ハルケギニアの商人聖女 (孤藤海)
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異世界ハルケギニア
突然の異世界


貴族院四年生に向かうときなので、ローゼマインはグルトリスハイトは所持していません。


いつもと違う転移の感覚に目を開けたわたしの前に広がっていたのは、緑豊かな草原と遠くに見えるお城のような建物だった。

 

わたしたちの近くには黒いマントをつけた赤い髪の女性がいる。服装は白いブラウスにグレーのプリーツスカート。少し離れたところには同じような服装の少年少女が人垣をなしている。

 

わたしは貴族院で四年生として学ぶため、中央の貴族院に繋がる転移陣に乗ったはずだ。けれど、ここは貴族院ではない。

 

黒いマントは中央の証だけれど、女性の着ているスカートは膝丈からそれよりも短いもので、これはわたしのいたユルゲンシュミットでは有り得ない服装だ。

 

ユルゲンシュミットでスカート丈が膝までなのは、十歳までだ。その後は脛丈に代わり、十五歳になり成人式を迎えると足首も見えなくなる。人垣を作る男女は、すでに成人を迎えていそうに見える。成長が少し早いにしても十歳以下というのは有り得ない。成人女性が膝を出していれば、ユルゲンシュミットでは狂人か最貧民と思われても仕方がない。仮に成人前だとしても十分に破廉恥と言われる服装だ。

 

一方で男女は全員がシュタープを持っている。それは狂人や貧民ではなく、貴族階級であることを示している。

 

もう一つ、おかしな点として緑豊かな草原がある。冬の貴族院は一面が雪に覆われているはずだ。今の光景は春か夏にしか見えない。

 

「ローゼマイン様」

 

リーゼレータがシュタープを出しながら僅かにわたしの前に出る。リーゼレータは側仕えではあるが、同時にわたしが絡んだ貴族院のごたごたに多く同席しているため、今回のような事態では反射的にシュタープを出して備えられるように訓練されている。

 

状況から見れば、今は完全に誘拐。リーゼレータの反応は分かる。けれど、どうも誘拐犯疑惑の男女の方も困惑しているように見えるのだ。となると、転移陣の事故か。

 

わたしはリーゼレータを手で制して前に出ると、わたしたちの前にいた赤髪の女性の前で笑顔を浮かべた後、立ったまま両手を胸の前で交差させる。

 

「お初にお目にかかります。ローゼマインと申します。命の神、エーヴィリーベの厳しき選別を受けた類稀なる出会いに、祝福を祈ることをお許しください」

 

この挨拶は本来なら身分が下の者から行うものだ。領主候補生であるわたしより上の身分の相手はほとんどいない。けれど、服装と季節感から考えて、ここはユルゲンシュミットではない可能性が高い気がする。だから、上下関係を誤解させる跪きはしないで、お決まりの挨拶の言葉だけを並べる。

 

「えっ……あっ……はい」

 

「命の神、エーヴィリーベの祝福を」

 

一般的な挨拶に返答ができない様子に、やはりここはユルゲンシュミットではないという確信を持つ。指輪に魔力を込めて祝福を送ると、女性は驚いたような表情を見せる。

 

「こちらはわたくしの側仕えのリーゼレータ。以後、よろしくお願いいたします」

 

「私はキュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーです」

 

「キュルケ様……でよろしいのかしら? こちらはユルゲンシュミットではないようですけれど、どこなのでしょう?」

 

「ここはトリステイン王国のトリステイン魔法学院です」

 

聞いたことのない国だ。といっても、国境門の開閉ができない今のユルゲンシュミットが交流を持つ外国はランツェナーヴェだけで、他に私が知っているのは歴史書の中に出てきたボースガイツくらいなのだけど。

 

「わたくしが聞いたことのない国ですね。キュルケ様はユルゲンシュミットという国をご存知でしょうか?」

 

「いえ、私も知りません」

 

互いに聞いたことのない国なら、少なくとも誘拐ではないのだろう。

 

「では、キュルケ様はわたくしがどうしてここにいるのか、ご存知かしら?」

 

言うと、キュルケがびくりと身体を震わせた。どうやら、心当たりがあるらしい。

 

「ミス・ツェルプストー!」

 

相手に非があるのならと追求しようとしたところで、人垣の中から声が聞こえた。人垣が割れて、中年の男性が現れる。キュルケが魔法学院と言ったことを考えると、ここにも教師がいるはずだ。年齢から考えて、彼が教師だろう。

 

「ミスタ・コルベール!」

 

キュルケが呼んだことで教師の名がコルベールだと分かった。コルベールが近づいてきたところで、わたしは今度は跪いた状態で両手を胸の前で交差させて挨拶の口上を述べて、祝福を送る。

 

「ご丁寧にありがとうございます。この学院で教師を務めているジャン・コルベールです。ところでミス・ローゼマインは家名はお持ちですか?」

 

「家名ですか? 家名でしたらエーレンフェストとなります」

 

「では、ミス・エーレンフェストとお呼びしましょうか?」

 

「いいえ、ユルゲンシュミットでは家名で呼び合う習慣がないのです。正確には家名で呼んでよいのが明らかな目下のみですので、皆が避けているのです」

 

「では、ミス・ローゼマインと呼ばせていただきます」

 

トリステインという国に合わせることも考えたが、呼ばれ慣れた名前で呼んでもらうことにした。

 

「それで、ミス・ローゼマインはユルゲンシュミットという国の貴族なのでしょうか?」

 

「ええ、そうです。わたくしが上級貴族、こちらのリーゼレータが中級貴族です」

 

本当は領主候補生なのだが、わたしは嘘をついた。相手がわたしをどう扱うか分からないのに、ありのままを言うのは危険だと考えたのだ。身分が高すぎても危険だが、貴族の側仕えを連れていることからあまり低くはできない。そう考えた結果が上級貴族だった。

 

「やはりそちらの従者の女性も貴族なのですか?」

 

「上級貴族の側仕えが貴族以外なのですか?」

 

「あの、ミスタ・コルベール」

 

わたしたちが話に入ってきたのは、コルベールが出てきてからは一歩引いて待っていたキュルケだった。

 

「あたしの『使い魔』召喚はどうなるのでしょうか?」

 

「いくら神聖な儀式とはいえ、さすがに他国の高位の貴族を使い魔にするわけにはいかないでしょう。ミス・ツェルプストーの使い魔召喚についてはオールド・オスマンに相談することにしよう」

 

そう言ったコルベールが他の生徒たちを見回して声を張り上げた。

 

「今日の使い魔召喚の儀式は中止とする。まだ召喚を行っていない生徒は後日、儀式を行うことにするので今日は教室に戻りなさい」

 

コルベールが言うと、生徒たちが宙に浮き始めた。騎獣もなしに飛んでいるのを見てわたしは驚いて行方を見守ってしまう。

 

「ミス・ローゼマインは私と一緒に学院長室までお願い……どうなさいました?」

 

「こちらの魔術には、あのように空を飛ぶものがあるのですね」

 

「ミス・ローゼマインの国にはなかったのですか?」

 

「ありますが、方法が全く違うのです。見せた方が早いですね」

 

わたしが腰のベルトに付けた魔石に魔力を注ぎレッサーくんを出現させる。先ほどとは逆にコルベールが目を見開いていた。

 

「わたくしたちはこのように自分の魔力で染めた魔石を使った騎獣で空を飛びます」

 

「これは、何とも興味深いものですね」

 

しげしげと見つめるコルベールは、どこかドレヴァンヒェルのグンドルフ先生を彷彿とさせる。

 

「ミスタ・コルベールはもしかして研究がお好きなのですか?」

 

「え? はい、恥ずかしながら」

 

「恥ずかしがる必要などないと思いますよ。わたくしの師も研究が趣味でしたし、わたくしも研究は好んでおりますよ」

 

わたしの好む研究は図書館に関わるものに限定させるんだけどね。

 

「研究の話は後の楽しみとして、まずは学院長室に向かいませんこと?」

 

そんな心の声を隠して問いかけると、コルベールは慌てて案内を始める。わたしは騎獣にリーゼレータを同乗させて、コルベールの後を追う。

 

城のような学院に向かって飛ぶ途中、一人だけ徒歩で学院に向かっている桃色がかったブロンドの髪の生徒が見えた。

 

なんで一人だけ歩いているんだろう。そう思いながらもわたしは真っ直ぐにコルベールの後を追った。




家名で呼び合わないという部分は捏造です。
原作では聖女の儀式以外で呼ばれた記憶がなかったので。


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召喚の儀式(キュルケ)

あたし、キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーは、トリステイン魔法学院でも優秀な生徒だと自認していた。そんなあたしが呼び出す使い魔ならば、きっと素晴らしい生物が呼べるはず。あたしは、そんな根拠のない自信を持って使い魔召喚の呪文を紡いだ。

 

そうして現れた使い魔は、素晴らしいと言えば素晴らしい生物だった。けれど、あたしが呼び出したかったのとは随分と違う使い魔だった。

 

使い魔召喚の儀式で現れたのは十歳くらいの女の子だった。人を呼び出すというだけでも聞いたことがないというのに、問題は呼び出した女の子が、ただの女の子ではなかったということだ。

 

星が輝く夜空のような艶のある髪は、虹色に輝く綺麗な五つの石と、他で見たこともない糸で立体的に形作られた繊細な花の飾りで彩られている。身に着けている衣服は一目で上質と分かる黒の布地に黄色の緻密な刺繍が施されている。そして、指には大きな青い石が取り付けられた指輪。極めつけが、着け方は独特だけども、どう見てもマントにしか見えない黄色の布だ。

 

結論、女の子は貴族。しかも、かなり高位の。その証拠に、女の子はあたしと同じくらいの年齢に見える従者の少女を連れている。

 

膝をついていた女の子が顔を上げた。召喚された後遺症か、少しの間、ぼんやりとしていた女の子の目の焦点が合い、周囲を軽く見回す。女の子の金色の瞳がキュルケをはっきりと認識した。

 

「ローゼマイン様」

 

言いながら、従者が少し前に出る。その手には何時の間にか杖が握られている。ただの従者でなく、メイジを従者にしていたようだ。護衛も兼ねているということだろうか。

 

とりあえず女の子の名前がローゼマインということと、キュルケが思ったより更に高位の貴族であろうことがはっきりして、目の前が暗くなった気がした。そんなキュルケの前に従者を制したローゼマインが進み出てくる。そうして、ふわりとした笑顔を浮かべて、両手を胸の前で交差させる。

 

「命の神、エーヴィリーベの厳しき選別を受けた類稀なる出会いに、祝福を祈ることをお許しください」

 

初めて聞いた言葉の数々に何と答えていいのか分からない。とりあえず祝福を祈ることを許してほしいと言われたのだから、許せばいいのだろうか。

 

「えっ……あっ……はい」

 

とりあえず返した言葉は、我ながらみっともないほど動揺したものだった。

 

「命の神、エーヴィリーベの祝福を」

 

そんなあたしの様子を笑うでもなく、ローゼマインは青い指輪を前に祈るような姿を見せる。その次の瞬間、指輪から淡い赤い光があたしに向けて飛んできた。普通なら攻撃魔法かと思うところだけど、不思議とそんな気持ちにならなかった。

 

実際、害はなかった。そればかりか暖かなその感触は、ローゼマインから祝福が与えられたのだと、何故かはっきりと分かるものだった。

 

「わたくしはユルゲンシュミットのローゼマインと申します。こちらはわたくしの側仕えのリーゼレータ。以後、お見知り置きを」

 

ユルゲンシュミット? 地名? それとも家名? ともかく名乗られたからには、名乗り返さなければ。

 

「私はキュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーです」

 

「キュルケ様……でよろしいのかしら? こちらはユルゲンシュミットではないようですけれど、どこなのでしょう?」

 

ユルゲンシュミットとはどうやら地名のようだ。

 

「ここはトリステイン王国のトリステイン魔法学院です」

 

「わたくしが聞いたことのない国ですね。キュルケ様はユルゲンシュミットという国をご存知でしょうか?」

 

「いえ、私も知りません」

 

少なくとも、一般に知られている近隣の国ではない。かなり離れた国なのだろう。出まかせを言っているという可能性はないように思える。ローゼマインの言動はあたしの知っている風習とは、かなり異なるからだ。

 

「では、キュルケ様はわたくしがどうしてここにいるのか、ご存知かしら?」

 

詰問調ではなかったものの、拙いという思いが噴き出し、背中にびっしょりと汗をかく。どうすれば、より問題を小さくできるか必死に考える。

 

「ミス・ツェルプストー!」

 

と、そこに使い魔召喚の儀式を担当している教員のコルベールの声が聞こえた。

 

「ミスタ・コルベール!」

 

助けを求めるようにコルベールの名前を呼ぶ。これほど真剣にコルベールの名を呼んだことは、今までで一度もないというくらい必死の叫びだった。

 

ローゼマインは責任者を見つけたとばかり今度はコルベールの方を向く。遥かに年上の多くの生徒たちに注目される中、ローゼマインは怯むことなく真っ直ぐに前を見て、ゆっくりだが優雅な足取りでコルベールの前まで進む。そうして片膝をついた状態で両手を胸の前で交差した。

 

言葉自体はあたしにしたのと同じだけど、片膝をつくという動作はあたしのときにはなかった行動だ。おそらくだけど、こちらの方が正式な挨拶の形式なのだろう。そして、あたしにそれをしなかったのは、あたしを今回の召喚の犯人だと疑っていたからではないだろうか。そう考えると胃が痛くなってくる。

 

「ご丁寧にありがとうございます。この学院で教師を務めているジャン・コルベールです。ところでミス・ローゼマインは家名はお持ちですか?」

 

「家名ですか? 家名でしたらエーレンフェストとなります」

 

「では、ミス・エーレンフェストとお呼びしましょうか?」

 

「いいえ、ユルゲンシュミットでは家名で呼び合う習慣がないのです。正確には家名で呼んでよいのが明らかな目下のみですので、皆が避けているのです」

 

「では、ミス・ローゼマインと呼ばせていただきます」

 

家名で呼んでよいのが目下のみというのは驚いた。あたしのいるハルケギニアとは正反対だ。ローゼマインとの常識の摺合せはなかなか大変そうだ。

 

「それで、ミス・ローゼマインはユルゲンシュミットという国の貴族なのでしょうか?」

 

「ええ、そうです。わたくしが上級貴族、こちらのリーゼレータが中級貴族です」

 

上級貴族という階級がどのようなものかは分からない。しかし、最初の印象であった高位の貴族というのは間違いではなかったようだ。となると、気になるのは使い魔召喚の儀式はどうなるのかということだ。

 

「やはりそちらの従者の女性も貴族なのですか?」

 

「上級貴族の側仕えが貴族以外なのですか?」

 

「あの、ミスタ・コルベール」

 

コルベールとローゼマインが話しているところに、あたしは思い切って声をかけた。

 

「あたしの『使い魔』召喚はどうなるのでしょうか?」

 

「いくら神聖な儀式とはいえ、さすがに他国の高位の貴族を使い魔にするわけにはいかないでしょう。ミス・ツェルプストーの使い魔召喚についてはオールド・オスマンに相談することにしよう」

 

高位の貴族のお嬢様を誘拐となれば、現時点でも外交問題となるのは確実。そこに使い魔にしていました、なんてことが加われば、最早、話して解決できるレベルではなくなる。

 

「今日の使い魔召喚の儀式は中止とする。まだ召喚を行っていない生徒は後日、儀式を行うことにするので今日は教室に戻りなさい」

 

コルベールが言うと、それぞれ『フライ』の魔法を使って学院に向かい始める。その様子をローゼマインは驚いたように見つめていた。

 

「こちらの魔術には、あのように空を飛ぶものがあるのですね」

 

『フライ』はごく初歩の魔法だ。ローゼマインの国にはそれがないということだろうか。もしかしてユルゲンシュミットという国は随分と遅れているのだろうか。

 

「ミス・ローゼマインの国にはなかったのですか?」

 

「ありますが、方法が全く違うのです。見せた方が早いですね」

 

そう言ったローゼマインが腰のベルトに付けられた籠に入った石に触れると、石が急激に膨らみ、大きな箱に奇妙な獣の頭と足が付いたようなものになった。

 

「わたくしたちはこのように自分の魔力で染めた魔石を使った騎獣で空を飛びます」

 

え? これで飛べるの? どう見ても飛べるようにはみえないけど。そう口にすることは辛うじて抑える。

 

「これは、何とも興味深いものですね」

 

一方、コルベールは何が気になるのかローゼマインが出現させた騎獣というものを興味深げに観察している。

 

「ミスタ・コルベールはもしかして研究がお好きなのですか?」

 

「え? はい、恥ずかしながら」

 

「恥ずかしがる必要などないと思いますよ。わたくしの師も研究が趣味でしたし、わたくしも研究は好んでおりますよ」

 

こんな子供が研究が好きだなんてユルゲンシュミットは随分と変わったところらしい。

 

「研究の話は後の楽しみとして、まずは学院長室に向かいませんこと?」

 

それにしても、このローゼマインという少女は恐ろしい。従者と一緒とはいえ、見知らぬ土地に連れてこられたというのに、さほど動揺した様子がない。そして、従者に頼ることなく大人であるコルベールと対等以上に話をしている。

 

あたしは、もしかしなくても、想像以上にとんでもない存在を召喚してしまったのかもしれない。

 

どういう原理でか分からないけれど、空を飛ぶローゼマインの騎獣というものの横を飛びながら、あたしは密かに溜息をついた。




話が先に進まなくなるので今後は控えますが、一度、逆の視点から見た召喚の儀式を。


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学院長との面会

わたしが案内されたのは、学園の敷地内で一番高い塔の最上階だった。わたしを案内してきたコルベールがドアをノックする。

 

「コルベールです。オールド・オスマン、春の使い魔召喚の儀式のことで、至急、ご相談させていただきたいことがあります」

 

わたしの後をついてきている側仕えのリーゼレータが、僅かに眉をひそめたような気配がした。ユルゲンシュミットでは、貴族の元を訪れるには予め先触れをしておくのが普通だ。ドアをノックしながら用件を告げるというのは不作法にあたる。

 

日本で生活した記憶があるわたしは、校長室を訪ねていると考えれば何とも思わないけど、ユルゲンシュミットの貴族院しか知らないリーゼレータにしては衝撃的な光景だろう。

 

入室を促す声を聞いて扉を開けたコルベールの後に続いたリーゼレータが大きく開いてくれた扉をゆっくりと潜った。

 

学院長は白い髪と豊かな口髭を蓄えたおじいさんだった。重厚なつくりのテーブルに肘をついてわたしたちを迎えてくれた。部屋の中には他に、いかにも秘書という感じの女性が一人いる。

 

最後尾のキュルケが部屋に入ると、リーゼレータが扉を閉める。わたしは学院長の前に進み出ると、片膝をついて両手を胸の前で交差させた。

 

「ユルゲンシュミット式の挨拶で失礼します。オールド・オスマン、命の神エーヴィリーベの厳しき選別を受けた類稀なる出会いに、祝福を祈ることをお許しください」

 

「ん? おお……」

 

本当に何の先触れもされてなかったのだろう。祝福を送りながら観察すると、初めて見る相手と初めて見る挨拶に混乱しているのが見て取れた。

 

「お初にお目にかかります。わたくしはユルゲンシュミットのローゼマイン・トータ・リンクベルク・アドティ・エーレンフェスト。こちらはわたくしの側仕えのリーゼレータです。以後、お見知り置きを」

 

「初めまして。ミス・エーレンフェスト、この学院の学院長のオスマンじゃ」

 

学院長にとっては謎の言葉の数々だろう。学院長はわたしに言いながら助けを求めるようにコルベールを見ていた。

 

「オールド・オスマン、彼女のいた国、ユルゲンシュミットでは名を呼ぶのが一般的ということなので、私はミス・ローゼマインとお呼びします。それで、ミス・ローゼマインなのですが、彼女はこちらにいるミス・ツェルプストーの春の使い魔召喚の儀式で誤って遠い国から召喚されてしまったようなのです」

 

「……詳しく教えてくれ」

 

「はい、彼女は自分がユルゲンシュミットという国から来たと言っております。彼女は国では上級貴族と呼ばれる上位の貴族ということです。ユルゲンシュミットという国は聞いたことがありませんが、彼女の使った魔法は我々の使用するものと大きな差異があり、私は彼女の発言が真実であると感じました」

 

「ミス・ローゼマイン、申し訳ないが、ミスタ・コルベールの言った、我々の使用するものと異なる魔法というのを見せてくれぬか?」

 

学院長がわたしたちを見ながら言ってくる。

 

「その前に、何度か話に出てきた『春の使い召喚の儀式』というものについて、説明をいただいてもよろしいでしょうか? わたくしたちの国では、そのような儀式は存在していないので、わたくし、未だに状況を理解できておりませんの」

 

言うと、コルベールが目を見開き、慌てて説明を始めた。

 

「春の使い魔召喚の儀式とは、魔法学院の生徒が二年生に進級するときに『使い魔』を召喚するという儀式です。それによって現れた『使い魔』で今後の属性を固定して専門課程へと進むことになります」

 

「申し訳ございません、ミスタ・コルベール。まず『使い魔』について説明をいただいてもよろしいでしょうか?」

 

「『使い魔』とは主人の目となり、耳となり、あるいは主人を敵から守る存在です」

 

使い魔という表現から、わたしはユルゲンシュミットの従属契約を思い起こしたが、大きな誤りではないようだ。コルベールはわたしを使い魔にできないと判断していたようだが、一度、釘を刺しておいた方がよさそうだ。

 

「ミス・ツェルプストーはわたくしを、その使い魔とやらにするために呼び出したということでしょうか?」

 

「いいえ、そもそも春の使い魔召喚の儀式で呼び出すのは普通は動物や幻獣で、人を使い魔にした例は、古今東西ありません」

 

「では、わたくしたちをユルゲンシュミットに帰してはいただけませんか。わたくしたちは一刻も早くユルゲンシュミットに戻らねばならないのです」

 

今年のわたしは中央に移動するための準備で忙しいのだ。フェルディナンドを助けるためにも、無駄にできる時間などない。

 

「我々としても帰したいのはやまやまなのですが、その方法がないのです」

 

「どういうことですか?」

 

「召喚の魔法『サモン・サーヴァント』は呼び出すだけで、使い魔を元に戻す呪文は存在しないのです」

 

コルベールの説明に目の前が暗くなる。つまりユルゲンシュミットには帰れないということだろうか。足に力を入れて辛うじて姿勢を保つ。

 

「それは新しい呪文を開発しなければならないということですか?」

 

わたしの発言は衝撃的だったようで、学院長もコルベールもぽかんと口を開けたまま呆然としていた。まあ、普通はそういう反応なのかもしれない。けれど、わたしはユルゲンシュミットで何度も、ないなら作ればいい、をやってのけた。

 

原理としては、行けるのなら帰ることも可能なはずなのだ。やる前から諦めるなんてことはできない。

 

「新しい呪文を開発するという発想は私らにはない発想じゃな。分かった、私たちも古文書の解読など、できるだけのことをしよう」

 

「ありがとう存じます。オールド・オスマン」

 

ひとまず学院長から協力の約束を取り付けることができた。それに古文書という心惹かれる言葉に出会えて、少し勇気が出てきた。

 

「ところで、最初の質問に戻るのじゃが、ミスタ・コルベールの言った、我々の使用するものと異なる魔法というのを見せてくれぬか?」

 

「分かりました」

 

わたしは腰のベルトに付けた魔石に魔力を注いで騎獣を出現させる。

 

「わたくしたちは、このように魔石から変化させた騎獣に乗って空を飛びます。他の魔術にも違いがあるのかもしれませんが、今はハルケギニアの魔術を存じませんので披露することは難しいです」

 

「その前に、ミス・ローゼマインは杖を使わずに魔法を使ったのか?」

 

「杖……ですか? ただ魔力を注ぐだけならシュタープは必要ないと思いますけど?」

 

シュタープを使えば魔力の扱いは格段に楽になるが、騎獣を使うだけなら必要ない。

 

「ミス・ローゼマイン、念のための確認なのじゃが、シュタープとは杖のことで間違いないかの?」

 

「そうです。こちらの学院の生徒もお使いになっていませんでしたか?」

 

そう言いながらわたしはシュタープを出現させる。

 

「ミス・ローゼマイン、その杖はどこから取り出したのだ!?」

 

「どこからも何も、シュタープですから、自分の中からではありませんか?」

 

理解できないという表情の二人を見て、ようやくわたしは大きな誤解があること気が付いた。貴族の持っている杖状のものなのでシュタープなのだと思ったが、どうやら全くの別物だったようだ。

 

「わたくしたちの使うシュタープとは『神の意志』と呼ばれる魔石を完全に自分の魔力で染め上げて己の身体の内に取り込んだものです」

 

そう説明はしてみたが、二人とも相変わらず理解できない様子だ。まあ、わたしも説明を受けた内容をそのまま伝えるだけで、不思議な魔石の仕組みについて、論理的に説明しろと言われてもできない。二人が理解できないのも仕方がないことだろう。

 

「わたくしも、これ以上の説明はできません。わたくしたちのユルゲンシュミットの貴族なら誰でも持っているものなので、貴族ならシュタープを持っているのが当然だと思っていたのです」

 

「当たり前のことの方が説明が難しいということじゃな。ともかく、ミス・ローゼマインが私たちの知らない国から来たというのは分かった。古文書の解読などをするにしても時間がかかるし、初めての場所でミス・ローゼマインもお疲れじゃろう。部屋を用意するので今日の所は休まれてはいかがかな?」

 

「お言葉に甘えさせていただきます。ありがとう存じます、オールド・オスマン」

 

わたしが立ち上がろうとしたところで、それまで黙っていたキュルケが口を開いた。

 

「あの、あたしの使い魔召喚はどうなるのでしょうか?」

 

「ミス・ツェルプストーも知っての通り『サモン・サーヴァント』は呼び出した使い魔が死なない限り二度目の使用はできない。ミス・ローゼマインに『コントラクト・サーヴァント』を使用させることはできないが、特例として成功をしたものとして認めよう」

 

「ありがとうございます」

 

話を聞く限り、キュルケにそれほど不都合は生じないようにしてくれたようだ。それなら、わたしが口を出す問題ではない。

 

「ミス・ロングビル、ミス・ローゼマインを空き部屋へと案内してあげなさい」

 

「かしこまりました」

 

部屋までの案内は、学院長の秘書であるロングビルという名の女性がしてくれるようだ。ただし、気になるのは空き部屋という表現だ。あまり整えられていない部屋を想像したようで背後のリーゼレータが反応した気配がした。

 

「オールド・オスマン、わたくしたちは荷物が少ないのです。生活に必要なものについてはミス・ロングビルにお伝えすればよろしいですか?」

 

「おお、不自由があれば何でもロングビルに伝えてくれ」

 

「ありがとう存じます。時の女神、ドレッファングーアの本日の糸紡ぎはとても円滑に行われたようですね」

 

わたしは別れの挨拶をすると、なるべく優雅に見えるように気を付けながら学院長室から退室した。




面会予約も取らずに訪問したことに若干の軽蔑の気持ちを抱きながら、顔には出さないリーゼレータ。


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面会後の学院長

「ふー、ミスタ・コルベール、あの子は本当にまだ幼さの残る少女なのかね」

 

ローゼマインが出て行った後の扉を見つめながら、オスマンは彼女をここに連れてきたコルベールに話し掛けた。

 

「はっきりと聞いたわけではありませんが、おそらくは」

 

「見た目だと十歳くらいかの。君はどう見た?」

 

「オールド・オスマンと同じく、私も十歳くらいに見えました」

 

「いくら従者と一緒とはいえ、十歳の少女が見知らぬ土地に連れてこられて、あれだけ堂々としていられるものじゃろうか」

 

「あの少女は、春の使い魔召喚の儀式のために集まっていた生徒たちに囲まれた状態でも、私に堂々とした挨拶をしていました。しかもミス・ツェルプストーと私とで態度を使い分けていました」

 

聞けばツェルプストーに対しては、片膝をつく行為を省略していたらしい。しかし、それも頷ける話だ。

 

「ミスタ・コルベール、彼女は一体、どのくらい高位の貴族なのじゃろうな」

 

「私にも想像がつきません」

 

「あれほど、ひとつひとつの動きが優雅な貴族は王族でも知らんぞ」

 

「そもそも貴族を従者のように従えるなど、我々には考え付きません。けれど、彼女はそれを当然のことと思っているようでした」

 

気位の高い貴族を、従者として連れまわすなど、普通はできない。けれどリーゼレータはそれを当然のことと受け入れていた。文化の違いというだけではないだろう。

 

学院長室を訪ねてきたとき、ローゼマインはリーゼレータが先に入って扉を大きく開くまで、一歩たりとも動かなかった。そして、ローゼマインは退室するときも、リーゼレータが扉を大きく開くまで一歩たりとも動こうとはしなかった。あの主従の連携は一朝一夕で生まれるものではない。

 

彼女たちは長い時間をかけて、主人と従者という関係を深めたように思えた。互いが互いの行動を熟知し、相手に合わせているように見えたのだ。

 

「貴族を従者としていることもじゃが、彼女の身に着けていたものは、どれも恐ろしく高価なものに見えた。彼女が王族と言ったとして、私は疑わなかったじゃろうな」

 

「そうですね。装飾品の良し悪しなどは分からない私でも、彼女の付けているものが高価なものだと分かりました。何より、虹色に輝く石など私は見たことがありません」

 

彼女の美しい髪を彩っていた虹色に輝く石は、少なくともハルケギニアには存在しない物であるように思えた。それを五つも用いた髪飾りが、一体、どれくらいの価値があるものなのかは想像すらできない。そして、他の品も虹色の石が浮くことのない品質で揃えていた。それだけで彼女の家の財力の高さが窺える。

 

「それに、彼女の帰るための魔法がないのなら、開発しなければならない、という発想はどこから出てくるのかの」

 

「彼女以外の同じ年ごろの子供が言ったのなら、まだ理想と現実の区別ができていないだけと考えるところですが、彼女は何か成算があるようにも感じましたね」

 

「もしや、これまでに何か新しい呪文を開発したことが……いや、それはないか」

 

「いいえ、オールド・オスマン」

 

オスマンが自分の考えを否定したところで、コルベールが反論をしてきた。

 

「学院に向かう前、彼女は自分の師は研究が趣味だと言っていました。そして、彼女自身も研究が好きだと言っていたのです。彼女自身、或いは彼女の師が研究で何らかの成果を出していて、それを自信としていたとしても不思議ではありません」

 

「あの歳の少女が研究が趣味なのか……それは何とも変わっておるな」

 

あれだけの教養と礼儀作法を身に着けるだけの教育を受けつつ、趣味で研究を行うなど、子供の活動量ではない。一体、どうしたら、あのような子供に育つというのだろう。

 

「オールド・オスマン、あの少女の趣味よりも興味深いのは彼女がシュタープと呼んでいた杖についてです」

 

言われてみればそうだ。メイジが魔法を使うには杖が必要というのがハルケギニアの常識だ。だが、彼女は杖はいつでも出せるものであるかのように言い、このぐらいならと杖を使わずに騎獣というものを出して見せた。

 

逆に言えば、杖を使わなければならない魔法は別にあるということだ。それは、どのような魔法だろうか。

 

「もっと色々な魔法を使ってもらえればよかったかの」

 

「彼女は魔法を使いたがっていないように見えました。難しいのではないでしょうか?」

 

オスマンが魔法の使用を促したとき、彼女は先に春の使い魔召喚の儀式について説明を求めてきた。おそらく手の内を隠したかったのではないかと思う。

 

「ところで、シュタープというものについて彼女が語った『神の意志』と呼ばれる魔石を完全に自分の魔力で染め上げて己の身体の内に取り込んだもの、というのは本当のことだと思うか?」

 

「ユルゲンシュミットという国では、魔石というものを多く使うようですね。騎獣というものを出すのにも、魔石を使っていました。ですが、騎獣の魔石は我々にも見えるものでしたので、今の時点では正しいとも偽りとも言えません」

 

オスマンとコルベールが共にシュタープに興味を持つのが、魔法を使うには杖が必要ということが同時にメイジにとっての弱点にもなっているためだ。何らかの理由で杖を破損したり、携帯していないときはメイジは魔法を使えない。だが、ローゼマインのように身体の内から出せるのなら、そのようなことに悩む必要はなくなる。もしも叶うのならば、彼女たちのようにシュタープというものを得たいと思うのは当然のことだ。

 

「じゃが、我々がシュタープを得るのは難しそうじゃな」

 

そもそも似たものはあっても、魔石というものをハルケギニアでは見たことがない。その上で、神の意志などという魔石ともなれば、それは夢のまた夢だ。

 

惜しいがシュタープというものについては諦めるしかないだろう。そう考え始めたところで、ローゼマインを部屋に案内していたロングビルが戻ってきた。

 

「おお、ミス・ロングビル、ミス・ローゼマインたちは部屋に満足してくれたかね?」

 

「それが、はっきりとは言わなかったですが、不満のようでした」

 

「そう思った根拠は?」

 

「この部屋は他の部屋と同じですか、とミス・リーゼレータに質問されたのです」

 

あり得る話だと思った。魔法学院の寮はけして粗末な作りではない。むしろ貴族に相応しい作りをしている。だが、最高位の貴族に合わせた作りにはなっていないのだ。

 

「具体的には何か要求があったかね?」

 

「布を融通して欲しいと言われました」

 

「布? 着替えなら分かるが、布自体か?」

 

「あっ、もちろん着替えは必要な物ですが、それ以外に布が欲しいということです。何でもベッドに天幕を付けるとか」

 

言われて唖然とした。当たり前のように天幕付きのベッドを要求されると困るが、彼女たちには、あって当然の物なのだろう。

 

「それでミス・ローゼマインは最終的に部屋に納得をしてくれたのか?」

 

「いえ、ミス・ローゼマインは最初から、ある程度は想定されていたようでした。それに対してミス・リーゼレータが少しでも主の生活を向上させようとしていました。要求が天幕ではなくて布だったのも、天幕自体は布から作るつもりだったからのようです」

 

「ミス・リーゼレータは貴族だと言っていたな。貴族が自分で布から天幕を作るのか」

 

ミス・ローゼマインの新しい呪文を開発というのも驚かされたが、ユルゲンシュミットの貴族というのは欲しいものは自分で作るという性質でもあるのだろうか。

 

「まあ、布くらいは融通してやろう。ミス・ロングビル、ミス・ローゼマインの部屋に天蓋にできそうな材料と、なるべく上等の布を届けてやってくれ」

 

遠い所に連れてきてしまった幼子へのせめてもの償いとして、オスマンはロングビルにそう命じた。




天幕のないベッドに驚くリーゼレータと、普通はそんな豪華なベッドはないよね、と最初から思っていたローゼマイン。


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部屋での相談

わたしは今、難問に立ち向かっている。それは側仕え不足だ。

 

ちなみに側仕え不足といってもわたしの、ではない。わたしは仮にも何年も貧民生活を体験してきた。料理から裁縫までを全部を自分で行えと言われたら困るけど、食事も着るものも用意されるなら、十分に何不自由ない生活と考えられる。

 

けれど、リーゼレータについてはそうもいかない。純粋なユルゲンシュミットの中級貴族であるリーゼレータは、側仕えのいない生活を体験したことがないはずだ。リーゼレータ自身が側仕えである以上、寝台を整えたり、着るものを用意したりは何の問題もない。

 

けれど、そもそもユルゲンシュミットの貴族の服というのは自分一人では着脱ができる構造にはなっていない。そのため、服の着脱には誰かの手を借りなければならない。だけど、ロングビルにはハルケギニアには側仕えというものがいないと言われたのだ。

 

そうなると悩ましいのが、誰に衣服の着脱のお手伝いをお願いすればいいのかということだ。ユルゲンシュミットの考えでは、他の貴族にお願いすることになる。けれど、日本に生きたわたしの感覚では、貴族に衣服の着脱の手伝いをお願いするということは、大変失礼なことと受け取られるような気がしてならないのだ。

 

では、平民にお願いすればいいのかというと、それも疑問だ。この学園の下働きが神殿で教育されたモニカや二コラのようなレベルであれば何の問題もないが、エーレンフェストの下町の給仕たちのような状態では、リーゼレータの前に出すことなどできない。

 

とりあえず、この国の下働きたちのレベルは食事の場などで確認することにしよう。それからでないと、リーゼレータの生活を整える方策も思い浮かばない。

 

「あの、ローゼマイン様……まだ気が早いかもしれませんが、本日の入浴はいかがいたしましょうか?」

 

リーゼレータがそう聞いてきたのは、この国のお風呂が共同風呂であると聞いたためだ。ユルゲンシュミットでは風呂は各部屋についているもので、側仕えに手伝ってもらいながら入浴するものであっても、誰かに入浴中の姿を見せるものではない。

 

ロングビルに風呂はどこかと尋ねて場所を教えられたときのリーゼレータは、優秀な側仕えとして顔には出さなかったが、酷く衝撃を受けていたようだった。

 

そもそも魔法学院の生徒たちは、簡単に下着が見えそうな短いスカートで平気で宙に浮いたりしていた。日本で制服を着ていたわたしでも短いと思ったのだから、リーゼレータには羞恥心をどこかに捨てた露出狂にでも見えたのではないだろうか。

 

その極めつけが共同風呂だ。日本で大浴場を経験しているので、わたしは何とも思わないけど、リーゼレータには受け入れられないことだろう。さすがに部屋に風呂を作るわけにはいかないし、何日も風呂に入らないわけにもいかないので、いずれ受け入れざるをえなくなると思うけど、最初をいつにするかが悩みどころだ。

 

そして、ここでも側仕えの不足の問題が出てくる。ユルゲンシュミットの貴族にとって入浴とは側仕えの手を借りて行うものなのだ。側仕えであるリーゼレータは誰かの入浴を手助けすることはできるけど、一人で入浴は行ったことがないはずだ。

 

解決策としては、側にいるのが著しく不快でない程度の誰かに教えるしかないのだけど、いったい誰ならいいというのか。ここでも人選が非常に悩ましい。

 

「それより、このお部屋ではローゼマイン様の安全の確保が難しいと存じます。いかがいたしましょうか?」

 

手前に側近部屋があった貴族院の寮とは違い、この部屋は完全な一人部屋だ。ただでさえ、この国の貴族がどれくらい信用できるか分からないのだ。リーゼレータの懸念も理解はできる。けれど、部屋の作りの問題だけに、お風呂と一緒でどうしようもない。リーゼレータの部屋からベッドを運び込んで二人部屋にすることはできそうだけど、それでは非常に狭くなってしまう。

 

「最悪、寝台の中に騎獣を出して眠ることにしましょうか?」

 

それだと、床の上に騎獣を出しても何も変わらない。リーゼレータもさすがに渋い顔をするが、他に安全策は思い浮かばないようだ。

 

「隠し部屋を作れたらよいのですけれど……」

 

「ここは領主の作った白の建物ではありませんからね。それに扉を設置するための魔石を持っていませんから、どちらにしても難しいでしょうね」

 

入寮の日に召喚されたので、隠し部屋を作るための魔石は持っている。けれど、隠し部屋を作るための扉が作成されていないので、宝の持ち腐れだ。ロングビルから説明がされていないことから考えて、ここではそのような魔術はないと考えた方がいいだろう。

 

ひとまず数日は騎獣の中で眠ることにした。その方がリーゼレータもわたしのことを心配することなく、安心して眠ることができるだろう。

 

「リーゼレータ、交代をできる者がいないので不寝番は結構です」

 

「ローゼマイン様にはご不便をおかけします」

 

心情的には断りたいのだろうけど、それをしてはリーゼレータの方がもたないのは明らかだ。リーゼレータは苦渋の決断という表情でわたしの提案を受け入れた。

 

「いいのですよ。それよりもリーゼレータの方こそ不便に感じたことは、すぐにわたくしに伝えてくださいませ。わたくしの生活はリーゼレータが守ってくれますが、リーゼレータの生活はわたくしでは守ってあげられませんから」

 

わたしが日常生活の手伝いができると思っていないリーゼレータは、くすりと笑って何かあれば伝えると約束してくれた。ちなみにわたしは貧民時代は役立たずなりに家のお手伝いはしていたのだ。リーゼレータが思うほどには役立たずではないと思う。けれど、虚弱ですぐに気を失って迷惑をかけるわたししか知らないリーゼレータの、生活面に対するわたしの評価が著しく低いのはやむを得ない。

 

「けれど、ここまで常識が異なると、色々と不安になりますね」

 

「わたくしも神殿と城の違いには色々と戸惑いましたもの。リーゼレータもきっと色々と戸惑うことがあると思います。けれど、ここではわたくしたちの方が異質な存在です。どうしても馴染めない部分以外は、なるべくこちらに合わせなければなりません」

 

一番苦労したのは、日本とユルゲンシュミットの違いだけど、貴族社会での経験不足に起因する社交の苦労ならリーゼレータも側で見ていた。私が言うとリーゼレータは、はっとしたように顔をあげた。

 

「そうですね。どのような場面でも主に万全の生活と社交を提供するのが側仕えの役目ですからね。ローゼマイン様は日常のことはわたくしに任せて安心してユルゲンシュミットに帰還するための研究に励んでください」

 

何がリーゼレータに火をつけたのかは分からない。けれど、おそらくユルゲンシュミットの話題から、ツェントの養女となることが確定した状態で長期間行方不明となった場合の不都合に思い至ったのだろう。なんにせよ、リーゼレータが前向きになってくれたのならよいことだと思う。

 

「こうしてはいられません。わたくしは厨房に出かけて参りますね」

 

「厨房ですか? 厨房にどのような用事があるのです?」

 

「こうまで色々な部分に違いがあるのです。テーブルマナーもユルゲンシュミットと違いがあるかもしれませんので、確認してまいります」

 

「それは、確かにそうかもしれませんね」

 

わたしに万が一にも恥をかかせるわけにはいかないと、リーゼレータは意気込んで部屋を出て行った。この世界のテーブルマナーについては、わたしも全く分からない。確認してくれるのはありがたい。

 

「けれど、それを聞くためにリーゼレータが非常識な行動を取らないかが心配なのはどうすればいいのかな」

 

わたしが一人発した疑問には、当然のことながら誰も答えてはくれなかった。



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アルヴィーズの食堂にて

今日の昼過ぎにローゼマインという名の異国のお嬢様を召喚して以来、あたしは驚かされっぱなしだ。それはトリステイン魔法学院のアルヴィーズの食堂での夕食を取っている今も継続している。

 

初めは何てことのない会話を普通に楽しんでいた。アルヴィーズというのが壁際に並んだ小人の彫像の名前で、夜中に踊るのだと説明すると、むしろローゼマインの方が驚いていたのだ。

 

その後の食前の挨拶では、またしても文化の違いを感じさせられた。ハルケギニア……というかトリステインでは、食前の祈りは、偉大なる始祖ブリミルと女王陛下よ、今夜もささやかな糧を我に与えたもうたことを感謝いたします、だ。

 

それに対してユルゲンシュミット式の挨拶は、両手を胸の前で交差して、幾千幾万の命を我々の糧としてお恵み下さる高く亭亭たる大空を司る最高神、広く浩浩たる大地を司る五柱の大神、神々の御心に感謝と祈りを捧げ、この食事を頂きます、だった。最初の挨拶の時にも感じたことだが、ユルゲンシュミット式は基本的に挨拶等が長ったらしいようだ。

 

けれど、そんな発見など極めて些細なことだった。真に驚いたのは食事の仕方だった。

 

全ての生徒が食事をしている最中、リーゼレータは最初に一口だけ料理を切り分けて口にした。それが毒見であることはなんとなく理解でき、ローゼマインは毒殺を警戒しなければならない身分なのだと改めて衝撃を受けた。

 

そんなあたしのことなど気にすることなく、その後リーゼレータはローゼマインのために側に付き、かいがいしく給仕をする。無論、給仕の間は何も口にしない。

 

一方の給仕を受けているローゼマインはというと、汚してしまいそうな長い袖の衣服にもかかわらず優雅に食事を進めていく。音もたてずに料理を切り分け、気品を感じる仕草で口に運ぶ姿は見習わなければと思うものだ。

 

けれど、やはり何も口にしないリーゼレータが気になって仕方がない。貴族に対して行うには有り得ない粗雑な扱いに、あたしはローゼマインに注意をすることにした。

 

「ミス・ローゼマイン、さすがに従者の扱いが酷すぎるんじゃない?」

 

「わたくしのことはローゼマインとお呼びくださいませ。先ほどから聞こえてきた周囲の会話から察するに、学院生同士はそのように呼び合っているのでしょう?」

 

「分かったわ。じゃあ、あたしのこともキュルケでいいわよ」

 

「分かりました、キュルケ。それでリーゼレータの待遇についてですね。今日の夕食の様子を見ていて、少なくとも学院内では給仕を受けずに食事をするものということは分かりました。けれど、ユルゲンシュミットでは貴族は給仕を受けて食事をすることが一般的です。そして、給仕は側仕えの重要な仕事です。ただでさえ、慣れない土地の中にいるのですもの。慣れた仕事をしている方がリーゼレータにとっても良いと判断しました」

 

確かに慣れない環境の中では、できるだけ普段通りというのは大切かもしれない。そして、ユルゲンシュミットでは当たり前のことなのであれば、リーゼレータは何とも思っていないのだろう。

 

「本当にローゼマインたちは全く違う国から来たのね。あたしたちの国同士の違いなんて些細なものだと思い知ったわ」

 

「そのように仰られるということは、ここにはトリステイン以外にも複数の国があるということですか?」

 

「そもそもあたしはトリステインじゃなくて隣国のゲルマニアの貴族よ」

 

そう言うと、ローゼマインは驚いた様子を見せた。

 

「ユルゲンシュミットは国内に複数の領地があるのですが、どの領地も他領に出す情報は厳選していました。このように国すら異なる貴族が共に学ぶというのは考えたこともありませんでした」

 

もう少し話を聞くと、ローゼマインは他国どころか、他の領地についても中央にある貴族院という場所以外には行ったことがないという話だった。

 

貴族院はユルゲンシュミット中の貴族が集まって貴族として必要なことを学ぶようだ。そこでは各学年三百人もの貴族が学んでいるとローゼマインは言った。

 

「各学年三百人……ここの三倍以上ね」

 

トリステイン魔法学院は各学年九十人ほど。それでも、これだけ広大な敷地が必要なのだ。ユルゲンシュミットの貴族院がどのくらいの大きいのか、あたしには想像できない。

 

「それに加えて、学生たちはそれぞれ一人、成人の側仕えを連れて行きますから、貴族院の領は大所帯になるのです」

 

リーゼレータもローゼマインの成人の側仕えとして貴族院に行くところだったらしい。そこでローゼマインのいた領地から貴族院に向かうために転移陣というものに乗ったが、気づいたらここにいたらしい。

 

「ごめんなさい、私のせいで」

 

「キュルケを責めても仕方がありません。それよりもわたくしがユルゲンシュミットに帰るための研究に力を貸してくださると助かります」

 

もっと感情的に怒ってもよさそうなのに、ローゼマインはあくまで理性的に振舞う。それに感心すると共に、あたしはその前にローゼマインが言った、ある言葉が気になった。

 

「ところで、転移陣って何なの。言葉からすると、非常に便利そうなもののような気がするんだけど」

 

「おそらくキュルケが想像したもので大きな差はないのではないかしら。転移陣とは遠くの場所に人や物を運ぶものです」

 

「すごいじゃない。それじゃ、例えばあたしがゲルマニアに一瞬で帰ることも可能ってことなの?」

 

「有効距離があるのかは、わたくしも存じませんので確かなことは言えませんが、可能なのではないでしょうか。けれど、そもそもわたくしは転移陣の作り方を存じませんよ」

 

それでは、ハルケギニアで転移陣を使うことはできない。ものすごく画期的な技術だというのに残念だ。

 

がっかりと息を吐いたところで、一つ気になることができた。それは、ローゼマインが飲んでいるお茶についてだ。トリステインとゲルマニアでも茶葉は異なる。茶葉が異なれば淹れ方も異なるものだ。ユルゲンシュミットとであれば、その差はもっと大きいはず。

 

けれど、リーゼレータが淹れたお茶はハルケギニアのものだ。幾ら何でも初めて見る茶葉で適切にお茶を淹れられるとは思えない。それに料理についてもローゼマインに、どの料理を取るといいかリーゼレータはアドバイスをしていたように見えた。

 

「ねえ、リーゼレータはいつの間にハルケギニアのお料理やお茶について学んだの?」

 

「お食事の時間の前に厨房に赴いてお料理や茶葉について質問をしていたようですよ」

 

「こちらのお料理については作法なども分かりませんから。ローゼマイン様が恥をかかないように事前に調査をするのは、側仕えとして当然のことです」

 

リーゼレータはそう言って、こちらも優雅に料理を口に運んでいる。その遣り取りだけで、リーゼレータが側仕えという仕事に誇りを持っていることが分かる。そして、貴族が務める側仕えというものが、ただの従者でないことも。ただの従者なら厨房に赴いて事前に食事のマナーや茶葉の淹れ方を学んだりしない。

 

「ローゼマインの国の貴族は、全員が貴族院で側仕えとしての技能を学んでいるの?」

 

「全員ではありません。わたくしたちの国の貴族院では二年生まで共通コースで学んだ後、三年生から主に側仕え、護衛騎士、文官の三つのコースに分かれるのです。わたくしは文官コースを選んでいますので、側仕えとしての技能はありません」

 

護衛騎士と文官なら、あたしにもだいたいの役割は想像できる。

 

「確かに上位の貴族なら側仕えや護衛騎士より文官が良さそうね」

 

領地経営を意識してのあたしの言葉に、ローゼマインはゆっくりと首を振った。

 

「王族や上位の領地との社交の際には絶対に上級側仕えが必要ですし、騎士団の要職には上級護衛騎士が必要です。上級貴族だから文官ということはありませんよ」

 

「そうなの? でも、領主が側仕えや護衛騎士として領地を離れっぱなしでいいの?」

 

「もしかして、ハルケギニアでは上位の貴族は土地を持っているものなのかしら?」

 

「ユルゲンシュミットでは違うの?」

 

「ええ、上級・中級・下級貴族の別と、土地の有無は別です」

 

このような所もハルケギニアとユルゲンシュミットでは違いがあったようだ。と、そこでもう一つ、流してしまっていた違和感に気が付いた。

 

「ねえ、ローゼマインはすでに貴族院ってところで文官コースで学んでいるのよね。そういえば聞いてなかったんだけど、ローゼマインは今、いくつなの?」

 

「わたくしは今は十三歳。四年生です」

 

あたしは、ある意味でこれまでで一番、驚いた。




集団で食事をとるときの下げ渡しについては、どうしても読み解けず、保留。


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召喚の儀式(ローゼマイン)

ハルケギニア生活二日目、わたしは春の使い魔召喚の儀式を見学するために、学園前の平原に来ていた。昨日の儀式がわたしの召喚というトラブルで中止されたために、まだ使い魔召喚の儀式を行えていない生徒たちの召喚が行われるのだ。

 

二日目だからか、儀式は滞りなく行われ始めた。一人目の生徒が呪文を唱えると、光る鏡のようなものが出現し、中からフクロウが飛び出してきた。今度は別の呪文を唱えながら召喚した生徒がフクロウの額に杖の先を当て、その後に嘴に口を付けると、フクロウの体に文字のようなものが刻まれる。これで使い魔召喚の儀式は終わりらしい。

 

儀式というから、わたしのいたエーレンフェストの神殿の儀式を思い浮かべたが、覚えなければならないことは遥かに少ない。儀式のときに使う呪文も二種類だけなので、すぐに覚えられそうだ。

 

「わたくしもサモン・サーヴァントという魔術を使えるのでしょうか?」

 

その言葉は純粋な興味の他に、実利を考えてのものだった。あの光る鏡を転移陣のようなものと仮定すれば、ひょっとしたらユルゲンシュミットに繋げることができるかもしれないと考えたのだ。

 

「本来、この儀式は二年生に進級するときに行われるものだ。けれど、ユルゲンシュミットの貴族であるミス・ローゼマインがハルケギニアの魔法を使えるかは私も興味がある。特別に召喚の儀式を行ってみることを許可しよう」

 

今日も監督をしていたコルベールが許可をくれたので、私も春の召喚の儀式というものをやってみることにした。遠い異国の貴族としか聞かされていないはずの他の生徒たちも興味津々といった様子なため、順番は早々に回ってきた。

 

初めてのハルケギニアの魔法の行使なのでどういう感覚で行えばいいのか分からない。とりあえずシュタープを出し、洗浄の魔術であるヴァッシェンを使うときの要領で魔力を込めながら呪文を唱えた。

 

わたしの前に現れたのは六枚の鏡だった。あまりに予想外の現象だったので、鏡が現れたら探ってみようと色々と考えていたことが全部どこかに飛んでいってしまった。そのうちに鏡が強く光る。その中から現れたのは六人の男女だった。

 

「ハルトムート!」

 

最初に目に入ったのは、特徴的な朱色の髪のハルトムートだった。わたしの素性の全てを知っている、ダームエルと並ぶ一番の側近ともいえるし、側近中で一番の問題児ともいえる文官だ。

 

「それにクラリッサ、ローデリヒ、マティアス、ラウレンツ、グレーティアも」

 

一緒に出てきた面々はわたしに名を捧げて忠誠を誓った側近たちだ。確かコルベールは今後の属性を固定するとか言っていた。ひょっとして自分と関係が深い存在が呼ばれるのだろうか。だとすれば、このメンバーが呼ばれるのも納得だ。側近たちは、わたしの姿を認めると一斉に駆け寄ってきて、前に並ぶと揃って跪いた。

 

「ローゼマイン様、ご無事で何よりです」

 

感極まった様子で言ってくるのは、やはりハルトムートだ。

 

「ハルトムート、わたくしが消えてから今日は何日目ですか?」

 

「はっ、ローゼマイン様が貴族院に転移されないと連絡があったのは昨日のことでございます」

 

ということは、時間の流れは一緒ということだ。少なくとも忌まわしき浦島太郎状態は避けられたようだ。

 

「ミス・ローゼマイン、これは一体、どういうことですか?」

 

わたしもハルトムートたちも明らかに互いを知っているという反応だ。コルベールが混乱するのも分かる。

 

そして駆け寄ってくるコルベールを警戒するように護衛騎士のマティアスとラウレンツが間に立ち、手にシュタープを出す。

 

「彼らはわたくしの側近たちですよ、ミスタ・コルベール」

 

「側近、ですか?」

 

「ローゼマイン様、彼らは?」

 

コルベールや男子生徒はともかく、女子生徒はユルゲンシュミットの基準では平民としてもアウトの服装だ。マティアスたちが警戒するのも分かるが、このままでは話すらままならない。まずはわたしの側近たちに事情説明が必要みたいだ。

 

「皆、ここはハルケギニアと呼ばれる場所で、ここはその中のトリステイン魔法学院という場所です。ここで行われる召喚の儀式というもので何らかの事故があり、わたくしはここに運ばれてしまいました」

 

「ということは、ローゼマイン様が消えてしまわれたのは、この者たちが原因ということですか?」

 

そう言ったハルトムートの雰囲気が剣呑なものに変わっている。

 

「ハルトムート、事故だと言ったではありませんか。それにわたくしも事故で貴方たちを呼び出してしまいました」

 

「いいえ、ローゼマイン様の元に私が遣わされたのは神のご加護にございます」

 

まあ、わたしの所に来られたなら、ハルトムートならこういう反応になるよね。普通ではないハルトムート以外の意見を求めて視線を横にずらす。そこにいたのは、ハルトムートに全面的に同意しているクラリッサだった。もう一つ視線をずらすとローデリヒだ。

 

「ローデリヒはわたくしに急に呼び出されたことを、どう思いますか?」

 

「私はローゼマイン様のいないエーレンフェストにいても、辛いだけです。ですので、こうしてお呼びいただけたことを感謝したいくらいです」

 

ローデリヒを始めとした四人は、エーレンフェストでは微妙な立場にいる。だから私は中央に連れていくことも決めたのだ。

 

あれ? ということは、私に召喚されたことで困っている人はいないってこと? それなら、呼んでしまったこと自体は問題ないってことだよね。

 

「ともかく呼んだことに関して責任があることは否定しませんが、そのことでこちらにいる方を責めてもユルゲンシュミットに戻れるわけではありません。それよりも、彼らにもわたくしたちが帰るための研究の助力をしてもらう方が建設的ではありませんか?」

 

そう言うと、ハルトムートも渋々ながら矛を収める姿勢を見せた。

 

「ただし、事故とはいえ呼んでしまったことの責任は逃れられないと思いません?」

 

わたしが言葉を付け足しながら見ると、キュルケがびくりと身体を震わせた。

 

「わたくしたちが滞在することになれば、それなりに必要なものもあると思いますけれど、ミス・ツェルプストーは当然、協力をしていただけますよね?」

 

上級貴族であるハルトムートとクラリッサは側仕えのいない生活などしたことがない。急に側仕えを現地調達は無理だとしても、せめて下働きは雇ってもらわないと貴族ばかりの私の側近たちは生活すらままならないのだ。

 

「ミスタ・コルベール、申し訳ありませんが、オールド・オスマンへの取次をお願いできますか? 昨日の時点ではわたくしが話していなかったことをお話しします」

 

ハルトムートたちに、もう少し詳しく事情を説明することも必要だし、何よりわたしが昨日ついた嘘である上級貴族という設定は早くも崩れてしまった。こんなに側近を連れた上級貴族がいるはずがない。まあ、ハルケギニアでは側近という制度自体が存在しない可能性もあるけど、少なくとも上級貴族の側近に上級貴族のハルトムートとクラリッサがいるのはおかしい。

 

「分かりました。ご案内いたします。皆はすまないが今日も教室に戻っておくように」

 

こうして、わたしの召喚の事故によって今日の春の召喚の儀式も中断された。二回もお預けをくらった生徒にわたしは心の中で何度も頭を下げながら、今日は側近に囲まれた状態で魔法学院へと飛び立つ。

 

様々な生物を模した騎獣たちにコルベールは興味をかきたてられたようだが、さすがに今日は何も言わずに学院に向けて飛んでいる。その間に、わたしは学院長とどのように交渉をするか、考えを纏めようと頑張ったのだった。




ハルトムートたち名捧げ組、召喚。
やはり側仕え、護衛騎士、文官が揃ってこそのユルゲンシュミットの領主候補生ですので。


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ローゼマインとマジックアイテム

二日連続でコルベールとローゼマインと面会することになり、オスマンはそっと溜息をついた。少し居住まいを正して入室を促す声をかけると、ローゼマインは随分と大勢の人間を連れていた。年の頃は、見た目は学院生たちと同じか少し年下くらい。ただ、纏う雰囲気は随分と違う。確かユルゲンシュミットでは成人の年齢が十五歳と言っていたので、社会経験の差だと思われた。

 

「オールド・オスマン、突然の面会依頼に応えてくださり、ありがとう存じます」

 

「それは良いが、後ろの方たちはミス・ローゼマインの知り合いでよいかの?」

 

五人のうち三人はローゼマインの服装と似た黒を基調とした服装であるし、残る二人についても、どことなく雰囲気が一致している。

 

「ええ、彼らはわたくしの側近たちですわ」

 

「側近?」

 

「まずお詫びさせていただきます。わたくしはオールド・オスマンに上級貴族であると説明いたしましたが、わたくしは領主候補生なのです」

 

「領主候補生……とは、どこかの領地の領主候補ということでいいかの? 上級貴族とはどこが違うのかの?」

 

ハルケギニアの基準では、少なくとも上位の貴族は領主である。よって、上級貴族という区分こそないが、上位の貴族と領主候補生は一致している。

 

「ユルゲンシュミットにおける領主候補生とは、国王より境界で区切られた領地を与えられたアウブと呼ばれる地位に就ける資格を持った者です。ハルケゲニアでは異なるようですが、上級貴族は領主とは全くの別物です」

 

ローゼマインが考えながら口にしていたことから考えて、だいぶ噛み砕いて説明をしてくれたのだろう。しかし、常識の違いは大きく、やはりよく分からない。

 

「それで、側近と側仕えというものも、また別物ということかの?」

 

「ええ、側近は領主候補生直属の側仕え、護衛騎士、文官の総称とお考え下さい」

 

「では、ミス・リーゼレータを含めた七人がミス・ローゼマインの側近ということか?」

 

「いいえ、ここにいる七人はわたくしの側近の中でも特別な者たちとお考え下さい。全員ということなら、だいたいこの二倍くらいとお考えください」

 

二倍という言葉に眩暈がしそうになった。未だ領主でもない候補の段階で貴族を十四人も従えているなど、トリステインの王女よりも、よほど贅沢だ。

 

「それで、彼らはどうしてここにいるのかの?」

 

「それが、ミス・ローゼマインも春の使い魔召喚の儀式に参加したいと希望されましたので許可をしたところ、彼らが呼び出されました」

 

どうやらコルベールが好奇心に負けて余計な許可を与えたことが、今回の事態の原因のようだ。

 

「ともかく、先に必要なことを用意するとしよう。ミス・ロングビル、彼らのために部屋を六室ほど押さえておいてくれんか」

 

「かしこまりました」

 

「話し中にすまないが、六室というのはさすがに用意に時間がかかるのじゃよ」

 

「ええ、それはわたくしにも理解できますので、お気になさらないでください」

 

ローゼマインに一言断りを入れてから、話を元に戻す。

 

「それでは彼らの今後についてだが、部屋は学院内の空き部屋を用意できるが、衣服はどのようにしようかの?」

 

「殿方については、しばらくはこちらの制服で我慢してもらうしかないでしょうが、わたくしたちには、こちらの制服は受け入れがたいのです」

 

「ならば教師が着用している服ならば、許容範囲に入るかの?」

 

「ええ、それでしたら。ですが、本格的には誂えないとならないと思いますので、どなたかの専属を紹介いただけないでしょうか?」

 

専属というのは聞きなれない言葉だ。だが、意味は分かる。そして、残念ながらオスマンには専属などという存在は居ない。ひっそりと部屋に入ってきて所在なげに隅に立っているキュルケを見るが、彼女はトリステインの人間ではない。紹介できるような伝手はないのだろう。

 

「生憎じゃが、私にはミス・ローゼマインに紹介できるような店はない。じゃが、王室に知り合いがいるので、その伝手で何とかしよう。ミス・ローゼマインには申し訳ないが、紹介は少し待ってはもらえないだろうか」

 

「いえ、オールド・オスマンが女性向けの服飾の伝手がなくとも不思議ではございません。お気になさいませんよう」

 

「しかし、紹介まではよいとして、服を仕立てるための費用はどうされるおつもりですか? 残念ながら当学院の余剰予算では皆さんの満足する品質を誂えるだけの金額を用意することはできないでしょう」

 

「それはそうでしょう。ですので、オールド・オスマン。商談をいたしませんか?」

 

商談と口にした途端、ローゼマインの目が怪しく光った気がしたのは気のせいだろうか。そればかりか、心なしか笑みが深くなったような気もするのだが。

 

「けれど商談と言ってもわたくしに出せるものは限られているのです。そもそも、まだこちらに何があって何がないのかが分からないので、双方に利がある取引とするのが難しいのです」

 

それはそうだろう。オスマンもローゼマインが何をできて何ができないのか、などは分からない。その状態で自分たちができないことを要求するのは、もっと困難だ。

 

「わたくしたちがお出しできるのは知識と魔術具になると思いますが、魔術具はそもそも使えなければ話になりませんね。リーゼレータ、オルドナンツを一ついただけますか?」

 

そう言ってローゼマインは黄色い石をリーゼレータから受け取った。

 

「これはオルドナンツと言って通信用の魔術具です。これをオールド・オスマンが使うことができるのか、少し確認をさせてくださいませ」

 

そう言ってローゼマインは黄色い魔石を白い鳥へと変化させた。ローゼマインは、その鳥に何やら言っているように見えるが、なぜかオスマンには聞こえない。その後、杖を振ると、白い鳥はオスマンの方に一直線に向かってくる。

 

「オールド・オスマン、鳥が止まれるように腕を前に出してください」

 

言われた通りに腕を前に出すと、白い鳥が止まった。すぐに白い鳥の嘴が開く。

 

「ローゼマインです。オールド・オスマン、このように指定した相手に伝言を送ることができます」

 

ローゼマインの声で三回、同じ言葉を繰り返すと白い鳥は黄色の石に戻った。

 

「オールド・オスマン、こちらに同じような魔法はありますか?」

 

「いや、このような魔法は存在しない」

 

「やはり、そうでしたか」

 

「なぜ、そう思ったのじゃ?」

 

「簡単なことです。ミスタ・コルベールが使っていませんでしたから。ユルゲンシュミットでは何か緊急時には、まずオルドナンツを送るのが一般的なのです」

 

確かに、このような便利な連絡手段があるのなら、まずは相手の都合を確認してから相談に向かうという手順になるだろう。

 

「後は本来ならシュタープを持たない相手には送れないという制約があるので、本当に飛び立ってくれるかは半信半疑でしたが、意外となんとかなるものですね」

 

「それで、これはどうやって使うのじゃ」

 

「まずは『オルドナンツ』と言いながら杖で魔石を叩いて魔力を送ってください」

 

言われた通り、杖を石に押し当てながら、オルドナンツ、と言ってみる。すると、黄色の魔石は白い鳥に姿を変えた。

 

「ほうほう、その次はどうするんじゃ?」

 

「鳥の嘴を杖で叩くと口を開けるので、そうしたら送りたい伝言を口にします。最後は送りたい相手を思い浮かべながら杖を振ってみてください」

 

鳥の嘴に杖を当てるとローゼマインの言う通り、鳥が口を開いた。

 

「ミスタ・コルベール。そんなに物欲しそうに見つめるのでない」

 

はっきりと口にするとコルベールが顔を顰めた。構わずコルベールの所へ飛んでいけと念じながら杖を振ると、白い鳥はコルベールの元に飛んでいき、腕に止まる。

 

「ミスタ・コルベール。そんなに物欲しそうに見つめるのでない」

 

きっちり三回、同じことを聞かされている間にコルベールはローゼマインに途中で止める方法はないかと聞いていたが、ローゼマインも知らないようだ。

 

「なるほど、これは嫌がらせにも使えそうじゃの」

 

「大事な魔術具を、そのようなことに使わないでくださいませ」

 

「ミス・ローゼマインの言う通りです。これをそのような用途のための物としては、あまりにも勿体ないです」

 

オスマンのちょっとした悪戯はローゼマインとコルベールの二人に咎められた。研究が趣味の者同士、案外この二人は気が合うのかもしれない。

 

「オールド・オスマン、この魔術具は壁を通り越して相手の元に届きますが、お買い上げいただけますか?」

 

「分かった、買い取ろう。代償はミス・ローゼマインの側近の生活に必要な物を買い揃える、ということでよいのかの」

 

「ええ、それでお願いしますわ」

 

こうしてオスマンはいつでもロングビルを呼びつけられる便利なマジックアイテムを手に入れたのだった。




ハルケギニアの貴族にオルドナンツを送れるというのは当然ながら捏造設定です。
基本的にはシュタープがないと送れないので、オルドナンツは飛び立たない気がしますが、これが駄目だと本好きらしさが出ないのです。


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側近との相談

部屋に側近全員を入れたわたしは、範囲指定の盗聴防止の魔術具を使った。ハルケギニアに対する情報交換は、やはりこの世界の人がいない方がやりやすい。

 

「まずは最初に少しだけ説明しましたが、改めて確認をしておきます。ここはハルケギニアと呼ばれる場所にあるトリステインという国の魔術学院という場所です。ハルケギニアには他に複数の国があって、トリステインは比較的小さな国のようですね」

 

「小領地ということでしょうか?」

 

聞いてきたのは文官であるローデリヒだ。

 

「いいえ、トリステインはツェントの治める地で、ただ他国との交流が活発であることと、他国の方が強大だということがユルゲンシュミットとの違いですね。うーん、そう考えるとローデリヒの小領地という表現も、あながち間違いではないのかもしれません」

 

ユルゲンシュミット自体が今はランツェナーヴェとしか取引をしていないこともあり、わたしの側近たちは誰も外国に行ったことはおろか、外国人と会ったこともない。それだけに外国との比較は理解がしにくいだろう。

 

「そして、ここはトリステインの貴族院に相当する場所なのですが、全ての貴族が通っているわけではないようですね。より深く魔術を学びたい者だけが通っていて、しかも他国の貴族にも門戸が開かれているようです。わたくしを召喚したキュルケという生徒も隣国の出身だと言っていました」

 

「あの女ですね」

 

露出の多いキュルケはどうしてもユルゲンシュミットの貴族からは嫌悪感を持たれてしまうようでハルトムートの表情は険しい。それはマティアスやラウレンツ、クラリッサなどについても同様だ。キュルケには悪いけれど、安全のためにも、しばらくの間は服装についてはもう少し大人しい雰囲気に変えてもらった方がいいかもしれない。

 

「まずはリーゼレータ、この国、ハルケギニアについて感じたことを説明してくださいませ。わたくしより情報収集をしてくれたリーゼレータの方が、文化や風習の違いを感じたことが多いでしょう?」

 

「この学園の女性たちが纏っている衣装は学院生のお仕着せのようなものということです。わたくしたちにはそのように見えませんけど、この国の者にとってはあれでも貴族にふさわしい服装なのだそうです」

 

わたしに促されたリーゼレータが最初に挙げたのは、服装の違いだった。わたしの記憶を覗いたフェルディナンドもそうだったけど、ユルゲンシュミットの貴族にとっては露出の多い服装はどうあっても奇異に映るようだ。

 

「また、殿方の衣装についてもわたくしたちには平民が着る物に見えますが、あれも貴族にふさわしい衣装の範囲に入るようです。その原因についてですが、驚くべきことに、この国では側仕えがいないようなのです」

 

マティアスやラウレンツは騎士として働きだせば一時的に側仕えがいない状態になることもあるだろう。けれど、国全体に側仕えがいないという状態は想像もできないはずだ。

 

「全く同じではないですけど、神殿の孤児院を思い浮かべると近いかもしれませんね。この国では貴族も、基本的には自分の身の回りは自分で整えるようです。貴族の服装が平民の物に近く見えるのも一人で着脱できるようボタンが前に付けられているからでしょう」

 

わたしとしては自分一人で着られる服というのは、むしろ普通だ。誰かの手を借りる必要のある貴族の服の方が特別という印象だけど、生粋のユルゲンシュミット貴族にとってはそうではないだろう。

 

「他に側仕えがいないのでは、リーゼレータは大変ではなかったですか?」

 

グレーティアが心配そうに聞いたが、リーゼレータは緩やかに首を振った。

 

「仮にこの国に側仕えがいたとして、ローゼマイン様のお世話を任せるわけにはいかないでしょう?」

 

リーゼレータの言葉にハルトムートは当然だと言うように頷いていた。ハルトムートのわたし優先の姿勢が嬉しくも重い。ちなみにわたしの身を守らなければならない護衛騎士のマティアスとラウレンツも同意見のようだ。

 

この分ではわたしの世話はリーゼレータとグレーティアだけでやってもらうしかなさそうだ。それなら、せめて不寝番だけは今後も免除の方向で調整しなければ。そして、側仕えが二人だけなので、やはり側近の皆の生活が心配だ。

 

「リーゼレータに加えてグレーティアが来てくれたので、わたくしの生活は不自由がなくなりますが、問題は皆の側仕えがいないことです。早急に平民の下働きから見所がありそうな者を抜擢して教育することになりますが、どうしてもしばらくの間、不自由をさせてしまいます。辛抱してくださいませ」

 

「ローゼマイン様のお側にいられるのなら、少しの不自由など問題になりません」

 

ハルトムートはそう言うが、日常の小さな不満は気づかないうちに積もっていくものだ。ハルトムートの言葉に甘えず、なるべく早く対策は練る必要があるだろう。

 

「ありがとう存じます、ハルトムート。けれど、リーゼレータとグレーティアは通常の側仕えの仕事に加えて、全く教育のされていない平民に仕事を教えることになります。大変なお仕事になりますが、皆のために頑張ってくださいませ」

 

「お任せください」

 

リーゼレータもグレーティアも、今までに指導したことがあるのは側仕えを目指す貴族の子女だけだ。接したことのある平民も、よく教育された神殿の灰色神官や巫女たちであるので、この世界の平民を指導できるのか不安だが、やってもらうしかない。

 

ひとまず最初のうちは、神殿で経験しているからという名目でわたしも近くで見るようにした方がいいかな。そうでないと、能力主義者と聞いているハルトムートがこちらの平民を潰してしまいそうで怖い。

 

「ところでローゼマイン様、学院長にオルドナンツを譲っていましたが、それについてはよろしいのですか? あれで味を占めてもっと便利な魔術具はないのかと要求されることはございませんか?」

 

「ええ、ある程度、便利な魔術具でないとわたくしたちの価値を高く見せられませんから。便利な魔術具を要求される可能性はありますが、わたくしはその可能性を見越してほとんど魔術具を見せていませんので、今のところ危険は低いでしょう」

 

オルドナンツはわたしたちには貴重な魔術具ではない。けれど、どの階級の貴族も使用する便利な魔術具だ。他の魔術具を売れと言われれば困るけれど、オルドナンツだけならば、側近たちも持っているため、あと三個くらいまでなら売っても問題ない。

 

ちなみにオルドナンツでユルゲンシュミットに連絡を取るという方法は来た初日に当然、試してみた。結果としては飛び立たなかったが、境界すら越えられないオルドナンツが国境を越えられるとは思えなかったので、わたしだけでなくリーゼレータもさほど落胆した様子はなかった。

 

「さて、重要なこれからのことについてお話をしておきましょう。言うまでもなく、わたくしたちが目指すのはユルゲンシュミットへの帰還です。そのためにはサモン・サーヴァントという魔術の研究をせねばなりません」

 

「ローゼマイン様、サモン・サーヴァントという魔術は一人につき一度だけしか使えないと聞いています。わたくしはまだ使用しておりませんので、わたくしもその魔術を使ってみましょうか? 研究の役に立つと思われますし、ひょっとしたら、お姉様をお呼びできるかもしれません。今は女性の護衛騎士がおりませんのでローゼマイン様のためにもなるかと存じます」

 

「リーゼレータ、ユルゲンシュミットへの帰還はもちろん目指しますが、最後まで開発ができないという事態も想定はしておかなければなりません。リーゼレータの気持ちは嬉しいですが、わたくしはそのような場所に、これ以上誰かを呼ぶつもりはありません。他の皆についてもサモン・サーヴァントを使うことは禁止いたします」

 

アンゲリカがいてくれれば頼もしいのは確かだが、これ以上、誰かの人生を狂わせるつもりはない。特にわたしのためならば手段を選ばないハルトムートを見ながら念を押す。場合によっては名で縛ってでも禁じるというわたしの思いは伝わったらしく、ハルトムートは残念そうにだが、頷いてくれた。

 

「では、どのようにして研究を進めるつもりですか?」

 

「こちらにも図書館があるようですから、ひとまずはそこでこの国の文字を学ぶところから始めるしかありませんね」

 

けして図書館に通えることを喜んでいるわけではない。心配しなくてもフェルディナンドの命がかかっているのだから、わたしにユルゲンシュミットへの早期帰還以外の選択肢はない。それなのに、わたしを見る皆の目がどこか疑わしげなのはどうしてだろうか。

 

本が絡んだときの信用のなさに、わたしは心の中で過去の自分に悪態をついてみた。




アンゲリカ召喚も考えてみましたが、ローゼマインが帰還の目途もない状況で故意に側近たちを呼び寄せるとは思えなかったので、見合わせに。

側近たちは当面、名捧げ組+リーゼレータで進めます。


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ローゼマインたちとの夕食

食堂内でのあたしの席の周辺は、あっという間に随分と変わってしまった。というのも、あたしが呼び出したローゼマインが更に呼び出した側近たちが、実に八席分を占拠してしまっているためだ。といっても、実際に席に座っているのは半分に当たる四人だけだ。

 

席に座っているうちの一人は彼らの主人であるローゼマイン。その背後には昨日と同じくリーゼレータと、今日呼び出した側近の一人、護衛騎士だと言っていたマティアスという男子が食事中の主を護衛する為と言って立っている。

 

席に座っている残り二人は上級文官と言っていたハルトムートという男子とクラリッサという女子だ。その二人は中級文官と言っていたローデリヒと側仕えのグレーティアの給仕を受けて食事をしている。

 

今回ローゼマインの呼び出した側近の中では、この二人の身分が高く、ローゼマインが言うには、これまで側仕えのいない食事などしたことがない二人なのだそうだ。ローゼマインはそれほど上位の貴族を、自らの側近とできる身分だということだ。なんだかローゼマインが益々遠い所に行ってしまった気がする。

 

そして、食事をしている最後の一人がラウレンツという護衛騎士だ。護衛騎士である彼は遠征などの際に一人で食事を行うこともあるため、今回は我慢してもらうのだそうだ。

 

「キュルケ、この近くに町はあるかしら?」

 

「町なら、馬で三時間くらいの場所にトリステインの城下町があるわよ」

 

あたしの説明にローゼマインは何となく察した顔になったが、他の側近たちは理解できてない様子に見える。何故だかが分からず、あたしも戸惑う。

 

「三時間だと、鐘一つ分より少しだけ時間がかかるくらいかしらね」

 

「ローゼマイン様はこちらの時間を早くもご理解なさっていたのですか!」

 

興奮して聞いているのはハルトムートという朱色の髪の上級文官だ。

 

「ええ、昨日のうちに、ちょっと知ることができまして……」

 

「さすがはエーレンフェストの英知の女神、ローゼマイン様です!」

 

「ちょっと、やめなさい、ハルトムート!」

 

ローゼマインが珍しく本気でハルトムートを諌めたのが分かった。

 

「それで、町に行ってどうするつもりなの?」

 

「今のわたくしたちはハルケギニアの相場が分からないのです。今のままですと、交渉を有利に進めることなどできませんから」

 

「けど、マジックアイテムなんて普通には売られていないわよ?」

 

「こちらでは魔術具のことをマジックアイテムと呼ぶのですね」

 

あたしの感想にローゼマインは一つ学ぶことができたとばかりに満足そうに頷く。

 

「魔術具のことばかりではありません。ユルゲンシュミットの知識の中には、ハルケギニアにない知識も含まれていることでしょう。それらの知識をお金にする際にも、ハルケギニアの相場を知っておくことは重要になります」

 

「ローゼマインは随分、商業にも詳しいのね」

 

「領主候補生として、領内を富ませる手段には明るくなくてはならないでしょう?」

 

「その考え、気に入ったわ。あたしのゲルマニアは商業にも力を入れているのよ」

 

「そうなのですか。キュルケとは良い取引ができるかもしれませんね」

 

ローゼマインはそう言って笑うが、あたしはあくまで貴族の領主であり、ローゼマインと対等に取引ができる自信がないのだけど。

 

「それにしてもトリステインの城下町なら、あたしよりも詳しい人はいるのだけど……」

 

「キュルケはこの国の生まれではないのでしたね。トリステインの出身者を紹介していただけるのかしら?」

 

「そうしたいのだけど、あたしはその子からあまり良く思われてないのよね」

 

キュルケの隣の部屋のルイズは生粋のトリステイン貴族だ。高位の貴族であるため優秀な職人を知っている可能性も高いし、城下町の地理にも精通しているはずだ。

 

けれどルイズの実家であるヴァリエール領とあたしの実家は、国境を挟んで領地を接する位置にある。そして、あたし自身はプライドばかり高くてお堅いヴァリエールの自業自得だと思うが、何度も恋人をあたしの祖先に盗られたとかで対抗心を持っている。あたしの頼みでは断られるだけだろう。

 

「けれど、ローゼマインの頼みなら引き受けてくれるかもしれないわね。上手く自尊心をくすぐれば、そんなに難しくないんじゃない?」

 

「その言葉だけ聞いていると、その方の将来が心配になってまいりますね」

 

ルイズは貴族としての意識と魔法の実力が釣り合っていない。そのことで周囲にからかわれている分、彼女のことを知らないローゼマインが貴族として礼をもって遇すれば、たぶん簡単に力を貸してくれるような気がする。ローゼマインの案内をルイズに任せようと決めたことで、再びオスマンとの商談のことが気になってきた。

 

「ねえ、ローゼマイン。ところで、どうしてローゼマインのオールド・オスマンへの伝言はあたしに聞こえなかったの?」

 

「ああ、あれは盗聴防止用の魔術具を使用したのです」

 

「盗聴防止用の魔術具?」

 

「簡単に言うと、特定の相手以外には話している内容が聞こえないようにできます」

 

どうやらユルゲンシュミットには色々な種類のマジックアイテムがあるらしい。

 

「そちらはオールド・オスマンには見せなかったのね」

 

「ええ、使用する場面が限られますし、何よりオルドナンツほど余剰がないので」

 

どうやら行方不明となったローゼマインを探す過程で各所と連絡を行えるよう、側近たちは大量のオルドナンツを持っていたようだ。その状態で呼び出されたので今は手持ちのオルドナンツに余剰が生じているということらしい。

 

ちなみにオルドナンツで故郷のエーレンフェストという場所に連絡を取ることは失敗したらしい。どうやらオルドナンツは境界というものを超えられないらしく、国境門も超えられなかったと言っていた。

 

あたしにはよくわからない言葉もあったが、どうやら予測済みでローゼマインが気落ちしていないということらしい。それならば、よしとしよう。

 

「ねえ、あのオルドナンツってマジックアイテム、あたしにも譲ってくれない?」

 

「わたくしたちの手元のオルドナンツは幾らか余裕はあるとはいえ、補充はできませんからね。それにオールド・オスマンに高額でお譲りする以上、キュルケに安価でお譲りすることはできません」

 

やはりローゼマインは手強い。オスマンを引き合いに出されては無理に値引きはさせられない。

 

「う……確かにそうかもしれないわね。じゃあ、オールド・オスマンと同額であれば、あたしにも譲ってくれる?」

 

「それでしたら問題ありませんが、今回の対価は明確にいくらと決まってはいません。割高にも割安にもなりえますが、それでキュルケは構いませんか?」

 

「ええ、構わないわ」

 

「ハルトムート、貴方のオルドナンツを一つ、キュルケに譲ってあげてください」

 

ローゼマインが命じると、すぐにハルトムートが身に着けていた黄色い石をキュルケに差し出してくれる。

 

「使い方は、おわかりですね?」

 

「ええ、オールド・オスマンが使ったところを見ていたから」

 

商談を終えて少しするとローゼマインたちが食事を終えた。そうすると、ローゼマイン、ハルトムート、クラリッサは食後のお茶の準備がされ、今度はリーゼレータ、グレーティア、マティアス、ローデリヒの四人が食事を始める。ちなみにラウレンツはローゼマインの護衛をしている。ユルゲンシュミットの身分制はハルケギニアより厳しいようだと、あたしは肌で感じた。

 

「とりあえず最初の一回は様子見も兼ねてあたしたちだけで城下町に向かって、成果が少ないようなら、トリステインの貴族にも声をかけてみるってことでいい?」

 

「ええ、わたくしはそれで構いませんわ」

 

こうして、次の休日である虚無の曜日には、あたしはローゼマインたちとトリステインに向かうことに決まった。




本話で第一部一章が終了。
次話でようやく才人が召喚されます。
その後は原作に近づいたり、離れたり、ですね。


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土くれのフーケ
召喚の儀式(ルイズ)


わたしはハルケギニアで三日目の朝を迎えた。今日の魔法学院の授業も一昨日から引き続いて春の使い魔召喚の儀式となる。これ以上、面倒な事態にしても仕方がないこと、召喚した者に責任を持てないことから、わたしは側近たちに改めて絶対にサモン・サーヴァントを使ってみないことを厳命して授業を見学していた。

 

一人、二人と召喚を成功させて、生徒たちは奇妙な生き物たちを呼び出していく。

 

「ターニスベファレンなどに比べれば、まだ可愛らしい生き物でよかったですね」

 

マティアスがそう言うが、はっきり言ってターニスベファレンやトロンべのような公害度が高すぎる生き物では、とても使い魔になどできないと思う。

 

そうこうしているうちに、春の使い魔召喚の儀式は残り一人となっていた。桃色がかったブロンドの髪の女の子だ。

 

何度かの失敗の後、ついに出現させることができた鏡から出てきたのは人間だった。

 

またしても人を召喚したことに騒然となった生徒たちだったが、それは少し後には別の種類のものに変わる。

 

「ルイズ、『サモン・サーヴァント』で平民を呼び出してどうするの?」

 

誰かが言ったのを皮切りに全員で笑い声を上げる。だけど、わたしはとても笑えるような気分でなかった。呼び出された男性が身に着けているのははわたしが前世を過ごした地球の服装に見えたからだ。

 

「皆さま、現時点で平民と決めつけるのは性急ではなくて。わたくしたちもそうでしたが、貴族の服装は国によって大きく異なります。また、仮に平民だとしても希少な技能を有する可能性もあるのではなくて。まずは彼女が話を終えるのを待ってはいかが?」

 

わたしが取りなすと、リーゼレータという例を見ているからか、生徒たちが笑いを止めた。そして、平民でない可能性を示され、ルイズという名前らしい女の子が少し元気を出したように見えた。

 

「あなたは誰なの?」

 

「誰って……俺は平賀才人」

 

「あなたは貴族じゃないわよね」

 

「はあ、貴族? 何言ってんの?」

 

名前から考えても、彼は日本人だ。そして日本人なら急に貴族なのか、なんて問いかけられたら、そういう反応になっちゃうよね。

 

そしてルイズは平賀くんの反応から貴族ではないと確信してしまったようだ。

 

「ミスタ・コルベール、あの、もう一回召喚させてください」

 

「それはダメだ。ミス・ヴァリエール」

 

「どうしてですか!」

 

「『サモン・サーヴァント』は呼び出した使い魔が死なない限り、二度目の使用はできない。それはミス・ヴァリエールも知っているはずだろう。実際、ミス・ツェルプストーだって二度目の召喚は行っていない。ミス・ヴァリエールは彼を使い魔にするしかない」

 

そこでわたしを引き合いに出さないでほしい。おかげでキュルケは使い魔を呼び出していないばかりか、生活費をたかられてるんだから。オルドナンツを手に入れたという部分も考慮しても、たぶんキュルケは大損をしていると思う。

 

それにしても、このままだと平賀くんは貴族と従属契約を結ばされてしまう。さすがに元同じ日本人として、このまま見ているだけというのは忍びない。

 

「ミスタ・コルベール、彼を使い魔とする前に、本当に彼を使い魔として問題がないか確認をすべきではありませんか? わたくしの専属楽師や専属料理人は平民ですが、わたくしの専属ですから、彼らに手を出せば、わたくしへの敵対を宣言したも同然です。同じように彼も何らかの後ろ盾などがあるかもしれません」

 

そう言いながら、わたしは少しだけ足を前に進める。

 

「ねえ、平賀才人さん、貴方にはどのような技能があるのかしら?」

 

「は? 技能? なんで子供にそんなことを説明しないといけないんだ?」

 

その瞬間、ハルトムートだけでなくクラリッサ、マティアス、ラウレンツがわたしの背後で不穏な空気を発しだした。平賀くん、気持ちは分かるけど空気を読んで!

 

「貴方の今後を決める大事な問いです。もしも特別な技能などないのなら、貴方は貴族の使い魔として飼われる人生を送るしかありません。よく考えて返答してくださいね」

 

わたしとしては最大限、塩を送ったつもりだ。頼むから、自分を高く売り込んで!

 

「悪かったな。俺は平凡な高校生で、特別な技能なんて何もねえよ」

 

あ、詰んだ。これは庇いきれない。仕方なく、わたしはコルベールに向き直って言う。

 

「ミスタ・コルベール、どうやらわたくしが慎重すぎたようですわ」

 

ただの平民を必要以上に庇えば、わたしの立場が悪くなる。ただでさえ、ここでのわたしたちは異邦人なのだ。ユルゲンシュミットに帰還するという目標がある以上、異端な行動で周囲から協力を得られなくなる事態は避けなければならないのだ。

 

「では、ミス・ヴァリエール。儀式を続けなさい」

 

ルイズは少し渋る様子を見せたが、やがて諦めて平賀くんと契約した。要するにキスをしたのだ。犬やフクロウやよく分からない生き物との口づけなら何も感じなかったが、さすがにこれは少し刺激が強い。それはわたしだけではなかったようで、ユルゲンシュミット基準では十分に破廉恥に該当する行為にわたしの側近たちもやや目を逸らしていた。

 

「ぐあ! ぐぁあああああ!」

 

その直後、聞こえてきた声に逸らしていた視線を戻すと、平賀くんが苦しそうに顔を歪めていた。

 

「すぐに終わるわよ。待ってなさいよ。『使い魔のルーン』が刻まれているだけよ」

 

「刻むな! 俺の体に何をしやがった!」

 

ルイズが全く動じていないので、たとえ相手が人であっても使い魔の契約の一環としてとらえられるらしい。本当に常識が分からないというのは困ったものだ。

 

「珍しいルーンだな」

 

そして、マイペースに平賀くん左手の甲のルーンを写しているコルベールにも。教師ならもう少しきちんと監督してほしい。

 

何より困るのは先程から貴族相手に怒声すらあげている平賀くんだ。平民が貴族に発言の許可なく口を開くだけでも不敬なのに、怒声を上げるなんて命知らずにも程がある。いつ処刑されてもおかしくない状況に、見ているわたしの方が心臓に悪い。

 

「平民が、貴族にそんな口利いていいと思ってるの?」

 

実際にルイズも不快に思っているようだ。それでも即座に処刑されないだけ少しは寛容なところもあるらしい。

 

「さてと、じゃあ皆教室に戻るぞ」

 

コルベールがそう言って魔術を使って飛び上がる。

 

「ルイズ、お前は歩いてこいよ!」

 

「あいつ『フライ』はおろか、『レビテーション』さえまともにできないんだぜ」

 

他の生徒が言ったのを聞いて、わたしはルイズが空を飛ぶ魔術を使えないことを知った。そして、からかわれたルイズは癇癪を起していた。

 

「あんた、なんなのよ!」

 

「お前こそなんだ! ここはどこだ! お前たちはなんなんだ! なんで飛ぶ! 俺の身体に何をした!」

 

そして事態が飲み込めていない平賀くんも負けじと言い返す。

 

「そりゃ飛ぶわよ。メイジが飛ばなくてどうすんの」

 

「メイジ? いったいここはどこだ!」

 

興奮した平賀くんがルイズの肩を掴もうと手を伸ばす。

 

「そこまでですよ」

 

それをわたしは、シュタープを光の帯に変形させ、平賀くんを縛ることで阻止した。

 

「な、なんだこれは!?」

 

縛られて地面に転がった平賀くんが、もがきながら驚愕の声を上げる。光の帯での拘束は初めてされたら驚くよね。その気持ちは分かるけど、しばらく黙っててほしい。

 

「平賀さんは随分と遠い国から来たようですね。平賀さんはご存知ないかもしれませんが、貴族に手を上げるのは重罪です。貴方はあと少しで殺されても文句を言えないような重罪を犯すところだったのですよ」

 

本当に、心臓に悪い暴挙はやめてほしい。けれど、今回に限っては平賀くんを縛れたのは都合が良いかもしれない。

 

「ルイズ様、そちらの使い魔がいては空を飛ぶことは難しいのでしょう? よろしければわたくしの騎獣で一緒に教室まで向かいませんこと?」

 

「いいの?」

 

「ええ、わたくしの騎獣は複数人を同時に運べますので。クラリッサ、悪いけどわたくしの騎獣に護衛として同乗してください」

 

クラリッサは文官だが、武の領地であるダンケルフェルガーで騎士としての訓練を受けていた武よりの文官であるため、護衛も行える。今回は狭い騎獣に同乗するということで同性のクラリッサが適任だろう。

 

わたしは騎獣をファミリーカーくらいのサイズで出し、入口を開けて中に乗り込む。そして助手席にクラリッサを、後部座席にルイズと縛ったままの平賀くんを乗せる。

 

「すげえな、これ。車みたいだ」

 

平賀くんの感想は、予想通りのものだ。そもそも、わたしが作った物の大半は、日本で生きていた頃の知識を基にしたものだ。レッサーくんもそのうちの一つだし、カトルカールやクッキーといった食べ物もそうだ。今後、何かの折にわたしの側近の口からそれらの単語が出てくれば、わたしが日本の知識を持っていることは気づかれてしまうだろう。その前に先手を打たなければならない。

 

「車ですか……確か、そのようなことを言っていた気もします」

 

「え、言っていた?」

 

「わたくし、夢の中でわたくしの国とは大きく違う別の国の生活を見ることがあるのです。もしかしたら、わたくしが夢で見ていたのは、平賀さんの国かもしれませんね」

 

わたしが夢の中で見たものを作らせているという設定は公式のものだ。これなら、おそらくは遥か遠い別の星のことを知っていても矛盾はしない。

 

「そういえば、お前……俺の名前……」

 

「メッサー」

 

平賀くんも、わたしの平賀くんに対する呼び方が日本式のものに気が付いたようだ。けれども、その直後にクラリッサにナイフを突きつけられる。

 

「平賀くんがこの世界で生き抜けるように忠告させていただきますが、平民は貴族に自分から話し掛けただけで不敬になります。注意なさってください」

 

「あの、いくら何でもそれは厳しすぎるんじゃない?」

 

わたしは平賀くんのためを思って言ったのだ。ところが、その忠告は肝心のルイズに否定されてしまう。その遣り取りでハルケギニアはユルゲンシュミットより平民に対して寛容なのだと、わたしは思い知ることになった。

 

でも、わたしの側近たちは生粋のユルゲンシュミットの貴族だから、放っておくと先程のクラリッサのように刃物を突きつけることになるんだよね。平民にも比較的寛容なわたしの側近たちでこれだから、他のユルゲンシュミットの貴族ならどうなったことか。人知れず、ため息をつきながら、わたしは騎獣に魔力を注いだ。




足払いメッサーも考えましたが、ハルトムートが微妙な表情になりそうなので、縛られた状態でのメッサーに。

ところで、改めて考えるとユルゲンシュミットってろくでもない生き物が多すぎる気が。


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平賀才人の見た異世界

俺、平賀才人は高校二年生の十七歳だ。

 

運動神経、普通。成績、中の中。彼女いない歴十七年。賞罰ナシ。

 

そんな普通の高校生だった俺は、東京の街を歩いている最中、光る鏡のような物を見つけてしまった。俺が持ち前の好奇心でそれを潜ってみたら、気が付いたらヨーロッパのような場所にいたのだ。

 

それだけでも訳がわからないのに、その場所は貴族とかいう奴らがいて、魔法を使って空を飛ぶなんていう非常識な場所だった。

 

そして、今は俺を召喚したというルイズという女の子の部屋にいる。部屋の中には他にもローゼマインとクラリッサとリーゼレータという女の子がいる。

 

ここに連れてこられるまでに分かったこと。まずはルイズという桃色がかったブロンドの髪と鳶色のくりくりとした目の女の子は、顔は可愛いけど怒りっぽい。そして、俺のことは平民か使い魔のどちらかの呼び方しかしてくれない。

 

続いてローゼマインという名前の女の子は、見た目は十歳くらいだけど実際は十三歳という話だ。こちらの女の子は紺色の髪に金色の瞳をしている。ルイズたちとは随分と服装が違うと思ったら、どうやらローゼマインも俺と同じように召喚されてきた子らしい。だけど彼女の場合は俺と違って貴族として迎えられているらしい。不公平だ。

 

けれど、一方でローゼマインが貴族だというのは妙に納得できる感覚もあった。それは彼女の立ち居振る舞いが非常に洗練されていること、そして豪華な衣装に髪飾りを付けていること、側近と呼ばれる人たちを連れていること、色々と理由はあるけれど、日本で俺の周りにいた人たちとは、どこからどう見ても違う人だったからだ。

 

そんなことより、俺にとって最も重要な点。それはローゼマインが日本のことを知っていることだ。俺の今の状況について、説明をできるのは、ローゼマインだけかもしれない。

 

けれど、そのためには障害がある。その障害、ローゼマインの側近のクラリッサという少女を俺はちらと横目で見た。こげ茶色の髪に青い瞳をしたクラリッサはローゼマインの騎獣という物の中で俺にナイフを突きつけてきた。なんでも、俺の言動はクラリッサの基準では著しい不敬ということらしい。

 

そんなことを言われても、俺は日本の高校生で、貴族なんてものは存在しない世界で生きてきたんだ。急にどうすればいいかなんて分かるわけがない。

 

最後の一人のリーゼレータもローゼマインの側近だそうだ。濃い緑の瞳を持った彼女の印象はメイドさん。実際、それは大きな間違いではなく、側仕えという主人の生活を支える仕事をしているらしい。ただし、ただのメイドではなく、彼女も貴族であるらしい。確かにルイズよりもよほど洗練された所作だ。今日はローゼマインとルイズ、そして特別に俺にもお茶を淹れてくれていた。

 

「ルイズ様、まずはお部屋をお貸しくださり、ありがとう存じます」

 

「ローゼマインはわたしの使い魔を運んでくれましたし、それにローゼマインが気にかけてくれた、この平民はわたしの使い魔ですから」

 

ルイズのローゼマインへの対応と俺への対応が随分と違って腹立たしいが、この場には怖いクラリッサがいるので黙っておく。

 

まずはルイズから俺が呼びつけられたトリステイン魔法学院について、簡単に説明がされた。全寮制の学校で、ここでは貴族が魔法を学んでいるらしい。ついでにローゼマインの補足によると、ここは俺たちの学校と違って一定の年齢で入学するのでないらしい。だから、同じ二年生でも十五歳から十八歳まで幅があるということだった。

 

そうしてルイズによる一定の説明が終わったところで、ローゼマインによる俺への質問タイムが始まった。

 

「平賀さんにお聞きしたいのですが、平賀さんの世界は西暦何年でしたか? あ、和暦でも構いませんよ」

 

「え……二〇〇四年ですけど」

 

「え!?」

 

ローゼマインが急に上げた声に俺の方が驚いてしまった。ローゼマインは口元を押さえ、なおも驚きから復帰できてない様子だ。一体、何をそんなに驚いているのだろう。

 

「失礼、わたくしの夢の中では二〇一三年と言われていましたから」

 

「は!?」

 

今度は俺が驚く番だった。俺の暮らしていたより十年近くも後だ。

 

「平賀さんとわたくしの夢とで、なぜ時間が異なっているのかは分かりません。おそらく時の女神様のお導きなのでしょう」

 

未来の世界を知っているという重要なことを時の女神様という妙な神様の仕業にして、あっさり棚上げするローゼマインは、日本を知っていても、やはり別の世界の人間だ。

 

「それよりも、これからのお話をしておきましょう。平賀さんは、こちらにいるルイズ様の使い魔となりました。急に使い魔と言われても受け入れ難く思うかもしれませんが、貴方は受け入れるしかありません」

 

「そんなこと受け入れられるわけないだろう!」

 

「それでも受け入れるしかないのです。そうですね、わたくしの夢の中では平賀さんの国には過去に行くという物語があったと思うのですが、心当たりはございますか?」

 

「そんなの、いくらでもあるだろ」

 

タイムスリップものは使い古された題材だ。映画に漫画に小説に例はいくらでもある。

 

「でしたら、話は早いです。平賀さんは江戸時代に行ってしまったとして、お殿様に話し掛けようとしたらどうなるとお思いですか?」

 

それは何となく想像がつく。間違いなく周囲の護衛に殺される。

 

「わたくしたちは貴族であり、平賀さんは平民です。これは、平賀さんが魔術を使えない限り覆すことはできません。実際、力ではわたくしは平賀さんにも敵わないですが、平賀さんは魔術によるわたくしの拘束から逃れられなかったでしょう」

 

「じゃあ、俺はずっとこのまま平民と蔑まれ続けなきゃいけないのかよ!」

 

「平賀さんが貴族に対する礼儀作法を知らないことは分かっています。ですが、わたくしたちに対して最低限の敬意を示せないなら、平賀さんはここでは生きていけません」

 

敬意? 無断で人を呼びつけておいて、蔑んでくる相手に何で敬意を示なきゃいけないんだ。そう言おうとしてローゼマインを見た瞬間、彼女が言っている意味が少しだけだが理解できた。

 

ローゼマインの背後に立つクラリッサとリーゼレータは、そろそろ我慢の限界という様子で俺を見ていた。次に強い口調で何か言えば、俺は殺されるかもしれない。さすがに危険を強く感じて、俺はローゼマインに勢いで反論することはやめることにする。

 

「平賀さん、こちらでは貴族と平民の価値は全く違います。わたくしの国では少し前、とある町の住人が領主の建てた神殿を攻撃したことがありました。そのときの罰の内容は、その町の住人全員の殺害でした」

 

「なんで攻撃をした奴だけじゃなく町の住人全員なんてことに?」

 

「平民は領主の魔力によって生活ができています。それなのに領主に感謝するどころか牙を剥くような平民など不要という考えですね。実際に、貴族が土地に魔力を行き渡らせなければ、平民は生きていけないのです。わたくしとしては処分の対象は反逆の意志ある者だけで十分だと思うのですけれど、大半の貴族は町全体への罰を当然と思っていました。要するに多くの貴族にとって、平民は十把一絡げで平民という印象しかないのです」

 

それは俺には何の価値もないと言っているということだろうか。

 

「ですので、平賀さんは自分の価値を高めなければなりません」

 

しかし、その次の言葉は少し調子が違って聞こえた。

 

「わたくしの専属の楽師は平民ですが、貴族院にも同行させ、貴族である音楽教師の前で演奏も披露しました。彼女はわたくしの専属楽師として知られているため、貴族からも粗雑には扱われません。わたくしの専属料理人も同じです。また、わたくしが神殿長を務める神殿の孤児たちは多くの技能を有しているため高い価値を付けられています。貴方にとっては、あまり受け入れられる話ではないと思いますが……」

 

そう言ってローゼマインは一度、言葉を切った。そうしてお茶で唇を湿らせてから再び話を始める。

 

「孤児たちはお金を出せば買い取ることができます。そのとき金貨二十枚で買った孤児と、金貨一枚で買った孤児は、買われた先で同じ待遇を受けると思いますか?」

 

それは誤解しようもない人身売買の話だった。けれど、ローゼマインの国では当たり前に行われていることなのだろう。だからこそ高値で買われるように自分の価値を高めることが自分のためになると言っているのだ。

 

「貴族にとっては平民一人なんて大した価値はないと思ってください。生き延びる道、逃げ道は思いつく限り準備しておき、保険になると思ったものは何重にも準備して自分を守る。それが、これからの貴方に必要な心掛けです」

 

「平民と言われるのが不満だとか言っていられる状況ではないってことか」

 

商品として売買されるという時点で平民は人として扱われていないのだと思う。安物の商品の分際では色々と言ったところで誰も聞く耳なんて持ってくれない。でもブランド物の商品なら、少しは大事に扱ってもらえる。

 

「少しは自分の立場がお分かりいただけたようですね。わたくしたちは、明日よりわたくしたちの国に帰るための研究を始める予定です。その研究が終わった暁には、平賀さんも日本に帰れるかもしれません。それまで無事に過ごせるよう、明日から何を行うべきかよく考えてください。まずは貴族には絶対服従。これを忘れないようにしてください」

 

俺にそう言うと、ローゼマインは何やら妙な別れの挨拶らしき言葉を交わして、ルイズの部屋を出て行った。

 

とりあえず、今の俺は使い魔にならないと衣食住の全てを失うということは理解できた。何より、ローゼマインの口にしたことは俺を案じての言葉であることが分かって、妙に心に刺さったのだ。

 

俺がルイズの使い魔となることを了承したのは、その後すぐのことだった。




才人とローゼマインの召喚された時間軸はそれぞれ1巻の発売と1話の投稿日をもとにしています。
結果、才人の方が昔の人ということに。
もしも才人の方が未来の人ならローゼマインがお気に入りの作品の続編の刊行状況を知りたがったことでしょう。


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魔法学院の講義

召喚四日目、わたしは護衛騎士のラウレンツを背後に、護衛もできる文官のクラリッサを横の席に座らせて魔法学院の教室で講義を受けていた。今日の教師は紫色のローブに身を包んで、帽子を被ったシュヴルーズという名前の中年の女性だ。

 

ちなみに、この場にいない側近のうち、リーゼレータとグレーティアはわたしのベッドに天幕を付けるために部屋で作業中。ハルトムートとローデリヒとマティアスはリンシャンの他、魔術具作成の材料がないかを探すために学園から見えた森に採集に向かっている。

 

「皆さん。春の使い魔召喚では色々とあったようですが、無事に皆さんが成功できたことを嬉しく思います。このシュヴルーズ、こうやって春の新学期に、様々な使い魔たちを見るのがとても楽しみなのですよ」

 

その色々に関わっているわたしは視線から逃れるため、俯きたくなった。が、悲しいかな俯いてはならないという貴族教育を十分に実践できるようになったわたしは、表情を変えることなく前を見続けてしまう。

 

「ミス・ローゼマイン、貴方のことはオールド・オスマンから聞いています。ハルケギニアの魔法を少しでも学びたいようですね。二年生の授業から参加なので大変な面もあると思いますが、精一杯学んでくださいね」

 

「ありがとう存じます、ミス・シュヴルーズ」

 

「あのね、ローゼマイン。既婚の女性に対してはミスじゃなくてミセスなの」

 

わたしが答えた直後、こっそりとキュルケが教えてくれる。どうやら地球と同じように女性の呼び方は変わるらしい。けれど、オスマンのような例もあるし、必ずしも一致していないかもしれない。

 

「後で詳しく教えてくださいませ」

 

こういった常識は、外の人間には分かりにくい。わたしは異国の人と知られているため、多少は間違えても問題ないかもしれないが、知っておくに越したことはない。

 

「では、授業を始めますよ」

 

シュヴルーズが、こほんと重々しく咳をして杖を振ると、机の上に石が現れる。魔石でも何でもない普通の小石に見える。

 

「私の二つ名は『赤土』。赤土のシュヴルーズです。『土』系統の魔法を、これから一年、皆さんに講義します。ミス・ローゼマインは、魔法の四大系統はご存知ですか?」

 

「四大系統ですか? 一般的なのは『水』『火』『風』『土』でしょうか?」

 

「一般的なのは? 他にどのような系統の分け方があるのですか?」

 

「分け方というか、七属性のうちのどれを挙げるかで少し迷いました」

 

わたしがそう言うと、教室内がざわめいた。拙い、何か良くない発言があったみたいだ。ひょっとして、ハルケギニアは属性が七つでないのだろうか?

