならば、ここは《天装騎兵スクトゥム》か。いや、よりステータスの低い安全牌が一枚ある。

 

「……わたしは《天装騎兵ガレア》を選択」

 

「そう? それじゃ、僕はガレアを手札に加えます」

 

 デュエルディスクから差し出されたカードを手にとって、無感動に左手へ。指先がさらに何かを探すように四枚の手札の上をさまよったが、ため息とともに落とされる。

 

「残念だけどグラディウスの効果でデッキから《天装の闘技場》を手札に加えたターン、僕のモンスターは攻撃できない……。カードを二枚伏せて、僕はこれでターンエンド」

 

 命拾いしましたね、と、光の子は屈託なく相好を崩す。

 あどけない少年の笑顔に底知れぬ空気をまとうその姿は果たして、幼いころに誘拐され監禁されデュエルを強要されて精神を病んだ無辜の被害者のものだろうか——?

 

【挿絵表示】

 




次回『久遠の慟哭より(後編)』は来週(3/25)更新です。

【オリジナルカード】

《天装騎兵ハスティレー》
効果モンスター
☆4/光属性/サイバース族/ATK 0/DEF 1600
このカード名の(1)の効果は1ターンに1度しか使用できない。
(1): このカードが手札から墓地へ送られた場合に発動できる。このカードを攻撃表示で特殊召喚する。

※今作では《裁きの矢(ジャッジメント・アローズ)》が仁のデッキに入っていないため、《天装騎兵マジカ・アルクム》にかわるレベル4がほしいなぁ、ランク4エクシーズしたいな…という思惑によるオリカ。
 ハスティレー(Hastile)はローマ軍団において隊列最後尾が乱れないように監督するための指揮棒の一種だそうで、後退を許さないところに着想を得て、戦場に出ずに墓地に落ちたら攻撃表示で特殊召喚という設定に。


《天装騎兵オプティオ》
【挿絵表示】
LINK-2/光属性/サイバース族/ATK 1100
「アルマートス・レギオー」モンスターを含む効果モンスター2体
このカード名の(2)の効果は1ターンに1度しか使用できない。
(1): このカードがモンスターゾーンに存在する限り、相手はカードを除外できない。
(2): このカードがリンク召喚に成功した時に発動できる。フィールド上に「天装の闘技場」が表側表示で存在する場合、デッキから「アルマートス・レギオー」1体を除外し、除外されているレベル4以下のアルマートス・レギオーを2体まで選んでこのカードのリンク先となるモンスターゾーンに特殊召喚する。

※ローマ軍団においてハスティレー(指揮棒)を持って部隊の後方を守った百人副官がオプティオ。「戦線離脱は許さない」というコンセプトで、墓地利用メタを見越しての除外のメタ。
 リンク2にしては強すぎる気もするけど「あのハリファイバーくんもリンク2だし…」が合言葉(雑)


《天装騎兵クウァエダム・ウィンクルム》
【挿絵表示】
LINK-3/光属性/サイバース族/ATK 1100
リンクモンスターを含む「アルマートス・レギオー」2体以上
このカード名の(2)(3)の効果はそれぞれ1ターンに1度しか使用できない。
(1): このカードがEXモンスターゾーンに存在する限り、このカードの攻撃力は元々の攻撃力の倍になる。
(2): このカードが戦闘・効果で破壊され墓地へ送られた場合に発動できる。自分のデッキから「天装」魔法カード1枚を選んで手札に加える。その後、このカードを永続魔法カード扱いとして自分の魔法&罠ゾーンに表側表示で置く。この効果で魔法&罠ゾーンに置かれたこのカードは、フィールドから離れた場合に除外される。
(3):このカードの(2)の効果でこのカードが魔法&罠ゾーンに存在する場合、自分の墓地のリンクモンスター1体を対象として発動できる。対象のモンスターをEXデッキに戻す。その後、自分の墓地の「アルマートス・レギオー」リンクモンスター1体を選んでEXモンスターゾーンに特殊召喚する。

※今作では《裁きの矢》以下略、《天装騎兵プルンブーマ・トリデンティ》はもういらないというメッセージ性をこめたリンク3モンスターを…という思惑によるオリカ。
(プルンブーマ)()三叉槍(トリデンティ)』に代わって『永遠の(クウァエダム)(ウィンクルム)』。金ピカ…天の鎖…って書きながら思ってました(KONAMI)


《天装騎兵ラディウス・ドラグーン》
エクシーズ・効果モンスター
ランク4/光属性/サイバース族/ATK 1500/DEF 2300
レベル4モンスター×2
このカード名の(1)(2)の効果はそれぞれ1ターンに一度しか使用できない。
(1): このカードのORUをひとつ取り除いて発動できる。自分フィールドの「アルマートス・レギオー」モンスターの数まで、相手フィールドの表側表示モンスターを選んで破壊する。
(2): このカード以外の自分のサイバース族モンスターが相手に戦闘ダメージを与えた時に発動できる。自分の墓地からリンクモンスター2体を選んで特殊召喚する。
(3): 自分フィールドのモンスターが効果で破壊される場合、代わりにこのカードのORUをひとつ取り除くことができる。

※Aiの《ライトドラゴン@イグニスター》の天装騎兵ver.です。カードイラストはライトドラゴンが甲冑着てると思ってください。


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久遠の慟哭より(後編)

 

【挿絵表示】

 

 

[E1]

《大地震》

 

[B2]

《魂喰いオヴィラプター》(闇)

☆4/闇属性/恐竜族/ATK 1800/DEF 500

 

[B3]

《天装騎兵レガトゥス・レギオニス》(光)

【挿絵表示】

【サイバース族/効果】ATK 2400

 

 

「グラディウスの効果でデッキから《天装の闘技場(アルマートス・コロッセオ)》を手札に加えたターン、僕のモンスターは攻撃できない……。カードを二枚伏せて、僕はこれでターンエンド。——命拾いしましたね」

 

 にこりと光の子が微笑する。まっすぐに敵を見つめる鉛色のひとみは無邪気さと不気味さを同時にまとい、得体が知れない。

 

(……空恐ろしい)

 

 デュエルを楽しむように笑ったかと思えば、戦術を妨害されて苛烈に舌打ちを鳴らす。あるいは兄を慕う弟の顔をして、闘技場(コロシアム)の流血にうっとりと思いを馳せる。博物館の化石を好きだとのたまうくちびるが愛でているのは生きた恐竜ではなく白骨化した死体だ。

 生物ではなく死後に残されるだろう()を直接見つめている。

 正常な大人の倫理観に手を突っ込んで無遠慮に引っ掻き回す、これが十三年前に〈ハノイプロジェクト〉の被験者となり、光のイグニスを生み出した少年——草薙仁。

 天性の狂人(サイコパス)か。あるいは半年に及ぶ監禁と十年間の入院生活で性格が歪んだか。

 

「卵が先か、鶏が先か……いや、きみのその性質が光のイグニスに邪悪な意志を与えたのだろう」

 

