「その声は、我が友、虞美人ではないか?」 (銃病鉄)
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「その声は、我が友、虞美人ではないか?」

最近、筆が進まない
→とにかく、何でもいいから作品を書こう
→それじゃあ、短編で

その結果出来上がったのがこちらです。
キャラ崩壊どころの作品ではありませんが、許していただける方はお読み下さい。


 カルデアの虞美人は才色兼備。

 

 清楚かつ温和な人物で、まさしく淑女と呼ぶのにふさわしい女性であった。(少なくとも、生前の項羽はよくそう言っていた)

 

 しかし、吸血種としての宿命で、人間が繁栄していく世界に彼女の居場所はない。項羽が活動を終えた後、虞美人はただ孤独の中で生きるのみであった。

 

 二千年以上の放浪の末、彼女はカルデアにスカウトされ、Aチームの一員となった。これは、おのれの人生に半ば絶望したためでもある。

 

 しかし、レフの爆弾によって死にかけた後、なんやかんやで異聞帯にて項羽と再会。そして、激闘の果てにカルデアに敗北し、彼らにサーヴァントとして召喚された。

 

 カルデアに召喚されてからの彼女は、それなりにサーヴァントとしての生活を楽しんでいた。

 だが、この頃から彼女はしだいにポンコツな一面を強調されるようになっていった。

 

 ある時は戦闘シミュレーターで醜態をさらし。

 ある時はラスベガスのカジノで大敗し。

 

 かつてカルデアの前に強大な吸血種として立ちはだかったシリアスなキャラクターは、どこに求めようもない。

 

 それに加え、かつて敗北した後輩をマスターとして戦うことが、どれほど彼女のプライドを傷つけたのかは想像にかたくない。

 自業自得という概念の欠如した彼女は、いつも不機嫌だった。

 後輩に理不尽な要求を出しては、それを叶えられるとさらに不機嫌になるという、とても面倒くさい事態となっていたのである。

 

 ある時、虞美人はついに発狂した。

 

 中国で発生した特異点において、カルデア一行が野宿をしている途中で急にわけの分からぬことを叫びだし、闇の中へと駆けだしたのだ。

 

 マスターたちは、「まあ、彼女の奇行はいつものことだし」と納得し、特異点の調査を優先した。

 しかし、彼女はなかなか戻らない。

 

 この困った先輩がどうなったかを知る者は誰もおらず、とうとう特異点修復の最終段階を迎えた。

 

 ある夜、同じくカルデアに召喚されていたサーヴァントである蘭陵王は、マスターと別行動を取り、何人かの仲間と小さな村に立ち寄った。

 そこの村人が言うに、「この先の道では、謎の獣が出ます。別に人は襲いませんが、やたら食べ物をねだってくるので、遠回りしてはどうか」と。

 

 蘭陵王には、しかし、急ぎの用があった。

 彼は村人の忠告に感謝した後、予定通りの道を通ることにした。

 

 月明かりに照らされた道を、馬に乗った蘭陵王と仲間たちは進んでいく。彼らが山中にさしかかった時、果たして、一つの黒い影が草むらから飛び出した。

 影は蘭陵王に襲い掛かるかと思えたが、急に身をひるがえし、元の草むらに隠れた。

 草むらの中からは、せっぱつまった声で、「あぶないところだった」と何度も繰り返しつぶやくのが聞こえる。

 

 その声に蘭陵王は聞き覚えがあった。

 

 

「その声は、我が友、虞美人ではないか?」

 

 

 蘭陵王は、生前は北斉の武将であり、虞美人にとっての数少ない友人でもあった。

 温厚な蘭陵王の性格が、ツンケンした虞美人と衝突しなかったせいだろう。

 

 しばらく草むらからは返事がなかったが、やがて、きわめて不機嫌そうな感じの声がした。「いかにも、自分はカルデアの虞美人である」と。

 

 蘭陵王は馬から降りて、草むらへと近寄った。

 自分やマスターがどれほど彼女を心配していたか、やや誇張して説明し、どうして草むらから出てこないのかと問うた。

 

 虞美人の声が応えて言う。

 自分は今、異類の身となっている。どうして人前に姿をさらせようか。必ず君に畏怖倦厭(いふけんえん)の情を起こさせるに決まっている。

 それに続けて、「そもそも、こんな格好を誰かに見せられるわけがないでしょう! あなただって、今の私を見れば、完全にネタキャラ扱いするに決まっているわ!」と語気を荒くしてまくしたてた。

 

 蘭陵王は、「あなた、だいぶ前からネタキャラだったでしょう」と、口にしかけた言葉を飲み込んだ。彼は顔が良いだけでなく、人格者でもあったのである。

 後から思えば不思議だったが、その時の蘭陵王は、この超自然の怪異を実に素直に受け入れた。カルデアであまりにトンチキな経験をしたせいで、神経が麻痺していたのだろう。

 

 虞美人に対して、彼は穏やかに質問した。一体、何があったのか、と。

 

 しばらく沈黙が続いた。

 しかし、やがて虞美人は心底いやそうに自分に起こったことを説明し始めた。

 

 野宿をした夜、ふと途中で目を覚ますと、闇の中で誰かが自分を呼んでいる。不思議に思って、声のする方へと歩いていくと、ますます声はしきりに自分を招く。

 そこで自分は気づいた。この声は、たしかに愛しい項羽の声ではないかと。

 

 もちろん、自分は声を追って走り出した。

 項羽の声を求めて無我夢中で走っていると、いつの間にか道は山林に入っていた。

 際限なく上がるテンションに任せ、険しい山肌や岩石を軽々と飛び越えていくと、自分は身体に起こる異変に気付いた。

 

 いつの間にか、自分は左右の手で地面をつかんで走っている。

 さらに、いつもは露出狂スレスレなほどにさらしている肌が、何やら暖かいものに覆われている。全身にフワフワした毛が生じているらしい。

 

 少し明るくなってから、川に自分の姿を映してみると、すでにその姿は獣となっていた。

 

 声は勢いを激しくして言う。「私だって最初は夢かと思ったわよ。あの役立たず、未だに項羽様を召喚できてないんだから! おまけにこんな姿になってるなんて!」と。

 

 結局、項羽が第一なのかと呆れつつ、蘭陵王は謎の声の正体について考えた。

 

「自分は民の前に姿を見せず、ただ声を発することによって人心を惑わす。その声の主は、間違いなく圧制者である!」

 

 仲間の一人が全身の筋肉を震わせながら叫ぶのを聞いて、蘭陵王は声の正体について考えることをやめた。

 このままでは話が進まないことをいち早く悟ったからだ。彼は顔が良い上に聡明な人物だった。

 

 虞美人は、姿を草むらに隠したまま、話を続けた。

 最初は、自分もおのれの身に起きた不幸を嘆いていた。こんな姿では、いざ項羽が召喚された時にも、会うことなどできないではないか。

 自分はすぐに、おのれの霊基を破壊することを考えた。

 

 しかし、その時、近くの道を旅人が歩くのを目にした。

 たちまち自分の中の理性は消え去った。

 再び、自分の中の理性が目を覚ました時、その口は旅人から譲ってもらったベーコンを頬張っていた。

 

 これが、獣としての最初の経験であった。

 

 それ以来、自分がどのような所業をしてきたか、語るに忍びない。

 今でも、一日のうちに数時間は、本来の思考が戻ってくる。しかし、その時間はだんだんと短くなっている。

 今までは、どうして自分が獣になってしまったか怪しんでいたのに、このあいだひょいと気がついてみたら、どうして以前の自分はサーヴァントだったのかと考えていた。

 

 これは恐ろしいことだ。

 

 もう少しすれば、自分本来の冷静で理知的な性格は、獣としての習慣の中にすっかり埋もれてしまうだろう。

 

「分かります。私も最近は、自分が呂布なのか赤兎馬なのか、考えてしまうことがあるのです。いえ、呂布なんですけど。ヒヒン!」

「馬。話をややこしくするのはやめなさい」

 

 赤兎馬と眼鏡の軍師のやりとりを聞き流し、虞美人は自嘲するようにつぶやいた。

 恥ずかしいことだが、こんなあさましい身となり果てた今でも、自分は項羽との再会を夢に見ることがあるのだ。

 ベーコンを口に詰め込んで見る夢にだよ。(わら)ってくれ。(蘭陵王たちは、本当に笑えば怒り出すんだろうな、と彼女のとことん理不尽で面倒な性格を思い出しながら、黙って聞いていた)

 

 そうだ。お笑いぐさついでに、今の想いを詩に述べてみようか。

 昔の虞美人が、今も生きているしるしに。

 

 そして、蘭陵王たちが「いえ、けっこうです」と断るのを無視して詩を詠んだ。その詩に言う。

 

 

 力拔山兮氣蓋世 

 時不利兮騅不逝 

 騅不逝兮可柰何 

 虞兮虞兮柰若何 

 

 

 虞や虞や(なんじ)奈何(いかん)せん。

 

 あの項羽の詠んだ有名な詩である。

 それを聞き、思わず蘭陵王は頭を抑えた。

 

「あなたをどうしたらよいか聞きたいのはこっちです」

 

 それが彼の正直な感想だった。

 彼の最期を看取った友人が、人からベーコンをねだる愉快なサムシングへと変貌していたのだ。

 その心労は、筆舌に尽くしがたいものだった。

 

 そんな蘭陵王の内心を知ってか知らずか、虞美人の声は再び続ける。

 どうしてこんなことになったか分からないとさっきは言ったが、実は心当たりがないわけでもない。

 

 カルデアにいた時、自分はつとめてマスターとの交わりを避けた。

 プライドが高いと思われていただろうが、それはほとんど羞恥心に近いものであったのだ。

 もちろん、孤高な吸血種として生きた自分に、自尊心がなかったとは言わない。しかし、それは臆病な自尊心とでもいうべきものだった。

 

 自分はサーヴァントとして召喚されながら、マスターをパシリに使っていた。それどころか、肩まで揉ませていた。

 距離感が分からず刺々しく接する一方で、自分は吸血種としてのプライドから、マスターと打ち解けることがなかった。

 

 共に我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心とのせいである。

 

 この心の中の獣を肥え太らせた結果、自分は獣となってしまったのだ。

 

「……なるほど?」

 

 蘭陵王たちには、その理屈がよく分からなかったが、空気を読んで真剣な顔でうなずいた。

 

 もはや、別れを告げなければならない。酔わねばならない時が(獣に還らねばならない時が)、近づいたから。そう虞美人は言った。

 それにつけ加えて言うのに、帰りはこの道を通らないでほしい。その時は、自分はきっと正気ではいないだろうから。

 さらに加えて言うのに、ここから去る間、絶対に振り返らないでほしい、と。

 

 蘭陵王たちは、「絶対にこっちを見るんじゃないわよ! 見たら世界まるごと呪ってやるわ!」と何度も念を押す虞美人の声を背にして、その場を去った。

 

 一行が丘の上についた時である。

 

 背後から「フォウ! フォウ!」という不思議な鳴き声が聞こえ、思わず彼らは振り向いた。

 

 たちまち、一匹の獣が草むらから道の上に躍り出たのを彼らは見た。

 リスともネコともつかない姿の獣は、「フォウ! ベーコ、キュー!」と月に向けて何度か叫ぶと、再び草むらへと姿を消した。

 

 こうして、第四の(ビースト)へと変貌した虞美人は、二度と蘭陵王たちの前に姿を見せなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――というネタを思いついたんだが」

「ハッハッハ! なんで虞美人がフォウになってるんですかねえ!」

「「ワーハッハッハ!」」

 

「……原稿の続きに取り掛かりますか」 

「……そうだな」




新年早々、何を投稿しているのか。

*追記 1日たって評価バーを見ると、すでにその色は赤くなっていた。
たくさんのお気に入り登録と評価、ありがとうございます。


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杜子春(とししゅん)、……ではなかった。虞美人よ」

前作に、予想以上の評価が!? 続編を書いてみようか
→でも、こんな出オチ前提の一発ネタで、続きなんて書けるわけが……
→だが、書けたと言ったらどうする? 驚いているかい? 私も驚いているよ

という過程で出来上がったのがこちらです。
今さらですが、中島敦先生、芥川龍之介先生、どうかお許しください。


 ()る春の日暮れです。

 中国のとある都市、その西の門の下に、ぼんやりと空を仰いでいる一匹の獣がいました。

 

 獣の名は虞美人といって、元はカルデアのサーヴァントでしたが、今は第四の(ビースト)となって、哀れな身分になっているのです。

 

「フォウ……。ベーコ、キュー……(特別意訳:お腹が減ったわ。その上、こんな姿じゃもう項羽様に会えないじゃない。いっそ霊基ごと爆散して、死んでしまった方が楽かもしれないわ)」

 

 虞美人は、一匹さっきから、こんなとりとめもないことをつぶやいていたのです。

 

 すると、どこからやって来たのか、彼女の前で足を止めた一人のサーヴァントがいました。

 中性的な顔立ちをしたそのサーヴァントは、じっと虞美人の顔を見ながら声をかけます。

 

「その声は、我が家臣、虞美人ではないか?」

 

 それは、虞美人と同じくカルデアに召喚されていた始皇帝でした。

 彼(?)は異聞帯において虞美人と認識があり、一方的に家臣認定していたのです。

 

「そなたは何を考えておるのだ?」

 

 虞美人は、マスターたちと別れ、何日も食事をせずにさまよっていることを説明しました。

 

「では、朕が良いことを一つ教えてやろう。今、この夕日の中に立って、そなたの影が地に映ったら、その頭にあたるところを掘ってみるとよい。きっと、車いっぱいのベーコンがつまっておる」

「フォウ!?」

 

 虞美人は驚いて、伏せていた顔を上げました。

 ところが、さらに不思議なことには、いつのまにか始皇帝の姿がこつぜんと消えていたのです。

 

 虞美人は一日のうちに、山ほどのベーコンを手に入れました。

 しかし、彼女が幸せだったのも数日だけのことでした。

 あまりに空腹だった彼女は、欲望のままにベーコンを食べ続け、あっという間に食べ尽くしてしまったのです。

 虞美人には、計画性というものが致命的に欠けていました。

 

 そこで虞美人は、ある日の夕方、再び西の門へ行って、途方に暮れていました。

 すると、やはり前のように始皇帝がどこからか姿を現します。

 

「そなたは何を考えておるのだ?」

 

 その声には、どことなく呆れが混じっているようにも聞こえましたが、きっと気のせいでしょう。

 

「まあ、知らぬ仲でもない。よいか、もう一度夕日の中に立って、影が地面に映ったら、その胸に当たるところを掘ってみよ。きっと、車いっぱいのベーコンがつまっておる」

 

 こうして、虞美人は再び大量のベーコンを手に入れることができました。

 しかし、ベーコンは一週間足らずで全て彼女のお腹に消えてしまいました。

 そう、虞美人の辞書に「反省」という文字はありませんでした。

 

「そなたは何を考えておるのだ?」

 

 始皇帝は、三度虞美人の前へ来て、同じことを問いました。

 もちろんその時も、虞美人は西の門の下で、三日月の光を眺めながらぼんやりとたたずんでいたのです。

 

 始皇帝は、「そなたさぁ、朕のほどこしをまた無駄にするとは。それ、かなり不敬であるぞ」と言いたげな顔でしばらく黙っていましたが、やがて小さくため息を吐いて言いました。

 

「しかたない。汎人類史では動物愛護が大切と聞く。よいか、今度は影の腹にあたるところを――」

「フォウ(ベーコンはもういいわよ)」

「もうよい? ははあ、さては飽食にも飽きてしまったと見えるな」

 

 始皇帝はいぶかしそうな眼つきで、じっと虞美人の顔を見つめました。

 

「では、これからは質素に生きてゆくのだぞ」

 

 そう言って去ろうとする始皇帝を、虞美人は噛みつかんばかりの勢いで引き止めました。

 

「フォウ!(ちょっと、あなたの仙術で私を元の姿に戻しなさいよ! 隠すんじゃないわよ。あなたが仙術を使えることは知っているんだから。その身体になれたのも、私のおかげでしょう!)」

 

 始皇帝は眉をひそめた後、しばらく考え込んでいましたが、やがて小さくうなずきました。

 

「うむ。反省はしないくせに、自分に都合の良いことはけっして忘れぬそなたに免じて、一度だけ機会をやろう」

 

 虞美人は喜んだの、喜ばないのではありません。始皇帝の言葉がまだ終わらないうちに、その服の裾をくわえて、道へとグイグイ引っぱりだしました。

 

「これ、慌てるでない。ひとまずは朕と一緒に驪山(りざん)の奥へ来てみるがよい。さて、移動はどうするか。……おお、幸い、ここにちょうど乗り物があるではないか」

 

 始皇帝がわざとらしく驚いて指さした先には、いつの間にか、トラの頭が正面についた珍妙な車がありました。

 

「偶然にも、これは朕の多多益善(ドゥオドゥオイーシャン)号ではないか。うむ、いつ見ても猛々しく勇壮な面構え。すごい。怖い」

「フ、フォウ……」

 

 ドン引きしている虞美人は、ルンルン気分の始皇帝に多多益善号へと連れ込まれ、驪山へと出発しました。

 

 

 

 一人と一匹は、間もなく驪山へと到着しました。

 

杜子春(とししゅん)、……ではなかった。虞美人よ」

 

 多多益善号から虞美人を降ろすと、始皇帝は車内から語りかけました。

 

「朕は、朕をカルデアに招いた家臣から頼まれていた用事を思い出した。どうしても朕の力が必要らしいので、行かねばならん。すぐに帰るゆえ、そなたはここで待っているとよい」

「フォウ!?」

 

 突然そんなことを言われ、虞美人は驚きました。

 ですが、始皇帝はマイペースに話し続けます。

 

「朕がいなくなると、色々な魔性が現れてそなたをたぶらかすだろうが、けっして声を出すのではないぞ。よいか、もし元の姿に戻りたいのなら、天地が裂けても黙っているのだぞ」

 

 始皇帝は虞美人に別れを告げると、やたら騒々しいエンジン音を轟かせながら去っていきました。

 

 虞美人がいるのは、深い谷の間にある一枚岩の上です。

 あたりはシンと静まり返り、人影もなく、ただ頭上にたくさんの星が光っているのでした。

 

 虞美人はたった一匹、岩の上に座ったまま、静かに星を眺めていました。

 そうしてしばらく時間がたった時です。突然、野太い声が響き、彼女に呼びかけるではありませんか。

 

「おい、そこにいるのは誰だ?」

 

 虞美人は始皇帝の言いつけ通り、何も返事をせずにいました。

 ところが、しばらくすると、やはり同じ声がします。

 

「返事をしねえと、命はないものと覚悟しやがれ」

 

 虞美人はもちろん黙っていました。

 すると、どこから登ってきたのか、半裸の男が突然に姿を現しました。

 筋骨たくましい大男です。ゴワゴワした黒いひげと、残忍な光を放つ眼。これは、よほどの大悪党に違いありません。

 

 思わず息を飲む虞美人をにらみ、男はさらに怒鳴りかけました。

 

「さっさと名前を教えやがれ。さもねえと――

 

 

 

 

 

 ――今日は拙者、眠る時にキミの夢を見ちゃうゾ♪」

 

 

 虞美人は漏らしかけた悲鳴を必死にかみ殺しました。

 全身にゾワゾワと鳥肌が立ち、不快感が駆け巡ります。こんな気持ちの悪い生物に出会ったのは、二千年近く生きてきた彼女にも初めてのことでした。

 

 声を上げるのを我慢していると、やがて男は霧のように消え失せていきました。

 消える直前、「デュフフ、今度は人間成分マシマシの時に会いたいですなぁ。カエサル殿も喜びますぞ!」と、つぶやき声が聞こえた気がして、虞美人は思わず身震いしました。

 

 が、その身震いがまだ消えないうちに、彼女のもとへ重々しい足音が近づいてきたのです。

 

 やがて現れたのは、身の丈二メートルはあろうかという身体を鎧に包んだ、赤毛のサムライでした。

 大きな槍を肩にかついだサムライは、ギロリと虞美人を見下ろして口を開きます。

 

「アァ? たかが獣がなに俺を見てんだよ。殺すわ」

 

 声を上げる暇もなく、虞美人の体は槍で串刺しにされました。

 サムライは、たった今、尊い命を奪ったばかりとは思えないほどに快活な笑い声を上げながら、どこへともなく消えていくのでした。

 

 夜空は変わらず澄み渡り、静かに星が輝いています。

 が、その場に残された虞美人はとうに息が絶えて、モザイク処理のかかった悲惨な姿で仰向けに倒れているのでした。

 

 虞美人の魂は倒れた体を静かに抜け出し、地獄の底へと降りていきました。

 

 地獄の底にたどり着いた虞美人は、しばらく風に吹かれながら木の葉のように漂って行きましたが、やがて日本風の立派な建物の前へ出ました。

 

 そこは閻魔亭といって、旅館であると同時に、とある地獄の獄卒が女将をしている場所なのです。

 閻魔亭の前にいた無数のスズメたちが、虞美人を見つけるやいなや彼女を囲んで、閻魔亭の中へ引きたてました。

 

 虞美人が連れていかれた部屋には、一人の小柄な少女がおり、虞美人へといかめしく問いかけます。

 

「こら、お前さまはなんのために驪山の上に座っていたのでち?」

 

 その少女は、この旅館の女将である紅閻魔でした。

 彼女は虞美人の古い友人でもあるのですが、目の前の獣の正体に気づく様子はありません。

 虞美人は、「えんまちゃん、私よ! ぐっちゃんよ!」と言いたいのを我慢し、口をつぐんでいました。

 

 その後も紅閻魔からの質問は続きましたが、虞美人はずっと返事をしませんでした。

 すると、とうとう紅閻魔が痺れを切らした様子で叫びました。

 

「なんと強情なのでち!」

 

 そして、部屋にいたスズメたちに命令します。

 

「こいつの関係者は、きっと畜生道に落ちているはずでち! すぐにここに引き立ててくるのでち!」

「チュン。どっちかというと、本人が畜生になっているような気がするのでチュン」

 

 スズメはたちまち地獄の空へと飛び立っていきましたが、すぐに一匹の獣を連れて戻って来ました。

 

驚きますね(サプライズ)。突然の連行に、とまどいを隠せない私です」

 

 その獣を見た虞美人は、驚いたの驚かないのではありません。

 なぜかといえば、その獣は、金色の毛をしたヒツジの姿でしたが、その声は紛れもなく彼女の後輩、つまりはカルデアのマスターのものだったからです。

 

「さあ、なぜ驪山の上にいたか白状するのでち。さもないと、今度はお前さまのマスターを痛い目に合わせてやるでちよ」

 

 紅閻魔からそのように脅されても、虞美人は返事をせずにいました。

 

「この不孝者! マスターより自分が大切なのでちか。スズメたち、このヒツジを打って、肉も骨も砕いてしまうのでち!」

「チュン! チュン!」

 

 紅閻魔からの号令に、その場にいたスズメたちは、いっせいにマスターへ飛びかかりました。

 翼でペチペチと頬をはたき、クチバシで角を甘噛みし、容赦なく無抵抗の後輩を痛めつけます。

 

「おお、まさにヒツジとスズメのEndless Battle(エンドレス バトゥ)。と言いつつ、あまりの苦し()に、そろそろ私の気力が尽きるでしょう」

 

 たまらず、やたらネイティブよりの英語を発音するようになった後輩は、モサッと倒れ伏しました。

 それでも、スズメたちは攻撃をやめないのです。

 

 その光景を目の前にして、虞美人は始皇帝の言葉を思い出しながら、じっと目をつむっていました。

 すると、彼女の耳に、ほとんど声とはいえないくらい、かすかな声が伝わってきました。

 

「心配をしないでください、元は美しかったであろうアナタ。私はどうなっても、フワフワのアナタさえ幸せになってくれれば、それでいいのですからね。えんまちゃんが何とおっしゃっても、言いたくないことは黙っておくとよいでしょう」

 

 それはたしかに、自分を召喚した後輩の声に間違いありません。

 その声を聞いて、思わず虞美人は目を見開きました。

 

 この後輩は、パシリに使われていたことも、凄惨な拷問を加えられていることも、恨む気配がないのです。

 なんという健気な心でしょう。

 

 その姿に、虞美人は始皇帝の言葉も忘れて、後輩のそばへと転ぶように駆け寄って叫びました。

 

「フォウ!」

 

 

 

 気がつくと、虞美人はやはり夕日を浴びて、西の門の下にぼんやりたたずんでいるのでした。

 街の様子も、目の前に立つ始皇帝も。何もかも驪山へ行く前と同じです。

 

「そなた、元の姿には戻れなんだか」

「フォウ(戻れなかったわよ。でも、それでよかったという気がするわ)」

 

 虞美人は、すねたように始皇帝から目をそらし、それでいてスッキリした表情で答えました。

 

「うむ、そうであるな。もしも、そなたが最後まで口を閉じておれば……」

 

 始皇帝は言葉を切り、急に冷徹な眼差しで虞美人を見据えました。

 

「朕は、そなたの霊基を破壊するつもりでおった。修復不可能なほどにドチャクソにな」

 

 始皇帝はそう言い終わると、一転して満面の笑みを浮かべます。

 

「だが、それもいらぬ考えであったな。そなたは、これからどうする」

「フォウフォウ(カルデアに帰るわよ。私を心配して待っているヤツもいるでしょうしね)」

「そうか。それでは、朕は先に帰っておるから」

 

 始皇帝は背を向けて歩き出しましたが、急に足を止めました。

 そして、独り言のようにポツリとつぶやきます。

 

「そうそう。家臣から嘆願されていた用事なのだがな。なんでも、どうしても召喚したい英霊がおったらしい。それで、生前に縁の深かった朕を呼んだのだ」

「フ、フォウ?」

「そなたがここにおることは教えておいたから、奴もそろそろ到着するのではないかな」

 

