ある鬼狩りの葛藤 (clearflag)
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新人隊士編
第01話 プロローグ


1

 明治末。東京府、某所。

 朝から生憎の雨だった。空から仕切りなく降る雨粒は、瓦屋根に当たると弾け飛ぶ。そして、瓦を伝い先まで行き着くと、重さに耐えきれず、水の固まりとなっては落ち、土に染み込んで行った。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 門衛の男は、その様子を虚ろな目で眺めていた。先ほどから、寝て起きてを繰り返し、睡魔と戦っている。深夜のこの時間帯は、普段、静寂に支配されるが、今日は雨の音がある分、いくらかマシだった。とは言え、眠いものは眠かった。

 門衛が控えるのは、屋敷の薬医門を潜り、直ぐ横に建てられた守衛所。四本の柱に屋根が乗っただけの簡易的な造りで、二畳ほどしかない面積のほとんどを占めるのは、門衛が腰を預ける木の長椅子だった。日中は、門の外で、通行人に睨みを利かせながら仁王立ちをしているが、今は門の内、人目を気にする必要はない。

 

 ────門衛は、子供の頃に家族を殺された。

 

 両親と祖父母、歳の離れた姉と兄を《鬼》に殺されたのだ。偶然、離れの便所に居た門衛だけは助かった。それから、知り合いの寺に引き取られ、住職のツテを経て、今の仕事に辿り着いた。

 門衛の名の通り、屋敷の門の開閉と人の出入りの管理が主な仕事だが、大事な仕事がもう一つ。町における《鬼》に関する情報の報告である。《鬼》に家族を殺された自分が、少しでも役に立ちたい思いから、《鬼狩り》を生業とする家に住み込みで働いていた。

 

 《鬼》────主食は人間。強靭な肉体と驚異の回復力を兼ね備え、何十年、何百年の時を生きる。そんな鬼にも弱点はある。一つ目は、太陽の光。故に、日のあるうちは活動が出来ず、人喰いをするのは決まって日が落ちてからだ。

 

 それならば、居眠りをする門衛は良い加減なのではないかと思うが、鬼はそう頻繁に出るものでもないし、何より鬼避けのお香がある。お香に使われる藤の花が二つ目の弱点なのだが、どう言うわけか、鬼は、この花を嫌う。

 しかし、近年は生活基盤の整備が進み、町の中心部は夜でも明るいため、飲食店や屋台は昼夜を問わず営業をしていた。また、文明開化の後押しは目覚ましく、今や住人の半数近くが他所から移り住んで来た者たちである。

 そう、鬼と鬼狩りは空想の存在となりつつある。日が暮れると藤の花のお香を焚き、夜が明けるまで屋内で過ごす慣習は今は失われたと言って良い。

 

「──夜分遅くに、すいません」 

 

 戸を叩く音と声に、門衛は、ハッと目を覚ました。また、眠っていたようだ。反射的に、座っていた長椅子から立ち上がり、腰にある刀に右手を添えた。

 声の主を確認するため、横倒しになっている梯子を塀に立て掛けて登ると、外に立つ人物を睨み付けた。

 

「何者だ?」

「ご無沙汰しております、誠也(せいや)です」

 

 頭の笠を指で持ち上げ、少年が門衛を見上げた。一年前に家出をした、屋敷の長男だった。

 

「せ、誠也さん!?」

 

 門衛の全身に鳥肌が立った。主から極秘にある通達を受けていたからだ。三週間ほど前のことである。夜遅くに屋敷中の者が集められた。

 主は命じた──『東衛(とうえい)誠也に殺人の容疑あり。遭遇時は、速やかに報告の上、屋敷内に誘導せよ』と。  

 

「父と話がしたいのですが、通して頂けますか?」

「確認しますので、そこでお待──」

 

 一瞬の出来事だった。

 ドスっと重い音が体と耳を通して伝わった。門衛は自身の胸を見下ろすと、刀が突き刺さっていた。不思議と痛みはないが、状況が飲み込めなかった。

 

「心配は入りません。堅気の人間を殺したりはしませんよ。僕が殺すのは、鬼狩り(・・・)だけです」

 

 誠也は微笑むと、門の前に腰を掛けた。

 

 ────門衛は夢を見た。

 

 底のない真っ暗闇の水の中で、一筋の光に手を伸ばして、泳ぐ夢だ。しかし、もがけばもがくほど、体は沈んで行く。まるで、誰かに足を引っ張られているような感覚だった。前方に向けていた顔を、足元に向けた瞬間、何者かに意識を削がれた。

 動かなくなった門衛の体がピクリと動き、俯いた顔が持ち上がる。口角が少し上がり笑みを浮かべた。

 

「少しの間、体を借りますね。藤の花のお香を炊かれては、敵いませんから」

 

 声色と顔付きの変わった門衛は、梯子から地面に飛び降りると、屋敷内へと駆けて行った。

 

 

2

 《鬼狩り》────鬼を狩る者。鬼を殲滅すべく、《鬼殺隊》と呼ばれる組織を成し、生身の体で立ち向かう。剣士の持つ《日輪刀》には、太陽の光が蓄えられた鋼が用いられており、この刀で、頸を斬り落とすことで、鬼を絶命させることが出来る。

 

 鬼殺隊から退き、二十年足らず。かつては、選ばれし九人の柱の位にも就いた男は、最悪の状況に直面していた。屋敷を束ねる東衛家の主として、真っ当な判断を下さなければならない。

 

「そうか。誠也が来たか」

 

 報告を受けた主は、神妙な面持ちだった。

 

「どうされますか?」

 

 門衛は指示を仰ぐ。

 

 《東衛(とうえい)》────数百年続く鬼狩りの家で、町の有力者。身体能力を一時的に上昇させる呼吸術《全集中の呼吸》を数代前から会得出来ない者が出始め、現当主は、東衛家に婿入りした立場にある。

 

 主は、黙り込み目を瞑った。数秒後、覚悟が決まったのだろう、重い口を開いた。

 

「通してくれ」

「御意」

 

 膝ま付く門衛は、そのまま頭を下げ、誠也の元へと向かう。主は、その背中を見送り、一連の騒動を振り返った。

 始まりは、かつて自身も属した、鬼殺隊からの一報だった。

 

 ────藤の花の家紋の家にて、殺人事件が発生。被害者は、療養中だった鬼殺隊の隊士。現場からは、被害者隊士の刀と隊服が盗まれていたことから、強盗目的と思われる。目撃証言では、犯人は、十代半ばの若い男。被害者の胸には、刀が刺さり、心臓を貫いていた。

 

 ここから先が問題だった。その刀は、日輪刀であり、刃元には、《悪鬼滅殺》と刻まれていた。悪鬼滅殺の文字を持つ刀は、柱のみ(・・・)が刻むことを許される。そして、刀の色は、鮮やかな青の刃で、水の呼吸(・・・・)ないし、それに系譜する呼吸の使い手であると推測された。

 誠也は、家出をしたあの日、元水柱だった主の刀(・・・・・・・・・)と共に消えた。つまりそう言うことだ。担当の刀鍛冶と刀の確認をし、確信へと至った。本来なら、親として子を守るべき立場にあるが、主には、心当たりがあった。

 誠也は、刀の才がなかった。呼吸を使うことが出来ず、最終選別に行く許可を下ろすことは出来なかった。

 だから、父である主は、剣士になるのは諦めるよう促した。家は、次男の玲士(れいし)に継がせる、そう誠也に伝えた。次の日だった。誠也は刀と共に家を出た。

 

 

3

 門衛に通された誠也は、主の待つ客間に通された。襖が開くと、久々に親子が対面した。あることに気付いた主は、悟られないように、出来るだけ平常心を取り繕う。

 

「元気そうだな、誠也」

「お父様も、お変わりないようで安心しました」

隊服(・・)、似合っているじゃないか」

「ありがとうございます」

 

 主は、少し照れ臭そうに笑う息子が恐怖でしかなかった。気配が鬼のそれだったからだ。しかし、鬼ならば、藤の花のお香が焚かれた、この屋敷に入ることは出来ないはずだ、屋敷内に裏切り者が居るのだろうか。息を飲み、主は頭を下げた。

 

「すまなかった。お前に、きつく当たってしまったことを許して欲しい。戦場で、子が死ぬのを見たくなかったからだ」

 

 誠也から笑みが消え、目付きが鋭くなり、青筋が額に走った。

 

「ふざけるな!! 今さら何なんだよ!! アンタが、あの時に謝ってりゃ──」

 

 突然、誠也は、手の平で口元を抑えると、吐き気に耐えるかのように、肩を大きく上下させた。普通の状態ではない、誰が見ても明白だった。

 

「お母様は、お元気ですか?」

「・・・・・・母さんは死んだよ」

「死ん、だ?」

「お前が出て行った後に、母さんが病んでしまってな。玲士は、反抗的になるし、私も疲れてしまって、それで悪化して自殺を」

 

 誠也は、これ以上の怒りを抑えることは出来なかった。殺意に満ちた鋭い目が再び主に向けられる。

 

「アンタのせいだ。全部アンタのせいだ!!」

「本当に申し訳ないと思っている。だから、誠也、これからはもう好きに生きて良いんだ。お前を縛ったりはしない」

「好きなように生きろ? 人の人生を滅茶苦茶にしやがって、綺麗ごと言うんじゃねぇぇ!!!!」

 

 絶叫。周囲の音、空気、時間さえも一瞬止まったのではないだろうかと錯覚するほどの支配力に、主の危機感は急速に高まる。誠也の視線の定まらない瞳と何かに耐え忍ぶ姿を前に、次の一手へ動く。 

 

「の、喉が渇いただろう、何か持って来よう」

 

 主は、廊下に出た。待機をしていた、側近から刀を受け取った。鬼を斬るための刀だ。

 

「あれは鬼だ。長い夜が始まるぞ。それと、門衛を捕らえろ。裏切りか、あるいは血鬼術を使われた可能性がある。鬼殺隊本部にも連絡を入れてくれ」

 

 その時、背後で声がした。気配を感じなかった。

 

「やっぱり、気付いて居たんですね」

 

 誠也だった。

 

「せっかく、隊服を着て来たのに。認めてくれないんですか。ほら、美しい刀でしょう?」

 

 腰の鞘から刀を抜くと、軽く振って見せた。しかし、その刀は折れていた。

 

「止めてくれ。子に刀は向けたくない」

「元柱とは思えない発言ですね。今さら、父親ぶったところで、何も変わりませんよ。今宵、僕が次期当主だと認めて貰いますから」

 

 

4

 息苦しさを感じ、玲士は目覚めた。兄の誠也だった。そこに、感動の再会はなく、玲士の腹に馬乗りになり、無言で、首を絞め続ける。

 

「や、め・・・・・・て・・・・・・」

 

 必死に抵抗を試みるが、首を絞める腕はビクともしなかった。これが、三個の年の違いなのだろうか。いや、それだけではない。それ以上に人間離れした何かを玲士は感じた。

 

「兄ちゃ、ん・・・・・・」

 

 絞り出した声に、獣の様な眼光に迷いの色が走る。

 

「お前さえ・・・・・・居なければ・・・・・・」

 

 顔を歪ませ、誠也は腕を震わせるが力は緩まない。もう駄目だ。死を覚悟し、瞼を閉じた瞬間、玲士の頬に水滴が落ちた。

 直後、誠也が悲鳴を挙げた。同時に苦しさから解放され、勢いよくむせ込んだ。必死に酸素を肺に取り入れる。 

 

「大丈夫か!?」

  

 二人の間を割るようにして、立つのは主。玲士を自身の背に隠し、血の付いた刀は誠也に向け構える。

 

「アイツは、鬼だ。生き残ることだけを考えろ!!」

 

(────鬼?)

 

 それは、玲士が小さい頃から、言い聞かせられて来た言葉だった。教えを受けて来たとは言え、十三の年になったばかり、実戦経験もなければ、鬼を見るのもこれが初めてだ。到底、今の状況を受け入れるだけの心身は持ち合わせていない。

 頬に感じた、ぬめっとした感触に無意識のまま手の甲を伸ばす。拭った甲に残るのは血の跡。兄、誠也の血だ。玲士は、本物にしか見えない血から目が離せなかった。  

 

「何で・・・・・・」

「玲士!! 前を見ろ!!」

 

 主の言葉で現実に引き戻された。顔を上げると両者は対峙していた。誠也には先ほどの獰猛さはなく、顔を下に向け、何やらブツブツと口を動かしている。

 

「どうした誠也!! まだやるか!?」

 

 主の挑発に、誠也は、ハッと顔を上げた。そして、何かに怯えるように、襖を破り、部屋を飛び出した。その背中には、鬼殺隊の隊服の象徴とも言える滅の文字が真一文字に破られていた。

 心臓の鼓動が自身の内側から、未だに耳へと響く中、少しずつではあるが玲士は冷静さを取り戻して行く。

 

「と、父さん・・・・・・」

 

 か細い声が主に投げ掛けられた。二人の親子関係は良好と言えるものではなく、玲士は誠也の家出をきっかけに主を避けるようになった。言葉を交わすのはいつ振りだろうか。

 

「全て、私の責任だ」

 

 主は、玲士の頭に手を乗せた。

 

「すまない。父親らしいことを何もしてやれなくって。毎日、辛かっただろう。鬼の存在は無くなりはしないが、これから時代は、目まぐるしく様変りするだろう。好きなように生きろ。私の後を追う必要はない」

 

 優しさ、悲しみ、様々な感情が入り交じった表情だった。

 

「前に話したことがあっただろう。父さんが小さい頃に、父さんの父さんと母さんは戦争で死んじゃったって」

「・・・・・・うん」

「本当は暴力や人の血を見るのは嫌いなんだ。でも、玲士や兄ちゃんと違って、学校にちゃんと通ってなかったし、親戚も居ないし、毎日を生きることに必死でな。父さんは、周りと比べて背もあって、力も強かったから、お金を稼ぐために鬼狩りになったんだ。だから本当は、いつ死ぬか分からない戦場に玲士と誠也を送り出したくない。鬼狩りなんかになって欲しくないんだ」

「何を言っているのか、よく分からないよ・・・・・・」

「厳しくされて辛かっただろう。お前の人生はお前のものだ。これからは、自分で自分の道を決めるんだ。良いな」

 

 玲士は、主の言葉を理解し切れずに放心していると、壊された襖から、主の側近が飛び込んで来た。

 彼は、鬼殺隊の元隊士。左目は眼帯で覆われている。現役時代、鬼との戦いで視力を失い引退、以降は主の側近として働いていた。

 

「旦那様!! 誠也様は、屋敷外。南東方面に逃げたとの情報あり!! 門衛は、庭で気を失っているところを発見しました!!」

「そうか・・・・・・」

 

 ひと息付いた主は、目付きが変り、荒げた声を上げた。 

 

「屋敷内の警備を強化!! 被害者を出す前に我々で仕留めるぞ!!」

 

 その言葉に無意識の内に玲士は、主の羽織を掴んでいた。今、動かなければ、後悔すると思ったからだ。

 

「ねぇ、父さん」

「お前は、駄目だ。屋敷内で待機。これは、当主命令だ」

「・・・・・・はい」

 

 自然と涙が頬を伝った。

 

「泣くな。待機も立派な仕事だ。屋敷の皆を頼むぞ」

 

 真っ直ぐ見つめる主の曇りなき瞳に、玲士は肯定せざる得なかった。信じて待て──そう言うことだろう。意を決し、背筋を伸ばし、頭を下げた。

 

「武運長久を祈っております」

「ああ。では、行って来る」

 

 穏やかな微笑みを残した主。鬼と言えど、実の息子を手に掛けることを決めた覚悟の現れなのか、あるいは、隠し通して来た思いの丈を玲士に告げることが出来た充足感なのか。実のところ、本人にも分からなかった。

 そして、玲士は子供ながらに、あの人はもう帰って来ない。もう会えないことを悟った。




東衛玲士
衰退の一途を辿る鬼狩りの家の次男。刀を取り鬼殺の剣士となる弟の方。兄の家出は父のせいであると決め付け、鬼狩りになる鍛錬を放棄していたが、母の自殺を境に、人目を忍び我流で鍛錬を再開した。だが、父にはバレていた。

東衛誠也
衰退の一途を辿る鬼狩りの家の長男。刀の才がないことに絶望し、鬼となった兄の方。長男故に、家の再興と鬼狩りにならなければならない使命感、罪なき命を守りたいと言う正義感が、鬼の手に落ちる引き金となった。


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第02話 ケジメ

1

 東衛玲士(とうえいれいし)の朝は日の出と共に始まる。

 顔を洗い、着替えを済ませ、始めに行うのは柔軟。怪我の防止と可動域を広げるため、ゆっくり時間を掛ける。次に、走り込み。足腰の強化だ。短い距離を全力で走り、瞬発力を鍛える。そして、最後は持久力を付けるために、屋敷の外周をひたすら走る。時折り、すれ違う近所の人と挨拶を交わすのも日課だ。 

 何周走っただろうか、玲士の額からは汗が滲んでいた。真っ直ぐ前に向けていた顔を空に向けると、広がるのは、梅雨空。いつ何時、雨粒を落とし出しても不思議ではない灰色の雲。早く走り終えて屋敷に帰ろう、そう頭の片隅で考えた時、あの日の夜が脳裏を過ぎった。

 

「・・・・・・・・・・・・」 

 

 突然、蘇った記憶に憤りを感じながらも、邪念を払うように、足に力を込めると、走る速度を加速させた。

 玲士は、雨が好きじゃなかった。特に夜の雨は苦手だった。 

 あの日の夜、二年半前────東衛家の当主だった玲士の父は、鬼となった兄、誠也(せいや)との衝突の果てに帰らぬ人となった。同行した屋敷の者の報告によると、主は、誠也を生きた状態で取り押さえようとした。他の者の手出しは許さず、一人で向かって行ったとのことで、もし諦めて斬っていれば、死ぬことはなかっただろうとの話である。

 玲士の中で疑問だった。鬼の誠也を取り押さえたところで、どうする気だったのだろうか。人間に戻す術があったのだろうか。鬼のまま、部屋に閉じ込めておくつもりだったのだろうか。親として子を助けようとしたのか、守ろうとしたのか。今となっては、その真意は誰にも分からない。

 走り終えた玲士は、門を潜り屋敷の敷地へと戻る。世話役の青年に出迎えられると、手拭いを差し出された。

 

「ご苦労様です」

「ありがとうございます」

 

 手拭いを受け取り、汗を拭う。

 

「こうして、玲士さんのお付きが出来るのも終わりなんですね」

 

 世話役は今にも泣き出しそうな顔をしていた。玲士は鬼殺隊の任務に就くため、家を離れることが決まっていた。最終選別合格の証である刀が届いた時が、その旅立ちの合図となる。

 

「そんな大げさな」

 

 玲士は苦笑いで答えた。

 

「次に帰られる時は、奥様になられる方と一緒の時でしょうね」

「結婚か・・・・・・俺は見合いだろうな」

「恋愛結婚に御興味はないんですか? 最近は、その様な形の結婚も珍しくないと聞きます」

 

 玲士の両親は見合いだった。今は亡き先代の当主だった父は、元柱で婿入りをしている。母は東衛家の生まれで、子供の頃、鬼殺の剣士になるための稽古を受けていたが、呼吸の習得が出来なかった。とどのつまり、政略結婚である。自分も同じような形になるのだろうと、やんわり考えていた玲士の頭の中に恋愛結婚の文字など無かった。

 

「うーん。そう言われてもな・・・・・・」

 

 頭を傾け困った顔で答えた。今さら問われたところで、玲士は、女性や恋愛に特別な興味は無く、誰かを愛し誰かに愛されるなんて、本の中の絵空事にしか思えなかった。

 

「玲士さんなら選り取りみどりではないですか。端正なお顔に、東衛の家柄もありますし、女性から恋文をよく頂いているのが何よりの証です」

 

 目を輝かせる世話役の熱弁に気圧される玲士であったが、整った目鼻立ちをしているのは確かだった。派手さは欠けるが、大正の世においては高い身長と英語の読み書きをこなす知力が名家の出に箔を付け、異性からの好感に繋がっていたことを本人は知る由もない。

 

「それを男に言われてもな」

 

 ジト目で一別し、屋敷の屋内へと戻る。 

 

「あ、それと、客人が来ております」

 

 世話役は思い出したように言った。

 

「客人?」

 

 早朝から人の家に上がり込む失礼な奴は誰だろうか──考えるまでもなく、人の都合などお構いなしの知り合いがいたのを直ぐに思い出した。最終選別から二週間、そろそろ刀が届く頃だ。

 

「はい。刀鍛冶の西越(にしごえ)様です」

 

 《西越(にしごえ)》────京都の名家で、東衛と同一の先祖を持つとされる刀鍛冶の家。端的に言うと、親戚である。鬼殺の剣士が持つ刀はもちろん、料理包丁を始めとする刃物類を得意とし、宮家や華族に献上するほどの腕前を持つ。

 

 

2

 客間の襖を開くと、自分の家かのように茶碗の白飯を頬張る男が座っていた。玲士は呆れるしかなかった。身内と言えど、こんなにも遠慮と言う言葉を知らない大人が居るものだろうか。

 

(しゅう)さん、朝早くにどうも」

 

 声を掛けると、茶碗から離れた顔が玲士に向けられた。

 

「ああ。気にするな」

 

 色黒の角張った顔が無邪気に笑う。気にするのは、お前の方だろうと突込みたいところだが、担当の刀鍛冶(・・・・・・)にそんな口を聞けるはずもなかった。

 

「刀を持って来て下さったんですよね?」

「まあな。叔父様は元気か?」

 

 目的を放っておいて、周が口にしたのは違う話題だった。

 

「はい。毎日、大変そうですけど」

 

 叔父とは、玲士の母の弟である。母と同様に呼吸の習得が出来なかった叔父は東衛の経営面を引き継いだ。仕事に手広いのは血筋なようで、東衛は西越の刃物類を小売業者に卸す卸売業に携わっていた。

 東衛の血統が落ちたと叫ばれ、数十年。一族が受け継ぐ《(あお)の呼吸》の習得の難しさが要因と言える。水の変幻自在な動き、雷の素早さ、風の荒々しい斬り技を混ぜた、東衛独自の呼吸法だ。

 元々は、腕のある刀鍛冶を守るために、西越家の先祖が自衛のために取り入れたものだった。それを引き継ぎ、発展させた者たちが分家となり東衛を名乗ったのである。

 

「だろうな。商売と当主代行の任を一遍に任せられたら、俺なら逃げ出すぜ!!」

 

 残された本家の跡取りの玲士が未成年のため、名ばかりの東衛の当主代行を叔父が務めていた。

 周は、玲士より一回り歳上だが、玲士を歳下だからと、見下したり、気を使ったりすることはない。いつだって、西越家次期当主は、玲士を東衛家次期当主として対等に接する。ふと、緩んでいた顔が真剣な表情に変わり、低い声が出た。この強面な雰囲気が本来の姿である。