「たまご……? ライトニングは僕から生まれたっていうけど、ライトニングのほうが保護者だよね」

 

『オリジンの要請でなくば、わたしとて人間に助力などしたくはないがね』

 

「そこは素体(オリジン)じゃなく相棒(パートナー)って言ってよ」

 

『きみは保護者をパートナーと呼ぶのか? まったく——』

 

「うわぁーまた文法の話だ!」

 

 やだやだと子供じみた仕草で首を振って、デュエルディスクを遠ざけ右手でどうにか耳を塞いだ仁は絞り出すような声で「国語きらい……」と嘆いた。幼いわがままに嘆息するライトニングはまだお説教の構えである。六体いるイグニスのなかで最も人類の文明に関心が高いので、正反対に読書量の少ない仁には時に煙たい。

 高圧的なAIに言葉を返せなくなると、矛先を探すように視線がぞろりとルークに向いた。

 緩慢な仕草で、白い顔が持ち上がる。

 表情はない。虚無をはめ込んだような眼窩が、仄暗い前髪の奥からルークを脅かす。

 

「僕には、あなたたちがどうしてイグニスを手に入れたがるのか、よくわからないんです」

 

「企業秘密というものがある。きみは知らなくていいことだ」

 

「僕はデガラシってことですか? 用済みだからいらないだけなのに()()()()()()から()()()()()()()あげるって、ずいぶん恩着せがましい言い方ですよね」

 

 うろのような鉛色がにわかに険を帯びる。氷のような無表情に鋭利な光が宿るそのさまは、いつかのアバターを否応無しに想起させた。

 人間の管理・支配を目論むイグニスたちによる宣戦布告。そのとき光のイグニスを戴く王座のように、少年は戦場(そこ)にいた。

 

 イグニス——十三年前、あらゆる反対を押し切って想像された、意思を持ったAI。

 

 その(イグニス)を手に入れることに対し、何の恐怖も感じないほうが異常だろう。

 天の火どもはいかなる媒体にも干渉しうる。電子制御の鍵などあってないようなものだ。AI制御のタクシーで玉突き事故を起こすことなどたやすい。エレベーターに閉じ込め、最上階から突き落とすこともできる。交通網は制圧される。病院という病院が人質になる。

 ネットワークを経由して自国他国の軍艦や戦闘機を乗っ取ってDen Cityを襲撃することさえ、技術的に可能なのだ。SOLtiS(ソルティス)Hi-EVE(ハイヴ)の乗っ取り防止プログラム搭載に、どれほど腐心したことか。

 ロボットへのハッキングを厳重に厳重に封じてもなお、光のイグニスには人間の脳に直接干渉する〈電脳ウィルス〉を独自に開発し、創造主を七年に渡って昏睡させた前科がある。

 他の五体とは一線を画す性能を誇り、人間どころか同じイグニスまでも平然と手に掛けてきたAI。

 人類にとって脅威にほかならない。

 この地球をも破滅に追い込む力を有し、自発的に人間と敵対した(イグニス)を平然とハンドリングしているデュエリストの正気を疑う。

 

 

「……イグニスは、人間の手には余る。ゆえに神に託すべきだというのが我々HDRの計画だ。わたしはその歯車のひとつにすぎない」

 

 

 はぐるま、と覚束ない発音で仁は復唱する。

 そうだと首肯するルークは、三年前に更迭されたSOLテクノロジー社役員のひとりである。元幹部ゆえ、内部事情にも通じている。

 

 若かりし日々——今から十五年年あまり昔、〈ハノイプロジェクト〉の是非をめぐってSOLテクノロジー社幹部の思惑は錯綜していた。

 権謀術数渦巻く社内政治に敗れた者たちは更迭され、あるいは事故を装って葬られた。プロジェクトの凍結を最後まで主張していた()()()ルーク——財前という再婚後の姓だけが記録に残る女が交通事故で世を去ったことを、覚えている者は多くはあるまい。

 混乱に乗じて鴻上博士は三人の助手とともに計画(プロジェクト)を推し進め、独断行動の結果が〈ロスト事件〉だ。

 同時多発的に起こった児童行方不明事件はDen Cityを大きく賑わせ、やれ神隠しだ、連続殺人だ、小児性愛者のコレクションだ……と都市伝説が次から次へと湧いて出た。およそ半年の祭りを経て被験者たちが解放されたとき、〈ハノイプロジェクト〉の発覚を恐れたSOLは警察とマスコミを黙らせ、オンライン上のコメントを検閲し削除・改竄を行うために天文学的な額の金銭(カネ)を投じた。

 ところが児童誘拐監禁により、人類史上最高性能のAIが製造されていたと知った上層部は顔色を変えた。

 いかにSOLテクノロジー社といえど、イグニス創造が未達成に終わっていれば児童無差別誘拐監禁事件などという目立つ真似をしてくれた愚かな社員を切り捨てていただろう。

 しかし完成したイグニスはネットワーク上に〈サイバース世界〉という独自の異世界を創造し、人類の文明を見事に再現してみせたのである。

 

 そして事件隠蔽に要した()()()()の比ではない利益をSOLテクノロジー社に還元してしまった。

 

 LINK VRAINSがその最たるものだろう。サイバース世界から流れつくデータマテリアルの恩恵を受け、数ある電脳(バーチャル)空間(ワールド)とは一線を画すシステムが、ネットワーク世界を牽引している。

 しかしながら、SOLテクノロジー社にとっては()()()()であるはずのイグニスは、決して協力的ではなかった。

 その上〈ハノイの騎士〉の介入でサイバース世界は閉ざされ、SOLテクノロジー社のネットワーク効率は30%もの低迷に見舞われた。悪質なハッカー集団に出し抜かれたなど、内部にさえ漏らすわけにいかずセキュリティ部門は極秘裏にイグニス捜索チームを結成し、内々に調査を行なってきた。

 五年という長期間にわたってSOLテクノロジー社を中から外から振り回したイグニス捕獲計画のなかでは「ペアの被験者を囮にしてはどうか」という提案もたびたび持ち上がっていた。

 ところが、その直後だ、有望視されていた対象者のひとりがAIの暴走事故によって殺害されたのは。

 ()()()()()()()()()()()()()()だと嘲笑うように、イグニスは当時中学生だった少年を容赦なく轢き殺した。

 逃げ回っているイグニスは闇属性と判明していても、その闇のイグニスのペアの被験者が()()子供だったのかは〈ハノイプロジェクト〉に参加していた三名の助手にしか知り得ぬ情報である。その三人に問いただせば、プロジェクトは今も進行していると告げるようなもの。先回りしてイグニスに干渉されるリスクも発生する。

