ご注文はお話ですか? (お日様ぽかぽか(zig))
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ひと目で素敵な喫茶店だと見抜いたよ

 カラン。

 

 落ち着いた木製の扉を開けると、ベルが鳴った。

 私が足を踏み入れると奥にあるカウンターから一人、青い長髪の少女が迎え出てくれた。

 

 「いらっしゃいませ。ラビットハウスへようこそ」

 

 優しげな、でもどこか無愛想な声。

 まるで隠れ家のよう、静かなひと時を楽しめそうな店内にとてもよく馴染んでいる彼女は、私を右側のテーブル席へ案内すると、さっそく注文を聞いてきた。

 「じゃあ、ブルーマウンテンを貰える?」

 「ブルーマウンテンですね。少々お待ち下さい」

 軽く頭を下げた彼女はしずしずとカウンターへ戻ると、中にいた一人の女の子へ声をかけた。

 「リゼさん。ブルーマウンテン一つ、お願いします」

 「ああ、了解した」

 短く、はきはきとした受け答えが聞こえる。

 肩にかけていた荷物を降ろしながらそちらを改めて見やると、紫色の髪を長いツインテールに纏めた少女が、厨房で作業を始めたところだった。

 

 リゼ、というらしいスタッフは、注文を取ってくれた彼女よりも幾分か背が高い。何か運動系の習い事でもしているのか、背筋をピンと伸ばして両手を動かす彼女の周囲には、涼やかな風が吹いているようだった。

 高校生かな。

 可愛い髪型をしている。清楚な仕事着が絶妙な加減で彼女の可愛らしさと凛々しさとを織り交ぜて、質素なカウンターに花を添えているようだった。

 一方の、先程注文を取ってくれた彼女は……。小さい。小学生、でも通りそうな。

 でも、しっかりしている。背丈に似合わない落ち着き具合と、物事に動じない大人しそうな表情から見るに、恐らくは中学生かもしれない。

 リゼさん、に注文を言い渡した彼女は、一緒にカウンターの中で並ぶと、カップを取り出した。多分、私のコーヒーを淹れる為の、小さな白いカップだと思う。

 「あの~」

 「は、はい!?

 後ろから声が。びっくりした……。

 「ああ、驚かせてしまってすみません。すごく熱心に彼女達を観察されていたものですから、つい……」

 振り返ると、私と背を合わせるように座っている女性がいた。

 いつの間にいたのだろう。さっきここまで通された時には、いなかった気がするのだけれど……。

 というか、背を向けあっているのに、どうして見ていたことがわかるのだろう。

 と、そんなことより、弁解しないと!

 「あの、 決して怪しい者では……!」

 「あは。大丈夫です~。可愛らしい彼女達の仕事姿に見入るその気持ち、とても良くわかります~」

 「は、はぁ……」

 なんだかふわふわした女性だ。言動を現す様に、服装も緩めな印象を受けた。

 「よろしければ、そちらに、相席しても?」

 「あ、ど、どうぞ」

 「ありがとうございます~」

 言って、鞄とコーヒーカップ、そしてペンや原稿用紙を手に取った彼女は、するすると歩いて私の目の前に着席した。

 「私、青山ブルーマウンテンといいます~。失礼ですが、あなたは……?」

 「あ、わ、私、布衣(ふい)といいます。来桜 布衣(こおう ふい)」

 「あら~! 素敵なお名前ですね~!」

 「あの、作家さん……なんですか?」

 「ええ! 私、小説家なんです~。ネタ探しによくこうして喫茶店へお邪魔しているんですよ」

 語尾をよく伸ばす人だなぁ。

 そんなことを考えていると、さっき厨房で作業していたリゼさんがカップを持って歩いてきた。

 「お待たせしました。こちらブルーマウンテンです。どうぞ」

 「あ、ありがとう。いただきます」

 「リゼさん。私にはおかわり、いただけますか?」

 「かしこまりました。チノー。青山さんにキリマンジャロ一つ、追加だ」

 わかりました、と一言呟いた、チノ……ちゃん、は、不必要に音を立てることなく作業を開始した。よく見ると、さっきまではいなかった白くてもふもふした何かが頭の上に乗っている。