 それだけ言うと、始皇帝はその場から風のように立ち去りました。

 残された虞美人が呆然と立ち尽くしていると、何か大きなものが背後に立つ音が、耳に届きます。

 

 そして、彼女がよく知っている声が、穏やかに語りかけてくるのでした。

 

 

「その声は、我が妻、虞美人ではないか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今宵は、ここまで」

「え、そんな、続きはどうなるのです!? 虞美人と項羽のその後は!?」

「その話は、また明日いたしましょう」

「ファ、ファラオを待たせるとは……。不敬ですよ!」

 

「……ところで、同盟者が面妖な黄金羊になっていたのですが」

「それについて考え過ぎると、ニューロンへの過負荷で、死にます」

 




まさかまさかの二話目です。

完全に予定にはなかった話なので、誰かとネタ被りをしていないか心配で、死んでしまいます。


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「モリアーティ、お前だったのか」

また新しい話が書けそう
→けど、主役が虞美人から変わってしまうな、これ
→まあいいか

というノリで出来上がったのがこちらです。
前回までとのつながりは薄いので、この話から読んでもらっても大丈夫だと思います。

*この話には、亜種特異点に登場するサーヴァントの真名が含まれます。ご注意ください。



 これは、まだ私が小さい時に、村の茂平というおじいさんから聞いたお話です。

 地球のどこかにはカルデアという機関があって、百人を超えるサーヴァントたちが暮らしていたそうです。

 

 その中に、モリアーティというキツネ――――のようにずる賢いサーヴァントがいました。

 

 モリアーティは五十代独身で、暇を見つけては、他のサーヴァントを巻き込んでイタズラばかりしました。裏ギャンブルの胴元をしたり、一緒に戦う仲間にかたっぱしから悪属性を付与したり、いろんなことをしました。

 

 ある秋のことでした。

 モリアーティは腰の具合が悪くなり、ベッドから起き上がれない日が続いていました。

 ようやく動けるようになると、モリアーティはホッとして部屋から出ました。そして、数日ぶりにカルデアの廊下を歩き始めたのです。

 

 不思議なことに、あんなに賑やかだったカルデアが、その日はとても静かでした。廊下には、他に誰の姿もありません。

 モリアーティは不審に思いながらも、事情を聴ける人にも会えず、腰をかばいながらソロソロと廊下を進み続けました。

 

 そして、格納庫の前まで来た時です。

 ふと見ると、格納庫の中に人がいて、何かやっています。モリアーティは、見つからないようにソウッとドアの陰に隠れ、そこからじっと覗いてみました。

 

「ホームズだな」

 

 モリアーティはそう思いました。

 

 ホームズは、サーヴァントになる以前からのモリアーティの宿敵です。

 モリアーティは生前にも、部下に命じてホームズのことを狙撃させようとしたり、彼の部屋に火をつけさせたり、何度もイタズラをしていました。

 

 ホームズは小さな木箱を抱え、キョロキョロと周囲を見回しています。誰かに見られていないか、気にしている様子でした。

 しばらくすると、ホームズは格納庫の機材の間に木箱を隠して、コッソリと立ち去りました。

 

 モリアーティは、格納庫に入って、ホームズのいた場所へと近寄りました。ちょいと、イタズラがしてみたくなったのです。

 隠してあった木箱を取り出し、中身を確認します。

 

 木箱に入っていたのは、コカインの7パーセント溶液でした。

 注射器も一緒に入っています。これは、ホームズがいつもキメているオクスリに違いない。そうモリアーティは確信しました。

 

「おっと、手が滑った」

 

 モリアーティはつぶやいてから、木箱を放り投げました。

 全力のオーバースローで投げられた木箱は、一直線に壁にぶち当たり、中身ごと粉々に砕け散ってしまいました。

 

「完全犯罪は、成立した」

 

 勝ち誇った声で、モリアーティは宣言します。

 犯罪どころか、客観的に見れば、危ないオクスリを処分しただけです。ですが、そんなことはモリアーティには関係ありません。

 ホームズへの嫌がらせになる。ただ、それだけが重要でした。

 

 その時、いつの間に戻って来たのか、背後からホームズの叫びが響きました。

 

「そこで何をしている!」

 

 モリアーティは、びっくりして飛び上がりました。

 はずみで、腰に抱えた爆弾の導火線に火がつきそうになりましたが、痛みを懸命にこらえ、格納庫から逃げ出します。

 

 そんな散々な状態でしたが、モリアーティがしばらく走ってから振り返ると、ホームズは追って来ませんでした。うまく逃げ切れたようです。

 モリアーティは、ホッとして、湿布を取り出すと腰へと貼りつけました。

 

 その翌日、モリアーティは項羽というサーヴァントの部屋の前を通りかかりました。

 

「フォウ! フォウ!」

 

 すると、わずかに開いたドアの隙間から、不思議な鳴き声が聞こえてきます。

 

「あの声は、虞美人君だネ」

 

 そう思ったモリアーティが部屋を覗くと、そこには小さな獣が一匹、床に座っていました。

 

 項羽の家内の虞美人です。ワシワシと自分の身体を前脚でこすり、毛づくろいをしているようでした。

 

 それは特に変わった光景ではありませんでした。

 ですが、今日の虞美人は、どこか切迫した様子で身体を洗っています。まるで、ばい菌を全て消し去ろうとしているかのようです。

 

「これは、ひょっとすると、アレが始まっているのかな?」

 

 そんなことを考えながら歩いていますと、廊下の先から騒々しい物音がしました。

 どうやら、ホームズの部屋から響いてくるようです。

 

 物陰に隠れて様子をうかがうと、部屋の扉は開かれており、中で一人のサーヴァントが暴れているのが見えます。

 それは、カルデアの婦長こと、ナイチンゲールでした。

 彼女はためらいなくホームズの部屋の家具を破壊しては、残骸を調べています。何かを探しているようです。

 

 その光景を目にしたモリアーティは、事情を把握しました。

 

 ナイチンゲールが抜き打ちで行う、サーヴァント健康診断が始まっていたのです。

 

 治療行為に妥協しないナイチンゲールは、不定期にサーヴァントの健康診断を行います。

 そして、結果の悪かったサーヴァントは、強制的にアスクレピオスの待つ医務室へと連行されるのです。

 

 モリアーティはこれまで上手に隠れていたので、どのような治療が行われているのかは知りませんでした。

 ですが、相当に厳しいものであることは間違いありません。

 

 前回の健康診断で捕まった沖田総司は、解放された時には、何を尋ねても、「オキタサンハ、トテモ、健康、デスヨ」としか返事できないようになっていました。

 一緒に連れていかれたアヴィケブロンは、その日以来、まだ医務室から出てきません。

 

 カルデアが静かなのは、サーヴァントたちがナイチンゲールの注意を引かないよう、おとなしく過ごしているからだったのです。

 

 その場を離れたモリアーティは、部屋に戻り、ベッドの上で考えました。

 

「ナイチンゲールは、ホームズの持っているオクスリを没収しようとしたに違いない。それでホームズは、格納庫にオクスリを隠そうとしたのだ。ところが、私がイタズラをしてオクスリを処分してしまった。今ごろホームズは、オクスリが欲しい、オクスリが欲しい、と苦しんでいるに違いない。ザマアミロ」

 

 あの時にモリアーティが逃げ切れたのも、オクスリを失ったホームズが全力を出せなかったせいでしょう。

 

 しかし、モリアーティは素直に喜べないでいました。

 オクスリをキメられずに弱っているホームズを出し抜くことを想像しても、ちっとも楽しくないのです。

 

 ホームズは宿敵ではありますが、ただ憎いだけの相手ではありません。

 互いに全力を出してケンカし、その勝敗をつけることに意味がある。そんなことをモリアーティは考えたのでした。

 

「ああ、あんなイタズラ、しなければ良かったかもしれないネ」

 

 モリアーティは少し後悔しました。

 

 その翌日、モリアーティは、ホームズの部屋にオクスリを届けました。ホームズのいない時間にコッソリとオクスリを置いて、立ち去ったのです。

 犯罪界のナポレオンと呼ばれたモリアーティは、好きなだけのオクスリを調達できるコネクションを持っていました。

 

 次の日も、その次の日も、モリアーティは、オクスリを手に入れてはホームズの部屋へ持ってきてやりました。

 その次の日には、オクスリだけでなく、モクモクできるハッパも二、三枚持っていきました。

 

 ある夜のことでした。

 モリアーティが廊下を歩いていると、向こうから誰かが来るようです。話し声が聞こえます。

 

 モリアーティは、とっさに物陰に隠れました。

 話し声はだんだん近くなりました

 それは、ホームズとカルデアのマスターでした。

 

「ところで、マスター。最近、とても不可解なことがあるのだよ」

 

 ホームズが言いました。

 

「不可解。一体、どうしたのですか?」

「健康診断が始まってから、誰かが私に贈り物をしてくれるのさ」

「健康診断。おお、怖い(テリブル)怖い(テリブル)。私も、バクテリアの温床と呼ばれ、全身の毛を刈られそうになりました」

 

 モリアーティは、一人と一匹の後をつけていきました。

 

「送り主は、今のところ不明でね。どうしても気になるよ」

「良いことではありませんか、贈り物。人からの善意に心が暖まります。新品のままで売り払えば、ふところも暖まります」

「だが、君も知っているだろう。どうにも謎というものに我慢ができない性質なのだよ、私は」

「たしかに、送り主の正体と目的が気になります。もし女性ならば、既婚歴も気になる私です」

 

 それから、ホームズたちは黙って歩き続けていましたが、やがてマスターが言い出しました。

 

「それは、きっと、神様のしわざでしょう」

「神様かい?」

「そうです。きっと、いつも頑張っているあなたに、神様が送ってくれているのです。神というものは、善き行いを見ているものなのです。かくいう私も、牧神として人の営みをいつも見守っています。今、決めました」

「ふむ。そういうこともあるのかな」

 

 モリアーティは、「へえ、これはつまらないネ」と思いました。

 自分がコネクションを使ってオクスリを届けているのに、それを神様のしわざとされるのは、引き合わない気分だったのです。

 

 そのあくる日も、モリアーティは、オクスリを持ってホームズの部屋へ行きました。

 その時、巻いたハッパでモクモクしながら、ホームズが部屋に戻って来ました。

 ホームズは、脳に甘く語りかけてくる世界の真実に酔っていましたが、見ると、アラフィフ紳士が部屋に忍び込んだではありませんか。

 

「この間オクスリを台無しにしたモリアーティが、またイタズラをしに来たな」

 

 そのようにホームズは思いました。

 

「ふむ」

 

 ホームズは、ハッパを指でつまむと、忍び足で部屋のドアに近づきました。

 少しして、モリアーティが出てきます。

 

「バリツ!」

 

 ホームズのミドルキックが、モリアーティの腰に炸裂しました。

 腰から破滅の音が鳴り響き、モリアーティはバタリと倒れます。

 

 その時、ホームズは、部屋に置いてあるオクスリに気づきました。

 

「まさか!」

 

 ホームズはびっくりして、モリアーティに目を落とします。

 

「モリアーティ、お前だったのか」

 

 いつもオクスリをくれたのは。

 

 その問いに、モリアーティがグッタリと目をつぶったままうなずき、ホームズはつまんでいたハッパを取り落としました。

 

 青い煙が、まだハッパの先から細く出ていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――という経緯で、腰を壊したプロフェッサーは医務室へと連行され、ようやく解放されたとのことである。ヴィクターの娘よ」

「ウー。パパ、大丈夫だった?」

「……マイガール」

 

「パパハ、トテモ、健康、ダヨ」




今後は、ほぼ独立したパロディ短編集として更新しようと思います。

今回、いっそモリアーティも本物のキツネにしようかとも考えましたが、さすがにやめました。

登場人物が特に理由もなく獣になるなんて、おかしいですよね。


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「ハッハァ! あきらめなけりゃ、蜘蛛の糸だって登れるんだぜェ!」

*この話には、亜種特異点に登場するサーヴァントの真名が含まれます。ご注意ください。

芥川龍之介先生の作品をパロディするのは、これで二作目になります。そろそろ呪われないか、心配になってきました。


 ある日のことでございます。

 ウルクの冥界につながる穴のふちを、エレシュキガル様は、一人でブラブラと歩いておられました。

 

 周囲には白い花が咲き乱れ、柔らかい陽射(ひざ)しの中に、何とも言えない良い匂いが満ちています。

 地上は、ちょうど朝なのでございます。

 

 普段はずっと冥界で仕事をこなしておられるエレシュキガル様ですが、この日は珍しい休日でした。

 冥界を通じて知り合った水着姿のファラオが、「たまには休みを取りなさい」と、冥界の仕事を一時的に代行してくれたのです。

 

 エレシュキガル様は、冥界を出ることができません。しかし、妹であるイシュタルが、気前よく仮の肉体を提供してくれました。

 決して無断で借りたのではないのです。

 イシュタルが椅子に座ってうたた寝しているスキに確認したところ、コックリコックリと首を縦に振ったので、間違いございません。

 

 こうして、エレシュキガル様は地上でリラックスなさっておられるのでした。

 

 エレシュキガル様は穴のふちに立って、ふと、冥界の様子をご覧になりました。

 ふちの下は、ちょうど冥界の深淵にあたっておられます。なので、ほの暗い水を一面にたたえた冥界の底が、クッキリと見えるのでございます。

 

 深淵では、無数のメジェド様に監視されながら、たくさんの罪人たちが水の中でもがいておりました。

 

不肖(ふしょう)、この私も凍ってしまいそうです。この水、最高にCoooool!」

「俺様ばっかりこんな目にあわせやがって! ジキル、出てきやがれぇぇ!」

「ム、ムム。君たち、前髪伸ばさない?」

 

 生前に悪行を働いたサーヴァントたちも、(一人の例外を除いて)苦しみにもだえております。

 

「あんなに寂しかった冥界が、とっても賑やかなのだわ」

 

 その光景を見下ろし、エレシュキガル様は、パアッと花開くような笑顔を浮かべていらっしゃいました。

 しかし、その時、ある一人のサーヴァントの姿が視界に入ってまいりました。

 

「うおお! 冷てえじゃねえか、くそったれがァ!」

 

 顔をクシャクシャにして見苦しく叫んでいる男は、名前をコロンブスと言いました。

 彼は、島を見つけては好き放題に略奪したり、原住民を奴隷にして売りさばいたり、いろいろと悪事を働いた提督です。

 

 一言でいえば、ド畜生でございます。

 

「俺は、ただ夢に向かってがんばってただけじゃねえか! どうして地獄に落とされなきゃいけねえんだよ!」

 

 どうしてと言われても、「お前がコロンブスだから」としか答えようがありません。周囲のメジェド様たちも、ゴミ屑を見るような視線を送っておりました。

 

 それでもたった一つ、彼が良いことをいたした覚えがございます。

 

 と申しますのは、生前にコロンブスが船長室で二重の航海日誌を書いていた時のことです。彼は、小さなクモが一匹、机を這っているのを見つけました。

 コロンブスはクモを潰そうと手を振り上げたのですが、数秒してから、ゆっくりとこぶしを下ろしました。

 

「いや、これも命には違いねぇ。大事な航海の途中だってのに、無駄な殺生は縁起が悪いぜ」

 

 そう思い返したコロンブスは、とうとう殺さずにクモを助けてやったのでございます。

 

 エレシュキガル様は、冥界の様子をご覧になりながら、コロンブスがクモを助けたことを思い出しになりました。

 そして、それだけの良いことをしたのだから、出来るなら、この男を救い出そうとお考えになりました。

 

 なにより、いつまでもあんな汚い顔のまま泣かれていては、冥界の美観を損ないます。

 

 幸い、足元を見ますと、花の葉に小さなクモが一匹、美しい銀色の糸をかけています。

 エレシュキガル様は、ソッと糸をお取りになって、はるか下にある深淵へとお下ろしなさいました。

 

 

 

 こちらは冥界の深淵で、他の罪人と一緒になって、浮いたり沈んだりしていたコロンブスでございます。

 何しろ冥界はどちらを向いても真っ暗で、罪人たちの苦悶の声が満ちています。

 そればかりか、そばにいる伊達男がしつこく「ねえ、前髪を伸ばさない?」とからんでくるもので、さすがのコロンブスも疲れ果ててもがいておりました。

 

 ところが、ある時のことでございます。

 

 コロンブスが何気なく冥界の空を見上げますと、遠い遠い地上から、クモの糸がゆっくりと下りてくるではございませんか。

 それも、ちょうど自分の頭上に。

 

 コロンブスは喜びました。

 この糸にすがりついて、どこまでも登っていけば、冥界から抜け出せるに違いありません。

 

 そのように考えましたから、さっそくコロンブスはクモの糸をたぐり、必死に上へ上へと登り始めました。

 元より彼は船乗りであり、偉大な探検家でもありますから、こういうことには昔から慣れきっているのでございます。

 

 コロンブスは一心不乱にクモの糸を登ります。生前に大西洋横断という偉業を成し遂げた彼の『不屈の意志』は、並のものではありません。

 

 具体的に言えば、自身のNPチャージとガッツ付与(1回3ターン)の効果です。

 

 しかしながら地上までの距離は遠く、さすがのコロンブスもくたびれて、とうとう体力の限界を迎えました。そこで、一休みするつもりで糸の中途にぶら下がり、下に目を落としました。

 

 すると、彼がもがいていた水面は、今では遥か下にあります。この調子で登っていけば、冥界から抜け出すのもそんなに遠くないかもしれません。

 コロンブスは、「しめた、しめた」と歯を剥き出して笑っておりました。

 

 しかし、その笑いが突然引っ込みました。

 

 ふと気づくと、クモの糸の垂れる下から、たくさんの人々がアリの行列のように登ってくるのです。

 コロンブスと一緒に溺れていた、冥界の罪人たちでございます。

 

 コロンブスは驚きのあまり、ポカンと口を開けておりました。

 彼らが登っているのは、頼りない一本のクモ糸です。コロンブス一人でさえ、これまで登ることができたのは奇跡でした。

 もし罪人たちの重みに耐えられず、糸が切れてしまえば、コロンブスは冥界の底へと真っ逆さまに落ちてしまうでしょう。

 

 呆然としていたコロンブスでしたが、やがてハッと我に返りました。

 そして、登ってくる罪人たちを鋭くにらみつけ、声を張り上げたのでございます。

 

「おい、てめえら――

 

 

 

 

 

 ――あきらめるんじゃねえぞ! きっと全員でここを抜け出すんだ!」

 

 その言葉に、疲れ果てていた罪人たちは、信じられないというような表情でコロンブスを見つめました。

 そんな彼らに、この偉大な冒険家は不敵な笑みで告げます。

 

「いいか、この糸の先に俺たちの新天地が待っているんだぜ! 不可能なんて言葉は忘れて、俺について来い!」

 

 そして、冥界のよどんだ空気を振り払うように、力強くクモ糸をたぐり始めたのです。

 

「ハッハァ! あきらめなけりゃ、蜘蛛の糸だって登れるんだぜェ!」

 

 

 

「ま、まずいのだわ!」

 

 地上では、エレシュキガル様が青い顔をなさって、アワアワしておられました。

 コロンブスだけにチャンスを与えたつもりが、他の罪人たちまで糸を登ってくるなど予想外であったのです。

 普通なら考えつくだろう、などという言葉は禁句でございます。

 

 罪人たちは、一人も欠けることなく、もう地上のすぐ近くまで来ています。

 何度も脱落者が出そうになったのですが、そのたびにコロンブスに励まされ、止まることなく地上を目指しているのです。

 

 コロンブスだけでなく、彼ら全員が出ていくことになれば、これは冥界の女主人として見過ごせません。

 エレシュキガル様は、冥界に垂らしていたクモの糸を放してしまおうかとお考えになりました。

 

 ですが、しばらく悩んでいらっしゃったエレシュキガル様は、結局クモの糸を手放すことはなさいませんでした。

 

 ただ、互いに励ましあいながら地上を目指す罪人たちの姿を、じっと地上から見守っておられました。

 

 

 

「ぜえ、ぜえ……。たどり、ついたぜ」

 

 とうとう、コロンブスたちは、あと数メートルで地上というところまで到達しました。

 長く辛い道のりでしたが、一人としてあきらめた者はいなかったのです。

 

「見事だわ、あなたたち!」

 

 エレシュキガル様は、女神としての威厳に満ちた態度で、罪人たちに声をおかけになりました。

 その顔が感動で赤らんでいるように見えるのは、きっと幻覚でございましょう。

 

「あなたたちは、全員で助け合い、ここまでたどりついたのよ。今後も、その心を忘れないでほしいのだわ」

「おうよ。俺はこれからも、夢だけを見つめて努力していくつもりだぜ」

 

 コロンブスがそう宣言すると、下にぶら下がっている罪人たちもうなずきます。

 

「よろしい。この出来事から得たインスピレーションによって、きっと私はCooooolな作品を作り上げてみせましょう」

「よっしゃあ! 待ってろよジキル、いつかぶっ殺してやるからな!」

「なんと凛々しいお姿だ。前髪、伸ばしませんか?」

 

 どれもこれも、清々しいほどに我欲に満ちあふれた発言でしたが、エレシュキガル様のお耳には届いていませんでした。

 あまりにも純情(ピュア)な冥界の女主人は、「罪人たちが改心するなんて、素晴らしいわ」と、感極まっておられたのです。

 

「あー、ところで女神様。登りきったら、俺たちに帰り道を教えてほしいんだが」

「私はもう冥界に帰る時間なの。だから、ちょうど近くにいる知り合いに道案内を頼んでおくのだわ」

「そうかい、そうかい」

 

 その返答に、コロンブスは微笑みました。

 

 そして、心の中でほくそ笑みました。

 

「それじゃあ、案内人はファラオの嬢ちゃんか。あいつなら、簡単にだまくらかせるぜ」

 

 そんなことを、コロンブスは考えていたのでございます。

 そう、彼はちっとも反省などしておりません。

 罪人たちを助けたのも、自分の利益のためでした。

 

「これほどの人数の罪人(どれい)たちだ。一人あたり、これだけの金額で売り払ったとして……。ハッハァ! ワクワクが止まらねぇ! どうせ後ろ暗い連中なんだ。どう扱ったところで、たいして問題にもならねえしな!」

 

 コロンブスが脳内で人身売買の計画を練っていると、誰かが近づいてくる足音がしました。

 

「お、案内人がやって来たか」

 

 そう思ったコロンブスは、思わずにやけそうになるのをこらえて、その人物へと視線をやりました。

 

 

(くび)を出せ」

 

 

 そこには、ドクロの仮面の人物が、大剣を手にして立っていました。

 

 ファラオと一緒に冥界の仕事を代行していた、とあるグランドアサシンです。

 

「晩鐘は汝らの名を指し示した」

 

 その途端でございます。

 クモの糸が、コロンブスが握っているところから音もなく断ち切られました。

 

 コロンブスと罪人たちはたまりません。声を上げる暇もなく風を切って、コマのようにクルクル回りながら、真っ逆さまに落ちてしまいました。

 

 

 

 深淵の水に落下した罪人たちは、そのまま沈んでいきました。

 コロンブスはしばらくもがいておりましたが、やがてガッツも尽きたのか、同じようにブクブクと沈んでいったのです。

 

 後にはただ、銀色に光るクモの糸が、短く垂れているばかりでございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――いや、何これ?」

「お姉ちゃんが、次のサバフェスで出す児童向けの本です。リースと一緒に考えたんですよ」

「こんなのから、どんな教訓が得られるっていうのよ」

「人身売買はダメ、ってことですね」

 

(……わざわざ教訓にしないといけないことなの、それ)




今回は虞美人が登場していない? その疑問には次のように答えられます。

虞美人は、FGOにおけるネタキャラの代名詞。
→コロンブスは、紛れもなくネタキャラ。
→つまり?