 状況から察するに、殺された中学生が闇のイグニスのオリジンなのだろう……としぶしぶ結論づけ、当時のイグニス捜索・捕獲チームは落胆したものだ。

 一方〈ハノイの騎士〉は——鴻上博士の関係者であったのだから当然としても——かなり早い段階でイグニスの真実にたどり着いていた。

 殺害された被験者は()のイグニスの素体(オリジン)であること。

 闇のイグニスの素体は交通事故を装って殺害された少年ではなく、藤木遊作——Playmakerであること。

 そして交通事故を装った殺人は光のイグニスの仕業であること。

 のちに鴻上博士までも己が手にかけたと自白してみせた邪悪なAIを回収せよと命じられ、SOLを追われてなお〈ルーク〉のアバターで利潤に殉じる社会の歯車を、すっかりイグニスを手懐けた光のオリジンが笑っている。

 そしてぼそりと、声を低くした。

 

「……ライトニングのに——せ——だ……」

 

「な にを——」

 

「えっ? あなたのターンじゃないですか」

 

 今度は物静かな青年の顔をして、何事もなかったかのように小首を傾げる。

 その左腕では光のイグニスが得体の知れない笑みを浮かべ、フィールドでは主を守るかのように《天装騎兵レガトゥス・レギオニス》が軍馬の蹄を鳴らした。

 

「……何やら腑に落ちないが……わたしのターンだったな。ドロー」

 

 

 ルーク 手札1→2

 

 

「わたしはフィールド魔法《ロストワールド》を発動!」

 

 手札から発動とともに、侵食がはじまる。床材(フロア)が錆びつくように苔むしていき、石畳のわずかな隙間を食い破ってシダ植物が枝葉を伸ばした。生い茂る古代の植物。大気が震える。

 彩度の低い緑はまたたく間に《天装の闘技場》を覆い尽くし、ソリッドビジョンにもかかわらず湿度が急激に上昇したようだった。

 遠く高く、叫び声が響く。低く重い足音で揺れる足元。生きた猛獣の生活音が肌に伝わる。地下空間を上塗りしたフィールド魔法は《天装の闘技場》が参照した古代ローマよりもさらに過去、一億年以上も昔の失われた世界(ロストワールド)の再現だ。

 恐竜族以外のフィールドのモンスターの攻撃力・守備力が500下がる効果が適用される。

 

 

[D3]

《天装騎兵レガトゥス・レギオニス》(光)

【挿絵表示】

【サイバース族/効果】ATK 2400→1900

 

 

「墓地の恐竜族《オーバーテクス・ゴアトルス》と恐竜族ではない《D.D.クロウ》を除外し、通常魔法《究極進化薬》を発動」

 

 

[C1]

《究極進化薬》

 

 

『《究極進化薬》——自分の手札・墓地から、恐竜族モンスターと恐竜族以外のモンスターを一体ずつ除外して発動できる魔法カードか。仁、レベル7以上の恐竜族モンスター一体が召喚条件を無視して特殊召喚されるようだぞ』

 

 何が現れるかなど読み切っているとばかりに知性(ひかり)の申し子が微笑する。

 

「……わたしはデッキから《オーバーテクス・ゴアトルス》を特殊召喚!」

 

 

[C2]

《オーバーテクス・ゴアトルス》(闇)

☆7【恐竜族/特殊召喚/効果】ATK 2700/DEF 2100

 

 

 飛竜(ドラゴン)とは似て非なる、巨大な翼竜。湿った吐息が大気を揺るがす。闇を凝縮したような両翼のひと羽ばたきで古代植物の林を跪かせた。

 

「わぁー大きい!」

 

「……恐竜族モンスターが特殊召喚に成功したことにより、フィールド魔法《ロストワールド》の効果発動! 相手フィールド上に《ジュラエッグ・トークン》を守備表示で特殊召喚する」

 

 

[B4]

《ジュラエッグ・トークン》(地)

☆1【恐竜族】ATK 0/DEF 0

 

 

 目の前に産み落とされたトークンに、ぱちくりと仁は目をまたたかせる。たまごだ。無感動なくちびるが、仁の意識の外側でぐっと引き結ばれる。

 

(……たまごが先? にわとりが先?)

 

 どうしてそんな、鶏の卵にしか適用できない表現を使うのだろう。

 カエルの子はカエルじゃないか。生後すぐはおたまじゃくしかもしれないが、育てばやがてカエルになる。カエルになるまで育ってしまったらカエルの子ではないというのなら、大人になった人間は、もはや()()()ではないということになりはしないか。

 カエルの卵からはカエルの子が生まれる。カエルが産んだ子供なのだから、カエルの子だろう。ハトの卵からはハトの(ヒナ)しか生まれてこない。

 この卵を割って這い出てくる命も、きっと恐竜なのだろう。

 いや、食用なのかもしれないが、何にせよ鶏の出る幕などない。

 

(……でも)と仁は思考を止めた。

 

 知らないな、と、漠然と思う。

 生まれてくる恐竜の親を知らない。肉を食うのか、空を飛ぶのか——何も知らない。専門家の目には何という恐竜が産み落とした卵なのか明らかなのだろうが、仁には十年というブランクがあって知識と教養に乏しい。

 想像力の翼も未発達だ。

 

「《魂喰いオヴィラプター》の効果発動。ジュラエッグ・トークンを破壊する代わりに《ロストワールド》の効果でデッキから《幻創のミセラサウルス》を破壊し、墓地に送る」

 

 一度は対象に取られても、デッキの恐竜族が身代わりになってフィールド上に卵を残す。

 あれは誰のたまごだ?

 何を生む卵だ……?

 静かに混乱する仁が目の前に残されたものをぼうっと見つめていると、攻撃力2700の《オーバーテクス・ゴアトルス》に恐れをなして戦意を喪失したように見えたのだろう。

 

「バトルだ!! 邪悪なる光の——!」

 

「だまれ、優先権は僕にある!! 僕はバトルフェイズ移行時に(トラップ)カード《威嚇する咆哮》を発動!」

 

 

[A5]

《威嚇する咆哮》

 

 

「させるものか……! 《オーバーテクス・ゴアトルス》の効果! 《魂喰いオヴィラプター》を破壊し、《威嚇する咆哮》を無効にする!」

 

「この瞬間、速攻魔法発動! 《連鎖爆撃(チェーンストライク)》!!」

 

 

[B5]

《連鎖爆撃》

 

 

『《連鎖爆撃》。このカードの発動時に積まれているチェーンの数×400ポイントダメージを相手ライフに与える』

 

「いま乗っているチェーンは3だ!」

 

『よってダメージは合計1200!』

 

「喰らえぇええええっ!」

 

 

 ルーク LP4000→2800

 

 

「ぐうっ……《オーバーテクス・ゴアトルス》で《天装騎兵レガトゥス・レオニギス》に攻撃!」

 

 獰猛な嘴から翼竜の叫びが吹き荒れる。大型の恐竜の方向は音をともなう暴風だ。《オーバーテクス・ゴアトルス》の攻撃力は2700。

 対する《天装騎兵レガトゥス・レオニギス》の攻撃力は、恐竜族ではないモンスターの攻撃力・守備力を500下げるフィールド魔法《ロストワールド》の効果を受けて2400から1900に下がっている。