 

「それより、あの話どう思う?」

「鬼殺隊の隊服に、折れた刀を携える鬼。通称、折れた刀の剣士。兄は、誰よりも鬼殺隊に入ることを望んでいましたから、十中八九、本人と見ています」

 

 折れた刀の剣士は、鬼殺隊の中で話題になっていた。稀に、鬼の手に堕ちる隊士はいる。そうなると、何処の誰が鬼になったのかと言う噂が、隊士の間で広がって行く。そして今回、姿を暗ましていた誠也に関する情報が初めて上がったのだ。当然、東衛と西越は立場上、身内が鬼になったなど、到底、表に出せない話だ。余談であるが、隊士殺しの件は盗人による強盗殺人事件として、決着が付けられていた。

 

「そりゃあ、上はギスギスしてんだろうな」

 

 周は、楽しむように黒い笑みを浮かべる。

 鬼殺隊は、政府非公認の組織である。鬼殺隊を束ねる産屋敷家の力があるとは言え、結局は、金がものを言う世の中だ。引退した隊士を政府役人の護衛に派遣し、資金を得るための人脈作りを始め、藤の花の家紋の家の援助を受けたりもしているが、それだけで鬼殺隊の運営は維持できない。打倒、鬼舞辻無惨。即ち、同じ志を持つ家の協力が何よりも欠かせない。

 鬼狩りと刀鍛冶としての実績は元より、経済的に余裕のある東衛家と西越家は、鬼殺隊において、水面下では、それなりの強い立場(・・・・)に居るわけだ。付け加えると、引退後の隊士の働き口の受け皿にもなっていて、あの産屋敷も頭が上がらない。しかし、隊の中で情報共有したいことも、上手く行かない場合があるのは、そう言った大人の事情があるからだ。

 

「あまりそう言う話は・・・・・・」

「良いんだよ。そうやって世の中は回ってんの」

 

 周は、味噌汁の入った茶碗を取ると口に注ぎ込んだ。

 

「・・・・・・」

 

 人の命を守るため、死ぬ覚悟で鬼を斬る組織も、結局は社会に縛られている。金と権力から逃れることはできない。早くに両親を亡くし、大人にならざる得ない環境の中で育った玲士は、この世界が残酷で汚ことをよく知っていた。

 

「良い加減慣れろって」

「分かっています」

「・・・・・・なあ、斬れんのか?」

 

 心配の目が向けられた。周に『お前には、無理なんじゃないのか?』と無言で、そう言われているように玲士には思えた。

 最終選別合格の報告のため、京都の西越家を訪れた時のことだった。鬼殺隊の中で噂となっていた、折れた刀の剣士の捜索と早期抹殺を西の主が玲士に命じたのだ。

 

「もし互いに生きて会うことがあれば、そのつもりです。兄は、人を殺めていますから。それに、鬼を人に戻す術がない以上、法で裁くことも難しいでしょうし」

「あ、御代わり良いか?」

 

 空になった茶碗を玲士に見せ、白飯の御代わりを要求した。すっかり周に流されて、食べ終わった頃になり、やっと刀の話に戻った。

 

 

3

 二人は東衛家屋敷内にある道場へと移動した。

 

「よし、良いぞ」

 

 周の合図で、玲士は刀を鞘から引き抜いた。銀の鋼が刃元からみるみる色が変わって行く。刃は、深い緑がかった青色にと変化した。

 

「錆納戸か。青の呼吸の適正色だな」

 

 その言葉に玲士は胸を撫で下ろした。

 

「少し振ってみろ」

「はい」

「重くはないか? 握りはどうだ?」 

 

 刀を使う者の立場を理解しなければならない、その信念から周は剣術を習っている。呼吸は使えないが、一般人としては、それなりの腕を持っていた。

 

「少し重たい感じがありますけど、慣れると思います。握りは問題ないです」

「刃を通常の刀より長めにしたからな。お前の身長なら、それくらいで良いと思ったが・・・・・・」

 

 玲士の目線は、平均的な身長である周より少し高い位置にある。身長が高ければ、その分、手足は長くなり、筋肉量も多くなる。体格が良いとは言えないが、特別細身と言うわけでもないので、問題ないだろうと思い周は叩いたのだ。

 

「周さん、ありがとうございます」

「次は、長さは変えずに、軽くするか・・・・・・」

 

 手を顎に当て、周は思考の海に浸っていた。「刃を薄く、いや耐久性を考えると──」などと、ぶつぶつと口を動かす。

 

「あの周さん? 俺、これで大丈夫ですよ?」

「ん、ああ。何かあったら鴉を飛ばしてくれ」

 

 手をヒラリと流し、刀鍛冶の里へ帰って行った。

 

 

4

 両親の位牌が置かれた居間で、玲士は正座をしていた。鬼殺隊の隊服に着替え、これから、鬼殺の剣士として歩み出すことを報告していた。

 

「刀は、錆納戸になりました」

 

 玲士は、頭を下げた。鬼狩りを志したのは、東衛のためではない。鬼狩りとしての成功を願った母のため、鬼狩りに生涯を捧げた父の生きた証を残すため、鬼狩りを志した兄の夢を守るためである。何より、鬼狩りを否定すことは家族を否定することになる──好きだった家族を玲士は否定したくはなかった。

 乱暴に襖を叩く音がする。叩くと言うよりは叩き付けると言った方が正しいかもしれない。

 

「入って良いよ」

 

 その後に、一羽の黒い鴉が入って来た。

 

「準備は出来たか?」

 

 鬼殺隊の任務に付く当たり、伝達係として付けられた人の言葉を話す鴉。元々は、東衛と産屋敷を繋ぐ伝書鳩ならぬ伝書鴉だったが、この度、めでたく鎹鴉となった。亡き主が、鳶丸(とびまる)と名付け、よく可愛がっていた。

 

「うん、行けるよ」

「羽織は着ねーのか」

 

 鳶丸は首を傾げる。隊服の上に羽織を合わせる隊士は多い。洒落っ気のない隊服に個性を出せることができ、人目を引く背に大きく縫われた滅の文字や取締りの対象となっている刀を隠すこともできる。

 

「俺に着る資格はないよ」

 

 東衛家には、剣士だけに与えられる羽織があった。しかし、玲士は着る気になれなかった。自分には、鬼狩りの家に生まれた誇りも使命感も持ち合わせていない。そう思っていた。

 

 ────誠也を殺し、自らを殺す。

 

 それが、玲士の今を生きる理由だ。

 

「つまんねーな」

「それじゃあ、行こうか」

 

 刀は竹刀袋にしまい、金を上着の内ポケットに突っ込んだ。鬼を斬るには、これで事は足りる。

 屋敷の門の前では、見送りの親族に挨拶をした。

 

「お世話になりました。行って参ります」

 

 玲士は、漆黒の隊服に身を包み刀を携え、十五年過ごした家に別れを告げた。




東衛玲士
今代の青の呼吸の使い手。鬼となった兄を殺し、自らを殺すため、鬼狩りとなる。父の死後、産屋敷家から数度、育手を紹介する申し出の手紙が届いていたが、全て断っている。我流と元隊士の屋敷の使用人を相手に己を鍛えた。

西越周
鬼殺隊の創成期より続く、刀鍛冶の家の人間で、玲士の刀を打った張本人。名家の出を疑う、口の悪さと態度の大きさを兼ね備えた厚かましい男。彼が疎まれないのは、刀鍛冶としての腕と誰に対しても公正公平に接するからだろう。

鳶丸
東衛家の元伝書鴉。今は、玲士の鎹鴉を務める。


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第03話 鬼狩り

1

 玲士(れいし)が鬼殺の任務に就き、早二ヶ月。小物の鬼であれば一人で、何人もの人を喰べている強力な鬼であれば、先輩と組んだり、数人で班を作ったりし、任務に臨むこともある。玲士は、持ち前の成長力と身体能力で、大きな怪我をすることもなく、鬼の討伐数を順調に延ばしていた。

 

「おい、そっちに行ったぞ!!」

 

 遠くで同行中の先輩隊士が叫んだ。玲士は、左手に刀を握り、山の中を駆ける。身に纏うのは、詰め襟のある鬼殺隊の黒の隊服。学生の学ランを想起させる風貌であるが、学生服と大きな違いが一つある。背に白で大きく縫われた《滅》の文字だ。それに玲士は、焦げ茶のブーツを合わせて履いていた。草履は機能性が悪い──途中で脱げる可能があり、安全性に優れないため、守りとしては薄手でと言える。

 

(見つけた)

 

 右前方、空気の揺らぎが違う場所がある。遠目でも分かる人間とは掛け離れた姿。鬼だ。玲士は、深く深呼吸をする。

 

 《全集中の呼吸》────体中の血の巡りと心臓の鼓動を速くし、体温を上昇させ、一時的に身体能力を驚異的に上げることが出来る技法である。そのためには、肺を大きくし、血に多くの酸素を取り込む必要がある。

 

 こちらに気付いた鬼が、口を大きく開け叫んだ。

 

「────────!!!!」

 

 咆哮の後、音が消えた。

 

(またか)

 

 人間にとって、聴覚は重要な機能だ。意思疎通をするための会話、見えない外敵の動き、あらゆる事柄を把握するのが困難になる。あいにく今宵は新月。おまけに、鬼は緑に近いような肌の色をしていて、森の中では紛れて発見が遅れる。四方八方、全方向からの攻撃に反応出来るよう意識を集中させる。左手に持つ日輪刀に自然と力が入った。

 

(横からか)

 

 地面から引き抜かれたであろう大木が、玲士を目掛けてブーメランのように向かって来る。周囲の木々をぶった切り、勢いが落ちることなく迫って来た。普通であれば、相当な音の大きさが出るはずだ。

 

(よっ)

 

 地面を蹴り上げ、ハードルを飛び越える要領で、フワリと宙に飛び上がり避ける。真下を大木が通り過ぎると、背後で振動と共に土ぼこりが舞った。側の木の枝に着地し、大木が投げられた方向に体を向け突撃を開始する。枝木を斬り落しながら、足を前へ前へと押し出し走り駆ける。やがて、遠くで、背を向け巨体を揺らし逃げている鬼を視界に捉えた。斬ってくれと言っているようなものである。ここまでの戦闘を振り返ると、音がないのは相手も同じようだ。

 

(────(あお)の呼吸、壱ノ型)

 

 頭上の右斜め上に刀身を構え、一気に速度を上げ、間合いを詰める。勢いのそまま鬼の頸に刃を下ろし振り抜いた。

 

青天落(せいてんお)とし!!)

 

 頸は地に落ち、肉体は灰と化して行く。

 

「キキタクナイ、キキタクナイ・・・・・・」

 

 鬼の言葉に音が戻ったことに気付く。この光景を目にする度に、玲士は言葉では言い表せない、やるせない気持ちが湧き起こった。鬼と言えど、元は人間だ。同情するつもりはないが、これまでに、何人もの鬼と対峙をして気付いたことがある。人間だった時の記憶が今の姿形、血鬼術に繋がっているのではないかと。ならば、かつての兄が隊服を着て刀を携えていることに説明がつく。

 

(報われない人生だ)

 

 灰は風に流されて、鬼は跡形もなく消えた。刀を振り、刃に付いた血を払い鞘へと戻す。

 

「おーい、倒したのか!?」

 

 共に任務に当たっていた先輩隊士だった。

 

「はい。運良く背を向けてくれたので」

 

 そして、思いっ切り背中を叩かれた。

 

「良くやったな、新人」

「ありがとうございます」

 

 もう一人の先輩が口を開く。

 

「変わった呼吸だったな。派生した流派か?」

 

 その言葉に息を飲む。これがあるから、合同任務は好きじゃなかった。隠すつもりはないが、呼吸の話になると、嫌でも家のことに触れることになる。だから、うやむやにする。

 

「はい・・・・・・たまたま育手がそう言う人で」

 

 背中を叩いた先輩が納得したように笑った。

 

「へぇ。結構、居るよな。俺なんて、一番多いって言われている水の呼吸だぜ」

「名前、東衛(とうえい)って言ったよな?」

「あ、はい」

 

 呼吸の話題を振った先輩は、それ以上の質問をして来なかったが、探るような視線を玲士に向け続けた。

 

「じゃあ、頑張れよ」

 

 他愛ない会話の後、先輩二人に頭を下げ、玲士は、次の任務へと旅立った。

 

 

2

 数日後。

 

「よし。今日は、こんなもんかな」

 

 玲士は刀を鞘に納め、隊服の上着の内ポケットから取り出したのはキセル。近くの丸太に腰掛け、口から出た白い煙の輪は三日月の浮かぶ空へ登って行く。

 移動日と非番を除くと、鬼と対峙しない日はない。

 見渡す限りに生い茂る、竹藪の葉の触れ合う音に耳を澄ませ、星の煌めく夜空を見上げる。ふと、最終選別を思い出した。

 

 ────共に合格した同期は、生きているのだろうか。

 

 鬼殺隊に入る者の大多数は、身内を鬼に殺されたことが志願理由だ。藤襲山で試験が始まった直後に、恐怖で動けなくなる者や震えの止まらなくなった者を何人も見た。愛する者を殺された憎悪の感情があれど、人の力を超えた鬼と戦うのは死と隣り合わせの行為だ。足がすくむのも当然であろう。

 対して自分は、どうだったか──高揚していた。間違いなく、気持ちは高ぶっていた。この時のために自分は、今まで生きていたんだとさえ思った。命のやり取りの中で感じる生の実感──それは鬼を斬った瞬間、途端に失われ、心は酷い虚無感に支配される。

 

「なーに、黄昏れてんだ、ガキんちょ」

 

 一羽の鴉もとい鳶丸(とびまる)が玲士の肩に止まり、口を開いた。

 

「いや、別に」

「別にって、俺様が心配してやってたんぞ!! 喜んで相談するのが筋ってもんだろーが」

 

 嘴が勢い良く玲士の頭に繰り返し刺さる。

 

「痛い、痛いって、刺さってるって!!」

 

 鳶丸の胴体を掴み出来るだけ距離を取る。頭は背け、涙目で訴えた。

 

「俺様は、お前が鍛錬を始める前から東衛の家で働いてんだ!! 先輩なんだぞ!!」

「分かった、分かったから」

 

 鳶丸を宥めて、何とか場を落ち着かせた。休憩を切り上げると、玲士と鳶丸は、今晩泊まる宿探しへと目的を切り替える。

 月明かりを頼りに一番近くの町を目指して歩みを進めていた。

 

 ────藤の花の家紋の家の世話にはならない。

 

 入隊時に、玲士が決めたことだった。鬼となった兄、誠也(せいや)の件しかり、自分が誰かに何かをして貰える立場にあるとは、到底思えなかった。そのため、野宿をすることも珍しくなかった。

 

「単独任務で討伐数は六体。合同任務では三体。うち二体は補佐ってとこか」

 

 頭上を優雅に飛び回る鳶丸。

 

「それって、どうなの?」

「新人としてはまずまずだな。一年目は大抵、鬼に喰われるか、怪我や恐怖で除隊すると相場が決まっている。何故だか分かるか?」

 

 バサバサと翼をはためかせ、玲士の目の前で問を投げ掛ける。

 

「えーと、経験不足?」

「ピンポーン。飛び抜けた才能がなくとも、経験と恐怖に打ち勝つ心があれば、鬼に対抗する策を見つけられると言うものさ。ま、十二鬼月には、そんな話は通用しないがな」

 

 ガハハハと汚く笑った。

 

「ん? 明かりが見えて来たぞ」

 

 遠くに見えた明かりの灯る町並みに、安堵の気持ちから口角が緩む。自然と足も早くなった。 

 

「空いてるか聞いてくるよ」 

 

 鳶丸を外に待機させ、最初に目に付いた民宿の門を叩く。すると、年配の女性が出て来た。

 

「あの、今夜、泊まりたいのですが」

「部屋は空いておりますが、今晩のお食事は終わってしまいまして、明日の朝食のみのお出しになります」 

「それで、構いません」

 

 寝床を確保し、腹ごしらえをするために、街へと繰り出した。

 

 

3

 玲士は、屋台や定食屋を物色していた。すると、ある店の前で、人だかりが出来ているのが視界に入った。人の往来の多い通りではあるが、つい気になり足を向けた。

 

「なめてんじゃねぇぇ!!!!」

 

 低い怒号と共に、男が飛ばされのが見えた。周囲では「喧嘩か?」と囁かれる。

 人混みを割って入ると、いかにも柄の悪そうな酔っ払い男が、前掛けを付けた店主の男を見下ろしていた。

 

「すいません。手が滑って・・・・・・」

「ざっけんなよ!! こっちは客だぞ、オラァ!?」

 

 酔っ払いが店主の胸ぐらを掴んだ。

 

 このままでは危ない、そう思い玲士は飛び出した。

 

「ちょっと待って下さい!!」 

「何だ、テメェ?」

 

 玲士を睨み付ける酔っ払いの着物の膝辺りには、何か食べ物を零したような跡があった。恐らく、怒りの発端なのだろう。

 

 ────玲士に喧嘩の経験はない。

 

 剣士として育てられたとは言え、社会的に見れば、家は裕福な部類。兄とはおろか、友達と取っ組み合いをしたこともない。飛び出した手前、逃げる選択肢はないわけだが、生身の人間と素手での殴り合いは気が引けるものがある。上手く交渉をしなければならない、玲士は思考を高速で巡らせる。が、店主が声を張り上げた。

 

「その人は関係ありません。気が済むのなら、私を殴って下さい!!」

 

 店主は、大声で酔っ払いに言い放った。

 

「良い根性だなぁぁ!!」

 

 酔っ払いはニヤリと笑みを浮かべると、拳を思いっ切り引いて振り抜いた。バシッと乾いた音が辺りに響く。

 

「ふん。金は払わんぞ」

 

 捨て台詞を吐き、その場を後にした。散って行く野次馬を横目に、玲士は店主に声を掛けた。

 

「あの、大丈夫ですか?」

「はい。たまに居るんですよね」

 

 慣れた様子で立ち上がると、店主は着物の裾を軽く払った。

 

「そうだ、うちで一杯飲みませんか? 巻き込んでしまいましたし」

 

 ご厚意に甘え、そのまま居酒屋にお邪魔することにした。

 

 カウンター席に案内をされ、目の前に出されたのは、漬物、茶粥、イワシの塩焼き、そして、おちょこ。

 

「えーと、これは」

「お礼です。うちの自慢の日本酒です」

「・・・・・・」

 

 酒には良い思い出がなかった。東衛家において、十五の歳は、最終選別に行く年齢。選別に合格すると親族らに挨拶周りをしなくてはならない何とも面倒な仕来りがあるのだが、その会合で玲士は初めて酒を口にしたのだ。

 翌日、見事に二日酔いの頭痛と共に綺麗に記憶がなかったのだ。同席した大人には、『お前は酒を飲まない方が良い、周りも迷惑だ』と、勧めておいて何なんだよと言う態度を取られたのは、つい数カ月前のこと。

 とは言え、全くの飲まないのも悪い──考えていると、背後から聞き覚えのある声がした。

 

「俺が貰おうか」

「杏寿郎さん」

 

 現れた青年は、炎柱の煉獄杏寿郎。炎を象った羽織が目を引く。東衛と同じく、鬼狩りを生業とする一族の出身で、兄の誠也とも面識があった。

 玲士の隣の空いた席に腰を下ろす。

 

「元気にやっているか? 玲士少年」

「はい。お久しぶりです」

 

 玲士は椅子から立上がり、深々と一礼をした。杏寿郎とは鬼殺隊に入る前からの知り合いだ。かつて、二人の父は柱として切磋琢磨した仲であり、そこからの繋がりだった。

 

「そうかしこまるな。あの件は考えてくれたか?」

 

 あの話とは《継子》の件である。継子とは、柱が育てる一般隊士を指し、優秀で見込まれた者しかなることが出来ない。入隊そうそうに、玲士は声を掛けられたのだ。ちなみに、扱う呼吸が同じでなくてはならない決まりはない。

 

「ありがたいお話ですが、今回はお断りさせて頂きます。自分なりの方法で頑張ってみたいんです」

「そうか。ならば精進あるのみだな」

 

 ハッハッハと大口を開けて笑った。

 

「そうだ、大将、俺もこの少年と同じものを頼む!!」

「はいよ」

 

 玲士は「そう言えば」と勢いに乗せられて、すっかり聞けなかった疑問をぶつけた。

 

「あの、この辺って担当されていましたっけ?」

 

 柱には、それぞれ担当地区と言うものが割り当てられていた。各地に腕のある剣士を配置することで、有事の際に柔軟に対応ができるようになっている。

 

「いや、していない。俺は、継子の返事を聞きに来ただけだ!!」

「え・・・・・・そ、そんなに前でしたっけ?」

 

 嫌な汗が背中を伝った。旧知の仲とは言え、最高位に就く柱と入隊して二カ月の新人である。つまり、天と地の差だ。

 

「ああ。なかなか返事が貰えないのでな」

「すいません、俺、せっかくのお話を先延ばしにしてしまって!!」

 

 身振り手振りで、必死に頭を下げる。

 

「気にするな。玲士少年は、将来、大物になるだろうな!!」 

 

 謝罪の後に、久々にしっぽりと二人で、夜を明かした。




東衛玲士
鬼殺隊の新人隊士で、職務は剣士。階級は癸。羽織は着ず、黒の隊服上下と刀を竹刀袋に入れて持ち歩くスタイル。機能面を理由に草履ではなく、ブーツを愛用。新しいもの好きで、良いと思ったら、直ぐに取り入れる性格。

煉獄杏寿郎
東衛家の一連の出来事を知る数少ない人物。玲士に継子の話を持ち掛けていたが、呆気なく振られてしまう。


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第04話 藤の花の家紋の家

1

 東衛玲士(とうえいれいし)は、強く思った。自身に落ち度があると、自覚があるほど、人に指摘された時、癪に障るのはない。

 玲士は、十日ほど前、鬼との戦いで右腕を負傷した。持ち歩いていた救急用品で応急処置をし、次の任務へ向かったが、苦戦を強いられたのちの勝利となった。利き腕ではないからと、怪我を甘く見ていたのが主な原因だが、結果的に、その戦いで肉体は限界に達し、自ら立てた誓いを早々に破ることとなった。

 残暑厳しく、太陽が容赦なくギラつく、昼下り。鬼が現れない日中は、次の任務地へ向かう移動時間に充てられることが多い。しかし、ある屋敷の一室に、玲士と鎹鴉の鳶丸(とびまる)は居た。断っておくが、非番と言うわけではない。

 

「言わんこっちゃねーな」

 

 鳶丸は、呆れ口調で主人である玲士に言い放った。対する本人の言い分としては、町医者に診てもらう算段であった。だが、不運にも診療所を構える規模の町が近くになく、泣く泣く《藤の花の家紋の家》を訪ねたのだ。