 「あ、あれはティッピーって言うんですよ~」

 「あの白い、ふわふわしたもの……ですか?」

 「はい~。ティッピーさんはとても大人しくて、よくチノさんの頭の上に乗っているんです」

 「ちなみに、ウサギなんですよ。アンゴラウサギっていう品種の」

 「へぇ……」

 青山さんとリゼさんに説明されるままの私は、まじまじと白くてふわふわした、ティッピー、を見つめた。

 一体どうやってバランスを取っているのか。小さく動き回るチノちゃんの頭へ器用に乗ったまま、珈琲の出来る行方を静かに見守っている。

 その様子を目で追いながら、差し出されたカップを持ち上げて、啜った。

 香りが広がる、美味しい珈琲だった。

 「ん~。おいしい~……」

 「ええ。とっても良い香りがするでしょう? フルール・ド・ラパンや甘兔庵ともまた違う魅力で、私達を楽しませてくれるんです」

 そう言って優しく微笑む青山さんは、有名なチェーン店と、まだ訪れたことのないお店の名前をさらりと上げた。そして、呟きを終え目を閉じた彼女は、深く息を吸い始めた。

 まるで、珈琲の匂いだけでなく、このお店に漂う落ち着いた雰囲気まで、身体の内側へ引き寄せていくような……。

 「お待たせしました」

 目の前の女性に見とれていた私は、いつの間にか傍へ来ていた少女の声に引き戻された。

 「あら~! ありがとうございます~!」

 「青山さん。原稿はどうですか」

 「見ての通り。全く進みません」

 「いいのかそれで……」

 物静かで一見近寄りがたいチノちゃんも、リゼさんの放った呆れ気味の一言に目配せして同意を示していた。

 意外。結構、喋るんだ。

 無口そうに見えたチノちゃんは、リゼさんとも、そして青山さんとも、口数少ないながら会話に興じている。

 雰囲気が暖かい。青山さんは、かなりの常連さんなんだろう。

「やっぱり大変ですか。小説を書くっていうのは」

 つい聞いてみたくなって、私は口を開いた。

 いささか急な問いかけだったかもしれないけれど、青山さんは優しく答えてくれた。

 「ええ。でも、こうして可愛らしい店員さんの入れてくれた珈琲を嗜みながら、マスターが大切にしていたラビットハウスの空気を堪能するだけで、こう、何となく、いいアイディアが浮かんできそうな気がするんです」

 「そういうものかな? なあ、チノ」

 「どうでしょうか。でも、そう言ってもらえるなら、おじいちゃんもきっと喜んでいると思います」

 チノちゃん自身が感じた喜びを本人が全て表すかわりに、頭の上に乗っている兔が得意げに鼻を鳴らした。……ような気がした。



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部屋をきらめかせたのは、無邪気な青と静かな赤。そして無口な彼女

 「おじいさんが、ここのマスター?」

 「おじいちゃんは……。今は父が、ここのマスターです」

 「あっ……。ごめんなさい」

 「いえ、気にしないでください」

 あまり変わらない表情の中に少しだけ悲しい色を見た気がして、すぐに謝った。

 今の一言は、まずかったな。

 気まずい雰囲気が流れようとした。けれどそこへ、場を取り持つように青山さんが口を開いてくれた。

 「マスターは白いお髭を生やした、すごくダンディーな方だったんですよ」

 「……! 青山さん、ご存じなんですか?」

 「ええ。私が学生の頃、よく小説を読んでもらっていました。読み終わった後一言だけ、照れくさそうに感想を言うお姿がとてもチャーミングな方でした」

 「へええ……」

 青山さんの目が遠くを見て、懐かしがっている。慕われていたんだなぁ。

 「会ってみたいなぁ。私も」

 「大丈夫です~! 今でも時々、マスターのお声が聞こえますから!」

 ……自信たっぷりに言ってるけど、それって!

 

 カランカラン。

 

 扉を開く音が急に聞こえて振り向くと、二人の女の子が立っていた。

 「やっほーチノ!」

 「遊びに来たよ~!」

 元気に右手を掲げる、青い髪の少女。最初の声は、こちらからみたい。

 もう一人。赤くて長い髪を下側でツインにまとめた、ふわりとした雰囲気の女の子。こちらは、左手を胸の前で小さくひらひら動かしている。

 「マヤさん、メグさん」

 「おっ。揃ったかチマメ隊」

 「リゼ―。お腹すいちゃった。何か食べさせてー」

 「いきなりたかるなー!」

 「青山さんこんにちはー」

 「こんにちはです~」

 笑顔の眩しい二人が加わって、私がいるテーブルは一気に賑やかさを増した。

 紫色のツインテールが可愛く揺れるリゼさんへぴょこんと近づくマヤと呼ばれた彼女は、メグちゃんよりも背が小さいけれど元気な子みたい。

 肩にかかるほどの髪が頭を可愛く包み込んで膨らんでいる。その繊細な髪の毛も、彼女が動く度に連れだって跳ねた。

 そんな彼女の後ろから静かに歩いてきたメグちゃんは、私の目の前に座る青山さんへ挨拶をした。

 丁寧に頭を下げて挨拶を終えるメグちゃんの印象は、大人しくてマイペース。はしゃぐマヤちゃんの隣にいるせいで、彼女の持つリズムがくっきりと浮かんで見えてくる。

 ここに来て、私は、彼女達二人の着ている制服が同じであることにようやく気が付いた。

 白いベレーに青いリボンをくるっと巻いたような帽子に、同じく白を基調としたセーラー服がペアになっている。

 その中でも目を引くのは、胸元から降りる深い青色のネクタイと、品よく足元を落ち着かせる真っ白いスカートだった。

 膨らみをたたえる布から下、彼女たちの幼くとも元気な両足が見える。

 彼女達が身に着けるホワイトソックスと小さな茶色い革靴も手伝って、清楚さを全身に行き渡らせていた。

 その姿は見る者すべてに小さな天使か純白の妖精を思い起こさせる。可愛い制服だった。

 「あれー? 新人さん?」

 「こらっ! お客様だぞ!」

 「あっ、いいんですよ! こんにちは。えーっと、マヤ、さん」

 「マヤでいいよ! 条河 麻耶っていうの! よろしくね!」

 「あ、あの……」

 「あ、こんにちは! えーっと、メグ、ちゃん……?」

 「は、はい! 奈津 恵です! よ、よろしくおねがいしますー!」

 からっと受け応えるマヤちゃんに、必死で頭を下げてくるメグちゃん。

 うん。インパクトある。覚えやすい。

 「あれー? ココアは?」

 「ココアさんは、遅刻中です」

 「しょうがないやつだよな~」

 「じゃあ人手足りない!? 手伝ってあげよーか!」

 「あ、私も~」

 「いえ、大丈夫ですから。座っていて下さい」

 「ちぇー! メグ、アイスココア飲もっ!」

 「さんせーい! アイスココア~!」

 「しょーがないな。ちょっと待ってろ」

 「あ、リゼさん、私にも、アイスココアを~」

 「青山さんはキリマンジャロを飲んでからにしてください」

 チノちゃんの冷静なツッコミが冴え渡った瞬間、私のテーブルを中心に大きな花が咲いて。

 それはそれは大きな花びらが、落ち着くこの部屋を一層明るくした。



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青山ブルーマウンテンの人生相談窓口、いま再びオープンでーす!