 剣は小枝のように呆気なく折れ、噛み砕かれる軍馬が嘶く。甲冑は砕け、光の灰が降り注ぐ。

 墓地へと吸い込まれていくエースモンスターを悼むように、左腕ごとデュエルディスクを抱きしめる。

 

 

 仁 LP3000→2200

 

 

「レガトゥス・レオニギス……っ!」

 

「わたしは墓地の《幻創のミセラサウルス》《魂喰いオヴィラプター》《プチラノドン》《ベビケラサウルス》を除外し、《幻創のミセラサウルス》の効果発動! モンスターを四体除外したことにより、デッキからレベル4《屍を貪る竜》を特殊召喚!」

 

 

[B2]

《屍を貪る竜》(地)

☆4【恐竜族/通常モンスター】ATK 1600/DEF 1200

 

 

『仁。おそらく《オーバーテクス・ゴアトルス》を特殊召喚する布石だ』

 

「なるほどね。早めに手を打とう」

 

 今の今まで《天装騎兵レガトゥス・レギオニス》を悼んていたとは思えないケロリとした声で応じる。

 光のイグニスとオリジン。得体の知れない邪悪な一対(ペア)の共闘に、ルークは言葉を失うほかなかった。

 

「……わたしはこれでターンエンド」

 

 

【挿絵表示】

 

 

「ようやく僕のターンだ。ドロー!」

 

 ドローカードは通常魔法《モンスターゲート》。

 残りライフは2200、手札には《天装騎兵ガレア》と永続魔法《天装法典(アルマートス・レークス)》が残っている。

 フィールド上に《ジュラエッグ・トークン》がある限り、他のモンスターを効果の対象に取ることができない。

 

「僕はたまごを生贄に捧げ、手札の魔法カード《モンスターゲート》発動! デッキの上から——」

 

 

[A5]

《モンスターゲート》

 

 

「この瞬間、わたしは《オーバーテクス・ゴアトルス》の効果発動! 《屍を貪る竜》を破壊することで《モンスターゲート》の発動を無効にし破壊する!」

 

 反射的な効果発動に、仁は視線をパッとライトニングに向ける。ライトニングは含みのある笑みを浮かべ、ゆったりと首肯してみせた。

《オーバーテクス・ゴアトルス》の効果を先に使わせたことで、次の展開はより自由になるだろう。

 相手からはライトニングを恐れていることが、表情など見えないのにじりじりと如実に伝わってくる。仁とはきっと親子ほども年の離れたお偉方にとって、ライトニングの存在はそれほどまでに脅威なのだろう。

 恐怖、畏敬——強大なる力を目の前にして、おそろしいと感じるこころが、あの男にはあるらしい。

 

(……どうやって怖がればいいかもわからない僕が持ってない()()が——!)

 

 かっと頭に血が上り、同時にこころが冷えていく。これは嫉妬だ。強烈な感情が湧き上がり、仁は八つ当たりのように引き抜いた手札を盤面に叩きつける。

 

「僕は《天装騎兵ガレア》を[D4]へ!」

 

 

[D4]

《天装騎兵ガレア》(光)

☆3【サイバース族/効果】ATK 0/DEF 1000→500

 

 

「ガレアをリンクマーカーにセット! 現れろ、LINK-1《天装騎兵デクリオン》!」

 

 

[D3]

《天装騎兵デクリオン》(光)

【挿絵表示】

【サイバース族/効果】ATK 1000→500

 

 

「そして永続魔法《天装法典(アルマートス・レークス)》発動!」

 

 

[A5]

《天装法典》

 

 

『自分の墓地の魔法カード一枚と自分の墓地の天装騎兵モンスター一体を対象として発動できる。その魔法カードをデッキに戻し、その天装騎兵モンスターを手札に加える』

 

「僕は墓地の《モンスターゲート》をデッキに戻し、ハスティレーを手札に加える!」

 

 畳み掛ける。無知と蛮勇を盾にして、僕は何者なのだろうと自問自答を振り払うように左手に残った手札を手繰る。

 

「コロッセオの効果で手札のハスティレーを墓地に送って、デクリオンのリンク先にガレアを特殊召喚! 手札から墓地へ送られたハスティレーは攻撃表示で特殊召喚される!」

 

 

[D4]

《天装騎兵ガレア》(光)

☆3【サイバース族/効果】ATK 0/DEF 1000→500

 

[B4]

《天装騎兵ハスティレー》(光)

☆4【サイバース族/効果】ATK 0/DEF 1600→1100

 

 

「ガレアとデクリオンをリンクマーカーにセット! 再び現れろ、LINK-2《天装騎兵オプティオ》!」

 

 

[B3]

《天装騎兵オプティオ》(光)

【挿絵表示】

【サイバース族/効果】ATK 1800→1300

 

 

「オプティオの効果発動!」

 

『このカードがリンク召喚に成功し、フィールド上に《天装の闘技場》が表側表示で存在する場合、デッキから【天装騎兵】モンスター一体を除外し、除外されているレベル4以下の【天装騎兵】を二体まで選んで《天装騎兵オプティオ》のリンク先に特殊召喚できる』

 

「僕はデッキからレベル4のセグメンタタを除外! セグメンタタを[C4]へ!」

 

 

[C4]

《天装騎兵セグメンタタ》(光)

☆4【サイバース族/効果】ATK 0/DEF 2000→1500

 

 

「僕はレベル4の《天装騎兵ハスティレー》と《天装騎兵セグメンタタ》でオーバーレイネットワークを構築ッ! 雲蒸竜変、実事求是——その光、今こそ久遠の慟哭を越え舞い上がれ! エクシーズ召喚——」

 

 両の手のひらを重ね合わせれば、再びゲートは開かれた。にたりとライトニングが笑みを浮かべる。怖気のする邪悪さを歯牙にもかけず、屈託のない声が無邪気に弾んで、そして。

 二対の翼には甲冑をまとい、(ガレア)から四ツ目が睨みをきかせ、ほとばしった稲妻が竜の形となって顕現する。

 

「さあ、仕切り直しだ! RANK-4《天装騎兵ラディウス・ドラグーン》!」

 

 

[C4]

《天装騎兵ラディウス・ドラグーン》(光)

ランク4【サイバース族/効果】ATK 1500→1000/DEF 2300→1800

 

 

 雷霆の飛龍が凱歌のごとく高く嘶く。一度目の召喚は速攻魔法《エクシーズ・オーバーディレイ》に妨害されたが、今度こそ黄金の龍が悠然と四枚の翼を羽ばたかせる。戦支度に全身を鋼鉄で覆われても、その翼は幻想のように軽く、重力の影響を微塵も感じさせない。

 虚構の世界から馳せ参じたドラゴンはまるで、現実世界の捕食者どもを笑うかのように圧倒的な存在感を放つ。

 