 

 《藤の花の家紋の家》────過去、鬼狩りに命を救われた一族である。恩義を忘れず、鬼狩りであれば、寝床や食事の提供、医者の手配など、無償で尽くしてくれる。

 

「聞ーてんのか?」

 

 背を向け、布団で横になる玲士に投げ掛けるも、先ほどから全て一方通行に終わっていた。

 

「藤の花の家紋の家には、世話にならねーって、豪語していた馬鹿は、何処のどいつだー?」

 

 そう、人に指摘されることほど、癪に障るものはない。自身に落ち度がある(・・・・・・・・・)と自覚があるものは。この場合、鴉にも適用されるのだろうか、そんなことを頭の片隅で考えつつ、玲士は、冷たくあしらう。

 

「仕方ないだろう」

「なら、蝶屋敷に行くか?」

 

 《蝶屋敷》────薬学に精通する、蟲柱・胡蝶しのぶが運営をする隊士専用の治療院。鬼殺隊の予算で賄わているため、診療を受ける隊士は出費の必要がなく、鬼の血鬼術に対する治療も行われており、多くの者が足を運ぶ。

 

「それ、は・・・・・・」

 

 玲士は、蝶屋敷に足を運んだことはないが、情報として、そう言った場があることは知っていた。

 

「本当、面倒くさい奴だな」

「余計なお世話だよ」

 

 体を起こした、玲士の右腕は吊られている。家の人が、治療のために医者を呼んでくれたのだ。結果は、全治三週間。その言葉を律儀に守るのならば、あと二週間は、布団の上に居なければならない。再びゴロりと布団に寝転がり、鳶丸に背を向けた。

 

「ここの家の人、優しいよな」

「ま、藤の花の家紋の家だからな」

 

 静かに時は過ぎる。部屋の音は寝息だけだ。

 

「・・・・・・・・・・・・」

「何だ、寝ちまったのかー?」

 

 日は傾き、夕暮れを迎える。人の話し声で、玲士は目覚めた。

 

「何か、騒がしいな」

 

 布団から立ち上がり襖を開けると、廊下で家の者たちが慌てた様子だった。

 

「あの、どうしたんですか?」

「孫の千恵(ちえ)が帰って来なくて」 

 

 答えたのは、白髪頭の老婦人。この家へ来た時、玲士と同じくらいの年の孫娘が居ると話してくれた。千恵は、隣の村に買い物へ出掛けたらしいが、いつも家に帰って来ている時間をとっくに過ぎていると言う。

 

「俺が探して来ます」

 

 もう夕暮れ時である。時期に奴らは動き出す。

 

「で、ですが、腕が」

「大丈夫です。疲れは取れましたから」

 

 玲士は、浴衣から隊服に着替えると、刀を片手に屋敷を飛び出した。

 

 

2

「おい!! 腕、治ってないんだろー?」

 

 怪我などお構いなしに走る、玲士の背を鳶丸は追っていた。

 

「治ってはないけど、良くはなってるよ」

「無茶はすんなよ!!」

「分かってる」

 

 教えられた道を辿る。何処かで、怪我をしたのか、事件に巻き込まれたのか、それとも鬼の仕業なのか。

 

「──さっきと同じ道だ」

 

 隣の村へ繋がる道は一本道である。地面の土は行き来する人の足によって踏み固められ、そこを避けるように雑草は、行儀良く街道を彩っていた。何処を見ても差を感じない風景であるが、全く同じ風景は存在しない。刀を引き抜き、強襲に備える。僅かな変化も見落とさぬよう、意識を集中させ、慎重に足を運ぶ。

 

(人?)

 

 少し先に、しゃがみ込む人影が見えた。体格と着物から推測すると、恐らく若い娘であろう。孫娘の千恵だろうか。しかし、近付くにつれて空気の揺らぎが強くなる。

 

「大丈夫ですか?」

 

 警戒は緩めず、娘に声を掛けた。

 

「お前を喰べたら、元気になりそうじゃ」

 

 顔を持ち上げた娘は、酷く歪んだ醜悪な笑みを浮かべた。直後、玲士は背後からの気配に振り向く。トゲのあるツルが首筋を掠めた。直線に切られた傷はパクリと開き血が流れ出る。そのまま後ろにステップを踏み、急いで距離を取った。刃を鬼に向け、次の攻撃に備える。

 

「良く避けたのぅ」

 

 女の鬼だった。

 

「か、体が・・・・・・」

 

 鬼は、人の姿をしているが、木のように足から根を這っていた。周囲の木々は、風がないのに、意思を持つかのように不気味にカサカサと葉の音を響かせる。

 

「アンタが人さらいの犯人か?」

「人さらいとは何のことじゃ?」

 

 鬼が白い細腕を持ち上げて、手の平を玲士に向かってかざした。すると、地面からツルが勢い良く放たれた。ムチのように、曲線を描き踊りながら迫る──正面、右、左、と刀を振り切り落とすが、ツルの数は増え、次第に攻撃を避け切れなくなって行く。一度、待避しよう、そう思い、玲士は、森の中に飛び込む。

 

(持久戦だと、分が悪いな)

 

 玲士の右腕は完治していない。左手に持つ刀を振る度に、右腕には鋭い痛みが走る。この勝負、長引けばそれだけ不利になる。

 

「近付く方法を探さないと」

 

 あのツルをどうにかしなければ、鬼の首に刃は届かない。思考を巡らせながら、出来るだけ遠くへと逃げる。

 

「────!?」

 

 目の前の光景に言葉が出なかった。木の枝に、何人もの人がぶら下がっていた。首元は、ツルで縛られていて、まるで首吊り自殺のような格好だ。

 玲士は、しゃがみ込み呼吸が乱れて、息も上がる。首は苦手だった。自ら命を断った母の変わり果てた姿、兄に首を絞められ殺されそうになった時の記憶が呼び起こされる。

 

(大丈夫、大丈夫)

 

 深く息を吸って吐いてを繰り返す。まとわりつくのが嫌で、いつも開けている隊服の首元のホックを、さらにもう一つ、下のボタンを外した。

 

「ずいぶんと、余裕じゃなぁ」

 

 鬼の声がした時には遅かった。

 

「ぐ、ああああっ!!」

 

 右腕にツルが絡み付き締め付けられる。

 

「動きが変だと思うたら、そう言うことか」

 

 ニタニタと笑みを浮かぶ。このままだと、腕を引きちぎられる。そう予感し、玲士は、酸素を一気に体内に送り込む。

 

(────(あお)の呼吸、弐ノ型)

 

(らい)(こう)!!」

 

 刃は青の光を纏うと、一瞬のうちに、右腕のツルを斬り落とした。間を置かず、速度を上げ、一気に攻め込む。向かい合うように繰り出されるツルを連撃の斬り技で振り払い、間合いを詰めて行き、鬼の頸を目掛けて刃を真一文字に振り抜いた。

 しかし、感触が軽い。そう、玲士が斬ったのは、鬼ではなく大木だった。目の前で、一本の木が斬り倒された。

 

「惜しいのぅ」

 

 鬼は余裕の笑みを浮かべる。

 

「血鬼術か」

 

 この街道と森は、足を踏み入れた者の空間認識を狂わせる。普通の人間であれば、迷う。そして、人の姿をした鬼と遭遇し、助けを求めようと近付いた時に、トゲのあるツルに襲われるのだ。

 玲士の額から汗が流れる。右腕は、もう力が入らなかった。ズキズキと深い痛みだけが残される。

 どことなく植物のツルが蛇のように地面を這い、今か今かと様子を伺う。

 だが、やらなければ誰も守れない──気持ちを入れ直し、刃を鬼に向ける。

 

「終わりじゃ」

 

 全部で十本。ツルが矢のように放たれた。今まで一番多い数だ。

 避け切れない──直感的に死が側にあることを感じた。しかし、刀を振るわなければ未来は変えられない。

 それは、一瞬の出来事だった。迎撃をする直前、突風の後、ツルが全て斬り落とされた。

 

「おーい、大丈夫か?」

 

 刀を構えた仁王立ちの若い男は、顔を軽く捻り、緊張感のない声で、玲士の安否確認をする。

 

「ここは任せろ。その代わり、彼女を頼む」

 

 辺りを見回すと、少し離れた木の影に若い娘が見え隠れしていた。男が鬼狩りだと理解し、玲士は娘の元へと駆ける。

 

「千恵さんですか?」

 

 娘は静かに頷いた。玲士は、娘を背に隠す形で、男と鬼に視線を移す。

 

「き、貴様・・・・・・」

「なあ、『二兎を追う者は一兎をも得ず』って言葉は知っているか? 黙って、俺と彼女を見逃していれば、アンタの未来は違ったかもしれないな」

 

 鬼の目に焦りの色が走る。

 

「ち、違う──!!」

「話しは決裂だ。俺は、彼女を『家に帰す』と言ったんだ。でも、アンタは、見逃すことはしても、結界は解かなかった。大方、隙を狙って、また襲うつもりだったんだろう?」

「──死ね!!!!」

 

 ツルが束となり男に放たれた。

 対する男の刃は、真っ二つにツルを割いて行き、あっという間に鬼の頸を落とした。

 

「風の呼吸、捌ノ型。初烈風斬り」

 

 男の言葉の後、鬼は灰と化して行く。

 

「せっかくの血鬼術も、気配が大きければ台無しだな」

「何故じゃ、幸はただ──」

 

 時に鬼は、姿形を自身の望むものに変貌させる。

 玲士は、鬼の変貌に驚いた。

 

「お、男?」

 

 声は低く、体格も少し大柄になっている。姿は女だったはず、身に纏う着物は女物であった。

 

「許されなかったのだろう」

 

 鬼には目もくれず、それだけ男は言い残すと「帰ろう」と玲士と娘に声を掛けた。

 

 

3

 翌日。玲士は、朝食を済ませ、再度、医者の診察を受けた後のことだった。寝てばかりでは体が痛くなる、そう思い、縁側でキセルを吹かしていた時のことだ。

 

「昨日は、ありがとな」

 

 声の主は、昨日の鬼狩り。あぐらをかき、空を眺めていた玲士は立ち上がると、一礼をする。

 

「いえ。助けて頂いたのは自分の方です。ありがとうございました」

 

 昨夜の鬼の討伐後、玲士は、男と娘と共に藤の花の家紋の家へと戻った。命の恩人となった二人の鬼狩りは、家の者に涙の土下座で感謝され後に、体を休めることとなった。

 

(この人、まだ居たんだ)

 

 男に怪我をした様子はなかったし、とっくに次の任務へ向かったものと、玲士は思い込んでいた。

 

「あれ、歳いくつ?」

 

 向かい合う二人。男は、玲士の顔とキセルを何度か視線を往復させ、不思議そうな顔をして訊ねた。

 

「・・・・・・十五です」 

「真面目な顔してやるなぁ」

「来月で、十六ですけど」

「どっちにしろ、未成年だろ。君、名前は?」

 

 男は、一瞬、驚くも笑った。

 

「東衛です。東衛玲士」

朝地光明(あさじこうめい)だ」

 

 朝地は、はつらつとした笑顔を見せる。

 

「よろしく、お願いします」

 

 戸惑いつつ、玲士は軽く頭を下げた。朝地の雰囲気から何となく勘付いてはいたが、距離感の近い人間は苦手だった。特に馴れ馴れしい態度は、どう反応すれば良いのか困る。

 玲士は「失礼します」と、その場を後にしようとするも、そうは上手く行かなかった。

 

「俺は、十八で結婚したんだ。嫁さんとは十四からの付き合いでな。両親には勘当されたけど、嫁さんの親父さんの借金を返すために、鬼殺隊へ入ったんだ」

「そ、ですか」

 

 突然、始まった脈絡のない話。他人の苦労話ほど、どうでも良いものはない。

 

「君は何のために入った?」

「聞いて、どうするんですか」

 

 目を細めて、素っ気なく言い放つ。

 

「実は、東衛くんとは前から話してみたいと思っていたんだ」

「俺は、貴方に興味はありません」

 

 絶対的な拒絶を示した。目上の人間には、それ相応の態度は取って来た玲士だが、必要以上に自身の内に入り込もうとする者には、容赦はなかった。

 

「ひゅー。噂通りだな」

「噂?」

「生意気だって」

 

 朝地は変わらぬ笑みを浮かべる。

 

「・・・・・・」

「あれ、冗談だったんだけどなぁ」

 

 朝地は、苦笑いで、玲士の顔を覗き込んだ。世間的に見て、背の高い部類に入る玲士だが、目に見えて、朝地の方が長身で、肩幅もあった。助けられた時の朝地の背中を思い出し、それが父の姿と重なり、理由の分からない苛立ちが沸き起こる。

 

「喧嘩はしませんから」

「そりゃ、そうだ」

 

 それから数日。藤の花の家紋の家に居る間、ことあるごとに朝地は玲士に絡んで来た。今まで出会った隊士とは、違う人間だと言うことは理解できた。




東衛玲士
人並みより高い背丈と元柱である父親譲りの刀の腕を持つ。育ちは悪くないため、最低限の常識と社交性は持ち合わす。必要以上に他者と関わろうとしないのは、対人関係が苦手ではなく、警戒心が強いと言った方が正しいだろう。

朝地光明
人の懐へ容易く入り込む、マイペースな男。元々、鬼とは無縁の生活を送っていたが、妻の家の借金を返すべく鬼殺隊に入る。風の呼吸の使い手。人命優先を掲げ、鬼に背を向けることを厭わないことから、性格とは裏腹に敵が多い。


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第05話 鬼殺隊

1

 季節は移ろう。鰯雲が浮かぶ空の下、鬼殺隊の隊服を身に纏う二人の人影。秋は春と並び、鬼狩りにとって活動のしやすい気候である。

 

「じゃあ、始めようか」

 

 快活に話すのは、朝地光明(あさじこうめい)。おおらかで、面倒見の良い男である。鬼殺隊の十段階ある階級の最高位である《(きのえ)》であり、柱に最も近い男と称される実力を持つ。余談であるが、柱の打診を断り続けている(・・・・・・・)と言うのが、もっぱらの噂だ。

 

「よろしく、お願いします」

 

 正面に立つ玲士(れいし)は、ペコリと軽く頭を下げた。あの一件以来、二人は任務を共にすることが多かった。相変わらず、容易く人の懐に入って来る朝地に対し、戸惑いしかなかったが、何度も顔を合わせるうちに心が緩み、うっかり溢してしまったのだ。

 

 ────全集中・常中が使えない。

 

 それを聞いた朝地は、自ら教えると名乗りを上げ、トントン拍子に場が設けられてしまった。

 

「まずは、利き腕の左から行こう。何も持たずに腕を上げて」

 

 その言葉に従い、玲士は目を瞑り、腕を上げる。手の内を晒すなら、しかと習得をしなければ利に合わないと、自身を納得させる。

 

「深くゆっくり深呼吸して。急ぐなよ。筋肉の筋を意識するんだ」

 

 左腕のみに意識を集中をする。

 

「血液は、心臓から送られる。肩から順番に、腕、手、指先。少し呼吸が早いぞ。速度は一定間隔になるように。自分だけの呼吸の流れがあるはずだ」

 

 朝地は、隊士の中では兄貴分的存在だ。人に教えるのが上手く、下の階級の者からは慕われている。

 一方、朝地の掲げる人命優先に否定的な者もいた。常にリスクを回避した作戦、場合によっては、鬼と交渉し、手を引くことも珍しくなく、《甲》として相応しくないと陰口を言われることはよくあった。家族が生きているから自分の命が惜しいんだとか、覚悟が足りないだとか、金のことしか考えていないだとか、隊士の不満の矛先にされた。

 

「そこまで」

 

 朝地の合図で、玲士は息を上げた。時間にしたら、たかが数分だった。

 

「うん。筋は悪くないね。むしろ、それだけ出来ていれば、常中の会得は難しくないと思うんだけどなぁ」

「すいません」

「悪い癖だな」

 

 意味が分からず、俯かせた顔を持ち上げた。

 

「直ぐ謝るのだよ。初めから出来る奴なんていないんだから、良いんだよ。気にしなくて」

 

 顔をクシャっとさせ、笑う朝地に、玲士は返す言葉が見つからなかった。

 

「次は、右腕もやってみよう──」

 

 一日を通し鍛錬は行われた。

 

 

2

 玲士が鬼殺隊に入隊し、半年が経過した。

 十二鬼月ないしそれ相応の力を持つ鬼の前情報があった場合、高い階級の者が作戦責任者に任命される。戦場では、連携が何よりも重要であるため、責任者が指揮を取りやすい隊士を指名し作戦に加えることは、よくある話だった。

 そのため、上の階級の者に、二回、三回と、指名された下の階級の者は、将来を期待されているんだと思うことも少なくない。まして、相手が柱だった日には、継子候補ではと噂が流れるほどだ。実情として、個性派揃いの柱の継子になりたいと本気で思う者は、ごく一部である。

 曇天の空からは、大粒の雨が落ち続ける。小さな漁船の上には、数人の隊士か乗っていた。

 

(冷えるな)

 

 口からは白い息が漏れ出る。玲士が赴いたのは、ある漁村からほど近い川だった。深夜に船を出し、明け方、村に戻る深夜漁が盛んなこの村では、船が転覆する事故が多発していた。

 村人は、川の神の祟りだと、恐れながらも生活のために漁へと出ているらしい。古くからある村の伝説を鵜呑みにするならば、それは十年に一度の周期で訪れるもので、村人曰く、今は辛抱の時だと言う。

 

「お前が朝地の舎弟?」

 

 玲士に声を掛けたのは、今回の任務の指揮を取る、音柱の宇髄天元。宝石が散りばめられた額当てをした大柄な男だ。

 本来なら、悪天候の中、船を出すのは正しい選択ではない。しかし、他に船がなければ、確実に奴は狙って来ると踏んでの作戦だった。

 

「・・・・・・どう言う意味ですか?」

「そのままんの意味だけど」

「だったら違います」

 

 宇髄は「ほーん」と気のない反応だった。

 

「派手に喜べ。俺の補佐をやらせてやろう」

 

 現在の玲士の階級は下から三番目の《(かのと)》。玲士より、階級が上の隊士も参加している。

 

「本当ですか?」

「他の奴らは船酔いが酷いみてぇだからな」

 

 宇髄は、親指を立て残りの指を折り畳み、窓の外を指した。川に向かって嘔吐する者、座り込み顔色の悪い者が数人視界に入る。

 二人が居るのは、船内の中央に造られた休憩室。当初は、他の隊士も居たが、船の揺れに耐え切れなくなり、横殴りの雨と風が舞う外へ、一人、また一人と飛び出して行ったのだ。

 

「なるほど・・・・・・」

「俺一人で充分な任務だがな」

 

 見た目の派手具合は、自尊心に比例しているらしい。

 外から悲鳴と共に船が激しく揺れた。

 

「鬼!?」

「行くぞ、東衛(とうえい)!!」

 

 休憩室を二人は飛び出した。船の先に立つのは、鬼。半魚人と例えれば良いだろうか、鱗のような肌に、顔の隅にはギョロッとした目が付いていた。

 

「鬼、狩リ、カ?」

 

 宇髄が先頭に立ち、直ぐ後ろに玲士は控える。

 

「ああ、だったらどうするよ?」

「殺、ス」

 

 片言喋りの鬼は、宇随に指を指した。

 

「派手に、その言葉を返してやるぜ」

 

 背中の双刀を引き抜き、宇随は構える──しかし、鬼は船から川へと飛び込んでしまった。

 

「テメェ、逃げんじゃねぇ!!」

 

 船の上は、淡い光を灯すランタンが数個あるだけだ。気を抜くと簡単に背後を取られそうな薄暗さである。

 直ぐに時は訪れた。足元から突き上げるような衝撃。木が軋む音がし、何かが壊された。

 

「音柱様、後ろ!!」

 

 玲士は叫んだ。船の後方に穴が空き、船酔いを訴えていた隊士が、鬼に次々と川へと引きずり込まれていた。

 

「鬼、狩リ、殺ス」

「地味な真似しやがって!!」

 

 瞬きする間もなく、宇髄の刀は、隊士を掴んでいる鬼の手を斬り落とした。そこでは終わらず、頸に刃を向けたが遅かった。鬼は空いた穴から、再び川に潜り込んだ。

 

「俺が川の中に行きます」

 

 玲士は、状況を打破しようと、上着のボタンに手を掛けた。

 

「待て。闇雲に行動を起こすんじゃねぇ」

「ですが、早くしないと捕まった二人が。それに船だって」

 

 船は比較的、川辺から近い位置にある。だが、嵐の中を泳いで戻るのは容易ではない。

 

「この俺を誰だと思っている。天下の宇髄天元様だぞ」

 

 しかし、このままでは沈没は免れない。

 

「東衛。あとそこのお前、泳ぎは?」

 

 玲士は「大丈夫です」と答え、船酔いを訴えていた先輩隊士、村田の方に視線を向ける。村田は、顔色は悪いが静かに頷いた。

 

「村田は、捕まった二人を助けろ」

 

 宇髄は指示を出す。

 

「東衛は、俺が鬼の気を引いた隙に頸を狙え」 

「はい」

 

 傾いて行く船。気配なく、鬼は闇夜を斬り裂く。鋭利な先が玲士を捉えた。

 

「────!!」

 

 足場の安定しない中、刀で鬼の攻撃を振り払う。

 

「悪イ奴、嫌イ。鬼狩リ、嫌イ」

 

 鬼の手には、銛。正確には銛を型どった水の塊だった。血鬼術なのだろう。

 

 宇髄は、声を張り上げた。

 

「行くぞ、野郎共!!」

 

 双刀を鬼ではなく、船に向かって振り下ろした。

 

「音の呼吸、壱ノ型────轟!!」

 

 爆音と共に、船を中心に周囲の水が打ち上がった。衝撃で、鬼の持つ水で出来た銛も無くなり無防備となる。玲士は、即座に攻撃へと移行する。

 

 (あお)の呼吸、弐ノ型────「(らい)(こう)!!!!」

 

 今は、向き出しの地に足は着いている。一瞬で、間合いを詰め、真一文字に振り被った刀を振り抜く。

 

「ズ、ルイ」

 

 はねた頸は転がり落ちた。ホッとする間もなく、宇髄が叫ぶ。

 

「岸まで、走れぇぇ!!」

 

 空に向け、打ち上げられた水が空から落ちて来る。玲士は、呼吸を整え、全速力で地面を蹴り上げた。

 

「お前ら、生きているか!?」

「はい、大丈夫です」

 

 間一髪、岸まで辿り着くことが出来た。玲士は答えたが、村田の返答がない。

 

「た、助けてくれ!!」

 

 捕まっていた隊士二人を両脇に抱え、溺れかけていた。

 

「何やってんだ、アイツは!!」

 