虞美人は実質レジライ。


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特別編:Heart of Shielder

 私、マシュ・キリエライトがあの人と出会ったのは、四つ目の特異点。魔霧に覆われたロンドンでのことでした。

 

 市民を殺害していたジャック・ザ・リッパーを倒した私たちは、モードレッドさんと一緒にロンドンの見回りをしていました。

 その途中、不意に遠くから響いてきた破壊音に、私たちは戦闘が発生していることを察知して現場に急行しました。

 

 しかし。

 

「ああ、私が信じた大義は、間違っていたのですか……」

 

 現場に到着して、私は目を疑いました。

 

 ロンドンを襲う魔霧計画の首謀者の一人、自らを“P”と名乗ったサーヴァントが、目の前で消滅していったからです。

 

「これは、てめえがやったのか?」

 

 モードレッドさんが目つきを鋭くして問いかけたのは、その場にたたずむ中年の男性でした。

 

 男性は着物姿で、その容姿からも東洋系であることはすぐに分かりました。状況からしてサーヴァントなのでしょう。

 体つきやたたずまいから、一目で戦いが得意でないことは分かりました。ですが、その雰囲気は、芸術家や魔術師とも違うように感じたのを覚えています。

 

「その通りです」

 

 私たちの警戒心を受け流すように、男性はあっさりとうなずきました。

 その淡々とした声と表情は、全く彼の内面を読み取らせませんでした。

 

「彼はパラケルススと名乗り、私を拘束しようとしました。なので、しかたなく彼と戦ったのですよ」

 

 とりあえず、私たちは彼と一緒にジキルさんのアパルトメントへと戻ることにしました。

 その道中で彼から事情を聞いた結果、二つのことが判明しました。

 

 一つは、やはり男性がサーヴァントであること。

 もう一つは、計画の首謀者たちが魔霧から現界したサーヴァントを確保し、彼らに従わせているということでした。

 

 しかし、男性の真名を教えてもらおうとした時です。

 それまで能面のような無表情で受け答えしていた男性が、初めて顔をこわばらせました。

 

「私のクラスはキャスター。すみませんが、お話しできるのはそれだけです」

「はあ!? 怪しいにもほどがあるだろ。何か事情でもあるのかよ」

 

 疑わしそうに言うモードレッドさんに、男性は小さく「いいえ」と答えました。

 

「ただ、私のエゴです。人に知られることの恐ろしい、みじめな過去もあるのですよ」

「なんだ、それ」

 

 モードレッドさんは呆れていましたが、それ以上の質問は時間の無駄であると、男性の眼差しは明白に告げていました。

 なにより私たちには、魔霧計画の全貌を解き明かすという差し迫った問題があったのです。

 

「君は、“P”、“B”、“M”という三人に心当たりがないかな? 首謀者たちの頭文字だと思う。Mはメフィストフェレスで、Pはパラケルススのはずなんだけど。Bが分からないんだ」

 

 ドクター・ロマンの質問に、彼は首を横に振りました。

 

「残念ですが、私にも分かりませんね。P、B、それにMですか……」

 

 そう言って、彼は謝罪しました。

 

 しかし、あれは私の見間違いだったのでしょうか。

 

 たまたま彼の隣を歩いていた私は、一瞬ですが、見えたような気がしたのです。

 男性の表情によぎった、苦渋に満ちた暗い陰を。

 

 この人は何かを知っている。

 そんな考えが、私の心に浮かびました。

 

 しかし、ちょうどそのタイミングでアパルトメントに到着したために、私は男性への疑念を口にする機会を失ってしまったのです。

 

「あなたは、何か悩んでいることがあるのではないでしょうか」

 

 アパルトメントに戻り、先輩たちがこれからの行動について議論していた時です。私が窓のそばで少しボンヤリとしていると、男性がソッと声をかけてきました。

 知らず知らず、心のわだかまりが表情に出ていたのでしょうか。

 

「ジャック・ザ・リッパーのことを考えていたのです。彼女も、首謀者たちに利用されていました」

 

 少し間を開けてから、私は正直に言いました。

 何年か前、「悩みがある時は、誰かに相談すれば楽になるかもしれないよ」と、ドクターから助言されたことを思い出したからです。

 

「今でも信じられません。彼女は、ただの善良な子供に見えました。ロンドン市民を殺害していたなんて……」

「人間というものに善悪などはありません」

 

 予想外の言葉に、私は思わず男性の顔を見つめました。

 

 彼は私の視線をよそに、物思いにふけるように窓の外を眺めていました。

 そのまま会話は途切れるかと思えましたが、唐突に、彼は口だけを動かして私に尋ねました。

 

「あなたの周りにいる人は、みんな善良な人ですか?」

 

 私の答えは決まっていました。

 

「もちろんです。人理を守るために戦っている人たちですから」

「人理のために戦えば、どうして善良なのですか?」

 

 私は言葉に詰まりました。

 

 人理のために戦うことが、本当に善良なのか。

 そんな疑問は、頭に浮かんだことさえなかったのです。

 

 私が返答できずに困っていると、男性はこちらに顔を向けて、後悔するように目を細めました。

 

「これは失礼をしました。あなたを困らせようとしたのではないのです。どうも、あなたのような年齢の人と接した経験が少ないもので、いらぬことを口にしてしまう」

 

 言い終わると、彼は背を向けて歩み去ってしまいました。

 

 

 

 それからも、私たちは特異点解決のヒントを追って奔走しました。

 真名を隠した男性も、私たちに協力してくれました。ただ、やはり自分のことを語ろうとはしませんでした。

 

 議論する時は冷静な意見を述べてくれますし、日常の会話を欠かすことはありませんでした。

 ですが、彼の発言はいつも必要最低限に留まり、明らかに私たちに対して距離を置こうとしていたのです。

 

「なんだよ、あいつ。人間嫌いか」

 

 モードレッドさんは、それを他人を遠ざけるための態度と受け取ったようです。

 ただ、根拠はありませんが、私には別の理由があるように感じられました。

 彼の態度は、「自分には近づくほどの価値もない」と私たちに警告するためのもの。なぜか、そう思えたのです。

 

「どうも、あまり力になれず申しわけありません。戦闘は苦手なものでして」

 

 情報を求めて侵入した時計塔内での戦いの後、ほとんど後衛に控えていた彼はポツリとつぶやきました。

 

「なんだ、それは俺への嫌味か?」

 

 それを聞きつけたアンデルセンさんが、ぶっきらぼうに応じました。

 

「戦闘など、もっと強い英霊に任せていればいいだろう。ペンよりもこん棒が手になじむような乱暴者が、そこにいるではないか」

 

 その言葉にモードレッドさんが反発し、先輩とジキルさんが困り顔で仲裁に入りました。

 そんな騒がしい光景を見つめる男性の表情は、どこかまぶしそうでした。

 

 すると、たまたま彼と視線が合いました。

 

「意外そうですね」

「はい。てっきり、あなたは騒がしいのが苦手なのかと」

「とんでもない。むしろ嬉しいぐらいです。こうして誰かの話に耳を傾ける機会は、今後ないでしょうから」

「それはどうしてですか?」

 

 反射的に疑問を口にしてから、無遠慮な質問だったかと思いました。

 ですが、男性は気にする様子もなく返事をしてくれました。

 

「本来、私は英霊となるような人間ではないからですよ。この特異点が終われば、私は消滅し、召喚されることは二度とない。そんな私がロンドンに呼ばれたということは――」

 

 男性は急に言葉を切りました。

 そして、口から漏らしかけたものをごまかすように、話題を切り替えたのです。

 

「あなたの眼には、私はどう映りますかね。強い英霊に見えますか? 弱い英霊に見えますか?」

 

 私は、頭に浮かんだことを素直に答えました。

 

「中ぐらいに見えます」

 

 私の返事が意外だったのでしょう。それっきり、男性は口を閉ざしてしまいました。

 

 

 

「先生、お時間はありますか?」

 

 いつからか、私はその人を「先生」と呼ぶようになりました。

 深い意味はありません。

 ただ、すでに私には人生の「先輩」がいます。それならば、先生がいてもおかしくないと思えたのです。

 

 私は時間が空いた時には、よく先生と二人で話し込むようになりました。

 

「あなたは、どうしてたびたび私の話を聞きに来るのですか?」

「おじゃまでしょうか」

「じゃまとは言いません」

 

 先生は苦笑しながら否定しました。

 そのころには、先生も私たちに多少の感情を見せてくれるようになっていました。

 

 どうして私が先生との会話に引きつけられたのか、自分でもうまく説明できません。

 あえて言うなら、先生の雰囲気が、これまで出会ったサーヴァントの皆さんと比べて異色だったからでしょうか。

 

 これまで出会ったサーヴァントのみなさんは、誰もが強烈な存在感を持っていました。ただそこにいるだけで、人の目をつかんで離さない輝きがありました。

 

 ですが、先生は違います。むしろ逆でした。

 少しでも目をそらせば、次の瞬間には、この人は消えてしまっているのではないか。

 先生と話をしていると、ふと、そんな風に思ってしまうことが何度もありました。

 

 そんな先生だからかもしれません。

 先生の話の中にこぼれ出てくる知識や価値観は独特で、私に新鮮な驚きを与えてくれました。

 カルデアの外には、まだ私の知らないことが無限にある。そう思えることが嬉しかったのだと、今では思います。

 

 ですが、一つだけ、私には気にかかっていることがありました。

 

 

 先生は、私たちの知らない何かを隠している。

 

 

 首謀者について尋ねた時の表情を見て以来、ずっとくすぶり続けていた疑念は、私の中で確信に変わっていました。

 そして、先生がかたくなに語ろうとしない過去とは、どのようなものなのかという疑問が、どんどん心を占領していきました。

 

 アパルトメントで二人きりになった時、私は思い切って先生に問いかけました。

 

「先生。先生は、何かこのロンドンの状況について知っていらっしゃることがありますね」

「あります」

 

 弁解する気配も見せず、先生はうなずきました。

 

「しかし、あなたたちに原因があって打ち明けないわけではないのです。ただ、人間というものを信用できない私のわがままです。私は、自分自身すら信じられないのですから」

「それは、なぜですか?」

「私の過去のせいですよ」

「それなら、先生の過去を教えて下さい」

 

 私の強引な言葉を聞けば、先輩やドクターは驚いたでしょう。

 それほど、私の心には強い衝動が生まれていたのです。

 

「あなたは大胆だ」

 

 先生は呆れたように私を見つめて言いました。

 

「ただ、まじめなのです。まじめに、先生の隠していることを教えてもらいたいのです」

「私の過去をあばいてもですか?」

 

 肌を刺すような沈黙が、二人の間に広がりました。

 

「あなたは本当にまじめなのですか?」

 

 しばらくして、先生は感情のうかがえない表情で続けました。

 私は、先生から顔をそむけませんでした。

 そうしていると、やがて、先生は根負けしたかのようにホウッとため息を漏らしました。

 

「私は、いつも人を疑っています。実を言うと、あなたのことだって疑っている。ですが――」

 

 そこで先生は、ためらうように言葉を濁しました。

 

「私は消滅する前に、たった一人でいいから人を信用して消えたいと思っている。あなたは、そのたった一人になれますか。なってくれますか。あなたは腹の底からまじめですか」

 

 もし私の命がまじめなものなら、私の今言ったこともまじめです。

 そう私は断言しました。

 

「よろしい。話しましょう。私の過去を、一つ残らず」

 

 震える声で、先生は約束してくれました。

 

「ただ、今ではありません。その時が来たら、きっと打ち明けると約束します」

 

 

 

 そして、先生との約束は果たされないまま、特異点は最終局面を迎えました。

 

「さあ来たれ。我らが最後の英霊よ……」

 

 ロンドンの地下における戦闘の後、計画の真の首謀者“M”――マキリ・ゾォルケンが、最期の言葉を口にします。

 

「抑止の輪より来たれ、天秤の守りてよ!」

 

 死ぬ間際に唱えられた召喚の呪文。

 その呼びかけに応え、ロンドンに充満した魔霧を媒介にして、その場に一人のサーヴァントが召喚されました。

 

 稲妻と共に現れたそのサーヴァントは、先生と同じく着物を身にまとった東洋系の青年でした。

 苦難に削り取られてしまったような痩身と、鋭い眼光。まるで苦行僧のような雰囲気は、私たちを気圧させるのに充分でした。

 

「やはり、彼でしたか」

   

 その時、背後から重々しい声が届きました。

 

「先生?」

 

 私の疑問に応えもせず、先生は謎のサーヴァントへと歩み寄って行きました。

 

「マシュ。彼こそが、ロンドンを終わらせる者です。“P(パラケルスス)”、“B(バベッジ)”、“M(マキリ・ゾォルケン)”、三人の首謀者たちが魔霧計画を企んだ目的であり、そして……」

 

 先生の声がわずかに震えました。

 

「私の恥ずべき過去の象徴でもある。ロンドンに私のような男が召喚されたのは、彼との縁によるものなのです」

 

 先生は、謎のサーヴァントを正面から見据えて、覚悟を決めるように声を絞り出しました。

 

 

「彼の名前は――――“K”。かつて私に裏切られ、自らの命を絶った男です」

 

 

 先生の言葉が終わるのを待っていたのでしょうか。

 入れ替わりに、Kは私たちを見下すように言い放ちました。

 

 

 

 

「精神的に向上心がないものは、ばかだ」

 

 

 

 

Heart of Shielder(盾の少女のこころ) 第一章 完




続きません。

試行錯誤を重ねた結果、いつも以上に方向性が迷子な話が出来上がったので、エイプリルフールの特別編として投稿しました。
本当は、「精神的に向上心がないものは、ピグレットだ」を考えていたはずなのに、何がどうしてこうなった。

気づけば、お気に入り件数が100件を超えていました。いつも読んでもらってありがとうございます。

*今回の元ネタは、夏目漱石の「こころ」でした。
パロディ短編集をうたいながら原典を投げ捨てるという暴挙。


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「注文の多い料理店ってのはどういうことだ?」

アイデアが出た時の一言 「これは ひどい」
→書いている途中の一言 「これは ひどい」
→書き終わった時の一言 「これは ひどい」

そんな作品ですが、よろしければお読みください。


 一人のサーヴァントが、すっかりギリシャの狩人のかたちをして、クマのようなサムシングを一体つれて、弓とこん棒を持って山奥を歩いておりました。

 

「まったく、この山は鳥も獣もいないな。せっかく久しぶりに狩りができると思ったのに」

「いや、この俺は無理だからね。ぬいぐるみに無茶言うなや」

 

 彼らはカルデアのサーヴァント、オリオン(弓)とオリオン(クマ)です。

 マスターたちと特異点にレイシフトした二人は、食料を調達するために山に登っていました。

 

「せめて、かわいい娘がいたらいいのにな」

「ホントそれ。旅先での一夜のアバンチュールって、いいよね」

「いや、その姿じゃ無理だろ。クマだし」

「てめえ! ギリシャ一番の美男に向かって、どの口でいいやがる! ……いや、俺の口だったわ」

 

 そんな軽口を叩きながら、彼らは獲物を探していました。

 

 しかし、あんまり山がものすごいので、クマのようなオリオンはめまいを起こして、しばらくうなって、それから泡を吐いて倒れてしまいました。

 

「あーあ、惜しい俺を亡くしちまった」

「死んでねえわ! 少しは心配するそぶりを見せろや!」

 

 オリオン(弓)が困り顔でぼやくと、オリオン(クマ)は、がばっと起き上がって叫びます。

 実質は一人きりだというのに、ボケとツッコミをこなす無駄な器用さです。

 

「なんだ、まだ元気じゃねえか。しかし、これじゃどうしようもねえな。いったん、下りるか?」

 

 獲物がいないのに山を歩いていても、しかたがありません。

 オリオン(弓)が残念そうに切り出すと、オリオン(クマ)もうなずきました。

 

「そうするか。獲物はねえけどさ」

「お前がいるんだし、ディナーはクマ鍋でもいいだろ。中身は綿とかじゃないよな?」

「きゃあ、じぶんごろし!」

 

 ところが、どっちへ下りればマスターたちと合流できるのか、いっこうに見当がつかなくなっておりました。

 風がどうと吹いてきて、草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りました。

 

 オリオン(弓)は、うんざりしたように腹をおさえます。

 

「どうも腹が減った。さっきから横っ腹が痛くてしかたねえよ」

「じつは俺も。ああ、なにか食いものが欲しい」

 

 二人のサーヴァントは、ざわざわ鳴るすすきの中で、こんなことを言っていました。

 

 その時、ふと後ろを見ますと、立派な西洋造りの家がありました。

 

 そして玄関には

 

 

  RESTAURANT 

    CHALDEA・B 

     

 

という札が出ていました。

 

「……“西洋料理店 カルデア・ビー”? こんな山奥に? しかも、なんでカルデアって名前なんだよ」

 

 その札を見て、オリオン(クマ)は首をかしげます。

 一方、オリオン(弓)は、うれしそうに笑って言いました。

 

「ははあん。こいつはちょうどいいや」

 

 そして料理店へと大股で歩いていくのを、オリオン(クマ)は慌てて引き止めました。

 

「待てや!? どう考えても怪しいだろうがッ」

「きっとカルデアの誰かが料理店を開いてんだよ。いかにもありそうだろ?」

「そんなわけ…………あるかもな。たしかに」

 

 数秒考えて、オリオン(クマ)は同意しました。

 

 バーサーカーがCEOをしていたり、サンバなサンタがプロレス大会を開いていたりするのです。

 料理店ぐらい、ささいな問題に思えました。

 

「でもよ、Bってなんだ?」

「シェフの頭文字じゃね? ほら、よく飯を作ってくれる赤い髪の女王様とか。さあ行こうぜ」

 

 二人は玄関の前に立ちました。玄関は白いレンガで組んで、実に立派なもんです。

 そしてガラスの開き戸が立って、そこに金文字でこう書いてありました。

 

  「どなたもどうかお入りください。

   決してご遠慮はありません」

 

 オリオンたちは、ひどくよろこんで言いました。

 

「世の中はうまくできてるな。この料理店は、どうもただで食わせてくれるらしいぞ」

「みたいだな。決してご遠慮はありません、ってのはそういう意味だろ」

 

 二人は戸を押して、店へ入りました。そこはすぐ廊下になっています。

 そのガラス戸の裏側には、金文字でこうなっていました。

 

 

  「ことにたくましい男性や若い殿方は、

   大歓迎いたします」

 

 

 二人は歓迎というので、もう大よろこびです。

 

「おい、俺たちは大歓迎されてるんだな」

「俺たち、両方兼ねているもんな」

「いや、お前はぬいぐるみだし」

「うるせえ!」

 

 ずんずん廊下を進んでいきますと、今度は水色のペンキで塗られた扉がありました。

 

「どうも変な建物だな。どうしてこんなに戸がたくさんあるんだ?」

「これはロシア式だな。寒いところや山の中は、みんなこうなんだよ。ひょっとしたら、あの皇女様がオーナーなのかもな」

 

 二人が扉を開けようとすると、上に黄色な字でこう書いてありました。

 

 

  「当店は注文の多い料理店ですから、

   どうかそこはご承知ください」

 

 

「注文の多い料理店ってのはどういうことだ?」

 

 オリオン(弓)は顔をしかめました。

 

「注文が多いから、料理が来るまで時間がかかるんだろ。これでなかなか繁盛してるんだな」

「うへえ。さっさと食い物が欲しいのに」

 

 二人は扉を開けました。

 すると、その裏側にまた文字がありました。

 

 

  「注文はずいぶん多いでしょうが、

   どうか一々こらえてください」

 

 

「なんか注意書きが多いな」

 

 オリオン(弓)はうんざりした様子でうめくと、その足元でオリオン(クマ)が訳知り顔で説明します。

 

「こいつはクレーマー対策ってやつだ。事前に説明しとかないと、最近はいろいろ面倒なんだって」

「そんなもんなのか」

 

 ところがどうもうるさいことには、また一つ扉がありました。そして、その横には黒い台が置かれていたのです。

 扉には、赤い字でこう書いてありました。

 

 

  「もし武器をお持ちなら、

   この台に置いてください」

 

 

「なるほど。たしかに武器を持って食事するという法はないわな」

「こいつは、けっこう偉い奴らが来る店なのかもな」

 

 二人は、弓とこん棒を台に置きました。

 

 また黒い扉がありました。

 

 

  「どうか、できるだけ

   衣服はここでお外しください」

 

 

「服を脱ぐってのは、どういうわけだ?」

「こりゃ、汚れた服を洗濯しといてくれるんだよ。食事が届くころにはピカピカになってんだ」

「そいつはサービスがいいな。あ、お前もここに置いときゃいいのか?」

「ぬいぐるみ扱いもいい加減にしろや!」

 

 上半身はだかになったオリオンたちが進んでいくと、また扉があって、その前にはガラスの箱が置いてありました。

 扉には、こう書いてありました。

 

 

  「箱の中に用意している

   よだれかけをつけてください」

 

 

 見ると、箱の中には、かわいらしい絵柄のよだれかけが二枚あります。

 

「いや、なんでよだれかけが必要なんだよ?」

 

 さすがにオリオン(弓)も首をひねりました。

 

「こいつは食事中にからだが汚れないように、っていう気づかいだな」

 

 オリオン(クマ)は、なんでもないように、よだれかけを首につけます。

 

「ふつうはナフキンなんじゃねえの?」

「こんな山の中だから、手に入らなかったんだろ」

「そうかぁ?」

 

 その後も二人は進んでいきましたが、いくつもいくつも扉と店からの指示が続きました。

 いつのまにか、オリオンたちは首によだれかけ、手にはガラガラ、口にはおしゃぶりという姿になっていました。

 

 ひかえめに言って、見るにたえない光景です。

 

 そんな二人は、もう何枚目かもわからない扉をくぐったのですが、その裏側には大きな字でこう書いてありました。

 

 

  「いろいろ注文が多くて

   うるさかったでしょう。

   お気の毒でした。

   どうか、ご遠慮なく

   次の部屋にお進みください」

 

 

 それを読んで、オリオンたちは顔を見合わせました。

 

「なんか悪い予感がする」

「ああ、俺もだ」

「たくさんの注文というのは、向こうが俺たちに注文しているんだ」

「そうすると、この店は……」

 

 そこまで話した時、突然、二人の背後から声がしました。

 

 

 

「ふふふ……ソワカソワカ」

 

 

 

 二人が振り返ると、奥にはもう一つの扉がありました。

 その扉には、大きなカギ穴が二つ開いているのですが、そこから二つの目玉がのぞいているのです。

 

「あらあら、気がついてしまいましたわ。こちらにいらっしゃいませんね」

「あなたがあんなことを書くからですよ。ユゥユゥ、もう待ちきれないのに」

「あまりがっついてはいけませんわ。せっかく、この西洋料理店――――“快坩臀亜(カルデア)・ビースト”の初めてのお客様なのですから」

 

 そんな話し声も聞こえてきます。

 

 思わずオリオンたちは悲鳴をあげました。

 今では、この店の正体がはっきりとわかったからです。

 

 

「ここは俺たちに食いものを出す店じゃなくて――」

「俺たちを、性的に食いものにする店なんだ!」

 

 

 最低最悪の料理店です。

 

 しかし、それに気づいても、すでに手遅れでした。

 二人とも武器は置いてきてしまい、手にはガラガラしか持っていないのです。

 

 こわがるオリオンたちよそに、扉の向こうでは楽しそうな声が続いています。

 

「はぁ……はぁ……。たくましい殿方が、あんな赤子のようなかっこうをなさるなんて……。興奮してしまいます」

「はやくいらしてください。もう×××も×××してありますし、×××××も用意しております。ついでにサラドもありますわ」

 

 二つの目玉はらんらんと輝き、息づかいがはげしくなっています。

 あまりに過激な発言に、とうとう一部伏字が入り始めました。

 

 オリオンたちは、なんとか逃げようと、後ろの扉に飛びつきました。

 が、いくらノブをまわしてみても、体当たりしてみても、少しも扉はあきません。

 

「アァ。あきらめて、はやくいらっしゃい。お客様……いいえ、坊やたちィ」

 

 フウ、フウ、とあらい息をつきながら、声が呼びかけます。

 その声音からは、たしかな母性と獣性が感じられました。

 

「××××! ××、×××? ×××××××××××!」

 

 こちらにいたっては、もはや発言を描写できません。

 読者のみなさんのご想像におまかせします。青少年に悪影響のある言葉を考えてもらえれば、それが正解です。 

 

 もはや、オリオンたちは絶体絶命です。

 人間としての尊厳を奪われることを覚悟して、オリオンたちは目をつむりました。

 

 

 しかし、その時でした。

 

 

 オリオンたちの後ろにある扉が粉々に砕け、一つの黒い影が飛び出したのです。

 影はまたたくまに前方の扉を突き破り、向こうの暗闇へと吸い込まれていきました。

 

 暗闇の中から、どったんばったんソワカソワカ、とはげしく争う物音が響きました。

 

 部屋は煙のように消えていき、気がつくと、オリオンたちは草の中に立っていました。

 弓とこん棒は土の上に散らばり、服は木の枝にかかっています。

 

「おい、どうやら助かったみたいだぞ、俺たちは」

 

 あたりを見回して、オリオン(クマ)がよろこんで言いました。

 なぜかは分かりませんでしたが、料理店は消えてしまったのです。

 

 ところが、しばらく待っても、オリオン(弓)から返事はありませんでした。

 

「? おい、どうし――」

 

 オリオン(クマ)がふしぎに思って呼びかけた時です。

 ぐぎり、と。

 何かがへし折れるような音が、背中の方からしました。

 

 そして、背筋が凍るような声が、背後からかけられたのです。

 

 

「やっと見つけたわ。……ところで、そんなかっこうでいったい何するつもりだったのかしら、ダーリン?」

 

 

 

 オリオンたちは、無事にマスターのもとへ帰ることができました。

 しかし、山の中でよほどおそろしい目にあったのでしょう。

 

 恐怖で紙くずのようになった顔と、あらぬ方向に曲がった首だけは、カルデアに帰っても、お湯に入っても、なかなか元のとおりにはなりませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――めでたしめでたし。って、なんだこの最低な話ッ。パリス、なんちゅう本を俺に音読させてんだ!?」

「さっき優しそうな尼僧さんにもらいました。小さい姿のサーヴァントの皆さんに配ってるそうです」

「んな怪しいもん、考えなしに受け取るなや! アポロン様も、なんで止めないんですか?」

「決まっているだろう」

 

「こんな話を聞かされているパリスちゃんも、かわいいからだ」

 




これは ひどい。

もし宮沢賢治先生に祟られなければ、次の投稿のパロディ元は少し変化球でいく予定です。



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「これはッ! “元”、王だッ!!!」

星5サーヴァント交換!? 夢じゃなかろうか
→さあ、もっと種火を食べるんだジャック
→……ひらめいた

そんな経緯で出来上がったのがこちらになります。
いつも以上にキャラ崩壊が激しいですが、それでもよろしければお読みください。


 人理継続保障機関カルデア。

 その一角には、真心を込めたサービスでカルデア関係者から深く愛される一軒のショップがありました。

 

 今もまた、新しい客がその店を訪れたようです。

 その接客の様子を見てみましょう。

 

 

 “とあるカルデア すてきなショップ”

 

 

 バァンと勢いよくドアを開けてショップに入ってきたのは、一人のサーヴァントです。

 花の魔術師マーリンでした。一人ではなく、背中に誰かをかついでいます。

 

「ようこそ、ダ・ヴィンチちゃんのすてきなショップへ。何がお望みかな?」

 

 ショップの主人が、天使のような微笑で迎えます。

 ですが、マーリンは何やら難しい表情です。

 

「やあ、ミスター」

「ミスターじゃない。ミスだ」

「失礼、ミス。今日はクレームをつけに来たんだ」

 

 どうやら、この客は悪質なクレーマーのようでした。

 ダ・ヴィンチちゃんの接客にかぎって、不備などあり得ないからです。

 

 しかし、どんな客であっても不満を無視せず、真摯に話し合う。

 それがダ・ヴィンチちゃんの信条であり、このショップが愛される理由なのです。

 

 ダ・ヴィンチちゃんは満面の笑みで首を横に振ります。

 

「ごめんよ。ウチはクレームを受け付けない主義で――」

「気にするな。ついさっき、2000万DL記念チケットで受け取ったアルトリアなんだけど」

 

 マーリンは、背負っていたものをカウンターに置きました。

 うつぶせになってグッタリしているのは、星5セイバーのアルトリアです。

 

「ああ、アルトリアだね。彼女がどうかしたのかい?」

「したとも」

 

 マーリンは無表情で答えました。

 

「死んでるんだ」

 

 この客は、何か勘違いをしているようでした。

 

「これは寝ているだけだよ」

「寝ているだって?」

「そうとも。見てごらんよ、きれいな金髪だろ?」

「金髪はいいんだ。死んでる」

 

 ダ・ヴィンチが根気強く説明しますが、マーリンは納得する気配がありません。

 

「違うよ。寝てるだけだって」

「そうかい。じゃあ、彼女は目を覚ますんだね」

 

 マーリンは、アルトリアの耳元で大声を張り上げました。

 

「ハロオゥ、アルトリア! ご飯の時間ですよ! おいしいゲソ焼きがあるよぉ! 起きなさいアルトリア、アアルトオオオリアー!」

 

 ひとしきり叫んだマーリンは、動かないアルトリアを示して言いました。

 

「ほら、死んでる」

「いいや、寝ているんだよ」

「たわ言は聞き飽きた。この王はご臨終だ。君、三十分前にアルトリアを交換した時に何と言った? 動かないのは、食べ過ぎておなかが重たいからだ、と。そう言ったね?」

「きっとホームシックなんだ。キャメロットを恋しがっている」

 

 頑固なマーリンに、ダ・ヴィンチちゃんは噛んで含めるように言いました。

 

「キャメロットが恋しい? ごまかさないでおくれ」

「交換した時は、彼女もちゃんと自分の足で立っていたじゃないか」

「ああ、立っていたね」

 

 その言葉にマーリンはうなずきました。

 ようやく納得してくれたのでしょうか。

 

「王を調べてみた。どうして最初は直立していたかというと……石化の状態異常にさせられていたからだ」

 

 ダメです。

 マーリンはなおも、事実無根の言いがかりを続けています。

 

「石にしとかないと逃げちゃうんだ」

「いいかい。よく聞いておくれ」

 

 スウウと大きく息を吸ってから、マーリンはアルトリアを指差しました。

 

「この王はもう食事の時間になっても動かない。ご逝去している」

「違う違う。寝てるんだよ」

「いいや、お亡くなりになっている。

 

 この王はイッてる。

 

 お隠れあそばした。

 

 すでに人生に幕が下ろされた。

 

 晩鐘が彼女の名を指し示した。

 

 アスクレピオスもさじを投げるだろう。

 

 今頃は冥界でエレシュキガルとお茶している。

 

 これはアルトリアだったモノだ。

 

 死後硬直だ! 