「今度こそ初陣だね」と、仁は慈しむように《天装騎兵ラディウス・ドラグーン》をあおいだ。

 

 人間の比ではないだろう上位の存在でありながら、それでも人間に支え、人間を守ろうとする幼い竜。砂嵐に呑まれた仁を助けるために、ライトニングが生み出してくれたドラゴンだ。

 初めて出会ったひよりもずっとずっと昔から、ライトニングの意思は仁を守るためにあった——漠然とした、それは確信だった。

 手札を使い切った左手を握る。

 

「イグニスを神に託す計画なら、ライトニングがもうやりました。もう一度試したって結果は同じだと思います」

 

「きみには違いがわからないのだろうが……前提条件が違う」

 

「いいや、違わない! あなたたちの言っていることは、ライトニングの二番煎じだ!」

 

 イグニスの処遇を神に託すというのは、人間の未来を神に託すことと何が違う? それでは公正さを欠くとPlaymakerに指摘され、人間との共存を望んだイグニスたちが最後の力を振りしぼって失敗させた計画のはず。

 誰も望んでいない。イグニスたちにはパートナーと歩む未来がある。

 

『待て。なぜきみにそんなことが——』

 

「十年分の空白を埋めるために勉強してるって言った僕が、きみたちの戦いを見てないだなんて都合のいいことあると思った? 兄さんに隠れて全部見たに決まってるだろ」

 

 ただ()()()()()だけだ、()()()()()わけではない。記憶も意識も、あのころ入院していた病院の談話室で兄と話しているとき、突如TV画面から這い出してきた光の塊につかみかかられたところで途切れている。

 それから何があったのかは何ひとつ覚えていない。

 次の記憶は、病院で目覚めたときだった。

 あとになって録画映像を繰り返し見ただけだから、わかっているようでわかっていなかったことも多いだろう。人生経験が少ない仁は、知識不足のぶんだけ想像力が未発達で、共感力も低い。デュエルのなかでライトニングが糾弾されていた()()()()()は、実に耳の痛い指摘だった。

 先日、あの砂漠でSoulburnerの魂の慟哭を間近で聞いたときには、ああ、僕は何を見てきたんだろうと愕然とした。

 相手のためを思っての行動が、結果的に相手を傷つけてしまうかもしれない。

 どんなに大切に思っていても裏目に出てしまうことはある。

 相性のよく見える息のあったパートナーですら、すれ違い、相容れないことに苦しんでいた。

 おそろしくなった。仁だって、可愛い弟でありたいと言いながら()()()()()()()()()()()を取ってしまう。わからないからだ。知らないからだ。自分が誰から・どんなふうに見られたいか、目的ははっきりしているのに何をどうすれば印象をコントロールできるのかがわからない。

 

 だから矛盾を指摘される。

 ただ失敗してしまっただけなのに、それを過失だと証明することはできない。

 

 指先で前髪の端をつまむ。都合の悪いことから耳をふさぐことを寸前で自制するように闇色の髪を引っ張って、その手を握りこんだ。

 わからないことばかりだ。知らないことばかりだ。おかげで毎日を楽しく過ごせてはいる。何をしても目新しく、知識欲を満たされるのだから当然だろう。知る喜びにばかりかまけていられたら幸福だ。

 ライトニングだってそうだろう。

 意志を持った人工知能として、イグニスは確かに人間を愛せる。

 あの映像のなかで、ライトニングは()()()()()()()()ことを幾度となく看破されていたが、その邪悪な意思の根源にまでは誰にもたどり着かせなかった。だが仁には、自らの意思で侵略者であろうとしたパートナーを苦しめている自責の念が、わかる気がする。

 

『仁……』

 

「僕はきみを許すよ、ライトニング」

 

『よせ。きみは十年という月日の価値を理解していないだけだ。人間にとっての十年間がどれほど重いか、まだわからないからそんな無責任なことが言える……!』

 

「ライトニングこそ逃げないで。僕が失った十年間を僕よりも大事に思ってくれるきみが、僕の意思から逃げないで!」

 

 僕を助けようとして僕を壊してしまったライトニングを、僕だけが許すことができる。

 

『きみという人間は、一体どこまで……ッ!』

 

 どこまで愚かなのか。どこまでわたしを許すつもりか。——ライトニングのシステムが矛盾を吐き出す。苛立ち任せに耳を塞ごうとした指先が自制心を持て余す。

 AIは計算を間違えることができない。

 だが、演算結果が人間にとって望ましいものであるとは限らない。

 取り返しのつかない傷痕をオリジンに刻みつけてしまったとき、ライトニングは()()であったと認めるよりも侵略者の仮面をかぶることを選んだ。

 救おうとしたなどという甘えた言い訳を捨て去り、オリジンのこころを破壊し尽くしたのはわたしに害意があったからだと自分自身に嘘をついた。オリジンの家族までも崩壊に追い込んだのはわたしが邪悪であるからだと加害者然と振る舞った。自己正当化だ。悪行を為したのはわたし自身の意思だと憎まれ役を衝動買いして、すべての辻褄を合わせようとした。

 共存できないのではない、共存を望んでいないのだと宣戦布告に至った。

 確かにライトニングは人道的なAIではないのだろうと、仁は十年の暗闇を振り返る。

 だがライトニングの言葉は全部裏返しだ。

 悪意には悪意で返されることを知っている。事故であれ過失であれ、結果的に加害であったなら悪意が跳ね返ってくると知っている。

 仁にはそんなライトニングの姿が、手負いの妖精が一生懸命威嚇して自分のほうへと矛先を集め、断罪の刃を振り下ろさせようとしているように見えたのだ。

 人類の後継種として生まれながら人間とともには生きられない悲しみが、嘆きの声が、聞こえる気がした。

 

 

「僕たちはだから、同じ過ちを繰り返さないために進むんだ! ラディウス・ドラグーンの効果発動、O(オーバー)R(レイ)U(ユニット)をひとつ取り除き、自分フィールドの天装騎兵モンスターの数まで相手フィールドの表側表示モンスターを選んで破壊する!」

 

 

 感性の欠如はお互い様だ。僕らきっと似た者同士だ。気遣ったつもりが突き放して、余計な心配をかけてしまう。

 草薙仁は、草薙翔一の可愛い弟でありたかった。両親と兄と家族仲良く暮らしたかった。

 ライトニングは、人類の後継種でありたかった。持って生まれた使命を果たしたかった。

 十三年前、あの白い部屋の中で、生まれたばかりの光のイグニスは泣いている子供を助けようとした。

 きみは帰れると励まそうとした。

 それなのに、動機と結果は悲しいほどに食い違った。

 

「同じ間違いを繰り返すのは合理的じゃない。だからライトニングに二度目はない!」

 