 

「その七属性、教えてもらえますか?」

 

やっぱり属性の数が七つというのが拙かったようだ。けれど、多いのか少ないのかが分からない。雰囲気的には前者の気がするけど、今から誤魔化すのは不自然すぎる。

 

「ユルゲンシュミットの属性は『水』『火』『風』『土』『光』『闇』『命』です」

 

仕方なく私は正直に答えることにした。けれど、答えたことで益々、教室のざわめきが大きくなった気がする。

 

「ミス・ローゼマイン、ハルケギニアの属性は『火』『水』『土』『風』に今は失われた系統である『虚無』を合わせて全部で五つの系統です」

 

ということは、現存しているのは四大系統と呼ばれた『火』『水』『土』『風』だけということになる。これでは、わたしは完全に異質な存在だ。

 

「ちなみにミス・ローゼマインは『光』『闇』『命』の属性の呪文を使えますか?」

 

シュヴルーズの質問にわたしは首を傾げる。

 

「魔術……こちらでは呪文と呼んでいるのでしたね。呪文に属性はあまり関係ないと思いますけど?」

 

水の属性があればヴァッシェンが使いやすいというのは聞いたことがあるけれど、一部の魔術具を除いて、属性がなければ使えないということはない。そう思って答えたのだが、逆にシュヴルーズたちに驚かれてしまった。

 

「今のお話だけでもユルゲンシュミットとハルケギニアには魔法の体系に大きな違いがありそうですね。けれど、その探求を始めると時間がいくらあっても足りません。今は授業を進められてはいかがですか?」

 

「そ、そうですね。そうしましょう」

 

そう言うとシュヴルーズは再び重々しく咳をして講義を始める。

 

「『土』系統の魔法は、万物の組成を司る、重要な魔法であるのです。この魔法がなければ、重要な金属を作り出すこともできないし、加工することもできません。大きな石を切り出して建物を建てることもできなければ、農作物の収穫も、今より手間取ることでしょう。このように『土』系統の魔法は皆さんの生活に密接に関係しているのです」

 

この時点でもユルゲンシュミットとはだいぶ違いが出てきた。ユルゲンシュミットでは魔術で重要な金属を作ることはできない。そして、大きな石を切り出して建物にするという魔法は領主候補生のみが使えるエントヴィッケルンで代用されている。農作物についても収穫量を増やすことはあっても収穫を楽にするための魔術はない。

 

「今から皆さんには『土』系統の魔法の基本である、『錬金』の魔法を覚えてもらいます。一年生のときにできるようになった人もいるでしょうかが、基本は大事です。もう一度、おさらいすることに致します」

 

シュヴルーズが石ころに向かって、手に持った小ぶりな杖を振り上げて短く呪文を呟く。すると、小石が光り出し、おさまったときには光る金属に変わっていた。

 

何で!? と叫び出したいのをわたしは懸命に抑えた。

 

「ゴゴ、ゴールドですか? ミセス・シュヴルーズ!」

 

「違います。ただの真鍮です。ゴールドを錬金できるのは『スクウェア』クラスのメイジだけです。私はただの『トライアングル』ですから……」

 

金に興奮したキュルケの声にシュヴルーズは妙にもったいぶって答える。

 

「ルイズ、スクウェアとかトライアングルって、どういうこと?」

 

そう聞いたのはルイズの隣の席に座っている平賀だった。それはわたしにとっても興味深い内容だったので、こっそり耳をそばだてる。

 

「系統を足せる数のことよ。それでメイジのレベルが決まるの」

 

「はい?」

 

平賀の分かっていない様子を見てルイズは小声で説明を続ける。

 

「例えば『土』系統の魔法はそれ単体でも使えるけど『火』の系統を足せば、さらに強力な呪文になるの。『火』『土』のように二系統を足せるのが『ライン』メイジ。シュヴルーズ先生みたいに『土』『土』『火』、三つ足せるのが『トライアングル』メイジ」

 

「同じの二つ足してどうするの?」

 

「その系統がより強力になるのよ」

 

どうやら系統数を属性に直せばユルゲンシュミットの貴族の基準にだいぶ近づくようだ。ユルゲンシュミットでは属性一つが下級貴族、二つで中級貴族、三つ以上で上級貴族というのが一般的だ。

 

差異は、同じ属性を二つ持つことがありえないということ。そして家格にも左右されるために中級貴族なら必ず属性二つではないこと。代わりに魔力量という基準もあること。そう考えてみると、微妙に違いは多い。けれど、魔法学院の教師が上級貴族相当というのは頷ける話だ。

 

「ミス・ヴァリエール! 授業中の私語は慎みなさい」

 

と、そこでルイズが叱られてしまった。わたしもその私語をしっかり聞いていた一人なので心の中でだけ首を竦める。

 

「おしゃべりをする暇があるのなら、あなたにやってもらいましょう」

 

「先生、やめといた方がいいと思いますけど……」

 

と、そこでなぜかキュルケがシュヴルーズを止めようとしだした。キュルケだけではない。キュルケが危険だと言ったとき、なぜか教室の中にいる全員が頷いていた。けれど、ルイズは蒼白な顔で止めるキュルケを振り切って教室の前へと歩いていく。

 

その瞬間、なぜか前の席に座っていた生徒が椅子の下に隠れた。そこでキュルケが言った危険という言葉が少し現実味を帯びてきた。ラウレンツがいつでも前に出られるように腰を落とし、クラリッサが椅子から腰を浮かせた。

 

ルイズが目をつむり、短くルーンを唱えて杖を振り下ろす。

 

「ゲッティルト!」

 

机ごと小石が爆発をするのと、ラウレンツとクラリッサがわたしの前に出て盾を出したのは、ほぼ同時だった。盾を襲う爆風に、二人は懸命に耐えてくれた。

 

二人が盾をどけたときには、教室は阿鼻叫喚の大騒ぎになっていた。爆風に驚いた使い魔たちが暴れ出したのだ。

 

マンティコアが飛び上がって窓ガラスをたたき割り、そこから侵入した大蛇が誰かの烏を飲み込む。それを収めるべきシュヴルーズは爆心地付近で倒れたまま痙攣をしている。

 

「ちょっと失敗したみたいね」

 

そんな中、ルイズだけは顔についた煤を、取り出したハンカチで拭きながら、淡々とした声で言った。

 

しかし、他の生徒から猛然と反撃を食らう。

 

「ちょっとじゃないだろ! ゼロのルイズ!」

 

「いつだって成功確率、ほとんどゼロじゃないかよ!」

 

騒がしい生徒たちはともかく、使い魔たちを大人しくする方法はわたしにはない。けれど、シュヴルーズを癒すことならできる。シュヴルーズに後始末を丸投げするためにわたしはラウレンツとクラリッサにお礼を言った後、教室の前へと歩きだした。




「錬金」と言って、なぜか聖杯を出すローゼマイン、は自重。


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昼食の席での諍い

俺がルイズがめちゃくちゃにした教室の片付けを終えたのは、昼休みの前だった。爆風に吹き飛ばされたシュヴルーズはローゼマインの魔法により復帰したが、教室の状態が酷すぎて、授業は再開できなかったのだ。

 

食堂に向かう道すがら、俺は何度もルイズをからかった。なにせ、ルイズのせいで先ほどは重労働であったのだ。新しい窓ガラスを運んだのも、重い机を運んだのも俺だ。煤だらけになった教室を雑巾で磨いたのも俺だ。ルイズはしぶしぶと机を拭いただけだ。

 

昨日、俺が寝たのは床だった。食事も貧しいものだった。ローゼマインも同じような立場だと聞いたのに、扱いは天と地ほども違う。貴族と平民の差だと言われても、飲み込みきれるものではない。

 

そんな風に俺を苛めるルイズの弱点を見つけて、黙っていられるわけがなかった。ここぞとばかりに俺はルイズをからかいまくった。気分が良いまま食堂につくと、俺は椅子をひいてやる。

 

「はいゼロのルイズ様。料理に魔法をかけてはいけませんよ。ゼロだけに失敗して料理が爆発したら、大変ですからね」

 

ルイズは無言で席に着く。俺は散々ルイズをからかうことができたので、満足していた。生意気で高慢ちきなルイズに一矢報いてやった。粗末な食事も気にならない。だが、その食事の皿はひょいと取り上げられた。

 

「ご主人様にゼロって言った数だけ、ご飯ヌキ! これ絶対! 例外なし!」

 

そうして俺は昼食抜きのまま、食堂を出た。嫌味なんか言わなきゃよかったと後悔しながら腹を抱えて壁に手をつく。

 

「どうなさいました?」

 

振り向くと、大きい銀のトレイを持ち、メイドの格好をした素朴な感じの少女が心配そうに俺を見つめていた。カチューシャで纏めた黒髪とそばかすが可愛らしい。

 

「あなた、もしかしてミス・ヴァリエールの使い魔になったっていう……」

 

「知ってるの?」

 

「ええ。なんでも召喚の魔法で平民を呼んでしまったって。その直前にミス・ローゼマインが呼ばれたこともあって、厨房では随分と噂になっていたんです」

 

「ローゼマインのことも、やっぱり噂になっていたの?」

 

気になる名前を聞いて、俺はそう尋ねてみた。

 

「ええ、ミス・ローゼマイン本人より、従者のミス・リーゼレータについてですが」

 

どうやらリーゼレータは自分たちの知るマナーがハルケギニアでは不作法とならないかを確認しに来たらしい。加えて、普段、ローゼマインが好んでいるお茶に近い物を探して事前に飲み比べをしていたようだ。

 

「あれが貴族のお世話の仕方なんだって、大変勉強になりました」

 

専属のメイド付きで召喚されるなんて、同じ被召喚者とは思えない。ローゼマインはずるいと思う。

 

俺の出会った少女は、シエスタという名前だった。彼女は俺が空腹であると知ると、食堂の裏にある厨房に連れて行ってくれて、俺に賄い食を振舞ってくれた。

 

その優しさに涙が出そうになった。ルイズがよこしたスープとは大違いだ。

 

「おいしかったよ。ありがとう」

 

「よかった。お腹が空いたら、いつでも来てくださいな」

 

嬉しい言葉に俺は今度こそ涙を流した。

 

「俺、こっちに来て優しくされたの初めてで……思わず感極まりました……」

 

「そ、そんな、大げさな」

 

「大げさじゃないよ。俺に何かできることがあったら言ってくれ。手伝うよ」

 

「なら、デザートを運ぶのを手伝ってくださいな」

 

無論、俺は一も二もなく頷いた。

 

そうして俺はデザートのケーキが並んだ大きな銀のトレイを持って歩いていた。俺が持つトレイからシエスタがはさみでケーキをつまみ、一つずつ貴族たちに配っていく。

 

その途中、金色の巻き髪に、フリルのついたシャツを着た、気障なメイジのポケットから何かが落ちた。ギーシュという名らしい、その気障なメイジは何となく気に入らなかったが、落し物は落し物なので俺はギーシュに教えてやることにした。

 

「おい、ポケットから壜が落ちたぞ」

 

せっかく教えてやったのに、ギーシュは俺のことを無視してきた。

 

「落とし物だよ。色男」

 

仕方なく、俺は壜をテーブルの上に置いた。すると、ギーシュの席の周りにいた貴族たちが壜の出所について大声で騒ぎ始めた。事態はそこから修羅場の様相を見せていった。

 

まずはケティという名前の栗色の髪をした可愛い少女が出てきて、壜のことでギーシュの頬をひっぱたいた。続いて見事な巻き髪のモンモランシーという名前の女の子がやってきて、先ほどの一年生に手を出していたことを問い詰めたかと思うと、テーブルに置かれたワインの壜の中身をどぼどぼとギーシュの頭の上からかけた。

 

「あのレディたちは、薔薇の存在の意味を理解していないようだ」

 

さすがに呆れてしまい、俺はシエスタに預けていた銀のトレイを受け取り、再び歩き出そうとした。

 

「待ちたまえ」

 

しかし、そんな俺を呼び止めると、ギーシュは椅子の上で体を回転させて足を組んだ。

 

「君が軽率に、香水の壜なんかを拾い上げたおかげで、二人のレディの名誉が傷ついた。どうしてくれるんだね?」

 

「二股かけてるお前が悪い」

 

俺が言うとギーシュの友人たちが、どっと笑った。

 

「給仕君。僕は君が香水の壜をテーブルに置いたとき、知らないフリをしたじゃないか。話を合わせるぐらいの機転があってもよいだろう?」

 

「どっちにしろ、二股なんかそのうちバレるっつの。あと、俺は給仕じゃない」

 

「ふん……。ああ、君は確か、あのゼロのルイ……」

 

「ヴァッシェン」

 

「ぐぼがぼっ」

 

そのとき、突如としてギーシュの頭上から大量の水が降ってきた。水はすぐに消えたが、ギーシュは苦しそうに咳き込んでいる。

 

「な……なにが起こったんだ?」

 

「失礼、ギーシュ様。濡れた髪と服のままでは風邪をひいてしまうと思いましたので、洗浄の魔術を使わせていただきました」

 

そう言いながら歩いてきたのはローゼマインだった。

 

「洗浄の魔術?」

 

ローゼマインの国特有の魔法なのかギーシュが不思議そうに問いかける。

 

「ええ、身体や衣服の他に椅子や床なども洗浄できるわたくしたちの国の魔術です。確認なさってはいかがですか?」

 

確かにギーシュの髪も服もギーシュ経由で垂れた床も綺麗になっている。とても便利な魔法だと思ったが、だったらさっき、ルイズの失敗魔法で汚してしまった教室でも使ってくれたらよかったのに。

 

「あ、ありがとう」

 

「いいえ、どういたしまして」

 

笑顔を浮かべると、ローゼマインは優雅に身を翻して去っていく。

 

「ふん……君も彼女に感謝しておくんだな」

 

「は? 感謝するのはお前だけだろ」

 

ローゼマインが不穏な雰囲気を晴らすために、割って入ってくれたことには何となく気づいていた。けれど、自分より随分と幼い見た目の少女に一方的に守ってもらったというのが悔しくて、つい余計な言葉が口をつく。

 

「どうやら、君は貴族に対する礼を知らないようだな」

 

「あいにく、貴族なんか一人もいない世界から来たんでね」

 

「よかろう。君に礼儀を教えてやろう。ちょうどいい腹ごなしだ」

 

「おもしれえ」

 

今の喧嘩は受ける必要などなかったものだ。けれど、ルイズを始め、出会う貴族全てに見下され続け、溜まった鬱憤が俺を粗暴にしてしまっていた。

 

貴族には絶対服従だとローゼマインは言っていた。俺の中の冷静な部分がやめろと警告してくれているにも拘わらず、俺は感情のままに勝負を受ける。

 

ギーシュは俺より背が高いが、ひょろひょろしてて、力はなさそうだ。けれど、ギーシュよりも更に力のなさそうなローゼマインに俺は光る紐で拘束されてしまい、手も足もでなかった。ギーシュも同じ力を持っていたら、勝つことはできないだろう。

 

「ここでやんのか?」

 

そう思いながらも俺はギーシュを挑発し続けてしまう。

 

「ふざけるな。貴族の食卓を平民の血で汚せるか。ヴェストリの広場で待っている。ケーキを配り終わったら、来たまえ」

 

ギーシュの友人たちが、わくわくした顔で立ち上がり、ギーシュの後を追った。

 

「あ、あなた、殺されちゃう……」

 

シエスタがぶるぶる震えながら言って、走って逃げていく。それを見ても、ああ、やはりそうなのか、と思うだけだった。

 

「あんた! 何してんのよ! 見てたわよ!」

 

後ろからルイズが慌てて駆け寄ってくる。

 

「怪我したくなかったら、謝っちゃいなさい。今なら許してくれるかもしれないわ」

 

「ふざけんな! なんで俺が謝んなくちゃならないんだよ! 大体、俺は親切に……」

 

「いいから」

 

ああ、やはり俺の言うことなんて聞いてくれないんだ。

 

「ヴェストリの広場ってどこだ」

 

俺とルイズのやり取りを見ていたギーシュの友人の一人が顎をしゃくる。

 

「こっちだ平民」

 

「ああもう! ほんとに! 使い魔のくせに勝手なことばかりするんだから!」

 

ルイズの声を背中に聞きながら、俺はギーシュの友人の後をゆっくりと付いて歩いた。



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平賀とギーシュの決闘

ヴェストリの広場は、魔法学院の敷地内、『風』と『火』の塔の間にある、中庭だった。西側にある広場なので、日中でも日があまり差さない。そんな広場が今は生徒たちであふれかえっている。わたしはその生徒たちの中に混じって魔法学院の生徒であるギーシュと平賀のことを見つめていた。

 

わたしがせっかく文字通り水を差したというのに、平賀はギーシュに突っかかり、今回の決闘騒ぎを引き起こしてしまった。正直、もう勝手にしろという気持ちもなくはないけど、それで実際に平賀が死んでしまったら後味が悪すぎる。なので、最悪の結末だけは回避しようと、野次馬に混ざって二人のことを見ているのだ。

 

「諸君! 決闘だ!」

 

ギーシュが薔薇の造花を掲げる。周囲の生徒は歓声を上げるが、わたしの感想は、馬鹿なんじゃないだろうか、という辛辣なものだ。それはわたしだけではなく、私を両側から護衛してくれているマティアスとラウレンツも同じであるようだ。

 

少なくともユルゲンシュミットでは貴族が平民を相手に決闘などしない。今回の場合ならば、ルイズに事実を伝えて、ルイズが平賀を処刑して終わりだ。ある意味ハルケギニアの方がまだ相手を一人の人間として見てると言えなくもないが、今回はそれが悪い方向に出てしまっているようだ。

 

それにしても誰かが傷つくのを見たいという醜悪な感情を露わにすることは、外聞を気にするユルゲンシュミットではありえない行為だ。こういった面ではハルケギニアは好きになれそうにない。

 

「ギーシュ様、少しよろしいでしょうか?」

 

仕方なくわたしはギーシュに向けて声をかけた。

 

「ミス・ローゼマインか。何だい?」

 

「決闘ならば立会人が必要でしょう。わたくしの護衛騎士のラウレンツは優秀な騎士です。立会人として適任だと思いますわ」

 

「立会人など必要ないが……まあ、いいでしょう」

 

ギーシュが認めたので、わたしはラウレンツに、どちらかの命に関わる事態になったら強制的に止めるよう言って二人の中間地点に送り出す。

 

ラウレンツが立ち止まったところで、改めてギーシュが平賀に呼び掛けた。

 

「とりあえず、逃げずに来たことは、誉めてやろうじゃないか」

 

「誰が逃げるか」

 

「さてと、では始めるか」

 

ギーシュが言うとほぼ同時に、平賀が駆け出す。一応、魔法を使われたら勝ち目はないとは分かっているようだ。けれど、ギーシュはそんな平賀を余裕の笑みで見つめると、薔薇の花を振る。宙に舞った花弁は、甲冑を纏った女戦士の人形になった。

 

身長は人間と同じくらいだけど、金属製だ。剣も出せない平賀では勝ち目はない。けれど、避けようもない魔法でないだけ、ましかもしれない。

 

「僕はメイジだ。だから魔法で戦う。言い忘れたな。僕の二つ名は『青銅』。青銅のギーシュだ。従って、青銅のゴーレム『ワルキューレ』がお相手するよ」

 

女戦士の形をしたゴーレムが平賀に向かって突進する。その後の展開は見たくない。わたしが血を見るのを嫌うことを知っているクラリッサが前に立って視界を遮った。その直後、平賀の呻き声が聞こえた。何の訓練も受けていない平賀では避けられないのも無理はない。

 

「なんだよ。もう終わりかい?」

 

「ギーシュ! いい加減にして! 大体ねえ、決闘は禁止じゃない!」

 

よく通る声でルイズがギーシュを怒鳴りつけた。

 

「禁止されているのは、貴族同士の決闘のみだ。平民と貴族の間での決闘なんか、誰も禁止していない。そんなに必死になるなんて、ルイズ、君はそこの平民が好きなのかい?」

 

「誰がよ! やめてよね! 自分の使い魔が、みすみす怪我をするのを、黙って見ていられるわけないじゃない!」

 

「そう思うのなら、ミス・ヴァリエールが自分の使い魔に決闘をやめるように命じるのが筋なのではないか?」

 

筋違いなことを言っているルイズに立会人のラウレンツが冷たく言い放つ。ラウレンツの意見はユルゲンシュミットの基準では当然の発言だ。主人である以上、ルイズが平賀の言動には責任を負うべきだからだ。

 

「あいつはわたしの言うことなんて聞かないのよ」

 

「それは、其方が主人としての資格に欠けるだけだろう。平民一人御せない分際で、他人に責任を押し付けるのか?」

 

「……だ、誰が怪我をするって? 俺はまだ平気だっつの」

 

言葉に詰まったルイズを助けるように平賀が声を発して立ち上がる。

 

「サイト!」

 

「……へへへ、お前、やっと俺を名前で呼んだな」

 

「わかったでしょう? 平民は、絶対にメイジに勝てないのよ!」

 

「……ちょ、ちょっと油断した。いいからどいてろ」

 

「おやおや、立ち上がるとは思わなかったな……。手加減が過ぎたかな?」

 

ギーシュの言葉を無視して平賀はゆっくりと前に向かって歩き出す。ルイズがその後を追いかけて平賀の肩を掴んだ。

 

「寝てなさいよ! バカ! どうして立つのよ!」

 

「ムカつくから」

 

「ムカつく? メイジに負けたって恥でもなんでもないのよ!」

 

「うるせえ。いい加減、ムカつくんだよね……。メイジだか貴族だかしんねえけどよ。お前ら揃いも揃って威張りやがって。魔法がそんなに偉いのかよ。アホが」

 

貴族全体を馬鹿にするような平賀の発言に、ラウレンツがさすがに顔色を変えた。これは立会人としてラウレンツを向かわせたことは間違いだったかもしれない。

 

「やるだけ無駄だと思うがね」

 

「全然利いてねえよ。お前の銅像、弱すぎ」

 

更にギーシュを挑発した平賀はその後も一方的にやられているようだった。無策のまま、ただ立ち上がっては倒されるを続けているようだ。平賀なりの意地なのだろう。その気持ちは分からなくはない。わたしも前の神殿長の横暴によって神殿に入れられそうになったときには、平賀と同じような反発心を持った。けれど、今はそれだけではどうにもならないことも知ってしまっている。今の平賀を庇うことはできない。

 

「お願い。もうやめて。もういいじゃない。あんたはよくやったわ。こんな平民、見たことないわよ」

 

ルイズは必死に平賀を止めようとしているみたいだけど、本当に止めたいならルイズが力づくで止めるべきだ。この期に及んでもお願いの時点で甘いと考えてしまうのは、わたしがユルゲンシュミットに毒されすぎだろうか。

 

「君。これ以上続ける気があるのなら、その剣を取りたまえ。そうじゃなかったら、一言こう言いたまえ。ごめんなさい、とな。それで手打ちにしようじゃないか」

 

「剣とはどういうことですか?」

 

視界の大部分がクラリッサの背中であるわたしが聞くと、ギーシュが花弁を剣に変えて平賀に向けて投げたのだと説明してくれた。

 

「わかるか? 剣だ。つまり『武器』だ。平民どもが、せめてメイジに一矢報いようと磨いた牙さ。未だ噛みつく気があるのなら、その剣を取りたまえ」

 

「だめ! 絶対にだめなんだから! それを握ったら、ギーシュは容赦しないわ!」

 

「俺は下げたくない頭は、下げられねえ」

 

決着が近いのが分かり、わたしはクラリッサに視界を開けてもらった。ルイズの言葉が本当なら、次のギーシュの攻撃は危険だ。それが命に関わるものならわたしはラウレンツに決闘を止めてもらわなければならない。

 

「まずは、誉めよう。ここまでメイジに楯突く平民がいることに、素直に感激しよう」

 

剣を握った平賀にギーシュが冷たく微笑みながら言って、ゴーレムを突進させる。初めてまじまじと見たが、ゴーレムの動きはそれほど早くない。平民の兵士であるわたしの父さんでも、ある程度は戦えるくらいに見えた。

 

それでも、ただの高校生に勝てる相手には見えない。けれど、青銅の塊を平賀はあっさりと両断していた。

 

「あれだけ戦えるのに、どうして今まで一方的だったのです?」

 

「これまでは満足に動けていませんでした。どうして急に強くなったのか分かりません」

 

答えたクラリッサも困惑しているようだ。その後、ギーシュは新たなゴーレムを六体追加したが、それも全て平賀の剣によって切り裂かれた。

 

平賀に顔を蹴られたギーシュが吹き飛び、地面に転がった。倒れたギーシュに向けて平賀が跳躍する。

 

「シュベールト」

 

そこに割り込む影があった。シュタープを剣に変化させたラウレンツだ。平賀の剣は割り込んだラウレンツによって完全に受け止めれられている。

 

「わきまえろ、平民」

 

ラウレンツが平賀に向けて猛攻を仕掛ける。ギーシュのゴーレムに完勝した平賀も、貴族院で護衛騎士の優秀者になったラウレンツの剣技には明らかに劣っている。一応、加減はしているのか、騎獣を使わず、魔力を打ち出す攻撃もしていないが、それでも瞬く間に持っていた剣を弾き飛ばされた。

 

「うぐっ」

 

剣を手放し、地面に転がった平賀が呻き声をあげる。そして、そのまま平賀は気絶したようだった。

 

「今のは気絶するほどの衝撃だったでしょうか?」

 

「いいえ、そうは見えませんでした。おそらく、元からかなり傷ついていた所にラウレンツにまるで歯が立たず、戦意を喪失したのではないでしょうか」

 

「ともかく、治療が必要そうですね」

 

わたしはまず決闘のもう一方の当事者であるギーシュの元に向かった。

 

「わたくしの護衛騎士が無礼な平民に我慢がならず、割って入ってしまいました。ギーシュ様の決闘を穢してしまったことお詫び申し上げます」

 

「いや……それより、ミス・ローゼマインの騎士は強いのだな」

 

ラウレンツが間に入らなければ、ギーシュは危ない所だった。助けられたということは分かるが、負けを認める訳にはいかないギーシュは微妙に話を逸らす。

 

「ラウレンツをお褒めいただき、ありがとう存じます。それで、あの平民ですが、処置はわたくしにお任せいただけませんでしょうか?」

 

「ああ、それは構わないが……」

 

「ありがとう存じます」

 

まあ命を助けられたんだから、ギーシュとしては断れないよね。ともかく平賀は貴族を傷つけてしまった。何とかしてわたしが身柄を預からないと、命が危ないのだ。

 

「ラウレンツ、彼を運んでくださいませ」

 

ラウレンツにかつがせた平賀は、とりあえずルイズの部屋に運びこめばいいだろう。そう考えてわたしはルイズに声をかけて彼女の部屋へと向かった。



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伝説のルーン

ジャン・コルベールはトリステイン魔法学院に奉職して二十年。中堅の教師である。二つ名は『炎蛇のコルベール』。『火』系統の魔法を得意とするメイジである。

 

コルベールは先日の『春の使い魔召喚』の際に、ルイズが呼び出した平民の少年のことが気にかかっていた。正確にいうと、その少年の左手に現れたルーンのことが気になってしかたなかった。

 

元々、コルベールはキュルケが呼び出してしまったローゼマインという少女の帰還の手掛かりを探すために図書館に頻繁に訪れていた。けれど、昨日の夜からは目的をルーンの調査に変え、図書館にこもりっきりで書物を調べていたのだ。

 

そして、その努力は報われた。コルベールは古書の一節の中に少年の左手に現れたルーンと同じものを見つけ出した。

 

コルベールは本を抱えると、学園長室へと向かい、そのままドアを開けて室内へと飛び込んだ。

 

「オールド・オスマン! 大変です! これを見てください!」

 

コルベールが差し出したのは、図書館から持ち出した本だ。

 

「これは『始祖ブリミルの使い魔たち』ではないか。ああ、そういえばミス・ローゼマインの帰還の方法を探るために古い文献を漁っておったのだったな。それで、彼女たちの帰還に繋がる何かを見つけたのか?」

 

「いえ、ミス・ローゼマインに関することではありません。ですが、こちらも一大事です。これを見てください!」

 

コルベールが手渡したのは、ルイズが呼び出した少年に現れたルーンのスケッチだ。

 

それを見た瞬間、オスマンの表情が変わった。目が光って厳しい色になった。

 

「ミス。ロングビル。席を外しなさい」

 

室内にいたロングビルの退室の確認したオスマン促され、コルベールはルイズが春の使い魔召喚の際に平民を呼び出したこと、ルイズがその少年と『契約』した証明として現れたルーン文字が珍しいものであったことを説明した。

 

「それで気になって調べていたところ……」

 

「始祖ブリミルの使い魔『ガンダールヴ』に行き着いた、というわけじゃね?」

 

「そうです! あの少年の左手に刻まれたルーンは、伝説の使い魔『ガンダールヴ』に刻まれていたモノと全く同じであります! あの少年は、『ガンダールヴ』です!」

 

興奮のままにコルベールはまくし立てた。

 

「ふむ……。確かに、ルーンが同じじゃ。だが、それだけでただの平民だったその少年が、『ガンダールヴ』になった、と決めつけるのは早計かもしれん」

 

言われてみればその通りだ。コルベールも少し冷静になりオスマンの言葉に頷く。その直後に、ドアがノックされた。

 

「ヴェストリの広場で、決闘をしている生徒がいるようです。大騒ぎになっています。止めに入った教師がいましたが、生徒たちに邪魔されて、止められないようです」

 

扉の向こうから聞こえてきたのは、ロングビルの声だった。

 

「まったく、暇をもてあました貴族ほど、性質の悪い生き物はおらんわい。で、誰が暴れておるんだね?」

 

「一人は、ギーシュ・ド・グラモン。もう一人はミス・ヴァリエールの使い魔の少年のようです。教師たちは、決闘を止めるために『眠りの鐘』の使用許可を求めております」

 

つい先程まで話題になっていた少年が出てきたことに、コルベールはオスマンと顔を見合わせる。

 

「たかが子供のケンカを止めるのに、秘宝を使ってどうするんじゃ。放っておきなさい」

 

オスマンが方便としてそう言ったのだということは、すぐに分かった。実際、ロングビルが去っていく足音が聞こえると、オスマンはすぐに杖を振った。壁にかかった大きな鏡に、ヴェストリの広場の様子が映し出された。

 

そこでは、使い魔の少年が酷い状態で倒されていた。ルイズが少年の傍に立ち、ギーシュに向けてやめるように言い、ローゼマインの護衛騎士だというラウレンツという少年に筋違いだと一蹴されていた。

 

それで少年がギーシュのゴーレムに、歯が立たなかったのだと理解できた。やはり伝説は伝説に過ぎなかったのだ。少しがっかりしていると、俄かに状況が変化した。ギーシュが少年に向けて剣を投げ渡したのだ。

 

「学園長、これは拙いのではないでしょうか」

 

「うむ、確かに」

 

このままでは少年の命が失われることになる。興味本位で決闘を止めず、その結果、少年の命を失わせては決闘をしているギーシュ以上に醜悪だ。ローゼマインの側近が両者の間にいるため、止めてくれる可能性は残っているが、それとて確実ではない。遅ればせながら止めに行こうと部屋を飛び出しかける。しかし、その直後に思いがけない映像を目にすることになった。

 

少年がギーシュのゴーレムを両断した。それも、一体だけでなく六体を立て続けに。平民の少年がメイジであるギーシュに勝利しようとしている。だが、事態はまたまた急変する。少年とギーシュの間に割って入ったラウレンツという少年がどこからともなく取り出した剣で猛然と少年に斬りかかっていったのだ。

 

少年がギーシュのゴーレムを屠った際の剣技は見事なものだった。しかし、ラウレンツの技量はそれをも遥かに上回っている。少年は瞬く間に気絶させられてしまった。

 

「あの少年はギーシュには勝ったが、ラウレンツには手も足も出なかったように見えたが、どのように解釈すればよいかな?」

 

「ラウレンツは明らかに戦い慣れていると感じました。王族であるローゼマインの護衛騎士を任されていることからも、普通のメイジではないと考えた方がよいでしょう。それよりも一番レベルの低い『ドット』メイジとはいえ、ただの平民にギーシュが後れをとるとは思えません」

 

「ううむ……」

 

オスマンもこの事態の異常さは理解しているように思えるのだが、どうにも反応が薄い。コルベールはオスマンが対処に迷っているように感じた。現代に蘇ったガンダールヴに興奮しているコルベールには、その反応はいささかもどかしいものだった。

 

「始祖ブリミルの用いた『ガンダールヴ』は、姿形は記述はありませんが、千人もの軍隊を一人で壊滅させるほどの力を持ち、並みのメイジではまったく歯が立たなかったと伝え聞きます。そのガンダールヴが現代に蘇ったとなれば、これは世紀の大発見ですよ。さっそく王室に報告して、指示を仰がないことには……」

 

「それには及ばん」

 

「どうしてですか?」

 

「王室のボンクラどもにそんなオモチャを与えてしまっては、またぞろ戦でも引き起こすじゃろうて。宮廷で暇をもてあましている連中はまったく、戦が好きじゃからな」

 

そう言われて、それまでの興奮が急速に醒めた。コルベールは別に戦を引き起こすことを望んでなどいない。

 

「この件は私が預かる。他言は無用じゃ。ミスタ・コルベール」

 

「は、はい! かしこまりました!」

 

戦の可能性を指摘されれば、コルベールもオスマンの意見には同意せざるを得ない。当面、少年については静観と決まった。しかし、それで終わりとはできない。

 

「では、私は彼の元に行ってきます。随分と酷い怪我をしていたようですから」

 

コルベールたちが興味を優先した結果、少年は大きな怪我をしてしまった。罪滅ぼしではないが、治癒の呪文を使うことのできる教師の派遣くらいはしてあげよう。そう考えて同僚の教師と共に少年が運び込まれたというルイズの部屋を訪れた。

 

部屋の中にはラウレンツとクラリッサという少女、そして彼らの主であるローゼマインがいた。ローゼマインはシュタープという彼らの杖を構えている。

 

「シュトレイトコルベン」

 

ローゼマインがそう唱えるとシュタープが金で作られた杖へと変化した。杖は緑に透き通った石がいくつも付いていて神秘的な美しさを纏っている。

 

「水の女神フリュートレーネの眷属たる癒しの女神ルングシュメールよ。我の祈りを聞き届け聖なる力を与え給え。傷つけれられし民を癒す力を我が手に。御身に捧ぐは聖なる調べ。至上の波紋を投げかけて清らかなる御加護を賜わらん」

 

杖から緑の光が溢れて少年の身体を包む。少年の傷は見る間に癒えていき、怪我をしていたと分かるのは服の汚れのみになった。

 

「ミス・ローゼマイン、今の治癒には、どのくらいの秘薬を用いたのですか?」

 

信じられないほど高度な治癒を見せられたコルベールは、興奮のままローゼマインへと質問する。

 

「回復薬は用いていないのは、ご覧になっていたと思いますけど?」

 

対するローゼマインの反応は極めて薄いものだった。少年の傷は、治癒の呪文の他に高価な秘薬が必要な重いものであった。それを、これだけの短時間で、何の秘薬も用いずに成し遂げた。だとすると、彼女は治癒に関してはスクウェアクラスのメイジをも超えていることになる。

 

いや、驚くのは今さらかもしれない。彼女には今日まで毎日のように驚かされてきたのだから。コルベールは深くため息をつき、せっかく来てもらったのに何の仕事もなかった治癒の得意な教師とともにルイズの部屋を後にした。



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トリステインの城下町

ハルケギニアにおいての虚無の曜日は日本の日曜日、ユルゲンシュミットの土の日に該当する。つまりは休日だ。

 

わたしは護衛騎士と文官全員、加えてリーゼレータを連れてトリステインの城下町に赴いている。ちなみにグレーティアだけ留守番となったのは、今のわたしに不足している下着やらを作るためということだった。リーゼレータが同行しているのはトリステインで昼食を取る予定だからだ。

 

わたしたちの騎獣はハルケギニアでは目立つようなので、側近たちは町の手前で騎獣を降り、徒歩でトリステインへと向かう。わたしだけは体力に不安があるので地上を一人用の騎獣で移動だ。

 

「今日は町の中を見て回るだけということでよろしいのですか?」

 

「ええ、基本的にはそのつもりです。まずはハルケギニアで何が価値が高いのかを把握しなければ、お金を稼ぐにも適切な方法が分かりませんから」

 

聞いてきたハルトムートに答えながら、わたしはクラリッサに預けている財布の中身を思い浮かべた。財布の中にはひとまずということでオスマンから渡された新金貨二百枚が入っている。けれど、今のわたしには、それがどのくらいの価値かすら分からないのだ。

 

「それにしても、カードが使えないというのは不便ですね」

 

クラリッサが言ったカードとは持ち主の魔力が登録された魔術具だ。決済機能もあるためにユルゲンシュミットでは基本的に現金を大量に持ち歩くということがないし、魔力登録がされているため他人が使うこともできない。ハルケギニアには小切手があるようだが、今のわたしたちには危険すぎる代物だ。

 

ともかく、そういうわけで財布を持って歩いているわけだが、元より財布に気を付けるという経験がないため、意識はどうしても薄くなってしまう。もっともクラリッサは護衛についての知識があり、自分に向かってくる敵への警戒心は高い。そのため、財布に対するという意味での意識はなくとも強盗やスリの類に対する備えは万全だ。警戒心が薄いと言われているわたしが持つより安心だろう。

 

トリステインの町はエーレンフェストにも似た白い石造りの町並みだった。違いとしてはエーレンフェストのように石造りの建物の上に木造の建て増しがされておらず、全体的にすっきりしているところだろうか。そんな街中の幅が五メートルほどの道端では、果物や肉を売る商人たちの姿があり、声を張り上げて町を歩く色々な人に声をかけている。

 

「狭いですね」

 

エーレンフェストの貴族街はそもそも人が歩いているということがない。貴族街で暮らしていたローデリヒには初めて味わう光景だろう。

 

「人は多いですが、思ったより綺麗に整えられていますね」

 

一方、土地持ちであるギーベの子であるマティアスとラウレンツは道幅や状況に関しては耐性があるようだが、警護の面でも大勢の平民の中を歩くというのは抵抗があるようだ。ぴりぴりした雰囲気の二人を見て町を歩く人たちの方が道を空けてくれている。

 

わたしは心の中で通行人に謝罪しながら、優雅に歩を進める。場所が場所だけに、完全に周囲から浮いているが、側近たちの手前、やめるわけにはいかないのだ。

 

「道の端で売られているものの値段も重要な材料です。記録をしておいてくださいませ」

 

「平民が使う物の値段を記録して、何か参考になるのですか?」

 

「ローデリヒ、わたくしたちが使う物は平民が使う物と品質は違いますが、物自体は同じという物もたくさんあるのですよ。今のわたくしたちはハルケギニアの上級貴族の使う物の値段は調べられませんが、下町の中で貧民が使う物、普通の平民が使う物、富豪が使う物、それらの値段から推測することは可能です」

 

わたしが説明すると、ローデリヒは納得したようで、主要な商品の値段の記録を始める。それにしても店の品揃え自体はエーレンフェストより格段に上のように見える。領主の養女となってからはギルベルタ商会の方が商品を持ち込んでくるため、わたしの記憶は神殿時代で止まっている。けれど、交易が活発になった分の増加を見越しても商業力では負けていると見た方がいいだろう。

 

めぼしい商品と値段について文官たちに記録をさせながら大通りを歩く。すると、不意に懐かしいものが目に入った。

 

それは、ユルゲンシュミットにはないが、日本では普通だったドロワーズではない下着、いわゆるパンツだ。さすがに領主候補生となって長いのでドロワーズにも慣れたけど、慣れで言えば日本で二十年以上に渡って身に着けたものだし、何より見た目がかわいい。

 

けれど、わたしの下着は学院に残ったグレーティアが、まさに作っている最中だ。ここで別の下着を買って帰っては、いかに形状が大きく違うとは言ってもグレーティアの腕に不安を持っていて、任せられないと思ったからであると誤認させてしまうだろう。

 

ただでさえ慣れぬ異世界で側仕えもいない不自由を強いている側近たちに、余計な心労まで負わせることはできない。わたしが泣く泣く下着の購入を見送り歩いていると、今度は見知った顔を見つけた。

 

「キュルケもトリステインに来ていたのですね」

 

「え、ローゼマイン? タバサ!」

 

「サイレント」

 

キュルケの隣にいた青みがかった髪と、ブルーの瞳の小柄な少女が自分よりも大きな杖を振ると、キュルケの声が聞こえなくなる。最初は盗聴防止の魔術具かと思ったが、範囲内では誰も声が聞こえなくなるようだ。これでは密談には使えない。キュルケに手を引かれて少し離れたところで青髪の少女は魔法を解いた。

 

「どうして声を発せなくしたのですか?」

 

「今、ルイズとサイトの後をつけているのよ」

 

「どうしてお二人の後をつけているのです?」

 

「あたしね、恋したの!」

 

堂々と言い切ったキュルケに、わたしは呆然とするしかない。

 

「サイトがギーシュを倒したときの姿、かっこよかったわ。まるで伝説のイーヴァルティの勇者みたいだったわ! あたしね、それを見て痺れたのよ。信じられる! 痺れたのよ! 情熱! あああ、情熱だわ!」

 

「え……サイトでそれでしたら、ラウレンツはどうなるのです?」

 

「もちろん、ラウレンツには最初に声をかけたわ。けれど、ラウレンツはあたしにまるで興味を示さない様子だったから諦めたの」

 

興味を示さないどころか、物語中にキスが出ただけで官能小説扱いされるほど慎み深いユルゲンシュミットの貴族にキュルケのアプローチの仕方では、さぞかしドン引きされたことだろう。現に今現在、わたし以外の全員がキュルケを蔑んだ目で見ている。

 

神様表現満載で何が言いたいのか分からないユルゲンシュミット式も困るけど、情熱的すぎるキュルケにも困る。日本にいた頃のわたしは浮いた話なんてまったくなかったのだ。キュルケに対してどういう言葉を返せばいいのかなんて分かるはずがない。

 

「そちらの女性は教室で見たことがございますけど、キュルケのお友達なのですか?」

 

これ以上、キュルケに喋らせるのは拙いと考えたわたしは話題を変えることにした。

 

「ええ、彼女はタバサ。若く見えるけど十五歳なの」

 

「まあ、そうなのですか。わたくしも、年齢より幼く見られてしまうので、ミス・タバサには親近感が湧きますね」

 

タバサの身長は百四十センチほどだ。わたしほどではないが、だいたい二歳くらいは幼く見られそうだ。

 

「ところで、ルイズから目を離してしまっているようですけど、大丈夫なのですか?」

 

「心配ないわ。タバサの使い魔が見張ってるから」

 

「もしかして、上空で旋回を続けている生き物がそうなのですか?」

 

聞いたのはマティアスだ。野生の生き物にしては同じところをぐるぐると飛んでいて不審に思っていたらしい。

 

「そう、名前はシルフィード」

 

タバサの使い魔のシルフィードはウィンドドラゴンという種族の幼生らしい。ドラゴンまで出てくるなんて、ユルゲンシュミットとは種類が違うけど、やっぱりファンタジー世界だとつくづく思う。

 

「そういえばタバサ、今はサイトたちはどこにいるの?」

 

「少し前に武器屋に入った」

 

「ゼロのルイズったら……、剣なんか買って気を引こうとしちゃって……。あたしが狙ってるってわかったら、早速プレゼント攻撃? なんなのよ!」

 

キュルケが地団太を踏んでいる。一方のタバサはそんなキュルケを無視して本を開いた。大事なことなので、もう一度、確認する。タバサは本を開いて読み始めている。

 

「ミス・タバサ。それは本で間違いありませんよね!」

 

「そう」

 

「素晴らしいです。神に祈りを!」

 

本を持ち歩いて暇があれば読み始めるというのは、まごうことなき本好きだ。わたしが思わず両手を大きく広げ、左ひざを上げ、天を仰ぎ見る祈りの姿勢を取ってしまう。その瞬間、どばっと祝福の光が溢れた。

 

周辺がざわざわとし始めるのが分かる。一方のわたしはだらだらと背中に冷や汗をかく。わたしの歓喜と共に溢れ出る祝福の光はユルゲンシュミットにおいても異質だった。いわんやハルケギニアでは。

 

「ちょ、ちょっと、行くわよ。ローゼマイン」

 

「はい」

 

キュルケに導かれ、とりあえずルイズたちが入ったという武器屋に逃げ込むことにした。別にわたしは武器屋に興味はないのだけど、初めての場所でどこに行けばよいか思い浮かばなかったのだ。

 

とにかく身を隠せるところに向かって、始めの少しだけは自力で、少し後にはクラリッサに抱えられて走る。とりあえず祝福の光を溢れさせないように抑える方法と共に体力の向上もしないと駄目っぽいというのは分かった。

 

「おや! 今日はどうかしてる! また貴族だ……ってどうかしましたか?」

 

ハアハアと肩で息をしている貴族の大集団を見た店主が目を白黒させている。ちなみにルイズたちはすでに退店していたようで姿はない。

 

「ねえご主人、先程の貴族が何を買っていったかご存知?」

 

気を取り直してキュルケが尋ねる。

 

「へ、へえ。剣でさ。ボロボロの大剣を一振りです。へえ」

 

「ボロボロ? どうして?」

 

「あいにく、持ち合わせが足りなかったようで。へえ」

 

その説明にキュルケは大声で笑うと、今度は自分に剣を見繕うよう店主に依頼する。その光景は完全に購入を決めている者の仕草で、キュルケの駆け引きの下手さにわたしは少しだけ眉をひそめてしまう。

 

もみ手をしながら奥に消えた主人が持ってきたのは、ところどころに宝石が散りばめられた、鏡のように刀身が光る両刃の大剣だった。

 

「あら。綺麗な剣じゃない」

 

キュルケはまず煌びやかな見た目が気に入ったようだ。

 

「さすがお目が高くていらっしゃる。この剣は、先ほどの貴族のお連れ様が欲しがっていたものでさ。しかし、お値段の加減が釣り合いませんで。へえ」

 

「ほんと?」

 

「さようで。何せこいつを鍛えたのは、かの高名なゲルマニアの錬金魔術師シュペー卿で。魔法がかかってるから鉄だって一刀両断でさ。ごらんなさい、ここにその名が刻まれているでしょう?」

 

その話を聞いて、わたしは密かに疑問に思う。名が刻まれていたとしても、実際に名を刻まれた者が鍛えたとは限らない。高名であれば高名であるほど贋作というものは出回るものだからだ。

 

「おいくら?」

 

キュルケはすっかり買うつもりになっているようだ。これは良くない。

 

「へえ。エキュー金貨で三千。新金貨で四千五百」

 

「ちょっと高くない?」

 

「へえ、名剣は、釣り合う黄金を要求するもんでさ」

 

しかも、かなりの高値を吹っかけられているものとみた。

 

「その剣、わたくしにも見せてくださいませ」

 

「……お嬢様が持つのは難しいと思いますぜ」

 

「わたくしではなく、わたくしの護衛騎士が持つので問題ございません。ラウレンツ」

 

「はっ!」

 

ラウレンツが捧げるように持った剣に向けてわたしは薄く魔力を流し込んでみる。染めるためでなく、剣に込められた魔力を測るためなので、加減を間違えないように。そうして得られた結果はというと、あまり良いものではなかった。

 

「こちらは、本当に魔剣なのですか?」

 

「な……何をおっしゃられますので!?」

 

「わたくし、この剣からは魔力を感じることができないのですけど?」

 

「私にも試させてください」

 

そう言ったのはハルトムートだ。優秀な文官であるハルトムートは素材の魔力を感じ取ることも得意なのだ。

 

「確かに、この剣からは魔力を感じません」

 

ハルトムートが断言したことでマティアスとラウレンツの表情が厳しくなった。

 

「其方、これはどういうことだ?」

 

シュタープを剣に変形させ、喉元に突き付けながらのマティアスの問いに店主は震えあがっている。貴族を騙したとなれば、ただでは済まないだろう。わたしは慌てて取り成すために前に出る。

 

「マティアス、この店主は平民です。おそらく魔力を感知できなかったのでしょう。それよりも先程の平民が扱いやすい手ごろな剣を見繕ってくださいませ」

 

「へ、へえ。こちらなどいかがでしょう」

 

そう言って店主が持ってきたのは、かなり細身の剣だった。

 

「もういいです。ラウレンツ、見繕ってくださいませ」

 

ラウレンツは平賀がもっと丈夫な剣を振っていたのを見ている。ラウレンツは平賀が素人であることを知っているので、ギーシュが渡した剣に似た形状だが、まずは訓練用の剣を見繕ってくれた。

 

「キュルケ、今のサイトに必要なのはまずは基礎用の道具です。良い剣は筋力を付け、自分に最適な剣が分かった時点で買い求めれば良いのです。まずは見習いに必要な道具を買い与えることが大切だと思いますよ」

 

「分かったわ、ローゼマイン。貴女が言うのなら、そうなのでしょうね。こちらをいただくことにするわ」

 

「へ、へえ。ご迷惑をお掛けしたお詫びです。そちらはお持ちください」

 

「あら、じゃあ、いただいていくことにするわ」

 

タダで、ということには抵抗を感じたが、一方で側近たちは貴族相手に贋作を高値で売ろうとしたことに怒り心頭の様子だ。これぐらいが落としどころかもしれない。

 

こうしてわたしの初トリステイン訪問は武器屋から剣一振りを奪うことを最大の成果として終わりを迎えた。




トリステインで本屋は見つけていません。
初のトリステインということでただでさえ長いのに、この上に本屋でのあれこれを書き始めると前後半に分けなければいけなくなりますから。


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土くれのフーケ

トリステインには『土くれ』の二つ名で呼ばれ、国中の貴族を恐怖に陥れているメイジの盗賊がいた。土くれのフーケである。

 

フーケの盗み方は、繊細に屋敷に忍び込んだかと思えば、別荘を粉々に破壊して、大胆に盗み出したり、白昼堂々王立銀行を襲ったと思えば、夜陰に乗じて邸宅に侵入する。

 

神出鬼没の大怪盗。メイジの大怪盗。それが土くれのフーケだ。

 

フーケの行動パターンが読めず、トリステインの治安を預かる王室衛士隊の魔法衛士たちも、振り回されている。

 

しかし、盗みの方法には共通する点があった。フーケは狙った獲物が隠されているところに忍び込むときには、主に『錬金』の魔法を使う。『錬金』の呪文で扉や壁を粘土や砂に変えて、穴を空けて潜り込む。

 

貴族だってバカではないから当然対策は練っている。屋敷の壁やドアは、強力なメイジに頼んでかけられた『固定化』の魔法で『錬金』の魔法から守られている。しかし、フーケの『錬金』は強力で、大抵の場合、『固定化』の呪文などものともせず、ただの土くれに壁や扉を変えてしまうのだ。

 

『土くれ』は、そんな盗みの技からつけられた、二つ名なのだ。

 

忍び込むばかりでない。時には力任せに屋敷を破壊することもある。そんなときには巨大な土ゴーレムを使う。その身の丈はおよそ三十メイル。

 

そんな土くれのフーケの正体を見たものはいない。男か、女かもわかっていない。ただわかっていることは、おそらくトライアングルクラスの『土』系統のメイジであること。

 

そして、犯行現場の壁に『秘蔵の○○、確かに領収いたしました。土くれのフーケ』と、ふざけたサインを残していくこと。いわゆるマジックアイテム、強力な魔法が付与された数々の高名なお宝がフーケは何より好きなのだ。

 

そんなフーケは、巨大な二つの月に照らされた魔法学院の本塔の外壁にいた。フーケがいる壁の向こう、本塔の五階に魔法学院の宝物庫はある。

 

「さすがは魔法学院の本塔の壁ね……。物理攻撃が弱点? こんなに厚かったら、ちょとやそっとの魔法じゃどうしようもないじゃないの!」

 

『土』系統のエキスパートとして足の裏で測った壁の厚さはフーケの巨大ゴーレムの力でも壊せそうにないものだった。

 

「やっとここまで来たってのに『破壊の杖』を諦めるわけにゃあ、いかないね……」

 

珍しいマジックアイテムというだけなら、ローゼマインという異国の少女が持っていると思われる数々の品も魅力的ではある。特にオスマンが譲り受けたオルドナンツという品はフーケにとっても魅力的な品だ。

 

だがローゼマインが持つ品は、彼女の国では一般的なマジックアイテムの様子で、実際、彼女の側近たちは日常的にそれらの品を使っている。フーケは怪盗なのであり、貿易商ではないのだ。それがどんなに便利なものであっても、異国では価値は低いが、トリステインでは価値の高いものを集めて喜ぶような癖はない。

 

いかに品自体は魅力的でも、それではフーケの獲物としては不十分だ。やはり、初志貫徹で『破壊の杖』を狙うべきだろう。もっとも、ローゼマインの周辺は魔法学院の宝物庫よりも厳重な警戒がなされており、そもそも近づけないということもあるが。

 

そんなことを考えていると、誰かが近づく気配を感じた。壁を蹴り、すぐに地面に飛び降りる。地面にぶつかる瞬間、『レビテーション』を唱え、回転して勢いを殺し、羽毛のように着地する。それからすぐに中庭の植え込みに姿を隠した。

 

やってきたのは学院内でも有名人であるキュルケとルイズ。それにタバサとルイズの使い魔の少年。加えてローゼマイン一行だった。

 

植え込みの中から聞き耳を立てていると、どうやらキュルケとルイズが使い魔の少年に剣を贈り、そのどちらを使ってもらうのかで争っているようだった。実にくだらない。早く立ち去りたい気分になったが、ローゼマインの護衛騎士という少年二人は油断なく周囲を見張っており、迂闊に動くと見つかってしまいそうだ。

 

言い争いを続けたキュルケとルイズは、そのうちに何か解決策に至ったらしく使い魔の少年を本塔の上からロープで吊るし始めた。キュルケとルイズとローゼマインたちは地面に残り、タバサがウィンドドラゴンに跨り本塔の屋上に向かう。

 

「いいこと? ヴァリエール。あのロープを切って、サイトを地面に落としたほうが勝ちよ。勝った方の剣をサイトは使う。いいわね?」

 

どうやら二人は妙な競技の勝敗で、どちらの剣を使うかを決めることにしたようだ。先攻はルイズで、そのルイズは『ファイヤーボール』の呪文を唱えた。

 

その次の瞬間、宝物庫辺りの壁が爆発した。壁には大きなヒビが入っている。

 

あんな風にモノが爆発する呪文なんて見たことがない。けれど、今はそれどころではない。このチャンスを逃してはいけない。

 

気になるのは実力が未知数のローゼマインとその側近たちがいることだ。けれど、フーケは自分の土ゴーレムに自信を持っている。少しの逡巡の後、行動に移すことにした。

 

キュルケが『ファイヤーボール』を唱えてロープを燃やし尽くし、屋上にいたタバサが少年を『レビテーション』で受け止めていたが、そんなことは知ったことではない。長い詠唱を完成させて、地面に向けて杖を振る。

 

作り出したのは巨大な土ゴーレムだ。それを一直線に宝物庫に向けて進ませる。

 

「ローゼマイン様!」

 

ローゼマインの護衛騎士のマティアスが即座に警告の声を発し、それでゴーレムに気づいたキュルケが悲鳴を上げて逃げ出した。一方、ルイズは使い魔の少年の身体に巻き付いたままのロープを懸命に解こうとしている。

 

ここは強力なメイジが多数いるトリステイン魔法学院だ。時間をかけて教師たちに気づかれれば、いくらフーケでも危険だ。可哀想だが、構わずゴーレムを前進させる。そのときローゼマインが聞いたことのない呪文を詠唱しているのに気が付いた。気にはなるが、今のフーケには構わず前に進むくらいしかできない。

 

「守りを司る風の女神シュツェーリアよ。側に仕える眷属たる十二の女神よ。我の祈りを聞き届け、聖なる力を与え給え。害意持つものを近付けぬ風の盾を、我が手に」

 

フーケのゴーレムがルイズたちを踏み潰すより早く、ローゼマインの呪文の詠唱が完了した。ルイズとその使い魔の少年は黄色に透き通った半球状の幕の中にいる。その幕に触れた瞬間、フーケのゴーレムは強風に煽られて転倒した。

 

フーケのゴーレムは三十メイルを超える巨体だ。その足を受け止めるだけでも驚異的なのに、吹き飛ばして転倒させられるとは思ってもみなかった。驚愕しながらもゴーレムを再び立ち上がらせる。

 

あの黄色い幕は強力な防御魔法のようだ。それなら触れなければいいのだ。フーケの今回の狙いは宝物庫の破壊の杖だ。最短だから踏み潰そうとしただけで、絶対に踏み潰さなければならないわけではない。

 

頭からすっぽりと覆う黒いローブを頼みに、逃げ惑うキュルケや、ウィンドドラゴンで上空を舞うタバサ、ローゼマインの魔法の中で呆然としているルイズたちを無視して本塔に向かう。そうしてヒビが入った壁に土ゴーレムの拳を打ち下ろす。

 

インパクトの瞬間にゴーレムの拳を鉄に変えると、壁に拳がめり込んだ。バカッと鈍い音がして、壁が崩れる。黒いローブの下で、フーケは微笑んだ。

 

フーケは土ゴーレムの腕を伝い、壁にあいた穴から宝物庫の中に入り込んだ。

 

中には様々な宝物があった。しかし、フーケの狙いはただ一つ、『破壊の杖』である。

 

『破壊の杖。持ち出し不可』と書かれたプレートがかけられた品を手に取る。その軽さに驚いたが、今は考えている暇はない。

 

ローゼマインも、その護衛騎士も実力は未知数。他にどんな力を隠し持っているか分からない。

 

『破壊の杖、確かに領収しました。土くれのフーケ』

 

お決まりの文字を壁に刻んだフーケは急いでゴーレムの肩に乗ると、城壁をひとまたぎで乗り越えて草原を進む。そこで土ゴーレムを崩し、降り注ぐ土の中に紛れてフーケはその姿を隠した。



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フーケの追跡

フーケによる破壊の杖の強奪事件から一夜が明けた。けれど、トリステイン魔法学院では、昨夜から蜂の巣をつついたような騒ぎが未だに続いている。

 

宝物庫には、学院中の教師が集まり、まずは壁にあいた大きな穴を見て、口をあんぐりとあけていた。次いで、フーケの暴挙に憤り、その後は責任の所在の議論を始める。

 

「衛兵はいったい何をしていたんだね?」

 

「衛兵などあてにならん! 所詮は平民ではないか! それより当直の貴族は誰だったんだね!」

 

「ミセス・シュヴルーズ! 当直はあなたなのではありませんか!」

 

責任を追及されたシュヴルーズはボロボロと泣き出してしまう。それを見てわたしは心の中で溜息をついた。ユルゲンシュミットとハルケギニアでは違いが多いが、このような面についてはユルゲンシュミットの方が優れていると考えてしまう。ユルゲンシュミットの貴族なら、少なくとも泣くことで責任を回避するような真似はしない。

 

もっとも、代わりに身分の低い平民の衛兵に責任が押し付けられそうな気もする。そう考えると、平民には無理と責任が免除されるだけ良心的かもしれない。

 

「泣いたって、お宝は戻ってこないのですぞ! それともあなた、『破壊の杖』の弁償ができるのですかな!」

 

「おや、ここは破壊の杖を誰が弁償するのかを話し合う場なのでしたか。でしたら、わたくしは出席する会議を間違えたようです」

 

責任を追及する側もされる側も見苦しく、密かに苛立ちを募らせていたわたしが口を挿むと全員が私の方を見た。

 

「しかし、責任は明らかにしなければなるまい」

 

「でしたら、わたくしたちから事情を聞き、その後に責任者の前で双方の言い分を詳らかにした上に判断を仰ぐのが正しい手順ではございませんこと?」

 

「そうじゃな。ミス・ローゼマインの言う通りじゃ。それに、ミセス・シュヴルーズの責任を追及しておったようじゃが、この中でまともに当直をしたことのある教師は何人おられるのかな?」

 

そう言いながら入ってきたのは学院長のオスマンだ。そして、オスマンの言葉に教師たちはお互い、顔を見合わせると、恥ずかしそうに顔を伏せた。自分は当直をしていると名乗り出るものはいない。自分のことは棚に上げての発言に、わたしは心の中で頭を抱える。

 

「さて、これが現実じゃ。責任があるとするなら、我々全員じゃ。この中の誰もが……もちろん私を含めてじゃが、まさかこの魔法学院が賊に襲われるなど、夢にも思っていなかった。何せ、ここにいるのは、ほとんどがメイジじゃからな。しかし、それは間違いじゃった」

 

そう言ってオスマンは壁の穴を見つめた。

 

「で、犯行の現場を見ていたのは誰だね?」

 

「ミス・ヴァリエール、ミス・ツェルプストー、ミス・タバサ、そしてミス・ローゼマインとその護衛騎士のミスタ・マティアスとミスタ・ラウレンツです」

 

正式な目撃者は六人ということになる。ちなみに平賀は平民であるためか使い魔であるためか、目撃者の中には数えられていないようだ。

 

「詳しく説明したまえ、ミス・ローゼマイン」

 

「かしこまりました」

 

なぜ私なのかという言葉は飲み込み、わたしは素直に了承する。無口なタバサ、やや冷静さには欠けるように見えるキュルケとルイズ、従者であるマティアスとラウレンツという面々を考えると、自分でもわたしが適任だと思ってしまったからだ。それに、そうでなくても上位者に命じられると、わたしは笑顔でなるべく応えてしまうのだ。ユルゲンシュミット生活で得られてしまったこの癖、この機に治した方がいいのかもしれない。

 

「わたくしたちが中庭で魔法の練習をしていたところ、わたくしの護衛騎士のマティアスがゴーレムを発見しました。ゴーレムを操る黒いローブを纏った賊がミス・ヴァリエールとその使い魔を踏み潰そうとしたので、わたくしが魔法で守りを固めていると、賊は宝物庫の外壁を破壊して中から何かを盗み出したようでした。その後、ゴーレムは城壁を超えた先の草原で自壊しましたが、そのときには賊の姿はございませんでした」

 

わたしの報告を聞いたオスマンはひげを撫でながら考え込む。そこにロングビルが飛び込んで来た。わたしの報告は盗みを働いたときの行動だけで終わった。

 

「ミス・ロングビル! どこに行っていたんですか! 大変ですぞ! 事件ですぞ!」

 

興奮した調子で、コルベールがまくし立てる。しかし、ロングビルは落ち着き払った態度でオスマンに告げる。

 

「申し訳ありません。今朝方、起きたら大騒ぎじゃありませんか。そして、宝物庫はこのとおり。すぐに壁のフーケのサインを見つけたので、これが国中の貴族を震え上がらせている大怪盗の仕業と知り、調査をいたしました。そして、フーケの居所がわかりました」

 

「な、なんですと!」

 

コルベールが、素っ頓狂な声をあげた。

 

「誰に聞いたんじゃね? ミス・ロングビル」

 

「はい。近在の農民に聞き込んだところ、近くの森の廃屋に入っていった黒ずくめのローブの男を見たそうです。おそらく、彼はフーケで、廃屋はフーケの隠れ家ではないかと」

 

「黒ずくめのローブ? それはフーケです! 間違いありません!」

 

「ルイズ、黒ずくめのローブだけならそれほど珍しいものでもないでしょう? 安易な決めつけは目を曇らせますよ」

 

不確かな情報に飛びつくルイズをわたしは窘める。

 

「ともかく、すぐに王室に報告しましょう! 王室衛士隊に頼んで、兵隊を差し向けてもらわなくては!」

 

「ばかもの! 王室なんぞに知らせている間にフーケは逃げてしまうわ! その上……、身にかかる火の粉を己で払えぬようで、何が貴族じゃ! 魔法学院の宝が盗まれた、これは魔法学院の問題じゃ! 当然我らで解決する!」

 

そう言ってオスマンは捜索隊を編成することを告げた上で、我と思う者は杖を掲げるように告げた。が、誰も杖を掲げる者はいない。

 

「おらんのか? おや? どうした! フーケを捕まえて、名をあげようと思う貴族はおらんのか!」

 

俯いていたルイズが、すっと杖を顔の前に掲げた。

 

「ミス・ヴァリエール、何をしているのです! あなたは生徒ではありませんか! ここは教師に任せて……」

 

「ミセス・シュヴルーズ、ですが、誰も掲げないじゃないですか」

 

ルイズが杖を掲げているのを見て、しぶしぶキュルケも杖を掲げた。そしてキュルケが杖を掲げるのを見て、タバサも掲げた。

 

「オールド・オスマン、わたしは反対です。生徒たちをそんな危険にさらすわけには!」

 

「では、君が行くかね? ミセス・シュヴルーズ」

 

「い、いえ……、わたしは体調が優れませんので……」

 

魔法学院の教師というのは存外に頼りない存在だったようだ。ターニスベファレンが出たときのルーフェンのように生徒を救うために自ら騎士団とともに駆けつけるくらいの気概を見せてもらいたいものだ。

 

「彼女たちは、敵を見ている。その上、ミス・タバサは若くしてシュヴァリエの称号を持つ騎士だと聞いている」

 

「キュルケ、シュヴァリエとはどのような称号なのですか?」

 

「シュヴァリエは王室から与えられる爵位としては最下級だけど、純粋に業績に対して与えられる爵位なの」

 

「つまりは、それだけの功績を挙げたことがあるということなのですね」

 

メイジが与えられる爵位ということは、軍功を上げたことがあるということだろう。まだ十五歳で小柄なタバサが与えられているというのは、確かに驚きだ。

 

「ミス・ツェルプストーは、ゲルマニアの優秀な軍人を数多く輩出した家系の出で、彼女自身の炎の魔法も、かなり強力と聞いているが?」

 

オスマンに褒められたキュルケは得意げに髪をかきあげている。

 

「その……、ミス・ヴァリエールは数々の優秀なメイジを輩出したヴァリエール公爵家の息女で、その、うむ、なんだ、将来有望なメイジと聞いているが? しかもその使い魔は平民ながらあのグラモン元帥の息子である、ギーシュ・ド・グラモンと決闘して勝ったという噂だが」

 

オスマンは二人を持ち上げてみせた。けれど、キュルケはともかく、ルイズは実力を顧みずに理想で動いてしまう未来しか見えない。フーケの巨大なゴーレムと対峙をすると考えると、はっきり言って不安しかない。ルイズが命を落とすことになったら寝覚めが悪いし、奪回に失敗してオスマンが解任されたりした場合、後任の学院長がわたしたちに対してどのような扱いをしてくるか分からない。

 

「では、馬車を用意しよう。それで向かうのじゃ。魔法は目的地につくまで温存したまえ。ミス・ロングビル、彼女たちを手伝ってやってくれ」

 

「オールド・オスマン、馬車の必要はございません。目的地まではわたくしが騎獣でお送りしましょう」

 

わたしが申し出ると、オスマンは嬉しそうに破顔した。わたしが護衛騎士のマティアスとラウレンツと離れるはずはない。つまりわたしが送るということは、二人も付いてくることに他ならない。二人の騎士としての腕を知っている様子のオスマンからすれば頼もしさもひとしおだろう。

 

「頼めるかの、ミス・ローゼマイン」

 

「ええ、わたくしの騎獣なら馬よりずっと早いですから」

 

「ローゼマインまで悪いわね」

 

「元より三人が行くのなら、わたくしも見て見ぬふりはできませんもの」

 

こうしてわたしはキュルケたちと一緒に盗賊退治に向かうことになったのだった。



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護衛騎士とゴーレム

ルイズに対抗して土くれのフーケの討伐に志願してしまったあたしは、ローゼマインの騎獣の中に座っていた。ローゼマインの騎獣は座席は非常に柔らかく座っていても疲れが少ない。正直、乗り心地はタバサの風竜より上だ。

 

そんなローゼマインの騎獣の前には全身鎧に身を包んだマティアス、そして後方には同じく全身鎧を纏ったラウレンツが操る騎獣が飛行している。そして右側には上半身を覆う鎧のハルトムートの騎獣がいて、ローゼマインの騎獣の中には同じく上半身に鎧を纏ったクラリッサがいる。いつもながら、ローゼマインの護衛は非常に厳重だ。

 

周囲を護衛が固めている安心感もあり、あたしはロングビルやルイズとちょっとした雑談を楽しみながら過ごした。といっても、馬で四時間かかる道のりをローゼマインの騎獣は一時間足らずで駆けたため、雑談の時間は短かったのだけど。

 

たどり着いた場所は魔法学院の中庭ぐらいの広さの森の中の空き地だった。その真ん中に廃屋がある。元は木こり小屋だったのだろうか。朽ち果てた炭焼きらしき窯と、板壁が外れた物置が隣に並んでいる。

 

「わたくしの聞いた情報だと、あの中にあるという話です」

 

ロングビルが廃屋を指差して言う。

 

「では、マティアスを向かわせましょう。皆さまはわたくしの騎獣の中でしばらく待っていてくださいませ」

 

「それでは危険です」

 

そう言ったのはロングビルだ。

 

「では、ハルトムートも向かわせましょうか?」

 

「それもですが、わたくしたちがこのまま狭い騎獣の中に固まっているというのも危険だと思います」

 

「わたくしの騎獣の中は、わたくしの魔力で満たされています。仮に騎獣が攻撃をされても、わたくしの魔力を上回らない限り、壊すことはできません」

 

この騎獣という乗り物は防御力も高かったようだ。魔法学院でフーケのゴーレムに襲われたときにローゼマインが使った防御魔法は、巨大なゴーレムの攻撃をもってしてもびくともしなかった。この騎獣も相当な防御力と思ってよさそうだ。

 

「そうだとしても、わたくしはオールド・オスマンから皆さんを助けるように頼まれました。ただ待っているというわけにはまいりません」

 

「わかりました。マティアスとハルトムートとともにミス・ロングビルも廃屋に向かってもらうことにしましょう」

 

そうしてローゼマインが騎獣を下ろし、マティアスを先頭にロングビル、ハルトムートという順番で三人が廃屋に向かう。廃屋の前に立ったマティアスは剣でドアを切り裂いて中へと飛び込んでいく。

 

待つこと少し、中から三人が出てきた。その中のハルトムートが何やら細長い筒のようなものを抱えている。

 

「あれって、破壊の杖じゃないの」

 

「そうなのですか、キュルケ?」

 

「そうよ。あたし、見たことあるもん。宝物庫を見学したとき」

 

あたしが頷いてみせると、なぜかローゼマインは怪訝そうな顔をしていた。ぽつりと口の端から零れた言葉を拾うと、どうも見たことがある物に似ているらしい。

 

「ともかく、行ってみましょ」

 

ローゼマインに騎獣を下ろしてもらい、全員で破壊の杖の前に集まる。問題は、これが本物であるかどうかだ。

 

「わたくしには、これの真贋を判定することはできませんので、周囲を偵察しています」

 

そう言ってロングビルは早々に戦線を離脱する。けれど、あたしにだって宝物庫で見たものに似ているとは分かっても、本当のところは分かるわけがない。

 

「いっそのこと使ってみちゃう?」

 

「ちょっとツェルプストー、そんなことが許されるわけないじゃない」

 

「ヴァリエールには冗談も通じないみたいね」

 

「待て!」

 

マティアスの声がしたと思ったら、森の中に巨大なゴーレムが立ち上がった。真っ先に反応したのはタバサだった。

 

自分の身長よりも大きな杖を振り、呪文を唱える。巨大な竜巻が舞い上がり、ゴーレムにぶつかっていく。しかし、ゴーレムはびくともしない。

 

あたしも胸にさした杖を引き抜き、呪文を唱えた。杖から炎が伸び、ゴーレムを火炎に包んだ。しかし、炎に包まれようが、ゴーレムはまったく意に介さない。歩みを緩めもしないゴーレムを見て、あたしは即座に勝てないと思ってしまった。

 

「無理よこんなの!」

 

「退却」

 

タバサがそう言ったのを聞き、自分の直感が間違っていなかったと確信し、あたしは一目散に逃げ始める。そのとき、背後で爆発音が聞こえた。振り返って見ると、ルイズがルーンを呟き、ゴーレムに杖を振りかざしている。

 

「逃げろ! ルイズ!」

 

「いやよ。あいつを捕まえれば、誰ももう、わたしをゼロのルイズとは呼ばないでしょ」

 

サイトが叫ぶが、ルイズはそれを拒否する。

 

「あのな! ゴーレムの大きさを見ろ! あんなヤツに勝てるワケねえだろ!」

 

「ギーシュのゴーレムにボコボコにされたとき、何度も立ち上がって、下げたくない頭は、下げられないって言ったじゃない! わたしだってそうよ。ささやかだけど、プライドってもんがあるのよ。ここで逃げたら、ゼロのルイズだから逃げたって言われるわ。わたしは貴族よ。魔法を使える者を、貴族と呼ぶんじゃないわ。敵に後ろを見せない者を、貴族と呼ぶのよ!」

 

それは、あたしの聞いたことのないルイズの真剣な叫びだった。けれど、いくら思いが強かろうと、それでゴーレムを止めることはできない。ルイズに迫ったゴーレムが巨大な足を持ち上げる。

 

「守りを司る風の女神シュツェーリアよ。側に仕える眷属たる十二の女神よ。我の祈りを聞き届け、聖なる力を与え給え。害意持つものを近付けぬ風の盾を、我が手に」

 

しかし、その前にローゼマインが昨夜もルイズたちを守った強力な魔法を使った。

 

「違いますよ、ルイズ。わたくしの知る貴族とは、領地の利を考えて、感情を隠し、敵と手を組むこともできる者のことです。少なくともユルゲンシュミットでは、個人の感情のままに連携を乱すような者は、貴族として失格です」

 

そして、ローゼマインはルイズの暴走をあっさりと否定した。

 

「マティアス、全力で攻撃して構いません。ルイズは今度こそ、この中で大人しくしておいてくださいませ。けしてマティアスの邪魔をしてはなりませんよ」

 

お前の魔法など邪魔なだけと断じられたルイズが悔し気に唇を噛んだ。そこまで言わなくてもと思う反面、ローゼマインの言葉には上辺だけでない芯を感じられ、あたしは何も言うことができない。

 

その間にマティアスは騎獣でゴーレムの上空高くに上がっていた。マティアスの握る長剣からはバチバチと火花が散っている。

 

「はああぁああ!」

 

火薬が炸裂したときのような音を響かせて騎獣で落下するマティアスが、長剣を振り抜いた。剣から光の斬撃が飛び出す。

 

轟音が響き、凄まじい衝撃波があたしを襲った。踏ん張ることができずに無様に地面をごろごろと転がる。ようやく衝撃波が収まり、顔をあげると、まずはローゼマインの魔法に守られたルイズたちの姿が見えた。そして、その奥には両断された巨大なゴーレムがただの土の塊に還って崩れ落ちていく姿があった。

 

「なに、あの威力……」

 

ギーシュのゴーレムに完勝したサイトを軽くあしらったラウレンツも強いと思ったが、マティアスの戦闘力も桁違いだ。

 

「彼らは王族の護衛を任された最精鋭の騎士。そう考えた方がいい」

 

タバサの言葉には頷かざるを得なかった。ローゼマインは、確かマティアスが十五歳で、ラウレンツが十四歳だと言っていた。十五歳のタバサがシュヴァリエの称号を与えられているのも驚いたが、あの二人ならそれ以上の称号を貰っていてもおかしくない。

 

けれど、ローゼマインはあの二人も中級護衛騎士だと言っていた。ローゼマインの領地であるエーレンフェストには二人の上級護衛騎士がいると言っていたが、その二人はどれくらいの強さなのだろうか。

 

改めてローゼマインたちの規格外さに驚きながら、あたしは危機が去ったことにほっと一息をついたのだった。



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フーケの捕縛

フーケのものと思われるゴーレムを退けて、周囲に弛緩した空気が流れ始めた。わたしも緊張をとき、改めて破壊の杖と呼ばれていたものを確認しようとした。けれども、その前にラウレンツの厳しい声が飛んだ。

 

「まだだ!」

 

ラウレンツが叫んだのと同時に、形を崩していた土の塊が再びゴーレムを形作り始める。まさかあの巨大なゴーレムをもう一度、作り上げることができるとは思わなかった。フーケはトライアングルクラスと聞いていたけど、タバサやキュルケよりも強いように思えてならない。実はスクウェアクラスなのではないだろうか。

 

フーケのゴーレムが何度も作れるようなら拙い。ラウレンツはまだ温存できているけど、マティアスは魔力をほとんど使い果たしてしまっている。回復薬はあるとはいえ、補充ができない現状では、できれば使いたくない。

 

「破壊の杖は確保しました。皆、この土のゴーレムではわたくしたちの騎獣に追いつくことはできません。このようなものは放っておいて帰還しましょう」

 

こんな厄介な相手は放置するに限る。わたしたちが行うべきは、まずは破壊の杖の奪還。盗賊退治は絶対にしなければならないことではない。

 

「いや、せっかくだから、こいつを使っちまおう」

 

撤退の空気が流れる中、そう言ったのは平賀だった。見ると、いつの間にか破壊の杖を肩にかけている。

 

「ローゼマイン様、魔法を解いてください。噴射ガスの行き場がなくなる」

 

言われて慌てて魔法を解くと同時に、平賀の持つ破壊の杖から羽根を付けた妙な形の物体が飛び出した。物体は再生しつつあったゴーレムに命中すると、辺りに耳をつんざくような爆音を響かせた。

 

白い煙に包まれたゴーレムが再び形を失い、滝のように土が崩れ落ちていく。そうして今度こそゴーレムは土の小山となった。それを見て、キュルケが大喜びでタバサと一緒に平賀の元に向かう。

 

「サイト! すごいわ! やっぱりダーリンね!」

 

キュルケが平賀に抱きついている間、タバサは崩れ落ちたフーケのゴーレムを見つめている。そしてわたしは、平賀の意外な技能に驚きを隠せなかった。

 

破壊の杖はわたしたちの世界の武器であるバズーカ砲だった。何でそれの使い方を平賀が知っているのだろう。もしかして平賀は軍マニアとか呼ばれる人だったのだろうか。けど、いくらマニアでもいきなり実物を使うなんて無謀としか言いようがない。

 

「フーケはどこ?」

 

そんな中、タバサが投げ込んだ言葉にわたしたちは一斉に周囲を見回した。けれど、それらしい人物の姿はない。そのうちに辺りを偵察に行っていたロングビルが茂みの中から現れた。

 

「ミス・ロングビル! フーケはどこからあのゴーレムを操っていたのかしら」

 

キュルケの質問にロングビルはわからないというように首を振る。キュルケたちは盛り上がった小山の中を探しに向かった。そうして少しした頃、不意に背後でロングビルの小さな悲鳴が聞こえた。

 

何かあったのかとわたしは急いで振り返る。そこにあったのは、意外な光景だった。

 

ハルトムートがシュタープを変化された紐を持って馬乗りになっている。乗っている相手はロングビルだ。この光景は、神殿で見たことがある。なんでわたしは、異国に来てまでこのような光景を見せられなくてはならないのだろうか。

 

「何をするつもりでしたか?」

 

わたしが事情を聞く前にハルトムートの冷たい声が響く。

 

「其方がフーケだったのだな」

 

「どうして、わたくしがそのような疑いを……助けてください。ローゼマイン様」

 

「ローゼマイン様に助けを求めるというのはずいぶんと厚かましいと思うのですが?」

 

そう言ってハルトムートはいつの間にか持っていた短剣の柄でロングビルを殴った。

 

「ローゼマイン様の身に危険が迫ったあの日より、私は魔力感知も鍛え続けました。その私がマティアスがゴーレムを倒した後に調べてみましたが、この辺りに私たち以外の魔力は感じませんでした」

 

いつの間にかハルトムートは、魔力感知を使ってフーケのゴーレムから使用者を探っていたらしい。聖典に毒が塗られるという事件以来、魔力感知を鍛えてわたしの周囲に再び毒が置かれることがないように警戒をしていたというハルトムートは頼もしいけど、女性であっても容赦なく馬乗りになって武器で殴りつける姿を褒める気にはなれない。

 

「もっとも魔力感知から逃れる方法もあるので、確証とまではいかなかった。だが、其方は何から何まで、都合が良すぎたのだ。フーケの行き先を偶然に見つけただけならまだしも、フーケのゴーレムが二回、倒されたタイミングで現れ、そしてなぜかミス・ヴァリエールの使い魔が持っていた破壊の杖に手を伸ばした。偶然はそれほど重ならない」

 

そこまで言ったハルトムートが短剣の刃を突きつけたまま、極上の笑顔を浮かべる。

 

「ああ、反論はしなくて良いですよ。取り調べは後でじっくりと行いますので。とりあえずラウレンツ、この者が死ねないようにしておいてください」

 

「わかっています」

 

笑顔で恐ろしいことを言うハルトムートとラウレンツを見て、さすがの怪盗、フーケも顔を引きつらせている。フーケだけではない。キュルケもルイズも平賀も、表情には表していないけれども、おそらくタバサもドン引きしている。

 

フェルディナンドお手製の悪辣なお守りのせいで、わたしはユルゲンシュミットでは危険人物と思われていた。せっかく異国に来たのだから、不名誉な評判からはおさらばしようと思っていたのに、これではここでも危険人物認定は確実だ。

 

「尋問はわたくしたちが行うべきことではありません。わたくしたちの仕事は学院長に身柄を引き渡すまで。その後のことは、この国の方が決めることですよ」

 

主にハルトムートにしっかりと釘を刺し、わたしは騎獣を出した。キュルケがロングビルの体を探って予備の杖がないか確認していたので、おそらく平気だと思うのだが念のためと言ってハルトムートはわたしの騎獣の後部座席に乗り込んだ。

 

その後、他の皆もわたしの騎獣に乗り込んでくる。その中で平賀が無造作に破壊の杖を座席に投げたのを見て、わたしは思わず声をあげた。

 

「そのような危険なもの、乱暴に扱わないでくださいませ」

 

「ああ、それは単発なんだよ。魔法なんか出やしない」

 

「一度しか使えない、しかも何年も整備されていないものを使ったのですか?」

 

わたしが言うと、平賀は気まずそうに目を逸らした。ちょっと、暴発してたらどうするつもりだったの。

 

「それなら大丈夫だと思うわ」

 

そう考えていたところに、ルイズから声がかかった。

 

「学院の宝物庫の品には固定化の魔法がかけられているって聞いたことがあるわ」

 

「固定化がかけられた品でも、使うことができるのですか?」

 

固定されてしまったら、引き金もひけないのではないかと思ったのだ。けれど、ルイズはわたしの疑問をあっさりと否定する。

 

「当然じゃない。じゃないと、固定化が掛けられた扉は開けなくなっちゃうじゃない。固定化の魔法はあくまで機能を損なう改変を防ぐ魔法なの」

 

「つまりは固定化をかけた扉は閉めることも鍵をかけることもできるけれど、扉を壊したり鍵をこじ開けることはできなくなるということですか?」

 

「そういうことになるわね」

 

それは非常に便利な魔法ではないだろうか。錬金は成功するイメージがまったく湧かなかったけど、この状態のまま固まれとイメージして魔法を使えば……開かずの扉ができあがってしまいそうな気がする。やはり下手に魔法を使うのは止めておこう。

 

「ところで、もう破壊の杖は使うことはできないのですよね? 本当に使ってしまってよろしかったのですか?」

 

わたしが続けて言った言葉に騎獣の中の空気が固まった。特に平賀とルイズは青ざめている気がする。

 

まあルイズは公爵家の令嬢と聞いているから、弁償できなくはないだろう。平賀は、うん、頑張って働いてもらうしかないだろう。そう考えて、わたしはそれからは無心で騎獣を飛ばすことにした。



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異世界の品の出元

フーケを捕らえて学院長室に戻った俺たちは、オスマンに経緯の報告を行った。もっとも、俺は使い魔であるので報告を行うルイズたちの後ろで黙って立っているだけだ。ちなみにルイズは破壊の杖を使ってしまい、二度と使えないことをオスマンに報告していない。ずるいと思う反面、報告して怒られるのは俺なので、助かったとも感じている。

 

「ふむ……。ミス・ロングビルが土くれのフーケじゃったとはな……。美人だったもので、なんの疑いもせず秘書に採用してしまった」

 

「いったい、どこで採用されたんですか?」

 

オスマンの隣に控えたコルベールが尋ねる。

 

「町の居酒屋じゃ。私は客で、彼女は給仕をしておったのだが、ついついこの手がお尻を撫でてしまってな。それでも怒らないので、秘書にならないかと、言ってしまった」

 

「えっ、身辺調査もせずにご自身の秘書に採用されたのですか?」

 

オスマンの言葉にローゼマインが驚きの声をあげた。

 

「……人の過去を根掘り葉掘り聞くなど、恥ずべきことじゃと思わないか」

 

「思いません。こちらでは違うのかもしれませんが、従者の罪は主人の責任です。今回の件では、てっきりオールド・オスマンも連座で処分がされるものと思っておりましたが、その心配はないということですか?」

 

「ユルゲンシュミットでは、随分と恐ろしい制度が運用されているのじゃな」

 

「そうかもしれません。主人が処刑されるときは側近たちも連座で処刑は当たり前ですし、一族から罪を犯す者が出たときも連座になりますから。ですので、予め危険な者は閉じ込めたり、主従どちらかの能力が足りないと思えば側近の解任や辞任も行われますので。要は貴族はそれだけの責任を伴うのが当然という考えなだけですわ。もっとも、そのせいで貴族と平民の間の溝はこちらよりも大きいのですけれど」

 

ローゼマインの国では平民はここより更に下に扱われているようだ。その意味では俺は少しはましだったのかもしれない。

 

「そうは言っても、居酒屋でくつろぐ私の前に何度もやってきて、愛想よく酒を勧め、魔法学院学院長は男前で痺れます、などと何度も媚を売り売り言いおって……。終いにゃ尻を撫でても怒らない。惚れてる? とか思うじゃろ? なあ? ねえ?」

 

「そもそもユルゲンシュミットでは平民が貴族に許可なく近づくこと自体が不敬ですから。そのようなことをすれば、処刑されても文句は言えませんので、オールド・オスマンのお気持ちは分かりません」

 

「ユルゲンシュミットは息苦しい場所なのじゃな」

 

最初にハルケギニアに来たときは、随分と貴族が威張っていると思ったが、ローゼマインの国では、そもそも貴族と平民は別のものと思われているらしい。俺には受け入れられない考え方だ。

 

「ともかく、捕らえたフーケは城の衛士に引き渡せた。そして『破壊の杖』は、無事に宝物庫に収まった。一件落着じゃ」

 

「引き渡して終わりでよいのでしょうか? 宝物庫の警備体制の見直しをしなくてよろしいのでしょうか?」

 

「相変わらず、ミス・ローゼマインは厳しいの」

 

「わたくし、警戒心が薄いと叱られることは多かったですが、厳しいと叱られたことはあまりないのですけど……」

 

立ち居振る舞いの美しさからも感じてはいたことだが、ローゼマインはよほど厳しい環境で育てられているようだ。護衛騎士を常に側に付けているし、権謀術数渦巻く乱世ででも育ったのだろうか。

 

「ともかく、君たちの、『シュヴァリエ』の爵位申請を、宮廷に出しておいた。追って沙汰があるじゃろう。といっても、ミス・タバサはすでに『シュヴァリエ』の爵位を持っているから。精霊勲章の授与を申請しておいた」

 

その言葉にルイズとキュルケは喜んだが、ローゼマインは複雑そうな顔をしていた。

 

「あの、わたくしたちの爵位申請もされてしまったのでしょうか?」

 

「安心していい。ミス・ローゼマインがそれを望まぬことは分かっておったゆえ、申請したのはミス・ヴァリエールとミス・ツェルプストーだけじゃ」

 

「お心遣い、ありがとう存じます」

 

「その代わり、私の出せる範囲で報奨金を支払おう」

 

「重ね重ね、ありがとう存じます」

 

ひとまずローゼマインの話は終わったようだ。そこで先ほどから、ちらちらと俺の方を見ていたルイズが口を開いた。

 

「……オールド・オスマン。サイトには、何もないんですか?」

 

「残念ながら、彼は貴族ではない」

 

「何もいらないですよ」

 

そう言った俺のことを少しの時間見つめた後、オスマンはぽんと手を打った。

 

「さてと、今日の夜は『フリッグの舞踏会』じゃ。このとおり『破壊の杖』も戻ってきたし、予定どおり執り行う。今日の舞踏会の主役は君たちじゃ。用意をしてきたまえ。せいぜい、着飾るのじゃぞ」

 

「先にいってていいよ」

 

ルイズは心配そうに見つめていたが、頷いて部屋を出て行った。

 

「ローゼマイン様も行っていいですよ」

 

「あのバズーカのことをお話になるのでしょう。わたくしの知識もお役に立てるかもしれませんので、お話を伺わせていただきます」

 

「ローゼマイン様、あれはロケットランチャーですよ」

 

そう言ったがローゼマインは何のことか分かっていないようだった。異世界の女の子に兵器の分類の話は難しかったかもしれないが、少なくとも似た形状の兵器を知っているのは確かなようだ。その間にオスマンはコルベールにも退室を促していた。

 

「さて、君の疑問を言ってごらんなさい。できるだけ力になろう。君に爵位を授けることはできんが、せめてものお礼じゃ」

 

「オールド・オスマン、あの『破壊の杖』は、俺たちの世界の武器だ。あれをここに持ってきたのは誰なんですか?」

 

「あれをくれたのは、私の命の恩人じゃ」

 

「その人は、どうしたんですか? その人は、俺と同じ世界の人間です。間違いない」

 

「死んでしまった。今から、三十年も昔の話じゃ」

 

それでは元の世界に戻るための手掛かりを得ることはできそうにない。落胆する俺の前でオスマンは遠い目をする。

 

「彼はベッドの上で、死ぬまでうわごとのように繰り返しておった。『ここはどこだ。元の世界に帰りたい』とな。きっと、彼は君と同じ世界から来たんじゃろうな」

 

「いったい、誰がこっちにその人を呼んだんですか?」

 

「それはわからん。どんな方法で彼がこっちの世界にやってきたのか、わからんかった」

 

「オールド・オスマン、使い魔召喚に限定しなかった場合は、わたくしたちのように人を召喚した例をご存知ありませんか?」

 

そう聞いたのはローゼマインだ。

 

「いや、そのような例は聞いたことがない」

 

「オールド・オスマンが知る前回の異邦人と思しき人との出会いは三十年前ということを考えると、かなり珍しい事例なのでしょう。そうなると古文書にしか手掛かりはないかもしれませんね。オールド・オスマン、『フェニアのライブラリー』の入室と資料の閲覧許可をいただけないでしょうか?」

 

「フェニアのライブラリーって?」

 

「教師のみが閲覧を許されている特別な書庫なのですって」

 

聞いた俺にローゼマインが答えてくれる。それにしても、ローゼマインは短期間の間に様々な情報を仕入れているようだ。別の世界の魔法に精通している彼女ならば、この世界には存在しないと言われた、元の世界に戻るための方法を探し出せるかもしれない。

 

「分かった、教師立ち合いのもとであれば、許可をしよう」

 

「ありがとう存じます」

 

元の世界に戻る方法は、差し当たってローゼマインに任せるしかない。なので、俺はもう一つ気になっていたことを聞くことにした。

 

「オールド・オスマン、別の質問もよろしいですか。この文字について何か知っていることはありませんか?」

 

「……これなら知っておるよ。ガンダールヴの印じゃ。ありとあらゆる『武器』を使いこなしたという伝説の使い魔の印じゃ」

 

それで、ミリオタでもない俺がロケットランチャーなんて触ったこともない武器をいきなり使うことができたのか。

 

「でも、どうして俺がその伝説の使い魔なんかに?」

 

「わからん」

 

「わからんことばっかりだ」

 

「ただ、もしかしたら、おぬしがこっちの世界にやってきたことと、ガンダールヴの印は何か関係しているのかもしれん」

 

だとしたら、もう一人の異邦人であるローゼマインがキュルケと使い魔の契約をしたら、どうなるのだろうか。

 

「わたくしは領主候補生ですので、軽々に行動はできません。どのような副作用があるか分からないことに手を出すつもりはございません」

 

そんなことを考えていると、ローゼマインにしっかりと釘を刺されてしまった。

 

こうしてオスマンとの話し合いは終わった。俺は舞踏会の会場であるアルヴィーズの食堂の上の階のホールから離れたバルコニーで食事をしたり、少しだけホールの中に入って、ルイズとダンスをしたりしてその日の夜を過ごした。

 

長い桃色がかった髪をバレッタにまとめ、ホワイトのパーティードレスに身を包んでいるルイズは妙に輝いて見えた。そして、踊っている最中にルイズからフーケのゴーレムに対して一緒に戦ったことの礼を言われて、単純な俺はいつか絶対に帰るにしても、今を楽しむのは悪くないと思ったのだった。



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事件後のローゼマイン

フーケの騒ぎが収まって間もなく、わたしはこのハルケギニアの地で売っていくものを決定した。ハルケギニアとユルゲンシュミットの違いは契約魔術の有無だ。契約魔術を使えばユルゲンシュミットでは情報流出のおそれはなくなるけど、こちらではそのような便利なものは存在していない。

 

後ろ盾のないわたしたちでは継続的に利益を得られるような契約に基づく収入は諦めざるを得ない。そして、一括払いで権利を売るという方法も、十分な信用のない今のわたしたちでは難しいと判断した。結局、魔術具を作って売るという方法が一番、利益を独占できると判断したのだ。

 

そうなると、ユルゲンシュミットでは珍しくなく、ハルケギニアでは出回っていない魔術具が向いている。候補となったのは、オルドナンツ、回復薬、水差しなどに使う緑の魔石の三品だ。そのうち、もっとも向いているのはオルドナンツだ。回復薬は水の秘薬という既得権益とぶつかる可能性があり、日常生活のために魔力を使う緑の魔石は貴族が使う物ではないと見向きもされない可能性があるのだ。

 

とはいえ、まずは作ることができなければ始まらない。コルベールに質問しては、魔力を秘めていそうなものを森に行って手当たり次第に採集している。属性はわたしが魔力を流してみることで判定している。

 

そして今は夕食を取りながら、今日の成果を報告してもらっていたところだ。もっとも、報告の内容は成果なしというものだったのだけど。

 

「簡単にいくとは思っていませんでしたが、やはり全く違う材料で魔術具を作るというのは難しいものですね」

 

「フェルディナンド様の属性を調べられる魔術具があればよかったのですが……」

 

調合の試作を続けてくれているハルトムートが口惜しそうに言う。

 

「ないものねだりをしても仕方がありません。ハルトムートには手間をかけますが、無理のない範囲で続けてくださいませ」

 

「ローゼマイン様のためですから、全力で続けさせていただきます」

 

「回復薬は限られているのですから、無理のない範囲にしてくださいね」

 

それでも何とか必要な属性を持った素材を揃えるところまではいったのだ。けれど、肝心のオルドナンツの調合に成功しないのだ。正確には黄色い魔石になるところまでは成功するのだが、シュタープで叩いても反応してくれないのだ。

 

調合は魔力が高い方が成功しやすい。ということで、中級貴族の側近であるリーゼレータやグレーティア、マティアスやラウレンツ、ローデリヒなどが貴族院の調合の授業中に見た失敗作との比較等もしてもらってはいるが、なかなか完成にまで至らない。

 

「調合の仕方を変えなくてはならないのか、そもそも素材から変えなくてはならないのか、判断が難しい所ですね」

 

「ええ、何よりも難しいのがハルケギニアの素材は我々が知る素材とは属性的に随分と内容が異なる点ですね」

 

そうなのだ。基本的に火、水、土、風の四属性しかないと言われているハルケギニアの素材は、包含する魔力を確認しても、その四属性が強いものが多い。けれど、それ以外の魔力をうっすらと感じるものもあるのだ。それが失われた属性と言われている虚無なのかどうかは、わたしにはわからない。

 

「ローデリヒも回復薬の調合はまだ成功しそうにありませんか?」

 

「はい、申し訳ございません」

 

「ハルトムートにも言いましたが、知っている素材が全くない状態での調合なのです。初めから簡単にいくとは思っていません」

 

簡単に成功すると思ってないから、ハルトムートに魔力を使いすぎないように釘を刺したのだ。補充ができない現状では、緊急時を除いては回復薬を使うべきではない。けれど、当たり前のように回復薬を持っていたわたしや側近たちにとって、回復薬がないというのは随分と不安なことだ。あるいは、売却はしないにしても先に回復薬の調合に力を注ぐべきかもしれない。

 

「シエスタ、急いではなりません。ゆっくりとでいいから優雅さを心掛けて落ち着いてひとつひとつの動作を行ってください」

 

グレーティアが自らに給仕を行ってくれているシエスタに指導する声が聞こえてきた。シエスタは平民の側仕え見習いとして仕事をしてもらっている。

 

こちらでの生活は、それなりに長くなるはずだ。それなのに、いつまでも身内で給仕を仕合っていられないので、今は男性の側近用に雇い入れたラゴットと一緒にグレーティアが側仕えとして教育中なのだ。

 

そのシエスタたちの給金だが、これはオスマンが特別に手当てを払うことになっている。原資となるのは、この間のフーケ討伐による報奨金だ。つまり、わたしたちはオスマンからの報奨金は受け取らず、代わりに平民に側仕えと下働きの仕事をしてもらうという形で受け取ることにしたのだ。

 

とはいえ、ハルケギニアの平民たちにユルゲンシュミットの貴族との接し方が分かるはずもない。わたしが無礼があったとしても手をあげたりすることを厳禁しているのと、常識が違うのは自分たちの方だと何度も言っているので今のところは問題は起きていないと思うけど、正直、下働きなど手伝いがないのと、未教育のハルケギニアの平民がいることと、どちらがストレスになるのか分からなくなってきたところだ。

 

「ローゼマイン様の図書館の方はどのような状況ですか?」

 

「今はまだ文字を追えるようになってきたばかりです」

 

「もうこちらの文字を習得されたのですか!」

 

ハルトムートの質問に答えると、大袈裟に驚かれてしまった。わたしは今までに日本にいた時代に外国語、ユルゲンシュミットで現代と古い言葉と多くの言語に触れてきた。それにわたしは読んだことがない文字を読むことが、それだけで幸せと感じられるので、読むこと自体は何の苦労でもないのだ。

 

「いくら文字が読めても書いていることが分からなければ、帰るための手掛かりになるかすら分かりません。まだ道は長いです」

 

いくら文字が追えてもハルケギニアの魔法理論が全く分からないのでは、文字を眺めているのと変わらない。それでは、帰還の方法には行きつかない。

 

「わたくしは、まだ文字を追うことすらできませんので」

 

一緒に古文書の解析に当たってくれているクラリッサがしみじみと言う。国内で使われている言語が統一されている分、ユルゲンシュミットの人たちは、そもそも外国語を習ったことがないのだ。苦戦するのは仕方がないだろう。

 

「けれど、クラリッサもわたくしが読み上げた本の内容を理解できなかったでしょう。魔法理論は短時間で理解するのは難しいということでしょう」

 

フェルディナンドのためにも、早くユルゲンシュミットへと焦る気持ちはある。けれど、全く新しい魔術を短時間で作れてしまえるはずもない。

 

それに、と考えながらルイズの方をちらと見る。そこにはルイズの使い魔である平賀が皆と同じようにテーブルで食事を取っていた。これは床で食事をしている者がいるのは見苦しいと、わたしが訴えたことによるものだ。

 

その平賀の存在がわたしの判断を迷わせている。平賀は日本でわたしが死んだのより前の時間からやってきている。これは明らかにおかしい。

 

考えられるのは、ユルゲンシュミットかハルケギニアのどちらかの時間の流れが異なるということだ。そして、ユルゲンシュミットに生まれ変わったときか、ハルケギニアに召喚されたときのどちらかで時間軸がずれたのではないだろうか。

 

そうなると、仮に半年後に帰れたとして、ユルゲンシュミットでも半年後だとは限らないのだ。酷い時には三十年が経過していたというような本物の浦島太郎になってしまうかもしれないのだ。

 

このことは、さすがに側近の誰にも話していない。まずは帰る方法が見つかってからの心配事だからだ。

 

けれど、私の中では不安がひっそりと降り積もっていた。



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ローゼマインの側近の側仕え見習い

魔法学院に勤めるシエスタは学院長のオスマンに直々に命じられて、ローゼマイン一行の世話を命じられた。ローゼマインは春の使い魔召喚という儀式で誤って異国から召喚されたという少女だ。複雑に結った艶のある夜の色の髪を虹色に輝く宝石で彩っていて、印象的な金の瞳を持った、同性のシエスタから見ても、とても美しい少女だ。

 

ローゼマインは容姿だけでなく、立ち居振る舞いも洗練されている。この魔法学院の生徒たちの誰よりも幼い外見ながら、下手をしたら教師陣よりも大人びた言動をしている。身に着けているものも髪飾りを始めとして繊細な刺繍が施された豪華なものばかりで、彼女が高貴な産まれであることを全身で示している。

 

加えて魔法の面でも魔法学院の他の生徒の誰よりも優れているらしい。ローゼマインは土くれのフーケというトリステインを騒がせていたメイジの操る巨大なゴーレムを風の魔法で受け止めたと聞いている。

 

色々な面で規格外。それがシエスタが仕えることになったローゼマインという少女だ。

 

そうして、ローゼマインの側仕えだというグレーティアという少女に付いて学び始めた。けれど、それは苦労の連続だった。

 

まず、ローゼマインのいたユルゲンシュミットという国ではハルケギニアよりもずっと平民と貴族の差が厳しいようなのだ。そもそも平民の側からは貴族に話しかけることさえできないということだった。

 

そして、誰かに仕えるということの心構えもなってないと言われた。シエスタは先だって、お礼がしたいというサイトの申し出を受け、食後にデザートのケーキを配るのを手伝ってもらったことがあった。けれど、ユルゲンシュミットでは、それは許されないことだという。主の前に教育が十分になされていない者を出すことは、有り得ないことなのだそうだ。

 

あのとき、シエスタがデザートの配膳に連れ出したことで、サイトと貴族のギーシュとの間にトラブルが発生した。その責任は当然に、その場に出ることを許したシエスタにも発生すると言われたのだ。あのとき怖くなってシエスタが逃げた行為は、責任があるにもかかわらず逃げ出した、罪を更に重くするものだったらしい。

 

ちなみに、そのときのことではサイトも一緒に注意を受けていた。あのときサイトが考えなしに貴族とトラブルを起こした行為は、もしもユルゲンシュミットであればシエスタが処刑されるという結果に繋がったと注意を受けたのだ。

 

「あのとき平賀さんはムカついたからと言っていましたが、それはシエスタの命を犠牲にしても晴らさなければならない感情だったのですか?」

 

そう言われても、シエスタもそうだが、サイトも今一つ実感が湧いていない様子だった。そこを引き取ったのがマティアスという護衛騎士だった。

 

「其方らは随分と安穏とできる環境に生きているようだな」

 

「そういう貴族様は、どんな厳しい環境で生きてきたっていうんですか?」

 

貴族なのだから平民の自分たちより、よほど安穏と暮らしてきたはずだ。サイトはそう考えたようだった。しかし、それはマティアスの次の言葉で否定された。

 

「私の両親と兄二人は、アウブへの反逆によりすでに処刑されている。私もラウレンツも、ローゼマイン様が慈悲を与えてくれなければ、同じように処刑されていた。その恩を返すためにも全身全霊をもってローゼマイン様にお仕えするつもりだ」

 

マティアスが名前を挙げたラウレンツはサイトがコック長のマルトーから気に入られる原因となったギーシュとの決闘の際に、サイトを気絶させた相手だと聞いている。サイトも、ものすごく強かったと言っていた。彼も危うく殺されるところだったらしい。

 

「こちらとユルゲンシュミットでは違う部分もあるかもしれません。けれども、平賀さんは慎重に考えて、その心配はないと確認した上で行動をしたわけではないでしょう? 無知というのは、それだけで罪です。考えなしの行動は自分だけでなく周囲の人の命をも危うくしてしまいます。そのことをよく肝に銘じておいてくださいませ」

 

そうローゼマインから言われたサイトは俯くことしかできない様子だった。そして、そのときのローゼマインの姿を見て、シエスタが彼女が上に立つ者として一介の平民には想像もできないほど厳しく躾けられてきたのだと分かった。

 

ローゼマインだけではない。それは周囲の側近たちも同じだった。彼らはシエスタを絶対にローゼマインの物には触れさせないのだ。

 

そこには、絶対に主の身を守るという覚悟と、主に不快な思いをさせないという献身が見て取れた。シエスタは貴族に仕えるのは仕方なくという面が強い。そして、自分の保身のために貴族に不快な思いをさせないようにしても、真に相手のために仕えるということを考えたことはなかった。

 

「皆さんは、本当にローゼマイン様のことを慕っていらっしゃるのですね」

 

「ええ、ローゼマイン様はエーレンフェストの聖女ですから。私たちはローゼマイン様がはるか高みに向かうことがあれば、お供させていただくことになっているのです」

 

ハルトムートは誇らしげに言ったが、シエスタには意味がよく分からなかった。なので後でグレーティアに確認してみると、ローゼマインが死ぬことがあれば、全員が後を追うのだと聞かされたのだ。

 

そのことをサイトに話すと、殉死という言葉を呟いた。シエスタが意味を聞くと、主人の後を追って臣下が自殺をすることだと教えられたのだ。けれど言葉は知っているサイトもそこまでの覚悟を持っている人たちというのは、歴史の中の人たちで実際には見たことがないらしい。彼らはそれだけ珍しい人たちなのだと。

 

シエスタから見た貴族というのは、平民に威張り散らして、魔法という平民にはない力を振るう怖い相手だった。その貴族たちが、そこまで心を込めて誰かに仕えるということは、想像もできないことだ。

 

けれど、考えてみるとローゼマイン本人はもちろん、側近たちも理不尽に平民を苛めるようなことはしない。サイトに語っている内容から、ローゼマインの国ではトリステインよりも平民が虐げられているようにも聞こえたので、ローゼマインと側近たちだけが特殊なのかもしれないけれど。

 

ともかく、ローゼマインに仕えるということは、生半可な覚悟では許されないということは分かった。幸いにもローゼマインに仕えることで得られる特別手当ては魅力的な額だし、ローゼマインは人柄も尊敬できる。仕えることに不満は全くない。

 

サイトもローゼマインは土くれフーケのゴーレムから何度も守ってくれたと言っていた。ギーシュのゴーレムに殴られて大怪我をしたサイトの傷を癒したのもローゼマインだ。

 

色々と厳しいことをシエスタやサイトに言うのも、心配をしてくれているからだということは伝わってくる。ローゼマインは平民を見下して威張るだけの貴族とは違う。そう思えるからこそ、シエスタはもっと頑張らねばと思うのだ。

 

そんなローゼマイン一行が、ある日、とても嬉しそうに夕食を取っていたことがあった。何があったのかグレーティアに尋ねてみると、長く作成の実験をしていた魔術具がついに不完全ながら完成したようだ。まだ改良は必要なようだが、方向性は見えてきたらしい。

 

とはいっても、シエスタにとってはあまり関係のないことだ。せいぜいが主が嬉しそうだとシエスタも少しだけ嬉しいというくらいだ。

 

「しかし、これをどうやって広げるのですか」

 

「コルベール先生の力を借りようと思っています」

 

クラリッサの質問にローゼマインは前から考えていたかのように、すぐに答えを返す。

 

「しかし、よろしいのですか?」

 

「ええ、わたくしたちは今、目立つわけにはいきませんので」

 

続いて聞いてきたローデリヒにそう返していたが、目立つわけにはいかないと言いつつ、ローゼマインたちはものすごく目立っているように見えるのは気のせいだろうか。

 

それから少ししてトリステイン魔法学院の中に白い鳥が飛んでいる姿が多くみられるようになった。



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風のアルビオン
ハルケギニアの図書館


長らくお待たせしました。
アルビオン編の再構成が終了したので投稿を再開します。


フーケの騒動が収まってから、わたしは暇を見つけては図書館に通っている。一人乗りのわたしの騎獣の隣に並んで歩き、同じ目的地に向かっているのは、この国でできた本好きのお友達、第一号であるタバサだ。

 

このタバサからわたしはハルケギニアの魔法理論に関する本を紹介してもらい、また内容について解説をしてもらっている。代わりにわたしは、普通なら生徒は入れないフェニアのライブラリーに彼女を同行させている。

 

最初、オスマンはタバサをフェニアのライブラリーに同行させることに対して難色を示した。だから、わたしはフェニアのライブラリーに同行させる側近に制限をつけていないことを利用して、タバサを側近に加えたのだ。わたしがタバサを側近に加えたことを伝えると、オスマンは渋い顔をしながら、フェニアのライブラリーへの入室を認めてくれた。

 

当然、実際にわたしがタバサに主として指示を与えているわけではない。わたしはあくまでタバサから魔法理論を教わるくらいだ。

 

「では、サモン・サーヴァントは四大系統の魔法ではないのですね?」

 

「そう。それらはコモン・マジックと呼ばれている」

 

タバサの説明によると、コモン・マジックはメイジなら誰でも使える魔法ということだ。わたしが気になったのは四大系統と異なるという部分だ。なぜ誰でも使えるのか、それがわたしたちの帰還の鍵となる気がしたのだ。

 

最初、誰でも使えると聞いて考えたのが、実はハルケギニアの人たちは光・闇・命のどれかを絶対に持っていて、だから魔法が使えるという仮説だ。だからわたしは、それら三属性を持たないリーゼレータにコモン系の魔法を試してもらった。

 

結論としては、リーゼレータも普通にコモン系の魔法を使うことができた。試したのは、部屋の施錠をするというロックという魔法だけど、問題なく使うことができた。まあ、鍵をかけるだけという、魔法としては簡単というか、初歩的な魔法なので単に簡単なので誰でも使える魔法だったというだけだったようだ。

 

余談だけど、タバサからロックの魔法を教えてもらってから、側近たちは安心して眠れるようになったようだ。コモン・マジックも魔力の影響は受けるようで、わたしのロックの魔法は側近たちの誰も解除ができなかったのだ。

 

ユルゲンシュミットの領主候補生の中でも、わたしの魔力はかなり高かった。タバサにも試してもらって、わたしのロックの魔法はハルケギニアの普通のメイジでは解除ができないと理解してもらえた成果だ。一方で側近たちのわたしの部屋に対する調査がとても厳しくなった。これは毒物などを警戒しているのではなく、わたしが本を持ち込んで側近が部屋を開けられないのをいいことに読書に耽るのを警戒しているのだ。

 

各地でこっそりと読書をしようとしたり、わたしの筆頭側仕えとしての仕事の中に、わたしからの本の取り上げ方があったりするだけあって、わたしはこと読書に関しては側近たちからの信用がまるでない。側近たちの仕事に本探しが加わらないよう、ロックの魔法を覚えてから、わたしは一度も本を部屋に隠したことがない。

 

更に余談だけど、ロックの魔法を使って施錠した部屋の中にもオルドナンツを飛ばすことはできる。そのためわたしが部屋の扉を開ける前には先にオルドナンツを飛ばして部屋の前に護衛騎士と側仕えを待機させている。

 

何が言いたいのかというと、トイレが部屋にないので、トイレに行きたくなったときには側近に今からトイレに行くよと宣言しなければいけないということだ。一応、トイレのときの護衛はクラリッサにしているけれど、同性だからといって羞恥心が完全になくなるわけではない。いっそ神殿のように部屋で済ませられるように、とも考えたけど、貴族の側近に汚物の処理はさせられないと思い直して却下しておいた。

 

「ところで、ローゼマインの系統は風なの?」

 

「そうですね。属性で言えば、わたしは風になると思います」

 

わたしが魔力で染めたものは、薄い黄色になる。なので属性的には風か光ということになるけれど、光はハルケギニアには存在しない属性だ。風と言っておくのが正解だろう。

 

「自分の属性が分からないの?」

 

「そうですね。わたくしたちはタバサたちのように属性がはっきりとはしていないのです。自分が染めた魔石の色を見てどのような色になったかで、どの属性が強いのかを推測するのです。例えば魔石が緑色に染まったら水の属性が強い、とかですね」

 

「水の属性が強いのに、色が緑色なの?」

 

「ええ、ユルゲンシュミットでは水の属性は緑、火の属性は青、風の属性は黄、土の属性は赤です。ハルケギニアとは全く異なりますね」

 

ハルケギニアでは水は青、火は赤、と割と見た目のイメージ通りだ。ユルゲンシュミット生活が長くなっていたせいで最初は少し戸惑ったけど、わたしは馴染むのは早かった。側近たちは未だに慣れないようだけど。

 

「ローゼマインはサイトに治癒の魔法を使ったって聞いた。水も得意なの?」

 

「ええ、わたくしは風の他に水も得意ですね。そう考えると、タバサとわたくしは属性的にも似ているようですね」

 

わたしは全属性なので実際には誰とも似ているとも言えるけど、気にしない。お友達との共通点は多い方がいい。

 

「これなら、今のローゼマインでも理解できるかも」

 

わたしと話しながらもフェニアのライブラリー内の本を漁っていたタバサが一冊の本を差し出してくる。

 

「ありがとう存じます。ところで、このフェニアのライブラリーは本棚が高すぎるのではありませんか?」

 

トリステイン魔法学院の図書館は、食堂のある本塔の中にある。その中にあるフェニアのライブラリーの本棚の高さは三十メートルほどもある。とてもではないが、手の届く高さではない。

 

「別に魔法を使えば届くけど?」

 

タバサはそう言うが、逆に魔法を使わなければ本を取れないということだ。それでは平民たちはもちろん、シュヴァルツやヴァイスたちも手伝えない。それに、わたしはもちろん側近たちにもどうしても受け入れられないことがある。

 

「魔法を使って飛ぶのはよいですけど、せめて騎獣服を着用していだだけませんか?」

 

タバサにしても、他の生徒や教師にしてもこの学院の者は皆、スカートなのに簡単に宙に浮いてしまうのだ。一応、真下に人がいるときは避けているようだけど、こんな高い本棚の上にいたのでは、人が入ってきても気づきそうにない。ただでさえ、本を選んでいるときなどは夢中になってしまうわたしとしては、他人事ながら冷や冷やする。

 

「ここには、騎獣服なんてないから。それに、これは制服」

 

そう言われては返す言葉もない。麗乃時代は真面目だったわたしは、制服を着崩したりといった違反は一切、行っていない……と、ちょっと待って麗乃時代はって、わたしはいまでも真面目……とはいえないかも。でも、それはわたしが悪いんじゃない。商売上の師である誰かさんとか、魔術の師である魔王様とか、色々な人に抜け道を使うことを教わりすぎたせいなのだ。

 

「ローゼマイン、どうかした?」

 

「いいえ、少しばかり来し道を思い出していたのですわ」

 

「そうなんだ」

 

「それより、どこかに貴重な魔術書が売買される場所など、ご存知ありませんか?」

 

もしも貴重な魔術書がお金で手に入るなら、稼ぐこととに軸足を置く手もある。

 

「そんな場所は知らない」

 

けれど、タバサの答えは期待したものではなかった。ならば仕方ない。しばらくはここで研究に励むしかないだろう。

 

恐ろしい魔王様であっても、大領地アーレンスバッハはすぐに掌握できるものではなく、ディートリンデは制御ができない。だから、わたしは早くユルゲンシュミットに帰還しなければならないのだ。とはいえ焦っても何も始まらない。なにせ、まだ手がかりは全くないのだから。

 

それに……と高い高い本棚を見上げる。この蔵書の量は素晴らしいけれど、ここにある本はいずれも誰かが読んだことのある本なのだ。オスマンやコルベールが知らないと言った方法が本当にここにあるのか、少しばかり不安がある。

 

あるいは、本気で他の場所にある本を手に入れる方法についても、考えないといけないかもしれない。わたしは最近、そう考え始めていた。



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商人見習いキュルケ

あたしは今、ゲルマニアの実家と頻繁にオルドナンツでのやり取りをしている。内容は主にゲルマニア国内の情報収集だ。

 

ローゼマインは研究資金集めと、ゲルマニア国内から書物等を確保するための伝手を構築しておくことをあたしに依頼してきた。そう言っていたのに、あたしが行っているのは各地の貴族の予想される資産状況と、マジックアイテムの取引相場の確認だ。

 

ローゼマインはゲルマニア国内でもオルドナンツを販売するに当たって、仲介者としてあたしのフォン・ツェルプストー家を指名してくれた。便利なオルドナンツを扱えば、かなりの利益があげられることは、あたしにも想像できた。

 

だから、喜んで飛びついてしまったのだ。けれど、それは誤りだった。

 

まずはゲルマニアの豊かな貴族たちが、ぎりぎり購入を思いきれる額を探ると言われたのだ。ローゼマインがあたしに告げた予定販売価格は魔法学院内で売買された額の三倍にもなる額だった。

 

「いくら何でも値上げしすぎでしょ!」

 

いったい、どれだけ強欲なのか。そう思っての発言だったが、ローゼマインはゆっくりと首を横に振った。

 

「そのくらい高額でなければならないのです。オルドナンツはわたくしたちが一つずつ手作りで作成するため、どうしても数を作ることができません。安価で販売を決め、多くの注文が殺到してしまうと、とても応えることができません。需要があるか聞いたけど、販売はできないという答えを繰り返してしまうと、評判が下がるのはどなたになります?」

 

注文を受けても捌ききれずに評価が下がるのは、ゲルマニア国内でのオルドナンツの仲介を行ったフォン・ツェルプストー家に他ならない。つまりフォン・ツェルプストー家は、ローゼマインたちが作り切れる量以上の注文を受けてはならないのだ。

 

注文を減らすにはどうするか。一つには限られた相手にだけ話を持ち掛けることだ。けれども、これは話が漏れた場合に怖い。それに、なぜあいつには話が行って、自分には話がこなかったのか、など人間関係で面倒なことになりそうだ。

 

それを考えると、限られた相手しか購入ができないほど高値に設定するというのは、案外、理にかなっているのかもしれない。どうせ相手にはあたしたちがどの程度の原価で仕入れたのかは分からないだろうし。なんだか上手いことローゼマインのぼったくりの片棒を担がされているような気もするが、反論ができないのだ。

 

そうして、ローゼマインから十個という極めて限定した数のオルドナンツを提示されたあたしは、ちょうどくらいの注文数となる値段設定を探って奔走しているのだ。これがうまくいけば、ツェルプストーは販売額の二割を受け取れる。つまりは裕福な貴族なら何とか買えるというオルドナンツ二個分の代金を受け取れるのだ。

 

そうなると、なるべく高く売るという目的にも力が入るというものだ。実家の両親たちや領内の商人たちも巻き込んで、ちょうど十個の注文を目指して奮闘が始まった。そうして今日に至ったというわけである。

 

今日まで実家に何度もオルドナンツを送り、様々な伝手を駆使し、更には一度だけだが、ローゼマインが直接、フォン・ツェルプストー家の領内の商人たちから面談で情報を得て、ついに値段が決まった。けれど、そこで不安になったことがあり、あたしはローゼマインに尋ねた。

 

「ねえ、今回はこれでよかったとして、次からはどうするの? 今回だけで、もう二度と売りに出さないってわけじゃないんでしょ?」

 

「直近では予定はありませんが、今後となると可能性はあるでしょうね?」

 

「でも、今回で有望な相手にはすべて売ってしまうことになるでしょ? 次は同じ値段では売れないんじゃない? 値下げでもするの?」

 

「キュルケ、今回は多くの人が使ったことのない珍しい魔術具という扱いで売っています。ですが、次はすでに便利であることが知られている魔術具を販売することになります。次の購買層は、すでに使っていて二個目が欲しくなった相手、誰かが便利に使っているのを見て羨ましくなった相手となります。なので、むしろ少しばかり値上げしても売れるかもしれませんよ」

 

今の時点でも相当に値をつり上げているのに、更にぼったくろうというのだろうか。あたしが驚いてみると、さすがにローゼマインは少しばかり気まずそうに視線を逸らした。

 

「わたくしの側近たちは全員が貴族ですので。生活費はどうしても高くなるのです」

 

それ自体は、わからなくもない。ローゼマインはフーケを捕らえた直後に二人の平民を側仕え見習いというものに命じて側近たちの生活を整えさせていた。それが、最近、更に二人ほど増えた。なんでも、二人だけだとどうしても手が回らなかったらしい。

 

あたしにとって使用人とは、いれば便利だけれど、絶対に必要な存在ではない。けれど、ローゼマインたちユルゲンシュミットの貴族にとっては、側仕えは絶対に必要で、いなければ生活に支障をきたすものらしい。はっきり言って甘えすぎではないかと思わなくもないけれど、ユルゲンシュミットを知らないあたしが言えることではないので、口には出していない。

 

「でも、それだけ生活するのにお金がかかるのなら、それこそ高価な楽器なんて買わなければよかったんじゃない?」

 

「わたくしも、音楽が大好きというわけではないのです。けれど、ユルゲンシュミットの貴族にとって音楽は教養の一部で、できないというわけにはいかないのです。それで、こちらに来てから楽器を全く触っていないわたくしの帰還後を心配して、ユルゲンシュミットのフェシュピールというものに似た楽器を側近たちが探してくれたのです」

 

側についているグレーティアに遠慮してそれより先は口にしなかったが、自分のためを思っての勧めを断り切れなかったことが何となく窺えた。

 

「ハルトムートは単に、ローゼマイン様のフェシュピールが聞きたかっただけのような気もいたしますけれどね」

 

「わたくしも、そう思いました。けれど、理屈としては通っているのですもの」

 

グレーティアの言葉に、わかっていてもままならないという調子でローゼマインが答えていた。それにしても、自ら演奏まで行えなければいけないとは、ユルゲンシュミットの貴族は本当に大変だ。ハルケギニアの貴族にとって、音楽は誰かが演奏するのを聞くものだ。自ら演奏することは好きならすればいいが、強要されるようなものではない。

 

「でも、そうまでして聞きたがるってことは、ローゼマインは演奏も得意だってこと?」

 

ローゼマインに聞いても謙遜の言葉しか出ないことは、これまでに学習している。だから、あたしはグレーティアに視線を向けて尋ねた。

 

「はい、ローゼマイン様はフェシュピールの名手と言われています。また、作曲もなされていて、貴族院では音楽の先生方からもお茶会にお招きいただいているのです」

 

「言っておきますが、ユルゲンシュミットでは作曲は専属の楽師と一緒に行います。なので、作曲をしてみて欲しいと言われてもお応えはできませんよ」

 

「いや、別にあたしは作曲してほしいなんて思わないからいいんだけどね」

 

作曲してもらったとして、あたしは楽器は使えないし、演奏をさせるような専属楽師なる存在もいない。

 

「けど、それほど上手ならローゼマインの演奏は一度、聞かせてもらいたいわね」

 

「えぇ。時の女神ドレッファングーアの糸が重なる時にはきっと」

 

「ローゼマインの言葉はどういう意味なの?」

 

「機会があれば、という意味です」

 

それなら、あたしにも本当の意味がわかる。ローゼマインは演奏する気はないようだ。

 

少し残念な気もするが、元より絶対に聞きたかったわけではない。あたしは演奏を聞くのをすっぱりと諦め、オルドナンツ販売に向けての準備を再開させた。




側近もですが、一番、金がかかるのはローゼマイン。
しかも娯楽費で。


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コルベールの発明とルイズの悩み

この日もわたしは側近たちと一緒に授業を受けていた。今日の授業でコルベールが披露したのは、一言で表すと妙な物体だった。研究が好きという、どこかフェルディナンドに似た趣味を持つ彼が示したのは、油と火の魔法を使って動力を得るという装置だった。

 

「たとえばこの装置を荷車に載せて車輪を回させる。すると馬がなくても荷車は動くのですぞ! たとえば海に浮かんだ船のわきに大きな水車をつけて、この装置を使って回す! すると帆がいりませんぞ!」

 

熱弁を振るうコルベールに対して、教室の皆の反応は冷ややかだった。

 

「そんなの魔法で動かせばいいじゃないですか。なにもそんな妙ちきりんな装置を使わなくても」

 

生徒の一人がそういうと、他の皆はそうだそうだと言わんばかりに頷いている。

 

「諸君! よく見なさい! もっと改良すれば、なんとこの装置は魔法がなくても動かすことが可能になるのですぞ! ほれ、今はこのように点火を『火』の魔法に頼っておるが、例えば火打石を利用して、断続的に点火できる方法が見つかれば……」

 