 「ほら。アイスココアだ」

 「ありがとリゼ―! っぷはー! おいしーい!」

 「ありがとうリゼさん。……んー! 冷たーい!」

 カウンタ―へ腰かけたマヤちゃんとメグちゃんの声に耳を傾けながら、私もコーヒーを口にした。

 すごく上品な味がする。

 丁寧に豆を引いて作られたブルーマウンテンは、落ち着いた喫茶店の雰囲気も一緒に私の中へ流れ込んでくるようで、その香りと味にほっとしてしまう。

 舌全体に残る苦みは、そんなとろける気分を引き締めて、落ち着かせてくれた。

 啜った後に、短く息を吐く。

 幸せの一杯に心を奪われながら、目の前にいる女性へ視線を移すと……。

 彼女は万年筆を手に、原稿用紙と対峙して固まっていた。

 どう声をかけたものかな。というより、今は声をかけると邪魔になってしまうかもしれない。

 少し悩んだ末、私は彼女を見守ることにした。

 口からそれほど離さないところでカップを両手に持っていたせいで、滑らかな白い湯気の向こうに青山さんの真剣な、でも優しい顔が見え隠れする。

 さっきから全然動かない。表情は柔らかいのに、頭の中はぐるぐる何かを動かしているのが目に見えるよう。

 作家さんは、やっぱり大変そうだなぁ。

 ずっと見ているのも悪いので、ちらっとカウンターへ視線を戻すと、チノちゃんだけが厨房に立っていた。

 リゼさんは……いなかった。

 

 「ふーっ。ダメですね~」

 諦めを悟ったような声がして目を正面に向けると、青山さんが肩の力を抜いている。

 「書けませんか?」

 「書けませんね~。なにかこう、ピンとひらめくようなインスピレーションがあればいいのですが……」

 言って一口。

 先程頼んだキリマンジャロを口に運んだ彼女は、ふぅ、と、また一息ついた。

 「なになに? 青山さんスランプなの?」

 カウンターから、メグちゃん越しにマヤちゃんの声が飛んできた。ちょうど向こう側に座るマヤちゃんからは、こちらの様子が見えていたみたい。

 「スランプではないんですが……困りましたね~」

 青山さんが言うとおっとりしていて、あまり困ってなさそうに聞こえてしまう。

 「今はシストの地図も持ってないしー。チノー。なにかいいアイディア、ない?」

 「そう言われても……」

 「あ! また人生相談してみたらどうかな? 前にココアちゃんからラビットハウスでやったって聞いたよ!」

 「ナイス、メグ! 青山さん、もう一度やってみたら?」

 「そうですねー。ここはひとつ、やってみましょうか」

 そう言って立ち上がった青山さんは、チノちゃんと二言程会話すると、扉を開けて奥へ行ってしまった。

 「チノー。今青山さんとすれちがったけど、何かあったのか?」

 「リゼさん」

 「私が言ったのー。青山さんがスランプ気味だから、人生相談してお話を聞いてみたらって」

 「このままだと青山さん失職しちゃうよ! そうなったら一大事だよリゼ!」

 「まさか! あの時は大切な万年筆が無くなったからで、今はあるんだし大丈夫だろ」

 リゼさんの言葉を聞いてから前を見ると、青山さんが持っていた万年筆が僅かな反射を伴って原稿用紙の上にきちんと置かれていた。

 「でもでもー。青山さんいつもネタ探して歩き回ってるじゃん! 万年筆だけじゃ越えられない壁があるんだよ!」

 「それはそうかもしれないけど……。でも誰が相談するんだ? 私は今のところ、これといって大きな悩みは無いし……」

 「私はもうちょっと背が高くなりたいかなー」

 「メグー。それは人生相談じゃないでしょ!」

 「えへへ。うーん。困ったなー」

 「チノは?」

 「私は……。……私も、特には。……しいて言えば、今絶賛遅刻中のココアさんがどうしたら絶対遅刻しないココアさんになってもらえるか、でしょうか」

 「そりゃ無理じゃろ」

 「んー! 他に誰か、何か無いのー!?」

 「そういうマヤはどうだ。何か悩みは無いのか?」

 「私? 私はー。んー……。んんー」

 「すぐには思いつかないみたいです」

 四人とも、困ってしまったみたい。腕を組んだり、眉毛を山なりにしたり、お互いの顔を見比べたりしている。

 そうだよね。いきなり人生相談なんて言われても困っちゃうよね。

 でも、私だったら……。もし私だったら、そうだなぁ……。

 「あ!」

 マヤちゃんが大きな声をあげた。

 「どうしましたか?」

 ん? マヤちゃんがこっちを……。

 「おねーえちゃん!」

 カウンター席を降りて、小走りで近づいてきたマヤちゃんが私に笑いかけてきた。

 「相談、ない?」

 「えっ!?」

 「小説家に相談してみたい人生、あるよね!?」

 「えっ、えっ!?」

 ぐいぐい迫ってくる彼女の顔を見ながら、カウンターに助けを求めると……。

 「なるほどー。たしかにあんまり知らない人からお話を聞けば、青山さんも刺激になるかも!」

 ああ! メグちゃん!