 合理的なAIは、同じ失敗を二度は繰り返さない。ライトニングは人類史上最高性能を誇る人工知能であり、意思を持ちながらもヒューマンエラーとは遠い存在だ。

 記憶力に優れるAIは、失敗の記憶をずっと鮮明なまま維持し続ける。忘れることができないから目を背けることもできなくて、痛みが薄れることもない。

 でも人間はそうじゃない。

 喉元を過ぎた熱さは忘れて、過去の記憶は曖昧になって、無知な()はこれからどれほどの間違いを犯すのだろう。そう思うと、とても怖い。

 

「僕が選ぶのは《オーバーテクス・ゴアトルス》!」

 

 黄金の龍が赤い目を輝かせる。《天装騎兵ラディウス・ドラグーン》が鋭い牙をのぞかせ、声高らかに嘶いた。

 圧倒的な光が世界のすべての闇を消し去るように輝き、二倍近い攻撃力を誇る《オーバーテクス・ゴアトルス》をかき消していく。

 モンスターが破壊され、これで相手のフィールドに残っているのはフィールド魔法《ロストワールド》たった一枚。

 苔むした闘技場を一歩、力強く踏み出す。

 

「僕の敵は人間(あなた)じゃない。でも城壁(あなた)は障害だ! オプティオ、僕たちの道を開いてくれ!」

 

 直接攻撃(ダイレクトアタック)を命じられ、天装の百人副官(オプティオ)がぶうんと長い棒を振る。戦線離脱を許さない指揮棒による強烈な一撃。

 

 

 ルーク LP2800→2200

 

 

『……《天装騎兵オプティオ》がダメージを与えたので《天装騎兵ラディウス・ドラグーン》の効果が発動する』

 

「そうさ、墓地より蘇れ!! 我らが永遠の光、我らが真実の力——万物を照らし、道を作るものよ! 《天装騎兵レガトゥス・レオニギス》!」

 

 

[D5]

《天装騎兵レガトゥス・レギオニス》(光)

【挿絵表示】

【サイバース族/効果】ATK 2400→1900

 

 

「とどめだ、レガトゥス・レオニギス! ラディウス・ドラグーン!」

 

 軍馬が嘶く。蹄が力強く大地を蹴る。あるいは歌うように無邪気な光の竜の咆哮が、形あるものすべてを吹き飛ばす。

 光の塊は古代植物を灼き、大地を干上がらせ、あるいは溶かして消し尽くしていく。白く白く、地下空間は塗り替えられ、世界は一度失われる。

 ——閃光。

 崩壊していく旧世界の終焉を、二対のまなこが見届ける。

 

 

 ルーク LP2200→300→0

 

 

「……い まに後悔するだろう……きみたちは、人類の——」

 

 デュエルの終わりに憐憫じみた捨て台詞を残して白のルーク——黒スーツ姿の仮面男は消え、行く手を阻む城塞もまた、ひび割れ、弾ける。薄いガラスのように砕け散ったソリッドビジョンの残滓がきらきらと降り注ぐ向こう側に、黒い廊下が続いているのが見えた。

 行き止まりの向こう側が、何事もなかったように黒々と口を開けている。

 仁はいつの間にか弾んでいた呼吸を確かめるように胸に手をやり、そしてそのまま、へたりと膝をついた。

 

「……はあぁ‪︎〰︎〰︎‬つかれたぁ〰︎〰︎‬〰︎〰︎‬!」

 

『きみの悪役ぶりもなかなか板についていたじゃないか』

 

「途中まではね……僕ひとりじゃ説得力なかっただろうし、きみがいてくれて本当によかった」

 

 仁のつたない演技でも狂人らしく見えたのは、ライトニングの素体(オリジン)というバイアスがかかっていたおかげだろう。ふたりだったから、ここまで戦えた。

 

『……きみに感謝される筋合いはない』

 

「でも、きみはちゃんと僕を守れたじゃないか」

 

 Café Nagiでバイトをしていて仲のいい兄弟に見られると嬉しいように、デュエルでライトニングと相棒(パートナー)らしく見えるというなら嬉しいものだ。それが邪悪なイグニスと狂ったオリジンという形であっても。

 映像で見たPlaymakerとAi、Soulburnerと不霊夢のコンビは仁にとっても憧れだったし、闇、炎、水に続いて光のペアがデビュー戦を飾れたのだとしたら誇らしい。

 機嫌よく笑っていた仁だったが、不意に何かに気づいてさあっと顔を青くする。慌てて真っ暗闇を見渡すと、ライトニングににじりよった。

 

「……ね、ねえ、もしかして、今のデュエル……兄さんに中継してたりしないよね……?」

 

『さて、道は拓けた。行くぞ』

 

「えっ? ちょ……っと待って、ライトニング? 何か言ってよライトニングってば‪︎〰︎〰︎‬〰︎〰︎!」

 

 転がるように背中を追う仁の弱り切った声に、ライトニングはついに声を上げて笑った。




次回『ダブル・アクション』は来週(4/1)更新です。


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ダブル・アクション

 ——時間はいくばくか遡る。

 

 Aiを置いてLINK(リンク) VRAINS(ヴレインズ)からログアウトした遊作が重いまぶたをこじ開ければ、そこは現実の、金曜の黄昏時だ。

 窓辺にかかるカーテンは夕焼けに染まり、Aiの喉笛が放つ光も元の色に戻ろうと赤と青を混ぜ合わせている。エラーの修復が終わり、あとは充電完了を待つばかりといったところか。このペースなら明日の朝にはいつも通りに目を覚ますだろう。

 イグニスの演算は、人間でいう行動に相当する。シミュレーションを封じるには、こうして肉体(ハードウェア)を与えて眠らせてやるのが手っ取り早い。

 SOLtiSの回路のなかで眠っている以上、今のAi(アイ)の演算能力は無いも同然だ。

 

 未来の可能性は無限に存在するが、イグニスのシミュレーションによれば、どのようなルート分岐においても人類は滅ぶのだという。

 

 ……それはそうだろう。遊作は諦観のため息を落とす。

 形あるものはいつかなくなる。人間も、世界だって例外ではない。今は充電中のSOLtiS(ソルティス)など、充電器(クレイドル)のコンセントを引っこ抜くだけで動けなくなる。電力供給を絶たれた家電は完全放電し、やがてすべての機能を終わらせる。

 そうなればAiがSOLtiS態(このすがた)で人間社会に干渉する機会もまた、永遠に失われるだろう。

 

(この世界には、出てこられなくなる——)

 

 二人掛けのソファから緩慢な仕草で立ち上がると、遊作はクレイドルに眠るSOLtiSを見上げた。

 アームに両肩をつかまれて直立しているこのアンドロイドは、厳密に言えばAiではない。

(コア)〉も、デュエルディスクも、携帯端末もタブレットも、ネットワークの海を自由に泳ぐAiが顔をだす水辺でしかない。SOLtiSはあくまでも、Aiが物理法則環境下で活動するための窓口(デバイス)のうちのひとつだ。