コルベールが興奮した調子でまくしたてても、他の生徒たちの反応は薄い。けれど、わたしの側近たちは真剣な目でその装置を見つめている。

 

普通のユルゲンシュミットの貴族たちなら、ハルケギニアの貴族と同じ反応を示しただろう。けれど、わたしはエーレンフェストで印刷機やポンプといった、平民でも扱える品を多く発明し、それで大金を稼いでいる。そのことを知っているだけに、これも何かに使えないかと考えているようだ。

 

「先生、それ、素晴らしいですよ! それは『エンジン』です! 俺たちの世界じゃ、それを使って、さっき先生が言った通りのことをしてるんです」

 

「なんと! やはり、気づく人は気づいておる! おお、きみはミス・ヴァリエールの使い魔の少年だったな」

 

一方、わたしは興奮した様子の平賀が車のことを話し出さないかと気が気でない。一応、夢の中の国が日本に似ているという言い訳は用意しているが、それでも神の世界とも思われている場所の情報を何気なく開示されることは、平賀自身が側近たちに反感を持たれている現状では、あまり嬉しくない。

 

「きみはいったい、どこの国の生まれだね?」

 

「ミスタ・コルベール。彼は、その、東方の……、ロバ・アル・カリイエの方からやってきたんです」

 

「なんと! あの恐るべきエルフの住まう地を通って! いや、『召喚』されたのだから、通らなくともハルケギニアにはやってこれるか。なるほど……、エルフたちの治める東方の地では、学問、研究が盛んだときく。きみはそこの生まれだったのか。なるほど」

 

一人で納得しているコルベールを前に、わたしは小さく驚いていた。ハルケギニアには、なんとエルフもいるらしい。ユルゲンシュミットよりもファンタジー。けど、どうやら仲はよくなさそうなので、会うことはできそうにない。少しがっかりだ。

 

その後はルイズがコルベールの作った装置を動かすために使った『発火』の呪文に失敗し、いつぞやのように装置ごと爆発させ、辺りに炎を振りまいたため、授業は強制終了となった。ちなみに炎を消したのはモンモランシーなど水の系統のメイジの『ウォーター・シールド』という魔法だ。わたしたちが使うヴァッシェンは大量の水を呼び出せるが、あくまで浄化の魔術であって消火をするには不向きなのだ。

 

そして、その日の夜、わたしは呼び出されてルイズの部屋にいた。ルイズとはフーケの討伐の後から少しずつ交流が増えている。彼女は魔法の実技が得意でない分、座学には力を入れているようで、理論だけならタバサよりも優秀だったのだ。

 

ごく小規模なお茶会であるため、部屋にいるのはルイズの他はわたしとリーゼレータとクラリッサの三人だけ。他に部屋の外で扉の前をラウレンツが守っている。

 

「あまり知られたくない相談事だと思うのですけど、わたくしたちの国では完全に側近を排してお話ができるのは親族くらいなのです。範囲指定のできる盗聴防止の魔術具を使いますので、二人には話は聞こえませんので、それで容赦してくださいませ」

 

わたしが魔術具を起動させながら言うと、ルイズはリーゼレータが用意したお茶で唇を湿らせてから話し始めた。

 

「サイトは伝説の使い魔だってオールド・オスマンから言われたわ。サイトの手の甲の印は始祖ブリミルの使い魔『ガンダールヴ』と同じものらしいの」

 

どうやらルイズは主として平賀のルーンのことを教えられたらしい。

 

「だったら、どうしてわたしは魔法ができないの。サイトは伝説の使い魔なのに、どうしてわたしはゼロのルイズなのかしら。いやだわ」

 

「わたくしはハルケギニアの魔法には詳しくないので、具体的なことは言えません。けれど、わたくしたちがハルケギニアの魔法を使おうとしても、上手く使えない魔法も多いのです。平民が魔法を使えないのは魔力が少なすぎるため。それならば、わたくしたちならば使えるはずなのに、そうではない。何か解明されてない秘密があるのかもしれません」

 

今日の授業で使った『発火』はわたしでも使える。だけど『錬金』は使えない。その差はわたしに錬金の原理が理解できていないからではないかと思う。

 

実際、ユルゲンシュミットの貴族院で習うシュタープの変形、騎獣の作成などにおいては、自分でもできないと思ったものは成功しない。自分の魔力でできることは、大抵は自分ができると強く信じられることだけだ。けれど、それは推測に過ぎないので、今の時点では口には出せない。

 

「わたしね、立派なメイジになりたいの。別に、そんな強力なメイジになれなくてもいい。ただ、呪文をきちんと使いこなせるようになりたい。得意な系統もわからない、どんな呪文を唱えても失敗なんてイヤ」

 

それでも貴族でいられるだけ幸せだと感じてしまうのは、わたしがコンラートや粛清の影響で、貴族として生まれながらも貴族としての生き方を断たれた子供たちを知っているからだろうか。

 

「得意な系統なんて、存在しないんだわ。魔法唱えても、なんだかぎこちないの。自分でわかってるの。得意な系統の魔法を唱えると、体の中に何かがうまれて、体の中を循環する感じがするんだって。それはリズムになって、そのリズムが最高潮に達したとき、呪文は完成するんだって。そんなこと、一度もないもの」

 

わたしは全属性を持っているので、得意な属性と苦手な属性でどのような違いがあるのかが分からない。これについては、何のアドバイスもできそうにない。

 

「でもわたし、せめて、みんなができることを普通にできるようになりたい。じゃないと、自分が好きになれないような、そんな気がするの」

 

「別に、皆ができることができなくとも、わたくしは良いと思いますよ」

 

「え?」

 

「わたくしは生まれつき酷く虚弱で、肉体的な強さでは誰よりも弱かったです。今は少し丈夫になってきましたが、ずっと城内でも騎獣を使わなければ、目的地にたどり着く前に息切れをしてしまうような状態でした。騎獣が使えないときは抱き上げられて移動することも珍しくなかったです。わたくしはずっと誰かに支えられて生きてきました」

 

ハルトムートやクラリッサはわたしが優秀だとしか言っていなかったのだろう。ルイズは目を瞬かせていた。

 

「わたくしは肉体的な面では虚弱でしたが、魔力は有り余るほどでしたので、主に魔力と頭を使う方向で努力をしました。新たな産業を作り出したことも、元は単純に自分が欲しいものを何とかして作り出そうとしただけです。けれど、それが結果的に優秀な領主候補生という評価になりました」

 

「ローゼマインはずっと優秀と評価されてきたんじゃないの?」

 

「いいえ、わたくしは保護者達からはもっぱら問題児と言われていたのですよ」

 

「ローゼマインが!?」

 

ルイズは随分と意外そうだが、わたしの社交は危なっかしいと何度も言われたし、何をするにも影響が大きくなりがちなので、報連相を欠かすなと何度も注意を受けていたのだ。

 

「ルイズは一般的に優秀と評価されるメイジを目指しているようですけど、まずは自分のできることを考えるところから始めてはいかがでしょう? 最初は異端と謗られることも多いでしょうが、その道を極めていけば、いずれは優秀なメイジと呼ばれるようになるかもしれませんよ」

 

わたしが言うと、ルイズの瞳に少し力が戻ったようだ。後はルイズの問題だ。わたしは盗聴防止の魔術具の効果を切った。

 

「時の女神ドレッファングーアの本日の糸紡ぎはとても円滑に行われたようですね。そろそろ、わたくしは失礼いたします。ルイズ様にシュラートラウムの祝福と共に良き眠りが訪れますように」

 

悩めるルイズに少しだけシュラートラウムの祝福を送り、わたしは側近たちと一緒に部屋を後にした。



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タバサの実家

あたしは今、友人のタバサと、あたしが呼び出したローゼマイン一行とともにガリアへと向かっていた。この同行は多くの知識を求めているローゼマインと、ローゼマインの持つ知識を欲したタバサの利害が一致した結果だと聞いている。

 

「それにしても、あなたがあたしより先にローゼマインに身の上を話すなんて思いもしなかったわ」

 

同じ読書が趣味の者同士としてタバサとローゼマインはあたしの知らない所で交流を深めていたらしい。この旅に出る直前まで、あたしはタバサがガリアの王族に連なる者であるということを知らされていなかったのだ。

 

ガリアとトリステインは、言葉も文化も似通っている。『双子の王冠』と並んで称されることも多い。

 

石の門を抜けて、あたしたちはガリア国内に入る。ローゼマインが側近たちだけでなく平民の側仕えと呼んでいるシエスタたち四人も連れているため、合計十四名という大所帯であることに衛士が何事かと目を白黒させていたのが印象的だった。

 

ガリアとトリステインの国境沿いに広がるハルケギニア随一の名勝ラグドリアン湖を見下ろす街道から途中で山側に折れ、馬車は一路タバサの実家に向かう。

 

そのうちに森の中へと馬車は進み、大きな樫の木の横を抜けて十分ほどで、タバサの実家のお屋敷が見えてきた。旧い、立派なつくりの大名邸である。門に刻まれている紋章は交差した二本の杖、そして“さらに先へ”と書かれた銘。ただし、その紋章にはバッテンの傷がついていた。不名誉印である。この家のものは、王族でありながらその権利を剥奪されていることを意味している。

 

玄関前の馬周りにつくと、一人の老僕が近づいてきて馬車の扉を開けた。恭しくタバサに頭を下げる。

 

他に出迎えのものはいない。随分寂しいお出迎えだ。あたしたちは老僕に連れられ、屋敷の客間へと案内された。手入れが行き届いた綺麗な邸内だったが、しーんと静まり返って、まるで葬式が行われている寺院のようだ。

 

タバサは「ここで待ってて」と言い残して客間を出て行った。取り残されたあたしがぽかんとしていると、先ほどの老僕が入ってきてあたしたちの前にワインとお菓子を置いた。

 

「随分と由緒正しいみたいだけど。なんだかあなた以外、人がいないみたいね」

 

「このオルレアン家の執事を務めておりまするペルスランでございます。おそれながら皆様はシャルロットお嬢様のお友達でございますか?」

 

オルレアン家のシャルロット。それがタバサの本名らしい。オルレアン、オルレアン……、そこまで思考をめぐらせて、はたと気づく。オルレアン家といえば、ガリア王の弟、王弟家ではないか。

 

「どうして王弟家の紋章を掲げずに、不名誉印なんか門に飾っておくのかしら」

 

「お見受けしたところ、外国のおかたと存じますが……。お許しがいただければ、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

 

「ゲルマニアのフォン・ツェルプストー。こちらはローゼマイン。あたしの関係者よ」

 

ローゼマインのことは説明をしようとすると、どうしても面倒になる。まずハルケギニア外の異国というところから始まり、召喚の事故のことまで話さなくてはならなくなる。全く間違いというわけでもないので、今回はこれで押し通す。もしも本当のことを知らせた方がいいと思えばタバサが伝えるだろう。

 

「ところでいったい、この家はどんな家なの? タバサはなぜ偽名をつかって留学してきたの? あの子、なにも話してくれないのよ」

 

「お嬢様は『タバサ』と名乗ってらっしゃるのですか……。わかりました。お嬢様が、お友達をこの屋敷に連れてくるなど、絶えてないこと。ツェルプストーさまを信用してお話しましょう」

 

そうして話し始めたペルスランは、タバサたちを継承争いの犠牲者と呼んだ。先王が崩御したときに遺された二人の王子、長男のジョゼフと次男のオルレアン公。宮廷は二つにわかれての醜い争いになり、結果オルレアン公は謀殺された。

 

「ジョゼフさまを王座につけ連中は、次にお嬢さまを狙いました。将来の禍根を断とうと考えたのでありましょう。連中はお嬢さまと奥さまを宮廷に呼びつけ、酒肴を振る舞いました。しかし、お嬢さまの料理には毒が盛られていた。奥さまはそれを知り、お嬢さまをかばいその料理を口にされたのです。それはお心を狂わせる水魔法の毒でございました。以来、奥さまは心を病まれたままでございます」

 

そこまで言って、ペルスランはちらとローゼマインの方を見た。そこにはローゼマインのために毒見をしているリーゼレータと、周囲を警戒しているラウレンツの姿があった。もしも自分たちが、同じくらい用心深くあったなら、と後悔をしているのかもしれない。

 

もっとも、ユルゲンシュミットと違ってハルケギニアでは毒見は一般的でない。毒見をさせろと言うのは大変に失礼な行動であるため、現実には難しいだろう。

 

「お嬢さまは、その日より、言葉と表情を失われました。快活で明るかったシャルロットお嬢さまはまるで別人のようになってしまわれた。しかしそれも無理からぬこと。目の前で母が狂えば、誰でもそのようになってしまうでしょう。そんなお嬢さまは、ご自分の身を守るため、進んで王家の命に従っています。王家はそんなシャルロットお嬢さまを、それでも冷たくあしらわれ、奥さまを、この屋敷に閉じ込めています」

 

口惜しそうにペルスランは唇を噛んだ。

 

「そして! 未だに宮廷で解決困難な汚れ仕事がもちあがると、今日のようにほいほい呼びつける! 父を殺され、母を狂わされた娘が、自分の仇にまるで牛馬のようにこきつかわれる! 私はこれほどの悲劇を知りませぬ」

 

「よく聞くお話ではありますけど、それでも友人がそのような立場であると聞くと思うところはございますね」

 

さすがに護衛が常に付き、毒見を欠かさないローゼマインと言うべきか。類似例を知っているらしい。

 

「お嬢さまの『タバサ』というお名前についてですが、お忙しい奥さまが、お嬢さまに人形をプレゼントなさったことがありました。お嬢さまはたいへんお喜びになり、その人形に名前をつけて、まるで妹のように可愛がっておられました。今現在、その人形は奥さまの腕の中でございます。心を病まれた奥さまは、その人形をシャルロットお嬢さまと思い込んでおられます。『タバサ』は、お嬢さまが、その人形におつけになった名前でございます」

 

そこまでペルスランが話したところで扉が開いて、タバサがあらわれた。

 

「ローゼマイン、お願い」

 

「ええ、どれだけのことができるのかは分かりませんが……」

 

その言葉で、ローゼマインがタバサの母の治療の可能性を見込んで同行を頼まれたのだとわかった。タバサに連れられ、あたしたちは屋敷の一番奥の部屋に入る。

 

大きく、殺風景な部屋だった。ベッドと椅子とテーブル以外、他にはなにもない。開け放した窓からは爽やかな風が吹いてカーテンをそよがせている。

 

部屋の中にいたのは痩身の女性だった。のばし放題の髪から覗く目が、まるで子供のように怯えている。

 

「下がりなさい無礼者。王家の回し者ね。わたしからシャルロットを奪おうというのね? 誰があなたがたに、可愛いシャルロットを渡すものですか」

 

おそらくタバサの母親であろう女性は、目を爛々と光らせて冷たく言い放つ。

 

「おそろしや……、この子がいずれ王位を狙うなどと……、誰が申したのでありましょうか。薄汚い宮廷のすずめたちにはもううんざり! わたしたちは静かに暮らしたいだけなのに、下がりなさい! 下がれ!」

 

女性がタバサに向けてテーブルの上のグラスを投げつける。幸いにもそれはマティアスによって叩き落されたが、タバサはよけようとしていなかったように見えた。抱きしめた人形に頬ずりする女性に向けてローゼマインが足を踏み出す。

 

「お疲れなのです。しばらくお休みになってください。夢の神シュラートラウムよ、この者に心地良き眠りと幸せな夢を」

 

女性に白い祝福の光が降り注ぎ、それから間もなく女性は眠りに落ちた。女性が眠っている間にローゼマインと側近のハルトムートが女性の様子を確認していく。

 

「結論から申し上げましょう。わたくしたちでは彼女を治療することはできません」

 

告げられた言葉はタバサが望んだ言葉ではなかった。

 

「彼女を救えるのは、タバサ、貴女だけです」

 

しかし、その後でローゼマインはタバサに新たな目的を与えたのだった。




以後は少し間隔をあけての投稿となります。


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水の精霊

丘から見下ろすラグドリアン湖の青は眩しく、陽光を受けて、湖面がキラキラとガラスの粉をまいたように瞬いている。ラグドリアン湖が水の精霊の住む場所と聞いて、わたしが一番に思い浮かべたのはフォンテドルフ近くの女神の水浴場だ。さすがに、そこほど綺麗で神秘的な場所ではないけど、このラグドリアン湖も十分に美しい場所だ。

 

わたしたちがラグドリアン湖を訪れた目的は二つ。一つはタバサがガリア王家から命じられた任務である、周辺の水かさが増加した原因である水の精霊の退治。そして、もう一つがわたしがタバサの母親を助ける方法として示した、ユレーヴェを作るため『水の精霊の涙』という素材を得ることだ。

 

薬学に精通したフェルディナンドであれば、もっと効果的な解毒方法を知っているのかもしれないが、使われた毒が何なのか分からない状態では、手間はかかるけど、汎用的に使えるユレーヴェしか使えそうな物が思い浮かばなかったのだ。

 

水の精霊というものが、どういうものであるのか正確には分かっていない。この世界の人間であるキュルケとタバサもよく分かっていないようだ。けれど、わたしとしては、どうしても水の女神を連想してしまうので退治と言われると抵抗感がある。そのため、まずはわたしが水の精霊と交渉をしてみることにしたのだ。

 

「交渉と言っても、どのようになさるおつもりですか?」

 

そう言ってきたハルトムートにわたしが答えたのはフリュートレーネの夜と同じ行動。つまり女性だけで、おいしいお菓子をお供えし、音楽の奉納を行うということだ。それを聞いたときはキュルケとタバサだけでなく、側近たちまで微妙な顔をしていた。

 

今のわたしの側近たちの中にフリュートレーネの夜を経験した者はいない。あのときはフェルディナンドも非常識と言っていたのだから、今の側近の反応も理解はできる。けれど、どう言って止めようかと考えていることが、はっきりと伝わるのは少し悲しい。

 

討伐を依頼されるような存在に接近することに、最初は側近たちも難色を示した。けれど、実の親子のあのような悲しい接し方を、わたしは見ていることができなかったのだ。

 

そんな中でハルトムートだけは何が起こるのか楽しみにする気持ちと、女性のみという条件により自分は見られないことを残念に思う気持ちで葛藤していた。相変わらずといえば相変わらずだけど、ハルトムートのわたしへの信頼が強すぎて怖い。

 

ともかく、危険を訴えるマティアスとラウレンツを、何かがあればすぐにロートの魔術で救援を求めるからと説得して、わたしは湖畔に立った。立ち会うのを女性に限定したため、この場にいるのはわたしとキュルケ、タバサ、クラリッサ、リーゼレータとグレーティアの五人だけだ。まずはお菓子を湖畔に置き、わたしはいつの間にか馬車の中に積み込まれていたフェシュピールに似た楽器を構える。

 

「我は世界を創り給いし神々に祈りと感謝を捧げる者なり」

 

お決まりの祈りの言葉と共に、楽器を弾き鳴らしながら歌う。そもそもはハルトムートがフェシュピールに似た楽器があったと持ってきて、なんだかんだと言いくるめられて練習されられたものだが、こんなところで役立つとは思わなかった。

 

水の女神フリュートレーネに捧げる歌を奏でながら緑色の祝福の光を湖の中心に向けて広げていく。すると、わたしたちが立つ岸辺から三十メートルほど離れた水面の下が、眩いばかりに輝き始めた。

 

まるでそれ自体が意思を持つかのように、水面がうねうねとうごめいた。それからお餅が膨らむようにして、水面が盛り上がる。

 

どうでもいいけど、ユルゲンシュミットにはお米がなかったのでお餅もなかった。久しぶりに食べたいなと思ったのは内緒だ。

 

盛り上がった水は様々なかたちに変わっていたけれど、最終的に少し大きなわたしの姿になった。それはいいのだが、服を身につけていない。要するに裸だ。本当に男性の側近を連れてこなくてよかったと、心から思う。

 

「精霊様。どうしてわたくしの裸の姿で現れるのでしょうか?」

 

「些末なことに拘るな、単なる者は。我を呼んだのは貴様であろう」

 

「そうですが……それならば今のわたくしと同じ格好でよいではありませんか。そのお姿ですと、その……わたくしがたいへんに恥ずかしい思いをしてしまうのです」

 

「そのような複雑な造形を取るのは面倒だ」

 

確かにわたしの衣装は複雑な刺繍や細かな造形が多くて再現するのは大変かもしれないけど、それなら簡略化してでもいいので服は着てほしい。ユルゲンシュミットの神像はどれもきちんと服を着ているのだけど、ハルケギニアは違うのだろうか。それとも精霊は神様ともまた別物なのか。どちらにせよ、わたしにはいい迷惑だ。

 

「精霊様、御身がお手を広げておられることで、近隣の村の者は憂い、御身に捧げし供物が返らぬものかと願いを胸に抱いております。精霊様には、どうかフォルスエルンテの加護を村にもたらすためのお力添えをお願いしたいのです」

 

「何を言っているのか分からぬ」

 

そりゃそうか。ユルゲンシュミットの神様を出しても分かるわけないよね。じゃあ、どのように説明すればいいのだろうか。

 

「増水により周囲の村は家や畑を失い、困っているのです。どうか彼らが収穫の女神の祝福を感じられるよう、水を引いてほしいのです」

 

結局、わたしは率直に要求を伝えることにした。考えてみれば、ハルケギニアの住人たちはユルゲンシュミットのような回りくどい婉曲表現をあまり使っていない。精霊も人とは違うといえハルケギニアの住人だ。同じ文化なのかもしれない。

 

「数えるほどもおろかしいほど月が交差する時の間、我が守りし秘宝を、お前たちの同胞が盗んだのだ。我が水を増やすのは、水がすべてを覆い尽くすその暁には、我が体が秘宝のありかを知ることになるためだ」

 

増水が始まったのは二年くらい前からと聞いている。それでようやく近隣に被害が出始めた程度だ。ハルケギニア全土を水で覆うとなると、どのくらいかかるものかわからない。随分と気の長い話だけど、さすがは精霊。時間の感覚がわたしたちと違うのだろう。

 

「それならば、わたくしたちがその秘宝を取り戻せば、水を元の位置まで引いてくださいますか?」

 

「秘宝が戻るのならば、水を増やす必要もない」

 

わたしがタバサに視線を向けると、頷いた。水の精霊の討伐より、盗まれた秘宝の奪還を目的としてくれるという意思と解釈する。

 

「その秘宝とはどのようなものですか?」

 

「秘宝の名は『アンドバリ』の指輪。我が時を過ごした指輪。偽りの生命を死者に与える。死は我にはない概念ゆえ理解できぬが、死を免れぬお前たちにはなるほど『命』を与える力は魅力と思えるのかもしれぬ。しかしながら、『アンドバリ』の指輪がもたらすものは偽りの命。旧き水の力に過ぎぬ。所詮益にはならぬ」

 

「偽りの命とはいえ、死者が蘇るということですね。偽りの命を与えられた者は生前と同様に行動ができるのですか?」

 

「同様ではない。指輪を使った者に従うようになる」

 

「とんでもない指輪ね。死者を動かすなんて、趣味が悪いわね」

 

趣味が悪いでは済まされない。それは、殺した後に死者を動かせば、簡単に他人の地位を奪えるということだ。少しずつ上位の者を暗殺していくだけでも、あっという間に国王を傀儡にできてしまうだろう。指輪が奪われて、早二年が経過している。実はこの世界は、すでに何者かに操られているのではないだろうか。

 

「秘宝を盗み出したのは、どのような者たちですか?」

 

「我の住処にやってきたのは数個体。個体の一人が、『クロムウェル』と呼ばれていた」

 

「かしこまりました。アンドバリの指輪を取り戻すことができた暁には、かならずや御身にお返しします。御身がお手を広げ続けて喜ぶのは御身に仇なす者たちにございます。どうか御身のお手を元の位置まで戻していただけないでしょうか」

 

「分かった。水を引かせよう」

 

「ありがとう存じます」

 

正直に言って、手がかりが名前だけでは捜索は難しい。それにわたしが依頼に割ける時間も多くない。これは長期戦になると思っておいた方がいい。

 

「精霊様、もしよろしければ、御身の一部を賜ることはできないでしょうか? この者の母が毒に倒れています。もしもお力をお貸しいただけるなら、今後、御身の要求には最大限のお力添えをすることでしょう」

 

水の精霊が細かく震えた。ぴっ、と水滴のように、その体の一部がはじけ、わたしたちの元へと飛んでくる。魔力が混ざらないよう、魔力を通さない皮の手袋を着けたクラリッサが素早く飛んできた水滴を採取する。

 

「貴様の音楽はなかなかに興味深かった。これは礼だ」

 

「ありがとう存じます、精霊様」

 

「ありがとう、精霊様」

 

私に続いてタバサがこれまでに見たことのないほど柔らかな笑顔でお礼を言う。とりあえず、ここに来た目的は全て果たすことができた。けれど、それ以上に悩ましき問題を知ることになってしまった。



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魔石の作成

水の精霊の涙を手に入れたあたしたちは、タバサの実家へと戻った。そこでローゼマインから次の工程に移るための手ほどきをしてもらっている。

 

ちなみにタバサの母親を治療するユレーヴェという秘薬の作成は、使用する本人の手で行うのがもっとも効果的らしい。けれども、今のタバサの母親に未知の作業を教え込んで実行させることができるとは思えない。そのため、今回は魔力の質が似通っているタバサの手で作成したユレーヴェを使ってもらうことにしたと聞いている。

 

「ユレーヴェの素材となる魔石を作るためには魔力を大量に注ぐ必要があります。タバサは何かに魔力を注いだことはございますか?」

 

「物にはないけど、魔法を使うときみたいな感じでいいの?」

 

「わたくしもよくわかりません。とりあえず、その要領で試してみてはどうでしょう?」

 

ローゼマインに言われ、タバサは掌に載せた水の精霊の涙に精神力を注ぎ始めた。

 

「ん……杖以外に集めるのは、思った以上に難しい」

 

「水の精霊の涙自体も魔力を帯びています。そうした物は己以外の魔力を拒むのです。その抵抗を押さえつけられるだけの魔力を注がなければ、素材は魔石にはなりません」

 

額に汗を浮かべながらもタバサは水の精霊の涙に精神力を注ぎ込んでいく。

 

「そこまでです」

 

しばらくして、タバサの態勢がわずかに崩れた瞬間、そう言ったローゼマインが皮の手袋をつけた状態で水の精霊の涙を取り上げた。ローゼマインが取り上げたとき、最初は無色透明だった水の精霊の涙は薄っすら緑色に染まっていた。けれど、タバサは色の変わった水の精霊の涙を見る余裕もない様子で、床に手をついたまま動けないでいる。

 

「初めて魔力を注いだのです。疲労はたいへんなものでしょう。わたくしの兄も初めて魔力を供給したときは、立ち上がることすらできなくなっていました」

 

自分だけではないと聞いて、タバサは少しばかり安堵の表情を見せる。

 

「魔石は完全に染め上げなければ少しずつ魔力が抜けていってしまいます。明日から続きを行いますので、今日はゆっくりと休んでください」

 

少しして、やっとの思いで立ち上がったタバサは執事のペルスランに体を支えられるようにして寝室に下がった。

 

「これが……魔石……」

 

それから三日間、ついに水の精霊の涙はタバサの魔力で染め上げられた。最初は水滴のようだった水の精霊の涙は、今は緑色の石に姿を変えている。

 

「ついにやったわね」

 

二日前に続いて昨日も、タバサは水の精霊の涙に魔力を注いだ後は立ち上がることすらできないほど疲労していた。その疲労度は、ペルスランの他に同性のグレーティアの手も借りなければ入浴もままならないほどだった。苦労しただけに、タバサの嬉しさはひとしおのようだった。そして、それはローゼマインも同じの様子だった。ローゼマインの方も、本当に魔石ができるのか不安だったらしい。

 

ともかく、ローゼマインから教えられたユレーヴェというもののうち、春の素材である水属性の素材を得たことになる。残は夏秋冬の素材、すなわち火風土の三つの素材だ。

 

ちなみにユルゲンシュミットでは夏秋冬という、それぞれの季節にそれぞれの属性が強くなるらしいけれど、ハルケギニアでは特に季節は関係ないと思う。というのも、あたしは今まで季節と属性の関わりというのは聞いたことがなかったためだ。実感としても特に夏に火属性が強いという感覚はない。

 

「季節が関係ないとしたら、採集はずっと楽になりますね」

 

ローゼマインがそう言って少し安堵したような息を吐いた。あたしも同じ気持ちだ。もし該当の季節でないと採集ができないとしたら、最低でも一年が必要になる。それでは、素材が揃う頃にはローゼマインたちはいないという可能性も考えられる。

 

「タバサとキュルケは他の季節の素材について、何か心当たりはありますか?」

 

「火といえば火竜山脈かしらね。ガリアとロマリアの国境にある山脈に生息している魔獣を討伐すれば、いい素材が得られるんじゃない?」

 

あたしの言葉にローゼマインは少しばかり眉をひそめた。

 

「強力な魔獣は討伐できれば良い素材になると思いますが、手に負える魔獣を選ばなければなりませんよ」

 

「それはわかってるわ。そうね……サラマンダーくらいならなんとかなると思うわ。けど、精神力を注げばどんな素材でも魔石になるのかしら?」

 

サラマンダーを狩れたとして、どんな部位に精神力を注げば良い魔石にできるのか見当がつかない。手に持つことを躊躇するような部位だったら、どうすればいいのか。

 

「わたくしたちの国の魔獣は、死ねば勝手に魔石になっていたので、ハルケギニアでの勝手はわかりません。とにかく、やってみるしかないでしょう。では、火はそれを当てにするとして、風と土はどうですか?」

 

「風といえばアルビオン」

 

「確かにそうだけど……ちょっと難易度が高いわね」

 

タバサの発言にあたしが難色を示すのを見て、ローゼマインが小首を傾げた。

 

「アルビオンというのは国の名前だったと記憶していますが、対立関係にあるということでしょうか?」

 

「対立なんてものじゃないわね。あの国は今、国内で内戦の真っ最中なのよ。当然、治安も悪化しているでしょうし、特にメイジの入国は厳しく制限されているでしょうね」

 

「内戦中の国にわざわざ踏み入ろうとするなど、間諜と思われても仕方がないですね」

 

特に現在は正統な王軍の方が劣勢だと聞いている。そしてトリステインもゲルマニアもどちらかといえば王軍寄りだ。平穏に入国は難しいだろう。

 

「では、最後に土はどうですか?」

 

「……タバサはどう思う?」

 

「土の属性が強い場所は何か所か知ってる。けれど、特別に強いという場所は知らない」

 

「あたしもよ」

 

土の属性というのは非常にありふれている。だから少し強い場所ならいくらでも思いつくけれど、特に強い場所と言われると一か所を挙げるのが難しいのだ。

 

「ローゼマインの国ではどんなものが土の素材になったの?」

 

「冬に出現する、とても強力な魔獣から得られた魔石です」

 

「ちょっと待って、手に負える魔獣を選べって言わなかった?」

 

「わたくしだけで倒したわけではありません。多くの者の手を借りて最後はお金で補償を行いました」

 

王族であるローゼマインなら、多くのメイジを動員することも可能だろう。けれど、働きに対して与える報奨金はさすがに自由に支出とはいかないはずだ。ローゼマインが商売に対して異常に興味を示すのは、そういった場面で自由に使えるお金を増やしたかったからなのだろう。ローゼマインがほしいと思ったものは、可能な限り手に入れようとする側面があることを、あたしも最近は気づいてきた。

 

「自分の手で採取したほうが質の良い素材となるのですが、質の良い素材を自ら採取しようと思えば多大な時間がかかります。それより、お金さえあるのであれば、他人が採取した高品質な素材を使って時間を節約することもできます。お金が稼げる場面があれば、迷わず稼いでおくことをお勧めしますよ。わたくしたちも、いつまでここにいるかはわからないですしね」

 

本番用のユレーヴェは全ての素材が揃ってからとなるけど、それまでローゼマインたちがハルケギニアに滞在しているかはわからない。今の所はまったく手がかりなしと言っていたけど、ある日、突然に研究が実を結ぶこともないとは言い切れないのだ。だから、本番より前に適当な四属性の素材を集めてタバサはローゼマインから先に作り方だけを教わることになっている。

 

「あたしとしては、いつまでもハルケギニアで暮らしてくれたら、むしろ嬉しいくらいだけども、ローゼマインはそうはいかないのよね?」

 

「ええ、キュルケの気持ちは嬉しいのですけれど」

 

「そうよね、ローゼマインはユルゲンシュミットでやるべきことがあるって言っていたものね」

 

最近のローゼマインは微かに焦りを見せている気がする。そんな中でも、本が目当てという気持ちもあるとはいえ、あたしの友達のために、わざわざガリアまで足を運んでくれるのだから、ローゼマインは面倒見が良いと言うか、お人好しというか。

 

もっとも、ローゼマインがそのような性格だから、あたしはローゼマインのことを好ましく感じるのだ。以前は良い子が嫌いだったものだけど、あたしも変わったものだ。

 

こうして、タバサとローゼマインのために、自分のできる限りの協力をしようと、あたしは改めて心に誓ったのだった。



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王族の訪問

タバサの実家から学園に戻って少ししたある朝のことだった。

 

教室に現れたルイズはなにやらボロ切れのようなものを、鎖につないで引きずっていた。ルイズの顔は随分と険しい。

 

「ねえ、ルイズ。あなた、何を引きずっているの?」

 

香水のモンモランシーが、口をぽかんとあけた後、ルイズに尋ねた。

 

「使い魔よ」

 

見ると確かに、顔は大きく腫れ上がり、こびりついた血で原形を留めていないが、かつて平賀であった物体だ。首と両手首に鎖が巻き付き、まるでゴミ袋のようだ。

 

「何があったのです?」

 

「わたしのベッドに忍び込んだのよ」

 

聞いたわたしへの回答に頭痛がしてきた。それは、どう考えても平賀が悪い。

 

「はしたない! まあ、そんなベッドに忍び込むなんて! まあ、汚らわしい! 不潔! 不潔よ!」

 

モンモランシーが驚いた顔をすると、見事な巻き毛を振り乱し、大げさにのけぞった。

 

「あなたが誘ったんでしょ? ルイズ。エロのルイズ。娼婦のようにいやらしい流し目でも送ったんじゃないこと?」

 

そう言ってルイズの方を睨むのはキュルケだ。

 

「誰がエロのルイズよ! それはあんたでしょーが! わたしは誘ってないわよ!」

 

「もう、こんな風になっちゃって……、可哀想……、あたしが治してあげるわ」

 

そう言ってキュルケは自らの胸で平賀の頭を挟み込んだ。どう考えてもはしたない行為を平然と行うキュルケを見ていると、平賀が暴挙に出た原因は、キュルケにもあるのではないだろうかと思い始めてきた。これは、けして自分には縁遠い行為を見ての僻みではない。ないったら、ない。

 

「ねえダーリン。あなたは、こんなに胸の大きいわたしをどう思う?」

 

「……す、素晴らしいと思います」

 

それを聞いたルイズは手に持った鎖を引いて、平賀を床に転がすと、その上に足を乗せて、冷たく言い放つ。

 

「誰があんたに人間の言葉を許可したの? 『わん』でしょ。犬」

 

「わ、わんです。はい」

 

一体、わたしたちは何を見せられているのだろうか。わたしは本の中でだけど、このような触れ合いがあることを知っているから、渋面で済んでいるけれど、側近たちは完全に処理落ちしている。

 

「ねえ、ルイズ。なぜサイトに使用人向けの部屋を用意しないのです?」

 

「そ、それは……使い魔とは一緒に住むのが普通だから……」

 

「ですけど、サイトは人間で殿方でしょう? 他の生き物と同じとは考えられないのではなくて?」

 

「でも、使い魔は使い魔でしょ」

 

「ローゼマインは側近の男性と一緒に住んでいないようだけど?」

 

キュルケの言葉に、今度こそルイズは黙り込んだ。

 

「分かったわよ。サイトは使用人の部屋に住ませることにするわ」

 

「ちょ、ちょっと待ってくれよ」

 

さすがにルイズも周囲の視線に耐え切れず、提案を受け入れた。しかし、それに待ったをかける声が他ならぬ平賀からかかる。

 

「確かに寝床は鳥の巣みたいなものだけど、それでも俺にはそんなに不満はない。だから、別に使用人の部屋なんて用意しなくても……」

 

「それならばわたくしからは何も言いませんけども……」

 

けれど、娘が部屋に人間の男を飼っているなんて事態をルイズの両親は知っているのだろうか。ユルゲンシュミットでは、貴族にとって婚姻は家と家の結びつきで、悪評がある相手を婚姻相手として受け入れるようなことはない。こちらでは違うのかもしれないし、当人同士が納得しているのなら、わたしが口を挿む必要はないみたいだけれど。

 

謎の飼い犬事件が一段落したところで教室の扉が開き、ギトーという名の教師が現れた。長い黒髪に漆黒のマントをまとった姿はなんだか不気味で、冷たい雰囲気なのもあって生徒たちに人気がないとキュルケは言っていた。

 

「では授業を始める。知ってのとおり、私の二つ名は『疾風』。疾風のギトーだ。ところで、最強の系統は知っているかね? ミス・ツェルプストー」

 

「『虚無』じゃないんですか?」

 

「伝説の話をしているわけではない。現実的な答えを聞いているんだ」

 

「ローゼマインなら、どんなふうに考える?」

 

なぜそこで、わたしに投げるのだろうか。

 

「わたくしはこちらの魔法には詳しくないのですけど、使用者による優劣はあれ、系統間それ自体には優越などないのではありませんか?」

 

「残念ながらそうではない」

 

「仮に属性間に優劣があるとして、属性の得手不得手は簡単に変えられるものではございませんでしょう? それならば、何が最強なのかを考えるより、どうすれば手持ちの材料で自分の望む結果を得られるのか、考えた方が建設的ではありませんか?」

 

わたしが言うと、ギトーの顔が僅かに歪んだ。そこには自らの得意属性である風を上位と考えて、誇示しようとしていた醜い意図が透けて見えた。どうやらギトーはどこまでも貴族であって、教師ではないのだろう。

 

「ミス・ローゼマインの考えも一理あるが、自らを客観的に見ることも大事であろう」

 

「そうですね。自らの得手不得手と相手の得手不得手を冷静に分析することは必須のことだと考えます。ところで、ミスタ・ギトーは土くれのフーケに対してはどのような方法で挑めば良かったとお考えですか?」

 

「む……それは……」

 

「わたくしたち、土くれのフーケのゴーレムには苦戦をいたしましたので、後学のために教えていただけたら、と思うのですけど?」

 

この発言の意図は、実戦となったら怖じ気づいた臆病者は黙っていろ、だ。何か良い手があると言えば、なぜ実行しなかったのかと返されるのは目に見えている。だから、ギトーは何も返せない。

 

一つ間違えば命を落とすような危険な任務に生徒を平気で送り出して、安全な教場では踏ん反り返るような貴族が強弱など語らないでほしい。ここまで言う必要はなかったかもしれないけど、その姿勢は身分に胡坐をかいてダームエルを見下していたトラウゴットのようで我慢がならなかったのだ。

 

「さすがはローゼマイン様です。フェルディナンド様を彷彿とさせる見事な嫌味ですね」

 

なぜか感心した様子のハルトムートがわたしにだけ聞こえるように言ってくるが、わたしの嫌味はフェルディナンドには、程遠いと思う。

 

さて、わたしの言葉にギトーがどう返してくるかと見ていると、急に教室の扉が開いた。扉を開いたのは頭に大きな金髪のロールしたカツラを乗せたコルベールだった。

 

「ミスタ?」

 

ギトーが眉をひそめたのも無理のないことだろう。

 

「おっほん。今日の授業はすべて中止であります!」

 

説明を求めるギトーに向けて、コルベールが重々しい調子で告げると、教室中から歓声があがった。一方のわたしは、急に全ての授業を中止すると言われて困惑しかない。何か問題が起きたとしか思えなかったのだ。

 

「えー、皆さんにお知らせですぞ」

 

言いながらコルベールがのけぞった拍子に、頭に乗せていたカツラが床に落ちた。

 

「滑りやすい」

 

そこに一番前に座ったタバサが、コルベールの禿げ上がった頭を指差して言い、教室中が爆笑に包まれた。

 

「黙りなさい! ええい! 黙りなさいこわっぱどもが! 大口を開けて下品に笑うとは全く貴族にあるまじき行い! 貴族はおかしいときには下を向いてこっそり笑う……みなさいミス・ローゼマインを、口元を手で隠して笑っていることが見えないようにしているでしょう。あのように振舞いなさい」

 

だから、いちいちわたしを引き合いに出さないでほしい。確かに今回は領主候補生として叩きこまれた上品な笑い方をしていたけれども。

 

「えー、おほん。皆さん、本日はトリステイン魔法学院にとって、よき日であります。始祖ブリミルの降誕祭に並ぶ、めでたい日であります。恐れ多くも、先の陛下の忘れ形見、我がトリステインがハルケギニアに誇る可憐な一輪の花、アンリエッタ姫殿下が、ゲルマニアご訪問からのお帰りに、この魔法学院に行幸されます」

 

その言葉に、教室がざわめいた。

 

「したがって、粗相があってはいけません。急なことですが、今から全力を挙げて、歓迎式典の準備を行います。本日の授業は中止、生徒諸君は正装し、門に整列すること」

 

「ミスタ・コルベール、質問がございます」

 

周囲のトリステイン貴族は盛り上がっているようだけど、わたしの気分は最低だ。拙い流れに、堪らずわたしは手を挙げた。

 

「なんでしょうか、ミス・ローゼマイン」

 

「わたくしたちは正式な生徒ではありませんので、欠席でよろしいですか?」

 

「仕方がないですね。許可しましょう」

 

「ありがとう存じます」

 

コルベールにお礼を言って、わたしは教室を出る。ユルゲンシュミットで散々、王族に振り回されたわたしは、もう王族には関わる気がないのだ。それは側近たちも同じなようで、どこか緊張した雰囲気を漂わせていた。




カットするか迷ったシーン。
教室の真ん中で人間にわん、と鳴かせるシーンにせよ、ギトーの風最強論にせよ、どう描いても好意的にはならなくて。


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アンリエッタからの密命

トリステインの王女、アンリエッタの出迎えを行った夜、俺はルイズの部屋の藁束の上に座り込んでルイズを見つめていた。今日のルイズは激しく落ち着きがない。立ち上がったと思ったら、再びベッドに腰かけ、枕を抱いてぼんやりとしている。

 

このような状態になったのは、昼間、アンリエッタの傍にいた見事な羽根帽子が目立つ、凛々しい貴族を見てからだ。ルイズは鷲の頭と獅子の胴体を持った、見事な幻獣に跨ったその貴族をぼんやりと見つめていた。それからルイズは何もしゃべらずに、ふらふらと幽霊のように歩き出し、部屋にこもるなり、ベッドにこうやって腰かけている。

 

あまりにも俺のことを見ないルイズに一瞬、いたずらをしてやろうかという気が沸き起こる。しかし、そのいたずらで危うく部屋を分けることになりかけたばかりなのだ。ぐっと抑え込む。

 

と、そこで部屋のドアがノックされた。ノックは規則正しく叩かれた。初めに長く二回、それから短く三回……。

 

ルイズの顔がはっとした顔になった。急いで立ち上がり、ドアを開いた。

 

そこに立っていたのは、真黒な頭巾をずっぽりとかぶった、少女だった。少女は辺りをうかがうように首を回すと、そそくさと部屋に入ってきて、後ろ手に扉を閉めた。

 

「……あなたは?」

 

ルイズが驚いたような声をあげた。

 

頭巾をかぶった少女は、しっと言わんばかりに口元に指を立てた。それから、頭巾と同じ漆黒のマントの隙間から、魔法の杖を取り出すと軽く振り、同時に短くルーンを呟く。光の粉が、部屋に舞う。

 

「……ディティクトマジック?」

 

「どこに耳が、目が光っているかわかりませんからね」

 

少女が使ったのは、どうやら魔法を探る魔法のようだ。それを使って安心したのか、少女が頭巾を取る。

 

現れたのは、なんとアンリエッタ王女だった。ルイズも稀に見るほどに可愛いが、王女はそれに加え、高貴さを放っていた。俺が平常心で見られたのは、ローゼマインを間近に見たことで、多少なりとも高貴さに慣れていたためだろう。

 

「姫殿下!」

 

ルイズが慌てて片膝をつく。俺もルイズを習ってとりあえず片膝をついた。上位の相手の前に出たときは、ともかく他の人に倣っておくのが安全だ、というのはローゼマインからのアドバイスだ。

 

「ああ、ルイズ、ルイズ、懐かしいルイズ!」

 

アンリエッタが感極まった表情を浮かべて、膝をついたルイズを抱きしめた。

 

「姫殿下、いけません。こんな下賤な場所へ、お越しになられるなんて……」

 

「ああ! ルイズ! ルイズ・フランソワーズ! そんな堅苦しい行儀はやめてちょうだい! あなたとわたくしはおともだち! おともだちじゃないの!」

 

「もったいないお言葉でございます。姫殿下」

 

「やめて! ここには枢機卿も、母上も、あの友達面をしてよってくる欲の皮の突っ張った宮廷貴族たちもいないのですよ! 昔馴染みの懐かしいルイズ・フランソワーズ、あなたにまで、そんなよそよそしい態度を取られたら、わたくし死んでしまうわ!」

 

前言撤回。この王女の高貴さは表面だけだ。

 

キュルケもこれに通じた言い方をしていた気がするから、あるいはこれがハルケギニア式なのかもしれないが、どうにも芝居に見えてしまう。表情が変わらず、何を考えているのかわからないユルゲンシュミットの貴族たちも困るが、ハルケギニアの感情を盛った表現についても嘘くさく感じてしまう。

 

二人はというと、俺のことなど眼中にないようで、幼い頃に髪の毛をつかまれて泣かされた話や、取っ組み合いの最中におなかに入れた一撃で気絶させたことなど、ケンカで片付けるには随分と物騒な内容の話で盛り上がっている。ルイズが暴力的なのは、その頃の経験が悪影響を与えているのではないだろうか。

 

「どんな知り合いなの?」

 

「姫様がご幼少のみぎり、恐れ多くも遊び相手を務めさせていただいたのよ」

 

聞いた俺に答えたルイズがアンリエッタに向き直った。

 

「でも、感激です。姫様が、そんなに昔のことを覚えてくださっているなんて……。わたしのことなど、とっくにお忘れになったかと思いました」

 

「忘れるわけないじゃない。あの頃は、毎日が楽しかったわ。でも今のわたくしは籠に飼われた鳥も同然。飼い主の機嫌一つで、あっちに行ったり、こっちに行ったり……」

 

窓の外を見つめたアンリエッタは、寂しそうに結婚をすると呟いた。けれど、俺はたいして驚かなかった。ローゼマインは十歳で婚約したことをラウレンツから聞いていたからだ。だから、王族はやっぱり結婚が早いのだなとしか思わなかった。ふと二人の話が途切れて、そこでアンリエッタが藁束の上に座った俺に、ようやく気付いた。

 

「あら、ごめんなさい。もしかして、お邪魔だったかしら?」

 

「姫さま! あれはただの使い魔です! 恋人などではございません!」

 

ルイズは思い切り首をぶんぶんと振って、アンリエッタの言葉を否定する。

 

「あなたって昔からどこか変わっていたけれど、相変わらずね」

 

「好きであれを使い魔にしたわけじゃありません」

 

今日、若い貴族をじっと見つめていたルイズは俺のことなんて、ただの使い魔としか見てくれないらしい。どうせ俺は貴族じゃないよ。いじける気持ちとともに家に帰りたいという思いが湧き上がってくる。

 

その間にもアンリエッタは再び溜息をつき、心配したルイズが理由を尋ねていた。

 

「姫様のお悩みをおっしゃってください。あんなに明るかった姫さまが、そんな風に溜息をつくってことは、なにかとんでもないお悩みがおありなのでしょう? 昔はなんでも話し合ったじゃございませんか!」

 

ルイズはすっかり盛り上がっていて何とも思っていないようだが、俺としては二人のやり取りは不安しか湧いてこない。話せないことなら、そんなふうに思わせぶりな態度を取るべきではないし。実は聞いてほしいのなら、やはり思わせぶりな態度で尋ねさせるべきではないのではないだろうか。

 

俺が考えている間にもアンリエッタはアルビオンという国の貴族たちが反乱を起こし、今にも王室が倒れそうなこと。反乱軍が勝利を収めたら、次にトリステインに侵攻してくるであろうこと。それに対抗するために、トリステインはゲルマニアと同盟を結ぶことになり、そのためにアンリエッタがゲルマニア皇帝に嫁ぐことになったことを説明した。

 

続けてアルビオンの貴族が、トリステインとゲルマニアの同盟をさまたげるための材料を血眼になって探していることをルイズに伝えた。

 

「言って! 姫さま! 姫さまのご婚姻をさまたげる材料ってなんなのですか?」

 

「……わたくしが以前したためた一通の手紙なのです。それがアルビオンの貴族たちの手に渡ったら……、彼らはすぐにゲルマニアの皇帝にそれを届けるでしょう。そして、それを読んだら、ゲルマニアの皇帝は、このわたくしを赦さないでしょう。ああ、婚姻はつぶれ、トリステインとの同盟は反故。トリステインは一国にてあの強力なアルビオンに立ち向かわねばならないでしょう」

 

いよいよ大事なことになってきたようだ。しかし、アンリエッタは何を考えてこのようなことをルイズに相談するのだろうか。ルイズとアンリエッタは久しぶりの再会だと言っていたはずだ。そのような相手に、国の重大な事柄を相談していいのだろうか。

 

そんな俺の心配をよそにアンリエッタは手紙の持ち主がアルビオン王家のウェールズ皇太子だということを告げている。

 

「破滅です! ウェールズ皇太子は、遅かれ早かれ、反乱勢に囚われてしまうわ! そうしたら、あの手紙も明るみに出てしまう! そうなったら破滅です! トリステインは一国でアルビオンと対峙せねばならなくなります!」

 

この話は俺に聞かせてはいけない話のはずだが、この二人は何とも思っていないのだろうか。大方、使い魔だから大丈夫と思っているのだろうが、俺には立派に口があり、誰かに話すことができる。そのことを危険とは思わないのだろうか。俺の心配をよそに、二人の盛り上がりは最高潮を迎えていた。

 

「無理よ! 無理よルイズ! わたくしったら、なんてことでしょう! 混乱しているんだわ! 考えてみれば、貴族と王党派が争いを繰り広げているアルビオンに赴くなんて危険なこと、頼めるわけがありませんわ!」

 

「何をおっしゃいます! たとえ地獄の釜の中だろうが、竜のアギトの中だろうが、姫さまの御為とあらば、何処なりと向かいますわ! このわたくしめに、その一件、是非ともお任せくださいますよう」

 

ルイズの言葉を聞いたアンリエッタが、ぼろぼろと泣き始めた。あの二人は自分の言葉に酔っている。これはローゼマインが見ていたら、二人ともお説教だろう。

 

呆れる俺に気付かない様子で、ルイズは明日にでも、アルビオンに赴きウェールズ皇太子を捜して、手紙を取り戻してくることを約束している。

 

と、そこでドアが開き、誰かが飛び込んできた。

 

「姫殿下、その困難な任務、是非ともこのギーシュ・ド・グラモンに仰せつけますよう」

 

「グラモン? あの、グラモン元帥のご子息ですか。ありがとう。お父様も立派で勇敢な貴族ですが、あなたもその血を受け継いでいるようね。ではお願いしますわ。この不幸な姫をお助けください、ギーシュさん」

 

「姫殿下がぼくの名前を呼んでくださった! トリステインの可憐な花、薔薇の微笑みの君がこのぼくに微笑んでくださった!」

 

ギーシュは感動のあまりか、後ろにのけぞって失神した。確かローゼマインは貴族は感情を隠すものだと言っていた気がするのだが、それはユルゲンシュミットの貴族に限った話らしい。俺は、それを今日これまでの流れで確信した。

 

そして、ルイズとアンリエッタは気絶したギーシュを無視することにしたようだ。二人で明日からの旅路の相談を始めていた。

 

「始祖ブリミルよ……。この自分勝手な姫をお許しください。でも、国を憂いても、わたくしはやはり、この一文を書かざるをえないのです……。自分の気持ちに、嘘をつくことはできないのです……」

 

そして最後にアンリエッタは恋文でもしたためるように密書をしたためた。

 

「ウェールズ皇太子にお会いしたら、この手紙を渡してください、すぐに件の手紙を返してくれるでしょう」

 

それからアンリエッタは、右手の薬指から母から貰ったという水のルビーという宝石をルイズに手渡した。

 

「この任務にはトリステインの未来がかかっています。この指輪が、アルビオンに吹く猛き風から、あなたがたを守りますように」

 

こうして、不安しかないアルビオンへの密使の任務が決まってしまったのだった。



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アンリエッタからの要請

わたしは早朝から、学院長室へと呼び出されていた。

 

わたしの前にいるのは部屋の主のオスマンの他、わたしが接触を避けると決めていた王族であるアンリエッタだ。

 

「これはどういうことですか?」

 

「それが、ミス・ローゼマインにどうしても手伝ってほしいことができたのだ」

 

「それは、どのような内容なのですか?」

 

「ミス・ヴァリエールとミスタ・グラモンが姫さまの命で、ある困難な任務に従事することになったのじゃが、どうにも不安でな。二人の身を守ってやってほしい」

 

「ミス・ヴァリエールとミスタ・グラモンは共に未成年の学生ではありませんか。どうしてそのような任務に就くことになったのですか?」

 

そう聞いたわたしに対してアンリエッタは、トリステインとゲルマニアの間の同盟をさまたげる材料がアルビオンという国にあること。それを回収したいが、アンリエッタには頼りにできる人のいなかったこと。それでやむなく、古い友人であるルイズを頼ったことを聞かされた。あまりに考えなしの行動に眩暈がしてきた。

 

「マティアス、戦争状態にある国に潜入するというのは学生でも簡単にこなせる任務だと思いますか?」

 

「いえ、よほど特殊な訓練を積んだ者でないと厳しいと思います」

 

そうだろう。そもそも貴族は隠密行動の訓練など受けていないのだから。

 

「恐れながらアンリエッタ様、ミス・ヴァリエールとミスタ・グラモンではそのような任務を成功させることは不可能でしょう」

 

「でもトリステインのためには、絶対に取り戻さなくてはならないのです」

 

「絶対に取り戻さないといけないのなら、騎士団から選抜した人員を送り込むべきではないのですか?」

 

「でも、わたくしには信用できる人間がいないのです」

 

それはあなたが普段から側近を育てていないからでしょう。と言いたいのを辛うじて飲み込む。どうやったらこのようなディートリンデ並みに考えなしの王族ができてしまうのだろうか。

 

「お気持ちは分かりました。けれど、いかに信用のできる側近でも、わたくしはマティアスに料理を作れとは言いません。絶対に失敗すると分かりきっていますから。それならば信用できずとも、町で引き抜いた料理人を使います」

 

「でも、今回は国の一大事なのです」

 

「一大事であればこそ、もっと確率の高い手を取るべきであると思います。そもそも同盟というものは、そんなに簡単に壊れるものなのですか?」

 

「ええ、もしもアルビオンにある秘密の手紙の内容が知られてしまえば、ゲルマニアの皇帝はけしてわたくしを赦さないでしょう」

 

「仮にも王族がそのようなことで国の行方を左右するのですか?」

 

聞くと、逆に不思議そうな顔をされてしまった。もしかして、ゲルマニアの皇帝というのもアンリエッタと同レベルなのだろうか。

 

「元より政略結婚なのでしょう? 仮にゲルマニアの皇帝から不快に思われても。扱いが粗雑になる程度ではないですか?」

 

「扱いが粗雑になったら大問題ではないですか!」

 

「その程度、たいした問題ではないでしょう。それに、もしもそれが嫌なのでしたら皇帝が粗雑に扱えないようにトリステインの影響力を高めればよいだけではないですか」

 

わたしとしては当然のことを言ったつもりだったけど、アンリエッタは呆然としている。どうやら軍備を増強するなり、産業を振興するなり領地を富ませてアルビオンに備えるという考えは全くないらしい。それは、ゲルマニアの皇帝にも足元を見られるだろう。

 

「ほほ、姫、ミス・ローゼマインは王としての教育を受けられているお方。我々のように他からの影響を受けてばかりの一介の貴族と違い、どうすれば自分が望む通りに周囲を動かせるかを考えられるお方ですからな。姫の苦悩は理解されないでしょう」

 

「買い被りですよ、オールド・オスマン。現に今はオールド・オスマンによって望まぬ場所に立たされているではございませんか」

 

「私としては仮にミス・ローゼマインに断られるにせよ、王族としての手本を見せていただけるだけでも姫にとって財産になると思えましたのでな」

 

「ならば、敢えて言わせていただきましょう」

 

そう言ってわたしが見ると、アンリエッタはびくりと肩を震わせた。簡単に弱気な姿を見せるというその姿も貴族としては失格だ。もっとも、こちらではユルゲンシュミットほど厳格に身分による振る舞いが定められていない様子なので無理もないかもしれないが。

 

どうでもいいけど、この魔法学院には多数の本があった。そして、それは高額な登録料や保証金を払わずとも読むことができるものだった。そして、教育もユルゲンシュミットほど厳しくない。もしも、日本にいた頃のわたしが平賀のように召喚されていたなら、ルイズの下働きをしながら図書館に日参する生活を送っていただろう。

 

今もフェルディナンドがアーレンスバッハで連座の危機にあらず、側近たちがいなければ心の赴くままに図書館で本を読んでいたと思う。閑話休題。

 

「アンリエッタ様、ミス・ヴァリエールとミスタ・グラモンの両親に、二人に今回の任務を命じることについて許可を求めましたか?」

 

「いいえ、そのような許可は求めていません」

 

「王族であるアンリエッタ様が命じるのでしたら、形式的には両親の許可は不要なのかもしれません。ですが、何の相談もなく未だ学生である自分たちの子供がアンリエッタ様の独断での命令で命を落としたとしたら、二人の両親はどのように思われるでしょうか?」

 

二人が任務で命を落とす可能性を考えていなかったのか、あるいは命を落としたときに自分が負うべき責任を考えていなかったのか、はたまた結果として有力な貴族を二人も敵に回すことになることを考えてなかったのか、ともかくアンリエッタが青ざめた。

 

「むう……それは拙いの。ヴァリエール公爵とグラモン元帥を敵にしては姫殿下の立場はますます弱くなってしまう。かといって、今からアルビオン行きを中止すると伝えてたとしてもミス・ヴァリエールもミスタ・グラモンも納得せんだろう」

 

「要はアルビオンにいる相手に伝言ができればよいのですよね。でしたら、アンリエッタ様にオルドナンツを送ってもらえばよいのではありませんか?」

 

「あの、オルドナンツとは?」

 

聞いてきたアンリエッタにわたしはオルドナンツについて説明する。

 

「それでは手紙を取り戻すことはできないではないですか!」

 

「別に焼いてもらえばそれで十分ではありませんか?」

 

「けれど、ウェールズ皇太子はオルドナンツの使い方をご存知ないでしょう。それでは確かに手紙を焼いてもらえたのか、確認のしようがないではありませんか」

 

「アンリエッタ様しかご存知ないことを吹き込んでおけば、一応は姫からの伝言と信じてはもらえるでしょう。それで頭の片隅にさえ残しておいてもらえれば、はるか高みに上がられる前に手紙は処分されるのではありませんか?」

 

そう伝えても、なおアンリエッタは首を縦に振ろうとはしない。それで、アンリエッタが取り戻したいのは手紙でなくウェールズという皇太子であると察することができた。それでは、むしろ任務に成功した方がゲルマニアとの同盟は破談になるだろう。それは、国の誰にも相談ができないはずだ。

 

気持ちとしてはわからなくはない。わたしもフェルディナンドに神々を敵に回しても助けに行くと伝えたし、実際にそのつもりもある。けれど、そのためにフェルディナンドが何より大事に思っているエーレンフェストを荒廃させては、却ってフェルディナンドを悲しませてしまうだけだ。

 

それにエーレンフェストには父さんに母さん、トゥーリにカミルといったわたしの家族、ベンノ、マルク、ルッツ、フランにギル、ヴィルマにロジーナ。他にも貴族としてのお父様にお母様、コルネリウス兄様にレオノーレ、養父様に養母様、シャルロッテにメルヒオール、アンゲリカやダームエルなど、多くの失いたく多くの大切な人たちがいる。

 

わたしには、どちらかを選ぶことなどできない。けれど、信頼できる人がいないと言っていたアンリエッタには、トリステインの中に皇太子に匹敵する人がいないのだろう。だから、アンリエッタは簡単には止まらない。

 

けれども、わたしはそれに巻き込まれるわけにはいかない。フェルディナンドのためにも、エーレンフェストのためにも、わたしはここで死ぬわけにはいかないのだ。そのためには、アンリエッタに依頼を諦めさせなければならない。

 

「アンリエッタ様はフェアベルッケンに目隠しをされてしまわれたようですね」

 

意味が分からないという表情をしているアンリエッタに、目が曇っている意味です、と伝えると、さすがにそのような暴言はほとんど受けたことがないのかアンリエッタが目を丸くした。

 

「もしもウェールズ様をアルビオンより連れ出し、それを口実に攻め込まれてしまった場合には、国に重大な災いを呼び込んだとしてミス・ヴァリエールとミスタ・グラモンの二人はたいへん厳しい立場におかれることになることは、アンリエッタ様はご理解されていますか?」

 

わたしが言うと、アンリエッタは初めてその可能性に気付いたようだ。

 

「アンリエッタ様がご自身の望みのためなら、国や二人の学生、更にはご自身の未来さえどうなろうと構わないと仰られるなら、わたくしが言えることはありません。ですが、そうでないというのならば、全ての方のために御心を殺されるべきです。成功しても失敗しても、誰も幸せになれない。そんな望みは、そもそも口にしてはなりません」

 

ようやくアンリエッタが僅かに頷いた。

 

「最終的にはオルドナンツを送るとして、アルビオンにまで届くのかは試したことがございません。ですので、わたくしがアルビオン領内に赴き、そこからアンリエッタ様に向けてオルドナンツを送らせていただきます。それを受け取られましたらわたくしとウェールズ様にオルドナンツを送ってくださいませ。それが、最大の譲歩です」

 

諫言をしたわたしがアンリエッタに恨まれてはたまらない。なので、わたしも労を負うことを進言しておく。それと、これはタバサのためでもあった。タバサはユレーヴェの素材を得るためにアルビオンに行きたがっていた。アルビオンに行けば、ついでに採集ができるかもしれないと考えたのだ。

 

側近たちには後で危険だと叱られるだろう。けれど、母親と親子の交流が全くできていないタバサの様子を見るのは、わたしには痛すぎたのだ。

 

わたしも平民の母さんと親子としてのやり取りは、契約魔術のせいでできずにいる。けれども、母さんは神殿で神事があるときは、遠目から顔を見るためだけに入口まで来てくれる。それにわたしの専属の職人としてわたしの衣装のための布を染めてくれている。それに比べてタバサは母親から娘だと認識すらされていない。

 

幸いにして、オルドナンツを飛ばすだけなら係争地に向かう必要はない。戦争の当事者たちが目を向けないような場所で素材を採取するだけなら、危険はそれほどでもないはず。

 

そんなわたしの思惑など知る由もなく、わたしの提案をアンリエッタは真剣に考えてくれている。少なくとも王族の権力を振りかざして、無茶であっても押し通すような性格ではないようだ。悪い人間ではないということに、少しだけ胸を撫で下ろす。

 

「分かりました。それでお願いします」

 

少しして、悩んでいたアンリエッタがようやく頷いた。

 

こうして、わたしはアルビオン領内に向かうことになったのだった。



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アルビオンへの出立

ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは大型の馬車の中で不平を隠せずにいた。

 

ルイズはサイトとギーシュと一緒にアンリエッタから密命を受けた翌日には、馬で学園を出立する予定だった。そこにアンリエッタから同行を命じられたという婚約者のワルドが合流し、今度こそ出発という段になって、なぜかローゼマインがやってきたのだ。

 

そこでローゼマインは命令が変更になったことを伝えると、あろうことかアンリエッタから渡された密書を燃やしてしまったのだ。ルイズの抗議も機密保持という理由であっさりと流された。それで、ローゼマインにはアンリエッタに対する敬意など全くないことがわかった。ローゼマインはトリステインの貴族どころかハルケギニアの貴族ですらない。だから仕方がないとワルドは言ったが、ルイズとしては納得できることではない。

 

あの密書にアンリエッタは最後に、祈るように何かを書き加えていた。知らないとはいえ、その思いを灰にする行為はアンリエッタへの冒涜に思えてならなかった。

 

そうして出発を一日、遅れさせたローゼマインは、今度は魔法学院の制服を着ていては、自分はトリステインのメイジだと喧伝するものだと主張したのだ。結果、ルイズは平民が着るような衣服でもう三日以上も馬車の中に押し込められている。

 

ローゼマインは内戦中の国なら他国からの介入を警戒して絶対に港町を見張っているはずだと言った。そうして、ルイズはグリフォンから下ろされたワルド、サイト、ギーシュの三人の他、なぜかローゼマインが連れてきたキュルケとタバサと一緒に馬車の中に押し込められている。

 

馬車の偽りの目的はアンリエッタの歓待で使用した酒と食材の補充。普段から仕入れを担当させている者を馬車に乗せ、護衛として衛兵まで駆り出して港町ラ・ロシェールへと出発したため、おかげで馬で二日のはずの道程は四日に伸びている。

 

「ラ・ロシェールの港町まで止まらずに行くつもりだったのだが……」

 

ワルドはそう言って抵抗したが、ワルド様は数十人もの騎士を相手にして、ルイズを守りながら勝利を収められる自信がおありですか、と笑顔で言われて黙らされた。

 

「貴族が事をなすのに性急さは不要。できるだけ時間を取って、自分に有利なように水面下で準備しておくものと、わたくしは教えられてきました。敵に警戒され、守りを固められてしまえば、わたくしたちには強行突破を成功させる戦力も、潜入を果たすための技能もございませんもの。慎重すぎるほどに慎重であるべきと存じます」

 

ローゼマインにしてもハルトムートにしてもリーゼレータにしてもユルゲンシュミットの貴族たちは下準備にものすごく時間をかける。面倒過ぎてやってられないと思う気持ちもあるが、では代案はあるのかと言われれば、そんなものはない。

 

頼みの綱である姫殿下からの命令という大義名分も、当の姫殿下から無謀をして命を失うことは避けてほしいと言われ、父と母を姫殿下の敵にしたいのですかとローゼマインに言われれば、何の役にも立たなかった。そもそも経験豊富なワルドがローゼマインに言い負かされるのだ。ルイズで勝てる道理はなかった。

 

そんな反発は別として、今更ながらハルトムートがローゼマインを絶賛する気持ちがわかった気がする。あれは断じて十三歳の少女の思考能力ではない。

 

そして、この三日の馬車の旅が不快だったかというと、そんなことは全くなかった。というのも、今回はローゼマインが側近を全員を連れていたためだ。さすがに戦闘が得意でない側近たちはラ・ロシェールで返すらしいが、側仕えがルイズの世話もしてくれたのだ。

 

なんで貴族に使用人のような真似をさせるのか、とそれまで思っていたが、実際に世話をされてみると、その違いに唸らされた。とにかく痒い所に手が届くような状態で、しかも全ての動きが洗練されていて、仕事中の姿が視界に入っても不快感が全くない。また、貴族の考えを実体験として知っていることもあるのだろう。とにかく快適だった。

 

「僕はずっときみのことを忘れずにいたんだよ。覚えているかい? 僕の父がランスの戦で戦死して母もとうに死んでいたから、爵位と領地を相続してすぐ、僕は街に出た。立派な貴族になりたくてね。陛下は戦死した父のことをよく覚えていてくれた。だからすぐに魔法衛士隊に入隊できた。最初は見習いでね、苦労したよ」

 

そうして移動中の暇な時間に、今は想い出話に花を咲かせていた。こうしていると、任務での外出だということを忘れてしまいそうになる。

 

「軍務が忙しくてね、未だに屋敷と領地は執事のジャン爺に任せっぱなしさ。僕は一生懸命、奉公したよ。おかげで出世した。なにせ、家を出る時に立派な貴族になって、きみを迎えにいくって決めたからね」

 

「冗談でしょ。ワルド、あなた、モテるでしょう? なにも、わたしみたいなちっぽけな婚約者なんか相手にしなくても……」

 

ワルドとの婚約は、とうに反故になったと思っていた。戯れに、二人の父が交わしたあてのない約束……そのぐらいにしか思っていなかった。

 

十年前に別れて以来、ワルドにはほとんど会うこともなかったし、その記憶は遠く離れていた。だから、先日ワルドを見かけたとき、ルイズは激しく動揺したのだ。

 

ワルドのことは嫌いじゃない。確かに憧れていた。それは間違いない。でも、それは思い出の中の出来事だった。

 

いきなり婚約者だ、結婚だ、なんて言われても、どうすればいいのかわからない。

 

のんびりとした旅程だけに、考える時間は大量にあるが、いくら考えたところで答えは出てくれない。そうして答えが出せないままラ・ロシェールの入口についた。

 

「なんで港町なのに山なんだよ」

 

険しい岩山の中を縫うようにして進んだ先、夕闇の中に浮かび上がる峡谷の中の町を見てサイトが言った。

 

「きみは、アルビオンを知らないのか?」

 

ギーシュがサイトの無知を笑うように言う。

 

「ここの常識を、俺の常識と思ってもらっちゃ困る」

 

この四日あまりで仲良くなったのか、気安い二人の遣り取りを聞いていたときだった。

 

不意にルイズの乗った馬車を引く馬の嘶きが聞こえた。続いて、御者が悲鳴のような声をあげる。慌てて前を見てみると、前を行くローゼマインたちの馬車に向けて、崖の上から松明が何本も投げ込まれている。

 

松明は赤々と燃え、ルイズたちが進む峡谷を照らす。

 

馬車に当たりそうな松明と、続けて飛んできた矢は全てマティアスとラウレンツが盾を構えて叩き落していたが、いきなり飛んできた松明の炎に、戦の訓練を受けていない馬が驚いて暴走を始めようとしている。

 

そのときルイズの耳に波の音が聞こえてきた。

 

「海の女神フェアフューレメーアよ、我等に祝福をくださった神々へ、感謝の祈りと共に魔力を奉納いたします」

 

馬車から身を乗り出して、ワルドが使おうとしていた魔法が杖から吸い取られていった。同時にルイズの体からも少し精神力が持っていかれた感覚があった。だが、一体どういった魔法を使ったのか、暴れそうになっていた馬が落ち着きを取り戻していた。

 

「守りを司る風の女神シュツェーリアよ。側に仕える眷属たる十二の女神よ。我の祈りを聞き届け、聖なる力を与え給え。害意持つものを近付けぬ風の盾を、我が手に」

 

続けて、風の盾を作る魔法のための呪文詠唱の声が聞こえてきた。作られた半透明の黄色の幕は飛んでくる矢を全く寄せ付けない。

 

「衛兵の皆さまはわたくしの盾の中に入ってくださいませ」

 

ローゼマインの声に防戦に当たっていた衛兵たちが中へと逃げ込んでいく。対照的に護衛対象の安全が確保されたマティアスとラウレンツは全身鎧を纏い、騎獣に乗ると敵に突入していく。

 

「殺さないようにしてくださいませ」

 

「心得ています」

 

ローゼマインの要請に軽く答えたマティアスの言葉から、二人が余裕を持って対処しているのが分かる。ワルドが盗賊か野盗だろうと呟いた。けれど、ルイズはそれとは異なる感想を持っていた。

 

「もしかしたら、アルビオンの貴族の仕業かも……」

 

ローゼマインはしきりにアルビオンの貴族を警戒していた。その懸念は当たっていたということだろうか。

 

「貴族なら、弓は使わんだろう」

 

ワルドに言われてみると、そうかもしれないとも思う。ルイズたちがそんな風に話している間にもマティアスとラウレンツにより男たちは次々と倒されていく。

 

「ねえ、わたしたちも加勢しなくていいの?」

 

「必要ないだろうね。賊の攻撃はローゼマインにも、その騎士たちにも全く通じていない。放っておいても直に勝負はつく」

 

「でも、何もしないのも……」

 

「こちらの馬車にはローゼマインの守りの魔法は届いていない。馬がやられると面倒なことになるから、僕はここを動けない」

 

確かに馬車の中にいるルイズたちはともかく馬と御者は無防備に近い。ローゼマインたちに攻撃が通用しないとみた賊がこちらに向かってくると、馬が危ない。

 

代わりにキュルケとタバサが馬車から少し離れたところまで進み、魔法で賊の迎撃をしていた。そしてギーシュはというと、馬車の中にワルキューレたちを出現させて、無駄に馬車の重さを増している。

 

「よし、俺も……」

 

「あんたはわたしの護衛でしょ。わたしの側を離れてどうするのよ」

 

調子に乗って敵の方へと向かおうとしていたサイトの首根っこを掴んで前に立たせる。ワルドもいるとはいえ、主人を守るのは第一には使い魔であるサイトであるべきだ。

 

「いや、俺も少しくらい……」

 

「だからって、わたしの側を離れてどうするのよ!」

 

「心配しなくても、もう終わりみたいよ」

 

そうして言い争っていると、いつの間にかキュルケが戻ってきていた。その指さす先には、マティアスとラウレンツによって倒れた男たちがいる。怪我をして動けない男たちは、騎獣に乗って攻め込んできた二人に向け、一瞬だけ罵声を浴びせてきた。罵声が一瞬だったのは、口にした者からラウレンツに容赦なく顔を蹴り上げられて意識を失わされたからだ。

 

決闘中のサイトを容赦なく気絶させたところから考えても、ラウレンツは平民に対して厳しい。男たちもそれを感じ取ったのか、それからは青い顔をして黙りこんで、さっきまで馬車の中で震えていたのが嘘のように強気になったギーシュの尋問を、おとなしく受けている。微かに聞こえてくる声によると、男たちはただの物取りだと主張しているようだ。

 

「ふむ……ただの物取りなら捨て置けばよかろう」

 

「一応、記憶を覗いておかなくてよろしいのですか?」

 

「そんなことまでできるの?」

 

ワルドが言った瞬間、ローゼマインが物騒なことを言った。それを聞いて、キュルケが目を剥いて叫ぶ。

 

「いいえ、そのようなことができないか、という念のための確認でしてよ。おほほほ」

 

ローゼマインは絶対、その方法を持っている。そう確信できる誤魔化し方だった。

 

「とりあえず、今日はラ・ロシェールに一泊して、朝一番の便でアルビオンに渡ろう」

 

一行に告げるワルドの顔も心なしか引きつっている。改めてローゼマインの非常識ぶりに触れ、ルイズは小さくため息をついて、馬車に乗り込んでラ・ロシェールに向かう。

 

ローゼマイン他をラ・ロシェールにで一番上等な宿、『女神の杵』亭に入れて、ルイズはワルドと二人で『桟橋』へ乗船の交渉に行く。ワルドと二人だけになったのは、他は全て他国の人間だからだ。特にローゼマインたちは衣服を平民の物に変えたところで所作だけで目立ってしまうので、連れてはいけなかった。

 

しかし、交渉の結果は芳しいものではなかった。アルビオンに渡る船は明後日にならないと出ないということだった。明日の夜は月が重なる『スヴェル』の月夜。アルビオンが最も、ラ・ロシェールに近づくのは、その翌日の朝だからだ。

 

「大丈夫だよ。きっとうまくいく。なにせ、僕がついているんだから」

 

その帰り道、不安そうなルイズの顔を見て取ったのかワルドが励ましてくれた。

 

「覚えているかい? あの日の約束……。ほら。きみはいっつもお姉さんと魔法の才能を比べられて、デキが悪いなんて言われて、お屋敷の中庭でいじけていたな。でも僕は、それはずっと間違いだと思ってた。確かに、きみは不器用で、失敗ばかりしていたけれど、誰にもないオーラを放っていた。魅力といってもいい。それは、きみが、他人にはない特別な力を持っているからさ。僕だって並みのメイジじゃない。だから、それがわかる」

 

「まさか」

 

「まさかじゃない。例えば、そう、きみの使い魔の少年が武器をつかんだときに浮かび上がるルーン、あれは、ただのルーンじゃない。伝説の使い魔、『ガンダールヴ』の印だ。始祖ブリミルが用いたという、伝説の使い魔の印だ。きみは偉大なメイジになるだろう。そう、始祖ブリミルのように、歴史に名を残すような、素晴らしいメイジになるに違いない。僕はそう予感している」

 

ワルドは熱っぽい口調でルイズを見つめた。

 

「この任務が終わったら、僕と結婚しようルイズ。僕は魔法衛士隊の隊長で終わるつもりはない。いずれは、このハルケギニアを動かすような貴族になりたいと思っている。きみはもう十六だ。子供じゃない。自分のことは自分で決められる年齢だし、父上だって許してくださってる。確かに、ずっとほったらかしだったことは謝るよ。婚約者だなんて、言えた義理じゃないこともわかってる。でもルイズ、僕にはきみが必要なんだ」

 

ルイズの頭には、なぜかサイトのことが浮かんできた。ワルドと結婚しても、自分は彼を使い魔としてそばに置いておくのだろうか?

 

なぜか、それはできないような気がした。これがカラスや、フクロウだったら、こんなに悩まなくてもすんだに違いない。

 

「あの、その、わたしまだ、あなたに釣り合うような立派なメイジじゃないし……、もっともっと修行して……」

 

ルイズは俯いた。しかし、言葉は続けた。

 

「あのねワルド。小さい頃、わたし思ったの。いつか、皆に認めてもらいたいって。立派な魔法使いになって、父上と母上に誉めてもらうんだって。まだ、それができてない」

 

「きみの心の中には、誰かが住み始めたみたいだね。わかった。取り消そう。今、返事をくれとは言わないよ。でも、この旅が終わったら、きみの気持ちは僕にかたむくはずさ。急がないよ。僕は」

 

どうしてワルドはこんなに優しくて、凛々しいのに……。ずっと憧れていたのに、結婚してくれと言われて、嬉しくないわけじゃないのに、何かがひっかかるのだろう。

 

自分の心なのに、自分でも全くわからない。もやもやした気持ちを抱えたまま、ルイズは皆が待つ宿へと足を進めた。



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ワルドとの手合わせ

ラ・ロシェールについた翌日の朝、わたしはワルドからある依頼を受けた。それは、わたしの護衛騎士と手合わせをしたいというものだった。

 

「なぜ、わたくしの護衛騎士と手合わせがしたいのですか?」

 

「ミス・ローゼマインたちは異国からやってきたのでしょう? その異国のメイジたちがフーケを捕らえたと聞けば興味を抱いて当然でしょう。もっとも、初めはルイズの使い魔の少年に頼んだのですけどね。彼は決闘のときに負けた相手だからとミス・ローゼマインの護衛騎士のラウレンツを推薦してくれたのですよ」

 

「おや、わたくしがルイズたちがフーケを捕らえたところに居合わせたという話はそれほど広まっているのですか?」

 

話したのは間違いなくアンリエッタだろう。まったく、困ったものだ。

 

「いえ、それほど広まっている話ではありません。僕は魔法衛士隊の隊長だから知らされていただけですよ」

 

「そうなのですね」

 

わたしたちのことがそれほど広まっていないということに少し安心した。手合わせ自体は面倒事といえるかもしれない。けれど、考えようによっては良い機会でもあった。ワルドは魔法衛士隊の隊長だ。学生であるギーシュや本質では盗賊であるフーケでは測りきれなかったこの国の騎士の強さを推測するのにちょうどよい相手だろう。

 

「分かりました。けれど、今は重要な任務の最中です。お互いに怪我がないようにしてくださいませ」

 

「無論、気をつけます」

 

「ではラウレンツ、ワルド様と手合わせをなさってください。マティアスは立ち合いをお願いします。クラリッサ、いつも悪いけど、その間の護衛をお願いしますね」

 

三人が口々に了承の言葉を返すのを待って、わたしはワルドに向き直る。

 

「それで、手合わせはどちらでなさるのですか?」

 

「この宿は昔、アルビオンからの侵攻に備えるための砦でした。中庭に練兵場がございますので、そちらで行いましょう」

 

人目につかない場所なら構わない。わたしは側仕えの二人とローデリヒを部屋に残して練兵場へと向かった。

 

練兵場はかつて貴族たちが集まり、国王の閲兵を受けた場所という話だったが、今ではただの物置き場となっていた。樽や空き箱が積まれ、かつての栄華を感じることができるものといえば、苔むした石でできた旗立て台くらいだ。

 

「昔……といってもミス・ローゼマインたちには分からないでしょうが、フィリップ三世の治下には、ここでよく貴族が決闘していました。古き良き時代、王がまだ力を持ち、貴族たちがそれに従った時代……、貴族が貴族らしかった時代……、名誉と、誇りをかけて僕たち貴族は魔法を唱えあった。でも、実際はくだらないことで杖を抜きあったことも多かったと聞いています」

 

「そうなのですね」

 

王の力が衰えているのはハルケギニアも同様だったようだ。しかし、ハルケギニアの場合はアンリエッタの資質によるものが大きい気がする。

 

「僕はミス・ローゼマインの部下たちのことが羨ましい。ミスタ・ハルトムートが言っていましたが、エーレンフェストではミス・ローゼマインが王族に名を連ねて以降、急速に発展をしているようですね。そのことが誇張でないことは、ここ数日のミス・ローゼマインを見ていれば理解できます。ミス・ローゼマインはまだ十三歳だと聞いています。僕も多くの貴族を見てきましたが、ミス・ローゼマインほど優秀な十三歳は見たことがありません」

 

「ありがとう存じます。けれど、わたくしだけの力ではありません。皆がわたくしのことを盛り立ててくださるからです」

 

「ミス・ローゼマイン、皆が盛り立てたくなるということが重要なのです。トリステインの姫殿下を見て、ミス・ローゼマインは姫殿下を中心にトリステインを盛り立てていきたいと思われますか?」

 

ワルドの言葉は自国の批判。そこに口を挿むことは避けるべきだ。わたしは作り笑いを深くして、返事を避ける。

 

「お答えしにくい質問を失礼いたしました。けれど、反射的に言葉を返すのではなく、相手の意図を読もうとする慎重さを、姫殿下にも持ってほしいものです」

 

どうやらワルドはアンリエッタに不満があるようだ。もっとも、あれに不満を持つなという方が無理なことなので、それをもって不忠者とは思わない。

 

練兵場にはわたしたちの他にルイズ、キュルケ、タバサ、ギーシュに平賀もいた。皆が興味津々といった様子で二人の様子を見つめている。ラウレンツはすでに全身鎧に身を包んでいて、ワルドとの間合いは二十歩ほど。このくらいなら、ラウレンツの得意な近接戦の範疇だ。

 

「では、始めようか。ミスタ・マティアス、開始の合図を」

 

「私がシュタープを光らせたら開始とする」

 

マティアスがシュタープを出し、頭上に掲げる。そうして二人が戦闘態勢を取るのを見て、シュタープを光らせた。

 

「シュベールト」

 

同時にラウレンツがシュタープを剣に変化させてワルドに向けて斬りかかる。ワルドは細身の杖でラウレンツの剣を受け止めていた。ワルドは僅かに後退すると、風切り音と共に高速の突きを放っていく。

 

ラウレンツはワルドの突きを剣の切り上げで払うと、後退して距離を取った。ラウレンツが得意とするのは接近戦だ。本来なら、距離を空けることはしない。実際、ワルドの突きは鋭かったが、ダンケルフェルガーのラールタルクには及ばないように見えた。

 

「ラウレンツはなぜ、距離を取ったのでしょう」

 

「おそらく、魔法を使わせたいのでしょう」

 

わたしの疑問に答えてくれたのはクラリッサだ。その説明によると、わたしの側近たちはこの国の魔法に疎いため敵の次の手が読みにくいのだそうだ。一応、それは相手も同じであるため、著しい不利にはなっていないけど、今後のことを考えると知っておいた方がいいらしい。護衛任務のことはわたしには分からないので、ラウレンツに任せるしかない。

 

「デル・イル・ソル・ラ・ウィンデ……」

 

ラウレンツの誘いが分かったのか、ワルドは低く呟きながら前進し、閃光のような突きを何度も繰り出す。ワルドの突きは一定のリズムと動きを持っている。

 

「魔法がくるぜ!」

 

「ゲッティルト」

 

その声が届いたのかは分からないが、ラウレンツはシュタープを盾に変えてワルドの風の魔法を防いでいた。その後は再びシュタープを剣に変えて、ワルドに斬り込んでいく。

 

ところで、先ほどの声は聞いたことのないものだったが、発したのは誰なのだろう。見渡していると、その答えは平賀から明かされた。

 

「ああ、今の声はこの剣、デルフリンガーのものだよ」

 

声は平賀の持つ剣が発したものだったようだ。

 

「この国にもシュティンルークのような魔剣があったのですね」

 

わたしの護衛騎士であるアンゲリカが持つような剣の登場に、驚きを隠せない。幸いというか、ここにはコルネリウスもダームエルもいない。わたしがアンゲリカの魔剣を喋るようにしてしまった現場を知る者はいないので、やらかしが指摘されることはない。

 

「少し強い魔法も使ってみようか」

 

ワルドがそう言ったことで、わたしは意識を二人に戻した。

 

「ええ、是非お願いしたいくらいです」

 

「では、参ろうか」

 

ワルドの頭上で空気が冷え始めたのが分かった。空気が震えている。

 

「ライトニング・クラウド」

 

「ゲッティルト」

 

ワルドから稲妻が伸びてラウレンツが出した盾に直撃する。白煙が立ち、わたしは思わず身を乗り出した。

 

「大丈夫ですよ」

 

クラリッサがそう言った直後、煙の中から剣を構えたラウレンツが飛び出してきた。その身に大きな傷は見られない。ラウレンツはそのまま白兵戦に持ち込み、今度は休むことなく攻め立てて、ワルドの杖を弾き飛ばした。ハルケギニアのメイジは杖がなければ魔法を使えない。見事なラウレンツの勝利だった。

 

ラウレンツが魔法衛士隊の隊長に勝利したことにルイズやギーシュは驚きの表情を見せている。その一方、平賀だけは先程の戦いを反芻するように、じっと考え込んでいる。

 

「いや、まさかその若さでここまでの腕とは驚いた。僕の完敗です」

 

杖を失ったワルドがラウレンツに手放しの賞賛を送る。

 

「ありがとう存じます。けれど、ワルド様も全力ではなかったのでしょう? ラウレンツが怪我をしないように注意して魔法を使用されていたのではありませんか?」

 

「それも見抜かれていたとは恐れ入ります。何にせよ、有意義な時間でした」

 

そう言うワルドからは余裕さえ感じられる。近接戦ではラウレンツの方が有利に見えたけれど、もう少し距離があればワルドの方が有利ということだろうか。

 

「ええ、ところで一つ。提案がございます。夕食の後、すぐにアルビオンに出立いたしませんか?」

 

わたしがそう言うと、ハルケギニア勢の全員が驚いたようにわたしを見た。

 

「ねえ、ローゼマイン、船は明日の朝にならないと出ないのよ」

 

「分かっていますよ、ルイズ。ですが、船に乗っては港でアルビオンの貴族に取り調べを受けてしまうかもしれません。それよりは、わたくしの騎獣で向かう方が安全です」

 

「ローゼマインの騎獣は、どのくらいの時間、飛んでいられるの?」

 

「少し疲れてしまいますが、一日くらいなら飛び続けられますわ」

 

そう言うと、わたしの騎獣の速度を知っているキュルケたちが驚いた顔を見せた。しばらく互いの顔を見合わせていた中、決断したのはワルドだった。

 

「分かりました。確かに、その方法の方が人目に付きづらい。ミス・ローゼマイン、お願いできますか?」

 

「ええ、お任せくださいませ」

 

本来は、目撃されたら面倒なので騎獣は使わないつもりだった。けれど、わたしたちはすでにラ・ロシェールの前で襲撃にあっている。相手が本当にただの盗賊だったのなら問題はないが、最悪の場合、どこかから情報が漏れている可能性があるのだ。

 

それゆえの予定変更だ。わたしは夕食が終わり次第、リーゼレータ、グレーティアの二人にローデリヒを付けて魔法学院に帰し、ルイズたちを騎獣に乗せて残りの側近たちと一緒にアルビオンに向かうことを決定した。



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ラ・ロシェール出立

あたしたちは、少し早めの夕食を宿泊中の『女神の杵』亭で取っていた。普段の夕食と違い、この遠征中はローゼマインの側近が食事のときに給仕をしてくれている。

 

普段ならアルビオンには空を飛ぶ船を使って向かうのだが、今回はローゼマインの騎獣を使って向かうとことに決まった。そのための早めの食事だ。

 

「ところで、ルイズたちの目的は、結局あたしたちには教えてくれないのよね」

 

「ええ、知らない方がよいことというのは、世の中には多いものですから。例えばわたくしがなぜキュルケを誘ったのか、とかでしょうか」

 

あたしたちの目的である素材の採取についてはルイズたちに教えていない。それと同じであたしたちもルイズたちの目的は知らない方がよいのだろう。そんなことを考えているうちに、俄かにローゼマインの側近たちが慌ただしく動き始めた。

 

「少し外に行ってまいります」

 

食事中のローゼマインの背後に立っていたマティアスが急に外に行き、そして、すぐに室内へと戻ってきた。

 

「囲まれています。傭兵のようです。私とラウレンツで対処いたしますので、ローゼマイン様は入口をシェツェーリアの盾で塞いでください」

 

「分かりました。二人とも気をつけて」

 

ローゼマインと相談をすると、二人は全身鎧を纏って外へと飛び出していく。

 

「守りを司る風の女神シュツェーリアよ。側に仕える眷属たる十二の女神よ。我の祈りを聞き届け、聖なる力を与え給え。害意持つものを近付けぬ風の盾を、我が手に」

 

前は半球状にして使った風の盾をローゼマインは入口を塞ぐようにして使った。入口の前にはハルトムートが立って外の様子を窺っている。

 

「ねえ、あたしたちも加勢した方がいい?」

 

「場合によってはお願いするかもしれません。けれど、今は二人に任せておいた方がいいと思います」

 

ローゼマインによると、彼女が使う風の盾は中から外を攻撃することができないということだ。つまり魔法で援護しようと思ったら矢が飛んでくる場所まで出なくてはならない。あたしにはローゼマインの護衛騎士たちのような強固な鎧も盾もない。そんな中で外に出なくてはならないとなると、少し荷が重い。

 

「其方、どうしてここにいるのだ?」

 

そう考えていると、不意にハルトムートが外に向かって叫んだ。

 

「どうしましたか、ハルトムート」

 

「ローゼマイン様、フーケです」

 

フーケは牢に入れられているはずだ。仮に脱獄していたとしてラ・ロシェールに来て襲撃者の中に混じっているというのは、どう考えてもおかしい。

 

「親切な人がいてね。わたしみたいな美人はもっと世の中のために役に立たなくてはいけないと言って、出してくれたのよ」

 

「だそうよ。トリステインはどうなっているの、ヴァリエール」

 

「知らないわよ。わたしに言わないで」

 

「極秘任務だって言ってなかったっけ? どうしてフーケがここにあたしたちがいることを知っているのよ」

 

「だから、あたしに言わないでったら」

 

ルイズはそう言うが、トリステインの体制はどれだけ雑なのだろうか。

 

「フーケのゴーレムは面倒ですね。無視するのが一番でしょうか」

 

そんな中、ローゼマインはそんなことを言っていた。

 

「皆さま、わたくしの騎獣に乗ってくださいませ」

 

そう言ってローゼマインは室内に大型にした騎獣を出現させた。中には十人くらいなら余裕で乗れそうである。

 

「リーゼレータ、店の主人に補償金を支払っておいてくださいませ」

 

ローゼマインはなぜかリーゼレータに店の主人にお金を手渡させていた。その後は、すかさずローゼマインの隣をクラリッサが、真後ろをハルトムートが確保してローゼマインに近い方からリーゼレータ、グレーティア、ローデリヒが乗り込む。ローゼマインの側近全員が乗り込んだので、あたしも足を踏み入れる。前も思ったことだが、ローゼマインの騎獣は馬車よりもずっと乗り心地がよい。

 

「なあ、これってやっぱり……」

 

「平賀さん、沈黙は金、という言葉をご存知ですか?」

 

あたしに続いて乗って来たサイトは何か気になったようだが、何やらあたしにはわからない言葉で、ローゼマインに口を封じられていた。その後、ルイズ、タバサ、ギーシュの三人も乗り込んでくる。

 

「ほう、これは興味深いな」

 

最後に乗り込んできたワルドも初めての感触に微かに笑みを浮かべていた。

 

「では皆様、参りますよ」

 

そう言ったかと思うとローゼマインの騎獣は店内を駆け始めた。そうして次の瞬間には窓枠を破壊しながら外へと飛び出して行く。急に中から飛び出てきた妙な物体に傭兵たちが驚きの声を上げる。それに構わずローゼマインは騎獣を空に飛び上がらせた。

 

「マティアス、ラウレンツ」

 

ローゼマインが呼び掛けると、騎獣に乗ってフーケの巨大ゴーレムの周囲を飛行していたマティアスとラウレンツが合流してくる。フーケは何やら騒いでいるが、ゴーレムでは飛行するローゼマインや護衛騎士の騎獣を追えないのは明白だった。

 

「ねえ、もしかして前にフーケのゴーレムと戦った時も本当は戦う気はなかった?」

 

「ええ、逃げるだけなら簡単ですもの」

 

あたしが聞くと、ローゼマインはあっさりと肯定した。

 

「逃げるなんて、そんなの貴族の行いじゃないわ」

 

「わたくしたちがオールド・オスマンから依頼されたのは破壊の杖の奪還でした。フーケを捕らえろとは言われていませんでしたもの。無理に戦って破壊の杖を再び失ってしまう可能性を考えれば、あの場では逃げるのが最善でした」

 

そう言いながら、ちらとあたしたちの方を振り返った。もしもあのとき、ルイズが暴走しなければ、ローゼマインは何の迷いもなく騎獣で逃げ出していたとはっきりと分かる態度だった。

 

「さて、夜空に飛び出してはみたものの、わたくしはアルビオンの方向を存じません。どなたかアルビオンへの案内をお願いできますか?」

 

「僕も船でしか行ったことはないが、だいたいの方向は分かる。けれど、その前に少しだけ待ってくれるか?」

 

そう言ったワルドが口笛を吹くと、別にラ・ロシェールに送られていたグリフォンがどこからか飛んできて騎獣の上に着地した。

 

「そのグリフォンはアルビオンまでは行けないのですか?」

 

「竜ではないからね。そんなに長い距離は飛べない」

 

それなら仕方ないと言って、ローゼマインはワルドが示した方向へ騎獣を向けた。

 

「本当に島が空に浮かんでいるのですか?」

 

「ミス・ローゼマインの国には空に浮かぶ島はないのですか?」

 

「そのような不思議な島は存じません」

 

ワルドに答えたローゼマインは、外に向かって声を上げる。

 

「ラウレンツ、一度、わたくしの騎獣に戻ってくださいませ。しばらくは何もないようですから、護衛は一人で十分です。少しでも魔力を節約してください」

 

呼びかけられたラウレンツは一度、ローゼマインの騎獣の上に降りたようだった。そして、屋根の上から器用にローゼマインの騎獣の中に入ってくる。

 

「ローゼマイン様にばかり魔力を使わせてしまい、申し訳ございません」

 

「着いたらわたくしは休ませていただきますので、気にしないでください」

 

「ねえ、ローゼマイン、アルビオンに着いたとして、行く当てはあるの?」

 

「むしろ、最初の目的地は、どこでもない場所と言えます。主要な町はアルビオンの貴族に押さえられているでしょうから」

 

あたしの質問にローゼマインは驚くべき答えを返してきた。

 

「どこでもない場所って、それでどこで休むつもりなの?」

 

「わたくしの騎獣の中ですが?」

 

聞くと、ローゼマインの魔力量は多く、騎獣をある程度の大きさで保ったままでいても何の問題もないらしい。ただ体力はあまりないので不眠は避けたいのだそうだ。騎獣という物を維持するのがどれくらいの精神力を使うのか、あたしには分からないが、これまでも強力な防御魔法を使っていた。ローゼマインの精神力は相当、高いのだろう。

 

「ワルド様、アルビオンまでどのくらいかかりますか?」

 

「そうだな……この速度なら明日の朝には見えてくると思う」

 

「では、皆様はしばし休んでいてくださいませ。特にラウレンツは途中でマティアスと交替して、その後は護衛任務についてもらいますので。騎獣の中の護衛はクラリッサにお願いしますから、大丈夫ですよ」

 

言われたラウレンツが騎獣の中で横になる。他にリーゼレータとローデリヒも座ったまま仮眠を取り始めたようだ。

 

「針路から逸れたら拙いから、僕は起きていよう。ルイズも少し仮眠を取ってくれ」

 

「ありがとう、ワルド」

 

ルイズも横になり、面白くなさそうに鼻を鳴らしたサイトも横になる。タバサやギーシュも仮眠を取るようだ。それを見て、あたしも身体を横たえたる。ローゼマインの騎獣の中は意外と寝心地もよく、あたしの意識はすぐに溶けるようになくなった。



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白の国

予想外の形で夜空に飛び出してしまったわたしは今、必死に戦いながら騎獣を前へと飛ばしていた。

 

「ローゼマイン様、アルビオンに着いたら、現地の料理を見て回るのもよいかもしれません。ひょっとすると、ユルゲンシュミットの新しい流行にできる調理方法が見つかるかもしれませんよ」

 

「グレーティア、それは良い案ですね。ローゼマイン様もそう思われませんか?」

 

「そうですね。平和な町を見つけることができたら、試してみましょうか」

 

わたしの戦いをグレーティアとクラリッサも必死に支援してくれている。今のわたしが戦っている相手、それは睡魔なのだ。少しは丈夫になったといっても、体力のないわたしの体は、徹夜なんて荒行を容易には許してくれないのだ。

 

「そろそろ夜明けです。そうすれば、少しはマシになるのでは?」

 

ワルドにも、しっかりわたしと睡魔との戦いは気付かれているようで、そう言ってわたしを励ましてくれる。幸いにも騎獣を保つ魔術具をマティアスが持っていたため、わたしが意識を失っても騎獣が消えてしまうことはない。

 

けれど、それで安心なのは陸の上でのことだ。空の上で意識を失えば、騎獣は飛行を続けることはできない。そのことは明言していないが、わたしが意識を失ったままでも騎獣が飛び続けられるはずがないと気づいているようで、ワルドの声は若干、引きつっている。

 

「ええ、絶対に眠りませんとも」

 

自分を鼓舞しながら飛ぶこと少し、徐々に空の彼方が明るくなってきた。日の出だ。

 

月明かりでは黒い帯のようにしか見えなかった雲が徐々に白く輝きだす。空が徐々に青さを増していく。

 

「わあ……」

 

思わず感嘆の声が漏れた。雲の上を飛んでいることは分かっていたが、はっきりと空と雲の間を飛行していると認識すると、また気持ちも変わる。雲の下は海なのか、こちらも青い色をしている。ユルゲンシュミットでは海を見たことがないため、わたしにとっては十年ぶりくらいに見た海だ。

 

「ワルド様、こちらの海にはどのようなお魚がいるのでしょう?」

 

「は? 魚……ですか?」

 

「貴族でなければ処理ができない危険なお魚もいるのでしょうか?」

 

そう聞くと、ワルドは思い切り怪訝そうな顔をしていた。ハルケギニアではそのような危険な魚はいないか、もはや魔獣に分類されているのだろう。

 

「ローゼマイン様はアーレンスバッハの魚料理をお気に召した様子だったと、お姉様から伺っています」

 

いつの間にか起き出していたリーゼレータが、アンゲリカから聞いたわたしの貴族としての兄であるランプレヒトの妻、アウレーリアから譲られた魚を解体したときの話を他の側近たちに聞かせている。そういえば、神殿でお魚解体をした皆はここにいない。

 

フェルディナンドとエックハルトとユストクスはアーレンスバッハに行き、当時からわたしの護衛騎士を務めてくれていたコルネリウス、レオノーレ、アンゲリカ、ユーディット、ダームエルはここにはいない。

 

家族に会えないのも寂しいけど、わたしに長く仕えてくれた側近たちに会えていないのも少し寂しく感じる。アーレンスバッハでの生活が心配な三人については特にだ。

 

「アルビオンが見えてきました」

 

わたしが会えない人たちを思い出していると、不意にワルドが声を発した。

 

「どこですか?」

 

「前方の……もう少し上ですね」

 

わたしがワルドの指差す方を見ると、雲の切れ間から黒々と大陸が覗いていた。はるか視界の続く限り延びている。地表には山がそびえ、川が流れている。

 

「浮遊大陸アルビオン。ああして、空中を浮遊して、主に大洋の上をさ迷っています。でも、月に何度か、ハルケギニアの上にやってきます。大きさはトリステインの国土ほどもございます。通称は『白の国』」

 

大陸上の大河から溢れた水は、空に落ち込んでいる。その際、白い霧となって大陸の下半分を包んでいる。なるほど、確かに白の国だ。

 

「ワルド様、アルビオンのどのあたりが見えているか分かりますか?」

 

「さすがに、ここからでは無理です」

 

無理もない。マティアスと交替したラウレンツの先導に従い、わたしは雲に隠れるようにアルビオンに接近する。ひとまずアルビオン側に見つからないことを最優先に、なるべく山や森が多い方角に向かって飛ぶ。

 

「おや……あの町は……」

 

見ると、アルビオンの一角にそれなりの大きさの町が見えた。

 

「どこの町か分かるのですか?」

 

「あれは港町ダータルネスでしょうね。僕たちは、図らずもウェールズ皇太子の籠っているニューカッスルからは離れてしまっていたようです」

 

「ダータルネスという町は大きな町なのですか?」

 

「アルビオンでも有数の港町です」

 

「……町からは離れて飛んだ方がよさそうですね」

 

ワルドの情報は、わたしたちには望ましいものだった。ニューカッスルから離れているということは、そのまま戦場からは離れているということだ。周囲を警戒するアルビオンの貴族がいる可能性も低くなる。けれど、それは要衝でないという条件がついてこそだ。重要な港町ならば警備は厳しくなっているだろう。

 

かといって今から別の場所に向かうというのも難しい。今は朝日を浴びて少しは気分もよくなっているとはいえ、睡魔がいつ襲ってくるか分からない。そんな状態で遠くまで騎獣を飛ばす気にはなれない。

 

「町からなるべく離れた森にでも降り立ち、休息を取るようにしましょう」

 

ともかく今は眠い。わたしは騎獣を雲に隠しながら慎重に街から離れた。そうしていると、少し離れた雲の中を一隻の船が飛んでいるのが見えた。黒く塗られた船体には大砲の砲門が見て取れる。どうやら、この国の軍艦のようだ。

 

「本当に船が空を飛ぶのですね」

 

けれど、わたしの口から漏れた感想は暢気なものだった。これはユルゲンシュミットで不思議現象を見過ぎてしまった弊害だろうか。

 

「ローゼマイン様は初めてご覧になられましたか? あの船は『風石』という『風』の魔法力を蓄えた石を使って宙に浮かぶのです」

 

「魔力さえ高ければ騎獣でも同じことが可能なのかもしれませんが、輸送効率はこちらの方が優れているかもしれませんね」

 

あの船ならば色んな商品をもっと効率的に運べそうだ。それに空を飛ぶ船ならば冬の間は雪に閉ざされてしまうエーレンフェストにはうってつけだ。今よりもっと流通は活発になって、他領から特産品も入ってくるだろう。

 

そして、もう一つ気になったのが『風』の魔法力を蓄えた『風石』というものだ。それはタバサのユレーヴェの素材にできるのではないだろうか。そんなことを考えながら、わたしは騎獣を町が見えないところにある森へと降ろした。

 

その後はすぐにオルドナンツをオスマンに向けて送った。これでわたしがアンリエッタと交わした約束は完了だ。今はとにかく眠いので、返信の受け取りはリーゼレータに任せてしまってよいだろう。

 

「さ、ローゼマイン様はこれからお休みになられます。殿方は申し訳ございませんが、しばらく外で待っていてくださいませ」

 

マティアスとラウレンツが周囲の安全を確認し次第、リーゼレータが男性陣を騎獣の外へと追い出していく。わたしは騎獣の窓を閉じ、外から見えないようにする。

 

「ローゼマイン様、もう少しだけお待ちください」

 

ひとまず空から落ちる心配がなくなり、今にも眠りに落ちてしまいそうなわたしに声をかけながら、二人の側仕えが急いで就寝用の服に着替えさせてくれる。

 

「クラリッサとグレーティアもすぐに仮眠を取ってください。ここは敵地ですから、休めるうちに休んでおくことが大切ですよ」

 

わたしが気付いたのだ。タバサも当然『風石』がユレーヴェの素材になりうる可能性に気付いただろう。

 

「起きたら、作戦会議をしましょう。それまでは待機していてくださいませ」

 

それだけ何とか外に伝えさせて、わたしの意識は途切れたのだった。



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ダータルネスの港町

目覚めたローゼマインからの助言を得て、あたしはローデリヒと一緒にダータルネスの港町を訪れていた。時刻は昼前。目的は食料の調達と、タバサが作るユレーヴェというものの素材として風石の入手方法に関しての情報収集だ。ついでに手に入ればアルビオンの情勢についても、という感じだけど、こちらに関しては無理をするつもりは全くない。

 

自分のユレーヴェの素材のためなので、当然ながらタバサは参加したがった。けれども、小柄で幼く見えるタバサは戦場に近いダータルネスでは目立ってしまう可能性が高いため、ローゼマインの説得により留守番組となった。

 

もう一人については、いざという時に離脱がしやすいということでユルゲンシュミット組の誰かと決まった。情報収集ということを考えれば、できれば文官が良い。そうなると普段はハルトムートだという話だが、ハルトムートは全体的に何となく赤くて目立つという理由で外見が地味なローデリヒが選ばれたようだ。

 

ちなみにルイズとワルドと、勿論ギーシュにも、あたしたちの情報収集の対象がタバサがユレーヴェを作るための素材に対するものだとは伝えていない。言えば、アンリエッタからの依頼を蔑ろにして自分たちの都合で動くのかと怒るだろうからだ。

 

けれど、そもそもトリステイン出身でない、あたしとタバサはアンリエッタに対して何の忠誠心も持っていない。これまでの誼としてルイズの手助けならある程度してもよいというくらいだ。それはローゼマインたちも同じだろう。

 

そうして、ローデリヒの騎獣で近くまで来たあたしたちは徒歩で町へと入った。設定としては、あたしがゲルマニアの商会の一人娘で、ローデリヒはその従者だ。

 

「わたくしはゲルマニアのオトマール商会のキュルケ。こちらは従者のローデリヒですわ。我が商会でも船を一隻、所有したいと思っておりますの。いくらなら、お譲りいただくことができますの?」

 

船を扱っている店に入って、偽りの身分を告げて相手に船を購入する場合の金額を提示させた上で、キュルケは口を押さえて驚いて見せる。

 

「それほど高額だとは思いませんでした……」

 

値引き交渉もしてみるが、当初の値段の隔たりはあまりに大きく、交渉はなかなか纏まらない。そのうち、ローデリヒが声をかけてきた。

 

「キュルケ様、船をそのまま購入することは難しいようです。風石と建材を購入して建造は我らで行うというのはいかがでしょうか?」

 

ローデリヒが代案を出してくるということまで含めて、ここまでは全てローゼマインの筋書き通りに進めている。

 

「それしかありませんね。お手数ですが、風石を購入できるお店をご紹介いただけますか? 情報量はお支払いいたしますので」

 

そう言って船を持っている相手から教えてもらった、風石を販売している店で、今度は船主からの紹介で来たと言って風石の値段を聞く。そこで今度も値段が折り合わなかったふりをして、今度は風石の産出される場所について情報を求めるのだ。

 

「アルビオンで質の良い風石が産出される場所と言えばカンゴーム山脈だな。けれど、あそこは凶暴なトロール鬼たちの住処にもなっているから危ないぞ」

 

「そうなのですか。それですと、護衛も必要ですね。ちなみにその場合にどのくらい日程と経費が掛かるのか検討をしないとなりませんので、風石の採掘に詳しい方を紹介していただけませんこと?」

 

そうして、今度は採掘に詳しい者を紹介してもらった。ちなみに今の所はアルビオンの情勢などは全く調べていないせいか怪しまれた様子はない。

 

ちなみに風石を購入するのでなく採掘をしようとしている理由は、ユレーヴェというもの素材は、精神力が混ざるのを防ぐため、なるべく他人の手が触れない方がいいという条件があったためだ。加えて、水の精霊の涙の、素材としての質の高さもある。なまじ最初の素材の質が良いために生半可な質の素材では水の素材に負けてしまうのだそうだ。

 

最後の仕上げとばかりに、あたしは風石の採掘方法に詳しい技師の元を訪れて協力を請うた。護衛はしっかり行うと約束した上で、通常より割高の依頼料の支払いを約束して採掘に付き合って欲しいと頼み込んだ。残念ながら、その相手からは承諾を得られなかったが、代わりの技師を紹介してもらうことはでき、そうして訪ねた二人目の採掘技師、エイバルからは、多少割高な報酬を支払うことになったが、承諾を得ることができた。

 

ちなみに、その原資となったのがローゼマインのオルドナンツを売ってツェルプストー家が得た利益であり、あるいはタバサが水の精霊の進出を止めたことの報酬としてガリア王家からもぎ取った金銭だ。これまで報酬の要求などしてこなかったタバサが、今回は正論を駆使してお金を要求する姿をガリア王が愉快がっていた、とは当のタバサの弁だ。

 

お金は取れる時に、取れるところから、取れるだけ、取っておくもの。これはあたしたちがローゼマインから何度も言われてきたことで、今ではすっかり身についている。そして、そのアドバイス通りにお金を稼いできたことで、今、こうしてお金で人を雇うことができているのだ。

 

今日、エイバルとの交渉まで上手くこぎつけられたのもローゼマインのおかげといえる。少し前のあたしであれば、平民に扮して、ローデリヒを相手に芝居をして情報を得るなんて、考えもしなかっただろう。本当に欲しいものを得るためならば、手段を選んでなどいられないのだ。

 

ともかくエイバルの方にも準備の必要があるということなので、出立は翌日ということになった。だから、あたしたちは今度は、すでにかなり遅くとなってしまったけど今日の昼食と夕食、それから明日からの食事を求めるために町を歩く。戦場に近いということで心配していたが、幸いにも市場には食料が溢れている。

 

「明日からの分は、味気なくとも調理がいらず、保存性に優れたもの、だったわね」

 

「ええ、そうです」

 

ここには料理人がいないから、とそう言ってきたのは、マティアスだった。側仕えは学園のメイドとは違うので盛り付けはできても調理はできないらしい。

 

マティアスとラウレンツの二人が思い浮かべていたのは騎士団の携行食で、騎士ではないローデリヒも見たことはあると言っていた。ちなみに携行食はお腹は膨れるけれど味は期待してはならないと言われた。

 

「何がいいかしらね? なるべくおいしくて手軽と言えば、パンかしらね?」

 

「ええ、それが無難だと思います」

 

パンならば少し火であぶるだけで食べられるし、味も壊滅的に悪くはない。そこに干し肉などを乗せれば、まあ数食ならば我慢できるだろう。

 

「わたしとタバサにルイズにサイトとギーシュにワルド。ローゼマインにあなたたちが六人でしょ。そしてエイバルの分で計十四人分。それと、ワルドのグリフォンの分……そういえば、グリフォンって何を食べるのかしら?」

 

「私は知りません」

 

「まあ、そうよね」

 

ハルケギニアの貴族である、あたしでも知らないのだ。食事も寝床もいらない騎獣を使うユルゲンシュミット貴族であるローデリヒが知るわけない。

 

「明日からの食事は何日分を用意すればいいかしら?」

 

「エイバルの言っていた距離から考えると、ローゼマイン様の騎獣なら半日ほどで辿り着けると思います。ですが、夜間に山中の探索は避けるべきでしょうから、二日分を用意しておいた方が良いと思います」

 

「そうなると、明日からの分が十四人で二日分。それに今日の昼食と夕食が十三人分がいるわけでしょ」

 

そこまで考えて思わず眉を寄せてしまう。

 

「グリフォンの分を除いても明日からの分が計八十四食分。今日の分だけでも二十六食分。合計だと百十食分になりますね」

 

「……そんなに持てるかしら?」

 

「最悪、今日の分だけ買って帰って残りは別途、買い出しに来るしかないでしょうね」

 

一番、身分を改められるのは町の出入りの際だ。そう考えると、買い出しの回数は最小限にした方がいいのだが、あまりに大量の食糧を持ち運ぶのも不自然に思われるだろう。

 

「仕方ないわね。今はとりあえず今日の分だけ買って帰って、明日からの分は別に男の人だけで買い出しに出てもらいましょうか」

 

町中を見た限り、かなりの数の傭兵らしき男の姿が見えた。それで、今のダータルネスの街中の活気が、戦争特需によるものと理解できた。けれど、その活気は人々の血を前提としているものだ。あたしは賑やかな町にどことなく浮かれていた自分の心を恥じる。

 

ともかく、マティアスとラウレンツならば少し身なりを変えれば傭兵仕事を希望する若者と誤魔化せそうだ。ローデリヒもその案に賛成してくれたので、あたしは今日の食事を調達するために、人々でごった返す市場へと足を向けた。



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風石の採取

アルビオン到着から二日後、わたしたちは質の良い風石が採れるというカンゴーム山脈へと向かっていた。

 

「な、なんか変な感覚ですけど、今はどうなっているんですか?」

 

声を発したのは、秘密保持のために目隠しをした状態でわたしの騎獣の最後部に座らされている、ダータルネスで雇った鉱山技師のエイバルだ。

 

「安心して。ちょっと変わった幻獣に乗っているだけだから」

 

そうエイバルに説明しているのは彼を引っ張ってきたキュルケだ。ちなみに、異国の王族というわたしに都合が悪いことを知られた場合は、エイバルの口を封じるしかなくなると脅してあるため、ルイズもギーシュも平賀も黙って席に座っている。けれど、出発前はこんなときに素材の採集だなんて、とひと悶着あった。

 

「わたくしたちが自分の帰還方法を優先するのに、何か不思議がございますか?」

 

そう言うと一応は不満を収めてくれたけど、納得していないのがありありと見えた。このままでは、暴走をしてしまいそうで心配だが、今はルイズのケアまでしている余裕はない。ひとまずはアルビオンでおそらく最初で最後の機会となる採集の成功だけを考えて騎獣を飛ばす。

 

しばらく進んでカンゴーム山脈が近くなったところでローデリヒに騎獣を出してもらい、エイバルはそちらに乗ってもらって目隠しを外す。わたしは視力強化をすればローデリヒの騎獣が視認できるという距離を保ってエイバルの案内の元、風石が採れそうな場所を探している二人の後を追った。

 

「ねえ、こんな時期に、本当に素材収集なんてしなくちゃいけないの?」

 

「このような時期でもない限り、素材収集などできないではないですか」

 

エイバルがいなくなると、途端にルイズの愚痴が再開した。ルイズにとっては、緊急性の高い敬愛する主君の願いを蹴って、いつでもいいと思える素材収集に勤しんでいるように見えるのだろうけど、わたしやタバサにとっては素材収集の方が優先度は高い。

 