 

 ここがギリシャだったらとっくに星座になっている!

 

 ベディヴィエールだって聖剣を湖に捨てに行くだろう!! 

 

 絶息!! 一巻の終わり!! あの世行き!!

 

 これはッ! “元”、王だッ!!!

 

 言い終えて肩で息をするマーリンに、ダ・ヴィンチちゃんは困り顔で肩をすくめました。

 

「分かった。交換しよう」

「そうしておくれ」

 

 マーリンは、くたびれた様子で額の汗をぬぐいました。

 

「感情なんてないはずの僕の心にこみ上げる、ものすごいフラストレーション。この店に来るといつもこうだ」

「ありゃ、アルトリアは品切れだね。代わりに、別のサーヴァントはどうかな?」

 

 在庫を確認していたダ・ヴィンチちゃんですが、どうやら商品がないようです。

 

 ですが、このような事態にも柔軟に対応するのが、愛されるショップの秘訣です。

 ダ・ヴィンチちゃんは、アルトリアにひけをとらない品を用意しているようでした。

 

「金髪のセイバー?」

「そうだとも。顔が良くて、頭が切れる。おまけにアルゴノーツのリーダーだよ。カッコイイ!」

「王の話できる?」

「……九割がた凄惨な夫婦喧嘩の話になるけど」

「じゃあ、やだ」

 

 なんということでしょう。

 この期に及んで、マーリンは首を縦には振りませんでした。

 不満を訴えるその姿には、すでに冠位(グランド)クレーマーの貫禄すらあります。

 

「じゃあ、こうしようじゃないか」

 

 ダ・ヴィンチちゃんには、何か提案があるようです。

 

「私の知人がノウム・カルデアでショップを開いてる。そこで取り換えをしよう」

「ノウム・カルデア? そこなら交換してくれんだね。行ってみよう」

 

 カウンターにアルトリアを置いたまま、マーリンはショップを後にしました。

 その後の様子を追ってみましょう。

 

 

 “とあるノウム・カルデア よく似たすてきなショップ”

 

 

「新生ダ・ヴィンチちゃんのすてきな工房にようこそ。なんでもはないが、必要なものはそろえてある」

「……」

 

 入店したマーリンは、無言で店内のあちらこちらを見回した後、カウンターに歩み寄ります。

 そして、カウンターに横たわっているアルトリアをしばらく凝視してから、ちっちゃい店主に声をかけました。

 

「失礼、ミスター」

「ショタじゃないロリだ」

「ミス。ここはノウム・カルデア?」

「違うよ。ここは彷徨海」

 

 マーリンは困惑したように眉をひそめます。

 

「同じことじゃないか」

「まあ、そうとも言うけど」

 

 ささいな言い間違い。よくあることです。

 ですが、マーリンはしつこく追及するようでした。

 

「さっき、違うと言ったね?」

「ダジャレだよ。お茶目だろう?」

「ダジャレ?」

「違った。ダジャレじゃなくて、ほら、上から読んでも下から読んでもおんなじになる……」

「回文?」

「そう、回文!」

 

 ちっちゃい店主が笑ってうなずきますが、マーリンはいまだにクエスチョンマークを頭上に浮かべています。

 

「だが、彷徨海は回文じゃないだろう。彷徨海を逆にしたら“イカウコウホ”だ」

「そうかもしれないね」

 

 ちっちゃい店主は、「しかたないなぁ」という表情でマーリンに譲歩しました。

 

「ダメだ。あまりにバカバカしくてこれ以上続けられない」

 

 マーリンはアルトリアをわきに抱えて、きびすを返します。

 

「もうたくさんだ。マスターのところに行ってくる!」

 

 ドアを開けっぱなしにして去ったマーリンに、ちっちゃい店主はため息をつきました。

 その姿には、客に満足してもらえなかったことへの苦悩が、はっきりと浮かんでいました。

 

「あーあ、やっと行ったか。塩まいとこう」

 

 どれほど誠意にあふれたサービスをしても、時にはこのような失敗もあります。

 働くことの難しさです。

 

 ですが、それでも彼女はこのショップを続けていくでしょう。

 お客様に心からの喜びを感じてもらう。それが店主の願いだからです。

 

 どうやら、新しい客が来店したようです。誰かが空いたドアの隙間から入って来ました。

 

 あくびをしていた店主は、次の客を愛くるしい笑みで歓迎します。

 果たして、この人物はどのような品を求めて訪れたのでしょうか。

 

 

 

「フォウ!(ちょっと! さっき交換してもらった項羽様が動かないんだけど!)」




久々に虞美人を登場させられました。

公式でちょくちょく挟まれるモンティ・パイソンネタが好きです。
もっと見たい。


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「走れテスラ!」

そろそろ、あの有名作品もパロディしたいな
→じゃあ、メロス役とセリヌンティウス役はこの二人で
→よし、書けた。……!?

そんな過程でできたのがこちらです。
太宰治先生も草葉の陰で泣いてしまうような内容になりましたが、それでもよろしければお読みください。


 テスラは激怒した。

 

 必ず、かの邪知暴虐(じゃちぼうぎゃく)の発明王を除かなければならぬと決意した。

 

 テスラには政治が分からぬ。ただ科学に打ち込み、ハトに餌をやって暮らしていた。

 けれども電流については人一倍に敏感であった。

 

 この日、テスラは研究所を出て、メンロパークの街にやって来た。

 彼は友人の発電装置を修理する約束をしており、その部品を街で買い集め、それから大通りをブラブラ歩いた。

 

 テスラには竹馬の友があった。エレナ女史である。

 この街に住むエレナを、テスラはこれから訪ねるつもりであった。

 

 歩いているうちに、テスラは街の様子を怪しく思った。

 街のそこかしこから、邪悪で、退廃的で、胸をムカムカさせるようなおぞましい空気を感じる。

 

 街中の電流が、あからさまに直流へと置き換えられているのである。

 

 テスラは近くを歩いていた老爺(ろうや)をつかまえて質問した。

 何があったのか。たしか、この街の電流は全て交流が採用されていたはずだが、と。

 

「王様は、交流を嫌っています」

 

 老爺はあっさりと答えた。

 

「交流を廃止し、直流を使っているというのか」

「最初は、自分の部屋の電流を直流に変えました。その次は城の電流を、それから街全体を」

 

 テスラはあまりの暴挙に愕然とした。

 

「驚いた。王は悪鬼か」

「交流を信じられぬと言うのです。王によれば、交流は邪悪で、退廃的で、胸をムカムカさせるようなおぞましい空気があると……」

「凡骨ブッ殺す!」

 

 聞いて、テスラの中に憤怒の炎が燃え上がった。

 テスラは賢い男であったが、交流をけなされると途端にIQが下がる傾向があった。

 

「呆れた王だ。生かしておけぬ!」

 

 そのままテスラは城へと入っていき、たちまち王の機械化歩兵に捕縛された。

 すぐに彼は王の前へと連れていかれた。

 

「貴様は何をするつもりであったか。言うのである!」

 

 発明王エジソンは、静かに、けれども威厳を持って問い詰めた。

 その顔は真っ白で、長いたてがみはライオンのように雄々しく波打ち、その口からのぞく牙はライオンのように鋭かった。

 

 つまり、顔がライオンそのものだった。

 

「街の交流を暴君の手から救うのだ!」

 

 テスラの言葉に、エジソンは憫笑(びんしょう)を浮かべた。

 

「交流だと? 貴様には、直流の良さが分からん。そんなことだから生涯独身なのだ」

「言うな!」

 

 テスラはいきり立って反駁(はんばく)した。

 

「発明王よ。貴様は哀れだ。頑迷で非効率的だ。まるで直流のように! いずれはみじめに没落するだろう。まるで直流のように!」

「なんだとこのヤロー!?」

 

 それからしばらく、二人は知性をどぶに捨てた悪口の応酬を繰り広げたが、やがてエジソンは息を荒げながらテスラに怒鳴った。

 

「とにかく貴様は罪人である! 私に対する反逆罪として罰金を払わせる。そして直流を侮辱した罪で、我が城の頂上に飾りとして串刺しにしてやる!」

「ああ。私は死ぬ覚悟でここに来た。命乞いなどしない。ただ、――」

 

 テスラは言葉を切り、足元に視線を落としてためらった。

 

「ただ、私に情けをかけるのなら、処刑までに二日の猶予を与えてほしい。友人の発電装置を修理する約束があるのだ。二日のうちに、私は必ずここへ戻ってくる」

「馬鹿な」

 

 エジソンはフンと鼻を鳴らした。

 

「とんでもない嘘をつく。逃がした小鳥が帰ってくるというのか」

「そうだ。帰ってくるのだ」

 

 テスラは必死で言い張った。

 

「私は約束を守る。嘘だと思うのなら、よいだろう、この街にはエレナというオカルト学者がいる。私の無二の親友だ。彼女を人質にするとよい」

「ふむ、エレナ君か」

 

 エジソンはしばらく黙って考え込んでいたが、やがて重々しくうなずいた。

 

「願いを聞いてやろう。二日目の日没までに帰ってくるのである。遅れれば、身代わりのエレナ君に罰を受けてもらう」

 

 そう告げたエジソンは、次の瞬間、意地の悪い顔でほくそ笑んだ。

 

「ちょっと遅れて帰ってくるがよい。そうすれば、貴様の罪は永遠に許してやるのである。まあ、言わずとも社会性ゼロのすっとんきょうに時間など守れるわけGAaAAAA!?」

「おっと、電気がすべった」

 

 数刻の間、理性のかけらも感じられない取っ組み合いが行われたが、そうこうしているうちにエレナが城へと到着した。

 

「またやってるの? あなたたち」

 

 心底うんざりした声で問うエレナに、エジソンとテスラは互いの顔を指差しあった。

 

「この悪鬼が悪い!」

「いいや、このすっとんきょうが諸悪の根源である!」

 

 それからケンカを再開しようとする二人の間に、エレナが割って入った。

 

「やめなさーい! 事情は兵士からもう聞いているわ。身代わりになってあげるから、テスラは早く行きなさい。友達との約束は破っちゃだめよ」

「すまないレディ。必ず戻る」

 

 そしてテスラは脇目も振らず、城を飛び出していった。

 それを見送った後、エレナは隣に立つエジソンの顔を見上げた。

 

「エジソン。彼が間に合わなければ、本当に私を処刑するのかしら?」

「まさか! そんな暴君のようなマネをすると思われるのは心外である!」

 

 エレナの問いかけを、エジソンは大声で否定した。

 

「じゃあ、彼が間に合わなかったらどうするつもりなの?」

「無論、大々的に宣伝するのである! フハハハハ!」

 

 さも愉快だと言わんばかりに、エジソンは肩を震わせて笑い声を上げた。

 

「三日後の朝刊にはこんな記事が載るであろう。交流の発明者が、いたいけな少女……失敬、可憐なレディを見捨てた、とな。そうすれば、交流のイメージはガタ落ちである。私の巧妙なネガティブキャンペーンの結果、人々はおのずと交流よりも直流を望むようになるであろう。すなわち、私と直流の勝利である!」

「あー、はいはい。もう、あなたたちの気が済むまでやりなさいな」

 

 

 

「うむ。これで修理は完了した」

「おう、相変わらずゴールデンな腕前だな」

 

 あれからテスラは眠る時間も惜しんで走り続け、翌日の午前に友人の家へと到着した。

 友人は疲労困憊した彼の姿に驚いたが、テスラは「なんでもない」と笑い、あっという間に発電装置を修理した。

 

「以前よりも完璧で高性能な発電装置だ。もちろん交流電源を採用した」

「助かるぜ。けどよぉ、顔色が悪いなアンタ。そんなに急いでくれなくてもよかったんだぜ? しかも、これからすぐに出発するなんて無茶ジャン」

「止めてくれるな、ゴールデンブレイブ! 私を待っている友がいるのだ!」

「分かった。わけは深く聞かねえよ。けど、さすがに一休みしないと体がもたないぜ」

 

 本当はすぐにメンロパークの街に戻りたかったテスラだが、友人の指摘は正しく、体力が尽きかけていた。

 彼は友人の家に泊めてもらい、死んだように深く眠った。

 

 目が覚めたのは翌日の薄明のころである。テスラは驚いて跳ね起きた。

 ジーザス、寝過ごしたか。いや、まだ間に合うはずだ。必ずエレナとの約束を守らなくては。

 そう固く決意したテスラは、矢のように友人の家を飛び出した。

 

 ただひたすらにテスラはメンロパークに続く道を駆け、ようやく半分ほど戻った時である。

 突然、彼の前に三人のサーヴァントが立ちはだかった。

 

「待ちたまえ。コヨーテのごとく駆ける男よ」

 

 三人の先頭にいた男、ナイフを手にしたアパッチのキャスターが言う。

 

「何をする。私は陽の沈まぬうちに街へと行かねばならないのだ!」

 

 もどかしさにテスラは怒鳴るが、彼らは道を譲ろうとしなかった。

 

「持ち物を全て置いていってもらおう」

「私から何を奪うつもりだ。今の私には、命と輝く知性の他には何もない」

「知性はともかくとして、命は欲しいのだ」

「さては、悪鬼の命令で私を待ち伏せしていたか!」

 

 返事は、彼に向けられたナイフだった。

 

「へーへー。それじゃやりますか。しっかし、なんで俺らはこんな野盗みたいなことしてるんですかねぇ」

「いいじゃない、グリーン。これはこれで、アウトローって感じでさ」

 

 キャスターの背後で、二人のアーチャーも弓と拳銃をかまえる。

 

「二人とも、気をつけろ。彼はスキルでNPを貯めて、天地特攻の全体宝具を連発してくるぞ。私たちは人属性なのが幸いだが、ガッツで粘られると厳しいところだ。できればランサーがいて欲しかったが、しかたがないか」

「……さっきから何を言ってるの、ジェロニモ?」

 

 テスラは覚悟を決めた。

 

「気の毒だが正義と交流のためだ!」

 

 激しい戦いだった。

 矢と銃弾、電流が飛び交い、太陽がテスラを焼いた。だが、テスラは一瞬の隙をついて、なんとか三人を振り切ることができた。

 

 しかし、さすがにテスラも限界だった。

 幾度となくめまいを感じ、一歩踏み出すたびに疲労がベッタリと足にまとわりついてくる。

 

 あきらめてしまおうか。

 

 一瞬浮かんだ考えを、テスラは頭を激しく振って追いやった。

 

 

「ああ、ああ。テスラよ。星の開拓者たるテスラよ。

 今ここで、全てを投げ出してしまおうとするとは情けない。

 まだ歩ける。行くのだ。

 テスラよ、殺されるために進むのだ。

 エレナが待っている。私を信じて待っている。

 私は信頼に報いなければならぬのだ。

 愛と誠と交流の力を、あの発明王に証明してやるのだ。

 走れテスラ!」

 

 

 以上のセリフを自己陶酔の極みで叫びながら、テスラは全力疾走した。

 

 道行く人々を押しのけ――と言うより、わけの分からないことを叫び高笑いしながら走るテスラに、誰もが関わり合いになるのを避けて自発的に距離を取った――黒い風のようにテスラは走った。

 野原では、とある自称アイドルが行っていたゲリラライブの、その会場の真っただ中を駆け抜け、ヴォーカルを仰天させた。

 西へと向いて沈みゆく太陽の、十倍も速く走った。

 

 そして、陽が地平線に没し、まさに最後の一片の残光も消えようとしたとき、テスラは疾風のようにメンロパークの刑場へと突入した。

 

 刑場の中央では、エジソンとエレナが和やかに談笑を行い、多くの市民と呼び集められた報道陣がその様子を眺めていた。

 

「待て! テスラが帰って来たぞ。約束の通り、帰って来たぞ!」

 

 テスラが群衆をかき分け、声を振り絞って告げると、刑場にいた人々はどよめいた。「あっぱれ」「ゆるせ」「交流はいい文明」、そう口々にわめいた。

 

 テスラは約束を果たしたのである。

 

「レディ、私を殴ってくれたまえ」

 

 親友の顔を正面から見つめて、テスラは言った。

 

「私は途中で、一瞬でもあきらめることを考えてしまった。このままでは、私はレディの友である資格がないのだ」

 

 エレナは少しためらってから、「しょうがないわね」という風に微笑んでテスラの右頬を殴った。

 

「それならテスラ、あなたも私を殴りなさい。私も二日の間に一度だけ、あなたのことを疑ってしまったわ」

「う、うむ。さすがに、それは……」

「いいから殴りなさい。私に、あなたの友達をやめさせるつもり?」

 

 こうなるとエレナが頑固なことを知っていたテスラは、しかたなく、コツンと遠慮がちにエレナの頬にこぶしを当てた。

 

「……テスラ」

 

 その様子をじっと見つめていたエジソンは、静かに二人に近づいて声をかけた。

 

「紳士として認めなければいけないようである。貴様が、見事に約束を果たしたことを」

 

 発明王の異名にふさわしい堂々とした態度でエジソンは宣言した。

 

「テスラの罪は不問とする。そして、電流に直流を使うか交流を使うか、今後は個人の意思によって選ぶといい」

 

 王の言葉に、群衆の間でドッと歓声が上がった。

 

「それだけでなくて、テスラが私を見捨てたなんて記事は出さないようにね」

「うむ。そんな内容の記事は出さないとも。紳士として誓う」

 

 こっそりとエレナがエジソンに釘を刺す一方、これまで体力の限り走り続けたテスラは限界を迎えた。

 彼は達成感に満たされながら意識を手放し、それを見たエレナが慌てて医者を呼ぶ。

 

 興奮する人々の中に、エジソンがニヤリと意味深に口元を歪ませていることに気づく者はいなかった。

 

 

 

 翌日、グッスリと寝て疲れを癒したテスラは、メンロパークの街を歩いていた。

 これからどうするか。もし(よこしま)な直流に魅入られた人がいれば、こっそり交流に置き換えてでも救済しなければ。

 

 そんなことを考えているうちに、テスラは街の様子を怪しく思った。

 すれ違う通行人の誰もが、彼に目をやってヒソヒソと話をしている。無論、人類一の碩学たるテスラが注目されるのは当然だが、それにしては人々の視線が冷たい。

 

 疑問に感じていたテスラだったが、ふと、街のあちこちに一枚の紙が貼られているのに気づいた。

 それは今朝の朝刊に載ったばかりの記事で、次のようなことが書かれていた。

 

“『科学者T氏、少女に暴行を働く?』

 

目撃者E氏の証言

「私は見た。先日の刑場において、交流電流の発明者Tが可憐なレディの顔を殴打したのである! 許しがたい行為だ。この蛮行が示すのは、彼が開発した交流が、いかに危険で野蛮なものかということである。それに比べ、私の直流は――(以下、直流への賛美が続いたため省略する)」”

 

 

 

 テスラは激怒した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――かくして電流戦争の第二幕は始まったのです。ポロロン♪」

「トリスタン。どうしたのですか、唐突に弾き語りを初めて」

「ああ、ベディヴィエール。急に頭に浮かんだのです。大きな悲しみと共に。なんだか、私の活躍の機会が失われてしまったような……」

 

(なぜか分かりませんが、円卓の名誉が損なわれる寸前だったような気がします)




あ…ありのまま今起こったことを書きます。
自分はトリスタンをメロス役にしてパロディを書いたと思ったら、配役がごっそり変わって、いつの間にかテスラが主役になっていました。
な…なにを書いているのか分からないと思いますが、自分も何が起きたのか分かりませんでした。
いきあたりばったりとかプロット変更とか、そんなチャチなものでは断じてありません。
もっと恐ろしいものの片鱗を味わいました。


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「いや、そんな! あの手は何だね!? 窓に! 窓に!」

 また公式でセイレム編のようなクトゥルフものを見たい。
 というわけでラヴクラフト御大の作品から、クトゥルフ神話の原点というべき作品をパロディしたのがこちらです。

 どんどんタグがカオスになっていくこのシリーズですが、それでもよろしければお読みください。


ある所長の残した手記より――

 

 

 神経を張りつめてこれを書いている。

 私は今、危機的状況にある。特異点で私だけがはぐれてしまい、誰にも連絡がとれない状況だ。

 

 だが、それだけが私の心労の原因ではないのだよ。

 

 偶然にも目撃してしまった冒涜的な光景が、いまだに私の記憶に爪を立て、狂気に堕とそうとしているのだ。

 うっぷ。思い出したら、また吐き気が。

 

 もはや私に平穏をくれるのは、おいしい食事だけだ。

 今は宿の厨房を借りてクロワッサンを焼いている。もう少しでカリカリに焼き上がるだろう。うまいぞう。買ってきた酒のボトルも開けよう。

 

 おそらく、この手記を読んでいる君は思うだろう。「そんなことしている暇があるなら、仲間と合流する努力をしろ」と。

 たしかにその通りだ。

 

 それでも私を意志の弱い男だと思わないでほしい。私はどんな過酷なレースだってゴールまで走り抜いた男なのだよ、キミィ。

 これから書くことを読めば、私に忘却を与えてくれるグルメ、あるいは酒を、必要とする理由を理解してくれるだろう。

 

 あと一回だけおいしいものを食べたら、きっとがんばるから。これは自分へのご褒美なのだよ。

 

 私はカルデアという機関の所長をしているのだがね。

 その任務のために、この特異点にレイシフトした時だった。なぜか分からないが、私は海のど真ん中に一人で放り出されていたのだよ。

 

 たまたま近くに浮いていた流木を魔術でボート代わりに使い、海を漂うはめになった。それが何日続いたのか、あまり覚えていない。

 レイシフト迷子は初めてではないが、さすがに死ぬかと思った。

 

 だが私は我慢強く、そして我慢強い男だ。

 

 数々の異聞帯を攻略した経験。それらを総動員して耐え抜いたのだよ。

 何重にも層を作った魔獣(カリ)と聖獣の群れを華麗なドリフトで突破したり、天から降ってくる魔力砲撃を避けたりしたことに比べれば、どうということはない。

 

 あれ?

 

 自分で書いていて思ったが、私のやっていることおかしくないかね?

 組織のトップのすることじゃないよね、コレ?

 

 と、とにかく私は海を漂流していたのだが、いっこうに陸地が見えない状況に絶望を感じ始めていた。

 

 状況が変化したのは、眠っている間だった。

 

 詳しいことは分からないのだがね。

 目を覚ましてみれば、私は一面に広がる泥の中に転がっていたのだよ。

 

 それに気づいた時、私は驚くよりも先に、身の毛のよだつ思いがした。

 これまで様々な修羅場をくぐってきた私は、辺りに満ちている空気に何か不穏なものを感じざるを得なかったのだ。

 優れた魔術師は、危機察知能力も一流というわけだよ。覚えておくといい。

 

 実際、どこまでも黒い泥の続く光景は、あまり見ていて愉快なものではなかった。

 頭上で輝く太陽も、地平線の果てまで満たす泥の色を反射してか、ほとんど黒く見えたほどだった。

 

 遠くに見える丘だけが私の注意を引いたが、そこまで行こうという気分にはなれなかった。

 

 こ、怖かったわけではないぞ! 客観的な考察の結果なのだよ。泥があまりにねばついていて、歩こうにも歩けないほどだったからな!