 宇髄が川に飛び込み助けたことで、ことなきを得た。

 

 

3

 鬼殺隊本部、産屋敷邸。

 一つ、敷居の高いところに腰を下ろすのは、鬼殺隊の最高責任者である産屋敷耀哉。隊士からは、お館様と呼ばれている。

 

「では、柱合会議を始めようか」

 

 《柱合会議》────半年に一度、耀哉が柱と情報共有するための場だ。

 

 耀哉と対面する形で座る柱は、その画数と同じく、九人で構成される。戦死や引退などで、席が空いた場合、一定の条件を満たした甲の位から新しい柱が選ばれる。

 

 ──岩柱・悲鳴嶼行冥

 

 ──音柱・宇髄天元

 

 ──水柱・冨岡義勇

 

 ──風柱・不死川実弥

 

 ──蛇柱・伊黒小芭内

 

 ──炎柱・煉獄杏寿郎

 

 ──蟲柱・胡蝶しのぶ

 

 ──恋柱・甘露寺蜜璃

 

 ──霞柱・時透無一郎

 

 歴代最強と呼び声高い九人の柱。上弦の鬼の討伐、ひいては、鬼舞辻無惨の頸を取ることを大いに期待されていた。

 十二鬼月に関する報告から始まり、一般隊士の育成方針など、隊に纏わる議題が進められて行く。会議は終盤になり、痺れを切らした(・・・・・・・)風柱の不死川実弥が声を上げた。

 

「恐れながら、お館様。『折れた刀の剣士』、奴についてはどうお考えなのでしょうか? 一般人への被害はまだ耳にしませんが、多くの同胞が奴に殺されています」

 

 《折れた刀の剣士》────鬼殺隊の隊服を身に纏い日輪刀を携える鬼。元隊士と目されているが、彼に繋がる情報は何一つ上がらない。

 

「そうだね。多くの子供たちが命を落としているのは事実だ。でも──鬼殺隊として、動く余地はないよ」

「このまま野放しにしておいては、奴の思い通りです。そのうち一般人への被害も出るでしょう。鬼を滅殺してこその鬼殺隊。こちら側に居た人間が鬼の手に落ちるなど、言語道断です」

 

 口にはしないが、他の柱も考えは同じだった。鬼を斬るはずの人間が鬼になるなど、容認出来るはずがない。そして何より、身体能力が高く、鬼にとって、御馳走となる隊士を幾人も食べているのだ。確実に大きな障害となるのが目に見えている。だが、鬼狩りばかりを狙うと言うことならば、考えによっては逆手を取ることも出来る、実弥はそう考えていた。

 

「優先すべきは、鬼舞辻無惨の情報及び十二鬼月の討伐だ。助かった子供の話しだと、その鬼は十二鬼月ではないと聞いているよ。被害者数を踏まえても、隊として動く段階ではないと私は思う」

「しかし──」

 

 引かない実弥を悲鳴嶼行冥が静止した。

 

「不死川。そこまでだ」

 

 悲鳴嶼は、柱の中で最年長である。実力は当然のこと、柱の中心的存在だった。

 実弥は、これ以上は言わなかったが、わだかまりを残す結果となった。

 

 

4

 鬼殺隊において、女性の割合は圧倒的に少ない。大切な人を亡くした彼女らに、周囲の人間は、ありふれ日常と娘としての幸せを手にさせることこそが、最善の解決策(・・・)だと考るからだ。

 無論、周囲の声を振り切り、剣士を志ざす者は居る。とは言え、男性と比べて、体格的に不利であり、最終選別の合格率は芳しくない。入隊が出来たとしても、任務には鬼以外の危険も伴うし、女性特有の体調の問題だとかが考慮されているとは言えない。

 この日、西越周(にしごえしゅう)は、蟲柱の胡蝶しのぶが取り仕切る蝶屋敷を訪れていた。

 刀が入った竹刀袋を右手で力強く握り締め、周は屋敷の玄関ではなく、庭先へと向かう。隊服の上に看護服を着た少女を見つけ、キツく結んでいた口を開いた。

 

「神崎」

「西越さん。刀、ですか?」

 

 神崎アオイは、洗濯物を干していた手を止め、チラりと竹刀袋に視線を向けると周に目的を訊ねた。

 

「ああ。彼女に持って来た。上がっても良いか?」

「どうぞ。しのぶ様は任務に出ております」

 

 アオイは、ある部屋に周を通した。

 

「待たせたな。刀、研いて来たぜ」

 

 周が言葉を投げ掛けたのは位牌。しのぶの亡き姉、胡蝶カナエに向けたものだった。カナエの刀を担当していたのが周であり、周が作った刀で、初めて柱になったのがカナエだった。

 

「そっちはどうよ? 俺は相変わらず刀ばっか打ってるよ。しのぶ・・・・・・アイツは本当によく頑張ってる」

 

 だから、心配するな。そう、周は思いを込める。

 戦死した隊士の刀は、打った刀鍛冶に戻され研ぎ直される。もし、折れていれば打ち直し、その後、家族の元へと返される。身寄りがなければ、育手もしくは産屋敷家の保有する鬼殺隊のための墓に奉納されると言った流れとなる。

 本来、その先は刀鍛冶が関わってはならない。だが、周は、カナエを失った蝶屋敷、しのぶの姿を見て我慢出来ずに言ってしまった。──『これからも、花柱の刀を研がせて欲しい』と。元来、勝ち気な性格だったはずの少女は、見たことがない柔和な笑顔を浮かべると、周の頼みを承諾した。

 周は、ことを終え、刀を部屋に残し戸を開くと、ちょうどしのぶと対面した。見下す形で、小柄なしのぶに視線を合わせる。

 

「いつもありがとうございます」

 

 しのぶは、姉にそっくりな笑顔で礼を言う。

 

「俺が好きでやらせて貰っていることだからな」

「また、お送りしますね」

「あぁ。邪魔したな」

 

 毎回、交わされる台詞のような同じ会話。それでも、二人の中ではこの瞬間、絶対に鬼をこの世から滅ぼす、互いが互いに誓い合っていた。

 

「──折れた刀の剣士」

 

 しのぶは、振り向き周に問うた。

 

「どう言った鬼か御存知ですか?」

「知らねえ。柱が知らねえなら、知らねえよ」

 

 あのしのぶの口から名前が出るなど、柱合会議の議題にでもなったのだろうか。ならば、聞いた話よりずっと状況は悪い。周は、心の中で舌打ちを一つ。

 

「そうですか。西越さんなら何か御存知と思ったのですが」

「残念だったな」

 

 右手をヒラりと流し、逃げるように周は蝶屋敷を後にした。




東衛玲士
鬼殺隊に入隊し、半年。階級は辛。ある任務以降、宇髄の命令により、宇髄を神と呼称していたが、朝地に見つかり即時撤廃された。過去には、杏寿郎を炎柱様と呼んだところ、鳥肌が立つから止めるよう言われたことがある。

西越周
亡き花柱、胡蝶カナエの担当刀鍛冶であった。何十本と、剣士らに刀を送って来たが、柱に至ったのはカナエのみ。しかし、彼女は鬼に殺されてしまう。もっと良い刀が作れていれば、その思いを刻むように今日も刀を叩く。

宇髄天元
朝地から良い新人が居ると聞き、さっそく自身が指揮を取る任務に指名してみた。玲士の刀の腕に将来性を感じるも、宇髄の評価としては、真面目で地味な野郎。冗談半分で、上官命令と称し、神と呼ぶよう命じるが・・・・・・。


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第06話 折れた刀の剣士

1

 組織とは、人が増えれば増えるほど、統制を取るのが難しくなるものである。

 殉職者が絶えない鬼殺隊では、常に人員を要をしており、猫の手も借りたいほどの多忙さを極める。多くの隊士が大切な人を奪われた怒りと悲しみを原動力とし、今日も刀を振るっているわけだが、必ずしも皆が前述の境遇ではないことを忘れてはならない。

 この日、玲士(れいし)は合同任務に赴いていた。朝地光明(あさじこうめい)を先頭とし、十人の隊士が一つの列を作り、ある村を目指し森の中を歩いていた。

 

「なぁ。お前、朝地一派なの?」

 

 朝地一派とは、朝地の掲げる《人命優先》に賛同する隊士らを指す。玲士は、後方からの声に少しだけ首を捻じり、直ぐに正面へ戻した。

 

「違います」

 

 先輩隊士は「ふーん」と、薄い反応だったが、それが始まりだった。

 

「俺は、朝地さんが指揮を取る任務は、今回で四回目。下手に柱の継子を目指すより、朝地さんみたいな人の下に付いた方が良いよな、絶対」

 

 適当に相槌を打ちつつ、話しは続く。

 

「正直、朝地さんの考えに賛成だなー。死んだら、そこで終わりじゃん。自分の命を優先して、何が悪いんだって。そう思うだろう?」

「確かに死んだら終わりです。でも、後がなければ立ち向かうしかありません」

 

 二人の会話は、前の隊士にも聞こえていたようだ。一昔前に流行したと言うバンカラスタイルの黒マントの男が振り向くと、「私語は謹しめ」と注意をした。

 軽く頭を下げる。これで、お喋りも終わりか、そう思った時、背後で小さく「何だ。お前、そっちなのか」と呟きが聞こえた。

 鬼殺隊を志願する理由として、鬼への復讐の次に多いのが《金》である。一番下の階級で、給与は大卒初任給程度。家柄も学歴も問われない死と隣合わせの実力社会は、刀一本で、全てが決まる。

 一方で、《金》を目的とする隊士の中には、小物の鬼しか相手にせず、合同任務では、積極的に前線に出ようとしない者がいるのは周知の事実だ。だが、復讐に燃える者たちと同じ覚悟と気迫を持って任務に臨めと言うのは、あまりにも酷な話しだろう。

 出発をして、約三十分ほどが経つ。

 

(村が近いのか、空気が重い)

 

 見え隠れする夕日に目を細め、玲士は、鬼の気配を感じていた。

 

「一旦、集合。今回の任務の詳細を確認をする」

 

 朝地の号令に、隊士が輪となる。合同任務への参加は、二ヶ月前に、音柱の宇髄天元からの指名を受けて以来だった。

 

「この先の村は、百人にも満たない小さな村だと聞いている。情報提供者は、定期的に、その村へ検診に行っている町医者からだ。最近、立て続けで、村人が行方不明になっているらしい」

 

 伝令の紙が二枚目に移る。

 

「不審に思った医者は、村長に警察へ通報するよう進言したが、祖の教えに反すると追い返されたそうだ。その話を耳にした、隊士が視察に向かったところ『鬼の気配あり』との報告を最後に三日前から連絡が途絶えている」

 

 朝地は、グルりと隊士を見回し、紙を鴉に戻した。

 

「いつでも刀を抜ける準備をしておくように」

 

 説明の後、十人の隊士は、村へと歩みを進めた。もうすぐ村に着く直前だと言う時、道端に、うずくまる少女と遭遇した。

 

「おい、大丈夫か!?」

 

 朝地は駆け寄る。少女が顔を上げると涙を流し、手で押さえる腹部からは、出血をしていた。側には、血の付いた小さな刃物が落ちている。

 

「たす、けて。痛いの」

「ああ。今、手当てするから、君は助かるよ。よく、頑張ったね。すまないが二人ここに残ってくれ」

 

 怪我が付きものの鬼狩りは、簡単な応急処置であれば自分で出来る者も多い。二人の隊士が前に出て、少女の処置に当たる。

 

「応急処置をしたら、近くの診療所まで。他の者は、これより、二手に分かれて村に入る」

 

 

2

 森を抜けると、広大な畑が目に入る。その側には、家がポツンポツンと、隣人と呼びがたい距離を置いて建ち並んでいた。八人の隊士は四人ずつ、東と西に分かれて、調査へと当たる。

 

「誰も居ません」

 

 玲士は、ある家の戸を閉めて、朝地に声を掛ける。一軒、一軒、家を周っているのだが、東班の成果はゼロ。人っ子一人居ないのだ。居たのは、先ほどの少女だけ。

 

「鬼の気配はあるんだけどな。もう少し探そうか」

「はい」

 

 何となく、嫌な予感がして、西の方角に顔を向けた。

 

(もしかして、一人じゃないのか?)

 

「どうした? 行くぞ」

「すいません」

 

 朝地の背を追う。

 玲士は、鬼の存在を《空気の揺らぎ》として、捉える。鬼は、人間とは全く違う呼吸の流れを持つからだ。その流れを纏う空気の小さな揺らぎを無意識に感知することが出来た。

 遠くから声が聞こえる。辺りを見回すと、段々と人影が大きくなって行く。西班の隊士だった。

 

「朝地さん!!」

 

 黒マントの隊士が息を上げて走って来た。

 

「西側で、村人の集団自決が行われています!! とても自分たちで処置できる数じゃありません!!」

 

 現場は一気に混乱と化する。

 

「他に異常は?」

「分からないです」

「西班は、そのまま治療に当たってくれ。東班は、この村を根城にする鬼を斬る」

 

 冷淡な声が、空から降り注ぐ。

 

「──全く、騒々しい限りだ」

 

 茅葺き屋根の上に腰を降ろし、こちらを見下ろす鬼が居た。頬杖を付き、目元は白地の布のようなものを巻いて目隠しをしている。にも関わらず、玲士らをジッと見つめていた。

 

(兄、ちゃん?)

 

 玲士の鼓動は、自然と早くなる。目の前の鬼から目を離せなかった。鬼殺隊の隊服に身を包み、その上には、返り血を浴びた白地の羽織を着ていた。

 

「己の闇に勝てぬ者など、生きる価値はない。さて、貴様らは、どうだろうな?」

 

 ゆったりとした動作で、鬼は鞘から刀を引き抜いた。しかし、刀身は折れている。刃元から、十センチあるかどうかと言うところで先が無くなり、誰が見ても使いものにならない状態だった。

 坊主頭の隊士が驚きの声を上げる。

 

「や、刃がない!?」

「いや、あるさ──」

 

 瞬きをした後、気付いた時には視界から鬼は消えていた。肉を裂く音と共に、頬に水気のある何かが飛び、隣の隊士が反射的に顔を横に向ける。

 

「ほら、見ろ。切れたじゃないか」

 

 頭部が切断されていた。坊主頭の隊士だった。血の海が地面に徐々に広がって行く。鬼は、今度は、振り切った刀を隣の隊士の喉元に突き刺した。そのまま頭上に刀を振り斬り、見るも無残な姿となる。残るは、三人。玲士、朝地、黒マントだけだ。

 

「──塵旋風・削ぎ!!」

 

 足音なく接近し、朝地は鬼の頸に刀を振るう。

 

「良い剣筋だ。柱に近い力を感じる」

 

 難なく鬼は避けると、間合いを取った。

 

「お前は、折れた刀の剣士か?」

 

 鬼の口角が少し上がる。その言葉を待っていたかのようだ。

 

「さあ、僕は一度も名乗ったことないけど」

 

 朝地は、乾いた口の中で、必死にツバを飲み込んだ。冷静にならなければならない。そう思えば思うほど、自身の体から血の気が引くのが分かった。

 

(──朝地さんの様子が)

 

 未だ、鞘から刀を抜けない玲士であったが、朝地の異変に気付く。

 

「分かりやすい奴だな。老人どもに、僕を殺すように命じられたか? 回りくどいことはせずに、さっさと柱を寄越せば良いものを」

 

「何の話だ?」

「誰を差し向けようとも僕には敵わないって話さ」

 

 その頃、黒マントは、民家の裏に隠れながら、鬼の背後へと周っていた。しかし、裏を取ったのは鬼だった。

 

「裏をかいたつもりか?」

「な!?」

 

 とっさに、刀を構え、攻撃に備える。刃が重なり合った瞬間、黒マントの刀が折れた。

 

「分かっただろう。僕の刃は固いんだ。縦の力にも横の力にも」

 

 首筋に見えない刃が触れる。

 

「た、助けて下さい。朝地さん・・・・・・」

「お前の相手は俺だ。彼から手を引け」

 

 朝地は再び刀を構えて、鬼に言い放つ。

 

「特別だ。目的が一つ果たせるからな」

 

 刀を降ろし、代わりに回し蹴りが放たれる。黒マントは、石ころのように軽々と飛ばされた。朝地は駆け寄る。

 

「始めようか」

 

 鬼は、焦点を玲士へと移す。

 

「早く刀を抜け。無防備の相手を殺しても意味がない」

 

 手が震えた。自分の体なのに自分じゃない感覚。

 

「腰抜けが。潔く散れ」

 

 動けない玲士に見えない刃が振りかぶる。

 

「──散るのはお前だ」

 

 朝地の振った刀は、鬼の頸を掠めた。続けて、第ニ撃。軌道を変え、防ごうとした鬼の手首を落とした。鬼に焦りの表情が浮かぶ。当然だ。先ほど、朝地は手加減はしていないが、全力ではなかった。

 鬼は刀を拾いあげると、森へと逃げる。

 

「逃がすか!!」

 

 朝地は追う。負傷者の居る状況で、いつもの朝地ならば、絶対にしない行動(・・・・・・・・)だ。

 玲士の中では、ある憶測が立った。東衛(とうえい)西越(にしごえ)の両家は、一日も早い折れた刀の剣士の死を望んでいる。産屋敷の許可の元、秘密裏に捜索隊を作り、隊士らを動かしていることを玲士は知っていた。そこに、金が絡んでいるであろうことは容易に想像がつく。

 違和感のある朝地の焦った様子。恐らく、鬼への恐怖心ではない。──事実、階級は高いが金を得るために働く者を、折れた刀の剣士の捜索に従事させていた。無論、金を使って(・・・・・)だ。

 

「本当、馬鹿みたいだ」

 

 玲士は、吹っ切れた顔になると、朝地を追った。

 

 

3

 朝地と鬼の姿は、村の外れにある寺院にあった。追い付いた玲士は、少し息を上げて、朝地の側に寄る。朝地は、先ほどよりも見るからに真っ青な顔をしていた。

 そこに居たのは、瞳に《上弦弐》と刻まれた鬼だった。

 

「やあやあ。俺は童磨。君ら二人が、今日のお客さん?」

 

 優男風の姿をした鬼だった。頭から血を被ったような髪で、ニコニコと笑いかける。

 

誠也(せいや)殿は下がって良いよ。死んだ村人を運んでおいてよ」

「承知」

「に、兄ちゃん!!」

 

 玲士に目もくれず、鬼は童磨の指示に動く。

 

「さて。頂くとしようかな」

 

 童磨は立ち上がると、伸びをする。ゆとりを感じられる動作だ。

 

「玲士。お前は、逃げろ」

 

 肩を掴まれて、後ろに投げ飛ばされる。

 

「朝地さん!!」 

 

 童磨が対の扇を一振りした。周囲の温度が下がり、蓮を模した氷が朝地を目掛けて咲き誇る。全てを払い落とし、童磨との間合いを詰めて行く。右から左へ、左から右へと揺さぶりながら、迫り来る蓮に遅れを取ることなく、刀を振るい確実に落とす。

 

「す、凄い・・・・・・」

 

 玲士は、心の声を漏らした。はっきり言って、次元が違う。朝地の逃げろは、『お前では勝てない』の意味だと気付いた。

 

「爪々・科戸風!!」

 

 爪でえぐるような斬撃が四度繰り出される。

 

「速いねぇ。でも、俺を殺すには、ちょっと遅いなぁ」 

 

 閉じた扇に止められた。朝地は負けじと攻撃の手を緩めず、果敢に攻め立てる。しかし、相手は上弦だ。攻防戦はそう長くは続かなかった。

 朝地は膝から崩れ落ちると、血が飛び散った。

 

「そろそろ終わりかな?」

 

(──俺がやらなきゃ)

 

 玲士は、朝地の前に立ち塞がる。

 

「君、本気かい? そいつより弱いだろう?」

「やってみなきゃ、分からないだろう!!」

 

 しかし、防戦一方だった。朝地を背に刀を振るう。

 

雨打(あまう)ち!!」

 

 必死に食らい付き、受け身の型で、氷を落として行く。防御に徹するので精一杯だった。とてもじゃないが、攻撃に移れない。だが、朝地の時よりも威力は弱い。

 

(手加減されているのか)

 

 急に攻撃が止まった。

 

「そっか。誠也殿だ!!」

 

 童磨は、満面の笑みを浮かべる。

 

「君の瞳、誰かに似ているなーって、ずっと思っていたんだ。だから、兄ちゃんって呼んでいたんだね」

「・・・・・・何が言いたい?」

「誠也殿は変り者でさ。初めの頃は泣きながら人間を殺しては喰って、吐いては、落ち込んでの繰返しでね。男は好みじゃないけど、誠也殿が人間の時に俺が喰べといてあげたら良かったなと、何度思ったことか」

 

 涙を流す童磨。

 

「ふざけているのか」

「えー。人を殺してしまったから悔い改めたいと、俺のところに来たのは誠也殿だよ。あまりにも絶望するもんだから、鬼にしてあげたんだ。悪いのは、全部鬼狩りだって教えてあげてね」

 

(こいつが!!)