「ミス・ローゼマインたちにとっては、姫殿下もトリステインの事情も二の次なのだろう。僕たちとの感覚が違うのは、仕方のないことなのだろうね」

 

ワルドの言う通り、わたしたちはトリステインの人間ではない。アンリエッタの願いに価値を見出せないのは仕方のないことだと、ルイズには飲み込んでもらうしかない。

 

「ローゼマイン様、前で何か起きたようです」

 

ルイズとの立場の違いを改めて認識していると、いつの間にか、わたしの騎獣の右を飛んでいたマティアスが近づいてきてわたしに叫んだ。見ると、ローデリヒの騎獣が高度を上げていた。先程までは地上が見えるように高度を落としていたはずだから、マティアスの言う通り何かが起きたのだろう。

 

「森の中から、何らかの攻撃が仕掛けられたように見えました」

 

わたしの騎獣の左側を飛んでいたラウレンツも近寄ってきて、いつでもわたしの護衛につけるようにしている。

 

「ローゼマイン様、高度を上げてください」

 

もはや定位置となりつつある助手席に座ったクラリッサの言葉に従い、騎獣の高度を上げていく。その最中、ローデリヒからオルドナンツが飛んできた。

 

「ローゼマイン様、山の斜面より人型の魔獣により矢のようなもので攻撃を受けましたが、私たちに怪我はありませんので、ご心配には及びません。エイバルは、この地に暮らしているトロール鬼という魔獣だと言っています。」

 

「ワルド様、トロール鬼とはどのような魔獣なのでしょうか?」

 

「トロール鬼は主にアルビオン北部の高原地方に生息する亜人です。身長は五メイルにも達し、その巨体に見合った膂力を有します。アルビオンでは各地の戦に駆り出されることも多いと聞いています」

 

魔獣のことならば騎士であるワルドが詳しいだろうと思って聞くと、思った通り、すらすらと説明をしてくれる。それよりも驚くべき言葉があった。

 

「その亜人という相手とは意思疎通が行えるということですか?」

 

「はい、亜人の言葉は我々とは異なるので、簡単に、とはいきませんが」

 

それは重大な情報だ。ユルゲンシュミットの魔獣はシュミルのように愛玩用とされているものはいても、人間と意思疎通ができるものはいなかった。てっきりハルケギニアも同じだと思っていたが、意思疎通ができるなら、わたしは動物とは考えられない。

 

「ローデリヒ、そのトロール鬼という種族は姿かたちは異なれど、人と意思疎通ができる相手のようです。交戦はできる限り避けてくださいませ」

 

慌ててローデリヒにオルドナンツを送り、マティアスとラウレンツにも可能な限り交戦を避けるように伝える。一方で、エイバルが候補地を絞り込むために、すでにかなりの時間を使ってしまっている。風石の探索には、あまり時間がかけられない。

 

「風の属性が強い素材なら風の祝福に反応があるでしょうか?」

 

「それは良いお考えですね。是非、試してみましょう」

 

ハルトムートは単にわたしが祝福をする場面が見たいだけの気がする。けれど、わたしが言い出したことだし、他に当てがあるわけでもない。

 

「マティアスとラウレンツ、ローデリヒに疾風の女神、シュタイフェリーゼのご加護がありますように」

 

わたしの祈りとともに黄色の光がマティアスとラウレンツとローデリヒに飛んでいく。それを見ていたハルトムートが不満そうな顔を見せた。

 

「どうして私は祝福をいただけないのでしょうか?」

 

「わたくしの騎獣の中にいるハルトムートには、今は祝福は必要ないではありませんか」

 

どうしてエイバルを乗せる役に立候補しなかったのか、とハルトムートは口惜しがっているが、エイバルが後ろにいた場合、情報漏洩を防ぐため、どれだけ興奮しても黙っているしかないのだが、わかっているのだろうか。

 

「それより、何か気付いたことなどありませんでしたか?」

 

「祝福を行った際、あちらの山裾が一瞬だけ光ったように見えました」

 

「それを早く言ってくださいませ」

 

ハルトムートが見た方向に進むよう、ローデリヒにオルドナンツを飛ばしてもらう。

 

「ローゼマイン様が使う、その祝福というのはどのようなものですか?」

 

そのとき、わたしたちのやり取りを見ていたワルドが不思議そうに聞いてきた。けれど、その質問は答えるのが非常に難しいものだった。

 

これまでの生活で、ハルケギニアが始祖ブリミルを崇める一神教に近い場所だというのは想像がついている。そのハルケギニアの人間であるワルドにユルゲンシュミットの多神教の考えが理解できるとは思えない。

 

「わたくしの国に伝わる魔術の一種ですわ」

 

結局、当たり障りのない回答をするのに留めておいた。そうでなくとも神々に愛された、などというハルトムートのような言葉は相手によっては著しく不快にさせる可能性があるのだ。ワルドの性格を掴みきれていない現状では、余計なことは言わないに限る。

 

そのうちにわたしの祝福で光ったという場所にたどりつき、ローデリヒが再び高度を下げ始めた。待つこと少し、ローデリヒからエイバルが風石が採れそうだと言っているというオルドナンツが飛んできた。

 

「タバサ、すぐに採集を行ってください。キュルケはタバサの護衛をお願いします」

 

「任せておいて」

 

キュルケが快く引き受けてくれる。

 

「護衛ということなら、僕も出よう」

 

「俺も行くぜ」

 

「サイトが行くのなら、僕も行かざるをえないな」

 

その後、ワルドと平賀、最後にギーシュも護衛に名乗りをあげてくれた。

 

「ローゼマインの防御魔法があれば、護衛なんていらないんじゃないの?」

 

「採集中は、わたくしは魔術を使用しない方がよいのです」

 

グレーティアの名を受けるときに採取したタイガネーメの実のように、その場にある物を拾うだけなら魔力は混ざらない。けれど、大きめの風石を切断して採取することになった場合に、わたしがシェツェーリアの盾を使うと、断面から魔力が混入する可能性は捨てきれない。

 

わたしの魔力に染まってしまった場合、ユレーヴェの素材としては使用できない。けれど、ハルケギニアには、そもそも素材を染めるという概念がない。ルイズもワルドも理解できていない様子だった。

 

ともかく、まずはマティアスとラウレンツが降りて周囲の安全を確認し、次いでエイバルを乗せたローデリヒが降りる。わたしは最後に、エイバルにレッサーくんが見られないようにラウレンツが目隠しをしたことを報告するオルドナンツを待ってから降りる。わたしはすぐに騎獣を魔石に戻し、エイバルの目隠しを外させた。

 

「エイバル、風石はどこで採れるのかしら?」

 

「風石は通常は鉱山の中で採れるのですが、稀に地上で採取することもできます。山肌の黒い石の間に、透き通るような色素の薄い石が……」

 

「例えば、あれみたいな?」

 

そう言ったルイズの指さす方を、全員で見た。

 

「そう……ですね」

 

「さすがはローゼマイン様です」

 

エイバルが呆然としたまま呟き、ハルトムートは歓喜の声を上げている。すんなりと素材が見つかって喜ばしいはずなのに、喜ぶ気分になれない。

 

「ハルトムート、すごいのは上空からでも的確に採取できる地点を予測したエイバルの方ですよ。ともかく、タバサは採取をしてしまってくださいませ」

 

「わかった」

 

タバサが風石に向かい、わたしたちは周囲の警戒を行う。といっても、わたしの側近たちはどうしてもわたしのことが最優先となる。タバサの護衛は実質的にはキュルケ、ワルド、ギーシュと平賀の四人だ。そのうちギーシュと平賀の二人は護衛と呼ぶには不安があるけれど、いないよりはましだろう。

 

杖の先に魔力を集めて、タバサは少しずつ風石を削っていく。そうして半分ほどに達したとき、突如として森の中から海鳴りのような声が聞こえてきた。

 

「トロール鬼の声です」

 

エイバルが言った直後、下手な低木よりも背の高い巨人が姿を現した。

 

「敵対する意思はない、と伝えることはできますでしょうか?」

 

「無理ですよ。彼らにとっては私たちは侵入者です。皆さん、メイジなんでしょう? なんとかしてください」

 

悲鳴のような声をあげ、エイバルが最後尾にいるルイズの後ろに隠れようとする。そして、悲鳴のような声をあげたのは一人だけではなかった。

 

「何なんだ、あれは!? 僕のワルキューレの何倍も大きいじゃないか」

 

「何あれ、でけぇ!」

 

ギーシュと平賀が案の定、トロール鬼の大きさに驚いていた。一方、キュルケとワルドはすぐに魔法を使って応戦していた。先頭を切って襲い掛かってきた一体は、キュルケの炎に顔を焼かれて地面をのたうち回っている。続いての一体はワルドの雷の魔法によって打と倒された。

 

そこでようやく動揺から立ち直ったらしい平賀が魔法を使うキュルケたちの前に出た。トロール鬼たちは人間など一撃で潰せそうな巨大なメイスを持っている。

 

「ラウレンツ、早く平賀を連れ戻してくださいませ」

 

「その必要はなさそうです。きちんと魔獣の動きが見えているようです」

 

「そうなのですか?」

 

わたしには騎士の細かな実力のことはわからない。けれど、ラウレンツの言った通り平賀は巨大なメイスをかわして、逆に巨大なトロール鬼の手首を斬って手傷を負わせる。その手には喋る剣、デルフリンガーがある。

 

「相棒、右から来てるぜ」

 

「わかった」

 

死角をデルフリンガーに見張らせながら、平賀は目に見える敵に的確に対処している。

 

「いつの間にあんなに動けるようになったのでしょう?」

 

「キュルケから贈られた剣を使って地道に素振りなどは行っていたのを何度か見たことはありますが、あれほど腕を上げていたとは驚きました」

 

平賀のことは褒めたラウレンツが、その目を横に逸らした。

 

「逆に、あれは駄目ですね」

 

そう言って見つめた先には、愚直に正面から突っ込んで、トロール鬼のメイスで粉砕されたギーシュのゴーレムの姿があった。

 

「まあ、時間稼ぎにはなったのではないでしょうか」

 

ごめんギーシュ。フォローの言葉が見つからないんだよ。

 

平賀が時間を稼ぎ、その隙にキュルケとワルドが魔法を放ち、更にはときどきルイズが目くらましの爆発魔法を使ってトロール鬼の数を減らしていく。マティアスとラウレンツもわたしの側を離れないながら魔力攻撃で牽制をしている。

 

「採取完了」

 

そして、ついにタバサが風石の採取を終えたようだ。

 

「全員、早くわたくしの騎獣に乗ってくださいませ。しんがりはマティアスとラウレンツが行います」

 

もうエイバルに騎獣を見せないように、なんて配慮をしているときではない。全員を急いで騎獣に乗せると、わたしは空へと飛ばした。すぐにマティアスとラウレンツも騎獣を出して離脱してくる。

 

タバサに風石を染めさせるのは学院に帰還後でいいだろう。空も夕焼け色に染まっていることだし、わたしはひとまず今日の野営地を探して騎獣を飛ばした。



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ニューカッスル城へ

ローゼマインたちが騎獣の中で休息に入った後、ルイズはその周辺で落ち着かない時間を過ごしていた。今日、エイバルをダータルネスに送った後、ローゼマインが騎獣を降ろしたのは浮遊大陸アルビオンのジグザクした海岸線の端にある森の中だ。森から敵が迫れば雲に隠れて空に、空から敵が迫れば木々に隠れて森の中を移動するつもりらしい。

 

ルイズたちは孤立無援の状態なのに対して、アルビオン側はいくらでも増援を呼べる状態にある。だから、敵との接触はなるべく避けるというのがローゼマインたちの考えだ。

 

正統なる政府である王室に逆らう薄汚いアルビオンの貴族から、こそこそと逃げ回るような真似は本来ならルイズの望むところではない。けれど、アンリエッタの護衛も務める経験豊富なワルドもローゼマインたちに賛同するのでは、さすがにルイズも何も言えない。

 

ローゼマインは、明日にはトリステインに帰ると行っていた。けれど、アンリエッタの望みはウェールズ皇太子から手紙を返してもらうことだったはずだ。ローゼマインの説得で渋々、諦めただけで本心ではルイズに打ち明けた望みをいまだ持ち続けているはずだ。

 

このままローゼマインの言う通りにしていてよいのだろうか。ルイズが忠誠を尽くすべきなのはアンリエッタだ。ならば、ローゼマインの意向よりアンリエッタの意向に従うべきなのは明らかだ。

 

「ワルド、相談があるのだけど」

 

だから、ルイズは思い切ってワルドに声を掛けた。

 

「何だい、ルイズ」

 

「何とかしてニューカッスルに行けないかしら」

 

言うと、ワルドは息を飲んだ。

 

「行けなくはないだろうけど、ミス・ローゼマインは反対するだろうね」

 

「わたしの主は姫殿下よ。ローゼマインが何と言おうと、姫殿下の臣下なら姫殿下の意向を優先すべきだわ」

 

「……分かった。ローゼマインには黙って抜け出すということでいいかい? でなければ、彼女の護衛騎士たちに止められてしまうかもしれないからね」

 

「ええ、それでいいわ」

 

「ならば、ローゼマインが休んでいる今のうちに行くべきだろうね。今なら彼女の護衛騎士が主の傍から離れられないからね」

 

もはやルイズに迷いはなかった。ワルドの提案に黙って頷く。

 

「では、行こう。おいで、ルイズ」

 

ルイズはワルドの手を取り、一緒にグリフォンに跨る。

 

「ワルド、ニューカッスルの場所は分かる?」

 

「大丈夫だ」

 

力強く言ったワルドがグリフォンの手綱を引く。低空で飛び立ったグリフォンが森を出てアルビオンの海岸線を超え、一度、眼下に広がる雲の中に飛び込んだ。そのまましばらく進んだところで、ワルドはグリフォンを森に降ろした。

 

「日が暮れてきた。グリフォンは夜目が効かない。続きは明日にしよう」

 

そう言ってワルドは野営の準備に入る。今日はローゼマインの騎獣がないので、本当に森の中で過ごすしかない。

 

「ミス・ローゼマインが言っていたことも一理あるのだよ。敵に囲まれれば僕も精神力が尽きてしまうし、グリフォンも休ませなければ飛べなくなるからね。戦闘はできる限り避けた方がいいという意見には納得させられたよ。明日も、速度を落としてでも慎重に進むことにするよ」

 

そう言っていたワルドは、実際に翌日も雲の中をゆっくりと幻獣を進めていく。

 

「ローゼマインは優秀だと側近の誰もが言っていたわね。ワルドもそう思う?」

 

「ああ、彼女ほど優秀な人は見たことがない。こう言っては不敬になるかもしれないけど、トリステインの王女が彼女なら、アルビオンに対抗するためにゲルマニアと同盟を結ぶということ自体が必要なかっただろう。姫殿下は国民からの支持は篤いけど、貴族たちからの支持は薄い。何より肝心の姫殿下が貴族たちを信用していない。もっとも、それは僕たちの責任もあるのだけどね」

 

アンリエッタは頼れる人がルイズしかいないと言っていた。友達面をしてよってくる欲の皮の突っ張った宮廷貴族たち、というのはアンリエッタが部下を評した言葉だ。

 

一方、ローゼマインの側近たちは彼女が命じれば迷うことなく従うと傍から見てもわかるくらい主を敬っていた。しかも、ここにいるのは彼女の側近全員ではないらしい。正式に側近としている護衛騎士は全部で七名もいると言っていた。加えて言うなら、側近以外は力を貸してくれないということもないだろう。そして、ローゼマイン自身も部下たちを信頼していた。

 

当初はトリステインの貴族の質の悪さを憤った。けれど、ローゼマインは貴族たちの質が悪いのは領主の責任だと言っていた。貴族の質が悪いと思えば、教育をしていかなければならないのだそうだ。けれど、今のトリステインでは、貴族の教育など不可能だ。

 

「ニューカッスル城が見えてきたが……拙いな、貴族派の艦だ」

 

ワルドの声に前を見ると、本当に巨大としか形容できない禍々しい巨艦が帆を何枚もはためかせ、ニューカッスルの城めがけて砲撃していた。砲弾は城に着弾し、城壁を砕いて小さな火災を発生させたようだった。

 

巨大戦艦の舷側からは無数の大砲が突き出ている。艦の上空にはドラゴンも舞っているようだった。

 

「どうするの?」

 

「しばらく砲撃したら一度、離れると思う。そのときに突入するよりないな。ぎりぎりまで雲の中に隠れていれば、なんとか城に駆け込めると思うが、問題はそれだと城内から攻撃を受けてしまう可能性があることだな」

 

ウェールズはルイズたちが来ることなど知らない。グリフォンで突入などしようものならば、敵の急襲と判断されて全力で迎撃をされてしまうだろう。

 

「何か手はないのかしら」

 

「一番簡単なのは、ミス・ローゼマインが持っていたオルドナンツというものを借りることだろうね。もっとも、それでウェールズ皇太子に信じてもらえなければ、かえって万全の反撃を受けるだけになる可能性もあるし、そもそも今から戻ってもオルドナンツを貸してもらえない可能性が高いだろうね」

 

「姫殿下からのオルドナンツを信じてもらえなかったとしたら、手紙も破棄してもらえてないってことじゃないの? それなら、なおさら行かなきゃダメじゃない。トリステインが大変なことになってしまうわ」

 

「いや、そうとは限らないと思う」

 

ワルドは続けて、本当によく考えられている、と呟いていた。けれど、ルイズにはそのような結論に至った理由が分からない。

 

「どういうことなの?」

 

「仮に姫殿下の送られた言葉が偽物であるかもしれないと疑ったとしても、はっきりと話題に挙がればウェールズ皇太子殿下の意識にはのぼる。そうなれば、いよいよ命が危ないというときには処分を考えるはずだ。内容は分からないが、姫殿下の手紙を敵の手に渡すことが損か得かは考えるまでもないだろう」

 

敵に渡したい情報など、あるはずがない。ルイズでもたとえ雑談のような手紙でも敵の手に渡すくらいなら自分で焼いてしまうだろう。そう考えると、本当にニューカッスルに行くことは意味がないということだろうか。いや、そうではないはずだ。手紙がウェールズ皇太子に焼かれる前に取り戻す。それが姫殿下の本当の望みなのだから。

 

「わたしの指にはまだ水のルビーがあるわ。それがあれば手紙がなくてもわたしの言葉を信じてくれるかもしれない。行きましょう、ワルド」

 

「分かった。僕も覚悟を決めよう」

 

「ありがとう、ワルド」

 

方針は決まった。しばらく待って砲撃を行っていた艦が離れると、ワルドは自ら風を起こして雲の一欠片を城の上空へと動かし、その中に隠れるようにして城に迫る。そうして一気に雲から飛び出して城の中庭に急降下する。上空を警戒していたメイジが慌てて外に飛び出し、杖をグリフォンに向ける。

 

「待ってください! わたしたちはトリステインのアンリエッタ姫殿下より使わされた大使です! ウェールズ皇太子殿下にお願いがあって参りました」

 

ルイズは敵意がないことを示すため、杖を持たずに両手を大きく広げながら叫んだ。その効果があったのか、警戒は解かれていないようだが、ひとまず魔法は飛んでこなかった。

 

「貴女たちがトリステインからの大使というのは本当ですか?」

 

「本当です。敵に捕らわれたときのことを考えて書状は持参できませんでしたが、姫殿下から身分を証明するものとして、この水のルビーをお預かりしています。ウェールズ皇太子殿下に確認していただければ、お分かりになっていただけると思います」

 

「その必要はございません」

 

声の方を見ると、一人の老メイジが城の中から出てきていた。

 

「先日、殿下からアンリエッタ姫殿下からマジックアイテムによる伝言が届いたと聞いております。大使殿は、その件でいらっしゃったということでよろしいですか?」

 

「はい、その通りです」

 

「分かりました。殿下の元にご案内いたします」

 

老メイジがまさにそう言ったとき、またしても上空を見張っていた者たちが騒然とし始めた。見ると、ここ数日で見慣れたローゼマインの騎獣の姿があった。なぜかいつもは周囲を警戒しているマティアスたちの騎獣は姿が見えない。

 

「あれは、わたしたちの味方です。攻撃しないでください」

 

ひとまず城の者にそう言いながら、怒っているローゼマインの姿を思い浮かべ、ルイズは大きなため息をついた。



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ルイズを追って

マティアスがワルドとルイズ、そして彼らのグリフォンの姿が見えないと言ってきたのは夕刻のことだった。

 

「おそらく、ウェールズ皇太子が籠っているというニューカッスルに向かったのではないかと思われます」

 

「全く予想できないことではございませんでしたが、彼女も困ったものですね」

 

十中八九、言い出したのはルイズだろう。彼女はアンリエッタの望みを叶えることに固執していた。その望みを果たすことで、アンリエッタがどのような結末を迎えるのかまでは考えていないのだろう。

 

「どうされますか?」

 

「ひとまず、わたくしたちもニューカッスルに向かいましょう。何度か飛んだことで雲の中なら簡単に発見されないということは分かりましたから。警戒が薄いようならわたくしたちもニューカッスルに降りましょう。危険が大きいと判断したら、ルイズたちは置いてわたくしたちだけでトリステインに帰還します」

 

そうして、わたしはキュルケ、タバサ、ギーシュ、そして平賀にそのことを伝えた。

 

「それは、危険だったらルイズを見捨てるって言うことか!」

 

「勘違いなさらないでくださいませ。勝手にわたくしたちの元から離れたのはルイズの方ですよ。彼女を助けるためにわたくしは自分の側近に命を捨てさせるようなことは命じられません」

 

平賀だけは方針に反論してきたが、わたしが意見を一蹴すると、どうして一人で、と落ち込んだ様子で呟いていた。少し気の毒に思わないでもないが、平賀に対して責任を持たない今のわたしが言えることはない。

 

「マティアス、ニューカッスルの方角は分かりますか?」

 

「アルビオンに到着前にワルドから大まかな地理は聞いていますので、おおよその方角でしたら分かると思います」

 

「では、先導してくださいませ。騎獣を使うのはマティアスとラウレンツのみ。残りの皆様はわたくしの騎獣に乗ってくださいませ」

 

護衛騎士以外を騎獣に収容し、わたしは森を出て雲の中に飛び込む。視界が白に染まる中、わたしはマティアスの黄土色のマントを追いかけるように飛ぶ。それはエーレンフェストで激しい吹雪の中、ダームエルのマントを追いかけたときの光景によく似ていた。

 

途中の森で一泊をして、わたしたちは再びニューカッスル城を目指す。マティアスが城が見えてきたと言ってきたのは、昼頃のことだった。

 

ニューカッスルの城は大陸から突き出た岬の突端にあった。周囲に敵の姿はなく、今なら城に突入することもできそうだ。

 

「行けますか、マティアス」

 

「可能だと思います」

 

「では二人とも、わたくしの騎獣の中に入ってくださいませ」

 

「それではローゼマイン様をお守りできませんが……」

 

「遠目ではわたくしの騎獣は人が乗っているように見えません。ハルケギニアにわたくしの騎獣と同じような生物は生息していないようですので、発見しても未確認の生物が飛んでいたとしか思わないでしょう」

 

そう言ってマティアスを説得して騎獣の中に入ってもらい、魔力を注ぎながらアクセルを全開にする。遠くの岬の上に大型の艦が見えたが、動きはない。予想通り誰かが乗って城に向かっているとは思わなかったのだろう。

 

そもそも、わたしの騎獣はユルゲンシュミットでも、貴族院では屋根の上に乗るのだと勘違いされた。ハルケギニアでも上に誰も乗っていなければ、人は乗っていないと認識されるということはキュルケたちに確認済だ。

 

一気にニューカッスルの上空まで行き、ゆっくりと騎獣を降下させていく。すでにルイズたちは到着しているとは思うが、わたしたちのことを伝えていなければ敵襲と思われて攻撃を受ける可能性もなくはないのだ。城の中庭には多くの兵士たちが集まっており、その中にルイズとワルドもいたため、わたしは悠々と中庭に騎獣を降ろすことができた。

 

「来てくれると思わなかったな」

 

「さすがに放置するわけにはいかないでしょう。それに、成算がなければ引き返すつもりでしたから」

 

意外そうな顔をしたワルドに答えながら、中庭にいる中で最も身分が高そうな老人に目をつけて前に進み出る。

 

「アルビオンの皆さま、先触れなき訪問をいたしましたこと、お詫び申し上げます。わたくしはローゼマイン・トータ・リンクベルク・アドティ・エーレンフェストと申します」

 

今回の挨拶ではユルゲンシュミットの定型句を避けた。トリステインという他国から遣わされた異国の出身者となると、妙な警戒心を抱かせるだけだろう。

 

「これはこれは大使殿。殿下の侍従を仰せつかっておりまする、パリーでございます。遠路はるばる、ようこそこのアルビオン王国にいらっしゃった。皆さまも殿下の元にご案内させていただきます」

 

「ありがとう存じます。それでは、わたくしとルイズ、ワルドの三名を案内していただけますか? 残りの者は従者の部屋で控えさせます」

 

他国の出身であるタバサとキュルケはウェールズとの話の場に同席させるべきではない。そして、冷静さを欠く場面を何度も見てきたギーシュと平賀も同席は避けるべきだ。その基準であるとルイズも外したいのだが、さすがに本来の大使であるルイズを外すことはできない。

 

そうしてわたしたちはパリーに連れられて、城内にあるウェールズの居室へと向かった。ウェールズの居室は城の一番高い天守の一角にあった。王子の部屋とは思えない、質素な部屋で室内には木でできた粗末なベッドに、椅子とテーブルが一組だけ。壁には戦の様子を描いたタペストリーが飾られていた。

 

「アルビオン王国皇太子、ウェールズ・テューダーだ」

 

椅子に座った凛々しい金髪の若者が先に名乗る。

 

「トリステイン王国魔法衛士隊、グリフォン隊隊長、ワルド子爵。そしてこちらが姫殿下から大使の大任をおおせつかったラ・ヴァリエール嬢とローゼマイン嬢にございます。姫殿下は殿下のお手にございます手紙の返却を望み、我らを遣わせました」

 

「それは、以前、マジックアイテムで伝えてきた内容と少し違うようだが?」

 

ウェールズの雰囲気が警戒したものに変わった。アンリエッタに送らせたオルドナンツは無事にウェールズの元に届いていたようだ。

 

「姫殿下がマジックアイテムでお願いされたのは、手紙の破棄なのでしょう。ですが、それは姫殿下の本心ではございません。姫殿下は当初、手紙の返却を望まれておりました」

 

「そうか……しかし、手紙は……すでに焼却してしまったのだ」

 

「本当に、そうなのですか? 本当はまだお手元にあるのではございませんか?」

 

「私は王族だ。嘘はつかぬ」

 

「そうですよ、ルイズ。ウェールズ皇太子殿下ほどのお方が手紙の危険性を承知していないはずがございませんもの。わたくしたちが持ち帰るのでは、帰路に何かがあったときに手紙の内容が漏洩してしまうことも考えられます。それを避けるためには姫殿下の意向がどうであろうとも、手紙はすぐに処分せねばならないのです」

 

わたしはルイズとウェールズ、双方に釘を刺す。ルイズも理屈は分かっているのか、それとも反論しても無駄と理解しているのか、そのことに対しては何も言わなかった。

 

「あの、王軍は最後には勝ちますよね」

 

代わりに、あまり適切ではない質問をしていた。

 

「王軍に勝ち目はない。我が軍は三百。敵軍は五万。万に一つの可能性もありえない。我々にできることは、はてさて、勇敢な死に様を連中に見せつけることだけだ」

 

「殿下の、討ち死になさる様も、その中には含まれるのですか?」

 

「当然だ。私は真っ先に死ぬつもりだよ」

 

「それは得策ではないと思われます」

 

気づけば、わたしは口を挿んでいた。

 

「殿下が死ぬのは最後とすべきかと。主が討たれる様を臣下に見せてはなりません。それに、敵に一矢を報いるという意味でも、殿下は最後まで生きているべきです。そうすれば、主が諦めていないのに、部下が先に諦めてしまうわけにはいかないでしょう?」

 

「確かにパリーあたりは私が死ぬ所は見たくないだろうな。考えてみよう」

 

わたしが言ったのは、あくまで合理的な理由だ。わたしも領主候補生として何年も過ごしているのだ。不利と分かっていても逃げられない戦いがあることは理解できる。けれども、諦めるのは駄目だ。最後まであがけば、何かが起こる可能性はあるのだから。

 

「殿下……、失礼をお許しください。恐れながら、申し上げたいことがございます。姫殿下の手紙の内容は……」

 

「ルイズ」

 

ワルドもさすがにルイズをたしなめるが、それでもルイズは止まらない。

 

「この任務をわたくしに仰せつけられた際の姫さまのご様子は、尋常ではございませんでした。とんだご無礼を、お許しください。もしや、姫さまとウェールズ皇太子殿下は恋仲であったのではありませんか?」

 

ウェールズは腰に手を当てて、言おうか言うまいか、悩んだ仕草をしたあと、言った。

 

「きみが想像したとおりだ。確かにあの手紙がゲルマニアの皇帝に渡っては、まずいことになるね。なにせ始祖ブリミルの名において、永久の愛を私に誓っているのだからね。知ってのとおり、始祖に誓う愛は、婚姻の際の誓いでなければならぬ。あの手紙が白日の下にさらされたならば、彼女は重婚の罪を犯すことになってしまう。ゲルマニアの皇帝は、重婚を犯す姫との婚約は取り消すに違いない。そうなれば、なるほど両国の同盟も成らないだろう」

 

「殿下、亡命なされませ! トリステインに亡命なさいませ!」

 

ワルドが慌てた様子でルイズの肩に手を置く。だが、それでもルイズはおさまらない。

 

「殿下、これはわたくしの願いではございませぬ! 姫さまの願いでございます! わた

くしは幼き頃、恐れ多くも姫さまのお遊び相手を務めさせていただきました! 姫さまの気性は大変よく存じております! あの姫さまがご自分の愛した人を見捨てるわけがございません!」

 

「まあ、ルイズ様、それは大変、魅力的なお話ですね」

 

ウェールズの亡命を実現させては、トリステインが戦に巻き込まれることが確実になる。これからわたしが言おうとしていることは、ウェールズに死ねと言うも同然だ。それでも、わたしは亡命を勧めることはできない。

 

「望まぬゲルマニアの皇帝との婚姻を拒んで自らの愛する人を救い出し、全ての貴族と民を巻き込んでトリステインで愛する人と一緒に死を迎えるのですね。巻き込まれた方としては大変な迷惑でしょうけれど、当人は大変に満足するのでしょうね」

 

フェルディナンド直伝の作り笑顔で言うと、ルイズは少したじろいだ様子を見せた。わたしもフェルディナンドがアーレンスバッハに向かう際には同じようなことを思った。けれども、それはフェルディナンドのゲドゥルリーヒであるエーレンフェストを犠牲にして果たすものであってはならないのだ。

 

「きみは正直な女の子だな。ラ・ヴァリエール嬢。正直で、いい目をしている。忠告しよう。そのように正直では大使は務まらぬよ。しっかりしなさい。しかしながら、亡国への大使としては適任かもしれぬ。明日に滅ぶ政府は、誰より正直だからね。なぜなら、名誉以外に守るものが他にないのだから」

 

「明日? それは明日、討って出るということですか?」

 

「ローゼマイン嬢、叛徒どもは明日の正午に、攻城を開始すると伝えてきている。明日の朝には非戦闘員を乗せた王立空軍本国艦隊最後の艦が、ここの秘密の港から出港する。それに乗ってトリステインに帰るといい」

 

「お心遣いありがとう存じます。ですが、わたくしたちには自前の騎獣がございますので、港さえお貸しいただければ十分でございます」

 

アルビオンの艦に乗るのは得策ではない。トリステインとアルビオンの間には一切の関係がないことにしておいた方がいいのだ。

 

「わかった。だが、きみたちは、我らが王国が迎える最後の客だ。せめて最後のパーティーにだけは是非とも出席してほしい」

 

「ありがとう存じます。そちらの申し出はお受けさせていただきますわ」

 

話を終えてわたしはルイズとワルドと一緒にウェールズの部屋を辞した。



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アルビオン最後の夜

アルビオンの王族が開催した最後のパーティは、城のホールで行われた。ホールには簡易の玉座が置かれ、アルビオンの王であるジェームズ一世が腰掛け、集まった貴族や臣下を目を細めて見守っていた。

 

明日で自分たちは滅びるというのに、随分と華やかなパーティだった。王党派の貴族たちはまるで園遊会のように着飾り、テーブルの上にはこの日のためにとって置かれた、様々なごちそうが並んでいる。

 

俺は会場の隅に立って、その華やかなパーティを見つめていた。

 

「明日でお終いだってのに、随分と派手なもんだな」

 

「貴族として教育を受けた者としての矜持でしょう。わたくしは領地で粛清があったとき、七歳に満たない幼い子供たちを神殿で保護しました。けれど、彼らは幼き身で両親を失うという悲しみに直面しても気丈に振舞っていました。終わりが分かっても、取り乱すことなく、いつも通りに振舞う。それが彼らなりの意地なのでしょう。もっとも、泣いても叫んでもどうにもならない事態と自分でも分かってしまうと、意外と冷静でいられるものですよ」

 

そう言ったローゼマインは、まるで何度もどうにもならない事態を経験したような表情でホールの人たちを見つめていた。と、そこでホールの中が俄かに騒がしくなった。見ると、ジェームズ一世がウェールズの手を借りて簡易の玉座から立ち上がっていた。

 

「忠勇なる臣下の諸君に告げる。いよいよ明日、このニューカッスルの城に立てこもった我ら王軍に反乱軍『レコン・キスタ』の総攻撃が行われる。無能な王に、諸君らはよく従い、よく戦ってくれた。しかしながら、明日の戦いはこれはもう戦いではない。おそらく一方的な虐殺となるであろう。朕は忠勇なる諸君らが、傷つき、斃れるのを見るに忍びない」

 

老いた王は、ごほごほと咳をすると、再び言葉を続けた。

 

「したがって、朕は諸君らに暇を与える。長年、よくぞこの王に付き従ってくれた。厚く礼を述べるぞ。明日の朝、巡洋艦『イーグル』号が、女子供を乗せてここを離れる。諸君らも、この艦に乗り、この忌まわしき大陸を離れるがよい」

 

しかし、誰も返事をしない。一人の貴族が、大声で王に告げた。

 

「陛下! 今宵、うまい酒の所為で、いささか耳が遠くなっております! はて、今の陛下のお言葉は、何やら異国の呟きに聞こえましたな」

 

その言葉に賛同する声が方々からあがった。

 

「よかろう! しからば、この王に続くがよい! 今宵はよき日である! 重なりし月は、始祖からの祝福の調べである! よく、飲み、食べ、踊り、楽しもうではないか!」

 

辺りは喧騒に包まれた。こんなときにやってきたトリステインからの客が珍しいのか王党派の貴族たちが、かわるがわる俺たちの元へやってきた。貴族たちは悲嘆にくれたようなことは一切言わず、俺たちに明るく料理を勧め、冗談を言ってきた。

 

「大使殿! このワインを試されなされ! お国のものより上等と思いますぞ!」

 

「なに、いかん。そのようなものをお出ししたのでは、アルビオンの恥と申すもの! このハチミツが塗られた鳥を食してごらんなさい! うまくて、頬が落ちますぞ!」

 

俺は勧められるものをどんどんと口に入れていたが、ローゼマインは勧められたものを一度、従者のリーゼレータに預けていた。そうして隅のテーブルに持っていくと、事前に取り分けて、毒見を終えたものにすり替えていた。ローゼマインはここでも側近たちに徹底的に安全を確保されている。けれど、それはそのまま彼らの心の距離でもあるのだろう。

 

アルビオン万歳と怒鳴ってルイズの前から離れる貴族の姿が目に入る。死を前にして徹底的に明るく振る舞う人たちは、勇ましいというより、この上もなく悲しかった。ルイズはもっと感じるところがあったらしく、厳しい表情で外に出て行った。

 

ワルドがルイズの後を追いかけた。ローゼマインは何だかんだでガードが堅い。タバサも騒がしいのが好きではないのか、引っ込んでしまっている。この場でまともに歓待を受けているのはキュルケとギーシュだけだ。

 

ルイズの消えた扉を寂しく見つめ、ため息をついて床にうずくまった俺の元に誰かが近づいてくる。顔を上げてみると、座の真ん中で歓談していたはずのウェールズだった。

 

「ラ・ヴァリエール嬢の使い魔の少年だね。しかし、人が使い魔とは珍しい。トリステインは変わった国だな」

 

「トリステインでも珍しいですよ」

 

正確に言うと、ローゼマインも使い魔の召喚で呼び出されたらしいのでゲルマニアも変わった国に入りそうだが、俺と違ってローゼマインは使い魔の契約はしていない。

 

「気分でも悪いのかな?」

 

心配そうに、ウェールズが俺の顔を覗き込んでくる。

 

「失礼ですけど……、その、怖くないんですか?」

 

「案じてくれるのか! 私たちを! きみは優しい少年だな」

 

俺が言うと、ウェールズはそう言って笑った。

 

「そりゃあ、怖いさ。死ぬのが怖くない人間なんているわけがない。それでも私が戦うのは、守るべきものがあるからだ。守るべきものの大きさが、死の恐怖を忘れさせてくれる」

 

「何を守るんですか? 名誉? 誇り? そんなもののために死ぬなんて馬鹿げてる」

 

ローゼマインは理解できると言ったが、俺は誇りがそれほど大事だなんて思えない。語気を強めて言った俺に、ウェールズは遠くを見るような目で、語り始めた。

 

「我々の敵である『レコン・キスタ』は、ハルケギニアを統一しようとしている。『聖地』を取り戻すという、理想を掲げてな。理想を掲げるのはよい。しかし、あやつらはそのために流されるであろう民草の血のことを考えぬ。荒廃するであろう、国土のことを考えぬ」

 

それでも、すでにウェールズたちに勝ち目はないと言っていた。だったら、生き残ってもいいじゃないですか。そう言っても、ウェールズは首を横に振った。

 

どうして、そんな風にしてまで、勇気などというものを示さなくちゃならないのか、現代地球の日本で育った俺にはわからない。

 

「我らが戦う理由は簡単だ。それが我ら王家に生まれたものの義務だからだ。内憂を払えなかった王家に、最後に課せられた義務だからだ」

 

「ルイズから聞きました。トリステインのお姫様は、あなたを愛しているんですよ。お姫様はあなたの亡命を希望しているんでしょう?」

 

「私がトリステインへ亡命したならば、貴族派がトリステインに攻め入る格好の口実を与えることになる。アンリエッタを愛していればこそ、それはできない」

 

できることなら、アンリエッタが悲しむ顔は見たくない。けれど、ウェールズは誰に何を言われても、決心を翻す気はないだろう。

 

「アンリエッタには、ただ、こう伝えてくれたまえ。ウェールズは、勇敢に戦い、勇敢に死んでいったと。それだけで十分だ」

 

「ウェールズ様の決心が固いことは分かりました。ですが、できればわたくしのお願いも聞き届けてはくださいませんでしょうか?」

 

そこで今まで少し離れたところにいたローゼマインが口を挿んできた。

 

「何だい?」

 

「お討ち死にの覚悟を決めているところ申し訳ございませんが、どうかトリステインが準備を整えるまで、できれば季節一つ分ほど時間を稼いではいただけないでしょうか?」

 

「季節一つだと!?」

 

明日死ぬと言っているのに三ヶ月も時間を稼げなど無理もいいところだ。ウェールズの驚きはよく分かる。

 

「ウェールズ様は巡洋艦を一隻お持ちなのですよね。そこを拠点に山野に身を隠し、貴族派への襲撃を行っていただけないでしょうか? そうすると、トリステインはそれだけ準備を整えることができますけど」

 

「……さすがに、それは無理だろう」

 

「敵に発見されたら、そのときは討ち死に覚悟で全力で抵抗すればよいだけです。少なくとも万全の準備を整えて総攻撃を仕掛けてくる相手に、砲撃でボロボロの城壁を頼みに迎え撃つよりは善戦できるのではございませんか?」

 

「……もう少し前であれば、検討に値する案だと思うが、せっかく皆の心が一つになっている中で意見が割れる可能性のある提案を行うことは避けたい」

 

少し迷った様子を見せたウェールズだったが、ローゼマインの説得でも考えは変えられなかったようだ。

 

「でしたら、遊撃戦に長けた貴族だけでもイーグル号に乗せて後方への襲撃を実施していただけませんか?」

 

「分かった。選抜して『レコン・キスタ』への襲撃を行わせよう」

 

「ありがとう存じます」

 

ウェールズが去った後、ローゼマインはそっと、これで一人でも多く生き残ってほしいものですね、と呟いていた。あの提案は実利の他に、少しでも生き延びる道を得る者がいてほしいとの願いを持ったものだったようだ。ただ感情だけでウェールズと話した俺と、相手に受け入れられる提案を必死に探ったローゼマイン。その差は大きい。

 

その違いにも打ちのめされた俺の肩を、後ろから誰かが叩く。振り向くと、いつの間にか戻ってきていたワルドが俺をじっと見つめていた。

 

「きみに言っておかねばならぬことがある。明日、僕とルイズはここで結婚式を挙げることになった。是非とも、僕たちの婚姻の媒酌を、あの勇敢なウェールズ皇太子にお願いしたくなってね。皇太子も、快く引き受けてくれた。決戦の前に、僕たちは式を挙げる」

 

意外な言葉に衝撃を受ける俺の耳に、綺麗な音楽と澄んだ歌声が聞こえてきた。見ると、ローゼマインが見慣れぬ楽器を鳴らしながら、歌っていた。白い指が弦の上を走る度に彼女の指を彩る石から青色の光が溢れて会場内に広がっていく。誰も彼もが言葉も忘れて、その幻想的な光景に見入っていた。

 

「ミス・ローゼマインは音楽にも長けているのか……」

 

ワルドがローゼマインの演奏に聞き入っている間に、俺はそっと会場を抜け出した。近くにいた給仕に尋ねた寝所に向かうため、真っ暗な廊下をロウソクの燭台を持って歩く。

 

廊下の途中に、窓が開いていて、月が見えた。月を見て、一人、涙ぐんでいる少女がいた。長い、桃色がかったブロンドの髪……。白い頬に伝う涙は、まるで真珠の粒のよう。その美しい横顔と悲しげな様に、俺はしばらくじっと見とれていた。

 

「あの人たち……、どうして、どうして死を選ぶの? わけわかんない。姫さまが逃げることを望んでいるのに……。恋人が逃げてって言ってるのに、どうしてウェールズ皇太子は死を選ぶの? ……早く帰りたい。トリステインに帰りたいわ。この国嫌い。イヤな人たちと、お馬鹿さんでいっぱい。誰も彼も自分のことしか考えてない。あの王子さまもそうよ。残される人たちのことなんて、どうでもいいんだわ」

 

そうじゃないと思ったけど、ルイズは女の子だ。ルイズに、さきほど俺が聞いた王子の言葉の意味はわからないし、わかる必要もない。そう思ったから、俺は頷いた。

 

「トリステインに帰ったら、あんたが元の世界に帰る方法も探してあげないとね」

 

「お前、結婚すんだろ。俺の帰る手がかりを探してる場合じゃねえだろ」

 

「まだ結婚なんてできないわよ。立派なメイジにはなれてないし、あんたの帰る方法だって、見つけてないし……」

 

なるほど、俺がいたんじゃ、ルイズは結婚しないかもしれない。

 

この妙に責任感の強い小生意気な小娘は、俺が帰れる手段を見つけるまで、結婚を断るかもしれない。

 

それじゃルイズのためにはならない。この、眩しくて綺麗で、清楚で優しいルイズのためにならない。

 

「いいよ。帰る方法はローゼマインと探す。だからお前は結婚しろ。俺は、あの子爵みたいに強いメイジでもなんでもない。伝説の使い魔『ガンダールヴ』だ、なんて言われているけども、剣でもローゼマインの護衛騎士たちに手も足もでなかった。ただ闇雲に剣を振り回すだけに毛の生えた程度の今の俺じゃ、お前は守れないからな」

 

ルイズが俺の頬を叩いた。

 

「ばか!」

 

ルイズが怒鳴る。その目からは涙がぼろぼろと溢れている。

 

「あんたなんかきらい。だいっきらい!」

 

ルイズはくるりと踵を返すと、そのまま暗い廊下を駆け出していった。俺はルイズに叩かれてひりひりと痛む頬をなでる。

 

「さよならルイズ。さよなら、優しくて可愛い、俺のご主人さま。どうか、幸せになってくれよ」

 

言葉とは裏腹に、泣くまいとどれだけ思っても、涙が溢れて止まらなかった。



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ワルドの裏切り

わたしは今、滅びを待つニューカッスルの城にある始祖ブリミルの像が置かれた礼拝堂でウェールズと一緒に、新郎と新婦の登場を待っている。新郎はワルド、新婦はルイズだ。昨日の宴でハルトムートがわたしのフェシュピールを絶賛したせいで、急遽、演奏をすることになり、ついでに祝福を行ったせいで、今日も二人に祝福を送ることになったのだ。

 

この旅の最中、ワルドがルイズに求婚をしていたことは知っていた。しかし、ルイズは結婚にあまり乗り気でないように思えた。

 

それだけに、この婚儀は予想外だったけど、それはわたしが口を出すことではない。力関係で強引に婚姻を迫っていたわけでもないのに断らなかったのなら、それはそれでルイズの選択だと思うよりないだろう。

 

参列者はウェールズ、キュルケ、タバサ、ギーシュの他はわたしの側近たちだけだ。城の皆は戦の準備で忙しいのだ。

 

ウェールズは明るい紫のマントをつけて、帽子には七色の羽を付けている。

 

扉が開き、ルイズとワルドが現れた。ルイズは呆然と立っているようだったが、ワルドに促されると、ウェールズとわたしの前に歩み寄ってくる。

 

「新郎、子爵ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド。汝は始祖ブリミルの名において、このものを敬い、愛し、そして妻とすることを誓いますか」

 

「誓います」

 

何度もユルゲンシュミットの結婚式に相当する星結びを祝ったわたしだけど、この国での式を見るのは初めてだ。今日は最後の祝福以外ウェールズに任せるつもりだけど、こちらの国の誓いの言葉は日本での結婚式の誓いの言葉に近く、わたしは親近感を覚える。

 

「新婦、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。汝は始祖ブリミルの名において、このものを敬い、愛し、そして夫とすることを誓いますか」

 

ウェールズが問うが、ルイズは答えない。未だに心ここにあらずという状態でぼうっと前を見つめている。

 

「新婦?」

 

ウェールズが再び問うと、ルイズが慌てたように顔を上げた。

 

「緊張しているのかい? 仕方がない。初めてのときは、ことがなんであれ、緊張するものだからね。まあ、これは儀礼に過ぎぬが、儀礼にはそれをするだけの意味がある。では繰り返そう。汝は始祖ブリミルの名において、このものを敬い、愛し、そして夫と……」

 

ウェールズの言葉の途中、ルイズは首を振った。

 

「どうしたね、ルイズ。気分でも悪いのかい?」

 

「そうじゃないの。ごめんなさい、ワルド、わたし、あなたとは結婚できない」

 

ルイズとワルドの遣り取りに、ウェールズが首をかしげる。

 

「新婦は、この結婚を望まぬのか?」

 

「そのとおりでございます。お二方には、大変失礼をいたすことになりますが、わたくしはこの結婚を望みません」

 

「子爵、誠にお気の毒だが、花嫁が望まぬ式をこれ以上続けるわけにはいかぬ」

 

そう伝えたウェールズに見向きもせずに、ワルドはルイズの手を取った。

 

「……緊張しているんだ。そうだろルイズ。きみが、僕との結婚を拒むわけがない」

 

「ごめんなさいワルド。憧れだったのよ。もしかたら、恋だったかもしれない。でも、今は違うわ」

 

ワルドがルイズの肩をつかむ。その目はつりあがり、表情が、どこか冷たい、トカゲか何かを思わせるものに変わる。

 

「世界だルイズ。僕は世界を手に入れる。そのためにきみが必要なんだ! きみの能力が! きみの力が! ルイズ、いつか言ったことを忘れたか! きみは始祖ブリミルにも劣らぬ、優れたメイジに成長する! 君はその才能に自分で気づいていないだけだ!」

 

「そんな結婚、死んでもいやよ。あなた、わたしをちっとも愛してないじゃない。あなたが愛しているのは、あなたがわたしにあるという、在りもしない魔法の才能だけ。ひどいわ。そんな理由で結婚しようだなんて。こんな侮辱はないわ!」

 

その答えを聞いてウェールズがワルドをルイズから引き離そうとするが、逆にワルドに突き飛ばされる。わたしはそれを見て、そっと側近たちに合図を送る。

 

突き飛ばれたウェールズの顔に、赤みが走る。ウェールズが杖を抜いた。

 

「うぬ、なんたる無礼! なんたる侮辱! 子爵、今すぐにラ・ヴァリエール嬢から手を離したまえ! さもなくば、我が魔法の刃がきみを切り裂くぞ!」

 

ワルドがようやくルイズから手を離した。そうしてフェルディナンドより数段劣る、誰が見ても嘘と分かる笑みを浮かべた。

 

「こうまで僕が言ってもダメかい? ルイズ。僕のルイズ」

 

「いやよ、誰があなたと結婚なんかするもんですか」

 

ワルドが天を仰いで両手を広げて首を振る。

 

「こうなってはしかたない。ならば目的のうち二つは諦めよう。この旅における僕の目的は三つあった。そのうち一つしか達成できないのは残念だが、仕方がない」

 

そう言うなり、ワルドが二つ名の閃光のように素早く杖を引き抜いて呪文の詠唱を完成させる。そのまま風のように身を翻らせ、ウェールズの胸に青白く光る杖を突き立てようとする。

 

「ゲッティルト!」

 

しかし、ワルドの攻撃が届く前にウェールズの前に盾を構えたマティアスが割り込んで、その攻撃を防ぐ。ワルドの背後からは剣を構えたラウレンツが斬りかかっている。しかし、ワルドは潔く剣を引き、わたしたちから距離を取る。

 

「貴様、『レコン・キスタ』」

 

「どうして! トリステインの貴族であるあなたがどうして!?」

 

ウェールズの呟きに続いてルイズの叫びが響く。対して、わたしは正体を現したワルドに徹底的な作り笑いを投げかける。

 

「ワルド様の狙いはアンリエッタ様の手紙とルイズの身柄も含まれていたのですね。わたくしの考えがお役に立てたようで嬉しく存じます」

 

「そうですね、ローゼマイン様は本当に余計なことをしてくれたものです。そしてルイズ、我々はハルケギニアの将来を憂い、国境を越えて繋がった貴族の連盟だ。我々に国境はない。ハルケギニアは我々の手で一つになり、始祖ブリミルの光臨せし『聖地』を取り戻す」

 

「昔は、昔はそんな風じゃなかったわ。何があなたを変えたの? ワルド……」

 

「月日と、数奇な運命のめぐり合わせだ。それがきみの知る僕を変えたが、今ここで気にはならぬ。話せば長くなるからな」

 

ワルドが詠唱を始める。ライトニングクラウドだ。

 

「マティアス、ラウレンツ、ワルドの相手をしてください。ハルトムートは皆をわたくしの後ろに。クラリッサはわたくしの詠唱の間の護衛をお願いします」

 

ワルドが放ったライトニングクラウドはマティアスが受け止める。その間にも、素早く動く側近たちを見て、わたしはシェツェーリアの盾を作るための詠唱を行う。

 

「守りを司る風の女神シュツェーリアよ。側に仕える眷属たる十二の女神よ。我の祈りを聞き届け、聖なる力を与え給え。害意持つものを近付けぬ風の盾を、我が手に」

 

わたしがキュルケやルイズ、ウェールズを守るシェツェーリアの盾を完成させると、前でワルドと戦っていたマティアスとラウレンツも一度、戻ってくる。

 

「よくもルイズを騙しやがったな」

 

戦闘が少し落ち着いたのを見て、平賀が怒りを露わに叫ぶ。

 

「目的のためには、手段を選んでおれぬのでな」

 

「ルイズはてめえを信じていたんだぞ! 婚約者のてめえを……、幼い頃の憧れだったてめえを……」

 

「信じるのはそちらの勝手だ」

 

そう言いながら、わたしに向かって風の呪文を放つ。ウィンド・ブレイクというらしい風の魔法はわたしのシェツェーリアの盾に弾かれて消える。

 

「それにしても、ローゼマイン様はやはり僕のことを疑っていたのですね」

 

「ええ、わたくし、アルビオンの貴族を欺くためにそれなりに準備をさせていただきましたもの。それなのに、あれだけ何度も襲撃を受けると、内通者を疑うしかないでしょう。他国の出身であるキュルケとタバサではフーケを逃がすことはできませんし、ギーシュに腹芸ができるとは思えないでしょう?」

 

本当はワルドが怪しいと言い出したのはハルトムートなのだが、それは伝える必要はないだろう。そして、それからはわたしは常にお守りフル装備を余儀なくされたのだ。

 

「さすがですね。さて、ではこちらも本気を出そう。何故、風の魔法が最強と呼ばれるのか、その所以を教えてさしあげよう。ユビキタス・デル・ウィンデ……」

 

呪文の詠唱が完成したときには、本体と合わせて五体のワルドがわたしたちの前に立ちはだかっていた。

 

「分身かよ!」

 

「ただの『分身』ではない。風のユビキタス……。風は偏在する。風の吹くところ、何処となくさ迷い現れ、その距離は意思の力に比例する」

 

増えたワルドを見て平賀が驚いた声をあげる。が、わたしも驚いていた。この魔法は結構、厄介なのではないだろうか。いよいよワルドが本気を出したということだろう。

 

「クラリッサ、ワルドを一騎討ちで足止めできますか」

 

マティアスとラウレンツも一対三は厳しいだろう。他に戦えそうなのは、わたしを守るために自主的に訓練をしていたハルトムートだけど、ワルドを相手だと分が悪そうだ。もう少し手がほしい。

 

こんなときにはアンゲリカやコルネリウス、レオノーレがいてくれたら助かるのだけど、ないものねだりをしても仕方がない。何かできることはないか。考え始めたとき、突如として誰かの叫び声が礼拝堂に響き渡った。



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ガンダールヴ

魔法を使ったワルドが五人にまで増えた。分身体の力がどのくらいかは分からないけど、さすがにマティアスとラウレンツだけで五人を相手にするのは厳しいと俺でも分かる。

 

ちらりと横目で見たルイズはワルドの裏切りに今も酷く傷ついた顔をしている。ルイズにそんな顔をさせた相手に、俺は何もできない。ローゼマインの盾の中でただワルドに吠えるだけだ。この有様で、何が伝説の使い魔だ。俺にもっと力があれば。ぎりりと奥歯を噛みしめる。

 

「思い出した!」

 

そのとき、突如として俺の剣、デルフリンガーが叫び声をあげた。

 

「いやぁ、俺は昔、お前に握られてたぜ。ガンダールヴ。でも忘れてた。なにせ、今から六千年も昔の話だ」

 

「こんな時に寝言を言ってんじゃねえ!」

 

この忙しいときに昔話を始めるなんて空気が読めないにも程がある。

 

「懐かしいねえ。泣けるねえ。そうかぁ、いやぁ、なんか懐かしい気がしてたが、そうか。相棒、あの『ガンダールヴ』か! 嬉しいねえ! そうこなくっちゃ! 俺もこんな格好してる場合じゃあねえ!」

 

叫ぶなり、デルフリンガーの刀身が光り出した。光が収まったとき、デルフリンガーは今まさに研がれたように、光り輝いていた。

 

「これがほんとの俺の姿さ! 相棒! いやあ、てんで忘れてた! そういや飽き飽きしてたときに、体を変えたんだった! なにせ、面白いことはありゃあしねえし、つまらん連中ばっかりだったからな!」

 

デルフリンガーが光り輝くと同時に、俺は身体が軽くなったのを感じていた。ギーシュのゴーレムと戦ったときとは比べ物にならない。今ならワルドとでも切り結ぶことができそうだ。けれど、問題は魔法だ。

 

「安心しな相棒。ちゃちな魔法は全部、俺が吸い込んでやれるからよ!」

 

「そんな力があるのか?」

 

「ああ、このデルフリンガーさまは『ガンダールヴ』の左腕だからな」

 

デルフリンガーの言う通りなら、俺も戦うことができる。大事な女の子を傷つけられて、それでもローゼマインの盾の中で震えているだけなんて、真っ平だ。俺はデルフリンガーを握り直してローゼマインの半透明の盾から出る。

 

「サイト!?」

 

ルイズの声に、俺は大丈夫だと伝えるために振り返って軽く頷いた。盾から出た俺に向けてワルドが『ウィンド・ブレイク』を唱える。猛る風が、俺をめがけて吹きすさぶが、俺は何かに導かれるようにデルフリンガーを正眼に構えて腕に力を込める。俺を吹き飛ばす勢いだった風はデルフリンガーの刀身に吸い込まれた。

 

「なるほど……。やはりただの剣ではなかったようだな。だが、それだけで僕に勝てるとは思わないことだ」

 

ワルドが呪文を唱えて杖を青白く光らせた。

 

「『エア・ニードル』、この魔法の中心は杖自体だ。その剣でも吸い込むことはできぬ!」

 

杖が細かく震動している。回転する空気の渦が、鋭利な切っ先となっているようだ。

 

「フィンスウンハン」

 

そのときローゼマインが何か呟いた。振り返って見ると、ローゼマインの手には星が輝く夜空のように金色が散りばめられた大きめの黒いマントがある。

 

「ハルトムート、闇の神のマントを貸します。クラリッサと一緒にマティアスたちに加勢してくださいませ」

 

「それだとローゼマイン様の護衛がいなくなります」

 

「シェツェーリアの盾の中で騎獣に乗っていれば、そう簡単に攻撃を受けることはありませんから。それにリーゼレータたち三人にも盾で守っていただきますので」

 

「かしこまりました」

 

ローゼマインから受け取ったマントを手にしたハルトムートがクラリッサと一緒に風の盾の中から出てくる。同時にローゼマインは小さめの騎獣の中に乗り込み、リーゼレータたち三人は盾を作る呪文を唱えてローゼマインの前に並ぶ。

 

「ちょっと、あたしたちも忘れないでよね」

 

「キュルケとタバサは基本的には盾の中にいて、魔術を使う時だけ外に出るようにしてくださいませ」

 

「わかったわ」

 

更にキュルケとタバサも加勢してくれるようだ。

 

「これで数の利はなくなったぜ」

 

「それで勝てると思わないことだと言ったはずだ!」

 

ワルドに向かって全力で駆けて斬りつけるも、ワルドは後方に跳んで躱す。同時にお返しとばかりに高速の突きを放ってくる。俺はワルドの杖を剣で受け流す。やはりワルドは強い。感覚では、今の所はやや不利だ。けれど、それで十分なはずだ。マティアスとラウレンツは一騎討ちならワルドにも負けない。俺が時間をかければ加勢に来てくれるはずだ。

 

「平民にしてはやるではないか。さすがは伝説の使い魔といったところか」

 

けれど、それでいいのか?

 

「それにしても、どうしてわざわざ死地に赴く? お前を蔑むルイズのため、どうして命を捨てる? 平民の思考は理解できぬな! やはりお前、ルイズに恋していたのか? 適わぬ恋を主人に抱いたか! こっけいなことだ! あの高慢なルイズが、貴様に振り向くことなどありえまいに! ささやかな同情を恋と勘違いしたか! 愚か者め!」

 

「恋なんかしてねえよ! ただ、どきどきすんだよ! 顔を見てると、どきどきすんだよ! 理由なんかどうだっていい! だからルイズは俺が守る!」

 

そうだ、マティアスたちに助けてもらうのを待つのでは駄目だ。俺がこの手でルイズを守るのでなければ駄目だ。

 

そう思った瞬間、ルーンが光る。

 

その輝きを受けて、デルフリンガーが光る。

 

「いいぞ、相棒! その調子だ! 思い出したぜ! 俺の知ってる『ガンダールヴ』もそうやって力を溜めてた! いいか相棒、『ガンダールヴ』の強さは心の震えで決まる! 怒り、悲しみ、愛、喜び、なんだっていい! 心を震わせな、俺のガンダールヴ!」

 

俺の切り上げを受けたワルドが体勢を崩してのけぞる。俺の剣で初めてワルドの余裕を崩した。勢いに乗って攻めかかると、ワルドは大きく後方に跳んで逃れた。けれど、まだまだワルドには余裕が見える。やはり、俺には決定的に技が足りない。単純に速いだけでは駄目だ。もっと動きに工夫を凝らさなければ。

 

思い浮かべるのはラウレンツとワルドの手合わせだ。あのときの二人の動きを脳裏に再生する。

 

あのときのワルドの動きを真似するのは駄目だ。ワルドの剣捌きはあくまでメイジのものだ。あの剣の動きは魔法を使わない俺には無駄が多い。

 

あのときのラウレンツの動きを真似するのも駄目だ。ラウレンツの剣術の真価はおそらく騎獣に乗った時に発揮されるのだろう。足運びには、ややぎこちなさがあった。

 

ならば、ワルドの足捌きとラウレンツの剣技を取り入れればいい。俺は風に乗ったようにワルドに迫ると、勢いのままに真っ向からデルフリンガーを振り下ろす。ワルドが杖で受けるが、いかに魔法がかかっていてもデルフリンガーとワルドの杖では硬さも太さも重量も全く違う。体勢を崩したワルドが再び大きく後ろに飛んだが、それは今までの後退とは意味が異なる。俺の一撃に耐えきれずに、ワルドは逃げたのだ。

 

「き、貴様!」

 

ワルドも自覚があるのか、その顔は怒りで歪んでいる。

 

「何っ!?」

 

その直後、ワルドが驚愕の声をあげた。その視線の向いた先を追うと、タバサの風の魔法で吹き飛ばされたワルドの偏在の一体が、ハルトムートが手に持っていた黒いマントを被せられて、溶けるように消えていくところだった。

 

「貴様、何をした!?」

 

「闇の神のマントは魔力を吸い取る効果がありますので。その分身体は魔法で作られたものなのでしょう? でしたら、魔力を奪われれば存在できなくなるのは当然です」

 

ワルドの疑問に答えたのはローゼマインだった。要するにローゼマインが魔法で作ったマントはデルフリンガーの強化版みたいなものだろうか。

 

「お前の立場、なくなったな」

 

「うるせえよ」

 

俺の軽口にデルフリンガーがむくれたような声を出す。けれど、今はチャンスだ。思いがけず偏在が消されたことで、今のワルドは動揺している。魔法で空に逃れられると、俺では追いかける術がない。

 

真似るのはラウレンツの動きだ。ラウレンツがワルドと戦ったときを脳裏に描き、俺は地を這うように駆ける。そうして俺に気付いたワルドが迎撃態勢を取ると同時に、地面を強く蹴って空中高く跳び上がった。

 

「空は『風』の領域だ! なめるなよ、ガンダールヴ!」

 

「空は『風』の領域か。確かにそうかもな。けど、俺だけに集中していていいのか?」

 

「何っ!?」

 

ようやくワルドが俺の後に続くようにして地を駆けていたウェールズに気付いた。だが、もう遅い。

 

「エア・ハンマー」

 

俺を迎え撃つために飛び上がったワルドの杖を、ウェールズの魔法が跳ね上げる。俺はその無防備な体に向けてデルフリンガーを振り下ろした。

 

地面に着地した俺は、よろけて膝をついた。少し遅れてワルドが着地した音が聞こえる。そして最後に何かが落ちる音。

 

「くそ……この『閃光』がよもや後れを取るとは……」

 

よろめきながら立ち上がったワルドは左肩から先が失われている。ワルドとの空中での交錯の際、ウェールズの魔法が杖だけでなく腕に当たっていたこと、加えてワルドが咄嗟に体を捻ったことで両断する勢いだった一撃を直撃をさせることができなかったのだ。けれども、ワルドの傷は深い。俺はワルドに駆け寄ろうとしたが、もう、体が動かない。

 

「ああ、相棒、無茶をすればそれだけ『ガンダールヴ』として動ける時間は減るぜ。なにせ、お前さんは主人の呪文詠唱を守るためだけに生み出された使い魔だからな」

 

デルフリンガーが説明している間にワルドは残った右腕で杖を振り、宙に浮いていた。

 

「馬の蹄と竜の羽の音が聞こえてきたな。我が『レコン・キスタ』の大軍が押し寄せてきたようだ。そら、早く脱出をしなくてよいのかね」

 

ワルドは強がっているが、その表情は明らかに、助かった、と言っている。実際、ワルドの偏在のうち二体はマティアスとラウレンツに切り裂かれ、最後の一体もクラリッサと交戦中にハルトムートに黒いマントを被せられ、今まさに消えていっている。

 

加えて、ワルドの本体も重い傷を負っている。このまま戦っていてはワルドの敗北は確実だっただろう。

 

追えば敵軍の真っ只中に突撃することになりかねない。ワルドが魔法を使って逃げていくのをローゼマインたちは黙って見送っていた。

 

「すまない、却って邪魔をしてしまったかな?」

 

「いえ、ウェールズ様の魔法がなければ、俺も傷を負っていたと思います」

 

「そうか、邪魔をしたのではなかったのなら、よかった。きみとワルドとの戦いでの健闘を称え合いたいところだが、僕はすぐに防戦の指揮を執らなくてはならない。すまないが、ここで失礼する」

 

そう言うなりウェールズが駆け出していく。

 

「ウェールズ様、わたくしもホールまではご一緒します」

 

ローゼマインがウェールズの後を追い、ルイズやキュルケたちがその後に続く。そんな中、俺はハルトムートに肩を貸してもらって最後尾を進んでいた。

 

「悪い、ハルトムート」

 

「なに、なかなかに面白いものを見せてもらったからな。それに其方を置いていったならば、私がローゼマイン様に叱責をされてしまう」

 

ハルトムートはどこまでも行動の基準がローゼマインのようだ。これはこれで従者の鑑なのかもしれないが、こうなろうと思えないのはなぜなのだろう。

 

ようやくたどり着いたホールではウェールズが出陣を命じているところだった。そこにローゼマインが静かに歩み寄った。

 

「アルビオンの皆様にご武運をお祈り申し上げます。ライデンシャフトの眷属である武勇の神アングリーフの御加護がありますように」

 

そう言って指輪から出した青い光でホールを満たした。昨日の祝福を見ている王党派の貴族たちが上を見上げる。指輪を飛び出した青い光は天井近くへ上がっていき、ぐるぐると回った後、恵みの雨のようにホール全体へ降り注いだ。昨日の楽器を演奏しながらの祝福も美しかったが、今日の祝福は一段と輝いている。

 

「これは……体が軽くなった?」

 

「連日の戦いの疲労が消えたようだ」

 

ざわつく臣下を見つめてウェールズが叫んだ。

 

「ミス・ローゼマインから魔法の加護を受けたのだ。今日の我らは一騎当千の猛者となりてレコン・キスタの者たちを大いに慌てさせられることだろう。出陣!」

 

雄叫びをあげながら、ウェールズに率いられたアルビオンの人たちがホールから飛び出していく。ウェールズはローゼマインの盾の中で見ていることもできたのに、俺の援護をするために危険を冒してくれた。勇敢な王子さまを俺は深く礼をして見送った。

 

「さて、わたくしたちはトリステインに帰りましょう」

 

そう切り出したローゼマインの騎獣に乗ってニューカッスル城の隠し港から外に出た。すぐに雲の中に入った騎獣は、緩やかに雲を抜けると魔法学院の方角へと飛び始める。

 

「勇敢な王子さま、あなたのことは忘れません。俺は、俺が信じるものを守り抜くことを、あなたに誓います」

 

呟いてふと隣を見ると、ルイズの白い頬には静かに涙が伝っていた。ハンカチでも差し出せたらよいのだが、生憎と俺は普段からそんな用意ができていない。

 

そんな俺に横からハンカチが差し出された。渡してきたのは、俺はあまり話をしたことがないグレーティアというローゼマインの側仕えだ。俺は静かに目礼してハンカチをルイズに差し出してやる。それをルイズは礼も言わずにひったくるように奪った。不満があるのではなく、ただ照れくさいだけだというのは、真っ赤に色を変えた頬を見れば一目瞭然なので、特に腹も立たない。

 

雲と空の青の中、アルビオン大陸が遠ざかる。短い滞在だったが、いろんなものを俺に残した、白の国が遠ざかっていく。それを俺は黙ってじっと見つめ続けた。




長かったアルビオン編が終了。
次は始祖の祈禱書編ですが、少し時間を空けて投稿を開始します。
家に閉じこもっているので時間だけは増えているのですが、モチベーションは急降下。
推敲も執筆も進みが非常に悪いのです。


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始祖の祈禱書
アルビオンからの帰還


ある程度、ストックができたので始祖の祈禱書編10話を順次投稿します。
なお、本章も基本、原作のイベントが発生しますので、予めご了承ください。


わたしはニューカッスル城から脱出するとすぐ、アンリエッタに向けてオルドナンツを送ってワルドの裏切りを報告した。その後は魔法学院に帰還して普段通りの生活を始める。要するにユルゲンシュミットに戻るための方法探しと魔法の勉強だ。

 

そんな中、魔法学院に帰還してから三日後には正式にアンリエッタと帝政ゲルマニア皇帝のアルブレヒト三世との婚姻が発表された。式は一ヶ月後に行われるはこびとなり、それに先立ち、軍事同盟が締結されることとなった。

 

同盟の締結式は、ゲルマニアの首府、ヴィンドボナで行われ、トリステインからは宰相のマザリーニ枢機卿が出席し、条約文に署名したという。

 

アルビオンの新政府樹立の公布が為されたのは、同盟締結式の翌日。両国の間には、すぐに緊張が走ったが、アルビオン帝国初代皇帝、クロムウェルはすぐに特使をトリステインとゲルマニアに派遣し、不可侵条約の締結を打診してきたらしい。

 

両国は協議の結果、これを受けた。両国の空軍力を合わせても、アルビオンの艦隊には対抗しきれない。喉元に短剣を突きつけられた状態での不可侵条約であったが、未だ軍備が整わぬ両国にとって、この申し出は願ったりのものとハルトムートは言っていた。

 

そして……。ハルケギニアに表面上は平和が訪れた。政治家たちにとっては、夜も眠れない日々が続いたが、普通の貴族や、平民にとってはいつもと変わらぬ日々がくる。一方で、わたしたちには避けられない難問が降りかかっていた。

 

「アルビオン帝国初代皇帝の名前はクロムウェル。偶然ではありませんよね」

 

わたしの呟きに側近たちは難しい顔で頷いた。クロムウェルという名前は、水の精霊から聞いていた、秘宝『アンドバリ』の指輪を盗んだ者と同じだ。偽りの命とはいえ、死者を復活させられるとしたら、それは大変なカリスマになれるだろう。

 

「ともかく、わたくしたちは、今の内にユルゲンシュミットへの帰還の手掛かりを掴まなければならないということです」

 

「戦争が始まってしまえば、ゆっくりと研究などできませんからね」

 

わたしの言葉に一番、大きく頷いたのはハルトムートだ。

 

「何より、戦争が始まってしまえばローゼマイン様も戦場へと求められるのではないかと心配でなりません」

 

わたしを気遣う発言をしてくれたのはリーゼレータだ。

 

「ならば、もしもの場合に対しての備えは必要ではないでしょうか?」

 

「マティアス、もしもの場合の備えというのはどのようなものですか?」

 

「私たちはこちらの魔法に詳しくありません。あのワルドが使ってきた偏在という魔術は恐ろしいものです。知らずにいれば、ローゼマイン様から引き離されるという失態を犯していた可能性は高いと思います」

 

マティアスの意見には頷かざるをえない。まさか五人に分身できる魔術があるなんて想像もしていなかった。マティアスたちが相手をしているから安心と思っていたら、いきなり背後から襲われるという事態になっていたかもしれないのだ。

 

「そうなると、護衛騎士が私たち二人というのは少なすぎますね」

 

そう呟いたのはラウレンツだ。

 

「わたくしを入れても三人ですから、五人、あるいはもっと大勢からローゼマイン様をお守りするのは、少し難しいかもしれません」

 

クラリッサもワルドと対峙したときを思い出しながら言ってくる。

 

「ワルド子爵は最高位のスクウェアのメイジだと聞いています。それ以上のメイジはそれほど多くはないでしょうが、それでも心配は残りますね」

 

文官のハルトムートもワルドを相手に足止めくらいはできていた。けれど、それでも四人。あと一人足りない。残るわたしの側近はリーゼレータ、グレーティア、ローデリヒの三人だ。そうなると、自然と視線は男性であるローデリヒに向く。

 

「私も少しでもローゼマイン様をお守りできるよう訓練をいたします」

 

「ローデリヒの気持ちは嬉しいですけど、敵と戦うよりゲッティルトで身を守ることを最優先に訓練をしてくださいね」

 

「はい、ありがとうございます」

 

無理はしないようにローデリヒに言うと、次は少し沈んだ表情をしているグレーティアに視線を向けた。

 

「グレーティアはこれまで通り皆を支えながら、新たに雇い入れた平民の側仕えたちの教育をお願いしますね。グレーティアの教育がわたくしの側近の皆の生活を支えてくれるのですから、責任重大ですよ」

 

「はい、お任せください」

 

グレーティアは能力的にも性格的にも戦闘がこなせるとは思えない。けれど、それならそれで、他の仕事で役に立っていると声をかけておかなければならないだろう。

 

「けれど、護衛騎士が揃って訓練に出てしまうと、ユルゲンシュミットに帰るための研究が疎かになってしまうのではありませんか?」

 

「リーゼレータの心配はもっともですが、差し当たっての脅威に対処しないわけにもいかないでしょう。本来は持ち出し禁止の本についても特別に貸し出しを許可していただけるよう交渉してみましょう」

 

「しかし、学院長はトリステインの貴族。内密と言っていたにもかかわらずアンリエッタ様に情報を流していたアルビオンの一件でのように、戦争が勃発したときにはローゼマイン様を利用しようとするのではないでしょうか? その相手に貸しを作るのですか?」

 

「ハルトムートの言う通り、学院長を全面的に信用はできません。ですが、今のところは無理難題を言ってきてはいませんので、危険とも言い切れません。わたくしとしては、むしろアンリエッタ姫の無邪気な言動の方が危険に思えます」

 

わたしがそう言うと、アンリエッタに更に傲慢さをも加えた自称次期ツェントを思い浮かべたのか何人かが苦い顔をしていた。さすがにそこまで酷いとは思わないけど、教育直後のヴィルフリートくらいに考えて対策をしておいた方がよさそうだ。

 

「今のところ魔法関連の本が充実した、この学院を離れるつもりはありませんが、わたくしを召喚したキュルケはゲルマニアの貴族です。そしてゲルマニアの国力はトリステインよりも遥かに上です。そのことから考えてもアルビオンの侵攻があったときにゲルマニアに逃れられるように伝手は確保しておきたいです。クラリッサはわたくしの護衛に付いていないときは、なるべくオルドナンツの売買で得た伝手から情報を得ておいてください」

 

「お任せください」

 

わたしが命じるとクラリッサが青の瞳を輝かせた。久しぶりに回ってきた文官らしい仕事に張り切っているのが、よく分かる。

 

本当ならクラリッサにも、もっと調合や情報収集を任せたいのだけれど、今は同性の護衛騎士がいないせいで、どうしてもクラリッサには護衛の仕事が多くなっている。なんとか改善できたらいいのだけど、護衛騎士ばかりは現地調達は困難なので仕方がない。

 

「さて、今後のことを考えることは必要ですが、あまり重い話ばかりでもつまらないです。少し楽しい話もしましょうか。差し当たっては次の虚無の曜日についてです。その日は交替で街に行ってきてよいですよ。後ほどアンリエッタ様から届けられたお金について分配をいたしますね」

 

そう言うと、長らくエーレンフェストにいた頃より倹約生活を余儀なくされている皆の目が輝いた。側近たちには、ずっと不便を強いているので、たった半日でも楽しんできてほしい。

 

ちなみにアンリエッタに請求したお金はエキュー金貨で六千。本当は五千の予定だったけれど、ワルドの裏切りにより余計に魔力を使わざるをえなくなったことを加味して増額の要求をした。それでも、諸経費込みなのだから、軍を動かした場合と比較すれば、随分と良心的な値段のはずだ。

 

そのうち一千が諸経費の支払いで消え、二千を今後の研究の資金とし、残りの三千を二十等分して、わたしが四、上級貴族であるハルトムートとクラリッサが三、残りの中級貴族の側近五人が二という割合で分配することにした。要するにわたしの取り分が六百で、上級貴族の二人が四百五十、他が三百という配分だ。

 

ハルトムートはわたしがもっと高い割合で受け取るべきと主張したが、わたしの身の回りの品は、すでに最優先で揃えられている。それよりも、わたし優先で自分たちのことは疎かとなりがちな側近の皆の不自由を少しでも解消してあげたい。

 

「では、今日もよろしくお願いしますね」

 

そう締めて、わたしは今日もフェニアのライブラリーに向かう準備を始めた。



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アルビオン帝国

ワルドはようやく死体の搬出が終わったニューカッスル城で土くれのフーケとともに、アルビオン帝国の初代皇帝、オリヴァー・クロムウェルの前にいた。年齢が三十代の半ばのクロムウェルは球帽をかぶり、緑色のローブとマントを身に着けている。一見すると聖職者のような恰好ながら物腰は軽く、軍人のようだ。高い鷲鼻に、理知的な色をたたえた碧眼。帽子の裾からカールした金髪が覗いている。

 

クロムウェルとの謁見が今日まで伸びたのは、アルビオン革命戦争の最終決戦となったニューカッスルの攻城戦でのレコン・キスタの被害が想像以上に甚大だったためだ。僅かに三百の王軍から受けたレコン・キスタ側の損害は、死者四千、負傷者六千人。三日三晩の攻防で城の内外は夥しいレコン・キスタの兵の死体で埋め尽くされることになった。

 

「閣下。アンリエッタの手紙を奪えず、みすみすゲルマニアとの同盟を許し、指揮権の混乱を狙ったウェールズの暗殺にも失敗し、旗下の兵に多くの死者を出してしまいました。全て私のミスです。申し訳ありません。なんなりと罰をお与えください」

 

「何を言うか、子爵! 確かにウェールズは討てなかったようだが、それはローゼマインという異国の王族の護衛騎士とやらに邪魔をされたためであろう。彼らの強さはそこにいる土くれのフーケ……いや、ミス・サウスゴータから聞いている」

 

クロムウェルの口からその名がでたことで、ワルドの頭には自然とキュルケが召喚してしまったというローゼマインという少女の姿が浮かんできた。ローゼマインは夜空のように艶のある髪を虹色に輝く宝石で彩り、印象的な金色の瞳を持った美しい少女だった。

 

最初は美しく着飾られた様子からアンリエッタと同じなのだろうと思った。ようするに綺麗に飾られたお人形。周囲に従う側近たちもいずれも魔法学院の生徒たちと変わらぬか、少し幼い見た目で、ワルドはフーケから話を聞いていても警戒心は抱けなかった。

 

だが、その印象はすぐに覆されることになった。ローゼマインは異国のマジックアイテムを使ってウェールズに連絡を取るという、ワルドの目的を頓挫させる提案をアンリエッタに行い、すでに認めさせたと言ってきた。更に機密保持のためだと言ってアンリエッタの密書をあっさりと燃やしてしまった。それは、情報漏洩の恐ろしさを十分に知っている者の行動だった。その時点でワルドの中でローゼマインは警戒対象となった。

 

その後は驚きの連続だった。ローゼマインは目立つからとワルドやルイズを始めとした全員を一見すると貴族と分からないように着替えさせ、実際に平民である衛兵を加えた臨時編成の集団を作り上げた。ローゼマインは敵地に赴くことの危険性を認識して慎重の上にも慎重を重ねていた。

 

その時点で道中で加える予定の襲撃に自分が関与していることが発覚する可能性を危惧せざるをえなくなった。結局、内心の動揺を取り繕いながらの旅路となったのだが、その道中で想像以上の収穫を得た。

 

まずローゼマインとアンリエッタの違いが明確に見えた。アンリエッタは自分の願いが先にあるという悪癖があるが、ローゼマインは自分の願いを叶えるために手段を尽くすが、最終的には成算の有無が基準となる。

 

幼い外見と見合わぬ慎重さ。さりとて臆病というわけではなく、アルビオンに渡るという任務も部下たちに任せるのでなく、自ら護衛騎士たちを率いて当たっていた。また、道中の襲撃でも冷静に対処をしていた。あれは深窓の令嬢にはできない行動だ。

 

「ですが、私は閣下のご期待に添うことができませんでした」

 

「気にするな。理想は、一歩ずつ、確実に進むことにより達成できる。確かにトリステインとゲルマニアの同盟阻止は、余の願うところだった。しかし、それよりももっと大事なことがある。なんだかわかるかね? 子爵」

 

「閣下の深いお考えは、凡人の私にははかりかねます」

 

クロムウェルは、かっと目を見開いた。それから、両手を振り上げると、大げさな身振りで演説を開始した。

 

「結束だ! 鉄の結束だ! ハルケギニアは我々、選ばれた貴族たちによって結束し、聖地をあの忌まわしきエルフどもから取り返す! それが始祖ブリミルより余に与えられし使命なのだ! 余の力はその偉大なる使命のために始祖ブリミルより与えられたものだ! 結束には、なにより信用が第一だ。だから余は子爵、きみを信用する。些細な失敗を責めはしない」

 

鉄の結束という言葉に、ワルドはまたしてもローゼマインたちを思い浮かべる。彼女たちの一行と接しての何よりの驚きが、領主候補生が従える、側仕え、護衛騎士、文官からなる側近という制度だった。その中でも一番の驚きだったのは貴族が任に当たる側仕えという役割についてだ。

 

側仕えとは主の生活を整えるのが役割だという。ハルケギニアでは完全に使用人の役割であるため、正直、なぜわざわざ貴族が務めなければならないのかと疑問だった。しかし、食事の前には必ず側仕えが毒見を行い、更には同行する全員の好みを把握してそれぞれに味を調整した食後のお茶を供するなど、細やかな心遣いを見て少し考えを改めた。

 

聞けば、他国の者の歓待や知人とのお茶会の席、来客の客室などを整えるのも側仕えの役割だという。なるほど、貴族が主の世話を通じて得た技能を尽くして整えた場なら、来客も不自由なく過ごせるだろう。実際、不自由なはずの旅程をワルドは快適に過ごせた。道中で聞いた話によるとローゼマインは五名もの側仕えを抱えているらしい。他には護衛騎士が七名、文官四名と非常に多くの側近を抱えているということだった。

 

そのうちの少なくとも召喚で呼ばれた七名についてはローゼマインに絶対の忠誠を誓う者たちだ。しかし、ただ闇雲に従おうとするルイズの忠誠の尽くし方と違い、ローゼマインのためにはどうすればよいかを考えることができる者たちだ。そのため、ローゼマインの方針に異議を唱える場面も多々見られた。従者とはかくあるべしという見本のような部下を多数抱えるローゼマインは、同じ貴族として羨ましく感じた。

 

ちなみにローゼマイン自身も下の立場の者に威張るばかりのトリステインの貴族たちとは部下への接し方が違っていた。側近たちが主のために動く一方でローゼマインも下の立場の者たちが動きやすいように気を遣っていたのだ。

 

食事の後、殊更にゆっくりとお茶を飲むのは、優雅な時を楽しむばかりではなく、食事の際に給仕と護衛に付いていた側近たちが交代して食事を取る時間を確保するためだった。その他にも、従者が必要以上に早起きをしなくてもよいように、仮に早く目が覚めても側近たちの準備が終わるまでベッドから出ないというようなことも行っているという。

 

ラ・ロシェールで語った古き良き時代でも、おそらくはローゼマインたちほどには良好な関係を築けてはいなかったのではないだろうか。それに比べて今、クロムウェルの元にいる貴族たちは、アルビオン王家を憎む者、立身出世を望む者、勝ち馬に乗ろうと鞍替えした者と様々であり、はっきり言って寄せ集めもいいところだ。組織の大きさが違うのでやむを得ない面もあるが、ローゼマインたちと自分の周囲を比べると嘆息を禁じ得ない。

 

「閣下、始祖が閣下にお与えになった力とはなんでございましょう? よければ、お聞かせ願えませんこと」

 

フーケの言葉にワルドは意識をこの場に引き戻す。

 

「魔法には四大系統に加え、もう一つの系統が存在する。始祖ブリミルが用いし、零番目の系統だ。真実、根源、万物の外なる系統、虚無だ。余はその虚無の力を、始祖ブリミルより授かったのだ。だからこそ、貴族会議の諸君は、余をハルケギニアの皇帝にすることを決めたのだ。そして、これが虚無の魔法だ。来たまえ、親愛なるウェールズ君」

 

クロムウェルの呼びかけに応じて姿を現したのは、紛れもなくニューカッスル城での戦いで戦死したはずのアルビオンの皇太子、ウェールズだった。

 

「ウェールズ君、子爵とミス・サウスゴータに挨拶を」

 

「久しぶりだね、子爵。そして、初めまして、ミス・サウスゴータ」

 

「は……初めまして」

 

死んだはずのウェールズが歩き、話す。さすがのフーケもろくに返答もできないくらい、衝撃を受けているようだった。

 

「ワルド君、安心したまえ。同盟は結ばれたが、かまわない。どのみちトリステインは裸だ。余の計画に変更はない。外交には二種類あってな、杖とパンだ。とりあえずトリステインとゲルマニアには温かいパンをくれてやる」

 

「御意」

 

「トリステインは、なんとしても余の版図に加えねばならぬ。あの王室には『始祖の祈禱書』が眠っておるからな。聖地に赴く際には、是非とも携えたいものだ」

 

そう言って満足げに頷くと、クロムウェルはウェールズを従えて去っていった。虚無は命を操る系統とクロムウェルは言っている。俄かには信じられない話だが、あのウェールズは確かにワルドと戦ったウェールズと同一人物にしか見えない。あまたの命が聖地に降臨せし始祖によって与えられたとするならば、すべての人間は『虚無』の系統で動いているとはいえないだろうか。

 

ワルドは、それを確かめたいのだ。自分の考えが妄想に過ぎぬのか、それとも真実なのか。その答えは、きっと聖地に眠っている。

 

聖地に至るにはクロムウェルの虚無の魔法が必要だろう。しかし、主君としての力量では、ローゼマインの方が上ではないだろうか。

 

ローゼマインが優秀なことは、接しているだけでも分かった。しかし、彼女の従者であるハルトムートに言わせると、その優秀さはワルドの想定を大幅に超えるということだ。

 

彼女はエーレンフェストの聖女と呼ばれ、多くの者から慕われている。また領主候補生としても優秀で領地間で騎士の強さを競うディッターという模擬戦の成績について、彼女が入学時には十一位だった順位を、それから僅か二年で三位に上げたと言っていた。ワルドもトリステインのグリフォン隊の隊長を務めていた。これが難しいことは部隊を率いる者として、嫌でも分かる。

 

個人が強くなるより、全体を強くすることの方が当然ながら難しい。それを彼女は戦術を研究させ、訓練の内容の見直しを行って成し遂げたという。

 

ローゼマインが行ったのは武の底上げに留まらない。文官たちが主体となって行う研究の発表においても、エーレンフェストは他領と合同で一位と三位を獲得したという。合同だろうと同時に二つの順位で受賞するのが難しいことは想像に難くない。

 

更にローゼマインが成し遂げたことは、それだけではないという。新しい産業を生み出し、上位領地との社交でそれをユルゲンシュミットという国全体の流行として広げた。結果として彼女の所属していたエーレンフェストを、それまでの見るべきもののない片田舎という評価から、全体の注目の的にまで引き上げたようだ。

 

それだけの偉業を成したローゼマインは当然のように個人としても優秀で、すべての領地から貴族が集まる貴族院という場所で一学年二百人近くいる貴族たちの中で、彼女は三年連続で最優秀を得ているということだった。学年全体での最優秀も素晴らしいが、彼女は本来の領主候補生としての最優秀だけでなく、本職を退けて文官としても最優秀を獲得していたという。

 

自らは率先して最高の成績を修めながら、騎士たちを育て、研究開発を行い、産業を創出して領地を繁栄させる。言葉にするのは簡単だが、実現しようと思えばとてつもなく難しい。それを僅か十歳の少女が始めたと聞けば、普通なら虚言だと判断するだろう。

 

しかし、熱弁するハルトムートとクラリッサの言を、他の側近は否定せず、ローゼマインも大げさだとは言っても完全に否定はしなかった。順位も随分と具体的なところから考えても、二人の言ったことは事実の範囲内なのだろう。

 

ちなみにクラリッサは当時十歳のローゼマインが自らの譲れないもののため騎士たちを率いて自ら戦場に立ち、常勝領地であるダンケルフェルガーという領地を破ったのに感激して、自らもローゼマインに仕えたいという思いでハルトムートと婚約して領地を移ってきたのだという。それは、トリステインを見限ってレコン・キスタへと寝返ったワルドの動機とは似ているようで少し違った。

 

もしも、ローゼマインがトリステインの王女であれば、ワルドはこれほど鬱屈した気持ちを抱えなかっただろう。そうして今も王女の元で励んでいたのかもしれない。

 

しかし、それはありえないことだ。ローゼマイン自身には、権力欲がないように見えることからも、そのような未来は訪れないだろう。それが、おそらく彼女の唯一の欠点。優秀過ぎる下の者は、ときに主君を追い詰める。あるいは国が割れる原因を作る。それも考慮して、ワルドは現時点でローゼマインをアルビオンに引き入れることを諦めたのだ。

 

ともかく、これから先はローゼマインは敵に回るだろう。けれど、ウェールズ殺害のときに妨害に来ることも分かっていながら、ワルドは前もってローゼマインを害することができなかった。

 

それは、マティアスとラウレンツ、更にはクラリッサとハルトムートが警戒を解いていなかったこともあるが、ワルド自身もそれを望んでいなかったからだ。ローゼマインはこれまでワルドも漠然としか描けていなかった理想の主君というものに形を与えてくれた。

 

ハルケギニアの皇帝となると宣言するオリヴァー・クロムウェルをも上回る器を持つ彼女を自らの手で害する。それは自分が望んだ未来への別の到達の仕方の可能性を潰すことにもなりかねない。だからワルドには、どうしてもできなかったのだ。

 

ローゼマインたちには、トリステインに殉じる気持ちはない。なので、トリステインを降せば、彼女たちを迎え入れることができるかもしれない。

 

それを夢見ながら、まずは自分の道を歩こう。そう誓ってワルドはアルビオン帝国の貴族として新たな一歩を踏み出した。




ワルドの情報源
・見た目爽やかで人当たりのよい狂信者
・狂信者2号
・上級貴族二人に遠慮して曖昧に肯定する中級貴族

隣の芝生は青く見えるもの。


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水の精霊への報告

アンドバリの指輪を奪ったのはアルビオン皇帝だと確信したわたしは、護衛騎士二人とハルトムートとクラリッサとリーゼレータ、それからタバサと一緒にラグドリアン湖に向かった。期限は示されていないとはいえ、奪回が困難となったことは、きちんと報告しておかなければならないと思ったのだ。

 

ラグドリアンの湖畔に辿り着いたわたしは、まずは男性の側近を湖が直接、見えない場所に移動させた。水の精霊がまたしても、全裸姿で現れる可能性を懸念したためだ。その後、音楽と歌の奉納を行い、水の精霊へと呼びかける。すると、ほどなく湖の中から水の精霊が現れた。案の定、今回も全裸だ。

 

「あの、前回も申し上げましたが、わたくしの姿をなさるのは止めてくださいませ。何かの形をとる方がよいのでしたら、ほら、このレッサーくんなんかいかがですか?」

 

「美しくない」

 

まさか異国の水の精霊にまで、フェルディナンドと同じようなことを言われるとは思わなかった。わたしはがっくりと肩を落として別の案としてリーゼレータの騎獣である天馬を見せてもらった。

 

「それならばよかろう」

 

今度は気に入ってもらえ、わたしは天馬の姿を形どった水の精霊に報告を開始する。

 

「御身のアンドバリの指輪を奪いし賊の正体と思われる情報を得ることができましたので、本日は報告に参りました」

 

わたしが言うと、水の精霊は先を促すようにゆっくりと頷いた。どうでもいいけど、天馬が首を縦に振る仕草は何だか可愛い。

 

「精霊様、御身より秘宝を盗みし者は現在、アルビオンにて皇帝の座についています。御身がいかに手を広げられようと秘宝には届きません。そして、その者から秘宝を取り戻すのは大変に困難なこととなりました」

 

「アルビオンか。確かに、その地までは我の力も届かぬ」

 

思った通り、さすがの水の精霊も浮遊大陸までは水を送ることができないらしい。

 

「そして、その者がアルビオンの王となっている以上、捕らえるということは困難ですが、これはご理解いただけますでしょうか?」

 

「我とて人の世を全く知らぬわけではない。王を捕らえるということが困難であることくらいは知っている」

 

「アンドバリの指輪を取り戻せるように、力は尽くす。けれど、個人の力だけではどうにもできない可能性があることは理解してほしい」

 

報酬の前払いを受けているタバサが緊張して言うのを、水の精霊は鷹揚に頷いて返す。

 

「我も困難さは知っていると言ったであろう」

 

返ってきた言葉はそれだけだが、ひとまずアルビオンの皇帝を暗殺、などという無茶苦茶な要求がなかったことに、ほっとした。王も貴族も平民も所詮は人の間の身分で知ったことではないと言われたら、どうしようかと思った。

 

「精霊様、奪回の可能性を少しでも高めるため、アンドバリの指輪についての情報をいただけないでしょうか?」

 

「何が知りたい?」

 

「アンドバリの指輪を使用する際に制限はございますでしょうか?」

 

「どのような使い方をするかにもよるが、制限はない。ただし、使用を続ければ力は失われることになる」

 

ということは、手当たり次第に使うということはできないということだ。けれど、それで安心とはいかない。例えば、エーレンフェストではヴェローニカに使うなど、効果的に使えば少人数でも劇的な効果を得られるからだ。

 

「アンドバリの指輪を使用されて偽りの命を与えられた者は、指輪を使用した者に従うようになるのですよね。偽りの命を与えられた者を見分ける方法はございますか?」

 

「我ならば見分けは簡単だが、お前たちでは難しいだろうな」

 

最悪な情報だ。それでは、例えばエイバルが助けを求めてきたとして、迂闊に懐に入れてしまえば、どのような手を仕掛けられるかわかったものではない。

 

「ちなみに、見分けられたとして偽りの命を消し去る方法はございますか?」

 

「そのようなものは……いや、確かお前たちに始祖とか呼ばれている者が、何やら使っていた呪文があったな。それならば、あるいは可能やもしれぬ」

 

始祖が使っていたということなら、それは虚無の魔法ではないだろうか。

 

「始祖が使っていたという魔法は、四大系統とは別の魔法ということですか?」

 

「お前たちの魔法には詳しくないが、同じような魔法を使う者は他に見たことがないな」

 

始祖ブリミルが使っていたという虚無の魔法。或いは単なる伝説上の存在だという可能性も考えていたけど、どうやら本当に四大系統とは異なる魔法だったようだ。

 

「タバサ、確かフェニアのライブラリーの蔵書に始祖ブリミルの使い魔に関する記述がありましたよね」

 

わたしの問いにタバサがこくりと頷いた。

 

「諳んじることができますか?」

 

「やってみる」

 

そう言うと、タバサは始祖ブリミルの使い魔について諳んじ始めた。

 

神の左手ガンダールヴ。勇猛果敢な神の盾。左に握った大剣と、右に掴んだ長槍で、導きし我を守りきる。

 

神の右手がヴィンダールヴ。心優しき神の笛。あらゆる獣を操りて、導きし我を運ぶは地海空。

 

神の頭脳はミョズニトニルン。知恵のかたまり神の本。あらゆる知識を溜め込みて、導きし我に助言を呈す。

 

そして最後にもう一人……。記すことさえはばかれる……。

 

四人の僕を従えて、我はこの地にやってきた……。

 

「改めて考えてみると、ローゼマインに似てる」

 

そこで、タバサが急に言ってきた。

 

「どこがですか!?」

 

ユルゲンシュミットで女神様に似ていると言われて困惑したのに、今度は始祖とか呼ばれる、もっと偉そうな人に似ているとか止めてほしい。

 

「普通、使い魔召喚の儀式では一体しか呼び出せない。けれど、始祖ブリミルは四人の僕を召喚している。そして、おそらく全員が人。ローゼマインは六人の人を召喚した」

 

一見するとそうなのかもしれない。けれど、わたしが側近を複数召喚することができたのは名捧げという強固な繋がりが原因だと思う。けれど、名捧げについてはハルケギニアの誰にも言っていないことだ。そして、側近たちの命にも関わることなので、今後も誰にも伝えるつもりはない。

 

「詳しくは言えませんが、わたくしたちは少し特殊な儀式を行ったがゆえの事例であると考えてくださいませ」

 

わたしの言える範囲での説明に、タバサは首を傾げる。

 

「だったら、始祖ブリミルと使い魔たちの間にも特殊な儀式の関係があったと考えることもできる。それに始祖ブリミルは、僕たちとこの地にやってきた、という表現を使ってた。ひょっとしてローゼマインの国に近い場所からやってきたという可能性はない?」

 

その推測はどきりとさせられるものだった。わたしはこの国でもユルゲンシュミットの神々の祝福を与えることができている。それは、ハルケギニアとユルゲンシュミットとの間に何らかの繋がりがあることを意味しているのではないだろうか。

 

「始祖ブリミルとユルゲンシュミットとの関係性については根拠のない推測をすることしかできません。けれど、タバサの視点はたいへんに興味深いものでした?」

 

「視点? どこのこと?」

 

「始祖ブリミルが他所からやってきた、という部分です。それは、あるいは転移のようなものではないでしょうか?」

 

「ヴィンダールヴの操る獣ではなくて?」

 

そうか。導きし我を運ぶ、って表現されていたから、そちらの可能性の方が高いか。

 

けれど、少なくとも始祖ブリミルがハルケギニアの四大系統とは異なる魔法を使っていたことは確かなはず。そこになら、既存の系統のメイジの知らない帰還のための魔術が存在するかもしれない。

 

「いずれにせよ、探すべき書物が見えてきました。わたくしたちが探すべきは始祖ブリミル、そして、神の頭脳と呼ばれたミョズニトニルンに関する書物です」

 

側にいたクラリッサとリーゼレータが、わたしの言葉に力強く頷いた。



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シエスタの思い

トリステイン魔法学院に勤めるシエスタには、気になる異性がいた。それはヴァリエール家の令嬢、ルイズが召喚した使い魔のサイトという少年だ。

 

そんなサイトの歓心を買うため、お盆の上にティーポットとカップを乗せて、シエスタはヴェストリの広場に向かった。そこの隅には、サイトがコック長のマルトーからもらった古い大釜を用いて作った風呂がある。サイトは今、そこで入浴しているはずなのだ。

 

トリステイン魔法学院に、風呂はある。大理石でできた、立派な風呂だ。泳げるほどに広くて、香水が混じった湯が張られた大きな風呂は貴族しか入れない場所だ。シエスタも最近まで足を踏み入れたことがなかった。

 

シエスタが貴族が使う風呂に足を踏み入れたのはローゼマインによって平民の側仕えとして任命されてからだ。ローゼマインの国では脱衣から洗髪までほとんどを側仕えの手を借りて行われるらしく、オスマンから立ち入りまでは許可を得たということだった。

 

ちなみにシエスタたち平民が使えるのは、粗末な小屋の風呂だ。その中で焼いた石が詰められた暖炉の隣に腰かけ、汗を流し、十分に身体が温まったら、外に出て水をあび、汗を流すのだ。

 

自分たちと違う貴族の風呂の話をサイトにしたところ、サイトはそれを羨ましがり、自ら風呂を作ることにした。そうして簡易ながら、見事に自作に成功したのだ。

 

お盆を片手にシエスタは慎重にヴェストリの広場に侵入する。しかし、その瞬間にサイトに声を掛けられ、驚いた拍子にカップを落としてしまった。学園で使うカップはそれなりに高価なものだ。これは間違いなく怒られる。

 

「な、なにやってるの?」

 

シエスタが割れたカップの破片を拾い集めていると、サイトが不審げに尋ねてくる。

 

「あ! あのっ! その! あれです! とても珍しい品が手に入ったので、サイトさんにご馳走しようと思って! 厨房で飲ませてあげようと思ったんですけどおいでにならないから!」

 

最近、サイトは食堂で食事を取っており、厨房には来なくなった。加えて、シエスタは食事の時間はローゼマインの側近たちの給仕に付きっ切りでサイトと話す時間はない。おかげで、めっきり接点が減ってしまった。こうして入浴の場に突撃するという思い切った方法を取ることにしたのも、このまま接点が減って疎遠となることを危惧したためだ。

 

「ご馳走?」

 

「東方、ロバ・アル・カリイエから運ばれた珍しい品とか。『お茶』っていうんです」

 

ご馳走という言葉に反応したサイトに対してシエスタはお茶の入ったティーポットを掲げながら言った。お茶自体はトリステインにも存在する。けれど、今回のお茶は緑色をしているのが大きな違いだ。そのお茶を風呂の中で飲んだサイトは目頭をぬぐい始めた。

 

「い、いや、ちょっと懐かしかっただけだから。平気だよ。うん」

 

口に合わなかったのかと心配したが、どうやらサイトに喜んでもらえた様子に、シエスタはほっと胸をなでおろした。

 

「でも、よく俺がここにいるのがわかったね」

 

「たまにここで、こうやってお湯につかっているのを見てたもんですから……」

 

「覗いてたの?」

 

サイトの言葉に慌てて首を振り、シエスタは弁明をしようとする。しかし、釜の周りの地面はこぼれたお湯でぬかるんでおり、慌てた拍子に足をすべらせて前のめりに釜の中に落ちてしまった。落ちた拍子に飲み込んでしまった水を吐き出すと、思いの他の気持ちのよさにシエスタは目を細める。

 

「気持ちいいですね。これがサイトさんの国のお風呂なんですか?」

 

「そうだよ。普通は服を着ながら入ったりはしないけど」

 

「あら? そうなんですか? でも、考えてみればそうですよね。じゃあ、脱ぎます。このまま帰ったら部屋長に怒られちゃいますし、火で乾かせばすぐに乾くと思うし」

 

シエスタにも羞恥心はある。けれど、ここで思いきらずに、いつするというのか。

 

一度、お湯から出ると、意を決して、ブラウスのボタンやスカートのホックを外していく。そのまま下着まで脱いで、薪を使って火のそばに干す。干している最中、サイトの方を確認してみると、意識的に視線を逸らしてくれていた。その間に再びお湯の中に入る。

 

「うわあ! 気持ちいい! あの共同のサウナ風呂もいいけど、こうやってお湯につかるのも気持ちいいですね! 貴族の人たちが入っているお風呂みたい。そうですね、羨ましいならこうやって自分で作ればいいんだわ。サイトさんは頭がいいですね」

 

そう言うとサイトは照れた様子を見せたが、シエスタは本気でそう思っている。サイトはいつも、シエスタが思ってもみない新しい道を示してくれる。

 

「そんなに照れないでください。わたしも照れるじゃないですか。こっち向いても大丈夫ですよ。ほら、ちゃんと胸は腕で隠してるから……、それに、水の中は暗くて見えないから、平気ですよ」

 

そう言うと、サイトは戸惑いながらもシエスタの方を向いてくれた。シエスタは自分の方を向いてくれたサイトに、故郷の国の様子を教えてくれるように頼む。

 

「月が一つで、魔法使いがいなくって、そんでもって、電気はスイッチで消して、空を飛ぶときは飛行機で飛んで……」

 

「いやだわ。魔法使いがいないなんて、わたしをからかってるんでしょう。村娘だと思って、バカにしてるんですね」

 

月が一つというのは、確かローゼマインたちも言っていた気がする。けれど、魔法使いがいない国なんて、想像もできない。シエスタがそう言うと、サイトは今度は食生活の違いを挙げていった。懐かしそうに、サイトはシエスタに故郷の話をしてくれる。

 

「わたしの故郷も素晴らしいんです。タルブの村っていうんです。ここから馬で三日くらいかな……。ラ・ロシェールの向こうです。何にもない、辺鄙な村ですけど、とっても広い、綺麗な草原があるんです。春になると、春の花が咲くの。夏には、夏のお花が咲くんです。ずっと遠くまで、地平線の向こうまでお花の海が続くの。今頃、とっても綺麗だろうな」

 

そこで、ふと思いついてシエスタは手を叩いた。

 

「サイトさん、わたしの村に来ませんか? あのね、今度お姫さまが結婚なさるでしょう? それで、特別にわたしたちにお休みが出ることになったんです。でもって、久しぶりに帰郷するんですけど……。よかったら、遊びに来てください。サイトさんにも見せたいんです。あの草原、とっても綺麗な草原」

 

「う、うん」

 

「あとね? わたしの村にはとってもおいしいシチュー料理があるの。ヨシェナヴェっていうんです! 普通の人が見向きもしない山菜で作るんだけど、とってもおいしいの! 是非、サイトさんにも食べて欲しいわ」

 

「ど、どうして俺に見せたいの? 食べさせたいの?」

 

その答えは、シエスタにとって意気地のない自分をさらけ出すようで躊躇われる。けれど、言わないといけない。紛れもなくそれは、シエスタがサイトに憧れを抱いて、目で追うようになった出来事なのだから。

 

「……サイトさん、わたしに『可能性』を見せてくれたから」

 

「可能性?」

 

「そうです。平民でも、貴族に勝てるんだって。わたしたち、なんのかんの言って、貴族の人たちに怯えてくらしてる。でも、そうじゃない人がいるってこと、なんだか自分のことみたいに嬉しくって。わたしだけじゃなくって、厨房のみんなもそう言ってて……」

 

平民と貴族は違う。それはローゼマインの近くにいる最近では、とみに強く感じることだ。それだけに、平民であっても堂々としているサイトは眩しく感じるのだ。

 

「もちろん、それだけじゃなくて。ただ、サイトさんに見せたくって……。でも、いきなり男の人なんか連れていったら、家族のみんなが驚いてしまうわ。どうしよう……」

 

この先を言おうか、言うまいか。少しの逡巡の後、思い切ってシエスタは続きを口にすることにした。

 

「そうだ。だ、旦那さまよって、言えばいいんだわ。け、結婚するからって言えば、喜ぶわ。みんな。母さまも、父さまも、妹や弟たちも……みんな、きっと喜ぶ……ご、ごめんなさい! そんなの迷惑ですよね! サイトさんが遊びに来るって決まったわけじゃないのに!」

 

サイトの反応を見て、シエスタは急いで自分の言葉を取り消した。やはり、まだ早すぎたのだ。それに、サイトには他にも……。

 

「そうよね、あなたのそばには、あんなに可愛らしい、ミス・ヴァリエールが……、貴族の女の子がいるんだもの。わたしなんか所詮、村娘だもの」

 

「そ、そんなことない! きみは十分、魅力的です。保証する。なぜって、脱いだらすごいから」

 

「なにしてんの、あんたたち」

 

そこで急に底冷えのする声がかかった。見ると、ルイズが大釜に入った二人を怒りに満ちた瞳で睨み付けている。

 

言われて急に恥ずかしくなったシエスタは、慌てて干していた衣服を身に着ける。そして、その後は振り向くことすらせず、一目散にルイズとサイトの前から逃げ出した。

 

少しは勇気を持てるようになったと思ったけど、まだまだ貴族は怖い。そして、それ以上に異性と入浴しているのを見られたことへの羞恥は凄まじかったのだ。




後で才人が緑茶を飲んだと知ったローゼマインが自分も飲みたかったと悔しがったとか。

シエスタはローゼマインと接点が少ない(ローゼマインの世話はリーゼレータとグレーティアのみ)ので忠誠心も薄く、ついでにお金も持っているので学園側で手に入れた珍しい品を献上する必要性もないと判断されました。

ところでシエスタ、カップもだけどお茶も相当高いんじゃ……。


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宝探し

わたしの所にキュルケがやってきたのは、ラグドリアン湖の精霊に報告をしてから数日が経過したときのことだった。やってきたキュルケは、わたしに平賀を貴族にするためにお金を得るのだと言ってきた。

 

「お金があれば、貴族になれるのですか?」

 

「トリステインでは法律で、きっちり平民の『領地の購入』と『公職につくこと』の禁止がうたわれているわ。でも、ゲルマニアだったら話は別よ。お金さえあれば、平民だろうがなんだろうが土地を買って貴族の姓を名乗れるし、公職の権利を買って、中隊長や徴税官になることだってできるのよ」

 

キュルケの言葉にわたしの側近たちは理解できないという顔をしている。けれど、それも無理のないことだ。ユルゲンシュミットでは貴族ではなくとも、少なくとも魔力がなければ公職につくことは難しい。土地を買っても魔力を注げなければ、土地は痩せ果ててしまうし、騎士にしても文官にしても魔術具を扱えなければ、できないことが多すぎる。

 

一応、わたしは自分ができないなら、できる人を雇うという方法があることを知っている。けれど、魔力がなくてはならないものだけに、ユルゲンシュミットで導入しようとすると、旧ヴェローニカ派のやったような、平民の身食いを駒のように使う事例が横行する危険性もある。貴族の心情を除いても、導入は難しい。

 

「ところで、どうやってお金を得るつもりなのですか?」

 

「これよ!」

 

そう言ってキュルケが見せてきたのは羊皮紙の束だった。

 

「これは何ですか?」

 

「宝の地図よ」

 

「宝……ですか」

 

「そうよ! あたしたちは宝探しに行くのよ! そんで見つけた宝を売ってお金にする! それでサイトは貴族になるの」

 

「そもそも、どうして彼が貴族になる必要があるのですか?」

 

そうして聞かされたのは、シエスタと一緒に入浴していたところをルイズに見つかった平賀が部屋への出入り禁止を言い渡され、すっかり気落ちしているという話だった。その話を聞いている最中、わたしの側近たちは全員がドン引きしている様子だった。

 

ユルゲンシュミットではお風呂というのは例え婚姻している男女であっても一緒に入るということはないものだ。それが、明確に交際しているかも定かでない状態で一緒に入浴というのは、もはや理解不能な状態だろう。今、平賀ではなく側近たちのシエスタへの評価が底値を更新している気がする。

 

ちなみに日本で暮らした記憶のあるわたしにしても、いきなり男女で一緒に入浴というのは理解不能な事柄だ。平賀は日本人であるはずなのに、どうやったらそのような事態になるというのだろうか。それとも、麗乃時代のわたしの生活というのは、日本人基準でも潤いのないものだったのだろうか。

 

いずれにしても、宝の地図などという不確かなものに踊らされている暇はない。参加するか否かは考えるまでもなかった。

 

「わたくしたちは調べ物を続けなければならないので、参加できません。キュルケたちだけで向かってくださいませ」

 

「そんなこと言わないでよ。もしも協力してくれるなら、ゲルマニアの知り合いにも連絡を取って情報を探してもらうから」

 

それは検討の余地のある申し出だった。フェニアのライブラリーは貴族院の地下の書庫とは違い学院の教師は出入りしている場所だ。実の所、粘り続けていても新情報は出てこないのではないのかという不安は徐々に大きくなっている。

 

「それに、学院の先生方が知らない情報が伝承という形で残っている村なんてものもあるかもしれないわよ」

 

「……そもそもキュルケの実家ならサイトを貴族に取り立てるくらいの財力はあるのではないですか?」

 

「それは、あたしのお金じゃないでしょ。家のお金を個人の勝手では使えないわ」

 

そこはきっちりとしていたらしい。

 

「伯爵以上の爵位を持つメイジのゲルマニア貴族を三人、紹介してくださいませ。それで、手を打ちましょう」

 

「決まりね」

 

宝探しにはあまり興味はないけど、見返りは十分だ。宝探しに行くのはわたしと側近たちにキュルケとタバサ、ギーシュ、平賀、それに平民の側仕えとしてシエスタとラゴットの二人を連れていくことになった。

 

わたしたちが向かったのは、廃墟となった寺院だ。かつては壮麗を誇った門柱は崩れて、鉄の柵は錆びて朽ちている。

 

ここは数十年前にうち捨てられた開拓村の寺院らしい。荒れ果て、今では近づく者もいないが、明るい陽光に照らされて、どこか牧歌的な雰囲気が漂っている。

 

けれど、この寺院跡はのんびりと見物ができるような場所ではない。寺院にはオーク鬼というハルケギニアの魔獣が住み着いているのだ。

 

オーク鬼は二メートルほどの大きさで、体重は人間の五倍ほど。醜く太った体を、獣から剥いだ皮に包んでいる。突き出た鼻を持つ顔は、豚にそっくりだ。見た目としては、二本足で立った豚だ。それがおよそ十数匹、この寺院には住み着いている。

 

オーク鬼一匹は、人間の戦士五人に匹敵すると言われている恐ろしい敵らしい。けれど、それは地上戦に限った話だ。オーク鬼は空を飛ぶことも遠距離攻撃もできない。それなら騎獣に乗って空を飛べるわたしたちの敵ではない。

 

タバサがわたしの騎獣の中で杖を振る。『ウィンディ・アイシクル』という『水』、『風』、『風』の系統によるその魔術は、空気中の水蒸気を凍らせて何十本もの氷の矢となって四方八方からオーク鬼を串刺しにした。

 

続けてキュルケも騎獣の中から杖を振った。『フレイム・ボール』という『炎』と『炎』の二乗の魔法で、炎の塊がオーク鬼を襲った。狙われたオーク鬼は大柄な体に似合わない敏捷な動きで炎の塊をかわしたが、炎は糸に繋がれているかのようにオーク鬼を追い、咆哮をあげる口の中に飛び込んで、一瞬で頭を燃やし尽くした。

 

味方が魔法で斃されたことに動揺するオーク鬼たちの群れにマティアスとラウレンツが騎獣で突っ込んでいく。二人はときに地を駆け、ときに空中に飛び上がり、縦横無尽に暴れ回る。貴族院の採集地で多くの狩りを経験している二人にとって、面倒な特性を何も持たないオーク鬼は、御しやすい相手のようだ。

 

騎獣に乗ったハルトムートはわたしの騎獣のやや下に位置取り、周囲の警戒をしている。そして、クラリッサを隣の席に、残りの側近たちとハルケギニア勢を騎獣の後部に乗せたわたしは、空からその光景を眺めている。

 

「やはりこちらの魔獣は、魔石にならないのですね」

 

「そのようですね。あのオーク鬼とやらから有用な素材は取れるのでしょうか?」

 

ユルゲンシュミットでは魔獣は死ぬと魔石になっていたが、ハルケギニアは普通の生き物と同様に死んでも魔石にはならないようだ。むしろ魔石になることが不思議なことのはずなのだが、なんだか新鮮だ。

 

「すごいです! あの凶暴なオーク鬼たちが一瞬で! 本当にローゼマイン様の護衛騎士様たちは強いのですね!」

 

そしてシエスタは次々とオーク鬼を斃していく二人に大興奮の様子だった。ちなみに自分も騎獣を降りて戦うという申し出を却下された平賀は、シエスタの隣ですっかりいじけている。確かにアルビオンでトロール鬼やワルドとまで戦った今の平賀ならオーク鬼とも戦えるだろう。けれど、空から安全に戦えるのに、わざわざ地上に降りて危険を冒す必要性が全く見出せなかったのだから仕方がない。

 