 

 カルデアの誰かが助けに来てくれれば。そう考えもしたのがね。

 だが、私自身、自分がどこに流れ着いたのか見当もつかんのだ。救助が期待できないことは明らかだったよ。

 

 そんなことを考えていた時だった。

 

 不意に漂ってきた甘ったるい匂いが、私の鼻孔をこじ開け、腹の中へと這いずり込んできた。

 

 とっさに鼻を抑えて周囲を確認した私は、単調にうねりながら広がる泥の中に、何か丸っこい植物のようなものが埋まっていることに気づいた。

 

 もちろん私はその正体を見極めようとしたのだが、次の瞬間、心臓が凍りつく錯覚に襲われた。

 

 

 私はかつてないほどの恐怖に打たれながら、その人の頭ほどの大きさがある歪んだ球体を凝視した。外宇宙の深淵において腐りきった膿を思わせる濁った黄色い外皮は、幾筋もの名状しがたい曲線によって構成され、万人を甘い堕落へと誘う蠱惑的な芳香を内部に包み込んでいたが、無知という名の慈悲深いヴェールが覆い隠す暗黒を見通す目を持った者には、成長と熟成の過程を完遂した種に特有の、おぞましく冒涜的な頽廃の兆候がそこに現れていることが明白だった。

 

 

 

 まあ早い話が、それは熟しきったオレンジ色のカボチャだったのだがね。

 

 カボチャごときにびびるな? 

 こんなところにカボチャが転がってるなんておかしいだろうが!

 

 しかも一つだけではない。私の視界に収まる範囲だけでも、数えきれないほどのカボチャが泥に塗れていたのだよ。

 あまりに怪しすぎて、食べようという気にもなれなかった。

 

 空腹と疲労で限界だった私は、とりあえず体力を回復させることにした。

 そばに転がっていた流木の影で、私は仮眠を取った。

 

 私はずっとうなされていたようだ。夢の中で、何者かの叫びが断続的に響いてきたのを覚えている。

 たしか、「■■■・リ! ■■■・リ!」だったろうか。聞き慣れないフレーズだった。

 もちろん、それは極限状態における心理が作り出した幻聴に過ぎなかった。

 

 目覚めたのは、どれだけ時間が経過した後だったのだろうか。

 気づけばとっくに太陽は沈み、月が頭上で輝いていた。

 

 なんとか事態を好転させたかった私は、月光の中に黒い輪郭を浮かび上がらせる丘に向けて出発した。

 昼間の太陽のおかげで、泥も歩けるぐらいには固まっていたのだよ。

 

 ふらつく身体を必死でなだめながら、私は丘の頂上を目指した。

 疲労から気を紛らわすために私はずっとカルデアのことを考えていた。

 

 百戦錬磨のスタッフに、経営顧問を筆頭とした英霊たち。彼らは、私がいなくなってどんなに心細い思いをしていることだろう。

 なんとしても帰らなければいけない。カルデアこそ私のいるべき場所なのだよ。少々おかしな点があるにしても。

 

 

 いや、少々どころではないぞ。なんか、最近のカルデアは相当おかしくないかね?

 私のベーコンをたかってくる小動物は二匹に増えているし。人類最後のマスターは姿を見せず、代わりに金色に輝くヒツジが徘徊しているし。

 

 と、話が逸れてしまったな。

 

 どうにか私は丘を登り切ったのだが、そこから見た光景に言い知れない不安を感じた。

 

 丘の向こうは深い峡谷となっていて、その窪みの底は、空高く上る月さえ照らせずにいた。

 永遠の夜が続く深淵を見下ろした私は、自分でも理解できない衝動に駆られて斜面を下って行った。

 

 しばらく斜面を下りてからのことだった。

 

 突然、私は反対側の斜面にある大きくて風変わりなものに注意を引きつけられたのだよ。

 最初は巨大な岩だと思った。しかし、その形と位置から、明らかに何者かの手が加えられたものであるということが分かった。

 

 改めて岩を注意深く眺めた私は、その表面に掘られた奇怪な彫刻を認めることができたのだがね。

 そこに描かれていたのは、狂気の産物と言うほかになかった。

 

 まず見えたのは、何十人といるカボチャ頭の騎士たちだった。彼らは一様に同じ方向を向いており、その視線の先には地面からそびえたつヨーロッパ風の城があった。どこかで見たことがあるような気がする。

 原始的でありながらも巧妙な浅浮彫りで、細部まで巧みに掘り抜かれていた。

 

 しかし、視線を上にずらしていくにつれ、私は慄然たる恐怖におののいた。

 その城の上には、上下逆さまの四角柱が載っていた。見間違うはずもない。あれはエジプトのピラミッドに他ならなかった。

 それだけではない。ピラミッドのさらに上には、日本の城が屹立しているではないか。

 

 短くない時間、私は呆然としていたはずだ。

 だが、疲労で頭が働かなかったことが幸いしたのだろうか。やがて私は冷静に彫刻を観察するだけの余裕を取り戻した。

 

 私は思った。

 一体、どのような種類の狂気と熱が、日本とヨーロッパとエジプトの建築物を合体させるという地獄のような発想を生み出したのか、と。

 

 答えのない疑問に憑りつかれていた私は、ふと、巨岩には別の彫刻も彫られていることに気づいた。

 それは人間に似た身体と尻尾を持つ存在だった。どこかしら、カルデアにいるアイドル志望の小娘サーヴァントに似ていた気がする。

 しかし、建築物とは対照的にひどく不正確に彫られていた。その姿は全体的に角ばっていて、生物というよりはロボットであるかのような印象を受けたのだ。

 

 何よりも、その大きさが問題だった。

 その全長が、あの狂った建築物とほぼ同じ高さとして表現されていたのだ。

 

 暴力的なほどにいかれている彫刻を目の当たりにして、私は思考能力を完全に奪われた。

 そして、頭に浮かんだ言葉を、自分でも知らぬうちにつぶやいていた。

 

 

 なんだこれ地獄かね?

 

 

 そうしていると、突然、私は見たのだ。

 悪夢の具現化。純然たる狂気の落とし子を。

 

 ジェット噴射の音と共に、そいつは空高くから一気に峡谷へと飛来した。

 シルバーメタリックの巨体を月光に輝かせ、そいつは駆動音を響かせながら首を左右に動かし、何かを探すようなしぐさを見せた。

 

 どこからか、地面を震わせるような叫びが上がった。何層にも重なり響く声が、私が夢で聞いたあのフレーズを繰り返した。「メカエ・リ! メカエ・リ!」と。

 

 そして、崇拝の声が木霊する中で、とうとう無機質的な両眼が声もなく立ち尽くす私を見据えた。

 

 その瞬間、私は正気を失ったようだ。 

 

 血迷いながらも丘を駆け下りて流木へと戻り、追ってくる巨体から逃れて海に飛び込んだことは、ほとんど覚えていない。

 波にもてあそばれながら、私は狂ったように笑い続けたようにも思う。

 

 それからのことは、手短に記そう。

 たまたま漁船に拾われた私は、この港町で手当てを受けた。

 住民に私が見たことを尋ねたが、彼らは泥の島など近くに存在しない言うばかりで、漂流の恐怖が産み出した幻覚だと笑うのみだった。

 

 一度、どこかで見たような気がする黄金羊を見かけたので、同じ質問をぶつけてみた。

 

「フォーガットン。忘れなさい。見て見ぬふりをすることも、人間の強さの一つ。今回はわりと本気でそう思う私です」

 

 その返答は私を満足させてはくれなかった。

 

 狂気に捕らわれそうになった私は、それから美食と酒によって理性を保つしかなくなった。

 今こうしている時にも、あいつはジェットの力で空を飛び回り、カボチャ頭の騎士たちから崇拝を受けているのだろうか。

 

 私は夢に見る。

 あいつが空の彼方よりやって来て、地上の漂白により疲弊した人々を宇宙(ユニバース)の深淵へと引きずり込んでいく日を。

 あの禍々しい混沌の城塞が人類の前に姿を現し、世界に狂気を振りまく日を。

 

 そろそろけりをつけてしまおう。

 ジェット噴射の音が聞こえる。だが、まるで見当違いの方向に遠ざかっていった。

 フハハ、バカめ! そっちは私が魔術で作ったダミーだ!

 

 さあ、今のうちに逃げ

 

 

 

 

 新しい駆動音!? Ⅱ号機がいたとでも言うのかね!?

 

 まだだ! 私を見つけられるはずがない。今すぐに飛び降りてしまえば。

 

 いや、そんな! あの手は何だね!? 窓に! 窓に!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――以上が、保護されたおっさんのそばにあった手記だ」

「見つけたのはメカエリチャンだったね。さすがにゴルドルフ君にはショックが大きかったか」

「けど、ダ・ヴィンチちゃん。この手記、なんかおかしな点がないか?」

「君も気づいたか、ムニエル君。そう、明らかに不自然な点が一つある。それは――」

 

 

「なんで絶体絶命の状況なのに、最期まで律儀に執筆を続けたんだろうね。彼?」




 所長にチェイテピラミッド姫路城を見せたかった。それだけの話です。

 今年のハロウィンではチェイテピラミッド姫路城ルルイエが見たい。


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「デュフフ、拙者の名人伝の始まりですぞ」

とうとうこのシリーズも十回目です。
ただの一発ネタだったはずが、気づけば総合評価も550を超えました。一応ネタが続く限りは細々と続けていくつもりなので、これからもよろしくお願いします。

というわけで、初心に帰って中島敦先生の「名人伝」のパロディです。キャラ崩壊とネタバレ満載ですが、それでもよろしければお読みください。


 カルデアに住む黒髭というサーヴァントが、天下第一の萌えの名人になろうという志を立てた。

 

 すでにかなりのオタクとして知られる黒髭であったが、彼がそのような決意を抱いたのには理由がある。

 それは、黒髭が最近知り合った同好の士と互いのコレクションを見せ合っていた時のことだった。

 

「見てくだされ、この写真。デュフフ、やっぱりアストルフォ殿はよいですなぁ」

「分かる。けれど、これに写っているパリスちゃんだって負けていない」

 

 話の相手はアポロン神である。

 彼らは(本人の許可なく)撮影した写真を見せ合って盛り上がっていたのだ。

 楽しく語り合う中で、ふと黒髭が言った。

 

「さすがは神話に名高きアポロン殿。このカルデアにもオタクは多いですが、男の娘でここまで語り合えるのは拙者たち二人だけでしょうな」

 

 その言葉は決してリップサービスではなく、黒髭の本心だった。

 しかし、意外にもアポロン神はこれを否定するのである。

 

「それは違う。男の娘を愛好することにかけては、さらに上のオタクがいる」

 

 アポロン神が言うには、当今(とうこん)男の娘を語らせては、名手ジル・ド・レェに並ぶ者があろうとは思われぬ。

 

 認めた相手にそこまで言われ、ふと黒髭は考えた。

 黒髭のスキル『紳士的な愛』は、女性と一部の性別不明サーヴァントに追加効果がある。だが、見た目美少女なのに効果が及ばない者もいまだに多い。

 このジャンルを極めれば、おのれは天下一のオタクといえるのではないか。

 

 そのように考えた黒髭は、ジル・ド・レェに学び、萌えを極めようと心に決めた。

 

「デュフフ、拙者の名人伝の始まりですぞ」

 

 黒髭はさっそくアポロン神の案内でジル・ド・レェの部屋を訪ね、その門に入った。

 

「ふぅむ。あなたもフェミニンな少年に興味がおありで?」

 

 飛び出した眼球で黒髭をまじまじと見つめ、ジル・ド・レェはうなずいた。

 

「その探求心はすばらしいものです。ですが、まずは()ることを学ぶとよいでしょう」

 

 ただ可愛らしい少年に萌えるだけでは、男の娘の神髄を教えるには足りぬ。視ることに熟し、大を視ること小のごとくなったならば、我に告げるがよい。

 そうジル・ド・レェは言うのである。

 

 その言葉を受けて、黒髭はトレーニングルームに足を運んだ。肉体を鍛えることが趣味のサーヴァントたちが集まる場所である。

 その中にはダンベルを手にして汗を流す聖女や、プロレス技を鍛錬するギリシャ女神のような美女たちがいる。

 だが、黒髭はあえて彼女らから視線を外した。

 

「全ては筋肉です! 鍛え抜かれた肉体こそ、絶対に砕けぬ無敵の盾となるのですゥゥヌオオオオ!」

「励んでおるなスパルタの王よ! これは余もマケドニアの主として負けておれぬわ!」

 

 視線の先には、熱した鋼のように硬く暑苦しいマッスルの塊があった。普段の黒髭ならば思わず目をそらしていたであろう。

 しかし、萌えの高みを目指す情熱を胸に、黒髭は瞬きすらも忘れて漢たちの肉体を見つめ続けた。

 

 永遠にも思える苦痛の時間であった。

 しかし、時計の秒針が回ること百を数え、黒髭がマッスルの圧に胸焼けすらも感じていた時である。不意に彼の視界に異常が起こった。

 

 半裸でバーベルを持ち上げる征服王の姿が、気のせいか、だんだんと美貌の少年のように見えてきたように思えたのだ。

 

 にわかには信じられず黒髭は眼をこすった。しかし、何度見直しても、目に映るのは少女のように愛らしい赤毛の美少年なのだ。

 

 いや、征服王だけではない。滝のごとく汗を流しながら筋トレに励む漢たちは全て、黒髭の眼には可憐な少年としての姿で映っているではないか。

 

 (アダルト)を視ること(ショタ)のごとく。

 

 今や黒髭は視ることを会得し、年齢や容姿の区別なく男の娘として知覚できる域に達したのである。

 

 試しに男性サーヴァントたちに対しスキル『紳士的な愛』を使ってみれば、その効果は劇的だった。 

 征服王イスカンダルや英雄王ギルガメッシュ、果ては狼王ロボに至るまで、ことごとくを追加効果の対象とすることができたのだ。

 

 このことを報告されたジル・ド・レェは大いに喜び、さっそく黒髭に奥義秘伝をあますところなく授け始めた。

 

 黒髭の上達は驚くほどに早かった。

 修行を始めて十日後のことである。

 黒髭がエネミーのゴーストたちに対し秘蔵の男の娘フィギュアを掲げると、たちまちまばゆい光弾がほとばしり、ことごとくゴーストたちを消滅せしめた。

 

 洗練された黒髭の紳士的な愛が、初期サーヴァントによく見られる謎の光弾となり、悪しき魂を浄化したのである。

 

 その光景を見ていたジル・ド・レェも思わず「Cool!」と叫んだ。もはや黒髭がおのれと肩を並べるほどに成長したと悟ったからである。

 

 もはや師から何も学ぶものが無くなった黒髭は、大いにオタクとして名声を高めることとなった。

 だが、悪属性としての宿命だろうか。

 ある日、黒髭はふと良からぬ考えを起こした。

 

 今や男の娘をもっておのれに敵すべきものは、師のジル・ド・レェをおいて他にない。天下第一の名人となるためには、どうあっても彼を除かなければならない、と。

 

「邪魔な奴は37564(ミナゴロシ)というわけですなぁ。海賊的に」

 

 黒髭がひそかにその機会を狙っていると、たまたま廊下の先でアポロン神と談笑しながら歩くジル・ド・レェを見つけた。

 

 とっさに黒髭はポケットのコレクションに手を伸ばした。

 ゴーストと同様にジル・ド・レェの魂も浄化し、抹殺せんとしたのである。

 一方、師であるジル・ド・レェもまた、不穏な気配を察知してふところのコレクションへと手をやった。

 

 二人がコレクションを取り出すのは同時だった。

 互いに放った光弾は空中で衝突し、消え去った。そのエネルギーにも関わらず一切の余波を生まなかったのは、両者の卓越した技量ゆえだろう。

 

 同じことが何度も何度も繰り返された。

 

 とうとうジル・ド・レェのコレクションが底を尽きた時、黒髭はいまだに一枚の写真を残していた。

 黒髭は勝利を確信した。ジル・ド・レェの魂も紳士的な愛に呑まれ、後は消え去るのを待つばかりと思われた。

 

 ところがジル・ド・レェは、とっさにかたわらにたたずむアポロン神をつかんだ。

 そして、そのままアポロン神を光弾へとぶつけることで身を守ったのである。

 

 それを目にした黒髭の心に、襲撃に成功していたなら決して生じなかったに違いない道義的慚愧(どうぎてきざんき)の念が、この時忽焉(こつえん)として湧き起こった。

 ジル・ド・レェも危機を脱した安堵とおのれの技量についての満足とが、黒髭への憎しみを忘れさせた。

 

 二人は歩み寄ると、カルデアの廊下のど真ん中で固く抱き合い、しばし美しい師弟愛の涙にかきくれた。 

 

 こうしたことを今日(こんにち)の道義観をもって見るのは不適切である。

 

 かつて尾張の織田信長は、義弟のドクロに金箔を貼り、酒を満たしてこれを飲んだ。

 十六歳の少年、秦の始皇帝は父親が死んだその晩に父の愛人を襲い、三度もチョメチョメした。

 

 (すべ)てそのような時代の話である。

 

 しかし、いくらか冷静になったジル・ド・レェは、黒髭に新たな目標を与えて気を転じようと考えた。

 

「もしあなたが最高のCoolを求めるなら、この廊下をまっすぐ進みなさい。その先には私を遥かにしのぐ男の娘オタクがいます。彼にかかれば、我々の抱く萌えは児戯に等しいのです」

 

 黒髭はすぐにジル・ド・レェに別れを告げた。

 言われたとおりに廊下を進んだ黒髭は、一つの部屋の前で足を止め、その扉を開いた。

 

 部屋に住む人物を目にして、黒髭は驚いた。

 

 そこにいたのは、短い金髪を生やし、眼鏡をかけた小太りの男だった。その風貌は達人のイメージには程遠い。

 だが何よりも、彼はサーヴァントですらなかった。部屋の主は、ただのカルデアスタッフだったのである。

 

 それでも黒髭は気を取り直し、要件を告げるやいなや自慢のコレクションを男に見せた。

 それをチラリと一瞥した男は、「一通りはできるようだな」と微笑んだが、すぐにこうつぶやいた。

 

 しかし、それはしょせん『萌之萌(ほうのほう)』というもの。

 好漢、いまだ『不萌之萌(ふほうのほう)』を知らぬと見える。

 

 ムッとした黒髭に、男は「今度は俺が見せる番だな」と告げた。

 だが不思議なことに、いっこうに写真もフィギュアも取り出す気配がないのである。

 

 さてはこの男、狂人であろうか。そう黒髭が考えた時、その場にどこからか一人のサーヴァントが現れた。

 

 頭にターバンを巻いた、金髪の美少年だった。

 黒髭は彼を知っていた。彼はキャプテンと呼ばれるサーヴァントで、黒髭と同じく有名な船乗りである。

 

 どうしてここにキャプテンがいるのだろうかといぶかしんだ黒髭は、次の瞬間、驚きに目を見張った。

 

 目の前で、しだいにキャプテンの姿が薄れていったかと思うと、そのままどこへともなく消えてしまったのだ。

 言葉を失う黒髭を、男は愉快そうに見つめて言ったのである。

 

 

「―――イマジナリーキャプテンだ」

 

 

 雷を浴びたかのような衝撃が、黒髭を襲った。

 この男は、おのれの妄想力だけで、キャプテンをこの場に顕現させるに至ったのだ。

 その事実に気づいた黒髭は慄然とした。今にして初めて芸道の深淵を覗き得た心地であった。

 

 

 

 それから彼がどのような修行を積んだものやら、それは誰にも分からぬ。

 しかし、初めて黒髭が部屋を出た時、カルデアの人々は驚いた。

 

 あれほど欲と邪念に満ちていた顔つきが、なんの表情もない、木偶のごとき容貌に変わっている。

 その顔を見たかつての師ジル・ド・レェは、感嘆して叫んだ。

 

「素晴らしい! これでこそ天下の名人です。不肖、この私など足元に及ぶものではありません!」

 

 オタク仲間たちは、天下一の名人となって戻ってきた黒髭を迎え、やがて見せびらかされるであろうコレクションへの期待に沸き返った。

 

 だが黒髭はいっこうに期待に応えようとしない。

 それどころか、オタク活動すらも行わず、ただ自室でボンヤリとしているばかりだった。

 

 さすがに気味が悪くなり、仲間たちがその訳を尋ねると、黒髭は物憂げに言った。

 

 

 至為(しい)()すなく

 

 至言(しげん)(げん)を去り

 

 至萌(しほう)()ゆることなし

 

 

 その言葉の意味を仲間たちは理解できなかった。

 が、やがて一人の物分かりの良いサーヴァントが「そうか!」と叫んだ。

 

「宝石のごとくきらめく瞳は、誰にも見えない髪の奥に秘められた状態でこそ神秘を極める! それと同じで、オタクを極めた黒髭は、萌えの概念を完全に捨て去ったというわけだ!」

 

 その説明を聞き、彼らは思った。「やっぱりよく分からん」と。

 

 その日以来、様々な噂がカルデアで囁かれた。

 

 (いわ)く、フェルグスが黒髭の部屋の前を通りかかった時、たちまちその霊基に異常が起こり、リリィの姿に変容してしまった。

 

 曰く、黒髭が自らの意思で英雄の座に昇り、その翌日に織田信勝がフレポ召喚に実装された。

 

 これらの真偽は誰にも分からない。

 ただ、次のようなエピソードが伝わっている。

 

 ある日、黒髭はサバフェスに向けて執筆作業中の刑部姫の部屋を訪れた。

 彼女の部屋に飾られた様々なオタクグッズを眺めていた黒髭は、その中の一つに目を止めた。

 それは変哲もない同人誌であったのだが、その表紙に描かれたキャラのことが、妙に彼の胸に引っかかったのである。

 

 黒髭は刑部姫に尋ねた。このキャラはどのようなジャンルに属し、何に用いるものなのか、と。

 

 最初、刑部姫は彼が冗談を言っているのだと思って、ニヤニヤと笑うばかりだった。

 黒髭は真剣になって再び尋ねる。

 やがて、彼が本気で質問していることを悟った刑部姫の顔に驚愕の色が現れた。

 

 ほとんど恐怖に近い狼狽を示して、彼女は叫んだのである。

 

「ああ、夫子(ふうし)が、――天下一の萌えの名人たる夫子が、男の娘を忘れ果てられたとや!? ああ、男の娘というジャンルも、その使い道も!」

 

 それから当分の間、カルデアでは、画家は絵筆を隠し、作家はペンを置き、楽人は楽器を手にするのを恥じたということである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――とまあ、あたしちゃん、久々に筆を執ってみたんだけどさぁ。どうよ、くろひー?」

「どうと言われても、拙者を主役にしてメチャクチャ書かれたものを読まされて、どんな反応しろと。ぶっちゃけ悪ノリの産物でござろう、これ」

「いやあ、やっぱブランクってキツイわ。マジやばたにえんってヤツ?」

 

「やっぱ最初のドレイク道を極める案の方で書こうかな」

「解釈違いですぞ」 




以下、一度やってみたかった次回予告。



青年はなぜ畜生道へ堕ちてしまったのか。

「悩み抜いた末に、考え出したのは、道化でした」


――逃避

「あなたは悪くないわ。世間が悪いのよ、マスター」


――堕落

「そこで自爆です」


――左翼活動

「そんなに資本主義が憎いのか」



謎に満ちていた人理修復の過程が、今明かされる。

次回、「マスター失格」
ご期待ください。



……本当はこれを十回目にもってくる予定だったのが、泥沼にはまりました。
来月中には完成させます。たぶん。きっと。 


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「マスター失格」・上

あーでもない、こーでもないといじってたら、まさか一万字超えそうになるとは思いませんでした。

そんな計画性の無い作者ですが、それでもよろしければお読みください。


 今、僕の手には一枚の写真がある。

 

 そこに映っているのは、一人の青年だ。

 二十歳手前ぐらいだろうか。短く整えられた黒髪に、端正な顔立ち。少し照れているのか、ややぎこちない笑みをカメラに向けている。 

 その初々しい雰囲気が白いカルデア制服とよく似あっている。充分に美青年と言うことができた。

 

 けど、僕は思った。

 

 これまで、こんなに醜い笑顔を見たことがない、と。

 

 不快感を覚えた。そう表現してもいい。

 

 たしかに顔立ちは整っている。

 それでも、眼が笑っていない。表面上は爽やかに細められたように見える眼には、一切の感情が浮かんでいやしないんだ。

 この空虚な二つの黒い点と比べたら、まだ人形の顔に埋め込まれたガラス玉の方が生き生きしているだろうさ。

 

 こんなもの、全然ロックじゃない。

 

「どうかしましたか? カドック・ゼムルプス」

 

 不意に声をかけられて、僕は我に返った。

 

 オリュンポスで殺されたはずの僕が、なぜかカルデアの拠点で目を覚ましてから三日がたった。

 何度もしつこく身体を検査されたかと思えば、この部屋に連れてこられて、こんな胸のムカムカするような写真を見せられたんだ。

 僕がいない間に、ずいぶんとカルデアの趣味も悪くなったじゃないか。

 

「……なぜこんなものを僕に見せる? これはカルデアご自慢のマスターだろう」

 

 この写真の男を僕は見たことがある。

 忘れもしない、ロシアの異聞帯で。

 あの時も何か妙な雰囲気をこの男から感じていて、理由も分からないままイライラする気分になったもんだ。

 

 この写真を見た今なら、僕が感じていたものの正体が分かる。

 

 同族嫌悪だ。

 

 僕の神経を逆なでしていたのは、あいつの身体に染みついていた劣等感。どうしようもないコンプレックスの匂いだったんだ。

 

「現在のカルデアの状況を説明するにあたって、必要なことなのです」

 

 机をはさんで向き合った相手は、そう言って一冊のノートを差し出した。

 

「これを読めっていうのか」

 

 沈黙は肯定ということだろう。

 僕はノートを受け取り、その表紙をめくった。

 

 

 

――――――

――――

――

 

 

 

 爆死の多い生涯を送ってきました。

 

 自分には、普通のマスターの行うガチャというものが見当つかないのです。

 

 自分は魔術とは無縁の家庭に生まれましたので、初めてサーヴァントを召喚したのはカルデアに来てからでした。

 召喚術式が起動した後、杖を持ったドルイドが一人、マーボー豆腐の山に埋もれながら名乗ったのを覚えています。

 

「おっと、今回はキャスターでの召喚とき――おい、全身がマーボーまみれなんだが!?」

 

 その後も多くのサーヴァントを大量のマーボー豆腐と共に召喚しました。彼らのおかげで自分は最初の特異点を修復することができたのです。

 

 しかし、自分は人理を修復する途中で知ったのですが、この世には星4以上のレアリティ*1のサーヴァントがいるらしいのです。

 

 最初は信じられませんでした。

 自分がガチャを回しても、出てくるのはマーボー豆腐ばかり。たまに、その中で星3以下のサーヴァントが溺れているだけなのでしたから。

 

 あまりにマーボー豆腐ばかり出るせいで、カルデアの食事は一日三食マーボーという、四川(しせん)人もびっくりの偏食です。

 あれにはカルデア全体から苦情の嵐が巻き起こりました。

 

「ふむ。君は美味というものを理解している。この辛さの中に調和した旨味があるのだよ」

 

 唯一、ときたまフラリと食堂に現れる神父服の男にだけは好評だったのですが。

 

 閑話休題(それはさておき)

 

 ガチャから星4以上のサーヴァントが出てくるという迷信は――今でも自分には、なんだか迷信のように思われてならないのですが――しかし、いつも自分に不安と恐怖を与えました。

 

 つまり、分からないのです。

 

 高レアリティ召喚後に味わう素材の枯渇、編成におけるコストの制限といった、プラクテカル*2な苦しみが。

  

 自分のサポート編成と、世の全てのマスターのサポート編成が、まるで食い違っているような不安。

 そんなことを考え悩むあまり、自分は夜ごと苦悶し、発狂しかけたことさえあります。

 

 そうして、自分は世間に対してどう振るまえばよいのか、分からなくなりました。

 

 これを読む人は、「なんとくだらないオント*3に苦しんでいるのだ」と嘲笑するでことしょう。

 

 しかし、自分にとっては命を削る問題だったのです。

 弱虫は、なんでもないことを恐れるのです。心は硝子(がらす)なのです。綿で怪我をするのです。

 

 

 悩み抜いた末に、考え出したのは、道化でした。

 

 

 人理修復の中にあって、自分はつとめてお茶目にふるまいました。

 

「チーッス! シクヨロ!」

 

 オルレアンで自分が王妃におどけて挨拶すると、みんな大笑いをしました。

 他にも、海賊たちと酒を飲んで騒いだり、南米の女神相手に捨て身のプロレス技を繰り出したり。

 

「女からもらった呼符で、風呂を沸かしてはいった男があるそうだよ」

 

 自分はいつもそのようなヘタなジョークを口にして、周囲に笑いのタネを提供しました。

 ある時など、自分は丸メガネをかけてロイド*4の物真似を行い、フォウ*5やスタッフたちを楽しませたこともあります。

 

 ガチャに対していつも恐怖に震いおののき、また自分の行う人理修復に自信を持てない。

 そんなナアヴァスネス*6をひたかくしに隠して、必死のサーヴィスを行いました。そうして、自分は「いつもシリアスなのに、たまに奇抜なことをしでかす変人」として思われることに成功しました。

 

 ああ、しかし、人理修復!