 「こーら。お客様に失礼なことするな」

 「あてっ」

 瞳を閉じてチョップによる制裁を下したリゼさんが、やれやれと言った表情でマヤちゃんを退けた。

 「すみません。ご迷惑を」

 「い、いえ!」

 「準備が出来ました~!」

 謝るリゼさんに小さく両手を振って応えていると、部屋の奥から青山さんが意気揚々と現れた。

 服がさっきまでと全然違う。気合を入れるように、白いシャツに黒いベストのような装いを纏った、まさに人の話へ耳を傾けるバーテンダーの出で立ち。

 「ではでは~。張り切って相談を受け付けますよ~!」

 「あ……。持ってきたんですね。それ」

 「はい~。わかりやすい窓口は必要ですから。奥にあったものを引っ張り出してきました」

 とん、と置かれたそれは、アーチを描いて門を作る簡素な窓口だった。

 可愛らしいキャラクターの顔と共に、右側へ縦に書かれた「人生相談口」の文字が今は眩しい。

 「人生相談窓口、再開でーす」

 どーしよう?

 うきうきしている青山さんをカウンターの奥に認めながら、私はリゼさんと無言で質問を交わし合った。



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待つのは君の決定的一言

 「どうぞ、なにかおっしゃってください」

 「は、はぁ……」

 困惑する私の目の前に、これでもかという程微笑みをたたえた青山さんが立っている。

 「えーっとぉ……」

 「はい」

 「そのぉ……」

 「ええ」

 「…………ん」

 「………………ん?」

 沈黙に耐え切れず漏れ出てしまった一言にさえも丁寧に反応してくれる始末。

 ああー! どうしよー!

 「完全に固まっちゃったねー」

 「布衣さんには荷が重過ぎたのかもしれません」

 「ありゃりゃ。二人とも見つめ合っちゃって全然動かないや」

 後ろから見守る三人の声が聞こえてくる。本当に動けない。

 「あの、やっぱり、私では、お話ししづらいですか?」

 「あ! いや、えーっとですね! そんなことはなくて! つまり、その!」

 「ああー。青山さんがネガティブになっちゃったよー」

 「困りましたね」

 「ブルー青山ブルーマウンテンの誕生だ!」

 「もう何がなんだかわからないな」

 ええい! もう何でもいいから何か話そう!

 「あ、あの! 実はですね、私大学生でして。就職活動を控えているんですが、その、何をしたいのかが全くわからなくてですね!」

 「あらー。そうでしたか」

 「で、その、あの、どうしたら自分が納得できる道に進めるかなー、という風に考えに考えていたら疲れ果ててしまって、ふとした拍子に旅行へ飛び出して考えを練り直してみたいと思いまして、気づいたらこの街に来ておりましてですね……」

 「いいですね~! どうにもならない状況をなんとか打開しようとする、その若さゆえの衝動! とてもまぶしいです~!」

 「青山さんが目を細めてるよ~」

 「すごく眩しそうです」

 「青ブルマはいつだって衝動的に動いてる気がするよ?」

 「作家なんだ。そういうものなんだろう」

 「あの、こんな私は、どうしたら自分の道が見えるようになるのでしょうか!?」

 「なるほど……。これは回答のしがいがありそうですね」

 「青山さんが袖をまくったよ!」

 「やる気に満ちてます」

 「頑張れ青ブルマ~!」

 「マヤ! その略し方はダメだってこの前言っただろ!」

 

 一通り自分の気持ちを何とか声に出した私は、静かに内面へ耽る青山さんの顔をじっと見つめた。

 ふらりと立ち寄ったこのお店で思いがけない展開だけど、きっと小説家という職業に就くくらいのこの人なら、不透明な気持ちを明らかにすることができるのかもしれない!

 固唾を飲んで見守る。部屋の雰囲気も、青山さんの一言を待っているみたいだった。

 「……ん」

 「ん?」

 「……あ」

 「あ?」

 みんなの視線を一点にひきつける唇が、言葉を続けようとしたその瞬間!

 「青山先生! 見つけましたよ!」

 ばん! と大きな音と共に後ろの出入り口が開いて、思わず振り返った私は後光の中に立つ女性を見つけた。

 その女性はつかつか、というよりずんずんとこっちへ歩いて来て……。

 「青山先生! 締め切りはもう三日も過ぎているんですよ! 早く原稿をあげてください!」

 「あ、あの、今私、この人の人生相談中で……」

 「まずは追い込みをかけている小説を書きあげてから聞いてあげてください!」

 「あ、あの、あ、あ、あ~!」

 ……ばたん。

 「青山さん行っちゃったよ~」

 「嵐のようでしたね」

 「あーあ。せっかくいいところだったのに~」

 ふう……。

 正直青山さんの言葉は気になるけど、やっぱり自分で見つけないとってことだよね……。

 「はぁ。どうしたらいいのかな~」

 思いっきり息をついて天井を仰ぐ。茶色い天井が、冷静に私を見つめ返してきた。

 「あらあら。どうしたんですか?」

 思わぬ声に視線を戻すと……。誰かいる!

 「わああ!」

 「あらごめんなさい! おどかすつもりじゃなかったんですけど……」

 思わず椅子から転げ落ちそうになった。だ、誰!?

 「あれ。千夜! いつ来たんだ?」

 「さっき凛さんと一緒に入って来たんだけど。みんなあっけにとられていたから、こっそりカウンターへ回ってきちゃった♡」

 緑色に白い水玉模様を浮かべる和服の女の子が、おどけるように言葉を発した。

 「あ、あうあう……」

 「あらいやだわ。そんなに驚かせちゃったのかしら」

 本当にびっくりした。誰もいないと思ったところにいきなりにょきって頭を出すんだもん!