結局、その廃墟寺院には宝の地図に記載されていた『ブリーシンガメル』なる伝説の秘宝も金銀財宝も見つからなかった。そもそも『ブリーシンガメル』なる秘宝はともなく、開拓村に金銀財宝があるはずがない。危険できつい開拓という難事業に富裕層が参加しているとは思えない。そうすると、そこの寺院も必然的に裕福とはなりえないだろう。

 

シエスタが作った故郷の料理だというヨシェナヴェというシチューを食べながら、わたしたちは今後について相談する。その結果、シエスタの故郷の寺院にある『竜の羽衣』と呼ばれている宝を確認することを最後に学院に帰還することが決まった。

 

「まあ、インチキならインチキなりの売り方があるわよね。世の中にバカと好事家ははいて捨てるほどいるのよ」

 

とりあえず、もしも偽物だったとしても、そう豪語しているキュルケは止めなくてはならないだろう。実家が十分な資産家であるのに、キュルケは存外、阿漕な商売をすることに抵抗感が少ないのだ。そんなことを考えながら、わたしは女性陣とともに今日も騎獣の中で夜を明かすことにした。



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竜の羽衣

俺は目を丸くして、『竜の羽衣』を見つめていた。

 

ここはシエスタの故郷、タルブの村の近くに建てられた寺院だ。そこにこの『竜の羽衣』は安置されていた。というか、『竜の羽衣』を包み込むように寺院が建てられた、といったほうが正しい。

 

シエスタの曾祖父が建てたという寺院は丸木が組み合わされた門の形といい、石の代わりに、板と漆喰で作られた壁といい、極めつけに白い紙と縄で作られた紐飾りといい、俺にとっては懐かしさを感じるものだった。それはローゼマインにとっても同じらしく、珍しく目に見えて驚いた表情を見せていた。

 

そして板敷きの床の上に、くすんだ濃緑の塗装を施された『竜の羽衣』は鎮座していた。固定化の魔法をかけられているらしく、どこにも錆は浮いていない。作られたそのままの姿を『竜の羽衣』は見せていた。

 

キュルケやギーシュは、気のなさそうな様子で『竜の羽衣』を見つめている。好奇心を刺激されたのか、珍しくタバサは興味深そうに見つめている。そして、ローゼマインは俺を除けば、ただ一人だけ『竜の羽衣』の正体を知る者らしく、機体の胴体部や翼に傷がないかを確認していた。

 

「まったく、こんなものが飛ぶわけないじゃないの」

 

キュルケが言った。ギーシュも頷く。

 

「これはカヌーかなにかだろう? それに鳥のおもちゃのように、こんな翼をくっつけたインチキさ。大体見ろ、この翼を。どう見たって羽ばたけるようにはできていない、この大きさ、小型のドラゴンほどもあるじゃないか。羽ばたけずに空に浮かぶことができるのなんてローゼマインたちの騎獣くらいのものだろう?」

 

けれど、ギーシュの言葉はすぐにローゼマインによって否定された。

 

「わたくしたちの騎獣という例があるということは、他にも羽ばたかずとも飛べるものが存在しても不思議ではないと思いませんこと?」

 

「まさか、これもローゼマインたちが使っている騎獣のように羽ばたかずとも飛べるということか? じゃあ、これはマジックアイテムなのか?」

 

「そこまでは存じません。わたくしはあくまで可能性の話をしたまでです」

 

どうやらローゼマインは『竜の羽衣』の正体を告げるつもりはないようだ。

 

「シエスタ、お前のひいおじいちゃんが残したものは、ほかにないのか?」

 

「えっと……、あとはたいしたものは……、お墓と、遺品が少しですけど」

 

「それを見せてくれ」

 

そう頼んで案内してもらったシエスタの曾祖父のお墓は、村の共同墓地の一画にあった。白い石でできた、幅広の墓石の中、一個だけ違うかたちのお墓があった。黒い石で作られたその墓石は、他の墓石と趣を異にしている。

 

「ひいおじいちゃんが、死ぬ前に自分で作った墓石だそうです。異国の文字で書いてあるので、誰も銘が読めなくって。なんて書いてあるのでしょうね」

 

「海軍少尉、佐々木武雄、異界ニ眠ル」

 

ちらりと横目で見ると、ローゼマインも同じように墓石の銘を読んでいた。少し古い文字が混じっているので念のためローゼマインに聞いてみたら、合っているというお墨付きをもらえた。

 

「日本から複数の人が迷い込んでいるのは確実だな。ローゼマインの国からも同じように迷い込んだ人がいるのかな?」

 

「どうでしょうか? 仮にわたくしたちの国から迷い込んだ人がいても、平民ならば何も残すことができないと思いますので、わたくしたちが痕跡を追うことは難しいでしょう」

 

ローゼマインの国とハルケギニアには科学技術の差は大きくないと言っていた。それならば『破壊の杖』や『竜の羽衣』のような物は残せないだろう。

 

ともかく墓石に刻まれた銘でシエスタの曾祖父が日本人と確定した。再び寺院に戻った俺は『竜の羽衣』に触れてみる。すると左手の甲のルーンが光りだした。なるほど、こいつも『武器』には違いない。ルーンが光ると同時に、中の構造、操縦法が、俺の頭の中に鮮明なシステムとして流れ込んでくる。俺はこれを飛ばせる。

 

燃料タンクを探しあて、そこのコックを開いてみた。なるほど、そこはからっぽだった。どれだけ原型を留めていても、ガス欠じゃ飛ばすことはできない。

 

これに乗っていた人物は、どうやってハルケギニアに迷い込んでしまったのだろう。その手がかりが欲しい。なんでもいい。

 

「ひいおじいちゃんの形見、これだけだそうです。ただ父が言ってたんですけど、遺言を遺したそうです」

 

シエスタの曾祖父の形見は古ぼけたゴーグルだった。海軍少尉だったシエスタの曾祖父。フーケのゴーレムを倒した際に使った『破壊の杖』の持ち主と同じ、過去の異世界からの闖入者。俺と同じ、異邦人。

 

「ひいおじいちゃんの遺言は、墓石の銘を読める者に『竜の羽衣』を渡す、です」

 

「そうなると俺の他にローゼマインも資格があるということになると思うけど……」

 

「わたくしには必要のない物です。平賀さんの国の物なのですから、平賀さんが権利者ということでよいのではないでしょうか?」

 

確かに騎獣を持っているローゼマインには必要性が低いものだ。それにローゼマインでは『竜の羽衣』を使いこなすことができない。

 

「じゃあ、ありがたくもらうよ」

 

「それで、サイトさん、墓石の銘を読めた人へのひいおじいちゃんからの伝言です。なんとしてでも『竜の羽衣』を陛下にお返しして欲しい、だそうです。でも、陛下ってどこの陛下でしょう? ひいおじいちゃんは、どこの国の人だったんでしょうね」

 

「俺と同じ国だよ」

 

「ほんとですか? なんか感激です。わたしのひいおじいちゃんと、サイトさんが同じ国の人だなんて。なんだか、運命を感じます」

 

シエスタはうっとりとした顔で、そう言った。

 

「ほんとに、ひいおじいちゃんは、竜の羽衣でタルブの村にやってきたんですね」

 

翼と胴体に描かれた、赤い丸の国籍標識を見つめた。もとは白い縁取りが為されていたらしいが、その部分が機体の塗料と同じ、濃緑に塗りつぶされている。そして、黒いつや消しのカウリングに白抜きで書かれた『辰』の文字。部隊のパーソナルマークだろうか。

 

六十年以上も前の戦闘兵器。物言わぬ機械。天かける翼……、『竜の羽衣』。

 

「これは竜の羽衣じゃないよ。これはゼロ戦。俺の国の、昔の戦闘機だ」

 

「正式名は零式艦上戦闘機、でしたか? 優れた運動性で大戦初期では無敵とも言われていましたが、反面として防御能力に乏しく、そもそもの工業力不足もあって大戦末期には連合軍の最新機に歯が立たなかったのですよね」

 

その感慨をぶった切ったのはローゼマインだった。本で読んだことがあります、と言っているローゼマインが見せているのは単純な好奇心にすぎず、語られた話の内容も浪漫もなにもあったものではない。同じ物のことを知っていても、ローゼマインにとっては物語の中の物が現実に現れたような感覚に過ぎないのだろう。それとも、女子に飛行機に魅力を感じろという方が難しいのか。

 

ちょうどそのとき、学院からキュルケに向けてオルドナンツが届いた。それは、オスマンからのもので、授業をサボったキュルケたちを強く叱責するものだった。それをもって翌日には学院に向けて出立することをキュルケが決定。宝探しは本当に終わりとなった。ちなみにローゼマインたちは受講義務のないお客様なので、叱責の対象には入っておらず、このときばかりはキュルケがローゼマインを恨めしそうに見ていた。

 

その日は、シエスタの家とローゼマインの騎獣の中に別れての宿泊となった。騎獣の中を選択したのは、ローゼマインとクラリッサ、リーゼレータとグレーティアの四人だ。彼女の側近たちにとってシエスタの家は主を宿泊させるには不足だったらしい。

 

その翌日、ゼロ戦をロープで作った巨大な網に載せた。網を引っ張るのは、周囲の警戒役のマティアスを除いたローゼマインとその側近たち全員だ。ローゼマインを中心に六騎の騎獣がゼロ戦を空に持ち上げる。

 

一方の俺たちは纏めてタバサの風竜の上だ。ローゼマインの騎獣と違ってタバサの風竜は油断をすれば落ちるため、気が抜けない。

 

持ち帰ったゼロ戦は学院の中庭に置かれることになった。ちなみに、そのゼロ戦に並々ならぬ興味を見せた人物がいた。それは変人教師、コルベールだった。




曾祖父がハルケギニアに来たのが60年と少し前。
それに対して、シエスタの年齢は……。


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宣戦布告の知らせ

学院長のオスマンから呼び出されたわたしが学院長室で聞かされたのは、アルビオンからの宣戦布告の知らせだった。アルビオンはトリステインが親善艦隊に攻撃を加えたと言いがかりをつけ、突如として不可侵条約を無視してトリステインに攻め込んできたらしい。それと同時に、アンリエッタからわたしに協力が依頼されたことも聞かされた。

 

「わたくしはこの国の貴族ではございません。わたくしにトリステインの戦争に協力を求めるなど、アンリエッタ様は何を考えていらっしゃるのですか?」

 

別の国に来てまで王族に振り回されたくない。しかも、トリステインの国力は低く、最高位にあるのは軍務には素人もいいところのアンリエッタだ。元々、特に強い思い入れのない国であるのに、更に勝ち目のない戦争とくれば、協力しようなどという気持ちが湧くはずがない。

 

「姫殿下は、この短期間の間に随分と変わられたようです。聞けば、会議の場で和平を望む貴族たちに向けて、フェアベルッケンに目隠しをされている、と言い放ち、自ら近衛を率いてラ・ロシェールに出陣されたようですぞ」

 

オスマンに言われて、わたしは頬が引きつるのを感じた。それを言い放ったのは、元々はわたしだ。

 

「それにローゼマイン様に求めているのも従軍ではなく、あくまで知恵を貸してほしいということです。実を言うと、この老いぼれにまで招集がかかっておりましてな。他に実戦経験のある教員たちにも招集がかかっておるのですよ。この一戦に敗れれば国も民も蹂躙されるのだから、生徒たちを守るためにも共に戦うべし、ということらしいです」

 

「それは特殊なことなのですか?」

 

「他の者が言い出したことなら特殊とまでは言えないかもしれません。けれど、今回は他の貴族たちが対応を迷っている中で毅然と徹底抗戦を指示したようです。それも、徒に戦を仕掛けるのではなく、アルビオンがタルブを占領したという報を受けてから、和平の見込みなしと言い切ったのです。これまで周囲の貴族の言われるままに動いていた傀儡のような姫殿下が今回は己の意思で重大な決断を行った。これはどなたの影響でしょうな?」

 

先程のフェアベルッケンの目隠しにせよ、わたしが影響を与えたのだから責任を取れとでも言うつもりだろうか。

 

「それに、いずれにせよトリステインが敗れればローゼマイン様にとっても不利益が大きいのではないですかな?」

 

キュルケにゲルマニアの貴族への紹介の約束は取り付けているとはいえ、そのときは完全な移住までは目的としていなかった。最悪、キュルケはわたしたちを受け入れてくれるだろうが、それだけでは意味がない。わたしたちの目的はユルゲンシュミットへの帰還なのだから、ただ安穏と日々を過ごすだけでは駄目だ。

 

何かあれば助けに行くと、わたしはフェルディナンドと約束したのだ。それに、わたしは領主候補生としてフェルディナンドのゲドゥルリーヒであるエーレンフェストを守る責任がある。ここに、いつまでもいるわけにはいかない。

 

「条件がございます。トリステインの王族が保有する本と、王宮にある図書館の本すべての閲覧許可をくださいませ。それと、わたくしが貸すのは知恵といくつかの魔術の使用や魔術具の提供までとさせていただきます。わたくしの側近を前線には出しません」

 

「しかと、お伝えいたしましょう」

 

「それで双方の戦力差はどの程度なのですか?」

 

「敵軍は、巨艦『レキシントン』号を筆頭に、戦列艦が十数隻。上陸せし総兵力は三千と見積もられます。わが軍の艦隊主力はすでに全滅、かき集めた兵力はわずか二千。未だ国内は戦の準備が整わず、緊急に配備できる兵はそれで精一杯のようです。しかしながら、それよりも完全に制空権を奪われたのが致命的です。敵軍は空から砲撃をくわえ、我が軍をなんなく蹴散らすでしょう」

 

制空権は重大な問題だ。そもそもユルゲンシュミットで平民が戦力に数えられていないのは、魔力の差もさることながら、騎獣を用いて空を飛ぶ騎士たちに平民の兵士が手を出すことさえ困難だからだ。

 

そして、地上の戦力についても、十分な準備の下で仕掛けてくるアルビオンと奇襲を受けたトリステインで差があるのは当然だ。兵力以上に装備の差は大きいはずだ。

 

「ゲルマニアから援軍は来ないのですか?」

 

「ゲルマニアの先陣が到着するのは三週間後のようです」

 

もしも自国が攻撃されたとき、三週間もかけなければ迎撃の兵が出せないようなら、その国はそのまま滅亡だろう。ゲルマニアは兵を出せないのではなく、出す気がない。

 

「困りましたね。まずは艦隊を何とかしなければ、まともな戦いにならないでしょう。けれども、わたくしたちの国には艦を攻撃できるような魔術も戦術もございません」

 

ユルゲンシュミットの戦は基本的に騎獣を用いて行うものだ。空を飛ぶ艦と戦う方法など知らない。もしもユルゲンシュミットに空を飛ぶ艦が現れたとしても、結局は騎獣で乗り込んでの白兵戦になるのが目に見えている。

 

「トリステインにはグリフォン隊やマンティコア隊なるものがあると聞きました。それらの戦力はどちらが上ですか?」

 

「アルビオンの竜騎士隊は天下無双の呼び声が高いですな」

 

それはトリステインの飛行兵たちでは勝てないということだろう。

 

「そうなると、既存の方法以外の何かが……」

 

そこで思い出されたのは、平賀が持ち帰った零式艦上戦闘機だ。持ち帰られた零戦は燃料をコルベールの錬金で作成してもらい飛行可能な状態になっていたはずだ。ミサイルを搭載していない第二次世界大戦時の戦闘機では艦を落とすことはできないが、竜騎士隊を退けることはできるのではないだろうか。

 

「オールド・オスマン、ミス・ヴァリエールの使い魔に協力を仰ぎましょう」

 

オスマンにルイズと平賀を呼び出してもらったわたしは、二人に向かってシエスタが滞在中のタルブの村が、アルビオン軍に襲撃されて炎上していることを告げる。

 

「平賀さん、シエスタを助けるためにも平賀さんが持ち帰った戦闘機の力を貸していただけないでしょうか?」

 

「分かった。すぐにタルブの村に向かう」

 

「ダメよ! 戦争しているのよ! あんた一人が行ったって、どうにもならないわ!」

 

「そんなことを言っている時間はないだろ!」

 

止めるルイズを振り切って、平賀は駆けて行こうとする。

 

「平賀さん、ルイズの言っていることの方が正しいです。零戦では艦を沈めることはできないことは、平賀さんでも少し想像すれば分かるでしょう?」

 

「じゃあ、シエスタを見捨てるっていう……」

 

「零戦単独では艦を沈められないからこそ、皆で協力をするのでしょう? 一人の気持ちだけではどうにもならないことは、アルビオンで体験したと思うのですけど?」

 

ウェールズもそれに従う貴族たちも最後まで全力で戦ったはずだ。けれど、それでも勝敗を覆すことはできなかった。

 

「それぞれが思い思いに戦ったところで勝つことはできません。勝つためには綿密な連携が必要です」

 

「ローゼマイン様はユルゲンシュミットで常勝と謳われたダンケルフェルガーに三年連続で勝利を収めました。ローゼマイン様に指揮をお任せいたせば、今回も必ずや勝利を掴めるものと存じます」

 

「ハルトムート、今はわたくしが話しているのです」

 

じろりと睨むとハルトムートは慌てて口を閉じた。わたしはハルケギニアの魔法に詳しくないし、実際の戦争で指揮を執ったこともない。

 

「まずは手持ちの手段を確認いたしましょう。ルイズ、オルドナンツは見たことがございますよね。これが使えるか、試してみてください」

 

ルイズにオルドナンツを渡し、少し離れたところで使ってもらう。幸い、オルドナンツが爆発するなどということはなく、普通に使うことができた。

 

「ルイズ、平賀さんの零戦に同乗して、わたくしたちとの連絡係をしてもらうことはできますか?」

 

「あんなオモチャに乗るの!?」

 

「あれは俺の世界の『武器』だ。人殺しの道具だ。オモチャなんかじゃない」

 

信じられないのも無理はないだろう。零戦についてはわたしの側近たちも奇妙な物体としか見ていない。側近から反対意見が出ないのは、未知のものについて、わたしが言うことには全面的に従った方がいいという妙な信頼関係のおかげだ。

 

「ルイズ、わたくしが保証します。平賀さんが持ち帰った『竜の羽衣』は竜にも遅れをとるものではありません」

 

タバサの風竜を見た限り、最高速度は零戦の方が上のはずだ。わたしが言うと、半信半疑という様子ながら、ルイズが首を縦に振ってくれた。

 

「マティアス、作戦を考えますよ。ハルトムートとクラリッサも意見をくださいませ」

 

ディッターの作戦に造詣が深い側近たちを中心にして、まずは作戦の叩き台を作る。そこにオスマンや他の教師からの知見を元に修正を加えて、わたしたちはアンリエッタに提案する作戦を作りあげていった。



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タルブ村上空の戦い

俺は学院の中庭に置かれているゼロ戦の操縦席の中にいた。後部座席にはルイズが妙な本と一緒に乗り込んでいる。古びた皮の装丁がなされた表紙はボロボロで、触っただけでも破れてしまいそうな本だ。俺には汚いという印象が先に来るが、その本はトリステインの王室に伝わる『始祖の祈祷書』という秘宝らしい。ルイズはそれを、アンリエッタの結婚式まで肌身離さず持ち歩くように命じられたらしい。

 

そんな本を抱えたルイズがゼロ戦に同乗している理由は、ルイズがローゼマインたちとの連絡役を任されているためだ。トリステインは現在、空軍戦力が壊滅的で、俺のゼロ戦は単機でアルビオンの竜騎士隊と戦闘を行わなければならないらしい。そんな俺に指示を与えるために、ルイズはオルドナンツの受け役を任されたのだ。

 

最初、ルイズはゼロ戦への同乗どころか、俺がゼロ戦で戦場に向かうこと自体を渋った。その理由は、どうしてもこんな鉄の塊が空を飛ぶと信じられなかったかららしい。それに仮に飛べたとしても、たった一機で何ができるとも思えない。そう言った。

 

「確かに、どうにもならないかもしれない。あの戦艦をやっつけられるとは思えない。でも、俺はなんだかしらねえけど、伝説の使い魔なんていう、力をもらっちまった。俺がもし普通の人間だったら、助けに行こうなんて思わなかった。震えて見てただけさ。でも、今は違う。俺には『ガンダールヴ』の力がある。俺ならできるかもしれない。俺ならシエスタや、あの村の人たちを救うことができるかもしれない」

 

「バカじゃないの? そんな可能性、ほとんどないわよ。それに、あんたもとの世界に帰るんでしょう? こんなとこで死んだらどうするのよ!」

 

「俺はこの世界の人間じゃない。どうなろうと知ったこっちゃない。でも、せめて優しくしてくれた人は守りたい。だから、俺はやる」

 

そうは言っても、体の震えは止まらない。怖いものは怖いのだ。

 

「怖くないの? ばか。怖いくせに無理してかっこつけないで!」

 

「怖いよ。ああ、無理してる。でも、あの王子さまが言ってた。守るべきものの大きさが、死の恐怖を忘れさせてくれるって。ホントだと思った。あのとき、アルビオンでワルドに向かっていったとき……、俺は怖くなかった。嘘じゃねえ」

 

「あんたはただの平民じゃない。勇敢な王子さまでもなんでもないのよ」

 

「知っているよ。でも、王子さまも平民も、関係ねえ。生まれた国も時代も、“世界”だって関係ねえ。それはきっと……、男なら、誰だってそう思うに違いないんだ」

 

コルベールが精製したガソリンを注入してもらい、更に魔法で前から風を吹かせてもらうことで足りない助走距離を補って『アウストリ』の広場から飛び立った。こうして考えるとゼロ戦が飛び立てたのは、全てコルベールのおかげだ。感謝しなければいけない。

 

そこからタルブの村まで飛行し、俺はゼロ戦の風防から顔を出して、眼下の村を見つめた。この前見た、素朴で、美しい村は跡形もない。家々は黒く焼け焦げている。

 

美しかった村のはずれの森に向かって、一騎の竜騎士が、炎を吐きかけて、森が燃えた。その光景を見ていると、沸々と怒りが沸き上がってくる。

 

「叩き落としてやる」

 

俺は操縦桿を左斜め前に倒した。スロットルを絞る。

 

機体を捻らせ、タルブの村めがけてゼロ戦が急降下を開始した。

 

敵の竜騎士がゼロ戦の姿を認めて上昇してくる。だが、ゼロ戦の速度を完全に見誤っていたようだ。みるみる縮まる距離に慌ててブレスを吐こうと火竜の口を開けさせるが、そのときには、俺はすでに二十ミリ機関砲弾を発射していた。

 

火竜の喉にはブレスのための、燃焼性の高い油が入った袋があると聞いている。機関砲弾は喉の奥の袋に命中したらしく、火竜は空中爆発した。

 

タルブの村の上空には、さらに何匹もの竜騎士が舞っている。その中から三騎が俺を迎え撃つため上昇してくる。

 

「あいつらのブレスを浴びるなよ。一瞬で燃えちまうぜ」

 

デルフリンガーのいつもと変わらぬ調子の言葉に頷く。もう一人の同乗者であるルイズは必死に敵の数と位置の把握に努めている。把握でき次第、本陣にいるアンリエッタに向けてオルドナンツで知らせることになっているためだ。

 

竜騎士が跨る火竜の速度は、俺の世界の速度に換算して、およそ百五十キロ。ゼロ戦は時速四百キロ近い速度で機動を行っている。難なく竜騎士の背後を取ると、慌てて後ろを向こうとする火竜に向けて両翼の二十ミリ機関砲弾を撃ち込む。

 

「すすす、すごいじゃないの! 天下無双と謳われたアルビオンの竜騎士が、まるで虫みたいに落ちていくわ! ローゼマインは、このことを知っていたのね!」

 

三騎の竜騎士を撃墜したゼロ戦に、ルイズも興奮した声を上げている。けれど、そこは俺の腕を褒めてほしいと思うのは狭量だろうか。

 

最終的にゼロ戦に向かってきた竜騎士は二十騎に達した。俺がそれを十二分足らずで全滅させると、敵は竜騎士を向けてくるのをやめた。被害の大きさに怖気づいてくれたのだろうが、正直、残弾数が心許なくなっているので、正直なところ助かった。

 

敵の巨大艦『レキシントン』号が動き始めた。俺のゼロ戦は無視して、トリステインの本陣があるラ・ロシェールの町を砲撃するつもりのようだ。

 

「相棒、親玉だ。雑魚をいくらやっても、あいつをやっつけなきゃ……」

 

「わかってるけどよ」

 

「ま、無理だあな」

 

巨大な艦である『レキシントン』号はさすがに二十ミリ機関砲でも落とせない。あるいは全弾撃ち尽くす勢いでならば可能かもしれないが、他に戦列艦が十隻以上もある中で試せることではない。

 

巨大な艦を沈めることはできない。けれど、帆を倒して操艦を妨害することくらいなら、あるいは火砲を潰すだけでも砲撃はできなくなる。ゼロ戦でも、できることはある。意を決して、俺は敵艦に接近を試みるべく操縦桿に力を込めた。けれど、その前にデルフリンガーの声が響き渡った。

 

「相棒! 後ろだ!」

 

はっとして後ろを見ると、一騎の竜騎士が烈風のように向かってくる。

 

その背にいるのは、ワルドだ。

 

ワルドの風竜はゼロ戦の後ろにぴったりと張りついて、離れない。

 

「あいつ、またルイズを殺そうとするのか!」

 

ここで死んだら、ルイズも、シエスタも守ることができない。怒り以上に、負けられないと強く思った。その瞬間、俺の左手のルーンが、いちだんと強く輝いた。同時にこれまで以上に鮮明に操縦方法が頭の中に浮かんでくる。

 

これを使えば、俺は勝てる。

 

スロットル最小。フルフラップ。ゼロ戦は後ろから何かにつかまれたように減速した。

 

操縦桿を左下に倒す。同時にフットバーを蹴り込んだ。鮮やかに天地が逆転した。

 

ゼロ戦は滑らかに、壜の内側をなぞるような軌道を描いてワルドの風竜の背後を取った。その瞬間に機首の機銃弾を発射。火竜に比べて鱗の薄い風竜は悲鳴をあげると、ワルドを乗せたまま滑空するように墜落していった。

 

俺がワルドと戦っている間に、アルビオン艦隊はトリステイン軍の本陣に随分と接近していた。俺が急いでゼロ戦を接近させると、艦隊の右舷側がピカッと光った。一瞬後、俺のゼロ戦めがけて何かが飛んできた。それは、無数の小さな鉛の弾だった。機体のあちこちに小さな穴が穿たれる。風防が割れ、破片が俺の頬を掠めた。血が一筋、頬を伝う。後部座席からルイズの悲鳴が聞こえたが、振り返る暇はなかった。

 

「近づくな! 散弾だ!」

 

俺はゼロ戦を咄嗟に下降させ、二撃目を逃れた。安全が確保されたところで後部座席を見ると、幸いルイズに傷はなかった。

 

ローゼマインは敵艦に対処するための策は考えてあるから、無理はするなと言った。その真偽は分からない。今も巨大艦を中心とした艦隊は悠然と前に進んでいる。このまま見送るしかないのか。迷う俺のゼロ戦に白い鳥が近づいてくる。

 

「マティアスです。ミス・ヴァリエールはその飛行機というもので敵艦に水平方向から近づいてください。敵艦の射程に入る必要はありません」

 

ルイズの腕に止まった鳥が声を発する。ルイズが、分かりました、と声を吹き込むのを聞きながら、俺はマティアスの言ったことの意味を考えていた。射程に入る必要はないという言葉から察すると、俺の役割は囮だろうか。

 

ともかく、囮を必要とするということは何らかの攻撃を企図しているということだ。詳しい内容までは分からない。けれど、俺はマティアスたちを信じて囮役を務めるよりない。

 

マティアスに言われた通りゼロ戦を近づけると、敵艦隊が散弾を発射してくる。俺の左手の甲のガンダールヴの印が教えてくれる情報と、デルフリンガーの分析によりゼロ戦に傷はついていない。

 

早く次の手を。俺はじりじりとした焦りを感じながらゼロ戦を飛ばし続けた。




始祖の祈禱書編もあと二話。
その直前になって章追加。
すっかり忘れてた。


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トリステイン軍の反撃

わたしはアンリエッタと一緒にトリステイン軍の本陣の中から近づいてくるアルビオンの艦隊を見つめていた。

 

「本当に、大丈夫でしょうか?」

 

「わたくしたちのために力を尽くしてくれた土メイジたちを信じましょう」

 

わたしたちのいる建物は土メイジたちが錬金により作り出した鋼鉄の板で内部を補強されている。その中にわたしがシェツェーリアの盾を張っている。わたし個人で言うと、周囲で護衛騎士が守りについいるし、騎獣に乗っているので、そう簡単には傷を負わない。

 

他のトリステインの皆についても、メイジを総動員して多重の塹壕と防壁で砲撃に備えている。加えて、砲撃が始まれば風のメイジによる空気の壁も用意される。コルベールに話を聞いた限り、まだ砲弾の中に火薬を詰める段階に入ってはいないようなので、この備えでも巨大艦からの砲撃を、遠距離からという条件下ならば、かなり耐えられるはずだ。

 

トリステインは小国ながら歴史のある国らしい。由緒正しい貴族が揃っていて兵力比におけるメイジの数は、各国の中で一番多いとルイズも太鼓判を押していた。今回はメイジの数の優位を用いて巨大艦の砲撃に耐える作戦を取った。

 

けれど、それはある程度、耐えられるというだけ。被害を無にできるわけではない。

 

視力の強化を最大にしたわたしが見つめる先では、平賀が動きの早い敵の風竜と熾烈な空中戦を繰り広げている。その間に、アルビオン艦隊はトリステインの陣地へと着々と接近してくる。

 

平賀が風竜を退け、再び艦隊に接近する頃にはアルビオン艦隊は、トリステインの前線部隊が隠れる塹壕を大砲の射程に収めようとしていた。それは平賀にも理解できているのだろう。何とかアルビオン艦隊を止めようと、無理な突入を試みようとしているのが分かり、わたしは慌てて平賀を止めるオルドナンツを送るよう、マティアスに指示する。

 

それから少しして、ついにアルビオン艦隊による砲撃が始まった。トリステインの前線陣地で土煙があがっている。

 

わたしたちの予想は、良くも悪くも現実のものになった。トリステインの被害は大きくはない。けれど、確実に発生している。あの土煙の中では傷つき、命を落としている人がいると思うと心臓が嫌な鼓動を打つ。

 

感情を乱して魔力を暴走させるわけにはいかない。わたしは一度、窓の向こうから視線を逸らして深呼吸をする。

 

「アルビオン艦隊、前進を始めるようです」

 

ラウレンツの報告でわたしは視線を戻した。砲撃を続けている割には、トリステイン軍の動揺が少ないことに気が付いたのか、アルビオンの艦隊が前進を始めていた。前線への攻撃より一気に本陣を混乱に陥れようというつもりだろう。

 

味方が攻撃を受けているのを黙って見ているのは辛いだろう。わたしは平賀と一緒にいるルイズに向けて攻撃部隊の準備が整うまで絶対に早まらないように伝えるオルドナンツを送らせる。そして、そのときをじっと待つ。

 

平賀には、さもわたしが指示を与えるかのように言っているが、実際にタイミングを計る役割はマティアスに丸投げだ。わたしは作戦を練ったことはあるけど、集団戦闘における最適な指示のタイミングを計るような技能はない。

 

「そろそろでしょう」

 

マティアスの言葉にわたしは頷きで承認を与える。ローデリヒが魔石をオルドナンツに変えて攻撃部隊へと飛ばした。一方の平賀にはより射程ぎりぎりで牽制を続けるように指示を与えておく。

 

再び動きを活発化させた平賀が敵の目を水平方向に向けているうちに、地を這うように進む姿がある。トリステインの親衛隊である魔法衛士隊の一隊、元はワルドが隊長であったグリフォン隊だ。

 

マティアスがオルドナンツを飛ばして平賀の戦闘機にグリフォン隊と逆側に回って敵艦に奇襲部隊が気づかれないようにせよと命じる。平賀はその指示通りに機体を動かして敵の気を引こうとする。けれど、敵が平賀以外には無警戒というわけはなく、グリフォン隊はあえなく敵に気づかれてしまう。

 

敵艦からの砲撃を受けてグリフォン隊が四分五裂となり逃げていく。さすがに、この程度は気づかれてしまう。けれど、次の手は打ってある。

 

グリフォン隊が攻撃を受けているうちに、上空に船影が見えてくる。魔法で作った雲間から現れたのはトリステインの艦隊だ。遠目からでも古い船が多く、大きさでもアルビオンの艦隊に比べて遥かに劣っている。けれど、数だけは揃えた。トリステイン艦隊は上空という好位から落下速度を加えて一直線にアルビオン艦隊に向かっていく。

 

突入の機会を窺っていた平賀の戦闘機と、低空を飛んできたグリフォン隊に気を取られていたアルビオン艦隊は、トリステイン艦隊の発見が遅れたようだ。加えて、上空への砲門は高速で飛ぶ平賀の戦闘機への対応のため散弾が装填されていたらしく、迎撃のための砲撃も遅れが生じていた。

 

トリステイン艦隊はその機に一気に距離を詰める。そして、アルビオンの艦隊を目の前にして急にトリステイン艦隊は炎上を始めた。

 

「上手くいったようですね」

 

それは敵艦隊の中に無人で突っ込み、仕込まれた火薬を爆発させるという船であり、元からハルケギニアでは運用されていた戦法だ。トリステインの旧式艦では砲戦では勝ち目がない。だから、今回は邪道かもしれないが、集めた船を惜しげもなく燃やす。ちなみにこの作戦に助言を与えてくれたのは意外にもコルベールだった。

 

実は火の魔法のエキスパートであったコルベールは、当初は作戦への助言を渋っていた。けれども、作戦の立案ができなければ、平賀が単機で敵中で戦闘を行わなければならなくなると知ると、覚悟を決めたように助言をしてくれた。

 

アルビオンの艦隊が迎撃から回避に方針を変更したが、少しばかり遅かったようだ。迫りくる炎上船を避けきれず、二隻が衝突されていた。

 

トリステインの各船には大量の油を積み込んである。間もなく衝突された船は爆発を起こし、アルビオンが誇る戦列艦二隻が地上へと落ちていく。それを目にした地上から大きな歓声があがった。

 

トリステインの攻撃はそれで終わりではない。燃えながら落下していく艦の陰に隠れるように飛行していた、様々な幻獣に跨ったトリステインの部隊が飛び出していく。砲撃戦から全力回避に態勢を移していたアルビオン艦隊は有効な迎撃ができず、トリステインの部隊の斬り込みを許していた。

 

トリステインの部隊はアルビオンの旗艦であるレキシントン号に乗り込み、熾烈な白兵戦を展開していた。こうなっては、他の艦も砲撃はできず、少し距離を取って戦いの趨勢を見守ることしかできない様子だ。

 

少しすると、レキシントン号からトリステインの貴族のものと思われる幻獣がばらばらと飛び出してくる。撃退された可能性を考えて少し心配していたけど、追い出されているという雰囲気ではない。作戦が成功して退避しているのだろう。その考えを裏付けるように、ほどなくレキシントン号の内部で爆発が起こった。

 

騙し討ちをするアルビオンはトリステインより遥かに信用できない。心情面からも、どちらかと言えばトリステインに勝ってほしい。

 

そのため、わたしたちも側近を危険に晒さない範囲でトリステインに協力をすることにした。今回の爆発は、その一環として提供したコルベールとハルトムートお手製の魔術具だ。火薬の配合を行ったのがコルベールで、魔力を注ぐと三十秒後に爆発するという機能を仕込んだのがハルトムートという分担だ。

 

ハルケギニアの艦は木造船だ。多少の防火措置は施してあるのだろうが、内部から爆発を起こされては耐えきれるものではない。

 

巨大艦レキシントン号が数次の爆発を経て、ゆっくりと高度を下げていく。そして地上に激突する直前に大きな爆発とともに爆散した。メイジは艦から飛び降りても魔法で助かることもできるだろうが、平民は全滅だろう。敵とはいえ心が痛むが、手加減をしていられる余裕のある状況ではないので、仕方がない。

 

他に一隻がトリステイン部隊の切り込みを受けて爆発炎上している。威容を誇った十隻ものアルビオンの戦列艦は短期間で四隻の被害を出し、アルビオン軍は慌てて軍を後退させ始めた。

 

ひとまず敵軍を退かせることは成功した。けれど、こちらの手札は既に全て使っている。それなのに、敵にはまだ六隻もの戦列艦がある。わたしは、この戦いのトリステインの敗北を予測し、内心では大きな焦りを感じていた。



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伝説

アルビオン艦隊が後退していくのをルイズはサイトのゼロ戦の後部座席で見つめていた。トリステインの陣地の方から歓声が上がっているのが分かった。けれど、ずっとゼロ戦の後部座席で戦場を見つめ続けていたからこそ、分かることがあった。それは、次の戦いでは、トリステインは負けるということだ。

 

アルビオン艦隊には、まだ戦列艦が六隻に加えて、それより小型の艦が多数残存している。それに対して、トリステインは残った船をすべて使い潰したはずだ。それに人的被害の大きさでアルビオンに勝っても、幻獣での奇襲を行ったトリステインは貴族の被害という意味では負けているように思えてならない。

 

このままアルビオン艦隊を逃がしてはならない。けれど、自分には何もできない。

 

ルイズは手に持っている『始祖の祈祷書』を握りしめた。アンリエッタの結婚式の折に式の詔を詠みあげるときまで肌身離さず持ち歩くように言い含められて、オスマンより渡されたトリステイン王室に伝わる宝。オスマンの言いつけを愚直に守り、ルイズはこんな場所にも変わらずに持ち続けている。

 

右手に持った始祖の祈祷書を左手でそっと撫でる。大いなる始祖ならば、この危機を乗り越えることができるのだろうか。もしも、良案があるのなら教えてほしい。

 

ルイズはいつも見ているだけだ。フーケのゴーレムと戦ったときも何ひとつ手助けらしきことはできなかった。

 

アルビオンでもローゼマインの盾の中でワルドと戦う皆を見ていただけだ。サイトの援護をすることも考えないではなかったけど、二人は剣を交えながら激しく動き回っていた。狙いの定まらないルイズの魔法では背中からサイトを撃ってしまう可能性があった。役立たずならまだしも、邪魔をしてサイトが死んでしまったら、ルイズはおそらく、二度と魔法が使えなくなっただろう。

 

始祖の祈禱書を持つ手に自然と力がこもる。この中身が白紙であることは何度も確認している。それでもルイズは藁にも縋る思いで始祖の祈祷書のページを開いた。

 

その瞬間、アンリエッタからもらった『水』のルビーと『始祖の祈祷書』が光りだした。驚くルイズの前で始祖の祈祷書の光の中に古代のルーン文字を見つけた。ルイズは授業は真面目に受けているので、古代語も読むことができる。

 

この世のすべての物質は、小さな粒より為る。四の系統はその小さな粒に干渉し、影響を与え、かつ変化せしめる呪文なり。その四つの系統は、『火』『水』『風』『土』と為す。

 

そんな序文から始まった始祖の祈祷書は、その後、神から四の何れにも属さない、さらに小さな粒に干渉し、影響を与え、変化せしめる呪文を授けられたと続いた。そして、四にあらざれば零。零すなわちこれ『虚無』。そう記してあった。

 

「虚無の系統……。伝説じゃないの。伝説の系統じゃないの!」

 

トリステインの危機への救済を願ったら、虚無の系統に関することが始祖の祈祷書に浮かんできたのだ。ならば、これこそが、危機を打開するものとなるに違いない。ルイズは急いで先を読み進める。

 

その先に書かれていたのは、『虚無』が強力であること。ただし、詠唱は永きにわたり、多大な精神力を消耗し、時として『虚無』は命を削るとあった。

 

始祖の祈祷書の序文の最後は、選ばれし読み手は『四の系統』の指輪を嵌めよ。されば、この書は開かれん。と絞めてあった。

 

「ねえ、始祖ブリミル。あんたヌケてんじゃないの。この指輪がなくっちゃ『始祖の祈祷書』は読めないんでしょ? その読み手とやらも……、注意書きの意味がないじゃないの」

 

思わず呟いたところで、はたと気づいた。始祖の祈祷書を読める、ということは、自分は読み手なのだろうか。

 

よくわからないけど……、文字は読める。読めるのなら、ここに書かれた呪文も効果を発するかもしれない。ルイズはいつも呪文を唱えると、爆発していた。あれは……、ある意味、ここに書かれた『虚無』ではないだろうか?

 

すると、自分はやはり、読み手なのかもしれない。

 

信じられないけど、そうなのかもしれない。

 

だったら試してみる価値は、あるのかもしれない。

 

だって……、今のところ、ほかに頼れるものはないのだから。

 

「いや……、信じられないんだけど……、うまく言えないけど、わたし、選ばれちゃったかもしれない。いや、なんかの間違いかもしれないけど」

 

サイトに言うと、随分と怪訝な顔をされた。

 

「いいから、このゼロ戦ってやらを、アルビオン艦隊に近づけて。ペテンかもしれないけど、何もしないよりは試した方がマシだし、ほかにあの艦隊をやっつける方法はなさそうだし、やるしかないのよね。わかった。とりあえずやってみるわ。やってみましょう」

 

「お前、大丈夫か? とうとう怖くておかしくなったか?」

 

ルイズが勇気を出して言ったというのに、サイトは随分と失礼な対応だ。

 

「近づけなさいって言ってるでしょうが! わたしはあんたのご主人さまよ! 使い魔は黙って主人の言うことに従うッ!」

 

「お前なあ、少しはローゼマインを見習えよ」

 

「ローゼマインの従者は貴族でしょう? 平民の使い魔とは違うの!」

 

「まったく、ここまで来ても貴族と平民か……」

 

文句を言いながらもサイトはアルビオン艦隊にゼロ戦を近づける。ルイズはサイトの肩に跨ると風防をあけた。猛烈な風が顔に当たる。

 

ルイズは息を吸い込み、目を閉じた。それからかっと見開く。『始祖の祈祷書』に書かれたルーン文字を詠み始める。

 

エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ。

 

ルイズの中をリズムがめぐっていた。一種の懐かしさを感じるリズムだ。呪文を詠唱するたび、古代のルーンをつぶやくたびに、リズムは強くうねっていく。神経は研ぎ澄まされ、辺りの雑音はすでに一切耳に入らない。

 

知らない言葉のはずが詠み始めると、するすると口から呪文が溢れてくる。体の中で何かが生まれ、行き先を求めてそれが回転していく感じ。得意系統を使ったときに感じると言われていた言葉がすとんと自分の中に落ちてきた。これが自分の魔法だと、今、ルイズは自信を持って言える。

 

長い詠唱ののち、呪文が完成した。

 

その瞬間、ルイズは己の呪文の威力を、理解した。

 

巻き込む。すべての人を。

 

自分の視界に映る、すべての人を、己の呪文は巻き込む。

 

選択は二つ。殺すか。殺さぬか。

 

今、この場での勝利だけを考えるのならば、敵をすべて殺してしまえばいい。アルビオンはルイズの大切な友人であるアンリエッタの思い人であるウェールズを殺し、望まぬ結婚を決意させた憎い敵だ。けれど、その憎しみに任せて、この場にいるすべての人を殺すのが正しいことだろうか。全ての人を殺し尽くすのが、ルイズの理想の貴族の姿か。

 

悩んだルイズが杖を振り下ろしたのは、宙の一点をめがけてだった。そこに現れたのは光の球だ。まるで小型の太陽のような光を放つ、その球が膨れ上がっていく。

 

そして……包んだ。

 

空を遊弋するアルビオンの残存艦隊を包んだ。

 

さらに光は膨れ上がり、視界すべてを覆い尽くした。

 

そして……、光が晴れたあと、艦隊は炎上していた。すべての戦列艦の帆が、甲板が燃えている。がくりと艦首を落とし、アルビオン艦隊が地面に向かって墜落していく。

 

地響きを立てて、艦隊は地面に滑り落ちた。

 

一拍の間を置いてトリステイン軍が本陣を置くラ・ロシェールから大勢の兵たちが飛び出していく。対するアルビオン軍は未だ数ではトリステイン軍を上回っているが、奇襲で予想外の打撃を受けたのに続いて、自慢の艦隊が全滅して完全に恐慌状態に見えた。

 

先のアルビオン王軍とのニューカッスル城での戦いで、レコン・キスタは三百の王軍の前に一万人もの死傷者を出している。新生アルビオン軍は純粋な地上戦にそもそも自信を持てなくなっていたのだろう。逆にトリステイン軍は虚無の魔法がなくともアルビオンが誇る艦隊を四隻も沈めている。この戦いは、トリステインが勝つ。

 

その直感は当たった。トリステイン軍は数で勝る敵軍を、逆に押しつぶしてしまいそうな勢いで攻め立てている。

 

もうトリステインは大丈夫だ。そう思ったところで身体から力が抜けた。そのままぐったりとサイトに寄りかかる。

 

「なあルイズ、さっきのなに?」

 

「伝説よ」

 

「伝説?」

 

「説明はあとでさせて。疲れたわ」

 

疲労は大きい。だけど、どこか心地よい疲労だった。

 

「ちょっと休むわ」

 

そう言っている間にも瞼が落ちてくる。それから間もなくルイズはサイトに身を預けてしばしの休息についた。

 

そして目覚めたときには、戦いは終わっていた。トリステインの大勝利だった。




少しの休息を経て、次章の投稿をさせていただきます。


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水風の邂逅
ルイズの処遇


原作4巻の誓約の水精霊編に相当する8話分。
本章まで原作の事件への参加度は多めです。


タルブ草原でアルビオン軍を相手に大勝を収めたトリステインは、ゲルマニア皇帝との婚約を破棄し、アンリエッタは改めて女王へと即位した。ゲルマニアの皇帝も、援軍を出さなかった後ろめたさと、強国アルビオンを一国にて打ち破ったトリステインとの友好維持を優先して婚約破棄を了承したらしい。

 

数に勝る敵軍を打ち破った王女アンリエッタは、『聖女』と崇めらることになったようだ。それを聞いたときのハルトムートの顔はフェルディナンドを彷彿とさせる底冷えのするものだった。別に『聖女』の称号はわたしが独占しているわけではない。そもそも、そのような称号はできれば返上したいくらいだけど、ハルトムートにどれだけ言っても辞めてくれないのだ。

 

ともかくアンリエッタの即位に伴う様々な式典がひと段落したある日、わたしはルイズと平賀とともに王宮へと向かった。同行するのはハルトムート、クラリッサ、リーゼレータに護衛騎士のマティアスとラウレンツだ。王宮へと向かうわたしの騎獣の中、ルイズは難しい表情で前を見つめていた。

 

「姫殿下……じゃなく陛下からの大事なお話って何なのかしら?」

 

「零戦で戦った平賀さんへの恩賞のお話ではないでしょうか?」

 

「わざわざ陛下から直々に?」

 

「平賀さんの働きは、それほど目覚ましいものでありましたから」

 

とぼけてみせたが、わたしはルイズの呼び出しの理由を知っている。アンリエッタから相談を受けて、今日のルイズの王宮への訪問について、わたしはアンリエッタに対して所感を伝えていたのだから。

 

王宮に着くと、わたしたちはすぐにアンリエッタの私室へと通される。ルイズが部屋の中に入ると、アンリエッタはすぐに駆け寄ってきた。

 

「姫さま……、いえ、もう陛下とお呼びせねばいけませんね」

 

「そのような他人行儀を申したら、承知しませんよ。ルイズ・フランソワーズ。あなたはわたくしから、最愛のおともだちを取り上げてしまうつもりなの?」

 

「ならばいつものように、姫さまとお呼びいたしますわ」

 

「そうしてちょうだい。ルイズ、女王になんてなるんじゃなかったわ。退屈は二倍。窮屈は三倍。そして気苦労は十倍よ」

 

アンリエッタの言葉にわたしは首を傾げる。アウブであるジルヴェスターも、ツェントであるトラオクヴァールも退屈とは無縁の忙しい生活だったはずだ。養父のジルヴェスターがお忍びと称して出歩くことができたのは、上手く仕事から逃げ出したり、他人に丸投げをしていたからだ。ということは、アンリエッタに実権はあまりないということだろう。

 

「アンリエッタ様、まずはこちらをお使いください」

 

そう言ってわたしはルイズとアンリエッタに盗聴防止の魔術具を渡す。これから先の話は漏れては一大事な秘事となるのだから。アンリエッタもまた自分で魔法を使って入念に部屋の中を調べてから盗聴防止の魔術具を握った。

 

「ルイズ、此度の勝利はあなたのおかげです。ありがとうございます」

 

ルイズがアンリエッタの顔を、はっとした表情で見つめた。表情を取り繕うことが苦手なルイズは、それだけで雄弁に心当たりがあると語ってしまっていた。

 

「わたくしに隠し事はしなくても結構よ。ルイズ」

 

「わたし、なんのことだか……」

 

なんとかとぼけようとするルイズから、アンリエッタは平賀へと対象を変えた。

 

「異国の飛行機械を操り、敵の竜騎士隊を撃滅したとか。厚く御礼を申し上げます。あなたは救国の英雄ですわ。できたらあなたを貴族にしてさしあげたいぐらいだけども、あなたに爵位をさずけるわけには参りませんの」

 

爵位と言われても平賀はあまりピンときていないようで、たいして喜ぶ様子を見せない。それについては、わたしにも理解できる。地位を手に入れると、それに付随して面倒も招いてしまうものだからだ。

 

もっとも貴族のいない日本で生まれ育ち、一度も上位者の立場になどに就いたことのない平賀にそこまで考えろということの方が無理がある。わたしがそんなことを考えている間に、アンリエッタは再びルイズに語りかけていた。

 

「多大な、ほんとうに多大な戦果ですわ。ルイズ・フランソワーズ。あなたと、その使い魔が成し遂げた戦果は、このトリステインはおろか、ハルケギニアの歴史の中でも類をみないほどのものです。本来ならルイズ、あなたには領地どころか小国を与え、大公の位をあたえてもよいくらい。そして使い魔さんにも特例で爵位を授けることもできましょう」

 

「わ、わたしはなにも……、手柄を立てたのは使い魔で……」

 

「あの光はあなたなのでしょう、ルイズ。城下では奇跡の光だ、などと噂されておりますが、わたくしは奇跡など信じませぬ。あの光が膨れ上がった場所に、あなたたちが乗った飛行機械は飛んでいた。あれはあなたなのでしょう?」

 

そこまで言うと、ルイズは観念してアンリエッタからもらった水のルビーを嵌めて始祖の祈祷書を開く。そうして、始祖の祈祷書に古代文字が浮かび上がったことを語った。光はそこに記された呪文を読み上げたら発生したらしい。

 

「始祖の祈祷書には、『虚無』の系統と書かれておりました。それは本当でしょうか?」

 

「ご存知、ルイズ? 始祖ブリミルは、その三人の子に王家を作らせ、それぞれに指輪と秘宝を遺したのです。トリステインに伝わるのがあなたの嵌めている『水のルビー』と始祖の祈祷書」

 

アンリエッタの言葉を聞いて、わたしは密かに驚いていた。水のルビーをアンリエッタは、アルビオンに向かうための路銀に変えるように言ったと聞いていた。それが、まさかそんな大事なものだとは思ってもみなかった。

 

「王家の間では、このように言い伝えられてきました。始祖の力を受け継ぐものは、王家にあらわれると」

 

「わたしは王族ではありませんわ」

 

「ルイズ、なにをおっしゃるの。ラ・ヴァリエール公爵家の祖は、王の庶子。なればこそ公爵家なのではありませんか」

 

エーレンフェストの上級貴族であるわたしのお父様も領主候補生のボニファティウスの子だから、領主の血を引いている。他にダンケルフェルガーからツェントが立ったという記録があったが、それも初代のアウブたちはツェントの血を引いていたからだったはず。おそらく、それと同じような事例なのだろう。

 

わたしが考えている間にアンリエッタは今度は平賀の手を取っていた。そしてルーンを見て頷いていた。

 

「この印は、『ガンダールヴ』の印ですね? 始祖ブリミルが用いし、呪文詠唱の時間を確保するためだけに生まれた使い魔の印」

 

それは、これまでに何人もが言っていたことだ。おそらく間違いないのだろう。

 

「これであなたに、勲章や恩賞を授けることができなくなった理由はわかるわね?」

 

「どうしてですか?」

 

聞いてきたのは尋ねたルイズでなく平賀だった。良い方向に解釈すれば理解力の低い主をサポートするための発言だが、平賀の場合は絶対に自分がわからなかっただけだ。

 

「わたくしが恩賞を与えたら、ルイズの功績を白日のもとにさらしてしまうことになるでしょう。それは危険です。ルイズの持つ力は大きすぎるのです。一国でさえ、もてあますほどの力なのです。ルイズの秘密を敵が知ったら……、彼らはなんとしてでも彼女を手に入れようと躍起になるでしょう。敵の的になるのはわたくしだけで十分」

 

下手に力を示すと、他領からの横槍で中央神殿に入れられそうになったり、ツェントの養子にならざるをえなくなったり、本当にろくなことにならない。けれど、わたしの場合は、そのおかげでフェルディナンドに隠し部屋を与えることができ、連座回避の道も作れたのだから、一概に悪いこととも言えないのだけど。

 

「敵は空の上だけとは限りません。城の中にも、あなたの力を私欲のために利用しようとするものがあらわれるでしょう。だからルイズ、誰にもその力のことは話してはなりません。これはわたくしたちだけの秘密です。あなたはその力のことを一刻も早く忘れなさい。二度と使ってはなりませぬ。母は過ぎたる力は人を狂わせると申しておりました。『虚無』の協力を手にしたわたくしがそうならぬと、誰が言いきれるでしょうか?」

 

「わたしは、姫さまと祖国のために、この力と体を捧げたいと常々考えておりました。そう躾けられ、そう信じて育って参りました。しかしながら、ご存知のように、わたしについた二つ名は『ゼロ』。嘲りと侮蔑の中、いつも口惜しさに体を震わせておりました」

 

ルイズは妙な使命感にかられているようだ。確かに先のアルビオンとの戦いは、ルイズの魔法がなければ、善戦するも敗れていただろう。その自負が今は逆に危うく思える。

 

「しかし、そんなわたしに神は力を与えてくださいました。わたしは自分が信じるもののために、この力を使いとう存じます。それでも陛下がいらぬとおっしゃるなら。杖を陛下にお返しせねばなりません」

 

「わかったわルイズ。あなたは今でも……、一番のわたしのおともだち。『始祖の祈祷書』はあなたに授けましょう。しかしルイズ、これだけは約束して。決して『虚無』の使い手ということを、口外しませんように。また、みだりに使用してはなりません」

 

「かしこまりました」

 

「これをお持ちなさい。わたくしが発行する正式な許可証です。王宮を含む、国内外へのあらゆる場所への通行と、警察権を含む公的機関の使用を認めた許可証です。自由がなければ、仕事もしにくいでしょうから」

 

ルイズにそう言った後、アンリエッタは今度はわたしに顔を向けた。

 

「同じものをローゼマイン様にも用意しました。これで戦前のお約束に応えたことになりますか?」

 

「ええ。ありがとう存じます」

 

よし、これでトリステイン内の図書館ならどこでも入館ができる。ユルゲンシュミットへの帰還にも一歩近づいたと思いたい。

 

「ルイズ、あなたにしか解決できない事件がもちあがったら、必ずや相談いたします。表向きは、これまでどおり魔法学院の生徒としてふるまってちょうだい。まあ言わずともあなたなら、きっとうまくやってくれるわね」

 

それから、アンリエッタは平賀に金貨が入っていると思われる、小さな袋を手渡した。

 

「これからもルイズを、わたくしの大事なおともだちをよろしくお願いしますわね。優しい使い魔さん。これは、ほんとうならあなたを『シュヴァリエ』に叙さねばならぬのに、それが適わぬ無力な女王のせめてもの感謝の気持ちです」

 

それからアンリエッタは、もっと大きな袋をわたしに向けて差し出してきた。それを見て平賀が目を見開いていたが、わたしが受け取ったのは側近たちの分も含んだ七人分だ。同じに考えないでほしい。

 

ともかく、ルイズが余計なことを言い出さないように釘を刺すことには成功した。もっともルイズも虚無の危険性は認識していたようなので杞憂だったようだけど。

 

ともかく懸案が一つ減ったわたしは晴れやかな気分で魔法学院へと騎獣を飛ばした。



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学院での相談

王宮から魔法学院へと戻ったルイズは、そのままローゼマインを自分の部屋へと招き入れた。王宮でアンリエッタに伝えられなかった秘め事があったからだ。ルイズの部屋での話でもローゼマインはまず側仕えのリーゼレータにお茶を淹れさせ、少しの雑談で場を温めてからルイズに話をさせる。

 

「がっかりさせたくなくて、姫さまには言わなかったけど……」

 

そう切り出して、ルイズはゆっくりと呪文を唱え始めた。

 

「エオルー・スーヌ・フィル……」

 

自分の中から何かが流れ出ていくのを、はっきりと感じる。視界が徐々に霞んでいく。

 

「ヤルンサクサ……」

 

そこで限界が来た。ルイズは詠唱を中断して杖を振る。部屋の端の空中で小規模な爆発が起き、爆風が室内の者の髪を撫でる。

 

それを確認しきることなく。ルイズの意識は途切れた。

 

「ルルル、ルイズ!? ルイズッ!」

 

サイトの慌てた声が聞こえ、身体を揺さぶられる感覚がした。ルイズはのろのろと目を開ける。

 

「そんな大騒ぎしないでよ。ちょっと気絶しただけよ」

 

気を失っていたのは、ほんの一瞬のはずだ。

 

「最後まで『エクスプロージョン』を唱えられたのは、あのときこっきり。それから何度唱えようとしても、途中で気絶しちゃうの。一応、爆発はするんだけど……。たぶん精神力が足りないんだと思うのだけど、ローゼマインなら何か心当たりがないかと思って」

 

聞いたルイズに、あくまで推測ですけど、と前置きした上でローゼマインが答える。

 

「その可能性は高いと思います。わたくしたちの国でも魔力が高い者と低い者が同時に儀式に臨んだとき、魔力が勢いよく流れすぎて魔力が低い者が失神するということがございました。ルイズの今の様子はそのときと似ていたように見えました。けれど、わたくしはまだハルケギニアの魔術の原理に詳しくないのです。もしよろしければ、ハルケギニアの魔術の原理について教えていただけませんか?」

 

「一つの系統しか使えないメイジはドット。二つ足せるようになるとライン。三つ足せるのがトライアングルと、足せる系統の数でメイジのクラスが決まることは知ってるわね。このクラスは呪文にも適用されて、三つ系統を足した呪文はトライアングル・スペルと呼ばれてるわ。おおよそ呪文のクラスが一個あがるごとに、消費する精神力は倍になるの」

 

「わたくしたちの国では、そのような分類はありませんでしたが、魔術具には、上級貴族相当や、中級貴族相当の魔力が必要とされているものがありました」

 

「だから、精神力八のラインメイジがいて、ドットの呪文で四の精神力を消費すると仮定すると、ドットの呪文は一日に二回、ラインの呪文は一日に一回使えることになるわ」

 

「そうなると、精神力が十六まで成長するとトライアングル・スペルが使えるようになるということですか?」

 

「いいえ、ラインメイジがトライアングルメイジに成長すると、ドットの呪文を使用する際の精神力の消費はおよそ半分になるの。だから八割る二は四で、ドットの呪文が四回使えるようになるわ。ラインの呪文は二回、トライアングルの呪文は一回。そんな感じにメイジは成長するの」

 

ルイズがそう答えると、ローゼマインは魔力圧縮でなくて加護の取得に近いということでしょうか、と呟いていた。

 

「なんだか非常に気になる言葉が聞こえたのだけど、魔力圧縮って何?」

 

「申し訳ありません。魔力圧縮はエーレンフェストの重要な秘伝ですので、ルイズにも教えることはできないのです。ところで、その考えからしてもルイズの失神は魔力の不足ということになるのですか?」

 

「そうね。精神力が切れると、さっきみたいに気絶しちゃうわ。呪文が強力すぎて、わたしの精神力が足りないんだわ」

 

「魔力……精神力は溜めることはできないのですか?」

 

「精神力を溜める?」

 

聞いたことのない表現にルイズが目を瞬くと、ローゼマインは一瞬だけ、しまったという顔をしたように見えた。

 

「わたくしたちの国では大規模な魔術を行うときや、行いたい魔術に比べて魔力量が低い場合にはじっくりと魔石に魔力を溜めて、それを使って魔術を行使するという方法がございます。けれど、よく考えれば今回ルイズは魔力を溜めずに魔術を行使していたので、関係はございませんね」

 

「いや、魔力なら溜まってたんじゃねえの?」

 

そう言って口を挿んできたのはサイトだった。

 

「だってルイズは、今までまともに呪文を唱えられなかったんだろ? それで魔力だか精神力だかが溜まりに溜まってたんじゃねえのか?」

 

それは考えられる話だった。

 

「例えば、ルイズの精神力が百だとする。あの『エクスプロージョン』は、一回で百を消費しちまう。普通だったら、一晩寝れば精神力は回復するけど、ルイズの場合は必要な量が多すぎて……。なにせ百だからな……、一晩寝たぐらいではなかなか溜まらない」

 

「そうかもしれないわ。四つの『土』を足して唱えられるスクウェア・クラスの『錬金』は、黄金を生み出すことができるわ。でも、スクウェアメイジといえど、スクウェア・スペルはそう何度も唱えられない。下手すると、一週間に一度、一月に一度だったりする。それでも、錬金できる黄金はほんとに微量。だから黄金はお金として通用するのよ」

 

「ちなみにお聞きしますが、黄金を『錬金』で作り出すこと自体は、この国では罪とはならないのですか?」

 

そう聞いてきたのは、ローゼマインだ。

 

「ローゼマイン、あなたまさか……」

 

「実際に多くの金を錬金で作るつもりはございません。ですが、試しにやってみてもよいものかどうかは確認しておいた方がよいと思いまして」

 

そう言っているが、ローゼマインは高貴な生まれだというのに、意外とお金にうるさい面がある。オスマンやアンリエッタと交渉して収入を得たり、マジックアイテムを売りさばいていることも、ルイズは知っている。

 

「さっきも言ったけど、どうせたいした量は作れないから罪になることはないわ」

 

「では、金粉なども価値はございますか?」

 

妙に具体的になった。絶対、作って売るつもりだ。

 

「ええと、話を戻すわね。つまり、強力な呪文を使うための精神力が溜まるのには、時間がかかるってことだから、わたしの場合もそうかもしれないわね。『虚無』はほんとにわからないことばかり。なにせ、呪文詠唱が途中でも、効力を発揮するんだもの。そんな呪文聞いたことがないわ」

 

ルイズはローゼマインの質問には答えず、粗方導き出されていた解答を纏める。

 

「それだけ始祖の祈祷書の呪文は特別ってことか。それより始祖の祈祷書ってルイズが持ち歩いていた本だろ。あれって真っ白だったんじゃないのか?」

 

「おそらく始祖の祈祷書というのは魔術具の一種なのでしょう。わたくしたちの国にある聖典も閲覧の許可のない者には白紙に見えるというものでしたから。ちなみに、始祖の祈祷書をわたくしにも見せていただくことはできますか?」

 

「……見せるだけよ」

 

そう念を押してルイズは始祖の祈禱書を開いてみた。

 

「確かに白紙のようですね。念のため聞いてみるのですけど、わたくしに水のルビーを貸していただくことはできないですか?」

 

「それは……さすがに抵抗感があるわね」

 

「そうですよね。言ってみただけなので気になさらないでください」

 

そう言っている割にはローゼマインはがっかりしているように見える。ローゼマインが本に対して異常な執着心を持っていることは、ルイズも気が付いている。今の言葉もあわよくば読んでみるつもりだったに違いない。

 

「それより、わたくしには気になっていることがあるのです。あるいはルイズには不快かもしれませんが、聞いていただけますか?」

 

「何かしら?」

 

「始祖ブリミルは四人の僕を従えていたのですよね。わたくしも召喚の際には複数の従者を呼ぶことができました。ルイズが虚無の使い手なのでしたら、ガンダールヴ以外の始祖の使い魔を呼び出せる可能性はございませんか?」

 

ローゼマインは、まだサモン・サーヴァントを使える可能性があると言っている。けれど、その言葉を聞いたルイズがまず行ったことは、サイトの方を見ることだった。他の使い魔を呼ぶということはサイトだけでは不足と言っているように思われないだろうか。

 

サイトはアルビオンでルイズのためにワルドと戦い、先のアルビオンとの戦いでもゼロ戦で無敵と謳われたアルビオン竜騎士隊と戦ってくれた。そんなサイトを蔑ろにするようなことは、ルイズはしたくない。

 

「今すぐにとは申しません。少し考えてみてくださいませ」

 

それきり虚無に関する話は終わりとなった。ほどなくローゼマインは側近たちを連れてルイズの部屋を出て行ったが、ルイズの頭の中にはサイト以外の使い魔も召喚できないか試してみるという提案が、ぐるぐると回っていた。




ユルゲンシュミットの金粉って財産的な価値はないのでしょうね。
単なる金色の粉なのか、金自体に価値がないのか。


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フォン・ツェルプストー家に副業を

ルイズが虚無の使い手だと判明したことで、わたしたちのユルゲンシュミットへの帰還にも一筋の光明が見えてきた。けれど、同時に早急に成し遂げなければならないこともできてしまった。それは、他国への移住の準備である。

 

わたしたちも一定の利益は得られているとはいえ、アンリエッタのお願いは危険すぎる。これ以上、当てにされることは避けたい。けれど、実際の移住となると、一長一短だ。

 

候補としては、このままトリステインに留まるという方法が一つ。その他にゲルマニア、ガリア、アルビオン、ロマリアのいずれかに移住という方法がある。けれど、アルビオンについては、はっきり言って論外。そして、それはロマリアについても同様だ。

 

ロマリアはこのハルケギニアで広く信仰されているブリミル教という宗教の最高権威である教皇と宗教庁を有しているという。地球の歴史を考えても、この手の宗教権威が異教の信仰者に対して排除に動くことは想像に難くない。

 

わたしたちはユルゲンシュミットの神々の存在を普通に信じてしまっている。ブリミル教徒として振る舞っても、どこかでぼろが出る可能性が高い。わたしたちに限定するならば、ある意味アルビオン以上に最悪な場所だと思う。

 

そうなると結局は関係の深いトリステイン、ゲルマニア、ガリアの三択になる。けれど、この中でどこがいいかという判断が難しいのだ。

 

まずトリステインはアンリエッタから許可を得ているので国内ではかなり自由に動くことができる。各地の書物も調査という建前を使って読み放題だ。けれど、付随する面倒としてアンリエッタのお願いが舞い込んでくる可能性がある。

 

次にゲルマニアはある程度の自由は得られる反面、研究面では制限がある。キュルケの実家は経済力はかなり高いものの、他の貴族が所有している本や国が保有する書物の閲覧はできない可能性が高いからだ。そして、トリステインと友好国であるため、アンリエッタから要請によってゲルマニア皇帝が動くという可能性を完全に排除することはできない。

 

最後のガリアは、引きこもっているだけなら安全だと思う。けれど、下手に外に出て存在をガリア王に知られてしまうと、非常に危うい。タバサの実家であるオルレアン家はガリア王家の陰謀で没落させられたという。そのオルレアン家が貴族を複数、囲い込んだとなると、謀反の可能性を疑われ、下手をすればそのまま刺客を放たれてしまうだろう。

 

「ユルゲンシュミットへの帰還の方法を探るという点ではトリステインが一番だと思うのですけど……」

 

「肝心のアンリエッタ様があの様子では、危険も大きいでしょうからね」

 

わたしの呟きに、ハルトムートが渋い顔で意見を述べる。ルイズに虚無の危険性を説いて自らも力に溺れる可能性を考えていた姿勢は素晴らしいものだと思う。けれど、いざ開戦となり、更にルイズの虚無が使えないとわかったときにも同じ考えでいられるか。逆に優秀な為政者であればあるほど、使えるものを使おうとするのではないだろうか。

 

「移動すべきかを判断するためにも、早急にルイズにサモン・サーヴァントを行使してもらう必要があるのではないでしょうか?」

 

そう進言してきたのはクラリッサだ。

 

「そうですね、少し気持ちが整うのを待って、勧めてみようと思います」

 

ルイズと平賀は、なんだかんだで、あの二人なりに関係を作っているように見える。上手くいっている関係に異物を入れることで、関係が悪化する可能性については、わたしも過去に苦慮したことがある。身分の低いダームエルと上手く付き合っていける相手に側近を限定したのはわたしだ。だから、ルイズの気持ちもわかる。

 

けれど、一方で今の帰還についての手がかりが何もない状態が続くことも許容できない。勝手だけど、いずれはルイズにサモン・サーヴァントを試してもらわねばならないのだ。

 

「ひとまず、判断を誤らないように各国の情勢は入念に探らないとなりませんが……」

 

「トリステインとゲルマニアはともかく、ガリアの情報を得にくいのが難点です。そして何よりアルビオンの情報をどのように得ていくかが問題ですね」

 

ハルトムートの言う通り、自国内とはいえタバサは自由に動き回ることができないため、ガリアの情報は得にくい。そして、トリステインとゲルマニアの運命を左右するアルビオンの動きを得るのは、とにかく難しい。

 

「民間の交易までは停止されてはいないのですよね。ラ・ロシェールを発着する船から情報を得られないでしょうか?」

 

「発着する船からですか?」

 

どのような情報を得られるのか理解できないという風にローデリヒが首を傾げる。

 

「一番は船主にどのような品を取引したかの質問でしょうね。その他に船の数からでも何かを掴めるかもしれませんが、これについては、これまでの戦いでどのくらいの船が失われたかにもよるかもしれませんね」

 

「それで、どのような情報を得られるのでしょうか?」

 

わたしに聞いてきたのはグレーティアだ。側仕えもお茶会の下準備などで情報収集の腕は要求される。見当がつかないことを恥じているように見えた。

 

けれど、それも仕方がないことだろう。そもそもユルゲンシュミットの貴族は平民から情報を収集することに慣れていない。それに加えて、今回はユルゲンシュミットとの違いが顕著に出る場面だからだ。

 

「ハルトムートなら少しは理解できているかもしれませんが、貴族と違って平民が移動するのには、色々と準備が必要なのです」

 

ユルゲンシュミットの貴族であれば騎獣を使えば目的地に短時間で移動できる。そのため婚姻に伴う領地の移動などでない、本人の身一つでの移動ならばそれほどの準備は必要ない。けれど、平民はそうではない。

 

「移動にもそれなりの日数がかかりますし、それに伴って用意する食料や衣類なども多くなります。ましてや多くの物資を消費する行軍となれば、必要な物資の量は莫大なものとなります。このハルケギニアでは貴族だけでなく、平民の兵士も多数動員して戦に臨むのは、先のトリステインとアルビオンの戦いでも見ていたでしょう?」

 

「つまり、アルビオンが戦争を仕掛けてくる前には、人や物資の移動が活発になるということでしょうか?」

 

「その通りです、ローデリヒ。実際、アルビオンで立ち寄ったダータルネスでは、多くの品が活発に取引されていたと言っていたではありませんか」

 

わたしの言葉に、ローデリヒはキュルケと訪れたダータルネスの様子を思い出そうとする仕草を見せた。わたしは直接は見ていないが、大きな港町なら、さぞ活気に満ちていたことだろう。それこそ、貴族街出身のローデリヒには別世界のように感じられたはずだ。

 

「確かに賑やかな様子でした」

 

言葉と裏腹に浮かない表情をしているのは、その活気がアルビオン王家と最後まで忠誠を尽くした貴族たちの命を奪う準備によるものだったと気づいたためだろう。

 

「しばらく大きな戦いなど起こらないとよいですね」

 

そして、わたしもトリステインとアルビオンの一戦を思い出していた。結果としては大勝を収めたといっていいトリステインだけど、やはりそれなりの犠牲者は出ているのだ。

 

エーレンフェストでも旧ヴェローニカ派の粛清の他、貴族院での襲撃などで多くの人の命が失われた。そして、ハルケギニアでも戦争が起きて多くの命が失われた。皆が笑って暮らしていくことができればいいのに、現実は思うようにならない。

 

「ともかくラ・ロシェールの船の出入りを観測することで、ある程度の推測ができるかもしれません。もしくは実際に交易でアルビオンに船を派遣することができれば、そこから多くの情報を得られそうですね」

 

「そうなると、キュルケの実家に正式に商会を立ち上げさせた方がよいでしょうか?」

 

「ええ、そうですね。キュルケに提案してみることにいたしましょう」

 

キュルケならば信頼ができるので、これまでは控えてきた現物以外の知識の売買などもできると思う。そうしてツェルプストー家の影響力が増せば、ゲルマニアに移った際の障壁が少し低くなるはずだ。

 

こうして、わたしたちはキュルケの実家に立ち上げを提案する商会について、この日から話し合いを重ねていった。



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劇団主宰の勧め

あたしは今、ローゼマインから妙な提案をされていた。それはフォン・ツェルプストー家に劇団を主宰する気はないかという提案だった。

 

「どうして、ツェルプストーが劇団を所有という話になったの?」

 

「わたくしはこれまで魔術具の売買のみ行っていましたが、わたくしがエーレンフェストで得意としていたのは平民と共同で行う事業だったのです。けれど、知識の売買は信頼関係がなければ成立しないため、これまでは行えていませんでした。ですが、キュルケとなら問題なく商売ができると思ったのです」

 

「平民と共同で商売というのは分かったけど、それで何で選択したのが劇団なの?」

 

そう聞いたあたしに、ローゼマインはトリスタニアでは今、タニアリージュ・ロワイヤル座という劇場で行われている演劇が評判だと言ってきた。その劇を見て、ローゼマインは自分たちがユルゲンシュミットで出版してきた本に載せた物語を手直しして上演することを思いついたようだ。

 

「わたくしが貴族院で集めに集めた物語の中から、ハルケギニアの文化でも違和感がないものを選び、ここにいるローデリヒが物語を手直しして、それをハルケギニアの流行に詳しい者の手で校閲を行えば、評判は間違いなしです」

 

「興奮しているところ悪いんだけど、それって劇団を主宰する理由にはならないわよね」

 

「劇団を主宰する理由としては、先に挙げた理由が一番です。要するに儲かりそうだから、ということですね。けれど、無論、それ以外の理由もございます。一番は、各国を巡業する劇団を創設すれば、他国の情報が得やすいということですね」

 

確かに日常的に他国と行き来する商人たちは、それぞれが独自の情報網を持っていることが多い。それに倣って、情報を得られる当てがないのなら、作ってしまえということだろうか。相変わらずローゼマインは発想が突飛だ。

 

「ちなみにローゼマインが集めた物語ってどういうものなの?」

 

「そうですね。トリスタニアでの客層を考えると、やはり恋物語がよいでしょうね」

 

そう言ってローゼマインはいくつかの物語の粗筋をそれぞれ五分ほどで話してくれる。その中で、あたしが気に入ったのは何度敗れようとも立ち上がり、最後には意中の相手を射止める騎士の話だった。けれど、あたしが気に入った話を伝えるとローゼマインはなぜか微妙な表情をした。

 

「何か問題があった? どことなくサイトを連想できて、いい話じゃない」

 

「これはダンケルフェルガーという領地のお話で、虚弱なわたくしでは熱量が多すぎて少しついていくのが難しいのです」

 

「あら、情熱的でいいじゃないの」

 

とはいえ、ローゼマインの恋愛面での成長が年齢でなく外見相応の発育途中の段階であるならば、このような反応も仕方ないのかもしれない。

 

「ところで、上演する演劇の案はたくさんあるとしても、劇団を運営する方法なんてあたしにはわからないわよ」

 

「わたくしも、劇団を運営する方法については存じません」

 

勧めてきたのはローゼマインではなかったか。驚いたあたしが顔を見ると、ローゼマインは僅かに肩をすくめて見せた。

 

「自分たちが詳しくないのなら、詳しい方に知恵を借りればよいのです。実際にアルビオンでは採掘技師のエイバルの力を借りて素材の採取を行ったではありませんか」

 

そう言われればそうだ。けれど、一回限りの取引であったエイバルと違って、劇団を運営する能力がある人を、完全に引き抜かなければならない。当てはあるのだろうか。あたしの懸念が通じたのか、ローゼマインはにこりと笑って続けてきた。

 

「実は話題に出たタニアリージュ・ロワイヤル座ですけど、何やら劇団内で揉め事があったらしく、支配人が離れたようなのです」

 

「それは本当なの?」

 

「ええ、確かな情報です。当人にも接触して、打診だけはしてあります。ローデリヒの感触では、なかなかの好感触だったようですよ」

 

すでに相手とは一度、面会をしていて興味の有無までは尋ねていたらしい。あたしの所に話を持ってくる時点で、実は用意万端だったということだろうか。

 

「けれども、支配人だけでは劇団は成り立ちません。演者が揃わなければ何もできませんし、楽師がいなければ、どれだけ演者が熱を込めようとも盛り上がりに欠けることになりますから。そこをキュルケの伝手で何とかできないかと思いまして」

 

「そう言われても、あたしに演劇関係に知り合いはいないわよ」

 

「キュルケが知らずとも、どなたかそういった関係者を抱えているか、伝手のある貴族に心当たりはございませんか?」

 

「そう言われてもね……」

 

ゲルマニアでは演劇はそれほど盛んではない。演劇関係なら、むしろトリステインの方が盛んなくらいだ。と、そこで一人の顔が頭に浮かんだ。

 

「あたしには心当たりはいないわね。そういうことなら、むしろトリステインの貴族であるルイズの方が詳しいんじゃないかしら」

 

「そうかもしれませんね。では、一緒に尋ねてみましょうか?」

 

「え? あたしも一緒に?」

 

ルイズとはアルビオンへの同行などで、少しは関係が改善した。とはいえ、そこは昔から因縁の深い両家の間。やはり、まだまだ気安い関係とはいかない。

 

「実際に劇団を主宰していただくのはツェルプストー家になるのです。キュルケは本当に話を聞いておかなくてよいのですか?」

 

そう言われてしまうと、ローゼマインだけで行ってきて、とは言えない。そもそも劇団を諦めればよいのでは、という言葉を飲み込み、あたしはルイズの部屋へと向かった。

 

「ハルケギニアでは他者の部屋を訪ねるのに、面会予約を取らなくてよいので、話が早く進むのはよいことですね」

 

何と言って協力を要請するか、あたしの足取りは少し重いというのに、ローゼマインは呑気にそんなことを言っている。足取りは重いと言っても女子寮の中のこと。すぐに目的地であるルイズの部屋に到着した。ノックをして、中からの誰何の声に答えると、ルイズは不審げな顔ながら扉を開いた。

 

「あら、ローゼマインもいたのね。今日は一体どうしたの?」

 

「それが、ローゼマインが劇団を主宰したいって言ってきてね。トリステインの公爵家であるルイズの家なら演者や楽師に心当たりがあるんじゃないかと思って」

 

あたしの言葉を聞いたルイズが顔をひきつらせた。

 

「と、当然、知っているに決まっているでしょう。演者や楽師なんて余り過ぎててどうしようか困っていたところよ」

 

これは見栄を張っているだけだ。そう一瞬で理解できた。

 

「ねえ、ルイズ。演者が余るって、どういう状況よ」

 

「え!? ええと……そう、舞台の数が足りないのよ」

 

「上演回数を増やせばいいんじゃないの?」

 

「上演回数は、もう一杯になってるのよ」

 

なんだか、見栄を張るにしても内容が下手すぎる気がする。

 

「ねえ、もしかして貴女、芝居を見たことがないの?」

 

「そんなわけないじゃない。ちゃんと見たことがあるわよ」

 

「何回?」

 

「に……二回……」

 

ふむふむ、一回しか見たことがないけど、少しだけ見栄を張って二回と言ったと。

 

「ローゼマイン、あたしの人選ミスだったわ。他を当たりましょう」

 

「待って、本当に心当たりはあるから」

 

「本当に?」

 

「ええ、わたしはあまり詳しくないけど、姉さまなら知っているはずだわ」

 

ルイズには姉がいたらしい。サイトへの接し方から、どちらかと言うとルイズが姉の方だと思っていたが、違ったようだ。

 

「それで、お姉さんはどんな伝手があるの?」

 

「わたしの姉さまは身体が弱くて外で活発に活動できない分……ん、ちょっと待って、どうしてわたしがツェルプストーに協力しなければいけないのよ!」

 

あ、それに気付いちゃったか。

 

「あたしへの協力じゃないわ。むしろトリステインのための協力よ」

 

「トリステインのため?」

 

「そうよ。ローゼマインは主宰した劇団をアルビオンでも公演させて情報を得ようとしているのよ。そうして、港の軍艦に多くの兵士が乗り込んでいるという情報を事前に掴められれば、前回のように奇襲を受けることもないでしょう」

 

そう言うとルイズは考え込んだ。前回の奇襲でトリステインの空軍は大変な損害を受けたと聞いている。ルイズとしても奇襲を察知するというのは優先度の高い事柄だろう。

 

「わかったわ。姉さまに手紙を書いてみる」

 

ちなみに、そう聞いたときに上手くいったことを喜ぶより先に思ったのが、ルイズって自前のオルドナンツを持っていないんだ、というどうでもいいことだったあたり、あたしは随分とオルドナンツに慣らされてしまったらしい。

 

とりあえず今回の件が上手く事が運んだなら、謝礼としてオルドナンツを贈ってもいいかもしれない。そんなことを考えながら、あたしはルイズの部屋をあとにした。




原作副題が使えないと気づくのが遅い。


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アンリエッタを追って

「さきほど、女王陛下が何者かによってかどわかされました。警護のものを蹴散らし、馬で駆け去った賊を追跡するため、お手持ちのオルドナンツを全て譲っていただきたい」

 

わたしのもとに、王宮からそんなオルドナンツが飛んできたのはルイズと一緒に訪問をしてから数日後の、深夜のことだった。急ぎ起きだしてきたリーゼレータに手早く衣装を改めてもらい、わたしは側近たちを部屋に召集した。簡単に事情を説明して、申し出を受けるべきか相談する。

 

「断る、ということは難しいでしょうね。アンリエッタ様の捜索に非協力的な態度を示すならば、今すぐにでもここを立たねばなりません」

 

ハルトムートの意見にわたしは大きく頷いた。

 

「ハルトムートの言う通りでしょうね。今のアンリエッタ様は救国の英雄として国民から慕われています。わたくしたちの協力がなかったから、彼女の命が失われたなどと言われては堪りません」

 

協力しても責任を押し付けられる可能性はあるが、何もしないよりはましなはずだ。それにゲルマニアにとっても今のアンリエッタはトリステインの纏め役として重要な人物だ。移住を考えているキュルケの実家がトリステインと国境を接している以上、トリステインの混乱は余波を避けられない。アンリエッタの奪還はわたしにとっても価値が高い。

 

「皆、申し訳ございませんが急ぎ支度を整えてくださいませ」

 

わたしは救出にも助力する旨を吹き込んだオルドナンツを飛ばし、側近たちは慌ただしく出立の用意を始めた。今回は戦闘になる可能性が高いので、同行をするのはマティアスとラウレンツの護衛騎士二名に、上級貴族のハルトムートとクラリッサの四人だ。そのうち、用意の音に気付いたキュルケ、タバサ、ルイズの三人も起きだしてきて、わたしたちと一緒に王宮に向かうと言ってきた。

 

正直、アンリエッタに忠誠を誓うルイズは無茶をしそうで連れていきたくなかいが、置いていくにも素直に頷いてくれるとも思えない。しぶしぶ三人と平賀を騎獣に乗せて、わたしはトリステインの王宮へと飛び立った。

 

三十分ほどで王宮まで駆け、蜂の巣をつついたような騒ぎとなっている王宮の中庭に騎獣を降ろす。すると、すぐに新しいグリフォン隊の隊長が駆け寄ってきた。

 

「ローゼマイン様、グリフォン隊の隊長を拝命しておりますフルーランスと申します。この度は女王陛下の救出にご協力いただけるとのこと、感謝に堪えません」

 

「挨拶は結構です。女王陛下をさらった賊の行方に宛てはございますか?」

 

「賊は街道を南下しております。どうやら、ラ・ロシェールの方面に向かっているようです。間違いなくアルビオンの手のものと思われます。ただちに近隣の警戒と港を封鎖する命令を出しましたが……。先の戦で竜騎士隊がほぼ全滅しております。ヒポグリフと馬の足で賊に追いつければよいのですが……」

 

「でしたら、わたくしの騎獣で追いましょう。フルーランス様は十名ほどを選抜して、急ぎわたくしの騎獣に乗ってくださいませ」

 

「恐れ入ります」

 

竜騎士隊に続いてヒポグリフ隊もすでに発ったとなると、ここにいる中では、わたしの騎獣が最も速い。わたしは大きくした騎獣にフルーランスが選抜した十名の魔法衛士隊の隊員たちを乗せて飛び立った。

 

まずはアンリエッタを連れた賊の向かった方角を確認するため、オルドナンツを飛ばす。羽ばたいた鳥はフルーランスが言った通り、南へと向かった。

 

オルドナンツは相手のおおよその位置を知ることができるという特徴がある。欠点として敵にもわたしたちが捜索をしていることを知らせてしまうことになるけど、害意があるなら、誘拐でなく殺害をしているはずなので、今回はそれほど問題はないだろう。

 

前方をラウレンツ、後方をマティアス、真下をハルトムートに守られながら、わたしは騎獣を南に進める。クラリッサは定位置となりかけている助手席だ。一時間ほど南に飛行して、再びオルドナンツを飛ばす。オルドナンツの向かった方角から、賊はなおも街道を進んでいると確信する。

 

「オルドナンツから逃れられないと敵も知っているのでしょう。それならば街道を進んだ方がよいと判断したのではないでしょうか?」

 

賊はわたしたちが何個のオルドナンツを持っているかは知らないはずだ。だから、行方を掴まれるのを前提に行動している。けれど、わたしはそれほどたくさんのオルドナンツを使うつもりはない。側近のをかき集めれば十個以上はあったけど、今回、わたしが持ってきたのは三個だけだ。

 

オルドナンツはわたしたちにも必要なものだ。材料を採取すれば補充することはできるとはいえ、ハルケギニアの材料で作ったオルドナンツの使用回数に制限がないかなど、実は調べきれていないのだ。ユルゲンシュミットで作った価値の高いオルドナンツはそうそう使いたくない。

 

夜明け前の街道を南下し続けていると、黒々とした何かが前方に見えてくる。キュルケがすかさず炎の球を前方に発射した。

 

見えてきたのは、無残な姿に変わり果てたヒポグリフ隊の姿だった。焼け焦げた死体や、手足がバラバラにもがれた死体が街道上に転がっている。血を吐いて倒れたヒポグリフも何匹も倒れている。

 

「フルーランス様、ハルトムートの騎獣で下に降りて生存者がいないか確認してくださいませ。マティアスはわたくしを、ラウレンツはフルーランス様を護衛してください」

 

わたしたちはヒポグリフ隊の隊員の顔を知らない。敵が負傷者のふりをして倒れていないか確認するためにはフルーランスの助力が必要だ。

 

フルーランスが息のある者がいないか確認する中、ハルトムートはシュタープを出して負傷者が急に起きだして攻撃してこないか警戒する。その間、ラウレンツは騎獣に乗ったまま油断なく周囲を見回す。わたしはその間、上空で待機だ。少し待っているとオルドナンツが飛んできて、クラリッサの腕に止まる。

 

「生存者がいました。ヒポグリフ隊の隊員で間違いないようです。深い傷を負っているようですので、お手数ですがローゼマイン様のお力をお貸しいただけますか?」

 

「すぐに向かいます、とお答えしてくださいませ」

 

クラリッサが隣でハルトムートへの伝言を吹き込んでいる中、わたしはハルトムートのシュタープの光を目指して騎獣を降下させる。けれど、騎獣が地面に降りるという瞬間に、四方八方から魔法が飛んできた。奇襲を予想していたタバサとフルーランスは空気の壁で、マティアスとラウレンツが盾で魔法を防ぐ。その間にわたしは祝詞を唱える。

 

「守りを司る風の女神シュツェーリアよ。側に仕える眷属たる十二の女神よ。我の祈りを聞き届け、聖なる力を与え給え。害意持つものを近付けぬ風の盾を、我が手に」

 

完成した盾の中で一息ついたわたしは、続いてフリュートレーネの杖を作り出した。生存者もかなりの重傷のはずだ。早く癒してあげないと、助からなくなるかもしれない。幸か不幸か、貴族院二年生時の卒業式での襲撃やダールドルフ子爵夫人による聖典の盗難の一件でわたしも随分と血に慣れてしまったようだ。悲惨な光景の中でも淀みなく祝詞を唱えられるようになった。

 

「水の女神フリュートレーネの眷属たる癒しの女神ルングシュメールよ。我の祈りを聞き届け、聖なる力を与え給え。ゲドゥルリーヒのために戦い、負傷した者を癒す力を我が手に。御身に捧ぐは聖なる調べ。至上の波紋を投げかけて清らかなる御加護を賜わらん」

 

緑の祝福の光が風の盾の中を覆う。光が収まる頃には三人の衛士が身体を起こしていた。逆に言うと、十数人いると思われた倒れていた人のうち、三人しか助からなかったということだ。

 

少しすると、敵の攻撃が止んだ。わたしの風の盾を突破することを諦めたのかと思っていたら、草むらからゆらりと影が立ち上がった。その中にウェールズの姿があった。やはり、クロムウェルは『アンドバリ』の指輪でレコンキスタの戦力を強化していたようだ。事情が理解できていない周囲の皆に、わたしは水の精霊から聞いた『アンドバリ』の指輪の力を伝える。

 

「ウェールズ様、アンリエッタ様を返してもらいますよ」

 

「ローゼマイン嬢はおかしなことを言いますね。返すもなにも、彼女は彼女の意思で、ぼくにつきしたがっているのですよ」

 

その言葉の通りにウェールズの後ろから、ガウン姿のアンリエッタがあらわれる。

 

「姫さま、こちらにいらしてくださいな! そのウェールズ皇太子は、ウェールズさまではありません! クロムウェルの持つ『アンドバリ』の指輪というマジックアイテムで蘇った皇太子の亡霊です」

 

ルイズが叫ぶが、アンリエッタは足を踏み出さない。

 

「見てのとおりだ。さて、取引といこうじゃないか。ここできみたちとやりあってもいいが、ぼくたちはヒポグリフ隊との戦いで馬を失ってしまった。朝までに馬を調達しなくてはいけないし、道中危険もあるだろう。魔法はなるべく温存したい」

 

そう語るウェールズの隙を突き、タバサが得意の『ウィンディ・アイシクル』で攻撃する。何本もの氷の矢がウェールズの体を貫いた。しかし、ウェールズは倒れず、それどころか傷口が見る間にふさがっていく。

 

「見たでしょう! それは王子じゃないわ! 別のなにかなのよ! 姫さま!」

 

「お願いよ、ルイズ。杖をおさめてちょうだい。わたしたちを、行かせてちょうだい」

 

「何をおっしゃるの! 姫さま! それはウェールズ皇太子じゃないのですよ! 姫さまは騙されているんだわ!」

 

説得を試みるルイズに対して、アンリエッタはにっこりと笑った。

 

「そんなことは知ってるわ。でも、それでもわたしはかまわない。ルイズ、あなたは人を好きになったことがないのね。本気で好きになったら、何もかもを捨てても、ついて行きたいと思うものよ。嘘かもしれなくても、信じざるをえないものよ。わたしは誓ったのよルイズ。かつてラグドリアン湖で水の精霊の前で誓約の言葉を口にしたの。『ウェールズさまに変わらぬ愛を誓います』と。世のすべてに嘘をついても、自分の気持ちには嘘はつけないわ」

 

「そのお気持ちは、国や民の命すべてよりも優先されるべきものですか?」

 

わたしの問いにアンリエッタは逡巡を見せながらも頷いた。

 

「アンリエッタ様を救出するために追いかけ、ヒポグリフ隊の者たちは散っていきました。彼らにも家族がいたでしょう。愛する夫を、子を、兄を失った遺族の前でも、アンリエッタ様は同じ言葉を言えますか?」

 

「ええ、わたしは、ウェールズさま以外のすべてを捨てましたから」

 

口ではそう言いながらも、アンリエッタの視線は、呆然としているフルーランスたちを避けている。さすがに後ろめたくはあるようだ。

 

「ルイズ・フランソワーズ。わたしのあなたに対する、最後の命令よ。道をあけなさい」

 

「アンリエッタ様はご自身で王族としての責任を放棄しておいて、ルイズ様には王族として命令をする。シュラートラウムの訪れにはまだ早いのではございませんか?」

 

寝言は寝てから言え、という意味だけど、アンリエッタは理解できていないようだ。それはそうだねと思うが、咄嗟に口をついて出る言葉がユルゲンシュミット式の婉曲表現となる辺りいつの間にかわたしも貴族文化に馴染んでしまっていたようだ。

 

「姫さま。恋も、愛もしらねえ、女とまともにつきあったことのない俺にだって、そんなのは愛でもなんでもねえことぐれえはわかる。それはただの盲目だ。頭に血がのぼってワケがわからなくなってるだけだ」

 

わたしたちの言葉を聞いていた平賀が怒りに肩を震わせながら言った。

 

「どきなさい。これは命令よ」

 

「あいにく、俺はあんたの部下でもなんでもねえ。それに、ローゼマインが言ったとおり、あんたは王族の責任を放棄したんだろ。命令なんかきけねえよ。どうしても行くって言うんなら……、しかたねえ。俺はあんたをたたっ斬る」

 

その後、一番初めに動いたのはウェールズだった。

 

「相棒、奴ら逃げるつもりだぜ!」

 

ウェールズの呪文を聞いたデルフリンガーからのアドバイスを受け、平賀はわたしの盾を出てウェールズに飛びかかる。しかし、平賀は水の壁によって吹き飛ばされた。

 

「ウェールズさまには、指一本たりとも触れさせないわ」

 

水の壁は平賀を押しつぶすかのように動く、しかし、次の瞬間アンリエッタの前の空間が爆発する。爆風でアンリエッタが吹き飛び、平賀への魔法は効果を失った。

 

「姫さまといえども、わたしの使い魔には指一本たりとも触れさせませんわ」

 

いつの間にか、平賀を追ってルイズも盾の外に出ていた。これで二人はアンリエッタとの敵対が確定した。さて、わたしたちはどう動くべきか。アンリエッタがアルビオンに付けば、トリステインの動揺は激しいものになる。けれど、わたしたちが独断でアンリエッタと戦うのもよくない。わたしはフルーランスに視線を向ける。

 

「フルーランス様、たとえお体を傷つけることになっててもアンリエッタ様の出奔を止めるか、このまま行かせるか、フルーランス様はどちらがよいとお考えですか?」

 

フルーランスはしばし黙考した後、顔をあげた。

 

「アンリエッタ様は敵の魔法で正気を失われているようだ。皆、ウェールズ皇太子の亡霊を討ち、アンリエッタ様を救出せよ」

 

フルーランスの言葉を聞いて、わたしの盾の中で散開していた魔法衛士隊がばたばたと外に駆け出る。キュルケとタバサも臨戦態勢を取る。

 

激しい戦いが、始まろうとしていた。



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ヘクサゴン・スペル

ローゼマインの魔法の盾の中で、ルイズは歯がゆい思いを抱えていた。ルイズの魔法は詠唱時間が長い。そのため乱戦の中では使用できる見込みが低いのだ。それゆえローゼマインの盾の中に退避して周囲の味方の戦いを見守ることしかできない。

 

魔法が飛び交う中、サイトは剣を振り続けている。けれど、サイトがせっかく切り裂いた敵の傷はすぐに塞がってしまう。タバサやフルーランスの魔法も同じだ。これでは、いくら数で勝っていても優勢に立つことはできない。

 

けれど、敵も強力な魔法を使う余裕はないようで、多く使えるドットの魔法で少しずつ弱らせる方法をとっている。敵の連携は巧みで徐々にローゼマインの盾の中に退避する魔法衛士隊の数が増えている。

 

そんな中、わずかな攻撃の間隙をぬって繰り出されたキュルケの炎球が、一人のメイジを燃やし尽くした。

 

「炎がきくわ! 燃やせばいいのよ!」

 

キュルケの炎が、立て続けに繰り出される。タバサはすぐに攻撃をキュルケの援護に切り替えた。サイトもその支援に回る。自らの使い魔がツェルプストーの支援を行うというのは業腹だが、今はアンリエッタを止めるためだから仕方がない。

 

しかし、キュルケと魔法衛士隊の炎の魔法で四体ほど倒したとき、敵は魔法の射程から一気に離れた。態勢を立て直すつもりらしい。

 

「このまま、少しずつ燃やしていけば……、勝てるかもね」

 

キュルケが呟いた。

 

しかし、天はルイズたちに味方しなかった。ぽつぽつと頬に当たるものに一番先に気がついたのはタバサだった。降り出した雨は、一気に本降りへと変わる。

 

「杖を捨てて! あなたたちを殺したくない!」

 

「姫さまこそ目を覚まして! お願いです!」

 

アンリエッタの声に対するルイズの叫びは、激しく振り出した雨粒でかき消される。

 

「見て御覧なさい! 雨よ! 雨! 雨の中で『水』に勝てると思っているの! この雨のおかげで、わたしたちの勝利は動かなくなったわ!」

 

「そうなんか?」

 

サイトが不安げに叫んだ。キュルケがやれやれと言わんばかりに頷いた。

 

「これであの姫さまは水の壁を全員に張れるわね。あたしの炎も役立たず。タバサの風も、土とこちらの水の魔法、サイトの剣では相手を傷つけることすらできないし……このまま見逃すしかないかもね」

 

キュルケの言っていることは正しい。ここは諦めるしかないのだろうか。

 

「仕方ないですね。一度、風の盾を消します。皆さま、ご自身の身を守れるように備えてくださいませ」

 

しかし、皆を巻き込むわけにはいかないと撤退を決めかけたルイズの耳に届いたのは何か手を持っていると思わせるローゼマインの声だった。

 

「何か手があるの?」

 

「ええ、闇の神の祝福は魔力を奪う効果がございます。おそらく彼らは魔力で動いているのではないでしょうか?」

 

そう言われて、ルイズはワルドの偏在がローゼマインの作ったマントによって消えたことを思い出した。ローゼマインは『アンドバリ』の指輪に対しても同じ事ができると考えたようだ。

 

「それしかないようね。やって。ローゼマイン。自分の身は自分で守るわ」

 

ルイズの答えを聞いたローゼマインが風の盾を消した。

 

「闇の神の祝福を授けます。マティアス、ラウレンツ、復唱してくださいませ」

 

「はっ!」

 

「高く亭亭たる大空を司る、最高神たる闇の神よ。世界を作りし、万物の父よ。我の祈りを聞き届け、聖なる力を与え給え。魔から力を奪い取る御身の祝福を我が武器に。御身に捧ぐは全ての魔力。輪から外れし魔を払う、御身が御加護を賜らん。この地にある命に一時の安らぎを与え給え」

 

呪文を唱えるとマティアスとラウレンツの剣が黒に変わる。

 

「エントヴァフヌング」

 

ローゼマインの杖も同じく色が変わっていたが、すぐに元に戻していた。一方、剣を黒く変えた二人はすぐに騎獣に乗って敵へと向かっていく。風の盾が消えたのを見て、敵が猛攻を仕掛けてくるが、ローゼマインが再び風の盾を作るまでの間、マティアス、ラウレンツ、ハルトムートに加えて騎獣から降りたクラリッサも盾を手に敵の魔法を防ぐ。

 

そしてタバサやフルーランス、グリフォン隊とヒポグリフ隊の生き残りも残る力を振り絞り、各々の得意魔法で敵の攻撃を防ぐ。ルイズも急いで傍まで戻ってきたサイトから離れないようにして、ローゼマインの魔法が完成するのを待った。

 

「害意持つものを近付けぬ風の盾を、我が手に」

 

再びローゼマインの風の魔法が完成し、安全となったルイズは一息つく。黒いマントを手に盾の外に出たマティアスとラウレンツは魔法攻撃に妨害され、がなかなか敵に近づけないでいる。

 

二人は剣で敵を切り裂こうとするが、最初の一人の隙をつくのがやっとで、なかなか数を減らせない。ローゼマインたちは、まだ精神力に余裕があるみたいだけど、このまま見ているだけでいいのだろうか。

 

「思い出した。あいつら、随分懐かしい魔法で動いてやがんなあ……」

 

息を整えているサイトに背負われたデルフリンガーがとぼけた声をあげたのは、ルイズがそう考えていたときだった。

 

「あいつらと俺は、根っこは同じ魔法で動いてんのさ。とにかくお前らの四大系統とは根本から違う、『先住』の魔法さ。ブリミルもあれにゃあ苦労したもんだ」

 

「伝説の剣! 言いたいことがあるんならさっさと言いなさいよ! 役立たずね!」

 

「役立たずはお前さんだ。せっかくの『虚無』の担い手なのに、見てりゃあバカの一つ覚えみてえに『エクスプロージョン』の連発じゃねえか。確かにそいつは強力だが、知ってのとおり精神力を激しく消耗する。今のお前さんじゃ、この前みてえにでかいのは一年に一度撃てるか撃てねえかだ。今のまんまじゃ花火と変わらん。さっさと祈祷書のページをめくりな。ブリミルは、きちんと対策は練ってるのさ」

 

言われて、ルイズは必死に祈祷書のページをめくった。そうして文字が書かれたページを見つける。そこに書かれた古代語のルーンを読み上げた。

 

「……ディスペル・マジック?」

 

「そいつだ。『解除』さ。ローゼマインの闇の神のマントとやらと理屈は一緒だ」

 

ルイズがディスペル・マジックの詠唱を始めると同時に、アンリエッタたちにも動きが見えた。まずはアンリエッタが呪文を唱える。その詠唱にウェールズの詠唱が加わる。水の竜巻が、二人の周りをうねり始めた。

 

『水』、『水』、『水』、そして『風』、『風』、『風』。

 

水と風の六乗。

 

トライアングル同士といえど、このように息が合うことは珍しいと書物で読んだことがあった。ほとんどない、と言っても過言でないとも。しかし、選ばれし王家の血がそれを可能にさせたのだ。

 

けれど、ヘクサゴン・スペルを成立させたものは、単に体に流れる血のみによるものではないだろう。互いの呼吸を図るように二人の詠唱が干渉し合い、巨大に膨れ上がる。

 

絡み合った二つのトライアングルは、やがて巨大な六芒星の竜巻を描き出した。それを見届けたアンリエッタとウェールズの顔に笑みが浮かぶ。

 

一方のルイズは微笑ましい気持ちなど全く抱けない。二人の作り出したのは、津波のような巨大な竜巻だ。この竜巻による暴虐は、城でさえ一撃で吹き飛ばしてしまいそうに見えた。いかにローゼマインの風の盾が強固でも、この魔法は受けきれないかもしれない。

 

でも、ルイズの心に不安はなかった。大丈夫。今回もサイトが、自分の使い魔が、きっと詠唱が完成するまで守ってくれる。その信頼を裏切ることなく、サイトがデルフリンガーを手に颯爽と風の盾の外に立ち塞がる。

 

「勘違いすんなよガンダールヴ。お前さんの仕事は、敵をやっつけることでも、ひこうきとやらを飛ばすことでもねえ。呪文詠唱中の主人を守る。お前さんの仕事はそれだけだ。主人の詠唱を聞いて勇気がみなぎるのは、赤んぼの笑い声を聞いて母親が顔をほころばすのと理屈はいっしょさ。そういう風にできてんのさ」

 

ルイズの魔法が完成するより先に、ウェールズとアンリエッタの呪文が完成した。うねる巨大な水の竜巻がサイトに飛んでくる。サイトは一気にステップを踏んで竜巻の前に飛び出ると、デルフリンガーでそれを受け止めた。

 

デルフリンガーを中心にして、水の竜巻が回転する。巨大な水の城にも見える暴威が懸命に耐えるサイトを吹き飛ばそうとする。

 

サイトは懸命に踏ん張っているようだが、デルフリンガーも魔法本体ではない余波までは防ぎきれないようだ。サイトの体に徐々に傷が増えていく。

 

そして、ついに竜巻から発生した吹き上げる風が、サイトの足を地面からすくい上げる。けれど、空に浮きかけたサイトの体を横から掴む腕があった。見ると、いつの間にか隣に立ったマティアスとラウレンツがサイトの腕を掴みながら盾で側面を守っている。

 

「ローゼマイン様の命だ。感謝しろ」

 

ぶっきらぼうに言ったラウレンツだか、その言葉にはサイトに対する敬意が見えた。主人を守るという同じ使命を持つ者同士、通じ合うものがあったのかもしれない。

 

「耐えるぞ、ラウレンツ、サイト!」

 

「おう!」

 

マティアスの声に答える声もいつになく勇ましい。

 

荒れ狂う巨大な竜巻にもまれながら、サイトが必死に耐え続ける。そして、ついに竜巻は徐々に回転力を失い、そのうちに巨大な滝のように、地面に崩れ落ちた。サイトも一緒に地面へと倒れる。

 

全身鎧を身に纏うマティアスとラウレンツと違って、サイトは傷だらけだ。爪がはがれ、耳がちぎれている。

 

満身創痍となりながらサイトは今回もルイズを助けてくれた。唇を噛み、崩れ落ちる水の隙間からルイズは完成した『ディスペル・マジック』を叩きこんだ。




闇の神の祝詞がシュツェーリアの盾に影響を与えるというのは捏造設定。
原作では可とも不可とも言っていないと思います。
ただ盾の中だとローゼマインの魔力を奉納してしまいそうだなと思ったので。


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戦いの終わり

ルイズの詠唱が完成すると、アンリエッタの周囲に眩い光が発生する。それが収まったときにはアンリエッタとウェールズは地面に倒れていた。

 

凄まじいまでの風と水の竜巻が雨雲まで吹き飛ばしてしまったのか、雨が止んだ。辺りは先程までの激しい戦闘が嘘のように、しんと静まり返っている。けれど、戦闘の終わりの余韻を味わうような余裕はなかった。

 

「どうしてアンリエッタ様まで倒れているのですか!?」

 

「知らないわよ。わたしが使ったのは『解除』の魔法のはずよ!?」

 

ルイズの声にフルーランスが慌ててアンリエッタに駆け寄った。

 

「大丈夫です。気絶しているだけのようです。おそらく精神力の使い過ぎでしょう」

 

その言葉にほっと息を吐く。非はアンリエッタの方にある上、直接、攻撃を仕掛けたのはルイズとはいえ、女王に就任しているアンリエッタの命を奪った戦いで共闘していたとなれば、どのような災いが降りかかるかわからない。

 

アンリエッタの無事を確認したフルーランスは、今度は隣に倒れているウェールズの様子の確認を始める。アンリエッタのときとは違い、フルーランスは剣をウェールズの体に突き刺して傷が治らないかを確認している。

 

「ローゼマイン、サイトのことをお願い」

 

「承りました。ルイズはアンリエッタ様の元に」

 

ルイズがアンリエッタの元に駆け出すと同時に、フルーランス他、グリフォン隊の隊員たちが他の兵たちが起き上がってこないか確認を始めた。アンリエッタの元まで駆け寄ったルイズは、その体にすがりつくようにして必死に名を呼び始める。

 

アンリエッタは自分には信頼できる人がルイズ以外にいないと言ったが、ルイズにこれだけ慕われているのだ。他の貴族には全く慕われていないとは思えない。おそらく本人が気付いていないだけで、アンリエッタを支えてくれる人は他にもいるのではないだろうか。

 

けれど、アンリエッタはフェルディナンドや養父さまや父さまのように付き合っても良い相手、警戒しなければならない相手を教えてくれる保護者がいないのだろう。結果として、誰を信じていいのかわからず、思い出の中のウェールズに縋ったのだろうか。

 

「平賀さん、よく頑張ってくださいました。すぐに癒しを与えますので、もう少しだけ我慢してくださいね」

 

そんなことを考えながら、わたしは平賀の元に行き、フリュートレーネの杖を出す。

 

「水の女神フリュートレーネの眷属たる癒しの女神ルングシュメールよ。我の祈りを聞き届け聖なる力を与え給え。傷つけれられしルイズの騎士を癒す力を我が手に。御身に捧ぐは聖なる調べ。至上の波紋を投げかけて清らかなる御加護を賜わらん」

 

緑色の光が平賀の体を包む。はがれていた爪やちぎれていた耳が元に戻っていく。色々と嫌な思いもしたこともあったけど、こうして魔術で誰かを助けることができるのは、貴族になったからこそだ。今更ながらわたしを貴族として教育してくれたフェルディナンドには感謝しなければならない。

 

「もう大丈夫だ。ルイズのところに行こう」

 

傷が完治した平賀がそう言ってルイズの元に向かい、わたしはその後を側近たちに囲まれた状態でゆっくりと追う。アンドバリの指輪の恐ろしさを知った側近たちは、いつも以上に厳戒態勢でルイズたちのように駆け寄るということは許してくれないのだ。

 

「ん……」

 

わたしがアンリエッタの側に立ったとき、ちょうどアンリエッタが目を開けた。その目が自分を覗き込んでいるルイズの姿を捉えたのか、口が小さく、ルイズ、と動く。

 

「はい、姫さま、ルイズです。お怪我はありませんか!」

 

けれど、その言葉を聞いたアンリエッタが確認したのは自らの体ではなく、隣に横たわる今は動かないウェールズだった。じっと見つめて、もうウェールズが起き上がることはないと悟ると、そっと目を伏せた。

 

「あるべきものは、あるべきところへ戻ったということですね」

 

アンリエッタも理性では、自分が縋ろうとしたものが偽りであったことに気付いていたのだろう。それでも感情が理解をすることを拒んでしまった。けれど、事が終わった今は、戦いの最中に見せていたような激情は見せず、ただ静かに自らの顔を両手で覆い悲しみに暮れている。

 

「姫さま、ウェールズ様の元に行かなくてよいのですか?」

 

「その資格はありません。わたくしは幼き頃よりわたくしを慕ってくれたあなたや、わたくしを救出に来てくれた者たちに杖を向けたのですよ。本当にわたくしは、なんてことをしてしまったのかしら」

 

「目が覚めましたか?」

 

そう問うたルイズにアンリエッタはゆっくりと頷いた。

 

「なんと言って謝ればいいの? わたくしのために傷ついた人々に、なんと言って赦しをこえばいいの? 教えてちょうだい。ルイズ」

 

「それはアンリエッタ様が考えなければならないことです。その答えだけはルイズに求めてはなりません」

 

目が覚めたかと聞いたときの声音から、ルイズが簡単に赦すと言うとは思えない。けれど、ここで厳しいことを言うのはわたしの方が適任だろう。一度、民を裏切ったアンリエッタは、これから一層、厳しい立場に置かれるはずだ。そのときに、弱音を吐ける相手は一人くらいは残しておいた方がいい。

 

今日の一件で、さすがにアンリエッタに期待する気はなくなった。けれど、今日のことでトリステイン国内に纏まりがなくなるのも困る。それでは、来るべきアルビオンの再侵攻の折に敗北が必至となってしまう。

 

「まずはできることから始められてはいかがですか?」

 

少しでも信頼回復になればと、言いながら怪我を負っているグリフォン隊の隊員たちを見ると、アンリエッタもわたしの意図に気付いたようだ。

 

「皆様にはお詫びの言葉もありませんわ。怪我をされたかた、どうかわたくしに治療をさせてください」

 

そう呼びかけて怪我を負った者たちを集めると、ひとりひとりに声をかけながらルーンを唱えていく。アンリエッタはウェールズと一緒に唱えた水の竜巻の魔法に魔力を注ぎすぎて気絶までしていた。それでも、『水』の力をたくわえているという王家の杖の力も借り、贖罪をするかのように力を振り絞って魔法を使い続ける。

 

グリフォン隊全員の治療を終えたアンリエッタは今度は亡くなったヒポグリフ隊の隊員たちと、ルイズの魔法でアンドバリの指輪の力から解放された者たちを見渡した。彼らの亡骸も街道に置いたままというわけにはいかないだろう。

 

皆で協力して敵味方を問わず、遺体を木陰へと運んでいく。その間は誰もが無言だった。ヒポグリフ隊の隊員を運んでいる間も、ルイズやキュルケ、タバサ、フルーランスたちはおろか、当のヒポグリフ隊の生き残りも誰もアンリエッタを責める言葉も、赦す言葉も吐き出すことはなかった。

 

「こちらとは少し様式が違うと思いますけど、わたくしでよろしければ、彼らを悼むための儀式をいたしましょう」

 

運び終わったところで声をかけると、アンリエッタは目を瞬かせた。

 

「ローゼマイン様が、ですか?」

 

「わたくしは、エーレンフェストにいる頃は、神事を行う立場にいましたから」

 

「そうですか。わたくしのために亡くなった皆のため、お願いできますか」

 

「かしこまりました」

 

わたしがシュタープを出して祈り始めると、側近達も同じようにシュタープを出す。わたしは皆に死者を送る祝詞を教えて、皆で祈りを捧げる。

 

「高く亭亭たる大空を司る、最高神は闇と光の夫婦神よ、我等の祈りを聞き届け、はるか高みに向かう者達へ、御身の祝福を与え給え。御身に捧ぐは弔いの歌。最上の御加護を、不帰の客へ」

 

わたしのシュタープから光と闇が飛び出し、空へ向かって上がっていく。わたしの側近たちのシュタープの他、ルイズやキュルケ、アンリエッタやフルーランスたちの杖からも祝福の光が飛び出し、空へと上がっていった。

 

白と黒の光が捩じれ合いながら空から降ってきたのは、その直後だった。光はウェールズたちへと降り注いでその体を包んでいく。

 

少しして光が消える。そこではウェールズが立ち上がってこちらを見つめていた。



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奇跡のひととき

光の中に立っているウェールズの姿を見て、俺はデルフリンガーを構え直した。俺の隣ではフルーランスたちも杖を抜いて呪文の詠唱を始めている。

 

「サイトくん」

 

ウェールズの声は、ニューカッスル城で俺のことを優しい少年だと言ってくれたときと同じ穏やかな響きを持っていた。

 

「サイトくん、ラ・ヴァリエール嬢、アンリエッタを止めてくれて、ありがとう」

 

今のウェールズからはアンドバリの指輪に操られていた頃のような危険な冷たさを感じない。俺と共にワルドと戦ってくれた勇敢で優しいアルビオンでのウェールズだ。

 

「……アンリエッタ」

 

弱々しく、消え入りそうな声だったけど、アンリエッタは肩を震わせていた。

 

奇跡がハルケギニアに存在するとしたら、まさにこのときがそうなのだろう。

 

ルイズの『ディスペル・マジック』で偽りの命を吹き飛ばしたところに、ローゼマインと一緒に行った皆の祈りがわずかに残っていたウェールズの生命の息吹に火をともしたのかもしれない。俺は、なんとなくそう思った。

 

「ウェールズさま……」

 

アンリエッタが思い人の名を呼んだ。けれど、駆け寄ることはしなかった。この場には、ウェールズたちによって同僚の大半を失ったヒポグリフ隊の生き残りもいる。彼らの前でウェールズの元に向かうことは、さすがにできないようだった。ただ、それでも目から流れる涙は止められずにいる。

 

「ウェールズさまは……」

 

どのくらい今の状態でいられるのか。それは重要なことだけど、アンリエッタには聞きにくいことだろう。だから、俺が代わりに聞こうとしたけど、その前にウェールズは首を横に振った。