 

 道化の仮面が厚みを増していく一方で、肝心の人理修復は思うように進みませんでした。

 

 なにせ自分の召喚するサーヴァントは低レアリティばかり。特異点の難易度が増すにつれて、さすがに戦力不足はごまかせなくなっておりました。

 かといって打開策も見いだせず、自分は途方にくれるばかり。

 

 そんな時です。自分が、あるサーヴァントと知り合ったのは。

 

「こうして召喚されたのも一つの縁。末永くお付き合いいたしましょう」

 

 そう自分に声をかけたのは、フレポ*7で召喚した眼鏡の軍師でした。

 

 彼とはそれまでの旅で出会ったことなどなかったのですが、召喚されるやいなや、やけに親し気に話しかけてきたのです。

 それでも私はへどもどしながら彼を歓迎しました。

 

 彼は、自分に悪い遊びを教えてくれました。

 

「そこで自爆です」

 

 それは俗に『他人の命でやるステラ』と呼ばれるものでした。

 共に戦う仲間たちを、あろうことか弾丸として敵陣に射出するという鬼畜の所業です。彼は自爆のマイスター*8だったのです。

 

「必要な犠牲でした。苦渋の決断です。分かりますね?」

 

 分かりません。

 

 ですが、高レアリティを召喚できない自分にとって、フレポで来てくれる彼の活躍が不可欠だったのも事実です。

 

 人理を守るために、自分は彼の献策を受け入れるしかありませんでした。

 

「自爆こそ最良の戦法です。勝利のカギは、自爆の中にあり! 自爆に対するパアトス*9!」

 

 手段を選ばず人理修復を進めているうちに、自分はマスターとして身を持ち崩していきました。

 召喚をするたびにマーボー豆腐の山を築き、サーヴァントたちは自爆させる。そんな人理修復の日々を送るようになったのです。

 

 自分は冒頭で爆死の多い生涯を送ったと書きましたが、まさか、他人まで爆死させることになるとは思いもしませんでした。

 

 自分はガチャと向き合おうとせず、逃げました。

 逃げて、逃げて、さすがにいい気持ちはせず、死ぬことにしました。

 

 そのころ、自分に特に優しくしてくれるサーヴァントがいました。

 

「私のことを本当の姉と思ってくれていいわ」

 

 フレポで来てくれたマタ・ハリです。

 その時も彼女は、食堂でマーボーを食べる自分をなぐさめてくれました。

 

「はい。アーンして。よく噛んで食べましょうね」

 

 自分はどういうわけか、昔から女性にかまわれることが多いのです。

 本当は「ほれられる」と表現したいところなのですが、彼女たちの態度は恋人へのそれでなく、手のかかる息子や弟に向けるものでした。なので、やはり「かまわれる」と言ったほうが適切でしょう。

 

「あなたは本当に優しいマスターね。私のことも第一線で使ってくれるなんて」

 

 そんなことを言うマタ・ハリに、私はあいまいな笑みで応えることしかできませんでした。

 彼女に戦ってもらっているのは、ただ戦力が少なすぎるという理由に過ぎなかったのですから。

 

 頭の良い彼女のことです。本当の理由はとっくに分かっていたのでしょう。

 ですが、自分を喜ばせるためにそんな言葉をかけてくれていたのです。

 

「キャメロットはひどかったよ。もう少しで全滅するところだった」

「あなたは悪くないわ。こんなにがんばっているじゃない」

 

 彼女に頭を撫でられて、自分は少し心が軽くなりました。

 この歴史に残る女スパイ兼プロステチュウト*10と一緒にいると、自分はいくらか安心することができたのです。

 

 彼女と話し合う中、どのようなきっかけで「死」という言葉が出てきたのか、今では思い出せません。

 しかし、それも自然なことだったのでしょう。

 考えてみれば、ほとんどのサーヴァントは一度死を経験した存在です。カルデアとは、この世のどこよりも死が身近な場所でもありました。

 

 そして、元からマスターとしての営みに疲れ切っていた自分は、この上なく死というものに惹かれてしまったのです。

 

 

 その夜、自分とマタ・ハリはカルデアスに飛び込みました。

 

 

 マタ・ハリは消滅しました。そうして、自分だけ助かりました。

 

 当然カルデアは大騒ぎになりました。

 自分は「足がすべった」の一点張りでなんとかごまかしたのですが、心配したドクターから安静にするように言われ、しばらく医務室で過ごすことになりました。

 

 自分は一人になり、ベッドの上で涙を流しました。消滅してしまったマタ・ハリのことを考え、泣いたのです。

 自分のようなマスターに召喚されてしまったばかりに、彼女は二百QPになってしまいました。そのことを思うたびに、自分が一人の女の生命を奪った事実を突きつけられるのです。

 

「かわいそうなマスター。私が消滅してしまって、そんなに悲しいのね」

 

 リンゴの皮を剥きながら自分をなぐさめてくれたのは、やはりマタ・ハリでした。

 一度は消滅した彼女でしたが、次の日に回したフレポ召喚でまた来てくれたのです。

 

「あなたは悪くないわ。世間が悪いのよ、マスター」

「そうかい。悪いのは世間かい」

 

 マタ・ハリにリンゴを食べさせてもらいながら、自分は考えました。

 もう決して心中などはしない。自分はきっと真人間となり、ガチャと向き合おう。そう誓ったのです。

 

 

――――――

――――

――

 

 

 

 …………。

 

 僕はいったい何を読まされているんだ?

 

 意味が分からない。あまりにひどい内容に頭痛を覚え、ページをめくる手を止めてしまった。

 

 頭がおかしくなってしまいそうだ。

 ガチャで爆死したぐらいで心中事件を起こすな! 何が「世間が悪い」だ。お前たちはその世間を取り戻すために戦っていたんだろうが!

 あと、なんであのアルターエゴはカルデアの食堂に出没してるんだ!

 

「どうかしましたか?」

「どうかしているのはお前らだろう。……ん?」

 

 その時、ページの間から何かがハラリと机の上に落ちた。

 なんだ。栞にしては大きいぞ。これは、写真?

 

「ッ、バカな!」

 

 それを目にして、僕は思わず椅子から腰を浮かした。

 信じられない。

 

 どうして、お前が写真に写っているんだ。

 

 

「――芥」

 

 

 写真の中でカルデアのマスターと一緒に写っていたのは、僕たちクリプターの一員、異聞帯で死んだと聞いていた芥ヒナコだった。

*1
rarity【英】希少性

*2
practical【英】実用的な

*3
honte【仏】恥

*4
Harold Lloyd(1893~1971) アメリカの喜劇映画俳優

*5
虞美人ではない

*6
nervousness〈英〉神経質

*7
friendpoint【英】友達点数 その略称

*8
meister【独】巨匠

*9
pathos【ギリシャ】情熱

*10
prostitute【英】娼婦




後編は、なんとか今月中には投稿できると思います。


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「マスター失格」・下

申し訳ありませんでした(前回の後書きを見つつ)。

いただいた感想や誤字報告を励みにして、なんとか書き上げることができました。いつもありがとうございます。




 ある日、心中事件を起こしたあげく医務室に押し込まれた自分は、暇を持て余していました。

 

 たいていはマシュが話し相手になってくれていたのですが、その日は予定があるとのことで一人きりだったのです。

 おそらく、ロンドンを攻略した後に召喚されたキャスターと会っていたのでしょう。

 

 とっくに就寝時間だったのですが、妙に目がさえて、耳の下にできたおできをいじっていました。

 すると、医務室のドアを叩いて自分を呼ぶ男がいました。

 

「おい、相棒!」

 

 訪ねてきたのは、触覚のように細長い髭を生やした初老の船乗りでした。

 真名不明のサーヴァントで、みんなから単に「ライダー」と呼ばれていました。

 どんなに絶望的な状況でも前向きで、周囲を鼓舞するカリスマ*1の持ち主。きっと、本当はよほど高名な英霊だったのでしょう。

 

「寝てばかりいても退屈だろう。少し話でもしようや」

 

 ライダーがそう言うので、自分はわざとしおしおした態度で彼を招き入れました。

 

「やっぱり、消滅した女が恋しいだろう?」

「はい」

 

 自分はことさらに、消え入るような細い声で返事しました。とは言っても、マタ・ハリはとっくに再召喚されていたのですが。

 

「そうかい、そうかい。それが人情ってもんだよな」

 

 どうやら彼は事件の真相に興味を覚え、自分に探りを入れに来たようです。

 自分はすぐにそれを察して、彼をやや満足させる程度の「陳述」をしてやりました。

 

 その途中で咳が出そうになったので、自分はハンケチで口を覆いました。

 

「身体を大事にしろよ。血痰(けったん)が出てるじゃねえか」

 

 自分が咳をした後、ハンケチに血がにじんでいるのを見て、ライダーが心配そうに言いました。

 

 実を言うと、それはおできをいじっていた時についた血なのです。が、訂正するのも面倒だったので、自分は殊勝げにうなずいておきました。

 

「それじゃあな、相棒」

 

 一時間ほど会話をして、ライダーは医務室を出ていきました。

 

「お前さんは代わりのいない身なんだ。ゆっくり休めよ。しんどいんなら俺に指揮権をあずけてくれてもいいんだぜ」

 

 去り際にそんなことを言う彼に、自分は言葉に詰まりました。

 彼は、真摯に自分を気遣ってくれている。それが心で理解できたからです。自分は人を見る目に自信があります。

 

「チッ。まさか病気持ちだったとはな。とんだ駄奴隷だぜ」

 

 ドア越しに人間失格なつぶやきが聞こえたようでしたが、きっと気のせいだったのでしょう。

 

 これは余談なのですが、このライダーはバビロニアの特異点を攻略した時、一部の悪属性サーヴァントと一緒に姿を消してしまいました。

 一体、どこに行ってしまったのでしょう。彼のような高潔な男がいれば、きっと終局特異点においても頼りになったはずなのですが。

 

 

 その後もなんやかんやがありまして、とうとう自分たちはソロモンへと到達しました。

 

 そこにあったのは絶望的な光景でした。

 

 倒しても無限に再生する魔人柱の一群が、自分たちの前に立ちはだかったのです。

 

「いくら倒しても、常に七十二柱がそろうとは。これでは、我々全員を射出しても足りませんぞ」

 

 眼鏡の軍師に言われなくても、最悪の状況であることは自分にも分かりました。

 

 ですが、そこで自分は、同時に奇跡を目撃することにもなったのです。

 

「聞け、この領域に集いし一騎当千、万夫不当の英霊たちよ!」

 

 その言葉を皮切りに、ただ一度縁を結んだという細い糸をたぐって、次々と駆けつけてくれるサーヴァントたち。

 

 案外、世間とは信じてよいものなのかもしれない

 

 自分は久々に――本当に久々に、そんなことを考えました。

 

「なんと、こんなに多くの英霊が集ってくれるとは……。これで弾切れの心配はありませんな、マスター」

 

 やはり、世間は冷たく残酷である。

 自分はつくづくそう思わされました。

 

「これで終わりですね。それでは今生の主殿、縁があれば再び会いましょう」

 

 そして一人残らず射出されて(いなくなって)しまった戦場で、最後におのれすらも弾丸としてゲーティアにとどめを刺す軍師を、自分は言葉もなく見ておりました。

 

 いつか自分は地獄に堕ちるだろう。

 そう思いました。

 

 

 

 そうして人理を救った自分たちでしたが、それで話は終わりませんでした。

 時計塔から派遣された査問団によってカルデアは解体されることとなり、自分たちは拘束されました。かと思えば、今度は謎の集団によって襲撃を受けたのです。

 

「突然のガサ入れ……さては、特高!?*2

「意味は分かりませんが、おそらく違います先輩!」

 

 なんとか自分たちは逃走することができましたが、あまりに目まぐるしく動く状況に混乱していました。

 そんな時、外部から突然の通信が入ったのです。

 

「人類の文明は正しくはなかった。我々の成長は正解ではなかった。よって私は決断した。汎人類史に反逆すると」

 

 それは、眠っていたはずのAチーム、クリプターと名乗る集団からの通達でした。

 あまりに荒唐無稽な内容に、カルデアの面々はその意味を測りかねるばかり。

 

 ですが、その中で唯一自分だけは、彼らの目的を察することができたのです。

 

 

 要するに、それは左翼活動の宣言でした。

 

 

 クリプターたちの否定する人類の文明と成長。つまり、それは資本主義のことに違いありません。

 彼らは世界規模での革命を実行し、地球を赤く塗り替えるつもりなのです。

 これにはレフ・トロツキー*3もニッコリでしょう。

 

「そんなに資本主義が憎いのか」

 

 思わずそんな言葉をこぼしそうになりました。ですが、自分のそばには以前のAチームを知るマシュやダ・ヴィンチちゃんもいたのです。

 昔の同僚が左翼思想に染まっていることを、どうして彼らに伝えられるでしょうか。

 このことを、自分は一生胸の内に秘めておくことにしました。

 

 そして異聞帯を巡る旅が始まりました。

 

 まずはロシア。次に北欧。

 とても言葉にはできない、過酷な戦いでした。

 

 なにせ、クリプターたちは当たり前のように高レアサーヴァントを召喚しているのです。

 

 ガチャから星4以上のサーヴァントは出てくる。そんな事実を、残酷にも自分に見せつけようとしているかのようでした。

 自分の心を折るための精神攻撃だったに違いありません。

 

 秦の異聞帯につくころには、自分は心身ともにズタボロになっておりました。

 それでも、自分の心は潰れる寸前で踏みとどまっていたのです。

 

 少なくとも、自分は以前のような鬼畜の所業を行わない。

 仲間を生贄にして射出するような外道はしないのだ。そう自分に言い聞かせることで、ポッキリと折れてしまいそうな精神を保つことができたのです。

 

「これはこれは……。主殿、お久しぶりですな。再び私の策が必要ですか?」

 

 そして、まさかまさかの眼鏡軍師との再会に、自分の心はあっけなくへし折られました。

 

「死のう」

 

 スパルタクスと荊軻の犠牲によって秦の異聞帯を攻略した後、カルデアで自分は呼符を手にしてつぶやきました。

 

 我ながら、なんと未練がましいことでしょう。

 自分は死ぬ前に、一枚だけ残っていた呼符を使おうとしていたのです。見栄坊のモダニティ*4と嗤ってください。

 

 召喚陣が起動したのをボンヤリ見つめながら、自分はこれまでの旅を思い起こしていました。

 ぬぐいきれないほどの血と、砕け散った聖晶石の破片。そして香辛料たっぷりのマーボーが轍を描く旅路でした。

 

「ねえ、あんた」

 

 しかし、それもここまでです。来世では、自分はガチャの呪縛から解き放たれることでしょう。

 

「ちょっと、聞いてるの」

 

 いや、最期にマタ・ハリには甘やかしてもらいたい。今日は彼女の膝枕で寝て、明日死んでも遅くは……。

 

「無視するんじゃないわよ!」

 

 自分は突然の大声によって我に返りました。

 

「アサシン、虞美人よ! よりにもよってお前が私を召喚するなんて、いったいどういう神経してるの!?」

 

 彼女の声は、全く自分の耳に届いていませんでした。あまりの衝撃に呆然としていたからです。

 

 星4。

 

 自分には永遠に縁がないと思われていた高レアリティのサーヴァントが、カルデアに召喚されたのです。

 

 

 

 虞美人はサーヴァントであるだけでなく、自分にとってカルデアの先輩でもあります。

 心強いことに、彼女は助言を与えてくれました。

 

「後輩、現状では戦力が全く足りないわ。必要なのは、項羽さ……星5のサーヴァントね。特にバーサーカーよ」

 

 その言葉を受けて、自分は前にもましてガチャを回すようになりました。低レアしか出ないという呪いから解き放たれ、自分は有頂天になっていたのです。

 

「その調子よ、力の限り回し続けなさい! 必ず項羽様を召喚するのよ!」

 

 頼れる先輩の激励を受けて、自分はガチャを回しました。

 

 爆死しました。

 

 虞美人が召喚されたものの、相変わらず自分の召喚陣からは低レアとマーボーしか出なかったのです。呪いは健在でした。

 力なくうなだれてると、自分の肩に優しく手を置く人物がいました。

 

「もういいのよ後輩。ガチャを回すのはやめなさい。これからは石を貯めるだけでいいわ」

 

 自分は驚きました。

 さっきまで、あんなにガチャを回せと言っていたのに。あまりに無残なガチャ結果に、自分は失望されてしまったのでしょうか。

 

「いくら回しても出ないものはしょうがないじゃない。戦力の多い少ないなんて重要じゃないわ」

 

 その言葉に、自分は救われたような気持ちになりました。

 なんだか、以前と言っていることが真逆になっていましたが、些細な問題でしょう。 

 

「やめる。明日からガチャは回さない」

「ほんとう?」

「モチさ」

 

 モチとは「もちろん」の略語です。カルデアに来る前、世間ではモボだのモガ*5だの、いろんな略語が流行(はや)っていました。

 

「もう自分はガチャをやめるよ」

 

 その翌日、自分は、やはりガチャを回しました。

 

 なんだか、もう一度だけ回せば当たるような気がしたのです。

 自分は虞美人に謝罪に行きました。

 

「ぐっちゃん、ごめんね。ガチャを回しちゃった」 

「ぐっちゃんはやめなさい。ガチャを回した? まったく、ヘタな嘘つくんじゃないわよ」

 

 自分はハッとしました。

 

「嘘じゃないよ。ほら、保管庫からマーボーがあふれているだろう?」

「マーボーなんていつもあふれているじゃない。アンタが回さないって言ったんだから、回すわけないでしょう」

 

 自分は、あまりのことに呆然としました。

 彼女はてんで自分を疑おうとしないのです。元左翼活動家で未亡人とは思えない、汚れを知らぬヴァジニティ*6

 

 自分はその日以来、ガチャをやめました。

 ガチャに怯えることなく、頼れる先輩や仲間たちと人理のために戦う日々。それは、自分にささやかな喜びを与えてくれました。

 

 しかし、当時の自分には分からなかったのです。

 

 その後に来た悲しみが、凄惨と言っても足りないくらい、実に想像を絶しているものであるということを。

 

 

 

 破局の始まりは、唐突に訪れました。

 

「おはようございます。マスター。これからお食事ですか?」

 

 虞美人と出会ってしばらくたったある日、廊下ですれ違った相手に声をかけられたのです。

 相手は仮面をつけたサーヴァントで、顔を隠していても、その下にある美貌がうかがえるほどでした。

 

 その場を通り過ぎてから、自分は違和感を覚えて足を止めました。

 彼は中国異聞帯で戦った星4のセイバーです。もちろん、召喚した覚えなどありません。

 

 そうしてたたずんでいると、また別のサーヴァントに話しかけられました。

 

「おお、どうしてそのように突っ立っておるのだ? いくら朕の姿が恐れ多いからといって、そこまでかしこまっては逆に不敬というものだぞ」

 

 その声の主、間違いなく中国異聞体の王の姿を目にした瞬間、自分はハッキリと異常を悟りました。

 

 おかしい。自分が召喚した記憶のない、召喚できるはずのない高レアサーヴァントたちがカルデアを闊歩している。

 一体、どうして?

 

「おや? 何かお悩みですか、マスター」

 

 まるでタイミングを見計らったように、眼鏡の軍師が現れました。その顔には、どこかサディスティック*7な笑みが浮かんでいます。

 

「こちらへ」

 

 彼に言われるままついて行くと、自分は召喚陣の描かれている部屋まで来ました。ガチャを止めて以来、訪れていない場所なのですが。

 

「ご覧あれ」

 

 そして、部屋を覗き込んだ自分は、見てしまったのです。

 

「ようやく石が貯まったわね。待っていてください、項羽様。あの後輩の代わりに、今度こそ私がお呼びして――」

 

 そこには、召喚陣のかたわらに立つ虞美人の姿がありました。自分と目が合って硬直する彼女の腕には、たくさんの聖晶石が抱えられています。

 

 その時になって、自分は彼女がガチャを止めるように言った真意を悟りました。

 高レアを召喚できない自分の代わりに、彼女は自力で項羽を引き当てようとしていたのです。

 

 その一件以来、自分は虞美人と接することが気まずく、距離を置くようになってしまいました。

 しかし、勝手にガチャを引いたことなど、自分は少しも恨んではいなかったのです。

 

 ただ、カルデアに来たばかりで高レアを二人も当てていてうらやましいな、とか。せっかくだから召喚陣が虹色に光ったりバチバチしたりする演出を一緒に見たかったな、とか。そんなことを考えてしまったのです。

 

 しかし、自分のそんな態度が彼女を追い詰めていることに、自分は考えが及びませんでした。

 

 ある時、虞美人は発狂しました。

 

 中国で発生した特異点にレイシフトした時、自分たちが野宿をしている途中で急にわけの分からぬことを叫びだし、闇の中へと駆けだしたのです。

 最初は、「まあ、彼女の奇行はいつものことだし」と思って、特異点の調査を優先しました。

 

 しかし、彼女はなかなか戻らず、特異点を修復する目前まで到達したのです。

 自分は焦りました。そのまま特異点を消してしまえば、もう二度と彼女と会えなくなるかもしれなかったのですから。

 

 どうして自分は、マスターとして彼女と正直に話し合うことができなかったのでしょうか。

 もはや自分は人間失格……いえ。

 

 マスター失格。

 

 自分がそんなことを考えて、呆然としていた時です。不意に声をかけてくる者がいました。

 

「おや、マスター。心中お察しいたします。実においたわしい」

 

 例の眼鏡軍師です。

 おいたわしいも何も、自分の心労の五割ほどは彼が原因のように思えたのですが。

 

「虞美人殿のことですな。思い返せば、あなたとも長い付き合いです。たまには軍師としてまっとうな助言をいたしますか」

 

 普段の自爆連発が、まっとうな軍師の行動ではないと自覚していたのに驚きました。

 

「彼女は深く項羽殿のことを想っています。かの英霊を召喚すれば、縁によって出会うこともできるのでは」

「だけど、自分には無理だよ」

 

 自分のガチャ運を知っている身としては、とうてい不可能だと思いました。

 

「ですが、この特異点ももうすぐ攻略できましょう。ならば手に入るのではありませんか。紛い物とはいえ、万能の願望機が。というより、ついさっき見つけたのですが」

 

 そして、軍師は自分に聖杯を手渡しました。

 

 しばらく思考が停止していた自分は、我に返ると、聖杯を強く握りしめました。

 自分の身はどうなっても構わない。どうか、項羽を召喚できるように。ガチャの呪縛から解き放たれ、もう一度彼女と出会えるようにと願いました。

 

 そして、自分は――。

 

 

 

――――――

――――

――

 

 

 

「――畜生道に堕ちましたが、牧神の姿を得ることによってProbability(確率)の呪いをはねのけ、無事にフワフワの彼女と再会できた私です」

「待て。どんな理屈だ」

 

 ノートを読み終わった僕は、目まいがするような気分と戦いながら、机の向こうにいる黄金羊に言った。

 

 最初見た時から謎の生物だと思っていたが、これがカルデアのマスター?