 「ごめんなさいね。私、宇治松 千夜っていいます」

 「は、あ、あ、私、来桜 布衣です……」

 「布衣さんかー」

 「そう言えば名前知らなかったー!」

 ぽかんとしながらも何とか自己紹介を終えた私へ、千夜、さんは、首をかしげながら声をかけてきた。

 「それで、何に迷っているんですか?」

 「あれ? 聞いていたのか、千夜?」

 「ううん。人生相談って書いてあったから」

 「なるほど」

 うあーん! 私はまた恥ずかしい悩みを話さないといけないの!?

 しかも私よりいくつか年下に見える千夜さんに!

 ああーーーー! もうどうにでもなってしまえ!

 「じ、実はですね……」

 「……ふんふん。なるほど~」

 自分でも小さくなっていくのがわかるほど、穴へ入ってしまいたい程恥ずかしい思いを感じながら、私はどこか貫録のある長い黒髪の彼女へつらつらと身の上話を聞いて貰うことにした。



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ぴょん、って。心が踊り出しそうで……とまどっちゃう!

 「つまり、自分が進む道をどう選んだらいいか、わからないのね」

 一通り私の話を聞いてくれた千夜さんが、簡潔にさらっとまとめてくれた。

 「そ、そうです……」

 「千夜。どうだ? 甘兔庵で働いている身として、何かアドバイスできることはないか?」

 私の後ろで、千夜さんと一緒に話を聞いてくれていたリゼさんが言う。

 その言葉に頷きながら口元に手を当てて考え込んでいた千夜さんは、しばらくして顔を上げた。

 「布衣さん」

 「は、はい!」

 「布衣さんは、何か、好きなことはありますか?」

 「す、好きなこと……ですか?」

 「そう。例えば私なら、甘兔庵でお客様に和菓子を振舞ったり、オリジナルのメニュー名を考えることが好き、みたいな」

 「ううん、っと……。……実は、好きなこと、っていうのが、自分では、よく、わからなくて……」

 呟き終えるまでの短い時間でさえも千夜さんの瞳を見ていられなくなって、私はテーブルに視線を落としてしまった。

 

 そう。小さい頃から親の言うままに習い事を続けて、ただ言われるがままに今までを過ごして来てしまった私は、自分が何を「好き」か、ということが答えられない。

 そして何よりも恥ずかしいのは、自分の「好き」がわからないということを、他の人に知られること。

 これまで、周りの人には嘘、とまではいかないけれど、ばれないように話を合わせて生きてきて……。

 つまり、逃げ続けてきた。ずっと抱えていた、自分への課題から。

 でも、それももう時間切れ。

 就職という、逃げられない、そして自由すぎる選択肢が、ついに目の前まで迫ってきてしまった。

 正直に言って、直視できない。

 だから私は逃げるように旅行へ飛び出した。目の前の、大事なことから目を背けて。

 

 「あら。それは大変ね」

 千夜さんが優しく声をかけてくれた。

 その一言はなぜか、私の胸に良く浸みた。

 「好きがわからないかぁ。言われてみれば、好きってなんだろうね?」

 「とても哲学的です」

 右を見ると、マヤちゃんとチノちゃんが話をしている。

 誰も私に「どうして好きがわからないの?」とは聞いてこない。それが私には、ただただ嬉しくて、ほっとした。

 「チノはボトルシップとか、ジグソーパズルとか好きだよね」

 チノちゃんがティッピーを落さないよう、マヤちゃんの言葉へ器用に頷いて答えた。

 「集中してものごとに当たる時間は、落ち着きますから」

 好きなことがしっかりあって偉いなぁ。ああ、私はいつも羨んでばかりだ……。

 「布井さん」

 「は、はい」

 首を軽くかしげる和風の女の子は、長くて綺麗な黒髪を顔の傍に流しながら、優しく微笑みかけてくれた。

 「どうすればいいかわからないなら、いっそのこと、甘兔庵で働いてみますか?」

 「えっ。……ええっ!?」

 「千夜! いいのか? っていうか、甘兔庵で働いて解決するのか?」

 「どうかしら。急な話だし、解決するかまではわからないけれど……。実際に働いてみることで、布井さんに見えるものがきっとあるんじゃないかしら」

 「なるほど。さすが千夜さんですね。ココアさんじゃこうはいきません」」

 「でもココアちゃんなら、きっと好きってなんなのか、ぱしって答えられると思うな~」

 「あ、それ言えてる! 『街の国際バリスタ弁護士、ココアでェす☆』って言っちゃうくらいだし! 私たちの中でとびきり好きがいっぱいなのは、ココア姉に違いないよ!」

 「確かにな~。そういった意味じゃ、ココアには敵わないな」

 ココアさん。どんな子なんだろう。

 まだ会ったことがないけれど、すごく好奇心が旺盛な女の子、らしい。こうして話に聞くだけで、見たこともないココアさんの楽しそうな笑顔が浮かんでくるような気がする。

 「とりあえずは、布井さん。これからさっそくうちに行きましょ!」

 「え……。え!?」

 今、今からですか!?

 「服もすぐ用意できるから。心配はいらないわ」

 「え! え! あの!」

 怖い! その優しそうな笑顔が、なぜか今は怖い!