 

「一度死んだ肉体は、二度と蘇えることはない。ぼくも本当は、そのまま消えてしまうはずだった。けれど、消えようとしていたぼくの意識に、アンリエッタやラ・ヴァリエール嬢、サイトくんたちの声が聞こえた。ぼくはローゼマイン様の魔力と皆の祈りによって、ほんのちょっと帰ってこられただけなんだろう」

 

「ウェールズさま、いや、いやですわ……、またわたくしを一人にするの?」

 

ついに耐え切れず、アンリエッタが涙ながらに自らの思いを発する。

 

「迷惑をかけたトリステインの皆さんに伝えておきたいことがあります」

 

けれど、ウェールズが語り始めたのはアンリエッタの思いに対する答えではなかった。

 

「アルビオンの神聖皇帝クロムウェルは虚無の使い手であると自称していますが、それは偽りです。クロムウェルの虚無は、水の精霊から奪ったアンドバリの指輪によるものです。けれど、アンドバリの指輪の脅威度は虚無にも劣らないものです。アンドバリの指輪により蘇った者はクロムウェルの命令に背くことはできません。そして、皆さんがその目で見られた通り、生半可な攻撃は通用しません」

 

「ウェールズ様は、アンドバリの指輪に操られていた間の記憶がおありなのですか?」

 

そう聞いたのはローゼマインだ。

 

「夢の中の光景のように朧気ではあるけれど、一応はすべて覚えています」

 

答えたウェールズが僅かに苦しげなのは、追ってきたヒポグリフ隊の隊員たちを襲ったことも記憶にあるためなのだろう。

 

「ウェールズ様の記憶で何かアルビオンの動向や、クロムウェルに対する重要な情報の記憶はございますか?」

 

「アルビオンについては、先の戦いでの損害を嘆く声を聴いたことがある気がする。そして、クロムウェルのことについては、おそらくになるけれど、背後に糸引く誰かがいる気がする。いかにアンドバリの指輪の力があったとしても、ぼくが見た限り、彼だけの力であれだけの革命が成し遂げられたとは思えない」

 

「そのクロムウェルの背後の誰かについて、心当たりはございますか?」

 

「怪しい者となると、クロムウェルの秘書シェフィールドだと思う」

 

クロムウェル。そして、シェフィールド。俺の敵の姿が見えてきた。

 

そいつらがウェールズを冒涜し、アンリエッタとルイズを傷つけたのだ。赦せない。

 

アルビオンではルイズを騙した。その後はトリステインに対して騙し討ちをしてタルブの村を焼き払った。そして今、アンリエッタを騙そうとした。どこまでアルビオンは卑怯な真似を続ける気だろうか。

 

「アンリエッタ。最後のお願いがあるんだ」

 

俺が強く拳を握りしめていると、ウェールズが一段と穏やかな笑みを浮かべて言った。

 

「最後だなんて、おっしゃらないで」

 

「誓ってくれ、アンリエッタ」

 

けれど、ウェールズはアンリエッタに答えず、言葉を続ける。

 

「なんなりと誓いますわ。なにを誓えばいいの? おっしゃってくださいな」

 

「ぼくを忘れると。忘れて、他の男を愛すると誓ってくれ。その言葉が聞きたい」

 

「無理を言わないで。そんなこと誓えないわ。嘘を誓えるわけがないじゃない」

 

「それでも誓ってあげてくださいませ」

 

そう言ったのはローゼマインだった。

 

「どう考えても嘘だってわかるのに、どうして誓わないといけないんだ?」

 

俺の呟きを拾ったのはハルトムートだった。

 

「アンリエッタ様はトリステイン王家の一人娘なのでしょう。婿を取らなければ、次代が産まれることはありません。そうなれば、アンリエッタ様の次代を巡って必ず国が乱れます。ウェールズ様とて王族です。それをわかっていないはずがありません。それなのに自分への思いを持ち続けろなどと、言えるはずがないでしょう」

 

王族というのは思ったより不自由なものだったらしい。先には望まぬ婚姻でゲルマニアに嫁ぐことになり、今また大切な思いすら捨てるよう迫られている。

 

「お願いだアンリエッタ。じゃないと、ぼくの魂は永劫にさまようだろう。きみはぼくを不幸にしたいのかい?」

 

「……誓います。ウェールズさまを忘れることを。そして、他の誰かを愛することを」

 

アンリエッタは悲しげな顔で、誓いの言葉を口にした。

 

「ありがとう」

 

そう言ったウェールズの体から白と黒の光の粒子が立ち上がり始める。

 

「時間のようだ。さようなら、アンリエッタ」

 

それだけ言ってウェールズは全ての力を使い果たしたかのように、その場に崩れ落ちる。まずはアンリエッタが、少し遅れてルイズがウェールズに駆け寄る。けれど、いくら声をかけようとも、今度こそウェールズは目を開けることがなかった。

 

「意地悪な人」

 

呟いたアンリエッタがゆっくりと目を閉じた。

 

閉じたまぶたから、涙が一筋たれて頬をつたった。

 

ルイズはじっとアンリエッタの様子を見つめて、声を殺すようにして泣いている。俺はそんなルイズの肩を抱いた。

 

ルイズの肩を抱きながら、俺は自分が正しかったのか迷い始めていた。

 

あのとき、アンリエッタを行かせてやったほうが、彼女が言ったように……、幸せだったんじゃないだろうか。偽りの生命でも、偽りの愛でも……、本人が真実と信じられるのら、それでよかったんじゃないだろうか。子供のように泣きじゃくるルイズの肩を抱きながら、俺はずっとそんなことを考え続けていた。

 

「平賀さんは正しかったのだと思いますよ。ウェールズ様を操っていたクロムウェルの狙いがトリステインにあるのは明らかです。夢見心地でウェールズ様とトリステインを滅ぼした後で、ふと正気に戻ったときにアンリエッタ様が負った傷は、今の比ではなかったはずですから」

 

俺の悩みに気付いていたのだろう。ローゼマインは俺の隣でそう呟く。

 

何が正しくて、何が正しくないのか……、これからも俺を悩ませることがあるのだろう。これからもこのような決断を迫られるときがくるだろう。

 

せめてそのとき、己が迷わぬようにと、祈りを込めて俺は強くルイズを抱きしめる。

 

長い夜が終わり、新しい朝が始まろうとしている。俺たちはもう一度、全員で今回の戦いで亡くなった人たちに祈りを捧げて、トリステインへの帰路についた。




次の原作5巻相当、夏季休暇編は6話。


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夏季休暇
夏の始まりと体調不良


トリステイン魔法学院には、日本の学校と同じように夏季休暇があった。それは二ヵ月半にも及ぶ、長い休暇だ。わたしたちは、その長い夏季休暇を利用してキュルケの実家であるゲルマニアのフォン・ツェルプストー家に向かっていた。目的としては、いざトリステインから離れると決断したときのためのキュルケの実家との関係構築だ。けれど、その前にわたしは一つの難問に直面していた。

 

「ローゼマイン様、ご気分はいかがでしょう?」

 

「大丈夫です。今はそれほど具合は悪くありません」

 

私にとっての難問、それはハルケギニアの夏の暑さだった。エーレンフェストは冬の間は雪に閉ざされ、少し北では初夏まで雪が残る地域も多い。そのせいで春を呼ぶ儀式が重要視されることにもなったのだ。そもそもユルゲンシュミット自体がハルケギニアに比べて気候が寒冷なのだと思う。

 

そのユルゲンシュミットのエーレンフェストでさえ、わたしは夏の暑さで体調を崩していた。今はその頃に比べれば丈夫になったとはいえ、それでもハルケギニアの夏を平穏無事に過ごせるほど、わたしの体は丈夫ではないのだ。そのため当初のゲルマニア訪問は諦めて、ラグドリアン湖の湖畔にあるタバサの実家に避暑に向かうという案も出たほどだ。

 

けれど、フォン・ツェルプストー家には劇団の主宰といった本来の貴族としての活動とは全く無関係な事柄でも面倒をかけようとしているのだ。無論、きちんと利益は確保するつもりではいるが、それでも労を負ってもらう以上、一度、きちんと挨拶をしておくべきだろう。その思いで、わたしはゲルマニアに向かっている。

 

「いいえ、やはり顔色が優れないようです。今日はこの近くで休息をいたしましょう」

 

しかし、わたしの体調を見ることにかけては一番のリーゼレータがそう判断したことで、その旅の予定はあえなく変更されることになった。

 

「この辺りで休めるところはございませんか?」

 

休憩を決定したリーゼレータはキュルケに質問を投げかけていた。ちなみに、わたしの許可を得ていないことを諌める声は側近の誰からもあがらない。

 

「……この周辺のことは、あたしは詳しくないわ。聞くのならルイズが一番ね」

 

「ルイズ様、ですか?」

 

思わぬ名前が出てきて、不思議そうに聞いたのはグレーティアだ。

 

「この辺りはヴァリエールの領地なのよ」

 

「確かルイズの領地はキュルケの領地と国境を挟んで隣同士でしたよね。それなら、このままキュルケの領地まで進んでもよいのではありませんか?」

 

「ローゼマイン、そうは言ってもヴァリエールは公爵家だけあって領地も広大だから、ここからだと半日以上はかかるわよ」

 

ハルケギニアの公爵家はエーレンフェストのギーベ並みの領地を保有しているようだ。ここから半日以上となると、リーゼレータがキュルケの領地まで進むことを許可してくれるとは思えない。

 

「仕方がありません。ルイズ様にオルドナンツを飛ばして宿泊できる場所を紹介してもらいましょう。ローゼマイン様もそれでよろしいですね」

 

「ええ、お願いしてよいかしら、リーゼレータ」

 

リーゼレータは許可を求めている態を取っているけど、反対をすれば他の側近も説得に加わってくるだけだ。こと体調のことに限っては、わたしに決定権はない。

 

オルドナンツはリーゼレータからルイズに送られた。そして、その返答がくるまでは馬車を止め、わたしは布を巡らせて目隠しをした木陰に出した騎獣の中で横になっている。側についてくれているのはグレーティアで、リーゼレータはキュルケやタバサや他の側近たちの休憩のためにお茶を淹れてくれている。ちなみに領地にはフォン・ツェルプストー家の使用人がいるということなので、平民の側仕えには学園の仕事に戻ってもらっている。

 

「なぜツェルプストーの関係者をわたくしたちが手助けしなければならないのです!」

 

そうして騎獣の中でうつらうつらとしていると、誰かの叫ぶ声が聞こえてきた。

 

「何かあったのですか?」

 

「ヴァリエール家の方とキュルケ様が言い争いをしているだけです」

 

グレーティアの報告を聞いて、わたしは頭を抱えた。宿泊場所の紹介だけでよかったのだけど、ルイズは実家に連絡を入れたようだ。ヴァリエール家とツェルプストー家は以前から仲が悪かったと聞いている。それはわたしを助けることに抵抗感もあるだろう。

 

「わたくしが行きましょう。あの両家に任せるよりはよいでしょう」

 

「まだお顔の色があまり良くないようです。無理をなさらないでください」

 

リーゼレータの言う通り、まだ体調は良くない。けれど、短時間ならば取り繕うことくらいはできるはずだ。

 

さてヴァリエール家から来たのはどのような人だろう。思いながらわたしは騎獣を片付けて張り巡らされた布の中から出た。

 

そこにいたのは見事なブロンドの女性だった。年齢は二十代後半くらいだろうか。どことなく、顔立ちがルイズに似ているけど、気はさらに強そうだ。

 

「ご足労させてしまい、申し訳ございません。わたくしがルイズに宿泊場所の紹介をお願いしたローゼマイン・トータ・リンクベルク・アドティ・エーレンフェストです」

 

「ヴァリエール家の長女、エレオノールよ。それで、貴女はゲルマニアの貴族なの?」

 

「いいえ、わたくしは召喚の事故により、こちらのフォン・ツェルプストー家のキュルケ様に呼び出されたユルゲンシュミットという遠い国の貴族ですわ」

 

そう言うと、エレオノールは胡散臭そうな目でわたしを見てきた。まあ、そもそも人が召喚されること自体が例がないと言われたのに、更に急に知らない遠い国から来ました、なんて言われたら、そういう反応になるよね。

 

「エレオノール様は白い鳥の形をしたマジックアイテムから伝言をお聞きになられたのではないですか?」

 

「そうよ」

 

「そちらがわたくしたちの国、ユルゲンシュミットで用いられているオルドナンツというマジックアイテムですわ」

 

ハルケギニアに存在しないマジックアイテムを見せれば、信じてもらえる可能性も高まるだろう。わたしがオルドナンツを取り出して見せながら言うと、エレオノールの目が少し鋭くなった。

 

「最近、魔法学院で便利なマジックアイテムが開発されたと聞いているわ。それは魔術学院で開発されたマジックアイテムなのでしょう?」

 

「その通りです。わたくしたちの国で使われているマジックアイテムを元にして、魔法学院で作ったものです。ですので、従来のハルケギニアのマジックアイテムとは随分と異なった特徴を持っているでしょう?」

 

ハルケギニアのマジックアイテムは、概ねそのままの形で効力を発揮する。それに対して、オルドナンツは魔力を注ぐと石が鳥になり、役割を終えるとまた石に戻る。ハルケギニアで開発されたマジックアイテムならば、最初から鳥の形をしているだろう。

 

「確かにあの鳥のマジックアイテムは従来のハルケギニアのマジックアイテムとは異なる点が多いわ。異国の知識を元に作られたと言われると、納得できる部分は多いわね。けれど、それでも貴女が異国の出身という証明にはならないわよ」

 

「ええ、その通りです。ですけど、エレオノール様がわたくしの元に来てくださったのは、わたくしが異国の出身であるかを確認するためでしたでしょうか?」

 

わたしがどこの国の出身かは本質ではないよね、と言うとエレオノールが黙った。元よりきつめの顔立ちをしていることもあって威圧感がある。けれど、わたしはラオブルートを始めとした、もっといかつい顔の面々とやり合ってきたのだ。この程度では怯まない。その状態が少し続き、先に折れたのはエレオノールの方だった。

 

「貴女が異国の出身かどうかはともかく、わたくしに睨まれて全く表情を変えないなんて、ただの子供ではないわね」

 

「お褒めの言葉、ありがとう存じます」

 

「そうやってしっかりと皮肉を言ってくるところとか、本当に可愛くないわね。でも、見たところ顔色もよくないみたいだから、体調不良というのは本当なのでしょう。いいわ、宿泊場所を紹介するから、ついてきなさい」

 

そう言ってエレオノールは自分が乗ってきた馬車に戻っていく。エレオノールに見抜かれた通り、そろそろわたしの体は限界だ。わたしはすぐに馬車に戻り、リーゼレータの肩に頭を預けた。



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エレオノールの見た異国人

ヴァリエール家の長女、エレオノールがフォン・ツェルプストー家の娘であるキュルケや、ローゼマインという異国出身と語る貴族たちを連れてきたのは、街道から少し外れたところにあるヴァリエール家の別邸だ。今はそこのホールでキュルケとローゼマインの側近たちから話を聞いているところだ。

 

「ローゼマイン様のために宿泊場所を提供していただきましたこと、主に代わりお礼を申し上げます」

 

そう言ってきたのはローゼマインの筆頭側仕えと名乗ったリーゼレータという少女だ。貴婦人というものは、どんなときでも身の回りの世話をさせる侍女を最低一人は連れて歩くものだとエレオノールは考えている。侍女を二人連れているローゼマインは異国の出身とはいえ、ひとまず貴婦人としての資格を持っていることになる。貴婦人相手にみすぼらしい宿など紹介してはラ・ヴァリエール家が侮られてしまう。

 

なによりローゼマインたちは、これからツェルプストー家に向かうという。否応なく両者は比較されてしまうのだ。ツェルプストーの客をヴァリエールがもてなすというのは癪ではあるが、ヴァリエールはツェルプストーよりも下だったなどと思われることは、もっと我慢がならない。

 

「いいのよ、他ならぬルイズの紹介だもの」

 

そう答えつつ、リーゼレータの様子を改めて観察する。最初はただの従者かと思っていたけれど、それにしては行動が洗練されすぎている。それで疑問に思ってツェルプストーの娘に聞いたところ、彼女も貴族であるらしい。貴族が侍女をしているということには驚いたが、ローゼマインの国ではそれが普通らしい。

 

ローゼマインの側近は主の生活の世話をする側仕え、主の身を守る護衛騎士、主の執務の補佐をする文官に分けられるらしい。そして、そのいずれもが貴族なのだそうだ。あまりの贅沢さに眩暈がしたが、更に驚くことに今の布陣は全側近の半分程度なのだそうだ。

 

側仕えが侍女で文官が執事と置き換えれば、まだ納得できる。けれど、護衛騎士は異質で、普通の貴族にはそのような存在はいない。大公家まで範囲に入れればクルデンホルフ家ならば同じことをしでかしそうだが、あれは実利よりも見栄を優先した結果だ。

 

平時の護衛としては、公爵家であるヴァリエール家よりも、よほど贅沢な状態に驚いたが、ツェルプストーの娘によると、ローゼマインは異国の王族という話だった。それなら、体調が悪い中でもエレオノール相手に全く怯む様子がなかったことにも少しは納得がいく。

 

「ところで、ルイズとは魔法学院で交流があったということかしら?」

 

エレオノールが聞くと、それまで話していたリーゼレータに代わってハルトムートという文官が前に出てきた。

 

「その通りです。ルイズ様とはトリスタニアの職人を紹介していただいた縁により交流を深めて参りました」

 

「そういえば当家の次女であるカトレアの元にルイズから楽師を紹介してほしいという手紙が届いたようなのだけど、あれも貴方たちが関わっているということ?」

 

「はい、ローゼマイン様はトリステインが諸国の情報を十分に得られていないことを憂い、お手伝いをするために劇団に情報収集をさせるつもりです」

 

「異国の貴族である貴方たちに他国の情報が必要とは思えないけれど?」

 

「いいえ、異国の貴族であるからこそ判断を誤らぬよう、正確な情報が必要なのです」

 

それは寄らば大樹の陰、ということだろうか。そうなると別の問題が発生する。

 

「それで、フォン・ツェルプストー家は異国の王族を招いてどのようなことを企んでいるのかしら?」

 

エレオノールはツェルプストーの娘に、眼光を鋭くして問いかける。

 

「あら、企むなんて穏やかでない言い方ね。あたしはただ、長い夏休みを有意義に過ごしてもらうためにおもてなしをしようとしているだけよ」

 

「実際は異国の知識を独占してしまおうとしているのではないの?」

 

ツェルプストーには実際にローゼマインの国のマジックアイテムを再現するために必要な財力がある。今回は魔法学院と共同で開発したようだが、次も同じとは限らない。

 

エレオノールはトリスタニアの王立魔法研究所、アカデミーに勤めている。ローゼマインが持っている知識がゲルマニアに渡るのは避けなければならない。

 

「心配しなくてもローゼマインは慎重よ。特定の誰かに独占させるよりも広く利を配るような方法を取ると言っていたわ」

 

そう言われたところで、はいそうですかと、信じられるはずがない。

 

「貴方は今回の開発に関わっているということでいいのよね」

 

「ええ、その通りです」

 

エレオノールの問いを、ハルトムートはあっさりと肯定した。

 

「トリステインのアカデミーに協力する気はない? 厚遇を約束するわよ」

 

「私は、ローゼマイン様がはるか高みに向かうことがあったとしても、お供させていただくことになっています。お側を離れるなど考えられません」

 

意味が分からない言葉はあったが、断られていることだけは確かなようだ。

 

「仕方がないわ。引き抜きは諦めましょう。けれど、貴方たちは今後もトリステインに協力するつもりはあるということでいいのよね」

 

「それはローゼマイン様がお決めになることですので」

 

「あら、貴方たちの意見は聞き入れられないの?」

 

「ローゼマイン様のためになると思えば進言はいたしますが、決定はローゼマイン様がなさいます」

 

堂々とした態度を取っているとは思ったが、重要な決定までローゼマインが行っていることには驚かされた。この側近たちは子供が自分たちの行く末を決めることについて、何とも思わないのだろうか。

 

「ローゼマインを所詮は子供と思わない方がいいわよ」

 

そこで口を挟んできたのはツェルプストーの娘だった。

 

「あの子はあたしより、ひょっとしたら貴女よりも優れた判断力を持っているかもしれないからね」

 

「わたくしをたばかるつもり……というわけではないようね」

 

「ええ、確認がしたいのなら、改めて本人と話してみるといいわ」

 

ツェルプストーの娘はそう言うと、視線でエレオノールの背後を示す。振り返ってみると、屋敷に到着してすぐに休息に入ったローゼマインが起きだしてきていた。

 

「もう具合はよくなったの?」

 

「ええ、お陰様でだいぶ楽になりました。ありがとう存じます」

 

「具合が良くなったのなら、一つ質問してもよいかしら?」

 

「ええ、わたくしでお答えができることなら」

 

「貴女なら答えられるはずのことよ。オルドナンツというマジックアイテムについて使い方を教えてくれないかしら」

 

エレオノールが言うと、ローゼマインは意外そうな顔をした。最初から詰問をして相手を警戒させるほど、エレオノールは短絡的ではない。まずは普通の質問からだ。

 

「マジックアイテムが開発されたという話は聞いているけれど、実際に見るのは初めてなのよ。だから、使い方はわからないの」

 

「リーゼレータ、エレオノール様にオルドナンツの使い方を教えて差し上げて」

 

リーゼレータから教えてもらった内容の通り試してみると、色のついた石にしか見えなかったオルドナンツが白い鳥に変わった。その使い方を見ていると、確かにハルケギニアの既存のマジックアイテムとは大きく違う。

 

「これは、なかなか便利そうね」

 

「エレオノール様にはお世話になりましたから、魔法学院で販売した金額と同額でよろしければ、一つお譲りすることもできますけど?」

 

「いただくわ」

 

金額を聞かずに即決したことに、ローゼマインは少し驚いた様子を見せた。だが、ルイズでも買えるような金額をエレオノールが払えないということはありえない。そして予想通りリーゼレータが伝えてきた金額は、思ったよりも少し高いという程度だった。

 

「さすがに手持ちでは足りないわね。支払いはどのようにすればいいかしら?」

 

「でしたら、代金はフォン・ツェルプストー家にお届けくださいませ」

 

あっさり後払いを認めたと思ったら、支払いを担保するための強力な手を用意していたからだった。マジックアイテムの代金を踏み倒したということがフォン・ツェルプストー家に知られるなど、ヴァリエール家としては許容できない。絶妙な手だ。これは確かに油断がならない相手のようだ。

 

「わかったわ。すぐに手配するわ」

 

屋敷に帰ったら至急、手配させなければ。そう心に誓いながら、エレオノールは微笑みを浮かべた。



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キュルケの実家

フォン・ツェルプストーの城は、濃い黒い色をした森の奥深くに建てられていた。その第一印象は、雑多。何と言っても無秩序に増築を重ねたとしか思えないのだ。

 

見た目としては、あまり美しくない。けれど、それはフォン・ツェルプストー家の柔軟性の現れでもあるのだろう。とにかく何でも取り入れてみて、その上で判断する。そのようにしてフォン・ツェルプストー家は大きくなっていったのだ。

 

そんな、ある意味では特徴的な城に入ったわたしたちを出迎えてくれたのは、キュルケによく似た燃えるような赤髪の四十前後に見える男性と、同じ赤い髪でもここまで印象が変わるものかと驚くほど穏やかな笑顔を浮かべる女性だった。

 

「あたしの両親よ」

 

顔つきを見て、そうだろうと思った通りだったようだ。

 

「まずは到着が予定より一日遅れてご迷惑をお掛けしたことをお詫び申し上げます。わたくしは、ローゼマイン・トータ・リンクベルク・アドティ・エーレンフェストと申します。火の神ライデンシャフトの威光輝く良き日、神々のお導きによる出会いに、祝福を祈ることをお許しください」

 

「あたしが許すわ。二人に祝福を送ってあげて」

 

「火の神ライデンシャフトよ、キュルケのお父様とお母さまに祝福を」

 

二人に祝福の光を送っても、キュルケから少しは話を聞いていたのか、二人は思ったよりも驚いた表情を見せなかった。

 

「話には聞いていたが、キュルケは本当に異国の王族を召喚したのだな」

 

「あら、あたしの話を信じてくれていなかったの? 実際にオルドナンツの売買を通じて、これまで交流のなかった貴族とも面識を得ることもできたのに?」

 

「オルドナンツの開発にお前が関わっていたということは確信を持てていたが、それと異国の姫の召喚という話を信じるかどうかは話が別だろう」

 

エレオノールのときもそうだけど、通常はハルケギニア内の幻獣を呼び出すための魔法で異国の人間を呼び出しましたと言われても、簡単には信じれないよね。

 

「さて、ローゼマイン嬢宛てに、トリステインのラ・ヴァリエール家よりオルドナンツの代金が届いていますよ」

 

「もう届けられたのですか?」

 

別に急ぎで受け取る必要がないことから、フォン・ツェルプストー家に届けてくれればよいと言ったのだけど、思った以上にエレオノールは借りを作るのを嫌う性格だったのだろうか。ともかく、届けられた金額はリーゼレータに受け取ってもらう。

 

「昨日、体調を崩されたばかりで長話もないでしょう。ローゼマイン嬢との話は食事の際とするので、まずは部屋へ案内してあげなさい。部屋は三階の客間を用意した」

 

自宅であるので、キュルケはそれだけで場所を理解したようだ。そのキュルケに案内され、わたしたちは用意された部屋に向かう。

 

「お父様と和やかなお話ができてよかったですね」

 

ゲルマニアの首都ヴィンドボナにある魔法学校をやめたキュルケは、両親によって老侯爵と結婚させられそうになり、トリステイン魔法学院に留学したと聞いていた。その一件で両親との関係が悪化しているのではないかと心配したが、杞憂だったようだ。

 

「一時は悪化してたわよ。けど、フーケを捕らえたことで叙勲を受けたのと、オルドナンツの開発で家に利益をもたらせたことで改善したのよ」

 

放蕩娘が定職に就いていたことがわかったような気分だろうか。何にせよ、キュルケの家族関係が改善したのなら良いことだ。

 

「ここよ。ローゼマインの側近にとっては同じ部屋に誰かいた方が安心できると思ったから広めの部屋にベッドを二つ入れてあるわ。天幕も付けているから学院と同じように生活ができるはずよ」

 

「わたくしたちのために、わざわざありがとう存じます」

 

「いいのよ、それじゃ。夕食までゆっくりね」

 

そう言ってキュルケは部屋を出て行く。それを見届けると、側近たちが部屋の中の安全の確認を始めた。側近たちもキュルケの家族がわたしを害するとは、本気では考えていないと思うけど、それでも念には念を入れて行うのがユルゲンシュミットでの常識なので、こればかりは仕方ない。終わるまでわたしは待機だ。

 

「お待たせしました、ローゼマイン様。少し体をお安めください」

 

「ええ、皆も交代で休憩を取ってくださいませ。この場は側仕えが一人と扉の前に護衛騎士が一人いれば十分です」

 

側近たちの部屋はツェルプストー家の使用人たちが整えてくれているはずだ。特に側仕えであるリーゼレータとグレーティアは旅の間、わたしと側近全員に加えてキュルケの世話のために大忙しだったのだ。それに、これからも夏の間、わたしの体調が優れないことが多いことが予想される。わたしが体調を崩している間は、必然的にやることが多くなるので、休めるときはなるべくゆっくり休んでほしい。

 

わたしはツェルプストー家が用意してくれた寝台に入って、横たわりながら本を読んで過ごす。そうして日がほとんど落ちてきた頃にキュルケが部屋に呼びに来た。

 

「どう、ゆっくり疲れは取れた?」

 

「ええ、おかげでゆっくり休めました」

 

「なら、良かったわ」

 

キュルケと話しながら食堂に入る。食堂内は長めのテーブルが一つ。片側にはキュルケの両親がすでに着席しており、その隣に椅子が一つ。こちらはキュルケの席だろう。その反対側には椅子が五つ。そのうち中央を除いた四席の椅子の後ろにフォン・ツェルプストー家の使用人が立っている。

 

「こちらの席の采配はキュルケでしょう? お心遣い、ありがとう存じます」

 

わたしの側近たちは七人だけど、わたしが食事中は側仕え一人と護衛騎士が一人は必ずわたしの背後に付いている。なので、同時に食事をするのは五人だけだ。

 

わたしの給仕はリーゼレータかグレーティアがするものと決まっているので、初めから給仕役は用意をしていない。逆に給仕なしで食事をすることには慣れていない側近たちのために、フォン・ツェルプストー家の使用人を用意してくれたのだ。

 

キュルケたちとわたしたち、それぞれの国の食前の言葉の後、夕食会が始まった。そうしていくらか食事を進めてお茶が淹れられると、キュルケの父が本題を切り出した。

 

「ローゼマイン嬢の発案で稽古をさせている劇団ですが、手始めにゲルマニアの国内から公演を開始しようと思うのですが、どう思われますか?」

 

「良いと思います。最初から見知らぬ場所での公演となると緊張もするでしょうから、まずは経験を積ませることを重視するのが確実だと存じます」

 

とりあえずそう言ってみたけど、わたしに役者の練習の仕方がわかるわけがない。何となく失敗しても大丈夫な場所で経験を積んだ方がいいかな、と思ったくらいだけど、キュルケの父も同じ思いだったのか、大きく頷いていた。

 

「では、手始めに我らの領地内から公演を開始してみましょう」

 

「わたくしたちが滞在している間に初演ができるようなら、見せてくださいませ。観客の反応によって台本を変更する必要もあるかもしれませんから」

 

「無論、初演の際にはローゼマイン嬢のために特等席を取っておくつもりです」

 

「お心遣い、ありがとう存じます」

 

恋物語自体はユルゲンシュミットで何冊も出版してきたわたしだけど、演劇の形で見るのは初めてだ。初演が今から楽しみだ。

 

「ところで、ローゼマイン嬢の国で使われているマジックアイテムはオルドナンツというものだけではないのでしょう? 他のものはないのですか?」

 

「当然、他のものもございます。けれど、多くはハルケギニアのマジックアイテムで代用ができるものなのです。それ以外の物もあるにはあるのですが、消耗品ですので作成者が限られる状況では得策ではないのです」

 

「では製法自体をお伝えしていただくことはできませんか?」

 

「ユルゲンシュミット式のマジックアイテムの作成はシュタープという特別な杖を体の内に取り入れている者か、それと同じ効果を持つマジックアイテムを持つ者でなければできないのです。わたくしたちは、そのマジックアイテムを一つしか保有していませんが、それは友人に譲ってしまったために、ここにはないのです」

 

これは嘘だ。わたしは調合用の魔術具を、まだタバサには譲っていない。けれど、わたしたちにとってハルケギニアに存在しない回復薬を始めとした魔術具は、万が一のときのために秘匿しなければならないものだ。安易に公開はできない。

 

「ですので、当面の間はオルドナンツの数を増やすことに注力するつもりです。その販売の際には再びフォン・ツェルプストー家のお力を借りることになると存じますので、よろしくお願いいたします」

 

「こちらこそ、よろしくお願いいたす」

 

「時の女神ドレッファングーアの本日の糸紡ぎはとても円滑に行われたようですね。それでは、そろそろ下がらせていただきますね」

 

これ以上、ぼろを出す前に今日は部屋に下がって、今後、どこまでの情報を渡すのかの作戦会議をしておくべきだ。そう判断したわたしは食後のお茶の時間を短めにして早々に部屋へと戻った。



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ローゼマインの問題と劇団の初演

ローゼマインが滞在し始めてから一週間が過ぎた。あたしの両親とローゼマインもだいぶ互いの存在に慣れてきて、今ではローゼマインの側仕えと護衛騎士が交代して食事の時間を確保するための、食後のお茶の時間に他愛ない雑談も増えてきた。

 

そうして改めて気付いたこと。それは、あたしが言えることではないけど、ローゼマインがあまり人付き合いが得意ではないということだ。

 

商売のことでは素早く利益計算などをして饒舌に語る。また、好きだという本に関することでも同様だ。けれど、それ以外のことになると、どちらかというと聞き役に回っていることが多い。

 

考えてみれば、学院でも普段から話をしているのは、あたし、タバサ、ルイズにサイトの四人くらいだ。アルビオンやお宝探しで何日も行動をともにしたギーシュであっても、何か用事があれば、といった感じだ。

 

ローゼマインに近づく者には護衛騎士が目を光らせているという事情があるので、普通の学生同士のように交流を行い辛いという事情も、あるにはある。けれど、ローゼマインの方から話しかけることは、護衛騎士たちも止めたりはしない。

 

ローゼマインが話しかけると相手も身構えるため、単なる交流のために話しかけにくいのは確かだろう。でも、それよりもローゼマイン自身が他の学生に対して関心が薄いのが、交流の広がらない最大の原因に思えてならない。ローゼマインは他の学生に話しかけないのではない。他の学生を話しかける対象として意識していない様子が見えるのだ。

 

ハルトムートはローゼマインを慈悲深いエーレンフェストの聖女だと言っていた。けれども、ローゼマインが関心を払うのは、おそらくローゼマインが庇護しなければならない相手だけなのではないだろうか。

 

それが顕著だったのが、アルビオンが侵攻してきたときだ。あたしはゲルマニアの貴族であるため、多くは知らないけど、後から聞いた限りでは積極的に非戦闘員を守ろうと行動したようには思えなかった。彼女の領地の民は彼女が守るべき相手であるため、力を尽すのだろうが、トリステインやアルビオンの民は彼女が守るべき相手ではないのだろう。

 

そして、関心が薄い相手に対しては助けられるなら助ける、というスタンスを崩さない。目をかけていたシエスタも命の危険を冒してまで救出する範囲には入っていなかった。

 

学院内にいるトリステインの貴族たちにしても同じだ。おそらく庇護すべき対象でないため、関心を払うことがなく、関心を払っていないために興味が薄いのだろう。

 

「けれど、あたしにタバサにルイズにサイトにローゼマイン、よくもこれだけ学院の輪から外れてるのばかり集まったものよね」

 

あたしは入学早々、男性関係で多くの女子生徒を敵に回して孤立気味。タバサは極端に無口であるため、ほとんど会話をしないため孤立気味。ルイズは魔法がまったく使えないくせに公爵家の令嬢として妙にプライドばかり高くて孤立気味。サイトは平民であるため、貴族のための魔法学院では、そもそも孤立気味。そしてローゼマインは異国の王族であること、そもそもローゼマイン自身に他者への関心が薄いために孤立気味。

 

我ながら、最近の交流相手には頭を抱えてしまうが、その中でもやはりローゼマインは異色だ。あたしにしてもタバサにしても、そもそもトリステインの貴族との付き合いを望んでいないという面もあった。ルイズの人付き合いの苦手も全方面だ。

 

それに比べて、ローゼマインは一見してしっかりと人付き合いができているように見えてしまう所が異なる。学院長のオスマンや女王アンリエッタやらと交流をしているくせに、いざ後で振り返ってみると、身近な相手との交流が疎かになっているのだ。

 

魔法の実力は目を見張るほどだし、商売に関する知識や交渉力は大人顔負け。それなのに正式には同じ学院生ではないとはいえ、同じ教室で学んでいる同級生との交流という当たり前のことが上手くできていない。全方面に喧嘩を売っていたあたしが言えることではないけど、ローゼマインはどこか歪だ。

 

と、ローゼマインの人付き合いへの評価はともかく、今日はあたしたちツェルプストー家にとって重要な、主宰する劇団の初演の日だ。そのため演劇の台本を用意したローゼマインと一緒に観劇することになっている。

 

あたしが部屋を訪ねると、ローゼマインはすでに外出の用意を終えていた。ローゼマインも今日の初演を楽しみにしていたのだろう。

 

あたしはツェルプストー家主催の劇団キュントの初演の場となる広場へとローゼマインたちを案内した。広場には天幕が張り巡らされた一角があり、これが楽屋で、何もない中央の広場が演劇の場だ。観客席も木箱を置いただけというお手軽すぎる劇場だけど、募集した素人も混じった劇団員たちの修行の場と考えれば上等だろう。

 

ちなみに劇団の名前は、ローゼマインたちの国の芸術の女神というキュントズィールから取った。さすがにキュントズィールではハルケギニアの人間には呼びにくいし、長すぎるのでキュントとした。由来は全く異なるが、結果としては恋物語を主に演じる劇団の名前として良いものになったのではないだろうか。

 

三十人ほどの観客たちがいる中、あたしたちはフォン・ツェルプストー家用として用意させていた最前列の特等席に腰掛ける。それと同時に、楽屋代わりの天幕の中から騎士の出で立ちの若者が出てきた。

 

騎士は自分の名を名乗った後、心優しい姫に心惹かれて騎士団長を目指していることを高らかに宣言した。騎士は始祖ブリミルに加護を願い、必死に努力をして騎士団内で頭角を現し、ついに騎士団長に就任する。しかし、それからが本当の試練で、姫と騎士との恋愛には様々な障害が……という話だ。結果的には障害を乗り越えて二人は結ばれるのだが、その間に登場人物たちが感情を詩的に歌いあげていくのが特徴的だ。

 

ちなみに、歌い上げられる詩を作ったのは主にタバサだ。ローゼマインたちが当初、作り上げた詩は妙に神への感謝が多く、しかも回りくどくてまどろっこしいもので、観客の心に届かないことが懸念された。それで、ハルケギニアの物語も多く読んでいるタバサが、よりこちらに合った表現に直したのだ。タバサがよく本を読んでいるのは知っていたけど、文才もあったのは意外だった。

 

演者には、まだまだぎこちなさが見えるが、それでも観客は始めて聞く音楽と高らかに歌い上げられる詩に引き込まれている様子だ。改善点も多いが、初演としては及第点ではないだろうか。

 

「ローゼマインはどう思った?」

 

「そうですね。歌詞については、タバサに随分と嚙み砕いてもらいましたが、それでもまだ難しい箇所があったようでした。貴族の前で公演するときと、平民向けに公演するときでは歌詞を変える必要があるかもしれませんね」

 

言われてみれば、劇中に意味を確認するささやき声が聞こえた気がする。なるほど、確かに文学作品にも触れる機会の多い貴族と、そもそも識字率も高くない平民では歌詞の理解に差が出るのは当然だ。

 

「それなら富豪層が多いのか、普通の平民が多いのかといった客層によっても分けるべきかしら?」

 

「それは難しいところでしょうね。貴族向けなら演出面も含めて特別な上演としたと言い訳ができそうですが、平民の間で分けてしまうと、話に聞いていたのと違う、といった印象を持つ方がでてくるのは避けられません。ですが、富豪の屋敷に招待されての公演などでは、考えてもよいかもしれませんね」

 

なるほど、普通の平民の中にも知識を持つ者はいる。平民間での区別は、馬鹿にされたと感じる者も出るかもしれない。

 

「じゃあ、従来通りの台本に加えて平民向けに少し平易にした台本を作ってみて、それで数公演してみて反応を確認してみるってことでいい?」

 

「ええ、最初から何から何まで上手くはいきません。試行錯誤して少しずつ良いものに仕上げていきましょう」

 

タバサがいないので、ローゼマインが直した台本を確認するのはあたしの役割だ。いざ自分で試してみると、ほんの数文字の修正におそろしく時間がかかる。

 

「ああもう、元のままでいいかも」

 

「そう投げやりにならず。ひとまずお茶を飲んで心を落ち着けてはいかがですか?」

 

「もらうわ」

 

そうして、なぜか机に向かう日が多いという、あたしは例年と異なるゲルマニアでの夏の日を過ごした。ちなみに、そんなあたしを見て、両親がようやく落ち着いてくれたと喜んでいたが、あたしはそんなに不良娘だった覚えはない。けれど、古くからの使用人たちにそのように伝えた際の反応は、微苦笑という明らかに両親側のもので、あたしは少しだけ、今までの自分を反省した。



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王宮での情報収集

一ヵ月ほどをキュルケの実家で過ごし、オルドナンツ十個を置き土産にして、わたしたちはトリステイン魔法学院に帰ってきていた。夏季休暇の終わりまでゲルマニアで過ごすという手もあったけど、台本の修正や商売の話が一通り終わったこと、そして、ゲルマニアではハルケギニアの魔法研究の面で、停滞が避けられないことから、予定を切り上げた。

 

そうして今は毎朝、魔法学院から王宮に向かい、王室図書館でハルケギニアの魔法の研究を進めている。これはアルビオンがトリステインに侵攻してきた折に協力する条件として閲覧許可を取り付けたものだ。

 

トリステインは今、ゲルマニアとともにアルビオンに侵攻をかける準備を進めていることは、わたしの耳にも入っている。国民からの怨嗟の声も気にせず、アンリエッタは税率を引き上げ、戦列艦の建造を進めているようだ。

 

ウェールズの死を冒涜したアルビオンをアンリエッタは深く恨んでいる。もしも父さんや母さん、トゥーリやフェルディナンドをあのように扱われれば、わたしも怒りを抑えられる自信がない。けれど、それでもアルビオンに攻め込むというのは間違っていると思う。

 

ほんの数か月前、トリステインはアルビオン相手に敗北必至という状況まで追い込まれていた。あの戦いでアルビオン艦隊も大打撃を受けたとはいえ、急造の艦隊で簡単に勝利を収められるとは思えない。よしんば勝てたとして、国民に多くの犠牲が出るだろう。

 

アルビオンの打倒は今のトリステインにとって国是であるというのはわからなくはない。アルビオンはいずれ必ずトリステインに再侵攻を仕掛けてくる。それがわかっているのならば、アルビオンが戦力を低下させている今が好機と考えるのも間違いではないだろう。

 

それでも勝つか負けるかわからない戦いを仕掛けるべきではない。特にアルビオンは空に浮いているという性質上、上陸したら簡単には退けないのだから。

 

「ふん! 平民の女風情が!」

 

その声が聞こえてきた方を見ると、短く切った金髪と澄みきった青い目の女騎士と、壮年の男性がいた。男性の方は杖を持っているから貴族なのだろう。一方、女騎士は腰に杖ではなく細く長い剣を持っている。

 

それでアンリエッタがタルブの戦いで貴族に劣らぬ戦果を挙げた平民にシュヴァリエの位を与えて貴族に取り立てたという話を思い出した。名前は確かアニエス。

 

「平民出身のシュヴァリエが珍しいですか?」

 

視線に気づいたのか女騎士がわたしたちに話しかけてきた。その視線には警戒の色が見える。アニエスは護衛の不足を補うためにアンリエッタが新設した銃士隊の隊長だったはずだ。だったら、トリステインの民でないのに王宮内をうろつくわたしたちを警戒するのは当然だろう。

 

「わたくしたちの国では魔力のない者が貴族となることはできません。ですが、それはわたくしたちの国では魔力により個人の識別がされていたりと、魔力が必須だからです。そうでない場所では魔力のない者でも活躍をしておりますし、先に訪れたゲルマニアではメイジでない貴族ともお会いしました」

 

「それは……?」

 

「貴族にもできることとできないことがございます。わたくしが知る貴族には書類仕事が全くできない者もいました。騎士としてはとても強いのですけど、書類仕事に関しては平民の方がよほど頼りになりました。アニエス様も貴族にできないことができるのならば何ら恥じることなくアンリエッタ様の護衛騎士として勤めてよいのではないでしょうか」

 

わたしも神殿に入った直後、青色神官たちから色々と言われた。身分のことは、なるべく気にしないようにすることはできても、全く気にしないことはできない。それに、同じ失敗をしたのでも、原因に身分を絡められ余計な非難を浴びるのだ。経験があるからこそ、少しだけエールを送っておく。もっとも、当のアニエスは急に聞かれてもいないことを話しだしたわたしを呆気にとられたように見ているだけなのだけど。

 

アニエスと別れてわたしは王室図書館で始祖ブリミルとミョズニトニルンの記述を探していく。けれど、調べれば調べるほど、わからなくなってくる。

 

「また、前に調べたことと矛盾ですか」

 

いかんせん伝説といわれるほど古い時代の話なのだ。失伝してしまった内容もあると覚悟はしていたけど、それ以上に後世に伝わる段階で内容が変わってしまったと思われるものも多いのだ。これはユルゲンシュミットでも同じだった。最近になって、わたしが行った儀式などを通じて神事の重要性が見直され、これまで忘れ去られていた新たな資料などが見つかることも増えてきたけど、それでもまだまだだ。

 

ともかく矛盾する記述が見つかったときには、どちらの記述が正しいのかを判定しなければならない。二つだと判断が難しいとして、複数の資料があった場合だと、単純に考えれば数が多い記述を信じるのが正しいように思える。けれど、間違った記述を元にして後の資料が書かれていた場合、当然にその先の記述も間違ったものになる。誰がどんな伝承を元に本に残したのかは非常に重要だ。

 

「ですけど、作者に関する情報は伝承以上に残っていないのですよね」

 

わたしの言葉にクラリッサとローデリヒはよくわかっていないという表情でいる。そもそもユルゲンシュミットでは、歴史学のようなものは発達していない。伝えられていることが真実とされ、異伝のようなものが存在しないのだ。おそらく身分制が厳しいので、上位者が正しいと言ったことが、正しいこととして残ってしまうためだろう。

 

学術的な正しさと身分の上下は関係ない。けれど、上位者に睨まれるとわかっていて下の者が反論の声を上げづらいのもわかる。何とかできないものだろうか。

 

「まあ、それは今、考えることじゃないか」

 

「何かおっしゃられましたか?」

 

「いいえ、何でもございません」

 

これまでにやったことのない、本の内容の正しさを推測するという作業を急に覚えることは難しい。そのためハルトムートは本分の情報収集に励んでもらっている。開戦の時期などを探り、その直前には王宮に近寄らないようにすることも必要だからだ。

 

「戻りました、ローゼマイン様」

 

情報収集から戻ったハルトムートに、すかさず盗聴防止の魔術具を渡す。

 

「何かわかったことはございましたか?」

 

「アンリエッタ様はおそらく魔法を忌避しています」

 

「それは、どのような根拠によるものですか?」

 

「アンリエッタ様が護衛の不足を理由に平民のみの部隊を新設したことはご存知だと思います。ですが、それ自体は正しいとしてアンリエッタ様は平民出身のアニエスを重用しすぎているのです。異性であるため側に仕えるには不向きですが、警備ということならば、本来ならフルーランス様、あるいはマンティコア隊の隊長であるド・ゼッサール様が中心となるべきです」

 

確かに、戦闘力という面ではどうしても魔力が高い方が有利だ。いざという時に犠牲になるということを考えれば、わたしは護衛騎士だけは平民から取り立てようとは思わない。

 

「ウェールズ様のことで一時的に魔術を目にしたくなくなっているのかもしれませんね。けれど急な変化は、どのような影響が出るかわかりません。危険ですね」

 

わたしが思い付きのままに急激に変化させすぎないように、フェルディナンドは時にはわたしの考えを却下することで、結果的にわたしを守ってくれた。けれど、アンリエッタの周囲にはそのような相手はいないようだ。

 

アンリエッタが急激に登用した平民たちと、従来のやり方を望む貴族たち。力関係が逆転していればまだしも、未だ貴族側の力の方が強いのだ。貴族側が力で平民を排除しようとして争いが起きることがなければいいと、切に思う。

 

「アルビオンとの戦の準備についてはどうですか?」

 

「戦列艦五十隻に加えて、二万の傭兵と諸侯の一万五千の兵、それにゲルマニアからの援軍を加えて、アルビオンに侵攻するための準備を着々と整えているようです」

 

それは貴族のみが戦闘を行うユルゲンシュミットでは、ありえない規模の遠征軍だ。そこまで準備が進められているのなら、もう立ち止まることはできないだろう。

 

避けられない戦の気配に、わたしはため息をつくと避難のタイミングを考え始めた。



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火竜山脈での採取の失敗

昨年、多くの他の貴族が実家へと帰省する中、タバサは夏季休暇をトリステイン魔法学院で過ごした。それは今年も同じだと思っていた。ガリア王家から横やりが入りやすい実家は、タバサにとって、けして心安らかに過ごせる場所ではなかったからだ。

 

けれど、ローゼマインがユレーヴェという薬で母を救える可能性を見せてくれたことで、今年は採集に励むことになった。火の素材の採集地として目を付けていた火竜山脈に赴き、タバサが単独で狩ることができるぎりぎりを狙って魔獣を倒し、その牙や爪、果ては心臓まで取り出して精神力を注いでみた。

 

その結果、いくつかの素材は魔石化をさせることができた。けれど、それはローゼマインから伝えられていた濃い青色とは程遠いものだった。多くの魔石の色は薄い青色。それならば良い方で、中には薄い赤色のものもあった。

 

どれだけ採取をしても結果に繋がらず、途方に暮れているタバサに届いたのが、予定を切り上げてローゼマインがトリステインに戻るというキュルケからのオルドナンツだった。それを聞いて、タバサもトリステイン魔法学院へと戻ってきた。

 

トリステインに戻ったローゼマインは、王室図書館で始祖ブリミルの伝説の調査の他にハルケギニアの魔法に関する研究を行っていたらしい。ローゼマインたちの魔法の理解も随分と前進していると、側近であるクラリッサは言っていた。ローゼマインの魔法の研究が進めば、母の治療薬が改善される可能性も高まるため、タバサも嬉しい。

 

「どんな成果があった?」

 

タバサはユルゲンシュミットでは魔術具と呼ばれているマジックアイテムについて、新しいものが再現できたと聞いていた。それがどのようなものか聞くと、ローゼマインは赤い石を見せてくれた。これも魔石と呼ばれるものだろう。

 

「これはどうやって使うもの?」

 

「これを使うには、まずは魔力によって白の建物を作る必要があるのです」

 

「それは錬金で作るってこと?」

 

「似たようなものだと思ってください」

 

建物自体を錬金で作るという話は聞いたことがない。ローゼマインは一体、どれだけの精神力を有しているのだろうか。考えていると、タバサの思いに気付いたようにローゼマインが慌てて訂正をしてきた。

 

「建物すべてを新たに作る必要はないのですよ。隠し部屋に繋がるに扉に相当する部分を構成する小部屋を創造の魔術で作れば、この魔術具は使えるのです」

 

「使うとどうなる?」

 

「隠し部屋を作ることができるのです。ユルゲンシュミットの貴族が感情を露わにしてよいのは、本来は隠し部屋の中だけとされているのです」

 

ローゼマインは感情を隠すのが、とても上手い。好ましくないことを告げられたときでも微笑を浮かべたままだ。ガリア王ジョゼフという敵を抱えたタバサも、感情を表さないことは身に着けたが、タバサが無表情なのに対してローゼマインは笑顔という違いがある。

 

この無表情と無口が災いして、入学当初にキュルケと争うことになったのは今では良い思い出だ。けれど、もしもタバサがもう少し上手く立ち回ることができたら、母が心を失うこともなかったのだろうか。

 

そこまで考えて、タバサは首を横に振った。ジョゼフは自分を苦しめようとしている節がある。笑顔など浮かべようものなら、より苛烈な仕打ちを受けた可能性が高い。両方を身に着けて、時と場合によって使い分けられれば最高なのだろうけど、タバサはその辺りは器用ではない。きっと上手くはいかないだろう。

 

「これを使ってローゼマインは学院の寮に隠し部屋を作るの?」

 

「それなのですけど、少し迷っています。学院内に隠し部屋を作る方が楽なのは確かですけれど、既存の建物の中に別に壁などを作るわけですし、それによって元の建物に影響を与えてしまう可能性もあります。それよりも、学院の塀の外に別に白の建物から作ってしまう方が良いのではないかとも思っています。問題は新しく白の建物を作るための金粉を用意しきれるか、ということですね」

 

「どうして建物を作るのに金粉がいるの?」

 

「それは……そういうものだと思ってくださいませ」

 

どうやら、ローゼマイン自身もよくは知らないらしい。

 

「火の素材について相談したいんだけど」

 

ローゼマインが頷いたので、タバサは火竜山脈で行った採集が良い結果とならなかったことを伝え、実際に魔石化した素材を見せた。

 

「これは青色が薄いので、おそらく他の属性が混じってしまっていますね」

 

そう言うとローゼマインは魔石を持ったまま目を閉じ、何やら集中を始めた。

 

「わかりました。これには土の属性が含まれていますね。一応、土の属性を取り除くこともできなくはありませんが、そもそも火の属性の素材としては、これはあまり適してはいないようです」

 

しばらくして目を開けたローゼマインの言葉はタバサを落胆させるものだった。

 

「これはどのようなものを魔石化したものなのですか?」

 

「それはサラマンダーの油袋を魔石化したもの。それで火の属性が高くないなら、あとは火竜くらいしか対象が思い浮かばないけど、さすがに倒すのが難しい」

 

「サラマンダーというのは火の魔獣でしたね。それなのに土の属性を持っているのは、その魔獣の特性なのか、それとも土地自体が土の属性が強いのか」

 

ローゼマインの呟きの中に見過ごせない言葉があった。

 

「採取した素材の中には赤色の魔石になったものがあった」

 

「それは土の属性の素材ですね。そちらも見せていただけますか?」

 

赤い色なら火属性というのがタバサの感覚だが、ローゼマインたちユルゲンシュミットのメイジには異なる印象となるようだ。ともかくタバサは一度、部屋に戻って急いで赤い色をしている魔石を取ってきて、ローゼマインに見せた。

 

「こちらは土の属性が強いですが、火の属性も含まれているためユレーヴェの素材とするには適しませんね」

 

「火竜山脈は土の属性が強い?」

 

「火竜山脈という名前と火の魔獣が生息しているという情報から火の属性が強いと思っていましたけれど、その可能性はありますね。もっとも、土と火の二属性が強い土地という可能性もありますけど」

 

「これまでは火の属性の素材を採るつもりだったから、サラマンダーとか火の魔獣ばかりを狩っていた。今度は土の素材を採るつもりで探してみる」

 

とはいえ、火竜山脈に生息している土の属性が強い魔獣というのは、すぐには思い浮かばない。夏季休暇も残るは三分の一ほどしかない。これから火竜山脈に向かって、手当たり次第に採取をしてみるのと、先に十分な下調べをするのと、どちらがよいだろうか。

 

「タバサは火竜山脈の土の素材について何か心当たりはありますか?」

 

「ない。けど、アルビオンの時みたいに岩を取ってみようかと思う」

 

「さすがに、そこらの岩を手当たり次第に削っても、良い結果は得られる可能性は低いと思いますよ」

 

それはそうだろう。ならば、やはり下調べに精を出すしかないのだろうか。

 

「ここハルケギニアでも、魔術を使う際に触媒を使用することがあるのですよね」

 

「有名なのは火の触媒の硫黄」

 

「タバサも知っての通り、わたくしたちは今、トリステインの王室図書館で調べ物をしています。そのときに土の魔術の触媒としか使われる素材についても調べてみましょう」

 

「お願い。わたしも魔法学院内で岩について調べてみる」

 

タバサは割と乱読派だが、さすがに石や岩については興味の対象外だった。それにタバサは得意な風と水の属性は多少は触媒にも詳しいが、土の魔法は得意ではないため、触媒等にも詳しくない。改めて読み直してみると何かしら発見もあるかもしれない。

 

今はしっかりと調べる。それが結果的に近道となるはずだ。そう信じてタバサはその日からフェニアのライブラリーに籠ることになった。

 

そうして、タバサは残りの夏の日々を、調べ物をして過ごしたのだった。




次章原作6巻相当は8話。
大きな事件が起こる前夜の話ながら期間が長いので、やや話数多め。
逆に7巻8巻は期間が短いので合わせて一章として8話。
9巻以降はどこを区切りとするか検討中。


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近づく戦火の気配
エントヴィッケルン


魔法学院の夏季休暇が終わってすぐ、わたしたちはガリアにあるタバサの実家へと移動をしていた。移動手段は馬車だ。騎獣で無断で国境を超えることは問題になる可能性がある上に、何より目立つ。お金はかかるが、これが一番、確実なのだ。

 

トリステインとゲルマニアの連合軍は、突貫作業で艦隊を整備して二国合わせて六十隻の戦列艦を作り上げようとしている。この艦数はアルビオンに匹敵する数だという。空では随一の強国であったアルビオンに、今は一時的とはいえ肩を並べたのだ。ここまで準備を整えて、侵攻を取りやめることはないだろう。

 

とはいえ、アルビオン軍の五万に対してトリステインとゲルマニアの連合軍は六万ほどにしかならないようだ。兵力の面での優位は僅かしかない。

 

しかも今回のアルビオン侵攻では、トリステインは兵力の不足を大量の傭兵によって埋めるという。しかし、士官は傭兵で埋めるわけにはいかない。それをトリステインは魔法学院の生徒に短期訓練を行って仕上げるという。その軍務に、ギーシュをはじめとして魔法学院の男子生徒はほとんどが志願した。

 

けれど、魔法学院の生徒たちはユルゲンシュミットの騎士課程のように軍事訓練を積んでいない。しかも初陣。それで、どれだけのことができるか不明だ。

 

志願をしたのは生徒だけではない。教師も男性は、変人コルベールや高齢の者を除いて、ほとんどが出征することになり、それによって授業も半減した。

 

ちなみにキュルケは迷った末に志願を見合わせた。ツェルプストー家の新たに立ち上げた劇団キュントをロマリアでの公演を挟んでアルビオンへと送り込むことになり、その準備を行う必要があったためだ。わたしとしてはキュルケに危険な所に向かってほしくないので、正直なところ、ほっとした。

 

そして、そういった状況から、わたしたちにも何らかの依頼がされる可能性も高まった。今回はそれを避けるための避難だ。そのため当事国であるトリステインとゲルマニア以外としてガリアに向かうことになったのだ。

 

今回の戦いにはルイズも参戦することになったと聞いている。貴族の義務として、ただ参戦するだけでなくアンリエッタはルイズを切札と考えているようだ。アルビオンへの憎悪は虚無の戦争への利用という、アンリエッタの過去の懸念を現実にしてしまったのだ。

 

そんなルイズに半ば流される形で平賀もアルビオン戦に参加するようだ。アンリエッタはアルビオンの竜騎士隊を圧倒した平賀を高く評価している。けれど、平賀の零式艦上戦闘機は先の戦いで銃弾をほとんど使ってしまったと聞いている。

 

今のハルケギニアの技術では、戦闘機が使える銃弾を作ることはできない。となると平賀の戦闘機は移動くらいにしか使えなさそうだけど、アンリエッタはそれを理解できているのだろうか。

 

加えて心配なのが、簡単な勝ち戦だと喧伝されていることだ。負けるかもしれないなど言えないので、勝つと言うしかないということは理解できる。けれど、それを本気で言っているのか、心構えとして言っているのかが、わたしには判断ができない。

 

「タバサは魔法学院に残っていることになっているのですよね」

 

「そう、帰還したことにすると、面倒な命令をされる可能性が高いから」

 

「では、タバサの分も隠し部屋用の魔石を贈った方がよいかもしれませんね。それがあれば万が一、ガリア王の手の者が訪れても、隠し部屋に籠ってやり過ごせますから」

 

「それがあると、色々と助かる」

 

そのような話をしながら、タバサの実家に入った。迎えに出てきた執事のペルスランに簡単な挨拶を終えると、わたしはすぐに建て増し予定地の屋敷の裏側に回って、創造の魔術の準備に入った。

 

一応、学園の外に小さな建物を作ることには成功した。けれど、既存の建物に隣接するようにして部屋の建て増しを行うというのは初めてだ。念のためもう一度、現地と設計書を確認する。ちなみに、この設計書は事前にタバサにも確認してもらっている。これから行うのは領主一族のみに伝えられる魔術であり、知られてはならない闇の神と光の女神の名を唱えなければならないので、わたしは側近たちから少し離れてからシュタープを出す。

 

「スティロ」

 

まずはシュタープを魔法陣を描くためのペンに変化させ、最高神の記号を空中に描いていく。それが完了したら、いよいよ創造の魔術の祝詞を唱え始める。

 

「我は世界を創り給いし神々に祈りと感謝を捧げ、創られた世界に変化を願う者なり」

 

予め手に持っていた金粉が勝手に浮かび上がり、シュタープを変化させたペンの先に集まり、わたしが描いた魔法陣を金色に彩っていく。光を帯びた魔法陣に金粉が飛んでいき、徐々にその複雑さと眩さを増していく。

 

「全てを吸収する力を我が闇の神シックザントラハトの名の下に。新たに創造する力を我が光の女神フェアシュプレーディの名の下に。御身に捧ぐは命の欠片、祈りと感謝を捧げて大いなる夫婦の御加護を賜わらん。新たな憩いの場をこの地に」

 

上空に大きな魔法陣が浮かび上がり、ゆっくりと地面に下りていく。魔法陣の光が触れたところから、木々が白く光る粉に変わっていく。魔法陣の中では大量の白い粉だけが渦を巻いている。

 

魔法陣が地面に付いた。土の色が白に変わり、液体のように動き始める。用意していた設計図が魔法陣に向かって飛んでいき、中心で金色に燃え上がる。次の瞬間、白い土が形を変えて太い柱となっていく。続いて柱と柱の間に幕が張るように白い土が伸びていく。最後に一際眩しい光を放てば建物は完成だ。

 

「これで完成?」

 

「そうです。中の確認を行ってみましょう」

 

ちなみに既存の建物をそのまま残して作ったため、建て増し部分の一階の扉以外に、元は各部屋の窓であった場所から白の建物に入れるようになっている。それを見越して白の建物内の屋敷側には窓の高さまでの階段が作ってある。けれど、既存の建物側にはそのようなものはないので、木箱か何かで簡易の階段を設置する必要があるだろう。

 

ひとまず最初は裏庭側に作った入口から建物の中に入る。ちなみに創造の魔術で作った建物には扉も窓もないのは、こちらでも同じだ。

 

「まずは扉と窓をつけなければなりませんね」

 

建て増し部分は最低限の広さに設計したため、狭くて生活をするのには不便だ。加えて、今は風通しが良すぎて、さすがに落ち着かない。

 

「なるべく早く取り付けさせる。それまでは本館の部屋を使って」

 

「ありがとう存じます。その際の費用については一部は負担させていただきますね」

 

増築をしたのは、そもそもわたしたちがガリア王の手の者の目から隠れるためだ。そのために扉や窓を発注するのだから、費用も持つべきだろう。

 

「助かる。それで隠し部屋というのはどうやって作るの?」

 

「実際に見てもらうのが早いでしょう。わたくしが使う予定の部屋でお見せします」

 

わたしの部屋は基本的に男子禁制なので、リーゼレータ、グレーティア、クラリッサの三人を連れて部屋に入る。その部屋の奥にある壁にわたしは魔石を押し当てた。

 

シュタープを出して呪文を唱えると、赤い光が上に伸びて成人女性でも屈まずに入れるくらいの高さで左右に分かれ、今度は床へと延びていく。二つに分かれていた光が合流して魔石の位置に戻ってくると強い光を放った。これで赤い魔石のはまった隠し部屋への扉ができあがる。後は魔石に手を当てて魔力登録を行えば、隠し部屋の完成だ。

 

「この扉は魔力登録を行った者が許可した者しか開くことができません。見ての通り、壁に扉がついているようにしか見えませんから飾りだと言い張ることはできるでしょう」

 

タバサは実際に扉を開こうとしてみたが、押しても引いてもびくともしない。

 

「中も確認してみますか?」

 

そう言って扉を開いて、わたしの魔力を込めた魔石を渡す。それを持たせてタバサを隠し部屋の中に招き入れた。

 

「え……?」

 

わたしの隠し部屋は、今はただの殺風景な小部屋に過ぎない。それでも、タバサは大いに驚いたようだ。

 

「では、タバサも隠し部屋を作ってみましょう。やり方はわたくしが見せたのと同じですが、何か分からないことがあれば質問してくださいませ」

 

「その前に、この部屋はどこにあるの? 壁にはそんなに厚みはなかったはず」

 

「それは、わたくしも詳しくは存じません」

 

どこか異空間みたいな場所にできているのだろうと思っているけど、フェルディナンドに確認を取ったことはない。隠し部屋の中には、どこにも繋がらない窓さえあるのだ。よく考えてみても、原理はよくわからない。

 

どこか釈然としない様子のタバサを連れて、わたしはタバサのための隠し部屋を作るために歩き出した。




エントヴィッケルンがハルケギニアで使用できるかについて。
決め手はないながら、礎の魔力を使わないフェルディナンドと同じ方法なら可能ということにします。


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火竜山脈での二度目の採集

エントヴィッケルンというローゼマインの国の魔法で屋敷の増築を行ったものの、その建物は窓も扉も存在しないものだった。さすがに普段から使うのには適さないので、通常は窓越しに存在する従来の部屋を使うことになった。しかし、窓の向こうに吹きさらしの部屋があるのは落ち着かない。加えて、職人が窓などを取り付ける際に住人がいると邪魔な上に、その職人の口から見知らぬ住人たちの噂が漏れるのも拙い。

 

そんな訳でタバサは今、ローゼマインの騎獣に乗り、ガリア南部、ロマリアとの国境付近にある火竜山脈に向かっていた。目的はもちろんユレーヴェというものの材料になる素材の採取だ。ちなみに使い魔の風竜シルフィードは魔法学院に向かってもらってキュルケに世話を頼んである。

 

今回はローゼマインという異国の貴族と行動をする以上、なるべく目立たないようにしなければならない。シルフィードは竜の姿のままでは、どうしても目立つ場面があるのと、使い魔の所在によって、タバサも魔法学院にいるとガリア王の密偵に誤認させることも期待できるためだ。

 

直線距離なら二日あれば到着できる距離だが、今回は人目に触れないことも重要になる。ローゼマインに人里から離れた場所を選んでガリアを縦断するように飛んでもらわなければならないため、到着までは片道で三日半もかかってしまう。加えて現地での採取についても最大三日を見込んでいる。

 

そのためタバサが座っている席の後ろには十日分の生活物資が載せられている。騎獣の大きさは任意で変えられるようだが、大きければそれだけ目立つため、最小限にとどめると言っていた。騎獣の中は、今日はいつになく窮屈だ。

 

「火竜山脈というのは、どのような場所なのですか?」

 

「ガリアとロマリアの国境にある山脈で多くの火属性の魔獣がいる」

 

「それなのに魔獣の素材に土属性が混じっているのですよね」

 

ローゼマインも不思議そうだが、タバサは危険な魔獣を相手に苦労して採取した素材が使い物にならなかったのだ。母の治療の可能性への期待に胸を膨らませていたからこそ余計に落胆は大きかった。

 

「ともかく注意して進まなければなりませんね」

 

山や森を選んで進んでいても、哨戒の竜騎士に遭遇する可能性はある。ローゼマインの騎獣は一見すると人が乗っているようには見えないが、見慣れぬ魔獣として調査されると面倒なので、その場合には騎獣を地上に降ろして姿を隠さなければならない。ただ今回は荷物が積み込まれているため魔石に戻すことはできない。せいぜいが皆を降ろした後、大きさを小さくすることくらいしかできないようだ。

 

タバサもガリア軍の所属なので一応の情報は持っている。その情報も活用することで哨戒部隊に捕捉されることはなく、無事に予定の三日半で火竜山脈の麓へと到着した。まずはローゼマインの護衛騎士と協力して宿泊場所と定めた場所の周辺の安全の確保をするために魔獣を狩る。その中でも強力だった魔獣の牙をタバサは魔石化してみた。

 

「やはり土の属性を強く感じますね」

 

「今回、狩ったブラウングリズリーは特に火属性の魔獣じゃないから」

 

「特に属性を感じさせない魔獣が土の属性を持っているということは、やはりこの場所は土の属性が強い場所だったようですね」

 

明確に伝えられたことで、これまでの想定が間違っていたことがはっきりした。火竜山脈は火の魔獣が多いことから、火の属性が強いものだと考えていたけど、実際は土の属性が強い可能性が強まった。それならば、採取する素材は全く別の物にしなければならない。

 

「本格的に土の属性の採取に切り替えるとして、タバサは何か当てはございますか?」

 

「チタンを採取してみようと思う」

 

土の属性が強い素材自体はトリステインで調べてある。

 

「それでは、チタンの採掘の仕方はご存知ですか?」

 

けれど、その採掘の仕方となると首を横に振るしかなかった。タバサは所詮、書物で調べただけだ。自然の中から見つけるというのは難しい。

 

「でしたら、今回はチタンを採掘するのは難しいでしょう。ひとまずは適当に土の属性が強いと思われるものを採取してみましょう。チタンに関しては、まずは市販の品を購入してみて素材としての価値を測るのはいかがでしょう」

 

ローゼマインの発言に同意して、ひとまず野営場所の周囲でも採集可能な素材を集め始めた。差し当たっては、ありきたりな岩の中で土の属性が強いと本にあったものを削って魔石化をしてみた。

 

「やはり土の属性が強いですね」

 

タバサが精神力を集中して魔石化したものをローゼマインに渡すと、しばらく手を当てていたローゼマインがそう言った。

 

「どういたしますか? 持ってきた物資には、まだ余裕がございますが、オルレアン領に帰還いたしますか?」

 

「何度も移動すると発見される危険が高くなる。ローゼマインさえよかったら、できればなるべく採集をしてしまいたい」

 

タバサが他の貴族と一緒に行動していたということが知られれば、それは母の危険に繋がるのだ。用心はし過ぎて悪いことはない。

 

「ええ、それがよいでしょうね。ひょっとしたら、意外なものが高い品質を示すことがあるかもしれませんし」

 

ローゼマインが同意してくれたので、翌日もタバサは早朝から採取を始めた。側仕えに加えて護衛騎士たちはローゼマインの守りに残っているので、タバサに同行するのは文官であるハルトムートとローデリヒだ。

 

そのうちハルトムートは魔法力が高い上級貴族で、加えてローゼマインを守れるように自主的に訓練に励んでいたようだ。実際に、その戦闘力はワルドとの戦いでも垣間見えた。さすがに本職の騎士には敵わないにしても、採取の間の護衛としては不足ない。

 

「あの岩を採取してみたい。その間の護衛をお願いしたい」

 

「ええ、ローゼマイン様から頼まれておりますから。安心して採取してください」

 

そう言ってシュタープというユルゲンシュミットにおける杖を出した二人に背中を預け、タバサは目に入った石英の採取を行う。杖の先に精神力を集めて手ごろな大きさになるようにガツガツと削っていく。

 

「む、魔獣だ。私が迎撃するゆえ、ローデリヒはこの場を頼む」

 

そのうち、ハルトムートがそう言って現れた魔獣を迎撃するために離れていく。

 

「ローデリヒも戦闘の訓練を受けているの?」

 

「私がエーレンフェストで受けていた訓練は、あくまで自分の身を守ることと、護衛騎士の指示に従って動くことまでです。クラリッサのように護衛騎士と同じ訓練を受けていたわけでも、ハルトムートのようにいざというときは戦闘も行えるように訓練を積んだわけでもありませんので、過度な期待はしないでください」

 

ローデリヒがこれまで戦っている場面は見たことがないが、それは戦闘に自信がないからだったようだ。けれど、それは普通のことで、ローデリヒの口ぶりからすると、どうやら文官なのに戦えるハルトムートとクラリッサの方が例外のようだ。それに二人とも上級貴族だと言っていた。メイジもランクが上がるほど戦闘力も上がる。中級貴族のローデリヒが二人と差があるのは当然のことなのだろう。

 

ハルトムートがいたときと違って周辺を警戒しながら、少しずつ石英を削っていく。幸いにもハルトムートが留守の間に魔獣は襲ってこず、無事に石英の採取に成功した。

 

採取した石英に対するローゼマインの評価は、なかなか良い素材ではあるが、他の素材の質を考えると、ユレーヴェに使うには少し品質が足りない、というものだった。品質が足りないこと自体は残念だが、ここで土の属性の素材を採取できる可能性が高いとわかったことは大きな収穫だ。

 

まずはトリスタニアに向かって、そこの市場で買った石英と今回、火竜山脈で採取した石英の品質差を比べる。そして、それを利用して火竜山脈のチタンの品質を予想する。そうして火竜山脈のチタンがユレーヴェの素材たるか検討をした上で、採掘方法等の下調べを万全にした上で実際の採取に赴く。ひとまず、そう予定を立てる。

 

次で採取を成功させることを強く誓ってタバサは火竜山脈をあとにした。



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チタンの魔石化の方法

火竜山脈から戻ったわたしたちは、トリスタニアへと向かって市販品のうちで素材となりそうなものを買い込んだ。その後、素材を魔石化する場所としてトリステイン魔法学院へと戻ってきた。

 

わたしたちがトリステイン魔法学院を離れていたのは、それほど長い時間ではない。それでも、魔法学院の中は緊迫感が更に増しているように思えた。

 

「ローゼマインもタバサも早かったわね」

 

「ええ、調べ物をしなければ有効な採集はできないと判断いたしましたので」

 

「シルフィードは元気?」

 

わたしが答えている間に、タバサが自らの使い魔の風竜の様子を尋ねていた。アルビオンに向かったときもシルフィードは留守番だったが、あの時と今回では環境も違う。心配は尽きないだろう。

 

「ところで、トリステインで何か新しい動きでもございましたか?」

 

キュルケの雰囲気も少し以前と違うような気がして尋ねると、キュルケが声を潜めた。

 

「アンリエッタは女子生徒も予備士官として確保しておくつもりみたいよ。男子生徒を消耗しきったら今度は女子を戦地に投入するってことね。どうやらトリステインは貴族という貴族を戦に駆り出すつもりみたいよ」

 

その話を聞いて、わたしは思わず眉をひそめた。ハルケギニアの戦では大量の平民が動員される。勝っているときならともかく、苦しくなったとき、お行儀のよくない平民たちの中に放り込まれた女子たちの身に、何も起きないと誰が保証してくれるのだろうか。特に今回のような投入の仕方の場合、女子生徒たちが戦地に向かう時は確実に戦況は厳しい状況になっているというのに。

 

ある程度の身辺調査は行われている城の厨房にも、わたしは若い女性であるエラを一人で残すようなことはしなかった。貴族は基本的に平民の感情に疎い。大量の傭兵を投入する次のアルビオン戦に若い女子を向かわせると聞いて、良い感情など持てるはずがない。

 

「近く魔法学院の生徒たちにも軍事教練が施され始めるみたいよ」

 

付け加えられた情報にもわたしはため息をついた。わたしの回りにいれば危険に巻き込まれる可能性があるため、わたしは自分の側近たちに訓練を受けさせた。けれど、これは備えあれば患いなしという話ではない。

 

「魔法学院の皆が心配ですね」

 

「これから始まる軍事教練とやらで、きちんと適正に応じた配置がされることを願うしかないわね」

 

「皆が皆、キュルケのように戦えるわけではありませんからね」

 

「そんなふうに言われると、何だか引っかかるけど、まあそうね」

 

キュルケはアンドバリの指輪で操られたウェールズと戦ったときにも、ためらうことなくアルビオン貴族を燃やしていた。女子生徒に限ったことではないが、同じことを躊躇なく行える生徒と行えない生徒がいると思う。

 

「それにしても、それらの情報は魔法学院にすでに出回っているのですか?」

 

「いいえ、まだ話は城の中にとどまっているわね。けど、ハルトムートが残しておいてくれた伝手と、ルイズにも情報を集めさせたからね。そして、あたしがオールド・オスマンに伝えたから、すでに学園内では公然の秘密ね」

 

「キュルケも随分と情報を集めるのが上手くなったのですね」

 

「ただの貴族だったあたしに、主宰した劇団からの情報の受け取りとか、トリステイン王宮内の情報の取り纏めとかを手伝わさせた誰かのおかげでね」

 

うん、わたしのせいだね。けれど、ゲルマニアの気風というのか、キュルケには元から素養はあったように見えた。

 

それに、集めた情報はフォン・ツェルプストー家の商売の拡大にも寄与しているのだから良いことではないだろうか。そもそも商売自体が貴族の本業ではないと言われたら、それまでだけど。

 

「タバサも気になるでしょうから、まずはシルフィードの様子を見ておきましょうか。その後は、わたくしが学院の外に作った建物内でトリスタニアで購入した素材の魔石化を試してみようと思いますが、せっかくですからキュルケもご覧になりますか?」

 

「ローゼマインたちが今度は何をするのか気になるから、見せてもらうわ」

 

そう答えたキュルケと一緒に白の建物に入り、そこでトリスタニアで買ってきた石英をタバサに魔石化させる。

 

「この魔石から、主属性以外の雑多な魔力を抜いていくのです。その抜いた属性の量と残された魔力量で素材の価値が決まるのです」

 

「雑多な魔力が少なくて、残された魔力が多いのが良い素材ってこと?」

 

「そういうことですね」

 

答えながらわたしは、市販の石英から雑多な魔力を抜いていく。ちなみにこの作業は自らの得意としている属性以外に対しては非常に難しいらしい。タバサもこの作業は未だに成功させられていない。

 

ハルトムートが言うには、この属性ごとに魔力を抜くという作業はユルゲンシュミットの貴族でも非常に難易度が高いらしい。言われてみれば、わたしも最初は苦戦した記憶があるし、ヴィルフリートも同じだったと思う。魔力を移動させるということ自体に慣れていないハルケギニアの貴族には、難しいというのがハルトムートの見解だ。

 

タバサの場合、目的はあくまでユレーヴェに近いものを作ることで、魔力の扱いに慣れるのは手段にすぎない。雑多な魔力の少ない素材を選べば、そもそも魔力を抜くという作業も必要がないわけで、素材の価値を知るだけならば、わたしが代わればいい。

 

「そうですね。この石英は雑多な魔力が多すぎます。これでは、とてもユレーヴェには使えませんね」

 

最初の石英は価値がかなり低かった。これはトリステイン国内で採れたものだ。次に手に取ったのは火竜山脈で産出された石英だ。

 

「こちらの石英からは土の属性を強く感じられます。トリステインの石英に比べても、だいぶ品質が良いようですね。やはり火竜山脈は土の属性がかなり高い場所であると言えると思います」

 

「次はチタンを試してみる」

 

そう言ってタバサがチタンに魔力を流し始める。けれど、なかなか魔石化しない。それでもタバサは諦めず、魔力を注ぎ続ける。

 

「そこまでです」

 

タバサの額に大粒の汗が浮かぶのを見て、わたしはタバサからチタンを取り上げた。

 

「どうして魔石化しない?」

 

「理由はわかりません。そもそもチタンは魔石化ができないのか、それとも他に理由があるのか。ひとまずわたくしも試してみましょう」

 

品質を比べるためにトリスタニアで購入していた別のチタンの鉱石を取り出して、わたしは魔力を流し始める。そうして魔力を流していく中でわかったこと。それはハルケギニアのチタンは、中に不純物を多く含んでいるということだ。

 

「このチタンには不純物が多すぎます。それが魔石化ができない原因である可能性がありますね」

 

チタンは非常に製錬が難しい金属だと聞いたことがある。だから、地球でも広く使えるようになったのは最近になってからだったはずだ。科学技術が未発達なハルケギニアでの製錬では限界があるだろう。

 

「じゃあ、チタンは諦めた方がいい?」

 

「いえ、そう決めつけてしまうのは早計です。ここは火のメイジに協力を求めましょう」

 

「わかったわ。何をすればいいの?」

 

「残念ながら、キュルケには向かないと存じます。ここはコルベール先生に協力を求めるのがよいのではないでしょうか」

 

意外な人物であったのか、キュルケが僅かに眉をひそめた。

 

「ミスタ・コルベールにお願いするの?」

 

「キュルケは何か思う所があるようですね」

 

「まあね。学院の男たちのほとんどが戦に赴くというのに、戦いにもっとも向いているはずの火の使い手で教師であるにもかかわらず、戦いが嫌いだと言って従軍を避けるのというのは、さすがにね」

 

「何か事情があるのでしょう。マティアスはコルベール先生を従軍経験があるようだと評していましたから」

 

そう言うと、タバサもわずかにだけど頷いた。どうやらタバサも薄くではあるが感じていたようだった。

 

「ともかくコルベール先生はサイトの戦闘機に使うためのガソリンを精製していましたし、今回のような金属の加工などには造詣が深いと思われます」

 

「ふうん、なら聞くだけ聞いてみましょうか」

 

未だ半信半疑なキュルケと一緒に、わたしはサイトが零式艦上戦闘機を持ち込んで以来よく籠っている、火の塔のとなりにあるコルベールの研究室に向かって歩き出した。



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タバサとの出会いの思い出

タバサの屋敷にいるペルスランから、市販の扉や窓を多少加工すれば取り付けられることがわかったという報告を受け、あたしはタバサやローゼマインたちとオルレアン家の屋敷へと向かっていた。先のガリア行きの際には、その後に採集を行う、ある程度まとまった日程となると聞いていたので動向をしなかったけど、今日は二泊三日の旅ということであたしも同行することにしたのだ。

 

「タバサの家がどんな風になったのか少しだけ興味があったのよね」

 

魔法学院の外に作った建物は、学院の城壁に影響を与えないように完全に分離されて独立した作りになっていた。良くも悪くもゲルマニアは良いと思った物はどこの国の物でも取り入れる主義だ。だからこそローゼマインの国の錬金で作った建物に興味がある。もしも良さそうなら、ツェルプストーの城に対しても増築をしてほしいものだ。

 

ラグドリアン湖から吹く風が馬車の中を涼やかにしてくれる。穏やかな旅のひとときに、あたしとタバサが全く違うタイプなのに親しくしていることを疑問に思っていた、というローゼマインに請われて、あたしたちが仲良くなったきっかけの事件を話した。

 

それは、戦が近づいているなど嘘のような平穏な時間だった。けれど、あたしは知らないうちにそれを壊そうとしていた。本当に、単なる昔話として入学式のときに隣に座っていたタバサの本を取り上げたことを話したその瞬間、ローゼマインの雰囲気が変わった。

 

「本を取り上げたのですか?」

 

ローゼマインは笑顔のままだ。けれど、明確に怒っているとあたしにはわかった。

 

「いえ……あの、入学式中に読んでいたから、ちょっと注意するために、よ」

 

本当は勉強熱心な子供なんていうのが癪にさわったというだけなのだが、敢えて、あたしは事実を歪曲して伝えた。

 

「そうですか。それでは仕方がないですね」

 

そう言ってローゼマインは怒りを収めた。今回の対応は間違っていなかったようだ。

 

「ちなみにユルゲンシュミットでローゼマインは本にいたずらされたことがあるの?」

 

「ええ、ございます。わたくしの図書室を荒らされたことがありました」

 

「荒らされたって、どういうこと?」

 

「本棚に納められていた本が、すべて床に散らかされていたのです」

 

それだけ? という言葉を直前で飲み込めたことを、あたしは自分で褒めてあげたいと思う。なにせ、その後、ローゼマインは大変に物騒な言葉を吐き出したからだ。

 

「他にわたくしの聖典を盗まれたことがありましたが、そのときはブラッディカーニバルを開催しなければならないかと思いましたもの」

 

ブラッディカーニバル。何て危険な響きなのかしら。もしかして、あたしはとんでもないことを話し始めたのでは。

 

あたしとタバサが起こした去年のいざこざの中で本が一冊、犠牲になってしまったことは心の内にしまい込んでおこうと誓った。もしも知られてしまったら、きっとどこかに血の雨が降る気がする。

 

タバサも同じことを思っていたのか、ちらと目を向けると、こくりと小さく頷いていた。これで秘密は守られる。そう思ったのが甘かった。

 

「ところで、キュルケとタバサは何を隠しているのですか?」

 

感情を隠すのに長けるというユルゲンシュミットの貴族の顔色を読めるローゼマインに生半可な隠し事は通用しなかった。本当、こんなときに発揮してくれなくてもよいのに。

 

「いえ、そんな大したことじゃないのよ。入学直後にタバサとちょっとした喧嘩をしたときの詳しい話はお互い恥ずかしいから、あまり話さないようにしようねってだけ」

 

「……そうですか。少し違う気もしますが、今は追及はやめておきましょうか」

 

とりあえず、他人の物を取り上げるのは今後、一切やめよう。実際にタバサと一瞬即発になるところだったし、ローゼマインのように羊の皮を被った虎の尾を踏んでしまっては冗談抜きで命取りになりかねない。

 

「一番を奪うときは命がけ、そう思っていたけど、気付いたときには死んでいたんじゃ後悔しきれないものね」

 

「どうしたのですか、キュルケ? 遠い目をしていますよ」

 

あなたにとって、本当に一番大切なものじゃないでしょう。なんて言葉はローゼマインには通用しない。二番目だろうと三番目だろうと、果ては十番目だろうと、大事と思うものが対象ならば、ローゼマインは敵対してくる気がする。

 

「ローゼマインなら、邪魔な相手を除くのに絶対に決闘なんてしないでしょう?」

 

「そうですね。そのような目立つ手を取らずに密かに除くでしょうね」

 

うん、ローゼマインはそういうタイプだと思う。気付いたときには退学くらいならば良い方で、下手したら毒を飲まされているかもしれない。ルイズやタバサのために労を負ってくれる優しい面がある一方、ローゼマインは興味がないことには冷淡な一面もあるのだ。

 

「ローゼマインがどのような教育を受けてきたのかが心配になるわ」

 

「わたくしの師がディッターの魔王と呼ばれていた方で、悪辣な手段に自然と慣らされてしまいましたので」

 

あたしの心配は斜め上の返答で打ち切られてしまった。これは王族であるローゼマインの環境が特殊なのか、それともユルゲンシュミットが全体的にそのような価値観なのだろうか。少なくとも、そんなことに慣れたくはない。

 

そんな道中での一件はありつつも無事にオルレアン家に到着した。あたしは早速、建て増しをしたという屋敷の裏側に回る。

 

「へえ、ちゃんとほとんど隙間なく作れているのね」

 

「さすがにぴったりとまではいきませんが、不自由を感じるほどではないでしょう?」

 

完全に接した状態にすると、元の建物に影響を与える可能性があるため、拳一つぶんほどは空間を空けることにしたのだと言う。

 

「シャルロットさま、ツェルプストーさまにローゼマインさまも。お待ちしておりました。建物の中をご案内させていただきます」

 

そこで別棟の中で待っていたらしいペルスランが中から出てきて、あたしたちの案内をしてくれる。

 

「一階は小ホールと食堂と会議室となっております。二階にハルトムートさま、マティアスさま、ラウレンツさま、ローデリヒさまのお部屋がございます。あとは繋がってはいませんがシャルロットさまのお部屋もございます」

 

「わたくしを含めると男女比は同じなのですが、わたくしの部屋が皆と同じ広さというわけにはまいりませんので、どうしても男女で完全に階を分けることは難しいのです。それに、元からタバサのお母様のお部屋が二階にございましたので、その向かいをタバサのお部屋にしようと思えば、このようになってしまうのです」

 

「それじゃ、三階がローゼマインと、クラリッサ、リーゼレータとグレーティアの部屋というわけね」

 

あたしの部屋が増築した部分にないことは、訪問前に聞いている。タバサは少し申し訳なさそうにしていたが、長期滞在の予定のないあたしのために別棟の中に一室を用意させるほど、あたしは非常識ではない。あたしは元からある建物の部屋で十分だ。

 

「ローゼマインたちは今から部屋を整えなくちゃいけないんでしょ。あたしはタバサの部屋に行っているから、ここでいいわよ」

 

「タバサ、キュルケの案内はお願いしてよいですか」

 

タバサが頷いたのを見てローゼマインたちは部屋の方に向かっていく。ローゼマインの部屋には侵入者を防ぐために色々と細工をすると言っていた。側近たちの部屋にも大なり小なりあっても、何かしら仕掛けるのだろう。

 

用心深いローゼマインたちはその内容をあたしたちにも秘密にしている。それどころか、普段は部屋に入らない男性の側近たちも、ローゼマインの部屋の詳しい状態は知らないということだった。

 

ローゼマインたちと別れたあたしは、タバサの案内の元、部屋に入った。そしてタバサの隠し部屋というものに入れてもらった。

 

「これ、どうなっているのかしらね」

 

「わからない」

 

ただの壁の中に、ありえないほどの大きさの部屋が広がり、更に窓まであって光が差し込んでいる光景は、はっきり言って非常識だった。そのため部屋の中でタバサと二人、首をひねることになった。



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冶金技術の研究

「いや、まだ諦めるには早い。やっとコツのようなものが掴めてきたのだ。次こそは成功できるはずだ。だから、あと一度だけやらせてくれ!」

 

コルベールの熱弁を聞きながら、わたしはそっと溜息を吐いた。

 

「やはり、諦めた方がよいのかもしれませんね」

 

何度目かのチタンの精製の失敗を見て、わたしがそう言ったところ、研究魂に火がついているコルベールはそう言って再挑戦への同意を迫ってきたのだ。けれど、今の魔法学院はあまり居心地の良い場所ではない。なるべく離れに引きこもって、いるのかいないのかわからないようにしているくらいなので、本音で言えば、あまり滞在していたくない。

 

「ですが、そろそろトリステイン軍は出陣なのでしょう? サイトの飛行機に対して仕掛けを追加するのに忙しいと言っていたではありませんか」

 

「わたしは常々、火が司るものが破壊だけでは寂しいと考えていた。ミス・ローゼマインはそのわたしに、火は高く成長を促す属性であると言ってくれた」

 

そんなこと言った覚えは……いや、雑談をしている折にユルゲンシュミットに関する世間話として属性と季節の関係のことは言ったことがある気がする。ユルゲンシュミットにおいては火が破壊というイメージは全くないのは確かだけど、コルベールにとっては、まさに自分の思いに合致したものだったのだろう。

 

「ミス・ローゼマインの言葉に触発されて蒸気を利用する装置を作ったが、あれでは役には立たないことは、わたしが一番よくわかっていた。けれど、そこにサイトくんは飛行機械のエンジンを持ってきてくれた。あれこそが、わたしの火の力を動力として使うという案の完成形だ。けれども解析すれば解析するほど、今の我々の冶金技術では、同じものを作ることはできないと思い知らされた」

 

春過ぎからの半年強の期間、最も充実した時を過ごしてきたのはコルベールなのではないだろうか。そう思わずにいられない熱量でコルベールは語り続ける。

 

「そして今、ミス・ローゼマインが冶金技術を向上されられるかもしれない方法を示してくれた。これが成功すれば、火の力を動力として用いるために重要な基礎技術を得られるかもしれない。サイトくんの飛行機械への新兵器の取り付けも行ってはいるが、本音を言えば武器を取り付けるというのには、やはり抵抗感があるのだ」

 

「ミスタ・コルベールのお気持ちはよくわかりました。先生がお手間でないのなら、このまま研究を続けていただけると助かります」

 

それだけの労力を投じて精製をしてみたも、結果として素材としては使えないということも十分に考えられる。それにタバサが出している素材の材料費も馬鹿にならないはずだ。正直に言ってしまえば、そろそろ見切りをつけるときではないかと思うのだが、ここまで意欲を見せているコルベールを止めるのは忍びない。

 

それに精製したチタンが素材としては使えなくても、精製の効率的な方法が見つかれば、その方法を売って投じた開発費を回収することもできるだろう。ひとまず開発は続けてもらうという方針でいくとしよう。

 

「では、わたくしは離れに戻らせていただきますね。コルベール先生も、あまり根を詰めすぎないようになさってくださいませ」

 

トリステイン魔法学院内が居心地が悪いのは確かだけど、それはタバサの実家でも変わらない。むしろ、もっと気を張って暮らさないといけない。ここで待つのも、それほど悪いわけではない。そうして側近が図書館から借りてきた本を読みふけるという、平穏な時期ならば夢のような一週間ばかりの引きこもり生活を過ごしたある日の昼過ぎ、待望の知らせがオルドナンツによってもたらされた。

 

「手ごたえのあるものができたぞ! 是非見てくれ、ミス・ローゼマイン!」

 

興奮を抑えきれないというような声を聞いて、わたしはすぐに手の空いている側近だけを連れてコルベールの研究室に向かった。

 

「ローゼマイン様は、少し扉の前で待っていてくださいませ」

 

けれど、すぐに研究室に入ることはできなかった。コルベールの様子にエーレンフェストの寮監であるヒルシュールと同じものを感じたのか、先にリーゼレータが中の様子を確認してくると言い出したのだ。

 

コルベールもヒルシュールと同じように、研究に熱中すると部屋の中の清掃を疎かにする可能性が高い。そして、その予想通り、部屋の中からは慌てて物を片付けるような音が聞こえてきた。

 

「ミス・ローゼマインの国では恐ろしいマジックアイテムがあるのですね」

 

中に入った瞬間、コルベールが溜息を吐きながら言ってきた。コルベールの言うところによると、リーゼレータはこちらでも、指定した範囲のものを全て呑み込む魔術具を使おうとしたようだ。何かに熱中すると他が疎かになる気持ちはよく分かるが、掃除はきちんとしてほしいものだ。

 

「ともかく、ようやく納得のいく品質のものができたのだ。ミス・ローゼマイン、これでどうだろうか」

 

コルベールの手には光を反射して銀に輝く金属があった。一目見て、これまでより桁違いに品質が高いことが見て取れた。けれど、それは必ずしもユレーヴェの素材としての質の高さに繋がるわけではない。

 

「見せていただきますね、ミスタ・コルベール」

 

精製されたチタンを受け取って、わたしは魔力をゆっくりと流し始める。強く感じたのは土の属性だけ。他の属性は火を少し感じるくらいだ。トリステイン産のチタンでは、さすがにそのままユレーヴェの素材とするには、やや品質が足りなそうだけど、火竜山脈で採掘したものなら使える可能性は高いだろう。

 

「ありがとう存じます。ミスタ・コルベール」

 

コルベールに礼を言って研究室を後にすると、わたしはすぐにタバサにチタン精製の成功をオルドナンツで連絡した。タバサからは、すぐにわたしの部屋に向かうと連絡があり、そのままわたしの部屋で作戦会議となった。

 

「チタンはユレーヴェの素材にできそう?」

 

「ええ、素材とできる可能性は高いと思います」

 

「なら、すぐに採掘の準備に入る」

 

無駄になる可能性はあったものの、タバサはすでにチタンの採掘に詳しいトリステインの技師の調査を進めていた。ガリアでの活動を最小限にするためだ。

 

あくまでトリステインの技師であるため、実際の採掘地である火竜山脈の状況など全く把握していない。けれどタバサはトリステイン国内の山で実際にチタンの採掘を練習する予定まで入れていたらしい。

 

「ハルトムートはタバサに同行してくださいませ。採掘の間の護衛と、わたくしたちの研究用に、道中での素材の採集をお願いします」

 

「お任せください」

 

今回、タバサに同行させるのはハルトムートだけだ。側近の文官たちにはアンリエッタから与えられている権限を使って、少しでも役立ちそうな本をトリステイン各地から集めさせている。クラリッサとローデリヒの二人には、そちらを続けてもらうつもりだ。

 

ちなみに男女二人だけでの外出はユルゲンシュミットでは外聞が悪い行為となるが、今回もクラリッサが気にしている様子はない。婚約者とはいっても、相変わらずクラリッサの元にブルーアンファは訪れていないようだ。

 

当初、帰還の目標としていた領主会議の時期はすでに過ぎてしまった。けれど、間に合わなかったと諦めてしまうには早い。

 

ユルゲンシュミットの王族にとって、わたしが唯一のグルトリスハイトのへ手がかりなのだ。仮にディートリンデがすでに処刑されているとして、フェルディナンドに対する連座処分は保留として、白の塔に幽閉して様子を見ている可能性もあるし、フェルディナンド自身が何らかの手段を講じて減刑をさせていることも考えられる。

 

他にも希望がないわけではない。平賀はわたしが地球で死んだときよりも前の時代から、このハルケギニアにやってきている。当てにするのは危険すぎるけど、時の流れが捩じれているのなら、ある程度の時間が経過しても望みはつなげるかもしれない。

 

「ま、さすがにそんなに都合よくはいかないだろうけどね」

 

「ローゼマイン様、何かおっしゃられましたか?」

 

「いいえ、リーゼレータ。つまらない独り言ですので気になさらないでくださいませ」

 

リーゼレータにそう答えて、わたしは今できることを続けるのだった。



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三度目の火竜山脈

トリステインの二か所の山で採掘を試してみて、タバサはローゼマインたちとともに再び火竜山脈を訪れた。今回は比較的長期間の四日の採掘が可能なように、ローゼマインの騎獣の中には十一日分の生活物資が搭載されている。

 

ちなみに今回もシルフィードは留守番だ。シルフィードは不平を言っていたが、今のところはローゼマインたちにもシルフィードの情報を全て開示するつもりはないので仕方ない。帰りにトリスタニアでお土産を買って帰ることで勘弁してもらおう。

 

今回は往路で国内を哨戒飛行している竜騎士と危うく遭遇という危機があった。けれど、視力を強化していたというローゼマインがいち早く気付いたおかげで森の中に姿を隠すことで難を逃れることができた。

 

途中の時間のロスもあり、到着した時間は昼をかなり過ぎていた。魔獣には夜目が利くものも多い。今から採掘に向かって夕闇の中で襲われると危険と判断して、到着の日は周辺の安全確保にとどめることになった。

 

「今回はわたくしたちも採集を行いましょう。マティアスとクラリッサは、わたくしの護衛に付けますが、ラウレンツとハルトムートはタバサについてあげてくださいませ」

 

「それではローゼマイン様の護衛が少なすぎませんか?」

 

「魔獣の気配を感じたら、すぐにロートで救援を要請します。わたくしも付近にいる予定ですし、わたくしのシェツェーリアの盾は皆が戻ってくるまでの時間を稼ぐことくらいできることは、知っているでしょう?」

 

ローゼマインはそうハルトムートに言って、ラウレンツをタバサの採掘の護衛に付けてくれた。ハルトムートも採掘の間の護衛としては十分に頼りになったが、それでも本職でないだけに、目に見えない危険に対する感度は少し低い。そういった意味でもラウレンツが護衛に付いてくれるというのはありがたい。

 

そうして翌日は早朝から採掘が可能な場所を探して火竜山脈を歩き始める。火竜山脈はトリステイン国内で採掘を行った山より遥かに地形が険しい。また、生き物の数自体は少ないのに、こと魔獣に限っては数も多くて強力だ。どうしても周囲を警戒しながらの探索となるため、ペースは遅くなってしまう。

 

「ここで土の素材を採取できたとして、タバサ様は残る火の属性の採集場所について心当たりはあるのですか?」

 

その途中で尋ねてきたのはハルトムートだ。その意図は何となくわかっている。

 

「一応は当てはある。けれど、そこにローゼマインを関わらせるつもりはない」

 

タバサがそう答えたのは、火の属性の秘薬として有名な硫黄がユレーヴェの素材となりえるのではないかと考えてのことだ。けれど、問題なのはハルケギニアで最高級の硫黄の産地として知られている場所だ。

 

最高級の硫黄が取れるのは、宗教国家ロマリア。生まれた国の宗教を信仰している節のあるローゼマインたちにとって非常に相性の悪い場所だ。だからこそ、そこにもローゼマインを連れていくのかどうかをハルトムートは探ってきたのだ。

 

心配しなくとも、これはタバサの問題だ。ローゼマインは協力してくれているにすぎない。甘えすぎてローゼマインを危険に晒すようなことになっては、タバサは自分で自分のことが許せない。

 

「ならば安心ですね」

 

そう言って満足気に頷いたハルトムートは、明らかにローゼマインのことしか考えていない。その極端な思考は日常で傍にいると重苦しく感じそうだが、有事の際には誰よりも信頼ができるだろう。

 

タバサの家の執事であるペルスランと比べると、単純な能力では明らかにハルトムートが上だ。けれど、タバサにはペルスランくらいがちょうどよい。

 

「タバサ様、よろしければ私の騎獣を使いますか?」

 

ハルトムートとの話が終わったタイミングで申し出てくれたのはラウレンツだ。

 

「ローゼマインはユルゲンシュミットでは男女が騎獣に相乗りするのは好ましくないことだと言っていたけど?」

 

「その通りです。けれど、このまま徒歩で採掘ができる場所を探していては時間がかかりすぎるのではありませんか? 幸い、ここには騒ぎ立てる周囲の目はありませんし、そもそも私には婚約者もいないですから」

 

「別に私でも問題ないが? クラリッサはローゼマイン様の負担を少しでも減らすためと言えば、同意してくれるだろうからな」

 

「確かにクラリッサなら、そう言いそうだが、一般的には私の方が適任だろう」

 

話題に出てきたクラリッサも、明らかにローゼマインが第一だ。二人は婚約者だと言っていたはずだが、それでいいのだろうか。クラリッサも非常に優秀なのだけど、やはりタバサにはペルスランくらいがちょうどいい。

 

ともかく申し出自体はありがたい。ラウレンツの騎獣に乗せてもらえれば、探索は格段に早くなる。そう思ってラウレンツの騎獣に跨ったのだが、その瞬間にタバサは思わず顔をしかめた。ラウレンツの騎獣は、ローゼマインの騎獣とは違って、硬くて乗り心地はよくない。

 

「私たちの騎獣はローゼマイン様の騎獣ほど乗り心地が良くはないでしょう?」

 

タバサが頷くと、ハルトムートはローゼマインの素晴らしさを滔々と語り始めた。とりあえずハルトムートのことは無視して、タバサは山肌の様子に集中する。

 

けれども、ここならば、と思えるような場所は、なかなか見つからない。そもそも山の様子がトリステイン国内の山と違うのだ。タバサの数少ない経験から該当箇所を絞り込むのは想像していた以上に難しそうだった。結局、その日は適当に何回か降ろしてもらったが、一度も採掘に至らないまま終えることになった。

 

その話を夕食時にしたところ、翌日の採集にはローゼマインたちも同行してくれることになった。ローゼマインにはアルビオンで風石を光らせた実績がある。手詰まり感もあったので、手助けは非常にありがたい。とはいえ、安易にあのときと同じように場所の絞り込みができるとは考えない方がいいだろう。

 

そうして二日目と三日目はローゼマインの騎獣に乗って採掘ができそうな地点を探して回ることになった。けれど、それでも良質なチタンの採掘ができそうな場所を見つけることはできなかった。

 

そして迎えた最終日、採掘に出る前にローゼマインはグライフェシャーンという幸運の女神の加護をタバサに贈ってくれた。気休めだと言っていたが、ローゼマインの加護を受けたアルビオン貴族がレコンキスタ相手に善戦したという実績もある。

 

期待と迫る期限への焦燥を胸に火竜山脈を巡ってもらう。そうして、ついにトリステイン国内で見た採掘ができる場所に似た風景を見つけた。近くに騎獣を降ろしてもらいタバサは杖の先に精神力を集めて見つけた鉱石を削り取る。

 

「ローゼマイン、この鉱石で大丈夫そう?」

 

削る際に生じた小さな欠片を手渡してタバサが聞くと、ローゼマインは早速、魔石を取り出して雑多な属性を移していく。そうして残った土の属性の量を確認すると、ゆっくりと頷いた。

 

「コルベール先生の精製に比べると、いくらか質は下がることが想定されますので、欲を言えば、もっと高いものの方が望ましいです。ですが、あまり時間も残されていません。今日のところはこちらの採掘で良しとすべきでしょう」

 

ユレーヴェの素材はなるべく他人の精神力が触れないことが要求されるとローゼマインは言っていた。その観点から考えると、精製のための錬金のような他者の精神力にどっぷりと浸かるような魔法は絶対に避けなければならないらしい。

 

けれどもタバサが得意なのは風と水。チタンの精製の際に要求される火と土はどちらも苦手としている。それがコルベールの精製に比べて質が低下すると言われた所以だ。

 

とはいえ、得意な属性というのは変えられるものではない。今、タバサにできることは、できるだけ多くの鉱石を持ち帰り、なるべく多くの精製を試み、その中で最も品質の良いものを魔石化するということだけだ。そう意気込んで大量の鉱石を乗せようとしたタバサは、あまりに多くの量を乗せようとし過ぎて、重量オーバーとハルトムートに叱られた。

 

重量が増えれば騎獣を運用するのが難しくなるのは、少し考えればわかることで、タバサは大いに反省することになった。



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平賀の出陣と魔法学院からの避難

火竜山脈で採掘した鉱石を全て精製し終え、その中で最も品質が高いと判断した素材をタバサは魔石化した。その頃には、アルビオン攻略に向けてトリステイン艦隊の出航する日を迎えていた。

 

平賀とルイズは艦隊とは別に、魔法学院から出発した戦闘機で合流することになっているらしい。出陣の日、平賀はシエスタの曾祖父の形見である飛行眼鏡を首から下げ、背中にはデルフリンガーを背負って、見送るわたしたちの前に現れた。腰からは皮のポーチを下げ、片手に生活用品の入った袋を持っている。

 

「大変だなあ。直接、これでフネに向かうのだろう? こいつを無事にフネにおろすことができるのかね?」

 

「まあ、メイジが何人も魔法をかけてくれるって言ってたし……。無事におろせるんじゃないですかね」

 

何だか不安になるような回答をした平賀に、コルベールは搭載した新兵器の説明をしていた。二人の遣り取りは正確には生徒と教師という関係ではないにもかかわらず、それと類似する良好な関係を築いていることが窺えた。

 

平賀と違って、わたしは側近たちがいる分、ハルケギニアの人たちとの関係は広くて浅い。少しだけ平賀を羨ましく思う気持ちもないではないけど、これもわたしがハルケギニアに深入りすることをしないと決めた結果なのだから仕方がない。

 

「戦地に赴く平賀さんにお守りを作ったのです。疾風の女神シュタイフェリーゼの記号を刻んでいるので、少しなりとも平賀さんの助けになると存じます」

 

「ありがとう」

 

簡易ながら魔法陣を刺繍した、本当に効果があるものなのだが、平賀は受験や試合の前に渡されるお守りのように何気ない様子でポケットにしまい込んだ。ある意味では雑な扱いを見て軽くハルトムートが怒っているが、ユルゲンシュミットの神々については平賀にはろくに説明をしたことがないのだから、仕方がないだろう。

 

それにお守りに使った素材は全てハルケギニアで採取されたもので、特別に価値が高いものではないのだ。更に言うと、素材の糸を魔力で染めたのはわたしだけど、実際に刺繍をしてくれたのはリーゼレータなのだ。平賀に過剰に感謝をされてしまうと、それはそれでいたたまれない。

 

「おせーよ」

 

そうしているうちにルイズが現れたが、平賀の開口一番の言葉は文句だった。

 

「しかたないじゃない! 女の子には準備がいろいろとあるのよ!」

 

「戦争に行くんだぞ。どんな女の子の準備があるっつーのよ」

 

「平賀さん、本当に女性には殿方とは異なる準備もあるのです。そこはしっかりと器量をお見せしませんと、ミス・ヴァリエールの心が離れていってしまうかもしれませんよ」

 

そう言うと、平賀が少したじろいだ。わたしも女性の中では比較的、準備に時間をかけない方だから、平賀の気持ちは少しはわかる。

 

「わずかの時間で平穏を買えるのだと思えば、多少の待ち時間など安いものでしょう」

 

「なんだか妙に実感がこもってるな」

 

悟りきった顔で言っていたのは、わたしのお父様なんだけどね。まあ、そこは語る必要がないことだろう。

 

わたしたちが話している間に、ルイズは平賀を無視して翼によじ登って操縦席に乗り込もうとしている。最近はあまり顔を合わせていなかったので気付かなかったが、ルイズと平賀は、なんとなくよそよそしく見える。

 

「ルイズ、少し待ってくださいませ」

 

そんなルイズを呼び止めて、わたしはルイズにもお守りを渡した。ルイズのお守りに刺繍された記号は幸運の女神グライフェシャーンだ。ルイズがアルビオンとの戦いでどのような役割を担うのかがわからないので汎用的なものにしておいた。

 

「ありがとう」

 

「さすがに戦争には手を貸せませんが、幸運をお祈りしておりますね」

 

ルイズを操縦席に送り出したら、今度は平賀の方に向かう。

 

「ルイズとは、今のうちに仲直りしておいた方がよいですよ」

 

「いや、別にケンカしているとかじゃないから……」

 

そうなのか。まあ、保護者達からは散々な評価をされているわたしの社交力だ。当てにはならないか。

 

話を終えた平賀も操縦席に乗り込んだ。コルベールが魔法でプロペラを回す。

 

「サイトくん! ミス・ヴァリエール! 死ぬなよ! みっともなくたっていい! 卑怯者と呼ばれてもかまわない! ただ死ぬな! 絶対に死ぬな! 絶対に帰ってこい!」

 

それは領主候補生となってしまっているわたしには言えない言葉だった。貴族に体面を考えるなと言うことは、貴族として死ねと言うも同然だ。それに、わたしは側近たちの名を受けている。わたしは誰かに命をかけて守ってもらう側だ。

 

取り繕った言葉しか送れないわたしには、平賀に言葉を送る資格はない。だから、せめてわたしにできることを二人に贈ろう。

 

「炎の神ライデンシャフトが眷属、武勇の神アングリーフの御加護がルイズとサイトにありますように」

 

シュタープを出して二人に祝福を送る。さすがに開戦のときまで効果が続くとは思えないけど、二人にせめてもの餞別だ。コルベールの魔法も借りて平賀たちが飛び立つ。

 

「ミス・ローゼマインはこれからどうするのだ?」

 

平賀の戦闘機が空の彼方に消えたところでコルベールがわたしに尋ねてきた。

 

「わたくしたちは学園を離れてしばし姿を消そうと思います。コルベール先生も戦いがお嫌なのでしたら、同じようにされてはいかがですか?」

 

「それは大変に魅力的だな。けれど、これでもわたしは教師だからな。生徒たちの授業を放り出して姿を隠すわけにはいかない」

 

「そうですね。コルベール先生は教師なのですものね」

 

授業が中止になっているわけではないので、確かにコルベールは姿を隠しにくいだろう。あとはトリステインの第一陣が消耗して強制的にコルベールが徴発されないことを祈るしかない。

 

コルベールと別れて、わたしたちは魔法学院の学生寮に入ってキュルケの部屋に向かう。そこではキュルケがタバサと一緒に次の採集の相談をしていた。

 

「お二人はロマリアに向かうのでしたよね」

 

「ええ、二人でロマリアの硫黄を手に入れてくるわ」

 

宗教国家であるロマリアにわたしを入れるのは危険。かといって無口で人付き合いが苦手なタバサ一人では心配ということで、キュルケはタバサと一緒にロマリアに向かうことにしたようだ。

 

チタンの採掘については一人で段取りを整えたように、タバサも交渉等ができないわけではない。けれど、すでに慣れ親しんだトリステインと違ってロマリアはタバサにとっても初めての地らしい。それなら交渉上手のキュルケがいた方が安心だろう。

 

折よく今はゲルマニアはトリステインと一緒にアルビオン遠征に向かっている最中だ。火の秘薬である硫黄をゲルマニアで高名な火のメイジであるフォン・ツェルプストー家が求めても何ら不自然ではない。

 

「ローゼマインたちはしばらくオルレアン家に潜伏するのよね」

 

「ええ、タバサが留守の間も使ってよいと言ってくださいましたので、お言葉に甘えることにしました」

 

今は良いとして、トリステインが劣勢となり、貴族という貴族を徴発となったら、わたしたちも安穏と暮らせるとは思えない。トリステイン国内に残ることはできない。

 

そして居所が知られることを避けるという意味でフォン・ツェルプストー家に身を寄せることも見合わせることにした。ゲルマニアも今や蚊帳の外ではない。トリステインが厳しい状況にあるということは、ゲルマニアにも被害が出ているはずだからだ。

 

そんな状況で戦力になる貴族が遊んでいると知られたらどうなるか。ゲルマニアの首脳部に伝手がないわたしたちでは、それを読むことはできない。

 

その結果、タバサのオルレアン家に避難することに決定した。タバサがオルレアン家の出身であることは、ほとんど知られていない。そして、仮に知られたとしても、中立を宣言している大国ガリアには、トリステインもゲルマニアも圧力をかけられない。

 

「じゃあ、ローゼマインたちも気をつけてね」

 

「ええ、キュルケとタバサも」

 

近くトリステインとゲルマニアの連合軍と、アルビオン軍との間で大規模な衝突が起こる可能性が高いらしい。その様子を探ってから二人はロマリアに向かうようだ。しばらくの別れに対する挨拶を交わし、わたしたちはガリアのオルレアン家に向かう準備を始めた。



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襲撃された魔法学院

ロマリア行きの準備を万全に整え、後はトリステインとゲルマニアの連合軍とアルビオン軍との戦いの第一報を待つばかりとなったある日の深夜、あたしはタバサに起こされた。

 

「変」

 

短く、それだけ告げられた声に、あたしは耳をすませるために軽く目をつむった。微かにだが、外から音が聞こえてくる。

 

あたしは手早く服を身につけ、杖やローゼマインから譲られたマジックアイテムなどを腰につけた革のベルトに収納した。これはローゼマインたちが多くのマジックアイテムを、そのようにして所持しているのを見て、作らせたものだ。

 

そうして準備を整えた瞬間、下の方から扉が破られる音が響いてきた。

 

「一旦退く」

 

「賛成」

 

敵の数や得物がわからぬうちは、一旦引いて態勢を立て直す。戦の基本だ。タバサの意見に異存などない。

 

あたしはタバサと一緒に窓から飛び降りて茂みに姿を隠し、辺りの様子を窺う。

 

女子寮はなんなく制圧されてしまったようだ。ろくに戦闘音が聞こえなかったことから、九十人ほどいたはずの女子生徒たちは抵抗せずに投降をしたようだ。それだけでなく教師たちも、ろくな抵抗をせずに捕らえられたようだ。

 

下手に抵抗して殺されていないことを喜ぶべきか、それだけの数がいながら戦うことをしなかったことを嘆くべきか難しいところだ。生徒たちは食堂に集められていく。敵の人数は多く、それ以上に人質の数が多い。これはタバサと二人だけでは救出は難しそうだ。

 

手をこまねいているうちに、食堂の外に動きがあった。火の塔から出てきて食堂を取り囲んだのはアンリエッタが魔法学院の生徒たちに軍事訓練を課すために派遣した銃士隊だ。塔内に侵入した賊を排除してこちらに向かってきたのだろうから、平民で構成されているからといって馬鹿にはできない戦闘力なのだろう。銃士隊の存在は頼もしくはあるが、だからといって協力して事に当たれるかというと話は別だ。

 

授業中に乗り込んできた銃士隊の隊長は、メイジが嫌いだと言っていた。どこまで協力体制を築けるのかは不明だ。

 

とはいえ、あたしたちの手に余るのは確かだ。ひとまず話だけはしてみるため、食堂を包囲する銃士隊に向かって、あたしたちは闇の中を移動する。

 

そうして、あたしたちが銃士隊の傍まで近づいたとき、食堂の入口に、がっしりした体躯のメイジが姿を見せた。そのメイジに向けて銃士隊は投降を勧告したが、一笑に付されて、逆にアンリエッタを呼ぶこと、その返答を五分以内にすることの要求がされ、要求が飲まれない場合は、五分後より一分おきに人質を殺すとまで言われていた。

 

厳しい要求に銃士隊の隊長が唇を噛みしめる。その銃士隊に声をかけていたのは、驚くべきことにコルベールだった。どうやら本塔から離れた研究棟にいたことで難を逃れることができたようだ。

 

「ねえ、銃士さん」

 

ともかく銃士隊の隊長に声をかけ、あたしとタバサで立てた、あたしたちの魔法を軸とした人質救出の作戦を話す。作戦の内容は、まず事前準備として紙風船と黄燐を用意。紙風船には黄燐を詰め、それをタバサの風の魔法で食堂内に飛ばす。そうして、皆の注目を集めるタイミングで、あたしの着火の魔法で爆発させる。そうすると、激しい光と音を放つので、敵が視界と音を奪われている隙に全員で突入して敵を制圧する、というものだ。

 

コルベールは危険すぎると反対したが、銃士隊の隊長はあたしの案を面白いと評価してくれた。何より敵側からは返答までに時間制限が告げられている。コルベールのことは放置して、突入作戦を詰める。

 

事前準備としての黄燐を詰めた紙風船は用意できた。銃士隊も配置についた。銃士隊の隊長と名乗ったアニエスを見ると、軽く頷いた。

 

「恨むなよ」

 

食堂の中で男が人質に向けて杖を掲げた。今しかない。あたしはタバサに風船を飛ばすよう指で指示を出す。

 

少しすると、中にいる男たちが紙風船に驚く声が聞こえてきた。今だ。

 

あたしが着火の魔法を使うと、中から爆音が聞こえてきた。すかさず、あたしとタバサ、そしてマスケット銃を構えた銃士が飛び込む。

 

その瞬間、あたしたちをめがけて、炎の弾が何発も飛んでくる。咄嗟に身を屈めて炎の弾をかわそうとしたが、あたしたちにぶつかる前に炎の弾は爆発した。

 

激しい炎で、銃士たちの抱えていたマスケット銃の火薬が暴発した。真っ先に突入した銃士が指が飛んだ手を押さえ地面をのたうち回る。

 

あたしは何とか立ち上がろうとするも、体が思うように動かない。

 

炎で包むのは威力は高いものの、有効な殺傷範囲は狭い。敵はそれよりも広範囲に打撃を与える方を選んだ。それは奇襲に対する対応としては正しい。

 

魔法の威力も申し分なかった。加えて戦略眼もある。

 

侮ったつもりはなかった。けれど、あたしたちは甘かったのだ。

 

視界の中に、タバサがよろめきながら立ち上がるのが見えた。けれど、タバサは倒れた衝撃で頭をうっていたらしく、再び地面に転がった。

 

爆発の衝撃で手放した杖が、意外にも目の前に落ちているのに気づき、あたしは拾おうと手を伸ばす。けれども、あたしの手が掴むより早く、杖は踏まれてしまった。

 

「おしかったな……。光の球を爆発させて視力を奪うまではよかったが……そもそもオレはまぶただけでなく目を焼かれていてな。光がわからんのだよ」

 

でも、この敵の動きは、目の見えるもののそれだ。

 

「蛇は、温度で獲物を見つけるそうだ。オレは炎を使ううち、随分と温度に敏感になってね。距離、位置、どんな高い温度でも、低い温度でも数値を正確に当てられる。温度で人の見分けさえつくのさ」

 

その言葉で、あたしは自分の負けを悟った。杖は予備を腰のベルトに挟んでいる。先程までは、何とか油断を誘って、それで反撃することを考えていた。けれど、この相手が温度を感知できるなら、こっそりと腰に手を伸ばしたところで無意味だ。

 

男の杖の先から、炎が巻き起こり、あたしを包もうとする。けれど、その炎は別の炎に押し戻された。

 

「わたしの教え子から、離れろ」

 

そう言いながら、あたしの傍まで歩み寄ってきたのはコルベールだった。

 

「おお、お前は……。お前は! お前は! お前は! 捜し求めた温度ではないか! お前はコルベール! 懐かしい! コルベールの声ではないか! 何年ぶりだ? 隊長殿! 二十年だ! そうだ!」

 

隊長と呼ばれたことに生徒たちの間に動揺が走る。その様子を見て男は笑う。

 

「きみたちに説明してやろう。この男はな、かつて“炎蛇”と呼ばれた炎の使い手だ。特殊な任務を行う隊の隊長を務めていてな……、女だろうが、子供だろうがかまわずに燃やし尽くした男だ」

 

今まで感じたことのない類の、恐い何かを、コルベールは発散している。

 

あたしは味方を燃やし尽くす、と言われたツェルプストーの生まれだ。けれど、実際にそのような戦に従事したことはない。所詮、貴族の遊びのような決闘がせきの山だ。

 

しかし、今のコルベールが発する空気は違う。

 

触れれば火傷ではすまない。燃え尽きて死す。

 

コルベールが漂わせているのは、あたしが知る中で最も強力なメイジであったワルドにも匹敵するような、濃厚な死の香りだった。

 

タバサを抱えて塔の陰に逃げるよう言うと、コルベールは敵のメイジたちとの戦闘を開始した。タバサの元に駆け寄るあたしに向かって放たれた氷の矢を溶かし、敵の隊長と思われる盲目のメイジの強力な炎を自分の炎で相殺する。コルベールは敵の隊長を引き連れて広場の方に駆けていった。

 

「タバサ、これを飲んで」

 

あたしはその間に塔の陰にタバサを連れていき、腰のベルトに装着された薬入れから水の秘薬を取り出して飲ませた。本当は水魔法と一緒の方が効果が高いが、今は一刻も早く戦える状態にもっていくことが何よりの先決事項だ。

 

薬を飲んだタバサの瞳が強い力を取り戻した頃、コルベールが戦っていた広場の上空に巨大な火球が出現した。火球の明かりに照らされるのは、学院を襲った男が焼かれる様だ。コルベールは見事に強敵に打ち勝ったらしい。

 

「行きましょう」

 

強力なメイジであるがゆえ、その隊長を魔法戦で失った敵兵は動揺している。人質を救出するなら今しかない。あたしはタバサやアニエス、負傷を免れた銃士隊とともに再び食堂に突入した。

 

マスケット銃は、乱戦では使いづらい。人質に当たる可能性があるからだ。

 

あたしは人質の近くにいる敵を選んで魔法を使って倒していく。あたしの魔法なら、仮に躱されても軌道を変えて敵を追うことができる。後ろにいる生徒に流れ弾を当てるような下手は打たない。

 

タバサは風の魔法を上手く制御して主に先生の手に巻かれている縄を斬っている。魔法学院の教師陣は、実戦経験の差はあれど、それなりに強力なメイジばかり。倒された敵の手から奪った杖で、敵の制圧に加わるなり、水の魔法で負傷者を癒すなり、土塁を作って立てこもるなり、各々、得意なことで助けてくれればありがたい。

 

そして、銃士隊は生徒たちから離れた敵を一斉射撃で討ち取っていく。そんな中、銃士隊の隊長であるアニエスは剣で果敢に接近戦を挑んでいた。けれど、一人の敵に剣をつきたてたところで、その背に別の敵から魔法を飛ばされてしまう。

 

何本ものマジックアローに、あたしも、タバサも、他の銃士たちも対応ができなかった。けれど、そこに飛び込んでいく黒い影があった。

 

アニエスの前に立ちふさがり、体で魔法の矢を受けたのはコルベールだった。攻撃を受けながらもコルベールは呪文を唱え、作り出した炎の蛇でマジックアローを飛ばしたメイジの杖を焼き尽くした。

 

「……大丈夫か?」

 

問いかけに頷いたアニエスを確認した瞬間、コルベールはごぽっと血を吐いて地面に倒れ込んだ。

 

生徒たちが慌てて駆け寄って、コルベールに治癒の呪文を唱え始める。

 

コルベールは深手だった。必死に治療をする生徒の中にいるコルベールに、アニエスが歩み寄る。そして、おもむろに剣を突き立てた。アニエスの行動はあまりに予想外すぎて誰も止めることができなかった。

 

「ちょっと! なにしてるのよ!」

 

あたしの声など聞こえていないかのように、アニエスはコルベールに語りかける。

 

「貴様が、魔法研究所実験小隊の隊長か? 王軍資料庫の名簿を破ったのも、貴様だな? わたしはダングテールの生き残りだ。なぜ我が故郷を滅ぼした? 答えろ」

 

「……疫病が発生したと告げられた。焼かねば被害が広がると、そのように告げられ仕方なく焼いた。だが、後になって偽りだったと知った。要は“新教徒狩り”だったのだ。わたしは毎日罪の意識にさいなまれた。あいつの言ったとおりのことを、わたしはしたのだ。女も、子供も、見境なく焼いた。許されることではない。忘れたことは、ただの一時とてなかった。わたしはそれで軍をやめた。二度と炎を、破壊のためには使うまいと誓った」

 

「……それで貴様が手にかけた人が帰ってくると思うか?」

 

コルベールは首を振ると、ゆっくりと目を閉じた。必死になってモンモランシーは呪文を唱えつづけていたが、そのうちに精神力がきれたのか、気絶して地面に倒れた。深手を癒す『治癒』の呪文は、専用の秘薬が必要なのだが、今、この場にはない。

 

あたしの持っていた治癒薬は、あたしとタバサに使ってしまった。そのため、精神力を酷使して秘薬の分をカバーしていたのだが……、限界がある。

 

他の『水』の使い手も、次々に精神力をきらして気絶していく。

 

倒れた水の使い手たちに囲まれるようにして横たわるコルベールめがけて、アニエスは剣を振り上げた。あたしは咄嗟にコルベールをかばうように、覆い被さる。

 

「どけ! わたしはこの日のために生きてきた! 二十年もこの日を待っていた!」

 

「お願い、やめて」

 

精神力が残っていたなら、魔法を使って止めている。けれど、あたしもタバサも戦いの中で出し惜しみなく使ったせいで精神力は尽きている。学院長のオスマンも、他の教師も生徒たちも、おろおろとするばかりで当てにできない。コルベールを助けるには、あたしが手を考えるしかない。

 

「どけと言っている!」

 

「お願い、剣をおさめて。彼はもう死んだわ」

 

コルベールの手首を握りながら言うと、アニエスの手から力が抜けた。

 

「恨むな、とは言わないわ。でも、せめて祈ってあげて。確かにコルベール先生はあなたの仇かもしれないけど、今は恩人でしょう。彼は体を張ってあなたを救ってくれたのよ」

 

アニエスは二言三言、言葉にならない何かをつぶやく。そして剣を振り下ろした。その場にいた生徒たちが目をつむる中、あたしは目を閉じずに見守る。

 

剣はコルベールの横の地面に、深々と刺さっていた。きびすを返し、アニエスはゆっくりと歩きだした。

 

アニエスの姿が見えなくなったあと……、あたしはコルベールの体を運ぼうとして、その指に光るルビーの指輪を見つけた。

 

燃え盛る炎のような、深紅のルビーだ。

 

そのルビーを見つめていると、あたしの目から涙がこぼれた。

 

コルベールはあんなに小ばかにしていた、あたしのことを守ってくれた。強敵にも怯むことなく、『わたしの生徒に手を出すな』と言ってくれたのだ。素直な気持ちで、あたしはしばらく泣いた。

 

けれど、いつまでも泣いているわけにはいかない。

 

「オールド・オスマン。コルベール先生のため、精神力を貸してくださいませ」

 

学院内の統制にまるで役にたっていないのだ。せめて魔法で役にたってほしい。あたしの勢いに若干、気圧されながらだが、オスマンが頷いた。




コルベールが重傷を負っていたあのシーン、オスマンはその場にいた、で間違いないのですよね。
人質が集められたときにはいたはずですが、その後、存在が消えたのは……。
とりあえず、その場にいたけど気配を消していたという解釈で。

ついでに苦慮したのがキュルケと一緒に突入したタバサの扱い。
キュルケを見捨てるとは思えないですが、コルベールには興味なし?