 正気か。

 

「フォウフォウ」

 

 言葉を失う僕をよそに、自称カルデアのマスターは、いつの間にか部屋に入り込んでいた小動物にベーコンを与えてたわむれている。

 すると、僕の視線に気づいたのか、声を落としてささやいた。

 

「心配はしないでください。あなたたちが左翼思想に染まっていることは、断じて誰にも明かしていない私です」

 

 染まってない。

 

 脱力して頭を抱えていると、机の上に置かれた写真が視界に入った。芥の映っている写真だ。

 

 ……そうか。死んだと聞かされていたが、今ではカルデアのサーヴァントか。

 

「あいつはこっちじゃ元気にやっているらしいな。正直、色々言いたいことはあるが……」

 

 いつも本ばかり読んでいた姿が、脳裏をよぎる。

 胸の中に沸いた感情を整理するのに、少し時間をおいてから、できるだけ無感情に言葉を吐いた。

 

「まあ、どうでもいいさ。別に、今さら会いたいとも思わないしな」

「何を言っているのです、カドック」

 

 

 

 

 

「彼女なら、さっきからあなたの目の前にいるではありませんか」

「フォウヨ(そうよ)」

 

 …………。

 

 ………………え?    

*1
charisma【英】信服力、権威

*2
特別高等警察の略称 明治から昭和にかけての闇

*3
Lev Trotsky(1879~1940) ソビエト連邦の革命家。爆弾テロはしたかもしれないが、節穴だったかは分からない

*4
modernity【英】現代性

*5
モダンボーイ、モダンガールの略称

*6
virginity【英】処女性

*7
sadistic【英】嗜虐的な




最近、原作がFate/Grand Orderという部分を見るたびに罪悪感を覚えます。




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特別編:銀河鉄道の旅

「銀河ステーション。銀河ステーション」

 

 不思議な声が聞こえました。

 

 すると、すぐに目の前がぱっと明るくなりました。

 それがあんまりにまぶしかったので、私は目をぎゅっと閉じてから、ようやくまぶたを開けることができたのでした。

 

 

 ごとん、ごとん。

 

 

 気がついてみると、私は古めかしい鉄道の、小さな黄色い電燈に照らされた車室にいたのです。

 いくつも並んだ青い天蚕絨(びろうど)の貼られた座席に座って、私はたった一人、線路を走る汽車に揺られていたのでした。

 

 ここはどこでしょう。

 私はついさっきまで、■■■■の管制室にいたはずなのに。

 

 

 ■■■■?

 

 

 なんだか頭にもやがかかったようにぼんやりして、私は車室を見渡しました。

 すると、少し前の席に誰かが座っているのです。

 さっきまで誰もいなかったはずなのに。いえ、きっと私が見落としていたのでしょう。

 

 そんなことを考えていると、私の視線に気づいたのか、相手が振り向きました。

 

「はじめまして、お兄さん」

 

 柔らかな黒髪に、まだ幼さの残る顔つきをした少年でした。

 

 お兄さんと呼ばれて、何だか違和感を覚えました。

 続いて手足も変にむずむずとしてきます。

 まるで、人間の身体がずいぶんと久しぶりなような……。

 

 気を取りなおし、私は少年に「ここはどこでしょう」と質問しました。

 

 すると、彼は椅子から立ち上がり、そのまま私の隣の席へとやってきました。

 そして、何やら丸い板のようなものを差し出したのです。

 

 それは地図でした。

 夜のようにまっ黒い盤の上を、鉄道線路をあらわす一条の白い線が走っているのです。

 

 きれいな地図ですね。これは、黒曜石でしょう。

 

 私が言うと、少年はうれしそうに目を細めてから、地図の一点を指差しました。

 

「さっき銀河ステーションを過ぎたから、今はここらへんだよ」

 

 少年が示したのは、“白鳥”と書いてある駅のしるしの、すぐ北でした。

 

 知らない駅です。

 そもそも、銀河ステーションとは何でしょう。

 

 さらに少年に問いかけようとした時です。

 ふと、窓から見える景色に気づいて、私は言葉をなくしてしまいました。

 

 そこは、銀色にぼうっと光るすすきの、一面に生い茂る河原でした。

 線路に沿ってうねる川の水は、青白く光りながら流れ、紫色の細かな波を立てたり、ちらちらと虹色に輝くしぶきを散らしたりしているのでした。

 

 私の驚いた顔がおもしろかったのか、少年はくすくすと笑いました。

 

「あれは銀河だよ」

 

 銀河?

 

 しかし、銀河は本当の川ではないでしょう。宇宙に浮かぶ、小さな星の集まりです。

 

 私はまじめに言うのですが、いっそう少年は愉快そうに笑うばかりでした。

 

「銀河はきらきら光る川だよ。お兄さんより、ぼくの方がよっぽど物識りだね」 

 

 私は、もう何も言えなくなってしまいました。  

 少年の表情が、とても無邪気で楽しそうで、否定するのが悪いことのように感じられたのです。

 

「ようこそ、銀河鉄道へ。ぼくの名前は、カムパネルラ」

 

 こうして、私の銀河鉄道の旅が始まったのでした。

 

 

 

 それから、私は不思議な少年と一緒に、窓を流れていく景色を眺めていました。

 

「さっき遠くに見えた鉄の塊は、ボイジャー。話をしたことがあるけど、とても良い子だったよ」

 

 珍しいものを目にするたびに、そうやってカムパネルラが説明をしてくれました。

 それがとてもおもしろいので、私は時間も忘れて彼の話に聞き入っていたのでした。

 

 そうして、しばらくたった時です。

 

 不愛想な、けれどもどこか温もりを感じさせる声が聞こえました。

 

「ここにかけてもいいか?」

 

 いつの間にか、通路には男性が立っていました。

 

 とても不思議な男でした。

 

 彼は人間のように服を着て帽子をかぶっているのですが、身体にはふさふさとした毛が生えて、頭にはぴんと立つ三角形の耳があります。

 そう、まるっきり狼のような顔をしていたのです。

 

「ああ、あなたですか。どうぞ座ってください」

 

 どうやら、彼はカムパネルラの知り合いのようでした。

 男性は私に小さく礼を言うと、腰を下ろしました。

 

「この人は、“鳥を捕る人”だよ」

 

 鳥を捕る人?

 

 カムパネルラに紹介されて、私はおうむ返しに応じました。

 

「そうだよ。鳥を捕まえて、ぼくのような銀河鉄道の乗客に分けてくれるんだ」

 

 しかし、鳥をどうやって捕まえるのでしょう。

 

 私の疑問が顔に出ていたのか、男性はぶっきらぼうに教えてくれました。

 

「ああ、そいつは簡単だ。鳥ってのはな、銀河の岸の砂が固まって生まれるだろう? だから、河原に降りたところを押さえて、川底にくっつけちまえばいい。そうすりゃ安心して動かなくなっちまうんだよ」

 

 そう言うと、彼はかばんに手をやって、ごそごそ何かを取り出しました。

 

「ちょうどいい。こいつをやるよ」

 

 そうして差し出されたのは、二羽の鳥でした。首の長い、まっ白な鳥が、押し葉のようにぺちゃんこになっているのです。

 

 その片方を受け取り、私はおっかなびっくり、羽の先をかじってみました。

 次の瞬間、口の中に、じんわり甘い味が広がります。

 

 なんだ、これが鳥のはずがない。砂糖菓子だ。

 この男はほらを吹いているのだ。

 

 私はそう考えたのですが、男性が親切で渡してくれた鳥をかじりながら、彼を疑ったせいでしょう。

 

 自分がひどい人間のように思えて、結局、ほとんど口をつけずにズボンのポケットに入れてしまいました。

 

「とてもおいしいよ。いつもありがとうございます」

「気にするな。こいつは、ヤガの口には合わないからな」

 

 ヤガ……。

 

 その言葉を、私は聞いたことがあるような。

 いえ、この鳥を捕まえる男性のことも知っているような気がしてきます。

 

 でも、どこで?

 

「ああ、白鳥の駅に着いたみたいだ」

 

 その時、カムパネルラが不意に立ち上がりました。

 窓を見ると、知らない間に汽車は停車していたのです。

 

「降りようよ、お兄さん」

 

 そして、私はカムパネルラに手を引かれるままに、ドアから飛び出して駅の改札口を通り抜けたのです。

 

 駅を出て、水晶細工のように見える銀杏(いちょう)の木に囲まれた広場に出ると、私は思わず「わあっ」と声を上げてしまいました。

 

 私の瞳に映ったのは、夜空の中で燃えている、数えきれないほどの星々でした。

 まるで、遠慮を知らない幼子(おさなご)が、バケツいっぱいの金平糖(こんぺいとう)を思うぞんぶん撒き散らしたかのような。

 今にもこぼれ落ちてきてしまうのではないかと思えるほどの、一面の星空なのです。

 

「こっち、こっち」

 

 夢見るような心地でカムパネルラの背中について行った私は、いつの間にか、銀河のすぐそばを通る道に出ていました。

 

「ごらんよ。鳥を捕る人だ」

 

 見ると、河原のすすきの中に、さきほど出会った男の人が立っていました。

 いったい、いつ私たちを追い越したのでしょう。

 

 何をしているのか疑問に思っていると、上の方から「ぎゃあぎゃあ」と叫び声を上げながら、たくさんの鳥が舞い降りてきました。 

 すると鳥を捕る人は、河原に降りた鳥の脚をすばしっこく捕まえて、袋の中に入れてしまうのです。

 鳥たちは袋の中でもぞもぞ動いていましたが、やがて眠るかのように大人しくなってしまいます。

 

「わあ、びっくり!」

 

 急に背後から声がしました。

 

 そこには、目をまん丸に見開いた幼い女の子が立っていたのです。褐色の肌に、三つ編みにした髪がかわいらしい子供でした。

 

「またお兄さんに会えるなんて! お兄さんも、汽車に乗って来たの?」

 

 私は、何を言えばいいのか分からなくなって、女の子を見つめました。

 彼女は私と会ったことがあるのでしょうか。そう言われると、たしかにどこかで会ったように思えるのですが。

 

「よお。お前らもいたのか」

 

 仕事を終えた鳥を捕る人が、道へと上がってきました。

 彼は女の子に歩み寄ると、袋からたくさんの鳥の押し葉を取り出しました。それから、女の子に手渡したのです。

 

「ありがとう。こんなにもらえるなんて、びっくり!」

 

 女の子は、それはもうよろこんでお礼を言いました。

 

 その時、少し離れた場所に、女の子の家族らしき人たちがいるのに気づきました。

 大人の男女が一組と、たくさんの子供たち。かわいい犬もいます。

 父親らしき男性が、私に向けて優し気な笑みを浮かべました。

 

「たくさんやるから、取り合いなんてするなよ」

「しないよ。ちゃんとみんなで分けるもの」

「そうか。……なら、いいんだ」

 

 女の子は笑顔で「さようなら」と告げると、走り去っていきました。

 

「あっちに行こうよ、お兄さん。とっても河原がきれいなところがあるんだ」

 

 カムパネルラに促され、私も歩き出しました。

 

 ふと振り返ると、さっきの女の子が、家族に鳥を配っているのが見えました。

 みんな楽しそうに笑って、とても幸福そうです。

 

 この上なく微笑ましい光景です。

 なのに、なぜでしょう。

 

 私の胸は、じくじくと痛みました。

 

 

 

 私たちがやって来たのは、さっきよりも少し下流の、ぼうっと淡い光のともる河原でした。

 

「見て。ここの砂はみんな水晶だ。中で小さな火が燃えている」

 

 カムパネルラが足元の砂を手ですくい、そうっとささやきました。

 彼の言うように、河原の砂はみな透き通り、その中で蛍のような光がついたり消えたりしているのです。

 

 砂の中心で燃える火は、私たちの話す中にも、その色を変えていきます。

 

 赤色かと思うと、緑色に。黄色くなったと見えたら、まばたきした後には青色に。

 

 ああ、これは万華鏡(カレイドスコープ)だ。

 私はカムパネルラと一緒に、万華鏡の中に飛び込んで、気ままに遊んでいるのだ。

 

 刻一刻と色どりを変える河原に立っていると、そんな風にも感じられるのでした。

 

 

 おや。

 

 

 川上に、人がいるようです。

 

 そこは河原が大きく広がって運動場のようになっているのですが、そんな中で四つの人影が、かがみこんで何やら掘り出しているようなのです。

 

「行ってみようよ」

 

 私の考えを見通したようにカムパネルラが叫び、私たちは彼らの方へと走っていきました。

 

 近づいていくと、そこには、河原の砂をスコップで掘っている人たちがいたのです。

 すると、一番近くにいた少女が私たちを見て、眼を見開きました。

 

「あなたは……」

 

 りんとした雰囲気の、すずしげな顔立ちをした少女でした。

 しかし、怪我をしているのでしょうか。右目を眼帯で覆っています。

 

 彼女はしばらくして、私の隣に立つカムパネルラへと顔を向けました。

 

「そう、あなたがここへ彼を連れてきてくれたのね……。カムパネルラ」

 

 カムパネルラは、とっておきのいたずらに成功したように、にっと笑いました。

 

「まさか、あなたがここに来るなんて」

 

 眼帯の少女が私に向かってそんなことを言うので、私の中に、もやもやしたものがいっぱいに広がりました。

 

 そうです。私は彼女を知っているはずなのです。

 いえ、それどころか、鳥を捕る人も、家族と一緒にいた女の子にも。やはり、私はどこかで出会ったことがあるのだ。

 

 でも、あと少しのところで、思い出せない。

 

 私は、言葉にできないくらいにもどかしいので、何も言えなくなってしまいました。

 

 その時です。

 

 

「話の途中だが、ワイバーンだ!」

 

 

 大きな声が響き渡りました。

 

 金髪を長く伸ばした男性が、白い洋服を砂まみれにして、何やら騒いでいるのです。

 

「見たまえ、この骨を。とうとう発掘したぞ。ワイバーンのもので間違いない!」

「まったく、あなたという人は」

 

 少女があきれ顔でため息をつくと、男性も私たちに気づいたようです。

 

「おや、君は……。いや、そうか。君がそうか」

 

 一人で納得している男性に、私は何をしているのか尋ねました。

 

「ああ、見ての通り発掘作業だよ。ここは百万年より前の地層だと聞いたんだ。ひょっとしたら、神代の遺物なんかも出てくるかもしれないと思ってね。そしたら大当たりだよ」

 

 男性はわくわくとした様子で、大きな白い骨を示しました。

 

「何がワイバーンですか。てきとうなことを言って」

「間違いないとも。フランスでは嫌になるほど見たからな」

 

 妙に自信満々で男性が言うと、横から別の声がしました。  

 

「うわあ、やっと出てきたんだね!」

「こんな大きな骨、見たことないわ!」

 

 発掘を手伝っていたらしい、二人の子供でした。

 黒髪の男の子と、金髪の女の子です。

 

「きっと、巨人の骨ね」

 

 女の子がはしゃいでぴょーんと跳ねると、男の子が首をかしげました。

 

「ええ、あんなに大きい人間がいるかな?」

「いるわよ。私、村の外にいるのを何度も見たんだから」

「巨人かぁ。天子様なら知ってるのかな。俺、あんまり村から出なかったし」

「……私もそうだったわ。ひょっとしたら、あれが馬の骨なのかしら?」

 

 それから二人は顔を見合わせて、とても愉快そうに笑いました。

 

「そろそろ銀河鉄道の出発する時間だよ」

 

 カムパネルラに袖を引かれて、私はだいぶ時間が過ぎていることに気づきました。

 

「ううむ。もうそんな時間か」

「一緒に行きますか?」

「いや、カムパネルラ。私たちはこの骨を運ばなければいけない。先に行くといい」

「これを汽車に積むつもりですか……」

 

 私たちは、骨を囲んで騒ぐ四人組に別れを告げ、駅へと走ったのです。

 

「やっぱり人間じゃないですか。変なことばかり言わないでください」

「いや、私と戦った時は、たしかにきらきらのもこもこで……」

 

 そんなやりとりが、背中越しに聞こえました。

 

 

 

 私とカムパネルラが座席に腰を下ろすと同時に、銀河鉄道が動き始めました。

 銀河の水がさらさら流れるのを眺めながら、私はずっと黙っていました。ぼんやりと考え事をしていたのです。

 

 この銀河鉄道に乗ってから、いろんな人に会いました。

 とても不思議な人たちでしたが、みんな幸せそうで、それを見るとこちらまで胸が暖かくなるようだったのです。

 

 ですが、どういうわけなのか。

 

 彼らのことを思うと、私はたまらなく悲しい気分になってしまうのです。

 まるで、私がとてつもなく、それこそ言葉で言い表せないくらい、ひどいことを彼らにしてしまったかのような。

 そんなもうしわけない気持ちが、わけもなく湧いてくるのです。

 

「あれは何の火か、分かる?」

 

 唐突に、カムパネルラがつぶやきました。

 

 彼の視線の先を追うと、銀河を挟んだ対岸で、ちかちかと二つの火が横に並んで燃えています。

 右側の火は怒ったように激しく火の粉を飛ばし、左側の火は慎ましく揺れているのです。

 

 なんだか双子みたいだね。

 

 そう私が言うと、カムパネルラがくすくす笑いました。

 

「お兄さん、あれは双子座だよ。遠い昔に、仲良しの双子が夜空に登って星になったんだ」

 

 なるほど、と私は納得しました。

 改めて二つの星を見ると、互いに寄り添うように光っているではありませんか。

 

「とてもきれいだろう」

 

 カムパネルラの言葉に、私は心からうなずきました。

 

 すると、通路から硬い声がしたのです。

 

「きれいなものか、あんな星」

 

 そこにいたのは、不機嫌そうな顔をした少年でした。

 彼のすぐ後ろにもう一人、穏やかに微笑む少女が立っています。

 

「だめよ。失礼でしょう。すみません、弟が」

「だって、姉さん」

 

 二人は姉弟のようです。

 たしかに、どちらも淡い茶色の髪で、どことなく雰囲気がそっくりです。彼らも双子なのでしょう。

 

 双子座は、美しくありませんか。

 

 私が不思議に思って問うと、少年は鋭く二つの星をにらみつけました。

 

「冗談じゃない。あいつらなんか……」

「やめなさい」

 

 少年の言葉を、姉がやんわりと遮りました。

 

「私はきれいだと思うわ」

「姉さん!」

 

 顔を赤くして怒鳴る弟に、姉は優しく語りかけました。

 

「きれいなものは、きれいだわ。自分の心にうそをつくのは、きっと、寂しいことよ」

 

 その言葉に、少年は一瞬顔をふせて、それからすねたように横を向いてしまいました。

 そんな弟の様子を見た姉は、ふっと笑って、それから私に顔を向けました。

 

「あの、もしかしてあなたは……。いえ、なんでもないわ。良い旅を」

 

 そして、二人は立ち去りました。

 

「……まあ、きれいだと思うよ。あの星は」

 

 弟のつぶやき声が、耳に届きました。

 

 

 

 銀河鉄道が、速度を落としました。

 また、駅が近づいてきたのでしょう。

 

南十字星(サウザンクロス)だよ」

 

 カムパネルラが、そっと教えてくれました。

 そして、私が立ち上がるのを見て、彼も跳ねるようにして席を立ちました。

 

「また銀河を見て回る? いっぱい案内するよ」

 

 その無邪気な姿に、私は口元をほころばせました。

 

 そして、ゆっくりと首を横に振りました。

 

 

 いいんだ。私はここで降りるから。

 

 

 カムパネルラを悲しませてしまうだろうか。

 

 そんな私の心配をよそに、彼は「分かっていた」と言いたげに微笑みました。

 

「お兄さん、思い出したんだね」

 

 全部、思い出しました。

 

 私がどこから来たのか。

 銀河鉄道の乗客が、誰なのか。

 

 そして、自分にはまだ、やらなければいけないことが残っていることも。 

 

「銀河鉄道は楽しかった?」

 

 もちろん、と私は答えました。

 

 もう会えないはずだった人たちと、また話をすることができました。

 とても楽しい夢でした。

 

 私の返事に、カムパネルラはにっこりとしました。

 

「それがぼくの宝具(銀河鉄道)なんだ。終わってしまった人たちを、ずっと遠いところに運んでいく。サーヴァントになってから、ずっとそうしているよ」

 

 カムパネルラと話すうちに、銀河鉄道は、サウザンクロスの駅に停車しました。

 

 駅に降りると、私はカムパネルラに小さく頭を下げました。

 

 いつか、カルデアに来るといい。今度は自分が案内するから。

 とても素敵な場所なんだよ。

 

 最後にそう告げると、車輪がゆっくり回り始め、銀河鉄道がするすると滑るように動き出しました。

 

 たった一人で駅に立つ私に、たくさんの人が車窓から手を振ってくれていました。

 見覚えのない人たちは、私が覚える暇もなく消えていってしまった人たちなのでしょうか。あるいは、これから出会うはずの人たちなのか。

 

 そんなことを考えているうちに、銀河鉄道はどんどん遠ざかっていきました。

 すぐに、そのかたちが米粒ほどに小さくなりました。やがて銀河鉄道が針の先ほどの大きさとなり、数億もの星の光に溶け込んでしまった時、また私の視界は、ぱっと明るく染まっていったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ぱい! 先輩!」

 

 私を呼ぶ声がして、ぼんやりとしたまま目を開きました。

 

「マシュ」

 

 私が言うと、マシュは安堵のため息を漏らしました。

 

「良かった。先輩は管制室で倒れて、ずっと眠っていたんですよ」

「私はどれほど眠っていたのでしょう」

 

 質問に、男性の声が応じました。

 

「三日です。マシュは、ずいぶんと心配していましたよ」

 

 着物姿の中年男性が、マシュの後ろにたたずんでいました。

 倫敦(ロンドン)のキャスターです。どうやら、マシュと彼が私の容体を見守っていてくれたようでした。

 

「サプライズ。驚きです。こうして目を覚ましたので、私はすぐに起き上がると良いでしょう」

 

 そうしてベッドから立ち上がろうとしたのですが、現在の自分の姿を思い出し、四本の脚で踏ん張りました。

 思えば、もうすっかりこの身体にも慣れてしまったものです。

 本当の持ち主と気質が似通っていたのか、馴染むのに時間はかかりませんでしたが。

 

「まだ動かないでください。すぐにナイチンゲールさんとアスクレピオスさんを呼んできますから。先生、ここはお願いします」

 

 マシュが小走りで部屋を出ていった後、先生が不思議そうに話しかけてきました。

 

「それは何でしょう。毛の中に、何かが埋もれていますよ。失礼」

 

 先生が取り出したのは、平べったくなった一羽の鳥でした。羽の先が少し欠けています。

 

「……?」

 

 何とも言えない表情で鳥を見つめる先生の姿がおかしくて、私は声を出さずに笑いました。

 

 

 

 六番目の異聞帯で待っている、出会いと別れに思いをはせながら。 

  




宮沢賢治先生の世界に、筆力の追いつかない悲し味。
一年に一度はギャグを休ませるスタイル。

いつもこのシリーズを呼んでいただいて、ありがとうございます。
申し訳ありませんが、次の投稿はだいぶ先になります。

リアルの事情と、別の話も書きたいなという風に思いまして。
一応、まだ書きたいネタはあるので、シリーズ自体は続けるつもりです。

よろしければ、また読んでください。

※読み返したら、ヴィハーン忘れてた! 書き足しました。


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「タイムマシンはいい文明だ」

久々の更新です。
最近は某SFサバイバルゲームの実プレイを元にしたシリーズを書いていました。

とうとうH・G・ウェルズまでパロディしましたが、このシリーズはどこに向かっているのでしょう。


 あの忌まわしい記憶がはっきりとしているうちに、この手記を残しておこうと思う。

 

 これから書くことは、タイムマシンによって六百年後のカルデアに行った私が、実際に経験した出来事だ。

 そして、はるかな年月の果てに私たちがたどる、おぞましい未来の記録でもある。

 

 全ての始まりは、私が友人とお喋りしている途中、急にダ・ヴィンチから通信を受け取ったことだった。

 

「やあ、アルテラ。悪いけど、すぐに管制室に来てほしい。君に重大な頼み事があるんだ」

 

 唐突な呼び出しに、私は首を傾げた。全く心当たりがなかったのだ。

 すると、私の横で通信を聞いていた友人が、「ひょっとすると、アレかもしれませんねぇ」とつぶやいた。

 

「何か知っているのか、玉藻」

「ええ。これは噂なんですけど」

 

 玉藻によると、ここ数日、ダ・ヴィンチを始めとする科学者サーヴァントたちが、研究室にこもって怪しい研究をしていたらしい。

 なんでも、徹夜を重ねて相当ハイになっているらしく、尋常ではないテンションの笑い声が日夜響いていたそうだ。

 

「また、トンチキな騒動が始まるかもしれませんよ」

「もうそんな時期か」

 

 正直、面倒ごとの気配がした。

 だが、無視するわけにもいかない。

 

「心配ないと思いますけど、私もついて行きますね。念のため」

 

 玉藻がそう言ってくれたので、私たちは管制室に足を向けた。

 

 

 

「やあ、アルテラ。それに玉藻も。来てくれてありがとう」

 

 私が管制室に入ると、ダ・ヴィンチがスケートで滑りながら出迎えた。

 そこには彼女だけでなく、テスラとエジソン、バベッジといった科学者たちもいた。

 

 それよりも、私は管制室の中央にある奇妙なものに注意を引かれた。

 

 それは、これまで見たことのない不思議な乗り物だった。 

 

 それは一見、金属板を折り曲げて作ったソリのように見えた。しかし、そのいたるところには、象牙や水晶で出来た怪しい機器が所狭しと備え付けられていたのだ。

 

「時間とは、空間を構成する要素の一つに過ぎない」

 

 出し抜けに、ダ・ヴィンチが言い放った。

 

「空間は三次元的なものと考えられている。長さ、幅、厚さだ。人はその中を移動することができる。しかし、もし時間を四つめの次元と定義したなら? ……そう! 当然、人はその中を移動することだってできるというわけさ! ここまでは分かるね?」

 

 

 分からない。

 科学は悪い文明だ。

 

 

 それからも長いこと意味不明な説明が続いたが、私にはよく理解できなかった。

 

 それでも、分かったことは三つ。

 

 

 誰かが、「タイムマシンってロマンだよね?」と、食堂で何気なくつぶやいたこと。

 

 それを耳に挟んだ科学者たちが、冗談半分でタイムマシンの研究を始めたこと。

 

 だんだんと熱中し、悪ノリの末に本物のタイムマシンを作ってしまったこと。

 

 そして、タイムトラベラーとして選ばれたのが私だということ。

 

 

 違った。四つだ。

 

「行き先は、六百年後のカルデアに設定してある。私たちの未来を、君の眼で確かめて来てほしいんだ」

 

 その言葉に、私はうなずいた。

 

「いいだろう。願ってもない機会だ。カルデアが繁栄するべき文明かどうか、私は見定めなければいけない」

「本当に大丈夫なんでしょうね、それ」

 

 話を聞いていた玉藻が、心配そうに口をはさんだ。

 

「私も一緒に行けたらよいのですけど……」

「だが、お前はスケジュールがビッシリ埋まっているだろう」

「そうなんですよね。最近は新人さんが多いですから、周回が忙しくて。種火も素材も全然足りていないんです。マスターを支えるのは良妻の勤めですから、苦になりませんけど」

 

 彼女は笑ったが、私は近ごろ行われている過酷な周回を思い、心が沈んだ。

 本当に、過重労働は悪い文明だ。

 

「では、行ってくる」

 

 タイムマシンに乗り込んだ私は、象牙のレバーを思いっきり前に倒した。

 

 それから私を襲った奇妙な感覚は、とても言い表せない。

 管制室の風景はだんだんとぼやけ、やがて濃霧の中に放り込まれたようにあやふやな空間となってしまった。

 

 

 

 そんな状態で、数分が経過した頃だったと思う。

 

 映像を逆再生するように風景が輪郭を取り戻していき、気がついた時には、私はタイムトラベル前と何も変わっていない管制室の中にいた。

 たった一つの違いは、私以外のサーヴァントがいなくなっていることだけだった。

 

 タイムマシンから降りて、私は途方に暮れた。

 あまりに変化が乏しかったので、自分が六百年の時を旅した実感が湧かなかったのだ。

 

「とりあえず、部屋から出てみるか」

 

 そうつぶやいて、私は管制室のドアを開けた。

 

「!」

 

 廊下に出た瞬間、私は誰かとぶつかってしまった。

 最初、相手は子供サーヴァントの誰かだと思った。その背丈が、私の胸ぐらいまでしかなかったからだ。

 

 しかし、それは間違いだった。

 

「アルトリア?」

 

 それは間違いなく、ブリテンの王、アルトリア・ペンドラゴンに他ならなかった。

 

 しかし、その姿は!