 「ラビットハウスの制服は青山さんが持ってっちゃったしな」

 「布衣さん、頑張れ~!」

 「応援しています」

 「頑張れ布衣姉~!」

 「へぇ!? あ、あの!」

 「ん?」

 思わず立ち上がった私にも驚かず、一層微笑を深めて見つめてくる千夜さん。

 急な展開に着いていけなくて、私は思わずたじろいでしまう。

 けれど、心のどこかが、不思議な扉の向こうを見つめて、ドキドキ跳ね始めているような。

 「え、えと……」

 「はい」

 私は、本日何回目かのしどろもどろになりながら、パンクして煙が出そうな頭をショートさせつつ目の前の少女にやっと一言だけを伝えた。

 「よ、よろしくお願いします……!」

 「はい。こちらこそ。よろしくお願いします」

 

 落ち着き払った彼女の言葉を受けて、心が、一度、ぴょんと跳ねた。そんな気がした。



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P(ONKOTSU)を励ます一幕

 「で。どうして私が甘兔庵に呼ばれるわけ?」

 せっかくクレープ屋のバイトが終わってへとへとなのに、千夜ったら。

 「す、すみませぇぇん……」

 「ごめんねシャロちゃん。この人、布衣さんっていうんだけど、緊張しちゃって接客が上手くいかないの。少しだけ、協力してくれないかしら」

 布衣さん? 聞いたことない名前だわ。

 千夜に紹介された彼女は顔を赤らめて小さくなってる。

 「いいけど……。どうするの? お客様になればいいの?」

 「うん。そうして貰える? 私は隣で布衣さんのサポートをするから」

 「ご、ごめんなさぁぁぁい……」

 まったく。しょうがないわねぇ。

 「じゃ、入るところからやるから。準備して下さいね」

 「わ、わかりました!」

 びしっと気合を入れなおした彼女を見て、一度外に出た。

 あーあ。私、どうしてこんなことを……。

 「あ! シャロちゃーん!」

 「ココア!?」

 今日もいつもの笑顔。でもこんな暗くなるまで外にいるなんて一体どこ行ってたのよ?

 「こんなところでどうしたの? 千夜ちゃんに用事?」

 「まあね。ちょっと頼まれちゃって」

 「なになに!? もしかして戦争!? ついに甘兔庵とフルールで決着をつける時が来たんだね!?」

 「ちがーう! どーしてそうなるのよっ!」

 「じゃあ千夜ちゃんの家にまたパンツが飛ばされたとか?」

 「そんなしょっちゅう飛ばないわよっ! 違うの! 千夜に接客の練習を頼まれたのよ! 新人さんが入ったけど緊張しちゃうからって!」

 「そーなんだ~。 それでシャロちゃんが入るところからってことだね」

 「そーよ。まったく。新人教育くらい一人で出来なくてどうするのよ……」

 「まーまー。ところでいいの? 入らなくて」

 「あ! そーだったわ」

 もう準備出来てるわよね? よし。

 

 カランカラーン。

 

 「いいいい、いらっしゃらいらっしゃられれろら……」

 「あらあら。落ち着いて布衣さん」

 えーーーーー。

 「ちょっと待ちなさいよ! まだ入ったばかりじゃないの!」

 「ふえええ。ご、ごめんなさぁぁぁい……」

 「困ったわねー。お客様と話そうとするといつもこうなっちゃうのよ」

 「それは困ったわね……」

 なるほど。これは千夜も手を焼くわけだ。

 「どーしたの? 大丈夫?」

 「あら。ココアちゃん」

 「わわわ! だ、大丈夫ですぅ!」

 「全然大丈夫じゃないじゃない」

 後ろから出てきたココアにもテンパってる。

 「千夜。これは接客は難しいんじゃない?」

 「うーん。でも、なんとか仕事の楽しさを伝えてあげたいんだけど……」

 「仕事の楽しさ?」

 不思議がる私に、千夜はこうなった経緯を教えてくれた。もちろんココアも含めて。

 「……ということなの」

 「つまり、就活でどうしたらいいかわからない布衣さんに、とりあえずは仕事がどんなものかを知ってもらおうと。そういうことね?」

 「そうなのよ。さっすがシャロちゃん! 理解が早いわ♡」

 「布衣さんラビットハウスに来てくれたの? うれしーい!」

 「は、はい! ブルーマウンテンを頂きました……」

 「チノちゃんが煎れてくれるコーヒーは絶品だからね! お姉ちゃん鼻高々だよ!」

 「どうしてあんたが威張ってるのよ……」

 呆れた拍子に店内を見渡すと、いつものところにアイツがいた。

 げっ。こっち見てる!

 「と、ところで! なんとかその上がり症直すんでしょ!? もう一度やるわよ!」

 「は、はいぃ!」

 「千夜ちゃん。私も一緒にいい?」

 「いいわよ。ココアちゃん。お願いね」

 「えっ。あの、ココア……さん、ですか?」

 「え? うん! 私、ココアって言います! 布衣さん、よろしくね!」

 「あ、あ、あ……。よ、よろしくお願いします……」

 「あらあら。感動のご対面ね」

 「そお? 別に普通じゃない」

 握手までしちゃって。そんなに緊張することかしら。

 「じゃ。気を取り直して。もう一度やるわよ」

 「うん! シャロちゃん!」

 「お、お願いしますぅぅ……」

 

 カランカラーン。

 

 「いいいいいいい、いらっしゃらいましたぁ!」

 

 カランコローン。

 

 「い、いいい、いっしゃらいましたぁ!」

 

 カラコロカラーン。

 

 「いったっしゃっましたぁぁぁ!」

 

 「うーん。重傷ね」

 「千夜ー。これは接客難しくない?」

 「ふぇぇぇ……」

 「ホールとか、そっちにしたら?」

 「考えたんだけどね……。でも、甘兔庵で働くなら、やっぱり接客が一番伝わるかなって思って」

 「そうはいっても……」

 こんな簡単なことも出来ないんじゃ、うーん。さすがに厳しい気が……。

 「やっぱり、私はダメです。千夜さん、ごめんなさい。私は、もう……」

 「! ダメよ布衣さん! 諦めちゃダメ!」

 「で、でも……」

 「いい? 布衣さん。私はここで働く楽しさをどうしても布衣さんに知って欲しいの。布衣さんだって、ここで諦めちゃったら何も掴めないまま終わってしまうのよ? それでもいいの!?」