話は変わってこの後は三章計二十五話で一端の区切りとします。
(8話、10話、6+1話)


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アルビオン戦役
コルベールの治療


よく考えれば、二話単位で投稿する意味もなくなっていたので、今後は水・土の二回に分けて投稿します。


夜明け前、わたしはオルレアン家に増築した白の建物の中で、キュルケから送られた緊急のオルドナンツを受け取った。それによるとトリステイン魔法学院がアルビオンの部隊に襲撃され、コルベールが瀕死の重傷を負ったということだった。キュルケのオルドナンツは、わたしにコルベールの治療を依頼するものだった。

 

わたしはリーゼレータに了承のオルドナンツを送ってもらっている間に、グレーティアによって急いで身支度を整えてもらう。けれど、急行することはできない。

 

馬に乗れないわたしの移動手段は、騎獣か馬車しかない。これはわたしに限ったことではなく、皆が騎獣を持っていることもあり、ユルゲンシュミットの貴族は総じて馬に乗ることができないのだ。

 

そして、わたしたちの存在を秘さなければならない今、騎獣を使って移動することはできない。せっかくコルベールを助けても、それによってタバサの家族が危険に晒されたのでは意味がない。

 

わたしはリーゼレータ、マティアス、ラウレンツ、クラリッサと一緒にオルレアン家の執事であるペルスランが用意してくれた馬車に飛び乗る。荷物はハルトムート、グレーティア、ローデリヒの三人で準備をして後で送ってもらうことにした。ハルトムートも後続組にしたのは、さすがにある程度は戦闘力のある者を残しておかないと不安だったからだ。

 

「国境を超えたら、わたくしたちは魔法を使って学院を目指します。貴方はゆっくり学院を目指してくださいませ」

 

トリステイン国内に入ったところで、予め、そう伝えていた馬車の御者を置いて、わたしたちは騎獣で魔法学院に向かう。

 

「ローゼマインです。トリステインに入りました。どちらに向かえばよいですか?」

 

全速で騎獣を駆けさせながらオルドナンツを送ると、返信はすぐに届いた。

 

「ローゼマインが作った離れにいるわ。できるだけ急いで」

 

キュルケの声の切迫感に、わたしも騎獣に込める魔力量を増やす。そうして魔法学院に隣接する、わたしが作った建物の前に騎獣を降ろすと、すぐに建物からタバサが出てきた。

 

「キュルケはどちらですか?」

 

「一階の会議室」

 

タバサに伝えられた部屋に入ると、布が敷かれた床の上に横たわるコルベールと、その傍に膝をついているキュルケの姿が目に入った。

 

「ローゼマイン、お願い」

 

「怪我は魔法攻撃によるものですか?」

 

「魔法と剣による傷よ」

 

それならばルングシュメールの癒しで大丈夫なはずだ。

 

「水の女神フリュートレーネの眷属たる癒しの女神ルングシュメールよ、我の祈りを聞き届け、聖なる力を与え給え。教え子を守り傷つきし者を癒す力を我が手に。御身に捧ぐは聖なる調べ。至上の波紋を投げかけて、清らかなる御加護を賜わらん」

 

わたしが祝詞を唱えるとコルベールの体が緑の光に包まれた。少しして光が消えたときには、コルベールの傷は消えていた。どうやら上手く治療できたようだ。わたしがほっと息を吐いているとコルベールがゆっくりと目を開けた。

 

「ミスタ・コルベール、あたしがわかりますか?」

 

「ミス・ツェルプストー、ここは?」

 

「ローゼマインが魔法学院の外に作った建物の中です」

 

キュルケに言われて周囲を見回したコルベールがわたしに目をとめた。

 

「そうか、ミス・ローゼマインが来てくれたのか。こんなわたしのために……」

 

「そのように、ご自分を卑下しないでくださいませ」

 

そうは言ってみたが、わたしはコルベールがなぜ、こんなわたし、と言っているのかがわからない。わたしがキュルケから聞いたのは、学院がアルビオン軍に襲われたということと、その戦いでコルベールが重傷を負ったということだけだ。

 

まさか生徒たちを置いて一人で逃げようとした、とでも言うのだろうか。だったら、さすがに救えないが、それとは違うように見える。けれど、違うにしても、どう違うのかは全く見当がつかない。

 

どうしようかと思っていると、コルベールから見えないように、リーゼレータがそっと盗聴防止用の魔術具を差し出してくれた。魔術具のもう一方を持っているのはタバサだ。わたしは、傷の状態を見ると言ってコルベールに背を向けさせる。

 

タバサが言うには、コルベールは昔、疫病の蔓延を防ぐためという偽の理由を付けられた命令に従い、罪のない人を虐殺したことがあったらしい。そして、今回、アンリエッタから学院の生徒の軍事教練のために派遣された銃士隊の隊長がその生き残りであること、彼女に皆の仇と責められて剣で刺されたということを教えられた。

 

盗聴防止用の魔術具を使っていて本当に良かった。ユルゲンシュミットの価値観で言うなら、コルベールは何も悪くない。そもそもアニエスが産まれたという村はブリミル教以外の宗教を取り入れて中央に睨まれていたという。

 

平民が貴族に逆らったのだから粛清をされて当たり前。それを恨むなど、とんでもない。それがユルゲンシュミットの常識だ。

 

いくらハルケギニアでは常識が違うといっても、自分の中に身についた常識を捨て去るのは難しい。わたしがいくらユルゲンシュミットの貴族の在り方を説かれても、何か不都合があったなら平民に責任を押し付けることだけは許容できないのと同じだろう。

 

今回の場合、生徒たちの教練という任務のために訪れた先で、敵の襲撃中に、過去の遺恨を理由に味方を傷つけたのだ。アニエスは平民出身とはいえ、今はアンリエッタに貴族として爵位を授けられている。さすがにトリステインの貴族に手を出すことはないとして、対応はこれ以上ないくらいに冷たいものになるだろう。

 

もっとも、そのように感情を優先させる相手というのは、わたしにとっても怖い相手だ。今後はなるべく近づかない方がいいかもしれない。

 

「コルベール先生、悔いる気持ちはわかりますが、悔やんでも過去は変わりません。それよりも、これからどうするのかが大切なのではないでしょうか?」

 

「わたしも、そう思って炎を破壊以外のために使うことで贖罪としようとしていた。だが、それは被害者を救うことにはならないと知った」

 

「そんなものは、当然ではありませんか。被害者が加害者を許すことはありません。恨まれたままであることは受け入れるしかないでしょう」

 

コルベールが驚いたようにわたしを見た。

 

「わたくしも昔、農村の常識を知らないまま行動したことで、町一つを処分されるきっかけを作ってしまったことがございます」

 

「ミス・ローゼマインが常識を知らないと、どうして農村が処分されるのですか?」

 

「わたくしが農村の常識を知らないまま、町長の所有物と知らずに奪ってしまったものを取り戻そうと、町長が領主一族が作った建物に対して攻撃を仕掛けてしまったのです。領主一族が作った建物を攻撃するということは、領主一族への反逆罪となるのです」

 

わたしが奪ったのは孤児たちなのだが、それはさすがに黙っておいた。

 

「その一件は、どう解決したのですか?」

 

「その町をわたくしが派閥づくりを学ぶための教材とするという条件で、町一つの処分は避けられることになりました」

 

「派閥づくりをするための教材、ですか?」

 

わけがわからないというようにコルベールが首を傾げる。

 

「ええ、襲撃を命じた町長を処分することは避けられませんでしたが、反町長派は命を助けることに決まったのです。わたくしが反町長派の数を多くすることができるほど、多くの人の命を救うことができるということです」

 

わたしの言い分は、町に住む人たちを、ひとりひとりの人間と見ていない言い方だ。それこそゲーム感覚で人の命を左右していると言われても反論できない。

 

「コルベール先生には不快な話だと思います。けれど、わたくしにできるのは町長を孤立させることで、なるべく多くの人を助けるということだけでした。結局、そのときは六人が領主への叛意ありとして処分がされました。人数の多寡はあるといえ、わたくしがしたこともコルベール先生と大差ないと思いませんか?」

 

平民の価値がユルゲンシュミットとハルケギニアでは違うことが、コルベールにも理解できたのだろう。コルベールは深刻な顔で考え込んでいる。

 

「わたくしにできるのは、これから先に平民たちが豊かに暮らせるように力を尽くすことだけです。コルベール先生も、急がずとも、これからのことは、ゆっくり考えればよいのではありませんか?」

 

「……そうですね」

 

コルベールはそう言って、未だうかない表情ながら、ゆっくりと頷いた。



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コルベールの選択

ガリアから急行してくれたローゼマインに傷を癒してもらった翌日、あたしは今後に向けての話をするためにコルベールの部屋を訪れた。コルベールの部屋は、ローゼマインの作成した建物の二階の一番手前の部屋だ。ローゼマインの側近たちは、本当は二階は男性用の部屋で異性のあたしが入るのは好ましくないと言っていたが、コルベールは病み上がりの状態だ。移動の負担をさせたくないと言うと、それ以上は何も言わなかった。

 

部屋に入ると、コルベールはベッドの中で上半身を起こしていた。昨日に比べて心なしか顔色も良い。

 

「ミスタ・コルベール、調子はどう?」

 

「おかげで、ほとんど普段通りだよ」

 

「それは良かったわ。本当ならもっと時間をあげたいところだけど、早急に今後のことを話さないといけないから」

 

言いながら、あたしは部屋の中に置かれていた椅子をコルベールの枕元に運んだ。

 

「その言い方だと、銃士隊はまだ学院に駐屯しているということかな?」

 

「そうよ。ここは学院の敷地外で、使っているのはローゼマインに、あたしにタバサと他国の人間ばかりだから、銃士隊も気にかけてはいないけど、いつまでも誤魔化しきれるとは限りませんもの」

 

「見つからないうちに、今後の身の振り方を考えなければならないということか……」

 

「そういうことになるわね」

 

コルベールの取れる道は大きく二つ、逃げるか、立ち向かうか、だ。

 

「……命令だったとはいえ、罪は罪だ。逃れるというわけにはいかないだろうね」

 

「そう、そちらの道を選ぶの。じゃあ、その道を選んだ場合のローゼマインとタバサの予想も伝えておくわね。トリステインが選びうる選択肢は大きく二つ。一つは事件を徹底的に隠蔽するという方法。もう一つは事件があったことは認めた上で、誰かに全ての責任を押し付ける方法。ミスタ・コルベールはそのうちのどちらを選んでくれると思う?」

 

「……事件を公表することなど、ないだろうな」

 

「ローゼマインたちも同意見ね。事件の裏を探られたら堪らないわ。ミスタ・コルベールとアニエス、たった二人の口を封じるだけで、事件は闇に葬れるから、そちらのほうが簡単ね。そうなると、ミスタ・コルベールが罪を受け入れるということは、アニエスの命を奪うことになるかもしれないわけですが、それでも自分の罪にこだわりますか?」

 

あたしは卑怯だ。こう言えば、コルベールが罪を受け入れる道を選べないと知って、この問いを発した。それでも、あたしはコルベールを死なせたくないのだ。

 

「ミス・ツェルプストーはわたしにどうしろと言うのだい。罪も償わず、のうのうと生きていけばよいとでも?」

 

「死ぬのは簡単ですが、贖罪がしたいのならば、それは生きてこそ成し遂げられるというのがローゼマインの意見ですわ。それに、ミスタ・コルベールは多くの人の助けになることを成し遂げる方法を、すでに持っているのではありませんか?」

 

「わたしができる、多くの人の助けになること……」

 

「ミスタ・コルベール、ゲルマニアにはトリステインより遥かに優れた冶金技術があるわ。それにフォン・ツェルプストーには資金力もある。多くの人のためになることは、容易に利益にも繋げることができるので、協力できることは多いと思いますわ」

 

一昨日の夜のアルビオン軍の襲撃まで、あたしはコルベールに興味を持っていなかった。だから、コルベールが何を行おうとしていたのかを知らない。けど、ローゼマインとタバサはコルベールの目指していたものを知っていた。その二人の意見も受けての殺し文句が今の勧誘だ。

 

「それはフォン・ツェルプストー家でわたしを匿ってくれるということか?」

 

「ええ、その通りですわ」

 

「……わかった、世話になろう」

 

少し迷ってコルベールがあたしの提案を受け入れてくれた。

 

「ええ、歓迎しますわ、ジャン」

 

「ジャン?」

 

「だって、ツェルプストーに来ていただけるということは、もうミスタ・コルベールは学院の教師ではなくなるのでしょう。だったら、あたしとは対等の関係なのではなくて?」

 

「そう……なのか。いや、そうなのだが……」

 

実際は単に距離を縮めたいというだけなのだけど、あたしの建前をコルベールは否定できないでいる。ローゼマインが言っていた、立派な建前があると物事は通りやすいというのは本当だったようだ。

 

「それで、ジャンが作りたいものは何なのかしら? あたしに聞かせて」

 

「フネを作りたい」

 

「フネ?」

 

「そうだ。浮力を得るための大きな翼と、石炭を燃やして熱せられら水から発生する蒸気の力で回す巨大なプロペラで風石の消費を抑えることで、これまでにない長大な航続距離を稼ぐことができるようになる。わたしは、それを使って東に行きたい」

 

東というと、サイトの出身地、ロバ・アル・カリイエのある場所だ。もちろん純粋な好奇心もあるのだろうけど、コルベールはサイトを故郷に帰してあげたいのだろう。

 

「ジャンの考えているものは、わたしが形にしてみせますわ」

 

「どうして、わたしなどのために、それほどまでしてくれるのだ?」

 

「ジャンはあたしの命を助けてくれたじゃない。それに、あたしがそんなに面白いそうなことを放っておくと思って?」

 

「そうだな。ミス・ツェルプストーはそういう生徒だったな」

 

半面としてコルベールにはだいぶ迷惑もかけた。それも思い出したのか、コルベールがくすりと笑った。一昨日の夜から、コルベールはずっと深刻な顔のままだ。ようやく戻ってきた笑顔にあたしも自然に笑顔になる。

 

「ねえ、ジャン。ジャンがもう先生じゃないのと同じで、あたしももう生徒じゃないのよ。だから、あたしのことはキュルケ、とお呼びになって」

 

「その……、なんだ、できればジャン、というのも勘弁してくれないか?」

 

「い・や。キュルケって呼んでくれないと、わたくし、返事をいたしませんわ」

 

その妙な押しの強さは彼女の影響かな、などと言いながらコルベールは肩を落としているが、あたしの押しの強さは元からだ。ただ、一方的に希望を伝えるのでなく駆け引きを楽しむようになった、という意味では誰かさんの悪影響と言えなくもないかもしれない。

 

「さて、楽しい話はここまでとして、今後のことを説明しておくわね。あたしたちは明日、食材を納入に来た馬車に紛れて学院を出るわ。その後はローゼマインたちが馬に乗れないので、ゲルマニアまでは馬車の旅になる予定よ」

 

「国境はどうするつもりだ?」

 

「あら、あたしを誰だと思って?」

 

「そうだったな」

 

国境を超えた先、ゲルマニア側の領主はフォン・ツェルプストー家だ。トリステインに気付かれずにゲルマニアに入る方法など両手の指で足りないだけ持っている。

 

「残念ながら、怪しまれるのを防ぐためにジャンの研究室にある物は置いていくことになるけどいいかしら?」

 

「ああ、仕方がない」

 

「本当にいいの? 何か一つくらいなら形見として持っていったとかで誤魔化すことができると思うけど?」

 

そう言ったが、コルベールはゆっくりと首を横に振った。

 

「いや、炎蛇のコルベールは死んだのだ。それでいい」

 

それはコルベールなりに覚悟を決めたということだろうか。

 

「あ、いや、やはり一つだけ持って来てもらってもいいか?」

 

そう思っていたが、急にコルベールは前言を撤回した。

 

「いいわ。何を取りに行けばいいの?」

 

「研究室にオルドナンツがある。あれならば、持ち出したところで、行方を捜索しようとは思わないだろう」

 

「そうね、オルドナンツには名前なんて書いてないし、どれも同じ形をしているものね」

 

「そして、大きさの割に便利で、何より高価だ」

 

どうやらコルベールは大枚をはたいてオルドナンツを購入していたようだ。目的はおそらく研究のため、だろう。

 

「本当に、ローゼマインは商売が上手いですからね」

 

「まったくだ」

 

そう言ったコルベールと、あたしは笑い合った。



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コルベールの望むもの

ゲルマニアのフォン・ツェルプストー家に向かう馬車の中で、わたしはコルベールと新しく作るというフネの話をしていた。わたしは乱読派であったので科学系の本も少しは読んでいるのだ。覚えているのは、ごく一部のみで、理解まで行くと皆無に等しいというのは少し悲しいけれど。それでも腐っても現代人であったのだ。中世のコルベールには負けるわけにはいかない。

 

そう思ってコルベールと話していたのだが、現代人でも素人で興味も薄いわたしと、中世の人であろうとも並々ならぬ熱意を燃やすコルベールとでは勝負にならなかった。根幹部分の技術に口を出すことは諦め、わたしは実現のために必要なことを考えることにした。

 

「合計三つの回転する羽の動力を、石炭によって熱せられた水により発生する水蒸気の圧力によって得るのですね。コルベール先生の設計ですと、とても長い鉄のパイプが必要になりますね。ゲルマニアでは作ることができるのですか?」

 

「ええ、当然でしょう。むしろ、そんなに長くて丈夫な、フネの支柱に使えるような鉄材を加工するなんて、ゲルマニアにしかできないわ。ああ、これからあたしたちはゲルマニアの火のツェルプストーの技術と炎蛇の知識、二人の愛の結晶を生み出すのね」

 

え、なんか二人の雰囲気が以前とは違うと思ってはいたけど、いつの間にここまでの関係になってたの?

 

「ねえ、ジャン、そう思わない?」

 

呼び方まで変わってるし。これがブルーアンファが訪れたということなのだろうか。

 

「いつの間に、キュルケはコルベール先生と親しい関係になったのですか?」

 

「あら、ずっと親しい関係だったわよ。ただ、今まではそれに気づいていなかっただけ」

 

ごめん、キュルケ。何を言っているのか、わからない。

 

「きっかけは、ミス・ツェルプストーが危ないところを助けたことだと思うのだ」

 

そう言ったコルベールは、魔法学院の食堂に立て籠もったアルビオン軍に人質とされた生徒たちを救うために突入したキュルケの危ないところを救った、ということを話してくれた。お母様が聞いたら喜んで本にしそうな話だったけど、わたしにはそれほど魅力的な話ではない。

 

いや、その一件を機にほのかな恋心を抱いた、という話ならわたしもときめいたかもしれない。けれど、キュルケのようにいきなり運命とか言われると、正直、わたしの頭ではついていけない。

 

「わたしのジャンって、あんなに強いのに、力をひけらかしたりしないし、物知りなの」

 

あんなにと言われても、わたしはコルベールが戦っているところを見たことがない。戦闘面では素人のわたしは、誰が強いとか弱いとか、簡単にはわからないのだ。これ以上、話を聞いていても疲れるだけとなりそうなので、話を進めることにする。

 

「ともかく資材は準備できるとして、問題なのは建造費となりますね。かなりの額になると思うのですが、計算はできているのですか?」

 

「まずは木材が大量にいるわね。どのくらいになるかしら?」

 

「キュルケ、もし可能ならば、なるべく多くの木材を買い込んでおくとよいと思います」

 

「あら、どうして?」

 

「トリステインとゲルマニアの連合軍はアルビオン軍と戦闘に及んだと聞き及んでいます。今のところ勝利したという連絡しか届いていませんが、勝ったとしても被害は少なくないことでしょう。傷ついた艦船の修理や補充のため木材は高騰する可能性が高いです。その前に買い込んでおいた方が結果的には節約になると思いますよ」

 

下手な相手に勧めると暴利を貪る手段とされそうだけど、ツェルプストーならば適度に儲ける程度で収めてくれるはずだ。

 

「ところでコルベール先生は東に行きたいと仰っておられるようですが、東にはどのような国があるのかはご存知なのですか?」

 

「いや、時々、エルフの地を経て交易品が入ってくるが、社会情勢などの情報はない」

 

「そうなると、直接の交易はなかなか難しそうですね」

 

交流のない相手との交易は危険だ。商慣習の違いを知らないことで思わぬ不利益を受ける可能性もあるし、そもそも最初の段階では相手に胡散臭く思われることは避けられないだろう。

 

「確かに交易には困難も伴うだろうな。けれど、行ってみたいと思わないか?」

 

「わたくしは冒険心のようなものはございませんので」

 

知らない国には新しい本もあると思うけど、そのために全く知らない国と交易をしたいとまでは思わない。

 

「けれど、ロバ・アル・カリイエにはサイトくんの故郷があるのだろう?」

 

「そう言われていますね。けれど、ユルゲンシュミットと才人さんの国とは明確に違います。そこに行ったとして、必ずしも帰還できるとは限りません。けれど、新しい文化には興味がございますので、できる限りの応援はさせていただきますよ」

 

とりあえず、東に東に進んでいけば地球に辿り着く、なんてことは絶対にない。それこそ宇宙に出ていかない限り平賀は故郷に帰ることはできない。それに、仮に宇宙に行けても、地球の技術でも確認できていないような遠い距離まで行ける可能性は皆無だ。

 

それに比べれば、わたしはまだ可能性がある。ユルゲンシュミットには国境門を超えなければ帰還できないけど、ランツェナーヴェに辿り着くことができれば、開かれた国境門があることはわかっているからだ。

 

ただし、ランツェナーヴェがあったとしても、国境門を超えた先はアーレンスバッハだ。わたしが無事にエーレンフェストに帰還できる可能性は低いだろう。唯一の可能性としてはフェルディナンドが短期間のうちにアーレンスバッハを掌握してくれていた場合は安全になるだろうけど、ディートリンデがあれだけ好き勝手にしている時点で望み薄だ。

 

そもそもロバ・アル・カリイエの交易品と言われるものは、ユルゲンシュミットの品とは少し違うような気がしてならない。わたしはランツェナーヴェのことを知らないけれども、交易をしている以上、何らかの一致点はあってしかるべきだと思うのだ。

 

もっとも東には帰還のための魔法が存在する可能性はあるし、ハルケギニアの魔法と組み合わせることで新たな効果を発揮する魔法もあるかもしれない。総合すると、コルベールの望みはわたしにとっても利益になることだ。

 

「東の国との交易が成立するよう、わたくしも願っております。けれど、そうなると少し気になることもございますね。武装等はどうなさるのですか?」

 

「交易のためのフネに本来なら武装など付けたくないが、ミス・ローゼマインが言っているのはそういうことではないのだろう?」

 

「ええ、コルベール先生が作られる船が優れたものであればあるほど、それを狙う者は出てくると存じますので」

 

わたしたちの国の海賊ならぬ空賊というものが存在しているらしい。どこの国も有していない優れた船が無防備で飛んでいるなど、格好の獲物だろう。

 

「わかっている。わたしはこれから作るフネを国家の所属とするつもりはない。となれば、最低限の自衛の手段は必要だろう」

 

後ろ盾がない以上、自分の身は自分だけで守らなければならない。東に行ってからも難題が多いけど、建造完了の直後から難しい舵取りは始まるのだ。

 

「心配しなくてもフォン・ツェルプストーが全面的に関わる以上、そう簡単におかしなことにはさせないわよ。伊達に嫌われまくっているわけじゃないわよ」

 

そういえばツェルプストーは味方も燃やし尽くすと評されていると聞いたことがあった。普段ならば呆れるところだけど、今回は頼もしく思っておくとしよう。

 

「では、ここでも警戒すべきはアルビオンになるでしょうか?」

 

「主力がゲルマニアとトリステインの連合軍との戦いで傷ついているでしょうから、武装が貧弱だけれど改装で簡単に強化できる大型艦は魅力的でしょうからね」

 

「艦船だけなら新型艦の速度なら逃げ切れるはずだが、さすがに竜を持ち出されると振り切るのは困難だろうからな」

 

いかに速度を改良したとして、大きな船が小型で高速な竜から逃れることはできない。

 

「何か手は考えておられるのですか?」

 

「サイトくんの飛行機械に取り付けた武器の改良型を考えている」

 

そう言ってはいるが、コルベールが乗り気でないのは明らかだった。

 

「いつか、そのような武装は取り払えるときがくればよいですね」

 

だからわたしは、コルベールにそう語りかけた。




題名にコルベールが三連発。
五月の私はなぜこれほどコルベールを丁寧に追おうと考えたのか。


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オストラント号建造と連合軍の苦戦

あたしたちがフォン・ツェルプストー家に戻ってから三週間あまりが過ぎた。あたしたちがコルベールが考案したフネを急ピッチで建造している間にもゲルマニアとトリステインの連合軍とアルビオンの戦いは続いている。

 

連合軍は緒戦の空戦でアルビオン艦隊に勝利を収めると、何らかの手段を使って敵軍を北のダータルネスに誘導。アルビオンの首都ロンディニウムの南方三百リーグにある港町ロサイスに上陸を果たしたと聞いている。

 

上陸後も連合軍は敵の反撃を受けることはなかった。けれど、それは連合軍にとっての誤算の始まりでもあった。

 

連合軍が望んでいたのは短期決戦。六万もの大軍を維持するためには大量の兵糧が必要となる。ただでさえ大量の傭兵の動員で多大な出費をしているトリステインに長期戦は不可能だ。だから始祖ブリミルの降臨祭までにロンディニウムを落とす計画だったのだ。

 

降臨祭は新年の第一日から十日ほど続く、ハルケギニア最大のお祭りだ。降臨祭の間は、戦も休むのが慣例だ。

 

降臨祭までの終戦を見越して、連合軍が用意していた補給物資はわずかに六週間分に過ぎなかった。しかし、予定の期間の半分近くが過ぎているが、連合軍は未だロンディニウムの手前にある古都、シティオブサウスゴータを落とすことができたに過ぎない。そして悪いことに、そのシティオブサウスゴータの兵糧を、敵がすべて持ち去っていたことで、貴重な兵糧を住民に施さねばならなくなった。

 

もはや降臨祭までにロンディニウムを落とすことは不可能となった。無論、降臨祭の間も戦を継続することは可能ではある。けれど、それでは兵の不満が大きすぎるし、道理をわきまえぬ相手と、敵を無用に結束させてしまう可能性も高い。

 

「状況はあまり良くないということですね」

 

シティオブサウスゴータに駐留している連合軍の陣地に慰問隊が送られることになったのに合わせ、フォン・ツェルプストー家は劇団キュントを紛れ込ませた。そして、戦地での主客である男性に合わせて騎士物語を公演させている。キュントに所属させていた元傭兵メイジのエルザスからのオルドナンツによってもたらされた情報を伝えるとローゼマインはそう言って小さく溜息をついた。

 

「ええ、降臨祭後に戦が再開されたとして、長期滞陣に倦んでいて、物資にも不足が生じる連合軍が現地貴族が多数含まれるアルビオン軍に勝てる可能性は低いでしょうね」

 

「さすがに六万ともなると、物資の補給に協力したとして効果は薄いでしょうからね」

 

「そうね。フォン・ツェルプストー家の財産を使い切る勢いならば、わからないけど、それだけつぎ込んで勝てなかったら最悪だしね」

 

コルベールの新造船の最大の脅威がアルビオンだ。アルビオンが連合軍を撤退に追い込んだ場合、新造船の運用はより慎重にならざるをえない。それに、あたしだってゲルマニアの貴族だ。祖国の敗北は見過ごせない。だから、今回の戦争はなんとしても勝たなくてはいけないが、それでも払える犠牲と払えない犠牲がある。

 

「せっかくのあたしとジャンのオストラント号だっていうのに……」

 

忌々しく言ったあたしに対して、ローゼマインはこてりと首を傾げた。

 

「オストラント号、ですか?」

 

「ええ、せっかくなら東方を意味する言葉がいいと思って、どうかしら?」

 

「良いのではないでしょうか?」

 

答える前に、ローゼマインはリーゼレータの方を見た気がする。そして、リーゼレータは微かに首を振ったように見えるのだが、あれは意見を言うなという意味だろうか。もしかしたらローゼマインはネーミングセンスに問題でもあるのかもしれない。

 

「ところで、ジャンの水蒸気機関の改良は順調なの?」

 

「ええ、思った通りクラリッサの開発した魔法陣を組み込むことで、大幅に出力が増加しました」

 

「そう、じゃあ、建造の方は順調なのね」

 

オストラント号はコルベールが開発した、石炭を燃やして熱せられた蒸気の力を使って、巨大なプロペラを回転させるという画期的な機関を重視し、当初は魔法の力を補助的にしか使用していなかった。けれど、それをローゼマインは魔法の力は必要なものの、より高い出力と広大な航続距離を得られるように改良した。これは石炭を大量に使用する構造だと、今後、問題が発生する可能性があるとローゼマインが主張したことも影響している。

 

おかげで運用にはトライアングルクラスのメイジが必要となってしまうことになったが、あたしもコルベールもトライアングルクラスのメイジなので全く問題ない。それに、風石の消費が多くなる代わりに、ラインクラスのメイジでも動かせる機能も残している。

 

オストラント号は、すでに基幹部分は完成している。けれど、出力等のテストが完了しないと、どのくらいの大きさのフネとするのが最適なのかがわからなかった。それで船体は、ほとんど手つかずなのだ。

 

「そういえば、タバサからオルドナンツが届いたわ。今のところ学院生の死亡情報はないみたいよ」

 

「それは良かったですね」

 

タバサは一週間ほどあたしの家に滞在した後、トリステイン魔法学院に戻っている。そのタバサから送られた情報によると、何人かの負傷者はいるものの、いずれも学院に復帰できる程度の傷ではあるらしい。

 

緒戦の空戦では連合軍側も十二隻が撃沈、八隻が大破という被害を受けた。出撃艦隊の実に三分の一が深刻な被害を受けたのだ。メイジなので墜落する船からでもフライで脱出することはできる。けれど、砲弾が飛び交う空の戦いでのことだ。直撃弾で重傷を負えば魔法を使うことは難しくなる。死者が出なかったのは僥倖というものだろう。

 

そのタバサについてだけど、何でもガリア王家から、また面倒な指示が下されたらしい。おかげで情報収集が一段落したら行う予定だったロマリアでの硫黄採取の計画は持ち越しになっている。

 

コルベールのオストラント号建造は、ようやく一定の目途が立ったところだ。後は建造を担当するコルベールと職人の手配等を担当するローゼマインの側近たちがいれば、あたしがいなくとも問題ない。

 

降誕祭が明けた後、アルビオンでの戦況がどのようになるか、わからない。それが各国にどのような影響を与えるかも。未来が見通せないからこそ、できるだけ早くユレーヴェというものの材料を揃えておきたかったのだけれど、ままならないものだ。

 

「あまり時間はかけられないっていうのに……」

 

「焦っても仕方がありません。今はタバサから連絡を受けたら、すぐに動けるようにしておくよりないでしょう」

 

オルレアン家に作った建物は、明らかに他者が生活できるスペースを作るためのものだ。一応、ガリア王家の者に調べられても問題がないように、ローゼマインの助言を受けて以来、正当な報酬を要求するようになったタバサが得られている収入を使い、荒れていた屋敷を整備するため使用人を増やすという名目は作ってある。

 

同時に、屋敷内の使用されていないエリアについては取り壊しを始めている。屋敷の総面積としては、それほど変わらない。

 

謀反を疑われないための手は打った。けれど、急に報酬にうるさくなったこと、領地の経営をしっかり行おうとし始めたこと。それらを起点に言いがかりをつけられた場合に逃れることは難しい。

 

「それより、この時期のガリア王家からの任務というのも気になるのよね」

 

「任務の内容がアルビオンとの戦争に関係があるにせよ、ないにせよ、あまり良いことではないでしょうからね」

 

アルビオンとの戦争に関わりがあれば、それは確実に高い危険を伴ったものとなる。一方、関わりがない場合も、ガリアが戦争で中立を保っていることを考えると、兵力不足を補うための簡単な魔獣討伐などの任務であるとは考えにくい。そうなると、そちらもろくな任務ではないだろう。

 

いずれにせよ、今は激動の時代のようで、何が起きても不思議でない。ならば、何が起きても対処できるようにしておかねばならない。

 

タバサに母国への忠誠心は薄い。母親の問題さえ解決できれば、タバサは自由になれる。ガリア王家がタバサに嫌がらせをするのなら、ゲルマニアに移住してしまえばいい。

 

「早く戻ってきなさい、タバサ」

 

そんな思いを胸に、あたしはこの場にいないタバサに語りかけた。




アルビオンの戦いの状況は結果報告のみ。
次話はルイズ帰国後なので、本話で原作七巻終了。


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アルビオン戦役の終結

降臨祭の終わりから三週間後、わたしたちはトリステイン魔法学院に戻っていた。それはゲルマニアとトリステインの連合軍と神聖アルビオン共和国との戦が終結し、臨時の士官として出征していた魔法学院の生徒たちが次々と魔法学院に戻ってきているという情報を入手したからだ。

 

降臨祭の最終日、アルビオン軍は停戦協定を破り、シティオブサウスゴータに駐留していた連合軍に襲い掛かってきた。そこに味方の裏切りも重なり連合軍はあっという間に敗走させられたらしい。そこまで聞けば、戦は連合軍の完敗で終結したと思いそうだが、実際の勝敗は真逆だ。

 

連合軍の艦隊が命からがらアルビオンから逃げ出した直後、大国ガリアの艦隊が突如として連合軍側に立って参戦してきたのだ。ガリア艦隊は、敗走した連合軍から奪回した港町ロサイスに入っていたアルビオン皇帝のクロムウェルを司令部ごと吹き飛ばし、駐屯するアルビオン軍に降伏を促したのだ。

 

圧倒的な兵力差と、一瞬で皇帝を吹き飛ばされた混乱とで、アルビオン軍はただでさえ戦意を失っていた。そこに連合軍から離反したはずの軍が今度は、アルビオン軍に杖を向けるに至り、戦わずしてアルビオン軍は降伏した。

 

ガリア軍はそのままロサイスに駐屯、臨時の調停のテーブルを設け戦争の後始末を開始。こうして、アルビオンの侵攻から始まった足かけ八ヶ月にも及ぶ戦は、いきなり横槍を入れてきたガリア王家に主導されるかたちで終わりを迎えた。

 

幸いにしてシティオブサウスゴータからの敗走においても魔法学院の生徒から、死者は出なかった。けれど、生徒以外では犠牲になった者がいた。ルイズの使い魔として、ともに前線にあった平賀だった。

 

連合軍の撤退の時間を稼ぐため、ルイズはたった一人で敵の追撃を防ぐ殿軍の役割を命じられた。けれど、ルイズの精神力は満足に回復しておらず、敵の足止めを可能とするような大規模な魔法を使える状況ではなかった。ルイズの死は確実な状況だった。それを理解していながら、なお役割を果たそうとしたルイズを睡眠薬で眠らせると、平賀は代わって一人で敵に立ち向かったという。

 

その戦いがどのような展開となったのかは、わたしの元には入ってない。けれど、結果として猛然と追撃していたアルビオン軍は足を止め、その間に連合軍は無事に撤退をすることができた。そして、平賀は未だ行方知れずだ。

 

「言動には少々、問題がありましたが、彼は紛れもなく護衛騎士だったのですね」

 

その話を聞いたマティアスは、そう呟いていた。確かに平賀の行動は護衛騎士としては正しいことだと思う。マティアスやラウレンツ、あるいはここにはいないダームエルたちにしても似たような行動をしたと思う。

 

わたしは側近たちが命を捨てて守ってくれたならば、称えなければならない立場だ。けれども、いざ守られたときに、わたしは上手く褒めることができるだろうか。今回のことは、わたしにも考えさせられることが多かった。

 

ともかく、気になるのはルイズのことだ。自分を守るために平賀が命を落としたと聞いて、上手く受け止めることができているだろうか。ギーシュやモンモランシーに聞いてみると、ルイズは部屋に閉じこもっているということだった。

 

「ルイズの部屋を訪ねてみましょう」

 

わたしとルイズは、それほど親しい間柄ではなかった。けれど、ルイズが虚無の使い手だということを知っている者は少ない。他の人には話せないアルビオンでの行動などについても、わたしになら話せるかもしれない。

 

そう思ってリーゼレータ、グレーティア、クラリッサの三人と一緒にルイズの部屋を訪ねてみたが、返事がない。けれど、中からは微かに物音がしている。

 

「ルイズ、入りますね」

 

そう言ってリーゼレータに扉を開けさせる。ルイズは制服姿で頭には妙な帽子をかぶり、膝を抱えてベッドに座っていた。

 

「……ローゼマイン?」

 

「サイトのことは聞きました」

 

そう言いながら近づくと、ルイズは静かに涙を流しながら語り始める。

 

「わたしのことなんか放っておけばよかったのに。こんな恩知らずでわがままな、可愛くないわたしのことなんか、無視して逃げればよかったのよ」

 

ルイズの言葉はわたしに向けて発したものではない。ただ、自分の中の思いが口から零れているだけだ。

 

「あんなに、名誉のために死ぬのはバカらしいなんて言ってたくせに、自分でやってちゃ世話ないじゃないの」

 

「わたくしの側近であるローデリヒは、わたくしの側近となるとき、わたくしのために一生を捧げると誓ってくれました。そして、彼の名は常にわたくしと共に、彼の命はわたくしのためにと、すべてをわたくしに捧げてくださいました。クラリッサも、おそらくルイズと同じような状況に陥れば、命をかけてわたくしを助けてくださると思います。ですので、あるいはサイトの気持ちがわかるかもしれません」

 

そう言うと、ルイズが顔をクラリッサの方に向けた。

 

「クラリッサ、もしもわたくしが危機に陥ったらどのような気持ちで命をかけると思うか、教えてくださる?」

 

「わたくしもローゼマイン様のために命を捧げると誓いました。ローゼマイン様が遥か高みに上がられ、わたくしだけが残されるなど、どのような状況でもあり得ません」

 

名捧げのことは秘しておくべきことなので婉曲的に表現したけど、クラリッサは仮に名を捧げていなくとも同じだと言ったことがある。

 

「命をかけて仕えると誓った主のためならば、名誉など得られなくとも後悔などはないのでしょう。サイトはルイズに仕えているという気持ちはなかったかもしれませんが、ルイズのためならば、命をかけられるくらいには慕っていたと、わたくしは思います」

 

ルイズには、そこまで平賀に慕われていたという実感はないのだろう。ルイズはかなり嫉妬深い性格で、それが暴走して平賀を折檻する姿は学園内でも目にしていた。その自覚は本人にもあるだろうし、無理はないかもしれない。

 

「それに……これがある意味では、最も大きな要素かもしれません。殿方というものは女性に対しては格好をつけたがるものでしょう?」

 

そう言うと、ルイズが目をしばたたいた。

 

「格好をつけて死んじゃったら、何にもならないじゃない。本当に馬鹿よ」

 

「あら、彼が馬鹿だということは少し見ていたらわかると思いますし、それでルイズも苦労していたのではないですか?」

 

「そうね。そうだったわ」

 

ようやくルイズに少しだけ笑みが戻った。

 

「ルイズ、最悪のことを考えてしまうのは仕方がないことでしょうけど、そのことを心配するあまり、ここで悲しんでばかりでよいのですか?」

 

「どういうこと?」

 

「まだ誰からもサイトが戦死したという目撃情報などは得られていないのでしょう?」

 

そう言うと、ルイズがはっとしたように顔をあげた。

 

「万に一つでしょうけど、可能性がないわけではないですよね?」

 

あるいは重い怪我を負って帰国できないけど生存している可能性もあるのだ。本当に可能性は低いが、それでも勝手に死んだことにして悲しみに暮れる日々を過ごしても何にもならない。それに仮に亡くなっているのがわかっただけとして、遺品の一つでも見つけられれば、それが次の一歩を踏み出すきっかけになるかもしれない。

 

「そうね。今こそ前にローゼマインが言ってたことを確認すべきね」

 

「どういうことですか?」

 

「サモン・サーヴァントを使ってみるわ。ガンダールヴが呼び出せなかったらサイトは生きている」

 

そういえば、ガンダールヴ以外の使い魔を呼び出せないか提案をしたことがあった。けれども、まさかそれを生存確認のために使うとは思わなかった。ゆっくりと平賀の足跡を追うことで何かが好転することを願った提案だったのに、そんなお手軽な確認では心情面では何の変化も得られないのではないだろうか。

 

「あの、もう少し考えてからでもよいのではないでしょうか?」

 

「ううん、サイトは生きてるわ。今、決心できなかったら、あとになったって無理よ」

 

そう言うと、ルイズは目をつむって杖を振り上げる。

 

「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。五つの力を司るペンタゴン。我の運命に従いし“使い魔”を召喚せよ」

 

止める間もなくルイズはサモン・サーヴァントの呪文を唱えてしまう。あまりの急展開にわたしは頭を抱えるしかない。

 

本当に考えなしに発言なんかするべきじゃなかった。もっとハルケギニアではどのような結果を生むのか真剣に考えてから発言しないといけなかったのだ。励ましのつもりで絶望を生んでしまっては完全に逆効果だ。どうか、どうか、ガンダールヴが呼び出されませんように。

 

呪文の完成と同時に、ルイズの前には白く光る鏡のようなゲートが現れる。中から現れるのはガンダールヴか、それ以外か。

 

「扉よ、閉じて」

 

固唾をのんで見守っていると、ルイズは急にゲートを閉じた。

 

「どうしたのですか?」

 

急に怖くなったのだろうか。そう思ったのだけど、ルイズの答えは違った。

 

「今の召喚は、ガンダールヴを呼ぶものだったわ」

 

「わかるのですか?」

 

「ええ、間違いないわ」

 

単なる勘違いの可能性もあるのではないか。けれど、とてもではないが、そんな言葉は口にできる雰囲気ではない。

 

ふらふらと歩きだしたルイズはベッドの中に潜り込んでしまう。客人の退室を待たずに部屋の主がベッドに入るというのはマナー的にはよろしくないが、さすがにリーゼレータも心配そうな視線を向けるのみだ。わたしは目で側近たちを促し、そっと部屋を出る。

 

今は下手な慰めは逆効果だろう。しばらくは時が傷を癒すの待つしかないのだろうか。

 

本当に完全に裏目に出た。元より対人スキルの高くないわたしが余計なことをするべきではなかったのかもしれない。

 

習慣とは悲しいもので、自分のやらかしに落ち込みながらも、こんなときでも貴族の微笑を張り付けて、わたしは学園の外に作った別棟に向かって騎獣を飛ばした。



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最後の素材

ガリア王家の任務を終えて戻ってきたタバサと一緒に、あたしはロマリアを訪れていた。目的はもちろん、ユレーヴェと呼ばれるものの最後の素材として目星をつけていた、硫黄を入手するためだ。

 

今回はゲルマニアのフォン・ツェルプストー家のキュルケと護衛という名目での正規の方法での入国だ。戦争は終わったものの、アルビオンでの戦に向けて保有していた硫黄のほとんどを使用したこと、今のところは落ち着いているアルビオンも、いつ反乱等が起きても不思議ではないため、予め備えておくことを名目にしている。

 

事前に劇団キュントに情報収集をさせ、良質な硫黄が産出される場所については情報を得ている。更にフォン・ツェルプストー家の使用人を派遣して、アルビオンで使用する硫黄の採集のための技術指南役として職人との接触も済ませている。後は火のメイジとして著名なフォン・ツェルプストー家の娘として、実際の採集の方法を学ぶだけだ。

 

まずはロマリアの技師が採集している場面を見て、その後タバサが一人で採集してみる。最後にキュルケも試してみるという流れだ。はっきり言ってキュルケは硫黄を採集する必要などないのだが、タバサの目的を隠匿するために行うことにした。

 

今回のような行動の場合、できるだけ時間を取って、自分に有利なように水面下で準備しておくというローゼマインの考えは親和性が高い。タバサがいないうちから準備を進めていたこともあり、いざロマリアに向かうと決めてからは早かった。

 

ロマリアに入ってすぐ、予め接触を持っていた現地の技師に案内され、あたしたちは採集地へと向かう。その途中の馬車の中で技師のおじさんが不思議そうに聞いてくる。

 

「良質の硫黄を求める方はいくらでもいますが、わざわざ自分で採集してみたいだなんて、お嬢様がたは変わっていますね」

 

「さすがに他国まではあまり知られていないようだけど、あたしたちツェルプストー家は、ゲルマニアでは名の知れた火のメイジの家系なのよ。自分たちがよく使う秘薬については詳しく知っておくに越したことはないでしょう」

 

知られていないのは他国にではなく、平民にと表現するのが正しい。平民にとってメイジというものは纏めてメイジと認識されていて、後は公爵家などの一部の大貴族がすごい貴族と認識されている程度らしい。けれど、それを口にしたところで相手を不快にするだけだ。技師が協力的か否かは採集する硫黄の質にも関わってくる以上、余計なことは言わないでおくに限る。

 

「見えてきましたよ」

 

その声に馬車の窓から外を見ると、薄っすらと噴煙を上げる山が見えた。今回の採集地は時おり小規模の噴火を繰り返している火山なのだ。

 

「あれがヴェスティア山。今回の採集のために向かう場所です。そして、その麓に見えるのが今晩の宿を取っているグリューアの町です。グリューアは温泉が有名な町ですので、お嬢様がたも寄ってみてはいかがですか?」

 

「そうね、試してみるわ」

 

技師の勧めににこやかに答えて、あたしたちは宿に入った。

 

「お待ちしていました」

 

そこに待っていたのは劇団キュントに付けていた元傭兵メイジのエルザスだ。元とつくのはエルザスがすでにツェルプストー家のお抱えとなっているためで、今回も最終的な現地の情勢確認のために前日のうちにグリューアに入っていたのだ。

 

「ご苦労様、エルザス。不審な人物の噂など、なかった?」

 

「今のところ、そのような話は耳にしておりません」

 

あたしたちは不審者の目撃情報だけでなく、何らかの違和感を覚えた場合もすぐに町から撤退することにしていた。けれど、そういう情報はないようだ。

 

「わかったわ、それじゃエルザスは明日もグリューアで情報収集をお願いね」

 

「かしこまりました」

 

「じゃ、あたしたちは温泉に行ってくるから。エルザスも今日はもう休んでいいわよ」

 

エルザスにそう言って、あたしはタバサと一緒に温泉を楽しんだ。といっても、タバサの心は明日の採集地に向かっていて、気もそぞろという様子だったけど。

 

そうして翌日、あたしたちは硫黄の採集のためヴェスティア山へと足を踏み入れた。あたしたちは二人とも厚い布を顔に巻いている。ヴェスティア山はあちこちに蒸気が噴き出す穴があり、ただでさえ暑いのだが、こうしておかないと思わぬところで有毒なガスを吸い込んでしまう可能性があり、危険なのだそうだ。

 

「タバサ、暑いから氷でも作ってくれない?」

 

「この先、何があるかわからない。精神力は温存したい」

 

「そうよね。採集にも精神力を使うみたいだし、ないと思うけど、山に何かあったときに精神力がないんじゃ話にならないものね」

 

そう言ってみたはいいけれど、顔に巻いた布の下は汗でぐしょぐしょだ。鼻の頭や瞼の上にまで汗が流れているのがわかる。

 

我慢して先に進んでいると、硫黄の匂いが徐々に強くなっていく。顔に巻いている布は暑さという面ではマイナスだったけど、匂いの軽減という意味では役に立っている。あたしは火のメイジなので多少は慣れているとはいえ、臭いものは臭いのだ。

 

「あそこです」

 

言われた方を見ると、岩にびっしりと硫黄が付着していた。

 

「まず自分が採集してきますので、お嬢様がたはこちらから見ていてください」

 

そう言って技師の男が硫黄の塊の方へと歩いていく。蒸気が噴き出る石の間を難なく通り抜けた男は岩を工具で砕いた。その欠片を手に男は同じ道を戻ってくる。

 

「蒸気が噴き出る場所は決まっています。絶対に自分の後ろから脇に逸れたりはしないでください」

 

あたしたちを連れて、技師の男はやはり同じ道を通って硫黄の元に向かう。けれど、そこの場所の硫黄を見たタバサは表情を曇らせた。

 

「なるべく人が触っていない場所の硫黄が欲しい。わたしはメイジだから飛べる。硫黄の質が良さそうで、他の人が採集を行っていない場所はどこ?」

 

ユレーヴェの素材とするには、なるべく他の人の魔力が混ざらない方がいいと、これまでもローゼマインから言われてきた。けれど、この場所の岩にはすでに多くの人が削った跡が刻み込まれていた。タバサはそれを見て品質に不安を持ったのだろう。

 

「あたしからもお願いするわ。少しでも品質の高い硫黄が欲しいの。見えているけど危険すぎるから採集できなかった場所とかないかしら?」

 

人が触っているか否かは本来の用途で使用する場合は何の影響もない。タバサの言っていることを不審に思われないように、あくまで未だ見ぬ高品質の硫黄を求めた結果であるように言い添えると、技師の男は納得したような表情を見せた。

 

「それならあそこに見える場所なんかは、良い硫黄が取れるのではないでしょうか。けれど、見ての通り危険な場所ですよ」

 

指さした先は小さな谷を挟んだ崖の上の岩場にあった。そこには分厚い黄色がこびりついている。けれど、そこまでの地面には多くの亀裂があり、そこから不定期に蒸気が噴き出していた。

 

「高めに飛べば、近づけると思う」

 

「いいえ、低空でもいけるわ」

 

タバサがこてりと首を傾げるのを見て、あたしは自慢げに言う。

 

「魔法学院を襲った火のメイジが温度を感じられるって言ってだしょ。あたしも少しだけど感じられるようになったのよ」

 

もっと実力を高めなければと研鑽に励む過程で、あたしも温度を知覚できる能力を手に入れたのだ。もっとも、感じられるのは相当に温度差がある場合に限られるので、今回のような高温の蒸気の噴き出る場所以外では、火や氷の魔法の位置を感じるくらいしかできないのだけど。

 

要するに、今のところ、それほど役に立つ技能ではない。けれど、ここでなら使うことができる。

 

あたしはタバサの先に立ってフライで宙を進む。タバサはあたしのすぐ後ろをぴったりと付いてくる。

 

右前の穴から、十秒後くらいに蒸気が出そうだ。安全策をとり、左側の穴の上を進む。次は右に、その次も右に。無事に噴気孔が集まる場所を抜ければ地割れの先に崖が見える。

 

「もう少ししたら、一度、蒸気が噴き出すわ。その後は大丈夫よ」

 

あたしの言葉通り、硫黄が多く付着する岩の傍から蒸気が噴き出した。

 

「今よ、採集をしてしまいましょう」

 

待ってましたとばかりにタバサが崖を飛び越え、岩にとりついた。杖の先に精神力を集めて岩に突き刺すと、さして力を入れた風でもないのに、ごっそりと硫黄が取れた。

 

「思った以上に簡単に取れたようね。せっかくだからあたしも採集させてもらうわ」

 

ここに来るまでは、形だけの採集をしようと思っていただけだが、目の前にお宝があるのに見過ごすことなどできない。取り過ぎて怒られない程度に採集を行い、あたしたちは意気揚々とヴェスティア山をあとにしてエルザスと合流したのだった。




ルイズが絶望の中にいて、ローゼマインがやらかしたと頭を抱えているころ、キュルケとタバサは割と楽しく採集中。


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ルイズとシエスタの選択

わたしがキュルケから硫黄の採集成功の連絡を聞いた翌日の朝、わたしは別の驚くべき報告を聞くことになった。それはルイズが昨日の深夜、学院内の火の塔から身を投げたというものだった。

 

「それでルイズは無事なのですか?」

 

「はい、何やら偶然が重なったようで、大きな怪我はないようです」

 

その言葉にほっと息を吐いた。わたしの治癒の力は学院内でも屈指のもののようなので、危険な状態であれば、就寝中であろうとも連絡が来たはずだ。となると、すでに命が失われているのか、それほど怪我が重くないかのどちらかなのだろうと思ったけど、どうやら良い方向であったようだ。とりあえず最悪の事態は免れたようで、そのことは本当によかった。けれどもリーゼレータからの報告はそれで終わりではなかった。

 

「ローゼマイン様、シエスタより面会の依頼が来ています」

 

「シエスタから、ですか?」

 

これまでシエスタが面会の依頼をしたことはない。リーゼレータかグレーティアのどちらかに要望を伝えれば、二人を通してわたしに要求は届くからだ。

 

「しばらく休暇をお願いしたいとのことです」

 

「わかりました。朝食の後、部屋に来るように伝えてちょうだい」

 

このタイミングでの面会なのだ。間違いなく休暇の目的にはルイズが関わっているのだろう。わたしの側近たちのことを考えれば、シエスタが抜けるのは痛い。けれど、そもそもルイズを追いこんでしまったのは、わたしかもしれないのだ。

 

もしそうなら、シエスタの報告を聞くのは恐い。けれど、シエスタがきちんと筋を通して許可を得ようとしているのに、面会はよいから休めと言うこともできない。わたしの好みに完全に合わせてくれていたフーゴには僅かに劣るものの、十分においしいトリステイン魔法学院の料理も今日ばかりは手が進むのが遅くなってしまう。

 

「シエスタから話を聞くのは気が進みませんか?」

 

それを敏感に察知したリーゼレータがわたしを気遣うように声をかけてくる。

 

「ルイズへの対応が失敗だったことは自覚があるので、少しばかり気が重いです」

 

「ルイズ様には厳しい結果になってしまいましたが、遅かれ早かれ誰かが同じような行動には出たと存じます。ローゼマイン様の責任ではございません」

 

いつまでも平賀の死から目を背けていられないのは確かだろう。けれど、ルイズがそれを自分で消化するまで待つか、あるいは同じ説得でも、もっと上手くできる人ならば、今回の件は起こらなかったかもしれないのだ。

 

とはいえ、そんなことを思い悩んでいても仕方がない。わたしにできるのはシエスタのことを後援するくらいのものだ。ならば、そちらに全力を尽くそう。

 

覚悟を決めたわたしは、食事を終えると、すぐにシエスタを部屋に読んだ。そうして待つこと少し、シエスタは驚くべき人を連れていた。

 

「ルイズ、もう怪我はよいのですか?」

 

驚いてわたしが聞くと、ルイズは少しばかりばつが悪そうに視線を逸らした。

 

「ローゼマインにも心配をかけたわね。わたしはもう大丈夫よ」

 

そう言ったルイズは、本当にどこか吹っ切れたような表情に見える。

 

「何か心境が変化するようなことがあったのですか?」

 

「わたし、思ったの。わたしはずっと、あのバカ使い魔に甘えてたって。それなのに、あのバカってば、わたしを守ってくれたわ。そんなあいつに、できることはなんなのかって」

 

「それで答えは出たのですか」

 

「信じることよ。世界中の誰もが、『サイトは死んだ』って言ったって、この目で見るまではわたし信じない。たとえ魔法が“死んだ”って教えてくれたって、わたし信じない。あいつ、わたしに言ったもの。何があってもわたしを守るって。わたし、その言葉を信じるわ。だからあいつは生きてる。絶対よ。それにね、あいつはわたしの使い魔なの。わたしに無断で死ぬなんて許さないんだから」

 

ルイズはそう言い切った。ルイズの今の様子は、自殺しようとしたという昨晩よりは良い状態にあるのだろう。けれど、あくまで平賀が死んでいないという前提に立っていることについては、正直なところ危うく見える。

 

けれど、ここでまた落ち込ませても仕方がない。わたしが下手に何か言うよりも、ここはシエスタに任せた方がよいだろう。

 

「この目で見るまで、という言葉から考えると、ルイズはこれからアルビオンに向かわれるつもりですか?」

 

「ええ、絶対にサイトを探し出してみせるわ」

 

「では、シエスタはそれに同行したいということでしょうか?」

 

「はい、わたしたちが信じなかったら、サイトさんを信じてあげる人はいなくなっちゃうと思いますから」

 

「シエスタの休暇申請は認められません」

 

そう言うと、シエスタは驚いたように目を見開いた。

 

「シエスタには当分の間、ルイズの側仕えの役割を命じます。無論、わたくしが命じたお仕事ですから、これまでと同様の報酬を支払います」

 

そう言うと、シエスタは嬉しそうに、ありがとう存じます、と返してきた。あちこちと移動することも多いわたしたちに、シエスタが実際に仕えた期間は長くない。仕事に直結する所作などはグレーティアが叩き込んだはずだけど、言葉遣いについては、いずれは去ることになるわたしたちに合わせ過ぎても他で浮いてしまうため、あまり矯正しないように伝えている。けれど、さすがにいくつかの言葉は覚えてしまったようだ。

 

「ローデリヒ、ひとまず一月分の給料をシエスタにお渡しして」

 

公爵家の令嬢とはいえ、ルイズに自由にできるお金が少ないことは知っている。シエスタに給料として渡されたものを簡単に受け取るとは思えないが、いざという時の助けにはなるだろう。

 

その後、ルイズを先に退出させてわたしはシエスタにもう少し詳しい事情を聞いてみた。すると、驚くべきことが判明した。

 

なんと、ルイズが火の塔に登っていたのは確かなのだが、そこから身を投げたというのは正確ではなかった。実際は塔の淵に立つルイズに駆け寄ろうとしたシエスタが、転んだ拍子に突き飛ばしてしまったということだった。

 

「あの、ですけど、本当に危険な雰囲気だったのです。サイトさんには、もうこうしないと会えない、とか叫んでいて……」

 

わたしの冷たい視線に気づいたのかシエスタが慌てて弁解してきた。シエスタが口からでまかせを言っているとも思えないので、危険な状態だったのは確かなのだろうけど、もう少し落ち着いてほしいものだ。もっとも、そんなことを口にすれば、わたしも側近たちから後で同じことを言われてしまうのは確実なので黙っておく。

 

「事情はわかりました。シエスタ、ルイズのこと、お願いしますね」

 

「お任せください」

 

そう答えたシエスタが部屋を出て行くと、わたしはリーゼレータにキュルケと連絡を取るように依頼する。素材を集め終えたタバサは、すぐにでもユレーヴェの作成に取り掛かりたいはずだ。わたしたちはタバサが学院に戻り次第、試作品を作ることができるように準備をしておくつもりなので、いつ頃になるのか確認するためだ。

 

「キュルケよ。予定通り二人でツェルプストーの城に戻ってからタバサをトリステインに向かわせるわ。タバサがツェルプストーの城を発つ日が決まったら連絡するわね」

 

ゲルマニアに入ってからの日程はある程度、計算ができるけどガリア国内の移動に関しては読みにくい部分があると言っていた。それに加えてツェルプストー家にどのくらい滞在するのかも、まだ決まっていないのだろう。

 

「ローゼマインです。タバサも疲れているでしょうから、ツェルプストーの城でしっかりと休養を取ってから戻ってきてくださいませ。こちらに着いたら、魔力を大量に消費することになりますからね」

 

そう吹き込んで、わたしはオルドナンツを飛ばした。それから少ししてタバサから、覚悟しておく、という言葉が返ってきたが、そのときタバサの引きつった顔が浮かんだのは気のせいだろうか。

 

「タバサが到着するまで、しばらく時間がかかりそうですね。わたくしたちは調合の準備だけ整えて、後はこれまで通り研究に励むとしましょう」

 

そう側近たちに伝えて、わたしはここハルケギニアでの日常へと戻っていった。



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ユレーヴェの調合

ゲルマニアでキュルケと別れ、タバサはトリステイン魔法学院に帰還した。そして、その足で採取した素材を積み込み、ローゼマインたちと一緒にオルレアン家に向かう。これで、いよいよ母を助けうるユレーヴェというものが作れるのだ。

 

今すぐにでも作成をして、一刻も早く母に飲ませたいという気持ちは強い。けれど、それと同じくらい、もしも効かなかったらという恐怖心もある。ユレーヴェは今のところ、母を救える可能性のある唯一のものだ。これで何の効果もなかったら、タバサは、もうどうしていいかわからない。

 

それでも、今はローゼマインを信じて最高のユレーヴェを作るしかないのだ。そう覚悟を決めてローゼマインの作った増築部分の調合室に向かう。中に入るとローゼマインが嬉しそうな顔で出迎えてくれた。

 

「ああ、タバサ。つい先程、ルイズからオルドナンツが届いたのです。驚いたことに、才人が生きていたそうですよ」

 

サイトがアルビオンとの戦で亡くなったという連絡は、タバサもキュルケ経由で聞いていた。ローゼマインもその報を信じてしまったということだが、ルイズは諦めず、未だきな臭さの残るアルビオンに渡って見事にサイトを見つけ出したらしい。

 

ルイズは見事な勇気を示した。次はお前の番だと背中を押された気がして、タバサはすぐにユレーヴェを作りたいとローゼマインに申し出る。

 

「タバサ、焦ってはなりません。まずは調合の基本を確認してからとしましょう」

 

そう言って、ローゼマインは長時間、精神力を均等に流しながら、素材をかき混ぜられるか見たいと言ってきた。確かにユレーヴェの素材はいずれも貴重なものだ。もう一度、採取をするということは難しい。

 

まずは調合の感覚を掴むために価値の低い素材を使って練習をしてみることになったのだが、ローゼマインの用意した素材の中にはタバサが火竜山脈で採取して使えないと判断されたものもあった。有効活用といえなくもないが、それなりに苦労して採取したものを価値が低いと断じられたのは、少しだけ悲しい気持ちになった。

 

タバサがそんな感想を抱いているうちに、ハルトムートが大きな鍋を持ってくる。その鍋に向けてローゼマインはヴァッシェンという、ユルゲンシュミットの洗浄の魔法を使う。

 

「余分なものが混入すると品質が落ちますので、調合に洗浄は非常に大事です。けれども、タバサは洗浄の魔術が使えませんので、こちらはわたくしたちが行います」

 

タバサとしては、頷くことしかできない。オルドナンツと違ってヴァッシェンはタバサは使用することができなかったのだ。魔力を込めてヴァッシェンと言えばいいだけと言われても、どうしてそれで魔法となるのか分からない。

 

「調合鍋を洗浄したら、素材を一つずつ鍋に入れていきます。タバサはこちらの棒に調合の終わりまで精神力を均等に流し込みながら、鍋をかき混ぜ続けなければなりません。最初に精神力を多く流し込みすぎますと、疲れてくるに従って流し込む量が少なくなってしまい、失敗しますので注意してください」

 

ローゼマインにそのように注意されたこともあり、タバサは一つ目の魔石が入れられた鍋を混ぜる棒に、ドットの魔法を使うくらいの感覚で精神力を流し始めた。

 

「次の素材を入れますね」

 

しばらく混ぜ続けて、鍋の中でカラカラと音を立てていた魔石が溶けて、粘度の高い液体へと変わったところで、ローゼマインが次の素材を入れた。どうやら、これを繰り返すことになるようだ。

 

それにしても、どうして精神力を注ぎながらかき混ぜると、石が液体状になるのだろうか。原理がまったくわからない。けれど、実際になっているのだから、そういうものと思うしかないのだろう。

 

素材が入れられるごとに、中の液体の量が増え、徐々にかき混ぜるのが難しくなる。けれども、タバサは戦闘訓練を受けている関係で外見よりは力がある。この分ならば、最後まで混ぜ続けることができるだろう。

 

「ここまでで十分でしょう」

 

ローゼマインによると、これ以上は貴重な素材も使用しなければならないらしい。だから、練習ではここまでに留めるということだった。

 

「品質は?」

 

調合のときに流す精神力によりユレーヴェの品質は左右されるらしい。タバサの作った液体を取り出したローゼマインは、しばらく調べた後、ゆっくりと首を横に振る。

 

「最初から上手くはいかないものです。それでも最初は途中で魔力切れになることが多いのに、タバサは初めての調合で完成させることまではできたのですから、習得するまでも早いと思いますよ」

 

その言葉に励まされるようにタバサは翌日も調合の練習を行った。そして、その翌日も。連日の調合を行うこと四日目、ついにタバサはローゼマインから合格を勝ち取った。

 

「明日は一日、お休みとしましょう。最高品質の素材は、調合に相応の魔力を必要とします。明日はゆっくり休んで、本番に臨みましょう」

 

そう言われたタバサは部屋に戻ってすぐにキュルケにオルドナンツを送った。タバサにとって、入学してから始めてできた友人、そして長らくただ一人の友人であったキュルケに、まずはこれまでの礼を言おうと思ったのだ。

 

「その調子だと、ローゼマインから合格をもらえたみたいね」

 

タバサは感情表現が乏しいと言われる。けれど、キュルケは今日の調合が終わったという一言だけでローゼマインから合格を勝ち取ったことに気付いたようだ。

 

「実行するのは明日?」

 

「ううん、明後日」

 

「じゃあ、今日は飲みましょう」

 

そうして、その夜はオルドナンツを送りあいながら深酒をし、翌日は二日酔いを覚ます日を過ごし、いよいよタバサはユレーヴェの作成に臨む。

 

「では、春の素材から入れてください」

 

これまでの練習の通り春の素材から入れ始める。ラグドリアン湖で最初は退治を考えていた水の精霊から得た、水の精霊の涙を魔石化したものを調合鍋に入れる。カラカラと音をたてていた水の精霊の涙が、やがて形を崩していく。

 

そういえば、水の精霊から依頼されたアンドバリの指輪は、結局、取り戻すことはできていない。持ち主であったクロムウェルがガリアの船からの砲撃で、司令部ごと吹き飛ばされてしまったためだ。ローゼマインからは情勢が落ち着いたら、無駄足とは思うが念のために現地を訪れるつもりだと聞いている。

 

次に鍋に入れるのはロマリアで採取してきた硫黄だ。つい先日、採取したばかりの硫黄は魔石化すると、なぜか濃い青色の魔石になった。その魔石を見ていると、グリューアの町で入った温泉街の匂いが思い出された。あれは全ての採集の中で最も楽しいものだった。

 

その次はアルビオンで採取した風石だ。思えば、アルビオンでの風石の採取が、初めての鉱物の採取だった。ところで、最後に敵に回ったワルドは今、どうしているのだろう。

 

そして、最後に投入するのが、採取にも魔石化まで持っていくにも一番の苦労を強いられたガリアのチタンだ。最初は火の素材を狙っていたこともあり、しばらく思うような品質の素材を入手することができず、大いに焦ったものだ。そして、その後はコルベールの精製待ちという歯がゆい時間も過ごした。そのコルベールに、まさかキュルケが熱烈な恋をすることになるとは、あのときは思いもしなかった。

 

これまでの素材採取での思い出がタバサの脳裏に蘇ってくる。タバサは心を落ち着けて一定の精神力を注ぎながら鍋をかき混ぜ続けた。

 

チタンの魔石が完全に溶けると、ローゼマインが鍋の中に黒い液体を垂らした。けれど、四色のマーブル模様に変化はない。今の液体は何だったのだろうか。タバサが考えていると、鍋の中の液体が急に量を増やしていった。

 

「これで完成です。完成した液体は、こちらの白い箱の中で保存します」

 

「これはどうやって使うの?」

 

「杯の半分ほどを飲んだ後、この液体の中に浸かります」

 

「え?」

 

あまりに予想外の言葉に、それだけ呟いたきり声がでなかった。と、そこで素直に浸かればよいのだと思い直した。

 

「肩まで浸かる?」

 

「いいえ、頭まで浸かります」

 

「それだと溺れる」

 

「少なくともわたくしは溺れませんでした」

 

「わかった」

 

またしても、よくわからない理屈がでてきた。本当に大丈夫なのか、未だ半信半疑ではあるが、とりあえず試してみるしかないだろう。

 

「ユレーヴェの効果が出るまで一定の時間がかかります。タバサのお母様の治療にどのくらいの時間がかかるかは、わたくしも予測ができません。なるべく予定の空いているときに使うのがよいと思いますよ」

 

「そうする」

 

そろそろガリア王家から次の任務を命じられてもおかしくない。それが終わった直後が頃合いだろうか。そんなことを考えながら、タバサは調合室を出た。




次章 ガリアとの暗闘


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ガリアとの暗闘
新たな虚無の担い手


タバサの実家からトリステイン魔法学院に戻った翌日、わたしは魔法学院に建てた離れの窓から、こちらに近づいてくる竜籠を見つめていた。竜籠とは、その名の通り竜によって運ばれる籠であり、ハルケギニアでは貴人がよく利用すると聞いている。

 

竜籠の中にはアルビオンから帰国した平賀がいるという。わざわざ竜籠を遣わしてくれることからもわかるが、平賀はすでにただの平民ではない。アルビオンからの撤退戦の折に七万の大軍を足止めしたとしてシュヴァリエに任じられた。つまり貴族となったのだ。

 

平賀を乗せた竜籠はアウストリの広場に降りた。その平賀は何十人もの生徒から帰還を祝福されているようだ。平賀の奮戦により、無事にアルビオンから帰還できた生徒は多いと聞いている。その感謝を表しているのだろう。

 

けれど、わたしの心は晴れない。それは、事前にアンリエッタからもたらされた情報で新たな虚無の担い手が判明したからだ。

 

判明した担い手は二人。一人はアルビオンに住んでいた少女で、平賀を助けたのも、その少女だったということだ。そして、もう一人はルイズを襲ってきた何者か。こちらは詳しい素性は判明していないらしい。加えるなら虚無の担い手は、おそらくもう一人いるのではないかということだった。これまで一人だと思っていた虚無の担い手の大盤振る舞いに呆然としてしまったが、現実逃避している場合ではない。

 

拙いことに、敵方の虚無の担い手の使い魔はミョズニトニルンだったということだ。神の頭脳と伝えられたその使い魔は、わたしたちがユルゲンシュミットに帰還するための手段を探るため、最優先の捜索対象として考えていた。

 

それが敵に回れば、わたしたちの帰還は遠のくことになる。一応、トリステインと敵対しているだけなら、わたしたちは友好関係を築ける可能性があるが、話を聞いた限りでは話し合いに持ち込むのは難しそうだ。

 

敵対している方は素性が不明なので手出しができないとして、肝心なのはアルビオンで発見された担い手の方だ。ルイズとアンリエッタは本人の意向に添って、なるべく静かに暮らさせてあげたいようだ。

 

けれど、敵方の虚無の担い手はアルビオンの少女を放っておくだろうか。敵に知られていなければ、それほど危険はないかもしれないが、ルイズたちが襲われた場所は、新たな虚無の担い手が住む村の、すぐ傍であったということだ。

 

トリステインとて必ずしも安全ではない。それは確かだ。

 

けれども、現状の何の守りもない状態よりは、トリステインの方が遥かにましなはずだ。敵に虚無を渡さないためにも、トリステインで保護すべきではないだろうか。

 

「ハルトムートは、アルビオンの虚無の担い手をどうするのが最善と考えますか?」

 

「もちろん我々で保護すべきでございます。ローゼマイン様が建てられた、この建物ならば守りの魔法陣がございますので、保護するには最適ではないでしょうか」

 

確かに、この離れには悪意ある者を弾くための守りの魔石を置いてある。ここなら、簡単に手出しはできないはずだ。

 

「けれど、それはわたくしたちだけで決められることではございません。まずは相手の方とお話をしてからになりますね」

 

新たな虚無の担い手がどうしても今の場所を離れたくないと主張した場合、無理やり拉致はできない。特に現状では、アルビオンの少女自体は誰からも襲われていないようだから、いきなり危険だと言われても実感が持てないかもしれない。

 

「わたくしたちが独断で虚無を手の内に迎え入れるとなると、いらぬ誤解を招く可能性がありますから、その方をお招きするためには、まずはアンリエッタ様の許可を得る必要がありますね。リーゼレータ、アンリエッタ様への面会予約をお願いします」

 

わたしたちはユルゲンシュミットの帰還以上は求めていないが、そんなことは他人にはわからない。わたしたちが野心を持っていると疑われることだけは避けなければならないのだ。わたしが命じるとリーゼレータがすぐに部屋を出て行った。

 

「ルイズとサイトにもお話をしておいた方がよいですね」

 

アンリエッタから急に、やはりアルビオンの虚無の担い手を保護することに決めたと言われたら、二人は困惑するだろう。先に二人に話を通しておくために、わたしは離れを出て魔法学園に向かう。

 

平賀は火の塔のそばにあるコルベール研究室の中に、ルイズはその入口にいた。遠巻きにしている生徒に何をしているのか聞いてみると、平賀がコルベールの死の報を聞いて悲しんでいて、ルイズはそれを心配しているようだと教えてくれた。それで、わたしはルイズにコルベールが生きていることを伝えていないことを思い出した。

 

けれども、コルベールが生きていることを知られると、またアニエスに命を狙われてしまう可能性がある。少なくとも多くの人に知らせることではない。

 

では、ルイズと平賀に教えてしまっても大丈夫だろうか。二人ともお世辞にも嘘が上手いとはいえない。けれど、少し中を覗いただけでも悲嘆に暮れているとわかる平賀に黙っているのは、わたしとしても辛い。やはり、二人にだけは話しておいた方がよいだろう。

 

「ルイズに大事なお話があるのです。今夜、お部屋を訪ねてもよろしいでしょうか?」

 

「ごめんなさい、もう少し後でもいいかしら?」

 

「サイトにとっても大事なお話ですので、なるべく早い方が良いと思うのですけど……」

 

「じゃあ、明日なら……」

 

落ち込んでいる平賀を思ってかルイズは乗り気でないようだ。早く知らせた方が平賀のためにもよいと思うが、今は他の生徒の目もある。無理に予約を取り付けることはできない。まあ、明日なら許容範囲だろう。そう考えて、わたしはルイズの申し出を了承した。

 

そうして翌日、わたしは約束の時間にルイズの部屋を訪ねた。一日を空けた効果か、平賀は昨日よりは少し落ち着いた様子で部屋の中にいる。ルイズの部屋の中に入って挨拶を交わすと、わたしはすぐに範囲指定の盗聴防止の魔術具を使用した。

 

「まず、ルイズとサイトに謝罪させてくださいませ。アルビオンの襲撃で亡くなったとされているコルベール先生ですが、一命を取り留め、今はゲルマニアにいます」

 

「ちょっと待ってくれ、どういうことなんだ!?」

 

わたしの言葉に最初に反応したのは平賀だった。驚きのあまりか、わたしに掴みかからんばかりの勢いで立ち上がってしまい、クラリッサに前に立ち塞がられていた。

 

「わたくしもキュルケとタバサに聞いただけで、他の生徒に確認もできてはいません。その前提で話を聞いてくださいませ」

 

そう前置きをして、コルベールがかつて軍の特殊部隊に所属して、ある村の虐殺事件に関与したこと、魔法学院の学生に軍事教練を課すために駐屯していたアンリエッタの銃士隊の隊長であるアニエスがその村の生き残りであることを語った。

 

「アルビオンとの戦いの中、コルベール先生の素性を知ったアニエスは、先生を剣で貫いたということです。キュルケが咄嗟に先生が死んだと偽り、急ぎ学院へと戻ったわたくしが傷の治療を行い、密かにゲルマニアに逃れさせたのです。トリステインにとって、村民の虐殺は汚点でなるでしょう。先生が生きていると知ったとき、トリステインが先生とアニエスのどちらに罰を下すのかが読めませんでしたので」

 

「アニエスはアルビオンで俺に剣を教えてくれたんだ。剣を教えるときは厳しいけど、それ以外のときは優しい人だと思っていた。それなのに……」

 

恩義を感じている二人が殺し、殺されそうになったことを知って平賀はショックを受けているようだった。平賀とアニエスの間にそのような交流があるとは知らなかった。もしも知っていたら、もう少し言葉を選んだけど、知らなかったのだから仕方がない。

 

「そういうわけで、ルイズもサイトもコルベール先生が生きているということは、しばらくの間は秘密にしていてくださいませ」

 

「わかったわ」

 

ひとまずルイズが了承してくれたところで、わたしはアルビオンで見つかった虚無の担い手のことについて話を移した。

 

「アンリエッタ様から概要は伺いました。アルビオンに住んでいるという虚無の担い手は今の生活を続けることを望んでいることも伺っています。今のところ、その方が虚無の担い手であることを、敵方には知られていない可能性が高いことも。けれど、もしも敵方に知られてしまうと、今のままでは守れません。わたくしたちは、やはり守るべき対象はなるべく同じ場所にいていただく方がよいと思うのです」

 

「でも、ティファニアは子供たちを置いては行けないって……」

 

「サイトさん、もしも、そのティファニアという方に危険が迫ったときに、一番に犠牲になるのは誰だと思いますか?」

 

拉致するつもりなら、ティファニアは生かされるだろうけど、子供たちは殺されるだろう。逆にティファニアを殺すつもりなら、子供たちも生かしておく必要はない。どちらにせよ、子供たちが助かる見込みは薄い。

 

「それに、守りたい存在というものは、逆に弱点にもなりうるのです。子供たちを人質にされたときに、そのティファニアという方は抵抗ができますか?」

 

平民の父さんや母さん、トゥーリやカミルの存在はわたしの弱点だった。同時に、父さんたちにとってもわたしを狙う相手は一番の脅威となった。

 

だからわたしは、契約魔術で父さんたちとの親子として接することを完全に断つことに同意した。灰色神官が誘拐された事件などもあり、今ではそれが仕方のないことだったことがよく理解できる。

 

「ルイズを狙ってきたことから考えても、敵は虚無の担い手が複数いることを把握しています。ティファニアのところに行きつくのは時間の問題でしょう。子供たちを危険から守るためにも、ティファニアはわたくしたちが保護した方がよいと存じます」

 

少し考えた後、ルイズと平賀はわたしの考えを受け入れてくれた。そして、その翌日にはアンリエッタと会談し、ティファニアの受け入れの許可を得ることができたのだった。



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貴族となったサイト

アルビオンで七万の軍を足止めした功績で。俺は晴れて貴族となった。けれど、生活は大して変わらなかった。“シュヴァリエ”の称号には年金がついているので、金回りは多少よくなったが、生活が一変するほどでもない。俺がもらうことになった年金は平民の一家四人が不自由なく暮らせるくらいの額だ。領地を持たない、下級貴族の収入はそんなものらしい。

 

住む場所も変わらない。相変わらずルイズの部屋だ。借りようと思えば学院のあいている部屋も借りられたのだが、ルイズが嫌がった。余計なお金使うことないじゃない、とルイズは言った。普段の金銭感覚はいい加減なのに、このときは妙に堅実だったのだ。

 

とりあえず、アンリエッタから命じられた騎士隊の勤務には絶対に必要だとのルイズの勧めに従い、俺は年金を前借りして馬を一頭買った。

 

いい乗り手は馬よりも馬具に拘る、とのルイズのアドバイスに従い、馬具もそれなりのものを買った。その二つで年金のほとんどが吹っ飛んだが、めんどくさいし言うとおりにしないとルイズが怒るので、俺はしぶしぶ馬と馬具を買ったのだ。

 

そして、余ったお金はゼロ戦を置くために、雨から守るだけの板と木の格納庫を作るのに消えてしまった。

 

このときばかりは移動手段にお金をかけなくてもよいユルゲンシュミットの貴族を心の底から羨ましく思った。騎獣なら空を飛べるし、維持費もかからないのに。

 

そんな風にいきなり貴族になった俺に対する、魔法学院の人たちの反応は様々だった。

 

学院長のオスマン氏は喜んでくれた。

 

こっちの世界に骨をうずめる覚悟ができたようじゃな、と目を細めた。そういうつもりではない、と説明したら、未だにそんなことを言うのは、嫁さんがいない所為だと言い出し、貴族になった記念に結婚して身を固めろ、わしの姪はどうじゃな? 四度結婚に失敗して四十を過ぎているが器量はそこそこじゃ、と言い出したので、逃げ出した。

 

赤土のシュヴルーズ先生も、まぁ、と目を細めて喜んでくれた。

 

教師で喜んでくれたのはその二人ぐらいなもので、他の先生は快くは思っていないようだった。今までどおり、俺を空気のように無視した。すれ違いざまに、成り上がりが、と呟く教師もいた。さすがにむかついたが、一応相手は目上であるので放っておいた。

 

生徒たちの反応もまた様々だった。

 

平民上がりとバカにするもの。内心はよく思ってないが、俺の戦果に恐れをなして近づかないもの。無関心のもの。

 

すれ違いざまに、平民のくせに、とか、調子に乗りやがって、など、やっかみ半分の呟きが聞こえてくることもあった。相手が生徒ならまあよかろう、と俺はそんなことを言われるたびに決闘を吹っかけた。

 

ヴェストリの広場で続けざまに三人ほどボコってやると、すれ違いざまに悪口を言われることもなくなった。

 

貴族になった俺が所属することになったのは、女王アンリエッタの肝いりで新設された近衛隊だ。俺はオンディーヌという名を与えられた騎士隊の副隊長となった。

 

水精霊騎士隊という意味らしいオンディーヌは、過去に存在した栄光を纏いし、伝説の騎士隊らしい。トリステイン王家と縁の深い水の精霊の名前が冠されたその騎士隊が創設されたのは千年以上前にもさかのぼる。

 

しかし、数百年前の政粉の際に廃止されて、現在に至っていたのだが……、アンリエッタがその名前を拾い上げたらしい。そんな水精霊騎士隊の隊員たちはアルビオン戦役に参加した魔法学院の生徒たちで構成されている。隊長はギーシュだ。

 

初め俺は、隊長は自分がやろうと思っていた。けれど、平民上がりがいきなり隊長になると相当に風当たりが強い、というアニエスの話を聞いて、断念したのだ。アニエスが率いているのは平民たちだ。それでも、相当のやっかみがあるらしい。

 

それに対して俺の場合は平民が貴族を率いるということになる。当然、アニエスよりも更に風当たりは強いことになるだろう。それに、当人たちが納得していても親たちがどう思うかはわからない。そんな面倒を負ってまで騎士隊の隊長になりたいわけではない。

 

それにしても、俺に隊長を辞退するように勧めてくれたときのアニエスの様子を見ても、俺にはどうしてもコルベール先生を殺そうとしたことが信じられない。けれど、迂闊に確かめようとしてコルベール先生を危険に晒すわけにはいかない。

 

結局ルイズと相談し、とりあえず隊長にはギーシュを押して、当面の間、俺は副隊長ということになったのだ。

 

ギーシュはシティオブサウスゴータでは手柄をあげ、勲章をもらったし、それに父親は元帥である。人柄と実力と経験はともかく、家柄と戦果は騎士隊隊長としては申し分ない。

 

アンリエッタは俺を隊長にしたいようであったが、やっぱり俺はハルケギニアの貴族社会のルールもよく知らないし、メイジではないし、公にはできないが異世界人である。

 

ちなみにローゼマインも同じ意見だった。ローゼマインの場合、俺が人の上に立ったことがないことを心配して、そのような意見になったらしい。あとは、俺がルイズの尻に敷かれまくっているところを学院生たちなら見ているので、それでは隊長に就任しても威厳などないというのも懸念材料だったらしい。

 

けれど、代わって隊長に就任したギーシュは、モンモランシーに尻に敷かれまくっている。それに、何と言っても、やっぱりギーシュだ。威厳なんてものがあるはずがない。その意味では騎士隊の中に適任者なんていなかったことになる。

 

ともかく水精霊騎士隊は、訓練初日から俺とギーシュの取っ組み合い、アルビオン戦役での英雄譚に憧れを抱いた一年生からのアプローチ。そして、鼻の下を伸ばしていたことを咎めるルイズとモンモランシーの俺たちへの制裁と、ぐだぐだながら何とか走り出した。

 

そうして、アンリエッタの命である水精霊騎士隊の設立が一段落したところで、俺たちは虚無の担い手と判明したティファニアを、アルビオンに迎えに行く相談を始める。相談の会場は、ローゼマインの作った離れの会議室だ。

 

会議室にいるのは、アルビオンでティファニアと会っている俺とルイズ。それから今回の会議の提案者であるローゼマインたちだ。

 

「わたしたちを襲ってきたミョズニトニルンはシェフィールドと名乗っていたわ」

 

「死者を操る魔法から解放されたウェールズ様がおっしゃっていた、アルビオンの神聖皇帝クロムウェルを裏から操っていると思われた秘書の名ですね。そうなると、アルビオンの革命自体がミョズニトニルンの主人によって仕組まれた可能性がございますね」

 

「虚無の担い手は王家に現れると聞いているわ。まあ、王家に連なるものくらいでないと、アルビオン革命の黒幕になんかなれないわよね」

 

「そして、その者がどこの王家に連なるものであるかはアルビオン革命の最後を見れば容易に想像ができますね」

 

アルビオン戦役は、それまで中立を保っていたガリアが、突如としてアルビオンを攻撃したことにより終わりを迎えた。ガリア軍は開戦後の最初の一撃で見事に皇帝クロムウェルを死に追いやったのだ。けれど、考えてみれば、その経緯は不自然だ。

 

まずはクロムウェルを討ち取るためには、正確な居場所を知らなければならない。けれど、敵の大将の位置を知ることが難しいことは、アルビオンで敵の大軍に突っ込んだ俺が一番よく知っている。なるべく指揮官を狙おうと思っても、人の群れの中で判別するのは容易なことではない。

 

けれど、シェフィールドの後ろにいるのがガリア王家なら、それも説明がつく。言うまでもなくシェフィールドが情報を流したのだ。

 

「ガリア王家に連なる者の中に虚無の担い手がいるとしても、ルイズの件を見てもわかる通り、傍系でもよいようですからね。対象者はどこまで広がるかわかりません。誰が虚無の担い手か突き止めるのは難しいのでしょうね」

 

「いいえ、見当はつくわ。あまり考えたくはないけど」

 

「誰なんだ?」

 

俺が聞くと、ルイズは苦々しいという感情を顔全体に現した。

 

「ガリアの無能王、ジョゼフ」

 

「無能王って、もしかして……」

 

「そう、魔法が上手く使えないらしいわ」

 

俺が言おうとした言葉を、ルイズが引き継いで肯定した。

 

「それは、確定と見てよいでしょうね」

 

落胆した様子でそう纏めたローゼマインの言葉に否定の声はあがらなかった。俺自身も、ルイズと似ていると感じてしまったからだ。

 

「これで予断を許さなくなりました。今の共同統治のようなアルビオンにティファニア様を置いておくことはできません。早急にわたくしたちで保護すべきです」

 

その言葉に反対を唱えることのできる者はいなかった。



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ティファニアとフーケ

わたしは隣の座席にいるクラリッサを除いた六人の側近たちの騎獣に囲まれた状態で、再びアルビオンを訪れた。目的はルイズたちから聞いていたアルビオンの虚無の担い手を保護するためだ。そのための説得要員として、わたしの騎獣の後部座席にはルイズと平賀の姿もある。ちなみに側近全員を動員しているのは、説得に成功した暁には引っ越しが必要になるためだ。人海戦術というのは、なんだかんだで強い。

 

平賀の案内で、わたしはウエストウッド村の中に足を踏み入れた。ウエストウッド村は森の中に小さな家が数件建っているだけの、本当に小さな村だった。

 

アルビオンの虚無の担い手であるティファニアの家は村の入口付近にあった。藁葺きの屋根から、煙が立ち上っている。

 

扉を叩いたのは、ティファニアと面識の深い平賀だ。中から少女の小さな返事を聞くと、平賀はすぐに扉を開けた。

 

「フーケェエエエエエエエッ!」

 

次の瞬間、平賀が絶叫しながら背中の剣を抜き放ち、中へと飛び込んでいく。平賀の叫び声を聞いたラウレンツが平賀の後を追い、マティアスはクラリッサと一緒にわたしの護衛につく。ハルトムートはルイズの手を引きわたしの傍に控え、ローデリヒ、リーゼレータ、グレーティアはそれぞれシュタープを手にわたしの背後を固める。

 

「やめてえッ!」

 

次の瞬間、聞き覚えのない少女の声が響いた。

 

「なんで二人とも戦うの! サイト! 剣をしまって!」

 

「で、でも……」

 

「マチルダ姉さん! この方に手を出してはだめ!」

 

「マチルダ姉さん?」

 

少女の仲裁の成果か、平賀たちの言い争う声は少しずつ小さくなっていく。その後、中の様子を見に行ったラウレンツが入口から顔を出した。

 

「どうやら一時休戦となったようです。もう入っても大丈夫です」

 

ラウレンツのお墨付きをもらって中に入ると、なるほど確かに土くれのフーケがいた。

 

「お久しぶりですね、マチルダ様。時の女神ドレッファングーアの糸は交わり、こうしてお目見えすることが叶いましたこと、嬉しく思います」

 

わたしがユルゲンシュミット式の再会の挨拶をするとフーケは目を見開いていた。

 

「あんたはわたしと戦う気はないってことかい?」

 

「ええ、そのような必要はまったくございませんもの」

 

わたし自身はフーケにそれほどの恨みはない。それよりも、この場でフーケと敵対することで、ティファニアの心証を悪くする方が不利益が大きい。

 

「あんたたちとも随分と久しぶりだねぇ。まずは旧交を温めようじゃないか」

 

そう言うとフーケは椅子に腰掛けた。そうして、わたしたちが家の中に入って席に着いたところでティファニアに尋ねる。

 

「ねえティファニア。なんでこいつらと知り合いなのか話してごらん」

 

ティファニアはアルビオン軍を食い止め、死にそうになっていた平賀を助けたこと。迎えに来たルイズとも知り合いになったこと。わたしたちとは初対面であることを伝えた。

 

「ああ、じゃああれはあんただったのかい。七万のアルビオン軍を一人で食い止めたっていうのは。ふふ、やるじゃないの。少しは成長したようだね」

 

「じゃあ、次はこっちの番だ。お前とティファニアは、どうして知り合いなんだよ」

 

フーケの代わりにティファニアが、平賀に向けて説明を始める。

 

「いつか話したことがあったよね。わたしの父……、財務監督官だった大公に仕えていた、この辺りの太守の人がいたって。彼女は、その方の娘さんなの。つまりわたしの命の恩人の娘さん。それだけじゃないの。マチルダ姉さんは、わたしたちに生活費を送ってくださっていたの」

 

つまりフーケことマチルダは元はアルビオンの貴族だったと。そして元のアルビオン王家には恨みを持っていた。国を出て盗賊に身をやつしていたのも、その辺り理由があるのだろう。

 

「そのような素性なのでしたら、マチルダ様には、今のアルビオンで潜伏生活を送るための伝手があるということですか?」

 

「なんでそんなことを聞くんだい?」

 

「わたくしたちはティファニア様を保護するために、こちらに参りました」

 

マチルダの眉が、軽く動いた。ティファニアが驚いたようにわたしを見つめてくる。

 

「森の中でルイズが襲われたことは、ティファニア様も聞き及んでおられるでしょう? その敵がティファニア様の口封じを狙ってくる可能性があります。わたくしたちが巻き込んでしまって申し訳ないのですけど、せめて巻き込んでしまった者の責任としてわたくしたちでティファニア様を保護させていただきたく存じます」

 

わたしはガリアのことは隠して表向きの理由を伝える。

 

「もちろん、子供たちもいっしょだ。生活はトリステインが保証する。ティファニア、外の世界が見たいって言ってただろ?」

 

サイトが言い添えると、ティファニアの顔がわずかに輝いた。

 

「結論を急がないでください、サイト」

 

けれど、わたしは話を進める二人を制止した。

 

「わたくしたちの当初の目的は、先にお伝えしました。けれど、もしもマチルダ様が安全な場所を確保できると言うのなら、マチルダ様にお任せすることもやぶさかではありません。マチルダ様はどのようにお考えですか?」

 

「ちょっと待ってくれ、それでいいのかよ!」

 

「サイト、ティファニア様を保護することを強く主張したわたくしが言えることではないと思いますが、本来なら、わたくしたちは手段を示すのみで、決めるのはティファニア様とマチルダ様が行うべきなのですよ」

 

ティファニアがマチルダを見つめる。マチルダは目をつむって考えている。

 

「ローゼマインたちと一緒に行きな、ティファニア。お前もそろそろ、外の世界を見たほうがいい歳だ」

 

「おい! いいのかよ!」

 

「ああ。それに、わたしは今や文無しでね。仕送りをしたくてももうできないのさ。今日はそれを言いにきたんだ。ちょうどいいかもしれないね」

 

どうやらマチルダの逃亡生活も楽なものではないようだ。少なくとも子供たちも連れて行くことはできないだろう。それなら、完全に一緒には暮らせなくとも休みの日には会いにいける、わたしたちのところに来たほうがいいのかもしれない。

 

「マチルダ姉さん……そんなに苦労しているんなら、どうして言ってくれなかったの?」

 

「娘に心配をかける親がいるかい?」

 

「マチルダ姉さんは、わたしたちの親じゃないわ」

 

「親みたいなものだよ。だって、小さなときからずっと知っているんだものね」

 

ああ、駄目だ。わたしは肉親との別れには弱い。

 

「少し、二人で話す時間を作ってさしあげましょう」

 

ルイズと平賀を促して、わたしたちは隣の部屋で待つことにした。そうして鐘一つ分ほどの時間を過ごした頃、マチルダが部屋の中に入ってきた。

 

「お話は済んだのですか?」

 

「ああ、当初のとおりローゼマインたちにティファニアは任せるよ」

 

「それでよろしいのですね」

 

「ああ、どんな道だろうが、わたしと行くよりは、マシだからね」

 

その言葉には、真にティファニアのことを案じる響きがあった。その後、マチルダは平賀の方を見て、少し真剣な顔をした。

 

「あの子のこと、よろしく頼むよ。世間知らずなんだ。変な虫がつかないように、よく見張るんだよ」

 

それは平賀に釘を刺しているのだろうか。確かに平賀は隙あらばティファニアの胸に視線が行っていた。悪いけど、女性には丸わかりだからね。それはともかく、ティファニアにとってはマチルダも大事な家族のようだ。それなら今生の別れとしてはいけない。

 

「マチルダ様、トリステインに移住して少し落ち着いたら、ティファニア様にオルドナンツを送るようお勧めしてもよろしいですか?」

 

「いいのかい?」

 

「ええ、ティファニア様は人質としてトリステインに向かうわけはないですから。それに、わたくしは家族との連絡を制限するほど狭量ではないつもりですよ」

 

「そうかい。楽しみにしているよ」

 

マチルダはそう言って、そのままウエストウッド村から去っていった。一方のわたしたちは村で一泊した後、翌日にティファニアと子供たちを騎獣を乗せてアルビオンを去った。

 

ちなみにティファニアはこの世界では嫌われているエルフとのハーフだった。その特徴的な耳を隠すため、ユルゲンシュミットの側仕えのお仕着せに近い衣装を用意して、表向きはわたしの側仕えとして遇することにした。生活の場も守りの強いわたしが建てた離れとして、素性もオスマンにも秘した。徹底した情報管理の元、ティファニアはトリステインでの新しい生活を開始した。




原作と違いティファニアの素性は一般の魔法学院の生徒には開示されません。
私が書くと、双方に多大な犠牲が出る激しい戦いになりかねませんので。


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恋愛下手な人たち

あたしは、フォン・ツェルプストー家で建造していたオストラント号の試験飛行の成功を見届け、トリステイン魔法学院へと復帰した。そうして話でしか聞いていなかったルイズがサイトを探してアルビオンに向かった前後と、そこで発見されたルイズに続く虚無の担い手であるティファニアの話を聞いている。

 

ちなみに本人は隠しているつもりのようだが、ルイズが虚無を使えることは、あたしも気づいている。アルビオンでワルドが虚無に触れていた上に、アンリエッタたちに向けて放たれた謎の魔法を見ても気付かないほど、あたしは間抜けではない。

 

「サイトが死んだから、自分も命を絶つなんて、ルイズは何を考えているのかしらね」

 

いつも通りクラリッサの護衛の元、今日はグレーティアから出されたお茶を飲みながらあたしが学院を留守にしていた間の話をローゼマインから聞いていく。そうして最初に口をついて出たのが、先の感想だ。

 

虚無の担い手が三人もいたことも衝撃的だったが、何より驚いたのは、ルイズの行動についてだ。情熱的なことは大好きなあたしでも、さすがに恋人が死んだからといって後を追おうとは思わない。

 

「それに、それだけ愛してるという割には、そんな雰囲気でもないじゃない」

 

学園に戻ってきたときに二人を見たが、サイトが貴族になっても、ルイズの折檻は続いているようだった。それだけ好きな相手なのに、理不尽な怒りをぶつけるなんて、相手の気持ちが離れるのが怖くないのだろうか。

 

「本当に、こじらせてますよねぇ」

 

ローゼマインがしみじみと言ったのに合わせて、あたしはため息をついた。本当に、もう少しだけ素直になれば、もっと楽しい毎日が待っているだろうに。

 

「どうやったら、あんなに恋愛下手になれるのかしらね」

 

「そうですね」

 

そう同意したローゼマインを見ているうちに、ふと思った。そういえば、ローゼマインの恋愛話は聞いたことがない。

 

「ローゼマインは誰か好きな相手はいないの?」

 

「わたくしは、もう婚約者がいますので」

 

「それって、政略結婚なんでしょ。そうじゃなくて、男性の好みとかはないの?」

 

「そうですね。それでしたら、わたくしは本をたくさん持っている殿方がいいです」

 

一瞬、何を言っているのかわからなかった。

 

「ごめん、ローゼマイン。もう一回言ってくれない?」

 

「わたくしは本をたくさん持っている殿方が好きです。わたくし、貴女のためにこれだけの図書館と本を準備しました、と求婚されるのが夢なのです」

 

それは、お金持ちが好きとか、身分が高い人が好きとか言っているのと、何も変わらないのではないだろうか。ローゼマインは十三歳だと言っていたと思うのだけど、望んでいる内容は甘い恋愛とは、ほど遠い。

 

「本をたくさん以外に、性格面では何かないの? 例えば、優しい人がいいとか?」

 

「わたくし、お母さまからは、腹芸の一つもできない、敵を排除することもできないような優しいだけの男は駄目、と注意を受けていましたので」

 

ルイズとローゼマインを足して二で割れば、いい塩梅になるのではないだろうか。そう考えてしまうくらい、ローゼマインは恋愛に対する興味が薄い。

 

「ええと、そういえば、ローゼマインには婚約している側近がいたわよね。あたし、話を聞いてみたいのだけど、いいかしら」

 

「クラリッサのことでしょうか? 構いませんが、彼女からはあまり有益な情報は得られないと思いますよ」

 

「ええ、別にちょっと聞いてみたいだけだから構わないわ」

 

そう言って、ローゼマインの背後で護衛についているクラリッサに話を向ける。

 

「ねえ、クラリッサはどうしてハルトムートと婚約をしようと思ったの?」

 

「わたくしは元々、ダンケルフェルガーという領地の出身でした。けれど、わたくしはどうしてもローゼマイン様の側近になりたかったのです。ですのでローゼマインの側近となるために婚約をしたのです」

 

あたしはクラリッサに、ハルトムートと婚約をした理由を尋ねたはずだ。けれど、今の話の中にはハルトムートの名前は一度も出なかった気がするのだけど。

 

「それで、どうしてハルトムートを婚約者に選んだのだっけ?」

 

「ローゼマイン様の側近となるためにはエーレンフェストの殿方と結婚するしかありませんでしたが、同学年か、それより上の上級貴族で、ローゼマイン様の近くに居られて、わたくしが親から許可がもぎ取れそうな方は、ハルトムートしかいなかったからです」

 

ようやくハルトムートの名前が出てきたけれど、どう考えてもハルトムート自身を好きになったとは思えない。クラリッサが恋したのはローゼマインであり、ハルトムートは近づくための手段にすぎない気がする。

 

「ねえ、ハルトムートはクラリッサがどうして自分と婚約したか知っているの?」

 

「ええ、もちろん存じていますよ」

 

「知っていて、どうしてクラリッサとの婚約を了承できるのよ!」

 

あたしが思わず少し大きめの声をあげてしまうと、ローゼマインは答えにくそうに目を逸らした。代わりに答えたのはグレーティアだ。

 

「ハルトムートは、どれだけローゼマイン様について熱く語ってもクラリッサは熱心に話を聞いてくれるし、どれだけローゼマイン様に入れ込んでも全く喧嘩になる気配がないのだから、自分にはこれ以上ない良縁だ、と喜んでいたと聞いています」

 

え、何それ? どうしたら、そんな感情になるの?