 

 あの勇壮な姿は面影もない。私の目の前にいた彼女は、全身のフォルムが丸みを帯びて、二頭身になるまで背丈が縮んでいた。

 

 

 そう。

 

 

 まるで、本来の彼女を、リヨッとデフォルメしたような容姿になってしまっていたのだ。

 

「――」

 

 アルトリアは私に何か言うでもなく、なぜか終始ムスッとした表情で、廊下を走り去ってしまった。

 

「まさか……」

 

 自分の見たものを信じられないまま、私はカルデアを歩き回った。

 その結果は、私の予想を超えたものだった。

 

 私の出会ったサーヴァントは、全員がアルトリア同様、二頭身にデフォルメされた姿に変化していた。

 中には、それ以上の変化を遂げた者もいた。清姫は二頭身になった上、下半身がヘビになってしまっていたのだ。

 

「これが、六百年後のカルデア」

 

 ようやく、私はここが六百年後の世界だということを受け入れられた。

 

 サーヴァントたちがリヨ化――二頭身になった彼らを、私はそう名付けた――した以外は、カルデアに変化は見られなかった。

 ただ、経年劣化は避けられなかったのか、ところどころ床に大きな穴が開いていた。誰も直そうとしないどころか、その穴を避けている様子なのが不思議だった。

 

 しかし、しばらくして、私はさらに不可解なことに気づいた。

 未来のサーヴァントたちは、とても戦いができるようには見えない。なのに、彼らは例外なく、レベルもスキルもマックスで、限界まで強化されていたのである。

 

「どうやって、素材や種火を入手しているのだ?」

 

 私は思わず疑問をこぼした。

 すると、背後から私をせせら笑う声がした。

 

「プーッ! 素材? 種火? どこの原始人だ、お前は」

 

 振り返ると、声の主はネグリジェを着込んだ黒髪のアサシンだった。

 見たことはない。おそらく、私が出発したよりも先の未来で召喚されたサーヴァントなのだろう。

 

「種火も素材も、手に入れる必要はないのか?」

「遊んで寝ていれば、強化など勝手に済んでいるものだろうが。自分たちで集めていたのは、何百年も前の話だ、このシーラカンスめ!」

 

 なるほど。

 六百年後のカルデアでは、サーヴァントの強化は自動で行われるようになっているらしい。

 喜ばしいことだ。周回の過重労働から解放されるのだから。

 

「しかし、お前はまだ強化が中途半端だな」

「しかたないだろう。私が召喚されたのは三日前なんだ」

 

 私は繁栄した未来のカルデアに、この時は満足した。

 それはそれとして、ネグリジェのアサシンはむかついたので、簀巻きにして冷蔵庫に放り込んでおいた。

 

 

 

「タイムマシンはいい文明だ」 

 

 未来のカルデアで数日を過ごし、私は一人っきりの格納庫でつぶやいた。

 

 リヨ化したサーヴァントたちは、毎日気ままに遊んでばかりいた。

 闘争も、奪い合いもない。六百年後のカルデアは、心地よい平和を甘受していたのだ。

 

 正直、意外だった。

 てっきり、新しく現れた星6サーヴァントを巡って、殺し合いが行われているなどの惨状を予想していたからだ。

 

 過去に戻った時、私が報告すべきことは二つ。

 

 平和。繁栄。共存。

 

 三つだ。また間違えた。

 数学は、悪い文明。

  

 そんなことを考えていた時だった。

 

 不意に何者かの視線を感じ、私ははじかれたように振り返った。

 

「誰だ!」

 

 機材の影から、私を見つめる者がいた。

 その全身は黒いもやに覆われ、正体がつかめない。

 

「シャドウサーヴァント?」

 

 一瞬そう考えたが、すぐに違うと直感した。

 あれは、シャドウサーヴァントなどではない。さらに、禍々しい存在だ。そう本能が告げていた。

 

「HA■■I■AM■E、■■Y■ME■■MA■……」

 

 まるで呪詛のようにおどろおどろしい声でつぶやくと、そいつは一瞬で姿を消してしまった。

 私が機材に近づいて確認すると、死角となっていた床に例の穴が開いていた。どうやらこの中にもぐりこんだらしい。

 

「まさか」

 

 その時、不吉な考えを頭をよぎった。

 

「カルデアの地下に、何かが住み着いているのか?」

 

 何か不穏なものを感じた私は、管制室に置きっぱなしにしていたタイムマシンのことに思い至り、急いで足を向けた。

 

 しかし、全ては遅すぎたのだ。

 

「タイムマシンが、ない……」

 

 私を未来に運んだタイムマシンは、管制室から忽然と消え失せていた。

 リヨ化したサーヴァントに、重いものを運べるはずがない。おそらく、地下に住み着いた何かが持ち去ってしまったのだ。

 そう考えて管制室を探ると、案の定、それまで気づかなかった地下への穴を発見した。間違いなく、タイムマシンはこの中に隠されているのだ。

 

「行くしかないか」

 

 過去に戻るには、タイムマシンを取り戻すしかない。

 しかし、闇雲に探すのは危険が大きすぎる。何か良い手段はないかと、私は頭を巡らせた。

 

 そうしていると、聞き覚えのある声がした。

 

「おい、アルテラ! よくも私を冷蔵庫に放り込んだな。もう少しで座に帰るところだったぞ!」

 

 例のアサシンだった。自力で脱出したらしい。

 しかし、どういうわけか私の名前を知っていたのだ。名乗ったはずもなかったのだが。

 

「よく私の名前が分かったな」

「フッフッフ。人の秘密を探るのが、私の得意分野だからな。弱みを握ってネチネチ脅迫してやるぞ」

「……探し物も得意か?」

「当然だ! …………おい、待て。どうして縄を持って私に近づいて――」 

 

 都合よく、タイムマシンを見つける手段を手に入れた。

 

 

 

 地下に潜った私は、ぎりぎり立って歩けるほどの狭いトンネルを歩いていた。

 かれこれ一時間は歩き続けていた。しかし、トンネルはヘビのように曲がりくねっていたので、まだ管制室からそれほど離れていなかったと思う。

 

「おい、そこは右に曲がれ」

 

 簀巻きにして小脇に抱えたアサシン(レーダー)の誘導に従い、私は進み続けた。

 やがて、だんだんとトンネルが上に傾斜していった。地上に近づいているのだ。

 

「見つけた。この先に、広い空間がある。その中央に変な機械が置かれているようだぞ」

「タイムマシンだ」

 

 とうとう、私が過去に戻る時が近づいていた。

 

「しかし、これは明らかに罠だぞ」

「問題ない。いざという時には、お前を囮にする」

「やめろぉ!」

 

 騒ぐレーダーを無視して、私はトンネルを抜けた。

 

「ここは、霊基保管室?」

 

 そこは私も見たことがある部屋だった。

 しかし、信じられない光景が広がっていた。

 天井まで届くほどに、種火や素材が山積みにされていたのだ。これなら、カルデア中のサーヴァントを強化し尽せるだろう。

 

 そして、部屋の中央には、これ見よがしにタイムマシンが置かれていた。

 

「やっと六百年前に帰れる」

 

 思わず、私は安堵のため息を漏らした。

 

 

 その時だった。

 

 

「K■■R■AKU■A……!」

「■■RE■ISH■■OUK■NAA……!」 

 

 不意に、何者かが私たちめがけて飛びかかって来たのだ。

 

 例のシャドウサーヴァントもどきだった。しかも、十体以上はいた。

 

「軍神の剣を受けるがいい!」

 

 私は、群がってくる者どもを薙ぎ払い、タイムマシンへと近づいて行った。

 

 しかし。

 

 間近にそいつらを観察するうちに、私は妙なことに気づいた。

 身の毛のよだつ存在たちの中に、どこか馴染みのある姿の面影が見られるように感じたのだ。

 

「KEIRYAKUDAA……!」

「DORENISHIYOUKANAAA……!」

「MIJUKUMONO、DESUGAAA……!」

「OUNOHANASHIWOSURUTOSHIYOOO……!」

 

 まさか。いや、そんなはずはない。

 私はガムシャラにそいつらを振り払い、なんとかタイムマシンに乗り込んだ。

 

「おい! 私を置いていくな!」

 

 アサシンが飛び乗るのと同時に、私は象牙のレバーに手をかけた。

 そして、私の視界が急速にぼやけていく、その刹那――

 

 

「MIKOOOON……!」

 

 

 私を襲っているモノの、そのいまわしい正体を知った。

 

 

 

 

 

 それからのことは、あまり覚えていない。

 

 霊基保管室で倒れていたところを発見された私は、数日間、意識が戻らなかったらしい。

 

 六百年後のカルデアがどうなっていたか質問攻めにあったが、私は覚えていないと言い張り、見聞きしたことを誰にも明かさなかった。

 不幸にも、未来のカルデアにおけるおぞましい真実に気づいてしまったからだ。

 

 あの黒いもやに覆われた存在。

 あれは、サーヴァントたちのなれの果てだった。

 それも、ただのサーヴァントではない。過酷な周回を行っているサーヴァントたちだったのだ。

 

 おそらく、六百年が経過するうちに、周回適正を持つサーヴァントと、その他のサーヴァントとの労働環境の格差が広がったのだ。

 

 増え続ける新加入のサーヴァントを強化するため、周回は激化の一途をたどっていったのだろう。

 そして、周回に駆り出されるサーヴァントたちは、過重労働によって自我が摩耗し、ついでになぜか地下へと追いやられ、いつしか種火と素材を集めるだけのシステムのような存在に成り下がってしまったに違いない。

 

 一方、戦わなくても強化されるサーヴァントたちは働くこともなく、だんだんと退化していった。その結果が、リヨ化した姿だったのだ。

 

 未来のカルデアは、決して楽園などではなかった。

 過労サーヴァントの犠牲によって成り立つ、見せかけのユートピアだったのだ。

 

「アルテラさん、大丈夫ですか? 元気ないですねぇ」

「ああ、心配ない、玉藻」

 

 私は無理に笑顔を作ったが、あまりのいたたまれなさに、この友人の顔をまともに見ることはできなかった。

 

 過去に戻る着前、最後まで私を追ってきた存在。

 

 それは、六百年後の彼女に他ならなかったのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ところで、アルテラさん。最近、変な噂が流れているんですよ」

「噂? どんなものだ、玉藻」

「アルテラさんが未来から戻って来たころから、召喚した記録のないサーヴァントが目撃されているらしいんです。ネグリジェを着た星1アサシンなんですけど、何か御存知ですか?」

「ネグリジェのアサシン……」

 

「? いや、全く心当たりがない」

 




FGO6周年おめでとうございます。

次話の投稿は、12月ぐらいになるかなと思ってます。
よろしければ、またお読みください。


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「お客人、このロウソク立てを持っていかれよ」

道徳の教科書に載ってた銀の燭台って、レ・ミゼラブルの一場面なんですね。調べて初めて知りました。

ひょんな思いつきで書き始めたら、シリーズ中でも異色の話になったなぁ……。


「おじいちゃん?」

 

 舌足らずの声が聞こえて、私はぼんやりと眼を開けた。

 

 安楽椅子に座って読書をしていたのだが、いつの間にか眠ってしまったらしい。

 

「はい、ブランケット」

 

 幼い孫娘が、私の膝にブランケットをかけてくれた。寝ている間にずり落ちていたようだ。

 

「おじいちゃん。もう暗いよ。明かりをつけないと」

 

 そう言って、彼女は部屋の中央にあるロウソク立てを指差した。

 

「ああ、そうだね。ロウソクをともそうか」

 

 私が言うと、その言葉を待っていたように、小さな手がマッチを差し出した。

 

「クリスマスキャンドル!」

「ああ、そうだね」

 

 そう、もうすぐクリスマスだ。

 窓に目をやると、雪が静かに降り積もっているのが見える。この様子なら、今年はホワイトクリスマスとなりそうだ。 

 

「早く、早く」

 

 弾んだ声にせかされて、ロウソク立てに歩み寄った。

 それから、痛む腰を伸ばして、クリスマスキャンドルに火をつける。

 私が若いころから年月を共にした、大切なロウソク立てだ。だが、かなり背が高いので、火をつけにくいのだけが欠点だった。

 

 ボウッと音を立てて、大きな火が二つ揺れると、孫娘の眼がまん丸に見開かれた。

 彼女もまた、このロウソク立てが大のお気に入りなのだ。

 

「わー!」

 

 孫娘が嬉しそうにロウソク立ての黒い表面を撫でている横で、チラリと壁の時計に目をやり、時間を確認する。

 どうやら、私はだいぶ寝入ってしまったらしい。

 

 若いころは昼寝をしている年寄りを見ると、「よくこんな時間から眠れるものだ」と笑っていたものだが。

 寄る年波というものには勝てないらしい。

 

 孫娘を膝にのせて、私はクリスマスキャンドルを見つめた。

 

 こうしてロウソクの燃える音を聞いていると、つい、あの日のことを思い出してしまう。

 

 私が悪の道から救われた、あのクリスマスの夜を。

 

 

 

――――――

――――

――

 

 

 雪交じりの風が吹きつける中、まだ青年だった私は、空腹と寒さに耐えながら街を歩いていた。

 

 その時、私は牢屋から出てきたばかりだったのだ。

 

 少年だったころに窃盗で捕まった後、反省することもなく獄中で不埒な行動を繰り返した私は、刑期を何度も伸ばすことになった。

 狭い檻の中で世界を恨む。それが私の青春だった。

 

 クリスマスでにぎわう街を、憎々しい思いで見ていたことを、今でもはっきり覚えている。

 迎えてくれる家族や友人も、宿を借りるだけの金も、持っていなかったからだ。

 

 私はうつむいたまま歩き、眼だけを動かして、盗みに入りやすそうな家はないかと街を物色していた。

 恥ずかしいことに、ためらいもなく罪を繰り返すつもりだったのだ。

 

 しかし、予想よりも早く、体力の限界を迎えた。

 

 少しでも凍える風から身を守ろうと、私は路地裏の物陰に座り込んだ。

 そのまま、立ち上がる気力もなく、ただ凍え死ぬのを待って、ぼんやり宙を見つめていたと思う。

 

 しかし、不意に話しかけられた。

 

「どうされましたかな? こんなところにいては、風邪を引きますぞ」

 

 声の主は、異様な姿をした男だった。

 ドクロの仮面で顔を隠し、右腕を布で覆っていたのだ。

 

 正直に言うと、最初は強盗だと思った。

 

 しかし、逃げ出そうとした私に、ドクロの男は予想外の言葉をかけたのだ。

 

「もし行く当てがないのなら、私のところへいらっしゃいませんかな。一晩ぐらい、お泊めすることはできます」

 

 

 

「どうぞ、中へ。まずは身体を温められよ」

 

 仮面の男に連れてこられたのは、路地裏にたたずむ小さな建物だった。

 壁はボロボロで、窓ガラスにはヒビが入っている。とても人に施しをする余裕があるようには見えない。

 

 本当にただの善意で、私を連れてきたのだろうか。

 私は疑いを捨てきれなかった。

 

「おかえりなさい、呪腕さま。そちらの人は?」

 

 建物に入ると、一人の少女がいた。

 驚いたことに、彼女もドクロの仮面を被っていた。私が牢屋に入っている間に、こんなファッションが流行していたのだろうか。

   

「静謐よ、彼は私の客人だ」

「そうですか。それでは、お食事の用意を」

「だめだ。万が一のことがあってはいけないので、お主はできるだけ近づかないように」

 

 ションボリした様子の少女をその場に残し、男は私を部屋に案内した。

 

 必要最低限の家具しかない、質素な部屋だった。

 あまり裕福な暮らしはしていないのだろう。

 

 しかし、部屋の中央にあるものを見た時、私は思わず見とれてしまった。

 

 

 それは、それまで見たことがないぐらい、立派なロウソク立てだった。

 

 

 全体が黒一色で、余計な装飾はない。

 そして、見上げなければいけないほどに大きい。こんなに巨大なロウソク立ては、めったにないだろう。

 

 そんなロウソク立てが、二つの炎を揺らめかせる様子は、威厳すら感じさせた。

 

「どうですかな。立派なものでしょう」

 

 男に言われても、私はロウソク立てから目を離せずに、黙ってうなずいた。

 

「さあ、食事を持ってきましょう。実は、銀製の食器があるのです。そのロウソク立てほどではありませんが、素晴らしいものですぞ」

 

 それから、質素だが暖かい食事を食べた私は、当初の警戒心もすっかり忘れてベッドで眠ってしまった。

 

 

 

 目を覚ましたのは、まだ深夜の時間帯だった。

 

 物音ひとつせず、建物は静まり返っている。起きているのは私一人だろう。

 そんなことを考えていると、自分の将来に対する不安がふつふつと首をもたげた。

 

 今日はこうして助けてもらうことができた。

 だが、わずかな金もない前科者の自分が、これからどうして生きていけばいいのだろうか。

 

 その時、食事が盛られていた銀の食器のことが、頭をよぎった。

 あれを売ることができれば、それなりの金が手に入るはずだ。

 

 私は、ベッドの上で葛藤した。

 素性の知れない男をもてなしてくれた恩人。彼の善意を、私は最悪の形で裏切ろうとしている。

 

 しばらく迷ったものの、結局、私は足音を忍ばせて部屋を出た。

 

 狭い建物だったので、目当ての食器はすぐに見つかった。

 すぐに逃げ出そうとした私は、しかし、足を止めた。

 

 あのロウソク立てのことを考えたからだ。

 あんなに立派なロウソク立ては、世界に二つとないに違いない。もし自分のものにすることができれば、どれだけ素晴らしいだろう、と。

 

 しかし、盗んで逃げるには、あのロウソク立ては大きすぎた。

 

 結局、私は銀の食器だけを胸に抱えて、その建物から逃げ出したのだった。

 

 

 

「おい、呪腕よ! 起きてこい」

 

 女が乱暴にドアを叩くと、ドクロの男が建物から出てきた。

 

「百貌か。どうしたのだ、こんな夜中に」

 

 男はいぶかしそうに尋ねたが、途中で言葉を切った。

 女の後ろにいる私に気づいたからだろう。

 

「夜中にコソコソしているこいつを見つけてな。調べてみたら、貴様の食器を持っていたのだ」

 

 女が言うのを聞いて、私はうつむいた。

 とても、恩人の顔を見ることができなかった。

 

「貴様からもらったなどと言い訳しているが、どうせ盗んだのだろう。こうして連れてきたのだ」

 

 しばらく、ドクロの男は沈黙していた。

 善意を裏切った私への怒りに、言葉を失ってしまったのだろうか。あるいは、軽蔑してものを言う気にもならないのか。

 そう考えていた私は、次の瞬間、耳を疑った。

 

「百貌よ。その食器は、たしかに私が客人に差し上げたものだ。お主の早とちりだぞ」

 

 男が何を言っているのか、しばらく理解できなかった。

 

 しかし、そんな私をよそに、彼はホッとしたように言葉を続けたのだ。

 

「ですが助かりました。食器は持って行かれましたが、一緒に差し上げたロウソク立てを忘れていたでしょう。あれも持って行かれるとよい」

 

 私の頬を、熱いものが伝った。

 いつの間にか、私は涙を流していた。

 

「よろしいですかな、お客人」

 

 震える私の肩に、そっと男の左手が置かれた。 

 

「忘れないでいただきたい。この食器とロウソク立てによって、あなたは正義の人になる。そう約束しましたな」

 

 もちろん、そんな約束をした覚えはなかった。

 

 しかし、私はその時に誓ったのだ。

 もう悪に手を染めることはしない。この高潔な男に恥じない生き方をするのだ、と。

 

「さあ。お客人、このロウソク立てを持っていかれよ」

 

 ドクロの男の言葉を待っていたかのように、建物のドアが開き――

 

 

 

 ロウソク立てが、重い足音と共に歩いてきた。

  

 

 

Iskandar(イスカンダルゥ)……!」

 

 何度見ても、立派なロウソク立てだった。

 

 黒い巨体は優に三メートルを超しているだろう。

 そのてっぺんで、大きな緑色の炎が二つ、噴き出している。

 

「どうか、このダレイ……ロウソク立てを大事にしていただきたい。この時期なら、クリスマスキャンドルをともすのも良いでしょうな」

Candle(キャンドル)……!」

「ただ、イスカンダルという名前を聞くと、制御不能になる可能性もありますぞ。そこだけはご注意を」

 

 こうして、私は銀の食器とロウソク立てを譲ってもらったのだった。

 

 そして、それから……。

 

 

 

――――――

――――

―― 

 

 

 

 どうやら、またうたた寝をしていたようだ。

 

 私の膝で、孫娘もスウスウと寝息を立てている。

 その寝顔を見つめていると、不意に、目の前にブランケットが差し出された。

 

Cold(コォルド)……!」

「ああ、ありがとう」

 

 ロウソク立てが、孫娘と私にブランケットをかけてくれた。

 

 あの日から、もう何十年もたった。

 銀の食器はすぐに売り払った。その代金を元手にして、私はささやかな商売に成功し、こうして家族を持つこともできたのだった。

 

Family(ファミリィ)……!」

 

 しかし、このロウソク立ては、長い人生の中で、一時も手放すことはなかった。

 私がくじけかけた時ははげましてもらったし、悲しい時にはなぐさめてもらった。時には、ゾウにも乗せてもらった。

 

 ドクロの恩人は、私の心を救ってくれただけでなく、こんな素晴らしい相棒を贈ってくれたのだ。

 こんなに素晴らしい贈り物をもらえた自分は、きっと特別な存在なのだろう。そう思えた。

 

 そして、私はいつか、孫娘にこのロウソク立てを譲ることになるだろう。

 

 彼女もまた、私にとって特別な存在だからだ。

 

 

 

Special(スペシャル)……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おお、波斯(ペルシャ)の王よ。こんなところに突っ立って何をしておる? 余と共にトレーニングルームに行かんか?」

「…………」

「ふむ? なんだ、その手に握りしめた古ぼけたブランケットは」

 

 

 

Memory(メモリィ)……!」




有名な銀の燭台で、なんかパロディ書きたい
→ダレイオス、ちょくちょくクリスマスキャンドル扱いされるな
→燭台がダレイオスだったらおもしろいのでは?

というわけで書きました。

最初はFGOキャラはダレイオスだけでいくつもりでしたが、いよいよ原作が行方不明になるのでハサンたちに登場してもらいました。


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