 

 怒りが込み上げて来る。

 

「あ、お礼はいいからね。俺は、万世極楽教の教祖なんだ。信者の皆と幸せになることが務め、当然のことをしただけだから」

「それ以上は、喋るな!!!!」

 

 玲士の胸のうちなど、いざ知らず、童磨は全く別の方向を見ていた。

 

「もう、夜明けか。少しお喋りし過ぎちゃったみたいだね」

 

 童磨は、薄ら笑いを浮かべ去って行く。

 

「待て──」

 

 足元を引っ張られた。地面を這う血塗れの朝地だった。

 

「や、めろ」

 

 その瞬間、頭に上った血が一気に下がった。

 

 

4

 日が登る頃になり、柱と隠が到着した。

 玲士の目の前には、三人の遺体。集団自決の処置に当たっていた西班の隊士だった。玲士は軽傷だったため、隠から遺体の確認を頼まれた。

 

「間違い、ないです」

「ありがとうございます」

 

 辺り一帯は、目を覆い隠したくなるほどの地獄だった。殉職した五人の隊士の他、集団自決をした村人は二十人を超え、別に食い散らかされた遺体が数体あった。

 村に入る直前、少女を保護した二人の隊士は、重症。側には、自ら腹を裂いたと思われる少女の遺体があった。三日前に連絡が途絶えた隊士は、「既に食われた可能性が高い」、そう隠が話していたのを玲士は、小耳に挟んだ。

 

(何も出来なかった)

 

 生還者は、五人。重症の朝地は、真っ先に治療班に囲われて、今現在、懸命な処置が行われている。

 玲士は、大木の根本に座り込む。動きたくなかった。

 

「おい、大丈夫か?」

 

 心配する男の声に、顔を持ち上げる。隠だった。

 

「凄い怪我だな。これで押さえると良い」

 

 集中力が切れて、止血していた傷が開いたようだ。手ぬぐいを受け取り、額に当てる。

 

「立てるか? 悪いが、胡蝶様は、朝地さんから手を離せない。あんたの治療は、蝶屋敷に行ってからになるから、辛いと思うが歩いて行ってくれな」

 

 玲士の肩をポンポンと叩く。

 

「はい」

 

 動く素振りのない玲士に、さらに声を掛ける。

 

「そう落ち込むなって。あんた、新人なんだろう? すげえ戦いを五体満足で生き残ったんだ」

 

 言葉を返す気にならなった。

 

 遠くで、「後藤、早くしろ」と呼ぶ声に「今、行くから!!」と隠は答え、去り際、玲士にもう一度声を掛けた。

 

「頑張れよ」

 

 今日も長い一日が始まる。




東衛玲士
鬼の存在を《空気の揺らぎ》として、捉える。意思を持って認知をするのではなく、人とは異なる呼吸の流れを無意識に感知するもの。いわゆる、第六感に近い。周囲からは、勘の良い人、よくそう言われる人に多い能力。

朝地光明
柱と遜色ない実力を持ち、数多くの任務の指揮を務めて来た。だが、朝地が戦うのは正義や復讐のためではない。東衛と西越に買収され、通常任務の他、折れた刀の剣士の情報があれば、その地域へ赴き、捜索活動を行っていた。

折れた刀の剣士(東衛誠也)
鬼化した誠也の姿。盗んだ隊士の隊服と刀を身に着け、血塗られた白の羽織を合わせている。羽織は、自身が殺めた父の羽織で、東衛の剣士だけに与えられるものだった。目元には布を巻き視界を閉ざしているが、見えるようである。


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第07話 感情論

1

 背に《隠》の文字。黒子の装束を纏った男。名は、後藤と言った。

 見上げれば、雲一つない青空。こんな日は、『女の子と甘味処に行きてーな』などと思ってみるが、残念ながら、後藤にそのような相手は居なかった。終いには、寄り添って歩く恋人たちを見つけては睨みつけ、全ては仕事のせいであると、結論付ける。

 

「ったく、忙しいって言うのによ」

 

 《隠》に属す後藤は、蝶屋敷を訪れていた。

 

 《隠》────鬼殺隊の事後処理部隊。鬼と剣士の戦いの後処理や隠蔽、負傷した隊士の救護が主な仕事である。剣才に恵まれなかったことで、隠の道に進む者は多い。

 

 後藤は、蟲柱・胡蝶しのぶの仕事部屋である診療室の戸を叩いた。

 

「胡蝶様、後藤です」

「どうぞ」

 

 許可が下り、部屋の中へと入る。

 

「失礼します!!」

 

 元気よく挨拶をし、そっと戸を閉めた。

 

「すみません。急に呼び出してしまって」

 

 椅子に腰掛けるしのぶは、形の良い眉をハの字にして、謝罪の言葉を述べる。十人すれ違えば、十人振り返る美しい顔立ちで、気を抜くと惚れてしまいそうになるが、忘れてはならない。彼女は、後藤の恐れる存在、柱なのだ。

 

「いえ。何なりと!!」

 

 決して目を合わせることなく答える。

 後藤の背は汗で、びっしょりだった。呼び出される理由に心当たりがないからだ。昨日、突然、蝶屋敷に来るよう、しのぶの鴉から伝令があったわけだが、大した話でなければ、鴉を通じて済む話である。

 

「後藤さん。先日の折れた刀の剣士及び集団自決の件のことなんですが。貴方の死傷者数の報告を読んだところ、任務に参加した隊士は十名。内、殉職者が五名。負傷者が五名となっていますが、間違いないですね?」

「はい。その通りです!!」

 

 背を正し答える。隠が介入した事後処理については、その任務に参加した隊士の安否確認の結果を、しのぶに報告するよう義務付けられていた。

 

「しかし、蝶屋敷の治療部屋に居る隊士は、四人です。断っておきますが、軽症でとっくのとうに帰られた、と言うわけではないんですよ」

 

 汗が背中だけでなく、額にも湧き出る。いきなり核心を突くことはせず、外堀から埋めて行く、お得意の手法。崩れることのない、しのぶの微笑みに、後藤は身の危険を感じ始めた。

 

「別に、貴方を責めているわけではありませんよ。報告だと、その隊士は『頭部に怪我あり』と記載がありますし、人の命に関わることですから、確認をしようと思いましてね」

「・・・・・・はい」

「一度、こちらの報告書をお戻ししますので、再度確認して頂けますか? 四人の隊士は、治療部屋に居ますので」

 

 有無を言わせない目に見えない圧力に押されて、報告書を受け取った。提出する前より、心なしか重い。

 

「五人目の怪我の状態が分かりましたら、直ぐに教えて下さい。あまり酷いようでしたら、蝶屋敷まで、お願いしますね」

 

 後藤は、しのぶの満面の笑顔に見送られた。

 

 

2

 神奈川県、横浜市。

 東京に並ぶ重要都市の一つである。個人で売買を行う商人を始め、商社、外資系企業と、朝から晩まで多くの人と金が行き交う日本有数の国際貿易港──横浜港。

 ひと目を避けるように、街灯から外れた路地には二つの人影があった。

 

「殺すなら、ささっと殺せよ!!」

 

 地面に尻を付き、ツバを飛ばす勢いで喚き散らす鬼。元々なのか、鬼特有のものなのか分からないが、青白い顔が、さらに青くなり、恐怖による焦りの表情が加わる。

 対して、東衛玲士(とうえいれいし)は、無表情だった。左手に持つ刀の先で、鬼の首筋をソっと撫で上げる。

 

「もう一度、聞く。鬼の名は、童磨。対の扇を持ち氷の術を使う。見た目は、若い男だ」 

「い、いい加減にしろよ!! 知らねえって、さっきから言ってんだろうがぁぁ!!」

 

 息の上がった鬼は、両肩を激しく上下させていた。口元、手足、身なりと、複数箇所に血の跡があり、何度も刺されては、再生したことを物語っていた。

 

「そうか・・・・・・」 

「ちょ、待て──」

 

 玲士は、刀を振りかぶり鬼の頸を落とした。

 上弦の弐・童磨との戦いから数日が経過していた。玲士は、蝶屋敷には行かなかった。近くの町の診療所で、怪我の治療を受けた後、寝る間も惜しんで、狂ったように鬼を斬り続けている。行き場のない感情は、刀にぶつけるしかなかった。

 

「──階級、(かのと)。東衛隊士。探したぞ」

 

 見計らったかのように、投げ掛けられた声。玲士はゆっくりと振り向いた。そこには、隠の隊服に当たる黒子の装束を纏った男が立っていた。記憶を辿り、あの一件(・・・・)の事後処理で、手ぬぐいを渡してくれた人物であると、答えを導き出す。確か、同僚に『後藤』と呼ばれていた。

 

朝地(あさじ)さん、どうなりましたか?」

「まだ意識は戻らないが、命に別状はない」

「そうですか」

 

 命に別状はない、その言葉に少しだけ気持ちが軽くなった気がした。だが、これ以上は話すことはない、玲士は、後藤の横を通り抜けようとする。

 

「ちょ、ちょい待てや!!」

「急いでいるんですが」

 

 足を止めた。

 

「行くぞ、蝶屋敷に」

「必要ありません」

「怪我、治ってないだろう!!」

 

 後藤が指差したのは、包帯が巻かれた玲士の頭。

 

「近くの診療所で見て貰ったんで」

 

 だから放っておいてくれ、そんな意味合いを込めた。

 しかし、後藤は、途端に顔を真っ赤にして怒り出した。

 

「あ、の、な!! 外部の診療所は、緊急時以外は、使っちゃいけねえんだよ!! それに、お前は今な、行方不明者扱いになってんだぞ!! 鴉も付けずに勝手な行動しやがって!!」

 

 実は、今回の玲士の行動がかなり問題視されていた。前々から、蝶屋敷と藤の花の家紋の家を敬遠する行為は、当主の産屋敷耀哉の黙認の上で、成り立っていたが、本来、推奨される行為ではない。外部の診療所を受診すると言うことは、鬼殺隊の情報が流出する危険生が伴う。

 

「それ、隊律違反になりますか?」

 

 そう、隊律として、明確に示されているわけではない。行動を制限し、怪我が悪化したら本末転倒である。あくまで、推奨されない行為(・・・・・・・・)であると言うだけの話だ。 

 後藤には、火に油だった。

 

「こっちはな、心配して、探し回ったってのに。だいたいな、普通、あんだけの怪我したら、ベッドの上に居なきゃいけねえんだよ!! お前のせいで、俺はな!!」

「見逃して頂けませんか? 今回だけは勘弁して下さい」

 

 玲士は、深々と頭を下げた。その姿に後藤は冷静になる。

 

「・・・・・・何を先急いでんだよ。仲間が死んで悔しいのは、俺だって同じだ。本当は、この手で鬼を殺してやりてえよ。俺にはないが、アンタには、その力があるんだ。ちゃんと、治療を受けてくれよ」

「お願いします」

 

 頭を上げない玲士に、後藤は溜め息を吐く。

 

「今回だけだぞ。胡蝶様には、軽症のため蝶屋敷には行かなかったと言っておく。分かっていると思うが、次はないからな」

「はい。ありがとうございます」

「それと、次、怪我したら蝶屋敷に行くことな──」

 

 隠きっての人情に厚い男、後藤。この時、後藤は玲士のある決断を見抜くことは出来なかった。

 

 

3

 数日後。後藤の働きかけで、伝達の行き違いと言う名の元、玲士は、お咎めなく鬼殺に勤しむことが許された。

 ある民宿の和室。二階に位置するその部屋は、眺めが良く、遠くの山々までよく見えた。玲士は、冬の寒さなど露知らず、窓を開け放し、澄んだ朝の空気に肌を晒していた。 

 玲士の手元には、キセル。吸い始めたのは、鬼殺隊に入隊してからだった。自分は大人である、その証拠が欲しくて、そんなくだらない理由で手を出し、今では考えごとをする時、何となく口に咥えるのだ。

 窓際に止まっていた鳶丸(とびまる)により、思考が中断する。

 

「あんまり好き勝手すんなよな」

「分かってる」

「いつか倒れるぞ」

 

 いつになく、鳶丸は真面目だった。思い返せば、鬼殺隊に入って以降、常に側に居るのは鎹鴉である鳶丸だ。

 

「──自分の道は自分で決める」

 

 玲士は、何処か遠く一点を見つめる。

 

「周りが見逃しても俺様は見逃さねーぞ!!」

 

 鳶丸は、最近の玲士の行動を心配していた。何故なら、ほとんど休息を取らず、取り憑かれたように鬼を斬り続けているからだ。

 

「ありがとう」

 

 空いた手を伸ばし、感謝の気持ちを込め、鳶丸の頭を撫でてやる。

 

「ガキのくせに・・・・・・」

「そうだ。鳶、お館様に届けて貰えるかな?」

 

 鳶丸の頭から手を離すと、隊服の懐から、白い封筒を取り出した。笑顔で玲士は、「反省文」と付け加え、鳶丸へ渡す。

 

「俺様が居ない隙に居なくなんなよ」

「今日は、非番だから大人しくしてるよ」

 

 なかなかその言葉を信用せず、飛び立とうとしない鳶丸だったが、しばらくして、しぶしぶ民宿の窓から飛び立った。

 

「ごめんな、鳶」

 

 発言とは裏腹に、鳶丸の姿が見えなくなったことを確認し、玲士は、隊服を脱ぎ捨てた。隠していた洋装へ着替えると、ある人物の元へと向かった。

 

 

4

 玲士が向かったのは、蝶屋敷だった。

 

「ここか・・・・・・」

 

 屋敷の門を前に、玲士は気持ちを落ち着かせる。流石は、柱の私邸と言ったところだろう。塀の向こう側には、立派な屋敷が顔を覗かせる。

 木の門を押して、中へと入った。出迎えたのは、手入れの行き届いた花や草木、庭先には池もあった。ただ広いだけではなく、お金もそれなりに投資されているように見て取れる。

 だが、人気はない。場所を間違えていないだろうかと不安を覚えつつ、庭の方へと足を伸ばす。

 

(誰も居ないか)

 

 諦め、屋内へ入ろう、そう思った時だ。 

 

「──こっち向けよ」

 

 男の声。玲士は、反射的に振り向いた。放たれたのは、拳。頬への鈍い痛みと共に、バランスを崩し背中から倒れた。何が起きたのか分からなかった。

 

「お前のせいで、朝地さんが怪我したんだろうが」

 

 玲士を見下ろすのは、療養中用の部屋着を着た男。そこで、共に任務へ参加した、あの黒マントの隊士だと初めて気付く。

 

 黒マントは、尻餅を着く玲士の胸倉を掴む。

 

「今さら何しに来たんだよ。鬼の前で、刀も抜けないヘタレが」

「・・・・・・」

「おい、謝罪の一つも出来ねえのか」

 

 今度は、膝蹴りが腹部に向かって放たれる。玲士は、地面にうずくまった。

 

「帰れよ。お前に、朝地さんは会わせねえよ」

 

 反論もやり返すことも出来なかった。

 

「ささっと消えろ」

「──そこまでだ」

 

 聞き慣れた声。顔を持ち上げると、松葉杖姿の朝地だった。朝地の後ろでは、幼い少女が隠れるようにして、こちらを心配そうな顔で見ている。少女は、騒ぎを発見するも、屋敷の管理をする面々が不在だった。そこで、申し訳ないと思いつつ、療養中の朝地に頼んだのだ。

 

「あ、朝地さん、これは──」

「部屋に戻れ。話しは後だ」

 

 黒マントの弁解は聞き入れられず、青い顔をして、屋敷の屋内へと消えて行った。

 

「ごめんな」

 

 玲士は、その言葉が何への謝罪か分からなかった。

 

「いえ。あの、出歩いて大丈夫なんですか?」

「少しくらいなら良いんじゃないかな」

 

 前と変わらぬ笑みを見せる。

 

「わ、私、消毒液とガーゼを取って来ます」

 

 先ほどまで、朝地の背に隠れていた少女が走り去る。

 

「俺、伝えたいことがあって来たんです」

「ああ、聞くよ」

 

 静かに息を吸って吐き、心の準備を整える。

 

「鬼殺隊を辞めます」

「そっか」

 

 朝地は、一瞬驚くが、こうなることが分かっていたような表情だった。

 

「すいません」

「何で、謝るんだよ。謝るのはこっちなのに。殴られたところは、大丈夫か? 後で、キツく叱っとくから」

「え、いや・・・・・・はい」

 

 言葉が上手く出て来なかった。

 

「俺は、指揮官として、判断を誤った。深い追いすべき状況ではなかった。上弦の弐との交戦中に、集団自決の治療に当たった三人の隊士が亡くなっている。傷口から折れた刀の剣士だと言うことだ。村の人たちにおいては、一人も助けられなかった」

「それは、俺が刀を抜かなかったから」

 

 あの時、刀を抜いていれば結果は変わったかもしれない、後悔の気持ちが沸き起こる。

 

「時には、少しの気の迷いが命取りとなる。だがな、揺るがない事実が一つここにある──この命は君に守られた」

 

 その言葉に息を飲んだ。

 

「意思あるとこに道は開く。もっと自信を持て、東衛玲士」

「・・・・・・はい。ありがとうございました」

 

 玲士は、朝地に頭を下げた。

 そして、一度も振り返ることなく、新たな道へ踏み出した。




青の呼吸
水の変幻自在な動き、雷の速さ、風の荒々しい斬り技を折り混ぜた、東衛独自の呼吸法。元々は、刀鍛冶を生業としていた西越が、腕の良い刀鍛冶を守るために、自衛を目的として取り入れたもの。産屋敷から正式に鬼狩りとなるよう申し入れがあった後、呼吸法を受け継ぐ分家として、東衛が生まれた。

壱ノ型 青天落とし
上段からの斬り技。跳躍状態でも使用可能。

弐ノ型 雷光 
高速の連撃技。複数の方向から攻撃を放つことが出来る。

参ノ型 雨打ち 
受け身の技。攻撃を避けると言うよりは流す。

肆ノ型 昇り龍 
低姿勢から繰り出す技。下段から上方に向けての攻撃。

伍ノ型 紫電
突き技。鬼の頸は落とせないため、牽制、迎撃向き。

陸ノ型 水天一碧
広範囲に放つ斬撃。青の呼吸で一番強力な技。


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第08話 思惑

1

 早朝。まだ、完全に目覚めていない町は、人気がなく、何処か空気が澄んでいる。凍てつくような寒さに、西越周(にしごえしゅう)は身を強張らせ、足早に歩を進めていた。

 目的は、朝地光明(あさじこうめい)への事情聴衆だ。去ること、二週間ほど前。十人の隊士が、鬼を斬るべく、ある村を訪れた。そこに現れたのが、折れた刀の剣士──鬼殺隊の隊服を身に纏い、折れた日輪刀を携える鬼。

 本当ならば、朝地の怪我の具合を見て、適当に呼び出して話を聞こうなどと、周は考えていたが、そうは行かなくなった。玲士(れいし)が鬼殺隊を辞めたのだ。産屋敷耀哉から連絡を受け、直ぐに刀鍛冶の里を飛び出した。

 

「邪魔すっぞ」

 

 周は、乱暴に蝶屋敷の玄関の戸を開けた。戸は開けたままで、履き物を雑に脱ぐと、ズカズカと上がり込む。手当たり次第に、部屋の戸を開けて行き、目的の人物を探す。

 そして、何部屋か目の戸を開けた時だった。

 

「──見つけた」

 

 ベッドの上に横たわる朝地。眠っていた。周は、側に寄ると、勢い良く枕を引き抜いた。当然、持ち上げられていた頭は、重力に従い、下に打ち付ける形となる。しかし、仮にも朝地は、怪我人である。頭と腕には包帯が巻かれていたが、周には関係のない話だった。

 

「起きろ」

 

 顔を歪めて、薄目を開く朝地。

 

「西越、さん?」

「おう。個室で、直ぐに見つけられなかったぜ。まあ、話しをするには都合が良いがな」

 

 蝶屋敷の個室は、女性や怪我の重い者、要注意の隊士などが優先的に割り当てられる。

 

「折れた刀の剣士ですか?」

 

 朝地は、後頭部を擦りながら上半身を起こし、目的を尋ねた。普通であれば、怒るところであるが、そんなことが出来る立場ではなかった。

 

「それもそうだが、問題は玲士だ」

「・・・・・・辞める、そうですね」

「知ってたのかよ。てか、もう辞めたよ」

 

 周の眉間にシワが寄って行く。

 

「この前、蝶屋敷に来た時に聞きまして」

「そうかい」

 

 頭をかき、周は大袈裟に溜め息を付いた。朝地は、そう言う男だったと思い出す。何故、玲士を止めなかったのかと尋ねれば、返ってくる答えは決まっている。──『彼の意思を遮る権利はありません』だろう。

 玲士の面倒を見てくれないか(・・・・・・・・・・)と頼んだ時もそうだった。大人しく人の下に付く奴じゃないから、近付いてそれとなく刀を教えて欲しいと伝えたら、そう返されたのだ。

 元々は、炎柱・煉獄杏寿郎の継子になるだろうと高を括っていたわけだが、見事に裏切られてしまい、周が手を回すこととなった。

 

「まず一つ、アイツが除隊したことは今後伏せてくれ」

「分かりました。・・・・・・連れ戻すんですか?」

「それしかないだろう」

 

 側の椅子を手繰り寄せ、周は足を組み座る。

 

「じゃあ、次。──折れた刀の剣士は、強かったのか? 柱の打診を断った男が、ここまでの大怪我を負ったんだ。それ相応の説明がなきゃ、俺は納得しないからな」

 

 周は、疑っていた。柱に最も近い男、朝地光明。正確には、柱の打診を断った隠れた実力者なのだ。そして、折れた刀の剣士の捜索に従事する隊士の一人。

 本来なら、身内の不始末は身内で処理をしなければならない。無論、東衛と西越は総力を上げて、父親殺しの誠也の行方を追ったが、情報は掴めなかった。しぶしぶ、次の手段として打ったのが、金を目的とする隊士を、金を使って、捜索と鬼殺を依頼すると言うものだった。

 

「十二鬼月ではありませんが、そこらの鬼よりは間違いなく強いです。ただ、問題は一緒に居た鬼です」

 

 通常、鬼が群れることはない。

 

「群れていたのか?」

「いえ。協力関係と言うよりは、上下関係。折れた刀の剣士は、上弦の弐に仕えている、俺にはそう見えました」

 

 周は耳を疑った。

 

「上弦の弐だと」

「はい。氷の術を使う男の鬼でした」

「何だよ、それ・・・・・・。産屋敷に報告は?」

「意識が戻った三日前に、鴉を通じて」

 

 鬼舞辻無惨の直属の配下である、十二鬼月は、上弦と下弦の二つに分けられる。上弦の鬼は幾人の柱を喰い殺しており、上弦の鬼の頸を斬ることは、鬼舞辻無惨に次ぐ鬼殺隊の悲願でもあった。何故なら、過去百年、上弦の頸を取った実績がない。

 

「お前以外に、上弦の弐と対峙したのは?」

「玲士です。二人で、折れた刀の剣士を追った先に。他の隊士は、怪我で動けませんでしたので」

「その話、産屋敷以外にしたか?」

「いえ。話が錯綜するといけないので、上弦の弐については、誰にも。明日の子細報告で話すつもりです」

 

 周は、口角を上げた。

 

「なら、都合が良い。上弦の弐と戦ったのは、お前一人ってことにしてくれ。産屋敷には、言っておく」

 

 表向き、玲士が除隊していない体で進めるとなると、上弦と戦ったとなれば、子細報告に招集されるのは目に見えていた。そうなれば、居ない人間を探して連れてくる必要が出てしまう。

 

「西越さん」

 

 朝地は、椅子から立ち上がり、帰ろうとする周を止めた。

 

「あ?」

「もし、玲士が恐れをなして逃げたとお思いなら、間違いだと思いますよ。貴方が思っているよりも、彼は強い人間です」

 

 呆気に取られた周だったが、キツく口を閉じると、「頼んだぞ」とだけ言い残した。

 

 

2

 周が蝶屋敷を後にし、幾分が経った。廊下では、パタパタと世話しなく複数の足音が聞こえる。今日も一日が始まったか、そんなことを思いつつ、朝地は窓の外の青空を見つめていた。

 部屋の戸が叩かれた。

 

「入りますよ」

 

 お盆に食事を乗せた、胡蝶しのぶだった。

 

「ありがとう。帰ってたんだな」

 

 しのぶは、一週間ほど、任務で屋敷を空けていた。

 

「ええ。あまり長くは離れたくないんですけどね。調子は、如何ですか?」

「うん。問題ないよ」

 