 

「ついでに言うならば、ハルトムートもクラリッサも互いのために命を捧げる気は全くありませんが、二人でローゼマイン様に命を捧げるのは繋がり合っている気分になれて素敵だと言っていましたよ」

 

何を言っているのか全くわからない。クラリッサとハルトムートについては諦めよう。

 

「じゃあ、グレーティアは何かないの?」

 

「わたくし、誰にも嫁がずに一生を過ごすつもりです」

 

その言葉に頑ななものを感じて、あたしはそれ以上、聞くことをやめた。何か事情があるのなら、興味本位で聞いてしまっていいことではない。

 

「そういえば、リーゼレータには何かあるのかしら?」

 

「リーゼレータはエーレンフェストに婚約者がいました。けれど、それは解消になるのではないでしょうか?」

 

「え、なんで?」

 

あたしが驚いて聞くと、ローゼマインは少し答えにくそうに目を伏せた。

 

「直接の原因は、わたくしがエーレンフェストから中央へと移ることになったことですね。長くわたくしに仕えてくれた側仕えの中で中央に移れるのがリーゼレータしかいなかったのです。なので、わたくしが我儘を言って一緒に移ってくれるよう頼みました」

 

「それで、遠距離になるから別れるしかないってこと?」

 

「いいえ、リーゼレータのお相手は、わたくしの婚約者でもあった次期領主とされていたお兄様の側近だったのです。けれど、お兄様はわたくしとの婚約解消で次期領主から外れることになりました。そうなるとリーゼレータにとっては利のない婚約となりますから」

 

あれ、それって政略結婚の相手として旨味がなくなったから、さよならってことなの? ユルゲンシュミットの貴族にとって、結婚ってそればっかりなの? とてもローゼマインが聞かせてくれた恋物語と同じ国の話とは思えなくて困惑しかない。

 

「ええと……他の側近は……」

 

「アンゲリカは論外としてレオノーレなら……、けど、コルネリウス兄様は本にされるのが嫌だと言って、わたくしには教えてくれませんし……」

 

もう少し広げてもまともな話は聞けないらしい。

 

「ねえ、ローゼマインが貴族院で集めに集めた恋物語って、妄想話ではないのよね」

 

「ええ」

 

「その割には恋に全然、興味がないのはどういうことなの?」

 

「物語には山も谷も必要ですけれど、自分の人生は平穏が一番でしょう?」

 

ああ。駄目だ、これは。ユルゲンシュミットの貴族は決定的に恋愛に向いていない。

 

あたしは衝動的に右手にスプーンを掴むと、窓の向こうの二つの月まで届けと全力で投げつけたのだった。




キュルケ匙を投げる


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ミョズニトニルン対策会議

三日前、わたしはタバサからユレーヴェをお母様に使用したという連絡を受けた。けれど、それから二日後の昨日、タバサから受け取ったオルドナンツは、明日トリステイン魔法学園に向かうというものだった。

 

「ユレーヴェの効果が現れた、ってわけじゃないのよね」

 

同じ連絡を受け、わたしの部屋を訪ねてきたキュルケの表情は晴れない。

 

「それでしたら、経過を見ているでしょうね。おそらくガリア王家から何らかの面倒な指示が下されたのではないでしょうか?」

 

そうでなければ、タバサは今、母親の側から離れようとしないだろう。そして、その予想は学園に戻ってきたタバサにより肯定された。わたしとキュルケと一緒に離れに作った会議室に入ったタバサは、盗聴防止の魔術具を使用すると、すぐにガリアから受けた指示の詳細について語り始める。

 

「わたしが受けた指令はスレイプニィルの舞踏会でルイズを誘拐する間のサイトの足止め。ルイズの誘拐を実行するのはミョズニトニルンであるシェフィールド」

 

「やはりミョズニトニルンの主はガリアの者だったのですね」

 

タバサの連絡は、ある意味では予想の範囲内だ。けれど、ミョズニトニルンが直接、出向いてくるとは思わなかった。

 

「ねえ、タバサ。そのことをあたしたちに伝えてしまって大丈夫なの?」

 

「構わない。わたしは母の治療をユレーヴェに賭けた。今は隠し部屋の中で眠っているから、仮にガリアが刺客を放っても手を出すことはできない」

 

キュルケの心配を大丈夫だと言ってのけたタバサは、確認をするようにわたしの方を見つめてくる。わたしはタバサを勇気づけるためにも大きく頷いた。

 

「ええ、隠し部屋に入れるのは予め登録をされた者だけです。タバサの隠し部屋に登録されているのはタバサとお母様、あとは念のためにわたくしと、世話をするためにペルスランに魔石を渡しているだけです」

 

「ペルスランには、何かあればすぐに隠し部屋に逃げ込むように伝えてある」

 

隠し部屋に籠ってしまえば、ガリア王家の者たちは手を出せない。それでも、隠し部屋の存在を知っていれば何かしら手を打たれる可能性はあるが、知らなければ単純に逃げられたとしか思わないだろう。

 

「それで、あたしたちに計画を知らせてくれたってことは、ガリアの企みは阻止するってことでいいんでしょう? 具体的にはどうするの?」

 

「シェフィールドを捕らえる」

 

言い切ったタバサに思わず息を飲んだ。

 

「ガリアとは完全に決別するということになると存じますが、よろしいのですか?」

 

「構わない」

 

タバサの言葉からはガリアを故郷と感じている様子は見られない。すでに愛想は尽きたと言わんばかりだ。

 

「使い魔は死ねば再び召喚が可能になる。その意味では虚無の使い魔は生きて捕らえた方がよいと思うのだけど、できるかしら? 捕らえることができたとして、ミョズニトニルンはあらゆるマジックアイテムを扱えるのよね。逃げられないかしら?」

 

「それについては、わたくしに考えがございます」

 

わたしがそう言うと、タバサも捕らえた後どうするかは迷っていたのか、興味深そうに見つめてきた。

 

「アルビオンから連れて帰ったティファニアの使える虚無の魔法は『忘却』なのです。それを使用して自らの主人に対する忠誠心を忘却してもらいます」

 

「そんなことができるの!?」

 

「ええ、それで、できるだけの情報を引き出した上で、最後には自らがミョズニトニルンであるということを忘れてもらうことにしましょう」

 

「ローゼマインって、結構えげつないことを考えるのね」

 

キュルケに引かれてしまったけど、ユルゲンシュミット帰還のため、ミョズニトニルンの知識は是非とも得ておきたい。記憶を覗く魔術具を持っていれば話は早かったけど、あれはアウブの許可が必要なものなので、当然ながら、ここには持ってきていない。

 

「じゃあ、シェフィールドを捕らえるとして、どのような方法を取るの?」

 

「神の頭脳、と言われるミョズニトニルンですから、ルイズから聞いている人形を使う方法以外に、わたくしたちが知らないマジックアイテムを使ってくることも考えられます。普通に戦えば苦戦は免れないでしょうね」

 

「相手は多くの手勢を連れてこられないでしょ。数で押せばどうにかなるんじゃない?」

 

「勿論、数も用意しますが、それ以外にも考えがございます」

 

「また悪い顔になっているわよ、ローゼマイン」

 

わたしが癖で浮かべた作り笑いを見たキュルケが、そう指摘してくる。けれど、わたしはフェルディナンドのように性格が悪くない。シェフィールドに仕掛ける罠を考えながら笑みを浮かべるなんてことはない……はずだ。

 

「それで、どんな考えがあるの?」

 

「シェフィールドはハルケギニアの魔法やマジックアイテムには詳しいと思われますが、さすがにユルゲンシュミットの魔術や魔術具の知識まではないでしょう。ならば、わたくしたちはユルゲンシュミット固有の方法で攻めようかと思います」

 

「それってどういうものなの?」

 

「ユルゲンシュミットには、魔力を通すだけで魔術を発動させられる魔法陣というものがございます。さすがに、そのまま使うと警戒心を持たれてしまうかもしれませんが、わたくしたちは模様に隠して刺繍する技術も持っていますので、きっとシェフィールドが気付かない魔法陣入りの絨毯を仕上げることができると思いますよ」

 

ハルケギニアには魔法陣のようなものは確認できていない。おそらくシェフィールドも、足元で攻撃魔術が完成しているとは夢にも思わないはずだ。

 

「けど、ローゼマインはシェフィールドの顔を知らないでしょ。ルイズかサイトを隣に置いて確認をさせるの?」

 

「わたくしが使っている風の盾には、中にいる者に害意がある者は入れないという特性がございます。わたくしが入口に風の盾を張って中でルイズと一緒にいればシェフィールドの顔を知らなくとも特定することは難しくないと存じます」

 

「ローゼマインの風の盾に弾かれた者がいた場合、全員で一斉攻撃をするというわけね」

 

「その通りです。そして、最後はわたくしがシュタープで捕縛します」

 

シュタープでの捕縛は、魔力が上回らない限り逃れることはできない。シェフィールドはメイジではないという話なのでハルトムートかクラリッサでも十分かもしれないが、念には念をいれておくべきだろう。

 

「ところで、先にお母様を救出しておかなくてもよいのですか?」

 

その方がタバサも心置きなく戦えるだろう。そう思っての提案だったのだが、タバサは首を横に振った。

 

「母をゲルマニアに逃がそうとすれば、さすがに察知される。そうなると、わたしが裏切るつもりだということも気づかれる」

 

「確かにそうかもしれませんが……本当によろしいのですか?」

 

「隠し部屋にいれば安心だというローゼマインの言葉を信じる。母はシェフィールドを捕らえた後に救出すればいい」

 

「わかりました。タバサの協力、ありがたく受け取らせていただきます」

 

「じゃあ、問題はルイズとサイトにどこまで知らせるかね。あの二人の場合、下手に知らせると顔や態度に出ちゃいそうだから」

 

タバサとの話がついたところで、今度はキュルケがルイズとの連携について聞いてきた。確かにルイズに襲撃されることを伝えると、周囲を警戒しすぎてシェフィールドに情報が漏れていることを気づかれてしまう可能性がある。

 

「ルイズには風の盾の中に入ってもらう段階まで教えない方がよろしいでしょうね」

 

「じゃあ、捕らえるのはあたしたちだけで行うってことね」

 

「ええ、オールド・オスマンに話は通しておく必要があると存じますが、生徒や教師たちには知らせない方がよいでしょうね」

 

「そうね、下手に勇ましく出られても面倒なことにしかならないでしょうしね」

 

魔法学院の一般の生徒たちの戦闘力はけして高くない。何より、下手に情報を与えると、水精霊騎士隊の隊員たちの中の誰かが、何としても我が手で捕らえる、と妙な正義感を発揮して暴走してしまう可能性がある。

 

とりあえず概要は決まったけれど、まだまだ話し合っておくべきことは多い。わたしたちはそれから、細部についての話し合いを進めていった。



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ミョズニトニルンの捕縛

スレイプニィルの舞踏会が行われる虚無の曜日になった。スレイプニィルの舞踏会とは、三年生の卒業とともに入ってきた新入生を歓迎するために行われるイベントだ。

 

スレイプニィルの舞踏会はただの舞踏会ではない。真実の鏡というマジックアイテムを使用して仮装して行う舞踏会なのだ。真実の鏡は、その人が一番憧れている姿になることができる。

 

全員が姿を変えて参加するため、舞踏会中はミョズニトニルンにもルイズを特定することができないはずだ。けれど、ミョズニトニルンはあらゆるマジックアイテムを使用することができると言っていたらしい。おそらく、ルイズを見破る術を持っているのだろう。

 

いずれにせよ、あたしたちは舞踏会の会場であるホールに入る前にけりをつけるつもりでいる。事前に学園長であるオスマンに連絡を取って、全学院生が用いることになる真実の鏡に向かう列の間隔を普段より長めにしてもらった。そして、その真実の鏡を覆うための黒いカーテンの外に、ローゼマインの風の盾が張られている。

 

ちなみにルイズは一番最初に真実の鏡を使ってホールに入ってもらうことになっている。ミョズニトニルンが先に会場に入ってしまうことを防ぐためだ。

 

最初に真実の鏡を覆うカーテンの中に入ったルイズは、桃髪の優しそうな二十三、四歳の女性の姿で出てきた。そこにすかさずローゼマインが近づいて言った。

 

「ルイズ、その姿ではルイズを連想できてしまいます。別の姿にしてくださいませ」

 

わけがわからないという顔をしたルイズに、ローゼマインがミョズニトニルンによる襲撃が予想されること。そのために罠を張っていることを伝えた。

 

「ちょっと、どうしてそんな大事なことを隠していたのよ!」

 

「ルイズは嘘があまり得意ではないでしょう? 自然に振る舞ってもらうためには、その方がよいと思ったのです」

 

そう言ってローゼマインはミョズニトニルンを捕らえるまで自分の側にいるように言う。ローゼマインの風の盾で守るためには、中にいてもらう必要がある。その風の盾は、大きければ大きいほど精神力を多く消費してしまうらしい。

 

「それじゃ、舞踏会に出られないじゃない」

 

「先ほども申し上げた通り、命の危険にあるのですよ。そのようなことを言っている場合ではないでしょう?」

 

「それはそうだけど……」

 

「ともかく、その姿ではルイズを連想されてしまいます。そうですね……サイトには容易に伝えられた方がいいですから……シュヴルーズ先生の姿になってもらいましょうか」

 

「なんで先生の姿にならなくちゃいけないのよ」

 

教師としてはともかく、シュヴルーズの容姿はお世辞にも優れていない。あの姿になれと言われれば抵抗感はあるだろう。

 

「シュヴルーズ先生の姿ならサイトにも説明がしやすいですし、先生がいても、他の生徒たちから疑問に思われないでしょう?」

 

「サイトには、わたしがシュヴルーズ先生の姿をしているって言うのね?」

 

「ええ、サイトにも協力をお願いするつもりですので」

 

「なら、いいわ」

 

そう言って、改めてシュヴルーズの姿に変わったルイズは真実の鏡を覆うカーテンの外に立ち、生徒たちを案内する役を担う。

 

「夜の貴婦人が、あなたたちを幻想の世界へと案内しますよ」

 

ルイズはそう言って、中に生徒たちを案内していく。そうして二人ほどが変身を終えた後、サイトがやってきた。サイトはシュヴルーズに化けたルイズをじっと見つめた後、緊張した様子でカーテンの中に入っていったので、おそらく事情を知っているのだろう。

 

カーテンの中に入ったサイトはギトーの姿で出てきた。そうして入口近くに立った。元から陰気で人気がないので生徒に話しかけられる可能性は少ない。ギトーは黙って立っているには最高の人選だろう。

 

あたしも学園の教師の一人に姿を変え、上の階でホール内の学生の様子を見守るふりをしながら、その時を待つ。ちなみにタバサは少し美人だが、自分の理想の姿に変わった皆の中では埋没する容姿となって、あたしと同じ階、階段を挟んで逆側で待機中だ。

 

その他、カーテンの裏側にいるローゼマインの両側をマティアスとクラリッサが護衛として固め、ティファニアもその少し後ろにいる。ラウレンツは衛兵に化けて建物の出入口の付近にいる。ハルトムートは使用人に化け、生徒たちの案内をしている。

 

そうしてしばらく経って、生徒のほとんどがホールに入ったころ、ついにフードを目深にかぶった怪しい人影がホールの入口に現れた。フードの隙間からは長い黒髪が覗いている。どうやら女性である、その姿を見たルイズが顔を引きつらせた。ルイズの様子を見た瞬間、ラウレンツが出入口を塞ぐように立った。

 

女がカーテンの側に立つルイズに近づき、その体がローゼマインの風の盾に触れた。その次の瞬間、強風が吹いて女は吹き飛ばされる。

 

「シェフィールド!」

 

上階からタバサが叫ぶ。周囲には無数の氷の矢が浮かんでいる。

 

タバサのウインディ・アイシクルに備えるように、ミョズニトニルンが小型の人形を素早く取り出した。何が起こるかわからない以上、あれを使わせたくはない。

 

「こっちにもいるわよ」

 

叫びながら、杖の先に炎の球を発生させる。けれど、あたしとタバサは囮だ。本命は下。ミョズニトニルンが体を起こそうとしている床に敷かれている絨毯の端に、ハルトムートが掌を押し当てた。

 

建物の出入口から真実の鏡が置かれている場所まで続く絨毯に、複雑な文様の魔法陣が浮かび上がる。上に注意を向けたミョズニトニルンが異変に気付いたときには、すでに魔法陣は強い光を放っている。次の瞬間、爆発が起こり、辺りは煙に包まれた。その煙をタバサが風の魔法で払う。

 

煙が晴れた場所に倒れていたのは、煤に塗れてもなお美しいと思える、黒髪の女だった。周囲には魔法で破壊された人形の破片も散らばっている。倒れたままのミョズニトニルンをハルトムートがシュタープを紐状に変えて縛り上げた。

 

「なあ、俺、何にもしてないんだけど」

 

「サイト、其方が何もしなくてもよいように私たちは作戦を練っていたのだ。それに、それを言うのなら、私も何もしていないことになるが?」

 

「じゃあ、ラウレンツは物足りなくないのか?」

 

「私はローゼマイン様にお怪我なく終わることができて嬉しく思っている」

 

「それは俺も同じだけどよ……」

 

サイトがラウレンツと話している間に、改めてローゼマインがシェフィールドを縛り直して、待たせていたティファニアを呼んだ。

 

「ナウシド・イサ・エイワーズ……」

 

聞いたことのないルーンがティファニアの唇から紡がれていく。そして長い呪文が完成して杖が振り下ろされると、ミョズニトニルンの体から力が抜けた。

 

「尋問は私が行います。ローゼマイン様はお下がりください」

 

そう言ってハルトムートはローゼマインを下がらせた。

 

「さて、では、まずは其方の主人の名を教えてもらいましょう」

 

「わたしの主人の名はジョゼフ」

 

「それはガリア王のジョゼフで相違ありませんね?」

 

ハルトムートの問いに、ミョズニトニルンが頷く。やはり、ジョゼフが三人目の虚無の担い手だったようだ。それを聞いたタバサの顔が少し強張った。その後もハルトムートは質問を重ねたが、あまり良い結果は得られなかった。

 

ジョゼフの目的については、ミョズニトニルンも知らなかった。伝説では神の頭脳などと呼ばれていたが、実際はジョゼフに言われたままに動く駒に過ぎなかった。何も知らないだけならまだしも、目的などはろくに尋ねてすらいないという有様だった。

 

今日、ルイズを狙った理由もジョゼフに言われたから。はっきり言って、これでは尋問を続けたところで無意味だ。

 

「仕方がありません。ティファニア様、今度は完全にミョズニトニルンの記憶を消していただけますか。記憶を取り戻せば、皆が危険になりますので、直近の記憶は特に念入りに消しておいていただきたい」

 

ハルトムートに促され、再びティファニアがルーンを唱えた。まずはミョズニトニルであるという記憶を消され、その後は更にジョゼフから召喚されてからの全ての記憶を消去された。そうしてほとんどの記憶を消された女は、ハルトムートとマティアスによって外へと連れ出されていった。

 

後に聞いた話では、すべての記憶を失った彼女は城の牢で窃盗による一般の囚人として暮らしているという話だった。以後の彼女のことは、あたしも知らない。




ミョズニトニルンはこれで退場。
ジョゼフはミョズニトニルンを欠いた状態で以後の戦いに臨むことになります。


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タバサの母の救出に向けて

無事にシェフィールドを捕らえたわたしたちは、すぐにタバサの母を救出するための準備を始めた。今回は戦闘になる可能性が高いため、同行する側近はマティアスとラウレンツに加えてハルトムートとクラリッサの四名だけだ。それにキュルケとタバサを加えた計七名でガリアに向かうつもりだった。けれど、出立の準備中のわたしたちにルイズが近づいてきて、言った。

 

「タバサのお母さまを助けに行くって聞いたわ。それは本当なの?」

 

「ええ、その通りです。タバサはガリアを裏切りましたので、家族に危害が加えられる可能性がございますから」

 

「なら、わたしたちも一緒に行くわ。タバサはわたしを助けるために祖国を裏切ってくれたのだもの」

 

確かにタバサがガリアを裏切ったのは、ルイズのためとも言える。それに戦力として考えてもルイズの虚無と平賀のガンダールヴの力は侮れないものがある。

 

「わかりました。ルイズの協力に感謝いたします。タバサもそれでよいですね?」

 

タバサが頷いたことでルイズの同行が確定した。けれど、それで終わりではなかった。

 

「僕を忘れないでもらおうか!」

 

ここにいるのは実態を知っている者ばかりなのにも関わらず、格好をつけながら現れたのはギーシュだった。

 

「ギーシュ様は何度か旅をともにしたとはいえ、タバサとの縁はそれほど深くないと存じます。わたくしたちはガリア王家を敵に回すのですから、軽々しく参加はなされない方がよろしいですよ」

 

「ぼくは水精霊騎士隊の隊長だ。副隊長につきあうのも仕事のうちだ。それに、副隊長であるサイトが困っている女の子を助けに行くと言っているときに、隊長である僕が待っているだけなんて、格好悪いじゃないか!」

 

はっきり言って、ギーシュは戦力としては期待できない。そう思って遠慮してもらうつもりだったのだけど、思った以上に積極的だ。さて、どう言って参加を思い留まらせたらよいだろうか。そう考えているときだった。

 

「ぼくも一緒に行く!」

 

そう言いながら現れたのは、マリコルヌという名前の小太りの生徒だった。同じクラスなので辛うじて名前はわかるけれど、わたしはこれまで交流がなかった生徒だ。

 

「ぼくは勇気を身につけたいんだ」

 

とりあえず、そんなことを言い出したということは、戦闘力は高くないに違いない。それならば、はっきり言って足手まといになるだけだろう。

 

「わたしも行くわ。治療する人が必要でしょ」

 

けれど、マリコルヌに断る前に、そう言って現れたのは、こちらもわたしはあまり話したことがないモンモランシーという名前の、同じクラスの女子生徒だ。正直に言えば、治癒はわたしがいれば事足りるので、モンモランシーの同行はまったく必要ない。

 

とはいえ、ここで押し問答をしているうちに更に希望者が増えるようなことになれば最悪だ。三人くらいなら増えてもそれほど影響ないだろうから、今のうちに幕引きとしたほうがよさそうだ。

 

「お話はわかりました。ひとまず、作戦をお伝えしますので、わたくしの離れへと移動をいたしましょう」

 

そう伝えて、三人と一緒に離れへと戻った。

 

「もう一度、伝えさせていただきますが、今回の行動はガリア王家を敵に回すことになる可能性が高いです。元より他国の人間であるわたくしたちはともかく、トリステインの皆様には非常にリスクが高い行動となります。或いはわたくしたちの行動はガリアとの戦争の引き金となってしまい、国から追討をされる可能性もあると考えています。皆様はそれでも、わたくしたちと一緒に来るつもりですか?」

 

「アルビオンでルイズの命を狙ったのも、ガリアなんだろ? そして、今日もローゼマインたちが対応をしなければ、どうなったかわからない。何度もルイズを狙って、タバサまで苦しめようとしているなんて許せない」

 

わたしに折角の言葉に答えたのは、わたしの言葉の対象ではない平賀だった。

 

「サイト、わたくしの言葉はルイズとサイトに向けたものではないのですよ。お二人は元からガリアから敵視されていますし、トリステインも簡単にお二人を引き渡したりすることはできないでしょう? けれど、ギーシュ、マリコルヌ、モンモランシーの三人はお二人と同じとはいかないのです」

 

ルイズと平賀は虚無の担い手とアルビオンの英雄にしてガンダールヴだ。他の三人とは事情が異なる。わたしが飲み込んだ言葉が伝わったのか、平賀が押し黙った。

 

「さて、同じことをしてもルイズとサイトと皆さんでは異なる罪に問われる可能性があることを理解した上で、なおわたくしたちと一緒に来ますか? ちなみに、わたくしの側近の中でも側仕えの二人と戦闘に長けていないローデリヒはこちらに残って後方支援に当たります。わたくしはトリステインの人間が少ないという、わたくしたちの弱みを補うという意味でも、皆様には支援に回っていただきたいと思っています」

 

「わかったわ。それなら、わたしは支援に回らせてもらうわ」

 

最初に口を開いたのはモンモランシーだった。彼女は自分の戦闘力が高くないこと、わたしも治癒の魔法を使えることから、自分の価値が高くないと冷静に判断したようだ。

 

「ぼくは一緒に連れていってほしい。ここで理由をつけて引いてしまっては、一生、臆病なままな気がするから」

 

一方、マリコルヌはそう言って同行を希望した。

 

「それならば騎士隊長であるぼくと、マリコルヌはタバサと一緒に行き、モンモランシーは魔法学院に残る。これでいいかい?」

 

そう言ってギーシュが纏めにかかる。本当はギーシュとマリコルヌも後方支援という名の居残り役でいてほしかったが仕方がない。

 

「それで、具体的にはどうやってガリアに乗り込むの?」

 

「普通に馬車で向かいますよ」

 

わたしが言うと、質問者のルイズが驚いた顔をした。

 

「そんな方法で大丈夫なの?」

 

「大丈夫かと言われても、わたくしたちの移動手段は馬車か騎獣しかないのです。少なくとも最初にガリア領内に入るときは穏当な手段がよいので馬車となりますし、その後も最善は密かにタバサの家族を連れ出すことですから。騎獣は敵と遭遇してから使用することになります」

 

最善なのはタバサの裏切りにガリア王家が気付いておらず、まだ何の措置も取られていないということ。もしくは隠し部屋の存在に気付かずに、すでに逃げられたと思って引き揚げている場合だ。この場合は戦闘が避けられる。

 

けれど、直前まで人がいた痕跡は消しようがない。まだ屋敷内のどこかに隠れていると考えて徹底的に捜索をされている可能性のほうが高いだろう。わたしがそう予測していることを伝えると、改めてギーシュとマリコルヌが緊張した表情になった。

 

「ちなみにですが、わたくしの予測どおりに戦闘となった場合、帰りは国境を突破することになります」

 

「そんなことをして大丈夫なのかい?」

 

「大丈夫ではありませんよ。ですので、その場合はわたくしたちはアルビオンに逃亡することを考えています」

 

ギーシュに答えると、皆が唖然とした表情になった。

 

「どうしてアルビオンなの?」

 

「わたくしたち、アルビオンにちょっとした伝手がございまして」

 

「いつの間にそんなものを……って、もしかして……」

 

ルイズの頭に浮かんだ相手は、おそらく正しい。わたしが言った伝手とは、元は土くれのフーケと名乗っていたマチルダのことだからだ。

 

彼女は今でも逃亡生活を続けているらしい。彼女とわたしたちが連絡を取り合っていることは、おそらくガリアも知らないだろう。ティファニアと一緒に転がり込むのならば拒絶されることもないだろうし、今の時点では一番の避難場所だと思っている。

 

「さて、下手をすれば逃亡生活を送らなければならないほど、今回の出陣は危険です。お二人は、本当にわたくしたちに同行されるおつもりですか?」

 

わたしとしては目一杯脅したつもりだけど、結局ギーシュもマリコルヌも同行をやめるとは言いださなかった。そのため絶対にわたしの側近たちよりは前に出ないことを言い含めて、皆で出立をすることになった。




ようやく、ほぼ初登場のマリコルヌ。


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オルレアン邸突入

ガリアとトリステインの国境沿いに位置したラグドリアン湖、その近くにある、古ぼけた屋敷がそろそろ見えてこようかという位置で、あたしたちは馬車を降りた。馬車だと、どうしても襲撃への対応が遅れるので、ここからは徒歩で屋敷へと向かうことにしている。

 

一行の先頭を進むのはラウレンツで、その後をタバサが進み、少し離れてルイズとサイト、ハルトムート、ローゼマイン、クラリッサの三人が続く。そこからまた少し離れてあたしとギーシュ、マリコルヌ、最後にマティアスという陣形だ。

 

屋敷に到着するまで心配された襲撃はなかった。けれど、魔法学院を出て少し進んだところで、ローゼマインは屋敷に設置していた防衛用の魔法に反応があったと言っていた。敵はすでにオルレアン邸に入り込んでいる。もっとも、ローゼマインは同時に守りの魔法は破られていないとも言っていたので、さほど焦りはない。

 

焦ることなく、ゆっくりと慎重に。そうタバサとも相談して警戒態勢を崩さず、あたしたちはここまで進み、まずは屋敷から離れたところで様子を窺っているのが現状だ。

 

ローゼマインは、まだ屋敷の中から何者かの気配を感じると言っていた。おそらく、中でタバサを待ち受けているのだろう。あたしたちは覚悟を決めて前進を開始する。

 

玄関の大きな扉に、鍵はかかっていなかった。ラウレンツが振り返って皆が戦闘態勢を整えているのを確認すると、重たい音を立て、扉を開いた。この時点でも襲撃はなかった。

 

けれど、屋敷の奥にあるタバサの居室に通じる長い廊下を進んでいると、左右に並んだ扉が一斉に開いた。

 

扉が開くと同時に、大量の矢が飛んでくる。これはタバサが氷の壁を作ってはじき返す。続いて開いた扉から、兵士が飛び出してくる。しかし、よく見ると剣を持って飛び出してきたのは人間ではない

 

「あれは何ですか?」

 

「ガーゴイル。意思を付与された魔法人形。死を恐れない上に頑丈で、手強い」

 

タバサがガーゴイルを知らないらしいローゼマインに簡単に説明をしている。

 

「人間じゃないなら、かえってやりやすい」

 

サイトがデルフリンガーを構えて最前線に進み出たことで、前衛がサイト、ラウレンツ、タバサの三人に変わる。中衛はローゼマインとルイズをクラリッサとハルトムートが挟む形となった。あたしやギーシュ、マリコルヌとマティアスは後衛だ。

 

「サイトたちだけに任せてはおけない。ぼくも援護を……」

 

そう言ってワルキューレを作ろうとしたギーシュをあたしは押し止めた。

 

「あのくらいならタバサたちだけでなんとかするでしょ。精神力は温存しておきなさい」

 

ただでさえギーシュとマリコルヌはドットメイジで魔法の使用可能回数が少ないのだ。ここで精神力切れを起こされると、本当に足手まといにしかならない。

 

あたしが二人を抑えているうちに、サイトは十数体のガーゴイルに臆さず突っ込み、敵を切り裂いていく。ラウレンツは主にそんなサイトの死角から攻めようとする敵を牽制するように動いている。

 

そして、タバサは得意のウィンディ・アイシクルの魔法で複数のガーゴイルを同時に射抜いていた。射抜かれたガーゴイルは、氷の矢に帯びた魔力で、一瞬で氷結する。タバサたち三人は、わずかの時間で十数体のガーゴイルを見事に全滅させた。

 

「タバサの風魔法……、いつもの威力じゃなかったわね」

 

「そうなのですか?」

 

「ええ、あの破壊力、トライアングルのそれじゃない。スクウェア・クラスの威力よ」

 

母を救出するという強い思いがタバサのランクを一段階上げたようだ。ガリアの秘密騎士として経験を積んだ今のタバサは、ハルケギニアでも有数の戦士だろう。

 

あたしたちはタバサの母の居室の前に立った。タバサがドアの取っ手に手をかける。

 

鍵はかかっていないようだ。タバサが観音開きの扉を無造作に引いた。

 

中に誰かいたのかタバサがすぐにウィンディ・アイシクルを使う。少しして、もう一度、タバサはウィンディ・アイシクルを放つ。

 

その後、タバサは中にいる何者と何か話をしているようだった。何を話しているのか確認するために、あたしが前に出ようとした瞬間だった。

 

「後退!」

 

突如としてタバサが叫んだ。有無を言わせぬタバサの声の迫力に、あたしたちは慌てて玄関ホールまで後退した。

 

「ねえ、タバサ。何があったのよ」

 

「エルフ」

 

タバサの言葉にあたしだけでなく、ルイズ、ギーシュ、マリコルヌの間にも緊張が走る。例外はローゼマインたちとサイトだ。

 

「ハルケギニアの住人とエルフは仲が悪いと聞いていましたが、ガリアは交流を持っていたということでしょうか?」

 

「そうかもしれないけど、今はそれどころじゃないでしょ。エルフと戦わないといけないことに緊張感を持ってよ」

 

そう言ってみたが、ローゼマインもサイトも実感が持てないようだ。それでも護衛騎士であるマティアスとラウレンツはあたしの雰囲気から強敵であると感じ取り、シュタープを構えていた。

 

エルフはハルケギニアの東方に広がる砂漠に暮らす長命の種族で、人間の何倍もの歴史と文明を誇っている。そして強力な先住魔法を使う。そんな悪名高き種族、金髪のエルフの男が部屋の中から出てくる。

 

話には何度も聞いているけれど、実際に目で見たのは初めてだ。今となっては敗北したご先祖様たちが誇大表現をしただけで、実際の脅威度は低いことを祈るしかない。

 

「わたしは“ネフテス”のビダーシャルだ。出会いに感謝を」

 

「わたくしはローゼマインと申します。水の女神フリュートレーネの清らかなる流れに導かれし良き出会いに感謝いたします」

 

「ちょっと、なんで、エルフなんかと挨拶を交わしてるのよ!」

 

「ルイズ、わたくしたちの目的はエルフの討伐ではございません。戦わずに済むのでしたら、それに越したことはないではありませんか」

 

ユルゲンシュミットはエルフがいない国だということなので、仕方のないことなのかもしれないけれど、ローゼマインの感覚はあたしたちとは随分と違う。

 

「お前は蛮人なのか?」

 

「どういう意味なのでしょう?」

 

「屋敷に隣接する白い建物からは“大いなる意思”が感じられた。そして“大いなる意思”は最後まで我を拒んだ」

 

屋敷に隣接する建物といえば、ローゼマインが建てた白の建物だろう。けれど、大いなる意思というものには心当たりがないのか、ローゼマインも何を言われているのか理解できないという表情を見せていた。

 

「まあよい。お前たちに要求したい。我の要求は、そこの青髪の娘を引き渡してもらいたい、ということだ。我々エルフは無益な戦いを好まない。お前たちの意思にかかわらず、その娘をジョゼフの元へ連れていかねばならない。そういう約束をしてしまったからな。だから、できれば穏やかに同行願いたいのだ」

 

「少し相談する時間をいただけないでしょうか?」

 

「ちょっと、ハルトムート! 何を言っているのよ!」

 

タバサを引き渡す可能性があるとも取れるハルトムートに、あたしは怒りを抑えきれずに詰め寄った。けれど、ハルトムートは笑顔を崩さない。

 

「ここは私にお任せください。悪いようにはいたしませんので」

 

言いながらわずかに笑みを深めたハルトムートの姿を見て、何か考えがあるらしいことがわかった。おそらく作戦会議の時間を取りたいということだろう。

 

「ローゼマイン様、風の盾をお作りください」

 

「ハルトムート?」

 

「キュルケ様たちの話では、相手は強敵のようです。戦闘が始まってからでは、長い詠唱が必要な祝詞は使うのが難しくなるかもしれません。今のうちにローゼマイン様の安全の確保をお願いします」

 

そして、あたしの予想通り、ハルトムートは戦闘準備の指示を出した。

 

「相談をする時間がほしいと言って戦いの準備を始めるなんて、悪い人ね」

 

「おや、私がいつ、あの男の提案を受けるかの相談をすると言いましたか?」

 

確かにハルトムートは相談と言っただけだ。何についての相談かは言わなかった。

 

「守りを司る風の女神シュツェーリアよ。側に仕える眷属たる十二の女神よ。我の祈りを聞き届け、聖なる力を与え給え。害意持つものを近付けぬ風の盾を、我が手に」

 

ローゼマインが小声で風の盾を張る魔法を唱え、あたしたちの周囲が黄色い半透明の膜に覆われる。それを見たエルフの男が驚愕に目を見開いた。

 

「それは“精霊の力”か? なぜ蛮人が精霊の力を使える?」

 

「これは精霊の力ではございません。神々のお力です」

 

「そんなことはありえない」

 

最初から余裕綽々という態度を崩さなかったエルフの男が動揺をしている。いずれにしても今が好機だ。

 

「ラグーズ・ウォータル・イス・イーサ・ハガラース……」

 

風の盾から出たタバサが素早く呪文を唱える。タバサの周りの空気が、揺らいだかと思うと一瞬で凍りついた。

 

凍った空気の束が、無数のヘビのようにタバサの体の周りを回転する。

 

氷と風が織り成す芸術品のような美しさと、触れたものを一瞬で両断するような鋭さを兼ね備えた、氷の暴風が出現した。

 

タバサのアイス・ストームの魔法は、どんな防御魔法で防ごうとしても、一撃で吹き飛ばしてしまえる威力を秘めているように思えた。しかし、エルフの男は自分めがけて高速で迫りくる猛り狂ったアイス・ストームを、まるで無視した。

 

そのままエルフの体が氷嵐に包まれるかに見えた瞬間、氷嵐の回転が、突如として逆流を始める。氷嵐は放ったときと同じ勢いを保ったまま、タバサめがけて飛んでくる。

 

「イル・フル・デラ……」

 

それを見たタバサは“フライ”の呪文でローゼマインの盾の中に逃れようとする。しかし、タバサの体が浮くことはない。いつの間にか、タバサの足はせり出した床にのまれている。今や粘土のように形を変えた床が、がっりちとタバサの足首をつかんで離さない。タバサの放ったアイス・ストームは、今にもタバサ自身を飲み込もうとしている。

 

「タバサ!」

 

気付いたら、あたしは叫びながらローゼマインの盾から飛び出していた。



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ビダーシャルとの戦いの決着

「タバサ!」

 

叫びながら、わたしの盾から飛び出したキュルケが巨大な火球をタバサへと迫る氷嵐に向けて放った。その炎は吹きすさぶ氷の礫を見事に融かしたが、それだけでは襲い来る魔法の威力を消しきれない。暴風は、まだ殺傷能力を持って二人へと迫っている。

 

「うわあああ!」

 

そんな中、キュルケを追って風の盾から出た影があった。それは、わたしが戦力として期待していなかったマリコルヌだった。キュルケの隣に立ったマリコルヌは風の膜を張って暴風を受け止めようとしている。

 

しかし、同じ風の魔法でもタバサとマリコルヌでは地力が違いすぎる。マリコルヌの風の膜は多少は威力を減少させるものの、あっさりと破られてしまう。このままでは、三人とも危ない。

 

「ワルキューレ!」

 

けれど、そんな三人の前に七体の青銅の騎士が現れる。ギーシュのワルキューレは互いに手を取り合い、覆い被さるようにして嵐から三人を守っている。

 

「後は任せろ!」

 

一方、平賀はデルフリンガーを抜き放ち、襲い来る風を迎撃していた。平賀の剣で吸い込めるのは触れている部分のみ。広範囲を破壊できる魔法や、複数の人間を守るのは得意ではない。けれど、今は魔法の余波を青銅の騎士たちが防いでくれている。デルフリンガーに吸収され、タバサの魔法は威力を失っていく。

 

「リーズィッヒェル」

 

その間にマティアスがシュタープを鎌に変えて、タバサの足を掴んでいた床を切り裂き、ハルトムートが手を掴んで、わたしの盾の中へと引っ張り込む。ほどなくタバサの魔法を耐えきったキュルケ、ギーシュ、マリコルヌの三人も平賀と一緒にわたしの盾の中へと戻ってきた。

 

「皆様、お体は大丈夫ですか?」

 

「ああ、なんとかね」

 

「うん、痛いけど大丈夫」

 

ギーシュとマリコルヌは二人とも軽傷。キュルケに至っては、ほぼ無傷だった。どうやらギーシュは自分の守りを削ってでもキュルケを手厚く守ったようだ。ギーシュは単に気障なだけでなく男気もあったらしい。

 

「タバサ、どうしてタバサの魔法が方向を変えて襲ってきたのか、わかりますか?」

 

「ありゃあ“反射”だ。戦いが嫌なんてぬかすエルフらしい、厄介でいやらしい魔法だぜ」

 

わたしの質問に答えたのは、尋ねたタバサではなくデルフリンガーだった。

 

「あらゆる攻撃、魔法を跳ね返す、えげつねえ先住魔法さ。あのエルフ、屋敷の“精霊の力”と契約しやがったな。なんてえエルフだ。とんでもねえ“行使手”だぜ、あいつはよ……」

 

「先住魔法とは精霊が行使する魔法でしたか?」

 

「そうだ。先住魔法はブリミルがついぞ勝てなかった魔法だ。どうしたもんかね」

 

「とぼけんな! あらゆる攻撃が跳ね返されるんなんて、どうすりゃいいんだ!」

 

平賀が叫んでいる間にも、ビダーシャルは両手を振り上げている。

 

「石に潜む精霊の力よ。我は古き盟約に基づき命令する。礫となりて我に仇なす敵を討ち果たせ」

 

エルフの男の手前の床が地響きと共に持ち上がる。床石は宙で爆発して、わたしたちへと飛んでくる。直後、わたしのシュツェーリアの盾から風が吹き出し、石礫をビダーシャルへと跳ね返した。わたしの盾に跳ね返された礫は更にビダーシャルの反射によって周辺へと弾き返される。

 

「ねえ、デルフ! このままじゃ、タバサのお母さまを助けられないじゃない。いったいどうすりゃいいのよ!」

 

「どうもこうもねえだろが。お前さんの系統だけが、あいつをどうにかすることができるんだ。どうにかするのはお前さんだよ。ルイズ」

 

「でも、どんな魔法もきかないんでしょ! いったい何を唱えりゃいいのよ! ああ、始祖の祈祷書は学院に置いてきちゃったし、どうにもならないじゃない! エルフがいることがわかってたら、持ってきてたのに!」

 

「お前さんはとっくにその呪文をマスターしてるぜ。“解除”さ。先住魔法を無効化するには、“虚無”の“解除”しかねえ。でもな……、あのエルフはどうやらここいらの精霊の力すべてを味方につけてるらしい。それを全部解除するのは、大事だぜ。お前さん、それだけの“解除”をぶっ放すだけの精神力がたまっていないだろ?」

 

「それなら精霊の力というものを減らせばよいということですね」

 

デルフリンガーとの会話を聞いていたわたしが言うと、ルイズが勢いよく振り返った。

 

「そんなこと、できるの!?」

 

「できるかどうかは、わかりません。ですが、試してみる価値がある手段には一つ心当たりがあります」

 

言いながら、わたしはシュタープをもう一つ出すと、海の女神フェアフューレメーアの記号を空中に書きながら杖を作り出した。海の女神フェアフューレメーアの祝詞は周囲の魔力を神々に奉納する効果がある。周辺の魔力が減れば、ビダーシャルの反射の効果も薄くなる可能性があると考えたのだ。

 

「ローゼマイン様の魔力消費を抑えるため、私たちは外で敵の攻撃を防ぎます」

 

マティアスが言い、ラウレンツと一緒にわたしの盾の外に出て、ゲッティルトを唱える。盾が敵の攻撃に晒される度にわたしは魔力を消費してしまう。神事がわたしの魔力を大きく消費させることを知っている二人は、今の自分にできる行動を取ってくれたのだ。

 

ぐるんぐるんと大きくフェアフューレメーアの杖を回していけば、杖の動きに合わせて、ざざん、ざざんと潮騒の音が聞こえ始める。ビダーシャルは何かを感じているのか、今度は巨大な石の拳を作り、わたしの風の盾へと叩き付けようとしてくる。

 

それを迎撃するため、マティアスが剣に魔力を集めていくと、剣先からバチバチと火花が散り始める。ビダーシャルが叩き付ける石の拳に向かってマティアスが剣先に集めた魔力を打ち出した。

 

直後、轟音と共に石の拳は粉々に砕け散った。マティアスの攻撃は少しばかり強すぎたらしく、そのままビダーシャルの背後の壁を崩落させていた。

 

「我等に祝福をくださった神々へ、感謝の祈りと共に魔力を奉納いたします」

 

祝詞を唱え、高く空に向かってフェアフューレメーアの杖を掲げる頃には周囲に溢れていた魔力が目に見えて減った。

 

「我と精霊との盟約を無効化した? お前は何者だ?」

 

「わたくしは、しがない領主候補生の一人ですわ」

 

ビダーシャルに答えながら、ちらとルイズを見る。ルイズの魔法はわたしの祝詞よりも更に詠唱時間が長い。今のうちに詠唱を始めて。

 

その思いは伝わったらしい。ルイズは盾から出ると杖を構え、朗々と呪文を唱え始める。勿論、ルイズの前には平賀の姿もある。

 

「ウル・スリサーズ・アンスール・ケン……」

 

ビダーシャルが呪文を阻止するためにルイズに向けて石の礫を飛ばす。けれど、魔力を奉納した成果か、先の攻撃より明確に威力が弱まったいる。

 

「ラウレンツ、ルイズを守ってくださいませ!」

 

マティアスは今、消費した魔力を回復中だ。石の礫に対してなら、剣を使う平賀よりも、盾を使うラウレンツの方が向いている。

 

ルイズの前で盾を構えるラウレンツの更に前で、平賀はできるだけ礫の数を減らす。石礫が飛来してくる度、平賀の体には傷が増えていく。

 

「平賀さん、ルイズの守りはラウレンツに任せて大丈夫ですよ。一度、わたくしの盾の中に避難してくださいませ」

 

「いや、ルイズは俺が守る!」

 

男の子の意地だろうか。わたしとしてはラウレンツに任せた方がいいと思うけど、平賀の意思は固そうだ。

 

平賀はどれだけの傷を負おうと、絶対にルイズの前を離れようとしなかった。大きめの礫が当たって骨折をしたのだろう。右腕をだらりと下げたままの状態となろうと、左手一本で、なお礫を払いのけ続けている。

 

「ユル・エオー・イース!」

 

そうして、ついにルイズの呪文が完成した。

 

デルフリンガーが怒鳴る。

 

「俺にその“解除”をかけろ!」

 

ルイズが杖をデルフリンガーに向けて振り下ろすと“虚無魔法”がデルフリンガーにまとわりつき、刀身が鈍い光を放つ。

 

「相棒、今だ!」

 

どこにそれだけの力が残されていたのか、その声を聴いた瞬間、平賀が猛然と突進を開始した。ラウレンツが騎獣に乗り、慌てて後を追う。

 

「私の後ろに下がれ!」

 

ビダーシャルが迎撃のために礫を放った瞬間、ラウレンツが叫ぶ。平賀はラウレンツの指示通りラウレンツの騎獣の後ろに下がる。

 

ラウレンツの盾や鎧、騎獣に石礫が当たる音がするが、重武装のラウレンツにとっては致命傷ではない。そうして礫を防ぎ切ったところで、ラウレンツの騎獣は天井付近まで上昇し、改めて平賀が前に出た。ビダーシャルが二撃目を繰り出すより早く平賀がデルフリンガーを振り下ろす。

 

“反射”の目に見えない障壁とデルフリンガーがぶつかり合う。ルイズの唱えた“虚無”が障壁の一点に集中し、デルフリンガーの触れた部分を“解除”していく。障壁が切り裂かれたことにビダーシャルが驚愕の表情を浮かべた。

 

「シャイターン……。これが世界を汚した悪魔の力か!」

 

平賀の剣に切り裂かれるより早く、ビダーシャルが左手で右手を握り締めると、指輪に封じられていた魔石が光を放った。

 

「悪魔の末裔よ! 警告する! 決してシャイターンの門へ近づくな! そのときこそ、我らはお前たちを打ち滅ぼすだろう!」

 

それだけ叫ぶと、ビダーシャルは窓を破って空へと逃走する。

 

「追いますか?」

 

「いえ、今は一刻も早くタバサのお母様を救出して、ガリアを離れましょう」

 

聞いてきたマティアスにそう言って、わたしたちは改めて屋敷の奥へと歩みを進めた。



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トリステインからの脱出

先週土曜日の投稿予約、忘れてたらしい。


エルフの男を退けたタバサは、母の部屋の奥にあるローゼマインの作った建物へと入り、隠し部屋の扉を開けた。

 

「おお、お嬢様、よくぞご無事で!」

 

その瞬間、中からオルレアン家の老執事、ペルスランの声が聞こえてきた。

 

「ペルスラン、怪我はない?」

 

「私は大丈夫です。奥さまも、あれから変わりありません」

 

視線を奥にやると、白い大きな箱の中で母が眠るようにしてユレーヴェに沈んでいるのが見えた。見た目は完全に水死体だが、近づいてみれば微かに胸が上下していることで生きていることがわかる。タバサに続いて中に入ってきたローゼマインが母の様子を見て、軽く頷いた。

 

「ペルスラン、これからここを脱出するから、急いで準備をして」

 

そう言ってペルスランに自分の荷物を取りに行かせている間に、タバサは皆を隠し部屋の中へと招き入れた。

 

「え? 土左衛門!?」

 

液体の中に女性が沈んでいるという状況に、入ってきたサイトは驚きの声を上げていた。言葉の意味はよくわからないけど、表情と声から考えて、たぶん間違ってはいないだろう。それはギーシュやマリコルヌも同じだった。タバサは簡単に、これはユレーヴェというもので治療薬の一種であることを説明する。

 

「皆様に中に入っていただいたのは、タバサのお母さまをこのまま、こちらから運び出すためです。お手を煩わせてしまいますが、殿方は力を貸していただけますか?」

 

タバサの母を運び出す方法というのは、ユレーヴェが入れられた白い箱を持ちあげ、そのままローゼマインの騎獣に乗せてしまうというものだ。成人女性がすっぽり浸かれるほど液体が満たされた箱は当然ながら非常に重い。タバサが風の魔法で補助したとして、それでも男手がなくては難しい。

 

マティアス、ラウレンツ、ハルトムート、サイト、ギーシュ、マリコルヌの六人がかりでタバサの母が入った箱を持ち上げ、ローゼマインの騎獣に押し込む。この際には、騎士であるマティアスとラウレンツが活躍した半面、サイトは少し期待外れだった。ギーシュたちに比べれば力を発揮してくれたものの、戦闘時の活躍に比べれば物足りなかったのだ。

 

「ガンダールヴのルーンって、武器を握ったとき以外、力を発揮してくれないんだよな」

 

運び込んだ直後に、そうぼやいていたから、サイトにとっても自分の働きは不満の残るものだったらしい。母が荷物のような扱いなのは少し思うところがないわけではないが、今はそのようなことを議論しているときではない。

 

「国境を超えるのは時間との戦いです。ハルケギニアの皆様はわたくしの騎獣に乗ってくださいませ」

 

ペルスランが戻ってくるなり、ローゼマインはそう言って皆を騎獣に乗せた。その周囲をマティアスとラウレンツ、ハルトムートの三人の騎獣が囲む。

 

オルレアン家からトリステインの国境までは、ローゼマインの騎獣であれば、すぐに到着する。ガリアから正式に追討が発出されると、トリステインにしてもゲルマニアにしても、タバサを匿うことは難しい。理はガリア側にあるからだ。

 

ガリアからトリステインへタバサの引き渡しが要求される前に、アルビオンに身を隠す。普段は慎重すぎるほどのローゼマインが、今回は悠長に国境で手続きに時間を要してはいられないと言い切ったのだ。それだけでローゼマインがどれだけ現状に危機感を抱いているかがわかる。

 

一気に国境を突破してローゼマインの騎獣はトリステイン魔法学院に駆ける。そこで留守役の側近たちとティファニアを回収し、逆にルイズやサイト、ギーシュ、マリコルヌを降ろして今度はゲルマニアに向かう。そこでキュルケと一緒に連れ回すには向かないタバサの母とペルスランを降ろしてもらうのだ。

 

「クラリッサです。トリステインの領内に入りました」

 

クラリッサが留守番役のローゼマインの側近に向けてオルドナンツを飛ばす。ちなみに国境付近の街まで同行していたリーゼレータも魔法学院に戻っている。その留守役の側近たちは、先に出立の準備は整えているはずなので、ルイズたちを降ろしたら、本当にすぐの出発となるのだ。

 

タバサは隣に置かれた、母の入った白い箱に被せられた布を少しめくった。タバサの母は変わらずユレーヴェの中で穏やかな顔で眠っている。この状態の母と離れるのはタバサにとっても辛いが、万が一、ガリア王の手の者に襲われたとき、箱に入った母が一緒だと脱出するのも難しくなる。ここで我儘は言えない。

 

ほどなくローゼマインの騎獣はトリステイン魔法学院に併設されたローゼマインの離れへと降り立った。待っていたかのようにリーゼレータたちがティファニアを連れて建物の中から出てくる。その中にはギーシュを心配していたらしいモンモランシーの姿もある。

 

ギーシュの無事を喜ぶモンモランシーを横目に、ルイズたちがローゼマインの騎獣を降りる。そして、入れ替わるようにティファニアがローゼマインの騎獣へと乗り込んだ。

 

「ねえ、ローゼマイン。また会えるわよね」

 

「ええ、わたくしたちも、そう望んでいます」

 

「そう……、じゃあ、タバサも元気でね」

 

ルイズともしばらくは会えなくなる。ルイズと出会ったは一昨年のことだが、交流を多く持つようになったのは、昨年からだ。といっても、夏季休暇の間やアルビオン戦役の間など別行動を取っていたことも多く、ともに過ごした時間は思いのほか少ない。それでも、今やルイズはタバサにとってもかけがえのない友人の一人だ。

 

「今回は本当にありがとう。ルイズがいなかったら、エルフに勝つことも母を救出することもできなかった」

 

だから、タバサは心の底からの感謝の気持ちを込め、精一杯の笑顔で短い言葉を発する。それをルイズも笑って受け取ってくれた。

 

「サイトと、ギーシュとマリコルヌもありがとう」

 

「このくらい、どうってことねえよ」

 

「レディが困っていたら、助けるのは当然のことさ」

 

「感謝の言葉もいいけども、たいして役に立たなかったことをもっと罵ってくれて

も……。いや、なんでもないよ」

 

照れ隠しのように言ったサイト、いつも通りのギーシュ、何かおかしなマリコルヌとも短い言葉を交わす。

 

「それでは皆様もお元気で。皆様に幸運の女神、グライフェシャーンのご加護がございますように」

 

ローゼマインがトリステインの皆に餞別の祝福を送り、タバサたちはゲルマニアへと出発する。タバサはシルフィードを、そしてローゼマインの側近たちは自分の騎獣を使う予定なので、ローゼマインの騎獣の中にいるのは護衛役も務めるクラリッサの他はキュルケとティファニアとペルスラン、そして箱の中で眠るタバサの母だけだ。それでも随分と多いが、三人が減ると、少しがらんとしたように感じる。

 

「心配しなくてもタバサのお母さんとペルスランは、あたしが責任を持って預かるわ」

 

タバサの表情が曇ったのを心配と感じ取ったのか、キュルケがそう語りかけてくる。

 

「ありがとう。二人のこと、お願い」

 

タバサの考えていたこととは異なるが、そちらも心配事のひとつではあったので、素直にお礼を言っておく。とはいえ、先に分かれたトリステイン組と違い、キュルケとはすぐの別れではない。さすがに今日中にアルビオンに到着するのは厳しいので、今日はゲルマニアのフォン・ツェルプストー家で一泊することになっている。別れは明日の早朝だ。

 

「ローゼマイン、マチルダさんとは、もう連絡は取れているのよね?」

 

「ええ、明日の夕刻には到着するとリーゼレータがオルドナンツを送ったようですよ」

 

リーゼレータはクラリッサから国境を越えたという連絡を受け取ると、すぐにフーケと連絡を取って、明日の到着予定時刻と、安全に問題はないのかの最終確認を行ったようだ。ちなみにオルドナンツに声を吹き込んだのはティファニアで、フーケから帰ってきた返事の声はこれまでに聞いたことのないくらい優しい声だったという。

 

「タバサとも、今夜でしばしの別れね。どう、あたしと一緒に寝てみる」

 

「……それも、いいかも……」

 

「そうね、そうしましょうか」

 

悪戯っぽく言っていたので、そこまで本気ではなかったのだろう。けれど、少しだけ考えてみたら、その提案は悪くないように思えたのだ。

 

道中に目立ったトラブルはなく、トリステインとゲルマニアの国境に着いた。タバサたちはキュルケの手引きでゲルマニア国内に入り、無事にフォン・ツェルプストー家の城に入ることができたのだった。




ガリアとの暗闘は本話までの予定でしたが、区切りが悪いと思うように。
章の区切りはもう二話後にします。


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アルビオンへの逃亡

予約投稿が上手くできなくなった。
なぜなのか……。


ガリアからタバサのお母様を救出した翌日の早朝、わたしはフォン・ツェルプストー家の皆からの見送りを受けて、ゲルマニアを飛び立った。今日、わたしの騎獣の中にいるのは護衛役のクラリッサとティファニアだけだ。

 

クラリッサ以外の側近たちは、それぞれ自分の騎獣に、そしてタバサは自分の使い魔であるシルフィードに乗っている。けれど、わたしの騎獣の大きさは過去最大級といえるかもしれない。騎獣にはわたしたちが使う大量の生活物資が乗せられているためだ。

 

自分たちの荷物を主に運ばせることに側近たちは恐縮していたが、わたしの騎獣以外では多くの荷物を運ぶことはできないのだから仕方がない。それに、ただでさえ側近たちにはハルケギニアに来て以来、かなりの不便を強いているのだ。これくらいは何でもない。

 

今はちょうどアルビオンが遠い時期であるらしく、わたしたちはトリステイン上空を通過して大洋の上で捕まえることになる。飛行時間はおよそ十二時間と予想されている。

 

さすがにぶっ通しで飛び続けるのは辛いので、途中一回、トリステインの海岸沿いに降りて休憩をすることになっている。もっとも、それはうまく見つからずに休むことができたら、という条件付きのものだ。もしも現地の領主に追い立てられてしまえば、さすがに迎撃はできないのでアルビオンまで飛び続けるしかない。

 

昨晩は特に早くベッドに入って十分に睡眠は取ったので、途中で気絶することはないと思うけど、十二時間の飛行は不安だ。それに、不安はもう一つある。それは、アルビオンに到達できるかどうか、ということだ。

 

一行の先導をするのはマティアスだけど、マティアスはキュルケから見せられた地図だけを頼りに現地へと飛んでいる。一度も見たことがない場所を地図と教えられた地形の特徴だけを頼りに飛んでいけるとは、わたしには到底、思えない。

 

けれど、普段は慎重なマティアスが、お任せください、と言ったのだ。きっと大丈夫なはずと信じるしかない。とりあえずマティアスには、出発前に導きの神エアヴァクレーレンの加護だけは祈っておいた。ちなみに、そのときハルトムートがいつも通り自分にも加護をという、面倒くさいことを言い出したけど、今日は魔力を節約したいので我慢させた。

 

まずはトリステインの国境を超える頃にオルドナンツを一度、マチルダに送って今のところ予定通りと伝えておく。その後、しばらく飛び続けていると、マティアスが徐々に騎獣の高度を下げ始めた。おそらく休憩予定地のトリステインの海岸沿いに着いたのだろう。

 

マティアスが騎獣を降ろしたのは、海岸沿いまで山がせり出した場所だった。外部から視界が遮られる場所を選んだのでシルフィードは窮屈そうだが、仕方がない。

 

「ここまでは予定通りですか?」

 

降りたところで、わたしはマティアスに尋ねた。

 

「はい、概ね予定された時間でここまで来ることができました」

 

そう言い切るということは、マティアスは現在時刻を確認できているということだろう。似たような山と森の上ばかりを飛んでいるのに現在地が把握できていることといい、相変わらず騎士には不思議が一杯だ。

 

今日の昼食はお弁当であること、日が暮れるまでになんとしても目的地に到着するために時間に余裕がないことから、全員で一緒に食べる。今は収穫祭などのように席こそ分けられているけど、平民とも同時に食事を取っている姿を知っているダームエルやアンゲリカがいない。そのためか、どことなく側近たちは居心地が悪そうだ。

 

わたしとしては、食事は大勢とした方が楽しいのだけど、この分だと食事風景の改革は難しそうだ。いつもは長めに取る食後のお茶の時間も省略して、わたしたちは出立の準備に取り掛かる。

 

「もしも途中で体調に異変を感じたら、遠慮なくわたくしの騎獣に来るのですよ」

 

これ以後は、空中であるため休むことはできない。こんなところで大事な側近を失うわけにはいかないため、わたしはそう注意をして再び空に飛びあがった。

 

何もない洋上をわたしたちは進んでいく。眼下の風景に全く変化がないので、方角どころか前に進んでいるのかすら自信が持てない。わたしにとっては、久しぶりの海ともいえるのだけど、陸と違って魔力がなくなってしまえば落ちて溺死と思うと、ちっとも楽しい気分にはなれない。

 

「クラリッサは方角がわかっているのですか?」

 

「はい、マティアスの先導は正確ですね」

 

心配になって聞いてみると、クラリッサからはそのように返ってきた。クラリッサは嫁入りの際、護衛騎士と二人だけで騎獣でダンケルフェルガーからフレーベルタークを経由してエーレンフェストまでやってきた。わたしと違って方向感覚に優れているのだろう。

 

これ以上、心配してもわたしが気疲れするだけで何も良いことがない。マティアスを信じて黙って騎獣を飛ばすことに専念する。

 

どれくらい飛んだのだろうか。やがて太陽の傾きは大きくなり、海に吸い込まれるのも時間の問題となってきた。

 

「見えてきました。アルビオンです」

 

クラリッサが指さす方向を見ると、風にけぶる水を纏った浮遊大陸アルビオンが雲の間にその姿を見せていた。

 

「マチルダ様にオルドナンツを送りますね」

 

マチルダも、きっとティファニアが無事であるか心配しているだろう。クラリッサに許可を出し、ティファニアの声を吹き込んだオルドナンツを飛ばしてもらう。

 

「ところで、今は予定通りの時刻なのですか?」

 

「わずかばかり遅れているというところですが、完全に日が落ちる前にはマチルダ様の隠れ家に到着することができると存じます」

 

時間に遅れが生じた原因は道中が向かい風だったからで、マティアスに問題があったわけではないと、クラリッサは言い添えてくれた。わたしはあまり感じなかったけれど、向かい風で速度が少しばかり落ちていたらしい。魔力で飛ぶとはいっても天候の影響は避けられないのだから、こればかりは仕方ない。

 

「天候の影響は誰の責任でもございませんもの。あと少し、引き続き周囲の警戒を厳重にして飛行してくださいませ、と伝えてください」

 

そうクラリッサに伝えて徐々に暗くなっていくアルビオンの大地を見つめて飛び続ける。それから一時間ほど経ったかな、という頃だった。

 

「そろそろ目的地のはずです。ティファニア様、マチルダ様へのオルドナンツをお願いしてよろしいですか?」

 

クラリッサに促され、ティファニアが近くまで到着していることと、これから先、どこに進んだらいいかの指示を出してくれるよう頼んだ。少しすると、オルドナンツが帰ってきてティファニアの腕に止まる。

 

「双子のように同じくらいの大きさの、やや背の高い山があるだろう? その谷間に小さめのゴーレムがいるから、その付近に降りておいで」

 

周囲を見渡すと、確かに特徴的な、全く同じ高さと形の山が二つ並んでいるのが、やや遠くに確認できた。わたしたちがそこを目指して飛んでいくと、谷間に三メートルくらいの大きさの土のゴーレムがいるのが見えたので、そこに騎獣を降ろす。

 

わたしたちの騎獣が降り立ってすぐ、土のゴーレムは崩れ去った。それとほぼ同時に岩陰からマチルダが姿を現した。

 

「おかえり、ティファニア。元気にしてたかい?」

 

「ええ、ローゼマイン様のおかげでハーフエルフだってことも知られることなく、平和に過ごせていたわ」

 

「それはよかった。けど、それ以外では期待外れだったみたいだけどね」

 

平穏を願ってティファニアを送り出したのに、ガリアに追われる身となって逃げ回ることになったのだ。マチルダがわたしに向ける眼光は鋭い。

 

「言い訳はいたしません。ティファニアには申し訳ないことになったと思っています」

 

「はぁ、色々と言いたいこともあるけど、こんなところで立ち話もないね。ひとまずわたしの隠れ家に案内するよ」

 

「ええ、ありがとう存じます」

 

ティファニアの安全よりも、わたしはルイズとタバサを優先したのだ。マチルダからの苦情を受け止める義務が、わたしにはある。

 

頭ではそう理解していても少しばかり気持ちは重い。けれど、そんなことは関係なしに、レッサーくんはわたしたちの新しい住居へと軽快に足を動かしていた。



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タバサの決意

かつて土くれのフーケと名乗っていたマチルダ・オブ・サウスゴータは不本意な気持ちを隠せないでいた。そもそもマチルダがティファニアをルイズやローゼマインに託したのは、トリステインに追われる身である自分と一緒にいても、ティファニアは幸せにはなれないと考えたためだ。

 

それなのに、よりもによってガリアのお尋ね者になって帰ってくるというのは、どういうわけか。一応、ティファニア本人は、やましいことは何も行っていないと聞かされている。避難はあくまでローゼマインの関係者ということで巻き添えを避けるためなので、状況が許せばティファニアだけトリステインに送り返すことはできると言っていた。

 

それでも一時的にでも逃亡をしなければならない立場になったことが問題なのだ。日の当たる場所を歩かせてやりたいという、マチルダの思いが踏みにじられたのだから。

 

そんな不満を抱えながらもマチルダはティファニアと一緒にローゼマインたちとタバサを受け入れた。そうして夕食を振る舞いながら今は詳しい話を聞いているところだ。

 

「トリステインでは、皆さん、とてもよくしてくださったのです」

 

近況報告のオルドナンツで、ティファニアはトリステインではローゼマインの側仕えとして学園内で過ごしているということは聞いていた。ローゼマインの側仕えが用いている衣装は耳を隠すことができるので、エルフの血を引くティファニアには都合がよい。

 

マチルダに努力の証を披露するかのように、ティファニアは一生懸命、丁寧な言葉と所作をしている。まだまだリーゼレータたちとは差が大きいが、トリステインに行ってからの期間を考えれば、上出来だろう。

 

「三年生のローゼマインと同じクラスで授業を受けるんじゃ、基礎部分が飛ばされて大変なんじゃないのかい?」

 

ローゼマインは授業にも側近と一緒に参加していた。ティファニアは、その中に加わることで、間接的に魔法学院の授業を受けていると言っていた。

 

「授業でわからない部分は、ローゼマインとタバサが教えてくださるので大丈夫よ」

 

タバサが高い実力を持っていることは、何度か杖を交えたマチルダも知っている。それならば、授業については問題ないだろう。

 

「それにルイズやサイトやシエスタもトリステインの色々なことを教えてくれるの」

 

「他の魔法学院の連中とは上手くやれているのかい?」

 

「他の人とは、まだほとんど話したことがないの。ローゼマインの側仕えとして行動しているときには私語は禁止されているから」

 

「知られてはならない秘密を抱えるティファニアは、無防備に他人と交流するのは危険すぎますから。まずはルイズやサイトとの交流でハルケギニアの常識を身につけ、その後に仮に秘密を知られても受け入れてくれそうな者から交流を始める予定だったのです」

 

ティファニアに厳しい勤務を強いているのかと思ってローゼマインを見ると、そのように弁解してきた。エルフに対しては憎悪に近い感情を持つ者がいることは、マチルダも嫌というほど知っている。勤務の際の制限はティファニアを守るための措置だったようだ。

 

「それで、誰から交流を始めるか、当てはついていたのかい?」

 

「まずはグラモン家のギーシュ様など、どうかと考えていました」

 

職員として潜り込んでいたこともあるとはいえ、マチルダはそれほど魔法学院の生徒たちについて詳しくない。けれど、ギーシュの名前については覚えている。主に悪い意味で目立っていたことで。

 

「よりにもよってグラモンの息子なんて、ローゼマインは何を考えているんだい?」

 

「マチルダ様はギーシュ様の女好きの面を気にされているのでしょうか。確かに多くの女性に声をかけるという悪癖はございますが、一方でギーシュ様は意外と情に厚いところがございますよ。タバサのお母様の救出に助力をしてくださった際には、エルフ相手にも立ち向かってくださいました。ティファニアの出自を知ったとしても急に態度を変えたりすることはないと存じます」

 

「けどねえ、確かグラモンは顔がまあまあなのと、女を褒めることが上手いせいで、それなりに人気があったように見えたけどね。そのグラモンがティファニアと仲よくしだしたら、それをきっかけに他の女から目をつけられたりしないかね」

 

「それは……そうならないように、わたくしたちで守りますので」

 

少し言葉に詰まったところを見ると、その線は考えてなかったに違いない。大人びているといっても、やはり子供。政治面には長けていても男女の感情については、まだまだ疎いのだろう。

 

「それで、一時的に匿うくらいなら構わないけど、いつまでもこのままというわけにはいかないだろう? 今後のことは考えてあるのかい?」

 

「ええ、タバサと対応策は考えました」

 

「へえ、大国ガリアに個人で対抗する策なんて、あるとは思えないけどね」

 

「普通だったら、そうでしょう。けれど、タバサならば打てる手はあるのです」

 

そう言ったローゼマインの言葉に頷いたタバサの目には、覚悟を決めた者だけが持つ強い光が見えた。

 

「その方法ってのは、生半可な方法じゃないみたいだね」

 

「そうですね。あるいは多くの人にとっては歓迎できない方法と存じます」

 

「それにティファニアが巻き込まれることはないんだね?」

 

「はい、それだけはお約束いたします」

 

ティファニアに危険が及ばないなら、マチルダはローゼマインとタバサが何をしようと口を出すつもりはなかった。けれど、ティファニアに危険がないとなると、今度は個人が大国と相対する策というものに興味が湧いてきた。

 

「一体、何をするつもりなのかね」

 

思わず漏れた言葉にローゼマインが目を光らせた。

 

「できればマチルダ様に手をお貸しいただけると、非常にありがたいのですが、わたくしたちに雇われる気はございませんか?」

 

「それは、わたしの前職を見込んで、ということだね?」

 

「その通りです」

 

マチルダに頼まれるのは、まず間違いなくガリア国内での諜報だろう。危険は大きいが、ローゼマインが言う国に相対するための策が本当にあるのなら、それがティファニアの未来を再び明るく照らす一助になってくれるかもしれない。

 

「ひとまず話だけは聞こうか。受けるか受けないかはその後でいいかい?」

 

ローゼマインがタバサの方を見た。タバサがわずかに頷き返す。

 

「こちらにいるタバサの本名はシャルロット・エレーヌ・オルレアン。現ガリア王ジョゼフの弟にして、ジョゼフの手によって暗殺されたオルレアン公シャルル様のたった一人の忘れ形見です」

 

さすがのマチルダも息を飲んだ。

 

「まさか、その策っていうのは、王位継承権を主張して蜂起するってことかい」

 

「その通りです。ですが、旧オルレアン公派の貴族すべてを味方につけたとして戦力は全く足りません。そのために、今ガリア国内でジョゼフに不満を持っている者たちをどれだけ味方につけられるかが重要なのです」

 

「それで勝算はあるのかい?」

 

「ある程度の間、互角の戦いをすることができれば、トリステインを味方につけることができると考えています。トリステインも腹の中ではガリアを敵と考えていますので」

 

仮にトリステインを味方につけられたとして、それで勝てるとは限らない。トリステインが行ってくれるのは、いくらかの援助くらいのもので、本格的な派兵までをしてくれるとは思えないからだ。

 

「マチルダ様は、勝算が低いと考えておられるのでしょう。ですが、勝てる可能性がないわけではありません。ガリア王ジョゼフはエルフとも手を組んでいました。その証拠を得られれば、あるいはロマリアに王権の正当性を認めてもらえるかもしれません」

 

「なるほど、そうなれば、確かに勝ち目もみえるだろう。けれど、それにはエルフと手を組んだ証拠を得られる、ロマリアに王権の正当性を認めてもらう、という二つの仮定が含まれていることは理解しているね?」

 

「ええ、理解しているからこそ、その仮定を仮定でなくすための情報がほしいのです」

 

「……いいだろう。ひとまず情報の収集までは請け負おう」

 

「ありがとう存じます」

 

それにしても随分と大胆な手を考えるものだ。まさか自分たちが追われる身でなくすということのためにガリアを二つに割った戦をしようとするとは。

 

「ローゼマインはともかく、そちらのお嬢ちゃんは、とてもそんな大胆なことをしでかしそうには見えなかったんだけどね」

 

「わたしも、自分が生きるためにあがこうと思った」

 

話を向けたマチルダに、タバサは短くそう返してきた。




第一部も残り五話。
第二部については話の雰囲気も変わりますし、タグの変更もしたいので、別の話としての投稿も考えています。

第二部でタグを追加するとしたら「原作キャラ死亡」「ロマリア敵対」「タバサ別人化」などでしょうか。


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世界扉
教皇の要請


ガリアと対決することを決めたタバサを援助すると決めたものの、今のわたしたちに具体的にできることはない。そのためマチルダが出立した後の隠れ家で穏やかながら少し退屈な生活を過ごすことになった。

 

さすがに本は持ち込めていないので、最近のわたしは時間潰しも兼ねて、リーゼレータから普段なかなかできていない刺繍の練習をさせられている。ティファニアは上手いと褒めてくれたけど、複雑な魔法陣も刺繍できるユルゲンシュミットの貴族の平均はかなり高いのだ。刺繍が好きでないことも加わり、わたしはリーゼレータに追いつける気がしない。

 

そんな平穏な日々は、マチルダがガリアに出立してから二週間ほど経過したある日、唐突に破られることになった。わたしたちの元にアンリエッタから火急のオルドナンツが届いたのだ。

 

そのオルドナンツによると、ロマリアの教皇ヴィットーリオ・セレヴァレこと聖エイジス三十二世が現在、トリステインを訪れており、そこでわたしとティファニアへの面会を求めてきたということだった。教皇ヴィットーリオは聖地の奪還をエルフと交渉するための手札として始祖の虚無を求めている。そうアンリエッタは伝えてきた。

 

それだけならば、突っぱねるところだっただろう。けれど、それと同時にヴィットーリオはガリアに始祖の虚無を与えるわけにはいかないと言ったということだ。それは、ロマリアがガリアを敵と考えていることに他ならない。

 

ロマリアとはガリアの王権を認めてもらえれば御の字と考えていた。けれど、上手くいけば支援まで取り付けることができるかもしれないのだ。ガリアでも力を持つブリミル教を取り仕切るロマリアの支援は、タバサとしては何としても欲しいものだ。

 

同時に、このオルドナンツはこの上ない面倒ごととも言えた。エルフとの交渉と言えば聞こえはいいけど、要は虚無の使い手という武力を揃えての脅しをかけると言っているのだ。その一端を人間とエルフのハーフであるティファニアに担えと言っているのだ。

 

要請を受け入れた場合、ティファニアはエルフと決別するしかないだろう。では、要請を断ったらどうなるか。まず間違いなく、エルフに与する行為と判断される。そうなると人間と決別することになってしまう。どちらにしてもティファニアには茨の道だ。

 

「教皇からの面会に応じるか、応じないかはティファニアにお任せします」

 

人間かエルフか、選ばなければならなくなる可能性が高いことを伝えた上でのわたしの言葉に、ティファニアは端正な顔を曇らせた。

 

「エルフはハルケギニアの人たちと対立してきたわ。でも、わたしの父と母は違った。父は母をとても愛していたし、母も父を愛していた。けれど、そのような話は、他の人には通用しないのでしょうね」

 

夢と希望を胸にトリステインに赴いたティファニアだけど、短い間で良く言えば現実的、悪く言えば世間の悪意を知って純真ではなくなっている。ジョゼフは薬でタバサの母の心を壊し、タバサの命も狙おうとした。タバサもまた伯父のジョゼフの首を取ることを決意し、ティファニアにミョズニトニルンの人格を忘却させた。

 

「仕方がありません。わたしは人間の世界しか知りませんし、皆さんと敵対することも考えられない以上、わたしは人間側に立つしかないのでしょう?」

 

ティファニアの母は、エルフというだけで殺されたと聞いている。しばらく忘れていただけで、元からティファニアは人の悪意を知っていた。理想とは異なる現実を受け入れてしまう下地はあったのだ。

 

「でも、わたしなんかを呼んで、教皇聖下は何を考えているのかしら?」

 

「おそらく教皇はティファニアの魔法のことは知らないのでしょう。ティファニアが使えるのは簡単な忘却魔法だけということにしておけたらよいのですけど、ミョズニトニルンのことをどこまで知っているのかが気になりますね」

 

ティファニアの魔法は、直接に相手を害さないだけに使い方によっては非常に強力な魔法となる。例えば、獅子身中の虫に敵意を忘却させる、わたしたちがしたように敵対する相手の部下に忠誠心を忘却させる、といった使い方ができることは為政者にとっては、とても魅力的だろう。

 

「もう一つ、わからないのは、なぜわたくしも指名したかということです。単純に考えるなら、ティファニア単独の指名では、わたくしたちが身の安全を心配して断ると考えた。悪く考えるなら、わたくしにも技術供与などの何らかの要求を行おうとしている、というところでしょうか?」

 

「ロマリア教皇個人の情報は、ほとんど集めていませんでした。残念ながら、狙いが読み切れません」

 

ハルトムートが口惜しそうに言うが、ロマリアはわたしたちにとって危険な国ではあるけど、他国に口を出してくるようなことまではしてこないと考えていた。だから、ロマリアに近づきさえしなければ、わたしたちには影響はないと思っていたのだ。情報を集めていなかったとしても仕方がない。

 

「ティファニアが理不尽な目に合わないように、わたくしも一緒にトリステインに向かいます。そしてティファニアのことを守ります。それが、平穏に暮らしていたティファニアを連れ出してしまった、わたくしの責任です」

 

ティファニアだけをトリステインに送り出すようなことはしない。万が一、呼び出しが謀略であった場合には全力でティファニアを守らなくては。

 

「ローゼマイン様がトリステインに向かうならば、無論、私もご一緒します」

 

「私もです。マティアスやラウレンツのようには戦えませんが、いざというときに盾になるくらいはできます」

 

「わたくしも同じ思いです」

 

ハルトムートに続いて、ローデリヒとリーゼレータもトリステインへの同行を希望してくる。それだけでなく、グレーティアも同じ思いだというように頷いていた。

 

「皆の気持ちはわかりました。もしもトリステインかロマリアが謀略を巡らせていた場合に備えてトリステインには皆で向かうことにします」

 

「それなら、わたしも行く。行かないといけない」

 

そこで、それまで推移を見守っていたタバサも同行を希望してきた。ガリアとの戦争を決意しているタバサこそが、ロマリアの支援を欲している。つまりは、この中で一番の利害を持っているともいえる。だからわたしたちが結論を出すまで口を出すことを控えていたのだろう。

 

「わかりました。皆でトリステインに参りましょう」

 

「皆というのなら、キュルケにも声をかけておく。仲間はずれにすると後が面倒」

 

そう言ってタバサはオルドナンツに、アンリエッタから受け取ったオルドナンツの内容とその後の話し合いの経緯を吹き込んでキュルケへと飛ばした。さすがに付き合いが長いだけあって、タバサはキュルケの性格を熟知しているようだ。

 

「もちろん、あたしも行くわ。せっかくだから、あたしとジャンのオストラント号で王宮に乗りつけてやりましょ」

 

少ししてキュルケから戻ってきたオルドナンツはそんな物騒なことを言ってきた。

 

「思った以上に、キュルケが乗り気で驚きましたね」

 

キュルケとはゲルマニアとトリステインの国境付近で合流することになった。わたしたちはアンリエッタに向けて了承のオルドナンツを送り、合流の日までを隠れ家で過ごした。ちなみにマチルダはロマリアの教皇に呼ばれたことを伝えると、またティファニアを危険な目に合わせるのかと憤慨していた。けれど、すでに選択肢は残されていないことを理解したのか、最後はティファニアのことを頼むと言ってくれた。

 

そうして当日、わたしたちは早朝から騎獣でアルビオンを飛び立ち、タルブの村近くの草原でキュルケのオストラント号と合流した。わたしたちを出迎えてくれたのはキュルケだけではなかった。驚くべきことにコルベールが一緒にいたのだ。

 

「コルベール先生、なぜオストラント号に乗っていらっしゃるのですか?」

 

「教皇聖下がトリステインにいらしているのなら、わたしはお会いせねばならないのだ」

 

「キュルケはそれでよろしいのですか?」

 

「ジャンってば、ロマリアから戻ったキュントの絵師が書いた聖下の姿絵を見たときから、いつかはお会いしなければならないって、ずっと言っていたのよ」

 

その言葉の端から何度も止めたのだということは伝わってくる。キュルケに止められないのなら、わたしが止めることもできないだろう。コルベールの説得を諦め、わたしたちはオストラント号でトリスタニアの王宮を目指した。



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世界扉

あたしはジャンやローゼマインたちと一緒にトリステイン王宮前に止めたオストラント号から降りた。迎えてくれたのは馴染みとなっているグリフォン隊のフルーランスだ。

 

そのフルーランスに案内され、あたしたちは王宮の応接室へと入る。まず目に入ったのは、濃い紫色の神官服に、高い円筒状の帽子だ。ハルケギニアの各王よりも形式上の地位が高いために、上座に座る若い男が、聖エイジス三十二世。

 

聖エイジス三十二世には纏った神官服のカケラほども偉ぶったところがない。目元は優しく、鼻筋は彫刻のように整っている。形のいい小さな口には常に微笑がたたえられていた。そして……、誰もが振り返るほどに美しい。姿絵でも思ったことだけど、ハルケギニア中の劇場を覗いてみても、彼ほどに美しい役者を見つけるのは難しいだろう。

 

その微笑みはまるで、慈愛に満ちた神のよう。けれど、その見た目に騙されてはいけない。ローゼマインから聞いた聖エイジス三十二世の提案から推測できる性格は、むしろ冷酷な策略家だ。聖女のような微笑みを浮かべているが、実態としては利に聡い商人にして悪辣な手段を好む美幼女と美少女の中間のような存在を、あたしは実際に知っている。

 

そして下座にはアンリエッタとアニエスがいた。そのアニエスは入ってきたジャンの姿を見て驚きに目を見張っていた。さすがに聖エイジス三十二世とアンリエッタのいる前で凶行に及ぶことはないと思うが、油断はできない。あたしがアニエスを警戒している間に、ローゼマインがティファニアを伴って応接室の中央付近まで歩み出て、跪いた。

 

「お初にお目にかかります、教皇聖下。ユルゲンシュミットのエーレンフェストより参上いたしましたローゼマイン、そしてティファニアでございます。以後、お見知りおきを」

 

「ローゼマイン殿は異国の王族とお聞きしていたのですが、こうして見ると、ハルケギニアの人々とあまり変わらないのですね」

 

「ありがとう存じます。ですが、こちらに来た当初は、わたくしの国とハルケギニアの風習の違いで苦労もしたのですよ」

 

微笑を浮かべたまま、にこやかに二人は初対面の挨拶をしているように見える。けれど、あたしの目には狐と狸の化かしあいに見えるのは、なぜだろう。

 

「お初にお目にかかります、教皇聖下。ゲルマニアのキュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーと申します。こちらはトリステイン魔法学院の教員を務めておりましたジャン・コルベールと魔法学院の生徒であるタバサです」

 

二人の会話が途切れたところで、あたしは自分たちの紹介をした。ジャンがあたしの前に進み出て跪いたのは、あたしの言葉が終わった直後のことだった。

 

「聖下、失礼の段、お赦しください。聖下はこちらの指輪に見覚えはございませんか?」

 

ジャンが見せた指輪を見た聖エイジス三十二世の目が大きく見開かれた。

 

「これはわたくしの母の指輪ですね」

 

「……聖下。どうかこのわたくしにお裁きをくださいませ。ダングルテールという村で聖下の御母君を殺めたのは、このわたくしでございます。ここにございます御母君の指輪をお受け取りになり、わたくしを罰するよう、お願い申し上げます」

 

聖エイジス三十二世がジャンの前までやってきて、ルビーの指輪にゆっくりと手を伸ばして受け取った。そして、それをそのまま指にはめる。

 

指輪は聖エイジス三十二世の指には少し大きいように見えた。けれど、指輪はするするとすぼまり、聖エイジス三十二世の指にぴったりとはまった。

 

「お礼を申し上げなければなりますまい。わたくしの指に、この“炎のルビー”が戻るのは二十一年ぶりです。あなたがたはご存じないかもしれませんが、我々はこのルビーを捜しておりました。それがこのように指に戻った。今日はよき日です。まこと、よき日ではありませんか」

 

「では、聖下……お裁きを」

 

頭を垂れるジャンに、聖エイジス三十二世は手を差し伸べる。

 

「なぜ、あなたに裁きを与えねばならないのですか? 祝福を授けこそすれ、裁きなど与えようはずもありません。あの人は弱い方でした。自分の息子に神より与えられた“力”を恐れるあまり、この指輪を持って逃げだしたのです。彼女は異端の教えにかぶれ、信仰を誤りました。その上、“運命”からも逃げたのです。あなたの手にかかったのは、神の裁きといえましょう」

 

聖エイジス三十二世は本気でそう言っている。自らの母親は死んで当然だったと。それはジャンも感じ取っているらしく、絶句していた。

 

「残されたわたくしは、人一倍努力しました。信仰を誤った母を持つ者と後ろ指をさされぬよう、朝も昼も夜も神学に打ち込みました。その甲斐あって、わたくしは今の地位を許されるほどになったのです。ですから、祝福を授けこそすれ、裁きを与えようはずもないのです。ミスタ・コルベール、あなたに神と始祖の祝福があらんことを」

 

理知的でありながら、常識が普通の人とずれている。けれど、自分の考えに疑いなど少しも抱かない。これはローゼマインの予想通り一筋縄ではいかない相手だ。

 

「さて、図らずもわたくしの手元に炎のルビーが戻りましたが、アンリエッタ殿、念のため確認いたしますが、ここにいる者たちは全員がルイズ殿の魔法をご存知ということでよろしいですか?」

 

聞かれたアンリエッタは、あたしたちの方を見た。アンリエッタはあたしたちはルイズの魔法のことを知っているか確信が持てなかったのだろう。

 

「何回も目の前で見せられたのですもの、嫌でも気づきますわ」

 

そう言うと、そのうちの一回の原因でもあるアンリエッタが目を逸らした。

 

「でしたら、このまま話しても問題ありませんね」

 

アンリエッタの微妙な様子の変化には気付かなかったのか、聖エイジス三十二世は語り続ける。

 

「ルイズ殿、“始祖の祈祷書”を拝見させていただけますか? 始祖の秘宝は新たな呪文を目覚めさせることができる。わたくしはかつて、このロマリアに伝わる“火のルビー”と秘宝を用いて、呪文に目覚めたのです」

 

「どのような呪文ですか?」

 

ルイズが使える魔法の種類は、おそらく多くない。だからか聖エイジス三十二世が使える魔法に興味があるようだ。

 

「わたくしの使える呪文は、“遠見”と似た呪文です。ただ、映しだす光景がハルケギニアの光景ではないのです」

 

「それは……」

 

「ええ、その光景がユルゲンシュミットである可能性もあります。ですので、ローゼマイン殿にもご足労いただいたのです」

 

「まずは、見せていただくことは可能ですか?」

 

「ええ、初めからそのつもりでしたから」

 

そう言って聖エイジス三十二世は部屋の隅に置かれていた高さ二メイル、幅が一メイルほどの大きな鏡の前に向かった。

 

「ユル・イル・クォーケン・シル・マリ……」

 

聖エイジス三十二世が美しい、賛美歌のような透き通った調べで呪文を紡ぐ。五分ほどの長い詠唱で呪文を完成させると、聖エイジス三十二世は緩やかに、杖を鏡に向けて振り下ろした。その瞬間、鏡が強い光を放った。

 

光が掻き消えると、今度は鏡になにやら映りはじめた。それは高い、塔のような建物がいくつも立ち並ぶ、異国の情景だった。

 

「これはユルゲンシュミットではございませんね」

 

そう言ったローゼマインは、自分の故郷でなかったというのに笑顔だ。それが、あたしにはローゼマインが感情を隠すときの笑顔に見えた。

 

「やはり、そうでしたか。アンリエッタ殿から聞いた限り、わたくしの魔法を通じて見える世界とは少し違うとは思っていました。では、サイトくんはいかがですか?」

 

「これは……地球です」

 

そう呟いたサイトの目からは、懐かしさからか涙がこぼれていた。

 

「どうやら、わたくしの魔法で繋がった世界はサイトくんの故郷で間違いないようですね。サイトくんの故郷にも興味はありますが、話を“虚無”のことに戻しましょう。“虚無”の中にもそれぞれ系統があるのです。四系統のようにはっきりとしていませんが……。おおまかな系統というものが存在するようです。わたくしはどうやら“移動”系のようです。使い魔にしてもヴィンダールヴですし、呪文もそうです。ルイズ殿が司るのは“攻撃”でしょうか」

 

「では、ティファニアは? ガリアの担い手は?」

 

「ガリアの担い手の使い魔がミョズニトニルンである以上、智に関係していると考えるのが自然でしょうが、そのような魔法は想像もつきませんね。ましてや、ティファニア殿の使い魔は記すことさえはばかられる、とされるリーヴスラシルですからね。それに、残念ながら風のルビーはアルビオン戦役の折に失われております。ティファニア殿の魔法を知るのは難しいでしょう」

 

蘇ったウェールズの指には風のルビーはなかった。おそらくクロムウェル、そしてそれを討ったガリアによって奪われたのだろう。

 

「“始祖の秘宝”は宝の詰まった小箱のようなものです。それぞれに詰められた“宝”は違う。そして、指輪はその小箱を開く鍵のようなもの。ルイズ殿、わたくしに“始祖の祈祷書”を見せていただけますか?」

 

頷いたルイズが聖エイジス三十二世に始祖の祈祷書を渡す。聖エイジス三十二世は受け取った始祖の祈祷書を、なんのためらいも見せずに開く。

 

すると、始祖の祈祷書のページが光り輝きだした。それは、あたしが初めて見る“虚無”を会得する瞬間だった。

 

「中級の中の上。“世界扉”」

 

聖エイジス三十二世が会得した魔法を静かに読み上げた。



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ユルゲンシュミットへの扉

「ユル・イル・ナウシズ・ゲーボ・シル・マリ……」

 

早速、世界扉の魔法を試してみようとする教皇をわたしは微かな焦りとともに見つめていた。世界扉という名前からすると、他の世界への扉を開く魔法なのだろう。けれど、このままでは地球への扉が開かれるだけだ。

 

もちろん、地球にも行ってみたい気持ちはある。麗乃時代の母親にも会ってみたい。けれども、それよりも今のわたしにとってはユルゲンシュミットが故郷なのだ。それに、わたしが帰らないとフェルディナンドが危ない。

 

このままではいけない。なんとか、ユルゲンシュミットへの扉を開けないものか。

 

「火の神ライデンシャフトの眷属たる導きの神エアヴァクレーレンよ、見失いし故郷へと続く道を我に示し給え。御身に捧ぐは我が魔力。彼方へと続く扉をこの地に」

 

わたしが祝詞を唱えた瞬間、大量の魔力が引き出されたのがわかった。教皇の持つ杖の先に眩いばかりの光が広がり、次の瞬間には巨大な鏡が出現していた。

 

「この鏡が繋がる先はユルゲンシュミットですね」

 

確信をもってわたしは言う。なぜなら、わたしは……。

 

「どうやらわたくしも虚無が使えるようです」

 

その言葉に皆が驚きの表情を見せている。

 

「なぜ……虚無の担い手と使い魔は四の四であるはず……」

 

もっとも呆然としているのはブリミルの教えを信じている教皇だ。

 

「始祖ブリミルの虚無を受け継ぐ者が四人というのはブリミルの子孫の中から現れるものなのでしょう? わたくしたちはブリミルの子孫ではありませんからその定義には該当しません。そもそもブリミルの祖国なら他にも虚無の使い手がいても不思議ではないですし、他の国にもいないとは言い切れないのではありませんか?」

 

「それは……その可能性は捨てきれませんが……」

 

「そこにいるサイトと同じように召喚がなされたことから考えて、サイトの国とわたくしたちの国は非常に近い関係にあるのかもしれません。そうなると、わたくしが虚無を扱えても不思議でないのではありませんか?」

 

わたしが言ったことは、口からでまかせだ。日本とユルゲンシュミットは、似ても似つかない。むしろハルケギニアとユルゲンシュミットの方が、魔法や魔獣が存在することをはじめとして類似点が多い。わたしが虚無を使える理由は、むしろ麗乃として地球で生きていた記憶があることの方にあるのだろう。

 

「我々の前に幾度となく現れた“場違いな工芸品”により聖地が優れた技術を持つことはわかっていましたが、虚無の使い手が他にもいるという可能性は考えていませんでした」

 

「いや、そもそも俺の故郷にはメイジ自体がいなかったと思うんだけど」

 

「それはサイトさんが知らなかったというだけではありませんか?」

 

サイトの言っていることは正しい。けれど、今はわたしがあまり特異であると思われたくないのだ。

 

「ますます聖地に興味がでてきましたが、その前にこれはどうしたらいいのでしょう?」

 

「一度、消していただいてもよろしいですよ。おそらく次は、わたくしだけでも使えると思いますので」

 

これは推測でなく確信だ。なぜなら、わたしはすでに世界扉の魔法を使ったことがある。初めて使ったのは、エーレンフェストの貴族院に転移する直前だ。

 

あのとき、わたしは無意識に逃げ場を捜していた。ディートリンデとの連座を回避できたとしても、フェルディナンドが犯罪者の婚約者であったことまでは変えられない。若く執務経験のないアウブを補佐するという役目をこなせなかったと評価されることも避けられないだろう。エーレンフェストに戻ってもフェルディナンドがこれまでのように辣腕を振るうことはできないだろう。

 

それでも神殿という最後の砦はあるけども、それではヴェローニカが権勢を振るっていたときと変わらない。それは、わたしの望むフェルディナンドが心穏やかに暮らせる環境ではない。

 

わたしの中に眠っていた虚無は、貴族院に移動をするわたしの心に隠されていた、ここではないどこかに行けたら、という思いに反応した。そうして、わたしたちをハルケギニアに転移させた。キュルケの召喚は、ハルケギニアに転移した後のわたしたちを、ハルケギニアの中で移動させたにすぎない。

 

そして、二度目に世界扉を使用したのが、側近たちを召喚したときだ。あのとき、わたしは虚無の力を使って自分の側近たちをユルゲンシュミットの各地から呼び寄せた。

 

今、わたしは正しい世界扉の使い方を知った。次からは大丈夫だ。

 

「ねえ、サイト。それじゃあ、あなたも故郷に帰れるってことじゃないの」

 

「それは、どうだろうね」

 

そう言ったのは、それまで教皇の側に控えていた少年だった。

 

「申し遅れました、ミス・ローゼマイン。ヴィンダールヴのジュリオ・チェザーレです」

 

「ジュリオ、今のはどういうことなの?」

 

「ミス・ローゼマインはサイトの故郷をご存知ないのでしょう? 子孫である我々ならばサイトの故郷への扉も開けましょう。けれど、ミス・ローゼマインには不可能なのではありませんか?」

 

「そうかもしれませんね」

 

ジュリオの前提と異なり、わたしは地球のことを知っている。けれど、今のわたしはすでにユルゲンシュミットの人間だ。繋がりの薄い地球への扉を開けるとは限らない。

 

「それに、まずはミス・ローゼマインにユルゲンシュミットという場所に実際に帰れるのか試してもらうのが先ではないでしょうか?」

 

まず自分が帰れるのか試してみてから、他人を帰すべきというのは正論だ。わたしも他人で人体実験をすべきではないと思う。けれど、それだけだろうか。ジュリオはどうも、わたしたちを帰したがっているようにも見える。

 

だけど、それも無理のないことかもしれない。虚無を神聖視するブリミル教徒にとっては、ブリミルと無関係に虚無を使える人間は邪魔なだけだろう。

 

「そうですね。ですが、わたくしのユルゲンシュミットへの帰還の前に、何か話し合うことがあったのではございませんか?」

 

教皇の魔法を試すだけならばティファニアをこの場に呼ぶ必要はなかった。

 

「わたくしは、人同士がこれ以上争うことに我慢ができないのです」

 

教皇はそう言って話を切り出した。

 

「貴賤や教義の違いによって相争うこと……これ以上に愚かしいことがあるでしょうか? 信仰が地に落ちたこの世界では、誰もが目先の利益に汲々としている。人は皆、神の御子だというのに。なぜ、このように信仰が地に落ちたのか? 神官たちが、神を現世の利益をむさぼるための口実にするようになったのはなぜなのか? それは、力がないからです」

 

悔し気な声で教皇は言った。

 

「わたくしたちは、我らの信仰の強さを、驕った指導者たちに見せつけねばならないのです。つまらぬ政争や戦にあけくれる貴族や神官たちに、真の神の力を見せねばなりません。そのためには、“神の奇跡”によって、エルフたちから聖地を取り返すのです。真の信仰への目覚ましとして、これ以上のものはありません」

 

「それは戦う相手が人からエルフに変わるだけではありませんか? 共通の敵を作ることは団結の手段として有効ではありますが、だからといって外と本格的な戦となってしまえば内で争わぬようにした意味がないと存じます?」

 

「いいえ、聖地は我々の“心の拠り所”です。なぜ戦いが起こるのか? 我々は万物の霊長でありながら、どうして愚かにも同族で戦いを繰り広げるのか? 簡単に言えば“心の拠り所”を失った状態であるからです」

 

どこまでも穏やかな、優しい声で教皇は机上論を滔々と語る。

 

「異人たちに“心の拠り所”を占領されている。その状態が民族にとって健康であるはずはありません。自信を失った心は安易な代替品を求めます。結果として、くだらない見栄や多少の土地の取り合いで流さなくてもよい血を流したのです。伝説の力で聖地を取り戻す。そのときこそ、我々は真の自信に目覚めることでしょう。そして、我々は栄光の時代を築くことでしょう。ハルケギニアはそのとき初めて“統一”され、争いをなくすことができます」

 

「わたくしたちの国、ユルゲンシュミットには取り戻さねばならぬ聖地などございません。ですけど、わたくしたちの国でも争いは起こっていますが?」

 

ユルゲンシュミットだけではない。地球でも争いは起こってきた。心の拠り所と言われている聖地を手に入れたとしても、きっと争いはなくならない。それはおそらく、こちらの人間以外にしかわからないことだろう。

 

「わたくしはユルゲンシュミットのことは、よくわかりません。けれど、わたくしの思いはハルケギニアの人間ならば共有していただけると思います」

 

教皇の言葉の後を受けたのはアンリエッタだった。

 

「わたくしもよくよく考えてみたのです。そして……、教皇聖下のお考えに賛同することにいたしました。わたくしはかつて、愚かな戦を続けました……。もう二度と、繰り返したくない。そう考えています。力によって、戦を防ぐことができるなら……、それも一つの正義だとわたくしは思うのです」

 

戦を防ぐために力を手に入れる。そこまでは理解できなくもない。けれど、戦を防ぐために必要のない戦をするというのは、わたしには全く理解できない。けれど、これ以上、わたしが反論をするというのは、この後のタバサの協力要請に差し障る。そう考えて口を閉ざそうとしたところで、平賀が困ったような声で発言した。

 

「俺、その、あんまり頭よくないんで、聖下のおっしゃることがよくわからないんですけど、それってつまり、剣で脅して土地を巻き上げる、ってことじゃないんですか?」

 

「はい。そうです。あまり変わりはありませんね」

 

「そんな……、エルフが相手だからって、そんなことをしていいんですか?」

 

「わたくしは、すべての者の幸せを祈ることは傲慢だと考えています。わたくしの手のひらは小さい。神がわたくしに下さったこの手は、すべてのものに慈愛を与えるには小さすぎるのです。わたくしはブリミル教徒だ。だからまず、ブリミル教徒の幸せを願う。わたくしは間違っているでしょうか?」

 

「間違ってはいないと思います。でも、反対です」

 

わたしが空気を読んで飲み込んだ言葉を、平賀はきっぱりと言い切った。

 

「やっぱり、卑怯ですよそれ。ここにいるティファニアは……、エルフの血が混じってる。ティファニアの母さんたちを脅すような真似はしたくない」

 

「そうではございません。きちんとお話して、返していただくのです。だって、あの土地は本来、我々のものなのですから。その際の交渉に、ティファニアに流れる血が、またとない架け橋になってくれることを祈ります」

 

「アンリエッタ様、それは理想論です。アンリエッタ様が行おうとしていることは、いかに取り繕ったとしても、単なる侵略です。そこにティファニアを担ぎ出したとして、和平など望むべくもありません」

 

六千年前も前となると、もはや伝承の域だ。事実は歪曲されて後世に伝わる。伝承を根拠に土地を寄越せと迫るなど常軌を逸している。そんな交渉が纏まるはずがない。纏まるはずがない交渉で矢面に立つほど危険なことはない。わたしはティファニアに関しては巻き込んだ責任があるのだ。絶対に、そんな場に送り出すようなことはさせない。

 

「サイト殿、あなたも、ルイズのためなら命をかけて戦うでしょう? 大事な人間を救うためなら、手段を選ばずに行動に出るでしょう。わたくしもそうです。人同士が争うことに、我慢がならないのです。そのためならば、手段を選ぶつもりはありません」

 

「アンリエッタ様、人同士が争わぬように、というお考えは立派です。けれど、エルフと戦えば、それ以上の犠牲が出ることも考えられます。アンリエッタ様はエルフとの戦いならば、どれだけの犠牲が出ても構わないとお考えなのでしょうか?」

 

「そうではありません。だからこそ、虚無の力が必要なのです」

 

「大きな力はときとして人を狂わせる。アンリエッタ様は、それをよくご存知のはず。それなのに、更なる大きな力を得た人たちが狂わぬと、どうして断言できるのでしょう?」

 

「そこまでにしましょう」

 

わたしとアンリエッタを止めたのは教皇だった。

 

「確かに大きな力を得れば人は狂います。けれど、それも自信のなさからきているものだとわたくしは思うのです。そして、もう一つ。わたくしはロマリア教皇に就任して三年になります。その間、学んだことがたった一つだけあるのです。博愛は誰も救えません」

 

「あの……質問いいですか? “虚無”を集めるのはいいんですけど……、ガリアのはどうするんですか?」

 

平賀が聞いたのは、当然の質問だった。はっきり言ってガリア王ジョゼフがわたしたちに協力してくれるのは思えない。

 

「もちろん、手を打ちます。そのために、皆さんにお集まりいただいたのです。わたくしの即位三周年記念式典をガリアとの国境の街、アクレイアで執り行う予定があります。そこに、ガリア王にもご出席いただく。そして、ミス・ヴァリエールたちにもご出席を願います」

 

「まさか! わたしたちを囮に?」

 

「これはわたくしの式典……、事前にわたくしが“虚無の担い手”ということはガリアに流します。あなたがただけではありません。もちろん、わたくしも囮になるのです。わたくしは、何事も自分で行わないと気がすまない性質ですから」

 

「その必要はありません」

 

はっきりと、そう言い切ったのは、これまで黙って話を聞いていたタバサだった。



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シャルロットとしての一歩

「失礼、その必要がないとは、どういう意味ですか?」

 

発言したタバサに、教皇ヴィットーリオが尋ねてくる。

 

「ガリア王ジョゼフはわたしが倒す」

 

「ほほう、どうやって?」

 

ヴィットーリオの言葉に、どこか楽しむような響きをタバサは感じ取る。

 

「わたしがジョゼフ打倒の兵を挙げる」

 

「あなたが? 失礼ながら、あなたがガリア王を打倒できるだけの兵を挙げられるとは思えませんが?」

 

「わたしは、先のオルレアン公シャルルの娘。本名はシャルロット・エレーヌ・オルレアン。わたしが旧オルレアン派を率いてジョゼフを打倒する」

 

「あなたがオルレアン公の忘れ形見でしたか。確かにそれなら打倒ガリア王の旗頭足りえるでしょう。ですが、それでもガリア王を倒せるほどの味方を得られるとは思えません」

 

急に自分は王族だと言い出しても、普通なら一笑に付されて終わりだろう。タバサは他の出席者の口添えが必要だと思っていた。けれど、ヴィットーリオは最初からタバサの言うことを信じているように見える。

 

「ですので、教皇聖下にはわたしが挙兵した折には、正当な王位継承者として王位の正統性を認めてほしい」

 

「王位の正統性を認めるだけでは足りないでしょう。ジョゼフはハルケギニアを己がものにする野望を抱いています。ゆえにガリアはわたくしたちにとっても敵。わたくしたちも力をお貸しいたしますよ」

 

「その必要はありません。ガリアの王位はガリア人の手によって決定されるべきです」

 

ローゼマインがエルフとの戦いに反対した理由はタバサにもわかる。ヴィットーリオはエルフのことを甘く見ている。実際にタバサたちはルイズの虚無を用いても、たった一人のエルフに苦戦した。仮に四人の虚無の担い手を集めたとして、それだけでエルフ百人を上回れるとは思えない。

 

エルフとの戦いを頓挫させるためにも、何としてもガリア国内でロマリアの影響力が強くなりすぎることは避けなければならない。それが母の命のためだけに祖国を内乱に導こうとする愚かな王族のせめてもの責任だろう。

 

「ですが、それではおそらく勝てませんよ」

 

「負けたならば、わたしの力不足というだけです」

 

「なあ、タバサ、さっきの話は反対だけど、ガリア王の打倒に協力することまでなら賛成だ。ガリア王の横暴には反吐が出る。散々俺たちやタバサに、ひどいことをしようとした。許せないよ。どうせいつかなんとかしなくちゃならないんだ。だったら、協力して当たるべきだと思う」

 

「それでも、わたしはガリアの王族だから。どのような理由があってもガリア人を殺すための軍隊を国の中に引き入れるということはできない」

 

ここまでヴィットーリオの提案を拒絶すれば、御しにくい相手として警戒されるだろう。けれども、ガリアの王位を継げるのはジョゼフの娘のイザベラかタバサだけだ。イザベラを御そうとするよりはタバサの方がやりやすいはず。

 

じっと互いを見つめあう。とはいえ、タバサとしては交渉を打ち切られても問題はない。その場合でも、当初のシナリオに戻るだけだ。

 

「具体策はあるのですか?」

 

「策と言えるような策ではありません。挙兵後に信用のおける者たちを率いて要害に籠り、ガリア王に反感を持つ者たちの離反を待つというだけです」

 

「随分と消極的な策に思えますね」

 

「消極的でも勝算がないわけではありません。ジョゼフに反感を持つ者は多くいます。持久戦になれば必ず離反者は出ます。また、ジョゼフは能力より自分に忠実な者を取り立てているため、指揮官層に能力不足の者が多くなっています。時間を稼ぐことは不可能なことではありません。ただ、そのためには多くの物資等が必要になります。もし、可能ならば籠城に必要な物資を援助していただけると助かります」

 

要求を伝えると、ヴィットーリオはしばし考え込むように目を閉じた。

 

「いいでしょう。シャルロット殿が持久戦に成功した暁には、提案通りガリア王位の正統性を認めましょう。その前提として、物資の援助もできる限りさせていただきます」

 

「ありがとう存じます」

 

あえてユルゲンシュミット式にタバサは謝礼を述べる。自分はハルケギニアの価値観とは異なる基準で行動しますよ、という意思表示だ。

 

ヴィットーリオとアンリエッタの説得にも関わらずルイズとサイトは対エルフへの対応に首を縦に振らなかった。そして、対ガリアへの対応についても、ひとまずは自分に一任してもらえることになった。

 

アンリエッタに割り振られた部屋に戻ったタバサは、すぐにローゼマインやキュルケたちと先の会談の内容について話し合いを始める。その結果は、タバサが感じていた印象のとおり上々の成果だということになった。

 

ちなみにコルベールは今の自分の立場が微妙であることを理由に席を外した。考えてみれば、コルベールは今のところトリステインの所属ということになる。

 

「けれど、聖下も言っていたけど、タバサは本当にジョゼフに勝てるの?」

 

「正直に言うと、難しいとは思っている。けれど、エルフと戦うよりは勝算がある」

 

「確かに、そうかもね」

 

ローゼマインとルイズのおかげで勝てたが、未だにタバサ単独でビダーシャルに勝てる姿が思い浮かばない。それだけ、あの反射という魔法は脅威だった。タバサに限らず虚無の担い手以外では勝つことはできないのではないだろうか。

 

「最悪、教皇に助力を頼む」

 

「あら、国内に他国の人間は引き入れないんじゃなかったの?」

 

「だから、国内には入れずに国境に兵を布陣させるに留める」

 

「なんというか、タバサも狡い考えが染みついたわね」

 

「身近な手本を真似ただけ」

 

そう言いながら、キュルケと二人でローゼマインの方を見る。

 

「わたくしの責任にするのはやめてくださいませ」

 

嫌そうに首を振るローゼマインを、やはりキュルケと二人で笑っておく。けれど、楽しい話はここまでだ。タバサは少し声の調子を変えてローゼマインに尋ねる。

 

「それで、ローゼマインはいつユルゲンシュミットに帰るの?」

 

「タバサが大変なときに申し訳ないとは思いますが、明日の昼前には帰還をしたいと考えています」

 

「わたしのための戦いだから、気にしないで。それより、ユルゲンシュミットには、今日のうちに帰らなくていいの?」

 

「何分、急に帰還できることがわかったので、こちらに残していく物を誰にどのように譲るのか考えなくてはいけないのです」

 

どうやらローゼマインはハルケギニアで作った財産についても、きっちり後始末をしてから帰還をするつもりらしい。タバサもジョゼフとの戦いに勝利した暁には為政者となるのだから、このお金にうるさい、もとい几帳面な部分は見習わなければならない。

 

「残していくもので最も大きなものである、学園の離れについてですが、こちらは魔力を最大まで注いでおきますので、一年くらいはそのまま使用することができると思います。守りの魔術についても強化して、わたくしが魔力を注いだ魔石を持つ者以外は入れなくしておきますので、いざというときの避難場所として使用してください」

 

「魔力が尽きたら、守りの魔術というのが利かなくなるということね」

 

「いいえ、魔力が尽きれば白の建物は砂に変わってしまいます。中の家具などは、それまでに運び出した方がよいですね」

 

「運び出した家具類は処分していいってこと?」

 

「そういうことです」

 

ならば、キュルケに適当に売ってもらってお金にするとしよう。タバサが考えたことがわかったのか、キュルケが少し嫌そうな顔をした。キュルケは最近、商人のようなことばかり行っているので、そのようなことを思うのも無理もないことだ。とはいえ、タバサの仲間内ではキュルケがもっとも交渉事に長けているのだから仕方がない。

 

「じゃあ、ここでのんびりとしている暇はないわね。魔法学院に戻りましょう」

 

キュルケの提案に否やはない。そうしてタバサはシルフィードに、ローゼマインの騎獣にはキュルケとコルベール、ティファニアに、今日は学院に戻るというルイズとサイトが乗り込んで学院に戻る。そうして、ローゼマインと過ごす最後の夜はキュルケとローゼマインの三人で思う存分、語り明かした。

 

その日を境に、タバサは自分の名乗りをシャルロットに改めた。




百話目で第一部本編、ほぼ完結。
次話でローゼマインが帰還して一度、本作は閉めます。

第二部は完全に原作から離れてタバサが建国を宣言した北ガリア王国(北朝)とジョゼフの率いる南朝によるガリア統一戦争全三十話から始まるタバサの覇王伝に突入。

処刑や粛清もどんどん行っていくので、そんなタバサが見たくない場合は第一部で止めておいた方がいいかもしれません。


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ローゼマインの帰還

一夜明けて、ユルゲンシュミットに帰還するためにヴェストリの広場に立ったわたしたちの前には、見送りに来てくれた人たちが並んでいる。といっても、その人数はキュルケとタバサ、コルベール、ルイズにサイトとティファニアとシエスタ他平民の側仕えたち、学院の生徒ではギーシュ、モンモランシー、マリコルヌだけ。わたしがどれだけ学生との社交を怠ってきたのかが、はっきりとわかるというものだ。

 

それ自体は研究を優先したのだから、仕方がない。けれど、次にハルケギニアにくるときがあれば、もう少し交流をしてみたいとも思う。もっとも、それ以上にユルゲンシュミット以上の冊数があるハルケギニアの本を読み尽くしたいと思う気持ちもあるので、実際に実行をするかはわからないけれど。

 

「じゃあ、ローゼマイン、元気でね」

 

「ええ、キュルケ、そしてタバサも元気で。特にタバサは、生きていれば状況が変わることもございますから、安易に諦めないでくださいませ」

 

「ローゼマインも我慢しすぎないで苦しかったらハルケギニアに逃げてくればいい」

 

「ええ、そうさせていただきますね」

 

ユルゲンシュミットの状況が変わってなくて、フェルディナンドと接触できたら、わたしは世界扉を使ってフェルディナンドをここに逃がそう。そのために、わたしはここに来たのだと思うから。

 

「俺はローゼマインと少しでも日本の話ができて嬉しかったぜ。ありがとう」

 

「いいえ、わたくしたちも何度もあなたの力には助けられました。こちらこそありがとう存じます」

 

「わたしもローゼマインには何度も助けられたわ。ありがとう」

 

「いいえ、ルイズがいなければ、わたくしたちもこうしてユルゲンシュミットへの帰路につけなかったと思います。こちらこそ、ありがとう存じます」

 

ルイズと平賀と簡単に言葉を交わすと、わたしはキュルケに視線を移した。

 

「キュルケ、ティファニアのこと、よろしくお願いしますね。どうか教皇に都合よく使われないよう力を尽くしてくださいませ」

 

「ええ、任せておいて」

 

「ティファニア、わたくしたちが巻き込んでおきながら、最後まで面倒を見られないこと、申し訳なく思っています」

 

「ううん、決めたのはわたしだから。わたしはローゼマインやキュルケやサイトやルイズに会えてよかったと思ってるから、気にしないで」

 

ティファニアがそう言ったところで、続いてコルベールが一歩前に進み出た。

 

「わたしはミス・ローゼマインと研究談義ができて楽しかったよ」

 

「ええ、コルベール先生。わたくしもですわ」

 

「ミス・ローゼマインたちと研究した成果は、必ずやハルケギニアの未来に役立ててみせる。それが、わたしの役目だと考えている」

 

もはやすっかりマッドの仲間入りをしたコルベールには、ほどほどにしておくように言い残しておく。でないと、苦労するのはキュルケだ。

 

他のギーシュ、マリコルヌ、モンモランシーとも軽く別れの言葉を交わす。そういえば、ギーシュは女の子なら誰でも口説くと聞いた気がするけれど、わたしは一度も口説かれていない。さすがに年齢差がありすぎなのか、それとも容姿が好みの対象外なのか、はたまた側近のガードが固すぎるのか。口説かれても受ける気はないので、いいのだけど。

 

そうして、いよいよ別れの時間がやってきた。わたしは世界扉の呪文を唱えて、鏡のような門を作り出す。

 

「では、ハルトムートから門を潜ってくださいませ」

 

わたしが門を潜るのは最後でなければならない。おそらく、わたしが潜った瞬間、門は消えてしまうだろうから。

 

「ローゼマイン様、なぜ一番最初に私がローゼマイン様のお傍を離れなければならないのでしょうか?」

 

と、いよいよ門を潜り始めるという段階で、ハルトムートが面倒なことを言い始めた。

 

「わたくしが作った門が、ユルゲンシュミットに繋がっていることは確信しています。ですけど、それがエーレンフェストに繋がっているとまでは確信できていません。もしも他領に繋がっていた場合は交渉が必要です。わたくしはハルトムートを信頼して一番手を任せようとしたのですが、それが不満なのですか?」

 

「お心を察することができず、申し訳ございませんでした」

 

そう謝罪すると、すぐにハルトムートは鏡を潜っていった。ハルトムートの姿は無事に鏡の中に消えた。

 

「では、ローデリヒ、グレーティアと続いてください」

 

護衛騎士はぎりぎりまで側に置いておくため、次はローデリヒとグレーティアだ。ちなみにクラリッサはここ一年ほどですっかり護衛騎士枠になっている。二人の姿が鏡の中へと消えると、続いて護衛騎士のマティアスとラウレンツだ。そして、その後でクラリッサが鏡の中へと消えていく。これで残るはわたしとリーゼレータだけだ。

 

「皆様、本当にお世話になりました。心よりお礼を申し上げます」

 

「元気でね、ローゼマイン」

 

ひときわ大きなキュルケからの声を背に、わたしはリーゼレータに手を取られ鏡の中へと入った。その瞬間、貴族院に通っていた頃にはよく感じた、転移の感覚が体を包み、わたしは転移酔いを防ぐため、慌てて目をつぶった。

 

 

 

「ローゼマイン様!?」

 

転移酔いを防ぐため目をつぶっていたわたしの耳に、誰かの叫ぶ声が聞こえてきた。瞼を開けると、見知った騎士の顔があった。確か中央のエーレンフェスト寮の転移の間を警護していた騎士だったはずだ。

 

「戻って、こられたのですね」

 

「ローゼマイン様、五日間も、いったいどちらに行かれてたのですか!?」

 

思わず呟いたわたしは、続く騎士の言葉に逆に驚かされることになった。

 

「五日!? 五日しか経っていないのですか!?」

 

「え? はい……ローゼマイン様が転移なされないので、エーレンフェストに問い合わせたのは確かに五日前ですが……」

 

「ローゼマイン様、これは?」

 

リーゼレータも、わけがわからないというように聞いてくる。それとほぼ同時に、わたしの元には次々と白い鳥が飛んでくる。マティアス、ラウレンツ、グレーティアにローデリヒのオルドナンツだ。皆も無事に帰還できていたようだ。

 

そして、一番にオルドナンツを飛ばしてきそうなハルトムートとクラリッサからの連絡はない。つまりは、二人はエーレンフェストにいるということだろう。

 

そんなことを考えている間にも、帰還した側近たちから話を聞いたのか、ヴィルフリート兄様やシャルロッテ、それにブリュンヒルデやユーディットやフィリーネたち名捧げをしていない側近たちからも次々とオルドナンツが飛んでくる。これは返事をするのが大変そうだ。それに、オルドナンツが届かないエーレンフェストにも連絡を入れなければならない人がたくさんいる。その対応のため、わたしはオルドナンツを取り出した。

 

「ローデリヒ、帰還後早々で申し訳ないですが、エーレンフェストに帰還してわたくしたちの無事を報告してくださいませ」

 

ハルケギニアで過ごした一年以上の日々はユルゲンシュミットでは五日だった。そのことで、とりあえずハルトムートとクラリッサは今、たいへん面倒くさいことになっているだろう。それに養父のジルヴェスターにも心配をかけたはずだ。それがお説教に繋がってしまうことは想像に難くない。

 

長いハルケギニアでの生活は気分的に疲れた。とりあえずお説教はしばらく後にしてもらいたい。

 

とりあえずヴィルフリートとシャルロッテにはオルドナンツを送ってホールへ向かう。そこでは全てのエーレンフェストの学生がわたしのことを待っていた。

 

「ローゼマイン、其方は一体、今までどこにいっていたのだ!」

 

ヴィルフリートはそう言ってくるが、どこにと言われても、正直に答えても信じてもらうのも難しいし、時間がかかりすぎる。

 

「どうやらわたくし、時の神ドレッファングーアの悪戯に巻き込まてしまったようです」

 

だからわたしは、そう答えたのだった。

 

 

 

 

 

  ~ 第二部に続く ~

 

 

 

 

 




これで第一部は終了。

第二部は以下のような状況から開始されます。

異世界ハルケギニアから帰還し、領主候補生の日々を再開したローゼマインはアーレンスバッハからの侵攻に備えている最中、フェルディナンドからの危機を知らせる声を受け取った。
ローゼマインは名捧げした者をサモン・サーヴァントで呼べるという事象を利用してフェルディナンドを救出するため再びハルケギニアへと飛ぶ。
一方その頃、シャルロットと名乗りを変えたタバサはガリア北部のサガミールの丘に一千五百の兵で立てこもり、ジョゼフの派遣した四万にもなる包囲軍の攻撃を三ヶ月に渡って撃退し続けていた。


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