 「千夜ちゃん! 熱い!」

 「千夜さん……!」

 「大丈夫! まだ始めたばかりだもの。なんとかなるわ。ね、シャロちゃん。ココアちゃん!」

 ん……。

 「ま、まあね。 私だって最初から接客とか、全部上手くできたわけじゃないし……」

 「やろやろっ! だいじょーぶ! おねえちゃんに、まかせなさーい!」

 「は、……はい! ありがとうございます!」

 「じゃあ気合も入りなおしたところで、もう一度ね」

 「あ、千夜ちゃん! 次は私と布衣さんで迎えてもいいかな?」

 「いいわよ。じゃあ、行きましょシャロちゃん」

 「わかったわ。しっかりね。布衣さん」

 「はい! 頑張ります!」

 

 「ココアさん……」

 「ねえ布衣さん。さっきから見てて思ってたんだけど、布衣さんの顔、めちゃくちゃ強張ってるよ」

 「えっ。そ、そうですか!?」

 「うん。でもそれだと、お客様も緊張しちゃってせっかくの甘味が楽しめないよね? だから笑顔笑顔! 私たちがリラックスして迎えられれば、きっとお客様も安心してお店に入ってくれるはずだよ!」

 「あ……。そ、そうですね……。うん。その通りだと思います……!」

 「だからね! 安心して! リラックスリラックス!」

 「り、リラックス、リラックス……」

 「それでは深呼吸―。吸ってー」

 「え、えっ!?」

 「吐いてー」

 「は、はーっ」

 「吸ってー」

 「す、すーっ……」

 「吐いて―」

 「はー……」

 

 カランコローン。

 

 「い、……いらっしゃいませ、お客様!」

 

 「……わ、わぁー! い、言えました! 今言えましたよココアさぁん!」

 「わーい! 良かったね布衣さん! これでお迎えはばっちりだよ!」

 あれだけ縮こまってたのにあんなにはしゃいじゃって。

 まあ、壁を越えられたってことは、嬉しいものね。

 「良かったわね。なんとか上手くできて」

 「そうね。布衣さん、一歩前進ね!」

 「はいっ!ありがとうございますシャロさん、千夜さん……!」

 「それじゃお迎えもできたところで、次はテーブルとメニューの案内を覚えてね」

 「はいっ! 頑張ります!」

 あ。甘兔庵のメニューって……。

 「じゃ、じゃあ私、ここで失礼するわね!」

 「ありがとうシャロちゃん。おやすみなさい」

 「私も行くね! お休み千夜ちゃん、布衣さん!」

 「あ、ありがとうございましたぁ!」

 必死に頭を下げる布衣さんと、いつもながらおっとりしている幼馴染と別れを告げて外に出た。

 大丈夫かしら。ま、なんとかなるのかもしれないわね。

 「シャーロちゃん!」

 「なに?」

 「呼んでみただけ!」

 「何よソレ。へんなの」

 「えっへっへー。じゃあね! シャロちゃん!」

 言ってココアは帰って行った。まったく。しょーがないわね。

 「ただいまー」

 今日も大変だったけど、ま、いい日だったかも。

 

 「こらぁー! 私のにんじん勝手に食べるなァー!」



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セカイをカフェにしちゃいました! ……もう一杯、飲んじゃう?

 ここは、ラビットハウス。

 

 おじいちゃんが苦労して作り上げた、念願の喫茶店です。

 夜はバー。昼間はカフェ。マスターの父と私とで、何とか回しています。

 

 お客様が落ち着く雰囲気を、という理由であつらえた木製の机、椅子、カウンター。観葉植物がさりげなく空間を彩って、天井にはシーリングファンが音も無く空気を回します。

 千夜さんの働く甘兔庵よりも西洋風に。シャロさんの働くフルール・ド・ラパンよりはおとなしめに。お客様が憩う隠れ家的な静けさが、このラビットハウスの特徴です。

 

 そんなラビットハウスが、私は好きです。

 でも最近は、少し違う雰囲気も好きになってきていて……。

 

 「チノちゃーん! 今度のパン祭り、いつにする? 今日? 明日? それとも来週?」

 「ほらココア。ふざけてないでしっかり仕事しろ」

 

 きゅるるるるる……。

 リゼさんのお腹が鳴りました。

 

 「わーい! リゼちゃんは今日だって!」

 「い、言ってなーい!」

 

 きゅるるるるるるるるる……。また鳴りました。

 

 「お腹は大賛成だもーん!」

 「こ、ココアー!」

 

 やれやれです。お手伝いのリゼさんに、居候兼アルバイトのココアさん。

 特にココアさんがこの街に来てから、私の周りはとても賑やかになりました。

 

 「もう! リゼ先輩をからかわないの!」

 「あらシャロちゃん。それって、やきもち?」

 「やいてなーい!」

 「え? シャロちゃん、私にじぇらしーなの?」

 「感じてなーい!!」

 

 千夜さんにシャロさんも、今日はラビットハウスへ遊びに来ています。

 というのも、何やら千夜さんからお話があるそうで……。

 

 カラーン。

 

 「来たよーチノー!」

 「おまたせー!」

 「マヤさん。メグさん。いらっしゃい。どうぞ」

 ちょうど二人も到着しました。さて、一体何が始まるんでしょうか。

 

 「で? 千夜。私達に話したいことって、なんだ?」

 

 リゼさんが聞いてくれました。どきどき。

 

 「ふふふ。それはね……。じゃーん! お手紙よ!」

 「手紙? 誰からよ?」

 「ただ言うんじゃ面白くないわ。当ててみて!」

 

 千夜さんは今日も茶目っ気たっぷりです。さて、考えてみましょうか。

 

 「んー。誰かなー」

 「メグちゃんも知っている人よ?」

 「私も? えっとー。うーん」

 

 メグさんも知っている人……。もしかしてモカさん?