 そう答えると、朝地は、品定めをするように、しのぶを頭から足元までを、じっくりと見つめる。柱は、一般隊士より遥かに多い業務量を担っており、満足に休みを取れていないことを朝地は知っていた。しかし、常に隊服姿のしのぶが、今日は着物を着ていたのだ。

 

「何ですか、ジロジロと」

「──男か?」

 

 瞬間、ピキッと空気に亀裂が入った気がした。

 

「もしかして、私が殿方と逢引のために着物を着ていると?」

「違うのか?」

 

 しのぶは、微笑みながら青筋を立て、側の机の上に、お盆を置くと、朝地の腹部に鉄拳を放った。

 

「ちょ・・・・・・俺、怪我人・・・・・・」

 

 腹部を抑えた。

 

「朝地さんが失礼なことを言うからですよ? 身なりを着飾るのは、自分のためですから。たまの非番くらい好きにして良いでしょう」

「なら先に、そう言ってくれよ・・・・・・。何なら、しのぶに気があるって奴、知ってるし。紹介するぞ」

「結構です」

 

 ばっさりと切り捨てられた。しのぶの顔が真剣なものに変わる。

 

「少し、仕事の話しを良いでしょうか?」

「どうぞ」

「先の折れた刀の剣士の件なんですが、聞いた話によると、前情報通り、折れた日輪刀を持ち、鬼殺隊の隊服を着ていたと。──本当に、それだけなんでしょうか?」

 

 真剣な眼差しが朝地を射抜く。

 他の隊士は、刀による切り傷であったが、朝地は凍傷に近い、裂傷だった。亡き姉、カナエの怪我に酷似していたことを、しのぶは見逃さなかった。

 

「この前、お館様に報告したけど、もう一人、鬼が居たよ。上弦の弐、男の鬼だった。武器は、二本の扇、ヘラヘラ笑う奴だった」

「それ、本当ですか!?」

 

 しのぶは、珍しく声を荒げた。

 カナエが死ぬ間際に、しのぶのが姉から聞き出した仇の特徴。頭から血を被ったような鬼で、鋭い対の扇を持った、にこにこと屈託なく笑う。──間違いなく姉を殺した鬼だ。

 

「あ、ああ、そうだよ」

「他に何か覚えていることはありますか!?」

「氷の術を使うってことくらいかな──って、しのぶ?」

 

 朝地の呼び掛けを無視し、しのぶは部屋を飛び出した。

 

 

3

 東京府、上野。

 玲士は朝から、図書館に籠もっていた。大正の世における情報を得る手段は、主に新聞。次に、街頭に掲示されている広告や書物、知り合いからの言伝などである。

 目下の課題は、《万世極楽教》が何たるかを調べること。上弦の弐・童磨──自らを教祖と名乗る鬼。他に手掛りがない以上、分かることから繋がる情報を見つけ出さなくてはならない。

 分厚い本を閉じると、玲士は溜め息を一つ。期待はしていなかったが、思うような結果は得られなかった。

 

(何か文献があればと思ったが)

 

 前回、鬼殺隊が上弦の鬼の頸を取ったのは、江戸時代、文化の頃。今から百年は前の話だ。単純に考えると、童磨と言う鬼は、百年以上は生きていることになる。それだけ長い間、ふざけた教えを説いているとしたら、人間社会に何かしらの爪痕が残っていると仮定したのだが無駄足となってしまった。

 こうなってしまっては、地道に聞き込みをするしかないのだろうか。少なくとも都心部を根城にしている可能性は低い。地方に足を向けるとなると、気が遠くなる。

 

「・・・・・・ん」

 

 伸びをし、席から立ち上がった。本を片手に、竹刀袋を肩に掛ける。玲士は、白のワイシャツに、黒のパンツ、灰色のチョッキと言う格好だった。洋装は、都心部の中流階級以上の層や会社務めの労働者の間で、広がりを見せていた。 

 大通りに出ると、行き交う人の姿を横目に、これからどうするかを思案する。

 すると、女性の声だった。──「泥棒っー!!」と悲鳴が上がった。反射的に、悲鳴のあった方角へ顔を向けると、道路を挟んだ道の反対側、女物のカバンを抱えながら、周囲の人間を突き飛ばしながら逃げる男が視界に入った。間違いない、ひったくりである。

 玲士の体は考えるよりも先に動いた。男を目で追いながら、先周りを図る。人混みで、周囲の人間にぶつかりながら走る男の逃げ道を防ぐのは容易だった。目の前に立ちはだかると、玲士は、ひったくりの脛を目掛けて、蹴りを放つ。男は、派手に地面に転び倒れると、盗んだ鞄は側に飛んだ。

 

「嫌だ!! 俺は、俺は死にたくない!!」

 

 立ち上がろうとした男を、玲士は羽交い締めにする。

 

「大人しくして下さい。窃盗で死刑にはなりませんから」 

 

 諦め悪く暴れ続ける。

 

「俺は殺されるんだ、アイツに喰われるんだ!!」

 

(この人は多分、嘘は付いていない)

 

 直感的に、玲士は思う。男が普通の状態でないことは、明らかだった。顔は蒼白になり、何度も頭を振るい恐怖を叫ぶ。

 変な薬に手を出したことによる幻覚の影響か、何処かのゴロツキといざこざがあるのか。頬の真新しい傷跡が、何かしらの問題を抱えているのではないだろうかと、余計に思わせた。

 

「──ぐっ」

 

 突然、玲士の横腹に鋭い痛み走った。

 

「んお、すまん、すまん。気ぃつかへんかったわ」

 

 顔を上げると、新聞を広げた中年の男。通行人に蹴られたようだ。力の抜けた玲士から、その隙きをついて、ひったくりの男は、這いつくばるようにして、逃げ去る。

 

「おい、待て!!」

 

 追おうとするも、肩を掴まれた。

 

「兄ちゃん」

 

 またしても新聞の男だ。玲士は、男を睨み付ける。

 

「鞄は無事や。ひったくりは、警察が捕まえるやろう」

 

 少し泥の付いた鞄を押し付けられた。

 

「気ぃつけや」

 

 去り際に、玲士の肩をポンポンと二回叩いた。

 

「・・・・・・」

「あの、ありがとうございます!!」

 

 息を上げ、駆けて来たのは持ち主の女性だった。

 

「いえ、中身を確認された方が」

 

 鞄を返すと、中を開く。抜かれたものは特になかったようだ。

 

「本当に、ありがとうございました。何とお礼を申して良いか」

「たまたま、居合わせただけですから」

 

 女性は、おもむろに鞄から、小さな箱を取り出した。

 

「こちらを差し上げます」

 

 金の指輪だった。平打ちのシンプルなデザインだ。

 

「い、いや、そんな高価なものは」

「元々、これから売りに出すものだったんです。主人も恩人に差し上げたと申せば、きっと喜びます。もし、盗人にあのまま持って行かれてしまっていたら、今、手元にはありませんし」

「しかし・・・・・・」

「安物なので、遠慮は御無用ですよ。金は、最近、下火なんです」

 

 女性は、上品に微笑むと、玲士の手に小さな箱を授ける。最後に深々と頭を下げると、人混みへと帰って行った。知らぬ間に、周囲の人だかりはなくなり、何事もなかったかのように、元の日常を取り戻していた。道端に佇むのは、玲士一人。

 

「喰われる、か」

 

 手の平の上で回す、小さな箱を見つめながら、職業病と言えば良いのだろうか──ひったくり男の『喰われるんだ』の言葉が頭を離れなかった。




東衛玲士
鬼となった兄の捜索に専念するため、鬼殺隊を除隊。現在は、野良の鬼狩り状態にある。除隊の旨は、輝哉と朝地のみに伝え、東衛と西越に知らせは送っていない。基本的には、冷静で、立ち振る舞いは落ち着いているが、行動派。

西越周
表の顔は刀鍛冶、裏の顔は折れた刀の剣士捜索隊の責任者。人員は、周の人選によるもので、五人程度で構成されているらしいが、必ずしも剣士から選抜しているわけでない。粗暴だが、頭が切れるため、舐めていると痛い目に合う。

朝地光明
過去に柱の打診を断った最強の一般隊士。現在は、蝶屋敷で療養中。来る者は拒まず、去る者は追わずの姿勢で、除隊する玲士を鼓舞する形で見送った。温厚に見えるが、主導権を握るタイプで、気の知れた相手によく冗談を言う。


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第09話 命の価値

1

 その日の夜、玲士(れいし)は、繁華街へと赴いた。昼間のひったくりが口走った言葉が忘れられなかったからだ。

 蒼白の顔と共に、男は言った──『俺は、喰われるんだ』と。

 飲み屋の呼び込みをことごとく無視し、行く当てもなく、ただ歩く。立ち並ぶ屋台からは、男たちの陽気な声が聞こえ、両親に挟まれる形で手を繋ぐ、幼子の楽しそうな顔とすれ違う。

 行き交う人の足元を街灯が淡く照らし出し、影が、玲士の後を追った。そんな影を横目に、自分は確かに、ここに居るはずなのに、何故か周囲が別の世界のように思えた。

 

(いや、違うのは俺か)

 

 ふと足を止め、路地裏へと入った。地面の土はデコボコで、舗装路と呼ぶにはほど遠い。おまけに薄暗く、頼りになるのは、中が見えない怪し気な店や民家から漏れる光だけだ。

 時おり、ひと目を避けるようにして、若い男女が愛を育む姿が視界に入った。巷では、恋愛結婚と言う言葉を耳にするようになったが、それはただの憧れの幻想に過ぎず、多くは親の決めた相手と見合いをし、婚姻に至ることがほとんどだった。

 玲士は、気に留めることもなく、ただ歩く。

 

(思い過ごしなら、良いけど)

 

 上野に滞在し、数日が経過していたが、鬼の気配を感じたことはなかった。最後に鬼を斬ったのは、二週間前の横浜。港を持つ横浜は、外国人が多く住む場所で、仮に海の向こうから持ち込まれた宗教だったらと考えたが、何も得られなかった。その前には、上弦の弐・童磨と対峙した寺院を調べに足を運んだが、痕跡は何一つ残されていなかった。隠が処理をしてしまったのだろう。

 繁華街の外れまで来た時だった。玲士は、見覚えのある姿に息を飲んだ。

 

(鬼殺、隊)

 

 黒の詰め襟のある隊服。羽織を着ているが、腰に刀を隠し持っているのが、遠目からでも分かった。無意識のうちに彼らの後を追っていた。

 ある洋風の建物の前で止まると、入口に立つスーツ姿の男と何やら言葉を交わし、中へと消えて行った。近くまで寄ってみると、入口前に、奇術劇と書かれた板が立掛けられていた。

 

「すいません、今から見られますか?」

 

 玲士は、看板を指差す。

 

「こちらの公演は、関係者のみの販売となっております。申し訳ありませんが、お引取り下さい」

 

 スーツの男は、淡々と述べると、軽く頭を下げた。無機質な目が早く帰れと言っている。しかし、鬼殺隊がここに居ると分かった以上、引き下がることは出来ない。鬼の居る可能性が高い。

 

「──ワシの連れや」

 

 しゃがれた声が、割って入った。何処からともなく現れた中年男──昼間、玲士の腹部に蹴りを放った男は、しわくちゃの二枚の券を右手でプラプラさせながら、近付いて来た。

 券を受け取ったスーツの男は、ジッと券を見つめた後、重い扉を開き「そのまま階段をお降り下さい」と、先の見えない暗がりに手を添えた。

 促されたまま、電球がぶら下がる階段を降りて行く。そして、玲士の読みが確信となる。階段を一段降りる毎に、空気が揺らいで行き、人ではない呼吸の流れ持つ何かが居ることを、肌にひしひしと感じていた。

 

「これでチャラやな」 

「あの、ここ何なんですか?」

 

 男は、足を止めた。

 

「知らんと来たんか?」

「知り合いが入って行くのを見まして」 

 

 男は眉を潜め、薄ら笑いを浮かべた。

 

「闘技場や。──金と命を天秤に掛けたな」

 

 

2

 階段を降りきると、劇場と呼ぶに相応しい広さの空間が迎えた。中央に舞台を構え、舞台を囲む形で、四方に渡って長椅子が置かれている。後ろの席の人が見やすいよう、床に傾斜が付き、舞台から離れるつれて、せり上がって行く作りで、二人は、その一番高い場所に立っていた。

 

「あまり、居ないですね・・・・・・」

 

 玲士は、辺りを見回す。百人や二百人は、優に収容が出来そうな広さだが、席の埋まりは芳しくなく、ガランとした印象を受ける。 

 

「ああ。決闘は、そんなにけぇへん」

 

 男の後を追い、券に書かれた席に腰を下ろす。舞台から比較的近く、良席だった。

 

「決闘以外にも何かやってるんですか?」

 

 玲士の言葉に、男は、溜め息を付く。

 

「入口に書いてあったやろう。普段は、正真正銘の奇術劇や。子供から年寄りまで、あちこちから、ようさん見に来るで」

「ひと目が付く場所で、大丈夫なんですか?」

「お上の黙認やからな」

「黙認、ですか・・・・・・」

 

 男は、教えてくれた。決闘の参加者の多くは、借金を抱え、金に困っていると。

 貸し手が、借り手から可能な限りの金を巻き上げ、絞り取れなくなったところで、借り手を劇場に売り飛ばすらしい。簡単に言えば、人身売買だ。そして、劇場は、参加者同士の殺し合いを、賭け事や娯楽の場として、社会的権力者に提供をしているとのことだ。

 黙認なのを良いことに、チンピラや一部の警察関係者に向けて、観戦券の販売も行っていた。

 

「ワシは、知り合いから譲ってもろた口や」

 

 説明を聞けば聞くほど、男と知り合いとやらの素性が気になるところだが、今は、重要ではない。玲士の視線は、斜め右。隣のブロックに座る、鬼殺隊の隊服に身を包む三人の隊士へ向けられる。

 

(動きに変わった様子はないか)

 

 考えている内に客席の照明が落とされた。照明の残された舞台上へ観衆の意識が流れる。

 選手の登場に、歓声と拍手が沸き起こる。現れたのは、昼間のひったくり。そして、対するのは、鬼殺隊の隊士だった。玲士と差ほど変わらない年であろう青年。

 同じ人間同士でも、これでは話にならない。止めなければと思い、席を立ち上がろうとした瞬間、空気が揺らぐ──男が隣で、「今日も、来よったな」とあくび混じりに声を漏らした。

 今さっき来たのであろう。舞台を挟んだ反対側の客席、暗がりの中で、周囲の人間と挨拶を交わす人の姿。外套を羽織り、紳士然とした風貌で、不敵な笑みを浮かべている。形こそ人だが、間違いなく鬼だった。

 

「今、座った奴、この劇場の支配人や」

 

 顔を正面に向けたまま、男はボソり呟く。

 

(鬼だ、間違いない)

 

 その頃、客席の照明が落ちたのと同時に、動いたと思われる、羽織の内に刀を隠した三人の隊士が、忍び足で、鬼へ距離を詰めていた。

 舞台上の二人が逃げられないよう、出入口が封鎖された音と共に、鬼は、右手を高く掲げると、指を鳴らした。パチンと音が響いた直後、世界が止まった(・・・・・・・)。 

 

「!?」 

 

 突然、音が消えた。周りの人間の動きが止まったのだ。動くことの出来た、玲士と舞台上の隊士は、頭を振り辺りを見回す。

 

「一体、何が・・・・・・」

 

 隣の男は、石のように固まっていた。

 

「──ようこそ、私の世界へ」

 

 鬼の右手には、あの三人の隊士の一人と思われる男の襟が掴まれ、引きずりながら傾斜を降りて来た。肩から先が装甲のようなもので覆われ、手は、長く鋭い刀が三叉の爪となっている。背後には、擦った血の跡が残っていた。

 

「選手として舞台に上がり目を引き、その間に私の頸を狙おうとしたのは、評価しましょう。観客席の仲間に合図も出しやすい」

 

 一見、物腰の柔らかい話し方をするが、まるで、感情が込められていない。ふと、顔を持ち上がると、玲士に微笑みかけた。

 

「良く気付きましたね。貴方も鬼狩りですか?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 息を飲む。玲士は、刀を鞘から抜き構えた。鬼は、十二鬼月ではない。だが、折れた刀の剣士以上の力を感じる。額から一筋の汗が流れ、緊張が高まる。

 

「良い表情です。正しく相手の力を把握し、どうすれば、勝利の方程式を組めるのかを思考する。本当に、厄介なのは貴方のような人間ですよ」

「・・・・・・他の人はどうした?」

「心配は入りません。ちゃんと、あちら側に居ますよ。私の世界は、現実世界と少しズレた位置にあるんです。非日常を娯楽として、お届けするのが、この劇場の役割でもありますからね」

 

 鬼の態度に、隊士は苛立ちを募らせる。

 

「ごちゃごちゃ言ってんじゃねぇよ!! テメェの相手は、俺だろ!?」

「ずいぶんと短気な方です。人間も鬼も完璧な存在ではありませんが──貴方の場合、能力以前に人間性に問題がありそうだ」

「あぁっ!?」 

 

 隊士の首飾りが揺れた。小ぶりの勾玉に穴を明け、二重にした紐を穴に通す形で下げていた。

 

「仲間も周囲の人間を心配せず、自分のことばかり。ずっと、お仲間を睨んでいたでしょう? とは言え、あの三人は周りの人間を庇ったが故に、あっけなく死んだわけですし、実際は、何が正解かなんて分かりませんけどね」

 

 玲士は、隊士の背後に立ち、声を掛ける。

 

「加勢します」

「部外者は黙ってろ!!」

 

 隊士は吠える。協力する素振りはなく、「俺一人に舞台へ上がる役を押し付けたからだ」と、唇を噛むと、刀を振りかざし、鬼に走り向かって行った。

 

「待って下さい!!」

 

 鳴り止まない衝突音。隊士は、刀を止めることなく、呼吸を連続で繰り出して行く。鬼は、防戦一方だが、表情を崩すことなく、何処か楽しんでいるようだった。

 

「壱の型はないんですか?」

 

 鬼の問に隊士の目が一瞬、見開かれた。

 

「稲魂!!」

 

 雷の呼吸の高速五連撃は、鬼の右腕によって防がれた。装甲は固く、徐々に隊士が力に押されて行く。鬼が爪を水平に振りかぶった寸前に、玲士は、両者の間に飛び込んだ。隊士が斬られると思ったからだ。

 

「──雨打(あまう)ち」

 

 しかし、攻撃は完全には回避出来ず、二人は、客席に飛ばされた。受け身を取り、玲士は、起き上がると隊士に声を掛ける。

 

「大丈夫ですか!?」

「・・・・・・余計なことするじゃんねぇ」

 

 肩で息をする隊士が玲士を見ることはない。

 

「お喋りとは余裕ですね」

 

 舞台から飛び上がり、二人を目掛けて鬼は爪を頭上から振り下ろした。玲士と隊士は、二手に分かれ、即座に間合いを取る。席は爆散し、足元にクレーターのような窪みが出来ていた。

 

「──逃がしません」

 

 鬼は、体を捻り孤を描くようにして、腕を振り抜く。鋭い突風が、二人を襲う。三人の隊士を殺した技だ。

 

(避けきれるか、いや)

 

 重心を後ろから前に移動し、足を前に踏み出す。劇場の傾斜を利用し、攻撃の下に滑り込んだ。

 

❲────(あお)の呼吸、肆ノ型)

 

(のぼ)(りゅう)!!」

 

 鬼の懐へと飛び込むと、低い姿勢から飛び上がるの同時に、刀を下方から振り上げた。刃は、頸を捉えるも、爪に防がれて、芯から僅かにズレる。

 

(駄目だ、足りない)

 

 頭上に高く飛び上がった玲士を、爪が追った。人間は、宙の上で、思うように動くのは困難である。回避しようと何とか構えを戻そうとした時、隊士の声が響く。

 

「雷の呼吸、伍ノ型──」

 

 隊士の上半身には、肩から下腹にかけ三本の爪痕があった。黒の隊服の上からでも分かる出血の多さだったが、刀を振るったのだ。

 

熱界雷(ねっかいらい)!!!!」

 

 上方へ体勢を取っていた鬼は、下方から攻撃に追い付けない。腕を頸の前で交差させ、完全な防御の姿勢。玲士に対し、背後を向けた鬼の頸はガラ空きだった。

 

(────青の呼吸、壱ノ型)

 

青天落(せいてんお)とし!!」

 

 体勢を崩しながらも、鬼の頸に目掛けて、刀を下ろした。鬼の頸が飛び、次第に体は崩れて行く。消え行く鬼の視線と玲士はぶつかった。

 

「あの距離をあえて詰めるとは面白い選択でしたよ」

 

 一時の間を置き、玲士は鬼をチラリと見やる。

 

「何故、劇場(ここ)を作った?」

「金と権力に踊らされる人間の姿が滑稽だったから──」

 

 そう、表情のない顔で答えると、口角を上げ、「後は忘れました。大分、昔のことなので」と付け加える。消える寸前の瞳は、何かを訴えるような色を持っていた。

 

 

3

 鬼が灰となり、完全に消えたのと同時だった。何事もなかったかのように、世界は動き出した。歓声が溢れ出し、元の活気を取り戻す。

 

「元に、戻った?」

 

 玲士が、支える形で、隊士の腕を自身の肩へと回したところだった。客席では、「人が死んでいるぞ!!」と悲鳴が上がった。「参加者なのか」と戸惑う声に、「どう言うことだ」と不気味がる人たちの会話。誰一人として、心配をすることなく、自分は無関係である、そう思いたいのか一人、また一人と席を立つ。

 その姿に、死んだ三人が守った命は、なんだったのだろうか──内から、ふつふつと湧き出る気持ちに、玲士は苛立ちを覚えた。

 

「お前は、先には出ろ」

 

 顎をしゃくった隊士の先には、鴉と黒子姿の隠だった。恐らく、外で待機をしていたのだろう。

 

「すいません」

 

 隊士を残し、ひと目を避けるようにし、劇場を後にする。

 

「──アンタ、何者や!?」

 

 大声に振り返ると、息を上げた男の姿。そう言えば、何も告げずに出て行ったことに、玲士は、今更ながらに気付く。男は、口早に続けた。

 

「一体、何を知っとるん? あそこには何が」

 

 男は、口元を抑え、咳き込んだ。

 

「鬼が居ました。だから、俺は斬りに来たんです」

「鬼? じゃあ、死体が見つからへん噂は・・・・・・」 

「噂は知りませんが、鬼が喰べたと考えるのが妥当かと」

 

 玲士は、姿勢良く一礼をすると、再び歩き出す。

 

「・・・・・・ワシは記者や。いつか全部、明るみにするからな!!」

 

 小さくなって行く背中に、男は、叫んだ。




東衛玲士
鬼狩りの家の人間として、教えを受け育つ。しかし、自身が一般社会から乖離して行くことの喪失感は大きかったようである。鬼殺隊入隊前は、学校に通っており、世間一般で言う日常に触れた生活を送っていた影響もあるだろう。