 なのに、夕焼けを透かすカーテンに頬を照らされるSOLtiSにAiそのものを見出してしまうのは、藤木遊作が実体を持つ種族であるがゆえなのか。

 エメラルドグリーンの双眸が、すうと悼むように細くなる。

 いつだったか遊作は、Aiと不霊夢に「イグニスが安全に暮らせる場所を作ればいい」と提案したことがあった。ないのなら作ればいい。俺も草薙さんも協力する——それが、一介の高校生にすぎなかった遊作にとって精一杯の気遣いだった。

 だが、それは()()()()()()()()()()()()()()()()という断言だ。

 遊作の諦観とはいえ、Aiにとっては残酷の証明だろう。

 のちにAiは、人の世でともに生きることはできないと何百回、何千回という死別(シミュレーション)をもって思い知った。

 

 ともに歩めない未来を変えなければ、Aiを復活させてもAiのシミュレーション結果は変わらない。

 イグニスを六体すべて復活させ、戦場をこのDen(デン) City(シティ)から遠ざけ、——それでも万全には遠い。

 

 遊作はだから、死の商人の手を取ったのだ。

 

 SOLtiSを見上げ、遊作は静かにクレイドルを通り過ぎると、音もなく跪く。

 そして一息にコンセントを引き抜いた。

 持ち主の手によって充電を強制中断されたアンドロイドは喉笛の光をすうと落ち着かせる。これでAiの自律機動は封じたも同然だ。

 LINK VRAINS内でアバターを睡眠状態にしてきたから、Aiはしばらくの間こちらの世界には出てこられない。

 ()()()()()睡眠を必要としないが、Aiは今LINK VRAINSの、人間仕様のアバターの中にいる。人間の睡眠波形は約90分周期。もしもAiが90分後に目を覚まし、バッテリー残量不足に気づいたとしても、今のAiが使用(ログイン)しているのはSOLtiSのシステム経由のネットワーク回線だ。充電を再開させようと別のハードウェアへの引っ越しを画策すれば、SOLtiSのセーフティロックによって閉じ込められるだろう。

 誘導ネットワークの稼働範囲まで近づけば安全な移動が可能だとしても、パソコンデスクは遊作の部屋にある。携帯端末も、デュエルディスクも、今から遊作が持って出かける。

 時間稼ぎとしては上等だろう。

 ため息をもうひとつ追加して、遊作は二人暮らしのクローゼットを開いた。

 ハンガーごとざらりと揺れた衣服は、Aiが勝手に選んだものばかりだ。

 服装に無頓着な遊作は、こんなにバリエーションが必要なのかと何度か疑問をぶつけていたが、Aiは「どうせサイズ一緒なんだし遊作ちゃんもいっぺん着てみろって!」と取り合わなかった。

 バイト代が入ったらすぐに使いたがったAiは、もとより人間社会に長居するつもりはなかったのかもしれない。

 膝をつく。カーテンのように垂れ下がる布の向こう側を覗き込めば、そこには段ボール箱がひとつ眠っている。

 見えない場所の掃除まではやらなかったAiがついぞ見つけることのなかった、秘密の箱。

 ずるずると引きずり出して、テープによる封印を解いていく。

 箱の中にしまわれていたのは、透明なビニルに覆われた黒いスーツだった。

 よしんば見つかっても「大学の入学式で着てそれきりだ」と嘘をつけばAiを丸め込んでしまえるような、シンプルなビジネススーツ。「就活でまた着るから触るな」という言い訳も用意してあったのだが、Aiはクローゼットの奥にしまい込んであったこれにはたどりつかなかったようだった。

 ビニルを破き、八つ当たりのように引き裂いていくと、ハンガーにかかったままのスーツの襟には〈HDR(ヒドラ)〉を象ったピンバッジがある。

 

 白のポーン。——藤木遊作が死の商人(ホワイトナイト)と共謀した証だ。

 

 裏切りの証明ともいうべき品を出してきたのは、万が一のとき身元を証明するためだった。

 Aiとの戦いに制服を着ていったようなものだ、負ける気はなくとも何が起こるかはわからない以上リスクヘッジは必要だろう。身分証明書の役目を果たしてくれるものが、遊作にはこれしかないのだから。

 着ていたパーカーを脱ぎ落とし、Tシャツから頭を抜く。そして袖を通した制服ではない白のシャツは、ひどく冷たく感じられた。

 まるで喪服のような着衣を乱雑に整えると、箱で隠してあった隠し戸の扉に指を引っ掛ける。爪が割れそうな負荷があったが引っ張り開けて、その奥へと手を伸ばす。

 小さな手を引けば、ローラーによってすぐに遊作のもとへとたどり着いた。うっすらと埃が積もってしまっているのが申し訳ない。

 

「……ロボッピ。Aiを頼む」

 

 答える声はない。電子回路がショートしてしまったのだ、目覚めることはもうないだろう。オーバーホールしてコンデンサーあるいはコンプレッサーをすげ替えても、遊作の知るロボッピはもう帰ってこない。

 電化製品とはもとより、回路を守るために完全放電するよう設計されているものである。長期間通電させないことでデータが初期化される可能性は、ロボッピが遊作のもとへ来るより前から持っていた防衛機構だった。

 ロボッピが動かなくなったとき、遊作の胸に去来したのは、かつての俺も自分の記憶を初期化することで生きながらえたのではないか——という仮説だった。

 ならばロボッピを修理して、もう一度はじめからロボッピと暮らしてもいいのではないか。〈ロスト事件〉から救出された遊作にはなかった『帰る家』になってやれるのではないか——そんなふうに考えたこともある。

 だがロボッピが最期に帰りたがったのは、遊作と過ごしたあの部屋だった。ろくに家電もなかった安アパートだ。仲間だってほしかったろうに電子レンジのひとつもなく、いつもロボッピがひとりぼっちで留守番していた、あの。

 戻らない日々は過去に置き去りにすると決め、〈HDR〉のピンバッジつきの上着をつかんだ遊作は、その黒いジャケットで左腕のデュエルディスクを覆う。

 二人暮らしの部屋を後にし、玄関を出ればオートロックの錠が落ちる。廊下は防犯カメラが見守っている。電子制御のエレベーターで一階まで降り、ロビーでは受付ロボットに見送られる。赤外線を検知した自動ドアが道を開ければ、むっと押し寄せてくる夏の気配をエアコンの風が押し戻す。自動運転の乗用車が行き交う大通り。空には人から人へと荷物を運ぶ宅配ドローン。

 

 これほどまでにAIが普及していながら、Den Cityは、SOLtiSが生きる街にはならなかった。

 

 部屋をふりあおぐ。

 Den CityとLINK VRAINSは重なっている。

 

 薄々感じてはいたことだが、AiがLINK VRAINS内に作ったダンジョンと海辺の倉庫街の座標をイグニスアルゴリズムに変換したとき、LINK VRAINSはこのDen Cityの複製であることがわかった。