 

 「もしかしてモカさん?」

 「ぶっぶー。シャロちゃん不正解ー」

 

 違いましたか。では次は……。

 

 「あ。青山さんとか? いつも文章書いてるし、甘兔庵にもよく来るし」

 

 リゼさんさすがです。私も同じことを考えていました。

 

 「残念。ちがいまーす」

 

 ほんとは何となく違う気がしていました。リゼさんはずれです。

 でも、青山さんもモカさんも違うとなると、あとは……。

 

 「タカヒロさん!」

 「ちがうわ。残念ココアちゃん」

 「じゃあ、ティッピー! その毛の中には、実は器用な指先が……!」

 「はずれよマヤちゃん。でも本当にあるのかもしれないわね」

 

 ありませんよ。ティッピーにそんなもの。

 マヤさんと千夜さんのタッグは恐ろしそうです。組ませたら一大事です。

 

 「さて……。じゃあ最後! チノちゃんは、どう?」

 「わ、私は……」

 

 困りました。正解がわかりません。

 モカさん、青山さんでもなく、当然ながら父でもなく。ティッピーも違いました。では、あとは……。

 

 「ヒント! この前旅行に来ていた、あの人よ♡」

 

 あの人? ……あぁ!

 

 「はい!」

 「はいチノちゃん」

 「布衣さんです! 来桜 布衣さん!」

 「だいせいかーい!」

 

 どこかから紙吹雪が降ってきました。どこから出したんですか千夜さん。後のお片付けが大変そうです。

 

 「手紙? 布衣さんから!?」

 「そうなの! もうずっと言いたくて、学校にいる間ずうっとうずうずしちゃった!」

 「そっかー。だから千夜ちゃんうずうずしてたんだ。何か抑えきれないほどすごいメニュー名考えちゃったのかと思ったよ」

 「やだ、そんなに? 私の気持ち、ココアちゃんには筒抜けね♡」

 「千夜ちゃんのことはなんでもお見通しだよっ!」

 「はあ。話が全く進みません。千夜さん、よければお手紙を見せてくれますか?」

 「あら、ごめんなさい。ちょっと待ってね。今開けるから……」

 

 がさごそと鞄から一通の封筒を取り出した千夜さんは、その封を開けて、取り出した手紙を読んでくれました。

 

 「拝啓、宇治松 千夜様。お元気ですか? お久しぶりです。その節はどうもありがとうございました」

 布衣さんらしい、真面目な文章です。

 

 「甘兔庵で働いた経験をもとに、就職活動を行いました。最初は……」

 

 全然ダメだったようです。履歴書は書けるものの、面接になると緊張でへにょへにょ。布衣さんらしいです。ココアさんとシャロさんから聞いた話からすると、その様子が浮かんで見えてきます。

 

 「でも、回数をこなすうちに、段々と場馴れしてきました。その頃になると、自分が何をしたいのか、どうなりたいのかが洗練されてくるようになって……」

 

 諦めずに回数を重ねたある時、見事内定を勝ち取ったようです。

 

 「よかったねー布衣さん! 念願の内定ゲットだね!」

 「そうなの! もう貰った時嬉しくて! はやく皆と共有したかったの!」

 

 ココアさんと千夜さん、嬉しそうに手を重ねて喜んでます。少しオーバーですが、気持ちはわかります。良かったですね、布衣さん。

 

 「甘兔庵での様子を知ってると、それがどれだけのことかわかる気がするわね」

 「シャロちゃんはいつも窓から覗いてくれてたものね」

 「し、知ってたの千夜!」

 「あら。あんなに真剣に見つめてたら、誰でも気づくわ」

 「わ、わかってるならさっさと言いなさいよ! は、恥ずかしいじゃない!」

 

 シャロさん顔真っ赤です。

 

 「まあまあ。でも良かったな。私達はまだそういうの経験ないけど、布衣さんの大事なものは何か、見つかったみたいだな」

 「うん。わざわざお手紙くれるくらいだから、よっぽど甘兔庵の仕事が役にたったんだねー」

 

 そうですね。メグさんの言うとおりです。

 それもこれも、千夜さんの働きかけがあったからこそですね。

 

 「そうね。布衣さんの迷いが、甘兔庵で働くことで吹っ切れたのなら嬉しいわ。働くって楽しいことでもあるっていうのが、一番伝えたいことだったから」

 「素晴らしいです。千夜さん。まるで女神様です」

 「人を通り越して女神様かよー!」

 「なんだか眩しいねー」

 「うふふ。女神様は言い過ぎかしら。あ、それでね。皆を呼んだのは他にもあって……」

 

 え?

 

 「えぇ? なになに? 千夜ちゃん何を隠してるの?」

 「何だ千夜。早く言ってくれないか」

 「焦らさないでよ」

 「うん。この手紙の続きなんだけれどね……。『晴れて内定を頂いたお礼も兼ねて、もう一度木組みの街へ遊びに行きます』って!」

 「えええ!?」

 

 カラン!

 

 あ。

 

  

 「いらっしゃいませ。ラビットハウスへ、ようこそ!」

 

 

 



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