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第10話 逃れ者

1 

 蟲柱・胡蝶しのぶは、鬼の頸が斬れない剣士である。

 何故、身長が伸びなかったのか、何故、こんなにも手足が小さいのかと、柱になった今も自問自答を繰り返す。

 自室の鏡を眺めながら、しのぶは溜め息を一つ。隊服へ着替えるために、寝間着の浴衣を肩から落とすと、小作りな体躯と不釣り合いに育った胸元が露になった。慣れた手付きで、胸を抑え付けるようにして包帯を巻いて行く。

 姉のカナエは、華奢ではあったが、上背があり鬼の頸を斬ることが出来た。しかし、しのぶにはそれが出来ない。

 故に、しのぶが柱に就任した時の声は様々だった。花柱の妹だからだとか、現役の柱と寝て口利きをして貰っただとか、心無い言葉が囁かれた。ただでさえ、女性には風当たりの強い男性社会、人の妬みや嫉妬は恐ろしいものだった。

 無論、何一つそんな事実はないし、しのぶを柱へと押し上げたものこそが、唯一無二の武器《毒》である。腕力のないしのぶは、薬剤関係の仕事をしていた亡き両親からの教えと努力により、鬼を殺すことが出来る毒の開発に成功したのだ。

 

「・・・・・・ふぅ」

 

 深呼吸をして、気持ちを調える。鏡に映った血色の悪い顔を隠すため、肌には粉を叩き、唇には紅を差す。隊服の上には、姉の形見である蝶の羽を模した羽織を、鎖骨に被る長さの髪は後ろで纏め上げ、蝶の髪飾りで留めた。

 

「う・・・・・・」

 

 しのぶは、胃が逆流するような気持ちの悪さに、口を手で抑えると、部屋を飛び出した。駆け込んだのは、手洗い場。昨晩の食事を全て吐き出した。

 肩を上下させ、また失敗だと、瞼を固く閉じる。対鬼ならば単純に毒素が強いものを作れば良いが、人体に蓄積させる(・・・・・・・・)となると、話は別だ。出来るだけ、体の外へ出ないよう、任務へ影響が出ない程度に留めなくてはならない。

 口元を拭い、しのぶは自室へと戻ろうした時だった。

 

「しのぶ様、大丈夫ですか?」

 

 心配の声を掛けたのは、神崎アオイ。蝶屋敷の家事全般を担い、医療面においては、しのぶの右腕を務める少女だ。最近、しのぶの体調が良くないことをアオイは知っていた。

 しのぶは、目尻を下げ、口角を上げると、笑顔で振り向く。

 

「ええ、大丈夫ですよ。徹夜が続いたせいだと思います」

「そうですか。朝食、ご用意してありますので」

 

 少しホッとした表情をアオイは浮かべると、頭を下げ、足早に去った。アオイの背中が見えなくなった途端、自分への嫌悪の感情が、しのぶの頭の中を塗り潰して行く。

 

「最低ですね・・・・・・」

 

 己の気持ちに蓋をすると、食堂へと足を向けた。

 しのぶは、蟲柱・胡蝶しのぶとして、今日も生きる。

 

 

2 

 東衛玲士(とうえいれいし)が、上野を離れて二ヶ月の月日が流れる。場所は、地方都市のある町。青い空の太陽の下、玲士は、研ぎ石の上に包丁を置き研いでいた。時々、空に向けかざしては、状態の確認をする。

 

「如何でしょうか?」

 

 包丁を持ち主の年配女性へと返す。女性は、ジッと品定めをするように包丁を見つめるが、直ぐに表情を崩し、白い歯を見せた。

 

「ありがとよ。お兄さん」

 

 女性から小銭を受け取り、ひと仕事が終わった。玲士は、地面から立ち上がると、両手を腰に当て、グッと背筋を伸ばした。座り仕事で縮まっていた筋肉を解して行く。

 玲士は、刃物を研ぐことを生活費の足しにしていた。生きて行くには、最低限の生活があるもので、例えば、衣食住。鬼殺隊の時に多少の蓄えをしていても、金は使えば減るものである。そこで、金を稼ぐ方法を考えた時に、(しゅう)から教わった技術があったことを思い出したのだ。

 鬼殺隊を離れて以降、上弦の弐の手掛かりを探し、町と言う町を玲士は渡り歩いて来た。聞き込みでは、入信した家族、知人が家に帰って来ないと言う複数の証言を得ることが出来た。これまでの調査を踏まえると、外部と関わりの少ない村を狙っていることは明白だったが、情報と呼ぶには乏しいものだった。

 場所を移動し、玲士は、住人が生活水として使う川辺に居た。

 

「駄目かな・・・・・・」

 

 手に持つ竹竿の先に紐が結ばれ、川に垂らしていた。少し時間は早いが、夕食にすべく魚を待っていた。

 遠くから砂利の上を駆ける足音が聞こえたと思えば、段々と近付いて来る。振り向くと、少年が玲士に飛び付いた。

 

「兄ちゃん!! 釣れた?」

 

 玲士を見上げるのは、町に住む少年で、年は、八つだと言っていた。この町に滞在し、ここ数日、少年から魚の捕り方を教わっている。

 

「いや、全く」

 

 頭を振り、お手上げ状態だと伝えた。

 

「良い年して、駄目だなぁ」

 

 無邪気な笑顔で、ニコニコと笑う。

 

「面目ない・・・・・・」

「あっ、引いてるよ!! 僕が捕る!!」

 

 少年は、濡れることなどお構いなしに、川へと入って行った。一方、玲士は少年の言葉を思い出しながら、魚が逃げないよう慎重に、ゆっくりと竹竿を川辺に引いて行く。

 やがて、バシャンっと水を叩くような音の後に、少年が両手で魚を掴み上げて見せた。三十センチ近くありそうなイワナだった。

 

「流石だな、ありがとう」

 

 玲士は、少年に向って声を掛ける。少年は、魚を抱え直し、忍び足で一歩ずつ進んで行く。ところが、岸へと上がる手前で、派手な水しぶきを飛ばし、転んでしまった。

 

「おい、大丈夫か!?」

 

 足元は、大小様々な大きさの石が混じった砂利で、よく見て歩かなければ、大人でも転ぶ可能性は充分あるだろう。

 

「ごめん。逃げられちゃった」

 

 尻餅を着き、申し訳なさそうな顔をした。

 

「また、釣れば良いよ。どっちにしろ、俺一人じゃ駄目だし。怪我は?」

「痛っ・・・・・・」

 

 立ち上がろうとした少年の足首が赤く腫れていた。骨折かもしれない。

 

「病院に行こう」

 

 玲士は、背を向け屈み、背中に乗るよう促す。

 

「駄目だよ。うち貧乏だから」

「俺がどうにかする」

 

 少年を言いくるめ、背に乗せると、町の中心部へと向かう。

 

「・・・・・・珠世先生」

 

 それは、小さな声だった。

 

「ん?」

「珠世先生なら、助けてくれると思う」

 

 話を聞くと、少年は、前にも怪我をしたことがあった。その時、助けてくれたのが、珠世と言う名の女医だと言う。治療費はいらないと言われたが、少年は恩返しがしたくて、取った魚を珠世に届けたことがあったそうだ。

 少年の案内に従って、町外れの診療所へと方向転換をする。集落から離れ森に入ると、草木が生い茂り、大きな葉が重なり合うことで、頭上には陽を遮るカーテンが出来ていた。

 

「ここに、先生が居る」

 

 森に入り数分、少年は突然、森の先を指差した。家屋はおろか、人の姿すらないではないか、玲士はそう思ったが──目の前の霧が晴れて行くような感覚だった。確かにそこには、洋風の診療所があった。

 

(──何だ、ここは)

 

 空気の流れが変わった。直感で説明をしてしまえば、気付かなかったのではなく(・・・・・・・・・・・・)気付けなかった(・・・・・・・)。そう言う類の仕掛けが、建物と周囲に施されている。玲士の心拍数が上がる。

 恐る恐る扉を叩いた。

 

「すいません、怪我人を見て頂きたいのですが」

 

 しばらく待つと、扉が半分ほど開く、何処か憂いを秘めた着物の女性が顔を覗かせる。診療所の医師を務める珠世だった。珠世は、玲士の背に乗った少年を一瞥すると、口を開いた。

 

「どうぞ、中へ」

「あ・・・・・・はい」

 

 珠世に促され、中へと上がる。

 

(この人──鬼だ)

 

 玲士の体からは、汗が吹き出した。のこのこと敵の陣地に足を踏み入れてしまったのだ。しかし、刀を抜くには、少年を背から降ろさなければならないが、間違いなく、気付かれる。そして何より、少年を守り抜かなければならない。

 診察室へと招かれた。少年をベッドに降ろし、玲士は、刀に手を掛ける。珠世は、初めから分かっていたのだろうか、厳しい視線で玲士を見たのだ。子供の前で手荒な真似はしたくない、そう威嚇しているように、何故か玲士には思えた。

 

「ありがとう!! 珠世先生!!」

 

 少年の明るさを取り戻した声が、玲士を現実に戻した。少年の足には、当て木と包帯が施されており、治療が終わっていた。ふと、珠世と視線が合った。

 

「怪我は捻挫でした。二週間は安静にして下さい」

 

 玲士は小さな声で、「ありがとうございます」と答え、少年を背中に乗せた。診療所の玄関口で、玲士はズボンのポケットに手を突っ込むと、小さな箱を珠世に差し出した。

 

「貸し借りは嫌いなんで」

 

 一瞬、珠世は驚いた顔をするも箱を受け取り中を開く。金の指輪だった。治療費の代わりとして、玲士は渡したのだ。

 ところが、何処からともなく、猛々しい足音共に玲士の腹部に、強烈な足蹴りが放たれた。

 

「ぐ──」

「癒史郎なんてことをするんですか!?」

 

 外見だけで判断するならば、年は自分より下だろう──癒史郎と呼ばれた鬼は、凄い形相で玲士を睨んだ。

 

「珠世様に一体どう言うつもりだ!! 子供を助けた、貴様を見逃してやろうと言う珠世様の寛大なお心を踏みにじるような、真似をして!!」

 

 玲士は腹部を抑えつつ、少年には、大丈夫かと心配される。

 

「俺は、ただ治療費に当てて貰おうと」

「珠世様の好意に付け込んで、思い上がるなよ、鬼狩り!! 俺は、珠世様の考えに従うが、本当はこの場で──」

「癒史郎!!」

 

 珠世の静止する声が響く。

 

「はい、珠世様!!」

 

 癒史郎の変り身の早さに溜め息を付きつつ、真面目な顔になると、珠世は、持っていた箱を玲士へと返した。

 

「こんな高価なものは受け取れません。私を信じて下さった、貴方のそのお心が対価となります」

「・・・・・・分かりました」

 

 箱をズボンのポケットに押し込むと、玲士は軽く頭を下げた。

 

「ありがとうございました。お元気で」

 

 診療所を後にし、玲士は少年を家まで送り届けたのだった。

 

 

3

 ゴウゴウと炎を上げる鍛冶場には、滝のように汗を流す西越(にしごえ)周の姿があった。右手に持つ金槌を何度も銅に振り下ろしては、形を変えて行く。

 段々と刀の姿に近付いて行き、あるタイミングで、水の入った桶に突っ込んだ。

 

「よし」

 

 火傷防止のためにしていた、ひょっとこの面を外し、出来立ての刀を余すことなく見つめる。この刀鍛冶の里の刀鍛冶は、四六時中近く、ただの仕事道具であるばすの面を顔に付けているが、周は、基本的には刀を叩く時にしか付けない。何故かと聞かれれば、人と同じは嫌だからだ。

 鍛冶場の戸が叩かれた。続いて、外からの声だ。

 

「西越様。定例報告です。対象は、未だ見つからず。捜索範囲を広げ、継続します」

「そうか、ご苦労さん!!」

 

 対面することなく、声を張り上げ返事をする。すると、間を置かず、ガラッと戸が開かれた。

 

「まだ、何か──」

 

 現れたのは、炎柱・煉獄杏寿郎だった。

 

「どうも俺には、周が真剣に探しているとは思えんのだがな」

 

 杏寿郎の言葉に、周は眉間に皺を寄せた。

 

「勝手に入って来んなよ。てか、盗み聞きすんな。あと、何で居んだよ」

「ここは、甘露路の担当地区だからな」

「元継子の様子を見に来たってか?」

 

 各柱に振り当てられた担当地区。恋柱・甘露路蜜璃は、刀鍛冶の里を含むその地域一体を受け持っており、また、杏寿郎の元継子だった。

 

「悪いか?」

「好きにしろ」

 

 作った刀を鞘へ収めると、周は片付けを始める。

 

「玲士のことだ、そのうち帰って来るだろう」

「知らねえよ」

 

 興味なさそうに答え、逃げるように鍛冶場を出た。杏寿郎は後を追う。

 

「今夜、飲みに行こう。甘露路にも声を掛ける」

 

 周は足を止めると、呆れ顔で振り向いた。

 

「大食い大会の間違いじゃないのか?」

「つまり、行くと言うことだな」

「お前の奢りならな」

 

 ぶっきらぼうに言い放つと、周は再び背を向けた。

 

 

4

 縁側で茶を啜るのは、次期柱と名高い朝地光明(あさじこうめい)と音柱・宇髄天元。二人は年齢が近く、既婚者同士と言うこともあり、公私に渡って、付き合いがあった。

 流れる雲を眺めながら、宇髄が思い出したように口を開いた。

 

「最近、朝地の舎弟見ねぇな。生きてんのか?」

「舎弟って、誰のことだよ」

 

 宇髄の妻から差し出された、団子を頬張りながら、首を傾げる。

 

「東衛、だっけ? よく任務で一緒だったろ」

「ああ、玲士なら元気にやってるよ」

「あ、そう」

 

 鬼殺隊は、明日の保証がない仕事だ。ついこの前、当たり前に言葉を交わしていたはずの相手が、ある日、亡骸となって帰って来る。いや、体が戻って来るだけマシなのかもしれない。常時、何百人の隊士を抱える鬼殺隊であるが、実態は、多くの隊士の死と新人の入隊との入れ替わりによって、その数が維持されている。

 

「でも、珍しいな。後輩の心配なんて」

「派手に抜き出た才能みたいものは感じなかったが、妙な落ち着きがあったな。経験の積み方しだいでは、派手に化けるかもしれねぇぜ」

 

 その言葉に、朝地は眉を垂れ下げた。

 

「そうか。宇髄がそこまで言うなら、俺は心置きなく鬼殺隊を辞められる」

「は──予定より早いじゃねぇか!?」

 

 宇髄は声を荒げる。腹を割った仲だ。借金返済の目処が立ち、年内に辞めるかもしれないとは朝地から確かに聞いてはいた。

 

「うん。嫁さんに子供が出来た。近いうちに、辞めるよ」

「馬鹿っ!! 先にそれを言えって、派手にめでたいこと隠してんじゃねぇよ!!」

「無理言うなよ。俺もついこの前、知ったんだ」

 

 朝地の言葉に、宇髄は大人しくなる。

 

「悪い、興奮した」

 

 二人が知り合って、しばらく経った頃の話だ。宇髄は、朝地から妻の家の借金返済のために鬼殺隊を志願したことを告げられた。そのことで前々から一部の隊士から疎まれていたのは知っていたが、宇髄に言わせれば、結果を残す実力があれば、志願理由など関係なかった。

 

「いや。喜んでくれて嬉しいよ」

「派手に祝ってやるから、覚悟しとけ」

 

 宇髄が拳を作り朝地に向けた。

 

「楽しみにしてる」

 

 朝地も同じように拳を作ると、宇髄の拳に軽くぶつけた。




東衛玲士
鬼に対し、怒りや憎しみの感情は、ほぼない。かと言って、鬼と和平を結ぼうと考えているわけでもない。人であれ鬼であれ彼が見るのは、あくまで個。鬼が悪いのではなく、人を喰う鬼が悪い。人を傷付ける人が悪いとの考え。

西越周
玲士の担当刀鍛冶であり、目付け役。実際は、鎹鴉からの報告内容を纏め、東衛と西越に定期報告しているだけ。己と玲士を守るため、玲士の除隊は報告せず、知り得る者の口止めをし、隠しているが、限界を感じ始めている。

朝地光明
親友は、音柱の宇髄天元。立場的には宇髄が上官だが、鬼殺隊の隊歴は朝地の方が長い。初対面で『全く忍んでいないが、本当に忍だったのか』と質問をぶつけた猛者であり、二人が打ち解けるきっかけになったとかならないとか。


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蝶屋敷編
第11話 下弦の陸


1

(しくじった)

 

 東衛玲士(とうえいれいし)は、とっさに、自分の体の何倍もの大きさを持つ大木を背に身を隠した。動かし続けた足は鉛のように重く、息を吸って吐く度に肩が上下する。ここで死ぬかもしれない、頭の片隅で、そんなこと考えながら、夜空を見上げた。

 白く煌々と光る月。木々の葉と枝の間をすり抜け、地面を淡く照らし出す。呼吸を整え、周囲に注意を向けると、鳴り止まない雑音が夜間活動中の鳥と虫の大合唱だと初めて気付く。

 

「いい加減に諦めろよ」

 

 そう薄ら笑いを浮かべるのは、左の瞳に下陸と刻まれた鬼。体格は小柄だが、影を操る血鬼術が厄介だった。分身である影の鬼の頸は、いくら落としたところで何の意味もなく、煙のように直ぐに元の姿へと戻ってしまう。しかし、影をどうにかしなければ、本体への攻撃は難しい。

 玲士は、視線を落とした先、左手の刀を強く握り締めた。刀身は、二尺五寸。錆納戸の刃を持つ苦楽を共にして来た相棒だ。腹部を押さえる右手の指の間からは、血が滲み出る。状況は最悪だった。直ぐに攻撃へ移れるよう、止血に充分な比重を取ることが出来ない。

 対する鬼は勝利を急がず、時間を掛け、確実に相手を追い詰めて行く性格らしい。

 

(大丈夫。勝機は、まだある)

 

 しかし、一つ問題があった。玲士の足元には、先程から頭を抱え震える、男が居た。その小さくなった背中には、大きく滅と文字の刺繍が施されている。そう、鬼殺隊の隊服だった。

 この男は、鬼狩りだと言うに、腰が抜け、逃げることさえ出来ないで居るのだ。同じ非協力的でも、鬼を斬る意思のあった上野の隊士の方が何百倍もずっとマシである。誰かを守り戦うのは簡単ではない。

 

「死ぬ、俺は死ぬんだ・・・・・・」

 

 男は、出会ってから、ずっとこの調子だった。二人で戦えたら、状況は違かったろうに──玲士は下唇を噛んだ。

 元を辿れば、近くの村で、山菜採りに行った人が帰って来ないと話を聞き、この山に入ったのだ。そして、この男と遭遇し、現在に至る。鬼殺隊とは、極力接触を避けたいところだが、優先すべきは目の前にある命だ。

 

「勝機は、まだあります」

 

 直後、男は、玲士を強く睨み付けた。目に涙を一杯に溜め、こんな時に、何を言っているんだと言わんばかりに訴える。

 

「アイツの目を見たか!? 十二鬼月だぞ!! 俺もアンタも殺されるんだ」

 

 十二鬼月は、鬼の原種・鬼舞辻無惨、直系の最強の鬼である。しかし、玲士に言わせれば、上弦の弐(・・・・)と比べれば大したことはない。名の通り、十二鬼月は十二体存在し、上弦と下弦の半分に分けられる。そして、対峙している鬼は下弦の陸で、奴らの中で最弱(・・)なのだ。

 

「俺に考えがあります。どうせ死ぬなら、やりきりましょう。力を貸して下さい」

 

 痛みに堪え、体を屈めて男の目を真っ直ぐ見た。連携は、互いの信頼が何よりも大切だ。まずは、この男の気持ちを戦いに向けなければならない。

 

「ど、どうすれば良い?」

「鬼の気を引いて、時間を稼いで下さい」

「でも、またあの影が・・・・・・」

 

 男の言う通り、あの影をどうにしかしなければ、本体の鬼の頸を取ることは出来ないだろう。それも、影は影だけに、暗がりに入られてしまうと、姿、位置関係が分からなくなるのだ。影に気を取られ過ぎると鬼本体からの攻撃が、逆に鬼本体に気を取られると、影に背後を取られ暗闇に飲み込まれる危険性がある。

 

「鬼は慎重な奴です。話でもしてみて下さい」

「は──何、馬鹿なこと!!」

「意外と多いんですよ、お喋り好き」

 

 玲士の言葉に、男は完全に諦めた顔をする。

 

「貴方の背は取らせません、木を切って行くので避けて下さい」

「わ、分かったよ・・・・・・。やれば良いんだろ!!」

「信じています」

 

 二人は、二手に別れた。玲士は、居場所を悟られないよう、鬼と一定の距離を保ちながら体を低くし、木の選別に入る。

 

「く、ぅあああ!!!!」

 

 男は、叫びながら大木から飛び出した。

 

「手間取らせやがって」

 

 鬼の足元から、人を型どった影が現れる。

 

(────集中)

 

 静かに素早く、気配を消すように、男と影の位置を目視で確認しながら、次々、木に刀を振り下して行く。

 影は不滅ではない──影自身の攻撃時は、実体を持って繰り出されるのだから。

 影が男の背後に回るのを予測し、木を倒して行く。予想通り、影は、木が倒れたのに反応し、煙と化しては回避をした。男も避けながら、必死に剣を振るう。周囲には、木が倒れる度に土ぼこりが舞い、足場も視野も悪くなる。

 

(反応が遅れた、やっぱ視覚か)

 

 恐らく、鬼自身の視覚情報が影に反映されるのだろう。相手の居場所を把握するのが遅れれば、影の動きは遅くなる。

 影を動かすのに必死で、鬼は注意散漫になって居た。そして、ほこりが晴れ、木が倒されて見晴らしの良くなった場は、鬼、影、男の位置を容易に把握が出来た。玲士は、鬼に目掛けて、突撃をする。一気に間合いを詰め、残り数歩で手を伸ばせば届く程の距離となった。玲士に気付いた、鬼の目が大きく見開かれた。

 左手の刀を右斜め後ろに振り上げた。直後、背後に気配を感じ、咄嗟に地面を蹴り上け体を捻る。飛びかかって来た影の頸を斬り落としたが、鬼に対しては背を見せる格好だ。

 

(青の呼吸、弐の型)

 

 玲士の頸に手刀が襲う。

 

雷光(らいこう)!!」

 

 賭けだった。己の直感を信じ、振り向きざまに刀を真一文字に抜く。

 

「──なっ」

 

 先に届いたのは、玲士の刃だった。刃が振り抜かれた鬼の体は、頭と胴体に切断される。次第に灰へと姿を変え、風に流され散り散りとなる。玲士の首の切り傷から、一筋の血が涙のように伝った。相討ち寸前だった、鬼の指を掠めて出来たものだ。鬼の腕があと少し長ければ、あるいは、玲士の腕が少し短ければ、勝者は入れ替わっていたのかもしれない。  

 

「勝った・・・・・・」

 

 緊張の糸が切れて、玲士は足元から崩れ倒れた。一度力の抜けた体は自分の体じゃないみたいに重く、起き上がることが出来なかった。次第に意識が遠のく。目は霞み、耳鳴りが酷くなる。僅かに残る意識は長くは続かなった。

 

 

2

 叫びに近い男の声と振動で、玲士の目は覚めた。

 

「もうすぐで助かるからな!!」

 

 瞼を開くと、あの隊士におぶられていた。

 

(そうか、無事だったか)

 

 夜は明け、低い位置から陽が差す。太陽の眩しさに目を細め、再び今日と言う日を迎えられたことに、玲士は、言葉に出来ない安堵を感じた。

 

「良かった」

 

 掠れた喉から絞り出された言葉。玲士は瞼を閉じた。

 

「お、起きたのか!? ちょ、待て、寝るな、起きろ!! 起きろって!!」

 

 直ぐ近くにあった声は、だんだん遠くになり、再び意識を手放した。

 

 

3

 ツンと鼻孔をくすぐる消毒の香り。玲士の視界へ初めに入ったのは木の天井だった。横たわる体に伝わるのは、少し固めの布の感触。ベッドの上だった。

 

(ここは、何処だ)

 

 首を振り視線を彷徨わせると、左右と足元向かい側には、白いシーツを纏ったベッドが並べられているのが確認出来た。真っ先に思い付くのは、病院。だが、まずは自分の状況確認が最優先だ。傷んだ体を無理やり起こし、左腕に繋がれた、一本の細い点滴の管を引き抜く。

 

 (──刀は?)