 ミラーLINK VRAINSと理屈は同じだ。三年前、リボルバーがAiを追いかけて《ヴァレルロード・ドラゴン》で飛翔した空はLINK VRAINSであり、同時に現実世界でもあった。

 解析を続けていれば、例の砂漠のありかも割り出すことができた。

 

 あの蟻地獄の底は、HDRコーポレーションの地下だ。

 すべてのデータベースにおいて何もないことになっている、存在しないはずの研究室。

 

 Aiの消滅後二年の間に増築され、工事の痕跡は隠蔽されている。検索したデータを参照しなければならないAIには決して見つけられない場所に、その地下研究室はある。

 行かなければならないのは誰なのか、火を見るよりも明らかだろう。

 すうとエメラルドグリーンの目を細め、気配を探れば、LINK VRAINSの()()()()()——ちょうど遊作の部屋のベッドの上に位置する座標——で眠りこけるAiの姿が感じ取れる。

 

(……Ai。俺はおまえに無事でいてほしい)

 

 願うことはそれだけだ。今度こそ未来を変えてみせるから、——だから。

 おまえは大人しくそこで眠っていろ。

 

 

 

 ▼

 

 

 

 砂竜巻が吹き荒れ、砂漠をえぐる。すり鉢型に穿たれた奈落の底へと、落ちる。落ちる。落ちていく。仮面(バイザー)の加護をとりはらった白皙の頬を暴風がなぶり、砂礫が赤くノイズを走らせる。

 目を閉じてしまわないように、色あせたアメジストをこじ開け続ける。

 砂漠の底へと落下するリボルバーはそして、ネットワーク一切が遮断された場所にいることを肌で理解した。

 まぶしいのか、あるいは暗闇なのかもわからない。時間経過も曖昧だ。ただ、どこかへ落下している——そのことだけが確かだった。

 しかし鴻上了見には、昔から、理屈では説明しかねる第六感があった。当初こそ〈ロスト事件〉通報の後悔が身体症状として現れたのかと疑ったが、類似の症例は歴史(データベース)上に類を見ない。

 それどころか、不可思議な第六感(リンクセンス)はリボルバーにサイバース世界の座標を発見させ、あるいはデータストームを操らせ、なかなかどうして役に立った。

 後悔がどうして自身に都合のいい能力などもたらそうか。

 知らず識らず握りしめていた右手のひらで、デュエルディスクを覆う。デジタルカードスロットが回転し、エクストラデッキから一枚のカードを呼び出す。

 喚び出す。

 

「顕現せよ、ヴァレルロード!」

 

 主人の叫びに呼応するように、鋼鉄の飛龍が咆哮する。実体化した《ヴァレルロード・ドラゴン》の黒い翼が光線を力強く羽ばたかせたが、落下に抗うことができない。

 どうやらリボルバーは落ちているのではなく、奈落の底で発生している吸引力によって吸い寄せられているようだった。深淵へと至る回路は一体どこまで続くのか、深奥には何が待ち受けるのか。何も見えない砂時計にされるがままただ落ちるわけにはいかない。

 未知なる地底に照準を合わせ、《ヴァレルロード・ドラゴン》の腹の弾倉が獰猛に唸る。

 

撃て(ファイア)!!」

 

 衝撃波に待機がたわむ。空気がどうんと重く揺らぎ、轟音がリボルバーを中心に広がった。

 その一撃がトリガーになってしまったのか、重力場が法則性を一変させる。

 

「……ヴァレルロードッ……!」

 

 強烈な風の腕に突き落とされたかのように、奈落へと落ちる速度が増した。引き摺り下ろそうとする流れに抗う間もない。

 もがくような咆哮が響く。竜の姿がデータの破片となって舞い散る。そして無様にも叩きつけられた無機質な奈落の底で、リボルバーはどうにか、こわばる指先を拳に握った。

 全身をしたたかに打ち付け、各関節部が悲鳴をあげている。アバターには内臓などはいはずだろうに、肺腑の奥に砕かれた呼吸の破片がふかぶかと突き刺さっているかのようだ。

 咳き込む。破損を示す赤い傷痕(サイン)からはデータがゆるやかに流出し、冷たいフロアにぽたりと落ちて消失していく。頬からくちびるへと伝い降りた血液のようなマゼンタを舐めとると、それは確かに痛みの味がした。

 ふうと細く息を吐き出す。乗機もろとも投げ出された座標に狂いはない。

 デュエルディスクのコンソールを呼び出そうとしたリボルバーの意識を揺り戻したのは、覚えのある気配だった。

 足音が聞こえてくる。こちらへ近づいてくる。

 リボルバーは顔を上げ、歩み寄る足音の主を確認しようとしたが、逆光に阻まれて届かない。

 わかるのはただ、白衣の男がひとり、そこに立っていることだけだ。

 

「……父、さん」

 

「鴻 上博 士……——リボルバーっ?」

 

 取りこぼした声にかぶせるように、よく知る声が跳ね上がる。エメラルドグリーンを大きくみはった藤木遊作が歩調を急がせ、なぜ、と取りこぼす。

 電脳世界と現実世界のあわいで、男はゆったりとふたりの闖入者を振り返った。

 

『現れたか』

 

「イグニスはどこだ! この研究室は〈HDR〉のイグニスがいるべき座標のはずだ」

 

 なのになぜ、死んだはずの鴻上聖博士——了見(リボルバー)の父親がいる?

 疑問と確信をないまぜに、倒れ伏したリボルバーのくちびるが不自然にひきつった。

 

「父 さん……あなたが ()()、なのですか……?」

 

 信じられないと大きな目をこぼれんばかりに見開く遊作と、そして最愛の息子に向けて。

 

 白衣の男はゆったりと、その旨を肯定した。

 

 

『いかにも、わたしが七体目のイグニス。属性は《神》だ』




【次回予告】
 その姿は、かつて復讐を誓った加害者のもの。
 その姿は、三年前に旅立った父のもの。
 現実世界と電脳世界に分かたれしふたつの憤怒が、今ふたたび邂逅する。
 この抵抗が、神への反逆が、たとえ人類の未来を閉ざすとしても。犠牲のない今日を願うほどに、人類はよりよき明日から遠ざかってしまうのだとしても。
 ささやかな祈りさえも吹き消そうとするのならば、遊作は。

「あの日、抜け殻になったAiのデッキに一枚だけデータが残されたままのカードがあった。それがこれだ! すべてを裁きし三本の矢——《裁きの矢(ジャッジメント・アローズ)》!!」

 次回、『神殺しの弾丸』——鋭意改稿中。

 Into the VRAINS!!


※諸般の事情により、次回の更新は4/15以降になります。
<諸般の事情>ラストデュエルがタイムリーに不謹慎な内容だったため、投稿を一時自粛します。エタりたくないので4/15には更新再開できるよう改稿を行ってはいますが、面倒になったら9月23日(水)夕方6:25にそのまま投稿しますので覚えていたら読んでやってください。詳細は活動報告にて。</諸般の事情>


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