 

 いつ何時も手の届く範囲に置いていた、愛刀が見当たらなかった。一瞬で、不安と焦りに頭が支配される。

 左手でズキズキ痛む腹部を押え、壁に持たれ掛かる様にし、広い屋敷の中を探す。手当たり次第に、木の引戸を開けるが、見つからなかった。

 

「そこの貴方!! 何しているんですか!?」

 

 玲士は、下ばかり見ていた顔を上げると、一人の少女が立っていた。手を腰に当て、眉間にシワを寄せている。彼女は、怒っていた。

 

「病室に戻りますよ」

 

 歩み寄る少女に、反射的に後退った。白い看護服の下に、鬼殺隊の隊服(・・・・・・)を着ていたのが目に入ったのだ。

 

「もう、大丈夫です」

「その体で無茶なことを言わないで下さい」

 

 伸びた少女の手を反射的に叩く。

 

「刀、刀を返して下さい」

「その体では、お返し出来ません。二度と刀を持てなくなっても良いんですか? 怪我が治れば、お返ししますので、大人しくして下さい」

 

 険しい表情は緩むどころか、険しさを増している。手の掛かる患者に慣れているのだろう、少女は決して引くことはなく、厳しい視線を玲士に浴びせ続ける。

 

「──何か問題でもありましたか?」

 

 背後から、新しい女の声。逃げ場を封じられたと思うと、玲士の汗は止まらなかった。

 

「し、しのぶ様。この者が病室を抜け出して、勝手に動き回るもので」

 

 少女の態度が急に大人しくなる。つまり、相手が上の立場の人間と言うことだ。まだ交渉の余地は残されている、玲士は思った。

 

「なるほど、なるほど。それは、困りましたね。アオイが手を焼くとは」

 

 頭を捻じり、しのぶと呼ばれた女の顔を盗み見る。息を飲むほどの綺麗な顔立ちだった──そして、想像よりずっと若い。

 しのぶは、口では困ったと言うものの慌てた様子はなく、むしろ落ち着きのあるものだった。

 

(ずいぶんと余裕じゃないか)

 

 玲士は、しのぶに体を向き直し、口を開く。

 

「助けて頂いたことには感謝します。ですが、刀は返して下さい」

「それは、ちょっと難しいですね。自覚がないようですが、貴方は重症です。刀を返して、今度は病室ではなく、蝶屋敷から出て行かれては、もっと困りますし」

 

 微笑みを崩すことなく、しのぶは淡々と話す。

 

「・・・・・・蝶屋敷?」

「はい。ここは、私、蟲柱の胡蝶しのぶが管理する蝶屋敷です。怪我をした隊士の治療のために開放していたりもするんです。御存知ありませんでしたか?」

 

 声も表情も怒っていた少女──アオイの影響か、しのぶの絶えることのない笑みに、少し気味の悪さを覚えた。このままでは、相手の思い通りである。

 刀はない。怪我で、まともに動けない。相手は柱とその部下。どうすれば、この状況から抜け出せるだろうか。思考が雁字搦めになって行く。玲士の口から出た言葉は、その場しのぎにもならない言い訳じみたものだった。

 

「俺は・・・・・・鬼殺隊じゃない」

「どう言う意味でしょうか? 隊服を着ていなかったのは気になるところですが、日輪刀を持ち隊士ではないと? この場を去るための言い訳にしては、嘘が下手過ぎですよ」

 

 しのぶの声が遠くから聞こえる。心なしか、息も上がる。玲士の視界は、ぐにゃりと歪んだ。目眩に耐え切れず、床に膝を落とした。

 

「大丈夫ですか!?」

 

 駆け寄った、しのぶの少し焦った表情に、玲士は何故かホッとした。

 

 

4

 この日、しのぶは鬼殺隊当主・産屋敷耀哉の屋敷の元を訪れていた。理由は言うまでもなく、『自分は、鬼殺隊ではないと言う少年』についてだ。初めは、蝶屋敷から逃げるための咄嗟に出た嘘である、そう考えていたが、不可解な点があることから、しのぶは耀哉へ報告をしていた。

 

「報告によると、日輪刀を持ち、呼吸を使い、だが、自身は鬼殺隊ではないと言う少年だったね」

「はい。屋敷を抜けるための世迷言だとは思いますが、隊服を着ておらず、鎹鴉を連れていなかったのが気になる点です。現場に居合わせた隊士は、後から来た応援だと証言していますが、下弦の陸を倒す実力を持つ者となれば、限られます」

 

 柱になる条件の一つでもある《十二鬼月》を倒すこと。それだけの実力を持つ者となれば、それ相応の階級と隊歴であろうことは想像が出来た。しかし、しのぶは少年の顔に心当たりはなかった。蝶屋敷のカルテも確認したが、特定までには至っていない。

 

「少年の特徴は?」

「年齢は、恐らく十代半ばから後半の間。身長は、百七十センチ前後で、黒目黒髪。持っていた刀は、深い緑がかった青で、納戸色に近いです。後ですが──その刀を叩いたのは恐らく西越周(にしごえしゅう)さんかと」

 

 その名に、耀哉は僅かに口角を上げた。しのぶは、それを見逃さなかった。この人は、何かを知っている、そう感じ取った。

 姉・胡蝶カナエの担当だった刀鍛冶(西越周)は、自分の叩いた刀の刃元に特徴のある印を残す癖があった。その印が、あの少年の持つ刀にもあったのだ。 

 

「そうか。彼のことは私の方で調べよう」

「彼は、元隊士と言うことはありますか?」

 

 しのぶは間髪入れずに問う。過酷な鬼殺隊の環境に耐えられず、肉体的理由、心身の理由などで、辞める者は多い。中には、家の借金返済のため、半ば強制的に入隊させられた者が失踪し、刀と隊服を持ち逃げする場合がある。たいていは、質屋に売り払われてしまうが、元の生活に馴染めず、反社会的勢力の用心棒まがいをすることで、生計を立てている者もいると聞く。そう言った輩には、引退した隊士を派遣し、隊服と刀の回収に当たっているそうだが、詳しいことは、しのぶは知らない。

 

「その可能性も考えて、調べるよ。しのぶは、治療を頼むね」

「御意」

 

 頭を深々と下げる。柱と言っても、鬼殺隊の全容を知っているわけではない。特に資金繰り、運営に関しては、産屋敷家と名のある鬼狩りの家々で、決めているそうだ。

 鬼殺隊の創世記から続く刀鍛冶の家、西越が叩いた刀と身元不明の隊士──しのぶは、ただ何事も起きないことを願った。




東衛玲士
武器は、ずば抜けた洞察力。格上の鬼だろうと、戦術で対等な戦いに持ち込む、実戦で実力を発揮するタイプ。単独行動を好む一方、連携を取ることを得意とし、裏で作戦を立案する参謀向き。今までの戦いを記録しているとか。

胡蝶しのぶ
玲士の治療に当たる。蝶屋敷に担ぎ込まれ数日は、危険な状況で付きっきりで看病をした。にも関わらず、目覚めた玲士は勝手に病室を抜け出してしまう。問題児の扱いには慣れているしのぶだが、この行動には強い憤りを感じた。


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第12話 走馬燈

1

 玲士(れいし)にとって、兄の誠也(せいや)は、憧れの存在だった。勉強が出来て、体を動かすのが得意で、優しくて、何事もそつなくこなす姿に、自分もああなりたいと思った。

 物心が付いた頃には、兄の後ろを付いて回っては、よく真似をした。──鬼狩りは、その内の一つだった。

 秋、深まる──日中は涼しく過しやすい気候であるが、朝晩は肌寒く、季節は冬へと刻々と移り行く。

 学校から帰宅した玲士が向かったのは、東衛(とうえい)家の屋敷の離れに位置する道場だった。十二歳を迎えた玲士は、鬼殺の剣士になるための稽古を父から受けている。

 町の東向きに位置する屋敷は、広大な敷地と厳重な警備体制を持ち、周囲からは、(あずま)御殿と呼ばれていた。辺り一帯を取り仕切る名士が住む屋敷の呼び名に相応しいだろう。

 

「肩が上がり過ぎた」

 

 父の言葉に従い、玲士は手に持つ竹刀を構えた状態で肩の力を抜く。チラりと厳しい目付きの父の様子を確認する。

 父の行平(ゆきひら)は、東衛家の当主である。かつては、水柱として十二鬼月の頸を取った経験もあり、凄い人だったらしい。と言うのは、玲士が生まれる以前にとっくに引退していた。当時のことは、どの話も人伝に聞いたに過ぎない。

 

「よし、腕を少し引け」

「はい!!」

 

 玲士は稽古を初めて、まだ日は浅い。叩き込むように、構え、竹刀を振り上げ、振り下ろす、一連の動作の繰り返しだった。いつになったら、真剣を持たせてくれるのだろうか──面と向かって言えば、『良い加減にしろ』と叱られるだろう。下手をしたら、竹刀が飛んで来るかもしれない。

 

「いーち」

 

 父の掛け声と共に竹刀を振り上げ、正面に振り下ろす。体の軸がズレないよう、竹刀の軌道がブレないよう、神経を集中させた。何回も何回も繰り返す。息が上がり始めた頃、父が右手を上げた。

 

「そこまで。今の感覚を忘れないように」

「ありがとうございました」

 

 一礼し、今日の稽古が終わった。

 

「誠也を呼んで来なさい」

 

 玲士は、兄を呼ぶため、竹刀を片手に道場を飛び出した。玄関へ向かう途中、竹刀を軽く握ってみる。右手が上、左手が下、普段とは逆の握りだ。直後、後頭部を硬い何かで叩かれた。ジーンと、鈍い痛みが広がる。

 

「いっ、たぁ」

 

 振り返ると、竹刀を持った父が立っていた。

 

「良い加減にしろ。体に覚えさせるものは、とにかく最初が肝心だ。勝手な真似をするな」

「ごめんなさい・・・・・・」

 

 ────玲士は、左利きである。

 剣術に限らず、礼儀作法など、右利きを基準に考えられた仕来りは多い。しかし、鬼狩りは違う。鬼を斬ることが第一優先であり、常識や伝統の型にはまらない、流動的な対応と考えが常に求められる。そのため、父は玲士の刀の持ち方を直すことはしなかった。使いやすい方で使え、それが教えだった。もっとも、普段の生活は矯正の右利きとして過ごしていた。

 

「分かったら、早く行け」

「・・・・・・はい」

 

 小走りで、兄の部屋へ向かった。部屋の前で声を掛ける。

 

「兄ちゃん。父さんが呼んでるよ」

 

 戸が開き、兄が姿を現す。

 

「ありがとう。ゆっくり休め」

 

 大きな手が玲士の頭に乗る──が、痛みで反射的に頭を避けた。

 

「悪い、嫌だったか?」

「さっき父さんに竹刀で叩かれたから」

「また、何かしたのか?」

「別に」

 

 口を尖らせる玲士に、兄は微笑みかける。

 

「兄ちゃんの真似をするのも良いけど、自分の好きなこと、やりたいこと、得意なこと、それを見つけるのも大事だぞ。いくら兄弟でも、兄ちゃんと玲士は違う人間なんだから」

「うん」

 

 兄みたいになりたい──そう言うことは出来なかった。最近の兄は、疲れている。目の下にはうっすらと隈の跡があり、顔は笑っているが元気がない。きっと、自分がわがままを言えば、また余計な心配を掛けることになる。

 

「じゃあ、父さんの所へ行くから。ちゃんと、勉強もしろよ」

 

 玲士は、兄の背を見送る。十五歳になった兄は、今年、鬼殺隊へ入るための最終選別に行く。重圧が、どれほどのものなのか、この時は想像もつかなかった。

 

 

2

 ────数カ月後。

 深夜。廊下から聞こえる、ギシッと床の沈んだ音で玲士は、目覚めた。これで何度目だろうか。しばらく前に初めて聞いてから、自然と起きるようになった。

 足音の主は、隣の部屋の兄だ。必ず足音は、行って数時間後には帰って来る。兄は来月、最終選別へ行く。刀を手に、鬼を斬り、生き残らなれけばならない。

 少し前、鬼気迫る勢いで刀を振る兄に声を掛けたことがあった。鍛錬の量が度を超えている、そう思ったからだ。でも、兄は笑った。心配ないと、そう優しく微笑むと、いつものように、玲士の頭を撫でた。

 

(兄ちゃんは、誰よりも強いんだ)

 

 玲士は、布団を頭から被ると固く瞼を閉じた。

 翌日。玲士は、道場の窓を少し開け、こっそりと中を覗いていた。視線の先には、父と兄の姿。父は、個別指導しか行わないため、兄がどのような稽古を受けているのかは知らなかった。

 

「全く・・・・・・経てば・・・・・・ように」

 

 父は腕組みをして、何か言っているが上手く聞き取れない。

 

「もう一度、お・・・・・・し・・・・・・」

 

 兄は父に頭を何度も下げている。状況がよく分からなかった。

 

「──玲士様」

 

 肩に人の手が乗り、全身の鳥肌が立ち、心拍数が上昇する。二人に集中し過ぎて、人の接近に気付かなった。恐る恐る、振り返れば、立っていたのは父の側近だった。

 

「びっくり、した」

「お二人の邪魔をしては行けませんよ。戻りましょう」

 

 側近は、咎めることはなく、柔らかな口調で諭す。玲士は、大人しく諦めると、母屋へと戻ることにした。

 

「やっぱり、長男って大変なのかな?」

「さぁ、私にはさっぱり検討が付きません」

 

 側近は肩をすくめると、「次男なので」と付け加えた。その言葉に、玲士の歩みが止まった。思い付いたように口を開く。

 

「俺、影次(かげつぎ)みたいになるよ」

「私みたい、ですか?」

「うん。だって、影次は父さんの側近でしょ? 当主の一番近くに居て、相談をしたり、力になってあげたり。だから、俺も兄ちゃんのことを支えられるようになりたいなって──」

 

 兄の名を叫ぶ、父の怒号が響いた。何ごとかと思えば、道場の戸が乱暴に開けられ、姿を現したのは兄。後方では、顔を真っ赤にさせた父が再び叫ぶ。

 

「誠也!! 勝手にな真似は許さんぞ!!」

 

 兄は父の言葉を無視すると、側に居た玲士と側近に見向きもせず、母屋へと消えて行った。玲士は考える前に足が動いた。兄の背を追う。

 

「兄ちゃん」

「付いて来るな」

「兄ちゃん!!」

 

 自室の前で兄は足を止めると、声を震わせた。

 

「もう止めてくれよ・・・・・・もう、そんな目で見ないでくれ」

 

 非の打ち所のない完璧な兄、弱音を聞いたのは初めてだった。何か言わなければ、そう思い開けた口からは声が出ず、玲士はどんどん突き放されて行く。

 

「前に言っただろ、俺とお前は違う人間だって。お前には、俺の気持ちは分からないよ」

 

 冷たい瞳は、これ以上は近寄るなと警告をする。玲士は、黙って立ち尽くすことしか出来なかった。

 そして翌朝、兄は父の刀と共に姿を消した。

 

 

3

 誠也の家出から、八ヶ月の月日が経った。玲士は、父の稽古を放棄した。兄のようになりたくて始めた稽古、兄が居ないのなら目指すものなど無かったし、兄を追い込んだ父に従いたくなかった。初めのうちは、両親や周りの人間から様々な言葉をぶつけられたが、諦めたのか今はもう放任されている。

 玲士は、自室で読んでいた本を閉じると、深い溜め息と共に天井を仰ぐ。

 

(自分は、この先どうなるのだろう)

 

 このまま中学を卒業し、高等学校にでも進むのだろうか。本来であれば、卒業を待たず、最終選別を受け鬼殺隊に入隊するのが定めである。

 椅子から立ち上がると、玲士は廊下へ出た。両親の寝室と面する縁側へと足を運ぶ。この夜の時間帯になると、両親の会話が漏れ聞こえる。苛立つ父と泣く母の声だ。このままではいけない、頭では分かってはいるが、見てみぬ振りの傍観者で居ることしか出来なかった。

 しかし、今夜は違った。縁側には、腰を掛けた母が居た。玲士に気付くと優しく微笑む。

 

「少しお話ししない?」

「あ、うん」

 

 玲士は呆気に取られた。母は最近、情緒不安定だった。久々に見た笑みに、あろうことに戸惑ってしまった。自身への嫌悪感を胸の奥に抑え込み、母の隣に腰を降ろした。

 

「お父さんはね、玲士とお兄ちゃんが嫌いで厳しくしていたわけじゃないのよ」

 

 黙って母の言葉に頷く。玲士を諭すように話は続けられた。

 

「貴方には人を守る力がある」

 

 母は、玲士の頬をそっと撫でると、続けた。

 

「玲士なら、お兄ちゃんの分もきっと頑張れるから」

 

 真っ直ぐ見つめる瞳に、玲士は視線を反らすことが出来なかった。でも、素直に肯定することは出来ない。

 

「もし、お兄ちゃんが帰って来たら、玲士は『お帰り』って言ってあげてね。お父さんも、お兄ちゃんも意地っ張りだから。また、あの二人喧嘩しちゃうかもしれないでしょう? 玲士が、二人を助けてあげてね」

 

 優しく、儚げな笑顔だった。──これ以上は、悲しませてはいけない。玲士の中で素直に込み上げた感情だった。母から視線を外し、闇夜の空を見上げる。

 

「うん。俺、頑張るから」

 

 自信があるとは言えない震えのある声だったが、母は「ありがとう」と、また優しく笑った。

 母が自ら命を絶ったのは数日後のことだった。

 

 

4

 それは、偶然ではなく予感だった。

 玲士は、屋敷の大人たちの纏うピリッとした空気が気になっていた。定期的に開かれる、親族会議の前によく見る光景だが、それとは少し違う様子に見えたことが引っ掛かっていた。もっとも、兄の家出、母の自殺、度重なるできごとに屋敷内では重い空気が流れているのもまた事実だった。

 そして、予感は的中することとなる。夜遅く、同じ敷地内の別の建屋に住む親族、使用人ら屋敷中の者が招集されたのだ。

 大広間に集まった大人たちにバレないよう、玲士は、廊下で聞き耳を立てていた。声が掛かっていないのは、玲士と従兄弟だけのようで、未成年は除外されたようだった。

 

「突然の招集に集まってくれて感謝する」

 

 父の挨拶で、話が切り出された。

 

「先日、鬼殺隊本部からある連絡が入った。──東衛誠也に殺人の容疑あり」

 

 その言葉に玲士は、耳を疑った。意味が理解出来なかった。

 

「調査段階のため、詳細は公表出来ないが、この屋敷付近に現れる可能性は充分にあるだろう。奴は帯刀の可能性があると聞いている。遭遇時は、速やかに報告の上、屋敷内に誘導せよ。質問は一切受け付けない。以上、持ち場に戻ること」

 

 話が終わると、ゾロゾロと人が出て来る。動けなくなった玲士は、誰かに腕を引かれると暗がりに連れて行かれた。 

 

「旦那様に見つかったらどうするんてすか!?」

 

 側近は慌てた様子で口を尖らせた。

 

「今の話、本当なの?」

「聞いていましたか・・・・・・私は昨日聞かされました。にわかには信じがたいですが、旦那様が家全体への周知を行うと言うことは、ある程度の確証を持った上でのことだとは思います」

「そっか」

「玲士様もくれぐれお気付け下さい」

 

 側近は会釈をし場を離れた。

 俯く玲士の脳裏に雪崩込んだのは、兄と母との記憶だった。

 

 ──『兄ちゃんと玲士は違う人間なんだから』『もう、そんな目で見ないでくれ』『お前には、俺の気持ちは分からないよ』

 

 兄を追い込んだのは自分のせいなのだろうか。

 

 ──『貴方には人を守る力がある』『玲士なら、お兄ちゃんの分もきっと頑張れるから』『ありがとう』

 

 母が自ら命を絶ったのは、自分が言葉を間違えたからだろうか。

 

「いや・・・・・それだけじゃない」

 

 この時、初めて鬼狩りの家に生まれた意味を理解した。




東衛玲士
衰退の一途を辿る鬼狩りの家の次男。鬼狩りを志したのは兄の誠也への憧れに起因するもので、家業を継ぐ意識は低かった。故に、兄の家出後は鍛錬を放棄、その後、自殺した母との約束を果たすべく独学による鍛錬を再開する。

東衛誠也
衰退の一途を辿る鬼狩りの家の長男。呼吸の会得が出来ず、剣士は諦めるよう父に諭される。周囲の期待と玲士の羨望の眼差しから、逃げるように家を出たが、実は父の刀を無断で拝借し、最終選別への参加を試みたが・・・・・・。

東衛行平
室町時代から続く鬼狩りの一族、東衛家の当主。婿入りをしている。鬼狩りと関わりのない家の生まれだが、幼い頃に戦争で家族を失い、流れ着いた先が鬼殺隊だった。恵まれた体格と努力により、水柱に登りつめた経歴がある。


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